ノンフィクションライター黒岩比佐子さんの著作
●「音のない記憶──ろうあの天才写真家
井上孝治の生涯」 黒岩比佐子 文藝春秋
●「伝書鳩──もうひとつのIT」 黒岩比佐子 文春新書
■「『食道楽』の人 村井弦斎」
黒岩比佐子 岩波書店 2004 (4410円)
■歴史のかげにグルメあり 黒岩比佐子 文春新書 800円)
●「食育のススメ」
黒岩比佐子 文春新書 850円
■「編集者 国木田独歩の時代」黒岩比佐子 角川選書 1700円(税別)
●「日露戦争 勝利のあとの誤算」 黒岩比佐子 文集新書
●「津村重光の本」
黒岩比佐子 鉱脈社
■戦争絶滅へ、人間復活へ
むのたけじ 聞き手黒岩比佐子 岩波新書 2008
■黒岩さんがサントリー学芸賞を受賞しました(2004年11月8日)
黒岩比佐子さんの「食道楽の人 村井弦斉」がサントリー学芸賞を受賞しました。
予告通り、弦斉ブームのスタートです。
みなさん、くれぐれも置いてきぼりされないように、この本を読みましょう。
全部をきちんと読むのは結構大変ですが、ゆっくり読むとそれぞれが実に面白い本です。
ついでに、黒岩さんのブログもどうぞ。
このブログにこそ、黒岩さんの真髄が出ているように思います。
■ 黒岩比佐子さんの「百寺巡礼」(2003年7月4日)
「不安の力」ではないですが、五木寛之さんの新著「百寺巡礼」が黒岩比佐子さんから送られてきました。
黒岩さんのことは、五木さんもその本のあとがきで紹介しています。
彼女の仕事への情熱はすごいものがあります。
手を抜きません。プロを感じさせます。
この本は黒岩さんにとっても自信作のようです。
皆さんも書店でまずは「あとがき」を読んでください。
この種の本では和辻哲郎の「古寺巡礼」が有名ですが、私が好きなのは白洲正子の「十一面観音巡礼」です。
私が就職した頃、「芸術新潮」に連載されていたのですが、
たまたま勤務地が滋賀の大津だったので、その巡礼を追いかけていました。
そこで出会ったのが法華寺と渡岸寺の十一面観音です。
いずれも私の好きな観音像です。私の人生に、少なからず影響を与えた観音です。
黒岩さんは今、五木さんと一緒に百の寺院をまわっていますが、
凝縮された時間の中で、歴史の記憶に満ち満ちた場との密度の高い触れあいが、どういう影響を与えるかにとても関心があります。
プロジェクト終了後にお会いできるのを楽しみにしています。
■
黒岩比佐子さんと村井弦斎(2002年12月13日)
「音のない記憶」の著者の黒岩さんは、いま、実に多忙な生活をすごしています。五木寛之さんの著作活動の編集に関わられたり(最近の本のあとがきなどにお名前が出てきます)、ご自身の関心事のテーマについて調べられたりしています。今日も資料探しで、神田神保町の古書店に来たついでに湯島に立ち寄ってくれました。
以前お話した村井弦斎の著作『Hana』の英訳本は、ネットで見つけて、米国から購入したそうです。インターネットの威力はすごく、まさに取引コスト革命を起こしています。この意味はもっと認識されてもいいでしょう。
その本をわざわざ持参してくれました。存在感がありますね。版画(多色刷も含まれています)が実にきれいでした。こうした存在感のある本が最近はなくなりましたが、改めてこうした本を見ていると、これからの本づくりの一つの方向性を感じます。
■村井弦斎の著者の黒岩比佐子さん(2004年7月2日)
「村井弦斎」の本の話を、CWSプライベートに書き込んだら、早速、黒岩さんがコメントしてくれました。
忙しさのなかでの早速の反応に驚きましたが、その直後に電話があって、突然やってきました。
そういえば、今は湯島の比較的近くにすんでいるのです。
黒岩さんのCWSプライベートへのコメントを一部引用します。
一応、文筆業と名乗っていながら、
「売れない」と言われる本ばかり書いていることに矛盾も感じながら、
売れなくても、自分が書くべきだと思うものを書いていけばいい、と突っ張る気持ちもあります。
新刊本が氾濫する昨今、3ヶ月で書店から消えて、あっという間に絶版、というわびしい話を聞くと、
この先、出版業界はどうなっていくのだろう、と思わずにはいられません。
厚い本を何日もかけて読むような人は、どんどん減っているようです。
そんな中で、こんなページ数の多い評伝を出版できたことは奇跡のようなものだ、と版元の人からも言われました。
この幸運をかみしめつつ、今後もこの自分に恥じないものを書いていきたい、と思っています。
書店に行くとどこも結構お客さんがいます。
しかし、書籍は売れていないようです。
不思議ですが、お客を集めながら売れないと言うことは、明らかに作り手の問題です。
最近の人は本を読まないという責任転嫁は当てはまらないように思います。
まあ、それはそれとして、
黒岩さんのように、真面目に取り組んでいる文筆業の人は大変なようです。
その大変ななかを、7月にはクロアチアに行くそうです。
その行動力には驚嘆します。
超多忙な生活にもかかわらず、元気そうでした。
やりたいことをやっている人は、みんな元気ですね。
最近、私に元気がないのは、やりたいことでないことをやっているからでしょうか。
いやはや、困ったものです。
「村井弦斎」の本の紹介はブックのコーナーにあります。
■黒岩比佐子さんの村井弦斎伝が完成しました(2004年6月2日)
黒岩比佐子さんからメールがきました。
彼女の最新作である、村井弦斎の評伝(「『食道楽』の人 村井弦斎」)の予告が、岩波書店のホームページに掲載されたそうです。
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/02/7/0233940.html
解説文を引用します。
明治の大ベストセラー『食道楽』の著者としてのみ知られる村井弦斎の初めての評伝.
幕末の儒家に生を亨け,新聞小説家として名をなし,婦人啓蒙へと転じて健筆を振るい,その晩年は仙人への途を歩んだ人.
厖大な資料を博捜し,その数奇な生の光と影を時代背景に溶かし込んで描き出す.
もう一つの近代の落丁を埋める力作!
この話はこれまでも何回か紹介してきましたし、黒岩さんの小論も掲載しています。
かなり高価な本ですが(黒岩さんはとても気にしています)、ぜひ応援してください。
こうしたしっかりした本が少なくなりました。
それは文化を失い出した今の時代を象徴しています。
黒岩さんはフリーライターです。
フリーで仕事をすることの大変さは、やってみない人にはわからないでしょう。
その大変さが魅力でもあるのですが、
私もフリーに近い人間として思うのは、
組織で仕事をする際の論理と個人で仕事をする際の論理の違いは大きいという事です。
すべての人が、仮に組織を活用するとしても、個人で仕事をしはじめると、きっとGNPは半減するでしょう。
しかし、効果は倍増するでしょう。
組織から発想する時代から個人発想の時代への転換は、時間がかかりそうです。
そのはざ間で、フリーランサーはみんな苦労しています。
黒岩さんは、もうひとつ大きな仕事に関わっています。
五木寛之の「百寺巡礼」の著作の構成を担当しています。
五木さんも先日テレビで話していましたが、
全国の百寺まわりをしているおかげで、そこから気をもらい、最近は風邪もひかずに元気だそうです。
黒岩さんも、一体いつ寝ているのかというくらいの激務ですが、
五木さんと一緒に名刹をまわっているおかげで、倒れずにいるのかもしれません。
今週は東北の寺をまわってきたようです。
東北の寺は、私はほとんどお参りしたことがありません。
山形市に通いながら、まだ山寺にも行っていません。
ライトアップされた幻想的な山寺はみたのですが。
「百寺巡礼」には、私の好きなお寺もでてきます。
この巡礼が終わったら、一度、彼女の話を聞きたいと思っています。
私の人生に影響を与えた本の1冊が、白洲正子の「十一面観音巡礼」です。
昔、芸術新潮に連載されていた時に愛読していました。
最初に会ったのが、奈良の法華寺の十一面観音です。
今でもその時の様子が思い出されます。
法華寺は尼寺です。この30年近くお参りしたことがありません。
女房が元気になったら、一緒に行く予定です。
法華寺のある佐保路も様変わっていることでしょう。
あと20年後に、黒岩さんに観音巡礼を書いて欲しいです。
そのころはもう、私は向こうに行っているかもしれませんが。
■黒岩比佐子さんのブログ「古書の森」(2004年9月29日)
黒岩さんから「百寺巡礼」の最新巻が送られてきました。
五木寛之さんの「百寺巡礼」です。
あとがきに五木さんが書いているように、この本は黒岩さんの構成のもとに作られています。
黒岩さんは五木さんと寺まわりも同行しています。
うらやましいことです。どんな秘話を聞いているのでしょうか。
今回は高野山から始まり、四天王寺へという、山の寺から街の寺へという構成です。
この、実に魅力的な流れがもう少し掘り下げられるともっと面白いものになったと思いますが、
今の忙しい出版スケジュールでは望めないことかもしれません。
そうやって、折角のテーマを浪費していることに、最近の出版界の経済主義を感じます。
黒岩さんの個人的著作「食道楽の人 村井弦斉」とは対極にある本です。
どちらがいいかは価値観の違いですが。
ところで、その黒岩さんがブログを始めました。
「古書の森」というブログで、古本中毒症患者の身辺雑記とサブタイトルがつけられていますが、
全体の雰囲気も含めて、実に黒岩さんらしいブログです。
記事内容も、本来の黒岩さんさしさが感じられ、とても気持ちのいい文章です。
お勧めのブログです。
ちょっと知的な贅沢感も味わえます。
こうしたものを読んでいると、出版物としての本というのは何だろうかという疑問が起きてきます。
このブログはきっといつか本になると思いますが、
本は読むものではなく、見るものになっていくのかもしれません。
■作家の黒岩比佐子さん(2004年10月19日)
「食道楽の人 村井弦斉」の著者、黒岩比佐子さんと女房と3人で食事をしました。
女房も1年半ぶりでした。
黒岩さんは超多忙な人ですが、時間をとてもうまく活かしている人です。
つい先月も、クロアチアに旅行に行ってきました。
クロアチアといえば、なにやら生臭い東欧か中欧をイメージしていたのですが、
アドリア海沿いに開かれた場所なのです。私の認識不足でした。
遺跡と自然が見事に調和し、そこにまた人間どもの戦いの傷跡も見事に残った、魅力的なところのようです。
写真を見せてもらいましたが、とても魅力的な風景や人があふれています。
私たちも久しく海外に行っていないので、なおのことすべての風景が美しく見えました。
なぜ東洋と西洋の風景はこんなにも違うのでしょうか。
そして、なぜ東洋文化に中で育った私までが、うらやましく思うのでしょうか。
黒岩さんの村井弦斉の本はちょっと高いのでなかなか売れませんが、
いろいろなところで話題になり出しているようです。
我孫子市の図書館にも、私が注文する前にすでに入っていました。
我孫子市の図書館にはだれか目利きがいるのでしょうか。
以前も書いたように、村井弦斉は来年大きな話題になる人だと思いますが、
なかなかその兆しが見えないです。いやはや。
しかし、間違いなく来年は時の人です。
皆さんもぜひお読みください。
黒岩さんは、しかし、すでに次の企画に取り組みだしたようです。
黒岩さんの旺盛な好奇心とテーマをしぼる目に、いつも感心します。
しかし、ライターとして生計を立てるのはかなりの意志とエネルギーが必要です。
黒岩さんの柔らかな強さが、どうもそれを可能にしてきているようです。
おそらく、それが作品の作り方にもでているのでしょう。
プロフェッショナルな生き方を、いつも教えられます。
久しぶりにゆっくりお話できて、よかったです。
来年はそうそう気楽には会えなくなるかもしれませんし。
■ 百寺巡礼と黒岩比佐子さん(2003年10月3日)
黒岩比佐子さんから「百寺巡礼」の第2巻が送られてきました。
五木寛之さんの新著です。
あとがきで、毎巻、五木さんが書いていますが、黒岩さんはこのシリーズの構成を担当しています。
「構成」と言うのはとてもいい表現ですね。
私も、みんなで創った「文化がみの〜れ物語」のときに、自ら「構成:佐藤修」と書いてしまいました。
今回は北陸の寺の巡礼です。私の好きな小浜の神宮寺も取り上げられています。
神宮寺は「お水送り」のお寺です。
もう大昔ですが、奈良の二月堂のお水取りにいきました。感動しました。
そこと神宮寺がつながっている事を知り、その二つをつなぐ、若狭から奈良をむすぶ「かんのんみち」に興味をもちました。
そこで出会ったのが渡岸寺や赤後寺の観音です。
滋賀にはいい観音がたくさんあります。
黒岩さんから、私たち夫婦に、ゆっくりお寺を回るといいですよ、とお勧めを受けました。
女房が元気になったら、そうしようと思います。
「百寺巡礼」は面白いです。お勧めします。
ただ、 私の好きなお寺がいろいろ抜けています。
「千寺巡礼」にしてほしかったです。
■「日露戦争 勝利のあとの誤算」
黒岩比佐子 文春新書 890円
黒岩比佐子さんがまたとても興味深い新書を出版しました。
今度はなんと日露戦争の後の「日比谷焼打ち事件」がテーマです。
ポーツマス講和に反対した国民が起こした2日間の帝都騒擾事件で、
それを契機に、言論統制が強化され、日本は戦争の時代へと進んでいった、歴史的な事件です。
司馬遼太郎は、この暴動が、それからの40年の魔の季節への出発点ではなかったかと考えていたようです。
そして黒岩さんも、この事件が近代日本の一大転換期だったといっています。
私はこの事件を知りませんでした。
黒岩さんが着目してくれたおかげで、私もこの事件とそこから始まった日本社会の変質を知ることができました。
そこには今現在の状況を理解し、これからを見通す大きなヒントが含意されているように思います。
黒岩さんは、あとがきで、
「本書は、日露戦争直後の激動の日本を、百年の視座で描こうとした試みである」
と書いています。著者としての思いが伝わってきます。
大きな流れに重なるように、いくつかのサブテーマが絡み合っています。
たとえば政府と新聞の関係、新聞の大衆操作、新聞人たちの生き様など、そのいくつかはそれだけでも一冊の新書になるでしょう。
昨今の政治状況や社会状況と重ね合わせて読んでもとても面白いですが、
黒岩さんらしい、丹念な文献調査を踏まえていますので、
大きな流れの中に出てくる小さな挿話や現代の有名人とのつながりなども、実に生き生きとしていて興味深いです。
ブログにも書きましたが、私がとても印象深かったところをひとつだけ紹介します。
ロシア人捕虜に対して日本人は極めて寛容で親切な対応をしていたようです。
その文化はその後、変質し、次第に捕虜虐待へと変わっていくわけですが、
日本にそうした「ホスピタリティ文化」が明治前半まであったことを知って、とてもうれしい気分になれました。
その文化は間違いなく、今も日本社会の根底に流れています。
しかし一方で、捕虜になって帰還した同胞には日本社会は極めて厳しかったようです。
黒岩さんは「生きて虜囚の辱めを受けず」という、1941年に全陸軍に下されたあの戦陣訓が招くことになる悲劇のプロローグは、「この時点」から始まっていたと書いています。
外国人捕虜には優しく、捕虜になった同胞には厳しい文化は、別個のものでなくセットのものでしょうか。
私にはとても気になる問題です。
ちょっと読み応えのある新書ですが、皆さん読んでみませんか。
これからを考える示唆もありますし、なによりも面白いエピソードや雑学の宝庫でもあります。
加山雄三や小泉純一郎の名前まで出てきます。もちろん村井弦斎も出てきます。
お時間の許す方はじっくりとお読みください。
なお、黒岩さんのブログに執筆動機などが詳しく書かれています。
この文章だけでもぜひお読みください。
http://blog.livedoor.jp/hisako9618/archives/50146881.html
■「『食道楽』の人 村井弦斎」
黒岩比佐子 岩波書店 2004 (4410円)
これまでも何度かご紹介した、黒岩比佐子さんの村井弦斎の評伝がついに完成しました。
内容については、今さら繰り返すまでもないですが、岩波書店による紹介文を再掲します。
明治の大ベストセラー『食道楽』の著者としてのみ知られる村井弦斎の初めての評伝。
幕末の儒家に生を亨け,新聞小説家として名をなし,婦人啓蒙へと転じて健筆を振るい,その晩年は仙人への途を歩んだ人。
厖大な資料を博捜し,その数奇な生の光と影を時代背景に溶かし込んで描き出す。
もう一つの近代の落丁を埋める力作!
実はきちんと読んだ上で紹介したかったのですが、私もいま読んでいるところです。
黒岩さんは、最初はちょっとかたいかもしれないが、後半に行くと面白くなってきますよ、ということでしたが、
書き出しからとても読みやすく、また面白いです。
黒岩さんらしい、緻密な調査とそれを踏まえた横道展開を楽しめます。
最初の章で、 村井弦斎のとりこになります。
黒岩さんがなぜ書きたくなったかがよくわかります。
今年の秋頃には、きっとテレビでも取り上げられだして、
もしかすると来年当たりは村井弦斎ブームがくるかもしれません。
そうした素地を持っている人であることが、最初の50ページでよくわかります。
今はまだ知る人は少ないですが、来年はきっと有名人になっているでしょう。
そんな気がします。
なお、村井弦斎のことに関しては、黒岩さんが昨年、産経新聞に書いた文章をお読みください。
読後感はまた来週にでも追記しますが、お勧めの一冊です。
読んでいないのに勧める理由は、たくさんの発見があるはずだからです。
黒岩さんのこれまでの著作がそうだったように、ともかく膨大な取材や論考をされての著作です。
その気になると、たくさんの発見が得られます。
CWSプライベートに黒岩さんがコメントを寄せています。
それも併せてお読みください。
なお、この本は書店にはあまり出回らないようです。
アマゾンでご購入下さい。
読まれたらぜひ黒岩さんに感想を送ってください。
■村井弦斎はとても面白かったです(2004年7月6日)
ブックでご紹介した、黒岩さんの「村井弦斎」を読み終えました。
内容がすごく密度の濃いものですから、いつものように速読ができませんでした。
正直に言えば、途中から読書の速度ががくんと落ちました。
黒岩流に話題がどんどん広がり、その一つ一つが、これまた黒岩流に深く掘り下げられているのです。
但し、本論から外れるためにそう紙面は割けず、
実際にはおそらく調べたことのほんの一部しか書かれていないのだろうなというのが伝わってきます。
弦斎の作品の紹介も面白いです。
「日の出島」は読みたくなりました。
黒岩さんが言っていたように、後半に入るにつれて、どんどん面白くなりました。
弦斎の関心事が私の関心事にほぼ完全に重なっていることもあって、実に面白かったです。
弦斎という人に親密感を持ちました。
考えにもほぼ共感できます。生き方にも。
読み進むうちに、あの「音のない記憶」を読んだ時の興奮が蘇りました。
特に、最後の章、「人類と宇宙の一元論」は黒岩さんらしい語り口がいろいろと出てきて、とても読みやすかったです。
なんと最後の方には謎解きまで出てきます。
もちろん黒岩さんは、その謎にも答を見つけだしています。
この本に対する私の唯一の不満は、
その素晴らしい章の後に「現代に生きる村井弦斎」なる解説的な章があることです。
せめて中扉で、分けてほしかったです。
それ以外は、ほぼ完璧に満足です。
とてもいい本です。改めて推薦します。
時間の無い人は、しかし、この終章の「現代に生きる村井弦斎」を読まれるといいです。
じっくり読むとたくさんの示唆を得られます。
最近流行の「食育」もそうですが、今、改めて注目されていることを、弦斎はいち早くこの時代に提唱しています。
内容を書き出すときりがありません。
ここでは最後の章(本当は最後の前ですが)の終わり近くにある文章を引用させてもらいます。
とても気にいっている文章です。
一時はあれほどよく読まれていたその作品のほとんどが、絶版になったまま現在に至っている。
その「忘れられかた」があまりに見事なことには、唖然とせざるをえない。
だが、特に明治の後半期において、彼の小説が大衆の心をつかみ、熱狂させたという事実は、歴然としてそこにある。
歴史とは後世の人の手で創られるものだが、この事実まで否定し、消し去ることはできない。353頁
黒岩さんは、章の最後にこうした趣向の文章を時々書くのですが、そのメッセージが私は大好きです。
黒岩さんの弦斎への愛を感じます。
来年は村井弦斎ブームになることは間違いありませんね。
■『音のない記憶──ろうあの天才写真家
井上孝治の生涯』
(文藝春秋、1999年、2190円)
黒岩さんはCWSのオープンサロンの常連の一人です。
徹底した調査と取材に基づいたノンフィクションライターです。
聴覚障害をもったアマチュア写真家、井上孝治さんのドキュメントです。
井上さんが撮った昭和30年代の日本の子どもたちの写真は、皆さんもどこかで見ているかもしれません。
この本が一つの契機になって、井上さんの写真展が各地でまた行われだしています。
その写真は、私たちが捨ててきたものを思い出させてくれます。
この本は黒岩さんの個人的な思いから生まれた本です。テーマと井上さんに対する深い思いとていねいな取材がよく伝わってくる作品です。
井上さんの写真もたくさん掲載されています。ロングセラーとして残ってほしい本の一つです。装丁もとてもいいです。
〔概要〕
3歳の時の階段からの転落事故で、聴く耳と喋る言葉を失った福岡出身の写真家、井上孝治氏(1919〜1993)の評伝。
聴覚障害は、音声言語によるコミュニケー ションができないという点で、大変重い障害であるともいえる。しかし、音という要 素を伴わない写真の世界では、ろうあということはハンディキャップにならない。
1989年、井上氏が30年以上前に撮影した古い写真のネガフィルムが発見され、地元 百貨店のキャンペーン広告に採用された。それがきっかけで、彼は一躍脚光を浴びる 。
しかし、彼の人生にはそれまでにも数多くのドラマがあった。彼は米軍統治下の1950年代末の沖縄に渡って貴重な写真の数々を撮影し、全国のろうあ写真家を組織して 全日本ろうあ写真連盟を創立し、初代会長を務めた。また、地元のろうあ運動のリー ダーとしても活躍した。
晩年の5年間に『想い出の街』(河出書房新社・1989年)と『あの頃』(沖縄タイムス社・1991年)の2冊の写真集が刊行され、フランスの「パリ写真月間」にも出品し好評を博す。1993年、世界の写真祭の草分けである「アルル国際写真フェスティバル」の招待作家となるが、その2カ月前に肺ガンで死去。遺作展となったアルルの写真展会場で、彼の作品は国境を超えて多くの観客の心を動かし、アルル名誉市民章を授与さ れる。
そこでの出会いから、フランスの映画監督によるドキュメンタリー映画も制作 された。家族や友人の証言によってその生涯をたどり、多くの人びとに愛される彼の 写真の魅力に迫る。
〔著者のメッセージ〕
私が初めて井上孝治氏に会った時、「ろうあ」ということも、手話のこともほとんど理解していませんでした。そのショックが、この本を書こうと思った一番大きな動 機です。地味な本ですが、細々とでも長く読み継がれていってほしいと願っています。
椎名誠氏が帯の推薦文で、藤原新也氏が書評で、五木寛之氏がラジオのトーク番組で、この本のPRのために力を貸してくださいました。その他にも、写真関係の方々が 、あちこちに本書の書評や紹介文を書いてくださっています。さらに、本が短命にな っている昨今、出版されてから2年後に、写真展開催がきっかけで新たに新聞で取り上げられたことは、著者としては大変うれしいことでした。
本書が出版されてから、井上孝治氏の写真展は、毎年途切れることなく各地で開催 されています。2001年には京都とアメリカのロサンゼルスでも初めて開催され、2002 年には熊本と福岡での開催が予定されています。
2001年4月には、井上氏の3冊目の写真集『こどものいた街』(河出書房新社)が出版 され、「まえがき」のような文章を私が書いています(全日本写真連盟東京都本部のホームページ http://www.photo-asahi.com/kanto/tokyo/index.html でその写真 の一部を紹介)。その他にも、井上孝治氏をめぐっては、書ききれないほど様々な出 会いがありました。
たとえば、私の友人で作家の田口ランディさんが、『できればムカつかずに生きたい』(晶文社)というエッセイ集の中で『音のない記憶』と井上氏のことを書いています。そのエッセイ集で彼女は「婦人公論文芸賞」を受賞しました。2001年には、ろう者の女優である忍足亜希子さんが主演した映画『アイ・ラヴ・フレンズ』が公開され 、ヒロインが写真家だというご縁で、映画の中で小道具として、井上氏が撮影した写 真が使われました。
なお、『音のない記憶』の装幀は、鈴木成一デザイン室によるものです。鈴木氏は今、出版業界で最も信頼されている装幀家の一人。私もこの装幀が大変気に入ってい
ます。
*佐藤修の書評(「人材教育」)
■
『伝書鳩──もうひとつのIT』 (文春新書142、2000年、680円)
黒岩さんの2作目の作品です。これまた、この本から、鳩にまつわるさまざまな動きが生まれています。そ
れについては黒岩さんからの紹介を読んで下さい。鳩好きの方には必読書です。
この本もまた、黒岩さんの徹底した取材力が遺憾なく発揮されています。
「幻の軍隊と言われる禁衛府の謎」などという話もあります。
〔概要〕
「IT革命」という文字が氾濫する現在だが、20世紀半ば過ぎまで「鳩通信」
というものが存在していたことは、ほとんど忘れ去られている。「伝書鳩」という言 葉もすでに死語に等しい。
しかし、かつてはローマ帝国の戦争にも利用され、第一次 ・第二次大戦、日中戦争などでも、有線・無線通信とともに「軍用鳩」による通信が実際に使われていた。小型カメラを胸に装着して、敵地の空中撮影をするという"スパイ鳩"も存在していた。
戦後も、新聞社や通信社が繰り広げるスクープ合戦を支え、取材地から本社へ記事 やフィルムを運んだのは小さな鳩だったが、時には、猛禽類に襲われて戻って来ないこともあった。さらに伝書鳩は山岳遭難者の救助に貢献したり、家畜の人工授精用の 精液を運搬したりと意外な所で活躍していた。
若き日の昭和天皇が伝書鳩で手紙を送った話など、知られざる様々なエピソードをはじめ、"幻の軍隊"と言われる「禁衛府(きんえいふ)」の謎の鳩通信について、戦後55年の現在、証言から初めて明らかに なった事実についても記載。
※「禁衛府」とは、旧日本軍が解散した後、占領下の1945年9月〜46年3月末まで存在 した組織。「皇居の警衛」を目的とし、近衛師団の第一連隊・第二連隊から選ばれて 構成された。制服は、陸軍のカーキ色の軍服を黒く染め直して着用していた。ほとん どの日本史の文献にも記述がなく、歴史上からほとんど忘れられた存在になっている。
〔著者のメッセージ〕
本書が刊行された時、時代遅れの伝書鳩の話などなぜ書いたのか、と不思議に思った人が多かったようです。"変な人"と思われたのか、マスコミの取材もかなり受けました。新聞社ネタということもあって、朝日、毎日、読売、日経、産経の各新聞社 に書評やインタビュー記事を載せていただいたほか、共同通信から全国地方紙にも配 信されました。
これを書いた最初のきっかけは、『音のない記憶』の取材でお会いした新聞社の元 カメラマンから、伝書鳩で写真を送った苦労話を聞いたことでした。新聞社に鳩がいたこと自体、私は知りませんでした。あの小さな鳩がかつては重要な通信の担い手だったことと、通信史からも忘れられていることに驚き、命がけで任務を果たした健気 な鳩たちに感じた切なさから、何とか記憶にとどめておきたい、という思いに駆られ たのです。
若い世代の人たちは、伝書鳩という言葉は知っていても、実際に通信手段として使 われていたという話をすると、きょとんとした顔になります。Eメールや携帯電話がこれほど普及した現在、なぜわざわざ鳩を使う必要があるのか、ピンとこないのも当然です。そのため、テレビやラジオのクイズ番組で本書のエピソードが取り上げられ たりもしました。
本書を読んだという未知の読者の方々からも、いろいろなお手紙をいただきました 。その中に、1960年代末から70年代にかけて"フォークの神様"と呼ばれた岡林信康氏からの手紙があり、びっくりしました。
実は、岡林氏は熱烈な愛鳩家だったのです 。その後、鳩の縁で岡林氏ともお会いして、鳩の思い出などをうかがいました。現在 、岡林さんのホームページ(http://www.enyatotto.net)にも、拙著についての記事が載っています。これを見たら、岡林さんの歌のファンはさぞびっくりすることでしょう。
伝書鳩に限らず、歴史から消えかかっているもの、人びとから忘れられてしまった ものは数多くあります。そうしたメジャーではないものに目を向けて発掘していくう ちに、思いがけない発見がある──。私にとって、ノンフィクションを書く一番の喜 びはそこにあると思っています。