2002年活動記録
インデックス
2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014  2015 2016
活動記録本文
2002
 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013  2014 2015 2016
 
トップ

(2002年12月第4週)
今年最後の週です。今年は年末の気分がでないまま年末を迎えてしまいました。

■ ローマ人の物語11
塩野七生さんの「ローマ人の物語」の11巻が年末になってやっと出ました。
早速、読みました。
今回は哲人皇帝といわれる、マルクス・アウレリウスが中心です。
読んでいて腹立たしくなりました。
塩野さんにではありません。マルクス・アウレリウスに、です。
塩野さんは控え目に批判的ですが、この本による限り、この皇帝は賢帝どころか悪帝ですね。
現場からの距離が、私の最近の善悪の基準なのです。
現場を知らないリーダー、知ろうとしないリーダーには憤りを感じます。

ご存知の通り、この本は塩野さんが毎年1巻ずつ15年かかって、完成することになっています。
長いので読むのがめんどうですが、走り読みで毎年読んでいます。
実に面白いです。
読んだ後に、類似のテーマを扱った本を読むと、視点の違いがわかって、さらに面白いです。
塩野さんの意地の悪さも時に感じますが。

今回は、マルクス・アウレリウス帝の死にまつわる2本の映画がかなり詳しく取り上げられています。
ついでに、その2本の映画も見直してしまいました。
「ローマ帝国の滅亡」と「グラディエーター」です。
2作とも期待を持って観たのに退屈だった映画です。
塩野さんのおかげで、今度は少し面白く観ることができました。
知識の大切さを改めて感じました。
学校は、世界の面白さに気づかせる知識をもっと子どもたちに提供していくべきだと思いました。
学力低下など瑣末な話です。

■ 松下幸之助の直弟子
久しぶりにPHP研究所にいた前岡宏和さんから本が送られてきました。
前岡さんは幸之助さんの面接を受けてPHP研究所に入った第1号の研究員です。
ずっと幸之助研究にとり組まれ、その真髄を学ばれてきました。
最近の企業経営のあり方を憂い、「松下幸之助の名言に見る経営のコツ」を自費出版されたのです。
ご関心のある方はブックのコーナーをご覧下さい。

■ 「山谷」ふるさとまちづくりの会の大崎元さん(2002年12月26日)
東京の山谷でホームレスの人たちを支援する活動に取り組んでいる大崎さんが来てくれました。
大崎さんは建築工房匠屋に拠点を置いて活動している建築家です。
都市計画にもいろいろ関わっていらっしゃいます。

山谷との付き合いは4年くらいだそうです。
お話をお聞きして、私の山谷のイメージとは大きく違っていました。
やはり現場に行かずに、頭で考えることは危険です。

印象的だった話をふたつだけご紹介します。
まず山谷は犯罪が少ない町だそうです。
その理由は、ホームレスの人たちの目が四六時中あるためではないかということです。
街から人の目がなくなっていく中で、これはとても示唆に富んでいます。
もうひとつは、ホームレスと住宅居住者とは、隣接しながらも、それぞれがそれぞれを見ないような関係があるそうです。
人間の目は、見たくないものを見えなくするという特質があります。
その構造が実際に実現しているようです。
これもまた、示唆に富んでいます。

私は最近、自分の住んでいる町を見ていなかったことを反省しています。
いや、いまもたぶんそうだと思います。
それがまさに見える形で山谷にはあるようです。
これからのまちづくりのヒントが山谷には充満しているようです。

大崎さんは東京理科大学の大月さんとも交流があるそうです。
大月さんは東南アジアのスラムの研究にも取り組んでいます。
スラムこそ、まちづくりの原点だと大月さんは言います。
たしかにそうかもしれません。
そうした視点がどうも忘れられているのかもしれません。
まちは創るものではなく、育つものかもしれません。

大崎さんは米国のCDC(コミュニティ・デベロプメント・カンパニー)に関心をお持ちです。
NPOが中心になって、空洞化し荒廃した市街地を再開発していく動きです。
日本でもTMO(まちづくり会社)がありますが、これは言ってみれば行政主導ですからほとんど成功事例はありません。
現場の住民を主役にしたCDCは、出発点が違います。
山谷では、すでにCDC的展開が進んでいるようです。

そうしたことも含めて、来年には大崎さんに山谷のまちづくりのお話をお聞きする機会をつくりたいと思っています。
大崎さん、よろしくお願いします。

■ ソーシャルベンチャーの井上英之さん(2002年12月26日)
井上さんは、今年、コムケアの資金助成プログラムに応募してくれた、若き社会起業家です。
最終選考会で支援先に選ばれたソーシャル・ベンチャー・パートナーズ東京ベイの代表です。
井上さんは、コムケアの理念に共感してくれて応募してくれました。うれしいことです。
選考会のリハーサルで、彼の姿勢と人柄が伝わってきました。
一度ゆっくりと話したいと思っていたのですが、やっと会えました。
最近の若者のパワーには圧倒されます。

面白い話を聞きました。
米国では、コミュニティ活動に汗や資金を身の丈に合わせて出すgiving circleというのがあるのだそうです。
以前、聞いた事があるような気がします。
私が理想とする仕組みです。日本にもあったはずなのですが。

井上さんとの話し合いは刺激的でした。地殻変動は確実に進んでいますね。

■ 年賀状のこと
今年から年賀状をメールにすることにしました。
そしてこのホームページにも元日から1週間、トップに掲載することにします。
今年は年賀状が届きません。

メールでの年賀状は無機的だという人もいますし、私もこれまでは実際には送られてきても見ませんでした。
しかし、この1年、このホームページ活動を通じて意識が変わりました。
メールは極めて人間的なメディアなのかもしれません。

■ 年末の謝辞
今年の私の週間記録もこれが最後です。
かなりの分量になりました。
ホームページを充実させるつもりが、結局は日記を書き込んだだけになってしまったような気もします。
私の生活や考えをかなり赤裸々に出したつもりです。
お付き合いくださり、感謝します。
この年末で、このホームページの構造を少し変える予定です。

新しいホームページ(デザインやスタイルを変えるつもりは全くないため、まあ、あまり変わり映えはしませんが)でまたお会いしたいです。

ではよいお年を。

(2002年12月第3週)

■日本構想学会年次大会(2002年12月14日〜15日)
日本構想学会は、これまでの学会とは違います。
新しい公共空間を目指した試みです。まさにこのホームページと目指す方向は同じです。
主宰者は半田智久さんです。
半田さんと私とは、価値観において正反対のところと全く同じところを奇妙に共有しています。
半田さんと話していると、コミュニケーションの断絶を感ずることが多いのですが、その底でつながりも感じるのです。
半田さんは構想学会を「響創の公共空間」にしたいと考えています。
私は「響創」というような着飾った言葉が嫌いなのですが、私が以前から使っていた「共創」と、なぜか発音は同じです。
人との付き合い方も、私とは全く違うようで同じなのです。
説明できませんが、そう思います。

まあ、そんなことはともかく、2日間にわたる日本構想学会の大会に参加しました。
1日目はフルに、2日目は用事とトラブルで、少しだけでしたが。
私はご案内していた通り、初日の夜、ラウンドテーブルセッションを主宰しました。
テーマは「コモンズ社会に向けての新無尽講構想」です。
話題提供者として、小倉美恵子(農的暮らしを考える研究会)、佐藤和美(環境コンサルタント)、西村美和(産業能率大学・CWSコモンズ村民)、渡辺清(大阪大学大学院社会人学生)の4人の友人に参加してもらいました。

内容の報告は学会のホームページでご覧下さい。ここでは極めて主観的な感想を書きます。

長くなったので、項目だけを書きます。内容は次をクリックしてください。
構想学会大会2002で気づいた事

○新しい学びの場への構想
新しい学びの場の構想が二つ発表されました。
○構想日本のラウンドテーブル
構想日本は官の立場でしたが、田中康夫さんは民の立場でした。
○コモンズ社会に向けての新無尽講構想
私が主催したラウンドテーブルではマネーと寄付が話題になりました。
○NPOの位置づけ
NPOを行政や企業の下部システムと捉えている目線の高さが気になりました。
○北関東統合医療研究会報告からの思い付
医療制度のパラダイムシフトの3つの方向を素人なりに考えて見ました。
○学び合いの大切さ
学び合う事の難しさを痛感しました。私も反省です。
○質問の仕方の大切さ
教育で一番大切なのは、質問の仕方を学ばせることだなと思いました。

■「保険詐欺の手口」
これは本の題名です。保険コンサルタントの一花正章さんが最近出版した本です.
文芸社から出ています。1000円です。安くて面白いです。
その一花さんは、成年後見制度に造詣が深く、その関係のNPOを立ちあげ中です。
国際福祉環境推進機構と言うNPOの常務理事でもあります。

一花さんを紹介して下さったのは奥村桂一さんです。
奥村さんも、そのNPOをやっています。
今日はお二人でオフィスに来て下さいました。
奥村さんとは10年ぶりくらいです。
私が東レで企業変革に取り組んでいた時、奥村さんは旭硝子でやはり企業変革に取り組まれていました。
その頃、いろいろと情報交換をさせていただいていました。
奥村さんは、いま様々な社会活動に関わられているようです。

本当は、成年後見制度の話をお聞きしたかったのですが、冒頭の本を一花さんが下さったので、すっかり保険の話になってしまいました。
私は保険にとても関心があります。
保険制度そのものが大きく変わるべき時期に来ているのに、保険会社は何も動いていないように思っています。
不思議でなりません。
私に3億円研究費をくれたら、全く新しい保険を開発してやりますが、残念ながらどこからも頼みにこないのです。

構想学会で14日に無尽講の話をしましたが、これはまさに保険です。
法定通貨だけではもう保険は成立しないと思っています。
大切なのはもっと大きな仕組みです。

コムケア活動は、住友生命から資金を出してもらっています。
その恩に報いるために、新しい保険の開発のための示唆を得られないかと思っています。
まあ、住友生命にはありがた迷惑な話かもしれませんが、借りは返さないとすっきりしませんので。

■美野里町の都市計画マスタープラン(2002年12月17日)
またまた美野里町です。都市計画マスタープランもそろそろ中間集約の時期になってきました。
これからの進め方をみんなで議論しました。

私はこれからの都市計画マスタープランの一つの方向性を「美の基準」に象徴される真鶴のまちづくり条例においています。
真鶴でこれが本当に実効をあげているのかどうかには疑問もありますが、問題を一歩進めた意味で、高く評価しています。
批判は誰にでもできますが、新しい動きを実現することは本当に大変なことですから。
美野里町は、しかし、これを超えなければなりません。いやはや大変です。

それに関する湯島会議や事務局会議、起草委員会などを今週は何回か開催しました。
少しずつ先が見えてきましたが、まだ確信は持てません。

計画の起草は意欲的な若手職員が中心になって行います。
まちづくり会議の8部会で出た意見をできるだけ拾いながら、それを積み上げ整理していく方法です。
それで本当にビジョンや方針が構築できるのか、みんな不安を持ちながらの取組みです。
ふつうは外部のコンサルタントは、当事者に不安を極力与えないのでしょうが、私たちはむしろ不安を与えてばかりいます。
私たちも不安を持って悩みながらの進行です。
これから3月まで、素案づくりに入っていきます。
ぜひとも美野里町モデルと言われるようなものを見つけていきたいと思っています。

■ 世田谷一家殺人事件
世田谷の宮澤さん一家の事件は未解決のまま3年目に入ろうとしています。とても残念です。遺族が関連情報に謝礼金を提供する事にしたと言う記事を新聞で見ました。
これに関連して、最近、気になっていることをメッセージに書きました。読んでもらえると嬉しいです。

■ 生命保険文化センターの高野逸子さん(2002年12月17日)
日中の我孫子駅でぱったりと高野さんに会いました。
場所が場所だけに、地元の人だと言う先入観から高野さんであることをすぐには思い出せませんでした。
人は環境によって発想を自己制約することがよくわかります。

高野さんとは多分10年ぶりくらいです。
高野さんのおかげで、昔、生命保険文化センターの機関誌に何回か原稿をかきました。
その一つはかなり気に入っていますので、掲載します。
消費者の選択から生活者の選択へ」という話です。
当時はCS(顧客満足)ブームでしたが、その動きに私は違和感を持っていました。
お時間があればお読み下さい。

パウサニアス・ジャパンの金田英一さん(2002年12月18日)
金田さんは、プレジデント社時代に日本にコーポレート・コミュニケーション概念を導入した草分けの一人です。
会社を辞めた後は環境問題に関心を深め、その分野での活動もされています。
今も様々なものに関心を持たれ、ご多用の毎日です。
地方紙にもネットワークをお持ちです。
なかなかお会いできませんが、今日は運良く二人の都合があって久しぶりにお会いしました。

会社を辞められたシニアの方々が、せっかくそれまで培われたネットワークやノウハウを、組織を離れたために活かしきれていない事は少なくありません。
社会にとっては、とてももったいない気がします。
社会の新陳代謝の視点からは、それがいいことかもしれませんが、自分が歳とってくると、もったいないという意識が高まってきます。
米国ではシニア起業家が多いと聞いていますが、日本ではシニアのエネルギーはNPOに向かうのかもしれません。
そういう視点で社会の仕組みや制度を構築していくと、きっと元気な社会が実現するでしょう。
「景気対策は経済政策」の時代を終わっているのかもしれません。
少なくとも、エコノミストの時代は終わっているように思います。

■ 山形市共創塾(2002年12月20日)
今年最後の山形出張です。寒かったです。
山形市の共創プロジェクトをどうするかの議論をしてきました。
このプロジェクトは私にとってはとても愛着のあるプロジェクトですが、この数年、納得できる形にはなっていません。
私の責任がかなりあるのですが、私は相手が主役のコンサルタントですから、相手が動かないと何もしないのです。
こんなコンサルタントに仕事を頼むと苦労しますね。
しかし、何もしない苦労というのもあるのです。まあ、勝手な論理ですが。

来年は行政評価の問題に少し取り組もうかと話し合いました。
と言っても、最近ブームのように広がっている行政評価ではありません。
あれは全く価値のないものだと、私は思っています。
時代の変わり目で求められるべきは、手法ではなく価値だからです。
それに「評価」ということばが管理発想であるところが問題だと思っています。

新しい取り組み方を見つけられればと思います。

その後、共創塾にも参加しました。
5つのチームで、具体的な仕組みづくりが検討されています。
いずれも極めて実践的なものです。

■朝日ニュースターの「よみがえれニッポン」(2002年12月21日)
ばばこういちさんの制作するテレビ番組に久しぶりに出演しました。
テーマは「ユニバーサルデザインと地域活性化」です。生番組ですから、気が楽です。
前半は早稲田商店会の「震災疎開パッケージ」、後半はユニバーサルデザイン教育がテーマでした。

震災疎開パッケージは、年間会費5000円で加入すると、万一災害が発生したら、商店会が連携している全国各地に会の費用負担で一時避難できるシステムです。災害がなければ各地の特産品が送られて来るそうです。実にいい仕組みです。私の考えているコムケア無尽講にもつながります。ご関心のある方は早稲田商店会にアクセスして下さい。
ちなみに、早稲田商店会はエコステーションで話題になりましたが、山形市の七日町商店街の宮崎亙さんたちも、そこから学んで、新しい風を起こしだしています。早稲田商店会の強さは、自分たちが楽しんでいることですね。

ユニバーサルデザインは実にいい内容でした。時々書いていますが、私自身は最近のユニバーサルデザインブームには批判的です。ロン・メイスのUD7原則も退屈です。
でも今回は違いました。
番組のレギュラーキャスターの中川聰さんが江東区の第三大島小学校で行ったUD授業の紹介とそれを材料にしたUD論議でした。その授業では、利き手を使わずにカップラーメンを作ることとお菓子の袋を破ることを子どもにやってもらったそうです。その体験から、子どもたちはユニバーサルデザインの本質に気づいていくという企画です。子どもたちが実に楽しそうだったのが印象的でした。この授業を受けた子どもたちは、学ぶ事の楽しさにきっと気づいたことでしょう。それこそが学びです。学校はもっともっと楽しい場であるはずです。授業を企画した浅野努先生も参加されましたが、とてもいい授業をされているようで、とてもうらやましかったです。

ばばさんとは長いお付き合いです。
東レ時代からです。
リンカーンクラブでもご一緒でした。
湯島のオフィスでの集まりには、現在の広島市長の秋葉さんも参加されました。
残念ながら、リンカーンクラブは意見の相違から、それぞれがばらばらになってしまいましたが。

朝日ニュースターでは、私も3か月、キャスターをやったことがあります。
会社を辞めた頃のことです。
会社のトップとのインタビュー番組です。
その時、お会いした経営者では、松下電器の山下俊彦さんとイナックスの伊奈輝三さんが印象的でした。

帰ってきてパソコンを開いたら、「社会教育」編集長の近藤さんから、テレビを見たよ、というメールが入っていました。
そういう時代なのですね。

(2002年12月第2週)
東京は雪でした。全国的に今年は雪が早いですが、年末に雪景色を見たのは久しぶりでした。雪が積もると、風景が一変します。そうした風景に合わせた生活を意識しなくなってから、だいぶたちます。
 来年の3月で、私が人生を変えてから(会社を離脱してから)15年が経過します。その時に、友人知人に出した手紙に、「社会に溶融するような生き方」をしたいと書きました。なかなそうはなりませんでしたが、その意識は持ちつづけています。
この雪で、少しまたライフスタイルを変える気分になりました。自然に従う生き方です。どうなりますことやら。
 先週のメッセージ風な記録には、フォーラムのコーナーに増山さんから投稿をもらいました。ぜひお読み下さい。議論への参加も歓迎です。
 今週はまた記録風に戻しましたが、直接の出会い以外のことも書きました。ちょっと長いです。

■KAEエグゼクティブフォーラムのメンバーとのミーティング(2002年12月9日)
 経営道エグゼクティブフォーラムについては以前紹介しましたが(2002年9月10日)、そこで「個人と組織の関係」のテーマに取り組んでいるチームの、3人がやってきました。事務局の堀越さんも一緒です。
 3人とは、アサヒ飲料の杉中宏樹さん、日立ビルシステムの和田富男さん、そして富士ゼロックスの姫野直美さん。時代が変わる中で、これからの社員、そして社員と会社の関係はどうあるべきかが、皆さんの関心事です。3時間を越える意見交換をしました。
 チームでは、議論のキーワードとして、「自立」と「自律」の違いや意義をかなり議論してきたようです。結論は「自律型社員」がいま求められている、しかしこれからはどうなのか、ということのようです。
 私は「自律」にはほとんど価値を置いていない人間ですので(自立者にとっては当然のことですし、自律は目的概念ではないと考えているからです)、なかなか議論は難しかったのですが、久しぶりに刺激的な議論を楽しませてもらいました。
 私の視点は、つねに「自分の問題と重ねて考える」ということです。社員と会社の関係を抽象的に考えるほど虚しいことはありません。それは個人個人によって違うからです。むしろそうした個人個人の様々な事情や都合を集めていくと、問題や方向が見えてくるはずです。今回もそういう視点で話していたら、それぞれから生身の人間の話が少しずつ出てきました。それがとても面白かったです。
 このチームの成果発表は5月に予定されています。また案内をしますが、きっと面白い成果が出てくるはずです。ご関心のある方はご一報ください。

■自然浴七福神
 KAEエグゼクティブフォーラムのシニア版に、経営道フォーラムがあります。私は、そこのアドバイザーなのです。エグゼクティブフォーラムでは、最初に問題提起の話をするだけなのです。
 さて、その経営道フォーラムですが、そこの27期生が終了後3年もたつのに、積極的な活動を継続しています。そして毎年、活動報告書を発行しています。なんと150ページもある報告書です。すごいエネルギーです。いつぞやは日本の企業人は元気がないという話を紹介しましたが、元気な企業人もいるのです。
 事務局はキャノンの小野田繁義さんですね、きっと。こういう人がいないと、こうした活動はなかなか続きません。小野田さん、ご苦労様です。
 私からのEメールも少し載っていました。いつも報告書が送られてきてから、もう少しちゃんとしたメールを出しておけばよかったと思うのですが、ついつい忘れてしまいます。
 こうした活動が続いていくことはとてもうれしいですね。メンバーも少しずつ増えているようです。みなさん、また湯島に遊びに来て下さい。

■インキュベーションハウスの総寄り合い(2002年12月9日)
新しい働きの場を目指して、志高く、しかしかなりアバウトにスタートした、インキュベーションハウスは、ライブレポートを書き込むといいながら、その後、あんまり報告していません。それもそのはず、あまり動いていないのです。まあ、新しい事はそう簡単には進まないのです。はい。
 しかし、年度末になりました。メンバーの一人である税理士の外崎さんに相談に言ったら、手厳しく怒られました。みんな本当にやる気があるのか、それがないなら解散すべきだ、というのです。折角最近は私の会社では怒られなくなったのに、また怒られてしまいました。だから税理士は嫌いです。外崎さんはとてもいい人なんですが。
 しかし、外崎さんの指摘は全く完全に正しいのです。そこで総寄り合いを開催しました。雪にも関わらず8人が参加しました。私は休みたかったのですが。
 今年のこの会社の売上は、なんと23万円で、利益は2万円です。これでは外崎さんが怒るのも当然です。本当に存続させるのかどうかを議論しました。結論は存続で、来年はみんなで仕事をともかく探してくることになりました。当面は理念よりも利益です。何だか私がいつも嫌っている会社のやり方みたいですね。しかし、まあ緊急避難的にやむを得ないのです。あれ、これもよく言われる言い訳ですね。いやはや。
 しかし、そこはメンバーの良識を信じましょう。絶対に利益目的だけにはならないでしょう。いや、そうならないためにも仕事を見つけなければなりません。
 みなさん、何か仕事はないですか。インキュベーションハウスのメンバーは様々な専門家集団ですので、核兵器の開発と宇宙旅行以外はたぶん何でもできます。銀行強盗や仕置き人請負はちょっと辞退しますが、まあ通常の仕事なら何でも来いです。ホームページの作成、商品開発、宣伝広告、イベント、ピンバッジの作成、CI、調査分析、引越しの手伝い、自分史の本作り、風邪の治療、環境経営支援、体験学習、まち起こし、なんでも大丈夫です。ぜひご相談ください。必ずご満足できる結果を提供します。

■ 北九州市のまちづくりチームが訪ねてきてくれました(2002年12月10日)
北九州市小倉北区役所のまちづくり推進課の3人が訪ねてきてくれました。課長は、以前、このコーナーでもご紹介した川口正信さんです(2002年9月10日)。川口さんはいつも刺激的なプロジェクトに取り組んでいます。今回は、同じ職場の若手の森本康成さんと高橋典子さんがご一緒でした。市民フォーラムを来年開催したいという事で、その相談です。
 まちづくりはもう疲れたなとちょっと思い出していたのですが、北九州市には借りがあるのです。5年ほど前に山形市で「全国まちづくり先進事例会議」をやったのですが、その時に北九州市の人がわざわざ山形市まで来てくださったのです。借りは返さないとすっきりしません。
 今日、山形市の先進事例会議の事務局だった高倉さんに電話したら、一昨日の集まりで、その時のメンバーと先進事例会議の話が出たそうなのです。このコーナーで何回も書いていますが、縁は不思議なもので、こうした偶然が本当によく起こります。
3人の関心は、どうしたら住民たちの自発的な活動を継続発展させられるかです。一時は盛り上がるが、なかなか持続できず、主体的な展開になりにくいというのです。まさにこの事がこれまでのまちづくりの問題でした。
川口さんは、都市計画と各地区の住民主役のまちづくりをつなげたいとも考えています。これはまさに私たちが美野里町で取り組んでいることです。
 もう一つ、共感できる話がありました。まちづくりにとって、祭りと掃除が大切だと思うと川口さんは言うのです。最近、祭りの話がよく出ます。まちづくりと祭りのシンポジウムをやったら面白そうですね。
 掃除も面白いテーマです。各地のまちづくりの集まりにいくと、日本を美しくする会のメンバーに時々会います。鍵山秀三郎さんを中心とした活動です。私も一度、実践の場の山内さん創志塾の三浦さんたちのおかげで、鍵山さんと一緒に箱根湯本の公衆便所の掃除を経験させてもらいました。鍵山さんのお人柄にも触れて、実に多くの事を学ばせてもらいましたが、掃除はたしかにまちづくりの重要な要素です。
 これを契機に、少し北九州市のまちづくり活動を学ばせてもらう気になりました。引き続き各地のまちづくりに関わるとなるとちょっと気は重いのですが。

■マリア様気分(2002年12月12日)
アーユルヴェーダの佐藤真紀子さんのことは以前ご紹介しました(2002年11月15日)

 女房が喘息だと知って、いろいろアドバイスをしてくれました。そのひとつが乳香(フランキンセンス)です。樹液の一種です。皆さん、ご存知ですか。もちろん私は知る由もなく、手元のデューク版「グリーンファーマシー」で調べました。
 ところで、「グリーンファーマシー」はご存知ですか。薬用植物のエンサイクロペディアです。米国ではベストセラーだそうです。私の知人が翻訳しました。家庭の常備書としていかがですか。この本は高価なので売れないのです。本の紹介はブックのコーナーにありますが、私はこういう本の日本版をつくりたいなと思っています。
 話がそれました。乳香の話です。残念ながら出ていませんでした(食用が中心だったからです)。そこで、世界宗教大事典やイメージシンボル事典などで調べたらいろいろのことがわかりました。非常に古くからの知恵なのです。真知子さんの解説によれば、「乳香は聖母マリアがキリストを産んだ時に東方の3博士が持参した宝物のひとつ」で、「神経をやわらげる効果」があるとのことです。
 真紀子さんが、ぜひ「マリア様の気分をお試し下さい」と乳香を送ってきてくれました。さっそく、女房が焚いてみました。聖母マリアよりもインドを想起させる香でした。事典によれば、サンチャゴのコンポステラの聖ヤコブ大聖堂でも年に1回、大きな吊り香炉で焚かれるとのことです。そう言えば、最近は、サンチャゴ巡礼のことを書いていませんが、黛まどかさんの映画構想は順調に進んでいるそうです。
 話が飛び飛びですね。私が興味を持ったのは、乳香がインドやペルシアはもちろん、エジプトやメソポタミアにもつながっていることです。そして、その産地がアラビア地方だということです。興味を持ちませんか? 

■ 青豆を最近食べていない丸山冨美さん(2002年12月12日)
あの「青豆食べて元気一杯」の知恵モノの丸山冨美さんがやってきました。この頃、きっと、青豆をたべていないのでしょうか。いつになく、悩んでいました。もっとも元気は全く同じでしたが。悩むことは若者の特権です。いいことです。
 先週も書きましたが、彼女はこの数年、実に素晴らしい「まち育ち」支援の体験をしています。その体験をぜひ大きな知恵に育てていって欲しいと思っています。
 彼女は長年、自然体験学習やワークキャンプなどに取り組んでいます。この3月までは福島県伊南村の臨時職員として、とても大きな実績をあげてきました。最近は「食」にも関心を深めています。もう少し時間はかかるかもしれませんが、きっとそのうちに爆発するでしょう。楽しみです。

■ 黒岩比佐子さんと村井弦斎(2002年12月13日)
「音のない記憶」の著者の黒岩さんは、いま、実に多忙な生活をすごしています。五木寛之さんの著作活動の編集に関わられたり(最近の本のあとがきなどにお名前が出てきます)、ご自身の関心事のテーマについて調べられたりしています。今日も資料探しで、神田神保町の古書店に来たついでに湯島に立ち寄ってくれました。
 以前お話した村井弦斎の著作『Hana』の英訳本は
、ネットで見つけて、米国から購入したそうです。インターネットの威力はすごく、まさに取引コスト革命を起こしています。この意味はもっと認識されてもいいでしょう。
 その本をわざわざ持参してくれました。存在感がありますね。版画(多色刷も含まれています)が実にきれいでした。こうした存在感のある本が最近はなくなりましたが、改めてこうした本を見ていると、これからの本づくりの一つの方向性を感じます。

■ 宮城大学の半田研究室の来訪(2002年12月13日)
明日から構想学会の大会ですが、そのために上京している半田研究室のメンバーがやってきました。1時間くらいと言っていたのに、激論になってしまいました。半田さんは、学生たちを色々なところに連れていって、激論させているのです。感服の至りです。
 私もついついそれに乗ってしまい、気がついたら8時を過ぎていました。
 来訪者は半田さんはもちろんですが、大村哲さん、荒川創さん、加藤裕也さん、猪岡武蔵さんの5人です。荒川さんは以前紹介しましたが、食にこだわったNPOを立ちあげていますが、その近況を聞きました。そのあたりまでは私のペースだったのですが、次第に彼らペースになり、NPOと企業の違いとか、寄付と税制とか、色々な議論に発展しました。疲れてしまい、何を議論したか思い出せませんが、こうした議論をどんどんできる場を作ることは教師のとても重要な課題だなと改めて思いました。
 しかし今週は、実に議論をする機会が多かったです。明日もまた学会での議論があります。

■ 政治サロン(2002年12月13日)
実は13日は、「拉致問題から国家を語る」をテーマにした政治サロンでした。テーマのせいか、日程のせいか、なんと集まったのは私と代表の木村さんだけです。たまたまそこに前項の宮城大学チームがいたので、その流れに木村さんも巻き込まれてしまいました。木村さん、すみません。
 半田チームが帰った後、木村さんと二人でこれからのわくわく政治談議の進め方を議論しました。木村さんは来年の目黒区の区議選に立候補する予定です。そこで、思い切って暫くは、この政治サロンも目黒区のどこかで地域に開かれた形でやったらどうかと提案しました。
 木村さんは、志も生きざまも、見識もしっかりしています。しかも、目線が生活レベルです。こうした人が政治の世界で増えていけば、日本にもきっと政治が育つでしょう。今の国政も地方政治も、ほとんどがアマチュアリズムのように思います。 木村さんを応援したいと思っています。目黒区に知り合いのいる方はぜひご紹介下さい。また、政治を私たち生活者の手に取り戻したい方がいたら、ぜひ応援して下さい。

■ 日本構想学会年度大会(2002年12月14日)
日本構想学会の大会が始まりました。私はご案内していた通り、初日の夜、ラウンドテーブルセッションを主宰しました。テーマは「コモンズ社会に向けての新無尽講構想」です。話題提供者として、小倉美恵子(農的暮らしを考える研究会)、佐藤和美(環境コンサルタント)、西村美和(産業能率大学・CWSコモンズ村民)、渡辺清(大阪大学大学院社会人学生)に参加してもらいました。
  大会は日曜日もありますので、来週、あわせて報告します。報告したい事が山ほどありますが、大きな気づきもありました。かなり感情的な気づきではありますが。
  では来週。

(2002年12月第1週)
今週はちょっと趣向を変えて、メッセージ風に書きました。先週のサロンで、世の中には悪い人などいないといって、みんなに批判されました。そんなこともあって、今週はちょっと私の思いを出来事に重ねて書いてしまいました。ぜひご意見を投稿して下さい。
メールではなく、投稿が私にはうれしいです。はい。

■ 大企業に経営者はいるのか/OBM研究会(2002年12月3日)
急成長しているベンチャー企業のリンクワンの社長の河原庸仁(9月19日参照)から同社の経営理念と経営実態をお話いただき、みんなで議論しました。今回は新たに、大阪から田口さんが、福島から原木さんが参加してくれました。今回は韓国から佐々木さんも参加して下さいましたので、すごい広がりです。しかも、シリエズ(10月9日参照)の編集者の松井さんも取材を兼ねて参加してくれました。OBM革命で日本の企業も社会もいとも簡単に変革すると確信している私としてはうれしいことです。

リンクワンの経営にはますます興味を感じます。かつてODSという会社に興味を持っていました。その会社は、社員それぞれの幸せの総和を最大化するというのが理念でした。そして当初は見事にそれを推進していましたが、ある段階でちょっとずれだしました。今もその会社はありますが、最近はちょっと興味を失っています。まあ、私が興味を持とうが持つまいがどうでもいい話ですが。

参加者が一様に感心したのは、河原さんが自らの言葉で信念をもってビジョンや理念を語っていることです。例によって、私はかなり失礼な質問をぶつけましたが、それをしっかりと受け止める姿勢にも感服です。自信のある人の寛容力とオープンさには改めて感心します。もちろん落とし穴はあるでしょうが。
ここではリンクワンの話を書くのは無理ですが、私は彼のような経営者にぜひもっと多くの企業人や若者が会って欲しいと思っています。人生が変わるかもしれません。いつか河原さん
の事をもう少し詳しく紹介したいと思っています。

■ 不満からはじまる計画づくりでいいのでしょうか
住民主役のまちづくりに関わっていると時間が本当にかかります。
行政もそうでしょう。だから住民参加は進まないのかもしれません。
ビジネスと言う視点で考えると、外部から関わると膨大な時間がかかり、費用も膨大になります。そこで、まちづくりコンサルタントは形式的な対応をせざるをえなくなります。例えば都市計画策定の予算はこれまでの相場だと2〜3年で1000万円から2000万円です(実際は都市規模によって違いますが)。これまでの方法ではかなりの利益が出せるはずです。極端に言えば、資料さえもらえれば、1週間で作れます。もちろん役には立たないでしょうが、正直のところ、誰も役に立つものをつくろうなどとは思っていませんでした。県や国から言われてしぶしぶ作成している計画はたくさんあります。そうした誰も使わない計画を乱造して、ビルを建てた会社もあるそうです。

しかし、役に立つものをしっかりつくろうとすれば、とてもそんな予算ではつくれません。私たちは、いま、美野里町からそれなりに予算をもらって取り組んでいますが、ビジネスとして考えると残念ながら成り立ちません。しかし、美野里町もそれ以上の予算はつけようがありません。相場があるのですから。そして、見栄えはおそらく従来方式の方が立派なものができるでしょうから、私たちに計画づくりを頼むのは極めて危険なのです。美野里町はそのリスクをとってくれているのです。

もっともその地域にいる人が引受ければ、話は違います。ビジネスとしても多分成り立つでしょう。ですから、もともと地域の計画策定は外部のコンサルタントなどには頼むべきではないのです。そう言う文化を作った日本の霞ヶ関行政が間違っていただけです。

私はこれまでの意味での計画行政は捨てるべきだと思っています。その私が美野里町の都市計画マスタープランの策定を受託しているのですから、困ったものです。無責任と言われそうですが、まあ、過度期なので許して下さい。しかし、こうしたスタンスですので、美野里町の担当の太田さんには迷惑をかけています。今週は、その大田さんや島田さんと方針確認のミーティングを持ったり、納場地区のまちづくり会議に出たりしました。

納場地区の集まりでは、地区の「気になるところ」を出しあいました。ところがメンバーの二人の女性は、この地区は住みやすいし、特に不満はないというのです。そのうちに他のメンバーの意見に刺激されて少しずつ問題点が出てきましたが。
私はいつも悩むのですが、なぜまちづくりで問題点を出しあうのでしょうか。企業変革のプロジェクトでもそうです。まず「不足している事」や「満足していない事」を探し出すことから始まります。もっと楽しくやりたいものです。そして、活性化などと思わずに、気持ちのいい地域社会、気持ちよく働ける企業文化を創ろうとすればいいのでないかと思います。活性化って、どういう意味なのでしょうか。私の嫌いな言葉です。

美野里町の都市計画マスタープランづくりの基本方針は別項にあるように、ポジティブアプローチで、悪い所を直すのではなく、いい所を伸ばすようにしたいと考えていました。しかし、みんなの意識は悪い所を直すのが好きなのです。どこかで間違っているように思うのですが、どうでしょうか。これはメッセージにきちんと書きたいと思います。

■ 良薬は決してにがくはありません
イヴァン・イリイチが亡くなりました。彼の「脱病院化社会」や「脱学校社会」は。私の考え方に大きな影響を与えた本です。そこから発想の転換の意味を知ったといってもいいでしょう。

昨夜、女房が喘息の発作を起こしました。いや、発作というよりもちょっと違う症状でした。そこで、夜中の12時近くだったのですが、かかりつけの近くの慈恵医大病院に行きました。午前3時まで娘と一緒に付き添っていました。

こうした経験は何回かあるのですが、その時の電話の応対や受付の人の対応、もちろん看護婦や医師の対応で、実は病状の変化は全く変わってしまうなといつも思います。
ちなみに、慈恵医大のその病院は、私の母を見送った病院ですが、その時の医師や看護婦の対応は実に献身的で、私は特に看護婦という職業に感動しました。あれだけの使命感は、私にはもてそうもないと思ったのです。
その慈恵医大ですら、毎回対応は大きく変わります。まず緊急病棟に電話します。その対応で、症状が一変に悪化してしまうこともあります。まあそれはそれとして、今回は結果的には無事回復したのですが、今夜のクルーは言葉数が少なかったのが印象的でした。言葉が少ないのは不安を与えます。挨拶の声も明るいかどうかで変わります。

以前も書きましたが、生命に影響を与えるのは医師ではなく看護婦ではないかと私は思っています。近代医学は医術を基本に構築されています。ここに間違いがあったような気がします。中心におかれるのは看護であって医術ではないのではないか、ましてや医学などではないはずです。どんな薬よりも、思いを込めた明るい一言や温もりのあるスキンシップが、生命を輝かすのではないかと思います。

皆さん、良薬は決してにがくはないのです。温もりのあるもの、それこそが最高の良薬です。そして良薬は自分で飲むのではなく、周りの人に飲んでもらうのがいいのです。これが私がコムケア活動にのめりこみだした理由です。

■ 日本橋の上の高速道路は許せません/日本橋学生工房との出会い(2002年12月6日)
日本橋学生工房というグループがあります。
日本橋界隈の再生計画に取り組みだしています。ホームページをご覧下さい。
東北工科芸術大学の東京事務所の東海林さんが面白そうだと紹介してくれました。
早速連絡をとったら、話に来てくれました。東大の大学院生の大西悟さんと中島泰さんです。

私は日本がおかしくなったのは、日本橋の上に高速道路を作ったのが、その始まりだと確信しています。
以来、日本の都市計画関係者やデザイナーに対する信頼感を失いました。
ちょっと短絡していますが、あれをおかしいと声をあげないデザイナーや都市計画関係者は信頼できないからです。
みなさん、東京の日本橋の高速道路の下のよどんだ川を見た事がありますか。
東京人は京都人に比べて、全く美的感覚がないのです。
川を殺してはいけません。日本橋界隈の人立ちは何故放置しているのか不思議です。

ところが今日やってきた若い二人は、川に着目しているようです。
そこにみんなで降りてみようと考えているようです。
川をきれいにしようなどと思うよりも、川と触れ合うイベントや仕組みをつくる事が大切です。
彼らの思いに共感しました。

美野里町でも町内を流れる河川の話がよく出ます。
まちづくりにとって川はとても大事な資源です。
あるいは、人と人、人と自然、人と歴史をつなぐ重要な存在です。
その河川に着目する人が増えてきていることはうれしいことです。

道路行政をめぐって今日「7人の侍」の答申が出されたようですが、まあ、あれはあれとして(今井さんのような人が頂点に立っていた日本の経済界の実体にみんなが気づくといいのですが)、東京の日本橋の上の高速道路撤去運動が起こらないものでしょうか。
お金はかかりますが、間違いなく、東京も日本も元気になるでしょう。
さて、その第一歩はどうやって踏み出せばいいのでしょうか。
どなたかいい知恵はありませんか。
日本橋学生工房に期待したいものです。
大西さん、中島さん、ぜひご健闘ください。

(2002年11月第4週)
週間記録を毎週かなり詳しく書いてきましたが、これはいったいどういう意味があるのだろうかと少し反省しています。このホームページのインデックスにしようと思ってはじめたのですが、肝心のホームページそのものがなかなか構造化されずに、相変わらず整理されていません。そのためインデックスの意味がないようです。週間記録を書くくらいなら、もっとホームページそのものを充実させたほうがいいかもしれないなと思い出しました。
しかし、一方で、この週間記録のおかげで旧交が回復したり、思わぬ人のつながりを発見したりもしています。そんなわけで、躊躇しながら、私の生活を露出するスタイルをもう少しつづけることにします。お付き合いください。

■ 二宮バリレストラン"アウラ"(2002年11月25日)
ビレッジハウスの山本秀太郎さんは思想家にしてビジネスマンです。
もっともご本人も含めて、まわりの人は山本さんを思想家とは思っていないかもしれません。
でも私はそう思っています。アーティストでもあります。

私が感心したのは、東中野にある山本さんの作品のグラスチャペルです。
360度ガラス張りのとても開放的な結婚式場を案内してもらったときには、実に新鮮でした。
その周辺はプロバンス風の庭園とレストランがありました。
とても快い空間が猥雑なビルの屋上に創出したのです。
その後、このグラスチャペルのコピーが各地に広がったようですが、その走りを生み出したクリエーターが山本さんです。
その山本さんが、今度は二宮の駅近くに"アウル"という名前のバリ風のレストランを創りました。
アウルとはギリシア語で「そよかぜ」だそうです。
女房ともども、山本さんにご招待いただき、案内をしてもらいました。
食事もご馳走になりました。
ご馳走になったから言うわけではないのですが、山本さんの空間設計にはいつもとても楽しさをもらえます。
日本の建築家はともすると建物を造るだけですが、山本さんは物語を創るのです。
今回のバリ風も面白い仕掛けがいろいろあります。
私にはちょっと違和感があるところもありましたが、とても楽しい空間です。
二宮は東京からは1時間くらいです。
楽しい空間と料理を楽しみに、一度ぜひ訪ねてみてください。
ここでは結婚式もできるそうです。
ランチタイムメニューがちょっと高いのが難点ですが。
山本さんのこれまでの作品は、ビレッジハウスのホームページで見られます。ぜひご覧ください。

■ 経営道フォーラム32期スタート(2002年11月27日)
先週、発表会を行った経営道フォーラムの32期がスタートしました。
伊東でそのキックオフの合宿がありました。
私の担当は「企業理念・経営理念」です。
このテーマは、バブル週末期に人気がありましたが、最近はあまり人気のないテーマでした。
理念などはあまり約に立ちそうもないと、みんな思いがちですから。
ところが、今期は第一志望として理念のチームを選んだ人が定員以上だったとのことです。
こうしたところにも時代の気分を感じます。

私は「企業の理念を考えるということは、自らの生き方を考えること」だといい続けています。
企業は、そこに関わるメンバーの意識と行動の集積なのです。
個人から切り離された組織実体などあるはずがないのです。
それなのに、みんな何か「企業」という人格があるような共同幻想を抱いているのです。
そして「企業」を言い訳に使ってしまうこともよく見かけます。
皆さんはどうでしょうか。

企業変革が時代のキーワードですが、その前に自らの生き方を問い直す必要があるように思います。
そんなことを、今日、メンバーのみなさんにお話しました。
そして、企業の経営幹部である人たちがどんなに知恵を出し合ったところで限界がある。
むしろみなさんのパートナーたちに集まってもらって、夫を通して感じている企業像を語り合ってもらい、それをみんなで聞いたらどうかと提案しました。
この提案は5年以上言い続けてきた事ですが、 それが今期は実現しそうです。
実に楽しみです。
皆さんも関心があるでしょう。
発表会は来年の5月頃です。
またご案内しますので、ぜひご参加下さい。

■ リンク(NPOせたがや福祉サポートセンター)との意見交換(2002年11月28日)
コムケアセンターの調査研究支援プログラムのひとつが、「痴呆予防プログラムの実践的検証とその普及方法に関する研究」ですが、それに取り組んでいるのがリンクです。
リンクについては以前、このコーナーでも紹介しましたが、コムケアの理念と非常に重なった活動をずっと前から取り組んでいる、いわば私たちの大先輩です。
その代表の光岡明子さんと、この研究活動の進め方について意見交換しました。
具体的な進め方に関しては近日中にコムケアのホームページに掲載しますが、リンクが展開しているいくつかのフィールドを活用して、実践的なプログラム開発が進められる予定です。
その成果は、ぜひともひろく全国に発信していきたいと光岡さんたちは考えています。
「痴呆予防」という言葉を使っているため、問題解決型の取組みと受け取られるかもしれませんが、そうではありません。
むしろ、「生活を健やかに楽しくしていくための支援」というような意味で、生活者視点での取り組みガ光岡さんたちの基本姿勢です。
私もそこに大きな共感をもっています。
観察者的な関わり方は、コムケア活動としては避けたいところです。
この活動には、ささやかに関わっていこうと考えていますので、また報告して行きますが、このテーマに関心のある方はぜひご連絡下さい。

光岡さんとは、このプログラム以外でも少しお話しましたが、企業の人たちに少し分けてやって欲しいほどの元気を持っています。
時代の息吹を実感しているからでしょうか。私たち、男性ももっと元気に活動しなければいけませんね。

■ 「開発援助か社会運動か」の著者の定松栄一さん(2002年11月29日)
定松さんは「ボルガタンガ便り」を書いてくださっている田中雅子さんのパートナーです。
ガーナ在住ですが、一時帰国されていたのです。
定松さんとは、以前一度電話でお話した事がありますが(当時は確かシャプラニ―ルのメンバーでした)、お会いするのは初めてです。

定松さんの新著、「開発援助か社会運動か」は、ブックコーナーでも紹介していますが、実に示唆に富む本です。
国際開発関係者だけではなく、国内でまちづくりに関わっている人にもぜひ読んで欲しい本です。
定松さんと田中さんのご夫妻は、以前は二人ともシャプラニールにいましたが、定松さんがネパール駐在になったため、田中さんは仕事をやめてネパールに同行しました。
そして、今度は田中さんがガーナに行く事になったため、今度は定松さんが主夫としてガーナに同行する事にしたのだそうです。
お二人とも、イギリスで生活視点を重視した開発学を学んでいますが、まさにその生き方に、お二人の開発やまちづくりへの基本理念が現れています。

定松さんは、今回の本を英訳して、ネパールの現地の人たちに読んでもらおうと考えています。
彼らからもらった知恵を、彼らに戻さなければフェアでない、と定松さんは考えています。
その姿勢にも共感します。
観察者や研究者には知恵は不要です。
知恵を活かせるのは現場の人だけです。

■ 伊南だより
定松さんの話との関係で、もう一人、若き友人をご紹介します。
丸山冨美さんという、元気の塊の友人がいます。
なぜ元気かというと、青豆を毎日食べているからです。
私が元気がなかった時に、青豆を一袋もって来てくれて、毎日食べるように言われたのですが、3日しか続きませんでした。
そのため、私は今でも元気ではありません。

四国の四万十川近くで生まれ育った彼女は、大学卒業後、オーストラリアに渡ったり、NGOで野外活動に関わったり、元気そのものの生活をしていましたが、1999年、福島県の伊南村に移住し、そこで大きな新しい風を起こしました。
そして、今は栃木県の茂木町で活躍しています。
私のオフィスにも、時々、風のように現れて元気を置いていってくれます。

その丸山冨美さんから「伊南便り」が届きました。
3年間の伊南村での活動を小冊子にまとめたのです。
実に面白い小冊子です。
まちづくりに取り組んでいる人たちにも読んで欲しい内容です。
観察者が書いた本は退屈ですが、当事者の本は面白いです。
そして、含蓄があります。
この本は非売品ですが、いつか彼女には本を書いてもらいましょう。
元気の塊かと思っていたら、知恵の塊でもあることがわかりました。

各地で活躍している人たちが、もっともっと触れ合える状況をつくって行くと、それだけで新しい大きな物語が生まれる時代です。
今、まさに時代は変わり目。みなさん、そんな予感を感じていませんか。
10年後はきっと、今とは全く違った社会になっているような気がします。
もちろん、本質を背負い込んでいる現場は、何も変わらずに、歴史を育てて行くだけでしょうが。
何が変わり、何が変わらないか。それを見極めることが大切な時代です。

■ 美野里町都市計画マスタープラン会議(2002年11月29日)
美野里町の都市計画マスタープランは横道を辿りながら進んでいますが、その方針を確認する会議を行いました。
新しい試みの場合、関係者が同床異夢であることはやむを得ず、そのため、なかなかプロジェクトの推進力が出ないことが多いですが、美野里町もいま、そんな袋小路に入っています。
みんなそれぞれにちょっと嫌気を感じ出しているのが実状です。
ここからが本番です。

しかし、新たなる問題が発生しました。
市町村合併です。
これまでもご紹介しているように、美野里町では地道なまちづくり計画づくりという捉え方で、近隣社会的なコミュニティをベースにした住民の話し合いに取り組んでいます。
そうした発想からは、市町村合併の動きは問題です。

私は以前もどこかに書きましたが、「市町村分割論者」です。
統治のための行政から自治支援のための行政にパラダイムシフトしていくためには、生活密着のコミュニティを基本にしていく必要があるからです。
市町村合併などはとんでもない発想だと思っています。
しかし、美野里町にも合併論議が始まりました。残念です。
そうしたことを視野に置くと、いま、取り組んでいる地域計画づくりって一体何なのだろうかと悩んでしまいます。
来週は美野里町に行って、方針を再確認してくる予定ですが、かなり気が重いです。

■ オープンサロン(2002年11月29日)
今年最後のオープンサロンです。
このサロンも15年続きました。そろそろ閉店かなと思い出していますが、本当は常設的なサロンスペースがほしいと思っています。
どなたか空間を無償で提供してくださる方をご存じないでしょうか。
100人の維持会員が集まれば、みんなのコモンズ空間も持てるのですが、考え出すのが遅すぎました。


今年最後のサロンの様子は、サロンニュースをご覧下さい。
議論が盛りあがり、なんと9時半を過ぎてしまいました。
環境クラブの増山さん(「フォーラム」に投稿してくれています)が、サロンに沢山の柿を差し入れてくれました。
増山さん、ありがとうございました。
みんなでいただきました。
増山さんは、安心安全な食べ物を自ら創り、みんなに提供する活動を続けています。
ご関心のある方は、環境クラブにコンタクトして見て下さい。

今年1年、実にさまざまな話題と元気を与えてくださった参加者のみなさんに感謝いたします。
ありがとうございました。
12月は、サロンはお休みです。
来年は今、迷っているところですが、少なくとも3月までは継続します。1月にまたお会いしましょう。

■日立総合経営研修所庭園一般公開(2002年11月30日)
我孫子市に日立総合経営研修所があります。昭和37年に開設されましたが、研習生たちが記念に植樹した樹木がもう大きく育ち、またあまり手を入れていないために(いい意味で、です)当時の我孫子の雰囲気がそれなりに残っています。そこが一般公開されました。我孫子の景観を育てる会が主催しました。

多くの住民が参加しました。庭園は1万5000坪の広さで、市民にとっては気になる存在だったのです。私も初めて見せてもらいました。残念ながら庭は荒れていましたが、とてもいい雰囲気でした。
庭はなぜ荒れたのか。私は人や生物とのふれあいが不足しているのではないかと思いました。
ここを月に2回程度市民に開放し、その代わり市民ボランティアが庭とのふれあい(手入れといってもいいですが) を行ったらどうかと思いました。日立の研修プログラムの中にも自然とのふれあいに場面を入れるともっといいでしょうね。いずれもみんながWIN-WINになれる仕組みです。

主宰した景観を育てる会には私は参加していませんが、以前、まちづくり研究会を一緒にやっていた富樫道廣さん(市民景観会議の仲間です)が以前から取り組んでいます。今日もお会いしましたが、いろいろな市民活動が育っていくと、どうしても考え方の違いから、問題も発生します。私は誰とでもつきあってしまいがちですが(もっともすべて軽い付き合い方ですが)、富樫さんからやんわりと注意されました。市民活動も当事者になっていくと、なかなか難しいものです。
ちなみに、富樫さんは山形市のご出身です。昨年も山形市に我孫子市の職員を連れていってくれました。

■ナンセンスな面白さ
最近、土曜日が不在続きなのですが、今日は1日自宅にいました。娘が、ぜひとも見せたいテレビ番組があるというのです。絶対お父さん向きだというのです。さぞかし知的な番組だろうと思って、番組表を探しましたが、ありません。そこで、時間になって見せられたのが、なんと「メチャいけてる」という番組で、その中の「数取団」というゲームです。見た人いますか。あんまりいないでしょうね。全く馬鹿らしいゲームです。今回のゲストは、あの新庄選手。

見せるチャンスをずっと待っていたというのです。いやはや。全くのナンセンスで、もうお腹が痛くなるほど笑いころげてしまいました。皆さん、来週もありますので、ぜひみんなでみましょう。元気になります。いや、お腹が痛くなります。 もちろん人生の役にはたちません。世界の発展にも役立たないですね。

私はこれまで読んだマンガの中で最高傑作だと思っているのは、いしいひさいちの「地底人]です。ご存知ですか。地底人が地上人を征服しようという話です。もっとも地底人は地表に出てくる道を知らないので、いつも征服計画は挫折するのです。私たちは今も無事なのは、そのおかげです。この本は私の座右の書ではありませんが、まあ座左の本として、繰り返し読んでいます。まあ、読むというよりも、開く感じですが。

ナンセンスな話になってしまいました。すみません。こうした話を書き出すときりがないのですが、おこられそうなのでやめます。来週のメチャいけはお勧めですが、全く無駄な時間に成ると思いますので、予めご了承下さい。そういえば、毎月のオープンサロンも、「全く無駄な井戸端会議」を目指しています。

(2002年11月第3週)
今週は私が参加した3つのフォーラムに絞って、少し詳しく書きました。

■ 第1回「子育ち学」全国セミナー(2002年11月17日)
 このホームページでもご案内していた、子育ちと地域支援をテーマにした全国セミナーがあり、そこでのトークライブに参加しました。プログラムなどはお知らせの記録のコーナーにありますが、全国各地で子育ちの支援活動をしている実践者の交流会です。
 この分野では先駆者の日本福祉大学の小木美代子さんや与論島で実に楽しい活動をされている赤崎隆三郎さんなど、実に多彩なメンバーです。みんな、子育ち学をテーマにした本を書いた人たちです。私だけが読者でした。一番新しい本である「子どもの豊かな育ちと地域支援」をホームページで最初に紹介させてもらったことのごほうびです。この本は面白いです。ブックのコーナーで紹介していますので、ぜひお読み下さい。
 パネリストの一人、岡山県の御南公民館の田中純子さんは岡山の高島町に住んでいるそうです。私はそこで保育園をされている流王濃さんとささやかな接点があるのですが、田中さんもその保育園をご存知でした。流王さんはとてもしっかりした理念に基づいて保育に取り組まれています。また、もう一人のパネリスト松浦利明さんは葛巻町の人でした。葛巻といえば、このホームページとつながっている「森と風のがっこう」の吉成さんの活躍の場です。松浦さんもご存知でした。なんとまあ、世界はつながっていることでしょうか。
 司会は民主教育研究所の廣田健さんでしたが、今回はあまりお話できませんでしたが、きっと共通の友人がいるはずです。
 参加してくれた方にもつながりがありました。
アフタースクールの楢原さんは、このホームページのCWSフォーラムでも書き込みましたが、コムケアサロンに参加してくれた方ですし、キーパースン21の近藤さんはまさにコムケアで接点が出来たばかりの方です。こういう場でお会いできると本当に嬉しいです。それに加えて、なんと美野里町の本づくり(「文化がみの〜れ物語」)に参加した法政大学の学生も参加してくれていたり、色々な方に出会いました。住友生命の渡辺さん(コムケア活動の支援元)もわざわざ参加してくれました。
 活動をはじめると、どんどん輪が広がりだします。そして、しばらくするとそれらがつながりだすのです。それが実に面白く、楽しいのです。
 トークライブはとても面白かったですが、その内容はいつか、主催者の深作拓郎さんがまとめてくれるかもしれません。
 私は、「子育ちを地域が支援するということも大事だが、子育ちが、つまり子どもたちの育ちが地域の成長を支援している事の認識も大切にすべきではないか」とメッセージしました。こう書いてしまうと、私の思いは伝わりませんが、いつかまたメッセージコーナーで書くようにします。子どもたちこそまちづくりの最高の財産です。

■ 経営道フォーラム発表シンポジウム(2002年11月21日)
 これもお知らせでご案内していた経営道フォーラムの発表会です。企業の経営幹部が半年間研究してきたことを発表するのです。私がアドバイザーになったチームは「個を活かす経営」をテーマにしました。
  個を活かす経営は15年ほど前に経済同友会が提唱していたことがありますが、その中心になった小林陽太郎さんが経営する富士ゼロックス以外ではほとんど取り組まれていないように思います。言葉だけが先行している感があります。そのあたりを今回のチームはうまく掘り下げてくれました。

 企業の人たちの研修や企業変革のプロジェクトに私も時々関わっていますが、実体の伴わない言葉の横行には辟易します。現場から遊離した知識の議論では実体は何も変わりません。現場に関わる人たちの知恵と力がのびのびと発揮できるような状況を創ってやることが、問題解決の一番の早道ではないかと私は考えています。その意味では、子育ても企業変革もまちづくりも、みんな同じです。

 発表の後、参加者でテーブルディスカッションをしてもらいましたが、長らく米国で仕事をしていた方から面白い話がありました。日本に久しぶりに帰ってきたら、企業の人がみんな元気がないのが気になり、先輩の海外からの帰国者に話したところ、「自分もそう思ったが、半年もたつと気にならなくなった」といわれたということです。実に示唆に富むお話です。残念ながら、最近の企業の人は元気がありません。NPOの人とは対照的です。
 最後に私からは生き方を変える事がいかに簡単かを話しました。朝起きる時間を変えるだけでいいのです。嘘だと思ったら、明日、朝1時間早く起きてみて下さい。きっといつもとは違う1日になります。1週間続けると新しい物語が始まります。1年続けると人生が変わります。会社も同じです。問題はそれが続けられるかどうかです。

■ 豊後大山「ひびきの郷」開業記念シンポジウム(2002年11月22日)
 パオスの中西元男さんから誘われていたシンポジウムに参加しました。「梅栗植えてハワイに行こう」をスローガンにまちづくりに大成功し、大分県の一村一品運動の元祖になった、あの有名な大山町です。
 その大山町に新しくできた、「ひびきの郷」のオープニングに「デザインはまちおこしにどこまで貢献できるか」というシンポジウムを中西さんが企画したのです。
 
 中西さんは私の人生を変えた責任者の一人です。日本のCIの草分けで、それに共鳴して、私は東レでCIに取組み、その過程で自らのアイデンティティの問題に行き当たり、会社を離脱してしまったのです。中西さんからのお誘いは断れません。

  実にたくさんの人と出会いました。書き出したらきりがありません。
 まずはパネリスト。有名な写真家だったのに突然淡路島で瓦職人に転じてしまった淡路瓦師の山田脩二さん。新潟県のデザイン振興に大きな成果を挙げてきている建築家の黒川玲さん。小布施町の酒屋「桝一」で活躍している利酒師セーラ・マリ・カミングスさん。ユニバーサルデザイン分野で活躍されている(それだけではないですが)梶本久夫さん。そして私です。司会は中西さん。
  山田さんのアドバイス?で、壇上のパネリストには大山特産の梅酒とリキュールが出ました。私を除いてみんな名うての酒豪なのです。山田さんとは10数年ぶりにお会いしましたが、全く変わらずにオーラを出し続けている方です。たくさんの元気をもらいました。

 フォーラムの後は参加者との交流会がニ次会も含めて12時まで続きました。とてもいい集まりでした。そしてそこでも実に世界のつながりを感ずる出会いがありました。
 私は話の中で美野里町の事例を紹介したのですが、なんと数年前に美野里町の花木センターづくりに関わった人がいたのです。これは奇遇でした。小郡市の林洋海さんです。
 参加者はグラフィックデザイナーが多かったのですが、中には企業の方もいました。このひびきの郷の施工に関わったのが東亜建設工業ですが、そこの三笘右文さんは数年前に東レとお仕事をされたそうです。今の東レの実態を知らされました。
 同じパネリストだった梶本さんとは同室だったため、2時まで話してしまいました。初対面でしたが、そのお人柄にすっかり魅了されました。これまた書き出したら切りがないのですが、共通の知人友人が何人かいることがわかりました。本当に世界は狭いです。梶本さんは、ユニバーサルデザインの世界でもご活躍ですが(梶本さんのところのホームページもご覧下さい)、今の上滑りな風潮に懸念をお持ちです。非常に共感します。

  お会いした人たちのことを書き出したら切りがないので、町長のお話だけを書きます。
 私は最近の大山町のことは全く知らずに、スピーチでは住民主役を目指す美野里町の話をしたのですが、今の大山町はその上を行っていました。三笘善八郎町長の行動力に裏付けられたビジョンと住民たちの信頼関係(最高のソーシャルキャピタルです)が実に見事にかみ合っているようです。梅栗活動から始まり進化を続けるNPC運動は見事に成功したと思いますが、時代の大きな変化の中で、三笘町長のビジョンにはそれを超える可能性を感じました。
  中西さんと三笘さんと大山町住民のパワーで、きっと新しい自治の風が、ここからまた起こるはずです。大山町のことはもう少し私も学んでみようと思っていますが、ご関心のある方はぜひ大山町のホームページをご覧ください。ついでに、ひびきの郷のホームページもご覧ください。ひびき渓谷の写真があまりないのが残念ですが、素晴らしい景観です。
 大山町のことはまた改めてご報告したいと思います。

(2002年11月第2週)
恒例の風邪をひきました。私は毎年、4日間、風邪菌に私の身体を提供するようにしていました。
まあ、平たくいえば、風邪をひくわけですが。
昨年から4日間では解放されなくなりました。
居心地がいいのでしょうか、今年は2週間たちましたが、まだ風邪菌は私の身体に居直っています。
困ったものです。おかげで予定が大狂いです。ご迷惑をかけた方はお許し下さい。
一応、2週間目で終わりにしましたが、縄田さんからもらった田七人参茶と佐藤真紀子さんのオーラと廣瀬さんから教えていただいた知恵が決め手になりました。いずれも今週お会いした人です。
そんなわけで、今週は「空白の1週間」でしたが、いくつかの出会いがありました。

■ アーユルヴェーダ(2002年11月15日)
10月30日のこのコーナーに登場した縄田さんのご紹介で、アーユルヴェーダの知恵の普及活動に取り組んでいる佐藤真紀子さんが来てくれました。縄田さんはホメオパシーに取り組んでいる方です。先週、ホームページを書き落としましたので、改めて縄田さんの会社のホームページを紹介します。元気な生活を目指す方は、ぜひご覧下さい。

さて、佐藤真紀子さんです。
真紀子さんがアーユルヴェーダの普及活動に取り組みだしたきっかけは、インド人医師サダナンダ博士に脈診してもらったことのようです。サダナンダ博士は、世界的に活躍しているアーユルヴェーダ医師コンサルタントで、日本にも毎年、来てくれているそうです。
真紀子さんは、ご自身の体験からアーユルヴェーダの知恵を広げていきたいと思い立ち、早速、パルスリーディング研究会を発足させ、昨年まで活動して来ました。今は新しい段階へ進んでいます。
彼女の当面の夢は、日本にアーユルヴェーダ普及のためのセンターを建設することです。
この数年、アーユルヴェーダに関しては一種のブームのような動きもありますが、学生時代から関心を持ちながら、何もしてこなかった私としては、とても興味深い話です。
まだ何が出来るかわかりませんが、応援させていただくことにしました。
とりあえず、 真紀子さんからアーユルヴェーダの話を聴く会を一度開きたいなと思っています。

それにしても女性たちのエネルギーはすごいものがあります。そういえば以前、ここでも紹介した黛まどかさんのサンチャゴ巡礼の映画づくりは着実に進んでおり、様々な方のサンチャゴ巡礼も広がっています。思いを持てば、必ず実現するものです。
真紀子さんのアーユルヴェーダ・センターも間違いなく実現するでしょう。
ご関心のある方、ぜひ応援団になって下さい。
まだホームページが出来ていないようですので、ご関心のある方はとりあえず私にご連絡下さい。
集まりを企画したら、連絡します。

■ NPOと行政(2002年11月15日)
コムケアの選考会に参加してくださった廣瀬正明さんが来てくれました。
浦嶋さんのご紹介です。浦嶋さんは今、農的暮らしを考える研究会を立ち上げ中ですが、これはまたご報告させていただくとして、今日は廣瀬さんです。

廣瀬さんは滋賀県庁の職員ですが、今は、東京の自治大学校に研究に来ています。
取り組んでいるテーマは「行政とNPOの協働」です。そんな関係で、コムケアの選考会にも参加してくださったのです。
風邪菌に身体を預けていたせいで、何を話したかあまり覚えていないのですが、なにやら面白かったです。

廣瀬さんは林業に関わっています。里山保全の活動にも取り組んでいます。
林業に関わっている人は、みんななぜか魅力的です。
現代人の、いかにも貧相な生活リズムとは違うものを感じさせます。

以前も書いたように、私は「協働」という言葉は嫌いなのですが、いまは企業や行政とNPOの協働への取組みが盛んです。
しかし、なかには下請け的な関係や制約はずしのための協働もないわけではありません。
福祉分野では行政との協働の結果、本来の自分たちの活動がおろそかになってきているNPOもあります。
安直にNPOや協働を考える風潮にはいささかの不信がありますが、しかし、どう役割分担をしながら新しい社会の枠組みを構築していくかは大きな課題です。
異質なものが一緒に取り組んでいく場合、大切なのは、何を目指すかというビジョンです。
そしてそれを共有するためには共通の情報基盤を持つことです。
私はそれを「共創」という言葉で捉えています。
一緒に知恵と汗を出し合って、新しい価値を創るという意味です。
私が関わらせていただくプロジェクトは、すべて共創が基本にあります。

■ コラボ物語(2002年11月15日)
今日は、もう一人、来客がありました。コラボレーション研究所の瀬谷重信さんです。
瀬谷さんの研究所とはリンクされていますので、ぜひご覧下さい。最近、更新されました。

瀬谷さんもこの10数年、コラボレーションに取り組んでいます。
瀬谷さんは日本にコラボレーションという概念を導入した最初の人です。
コラボレーションを「協創」と訳出されました。残念ながらこの訳は広がりませんでした。
私はむしろ「共創」という言葉をコラボレーションに重ねて使っています。
瀬谷さんはいま、これまでのコラボレーション体験をまとめた本(「瀬谷流コラボ物語」)を執筆中です。
また完成したらご案内させてもらいます。

■ 美野里町羽鳥部会(2002年11月14日)
美野里町の都市計画マスタープランの活動の一環で、各コミュニティ単位で住民たちのまちづくり会議が展開されています。
まちづくり計画は本来、住民たちが議論し作っていくべきです。
それを行政がまとめていけばいいのです。
行政に計画をつくっている限り、住民主役は実現しません。
つまりは地域主権が実現しないということです。

美野里町ではそうした思いから、新しい計画作りを進めていますが、なかなか難しいというのが正直のところです。
しかし、今日の羽鳥地区の会議は実に活発な議論がありました。
こうした議論が広がっていけば、馬鹿な市町村合併などなくなるはずです。
リーダーの伊藤さんも言っていますが、こうした会議にもっと若い世代や子どもたちを巻き込んでいくことが必要です。
羽鳥部会には38歳の安達さんが参加してくれています。うれしいことです。
しかし、もっと若い世代が参加しなければ、まちづくりは本物にはなりません。

まちづくりへの子どもの参画はこれからの大きなテーマです。
総合学習との関係で、学校との連携がしやすくなっているはずなのですが、実際には学校制度の硬直性の中で、これまたそう簡単ではありません。新しい教育基本法にも失望しています。

(2002年11月第1週)

■ 美野里町の文化センター「みの〜れ」が開館しました(2002年11月3日)
これまで何回も経過報告してきた、美野里町の文化センター「みの〜れ」がついにオープンしました。こけら落としは住民劇団によるミュージカル。参加者へのお土産は、わが美野里出版社の製作した「文化がみの〜れ物語」(次項参照)です。
開館のテープカットは、住民も参加して100人によって行われました。式典はちょっと月並みでしたが、若者たちによる、みのり太鼓は素晴らしかったです。
こけら落としのミュージカルは、住民たちの演ずる「田んぼの神様」。4歳から72歳までの幅広い住民が自発的に劇団をつくっての公演です。専門家による厳しい指導の成果で、なかなかのものでした。住民主役の文化センターの幕開けにふさわしいものでした。

オープン式典では、「文化がみの〜れ物語」の冒頭の部分が一部読み上げられました。その部分をぜひお読み下さい。ここをクリックすると出てきますので。

■ 「文化がみの〜れ物語」発売(2002年11月3日)
新しいまちづくりのあり方を示唆する美野里町の文化センターづくりの経緯を住民たちがまとめた本が完成しました。何回か予告していた「文化がみの〜れ物語」(茨城新聞社発行)です。
内容はとてもいいもので、新しいまちづくりのモデルになるはずです。何よりも住民たちが自分たちで書いたこと、しかも反対者まで参加してくれたこと、さらに自分たちでお金まで出したことです。これからどうやって本を売っていくかが課題です。
自治体職員の方はもちろん、各地でまちづくりに関わっている方々はぜひお読み下さい。茨城新聞社でも発売していますし、ネット購入も出来ると思います。このホームページに開店している「コモンズ書店」でも扱っています。
コモンズ書店を通して購入していただければ、その収益は美野里出版社に入ります。この出版社は完全なバーチャル出版社ですが、今回、利益が出れば、第2弾を計画していきます。本の出版とは限りませんが。社員も募集中です。
本の目次もご覧ください。

■ 美野里町。次は「いいとこフォーラム」(2002年11月5日)
美野里町の新しい文化センター「みの〜れ」の大ホールで、「美野里町いいとこ自慢フォーラム」が11月24日に開催されます。都市計画マスタープランづくりのプログラムの一環です。そこで、役場職員によるエンターテイメント・プログラムが行われます。今日はそのメンバーとの打ち合わせです。
意外な人が意外な特技を持っているのに驚きました。組織は、メンバーのほんの一部のポテンシャルしか引き出していないことを改めて感じました。組織に個人を合わせる発想を、個人に組織を合わせる発想に変えたら、組織も個人ももっと元気になることは間違いないですね。パラダイムを変えれば新しい歴史は開けます。
11月24日。皆さん、美野里町に来ませんか。

■ 経営道の伝道師 市川覚峯さん(2002年11月7日)
日本経営道協会の市川覚峯さんがやってきました。
市川さんは以前一度紹介しましたが、経営コンサルタントだったのに、突然思い立って、1200日(実際にはそれ以上でしたが)、比叡山、高野山、吉野で修業された行者です。不思議な霊力をもっている人ですが、ほとんど、誰にも理解されていないのが問題です。
私は彼の比叡山での得度式、高野山の21日の断食行明け、吉野の過酷な回峯行の満行式に立ち会いましたが、彼の行は中途半端ではありませんでした。
市川さんの思いは世直しです。特に今、影響の大きい経営の世界に「道」を回復させたいという強い思いを持っています。お知らせで紹介しているKAE経営道フォーラムも、もともとは市川さんが創設しました。
市川さんは、大きな構想を持っています。日本の経営道の先達の思想と実践を一堂に集めた実践経営道の殿堂を建てたいのです。まあ、高々20億円もあれば出来る話ですから、誰かがポンと資金を出せばいいのですが、それがなかなか実現しないのです。みなさんの周りに出してくれそうな方がいたら教えて下さい。市川さんは喜びます。もっとも私はその構想に賛成しているわけではありません。念のため。

■ ベネッセの林田清治さん(2002年11月7日)
ベネッセで新しいビジネスモデル作りに取り組んでいる林田さんがやってきました。テーマがNPOや子育てに関わっているので、そうした分野にささやかに関わっている私のところにやってきたのです。林田構想に共感を持ちました。新しい発想のビジネスです。
ベネッセという会社が、これを契機に変わってくれればうれしいです。これまでのベネッセの事業戦略には、私は否定的です。これまでの二の舞になってほしくないものです。
内容はまもなくベネッセから発表されるでしょうが、私の知り合いも色々と参加しているようです。まさに時代はコラボレーション。共創の時代です。問題はビジョンと理念です。
社会の枠組みが変化しつつある中で、新しいビジネスチャンスは山積みされています。新しいビジネスがどんどん生まれそうです。それなのに何故日本の企業は元気が出ないのでしょうか。たぶん新しい経済システムや社会システムが見えていないのでしょう。あるいはビジョンがないからです。
しかし、現場の人たちには見えているのかもしれません。そこにちょっとの資金を回せば、社会は元気になるように思います。間違ったところにいくら財政を投入しても元気は出てこないでしょう。問題は「お金」の量ではなく、使い方の「質」ではないかと思います。
林田さんたちのような新しい動きが、もっともっと広がることを期待します。

■ 山形市の政策塾(2002年11月8日)
最近は美野里町関連の記事が多く、もう一つの私のまちづくりのフィールドである山形市の影が薄いですね。決して忘れているわけではなく、今週も行ってきました。
山形は寒かったです。今年の暑さもすごかったですが、寒さもまたすごいですね。とてもいい年です。
山形市の共創塾は盛り上がりつつあります。今日は5つのテーマについての中間発表がありました。若い職員たちのエネルギーと才能はやはりすごいですね。それが発揮できないようになっている組織の仕組みを変えてやれば、それだけでも組織は元気を回復するはずです。みなさんの組織はどうですか。
面白い話を聞きました。一つのグループが「電柱の違法広告物を一掃したい」という活動をはじめようとしたところ、違反広告物の除去は県知事に権限があるため、勝手にはがしてはいけないと指摘されたそうです。気がついた個人がはがせるようにするには、条例を作らないと駄目だそうです。馬鹿な話ですが、これがこれまでの行政なのです。財政赤字になるのは当然ですし、業者と癒着するのは必然的結果なのです。
こうした無駄の創出のために私たちの税金が使われていると思うと税金を負担したくなくなります。こうしたことは、無駄の創出のほんの一部でしかありません。財政赤字などと言われていますが、自治体行政はもちろんですが、行政にはお金は有り余っています。自分の家計の感覚で対処したら、歳出は半減どころか10分の1くらいになるかもしれません。
発想が逆転しているのです。統治のための行政から自治のための行政に変わっていかなければなりません。

(2002年10月第5週)
久しぶりに時間をゆっくりすごしています。今週はきちんと書き込みます。ちょっと長くなりますが、お付き合いください。すみません。

■ 書類の整理(2002年10月27日)
昨年5月に転居しました。この1年半、ほとんど転居以来のままで書類などが山積みの状況です。
今日は1日かけて整理を始めました。半年振りに休暇でしたので。
途中でいやになりました。果たしてこれだけの資料や書籍が必要なのだろうかと思い出しました。
1年以上不都合がなかった(少しはありましたが)のだから、すべていらないのではないか。頭の中にある情報すら消化できないのに、また今でも消化量以上の情報が毎日入ってくるのに、こんな無駄な情報をどうするのか、という自問です。
でもまだ捨てられません。蓄積された情報には愛着があるのです。これから半年かけて、情報媒体を捨てていきますが、死ぬまでにすべてを捨てられるかどうか、ちょっと心配です。強欲な自分に時々嫌悪を感じます。

■ 日本フェアトレード委員会(2002年10月29日)
熊本の自立応援団の宮田さんが訪ねてきてくれました。お二人の方とご一緒に、です。
お一人は潟iチュラルコーヒー代表の清田和之さん。清田さんは様々な社会活動を展開されています。そして、奥様のわくわく保育園理事長の清田明子さん。
清田和之さんとは熊本でも以前お会いしましたが、ゆっくりお話しするのは初めてです。

清田ご夫妻と宮田さんが、今取り組みだしているのが、日本フェアトレード委員会の設立です。
出発点はナチュラルコーヒーです。
いま、世界のコーヒー豆は大暴落しています。しかも農家の手取りは消費者価格の2%以下だそうです。
この辺の情報は別コーナーで近々書き込みます。
こうした状況の中で、清田さんたちはフェアトレードに取り組むことにしました。
コーヒーは旧植民地体制の象徴であり、現在はグローバリゼーションの悪しき影響の典型。フェアトレードは、これら南北問題を解決するための一つの現実的なやり方ではないかと3人は考えています。共感します。

清田さんたちのパートナーは、ブラジル有機コーヒー栽培者協会会長のイヴァンさんです。
イヴァンさんと清田さんの出会いが、この活動を加速させることになりました。
今年、7月、イヴァンさんに来日してもらい、熊本で講演会を開催しました。

私も今から25年近く前に、ブラジルのコーヒー園に行った事があります。
朝日新聞社の懸賞論文で入選し、南米各地を回ったのです。
実に広大な豆畑を見て感動しましたが、そこで成功した「勝組み三世」の生活ぶりのも驚きました。
同時に移住された人たちのご苦労の様子も実感できましたが。

日本フェアトレード委員会は今、設立準備中ですが、並行して会員も募集しています。
またコーヒーもすでに輸入し(言うまでもありませんが、生豆で輸入し、日本で焙煎します)、販売を開始しています。
コーヒーを飲むたびに、その一部が現地農家の支えになり、また一部は日本での社会活動に向けられます。
そのあたりの仕組みはこれからもっと見える形にしていく必要があります。
そうした活動に私も荷担しようと思っています。

いずれこのホームページでもリンクもしくはコーナーを作りますが、まずはコーヒーを試飲してみませんか。
基本は200グラム3パックを3000円で購入できます。購入すると自動的に日本フェアトレード委員会に入会となります。
ご関心のある方はぜひご連絡下さい。東京にも小さな支部をつくれればと思っています。


もっともフェアトレードとかナチュラルコーヒーは、すでに様々なコマーシャリズムにものっていますので、「またか」とお思いの方も多いでしょう。
しかし、清田さんたちの活動は、人の顔が見える活動です。
是非ご支援ください。またご報告します。

■ モノづくりの現場を元気にさせたい(2002年10月28日)
素材メーカーの人事部の内海和之さんが,私のホームページを見て訪ねてきてくれました。
企業変革に取り組まれています。お話をしていて、東レでCIに取り組もうと思い出した頃を思い出しました。
企業変革に関しては表層的に考えている人が多く、折角相談に来てもらっても、あまり気乗りしないことが多いのですが、今回は違いました。内海さんの姿勢に共感しました。

企業変革について様々な議論がありますが、私は組織原理を変えれば簡単に変わると思っています。
組織視点ではなく、個人視点で組み替えるということです。
これにつてはメッセージでも語っていますし、何回か書きました。
それがなければ、どんな技法を使おうと多分成功しないでしょう。

内海さんは、いま、工場を元気にすることに関心があります。
これまた簡単な事で、現場の人と一緒に考えればいいのです。
しかし、こんなことは内海さんは百も承知で、しかし、なかなか動けずに苦労しているのです。

組織をよくしたいと思っている人は決して少なくはありません。
にもかかわらず、その人たちは壁にぶつかり悩んでしまう。
どこに問題があるのでしょうか。
多くの場合は、現場から遊離したトップとそれを取り巻く経営幹部です。
しかし、間もなくそうした構図もなくなっていくでしょう。
大企業の変革が、それに間に合うかどうか。私は多分間に合わないと思いますが(15年前に「脱構築する企業経営」というテーマで、日本能率協会の経営雑誌に1年間連載しましたが、その第1回目が「大企業解体の予兆」でした。最終回の結論は協同組合モデルへの展開でしたが、当時はいずれも評判が悪かったです。しかし、事態は全くその方向に来ています)、内海さんの取り組みを応援したいと思います。
内海さん、楽しみにしています。

■ 企業のあり方に疑問のある方がもう一人来ました(2002年10月30日)
不思議なもので、毎週、記録を書いているとテーマが見えてきます。
今週は「企業変革」でした。
内海さんと同じく、今の自分の会社に危機感をお持ちの神成尚亮さんがやってきました。
東レ時代にCIに取り組んだ高坂さんが同行してくれました。
この高坂さんも紹介すべきことがいろいろあるのですが、今回は彼が連れてきてくれた神成さんの話です。

テレビ関係の会社に所属していますが、今の会社のあり方に違和感をお持ちです。
どうしたらいいのか、まさに内海さんと同じ問題意識をお持ちです。
最近、こうした問題意識を持ち人によく出会う一方で、そんな悩みなどなく目先の作業に埋没している大企業の方にも出会います。

神成さんとの話は、結局、自分のアイデンティティの問題から出発するのがいい、ということになったのですが、何か新しい象徴的なビジネスが創出できないかと言うことになりました。
難しい話ですが、実は今は、それが可能性を持っている時代でもあります。
本当に小さな一歩が大きなうねりを起こしだせる時代です。

高坂さんがいたせいで、昔、私が東レでCI(企業文化変革)に取り組んだ時のことを少し思い出しました。
6年間くらい、その仕事に埋没し、結局、それが終わった段階で会社を離脱してしまいました。
何だか、今の状況に似ているなと思い出しました。
コムケア活動に埋没しながら、そろそろ自分の生き方に少し違和感を持ち出しています。人間は変わらないものですね。

■ 銀色応援団(2002年10月30日)
今日お会いした応援団は銀色応援団です。
銀色はシニアの発想のようです。名前がやや安直ですが、まあそれはそれとして、この団体は11月に正式に発足するNPOです。
吉田さんが20日のコムケアの選考会に参加してくれたのを契機に訪ねてきてくれました。

ここでも主役は企業人です。主に企業に属している40〜30代の人たちが13人がコアメンバーです。
高齢者や障害を持つ人を介護している人たちを応援していこうという、それも事業型NPOとして、事業展開していこうというものです。
私が理想とするNPOです。NPOは自立しなければいけません。
社会のサブシステムのNPOではなく、社会を変えていくフロントランナーだと、私はNPOを位置づけています。いつかNPO論を書きたいのですが、何時になったら書けるでしょうか。

高齢者を含む障害のある人や、そうした人を人を支援している人たちをつなげながら、そこをさらに企業や行政とつなげていこうという構想です。
コムケアの構想とかなり重なるところがあります。コムケア仲間もいろいろ紹介できそうです。
関心のある方、是非銀色応援団の応援団になってください。
ホームページをご紹介しておきます。

それはまたそれとして、ここでいいたいことは企業に所属する若い世代が目を社会に向けて動き出したことです。
経営コンサルタントなど頼まなくとも、会社は社員から変わり始めているのです。
それに気づかない経営者の感度に鈍さが、もしかしたら会社の元気をだめにしているのかもしれません。

■ 「つなぐ」をキーワードにしている縄田理恵子さんとつながりました(2002年10月30日)
縄田さんが訪ねてきました。不思議な縁です。
縄田さんと私は以前、ここで紹介した「統合医療研究会」に同席していたのです。
この研究会は、東京女子医科大学の川嶋さんが主催されていますが、私もそこに参加し、質問させてもらいました。
同じ日に、 もう一人質問した人がいました。とても興味を持った質問でした。名刺交換しようと思っていたのですが、会終了後、ゲストの方と話しているうちにその方を見失ったのです。

先日、その人からメールが来ました。それが縄田さんです。
彼女はもちろん私のことをしりません。
彼女が事務局をしているホメオパシー研究会で川嶋さんに話をしてもらおうと川嶋さんのことをネットで検索していて、私のホームページに出会ったのです。
そして、どこかの記事に共感してくださり、メールをくれたのです。
私は全く名前も知りませんでしたが、なぜかすぐに直感しました。
そこでその会に参加していたでしょうと連絡したら、まさにそうでした。
人は出会うべくして出会うものです。

長くなりましたが、まあそんな経緯で、彼女は訪ねてきました。
名刺に「人と人、人と物をつなぐ」リンケージシステム代表とありました。
長年、外資系の製薬会社でお仕事をされていましたが、ある思いから最近、会社を辞め、リンケージシステムと言う会社を立ち上げたのだそうです。
薬剤師にして食品保健指導士。健康食品や健康器具の販売活動や健康関連事業のコンサルティングをしながら、統合医学分野の活動に取り組んでいます。
アーユルベーダにも関わられています。

縄田さんから、たくさんの思いをお聞きしました。私も、やや特殊な「病気観」を持っていますが、共感できることが多く、彼女の応援団にならなければいけなくなりそうです。
統合医療やホメオパシーに関心のある方、彼女に是非お会いください。
ホメオパシー研究会に興味のある方は縄田さんにメールしてみて下さい。
参加されたい方はぜひどうぞ。

■ OBM研究会(2002年10月30日)
今回のOBM研究会は、北村英夫さんから「NPOとOBM」についてお話してもらい議論しました。
NPOとOBM? という人もいますが、私はNPOこそOBMの実験場だと思っています。
NPOに必要なのは、ミッションとOBMだとさえ考えています。

北村さんは、大企業の社員でした。仕事が飽きたといって辞めてしまった人です。
いまはNPOでボランティアをしながら、NPOマネジメントコンサルタントを目指しています。
その仕事では、残念ながらあと3年は生計は立たないでしょうが。

北村さんはBSC(バランススコアカード)についても関心をお持ちです。
OBMとBSCはつながるところがありますが、できれば私もそうしたものも含めて、NPOマネジメント研究会を開きたいと思っています。
そしてその成果をしっかりした本にまとめたいと思っています。
研究会に参加してくれる方はいないでしょうか。
また出版を引き受けてくれる出版社はいないでしょうか。

今回、久しぶりに在韓国のメンバーである、佐々木憲文さんが参加してくれました。
最近の韓国情報も話してくれました。
そういえば最近、佐々木さんのホームページを見ていないことに気づきました。
皆さんも是非見て下さい。面白いです。

なお、次回のOBM研究会は12月2日です。
テーマはまたお知らせのコーナーでご連絡します。
入会ご希望の方はメールをいただければ、メーリングリストに登録します。

■コムケア公開選考会の見直し会(2002年10月30日)
20日の選考会は盛況でした。まだメールが届きます。うれしいことです。
おかげで今年の落ち込みは軽微でした。来週からはまた動き出せそうです。
しかし、まだ印象が強いうちにと、コムケアスタッフの反省会を開きました。
参加者から寄せられたメールを中心に見直しをしました。来援はまた進化できそうです。
みなさんから寄せられた感想は、コムケアのホームページに週明けには掲載します。
是非読んでください。
ややほめられメールが多いのが気になりますが、たまには自分達もほめてやらないと元気がでてきません。お許し下さい。

コムケアのホームページは次をクリックすればつながります。
コムケアホームページ

(2002年10月第4週)

■コムケア選考会余波
20日のコムケアの公開選考会に関するさまざまな反響を届いています。問題点も指摘されていますが、寄付の申し出もありました。選外になった方からのうれしいメールもありました。協力を申し出てくれた方もいます。うれしいことです。
今回、選考会の後で無尽講ビジョンを少し話したのですが、それに賛同してくださる方もありました。
それに勢いづいて、12月の日本構想学会の大会に「コモンズ社会を目指した新しい無尽講構想」をテーマにしたラウンドテーブルセッションを行なうことにしました。半田さんのお誘いです。みなさんもぜひご参加ください。12月14日か15日、東京国際フォーラムで行ないます。詳しくはお知らせでご案内します。もっと詳しくは日本構想学会のホームページをご覧下さい。

■交通問題からまちづくりを考えている田中克明さん
長年、自動車関係のジャーナリズムの世界に身を置いている田中克明さんが訪ねてきました。といっても、取材ではありません。私は自動車には全くの音痴なのです。自動車問題には関心がありますが。
田中さんは、交通問題からまちづくりに取り組みたいと考えています。田中さんの出身地は千葉県松戸市です。そこで新しい都市交通体系を考えたいと言うのです。この分野は私が一時期のめり込んでいた分野です。もう25年くらい前のことですが。
私の提案は「自転車都市」と「マイクロビークル構想」です。いずれも日の目をみていませんが、前者は懸賞論文で入選しました。100万円もらいました。後者は一度、某シンクタンクから照会がありましたが、忙しさにかまけて連絡をとらずにいたら、そのままになりました。まあ、その程度の提案です。懐かしいので、その二つの小論を探して近く掲載します。その小論を書いた頃は、毎週のように小論を書いていました。いい論文もありますが、社会的には全く評価されなかったのが残念です。発表の場がなかったのです。
田中さんのプロジェクトには、荷担したいと思っています。いつか報告できるでしょう。

■美野里町都市計画マスタープラン
美野里町の都市計画マスタープランの関係で、例の文化センターで「いいとこフォーラム」をやることになりました。住民が自分たちの地域の「いいとこ」を自慢しあう会です。小中学生にも「いいとこ自慢カード」を出してもらいました。
私のまちづくりへの姿勢は、問題解決型ではなく、いいところを活かすスタイルです。問題解決は簡単ですが、新しい価値を創発しにくいからです。
このフォーラムは11月24日に行なわれます。美野里町の「みの〜れ」に来ませんか。

■美野里町の大塚佼巳さんの「ヴェルデ・モンターニャ」
美野里町で住民と行政で一緒になって、総合計画をつくったときに、住民委員として参加した大塚さんが美野里町にちょっとお洒落なお店を開きました。大塚さんは会社を辞めてから修業されて、ご自分の夢だったお店を開いたのです。今日はお休みの日だったのですが、声をかけたら、わざわざお店を開いてくれて、パスタを作ってくれて、おまけに美味しいコーヒーを煎れてくれました。

ちょっと甘いソースで、これが大塚味かと感心していたら(私にはとても美味しかったのですが)、急に作ったので塩を入れるのを忘れたというのです。いやはや。でもおいしかったです。

店内の雰囲気はとてもいい雰囲気でした。まさに大塚さんのお城という感じでした。懐かしいオープンリールのテープが、柔らかな音で、60年代の曲を流していましたが、それもあってか、何か学生時代を思い出しました。これからのまちづくりは「思いを語り合う場」がとても大切だと思いますが、ここが、美野里町の新しいまちづくり会議の場になればいいなあと思います。

パスタを作っている大塚さんは実にし合わせそうでした。
このお店は、JR常磐線の羽鳥駅の近くです。歩くとちょっと距離がありますが、大塚さんと機会があったら、訪ねてみてください。但し、パスタを頼む時は、塩を忘れないように注意してやって下さい。
美野里町には、こうした幸せな人がすくなくありません。

■ 美野里町福祉部会
美野里町の都市計画マスタープランでは福祉部会をつくっています。都市計画の基本は福祉ですから、それは当然ことですが、日本では長いこと、都市計画と福祉が切り離されていました。建築と生活が切り離されていたように、です。
しかし、住民と行政とのまちづくり会議の部会を作ったのですが、やはりみんなバリアフリーに関心が向いてしまいます。どうしてでしょうか。道路のバリアフリーなどは当然のことで、計画ではなくすぐやればいいのです。そんなことまで計画で取り組まなければ成らない行政やまちづくりに、最近は辟易しています。
美野里町の都市計画マスタープランのプロジェクトも、どうも最近は私の思いを離れだしたのかもしれません。私の思いが不足しているからかもしれません。
1か月前の報告とあまりに違う報告ですみません。
住民主役のまちづくりは、まだまだ時間がかかりそうですね。

■異業種交流企業家塾(2002年10月25日)
関西生産性本部の主催する企業家塾に話に行きました。アジテーションだったのですが、残念ながらほとんど手ごたえはなく、反発を実感しました。この数年は、こうした場でもかなり手ごたえがある反応が増えていたのですが、今回は意外でした。私の言い方がきつすぎたのかもしれません。東電や食品メーカーの不祥事は、どこでもが抱えている病理ということを言い過ぎたかもしれません。
期せずして、次項のサロンで、「日本の企業人も、その洗脳振りには、北朝鮮の党員と同じ」という話題がでました。私もまさにそう感じました。私は東レのCIで、バッチを廃止しましたが、まだバッチなるものが価値を持っていることに非常な驚きを感じます。
今週は日曜日にNPOの人たちと、火曜日に住民や行政職員と、話し合いを持ちましたが、企業の人たちとの話し合いの雰囲気と全く違う雰囲気が面白かったです。話し振りのなまなましさが、その分野の先行きを予感させます。

EDコントライブの社長の川合アユムさんが、私に続いて話をしてくれました。この会社は、以前から友人から話を聞いており、川合さんとも一度、メール交換していましたが、きちんと話を聞くのは初めてでした。実に共感できました。言葉で語っているのではなく、身体で語っているのがとてもよかったです。同社はある種のオープンブック・マネジメントだと思いますが、卑しさがないのが好感できました。オープンブック・マネジメントには、ある種の金銭主義的卑しさの落とし穴があります。

この塾に誘ってくれたのは、大阪市立大学の川村尚也さんと関西生産性本部の西田隆史さんです。塾では6社の異業種の人たちが自らの夢を語りながら、自らのあり方や仕事のあり方を見直すことが意図されています。議論を聞いていて、感じたのはやはり論理の世界です。20日の会にぜひ参加して欲しかったなと思いました。今、必要なのは身体で完治考えることなのではないかと思います。
みなさん、身体で考えていますか。

■東京ガス都市開発の中島英昭さん
たまには、ふと「袖振り合った人」も登場してもらいましょう。その被害者が中島さんです。
大磯プリンスホテルで、一人で朝食を食べに行ったのですが、なぜか案内の人が、それぞれ別々に行った、私ともう一人の人を同じ席に案内したのです。

お話してみたら、東京ガスの人で、もししたら、共通の友人がいそうです。西尾征郎さんです。世界の狭さについては、このホームページでも時々書いていますが、話をしていると一人のみならず、何人かの友人知人が近くにいそうです。縁とは本当に不思議です。そういえば、先日、訪ねてきた田中克彦さんとも共通の友人を発見しました。

まあ、それだけのことなのですが、人のつながりを私たちはもっと認識しなければいけません。その認識があると、社会の見え方も変わってきます。人は決してばらばらではなく、みんなつながっています。

■ 身体で生きている佐藤和美さん
佐藤和美さんは廃棄物処理施設に取り組む専門家です。新潟の巻町の施設が、和美さんの自慢のひとつです(そうですよね?)。そして、和美さんは、身体で考えている人です。
和美さんは20日のコムケアの選考会に参加し、エールのメールを送ってもらいました。寄付を申し出たお一人です。
このホームページにも掲載されているふじみ湖の関係者にも接点があり、以前、巻町の施設を案内されたとのことです。にもかかわらず、こんな事態になっていたのかと、これまたメールを下さいました。和美さんのメールに刺激されて、このホームページにも環境のコーナーを新設することにしました。和美さんにお願いして、かれのメールをぜひ再録したいです。
これまでゆっくりと話したことはなかったのですが、今回、やっと和美さんと心がつながったように思いました。和美さんは、身体で生活している人だと理解できました。言葉で語る人を、私は信頼しません。お前もそうじゃないかといわれそうですが、自分ではそうではないと思っています。まだまだ言葉が勝っているかもしれませんが。

11月中にホームページの構成を大きく変えたいと思います。環境コーナーにご期待下さい。コーナーに参加してくださる方のご連絡もお待ちします。

■オープンサロン(2002年10月25日)
今日のオープンサロンでは拉致問題や竹中構想が話題になりました。拉致問題では、私は横田夫妻と蓮池さんに感動しています。すごい人がいるものです。
大久保正雄さんが3月に地中海ツアーを企画しています。ご関心のある方はご連絡下さい。一味違ったツアーです。紀陸幸子さんの建築模型コーナーが新橋の亜吐夢館に常設されました。機会を見つけてぜひ一度見て下さい。紀陸さんは、私と違い、本当に一途にビジョン実現に取り組んでいます。男どもにはできないことかもしれません。
会社を卒業した中村公平さんは、今頃、八ヶ岳山麓でジャガイモづくりにとりくんでいるはずなのに、まだ参加しています。まだまだ今の世情が心配で隠居できないのでしょう。
八ヶ岳といえば、今日参加された産経の大串さんも近くに土地があるようで、なぜかみんな老後は自然信仰がありそうです。
自然信仰といえば、農業に一家言ある高須英樹さんがきました。またイタリアの新しいキャベツの種子が手に入ったそうです。高須さんも巻き込んで、安心の食べ物おすそ分けネットワークを年内には始めます。遅れていてすみません。
やはり自然食品に確か取り組んでいたエディターの乾真人さんも参加してくれました。いつも時間が遅くて湯島に来る前に9時になってしまうらしいのですが。乾さんは、いろいろ世情についての事情通なので、彼のコーナーも作りたいものです。
今日は大企業の人は富士通の関口明さんだけでした。関口さんはデッサンをやっています。

サロンの準備はいつも女房に頼んでいます。今日も頼んでいたのですが、準備をしにやってくる途中で気管支喘息の症状が悪化し、ダウンしてしまいました。支度をしてもらい、少し落ち着いてから帰ったのですが、症状が治まらず、翌朝、緊急で病院に行って、今、点滴をしています。
大人になっての気管支喘息は治らないといいますが、どなたかいい方法や医師などをご存知であれば教えてくれませんか。3年位前から周期的に発作が起こります。突然ではなく、徐々にですが。

(2002年10月第3週)

■ 福島県自治研修センター(2002年10月15日)
福島県の自治体職員を対象にした研修の講師を今年も引き受けました。今年4回目の講義をさせてもらいました。講義というよりもアジテーションかもしれません。
今は、自治体が社会を変えていく時代です。この数年、自治体職員の皆さんの意識と行動が変わってきているように思います。しかし、まだそれぞれが自らの自治体の中で仕事をしている感じがあります。もっと横のつながりが必要です。それも市町村合併や広域行政発想ではなく、地域を越えた連携や学びあいが大切です。
そんな思いで「風のまち」をつくりましたが、来年はそこから何かを起こしたいと思っています。何かいい知恵はないでしょうか。

■ 「文化がみの〜れ物語」
美野里町の文化センター作りを住民たちが本にした「文化がみの〜れ物語」が漸く校了しました。ものすごく大変でした。本づくりは金輪際関わるまいと思ったほどですが、校了してしまうと、また作りたくなってきました。これまでとはまた違った仕組みとスタイルの本を企画したいと思います。
美野里町の文化センター作りは、これまでの施設づくりと違い、まさに住民主役・行政支援で行われました。住民参加ではありません。住民参加はまだ主役は行政です。その発想を壊さなければ何も変わりません。
ぜひこの本も読んでください。11月3日に発売です。コモンズ書店でも販売予約中です。
美野里町の共創型まちづくりは、今では、都市計画マスタープランづくりにまで発展しています。

■ コムケア公開最終選考会の準備
コムケアの資金助成先の最終選考会を公開で行いますが、その準備に追われてしまいました。参加申し込みも150人を超えました。うれしいことに、昨年応募され、残念ながら選外になった、さわやか徳島の麻野さんが、わざわざ徳島から参加してくれるとのメールが来ました。うれしいことです。そうした方が何人かいます。
昨年は応募も多く、200団体以上の方が選外でした。その団体に、なぜ選外になったのかの個人的コメントをそれぞれに送りました。大して役に立つ内容ではなかったと思いますが、そのことで私たちの仲間になってくれた人もいます。
ちなみに、申請プロジェクトを選考するという作業は本当につらい作業です。できればやりたくない仕事です。一つひとつの申請書に書き込まれた思いが伝わってきますから、どれも捨てたくないのです。選外になった人からのクレームも、事情がわかるだけに辛いものです。3年が限度だなと思い出しています。どなたか、引き継いでくれる方はいませんか。

■ JUCEEのスタッフがお弁当を食べにきました(2002年10月17日)
コムケアセンターの近くに、日米コミュニティ・エクスチェンジというNPOがありますが、そこのスタッフ4人がコムケアセンターにお弁当を食べに来ました。コムケアセンターはいろんな人のサロンにしたいので、これは大歓迎です。あいにく作業に追われていて、私自身はゆっくりお話できませんでしたが、コムケアスタッフとは話が弾んでいました。
皆さんもコムケアセンターにお弁当を食べに来ませんか。そして、ついでに手伝っていきませんか。

■ 山形市政策塾エコマネー公開フォーラム(2002年10月18日
山形市の共創塾の今年2回目の公開フォーラムは、加藤敏春さんをゲストにお願いしました。加藤さんとは久しぶりです。以前、EPI(環境業績指標)研究会を日本能率協会の清水さんと一緒に発足させた時に参加していただいたことがあります。とても研究熱心で、エコマネーの創造主にして、伝道師でもあります。
今回は、市民と職員を対象に、エコマネーの紹介をわかりやすくしてもらいました。山形市で何か動きが出てくるといいのですが。
私もエコマネー的なコモンズ通貨を展開していますが、まだ仲間は20人くらいです。とても面白い「取引」が成立しています。皆さん、参加しませんか、豊かになりますよ。関心のある人はジョンギ辞典を見てください。

■ 子育ち学に取り組む深作拓郎さんのシンポジウム(2002年10月19日)
東京は過密都市ではありますが、歩いているといろいろな知人友人に会います。これだけの混雑の中で、よくまあという気もしますが、そこには一つの法則があります。必ずといっていいほど、会うべくして会うのです。必然的な偶然ということが一時期言われましたが、まさにそれを感じます。何かが出会いを用意してくれるのです。
今日は二人の知人に山形出張途中で出会いました。太田さん(我孫子まちづくり交流会)と深作さんです。深作さんは法政大学の講師で、子育ち学とまちづくりに関わっています。11月17日に深作さんたちが主宰する「子育ちと地域支援」をテーマにした公開シンポジウムがあります。案内をお知らせに掲載しています。ご関心のある方のご参加をお待ちします。私もパネリストになるようです。

■ 家族の応援
私は4人家族です。いや実はあまりコミュニケーションできない息子がもう一人いますが、最近は疎遠なのです。ちび太です。このホームページにも彼のコーナーがあります。
今週はコムケアの活動でパンクしていたため、家族に手伝ってもらいました。息子のちび太君は役に立ちませんでしたが、他の3人は不承不承の感はありますが、ボランティア支援をしてくれました。持つべきものは家族です。ところが我が家の娘どもはいつになっても結婚しません。困ったものです。どこかにいい相手はいないでしょうか。引き取っていただければとてもうれしいです。この項は家族に内緒です。

■ コムケア選考会プレゼンテーションリハーサル(2002年10月19日)
コムケア活動の資金助成プログラムの選考会のリハーサルをしました。目的は、発表者のプレゼンテーションを効果的にしてもらうことです。これからのNPOや市民活動は、対外的なコミュニケーション能力がとても大切になります。しかし残念ながら、それがまだ十分ではありません。そこで、今回は余計なお世話とも思いながら、リハーサルを呼びかけて参加してもらいました。これもまた、交流の一環でもあります。コムケア活動は、このように底がないのです。どなたか資金援助してくれる方はいないでしょうか。せいぜい3億円くらいあれば、まあ基盤はつくれます。いかがでしょうか。
ところで、今日、実際にリハーサルをやってきたら、みんな実に見事なのです、今年はリハーサル不要だったかなと思いました。

■ コムケア公開最終選考会(2002年10月20日)
今年度のコムケアの資金助成プログラムで、最終選考に残った29団体の発表会と、その中から20団体をさらにみんなで選ぶ公開選考会が行われました。とてもいい会になりました。もっとたくさんの企業人や行政関係者に参加して欲しかったですね。マスコミにも勉強して欲しかったです。
会場は180人だったのですが、補助いすを出しても立ち見がでるほどの盛況でした。
発表を聞いて「目からうろこ」の人も少なくなかったと思います。私の友人は涙が何回も出たと言っていました。数年ぶりに会場でお会いした人もいますが、ゆっくりお話しする暇もなく残念でした。お話できなかった方、すみません。
この会の様子は間もなくコムケアのホームページに掲載します。ぜひご覧下さい。
また発表された29団体のプロジェクト概要も公開します。ぜひ皆さんご支援下さい。

この会で、私のコムケア活動のビジョンを少しだけ話させてもらいました。無尽講構想です。それへのパワーを今日はたくさんもらいました。感謝しなければなりません。
さわやか徳島の麻野信子さんにも会場でお会いしました。ほんの一言二言の会話しかする時間がありませんでしたが、励ましてもらいました。「選ぶ仕事」をしていると、気の滅入ることが多いのですが、こういうことがあると元気付けられます。
他にもとてもたくさんの方にお会いしました。日本の元気の素が充満した会でした。

書きたいことが山ほどありますが、続きはコムケアのほうにきちんと書きます。コムケアのホームページもごひいきにお願いします。なかなか書き込めませんが。

今日の会で、日本のNPO活動が間違いなく進化しつつあることを確信しました。ヨコにつながろうという姿勢が急速に高まっています。NPOも第3世代の時代に入りました。とてもうれしいことです。

■ 目黒区議選に立候補した木村勝隆さん(2002年10月6日)
先々週、ここでお知らせしましたが、わくわく政治談議の代表の木村さんが、突然に目黒区議会の補欠選挙に立候補しましT。告示の2日前の突然の立候補でした。私は時間破綻の渦中にあり、まったく応援できませんでした。選挙カーも使わず、徒歩と自転車の活動だったそうです。
結果は定数3人、候補6人の中での大差の4位。得票数は3549票でした(投票率27%)。ガチガチの組織選挙だったようです。善戦というべきです。
木村さんの選挙コンセプトは「有名人の推薦は一切受けず、選挙期間だけで面識のない区民に訴え続けること」。演説で訴求したのは「組織より個人重視の社会へ」でした。私は100%共感できます。世界は違いますが、私も今週、会う人ごとに話してきたのが、こうしたことでした。木村さんと同じ活動をしてきたような気がします。
街頭演説を聴いて、わざわざ家から出てきて、深々とお辞儀をされたこともあったそうです。こうした話を聴くと、私は涙が出てしまいます。木村さんはたくさんの感激する場面を体験されたことでしょう。社会はまだまだ健全ですから。
選挙の形も変わりだしています。もう一息かもしれません。

■ 自治体の新しいデザインを考えるフォーラム(2002年10月7日)
福島県の自治研修センターで、自治体職員を対象にした公開フォーラムを開催しました。NPOの視点からみる社会のリフレーミングがテーマです。とても刺激的なフォーラムでした。1か月前にセンターの遠藤哲哉さんから相談があり、二人で構成した企画でした。
社会のリフレーミングは、8年ほど前に北九州市で開催した全国まちづくり先進事例会議でもテーマにさせてもらったことがありますが、その時はまだピンと来なかったようです。しかし、今は違います。まさに枠組みが大きく変わろうとしているのが見えてきました。
ちなみに、その北九州市の会議のキーワードは「共創の時代」でした。この言葉も、あまり使われていませんでした。「協働」がはやりだしていましたが、私は「協働」という言葉が嫌いです。目線の高い操作用語を感じます。大切なのは「創る」ということです。
その会議では、山形市の共創プロジェクト美野里町の文化センターづくりを、それぞれから発表してもらいました。二つのプロジェクトは、その後、紆余曲折はありますが、続いています。私のまちづくりの原型は、この二つのプロジェクトにあります。

今回は、「組織発想の時代」から「個人発想の時代」へのパラダイムシフトの視点で問題提起をしました。
それを受けて、午後は3人のゲストとパネルトークしました。ゲストは、浜辺哲也さん(経済産業研究所)、新谷大輔さん(三井物産戦略研究所)、浦嶋裕子さん(農的暮らしを考える研究会)の3人です。みんなは現場重視主義者です。そして私を除き、次の社会を担う若者たちです。私たちの世代よりは、素直な感性を持っています。

NPOについてもだいぶ話題になりました。私は最近のNPOの動きには違和感を持っています。社会のサブシステムに位置づけられているからです。むしろ、NPO(住民活動)は社会の構造を変えていくのではないかと思います。これからの企業や行政の組織モデルはNPOだと思っています。もっとも今のNPO法人は、そのモデルにはならないでしょうが。

■ OBMの取材(2002年10月9日)
シリエズ総研の広瀬さん(代表)と松井さんが訪ねてきてくれました。オープンブック・マネジメントの取材です。広瀬さんは全国の税理士を支援している活動をされているのですが、税理士にとっての新しい役割の視点から、OBMに関心をもっているとのことでした。ご自身の会社でもOBMを展開されています。
OBMについて、とても元気づけられる刺激を与えてもらいました。社会の関心の鈍さに、いささかの不満を持っている私としては、広瀬さんのような方に会うと元気になります。しかし、広瀬さんは「売れてないでしょう」とずばりと指摘されました。その通り、この本は売れていません。第一、書店に並んでいませんから。残念でなりません。この本をしっかりと理解すれば、会社などいとも簡単に元気になるはずですが、そこへの慧眼を持つ人がほとんどいないのです。いや、これは私の勘違いかもしれませんね。反省。私の目が濁っているのかもしれません。
広瀬さんとお話していて、やはりもう少しOBMに真剣に取り組まなくては思いました。

■ KAE合宿(2002年10月10日)
企業の経営幹部が自分たちでテーマ研究する「経営道フォーラム」という活動が15年以上続いています。メンバーは半年単位で変わります。その1部会に関わらせていただいています。テーマは「企業理念」です。この部会に参加する人たちから、実によく企業の動きが見えてきます。7、8年前に大きな変化がありましたが、いままた大きな変化を感じます。
今期のグループは「個を生かす経営」というテーマを選びました。何か10年前のテーマを感じさせますが、パラダイムシフトして発想すると面白いテーマです。発表会は11月21日です。ご関心のある方は招待しますので、ご連絡下さい。

■ 東上まちづくりフォーラムの理事長の柴田郁夫さん(2002年10月11日)
柴田さんは最近流行のSOHOやマイクロビジネスの草分けです。以前、このコーナーでも紹介しましたが、20年くらい前に出会いました。なかなか一緒に仕事をする機会がありませんが、かなり同じ領域で活動しています。
柴田さんの紹介はいずれまたしますが、今日は柴田さんが同行された富士通の熊野健志さんと平野篤さんの話です。お二人は電子行政や住民と行政とのコラボレーションに関心があるようです。最近広がりつつある電子行政には大きな期待がありますが、今の取り組みはこれまでの枠組みで発想していますからうまくいくはずがありません。しかし、このお二人はかなり柔軟に考えているようです。
熊野さんは地元でNPO支援もしているようです。コムケア仲間の団体とも接点があることがわかりました。今週はNPOに縁があります。
NPOにご関心のある企業の方は、ぜひ20日の集まりに参加して下さい。目から鱗です。

■ 伝統の知恵のフォーラム(2002年10月11日)
伝統の手仕事や祭りの中にこそ、これからの暮らし方や地域社会づくりの知恵がある、という考えから、伝統の知恵のネットワークのメンバーが沖縄や京都を中心とした知恵集めに取り組んでいます。そのメンバーが、公開シンポジウム「伝統の知恵を拓く」を東大の駒場キャンパスで開催しました。私もささやかな登場人物です。
駒場に40年ぶりに行きました。懐かしい思い出というよりも、全く雰囲気が違っていました。しかし、あいかわらずゴミが多く、汚いのが気になりました。
シンポジウムは実に豪華です。ゲストは京菓子の老松の当主である大田達さん、西表島の染色家の石松昭子さんです。お二人のホスピタリティこもった実演、その上、太田さんの手づくり京菓子もいただきました。裏千家の木下さんからお茶も立てていただきました。しかもそれを会場の前に太田さんがつくった臨時の壁のない茶室で、みんなの前でいただきました。お茶の嗜みの皆無の私を木下さんはとても気持ちよくくつろがせてくれました。
茶器や掛け軸なども、滅多にないものとのことでした。掛け軸はまさに、今日、偶然に借りることが出来た沖縄のすごいものだそうです。太田さんが説明してくれましたが、なにしろ壇上でみんなに見られてのお茶席でしたので、それどころでなく、覚えていませんが、確かに何か伝わってくるものがありました。
お二人のお話はすごく示唆に富むものでした。コミュニティケアと伝統が深くつながっていることを改めて実感しました。いずれのキーワードも「つなぐ」です。この場が参加者をもっとつなげられるとよかったです。
お二人のお話の後、私が引き出し役の鼎談をやりました。実に面白く、このテーマで10時間くらいやりたい気分でした。
伝統の知恵のネットワークの中心は、東大大学院の2人の院生
です。
この2人の身体の中に蓄積された知恵の情報をいつかまとめてもらいたいと思っています。日本社会をよくするヒントが彼女たちの頭の中に充満しています。期待しましょう。
伝統の知恵のネットワークのコムケア活動の簡単な報告を添付します。ご関心のある方は読んでください。

■ コムケア資金助成選考委員会(2002年9月30日)
コムケア活動では、年1回、全国の市民活動から新しいプロジェクトを公募、その中から22団体に総額1300万円の資金助成をしています。資金は住友生命社会福祉事業団から提供されています。この支援の仕組みは、これまでの類似のものとはかなり違っていると自負していますが、それなりの苦労があります。
選考はかなり慎重に行っています。選考委員だけでも20人を超えています。
今日は、その最後の一歩前に選考委員会でした。これまでの3回にわたる選考過程を経て選ばれた約60団体を対象に、最後の絞込みをしました。活動支援と調査研究があるのですが、活動支援は30件を選び、それを公開の投票会で最終的に決定します。最終選考会は公開で行います。10月20日です。これは実に刺激的な会です。みなさんの参加をお薦めします。新しい地平が開けますよ。この会の案内はここをクリックして下さい。お知らせのコーナーです。
それはともかく、今日の選考委員会のメンバーは個性的なメンバーで、全く付き合うのが大変です。メンバーは、片岡勝さん(市民バンク代表)、北矢行男(多摩大学教授)、木原孝久(わかるふくしネットワーク代表)、町田洋次(ソフト化経済センター理事長代理)、高橋流里子(日本社会事業大学教授)、松原優佳(NPOマネジメントカウンセラー)です。3時間の激論の結果、候補が決定しました。
この結果を伝えるのはつらい仕事です。落選したところから厳しいお小言や詰問があるのです。1週間は気持ちが休みません。時には、私も電話で切れてしまいそうに成ることもあります。選考の事務局などはやるものではありません。この役割はあと1年で辞めたいと思っています。
しかし、日本のNPOは唯我独尊がまだ多いのも事実です。時々、電話をしながら哀しくなります。たしかにみんないい活動をしていますが、同じような活動をしているたくさんの仲間がいることに気づいて欲しいです。
まあ、愚痴はこのくらいにします。

■ 本田技研労組専従フォーラム(2002年10月1日)
久しぶりに労働組合の集まりで、話をさせてもらいました。私が書いた企業不祥事関係の小論を読んで、電話がかかってきたのです。本田技研は、そういうこととはかなり無縁の会社だと思いますが、労組からの依頼は意外でした。
私は労働組合がこれからはすごく面白い役割が発揮できる時代だと思っています。時間ができたら一度ゆっくりと意見交換したいと思います。

■ 「文化がみの〜れ物語」(2002年10月4日)
いよいよ原稿が完成し、入稿しました。すごくいい本になりました。茨城新聞社がどのくらい売ってくれるか知りませんが、内容は太鼓判です。自治体関係の人はぜひ購入して下さい。コモンズ書店で、送料込みで1800円で販売します。書店で買うと1400円(税別)ですので、そちらが安いです。

■ 相島芸術文化村(2002年10月5日)
我孫子市にある手賀沼は干拓によって多くの新田ができています。その一つが、享保年間の相島新田です。そこの旧家の井上邸の蔵の床をはがしたら、貝殻が敷き詰められていました。湿気対策です。これについては以前、ここでも紹介しました。
いま、そこで美術展をやっています。旧家を舞台に11人の作家が展示しています。とてもいい空間が創出されていました。
たまたま当主の井上さんから話しかけられました。壊れかけた家の軒先に見とれていたように見えたらしいのです。事実はそうではなく、その空間全体のかもし出す時間を感じていたのですが。
しかし、どうして昔の建築はいのちを感じさせるのでしょうか。何かホッとしますね。どこが違うのでしょうか。この空間での時間の流れ方は、たしかに違います。
来年は私もスローライフに移行します。所属している会の7割を脱会することにしました。学会は基本的にすべて辞めようと決めました。脱会の通知が行ったら、この記事を思い出してください。

■ 我孫子まちづくり交流会(2002年10月5日)
運営委員会がありました。この会はまちづくり活動をヨコにつないでいくことを目的にして生まれた会です。私は新参者です。昨年から会には入っていますが、運営委員会に参加したのは今日が初めてです。いつもの悪い癖で、また言わずもがなのことを発言してしまい、ちょっと反省しています。
この会の運営委員は住民と職員と議員の混成です。私の発想とはちょっと違って、運営委員が役割を背負いすぎているように思いますが、代表の太田さんがともかく誠意のある方です。昔、我孫子市でまちづくり研究会というのをやったことがありますが、見事に頓挫してしまっていましたが、この交流会はとてもいいイベントも行っています。また紹介します。

■ 美野里出版社(2002年9月22日)
美野里出版社では現在、総力をあげて「美野里町文化センター物語」を制作中ですが、この連休は、それに没頭していました。22日には美野里町で最後の編集会議です。どうにか原稿はできあがりそうですが、もう神技に近い進め方です。金輪際、本づくりには関わりたくない気分で、この本が出たら出版社には辞表を出そうかと考えています。業績の関係で無給ですし、もしかしたら逆に寄付を要求されそうです。いやはや、自分で仕組んだとは言え、今回は疲れました。おかげで仕事は後回しで、関係者にご迷惑をかけています。
しかし、まったく疲れていないのが、杉本さんです。彼女は茨城新聞社の若き記者ですが、このプロジェクトの支え役です。極度の楽観主義、もしくは能天気者で、しかもすごいクールなのです。美野里出版社が忙しいのに、海外旅行に出かけちゃいました。
それはともかく、この本は絶対に面白いです。自治体職員は必読です。ぜひご予約ください。発売は11月3日。売れ切れの場合はご容赦ください。価格はなんと1400円(送料は別です)。きっと発売と同時に完売ですが、今なら予約できます。ご注文はコモンズ書店にどうぞ。

■ たべもの通貨研究会(2002年9月24日)
JA兵庫六甲の地域通貨制度研究会の最後に委員会がありました。提案がまとまったのです。
提案内容に関心のある方はご連絡下さい。
以前もここでかなり否定的なコメントをしましたが、今回もやはりせざるを得ません。みんな何故、既存の枠から自由になれないのでしょうか。既存の経済システムをひきづったままの地域通貨は意味がないと私は思っています。それと重要なのは、ビジョンです。
まあ、それを言い出すと、お前も委員ではないかと言われそうですし、熱心に企画立案してきた溝内さんに申し訳ないのですが、ぜひ今回の議論を踏み台にして、いいものにしていってほしいと思います。
研究会といわれたので、想像的な議論が出来ると思ったのですが、説明会で終わったのが残念です。

■ 福祉のまちづくり工学研究所(2002年9月24日)
小山美代さんを訪ねました。メールでは2年前からの交流がありましたが、お会いするのは初めてです。
コムケア活動をはじめようか迷っていたときに、何人かの方に相談したことがありますが、そのお一人が確か小山さんです。なぜそうなったかは思い出せませんが。
福祉のまちづくり工学研究所は神戸市の総合リハビリテーションセンターのなかにあります。このセンターはとても立派で、海外からの視察も多いそうです。ただ、ちょっとあったかくありません。日本の建築家は、なぜ「あたたかさ」をもっと大切にしないのでしょうか。建物を作るのではなく、場を創るという姿勢を持った建築家はまだ少ないのでしょうか。
小山さんは、福祉と文化に関心を深めているようです。お洒落やお化粧と福祉は、とても深くつながっていますが、その当りが最近のテーマのようです。とても共感できます。私は「福祉のノーマライゼーション」と呼んでいますが、福祉は楽しさや喜びが基本になければいけません。
福祉のまちづくり工学研究所のホームページは面白いです。

■ 創志塾(2002年9月25日)
三浦さんが塾長の創志塾の「こころ」のセッションは、毎回、私が受け持たせてもらっています。今日はその日で、参加者たちと心の問題を話し合いました。
実に感動的な場面がありました。この会では、毎回、「心に関する本」を読んできて、それを紹介することになっていますが、ある人が「父への手紙」を選びました。何故その本を選んだかの話をしてくれたのです。その人は企業の管理職。最近のリストラの動きに巻き込まれ、従業員一人ひとりに退職勧告をしなければいけない状況になってしまったのです。それが契機になって、家族の問題に直面し、さまざまなことがあったようです。そういう話をしてくださったのですが、途中で、思い出したのか、声が出なくなりました。参加者は全員、企業人です。痛いほど、その意味がわかります。
参加者にもう一人、同じ経験をされた方がいました。系列会社の社長時代に、リストラせざるを得ない状況になり、その決断をしたということです。社長ですから、自分では直接、従業員との話し合いはなかったそうですが、その後、原因不明の喘息状況に陥ったそうです。
リストラの話が新聞を時々にぎわせますが、その背後にはたくさんの人生があります。そうしたことを、決断者はもっと実感しなければいけません。それがリーダーの責任だと思います。当事者の痛みとは無縁のところで、「痛み」などという言葉を使う無神経な人にはリーダーたる資格はありません。不幸な時代です。
話がそれましたね。すみません。創志塾は人生を気づかせてくれるいい塾です。

■ OBM研究会(2002年9月25日)
OBM研究会も5回目になります。今回も新たにホームページを見て参加してくれた人がいます。だんだん広がっています。
今回のテーマは、BSC(バランススコアカード)です。浜銀総研の淡路俊彦さんが問題提起してくれました。単なるレクチャーではなく、自分の言葉で、本音で語り合うのが、この研究会のいいところです。
淡路さんは、BSCは経営管理者の育成ツールとしては有効だといいます。同感です。また企業の中に戦略ベースが育っていくツールにもなるかもしれません。私自身の企業経営観は何回も書いているように「管理発想」ではもうやっていけないということです。従って。管理のためのBSCは意味がないと思っていますが、支援のためのツールと考えれば効果的だなと実感しました。
この研究会は毎回、実に刺激的です。次回は10月30日を予定しています。

■ 美野里まちづくり会議地区部会(2002年9月26日)
美野里町都市計画づくりのための地区部会です。美野里町のまちづくりは実に面白い芽を持ち出していますが、今回は羽鳥地区の集まりに参加しました。住民のパワーと意識の高さを感じます。行政よりはよほど意気込みがあります。それは当然のことで、自分たちの問題だからです。このエネルギーと共創していけば、今の行政予算は半減どころか1/10になるでしょう。そうしないところが、公的世界のまやかしです。「住民のため」などという言葉を信奉していては、これからの自治体職員は務まりません。企業人が「社会のため」「顧客のため」などというのと同じです。それらは「統治の言葉」「管理の言葉」です。人はまずおのれのために生きなければなりません。それが必ず社会や組織のためになるのです。いや、そうならなければ自分のためなどになりません。
私が共感できるのは「世界すべてが幸せにならないと自分の幸せなどない」という宮澤賢治の言葉です。まちづくりやケアの世界に少しだけ関わって、そのことを実感しています。

■ ガーナからの手紙(2002年9月26日)
ガーナで活動している田中雅子さんから、昨年まで活動していたバングラデシュでの「母子保健センター自立運営までの歩み」を送ってきてくれました。
田中さんとは以前、どこかで紹介したかもしれませんが、シャプラニール時代からのお付き合いです。ネパールやバングラで取り組んでいる、PLA(住民主体の学習と行動による開発)の考え方は、日本でのまちづくりや企業変革にもとても参考になります。田中さんたちが書いた「続入門社会開発(国際開発ジャーナル社)」はとてもいい本です。自治体職員の方はもちろん、多くの人にぜひ読んで欲しい本の一冊です。
田中さんのホームページがもしかしたら、間もなく出来そうです。出来たらご案内します。
各地で取り組まれてる、こうした体験知がつながっていくと、きっと歴史の展望が開けるのでしょうね。タノシミデス。

■ 美野里町都市計画マスタープラン(2002年9月27日)
また美野里町です。今週は3回も美野里町に通いました。いま、仲間の学生が貸家を借りて現地調査に取り組んでいます。そこに行ってきました。驚きました。
仮設としか思えない新しい住宅が並んでいるのです。美野里町には広大な土地があります。なぜこんな小さな敷地に、しかも10年程度しかもたないような住宅を造るのか、そのセンスに驚きを感じました。日本ではやはり住宅は消費財なのですね。
私は自宅を建てた時に、消費税を課せられたのは唖然としたのですが、今回、納得しました。
こうした動きに都市計画はどう取り組んだらいいのでしょうか。今日は、その定例会議でもありました。遅速ながら、美野里町の新しいまちづくり計画は進んでいます。いつかまとめて報告できるといいのですが。

■ オープンサロン(2002年9月27日)
サロン始まって依頼の参加者の少ないサロンでした。私たちを入れて6人です。
初めての参加者は三木さん。そぞろ工房という会社を今年起こしました。そぞろ歩きの会社です。三木さんはダイヤモンド社の役員をされていましたが、早期退職です。三木さんとは10年ぶりでしょうか。久しぶりの対面でした。そぞろ工房は、編集や制作活動をする会社です。ホームページが出来次第ご紹介します。ご注文もどうぞ。
後は作家の黒岩さんリンカーンクラブの武田さん、CWSコモンズ村の金居さんが参加しました。人数が少なかったので、いつもとは違って議論的でした。ついつい挑発に乗って、また話しすぎました。今回は内容紹介はなしです。言葉もきつかったですから。

わくわく政治談議の木村さんが目黒区の区議選の補選に出ます
サロン中に電話が木村さんからありました。来月の区議選の補選に立候補を決めたそうです。目黒区に知り合いのいる方、ぜひ応援して下さい。人柄、見識、常識、ともに私が保証します。こういう人が議員になれば、きっと社会は変わります。応援をお願いします。

(2002年第3週)
今週は、お会いした人や接点のあった人を紹介させていただくことにします。
勝手に紹介対象になってしまった方、ご迷惑かもしれませんが。

■ クリエイティブマネジメント研究所井口哲夫さん(2002年9月18日)
 井口さんとはもう15年以上のお付き合いです。私が会社から離脱したのと同じころに井口さんも会社をやめて、独立されました。それまでは日本能率協会でコンサルティングのお仕事をされていました。多分。
 井口さんは、このホームページでもリンクしていますが、クリエイティブマネジメント研究所を主宰され、創造性開発やR&Dマネジメント、人材研修などで活躍されています。独自の創造性開発手法「ハイステップ法」も開発されています。
まもなく2冊の新著が出ます。原稿を読ませてもらいましたが、とてもわかりやすい、示唆に富む本です。また、ブックで紹介させてもらいますが、企業の方にぜひお勧めします。
 井口さんはいま、新しい構想に辿りつきました。それについて意見交換させてもらったのですが、この構想でまとめた経営書も来年は出版されるでしょう。
 それに関して、井口さんのハイステップ法に関する研究会も開いたらどうだろうかという話になりました。創造性開発手法は使い込むことによって磨き上げられます。商品開発分野で、実験的に一緒に取り組んでみたいという方はいないでしょうか。フィールドと若干の予算をつけてもらえれば、井口さんは対応してくれると思います。そして、もしかしたら画期的な商品開発が実現するかもしれません。
 私も参加したいです。創造の現場は、ともかく楽しいですから。

■ 経済産業研究所浜辺哲也さん(2002年9月18日)
 浜辺さんとの出会いはつい最近です。コムケアの交流会に参加してくれたのです。
 浜辺さんは今春発表されたNPOの中間報告書の事務局を勤められました。この報告書は、それなりに新しさが感じられます。霞ヶ関のNPO理解はきわめて目線が高く、実態とは無縁なものが多いように思いますが、この中間報告書は一応最後まで読ませてもらいました。
 浜辺さんは交流会で私が話した「NPOはサブシステムの主役ではなく、全体の社会システムを変革する論理の震源地」ということに賛意を示してくれました。それで、浜辺さんに関心を持ちました。視点が従来型では内容に思ったからです。従来発想のNPO論者には辟易しています。
 今度、福島県で「社会のリフレーミング」をテーマにしたフォーラムを開催しようという話があるのですが、そこにゲストとしてきてもらおうかと声をかけて、来てもらったのです。のっけから、面白い話になりました。諸悪の根源は国家制度であるという私の持論にきちんと対応してくれたのです。まさに社会のリフレームを考えるゲストには最適です。

■ 三井物産戦略研究所新谷大輔さん(2002年9月18日)
 この浜辺さんと一緒に声をかけたのが新谷さんです。新谷さんとの出会いは、昨年の構想学会の大会です。新谷さんの関心事も、社会のリフレームだと私は考えていましたので、声をかけたのです。彼は企業の社会化に取り組んでいます。
新谷さんは、わくわく政治談議サロンのメンバーでもあります。社会のリフレームと政治とは深くつながっています。
 この二人をゲストにフォーラムを企画したいと考えていますが、あと二人ほどに声をかけています。きっと面白いものになりそうです。

皆さん、10月7日に福島に来ませんか。対象は自治体職員ですが、ゲストになれば誰でも参加できます。たぶん。交通費は各自負担ですが、参加費は無料です。但し、発言をしてもらうことになりますが。ともかく面白い人を集めた公開フォーラムにしたいです。また報告します。
 
■ 青森大学助教授柴田郁夫さん(2002年9月19日) 
 福島のフォーラムに、もう一人声をかけているのが志木市で長年、コミュニティ活動をしている柴田さんです。
柴田さんとの出会いは20年近く前になります。私がまだ東レにいたころです。PI(パーソナル・アイデンティティ)研究会というのを柴田さんたちがやっていました。そこに話しに行ったのです。そこで私が話したのが「社員の元気が会社を元気に」でした。柴田さんたちはそれを表題にした本を出版されました。その後、この言葉は広がっていきましたが、当時はまだ「組織からの発想」が主流でした。それから15年、やっと本当の意味での「個人から発想する時代」がやってきました。個人の元気が会社の元気だと考え出す経営者が生まれだしたように思います。それに失敗したのが企業不祥事で悩んでいる大企業です。
 柴田さんは、実に面白活動をしています。最近、話題のコミュニティビジネスに20年前から取り組んでいた社会的起業家です。彼のホームページをぜひご覧下さい。
http://www.telework.to

■ 東邦学園大学教授山極完治さん(2002年9月19日)
起業家といえば、最近の米国の雇用拡大の三分の二は女性による起業だそうです。この話は山極さんからお聞きしました。山極さんとは、以前ここでも紹介した、多様な働きの場の創出研究会という集まりでお会いしたのですが、最近、私のホームページを見てくださって「CWSコミュニティに関心あり」というメールを下さったのです。今日はわざわざ、オフィスにやってきてくれました。ゆっくりお話しするのは初めてですが、関心といえ、考え方といえ、活動領域といえ、かなり重なっていることがわかりました。
いろいろ意見交換しましたが、一番共感できたのは山極さんが家事分担をしっかりしているということです。ごみを出しに行ったり、食事を作ったりです。経営学者は、そうしたことをしっかりとしなければなりません。それが経営の原点だからです。ごみを毎日出しに行くと、環境問題やいまの産業のあり方への疑問が実感できます。私自身も会社を辞めてから、そういうことにやっと気がつきました。生活のない人が経営をやってはいけません。もちろん政治も、ですが。
 
■ 株式会社リンク・ワン代表河原庸仁さん(2002年9月19日)
 いま、急成長しているリンク・ワンという会社はご存知でしょうか。外食産業向けに人材を派遣し、店舗経営を支援している会社です。かんき出版の藤原さんの紹介で、その代表の河原さんがやってきました。こちらは、ぴかぴかの起業家です。彼の起業理念に共感しました。
 主体的に生きる生き方を身につけた若い起業家を輩出させたいというのが河原さんの思いです。経営の考え方を聞いていたら、まさにオープンブック・マネジメントなのです。最近の若い経営者には、オープンブック・マネジメント思想は何の違和感もなく広がっているのだなと思いました。もちろんオープンブック・マネジメントの本を読んでではなく、実践的に行き着いた考え方なのです。
 ちなみに私が翻訳したオープンブック・マネジメントは残念ながら売れていません。というか、書店にないのです。皆さん、書店に注文してください。怠惰なダイヤモンド社に増刷を決意させたいです。まあ、しかし、一番の怠惰者は翻訳を3年以上遅らせた私ですが。でもこの本が広がれば、そして日本にOBM革命が起これば日本の会社は間違いなく元気になるはずです。
そういえば、最近、このホームページを読んで、企業の方やNPOの方からオープンブック・マネジメントの照会が増えています。OBM研究会への参加希望者も増えています。河原さんも参加することになりました。
 それにしても、新しい起業家がどんどん増えているのです。そして彼らの目の輝きはすばらしいです。東電の経営者にも、こういう時代があったのでしょうね。それを思いだしてほしいです。孫に顔向けできない人生から足を洗ってください。またまた蛇足でした。

■ 山形市共創プロジェクトの高倉正則さん(2002年9月20日)
 山形市の共創塾に行ってきました。そのついでに、共創プロジェクトの始まりの時のメンバーに会いました。当初のメンバーは、それぞれ要職についています。そして、それぞれが共創の理念を信念として持っています。しかし、残念ながら、個人の信念と組織の信念とは一致しませんから、担当者が変わることで、事務局のりえんは変質します。そこが難しいところです。私のような外部のものに出来ることは限界があります。
 15年前に北九州市のCIにかかわりましたが、このプロジェクトのすごいところは担当者を変えなかったことです。但し、ここでは担当者が変質しました。それで北九州市のCIは成功しませんでした。失敗でもないですが。
 美野里町は、その中間です。プロジェクトが広がり、担当者が増えていくというスタイルです。密度は希薄化しますが、広がります。
 私は三つのタイプに付き合っていますが、最近はいずれにも退屈しています。やはり相手に、燃えるような情熱を持った人がいないと仕事は持続できません。エーと、この部分は関係者の方は読みながして下さい。関係が悪化しそうですから。反省。でもまあ、隠すことでもないですね。

 話がそれましたが、山形市で一番燃えているのが高倉正則さんです。ラウンジで、ソバリエのことを紹介してくれた人です。彼もソバリエです。今は事務局から離れていますが、応援団です。組織の中ではなかなか理解されにくいタイプですが、自分軸と社会軸をしっかり持った人物です。組織を変えていくのはこうした人なのでしょうね。今ほど、自分軸が大切な時代はないと思います。狭い組織軸だけで生きている人が多いのが残念です。

■ 写真家橋本武彦さん(2002年9月21日)
 企業と行政の人ばかりになりましたので、少し違った人も少し書きます。
 写真家の橋本武彦さんです。星座とギリシア神話にのめりこんでいます。今年も春からずっとギリシアに言っていましたが、今月末に帰ってくるというメールが来ました。
 この数年、ミノア文明やクレタについて調べています。間もなく面白い本が完成しそうです。シュメールやエジプトにも言及するようですが、テーマもわくわくするようなものです。まだ公開してはいけないと言われていますが。
 「月刊天文」という雑誌に、11月号から連載も始まるそうです。ご関心のある方はお読み下さい。常識を破る内容がかかれる予定です。グラハム・ハンコックもコリン・ウィルソンも面白かったですが、橋本さんもきっと面白いです。

 ちなみに、私は古代ギリシアをテーマにしたパウサニアス・ジャパンのメンバーです。古代ギリシアに関心のある方、ご連絡下さい。特に若いメンバーを募集中です。

■御仏たち(2002年9月19日)
 ついでにもう一組書くことにしました。
 御仏集団です。私は時間を生きてきた仏像が好きなのですが、今日はそうではなく、小仏彫刻教室の作品展に行ってきました。そこで50体の御仏たちに会って来ました。心をまさぐられる思いでした、最近はあまりいい生き方をしていないからです。
 最近は本当に心が穏やかになれません。今の一番の憤りは拉致事件に対する政府の対応です。日朝国交回復の意味も理解できません。構造的暴力という言葉があります。たとえば国家を支援することと国民を支援することとは無関係のことです。いや、逆のことがあるのです。支援する対象を間違ってはいけません。
 かなり短絡的な説明ですが、犯罪国家を支援することは犯罪を容認することです。その攻撃を阻止したいのであれば、その国家を認めてはいけません。「罪を憎んで人を憎まず」という言葉があります。私は「人の掟」に反することには寛容なほうだと思いますが、「いのちの摂理」に反する場合は、断じて寛容になれません。人も憎みます。ですから、御仏の前に立つと後ろめたいのです。
 御仏からの強烈なメッセージは、12年ほど前に大宰府の観世音寺で受けました。衝撃的でした。大宰府はいつの頃かわかりませんが、もし私に前世があるのであれば、きっと住んでいただろう地です。そう確信したのが、そのときでした。

また、ちょっと危ない話になっていますね。やめましょう。
 時間を経た仏像に対峙すると自らの生き方への気づきがあります。でも、今回はそういう思いがわきませんでした。たくさんの御仏の。声が中にたっても聞こえませんでした。時間を経ることの意味を改めて考えさせられました。いや、私の生き方のせいかもしれませんね。

(2002年9月第2週)
時間破産の生活は少し正常化してきました。今年は夏休みもなく、異常な半年を過ごしています。しかし、決して「やることが多い」のではありません。時間の進み方が変わってしまったのです。言い方を変えれば、「気」が起きないのです。時間はあっても何かをやる気が起きないのですから、その時間は私にとっては空白に近い時間になってしまいます。自分のまわりの時間の流れが変化しているのを感じます。むしろ、子どもの頃の時間感覚に戻っているのかもしれません。みなさんの周りでは時間の速度の狂いは起こっていませんか。昔から時々そうした状況に陥るのですが、最近の時間の歪はかなり大きいように感じています。気のせいでしょうか、歳のせいでしょうか。そうであればいいのですが。
わけのわからない話はこのくらいにして、今週の報告です。

■ 我孫子市景観形成市民会議(2002年9月7日)
 私が住んでいる我孫子市では、昨年から住民が中心になって、手賀沼沿いの景観問題を調査し、市役所に提案する活動をしてきました。その成果を今春、「ハケ・ふれ21」という提案書にまとめ、市長に提出しました。「ハケ・ふれ」とは、手賀沼沿いにある、ハケの道(旧道:生活道路)とふれあいライン(新道:自動車道路)とを一括して呼んだ略称です。その二つの道を軸にした景観整備についての生活者目線での提案をしたのです。
 ハケの道は「捌けの道」、つまり、丘陵地の際沿いの、水が生きている小さな生活道路のことです。みなさんの周りにもあるかもしれません。有名なのは武蔵小金井のハケの道です。私も昔、小金井の近くに住んでいましたが、何か気持ちの和らぐ空間でした。手賀沼沿いのハケの道は、それほどのものではなく、今にも死にそうな感じですが、それでも歩くと気持ちは和みます。私が知ったのは1年前からで、時々、息子と一緒に散歩します。水神や湧水の名残があります。
 ふれあいラインは沿道に大型店舗が急速に出店され、生活の便利さが高まる一方で、様々な問題を発生させています。それにしても最近のお店の看板や建物の外観はなぜあんなに貧相なのでしょうか。画一的で、でかくてどぎついだけで、退屈です。わが仲間の日本CI会議体のメンバーが荷担しているのもあるのでしょうが、そろそろ思想を変えるべきです。
 この活動が契機になって、我孫子市全域の景観を考える「景観形成市民会議」なる組織が生まれました。今日はその会が主催した市民への説明会でした。ただ、残念ながら、やはり行政の進行で進みました。市民会議の一員として、私自身いささか恥ずかしい限りです。反省しなければいけません。しかし、我孫子市でも少しずつ住民主役に移っていくでしょう。
 当然のことながら、我孫子市では私は市民側に座るわけですが、席が違うだけでずいぶんいろいろなことがわかります。座る場所を変えることの大切さをいつも感じます。
 手賀沼沿いのハケの道は、きっといい道になります。3年後くらいにはきっとご案内できると思います。

■ 経営道エグゼクティブフォーラム(2002年9月10日)
 企業の経営幹部に「経営の道」をしっかりと身につけてもらおうという思いで、経営学者の山城章さんが15年ほど前に始めたKAE経営道フォーラムというのがあります。そこから多くの企業の経営者が輩出しています。
 私は第1期から関わらせていただいていますが、実に面白い体験をしてきました。企業人の企業との距離の変化、企業人の意識の変化(たとえば電力会社の原発への意識の柔軟化など)、業界別の栄枯盛衰、企業の人材観。個別企業に関しても、いくつか感ずることがありました。雪印事件も金融会社や商社の変質も予感できました。社員とつきあえば、企業の実態はかなりわかります。
 そのフォーラムの一つが、課長クラスを対象にしたエグゼクティブフォーラムです。1年間の自主研究活動で、経営に関するテーマを研究し、発表会をやるのです。その開講式で毎回、基調講演をさせてもらいます。最近は「これからの企業人のありかた」をテーマにアジテーションをしています。カルチャーショックを与え、発想を壊すことが目的ですが、今回は最近の企業のあまりのひどさへの腹立たしさもあって、少し勢いが出すぎてしまったかもしれません。質疑応答もちょっと過激にやってしまいました。
 私からのメッセージは、企業人の生き方が企業のあり方を決める時代であることを認識して自分の生き方を考えなおしてほしいということです。言い換えれば、「あなたは本当に自分で納得できる生き方をしていますか」という問いかけです。どのくらいの人に伝わったでしょうか。彼らの反応を楽しみにしています。

■ 9月11日(2002年9月11日)
 9月11日です。この日の意味は一体何なのかを考えました。昨年、事件をテレビで見た時に感じたのは(ひんしゅくをかうでしょうが)美しさです。ビルへの追突、ビルの崩壊。私にはとても美しいものでした。今、私たちが立脚している社会の鎮魂歌といってもいいかもしれません。感動的でした。
 しかし、そこに巻き込まれた人たちの悲劇を次に感じました。理由はともかく命を無残に散らすことへの憤りです。なぜ散らさなければいけなかったのか。
 そして思い出したのは、ベトナム戦争の本格化の引き金になったトンキン湾事件です。米軍のでっち上げ事件をもとに北ベトナムへの爆撃が堂々と行われだしたのです。

11日以来、何ができるのかを考えながら、1年がたちました。
 この1年、私がやったことは、自分に素直に生きることくらいです。このホームページのCWSフォーラムで黒岩さんの写真展の投稿に反応して書き込んだように(9月7日)、組織や制度に尽くすような生き方からはさらに自由になって、自分の良心に尽くす生き方を大切にするようになりました。組織から発想する時代は終わりました(メッセージ参照)。本当に「自分を生きること」がとても大切になってきているように思います。

■ 社会教育NPOセンター(2002年9月11日)
 社会教育という言葉が昔は大嫌いでした。生涯学習なら、まだいいとしても。
 しかし、歳のせいか、あるいはまちづくりに関わってきたせいか、この頃はすんなり受け入れることが出来るようになりました。
 「社会教育」という雑誌の編集長の近藤真司さんがやってきました。昔からの付き合いです。彼が立ち上げた出前講座研究会にも当初参加していましたが、その研究会はどんどん広がっています。私はあまりに安直な生涯学習型の出前講座が広がりすぎたのにちょっと違和感をもって、参加はやめましたが、最初の頃の研究会の成果が本になっています。近藤さんのところでまだ販売しています。ご関心のある方はどうぞご連絡下さい。
 近藤さんはまた新しい企画を考えています。私の問題意識とかなり重なることが多く、まもなく一緒に新しい活動が始まりそうです。コムケア活動ともつながる活動です。またお知らせします。

■ 美野里出版社編集会議(2002年9月12日)
 美野里出版社の第1冊目の書名がほぼ決まりました。「文化がみの〜れ物語」です。「みの〜れ」は美野里町にまもなくオープンする文化センターの愛称です。このプロジェクトに関わりだしたのが縁で、もう8年も美野里町に関わっています。疲れがちですが。
 住民たちで本を出そうという計画を提案してから3年がたちました。しかし、動き出してから、私自身が時間破産を続ける毎日だったため、思うようには動けませんでしたが、参加者の熱意で実現間近です。

 今日は編集のコアメンバーの5人が集まり、みんなが書いてくれた原稿の整理をしました。おそらく常識的に考えると実現不可能なスケジュールだったのですが、思いが集まれば不可能は可能となるものです。
 今回、主導したのは茨城新聞社の杉本実季さんという若き記者です。私もかなりの楽観主義者ですが、杉本さんには負けます。それにすごい行動力です。杉本さんだけではなく、他のコアメンバーも実に多彩です。水谷さんは文化センターを設計建設した佐藤総合設計の社員です。建設監督の傍ら、その?落としの住民ミュージカルにも参加すべく、忙しい仕事の合間の練習です。深作さんは、このホームページのブックで今回紹介している「子どもの豊かな育ちと地域支援」の執筆者の一人で、子どもの問題や社会教育の実践的な研究者です。2年前まで、美野里町の役場に所属し文化センター作りに関わっていましたが、今は法政大学の講師です。さらに中本さん。美野里町の職員であり、風のまちの住民でもあります。新しい感覚をもった行政職員です。
 みんな若いのです。睡眠時間は3時間などという人もいます。私だけが年寄りです。こんな若者と付き合っていたら殺されてしまいかねません。最近はこのプロジェクトを始めたことを悔やんでいます。まあ、こうした後悔はよくあることですが。今日も朝から夜の9時まで編集会議をやりました。くたくたです。でもそのおかげで、何とか先が見えてきました。

面白い本になります。ぜひご予約下さい。コモンズ書店で予約販売受付中です。

■ 株式会社セルムの加島禎二さんたちがやってきました(2002年9月13日)
 とてもうれしいのですが、最近、私のホームページを見たといって連絡して下さる方が少しずつですが、出てきています。OBM研究会はそうして参加してくれたメンバーが大半です。
 最近は私のリスクマネジメントのページを読んで電話して下さる方が出始めました。東京電力や食品メーカーの昨今の事件はリスクマネジメントというよりも、経営以前の問題ですが、ここにも自分の良心にではなく、組織に尽くす(つまり「会社を食い物にする」)人たちの集団に成り下がった経営幹部人の姿が見えます。
 それにしても、なぜこれほど彼らは現実から学ばないのでしょうか。かつては企業の社会的責任議論でイニシアティブをとっていた東京電力が、この程度の対応しか出来ないことに大きな失望を感じます。広報を全く理解していない会社であることを露呈しています。そして、根っこに「自分の良心に生きてこなかった」経営幹部の生きざまが感じられます。

余計なことを書きましたが、今日、書きたかったのはそんなことではありません。

 私のホームページのリスクマネジメント論を読んで、訪ねてきてくれた方がいます。セルムの加島さんと西野さんです。セルムはコンサルタント・ネットワークをベースにして、企業の問題解決を支援する会社です。組織と人材を「つなぐ」お仕事です。
企業や行政に関わらせていただいて感ずるのは、組織は社会の知(人間)の所在にあまりにも無知だということです。あるいはその活かし方を知らないといってもいいでしょう。人材のミスマッチやアマチュアリズムのコンサルティングがとても多いように思います。ですから役にたたない行政計画が乱造され、企業変革は形だけの自己満足という事態がいたるところで起きています。まあ、私も一部はそれに荷担しているのかもしれませんが。
 セルムのお二人とお話をして、またちょっと企業への関心を回復させました。セルム創業者の松川さんとは5年ほど前にお会いしたことがあるのですが、その時はあまり関心がなかったのですが、今回改めてこうした仕事に関心を少し持ちました。

■ わくわく政治談議(2002年9月13日)
 生活者の目線で政治を考えるサロンも4回目です。今回のテーマは「教育」でした。
 このサロンの特徴は、若者が多いと言うことです。しかも、みんな熱心です。真剣に社会のことを考えています。「最近の若者は」などという言葉を聴くと悲しくなりますが、今の若者はNPOでも遊びでも政治でも福祉でも、みんな実に素直でまじめです。大学生との付き合いもありますが。彼らもみんな同じです。

 そういう話をすると、「それは佐藤さんの周りにはそういう若者が集まっているだけですよ」としたり顔で言う人が多いのですが、そんなことはありません。子どもはもちろんのこと、若者は相手の本質を見抜きますから、それは自分の本質が映っているだけです。大学の授業でまじめに講義を聴かないのは、話に価値がないからです。
 そういうと、私がいかにも価値ある本質を持っていると自慢していることになりそうですが、そうではなくて、私は彼らの目線で対応しているだけなのです。目線が大切です。お上の目線で住民参加の場をつくっても住民はまじめには対応しませんし、管理者の目線で従業員に呼びかけても彼らは面従腹背になるのが関の山です。

 みんな同じ目線を持てる社会が、私にとっては一番気持ちのいい社会です。でも、NPOや市民活動をしている人の中に、目線の高い人が少なくないのが気になります。ケアマインドが欠落しているのです。

 コムケア活動をしていて、そう感ずることがちょいちょいあります。NPOの代表の中には態度の横柄な人も多いのです。電話を受けていてそう感ずることが少なくありません。つまり資金助成プログラムの事務局(つまり私たちです)に対する見下げた言葉遣いです。電話での応対だけで、その組織の実態が見えてきます。脅かしや「馬鹿」呼ばわりも時にあります。私自身、時に切れたくなりますが、若いスタッフは私以上に感じているのだろうと思います。そうした態度を示す人の多くは、たいてい若くない男性です。哀しい話です。しかし、同じ若くない男性の私も、そうした目線に合うととても気分が沈んでしまいます。きっと同じ存在なのでしょうね。61歳にもなっているのに、なかなか超越できません。大いに反省。

(2002年9月第1週)

今週はめずらしくデスクワークの多い週でした。半分近くはデスクに座っていました。こうした生活は最近では非常にめずらしいです。その間、美野里町に出かけて言って、美野里出版社の会議に出たり、地元の活動に参加したり、10月に予定しているイベントの打ち合わせをしたり、したのですが、地味な1週間でした。報告したら面白いものもあるのですが、今回は省略です。一部は来週書かせてもらいます。
まあ。正直に言えば、今日、書き込む時間がなかっただけなのですが。すみません。
そんなわけで先週のものをそのまま残しておきます。

(2002年8月第4週)

■ 福島の夜学(2002年8月26日)
先週に続いて福島夜学を開きました。様々な面白い話をお聞きしました。
福島市の尾形さんはアイガモ農法で米を作っていますが、スズメはアイガモ農法の稲と普通の農法の稲とを見分けるそうです。つまり、アイガモ米の落穂はスズメがよくついばむのに、そうでない米の落穂はスズメにも人気がないそうです。とても示唆に富むお話です。
現場に近い人たちと話していると、こういう話がどんどん出てきます。やはり情報は現場にあることをいつも実感させられます。

■ 広岡守穂さんとの再会(2002年8月26日)
福島の自治研修センターで偶然にも中央大学の広岡さんにお会いしました。もう10年以上お会いしていないのに声をかけてもらいました。思わぬところで旧知の方に会うのはうれしいことです。
広岡さんは実に幅広く活動されている方ですが、私が最初にお会いした時は中国の長春のお話だったと記憶しています。また、当時、岩波新書などで子育て関係の本を出されており、私も保育関係にのめっていたこともあって、いろいろ刺激を与えてもらいました。しかし、その後、お会いする機会がなく、今日、久しぶりの再開でした。最近はNPO推進ネットの理事長もされているようで、いろいろ世界がまた重なってきているようです。
ところで、福島の自治研修センターは人つなぎの名所です。ここに話に来て昼食をいただくのですが、その時に同じく講師役で来られた方とご一緒することがあります。食事時の短い交流ですが、そこからつながりが生まれることが多いのです。
野村みどりさんからは「病院のこども憲章」のことを教えてもらいましたが、お会いした数日後、なんと私が大宮の新幹線ホームを歩いていたのを新幹線から見つけたというメールをいただきました。出会いの数日後にまた偶然に出会う、いつか書きたいと思いますが、こうした経験が実に多いのです。皆さんも経験されていませんか。
次にお会いした今西さんは区画整理の関係の長い名前のNPO活動をされていますが(以前紹介させてもらいました)、その機関誌に投稿を勧められ、その関係で遠藤さんという知己を得ることができました。先週お会いした横道さんは、北九州市の政策科学セミナーでつながっていることがわかりました。そして、今日は広岡さん。人は本当につながっているのです。見えていないだけですね。
長々とすみません。

■ コムケア資金助成プログラムの応募状況(2002年8月27日)
コムケア活動の資金助成プログラムの応募の締切日です。今回は500件の応募を期待していましたが、なんと結果は惨憺たるもので、200件に達しませんでした。申請内容の公開や選考会でのプレゼンテーション、さらには可能な範囲での支えあい活動への参加など、いろいろな条件があったからかもしれません。今日も、「いろいろ検討したが、今回は準備不足であきらめます」というメールが2件入っていました。連日、メールや電話、さらには直接やってき手の相談などで、手ごたえはすごくあったのですが、残念でした。
来年はこの失敗を踏まえて再設計しなければなりません。新しい仕組みを作ることは本当に難しいです。

■ 第4回OBM研究会(2002年8月27日)
このホームページを見て、3人の方が新たに参加してくれました。オープンブック・マネジメントに関してはなかなか知られないのが残念ですが、最近の企業不祥事を見るにつけ、オープンブック・マネジメントの理念をもっと多くの企業に広げたいなと思っています。私自身は別項にも書いているように、OBM革命を起こせば、日本の企業は全て元気になると確信しています。いや、行政もそうです。
今回は、京セラのアメーバー経営とBSC(バランス・スコアカード)がテーマでした。前回に引き続き、林さんと清水さんが問題提起者です。また、BSCに詳しい淡路俊彦さん(浜銀総研)も参加してくれました。
さらにうれしいことに、このホームページを見ての新たな参加者が3人いました。
高橋茂人さん(BMネットワーク)は構想学会で一度お会いしたマネジメントゲームの権威です。高橋さんは自在塾という場もお持ちです。松下智明さんは、チェンジマネジメントシステムという会社を立ち上げた企業家です。NECに勤務される武藤さんは、まちづくりやボランティア活動などの社会貢献の分野でもOBMの考え方は効果的ではないかという考えをお持ちです。私のテーマである「コモンズの回復」とつながるところがあります。
こうした多士済々が、ホームページのおかげで集まるのですから、ネットの威力はすごいものがあります。
今回の議論も刺激的でした。10人くらいで終わらせるにはもったいない議論です。この研究会の公開版を考えたいと思っています。
なお、次回はBSCをテーマに9月25日開催です。ご関心のある方はどうぞご参加下さい。

■ 美野里町都市計画マスタープラン起草委員会(2002年8月28日)
美野里町都市計画マスタープランの起草委員会が開かれました。美野里町ではまちづくり会議での議論を踏まえて、職員が計画を起草していくのです。
8人の起草委員が任命されました。みんな不安半分意欲半分です。何しろ新しい試みですから、私たち外部の支援者も不安半分です。行政にとっては、迷惑な話かもしれません。なにしろ費用を払っての委託事業なのに、もしかしたら失敗するかもしれないなどとその受託業者(私です)が言うのですから、普通なら怒ってしまいますね。事実、時々担当の大田さんは怒っています。しかし、私も負けずに時々怒ってしまいます。今日も双方とも怒ってしまいました。まだまだ人間ができていません。すみません、太田さん。
しかし、こうした人間的な絡み合いの中で、お互いが納得できる仕事にしていくことが大切だと、私は思っています。仕事は作業ではないからです。
ところで、起草委員の意欲には感動しました。エンパワーメントの大切さを改めて実感しました。美野里町の都市計画マスタープランは間違いなくいいものになるでしょう。楽しみです。

■ 共創塾公開講座(2002年8月29日)
山形市の共創塾が公開講座の形で行われました。
ゲストはわかるふくしネットワークの木原孝久さんです。以前も紹介しましたが、住民の視点で福祉を問い続けている本物のプロフェッショナルです。話を聞くたびに、共感度が深まります。
木原さんは、人を思いやって普通の生活をしていれば、福祉などと大げさに言わなくとも、みんなが気持ちよく暮らせるまちになっていく、といいます(かなり不正確なまとめです)。そして、最高の福祉施策は、福祉の受益者を増やすことではなく、福祉のお客様とされていた人を福祉の提供者にすることだというのです(ますます不正確?)。
木原さんのお話の概要はいつかこのホームページにも掲載させてもらいますが、とりあえずは6月30日にコムケアの公開フォーラムで講演してもらった内容を木原さんの了解を得て、掲載します。ぜひお読みください。世界が開けます。

ところで、今日の木原さんのお話で「市民」と「住民」の違いが話題になりました。木原さんは「市民」ではなく「住民」の視点を大切にしています。私も全く同感です。
「市民」という言葉は、何か胡散臭さを感じます。今の社会がおかしくなったのは、住民感覚をおろそかにしたからではないでしょうか。これに関しては、以前まとめた自治体解体新書や行政コミュニケーション研究会の報告書で、私も言及していますが、ほとんど理解されず、後者ではメンバーからむしろ批判されたのを記憶しています。ですから今日の木原さんの話は、我が意を得たり、でした。私が昔書いた小論も時間が余ったときにでも読んでください。
 →○自治体解体新書の抜粋(私のまちづくりへの基本姿勢です)
  

■ 環境創造コミュニケーションプロジェクト(2002年8月30日)
インキュベーションハウスのプロジェクトの一つに、環境創造コミュニケーションチームの取組みがあります。私は以前、環境探偵団なる中途半端な研究会をやったり、山形市で環境をテーマにした全国先進事例会議のプロデュースに関わったりしていましたが、最近はちょっと福祉などに重点を置きすぎて環境問題への取組みが脇に置かれがちになっていました。たまたまインキュベーションハウスのメンバーの清水正道さん(淑徳大学助教授)からのお誘いがあり、参加することにしました。
環境問題に対する私の姿勢は、環境と経済のシナジーの実現です。従って、リサイクル産業論や静脈産業論には全く反対です。もちろん過渡的な意義はありますが、問題を悪化させることだと思っています。これまでの産業の出口を整備すればするほど、これまでの産業のあり方は正当化されます。大切なのは分別用のゴミ箱を増やすことではなく、ゴミ箱をなくすことです。それは子どもでもわかる理屈なのですが、大人はそうは考えません。困ったものです。
これについても、10年以上前に書いた小論があります。読んでもらえればうれしいです。当時は環境に関してもいくつか小論を書きましたが、最近は書く気も起きないです。これまた困ったものです。
 →地球との共生意識が企業を進化させる(1991)

■ オープンサロン
(2002年8月30日)
今日は夏休みなのでたくさんの方が集まるかなと思っていましたが、こじんまりとした集まりになりました。でも新しい人がお二人やってきてくれました。私も初対面です。
横浜市の菊池さんは、地域でさまざまな活動をする傍ら、5年前からテレビ番組をベースにしたビデオライブラリーづくりに取り組んでいます。たまた間以前、このオープンサロンをテレビで知り、参加してくれました。(有)環境クラブの増山博康さんはサロンへの参加者から話を聞いて参加してくれました。こんな形でサロンの輪は広がっています。増山さんは、まさに社会的起業家です。全世界2000人の
環境意識の高い人をネットワークして、環境調査や環境支援活動を展開しています。ぜひ一度、環境クラブのホームページをご覧下さい。会員誌も発行しています。
サロンの様子はサロンニュースをご覧下さい。
一つだけ、ここでも書いておきたいことがあります。ふじみ湖の話が話題になりました。ふじみ湖のことをまだご存じない方はぜひラウンジの「すばらしい湿原地が壊されようとしています」コーナーをお読み下さい。ふじみ湖のホームページもご覧下さい。

■ インキュベーションハウス総寄り合い(2002年8月31日)
インキュベーションハウスの総寄り合いです。インキュベーションハウスは11人のメンバーでつくったワーカーズ・コレクティブ方式の実験的会社です。全員が出資者で、経営者で、働き手で、利益(損失)の平等な受け手です。
今回は、 メンバーがこんなことをやりたいとそれぞれ事業提案を持ち寄り、マーケティング投資としての100万円の配分を協議するのが大きなテーマでした。
残念ながら、今回はこれで会社は安泰という企画はありませんでした。しかし、起業とは何か、事業とは何かについて、真剣に取り組んでいこうという人にはとてもいい実践的学びの場です。30万円の出資など安いものです。今回は二人から企画提案がありましたが、まだ事業構想にはなっていなかったため、もう少しそれぞれが深めることになりました。事業とは価値を創出することですが、みんな活動をすることだという枠からなかなか抜け出られないようです。

インキュベーションハウスは参加者が平等に使い込んでいくオープンプラットフォームです。みんなが使い込まなければ、存在意義がないものとして倒産します。まさに生きた組織です。組織は使い込まなければなりません。皆さん、組織に使われていませんか。

(2002年8月第3週)
今週はコムケア活動の相談に追われました。出張中もモバイルで対応していましたが、モバイルの効用のすごさと共に、時空間感覚の麻痺効果にも少し恐れを感じています。今週もたくさんの出会いに恵まれた1週間でした。

■ 福島での夜学(2002年8月19日)
 福島県の自治研修センターに毎年5回通っています。管理職の研修なのです。研修嫌いの私が毎年5回も行くのは、夜学ができるからです。研修の正規のプログラムではないのですが、私が宿泊できるときには泊まらせていただいて、自治体職員のみなさんと気楽な意見交換をさせてもらうのです。佐藤修さんを囲んでの夜学です。もちろん学ぶのは私です。
 今回は20人くらいの人が参加してくれました。福島県と県内の市や町の管理職になったばかりの人たちです。実に真剣に社会の行く末を考えています。霞ヶ関の人たちに彼らの真剣さを知ってほしいですね。そして、彼らと同じくらい現場に立脚して未来を構想してほしい。そうしたら、今のような馬鹿げた政策や事業は出てこないでしょう。
 ちなみに昼間は私も講義をします。まあ、それはどうでもいいのですが、かなり刺激的な話をします。以前は反発を持つ人も多かったですが、最近は共感する人のほうが増えています。こんなところにも時代の変化を感じます。
来週もまた夜学ができそうです。

■ うれしい電話やメール(2002年8月20日)
 自慢話です。私のホームページを読んで共感してくれた人がいます。もちろんこれまでもなかったわけではありません。以前保育の関係で接点を持って以来、厚生省が嫌いになっていましたが、厚生労働省の人が面白くて2時間も読んでしまったとわざわざメールしてくれた時はうれしくて、以来、厚生労働省が好きになりました。
 今回、私を増長させたのはヒューマンライターの皆川さんです。
 「GNN通信」(伊豆梁山泊便り)というEメールマガジンがあるのですが、その今回の表題がなんと『佐藤修「発想の起点を変える」の研究』なのです。そして、そこに皆川広毅さんという方が私のホームページをしっかりと読んでくれて解説してくれているのです。そして、皆川さんは

佐藤様の活動内容は私にとっては衝撃的でした。椎原様と地域共同体や市民主体の経済活動の研究を進めて二ヶ月になりますが、私が思い描いている共同体の理想を、佐藤様はその身で実践されているのですね。ホームページに掲載されている内容は感動しながら一気に読んでしまいました。
     
 みなさん、私のホームページをちゃんと感動して読んでますか。読んでいないでしょう。皆川さんを見習いましょう。皆川さん、ありがとうございます。元気が出ます。
 このEメールマガジンの主宰者の椎原正昭さんが私のホームページのメッセージに共感してくれたのです。そこで、またメッセージを来週から再開することにしました。いやはや、いかにも乗せられやすいタイプです。
 皆川さんの了解を得て、その文章を転載させてもらいます、このホームページの読み方の一つです。
    GNN通信からの転載 :プロデューサー人間学最前線からの報告(皆川広毅)

 うれしい電話もきました。熊本の梅川康さんです。突然電話がかかってきて、会いたいというのです。福祉関係の仕事をしているようです。自立応援団の宮田さんから私のことを聞いたようです。これまたあわなければいけませんね。ホームページのおかげでこれまでも何人かの出会いがありましたが、直接の電話ははじめてでした。たぶん。
 なぜか今週は他にもメールが2通きました。知らない人から会いたいというメールです。疲れきっているのですが、元気が出ます。人はやはりほめられないとだめですね。

以上、自慢話でした。すみません。

■ 北九州市政策科学セミナー(2002年8月21日)
 北九州市では8年前から市長の肝いりで、政策科学セミナーというかなりハードな自主研究活動をやっています。市役所の係長層のグループ研究です。そこに出かけていって、若い職員と議論してきました。私は今の政治や行政には失望していますが、若い職員の皆さんと話し合うと元気付けられます。彼らは間違いなく、時代を変えていくでしょう。
私は基礎自治体である市町村は住民たちの事務局だと位置づけています。霞ヶ関の末端組織でも、住民を統治する組織でもなく、まさに地域コモンズの幹事役です。NPOと同じ立場といってもいいでしょう。
 いつかメッセージで書く予定ですが、NPOは現在の社会システムのサブシステムではありません。むしろ現在の社会システムを組みかえる震源地だと思っていますが、市町村がそれに一番早く反応できるのだろうと思っています。その動きはすでに出始めています。ちょうど今日の新聞に志木市が行政パートナーという制度を作り、職員を半減していくという話が出ていました。これは市役所のNPO化です。NPOを下請けにしようとしている市町村は主客を履き違えています。霞ヶ関の二の舞をやってはいけません。
 また余計なことを書いてしまいましたが、自治体の熱い職員たちが市町村の枠を超えて交流しだしら社会は変わって行きます。風のまちはそうした震源地にならないものかという夢をもっています。みなさんもぜひご参加下さい。

■ 竜ヶ崎市の宇野良明さん(2002年8月22日)
 宇野さんが相談にやってきました。彼とはリンカーンクラブのフォーラムで知り合いました。昨年、会社を辞めて、地元でさまざまな活動を取り組んでいます。最近、仲間と一緒に、稲敷ケンコー農場を開設し、ヤ―コンやキクイモなどの自然食品づくりに取り組んでいます。いよいよ今秋から製品の販売を開始する計画です。ホームページも開設されだしています。みなさん、ぜひ応援してやって下さい。
彼の活動はいつかまたご紹介できるでしょう。
 ついでながら、生命に優しい食情報ネットワークはメーリングリストが動き出し始めています。まだ受け付け中です。ご関心のある方はどうぞご連絡下さい。

■ メリーポピンズの会(2002年8月22日)
 宝塚市で園芸を通じたまちづくり活動に取り組んでいる、メリーポピンズの会の大日向郁夫さんが、コムケア活動の関係で訪ねてきてくださいました。シニアの方を中心にして、公共施設の花壇整備や園芸を通しての人の輪づくりに取り組まれています。自ら育苗場を持って、本格的に展開しています。
 大日向さんはずっと企業でお仕事をされていました。そこで得たさまざまな体験を今はこうした活動に活かされているようです。組織で活躍された方が、高齢社会の中で、これからどんどん地域社会に戻ってきます。そうした方々が、草の根的な住民活動に新しい風を吹き込むことになると、私は思っています。さらに、行政や企業と住民活動を相乗的につないでいくことも期待されます。
 コムケア活動を通じて、そういう動きを予感しています。

■ スペインタイル(2002年8月22日)
 次女が昨年、スペインにタイルを学びに行っていました。そこでお世話になった、カヨちゃんとラモちゃんがやってきました。スペインのトレンテ在住です。長い夏休みで日本に来たのです。ちなみにカヨちゃんは日本人です。ラモちゃんはそのパートナーです。
 ラモちゃんは初めての日本です。この1か月、各地を回ったということですが、日本はきれいだ、安全だ、とほめてくれました。でも、日本人は電車の中では本を読むか寝ているかで静かだとも言っていました。
 ラモちゃんは大の親日家です。合気道もやっています。自分でも私はラテンではない、と言っていますが、とても日本人的です。いや、一昔前の日本人的というべきでしょうか。最近の日本人は気質も生活も変わりだしました。その原因はおそらく、私たちの生き方にあったのだと思います。問題は50歳以上の私たちです。今からでも遅くありません、生き方を見直したいものです。子どもたちや若者の世界は、まさに私たちの世界の鏡です。

2002年8月第2週
東京は夏休みでした。閑散とした都内が大好きです。しかし、私は夏休み返上でした。

■ 並びました:近くに大型電気店が開店しました(2002年8月11日)
 DVDレコーダーが買いたくて近くの大型電気店に朝早く出かけました。そうしたら、なんと行列ができているのです。なんの行列かわからなかったのですが、久しぶりの行列だったのでともかく並んでみました。一緒に行った女房は何で並ぶのかと反対しましたが、みんなが並んでいるのだから、きっと何かいいことがあると強引に説得しました。
 前の人になんで並んでいるのですかと聞いたのですが、彼女もわかりませんでした。そのうち動き出したので、進んでいったら、何のことはない、ただ店に入るだけでした。それで気づいたのですが、近くに競争相手の同じような大型店が開店したための安売り競争が始まっていたようです。そこで新たにできた店にも行ってみました。もっとすごい行列でした。ついでなので、また並んでみました。店に入るまでに10分近くかかりました。よくみると、翌日のための列が用意されており、そこにもう20人くらいが敷物持参で並んでいました。翌々日の列もありました。破格の安さの商品が数量限定で売り出されているようです。しかし、たかが家電に2日も並ぶとは。信じられない光景ですが、なんと贅沢な時間の使い方でしょうか。とてもうらやましく思いました。
 並んでいるうちに肝心のDVDを購入する気はなくなりました。おかげで我が家にはまだDVDレコーダーはないですが、散財を免れました。並ぶは三文の得。皆さんもぜひ行列を見たら、並びましょう。いろいろなことを考えさせられます。

■ DVDでオーシャンズ・イレブンを観ました(2002年8月13日)
 長女が「オーシャンズ・イレブン」がお気に入りで、3回も観に行きました。その挙句に、DVDを買ってきました。面白いというので、彼女に付き合って観てしまいました。あんまり面白くないのです。シナトラの前作のほうがよかったです。その上、よくわかんないのです。つまりテンポについていけないのです。それに俳優の顔がきちんと見分けられなくなっているのに気づきました。かなりのショックでした。
 歳を感じました。いや、歳ではなく、時代そのものの動きが早くなっているのかもしれません。それに人間の顔がみんな似てきているような気もします。人間は機械に向けて「進化」しつつあるのでしょうか。ちょっと怖い話です。

美野里出版社の本は茨城新聞社から出版してもらえそうです(2002年8月15日)
 美野里町の文化センターの建設のまつわる一連のまちづくり物語を住民たちで本にする計画のことは何回かお話しました。それがいま、難航しています。
 まず出資者が予定の半分も集まりません。1万円出したら原稿を書く権利が得られる、などというのは若い人にはともかく大人たちには通じにくいようです。
 まあ、しかし、それはそれとして、そろそろ出版社を決めなければいけません。そこで茨城新聞社にお願いに行きました。できれば地方新聞社で出版したいとずっと考えていたのです。なぜならば、そうした活動こそ、地方新聞社の重要な役割ではないかと勝手に決めているからです。私は最近の全国紙を全く信頼していません。現場のにおいがしないからです。これからはやはり地方新聞の出番だと思います。それで茨城新聞にこだわりたいのです。茨城新聞社にとっては迷惑な話でしょうが。
 茨城新聞社の出版部の寺門部長と鈴木次長が相談に乗ってくれました。しかし、私の予算書を見て、その詰めの甘さを厳しく指摘されました。あまりにも恥ずかしいので数字は言いませんが、うまくいけば入るだろう見込みの数字を前提に考えていたのです。これはプロデューサーとしては失格です。どうにかなるといつも軽く考えるのが私の欠点ですが、まさにそれが出てしまいました。不足分は私が寄付するしかないかな、とちょっと元気をなくしたのですが、同行してくれた美野里町の沼田さんがもう少し参加者に働きかけてみようといってくれました。それに寺門さんたちも、応援してくれる姿勢を強く見せてくれました。何かをやろうとして壁にぶつかると、必ず誰かが助けてくれます。そして「どうにかなる」のです。ケアされている自分に、いつも気づきます。

ところでみなさん、購入予約をしてくれませんか。1400円の予定です。100冊くらい買ってくれる人はいませんか。ぜひご支援下さい。お申し込みはコモンズ書店まで。今なら割高予約受付中です。

■ 美野里町のレストランにも行列がありました(2002年8月15日)
 茨城新聞社に同行してくれた沼田さんは、美野里町の企画財政課長です。私が敬服する自治体職員のお一人です。美野里町に関わっているのは沼田さんがいるからです。
 美野里町の新しいレストラン「キャトル・セゾン」で沼田さんにご馳走になりました。この店の名称は住民公募で決めましたが、なんとその命名委員会の委員長は私なのです。皆さんもぜひお近くに行ったらお立ち寄り下さい。美味しいです。
 まあ、それはそれとして、このレストランは大盛況です。帰ろうと思ったら、なんと店からあふれるばかりの行列なのです。今週、2回目の行列です。本当に今は不況なのでしょうか。きっと「消費の場」を創出できないだけなのです。つまり経営不在なのです。日本には本当に経営者や事業家はいませんね。もちろんエコノミストも。

■ 国際交流に取り組む太田敬雄さんと出会えました(2002年8月16日)
 太田さんは群馬の渋川でNPO法人国際比較文化研究所を主宰されています。わざわざ渋川からコムケアの相談でやってきてくれました。
 太田さんは今夏、日中韓の学生たちが日本語で交流する「多文化交流inぐんま2002」を企画推進されたそうです。その活動内容を聴かせていただきました。現場からの発想を踏まえた内容であり、しかも小さなところにまで心配りが感じられる、とても共感できる活動です。この内容は同研究所のホームページ(まだ未完のようですが)に少し掲載されています。
 私も以前、ささやかながら日本への留学生の支援活動をさせてもらっていました。今でもメーリングリストなどでつながっています。そのとき多くの留学生から異口同音に指摘されたのが、日本人の心の閉鎖性でした。日本社会は一見開かれているようだが、個人の生活は閉ざされているといわれました。「ひらく」は私の生活信条の一つですが、自分では開いているつもりでも、たぶん相手には開かれていないことも多いのでしょうね。
 多文化交流は家庭や近隣社会で育まれた「人と人とのあたたかい交流」を基盤におかなくてはいけないと太田さんはいいます。研究所の名前も国際比較文化ですが、「調査対象や研究対象」として比較するのではなく、人と人との交流を通して会得していくのが大田さんの姿勢です。心から共感できます。
 ちなみに日中韓の学生たちの交流活動はこれから毎年実施していく計画のようです。ご関心のある方は、ぜひ応援してやって下さい。

■ イー・エルダーの鈴木政孝さん(2002年8月16日)
 鈴木さんは長いことIBMで社会貢献活動のお仕事を担当されていました。そのテーマを自らのライフワークにされ、会社をお辞めになってからも、会社とNPOとをつなぐ仕事に取り組んでいます。NPO法人イー・エルダーを設立し、リユースパソコンのNPOへの寄贈やIT分野でのNPO活動支援を行っています。
 私が会社を辞めた直後にフィランソロピー研究会というのを2年ほどやりましたが、その時に鈴木さんと出会いました。当時のメンバーで、いまもその分野で活躍されている方はほとんどいなくなりました。とても残念です。
 鈴木さんが考えている構想を聴かせてもらいました。NPO活動で大切なのは、ビジョンとミッションと、現場に立脚した実践だと思います。鈴木さんはそうしたことをしっかりと踏まえて活動を組み立てています。まだ私自身、理解できていないところはありますが、私たちのコムケア活動との接点もたくさんありそうです。

■ コムケア応援団の小さなミーティング(2002年8月16日)
 コムケア応援団を募集中ですが、その中から数名の方に資金助成プログラムの選考に関わってもらうことにしました。今日はその応援団のみなさんのミーティングを開きました。もっとも来てくださった応援団員は西村美和さんと那須直樹さんの二人です。
 昨年のコムケア活動については大きな反省があります。アドバイザーをお願いしたのですが、当然、共有されていると思っていた理念(ケアマインド)があまり共有されていなかったのです。そのため、昨年は選考終了後、2か月くらい落ち込んでいましたが、今年はそうならないように、理念を強調し、太田さんのように「人と人とのあたたかい交流」を基盤にしていきたいと思っています。
 今日のミーティングは、初対面の方が多かったので、ほとんど雑談に終わりました。折角来てくださったお二人には申し訳なかったのですが、実はそれが目的でした。でも「雑談の効用」は大きく、福祉やコムケア活動への理念の共有がかなりできたように思います。
 コムケア応援団はこれからも広げてiきたいと思っています。ぜひ仲間になって下さい。

このミーティングで、事業型NPOモデル開発研究会を発足させようかという話が出てきました。ぜひ実現したいと思います。ご関心のある方、ご連絡下さい。秋にはスタートさせられるかもしれません。

■ コムケア活動首都圏交流会(2002年8月17日)
 東京港区の六本木の廃校になった中学校が、NPOの共同事務所になりました。とても興味ある変身です。そこに入居されているFACEの池本さんのご尽力で、そこでコムケア活動の交流会が開催されました。コムケア仲間のアラジンもそのオフィスの住人です。
 私もそうした「共同空間」を創りたいなとずっと思っていました。実はコムケア活動は、そのバーチャル版を目指しています。資金が確保されたら、いつかリアル版を私も実現したいと思っています。これは会社を辞めたときからの思いなのですが、横道ばかりしているので一向に実現の目処はたちません。パトロン公募中です。
 交流会には昨年の資金助成先の6グループを中心に、約20人が集まりました。経済産業研究所の濱邊哲也さんもネットで見てくださって参加してくれました。共同通信の神田さんも取材に来てくれました。
 交流会の様子はコムケアセンターのホームページにまもなくアップされます。6グループがそれぞれ昨年のプロジェクトの活動報告をして下さいました。いずれも大きな示唆に富む話であり、発展性も感じられます。失敗の話も出されたのがとてもうれしいです。新しい試みには、失敗がつきものです。失敗のない話は余り参考になりません。
 それぞれの活動内容もぜひみなさんにお伝えしたいのですが、これについては順次、コムケアサロンで報告してもらう計画です。このホームページもしくはコムケアのホームページで案内していきますが、関心のある方はコムケアのメーリングリストにご参加ください。
 ちなみに、今回のキーワードは「つなぐ」でした。つなぐの根底にはコンヴィヴィアル(自立共生的)な生き方がないといけませんが、そんな話題も沢山でました。コンヴィヴィアリティは私の好きな言葉です、いつかまたメッセージに書き込みます。

■ 工芸技能研究所(2002年8月5日)

コムケア活動の関係で、10年くらい前にお会いして以来の菅谷隆一さんがやってきました。菅谷さんが東商にいらしたころにささやかな接点がありました。その後、菅谷さんは東商をお辞めになり家業を継がれましたが、今日は、菅谷さんが最近関わっているNPO工芸技能研究所の相談でした。

この研究所は発達障害者を対象に工芸技能の養成と工房活動を支援しているNPOです。まだ生まれたてです。今取り組んでいる工芸は漆と織のふたつです。今は10人の方が養成所と工房に参加しているとのことですが、創作された作品をどう販売していくかなど、課題は山積みのようです。

工芸技能研究所で漆技能の指導を担当されている和田さんが同行されました。和田さんは非常に真摯に、発達障害者の自立の仕組みを考えています。こうした活動が、もっと広がっていくといいと思いますが、なかなか存在自体をアピールできずにいるようです。昨年の選考でも思ったのですが、コミュニティケアに関する実に様々な取組みがあるわけですが、それらがもっと見えるような形になれば、問題の半分は解決するかもしれません。

ちなみに最近、事業型NPOが増えてきていますが、企業とどこが違うのか、をしっかりと考えておかねばなりません。NPOとしての優位性をどう活かしていくかが大切です。これはNPOとは何かという本質的な問題につながります。私は昨今のNPOブームにいささかの違和感を持っていますが、安直な事業型NPO論に陥ることなく、もっとNPOについての本質的な議論が行われるべきだと思います。
もうひとつは、価値論のない経営発想です。最近の企業は経営不在だと私は思いますが、その企業から学ぶような経営発想は危険です。安直に経営発想などと言ってはいけません。悪い経営コンサルタントにだまされるのが関の山です。

■ インキュベーションハウス清水プロジェクト(2002年8月5日)

これは企業機密?につながる話です。先週に続いてインキュベーションハウスの事業開発会議です。小さな一歩が始まりそうです。内容は企業機密ですから話せませんが(まあ、話すほどの内容がないという言い方もできますが)、新しい事業を創出していくのは楽しいですね。発表できるようになったら発表します。とりあえずは清水プロジェクトという名前だけをお知らせしておきます。清水さんは環境コミュニケーションの専門家です。環境会計やISO にも造詣の深い大学の先生です。

関係者4人でブレストをやりました、インキュベーションハウスでは、誰かが仕事を思いついたり受注したりしたら、その人がリーダーになって全員に声をかけます。関心のある人が手を上げ、その中からリーダーがチームをつくります。それがビジネスユニットになっていきます。プロジェクトが終われば解散。利益が出れば参加者で配分します。会社にも利益の2割が配分されます。つまり協同労働の場なのです。

自発的に集まったメンバーですから、いろんなアイデアが出てきます。夢もふくらみます。基本的に楽観主義がインキュベーションハウスの特徴です。成功の確率が少ないものほど好きな私が社長ですから、心配性の人はなかなか勤まらないかもしれません。
さて清水プロジェクトはうまくいくでしょうか。またご報告します。

■ 第1回美野里町まちづくり会議(2002年8月6日)

美野里町の第1回まちづくり会議が開催されました。住民と職員がほぼ半々で、総数60人を超える参加がありました。画期的です。住民と職員が同じ目線で、都市計画マスタープランにためにまちづくりを語り合おうというのです。
全体会議の後、4つのテーマ別部会と4つの地区部会に分かれて議論しました。みんなとても意欲的です。これからが楽しみです。美野里町は目が離せませんよ。まもなくホームページで公開してもらいます。

私は福祉部会を担当することになりました。以前、このコーナーにも登場した社会福祉協議会の石川さんが参加してくれました。私はこの部会で「大きな福祉」を考えていきたいと思っています。都市計画と福祉、面白いテーマです。ご期待ください。

■ コムケア活動の取材(2002年8月7日)

共同通信の神田英彦さんがコムケア活動の取材に来てくれました。うれしいことです。神田さんは昨年のコムケア最終選考会に来てくれたのです。
私自身は、コムケア活動の仕組みはかなり画期的だと思っています。しかしなかなかわかってはもらえないのです。参加してくださったNPOの人たちにも必ずしも伝わっていないのです。まあ、努力不足ですが。

コムケア活動もそろそろ実体ができ始めたので、これからは少し情報発信に力を入れていきたいと思っています。マスコミ関係者に知り合いのある方、ご紹介いただけませんか。

■ 山形市共創塾(2002年8月8日)

ご存知、山形市の共創塾の実質的な第1回目です。「コモンズ発想への転換」をテーマに問題提起させてもらいました。その後、塾生からそれぞれ何に取り組みたいかを話してもらいました。
今回は比較的若い世代が多いのですが、実に具体的でしかも本質的な問題意識を披瀝してくれました。一昨日の美野里町のまちづくり会議でも、まだ入職したばかりの新人職員がいい問題提起をしてくれました。時代は間違いなく、世代代わりへと動いています。50代以上の方々、そろそろ引き時かもしれません。後生信ずるべし、です。

■ 手賀沼のこと

先週の花火で触れた手賀沼の話を書きます。

手賀沼は日本で水質汚染度ナンバー1の湖沼です。数年前に北九州市の課長研修でそういう話をしたら、夜、泊まっている部屋に受講生の一人がやってきました。確か吉川さんでした。間違っていたらごめんなさい。彼は白樺文学のファンでした。志賀直哉の作品に手賀沼の描写があり、いつか行ってみたいと思っていたというのです。それが日本1汚いのは悲しいというのです。そして、わざわざ自宅まで戻り、我孫子が舞台になっている小品を持ってきてくれました。夜12時近くまで懇親会をやっていたので眠かったのですが、その熱意にほだされて読んでしまいました。吉川さん、ぜひ手賀沼に来てください。今度はすぐ近くに転居しましたので。

話がそれました。手賀沼は確かにまだ汚いですが、最近、利根川から取水するようになり、湖水に動きが生まれました。そのおかげで汚染度は急速に改善されています。5年以内にはきっと汚染度ナンバー1は返上するでしょう。今、ナンバー2の湖沼の近隣住民の方々、油断していてはいけません。

手賀沼には観光船が出ています。先日、それに乗りました。なんと泳いでいる人がいました。驚きました。嘘ではありません。あまりの驚きに写真を取るのを忘れましたが、残念です。
手賀沼の湖畔には、志賀直哉や武者小路実篤などの白樺派の人たちの別荘が今でも残っています。白樺文学館もあります。我孫子市のことも、今度少し紹介したいです。いろいろお話ししたいことがあります。こうした気持ちが住民に育っていくとまちづくりは進むのです。私もやっとまちづくりの本質がわかってきたようです。

■ コモンズ書店の開店(2002年8月8日)

ブックで中村哲さんの本を紹介しました。その推薦者の石本君代さんが、その本を湯島のコンセプトワークショップにおいて売ってくれないかというのです。売り上げはアフガニスタンで働く中村さんたちの活動費になります。

その申し出にもちろん賛同し、ここに新たにコモンズ書店が開店しました。来週から店開きです。ぜひ本を買いに来て下さい。割引はありませんが、価格より高く買っていただく割高制度も導入することにしました。2割高とかそんなけちなことはいいません。無制限の割高制度です。お客様本位の価格設定です、これからの販売店のモデルになるかもしれません。
ちなみに「中村哲の講演録」は正価700円です。まとめ買いも可能です。冊数がまとまると高くなるのも魅力です。1000冊までは対応可能です。
お申し込みはネットでも受け付けますが、郵送料が高いのでぜひ買いに来て下さい。

■ コモンズ通貨ジョンギ流通開始(2002年8月8日)

CWSコモンズ村のコモンズ通貨ジョンギが初めて流通しました。発行人は石本さん、受けては村長の私です。中村さんの本の販売受託を引受けたのです。そうです。これがコモンズ書店の契機です。

ジョンギは「情誼」と書きます。ケアの意味です。韓国ではジョンというそうです。
この通貨は偽札発行を奨励しています。この通貨についての広報担当にして、研究者の石本君代さんの解説がコモンズ村のコーナーのどこかに掲載します、ご関心のある方はぜひお読み下さい。
またコモンズ村に入りたい方は、ぜひ呼びかけ書をお読み下さい。誰でも入れます。入村量が1万円搾取されますが、それ以外の負担は全くなく、入ればコモンズ通貨は無尽蔵に発行できますから、大金持ちになれます。ただ、それがどうしたの、ということですが。

■ 渡辺清さんに会いました(2002年8月9日)

とんでもないミスをしてしまいました。コムケア活動を支援してくださっている住友生命の調査広報部の井上小太郎さんが、甲府で新しいNPO支援の仕組み作りをしている渡辺清さんを紹介してくださり、お二人でコムケアセンターを訪問してくれる日でした。私もとても楽しみにしていました。
ところが、なんとその肝心の約束日を私が全く勘違いして、お約束の時間に違うところに行ってしまっていたのです。私は携帯電話を持っていないため、連絡がつかず、結局、お二人を1時間半も待たせてしまいました。せっかく甲府から休暇をとってでてきてくれたのに、どうお詫びしたらいいでしょうか。井上さんの顔もつぶしてしまったわけです。かなりの失策もそうは気にしないのですが。今回はこたえました。大いに反省。

渡辺さんはNPOと寄付者をつなげる寄付市場システムを構築しようと考えています。すでに構想はまとまっています。理屈だけではだめなので実際に動き出そうというのです。その姿勢が素晴らしいです。共感し、全面的に協力することにしました。この仕組みを講評してもいいというお許しが出たらまたご紹介します。

渡辺さんはマスコミ関係の会社の社員ですが、同時に大学のマスターコースに通う社会人大学院生です。そこでのテーマはNPOです。こういう社会人が増え始めました。とてもうれしいことです。
渡辺さんとは長いお付き合いが始まりそうです。最初の1時間半のミスがずっと付きまとうかと思うとちょっと不安ですが。

■ 政治サロン(2002年7月29日)
 わくわく政治談議の会も3回目です。今回は長野県の田中知事がテーマです。今回の不信任議決から始まった動きは実に日本の政治状況を象徴しています。
 今回はこの会の代表である木村勝隆さんが、欠席されたメンバーのためにメーリングリストで報告してくださったものを転載させていただき、会の様子を知ってもらいましょう。

新メンバーの三浦和吾朗さん(創志塾)に、中田横浜市長選挙の詳しいお話も聞けました。
首長と議会の関係ってうまくいってんだろうか、そうではないのかの問題提起が、これまた新メンバーの中島さんからなされました。
今回の長野県の話のようなことは、ありうることだし、現に徳島県でも同じ様な問題が出そうです。
法政大の五十嵐先生(公共事業、憲法専門)は、常々議会のどうしようもない状態を憂いています。
このメンバーの濱路さん出身の鳥取県はぶっつけ本番の議会運営にして成果を上げてるように聞きます。
長野県知事として康夫ちゃんに残ってもらいたいというのが、参加者の大方の意見でしたが、
皆さんはどう思われるでしょうか?

ところで、先日(7月17日)民主党代議士のパーテイーに参加した折、テレビなどでおなじみの人材コンサルタント辛淑玉さんにお会いして、天皇制が災いし、日本に住む外国から来られてる方の選挙権が確立しないと言われてました。
国籍の有無、暮らしてる事実、税は取られてる(そうでない方もいるでしょうが)こと、地方参政権は当たり前との意見、様々な議論の余地があるかと思います。

いずれにせよ、共に暮らす人々が共存の姿勢でのぞむことが大事な視点と思います。

 まあ、毎回、こんな感じなのですが、政治に真剣に取り組んでいる若い人たちに会うと、政治を今のようなおかしな茶番劇にしてしまった私たち経済人世代の生き方を改めて反省させられます。
 気楽ないい会です。生活者として政治に関心のある方はぜひ一度遊びに来て下さい。代表の木村さんの人柄に触れるだけでも価値があります。話すたびに、木村さんがいかに真剣に未来を考えているかがわかります。


■ WAP( wonder Art Production)の西村佳子さん(2002年7月30日)
 昔、ニューエスデザインという学生たちの会社がありました。ひょんなことから彼らとの出会いがあり、付き合いが始まりました。そのとき出会った一人が建築家の大月敏雄さんです。今、美野里町でご一緒しています。一度書きましたが、このメンバーと一緒に、日本初の駅型保育園構想をつくりました。その設計を模型に仕上げてくれたのが紀陸幸子さんです。私が保育の世界に関わらせていただくことになったきっかけです。
 その頃のメンバーの紹介で、WAP( wonder Art Production)の西村佳子さんが訪ねてきました。6月30日のコムケアフォーラムに参加してくれ、コムケアの資金助成プログラムへの応募を考えてくれているのです。
 西村さんたちが取り組んでいるのは、子どもたちを自然環境とアートに触れさせる活動です。すでに「海と森のげいじゅつ」という素晴らしいイベントを何回か開催しています。
 西村さんたちの取り組みと思いを聞かせてもらいました。企業もメセナ活動をいろいろ展開していますが、こうした地道な活動を育てていくという視点をもっと強くしてほしいものです。昔書いた小論を思い出しましたので、添付します。

■ 山形市役所の高橋清真さん(2002年7月30日)
 高橋さんは山形市役所から現在、山形県東京事務所に出向中です。山形市の共創プロジェクトの仲間です。オフィスに訪ねてきてくれました。
 自治体行政のベクトルを逆転しなければいけないと、私は思っています。地方分権ではなく地域主権です。しかし、まだまだ現実は統治型行政から抜け出られずにいます。昨今の住基ネットにしても市町村合併の進め方にしても、完全に統治志向です。霞ヶ関に新しい風が吹き出してほしいと思いますが、まだ無理なのでしょうか。
  テレビで見る片山総務大臣の話し振りには怒りを超えて哀れさを感じます。組織に隷属した人間への哀れさですが、それが私たちには悲劇になって降りかかってくるのですから、不条理な話です。

話がそれました。すみません。
 高橋さんは、風のまちの住民でもあります。時代状況のなかで、共創志向の自治の大切さを実感している一人です。しかし、現実は複雑で、悩み多い毎日だろうと思います。霞ヶ関とも、いい意味での人のつながりをできるだけつくってほしいですが、そう簡単ではないでしょう。霞ヶ関の人がもし読まれていたら、ぜひ彼を支援してやって下さい。彼の担当は厚生労働省と環境省です。

■ コムケアサロン(2002年7月30日)
 今回のコムケアサロンは、全国マイケアプラン・ネットワークの島村さん、野村さん、須田さんをゲストにして行われました。
  実に面白い議論がありました。テープにとっておけばよかったと後悔しています。現場は常に最先端で刺激的です。
  サロンの内容は近日中にコムケアのホームページに掲載される予定ですので、それに譲りますが、ケアプランを自分で作成するということの本質的な意味、そして、市民活動の面白さや困難性が、実践的な言葉で語られました。そうしたことはまさにコミュニティケアの本質につながっていきます。こうした議論をいつか公開の場で展開したいものです。
 島村さんの活動は新聞への投稿から始まりました。
  大きな物語の一歩は、必ず誰かの小さな一歩から始まります。コムケア活動をはじめて、そうした小さな一歩が全国各地で様々に始まっていることを実感しています。
  今回、初参加された楢原裕子さん(障害を持つ中高生の放課後を豊かにする会:アフタースクールの会)の活動もそうしたものの一つです。
 島村八重子さんは、在宅介護の始まりと同時に、その実態を発信する「やえこのしんぶん」を手作り発行しだしました。私自身の体験と重ねながら読ませてもらいました。体験を情報発信していく大切さを改めて確認しました。実に面白い新聞です。その体験が、今の島村さんの活動の源泉なのでしょう。
 今回参加された須田正子さんは現在、ご自身の体験を自分のホームページ「まさこのホームページ」で公開しています。これまた実に考えさせられます。一度じっくりとご覧下さい。

島村さんが大学の同窓会会報に書いた文章を一部、引用させてもらいます。皆さんもぜひお考え下さい。

ケアプランの自己作成を申し出ると、自治体の窓口では「素人には無理」と相手にされず、事業者からは「利用者の自己作成」と言っただけで素っ気無い態度が示されました。半ば強引にやってみたところ、確かに苦労はありましたが、素人でも問題ありませんでした。この経験から、今、声を上げなかったら、介護保険は素人からどんどん離れて、専門家だけのものになってしまうという危機感を抱かざるを得ませんでした。要介護状態になったら、生活を専門家に委ねざるを得ない世の中なんて、ゾッとします。(島村八重子)

■ インキュベーションハウスの事業開発会議(2002年7月31日、8月2日)
 インキュベーションハウスのことをずっと報告していません。インキュベーションハウスは新しい働き方を目指した、新しい会社です。「みんなが出資し、みんなが経営し、みんなが働き、みんなが結果をシェアする」ワーカーズ・コレクティブ方式の有限会社です。
 今年の2月に発足以来、少しずつ動いていますが、まさに少しずつです。このテンポが私はとても好きですが、やや遅すぎて、注意しないと何もしないうちに出資金が底をつきかねません。デモ。ようやく動きが次々と出てきました。
 今週は、そうしたことに関連して、3つのプロジェクトのミーティングがありました。メンバーの誰かが、こんなことをやりたいと思ったら、簡単な企画書をメンバーに発信します。そのプロジェクトに関心を持った人が集まり、検討会をやります。そこで合意ができればプロジェクトチームができ、事業展開に取り組みます。資金調達から事業展開まで、すべてチームの責任です。成果が出れば、これまた当然、チームで配分します。リスクに応じた配分が基本方針です。
 今回の3つのプロジェクトには、私も関心があり、参加しました。それぞれに面白いテーマです。当面は利益どころか持ち出しのようなプロジェクトもありますが、いずれも内容的に面白く、さらに発展性があります。変革の時代にはビジネスチャンスは山ほどあるというのが私の意見ですが、そう思います。いまはまさに新しい事業創出の時代です。なんで雇用不安が広がっているのでしょうか。自分で仕事を創ろうと思えば、いくらでも事業機会はあります。起業家マインドが萎えてしまっているのでしょうか。それとも事業ということの意味が忘れられてしまったのでしょうか。事業とはリスクを楽しむことです。事業の原点に戻らなければなりません。
 これに関しては、協同労働の話をいつか書き込みたいと思っています。仕事は与えられるものではなく、創りだすものです。

■ 新潟出身の金田英一さん(2002年8月2日)
 金田英一さんはパウサニアス・ジャパンの中心メンバーです。出版社でお仕事をされていましたが、もうリタイアーされ、最近は、環境問題やまちづくりなどに関心を持たれて、さまざまな活動をされています。NPOにも関わられています。また、ケアプランの自己作成者でもあります。
 金田さんは私と同じ新潟の出身です。お会いするといつも新潟のお話を教えてもらいますが、金田さんの新潟への愛郷心をいつも感じます。それをいつもうらやましく思います。私にはそうした愛郷心が欠落しているからです。
 まあ、それはそれとして、金田さんのように、会社時代に培ったノウハウやネットワークなどが組織を離れて社会にどんどん蓄積されてきています。それをどう生かしていくかが高齢社会の最大の課題です。もしそれができれば社会はもう一段進化するでしょう。高齢社会に関する取り組み姿勢が相変わらず問題解決型なのが残念です。

■ 大西さん報告書(2002年8月2日)
 日本政策投資銀行九州支店の大西達也さんから「地方都市における「まちなか」再構築に向けて」という報告書が送られてきました。大西さんは先々週くらいに登場した鍋山さんのチームメンバーです。九州・沖縄の中心市街地の現状と課題をまとめた報告書です。
 地方都市の実態がよく見えてきます。私は、これまでの都市政策はすでに破綻していると思いますが、新しい発想へも転換はなかなか進んでいないようです。各地の市街地活性化の動きを見ると、みんな滅びに向かっての最後のあがきのように見えてなりません。新しい発想で取り組んだら、全く新しい都市政策が生まれるだろうと思います。多くのビジネスチャンスを目前にしながら、停滞している産業界と同じ構図がそこにあります。
 その報告書に、こんな文章があります。

今回、調査対象とした九州地域の主要都市では、まちづくり関係者からのヒアリングを通じて、都市により程度の差はあるものの、人の移動が激しい大都市には見られない独自の歴史・文化に裏打ちされた「わがまち意識」を感じることができた。

私もそう感じています。ここにこれからのまちづくりのヒントがあるように思います。この報告書を読んで、私は新しい都市連合の時代というイメージを感じました。市町村合併などはやめて、新しい都市や地域のつなぎ方を考えていくべき時代かもしれません。
大西さんは、この調査結果の報告会を九州各地で行うことを考えているようです。ぜひ新しい物語の創出につながってほしいと思っています。ご関心のアル型は大西さんにコンタクトされるといいです。
日本政策投資銀行のホームページ
http://www.dbj.go.jp
です。

■ 手賀沼の花火大会(2002年8月3日)
自宅近くの手賀沼の花火大会でした。16000発の花火です。自宅からよく見えます。この日の手賀沼は人であふれます。これだけの人がなぜ集まるのでしょうか。そこに含意されていることをもっと真剣に考えれば、きっと新しい事業やまちづくりのシナリオが見えてくるはずです。
今年はまたいくつかの新しい花火のスタイルがありました。しかし、どれも中途半端ですね。私は昔からの正統的な花火が好きなのですが、これもまた含意することの多い話です。でもまあ、こんなことを考えながら花火を見ているようでは、風情人とはいえませんね。私もかなり時代に毒されて、救いがたくなっているようです。反省。

(2002年7月第5週)

■ コムケア活動交流会イン中部(2002年7月21日)
コムケア活動では現在、各地で交流会を展開しています。
今日は長野県松本市のNPOH法人ライフデザインセンターに中心になってもらって、浅間温泉の神宮寺で交流会を開催しました。ライフデザインセンターは昨年の資金助成先の一つで、最近、停滞気味の浅間温泉を「ケアタウン」として再生できないかと活動しています。ちょうど、この日、新たに「ケアタウン浅間温泉」という組織が発足し、NPO申請していくことが決まったそうです。

ライフデザインの代表理事のお一人は、神宮寺ご住職の高橋卓司さんですが、高橋さんは全国を飛び回って活動している、実に柔軟な行動家です。神宮寺のホームページも一見の価値があります。
同じく資金助成団体になった、千年の森自然学校設立準備委員会の朝重さんも参加してくれました。ここでは助成金を活用して、5月に不登校生を中心にしたフリースクールを開催しました。ちなみに、朝重さんはこのホームページでも時々、お知らせしている森と風のがっこうの吉成信夫さんと交流があるそうです。

他にもさまざまな方が参加してくださいました。コムケアのホームページに当日の様子や参加者が紹介される予定ですので、ここではあえて紹介はしませんが、お一人だけ紹介しておきます。彫刻家の岩岡道雄さんです。ご自身がやっている彫刻や造形活動を活かした社会活動ができるのではないかと参加してくださいました。自分の持っている特技やノウハウを、今とはちょっと違った方向に向けて活かすことを、みんながそれぞれ少しずつ考えていくと、きっと社会は大きく変わるはずです。コムケア活動はまさにそうしたことを目指しています。

■ 美野里町都市計画マスタープラン検討会(2002年7月23日)
先週に引き続き事務局会議です。形式的にではなく、実態として住民視点での計画づくりに向けて、結構、青臭い議論も含めて真剣な議論が続いています。こういう議論をもっと公開の場で行いたいものだと思います。行政が悩んでいる実態を住民にも見せたいものです。信頼関係を構築するためには、とりわけ弱みを正直に見せていくことです。しかし、それが一番難しいことでもあるのですが。
ホームページでの公開も決まりました。美野里町の情報化は細谷次央さんが取り組んでいます。彼とは美野里町の総合計画づくりで一緒に汗をかきました。正義漢ですが、愛すべき駄々っ子でもあります。
町のホームページなどに、どんどん書き込まれることで、本当の情報共有が始まれば、美野里町の新しいまちづくりは加速されていくでしょう。今はまだ難産ですが、どこかでブレイクスルーしてくれるでしょう。それがまちづくりに関わる醍醐味です。

日本フィランソロピー協会の佐々木理代さん(2002年7月24日)
6月30日に行ったコムケアフォーラムを月刊フィランソロピーに掲載してくれることになりました。その追加取材を受けました。
佐々木さんの最初の質問は、「なぜ公開を大切にしているのか」でした。うれしい質問です。コムケア活動の基本理念は「ひらく」と「つなぐ」です。佐々木さんは、こうしたコムケア活動の考え方にとても共感してくださり、早速、応援団になってくれました。

今から13年程前に、企業の人に呼びかけて「フィランソロピー研究会」を2年ほどやっていました。当時はまだ、社会貢献活動は利益の社会還元という発想が根強く、おそらく私の考え(本業こそが社会貢献の基軸)は誰にも伝わらなかったような気がします。それで2年でやめてしまいました。当時のメンバーで今も活動している人は本当に少ないです。理念の大切さを感じます。

日本ドナー家族クラブの間澤容子さん(2002年7月24日)
間澤さんは、私の「楽しい福祉」発言に異を唱えた人です。昨年のコムケア最終選考会の後の交流会で、です。異を唱えることから始まるコミュニケーションもあります。以来のお付き合いですが、多くのことを教えていただきました。ドナー家族のことも、臓器移植のことも、本当に知らなかった自分に気づきました。
間澤さんたちは今年もコムケアの資金助成に応募してくださいます。その相談にやってきました。私たちは応募段階でも相談に応じています。その相談の過程で、さまざまな気づきがお互いにあるのです。こうした活動をやっていると、資金助成などは本当に入り口でしかない、と思います。そういえば、このプログラムを支援してくださっている住友生命社会福祉事業団の高原茂さんが、6月のコムケアフォーラムの挨拶で、まさにそうお話してくださいました。私がこの活動に思い切りのめりこめるのは、住友生命のそうした理解があるからです。

■ オープンサロン(2002年7月26日)
サロンに私の兄が参加しました。私と違い、典型的な組織人でした。先月、退職しましたので、コムケア活動への参加を勧めています。その一環でサロンにも参加してもらいました。この1か月、様々な集まりや活動に参加してもらっていますが、大きなカルチャーショックが続いているようです。私が5年かかったことを急速に追体験してもらって
います。これはもしかしたら、どこかの会社がやっているライフデザイン研修よりいいですね。事業になるかもしれません。いやこれは冗談。

さらに新しい人が2人来ました。甲南大学文学部教授の中島俊郎さんはすごく面白い問題提起をして下さいました。一度、ゆっくりレクチャーをお聞きしたいです。もう一人、不思議な人が来ました。石橋恵子さん、仙台育ちの若き女性です。今、大学生ですが、つい最近まで門限6時、終身10時の生活をしていた人です。雲の流れや花との会話など、俗事に汚染されている大人どもはみんな声もなく聞き入っていました。東京に出てきて3年ですが、この先がとても興味ありますね。ちょっと悪趣味ですが。
そういえば、もう一人、社会に毒されていない山本正俊さんがきました。美野里町のプロジェクトの仲間です。今春卒業し、JR東日本に入社しました。彼の話は、別項のオープンサロンニュースをご覧下さい。

■ コムケア活動交流会イン関西(2002年7月27日)
関西のコムケア交流会は、NPO法人きょうと学生ボランティアセンター代表の赤澤清孝さんが幹事役になってくださり、昨年度の資金助成団体であるコリアボランティア協会の久保麗子さん、福祉支援センターアグリネットの岡村ひとみさん、枚方自助具の部屋の味田治子さんほか関係者の方たちのご協力で開催されました。今回は住友生命社会福祉事業団の高原茂さんも参加してくれました。詳しくはコムケアのホームページに掲載されますが、とてもいい集まりでした。聴覚障害をお持ちの方も参加されたので、手話通訳の方にも協力してもらいました。赤澤さんのケアマインドに感謝しています。

うれしかったのは、NPOではなく、企業の経営者がひとり参加してくれたことです。サークルKというコンビニを経営している戸田紳司さんです。戸田さんはCWSコモンズ村の住民です。また、以前このコーナーに登場した室田一樹さんも来てくれました。枠をはずすことが私の思いですので、さまざまな人の参加はとてもうれしいです。

こうした集まりを各地で日常化したいものです。そうしたつながりができれば、自ずとコミュニティケアの土壌は創出されていくでしょう。小さな仕組みより、もっと大きな仕組みが大切な時代になってきました。
交流会の後、数名から資金助成プログラムに関する相談をうけました。いろいろ面白いプロジェクトの申請がありそうです。

(2002年7月第4週)

■ 美野里町都市計画マスタープラン(2002年7月15日)
久しぶりに美野里町の都市計画マスタープランの話です。これまでも何回か報告してきましたが、実際の展開を進めていくにつれて、関係者の意識の共有化の大切さが感じられてきました。そこで美野里町の担当職員に、われわれ外部チーム(外野チームと呼んでいます)のざっくばらんなミーティングに参加してもらうことにしました。東京までわざわざお二人に来てもらい、丸1日じっくりと理念論争を行いました。
美野里町で中心になっているのが都市建設課の太田さんですが、「こんな議論をいつもやっているのですか、よほど思いがないと持ちませんね」と感想を残してくれました。太田勉さんは実に真剣にこのプロジェクトに取り組んでくれています。私の無謀な意見にも真摯に対応してくれます。感謝です。しかし、たしかにこんな進め方をしていたらビジネスにはならないし、時間がいくらあっても足りません。何とか進んでいるのは、井出さんと大月さんという、異才のおかげです。これまた感謝です。
今回の議論で、ひとつだけ現実論に戻ったことがあります。それは美野里町では都市マスを議会の決定事項にするという方針をやめたことです。つまり、一般的なやり方に後退したということです。地方議会はいまや自治の邪魔をしているというのが私の認識です。だからこそ、住民主役の共創型まちづくりに荷担しているのですが、都市計画マスタープランは制度上、住民参加を義務付ける一方で議会の決定事項からはずされているのです。これは論理矛盾です。地方議会は嫌いですが、しかし、ある以上は重視すべきです。いや、良くすべきです。地方議会をまともにしていくためにも、議会は尊重すべきです。今の法制度の矛盾に一矢報いたかったのです。でも、あんまりわがままを押し通すわけにも行きません。
でも、いつかどこかで実現したいです。全国の都市計画マスタープランを取り組んでいる市町村の職員の方、ぜひそういう場合は私に声をかけてください。
私にこうした考えを植え付けてくれたのは、福岡県にいる廣瀬さんです。都市計画マスタープランへの関心を植えつけたのは吉木さんです。いずれも国土交通省の知人です。お二人には誤解されそうな書き方になりましたね。今度、お会いしたときにきちんと説明しますのでお許しください。
でも今日はいい議論ができました。

都市計画マスタープランの美野里町モデルでは、身近な近隣社会(常会)からのまちづくりにも取り組みます。常会、まあ自治会といってもいいでしょうか、そこを起点にした計画づくりです。まずは各常会の自慢探し活動から始めることにしました。なんとかその進め方の合意ができました。予定調和型のプログラムではなく、しかも失敗するかもしれないプログラムですから、行政の人は心配だと思いますが、今回、ミーティングに参加してくださった、太田さんもコミュニティ担当の長谷川正典さんも、積極的に取り組んでくれることになりました。うれしいかぎりです。これでもう美野里町の都市マスはとてもいいものになると確信しました。
長くなりましたね。すみません。ともかく、美野里町の新しいスタイルのまちづくり計画が始まったのです。経過は極力、美野里町のホームページに掲載してもらえそうです。また町の広報誌でも毎月1ページ、経過報告をしていく予定です。完了したら、本にして出版したいです。もし許してもらえればですが。

■ 台風の教訓(2002年7月16日)
JA兵庫六甲の「たべもの通貨」の委員会でした。1回目はかなり失望してしまいましたが(研究会になっていなかったのと理念が実感できなかったからです)、その後、かなり事務局の努力で軌道修正されているような気もして楽しみにしていました。
ところが台風です。新横浜直前で新幹線に閉じ込められました。1時間以上遅れそうでしたので、あまり意味がないかなと思って、途中下車して在来線で戻りました。ところが東京に戻ったら、新幹線が動き出していました。いやはや、です。森野栄一さんはちょっとの差で無事行けたようです。ぎりぎりで動いてはいけませんね。

それにしても、台風にもかかわらず新幹線は満席でした。1時間近く、そのことを考えていました。なぜ台風なのに、みんな出かけるのだろうか。自分も含めてですが。そこで結論を出しました、やはり自然には抗うべきではないと。これからは台風などが見込まれる時は出張はやめることにしました。自然の摂理には従わなくてはいけませんね、荒天順延の人生に切り替えたいと思います。よろしくお願いします。

地域通貨について、今週は面白い報告ができると思っていましたが、残念です。

■ NPOリンクとの出会い(2002年7月17日)
NPO法人せたがや福祉サポートセンター、愛称リンクの代表の光岡明子さんと理事の北村登喜子さんがコムケアセンターにやってきました。リンクの理念が私たちのコムケア活動の理念と全く同じ視点であることに感激しました。それだけではありません。私のまちづくりの考え方とも同じなのです。いつも思うのですが、やはり現実は常に理論に先行しています。光岡さんたちはこの活動を20年以上前から進めているようです。私は20年前は、まだ「社会人」ならぬ「会社人」でしたが。

リンクという名前には、「人と人とが、思いと思いがつながり重なり合って暮らしを形作る、そこを担う役割を果たしたい」という願いが込められています。また、「お世話する人される人ではない地域の助け合い活動」を標榜し、支え合いの輪の活動を支える仕組みを育てたいといっています。「まちを私たちのものに」ともメッセージしています。まさにコムケア活動であり、共創型まちづくり活動です。

すでに世田谷地域に約30の支え合い拠点を開設し、ふれあい・いきいきサロンや支えあいミニデイ、会食サービスを展開しています。すばらしい活動です。ホームページがないのが残念ですが、ご関心のある方はリンクが出している情報誌「支えあいの輪 世田谷区内「支えあい活動」ガイド」を購入してみてください。参考になります。会員募集もされています。リンクのメールアドレスは
mlink@mva.biglobe.ne.jp
です。
どなたかここのホームページ作成を無償でやってみませんか。余計なお世話ですが、すごく学ぶことが多いと思います。

■ 山形市共創塾が始まりました(2002年7月18日)
山形市の共創プロジェクトで取り組んでいた政策塾が「共創塾」へと発展しました。その開講式でした。塾生の自己紹介に市長が一人ひとり丁寧にコメントしたのには感激しました。今年度の塾生はかなり若返りました。今年は何が始まるでしょうか。楽しみです。
これはまた毎回報告していきます。

■ 山形市の郷倉を案内してもらいました(2002年7月18日)
最近、近隣社会からのまちづくりに関心を高めています。共創塾で市長が郷倉の話をされました。昔、集落(郷村)ごとにあった年貢米などの共同貯蔵庫で、そこに集会所があったようです。コモンズのセンターですね。
企画室長にお願いして早速その一つを見に行きました。市内の上町の郷倉跡です。いまは200年ほど前に立った籾堂だけが残っていました。上町の郷倉は明治に入り、近くの陣屋後の建物と合わせて尋常小学校の分教場になりました。学校の整備が終わった後は、町の事務所となり、また集落の共有倶楽部になったようです。公民館の原型です。
現存する籾堂の歴史も面白いです。単に年貢米の貯蔵庫ではなく、義倉の性質を持っていたようです。建物の改修なども頼母子講などで行っていたようです。こうした文化こそが内発的なまちづくりの原型です。私たちの身近にある、こうした文化や知恵をもっと学ばなければなりません。地方の現場には、こうした知恵がまだまだたくさんあるようです。

■ シニアライフアドバイザーの菊井正彦さん(2002年7月19日)
多摩地区でボランティア活動に取り組まれている菊井正彦さんが訪ねてきてくれました。菊井さんはシニアライフアドバイザーですが、いのちの電話の活動にも関わっています。数年前に会社を定年で退職し、その後、さまざまな活動に関わっているとのことです。お話していると何人かの共通の知人がいました。最近、そういうケースが非常に多く、先週も熊本や北九州市で初めて会った人と話していたら共通の知人友人がいました。世界は本当につながっています。

保育関係のメーリングリストに参加していますが、そこでも今週、覚えのある人の名前が出てきたので、もしかしたらと思って聴いてみたらまさに私の知っている人でした。18日、山形市でも市役所で偶然、知人に会ったのですが、その知人が市長に紹介すべく同行した人(青森の人ですが)がどうやら私も参加している、あるメーリングリスト仲間のようでした。そんなことが頻発するようになっています。これもおそらくIT革命が生み出した新しい状況のような気がします。世界はつながりながら、大きく変わりつつあるように思います。

菊井さんの話からずれてしまいました。戻します。菊井さんは、コムケア活動の応募の相談に来たのですが、とてもうれしいコメントをもらいました。ボランティア活動をしていると、ともすると目先に活動に埋没し、新しい企画やプロジェクト起こしに目が行かなくなる。今回のコムケアの呼びかけを契機に、ぜひ今の活動を見直し、視野をさらに広げて何か新しい活動を考えていきたい、とおっしゃるのです。これはまさに私が望んでいたことなのです。
一昨日のリンクといい、今日の菊井さんといい、何か同志に会ったようで、大きく元気づけられました。

■ リンカーンクラブの武田文彦さん(2002年7月20日)
ネットワークでもお知らせしている直接民主主義の進化をライフワークにしている武田さんから、リンカーンクラブ活動の再開の連絡がありました。この数年、ちょっと活動を抑えてきましたが、スタイルを変えての再開です。武田さんは「民主主義進化論」という大著を出版しています。いつかまた紹介しますが、ご関心のある方はご連絡ください。これは生活者の視点で政治を考える「わくわく政治談議」とは少し次元の違う活動です。

(2002年7月第3週)

■ 美野里町都市計画マスタープラン(2002年7月15日)
久しぶりに美野里町の都市計画マスタープランの話です。これまでも何回か報告してきましたが、実際の展開を進めていくにつれて、関係者の意識の共有化の大切さが感じられてきました。そこで美野里町の担当職員に、われわれ外部チーム(外野チームと呼んでいます)のざっくばらんなミーティングに参加してもらうことにしました。東京までわざわざお二人に来てもらい、丸1日じっくりと理念論争を行いました。
美野里町で中心になっているのが都市建設課の太田さんですが、「こんな議論をいつもやっているのですか、よほど思いがないと持ちませんね」と感想を残してくれました。太田勉さんは実に真剣にこのプロジェクトに取り組んでくれています。私の無謀な意見にも真摯に対応してくれます。感謝です。しかし、たしかにこんな進め方をしていたらビジネスにはならないし、時間がいくらあっても足りません。何とか進んでいるのは、井出さんと大月さんという、異才のおかげです。これまた感謝です。
今回の議論で、ひとつだけ現実論に戻ったことがあります。それは美野里町では都市マスを議会の決定事項にするという方針をやめたことです。つまり、一般的なやり方に後退したということです。地方議会はいまや自治の邪魔をしているというのが私の認識です。だからこそ、住民主役の共創型まちづくりに荷担しているのですが、都市計画マスタープランは制度上、住民参加を義務付ける一方で議会の決定事項からはずされているのです。これは論理矛盾です。地方議会は嫌いですが、しかし、ある以上は重視すべきです。いや、良くすべきです。地方議会をまともにしていくためにも、議会は尊重すべきです。今の法制度の矛盾に一矢報いたかったのです。でも、あんまりわがままを押し通すわけにも行きません。
でも、いつかどこかで実現したいです。全国の都市計画マスタープランを取り組んでいる市町村の職員の方、ぜひそういう場合は私に声をかけてください。
私にこうした考えを植え付けてくれたのは、福岡県にいる廣瀬さんです。都市計画マスタープランへの関心を植えつけたのは吉木さんです。いずれも国土交通省の知人です。お二人には誤解されそうな書き方になりましたね。今度、お会いしたときにきちんと説明しますのでお許しください。
でも今日はいい議論ができました。

都市計画マスタープランの美野里町モデルでは、身近な近隣社会(常会)からのまちづくりにも取り組みます。常会、まあ自治会といってもいいでしょうか、そこを起点にした計画づくりです。まずは各常会の自慢探し活動から始めることにしました。なんとかその進め方の合意ができました。予定調和型のプログラムではなく、しかも失敗するかもしれないプログラムですから、行政の人は心配だと思いますが、今回、ミーティングに参加してくださった、太田さんもコミュニティ担当の長谷川正典さんも、積極的に取り組んでくれることになりました。うれしいかぎりです。これでもう美野里町の都市マスはとてもいいものになると確信しました。
長くなりましたね。すみません。ともかく、美野里町の新しいスタイルのまちづくり計画が始まったのです。経過は極力、美野里町のホームページに掲載してもらえそうです。また町の広報誌でも毎月1ページ、経過報告をしていく予定です。完了したら、本にして出版したいです。もし許してもらえればですが。

■ 台風の教訓(2002年7月16日)
JA兵庫六甲の「たべもの通貨」の委員会でした。1回目はかなり失望してしまいましたが(研究会になっていなかったのと理念が実感できなかったからです)、その後、かなり事務局の努力で軌道修正されているような気もして楽しみにしていました。
ところが台風です。新横浜直前で新幹線に閉じ込められました。1時間以上遅れそうでしたので、あまり意味がないかなと思って、途中下車して在来線で戻りました。ところが東京に戻ったら、新幹線が動き出していました。いやはや、です。森野栄一さんはちょっとの差で無事行けたようです。ぎりぎりで動いてはいけませんね。

それにしても、台風にもかかわらず新幹線は満席でした。1時間近く、そのことを考えていました。なぜ台風なのに、みんな出かけるのだろうか。自分も含めてですが。そこで結論を出しました、やはり自然には抗うべきではないと。これからは台風などが見込まれる時は出張はやめることにしました。自然の摂理には従わなくてはいけませんね、荒天順延の人生に切り替えたいと思います。よろしくお願いします。

地域通貨について、今週は面白い報告ができると思っていましたが、残念です。

■ NPOリンクとの出会い(2002年7月17日)
NPO法人せたがや福祉サポートセンター、愛称リンクの代表の光岡明子さんと理事の北村登喜子さんがコムケアセンターにやってきました。リンクの理念が私たちのコムケア活動の理念と全く同じ視点であることに感激しました。それだけではありません。私のまちづくりの考え方とも同じなのです。いつも思うのですが、やはり現実は常に理論に先行しています。光岡さんたちはこの活動を20年以上前から進めているようです。私は20年前は、まだ「社会人」ならぬ「会社人」でしたが。

リンクという名前には、「人と人とが、思いと思いがつながり重なり合って暮らしを形作る、そこを担う役割を果たしたい」という願いが込められています。また、「お世話する人される人ではない地域の助け合い活動」を標榜し、支え合いの輪の活動を支える仕組みを育てたいといっています。「まちを私たちのものに」ともメッセージしています。まさにコムケア活動であり、共創型まちづくり活動です。

すでに世田谷地域に約30の支え合い拠点を開設し、ふれあい・いきいきサロンや支えあいミニデイ、会食サービスを展開しています。すばらしい活動です。ホームページがないのが残念ですが、ご関心のある方はリンクが出している情報誌「支えあいの輪 世田谷区内「支えあい活動」ガイド」を購入してみてください。参考になります。会員募集もされています。リンクのメールアドレスは
mlink@mva.biglobe.ne.jp
です。
どなたかここのホームページ作成を無償でやってみませんか。余計なお世話ですが、すごく学ぶことが多いと思います。

■ 山形市共創塾が始まりました(2002年7月18日)
山形市の共創プロジェクトで取り組んでいた政策塾が「共創塾」へと発展しました。その開講式でした。塾生の自己紹介に市長が一人ひとり丁寧にコメントしたのには感激しました。今年度の塾生はかなり若返りました。今年は何が始まるでしょうか。楽しみです。
これはまた毎回報告していきます。

■ 山形市の郷倉を案内してもらいました(2002年7月18日)
最近、近隣社会からのまちづくりに関心を高めています。共創塾で市長が郷倉の話をされました。昔、集落(郷村)ごとにあった年貢米などの共同貯蔵庫で、そこに集会所があったようです。コモンズのセンターですね。
企画室長にお願いして早速その一つを見に行きました。市内の上町の郷倉跡です。いまは200年ほど前に立った籾堂だけが残っていました。上町の郷倉は明治に入り、近くの陣屋後の建物と合わせて尋常小学校の分教場になりました。学校の整備が終わった後は、町の事務所となり、また集落の共有倶楽部になったようです。公民館の原型です。
現存する籾堂の歴史も面白いです。単に年貢米の貯蔵庫ではなく、義倉の性質を持っていたようです。建物の改修なども頼母子講などで行っていたようです。こうした文化こそが内発的なまちづくりの原型です。私たちの身近にある、こうした文化や知恵をもっと学ばなければなりません。地方の現場には、こうした知恵がまだまだたくさんあるようです。

■ シニアライフアドバイザーの菊井正彦さん(2002年7月19日)
多摩地区でボランティア活動に取り組まれている菊井正彦さんが訪ねてきてくれました。菊井さんはシニアライフアドバイザーですが、いのちの電話の活動にも関わっています。数年前に会社を定年で退職し、その後、さまざまな活動に関わっているとのことです。お話していると何人かの共通の知人がいました。最近、そういうケースが非常に多く、先週も熊本や北九州市で初めて会った人と話していたら共通の知人友人がいました。世界は本当につながっています。

保育関係のメーリングリストに参加していますが、そこでも今週、覚えのある人の名前が出てきたので、もしかしたらと思って聴いてみたらまさに私の知っている人でした。18日、山形市でも市役所で偶然、知人に会ったのですが、その知人が市長に紹介すべく同行した人(青森の人ですが)がどうやら私も参加している、あるメーリングリスト仲間のようでした。そんなことが頻発するようになっています。これもおそらくIT革命が生み出した新しい状況のような気がします。世界はつながりながら、大きく変わりつつあるように思います。

菊井さんの話からずれてしまいました。戻します。菊井さんは、コムケア活動の応募の相談に来たのですが、とてもうれしいコメントをもらいました。ボランティア活動をしていると、ともすると目先に活動に埋没し、新しい企画やプロジェクト起こしに目が行かなくなる。今回のコムケアの呼びかけを契機に、ぜひ今の活動を見直し、視野をさらに広げて何か新しい活動を考えていきたい、とおっしゃるのです。これはまさに私が望んでいたことなのです。
一昨日のリンクといい、今日の菊井さんといい、何か同志に会ったようで、大きく元気づけられました。

■ リンカーンクラブの武田文彦さん(2002年7月20日)
ネットワークでもお知らせしている直接民主主義の進化をライフワークにしている武田さんから、リンカーンクラブ活動の再開の連絡がありました。この数年、ちょっと活動を抑えてきましたが、スタイルを変えての再開です。武田さんは「民主主義進化論」という大著を出版しています。いつかまた紹介しますが、ご関心のある方はご連絡ください。これは生活者の視点で政治を考える「わくわく政治談議」とは少し次元の違う活動です。

(2002年7月第2週)

■ 熊本でコムケアサロンが始まりそうです(2002年7月7日)
コムケア活動の地方交流会が始まりました。第1回を主催してくださったのは、このホームページでも何回か登場した自立応援団の宮田喜代志さんです。熊本のフードパル熊本にある作業所に20人弱の人が集まりました。その内容はコムケアのホームページに掲載されています。不登校問題や障害者の作業所づくりなどに取り組んでいるコムケア仲間にたくさん会えた、うれしい日でした。
もっとうれしかったのは、今回の交流会が契機になって、熊本でコムケアサロンが始まりそうです。各地にどんどんコムケアサロンを広げたいと思っています。どなたかやってくれませんか。
その宮田さんの縁で、また世界が広がりました。榊定信さんです。熊本工業高校の先生ですが、日本ボランティア学習協会の常任理事でもあります。話していたら共通の知人が何人か出てきました、世界は本当につながっています。
あの世を表現し続けている坂本阿蘇彦さんとそのマネジャーの飯笹智子さんにもお会いできました。坂本さんは今年、第62回美術文化展で安田火災美術財団奨励賞を受賞されています。その作品「漂白」は輪廻の宇宙観を表現したもので、私は一目で、懐かしさを感じました。
コムケアサロンのおかげで坂本さんにお会いできたことに感謝しています。

■ 福岡市で3人の異才に会いました(2002年7月8日)
福岡は夏のようでした。そこで3人の方を訪ねました。暑くなければ後二人お会いする予定でしたが、さすがに疲れました。
まずは玉井輝大さん。
福岡市VIプロジェクトで何回かご紹介した人です。玉井さんは大きな構想を描く仕事の一方で、本当に身近なコミュニティづくりに取り組んでいる方ですが、福岡市内の本当に便利なところにオフィスをお持ちだったのに、実際にコミュニティ活動したい地域に移転させたという人です。そして、地域のための弁当配達や地域の生活支援に関わるコミュニティビジネス(コミュニティ・デポ活動)に取り組んでいます。玉井さんは真の実践家です。しかも、理論家にして構想家なのです。福岡市はなぜ彼をもっと大きな構想に関わらせないのか残念です。
次にあった異才は日本政策投資銀行九州支店の鍋山徹さんです。
コモンズやケアについての話が弾みましたが、鍋山さんは経済のための社会から社会のための経済に変えていかねばならないと考えています。まったく同感です。鍋山さんたちが最近まとめた「日本経済と信頼の経済学」をもらいました。ブックのコーナーで紹介させていただきます。
3人目は市役所の吉村慎一さんです。
私が福岡市に関心を持つようになったのは吉村さんのおかげです。吉村さんは山形市にも行ってくださり、政策塾のメンバーに多大な影響を与えました。福岡市役所では有名なDNA活動の首謀者です。
どこの町にも異才がいます。各地で異才が動き出しています。大きな変化がまもなく見えてくるでしょう。

■ 北九州市新任課長研修で80人近い人に会いました(2002年7月9日〜12日)
北九州市では毎年100人近い人が課長に昇任します。その人たちの研修と称して、2日間の合宿を毎年楽しませてもらっています。もうかなり前からやっていますので、北九州市の課長のほとんどの人に一度はお会いしたことがあるわけです。
研修では、私が問題提起し、参加者が話し合いながら、2日間を楽しむというプログラムです。
参加予定者には内緒ですが、目玉はコーヒーを飲みながらのミニコンサートです。これがすばらしいのです。毎回テーマと物語があるのです。例年はオーボエとピアノですが、今年はオーボエ奏者の緒方さんが出張で参加できずに、ピアノの榎本さんが独奏してくれました。テーマは「癒しと医やし」です。解説しながらの独奏ですから、大変です。まあ。この研修が長年続いているのは、このコンサートのおかげです。
緒方さんは最初引き受けてくださった時は市役所のほたる係長でした。ほたる係というのはなんとうらやましい仕事でしょうか。今回独奏して下さった榎本なぎささんは緒方さんたちとミュゼというグループで活動しています。
40人くらいで、コーヒーを飲みながら室内楽を聴く。自治体の研修としてはちょっとおしゃれでしょう。私の自慢の一つです。
企業や行政が文化活動をいろいろ展開していますが、私はまず最初にやるべきは、オフィスや役場庁舎での気楽な定期的なコンサートだと思っています。それこそが企業メセナ活動の出発点であり、また役場を住民たちのものにする第一歩です。費用もそれほどかかりません。なぜみんなそのことに気が付かないのでしょうか。北九州市でまず初めてほしいと思っていますが。

ところでこの研修は2日間、参加者とかなり話しあう時間があります。そこで実に多くの刺激をもらいます。なにしろ北九州市は自治体のエンサイクロぺディアなのです。
2日間ずつを連続で行うわけですが、短いとはいえ、かなり密着した時間をすごすので、ほとんど全員の名前と個性をある程度理解できます。そしてそれぞれから実に多彩なことを学ばせてもらえるのです。それが醍醐味なのです。最後に私からささやかなメッセージをさせてもらうのですが、いつも何かジーンとしてしまいます。人間の付き合いは時間の長さではないですね。
いつも、今年こそ最後にしようと思いながらついつい受けてしまうのは、この最後のジーンという思いなのです。3年の約束で引き受けたのに、もう8年にもなっています。反省。継続は力ですが、同時に継続は陳腐化でもあります。そろそろ辞退すべきですね。

参加者の名前を挙げだすときりがないので辞めますが、おもしろい話がたくさんありました。医療の話やコモンズの話、農業や消防や都市計画や福祉や廃棄物。エコタウン、図書館や研究所のあり方。テーマだけでも切りがありません。北九州市は実に自治体エンサイクロぺディアです。
そういえば、美野里町の文化センターに関わっている能祖さんもかなり深く関わっている北九州芸術劇場(来秋オープン予定)を担当している市山さんも参加してくれていました、世界はやはりつながっています。

■ 北九州市観光協会の古野利幸さん(2002年7月12日)
古野さんに会いました。古野さんとはもう長い付き合いです。北九州市は「にこにこ百万ホスピタリティ運動」を展開していますが、その最初のころにささやかに相談にのりました。私はサービスという言葉は好きではないのですが、ホスピタリティは好きな言葉です。
ホスピタリティのフォーラムもやりました。これは私のとっては、とても印象に残っているもののひとつです。その記録を掲載します。退屈している人はお読みください。
観光は以前も書きましたが、私の関心事のひとつです。なかなかこれといった仕事が回ってきませんが、いつか取り組みたいと思っています。但し、私の観光への考え方は集客にはほとんど関心がありません。ですからビジネスにはならないでしょう。
でも100年後に世界中から人が集まるような何かを構築する仕事をしてみたいです。私に発注する人はいませんか。企画料は3億円です。

(2002年7月第1週)

ダウンとパニックの1週間でした。
前半は体調を崩し、週の最後にはなんと予定を書き込んだ手帳を紛失してしまいました。
今日はJRを初めとした様々なところを探し回りましたが、だめでした。
出てこなければ、海図のない生活に入ることになります。いやあ、実にスリリングですが、今日はショックで食事もできませんでした。
ホームページを更新する元気もありません。従って新たな書き込みはほとんどないです。
こんなことが3週間続いています。
まあ、そろそろ運命は反転するでしょう。
まもなくまた、好調な時期が来るでしょう。

(2002年6月第4週+30日)

■ 東北芸術工科大学での講義(2002年6月26日
毎年、1〜2回、友人に誘われて大学でお話をさせていただくことがあります。
今回は山形市にある東北芸術工科大学の大宅憲一教授の講座にでかけました。
コモンズの回復に向けての話と私の最近の取り組みをちょっと話させていただきました。
若者の特権は時代を楽しむことです。今週も、時代を使いこんでいる学生に2人会いましたが(いずれ間違いなくこのコーナーに登場するでしょう)、最近の若者たちから教えられることがたくさんあります。そうした若者と疲れきった壮年男性とのふれあいの場がもっとほしいですね。

ところで大宅さんですが、この人物は実に楽しい人物です。私は大昔、「21世紀は真心の時代」という論文を書いたことがあります。その論文に「デディケーテッド・テクノロジー」という言葉をだしたのですが、それを読んで「デディケーテッド・マーケティング」ということを言ってくれた人です。この論文をちゃんと読んでくれた数少ない一人です。

以前、彼が構想した評判システムというのがありました。私もささやかに関わりましたが、時期尚早で挫折しました。この構想は10年遅れて動き出したらきっと成功したはずです。また、大宅さんは永代信用組合事件(ご存知でしょうか。市民バンクを支援した最初の銀行ですが、最近、挫折させられました)の応援団でもあります。他にもたくさんあります。大宅さんのことを書き出したら、きりがありません。機会を見て、少しずつ紹介します。大宅さん、早くホームページをつくりましょう。

■ 第4回コムケアサロン(2002年6月27日)
コムケアのホームページでまもなく。担当の藤村さんが報告を掲載してくれますが、今回はビューコミュニケーションズというNPOに転籍した岸田能和さんをゲストに「NPOと顧客満足」のテーマで話し合いをしました。今回は久しぶりにお会いする角田季美枝さんが参加してくれました。角田さんとはバルディーズ研究会で出会えたのですが、最近、環境問題から私が外れてきているために、なかなかお会いできませんでした。サロンをやっているとこんな形で旧知の方々にお会いできるのがとてもうれしいです。
サロンのもうひとつの効用は、もちろん新たな出会いです。今回はNPOアインシュタインプロジェクトの代表の会田和弘さんに会えました。
こうした様々な方たちとお話していると、日本は間違いなくいい方向に向かって地殻変動を起こしつつあることを実感します。

■ 某社社長への提案(2002年6月28日)
私のビジネスの分野でとても感激したことがあるので、先方には内緒で報告します。
以前も書きましたが、某社の社長と毎月お会いする仕事をしています。
今回はある提案をさせてもらいました。30分かけて一方的に提案説明をしたのですが、その後、その社長は10分近く全くの沈黙で、私が説明した資料を繰り返し見直していました。私も沈黙を守りました。
こうした経験は初めてです。一対一で向き合ったまま、ともかく一言も話さないで、10分をすごしたのです。
そして10分後(いや5分くらいだったかもしれませんね)、彼は顔を上げて、私を見据えて「これができたら会社はのびるね」といったのです。
これまでコンサルティングやカウンセリングの仕事をしていて、こんなにうれしかったことはありません。口数の多い冗長な私としては、大いに考えさせられました。
その会社の仕事を引受けるかどうか迷っていたのですが、迷いがすっ飛びました。もっとも先方が私に頼むかどうかはわかりませんが、
私のビジネススタンスは、お互いにいつでも断れるという関係を大切にするということです。
今日の体験で、また企業の仕事がしたくなりました。
経営者はやはりすごい緊張感のなかで考えていますね。大企業の何も考えていない経営者は別ですが。
緊張感のある、いい仕事はないでしょうか。受託単価は3億円くらいがいいですね。

■ 関西生産性本部の西田隆史さん(2002年6月28日)
西田さんとは10年以上お会いしていません。久しぶりの再会です。
人のつながりというのは不思議なものです。
この人とはきっとまた会うなと思うことがあります、そしてほとんど必ずそれは実現します。
西田さんもその一人です。やっと再会できました。
以前ここでも紹介した川村尚也さんが関わっている異業種交流起業塾に参加しないかとのお誘いにやってきました。企業人の研修プログラムは大きく変わりつつあるように思いますが、なにやら面白いことを考えているようです。

■ オープンサロン(2002年6月28日)
今回のサロンはまたまた食べ物論議で盛り上がりました。
お知らせで呼びかけている「生命に優しい食べ物情報ネットワーク」のメーリングリスト幹事が決まりました。高須英明さんです。彼は実の農業や食材に詳しいのです。高須さんからとても面白い話がありました。
オープンサロン記録は今日は書く気力がありません。追って記入します。

■ 第1回コムケアフォーラム(2002年6月30日)
コムケア活動の第1回フォーラムです。私の不手際で参加者募集の働きかけが不十分だったため、前日まで不安に陥っていましたが、何とか全席がほぼ埋まる状況でした。プログラムなどは別のところに掲載していますが、簡単な報告はコムケアのホームページにまもなく掲載します。

とてもうれしかったのは、参加者の何人かから、こういう形で福祉の問題を考えている人に出会えてうれしかった、とか、資金助成の姿勢に共感するとか、言われたことです。
私は草の根的な活動が好きなので、あまり大きく広報するのが得意ではないのですが、この活動はこれから少し大きく広報する努力をしてみる気になってきました。

今回のフォーラムは全員、ボランティアスタッフで対応しました。
従って不手際ばかりで、参加者にはご迷惑をおかけしましたが、私の思いはこうした場にボランティアスタッフとしてできるだけ多くの人に関わっていただきたいのです。
今回も次のような方が参加してくれました、そして私もその人たちから多くのことを学ばせてもらいました、
郵便局勤務の佐藤一宏さん、経営道フォーラム事務局の堀越さん、日本環境倶楽部の中村さん、住友生命の渡辺早苗さん、佐久市からわざわざ来てくださった安江大輔さん、私の二人の娘、CWSコモンズ村
の小川清史さん、そしてこのフォーラムをプロデュースしてくださった安江由美子さん。ありがとうございました。

■ 地域社会研究会の木村亮介さん(2002年6月30日)
コムケアフォーラムにちょっと目立つ若者が参加していました。それが木村さんです。
私とは初対面です。筑波大学の学生です。
今回のフォーラムにはボランティアスタッフもそうですが、若い人も参加してくれました。うれしいことです。
私は福祉のノーマライゼーションという表現を使っていますが、福祉やケアという言葉は、私たちみんなの隣にある言葉なのです。決して特別なところにある言葉ではないのです。
木村さんのホームページは来週リンクさせてもらえるでしょう。

(2002年6月第3週)
今週はめずらしくほとんど東京にいました。しかしいろいろな人が訪ねてきてくれました。そうした人の紹介を中心に報告します。

■ アルピニスト山下建治さん(2002年6月19日)
 北九州市の山下建治さんがやってきました。いまは小倉駅前にあるキプロという会社の社長ですが、北九州市役所の職員時代に日本で最初の自治体CIを推進した人です。当時、私は東レ株式会社に勤務しており、そこでやはりCIに取り組んでいました。同時に、東京都のCIの委員もさせてもらっていました。その関係で、山下さんと知り合いました。以来のお付き合いですから、もう20年近くになります。
 北九州市のCIは見事な展開でした。自治体CIの一つのモデルを創ったと思います。その記録からは学ぶことがたくさんあります。それも山下さんあればこそ、です。
 その後、北九州市の収入役も歴任されました。ご本人は自由な市民活動に入りたがっているのですが、なかなか解放されずに今も苦労されています。
 山下さんは激務の傍ら、実に様々な社会活動をされています。その活動は北九州市にとどまりません。語りだすとすぐに1冊の本になります。
 山下さんはアルピニストです。昨年はマッターホルンに登頂しました。下山してきたら、シェルパーや登山仲間から大きな拍手が沸き起こったということです。山下さんは60代後半なのです。快挙というべきでしょう。今年はアイガー、来年はモンブランに挑戦するらしいです。実にお元気なシニアライフです。仕事も趣味も社会活動も。見習わなければなりません。

■ 自立応援団宮田喜代志さん(2002年6月19日)
 宮田さんは以前も登場しましたが、熊本でくまもと農業経営情報研究所を主宰する傍ら、自立応援団というNPOの理事長をされています。コムケア仲間です。来月7日に宮田さんに頼んで熊本でNPO交流会を開く予定ですが、その相談に来てくれました。
 コムケア活動に取り組みだして、各地のNPO関係の人にかなりお会いしましたが、宮田さんほど明るい人はめずらしいです。自立応援団は知的障害のある人の自立を支援する活動なのですが、実に明るくお会いしていて楽しいのです。その秘密を学ばなければいけないと思っています。
 宮田さんはきっとまた時々このホームページに登場するはずです。

■ 日本NPOセンター事務局長田尻佳史さん(2002年6月19日)
 コムケア活動についての助言や支援のお願いに田尻さんを訪問しました。この活動をはじめる時にもいろいろアドバイスをもらいましたし、実際にご支援もいただきました。私はこの分野では全くの新参者ですので、かなり非常識な取り組みをしていますが、それもまわりにこうした専門家の方がいるので安心して冒険ができるのです。
 今回は企業の社会貢献活動と市民活動とをつなげる仕組みについてのアドバイスをもらいました。今年の活動の一つの課題にしようと思っています。

■ 日本食文化交流協会東山雅之さん(2002年6月20日)
 食文化に取り組んでいる東山さんが来てくれました。別コーナーで書いていますが、「生命にやさしい食べものに関する情報交換ネットワーク準備会」という長い名前の集まりの呼掛けをはじめたのですが、それについて意見交換させてもらいました。
 東山さんは、こうした活動にずっと取り組んでいます。ネットワークのところでも紹介していますが、日本食文化交流協会を立ち上げ中です。毎月東京で交流会も開いています。ご関心のある方は、日本食文化交流協会のホームページをご覧下さい。

■ 慶応大学湘南キャンパス櫻田周三さん(2002年6月21日)
 櫻田さんとの付き合いはもう10年を超えました。櫻田さんがまだPHPにいた頃です。取材を受けたのが縁でした。櫻田さんは今は、慶応大学湘南キャンパスにいますが、学生とNPOをつなげるような実践的なプログラムを開発し、展開しています。コムケア活動にも参加してくださり、昨年の最終選考会のプロデュースもしてくれました。
 シニアの人たちの社会的事業起こしを支援するSIS(シニア・インキュベーション・サポートシステム)なる仕組みを一緒に企画したこともありますが、ちょっと早すぎた感があり、残念ながら実現しませんでした。この仕組みは今でも面白いと思っていますが、コムケア活動にその理念は少しつながっています。
 櫻田さんはこれまでの活動を通じてたくさんのネットワークやノウハウをお持ちですので、近い将来何か新しい仕組みを立ち上げるだろうと楽しみにしています。

今回は人中心に書き込みましたが、研究会やサロン、ワークショップなどもいくつかありました。これからの展開につながるようなものだけ、書いておきます。内容は徐々にまた書き込んでいきます。

経営道フォーラム研究会(2002年6月21日)
湯島でメンバーと研究の方向性について話し合いました。まだテーマが絞りきれていないようですが、きっと面白い切り口を見つけることでしょう。楽しみです。

地中海サロン(2002年6月21日)
大久保正雄さん主催の会が湯島で行われました。ワールドカップのせいか、残念ながら集まったのはわずか5人です。どうなりますことやら。大久保さん、がんばりましょう。

■ 美野里町まちづくり会議準備会(2002年6月22日)
土曜日ですが、美野里町で住民と職員による画期的なまちづくり会議の準備会がありました。都市計画マスタープランづくりに向けて、いよいよ住民のみなさんとの共創が始まります。

(2002年6月第2週)

■ なんちゃって記者会見&新聞づくりワークショップ(2002年6月9日)
美野里出版社主催の本づくりワークショップが開催されました。
チラシの呼びかけに応じて、30人近い人たちが全く自発的に文化センター建設工事事務所に集まりました。
美野里町中学校の柳澤先生のおかげで7人の中学生も参加してくれました。
本づくりの幹事会から各章の編集方針の説明があり、それを材料に参加者が取材し、新聞を作るという企画です。
日曜日、それもワールドカップの最中にも関わらず、埼玉県や東京からも参加がありました。
多摩市に住む法政大学学生の細谷さん、ここにも一度登場した埼玉県の川末さんです。
美野里町の隣の八郷町からもジャズファンの渡辺信人さんが参加してくれました。
みのり太鼓の会会長小村和博さん、みの〜れレストランでお仕事をされている塚本美智子さんなど、新たな参加者も数名ありました。
少しずつですが、広がりが出てきています。面白い活動には人が集まるのです。
みなさんもいかがでしょうか。
出版社への入社は今も受け付けています。
1万円で自分たちの本ができるのです。そして仲間が広がるのです。

今回のワークショップの面白さと意義をお伝えできないのが残念ですが、
まもなく出版社のホームページも掲載される予定です。

■創造支援工房フェイスの池本修悟さん(2002年6月10日)
池本さんはコムケア活動で知り合った人です。
大学院に在学していますが、創造支援工房フェイスを立ち上げ、メディアプロデューサースクールづくりに取り組んでいます。
フェイスのホームページもご覧下さい。
池本さんの問題意識をはじめてゆっくり聞くことができました。
私の考えているコムケア活動と非常につながっています。
池本さんもNPOの立ち上げを通して、たくさんの発見があったようです。
そうした知見が、社会的な資源として共有されていくことが、コムケア活動の目標の一つです。
池本さんからは、コムケア活動の理念はわかるが具体的な仕組みが見えないと指摘されました。
大いに反省しました。今年のコムケア活動では改善していきます。

ところで、コムケア活動を研究のフィールドにしてくれる学生や先生を探しています。
とてもいいフィールドやネットワークがあります。インターンシップも受け入れたいと考えています。
どなたかいい先生を知らないでしょうか。現場の大切を知っている実践志向の先生です。

■ 京都府神社庁での講演(2002年6月12日)
京都府神社庁の研修会で講演させていただきました。
「時代が動き出した、かもしれない」という曖昧な演題の講演です。
講演は嫌いなのですが、神社の人たちとの接点に興味がありました。

私のテーマはコモンズの回復ですが、まさに神社はコモンズの中心でした。
欧米では人が集まりだすと、まず真ん中に教会を作るという話がありますが、日本でも神社が人を集める求心力だったのだろうと思います。
今でも、初詣にあれだけの人が集まることの意味を、私たちはもっと真剣に考えるべきでしょうね。
神社が地域社会のために何かしようと思っても、宗教からの中立性という視点から行政はなかなか応援してくれないそうです。
首相の靖国参拝には私は否定的ですが、鎮守の森に象徴されるような地域社会の神社の活動には自治体行政はもっと共創すべきだと思っています。
国家神道とふるさとの神社、統治主体としての国家行政と住民自治の拠点としての市町村行政、そうした全く違うものが同じ言葉で一括して捉えられ、同一線上で議論されているのが残念です。

■ 岩屋神社禰宜の室田一樹さん(2002年6月12日)
神社庁に私を巻き込んだのは室田さんです。
このコーナーでも前に登場していますが、室田さんは岩屋保育園の園長でもあります。
全国神社保育団体連合会というのがありますが、そこが昨年「鎮守の森を保育の庭に」という本を出しました(学研から出版されています)。
とてもいい本です。残念ながら、こういう本は「うちわの関係者」にしか読まれないのです。
もっと外に向けて情報発信していけばいいのにと思うのですが、日本は内輪向けのパフォーマンスが優勢の社会です。
もったいない話です。

話がそれましたが、室田さんの保育園を見せてもらいました。
感動的でした。
何が感動かは説明が難しいですが、ゼロ歳児も含めて、園児を主役としたデザインがなされているのです。
3歳までは個人に合わせたグループ保育、それ以後は逆に異年齢保育です。
基本にあるのは、年齢という枠から自由になるということかもしれません。
園児たちの動きに、自己組織化された、まさにコモンズを感じました。
子どもたちが素朴に土と触れているのも印象的でした。
園庭に小さな小川が流れていました。稲田までありました。
昔、仲間と設計した保育園のモデルを思い出しました。
それはおそらく日本で最初の駅型保育園の提案でしたが、実現できませんでした。
鎮守の森に隣接した岩屋保育園はとても気分のいい空間でした。
こうした空間がもっと社会に開かれていくと地域社会は変わって行くだろうと思います。

岩屋保育園のホームページがあります。
室田さんの保育観、子供観もていねいに書かれています。ぜひご覧下さい。
http://www.iwayanomori.org

■ 夢の実現に取り組む三浦美香さん(2002年6月12日)
比良山麓の里山にだれもが気持ちよく生活できる世界を創りたいと念願している三浦さんにお会いしました。
これも室田さんのおかげです。
比良山は琵琶湖の湖西にある山です。
ファンも多く、比良山の表情を毎日ネットで紹介している人もいます。
その山麓にある里山に、三浦さんは思いを込めています。
そこは立地がいいため商業主義的な開発が進む恐れがあるのですが、三浦さんはそこを活かしながら残したいと考えています。
子どもたちにも誇れる活用策を考え、その里山の持ち主に提案したいと考えています。
一人では解決できないテーマです。
どなたかいいアドバイスがないでしょうか。
そうした活動の事例などあれば、ぜひ教えていただけないでしょうか。

■ 北九州市の川口正信さん(2002年6月13日)
川口さんは北九州市役所の小倉北区のまちづくり推進課長です。
風のまちの住民でもあります。
理念を持って実践に取り組んでいます。
自治体職員はいま、実に面白い時代を生きていると思いますが、ほとんどの人が退屈しているような気がします。
しかし、川口さんは違います。
その川口さんから、小倉北区の自治会・町内会のアンケート調査の報告書が届きました。
その調査結果をもとに、全町内会長と一緒に今後のまちづくりを考えていくということです。
川口さんの手紙の
一部を、ご紹介します。

(この調査を実施したのは)どのような課題に取り組むにせよ、自分たちが立っている場所を明らかにしないと前に進んで行くことはできないと思ったからです。

さらにこうも書いています。

町内会や神社の問題など地域の根幹にあるものを考えた場合、私たちの思考の深部にあるアメリカの占領政策の影響から抜け出さないと日本における民主主義についての真の議論ははじまらないような気がします。

全く同感です。美野里町でいま、町内会起点のまちづくりにかなり躊躇しながら取り組みだそうとしていますが、すごく勇気付けられました。
神社におけるコモンズ回復も、この視点がなければだめだと気がつきました。
町内会と神社。これからのまちづくりを考える上で最も重要なテーマかもしれません。

■ コムケア活動新規募集方針の検討(2002年6月13日)
コムケア活動の新規募集を6月30日に発表します。
昨年度の体験を踏まえて、前進します。
この活動は「大きな福祉」を目指したコミュニティケアのつながりが目標ですが、さまざまな方々の参加が不可欠だと思っています。
このホームページにも紹介がありますが、皆さんにもぜひご支援いただきたく思っています。

6月30日にコムケアフォーラムを実施しますので、ぜひご参加下さい。人生が変わるかもしれません。

■美野里町都市計画マスタープランづくり本格始動(2002年6月14日)
美野里町の都市計画マスタープランのミーティングを行いました。
この取り組みは次の点で特徴的です。
・ 公募の住民と職員からなるまちづくり会議が計画づくりの中心
・ 行政側の事務局は4課合同(縦割り行政への挑戦です)
・ 町内会の活動も重視
こうした基本方針が合意されました。
しかし、これからが大変です。

■美野里町のいろいろな人(2002年6月14日)
美野里町の文化センター建設現場の前で、ぶらぶらしていたらいろいろな人に会いました。

これが地域社会の面白さです。
花を育てている農業者の山口さんに久しぶりにお会いしました。
山口さんは美野里町の文化センター構想の最初の住民委員の一人です。
総合計画作りにも参加してくれました。
今は、以前ご紹介した文化センターに隣接するレストランの経営にも関わっています。
たまたまそのレストランを利用していた美野里町議会の荒川議長にもお会いできました。
レストランの名称を決める委員会の時にご一緒でした。
ところで、このレストランは名称を「みのりの森のレストラン キャトル・セゾン」です。地産地消とお洒落さを組み合わせたレストランです。
夜の住民たちとの集まりの会場に向けて歩き出したら、社会福祉協議会の石川さんが通りがかりました。
彼女の車で会場まで送ってもらいましたが、その車中でもたくさんの情報がもらえました。
まちづくりに関わっていると、こうした個人的な交流が広がります。
町民や行政職員よりも、ある意味での情報通になれるかもしれません。
但し、そのおかげで休日の朝に直接に電話の相談が来ることもあります。
論理的相談ではなく、感情的カウンセリングです。つかれます。
実はこの記録を書き込んでいた15日もそうでした。
共創型のまちづくりに関わると土日がなくなってしまかねません。

ちなみに夜の集まりは、私も出資している美野里出版社の幹事会でした。
今回はそれほど重くなく、少し軽やかになりました。

倒産せずにすみそうです。

(2002年6月第1週)

個人ホームページのコーナーで紹介した出口さんのホームページを読んだら、私の書いているこの週間報告が皮相で退屈なものと反省させられました。
いや、ホームページが皮相なのではありません。
むしろその背景にある私の生き方が問題なのですね。
スローライフの先達の鈴木章弘さんから「もっとのんびりしてください」といわれました。たしかにそうです。
そういえば、サンチャゴ巡礼の話が増えてきました。
黛まどかさんも今月また出かけるそうですが、鈴木さんも2週間ではありますが、サンチャゴに行くとのことです。
ちなみにサンチャゴ巡礼の映画作りは順調に進んでいるようです。

反省を込めながらの今週の報告です。予告的な記事を中心にしました。

■ 第2回わくわく政治談議(2002年6月3日)

今回は「税金について考えよう」というテーマでした。
話し合いの内容は「わくわく政治談議」コーナーに報告や感想がありますので、ご覧下さい。
いかに税金について知らないかを思い知らされました。政治への関心以前の問題です。
市町村の役場に「税の話をしよう」という財務省発行の立派な小冊子が置いてあります。
無料です。立派な小冊子です。ぜひもらって読んでみてください。
おかしいことがたくさんあることに気づきます。
それにしても日本国債の評価が下がっているのは当然です。
日本の財務官僚は外務官僚に劣らず絶望的ですね。使命感がなさすぎますね。

■ エコソシオの野原敏生さん(2002年6月6日)

エコソシオはエコロジーとソシオロジーを統合させた造語ですが、会社の名前です。
マーケティング会社に勤めていた友人の野原さんが、仲間と一緒に創設した会社で、野原さんの思いが込められています。
一般の企業の営利事業や公共事業がらみでは実現できないような、環境関係のプロジェクトにみんなで取り組みたいというのが野原さんたちのビジョンでした。
共感しました。共感ついでに私も参加し、監査役になってしまいました。
現実はなかなか難しく、野原さんは苦労していますが、
着実にビジョンの実現に向けて進んでいます。
今は食文化や食育に取り組みだしています。
面白いプロジェクトへの取り組みも始まっています。
食や環境にご関心のある方は、ぜひ野原さんにアクセスしてください。
野原さんのことはまたご紹介していきたいと思いますが、今日はまあ予告です。
ホームページがまだ十分ではないようですが、ご覧下さい。
これから面白くなっていくはずです。

■ NPOアグリの加藤雅之さん(2002年6月6日)

野原さんが目指しているのも、ある意味で社会的起業ですが、もう一人、これまた社会的起業家のお一人である加藤雅之さんがやってきました。
加藤さんはいま、大井町商店街の活性化に関わっていますが、時々その報告に来てくれます。
毎回、構想を広げながら、実に着実に、思いを形にしていっています。
加藤さんが取り組んでいる構想をどこまで公開していいのかわかりませんが、個別課題解決型の取組みではなく、多様な関係当事者を活かしながら、編集による相乗効果を高める、まさに社会的事業家発想をしていることです。
おそらく年内には加藤さんたちの取り組みは外にも見えてくるでしょう。
またご報告しますが、新しい商店街活性化、まちづくりなどのモデルになっていくのではないかと思います。

■ コムケア活動のスタッフミーティング(2002年6月6日)

コムケア活動の今年度の資金助成プログラムを開始します。
住友生命社会福祉事業団から資金助成の事務局を委嘱されているのです。
このプログラムについては、詳しくはコムケアセンターのホームページを見てほしいですが、思い切り自由にやらせてもらっています。
この分野では実績が皆無の私に、しかもこれまでの発想とはかなり違った取り組みをさせてくれている住友生命に、非常に感謝しています。
しかし、非常に苦労もしています。時々、引受けたことを後悔しています。
自由にと言うのは責任も重いのです。
このプロジェクトを引受けてから、精神的負担はかなりのものです。
夜中に心配で目がさめることも少なくありません。
しかし、3年間は継続する予定です。
理念を共有する仲間が少しずつですが、できてきているのがうれしいです。
このプロジェクトに関しては、これからこのホームページでもできるだけ紹介して行く予定です。
コムケアセンターのホームページも時々チェックしてください。
これからは毎週更新します。ご支援下さい。

このプロジェクトを手伝ってくださるボランティアスタッフを募集しています。
私のパートナーも、です。
共創型相互支援の輪、ケア社会の回復が、私の思いです。
ご関心のある方はぜひご連絡下さい。

■宮城大学半田智久さん(2002年6月6日)

半田さんは何回か登場していますが、日本構想学会の構想者であり、宮城大学事業構想学部の構想者でもあります。
今回はは予告的な紹介です。

グレートブックセミナーを東京でやることを計画しているということです。
これについてはすでにご案内したことがありますが(別項ご参照)、人類の財産である良書(グレートブック)を読む集まりです。
読書会ではありません。私が考えている、知のグラウンドワークのひとつに近いかもしれません。
すでに仙台で実施していますが、それを首都圏で行うということです。
とりあえず6回シリーズで、これに参加すれば6冊の古典を消化できる仕組みができています。
半田さんが目指しているのは、
学びの場です。有料会員制です。
私は参加します。どうでしょうか。参加されませんか。
今であれば、何人かの参加者枠を半田さんからもらっています。

ご関心のある方はご連絡下さい。

もう少し詳しい情報を提供します。

*CWSフォーラムに半田さんが投稿していますので、ご覧下さい。(6月10日追記)

(2002年5月第5週)

■ 美野里町都市計画マスタープラン(2002年5月27日)

美野里町都市計画マスタープランづくりがいよいよ本格的にスタートします。
役場の管理職を中心としたキックオフの呼びかけが行われました。
思いは大きく、都市計画マスタープランの新しいスタイル「美野里町モデル」への挑戦です。
計画内容は住民と役場職員の混成チームであるまちづくり会議で議論し、起草は公募によって集った役場職員です。
こうした取り組みに踏み切った美野里町役場の関係者に敬意を表します。
私たちは外野チームとして応援していきます。
進捗状況はまちづくりの美野里町コーナーで報告していきます。

■ 鳳林院竹内さん(2002年5月27日)

美野里町文化センター本づくりの相談で、美野里町の鳳林院ご住職の竹内ご夫妻を訪問しました。
奥様は文化センター構想のときから参加されています。
ご夫妻で、ずっとお寺で「いい音楽を聴く会」を主催されてきました 。
こういう活動が地域文化を豊かにしていくのだろうと思います。
今度はご自分の敷地に音楽や美術に触れあう喫茶店をつくる計画をお持ちです。
そういえば、美野里町にはもうおひとり、喫茶店計画をお持ちの方がいます。
「みのり人」という住民情報紙の編集に参加している大塚さんです。
サロニストとしてはとても楽しみです。

■ 台湾の呉さんがやってきました(2002年5月27日)

台湾の高雄で仕事をしている呉金倉さんはCWSコモンズ村の村民でもあるのですが、国際JCの大会で来日されました。
彼は日本に留学していたのですが、その頃、私のオフィスで行っていた留学生サロンによくやってきた人です。
大学卒業後、台湾に帰り、会社を興し、仕事を始めました。
主な仕事はピンバッチの製作や貿易業務です。
ピンバッチご入用の方はぜひ彼に発注してください。
彼の人柄は私が保証します。
また台湾に関係あるビジネスの話があれば、ぜひお知らせ下さい。

■ 福岡市ビジターズ・インダストリー検討会(2002年5月28日)

前にもご報告したプロジェクトの最終会でした。
まとめ役の玉井さんがこれまでの議論を見事にまとめてくれました。
まとめの内容は私からは説明できませんが、間もなく形になっていくでしょう。
そして、きっと新しい風が吹き始めるでしょう。 そ

れにしても、今回の住民中心の研究会は活気にみちていました。
福岡市の人は実に自由闊達ですね。
行政が呼びかけての会で、こんな生き生きした議論は久しぶりでした。

■ 玄洋社記念館(2002年5月28日)

福岡に行く飛行機の中で「日本人のこころ5」を読みました。
この本は、五木寛之さんのシリーズですが、黒岩比佐子さん(「音のない記憶」の著者)が時々CWSフォーラムに投稿されているように、黒岩さんがシリーズの構成に関わっています。
今回は沖縄と福岡が取り上げられています。
その本に、福岡市の玄洋社記念館と高場乱の話が出てきます。
興味を持ちました。
そこで研究会の前に記念館を訪問しました。
残念ながら事務局の人が不在で、入れませんでしたが、なにか雰囲気は実感させてもらいました。
玉井さんにその話をしたら、よくご存知でした。
高場乱という人に非常に関心を持っています。
どなたかご存知の方は情報を教えて下さい。

黒岩さんから、読売新聞西部版に玄洋社のことが長期連載中であること、そのすべてのバックナンバーが、次のホームページで読めること、第2部に高場乱のことが出てくること、を教えてもらいました。ご関心のある方は見てください。面白いです。 

http://kyushu.yomiuri.co.jp/genyou/genmain.htm

■ 経営道フォーラム第31期スタート(2002年5月30日)

企業の経営幹部の方々の研究会のアドバイザーをしています。
山城経営研究所の経営道フォーラムのプログラムです。
もう16年目です。毎年半年単位でメンバーが変わります。
今日はその31期のスタートの合宿でした。
私が毎年担当するテーマは「企業理念・経営理念」です。
理念というと難しそうですが、要するに「会社ってなんだろう」ということをちょっと立ち止まって考えてもらおうということです。
会社のあり方を考えることは、実は自分の生き方を考えることなのです。

今回のメンバーは6人です。
偶然ですが、経理関係の人が多いのです。
OBM研究会で岡田さんが、経理の仕事はどういう意味があるのだろうかと非常に理念的な問題提起をされたことは以前、報告しましたが(いや書き込んでないかもしれませんね)、経理関係の経営幹部の方々が、理念に関心をお持ちになってきたことに、実に象徴的な意味を感じます。
いろいろ興味ある思いが交換されました。
活動成果の発表会は半年後です。
ご期待ください。またご案内します。

■ ソフト化経済センターの町田洋次さん(2002年5月31日)

久しぶりにソフト化経済センター理事長代行の町田洋次さんに会いに行きました。
コムケア活動のアドバイスをもらいに行ったのです。
私は非常に短絡的に反応してしまうタイプですが、町田さんはいつも沈着冷静なのです。

町田さんとは古い付き合いです。
まだ私が東レにいた時代、新規事業開発が関心事だったのですが、1980年頃、町田さんが米国で広がっていた病院チェーンを日本に紹介してくれました。
確かそれが町田さんとの最初の接点でした。
今でこそ、NPOのマネジメントという発想は広がっていますが、当時はまだ少なかった時代です。
当時、私が関心を持ったのは、公益組織の経営と自治体の経営です。
企業がそこから学ぶべきことはとても多いのではないかと考えていました。
後者では米国のシティ・マネージャーに関心を持ちましたが、これについてはその後、相馬市の職員の遠藤さんという方に出会いました。
遠藤さんのことはいつかまた紹介できると思いますが、日本では数少ないシティ・マネージャーに造詣の深い方です。

町田さんに話を戻します。
最近、社会的起業家という言葉がよく目に付きますが、この言葉を広めた一人が町田さんです。
「社会起業家」(PHP新書)という本を出していますが、とてもわかりやすく、示唆に富んでいます。
ぜひお読みになることをお勧めします。
この本を読んで、生き方を変えた人も少なくありません。
この本の反響は大きく、出版後、町田さんは2000人くらいの人にお会いになったり、お話したりしてきたそうです。
そうした中から、町田さんはまた新しい仕組みを構想中らしいです。いつか見えてくるでしょう。楽しみです。

町田さんが主催された社会的起業家の研究会に以前、私も参加しましたが、その報告書に書いた小論を掲載します。 ご関心のある方はお読み下さい。  

コモンズ回復の主役としての社会的企業

■ 大阪市立大学川村尚也さん(2002年5月31日)

川村尚也さんとは数年前にご一緒に働き方や生き方に関する研究会を行ないました。
川村さんは、これからの企業組織のかたちとして「多個協働・異化組織」、つまり「タコ・イカ組織」を提唱されました。
そのときの報告書は「楽しい自分 元気な経済」と題した報告書になってまとめられています。
私の手元に2部ありますので、関心のある方はオフィスに来てくださったら差し上げます。
そこに書いた私の「はじめに」的な文章を掲載しました。
いつも同じようなことをメッセージしているなと、久しぶりに読んでみて感じました。

当時、川村さんは甲南大学の助教授でしたが、その後、大阪市立大学大学院に移られました。
いま、企業人を対象にした、異業種交流のプログラムを開発しているとのことです。
そこに遊びにこないかというお誘いでした。

川村さんはちょっと異色の大学の先生です。
ホームページを一度ご覧下さい。

オープンサロン(2002年5月31日)

今日はとてもめずらしい人が参加してくださいました。
浜離宮恩賜庭園の管理所長の荒井恵子さんです。
せっかくすばらしい公園なのに、入園者は余り多くはないようです。
荒井さんは、それが残念で、浜離宮庭園の良さを情報発信し、所長に就任後、1年で入園者を5割以上増やしたそうです。
私たちは、公園をゆっくり楽しむことがなかなかありません。
公園と生き方がかなり切り離されているような気がします。
公園との付き合い方も面白いテーマです。いや、公園という概念そのものが興味ある存在です。
サロンの概要は別コーナーに紹介しています。

■ コンサートのドアマンをやりました(2002年6月1日)

今日は女房が参加している我孫子市の女性合唱団「道」の発表会でした。
私は「会場扉管理係」という役目をおおせつかりました。
内緒ですが、女房はたぶん「音痴」です。
ところが不思議なことに合唱になると、なぜかうまく聴こえるのです。
人の和の不思議さをいつも感じます。

今回のコンサートは、沖縄民謡からシャンソンまで、幅広いものでした。
女房のおかげで、沖縄民謡のいくつかをいつの間にか私も歌えるようになりました。
それほど私は聴かされているわけです。いやはや。

合唱団の先生は谷篤さんです。
私も谷さんのコンサートを聴かせてもらったことがあります。
個性的で、新鮮でした。すごく印象的だったのが、二つの語りでした。
宮澤賢治の「雨ニモマケズ」と「パイドロス」です。
パイドロスはプラトンの「対話」に出てくるソクラテスとパイドロスの対話の朗唱です。とても感動的でした。
朗唱といえば、古代ギリシアの会のパウサニアス・ジャパンの第1回目のフェローの明神さんのイリアスの朗唱も圧巻です。
朗唱は、まさに人間だけに許された文化です。
今回も谷さん自らが語り回しを演じる刺激的な演出もありました。
谷さんの朗唱はチャンスがあれば、ぜひお聴きになることをお勧めします。

話がそれましたが、道のホームページもあります。
お暇の方は見てやってください。
私のこのホームページよりずっときれいで楽しいですから。
その創り手の梶浦さんも今日はドアマンでした。

(2002年5月第4週)

今週は辛い1週間でした。最近、土日に行事が続いており、ゆっくり休めないのですが、その疲労が蓄積され、加えて脳疲労状況で、軽い言語障害?や名前の呼び違いが続出し、ちょっと危ない状況でした。
今週、お会いした人にはお詫びします。
めげずに、 いくつかの出会いや活動を紹介します。

■ 美野里町都市計画マスタープラン湯島会議(2002年5月20日)

美野里町の都市計画マスタープラン作りに取り組んでいますが、そのチームの作戦会議です。
前から紹介しているように、美野里町では住民に本当に役立つ計画づくりにしたいと考えています。
そこで、美野里町と相談して、都市計画マスタープラン美野里町モデルというのを検討しています。
その考え方を別項に掲載しますので、ご関心のある方はお読み下さい。
それなりの自負をもっての、取り組みです。
成否はわかりませんが、応援団を募集したいです。
また、新しい都市計画(さらにはもっと広義に行政計画)づくりに関心のある方、ぜひご連絡下さい。情報交換したいです。

このチームの行動主体は、東京理科大学の大月研究室です。
大月さんは以前にもご紹介しましたが、スラムや民家や同潤会アパート、コアハウジングにはまっている建築家です。
大月さんの研究室のホームページと同潤会の建築を考える研究会のホームページをご紹介します。
ご関心のある方はぜひとんでみてください。

■ 経営道フォーラム発表会(2002年5月21日)

お知らせでご案内していた経営道フォーラムの第30期の研究成果報告会が東京の椿山荘で行われました。
経営者には道が必要だという、故山城章博士の強い思いで始まった活動です。

私がコーディネーター役をしたチームは『「社会企業」調査を通じて「人は何のために働くか」を問う』というテーマで、NPOやコミュニティビジネス、ワーカーズなどの新しい事業主体をヒアリングしながら、これからの企業に求められる経営理念を考えてきました。
メンバーは、小嶋さん(インフォメーション・テクノロジー・ソリューション)、蘇田さん(NTTドコモ)、高橋さん(日本情報通信)、矢内さん(東洋エクステリア)、酒井さん(日立ビルシステム)の5人です。
知識で考えるのではなく、体験を通して自分の言葉で考えるというのが私のアドバイスなのですが、今回もそうした姿勢で楽しんで?くれました。私も楽しみましたが。
その報告書の結語を紹介します。報告書全文をお読みになりたい方は、まもなくこのホームページに掲載します。

これからの企業は20世紀までのように上からの想いを押し付けるだけでなく、性別、年齢に関わらず個性をぶつけ合い、多様性を活かして、社員一人ひとりの「思い」を全体の「思い」として融合・調和させていくべきであること、そして企業を「感動」の場とすること。これがわれわれの結論である。

チームの一人が、今回の体験で「目からうろこが落ちた」といいました。うれしいことです。そして、この5人の皆さんは、この経験をそれぞれの企業で実現に向けて動き出そうとしています。
そうですよね、チームのみなさん。
企業は間違いなく変わっていきます。

■ CWSコモンズ村寄り合い(2002年5月22日)

私はCWSコモンズ村の村長なのです。村民はまだ20数名ですが、その村で使っていくコモンズ通貨の相談会をやりました。通貨単位は「ジョンギ」になりました。 「ジョンギ」ってご存知でしょうか。この言葉が私たちの村のキーワードになりそうです。 これについての「ジョンギコーナー」を別に作りました。これから内容をふやしていきますが、まずはコモンズ村のメーリングリストのやり取りの一部を書き込んでおきます。情報をお持ちの方、ぜひお寄せ下さい。

CWSコモンズ村は日本と違って難民の受け入れにも積極的です。
もちろん惰民も愚民もホームレスも誰でも歓迎です。
みなさん、いかがでしょうか。 棲みやすいところですよ。

■ 第3回OBM研究会(2002年5月23日)

OBM研究会も3回目です。毎回、面白く、示唆に富む研究会になってきました。
もっと多くの人たちに聞いてほしい話が続いています。

今回は「京セラのアメーバー経営とOBM」をテーマに京セラコミュニケーションシステムの林さんと清水さんから問題提起をしてもらい、議論しました。内容をほんの少しだけOBM研究会のコーナーに紹介しました。
議論が時間切れの感じだったので、次回も京セラ事例を継続する予定です。
ご関心のある方はご参加下さい。 刺激的な会です。

■ サービス&アドボカシー森の番人(2002年5月24日)

埼玉県北本市で、地域福祉のネットワークづくりに取り組んでいる市民グループです。コムケア仲間です。代表の高橋さんは日本社会福祉事業大学の先生ですが、これからの福祉活動は専門家のみで進めるのではなく、常に介護者などのサービス利用者と一緒にとりくんでいくのがいいというお考えです。共感します、
私が取り組んでいるコムケア活動はまさにそうした視点なのですが、なかなかそうした気持ちで取り組んでいる専門家にはお目にかかれません。 今回は森の番人の事務所で社会福祉士、ホームヘルパー、民生委員の方々と意見交換させてもらいました。

このグループには他にも様々な専門家が参画していますが、行政職員だけが参加していません。
それは北本市に限らない状況です。
なぜか行政職員は、ただの住民にはなりにくいようです。そこに、日本の自治体行政の大きな問題があるようです

森の番人の活動はまもなく、コムケアのホームページにアップしていく予定です。

■ 第3回コムケアサロン (2002年5月24日)

今回はNPOコンサルタントの大川さんにファシリテーター役をお願いして、NPOのあり方に関するワークショップを行いました。
松原さんも参加してくれました。
この集まりもなかなか面白く、もう少し参加者がほしいと思っています。
NPO関係者以外の方も参加していますので、ご関心のある方はぜひご参加下さい。

次回は6月27日です。まもなくお知らせでご案内します。

NPO以外の参加者のお一人、那須さんは昨年、企業を辞めて今、大学でソーシャルサポートを学ばれています。
技術者ですが、会社を辞めた理由は、自分が取り組んでいる最先端の技術開発が本当に意味があるのだろうかという疑問だったそうです。こういう話を聞くと、本当に日本も変わろうとしているんだなとよくわかります。

サロンでは、企業とNPOとどちらが、市場では優位か、という議論までありました。
そろそろNPOの本質論議を始めるべき時代です。
まだまだ行政や企業の補完的存在という見方が強いように思いますが、私は今の社会構造をパラダイム転換させる起爆剤と考えています。
それにしてもNPO(非営利組織)という名称はよくありませんね。

(2002年5月第3週)

■ 地域通貨制度研究会(2002年5月14日)

JA兵庫六甲が呼びかけて、神戸西区を中心にした「たべもの通貨」を考えようというプロジェクトがスタートしました。
いわゆる地域通貨です。
地場の農業が産する農産物で価値を担保する「農産物本位通貨」です。
コミュニティを育むと同時に、地域で支援する農業を目指そうという思いもあります。
地産地消という言葉もありますが、地域で支える農業(CSA)という取り組みもこれからの社会のあり方を考える重要なテーマです。
なぜ神戸なのかとは思いますが、研究会の成果は思い切り公開するというので、私も荷担することにしました。

地域委員の他には3人が参加しています。ゲゼル研究会代表の森野栄一さん、環境経済学の植田和弘さん、そして私です。
私だけが必然性がありませんが。

すでにご案内のように、私もコモンズ通貨をコモンズ村で立ち上げていますが、設計が完成していません。
しかし実に面白いテーマです。
ちなみにお知らせのコーナーにあるようにコモンズ通貨の検討会が今月22日に予定されています。
ご関心のある方はどうぞ。

神戸の会でも発言したのですが、私は人のつながりには2種類あると思います。
「とりあいのつながり」と「わかちあいのつながり」です。
この50年、私たちは取り合いのつながりを機軸に社会をつくってきました。
それは金の切れ目が縁の切れ目になる社会です。
そろそろそんな社会から抜け出たいと思います。
私が取り組んでいるコモンズの回復やコミュニティケアは、そうした思いがあるのです。
分かち合いのつながりを生み出す「通貨」を創出する必要があるのです。

神戸のたべもの通貨に関しては、まもなく情報公開されていくはずです。

■ 美野里出版社(2002年5月15日)

美野里町の本づくりの推進母体として「美野里出版社」が生まれました。
まだメーリングリストですが、本の出版で利益が上がれば?会社ができるかもしれません。
しかし、現実は厳しく、なかなか出資者が集まりません。
ちょっと心配ですが、人生心配があるから楽しいのです。
今日は制作委員会でしたが、ちょっと暗かったです。

美野里町の本づくりの話は活動記録に何回か書きましたが、参加されませんか。
面白い体験ができますよ。

ちなみに、出版社のメーリングリストは「風のまち」のメンバー同士である、山形市の佐藤一大さんと美野里町の中本正樹さんがメールでやり取りして実現しました。
しかも実際に立ち上げて管理者になってくれたのは美野里町の中央高校出身で今は埼玉の大学にいる川末さんです。
これがIT時代の面白さです。出版社では原稿入力や編集作業などのボランティアを募集しています。
参加するには無償どころか参加費が必要なので、ちょっと勧めにくいのですが、でもきっと参加してよかったと思いますよ。
それに名前が本にしっかりと入りますし。

■ 美野里町の社会福祉協議会の石川さんに会いました(2002年5月15日)

石川さんはパワフルな女性です。
一昨年、美野里町で魅力発見隊という活動をやりましたが、その時に参加してくれました。
その時は魅力マップを作ったのですが、福祉マップをつくりたいとおっしゃっていたのが気になっていました。
そこで先週紹介した「住民流福祉研究会の支え合いマップ」の話をしに行きました。

美野里町ではいま、都市計画マスタープラン作りを進めています。
そこにぜひ福祉の視点を入れたいのです。
まちづくりも都市計画もつまるところは福祉につながっています。
しかし、今の都市計画の発想では両者はなかなかつながりません。
どうつなげていくかがこれからの課題です。
石川さんと話して、その接点が見つかりました。

都市計画とは離れますが、社会福祉協議会がこれからどう動くか、非常に興味を持っています。
その動きようによって、おそらく未来は大きく変わるからです。
社会福祉協議会の新しい動きについて、いろいろ知りたいと思っています。
情報をお持ちの方、ぜひ情報をお寄せください。

■ 山形市共創プロジェクト(2002年5月16日)

山形市の共創プロジェクトで出前講座に取り組むことになりました。
出前講座は今、各地の自治体に広がっている活動です。
行政職員が住民の集まりで出かけて行って、行政課題やまちづくりに関して話をする仕組みです。
全国で1000近い自治体が実施しています。

以前、「社会教育」編集長の近藤眞司さんに誘われて出前講座研究会というのをやっていました。
その時に書いた雑文を別項に掲載しますが、この仕組みはまさに私のテーマである「共創」につながります。
但し、多くの出前講座は「講座」にとどまっているように思います。
もっとまちづくりの視点が必要です。
この点では、ブックのコーナーで紹介した地域学とのつながりが重要です。
ただ行政が自分たちのやっていることを知ってもらおうという活動ではもったいないです。
出前講座が流行で、いまや全国に広がっていますが、ビジョンやミッションの議論が弱いのが気になります。
これは最近の自治体行政の風潮でもありますが。
山形市ではそうした流行にとどまらないように、第2世代の出前講座を創出してほしいなと思っています。

■ 某上場企業社長のカウンセリング(2002年5月17日)

このホームページを読んでいる人から、いろいろやっているが、どうやって収入を得ているのか、と質問されました。
たまには仕事の話も書かないと現実味がないようです。
仕事の話はなかなか公開しにくいですが、今回はややぼかした形で(私の好みではないのですが)報告します。

某社の社長と月に1度お会いして相談に乗ったり、ささやかなアドバイスをさせてもらったりしていますが、今日はその日でした。
そういうこともやっているのです。

関連していつも思うことがあります。
企業のトップも自治体の首長も、ブレーンによって大きく変わりますが、日本の場合、ブレーンの作り方や活かし方がうまくないような気がします。
あまりに自分を過信したり、迎合的な人をブレーンにしたり、ブレーンに使われたり、とても残念です。
もう少しブレーンや参謀を選べといいたいです。

トップに限りません。人はやはりブレーンを持っておくことが大切です。
皆さんはブレーンをお持ちですか。
私はもちろん持っています。
総合的なブレーンとテーマ別に数人のブレーンを、です。
感謝しています。

■ 新潟リッセの佐藤裕さん(2002年5月17日)

新潟リッセの専務理事の佐藤裕さんがやってきました。
彼は哲学者にして、挑戦者です。
10年を超える付き合いですが、インキュベーションハウスの仲間でもあります。
いつかブックで紹介した「森をつくった校長」を私に紹介してくれたのも彼です。
彼は読書家でもあります。

彼は新潟の流通団地を活動舞台にして新しい風を次々と起こしています。
たとえば今年は組合としては初めて、日本経営品質賞に挑戦して、チャレンジ賞を取 りました。
それはほんの一例です。
裕さんの体験をぜひ本にまとめてほしいと思っています。
来年にはこのホームページのブックで紹介できるでしょう。
現場発の本には情報が山積みです。
そして現場にはすばらしい人がたくさんいます。
リッセのホームページもご覧下さい。  

(2002年5月第2週)

今週は休日の活動を中心に報告させてもらいますが、平日も結構、インデックスになる人との出会いがありましたので、簡単に紹介します。

■高野美智子フラメンコ教室発表会(2002年5月6日)

お知らせでご案内していた清水めいこさん(山形市の政策塾のメンバーでもあります)のフラメンコ発表会に行きました。私にとっては初めてのフラメンコでした。高野美智子さんの三つの教室の合同発表会でした。清水めいこさん所属の山形組が一番輝いて見えました。「ひいき目」でしょうか。人とのつながりで世界は違って見えてくることが良くわかります。世界中の人が知り合えれば、戦争などはおきません。

女房も一緒だったのですが、彼女は私以上に感激していました。それにしてもフラメンコはすごい重労働ですね。感心しました。もちろん情熱的でリズミカルな動きにもタップ(というのでしょうか)の硬い音にも引きずり込まれる魅力がありました。ギターもよかったですが、バックでうたうお二人(アギラール・デ・ヘレスさんと鞍掛和子さん)の歌がすばらしかったです。

先生の高野さんのフラメンコはさすがに迫力がありました。身体からまさに言葉が聞こえてくるのです。言葉ってなんだろうかと、余計なことまで考えさせられました。音楽も踊りも基本的にはコミュニケーションの仕組みなのだ、と改めて実感しました。それにしても、フラメンコのはじまりは何と何をつなぐものだったのでしょうか。闘牛と同じなのでしょうか。機械仕掛けのような動きを見ていると、大きな宇宙を感じてしまいました。

■元気印の丸山富美さん

丸山富美さんは伊南村に大きな風を起こした女性です。そのことはいつかまた紹介したいなと思っているうちに、今度は一転して、栃木県のハローウッズというところで新しい自然体験学習の場育てプロジェクト(ちょっと不正確かもしれません)に参加するということで、転居してしまいました。最も伊南村のプロジェクトはまだ続きますので、いつかきっとご紹介できます。キーワードは食といのちです。これは私の基本的なテーマでもありますので。

彼女が取り組もうとしているプロジェクトの概要はぜひホームページをご覧下さい。

■コラボレーション経営研究所の瀬谷さん

瀬谷さんはドラマのある人です。NTTデータの極めて個性的な経営幹部から、某社にスカウトされ社長に就任。その後、実にドラマティックな展開があって、今はお一人でコラボレーション経営研究所を主宰されている友人です。日本にコラボレーションという言葉を最初に紹介した本「マインド・ネットワーク」(1992年)の翻訳者です。瀬谷さんはコラボレーションを「協創」と訳されました。私は「共創」という言葉を使っていますが、思いはかなり重なっています。

瀬谷さんはコラボ経営塾というプログラムを事業の一つの柱としてお持ちです。企業変革に取り組みたい方は瀬谷さんに相談されるといいです。もっとも、一応私もその分野はビジネスドメインですので、考えてみるとコンペティターですね。まだホームページが作成途上ですが、まもなく完成予定らしいです。ご関心のある方は瀬谷さんにアクセスしてください。

ついでにもう一人、コンペティターをご紹介します。人と情報の研究所の北村三郎さんです。アソシエイツのコーナーにも紹介していますが、北村さんのホームページもぜひご覧下さい。企業変革に関しては多くの実績もお持ちです。他にもいろいな人がいますので、もしこんな人はいないかという相談があれば、気楽にご連絡下さい。コンペティションは人数が多いほど楽しいですから。適任の人をご紹介します。よほど物好きな人は、私に頼むのも一案ですが、それは余り得策ではないかもしれません。私は失敗の可能性が高いプロジェクトが大好きなので、危険です。それに費用が高いのです。ですからなかなかビジネスが成立しません。困ったものです。

■パウサニアス・ジャパンのサロン

古代ギリシアをテーマにしたパウサニアス・ジャパンの例会に参加しました。今回は、私たちが支援してギリシアに研究旅行に行っていただいた岩田圭一さんにギリシアでのお話をしていただきました。岩田さんは2月20日から4月日まで、ギリシアやイタリアを回ってきたのです。岩田さんは哲学が選考なのですが、ギリシアの島々をかなり回られてきました。

パウサニアス・ジャパンは別のコーナーで説明していますが、毎月サロンをやっています。古代ギリシアにご関心のある方の入会をお勧めします。まだホームページはできていませんが、できるだけ早く作成したいと思っています。若いメンバーが少ないのですが、パソコンの得意な方の入会を切望しています。入会されるとすごくいいことがあります。何しろギリシアにも仲間がいるのです。それに代表の吉田さんがギリシアのことなら何でも知っているとさえ思われるミスター・ギリシアなのです。

昔、パウサニアス・ジャパンについて、ある雑誌にのせた紹介記事を転載します。

■淑徳大学に転進したコミュニケーションの専門家、清水正道さん

清水さんとは長い付き合いです。清水さんが日本能率協会の広報部長だった頃でしょうか。一緒に日本経済新聞社から二人の編著で「企業文化と広報」という本も出版したことがあります。3年ほど前に日本能率協会が「環境経営提言」を出されましたが、その時も一緒にとりまとめをさせてもらいました。この時の作業は私にはとても様々な発見がありました。この提言には、その後さらに発展させたい仕組みを埋め込んだので、もう少し大きな風を起こすかと思っていましたが、だめでした。提言はやはり一人の思いを貫かないとだめだと痛感しました。

清水さんは今春から淑徳大学に移られました。実践的な体験を持ち、現場にも詳しく、しかも論理的な思考をもっている、清水さんのような方がこれからはとても大切だと思っています。環境経営、環境コミュニケーションなどが今、特に取り組んでいるテーマですが、行政コミュニケーションやまちづくりにも関心をお持ちです。実践もあります。いつかまた登場してもらいましょう。清水さんのホームページもまだ工事中ですが、まもなくレベルアップします。

■岸田能和さんのもう一つの顔

岸田能和さんとは漂流者にしてホリスティックデザイナー、そして「ものづくりのヒント」の著者の岸田さんです。今、岸田さんはNPO法人ビュー・コミュニケーションズに所属して活動しています。このNPOは、主として企業、自治体のサービス分野に対する顧客満足度を指標に市場や地域の活性化をデータサイエンスで支援する目的で設立されたものです。すでに125業種、8万人以上のCSデータを蓄積しています。

CS、つまり顧客満足には私も一家言あるのですが、CS経営論議で語られているような全体視点ではなく、個人視点での捉え方からはじめないと全くの逆作用効果になります。それはそれとして、岸田さんから今の取り組みについてお話を聞かせてもらいました。私も商店街のりデザインやサービス評価などの仕事にも関わることがありますので、どこかで支援してもらえないかと考えたのです。いろいろと接点がありそうです。

こうしたCSデータがもっと社会資源としてしっかりと解析され、構造化され、社会に還元していくことが必要ではないかというのが私の問題意識です。特定の組織や競争戦略のためのCS活動は限界があるばかりか、社会をゆがめるのではないかとも思うのです。視座が違うと風景も効果も全く違ってきます。国家の視座からの平和活動が個人の視座からの反平和をもたらすということです。ここでも「個人視点」が重要です。そして、誤解のないようにいえば、「ホリスティック視点」もその不可分な要素です。個人は社会に広がっているのです。難しくなりました。このあたりを63歳になったら本にまとめたいと思っています。

顧客満足に関心のある方や組織や地域の活性化に取り組んでいる方は岸田さんに相談されるといいです。真剣に対応してくれます。そうですよね、岸田さん。

■我孫子まちづくり交流会(2002年5月11日)

地元の我孫子市では市民活動が活発です。その一つが、我孫子まちづくり交流会です。その代表の太田さんから誘われて私も参加しています。
今日はその総会と講演会がありました。講演会のテーマは「相島新田名主・井上邸の保存活動と市民」でした。

井上邸の当主や修繕や活用に関わっている人たち、それにこうした問題に造詣の深い窪田亜矢さん(工学院大学専任講師)を中心にしたパネルトークの会でした。実に刺激的でした。
井上家は享保年間に手賀沼周辺の新田開発に取り組み、それが契機になって我孫子に移ってきたのですが、その歴史の話も面白かったです。やはり歴史は
まちづくりの一番の財産かもしれません。

私はまだ井上邸を訪れたことはありません。今年9月にそこで、「相島美術展」の開催が予定されています。8人の様々なジャンルの芸術作家が参加されますが、その会場の井上邸に触れるだけでも大きな意味がありそうです。
9月28日から10月6日です。またご案内しますが、もしぜひ見たい方がいたらご連絡下さい。遠方からこられる方には2日間を特定し、我が家を開放します。但し、狭い家なので、宿泊の快適性は保証できません。

今年はこの交流会で、我孫子まちづくりサロンをやりたいなと突然考えました。会に提案して取り組んでみようと思います。また報告します。

■第1回住民流福祉研究会

わかるふくしネットワークの木原さんが始めた研究会です。私は木原さんの福祉の捉え方にかなり共感できます。目線と発想の視座が好きです。もちろん違うところもありますが、福祉に取り組んでいる専門家の中では、飛びぬけて共感できる一人です。

木原さんは別にして、多くの福祉の専門家や福祉行政が、大きな福祉環境を壊しているようにさえ感じることがあります。そのため、コミュニティケア活動支援センターを立ち上げたのですが、そこの理念は「共創型相互支援の輪づくり」です。その応援団を募集しています。ご支援いただける方はご連絡下さい。あれ、話がそれました。反省。

第1回の研究会は、長野県駒ヶ根市社会福祉協議会の「住民の支え合いマップづくり」の事例報告を中心に、「住民流でふくしのまちづくりをすすめるとは?」というテーマで行われました。全国の社会福祉協議会の人たちが多かったですが、これまでの取組みとはかなり違う駒ヶ根市の事例は刺激を与えたと思います。

今日の話は基本的にはまちづくりの話です。社会福祉協議会だけではなく、もっと広く行政の人に聞いてほしいかったと思いました。木原さんは各地でも講演もしていますので、お聴きになった方もいるでしょうが、まだの方はぜひ一度聴かれるといいです。この研究会は継続されますので、次回はこのホームページでも案内させてもらいます。

駒ヶ根市の事例は、木原さんの月刊「元気予報」で報告されていますし、わかるふくしネットワークでも概要は調べられると思います。また、詳しい内容の報告書を駒ヶ根市社会福祉協議会でまもなく出版するそうです。

(2002年5月第1週)

のんびりした連休でした。
山形市の政策塾の刺激を受けて、毎朝、歩いています。草木の新緑に元気をもらっています。
庭にさくらんぼを植えました。実がなるといいのですが。
今週はまた少し趣向を変えて、今週出合った話題を材料に、私の昔書いた小論などを紹介させてもらいます。

■薬剤師の社会的活動

日本の薬事行政にはかなりの違和感があります。製薬会社の関係者には申し訳ありませんが、製薬メーカーは自らのミッションを全く履き違えており、 時代の変化に対応していない業界だと思います。そういう偏見がありましたから、薬剤師に対してもあまりいいイメージは持っていませんでした。しかし、そうしたことを反省させられる出会いがありました。

東和町にお住まいの薬剤師の武政文彦さんからメールで送られてきた「アフガン難民対策薬剤師団調査報告書」を読ませてもらったのです。その内容もさることながら、その提言の部分の結語に共感したのです。そしてこういう活動を、それぞれの地域で、しっかりと取り組んでいる薬剤師の方がいるということに感動しました。生活の場に自らを置き、しかも世界の痛みを分かち合っている専門家に出会うとホッとします。武政さんの許可を得て、結語を下記し、別項にその報告書の提言部分を掲載します。全文をお読みなりたい方はご連絡下さい。ちなみに、武政さんは「風のまち」の住民でもあります。

2002年。いわゆる医薬分業率が5割近くになり、日本の薬剤師はその存在意義が国民から問われている 。
厳しい批判の目は日ごとに強まってきた。
過去の実績を守ることに心を奪われ、自己防衛的な態度のみに終始するならば日本の薬剤師の将来は暗澹たるものとなるであろう。
またそのような薬剤師しか持てなかった日本の薬事供給体制は先進国としては不安定かつ不適切な状態に陥ることを大いに懸念するものである。

今般、難民支援という視点からパキスタン国内に点在するアフガン難民キャンプ等を調査することにより、日本の薬剤師が貢献できると思われるさまざまな提言が視界に入ってきた。
しかもそれは世界の薬剤師との共同作業という意義も併せ持つ。

国際貢献という視点から述べてはいるが、実はここで提言した内容は日本の薬事制度にとっても大きな変革を求めるものであり、21世紀における薬剤師の新たな役割を広く国民に周知するものとなろう。  
上記提言と考察を、日本の薬剤師はもちろんのこと、広く医療関係者、行政担当者が関心を示し、建設的な議論に発展するならば、今回の先遣隊の目的は十分果たされたと思う。
さらに今回の提言をもとに何らかの週間報告プログラムが成立することこそ、危険を覚悟で調査にあたったわれわれが大いに望むところである。

新しい風が起こることを期待しています。

■ホリスティック・コミュニケーション

私のホームページを見た新潟県の佐藤裕さんが、ホリスティック発想ですね、とメールをくれました。まさにそうなのです。私がまちづくりに関心をもちだしたのは、そのホリスティックな発想が基本だからです。当時はまだ還元主義の世界の企業にいましたが、地域主義という動きに大きな刺激を受けました。
次にホリスティックという言葉に出会ったのが、中村桂子さんからお聞きした「ホリスティック医療」でした。中村さんがまだ三菱化成の生命科学研究所にいらした頃です。あることで共感して訪ねていったのですが、「靴下の繕いをしている」という話とホリスティック医療の話が今でも強く頭に残っています。
会社を離脱した頃は、複雑系の発想に関心を持ちました。ダイヤモンド社の岩崎さんのアジテーションにのって、「複雑系の経済学」という本に1章書かせてもらいましたが、そこでのキーワードはホロニックでした。ホーリズムと要素還元主義とが二元論になってしまっては元の木阿弥だと思ったからです。当時、イントラネットなる言葉が流行していましたが、私はインドラネットなる言葉を創りましたが、残念ながら、全くはやりませんでした。インドラの網というのは、宮沢賢治の小品の題ですが、華厳経に出てくる話です。とても示唆的な話です。

余計なことを書いていますが、先の佐藤裕さんが「ホリスティック教育」の本を薦めてくれました。早速、何冊かを購入し読みました。とても共感できます。その延長で、「ホリスティック・コミュニケーション」という本も読みました。コミュニケーションの意味を問い直さなければならないと感じました。

私のコミュニケーション論は「自らを変えることがコミュニケーション」というものです。相手を変えることでも、相手に情報を伝えることでもありません。詳しくは私の小論を読んでいただけるとうれしいです。そこには私の生き方に影響を与えたオズグッドの「まずは自分から」発想も紹介しています。この小論は雑誌に連載したものを「広報・コミュニケーション戦略」(都市文化社)に収録したものです。コミュニケーションや広報は、一応、私の活動ドメインでもあるのです。もう10年ほど前のものですが、ますます確信しています。

インドラネットが出たついでに、アカシックレコードや虚空蔵のことにも触れたいです。先週も宮部さんとドーマン教育や日木流奈(ひきるな)チャンの話をしたのですが、人間は本当につながっているように思います。日木流奈(ひきるな)チャンのテレビはご覧になったでしょうか。本も最近出ましたが、私はまさにホリスティック・コミュニケーションのモデルを感じました。というか、コミュニケーションなどということは余計なことなのかもしれません。もともとはつながっている。それを切り離したがゆえにコミュニケーションなどということが必要になっているのかもしれません。以心伝心ではないですが、それこそが本当の姿かもしれません。いつから私たちのいのちと心は切り刻まれだしたのでしょうか。連休の合間に書籍を整理していたら、忍者武芸帳が出てきましたので、ついつい読んでしまいました。そこに「くされ」という人物が登場します。彼は動物とつながっているのです。言葉を介さずに、です。
また話がそれていますが、私たちはすべての叡智や情報が蓄えられているアカシックレコードや虚空蔵とつながっているような気がします。そのパイプを素直に開けばいいのかもしれません。それこそがナッレジ・マネジメントの本質のような気がします。こんなことを考えているために、なかなか企業経営のコンサルティングの仕事はやってこないのでしょうか。いやはや、困ったものです。

この項目は意味不明ですね。私の親愛なる友人、鈴木章弘さんへの個人的メッセージになってしまいました。
鈴木さん、投稿する出番ですよ。

■シニア・インキュベーション

住民流福祉を標榜して、実に個性的な福祉活動を展開している「わかるふくしネットワーク」代表の木原さんから電話がありました。大企業を定年で辞めた人が企業生活の中で長年培ってきたノウハウなどを社会的に活用する仕組みが必要ではないかというのです。私も全く同感です。会社を辞めた頃から、高齢者のネットワーキングなどに少し関わったのは私もそういう思いがあったからです。当時取り組んだものは、今も続いている活動もありますが、ほとんどが不成功でした。原因は私のパワー不足です。いい加減に取り組んでいて、何かを大きく育てることはできるはずがありません。私は育てるタイプではなさそうです。

木原さんの今回のテーマにそっくりな提案を数年前にある企業にしたことがあります。シニア・インキュベーション・システム、略してSISです。とてもいい提案だったと思いますが、実現できませんでした。企業ではライフプラン研修などをやっていますが、そんなことよりも一生の仕事を発見させることが大切です。仕事を与えられるものなどと考える時代は終わりました。どこかでも書いていますが、仕事は自分で創る時代です。

私は高齢社会に大きな期待をしています。今の高齢者福祉行政は前提が間違っていると思いますが、それはそれとして、高齢者のできることはとても大きいのです。社会のお客様などではないのです。これについても、数年前にある研究所の機関誌に小論を書きました。読んでもらえるとうれしいです。内容は「はやくこいこい高齢社会」です。

またなかなか本論に入りませんが、新しい事業起こしの主役はシニアではないかと思います。そうした活動の支援システムはすでにたくさんありますが、もうひとつくらい、ちょっと違ったものを創りたいなという思いを持っています。どなたか一緒にやりませんか。

ところで、木原さんですが、わかるふくしネットワークのホームページをぜひご覧下さい。それから彼が発行している「月刊「元気予報」」はとても示唆に富んでいます。実費程度で購読できます。福祉に関わっている方々には購読をお勧めします。

■生命・生活・社会研究フォーラム

私が座長をつとめてきた研究フォーラムの報告書の概要をまとめた小冊子ができました。発行所はヒューマンルネッサンス研究所です。その表題は「人を使う会社から、人が使う会社へ」です。新しい企業のあり方の提言です。どこかで紹介下と思いますが、企業研究なのに企業に無縁の人が中心になった面白い研究会でした。この会が実現したのは、ヒューマンルネッサンス研究所の中松所長の英断ですが、途中かなり心配させたことだと思います。この小冊子は私のオフィスに来てくれれば、先着10人に提供します。

会社は一人ではできないことをみんなで実現するために創った装置です。つまり主役は人間です。ですから人間が使い込まなければいけません。にもかかわらず、最近はみんな、会社に使われているのです。どこかで関係を逆転させなければなりません。つまり、個人視点への転換です。これについてはメッセージ6をぜひお読みください。

その小冊子の最後に書いた文章を採録しました。お読み下さい。

■個人から発想すると新しい風景が見えてきます。

時代が大きく変わろうとしている。それもおそらく中途半端ではない変わり方になるだろう。この10年、「コモンズの回復」をテーマに、企業、行政、市民活動に共創的に関わっているが、そうした地殻変動の高まりが急速に高くなっているのを実感する。
ところが、現実の制度や組織は、そうした大きな動きには全く無頓着で、そのくせ盛んに自分たちの狭い世界で「変革」「改革」などと騒いでいる。しかし、これまでの延長で発想している限り、形をいかにとりつくろっても、この地殻変動には効果がないだろう。むしろ、企業や行政の「変革対策」における混迷が、社会の元気さばかりか、健全さまでも奪っているような気がする。
現在の処方箋の多くは、目先はともかく将来的には首を傾げたくなるものが多く、未来を確信させてはくれない。未来への明るい展望を持つ人が非常に少なくなってきているという報告も増えている。日本の未来はもう明るくないのだろうか。
だが、変化の時代は新たな物語が始まる時代である。企業には洋々たる新しい事業が、行政には地域を輝かす新しい方法が、市民活動には大きな発展の契機が、山積みされているはずなのだ。明るい未来を開く材料もその活かし方も、実はいくらでもあるのだ。古いメガネをかけていては、それらは見えてこない、新しいメガネが必要である。  
これからの企業のあり方を語る言葉やコンセプトはたくさんあるが、大切なのは新しいメガネである。そんな思いから、この研究会では企業を問題にするのではなく、企業を見るメガネを議論してきた、言い換えれば、社会のあり方であり、私たちの生き方である。新しいメガネをかけることは、自分自身の生き方を見直すことでもある。
みなさんもぜひ新しいメガネをかけてみていただきたい。きっと違った風景が見えてくる。そして自分の生き方が少し変わっていくだろう。そうなれば企業変革も行政改革もまちづくりもうまく動き出す。

新しい物語の始まりは、いつも新しい自分づくりから始まるのだから。

 

(2002年4月第4週)

今週は毎日サロンをしていました。それを中心に報告します。

■ オープンサロン(2002年4月26日)

毎月恒例のオープンサロンです。
今回は女房が不在だったので、おもてなしがおろそかでしたが、にぎやかな集まりになりました。
サロンの内容は別のコーナーに紹介していますが、今回は今月結婚されたばかりの安江ご夫妻が一緒にやってくるなど、いつもとはまたちょっと違った雰囲気になりました。

これで今週のサロン報告は終わりですが、会社を辞めた当時は、ずっとこんな「毎日がサロン生活」をしていました。
いろんなサロンがありました。そこから始まったおつきあいはたくさんあります。
サロンの効用は大きいです。
今週は他にも面白い出会いがありましたが、長くなりすぎたので打ち止めます。
でも、本当に世界は多様で広いこと、しかし、それらが見事につながっていることを、今週は改めて実感しました。
自然の摂理を感じます。

■ OBM研究会(2002年4月25日)

サロンに戻します。
木曜日はちょっとまじめな研究会でした。
これもお知らせに載せているOBM研究会です。
私が翻訳した「オープンブック・マネジメント」の本がきっかけで生まれた研究会です。

今回はメンバーの一人である、岡田真さんの修士論文を材料に意見交換しました。
岡田さんは長年企業で経理を担当してきたプロですが、いろいろ思うことがあって大学院に通いだしたのですが、その「思い」の話はとても示唆的です。
ご紹介できないのが残念ですが、新しいビジネスプロフェッショナルが増えてきているのを実感します。
今回はNTTデータサイエンス社の事例紹介でしたが、刺激的でした。もっと多くの方に聞いてほしかったです。
企業経営の研究会などをやられている方は、是非一度、岡田さんをお呼びして意見交換されると刺激を得られると思います。
岡田さんがお受けするかどうかは保証の限りではないのですが。
次回は京セラのアメーバ―経営とOBMがテーマです。

この会には毎回、韓国からの参加者があります。
佐々木憲文さんです。佐々木さんは協同組合や共済組合の実践的研究者です。
佐々木さんのホームページは楽しいホームページです。 愛犬家は必見です。
ついでに愛ウサギ家必見のホームページも紹介しておきます。
このホームページは碇さんのものです。
碇さんは、静岡県立大学経営情報学部の先生です。ある会社のケーススタディでご一緒させてもらいました。

■ 政治を考えるサロン(2002年4月24日)

ホームページでご案内した、わくわく政治談義のサロンです。
15人の方が集りました。今回は顔合わせでしたが、話は弾みました。
難しい話ではなく、生活者の目線で政治を考えようということですから、楽しい会にしなければいけません。
そしてそうなりました。

この会の代表は会社に勤めている木村勝隆さんです。
集ったのは様々な人でした。意見も思いも様々です。
しかし皆さん、思いは深く、早速、この集まりを中心に「わくわくポリティクス」というメーリングリストが出来ました。
NPOや社会的起業家に関心のある三井物産戦略研究所の新谷さんが、翌朝にはつくってくれたのです。
これがITの効用です。市民活動が全く新しい次元に入ってきたことを実感します。
こうしたことをまだ、企業経営幹部や行政は実感していないでしょう。
先週ご報告したソーシャルマネジメント研究会との違いです。
霞ヶ関は間違いなく、時代についてこれずに間もなく崩壊するでしょう、などというのは不謹慎ですが、私は10年前からそう確信しています。霞ヶ関もパラダイムを変えなければいけません。

この会に参加したい方は私にご連絡ください。メーリングリストの紹介もいたします。
ちなみに、今回参加した新谷さんは、NPOプランナーの大川さんの知り合いです。
お2人とも社会起業家研究ネットワークのメンバーです。
このホームページも訪問する価値があります。ぜひどうぞ。

■ 全国私立保育園連盟経営強化委員会(2002年4月24日)

これはサロンではないのですが、是非紹介したいと思います。
前述の通り、私は会社を辞めた直後、保育に少し関わりました。実に多くの示唆を受けましたが、そんな関係でなぜか全国私立保育園連盟経営強化委員会の特別委員をさせてもらっています。
最近はなかなか参加できませんが、今日は時間が調整できたので参加させてもらいました。

今、この委員会ではこれからの保育園のあり方をテーマに提言を作成中です。
委員自らが書いていますが、この委員のメンバーが実に素晴らしいのです。
基本的にはみんな保育園の園長です。
私ともう一人、前田正子さんという人が園長ではない委員です。
前田さんは、これまた実践者ですので、いつかまた登場してもらいますが、今回は他の委員の一部を紹介します。

委員長は藤森平司さんです。多摩ニュータウンで「せいがの森保育園」を経営されています。
この保育園が話題なのです。
藤森さんが書かれた「21世紀型保育のススメ」(世界文化社)を是非お読みください。保育園のイメージが変わりますよ。
副委員長は京都の岩屋保育園園長の室田一樹さんです。
室田さんは神社の禰宜でもあるのですが、その神社を拠点に里山づくりの活動を展開したり、総合学習に取り組んだりしています。
きりがないのですが、後のメンバーも実に多彩な活動をされており、お一人ずつ紹介したいところです。
いつかそれぞれの方とリンクしていきたいと思っていますので、そうなったらぜひアクセスしてください。
佐世保の桑戸さん(副委員長)、倉敷の中野さん、栃木の白河さん、山形の佐々木さん、それに多摩市のバオバブ保育園のとーまや園長(遠山さん)が今回は出席されました。
遠山さんは哲学者です。
それぞれ書きたいことがたくさんありますが、機会を改めましょう。

メンバー紹介していたら、内容が書けなくなりました。 提言が完成したら、またご紹介します。

■ 区画整理・再開発対策全国連絡会議 (2002年4月23日)

サロンから脱線したついでに、もう一人、是非紹介した人がいます。
めざせ!住民主権のまちづくり 区画整理・再開発対策全国連絡会議」という大仰で長々しいNPOの事務局長の遠藤さんがやってきました。
そこの機関誌に寄稿させていただいた縁で知り合ったのです。
こんな名前のNPOはいまどき流行らないと思いますが、何と1000人の会員がいる歴史の長い会です。
都市計画や開発関係のノウハウや知見が山ほど蓄積されている組織です。
またそれだけの会員がいるのであれば、活動を編集したらすごい風がおこせるだろうなと思いました。

遠藤さんは柏の住民ですが、そこでとても面白い活動をしています。
牧場跡地の緑と環境を考える会」です。

是非そのホームページを訪ねてみてください。
こういう地道な、しかし楽しい活動が各地にどんどん広がっています。

日本の未来を決めるのは、土に触れ合っている住民なのです。
みなさんも土に触れていますか。

■ コムケアサロン(2002年4月23日)

コムケアセンターでの2回目のサロンです。いいサロンに育ちだしています。
詳しくはコムケアセンターのホームページをご覧下さい。
ここでは私の個人的な紹介です。合わせてお読みください。

今回のゲストは田中弥生さんです。
この田中さんもエネルギッシュな女性です。
今、日本では企業の社会活動やNPO活動が市民権を得て活発ですが、そうした動きを創出したキーパーソンの一人です。

彼女との出会いは、もう10年以上前になりますが、彼女がコーポレート・シチズンシップの本を出すのにささやかに加担したのです。
その関係で、保育システムの研究会を一緒にやりました。
そういえば、その時に協力してくれたのが大月さんです。今、思い出しました。

今回は田中さんをゲストに「NPOのミッションと評価」についてのサロンでした。
彼女はこのテーマで、2冊の翻訳を出しています。
ドラッカーの書いたとてもわかりやすい本です。
私はドラッカーは好きではありませんが、この本はいい本です。
「非営利組織の自己評価手法」「非営利組織の成果重視マネジメント」。
いずれもダイヤモンド社です。ぜひ読んでみてください。

このサロンに2人のNPOコンサルタントが参加してくれました。
松原優佳さん大川新人さんです。
2人ともアメリカでNPOのマネジメントを学んできました。
松原さんは前回のサロンのゲストでした。

大川さんは以前ご紹介したソーシャルマネジメント研究会でお会いしたNPOプランナーです。
大川さんは昨年秋にNPOの本を出されました。
NPOというとボランティアというイメージが強いですが、この本はアメリカの社会活動組織のことを紹介しています。
NPO関係者に是非読んでほしい本です。
ブックのコーナーに紹介しておきますので、是非ご購入ください。
彼にとっては貴重な収入源ですので、できれば彼から直接購入してやってください。
松原さんもそうですが、日本ではまだ、NPOコンサルタントは収入を得るのが難しいのです。

サロンにはいろいろなNPOの方が参加しますが、前回に引き続き参加された日本ドナー家族クラブの間澤さんからお聞きした話を紹介します。
このクラブは、ドナーおよびドナーの家族への社会的理解の向上を求めて、各種の啓蒙啓発活動を地道にしている会です

しかし、その実情はなかなか社会には伝わりません。
私は昨年、ハンセン病に関する自らの無知と無関心を思い知らされたのですが、そうしたことはまだまだたくさんあるのですね。
還暦を過ぎてから、好奇心を広げるのは体力がついていかない面があるのですが、ハンセン病の反省から敢えて好奇心の広がりを加速させています。疲れますが。
その間澤さんたちが、5月17日を「生命・きずなの日」と決めたそうです。
日本記念日協会からの登録証も得ています。
みなさん、是非覚えておいてください。
間澤さんたちの活動にご関心のある方は、ぜひ日本ドナー家族クラブのホームページをご覧下さい。
賛助も受け付けています。

(2002年4月22日)

■ 田中雅子さんを囲んでのミニサロン

田中雅子さんはもうどこかでご紹介しましたが、内発的な開発プログラムに非常に主体的に関わっている方です。
私が知り合った時はバングラやネパールを支援しているNGOシャプラニ―ルのスタッフでした。
サロンなどにも参加してくださり、それが終ってから(夜の9時過ぎです)またオフィスに行って仕事をするというほどのがんばりやさんです。
その後、ネパールに行き、先月まではバングラで活動していました。

国際開発の分野でPLAという住民主体の地域開発のプロジェクトが各地で進んでいるという話を彼女から聞いて、私もそのジャンルの本をいくつか読みましたが、多くのことを教えられました。
その1冊が彼女も書いている「続入門社会開発」(国際開発ジャーナル社)です。
これについてはブックのコーナーで紹介しています
が、とても示唆に富む本です。是非お読みください。
今また、田中さんたちは本を書いているようですので、また近いうちに新著を紹介できると思います。
現場にいる人たちの本は本物です。

ミニサロンに参加したのは、東京理科大学の大月さんとライターの黒岩さんです。
2人とも田中雅子さんの友人です。
大月さんは美野里町プロジェクトで一緒なのですが、彼の人生観や生き方、生活リズム、さらには彼の眼差しが私はとても好きなのです。
彼のこれまでの活動実績も実に面白いです。
建築家ですが、スラムや同潤会アパートや古い日本民家での生活、などに造詣があります。「集合住宅における経年的住環境運営に関する研究」という、とても示唆に富む報告書もまとめています。
ご関心のある方はぜひ大月研究室のホームページをご覧下さい。

もう一人の黒岩比佐子さんは、「音のない記憶」の著者です。とてもいい本です。
彼女は今、また新しいテーマに出会ったようです。
まだ教えてもらえませんが、いつかまた本格的なノンフィクションが出版されそうで楽しみです。

(2002年4月15日の週)

■ ソーシャルマネジメントを考える会(2002年4月16日)

上山信一さんのお誘いで、彼が中心になって立ち上げる「ソーシャルマネジメントを考える会」に参加しました。
上山さんは日本の行政に評価やパブリックマネジメントの考えを広げる活動に取り組んできていますが、今度はソーシャルマネジメントに目が向いてきたようです。
ソーシャルマネジメントという表現にはかなり違和感がありますが、ソーシャルキャピタルを活かし育てるということかもしれないと思って参加しました。
各分野で活躍されている方々が20人以上集まりました。NPOの世界の自立的な発展はいまだ道通しの感を改めて持ちました。

今回は最初ということもあり、NPOの分野で活躍している世古一穂さん(NPO研修・情報センター)が問題提起をされました。
世古さんは、このホームページによく出てくる美野里町でもご一緒しましたが、いつも切れ味のいいお話をします。
それに実践活動をされていますので、論旨明快です。現場のない人の話は退屈です。
世古さんは最近、京都の生家の町屋を生き生きと保存する活動にも取り組んでいるようです。
世古さんはNPOの分野では非常に活発に活動されていますので、ご存知の方も多いと思いますが、ぜひホームページもアクセスしてみてください。

会では実に面白い発見がたくさんありましたが、それはいつかまた。

■ キャロルフランクのこと

キャロルフランクってご存知ですか。1975年からパリでスタートした化粧品のブランドです。
全ての製品が植物のエッセンシャルオイルをもとに作られて、
アロマテラピー(芳香療法)とフィトテラピー(植物療法)の相乗効果によりストレスを軽減し肌の深部に到達する化粧品です。
まだあまり知られていませんが、近いうちに必ず話題になるだろうと思います。
すでに日本を代表するヘアメイクアーティストの嶋田ちあきさんが評価しているとお聞きしています。

私の友人の若き起業家、成瀬さんがこの商品の日本への紹介に取り組んでいます。
私にはあまり似つかわしくない話ですが、私が関心を持っているのは、純度の高さを背景にしたアロマテラピーとフィトテラピーです。


実はこれに関わらず、今週は「植物性」「自然の癒しのパワー」「癒し」などが大きなキーワードでした。
紹介したい話が山ほどありますが、書ききれません。
たとえば、友人から米国での「植物性栄養学会」への参加報告が届いたり、
石巻市で地産地消を目指す若い友人がやってきたり、
次に紹介するJA兵庫六甲の人がやってきたり、などなどです。

あることを考えているとなぜかそうしたことが集まってくる。
そういう経験をされたことはありませんか。私はよく体験します。
宇宙を司る大きな意志を感じます。

■ パレスチナとイスラエル

わけのわからないことを書いたついでに、もう一つ書きます。

今、パレスチナイスラエルの現地からの生情報メールがネット上を飛び交っていますが、そうしたことに関連して、宮部さんから、毎日、1分間、パレスチナの平和を祈りながら瞑想しているというメールが来ました。
早速、私も毎日、1分間程度、黙とうしながらパレスチナの平和を祈念することにしました。
一人でも多くの祈りがあれば、それだけ効果が高まると宮部さんは確信しています。
私も同感です。小さな思いの集積が大きな平和につながることを確信しています。

■ JA兵庫六甲の本野一郎さんと出会いました(2002年4月19日)

以前このコーナーに書き込んだ溝内さんと澤谷さんが本野一郎さんを連れてきてくれました。
2時間以上、本野さんと日本の農業に関してお話させてもらいました。実に刺激的でした。
私は昔から農業には関心はありますが、それほど知っているわけではありません。
ですから、専門家の本野さんにとっては、おそらくめちゃくちゃな議論で辟易されたと思いますが、実に丁寧に話し合ってくれました。
今日の出会いは私には大きな出会いでした。

私は現在の農政には大きな違和感があります。
基本に工業の論理があるからです。
有機農業の草分けのお一人でもある星寛治さんは「21世紀は農業の時代」とおっしゃっていますが、その時の農業はおそらく今の農業ではないはずです。
星さんのお宅にお伺いした時に、最近、牛乳を自分で搾らなくなったため店で買った牛乳を飲んでみたら、これが牛乳かと驚いた、というお話をされていました。
工業製品の牛乳と農業産物としての牛乳とは違うのでしょう。
これに類した話は御宿の酪農家からもお聞きしました。

本野さんは「たねとりクラブ」という活動を展開しているそうです。感激しました。
これもホームページがありますので、ぜひ訪ねてください。

「自家採種ハンドブック」(現代書館)という本も出しています。好評で版を重ねているようです。

■ 蛇足

こういう1週間の結果、我が家の食生活は少し変わりました。
これまでも五穀米や玄米なども取り入れていましたが、さらに見直しです。
我が家の「蛙の額農場」に私も少し参加することにしました。
熱しやすく冷めやすいので、いつまで続くか問題ですが。

2002年4月11日

○ 経営道フォーラムの合宿

経営道フォーラムは、これからの企業経営のあるべき姿を考える経営幹部の方々の研究活動の場ですが、今回は30期です。
そのまとめの合宿に参加しました。
わたしは毎回、企業理念・経営理念のグループを担当しています。
今回は、少し広い世界に触れようということで、メンバーはNPOやワーカーズコレクティブやコミュニティビジネス、エコマネーなどの活動を取材しました。
企業とは違った世界ですので、いろいろ新しい知見を得たようです。
自分たちの身体を使っての研究活動でしたので、言葉だけではない、とてもいい議論ができました。
成果の発表会は5月21日に椿山荘で行われます。
ご関心のある方は招待いたしますのでご連絡ください。
参加者の話し合いの場もあります。

2002年4月10日

○ 山形市の共創プロジェクト再スタート!

山形市の共創プロジェクトが、少しモデルチェンジして動き出します。
事務局との打ち合わせをしました。かなり面白くなりそうです。
事務局は企画調整部企画室ですが、部長の舟山さんは共創プロジェクトの生みの親です。
8年前、舟山さんが訪ねてきて、このプロジェクトが始まりました。
プロジェクトの趣旨や概要はまちづくりのコーナーをご覧ください。
時間もかなりたったので、このあたりでリモデルしようということになったのです。
企画室長の斉藤さんはコミュニティの回復に関心が深く、さまざまな活動に取り組んできた人です。
今年は2年目ですが、昨年の体験を踏まえての再スタートです。ご期待下さい。
なお、このホームページのCWSフォーラムの第1号投稿者の佐藤一大さんが、共創プロジェクトの事務局でしたが、今度、高齢福祉課に異動になりました。
高齢福祉は私の大きな関心事のひとつですので、いずれまたこのホームページでも登場するでしょう。
一大さん、ぜひ新しい風を起こしてください。

2002年4月8日

○ 美野里町で都市計画マスタープランの打ち合わせをしました

美野里町の都市マスづくりに関わっていますが、昨年の作業を踏まえて、実践的で効果的な計画実現のために、美野里町役場事務局と外部チームの私たちとで検討会を行いました。
美野里町の地域性にあった住民主役の計画にしていくために、あえて「美野里町モデル」と名づけていますが、
美野里町役場の英断で、かなり挑戦的な試みになりそうです。
内容に関してはまたご紹介しますが、関心のある方はご連絡ください。
可能な範囲で情報を提供します。また都市計画に関わっている方の応援をお待ちしています。
できれば、これからの都市計画のあり方を考えるフォーラムをいつか開きたいと思っています。
今回のプロジェクトの過程は美野里町のホームページでも公開されていくはずです。

○ 美野里町の文化センター物語の本づくりの呼びかけペーパーができました

いよいよスタートです。
関心のありそうな人たちに配布してよびかける「みの〜れ新聞」ができましたので、見てください。
ちなみに「みの〜れ」は美野里町の文化センターの愛称です。
本づくりに参加したい方は事務局または私にご連絡ください。
この経験を踏まえて、各地で住民による本づくり運動が広がることを期待しています。

2002年4月7日

○ 医療制度研究会

本田さんが紹介してくださった医療制度研究会に連絡したら、早速、連絡が取れました。
医師たちが中心の研究会のようですが、こうした集まりこそ、様々な人が入るべきです。
医師だけでの活動では限界がありますし、発想も偏り内容も深化しないはずです。
医療問題は誰もが無縁ではありません。
自らの生死に関わるものです。
みなさん、ぜひ入会しませんか。

私の生活信条は、小さくともいいから行動に移すことです。
理屈や知識は、行動があって初めて意味があるからです。
行動の第一歩は、その世界と直接関わることです。
医師の方々も、極度の時間破産の中で健闘されています。
皆さん、少しだけでも時間を投入してみませんか。
ご関心のある方、ぜひ医療制度研究会のホームページ
http://www009.upp.so-net.ne.jp/kikara/h/
をみてください。

2002年4月6日

○ オルタナティブ・メディスン研究会

今回は「医療問題」がテーマでした。
「日本の医療を問いなおす」(ちくま新書)の著者の鈴木厚さんの講演のあと、済生会栗橋病院の本田宏(副院長)の司会でフリートークが行われました。
鈴木さんの本を読んだ時にもかなりの憤りを感じたのですが、今回の本田さんのお話は実に感動的で、なにか始めないといけないと痛感しました。
こうやって、次々と新しいテーマに取り組み、全てが中途半端というのが私の生き方なのですが、「中途半端の美学」というのもあるかなと最近思い出しています。

まあ、それはそれとして、本田さんの憤りは一度聞くに値します。
本田さんは日本の医療制度のおかしさを変えていかねばならないと奮闘されています。
それも単なる感情論ではなく、ホリスティックな視点からの取り組みです。
本田さんの話を聞きたいと思われる方はご連絡下さい。
本田さんがどこかで話される情報を提供します。

彼が過労死しない前に聞いておく必要があります。

会場で構想学会の半田さんと荒川さんに会いましたが、
残念ながら、わがホームページでの案内に反応した方はいませんでした。
ホームページの発信力を高める必要がありそうです。

2002年4月6日

今週はちょっと趣向を変えて、私が先週接点を持った人たちを通して、いろいろなことを紹介します。

○ 林昴昴さんがやってきました

中国から日本に留学していた林さんがやってきました。
林さんは大学卒業後、日本の企業に入社しましたが、昨年独立。会社を始めました。
貿易関係の支援事業のほか、最近は プラスチックのオフグレート品と廃棄プラスチック原料を仕入れて中国で再生させる事業に取り組んでいます。
もし皆さんの中で、こうした関係の情報をお持ちであれば、ぜひご支援ください。

昔、留学生たちのサロンをやっていたのですが、林さんはその時に参加していた一人です。
とてもまじめな好青年です。
オープンサロンにも何回か参加していますので、ご存知の方もいると思います。
林さんの他にも日本に留学後、起業したメンバーが少なくありません。
そうしたメンバーのネットワークも育ちつつありますが、みんな実に健やかでしなやかです。
その一人がインドネシアにいます。もともとはマレーシア出身です。
彼はいま、仕事探しをしています。
彼を活かす仕事はないでしょうか。もしあったらご連絡ください。

そうした応援してやりたい若者たちがたくさんいます。
5月にそうした若者たちの小さな集まりをやる予定です。
応援してくれる人がいたらぜひご連絡下さい。

○ 環境問題に関心の強い溝内さんと澤谷さんと意見交換しました

溝内さんは、ある研究所に所属している志の強い若者です。
東北の鴬沢のエコタウン活動の関係で接点をもって以来の付き合いです。
彼を見ていると、最近の若者への信頼と同時に、私の世代の役割は終わったなという安堵感のようなものを得ますが、彼から社会的に価値のあるプロジェクトなので協力しろと言われて、あるプロジェクトに荷担させられそうです。
そのプロジェクトの件でいろいろ意見交換しました。

一緒に来たのは、同じ思いの澤谷さんという若い女性です。
阪神大震災を体験していますが、コミュニティのあり方に深い関心があり、溝内さんといいコンビを組んでいます。

地域通貨やまちづくりについて意見交換しましたが、論点の一つは、制度や全体から考えるか個人や生活から考えるかでした。
私自身は、今の時代変化のポイントはそこにあると考えていますが、これについてはメッセージで少し書かせてもらいました。

○ 都市計画について話し合いました

美野里町でチームを組んでいる井出建さんと大月敏雄さんと気楽な都市計画論議を長々としました。
私自身は統治型の行政計画の時代は終わったという認識ですが、そうした認識を踏まえて美野里町の都市計画マスタープランづくりに取り組んでいます。
私と違って、お二人は都市計画には造詣が深いので、いろいろ素人質問をして、私の考えを検証させてもらいました。
そして、新しい計画づくりの必要性と可能性の確信をますます強めました。

○ 福岡市の玉井輝大さんにご馳走になりました

福岡市の蛎bc研究設計を主宰されている玉井さんとはお会いしてまだ1年にもなりません。
今年から玉井さんのおかげで、福岡市に毎月通い出しています。
そして、福岡市の多彩な実践者の皆さんとの出会いをいただいています。
実に多彩な方々ですが、みんな、とても遊び感覚があるのが驚きです。
やはり福岡の土地の記憶が息吹いているのでしょうか。隣の北九州市とは全く違います。

今日も福岡市の集まりを楽しませてもらいましたが、終了後、玉井さんといろんな意見交換をさせてもらいました。
多くの分野で私の関心事と重なっています。
たとえば、コミュニティビジネス、地域通貨、都市計画、さらにはギリシアです。
話していくと共通の知人も少なくありませんでした。
一番うれしかったのは、玉井さんがジェイン・ジェイコブズの信奉者だったことです。
なにしろ卒論が彼女に関するもので、彼女の著作は全て読んでいるとのこと、脱帽しました。
私は玉井さんほど熱心ではありませんが、まちづくりに関わらせていただいた契機のひとつが彼女の都市論です。
最近の「経済の本質」は、私をとても元気にしてくれた本です。
行政やまちづくりに関わる人たちにはぜひ読んでほしい本です。
いや、企業変革に取り組んでいる人にもとても多くの示唆を与えてくれるはずです。

玉井さんが、福岡市らしい食事処に連れて行ってくれました。
天神中央公園の近くの「いずみ田」(http://www02.u-page.so-net.ne.jp/sb3/izumida/)です。
慶州鍋が玉井さんのお勧めでした。魚も鍋もみんなおいしかったです。

ちなみに、天神中央公園には元県庁の柱が保存されています。
玉井さんたちが保存活動をされての、ややご不満の成果のようです。
なにやらそれがギリシアの遺跡のようでした。

○ 蔵田さんから自分で収穫した貝や野菜が送られてきました

蔵田さんは以前、山九という会社にお勤めで、そこで風土改革活動に取り組まれた方です。
そのとき、少しお手伝いさせてもらいました。以来のお付き合いですが、これほどの無邪気な好人物はそうはいません。

今は故郷福岡に戻り、社会活動などで活躍されています。
自家消費の農業にも取り組んでいます。自然に馴染んだ豊かな生き方です。
潮干狩りに行って収穫した貝と野菜をどっさり送ってくれました。自然の生き方です。
最近は縄文人になっていると元気そうにお話していました。

蔵田さん的生き方を志向される方が増えています。
サロンにも時々参加される方の中では、すでに千葉県の大原に古い農家を購入されて徐々に生活拠点を移されだした岸田さんや、すでに八ヶ岳山麓に家を造り終末をそこで過ごされている中村さんなどがいます。
中村さんは自作のジャガイモを送ってくれるそうです。
土と触れ合うことの楽しさを私たちは思い出したいと思います。
私は我が家のネコの額のようなビオトープを今年は少し発展させる予定です。

○ 田中雅子さんが帰国されました

バングラの日赤で活躍している田中雅子さんが帰国されています。
彼女はシャプラニール時代からのお付き合いですが、その後、ネパールに行き、今はバングラです。
住民主体の開発支援活動に取り組んでいます。
帰国された時にしかお会いしませんが、彼女のパワフルな実践活動にはいつも感動します。

彼女も参加して創った本があります。
「続入門社会開発」(国際開発ジャーナル社)です。
PLA(住民主体の学習と行動による開発)についての非常にわかりやすい実践的な本です。
国際開発の分野だけではなく、日本のまちづくりや企業の風土変革の分野でも大きな示唆が得られます。
とてもいい本です。ぜひご一読下さい。

○ ふぁっとえばーの秋山さんがやってきました

秋山さんは42歳の厄年に健康を害し、身体に障害が残ってしまいました。
以来、人生設計が変わってしまい、いろいろ不愉快な思いもされました。
しかし、それを梃子にして、障害のある人たちの働く場をつくりたい、そして納税者に戻りたいと考えて、一人で活動をはじめました。
2年前に知り合って、以来、ささやかな応援活動をしています。
このホームページのネットワークのところに、ふぁっとえばーの紹介がありますので、ぜひお読み下さい。

秋山さんはいま、点字名刺の普及に取り組んでいます。
点字名刺を製作したい方はぜひお知らせ下さい 。
また、自分で手作りで点字を名刺に打ち込む用具も販売しています。1350円です。
ご希望の方は秋山さんでも私でもいいですから、ご連絡下さい。

点字を名刺に入れることで、視覚障害の方への思いを広げたいというのが秋山さんの思いです。
ちなみに千葉県の堂本知事は秋山さんに頼んで点字名刺を作られました。
秋山さんは思いを同じくする障害者の方の輪を創ろうとしていますが、なかなか難しいです。
千葉に在住のチャレンジドの方がいたら、ふぁっとえばーのことを教えてください。

○ 佐藤泰弘さんと宮部浩司さんと雑談しました

泰弘さんは数年前に突然、環境教育の仕事をしたいといって勤めていた会社を辞めてしまいました。
宮部さんは地球のことが気になるといって、これまた会社を辞めてしまいました。
二人ともむちゃくちゃな人生です。
という私も、まあ同じような軌跡を描いていますので、えらそうなことはいえませんが、そういう若者が増えてきているのが、私はとてもうれしく思います。人生は一度ですから、やりたいことをやらなければいけません。
この二人は私が最近はまっているコムケアとインキュベーションハウスのいずれにも関わっています 。
いろいろ新体験をしているようです。

泰弘さんは以前、アンカレッジ構想というのを考えていました。
海をフィールドにした環境教育プロジェクトです。彼は蟹の専門家です。
いまはちょっとさぼっていますが、私は彼がいつかまた動き出すと確信しています。
どなたか彼のパトロンになってやってくれませんか。事業資金が必要なのです。

宮部さんは哲学的なデザイナーです。
精神世界にも深い関心があります。
彼はいま、新しいスタイルの社内報をつくりたいと考えています。
人を主役にした情報紙を作らせたらぴか一です。インタビューした人と言葉を介さずにコミュニケーションできるのです。
その分、左脳はあまり発達していないような気もします。

この二人に合いたい人は本郷3丁目のコムケアセンターにお越し下さい。

2002年3月28日

■ 「多様な働きの場の創出」研究会の初顔あわせがありました

シニア社会学会の研究会として、新しい働きの場創出研究会が始まりました。
今日はその第1回目です。
シニア社会学会は20年来お付き合いいただいている守永英輔さんのライフワークです。
私も10年ほど前に経済広報センターに提案して、シニアネットワークを立ち上げたことがありますが、その時もご一緒したお一人です。

シニアネットワークは各地に支部ができはじめるところまで進んだのですが、残念ながらセンターの方針変更で突然打ち切りになりました。
やはり、誰かに依存した活動は本物にはなりません。
自分でやらなければいけないと教えられました。
守永さんは仲間たちとこの学会を立ち上げました。
私は全く怠惰なメンバーでしかありませんが、テーマが私の関心分野でもあり、参加することにしました。

私も数年前にワークスタイルの研究会(ソフト化経済センター事務局)やコンヴィヴィアリティの道具としての企業論研究会などでワークスタイルの問題を考えましたが、そこで考えたことを少しずつ自分で始めています。後者の検討の時にまとめた小論をご関心のある方はお読み下さい。
 →多元化する企業組織と経営形態

私の生活信条は「考えたことは自分で実行する」ことです。
全てではないですが、言行一致を最近の生活姿勢にしています。
コムケアセンターインキュベーションハウスは、新しい働きの場の実験場のひとつです。

今回の研究会は日本労働者協同組合理事長の菅野正純さんと長寿社会文化協会の松木久佳事務局次長が中心で進めていく研究会です。
菅野さんは協同労働のテーマに実践的に取り組んでいる方です。
私も多くのことを学ばせていただいた方です。


菅野さんが取り組んでいるひとつに、「協同労働の協同組合」法制化をめざす市民会議というのがあります。
これからの働き方の一つです。
私はNPO法にはかなり違和感があり、賛同しかねますが、この法案は完全に共感しています。
皆さんもぜひご参加下さい。
ホームページをぜひ見てください。

長寿社会文化協会も、その設立に関わった方からお話を聞き、共感して私も参加していますが、まだ活動には参加できずにいます。
今回の協同組合の参加者はこれまた多彩です。
怠惰な私のことですから、余り参加は出来ないかもしれませんが、また動きをご報告します。

2002年3月27日

■ 住まいやまちづくりにおけるユニバーサルデザインの意見交換をしました

ユニバーサルファッション協会はご存知でしょうか。
それを立ち上げた鈴木淳さんから誘われて、住まいとユニバーサルデザインの関連で話を聞きたいという人がいるというので出かけていきました。
都市公団関係のプロジェクトの専門家ヒアリングでした。
あまりいい加減に話を引き受けてはいけません。反省しました。
しかしこのテーマであれば、いくらでも話すことがあります。

大体最近のユニバーサルデザインの動きには不満がたくさんあるのです。
これについてはいつかまたメッセージします。

住まいに関してもそうです。
昨年自宅を新築しましたが、日本の家作りはどこかで大きく間違っているような気がします。
どこかのハウジングメーカーをコンサルティングしたいのですが、どこか希望するところはないでしょうか。
私のコンサルティングを受ければ必ず業績はよくなります。
ややコンサルティング費用が高いのが問題ですが。

ヒアリングはユニバーサルファッション協会の鈴木さんと一緒に受けました。
鈴木さんは、人生を踏み外しながら(いい意味ですよ)、この協会を立ち上げてきた、思いの深い人物です。
ユニバーサルデザインに関する鈴木さんの考えには、私はほとんど共感しています。
ユニバーサルデファッション協会のホームページも是非ご覧下さい。
会員になってもらえれば鈴木さんも喜びます。

■ 外資系の企業の人が企業文化変革の相談にきました

企業文化変革は私の本籍地です。
昭和39年に会社に入った時点で、会社を変えてやろうと考えていました。
そのうちにミイラ取りがミイラになってしまいましたが、それではいけないとCIの仕事に取り組みました。
日本でおそらくCI運動という形での企業文化変革活動の実施は東レが最初だったと思いますが、その活動に取り組みました。
そして見事に挫折して会社を離脱しました。
そもそも会社を変えようなどと考えてはいけないのです。
会社が変わるのではなく、社員や経営者が変わるのです。
そうした状況を創れば、いとも簡単に会社は変わるのです。
これについては日本CI会議体で出した本に書いた、私の小論を是非お読みください。
このホームページにも掲載されています。

今日、ある会社の人事部の方がきました。
行動指針を社内に浸透させたいというのです。
理念や経営理念を社内にどうしたら浸透できるかという相談は時々ありますが、それは簡単です。
浸透させようなどと思わずに、それを守れば役に立つような仕組みを作ればいいのです。
久しぶりにそんな話をしました。

実は昨日もある上場企業の社長に相談を受け、同じような話をしたのですが、今年はなんだかまた企業のほうに引き寄せられそうです。
やっと企業も面白くなっていくのでしょうか。

■ OBM研究会を開催しました

このホームページでもご案内しているOBM研究会の第1回目を開催しました。
8人の方が集りました。
企業人もいれば研究者もいれば、コンサルタントもいれば、協同組合の研究者もいれば、ベンチャー経営者もいます。
今回はそれぞれの思いを語りましましたが、それでも企業経営に関するかなり本質的な問題が見えてきたように思います。

私自身はOBM理念を導入すれば会社は元気になると確信していますが、その具体的なメソドロジーやプログラムがありません。
カスタムメイドだろうとは思いますが、そんなことを少し議論していくことにしました。
毎月1回、それぞれが問題提起しながら議論を重ね、1年後には本にしようということになりました。
私が訳した「オープンブック・マネジメント」は残念ながらあんまり売れていませんが(しこしこ売れているそうですが)、今度出す「日本版OBM革命(私の勝手な書名案)」はベストセラーを目指します。
ご期待ください。

この研究会に参加ご希望の方はご連絡ください。
メーリングリストも開設される予定です。

■ 館山に転居した元気なシニアがやってきました

館山に転居した元気シニアの稲村さんがやってきました。
稲村さんは昔は飛行機野郎で人生をちょっと踏み外した人物です。
構想力はすごいのですが、堅実さにかけるのです。
まあ、私も人のことはいえませんが。
稲村さんは75歳です。一応100歳まで活動する予定なのですが、これから館山市でブルーシルバーセンターという会社を創設し、社会活動を始める構想を持ってきました。
動き出すそうです。
ブルーというのは館山の海の青さです。
その青さがシニアを元気にしてくれるというのです。
元気になりたいシニア世代の方は是非館山に稲村さんを訪ねてやってください。
元気になるかどうかは保証できませんが。

2002年3月26日

■坂和さんとの回路がつながりました

先週ご案内した「実況中継 まちづくりの法と政策」の著者、坂和さんに本の感想を送ったら、即座に返事がきました。
あまりにも即座だったので、驚きました。
坂和さんはその後もいろいろなところでお話をされているご様子です、いつか私もそうした場をセットしたいと思っています 。
しっかりした聴き手を集めなければなりませんが。
先週も書きましたが、ともかくいい本です。
かなり読むエネルギーは必要ですが、改めてお勧めします。
特に行政職員やまちづくり活動家は必読です。

2002年3月24日

■ とても刺激的な本を読みました

坂和章平さんという弁護士の方が一昨年、愛媛大学で4日間の集中講義をしました。
それが本になっています。
「実況中継 まちづくりの法と政策」(日本評論社)です。
この本を読ませてもらいました。刺激的な本です。

私は坂和さんとは面識はありません。
このホームページは私が個人的に知っている方や私が直接関わったことのみを紹介していく方針なのですが、この本はまちづくりや社会のあり方を考えている方にはぜひ読んでほしいなと思い、あえて取り上げることにしました。
まあ、あえて個人的なつながりをいえば、この本に出てくる行政法学者の阿部教授は私の大学の同窓生です。
瑣末なことですが、人は必ずつながっているものです。

私もまちづくりや都市計画策定に関わっているのですが、この本を読んで実に勇気づけられました。
メッセージのコーナーで、弁護士を批判するようなことを書きましたが、ちょっと反省です。職業を一括りにして議論するのはよくありませんでした。
反省しなければなりません。

この本をぜひお読み下さい。
内容が多いので、けっこう大変ですが、すごく読みやすいです。

2002年3月22日

■ 千葉県の御宿の異業種交流会に参加しました

国土交通省の地域振興アドバイザーというのを引受けています。
そ のため、時々、各地のまちづくりの応援にでかけます。
今年度は御宿の観光振興の関係の住民活動に関わらせていただいています。
その3回目の集まりがありました。

各地の住民主役のまちづくり活動に、関わらせていただいて感ずるのは、「楽しもう」という人がどのくらいいるかで成否が決まってくるということです。
楽しんでいると、人も元気も情報も集まってきます。

御宿はかつて海水浴のメッカでしたが、今はかなり変わってきており、新しい地域資源が沢山育ちだしています。
新しい物語を創りだす時期に来ているようです。
これからが楽しみです。

今回は、御宿で生まれ育った大谷信行さんという方が経営されている「リゾートハウス・オータニ」というペンションに宿泊しました。
大谷さんはずっと御宿の写真を撮り続けていますが、その作品をはじめ、御宿のアーティスト仲間の様々な作品で装われた、とても気持ちのいいペンションでした。
食事も大谷ご夫妻の手作りのようで、ホスピタリティあふれるものでした。
ホームページもありますので、御宿に出かけられる際にはぜひお気にとめておいて下さい。

2002年3月21日

■ 全国マイケアプラン・ネットワークの島村さんに会いました

全国マイケアプラン・ネットワークは昨年9月に創設された、ケアプランを自分たちで作成しようという人たちの集まりです。
その活動をコムケアセンターでささやかに支援しています。

このネットワークは新聞などでも時々紹介されていますので、ご存知の方も多いでしょうが、代表の島村さんは「せっかく出来た介護保険制度をより良いものにしていくために、利用者が主体的に関わり、発言していくことが必要だ。
そのためにも利用者が自分でケアプランを作成していく活動を広げていきたい」と考えています。
全く同感です。

日本の社会福祉は一昨年大きな構造改革があり、長く続いていた「措置制度」が見直されました。
だが実態はまだまだ変わっていないような気がしてなりません。

マイケア・ネットワークは、有名な割にはまだ組織は未整備ですし、仲間もそれほど多いわけではありません 。
しかし、これは全ての人にとって無縁ではない話です。もしケアプランを創ろうという方がいたら、このネットワークを教えてやってください。

私がこの活動に関心を持っている理由のひとつは、それが個人の生き方や家族のあり方を見直す契機になると思うからです。
それに私が目指す「ケアのノーマライゼーション」にもつながっていくからです。
島村さんたちの活動は、このホームページでもぜひまたご紹介していきたいと思います。

もしかしたら、4月6日に集まりがあるそうなので、それもご案内させてもらいたいと思っています。
ご関心のある方はご連絡下さい。

2002年3月20日

インキュベーションハウスの総寄り合いが開かれました

このホームページでのインキュベーションハウスの報告が途絶えていますが、会社設立後、最初の総寄り合いを開催しました。

みんな自らの仕事を持ちながらの活動ですが、年度末のせいか、自分の活動拠点の方の仕事が忙しくて、なかなか全員集まれません。
私のような零細企業や個人で仕事をしている者の大変さ(面白さでもありますが)はなかなか伝えにくいですが、まあ、何とか今年度はみんなそれぞれに乗り切れそうです。

今回はインキュベーションハウスで取り組む新規事業を検討しました。
私もひとつ画期的な事業企画を提案しました。
みんなの賛同が得られれば、こんどお知らせいたします。
とても楽しい事業です。まだ内緒ですが、コーヒーをご馳走してくれたらこっそりお話します。

2002年3月19日

■ クリエイティブマネジメント研究会でOBMの話をさせてもらいました

このホームページでもご案内している、クリエイティブマネジメント研究所の例会で、OBM(オープンブック・マネジメント)の話をさせてもらいました。この研究会はクリエイティブマネジメント研究所の井口さんが主宰しています。


企業変革が話題になっていますが、OBM発想をとれば企業はいとも簡単に変革できると、私は確信していますが。
そんな意識で新しい企業のあり方をメッセージさせてもらいました。

■ 第1回コムケアサロンが開かれました

コムケアセンターで第1回のコムケアサロンを行いました。
これから毎月開催していく予定です。
今回は「市民活動立ち上げ後の2歩目の進め方」をテーマに、NPOマネジメントカウンセラーの松原優佳さんをゲストにして開催しました。
参加者は12人。様々なテーマに取り組んでいる実践者たちです。
その内容については、コムケアのホームページで紹介していますので、ご覧下さい。

このサロンのマネジャーは、ここでも以前ご紹介した藤村直子さんです。
藤村さんはJR東日本の社員ですが、コムケアセンターの活動を支援してくれています。
コムケアセンターはそうした人たちの活動の場もつくっていきたいと考えています。

松原優佳さんは、人と組織と地球のための国際研究所のフェローでもあります。
この研究所も市民活動の応援活動をしています。

今回のサロンで、市民活動の横のつながりや実践者のたまり場の大切さをますます痛感しています。
インキュベーションハウスの市民活動版を企画しようかと思い出しました。
ますます時間が破産していきますが、どなたか同志はいませんでしょうか。

2002年3月18日

美野里町文化センター物語の本づくりがいよいよスタートしました

以前、ご紹介した、美野里町の住民がみんなで資金と汗と知恵を出して、みんなでつくってきた文化センターづくりの物語を本にして出版しようという計画の編集会議が行われました。
内容もほぼ確認でき、体制も決まってきました。
みんなすごく乗り気になってきました。

詳しくは、2月13日の記事をご覧下さい。

進捗状況もお知らせしますが、ご関心のある方はご連絡下さい。
美野里町住民以外でも参加可能です。
もちろん私も1万円出資して参加します。

2002年3月17日

■ 久しぶりに散歩をしました。

こんなことまで書いていいのかとも思いますが、勢いに乗って書いてしまいましょう。

山形市の政策塾の提案のひとつが、スニーカー大作戦です。もっとまち中を歩こうという提案です。健康にも環境にも、まちづくりにもいいからです。内容は省略しますが、その提案があったので、私も歩くことにしました。

今日はちょっと忙しい1日なので、朝早起きして近くの手賀沼の遊歩道やまちなかを1時間以上歩きました。ちょっと疲れましたが、まちの様子がよくわかります。 家族と一緒に歩いたのですが、普段とはちょっと違うコミュニケーションもありました。 散歩している人がたくさんいるのも新鮮でした。

2002年3月16日

NPO法人信州まちづくり研究会の集まりに参加しました。

各地のまちづくりNPOが元気ですが、今日は佐久市に行ってきました。私の友人がその活動の事務局のため、応援参加です。

テーマは「コウハウジング」です。ご存知でしょうか。デンマークから始まった、新しい住まい方です。コウハウジング研究会の露木さんと堀田さんがメインゲストで、私はその前座で「みんなのまちづくりが始まった」という話をさせてもらいました。

コウハウジングの紹介の後、地元の推進者の金澤行雄さんと日本へのサステイナブルコミュニティ紹介の草分け川村健一さんも加えて、フリートークをやりました。私はこうしたフォーラムが大好きなのですが、短い時間でしたが、面白かったです。 私も時間ができたら、「元気工場型住まい研究会」を再開する予定ですが、様々な刺激を受けました。

コウハウジングは新しいコモンズ型の住まい方です。ご関心のある方は本が出ていますので、ぜひお読み下さい。(「コウハウジング」風土社)

2002年3月15日

山形政策塾の発表会に参加しました。

今日は山形市の政策塾の発表会でした。塾生がいくつかのテーマを選び、それぞれに新しい風を起こす具体的な提案を、公開の場で市長に行いました。事務局は「CWSフォーラム」投稿者第1号の佐藤一大さんです。

6つの提案がありました。提案を聞いて参加者が賛成か反対をカードであげるのです。そして最後に市長も同じく明確な意思表示をするのです。これは画期的な試みです。塾生が自分たちで考えたのです。 提案は具体的かつ理念的です。メンバーが苦労して、しかし楽しみながら検討してきた成果です。

うれしいことに全ての提案がおおかた賛成されました。もちろん反対者もありましたが。市長は2つにはちょっと条件をつけましたが、ゴーのサインがでたのです。 しかもすごいことに、市長がぐずぐずせずにいいことなのだからすぐやれと言ったのです。そこでそのうちの提案の一つは即日実行です。私の体験では、企業でもこんなことは初めてです。

その提案は市役所のロビーに「かんガエルくん」という投書ポストを置くことです。試作品がそのまま置かれることになりました。職員の提案がすぐ日の目を見るということの意味は大きいです。私は最近の山形市長にはいささか不満がありましたが、今回は改めて彼の人柄に感心しました。

なお、この提案は単なる投書ポストを置くだけではありません。はじまりのプログラムです。市役所1階のロビーにまもなく「オープンサロン」まで開設されるのです。これは私が10年前から望んでいたことですが、どこでも実現しませんでした、山形市でいよいよ実現するのです。店長は管理職が持ち回り、スタッフは職員のボランティアです。

皆さん、コーヒーを飲みにぜひ山形市役所に行きませんか。市長もブラッとやってこないともかぎりません。新幹線を使えば、山形は2時間半で行けます。連絡していただければ、感激屋の一大さんが対応してくれるでしょう。

市役所もまちがいなく変わりだしています。
山形市の共創プロジェクトは面白くなりそうです。他にも面白い提案がありました。

2002年3月14日

創志塾の「こころ」セッションを開催しました

三浦さんが塾長をしている創志塾の第3プログラムを、毎回、私が担当させていただいています。「こころ」をテーマにして、1日、話し合うセッションです。

午前中は、塾生が課題として読んできた「こころに関する本」の紹介を中心に話し合いました。各人がそれぞれに「こころの本」を探すのですが、毎回、さまざまな本が紹介されます。なぜその本を選んだかという話はいつも刺激的です。

午後は「心の構造」を絵に描いてみることから始まります。さまざまな不思議な絵がいつも登場します。今回は実に見事な絵があって、感心させられました。 私からは私たちはそれぞれたくさんの「小さな心」を持っていること、しかもそれは奥のところで全ての人や山川草木につながっていること、などを話しました。 意識変革ということがよく言われますが、私は「変革」ではなく「小さな心の組み合わせ」を変えることと考えています。ですから、私の場合は比較的、意識変革は簡単なことなのです。

最後は北海道家庭学校の谷さんの話を材料に議論します。谷さんの話を聞くたびに、私はいつも涙が出そうになります。そして、いつも少しずつですが、自分の生き方が変わっていきます。

塾長の三浦さんは、いつも自然体で生きています。お会いして以来、毎年どんどん若返っています。三浦さんの創志塾も今回で4期目です。参加した人は間違いなく生き方を変えていくように思います。

皆さんも一度、参加してみませんか。

2002年3月13日

■ トヨタグループの技術者の交流会に参加しました。

企業の関係の記事は載せにくいのですが、まあ、話をしに行ったことくらいはいいでしょう。今日は、トヨタ関係の大手3社の技術者の交流活動のキックオフ大会に行き、話しをさせてもらいました。「ちょっと立ち止まってみませんか」という話です。

最近の企業はかなり開かれてきましたが、企業の人とお付き合いして感じるのは、その世界の狭さです。企業の外での様々な動きに対して、あまりにも情報不足なのがいつも気になります。人は自分の関心ある世界のことしか見えないものなのだと痛感しています。そんなことから、今回は企業の外の言葉をたくさん出してみました。

ところで、今回の活動はトヨタグループ3社の技術者が一緒になって、時間と予算(いずれも半端ではなく、私が関わっている行政の中途半端な姿勢とは大違いです。企業のほうが人の大切さを実感しているのでしょうか)をかけて自由に未来の夢を語る企画です。トヨタは夢が好きな会社ですが、どんな夢が出てくるのか楽しみです。

私はトヨタのこうした活動にこれまでも2回関わらせてもらいましたが、毎回、実に魅力的な人に出会います。今回も楽しみです。

ところで、みなさんも夢を語っていますか。今、一番大切なことです。いつもの事ながらトヨタの先見性には感心します。

2002年3月11日

■ 福岡市のビジターズ・インダストリー振興の集りに参加しました

福岡市は年間1500万人を超える訪問者がいるそうです。
しかし、もっと多くの人たちが触れ合う都市にしたいという思いから、新しいビジターズ・インダストリーのあり方の検討を始めました。
なぜかその会に参加しています。今日はその2回目の委員会でした。

福岡市民でないのは私だけですが、みなさん非常に闊達に議論しており、そこに福岡市のパワーを感じます。
福岡市はますます面白くなっていきそうです。市民が元気であれば、まちは元気になります。

「観光」とは、その地域の光を観せることですが、光を輝かせずに人を集めることばかり考えてきたのが、これまでの観光政策でした。
それでは疲弊するだけです。最高の観光政策は住民が幸せになるまちづくりです。

以前、お隣の北九州市の「ホスピタリティ運動」に関わらせていただき、ホスピタリティフォーラムなどをやりました。
その活動は今も地道に続いていますが、観光はこれからの面白いテーマの一つです。私の大きな関心事の一つです。

昨年から千葉県の御宿(かつては海水浴のメッカでした)にアドバイザーとしてささやかに関わっていますが、
ここでも観光というものの位置づけの変化を実感します。
発想を変えると新しい観光の価値や取組み方法が見えてきます。
御宿のプロジェクトはどう発展するかわかりませんが、各地の現在の観光行政には大きな違和感があります。
新しい発想と姿勢が求められているように思います。

2002年3月5日

■沖縄平和祈念公園に行きました

NHKの「ちゅらさん」を観て、沖縄にすっかり惚れ込んでしまいました。これまでもそ れなりに沖縄の歴史の本を読んだりしていましたが、改めて沖縄の文化をもう少し知りた くなりました。

平和祈念資料館やひめゆり平和祈念資料館を回って、当時の人たちの書いたものや聞き 書きを読ませてもらいました。なぜ戦争が起きるのか不思議です。みんなが一人の人間と して、個人の生き方を大切にしていけば、戦争など起こるはずがないと思うのですが。昨年の9月11日以来、どうも 歴史が違う方向に進みだしているのが気になります。 個人がますます消えつつあるのではないかという不安です。

資料館の壁に書かれていた「展示の結びの言葉」を転載します。涙が出ました。
今週の活動記録はこれがすべてです。

沖縄戦の実相にふれるたびに
戦争というものは これほど残忍で 
これほど汚辱にまみれたものはない
と思うのです

この なまなましい体験の前では
いかなる人でも
戦争を肯定し美化することは できないはずです

戦争をおこすのは たしかに 人間です
しかし それ以上に
戦争を許さない努力のできるのも
私たち 人間 ではないでしょうか   

戦後このかた  私たちは   
あらゆる戦争を憎み   
平和な島を建設せねば と思いつづけてきました

これが
あまりにも大きすぎた代償を払って得た
ゆずることのできない
私たちの信条なのです

この信条への脅威がいま、高まっているような気がしてなりません。
それに荷担しないためにどうしたらいいのか
まだ答がみつかりません。

2002年3月1日

■企業の経営幹部の方々と意見交換しました

経営道フォーラムという活動があります。企業の経営幹部の方々の研究活動の場です。企業経営にも「道」が必要だという思いから創設された組織で、活動はもう15年以上になります。私は「企業理念・経営理念」というテーマのチームのアドバイザー役をずっとつとめていますが、その間の企業経営幹部の意識や行動の変化は極めて興味深いものがあります。

今日はその30期のメンバーがオフィスにやってきました。今回は、企業とは違った組織活動に触れてみようと言うことで、まちづくり会社やワーカーズコレクティブ組織やNPOなどと意見交換してきています。まだ途中ですが、いろいろと示唆があったようで、楽しみです。

この活動の成果は5月21日に発表会がありますので、関心のある方はご連絡下さい。ご招待できるように事務局に頼みます。またこの活動へのお問い合わせも私にどうぞ。 事務局の堀越さん、この記事を読んだら紹介記事を書き込んでください。

2002年2月28日

■山辺町を訪問して都市計画の話をお聞きしました

山形の山辺町役場を美野里町のメンバーと訪問し、都市計画マスタープランについての意見交換をしました。山辺町の長岡さん、渡辺さんという若い職員に出会ったのが契機なのですが、ぜひ新しい計画作りに取り組んでいる姿を美野里町のメンバーにも感じてもらいたかったのです。その目標は達成したかどうかはわかりませんが、私にとっては面白い話をたくさん聞けました。

それにしても、各地で若い自治体職員が新しい活動に取り組みだしています。そこに共通しているのは「住民主権」「地域主権」です。こうした人たちがつながって言ったら、面白い時代の幕が開きそうです。しかしまだまだ壁は厚いようです。

2002年2月27日

■長井市レインボープラン推進協議会を訪問しました

長井市のレインボープランは有名なのでご存知の方も多いと思います。「台所と農業をつなぐ」というスローガンで、住民が主役になって生ごみのコンポスト化を進め、それを周辺の農業者が活用して、循環型地域社会を創出しようという活動です。

以前、東久留米市の職員組合のメンバーと一緒に「農業とごみ問題を考える研究会」というのをやったことがありますが、このテーマは私にとっては関心の深いテーマです。その研究会の報告書に掲載した小論もぜひお読みください。

今回は、美野里町の職員の方々と長井市を訪問しました。美野里町も農業中心のまちですので、いつかこのテーマに行き着くはずです。そんな思いで行ってもらいました。 レインボープランの内容は長井市のホームページをご覧ください。

今回印象的だったことをふたつだけ書きます。 まず、取材が有料だったことです。10人以内は1万円です。これはすばらしいことです。説明もそれにふさわしい丁寧なものでした。当方のぶしつけな質問にも実に真摯に、気持ちよく答えてくれました。

もうひとつは説明者が市民ボランティアだったことです。横山さんという女性です。思いを込めての説明でした。美野里町の沼田さんが感激していました。沼田さんは美野里町で住民主役のまちづくりに取り組んでいる方です。私が敬意をもって信頼する自治体職員の一人です。私が美野里町に関わっているのは沼田さんがいるからです。

2002年2月26日

■地域通貨に取り組んでいるゲゼル研究会の森野栄一さんにお会いしました

地域通貨、もしくはエコマネーについてはNHKの「エンデの遺言」以来、とても大きな関心を持っていますが、何かまだわりきれないものがあります。私が気になっているのは「証券化」という点です。昨今の不動産証券化やサービスの証券化には積極的な意味を感じると同時に、なにか実体と経済の乖離を感じています。

そこで、私自身もCWSコモンズ村では、ささやかな実験を始めようと思っていますが、まだきっちりした枠組みが構想できずにいます。コモンズ村村民のみなさん、すみません。

森野さんとお話して、ますます頭が混乱してきましたが、同時にますます実験してみる価値を確信しました。 これについては、CWSコモンズの動きも含めて、また報告させていただくことができそうです。

2002年2月26日

■日本食文化交流協会発起人の東山さんと意見交換しました

東山さんと、先日のサロンで話題になった食文化交流協会について改めて意見交換しました。協会のホームページの内容も大きくバージョンアップするそうです。ぜひまたご覧ください。食はいのちと文化の基本です。

なお3月17日に東京でこの活動に関心を持つ人たちの集まりがあります。ご関心のある方は、私もしくは東山さんにご連絡下さい。

2002年2月25日

■ソシオビジネス研究会でコミュニティビジネスの話をしました

ソシオビジネス研究会は多摩大学の北矢行男教授の主催する起業家中心の研究会です。北矢さんはハードボイルドですが、実に信頼できる、あったかい人物です。最近ますます野球にはまっていて、あんまり経営の本を書かないのが不満ですが。

ソシオビジネスは彼がかなり前から言い続けている企業像です。これに関しては北矢さんの本がありますので、ぜひお読みください。 「ソシオ・ビジネス」株式会社エイチアンドアイ 1999年。

今回は「コミュニティケア活動から見えてきたコミュニティビジネス」という話をしました。コムケア活動を通じて、これからのビジネスのあり方が見えてきたという話です。いつかまた詳しく報告したいと思います。コミュニティビジネスについては、インキュベーションハウスのドメインでもあります。

話し終わった後、カタカナが多すぎると言われました。これについてはちょうど今、メッセージで書きかけていることなのですが、このホームページでもおわかりのように、私は英語が不得手なのにカタカナ用語が多いのです。そのことに積極的な意味を確信しているからです。決してぺダンチックさをひけらかしているわけではありません。このやりとりには、めずらしく北矢さんが私をフォローしてくれました。

2002年2月25日

■ボランティア活動をしている方が3人やってきました

今日は各地でNPO活動をしている人が、別々に3人やってきました。疲れました。いつも思うのですが、社会活動をしている人ほど社会との付き合い方の常識がないと言うことです。もちろん悪意があるわけではないのですが、すごく損をしているだろうなと思うことが少なくありません。それはとりも直さず、日本の市民活動の課題でもあります。今年はそんなテーマにも取り組んでみたいと思っています。

ここで紹介するのは、今日、来てくれた一人ですが、彼はそういう人とは全く違って、実に気持ちのいいコミュニケーションをする人でした、それもそのはず、心理カウンセラーなのです。作曲家でもあります。石川さんといいます。

カウンセラーの仕事の合間に、不登校児やひこもりの若者たちの支援をしています。私は閉じられた時空間での活動を開いていくことに関心がありますが、石川さんも活動の場にノイズを引き込むことの大切さを強調されていました。全く同感です。

このホームページにもどんどんノイズを入れたいです。みなさん、よろしくお願いします。 石川さんはかならずまた、このホームページに登場するはずです。お楽しみに。

2002年2月20日

○ 山形市政策塾

山形市の共創プロジェクトの活動として、市役所職員の有志による政策塾というのが行なわれていますが、それに参加してきました。実にうれしい展開になっています。山形市には私はもう6年も通っています。多くのことを学ばせていただきましたし、素晴らしい仲間も得られました。

最近、この政策塾が素晴らしい動きになっているのでうれしくて仕方ありません。どう素晴らしいかは長くなりますので止めますが、一言で言えば、みんな楽しがりだしたのです。仕事は楽しくなければいい成果は上がりません。楽しければ、どんな苦労もできるのです。それに参加者がどんどん人間的な会話をするようになってきたのもうれしいです。それぞれの違いを受け入れる関係も育っています。毎回、すごく教えられることが多いのです。

新しい活動も次々と始まりそうです。この内容は是非近いうちに山形市の政策塾の当事者から投稿してもらいたいと思っています。これを読んだ関係者の方、それぞれの活動について、動き出したら是非投稿してください。知恵はみんなのものですから、どんどん広く公開しましょう。

2002年2月19日

○ワークシェアリング

拓殖大学の長坂寿久教授からワークシェアリングのお話をお聞きしました。最近、かなり話題の言葉ですが、私の理解の浅さを痛感しました。最近は新しい言葉や概念が次々と出てきますが、その多くは未消化のまま、安直に使っていることが少なくありません。反省しなければいけません。  

私の知人の根本さんという経営学者がいますが、彼はもう15年くらい前からオランダの話を盛んにしていました。本も何冊か出されて、私もいただいたのですが、その頃はまだ根本さんのメッセージを受け止められずにいました。最近、根本さんが書かれた「ワークシェアリング」という本を読んで、少し根本さんの言っていたことが理解できました。外からのメッセージをきちんと受け止めるのは本当に難しいものです。大いに反省させられました。 長坂さんは「オランダモデル」という本を出されています。是非お読みになることをお勧めします。刺激を受けます。  

お話の中で、オランダでは子どもをエンターテインすることが社会価値として一番大切にされている、という指摘がありました。子どものためという理由であれば、会社を休んでも許される、らしいです。日本がお葬式といえば許されるの同じです。ワークシェアリングもさることながら、私はこの言葉にハッとしました。それを最近、忘れていたと思ったのです。早速、帰宅してまだ我が家にいるむすめたちに話したら、冗談は自分の生き方だけにしてよ、といわれてしまいました。ちょっと気づくのが遅かったです。皆さん。お気をつけ下さい。

2002年2月18日

○ コリアボランティア協会訪問

コムケア活動の一環として、大阪生野区のコリアボランティア協会を訪問しました。すごい刺激を受けてきました。コムケア活動の支援プロジェクトは、コムケアのホームページを見ていただきたいですが、今回はコリアボランティア協会の活動をご紹介したいです。そして是非皆さんにも応援団に入っていただきたいです。カンパも歓迎です。  

コリアボランティア協会は、民族や国籍の壁を超えて、障害者と健常者の共生に取り組むボランティア団体です。1994年に設立されました。在日韓国・朝鮮人のメンバーが多いことが特徴ですが、日本ではまだ民族の壁は高く、差別意識は根強く、苦労しているメンバーも多いのではないかと思います。しかし、その分だけ逆に、人の痛みへの思いは深く、それが善意の輪を広く世界に広げたいという様々な活動を支えているように思います。  

代表の康秀峰さんは「日本は経済を輸出しているけれど、その分、愛を輸入しなければならない」と言っています。全く同感です。協会の詳しい内容や康秀峰さんの発言などをぜひ読んでください。また応援カンパもぜひお願いします。  

2002年2月13日

○ 美野里町文化センター物語の本づくり

また美野里町です。美野里町への私の関わりの契機は住民が創る文化センタープロジェクトでした。これについては別のところで紹介していますが、その文化センターが今年の11月にオープンします。その活動記録を材料に「もうひとつの文化センターづくりプロジェクト」が動き出しました。

美野里町の住民がみんなで資金と汗と知恵を出して、本を出版しようという計画です。とても生々しい面白い本ができるはずです。ご期待ください。 その準備会が開催されました。基本方針が確認され、1口1万円と知恵と汗を出し合う制作メンバーを公募する予定です。新しい本作りのモデルになるかもしれません。11月発売予定です。購入ご希望の方は私までご連絡ください。特別割高価格で提供します。  

このプロジェクトに参加されたい方はぜひ美野里町に転居してください。とても住みよいところです。ご希望の方は気楽に相談してください。 また引越しはしないけれど、本はほしいという方のために応援団制度も検討したいと思っています。住民委員の方々が賛成してくれれば、ですが。うまく合意が出来たらご案内します。

2002年2月9日

■我孫子市手賀沼景観形成市民会議

私の住んでいる我孫子市には「汚染度日本一」の手賀沼があります。昨年転居した我が家からもわずかながら見えます。私も我孫子市の総合計画策定の審議会の委員をさせてもらったのですが、我孫子のまちづくりにとって、この手賀沼は大きな財産です。

昨年から、市の呼びかけで、手賀沼景観市民会議(略称)がスタートしました。私も参加しました。自画自賛ですが、これが実にすばらしい活動です。今日、その幹事会が行われました。参加者の真剣な議論ぶりにはいつも感激します。

この市民会議は公募によって集まった50人くらいのメンバーで構成されています。そのメンバーが実際に現地調査を行い、景観上の問題点を整理し、提案まで持っていこうという活動です。現地調査は昨年の夏に行われました。私はその頃、あるプロジェクトで土日が全滅だったため、参加できませんでしたが、その調査結果を踏まえて、分析整理の検討会が隔週の土曜日に行われています。実に密度の濃い議論が行われています。

手賀沼周辺の高台から低地の際に沿って「はけの道」というのがあります。私は我が家の犬の散歩で時々歩くのですが、お世辞にもきれいとは言えない狭い道です。ところがそこには水神宮とかほぼ枯れかけた湧水があるのです。今回、そこを改めて歩いてみて、そうしたことを教えられました。水をもう一度回復させたいという思いが強まってきました。5年後にはきっとすばらしい散歩道になっているはずです。皆さんもぜひ一度お出かけ下さい。そうしたところが、自分たちの住んでいるところにはたくさんあるのでしょうね。それを掘り起こすのが地元学や地域学です。そして、これがまちづくりの出発点です。

今日の幹事会では提案内容を整理していたのですが、期せずしてみんな、提案だけではなく、自分たちで汗をかく仕組みをつくろうということになりました。極度の時間貧乏の私としては、まさに自分の首を絞めることなのですが、これこそがまちづくりなのだろうなと思いました。間違いなく住民主役のまちづくりが広がりだしているのです。

2002年2月8日

■生命・生活・社会研究フォーラム

なにやら難しい名前ですが、ヒューマンルネッサンス研究所が支援している研究会です。時代の大きな変わり目の中で、これからの企業のありようを大きな視点で考えていこうというのが目的です。企業経営とこれまであまり接点のなかったメンバーが中心という面白い研究会です。

昨年から始まったのですが、なんと第1回は「縄文人の生活」がテーマでした。縄文人の気持ちからスタートして、仕事とか生活を吟味し、そうした展望のなかで、これからの企業のかたちやあり方を議論しています。当初は公開方で行っていましたが、最近はまとめが近づいてきたため、メンバー中心の運営をしています。

私はそれなりに企業の世界に関わってきましたが、発想を変えるべき時代がやってきたと思っています。というよりも、発想を変えて企業の問題を解けば、ほとんどが簡単に解けるように考えています。雪印食品にしても、再建はそう難しい話ではありません。残念ながら、頼まれていないため、お役にはたてませんが。

まあそれはともかく、今回は某社の飛び切り元気な役員をゲストにして意見交換をさせてもらいました。私自身は、これとは別に大企業の経営幹部の研究会のアドバイザー役もさせていただいていますが、そこでの議論とは全く別の議論の展開を楽しませていただいています。

これからの企業の形やあり方はほぼ確実に見えてきているように思いますが、そこへの着地プログラムが難しいのかもしれません。オープンブック・マネジメントはその一つのシナリオではないかと思っています。

いずれにしろ、企業に関わる人たちは、目先の問題ばかりに目を奪われるのではなく、基本的な問題を考える事が必要ではないかと思っています。この研究会はまとまったらまた報告させてもらえるかもしれません。

2002年2月7日

■美野里町レストラン名称命名委員会

また美野里町です。美野里町では住民と行政が一緒になって文化センター建設に取り組んでいます。施設としての文化センターは今年の11月に完成します。そのオープンをかざるのは、住民劇団ミュージカルです。これがまたすばらしい活動なのですが、いつか紹介する機会があると思います。お急ぎの方はホームページを見てください。

その文化センターに隣接して、美野里町の新鮮で美味しい野菜をふんだんに使った、おしゃれなレストランがオープンします。文化の基本は食と農と、私は考えていますので、とてもうれしいことです。ただ、商業的には難しい問題も少なくありません。そのレストランの名称を住民に公募したのですが、その検討会が行われました。私もその委員の一人にさせてもらいました。

文化センターの愛称も全国から公募しました。なんと全国から1500を越える募集がありました。「みの〜れ」という名前になりました。「みの〜れ!、みの〜れ!美野里町の文化」というわけです。その勢いに乗って、レストランの名称も公募しちゃったわけです。その是非にはいろいろ意見もありますが、こうした新しさに取り組む姿勢は高く評価したいと思っています。

レストランの名前はまだ内緒ですが、5月にはオープンします。とても素敵なレストランになるはずですし、そこからまた様々な新しい物語も始まりそうです。レストランがオープンしたら、またご案内いたします。近くの方はぜひ足を運んで見てください。

2002年2月4日

■福岡市DNAどんたく2002

自治体行政のあり方が大きく変わる中で、各地の役所が自己変革に取り組んでいますが、その話題の一つが福岡市のDNA運動です。全ての職員が自らの仕事の価値と意味を確認し、課題を見つけ自ら解決に取り組む運動です。DNAは市役所を規定する組織的遺伝子(DNA)も意味しますが、「できる、納得、遊び心」という、この運動の基本コンセプトの頭文字です。詳しくはDNA運動のホームページ(http://www.city.fukuoka.jp/dna/index.htm)をご覧下さい。

福岡市に訪問したついでに、その第2回発表大会を見せてもらいました。企業の人には懐かしい小集団活動の発表会の雰囲気ですが、「遊び心」もそれなりにあって、面白かったです。

この発表大会は市民にも、もちろん公開されていますし、他の自治体の人も歓迎されています。たまたま会場で、私が関わっている山形市の共創プロジェクトのメンバーにも会いました。こうした交流がもっと広がるといいと思っています。

2002年2月2日

■ボランティア活動をしたいという企業の人がやってきました

今日はちょっと変わった情報です。ある大企業に勤めている若い女性がボランティアをしたいと相談にやってきました。ある人の紹介です。最近、こうしたことが増えています。ボランティアだけではなく、行動を起こしたがっている若者が多いように思います。マスコミで報道される若者像と私が体験する若者像とが時々食い違います。

私は若者たちに絶大な信頼を置いています。私たちの世代よりも間違いなく、行動的でしっかりしています。皆さんはどうお考えでしょうか。

2002年2月2日

■自立応援団の宮田さんと初対面

コムケア活動のおかげで、実にさまざまな実践者にお会いできますが、この日は熊本で知的障害者の自立支援のための小規模作業所を創設した宮田さんに会えました。

私も友人の秋山さんたちのふぁっとえばー活動に参加していますが、「仕事」というものの意味が、立場によっては全く違うことを痛感しています。宮田さんは、仲間たちと実に様々な社会活動に関わっています。コミュニティである活動をはじめると世界がどんどん広がってしまうことはよくあることです。生活という立場から考えると、世界はすべてつながっているからです。宮田さんもそうした生活者の一人でした。

「自立」という言葉は難しい言葉です。私は「自立」とは「人の輪作り」だと思っていますが、まさに宮田さんはそうした活動家で、着実にまわりの世界を元気にしているのでしょう。私もとても元気づけられました。実践者に会うといつも、社会は間違いなく前に進んでいることを実感します。そして元気になれます。人は前に進むことで元気になれるのでしょう。

宮田さんの本職?は、くまもと農業経営情報研究所の所長です。農業の話でもすっかり意気投合しました。農業は私の長年の関心事のひとつで、これから様々な形で情報発信していきたいと思っているテーマです。いつかまた、私の小論も読んでほしいと思っています。

宮田さんからメールが来ました。

人生の醍醐味は、やはり出会いだと思います。 そして、一期一会でなくするところがまた妙味です。

まさに同感です。

2002年1月30日

■美野里町まちづくり職員ワークショップ

私がこの7年、関わらさせていただいている茨城県の美野里町で、職員ワークショップが行われました。

美野里町ではいま、共創型のまちづくりが進められていますが、この経緯は別のところで書き込んでいますので、お読み下さい。

美野里町の取り組みはまさに新しい自治体行政のモデル(地域主権モデル)の一つになりえるのではないか、と私は考えています。

昨年から、美野里町の都市計画マスタープランづくりを依頼され、仲間と一緒に取り組んでいますが、地域主権に沿った新しい都市計画マスタープランのモデルを開発したいと思っています。3年計画です。これについては追々紹介していきますが、その活動の一環で、若手職員のワークショップが30日に行われました。

都市計画マスタープランは全国の自治体に策定が義務づけられています。美野里町は名前の通り、農村風景が残っている美しいまちですが、「都市計画」などという言葉はあまり馴染みません。そんな自治体でも策定しなければならないというところに、私は違和感を感じますが、どうせ策定するのであれば、住民にとって本当に価値のあるものにしなければいけません。そのため、美野里町では計画づくりを目的にするのではなく、まちづくりを目的にする姿勢がとられれています。

まちづくりの基本的なよりどころは、各自治体が策定する総合計画(これもすべての自治体にあります。皆さんは自分の町の総合計画を知っていますか)ですが、今回の都市計画マスタープランはそれに並ぶ準総合計画づくりと位置づけ、まちづくりの骨格の拠り所を住民と一緒につくっていこうとしています。そして、出来上がる計画そのものを目的にするのではなく、策定のプロセスを大切にし、生きた計画を育てていこうというのが美野里町の都市計画マスタープランづくりです。そういうことになると、当然のことですが、行政だけでは作れません。ましてや、私のような外部のまちづくりコンサルタントにつくれるはずがありません。主役の作り手は住民でなければなりません。そうした認識の下に進められています。その姿勢に共感して、ささやかながら加担させていただいています。

この町に、昨年の夏、東京理科大学の学生が中心になって、3週間くらい住民のお宅をお借りして滞在し、町をくまなく回りました。今回は、その観察結果を材料にして、職員に美野里町を再認識してもらおうというワークショップでした。短い時間でしたが、実に様々なヒントが得られました。ワークショップを実施すると、話し合うことの大切さが本当によくわかります。

ちなみに、私の活動拠点のひとつは「株式会社コンセプトワークショップ」です。15年前の設立ですが、当時はよく「何を売るお店ですか?」と聞かれたものです。最近はまちづくりや企業変革のひとつの方法として広がっています。

参加者は次回のワークショップに向けて、各自、町の気になる風景を写真に撮ってきて、それを材料にまたワークショップを開く予定です。