活動記録(2006)
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(2006年1月第1週)
寒い年明けでした。ついに太陽をみることができませんでした。
そして、あっという間の1週間でした。

■新年の挨拶(2006年1月1日)
新年の挨拶を書きました。
もしまだの方がいたら、お読みいただければうれしいです。

■近くの神社への初詣(2006年1月1日)
ブログにも書きましたが、近くの神社に初詣まわりをしました。
いずれも小さな神社ですが、最後に行ったのは子の神神社です。
昨年ほどではなかったですが、今年も賑わっていました。
昨年のおみくじでは、家族全員が大吉という好運を引き当てましたが、
あんまり大吉な1年でもなかったので、今年は誰もおみくじを引きませんでした。
この神社からは運が良いと富士山が遠望できますが、今年は全く見えませんでした。
今年の先行きがいささか心配です。
破魔矢が毎年、大きくなったり派手になったりするのが気になりますが、それでも破魔矢を変えるのは年中行事の一つです。
毎年同じ神社であればいいのですが、毎年、元旦に初詣した神社でお願いしているため、毎年、違うところの破魔矢です。
それでご加護が少ないのかもしれません。

昨年末に縁戚に不幸があったので、今年の正月の予定はすべて変更して、自宅で静かな正月を過ごす予定だったのですが、
初詣中に兄から電話が入り、午後は兄弟家族で正月を迎えることにしました。

今年の三が日はそんなわけで、実に静かな3日間でした。
そのせいか、あまり正月気分がしませんでした。

■さまざまな新年(2006年1月4日)
私は最近、原則として年賀状をやめて年賀メールにしました。
そのために、年明けの1週間はたくさんの人たちとネットでライブな交流ができます。
そしてさまざまな新年を時に共有させてもらえます。

このサイトに投稿してくださったことのあるジュネーブの矢野さんエジプトの中野さんからも手紙とメールが届きました。
なかなか投稿はしてもらえませんが、ちょっと気にしてくださっているのがとてもうれしいです。
昔の留学生サロンのメンバーからもメールが届きました。
みんな元気そうでうれしいです。

メールのやり取りで、共通のテーマに関心を持っていることがわかった人もいます。
これは年賀状ではなかなか発見できないことかもしれません。
年賀メールは双方向なのが最大のメリットかもしれません。

ブログに一部書きましたが、時代の先行きに不安を感じている人が多いように思いました。
なかには今年はよくなりそうな気がするという人もいましたし、
小泉自民党の大勝で時代の変化を確信できたというような人もいました。
私の友人知人も、決して私と同じ意見ではないのです。

私のまわりには定年退職したか、今年する人も少なくありませんが、そうした人たちからは総じて明るい話が書かれていました。
実際にしっかりした社会活動を始めている人も多いのが印象的でした。
やる人はやるのですね。
企業人のノーマライゼーションなどと目線の高い発想をしていたことを反省しなければいけません。
私のことです。

年賀状にはさまざまな思いが込められています。
年賀状にこだわっているという人も決して少なくありませんし、年賀状の価値は決して小さくはありません。
これもまた人それぞれです。

年賀状の場合は、返事がすぐにできません。
なかには昨年の年賀状の返事が書かれているものもありますが、それもそれでまた良し、ですね。
しかし、すぐに連絡したいこともあります。何人かの人には電話してしまいました。
いずれにしろ、1年に1回、友人知人の状況を確認できることはとてもいいことですね。

今年は返事が来なかった人が何人かいます。
ご高齢な人たちです。いささか心配ですが、お元気だといいのですが。

■今年初めてのオフィスへの来客は森玲子さんでした(2006年1月5日)
今年初めて電車に乗りました。気のせいか例年よりもすいていました。
今日はオフィスに3人の人が訪ねてきてくれました。
ホームページに会った人は名前が書き込まれてしまうので評判が良くないのですが、 今年も原則として書き込むことにします。
それが嫌な方は事前にその旨お伝えください。
そうでない場合は、これまで通り書き込んでしまいます。
もっとも私の良識の範囲で書かないことはよくありますので、一応、良識を信頼してもらえればうれしいです。
まあ、ちょっと不安はあるでしょうが。私に良識があるとはあんまり思えないでしょうからね。

さて、今年最初の来客は東京都社会福祉協議会の森玲子さんです。
コムケアに関心を持ってくださり、その関係でお話に来てくれました。
3月の森さんが企画しているフォーラムの話もありました。
今年はできるだけそうしたイベントへの参加はやめようと思っているのですが、
話しているうちについつい森さんの思いに引き寄せられてしまい、日程調整までする羽目になってしまいました。

次にやってきたのが、子育ち学ネットワークの代表の深作拓郎さんです。
深作さんとは美野里町以来付き合いです。
がんばっている若者を見るとどうしても加担したくなるのですが、それが多すぎて中途半端になってしまっているのが実状です。
今年はそうならないようにしたいとは思っていますが、話しているとまた引き寄せられてしまうのです。
性癖はなかなか変えられません。

最後にやってきたのは、久しぶりに藤本純一さんです。
藤本さんについては語りだすと霧がないのですが、実に不思議な人なのです。
不思議な人にはどうしても引き寄せられるのも私の性癖です。
藤本さんとは水俣に一緒に行ったことがありますが、これは藤本さんがアレンジしてくれたのです。
正直に言えば、なぜ水俣に行かなければ行けないのかとあまり乗り気ではなかったのですが、結果的には私にとても大きな影響を与えました。
語りだしたら止まらないくらいのさまざまなインパクトがありました。
そこでお会いしたのが地元学の吉本さんです。
彼に4日間案内してもらいました。吉本さんにはその後もいろいろとお世話になりました。
ところで、その藤本さんですが、昨年、会社を辞めて、コンセプトメイクという会社を起こしました。
まだ動き出したばかりですが、どこかでまた接点ができればと思います。
久しぶりに藤本さんと話せて、元気が出ました。
会うとホッとする人、元気が出る人、いろいろいるものです。

■メールアドレスの大失敗(2006年1月5日)
今年も年賀メールでした。
元日の夜に皆さんに発信しました。
ところがパソコンのアドレス帳の整理が悪く、大変でした。
そこで、今日まで時間の合間をみながらアドレス帳の整理をしてきましたが、
最後の段階で間違った動作をしてしまい、すべてが水の泡になってしまいました。
それどころか、元日の状況よりも悪くなってしまい、かなりの人のアドレスを消してしまいました。
これについてはブログに嘆きを書きました

ところで、メールでの年賀交換はやはり私向きです。
年賀状をもらった人にもアドレスがわかる限り、返事のメールをしました。
これも結構時間がかかりますが、まさに交流ができていいものです。
もらった年賀状への返事もかけます。来年もこのスタイルをとろうと思います。
メールをやっていない方には年賀状を出すしかないのですが、その比率は1割程度です。
しかし、電子メール年賀にしたために、毎日パソコンに向かわなければいけません。
それをどう解消するかが、来年の課題です。

■ローマ・ヒューマニズムのオンデマンド授業(2006年1月6日)
早稲田大学の古代史の教授、小林雅夫さんが病気の手術の後遺症で声に障害が残ってしまいました。
そこでコンピューターを活用したオンデマンド授業を始めたのだそうです。
そのための副読本として「古代ローマ人の人々」をまとめられ、送ってきてくださいました。

小林さんとは昔私が事務局長をしていたパウサニアス・ジャパンで知り合うことができました。
そのお人柄がとても好きになり、それ以来のお付き合いです。
一時期、小林さんはローマに行っていましたので、なかなかお会いする機会はなかったのですが、
ローマからお帰りになったらお会いしたいと思いながら、それぞれにいろいろあって、お会いできないうちに小林さんが大病されてしまったのです。
でも今ではもうすっかり元気になられたようです。

「古代ローマ人の人々」の根底にあるテーマは、「ローマ・ヒューマニズム」です。
以前、小林さんとお話していて、とても興味ある話だったのですが、期せずしてこの本でその一部を読ませてもらうことができました。
もっとも本になると小林さんのとても人間的なやさしさが伝わりにくいのが残念ですが。
この本に関してはブックのコーナーで少し紹介させてもらいます。

ところで、コンピューターを活用したオンデマンド授業ですが、この仕組みが整備されてくると、学びの環境は全く変わっていきますね。
大学に行かなくても自宅で学ぶこともできるでしょうし、それを踏まえて新しい大学の空間設計や機能設計ができるはずです。

新しいといえば、先週リンクさせてもらった佐久間庸和さん(一条真也さん)
が沖縄からメールをくれました。
高齢者複合施設をオープンさせる計画なのです。
佐久間さんのことですから、きっと新しいパラダイムの空間・機能設計で新風を引き込むことでしょう。
耐震偽装事件も問題ですが、昨今の設計者のハード志向も大きな問題ではないかと私は思っています。

■豪雪地への救援野菜(2006年1月6日)
北陸は豪雪です。雪のために野菜がとれずに高騰しているとニュースが伝えられています。
そこで、こんなことが起こりました。
いつも新鮮な野菜を送ってくれる福井の姉夫婦に、女房が自分が作った我が家の自家野菜を送ったのです。
宅地畑もいざとなると役に立ちます。
蔵田さんの野菜と違い、あまりできは良くなく、
虫に食べられて穴だらけの白菜とキャベツとちょっと短めの大根です。
まあ、
よそ様には差し上げられるようなものではありません。
それも、それぞれが1個ずつなので、1日分でしかありませんが。

まあ、これは冗談に近い話なのですが(驚かそうという女房の意図です)、物事は常に双方向だという一例にはなるかもしれません。
義姉は、町から野菜が届いたと笑っていたそうです。
水菜も一把いれておいたそうですが、 買ったものだろうと疑われたようです。
しかし、その日の夕食には役立ったようです。

現代の社会はベクトルが一方向のものが圧倒的に多いです。
それは効率的かもしれませんが、いざとなると動きが取れなくなりかねません。
一方向社会から双方向社会へと仕組みや意識を変えていく必要があると思います。
それは同時に解釈の多様化ということでもあります。
ブログに久保田さんが大雪の活用ができないかという主旨の書き込みをしてくれていますが、害はまた益に通じています。
これも双方向発想の一例です。逆もまた真なりですが。

今年初めての、私にとっては痛快な、そして教訓的な事件でした。

■平和に向けてのいくつかの刺激(2006年1月7日)
昨年末から今年にかけて、平和に向けてのいくつかの呼びかけが回ってきています。
たとえば、「非戦の哲学」の著者の小林正弥さんからは「平和への結集」の呼びかけがありました。
小林さんたちが3年前から取り組んでいる活動です。
小林さんの活動には昨年はほとんど参加できなかったのですが、今年は少しずつ参加しようと思っています。
ともかく平和憲法を変える動きには反対していきたいと思います。

小林さんはこう呼びかけています。

戦争への道を再び黙って進むのでなく、
いまこそ主義・思想・信条・好悪・何者であるかを乗り越えて手をつなぎ、
平和への決意を行動で表し、一歩を踏み出さねばならない時がきています。


また小林さんによれば、

「平和への結集」とは、9条改定に反対し、平和憲法のすばらしさを守り活かしていくために、
日本全国の市民・政党の結集を呼びかけるものです。
平和問題だけでなく、地球環境の保全や社会的公正、小選挙区制改革などを基軸にして、
広範なネットワーク作りをめざします。


1月末に集まりも予定されています。
もしご関心のある方はぜひご連絡ください。

平和への呼びかけをし続けている川本兼さんからは「平和のための経済学」が送られてきました。
最新作です。まもなく店頭に出回るはずです。
川本さんの平和に関する著作は何回かご紹介しました
私もQ&A「新」平和憲法を使った読書会を計画したこともあるのですが、
昨年は気力が萎えていたこともあって、実現直前でやめてしまいました。
今年改めてやりたい気分です。
できればまさにこれから自分たちの問題となるであろう若い世代の人たちと一緒にやりたいです。
どなたか一緒にやりませんか。
この本はまだ読み終わっていないので、来週のブックのコーナーで紹介します。

たくさんの年賀状や年賀メールにも、平和が語られていました。
しかし、平和は語るものではなく、獲得するものだと川本さんは考えています。同感です。
大きな福祉を目指すコムケア活動は私にとっての平和活動なのですが、
平和に向けて何ができるか、改めて考えてみようと思います。


(2006年1月第2週)
すごい速さで時が過ぎていきます。年があけて、もう2週間です。
今年は時間の速度が変わったのではないでしょうか。
皆さん、そう思いませんか。

■ヒポクラテスの会(2006年1月9日)
いよいよ仮称ヒポクラテスの会がスタートします。
この会は、これからの病院や医療のあり方を、一人の生活者として考えていこうという人たちの柔らかなネットワーク組織です。
4月に公開フォーラムを開催したいと思っています。
来週の18日の夜にキックオフ・ミーティングを開催しますので、ご関心のある方はぜひご連絡ください。
以前ご報告したように、この会は最初は医学部の学生チームがコアになる予定でしたが、
ちょうどこの時期、みんな超多忙のためまずは関心を持つ人たちでミーティングを持つことにしました。
すでにメーリングリストをスタートさせましたが、現在すでに10人を越える方が参加してくださっています。
ご関心のある方はぜひご参加ください。大歓迎です。
また動きを報告しますが、こうした動き、つまり公共空間づくりの動きをいろいろと今年は起していきたいと考えています。

■企業とNPOの協働(2006年1月10日)
公共空間での話し合いのテーマとしては、「企業とNPO」はとても大切なテーマです。
しかし、きちんとしたメディエーターが入ってのフォーラムはまだあまりなかったように思いますが、ここに来て急に増えてきました。
そのひとつが日経広告研究所のセミナー『コラボしよ!!企業とNPOの協働をめざして』ですが、
それを企画した同研究所の岡崎昌史さんが説明にやってきました。
パネリストにコムケアフェローも数名参加しています。コーディネーターは服部篤子さんです。
これについては下記のサイトをご覧ください。
http://blog.canpan.info/collabo/

こうした話し合いの場が増えていくことはうれしいことです。
ただ、「協働」というところに止まっているのが残念です。
ところで、コラボレーションをどう訳すかですが、
前にも書きましたが、最初にこの概念に注目して翻訳出版したのはコラボレーション経営研究所の瀬谷重信さんです。
その先見性に敬意を表したいですが、瀬谷さんは「協創」と訳しました。
私はその訳語にやや違和感がありましたが、コラボレーションに概念はまさに私が考えていたキーコンセプトでしたので、
以来、コラボレーションという言葉は良く使わせてもらいました。
私の場合の訳語は「共創」です。
きっと思いは瀬谷さんとつながると思いますが、創るところに最大の価値を置いています。
一般的には「協働」が使われるようですが、そこには「創る」という志向性が不在です。
協働と共創に対する私の考えは前にも書きました。

私が考える公共空間はまさに「創る空間」です。
正確に言えば、「生まれる空間」というべきかもしれませんが、オープンで平坦な創造空間です。
そうした空間がもっともっと広がってほしいと思いますが、そうした空間で行動できる人たちが少しずつ増えてきているように思います。
このテーマは、コムケアでもいつか実現したいテーマです。
コムケアらしくですが。

■コミュニティサロン・プラットフォーム(2006年1月10日)
地域社会でも公共空間は広がっています。
時々報告しているNPO支援センターちばの松浦プロジェクトは、私のアドバイスの仕方が十分でなかったこともあり、
研修プロジェクトというよりそれ自体が一種のコミュニティサロンになってきています。
今日は一応、事業企画のためのワークシートも用意して宿題として皆さんにやってきてもらったのですが、
それよりももっと生々しい体験交流がいいような気がして、勝手にサロンにしてしまいました。
というのも、今回はNPOゆう&みいの荒木邦子さんが参加されたので、その体験をベースにいろいろと話し合いをしました。

このプロジェクトでは当初はコミュニティサロンあるいはコミュニティレストランの実現に向けてのキックオフを目指していましたが、
残念ながらそこまではいけませんでした。
しかし、それに向けてのコアネットワークはできたようです。
継続して、参加者を中心としたメーリングリストと定例サロンを行い、実際の場作りに取り組むことになりました。
また2月2日には野田でスタートするゆう&みいのサロンにも関わっていくことになりました。
野田にお住まいの方、2月2日のサロンによかったら遊びに行ってください。
場所は野田のエルコープあたご店の横の建物です。

■雪のない富士山(2006年1月11日)
5日に森さんが富士山にも雪が降って白くなったといっていました。
富士山は白くなければいけません。
一昨日、黒岩さんのブログを読んだら8日には都内からきれいな富士山が見えたようです。
急に見たくなりました。
ちょうど忍野八海へのバスツアーがあるというので女房と申し込みました。運良く席が空いていました。

朝早く出発しました。途中、中央高速から見える富士山は雪で真っ白でした。
見ているだけで心が洗われます。不思議な山です。
ところが河口湖に着いて富士山を見上げたら残念ながらほとんど雪がありません。
北側には雪は降らなかったようです。
そこからいよいよ忍野八海に向かったのですが、天気がよすぎたせいか、雲が出てきて、結局、お目当ての富士山には出会えませんでした。
しかし、裾野からきれいにそびえたつ富士山は感動的ですね。
単独の山としては富士山は世界一の高さだそうですが、いつ見ても感動的です。

ところで、今回のバスツアーの参加者はほとんどが女性です。
平日だったせいもあるでしょうが、女性のグループが多かったです。
昨日の柏のコミュニティサロンの集まりも全員が女性でした。
そこでも定年後の男性たちの話が出ました。定年で夫が会社に行かなくなると、妻たちの活動も影響を受けるのだそうです。
出にくくなり、また夫が電話に出ると次第に電話もかからなくなるのだそうです。
夫たちが会社で一生懸命働いている間に、妻たちは仲間と一緒に生活を楽しんでいるわけですが、
男性たちももっとどんどん生活を楽しむ姿勢を大事にしないといけないな、といつも思います。

このツアーの途中で、昇谷のキムチ屋に寄りました。
旅行会社と連携して、とても繁盛していました。大成功しているでしょう。
ちょっとした知恵で、新しい事業はいくらでも起こせることを改めて実感しました。
ちなみに、工業化された観光に関する私見はブログに書きました

■ネットの効用(2006年1月12日)
ネットの効用をこの頃、漸く実感しだしています。
ネットによって、すべてがつながりだしたわけです。
アカシックレコードや虚空蔵という、すべてを網羅した無尽の記録層の人間版が生まれつつあるようです。
空海は行によって虚空蔵とのつながりを得て大きなプロジェクトを成し遂げたといわれますが、
その気になれば、みんな空海並の知識を持てるようになったのかもしれません。
もっとも知識は実際には行動の入り口でしかありませんが。

私がそう思ったのは今年に入ってからのいくつかの体験からです。
昔お会いしたことのある國分利江子さんからもらった手紙が出てきました。
彼女が渡米する直前にどなたかの紹介で訪ねてきてくれたのです。
渡米後、連絡が取れなくなっていたのですが、女房が彼女に会いたいと言い出しました。
さてどうやって探したらいいか。
そこでネットで検索しました。出てきました。
日本でマッサージ&リラクゼーションセラピストとして活躍されているようです。
ネットで調べると昔あった人たちにつながることができることを知りました。

それに味をしめて最近音信不通の知人の近況を調べてみました。
面白いですね。何人かと連絡がとれました。

次の効用は逆に私が調べられてしまう事例です。
滋賀大学の学生からメールが来ました。
私が以前、日本経営教育学会で発表した「環境経営に向けての企業文化づくり」の予稿に関する照会です。
どうやら学会の報告書に題名だけ出ていたようです。
卒論をまとめる上で読みたいという要請ですが、学会で頼まれて発表した記憶はあるのですが、文章にまとめた記憶が全くないのです。
念のために調べてみたら、予稿集に原稿を載せていたようです。
管理が悪いため、危うく散逸するところでしたが、何とか見つけられました。
せっかく見つけたので、このサイトのアーカイブに掲載します。
お時間があればお読みください。
そういえば、この前、あることを探していたら、私が桑沢塾で話した講演録が見つかりました。
「住民の手によるまちづくり コモンズのデザイン」です。
これもついでにリンクさせてもらいます。
自分で管理していなくても、ネットで調べると思わぬところで自分に出会えることもあるのです。
まさに虚空蔵ですね。

しかし弊害がないわけではありません。
最近、いかにも私の知り合いのような文章のメールが届きます。
私の友人の名前も書いてあり、最後に次のサイトをぜひ見てくださいと書いてあります。
そこでサイトを開くと何と危ないサイトなのです。迷惑メールもだんだん手が込んできました。
みなさんもお気をつけください。
この状況だと、このサイトの寿命ももうあまり長くないかもしれませんね。

■日本政策投資銀行の鍋山徹さんと加賀林陽介さん(2006年1月13日)
鍋山さんが同じチームの加賀林さんと一緒に久しぶりに来てくれました。
今お2人は、民営化準備室のメンバーなのだそうです。
鍋山さんはフットワークの良い、ちょっと異質なバンカーです。
久しぶりにゆっくりお話できました。共感しあえる部分が多かったのがうれしいです。
しかしこうして企業の人たちと話していると、私自身の会社時代を思い出します。
会社の仕事は苦労も多いですが、ドラマティックで実に刺激的です。
特に「変革」や「開発」といった新しい物語を創りだす仕事の醍醐味は忘れられません。
止めたくなるほどの辛さや失敗の恐怖感を味わった直後は、二度とやるまいと思いますが、
喉下過ぎれば何とやらで、この頃、無性に会社の仕事が懐かしく、あの緊張感をもう一度味わいたいなどと思ったりもします。
鍋山さんたちは今、民営化構想を検討中だそうですが、面白そうですね。

やはり今年こそ、企業の仕事を探して関わろうという思いが強くなりました。
どこかの企業で、難題解決の面白いプロジェクトはないでしょうか。
どなたか巻き込んでくれませんか。

■盲ろう者ってご存知ですか(2006年1月13日)
「盲ろう者」ってご存知でしょうか。
私はこの言葉のであったのは2年前です。
社会起業家の田辺大さんの「手がたりの会」との出会いが最初でした。
しかし、知っただけで理解できていたわけではありません。
盲ろう者の星野厚志さんとも何回かお話はしているのですが、
今日、星野さん、田辺さんとじっくりお話させてもらい、やっと理解の入り口にたどりつきました。

盲ろう者とは「身体障害者手帳に視覚と聴覚の両方の障害が記載されている人」のことです。
それは知っていましたが、2つの障害が重なった時の状況をきちんと理解していなかったことに気づきました。
人間を理解することは本当に難しいです。
ついついわかったような気になってしまい、深く考えないことが多いからです。 
  
ネットで調べているうちに、次の文章に出会いました。

全く見えなくて全く聞こえない「盲ろう」の様子を、ある重度盲ろう者は
「光も音も届かない深い海の底で箱のなかに閉じこめられた状態のようだ」
と表現しています。


この文章で私はやっと盲ろう者の置かれている立場が実感できたような気がします。
田辺さんと星野さんは、盲ろう者の実態を知った上で、盲ろう者の就労の場を広げていくための事業モデルづくりに取り組みだしています。
この活動は、手がたりの会、スローファミリーマッサージなどの名前で何回かこのサイトでもご紹介しましたが、
壁にぶつかりながらも、少しずつ前進しています。
訪問マッサージも開始していますので、是非ご支援ください。
企業の福利厚生プログラムとしての対応もできるようになっています。

この年末年始で、2人はまた新しい視点にたどりつきました。
壁にぶつかったら原点に戻る、という田辺さんの考えで、何とたどりついたのが「古事記」です。
田辺さんから、日本で障害を持つ人の話が記録に登場するのはいつからだと思いますか。とたずねられました。
皆さんはどう思いますか。
私は「古事記」と答えましたが、正解でした。
しかし、田辺さんの次の一言には気づいていませんでした。
田辺さんは「障害者はイノベーターだったのです」というのです。
そういえばそうですね。誉津別皇子の話は有名ですが、他にもいろいろと思いつきます。
近年でも丹下左膳や座頭市など、すぐ思い出せるスターも少なくありません。
以前、私は黒岩さんの「音のない記憶」の書評で、「障害も能力」という小論を書きましたが、
今日、星野さんたちと話していて、改めてそのことを確信しました。
そう考えると、障害問題は全く違った展望が描けそうです。

盲ろう者の星野さんから聞いた話も印象的でした。
盲ろう者はなかなか外に出て行けない、しかし出て行けるようになれば、みんなとても明るくなる。
最近は各地に盲ろう者友の会ができているが、その存在を知らない人やそこにも出てくる方法を知らない人が多い。
一人ではなかなか出て来れないので、通訳介助者が必要だが、まだまだ人数が足りない。
しかし、友の会に出てくるかどうかで、生活は大きく変わっていく。
もっとたくさんの人に出て来てもらいたいし、さらには自分たちで働く場も広げていきたい。
そのための事業モデルを是非実現したい。
これが星野さんと田辺さんの強い思いです。

手がたりスタイルのマッサージ事業のビジョンが少し見えてきたような気がします。今年の展開が楽しみです。
この活動を支援してくれる人がいたら、是非ご連絡ください。
「盲ろう者」への理解を広げてもらうことが、まずは支援の

(2006年1月第3週)
今週は毎日夜遅くまで何らかの会がありました。疲れきりました。
しかし不思議なもので、元気になると刺激がどんどん飛び込んできます。
今週のテーマはさまざまな「事業」です。

■久しぶりのふぁっとえばーの秋山岩生さんの事業(2006年1月16日)
ふぁっとえばーの秋山さんが久しぶりに訪ねてきました。
秋山さんは房総半島の突端の館山で活動していますので、ここまで出てくるのは大変なのです。
秋山さんとの付き合いもかなり長くなりましたが、最近はコムケアの関係で逆につきあいは細くなったかもしれません。

コムケア活動をしていると様々な活動に触れるわけですが、
その一つひとつに関わっていくと際限がなく、時間的にも経済的にも持ちません。
そこで原則として、どの会のメンバーにもならず、個人的な支援も一定期間以上は継続しないということにしています。
少しさびしいのですが、仕方がありません。

ふぁっとえばーの事業としては点字名刺の作成が基本ですが、
この活動を中心に、企業の社会活動プログラム企画として提案することはどうかということになりました。
NPOと企業のコミュニケーションについてはブログにも書きましたが、まだあまりうまくいっていません。
それに企業のCSRも本当に意味あるものは決して多くないように思います。
私自身は企業の社会活動やCSRは企業の進化、つまり新たな発展への契機になると思っていますが、そういう捉え方はまだあまりありません。
今年は少しそういう活動もしたいと思っていますが、秋山さんたちとの活動とももう少し接点を回復していこうと思っています。

ところで、秋山さんたちは6月に安房からのチャレンジド大会を企画しています。
今年で3回目です。ふぁっとえばーのサイトでもうじき案内が出るでしょう。
秋山さんの取り組む事業のいっそうの前進を応援していきたいと思います。

■NPO事業開発力向上プログラム(2006年1月16日)
NPO支援センターちばの宮奈由貴子さんが、千葉県NPO事業力向上セミナーのプロデュースをすることになり、
そのなかの「ネットワークの活用と事業の組み立て」を引き受けてしまいました。
研修はできるだけ引き受けないようにしていますが、どうも「つながり」ができるとどんどん巻き込まれてしまいます。
これを最後にしなければいけません。

今日はその下打ち合わせをしました。
NPOでも「事業力」が議論される時代になったのです。
これをどう考えるべきでしょうか。
NPOも社会の主体者として自立していこうと捉えるか、
NPOも企業と同じように経済主義に向かっていると捉えるかで、
NPOへのイメージは全く変わってきます。
そうした評価の分かれ目は、「事業」の意味にあります。

たとえば、これまでの行政にとっては「事業」はお金を使うことでした。
一方、企業にとってはお金を儲けることが「事業」でした。
本来は「価値を創出すること」が事業だと私は思っていますが、
その価値よりも結果としてのお金が最重要だったように思います。
ですから、行政に「経営発想」をといった途端に、コストダウンが最大の関心になってしまうわけです。

私のセッションでは、そんなことを少し問題提起しながら、ネットワーク資源と事業の深いつながりを考えてみようかと思っています。

■夢のある新しい事業への経営者たちの挑戦(2006年1月17日)
CWSコモンズには「ビジネスのにおい」がしないと友人の加藤誠也さんから言われました。
しかし、私も全くビジネスをしていないわけではありません。
企業の相談にも乗っています。
上場企業の社長もわざわざ仕事を頼みにくることもあります。
ただ私と先方の合意ができることはそうありませんが。

今日は私がささやかに関わっているジョイントプロジェクトの打ち合わせを湯島でやりました。
ちょっと夢のあるプロジェクトですが、夢のあるプロジェクトほど、最初の一歩は踏み出すのが難しいのです。
このプロジェクトに関しては今年の後半には発表できるでしょうが、今は関係者が多いので内容は差し控えます。

私は別にして、ある分野のプロフェッショナルが3人で、新しい会社を起こそうというプロジェクトです。
みんな現在も企業の経営者たちです。
私がもう10歳若ければ当事者になったかもしれません。
何しろ3人とも人間的に信頼できる人たちだからです。
話していて楽しくない人たちと一緒に仕事をしてはいけません。
仕事の最大の報酬はお金ではないのです。それを間違ってはいけません。

加藤さん
ちゃんとビジネスもしているのです。はい。

■環境会議の井ノ口香子さんの事業課題(2006年1月17日)
雑誌「環境会議」の編集者の井ノ口さんが、雑誌のスタイルを見直すヒントを見つけたいということでやってきました。
彼女の問題意識は、
「みんな社会的に良いことをしたいと思っているはずだが、その良い心を具体的に行動に移せないでいる人が多い。
そのきっかけになるような雑誌にしていきたい」
ということです。
そこで、様々な活動をしている人たちが行動を開始したきっかけについて話を聞きたいというのです。難しい問題です。

しかし、その前に、「良い」とは何かです。
ソクラテス的発問を大切にする私としては、例によって、こういう出発点にこだわってしまうわけです。
みんな「良い」と思ってやった結果が今の社会かもしれません。
雑誌の編集者は社会のビジョンを持たなければいけません。
それが明確であれば、「良い」などという言葉は使わずにすみます。

「環境」という言葉も同じです。
ビジョンと生活をしっかりと持っている生活者たちは環境などという言葉には縁遠いでしょうが、日々環境を踏まえて生活しているはずです。
しかし、いま必要なのはそうした「生きた具体的な言葉で現実を語ること」のような気がします。
そんなことを久しぶりに話し合いました。
全国に「環境会議」が広がるといいね、という話もしました。
雑誌のあり方はこれから大きく変わっていくだろうと思いますが、一度、雑誌の編集長をしてみたかったです。
もうちょっと遅いですが。

■斎藤正俊さんの関心事の混雑現象の事業化の可能性(2006年1月17日)
斎藤さんといえば、サイクルコミュニケーションズの創業者ですが、この半年、博士論文に取り組んで音信不通に近い状況になっていました。
斎藤さんに嫌われたのかなと思うほどでした。

その斎藤さんが近況報告にやってきました。
博士論文のためのコンピュータ解析にのめりこんでいたようです。
彼はとことんやらないと気がすまないタイプなのです。
博士論文はほどほどにして、次のステップに進んだほうがいいと言っていたのですが、
今日、話を聞いて彼の気持ちがだいぶわかりました。
どうも刺激的な問題にまた取り組みだしたようなのです。

博士論文のテーマは交通問題です。
鉄道での人の流れを記述する新しいモデル作りが基本にあるようです。
ところが書き上げた段階で、また新しいテーマに行き当たりました。
それは混雑現象です。
そのため、その解明に取り組みだして、どうもはまってしまったようです。

混雑問題は実に魅力的なテーマだと思います。
私も20年前に東レ時代に興味を持ったテーマです。
もちろんそれに関する研究はたくさんありますが、
斎藤さんの基本スタンスはどうも私が聞きかじった複雑系の論理に則ったものであるような気がします。
話していて、ボイドとかホメオカオスとか言うことにつながる話が感じられるのです。

複雑系に関しては、ハシリの時代にダイヤモンド社の編集者である岩崎卓也さんに乗せられて、
複雑系の経済学」の一章を書いたことがあります。
この本は10人の人が分担執筆していますが、とても面白いです。
私のところはいつかこのサイトにこっそり掲載したいと思います。

そんなわけで、急に彼の混雑モデルを知りたくなりました。
まあ、私が見ても複雑な算式は理解できないでしょうが、モデルのパラダイムは少しは理解できるでしょう。
もしかしたら斎藤さんの取り組んでいるテーマはものすごく大きなテーマなのかもしれません。
どこから助成金を得て、もっとしっかりした研究体制を組んだら面白いでしょうね。
それに、混雑現象の解明やマネジメントメソッドが見つかれば、大きな事業にもなるでしょう。
ITはこうしたことに使うべきであって、金儲けに使うべきものではありません。

いずれにしろ、一度彼の成果を見せてもらおうと思います。
この論文の発表は夏以降ですが、楽しみです。

■ヒポクラテスの会は面白くなりそうです(2006年1月18日)
ヒポクラテスの会のプレミーティングを開催しました。
すでにメーリングリストはスタートし、13人が参加していますが、今日の会議には私も含めて6人が集まりました。
宮崎さん、三谷さん、猪岡さん、橋本さん、遠山さん、それに私です。
私以外は、それぞれ初めての出会いです。面白くなりそうです。

いろいろと刺激的な話し合いができ、正式にヒポクラテスの会(仮称)をスタートさせることになりました。
しかも、4月後半には公開フォーラムも開催します。
当面の会の性格は、
「一人の生活者として、病院や医療制度のこれからを考えながら、社会に情報発信 していくことを目指した柔らかなネットワーク組織」
です。
メンバーがそれぞれの問題意識で、方向性を決めていくような、「共創型プラットフォーム」を目指したいと思います。
関心のある方はぜひご連絡ください。
メーリングリストもありますので、首都圏以外の方も歓迎です。

今回の参加者も、それぞれに立場は全く違います。
しかし、その違いを楽しむようにしたいと思っています。
遠山さんは20年くらいのお付き合いです。この中では一番長いお付き合いです。
東京都のCIプロジェクトの委員をさせていただいたことがありますが、そのときの都庁の事務局だったのが遠山誠さんです。
まだ私が東レ時代のことですが、そのなんとも軽妙なお人柄に強く印象付けられていた人です。
今年の年賀状に病院のことがちょっと書かれていたので声をかけたのですが、
早速にメーリングリストに参加して、今日もわざわざやってきてくれました。
お聞きすると、現在は全国自治体病院協議会で活動をされているとのこと、参加してもらえてよかったです。
声はかけてみるものです。

4月のフォーラムはどんなものになるか、とても楽しみです。
そこから新しい物語や事業が始まるのを目指したいと思います。
また経過を報告していきます。

■サイクルリングの北岡さんとのコラボレーション(2006年1月19日)
サイクルリングの北岡さんも新しい事業を企画しています。
コムケアともかなり関連がありそうなので、自由な意見交換をさせてもらいました。
北岡さんも思いや情熱が先行するタイプです。
北岡さんはライターやエディターの仕事も得意分野です。
その得意技とNPOとをつなげていくことができないかというのが今日の一つの課題でした。

2人で話しながら、いろいろ新しい事業構想が生まれてきました。
私が一度取り組んでみたいと思っている社内報の分野の話もでました。
北岡さんと一緒にこれまでとはちょっと違った事業をコラボレーションできればうれしいです。

もう一つ共創できそうな事業もあります。
それは私のライフワークにもつながることなのですが、NPOや社会起業家の新しいプラットフォームづくりです。
これだけでは陳腐な話ですが、年内に何か一緒にキックオフ・フォーラムを開催できないかを模索することにしました。
またもや2つのプロジェクトにコミットしてしまいました。
この調子だと私も過労死しかねません。困ったものです。

■大学時代の同窓生も人生さまざまです(2006年1月19日)
大学の同窓の仲間が8人ほど集まってのミニ同窓会でした。
卒業してもう40年以上経ちますので、完全引退している人も少なくありません。
まだ要職についている人もいますが、働くでもなく遊ぶでもなくという私のような生き方はそうはいません。
なかなか理解してもらえないのですが、話をしているとやはり世界の違いをいつも感じます。
基本的には私が脱落しているわけですが、視点を変えるとちょっと違った評価ができるかもしれません。
まあこれは自己満足かもしれません。

参加者の中に庵がいました。
会社の第一線は引退しましたが、彼は私の紹介でパウサニアス・ジャパンに入会したのですが、
それをとても喜んでくれ、会うなりに握手を求められました。
うれしいことです。これで今日参加した意味がありました。
実は彼の入会と入れ替わりに私が休会してしまったのです。
パウサニアス・ジャパンにはもう一人、同窓の店網が入会していますが、彼にも久しぶりに会いました。
もう少し余裕ができてきたら、私もまたこの会に戻りたいと考えていますが、なかなか戻れないのが残念です。

大学は東大の法学部ですので、中央省庁に入った同窓生も少なくありません。
そのOBが2人来ました。
彼らの話と私の世界とは全く違う世界なのですが、不思議なもので同窓会で会えば、そういう関係は吹っ飛んでしまいます。
一人は防衛庁の事務次官だった秋山ですが、彼の富士山登頂体験談は面白かったです。
日本の防衛戦略には全く同意できませんが、こういう話ではすごく共感できます。

同窓会に出ていつも感じるのは、私自身の世界がとても同窓生から遠く離れてしまっているなという気持ちです。
話題が違うのです。
しかし、今日はいつもと違って、なんだかとても共通性を感じました。
なぜでしょうか。

■コラボレーション経営研究所の瀬谷重信さん(2006年1月20日)
私と同じように、企業のエスカレータを途中で降りてしまった人がいます。
瀬谷重信さんです。
瀬谷さんから会社を辞める相談を受けた時は驚きました。
経営層入りが直前だったからです。
どうもそのときに私が「辞めてもどうにかなるよ」と答えたのだそうです。いやはや無責任な答えです。

瀬谷さんは私と同じく、経済的収入はたぶん激減したでしょう。
しかし、会うたびにとても良かったといってくれます。
ブログでも書きましたが、環境が変わると生きる意味をしっかりと考える契機になります。
瀬谷さんの今の生活は見事なほど豊かです。どう豊かかは瀬谷さんに会うとわかります。
瀬谷さんは、以前も書きましたが、コラボレーションの概念を日本に初めてきちんと紹介した人です。
「マインドネットワーク」という本ですが、残念ながらこの本は今は絶版で入手できません。

今でもコラボレーションが瀬谷さんのコアバリューになっており、
ご自身が主宰するコラボレーション経営研究所を拠点にして、さまざまな活動に取り組まれています。

同研究所のサイトに瀬谷さんの書かれた原稿の一部が紹介されていますので、
読んでもらえると瀬谷さんの思いやコラボ型経営の考え方がわかると思います。
ご関心のある方はどうぞアクセスしてみてください。

瀬谷さんは最近、認定コーチの資格も取ったそうですが、ますます活動の世界を広げようとされています。
私もコラボレーションを基本にしていますので、今年は一緒に事業を起こすことにしました。
企業変革につながるプロジェクトになると思いますが、
企業の方で企業変革に取り組みたい方や問題を抱えている方がいたら、ご連絡ください。
問題解決に向けてのプロジェクト提案をさせていただきます。
これはビジネス対応になりますが、コストパフォーマンスは高いものになると思います。

春には新たにもうひとつのオフィスも開くそうです。
そこでコラボ塾のようなものを開催する計画もお持ちです。
またスタートしたら皆さんにもご案内させてもらいます。

■インキュベーションハウスの総寄り合い(2006年1月20日)
久しぶりに総寄り合いです。
昨年後半は、社長の私が気力ダウンで呼びかけなかったのです。
そんなことだと、普通の会社だと社長更迭ですが、この会社は業績をあげないと引責留任なので、更迭させてもらえないのです。
しかし、私が気力をなくしている時には、みんなが元気を出せなどとは言わないのです。
元気が出ない時は休むといいといってくれるのです。
こんな優しい仲間はそうはいません。感激するでしょう。
それだけでも私はインキュベーションハウスを創ってよかったと思います。

こういう人のつながりが、最近は薄れています。
それがとても残念です。
人のつながりがしっかりできていれば、何とかやっていけるのが人間の社会なのです。

ところで今回の寄り合いは元気が出る寄り合いでした。
インキュベーションハウスのオフィスをシェアしたいという人が続出しだしたのです。
そして事業シーズも見えてきました。
しかし最大の元気の素は、インキュベーションハウス仲間の菅野さんがいよいよ会社を辞めてインキュベーションハウスを拠点に事業を開始することになったのです。
まもなく業績がよくなり、社長を辞められるかもしれません。うれしい話です。
来週くらいから、新しいインキュベーションハウス物語が報告できるかもしれません。
ご期待ください。

■雪が降りました(2006年1月21日)
雪です。朝起きたら5センチほど積もっていましたが、夕方まで降り続いています。
雪の白さは心洗われます。
すごく平穏な1日でした。


(2006年1月第4週)
私の周りで「事故」と「災害」が多かった週です。幸いに私は無事でしたが。
相変わらず刺激的な情報が飛び込んでくる週でもありました。
それらはまたいつか書くとして、今週は出会いを中心に書きました。

■キーパーソン21のこれからは楽しみです(2006年1月23日)
キーパーソン21というNPOをご存知でしょうか。
ひとりでも多くのこどもたちに社会人との出会いの場を提供し、夢と職業意識を運びたい」という思いで、
小中高校生世代の子どもたちのための生き方学習や職業観形成支援の活動に取り組んでいるNPOです。
コムケアの第1回目の資金助成の対象にさせてもらった活動です。

非常に順調に進んでいたので、その後は交流もあまりなくなっていたのですが、
一昨年、次世代育成研究会で久しぶりに代表の朝山あつこさんのお話を聞く機会がありました。
そこでまだまだこの活動の意義が認知されずに、予想以上に苦戦している様子を感じさせてもらいました。
昨年末の委員会でも朝山さんが再度問題提起されましたが、
それが契機になって、一度意見交換をしたいということで朝山さんと谷中さんが訪ねてきてくれました。

NPOの活動は立ち上げ時と発展前夜が一番難しいように思いますが、
まさにキーパーソン21はこれから大きく飛躍する時期を迎えているように思います。
NPOとしての本当の体制が求められているといってもいいでしょう。
しかし、この活動はとても素晴らしい活動です。
ぜひキーパーソン21のホームページをご覧ください。
また各種メディアでも紹介されていますので、これもあわせてお読みください。
この活動には今の社会のあり方に対する本質的な問題提起が含意されています。

ところで、お話をしているうちに、理事のお一人が梅澤正さんであることがわかりました。
梅澤さんが東洋経済大学の教授だったころ、一緒に2つほどのプロジェクトに取り組みました。
そもそもの始まりは企業文化研究機構構想でした。
これは私のライフワークになるはずだったのですが、ちょっと不幸な事件が起きたために、2つの活動に分化させました。
ひとつが日本CI会議体、もうひとつが日本広報学会です。
2つとも発足し、いまはそれぞれ確立した組織になっています。
私は最初の数年で、事務局長や常任理事を辞任し、いまは完全に離れていますが、いずれも私にはさまざまな思いのある組織です。

梅澤さんは現在、キャリア文化研究所の理事長です。
実はもう一人、懐かしい人が関わっていました。
キーパーソン21のシンボルマークをデザインしたのが一色宏さんだったのです。
一色さんとも10年以上お会いしていませんが、これもまた実に面白い話があるのです。いつか紹介できるかもしれません。
最近またいろいろな人たちとのつながりが戻りつつあるのが不思議です。

■感声アイモと小林教授(2006年1月23日)
先々週紹介した早稲田大学の小林教授感声アイモのお2人にお引き合わせしました。
小林さんは大病時の手術で、発声が困難になったのです。
小林さんはパウサニアス・ジャパンでお世話になった古代史の教授です。
もしかしたら、アイモの発声法が役に立つかもしれないと思い、お引き合わせしたのです。
小林さんは奥様と一緒に来てくださったのですが、希望が見えてきたととても喜んでくれました。

今日はアイモの考えや活動を知ってもらうのが中心でしたが、早速、簡単な発声練習もしてもらいました。
声を出そうと思う前に、しっかりと呼吸をする練習をしましょうというのがアイモの菅原さんの姿勢です。
私も少しだけ練習に参加しましたが、とても共感できる方法です。
感声アイモのホームページが間もなく公開されますので、詳しくはそれをご覧下さい。
また東京で毎月研修も行っています。気楽に参加できる研修会ですので、ご関心のある方はご連絡ください。
アイモの研修を受ければ、認知症にも寝たきりにもならず、元気な生活を持続することができそうです。
現在、インストラクター募集中です。いかがですか。
このプログラムは、インキュベーションハウスでも積極的に支援していく予定です。

■パオッコとキューピー(2006年1月23日)
遠隔地介護という言葉を聞いたことがありますか。
遠隔地にいる親を介護する人たちのネットワークです。
パオッコというNPOです
このNPOもコムケアを始めた時から気になっている活動でした。
この問題にこそ、もしかしたら現代社会の問題とケアの本質が象徴されているかもしれないという思いがあったからです。

幸いに一昨年、ささやかな支援をすることができました。
今年も「お知らせ」でご案内しているイベントを通して支援ができました。
先約があるため、このイベントには私は参加できないのですが、きっと面白いイベントになるはずです。

KAE経営道フォーラム
で知り合ったキューピーの田渕さんがこの活動に関心を持ってくださいました。
そして応援してくれることになりました。とてもうれしいことです。
今日はそのお引き合わせをさせてもらいました。
お話を聞いているうちに、企業とNPOをしっかりとつなぐ活動がまだまだ不足していることを感じました。
経団連の1%クラブなどがもう十分に機能しているはずだと思い込んでいましたが、
なかなか手が回らないのでしょうか。生きたつながりが弱いように思います。

私が取り組んでいる「コモンズの回復」は、企業や行政やNPOのセクターを越えてのコラボレーションを志向しています。
ですからコムケアのイベントには、企業や行政の人ができるだけ参加してもらうように働きかけています。
しかしこれがなかなか難しいのです。双方の先入観が障壁になっているように思います。
でも今回はとてもよい関係が生まれそうです。
いわゆるウィンウィンの関係です。社会も含めれば三方良しといえるでしょう。
今年は少しこうした問題に取り組んでみようと思います。
漸く機が熟してきたようにも思います。

接点を持ちたい企業やNPOがあれば、ぜひご連絡ください。
メディエーターとして、しばらくは活動しようと思います。
三方良しのプロジェクトをぜひとも創りだしたいと思います。

■子育ちをテーマにしたコムケアサロン(2006年1月23日)
子育ち学ネットワークの星野一人さんの問題提起によるコムケアサロンでした。
久しぶりに立柳聡さんも参加されました。
サロンの内容はコムケアのサイトに報告が出ています。

さまざまなテーマが議論されましたが、大きなテーマが次の2つでした。
@親を支援すること=子どもを支援することにつながるかどうか?
A子育ち・子育てに関する合意形成を誰がやるのか?

面白いテーマです。

@に関してはややこしい私見をブログに書きました。
Aに関しては、そこで話題になったことの一つの「いただきます」問題をブログに書きました。
星野さんの報告と合わせてお読みください。

子育ち学ネットワークでは3月21日に公開フォーラムを開催する予定ですが、その実行委員会メンバーの募集もありました。
コムケア関係のイベントはこういう形での共創を大切にしています。
このフォーラムの案内もまもなく掲載しますので、よろしくお願いします。

コムケアサロンは幹事制になったので、これからは毎回幹事が企画運営します。
次回はコミュニティアート・ふなばしの下山浩一さんが幹事ですので、きっと若者たちの風が吹き荒れる刺激的なサロンになるでしょう。
下山さんはともかく刺激的な人なのです。
彼のブログを読むといささかの危険を感じますが、実に心優しい人なのです。お楽しみに。

■東レ経営研究所の渕野富士男さん(2006年1月24日)
私の人生を変えてしまった契機は、東レ株式会社のCI、コーポレート・アイデンティティプロジェクトです。
これに4年間はまってしまい、結局、自らのアイデンティティの問題にぶつかり、会社を辞めることになりました。
その経緯は当事書いた雑文があります。17年前のことです。

そのプロジェクトのパートナーの一人が渕野さんです。
このプロジェクトは彼ともう一人、高坂洋さんがいなければ、きっとスマートなプロジェクトで終わり、私も辞めなかったかもしれません。
この2人のおかげで、私の人生は面白くなりました。

その渕野さんが突然やってきました。彼は今、東レ経営研究所の役員なのです。
渕野さんは、今度は「面白工学」を提唱しだしています。とても共感できます。
講演もいろいろやっていますので、興味のある方はご連絡ください。とてもわかりやすい話をしてくれるはずです。
企業のコンサルティングビジネスが私の本来の仕事ですので、今日はいろいろと情報交換させてもらいました。

私のように、かなり外れた場所から見ていると、今の企業の人材研修プロジェクトには違和感があります。
各社ともかなりの予算を人材育成に向けだしているように思いますが、効果はあるのだろうかと思わずにはいられません。
時代に即した、あるいは時代を見据えた、新しいプログラムが求められているような気がします。
渕野さんと話していて、そんな新しいプログラム開発に取り組んでみたくなりました。
問題はフィールドがあるかどうかです。

■技術者倫理を考える公開フォーラムに向かってのキックオフ(2006年1月24日)
秋に「技術者の倫理の問題」をテーマにした公開フォーラムを開催することを目標に、
昨年から始めている技術者倫理サロンの今年最初の集まりでした。
この集まりはともかく面白いのです。

社会の実相を技術の切り口から垣間見ることができるのです。
たとえば、アスベスト問題が吹き荒れたころはそのお仕事をされていたメンバーが過労死しそうになるほど忙しかったのですが、
今日はライブドア事件のためにインターネット新聞に関わっているメンバーが忙しすぎて参加できませんでした。
そうした現象の中で、極めて時代を象徴するエピソードや体験談がお聞きできるのです。

「技術者の倫理の問題」を考えるには材料がこれほど豊かな時代はないかもしれません。
今回はメンバーのお一人が、技術系学会の倫理要綱などを整理してきてくれました。
これも示唆に富む資料です。そこから議論が弾みました。

しかし、この会は話を楽しんでばかりもいられないのです。
なにしろ親元のNPO科学技術倫理フォーラムの総会で、今年の秋に技術者だけでなく市民を巻き込んだ公開フォーラムをやる約束をしてしまったのです。
そろそろ何をやるか検討しなければいけません。
次回から少し本格的に議論をすることになりました。
きっとさらに面白くなっていくと思います。

ご関心のある方は参加可能です。
これだけ読むとなにか難しそうに感ずるかもしれませんが、
まあ技術と生活のつながりを気楽に話し合ってみましょうというようなカジュアルなフォーラムを想定しています。
他の人はそうではないかもしれませんが、私はプロセスを楽しむつもりです。
ですからどうぞ気楽にご連絡ください。
また開催資金も確保しなければいけません。
こうした活動に意義を感ずる人がありましたら、ぜひご支援ください。
100万円もあれば十分です。情報発信効果はとても高いと思います。はい。
よろしくお願いいたします。

■我孫子市民のオープンプラットフォーム(2006年1月25日)
我孫子市の現在と将来に関心の強い人たちの気楽な話い合いの会も3回目になりました。
「名前のないチャットグループ」というメーリングリストでの情報交換も少しずつ投稿が増えてきました。
そこでそろそろこの会を開きながら見えるようにしていこうということになりました。

この会できちんと自分の活動をしていないのは私だけです。
後は長年の実績のある人たちばかりです。
ですから話は理念的であると同時に現実的です。
様々な問題が錯綜してしまうわけです。
しかし、幸か不幸か、直接的には活動してきていない私が入っているために、時に原点に戻っての議論ができるのです。
なにしろ私は「ソクラテス的発問」が大好きなのです。
これに関しては15年前にある編集者から皮肉と賞賛を込めて指摘されたことがありますが、最近はさらに「磨き」?がかかってきました。
磨きをかけたのは年齢のおかげ、つまり頭の動きが鈍くなったせいですが。

それぞれから今までの体験談や現在の課題がどんどん出てきます。
立場が違いますので、思いも少しずつ違います。
しかし、一番の強みは、それぞれに実現したいことがかなり明確にあることです。
誰かのためにではなく、自らのやりたいことが明確なことが住民活動の場合は大きなエネルギー源になるものです。

この会をオープンプラットフォームにしていこうという方向が共有されつつあります。
同時に、何か形が見える目標を設定しようということになりました。
いくつかの具体的な提案もいくつか出されました。
みんなやりたいことがたくさんありそうです。
これからの展開が楽しみです。

■福島自治体職員管理者研修の最終回(2006年1月26日)
福島自治研修センターでの管理者研修も今回で最後になります。
テーマは政策形成ですが、私からのメッセージは
これからの自治体の管理者はソーシャル・アントレプレナーにならなければいけないというものです。
そして、ソーシャルとは何か、アントレプレナーとは何かを話させてもらってきました。
おそらくこれまで聞いている話とは全く違った話だと思いますので、どのくらい理解してもらえたか不安はありますが、何となく手応えを感じます。
もちろん「反発」も、時に感じますが、それもまた手応えです。

今回は途中で面白い指摘を受けました。
私の話の中に、「事業とは何か」が出てきます。
行政では事業とは金を使うことだった。企業では金を儲けることだった。
しかし、事業とはそのいずれでもなく「価値を創ること」なのだ。
これが私の話なのですが、それを聞いた人が休憩時間にやってきて、「価値」というとやはり「お金」がイメージされてしまうというのです。
最初は質問の意味がわかりませんでしたが、きっと今では「価値=お金」という発想がみんなの頭に埋め込まれているのかもしれません。
「価値」って何なのかを議論しなければいけない時代になってしまったのかもしれません。
やはり私の話はなかなか伝わらないのでしょうね。反省しなければいけません。
そしてますますソクラテス的発問が必要だと実感しました。

しかし、こうした話を一度、地元の市役所でやってみたいと思います。

たぶん誰も理解してくれないでしょうね。
首都圏界隈の自治体はたぶん時代からは一番遅れているでしょうから。

■今年最初のオープンサロン(2006年1月27日)
今年最初のオープンサロンには懐かしい人が次々とやってきました。

一番乗りは藤本純一さんです。
今年最初にもお会いしましたが、藤本さんと会うとなにかホッとするのはなぜでしょうか。
続いてやってきたのが江口直明さん。
最近は日本語教師の仕事もされているそうです。
そして鈴木信雄さん。
鈴木さんはこのサイトのフォーラムやブログなどに時々投稿してくださっています。
なんとこの春には思い切った転身をされるようです。

そういえば、3人ともこの数年で生き方を変えつつある人ばかりです。
転進といえば、このサイトでもおなじみの岸田能和さんですが、来るなり今月初めにまた辞表を出したという刺激的な発言です。
誰かから、このサロンに来る人はなぜか会社を辞めてしまうという声があがりましたが、最近はみんな柔軟に仕事を変えることができる時代なのかもしれません。
仕事を変えずにしっかりと前進しているのが紀陸幸子さんです。
対照的に、仕事を変えずにしっかりと後退しているのが私ですが。
しかし、この2人も、そろそろ人生を変えようかという思いがどこかに生まれています。

続いてやってきたのが、経済同友会の太田篤さんです。
太田さんもどうやら最近はNPOにかなり加担しているようです。
常連の武田文彦さんは友人の塩尻さんと一緒にやってきました。
塩尻さんとお会いするのは10年ぶり以上です。実に懐かしい人です。
最後にやってきたのはキャノンの冨永さんです。
富永さんも再開サロンへの初めての参加です。
まあこんなわけで懐かしい顔ぶれのサロンになりました。

話はいろいろありましたが、中国やフィンランドの話が結構多かったです。
いずれも日本の社会とはかなり違いますが、最近、日本の社会に暮らしにくさを感じている私としては、いずれも魅力的でした。
特に中国では50円でビールつきの食事ができると話でした。
そのすぐ近くでめちゃくちゃに高価な月餅菓子がどんどん売れているという話です。
また試験をやると中国の学生は堂々と答案用紙の見せ合いをやるという話も出ました。
いずれもすごく納得できますね。
たとえ試験であろうとわからない人に答えを教えてやることは心和む話ですし、物の値段が人によって全く違うというのも人間的でいいですね。
そういう発言をしたのですが、話が続きませんでした。いやはや。
でもとても住みやすそうですよね。
カンニングはこそこそやるから良くないわけで、堂々とやればいいというのは納得できますね。
それに物やサービスの価格は一物一価ではなく、一人一価がいいですね。
そう思いませんか。
年収1億円の人と200万円の人が同じNHK料金を払うのはおかしいと思いませんか。
こんな中途半端な発言をするので、私はみんなから信頼されないのでしょうね。
でも真実はそこにあるという気がしてなりません。
今回はカメラを向いてのスナップまであります。


■地元自治会の役員選びの集まり(2006年1月28日)
私の住んでいるところは5年ほどに整地され、一挙に13区画が家を建ててコミュニティが出現したところです。
住民の世代は幅がありますが、みんなほぼ同じ時期に移転したので、ある意味での平等性がある地域です。

我孫子市の場合、自治会の単位はかなり大きく、私たちの13世帯はその中でひとつの班になっています。
自治会そのものは18の班から構成されています。
我孫子市白山東町会といいます。
そこの会長を来年度は私たちの班で出すことになりました。
そこで今年の班長である岡村さんがみんなに呼びかけて集まりがもたれました。

実はこうして全世帯が一堂に会する機会は今までなかったのです。
岡村さんのご尽力に感謝しなければいけません。
はじめての集まりである割にはとても和気あいあいと話が進みました。
役員もほぼみんなの自発的な立候補でほぼすんなりと決まりました。
自治会もやはり大きな変わり目にあるような気がします。
我孫子市は「市民主役のまちづくり」が進んでいる自治体としていろいろなところで取り上げられますが、
自治体そのものはまだまだ「お上の下の組織」から抜け出られずにいるようです。
その実態を体験できそうなのが楽しみです。

私は会長だけは引き受けたくなかったのですが、
みんながあまりにも気持ちよくそれぞれの役割を引き受けていく空気の中で、結局、最後には引き受けてしまいました。
また不幸が始まりそうです。

(2006年2月第1週)
今週もたくさんの刺激を受けました。


■平和への結集を実現する会準備会(2006年1月29日)
CWSプライベートですでに書き込みましたが、今日は「平和への結集」を実現する会の準備会でした。
6時間の長丁場の会でしたが、さまざまな方々が参加されて、自由闊達な議論が行われました。

この運動は千葉大学の小林正弥さんたちが提唱され、3年前から活動しています。
私も2003年12月に小林さんに誘われて、最初の集まりに出席させてもらいましたが、あまり活動には参加していませんでした。
しかし、今の状況を考えると、小異を捨てて大同につくべきだと思い、自分として何ができるかを見極めようと参加させてもらいました。
各地各界で活動している方々が40人ほど集まりました。
私が面識あるのは小林さんだけでしたが、メーリングリストなどで名前に覚えのある方が数名いました。

今回はかなり明確な目標で集まった会でした。
小林さんの表現を借りれば、「運動における結集」から「政治における結集」へと重点を移し、
2007年の選挙に向けて、市民の手で「平和共同候補・平和共同リスト」の実現をめざそうということです。
その基本理念は、「平和・環境」「社会的公正」「選挙制度の抜本的改革」の3つです。
またか、と思うような虚しい言葉の羅列ですが、かなり議論を重ねてきた結果の理念です。
ここに、この種の活動の限界があるのですが。

「市民の手による」というところに私はいささかの不信感と期待を持ちます。
しかし、中心にいる小林さんの思いに共感していますので、基本的にはこの活動に参加するつもりですが、
今回の議論を聞いている限り、やはりこれまでの平和運動の呪縛から抜け出られずにいる感じを受けました。
「結集」の難しさです。

最初の発言で、
「結集という言葉に込められた思いのあまり、寛容さや相互支援関係が損なわれないようにしてほしい」
といいましたが、さすがに「もっとカジュアルに楽しくやりましょう」とはいいかねました。
事態がかなり逼迫していることは確かですし。

「結集」という呼びかけでしたの、さまざまな立場の人が集まっていたこともあって、議論は錯綜しました。
次元の違う人が次元の違う発言をするのです。
多様性を編集することの難しさを感じましたが、結局はビジョンとミッションとグランドデザインの不在が原因だったように思います。
そういう発言もしましたが、ビジョンとミッション、目的と目標を混同する人が多く、なかなかまとまりませんでした。
こういう過程の中で運動は分裂していくのでしょうか。

しかし、参加者はそれぞれに苦労してきた人たちばかりですので、そうならないようにと真剣でした。
まもなく新しい動きになっていくことの予感を持ちました。
いずれにしろ、プロジェクトデザインが必要です。
そしてそれは私の分野の課題です。少し考えてみようと思います。

私は別の用事があったため、7時過ぎに途中で退席しました。
2人の方から、どうも気があいそうだと話しかけられました。
一人は中山武敏さんです。
狭山事件(といってもいまや知らない人もいるかもしれませんね、サイトを見てください)の再審弁護団の主任弁護人です。
帰り際にもらった新聞記事で、中山さんのお人柄を知りました。感動しました。

もう一人は田口房雄さんです。
「熟議投票」による選挙制度改革に取り組んでいる人です。
シティマネジャー制などの話や地方議会の話をしているうちに、なんとお住まいが隣の柏であることがわかりました。
一度ゆっくり話したいと思います。

他にもいろいろな方に会いました。
テロリストは誰?九条の会のメーリングリストで示唆に富む発言をされている攝津正さんにも会いました。
私の愛読書の「軍縮問題資料」を発行されている軍縮市民の会の事務局長の瑞慶山茂さんにもお会いしました。
他にもさまざまな人が参加されましたが、女性が5人くらいだったのが象徴的でした。
その5人は迫力がありましたが。
ミュージシャンが多かったのも印象的でした。平和はアートにつながっています。

司会をされていたのは平和塾の竹下さんでしたが、以前は社会党の秋葉忠利さん(現在の広島市長)の秘書をされていたそうです。
秋葉さんといえば、以前、リンカークラブに参加されており、
その立ち上げのミーティングで湯島のコンセプトワークショップにも来たことがあります。
私も秋葉さんのオフィスに行きましたので、きっと会ったことがあるはずです。

この会からの呼びかけはまもなく始まります。
このサイトでもご案内しますが、ご関心のある方はご連絡ください。
今でも参加可能ですので。

■友人宅の火事(2006年1月29日)
小学校の同窓生に家が延焼で全焼してしまいました。
プロジェクトBの主役の靴屋の鈴木基之です。私の幼馴染みの一人です。
善人はつねに災いを自らで引き受けてしまうものなのです。
真夜中のことであり、身体ひとつで逃げたのですべてを失ってしまいました。
幸い、怪我などはありませんでしたが。

善人にして、実に楽観主義の明るい性格なので、せっかく見舞いに行ったのに、元気そうで逆に私が元気付けられるほどでした。
現在は一人身なので、近くのアパートを借りています。
お店をやっていたため、商品は完全にだめになりました。
当分靴屋は休業です。そうなると庶民の生活基盤は実にもろいものです。
もちろん収入はなくなりますし、働くことすらできなくなるのです。
この大変さは組織人には想像できないことでしょう。

場所は大田区の大森です。まだ人のつながりがわずかに残っています。
私が行った時も近くのおばさんが来ていました。
庶民の生活を支えるのは地域社会であることがよくわかります。
私が行く前に、やはり小学校の同窓生の一人がお弁当を持参してくれていました。
1時間以上かけて来てくれたのです。
おかげで私もそのお弁当を彼と一緒にご馳走になりました。
お見舞いに行ったのに、奇妙な感じですが、幼馴染のつながりはいいものです。

小学校は彼に家のすぐ近くです。
しかし、今もそのあたりに住んでいるのは本の数名です。
ほとんど人が遠くに転居しています。高度経済社会は移動の時代でもあったのです。
つまり地域社会を壊すことで、産業は発展したという側面があります。
これからはきっと変わるでしょう。

これに関しては20年以上前に、「移動の時代から定着の時代へ」というとてもいい(自己評価です)小論を書いたことがありますが、
残念ながら陽の目をみませんでした。
近いうちに探して、アーカイブに掲載します。
私たちの小学校仲間は卒業後、「ぽんゆう」という名前でいろいろと活動してきました。
毎月喫茶店を決めて、サロンもやってきました。
そのころから私はサロンが好きだったのです。
機関誌やニュースレターも発行しましたし、夏には1週間のキャンプもみんなでやりました。
ですからかなりつながりは深いのです。
こうした「人のつながり」が人生の豊かさにつながると私は思っています。

友人の火事でたくさんのことを教えられました。
靴屋が再開したら、皆さん是非応援してください。

■地域と市民の放送局がいよいよ本格的に動き出します(2006年1月31日)
コムケアの支援プロジェクトのひとつに「地域と市民の放送局」があります。
多摩大学の学生トリオが始めようとしている市民メディアのプロジェクトです。
学生が取り組む課題のひとつとして市民メディアのプロジェクトは多く、これまでも何回か支援してきましたが、
残念ながら私にとって満足できるものはひとつもありませんでした。
しかし今回は当事者の3人が極めてシンプルなのでかなり期待しています。
シンプルってなにかといわれると困るのですが、オープンでわかりやすいということです。
活動の地盤である多摩市でのポジションは確立しつつあるようですし、技術的な面でも準備がほぼできたようです。
それでまた相談にやってきてくれたのです。

そういえば、日曜日にあった平和の集会でも市民メディアが話題になりました。
市民メディアが育てば、今のようなひどい社会状況はかなり変わるでしょう。
現在のマスコミの腐敗ぶりと犯罪性には腹が立ちますが、手の施しようがありません。
ささやかな意義申し立てとして、私はブログを書いていますが、まあ自己満足でしかありません。
ですから市民メディアにつながるようなプロジェクトにはとても関心があり、できれば加担したいと思うわけです。
わが身が分身できるのであれば、彼らと一緒に行動したいものです。

話を聞いていると、やはりビジョンや事業展開のグランドデザインが整理できていないようです。
最近、接点のあるプロジェクトのほとんどすべてがグランドデザイン不在です。
なぜでしょうか。じっくりと構想する前に、動きだしてしまわないといけないくらい、忙しい時代になってしまったのでしょうか。
彼らと一度じっくりと議論したくなりました。

ところで、地域活動や市民活動に取り組んでいる皆さん、
もし活動を記録し、広報活動に使ったり、インターネット放送で放映したりしてほしい方がいたら、
実費程度で撮影や編集を引き受けてくれるそうです。
もしご希望があればご連絡ください。

■ふぁっとえあばー事務局長の荻原真司さんの夢(2006年1月31日)
ふぁっとえばーの秋山さんが新しい事務局長の荻原さんと一緒に来てくれました。
荻原さんとは初対面です。
荻原さんは数年前に企業を辞めて、環境を意識した商品のショップを始めたそうですが、残念ながら失敗してしまったのだそうです。
いまは千葉県の館山市と東京を行き来しているようですが、農業や環境に関心をお持ちで、今日もそうした話で盛り上がりました。
私の関心事と共通するテーマがたくさんありました。

6月10日にはふぁっとえばーが中心になって館山でチャレンジドの大会を開きますが、
是非そのときに新しい物語をキックオフさせましょうと提案しました。
チャレンジドの働きの場はまだまだ広がりにくいのが現実です。
千葉県では堂本知事が理解を示していますが、本気で取り組もうとしている人がなかなかいません。
やはり当事者たちが声をあげ、進めていかねばいけません。
荻原さんのような方が取り組んでくれることになったので、とてもうれしいです。
皆さんも是非応援してください。
ふぁっとえばーのサイトを見てもらえるとうれしいです。

■ポスドク問題に取り組む國分裕之さん(2006年1月31日)
インキュベーションハウスの菅野弘達さんの紹介で、國分さんがやってきました。
國分さんは現在、東大大学院の博士課程の学生です。
しかし1992年には高校生でありながら会社を立ち上げた学生社長の第一世代の有名人でした。
ライブドアの堀江さんの、いわば先輩です。
彼の価値観がもし堀江さんと同じだったら、もしかしたら六本木ベンチャーのひとりになっていたかもしれません。
しかし、彼はその道を選びませんでした。

ある時期から彼はメディアに登場しなくなりました。
「アエラ」の2004年1月18日号に、「僕らと堀江を隔てたもの」という記事が残っていますが、それによれば、
堀江君とか第2世代が僕らの後に出てきて、98年頃から話題になりはじめた。
それを見て、自分は時代のリーダーの役割を終えたな、と取材依頼も断ってきたんです

ということです。
その記事を書いた森健さんは、「國分氏と堀江氏が決定的に異なっていたのは上昇志向の熱量だった」と書いています。

國分さんは実に素直で、人生をしっかり考えている好青年でした。
なぜ堀江さんたちとは違う道を選んだのかもお聞きしました。
とても納得できる回答でした。こういう若者は信頼できます。

國分さんはこれからポスドク問題に取り組もうとしています。
その構想に関して意見交換させてもらいました。
「ポスドク」とはポストドクターの略で、博士課程を終了し、常勤研究職になる前の研究者で、全国におよそ1万人以上がいるといわれています。
多くは大学などの「ポスドク」(非常勤職員)として雇用され、我が国の研究活動を支えているようです。
問題はその人たちの働く場がないために、さまざまな問題が発生しているのです。

日本の知的水準は国際的に見ればいまやかなり低下しているようですが、
その一方でこうした知的資源ともいえる人材を「育てながら」「無駄に廃棄」しているのです。
これはまさに近代産業の論理ですが、大学はますますその方向に動いているように思います。

もちろんこの問題は以前から話題にはなっていましたが、事態はあまり改善されていないようです。
改善されたら困る人がいるからです。
この問題は両刃の剣でもあります。
対症療法的に解決するのであれば、きっと今の病理を延命させるだけでしょう。
しかし抜本的に解決するのであれば、それは研究の仕組みや社会の仕組みのパラダイム転換の契機になりかねません。

少なくとも後者の視野を持った取り組みでなければ、あえて有志の人が取り組む意味はないでしょう。
そうしたことは堀江さんたちに任せておけば良いでしょう。
しかし後者の姿勢を表面に打ち出せば、つぶされかねません。
最も古い体質を持続しながらアマチュアリズムのピラミッド構造に依拠していた旧体質が壊れていくわけですから、
大学や研究の世界は修羅場を迎えるかもしれません。
実に刺激的なプロジェクトです。
新しい学びの場につながる大きな物語のプロローグになるかもしれません。
これからが楽しみです。

■資源調達先を変えることで企業は変わるか(2006年1月31日)
乾真人さんから雑誌に取材の依頼がありました。
内容を十分咀嚼しないまま、まあ乾さんと会えるからいいかと引き受けてしまっていたのですが、
何と取材は「ネクサス」という雑誌の編集長の早川尚生さんが乾さんと一緒にやってきました。
しかもテーマは「資源調達のやり方で企業が変わる」というものです。

一瞬慌ててしまいました。
取材先を間違えているといったのですが、なにしろ引き受けた責任があります。
物事を簡単に引き受けてしまう悪癖をまた少し反省しました。
しかし話しているうちに、ついつい面白くなって話を広げてしまいましたが、本当に取材記事ができるかどうかは不安です。

そういえば、乾さんと出会ったのも取材でした。
「商工にっぽん」という雑誌の巻頭記事だったのですが、取材前の雑談が盛り上がり、さて本題に入ろうとしたら時間切れになってしまったのです。
乾さんは雑談を見事にまとめてくれ、当初のテーマとは全く違った記事にしてくれたのが付き合いの始まりでした。
そのときに同行してくれた写真家の許さんとも今もつながりが続いています。
従って今回も乾さんがどうにかしてくれるでしょう。

ところで雑談の中で、この雑誌から新しい物語を起こすようなコラボレーション・プロジェクトを起こしませんかと、また私の好きなお誘いをしてしまいました。
早速に早川さんからメールが来ました。
なにか始められればうれしいです。

ちなみに早川さんは浜松の佐鳴湖のお近くにお住まいです。
ガラ紡愛好会のことをお話しました。こちらからもなにかつながれればいいのですが。

リゾーミックなつながりを意識しだすと世界は時空間的に完全につながっているのが見えてきますね。

■コムケア運営委員会は3人でパスタを食べました(2006年1月31日)
コムケアの運営委員会でした。
みんな忙しそうで、もしかしたら参加者はゼロかもしれないという話を橋本さんとしていたら、子育ち学ネットワーク事務局長の星野さんが来てくれました。
3人で雑談をして、食事でもしようかと思ったのですが、
コムケアセンターの事務局長監視役の橋本典之さんから、みんなに報告しないといけないので少しは運営委員会的な話をしてくださいと怒られました。
それでこれからのコムケアの展開構想を話させてもらいました。
橋本さんがきっとメーリングリストやコムケアのサイトで報告してくれるでしょう。

しかし委員は一人だけの参加です。
橋本さんが最初コムケアに関わりだした頃は、あまりにアバウトなので気になったが最近は納得できてきたと後で話してくれましたし、
星野さんは星野さんで、まあコムケアだから誰も来ていなくても驚かなかったと話してくれました。
コムケアくらい気楽でいい加減な仕組みはないでしょうね。
あまりの効率の悪さやいい加減さに違和感をもって参加してくれなくなった人もあります。
しかし、まあ人生は急ぐことはありません。
目的のために生きているわけではなく、生きること、つまり現在そのものが目的なのですから。

議事録に書ける程度の話をしてから近くのパスタ屋にいきました。
いりろな話が出ました。
今日の私の昼食は秋山さんたちと会いながら、許可を得て食べたクリームパンひとつだけだったので、とても美味しかったです。
いやこのパスタ屋はいつも美味しいのですが。すみません。

■中田京さんが松戸市市長選に立候補するそうです(2006年2月2日)
松戸市の市会議員に中田京さんという人がいます。
昔、リンカーンクラブでお会いして以来のお付き合いです。
しっかりした定見と行動力をお持ちの方です。
彼女が始めた女性議員を増やす会に始めのころ参加していました。

いまでも彼女の活動に注目しています。実際には何のお役にも立っていませんが。
彼女を中心にしたメーリングリストは刺激的です。
私は完全なROM、つまり読み手専念ですが、今回は思わず投稿してしまいました。
中田さんに恵庭市長の中島さんのマニフェストを読んでもらいたかったのです。

昨年、ご紹介した中島さんは見事に市長に当選されました
中島さんのサイトからは厳しさも感じますが、支援の輪はどんどん広がっているようです。
この数年、自治体は首長によって大きく変わるものであることを実感しています。
ですからこうして信頼できる人たちが首長に立候補するのはとてもうれしい話です。
可能な限りで応援することにしました。
ぜひ中田さんのホームページを見て、もしよろしければ支援してください。
松戸市の市長選挙は6月だそうですので、
市長選に向かってのこれからの経過が読めるはずです。

リンクのコーナーにも書きましたが、
市長になってからの中島さんの活躍と
市長選に向けての中田さんの活躍を、是非定期的にご覧ください。
地域社会の実相がとてもよくわかると思います。

ところがです。
先日お会いした田口房雄さんは、そもそも首長選挙はやめるべきだと言っています。
その理由はこうです。
・2位以下の票は当選に結びつかない死票となるため、民意を反映しない。
・政策がはっきりするほど支持は減少し、政策に対する反発は増大していく傾向にある。
・利権会派同士は首長選挙で協力しやすい。

詳しくお知りになりたい方は田口さんをご紹介しますが、私もほぼ同感です。

ではどうするか。
そこで先日書いたシティ・マネージャー制度が参考になるのです。
私もいくつかの自治体の首長とささやかに付き合ってきましたが、不幸なことに例外なく裸の王様になります、
住民の意向を代弁しているという人ほど、代弁は絵に描いた餅になりかねない現実があります。
それは当然で、そもそも住民の意向などを一人で代弁できるはずがないのです。
正確にいえば、住民の意向は多様ですから、実体がないのです。
あるのは多様な価値観と判断基準です。多様性こそが住民たちの特徴です。
となると、もし住民の意向というのであれば、比例代表制しかないのです。
これが田口さんの考えです。

ややこしいですが、私もほぼ賛成です。
直接民主制を目指すリンカーンクラブの事務局長がつとまらなかったのは、こうした多様性重視の発想から私が抜けられないからです。
もし民主主義に価値があるとしたら、それはマイノリティの尊重です。
それがない民主主義は有害無益です。
話がそれていますね。すみません。

■福は内、鬼も内(2006年2月3日)
今年も寒い節分です。
家族で手作りの恵方巻きを食べた後、豆まきをしました。
昨年も書きましたが、我が家では「福はうち、鬼は外」とはいいません
昔から「福は内、鬼も内」なのです。
なぜかは昨年の記事をお読みください。
最近の不幸続きに、今年は鬼には辞退してもらおうかと思ったのですが、やはり「鬼も内」にさせてもらいました。
どんな鬼がやってくるでしょうか。
しかし、その分、どこかにきっと福がたくさんいくでしょう。
少しは世界の平和に役立つでしょうか。

(2006年2月第2週)
恥ずかしながら、また喉をやられて風邪状況でした。2日も寝てしまいました。
馬鹿は風邪をひかないそうですが、大馬鹿者は2度風邪を引くようです。はい。
今週のテーマはコラボレーションでした。

■長唄とモダンジャズのコラボレーション(2006年2月7日)
日本での元祖コラボレーションのコラボレーション経営研究所瀬谷さん
面白工学の提唱者の東レ経営研究所渕野さんをお引き合わせしました。
いずれも何回かこのコーナーに登場していますが、いくつかの共通点があります。
企業変革や人材研修に取り組んでいること、個人を大切にしていること、などのほか、
実はお2人とも「コラボレーション」を楽しむ趣味をお持ちのことです。
その趣味は長唄とジャズです。
今回は2つの研究所でのコラボレーションによって、何か新しいプロジェクトが生まれないかという思いでのお引き合わせでしたが、
長唄とジャズの話がとても面白かったです。
渕野さんはライブセッションでピアノを演奏しているのですが、
ジャズは基本的にアドリブですから、その時々でお互いを刺激しあいながらの即興を楽しんでいるようです。
まさにコラボレーションの世界です。
瀬谷さんの長唄も年季が入っていますが、長唄もたとえば三味線との駆け引きの中で、コラボレーションを楽しむのだそうです。
音楽は本来的にコラボレーションの要素を含んでいますが、いずれもどうも趣味の世界でもコラボレーションの達人のようです。

お2人の話を聞いていて、多様な人を組織する経営においては、長唄やジャズから学ぶことがたくさんあることに気がつきました。
2人のコラボレーションからどんなプロジェクトが生まれるか楽しみです。
しかし、その前に、ジャズと長唄のコラボレーション・ライブを企画したらどうだろうかと思いました。
2人に提案しましたが、流されてしまった感じでしたが、面白いと思いませんか。

今週は「コラボレーション」議論からスタートになったせいか、コラボレーション話題が多かったです。

■住民たちの生活のコラボレーションテーマとしてのごみ問題(2006年2月7日)
そこで働く人にとって、自慢できるようなごみ処理施設をつくることを応援したいと、
長年、全国各地のごみ処理施設建設に関わってきたのが、佐藤和美さんです。
実績もありますし、ともかくその仕事が好きなのです。
その和美さんの思いにほだされて、ごみ焼却場プロジェクトに取り組む主の首長を和美さんと引き合わせたのですが、
半年以上経過しますが、残念ながらうまく進みません。

一度、それも含めて、ごみ焼却場問題に関する意見交換をすることになりました。
主なテーマは「ごみ焼却場は迷惑施設かどうか」です。
これは刺激的なテーマですが、問題設定の段階ですでに問題があるかもしれません。
ごみという言葉自体にマイナスイメージがあるからです。
和美さんは「大きな囲炉裏端」にしたいと考えていますが、どうもまだ迷惑施設観から抜け出ていないのではないかと私が挑発したのです。
とても面白い議論を楽しませてもらいました。

内容はあえて書きませんが、こうした議論をきちんとしてくれれば、今のごみ処理施設は全く違ったものになるでしょう。
残念ながら、私はまだそういう思いを持っている人に出会ったことはありません。
私自身は、ごみは最高の地域資源だと思っています。
ごみがエネルギーの源になるというような意味の資源ではありません。
そこに生活と文化が集約されるからです。
ドイツではゴミという概念が見直されたと聞いています。

そう考えれば、ごみ処理施設への取り組みは全く枠組みが変わってきます。
住民のコラボレーションを育てる格好のテーマなのです。
そこに気づかないのはとても残念な話です。
どこかの自治体でそうしたプロジェクトに取り組むところはないでしょうか。
ぜひ引き受けたいプロジェクトです。

■住民たちのコラボレーションこそがコミュニティケアの本質(2006年2月7日)
コムケア活動のよき理解者であり、アドバイザー役の木原孝久さんは住民流福祉の元祖です。

前にも書きましたが、住民流とNPO流とは違うのだといいます。私も同感です。
しかし、私の住民流理解はまだ甘いと言うのです。まだ彼の免許皆伝はもらえません。
私はNPOにも当事者NPOが増えているので、住民流と接近していると説明するのですが、木原さんはなかなか認めません。
なにしろ彼は「元祖」ですから、そう簡単には納得しないのです。

そこで、今度改めて、住民流福祉とNPOとのコラボレーション・イベントを木原さんと一緒に開催することにしました。
今日はその打ち合わせでした。
ところが、木原さんの地域力プロジェクトの話に乗せられてしまいました。
もちろん「住民流地域力」です。
沖縄でその活動をしてきたところなので、木原さんは極めてホットでした。
その話で議論が弾んでしまい、肝心のイベントの話をする時間がなくなってしまいました。
2時間半も話していたのに、です。困ったものです。

ところで、この「住民流地域力」構想はとても魅力的です。
これを全国に広げていこうという点で、なぜか合意してしまいました。
しかし、我々2人では大変です。そこで研究会を発足させることにしました。
その研究会の呼びかけも兼ねて、イベントを開催したらどうかということになりました。
まあもう一度議論しなければいけまないようです。

いずれにしろ、住民流とNPO流のコラボレーションが始まるかもしれません。
その前に、木原さんと私のコラボレーションが必要ですが、2人とも思いが強すぎて、その上、わがままなのでいささかの心配はあります。
だれか間を持ってくれる人はいませんか。
とても面白いプロジェクトになると思うのですが。

■グレート・コラボレーションを目指す民のプロジェクト(2006年2月8日)
今週はなぜかコラボレーション・ウィークなのですが、これはまた不思議な人が鳥取からやってきました。
株本正貴さんです。名刺によれば、ホリスティック心理カウンセラーです。
出会いのきっかけは、ゲゼル研究会のメーリングリストです。
そこに株本さんが「民のプロジェクト」の話を投稿したのです。

「民のプロジェクト」とは、住民主役の話し合いの場を全国に創出し、
そのつながりの中から歴史を変えていこうという壮大な構想です。
コムケアやコモンズの回復につながっています。
そんなわけでメールの交流が始まりましたが、今回、初めてお目にかかることができました。

話しているとかなり思いが重なっていることがわかりました。
株本さんの本業の、ホリスティック・カウンセラーの「ホリスティック」には、
いわゆる全体論的なホリスティックという意味に加えて、地域社会のカウンセラーという思いも込められているようです。
まさに住民流福祉にもつながる発想です。

まだ具体的なグランドデザインがないようですので、
そのあたりを意見交換しましたが、ここで少し違いがでてきました。
方法論の違いは、結局は体験の違いなのかもしれません。
平和への結集のその後の動きを見ていると、それを強く感じます。

ところで、なにやら不思議なのですが、最近、こうしたプロジェクトが毎週のように持ち込まれます。
すべてにコミットしていると破綻しますが、何かすべてが共通しているようなのです。
このシンクロニシティには抗せずに受け入れようと考えています。

さまざまなプロジェクトや思いのコラボレーション、そんなことが起きたら面白いと思います。
しかし、それは膨大なエネルギーが必要なようです。
株本さんの「民のプロジェクト」が目指すのは「グレート・コラボレーション」だそうです。
現在、株本さんは構想を本にまとめています。発表されたら皆さんにもぜひご案内します。

■地域に生み出す新しいチカラ(2006年2月10日)
東京都社会福祉協議会の森玲子さんがやってきて、ついついその企画に参加ししまうことになったことは前に書きました。
結局、「社会福祉新時代 当事者とともに切り拓く 地域に生み出す新しいチカラ」というテーマの、
パネルディスカッションに参加することになったのです。
その案内はすでに同協会のサイトに告知されていますので、興味のある方は見てください。

パネリストとコーディネーターが魅力的です。
といっても私はみんな初対面の方たちです。
それなのになぜ魅力的かといえば、今日、みんなで顔合わせもかねてのプレミーティングが行われたのです。
そこで話をしていて、みんな実に魅力的な活動に取り組まれていることが伝わってきました。

まずNPO法人さなぎ達の理事の谷津倉智子さんは、
横浜の寿町で「ドヤ」を「ヤド」に転換しながら、寿町のまちをみんなの暮らしやすい町にしていこういという活動に取り組んでいます。
そのためのソーシャルベンチャーも起こしています。Funnybee株式会社です。
さなぎ達は有名なNPOです
2つのサイトをぜひ見てください。
ちなみに、寿町は、山谷、釜ヶ崎と並ぶ日本三大寄せ場の一つです。
ここには、ドヤという簡易宿泊所が並び、ホームレスを含む7,000人前後の人が暮らしています。
日本でもこうした活動が進んでいることを知れば、社会の見方も少し変わるでしょう。
英米にはこうした活動がいろいろとありますが、日本はきっとこれからでしょう。

もう一人のパネリストは、小田原に本拠がある高齢者総合福祉施設潤生園の時田佳代子さんです。
地域密着型の活動に取り組んでいますが、時田さんの発想が実にやさしいのです。
潤生園に関わる前は、なんとピザハウスを4店舗も経営していたのです。
ですからきっと「措置時代の福祉」の世界の常識から自由なのです。

そしてコーディネーターは神奈川県立保健福祉大学の谷口政隆教授です。
最近は地方自治と市民に関心をお持ちだそうですが、発想が極めて柔軟で話が楽しいです。
それにしっかりと現場を体験されている研究者であることが伝わってきました。
私も入れて、三者三様の思いを、きっと谷口さんがコラボレーションさせてくれるでしょう。

私はいまの社会福祉協議会にはあまりいいイメージを持っていないのですが、
こうしたメンバーでのフォーラムを企画してくれた森さんに感謝しなければいけません。
皆さんもよかったら参加してください。3月14日です。

■狂言とフィルハーモニーのコラボレーション(2006年2月10日)
長唄とジャズのコラボレーションはまだ面白いのではないかという思いつきだけですが、
今日は狂言とクラシックのコラボレーションの舞台を見せてもらいました。
能狂言師の茂山千之丞一門と京都フィルハーモニー室内合奏団とのコラボレーションがサントリーホールで開催されました。
とても面白かったですが、コラボレーションの魅力と共に、その難しさを改めて感じました。
同時に場所の大切さも感じました。

異文化のコラボレーションは、それだけでも十分に魅力的で、ワクワクします。
当のコラボレーターたちが、実に楽しそうで、その気分のおすそ分けももらえます。
今回は京フィルのベース奏者が実にユーモラスで、会場を沸かしていました。
大ホールなので、狂言の声の通りが少し良くなかったのが残念でしたが、茂山一門のしぐさはそれだけでおかしかったです。

コラボレーションは文化を豊かにします。

■ヒポクラテスの会は少しずつコラボレーションが始まりました(2006年2月11日)
4月に公開フォーラムをという目標で始めたヒポクラテスの会の2回目のミーティングです。
私と同じく体調を崩された方が多く、参加者は少なかったのですが、
新たに半田智久さんと太田麻美さんが新たに参加してくれました。

フォーラムで何をやるかが今回のテーマだったのですが、議論はさまざまに展開しました。
喉をやられていたので、できるだけ話すまいと思っていたのですが、ついつい話してしまいました。
喉の炎症はなかなか治まりません。困ったものです。

宮崎さんが、コミュニケーションをテーマにしたいと提案しました。
たとえば患者は、医師に本当は何を話したいと思っているのか、患者同士で何を話したいと思っているのか、
そのあたりを話し出すことから気楽な話し合いをしていき、病院におけるコミュニケーションの問題を考えていきたいというわけです。
患者の立場からの発想に、宮崎さんのこれまでの取り組みや生き方が感じられます。

猪岡さんは、病気をした人はどうして闘病記を書く気になるのだろうか、その気持ちを聞いてみたいと言い出しました。
私には明々白々に思えることですが、しかし考えてみると、これも実に面白い発想だと思います。
私は、患者として病院に何ができるかを考えたいと、いささか理屈っぽい提案をしました。
これからの病院(に限らず、学校や役場もそうですが)は、
患者も含めて、地域社会の住民たちでコラボレーションしていかなければいけないというのが私の認識なのです。

こうした問題提起から話はさまざまに展開しましたが、例によって、特段結論が出たわけではありません。
結論が出たのは、宮崎さんが事務局長を引き受けることになったことです。
次回はそろそろフォーラムの具体的なプログラムを決めないといけません。
3月9日か10日が次回の集まりです。
ご関心のある方はぜひご参加ください。メーリングリストへの参加も可能です。

(2006年2月第3週)
風邪が尾をひいています。それにしても長い風邪です。
前半はほぼ完全ダウンです。
寝ているのも退屈なので、映画を観にいきましたが、これもよくなかったです。
トリノオリンピックも夜更かしの原因でした。

■谷和原村「城山を考える会」の集まり(2006年2月12日)
CWSプライベートに書きましたが、茨城県谷和原村の住民の集まりに誘われました。
里山と谷津田を活かしながら、新しい地域社会づくりに取り組みたいというグループが立ち上がりつつあるのです。
詳しくはCWSプライベートをお読みください。

まちづくりグループの原型の誕生に立ちあっている感じです。
住民たち7人に、行政の若手職員2人、それに私ともう一人の部外者2人、という11人が集まって、
この会をどう発展させていくかなども話しながら、「たぬき汁」をみんなでつつく会でした。
場所は里山の空き地に、みんなで建てたインディアンテントの中です。
すべて手作りです。

城山はとてもいい立地であり、自然環境資源も豊かです。
その気になれば、持続可能なコミュニティビジネスも成功するでしょう。
ただ立地が良すぎて、商業主義に絡めとられる恐れがあることです。
行政がこの一画を買い上げ、あるいは地権者たちが資金を出し合って、
住民主導で環境調和型の開発をすれば、経済的にも十分成り立つ展開ができるはずです。
しかし、それが難しいのです。
近隣の住民の多くは農業を営んでいますが、これまでの農業発想に慣れていますから、新しい発想での取り組みには関心を示さないでしょう。
それに持続可能なコミュニティビジネスは、今のビジネスと違って、そうは儲からないのです。
しかし、仕事の喜びは全く違うはずです。一度、経験したらきっと半数の方はのめり込むのではないかと思います。

それをどう経験させるか。
そのノウハウと情熱が今の行政にはないのです。
谷和原村の行政という意味ではありません。
私が関わらせてもらった、どこの行政も、です。
もちろん主役は住民です。
谷和原村のこの集まりが、どう育っていくか、実に楽しみです。
何しろ今のメンバーが素晴らしいですから。
今回飛び入りしたもう一人の部外者もきっと仲間になるでしょう。
唐崎さんといいますが、きっとまたこのコーナーに登場すると思います。
私もゆるやかに関わり続けていくつもりです。

■有頂天ホテル(2006年2月14日)
三谷幸喜さんの話題の映画です。
下敷きは言うまでもなく「グランドホテル」です。
私の好きなスタイルです。
この分野の映画では、私は「予期せぬ出来事」が好きでしたが、あれ以来のホテルものです。
風邪で体調が悪かったので、大笑いしたら風邪が治るだろうと思ったのです。
女房と一緒に行きました。

風邪のせいかちょっと期待はずれでした。
いかにも三谷風で、面白いのですが、やや話の流れがちゃちでした。
いや風邪のせいかもしれません。笑うところで咳が出そうになるのも敗因でした。

それと同時にやや恐ろしいことに気がつきました。
比較的若い女優の顔の区別がつかないのです。
そのため、ある人がある人だと気づくのに時間がかかってしまって、落ちが読めなかったりするわけです。
私は今でもサルの顔はあまり見分けがつきません。
犬もそうですが、ウェストハイランドホワイトテリーだけは比較的顔の表情がわかり、見分けられます。
我が家のどら息子がその種類の犬のおかげです。
関心がないと顔の違いがつかなくなりがちです。

つまり、私にとっては、いまや女性とサルは、ほぼ同程度の関心の対象だということになります。
さてこれをどう考えるべきでしょうか。

■「軍縮問題資料」はやはりいい本です(2006年2月15日)
今日も体調が優れず、自宅謹慎していました。
外に出かけると必ず誰かと議論してしまい、喉が治らないのです。
今日、やったことは「軍縮問題資料」3月号を隅から隅まで読んだことです。
やはりこの本はとてもいい本です。
まだの方は是非購読してください。
何回も書きましたが、私の一番の愛読書です。

今月の最初の論文は小林直樹さんの「改憲運動とどう向きあうか」です。
小林さんは憲法学者ですが、私が大学で学んだ中で一番熱心に出席した先生です。
小林さんの憲法論は実に魅力的でした。今でもその教科書だけは捨てずに残しています。
この小論を読むだけでも、この雑誌を講読する価値があります。

続いての特集は、「米軍再編・現地からの闘い」です。
沖縄からの報告に、お笑いプロデューサーの山城智二さんの「基地を笑え!お笑い米軍基地」への思いが引用されています。
それに感動しました。
この文章を読めば、きっと沖縄へのイメージは変わります。
立川の反戦ビラ入れ事件の報告を読めば、このまま行ったら80年前の日本に戻ってしまい、
言論の自由などなくなると思うことが、決して荒唐無稽でないことを実感するでしょう。
その時に小泉首相を賞賛していたことを悔やんでも、もう遅いことは間違いありません。
なぜ人は同じ過ちを繰り返すのでしょうか。
フィリピンの恐ろしい話もなかなか新聞やテレビでは知りえない話です。
酒井啓子さんの「イラクに関する九つの誤解」も是非多くの人たちに読んでほしいです。

いずれも内容を要約したいと思ったのですが、やはり本誌を読んでもらうのがいいです。
まだの人、私のホームページなど読まなくていいですから、是非毎号、定期購読してください。
購読はこのサイトから申し込めます。
それだけの価値があります。自分と子どもたちの幸せのために。

■トップ人材の育成と社会人基礎力の話(2006年2月16日)
第6回目の次世代人材育成研究会でした。
ちょっと体調不振でしたが、家にいるほうがいろいろとやってしまうので、出かけることにしました。
発言しまいという決意の元に。
今回はこの研究会の提言の骨子を議論するのがメインテーマでしたが、その前に二つの報告がありました。
いずれもとても面白かったです。やや特殊な意味で、ですが。

まずは「自主性・創造性の高い人材育成と教育のあり方」で、産業医の海道昌宣さんのお話を聴きました。
フロー理論に基づいて、経営者の研修などにも取り組まれているそうです。
とても示唆に富むお話でした。
しかし、以前、この委員会でジョイオブワークの話を聞いた時にも感じたことですが、やはり「価値観」が見えないのです。
私の理解力不足かもしれませんが、最近の研修理論にはほとんど価値議論が抜けています。
そこでついまた発言してしまいました。
そこにいささかの不安を感じますが、海道さんの話自体には共感できるところがたくさんありました。

次に経済産業省の参事官が「社会人基礎力に関する研究会」の中間取りまとめの報告をしてくれました。
霞ヶ関や有識者たちの考えることが伝わってきて、これも面白かったです。
それにしても「社会人基礎力」という言葉は笑ってしまいます。
命名者の社会性のなさが良くわかりますね。
これに関してはブログにも書きました
社会人というのもおかしな言葉ですが、報告書の定義によれば、社会人基礎力とは
「組織や地域社会の中で多様な人々とともに仕事を行っていく上で必要な基礎的な能力」
だそうです。
「仕事」をしていく能力です。最近流行の言葉で言えば、協働能力です。
要するに民として生きる能力です。
そう考えると実にこれが最近の戦争国家に向かっている政治状況と軌を同じくしているのがわかります。

考えすぎでしょうか。
そうでもないことは、きっと10年もたたずして自明のことになるでしょう。
そうならないために、みなさん、「軍縮問題資料」を購読しましょう。はい。

■転身した宮田さんは消費者論にも取り組みます(2006年2月17日)
宮田穣さんが20年勤めたベネッセを退社し、大学の先生に転身しました。
宮田さんとはベネッセのプロジェクトに関わらせていただいた時以来のお付き合いですが、
企業と社会との関係をテーマに大学院で学び、博士号を取得されました。
私がやめた後の広報学会でも活躍されていますし、コムケアの応援もしてくれています。

その宮田さんが久しぶりに訪ねてきてくれました。
宮田さんは自らの人生を自らで切り開く生き方をしているばかりでなく、とてもバランスの取れた生き方をしています。
宮田さんの「転進のご挨拶」にはこう書かれています。

私にとって、今回の転進は「人生三毛作」の第3フェーズ(自由人としての20年余りの予定)の始まりと勝手に位置づけています。
これからは個人として、社会に対して何ができるのかを考えつつ、多様な方々や組織とコラボレーションし、
微力ながらサステイナブルな社会づくりに尽力していきたいと考えています。


大学では、「環境経営論」「消費者論」「NPO論」を教えるそうです。
「消費者論」。これに私は一番期待したいと思います。
宮田さんとも話したのですが、「消費者論」は1980年代に少し動きましたが、その後、新しい発想は出てきていません。
産業論や経営論、あるいは「生活者」論に飲み込まれた感じがします。
私もヒーブや消費者アドバイザーなどと少し関わらせてもらいましたし、ヒーブの大会にも参加させてもらいましたが、
その打ち合わせの時に感じたのは、パラダイムを変えられずに今までの産業システムの延長にある集団でした。
存在価値は余り感じられませんでした。
その最初の始まりには大きな期待を持っていたのですが。
せっかくの新しい動きだったにもかかわらず、今のような産業システムのサブシステムになってしまったところに彼らの無力感も感じますが、
改めて消費者の意味や役割を再構築する時期だと思います。
宮田さんの発想は、極めて多様な視野をもちながらの「社会起点」です。
どんな消費者論が生まれるか、とても楽しみです。

企業コミュニケーション関係の講演や仕事もやっていきたいといっています。
もし何かあればぜひ彼に相談してください。
彼の人柄と知見の確かさは私も保証できます。
私も宮田さんと何かコラボレーションできないか、考えたいと思います。
私も今年は企業の仕事を本格的に再開する予定です。

■もうひとりの転身者、菅野弘達さん(2006年2月17日)
体調を崩していたので、1週間以上、本郷のインキュベーションハウスに顔を出しませんでした。
久しぶりに顔を出したら、菅野さんがいました。
菅野さんはインキュベーションハウスのメンバーですが、
先月会社を辞めて、今月からインキュベーションハウスを本拠にして、仕事に取り組むことになりました。
これでインキュベーションハウスもいよいよ本格的に動き出しそうです。主役の登場です。

インキュベーションハウスの呼びかけ人は私なのですが、呼びかけ当時とその後の参加者の事情はかなり変化しており、これまでも紆余曲折がありました。
私の甘い構想を、一貫して元気づけてきてくれたのが菅野さんです。
インキュベーションハウスを呼びかけて巻き込んだ人たちには、私は少し責任を感じているのですが、菅野さんをはじめ、みんな、私を元気付けてくれます。
改めて人のつながりは金銭には換えられないと思います。
組織で仕事をしているとなかなかわかりませんが、個人で仕事をしていると、人のつながりの大切さが良くわかります。
インキュベーションハウスは、人のつながりに関する一種の保険かもしれません。

菅野さんとは実に長い付き合いです。
たぶん東レ時代からですから、20年近くになります。
20代の若者だった菅野さんも、いまや私が東レを辞めた歳になり、実際に会社を辞めてしまいました。
菅野さんとのコラボレーションも、今年は実現しそうです。

■取材に来た小宮山理子さんは取材できたでしょうか(2006年2月17日)
千葉県NPO情報誌「さぁ!NPO」というのがあるのですが、そこの編集を引き受けているのがNPOテラスあびこです。
そのテラスあびこの小宮山理子さんが取材に来てくれました。
小宮山さんは、私のホームページをよく読んでくださっており、話は多岐にわたったために、話が広がってしまい、記事にまとめられるかどうか心配です。
まあ、それはともかく、とても面白かったです。
もっとも、面白かったのは小宮山さんの話なのです。
逆取材してしまったわけです。

小宮山さんは我孫子市の住民ですが、それ以外にもいろいろと接点がありました。
組織の中で生きている人と組織を使いながら生きている人との世界の違いは大きいです。
どちらの世界が広いかは人によって違いますが、多様性という点ではおそらく後者のほうが幅があります。
それに後者に属する人たちは、組織としてではなく個人としてのつながりが多いのが大きな違いです。
そのために、後者に属している人同士のつながりは意外と重層的なことが多いのです。

小宮山さんは、私がどこかに書いていた「表情のある個人のつながり」という言葉に共感してくださったようですが、社会を形成しているのはさまざまな表情です。
決して「基礎力」などではありませんし、単なる「コミュニケーション力」でもないでしょう。
表情のある人であればこそ、コミュニケーションが成り立つのです。
学者や狭い世界の有識者には、そのことが理解できない人が多いのです。
現場の人のコミュニカビリティに勝るものはありません。
人は言葉ではなく、現場でつながるものなのです。
取材を受けるといつも世界が広がります。
うれしいことです。


■社員の幸せと会社の業績は比例か反比例か(2006年2月17日)
KAE第38期生の「企業文化」をテーマに取り組んでいるチームが意見交換にやってきました。
すでに前半の活動を終了し、とてもいい学びを重ねているようで、中間報告会でも評価は高かったそうです。
私もその発表の資料を見せてもらっていますが、地道によく考えまとめています。
しかし、私はそういうことに全く興味がないのです。
困ったものです。
私の興味は、メンバーの体験知から出てくる独断的なメッセージなのです。

実はこのチームは、そういう意味でも実に面白いメンバーがおり、最初から刺激的な議論をしていました。
チーム活動は少し変わったノイズ役がいると面白くなるのですが、まさにそうした人がいるのです。
異色なメンバーは何人かいます。面白いチームなのです。
その面白さがまとめた資料には出ていません。
それが不満です。

今日はそんなわけで、まとめの議論よりも雑談に終始しました。
雑談の中にこそ、真実があるのです。
とても面白かったです。
このチームの関心は「社員の幸せと会社の業績」をつないでいく企業文化です。
こうしたつながりを支援する企業文化は企業を強くします。
しかし残念ながら、最近の企業はそうなっていないような気がします。

それどころではありません。
かつては「企業業績と社員の幸せは正比例」関係にありましたが、1990年代に入り、大企業ではその構図は完全に壊れました。
いまや「企業業績と社員の幸せは反比例」になっています。
業績最高のトヨタやキャノンの社員のメンタルケア状況を調べてみれば、それが理解できるでしょう。
そこにこそ、現在の企業の最大の問題があります。

私の経営論の「経営は愛と慈しみ」を理解してくれる経営者が出てきてほしいものです。
そろそろ私にも仕事の注文が来てもいいはずですが、なぜかどこからも来ないのが残念です。

(2006年2月第4週)
先週の週末、「自宅謹慎」したおかげで、風邪が完治しました。
いろいろな人から、風邪は休めということだとメールをもらいましたが、それに乗ってこの2週間、本当にゆっくりとすごしました。
この記録を読むといろいろとやっているではないかと思われそうですが、過去2週間、実によく眠り、よく弛緩しました。
今週のテーマは、仕組みの大切さです。

■報告書を活かす仕組み(2006年2月21日)
機械振興協会経済研究所が事務局になっているCSR研究会があるのですが、
その委員会の委員長をしているのがクリエイティブマネジメント研究所所長の井口哲夫さんです。
その報告書を井口さんが中心になってまとめているのですが、この種の報告書はなかなか読まれないのが現実です。
読まれなければ、社会への影響も出てきません。
そこで委員長の井口さんは新しい報告書のスタイルを考えました。
今日はそれに関する意見交換だったのですが、実に斬新で効果的なスタイルです。
まだ具体的には発表できませんが、うまくプレスリリースできれば話題になるでしょう。
しかも井口さんは、その後の発展プログラムも考えています。

なにしろ井口さんは日本創造性学会の理事でもあり、
創造性開発に関しては造詣が深く、自らの創造性開発メソッドももっています。
ここで具体的に発表できないのが残念ですが、発表されたらまた紹介します。

報告書のスタイルはもっと真剣に考えるべきですね。
私もいくつかの研究会などに関わってきましたが、報告書など誰も読まないという思いからほとんど関心がなかったのですが、大いに反省させられました。
報告書のスタイルはもっと真剣に考えるべきですね。
報告書はアウトプットではなく、新しい物語のプロローグでなければいけません。
いつもそう思っているにもかかわらず、これまで真剣に報告書を活かす仕組みを考えたことがありませんでした。
井口さんは今回、それを見事に創案したのです。
この報告書の発表が楽しみです。

■インキュベーションハウスの事業開発(2006年2月21日)
インキュベーションハウスとしての新しい事業への取り組みに関して、話し合いをしました。
今回の主役は菅野さんです。
菅野さんが自らの資源を棚卸して、いくつかの事業案を提案してくれました。
いろいろと面白そうなテーマがあります。

時に人生を立ち止まって、自らの活動を整理してみるといろいろと新しい風景が見えてくるものです。
しかし、忙しい現代人はなかなかそれができないのです。
気がついてみると引退時期、などということも少なくありません。

企業によってはリフレッシュ休暇制度で人生の見直しを勧めているところもありますが、
それで人生を変えてしまった人もいますが、単なる休暇で終わってしまうことも少なくないようです。
たぶん仕組みが悪いからです

一時期、ライフプラン研修などという定年後の人生を支援するプログラムが流行りました。
これも考えてみるとおかしな話です。
仕事に真面目に取り組んでいると、会社を離れた時の人生がうまく展開できなくなるとしたら、それは今の働き方に問題があるのです。
ここにも近代産業システムに内在する「つながりこわし」の原理が働いています。

最近、国際労働機構(ILO)の問題提起で、ディーセントワーク(労働の価値)が問題になりだしていますが、
この「つながりこわし」原理にまで視野を広げない限り、問題解決は難しいでしょう。

今回の菅野さんの提案してきた新事業案の多くは、そうした「仕組みづくり」に関わるものでした。
私もいくつかの宿題をもらいました。
これまでとは違った仕組みを生み出す事業を企画したいと思っています。

■パオッコがオフィスの仲間になりました(2006年2月21日)
先日の朝日新聞に、遠隔地介護のことが大きく取り上げられました。
2月5日のNPO法人パオッコが主催した企業とNPOのコラボレーションフォーラムのことが内容の中心でした。
パオッコはコムケアの仲間なのですが、ささやかに支援しているものとしてはこうした記事が出るととてもうれしいです。

今度、パオッコが事務所を本郷のコムケアセンターと同じところに移すことになりました。
このオフィスは昨年からインキュベーションハウスが中心になって管理することになったのですが、
NPOやソーシャルアントレプレナーなどのシェアドオフィスを目指しています。
現在はコムケアセンターを含めて、6つの会社やNPOが参加しています。
まだ余裕がありますので、ご関心のある方はご連絡ください。
デスクが必要の場合とデスク不要の場合とで負担費用は異なりますが、
単なるオフィスのシェアだけではなく、メンバーのつながりや相互支援関係を大切にしています。
オープンオフィスですので、人間としての信頼関係がないとやっていけませんので、複数の参加者の共感が参加の条件です。
インキュベーションハウスも現在は社員に若干の余裕がありますので、入社歓迎です。これはワーカーズコレクティブです。

ところで3月からパオッコがメンバーになりますが、これはかなりの変化です。
なにしろこれまでのメンバーは男性中心のグループでした。
パオッコは女性中心のグループです。このことがどういう影響を与えることになるか興味があります。
またパオッコはまだ事業型NPOとは言いにくい段階ですが、活動は事業性をかなり持っているように思います。
インキュベーションハウスのメンバーとパオッコの活動のコラボレーションで、新しい事業モデルが開発できればとも思っています。
遠隔地介護の仕組みもこれから少し勉強していくつもりです。

■コムケアが活発に動いています(2006年2月21日)
久しぶりにコムケアセンターの橋本さんと打ち合わせしました。
長風邪でしばらくゆっくりと相談したことがなかったのです。
コムケアのイベント支援助成プログラムの関係で、各地で様々なイベントが動き出しています。
本来はそのすべてに関わりたいのですが、なかなかそうもいきません。
イベントの案内や報告はコムケアセンターのサイトで紹介されますので、ご関心のある方はお読みください。

最近、コムケアの運営委員会を開いていないので、今は橋本さんと私の2人が中心で動いていますが、
私がダウンしていたため、橋本さんに依存してしまっていました。
メールという手段があるので、何とか動き続けていますが、メール手段がなければコムケアの活動はこうも広がらなかったでしょう。
インターネットは事業や運動に大きな影響を与えています。

久しぶりだったので、話はいろいろと広がりましたが、最後に介護保険制度の話になりました。
橋本さんは全国マイケアプラン・ネットワークのメンバーでもあるのです。
その関係もあって、さまざまな集まりや講演会などにも参加しています。
最近はマイケアプランの関係で自らも講師として活躍し始めています。

その橋本さんが介護の世界を全体として考えている人が少ないのではないかと問題提起したのです。
このままではケアマネ難民が増えていくという話も出始めているようです。
4月からの介護保険制度の改定はさまざまな問題を引き起こしていますが、
その問題を考えていくと結局、だれも得をする人がいないと橋本さんはいうのです。
もちろん国庫支出は減るでしょうが、ケアマネージャーも利用者も、制度運営を任されている市町村も良いことはなく、
結局、ケアマネージャーを確保できない利用者(ケアマネ難民)が増えていくのではないかという危惧です。
後で、ネットで調べてみたら、ケアマネ難民は大きな問題になりそうな気配なのですね。

制度には役割があります。
そして、制度改定は現在の問題を改善するものでなければ意味がありません。
しかし制度に関わる人たちの立場はさまざまです。
どの視点から「改善」を評価するかで全く方向は変わってしまいます。

財政面での支出を減らすことは財務省にとっての改善でしょうが、
それによって制度利用者に不都合が発生すれば、利用者にとっては決して改善ではありません。
介護保険制度の改定は利用者視点で行われているはずですが、現実はどうもそうはなっていないのです。

実はこれは制度改定に場合のほぼ必然的な傾向です。
なぜそうなるかといえば、「利用者」はさまざまな立場と価値観を持っていますから、一括りではまとめられない抽象概念だからです。
これは制度設計の基本思想に関わる問題です。

介護問題をどうするかは、実は高齢社会の生き方をどうするかの問題です。
個別問題の解決ではなく、全体の仕組みを再構築しなければいけないのかもしれません。
そういう視点に立った制度評価をもっと進めていくことが必要なのでしょう。

■日本経営道協会の市川覚峯さんと久しぶりにゆっくり話しました(2006年2月22日)
経営コンサルタントとして活躍していた市川さんが、
企業の経営者にはしっかりした哲学と信念を踏まえた「経営道」をしっかりと身につけてもらいたいという思いから、
経営道フォーラムを立ち上げたのはほぼ20年前です。
その思いに共感して、当初から関わってきたのですが、残念ながら最近の企業は市川さんに思いとは反対のほうに向かっているようです。
そのことは、私にとってもとても残念なことです。

市川さんは、現在は日本経営道協会を主宰し、多彩な活動を展開しています。
詳しくは日本経営道協会のホームページに出ていますが、そのそれぞれは魅力的なのですが、
必ずしも構造化されていないために市川さんの本当の思いが具現化されにくいのかもしれません。
もしそうならば、とても残念な話です。
もしかしたら、市川ビジョンを実現するためのグランドデザインが関係者に共有化されていないのが問題かもしれません。
そういうところは、コンセプトデザイナーとしての私の出番なのです。
全体の仕組みを再構築する必要があるかもしれません。
忙しい時代には、どうしてもそうしたことがおろそかになりがちです。

来月から久しぶりに日本経営道協会に少しコミットしようと思います。
その関係でまたいくつかのプログラムのご紹介やお誘いをすることになるかもしれませんが、よろしくお願いします。
実に魅力的なプログラムも少なくありません。
もし関心を持ってもらえたらご参加ください。

■企業とNPOと社会のトリプルウィンモデル(2006年2月22日)
企業とNPOのコラボレーションをどう実現し、発展させたらいいか。
これは結構難しい話です。
両者の文化や言語が違う上に、そこから来る一種の先入観的アレルギーがあるからです。
しかし、文化や視点が違うからこそ、コラボレーションする意味は大きいのです。

最近これをテーマにコラボレーション経営研究所の瀬谷さんと議論する機会が増えました。
そして議論するたびに新しい発見があります。

今回は、実質的な企業とNPOのコラボレーションを進めて行くために、具体的なコラボレーション・モデルを見えるようにしないといけないことに気づきました。
これまでの事例を集めて整理してみようかと思います。
企業にも、NPOにも、そして社会にも価値を生み出すトリプルウィンモデルを創出できればと思います。

関心のある方はぜひご一緒しませんか。ご連絡をお待ちします。

■胃がん検診(2006年2月23日)
会社を辞めた時に、健康だけは注意しようと毎年人間ドックを受診することにしたのですが、いつの間にかいかなくなってしまいました。
還暦を過ぎてからは、まあ何があってもいいかという開き直りもあり、
それに女房よりも早く人生を終わりたいという願望もあって、ますます人間ドックへのモチベーションが持てないのです。
それに5年前に人間ドックを受けた時には4つがDで、1つがCでした。
Dが確かかなり問題ありでしたが、結局、いずれも精密検査せずに4年がたってしまいました。
問題が発見されても再診に行かず、それでも何とか健康なのですから、人間ドックとは何なのだろうかと言う気がしないでもありません。
それに一度、精密検査で胃カメラを飲んで2週間おかしくなったこともあるのです。

しかし、女房からも厳しく受診を勧められるので、今日は市の胃がん検診に行きました。
これだと600円で済むのです。
最近、かなり貧乏なのですが、600円くらいならコーヒーを一度我慢したら済む話です。

初めての市の検診でしたが、感動しました。
今日はたぶん200人くらいの人が受診したと思いますが、保健センターのスタッフの見事な対応ぶりに感動したのです。
人間ドックでのあの非効率ぶりは何だったのかと思います。
まだまだ病院は改善余地が大きいです。

もっとも能率的であればいいわけではなく、受診者が安心できる仕組みも必要ですが、それにも感心しました。
待っている時間にスタッフが話しかけたり相談に乗ったりしているのです。
まだ十分とはいいませんが、かなり好印象をもちました。
人間ドックよりもこちらがいいですね。
それになにしろ600円なのです。
民営化などはしてほしくありません。
しかし、きっとこうしたことも民営化されていくのでしょうね。
何しろ日本人は民営化好きですから。
私が生きている間は民営化してほしくありません。
国鉄も郵便局も電話もみんな悪くなりました。民営化はもう十分です。

ところで、胃がん検診で15%の人が再検査になるそうです。
行政の胃がん検診など役立たないという人も多いです。
しかし、私の女房はこれで一命を取り留めました。
国民健康保険にも入れない人が増えてきている時代です。
せめて健康診断だけは誰でもが受診できる仕組みを残しておいてほしいです。

こうした600円受診も受けられない人も少なくないでしょう。
そうした人たちをどうするか。
そのためにこの受診料をせめて1000円にして、受診者の枠を広げられないものでしょうか。
そうしたことを考えることが民営化以上に大切なことではないか。
こんなことを待ち時間に考えさせられました。
もしお時間があれば、前に書いたブログをお読みください。
「死のうが生きようがご自由にという宣告」

■仕事の打ち合わせになったオープンサロン(2006年2月24日)
今日はオープンサロンです。
東京は夜から雪になるという予報もあり、今日は参加者があるだろうかと思いながら女房と二人で待っていました。
7時半を過ぎても来客はありません。
2人でオリンピックのフィギュアをテレビで見ていましたが、何かわびしい気分です。

女房が、自家営業の人は毎日こんな気持なのかしらと言い出しました。
オープンサロンの場合は、参加者がなくても何の不都合も起きません。
しかし、それが生業のスナックであれば、収入がないどころか用意した食材が無駄になります。
客不足が続けば倒産してしまいます。きっと不安でしょうね。
そうした不安に毎日付き合うのはかなりの勇気が必要です。尊敬に値します。

我が家の近くにも家族経営のラーメン屋さんや小さな食堂がありますが、
仮にあんまり美味しくなくても時々は行かないといけないという気持になります。
わびしさを体験すると人はやさしくなれるのです。
我が家の近くにあるラーメン屋さんは我が家の好みの味ではないのですが、家族経営で、その人たちがとてもいい人たちなのです。
我が家では「いい人の
ラーメン屋さん」ということになっています。
ラーメンの味はもうひとつですが、雰囲気はとてもいいのです。
その前を通って、客が入っているとホッとします。入っていないと行かないといかないと思います。

さてオープンサロンです。
8時近くなっても誰も来ません。
女房が、用意した軽食を2人で食べようかと言い出しました。
とその時、チャイムがなりました。
待望のお客様です。
家族経営のスナックのママの気分がわかりますね。
料金などどうでもいいから何でも食べてよと言いたくなるでしょうね。

やってきたのはコンセプトメイクの藤本純一さんです。
前月に続いての常連さんです。
というわけで、わびしい夫婦の夕食という事態は回避されました。
藤本さんとはじっくりと仕事の話ができました。
藤本さんは昨年末に長年勤めていた会社を辞めて独立したのですが、最初は誰でも戸惑います。
家族経営のスナックではありませんが、個人企業というのもいろいろと大変なのです。
組織に所属している人にはなかなかわかってもらえないでしょうが、ともかく安定していないのです。
だからどこかのクライアントに依存する関係になりがちなのです。
しかし、それでは独立した意味がありません。
そんな話も含めて、藤本さんがこれから取り組もうとされているプロジェクトに関して、かなり立ち入った話ができました。
誰か他の人が来ていたらそんな話はできなかったでしょう。

こうした場面をつくってくれたのは天の配慮かもしれません。
藤本さんとじっくり話ができたことから、もしかしたら新しい物語が生まれるかもしれません。
それも実に刺激的な大きな物語です。半年以内には報告できるかもしれません。
藤本さんと2人だけだったおかげで、そのプロジェクトに私も参加することにしました。
そんなわけで、今月のオープンサロンは仕事の打ち合わせになってしまいました。

ちなみに雪は降りませんでした。

(2006年3月第1週)
今週は企業関係の仕事への対応でばたばたしてしまいました。
企業関係のことは、相手のあることでもあり、このコーナーにはなかなか書けないのが残念ですが、
久しぶりのプロジェクトなので少しワクワクしました。
それも一つではなく、いくつかが動き出しました。
そうした企業ビジネス以外のことでも、いくつかの波乱とプロローグがありました。
風邪などでダウンしている暇がなくなってきました。

■社会教育関係者のネットワーク構想(2006年2月27日)
「社会教育」の編集長の近藤眞司さんが久しぶりにやってきました。
近藤さんは全国の社会教育や生涯学習の動きに通じていて、実践者にも広いネットワークをお持ちです。
生涯学習に関わるグループのネットワーキングができないかと思っている私としては、
いつか近藤さんと一緒にそうしたテーマに取り組みたいと思っています。

今日は情報交換をさせてもらいましたが、私が社会福祉協議会の話をしたら、
社会教育は福祉とつながっているので、そこをつなげるようなことを考えたいというのです。
私が考えている「大きな福祉」では、福祉と環境と文化(教育)は同じものと位置づけていますが、
近藤さんも同じところに行き着いたようです。

その視点から考えると、図書館や美術館、公民館は、まちづくりの拠点なのです。
近藤さんも、元気な公民館のネットワーキングに取り組んでいますが、
公民館や図書館のパラダイムシフトを進めれば、実に面白い拠点になるでしょう。
そんなことを視野に置きながら、社会教育関係の活動のネットワークがつくれないか、そんな思いを強く持ちました。
そろそろ学習や教育を住民生活やまちづくりの視点で再構築するべき時期に来ているように思います。

ところで、インターネットで公民館を調べていたら、私が前に講演した記録が出てきました。

ブログでも書きましたが、私が忘れていた講演記録にネットで出会えるのは実に不思議な感じがします。
平成11年度に行われた第14回入間地区公民館研究集会です。
演題は「これからのまちづくりと公民館の役割〜地域を愛する心がまちをつくっていく」です。
もしご関心があればお読みください。
校正をした記憶がないので、内容は少し不安ですが。

■平和への結集をめざす市民の風(2006年2月27日)
平和への結集のミーティングの後、各地でさまざまな動きが始まっています。
広い呼びかけは3月17日に記者発表が予定されていますので、
発表後、私もまたみなさまにも呼びかけたいと思っています。

ところで、先日の集まりでお会いした田口房雄さんが常磐線沿線の有志に声をかけてくださり、その気楽な集まりを開催してくれました。
集まりというよりは、顔合わせの会食ですが。
ひさしぶりに豊田義信さんに会いました。
以前、コムケアサロンに参加してくれたのですが、それ以来、なかなか会う機会がありませんでした。
いくつかのメーリングリストでは触れ合ってはいるのですが。

いま、日本の平和状況は大きな岐路に向かっています。
その象徴的な事件は「憲法9条」をどうするかです。
改憲が現実味を帯びてきたのです。
その動きをどう止めていくか。

若い世代にはとても重要な問題ですが、ブログにも何回か書いているように、
まだまだ自分の生活につなげて考えている人は少ないような気がします。
平和への結集はそう簡単ではありません。
「平和」という抽象概念は多様な人を結集するパワーを持ち得ないのです。
かつての「共和国」のように、もっと表情のある生きた言葉でないと多くの人は動きません。

何がそうした結集のキーワードになるか。
私は単純に「9条を守る」がいいと思っていますが、しかしそれもまた色あせた言葉であり、パワーはないかもしれません。
しかも事態は切迫しています。
来年の参議院選挙で少なくとも参議院の1/3の議席を野党が確保しなければ、自民党は改憲に取りかかれるのです。
平和への結集の今の議論では、平和を目指す野党連合を実現したいということです。
それぞれの野党がこの際、大同団結して反自民で結集しようというわけです。

ではその結集のポイントは何か。
護憲は共通の旗印にはなりません。何しろ前原民主党は改憲論ですから。
平和活動にこれまでも関わってきた太田さんと田口さんは「比例選挙制度の実現」こそが、いいのではないかというのです。
論理的には私も賛成です。
今の政治問題のすべての根幹は小選挙区制度にあると私は思っています。
小選挙区制度の議論の時に、せめて日本に発言力と行動力があるオピニオンリーダーがいたら良かったのですが、
ほぼ例外なくマスコミは小選挙区制度を支援しました。
後になって反対した論説委員を私は知っていますが、成立前には何もしませんでした。
その結果は少しきちんと考えたら事前にわかっていたはずです。論説委員は不勉強です。

小選挙区制になって、政治は一部のものの支配の仕組みとしてかなり完成度を高めたと思います。
二大政党制などという時代遅れの制度も、歓迎されるという不思議な現象が起こっています。
しかし、選挙制度見直しで、果たして野党を結集できるかどうか。不安はあります。

いずれにしろ、この問題を考えていく集まりを継続させることが必要です。
一度、選挙制度に関する意見交換会をやってもいいですね。
みなさんもぜひこの問題に関心を持ってもらいたいと思います。

こうした問題に関心のある方は私までご連絡いただけないでしょうか。

■我孫子市の市民活動サポートセンターの基本スキーム論議(2006年2月28日)
我孫子市の市民活動サポートセンターのあり方をめぐる議論はまだ決着がついていないようです。
住民としては無責任ですが、私はこの問題には興味を失っていました。
意見書も出しましたが、冷たい回答しかきませんでした。
もし行政が住民と本当に共創しようとしているのであれば、
説得するような回答ではなく、そこから何かを生み出す動きを出さなければいけないと私は思います。
たぶん「協働」の発想からはそうしたことは起こらないのです。

新しいセンター(サポートステーションというそうです)も間もなくオープンなので、事業スキームはもう決着がついたのだと思っていましたが、
まだ住民グループからの異議申し立てがあるようで、今日、臨時の運営委員会が開催されました。
私はそれを今朝初めて知りましたが、ある人からぜひ傍聴に来るようにと頼まれました。
めずらしく仕事の約束があったのですが、断って急いで駆けつけました。
何しろ会議は5時からの開催なのです。
もし住民に参加してほしいなら、せめて7時からにしてほしいですが、そうしたところに行政の本当の姿勢が見えてきます。
どんな制度を作っても基本姿勢が間違っていたら、どこかで壁にぶつかります。

運営委員会は2時間半かかりました。
傍聴は苦痛でした。なにしろ議論というよりも会長や副会長(市長)の答弁会のようでした。
失望しました。

最後になぜか会長が傍聴者である私に発言の機会を与えてくれました。
止せば良かったのですが、発言してしまいました。
破壊的な暴言だったような気がします。

「会議は議論ではなく説明会のようだ」
「会長と市長が話しすぎ」
「問題が整理されていない」
「部長職が5人も出席しているが無駄ではないか」。


まあ、喧嘩を吹っかけるような発言です。事実、喧嘩を吹っかけたわけです。
2年以上にわたり、小田原評定を続けているように見える構図を壊したかったので、あえて破壊的な発言をしたのですが、
半分は2時間半も退屈な議論に付き合わされた不機嫌さからです。
それにしてもみんなよく我慢しています。
会議は楽しくなければいけません。

終了後、市長から「佐藤さんにも理解してもらえないのは残念だ」と言われました。
それがきっかけになり、なんと1時間以上、市長と立ったまま議論する羽目になりました。
建設的な意見を求められたので(私としてはすでに出しているつもりですが)、具体的な案を提案することにしました。
いささか納得できない話ですが、無駄な論争よりもいいので引き受けようかと思っています。
こうしたところに、かなり本質的な問題が含まれていますが、
これまでの発想に埋没している今の行政にはその意味はなかなか理解してもらえないでしょう。

市長との話し合いの後、住民委員たちとお茶を飲みました。
こうした場こそ重要です。
こういう場にこそ、職員は参加してほしいものです。
それができているかどうかで、建前と本音が伝わってきます。

さらにいえば、利害関係の無い第三者が住民の本音を引き出す仕組みが無いと、住民自治などは実現しません。
費用的な面から専門家の活用が少なくなってきていますが、これは私にはとても残念な傾向です。
専門家をいかに活用するかで、コスト/パフォーマンスは大きく向上されるはずですが、
いまの行政はコストダウン発想しかないので、結果的に大きな無駄をしています。
まあ短視眼的なオンブズマンたちの責任でもあるのですが。

■千葉県NPO事業力向上セミナー(2006年3月3日)
船橋で行われた千葉県主催のNPOパワーアップセミナーの講師でした。
テーマは「事業の組み立てとネットワーク活用」。講師は一番私には不得手な役割ですが。

千葉県はNPO立県を標榜しているのだそうです。
私にはほとんど興味はありません。
NPOの世界にまで口出ししないでほしいと思っています。
NPOをだめにしているのは多くの場合、行政だと私は思っています。
自分たちのためのNPO支援はやめてほしいものです。
使っているのは住民の税金なのですから、もっと大事に使ってほしいものです。

しかし、その一方で、NPOを育てているのも行政です。
そのあたりがややこしいのですが、私としてはこれまでの行政の姿勢を見ているので、どうも信頼できません。
しかし、そろそろ私自身の考えを変えなければいけないかもしれません。
私も千葉県民ですので。

講演内容は、県からの別のプロジェクトで記録集に入れてもらえるようですので、ここでは省略しますが、
今回は「事業とは何か」を考えるための問題提起と具体的に事業を構想し企画するためのワークシートを紹介して、
個人ワークやグループワークをしてもらいました。
NPOの事業の特徴はいろいろありますが、一番大きなことは事業活動とネットワーク育ちが深くつながっていることです。
ネットワークが広がり深まることが、もしかしたNPOの事業の究極的な目的かもしれません。

また、企業や行政の事業が、資源消費型であるのに対して、NPOの事業は資源生産型であることです。
NPOは事業を通して地域資源や社会資源を育てていくのです。

今回は千葉工業大学の荻林成章教授がオブザーバー参加されていたので、
途中で大学を活用した事業企画をちょっと遊び感覚で議論してもらいました。
荻林さんは3年間の委託事業「地域との連携による工科系キャリア学習支援」プロジェクトに取り組んでいます。
このプロジェクトに関しては改めてまた接点を持ちたい気もしました。時間があれば、の話ですが。

ところで今回、思ってもいなかったうれしい出会いがありました。
立教大学大学院の博士課程にいる大多賀正昭さんです。
私に会うためにわざわざ遠くから参加してくれたのです。
理由は埼玉県の小川町風土活用センター(NPOふうど)の高橋優子さんのお勧めのようです。
NPOふうどの有機農業やバイオマスなどへの取り組みは本腰が入っています。
ぜひホームページをみてください
それに高橋さんの友人が霜里農場の金子夫妻なのです。
金子友子さんは私の小学校の友人です。
まさかこんな形でつながってくるとは思いませんでした。
その高橋さんが、NPOふうどと立教大学とコムケアセンターとで何かプロジェクトができないかと大多賀さんを「派遣」してくださったのです。

他にも何人もの魅力的な人たちに会いました。
講演は嫌いですが、行けばそれだけの刺激的な出会いがあります。
終了後、参加者の一人である松清さんからお誘いを受けましたが、今日は課題山積のため食事もせずに帰りました。
我孫子に着いたら、何と雪が降ったということで家々の屋根が白くなっていました。

■白山東町会役員会議に初めて参加しました(2006年3月4日)
4月から自治会の会長を引き受けました。我孫子市白山東町会です。
自治会の中に18の班があり、全体で約170世帯です。
古くからいる住民もいれば、新しい住民もいます。私は新しい住民組です。
初めての体験ですので、いささかの不安はありますが、
私だけが引き受けたわけではなく、私が所属している班のみなさんが実に協力的で、全員で手伝ってくれることになっているのです。
いずれにしろ、まちづくりの原点を体験できますし、いつも私が主張していることを実地で検証できるわけですから、なにやらワクワクします。
なによりも手応えのある活動ができるはずです。
大変な仕事は基本的に楽しいものです。
今日は今年度最後の役員会でしたが、私もオブザーバー参加させてもらいました。
このことも改善の余地があります。
日本青年会議所のように、次年度の会長予定者が副会長として1年間、体験をする仕組みにしたら、それだけでも活動の継続性や効果性が高まります。

みなさんの話を聞いて、実に面白そうだと確信しました。
取り組むべき課題はいろいろありそうで、今日、お話を聞いただけで5つくらいのプロジェクトを思いつきました。
たとえば、みんなで防災マップを作ろうと思います。
また市役所の人が現場に来てくれないという話もありますので、これは強く申し入れたいと思います。
自治会の総会もできればやってみたいです。
しかし、時間のことを考えると不安があります。
さてどうなるか。少し心配がないわけではありません。

終了後、今年のわが班の班長をやってくれている岡村さんと話しました。
岡村さんはとても誠意を持って班長の役割を果たしてくれました。
そのお人柄を知って、我孫子住民のネットワークにお誘いしました。
岡村さんは企業の管理職でお忙しいと思いますが、参加してくれることになりました。
うれしい限りです。

■我孫子チャットネット(2006年3月4日)
我孫子での住民たちの柔らかなネットワークが生まれだしていますが、
まだ名前が無いので、とりあえず勝手に我孫子チャットネットと呼ぶことにします。
まだメンバーは9人ですが、徐々に広げながら、7月には手作り公開フォーラムを開催する方向で動き出しています。
もし読者に我孫子の住民の方がいたら、ぜひご参加ください。
メーリングリストと月1回の気楽なミーティングで意見交換などしています。

今日は「サポートセンター問題」と「これからの会の活動」がテーマでした。
サポートセンター問題は2月28日にも書きましたし、以前もそれに対する提案のやりとりも書きましたが、
そこに現在の我孫子市の実態が象徴されている問題かもしれません。
私は関心をなくしていましたが、先日の私の暴言から代替案を提案する羽目になったのです。
身から出たさびですので、仕方がありません。
そのたたき台を皆さんに見せて、意見をもらいました。

まあ、それは退屈なテーマだったのですが、みんなの関心が深いので、そこから話はさまざまに展開しました。
会のこれからの議論は夢がある話ですので、面白いのですが、時間の関係で方向性だけを決めるにとどまりました。
公開フォーラムの後、毎月、ゲストを読んでのワークショップを展開しようと考えています。
幸いにコムケア活動やまちづくり活動に関わっているためにゲストには事欠きません。
きっと魅力的な展開になるでしょう。
今夏から我孫子では新しい動きが始まるかもしれません。

 

(2006年3月第2週)
相変わらず2つのビジネスアイテムに追われていました。
久しぶりにワクワクするような緊張感を少し持っています。
いつか書き込める時があるかもしれません。
それ以外でもいろいろな刺激がありました。

■我孫子市の市民活動支援ステーション構想(2006年3月5日)
我孫子市の市民活動支援の仕組みがいろいろと物議を起こしています。
2年以上、市民も含めて議論していますが、なかなかすっきりしないようなのです。
もめているのは単に形だけではなくなってきた証拠ですから、喜ぶべきでしょう。
先週、市長とお話しする機会がありましたが、そのことの成り行きで、市民活動支援ステーション構想の代替案を提案することになりました。
あいにく超多忙な週であり、あまり時間は避けなかったのですが、簡単な構造を組み立てて見ました。
できてみれば、何のことはない、極めて常識的な構造になってしまいました。
名前は勝手に市民活動プラットフォーム構想としました。
サポート委員会という名前は、各地での実践者たちからは笑われてしまいましたが、市民感覚ではありません。
この1枚ではわかりにくいので、その背景にある問題整理をするために、概念整理もしてみました。

自治体の方やまちづくりにかかわっている方からのコメントをもらえるとうれしいです

昨今のまちづくりにはいささかの不満を持っているものの戯言かもしれませんが。

この施設そのものにはほとんど関心は無いのですが(私は建設そのものに反対です)、
せめて山形での体験は繰り返したくないと思っています。

■経営哲学堂構想(2006年3月6日)
市川覚峯さんのことはつい最近も書きましたが、日本経営道協会をスタートさせて今年で10年目です。
その10年目に、かねてから考えていた湯島聖堂の近くにオフィスを移すことになりました。私のオフィスの近くでもあります。

これを機会に体制も一新することにしたっそうです。
新たに相馬誠さんが、今勤めている会社を辞めて、日本経営道協会の仕事に専念することになったのです。
節目には市川さんが私のオフィスに来るのは恒例なのですが、今回はかなり大きな節目です。
せっかく体制を一新するのであれば、改めてビジョンも見直し、これからの活動展開のグランドデザインを再構築しようと言うことになりました。

市川さんは、年に何回か、山に籠もり、行に入りますが、その時に天の啓示を受けるのです。
その時の啓示は自動書記のように、手元の紙に書かれるのだそうです。
中には自分でも意味不明の文章もあるようですが、その啓示がたくさんたまっています。
それを消化しながら、ビジョン実現に向けてのグランドデザインを明確にしなければいけません。
これは難しい課題ですが、まあ楽しい仕事でもあります。

市川さんと私は、生き方の基本において大きな違いがあります。
市川さんの関心は帝王学であり、社会のための活動です。
私の関心は汗をかきながら生活している名もない個人の生き方であり、自分たちのための活動です。
私はこれを「コモンズ」と呼んでいるわけです。

発想の起点が違いますので、市川さんと話しているといつも激論になりますが、違うからこそ議論していて面白いのです。
市川さんがいま、目指しているのは、国風刷新です。
そのためにこそ、帝王学が必要だと考えています。
私には全くなじめない言葉ですが、市川ビジョンとグランドデザインの構築には参加させてもらおうと思います。

■コムケアでまた新機軸が出せそうです(2006年3月9日)
コムケアの運営委員会でした。
今回はサイクルリングの北岡さんに「オープンプラットフォーム構想」を提案してもらい、
それを切り口にコムケアフォーラムを開催できないかというのが議題でした。
来年度はコムケアの資金助成プログラムを休んで、これまで構築してきたコムケアネットワークを進化させたいと思っているのです。
コムケアは新しい「結い」を目指していますが、これは実に難しいことを体験してきています。
地域通貨的なものやノウハウバンクなども何回か検討してみたのですが、どうも確信がもてずに動き出せずにいます。
しかし、最近のコムケアのメーリングリストの動きを見ているともしかしたら機が熟してきたという感じもします。

そんな時に、北岡さんから同じような提案をもらったので、ぜひ北岡さんを中心にこれまでとは違った取り組みをしようと考えたわけです。
みなさんと話していて、全く新しいコンセプトが生まれました。
逆資金助成プログラム」です。
私はベクトルの逆転が大好きなのですが、これは気がつきませんでした。
もちろんこれをそのまま展開するわけにはいきません。
どういうプログラムになりそうかは、コムケアセンターのホームページで報告する予定ですが、もしかしたらまた新機軸を打ち出せそうです。
コムケアはさらに面白くなりそうです。

この関係のコムケアフォーラムは6月か7月に開催します

まもなく実行委員会の募集を開始します。
面白方が好きな方は、ぜひ仲間になってください。きっと面白い展開になるはずです。

■民のプロジェクトの株本さんの悩みは大きいようです(2006年3月10日)
鳥取で「民のプロジェクト」に取り組んでいる株本さんがまたやってきました。
その方法論において、私とは全く正反対のアプローチですが、問題意識やビジョンの面ではかなり共有できるところがあります。

明治時代においては「自治」とはまさに「住民自治」でした。
しかし、最近の議論では「団体自治」もまた自治になっています。
しかも、最近の地方分権は自治を推進すると考えられています。
そんな馬鹿な話はないと私は思いますが、自治概念はかなり混乱しているように思います。

株本さんは、そうした状況を変えたいと思っているようです。
株本さんはまずは自分のビジョンを本にまとめて出版したいと考えています。
原稿はもうかなりできているようです。
正直のところ、私もまだ株本さんの考えている具体的な活動や計画を理解できていませんし、
「民」というところに、ある挫折感を感じるのですが、しかし気になるプロジェクトではあります。

これからどう展開していくのでしょうか。

■ヒポクラテスの会もだんだん具体化してきました(2006年3月10日)
ヒポクラテスの会の実行委員会でしたが、みなさん忙しいせいか、なかなか集まりません。
そのため実質的な議論が始まったのは8時過ぎからでした。
宮崎さんが事務局長を引き受けてくれたので、私は気分的には解放されてしまいましたが、
イベントの企画運営は必ずしも慣れていないメンバーなので、なかなか思うようには進みません。
まあ、それがコムケアの特徴なのですが。
しかし日程と場所は決まりました。
5月14日、会場は飯田橋です。

大きな枠組みや出し物などを意見交換しましたが、それに基づいて、メーリングリストで意見交換することになりました。
次回の実行委員会は4月1日です。
ご関心のある方は参加歓迎です。
私は先約がありたぶん参加できないのですが、私がいないほうが伸び伸び議論できると言われました。
こうやって年よりは捨てていかれるのでしょう。

きっとまた斬新なプログラムが出てくるはずです。
みなさん、5月14日には、ぜひ病院に関する自由な話し合いをしに、このイベントに参加してください
この日は私も参加します。

病院は私たちの生活にとって、とても大切な施設です。
もっと関心を持って、みんなで元気の出る場にしていければと思っています。

■プロジェクト312(2006年3月11日)
市町村合併は各地でさまざまな問題をおこしています。
最近、自治体との接点をもたなくなってきていますので、あまり情報ははいらなくなってきましたが、それでも時折耳にします。
今日はある自治体の人が相談にやってきました。
地域社会の行く末を真剣に考えている、ビジョナリストです。
私は昨今の自治体には大きな失望を感じ、時間を割くのがもったいないと思い出していますが、
その人の話を聞きながら、まだかなり未練があることに気づきました。
企業も面白いですが、自治体も面白いのです。
側面的にささやかな協力をすることにしました。
なかなか足を洗って転身することは難しいです。
半年以内にはこの物語もきっと報告できると思います。
とりあえずプロジェクト312と命名しておきます。

■平和への結集を目ざす市民の風がスタートしました(2006年3月11日)
発足総会でした。
運営委員会も予定されていたのですが、我孫子市長との話し合いの約束があったので、私は総会だけに参加させてもらいました。

運営委員会を中心に30人以上が集まったのですが、女性は2人だけでした。
これはこれまでも問題になっていましたが、やはりさすがに異様で、また「男たちの平和運動ゴッコ」になってしまわないか心配になりました。
女性メンバー集めを私もしなければいけません。
今日の総会で、正式にメンバー集めができるようになったので、周りに声を駆け出そうと思います。

いうまでもなく、「男の平和」と「女の平和」は違うのです。
ところで、総会で、「護憲共同候補」を各地で擁立する運動に関わっている人からとても面白い話がありました。
権力からの距離に応じて、活動は分裂度を高めると言うのです。
私は、反対だと思っていたのですが、考えてみるとこれもまた納得できる話です。
権力もお金も本当に怖いものです。

この活動は3月17日に記者発表される予定ですが、関心のある日とは呼びかけ書をぜひお読みいただき、参加してください。
先日書き込んだ太田さんや田口さんも、いずれも運営委員です。

■我孫子市のサポートセンターに関して市長と話しました(2006年3月11日)
日曜日にサポートセンターの代替案を提案させてもらったのですが、市長から、一度、意見交換したいという連絡がありました。
それで第2ラウンドと言うことになったのですが、
なかなか時間の都合がつかなかったので、私は平和の会の運営委員会を犠牲にすることにしました。

住民が行政に協力するのは結構大変です。
委員会などへの参加程度であればいいのですが、仕事で取り組んでいる市長や職員とは立場が全く違います。
しかし、平和か地元かと言う選択になれば、やはり地元をとるべきだと判断したのです。

今回は前回のようなことにならないように「大人の対応」をする予定でした。
それに仕事も山積みですので、30分で終わらせる予定でしたが、結果はまたまた実りの少ない場になってしまいました。
市長にとっても、きっと実りのない会になってしまったと思います。
2時間以上もかけたのですが。

しかし、まあ踏ん切りがつきました。
住民自治の実現はまだかなり先になるのかもしれません。
1977年に経済同友会で諸井虔さんが始めた研究部会で議論し、提案した時とあまり事態は変わっていないという思いを強くします。
当事、提案させてもらった、地方からのベクトルはかなり現実になってきているのはうれしいですが、まだまだ分権発想の段階です。

(2006年3月第3週)
今週もビジネスプロジェクトにかなりの時間をとられました。
東レ時代を思い出すような緊張感も少し味わいました。やはりビジネスは面白いですね。
しかし、その一方で、最近の企業の実相を実感させられるような事件もありました。
その合間にもいろいろありました。
ビジネスだけではなく、他にもいろいろと面白い話があるのですが、最近はこのコーナーに気楽に書いてしまうことに躊躇を感じ出しています。

■地域に生み出す新しいチカラ(2006年3月14日)
東京都社会福祉協議会主催のセミナーでした。
テーマは「地域に生み出す新しいチカラ」。
企画した森玲子さんの思いを込めてセミナーです。

私はパネリストだったのですが、
他には小田原の高齢者総合福祉施設潤生園の時田佳代子さんと
横浜の寿町(かつてはドヤの町でした)で活動しているNPO法人さなぎ達の谷津倉智子さん。
コーディネーターは神奈川県立保健福祉大学の谷口政隆教授でした。
谷口さんの軽妙な進行で、楽しい3時間でした。

潤生園やさなぎ達はとても先進的な活動をしていますので、それぞれのホームページもぜひ見てください。
刺激をもらえると思います。
谷口さんの合間々々のコメントにも共感できました。

私は「つながり」と「共創」をキーコンセプトにしてお話しましたが、少しだけ手応えを感じました。
我孫子では無理かもしれませんが、共創発想はかなり広がってきているようです。
地域にはたくさんの資源があります。
それを活かすことが大切ですが、その出発点は自らを活かすことです。
そして地域資源は消費するものではなく、活用しながら育てるものなのです。
そこに気づけば、仕事は面白くなるはずです。
このことがうまく伝わったかどうか不安がありますが、何人かの方がうなずいてくれていました。

参加者にコムケア仲間の加藤木さんとアイモの木村さんがいました。
最近はいろいろなところで、コムケア仲間に会うようになりました。

■コムケアサロンは「若者分断の危機」(2006年3月14日)
今回のコムケアサロンは、山浦彬仁さん(Voice Of Tsukuba、コミュニティアート・ふなばし)がホストです。
若者たちが主役になって活動を展開している、ちばNPOユースフォーラムの実行委員会のメンバー、
蔵本さん、遠藤さん、そして高校生の大場さんも参加してくれました。
それぞれにしっかりした活動をしている若者たちです。

テーマは「若者分断の危機!?」。
実はこれをテーマにした本番フォーラムは、21日に船橋で行われますので、今日はそのプレプログラムでもあります。
このサロンの様子はコムケアセンターのホームページで報告されていますので、ここでは若者分断に関する私見を書きます。

私の関心事は「つながりの回復」ですが、
残念ながらまだまださまざまなところでの分断が進行しているように思います。
若者の世界も例外ではありませんが、重要なことは若者たちが単純な図式の中に自らを既存の集団に安直に帰属させがちなことです。

つい最近、CWSプライベートで、帰属意識と当事者意識という視点からアイデンティフィケーションの勧めを書きましたが、
思考停止と受身な生き方に慣れてしまうと、人は単純な図式の中に自らをポジショニングしたくなるのです。
そして帰属の居心地の良さにひたってしまうのです。

しかも時代は白か黒か発想の大流行です。
価値観の多様化などというのは全くの虚構でしかありません。
価値観の喪失が、そういう幻想を時に見せるだけです。
帰属先は、最近は2元構造になりがちなのです。
ですから帰属が分断もしくは対立になっていくのです。
論理明確であるがゆえに、寛容さは後退します。

若者もその世界に埋没しだしています。
大勢(体制)に順応するか反発するか、従うか引っ張るか、
存在に価値を置くか行動に価値を置くか、
手段的に生きるか目的的に生きるか、
以前はいずれもつながっていたはずなのに、今は見事に切り離されています。
そしてそのいずれかに自分を属させることで安心するのです。

しかも、識者がそれにすぐに命名します。
いわく「ニート」、いわく「オタク」。そしてその名前が実体を形成していくのです。
おそろしい管理社会、情報社会です。

サロンで参加者の一人が、
若者に関する言説は、"その著者の利益"という観点を抜きにしては語れない
と発言したのですが、
それにみんな共感したようです(私は途中で抜けたので、発言時に直接居合わせなかったのですが)。
私も全く同感です。
若者世界も市場化されているわけです。
子どもたちは多様な存在ですが、それが「社会化」のなかで個性を削ぎ落とされ、社会で生きる力をもらっていくわけですが、
その社会そのものがおかしくなってきている状況の中では、それは決して「生きる力」にはならないところに問題があります。

若者分断はいつの時代も存在します。
権力者もしくは統治者や管理者にとっては、「分断」こそが相手のエネルギーを殺ぐ上で最も効果的だからです。
しかし、考えようによっては、分断対象にされるほど、若者たちは自立しパワアップしてきたとも考えられます。
分断状況をどう活用するか、その手段の一つが「協働」や「参加」だと私は考えてしまうわけですが、
逆に視座を当事者に移して、分断状況を「共創」や「創発」へと向けていくことが大切ではないかと思っています。

■異才なる設計者水谷俊博さん(2006年3月16日)
美野里町の文化センターのプロジェクトで出会ったのが水谷さんです。
以前も書きましたが、水谷さんがいればこそ、美野里町の「みの〜れ物語」は成功したと私は思っています。
異才な人です。

その水谷さんは、美野里町の仕事の後、少しして会社を辞めて、自らのオフィスを神戸に開きました。
同時に武蔵野大学でも教えることになりました。
理想的な体制です。大学で教える人が大学の外にも活動の場を持つことはとてもいいことだと思います。

その水谷さんが久しぶりにやってきました。
最近の活動について話を聞きました。学生と一緒に面白そうなこともやっています。
しかし事務所の経営は大変そうです。
それに大学も忙しそうで、水谷さんの異才ぶりがちょっと閉じ込められているような気配を感じました。
まあ始まったばかりだからでしょう。
自立することも、自立しながら組織と付き合うことも、いずれも難しい時代です。
そこにこそ今の社会の問題があるのかもしれません。
しかし、これからの水谷さんの活動にはとても興味があります。

インキュベーションハウスやコムケアセンターの活動とのコラボレーションをぜひ実現したいと思っています。

■次世代人材育成研究会の提言がまとまりました(2006年3月16日)
今回が最後の委員会で、提言書の最終確認でした。
途中経過はともかく、昨年度よりも納得できる報告書になりました。
きちんと読むと、当事者の目線も読み取れます。
当事者視点と距離がある委員が多い状況の中で、事務局は大変だったと思いますが、見事な編集です。
個々の表現には不満もありますが、通読すると余り違和感はありません。

さまざまな議論をここまで持ってきたのは、委員長の見識と事務局の現場体験だったように思います。
委員長はメリルリンチ日本証券の小林いずみ社長です。
久しぶりにバランス感覚と信念を感じさせる女性経営者に会えました。

この報告書は間もなく発表される予定です。
ご関心のある人は企業活力研究所にお問い合わせください。

今回は最後なので委員が一言ずつ感想を述べましたが、それが実に面白かったです。
あまり書くと角が立ちますが、一つだけとても共感した発言を書きます。
某大企業の人事部長が、ここでの議論は決して他人事ではなく、自らの生き方に重ねて考えさせられた、というのです。
その人の発言はいつも共感できるものでしたが、まだこういう姿勢の人事部長が大企業にも残っているのかと実にうれしい気分でした。
最初は退屈極まりなかったこの委員会も2年出させてもらいましたが、結果的には私自身の目も開かせてもらいました。
参加してよかったです。

■インキュベーションハウス総寄り合い(2006年3月16日)
インキュベーションハウスも少しずつ変化してきていますが、最近は平田さんがコンセプトメーカーになってくれています。
久しぶりに野中さんが参加しました。
野中さんは今、ある雑誌の編集長ですので、ともかく忙しいようです。
しかしとても元気そうですし、会うたびにたくましくなっています。

インキュベーションハウスはいつか、「癒しべーション」か、と書きましたが、
その特徴を大切にしながら、今年からいよいよビジネス展開を本格化できそうです。
働く喜びや仕事の面白さを最重視することはいうまでもありません。
いざとなって役に立つのはお金ではありません。人のつながりです。

しかし、今年はフルコミットすることになった菅野さんが今さまざまな視点から事業企画を立案してくれるでしょう。
間もなく私も社長から解放されるかもしれません。
新たにパオッコも参加しましたし、どう展開していくか楽しみです。

■解決と始まり、あるいは昨今の企業の問題(2006年3月16日)
安堵と不安が起こった1日でした。

企業のリストラの対象となり、精神的に少し不安になっていた友人がメールをくれました。
一人で考えていてもいいことはないので、ある人に引き合わせようと誘っていたのですが、
最近連絡がなくずっと気になっていたのです。
その人から、やっと会おうという気になったと連絡があったのです。
早速段取りをしました。
引き合わせる双方にとって、意味のある出会いになるだろうと考えていますので、これで一件落着と安堵しました。
朝の話です。
ですから、とても気分のいい1日が始まったのです。
なにしろずっと気になっていた人でしたので。

ところがです。
人生はなかなかうまくいきません。

夕方、別の友人から連絡がありました。
社長と喧嘩をして会社を辞めることにしたというのです。
やむを得ずに、その人と会うことにしました。
聴いてみると半分は納得できる話です。
辞めたほうがいいかもしれませんが、きっと辞めても問題は解決しないでしょう。
私憤で会社を辞めてはいけません、

話していて、問題は本人や社長にあるのではなく、どうやら今の会社の状況にある気がしてきました。
いや、社会風潮でしょうか。
そう考えると、問題はその友人だけの話ではなく、もっと一般的に同じ状況が広がっているということです。
そしてそう思って、最近会った企業人を思い出してみると、同じような問題を抱えていると思われる人は決して少なくありません。
今朝、解決したやる気を起こした人が人生を狂わせた契機も昨今の社会状況にあるようです。

日本の社会は壊れだしているのかもしれません。
どうしたらいいのでしょうか。
最後は重い気分になってしまった1日でした。

■大学のノーマライゼーションプロジェクト(2006年3月17日)
先日のNPOの研修会に参加した大多賀さん(立教大学コミュニケーション福祉学部)が先生の空閑さんと一緒に遊びに来てくれました。
お2人はいま、埼玉県の小川町を舞台にして、新しいプロジェクトを起こしたいと取り組んでいます。

立教大学では「大学のノーマライゼーション」に向けて、いくつかのプロジェクトを展開しているのだそうです。
その基本にある理念は「アミューズメント」です。
空閑さんは、アミューズメントのためには異質との出会いが重要だといいます。
ネットで空閑さんの研究領域を調べてみたら、実に多彩です。
空閑さんのアミューズメント論を一度しっかりとお聞きしたいと思いました。

それに「大学のノーマライゼーション」とはとてもいい響きです。
日本構想学会でも話してほしいテーマです。

それはともかく、大多賀さんは私とのコラボレーションを考えているようです。
昨年は小川町のNPOふうどと一緒に、お米作りプロジェクトに取り組んだそうですが、今年はそれをもっと広げられないかというのです。
やれそうなことはいろいろあります。
問題は私の時間ですが、NPOふうどの高橋さんからも一度私にも小川に来いといわれていますので、ともかく一度行ってみようと思います。

ところで、今日、お話していて、最近私の周りで起こっているいくつかのことがつながっていることに気づきました。
荻林さんの「地域との連携による工科系キャリア学習支援」プロジェクト、國分さんのポスドグ問題解決プロジェクトなどは、みんな同じことなのです。
それにやっと気づきました。
相変わらずの全体のグランドデザイン不在の文部科学省の取り組みがとても気になります。
税金の無駄使いとしかいえませんが、それを効果的に活かせるようにがんばらないといけません。

何か役立てるといいのですが。

■感声アイモのボイストレーニング
(2006年3月18日)
コムケア仲間の感声アイモの健康ボイストレーニングに女房と一緒に参加しました。
一度、きちんとした全体像を把握しておきたかったこともありますが、
並行して進んでいる医学博士の吉田昭彦さんの話も聞いておきたかったのです。

吉田さんは環境問題に取り組む大学教授でしたが、
いつの間にか発声や日本語の世界に魅せられて、
いまはアイモの開発した独自の発声法の医学的側面からの検証に取り組まれています。
今回は、「医学的に見た発声と介護予防」をテーマに講演をしてくれました。
内容はとてもわかりやすかったですが、環境と福祉と教育をつなげて統合的に取り組もうとしている姿勢に共感を持ちました。
これはコムケアの姿勢、あるいは私の発想と同じです。

環境と福祉をつなぐ論理は、吉田さんは極めて論理的です。
福祉は人間の生命の尊厳さを扱うもの、環境は人間以外の生命の尊厳さを扱うものというのです。
とても納得できますね。
また吉田さんは日本語の「あ」に注目しています。
これに関してはまたいつか紹介できるでしょう。

次にアイモの菅原さんの「感声」の概説がありました。
しっかりと聞いたのは今回が初めてですが、とてもわかりやすく、会場の参加者もうなずいていました。
その後、言語障害のため以前は一度も話せなかった川島徳人さんが、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」を朗読しました。
思いを込めた味のある朗読で、会場はシーンとしました。感動的でした。
川島さんは、菅原さんたちの指導で今ではゆっくりながら会話ができるようになっています。
コムケアの選考会で私は一度一緒に食事をしたこともありますが、会話はさらにうまくなっているような気がしました。

その後、1時間、菅原さんの指導で実際のボイストレーニングがありました。
横隔膜が強化され、免疫力も高まるそうです。

とても充実したプログラムでした。
できればこのプログラムをもっともっと広げていきたいと思っていますが、いまはトレーナーが不足しています。
それが課題ですが、コムケアセンターあるいはインキュベーションハウスでその展開を支援できないかと思っています。
今回は、インキュベーションハウスの菅野さんが応援させてもらいましたが、改めてアイモと検討会をやる予定です。
アイモの開発した発声法プログラムは実績をベースに進めていますので、その効果は確実です。
全国に向けての事業展開を実現したいと考えています。
ご関心のある方は是非一緒にやりませんか。ご連絡ください。

感声アイモに関してはホームページをご覧ください。
また研修会などもやっていますので、参加されるとその効果を実感できると思います。
また発声法に関しては、アイモでテキストを作成しています。
800円(送料別)ですが、関心のある方はアイモに申し込んでください。
まだどんどん進化していくはずですが、吉田医師の小論も含めて、最新のものがまとめられています。

感声アイモの発展性を今日は実感させてもらいました。
これが広がれば、壊れかけている日本の社会も回復できるかもしれません。


(2006年3月第4週)
実に密度の濃い1週間で、久しぶりに疲れきりました。
実にたくさんの出会いがありました。

■訃報(2006年3月19日)
朝の6時に電話がかかってきました。
訃報でした。
稲村政美さんが交通事故でなくなったという、息子さんからの電話でした。
稲村さんは、大きな構想を持ち続けていた万年青年でした。
数年前に館山に移転されていました。毎年1〜2回、会いに来るのが恒例行事でした。
春が近づいてきたので、そろそろ電話がありそうだと思っていた矢先の訃報でした。

稲村さんとの出会いは東レ時代からです。
稲村さんから人力飛行機の提案があったのです。
残念ながらそのプロジェクトは実現しませんでしたが、それ以来の付き合いで、その後もいろいろなプロジェクトを持ち込んできました。
構想段階のものが多く、なかなか計画までは進みませんでしたが、稲村さんはむしろ構想を楽しんでいたように思います。
稲村さんの構想と先見的なアイデアは、おそらく私が一番よく知っているでしょう。
その記録の一部はこのサイトにも書いてきましたが、稲村さんの構想の痕跡を残しておけてよかったと思います。

ご高齢でしたが、いつも前向きでした。
ご冥福をお祈りいたします。

■はまなす地域交通研究会(2006年3月19日)
新潟市の北地区で、住民が中心になってバスを運行しようという取り組みをしているのが、はまなす地域交通研究会です。
そのプロジェクトの中間報告も兼ねて、公開フォーラムが開催されました。
コムケアが資金助成していることもあって、その取材をかねて、私も参加させてもらいました。
研究会の事務局の南さんが新潟まで迎えに来てくれました。

時間があったので、フォーラムのゲストの森重さんも一緒に、南さんが朱鷺メッセに案内してくれました。
立派な建物です。ちょうど新潟の蔵元が総結集しての試飲イベントをやっていました。
92の蔵元が出展しており、すごい人でした。
不幸にして私は下戸なのですが、それでもいくつかをなめるように試飲してみましたが、それぞれの違いの大きさが良くわかりました。
このイベントは、1000円で、越の寒梅、八海山、白龍と何でもが飲めるのです。酒
好きな方にはうれしいイベントですね。

閑話休題。
はまなす地域交通研究会は新潟市北地区の公民館活動から始まった「はまなす学会」の活動の中から生まれた活動です。
発起人は南さんのようですが、南さんは実は県庁の職員です。
もちろんこの活動は県庁の仕事とは全く無縁です。
自らの生活の実感から立ち上げた活動なのです。
詳しくはホームページをご覧ください。とてもいい活動です。

ゲストの森重さんは、今回は石川県野々市町のコミュニティバス「のっティ」の事例紹介をしてくれました。
実に興味深い事例を、的確なコメントをつけながら話してくれました。とても面白い事例です。

コミュニティバスと言えば、ムーバスが有名ですし、わが我孫子市でも最近走り出していますが、
まだまだ移動手段としてのバスでしかない事例がほとんどだと思います。
「のっティ」にはそうではない可能性を強く感じました。

前にも書きましたが、山形市でも商店会の若者が真剣に取り組んでいますが、経済性という点で難しさがあります。
しかし発想を変えると全く違った展望が開けます。

今回、みなさんの議論を聞いていて、2つのことに重要なヒントがあると思いました。
ひとつは「マイカー」は経済性では考えないということです。
つまりアワーカー(コモンズカー)にしてしまえば、事業性の捉え方は全く変わるということです。
そしてそれは同時にコミュニティ形成と深くつながっているということです。
コミュニティビジネスの本質がそこにあります。

もうひとつは最近広がっているフリーペーパーです。
バスをメディアと考えれば、乗客にお金を払ってもいいくらいになるかもしれません。
この2点を真剣に考えていくと、コミュニティバスの新しい展開が開けてくるかもしれません。
そんなことを考えながらフォーラムを聞いていました。

コミュニティバスも面白かったですが、その母体になったはまなす学会にも興味を持ちました。
これも新しい地域型住民組織です。
こういう活動こそが、もしかしたら新しいスタイルの社会教育かもしれません。
新しい町内会のビジョンもそこから見えてくるかもしれません。
これからも注目していきたいと思いました。

■計画情報研究所の森重昌之さんとの出会い(2006年3月19日)
上記フォーラムのゲストとして、石川県から森重さんが参加されましたが、フォーラムの前にいろいろと話す時間がありました。
森重さんは都市交通問題を中心にまちづくりなどに幅広く関わっているようですが、
その考え方や取り組み姿勢にはほぼ完全に共感できるものでした。
フォーラムでのお話もお聞きしましたが、まさに「共創」発想の持ち主であり実践者のように感じました。
短い時間でしたが、刺激的な意見交換ができました。
どこかでまたご一緒したい人です。
計画情報研究所のサイトも刺激的です。ご覧ください。

■新潟をこよなく愛する金田英一さん(2006年3月19日)
はまなす地域研究会のフォーラムに、金田英一さんがわざわざ参加してくださいました。
先週たまたま電話があり、私がこのフォーラムに参加する話をしたら、その日は新潟にいるので自分も参加するといってくれたのです。
金田さんは新潟在住の母親の介護の関係で、東京と新潟を往復しているのです。
新潟で金田さんにお会いするのはこれで2度目ですが、東京ではなかなかゆっくりお会いできないので、
フォーラム終了後、金田さんとゆっくりお話させてもらいました。

金田さんお奨めの羅言というお店で、おいしいお魚をいただきました。
ノドグロという魚が新潟でしか食べられないというので、まずはノドグロをいただきました。
初めての魚でしたが、口に入れると、適度の脂がのった上品な味の広がりとやさしい甘さを感じさせる、とても素直なおいしさでした。

金田さんのことはこれまでも何回か書いてきましたが、出会いはパウサニアス・ジャパンです。
私は現在休会していますが、最初に立ち上げた3人組の一人です。
その後、金田さんがコーポレート・コミュニケーション概念を日本に導入した草分けのお一人であることを知り、いろいろと刺激を与えてもらってきました。
また金田さんは環境分野や社会教育の分野でも活躍されています。
ともかくフットワークがいいのです。とてもご多用にもかかわらずです。

今回は、その金田さんの若き頃のご活躍の話をお聞きしました。
金田さんはダイヤモンド社、そしてプレジデント社で、ご活躍されていたのです。
その頃のエピソードをいろいろとお聞きしました。
あまりに話が弾んでしまい、すっかり遅くなってしまいましたが、何とか新幹線には間に合って自宅に帰ることができました。
新潟は雪でした。

■椎田町のアサリ(2006年3月20日)
最近はアサリ解禁になると福岡にいる藏田正章さんがアサリをどっさりと送ってくれます。
椎田町の海岸でご自身が収穫してくるのです。
大企業の経営幹部だった藏田さんも、いまではすっかり農業と漁業の人になっています。
自然との共生を楽しんでいるのです。

椎田町のアサリはとても美味しいのです。
昨日の新潟のノドグロといい、椎田のアサリといい、地方の人は豊かな食文化を楽しんでいるようです。
食は文化と生命の基本です。
社会がおかしくなってきたのは、見知らぬ他者に食を依存しすぎたからかもしれないといつも思います。

■自治会会長引継ぎ(2006年3月21日)
4月から自治会の会長を引き継ぐことになりました。
なにやら大変だそうなのですが、やってみないとその大変さを理解できないのが私の性格なのです。
それで簡単に何でも引き受けてしまい、後で苦労することもあるわけです。

今日は前会長から引継ぎを行いました。
4月からの会長は私だけで受けるわけではありません。
私たちの班で受けるのですが、みんなとても協力的で、副会長や会計、防犯担当や回覧担当など、5人の人が自発的に引き受けてくれました。
他の人たちも全員が協力を申し出てくれています。
こういう近隣社会は今どきめずらしいかもしれません。とてもいい隣人たちです。

今日は私を含めて4人で引継ぎを受けました。いろいろ問題はありそうです。
行政、NPOからのまちづくりはこれまで体験してきましたが、自治会側からの活動はこれが初めてです。
どうなるか楽しみです。私は自治会に大きな期待を持っている一人です。

ちなみに、以前書いた自治会町内会プロジェクトですが、まだ動き出してはいないようです。
しかしその関係で、入山さんからメンバー候補者に、玉野和志さんの「東京のローカル・コミュニティ」の本のお勧めがありました。
玉野さんは美野里町プロジェクトでご一緒した大月敏夫さんとも研究会などで交流のある方ですが、
この本はある町内会と地域社会の変遷を社会調査によってまとめた面白い本です。
しかし大切なのは、これからの構想です。
しかもパラダイムシフトしなければいけません。
1年の実践を踏まえて、私も少し考えてみたいと思います。

■福祉の現場と制度設計の場(2006年3月23日)
横浜の社会福祉法人で福祉活動に取り組んでいる糸川史生さんがやってきました。
一度、コムケアサロンに参加してくれてからのお付き合いです。コムケアセンターの橋本さんの友人でもあります。

現在の福祉施設の現場は問題山積です。
介護保険制度の見直しにしても、4月から変わるのにまだ具体的な内容が決まっていないこともあるようで、現場は翻弄されています。
それに先行きが見えず、問題はむしろ深刻化しそうな気配もあります。
制度に関わっている人たちはほとんど現場を知らないのでしょう。
福祉に限りませんが、現場と制度設計の場とは、視座も視野も、そして論理も違うことがほとんどです。

しかも、福祉の現場にも中途半端な経営論や市場主義が持ち込まれていますから、ますます事態はおかしくなってきています。
そこにおかしなコンサルタントや学者までが入り込んできています。もちろん企業もですが。

福祉の現場にいる糸川さんは大学で社会福祉を学んだ、思いのある方です。
その思いがあればこそ、現在の福祉の現場からさまざまな問題意識をお持ちのようです。
そこで、今年は、個別問題に埋没せずに、福祉のあり方を改めて考えてみたいと転進することにしたのです。
コムケア的にいえば、「大きな福祉」発想で福祉のパラダイム転換を考えてみようということかもしれません。
しかし、こうした糸川さんのような思いをきっちりと受け止めてくれるような場所は、今は必ずしも多くはありません。

糸川さんは、これまでの活動の中でたくさんのノウハウやネットワークを構築しているはずですが、
それらを視座を変えて編集しなおしてみると、さまざまな可能性が見えてくるのではないかと思います。
さまざまな人が相談に来ますが、みんなまだ既存の枠組みで考えがちです。
そこを克服できるときっと面白い人生が開けるでしょう。
但し、路頭に迷うシナリオも20%くらいはあるでしょうから、それをも楽しむ感覚がなければお勧めはできませんが。
糸川さんとはいつかどこかで接点を持ちたいと思います。

■編集者の目線に教えられました(2006年3月23日)
委員会の報告書を絵本でつくろうという井口哲夫さんの構想を、
いっそのことなら出版まで持っていけないかということで、私の知っている編集者とお引き合わせしました。
ブックのコーナーで紹介した「恵みのとき」を担当した鈴木七沖さんです。
実はこれを口実に鈴木さんとお話もしたいと思ったのです。

鈴木さんはライフリンク立ち上げのコアメンバーのお一人です。
初めての出会いは、日本ドナー家族クラブの集まりでしたが、そこでの鈴木さんの話が私にはとても印象に残ったのです。

井口さんとお話しする前に少し鈴木さんとお話できました。
ますます興味を持ちました。どう興味を持ったのかは、いつかきっと書き込める時があるでしょう。
豊かな自分の生活を過ごされている方です。

井口さんと鈴木さんの話し合いも
刺激的でした。
編集者の発想にも久しぶりに触れることができました。
本の書き手と編集者の視点はやはり違います。
一番印象的だったのは、
登場人物に自分(書き手)の代役をやらせるのではなく、
登場人物が自然と動き出すのに任せないといけない
という言葉でした。
書き手は登場人物をエンパワーすればいいわけです。

これは本づくりに限らないでしょう。
その一言で、改めて編集ということの意味を考えさせられました。
いつか鈴木さんと何かご一緒できればと思いました。

ところで鈴木さんが最近関わった本に、「集中力」と「「原因」と「結果」の法則」という2冊があります。
いずれも100年ほど前に英国と米国で書かれた、超ロングセラーの翻訳書です。
話題になった、あるいはなっている本なので読まれた方も多いかと思いますが、
こうした本に取り組む鈴木さんの編集者姿勢にとても興味をひかれます。

■久しぶりの國分利江子さん(2006年3月23日)
以前、このコーナーで10年近く音信が途絶えていた人とネットのおかげでまた交流が始まったことを書きました
その人は國分江利子さんです。

渡米直前にお会いしたのですが、昨年までずっとニューヨークで生活していたのです。
國分さんの生き方はドラマティックです。
詳しくはこのサイトに紹介されています
湯島のオープンサロンに来た時は、南アフリカから帰国した頃です。

ニューヨークでは、マッサージ・セラピーのライセンスを取得し、仕事をしていたそうですが、
今年から日本での活動に取り組むことにしたそうです。オフィスは代官山です。
女房が國分さんのことを話しだすタイミングが1年前だったら、ネットでは見つからなかったかもしれません。
まさに絶妙のタイミングで、國分さんを思い出したのです。
國分さんも、「私も丁度、"どうしていらっしゃるかなぁ"と思い、ご連絡してみようかしら・・・と考えていたところでした」とメールをくれましたが、見事なシンクロニシティです。

女房と3人で久しぶりに國分さんとお会いしました。
國分さんは以前にもまして元気そうでした。
セルフ・ヒーリングのための独自のボディ・ソウル・ワークに取り組んでいるようです。
代官山ですでにサロンを始めていますが、間もなく本格的に活動を展開するそうです。

國分さんは昨年、8年ぶりに日本に戻ってきて、「癒し」の言葉が蔓延していることに驚いたそうです。
きっと社会の病理が見えたのでしょう。
じわじわと壊れだしている社会の中で生活していると、そうした病理は見えてきません。
よくいわれる「ゆでがえる現象」に私たちは完全に侵されているのです。

8年前に比べて、日本社会の変化の大きさは想像を絶しているように私には思いますが、
どうもそう思っている人は少ないようです。
米国では癒しは自動詞で語られるのに、日本では他動詞で語られているというのが、國分さんの思いのようです。全く同感です。

國分さんは予知感性の優れた人でもあります。
そんなことも含めて、久しぶりにゆっくりと3人で話しました。
彼女のファシリテーションパワーに私たちが自らを少しだけさらけ出した2時間でもありました。

新しい若者世代が歴史を変えていくのかもしれません。

■福岡でお2人の気になっていたお二人に会いました(2006年3月24日)
福岡に久しぶりに来ました。気になっていたお2人を訪問しました。
いずれも久しぶりですが、会った途端にその時間が嘘のようにつながってしまいました。
人のつながりは時間でも会う頻度でもないことがよくわかります。
その言動において共感できるところの多い2人です。

まず玉井雄大さん。
abcリサーチ&デザインを主催している都市計画家です。
福岡市のビジターズインダストリー関係のプロジェクトで知り合ったのですが、
都市計画家の玉井さんが地域密着のコミュニティビジネスに取り組みたいと言っていたのがとても気になっていたのです。
構想力とダイナミズムとコミュニティベースの発想の組み合わせ、そこに共感を持っています。

意外な取り組みが始まっていました。
事務所の下を借りてコンビニを始めていたのです。
コロンブスの卵ではないですが、そういう入り口もあることに私も気がつきませんでした。
そういえば、京都の戸田さんはコンビニから人育ち支援、まちづくり支援に入りだしました。
コンビにはたしかにコミュニティセンターの側面を持っているわけです。
玉井さんのことですから、きっとここからさまざまな物語を育てていくでしょう。

もう一人は福岡市役所の風土変革として有名なDNA活動の中心人物の吉村慎一さんです。
体調を崩され、いまは議会事務局にいますが、自治体職員の枠を超えた発想を持つ人です。
山形市の共創プロジェクトの時も話に来てもらったりしてお世話になっていますが、
吉村さんの思いの深さを知っている一人としては、全国区で活動してほしい一人です。

最近の自治体の状況は本当にひどいもので、その張本人はほとんどの場合、首長です。
その首長にしっかりものを言う職員はいなくなってきていますし、外部の有識者のほとんどは迎合か諦めかで、裸の王様を増長させているだけです。
最初はみんな素晴らしい首長であることが多いのですが、残念です。
国政の構図が自治体にもフラクタルに展開されているだけかもしれません。
経済主義的な利害構造が蔓延しているのです。

吉村さんは九州大学大学院で学んでいましたが、その修士論文をもらいました。
体験的NPM論です。
NPM(ニューパブリックマネジメント)には私はあまり賛成ではないのですが、実践者の吉村さんが書かれたNPM論には関心があります。
久しぶりの吉村さんとの2時間は実に刺激的でした。
最近、自治体行政にはほとんど関心を失っていましたが、少しまた引き寄せられた感じです。
すぐ気変わりするのが私の欠陥なのです。困ったものです。

■姪浜のオープンサロン(2006年3月24日)
福岡の姪浜で活動しているコムケア仲間の共生支援センターの西川義夫さんがオープンサロンを始めました。
西川さんのことはCWSプライベートでご紹介しましたが、還暦を迎えたのを契機に、ハーモニカのストリートライブを始めた人です。
読売新聞で取り上げられた記事を是非お読みください。

今日は3回目のオープンサロンです。
たまたま明日のコムケアフォーラムに参加するために来福していたので、それに参加させてもらいました。
地域の人のたまり場作りが西川さんの思いです。
これまでの地域活動のおかげで、その趣旨に賛同してくれた方たちから毎回、いろいろな差し入れがあるそうです。
西川さんのこれまでの着実な取り組みがよくわかります。

サロンではさまざまな人と出会いました。
芸能ボランティアあさかを主宰されている浅香光輝さん。
もしかしたらと思ったら、やはり有名な浅香光代さんの内弟子だったそうです。
健康を崩されて福岡に戻ってきたのだそうです。
日本舞踊の教室をやりながら、ボランティア活動をしているのだそうです。元気一杯でした。

福岡建設職員百人の会の理事長の吉田和彦さんも社会活動にも取り組まれています。
職人たちが200人以上ネットワークされているようです。

京都の福祉施設で仕事をしていた堤均さんにもお会いしました。
名刺の字の見事さに関心をもちました。
まもなく佐賀県有田の福祉施設に移るそうです。また会いそうな予感を感じました。

共生支援センターの理事長でもある、福岡逓信病院の院長の津田泰夫さんとも食事の時にゆっくりお話できました。
こうした方が地域の地道な活動にしっかりとコミットされていることを知ると本当にうれしいです。
津田さんは翌日のフォーラムにも参加してLくださいました。

もう一人縁を感ずる人に会いました。
古川建築研究所の古川博さん、技術士です。
先の地震で倒壊した家をなぞっていくと昔の川跡と一致するという話に興味を持ち、話をさせていただいているうちに、
諫早湾や憲法9条の話に広がりました。
諫早湾の活動にも関わられているそうです。
青木智弘さんと接点があるかもしれません。
翌日のフォーラムにも参加してくれたのですが、その時に2つの論文を持ってきてくれました。
後で読んだらその一つは昨年の日韓技術士会議での発表要旨でした。
もしかしたら同じ会議に参加されて情報リテラシーの発表をされた橋本さんもご存知かもしれません。
技術者倫理の話で杉本さんのお名前を出したらご存知でした。ともかくいろいろとつながりがあるようです。

つながりといえば、今回、いろいろの人と会う中で、今までは知らなかった共通の友人知人がいろいろと見つかりました。
世界は恐ろしいほどにつながっています。それにはいつも驚かされます。

■久しぶりの観世音寺(2006年3月25日)
観世音寺は私にとってはとても思いのある場所です。
観世音寺もしくは大宰府が盛んだったころにここに住んでいたという実感を、最初にここを訪れた時に強く感じたのです。
前世体験を感じた地域の一つです。

そして、その最初の訪問時に、観世音寺の宝蔵での仏像との出会いは衝撃的な印象を残してくれました。
観世音寺が法隆寺に移築されたという説にも共感を持ちました。
いまはもう伽藍の大きさを感じさせるものはありませんが、この周辺の雰囲気は不思議な安堵を与えてくれます。
そんな思いがありますので、気になっている地域の一つです。
今回は加野さんにお会いするのが目的でしたが、私にはそれと観世音寺を訪ねるのとはほとんど重なっているのです。

9時に観世音寺を訪ねました。
まだ観光客が来ない時間に宝蔵にいたかったからです。
幸いに一人で30分近く宝蔵を独占できました。
残念ながらその半分の時間は「親切な」テープの解説音声が流れてしまいましたが。
これが無いともっと幸せだったのですが、親切さには抗えません。

5年ぶりくらいでしょうか。前回と全く同じたたずまいの中で、諸仏に拝顔できました。
残念ながら一番古い毘沙門天だけは国立博物館の展示会に出品されて不在でした。
正面に一番大きな3つの像が並んでいるのですが、その迫力はすごいです。
しかもすぐ目の前に並んでいますので、会話ができそうな雰囲気です。
「百寺巡礼」で五木寛之はこう書いています。

「宝蔵のなかにはいったとたんに、思わず声をあげてしまった。そこに並んでいる仏像が、
どれも想像をはるかに超えて、異様に感じられるほど大きかったからだ。」


仏像は普段はきちんとした居場所の中にいますが、そこでは周辺の雰囲気の中で大きさはあまり実感できません。
しかし、こうして本来の居場所でないところに置かれると感じは全く違ってきます。
私はここに来るたびに、この空間は諸仏にとっての私的空間ではないのかと思います。
つまり、寺院は諸仏の仕事場で、ここは彼らの自宅。
ですから、生活のなかでの諸仏を見るような気分がしてなりません。

受付の人と、夜にはきっと諸仏たちは話し合っているのではないですかねと訊いてみましたが、その人もまだ確認できたことはないようです。
しかし、私はそうに違いないと思えるのです。まあ、そんな空間なのです。

今回ももしかしたら、私がいるのに気づかずに表情を変えたりするのではないかと彼らの顔を見据えていたのですが、
誰一人、表情を変えませんでした。さすがです。

そのうちに観光客がどっとやってきました。
受付の人に聞いたら、「百寺巡礼」が出版されてから来館者は増えたそうです。
この宝蔵はまだ方にはお勧めの空間です。
心洗われます。

■福岡市のホスピタリティ(2006年3月25日)
昨日書き込んだ玉井さんとの出会いは、もっとたくさんの人に福岡市を楽しんでもらおうというビジターズインダストリーのあり方を考えるプロジェクトでした。
そこで北九州市とは違ったホスピタリティ活動に触れさせてもらったのですが、
今回体験した福岡市のホスピタリティについて少し書いておきます。とてもうれしかったからです。

玉井さんのオフィスは転居していたので電話で場所をお聞きしながらお訪ねすることになりました。
地下鉄の薬院大通の駅を降りて、改札口の近くにあった地図で確認しようとしてその前に立ちました。
するとすかさずに駅員が出てきて、どちらに行かれるのですか訊いてくるのです。
それもすごく自然に「いい感じ」で、です。うれしくなりました。
近くのコンビニの名前を伝えると丁寧に教えてくれました。感激しました。

実はその前にももっとうれしいことがありました。
地下鉄の天神で七隈線というのに乗り換えたのですが、一度、改札を出なければいけません。
改札口近くにいた駅員に聞いたら改札を出て右に行くようにいわれました。
そのとおり、改札を出たらエスカレーターがあったのでそれに乗ってしまいました。
そうしたらその駅員が息せき切って階段を走って追いかけてきて、エスカレーターではなくその先の通路を進んでくださいというのです。
感激しました。改札を出てからの私の動きを見ていてくれたのです。
こんなことが東京で起こるでしょうか。福岡のホスピタリティは感動的ですね。

もう一つ書きます。
観世音寺に行くのに歩いていこうと思い、いつもとは違って西鉄の五条で降りました。
駅員にどっちに向かったらいいかを聞いたら、外に案内図があるのでそれで説明しましょうとわざわざ自分も事務所から出て、案内板のところまで来てくれて説明してくれました。
これも驚きました。

以上、3つの話を書きましたが、駅員が暇で余裕があるからできるのではないかと思う人もいるかもしれません。
事実、地下鉄の七隈線は市営なのですが予想乗客の半分も実現できずに苦戦しているようなのです。
しかし、福岡の地下鉄は東京や大阪の地下鉄とは明らかに雰囲気が違うのです。とても気分がいいのです。

ホスピタリティの視点から東京や大阪は考え直すべきかもしれません。
ユニバーサルデザインやバリアフリーもいいですが、それだけではない「何か」に気づいてほしいと痛感しました。
福岡のホスピタリティは実はこれだけではないのです。
泊まったホテルでの体験もとてもよかったですし、大宰府でのホスピタリティ体験も書きたい気分ですが、
まあ、あまり長くなってもいけませんので、この3つだけにします。

いずれにしろ、福岡のホスピタリティはとても根付いていることを実感させてもらいました。
感謝とともにとても気持ちのいい2日間でした。

■加野寿恵さんのお引き合わせ(2006年3月25日)
大宰府の加野寿恵さんが亡くなって3年たちます。
このサイトを始めた頃から少し交流が途絶えていたこともあって、このサイトにはこれまできっと出てきていないですが、
世界を変えるライブエイドの夢をもった女性でした。
東京で仕事をしていた時期があり、そのときに湯島にも何回かきてくれたのです。

しばらく音信が途絶えていたのですが、昨年、母親からの手紙で彼女が急逝してしまっていたことを知りました。
その後、手紙を書こうと思いながら、書けずにいました。

今回、久しぶりに福岡にきたのでご自宅を訪問することにしました。
彼女のお母さんとは何回かお会いしています。
大宰府天満宮の前で、久留米絣のお店、加野而青堂を開かれています。とても娘思いの信心深い方です。

加野寿恵さんは霊性のとても強い人でした。
いろいろと不思議なこともあり、私も彼女の話でとても不思議な体験をしたことがあります。
最近出会った観音像に会いに来てくれといわれて訪問したのが母上、加野信子さんとの出会いでした。
なかなか他の人には理解してもらえないでしょうが。

仏前で彼女の話を少し聞かせてもらいました。
加野信子さんも霊性の強い方で、いまも無くなった寿恵さんとの交流は続いていますし、それ以外にもいろいろと不思議な現象を体験されています。
その中には石田梅岩の話もあって、信子さんはいま梅岩を読んでいるようです。

寿恵さんは元気であれば、親友と一緒に会社をつくって事業を展開するはずでした。
残念ながらそれは実現できなかったのですが、その親友の方を信子さんが呼んでくださっていました。
武石理恵さんです。

武石さんは株式会社イーアイエスを主宰されていますが、
同社は英国「エコノミスト」の日本語翻訳権を保有し、ウェブサイト上でオンライン購読できる情報メディアサービスを展開しています。
誇り高きエコノミストが英語以外の翻訳権を認めたのは彼女が最初だそうです。
彼女のキャリアも、そして今の活躍ぶりも、目を見張るものがあり、まさに現代のビジネスプロフェッショナルを感じます。
社会から離脱傾向にある私とは大違いです。
そのくせ、実にヒューマンで大雑把さも感じさせます。
長いアメリカ生活で、それこそ高名な人たちとの交流もあり、私などは気後れしがちですが、
いろいろ話していると、脱落気味の私との接点までありそうなのです。

新しい世代の行動力と柔軟性には感心させられます。
もっと驚いたのは、なんと共通の友人がいたことです。
加藤誠也さんです。これには驚きました。
武石さんとも何か一緒にやれという寿恵さんの導きでしょうか。

驚きの連続でした。
またゆっくりお話させてもらうことになりそうです。

■第1回コムケアフォーラム in 九州(2006年3月25日)
コムケア活動も5年経過しました。
今年から少し新しいフェーズに進化できそうですが、その第一弾として、コムケアの地方フォーラムが始まりました
これまでも何回か行ってきましたが、今度は継続的なコムケアフォーラムです。
その皮切りが、今日、福岡で開催されました。
実行委員会の中心になったのが、共生支援センターの西川義夫さんと明篤館の宮田喜代志さんです。
この2人は、コムケアの考えに即座に共振してくれた人です。

70人を超す参加者があり、事例報告や円座を組んで茶話会で盛り上がりました。
私が一番興味を持ったのは、西川さんの取り組んでいる「共に支えあう街づくり」活動でした。
今回のフォーラムも、その活動の視点でしっかりと構想されているのに改めて西川さんの思いと行動力に感心しました。
展示会場では、参加された共同作業所や多文化共生などの団体がそれぞれの展示販売を行ったほか、資料の展示・配布も行われました。
最後は、民族音楽の演奏をしながら各地を回っているシメイさんの民族楽器を使った演奏と西川さんのハーモニカ演奏でした。
とても充実した楽しい会でした。
すでに第2回に向けての活動も始まっているようです。
うれしいことです。感謝しなければいけません。

こうした会に参加すると、そこで語られたことをもっと多くの人に知ってもらいたいと思います。
参加した主婦の方が、
国会では偽メール問題など次元が低い話が続いているが、さまざまな活動に真剣に取り組まれている皆さんの話を聞いて、希望がもててきた
と感想を述べられました。
全く同感です。
いつも額に汗して働いている生活者、住民の眼差しや言動は真剣ですし、実体があります。
日本の議会には実態が感じられません。英米の議会とは違うような気がします。
平和に取り組んでいる仲間の田口さんや太田さんの書いたものをお読みください

フォーラムの報告はコムケアセンターのサイトにも掲載されますが、ここでは私がお会いした人を書いておきます。
まずは福岡で税理士として活躍されている権藤説子さんが参加してくれました。
久しぶりの再開でしたが、残念ながら今回はゆっくり話す時間がありませんでした。
権藤さんもNPO活動にも取り組んでいます。社会意識の強い方です。
メールではやり取りをしているコムケア仲間にもお会いできました。
Y2工房の岩崎庸子さんには一度お会いしたいと思っていましたが、やっとお会いできました。
アートで病院や商店街を元気にする活動に取り組まれています。
北九州市の折尾で活動している蒔田加代さんと正和舎の服部祐充子さんは、コムケアに応募されたプロジェクト以外にもさまざまな活動をしていることを知りました。
コムケア熊本の方にも会えました。
ネットのつながりが、こうして顔の見えるネットワークに育っていくのはうれしいことです。

コムケア活動が九州でどう展開していくか楽しみです。

(2006年3月第5週)
相変わらずの時間破産ですが、少しずつ落ち着いてきました。

■複合協働と主体性の変革(2006年3月28日)
都立大学大学院の熊本容子さんが修士論文を完成し、いよいよ今度は実践の場に出て行くことになりました。
熊本さんは友人の田中綾子さんと一緒に、コムケアの選考会に参加してくださっていますが、これまで2回ほど意見交換させてもらっています。
2人とも社会への関心は高く、研究成果を活かすべく、企業や行政に就職されました。これからが楽しみです。

熊本さんの修士論文のテーマは「NPOの連携」です。
修士論文をもらったので、後で読んでみたら、コムケア活動のことをとてもしっかりと事例として取り上げてくれていました。
全体の分析もとても示唆に富んでいます。発表できないのが残念です。

今回は新たに溝部奈緒さんが一緒に来てくれました。
溝部さんは博士課程でもう少し研究を続けるとのことです。
溝部さんの研究対象はまだ十分には理解できていませんが、
複雑系の発想や関係性の中での変革論のようなことのようで、とても興味をそそられました。
修士論文は「日常性における個人の小さな改編−テクストの意味連関からみた語りの変容」ですが、
単なるインタビュー調査だけではなく、実際の言動の変容を定量解析されているようです。
とても共感できる姿勢です。
一度また、しっかりとレクチャーを受けなければいけません。

熊本さんや溝部さんの研究室の最近のテーマは「複合協働」らしいです。
さまざまな活動や発想をつなげるところから創発される価値に関心をお持ちのようですが、これはまさに私のテーマでもあります。
創発される価値は、それぞれの参加者の内部にも、またその活動の外部にも発生しますが、
最近の私の関心は、参加者内部に生ずる主体性の変革です。
まちづくりやNPO活動に関わって、そうしたことが世界を変えていくことを強く実感しています。
彼女たちのこれからが楽しみです。

■感声トレーニングの大構想(2006年3月28日)
感声アイモが開発した独自の発声トレーニングは、さまざまな分野で効果をあげてきています。
介護予防や言語障害克服はいうまでもありませんが、それにとどまらず、社会全体を明るく元気にするポテンシャルを持っているように思います。
しかし、現在はまだ、しっかりしたプログラムができていません。
そこで、インキュベーションハウスとアイモが一緒になって、感声トレーニングのプログラムづくりを行い、
それを広げていく活動を展開していこうということになりました。
今日はその第1回目の検討会でした。


現場で実践を重ねていく過程で、多くのNPOはさまざまな実践知を蓄積していきますが、
それらが体系化されずに死蔵されていることは少なくありません。
そうした生活の知恵や実践の知恵が社会的に蓄積され、
だれでもが活用できるようになれば、社会はもっと住みよくなるように思います。
現在の知的所有権制度は、残念ながら経済資本主義の観点から構想されていますので、こうした動きを必ずしも支援していません。
発想の起点を変えれば、今とは全く違った知的財産の活用ができるのではないかと思いますが、
いまや「知」の世界も「金」に毒されているように思えてなりません。

少し話が大きくなりすぎましたが、アイモのノウハウをもっと社会に開放していく仕組みができれば、
アイモにも、その働きかける人たちにも、社会にもそれぞれメリットのある「三方よし」が実現できるはずです。
これは最近の大企業が忘れてきてしまっているビジネスの原点です。

アイモと一緒に、新しいソーシャルビジネスのモデルづくりを目指していければと思っています。
コムケア仲間の活動には、そうした可能性を持つプロジェクトがたくさんあります。
それらが発展すれば、まさにコムケアは新しい結いになっていくのではないかと期待しています。
感声トレーニングの大構想がまもなくまとまります。
たぶん。

■呉さんと張さん(2006年3月29日)
期せずにして、台湾の呉金倉さんとインドネシアの張炳輝さんから連絡がありました。
以前、湯島で留学生サロンをやっていたときに知り合った2人です。
2人ともとても気のいい若者でしたが、いまやもうバリバリのビジネスマンです。
いや、バリバリといっても2人の性格からして、金銭よりも人間重視でおっとりしていますから、
日米的な経済主義にはあまり馴染んではいませんので、苦労しているはずですが。
呉さんには間もなく会えそうですが、張さんもきっとまた日本にくるでしょう。
それにしても偶然にも2人から連絡が入るとは、これもきっと何かの啓示かも知れません。

■胃カメラを飲むことになりました(2006年3月31日)
5年ぶりに健康診断を受けました。
6年前にドックを受けた時には5つの点で再検査を受けるようにと言われたのですが、 いずれもそのままに放置してしまいました。
そんなわけで、それ以来、検査は受けないことにしていました。
受けると継続していろいろと面倒になりそうですので。

しかし女房の圧力が強いために今年は受診したのです。その結果が来ました。
幸か不幸か、精密検査を受けるように連絡が来ました。
胃の中にニッシェ(異常な突出)があるのだそうです。今回は素直に検査を受けることにしました。

近くに胃カメラの扱いがうまいと評判の高い病院があるので電話したら、5月まで予約が一杯ですといわれました。
そこで今度は以前人間ドックを受けたことのある病院に電話したらいつでも大丈夫だと言うのです。
さて皆さんならどちらを選ぶでしょうか。

私は結局、後者を選びました。5月でないと駄目ですという電話の対応にムッとしたためです。
事務的な対応をする病院は、いかに胃カメラがうまくてもかかりたくないからです。
そんなわけで、胃カメラには若干不安のある病院にいきましたが、朝食を食べていなかったら今日でも胃カメラができたというのです。

この差は一体何なのでしょうか。どちらが「良い病院」でしょうか。
当面、私の予定が詰まっているので、胃カメラは4月19日になりました。さてどうなりますか。
前回、胃カメラを飲んだ時は、検体をとったおかげで2週間おかしかったです。
胃カメラのうまい医師であることを願います。

■佐々木敏之さんの再出発(2006年3月31日)
老人福祉分野で活動している佐々木敏之さんが4月から作業療法士の学校に通うことになりました。
入学前に一度、話したいといって、オフィスにやってきました。
佐々木さんは高校生の頃から子ども関係のボランティア活動をしていたそうですが、
大学で体験した老人福祉施設でのボランティア活動が契機になって、そこに自らのライフワークを見つけたようです。
佐々木さんの持つやさしさは、それだけでも高齢者には幸せを与えるかもしれません。

佐々木さんはコムケアの橋本典之さんから紹介されて以来の付き合いですが、コムケアの選考会などを手伝ってもらったりしています。
その橋本さんも4月から理学療法士の学校に行きます。
自らの自己投資する若者が増えてきています。

理学療法士と作業療法士の違いはありますが、2人とも高齢者福祉にとても馴染みながら自らの力を高める努力をしているのです。
コムケア活動のおかげで、こうした若者が増えていることに気づかされていますが、
福祉の世界はきっと彼らが大きく変えていくことになるでしょう。
福祉だけではありません。社会のあり方といっていいかもしれません。
彼らの福祉観は、我々世代の持っている福祉観とは違うように思います。
頭で考えがちな男性世代の時代は終わりつつあります。

さまざまな現場や地域社会では、経済主義に管理されつつある福祉制度とは違う、当事者の視点に立った福祉実践が広がろうとしています。
行政はそれに気づかなければなりませんが、それは今の枠組みでは難しいかもしれません。
住民が主役の時代が始まりだしています。
ほとんどの自治体は気づいていませんが。

■カーフリーデーに取り組む白石眞一さん(2006年3月31日)
昨年の読売新聞を見て、訪ねてきてくれたのが白石眞一さんです。
5か月も経つのに新聞の効果は大きいです。
白石さんは映像プロデューサーですが、横浜にLRTを走らせる会のメンバーでもあります。
前のほうの関係で来てくれたのですが、結局、後者のほうの話が面白く、時間のほとんどは都市交通の話でした。

LRTは、Light Rail Transit(軽量軌道交通)のことで、1980年代に新交通システムとして話題になりました。
当時はまだ私は東レに勤務していましたが、新素材や新システムの視点から興味を持って調査したことがあります。
新交通システムを考えることは都市デザインや社会のデザインを考えることでもあります。

LRTは物理的な仕組みとしては路面電車のイメージですが、
違いは単なる施設や車両の問題ではなく、既存の交通手段と組み合わせた交通システム全体のあり方、
あるいは都市の構造の中でのシステム発想をするという点に本質があります。
19日の新潟のはまなす地域交通研究会のテーマにもつながる問題です。

そうしたこともあって、白石さんたちは横浜で毎年、カーフリーデーというイベントをやっています。
カーフリーとは自動車から解放されるという意味で、その期間は自動車に乗るのをやめようというのが活動の主旨のようです。
その活動は世界中に広がっており、本部はEUにあるそうです。
日本ではまだ行われてはいないようですが、そのミニ版は各地で展開されています。
横浜でも毎年9月23日を中心に展開されているようです。

パンフレットを見せてもらったら、参加団体が50もあって、しかも実に多彩です。
ここに交通手段や交通システムの持つ意味が象徴されています。
交通システムを考えることは暮らしや地域社会のありようを考えることなのでしょう。

自動車の普及によって、日本の社会や都市構造、集落構造は一変してしまったことを改めて思い出す必要がありそうです。
この点でも、北欧のまちづくり、都市づくりから学ぶことは多いように思います。
白石さんとの話は、全く考えてもいなかった方向に行ってしまいました。
それにしても、なぜか都市交通の話が最近続いています。気になります。

■久しぶりににぎやかなオープンサロン(2006年3月31日)
久しぶりにオープンサロンははなやかでした。
個性的な女性が4人も参加してくださったのです。
しかも2人は私には初対面の人です。人数も10人を超えました。
久しぶりに人数が多かったので、ホスト役の勘が戻らなかったのですが、話はとても面白く定刻を30分もオーバーしてしまいました。

初参加は奥山さん、峰岸さん、永谷さん、森田さんです。
奥山さんは日本CI会議体の仲間でした。
私が退会したため、最近は会う機会がなかったのですが、メールではいろいろと交流させてもらっていました。
コムケア活動にも関心を持ってもらっています。
まさかサロンに来てくれるとは思っていませんでしたが、おかげで久しぶりに再開できました。

奥山さんの紹介で峰岸さんと永谷さんも来てくれました。
峰岸さんは雅楽の横笛をやられているそうです。
永谷さんはプロジェクトマネジメントのプロフェッショナルです。
森田さんはオープンサロンを開催したいという思いをお持ちの方で、
ネットで「オープンサロン」を調べていて、このサイトに出会ったのだそうです。

今年初めからメールをいただいていたのですが、やっと日程があって来てくれました。
森田さんは大学院で学んでいるのですが、修士論文は読ませてもらっていました。
社会資源としての音楽家がテーマでした。
コムケア活動を通して、芸術のパワーを実感していましたので、その続きが楽しみだったのですが、
博士課程では一転してテーマが変わってしまうようです。
今度は史学です。1930年代の日本と現在の日本の類似性を考えると、現在の状況を放置して置けなくなったというのです。
同感です。どうしてみんなそれに気づかないのか不思議です。

かつての常連組みも久しぶりに顔を出してくれました。
政治家志望の木村さん、ライターにしてエディターの乾さん、建築アートの紀陸さん、日本語教師を目指している江口さん、
プロデューサー型エディターの藤原さん、そして先週お会いした國分さん、実に多彩な顔ぶれです。
先月はサロンを独占した藤本さんも参加してくれました。
久しぶりにサロンらしくなりました。
写真をご覧ください。
1枚目は乾さんが来ないうちに撮影したので、乾さんはいませんが。



森田さんは、さまざまな専門家が集う自由な公共空間としてのサロンの実現を目指しているようです。
今回はちょっとそんな雰囲気もないわけではありませんでしたが、
初対面の人も多かったので、自己紹介の時間もあり(それもとても面白かったのですが)、サロンの真髄には到達できませんでした。
しかし、また3年前のような活発なサロンが再現するかもしれないと思うサロンでした。
さて来月はどうなるでしょうか。

■安いホテル(2006年4月1日)
最近ちょっと貧乏なのです。
それで出張で宿泊する時にネットで安いホテルを探すことにしました。
実は先週の福岡もそうだったのですが、6000円で朝食つきのホテルでした。
しかもとても感じがよかったのです。それに味をしめてしまいました。
今日も大阪で宿泊しているのですが、朝、ネットで調べてみました 。
直前割引などと言うのもあるのです。
今回も6000円で朝食サービスつきを見つけました。
新大阪駅のすぐ近くです。昼間は名古屋で用事がり、遅く着きそうだったので場所を優先したのです。

6000円で宿泊すると、何だかとても得をした気分になります。
ビジネスホテルはあまり好きではなく、これまでは敬遠していましたが、この2回の体験ですっかり気にいってしまいました。
それに最近の貧乏さには似つかわしいですし。
もう少し貧乏が続きそうですので、次もビジネスホテルでしょう。

今度は5000円にトライしてみようかと思います。
貧乏な時には貧乏なスタイルがあります。
高級なホテルも良いですが、安いホテルもいいものです。

(2006年4月第1週)
今週も実に目まぐるしい週でした。
ビジネスとNPO、両面で時間破産でしたが、
やっとトンネルを抜け出しました。

■トリコロールコレクション(2006年4月2日)
コムケアの支援プロジェクトのひとつに、ヘアスタイルショーを通じたノーマライゼーションを目指す「トリコロールコレクション」があります。
障害福祉に取り組む西宮市の若者たちの柔らかなネットワーク活動の中から生まれたプロジェクトです。
その活動の中心にいる清田仁之さんに会いました。
このプロジェクトそのものもさることながら、清田さんたちの活動がどうやって生まれたのかに大きな関心があったのです。

トリコロールというのが、その組織の名前ですが、
西宮にある障害福祉関係者が、障害分野の垣根(知的、身体、精神)を超えて交流をはじめ、
「住み慣れたこの西宮で安心して快適に暮らせるまちづくり」を地域住民と一緒に考えていこうと活動を起こしたのです。

活動のひとつが、美容師たちや学生たちと一緒になっての、トリコロールコレクション(トリコレ)です。
3月に開催された「トリコレ」ヘアスタイルショーは予想以上の大成功だったようです。
とてもうれしかったのは、この活動を通して、コムケアの「大きな福祉」の意味がわかってきたという清田さんの言葉でした。
清田さんの話は、コムケアの報告書にまとめる予定ですが、清田さんから次々と出てくる言葉の「輝き」に圧倒されました。
コムケアをやっていて良かったと思えた出会いでした。

■コムケア関西交流会(2006年4月2日)
先週の福岡に引き続き、関西でコムケアの集まりがありました。
コムケア関西交流会。主催は、おんなの眼で大阪の街を創る会です。
同会はもう13年の歴史を持つ、とても行動的なグループです。
コムケアの理念にとても共感してくれて、コムケアのことをもっとたくさんの人たちに知ってもらいたいといって、今回の交流会を企画してくれたのです。

久しぶりに、同会の小山さん、辻さん、酒井さん、川崎さんにもお会いしました。
花音の吉田さんも応援に来てくれていました。
いずれも3年ぶりでしょうか。コムケアは、こうした人たちに支えられているのです。

あいにくの雨の中を50人近くの人が参加してくれました。
メーリングリストで名前だけ知っている人、3年前にコムケアの集まりでお会いした人など、いろいろなコムケア仲間に出会えました。
そうした人に会えると、元気が出ます。

滋賀の近江八幡で見事なコミュニティ活動をされている丹波さんも遠くから参加してくれました。
会社時代の先輩ですが、退社後も私を応援してくれています。
丹波さんたちの活動は実にすばらしいものですが、ますます発展しているようでうれしいです。

それにしても、本当にさまざまな活動があるのです。
企業や行政の中にいたら、あるいはこうした場に出てこなかったら、きっと気づかないでしょう。
こうした当事者たちの地道な活動に支えられて、社会は成り立っているのです。
制度を考える人たちに、こういう場で少しは視野を広げてもらいたいと思います。

いろいろな出会いがありましたので、書きたいことが山ほどあります。
日本初のアートトレインが各駅のアートを結んだ「石坂線文化祭」を実現した福井さんとはやはり3年ぶりでした。
地域交通を考えるひとつのヒントもありますし、ともかく面白い活動です。
福井さんが取材を受けて話していますので、ぜひお読みください。
福井さんが取り組んでいるもう一つの活動、地域史の「声」を後世の残すビデオ収録活動もありますが、これもぜひ読んでください。

こういう見事な活動に取り組んでいる人たちがたくさん集まったのです。
それぞれを紹介するだけで一冊の本になりそうです。
書き出したらきりが無いので、紹介できないのが残念です。

でももう一つだけ書きます。
奄美青年の会の話です。
尼崎市には奄美の出身者が14万人いるそうです。
奄美の言葉は日本語よりも朝鮮語に近いようで、言語障壁があるため、なかなか働きにくいのだそうです。
今回はその会の特別相談役の佐々木さんとお会いしました。
佐々木さんの夢は奄美の子どもたちのために、奄美でオーケストラの生の演奏会を開くことです。
資金を少しずつためているようですが、この夢の実現に何とか応援したいと思いました。
何か良い知恵はないでしょうか。私も考えてみるつもりです。

他にも認知症の予防ができることを訴え続けている高林さんや寿衣を広げる活動に取り組んでいる嶋本さんなど、
実にたくさんの刺激をいただき、元気になりました。
主催されたおんなの眼で大阪の街を創る会の皆さんに感謝しなければいけません。

ちなみに、今回は同会の水野さんが中心になって取り組んでくれました。
これまでのメンバーに比べると世代がぐんと若くなりました。
NPO活動の世代継承はかなり難しいのですが、同会の世代継承は見事に実現しそうです。
これからが楽しみです。

■台湾の呉さん(2006年4月4日)
先日電話のあった呉さんがやってきました。
ビッグサイトで開催されるプレミアムショーに出店しているのです。元気そうで何よりでした。

話していたら台湾の奥さんから電話があり、久しぶりに奥さんとも話せました。
彼女も湯島でやっていた留学生サロンに参加してくれたことがあるのです。
奥さんは今も台湾で日本語教師や通訳をしています。

呉さんは台湾に帰って11年だそうです。早いものです。長男は小学3年になりました。
呉さんは台湾でピンバッジなどの製造販売の会社をやっています。
昨年は愛知万博で仕事がかなりあったそうです。
呉さんのホームページはこのホームページともリンクしていますが、
もしピンバッジなどが必要になったら、ぜひ呉さんのところに注文してやってください。
インキュベーションハウスが呉さんの会社の代理店になることも検討することにしましたので、よろしくお願いいたします。

■技術者倫理フォーラム(2006年4月4日)
隔月に行っている技術者倫理サロンです。
技術者の倫理はいままさに時宜を得たテーマです。話題には事欠きません。
今回から川口秀人さんも参加です。

アスベスト関係の分析の仕事は潮が引くようになくなってしまったという話や
安全・安心論や美術館の学芸員問題や、いつもながら多彩な話で盛り上がりました。
今回は科学技術倫理フォーラムの代表の杉本さんも参加してもらい、秋に計画している公開フォーラムの話をする予定だったのですが、
それどころではありませんでした。実に刺激的な話が次々にでてきます。まさにサロンの魅力です。

日本で「科学技術」という場合、政策や制度をつくっている人は、「科学」しか見ておらず、
「技術」は軽視されているのではないかというような話も出ました。
安全安心に関しては、社会心理学やコミュニケーション論を専攻している関谷さんが、
原発関係のコミュニケーションに関して、送り手と受け手の言語が違うこともあって、コミュニケーションが成り立っていない。
その解決のためには、思い切り広範囲に視野を広げて全く違ったつながりの仕組みを創らなければいけないのではないかというような話をされましたが、
私がずっとぼんやり考えていたことが見えてきた気がしました。
一度また関谷さんと意見交換したいと思います。

肝心の公開フォーラムは10月に開催することになりました。
ご期待ください。

■地方振興アドバイザー(2006年4月5日)
日本地域開発センターの北川泰三さんが久しぶりにやってきました。
新たに特別研究員になった黒岩麗子さんも一緒です。

北川さんが事務局をしている地方振興アドバイザー制度というのがあります。
国土交通省のプログラムなのですが、私もそのアドバイザーの一人で、時々、引き受けてきました。
美野里町谷和原村も、それが契機になっての付き合いです。
今年もどこか引き受けようかと思っていますが、私にぴったりの地域がありました。
まだ確定ではないかもしれませんが、動き出せば面白そうです。

北川さんとは長い付き合いです。
各地で進んでいる地域整備の現場情報は北川さんのところにかなり集まっています。
ですからそれをもっと活かしたプロジェクトや情報発信をしてほしいとずっと思っていますが、
北川さんもどうやら仕事に埋もれがちで、なかなか動けないようです。
今度は黒岩さんというメンバーが加わったので、楽しみです。
個別プロジェクトとは別に、そうした情報発信プロジェクトができないかと期待しています。

■久しぶりの大川新人さん(2006年4月6日)
多摩大学のコミュニティビジネス支援センターの大川さんが久しぶりにやってきました。
大川さんはコムケアをいろいろと手伝ってくれており、その関係でコムケア仲間を取材したNPOの本も出版しています。
いい本です。コモンズ書店で販売していますので、ご希望の方は買いに来てください。まだ売れ残っているのです。
コミュニティビジネスに関しても、最近共著を出されました。

大川さんはやや時代を逸脱したというか、時代の寵児というか、かなりスローライフを実現しています。
そのくせ、アメリカで学んできたこともあって、やけにビジネスライクだったり、ドライだったりするのです。
その二つが奇妙に統合されている不思議な人なのです。
半年くらいたつとなぜか会いたくなるのです。
会ったからどうするということでは全く無いのですが。会っても全くの無駄話で終わります。

昨日はお土産を持ってきてくれました。
韓国に行っていたというので、何かと思ったら、韓国の100円ショップで買ったたまねぎクラッカーでした。
100円です。いかにも大川さんらしいです。
やってくるなり冷蔵庫からお茶を出してきて、そのクラッカーを出してくれました。
一瞬、どちらが来客かわからなくなるほど、それが自然体なのです。不思議な人です。

多摩ニュータウンの商店街での取り組みが面白くなりそうな気配があります。
また半年後に会うことにします。

■平成の昌平校構想(2006年4月6日)
日本経営道協会が創立10年目を迎えます。
それを契機に前から考えていた湯島聖堂の隣に転居しました。
主宰者の市川覚峯さんには、平成の昌平校構想があるのです。

そんなわけで、いよいよ新しいステップへの進化が始まります。
スタッフとして、相馬誠さんと菅原幸さんの2人が参加しました。誠と幸。これもきっと意味のあることでしょう。

新しいオフィスを訪問し、市川さんと新人の2人でいろいろと話しました。
気がついたら4時間近くも経過してしまい、夜の約束に遅れてしまいました。
それだけ日本経営道協会の活動は面白いのです。
何しろ市川さんとは20年近い付き合いですから、いろいろとよけいなこともいいたくなるのです。

日本経営道協会の第2期計画づくりに参加することにしました。
少しずつ動き出しますので、応援してください。

■いくつかのビジネスプロジェクトが動き出しました(2006年4月7日)
今週はいくつかのビジネスプロジェクトが動き出しました。
それを象徴するかのように、今日は3つのプロジェクトに関するそれぞれの打ち合わせをハシゴしました。

内容が全く違う3つのプロジェクトですので、頭の切り替えが大変ですが、いずれも刺激的なプロジェクトです。
NPOの世界とはまた違った世界です。
これからどうなるか楽しみです。
どれかがうまくいけば、コムケア活動に寄付できるかもしれません。
その前に借金を返さなければいけませんが、

それが伝わったのか、税理士の外崎さんからきちんと働いているかどうかの電話がありました。
今年は黒字間違いなしと答えました。
あんまり信用していないようでしたが、まあ今年は大丈夫でしょう。
久しぶりに企業ビジネスに本気で取り組みだしていますので。

(2006年4月第2週)
今週は半分以上をネットから遮断された生活でした。うれしいこともたくさんありました。
KAEの風早さんがとても元気そうですねと言ってくれましたが、とても元気な1週間でした。

■観音の町での雨森夫妻との会食(2006年4月8日)
女房の小学校の時の同級生の雨森善司さんが、時々、女房に「故郷情報」をメールで送ってくれています。
いつしか私もその愛読者になりました。
女房の故郷は滋賀県高月町なのですが、
そこで、コミュニティバスが走り出したとか、JRの駅が新装されたとか、雪が積もったとか、そんな写真にコメントがついた情報です。
私は各地のまちづくりに、ささやかに関わっていますので、そうした定点観測的な情報は実に貴重なのです。

それが契機になって、雨森さんは私のホームページの読者にもなってくれました。
ブックのコーナーで紹介した「循環型社会入門」を送ってきてくださったのも、実は雨森さんなのです。

今回、法事で女房の実家に帰ることになったので一緒に食事をすることになりました。
一度、お会いしたかったのです。

雨森さんは一昨年会社を定年退職されたそうで、今は優雅なボランティア生活を楽しまれているようです。
今日も在所の観音様のお守り日だったそうです。
この界隈は観音が実に多く、それぞれの集落が由緒ある観音をみんなでお守りしているのです。
最近は見学者も多いので、在の人たちが交代で対応しているのだそうです。

雨森さんの集落は唐川といいます。
唐川の集落の後ろにある山(私は大型古墳だと思っていますが)の山麓にある赤後寺に祀られている千手観音が雨森さんたちがお守りしている観音様です。
重要文化財だったと思いますが、私も20年くらい前に拝ませてもらったことがあります。
手首の先を亡失してしまった破損仏ですが、破損を感じさせない美しいお姿だったのを記憶しています。
今日は雨森さんのお守り日だったので、見せてもらえばよかったのですが、
高月に着いたのがちょっと遅かったので、今回は雨森ご夫妻にお会いするだけにしました。

初対面でしたが、旧知のように楽しくお話ができました。
なにしろここは観音の町ですから、みんなとてもやさしいのです。
雨森さんと話していると、日本の社会はマスコミがはやし立てるほどには壊れていないのではないかという気になります。
まだまだ日本の文化は各地に残っているのです。そしてみんな豊かに暮らしているのです。

とてもうらやましいご夫婦でした。次回の故郷情報が楽しみです。

■田舎の法事も「合理化」が進んでします(2006年4月9日)
義弟の17回忌でした。
地方の法事は都会とは違い、まだ歴史を残しています。
しかし、毎回、参列させてもらうたびに、どんどん変化しているのがよくわかります。
私が女房と結婚した頃は、早朝から夜遅くまでかかりましたが、今は半日です。
料理も手作り中心から仕出し中心に変わりました。「合理化」が進んでいるのです。

面白いのは同じ町でも、集落によってかなり違うのです。
もちろん集落を超えて、いろいろなところから集まってくるわけですが、その違いは認め合っているのです。
村のアイデンティティを大切にしあっているのです。

このあたりはいうまでもなく真宗です。
法事では集まった人たちがみんなで読経するのです。
子どもたち向けの日曜学校でお経が教えられていますので、だれでもお経はあげられるのです。
そうした文化がまだ辛うじて残っています。

女房の実家は高月町の西物部というところですが、ここはお坊さんのお経が長いのです。
今回は1時間半でした。
私は正座に慣れていないため、1時間半も正座していると足のひざにあざができるほどです。
痛みが引くまで1週間近くかかりました。
私もお経の本を見て、一緒に声を出してみましたが、まだ読経という感じにはいたりません。
しかし、毎日、朝と夕に20分くらいずつ読経していたら、健康維持には効果的だろうなと思います。

今回は法事の前に仏壇にろうそくと線香を上げるのが私の役になりました。
お坊さんも大丈夫かと心配そうに見ていたそうですが、何とか無事勤められました。
お勤め後の会食での酒量は年々急速に減少しています。
自動車で来る人が増えたばかりではなく、呑む人が少なくなったからでもあります。
お酒の市場がどんどん縮小しているはずです。
酒造メーカーの戦略作りは面白い時代になってきているようです。

会食で話をしていたら、なんとNPOの話がでてきました。
地域社会がしっかりあるところには、NPOなど不要のものと思っていましたが、どうもそうではないようです。
しかも話をお聞きしていると、実にしっかりした活動姿勢を持っています。
都会のNPOよりもよほど実のある展開が行われているような気がしました。
NPOの世界も変わっていくかもしれません。

■観音の里(2006年4月9日)
雨森さんがお守りしている赤後寺の観音様も素晴らしいですが、
観音といえば、この高月には有名な渡岸寺の十一面観音がいます。
井上靖が絶賛した仏様です。
最初お会いした時には感動しました。
論理的な美しさと感性的な美しさがあいまって、威厳と慈悲を感じさせる仏様です。
しかし、この周辺にはそれだけではなく、実にたくさんの観音様がそれぞれの在にあるのです。

若狭から奈良二月堂に通ずる湖東の道は古来、「かんのんみち」と呼ばれていました。
女房の実家に戻るたびにそれらの何体かにお会いできます。
今回は法事の合間に、すぐ近くの己高閣に行きました。
昔は鶏足寺や石道寺という大伽藍のあったところです。
その周辺の残されていた仏像を集めて、ここでも在の人がお守りしています。
木ノ本町古橋という集落です。25年ぶりです。

唐川と同じく、村の高齢者がボランティアで見学者の対応をしていました。
鶏足寺のある己高山は古くから信仰されていた神山ですが、村の人に話を聞いたら、鶏足寺は昔は己高山の山頂近くにあったそうです。
大伽藍の様子が目に浮かびます。
己高閣は、その鶏足寺に散在していた仏たちを集めた宝蔵です。
隣接して、世代閣というのがありますが、これも伽藍にあった戸岩寺の仏像を納めた宝蔵です。魚籃(ぎょらん)観音が有名です。

己高閣も世代閣も、村人たちがお金を出し合って建設したものだそうですが、観世音寺の宝蔵と違い、狭すぎて迫力が無いのが残念です。
空間の大きさで全く違う世界になるものだと改めて感じました。

戸岩寺の一部は壊れかけたまままだありますが、そこにも見事な仏像がたくさんあります。
窓からしか見えませんが、火事になったり、盗難にあったりしないか心配です。大日如来がとてもいいです。

村の人たちと少し長話をしてしまいましたが、こういうところで地域や外部の見学者たちと交わりながら過ごしている老後の人生は豊かでしょうね。
国政などどうでもいいという気になるでしょうね。
とても深い平和を実感しました。

■湖東三山めぐり(2006年4月10日)
敦賀の義姉夫妻の案内で、久しぶりに湖東三山めぐりをさせてもらいました。
昔やはり2人に案内してもらったはずなのですが、なぜか記憶が断片的になっています。
記憶がどんどん失われているのが最近よくわかります。
認知症は予防できるそうですので、少し予防行動をとらなければいけないようです。

滋賀はお寺の多いところですが、その割にはまだあまり観光化されていません。
その良さと悪さがありますが、湖東三山は、ちょっと中途半端に観光化されつつあるようで残念です。
中途半端はいけません。私などからすると、物足らなさを感じます。私のほうに問題があるのでしょうが。

湖東三山とは、西明寺金剛輪寺百済寺です。いずれも天台宗です。
西明寺と金剛輪寺には、とてもホッとする三重塔があります。
自然の中に配置されていますので、とても落ち着きます。
それにいずれも庭が素晴らしいのです。今日は雨でしたので、人もまばらで、庭を満喫することができました。
いずれの寺にも国宝や重要文化財があるのですが、いかにも無造作に置かれています。
それぞれの諸仏や庭はそれぞれのサイトでご覧ください。

金剛輪寺と百済寺には十一面観音がありますが、これもそれぞれに趣きがあります。
湖東には十一面観音が多いのですが、これは福井の白山信仰とつながっているからだと聞いたことがありますが、
このあたりは白山信仰と叡山信仰との結節点になっているようです。
そういえば、先に昨日訪れた己高閣には傑作といわれる猿の彫刻がありましたが、民間信仰もまた深かったことを感じさせます。
湖東には猿も多く、寺社をまわっているとよく猿に出会います。
今回も百済寺をあるいていたら、猿がゆっくりと参道を横切りました。
よく見ると、桜の樹の上に花芽を食べている猿たちがたくさんいました。みんなとても太っていました。
久しぶりに湖東三山めぐりで心の安堵を少し得た気がします。

そういえば、西明寺などに黒岩比佐子さんが関わった「百寺巡礼」の本が目立つところに置かれていました。
観世音寺でもそうでしたが、この本が新たな寺社ファンを増やしているようです。

■企業に人間を取り戻す必要性(2006年4月12日)
KAE経営道フォーラム38期の研究成果のまとめ合宿でした。
強羅でしたが、桜が見事に満開でした。
今年はあまり桜を観る機会がありませんでしたが、思わぬところで桜を楽しませてもらいました。

今回は「良い企業文化」と「人と経営理念」が私の担当チームのテーマになりました。
いずれのチームメンバーからも、もっと人間味を取り戻したいというメッセージが聞こえてきます。
最近の企業業績は急速に回復しているようですが、
組織にとっては回復だとしても、それを構成している社員にとってはもしかしたら回復基調にはまだ入っていないのかもしれません。
企業の経営幹部の皆さんの話を聞いていると、そんな気がします。

今回のテーマはやや総論的なのですが、最近の傾向としてみんなまとめることに気が向きがちなことも気がかりです。
企業の置かれている状況がそうしたところからも見えてきます。
もっともこれは、企業に限らず、社会すべてにいえることかもしれません。

私の役割はどちらかといえば、ノイズをいれることですが、まとめの最終段階ではなかなかノイズも入れにくいところがあります。
しかし、それぞれに面白い議論ができました。
発表は5月10日です。ご関心のある方はご案内します。

■モバイルの故障(2006年4月12日)
私は出張や旅行にも必ずモバイルを持参します。
ですからメールチェックもブログへの投稿も必ず毎日できるのです。
ところが今回、滋賀に出かけた翌日にモバイルが動かなくなってしまいました。
ちょっと調子が悪くなったので、むやみにいろいろなキーを押しすぎてしまい、結局、壊れてしまったのです。
そのおかげで、この4日間、メールチェックもメール発信もできませんでした。
モバイルでつながっていると思うと、気楽に旅行や出張に出かけられるのですが、
こうして断絶した状況が続くと仕事が全くできなくなってしまいます。
モバイルさえ機能していれば、たとえ旅行先であろうとも仕事場になりえるのですが、モバイル故障では完全にお手上げです。
つまり私もいまやネット社会に取り込まれてしまい、自立できていないのです。困ったものです。

しかし、そのおかげでゆっくりした3日間を過ごせました。
来月からは自発的にオフラインデイをつくろうと思います。

■我孫子チャットの集まり(2006年4月13日)
我孫子市の柔らかなネットワークメンバーの定例的な集まりです。
名称はまだ決まっていませんが、そろそろ名称も決めようということになっています。
今日は新たに参加した河田光輔さんが参加してくれました。
河田さんは以前、手づくり散歩市の時に地域通貨作りで協力してもらったのを契機に、
日本構想学会の平和のセッションに参加してもらったりした若者です。
一昨年、一度就職しましたが、どうも違和感があったようで今転身準備中です。
平和や憲法にとても興味を持っています。

そういえば、我孫子や柏、松戸に在住している人たちの平和に関するメーリングリストも今週立ち上がりました。
若者たちの平和への関心はじわじわと広がっているようです。そこでの議論も面白いです。

河田さんが参加されてくれたのを契機に、これまでのメンバーが改めて自己紹介をしてくれました。
そのおかげで、私もかなり皆さんの背景が理解できました。
私自身は最近の自治体行政にはほとんど興味を失っています。
やはり行政のできることには大きな限界がありますし、行政革命は日本ではまだ無理がありそうです。
仕組みに大きな問題がありそうです。
今の延長には自治体は育っていかないような気がします。
あらためて自治会を母体にした自治体の再構築が必要です。
住民が選挙で選ぶ首長制度に問題があると田口房雄さんは指摘していますが、それも含めて枠組みを変えていかなくてはならないでしょう。
しかし、それはまさに革命的なことですから、そう簡単ではありません。

この柔らかなネットワーク組織は、行政とは無縁な活動にまずは取り組もうということになっていますが、なかなか前に進みません。
もう少しメンバーを増やして、開かれたイベントを開催する方向は共有されていますが、
みんなそれぞれの活動もあり、まだ中心になって動こうというところまで熟していないのです。

もう少しです。

■ソーシャル・アントレプレナー志望の2人の若者(2006年4月14日)
元ぐっぴーの木村亮介さんが大阪のNPO法人Jaeeに転身しました。
その仲間である池田直子さんと一緒に訪ねてきてくれました。
Jaeeは、関西を中心に起業家精神の育成を目的として長期実践型インターンシップ「アントレターン」を展開している事業型NPOです。
小中学生を対象とするドリカムスクールでの職業体験活動にも取り組んでいます。

木村さんも池田さんも会社を経由して、このNPOに転身したのです。
こうした若者が増えてきています。
つまり既存の企業や行政が意欲的な若者を引き付けておく魅力を失いつつあるのです。
これはほうっておけない問題であるのですが、肝心の企業も行政もそれにあまり気づいていないように思います。
逆にいえば、社会の枠組みの転換は予想以上に早く進むかもしれません。

アントレターンはJaeeのホームページを見ていただきたいですが、
このNPOの代表の山中さんは日本の学校教育の改革を目指しているようです。
日本でもこうした活動がさまざまな形で動き出しました。
そういう状況とは全く無関係に、今まさに、教育基本法がおかしな方向で見直されていることがとても残念でなりません。

■保育園の経営(2006年4月14日)
今日はうれしいことがありました。
岡山県の私立保育園連盟の事務局長の谷本昭彦さんという方から講演依頼のファックスが届いていました。
最近、保育園との接点があまりありませんので、お断りしたいと思っていましたが、文面に
1997年に書かれた『保育園の未来経営を考える』を読み返しながら、今こそ必要なことがたくさん書かれていると思いました
と書かれていたので、ちょっと気になって電話させてもらいました。
私は褒められるとついその気になってしまうタイプなのです。

谷本さんはご自分の保育園もお持ちの方です。
最近は保育園との接点がないのですと話したら、でもまちづくりなどで活動を続けていますね、というのです。
私のホームページを見て、最近の私の活動を知っていてくれるのです。
話していて、わかったのは10年前に私の講演を聴いてくれたのだそうです。
その頃は各地で保育園関係者にかなりお話をしていたことがあります。
保育園で「経営」発想が話題になり始めた頃です。
私の話しはあまり実践的でないので、私自身話すことに意味があるのか迷いながらの講演でしたが、
その私の話を聴いて、谷本さんは新しい視点を得て下さったようです。
それで10年たったいま、あの佐藤修はどうしているのかとネットで調べて私のホームページにたどりついてくれたようです。

私は講演が下手なのと嫌いなのとで、極力お断りするのですが、こういうことをお聞きするととてもうれしいです。
私の話を聞いて、新しい視点を得てくれ行動を起こしてくれている人がいるということは最高のボーナスです。
講演もいいものです、はい。

谷本さんと内容をもう少し検討した上で、引き受けられるようにしようと思い直しました。
谷本さんとお会いできるだけで、岡山に行く価値はありそうですし。
社会と関わっているとこういううれしい話が時々あるのです。

■胃カメラを飲むのをやめました(2006年4月15日)
2週間前に胃カメラを飲むことにし、病院にまで行って予約をしてきましたが、事情が変わりました。
私はどこの病院でもいいので、すいているところがいいと考えたわけですが、
「その病院で胃カメラをすると殺されちゃうよ」というような話が家族に聞こえてきたのです。
まあ、半分はジョークでしょうが実例に近い話もあるのだそうです。
家族全員からどうせとるなら上手な病院でやるべきだと言われました。
せっかく久しぶりに診察を受けようという気になったのに、なにやら面倒になってきました。

そこで胃カメラはやめることにしました。
予約もキャンセルさせてもらいました。
まぁ、こんなわけで、その病院は胃カメラがすいているのでしょうか。

みなさん、やはり胃カメラは混んでいる病院で受けるのがいいようです。
最近、あまり胃の調子が良くないのですが。


(2006年4月第3週)
精神的余裕がなくなってきています。
やるべき課題の多さに圧し潰されそうです。
ブログも全く書けなくなりました。
まあ、たいしたことをやっているわけではないのですが、精神的に圧迫されています。困ったものです。
今週よく出てきたテーマは「経営道」です。

■白山東町会会長の「修破離」(2006年4月16日)
地元の自治会活動がいよいよ動き出しました。
今日はまず、新しい役員によるミーティングを開催しました。
新役員と顧問の8人が、今年度の全体の役員です。
何人かは役員を体験していますが、私は全くの初体験です。

顧問の堀越さんはこの数年ずっと顧問をされていますが、この地区は必ずしも積極的ではないようで、
顧問が実際にはかなりの役割を果たさなければいけなかったようです。
実態を聞いて、堀越さんのご苦労が漸くわかってきました。
今年は役員体制をきちんと発足させましたので、堀越さんも少し安心されたようですが、
なにしろ会長が私なので、今年は逆の意味で気は許せませんが。

「修破離」という言葉があります。
何かを行う時には、まずこれまでのやり方をしっかりと修め、それを守り、
その上で、活動を通して直したほうがいいところは、これまでのやり方を破り、
さらにはこれまでのやり方を離れて自らの新しいやり方を構築するということです。

私はこれが不得手です。私の名前は修ですが、その「修」が不得手なのです。
「破」は得意なのですが、自治会ともなると、地域の文化と歴史を背負っていますので、そう勝手に破ることはできません。
まずは「修」です。うまくできるでしょうか。
女房はとても心配していますが、急がずにゆっくりと取り組ませてもらおうと思います。

来週は役員総会なのですが、今日の打ち合わせで、大きな方向性は合意できました。
新たに特別事業も行おうということになりました。
副会長の小酒さんがとても頼りになる感じです。
小酒さんのおかげで、きっとうまくいくでしょう。
楽しみです。

■創業者と経営者との分業の当否(2006年4月17日)
若きビジネス・アントレプレナーが訪ねてきてくれました。
名前は出しませんが、Nさんとしておきます。
ビジネス・アントレプレナーも湯島にはよく来ます。
時には上場企業の社長も来ます。しかしほとんどは、問題がある時だけで、普段はなかなか来ないのです。
Nさんは違います。時々経過報告に来てくれます。
そういうところに人柄がはっきりと出ます。

ビジネス関係は書き込むのをやめたのですが、今回は面白い話題が出たので少し書かせてもらいます。

Nさんは数年前に会社を辞めて、自らの企業を起こしました。
事業は順調に発展していますが、経験者はご存知でしょうが、
事業が順調に発展すればこそ、資金繰りは大変になり、経営への気配りの必要性や仕事量は乗数的に増加します。
Nさんもおそらくそうした状況にあるのでしょうか、こんな質問を受けました。
米国では創業者と経営者が分かれていると聞いたが、そのほうがいいのでしょうか。
これが今日のメインテーマでした。
企業経営の本質に関わる問題です。
「所有と経営の分離」にもつながる話です。

起業と事業経営とは、かなり性格が違います。
ですから、実は成功した創業事例には、必ずといっていいほど、起業者と経営者の組み合わせがあります。
本田宗一郎と藤沢武夫が、その典型です。
しかし米国の最近の動きはこれとは違います。
現場を知らないMBA出身者に株主は経営を任せたがります。
その背景には、機能分離主義というアメリカの文化風土がありますが、
加えて、現場を知らない論理で動く人に任せたほうが、金儲けはやりやすくなるということがあるかもしれません。

機能分化で言えば、シティ・マネージャー制度に見るように、アメリカでは行政もまた経営機能は分離されています。
しかし、そこにはしっかりした住民によるガバナンスの仕組みがありました。
ですから今でもうまく機能しています。

しかし企業の場合は、違います。
現場を知らない論理演算だけの単細胞の経営修士たちが企業を「儲けるための仕組み」にしてしまいました。
エンロン事件はその一つの象徴でしょうが、そこでコーポレートガバナンスが問題になりました。

とまあ、そんなことから話しはじめて、久しぶりに企業のあり方論議をしてしまいました。
最近こういう話をあまりしたことがありませんでした。
こういう問題を真剣に考える若き経営者がいることはとてもうれしいです。
経営は単なる機能ではありません。そこには思想がなければいけません。
ですから経営の技術論を分化させることは、本来できない話なのです。
日本の商家の番頭制度は見直されていいように思います。

■日本経営道協会の市川覚峯さん(2006年4月18日)
市川さんが突然やってきました。
オフィスが近くなったので歩いて行き来できるようになりました。
市川さんといえば、「経営道」です。
経営は単なる機能ではなく、思いや志が必要だと20年前から説きだした人物です。
市川さんに関しては何回も書きました。

ともかく異才です。
しかし、表面的に付き合うと、その異才さはわかりません。
異才さよりも「苦才さ」(臭さ)が感じられ、論理で考える人にはなかなか理解されません。
しかし、間違いなく異才です。
なまじ超能力があるがゆえに、時に社会を甘く見てしまいます。
ですから軽く感じられることもあります。しかし、間違いなく異才です。

その市川さんが雑談に立ち寄りました。雑談がしたかったのでしょうか。
異才も、最近はちょっと疲れが出ているようです。
この異才を活かした、面白いプロジェクトが起こせないか。
今度は私も少しきちんと関わりながら、少し考えてみたいと思います。
まだ今生では20年の付き合いなのですが、一説には前世からの友人らしいですので。

■女性経営者とマーフィーの法則(2006年4月19日)
仕事である会社の社長と話していたら、彼女(女性社長です)が、最近マーフィーの法則にはまっているというのです。
マーフィーの法則。一時期、かなり話題になりましたので、ご存知の方も多いでしょう。
一言で説明しろといわれるとはたと困るのですが、
「失敗する可能性がある場合は必ず失敗する」とか
「資料は捨てた途端に必要になる」というような経験則体系です。
ネットのWikipediaで調べてみたら、その基本精神は「起る可能性のあることは、いつか実際に起る」ということだそうです。
禅問答みたいですが、アントレプレナーの原点でもあります。

マーフィーの法則を学ぶと金持ちになり、幸せになるそうですが、
つまるところ、人は思ったように自らを生きることができるというのがマーフィーの法則のメッセージなのでしょうか。
私には共感できるメッセージが多いです。

私は彼女の会社の相談相手になっているのです。
いくつかのプロジェクトが動き出しているのですが、マーフィーの法則のどれが今回は当てはまるでしょうか。
いずれも成功の可能性も失敗の可能性もあるプロジェクトなのです。
「失敗する可能性がある場合は必ず失敗する」ではなく
「成功の可能性のある場合は必ず成功する」が当たってくれるといいのですが。

さてさて、どうなるでしょうか。実に楽しみです。

■日本赤十字活動の資金募集(2006年4月20日)
自治会会長の最初の仕事は日赤への寄付集めです。
ご存知の方もいるかもしれませんが、毎年、5月から6月は日本赤十字社の社員増強社資募集運動が展開され、
その年度の日赤の活動資金が集められるのです。
日本赤十字社の活動は、すべては支援者たちの会費や寄付によって運営されており、公的資金とは全く無縁です。

昔は、日赤の活動資金は役員などが各家庭を回り、寄付や出資を募っていましたが、
最近は世帯あたりの額を決めて、自治会費から一括日赤に納入するところが増えています。
ですから、みんな自分たちが日赤の活動資金を収めていることを意識しなくなってきてしまっているのです。

実は社会福祉協議会も赤い羽根共同募金も、そうした仕組みへと変わってきています。
私はこうしたことには大きな問題があると思っています。
フェアではないからです。

そうした負担金はほとんどが、一方的に押し付けられる一律金額です。
これも違和感があります。
自治会の会長をやると良くわかるのですが、なかには年金暮らしと思われる独居老人世帯もありますが、
そうした世帯からも世帯割の負担金を徴収します。
日赤の場合、世帯あたりの負担は年間500円以上です。

集められた資金は効果的に活用されているでしょうか。
私には大きな疑問があります。
第一、今回の説明会で配布されたチラシや説明パンフレットなども無駄な感じがします。
ポスターやチラシ、さらには毎年作られるらしい「赤十字活動推進の手引き」には氷川きよしが起用されています。
彼自身は無償での協力だとは思いますが、間に代理店などが入ってのお金のにおいを感じます。
印刷費がどれくらいかかっているかも知りたい気がします。
私の会社に任せてくれたら、半額以下どころか、もっと安くやれるでしょうね。
行政に依存している印刷業界のすごさには呆れることが何回もありました。

ちなみに活動資金の20%以上は業務管理運営費になっています。
他の管理業務的費用を合わせると、それだけで40%を超えます。
日赤の活動には全国の多くの人が協力していますが、その基本は「奉仕」です。どこかに違和感を持ってしまいます。
せめて配布物はもう少しお金をかけずに内容のあるものにしてほしいと思いました。

念のために言えば、私は日本赤十字社の役割や組織形態、そして活動には共感しています。
とてもいい活動をしているのです。
だからこそ、管理経営面を見直してほしいと思っているのです。
もっと共創型の組織と活動にしていけば、もっと大きな社会的効果がでてくるでしょう。
せっかくの仕組みが時代の変化に取り残されている感じを受けるのです。

自治会長をやっていると、こういう違和感がこれからもどんどん出てくることになるのでしょうね。
不安です。

■発達障害に取り組むエルマーの会のケーキづくり(2006年4月20日)
岩国市に重度の自閉症や発達障害の家族を持った人たちの会があります。
エルマーの会です。
3年前に山口市でコムケア関係のフォーラムをやったときに出会ったのが、エルマーの会の代表である佐原いづみさんです。

佐原さんは東京に来るとコムケアセンターによく立ち寄ってくれます。
今日は運良くお会いできました。いつもながらさっぱりした元気さを漂わせています。
本当の人生をしている人に共通する小気味よさを、いつも感じます。
私などはとても真似できないすごさです。

佐原さんはしかし、私の活動をそれなりに評価してくれています。
私というよりも、コムケアのメーリングリストへの評価かもしれません。
しかし、コムケアのメーリングリストは私も自慢したくなるくらい素晴らしいメーリングリストです。
どこがいいかは、活用してみないとわかりませんので、皆さんもぜひ参加してみてください。
私にメールをくれれば、すぐに招待メールを送ります。
信頼できる仲間を見つけられるかもしれません。

エルマーの会では、ケーキ作りに取り組んでいますが、いよいよビジネスとしての本格的な展開を考えています。
しかも地域を活かしての、特長を出せるケーキづくりを目指しているようです。
コスト発想からバリュー発想へと経済は変わりつつありますが、NPOであればこそ、なおのことそうしなければいけません。
佐原さんたちの活動をこれからも応援していきたいと思っています。

■山城章とドラッカー(2006年4月20日)
私が関わっているKAE経営道フォーラムの出発点は、山城章という経営学の先生が言い出したKAE理論です。
KAEとは、Knowledge(知識)とExperience(経験)がAbility(実践能力)の増強につながるという考え方です。

山城章さんは私の学生の頃から独自の経営学を提唱していた、いわばわが国経営学の神様でした。
KAE発足後、何回かお会いしましたが、私自身が山城経営学に触れたのはその経営道フォーラム構想に外部から少し関わらせてもらってからです。
そのプロデューサーになったのが、前出の市川覚峯さんです。
彼に共感して、私は構想づくりに関わったのです。
私はともかく「人」に共感できないと動き出せないのです。

ところで、昨年、経営学の神様といわれるドラッカーが死去しました。
それを契機に、山城章も改めて話題になってきているようです。
山城さんは早い時期から、企業の社会的責任に言及されていました。
その早さはドラッカーと同じ頃かもしれません。
また論理としての経営学にとどまらずに、実践知を大切にした実践経営学を提唱していました。
このあたりもドラッカーと同じです。

また山城さんは、普遍的な経営と地域に立脚した経営とを意識していたように思います。
多くの経営学者たちが米国経営学の表層を翻訳するだけの中で、
山城さんは早くから日本社会に立脚した経営の大切さを明確に追求していました。

山城さんのテキストは、私にはやや難解であるばかりが、具体的には違和感もありますが、
山城さんの深い思いと独自性には共感するところが多いです。

山城さんが亡くなってもうかなりたちますが、今年は経営道フォーラム開講から20周年です。
それを記念して、小史を制作することになりました。
その一環として、山城さんゆかりの人たちの座談会をやることになり、私が司会を担当することになりました。
その打ち合わせに久しぶりに山城経営研究所にお伺いしました。
以前はここにもよく来たものですが、最近はすっかりご無沙汰してしまっていました。

時代はまさに「経営道」を求めています。
しかし残念ながら経営道フォーラムの目指すところからは、時代はますます離れていっています。
できればこれを契機に経営道フォーラムも、改めて原点に戻ってほしいと思っています。
そのために、司会役を引き受けることにしました。


ちなみに、ブックのコーナーで「孔子とドラッカー」という本を紹介させてもらいました
実にタイミングよく、北九州市の一条真也さんが新著を送ってくれたのです。
多くの人に読んでほしい本です。

■NPO法人への幻想(2006年4月20日)
出版社をやっている渡部純子さんと江口和浩さんがNPO設立の相談に乗ってほしいとやってきました。
お話を聞くと、渡部さんの会社は日本文学をドメインとする出版社なのですが、
新たに高齢社会を踏まえての「生活カルチャー」をテーマにした活動を始めたいので、NPO法人をつくりたいというのです。

最初に出てきた名前が、宮沢賢治でした。
宮沢賢治は私にとっては、マジックワードの一つです。
そのせいか、とても仲間意識が芽生えてしまい、話が弾んでしまいました。

私がまず質問したのは、「なんでNPO法人をつくる必要があるのですか」ということです。
組織は手段でしかありません。
しかし多くの人が、何かをやりたいと考えるとすぐにNPO法人をイメージしてしまうのがとても私には不思議です。
社会活動をしようと考えた時に、NPO法人を作る発想は私には皆無だからです。
大切なのは実体です。
実体をきちんと構想し、実現していけば、自ずと必要な組織形態が見えてきます。
それができていない段階で法人や組織を作ってしまうと、それに振り回されかねません。
今回に限りませんが、NPO法人への期待や幻想が世の中にはびこっているように思います。
日本のNPO法人はまだまだ未成熟の仕組みです。
原理すら整理されていないのですから。
悪くいえば、同床異夢の寄せ集め組織でしかありません。

しかし、まぁ、それはそれとして、日本文学と高齢者生活文化の組み合わせには魅力を感じます。
私は高齢社会歓迎派なのですが、いまの高齢者対応の事業展開は基本的なところで間違っていると思います。
もっと面白く楽しい事業がいくらでも考えられますが、どうしてみんなマイナス発想から始めるのでしょうか。
事業モデルや戦略発想のベクトルを逆転させなければいけません。
こんなワクワクするような分野になぜみんな出てこないのか不思議です。
借金が限度を超えるか、貯金が限度を超えたら、私もビジネスとして本気で取り組もうと思います。
ビルが建つのは間違いないでしょう。
それほど魅力的なドメインのはずなのですが、どうも動きが出てきません。
シニアアントレプレナーの出現を期待しています。

■インキュベーション型コムケアフォーラム(2006年4月20日)
コムケア運営委員会は参加者の申し出が少なかったので、ちょっとコピーをつけて再案内をしました。
インキュベーション型コムケアフォーラム」というコピーです。
そうしたら、一挙に参加者が増えました。
桐生からの参加者も含めて、実に個性的な実践者が集まってくれました。
言葉のパワーは大きいです。

昔話を書きます。
私は東レに入社して1年もたたずに会社に退屈してしまいました。
そこで経営コンサルタントかコピーライターになろうと思い、通信講座を受けだしました。
前者は課題論文を出すと添削されて返ってくるのですが、半年後には成績優秀で受講料免除になりました。
しかし、あまりに添削がお粗末なので、逆添削して返すことにしました。
そんなわけで、結局、途中でやめてしまいました。若気の至りです。

コピーライトは流行りだしの時代でした。
スクーリングに参加しようと思ったのですが、
案内を読んだら、私のほうが上手ではないかという勘違いが起こってしまい、申し込まずに終わりました。
そのうちに、会社の仕事が面白くなりだしてしまい、結局、25年間も東レにお世話になってしまったわけです。

そんなわけで、いまもコピーライトと経営コンサルタントはプロフェッショナルには成れていませんが、
プロを超えていると勝手に自負しています。
高慢さだけはまだ直っていないのです。

それはともかく、インキュベーション型コムケアフォーラムは実現に向けて動き出しそうです。
詳しくはコムケアのホームページに書くようにしますが、
要はソーシャルベンチャーを提案してもらい、そこから新たな事業をキックオフさせることを目指した、新しいスタイルの画期的なフォーラムなのです。

今回は久しぶりにイーエルダーの鈴木政孝さんがやってきました。
企業もNPOも良く知っている人です。まさにプロといっていいでしょう。
長い付き合いですが、信頼できる人です。
鈴木さんが関心を持ってくれたことは、この企画は面白だけでなくリアリティがあるということかもしれません。
なにしろ鈴木さんはクールなリアリストなのです。

全国マイケアプランの島村さんも参加してくれました。
事業の話はわからないといいながらも、事業の本質を直感的に理解して、敬遠している人です。

その両極端を挟んで、多彩な人が集まってくれました。
これだけのメンバーが、一般的な告知だけでボランタリーに集まってくれるということはすごいことです。
コムケアネットワークはもう私のものではなくなりつつあるようです。
とてもうれしいことです。

4月から理学療法士の専門学校に通いだした橋本典之さんも参加してくれました。
短い時間でしたが、学校の話も聞きました。

話し合いの内容は密度が高すぎて、書くのが面倒ですので、省略しますが、5月25日に次の運営委員会を開催します。
ご関心のある方は参加してください。
飛び入り歓迎です。
詳しくはお知らせのコーナーでまたご案内します。

■岡山県に転居した宇野良明さんはますます元気です(2006年4月21日)
宇野さんの話は以前書いたことがありますが、3年前に故郷の岡山県笠岡市に転居してしまいました。
以来、ほとんど連絡がなかったのですが、今週初めに突然、東京に行くので会いたいといってきました。
久しぶりの宇野さんは、相変わらず元気でした。いや、ますます元気でした。

お話をお聞きしたら、転居前に活動していた竜ヶ崎市の花の会が10周年だそうです。
そのイベントに参加しに戻ってきたのだそうです。

展望もお聞きしました。あと2年で独立し、それ以後はできるだけ社会活動にエネルギーを割いていきたいというのです。
宇野さんならば、必ず実現するでしょう。
宇野さんは独立する時には、その記念にこの花の会に時計を動かす自然エネルギーの動力源を寄付する計画だそうです。
それもまた宇野さんらしいです。

一度、女房と一緒に、この花の会の花壇を見に行ってみようと思います。


■蔭山京子さんがたどりついた性格習慣病(2006年4月22日)
北海道の蔭山京子さんから久しぶりに電話です。
彼女はまさにシニアアントレプレナーの一人です。
もっとも残念ながらまだ成功はしていません。
最初の出会いからもうかなりたちますが、体調を崩されたりして、苦戦しています。
しかし、夢への思いは決して捨てない人です。

最近ずっと悩まされていた原因不明の体調続きの病名がやっとわかったというのです。
縦割り医療の限界を体験的に実感されたようで、医療への関心も持ち出したようです。

蔭山さんから「性格習慣病」という言葉が出てきました。
自らの体験と病気から、娘さんと話している中から生まれた言葉だそうです。
「生活習慣病」ではなく、「性格習慣病」です。
この言葉を商標登録しようと申請したようですが、だめだったようです。
このあたりが、シニアアントレプレナーの蔭山さんの面目躍如です。

電話中にネットで調べてみたら、なんとすでに「性格習慣病」という言葉はあるようです。
残念ながら蔭山さんが最初の命名者ではなかったようです。
しかし、「性格習慣病」とはいい表現ですね。
私などは完全に性格習慣病に陥っており、さまざまな症状や不都合を引き起こしています。
しかも悪いことに、この病気は本人だけではなく、周囲の人の心身にも影響を与えてしまうことです。

というように考えていくと、新しい医学パラダイムの地平が見えてくるような気がします。
大げさと思えるかもしれませんが、もしかしたら世界平和の問題にまでつながっていそうです。
わくわくします。

しかし、まあ今はそんな余裕も無いのです。
お知らせなどで書いたように、5月14日に「医療制度と病院の問題を気楽に話し合う公開フォーラム」を開催する予定ですが、
まだ十分な呼びかけも行っていないため、参加者が集まるかどうか不安です。
24日に実行委員会を開催しますが、そのスタッフも不足しています。

この記事を読まれた方で、協力しても良いという方がいたら、ぜひ参加してください。
これもまた、直前になるまで真剣に考えないという、私の性格習慣病の引き起こしたものなのですが。

話がそれましたが、蔭山さんはまた北海道で少しずつ動き出します。
次の報告が楽しみです。


(2006年4月第4週)
忙しさのプレッシャーで、少し気分が萎えてしまっていました。
その上、今週はさまざまな人が相談にやってきました。
なぜか元気が出ない話が多く、社会はますます悪い方向にすすんでいような気がしてなりません。
週末のサロンで少し元気が戻りましたが、しかし、この先の連休は悪夢です。
コムケアの報告書を仕上げなければいけません。
考えただけでぞっとします。毎年連休は報告書作成週間になっています。

■白山東町会第1回役員総会(2006年4月23日)
最初の自治会役員総会です。
全体の役員と各班の班長が集まりました。
自治会活動が初めての人がほとんどですので、心配していましたが、昨日、副会長と2人で打ち合わせをしていたおかげで無事完了しました。
私一人ではとてもこうはうまくいかなかったでしょう。
副会長の小酒さんの進行もとてもよかったですし、参加してくださった各班の班長のみなさんも協力的でした。
楽しく展開できそうです。白山東町会は難しい自治会だと聞いていましたが、そんなことは全くないようです。

しかし、やはり過去の自治会活動でご苦労してきた方たちは、どうしてもマイナスイメージで話してしまいますので、
そうした方が発言すると話が楽しくなくなるのです。
もちろん善意で話してくれるのですが、逆効果になりがちです。
役員が活動は辛い義務と考えていたら、みんなもやる気はなくなります。
奉仕やボランティアという言葉も、私は厳禁だと思います。
奉仕活動は本当の力にはなりません。
意識を変えないと自治会は変わらないように思います。

今回はそういう意味では、楽しい話の場にはなりませんでした。
自治会活動はまだ行政の末端活動だという意識も古い役員には残っているようです。
その意識も捨てなければいけません。自治会こそが主役なのです。
気になったので、最後にともかく楽しくやりましょうと呼びかけましたが、うなづいてくれる人も少なくありませんでした。

義務としての作業ではなく、みんなで何か楽しいことをやりましょうというメッセージがどのくらい伝わったか不安ですが、
少しずつ意識を変えていくことにします。
なにしろ「修破離」ですから
その点、小酒さんが私をうまく誘導してくれるので安心です。
それに役員の皆さんが応援してくれるので、切れやすい私も我慢できそうです。

ところでやはり我孫子市の行政は形だけだということを改めて実感する体験をしました。
自分の市の恥ですが、書いておきます。

今回の集まりは、アビスタという市の施設を借りました。
3時から3時間借りたのですが、3時少し前に行ったら、3時ぴったりでないと鍵を渡せないといわれました。
場所はあいているのですが、だめだというのです。
仕方なく、少し待って2分前にまた行ったのですが、それでもだめでした。
3時が少し過ぎてやっと鍵を渡してもらえました。
なぜ3時を過ぎたかといえば、担当者が電話していたからです。
呆れてものも言えません。もっとも担当者は謝っていましたが。
あまりの杓子定規に普段なら、切れてしまうのですが、グッとこらえました。
しかし、他の自治体や国の施設でももっと柔軟になってきていますよ、我孫子は住民視点ではないですね、とついまた余計なことを言ってしまいました。
担当者はそうなんですか、と驚いた様子でしたが、我孫子市にはどうも利用者視点という発想はないようです。

こういうところに、その自治体の本質が現れます。
この施設の責任者はかなり見識のある人だと聞いていましたが、もうがっかりしました。
現場の第一線にこそ、管理者の本質が現れることはいうまでもありません。
それにしても1分も妥協しない担当者の見事さには驚きました。
我孫子の新しいサポートセンターの運営議論が住民視点や市民自治を全く向いていないことが良くわかりました。
自治会ががんばらなくてはいけません。

■パウサニアス・ジャパン発足の場所は銀座です(2006年4月24日)
パウサニアス・ジャパンとは古代ギリシアをテーマにした集まりです。
会員でお金を出し合って、古代ギリシアの研究者をギリシアに調査研究に行ってもらうパトロネージ活動をやりながら、
メンバーがそれぞれテーマを持って調べたことを発表しあうサロン活動などをやっています。
代表は吉田行雄さんですが、吉田さんは高校の頃からの大の古代ギリシアマニアだったのです。
そしてその友人が、先日新潟でお会いした金田英一さんなのですが、
このお2人とお会いしたのが契機になって発足したのがパウサニアス・ジャパンなのです。

最初の頃は湯島の私のオフィスで毎月サロンをやっていました。
私は、今は休会していますが、この会はとても贅沢な気分になれる会です。なにしろパトネージを楽しめるのですから。

最初に3人でお会いしたのが、銀座数寄屋橋のロチェスターです。
そこでランチのカレーライスを食べたのが、実はパウサニアス・ジャパンの始まりだったのです。
その後、3人の周りの人たちに声をかけて、発起人会を湯島で行い、スタートしました。
これまでに8人のフェローをギリシアに送っています。
私は事務局長だったのですが、いろいろな会を作りすぎて破綻してしまい、
3年前にほとんどすべての会を辞めさせてもらった時に、この会も休会させてもらいました。
会づくりに関しては、私は禁治産者なのです。

金田さんのはからいで、その懐かしいロチェスターで、久しぶりに3人で食事をしました。
吉田さんとは久しぶりですが、お元気そうで、以前と同じくユーモアをこめた会話を楽しませてもらいました。
吉田さんの古代ギリシア通は中途半端ではありません。
実に幅広く奥深いのです。何を訊いても答が返ってきます。
なにしろ高校時代からの蓄積ですから、底深いのです。

パウサニアス・ジャパンにご関心のある方はぜひご連絡ください。
ちなみに私の大学時代の友人を2人紹介させてもらいましたが、2人ともとても喜んでくれています。
私が同窓生に喜ばれるのはめずらしいのですが。

■ヒポクラテスの会発足準備会(2006年4月24日)
医療制度改革と病院のあり方をテーマに、気楽な公開フォーラムを計画していますが、ちょっと難航しています。
関係者がみんな忙しくなりだしたためです。
そのため、私が急遽、実行委員会事務局長代行を引き受けることにしました。

今日の準備会は橋本さんと菅野さんと私との3人しか集まれませんでした。
年度変わりのためか、みんな忙しそうです。
これまでの検討も踏まえて、企画が完成しました。
とても面白い会になりそうです。お知らせに内容を書いておきますので、是非お読みください。
そしてよかったらご参加ください。
また周辺の人にも是非案内してください。
問題は、集客なのです。
よろしくお願いいたします。

このフォーラムを契機にして、ヒポクラテスの会を正式にスタートさせる予定です。

■環境とごみが話題になったオープンサロン(2006年4月28日)
今週はまた新たな人が参加してくれました。
黒岩麗子さんです。
日本地域開発センターに今年から参加した研究者ですが、美野里町でご一緒した宇都宮大学の藤本教授の教え子だそうです。

地域振興アドバイザーの事務局を担当することになっていますが、
私も今年度は自治会関係のプロジェクトのアドバイザーを引き受けるつもりです。
その関係で先月お会いしたのが縁で参加してくれました。

久しぶりの参加は佐藤和美さんです。
ごみ焼却場のコンサルタントをされていますが、まあコミュニティの業界ではちょっと異質なコンサルタントです。
紀陸さんと江口さん、それに相変わらず忙しく活動している木村勝隆さんが参加してくれました。

デジカメを忘れたため、紀陸さんの携帯のカメラで撮影した写真です。
携帯サイズで撮影したために画質が悪いですが、お許しください。



和美さんが参加されたこともあって、ごみ問題や環境問題の話が多かったです。
紀陸さんが、環境問題を一覧できる立体のジオラマのようなものを模型で創りたいという話をしました。
まだイメージができないのですが、それに関していろいろと議論がでました。
紀陸さんが久しぶりに熱く語っていましたので、一度、関心を持ちそうな人に声をかけてブレストをやってもいいかもしれません。

黒岩さんから「夏イチゴ」の話が出ました。
長野や栃木でもまもなく「夏イチゴ」の栽培が始まるのだそうです。
最近は食材にも「旬」の考えがなくなったという話になりましたが、私たちはどうも自然との付き合い方を忘れてしまったようです。

今日はちょっと緊張感のない、のんびりサロンになりました。

(2006年5月第1週)
世間は連休でした。おかげで私の予定表もほぼ完全に白紙でした。
ところが、私は連働でした。
予定表が白紙の時には仕事をする、これが個人で仕事をしている者のライフスタイルかもしれません。

■那珂湊さかな市場(2006年5月4日)
コムケアの報告書づくりで連日、パソコンに向かって作業をしていたら、頭痛とともに平衡感覚がなくなってしまいました。
その上、どうも身体的違和感が全身を覆ってしまう感じなのです。
血圧のせいかと調べたら、下が100で上が150でした。
まあ、私にとっては大した話ではないのです。原因はやはりパソコンのやりすぎです。

そこで1日、出かけることにしました。
連休は出かけない予定だったのですが、
先週のサロンで茨城県の那珂湊のさかな市場の回転寿司がとても美味しいという話題が出たのを思い出しました。
そういえば、他にも女房が友人から同じく美味しいという話を聞いていました。
そこで出かけることにしました。
いつもは空いている常磐道も連休のため混んでいたため、予想以上に時間がかかりましたが、11時前に市場に着きました。
そしてお目当ての回転寿司。すでに混んでいましたが、なぜかお店の半分の座席は開いていました。
寿司は回転しているのですが。
聞いてみると、観光バスの団体のためにあけているのだそうです。
渋滞でバスの到着が遅れているのです。

数十人のお客様が待っている目の前で、誰も座っていないにもかかわらず回転すしがまわっている。
何とも奇妙な風景です。お寿司もカラカラになってしまい、美味しくはないでしょう。
さらにバスの到着が遅れているという連絡が入ったとのことで、30分で食べられる人はどうぞ、という案内がありました。
回転続けていた寿司を食べる気にはならず、後にすることにしました。

待つ間にさかな市場を見て回りました。
安いのか高いのかわかりませんが、ともかく面白いです。
30分ほどしてまたお店に戻りましたが、不思議なことに前と同じ状況に戻っていました。
バスはさらに遅れているようです。
また30分で食べられる人という誘いがありました。
お腹がかなり空いていたため、いやしくも手をあげてしまいました。
席に着くとやはり水分がとんだ無残なお寿司が回っていました。
すでに回っているものは避けて、新たに握られたものを選んで食べましたが、
こんな状況の中だったせいか、あんまり美味しくなかったです。
新鮮で大きいのですが、どうも誰もいない回転座席を回っている寿司の風景が味覚に影響してしまったようです。

帰路、久しぶりに美野里町の花木センターに立ち寄りました。
美野里町は町村合併で小美玉市になりました。
美野里町という名前がなくなったのはとても残念です。
花木センターは人で一杯でした。
花好きのわが家族は1時間も見てまわっていましたが、そのおかげで立派なボタンが手にはいりました。
どこに植えるのでしょうか。
まあそんなわけで、今度新たに我が家の花便りというコーナーを開設することになりそうです。
女房が担当するそうですが、人の家の花便りを見ても面白くないよ、といったら、
あなたの週間記録のほうこそ面白くないと言い返されました。
全く同感です。すみません。

しかし、ホームページやブログは書き出すと止められなくなるものです。
ちなみに最近ブログがまた止まっているのは、私の時間破産とパソコンのやりすぎの自重のためです。
頭痛が止まったら再開します。今も頭が破裂しそうな痛さです。
困ったものです。

■コムケア活動報告書の作成(2006年5月5日)
連休の大半はコムケアの活動報告書の作成に費やしました。
これは実に密度の高い仕事で、いつも書き終えるとものすごい疲労感に襲われるのですが、
その反面、新しい気づきや感動にも恵まれます。

コムケアとは何かをご存じない方もいるでしょうが、
私がこの5年間、かなりのめりこんできた全国のNPOのネットワーキング活動です。
詳しくはぜひコムケアセンターのホームページやこのサイトでの簡単な紹介記事を読んでください。

私としてはかなり自負している事業で、できればどなたかこの仕組みを3億円で買ってもらえないかと思っています。
もちろん3億円は私にくれなくてもいいのです。
この仕組みに提供していただき、その資金でこの活動を継続してほしいと思っています。

まあ、それはともかく、
報告書を作るために改めて昨年支援させていただいた20のプロジェクトの報告書をしっかりと読ませてもらいました。
大げさに聞こえるかもしれませんが、涙が出そうなほど感動した話も少なくありません。
もっとも最近、私は涙もろくなっているのであんまり珍しいことではないのですが。
ほんのささやかではあれ、そうしたプロジェクトに少しでも関われたことの幸せは何ものにも代えがたいものです。

もう一つうれしかったのは、これまでの活動の中から、さまざまな物語が生まれてきていることです。
たとえば、寿衣を縫う会がコムケアに応募してくれたのは
その前に接点を持ったエンディングの会の田中さんが縁だったことがわかりましたし、
先日のコムケア関西交流会での出会いから丹波さんの縁で麻布での寿衣が実現したことも知りました。
いや、そのコムケア関西交流会そのものがコムケアのつながりからのコラボレーションによって生まれたものなのです。

新しいつながりの発見もありました。
今回なぜか外国籍女性への通訳支援の活動が3つのプロジェクトの中に含まれていたのですが、
いずれにおいても「医療」や「子育て」が重要なテーマになっていました。
それらをぜひつなげていきたいと思いますが、それ以外にも私がつなぎ役を果たせそうな組織などがいくつかありそうなのです。
さまざまな分野にささやかながら関わってきた私の人生も、少しは役に立ちそうです。

原稿はほぼ完成しました。
報告書ができるのは今月末です。
コムケアセンターのホームページにPDFで掲載する予定です。

ちなみに、この1週間の作業で、NPOが嫌いになった面もあります。
物事には常に裏表があるものです。
NPOと付き合うのは本当に疲れます。
まだまだ「社会性」や「常識」が欠けているNPOが多いからです。
それが日本のNPOの現状なのです。
ちょっと愚痴をこぼしてしまいました。すみません。

■紀陸農園訪問(2006年5月6日)
紀陸農園はご存知でしょうか。
知らないですよね、私が勝手に命名している農園ですから。はい。

紀陸ご夫妻からお招きをいただき、お宅を訪問しました。
ちょうど帰省されていた娘さんご家族ともお会いしました。
紀陸さんとは、ユキ・建築アートプロダクションの紀陸さんです。
ご夫妻でコムケアのイベントにも来てくれたことがあります。
また2年ほど前にご夫妻で手賀沼花火にも来てくれたのです。
俗な言い方をすると、高級官僚と女性経営者のご夫妻なのですが、そんなことを感じさせない気さくなご夫妻です。

ご主人が最近、農業に勤しんでいらっしゃるのです。
それでわが佐藤農園との情報交換会になったわけです。
私は佐藤農園の雇われ人でしかないのですが、農園主の女房は熱心な農業者なのです。
最近は「マンガで読む有機農業」などというテキストで勉強していますし。
そんなわけで今日は農業論議でしたので、私が発言するチャンスはありませんでした。
なにしろ野菜の名前が一つ出てくるたびに、お互いにうんちくと体験が披露されるのです。
現場にこそ情報はある、という私の考えはまさに正しいのです。はい、負け惜しみですが。

それに農民はみんな話し好きなのです。
なにしろいつも自然と対話しているのですから。
農民が寡黙などというのは統治者の観察でしかありません。
権力者には実態はいつも見えないのです。

それに、これは昔から感じていたことですが、野菜を作っている人はともかく自分で育てた野菜を人にあげたがります。
農家の人たちはともかく人に物をあげるのが好きですよね。
自分が食べなくても誰かにやってしまうのです。それが農民の文化です。
農民は実に気前がいいのです。これも俗説とは違いますが、私は確信しています。
それが証拠?に、今回もたくさんの野菜をお土産にもらいました。
帰りに紀陸農園にも立ち寄ったのですが、園主の紀陸富信さんは無造作に野菜を引き抜いてお土産にくれるのです。

その理由は明白です。
自分たちが育てた野菜が大地からの恵みであることを知っているからです。
ですからみんなで分かち合う気持ちに自然となってしまうのです。
そしてこれが日本古来の文化でした。

その文化を壊したのは、農業の工業化のせいかもしれません。
武家社会という暴力国家の出現のせいだったかもしれません。
そこから社会はおかしくなってきたのです。きっと。

かなりの暴論ですね。すみません。
しかし、世界の紛争や平和を考える時に、あるいは経済システムを考える時に、こうした視点はとても大切だと思います。
村上ファンドの村上さんも農業に少しでもふれていたら、今のような破廉恥な言動はしないはずです。不幸な人です。

ところで紀陸家には見事なビオトープがありました。
手づくりのものですが、とても自然に馴染んだ見事なものです。実にいいです。
我が家のいかにも人造的なビオトープとは違います。
庭の広さの違いもありますが、我が家のビオトープも少し改造する必要がありますね。

紀陸農園の旬の野菜を使った料理はとても美味しかったです。

(2006年5月第2週)
今週はまたまた体調を崩してしまいました。
連休の疲れが出てしまったようです。
楽しみにしていたKAEの発表会にも参加できず、北矢さんと柳さんに進行をお願いしてしまいました。
発表してくれたKAE経営道フォーラムの受講生のみなさんにも申し訳ないことをしてしまいました。
週末は元気を取り戻しましたが、不思議な人である藤本さんと一緒に仕事で名古屋に行きました。
その往復、ずっと2人で話しました。実に不思議な会話でした。
藤本さんのことはいつか特集します。
それくらい面白い話がたくさんあるのです。
以前、前世の友人から手紙をもらったことがありますが、もしかしたら藤本さんは来世の友人かもしれません。
藤本さんの話によると、来世の私は医者の家に生まれるかもしれません。
それで今、病院のフォーラムなどに取り組んでいるわけがわかりました。
14日の病院フォーラムは現在、36人の人が申し込んでくれました。
面白いフォーラムになりそうです。

今週はあまりに個人的な話が多かったので、書き込みをやめました。
心配してメールを下さったみなさんに感謝します。

(2006年5月第3週)
14日までは押しつぶされそうな日程だったので、今週は月曜日以降は完全にブランクにしていました。
2週間遅れの連休を取る予定だったのです。
しかし人生はそう甘くはありません。
14日を終えて休もうかと思っていたら、月曜日に一気に1週間の日程が埋まってしまいました。
これほど急に埋まったことはありません。
毎日、サプリメントを飲んでがんばりました。虚しさも感じながら。
来週は逆にいろいろと仕事を入れていたのですが、どうもそれどころではなくなりました。
そういえば、今週会った方が、小泉政権のニュースを見るだけでストレスなので外国に移住しようと思っているといっていましたが、
私も山奥にでも行ったほうがいいのかもしれません。
3億円の宝くじが当たったらそうしようかという気になっていますが、
3億円当たったら逆にいろいろとやりたいことが増えそうで無理でしょうね。
今週の報告は夢がキーワードです。まあ読者にはあまり伝わらないかもしれませんが。

■医療制度改革と今後の病院を考える気楽なフォーラム(2006年5月14日)
ヒポクラテスの会発足準備会とコムケアセンターの共催で、「医療制度改革と今後の病院を考える気楽なフォーラム」が開催されました。
共催といってもいずれも私が関わっている組織なので、まあ今はまだ同じようなものです。
動き出すのが遅かったため、1週間前にはまだ参加者が10人にも達しなかったので不安だったのですが、
結局、定員の40人を超える参加者があり、とても充実した会になりました。
渡米中の國分さんは別として、それ以外の参加申込者は一人も欠席がないという、私にとっては初めての体験をしました。
しかも当日は予想もしていない人の参加まであり、主催者としてはとてもうれしいフォーラムでした。

キースピーチは医療制度改革に取り組んでいる栗橋病院の本田宏医師にお願いしましたが、問題の本質をわかりやすく説明してくださいました。
グループ討議にも参加してくださり、皆さんの発表にも熱いコメントをしてくださいました。
本田さんのお話はできるだけたくさんの方に聴いていただきたいと改めて思いました。

キースピーチの記録はとっていませんが、
ご関心のある方は医療制度研究会のホームページをご覧になるとそこに本田さんの講演記録などもあります。

本田さんのお話の後、6つのグループに分かれて話し合いをしました。
学生、教授、患者、医師、事業家、NPO活動家、行政関係者、研究者など、立場がさまざまでしたので、
少し心配はあったのですが、それは全くの杞憂で、とても盛り上がり、時間を切るのが気が引けたほどでした。

最後にヒポクラテスの会の正式発足を呼びかけました。
本田さんの話にも出てきたのですが、病院を良くしていくためには、医療関係者も患者も一緒になって取り組んでいくことが必要です。
目指す大きな目標は同じはずですから一緒に知恵と汗をだせば状況は大きく変わります。
しかし、現状はどうもそこにミゾや対立関係があるような気がします。
その対立図式を誰が作っているのかに気づかなければいけません。

これは医療問題に限りません。
コムケアに取り組んでいて思うのは、みんな住みやすい社会を目指していながら、
小さな問題にこだわって力を合わせるどころか、対立しあっていることがいかに多いかということです。
社会福祉協議会とNPO」にも同じ問題を感じますし、住民活動と市民活動にも同じ不幸を感じます。
いずれもコムケアで引き続き取り組んでいく予定のテーマであり、近々、フォーラムも予定しています。

話がそれてしまいましたが、
今回のフォーラムを契機に、
みんなで医療制度や病院について考えていく、
だれでもが参加できる、柔らかなネットワーク組織、ヒポクラテスの会を発足させることになりました。
病院の問題をみんなで考えて行動していく「共創の場」のスタートです。
まずは、メーリングリストをスタートさせ、体制が整ったら、ヒポクラテスサロンを開催していきたいと考えています。

私にとっては、4年前から取り組みたかった課題がやっとスタートした感じです。
これからどうしていくか心配ですが、動き出せば何とかなるでしょう。
どなたか力を貸してくださる方がいるといいのですが。

■病院フォーラムで出会った人たち(2006年5月14日)
14日のフォーラムでは10人を超える人が私には初対面でした。
そのなかに、一度お会いしたいと思っていた人がいます。
中井生活経済研究所の中井恵美子さんです。
地域病院債による病院作りに取り組まれている方です。
私が目指す「コモンズの回復」につながることから、一度お会いしたいと思っていました。
地域病院債については、中井さんのホームページをご覧ください。
発想の起点と枠組みに私は共感しています。

救急医療の質向上協議会の代表の池上敬一さんにも初めてお会いしました。
池上さんは大学教授でもある医学博士です。
国際的に医療支援活動に取り組まれている徳州会病院の黒江謙司さんも、わざわざ神戸から参加してくれました。
黒江さんとはコムケアの集まりで一度お会いしていますが、思いのある方です。
いつかゆっくりと黒江さんのお話をお聞きしたいと思っています。

横浜市立大学の後藤教授も参加してくれました。
もともとこの会は後藤さんの生徒たちが日本構想学会で発表したヒポクラテスの誓いが命名の契機になっています。

NPO関係では納得して医療を選ぶ会やコムケア仲間の全国マイケアプラン・ネットワークやライフリンクなどのメンバーが参加してくれました。
医療と福祉は私には同じものですが、まだまだ繋がっていないのが現実です。

とてもうれしかったのは、理学療法士や作業療法士の専門学校の学生が6人参加してくれたことです。
残念ながら医学部の学生は参加してもらえなかったですが、医療を学ぶ学生にこそ、こういう場に出てきてほしいと思っています。
看護学部の学生は2人参加してくれました。
変わったところでは、マテリアル工学を学んでいる学生が参加してくれたことです。

書き出したら切りがありませんが、そんなわけでいかにもコムケアらしく、多彩な人が参加してくれました。
紀陸さん、大多賀さん、藤本さんなど、最近このコーナーにも登場している人たちも参加してくれました。
きっと参加者が少ないので私が困っていると気遣ってくれたのでしょう。
感謝しなければいけません。

■ヒポクラテスの会のスタート(2006年5月14日)
そんなわけで、ヒポクラテスの会が正式に発足しました。
それについて少し補足しておきます。

ヒポクラテスとは「医学の父」といわれる古代ギリシアの医師の名前ですが、
彼が残した「ヒポクラテスの誓い」は2000年以上たった今もなお、医学を学ぶ者たちに伝わっている医学者倫理の一つです。
そのヒポクラテスの名前を借りて、医療制度や病院をみんなで考えていく開かれたネットワークをスタートさせました。

一人の生活者として、病院や医療制度のこれからを考えながら、意見を社会に情報発信していくとともに、
できることから実行に移していくことを目指した、参加者みんなが主役の、
柔らかなネットワーク組織に育てていきたいと考えています。

医療制度や病院の問題は、どうしても医療関係者や厚生労働省に任せがちですが、
私たちの生活にとても大きく関わっています。
生活者として、私たち一人ひとりがもっと関心を持って、発言していくことが大切ではないかと、私は思っています。
それに、医療関係者も利用者も、みんな目指すところは同じはずなのに、どうも両者には大きな溝があります。
対立している人たちの溝を埋めるのは簡単です。
情報の共有を進めればいいのです。
つまり「ひとのつながり」を太くしていけばいいのです。

現在の病院や医療関係者に不満をぶつけていくのではなく、
医療者だけで問題を考えているのではなく、
病院をもっとみんなのもしていくこと、医療制度を少しでも良いものにしていくことに、
みんなが一緒になって、取り組んでいく仕組みができれば、問題は解決するはずです。

メーリングリストはすでにスタートし、50人近い人が登録してくれました。
皆さんももし良かったら参加してください。
私に連絡をもらったら登録させてもらいます。

■違った世界に生きていること(2006年5月16日)
昨日の病院フォーラムに参加してくれた友人がやってきて、こんなコメントをしてくれました。
佐藤さんに見えている風景は他の人が見ている風景とは違うのかもしれませんね」。
思い当たる指摘です。

昔から時々経験することですが、会議で決めたことが私の認識と他の人の認識が違っていることがあります。
私には信じられないことですが、これは会社時代から時々体験したことです。
同じ風景を見ても、受け止め方が友人と違うことも時々体験します。
私はもしかしたら、みんなと違う風景の世界に住んでいるのかもしれません。

学生の頃、小説を書いてみたいテーマがありました。
ディスコミュニケーションの話です。
人は決して世界を分かち合えない、つまりコミュニケーションは幻想でしかないというのが、昔からの私の考えで、今でもそう思っています。
その一方で、人は意識下の世界でつながっているという認識も持っていますので、コミュニケーションとは違いを認識しあうことくらいに考えているわけです。
しかし、考えの違いはとても大きく、その溝を越えるのは大変です。
「違いがあることを理解しあうこと」が大切だとよく言われますが、これは簡単なことではありません。

会社時代はそれでも大きな発想の構造は同じでしたから、考えの違いを理解しあうことはそう難しいことではありませんでした。
しかし、会社を辞めて個人で活動をしだし、まちづくりやNPOなどに関わっていると、考え方や世界認識のあまりの幅の大きさに疲れます。
その狭間で生きることの疲労感はとても大きいです。
最近は超えがたい溝にへこたれそうなことが増えてきています。
体力と気力の衰えかもしれません。

■元気なシニアがさらに元気になるための仕組みづくり(2006年5月17日)
NPOはどうやって資金調達しているのですか、と乾さんがメールをくれました。
ある雑誌の関係で取材したいというのです。
乾さんの取材は雑談していれば彼がうまくまとめてくれるので、引き受けることに何のバリアーもありません。
それに乾さんのシニアネット構想も聞きたいですので、取材にきたら取材してやろうという考えで取材を受けました。

案の定、取材はすぐに終わり、いろいろと情報交換しました。
乾さんのシニアネット構想(これは私の勝手な命名ですが)は、元気なシニアがさらに元気になるためのメディアや仕組みづくりです。
これは実はコムケアの「大きな福祉」構想につながります。

また10年ほど前に経済広報センターを事務局にして、シニアネットワーク構想に取り組んだことがあります。
1年ほどで各地に支部も出来始めた段階で、経済広報センターの事務局長が変わり、そのプロジェクトは中止になりました。
その無責任さには呆れました。
経団連が後ろにいたのですが、財界の考えることには社会性の視点は形だけしかないことを、そのときに痛切に感じました。
以来、経済広報センターとの付き合いもやめました。
日本の財界のレベルの低さは今に始まったことではありません。

話がそれてしまいました。すみません。
乾構想は資金面でいま止まっているようです。面白いと思うのですが。
3000万円あれば動き出すそうです。誰か出しませんか。

■東レ経営研究所に久しぶりに行きました(2006年5月17日)
久しぶりに東レ経営研究所を訪問しました。珍しく仕事の関係です。
何年ぶりでしょうか。最近は私の知り合いもほとんどいなくなりました。

入口に坂上弥生さんが待っていてくれました。
私が東レでCIに取り組んでいた時のメンバーです。
当時は5人の独立愚連隊チームのような形で、新しい風起こしに取り組んでいたのです。
もう20年近く前の話です。まだ私に若さが残っていた時代です。

もうひとり、気になっていた人にお会いできました。
今は同社の研究理事をされている大島桂典さんです。
私が在籍していた20年前には東レのフィルム研究所の所長でした。
CIに取り組む前は、私は新事業開発に関心があったので社内外の研究所に出入りしていたのですが、
大島さんはとても理路整然と話をしてくれ、難しい技術の話をしてくださり、事業企画にも協力してくれました。
とてもお世話になったお一人です。

今から思えば、東レには素晴らしい研究者や技術者がたくさんいました。
そうした人との会話の中から教えられたことはたくさんあります。
東レの人に会うと当時のことをいろいろと思い出します。
たまには古巣を訪ねるのもいいものです。

■最近の大学は快適そうですね(2006年5月18日)
法政大学大学院の大村和夫教授の研究室を訪問しました。
最近の大学の研究室はとても快適そうで、うらやましい感じです。
私もどこかの大学に研究室を一つほしい気がしてきました。
しかし時すでに遅し、です。気づくのが遅かったです。

大村さんもまたこのサイトには時々登場しますが、最近はとてもお世話になっています。
そのおかげで最近はお会いする機会が増えました。
世話になるのはいいことです。会う機会が増えますから。

そういえば最近大学の話があまりありません。
一時期いろいろと面白いことがありそうな気配だったのですが。

■共生コミュニティの実現に向けて(2006年5月19日)
14日にヒポクラテスの集まりでお会いした大多賀政昭さんが修士論文を送ってきてくれました。
「共生コミュニティへの視座」です。
大多賀さんは立教大学の大学院を今春終了され、福祉の世界に入りましたが、共生コミュニティはライフワークのようです。
大多賀さんが考えていることを少しだけ知っていたのと、この題に興味を持って読ませてもらいました。
とても面白かったです。

まず第1章で「共生」と「コミュニティ」の定義を吟味し、
両者をつないだ「共生コミュニティ」を重層多系的なコミュニティと捉え、その要素や福祉コミュニティとの関係などを整理し、
その上で、共生コミュニティのモデルと言われた、ドイツのべテルにおける実態を題材にして、その具体的展開を論じています。
最後の章では、大多賀さん自身の提案をしています。

大多賀さんは大学4年の時に、べテルで2か月生活体験したのですが、それを踏まえての話ですので、とてもわかりやすいです。
コムケアセンターの論文はできるだけ多くの人に読んでほしいと思いましたので、
大多賀さんにお願いしてこのホームページに掲載させてもらうことにしました。
下をクリックしてください。
共生コミュニティへの視座
まちづくりや福祉を考えている方には是非呼んでほしいと思っています。

いつか大多賀さんに頼んで、べテルの話をしてもらう会もやりたいと思います。
みなさんもぜひ大多賀さんの論文を読んでください。
感想などあればぜひ送ってください。
5人集まったら、大多賀さんを囲んで話し合う会を開きます。

■今週出会った4つの夢(2006年5月19日)
今週は夢を持った4人の人たちに会いました。20代から60代まで幅広い世代です。
最近は個人情報の扱いが難しく、このサイトも書きづらいのですが、今回は匿名で書くことにします。

17日にお会いしたTさんの構想は各国で活躍してきた若者たちの柔らかなバーチャルシンクタンクの創出です。
日本には本来的な意味でのシンクタンクはまだほとんどありませんが、
政策につながるような実践的なネットワークを創りたいというのがTさんの課題です。
既にその準備は進みだしており、構想の枠組みも話してくれました。
魅力的なプロジェクトです。
Tさんは昨年海外生活をやめて帰国した人ですが、もしかしたらどこかの諜報部員ではないかと思いたくなるような構想です。
聴いているだけでワクワクしてしまいました。

18日にお会いしたSさんは私の友人知人の中で、一番人間的で心優しい人なのですが、
Sさんの夢のひとつは岐阜のお寺で塾を開くことです。
Sさんのことはいつかきちんと書き込みたいと思っていますが、なかなか機会がありません。
韓国に4年ほど行っていた後、体調を崩されたのでお会いする機械が無かったのですが、今日は数年ぶりにお会いできました。
とても元気そうだったのでとてもうれしく思いました。
Sさんに会うととても幸せな気分になります。

19日に会ったNさんの夢は独立して会社をつくることです。
テーマはもちろん決まっており、その分野ではかなりの評価も得ています。
Nさんとは初対面でした。まだ20代の若者ですが、こうした若者が最近は増えています。
一緒に食事をしながらお話をさせてもらいましたが、とてもさわやかな時間が持てました。

そして20日に会ったKさんの夢は、飲み屋です。
彼はパワフルな経営コンサルタントなのですが、いささか破天荒のところがある好人物です。
しばらく音信が途絶えていたので心配していましたが、全く変わっていませんでした。
彼の昔の夢は新しいスタイルのマーケティングスクールでしたが、それがどうやら飲み屋に変わったようです。
昔彼は料理屋を経営していたような記憶もありますが、まあ魅力的な人物です。
彼のことですからきっと飲み屋を始めるでしょう。
しかし、70過ぎても飲み屋が続けられるか不安だというのです。飲み屋は夜が遅いからです。
そこでひらめいたのですが、朝型の飲み屋というのはどうでしょうか。
高齢社会の飲み屋は朝型がいいかもしれません。
先月大阪の南のほうに行ったとき、9時に街を歩いてみたら、
なんと飲み屋横丁のようなところのスタンドで高齢者が朝からお酒を飲んで盛り上がっていました。
一軒だけではありません。その通りすべての飲み屋がそうでした。
強烈な印象でした。

さてこの4人のうち、Nさんを除いてはこのコーナーに登場したことのある人たちです。
さて誰でしょうか。一応、キーワードは一つずつ入れています。
死ぬほど暇な人は見つけて実名をご連絡ください。
本人はだめですが、それ以外の正解者にはコーヒーをご馳走します。

■団塊世代の行方(2006年5月20日)
近くに住む青木さんが、相談があるといってやってきました。
青木さんは都心の企業に勤めていますが、我孫子生まれの地元の人です。
以前書いたことのある手賀沼ハケの道沿いにお住みです。我が家の佐藤農園のアドバイザーでもあります。

ハケの道を中心にした市民景観会議の時には、まだ知り合っていなかったのですが、
昔から住んでいた人にはその時の景観活動はあまり良くは映っていなかったようです。
そこに市民活動と住民活動の微妙な温度差があります。
もちろんもっと大きな溝は行政との間にあります。
青木さんは間もなく定年になるので、継続して勤めるか、スパッとやめて地域活動をするか迷っているようです。
そこで相談に来たわけです。

我孫子には「ようこそ地域活動 50代60代のためのインターンシップ」というプログラムもあります。
しかし、そうした活動はなかなか市民には伝わっていません。
行政は制度や仕組みを創るのは熱心ですが、その実体を作ることには不得手です。
目的と手段を履き違えてきたのがこれまでの行政ですが、我孫子市はそのスタイルがまだ続いています。残念な話です。

私は市民活動と住民活動とは似て非なるものだと思っていますが、住民活動と市民活動は多くの場合、垂直構造にあるような気がします。
つまり住民活動という土台があってこそ、市民活動が生きてくるという意味です。
私自身の活動の甘さは、住民活動をあまりやっていないことに一因がありそうです。
青木さんはやりたいことがたくさんあります。たくさんあるということは、逆に動き出しにくいということです。
そこで何か小さくてもいいから活動を始めることをお勧めしました。
まずは動き出す。それが住民活動の鉄則かもしれません。

■我孫子チャットが動き出しそうです(2006年5月20日)
我孫子住民の名前のない集まりも地道に進んでいます。
最近は土日に開催していますが、それでもなかなか集まれない人が多いです。
本当に忙しい時代のようです。

今日は若者がひとり初参加です。豊田さんです。
コムケアや平和への結集などで前にここにも登場した豊田さんです。
河田さんも参加しました。
やはり行動は彼らの世代に任せるのが現実的です。
そこでこの2人を主軸にして、この会のキックオフイベントを企画運営してもらうことにしました。
この会も新しいステップに進化できそうです。
それにしても住民活動はまだまだという感じです。
どこで日本は間違ったのでしょうか。
これほどにコミュニティや近隣社会が壊れてしまった国の行く末には大きな不安があります。

(2006年5月第4週)
先週はいささか忙しい週でしたが、今週は予定がかなり入っていたので、ほぼ予定通り過ごすことができました。
予定があらかじめ決まっていることの多忙さと急にさまざまなことに巻き込まれる多忙さとは全く違いますね。
「多用」と「多忙」の違いです。
それに何よりも、今週はいわゆる仕事っぽいことが多かったので、精神的には気楽でした。
やはりビジネスが一番楽ですね。論理が明確だからかもしれません。
たいしたビジネスをしていないからかもしれませんが。

■自治会として何をやるか(2006年5月21日)
自治会で何をやるかの下打ち合わせです。
我孫子市では各自治会単位に世帯あたり年間300円の地域活動支援費が支給されます。
何かやっても何をやらなくても支給されるので、よく考えるとおかしな話ですが、
まあ、今の状況ではいかに使うかを考えることが大切です。
そこで何をやるかを検討する特別事業係を今年は発足させることにしました。
6月にその検討会を予定していますが、予め役員会で意見交換しておこうというわけです。

ついでにわが班の人たちも巻き込んでしまおうということになり、16世帯にみんなに声をかけました。
私の班は16世帯なのですが、自治会(これは169世帯です)とは別に、班でも何かできないかというわけです。

まちづくりの出発点は近隣づきあいです。
その視点のないまちづくりは砂上の楼閣のようなものです。この頃、それを痛切に感じます。
10世帯の人が集まってくれました。これから何が始まるか楽しみです。

■ネットコラボレーション(2006年5月21日)
先週、降って湧いたように、あるプロジェクトへの参加を要請されました。
たまたま私の関心事にもつながるテーマだったので、参加させてもらうことにしました。
そして3人のチームをつくりました。
さらにそうしたチームが3つ参加することになり、胴元の会社とでコラボレーションチームができました。

先週、その集まりがあり、それぞれが役割分担して事業構想をたてることになりました。
公募コンペなのですが、なんと締め切りまで1週間しかないのです。
これで募集先が何を考えているかはよくわかりますが、まあそれはここでは話題にはしません。

ここでのテーマは、コラボレーションの難しさと面白さです。
全く面識のない4社が集まり、一緒になって企画書を書き上げていくのは実に刺激的です。
今回は私は時間がなかったこともあり、前半は作業には入りませんでしたが、横から見ていたおかげで、その限界や効用がよくわかりました。
おそらくコラボレーションソフトなるものも開発されているのでしょうが、うまく仕組んでいけば、効果的な創発を引き起こすことができるでしょう。
時間も場所も克服できるネットコラボレーションは私の周りでは結構行われていますが、
今回当事者としてプロセスを体験し、しっかりしたメソドロジーがいかに大切かを実感しました。

これはコラボレーション経営研究所の瀬谷さんのテーマかもしれませんが、一度、瀬谷さんに話してみたいと思いました。
今回はちょっと仕組みが十分ではなかったのと、
私のところのチームフォーメーションが初めてのコラボレーションメンバーだったのとで、ちょっと苦労してしまいました。
しかしとても刺激的な経験でした。

ネットの効用はすごいです。
ただ問題は参加者の意識と能力ですね。それがよくわかりました。

■地域経営の担い手に必要なソーシャル・アントレプレナーシップ(2006年5月22日)
福島県の自治研修センターで、入職4〜5年目の若き自治体職員を対象に、
時代の変化の中での意識変化の刺激を与える話をしてくれないかと頼まれました。
そこで「ソーシャル・アントレプレナーシップの勧め」を話させてもらいました。
受講生の真剣な目線がとても印象的でした。

私は、これからの行政職員はソーシャル・アントレプレナーになれるはずだし、またならなければいけないと思っています。
これには発想の逆転が不可欠です。
これまで行政で「事業」といえば、「予算を使うこと」でした。
ですからアウトプット志向が強く、文化ホールを建設することが事業だと思われていたのです。
その発想の中で「行政が地域最大のサービス産業」などという馬鹿な発想も生まれるわけです。
なぜ馬鹿な発想なのかはなかなか理解を得られずによく質問されますが、
コストセンターであり続けながら、サービスを標榜するのは厚顔無恥でしかありません。
サービス産業とはプロフィットセンターでこそ、いえる言葉です。
勘違いしてはいけません。

ちなみに、企業にとっての「事業」は「金を儲けること」と思っているような人もいます。
金を儲けることが経営だと思っているような、これまた厚顔無恥の経営者が日本では財界の主流ですが、
そうした経営者が政治家と一緒になって、いま、史上最高の利益をあげているわけです。
従業員の幸せや生活よりも、組織利益を優先する、たとえばトヨタの経営者には恥を知ってもらいたいものです。
いわゆる大銀行も同じですが。

事業とは、いうまでもありませんが、「社会にとっての価値を創造すること」です。
もっとも、ここで「社会」とは何かという大きな問題があります。
社会という言葉も、実体のある言葉として語らなければいけません。

とまあ、こんな理屈っぽい話をさせてもらったわけです。
もちろん事例を含めて話させてもらいましたが。

自治体職員がその気になれば、かなりのことができる時代です。
今日、話を聞いてくれた80人の職員のなかの1人でも、何か新しい風を起こしてくれれば、福島にきたことが報われます。
今年はもう2回、福島でお話させてもらうことになっています。

■地域内分権と住民自治(2006年5月22日)
福島で、久しぶりに坂口正治さんに会いました。
最近の論文をもらいました。以前も書き込ませてもらいましたが、坂口さんは自治体内分権に関心をお持ちです。
そして時代が「統治型行政」から「自治型行政」に移行する中で、自治型行政の仕事の進め方や技術に関しても取り組まれています。

その坂口さんから、飯舘村の「までいライフ」の取り組みの話をお聞きしました。
これは私も気になっていた取り組みですが、今回少しお話をお聞きして、脱帽しました。
住民自治をしっかりと進めている自治体はやはりあるのですね。
それも20年前からです。
協働のまちづくりを標榜している自治体のみなさんに、ぜひ視察に行ってもらいたいものです。
住民と行政との協働などという言葉の欺瞞性にも早く気づいてほしいものです。
少し勉強すればすぐわかることなのですが。

ところで坂口さんの論文もぜひ多くの人に読んでもらいたいと思います。
大多賀さんの論文のように、坂口論文も、いつかこのサイトから読めるように相談してみます。

■「つながり」から「結い」へ(2006年5月23日)
コムケア活動の5年目の報告書ができあがりました。
コムケアセンターのサイトにそのPDF版を掲載しましたので、コムケア活動にご関心のある方はぜひお読み下さい。
この5年間のコムケア活動の、私の卒業報告なのです。
いや、今年の連休の幸せを私から奪った報告書でもあります。はい。

PDFでダウンロードできますが、6月中に私のオフィスもしくは本郷のコムケアセンターにきてくださった方で、ご希望される方には贈呈します。
その報告書にも少し書きましたが、今年はちょっと資金助成プログラムを休んで、体制を再構築する予定です。
しかし、この1か月はコムケアを少し忘れたい気分です。かなり疲れましたので。

■青森県三沢市との出会い(2006年5月23日)
国土交通省が地域振興を支援するために地域アドバイザー制度というのをやっています。
もう20年くらい続いている仕組みです。
要請を受けて、さまざまな専門性を持つアドバイザーが3人チームをつくり、年間3回だけアドバイザイーに行くという仕組みです。
昔は確か無償だったような気がしますが、最近は報酬までもらえるので、いささか面白くありませんが、私も時に協力させてもらっています。

今回は自治会に関わるプロジェクトであれば、引き受けても良いと事務局に伝えていたのですが、
青森県の三沢市が町内会主役のまちづくりということだったので、引き受けることにしました。
それにお願いして、首都圏大学教授の玉野和志さんも同じメンバーにしてもらうお願いもさせてもらいました。

今日はその最初の顔合わせです。
ところが残念ながらプロジェクトの組み直しがあったそうで、なんとテーマが「花と緑のまちづくり活動の自立化」というような内容になっていました。
これではわが女房が我孫子市でやっているプロジェクトの話で、アドバイザー制度の派遣などは不要です。
思わず、そんなプロジェクトになぜ3人も行かなくてはいけないのかと質問してしまいました。
ここが私の悪いところです。
一気に興味はうすれました。
それにどうもすでに進め方も決まっているようです。最悪のケースです。

しかもこの内容の組み直しは、国土交通省の指導なのだそうです。
2年前に大臣官房に頼まれて、話をしに行った時に、
地域振興のために国土交通省がやるべきことは「何もしないこと」ですと冒頭に提案したことを思い出します。
現場も知らない人がきっと指導しているのでしょう。
国土交通省はまた時代に逆行しているようです。
対話型コミュニケーション活動に取り組んでいた頃が懐かしいです。

普段なら、ここでアドバイザーを辞退して帰るところですが、今回は踏みとどまりました。
なぜかというと、三沢市の事務局を担う田面木るり子さん(まちづくり対策室長)の思いに共感したからです。
少なくとも1回は行こうと思います。
面白くなるといいのですが。

■地域振興アドバイザー交流会(2006年5月23日)
三沢市との出会いの後、地域振興アドバイザーの交流会がありました。
久しぶりに参加させてもらいました。
以前ご一緒させていただいた、群馬の中島さん、盛岡の久木田さんなど、さまざまな人たちにお会いしました。
そういえば、恵庭市の市長になった中島さんもこの仲間なのです。
なぜかローカル・ジャンクション21の朝田くに子さんや紫波の学校づくりをプロデュースした佐川旭さんにもお会いしました。
お2人もアドバイザーに協力されているのです。

交流会では何人かの思いを持った自治体職員の方にも出会いました。
それぞれまさにソーシャルアントレプレナーシップを持った人たちです。
言葉はともかく、そうした人たちはすでに日本でも増えているようです。
自治体で一番遅れているのはきっと大都市ブロックなのでしょうね。ともかく面白い話がたくさんあります。

飯舘村もそうですが、市町村合併などをやらないで生き生きした地域づくりをしているところは少なくありません。
ソーシャル・アントレプレナーシップを持った首長や職員がいれば、
どこの地域にも資源はありあまっていますから、いかようにも地域は元気にできるのです。
都会からアドバイザーを呼ぼうなどと思わずに、まず自らがグランドデザインを描いて、プロデュースすれば、面白い展開になるはずです。
アドバイザーを使い込む術を地域の人は強かにもたなければいけません。

地域振興アドバイザーを時々引き受けながら、いつもそう思います。困ったものです。

■KAE第39期のスタート(2006年5月25日)
KAE経営道フォーラムの39期のスタートの合宿です。
「経営理念」と「企業文化」の2つのチームがスタートしました。
今日は私からの解題と研究テーマの方向付けの合宿でしたが、最初にメンバーから関心事を聞かせてもらいました。
大手企業の経営幹部の皆さんが関心を持っていることをお聞きすると社会や企業の実相が垣間見えます。
半年前の前期に比べると、余裕が少し出てきた感じを受けました。

一つのチームでは、「幸せ」ってなんだろうかというような議論が行われましたし、
もう一つのチームでは自分の子どもを自分の会社に入れたいかという議論が行われました。
話の内容はオフレコですが、とても面白かったです。

メンバーは両チームで16人ですが、問題意識がかなり近いのが印象的でした。
これはこれでまたちょっと心配ではあるのですが。
どう展開するか楽しみです。

■浅野良雄さんの対話法への期待(2006年5月25日)
独自の対話法を開発し、その普及に取り組んでいるのが桐生市の浅野良雄さんです。
コムケア仲間のお一人です。
一度ゆっくりとお話したいと思っていましたが、ようやく機会が得られました。

最近はどこにいっても「問題はコミュニケーションだ」ということになることが多いです。
私は昨今のコミュニケーション議論の無責任さには辟易していますので
(つまり「コミュニケーション」という言葉の概念整理があいまいなまま、
単なる技術論にとどまったり、相手の問題にしがちだったりするのが不満なのですが)、
やや冷ややかな気持ちなのですが、関係性としてのコミュニケーションという視点からは大きな関心があるのです。
それに浅野さんの対話法には興味も感じています。
もしかしたら、今の社会の人のつながり方を考える上で、大きな示唆が含まれているかもしれないと思うからです。

浅野さんの本業はカウンセラーです。
私のまわりにはなぜかカウンセリングの勉強をしている人が多いのですが、カウンセリングは技術の問題ではありません。
その人の生き方の問題です。
浅野さんの生き方に、実は私は興味を持っているのです。

浅野流対話法は浅野さんのホームページをご覧下さい。
感声アイモの発声法にも興味がありますが、浅野さんの対話法を広げていくことにも関心があります。
さてどうしましょうか。

浅野さんのブログをリンクさせてもらいました。ぜひお読みください。

■インキュベーション型コムケアフォーラム運営委員会(2006年5月25日)
「気の迷い」というのがあります。
迷いはいい方向に行くこともありますが、往々にして判断ミスを起こしかねません。

今日はコムケアフォーラムの運営委員会が予定されていました。
しかし、4日前にコムケア活動から解放されたいという思いが強くなってきました。
すごい負担感が襲ってきたのです。
いろいろと考えるとやるべき課題があまりに多いのと、ちょっと最近、NPO嫌いになってきているためです。
それに参加するという反応がメンバーからなかったので、みんな忘れているなと勝手に思ってしまったのです。
自分に都合のいいようにしてしまう「無意識に意図された誤解」です。

それで予定日3日前の朝に、とつぜん「運営委員会は延期します」というメールをついつい流してしまいました。
独断的な浅薄な行為です。
ところが、その日の夕方に、予定していたのに残念ですというメールが来ました。
ハッと気づきました。それで翌朝また、「やはり延期はやめました」とメーリングリストで流しました。
権威失墜です。まあ、もともと権威はないので、またかと呆れられたのでしょうが。

私には「迷ったらポジティブなシナリオを選ぶという生活ルールがあります。
今回の場合のポジティブなシナリオは「開催」か「延期」か、どちらというべきでしょうか。
これまたおもしろい議論が展開できそうですね。

まあ、そんなことはどうでもいいのですが、結局、運営委員会は開催されたのです。
橋本さん、鎌田さん、浅野さん、長岡さん、小林さん、北岡さんが参加してくれました。
それぞれがこんな事業型プロジェクトを提案したいと意見を出しあい、それに関しての意見交換を行いました。
いくつかの面白いプロジェクトが企画できそうです。
最初はそろそろフォーラムの日程を決めようということだったのですが、もう少しじっくりと内容を固めようということになりました。
フォーラムの開催はさらに延びそうですが、運営委員会での議論も充実してきたので、ぜひご関心のある方はご参加ください。
コムケアのメーリングリストやホームページ、あるいは私のコムケアセンターのホームページでも案内を出すようにしていきます。
新しいNPOフォーラムのモデルを実現したいと思います。

■市民社会を支える情報技術へ(2006年5月26日)
NPO法人市民コンピュータコミュニケーション研究会(JCAFE:Japan Computer Access For Empowerment) の
浜田忠久さんと梅津冬樹さんがインターンシップの学生たちと一緒にやってきました。
梅津さんは一度、コムケアの選考会に参加してくれたのですが、
当時はまだ企業の現役だったのですが、いまは退職され、このNPOのスタッフとして活動されているのです。
その関係で、代表の浜田さんと一緒に来てくれたのです。

JCAFEのミッションは、
「私たち」の社会が暮らしやすいものとなることを目指して、世界中のNPOやNGOなどとの情報の交換と共有です。
「私たち」という言い方に、市民社会を込めているのです。
さまざまな活動に取り組んでいるので、一度お話を聞いただけでは、まだどう繋がればいいかはすぐには思いつきませんが、
コムケア活動とも深く繋がっているように思います。
そういえば、以前も書いた、日本財団のCANPANですが、これもうまく繋がれずにいます。
そうしたITリテラシーがないと、これからのネットワーキングは難しいのかもしれません。

浜田さんたちは、市民活動とインターネットがともに歩み寄って成長することが大切だと考えています。
たしかにインターネットやコンピューターは、両刃の剣で、市民活動を管理する側面と支援する側面があります。
いや、管理以上に、破壊や偽装のパワーも持っています。

情報ガバナンスの問題ですが、残念ながらまだまだ状況は楽観できないことを、昨今の日本社会は示しています。
私も少しきちんとITリテラシーを習得しなければいけません。
できれば一度、コムケアサロンなどで問題提起をしてもらおうと思います。

浜田さんをご紹介いただいた梅津さんは、他にもいろいろと活動をされていますが、その一つが犬猫ボランティアのポチたま会です。
この会は、茨城県を拠点にして、人間の身勝手で遺棄された犬猫の飼い主を探しているボランティア団体ですが、ご関心のある方はホームページをご覧ください。
社会には実に様々な活動があります。
こうした活動が社会を支えているのであって、それこそが社会の実体です。
政府の活動は、そうした活動がやりやすくなるための、補助活動にしか過ぎません。
どうもその中心と補助の関係が逆転してしまったのが、今の日本社会のような気がします。

そういう状況に社会が転化したのは、1970年代から80年代にかけての「一億総中流意識」現象だったのではないかと思います。
そこで多くの国民が、「お上」の側に自らを置くようになったのです。
すべての悲喜劇はそこから始まったのかもしれません。
元中流意識がいまなお小泉自民党を支えているわけです。
ナチス台頭の時代もそうだったのでしょうか。

■久しぶりに武田さんと話したオープンサロンでした(2006年5月26日)
今回のオープンサロンは参加者が武田文彦さんと乾真人さんのお2人でした。
乾さんはちょっと遅れての参加だったので、それまで、久しぶりに武田さんとゆっくりお話できました。
もっとも、民主主義論議になるとお互いに主張を譲らないので、それは避けて周辺的な話にとどめましたが、いろいろと面白い話題が出ました。

武田さんは、以前も書いたように、民主主義の実現を目指すリンカーンクラブの代表です。
当初、私はその事務局長だったのですが、15年ほど前はいろいろと活動をしていました。
毎年の総会には鳩山由紀夫さんや武村正義さんをゲストで来てもらい、みんなでの話し合いに参加してもらったりしました。
そういえば、私の住んでいる我孫子市の福島市長にもパネルディスカッションに参加してもらったこともあります。
朝日ニュースターで3時間の討論番組を持ったこともあります。

武田さんが、あの頃は若かったね、としみじみと話したので、気づきましたが、
当時は社会もまだ若く、歴史の方向を切り替える柔らかさがあったように思います。
リンカーンクラブに集まった面々も、今よりは純粋でした。
その分、認識が甘かったのですが。
武田さんは4月から慶応大学の講師としてご活躍です。
まだ始まったばかりですが、なにか新しい風を起してほしいと思います。
もう「若くない」武田さんに期待するのは酷かもしれませんが。まあ期待しましょう。
そんなわけで、今回はゆっくりしたサロンでした。

■奥只見湖バスツアー(2006年5月27日)
夫婦で奥只見湖バスツアーに参加しました。
早朝7時に我孫子を出発、戻りは10時近くです。まあバスツアーですので、その間の大半はバスの中です。

こういうツアーに参加するとさまざまなことに気づきますが、今回も実にさまざまな気づきがありました。
今回は近畿ツーリストの主催ですが、同社のコンサルタントをさせてもらいたくなりました。
ちょっと変えるだけで、かなりのコストダウンやサービスアップに繋がるでしょう。
本社の人たちもたまにはツアーに顧客として参加してみればたくさんの改善点が見つかります。
それを実現するだけで、業績は飛躍的に伸びるはずです。
とまあ、私はどこかに行くといつもそういう意識で見てしまうので、困るのです。

今回のバス会社は間もなく倒産してもおかしくないほど、問題がありそうです。
現場の社員を見れば、その会社のほとんどすべてが見えてきます。
コンサルタント意識がうずうずしてしまいますが、私の悪癖です。

奥只見ダムに辿り着くまでには、18キロの長いトンネルがあります。
行けども行けども出口が見えないトンネルの長さは、いしいひさいちの名作「地底人」を思い出しました。
この名作は、まああまりご存知の方はないでしょうが。はい。

トンネルを抜けると、残念ながら雪国とはいえませんが、雪が残っている風景です。
トンネル前は雨模様だったのですが、抜けた所からは青空でした。なにやら「地底人」の気持ちがわかりますね。

奥只見湖では船で奥のほうまで遊覧しました。
雪が崩れて湖に流れ落ち、ミニ流氷も浮かんでいました。
遠くに見える越後三山が、手前の新緑と重なって見事な風景をつくりだしていました。
1日かけてやってきた甲斐がありました。

船を待つ間に、中国の若者たちの一団と知り合いました。
日本にある会社に勤めているメンバーでツアーに参加したのだそうです。私が参加したツアーとは違いますが。
なかには来日後、まだ3週間という若者もいましたが、日本語で何とか話が通じました。
とても素直な若者たちで、いまはまだ会社で勉強中だそうです。
なぜかそのメンバー全員で撮る写真に私たち夫婦も招き入れられました。旅の途中での出会いはうれしいものです。

彼らが勤めている会社は湯島の比較的近くです。
また遭うことがあるかもしれません。そうした偶然はよくあることですから。

ところで今回改めて思ったのですが、バスツアー参加者がみんな持ってくるのがペットボトルのお茶ですね。
これはすごい市場だと、改めて感じました。
私たちは基本的に小さなポットを持っていきますが、それでも足りなくなって今回も1本ペットボトルを購入しました。
環境汚染を憂いるのであれば、やはり問題ですね。次回からはポットを2つ持参することにしようということになりました。

できることからみんなが少しずつ行動を変えなければ、環境はますます市場化されていくでしょう。
「もったいない文化」のなかで育った私たち高齢者世代が、まずは見本を示さなければいけません。
どうしてみんな、その「もったいない意識」をなくしてしまったのでしょうか。

(2006年5月第5週)
女房が元気に手術後3年を迎えました。
来月またPET検査を受けますが、それまではまた動けるだけ動こうということになりました。
幸いに私のほうもすべての分野が一段落ついたので、1か月遅れの連休にさせてもらいました。
といっても短い連休でしたが。
そんなわけで書き込みするようなことは何もないので、今週は私生活特集です。
まあ、いつもそうなのですが。

■ジパング倶楽部(2006年5月29日)
JRにはシニアを対象にしたジパング倶楽部というのがあります。
入会すると鉄道料金が割引になるのです。女性は60歳から入会できるので、すでに女房は入会しています。
私も間もなく65歳ですので、入会することにしました。
そこで申込に上野にあるジパング倶楽部の事務所に行きました。

驚いたことに混んでいました。
いや驚くのがおかしいのですが、まさにシニアにとっては旅行が大きな仕事なのだとわかりました。
高齢社会はまさに余暇社会なのです。
入り口で整理券をもらって順番を待ちました。
待っている間、順番待ちのシニア女性たちの話を聞いていました。
実に面白かったです。
ここに1日座っていると、きっと高齢社会の実態がわかりますね。とても元気な社会です。

男性は定年が来ても、次の就職先を探したがりますが、女性は全く違った生き方ですね。
何が男女共同参画社会だと思わずにはいられません。
男性こそ、女性の生き方に学ぶべきだろうと思います。
発想が逆転しています。

■65歳の誕生日(2006年5月30日)
65歳の誕生日でした。
残念ながらお赤飯が作られただけで、後は何もありませんでした。
何か贈り物はないのかと家族に要求しましたが、ありませんでした。
普段の家族への対応がこういうところにはっきりとでてきます。
私はあまり家族に役立っていない存在なので、女房と違って祝福されないようです。
いやはや困ったものです。
しかも、私はどうも家族の記念日などを忘れるタイプなのです。
ともすると自分の誕生日も忘れてしまうのですが、
最近はメールで、アドレスを登録しているところなどから、事務的に「お誕生日おめでとうございます」というメールが送られてきます。
なにか嫌な気分がします。
もちろんメールは開かずには削除しますが、それで自分の誕生日に気付くわけです。余計なお世話です。

誕生日もいまやマーケティング材料になってしまったようです。
65歳になったら1年間活動を中止して、本を1冊書くのが3年前までの計画でした。
でもやめました。本は70歳になっても書けるでしょう。
65歳でこそやれることがあるはずです。
こうやって本を書くのは延ばしてきたわけですが。

実は今回は何をやるかを決めているのです。
家族からはやめるように言われていることですが。
まあ私自身あまり自信がありませんので、書くのはやめますが、もし動き出したら書くようにします。

65歳から私が何を始めるか。
まあ、どうでもいい話ですが、 当たった人には美味しいコーヒーをご馳走します。

■千代田線にまで女性専用車ができました(2006年5月31日)
私はオフィスに千代田線で通っています。一番前の車両に乗ります。
ところがその車両が「女性専用車」になりました。そして品の良くない大きな注意書きがホームにも車両にも貼られました。とても不愉快です。
1日前の記事にも書きましたが、何が男女共同参画社会だと思わずにはいられません。
私は男女共同参画などという発想が大嫌いなのです。
ところが地元の我孫子市でもこの度、男女共同参画条例が施行されます。わが知人たちがこの実現に取り組んできましたので言いよどみますが、私はこの発想が嫌いですから、内容も読んでいません。困ったものです。
月末に男女共同参画講演会なる、わけのわからない講演会が開かれます。自治会長にはぜひ参加してほしい旨の連絡が市から届きました。
自治会の会長になると実にさまざまなお誘いがあります。地域社会はイベントが盛んなのです。
女性専用車もそうですが、余計なお世話が多すぎます。もっと本質的な解決策を考えてほしいものです。
そういえば、月曜日からCWSプライベートを再開しました。違法性をテーマに毎日書いています。理屈っぽくてあんまり読みや少ないと思いますが。

■パソコンの故障(2006年6月1日)
モバイルが直ったら、今度はメインのデスクトップのパソコンが壊れそうです。
今日は女房と旅行に朝から出かける予定だったのですが、パソコン不調で出発が4時間も遅れてしまいました。
最近の私の活動はほとんどすべてがパソコンに依存していますので、パソコンが壊れたら動きが取れなくなります。
とりあえず重要なデーターをCDに保存し、新しいパソコンを発注しました。
今回はDELLを購入することにしました。デスクトップで10万円です。

メインのパソコンを変更するのは大変です。
いささかの心配はありますが、これでまた4年は大丈夫でしょう。
最近は毎年1台程度、パソコンを使いつぶしています。
そのたびにソフトを購入するのはどうも割り切れません。
この仕組みを考え出したマイクロソフト社はすごいですね。
所有権に新しい概念を持ち込んだような気がしますが、私にはなかなか理解できない考え方です。
どなたか納得できる説明をしてもらえないでしょうか。

■湯河原の舟木さんの庭(2006年6月2日)
湯河原の鍛冶屋町を女房と車で走っていたら、
女房がある家の花が気に入ってしまい、その花の名前を訊いてくるとその家に入っていってしまいました。
いつまでたってもでてこないので、私も車を降りて行ってみると、何と庭に入り込んで、そこの奥さんと花談義をしています。
手にはもう、その花を持っています。
挿し木用にもらったのだそうです。いやはや、すごい能力です。

とてもいい庭だからあなたも見せてもらうといいといわれて、仕方なく私も庭に入らせてもらいました。
広い庭で、さまざまな花が手をこめて植えられていました。
その奥さんは、この花ももって行きませんかといろいろと勧めています。
花好きの人たちはすぐに気が合うらしいです。
以前も書きましたが、土と一緒に活動している人は、ともかく他の人に自分の創ったものをあげるのが好きなのですね。
女房は、その人に、我孫子のほうに来ることはありませんかと、訳のわからない質問をしています。
きっと自分の庭の花をあげたいと思っているのでしょうね。
どうも花好き人間の会話は理解できません。

その人は舟木さんというお名前でした。
ことの成り行きで写真も撮ってきましたので、これから住所を調べて写真を送らなければいけません。
さて調べられるでしょうか。

私は花はほどほどですが、こういうのは好きなのです。
子どもの頃は探偵小説作家になりたかったのです。
さてどうやって住所を探しましょうか。
材料は鍛冶屋と白い家と何となくの場所と舟木さんという姓だけです。
これだけ材料があれば大丈夫でしょう。
届いたら報告します。まあ、興味はないでしょうが。

■竹筆書芸の望月一幸さん(2006年6月2日)
真鶴に行きました。
真鶴は高校1年の時の課外学習で出かけて以来、私にはとても好感の持てる場所のひとつです。
東京にはいない蝶々がいろいろといましたし、岩場も懐かしい思い出のあるところです。
もっとも最近は雰囲気がかなり変わってしまいました。

三つ石に下りる途中に美味しい食事を食べさせてくれるところがあると聞いていたので、そこに向かったのですが、
そこにあったのは喫茶店も開いている竹筆書芸というお店でした。そこに女房がまた入り込んでしまいました。

きっかけはまたもや花でした。
とてもきれいなアザミが入り口にあったのです。
それでついふらふらと女房が入り込み、そこにいた人に話しかけたのです。
女房は花の話ばかりしていましたが、実はその人は竹筆書芸の師範の望月一幸さんだったのです。
「竹筆書芸」とは、竹の根を鉛筆のように削った筆に墨をつけて書くのです。筆という感じではありませんが。

よく見ると、店の入り口に看板があり、
オーストリアウィーン宮廷芸術名誉市民、
フランスドラピエ芸術認定作家、
オランダロッテルダム市名誉作家などの肩書きと共に、望月秋羅のお名前が書かれていました。
望月秋羅さんはヨーロッパでも非常に評価の高い書道家だそうです。
一幸さんの叔父さんだそうです。気さくな方でした。

店内ではちょうど片岡鶴太郎の絵手紙が展示されていましたが、絵も書もすばらしく豊かでした。
女房はこういうのにも目がないのです。
望月さんが目の前で書いてみせてくれました。
実に見事です。たった一本の竹の先で、さまざまな表情が出せるのです。
早速女房は気に入って、竹筆を購入しました。
彼女は昨年から書道を学んでいるのです。

まあそんなわけで、すっかり長居をしてしまいました。
それで、三つ石まで降りるのはやめました。昼食も食べ損ないました。

帰路に煮魚のおいしい匂いがしましたので、そこで食事をすることにしました。
店に入るとなぜかまた片岡鶴太郎の写真がありました。
今日はどうも鶴太郎に呼び込まれているようです。
そこのお店は温泉つきでした。露天風呂です。
そういえば、先週、メールで根本賢二さんから夫婦で温泉に行くことを勧められていたのを思い出しました。
それでせっかくなので入浴することにしました。食事をする人は500円で温泉に入れるのです。
誰も入浴者はなく、それぞれが露天風呂を独占堪能しました。
女房はこういう、行き当たりばったりの旅が好きなのです。

夜は湯河原のホタルの宴があるというので、万葉公園に行きました。
まだ時間が早かったためにホタルは出ていませんでしたが、観光協会の人と話せたので見た気分になって帰りました。
もう少し待ってホタルの場所に行けば見れたのですが、ちょっと距離があったのでやめました。
この歳になると実際に見なくても見た気分になれるものなのです。
年の功です。 三つ石もホタルもまあ堪能した気分になりました。ばい。

朝から夜まで動きづめの1日でした。
書き忘れましたが、さつきの里公園と幕山公園にも行ったのです。
さつきはほとんど咲いておらず、幕山も花がありませんでしたが、まあ想像力で感動してきました。
幕山には川があるのですが、そこで沢蟹を見つけようと私は危なく川に落ちそうになって怪我をしてしまいましたが、残念ながら沢蟹は見つけられませんでした。
収穫があったのは女房だけでした。
今日は私にはあまり運のない日でした。 普段の心がけの違いかもしれません。

■我孫子の市民活動支援者、佐藤祐子さんのこと(2006年6月3日)
4日の早朝に、急に新潟に出かけなければいけなくなりました。
それで1日、予定を繰り上げて帰宅しました。
そのおかげで、我孫子市のボランティアセンターの佐藤祐子さんにお会いできました。
貸していた資料を返却に来てくださったのです。
女房のほうが親しいのですが、私も一緒にお話させてもらいました。

佐藤祐子さんは時々ここでも書いている我孫子チャットのメンバーです。
コムケアのサロンにも参加してくれたことがあります。
我孫子市では珍しい、外にも目が向いている住民活動の実践者です。

今度、家業を継ぐことになり、市民活動はから少し距離を置くことになったのです。
私の女房は我孫子で花かご会というグループ活動をしていますが、
そのグループの立ち上げを支援してくれたのが佐藤祐子さんだそうです。

祐子さんの活動の出発点は石鹸の会のようです。
手賀沼は琵琶湖と同じく水質汚染対策から石鹸活動が盛んだったのです。
そこからさまざまな市民活動が始まりました。
そして祐子さんの活動もまた市民活動から住民活動へと深まっていったようです。
お話を聞いていると我孫子の市民活動の歴史が少し見えてきます。

こういう人を引き止めて置けないのはとても残念です。
我孫子の市民活動の実態が象徴されているのかもしれません。

■我孫子市の豊田義信さん(2006年6月3日)
もう一人、我孫子の実践者を紹介しておきます。豊田義信さんです。
一度、コムケアサロンに参加してくれましたが、その後、今度は平和の集まりでお会いしました。
先月は我孫子チャットの会にも参加してくれ、イベントの企画運営を引き受けてくれた若者です。
その豊田さんからメールが来ました。
住民流福祉総合研究所の機関誌に、住民流とコムケアの共同シンポジウムの話が出ていたが、
それを手伝いたいというメールです。
彼は住民流福祉の木原孝久さんを師匠と考えているようです。

実は木原さんと一緒に住民活動と市民活動のコラボレーションを考えるフォーラムを約束したのですが、
誰かコアメンバーになってくれないかと探していたのです。
うれしい申し入れです。
これでいよいよ住民流とNPOのフォーラムが実現できそうです。

(2006年6月第1週)
少し雲行きがおかしかった私の元気も急速に回復しました。
シンクロニシティも回復中です。新しい物語がまわりで渦巻いているような気配です。

■NPO学会でのコムケア報告(2006年6月4日)
新潟でNPO学会の大会が開催されました。
私は学会メンバーではないのですが、
住友生命の井上さんがコムケア活動を報告しないかと発表の機会を創ってくれました。
井上さんはコムケア活動の海の親であり、育ての親ですから、お受けしないわけにはいきません。
そのセッションだけに参加させてもらいました。
今度、NPO学会の副会長になった田中弥生さんも参加してくれ、質問までしてくれました。
浅野令子さんや川北秀人さんにも久しぶりにお会いしました。

発表者のリストを見るとたくさんの知人が参加していました。
ちょっと残りたい気分もあったのですが、午後から用事があったので報告しただけで退席させてもらいました。
1時間の新潟滞在でした。

帰路に私たちの発表の次の次に発表される予定のレジメを読みました。
デベロップメント・トラストの話です。
概要を読んで、これは無理をしても聞いておくべきだったと思いましたが、すでに新幹線に乗ってしまっていました。
さらに新幹線でメールを開いたら、この大会に参加している人からの感想が転送されていました。
とても興味ある感想でした。
もう少し早くメールに気づいたら、会場でその人を探してお会いしたかったと思いましたが、これもかなわぬことでした。
転送してくれた友人も、私が学会に参加しているとは思ってもいなかったでしょう。

シンクロニシティが後退しだしたのかもしれません。これは不吉な兆しです。

発表に関して質問がありました。
これに関しては、ブログに書きましたが、やはり私のプレゼンテーションは余計な一言が災いしているようです。
せっかく場を作ってくれた井上さんにご迷惑をかけたかもしれません。困ったものです。

私は学会の短時間での発表のスタイルがどうも苦手です。
日本広報学会の最初の大会では基調講演をさせてもらったのですが、これも一方的な講演に終わってしまいました。
かなり新鮮な問題提起をしたつもりですが、プレゼンテーション能力が不足していたためか、時間不足かほとんど反応はありませんでした。内容がなかったためかもしれませんが。
このときの話の講演の予稿を掲載します。よかったら読んでください。
かなりの問題提起だと考えていましたが、たぶん誰にも何も伝わらなかったようです。
これを真剣に考えていけば、日本の企業広報は新しいパラダイムを構築できたのではないかと思っています。

日本経営教育学会での問題提起の講演も空振りでした。
これも余計な一言が反発を招いたためかもしれません。
いつも感情が出てしまうのです。どうしようもない性格です。

学会で発表したパワーポイントをPDFにして掲載します。
よかったら見てください。アニメーションは作動しませんが。

■山城章教授を語る座談会(2006年6月5日)
山城章さんといえば、私が学生のころから有名な経営学者でした。
当時は翻訳経営学が全盛でしたが、日本に立脚した経営実践学を提唱されていました。
私でさえ、いや私だからかもしれませんが、印象に残った経営学者でした。

山城先生が一橋大学を定年退官されたのが1971年です。
今から35年前です。そして山城経営研究所を設立、実際の企業との接点を強められました。
そして7年後に日本経営教育学会を発足させました。
そしてその7年後に、次元をさらに深めて立ち上げたのが、このコーナーでも時々出てくるKAE経営道フォーラムです。
私はそこで山城先生のお人柄と考えに、少し触れることができました。
思ってもいなかったことです。
本当に日本の神様のような方でした。

山城先生は平成5年にお亡くなりになりましたが、
今年は経営道フォーラム発足20周年、山城経営研究所設立35周年です。
そこで経営道フォーラムでは記念誌を出すことになりました。
その一環として、山城先生ゆかりに人に集まってもらっての座談会を行いました。
光栄にもその進行役を私がやらせてもらうことになりました。

参加者は、山城先生の教え子でその考えを実践されてきている日立キャピタル会長の花房さん、
内弟子と言われている内山さん、
経営道フォーラムの受講生であり、フォーラムを支えてきた八尾さん、
そして八尾さんからフォーラムを引き継いだ西田芳克さんです。

八尾さんと西田さんにはよくお会いしていますが、花房さんと内山さんとは久しぶりです。
山城先生に関して、これまでゆっくりとお話したことはありませんので、私には刺激的な座談会でした。
花房さんのお話を聞いていて、改めて山城経営学から学ぶことの多さに気づきました。

花房さんは山城先生を日本のドラッカーと呼んでいますが、
たとえば「経営はアート」という発想はドラッカーよりも山城先生のほうが早かったといいます。
社会との関わり方に関する問題提起も山城さんはとても早かったです。
ドラッカーは山城先生から示唆を受けたのではないかとさえ思ってしまいます。

花房さんのお話はとても魅力的でした。
花房さんはバブル前後を通して、すばらしい経営実績を残した経営者です。
昨今の儲け主義の経営者とはまったく違いますが、今回、お話させていただき、そのお人柄がよくわかりました。
日本にもまだこういう経営者が残っているのです。感激しました。

ところで、山城経営学の特徴のひとつは実践学にあります。
しかし、山城先生が始めた研究所も経営道フォーラムも、きわめてどんぶり感情で、経済的には大変だったようです。
それをしっかりと建て直し組織活動にしたのが八尾さんです。
その話が出たので、実践経営学の提唱の山城先生は、経営の本質をどう考えていたのでしょうかと聞いてみました。
直接の議論にはなりませんでしたが、山城先生の経営観の本質がそこにあるように思います。

山城経営学の研究会をちょっとやってみたくなりました。
日本にも本当の経営学者がそろそろ出てきてもいいころです。
日本の企業が経営を忘れてから、もう50年近くたちますから。
実に楽しい示唆に富む座談会でした。しかしまとめるのは大変かもしれません。

■福島県でのソーシャルアントレプレナー講演(2006年6月6日)
福島での2回目の講演です。
前回欲張りすぎたので少し内容をスリムにしましたので、予定とおり最後まで話すことができました。
しかし、なぜか話がうまくできませんでした。

講演は不思議なもので、最初の5分でうまく話せるかどうかがわかります。
今回は用意をしすぎたためか、それと余計な言葉は話さないようにしようと思いすぎたためか、出だしでつまずいてしまいました。
なにやら硬い雰囲気になってしまったのです。
今回の受講生には悪いことをしてしまいました。
気が乗らなくと、もうどうしようもありません。

受講生は役場に入って4年目の若者たちです。
ちょっと難しすぎる内容だったかもしれません。
何しろタイトルが「ソーシャルアントレプレナーの勧めです。
後で反省したのですが、村上さんの挫折を題材に話をすればよかったかなと思いました。

話の骨子は、これからは地域にある資源を活かして地域社会にとって価値のあるプロジェクトを起こしていくことが大切だというものです。
地域資源はどこにも山ほどあることを認識できれば、仕事は面白くなっていきます。

前回は手ごたえを感じたのですが、今回は会場からの手ごたえが弱く、少しめげてしまいました。
同じ話を続けてするのは難しいです。
もう一度チャンスがあるので、今度は満足できる結果を目指したいと思います。

ちなみに、研修所への往復のタクシーの運転手との話は面白かったです。
帰りの話だけブログに書きました

■共済会のこれからへの不安(2006年6月7日)
ある企業共済会の事務局長が相談にきました。
保険法が改正され、共済の世界も「改革」の波を受けているようです。
酒飯店の共済会が運営に失敗した事件がありましたが、共済もまた問題の多い分野です。
しかし、私のテーマである「コモンズの回復」からいえば、共済こそがこれからの社会の基本原理です。

昨今の問題は、共済が貨幣の論理を安直に取り込みすぎた結果ではないかと思います。
共済に関してはもっとしっかりした論理構築が必要なような気がします。

今回、改正保険法によって、これまでのような共済会は継続できなくなるようです。
一部の悪しき共済会の不祥事のために、
せっかく苦労して基盤を固めてきた共済会が活動を継続できなくなってしまうのは、いかにも馬鹿げています。
まあ、日本の行政規制でよくある話ですが。

NPO的な展開はないのか、という考えもあるようですが、問題は改正保険業の存在でしょうね。
法律は良質の活動を壊す機能をもっています。
最近の立法姿勢には大きな疑問を感じます。
経済主義が覆っているような気がします。

この分野の専門家が佐々木憲文さんです。
ちょうど、昨日、佐々木さんからメールが来ました。
佐々木さんは共済の仕組みに地域通貨を持ち込めないかと考えているそうです。
そういえば、共済と地域通貨とはまさに理念が同じですね。
コムケア活動の理念も共済や地域通貨とつながっていますが、これを機会に少しきちんと共済について勉強する必要がありそうです。

■ビジネスにおけるコラボレーション(2006年6月7日)
以前紹介しましたが、多摩大学学生による「地域と市民の放送局」構想をささやかに応援しています。
市民ジャーナリズムにも興味がありますが、
加えて、NPOへの映像支援が大きな意味を持っているのではないかと思っているからです。
これまでも学生グループを一回応援しましたが、失敗でした。
無責任な学生を選んだのは私の落ち度ですが、立派な構想や考えを言う学生ほど当てにならないことを時々体験しています。
大切なのはやはり腹の据わり方です。

実際に起業しようと思うと壁は少なくありません。
彼らもなかなか進めずにいるようです。
そこで、インキュベーションハウスが受託したビジネスの一部を彼らに手伝ってもらうことにしました。
それを通して、学生ベンチャーの実態と問題点を実感したいという思いもあったからです。

動き出してから1か月、文化の違いからいくつかの問題が顕在化されてきました。
私はそのプロジェクトには直接の作業面ではあまりコミットしてはいないので、幸いに全体像が見える立場にいるのです。

今日は地域と市民の放送局の制作活動のコアマンである返町さんがやってきました。
いろいろと話し合うことが出来ましたが、面白い発見がたくさんありました。
ビジネスにおけるコラボレーションはそう簡単ではありません。
不安は拭えませんが、彼らの活動をこれからも応援していきたいと思っています。

■東レ経営研究所の渕野康一さんの来訪(2006年6月7日)
渕野さんが来ました。東レ時代の「同志」です。
彼との話は書き出したらきりがないのですが、東レで行われた2回にわたるCIプロジェクトに一緒に取り組んだ仲間です。
今日はある相談に来たのですが、まあそれはそれとして、渕野さんのライフワークのひとつを少し書いておきます。

それは「面白マネジメント」です。
今様に言えば、「エンパワーメント」や「モティベーション」といってもいいかもしれませんが、
もっと思いを込めた、新しいマネジメント発想です。

渕野さんと一緒に取り組んだ東レの第1次CIでは、社員の行動指針として「東レモットー」というのを創りました。
5つの「もっと」を打ち出したものですが、そのひとつが「もっと面白く」です。
ちなみに、この「東レモットー」は私にとっても彼にとっても、大きな思いがこもっています。
残念ながら、第2次CIで、この行動指針は見直されました。
しかも、その思いを持った2人が関わりながら否定せざるをえなかったのですが、これもまた書き出すときりがありません。
ドラマがあるのです。

しかし、「もっと面白く」は私たち2人に葉大きな影響を与えました。
私はいまでもその精神を説き続けていますし、自らも実践しています。
渕野さんは、それを自らの仕事である人事コンサルティングの分野で「面白マネジメント」として掘り下げているわけです。
雑誌などで論文も発表されていますし、講演も好評です。

そろそろそれを集大成して、具体的なメソドロジーを整理して、発表してほしいものです。
最近、私が関わっているKAEの経営道フォーラムでも、そういうことが強く求められているのを痛感します。

面白マネジメントにご関心のある方は、ぜひ一度渕野さんにお会いください。
いつでも紹介します。

■藤本デイ(2006年6月8日)
今日は藤本純一さんの日でした。
朝10時から午後6時までずっと一緒でした。3つの会をやりました。
いずれもビジネス絡みのはずなのですが、実際にはそんな雰囲気がないのが、いかにも藤本的なのです。

藤本さんは「天才」です。
括弧付きのところがミソなのですが、私のような理解者でなければ、その天才性が理解できないのです。
私の周りには、そうした「天才」がたくさんいるのです。
「天才」と付き合うのは実に疲れます。何しろ凡庸な存在ではない人たちですから。
藤本さんの「天才」ぶりを書き出したらきりがないですし、かなり「個人情報」に属しますので、書けないのですが、
とにかく「天才」なのです。
ところが話していて、時々、気づくのですが、私以上に私の過去のことを記憶しているのです。
しかも、話していると共通の友人知人がどんどん出てくるのです。

今日は共通の知り合いである東レの重久篤久さんのことで盛り上がりました。
重久さんは数年前に急逝されたのですが、いつか一緒に社会活動をしようと考えていた人です。
私にとっては、東レ時代の最も信頼できる人の一人でした。

昨日、やってきた東レ経営研究所の渕野さんと一緒に取り組んだ東レの第2次CIプロジェクトの社内の事務局長が重久さんでした。
私は外部から関わらせてもらいました。
その関係で、湯島の私のオフィスには重久さんはよくやってきました。
今でも彼のパイプ姿が鮮明に思い出せます。

死んでもなお、人をつなぐ人がいるのです。
もしそうであれば、生きているのですから、もっともっと「人をつなぐ」活動をしなければいけません。

藤本さんと1日、付き合って、そんなことを深く感じた日でした。

■町内会街路灯調査(2006年6月9日)
自治会には40数本の自治会管理の街路灯があります。
電灯が切れるとそれを修繕するのも自治会ですし、もちろん電気料金も自治会負担です。
ところがその街路灯の実態がよくわかりません。
自治体管理以外に市のものもあれば、個人のものもあるからです。
それに自治会が入り組んでいるために、境界周辺ではどちらの自治会の管理対象かよくわからないものもあるのです。
市役所の道路課にある台帳はかなりいい加減です。
会長になって一応本数などは引き継いだのですが、実際と書面上とが不一致でよくわかりません。
それで街路灯マップと台帳を作成することにしました。
幸いに東電の人が料金管理のために台帳整備に取り組んでいることがわかったので、
今日は一緒に自治会内を回って街路灯を確認することにしました。
自治会顧問の堀越さんにも同行してもらいました。

堀越さんは、この自治会をこの数年、切り盛りしてきた方です。
この地域はあまり自治会活動が盛んではなかったようです。
私は5年前に転居してきましたが、確かに前にいたところとはまったく違います。

一緒に回りながら、街路灯にまつわるさまざまなご苦労を堀越さんからお聞きしました。
住宅新築の際に勝手に街路灯をつくって、自治会に費用を請求してきたり、
どこの自治会が料金を負担するかでもめたり、
市役所の所管であるべき幹線道路の街路灯が自治会の負担になっているのになかなか市役所は受けてくれなかったり、
堀越さんには街路灯だけでもさまざまなご苦労があったようです。
ですから会長は大変だと盛んに言うのです。

「役所の職員は現場に来ないから議員を頼んで来てもらったこともる」そうです。
よくわかる話ですが、こういうところにこそ、行政の実態が見えてくるのです。

調査は2時間で終わりましたが、面白い2時間でした。
まあ、自治会会長の仕事はこんなものが多いのです。

■久しぶりにやってきた佐藤久夫さん(2006年6月9日)
シンクロニシティが戻ってきました。私の元気もよみがえるでしょう。
久しくご無沙汰だった佐藤久夫さんが突然やってきました。もちろん電話をかけてからですが、
佐藤久夫さんは東レ時代の若き友人で、一昨日、会った渕野さんの同期生です。

今週はなぜか東レ時代の人との接点が多いです。
こうした偶然の重なりをシンクロニシティといい、そこにはあるメッセージが込められていると同時に、
新しい物語に向けてのパワーが集まってきているのです。

最近の佐藤さんの関心事を少し聞かせてもらいました。
なんとここでもシンクロニシティです。
医療や福祉の新しい仕組みの構築に関心を持ち出しているというのです。
まあ彼は昔から医療分野がドメインでしたから、当然なのですが、かなり具体的に絞り込まれてきています。
早速、ヒポクラテスの会に参加してもらうことにしました。

コムケアとも接点が持てそうです。
なにかコラボレーションできるといいのですが。

■パソコンが変わりました(2006年6月10日)
今日からメインのパソコンが変わりました。
私のとっては12台目のパソコンです。

最初はシャープのパソコンから始めましたが、これは完全に挫折。
結局、ワープロに戻りました。
ワープロ通信もはじめましたが、まだ相手がほとんどいないのでアドレスを取っただけで、ほとんど使いませんでした。

続いてMACを2台使いました。
これはかなり使い込みましたが、この頃からメールを開始しました。
この2台はリサイクル法実施直前に廃棄してしまいましたので、
その時代に作成したデータはフロッピーに残されてしまい、もう復元できずにいます。

その後、ウィンドウズ98が出たのを契機にウィンドウズに戻りました。
パソコンは富士通でしたが、これはワープロが富士通のオアシスに絶大の信頼感を持っていたからです。

ちなみにワープロはオアシス100Jからのユーザーです。
これは富士通の懸賞論文に応募して、賞品でもらったのですが、まだ誰も使っていなかった頃からのユーザーなのです。
実はこの懸賞論文に応募するときに、
最初に「今度ワープロというのをもらうことにした」と重久さんに宣言してから論文を書き出したのを覚えています。
ここでも重久さんが関係しています。
私は誰かに宣言してから動き出すとうまくいくタイプなのです。
いずれにしろ、少なくとも東レでは私が最初にワープロを使ったはずです。
まあ、それがどうしたということですが。はい。

富士通はモバイルも含めて、4台を使いました。まだ1台は使えます。
モバイルはシャープにその後、切り替えましたが、先日壊れてしまいました。
それで体験しましたが、富士通のサービスはとてもいいですが、シャープはとても冷たいと思いました。
シャープはもう買わないでしょう。

富士通と並行して、デルを2台、仕事場と自宅に買いました。
これは使用頻度が少ないからかもしれませんが、まあ不都合は起きていません。

それで今回の11台目はデルのデスクトップにしたのです。
安さが決め手でしたが、実際に購入してみると、やはりデザイン面ではもう少しどうにかならないのかという気がします。
しかし、使いやすさは今のところまったく問題なく、とてもいいです。
サポート体制は、富士通ほどではないでしょうが、信頼できそうです。

もっともまだ古いパソコンにほとんどのデータは残っていますし、
特にメールデータは移し方がわからないので困っています。
基本的な移行作業は昨夜5時間かけてやりましたので、何とか不都合は最小化できそうですが、
そんなわけでみなさんには迷惑をかけるかもしれませんが、お許しください。

しかし、パソコンを変えるとそれ以前の情報から解放されるような気がして、なかなかいいものです。
不都合なことや、ややこしくて返事が滞っている用件は、忘れられそうです。はい。

(2006年6月第2週)
今週もあまり緊張感のない週でした。
今週は出会ったテーマを書いてみます。

■オリンピックとサッカー(2006年6月11日)
最初のテーマは「スポーツ」です。
今週はワールドカップで日本は燃えています。しかし私はほとんど興味がないのです。
サッカーに興味がないなどというとよほどの変人と思われるので公言はしないのですが、こっそりと無関心なのです。
あのなかなか得点の入らない状況には疲れてしまうのです。
オリンピックにもほとんど興味がありません。

先のトリノでは、スキーモーグルは真剣に見てしまいましたが、他はあんまり見ていません。
モーグルは面白かったです。あの動きは美しいからです。
そういえば、スピードスケートも見てしまいましたね。あれも美しいです。
フィギュアはあまり美しいと思ったことがありません。家族は熱中していましたが。

女房がNHKホールで行われたJOC主催のオリンピックコンサート2006年に応募したら招待券が送られてきてしまいました。
それで不幸にもそれを聴きにいくことになりました。NHKホールは初めてです。
上村選手と岡崎選手も来ていました。私が好きな種目の選手がなぜか来ていたわけです。
今回人気が出たカーリングの優勝チームメンバーも来ていました。
私はこの種目のよさが理解できないですが、その歴史を知って少し興味を持ちました。
しかしあのせわしないゲームは嫌いです。はい。

途中でいろいろと話の入るコンサートなのですが、
参加した選手たちが異口同音に、良い成果を得られた理由として「みんなの応援」を強調していました。
まあ、それはこのイベントの性格上のシナリオなのかもしれませんが、示唆に富む話でもあります。
コンサートの司会はシンクロの選手だった武田美保さんでしたが、
彼女は水中に潜っている時でも声援がきちんと実感できたそうです。
サッカーのサポーターたちの存在が私にはなかなか納得できなかったのですが、
選手とサポーターが一体であることにようやく気づきました。
しかし、ではファンの多かった阪神はなぜなかなか優勝できなかったのでしょうか。

とまあ、こんなことを考えながら3時間にも及ぶ少し退屈なコンサートを楽しんだわけです。
これが今週の始まりでした。

■少子化問題のパラダイム転換(2006年6月12日)
ブログにも少し書きましたが、今日のテーマは「少子化」です。
ある企業の社会貢献活動の部署の人たちとの意見交換をさせてもらいました。

私は昨今の少子化対策はほとんどすべて間違いだと思っています。
あまり実態を知らずに、こう言い切ってしまうのが私の悪いところですが、まあそう確信しています。
もし少しでも正しかったならば、事態は少しは変わっているはずだからです。
この10年の動きを考えれば、そう考えざるを得ないのです。

第一、この問題の発端は産業の論理だったように思います。
私が少子化問題に出会ったのは1990年です。
たしか経済同友会の集まりだったと思いますが、ある経営者が、これからの最大の課題は少子化による人口減少だと言ったのです。
企業を取り巻く戦略課題も大事だが、それよりも企業そのものの存立基盤である労働力や市場の縮小につながる人口減少こそが、問題だろうというのです。
そのときはとても納得してしまいました。

たまたま当時、コーポレートシチズンシップの問題に取り組んでいましたが、その関係で少子化問題に取り組むことになりました。
発案者は当時、笹川平和財団にいた田中弥生さんです。
今は東大の助教授ですが、彼女に頼まれて始めたのが保育システム開発プロジェクトです。
出生率1.57ショックに対応するために新しい保育観と実践的なシステムを提案しようという目的で始めました。
そして駅型保育園構想を打ち出したのです。

その構想の基本にしたのが、ソーシャル・フォスターリズムです。私の造語です。
これが実は現在のコムケア活動の理念につながっているのです。
この視点から考えると昨今の少子化対策はあまり歓迎できるものではありません。
ブログに書きましたが、少子化の原因は社会システムの変質に起因しています。
そこから発想しなければ問題は解決しないでしょう。
児童手当などのように、金銭的に問題を解決しようという発想は少子化を加速するだけだろうと思います。
価値観の転換がいまこそ必要なのです。

今日いろいろと話していて、最後に佐藤さんの考えは危険ですね、と言われました。
そうなのです。社会を変えることは「危険」なことなのです。
だからみんな「ゆでがえる」になっていくわけです。
どうやら今回も私は仲間に入れてもらえそうにありません。
残念ですが、ホッとしました。

■環境の産業化から産業の環境化へ(2006年6月13日)
今日のテーマは「環境」です。
知人から、CO2削減に取り組んでいるNPOを紹介してくれないかという連絡がありました。
このコーナーには書いていませんが、今月に入ってからなぜか、環境関係の話が増えています。
その話の半分は、行政からの助成金関係の話です。霞ヶ関もあれば地方もあります。

日本ではまだ助成金が効果的に使われる仕組みが育っていませんから、たぶん半分以上は無駄に使われているでしょう。
それにしても最近の行政の資金助成は半端ではありません。
これも「官から民へ」の一環なのでしょうか。
しっかりした仕事をしていれば、こんなことは不要なのです。
頼むとしても目利きがいなければ、一見公正のようでつまりは無駄になるのです。
外部を活用するには、それなり見識と思いが必要です。
現状の「官から民へ」発想は、結局は誰かに儲けさせるだけの話のような気がします。

それはともかく、環境がまた話題になってきているのでしょうか。
「環境」はこれからの成長産業だといわれた時代がありますが(今もそう思っている人もいますが)、
「環境問題」もまた産業や政治の「餌食」になっているような気がしますが、
まあ関心が高まることはそう否定することではないかもしれません。
しかし、環境産業が環境をさらに悪化させていることに、私自身はどうも不信感を持っています。

「環境」は産業化の対象ではなく、産業化の姿勢に関わる問題なのではないかと言うのが私の考えです。
これに関しては15年前に書いた小論があります

と書いてきて、気がついたのですが、先のソーシャル・フォスターリズムを書いたのも1991年でした。
あの頃は私もまだ社会への期待が大きかったのです。
あれから15年、社会は残念ながら同じベクトルを進んでいるようです。

■地域学とまちづくり(2006年6月14日)
久しぶりに「地域学」の講演を頼まれました。
講演はあまり歓迎しないのですが、テーマが地域学ということであれば、何かワクワクしてしまいます。
今度は北海道学です。
北海道の道民カレッジで「ほっかいどう学」を取り上げているようです。
その事務局の方から電話がありました。
7年前(1999年)に入間地区公民館研究集会で講演させてもらったのですが、
その記録「地域を愛する心がまちをつくっていく」を読んで私に関心を持ってくださったのです。
2000年に社会構想研究院で話した「地域学のすすめ」も読んでくれたようです。
現在はインターネットによる情報バンクが育っていますので、
講演も消費されるのではなく、記録が残るため、思わぬ人が読んでくれるのです。
うれしいことです。

いずれもかなり古いものなので、いささか心配ですが、「地域学」は私にとっては思いの深いテーマなのです。
これらの講演に前後して、いくつかの地域学にささやかに関わる機会がありました。
3年間関わらせてもらったのが、山梨学です。
山梨県生涯学習推進センターにいた横森さんとの出会いが始まりでした。
横森さんは小学校の芸術の先生でしたが、生涯学習推進センターに出向していて、山梨学の立ち上げの事務局をされていたのです。
一度、横森さんが自分で作ったお米を送ってきてくれたことがありますが、あんな美味しいお米は食べたことがありません。
横森さんが家族のためにつくったお米です。
山梨学は今も活動が続いていますが、とても楽しいプロジェクトでした。
その記録もありますが、思いのたくさんある報告書です。

そのかなり前に相模原市から頼まれて、相模原学会構想なるものを提案させてもらったことがあります。
これも報告書になっていますが、こ提案で終わってしまいました。
おそらくこれが私の地域学との最初の出会いかもしれません。

もうひとつ思いがあるのが、九州の佐世保地区での西海文化研究会構想です。
佐世保市には一時かなり通っていたのですが(三川内焼の窯元たちとの研究会やデザイナーたちとのプロジェクトなどです)、
その関係で地域学による広域活動を提案させてもらったのです。
この研究会は構想だけの提案でしたが、研究会は実現し、今も活動が続いているようです。

地域学といえば、地元学というのもあって、これはローカルジャンクション21で取り組んでいます。
こちらはきわめて実践的なアプローチです。
私が住んでいる我孫子市にも、布佐学と手賀沼学と言うのがありますが、残念ながら私はまだ参加していません。

講演は10月ですので、時間があります。
久しぶりにまた地域学について考えることができます。
ワクワクしています。いつかきちんと取り組みたいと思っていたテーマですので。
相模原市の提出した報告書は印刷してもらったので残部があります。
湯島に来てくれたら差し上げます。
地域学に関心のある方がいたら、ぜひ意見交換したいです。ご連絡をお待ちします。

■世界中の人たちが友だちになれたら(2006年6月15日)
今日は「友人」がテーマです。
女房の会社時代の友人たちが滋賀から来てくれました。
女房は滋賀出身なのです。その滋賀からカッチャンとミッチャンがやってきました。
本当は3人で箱根旅行の予定だったのですが、その旅行のために、我が家まで女房を迎えに来てくれたわけです。
最近、女房は体調があまりよくないので心配していたのですが、この2人が来たらとたんに女房は元気になってしまいました。
持つべきものは友達です。
彼女の病気を支えたのは、夫ではなく友人たちなのです。
もちろん私も少しは役立っていますが、はい。

ところで、私も旧友との42年ぶりに接点がありました。
東レ時代の友人の大橋清さんが思わぬ人の消息を伝えてきてくれたのです。
水矢努さん。東レへの同期入社のエンジニアです。
東レに入社して研修を受けた時、6人が1室ですごしました。まだそういう時代でした。
大橋さん、水矢さんのほか、同室者は、松村、森山、岡島でした。
松村は野球、森山はバレーの名選手でした。
森山とは掴み合いの喧嘩をしたことを覚えています。当時はまだお互いに元気でした。
岡島は最も愛すべき好青年でしたが、交通事故で早死にしました。
私が最初に失った友人です。

人の豊かさはお金で決まるかもしれませんが、幸せは友人で決まるかもしれません。
私は友人に恵まれています。
会社を辞めて一人で活動を始めて18年目ですが、仕事をやるでもなくやらないでもなく、
こうして今も何とかやっていけるのは、友人に支えられたからです。

友人たちの前で元気に話している女房を見ていて、改めて友の大切さを実感しました。
世界中のみんなが友だちになれば、戦争もなくなるでしょうし、不条理な死もなくなるでしょう。
金儲けも意味がなくなるでしょうし、犯罪もなくなります。
世界中のみんなが幸せになれば自分の幸せが実現できるといった宮澤賢治の思いを改めて実感しました。

■つながりのジレンマ(2006年6月16日)
NPO感声アイモの木村紀子さんから電話がありました。
18日の松戸市長選挙に立候補している中田京さんのパンフレットを見ていたら、私の名前が出ているので電話してきたのです。
お聞きすると、木村さんも中田京さんとは長いお付き合いのようで、応援されているとのことです。
時々書きますが、人のつながりの見事さには感動することが多いです。

私は今回、友人知人に中田さんのことをお伝えしただけで、それ以外の応援はしていないのですが、
自分の住んでいない自治体の市長選にどう関わればいいか、いささかの迷いが出始めたのです。
それに、自分の住んでいる自治体の市長のことすらきちんと把握していなかったことへの反省もあります。
最近の世上への大きな失望感もあります。

いや、実はこれらは理由の一部であって、本当の理由はもうひとつあります。
私の平和つながりの別の仲間たちが別の候補を立てたのです。
時にこうしたことが起こりますが、いずれを応援したら良いか、迷います。
それで動けずにいたのです。

木村さんと電話で話していて、少し反省しました。
もう直前ではありますが、改めて中田京さんを応援することにしました。
マニフェストも読み直してみました。
彼女が市長になれば、明らかに松戸市は変わるでしょう。
今の時代を変えるのは男性ではなく、きっと女性でしょう。
友人知人に声をかけさせてもらうことにしました。
松戸市民の方はまだ間に合えば、選挙に行ってください。
誰に投票するかどうかはともかく。

「つながり」が絡み合っていくと、こうした矛盾が起こることになります。
つまり利害の反する友人が生まれてしまうと言うことです。
そう考えると友人は少ないほうが良いです。
煩わしくないですし、何よりも心乱されることが少なくなります。
自分のことだけであれば、いつでも自分の責任で決着できますが、友人のことはそう簡単ではありません。
今日は昨日とはまったく別のことを思ってしまいました。
友もなく、自然とともにひっそりと暮らせたら、どんなに心安らぐでしょうか。

生きることは複雑です。

■耐震偽装事件に感ずる違和感と不安(2006年6月17日)
3月に福岡でお会いした技術士の古川博さんから論文が送られてきました。
題して「耐震偽装事件を通してわが国の建築生産システムを(見直そう)」です。
古川さんによれば、海外では設計と施工の分離発注が原則であり、わが国のような設計施工一貫体制は異例なのだそうです。
さらに欧米との最も大きな差異は、建築家とエンジ二アとの職能的分離が確立しているかどうかだそうです。

日本では、意匠を担当する建築士だけが建築主から設計を委託され、
構造などはその下請に甘んじているのが実態ですが、
長い歴史のある先進国ではプロフェッションとしての職能を持つ医師や弁護士と同様、
建築家は高い社会的ステイタスが認められており、あわせて職業倫理も確立していると古川さんは指摘しています。
一級建築士が建築構造や建築設備業務も含めた職能をもつ国はないそうです。
「つなげる」だけが良いわけではありません。時には「分ける」ことも大切です。

ところで、「耐震基準」というのが私には良くわかりません。
姉歯事件発覚以来、それがずっと気になっていました。
その疑問を氷解させてくれるメールが今日届きました。
あるメーリングリストで流れていたメールです。
要約します。

「実態的にその建物の耐震強度がどうなのかは、構造計算だけでは分からない。
そもそも構造計算の方式は四種類もあり、
コンピュータソフトの構造計算プログラムは大臣認定を受けているもので100種類以上ある。
同じ建物でも計算方式やプログラムの選び方次第で、安全性は異なり、
退去か居住継続かという結論も変わってくる。
いったい、耐震強度の基準とは何か。
本質にかかわる議論がされず、国は罰則強化や確認申請のテコ入れだけを行おうとしており、不安だけが撒き散らされている。」

この記事を読んで、私の最近の違和感はほとんどすべて解消されました。

ところで、プロフェッションとしての技術者の倫理を考える公開フォーラムを秋に開催したいと思っています。
そのための話し合いをやっていますが、ご関心のある方はぜひ参加してください。
次回は6月27日です。その会自体がとても面白い会です。ご関心のある方はご連絡ください。      

(2006年6月第3週)
数人の会社経営者とソーシャル・アントレプレナーとの接点がありました。
新しいテーマとの出会いもいくつかありました。

■塚谷誠さんの「思い出の記」(2006年6月18日)
塚谷さんから本が届きました。
自分史「思い出の記」です。古希を迎えたのを契機に、ご自分でまとめられたのです。
限定出版で、これまで関わりのあった人に贈ってくれたのです。
塚谷さんの最後の大仕事にささやかに関わらせてもらったおかげで、私にも送ってきて下さいました。

塚谷さんは東レ時代の私の先輩です。
私が最初に出会ったのは、私が経営企画室のスタッフだった頃です。
ほんの数年ですが、繊維関係の調査分析の仕事をしていたことがありますが、その頃、時々、お話を聞きに伺っていました。
塚谷さんは大阪でテキスタイル関係の販売部長をされていました。
とても誠実な人で、現場を知らない私にいつも丁寧に市場動向や課題などを教えてくれました。
私が会社を辞めてから10年くらいたった頃、突然、塚谷さんが湯島の私のオフィスを訪ねてきてくれました。
会社を辞めて以来、初めての再開でした。

当時、塚谷さんは東レの関係会社の第一レースという会社の社長を後進に譲り、会長になったところでした。
会長としてやりたいプロジェクトがあるので、それを手伝ってくれないかという話でした。
プロジェクトは、企業のCIでした。社名を変え、企業文化を変えたいというのです。
塚谷さんは、赤字続きだった第一レースの社長に就任し、会社を見事に再建したのですが、
その中興の祖としての塚谷さんの思いのこもったプロジェクトでした。
東レでの私の最後の仕事は、東レの新創業運動でした。その時のことを覚えていてくれたのです。

塚谷さんのお話に感ずるところが多く、関わらせてもらうことにしました。
キーコンセプトを「元気」にしました。
今でこそ「元気」は蔓延していますが、当時はまだ新鮮でした。
このプロジェクトは見事に成功し、新創業大会も感動的でした。
その関係で私も塚谷さんとしばしばお会いする機会がありましたが、そのお人柄にいろいろと感ずることがありました。

その後、塚谷さんは会長も辞されましたが、お住まいは奈良の西大寺。
会社時代は毎朝、わざわざ京都の東寺の境内を歩いて出勤するとお聞きしていましたので、
悠々自適に寺社を愉しまれているのだろうと思っていましたが、自分史の本作りに取り組んでいたようです。
塚谷さんらしさを感じます。
本には私の名前も書いてくれています。
私のささやかな活動も、こうして記録されると思うと少しうれしいです。

今週はうれしい始まりです。

■松戸市長選は現職継続に決まりました(2006年6月19日)
CWSプライベートにも書きましたが、松戸市の市長選挙は現職の当選になりました。
現状を変えようという思いで立候補した中田京さんは残念ながら落選してしまいました。
中田さんを応援させてもらっている私にとってはとても残念な結果でした。

なぜ現職は勝ったのでしょうか。
松戸市民ではないので無責任な発言になりますが、現職に対抗することの難しさを改めて感じます。
そこで思ったことの一つはブログに書きました。
現職に勝つためには、違う次元でワクワクするようなメッセージを出す必要があるということです。
これに関してはブログをお読みください

中田京さんの支援者たちのメーリングリストに、今日、市政にすら民意を反映できない状況への失望感を投稿された人がいました。
なぜみんなわかってくれないのかという苛立ちが伝わってきます。よくわかります。

まちづくりに少しばかり関わっているとわかるのですが、首長次第で自治体は大きく変わります。
ほとんどの自治体の首長はアマチュアリズムで、政策などとはほど遠い存在です。
これまでは基礎自治体はそれでもやってこられました。
所詮は国や県の末端組織だったからです。
しかしこれからはそうはいかないでしょう。

だれを首長に選ぶかは、そこに住む人たちの暮らしに大きな影響を与える時代になり始めました。
しかし残念ながら、誰を選ぶかを決めることは至難のことなのです。
いや、選挙で選ばれるアマチュアが自治体経営をしていくことに限界があるのかもしれません。
首長を直接選挙で決める仕組みはそろそろ見直されなければいけないのかもしれません。

■福島での3回目の講演(2006年6月20日)
ソーシャル・アントレプレナーシップに関する3回目の講義でしたが、何とか手ごたえを感じました。
前半は会場と話しすぎて時間が延びてしまいましたが、後半をスリム化しておいたので、何とか時間におさまりました。
今回は、しかしいい経験をさせてもらいました。試行錯誤の3回でした。

福島に行くといろいろな人に出会えるのがうれしいです。
坂口さんから新しい構想の話をお聞きしました。
地域の歴史をきちんと蓄積し残していこうという構想です。
大賛成です。これまでのような歴史や文化を消費する時代はそろそろ終わりにしたいです。

千葉勇二さんにもお会いしました。
この春まで県でユニバーサルデザイン関係のお仕事もされていたようで、
昨年、私も参加させてもらったワークショップのこともご存知でした。

福島はいろいろと面白い活動が展開されているところです。
毎回、わずかの雑談しかしないのですが、いつも新しい刺激を受けます。
今年の福島出張はこれで終わりです。
ちょっとさびしい気もしますが、ちょっとホッとしています。

■國際箸學會(2006年6月20日)
先週、ネットワークのコーナーで紹介した小宮山栄さんから手紙が届きました。
小宮山さんは最近テレビでも紹介された、「死角を生かす気配りミラー」で有名なコミー株式会社の社長なのです。
実に個性的な経営者です。

最近、箸にはまってしまっていましたが、ついに学会を立ち上げることになったのです。それも国際学会です。
うたい文句は「箸文化を学び、新しい箸文化を創り、箸を通じて世界中の人と共に喜ぶ」。
いかにも小宮山さんらしい呼びかけです。

「次の時代を創ることに興味や強い関心を持ち、意欲のある人」をぜひ紹介してほしいというのです。
「佐藤さんのコモンズ感覚と箸はつながっていくと思います」と言われると、協力しないわけにはいきません。
みなさん、いかがでしょうか。参加されませんか。

小宮山さんの箸通信を読まれて関心をお持ちになったら、ぜひご連絡ください。
小宮山さんはともかく異色の経営者というよりも、異色の人なのです。
箸はすばらしい文化だと、私も思います。
私は入会しようかどうか、まだ決めかねています。学会にはいささか懲りているものです。
でもまあ、小宮山さんが創る学会は、きっと異色の学会でしょうね。

■共済をテーマにした新しい出会い(2006年6月21日)
共済や協同組合に取り組んでいる佐々木憲文さんが、
大杉由香さん(大東文化大学大学院助教授)と一緒に湯島に来てくれました。
大杉さんは先日の新潟でのNPO学会で残念ながらお会いできなかった方です。
佐々木さんのおかげでお会いできることになりました。

大杉さんは秋田の感恩講の研究にも取り組んでいます。
NPOや自治会にも関心をお持ちのようです。
ちなみに、秋田感恩講は日本の、いや世界のNPOの草分けなのです。
大杉さんによれば、
「自ら資金を稼ぐ非営利組織の原型であり、
民法・刑法の起草で知られるボアソナードも賞賛したように、
国際的に見ても画期的な組織」
だったようです。
探索中に出会えた大杉さんの同僚の人が書いているブログに面白い記事が出ていましたので、
関心のある方はそれもお読みください。

せっかくお2人がくるというので、もう一人「共済」に詳しい西田政彦さんにも声をかけて、お引きあわせすることにしました。
先日少し書きましたが、共済会がいま制度変更の中で変化を求められているようですが、
その背景が皆さんのお話でよくわかりました。
すごく刺激的な話し合いに同席させてもらえたことをうれしく思います。

共済制度に関してはいろいろと思うことがありますが、書き出すときりがないので止めます。
いずれにしろ日本の金融システムはやはり破綻寸前ではないかと改めて思いました。
村上ファンド事件はそうしたことのひとつの現象でしかありません。

西田さんとは久しぶりの再会です。
今日の話し振りで、西田さんの最近の活躍ぶりがよくわかりました。
以前、西田さんが主催されていたサラリーマン共和国サロンを湯島でやっていたのですが、
当時の西田さんの構想力と行動力は変わっていないようです。

佐々木さんは共済に関する研究会を始められているようですが、私も一度参加させてもらおうと思います。
共済という考え方には大きな魅力を感じています。

ちなみに、佐々木さんから、最近SPO(社会的利益組織)という言葉を佐藤さんは使わないですね、といわれました。
実は以前、佐々木さんの主催する研究会でお話させていただいた時に、
NPOではなくSPO(Social Profit Organization)というほうが良いのではないかと問題提起させてもらったのですが、
佐々木さんはそれに共感してくれ、以来、その言葉を使ってくれているのです。
ところが、肝心の私が使わないので佐々木さんから叱られてしまったわけです。
これからは私も使うようにしたいと思います。
むかし書いた論文を探しだしたので、アーカイブに掲載しました。

■皇居清掃活動(2006年6月21日)
義姉が福井で長年、日本赤十字の奉仕活動をしています。
その関係で、仲間と一緒に皇居清掃活動で東京に来ています。
毎日、皇居内の清掃活動をするのです。
その合間に観劇やいろいろ忙しいプログラムがあるのですが、
せっかくなので先週、旧友たちと一緒に旅行して元気になった女房と3人で食事をすることにしました。
どこか街中を案内しようと思ったのですが、とても疲れているようなので、食事だけにしました。
何しろ皇居は広いので疲れるようです。

天皇ご夫妻や皇太子も、掃除のお礼にわざわざ挨拶に来てくれるのだそうです。
どこかの施設を視察するなどという風景よりも、そうした庶民とのふれあいの画面をもっと気楽にテレビで放映したら、
天皇家への親しみも増すのではないかと思いました。
そもそも皇居にはなかなかは入れませんが、皇居も私たちのコモンズの一つです。
天皇制に関してはいろいろ問題はありますし、君が代問題などもありますが、
皇居や天皇が私たちのコモンズの一部を構成していることは否定しがたいものがあります。

私もこれまで2回ほど、正月に皇居の参賀に行きました。
最初に行ったのは、死者が出たほどの混雑になった1954年です。
私たちが入った少し後に事故が発生しましたが、すごい込み具合だったことを覚えています。
いわゆる二重橋事件です。
君が代問題で厳しい意見を書いているのに矛盾している、と怒られそうですが、
悪いのは天皇制度や天皇家ではなく、それを私欲のために使っている偽愛国者なのです。
私は天皇制度にはとても興味がありますが、それは主に歴史の継続性においてです。
天皇家の内部に蓄積されている暗黙知や形式知は、歴史を考える上での大きなヒントを内蔵しているのではないかと思っているのです。

ちょうど昨日の出張の新幹線で、建築家の武澤秀一さんが書いた「法隆寺の謎を解く」を読みました。
法隆寺中門の真ん中の柱に新しい解釈を与えた本です。
とても説得力があります。
法隆寺が聖徳太子の私寺から官寺へとなって言った経過に関しても、面白い仮説を提出しています。

私が日本史に興味を持ったきっかけは、高校の頃、話題になっていた法隆寺再建論争です。
この本は、その再建論に新しい視点を出していると同時に、寺院空間への新しい意味づけをしてくれています。
とても面白かったです。
これから私の寺院の見方も変わりそうです。

話がそれましたが、私が日本の古代史が好きなのは、天皇家に興味があるからなのです。
法隆寺は私寺でしたが、後に官寺になったところです。
天皇家が深く関わっている舞台のひとつです。

■賑やかなインキュベーション型コムケアフォーラム(2006年6月22日)
なにやら賑やかな会になってしまいました。
20人近い人が集まってしまったのです。
しかもみんな一家言ある実践者たちです。
コムケアのサポーターでもある住友生命の井上小太郎さんまでやってきました。

提案は6人の方からありました。
園芸福祉の中村博行さん(土と風の舎)、
メンタルケアの佐藤久夫さん(東レリサーチセンター)、
CSR関連の北岡さん(サイクルリンク)と大矢野さん(ユニバーサルデザイン生活者ネットワーク)、
エネルギー関連では荻原さん(ふぁっとえばー)
そしてWEBアクセシビリティの長岡さん(地域情報研究所)。
それぞれに発展性のある構想です。
コムケアのメーリングリストに内容を流す予定です。
関心のある人はメーリングリストに参加して、構想に参画してください。
私に連絡をもらえれば登録します。

提案を聞いていた音丸悠作久さん(市民国連)が、
みんなつながってますねとコメントされましたが、本当にみんなつながっています。何しろ大きな福祉ですから。
それに音丸さんから一色宏さんとか、何人かの懐かしい名前も出てきました。
音丸さんとも同やらいろいろとつながっているようです。
報道のカードをぶら下げた、それらしき人もなぜか来ていましたが、終わってから聞いてみたら地球新聞の木下拓己さんでした。
木下さんとは数年前にワークショップで一度すれ違っていますが、その後、いろいろなメーリングリストで名前に出会っていました。
なんと1100のメーリングリストに参加されている人だそうです。
アースデイのコアメンバーでもあるようで、ここでも知り合いの名前がまた出てきました。

久夫さんの紹介でやってきたのが、松浦さんと板橋さん。板橋さんは弟さんまで誘ってくれました。
コムケア仲間の下山さんも久しぶりに、そして鎌田さんはいつものことながら参加してくれました。
ハンズオン・埼玉の若尾さんも、コムケアの報告書を読んで面白いといって、何か参画したいとやってきました。
このコーナーで紹介した大多賀さん糸川さんも参加しましたし、住友生命の出向している都庁の村山さんが初参加。
おわりがけに阿部さん登場で、私を入れて、何人になるでしょうか。

この勢いで、インキュベーション型コムケアフォーラムは面白くなっていくでしょう。
みんなが勝手に動き出すでしょうから、私の役割は終わったのかもしれません。
うれしい限りです。

■福祉の教育力と農業の教育力(2006年6月23日)
朝、熊本の宮田喜代志さんから、東京に行くので会いたいというメールが来ました。
宮田さんは農業と福祉に取り組むコムケア仲間なのです。
農業と福祉への視線の確かさと研究と実践の見事な統合にいつも感服しています。
ちょうどお互いの時間が昼食時間だけ重なったので、食事をしながら意見交換させてもらうことができました。

今回、宮田さんがやってきた目的は、農林水産政策研究所の駐村研究員だった人たちの集まりでした。
農村農業の現場研究者のNPOが生まれるかもしれないということでした。
これは凄いことになると思いました。
私は残念ながら当事者資格はありませんが、片隅にでも参加したいNPOです。

その話をもっと聞きたかったのですが、ともかく話題がたくさんあるので、時間が足りませんでした。
話は農業、福祉、教育と広がりました。宮田さんも私も関心が重なっている分野です。

農業分野では、熊本市で始まりつつある面白い挑戦の話を聞きました。
まさに「コモンズの回復」につながる話です。元気が出ます。いつか紹介できると思います。
以前、宮田さんが書いた「中山間地『介護ネットワーク』形成をどう見るか」(ちなみにこの小冊子はとても刺激的です)でも紹介されていた天草の農事組合法人、大矢野有機農産物供給センターの活動も順調のようです。

福祉の分野では、宮田さんが今「訪問介護サービス」に連載中の「訪問介護事業における人的資源管理」の話になりました。
最近、宮田さんは「福祉の教育力」に行き当たったようです。
「農業の教育力」は宮田さんの恩師がずっと前から言っているそうですが、
農業と福祉を並行して取り組んでいた宮田さんの実践の中から出てきたのが「福祉の教育力」です。
まもなくその論文も発表されるようです。楽しみです。

宮田さんに会うと、いつも元気が出ます。
実践の中からこそ新しい構想は生まれてくることを、いつも実感させてもらえるからです。

■遠隔地介護に取り組むパオッコを応援してくれる人はいませんか(2006年6月23日)
離れて暮らす親を子どもが遠隔地からケアするということが増えてきました。
こうしたことを、「遠隔地介護」と命名し、いち早くそういう人たちの相談に乗る活動を始めたのが、
NPO法人パオッコの代表の太田差惠子さんです。
パオッコはコムケア仲間のひとつですが、縁あって今はオフィスをコムケアセンターと同じところに置いています。
そんなこともあって、今日はこれからの活動の展開に関して意見交換させてもらいました。

私の友人知人で、遠隔地介護の限界を感じて、勤めていた会社や大学を辞めて親元に帰った人が何人かいます。
あるいは今でも毎週のように親元通いをしたり、親元と自宅の二重生活をしていたり、いろいろな事例がありますが、
「遠隔地介護」の仕組みがしっかりとできたら喜ぶ人はこれからますます多くなるでしょう。
その意味で、パオッコの活動はまさに時代のニーズにあった社会事業であり、
本来的な意味でのソーシャル・ベンチャーの分野だと思います。

にもかかわらず、パオッコは現在、財政的に苦戦しています。
事業計画がきちんとしていないからだと外から言うのは簡単ですが、
可能性や必要性は高いのに、最初のステップで苦戦しているところは少なくありません。
動き出すまでは大変なのです。
それに「NPO」ブームが災いしている面もあります。
日本のNPOはまだまだたくさんの問題を抱えています。
当事者の問題も少なくありませんが、「上からのNPO育て」から発生している問題も少なくないように思います。
行政はもちろんですが、NPO中間組織の目線の高さもちょっと気になります。
しかし、そんなことを言ってはいられません。

「遠隔地介護」の発想は、「社会にケアしあう文化を広げたい」というコムケアの理念に直結しているからです。
幸いにいくつかの企業は今でも支援してくれています。
企業にとっての意味を理解してもらえれば、もっと大きな企業が支援してくれるはずですし、
企業のネットワークが連携すれば、太田さんのビジョンは確実に成就するでしょう。
そうした活動にささやかに関わらせてもらうことにしました。

企業や行政の方で応援してくださる方がいたら、ぜひご連絡ください。
高齢社会に向けて、確実に価値のある活動だと思います。
福井さんも、こういうところに1000万円寄付してほしいものです。
もし「志」などというのがほんの少しでもあるのであれば、ですが。
まあ、福井さんのような、ホモ・エコノミクスには理解できない分野でしょうが。

■畑仕事のために重要な集まりをサボってしまいました(2006年6月24日)
今日はとても大切な集まりがありました。
協同総合研究所の総会と「協同労働の協同組合法」の講演会です。

市民立法のNPO法には私は違和感がありましたが、
「協同労働の協同組合法」は早く法制化してほしい法案です。
公益法人改革が進んでいますが、視点が統治であり、
しかも最近は経済主義的ですので、この法制化は足踏み状態なのです。
しかし、私たちのワークスタイルはもちろん、社会のあり方に大きな影響を与える法律ではないかと思います。
みなさんにもぜひその動きを知ってほしいと思っています。

私ももっと関心を高めて、この運動に参加しなければいけないのですが、なかなか参加できずにいます。
それに協同総合研究所の活動にも最近は全く参加できていません。
この研究所の活動は時代を考える上で、とても示唆に富んでいます。
皆さんもぜひ一度、ホームページをご覧ください

今日の総会を契機に、参加を始めようと思い、今日予定されていた用事を調整し、昨夜、何とか参加できるようにできました。
ところが、朝、起きたらどうも精神的な不安感と身体的疲れがあるのです。
最近、時々襲われる気分です。
それに自宅の机は書類の山です。
毎日のように、さまざまな新しい課題や宿題が飛び込んでくるのです。
まあ、その半分は自分で引き寄せてしまうのですが。

先週、パソコン修理などといった馬鹿なことに時間を割かなければ良かったと反省しました。
人間の行動はいつも合理的ではありません。いや、私だけでしょうか。

それに、明日の自治会の準備やたまっているコムケアの仕事などが気になって、さぼってしまうことにしました。
研究所の菊地謙さんがこのサイトを読んでいるので、私がサボったことがわかってしまいますが、まあ仕方がありません。
サボって何をやったかですが、家庭農園の草むしりをしました。
ですから菊地さんはきっと許してくれるでしょう。
草むしりは30分もすると立ちくらみするくらい、結構疲れます。
しかし、身体的に疲れると、なぜか精神は安定します。
午後になって、やはり総会に参加したらよかったと少し思ったのですが、やはり今日は休ませてもらいました。

無為に過ごしました。最高の休暇でした。
菊地さん、すみません。


(2006年6月第4週)
最近、体力の衰えと同時に、考えることや作業への意欲の低下を感じます。
社内報の審査を頼まれて、読まなければいけない社内報が箱につめられて届いたのですが、開封する気力がありません。
締め切りが過ぎなければいいのですが。
いくつかのプロジェクトを構想(コンセプトデザイン)する課題も引き受けていますが、始める気になかなかなれません。
始めたら楽しいのですが。
メーリングリストでは様々な呼びかけがあり、参加しなければ不義理になることも少なくないのですが、
そのメーリングリストを開くのがためらわれます。
当日の朝まで行くつもりなのに、朝になると口実を見つけて不参加にしたくなる自分がいます。
とまあ、今週はなぜか、そんな自閉気味な1週間でした。
それでもいろいろあったのですが、朝がなぜかとても眠いのです。

■自治会で何をやるか(2006年6月25日)
自治会で今年は何かイベントをやろうということになりましたが、その下打ち合わせを副会長の小酒さんとしました。
私としては、北九州市でやっているようなまちづくり協議会のようなミニ版をやってみたいと思っています。
そうしたことが、まちづくりの出発点だと思うからです。
本来は行政が働きかけるべきですが、今の行政は忙しくて、仕事をする暇がないのです。
いくつかの行政と関わって、そんな気がしています。

そういえば、そうした先駆的な事例だった小倉北区のまちづくりに巻き込んでくれた高橋典子さんが、
Taller de JUNに注文してくれました。
このサイトからのたぶん、初めてのお客様です。ありがとうございました。

さて我が自治会のイベントです。
私は会議が重なってしまったので、午後は小酒さんを中心に自治会の特別事業検討会をやってもらいました。
ゆっくりと動き出していこうと小酒さんと話しています。
しかし、自治会で何をやるかの議論をしていると、いろいろなことに気づきます。
自治会でやれることはたくさんあります。

■目の前にいた藤本純一さん(2006年6月25日)
小酒さんと近くのレストランで話していたら、窓の外に見覚えのある顔が見えます。
最初はぴんと来なかったのですが、それが藤本純一さんでした。
ガラス窓があるので、藤本さんは私に気づいていません。ガラス越しにすぐ目の前なのですが。
藤本さんが携帯電話を始めました。と、私の携帯電話が鳴りました。私にかけたのです。
いやいや驚きました。
電話で、藤本さん、目の前に私はいますよ、と言ったのですが、最初は藤本さんは気づきませんでした。ようやくガラス越しにレストランの中にいる私に気づいたのですが、もう少し場所を教えずに話をすれば面白かったのにと後悔しました。

藤本さんは船橋在住ですが、船橋と我孫子は一本の幹線でつながっているのです。
藤本さんは我孫子の友人に会いに来ていて、たまたま私たちと同じレストランに来たわけです。
小酒さんとの話が終わってから、藤本さんたちの席に行って、お話ししました。
我孫子在住の藤本さんの友人は、亀田さんといいますが、私は初対面です。
時々、手賀沼周辺を散歩しているそうなので、知らないままにすれちがっていたかもしれません。
私たち夫婦も、今朝も手賀沼を散歩したのですが、手賀沼の散歩道も少しずつよくなってきています。

■八坂神社祭礼の打ち合わせ(2006年6月25日)
7月下旬に近くの八坂神社の祭礼です。
自治会長になったので、その打ち合わせに行きました。
全く経験のないことなので、興味半分不安半分です。
まず新鮮だったのは、打ち合わせの場所である神社の社務所の部屋に、
先代の天皇夫妻と皇太子夫妻の写真が飾られていたことです。とても印象的でした。

神道と天皇家と庶民の祭りとは深くつながっているのです。
祭りとイベントは違いますが、祭りとまつりごと(政治)はつながっていることを改めて実感しました。
参加者が、最近は政教分離などを口実に市も寄付金を出してくれないが、
そのくせ、市長が挨拶に来るのはおかしいと、笑いながら話していました。

まあ、それはそれとして、お祭りの準備委員会ですが、委員長が15分で概要を説明してくれました。それで終わりです。
質問したのは私だけでした。初めてなのは私だけだったのかもしれません。みんなもう慣れた感じです。
委員会の予定は2時間です。さてどうなるか。
これは興味津々です。まさか15分で解散にはならないでしょう。
案の定、それからが本番です。

本番といっても単なる雑談です。雑談するのも数名です。
おそらくこれまで苦労して祭礼を守ってきた人たちでしょう。
後の人はその話を聞くでもなく、聞かないでもなく、ただ座っています。時々私語をしながら。
とてもいい雰囲気です。
こうした光景が宮本常一の描いている日本の寄り合いにつながるのでしょうね。
なにやらゆったりした気分になります。
神社の社務所という空間も影響しているかもしれません。それに天皇の写真も。
最初の参加ですから、会話にはとても入れませんが、10年くらいきちんと下働きをしたら、会話できるようになるのでしょう。

わが自治会からは昨年から準備委員に高橋さんという方が参加されています。
途中で、その高橋さんがそばに来てくれました。
私が頼りない質問などをしたので、私が自治会長だとわかってくれたのです。
わからなくても黙って座っていると、だれかが助けてくれる。
これがどうやら地域社会の文化なのかもしれません。

自治会に関わらせていただいたおかげで、自らの生き方を再考させられる機会をたくさんもらえます。
うれしいことです。
お祭りは7月です。
わが自治会は祭礼係を決めていますので、当日はその方たちにお任せしています。
腰をすえて取り組むと面白いかもしれないと思いました。

■かとうぎ桜子さんの挑戦(2006年6月26日)
オフィスに、加藤木桜子さんから手紙が届いていました。
加藤木さんは社会福祉士で、コムケア活動のサポーターの一人でもあります。
昨年まで福祉NPOに勤務していましたが、転身するという話をお聞きしていました。

手紙を開封すると、次のチラシが出てきました。
「社会福祉士かとうぎ桜子 区政にチャレンジ!」
裏にはこうあります。
「民主党は次期練馬区議会議員選挙に向け、社会福祉士かとうぎ桜子の公認を決定しました」

加藤木さんは26歳。とても素直な、控え目の女性です。
地道な福祉の実現に向けて、様々な活動を重ねてきています。
政治の世界に出るとはこれまで全く思ってもいなかったのですが、
これまでの活動から考えると、しっかりした活動に取り組むことは確信できます。

ちなみに、彼女の福祉観は、「ふ」だんの「く」らしの「し」あわせ、です。
とても共感できます。こういう若者がきっと社会を変えていくのでしょう。
読者の中に、練馬区の方がいたらぜひ応援してください。
かとうぎ桜子を育てる会のホームページもぜひご覧ください。

とはいうものの、思うことがたくさんあります。
ひとつだけ書きます。
「民主党公認」ということです。
基礎自治体は暮らしの場としての生活共同社会だと私は考えています。
ですから住民が主役でなければいけません。
その世界に政党が入ってくることへの違和感です。

私は昨今の「地方分権」にも違和感を持っています。
地方分権はこれまでの統治パラダイムの延長での発想です。
これからは地域主権体制へと持っていくべきだと思っている私にとっては、事態の悪化に通ずると思っています。
すでに市町村合併などで、地域主権や住民主役とは違った方向に動き出しているというのが私の考えです。
地方分権と地域主権とは似て非なるものなのです。

しかし、残念ながら、無名の若者が基礎自治体の議会選挙に立候補する際には、
何らかの後ろ盾が必要になりますが、今の地域社会はその役割を果たす仕組みがほとんどすべて壊されてしまっています。
ですから国政の仕組みである政党の支援が効果的になってくるのです。
まさにこの体制が「地方分権」の本質なのかもしれません。

さらにいえば、政治家のヒエラルキーが出来ているのです。
市会議員から県会議員へ、そして国会議員へというわけです。
この構造をこそ、壊さなければならないと思っています。

30年前には「地域主義」の流れがかなり強まったのですが、
バブル経済の中で流れは反転し、この30年、事態は逆転しだしています。
そうした流れは一気には反転できないところにまで来ています。
であれば、加藤木さんのような志を持った若者を支援していくのが現実的なのかもしれません。
基礎自治体には政党は不要と思いながらも、今回は彼女を応援することにしました。
新しい風を起こしてもらいたいと思います。

■国文学と社会保障(2006年6月27日)
国文学をドメインにした出版活動をしている出版社の人が、新たに社会保障分野に取り組みたいと考えています。
以前も相談に来たのですが、また相談に来ました。
福祉がこれからの成長分野だと安直に考えて、進出しようとする人が少なくないので、
私はあまり賛成ではなかったのですが、今日、もう一度話をしてみたら、面白い切り口がいくつか見つかってきました。

私の本業は「コンセプトデザイン」です。
「見えないものを見えるようにする」ことをミッションしているのですが、これは気楽な雑談で実現できます。
今様に言えば、ナラティブカウンセリングなのですが、雑談はビジネスにならないのが残念です。
しかし、今の時代、一番大事なのはこうした「雑談」ではないかと私は思っています。
いくつかの面白い材料が見えてきました。
時代の変わり目は、本当にビジネスチャンスが山積みですね。

■感声アイモとホツマツタエ(2006年6月27日)
感声アイモの木村さんと藤原さんやってきました。
最近の報告とこれからの展開に関する相談です。
この2人と3時間も話していると死にそうになるくらい疲れます。
本当は元気をもらえるはずですが、こちらがしっかりしていないと逆に疲れてしまうわけです。
今日は朝からいろいろなことがあり、私が疲れていたようです。

しっかりした発声は、人間を元気にするだけではなく、会社も元気にします。
そこで今度は企業を対象としたプロジェクトを立ち上げることになりました。
その構想の相談に乗ったのですが、面白い構想が描けました。
実現したらかなりの影響を社会に起こしていけそうです。
ビジネスとしても成功するかもしれません。

アイモの活動は順調に前進しています。
前にも書かせてもらった早稲田大学の小林教授もだいぶ回復されたようで、今日は写真も見せてもらいました。
また先週はアスベルガ−症候群の子どもが初めての出会いで声を出したという奇跡的なことが起こったといいます。
こうしたアイモの実績を客観的に社会に伝えることが難しいのは、木村さんや菅原さんがあまりに「跳んでいる存在」だからです。
個人芸的な活動をどう組織展開していくかが、これからのアイモの課題です。

さて、そうした話はまあそれなりにまとまったのですが、そこから話は思わぬ方向に向かいました。
ホツマツタエ。「秀真伝」の話です。

ご存知の方もあるかと思いますが、ホツマツタエは日本の超古代史の資料のひとつです。
古事記以前の資料で、一般には偽書といわれています。
ホツマツタエは神代文字のひとつであるホツマ文字で書かれていますが、解読がされています。
超古代史の史料は、いずれもわくわくする面白さがあります。
古事記とは違った世界観がありますし、何よりも時空間のスケールが違います。
ホツマツタエは比較的、リアリティが実感される気がします。
それに私が好きな物部王朝説ともつながりを感じられるので、私はもっとも親しみを感じています。

感声アイモは、日本語のすばらしさを高く評価し、特に日本語の「あ」に注目しています。
その背景に、このホツマツタエがあったという話を今日、お聞きしたわけです。
菅原さんから超古代史のレクチャーを今日は受けましたが、その話しぶりからいろいろと勉強されていることが伝わってきました。

アイモの活動が少し違って見えてきました。
アイモよりもホツマツタエのほうに私は興味があるのですが。

■テクノロジー・ガバナンス(2006年6月27日)
技術者倫理を考えるフォーラムを10月に開催しようと、
気楽に話し合ってきたサロンもそろそろ具体的な企画に入らないといけません。
ところが今日は、不幸な事件続発で、集まったのは橋本さんと権上さんと私の3人でした。
いつものように、刺激的な雑談の後、大きな方向性を確認しました。
参加者が気楽に話し合えるつながりづくりの場を作ろうという方向です。
8月にもう少し具体的な企画案をみんなで話し合って決めることにしました。
その案内を近々お知らせのコーナーで呼びかけますので、ぜひ皆さんもご参加ください。絶対に面白いです。

私の関心は、「技術は誰のものか」なのです。
もちろん社会のもの、みんなのものというのが、コモンズ主義者の私の意見です。
技術はみんなでチェックしていかねばいけません。
なぜならみんなに大きな影響を与えるからです。
技術の透明性や技術ガバナンスの問題がもっと真剣に議論される必要があります。

ところで、半世紀前に科学技術と経済の会が主催した「これからの科学技術と人間社会」をテーマにした公開シンポジウムがありました。
私がまだ東レ時代のことですが、聴衆の一人として参加させてもらいました。
後で感想の寄稿を頼まれ、そのシンポジウムの報告集に掲載されています。
四半世紀ぶりに読んでみました。
いやはや青臭い議論をしています。表現も鼻につきます。
大体において、昔書いたものを読むと良いことを書いているとうれしくなることが多いのですが、これはさすがに恥ずかしい記録でした。冷や汗が出ました。
しかし、そこで主張したことの事態は25年たった今も全く変わらないどころか、事態はむしろ悪化しているような気がします。

25年前にも、これから取り組もうと思っていることを提案していたわけですが、そんな話を橋本さんにしたら、当時それができていれば、状況はかわっていたでしょうね、と言ってくれました。
だからこそ、やる意味があると元気付けられました。
ちなみに、私が東レを辞めたときに取り組もうと思ったことのひとつがこのテーマでした。
このシンポジウムを主宰した科学技術と経済の会の機関誌の編集長の阿部さんと工技院の栗原さんと確か日刊工業の菊池さんなどと、研究会を立ち上げたのです。
しかし、栗原さんがEUに転勤になったのを契機に研究会はやめてしまったような気がします。
あの頃、もう少し持続力があれば、世界は変わっていた、と思うとなんだか奇妙な気持ちになります。

当時の私の関心は、遠くに行ってしまいそうな科学技術のガバナンスでした。
そのテーマにつながる公開フォーラムを10月に開催したいと思っています。
実行委員会メンバーを募集中です。

■朝の散歩で出会った観察する猫(2006年6月28日)
今朝も女房と朝の散歩に行きました。
幸いに近くに手賀沼があり、その周辺に散歩道があるのです。
散歩道の起点は手賀沼公園ですが、そこではいつも釣りをしている人たちがいます。
ちょうど通りかかったところで、釣り上げた人がいました。
魚をかごに入れながら、後で放すからここで少し休んでいろよ、とその魚と会話していました。
朝の散歩では、人間ではない生き物たちと話している人たちに良く出会います。
お聞きすると、我孫子に転居してきてまだ1年。ここで釣った中で一番大きかったのは76センチの鯉だったそうです。
手賀沼には鯉の道とフナの道があるそうです。今日は鯉を釣りに来たそうです。
朝の出会いはなぜか時間がゆっくりしているので、会話が弾みます。

散歩道を歩いていたら、道端である一点を凝視している猫がいました。
近づいても身動きせずに1点を見つめています。
どうもモグラが掘った穴のあとのようなのですが、
これほど真剣にしかも長い時間、1点を集中して観察している猫に出会ったのは生まれて初めてです。
私が話しかけても振り向きもしません。
近くに行って私もその地点を見たのですが、別に何かいるわけではなく、私が見つけたのは大きなアリだけでした。
猫の観察力は、「我輩は猫である」によって、それなりには学んでいますが、この猫は凄いですね。
気になったのですが、女房が先に歩いていったので、
後ろを振り返りつつその場を離れたのですが、20メートルくらい行ったところで、
彼(哲学する猫はオスにちがいありません)は観察をやめて動き出しました。
きっと真実を見極めたのでしょう。

すみません、つまらない話で。
しかし観察する猫には驚きました。
しかも自然観察なのですから。

■家族関係の再構築こそ必要(2006年6月30日)
鍋山徹さんは日本政策投資銀行の調査部長です。
長年のお付き合いですが、その発想の柔軟性と自らの視点の確かさ、
そして視野の広がりと行動力には常々敬服しています。
今日は調査部のメンバーの和田さんと藤井さんと一緒にやってきてくれました。
久しぶりにいろいろとお話をさせてもらいました。
日本政策投資銀行も2年後には民営化されるのだそうですが、
銀行は国有化かコモンズ化すべきだと考えている私にとっては残念なことです。
日本には民営化神話がありますが、民営化はむしろ克服されるべきスタイルであり、
「民から共へ」(コモンズの回復)こそが時代の方向です。
20年後にはわかってもらえるでしょう。

今日の話はいろいろ刺激的でしたが、一番共感できたのは、和田さんの問題提起です。
和田さんは、「家族」という社会の基本単位をしっかりさせていかなければいけないのではないのか、というのです。
全く同感です。企業の第一線で活躍している和田さんのような人から、そういう話を聞くとホッとします。
大阪でのコムケア交流会でも、この話が出たことを思い出します。

欧米は家族や家庭、つまり生活を大切にしています、
和田さんは中国での生活体験もあるのですが、中国でもそうだったといいます。
日本の企業人だけが家族を顧みないで仕事に熱中しているのかもしれません。
なぜこうなってしまったのでしょうか。
少子化で騒いでいる財界や政界も、そろそろ「家族」や「家庭」の問題に真剣に取り組むべきです。
NPOもまた「家族」や「家庭」の問題にこそ力を入れるべきでしょう
これまでの個別課題志向から「大きな福祉」志向へ。
この意識がもっと広がれば、社会は変わりだすかもしれません。

■インナーブランディング(2006年6月30日)
最近、CIの世界から離れていたために、その動きに疎くなっている自分に気づきました。
インキュベーションハウス仲間の平田英二さんの紹介でシーソーアソシエイツの古村理さんと田中裕将さんとお会いしました。
そこで出てきた言葉が「インナーブランディング」です。
ネットで調べた結果では、インナーブランディングとは、「社内で行われるブランド価値向上の活動」のようです。
最近の日本のブランディングに欠落していた要素です。書籍も出ているようです。

ブランディングもそこまできたのかと思う一方で、かつてのCIの失敗を思い出さずに入られませんでした。
20年前にもとても良いところまでいきながら、デザインの世界を超えられなかったという気がしています。
これに関しては、デザインマネジメントの機関誌に
「企業変革に向けてのコーポレート・デザイン」という小論を書いたことがあります。
副題が「企業の閉塞状況を打破するデザイン発想への期待 」。ちょっと思いがあった文章です。
この論文に書いたことが、私が日本CI会議体を立ち上げたいと思った理由であり、同時に発足後、そこから抜けた理由です。

「企業変革のためのコミュニケーション戦略」などを書いたこともありますし、
その延長で経済広報センターに日本広報学会の発足を提案し、
それにも関わりましたが、そのときも見事に挫折しました。
こう考えると挫折の連続ですね。
ミッションやビジョンが受け入れられない時代になってしまったのがさびしいです。

今から考えると、こうした取り組みの根底には従業員中心のコモンズ流コーポレートガバナンス発想があったのですが、
バブルがはじけたしまった後は、この発想は流行りませんでした。
宮内さん的なガバナンス論が世間を席巻したわけです
「オープンブック・マネジメント」の翻訳も風を起こすにはいたりませんでした。

私自身、どこかで諦めていたのかもしれません。情熱も足りなかったのでしょう。
古村さんたちと話していて、当時のことをいろいろ思い出しました。
もしかすると、これから企業が面白くなっていくのかもしれません。
そうならなければ、みんな疲弊してしまいかねませんし。

■練馬ふるさと文化楽会と平田英二さん(2006年6月30日)
たまたま今日はオープンサロンだったので、平田さんはそれに参加してくれました。
みんなが集まるまでに、平田さんが最近始めようとしている「練馬ふるさと文化楽会」の話を聞きました。
その設立趣意書を見せてもらいましたが、面白そうです。
各地でこうした取り組みは始まっていますが、その中心に平田さんのような文化人がいるかどうかがかなり重要な要素です。

練馬区は都内では生産緑地面積が最大のところです。
平田さんは農業にも造詣が深く、大の焼畑信奉者なのです。
この楽会で、もしかしたら練馬焼畑農法の復元をやってしまうかもしれません。
いよいよ平田さん長年の願いが実現するかもしれません。
平田さんの静かな地域活動はいつも面白いです。
ど真ん中に平田さんの個人的趣味があるからです。
まちづくりには個性がなければいけません。
行政のまちづくりが退屈なのは、個性や遊びがないからです。

生涯学習や社会教育の関係の中で、地域学やふるさと再発見などの動きがまた見直されてきているようです。
私も「ほっかいどう学」の集まりに呼ばれましたが、まちづくりは地域を知ることから始まります。
そして地域にはたくさんの資源があります。
没地域の表情のないまちづくりはそろそろ卒業しなければいけません。

■話題拡散のオープンサロン(2006年6月30日)
平田さんの本業のひとつはCIプランナーです。
その平田英二さんが久しぶりに参加したせいか、CI関係つながりの奥山さんや藤原さんが参加しました。
シンクロニシティです。
直前にインナーブランディングを話題にしていたばかりですし、鍋山さんたちとも企業議論をしていました。
ここには書きませんが、その間に実はまさにブランドに関わる企業の仕事の打ち合わせもしていたのです。
不思議なつながりです。
もっとも今日のオープンサロンはブランド話題がにぎわったわけではありません。

紀陸さんが久しぶりにパリに行かれ、昔住んでいたところに行ってみたという話から、海外の話がまず始まりました。
そして同行者のパートナー(紀陸農園園主)のつながりから農業の話に行き、そこから建築模型の話といろいろと展開しました。

実は今日は朝からさまざまな人たちの訪問を受け、私自身がかなり疲れていたこともあって、
ボヤっとしていたので、例によってどんな話があったか記憶がないのです。

平田さんからドイツの話が出て、峰岸さんがそれを発展させて、何か面白い話があったはずなのですが、
それからなぜか大工の話になり、さらには百姓の生き方が理想などというような話になり、・・・・、
まあいろいろありました。
個人情報の話もあったような気がしますし、NPOの話もありました。
これはちょっと議論的な内容だったような気もします。
こうやって思い出そうとするといろいろと思い出しますね。まあ、それがサロンのいいところかもしれません。

そういえば、新潟の山古志村の映画「掘るまいか/手掘り中山隧道の記録」の話になり、
紀陸さんたちが山古志村にも建築模型で関わっていることを知りました。
峰岸さんが興味をもったようで、早速その映画を見たいということになりました。
峰岸さんの好奇心には感心します。

ちなみに、紀陸さんはユキ建築アートプロダクションを主催されていますが、活動はどんどん広がっています。
ぜひ最近のホームページを見てください。

8時頃から奥山さん、藤原さん、乾さん、木村さんと次々とやってきたので、
それに気をとられてしまい、どんな話が進んでいたか、さらに記憶がありません。困ったものです。
奥山さんが、自分が来るときはなぜか参加者が多いのでゆっくり話せないと嘆きましたが、
そういえば今回は奥山さんの話を聞きそびれてしまいました。
かんき出版の藤原さんが最近手がけた2冊の本を紹介してくれました。
1冊は「横浜・川崎計画地図」。藤原さんの当たりシリーズの久々の登場です。
これから京浜臨海部は大きく変わりますが、それに関する計画が網羅されているビジネスヒント集です。
ビジネスチャンスを探している人には絶対お勧めのヒント集です。
かんき出版のサイトを見て、ご関心のある方はぜひご購入ください。
藤原さんの本ですので、内容は確実です。

もう1冊はシャルレの社長の三屋裕子さんの「あなたが打ちやすいボールを送りたい」です。
ホスピタリティとビジネスをテーマにした読みやすい本です。
会社の元気に取り組んでいる人にお勧めします。

乾さんも先月に続いて来てくれました。
そういえば、先日取材して記事にしてくれた雑誌は「力の意志」という雑誌です。
こうした取材記事などもこれからはPDFでこのサイトに掲載しようと思います。
著作権上、問題はないでしょうかね。まあ、あったらすぐに削除しましょう。

最後に来たのが例によって木村勝隆さんです。
来年も目黒区の市議選に立候補するようです。
こういう純粋で見識を持った人に自治体の議員になってほしいものですが、
問題は彼は何が何でも当選したいと思わない性格であることです。
悪貨が良貨を駆逐する時代には、そうした本当の生き方は必ずしも報われないのですが、
報われたいなどと思わないのもまた木村さんなのです。
しかし、今度はきちんと当選してほしいものです。
目黒区のみなさん、ぜひ木村さんを応援してください。
常識を持った生活人であることを保証します。

ところで、今日、なぜか山形から立派なさくらんぼが事務所に届きました。
国会議員の加藤紘一事務所からでした。
昨年、山形の地域開発にほんの1回、相談に乗っただけですが、なんとまあ義理堅いことでしょう。
いろいろ思うことがあるのですが、いつかまた書くようにします。
今回はみんなで味わわせてもらうのとどめました。

■地域安全パトロールと地域情報。あるいはシンクロニシティ(2006年7月1日)
自治会活動の一環として、近隣自治会も含めて一斉防犯パトロールを実施しました。
夕方、駅前の交番前に集合し、自治会連合会の世話人をやってくれている四家さんのガイドで、みんなで1時間ほど回りました。
一種のデモンストレーション効果も狙っています。
犬の散歩で少しは私も回っているのですが、犬の散歩とは違った目線になるので新しい発見もありました。

もっとも大半は一緒に歩いている人との雑談だったのですが、
40年ほど前に起こったがけ崩れの話、
今は新しい住宅になっている場所に昔は催眠術師が住んでいたという話、
集合住宅の前の生垣が道にかなり出ているのはそこに路上駐車させないためであるという話、
まあ、そんな話をいろいろ知りました。
地域社会はそうした情報によって成り立っているのです。

この一斉パトロールは定期的に行われますが、全住民対象に、可能な人は一度はやってみるようにするのがいいかもしれません。
意外と近隣地域も歩いていないことがよくわかります。

ところで、本題とは関係ありませんが、またまたシンクロニシティです。
今日、昼間に自宅に来てくれた来客から「グーグルアース」の話がでました。
ところが、このパトロール中に近くの大西さんから「グーグルアース」って知ってますか、と突然言われたのです。
ほんの3時間前に来客と話していたことです。これほどの偶然はめずらしいです。

実はもうひとつあります。
昨日、インナーブランディングの話題がありましたが、
その時なぜか思い出したのが日本能率協会の清水正道さんと一緒にやった「インナーコミュニケーションセミナー」です。
清水さんはいまは淑徳大学の教授ですが、久しく連絡が途絶えていた、その清水さんが、
なぜか私のホームページを久しぶりに見て、突然に近況報告してきたのです。
ゾッとするほどの偶然の一致です。本当にこういうことが最近多いのです。

何かまた新しい創発現象が近づいているのでしょうか。
見落とさないようにしなければいけません。

(2006年7月第1週)
今週も実は事件の多い週でしたが、先週は書きすぎましたので、
今週は自治会関係の記事を中心に4つだけ書くことにします。

■避難誘導に関する情報交換会(2006年7月2日)
今日は白山東町会の役員を対象にした避難誘導に関する集まりです。
特別事業の一つとして、副会長の小酒さんが中心になって開催してくれました。
消防署からもお2人来てもらい、ビデオも見ながらの意見交換でした。
我孫子では昨年3件の火災があったということですが、全国的に見て放火事件がかなり多いのに驚きました。
放火などというのは例外的な事件だと思っていましたが、火災の1/4は放火なのだそうです。
焚き火を禁じたからではないかと私などは身勝手な想像をしてしまいますが、それにしても多いですね。

火災ではないですが、交差点のミラーや道路の安全の問題も出ました。
私はそれも消防署の方に質問してしまいましたが、
皆さんからそれは消防署の管轄ではないでしょうと注意されてしまいました。
反省!

しかし、です。
たとえば北九州市であれば、それは間違いなく消防署の管轄でもあります。
なにしろ北九州市は福祉までが消防署の管轄なのですから。
そこで気が付いたのですが、私たちの頭の中にすでに縦割り構造が埋め込まれているのです。
交通安全は警察、火災は消防署。
しかし安全な暮らしという点では、交通事故も火事も同じ話なのです。

いやちょっと無理がありそうですね。
こんな住民がいるから住民は勝手だと言われるのでしょうね。
困ったものです。
こういう「困った住民」を「賢い市民」にしようとみんながんばっているわけです。
しかし、住民がいなくなったら地域社会などなくなってしまうはずなのですが。

交差点のミラー問題は警察署に申し入れることにしました。

■小学校の合同会議(2006年7月6日)
近くの我孫子第4小学校の合同会議でした。
学校評議員やPTA関係者、民生委員、自治会長などの横のつながりを作って、
子どもたちを守っていこうというための集まりで、3年前から始まったのだそうです。
縦割り社会を崩す試みであり、とても共感できます。
私は自治会長として参加しました。

我孫子4小は、これまでもいろいろと新しい挑戦をしてきた小学校です。
最近も子どもたちがつくった「命のカルタ」で話題を呼んだところですが、その報告もありました。
校長先生からの報告の後、意見交換がありましたが、こういう集まりの必要性を改めて実感しました。
できれば私たちの自治会でも、この種の場を作っていきたいと思っていますので、参考になりました。

議論も面白かったです。行政が学校にはあまり情報を流していないこともわかりました。
これは以前も書きましたが、自治会情報も届いていないのです。
これは行政の怠慢でしょう。
防犯指導員の実態も把握できていませんでしたが、これは防犯協会の怠慢です。
学校は子どもたちを守る役割がありますから、真剣でしょうが、ほかは真剣ではないとも考えられます。
防犯協会は防犯の意味がわかっているのでしょうか。いささか心配です。
先日の消防署の集まりのときもそうでしたが、やはりみんな縦割り発想しかないのです。
改めて北九州市の取り組みはすごいことを知りました。

話の内容も面白かったのですが、2つだけ書きます。
まず集団登校についてです。
これは検討の結果、見送りになったのだそうです。
理由はどうも親たちの関係のようです。
そういえば、集団登校が原因のひとつになった殺人事件もありました。不思議な時代です。
これに関しては、私は制度の作り方だと思っています。
学校が言い出すのではなく、親たちがイニシアティブを取ればいいのです。
ブログに以前書いたウォーキングバスのように、
義務的参加ではなく、楽しみながら、
しかも参加者が自然と増えていく仕組みにすればいいと思います。
日本では、制度設計の仕方が間違っていることが多いように思います。
ほぼすべての分野に言えると私は思っています。
ちなみに日本でもウォーキングバスを取り入れているところがあるとブログに投稿してくれた人がいます。
前橋市です。その記事も良かったら見てください。

もうひとつの話は、学校の大変さを感じさせる話です。
ある活動がある学校から始まると、たとえそれが本当に良いかどうか迷うようなものであっても、
ある程度広がってしまうとなぜやらないのかというプレッシャーが強まるためにともかくやってしまうこともあるという話です。
学校現場を良く知らない教育委員会や文部科学省の人や、
これまた勝手なことを思いつきでいう家族たちから、
いろいろな働きかけが学校にはあることを校長先生の言葉から感じました。
その道の達人プロジェクト」の時のことを思い出しました。

学校も問題が多いですね。
いろいろ関わりたいことがありますが、中途半端には関われません。
いや、そういう「大人の賢さ」が社会をだめにしているのかもしれませんね。
一度、改めて教務主任の人にコンタクトをとろうかと思っています。
自治会長をやっていると、どんどん踏み込みたくなることばかりです。
コムケアの二の舞を踏まないようにしないと、また時間破産しそうです。

■投票所をどこにするか(2006年7月7日)
今度は選挙管理委員会から電話がありました。
選挙の投票所の場所を変えたいという話です。
こんな話まで自治会長の所に来るのです。やってみないとわかりません。

私たちの自治会の近くに投票所があるのですが、なぜか私たちの町会はちょっと離れたところの投票所が割り当てられていました。
そこは狭い割には該当住民が多いので時には長い行列ができるのです。
近くの投票所はきっともっと大勢の住民が割り当てられているのだろうと思っていたら、
そうではなく、そこはむしろ人数が少ないのだそうです。
そこで変更したいという相談なのです。

これはたぶん最初の設計ミスだと思うのですが、
こんな不手際ミスに3か月の自治会活動を通していくつか出会っています。
社会保険庁の年金事務の不手際ミスが話題になっていますが、
もしかしたら行政の事務はそういう不手際ミスが山積みなのかもしれません。
最近は前にもまして、行政不信になっています。

■食にまつわる話を3つ(2006年7月8日)
これはおまけです。
今週、食にまつわる話に3つ出会ったので、書いておこうと思い立ちました。

まずは「栄養と料理」という本があるのですが、そこに「食の達人」という連載記事があります。
そこをインキュベーション仲間の宮部浩司さんが担当しています。
最近、出張が多いと思っていたら、どうもその取材だったようです。
宮部さんの取材ですので、取材先で思い切り遊んできてしまいます。
ですからとても面白い記事になるのです。
最近の取材は房総の海女の取材で、自分も海に潜ってアワビを取って食べてきたそうです。
「栄養と料理」の編集部には鈴木章弘さんがいますので、
私も別冊「栄養と料理」の編集長をさせてくれないかと提案したことがありますが、いとも簡単に却下されてしまいました。
取材記事から入り込めばよかったです。後悔。
宮部さんの記事は面白そうなので、連載後、ぜひ本にしてほしいといっています。
皆さんも機会があったら読んでください。

次は小倉美恵子さんが会社を立ち上げたという話です。
ささらプロダクションという映像制作会社ですが、
「食」を通じて自らの心身と向き合い、暮らしを足元から見つめ直し、新たに紡ぎ出す場を創っていこうと考えているようです。
小倉さんとは最近なかなか会う機会がないので、このサイトにはあまり書いたことがないのですが、
その生き方に関心を持っています。
食と農と文化に造詣が深く、自らの生き方をそれに合わせているところに共感を持ちます。
一度ゆっくり話したいと思いながら、なかなか会えませんが、またお会いする機会ができるでしょう。
食と文化の映像づくりには関心があります。
いつかもう少しきちんと紹介できると思います。

最後は今日、メールが来た黒岩さんの近況です。
黒岩比佐子さんが2004年に出版した「『食道楽』の人 村井弦斉」(岩波書店)は大きなブームを起こすにはいたっていませんが、
着実に話題を広げているようです。
その関係で、食のテーマで、黒岩さんは講演や連載に巻き込まれているようです。
たとえば、日本近代文学館主催「夏の文学教室」の今回のテーマは「「文学にみる『食』と『暮らし』」だそうですが、
そこで黒岩さんは7月28日に村井弦斉の話をされることになっています(有楽町よみうりホール)。
また雑誌「文學界」で8月号から「歴史のかげに“食”あり」という連載を開始されました。
1回目は「ペリーの口には合わなかった日本料理」です。
ご関心のある方はお読みください。
黒岩さんはいま、また新著に取りかかっているそうですが、今度のテーマは何でしょうか。
まだ教えてはもらえませんが、きっとまたサプライズのあるテーマでしょう。
黒岩さんは私の比ではないほどの忙しさの中で、本格的なブログも毎日書いています。
読むとなんだかすごく贅沢な気分になれるブログです。まだの方はぜひお読みください。

もうひとつおまけをつけます。少しだけ「食」につながりますので。
西浦裕一さんがCWSプライベートに投稿してくれました。
ペットボトルの話に反応してくれたのです。
いま日本茶の会社に関わっているようです。
西村さんとも最近はなかなかお会いできないので、このサイトにはあまり登場しませんが、
いまは事業再生の仕事に取り組んでいる、極めてシャープな経営プロフェッショナルです。
20年以上の付き合いですが、久しく仕事でご一緒したことはなくなっています。

しかし、実はあるプロジェクトに関連して、ちょうど2日前に西浦さんのことを思い出していたのです。
先週の清水正道教授もそうですが、実にすごい偶然です。
これは食とはちょっと違うのですが。

(2006年7月第2週)
暑い1週間でした。

■行政にとっての自治会の位置づけ(2006年7月10日)
先週書いた選挙の投票場所の変更の件で我孫子市の選挙管理委員会事務局の方が説明に来ました。
職員も大変です。一番無理のない割り振りを決めて、それを周知させればいいと思うのですが、丁寧です。
いろいろと問題にする住民も少なくないのでしょうか。

説明を聞くと、ちょっと気になることがありました。
今回の場所の見直しで、私たちの自治会は2箇所に分かれることになっています。
これは憶測なので間違っているかもしれませんが、
おそらく当初の検討時に自治会の区画がきちんと確認できていなかったからだと思います。
今回、私のほうから自治会の正確な範囲を地図でお知らせしました。

気になる点というのは、住民の直接の意思表示でもある選挙の投票場所と自治会の範囲が違っていることです。
違っていること自体というよりも、行政が自治会をどう位置づけているかということが気になったのです。
自治会は行政の末端組織ではないですから、それが食い違っていてもいいのですが、
まちづくりの基本組織であると考えれば、やはり地域主権や住民主役という視点からはきちんと位置づけたほうがいいように思います。
自治会をどう位置づけるか、これは私にとってはとても興味のあるテーマです。
この問題も瑣末なようですが、とても大きな意味を持っているような気がします、

■地域社会の中で保育園ができることはたくさんあります(2006年7月11日)
岡山県の私立保育園連盟の谷本さんに声をかけてもらったことは以前書きました。
遅くなりましたが、今日、実現しました。岡山で話をさせてもらいました。
谷本さんからは「保育園の未来経営再考」のテーマをもらったのですが、
副題を「地域社会の中で保育園ができることはたくさんあります」とさせてもらいました。
私は保育園のお客様は園児や園児の家族ではなく、地域社会なのだと思っているのです。
そうした視点で考えると保育園ができることは実にたくさんあるように思います。

もうひとつ以前から思っていることは、
保育園関係は社会の「悲鳴」のようなものを一番たくさん聞いているのではないかということです。
社会のひずみは家族を通じて必ず子供たちに現れますし、
本質を見抜く子供たちは社会のひずみを直感的に受け止めているはずです。
10年後、20年後の社会のエッセンスが、子供たちから見えているはずです。
そうした情報が保育園にはあふれているはずです。
しかし、そうした情報は次世代育成計画にすらあまり反映されていないように思います。
もったいない話です。あまりに生々しい情報は計画を立てる上でノイズになってしまうと思われているのかもしれません。

核家族化の進行や地域社会の崩壊により、最近では「子育て」は個々の両親、とりわけ母親に押し付けられがちです。
しかし、社会生活においても未熟な若い母親にとって、初めての子育ては対応できる問題ではありません。
そこに、子育て支援の必要性が出てくるわけですが、
個々の支援ではなく、社会の仕組みを見直すことが大切ではないかと考えています。
この提案がソーシャル・フォスターリズムです。
昨今の少子化対策も子育て支援対策も、社会の仕組みという発想が弱いような気がします。
子どもは社会が育て、社会は子どもが育てる、と考えている私にとっては、
子どもの声であふれている保育園への期待はとても大きいのです。
今回も何人かの保育園長に出会えました。
岡山でも世代交代が進みだしているようです。

ちょっと関係ない話を書いておきます。
帰宅すると女房が、久しぶりに岡山の友人から電話があったというのです。
実は私も今日、谷本さんに岡山には女房の友人がいることを話していたのですが、これまた実にタイミングのあった話です。
シンクロニシティは広がりだしています。
それが何だといわれそうですが。

■田辺大さんの社会事業方程式(2006年7月12日)
手がたりの会の田辺さんと久しぶりに少し話しました。
田辺さんたちの手がたりの会は、今、某社への出前マッサージ事業が実現し、
新しい社会起業モデルの確立に取り組んでいます。実にうれしい話です。

その田辺さんが、こんな話をしてくれました。
ソーシャル・ビジネスの要素は「事業性」と「運動性(社会性)」だが、
これまではそれが「足し算」で考えられていたが、「掛け算」で考えるべきことに気づいたというのです。

つまり、
社会的事業の経営=事業性+社会性
ではなく、
社会的事業の経営=事業性×社会性
だというのです。
詳しくは田辺さんのブログを読んでください。

全く同感です。
私は、以前から書いているように、企業の社会貢献活動という捉え方に違和感を持っています。
企業の事業活動こそが最大の社会貢献活動だと考えていますし、
それとは別に行う活動は単に「社会活動」というべきであって、
行為者自身が「貢献」などと言っては品がないとしか思えないのです。
これは経団連での企業の社会貢献活動関係者の研究会で、15年ほど前に話させてもらいましたが、
反応がなくがっかりしたことを思い出します。

私の頭の中では、事業性と社会性は同じものなのです。
それは近江商人の「三方良し」の理念に埋め込まれています。
大切なのは、「事業の社会(運動)性」を高め、「社会活動(運動)の事業性」を高めることです。
そこにさらに「行為者(社員や経営者)の社会性と自立性」の問題がつながっていることが望ましいでしょう。
ですから私も「掛け算」で考えることに大賛成です。
足し算発想するからこそ、社会貢献は利益還元だったり、本業とは別だったりするのです。
そこに昨今の日本企業の「経営観」が象徴されています。

頭だけではなく、実際に事業に取り組んでいる田辺さんならではの気づきだと思います。
田辺さんはこれからどんどん発表していくといっています。
流れが変わるといいのですが。

■気の低下と充実感(2006年7月14日)
人間は「気」で生きています。
今週は、その「気」に負けてしまいました。
気が溢れている時は積極的に自らを生きられますが、
気が後退するとどうも世間に振り回されます。

最近、夫婦ともども、気が大幅に低下していますので、
その状況を打破しようと今週は夫婦で旅行に行く予定でした。
ところがいろいろと用事が発生するものです。
気がしっかりしているとそうした用事も跳ね返せますが、
気が低下していると、ついつい言われたことを受けてしまいます。
その上、天気予報もあまりよくなかったので、2人ともどうも「行こう」という強い思いになれないのです。
要するに優柔不断になってしまって、結局、出発日を、一日一日と遅らせてしまい、
その結果、目先の用事に終われて週末まで持ち越してしまいました。
結局、旅行は取りやめにして、しかし何だかばたばたしてしまっていました。

自宅にいるといろいろな用事が発生します。
自治会の仕事も舞い込んできますし、来客もあります。
女房も何やら私より忙しそうです。

生活するということは、こういうことなのでしょうか。
仕事とは違い、何かいろいろとやっていますが、「やった!」という充実感が得られません。
生活にはそうした完結的な充実感などは不要で、淡々とした生活そのものが充実の証なのかもしれませんが、
私の意識はすでにそうはなっていないことに最近よく気付かされます。
毎日、就寝時に女房は、「今日も楽しい充実した1日だった、ありがとう」といいます。
生きる充実感について、少し考えて見なければいけません。

というわけで、実は今週は4日間出かける予定でしたが、
出かけもせずに、何やら「充実感」のない「充実」した4日間でした。
仕事もかなりやりました。

■53の社内報記事を読みました(2006年7月15日)
毎年引き受けている過酷な作業があります。
社内報のコンペティションの審査です。
全国の社内報の記事を読んで、評価し、それぞれにコメントを書く仕事です。
社内報を毎年読んでいると企業の動きがある程度伝わってくると思い、この過酷な役割を引き受けていますが、大変な仕事です。今年で最後にしようと毎年思います。
私はどうも審査が苦手なのです。
それにコメントは書き出したらきりがないのです。いつも欲求不満の残るコメントになりがちです。
今年も53種類の企画記事を読ませてもらいました。
2週間かける予定を今週一気に読みました。結構、頭が疲労します。
審査ですので、発表までは内容に関することは書くわけには行きませんが、今年の社内報からは企業の動きはあまり伝わってきませんでした。なぜでしょうか。企業が生き生きとしていないからなのではないかと勝手に解釈しています。

このコンペとは関係なく、私のところには、数社の社内報がとどきます。
正直に言えば、相変わらずの社内報が多いです。

これほどメディアが多様化し、またメディアの乗り入れが簡単になってきたのに、なぜか冒険をする社内報は見つかりません。企業経営にとって、まだ社内報の戦略的重要性が認識されていないのでしょう。編集者のモチベーションも低いように感じます。
一般メディアの増加の中で、最近ではむしろ社内報の位置づけが低下しているのかもしれません。もったいない話です。
社内報でできることはたくさんあるのですが。
社内報のイノベーションが期待されます。

■一条真也さんの戦争論(2006年7月15日)
「孔子とドラッカー」の著者、一条真也(佐久間庸和)さんは、
神道ソングライターの鎌田東二さんと毎月の満月の前後に交信(「ムーンサルト・レター」)を行っていますが、
今回は「戦争」がテーマでした。
一条さんから、こんなメールが来ました。

北朝鮮のテポドン乱射をきかっけに、戦争について真剣に考え、鎌田東二さんに便りを出したところ、
私のサーブを全力で打ち返してきてくれました。
http://homepage2.nifty.com/moon21/shinsletter.html
ど真剣な戦争論であり、ぜひ多くの心ある方々に読んでいただきたく存じます。

一条さんのご意向に合わせて、多くの心ある方々に読んでもらえればと思い、紹介させてもらうことにしました。
お読みいただければうれしいです。
いや、読むだけではなく、それぞれに何か始めてもらえればもっとうれしいです。
今の時代、平和に向けてできることは山のほうにあるのです

私も一条さんのメールに触発されて戦争論に挑戦しようと思ったのですが、
何しろ今週は気力が欠落した緊張感のない状況ですので、入り口で思考停止してしまいました。
一条さんに送ったメールを別ページに載せましたが、お2人のものとは違い、独りよがりの記録でしかありません。
しかし、みんなが「戦争」について考え出すと状況は変わるかもしれません。
このままでは、もう10年もしないうちに、日本も戦争に巻き込まれかねない軍事国家になりかねませんから。

ところで、その一条さんから続いてうれしいメールが来ました。
ブックのコーナーでお勧めした、「孔子とドラッカー」がアマゾン「儒教に関する本」ランキング1位に、
また「ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教」が同「イスラム教に関する本」ランキングで1位になったのだそうです。
テレビでも報道されていたように、
ラシュディ『悪魔の詩』の翻訳者の筑波大学五十嵐教授が殺害されてから昨日でちょうど15年目ですが、
一条さんはその殺害事件の数日前に鎌田東二さんの紹介で五十嵐さんにお会いになったそうです。
そんな体験から、一条さんは今回の出版でもいろいろ複雑な気持ちをお持ちだったようですが、
多くの読者から、「イスラム教に対する誤解が解けた」という感想メールをもらい、
「この本を書いて良かった」と言っています。私もとてもうれしいです。
まだお読みでない方に、改めて2冊の本をお勧めします。

ところで、その佐久間さんが、
やはりブックのコーナーで紹介したアレックス・カーの「犬と鬼」を最近読まれたとのことです。
今年3月に京都で開催された「国際神道学会」でアレックス・カーにお会いになったそうですが、
それが契機で、私の推薦を思い出してくれたのです。
一条さんは、日本の観光資源の問題に関しては示唆に富んでいると受け止め、
日本観光旅館連盟の方々に紹介してくれたとのことです。
実にうれしい話です。
この本はヒポクラテスの会を支援してくれている本田宏さんから私は教えてもらったのです。
もし良かったら皆さんもぜひお読みください。

こうしたことがあると、このホームページも少しは意味がある気になってきます。
一条さんにお会いしたくなりました。

■玉井輝大さんが福岡市の市長選に立候補します(2006年7月15日)
週末にまた、驚かされるメールが飛び込んできました。
福岡の玉井さんが福岡市の市長選に出ることにしたというのです。
オリンピック招致で話題の福岡市です。

玉井さんに関しては、何回か書きましたが、福岡市で活動しているまちづくり実践者です。
卒論のテーマがジェイン・ジェイコブスですので、それだけで私などは信頼してしまいます。
それに思いの強い実践者なのです。
玉井さんのホームページをご覧ください。

玉井さんが今回掲げたメッセージは、
「心地よい時間の流れる福岡市を呼び戻します!!」
玉井さんは、こう書いています。

市長にはすでに名があり偉い人がなるものだと思っていました。
でも、今の福岡市を考えた時、
“心地よい時間” づくりを思い続け、身近な環境づくりに取り組んできた玉井は、
福岡市のリード役として、“思い” を実現する挑戦の決意を固めました。
市長の資格はないかも知れないと自問しながらも、
「市長は名誉職ではない。何を市長としてやるかだ」と思いを改めました。

同感できます。
玉井さんはこれまでも実は福岡市の関係の仕事をしてきました。
その一つでもあるVI(ビジターズ・インダストリ)プロジェクトで、私は玉井さんと知り合いました。
今年の4月にオフィスをお伺いしたときには、コンビニを始めたというので驚かされましたが、またまたのサプライズです。
しかし、よく考えてみるといずれも自然の流れなのです。
市長になりたかったのではなく、活動していたら市長が目の前に出てきたということでしょう。
とても納得できる生き方です。

これからどう活動を展開していくか、まだわかりませんが、
ともかく玉井さんのような人が市長になることには大賛成です。
玉井さんは構想者でもあるのです。
福岡市民のお知り合いのいる方は、ぜひ応援してくれませんか。
玉井さんの人柄と行動力、生活感覚を、私は信頼しています。

また動きが出てきたら、報告します。

(2006年7月第3週)
西日本を中心に豪雨災害が続いています。
どう考えてもやはり自然は私たちに明確なメッセージを出し始めているように思います。
私の生活も最近は「豪雨」つづきです。
これまでの生き方の咎を受けているわけです。はい。

■我孫子市全事業民営化の検討(2006年7月18日)
我孫子の行政のことはしばらく書かないでおこうと思っていましたが、
このホームページのフォーラムのコーナーに匿名の方から投稿がありましたので、書くことにしました。
今朝のNHKのニュースで、我孫子市は行政の全事業の民営化の提案を募集することが流れました。

詳しくは広報我孫子に掲載されていますが、それによれば、
「市が行っているすべての事業を対象に、
企業やNPO法人、市民活動団体などから民営化や委託化の提案を募集する
提案型公共サービス民営化制度がスタート」

したのです。

責任放棄というか、自己否定というか、投稿された「匿名」の方と同じく、耳を疑いたくなる話です。
「民営化」の意味を本当に理解しているのかと私は思いますが、金銭資本主義はどんどん市場を拡大していきます。
しかし、こんなことが可能になる自治法は欠陥法律ではないかと思います。

自治は私物化とは違います。
勝手にどこかの企業やNPOに事業を移管することなどできるはずがありません。
もちろん制度的な「住民参加」は仕組まれるでしょうが、アリバイ工作を超えるような仕組みは難しいでしょう。
経営と執行は別物という考えはないわけではなく、現に企業ではそれが志向されていますが、ガバナンスの構造が違います。

首長が住民の意思と称して、自治体をおかしくしてしまう事例は少なくありません。
そういえば、志木市でも鷹巣町でも同じようなことが起こりました。

■市役所にとっての自治会(2006年7月19日)
さて、またまた我孫子市役所への驚きです。
我孫子市の水道局の人が昨日、水道工事の関係で道路の車両通行止めをしたいので、
そのことを承諾する書面に自治会会長として承諾印を押してくださいと我が家に依頼に来たそうです。
私は名古屋に出張していて不在だったので、今日、水道局に電話しました。

そこでまず驚いたのが、電話が機械対応になっていたことです。
住民を馬鹿にしているのかと思いましたが、まあそれは我慢しましょう。
私は自治会長に車両通行止めに承諾する権限があるのですか、と質問しました。
そして、権限はないと思うので印鑑は押せませんと話しました。
そうしたら、これまではみんな押してもらっている。
会長の承諾印がないと警察が許可しないので、工事ができないというのです。
私が印鑑を押さなければ工事ができないとは面白い話です。

我孫子市の自治会長はそんなに大きな権限があるのでしょうか。
この住民の承諾を取っておくというのは、土建行政や責任逃れ行政の常套手段なのですが、
驚くことに我孫子ではまだそれが残っているのです。
自治会をやっているといろいろ驚くことが多いです。
行政の実態も見えてきます。

水道工事で道路通行止めが必要であるのならば、それをきちんと周知するようにすればいいだけですし、
長期的なものであれば、事前に行政が説明会を開催するべきことです。
そういうことへの協力はもちろん自治会会長として当然やるべきことですが、
承諾印を押して私が責任を終えるような話ではありません。
結局、私は押さないことにしましたが、もちろん工事は行われます。
我孫子市はどうも無駄な行政事務がまだまだたくさんあるようです。

ところで、もし市役所が住民自治を少しでも考えて、自治会との関係をきちんと構築しようとしているのであれば、
こうした無駄な事務も見直しが行われるでしょうが、
信じられない話ですが、我孫子市は自治会の実態を把握していないのです。
たとえば、先の選挙管理委員会もそれで困っていましたし、学校もそれで困っているのに、
我孫子の市民活動支援課の地域振興担当はそれすら把握していないのです。
市役所にとっては、自治会は責任逃れに利用するだけの存在なのかという気すらしてきます。
自治会の会長をやって、ここまで我孫子市は遅れているのかと驚きました。

我孫子市での住民活動へのモチベーションは完全に低下してしまいました。
本当は、だからこそがんばらないといけないのでしょうが、まあ私も歳なので、許してもらいましょう。

それにしても、会社を辞めて初めて住民活動に参加して、
市役所の姿勢に度肝を抜かれた17年前が思い出されます。
結局、我孫子市は変わっていなかったのかもしれません。

■野原敏生さんの天然良心プロジェクト(2006年7月19日)
エコソシオの野原敏生さんが最近エネルギーを注いでいるのが、「天然良心」です。
「天然良心」は、
「自然・天然のものを大切にしたい。
本当のおいしさを大切にしたい。
獲った人、つくった人と仲良くなりたい」
という野原さんの個人的な思いから始まった、ブランド(物語)です。
すでにネット上に天然良心のお店もできており、商品も販売されています。

どうぞ訪問してみてください。
野原さんご自慢の美味しい魚やパンが紹介されています。
先々週、このコーナーでも「食にまつわる話題」を3件、紹介しましたが、
その後も食関係の話はいろいろと集まってきています。
今はまさに食の時代なのかもしれません。

野原さんは実践的な構想者です。
これからの展開が楽しみです。

■団塊世代に勧めるNPO入門書を執筆中の大川新人さん(2006年7月19日)
久しぶりにコミュニティビジネス研究会の大川新人さんが相談に来ました。
新しい本の出版です。
彼はすでにNPOやコミュニティビジネスの本を4冊書いていますが、また2冊の本の構想があるというのです。
その構想を聞きましたが、2冊とも面白そうです。

1冊は団塊世代へのメッセージとしての書です。
ほとんど構想はまとまっています。
年内には完成するでしょう。協力することにしました。

しかし、どうせ書くのであれば、6冊目は本腰を入れて書くことを勧めました。
というのも、日本のNPOは今大きな岐路に立っています。
新しい視点できちんとしたNPO論がいま求められています。
先週も書きましたが、学者はNPOの実態をあまり知りません。
幸いに大川さんは米国のNPO事情も調べていますし、日本のNPOには自らも関わりながら土地勘を育ててきました。
理屈だけで書く研究者ではなく、同じ目線で苦労している研究者なのです。
それに新しい生き方をしている人物なのです。
ただNPO的な生き方をしているせいか、ちょっと頼りないところがあるのです。
それが彼の魅力なのですが、その魅力を活かした本づくりができたらきっと面白い本ができます。

どこかの出版社が応援してくれないでしょうか。
もしそういう出版社がいたらぜひ教えてください。
彼をたきつけて本格的な著作活動に追い込みたいと思いますので。

■魔法使いに愚痴を聞いてもらいました(2006年7月19日)
コムケアの支援者でもあるコミュニティアート・ふなばしの下山浩一さんと会いました。
下山さんもまた不思議な人物なのです。
最初の1年、私は、下山さんは魔法使いだと確信していました。
魔法使いの歳はなかなか読めないですが、
少なくとも私よりは100歳は上だろうと考えていましたが、
付き合いを重ねるうちに下山さんが私よりも年下であることに気づきました。
それにもしかしたら、魔法使いではないのです。
危険なアーティストなのかもしれません。
まあ、アーティストと魔法使いはそれほど大きな差があるわけではありませんので、引き続き魔法使いにしておきましょう。

下山さんと会ったのは、インキュベーション型コムケアフォーラムの進め方を話し合うためです。
できれば下山さんにこのプロジェクトを預けてしまおうと考えているのです。

ところがです。
下山さんに会った途端に、愚痴が始まったのです。
愚痴を言ったのは、私です。
自分でも思ってもいなかったのですが、愚痴の乱発です。
おそらく1時間近くは私の愚痴を下山さんは聞いていました。
この数日たくさんの愚痴を聞いてきましたが、それがきっと鬱積していたのです。
しかし、これで一掃されました。

そして、インキュベーション型コムケアフォーラムは下山さんががんばってくれることになりました。
時に愚痴をこぼすことはいいことです。
しかし、あまり安心はできません。
なにしろ下山さんは魔法使いなのですから。
彼は雨が降っても傘をさしません。傘は空を飛ぶためのものとか考えているのでしょう。
空を飛んでいる姿はまだ見たことはありませんが、
彼の空間感覚は地上感覚ではないので、間違いなく彼は空を飛んでいるに違いありません。
奇妙な記事ですみません。


■平城遷都1300年勝手に「とりあえず会議」(2006年7月20日)
2010年は平城遷都1300年目です。
奈良では平城遷都1300年記念事業協会が発足し、
2010年に「奈良1300年祭」を開催することになっています。
でもその計画はあんまり外には見えてきていません。
そこで、かんき出版の藤原雅夫さんが何か面白いことができないかと、
関心を持ちそうな人に声をかけて「とりあえず会議」が開催されました。
藤原さんにそそのかされた物好きが5人集まりました。
そして意外とまじめな話し合いが行われました。
まあ、物事の始まりはこんなものでしょう。

話し合った内容は勝手に発表できませんが、
とても面白く、私たちの企画が実現したらきっと歴史をひっくり返すほどの大イベントになるかもしれません、
などということは全くないにしても、たくさんのアイデアが出てきました。
今回は「とりあえず会議」だったのですが、「とりあえずプロジェクト」に進化しました。
できれば次回は奈良で開催してほしいです。
久しぶりに法隆寺に行きたいのです。

平安になると日本の歴史はやや退屈になりますが、平城京の時代はまだ魅力的です。
なにか面白いことができればうれしいです。
このプロジェクトの成否は、藤原プロデューサーにかかっています。
さてどうなりますか。

■17時間のバスツアーでの奇跡(2006年7月21日)
最近、長野は豪雨で被害が続いています。
中央高速道路も諏訪と岡谷の間が土砂崩れで通行止めになっているほどです。
今日は、以前から女房と乗鞍にバスツアーに行く計画をしていました。
最近の雨続きで、予定が次々とキャンセルになり、このバスツアーが実は最後の予定でした。
そのため、もし決行されれば、雨でも行こうと決めていたのです。
しかし、中央道通行止めのニュースを聞いて、今回もだめだなと思いました。

ところがです。
なんと旅行会社が決行を決めたのです。
通行止めは解除されるかもしれないという読みがあったようです。
私は気が進まなかったのですが、
ともかくこれを逃すと暫く行けなくなるかもしれないという女房の思いもあって、参加することになりました。
朝6時に自宅を出発、雨がかなり降っている中を、我孫子からバスに乗り込みました。
ほかに参加する人がいるのだろうかと懸念していましたが、28人も参加者がいました。

乗鞍までですから、順調でも到着は12時頃です。
ところが首都高に入ったとたんに渋滞。1時間以上かかって、中央高速に入ったのですが、
中央道の通行止めは解除にならずに諏訪で一般道に下りました。
そして3時間近い渋滞に巻き込まれたのです。
しかも外は雨。
目的地に着くかどうかよりも、帰れるかどうかの不安さえ出てきました。

渋滞で待っているうちに、女房がこの渋滞を抜けて目的地に着いたらパッと太陽が出てくる奇跡が起こらないかな、
などと夢のような話をしていました。
渋滞を抜け出たのが2時近くです。目的地まではまだ2時間はかかるといいます。

ところがです。
渋滞の一般道を抜けて、塩尻ICから高速に乗ったら、なんと青空が出てきたのです。
そんな馬鹿なことがあるはずがないのですが、奇跡が起こったのです。
それまではもう目的地に行かなくてもいいから帰りたいと思っていた私も、無理しても目的地に行きたいと思い出しました。
まあ、人間は勝手なものです。

さまざまな珍事件を重ねながら、目的地近くに到着したのが、なんと4時半です。
あまりにも遅くなったので目的の乗鞍スカイラインのドライブは中止し、乗鞍高原の牛留池散策をして帰ることになりました。
散策時間は30分。奇跡的に雨も止んでいます。

5時に帰路につきましたが、バスに乗った途端にまた雨が降り出しました。
これは天の思し召しに違いありません。感謝感謝。
中央道はまだ止まっているため、逆方向に進んで上信越道で帰りましたが、帰宅したのはなんと夜中の11時です。
10時間かけてやってきて、30分の散策。
そして戻りにまた6時間。
疲れきりました。

この旅行スタイルはどこかおかしいですね。
さすがに女房も今回はやめればよかったと言っています。
しかしまあ印象に残るツアーになったことは確かです。

■日本経営道協会の市川覚峯さんの構想(2006年7月22日)
日本経営道協会の市川さんのことは何回も書きましたが、一昨日、オフィスにやってきてくれました。
そしてこれからの構想に関して意見交換しました。

市川さんとは20年近い付き合いで、市川さんの活動をかなり近くで見てきています。
市川さんの取り組み方や考えは、私とはかなり違うものがありますが、市川さんの純粋な思いを私は高く評価しています。

市川さんのライフワークは、経営道の普及です。
その第一段階はKAE経営道フォーラムとしてすでに基盤を確立していますが、
その基盤をつくった後、1200日の修行を比叡山、高野山、吉野大峰山で行い、
下山後、日本経営道協会を立ち上げて、新たな活動を開始しました。

それから10年がたちました。
それを契機にオフィスを御茶の水の湯島聖堂の近くに移し、思いも新たに新しい段階に活動を進めようとしています。
節目節目に市川さんは意見交換に来るのですが、
どうも今度の節目は大きいようなので、今日は1日かけて市川さんと忌憚なき意見交換をさせてもらいました。

久しぶりに市川さんとじっくりと話し合いましたが、市川さんの思いは変わっていません。
市川さんの「経営道」の教典がまもなく完成します。
不祥事から抜け出られない企業の経営者にぜひ市川さんの話を真摯に聞いてほしいと思います

(2006年7月第4週)
エジプトとローマが久しぶりに話題です。

■三沢市の花と緑のまちづくり推進委員会(2006年7月24日)
青森県の三沢市では、これまで5年間、まちづくり活動の一環として、
花と緑のまちづくり活動補助金制度をつくって「花いっぱい運動」を展開してきました。
その補助金制度が来年からなくなるのですが、
これまでの活動成果を住民と行政との協働のまちづくりに発展させていきたいと考えています。
その関係で、国土交通省の地域振興アドバイザー制度を活用することになり、私もその一人になりました。

アドバイザーは総勢3人です。
結まちづくり計画室を主宰している荻原礼子さんと首都大学准教授の玉野和志さんです。
すでにこの検討のために住民による花と緑のまちづくり推進委員会が発足しています。
実質的には今回が、その最初の委員会です。
公募に応じて参加した住民委員も17人います。

まず、全員の自己紹介がありましたが、5年間の資金助成の成果は見事に出ているようで、
多くの方が花づくり活動の意義を実感しているようです。
ただ残念ながら、これまでの支援がほとんど資金助成だったためにみんなの関心がまだお金をどう工面するかにあることでした。
これがおそらく現在の日本の住民活動や市民活動の最大の問題です。
そこから抜け出ないかぎり、今のお金万能の社会は変わっていかないでしょう。

私はまず皆さんに「自分の家の庭の花づくりに助成金を当てにしますか」と質問しました。
自分の家の花づくりと自分の町の花づくりとどこが違うのか、そこに大きなヒントがあるように思います。
まちづくりとは人のつながりであるとともに、自分とまちとのつながりづくりです。
この町が「私の町」だと思えれば、ごみなど捨てないでしょうし、花も植えたくなるでしょう。
その意識のないまちづくりは、他人事になってしまいます。
今回のプロジェクトはまちづくりの本質を考えるいいきっかけになるはずです。

委員会のあと、有志の人たちと行政とアドバイザーでの交流会がありました。
この三沢市でもどんどん地域社会が壊れているようです。
正確に言えば、家庭が壊れだしているということです。
その予兆は子どもたちに必ず現れます。
保育園と児童館の方からお聞きした話がとても印象的でした。
ブログに少しだけ書きました

終わった後、アドバイザーのみなさんと事務局で同行してくれた日本地域開発センターの北川泰三さんと話しました。
玉野さんは以前このサイトでも紹介した「東京のローカル・コミュニティ」の著者です。
20年かけて東京下町の地域社会を調査し、それを物語風に仕立てたとてもいい本です。
高価なのが難点ですが、購入しても決して無駄遣いにはなりません。ぜひお薦めします。
今回のプロジェクトの主役の中心は自治会になっていくと思いますが、
その関係でぜひとも玉野さんの研究成果や考えを学びたいと思っています。

私自身、今自治会の会長として自治会に少し関わりだしていますが、
このせっかくの制度が近代化や自治省のコミュニティ政策の中で壊されてきたのがとても残念な気がします。
私も最初の自治会との出会い(我孫子駅前の駐輪場建設事件)が、
行政の末端組織としての実体でしたので自治会嫌いになっていましたが、
生活の視点に立てば、風景は全く違って見えてきます。
18年前の自らの見識のなさを反省しなければいけません。

これから自治会をどう位置づけるかが、とても大きな課題のように思います。

■三沢市の花づくり現場の見学(2006年7月25日)
午前中、三沢市の花いっぱい運動の現場を見せてもらいました。
個人宅もありますが、みんなの熱意が伝わってきます。
個人宅では山本さん、山下さん、元岡さんの庭を見せてもらいました。
それぞれに楽しまれている様子が伺えます。
道路や公園もきれいなのですが、やはり思いが伝わってくるのは個人の庭です。

感心したのは、松園ケアラウンジスカイです。
花をうまく活かして活動をしていることが感じられます。
ホームページなどでみてみるとまだ花づくりのことは余りかかれていないですが、
花づくりは福祉の本質につながっていますので、もっと本業とのつながりを明確にしていけば、効果的だと思いました。
こうしたところにこそ、その福祉施設の実態が象徴されてきます。

いくつかを見せてもらって、これからの活動の展望がかなり見えてきたような気がします。

■M・O・H通信の取材(2006年7月27日)
「MOH運動」ってご存知でしょうか。
滋賀から始まっている循環型社会に向けての運動です。
MOHは、「もったいない・おかげさまで・ほどほどに」の頭文字なのですが、
それぞれが「循環・共生・抑制」を象徴し、まさにこれからの目指すべき社会を象徴するコンセプトです。

この運動を始めたのが、以前ブックのコーナーで紹介した「循環型社会入門」の著者でもある新江州株式会社の森建司会長です。
女房の同級生だった雨森善司さんの紹介で私はこの運動を知ったのですが、
その運動を広げていくための啓発誌が「M・O・H通信」です。
その編集長の辻村琴美さんが、私の取り組んでいるコムケア活動に興味を持ってくれたようで、わざわざ滋賀から取材に来てくれました。

企業人だった私がなぜ道を「踏み外したか」に大きな関心がおありのようです。
とてもカジュアルに話をさせてもらったので、果たして取材の目的を果たせたか、いささか心配ですが、まあ取材とはそんなものでしょう。

いろいろと話をしているとMOH理念とコムケア理念、あるいはCWS活動との重なりをいろいろと感じます。
こういう経営者がなぜ日本では中心にならないのか。
日本古来の文化とはたぶん正反対なほど異質なアメリカ資本主義になぜ多くの企業経営者が「拿捕」されてしまったのか、とても不思議です。
改めて「経営道活動」の大切さを思い直しました。

MOH運動についてのブログがありますので、関心のある方はぜひお読みください。

そういえば、滋賀県の知事になった嘉田さんのスローガンは「もったいない」でしたが、
嘉田さんはそれをスローガンにする前にきちんと森さんにご挨拶に行ったとのことです。

■知ること、それが始まり:ラマラでのコンサート(2006年7月27日)
エジプト在住の中野正道さんから久しぶりにメールが来ました。
中野さんはこのサイトの「エジプトから」(2回目が遅れていますが)の中野真由美さんのパートナーです。
15年ほど前にエジプト旅行をしたのですが、その時の名ガイドが中野正道さんでした。
それ以来のお付きあいで、一度日本に帰国した時に、ご夫妻で訪ねてきてくださいました。
たまたまある年の年賀状が印象的だったので、真由美さんにお願いしてこのサイトに掲載させてもらったのが「エジプトから」です。

中野さんのメールは、「2枚のお薦めコンサートDVD」の紹介でした。
DVDは、ラマラでのコンサート「知ること、それが始まり」です。
巨匠バレンボイムがイスラエルとアラブの和平のために中東の若手音楽家を集めて創り上げたオーケストラの企画段階から、
パレスチナ自治区ラマラでのコンサート実現までを追いかけたドキュメンタリーと、そのラマラでのコンサート・ライヴを収録したDVDです。

中野さんからの推薦文をご本人の了解を得て、「エジプトから」に掲載しました。
それを読むときっと中野さんのお人柄が伝わってきます。
そしてラマラ・コンサートのような活動が展開されていることを知って元気付けられると思います。
ぜひお読みいただき、できれば購入して観てください。
中野さんがきっと喜んでくれるはずです。

中野さんご夫妻は、さまざまな社会活動に取り組まれています。
なかなかお会いできませんが、時々いただくお手紙やメールにその活動の思いを垣間見ます。

中野さんのメールによれば、
本日(27日)は、カイロ大学、アレキサンドリア大学などエジプト各大学でイスラエルのレバノン攻撃即時反対デモが予定されており、
明日もまた金曜の集団礼拝後にハンハリーリ地区などでデモがあるそうです。
「『和平』に向けて様々な分野で尽力がなされてきたものが瓦解されてしまったのが残念でなりません」と中野さんは書いていますが、
現地にいればこそ、その瓦解状況を実感されているのでしょう。
また中野さんは、今回のデモには「言葉以外には抗議の意思表明が出来ないムバラク現政権への抗議も含まれるでしょう」と書いています。
彼らよりもたくさんの意思表示手段を持つ私たちも、何ができるかを考えなければいけません。
平和に向けてできることはたくさんあるのです

ところで、中野正道さんのパートナーの中野真由美さんが3週間に一度、NHKのラジオでエジプトの話をされているのだそうです。
知りませんでした。
今週も27日の深夜に放送されたのですが、私は帰宅が12時近くなったためにうっかり聞き損ってしまいました。
次の予定は8月17日(木)、9月7日(木)、そして9月28日(木)で、
いずれも深夜0時10分くらいから約15分お話しされるそうです。
ご関心のある方はぜひお聴きください。
マスメディアのニュースとは違うライブな情報に触れられると思います。
紹介DVDのコンサートに参加したエジプト人にインタビューした話も9月中には話されるそうです。

ちなみに私はこのラマラ・コンサートの話を知りませんでした。
早速、購入手配をしました。楽しみです。

■だから歩いていくんだよ(2006年7月27日)
中野さんからのメールを紹介させてもらったついでに、もう一つのメールを紹介させてください。
岐阜県庁の職員の小川美鈴さんからのメールです。
小川さんはしっかりした主体性をもって柔軟に行動する女性です。
時にやや考えすぎるところと、逆にまた時に考える前に行動してしまうところのある人ですが、
社会をしっかりと見据えている、行動の人です。
彼女のブログは面白いです。
その彼女からこんなメールが来たのです。彼女の許可を得て、一部引用させてもらいます。

「金銭資本主義」という言葉は全く適切な言葉だと思いました。
自治とかコミュニティとかいうものが、本当におかしくなってきていると思います。
権利の濫用というか、倫理的・道徳的には問題のある行動なのに、
法的にはそういう人達を排除できないことが多いのが本当に悔しいです。
倫理観とか道徳が欠如している人間を戒める役目は、
きっと昔は家族であったりご近所であったり、
学校の先生であったりしたのではないかと思うのですが、
今はそのいずれも、法律とか、金銭による契約行為などというものの下に置かれてしまっているような気がします。
職場の同僚ともそんな話をよくしています。

言葉はともかく、多くの人がそう考え出しているように思います。
しかし事態はよくなるどころか、ますます悪い方向に向かっているような気がします。
なぜでしょうか。
流れを反転できないものでしょうか。
私はそうした思いをもっと社会に見えるようにし、つなげていくことが大切だと思っています。
いつかそういう思いを持った人たちの集まりができて、大きな力になっていくことを夢見ているわけですが。
それに向けてのささやかな活動が少し大げさに言えば、このサイトなのです。
ほとんど何の役にも立ってはいないでしょうが。

小川さんは、
おかげで、また思うことがいろいろ増えて、ぽちぽちサイトの更新を始めました。
と書いてきました。
小川さんのサイト「だから歩いていくんだよ。」はとても面白いです。

改めてネットワークのコーナーで紹介させてもらいました。
こういう自治体職員もいることをぜひ知っておいてほしいです。

■日本経営道協会に思いを込めた若者たち(2006年7月27日)
先週紹介した日本経営道協会の市川さんと市川さんに共感して活動に参加している若者たちと時間をかけて改めての話を持ちました。
市川さんの活動を新たな段階に持っていくために、若者たちの新しいコアネットワークが生まれだしつつあります。
なかなか活動そのものの中身には議論は行きませんでしたが、彼らの構想を少し聞かせてもらいました。

今こそ日本の企業は経営道を学ばなければならない時期ですが、
日本の大企業にはプロの経営者はほとんどいませんから、志も経営も無縁の金儲けに走ってばかりいるのです。
その典型がトヨタやオリックスだと私は思っていますが、
そういう会社のトップが財界をリードしているわけですから、日本の企業の未来には不安があります。
私の考え違いであれば、とてもうれしいのですが。

では中堅中小企業の経営者はどうでしょうか。
大企業の経営者よりは社会性は高いでしょうが
(法律違反や反社会的活動をしても倒産しない大企業と違い、社会性がなければ存続できないからです)、
最近は時流に流されて、経営とは利益を上げることなどと勘違いしている人も増えてきているような不安もあります。
いや、中小企業だけではありません。
個人もまた金銭至上主義に陥ってきています。

そうした風潮のなかで、経営道活動を展開していくことはそう簡単な話ではありません。
市川さんの経営道活動はもう20年を超えました。
しかし日本の企業の経営者はますます経営道を踏み外しているような気もします。
どんなに立派な理念に基づく活動も20年たって、もし効果が出てこないのであれば、どこかに間違いがあるのです。
市川さんの思いを継いでくれる若者たちがどのような構想を打ち出してくるか楽しみです。

■法政大学の大村教授に学食で「ツキ」をもらいました(2006年7月28日)
法政大学の大村教授にはいろいろとお世話になっています。
大村さんは金融の専門家であり、自動車業界にも造詣の深い人です。
お世話になっているのであれば、普通はたまにはご馳走でもするのですが、
私の場合は逆で、今回は大学の学食でご馳走してくれないかと申し入れしてしまいました。

そんなわけで、今日は大村教授にご馳走になりました。
ところが連れて行かれたのが、法政大学の25階にあるレストランです。
入り口に教授や卒業生専用と書いてあります。
学食を希望したのにと言ったら、今は夏休みだからというのです。
なんだか騙された気がしましたが、実は今回は法政大学まで自転車で来たのでお腹がすいていたのでここでご馳走になることにしました。

皇居の吹上御殿が眼下に見える贅沢なレストランです。
田舎者の私などは、それを見てすっかり感激してしまいました。
今週はメールの紹介が続いているので、ついでに本人の許可を得ずに大村さんからのメールを紹介します。
実はこんなメールをもらっていたのです。

何時でもお寄り下されば、学食ならずともご一緒いたします。
私は未だツキが付いています。奪いに来て下さい。


大村さんは私が最近「不幸」につきまとわれていると心配してくれているのです。
そこから脱却させるために、自らのツキをあげようというのです。
こんなうれしい話はめったにあるものではありません。
つまり今回の私の狙いは学食よりもツキをもらうことなのです。
いやはや貧すればなんとかで、人間はいやしくなるものです。はい。

で、大村さんはそんなについているのですか、と聞いたら、
この2年、おみくじで「凶」が出たことがないのだというのです。
ついつい、「何だ、その程度のツキなの」といってしまったら、大村さんは「心外だ」というのです。
私もこの3年は「凶」がでたことはなく、すべて「大吉」なのです。

これだけ読むと私のほうがついているように思います。
しかしまあそうではないのです。
私は3年前の初詣で大吉をひいて以来、実はおみくじをひいたことがないのです。
しかし大村さんは意外なことにおみくじがとても好きなのだそうです。
言葉だけで判断してはいけません。

まあ、そんなわけで大村さんからツキをもらいましたので、きっと大村さんは次回のおみくじは凶でしょう。
とまあ、なにやらわけのわからないことを書いてしまいましたが、
大村さんと2時間以上話をさせてもらった内容は、もう少し密度の濃い話なのです。
グローバライゼーションの話や、経営戦略の話もありました。
何しろ相手は大学教授ですので、おみくじの話だけしていたわけではありません。

ツキと食事だけでなく、たくさんの刺激をもらいました。
ここで紹介できないのが残念です。

■オープンサロンに小林雅夫教授夫妻が来てくれました(2006年7月28日)
今日のオープンサロンは実にうれしいことが起こりました。
大村教授からのツキが早速に効果を出したのかもしれません。
ツキに見放された大村さんが交通事故にあっていなければいいのですが。

早稲田大学の小林雅夫教授が奥様と一緒に来てくれたのです。
小林さんに関しては今年に入ってからも2回ほど書かせてもらいました。
オンデマンド授業の話アイモとの交流の話です。

その小林さんがまだ歩行もご不自由ななかを、奥様と一緒にわざわざオープンサロンに来てくださったのです。
病気をされる前にオープンサロンやパウサニアスサロンなどで、
湯島には何回か来て下さっているのですが、今回は突然の来訪です。
実にうれしいことです。

小林さんは前にお会いした時よりもずっとお元気そうで、昔のやさしい笑顔も完全に回復していました。
アイモでの発声学習成果も出ており、ゆっくりであれば、話も少しずつできるようになってきています。
今回はサロンですので、初めての方が多く、奥様が通訳支援役をしてくださいました。
オンデマンド授業の話や小林先生のご専門の古代史の話が話題になりましたが、
久しぶりに私も小林さんの古代史の話を聞かせてもらいました。

小林さんが最近翻訳された「碑文から見た古代ローマ生活誌」(原書房)を持ってきてくださったのですが、
小林さんは日本では極めて少ない古代の碑文の専門家でもあるのです。
今日、小林先生のお話を聞いて碑文の重要性や面白さを改めて認識しました。
ローマ世界を知る碑文は現在30万点以上あるそうですが、今でも毎年1000点以上が発見されるのだそうです。
そして碑文は当時のものですので、史書と違い断片的ではあるものの事実に近いものが多く、
それによって「勝者の歴史」とは違ったもうひとつの歴史が見えてくることもあるわけです。
碑文の研究で歴史が書き換えられる可能性があるわけです。

小林教授の頭の中にはたくさんの研究成果が詰まっているわけですが、
オンデマンド授業のおかげで、そうしたものが記録で残るようになったわけです。
ちなみに小林教授のオンデマンド授業はNHKのおはよう日本で2年ほど前に放映されたそうです。

小林ご夫妻のおかげでいつもとはちょっと違うサロンになりました。

サロンにはもう一人久しぶりの参加者がありました。柴崎明さんです。
1年半ぶりでしょうか。残念ながら今回はあまり話せませんでしたが。
ほかに武田さん、乾さん、峰岸さん、奥山さんが参加してくれました。
小林夫妻が参加したのを理由に、それぞれから最近の活動などの自己紹介をしてもらいました。
おかげでまたみなさんのことを改めて知る機会になりました。

(2006年8月第1週)
梅雨があけた途端にミンミンゼミが鳴きだしましたが、なんとウグイスも鳴いているのです。不思議な夏明けです。

■インキュベーション型コムケアフォーラム(2006年7月31日)
インキュベーション型コムケアフォーラムの企画会議でした。
インキュベーション型コムケアフォーラムについては、以前、ご報告したように、
コムケアネットワークを使い込んで、新しいプロジェクト起こしができないかという、コムケア活動の新しい挑戦の一つです。

これに関してはすでに実行委員会を発足させ、何回か議論してきていますが、
○テーマ別プロジェクトの検討と計画化
○それらを発表し、プロジェクトをキックオフするフォーラムの企画と開催

の2つに分けて進めていくことになりました。
今日は後者の集まりです。

中心はコミュニティアート・ふなばし代表の下山さんとVoice of Tsukuba代表の山浦さんが買って出てくれました。
今日は山浦さんが筑波大学の2年生の学生を4人も連れてきてくれました。面白くなりそうです。

当初は連続フォーラム開催という計画もあったのですが、
それはむしろテーマ別のプロジェクト活動に委ねることにして、
ともかく11月後半に各プロジェクトを横につなぐようなかたちで、
それぞれのプロジェクト推進者にとって活用しやすい公開フォーラムを開催し、
できればそれを毎年継続的に開催していこうという方向になりました。
今年はともかくみんなが集まる楽しいイベントにすることがポイントです。
楽しくなければ広がらないからです。

次回は8月22日に開催されます。
コムケアに関係なくても、もしご関心のある人はどうぞ参加してください。
イベントを企画し実現し、そこから新しいプロジェクトをインキュべートさせていくコラボレーションワークを体験することができるはずです。
一度体験されると、イベントなどは簡単に開催できるのだという自信がつくかもしれません。
それにコムケアのことが好きになるかもしれません。
この活動を通して、コムケアのネットワークを誰でもが活用できる、みんなの財産にさらに育てていきたいと考えています。

■久しぶりの橋本典之さん(2006年8月1日)
コムケアスタッフの橋本さんが湯島に立ち寄ってくれました。
橋本さんは4月から理学療法士の専門学校に通いだしているので、これまでのようにゆっくり話す機会がなくなりました。
今日は久しぶりにいろいろと近況を聞きました。
明確なテーマを持っている人の場合、
そのテーマゆえに活動範囲が狭くなってしまう人と
逆にテーマのおかげで様々に活動が広がる人がいます。
橋本さんは後者のタイプで、明確にテーマとプランがあるために世界がどんどん広がっています。
学校に通いながら、コムケア以外にもいくつかのNPOに関わっていますし、自らのネットワークもじっくりと構築しています。

今日は話題がありすぎて、あっという間に時間が過ぎてしまい、次の来客が来てしまいました。
介護の話から東洋医学の話、さらには社会のあり方に関する本質的な議論もありました。
とてもいい時間をすごしているようでうれしいです。

まだ書き込み頻度は少ないですが、橋本さんのブログも面白いです。
人生をしっかりと生きている若者の目から見える社会が実感できます。
これとは別にもう一つのブログも始まっていますが、
これはまだ完全には公開されていないようですが、公開されたらまたご紹介します。

■技術者倫理に関する公開フォーラムを11月に開催します(2006年8月1日)
技術者倫理に関する公開フォーラムの開催日が11月に決まりました。
たぶん11月25日か26日です。会場が取れるかどうかで決まります。
面白いフォーラムになりますので、ぜひ予定に入れて置いてください。
詳しい内容が決まり次第、お知らせのコーナーでお知らせしますが、
詳しい内容の企画に関わりたい方はぜひ実行委員会に参加してください。
企画内容もみんなで決めていければと思います。次回は9月15日です。

最近、いろいろな会を企画したりその実行委員会を開催したりしているために、
会場取りも含めて、私自身がかなり混乱してしまっています。
その上、自治会の集まりもいろいろ考えなければいけないので、
果たして今年の秋はトラブルなしに乗り切れるかどうか心配です。
今もこの記事を書いている机の周りは書類の山です。
整理ができていないうちに、次の話が入り込んできて、みなさんにはご迷惑をかけていますが、私自身も頭が痛いです。

ところでこの技術者倫理フォーラムの実行委員会に新たな参加者がありました。
機械振興協会経済研究所の山田敏之さんと都立産業技術研究センターの伊瀬洋昭さんです。
さらに今回はご都合で欠席でしたが、日本政策投資銀行の調査部長の鍋山徹さんです。
フォーラムもさることながら、この集まりの展開が楽しみです。

フォーラムでは、実行委員会のメンバーがそれぞれ問題提起し、
それに基づいてテーブルディスカッションをしようかという方向で議論が進んでいます。
毎回のサロンでの話も実に面白いので、楽しみです。
関心のある人はどなたでも歓迎です。
ご連絡ください。
技術者倫理などというと難しそうですが、
要するに最近見えなくなってきた技術との付き合い方を間が直そうということに関心のある人の気楽なサロンが実現できないかと、私は思っています。

■ちょっと寂れてしまった日光(2006年8月2日)
箱根と日光は首都圏に隣接する大観光地です。
ところが最近はあまり元気がありません。
それが気になっています。
そんなこともあって、ぽっかりとできた空き時間を使って女房と日帰りで日光に行ってきました。
予想以上に観光客は少なかったです。
ブログにも書きましたが、日本の観光行政は相変わらずのようです。

今回は久しぶりに霧降高原に行きました。
ニッコウキスゲは咲き終えていましたが、さまざまな高山植物がまだたくさん咲いていました。
にもかかわらず、観光客があまりにも少なく、ちょっと拍子抜けしました。
駅前で湯葉のさしみを食べてみましたが、これはおいしかったです。

そのお店の女主人と話しているうちに、
最近はお寺の入場料が高すぎて、お客様はお店にはお金を落としていってくれないとぼやくので、
いくらくらいですかと質問すると2000円以上だというのです。
昔からずっと駅前でお店をやっている人の話です。
日光には世界遺産の2寺1社がありますが、その共通券は1000円です。
一般的にいえば、かなり安いです。
つまりこの人の情報は正しくないのです。
しかし地元の商店会の人たちは、もしかしたらみんなそう思っているのかもしれません。
その背景にはそれなりの理由があるはずです。
きっとどこかでまちづくりの基本が忘れられているのです。
こういうところに、その町の観光行政の本質が見えてきます。
東武バスでも面白い経験をしました。運
転手の対応だけでも観光地の印象は変わるものです。

日光の興味を持ちました。また行ってみるつもりです。
私的な観光動向調査のためですが。
日光観光協会で雇ってくれないですかね。

■金田英一さんからお聞きしたわくわくするような話(2006年8月3日)
最近は新潟に本拠地を移されだした金田英一さんが久しぶりにやってきてくれました。
金田さんの行動範囲はますます広がっているようです。
その金田さんからとても良い話を聞きましたが、これはブログに書かせてもらいました

金田さんとはいろいろな接点があるのですが、今回は「社会教育」がテーマでした。
時々、このコーナーでも紹介することがありますが、「社会教育」という雑誌があります。
金田さんはその雑誌にサポーターなのです。
その雑誌に奥付けには、ちゃんと「シニアアドバイザー金田英一」と明記されています。
まあそれはともかく、金田さんはその雑誌の可能性に大きな期待をかけているのです。
それで編集長の近藤さんを応援しているのです。
金田さんは昔、プレジデント社で雑誌作りに取り組まれていましたから、今でも雑誌への思いが深いのです。

私も、実はこの雑誌に思いがあります。
各地での面白い取り組みがここには紹介されるのですが、正直に言うとその取り上げ方がまじめすぎて訴求してこないのです。
それにせっかくのネットワークが活かされていないような気もします。
しかし、金田さんのお話によると、いよいよ10月号からモデルチェンジするそうです。
どう変わっていくか、とても楽しみです。

社会教育や生涯学習の分野で、私も一度でいいから、雑誌の編集長をやってみたいと思っています。
スポンサーはいないでしょうか。

■東レ訪問(2006年8月4日)
梅雨があけ、東京は本当に暑いです。
その中を背広を着て今日は東レに行きました。
コムケアの報告と今年度の支援のお願いで斉藤常務にお会いするためです。

東レ時代から夏は私はノーネクタイだったのですが、
クールビズなどといって、閣僚がノーネクタイにするようになってから、私はノーネクタイをやめたのです。
もっとも背広を着る機会は最近は少なくなったので、あまり不都合はないのですが、
まあせめてもの時代の風潮への抗議です。
しかし、電車やビルの中では全く問題はありません。
最近の電車はともかく寒すぎると思うほど冷房を聞かせています。
これも不快なことではありますが、最近は注意する気にもなれません。困ったものです。

東レは私が取り組んでいるコムケア活動を黙って支援してくれています。
ところが最近、きちんと報告していなかったために、
今年はスキップするのだと思われて予算確保していなかったことが今日、久しぶりに行って判明しました。
支援してもらうのであれば、きちんと報告し、きちんと頼みに行かねば行けません。
ところがそれができないのが私なのです。
やはりどこかに「欠陥」がありそうです。反省しなければいけません。
幸いに今回は斉藤さんが何も言わずに引き受けてくれました。

斉藤さんと会うと、いつもコムケアの話はすぐに終わり、後は最近の社会や企業の動きの話です。
今回は最近発表された「働きやすい企業」ランキングの話題になりました。
私はこうしたものを一切信じませんが(理由は当事者の視点が含まれていないからです)、
東レは昨年度は19位だったのに、今年は56位になったそうです。
理由は評価項目が変わったからのようです。
実態とは関係なしに、評価が変わるのが観察者的視点からのランキング手法です。
当事者が働きやすいと思っているかどうかとは無関係の話なのです。

「働きやすいかどうか」も大切ではありますが、もっと大切なのは「働き甲斐があるかどうか」です。
いま、経営道フォーラムのチームが、この問題に取り組んでいますが、
そろそろ安直な観察者のランキングの発想はやめるべきかなとも思います。

斉藤さんと会うといつも企業の社会性のようなテーマに話題が行くのですが、
会社を辞めて抽象論で語るのと違い、斉藤さんの場合は実際に会社の中で当事者として考え行動していることにいつも感心します。
こういう戦略参謀が増えていくと産業界も大きく変わっていくのでしょうが、
最近はこういう人になかなか出会うことが少なくなりました。

■市民記者の長岡素彦さん(2006年8月4日)
コムケア仲間の長岡素彦さんは、様々な活動をしていますが、ジャンジャンの市民記者としても積極的な活動をしています。
長岡さんの書いた地域情報はとても面白いです。ともかくフットワークがいいのです。
今日もこの暑い中を重い荷物を持って湯島にやってきてくれました。

インキュベーション型コムケアフォーラムの候補になりそうなプロジェクトの相談です。
web関係のプロジェクトですので、私はあまり深く理解できませんでしたが、
長岡さんが面白いといっているのであれば必ず面白いはずです。
まずはコムケアサロンでそのテーマをもんでみることにしました。
そしてコムケアネットワークを活用しながら、収益性のある事業へと発展できるようにしていければと思います。

長岡さんは実はかなり「なぞの人」なのです。
もう何回もあっていますが、どうも実体が把握できないのです。
奥が深いというか活動が鮮やかというか、内部時間が一般よりもかなり早いというか、
私もそれなりにそんな要素を持っていますが、長岡さんはもっと加速されているのです。
ですから長岡さんと話していると、話し出した途端に話が終わっていることも少なくないのです。
今日も肝心の話は5分で終わってしまいました。
その後もいろいろと刺激的な話をお聞きしましたが、
約束の時間の5分前にはしっかりと話を終えて、暑い中をまた急ぎ足で出て行きました。
実に面白い人です。
今回のwebプロジェクトでご一緒して、もう少し正体を把握しなければいけません。
もしかしたら、長岡さんも下山さんと同じく、魔法使いかもしれません。

■ホームページへの反応(2006年8月5日)
先週、エジプトからのメールの話を紹介したら、それを読んだ北九州の中嶋さんからメールが届きました。
中野眞由美さんのラジオの相手をしている迎アナウンサーは中嶋さんのお知り合いだったのです。
中嶋さんは金子みすゞのファンなのだそうですが、迎さんは日本で最初に金子みすゞの詩をラジオで朗読した方なのだそうです。
早速、中野さんにお伝えしました。

ホームページを書いていて、こうしたつながりに出会うととても幸せな気になります。
ホームページやブログを書いていて、時々、こんな自己満足活動はやめようかと思うことが少なくないのですが、
こうした反応があるとついつい調子に乗って書き続けてしまうのです。
今日もブログの「物事を簡単に考えてしまう発想」におおむらさんがコメントしてくれていますが、他にも2人の人からメールをもらいました。
なかなか合えなくても、どこかでつながっている気がして、とても安心できるのです。
ホームページは自分の安心のためのものかもしれません。

みなさんもぜひ始めませんか。
自らをさらけ出すと、人生は本当に楽になります。


■手賀沼花火大会(2006年8月5日)
恒例の花火大会です。
今日も絶好の花火日和でした。
花火が見えることに魅力に感じて、6年前にここに転居してきたのですが、
6年もすると最初の頃の迫力が感じられなくなってしまいます。
いや、今年は、最近の心境が花火との共振を起こさなかっただけかもしれません。
人間の気分は実に微妙です。
もっとも音の迫力はすごく、身体に響きます。
チビタくんはその音におびえて半狂乱になりますので、毎年、花火の日は病院に泊まりにいきます。
攻撃本能というよりも、防衛本能でしょうか。
その音に快感を持つ人間は、やはり攻撃的な存在なのかもしれません。

人間の攻撃性に関しては、1986年に行われたセビリアでの専門家会議があり、
そこで人間の遺伝的な暴力性や好戦性は否定されましたが、
その後の世界の動きを見ていると、他の動物に比べて、その攻撃性は跳びぬけて強いと思わざるを得ません。

もっとも、花火は平和の象徴でもあります。
明日からテレビで一括放映される「スターウォーズ」のエピソード6の最後でも、
帝国を滅ぼした同盟軍の都市で、平和の再来でみんなが喜んでいる状況が花火に象徴されていました。
まあ、そんなことを考えながら、1時間半の花火を今年はゆっくりと見せてもらいました。

明日は広島に原爆が落とされた日です。

(2006年8月第2週)
久しぶりにゆっくりした夏休みをとりました。

■我孫子市総合防災訓練(2006年8月6日)
地域での防災訓練が各地で行なわれていますが、
私の地元の我孫子市でも開催されることになり、市役所から自治会への説明会が行なわれました。
ぜひとも一緒に何か出来るといいと思って参加させてもらいました。
こうした活動は1自治会だけでやるのは難しいことを、前回実感していたからです。

今回は我孫子南地区の説明会でしたが、30人くらいの自治会会長が集まりました。
関心が高いのです。
市役所の市民安全室が担当ですが、そこが事務局になっての訓練内容の説明がありました。
ところが話を聞いていても、全体像が良くつかめずに、
そのうちに、高齢者避難や車椅子避難に協力してくれる自治会はないですかというような、個別の依頼が始まりました。
1時間、できるだけ理解しようと資料を読みながら聞いていましたが、
ついに我慢できなくなって、話をさえぎって挙手して発言を求めました。
こらえ性が無いのが私の欠陥なのです。

「全体像が見えないので、いつ、何をやるので、自治会に期待する役割は何か、という説明をした上で、
個別の要請や細かな説明をして欲しい」と要請しました。
それを受けて、担当者は説明を始めたのですが、前の繰り返しです。
私の発言の意味が伝わっていないか、あるいは全体像を当人も理解していないかのいずれかです。
職場での上司への説明と同じ説明をしているのでしょうか。
今度は私の隣の自治会長が手を挙げて、
訓練のための訓練はやめてほしい。
お上の意向はわかったが、今ごろ9月2日に開催するといわれても、
私たちの自治会は当日役員をすることを昨日決めたばかりなので参加はできない、と厳しい発言です。
そこから他の人も発言しだしました。

さらに大きな問題は避難場所が私たちの自治会の避難場所とは違うところになっていることです。
これでは混乱してしまい、逆効果にもなりかねません。
その点も指摘しましたが、今回は一箇所にさせてもらった、次回はまた別の場所でやるというのです。
あきれてそれ以上発言する気をなくしました。
まさに訓練のための訓練です。
この訓練にどれだけの税金が無駄遣いされるのでしょうか。
これが住民自治を目指している我孫子市の実態です。

終了後、女性参加者たちが、形だけを作るのが見え見えね、と話していました。
私はこうした会には最近参加しだしたのですが、よく参加している人たちには、「またか」という思いがあるようです。

しかし、いかに形だけであろうと、防災意識を高めていくためには、
出来るだけ多くの自治会メンバーに参加してもらいたいと思います。
ところが、その呼びかけ資料ができるのが9日なのだそうです。
もっと早くならないかと頼んだのですが、ダメだそうです。
自治会の会長に資料を届ければ住民にすぐに届くとでも思っているのでしょうか。
自治会への理解は全く無いようです。
仕方がないので、取り合えず予告の通知を回覧しましたが、まだこんな市役所が日本には残っているのです。
住民との付き合い方講座をしてやりたい気分です。

稲盛さんの話を聞いたにも関わらず、思い切り愚痴の記事になりました。
我孫子市役所の職員が一人でも読んでいることを期待しての愚痴です。
読んでいたらぜひメールください。意見交換させてもらえればうれしいです。

なお、この話には後日談もあります。
9日に市役所から届いた資料を見て驚きました。
新たに配布資料を自分でつくりました。

■ホリスティックヒューマンケア(2006年8月7日)
エッセンシャルオイルを活かしたエステ展開をしている成瀬真二さん
マッサージセラピストの國分利江子さんをお引き合わせしたら、新しいコラボレーションが始まりました。
2人のドメインを組み合わせての、いわばホリスティックヒューマンケアという考え方です。
私はさらにもっと大きなものに包み込まれるような、エコロジカルケアという発想を持っていますが、
それにもつながる面白い発想です。

2人でやってきてくれました。
いろいろと話していると、つながるような話が私の周りにはたくさんありそうです。
どうつなげていいかはまだ見えてきませんが、
中途半端につなげると逆におかしなことになりますので、ここは慎重にしなければいけません。
どこかでコムケアにもつながるかもしれません。

湯島のコンセプトワークショップでの出会いから始まったコラボレーションはいくつかありますが、
ビジネスのインキュベーションはあまりありません。
成瀬さんも國分さんも、実践的なソーシャル・アントレプレナーですので、今度はきっとうまくいくでしょう。
楽しみです。

■住友生命社会福祉事業団からもコムケアの支援継続を決めてもらいました(2006年8月8日)
コムケアの最大のパトロンは住友生命社会福祉事業団です。
先週の東レの例もありますので、きちんと報告に行かねばいけませんが、
住友生命社会福祉事業団にもどうも不義理を重ねてしまっています。
今日は住友生命の井上さんも大阪だというので、久しぶりに訪問させてもらいました。
私が要請していた寄付金額が少なすぎる、これでやれるのかと井上さんから怒られてしまいました。
しかし、寄付をもらえばそれだけ活動しなければいけません。
寄付はもらうほうにとっても、少ないほどいいものなのです。
その感覚は思いを持って活動をしていると必ず身につくものです。
丁重に辞退させてもらいましたが、頭のどこかではもう少しもらえると楽になるなという声がしていることも事実です。
お金は本当に恐い存在です。

久しぶりに山上さんと大道さんとNPOに関してお話させてもらいました。
とてもいい話を幾つか聞かせてもらいました。
NPO法人シニア自然大学の活動が特に興味深かったです。
これに関しては少し調べてから、また報告させてもらいたいと思います。

いずれにしろコムケアへの支援は継続してくれることになりました。
ありがたい話です。
来年こそは自立です。

■寺田紡績訪問(2006年8月8日)
ユニチカの役員だった藤原忠裕さんがグループ会社の寺田紡績の社長になったと連絡があったので、
久しぶりに会いたくなって大阪の貝塚市にある同社を訪問しました。
CWSプライベートにも書きましたが、とてもホッとする会社で、東レに入社した頃のことを思い出しました。
久しぶりに工場見学をさせてもらいました。これも何年振りでしょうか。
工場に入った途端に色々なことが頭によぎります。
時代が20年前に戻ったような奇妙な気分です。
工場で働いている人たちがあいさつをよくしてくれるのが印象に残りました。

寺田紡績はいまではもう紡績は全くやっていません。
主力は化成品で、特にリサイクル事業に重点を置いているようです。
ほかにタオルを中心にした製品事業があります。
工場は以前の紡績工場の建物を使っていますから、レイアウトなどの苦労がよくわかります。
工場の外壁はタイルですが、なんと明治45年建築だそうです。
しかし遮音性が高く、工場騒音は一切外に出ないのだそうです。
昨今の建設業界の技術者に聞かせたい話です。

リサイクル事業で感激したのは、リターン型リサイクルで、
たとえば自動車のラジエーターはまたラジエーター用レジンに戻して、ラジエーターの原料にするのだそうです。

嘘っぱちのリサイクル事業が多い中で、こういう話を聞くと感激します。
自動車メーカーはこういう会社をもっと育てていくようにすべきですし、儲けすぎの利益をこういう還元系企業に投資すべきです。
自分で取り込んでしまうようなことはしてほしくないですが、
こういう真摯に取り組んでいる企業を育てる努力をすることがCSRや環境経営の本質なのです。
トヨタの社員の方がもし読んでいたら、ぜひ渡辺社長に頼んで欲しいです。

久しぶりに工場訪問で、やはりメーカーの仕事をしたくなりました。
面白いプロジェクトがあればお誘いください。

■夏休み(2006年8月9日〜13日)
夏休みで、湯河原に来ています。
モバイル持参の夏休みなので、女房からは怒られていますが、
夏休み初日からいろいろとメール連絡があり、日常性から抜けられません。
大企業はどこも夏休みで仕事は停止状況でしょうが、
私の周りの会社やプランナー、NPOの人たちは夏休みもあまりないようです。
そういう動きにメールで触れているとなにか夏休みをとっていることへの罪悪感が出てきます。
そのため例年は夏休みの途中で帰宅してしまうのですが、今年は帰らずにすみました。
しかも、幸いに天気があまりよくなかったため、出かける気にもならず、まさにのんびりとすごしました。
こんなにゆっくりしたのは久しぶりです。
さて、来週からまた課題山積みです。

(2006年8月第3週)
暑さが続いています。

■すぎの梨園の杉野さんに初めてお会いしました(2006年8月14日)
私の住んでいる我孫子市の隣が柏市なのですが、
そこにとてもおいしい梨をつくっているすぎのファーム・すぎの梨園というのがあります。
我が家はここの梨が以前からとても好きでした。
減農薬につとめているだけでなく、とてもほのぼのした家族経営で、ニュースレターも発行しているのです。
私も女房と一緒に、何回か梨を買いに伺ったことがあります。
とても気持ちのいい人たちでした。

先日、日本地域開発センターの北川泰三さんと話していたら、
なんとその園主の杉野光明さんは北川さんの先輩でした。
しかも最初の頃の地域振興アドバイザー制度の対象プロジェクトでもあったようで、
北川さん地震もこの梨園に通っていたようです。
世界は本当に狭いものです。

今日、たまたま別件で北川さんからメールが来たので、
このことを思い出していたら、女房が梨を買いに行くというので、私も同行させてもらいました。
運よく杉野さん本人がいました。少しだけ話しをしました。
我孫子の話もでました。
いつか一度ゆっくりお話したい気がします。

杉野さんは、すぎの梨園のホームページで、
「自然と時間を、都市と生命を、地域と環境を、家族と生きがいを分かち合うために、
農業を楽しめる農家になりたいと考えています」

と書いています。そしてそれをまさに実践していることが、ホームページを読むと伝わってきます。
すぎの梨園の梨は通販もしています。とても美味しいです。

■夜空を見ながら思ったこと(2006年8月14日)
夜、花火の音に誘われて、屋上に出てみました。
花火はほとんど見えませんでしたが、椅子に座って夜空を仰ぎ見ているうちに、
そこに吸い込まれるような錯覚に陥り、夜風に吹かれながら、長いこと星空を仰ぎ見ていました。
星空を見ていると、気分がとても穏やかになります。
久しぶりに流れ星も一つだけ見ました。
おそらくもっと鮮明に見えたであろう星空から古代人は何を読み取っていたのでしょうか。

広大な星空を見ていると、地上での事件が瑣末に思えてきます。
宇宙船から地球を見た宇宙飛行士たちが、戦いの無意味さを実感した気分を少しだけ味わった気がします。
私たちも時々、夜空をゆっくりと見上げることが地球の平和につながるかもしれません。

星空はだれにでも公開されています。
みなさん、ぜひ一度、30分くらい、どこか広いところで、夜空を仰ぎ見てみませんか。
上下感覚や時間感覚が希薄になって、宇宙を浮揚しているような気分になります。
瑣末なことにこだわっている日常生活の悩みなど、消えてなくなります。
元気になります。

■あびこ市民活動ネットワーク(2006年8月15日)
あびこ市民活動ネットワークというのが発足しました。
きっかけは、以前書いた我孫子市民活動サポートセンター構想です。
市民との協働にこだわった市長の肝いりで創られた組織です。
行政主導で形式的に作られた組織には私はほとんど興味がないのですが、
その役員である渥美節子さん(あびこ女性会議)と関谷忠治さん(パソコン楽しみ隊)から
その運営に関して相談に乗ってほしいと連絡がありました。
誰に対しても、どんな場合も、困っている人がいたら相談に乗るのが私の信条ですので、お会いすることにしました。
お2人とも、これまで何回かご一緒したことがありますので、その思いは少しだけ知っています。

お聞きしたところ、発足の経緯はともかく、発足した以上は主体的な住民組織にしたいというのです。
そうであればますます加担しないわけにはいきません。
大きな方向性について意見交換し、年内にイベントを開催することを提案しました

これからどうなるか、まだ見えませんが、きっとお2人のがんばりで面白くなるでしょう。

■静寂感のある都心風景(2006年8月15日)
1週間ぶりにオフィスに出かけました。
最寄り駅の地下鉄湯島を降りて、地上に出ると、いつもと感じが全く違うのです。
閑散としているのです。
そういえば、今日はお盆です。
お盆はいつも都心は車が少なく、閑散としてしまうのです。

空も気のせいか、とてもきれいな青さです。
私は東京の空を見るのもとても好きで、
よくオフィスからぼんやりと空を見ることが多かったのですが、最近はその余裕を失っていました。
都心のビル街でこそ空を見ることが大切だというのが私の考えで、
4年前まではそれを実行してきましたが、最近は忘れていました。
昨夜の星空観察に続いて、少し青空を見上げていましたが、昼の空もいいものです。

その後、自転車で自動車の少ない都心の街を走ってみました。
これも実に新鮮なのです。
あまりに気分が良かったので、久しぶりの出勤でしたが、仕事はやめて、上野公園まで散歩して帰りました。
どうもまだ夏休み気分が抜けません。
宿題は山積みなのですが。

■週の後半にかけて考えたこと(2006年8月19日)
今週も何人かの異才の人たちとの接点がありましたが、
いずれもプライバシーやビジネスに関することなので、ここに書くのはためらわれます。
以前はあっけらかんと書いていましたが、どうもいろいろと迷惑も与えかねないようなので、自重しなければいけません。
一応、書いたのですが、読み直して掲載はやめることにしました。
そんなわけで後半の記事はすべて削除します。
そこで「埋め草」記事を書きます。

自らの生活を公開する生き方は、徹底してしまえばなんということはありません。
しかし、少し気を使い出すと逆にいろいろと神経を使わざるを得なくなります。
結構、不愉快なメールも来ますし、迷惑をかえることもあるからです。
そんなことを気にするくらいならば、ホームページをやめればいいのですが、
いまや自分の日記のような存在になっていますので、やめることができません。

それにしても、こういう生き方をしていると、いろいろな人との出会いがあり、いろいろな生き方に触れることができます。
時に人間大好きになり、時に人間不信になります。
社会の実相の動きも垣間見えてきますが、総じてみんなの暮らしから余裕がなくなってきているような気がします。

余裕がなくなるとどうなるか。
思いと現実、志と言動にずれが出てきます。
思いと現実がずれたプロジェクトは、決して楽しくはありません。
そんなプロジェクトがどうも増えているような気がします。

私の取り組んでいるプロジェクトも、きっとたぶんにそうなっているのかもしれません。
他の人のプロジェクトはよく見えますが、自分のプロジェクトは見えなくなりがちなのです。

週末に花巻温泉に1泊しました。
そこの旅館の人たちがみんなとても「いい顔」をしていました。
一緒に行った人が、
「こういう豊かなところで暮らしているとみんなとても穏やかな顔になるんですね」
といいました。
とても納得できる言葉でした。
かつてはとても貧しかった岩手県の花巻が、実はとても豊かなところであることにみんな気づき始めたのかもしれません。
東京の街が貧相なのは、そこに関わっている人間たちの貧相さの象徴かもしれません。

今週は終戦記念日もありました。
ブログでも何回か書きましたが、戦争や平和についてもいろいろと考えてみました。
平和や戦争というと大げさですが、私にとっては、いずれも、私たちの生き方の問題なのです。
隣人や自然との付き合い方といってもいいでしょうか。
しかし、最近は考えれば考えるほど、わからなくなってしまいます。
ブログには、さもわかったようなことも書いていますが、
そして自らを鼓舞するようなことを書いていますが、
実はとても迷っているのです。
私の見通しや予想は外れることが多くなりましたし、
独断的な決めつけがとんでもない暴言なのかもしれないと思うことも増えてきました。
貧相で無知で、その上、平和でないのは、私だけかもしれません。

先週、ゆっくり夏休みをとって以来、都会と現代人に大きな違和感を持ち出してしまったような気がします。
いや、自分の生き方への違和感です。
迷いを払拭できるかどうか、心配です。

今月はじめ、スターウォーズのシリーズ6編を改めて見てしまいましたが、
駄作だと思っていたのに、そこからのメッセージがとても大きなもののような気がしてきました。
どうもその影響が大きいのかもしれません。
どうやら見事に洗脳されたようです。

(2006年8月第4週)
漸く動き出しました。
いや動けだせました。
そうしたら、途端に時間破産です。

■雑草の生命力と野菜の成長力(2006年8月20日)
しばらく草取りに行かなかった我が家の農園に行きました。
1週間さぼっただけで雑草が全体を覆っています。
雑草は鎌で根っこから切るようにしていますが、そこからまた芽が出てきて1週間もするとまた地面が見えなくなるのです。
すごい成長力です。
世界では毎年、急速に砂漠化が進んでいるのに、日本は実に緑豊かな風土なのです。
本当に恵まれています。その恩恵に対する感謝の気持ちを忘れてはなりません。
「雑草」などと呼び捨ててはいけませんね。
最近、山野草が人気ですが、雑草もいつか主役になれることがあるでしょうか。
しかし彼らにとっては雑草であるほうが幸せかもしれません。
「荘子」のつりの話を思い出します。

ところで、成長力のすごさは雑草だけではありません。
野菜もすごいのです。
オクラは15〜20センチ、きゅうりにいたっては30センチ以上です。
商品にはなりませんが、食べる分には大丈夫です。
自然の恵みはすばらしいものです。
雑草もみんな食べられるようにしたら、もっとありがたいのですが。
食べられないから雑草というのでしょうか。
しかし工夫したら食べられそうな気もするのですが、食べる勇気がありません。
雑草を食べる食用の家畜を飼えばいいのでしょうが、それには残念ながら我が家の農園は狭すぎます。
もう少しせっせと草取りに通わなければいけません。

■沢蟹探し(2006年8月21日)
CWSプライベートに書きましたが、沢蟹は山野やペットショップにいるだけではありません。
魚屋さんにもいるのです。それを思い出しました。
今日はオフィスに行ったのですが、幸いにも来客が少なかったので、
最後の来客と一緒にオフィスを出て、近くの吉池という鮮魚店に行きました。
昔、ここで食用の生きた沢蟹を購入して、飼育に挑戦したことを思い出しました。失敗でしたが。
しかし残念ながら沢蟹はいませんでした。
秋になったら出会えるかもしれません。
時々、寄ってみようと思います。

■資源ごみ回収にどのくらいの手間をかけるか(2006年8月22日)
我孫子市はごみの分別収集はかなり古くからやっています。
ところが資源ごみの回収に関して、分別回収の用具(分別収集袋やボックスなど)の出し入れが大変なため、
その作業を業者に委託することが昨年から可能になりました。
自分たちで対応すれば、資源ごみの売却金が自分たちの自治会に入ってきますが、
それを放棄することで業者に用具の管理をしてもらうわけです。
私たちの自治会は170世帯ですが、自分たちで対応すれば、年間で約20万円弱の資源回収資金を得られます。
1世帯あたり年間1000円程度の資源ごみを排出しているわけです。これはかなり大きな金額です。
しかし、みんなで話し合った検討の結果、昨年から業者にお願いすることにしました。
実際にやってみて、来年はどうするかを決めることになり、自治会の皆さんに意向を聞いてみました。
ほぼ全員が現在の業者委託を継続したいという意見でした。
人間は一度、楽な道を体験すると戻れなくなるのかもしれません。

みなさんからもいろいろな意見が出されましたが、
資金の流れをもう少し詳しく知りたいと思い、市役所の担当課にきいてみました。
我孫子では250の団体があり1500のごみステーションがあるそうですが、そのうちの2割が業者に作業委託しているとのことでした。
担当者が、ごみの収集の場は住民同士のコミュニケーションの場としてもとても重要なのですといいました。全く同感です。
本来であれば、私たちの自治会も業者に委託するようなことはせずに、自分たちで対応すべきなのでしょう。
しかし、高齢者世帯の場合は、自分たちでの対応は難しくなりますので、
もし自治会が引き受けるとなれば、それこそしっかりした近隣関係が育っていないと難しいでしょう。
たとえば、自治会費などを私の家に持ってくるだけでも大変な高齢者の世帯もあります。
近くですが、坂があるからです。
できるだけ私のほうから伺うようにしていますが、地域には様々な人たちが住んでいます。
簡単なルールでさえも、なかなか徹底することは難しいのです。
一度壊れた近隣社会は再構築するのが難しいです。

私の個人的意見では、業者委託は避けたかったのですが、
そうした提案をする気力が持てず、私の家も委託継続で出してしまいました。
頭で考えていることと実際の行動は、時に食い違ってしまいます。

■久しぶりに飯沼勇一さん(2006年8月22日)
東京コピーライターズクラブの会員でもある飯沼さんが、日経BP社の菅原雅信さんと一緒に訪ねてきてくれました。
飯沼さんはコムケアの応援団の一人でもあります。
菅原さんは最近廃刊になってしまいましたが、日経マスターズの編集長だったそうです。
団塊世代がこれから地域に戻ってきますが、それを意識して発刊した日経マスターズは、
広告がなかなか取れなかったこともあってが廃刊になってしまったようです。

その話から、男性高齢者はお金を使わないという話になりました。
確かにそうです。
男性は稼ぎ、女性は使う、という役割分担は産業社会の基本構図なのかもしれません。
つまり労働者としての男性と消費者としての女性で、産業社会は完成するわけです。
最近その構図はややおかしくなりかけていますが、
長いことそうした社会で育ってきたシニア男性はお金を使うことに極めて臆病なようです。
たとえば、講演会などへの関心は高いそうですが、
無料だと集まるが、1000円でも会費を取るようにすると参加者は激減するのだそうです。
そういえば、観光地に行くと女性たちはどんどん買い物をしますが、男性はほとんど買いませんね。
にもかかわらず団塊シニアを対象としたビジネスチャンスは膨大だと私は思っています。
しかし、それを市場化すべきかどうかは、迷うところです。

■新しいCSRを考えるプロジェクト(2006年8月22日)
インキュベーション型コムケアフォーラムに向けて、新しいCSRを考えるプロジェクトが発足しました。
そのキックオフに私も少し関わりましたが、中心は北岡さんと大矢野さんです。
私はこの分野をむしろドメインにしたくらいの感じなのですが、今回は基本設計と方向付けだけに関わることにしました。
当分はあまり深くコミットする活動を絞り込もうと考えているのです。

大きなテーマは新しいCSRレポートの開発です。
私はいまの企業のIR発想のCSRレポートにはほとんど意義を見出せずにいます。
その内容において、あるいは創り方において、表現形式において、さらには活かし方において、新しいスタイルが必要です。
インキュベーションハウスもしくはCWSのビジネスにしたいと思っていましたが、
なかなか時間も取れないので、このプロジェクトに期待することにしました。

もうひとつは、CSRの新しいガイドライン作りです。
これに関しては10年以上前に、
ダイヤモンド社のハーバードビジネスレビューの支援を受けて、研究会を発足させ、成果も発表しましたが、
中途半端だったため発展させられませんでした。
今度はそれをオープンソースで取り組んだらどうかと思っていますが、その話をしたら、大矢野さんが興味を持ち、引き受けてくれました。
いまのCSRガイドラインや企業評価基準はまだまだ従来発想です。
思い切り新しいものに挑戦してほしいと思います。

■インキュベーション型CCフォーラム企画委員会(2006年8月22日)
下山さんが中心になって進めてくれている、インキュベーション型コムケアフォーラムの日時と場所と大きなスタイルが決まりました。
まもなくコムケアのホームページに発表されると思いますが、
何しろ企画運営委員会のメンバーが若者たち中心ですので、楽しいものになるでしょう。
下山さんは高年齢世代の多いコムケアイベントに出ているので、
コムケアに若い人をもっと巻き込みたいと考えているのです。
今回は新たに大多賀さんとその友人の石川さんが参加してくれました。
フォーラムの名前も決まりました。

問題はそこで発表するプロジェクトの質です。
コムケアネットワークを活用して、こんなことをしたいという構想をお持ちの方がいたら、ぜひ参加してください。発表枠はまだあります。
今日は途中で急用での呼び出しがあり、最後は下山さんたちに一任しましたので、きっといい内容になっていると思います。

■栗原貞子さんのメッセージ(2006年8月23日)
広島の折口さんが「栗原貞子を語る 一度目はゆるされても」というブックレットを送ってきてくれました。
「広島に文学館を!市民の会」が制作したブックレットの第1号です。

栗原貞子さんは、爆心地の4キロ北の自宅で被爆しました。
被爆詩人として世界的に有名な方ですが、私はお名前しか知りませんでした。
この本で初めて栗原貞子さんのことを詳しく知りました。作品もいくつか読ませてもらいました。

しかし、代表作といわれる「生ましめんかな」を読んだときには、少しの間、思考停止してしまいました。
そしてドッと涙が出てきました。
なんとすさまじい情景でしょうか。
生きるとは本来すさまじいことなのでしょうか。
この詩を紹介しているブログを見つけましたが、そのブログの思い出の記事にも衝撃を受けました。
被爆の恐ろしさなど、やはり私には想像の果てのことなのだと思いました。
皆さんにもぜひ読んでほしいと思います。

栗原貞子さんの詩によく出てくる言葉は、「青空」「川」「鳥」だそうです。
私が大好きなのも青空なのですが、青空に関する詩の一部を2つ、引用させてもらいます。
1987年に創られた「廃墟の上の青い空を」の歌い出しです。

 いちめんの黒焦げの廃墟は
 いく万の死者を埋没していたが、
 それでも青い空がかかっていた。


しかし、その最後の文章は恐ろしいです。

 青い空はもうどこにも見られなくなった。

間が抜けていますが、それはぜひ詩文を、あるいはこの小冊子を読んでください。
青空を壊したのは、いうまでもなく私たちです。

この本に関する紹介はブックのコーナーを見てください。

■時田芳文と12人の仲間の物語(2006年8月24日)
熊谷で時田工務店を経営している時田さんとの出会いは20年近く前にさかのぼります。
日本を美しくする会を立ち上げようと10人くらいで集まった時のメンバーです。
その会は途中で終わってしまいました。
ちなみに、イエローハッとの鍵山さんたちの同名の会とは関係がありません。

ずっとお会いしていなかったのですが、一度、コムケアの選考会の時に交流会に来てくれました
そして交流が復活したのですが、先日、時田さんから「大原プロジェクト構想」が送られてきたのです。

熊谷に、12戸の独立戸建型集合住宅という新しい形のコミュニティーを創造しようというのです。
入居してくれた人たちが地域の一員になっていくためのインターフェイサーの役割を時田さんが
果たします。
その12戸のコミュニティが、もっと広いコミュニティに向けてブリッジングしていくことを通して、柔らかなボンディングを高めようという構想です。
そこでのライフスタイルはロハスを意識しており、また時間が立つほどに価値を増すロングバリューな建築を目指しています。
本格的なサステイナブル・コミュニティです。

建築家でもある時田さんは、
建設を終え引き渡した時がその建物の歴史の始まり、それは同時に地域の風景を育て、未来に価値を創造している
と考えています。もしその自覚があれば、偽装手抜きの発想は起るはずもないというのです。

いろいろと意見交換させてもらいました。
実に刺激的な2時間でしたが、その内容を書き出したら1冊の本になるくらいの密度でした。
仲間では盛んに議論を重ね、すでに基本設計も出来つつあるようですが、いま、外部の人たちとの意見交換を始めたところだといいます。
こうした議論もドキュメントしながら、この物語が進行したら面白いでしょうね。
最近、グーグルの本を読んでから、オープンソースに改めて関心を持っています。
東レのCIでの基本認識が証明されてきているようで、実にうれしいのです。

時田さんは、高い志を共有する12の素敵な出会いを得て、ここの新しい歴史の源を創造したいのです。
時田芳文と12人の仲間。どなたか参加しませんか。
オーシャンズ11と違い、胸を張って公表できるプロジェクトですので。

■楽しいビジネスランチ(2006年8月24日)
ブライダルの世界で、次々にヒットを出しているデザイナーがいます。
ビレッジハウスの山本秀太郎さんです。
商業主義に背を向けていることもあって、あまり有名ではありませんが、
山本さんの作品はいつも斬新で、物語があり、楽しいです。
しかし、建築の世界は施主あっての仕事ですから、なかなか山本さんとしては十分に納得できる仕事にはなっていないかもしれません。
なにしろ山本さんの夢は高いのです。
これまでの主な作品はビレッジハウスのホームページをご覧ください。

今日は山本夫妻ともう2人の人が湯島にやってきました。
みんなプロフェッショナルな人たちです。
みんなで楽しいビジネスランチをしました。
本当は仕事の関係できたのですが、山本夫妻と会うと、どうも仕事以外の緊張感のない話になってしまうのです。
とても楽しいご夫妻なのです。

ところで、みなさんの中に、ブライダル産業やホテルに関わっている人はいませんか。
そしてもし最近どうもうまく言っていないという方がいたら、山本さんにご相談ください。
ビジネス感覚は全くなく、時に誤解を与えてしまう人ですが、その構想力と発想力は素晴らしいです。
山本さんに相談に乗ってもらうと業績回復は間違いなしです。たぶん。

いつでもご紹介します。

■我孫子市防災訓練説明会パート2(2006年8月24日)
前回に続いて具体的な細かな説明会がありました。
今回はとてもわかりやすく、最初からこういう話し方をしてくれればみんなもっと共創意識を高めていけたのにと思いました。
行政と住民とのコミュニケーションはちょっとした工夫で、全く違ってくるものだと改めて認識しました。

もう一つ感じたのは、訓練そのものも大事ですが、訓練に向けてのこうした話の場の重要さです。
こういう場が定期的にあるだけでも状況は変わってくるでしょう。
行政任せのまちづくりや生活保障の時代が長すぎました。
それを変えていくのには時間がかかりそうです。
住民側も意識を大きく変えていくべき時代になってきました。

■根本賢二さんの誠実な人生(2006年8月25日)
根本さんのことは以前も書きましたが、私が知っている中で最も誠実な人間の一人です。
市原市に住んでいますが、いろいろなことが重なって人生においてかなり苦戦しています。
根本さんのように誠実に生きている人がもし幸せになれないような社会であれば、
そこに住む同世代人にとっても決して好ましい社会ではありません。
根本さんの幸せは、社会の幸せにつながっているのです。

しばらくお会いしていませんでしたが、久しぶりに訪ねてきてくれました。
おそらく東京まで出てくることは根本さんにとってはかなりの勇気が必要だったはずです。少し心配していました。
しかし、根本さんの顔を見たとたんに安堵しました。
元気そうだったからです。パワーも感じました。
実は、やや個人的記事だったので削除しましたが、 先週、「元気そうだから大丈夫」という項目を書きました。
ある医師から言われた言葉ですが、それでとても元気付けられました。
それと同じことを今日、感じたのです。

根本さんはたくましそうで、元気そうでした。
以前のような弱々しさが消えています。
こんなにうれしいことはありません。
久しぶりだったので3時間半も話しましたが、アッという間の3時間半でした。

根本さんはいま失業中です。
体調の関係もあって、なかなか仕事が見つからないのです。
経理関係のお仕事を長年してきましたから、その分野は得意ですし、パソコンも大好きです。
誠実ですから経理関係の仕事があれば理想なのですが、まだ体調の関係で無理ができないのです。
仕事先が見つかるといいのですが。
もし市原界隈で良い仕事があれば、ぜひ紹介してください。

大企業の社員は別ですが、個人で生きている50代半ばの人にとっては、体調を崩してしまうとなかなか仕事が見つからないのです。
みんな決して高給を求めているのではなく、月10万円でもいいのですが、それが難しいのが今の日本の格差社会です。
社会の実相はマスコミやテレビからは見えてきません。
本当に「冷たい社会」が広がっています。
いくら貧しくても、温かさがあれば仲たがいは生まれませんが、冷たい社会では、助け合いは育ちにくいのです。
宮沢賢治のイーハトーブを思い出します。

社会の矛盾を誰かにしわ寄せしてしまう状況をどうやって克服できるか、
そうした配慮こそこれからの社会の大きな課題ではないかと思います。

■座談会型オープンサロン(2006年8月25日)
参加者は武田文彦さん柴崎明さんの2人でした。
お2人のことを知っている人にはすぐサロンの状況がイメージできるでしょうが、
まさにその通りで、政治や社会のあり方に関するじっくりした座談会になりました。
その夜のうちに、武田さんから、
佐藤さんは参加者が2人で落ち着かなかったと思いますが、ゆっくり話が出来たので たのしかったです。
とメールが入っていました。
そうなのです。実にゆっくり議論が出来ました。
それに、武田さんの柴崎さんも、最近はとてもまるくなってきた感じがあって、今日はとてもかみ合っていました。
ちょっと浮いていたのが、むしろ私かもしれません。

今回は私が写真を撮りました。
2人の革命家と私の女房です。



ところで、武田さんから、このホームページの武田国家論コーナーのリード部分の私の紹介文が否定的過ぎると怒られました。
それで今回少し変えましたが、武田国家論もお読みいただけるとうれしいです。
反論してくださるともっとうれしいです。はい。


■さまざまな人からのエール
(2006年8月26日)
最近、どこかで大きな元気を失いつつありました。
未来への展望が消えかかっていたのです。
私にはとても住みにくい時代の到来が強く予感されるからです。
みんなから余裕が失われてきているのがとてもさびしいです。
私はすべての人を信頼するところから始めますが、
その結果がちょっと悲しいことになることも少なくありません。
人間嫌いにならないかと不安です。
NPOもますます嫌いになっています。

と、こう書いてくると何だかやけに暗い感じがしますが、
実際に最近は暗かったのです。
このホームページにも、そうした気分がでているのでしょうか。
最近、いろいろな人からエールメールが来ます。
山口県の東孝次さんは、私が企業から離脱した時から私を支援してくれている人ですが、
いまご自身も体調を崩されリハビリに取り組んでいます。
その東さんからいつもエールを送られていますが、今週もメールをもらいました。
昨日会った根本さんからもメールが来ていました。
ケアの本質を改めて実感させられます。

福岡の蔵田正章さんは相変わらず元気です。
いま地元で行政といろいろとやりあっているようですが、私にもメールでハッパをかけてきてくれました。
大分の向野さんは石橋関係でがんばっていると報告してきてくれました。
早く見に来いと誘っているのです。
新潟の金田英一さんも電話をくれました。
そういえば、滋賀の福岡勝代さんも読んでくれているようですね。
女房から聞きました。

人を元気にするのは、青空だけではありません。
このサイトを通して、多くの人とつながっていることが時々実感できます。
自らを見せることが元気を呼び込むポイントかもしれません。
そんなこともあって、今週は目一杯書き込んでしまいました。

■共済研究会に参加させてもらいました(2006年8月26日)
今日はいくつかの会が重なってしまいましたが、前から予定していた共済研究会に初参加させてもらいました。
佐々木憲文さんたちがやっている研究会です。
共済制度に関しては以前書いたように「とんでもないこと」が起こっているのです
金融庁による法改正です。
せっかく育ち始めてきた「新しい支えあい・助けあいの仕組み」を壊そうというのです。

不正確に書くといけないのですが、
要するに健全に育ちつつある生活者仲間の共済の仕組みを国家統制の傘下に入れ、
保険制度化してしまおうという新保険法が施行されたのです。
利用者の都合も考えずに、アメリカ資本主義の体制に組み込んでしまおうという話です。
せっかくの「結い」の仕組み、コモンズの仕組みを「民営化」することで、
利用者のためではなく誰かの利益のための制度にしてしまおうという、
小泉政権の一貫した方針がここでも進められているのです。
しかも、その法律の立案者も承認者も、共済の実態をほとんど理解していないのです。

詳しく書き出すときりがないのと、私の整理はかなり不正確になるでしょうから、差し控えますが、
この共済の仕組みこわしは、日本の社会をますます壊す悪法です。
しかし、その意味はほとんど誰も知りません。
恐ろしい話です。

私も今日、ここに来て真実味を初めて実感しましたが、これは社会の方向を大きく変える恐ろしい話です。
大げさに聞こえるかもしれませんが、管理化社会への大きな一歩になるでしょう。
日本の21世紀は真心の時代ではなく、まだまだ管理の時代へとひた走りしています。
今日、聞いた情報をできるだけ多くの人に伝えたいものですが、果たして理解してもらえるかどうか不安があります。
本当にむなしくなりますね。

どう恐ろしいのか、
たとえば、PTAの安全互助会や障害者たちの互助会の活動が継続できなくなるのです。
保険会社の保険に入れというわけです。
経団連や金融庁が考えそうな発想ですが、それがどれほど理不尽なことか彼らは気づいていないでしょう。
PTAの安全互助会に関しては、当初は適用除外にされていましたが、施行直前になって方針が転換したそうです。
その直前に、アメリカからプレッシャーがかかっていますが、
ある人が金融庁に異議申し立てしたら、アメリカからも言われていますし、という回答があったという話もあります。
郵政民営化と同じです。

なにしろコモンズの世界は「育つ世界」であって、「育てる世界」ではないですから。
しかも、全体像は当事者にも見えないほど多様で変化しているのが特徴です。

しかし、これほどの理不尽が行われて良いものでしょうか。
書いているうちにまた腹が立ってきて、支離滅裂になっていますが、
研究会の最後に動きを報告してくれた全国保険医団体連合会(保団連)事務局の岩川修さんの怒りが私にも移ってしまったようです。
また整理して、きちんと報告したいと思いますが、私のビジョンとは全く違う方向に日本は動いているようです。
それでもなお、コムケアやまちづくりに関わるべきかどうか。
せっかく、昨日は元気になってきたと書いたのですが、また奈落の底に落とされた気分です。
今の為政者は犯罪者としか思えません。歴史が裁いてくれるでしょうか。

■インキュベーションハウスが新創業です(2006年8月26日)
インキュベーションハウス総寄り合いがありました。
新潟の佐藤裕さんアソシエイツの田辺大さんが参加してくれました。

インキュベーションハウスの現実は厳しいです。
このままいくと財政的に秋には破綻する可能性もあります。
いまスタッフとしてフルコミットしている菅野さんが危機感を強めています。
にもかかわらず、社長も含めてみんな危機感が乏しいのです。
やる気がないのだったら、解散も考えたらどうかと菅野さんが問題提起してくれました。
しかし、破綻の危機はソーシャル・ベンチャーにとってはチャンスでもあるのです。

横から見ていてくれる田辺さんはインキュベーションハウスを高く評価してくれています。
それをモデルに実際に素晴らしいプロジェクトも成功させています。
その気になればいくらでも可能性は開けてくるのが、現代の特徴です。

問題は「その気」です。
インキュベーションハウスは単なるビジネス拠点ではなく、一種のセイフネットとして構想されています。
しかもコンヴィヴィアルな、相互支援的な、いいかえれば「共済」的なライフネットを目指しています。
メンバーがそれぞれにその気にならなければいけないのです。
誰かに期待するのではなく、自分に期待することが出発点です。
そういう実験的プラットフォームなのです。

しかし、実際にオープンプラットフォームをそれぞれが活用しだすことは至難なことですから、ともすれば私もちょっかいを出したくなります。
しかしそれではこれまでの組織と同じです。そこを越えたいというのが、私の思いですが、その考えに無理があるのかもしれません。
今回の寄り合いで、改めてこのセイフネットの価値が認められ、しかしもっとアクティブな展開をしていこうということになりました。
創設後、あまり動けずにいたインキュベーションハウスが今度こそ動き出します。
いや動き出すかもしれません。
パートナーやアソシエイツを改めて募集しだします。
このサイトでも募集しますが、まもなくインキュベーションハウスのサイトもスタートします。

この5年で、私もたくさんのことを学びました。
新たなインキュベーションハウスにぜひご期待ください。

(2006年8月第5週)
空がますますきれいになってきました。
今週はツクツクホーシの声をはじめて聞きました。

■第1回手賀沼トライアスロン
(2006年8月27日)
かつては日本で一番汚染された沼といわれていた手賀沼も最近はかなりきれいになってきました。
そこで、「よみがえれ手賀沼」を目指して、今年から手賀沼トライアスロン大会が開催されることになりました。
そこに女房の主治医の伊藤先生が出場するというので、家族で応援に行きました。
幸いに好天に恵まれ、会場は朝早くから盛り上がっていました。

スタートは8時です。
伊藤さんは、実は来月の佐渡の大会を目指しているので、 今回は最後まで出場を迷っていたようですが、
先日、外来でお会いした時に女房の元気のために出場を決断してくれたのです。
こういう治療方法もあるわけです。

幸いにスタート前の伊藤先生に会えました。
参加者279人の中で、エントリーナンバーは259番です。ぎりぎりの時点での申し込みです。
最初は手賀沼を泳ぎ、次は湖畔の散歩道をバイクとランでこなすのです。
聞いてはいましたが、過酷なレースです。

伊藤さんは楽しそうに参加され、見事に完走されました。
終了後、お話したらとても元気で、あまり疲れを感じさせませんでした。
後でお聞きしたら、佐渡のトライアスロンは、今回の5倍の距離なのだそうです。
伊藤さんのおかげで、私も女房も初めてトライアスロンを観戦させてもらいました。
ゆっくりとした時間を、喧騒の中ですごさせてもらいました。

会場で久しぶりに我孫子市の渡辺助役に会いました。
最近、市役所との関係が切れているのですが、一度、渡辺さんを訪ねてみようかと思います。
最初に私の湯島のオフィスに来てくださった一人ですので。

■高須ファミリーの来訪(2006年8月27日)
久しぶりに高須家族がやってきました。
夏休みで帰省していたのです。
いかにも私的なので書くのはやめますが、高須さんとの付き合いの始まりもドラマがあります。
人の縁やつながりは、実に面白いです。付き合いの時間の長さではありません。

高須さんは農業に関心を持っており、きっといつかは食の分野で何かを始めるだろうなと思っていたら、
もうすでにいろいろと手がけだしているようです。
今日はその構想を少しだけ聞かせてもらいました。展開が楽しみです。

今日は子どもたちも一緒でした。
小学2年生と1歳半の2人です。
子どもの活動量の凄さには圧倒されました。それに子どもの素直な観察力にも驚きました。
トライアスロンも過酷なレースですが、子育ても過酷なレースですね。
この大変さをすべて女房に任せていたのかと思うと大いに反省させられました。
女房に改めて感謝しなければいけません。
若干、育て方が悪く、娘たちの私への敬意の念がないのがいささか不満ではありますが。はい。

■玉井さんは福岡市長選を見合わせました(2006年8月28日)
以前お知らせした玉井雄大さんの福岡市長選立候補の件ですが、
その後の事態の進捗の中で、今回は立候補を見合わせることにすることになりました。
どうも現職対立候補が増えそうで、結果的に現職有利になりそうな状況のようです。
ここに現状変革のジレンマがあります。

福岡市のように大きな都市の場合、対立候補として行動を起こそうという人は複数出てきてもおかしくないですが、
その調整も難しいでしょうから、どうしても現職有利になりがちなのです。
それを打破するためには、小異を捨てて大同に付き、自分を捨てて変化を起こすことも大切です。

平和への結集をめざす市民の風というネットワーク組織で、
来年の参議院選挙に向けて、いま、党派を超えた平和共同候補一本化への活動を展開しています。

野党はどうしても複数たつために票が分散してしまいます。
この際、小異を捨てて、政党を超えて、ともかく憲法を守っていこうという運動です。
そんなことは夢物語という人もいますが、実際に沖縄ではそれが実現し、平和候補が当選したのです。
糸数慶子さんです

この実績が、平和共同候補一本化への動きを元気付けました。
この活動はこのコーナーではあまり紹介していませんが、メーリングリストも各地での集まりも盛り上がっています。
しかし大同団結することの難しさも、やはり出てきています。
今週もいろいろ事件があり、いささか嫌気がさしたりもしていますが、
いまはそんなことにめげている時期ではないと自分を納得させながら、かかわりを深めようとしています。
これから少しきちんと書き込むことにします。

話がそれてしまいましたが、そんなわけで、玉井さんは市長選立候補は見合わせることになりました。
しかし、福岡市での活動は予定通り展開していくそうです。
玉井さんの思いは、「“ここちよい時間”の流れる福岡づくり」です。
どんな活動が展開されだすか楽しみです。

ちなみに、玉井さんからのメールと同じ日に、今度は筑紫野市の市長選に立候補するという人の知らせが入りました。
地方政治は盛り上がっています。
そういえば、加藤木さんは着実に準備を進めているようです
ホームページをぜひ見てやってください
そして応援もお願いします。

■佐久間庸和さんと久しぶりに会いました(2006年8月29日)
著書などを読んでいるうちに、急に会いたくなったのが佐久間さんです。
佐久間さんは一条真也さんの本名です
佐久間さんは北九州市在住ですので、すぐには会えなかったのですが、ようやく、今日、会えました。
メールやお互いのホームページなどで、それぞれの活動振りはある程度知っていますので、会った途端にすんなりと話に入れます。
これがネット社会の凄さかもしれません。

佐久間さんは元気そうで、会うたびに深みを増してきます。
現役の社長として、しかも様々な活動もしながら今年だけで5冊の本を出版するという超人ですが、
全くといって良いほど、疲れも大変さも感じさせない、溌剌さを感じました。
こういう人もいるのです。

会う度に新しいテーマが出てきますが、今回も様々な刺激をもらいました。
著作「孔子とドラッカー」の関係で、北陸大学をはじめとした孔子学院で講義もしているそうです。
ちなみに、中国が推進している「孔子学院」構想には感心しました。
中国の凄さを改めて感じました。

次の著作の話も聞きましたが、これまた魅力的です。
佐久間さんの発想の広がりは留まるところを知りません。
しかし、きちんとした核心が感じられるので、安心できます。

事業の展開構想もお聞きしました、魅力的です。日本の文化と事業価値とを総合的に考えての構想です。
両者は決して矛盾せずに、つながっています。
事業は文化に裏付けられない事業は、虚業です。
事業価値(社会性)と長期的な収益性(事業性)は比例関係にあると私は考えていますが、
佐久間さんはそれを実践しています。
世の中の経営者にも見習ってもらいたいものです。
文化や社会を壊す事業で、利益を上げても、それは利益の収奪であって創造ではないのです。
経営者の仕事とはいえません。

佐久間さんは、超高齢化社会を迎えるに当たり、
人々が「老いる覚悟」と「死ぬ覚悟」を持つことが必要であると主張してきていますが、
それに関連して、「解器(ホドキ)ワーク」の話を聞きました。
近藤高弘さん(陶芸家)鎌田東二さん(神道ソングライター)たちと取り組んでいる、自分用の骨壷作りの活動です。
詳しくは佐久間さんのサイトのムーンサルトレター第7信をご覧ください。

それに関連して私からは寿衣を縫う会の紹介をしました。
これもまさに偶然なのですが、佐久間さんに紹介した直後、
寿衣を縫う会の嶋本さんからこの秋からまた活動をパワーアップするというメールが届きました。
ホームページアドレスも代わり、今度はブログも始まるようです。

「老いる覚悟」はともかく、「死ぬ覚悟」はそう簡単な話ではありません。
死ぬことは自らの問題というよりも「つながり」の問題であり、しかもそれが非連続だからです。
歳とともに、そうした意識が強くなってきました。
恥ずかしながら、私にはまだ覚悟が定まっていません。
自らの死に対してはそう頓着はしていないのですが。

佐久間さん(一条真也さん)の最近の著作です。
どれも才気あふれる好著です。
「ハートフル・ソサエティ」
「孔子とドラッカー ハートフル・マネジメント」

「知の巨人ドラッカーに学ぶ21世紀型企業経営」
「ユダヤ教 vs キリスト教 vs イスラム教 宗教衝突の深層」
●「老福論」
●「結魂論」

■國際箸學會の小宮山さんと三浦さん(2006年8月29日)
今日は朝から社長に会い続けています。
午前中は仕事の関係で某社の社長と激論を交わしていました。
ビジネス関係なのであまりかけませんが、この人の異才さは驚異的です。
人間観察として大変興味がありますが、ビジネスのほうは苦戦を重ねています。
私の対応力不足のためですが。
午後は北九州市のサンレーの社長佐久間さんと刺激的な会話をしました。

そして3番目は、これまた個性的な社長。小宮山栄さんです。
ミラーで世界を制覇したコミーの名物社長です。
國際箸學會は前にも書きましたが、今日は、その仲間である三浦さんと一緒です。

この活動をどう展開するか、また推進体制をどうするかで、いろいろと議論があったようですが、
お聞きしたところ、無理をせずになかなかいい方向で動いているようです。
ただ「面白さ」や「物語性」が少し弱いような気がしたので、その点を指摘させてもらいました。
活動は既に始まっていますので、サイトをぜひご覧下さい。

11月23日に、正式にスタートします。
またこのホームページでも案内しますので、関心のある方はご参加ください。
箸はすべての人にとって縁の深いものであり、語れるテーマだと思います。

■雑草はたいていは食べられるそうです(2006年8月30日)
国東半島ですてきな百姓生活をしている竹沢孝子さんからメールが来ました。
竹沢さんはこのホームページを読んでくれているのです。
先週の「雑草の生命力と野菜の成長力」へのアドバイスです。

雑草は、食べられるものもあります。というか、大半は食べられるのだと思います。
時には下痢をしたりするもの、トイレで形のまま出てきたりするものもありますが、
「私は食べられるよ」という顔をしているものは、たいてい食べられます。

「私は食べられるよ」という顔って、どんな顔でしょうか。
まさに百姓の言葉ですね。竹沢さんは雑草とも話しているのです。でもなんとなくわかりますね。

しかし、国東半島では安心でしょうが、都会は雑草でも顔だけでは心配です。
食べられるよという「甘い顔」に騙されてはいけない、などと不信感を強めてしまうのが都会人の悪いところです。
だからこそ都会では雑草が増えるのでしょうか。
なんだか訳のわからない話になってきました。疲れていますね。すみません。

竹沢さんからも、疲れているようだから大分に来ませんかとお誘いを受けました。
前回、竹沢さんに案内してもらった文殊仙寺の近くの神宮寺に、
いつのころかの火災で焼け、木造の芯の部分だけが残った「焼けほとけ」があるのだそうです。
それが素晴らしいので会いに来ませんかというのです。

みなさんからのお誘いに感謝しなければいけません。

■患者と医師間のコミュニケーション(2006年8月30日)
手賀沼トライアスロンに参加した伊藤先生と、今日は病院でお会いしました。
伊藤先生は女房の主治医なのです。
手賀沼で会うのと病院で会うのとはやはりだいぶ違うはずですが、それがそうでもないのです。
医師と患者の関係は微妙ですが、やはり病院外で会うことの大切さを実感します。
両者のコミュニケーションは間違いなくよくなります。

国立がんセンター東病院ではいま、
「患者と医師間のコミュニケーションに関する研究」に取り組んでいるので協力してほしいと伊藤先生に頼まれました。
すべての患者に頼んでいるのだそうです。
要は伊藤先生を「評価」するわけです。
女房は引き受けて、帰ってきてからアンケート用紙に記入していました。

3年間、女房の関係で医師とのコミュニケーションの現場にかなり居合わせています。
この研究に私もとても興味があります。
まとまって発表されるのを期待して待とうと思います。
患者と医師とのコミュニケーションは、治癒に大きく影響しているはずです。

■国家論の不在(2006年8月31日)
リンカーンクラブの代表の武田文彦さんから電話がありました。
武田さんは、最近の日本には国家論を語る人がいないことを以前から憂いていました。
武田さんによれば、中曽根康弘が国家論を語った最後の首相だというのです。
確かにその後の首相には国家のビジョンを語った人はいません。
政治家以外でも国家論はないのではないかといいます。
断片的な議論はあっても、国家をきちんと語った本はないのかもしれません。

しかし、国家論とは何なのでしょうか。
このホームページで武田さんは「理想国家論」を掲載しています
そこで語られているようなものであれば、多くの人が語っています。

しかし、武田さんの言う国家論はそうではないのです。
武田さんにはまだ出版されていない、大著の国家論があるのです。
理想国家論は、そのバックボーンがあればこその展開なのです。
残念ながらその本の出版を引き受ける出版社がまだあらわれないので、
幻の書としかいいようがありませんが、
国家論というだけで、出版社は引いてしまうようで、
もうしばらくは幻の書であり続けるでしょう。

私は国家はもはや役割を終えて、国家を超えた新しい組織原理が動き出したと思っていますが、
仮にそうであっても、実はそれもまた国家論として語るべきでしょう。
もしそうであれば、国家論を語る場があってもいいですね。
武田さんに、またリンカーンクラブの年次大会を再開したらどうかと話したら、
どうも検討されているようです。
あいにく今年の11月19日はコムケアのフォーラムなので、
日程を変えてもらわないと参加できませんが、再開は楽しみです。

■今日は我孫子総合防災訓練でした(2006年9月2日)
今日は我孫子市の総合防災訓練でした。
朝、8時に地震発生の想定です。
まずは近辺を確認して、市役所の災害本部に連絡です。
やはりなかなか電話は通じません。
訓練でもそうですから、実際の場合は、電話はまずだめだと考えたほうがよさそうです。
幸いにして電話が通じて、状況を報告できました。

次は集団避難訓練です。
事前に避難訓練に参加する人を自治会で呼びかけたのですが、結局、10人強しか参加希望者はいませんでした。
電話で各班長にも確認をしましたが、班長の参加もなんと3人でした。
まあ、こんなものかもしれません。
私も会長でなければ、参加しなかったかもしれません。人間は本当に身勝手なものです。

近隣で集まれる人には一か所に集まってもらい、7人で集団で避難場所に向かいました。
想定された避難場所までは20分くらいで、しかも坂が多いので結構大変です。
無事会場に着きましたが、今年から小学生たちが学校単位で参加することになったので、子どもたちで校庭は賑やかでした。
久しぶりに子どもたちの賑やかさの中で、元気をもらいました。

市民参加は1000人を目標にしていたのですが、半分もいなかったでしょうか。
市民の関心を呼ぶのはなかなか難しいようです。
しかし、参加してみると、結構楽しいものです。
もっとお祭り的な要素を入れた、楽しいイベントにするといいかもしれません。


避難場所ではさまざまなプログラムが用意されていましたが、人気があったのが、心肺蘇生法でした。
高齢社会のせいか、みんな熱心でした。
女房は一度受けたいといっていたのですが、熱心に聴いていました。
これで私がいつ倒れても大丈夫かもしれません。

そこでAED(自動体外式除細動器)を知りました。
電気ショックが必要な心臓の状態を判断し、
必要があれば自動的に心臓電気ショックを与えて、心臓蘇生を働きかける機器です。
日本国内での心臓突然死は年間約5万人と言われていますが、
発作後、できるだけ早くAEDを使用すれば蘇生の確率は高まります。
そのため、最近は公共施設などに設置されだしているのだそうです。
家庭用にもリースなどが増えているそうです。
まだちょっと高価ですが、こうした情報はもっとみんなが知っておく必要があります。

他にも三角巾講習やロープワークなどいろいろとありました。
模型の家屋に火をつけて、子どもたちが消火に当たるというプログラムもありましたが、これはちょっと心配もありました。
子どもたちに変な好奇心を植え付けないかという心配です。
杞憂ですが、最近の時代状況では必ずしも杞憂と言い切れないところが恐ろしいです。

地震発生から3時間半、結構楽しい訓練でした。

会場で久しぶりに市役所の市民活動支援課の青木課長に会いました。
この事業も、青木さんのところの管轄だったのです。
青木さんとは市長との議論決裂以来、お会いしていませんでしたが、また一度伺ってみようかとも思います。
今週は予期せぬところで、助役と青木課長のお2人に声をかけられたのは、単なる偶然ではないでしょうから。
物事には必ず何らかの意味があるはずです。

(2006年9月第1週)
皇室に男児出生でマスコミはいろいろ騒いでいますが、マスコミの本質が垣間見えてくるような気がします。
編集されたニュースで現実が変わっていく情報社会の本質も見えてきます。

■駒ケ岳千畳敷カール(2006年9月4日)
週末から長野に来ていました。駒ヶ根の早太郎温泉です。
今回はモバイルも持たずに行きました。
つながらないと思ったのですが、インターネットが各部屋で使えるようになっていました。
だんだんそうなっていくのでしょうね。
モバイルも持参しなかったので、この記事は書かない予定でしたが、
週末の旅行のことはホームページで読ませてもらいますと読者の一人がメールをくれたので、さわりだけ書くことにしました。

実は、今日も用事があると言って、ある集まりを延期してもらったのですが、
その理由が「旅行」ではちょっと気が引けるので、それも書きたくない理由でした。
ホームページで自分の活動を公開すると隠し事ができません。
まあ、書かなければいいのですが、習慣化されるとついつい書いてしまうものなのです。
アップする時に削除することもあるのですが、書いた文章は愛着が生まれ、削除したくないという気になります。
そのためつまらない記事が増えてしまうわけです。すみません。

今回はいろいろハプニングのある旅行でしたが、一番の目標の千畳敷カールは最高の好天に恵まれました。
まだ紅葉シーズンには1ヶ月早いので、渋滞もなくスムーズだったこともあり、シーズンオフにも関わらず満足度の高い旅になりました。
何しろ富士山まで見えたのです。写真を載せます。
画質は悪いですが、こんなに空が美しい写真はそうはないでしょう。
富士山の写真も載せます。高尾山のときよりは小さいですが。

景色も壮大なパノラマでしたが、私が一番感激したのは、やはり「青い空」です。
以前、エジプトに行ったときに見た空と同じ青さだと女房も喜んでいましたが、空の青さほど心和ませるものはないと私は思っています。
青空に自らをさらけ出すだけで、とても幸せな気持ちになります。

私たちは山には登れませんので、千畳敷カールを1周するにとどめましたが、眼下に雲が流れる風景は心を大きくさせてくれます。
ところがその後、事件が起こりました。
前に追いつこうと岩道を走って登りだしたのですが、岩につまずいて転んでしまいました。
でこぼこの岩だらけの場所だったので、とても危険で、打ちどころが悪ければ大変だったでしょう。
幸いにおおごとにはなりませんでしたが、以来、呼吸をすると胸が痛いのです。
もしかしたら、少しはおおごとだったのかもしれません。
痛みが3日後に治らなかったら病院に行こうと思います。
女房からはしっかりと怒られました。私の不注意さは家族からは極めて評判が悪いのです。
何しろ私の信条は、Take it easy なのです、困ったものです。

その後、横谷峡で時間がないのに一人で滝を見に急坂を走りおりましたが、
時間がなくなったので、帰りは近道らしい道を戻ることにしました。
しかし、その道では誰にも会わないので、途中で不安になりました。
しかし、諦めずに進んでいたら無事戻れました。
世界は循環構造になっています。
信じて前に進むと必ず目的地には着くものだと改めて、Take it easyの生き方に自信を持ちました。
迷ったら前に進む。
人生も残り少なくなると、こういう生き方になるのです。

■どんぐりの広場(2006年9月5日)
先週ご紹介した大分県国見町の竹沢孝子さんの近くに、
竹沢さんたちと同じ頃、やはり転居してきた高橋さんという方がいるそうです。
高橋さんは、自分たちと同じように、田舎暮らしを考えている人たちのために土地や家屋を斡旋する仕事をしているそうです。
高橋さんのホームページをぜひご覧ください。

その高橋さんが、60歳以上の人を対象に、
「伸びやかな土地で、釣りをしたり畑をしたり、ヤギを飼ったり機織りや陶芸に挑戦したり、
近所の寺や温泉に行ったりして、ゆっくりした人生を過ごそう」という人たちと一緒に、
「健康な高齢者に向けたグループホーム」をつくりたいと考えています。

場所は国東町富来浦。きれいな海の見えるなだらかな土地を2,413u、すでに確保されています。
目の前の生みでは夏には泳げますし、魚も釣れますし、サザエやアワビもとれるので、浜辺でのバーベキューも楽しめるそうです。
建物は木材に漆塗り、太陽光発電のエコハウスです。
入居は2007年11月。募集人数は22人。食費まで含めて月額125,000円の家賃だそうです。
詳しくは高橋さんのホームページをご覧ください。
高橋さんはいま、建設資金を確保するために入居者を募集中です。
竹沢さんは、その高橋さんを応援しているのだそうです。
そこで私は竹沢さんを応援することになったのです。

そういえば、先日も熊谷市の時田さんからも転居者探しのお話がありましたが、
いずれも基本は「仲間さがし」のプロジェクトです。
バブル絶頂の頃、「移住の時代から定住の時代へ」という小論を書いたことがあります。
地戦後一貫して増勢にあった県外移住者の数が確か1980年代の中ごろから減少に転じたという統計を見つけての論考でした。
この意味は極めて大きく、地域と生活の関係を考える面白い視点でした。
残念ながらその小論は日の目を見ず、論考を深めることなく終わりましたが、
20年してその頃の推論が現実化しているのが私にはとてもうれしいです。
その視点で社会を見ていくといろいろと見えてくることがあるからです。

国東半島は歴史と文化の豊かなところです。
微笑みと安らぎのある生涯の住処にしてみようという方はいませんか。
関心のある方はぜひ高橋さんにアクセスしてみてください。
私にでもいいです。

■遠隔地介護に関する2つの視点(2006年9月5日)
遠隔地介護をテーマに2つの活動のお引き合わせをしました。
パオッコ(太田さん、西村さん)とEIS(武石さん、米村さん)です。
武石さんのことは前に書きましたが、ともかくエネルギッシュな人です。
先日お会いした時に、遠隔地介護のプロジェクトに取り組む話をされていたので、
コムケア仲間のパオッコとお引き合わせすることにしました。
そこで初めて知ったのですが、見事に視点が違うのです。

武石さんの着目点と構想力に感心しました。
武石さんは地域のお年寄りからよく孫の話を聞くそうです。
離れたところに住んでいる子どもや孫の話をするときにおじいちゃん、おばあちゃんはまさに幸せそうで、
心底、子どもや孫のことを気にしているのが伝わってくるそうです。
こうしたお年寄りの気持ちが子どもや孫に届くといいなとずっと思っていたそうです。
そこからスタートしたのが武石構想です。

目からうろこですが、その思いを新しい事業モデルに仕上げた構想力にも感心します。
パオッコは親を介護する子どもの視点で考えています。
この2つの視点がどういうシナジーを創発していくか、とても楽しみです。
ちなみに武石さんに同行した米村さんとは初対面ですが、米村さんとのつながりもいくつか見つかりました。
みんなどこかでつながっているのです。

■団塊世代が事業型NPOを起業しだしたら(2006年9月6日)
大川新人さんがNPOの本を出版することになりました。
「団塊世代事業型NPO起業の勧め」です。
そこに座談会をいれることになり、イーエルダーの理事長の鈴木政孝さんと私と大川さんとで鼎談をすることになりました。

鈴木さんとは長い付き合いですが、最近はきちんと議論したことがありません。
久しぶりの議論です。
もっとも時間が限られていたのと原稿用にまとめなければいけないこともあって、かなり控え目の議論になりました。
私の考えはたぶん発想の枠組みが違うので議論しだしたら時間がかなりかかります。
それに本の原稿には向かないでしょう。

話の内容はこの本を読んでください。
出版されたらまたブックのコーナーで紹介します。

ところで、この本の出版を敬駅に、大川さんには団塊世代企業支援講座を全国展開してもらいたいですが、
せっかくならば団塊世代起業コンソーシアムもしくはシニアントレプレナークラブを発足させないかと提案しました。
私がもう5歳若かったらやりたいテーマです。
大川さんはあまり賛成ではないようですので、どなたかやりませんか。私も協力しますので。

■瀬谷重信さんのコラボ塾(2006年9月6日)
コラボレーション経営研究所の瀬谷さんから、とてもうらやましい暑中見舞いをもらっていました。
瀬谷さんが好きな博多での活動の写真が何枚か入っていました。
博多祇園山笠にかき手、長唄の発表会「ゆかた会」の写真です。
さまざまなコラボレーションを楽しんだ、とても豊かな夏休みの様子が伝わってきました。

NTTという大企業を辞めて、結構ドラマティックな人生を過ごしているのが瀬谷さんですが、
会うたびに表情が豊かになっているのがとてもうれしいです。
退社する時にささやかに相談に乗った一人としては、これは気になることなのです。
組織の中での幸せや苦労と組織から離脱して時の幸せや苦労はかなり違いますが、
人はいずれにしろいつか組織を離れますから、誰もがそれらを体験することになります。
私は47歳で会社から離脱しましたので、その双方をかなり体験していますが、どちらが良いかは言えません。
それに人によって全く違うものかもしれません。

瀬谷さんがこだわっているテーマは「コラボレーション」です。
いつか書きましたが、この言葉を最初に日本に紹介した一人が瀬谷さんなのです。
その瀬谷さんが元気そうな顔でやってきてくれました。
瀬谷さんと会うとどうしてもコラボレーションが話題になります。

たまたま今夜、CSRのワークショップがコムケアで予定されていたので、
その話もしながら、企業とNPOのコラボレーション・プロジェクトを「コラボレーション」していこうと話し合いました。
この話はこれまでも合意されていたのですが、私の怠慢で進展していないのです。
しかし、状況はかなり熟しすぎているような気がします。
私の悪いところは、機が熟すると途端に意欲が低下し、きっと誰かがやるからもういいかと思ってしまうことなのです。
だからといって、その前にやるだけの根性がありません。
しかし、今回はそうもいっていられない事情があるので、真剣に考えてみようと思います。

ところで瀬谷さんは「コラボ塾」という企業人研修の独自のプログラムを開発して展開しています。
個人視点にとても魅力的なプログラムです。
もし導入してみたいという企業があれば、ぜひ瀬谷さんに連絡してください。
ちなみに私自身も、そういうプログラムを持っていますが、
実際に会社の社長を何回か経験されている瀬谷さんのプログラムのほうが面白そうです。
瀬谷さんはコーチャーでもあります。

■算盤と論語をつなぐプロジェクト(2006年9月6日)
市川覚峯さんは経営道普及の活動に取り組みだしてから20年を経過しました。
最初の10年は経営道フォーラムの立ち上げに取り組み、見事に基盤を確立しました。
その後、自らのパワーアップのために1200日の山行に入りました。
比叡山、高野山、吉野大峰山でのハードな行です。
私はそれぞれの節目に山を訪れましたが、そこでの市川さんの変容を実感させてもらってきました。

山を下りた後は、日本経営道協会を立ち上げました。
そしてさまざまな新しい活動に取り組んできましたが、
10年経過したのを機に、日本経営道協会を新たに再組織化し、
これまでの個人活動から組織活動へ移行することになりました。
発起人には企業経営道の実践者のほか、
真言宗大僧正の松長長慶さんのような宗教界の長老も参加してくれる予定です。

昨今の状況を見れば、残念ながら市川さんがこれまで取り組んできた経営道普及活動の目指す方向に、
企業は必ずしも向いていませんが、そうであればこそ、市川さんの活動が新たな段階に入ることの意味は大きいでしょう。
市川さんの活動を長く横で見ている一人として、ささやかに応援しようと、今日は基本方針の議論をさせてもらいました。
前途多難ですが、誰かがやらないといけません。
私ももう少し若ければイニシアティブをとりたいところですが、パワーが不足です。
手弁当で応援してくれる人はいないでしょうか。

■CSRのワークショップには出られなくなってしまいました(2006年9月6日)
今日はコムケアセンターでCSRのワークショップを予定していましたが、
とても残念なことに直前になって急用ができてしまいました。
今回は大矢野さんがファシリテーターをつとめてくれるというので、お任せして欠席させてもらいました。
このプロジェクトは、私のライフワークにもつながっていますので、
どう展開していくかが気になっていますが、さまざまな議論が行われたようです。

この成果は11月19日のコムケアフォーラムで発表されますので、ご期待ください。

■火事になっても保険金がすぐにはもらえない不思議さ(2006年9月7日)
小学校時代の友人の家が隣家の失火の余波で全焼したのは今年の1月です。
最近忙しさにかまけてきちんとフォローしていなかったのですが、
最近、急に思い出して、手紙を書こうと思っていたら、がんばっているという手紙が来ました。
以心伝心です。

ところがまだ火災保険金がおりないのだそうです。
一体全体どうなっているのでしょうか。
お金のないままに銀行から融資を受けて、家と店舗を建て直し、がんばっているようですが、
保険金はもっと迅速に支払われるべきでしょう。

保険とは何なのでしょうか。
昔の講や結いとは基本的に違うようですね。
やはり社会の経済の仕組みは、個々の生活を支える仕組みにはなっていないようです。

■団塊世代がやけに話題になります(2006年9月8日)
今週のキーワードは団塊世代でした。
鈴木さんたちとの座談会のテーマもそうでしたし、遠隔地介護の話もCSRの話も、すべて団塊世代が鍵を握っています。
どんぐりの広場は団塊世代そのものへの呼びかけです。
昨日は東京のある区の教育委員会から団塊世代向けの講座への参加を頼まれましたし、
今日はまたあるホテルが団塊世代を意識したリフレッシュ構想の話が来ました。
なぜか最近は団塊世代の話題が続いています。

と思っていたら、編集者の乾真人さんから団塊世代向けの雑誌の相談がありました。
公務員団塊世代を対象にしたメッセージ型の雑誌の企画です。
いくらでもアイデアは出てきそうです。
コンペらしいので確実ではないですが、乾さんが取り組むことになったら参加しようと思っています。

団塊世代が社会を変えるという特集番組が9月30日にNHKで放映されるようですが、
いよいよ団塊世代市場への働きかけが始まるようです。
コムケア活動もその受け皿を用意しておけばよかったかもしれませんが、むしろ誰かがうまく活用してくれるといいのですが。

■我孫子市防犯講習会(2006年9月9日)
自治会長になったら、毎週、1〜2回の集まりやイベントがあります。
すべてに参加していると身が持ちませんので、適度にサボったり他の役員の人に頼んだりしていますが、それでもいろいろとあります。
ここまであるのであれば、やはり中途半端な市民参加ではなく、
自治会起点の住民主役のまちづくりをもっと真剣に考えるべきではないかと思います。
美野里町での挑戦は正しかったようですが、挫折したのが残念でなりません。

さて、今日は防犯講習会でした。
警察の人が中心になって、ガラス割実験をしたり、ビデオを見たりしました。
まあ知らないよりは知っていたほうがいいと思いますが、やはりどこかでプログラムがずれているような気がしました。
不謹慎ながら1時間半で退席してしまいました。
これが講習会とはとても思えなかったからです。こらえ性のないのが私の欠陥です。
それに大変失礼な言い方をすれば、説明側の警察の関係者にあまりプロ意識を感じませんでした。
ガラス割を延々とやっていたのにも辟易しました。
これで大丈夫なのかと、私の場合は不安感が高まったのが事実です。

犯罪者側はどんどん組織化しているそうです。
たとえば空き巣にしても、今では下見担当、侵入担当、盗品売却担当、預金引き出し担当など、
役割分担したチームで動いているのだそうです。物売りや勧誘などの形で下見することもあるそうです。
そうしたことに対して、自治会として、また住民として、どういう点に注意すべきか、
また万一のときはどうしたらいいかを教えてほしかったです。
また、犯罪側が組織化してきているのならば、住民側ももっと組織化する必要があります。
講習会や啓発活動ももっときめ細かな自治会単位でやる必要がありそうですし、そのための進め方などのヒントがほしかったです。

しかし、自治会長としても反省しなければいけません。
行政や警察を批判する前に、もっとしっかり自治会会長の責任を果たせといわれたら返す言葉もありません。
その気になれば、自主防犯組織もつくれるのですから。
でもこれから半年の任期で取り組む自信はありません。
毎年役員が交代していく自治会の体制が問題なのかもしれません。
しかしまた来年も会長をといわれると私も躊躇します。
1年だから本業や自分の活動をしながら引き受けられるのです。
むしろ自治会役員は、地域に戻ってきだした団塊世代に有償で委嘱したほうが良いかもしれません。
そのほうが行政コストも削減できるかもしれません。

先週の防災にしても、今日の防犯にしても、基本は住民一人ひとりの問題ですが、
そこから出発して隣近所の関係をどう育てていくかが大切です。
住民自らが自主防災防犯組織をもう一度構築していくことがこれからの大きな課題ですね。
しかし実際には「問題」が発生しないと住民は動かない。
だから行政は形だけの訓練や講習ですませてしまうようになる。
内容が面白くないからますます住民は参加しなくなる。
そんな悪循環から反転させていかねばいけません。
私たちの生き方を見直す必要がたくさんありそうです。

構想は描けるのですが、それを現実のものにするにはあまりにも時間がかかりそうなので、気力は全く出てきませんが、
そうしたビジョンを実際に創出してきた明治維新の若者たちのエネルギーには敬服します。
そんな若者が今の国会議員や財界に一人でもいるといいのですが。

(2006年9月第2週)
今週はCSRの話題が多かったです。
言葉は広がっていますが、実体のない言葉です。経営学や企業経営の世界ではよくあることですが。

■自治会役員会(2006年9月10日)
自治会の役員会をかねて、班の集まりを開きました。
私たちの班は13世帯なのですが、なかなか集まる機会がありません。
特に男性たちは話し合う機会が少ないので、
自治会の役員会は班の全世帯に呼びかけて参加してもらうようにしています。
まだ気楽な雑談会にはいたっていませんが、少しずつ顔がつながりはじめました。
自治会として今年は何か楽しいことをしようということで、いろいろ話し合っていますが、
班だけだと気楽にできますが、自治会全体(172世帯)となると結構むずかしいのです。
たとえば、今日も話題になったのですが、
道路の街灯をもう少し明るくしたいという人がいる一方で、道路沿いの人からは街路灯が明るすぎて困るという人もいるのです。
多様な事情をつなぎあわせることの難しさを感じます。

しかし、それこそがまちを育てていくことなのでしょう。
みんながもっと暮らしに向ける時間があればいいのですが、
定年退職者でもなければなかなか時間が割けない、いまのワークスタイルの中で、それを育てていくことは簡単ではありませんが。

■ワーカーズ・コレクティブと共済(2006年9月11日)
社会的企業研究会で、共済をテーマにするというので、参加させてもらいました。
佐々木憲文さんも参加されました。
社会的経済には以前から大きな関心を持って、それなりに文献は読んでいますが、
考えてみると「共済」をきちんと読んだ記憶がありません。
共済というのは、極めてローカルな問題ですから、
社会的というくくりではあまりクローズアップされないのかもしれません。

今回は、まずヨーロッパの社会的経済の動向の中での共済の整理を、
非営利・協同総合研究所の石塚秀雄さんが報告してくれた後、
保険法改正の前で苦戦している神奈川県ワーカーズ・コレクティブ連合会の島田祥子さんが事例報告してくれました。

いずれも示唆に富むお話でした。
特に島田さんの話は極めてライブで、今の日本社会の実態を改めて思い知らされる気がしました。
前にも書いたように、共済つぶしはひどいものです。
この実態をどうしたら多くの人に知らせられるでしょうか。
といささか絶望感に襲われていたら、
隣に座っていた多賀俊二さん(労働金庫研究所)が発言し、
思いを同じくした人たちがつながって声を出していくべきだという発言をされました。
佐々木さんがそれを後押しする発言をされました。

改正法はすでにできており、
今月末までに新法に基づいて対応しなければ罰則が適用されるという、極めて緊急事態に置かれていますので、
今頃、声を上げてもだめだという意見もありますが、
その発想が今の事態を招いているのかもしれません。
遅すぎるかもしれませんが、行動はしなければ意味がありませんし、行動すれば何かが変わるはずです。

今回話を聞いていて、営利とは何なのか、を改めて考えたくなりましたが、
同時に公(日本の場合は「官」ですが)に管理される共済というのは論理矛盾だと思い出しました。
共済という名前は官や民にあげてしまい、新しい名前と仕組みを創出することができないものでしょうか。
結いや舫いは、その一つですが、同時に「お金だけの共済」ではない仕組みができないものでしょうか。
地域通貨発想と組み合わせれば、官からも民からも自由になれる仕組みがあるような気がしてきました。

ところで隣で発言した多賀さんですが、初対面でした。
しかし、いくつかのメーリングリストで投稿を読ませてもらっていましたので、一度お会いしたいと思っていました。
まさか隣り合わせになるとは思っていませんでした。

■胃カメラ検査(2006年9月12日)
胃カメラ検査を受けました。
県の健康診断で精密検査を受けるようにと連絡があってからかなりの時間が経ってしまいましたが、
自覚症状もないからと延ばしていました。
しかし不思議なもので、精密検査が必要だといわれると何となく自覚症状が出てくるものなのです。
2か月前から胃腸の具合が時々悪いのです。
本当に病気は「気」がつくりだすことがあることがわかります。
それに女房が心配するので、検査を受けることにしました。

今度は「危険な病院」ではなく、評判の良い病院です。
何ともないと思っていましたが、3か所から検体を摘出されてしまいました。
それに信じがたいことに慢性胃炎だと診断されました。
まあ、「慢性」ということは日常化しているということですから、病気と考える必要はないでしょう。

いずれにしろ検査結果はたいしたことがないということだったわけです。たぶん。
2週間後に、結果を聞きに来るようにと医師はいっていましたが、まあこれで終わりでいいでしょう。
何しろ私は93歳まで生きるとある占い師が言ってくれたのです。
それよりも、1週間前に転んで打った胸の痛みはまだ残っているほうがいやなことです。
たいした痛みではないので、医者には行かないでいますが、歳をとると身体の劣化は激しいものです。
身体を鍛えてこなかった結果ですね。

心配性の女房は検査にまでついてきましたが、そのお返しに、その後、女房のかかっている病院に付き合いました。
私には初めての病院でしたが、最近は病院通いが増えています。
歳をとるとそうなっていくのです。ちなみに明日も病院です。
病院のことはいろいろと感ずることがありますが、どんどん改善されてきています。
ヒポクラテスの会で病院の問題を考えようと思っていましたが、もっとたくさんの病院を体験したほうがいいかもしれません。
その気になれば、いろいろと診てもらうところはあるのです。
なにしろ壊れかけている身体ですので。
さてどうしましょうか。

■従業員が生き生きすると会社も元気になる(2006年9月13日)
KAE経営道フォーラム39期生がまとめに入っています。
11月17日が発表会なのです。
私は2チームを担当しています。
これまでいずれからも相談もなく、したがって今回はほとんど関わりを持ってこなかったのですが、
ここに来て急にいずれのチームからも話し合いの申し入れなどがありました。

今日はその一つのチームとのミーティングを行ないました。
従業員が生き生きしている会社は業績もあがり、
すべてのステークホルダーがWIN-WINになれるという仮設で、検討を重ねてきています。
しかし、まだ自分たちの言葉での生々しい議論が十分出来ていないようです。

従業員が生き生きするきっかけは、そう難しいことではありません。
それぞれが一人の人間として扱われるだけでいいのです。
難しい経営理論などいらないのです。
自分が生き生きしていた時、生き生きしている時、逆にそうではなかった時のことを出し合って具体的に語れば、
きっと新しい発見があるでしょう。
今日はそこまでのアドバイスにとどめ、もう一度、意見交換することにしました。

■次世代人材育成研究会が3年目です(2006年9月13日)
2年間、継続してきた次世代育成研究会の3期目がスタートしました。
新たに日本能率協会の斎藤智文さんが委員として参加しました。
斎藤さんとは10年ぶりくらいですが、久しぶりにお会いできるので楽しみにしていましたら、席が隣り合わせでした。
まあ、最近よく起こることなのですが。

今年のメインテーマは、若手企業人の活力をどう高めるかですが、
今回は第1回なので、若者自立・挑戦プランの実施状況と来年度の活動方針を
内閣府、文部科学省、厚生労働省、経済産業所の担当官から報告してもらいました。
いろいろと新しい工夫はありますが、基本姿勢が変わっていないのが残念です。
私がいつも感ずるのは、
「こうなってしまった原因(私たち世代の生き方やこれまでの政策や企業の経営姿勢)の反省が不在なので、
発想がこれまでの延長型になっているということです。
それに関してのコメントをさせてもらいましたが、やはり正すべきは若者たちではなく、私たちの生き方なのです。
その自覚がない人がいくら議論しても効果的な対策は出てこないような気がします。

もう一つ驚いたことは、社会人基礎力に関する議論で、
ある委員から社会人基礎力のそのまた基礎がなくなっているので問題にしなければいけないという発言があったことです。
基礎力の基礎とは、たとえば「国を愛する気持ち」なのだそうです。

というわけで、あんまり楽しくないスタートでしたが、
次回は斎藤さんが問題提起するというので参加しようと思います。
久しぶりに彼の話が聞けるのが楽しみですが、
今や世界で最も働く意欲が低い国といわれる状況を斎藤さんがどう認識し考えているかにはとても興味があります。
また報告するつもりです。

■新しいCSRメディア(2006年9月13日)
コムケアのネットワークを活用して、新しいCSRレポートやコミュニティメディアを創れないか
という思いを持った人たちでのミニ検討会を開催しました。
今回の問題提起者は長岡さん(地域情報研究所)です。
長岡さんからは市民ジャーナリズムの話も紹介されました。

いろいろと話しているとCSRという言葉の本質的な意味が見えてくるような気がします。
CSRをテーマにした議論の多くは、株主主権企業論をベースにし、アナリストや投資家を意識したものが多いですから、
コミュニティとか暮らしとか、従業員とかがなかなか出てこないように思いますが、
大切なのは、「誰のための、誰による、何の、社会責任か」ということです。
「社会」の内容も吟味しなければいけません。
今回集まった人たちは必ずしもCSRの専門家ではありませんが、
そうした人たちが語るCSR論議を、いわゆるCSR専門家に聞かせたいものです。
CSRという分野で、企業がNPOと関わる意味はとても大きいはずですが、まだ必ずしもその仕組みは育ってきていないように思います。

今回のプロジェクトで、そうしたものに向けた一歩が踏み出されればうれしいのですが。

■NPOとSNS(2006年9月13日)
インキュベーション型コムケアフォーラムではCSRテーマがかなり提案されそうですが、
そのひとつのWEBプロジェクトをテーマにしたコムケアサロンが開催されました。
今回はパトクロスの石田さんに、「NPOとSNS」をテーマにお話いただき、意見交換しました。

SNSに関しては、私も2つのソーシャル・ネットワークに参加していますが、どうもその価値がわかりません。
今日は少しだけ理解が進みましたが、まだ積極的に使おうという気にはなれません。
しかし今回のサロンを企画した地域情報研究所の長岡さんは、
コムケアとSNSで面白い事業ができると考えているようです。
WEB進化論を読んでから、私の意識のなかでの情報社会イメージはまさに進化してきていますが、
それを使いこなすにはやはりコンテンツやリアルなネットワークが不可欠だとますます考えるようになってきました。
幸いに私にはある程度のネットワークがありますが、
それがない若者たちが構築するSNSとはいったい何なのかがとても心配になってきました。

コムケアの次の展開の方向が少し見えてきたような気がします。

■またまたCSR議論(2006年9月14日)
またCSRです。しかも昨日議論に参加した大矢野さんです。
CSRチェックリストづくりなどに関心のある大矢野さんが個別に相談にきました。
大矢野さんのライフワークは市民と企業の共創関係づくりなのです。

いろいろと意見交換させてもらいましたが、
コムケアネットワークを活用して何ができるかを考えてもらうことにしました。
企業評価共創機構のようなものを創ったらどうかと提案しましたが、失敗に終わりました。
最近、いろいろと提案してもみんな乗ってこないです。
私にやる気がないのが伝わってしまうのです。
困ったものです。はい。

■KADOとKAE(2006年9月15日)
経営道の啓発普及に取り組んでいるところが2つあります。
KAE(経営道フォーラム)とKADO(日本経営道協会)です。
対象をすみわけながら活動していますが、基本にあるのは「経営道」です。
いずれも市川覚峯さんが起業者ですが、今は市川さんはKADOに全力を注いでいます。
私はいずれにも関わっていますが、そろそろ両者が統合されるといいなと思っています。
今日は、そのいずれともつきあいました。

まずKADO
先週も書きましたが、
ここは主に中小・中堅企業の経営者や経営幹部を対象にするとともに、
長野県での地域活動にも取り組んでいます。
これまでは市川さんの個人活動の感じが強かったのですが、
10年目を迎えたのを契機にして、理事を新たに迎えた組織として、新装開店です。
10月30日にキックオフします。
今日は新しい組織展開に関する意見交換をしました。
10月30日の集まりは公開型で展開しますので、ご関心のある方はぜひご参加ください。
またお知らせコーナーでご案内します。

もう一つはKAEです。
今週13日にEチームとのミーティングをやりましたが、
今日はFチームとのミーティングです。
このチームは「おらが会社意識の醸成」をテーマにしています。
自分の勤めている会社とアイデンティファイできれば、
人は思い切り働けるし、会社の業績も上がっていくという仮説です。

その答えは私にとってはいたって簡単で、OBM発想を取り込んで、 企業をオープンプラットフォームにし、
そこでの表情ある個人のつながりを育てていけばいいだけなのですが、
どうも現実の企業は逆の方向に進んでいます。
経営は基本さえ間違えなければ簡単なのですが、基本を守れないが故に難しくなるのです。
そして、無意味なCSRなどが流行になるわけです。

Fチームでは上記の仮説で検討してきましたが、社会とのつながりの重要性に気づいたようです。
ボンディングとブリッジングの話です。
「閉じたおらが会社意識」と「開かれたおらが会社意識」とは、似て非なるものです。
全社が企業を衰退させ、後者が企業を進化させます。

むかし書いた論文を思い出しました。
アーカイブに掲載しました。
Fチームとは再来週もう一度、本格的なミーティングを持つ予定です。

ところで、2つの話し合いの中で共通の話題がありました。
「幸せ」です。
このテーマは時代の方向性に関わる重要なテーマです。
しかし、今の日本人が求めている「幸せ」には私はとてもついていけません。
「幸せ」は本来、個人によって多様に違っている概念なのですが、その多様さが失われていっているような気がするのです。
幸せと不幸は、コインの裏表かもしれません。

■暮らしの安心と技術者への期待(2006年9月15日)
定例の科学技術倫理サロンです。
11月26日の公開フォーラムに向けて、大枠を決定しました。
タイトルは、
公開フォーラム2006「暮らしの安心と技術者への期待」
主催は科学技術倫理フォーラムです。
詳しい内容は追ってお知らせのコーナーでお知らせしますが、
面白い内容にあることを保証しますので、ぜひご参加ください。
なにしろ事前打ち合わせの場でも、実に刺激的な話題が飛び交っています。
定員は50人と限りがありますので、ぜひ参加されたい方は私にご連絡くだされば事前登録して、席を確保しておきます。
参加費は500円です。

今回は科学技術倫理フォーラム代表の杉本泰治さんにも参加してもらいました。
その杉本さんから新著「技術倫理」をいただきました。
これは来週、ブックーのコーナーで紹介します。

ところで、杉本さんと一緒に科学技術倫理の啓発に取り組んできた高城さんが急逝されました。
高城さんは「沈黙の春を読む会」などでご一緒させてもらいましたが、
学識豊かであるばかりでなく、とても魅力的なお人柄でした。
今でもその笑顔が頭に焼き付いています。そういう人に、私もなりたいものです。
今回の公開フォーラムの場で、ゆっくりお話できればと楽しみにしていたのですが、とても残念です。

(2006年9月第3週)
女房のおかげで、とてもゆったりした時間を過ごさせてもらいました。

■17年ぶりのオフィスの片づけ(2006年9月18日)
湯島にオフィスを開いて17年以上経過します。
「働くでもなく遊ぶでもなく、学ぶでもなく忘れるでもなく」
自らを素直に生きるための拠点としてここを開いてから、18年目なのです。
その間、実にさまざまな人がやってきてくれました。

大学教授も、予備校生も、留学生も、博士も、高校生も来ました。
国会議員も来ましたし、財界で活躍している著名な経営者も来ました。
上場企業の社長もベンチャー企業の社長も来ました。
市長も来ましたし、官僚も来ました。
変わったところでは、公安警察の人や特捜班の警官の人も来ました。
このオフィスで、3回の事情聴取なるものを受けました。
もしかしたら、私も被疑者の一人だったかもしれませんが、
実際は全くの無縁な存在でしたので、ただ事情聴取されただけです。
いずれも刑事事件です。
ある人が警察に事情聴取されたら、緊張して何か自分が悪いことをしたような気になってしまい、
うまく話せなくなってしまうと体験談を送ってきてくれましたが、
私の場合はあまりにも実感がなかったので、気楽に話させてもらいました。
しかし、4人の捜査官がやってきて、次々と質問された時にはもし場所が湯島でなければ、
そう気楽ではいられなかったかもしれなかったかもしれません。
なにしろ有無を言わさずオフィスがジャックされるのですから。
湯島で毎月開催しているオープンサロンもたくさんの人がやってきました。
テレビ取材があったこともありました。

そんな思いがたくさん詰まったオフィスですが、お金がないので開所以来のままでした。
20年近く経つとかなり汚くなってきたので、改装しようと見積もりを取ったら、なんと140万円もするのです。
諦めてカーペットだけを張り替えることにしました。
そのために書類や用具を一度すべて箱詰めしなくてはならなくなりました。
そこで家族に応援を頼み、手伝ってもらい、不要なものを廃棄することにしました。

1時間もあればできると思っていましたが、とんでもありません。
しかも不要な書類を整理するのは難しく、結局、すべてを箱詰めにして改めて整理することにしました。
たった17年間、しかも仕事だけでも膨大な資料がたまるものです。
我が家にはオフィスの数倍の資料や書籍がたまっています。
そろそろ私の人生も終焉に向かいだしていますから、
そろそろ整理しなければいけません。
しかし考えただけでもゾッとします。

資料や書類の保存は、常に整理し最小限にしておかないといけませんね。
皆さんは大丈夫でしょうか。

■浅野さんの対話法(2006年9月19日)
桐生で対話法の普及に取り組んでいる浅野良雄さんが訪ねてきました。
ご自身が開発してきた独自の対話法を、
全国に普及する活動に本格的に取り組みだすことを検討しだしたのです。
すでに福島や新潟などで対話法を広げる活動が順調に広がっていますが、
情報発信力のある東京にオフィスを開き、定期的な研修活動をスタートさせることを考えているそうです。

浅野さんの対話法は極めてシンプルで実践的です。
浅野さんのホームページをご覧いただければお分かりいただけますが、
シンプルであるが故に、応用範囲は広く、また生き方にもつながる奥の深さがあります。
浅野さんのは、単なる技法としての対話法ではなく、生き方としての対話法なのです。

私に何ができるかはまだ見えてきませんが、
浅野さんの誠実な人柄と対話法に取り組む真摯な姿勢にはとても共感しています。
コミュニケーションに関心をお持ちの方で、
どなたか浅野さんの対話法の普及活動を一緒にやってもいいという方がいたら私にご連絡ください。
浅野さんにお引き合わせしたいと思います。
年内に浅野さんの東京オフィスが開設される予定です。

■雨森ご夫妻との再会(2006年9月20日)
女房の両親の墓参りに滋賀に行きました。今年はお盆に帰省できなかったのです。
最近は女房の帰省にはできるだけ同行するようにしています。

女房の同級生だった雨森善司さんに声をかけたらお時間があるというので、奥様も一緒にお会いしました。
雨森さんは前にも書きましたが、先日取材に来た新江州株式会社の森会長を紹介してくださった方です。
それがご縁で私もお付き合いが始まりました。
雨森さんは時々女房に「故郷情報」を送ってくれるのですが、私もその読者なのです。
その故郷情報をみなさんに公開できないのが残念ですが、短いながらも面白いのです。
最近さぼっているのが問題ですが、まあ購読料を払っているわけではないので仕方がありません。

雨森ご夫妻は時代を先取りしたご夫婦です。
スローライフ志向なのです。
雨森さんは「なまけもの夫婦」を自称していますが、お話をお聞きするととても自然なスローライフをされています。
見習わなければいけません。
しかし、豊かな自然と人情に恵まれた地域社会であればこそ、それが可能になるのでしょう。
それにやはり人柄が肝心です。

今回は北近江リゾートというところでお会いしたのですが、そこにエジプト館が21日にオープンです。
1日早かったので残念でしたが、雨森さんは明日は一番で見に行くと張り切っていました。

どうも雨森さんは新しものがりやらしいのです。
単なる怠惰なスローライフではなく、好奇心旺盛なスローライフなのです。
エジプト館の報告はきっとまたあるでしょう。

今回は1時間ほどしか時間がなかったので、せわしない再開になりましたが、とても気持ちのよい時間が持てました。
奥様もとても元気そうでした。
女房も元気をもらえたようです。

元気は、多くの人たちと共有すればするほど高まっていくものだということを最近実感しています。
女房はとても良い友人に囲まれています。
私の場合はどうでしょうか。不安がないわけでもありません。はい。

■瀧谷寺と那谷寺、ついでに吉崎御坊(2006年9月21〜22日)
滋賀にきたら、福井県の敦賀にいる義姉夫婦のところに泊まって、
少し休養するのがわが夫婦の最近のパターンです。
この夫婦がまた雨森夫妻と同じくスローライフで、実に素直な生活をしています。
農家なのですが、マイペースで仕事を楽しみながら、生活を大切にしている夫婦です。
山東さんといいます。

今回はあわら温泉に連れて行ってくれることになりました。
義兄は私と同じく寺社めぐりが好きですので、いつも古刹を案内してくれるのですが、
今回は瀧谷寺(たきだんじ)と那谷寺を案内してくれました。

瀧谷寺は三国町にある真言宗智山派の古刹です。
老杉に覆われた石畳の参道を登ると、ちょっとさびれた、しかし何となく心落ち着く風景が開けてきます。
本堂の前の空間に樹木が枝を伸ばしているのが寺院らしからぬ日常性を感じさせるのです。
その庭の周りを外部に向けて開け放たれた本堂と庫裡、観音堂、そして山門が囲んでいます。
実に印象的な空間です。

瀧谷寺は石庭と山水庭園が有名なのですが、これも私にはとても不思議な空間でした。
粗雑といってもいいくらい素朴で飾り気がないのです。
石庭の前に少し座っていましたが、京都の石庭とは全く異質な空気を感じました。
山水庭園の池では面白い光景を見ました。
池の真ん中で鯉たちが頭を1点に集中させて、まるで会議をしているようにとまっていたのです。
写真を撮ろうとしたら、それに気づいたように散らばりましたので、会議をしていたに違いありません。
そんな気にさせられるような不思議な空間です。



翌日は那谷寺です。
那谷寺は五木寛之さんの「百寺巡礼」にも取り上げられていますが、とても奇妙なお寺です。
もらった資料によれば、ここは縄文時代の神まつりの霊地だったそうです。
岩山と洞窟がたくさんありますが、そうした自然の大地を活かした空間設計が見事にできています。
那谷寺のホームページは面白いです。



「百寺巡礼」といえば、そこに取り上げられた吉崎御坊にも立ち寄りました。
ここは比叡山の迫害を受けて京から逃れた蓮如が、
本願寺系浄土真宗の北陸における布教拠点として建立した御坊ですが、
本願寺が二分したために、今でも東西2つの別院が並存しています

百物語で有名な嫁威肉付面も2つのお寺が本家争いをしているようですが、
今回は大谷派の願慶寺をまず訪問しました。
そこでとてもいやな体験をしたため、早々に吉崎御坊は立ち去りましたが、
この場所も奇妙に心惹かれるものがありました。

ちなみにいやな体験とは、願慶寺に入って住職のお話をお聞きするところまでは良かったのですが、
仏壇の前にまるで露天商のように線香や数珠が広げられていて、
案内していた女性が買ってくださいと呼びかけだしたのです。
400円の拝観料だけでは寺院の維持が大変なのでしょうが、あまりに露骨な商業主義には幻滅しました。
寺院前のお土産屋さん以上に熱心な売り込みでした。
その不快さで、吉崎の町はほとんど見ずに退散してしまったのが悔やまれます。
聖地には聖地らしい売り方があるはずです。

吉崎を再訪することがあっても願慶寺にはもう二度と行きませんが、
その物売りの人が嫁威肉付面をかぶった人に思えてなりませんでした。

■東尋坊「心に響く文集・編集局」の茂幸雄さんと川越みさ子さん(2006年9月21日)
滝谷寺に来たので、ちょっと足を延ばして東尋坊に立ち寄りました。
東尋坊で活動しているコムケア仲間の茂幸雄さんと川越みさ子さんにお会いしたかったからです。

茂さんはNPO法人「心に響く文集・編集局」の代表で、川越さんはそれを手伝っています。
茂さんたちは、自殺の名所といわれる東尋坊にやってくる自殺企図者を見つけて、思いとどまるように声をかける活動をしています
そのおかげで100人近い人たちが自殺を思いとどまっています。
実際にはもっと多くの人たちがきっと救われているはずです。

コムケアの昨年度の報告書に書きましたが、茂さんは東尋坊の入り口に「おろし餅屋」を開いています。
一度、そのおろし餅を食べてみたかったのです。

東尋坊の駐車場で車を降りて、茂さんのお店を場所を誰かに尋ねようと思ったら、
何と目の前に茂さんと川越さんらしい人が座っていました。
私も驚きましたが、茂さんたちも驚いたようです。
天が会わせてくれたのです。
私たちは1度しかお会いしていません。
しかし、コムケア仲間はほとんどみんなそうですが、
1度お会いしただけで、心が通じて、どこか出会うとすぐわかるのです。


お2人ともとても喜んでくれました。
そして待望のお餅をご馳走してくれました。
予想以上に美味しい、やさしさにあふれたお餅でした。
茂さんや川越さんの人柄が伝わってきます。
一緒に同行した義兄も、とても美味しかったと翌日まで言っていました。

茂さんや川越さんのことはいろいろと書きたいですが、きりがありません。
いつかまた書けるかもしれません。
今回はコムケアの報告書で紹介した「心に響く文集・編集局」の活動記事を載せるにとどめます。
そして「心に響く文集・編集局」のホームページも見てください。
もし東尋坊に出かけることがあったら、茂さんたちのお店でぜひお餅を味わってください。
最高に美味しいです。

■芦原温泉(2006年9月21日)
21日は芦原温泉に宿泊しました。
芦原温泉に宿泊に行くと科学技術倫理フォーラムの杉本泰治さんに話したら、
ぜひ「えちぜん鉄道」に乗るようにいわれました。
しかし残念ながら今回は自動車で来たので電車には乗れませんでしたが、
ホテルから電車が走っているのが見えました。
住民たちにもとても愛されている電車のようです。
えちぜん鉄道の話は、杉本さんたちの新著「技術倫理」に紹介されています。
この本はさまざまな事例が紹介されていますので、企業関係者にはお勧めの本です。

芦原温泉では九州の黒川温泉のような湯めぐり手形を8月から試行しだしたそうです。
芦原温泉の旅館やホテルを3か所自由に回れるのです。
まだあまり利用者はいないようでしたが、早速、回ってみました。
しかし葦原温泉は平坦な街中の温泉なので、隣のホテルまで行く経路が自動車道なのです。
まつや千千に宿泊したのですが、となりのグランディア芳泉まで行くのには前出のえちぜん鉄道の線路を越えなければいけないのです。
ちょっと安直な流行の取り入れだけなのかもしれません。
まあ、しかし数箇所の温泉に入浴できるとなんだか得をした気分になります。

■河野からの夕日(2006年9月22日)
泡温泉から加賀にまわり、そこから竹人形の里や越前陶芸村などを回って、福井に戻ってきたのが5時でした。
ちょうど立ち寄ったのが道の駅河野。
若狭湾に面した高台にある小さな道の駅ですが、若狭湾や敦賀半島を一望できる絶好の地にあります。
目の前に夕陽が落ちる最高の場所です。
小一時間あったのですが、海に面したベンチで落日を楽しむことにしました。
こういう時間に拘束されない旅はなかなかできません。
少し雲がでていたので最高の落日風景ではありませんでしたが、たっぷり堪能しました。
落日後の空の美しさは素晴らしかったです。
やはり最高の美は変化する空の色ですね。
青空も好きですが、日の出や日没の前後の空の色変化はいつ見ても感動します。
写真に撮りましたが、再現不能ですね。
こうした写真を撮ってみると、写真家の凄さがよくわかります。



■沢蟹探し(2006年9月23日)
敦賀から帰宅する前に時間があったので近くの山に行きました。
敦賀市と美浜町の境の山で、その頂から敦賀市と美浜町、いずれもが一望できるのです。
山の頂上にむけて自動車道がつくられつつある関係で、これまでの登山道が分断され、荒れていましたが、
ちょっと整備すればとても素晴らしい景観に恵まれたハイキングコースになるでしょう。
こうした魅力的な場所が、まだまだ各地にはたくさんあります。

そういえば、一昨日、立ち寄った越前海岸の鉾島も素晴らしい場所で、
小一時間海岸べりでゆっくりしましたが、東尋坊の賑わいとは違った時間をすごせました。
生き方を変えると日本各地には素晴らしい場所がたくさんあることに気づきます。

山からの下山途中、小さな沢がありました。そこに入って、小さな沢蟹を見つけました。
我が家の庭に放すために、10匹くらいを連行することにしました。
1センチもない小さな沢蟹です。
育つかどうか不安がありますが、第2世代の沢蟹たちがみんな見つからなくなっているので、
今度こそうまく定住させたいと思っています。
沢蟹が見つかって最高に幸せな日になりました。

(2006年9月第4週)
先週後半ずっと出かけていたので、その反動で今週は大忙しでした。

■自治会の集まり(2006年9月24日)
自治会として今年は何か新しいことをしたいということで、検討を進めていますが、
自由参加の我孫子再発見ウォーキングをやろうということになりました。
これは副会長の小酒さんが中心で進めてくれています。
できれば楽しみながら企画していきたかったのですが、最初のことでもあり、まだそれは難しいようです。

どうも私は物事を簡単に考える傾向があり、いつも家族からヒンシュクをかっていますが、
今年は10回のフォーラムを開催すると決断したにもかかわらず、まだ4つくらいしか動き出していません。
自治会のこのイベントも予定された日は、技術者倫理の公開フォーラムと重なってしまいました。
肝心の私は参加出来そうもありません。
残念です。
今年は少し活動を整理する予定が、逆にさらに一段と広がっているような状況です。
困ったものです。

■ラマラ・コンサート(2006年9月25日)
私の留守中にオフィスの改装が終わっていました。
但し、箱詰めした書類などを元の場所に戻さなければいけません。
それは私の仕事ですが、まあ1時間もあれば終わるだろうとたかをくくっていましたが、やはり終わりませんでした。
再収納する時に思い切った処分をしようと思っていましたが、また面倒になったのでそのまま収納してしまいました。
人間はなかなか進歩しないものです。
いや私だけかもしれません。

かなりのハードワークでしたので、帰宅後、ドッと疲れが出てしまいました。
そこでDVDを観ることにしました。
エジプトの中野正道さんが紹介してくれた「ラマラ・コンサート」のドキュメンタリーです。
購入していたのですが、なかなか観る時間がありませんでした。


ブログにも書きましたが、中野さんのお勧めどおり、感動しました。
2回ほど、涙が出そうになりました。
クライマックスの一つが、バレンボイムが故国イスラエルからヴォルフ賞を受賞するのですが、その授賞式のスピーチでした。
ブログに書きましたが、大臣とのやり取りには感動しました。
バレンボイムの毅然とした、しかし穏やかな言動から大きな力をもらったような気がします。
DVDを紹介してくださった中野さんに感謝しなければいけません。
そして皆さんにもぜひこのDVDを観てもらいたいと思いました。
すばらしいドキュメンタリーです。
多くの平和運動が色あせてみえてしまうほどです。

政治にも運動にも感動がなければいけません。
そういえば、今度の安倍内閣の発足に関して、
感想を聞かれた田中真紀子さんが「なんの感激もなかった」とコメントしていましたが、とても共感できるコメントでした。
平和運動もなぜ大きな潮流にならないのかは感動が希薄だからです。
感動を伴う運動は、内容とは無関係に、ヒトラーが起こしたように大きなうねりになっていきます。
政治や運動には、そうした感動を呼び起こすマジックワードが必要です。
たとえば、かつての「共和国」という輝く言葉のような。

コンサートのDVDなので、演奏の感想も書くべきですが、
指揮するバレンボイムの鬼神のような姿に感動してしまい、音よりも画像を聴いてしまいました。
音を観る、観音体験をしたわけです。
オーケストラに集まった若者たちの発言も感動的です。
こういう場面がありました。
ワークショップでバレンボイムが、「寛容」という言葉には目線の高さがあるので、私は嫌いだと発言します。
すかさず若い学生が、「私はそうは思わない」と応えるのです。
その議論がどう展開されたかは画像には出てきませんが、
こうした自由闊達な議論が、かれらの演奏を素晴らしいものにしているのでしょう。
バレンボイムは、参加した若者たちに、みんなの意識や気持ちの変化が音に現れていると、別の場所で語っています。
小泉首相がワグナー好きだったかどうか、記憶が定かではありませんが、
感性は理性を超えて、その人の本音をさらけ出すのかもしれません。

話は全くとびますが、このDVDを観ていて思い出したことがあります。
奄美でオーケストラの生の演奏会を開きたいという大阪の佐々木さんのことです。
佐々木さんにまた会いたくなりました。
どなたか佐々木さんの夢を実現してくれそうな方をご存じないでしょうか。

■感動・感激・感謝(2006年9月26日)
東尋坊の茂さんからメールが届きました。
こんな言葉が書かれていました。

最近、「感動」「感激」「感謝」の3つの言葉を大切にしたいと思う様になりました。
人に感動を与えると今度は自分に感動が帰ってくる事がわかったのです。

地道な活動をされている茂さんならではの言葉です。
感動に限らず、感激も感謝も、エコーのように、本当に返ってきますね。
この世に中を、この3つのエコーで充満させたいものです。

■危険な兆候(2006年9月27日)
4時45分に目が覚めました。
そしていろいろなことが気になり出して、眠れなくなりました。
実はコムケアの資金助成プログラムをやりだしてから、こういうことはしばしば起こるようになりました。
今年は資金助成プログラムをやめたので、こういうことはなかったのですが、久しぶりです。
かなり気楽に生きているとはいえ、私自身もたくさんの悩みや問題を抱えています。
皆さんに勝るとも劣らないかもしれません。
私の場合、どこかで吹っ切れているのと、いざとなったらどうにかなるという開き直り意識があるのが救いです。
開き直れない問題もありますが。

最近は身体的にも危険な兆候がいろいろあります。
またMRIを受けたほうがいいかもしれません。
血圧のせいかもしれませんので、来週は医者にいこうと思います。
それに加えて、精神的な危険シグナルが出始めたということでしょうか。
不安に襲われることがあるのです。
とにかく問題が多すぎます。
世界を広げすぎたせいでしょうか。
能力以上のことに取り組んではいけません。
いつも娘からそういわれているのです。
困ったものです。
微妙な精神状況が続いています。

■ペルシア文明展(2006年9月27日)
上野で開催されているペルシア文明展に行きました。
ペルシアには不思議な魅力がありますし、ギリシアよりも私たちに近いものを感じます。
それに何よりもシュメールは宇宙につながっているような気がしています。
地球文明のはじまりはシュメールからだと私は思っています。
根拠などは全くなく、ただそう思っているだけですが。

今回は前5千年紀からササン朝までの作品の展示です。
繊細な作品が多いことに改めて感心しました。
たとえば最初に展示されていた前5千年紀の土器は1ミリくらいの薄さのものでした。
おそらく岩石をくりぬいたものでしょうが、その器用さには驚きます。
今から7000年も前の作品です。宇宙人の作品だと思えてなりません。
穀物などをいれる直径1メートルくらいのつぼの厚さもとても薄かったです。
動物をモチーフにしたリュトン(酒器)は、どれもこれもすばらしかったですが、
時代がおりてくるにつれて、面白さがなくなってきます。
昔の人ほど、物事の本質が見えていたのでしょうか。
実際の姿に近づくことは、決してリアルになることではないことを改めて感じました。

ペルスポリスの柱頭や門の模型も出展されていました。
まさに宇宙を感じさせるすばらしいものです。
この力強さは決してギリシアにはありません。
もう10年位前になりますが、イランに旅行に行きました。
ペルセポリスに行ったときには感動しました。
感動のあまりしっかりと観て来なかったほどです。
ペルスポリスの遺跡には当時の世界が今以上にグローバルだったことを感じさせます。

丁寧に見ていくとギリシアや日本とのつながりも見えてきます。
アフラ・マツダのゾロアスターに関わる作品もわずかにありました。
ゾロアスターは火を祀りますが、この文化はかなり日本に影響していると思います。
アフラは阿修羅に通じていくわけですが、阿修羅は口から炎をはいて邪悪なものを浄化します。
今の日本には、まさにこれが求められていると思いますが、焚き火すらできないのが残念です。

とても面白かったのですが、何か強力なメッセージが感じられなかったのが残念です。
こうした展示会に政治的なメッセージは似つかわしくないかもしれませんが、
バレンボイムのドキュメンタリーを見たせいか、それがほしかったです。
それに作品にも少し物足りなさを感じました。
なぜかと思い、帰宅してから昔見たエルミタージュ展のパンフレットを見たら、今回のものとはかなり違っていました。
やはりいいものは帝国主義国家に収奪されているのかもしれません。
そこに既に政治が関与しています。

女房と一緒に出かけたのですが、会場で女房の友人たちに出会いました。
最近は偶然の出会いが増えています。
女房は彼らと合流して、私は一人で帰りました。

■共済の思想に支えられた社会(2006年9月28日)
佐々木憲文さんが来てくれました。
佐々木さんとお会いするとなぜかホッとします。
今日のテーマは「共済」でしたが、思わぬほうに話が展開しました。
佐々木さんが実に魅力的なプロジェクトを提案してくださったのです。
SPMプロジェクトです。
といってもわかりませんね。
いつかきちんと説明できると思いますので、説明は省略します。
SPMには実に深い意味が込められているのですが、
まあ簡単に言えば、「共済の思想に支えられた社会」に向けてのプロジェクトです。

佐々木さんは「共済理念」に深い思いをお持ちです。
ある雑誌に掲載した文章の一部を引用させてもらいます。

基本的生活の保障は、共済理念の実践で、と考えます。
共済こそ、社会の信頼を回復できると思うからです。

(中略)
緊急に必要なことは、共済理念を再考し、語り合い、確認し合い、伝え合っていくことです。
共済が保険類似化の度合いを強め、金融資本攻勢が強まっています。
国際金融資本などの共済への大攻勢に対抗するためには、
共済のアイデンティティを明確化し、守り、訴えていかなければなりません。

文脈なしの一部の引用ですので、真意は伝わりにくいかもしれませんが、いつか全文を紹介できると思います。
佐々木さんはさらに、
“経済的弱者の連帯組織”を超えて、“道徳的強者の連帯”が必要だ
と書いています。
全く同感です。

それをどう実現するか。
それにつながるのが、先のSPMプロジェクトです。
どうですか。参加したくなりませんか。
これも いつかきちんと書こうと思いますが、
5年間、コムケア活動をやってきて、改めて「支えあい活動のネットワーキング」の難しさを実感しています。
コムケアが目指す「新しい結い」は、夢のまた夢かもしれません。
私がこのSPMプロジェクトに期待するのは、そうしたことの反省からでもあります。

佐々木さんたちがやっている共済研究会にも参加させてもらうことにしました。
これからが楽しみです。

■おらが会社(2006年9月28日)
「おらが会社」意識の大切さに取り組んでいるのがKAE第39期のFチームです。
今日はチームメンバーとディスカッションをしました。
前にも書きましたが、
かつての「おらが会社意識」は唯我独尊、組織防衛的な展開になりがちな側面を持っていましたが、
そうではなく、社会に開かれた「おらが会社意識」は「みんなが会社意識」、
つまりコーポレート・シチズンシップに発展する可能性を秘めています。
オープンブック・マネジメントやリレーション・マーケティングという企業発展の決め手となるだろう経営戦略につながっています。
切り込みようによっては実に刺激的なテーマです。

今回は無印良品を材料にいろいろと議論できました。
前回はJRが話題になりました。
実際にそういう企業で経営を担っている人たちがメンバーにいますので、
リアルな議論ができます。今日の議論がどうまとまっていくか楽しみです。

今回の経営道フォーラムの成果発表は11月17日です。
ご関心のある方はぜひご参加ください。

■子育ち学ネットワーク代表の深作拓郎さん(2006年9月28日)
子育ち学ネットワーク代表の深作さんがやってきました。
鷲宮の活動は順調に育っているそうです。
深作さんもさまざまな活動をしていますが、それに比例して問題もまた多いようです。
活動の範囲を広げれば広げるほど、そして自己主張をすればするほど、問題は多発します。
夏目漱石の「草枕」を思い出します。
しかし、そう言っていては前に進めません。
深作さんの活動に期待しています。

コムケア関係でも何かできないか話し合いました。
まだ具体的なプロジェクトは見えてきませんが、
子育ち分野で何か新しいメッセージを出していきたいものです。

■日本経営道協会が再出発します(2006年9月29日)
市川覚峯さんの個人的な活動の色彩が強かった日本経営道協会が、組織活動へと進化します。
その話し合いに参加しました。

思想の普及活動には2つのスタイルがあります。
イエスや釈迦が個人的に説法を続ける方法と教祖を象徴として組織をつくり思想を広げる方法です。
キリスト教ではペテロが、仏教ではダイバダッタがその役割を引き受けました。
愚鈍なペテロと小賢しいダイバダッタというイメージの違いはありますが、
いずれも社会運動の重要な要素を示唆しています。

やや大げさなことを書きましたが、市川覚峯さんの経営道活動を広げていくためには、
ペテロかダイバダッタの役割を果たす人が必要でしょう。
そんなことを考えながら、日本経営道協会に関わっていますが、
肝心の私自身は市川さんとはパラダイムが全く違いますので、当事者的には参加できませんので、外部からの参加です。

10月30日に新しい日本経営道協会の発起式典が開催されます。
協会のミッションは、「日本の美しい心の復興・活性化」と「日本思想の継承・発展」です。
「美しい」という形容詞や「活性化」という言葉に、私はどうしても拒否反応が働きますが、
市川さんが構想していることは「だれもが気持ちよく暮らせる社会」「すべてのものがいのち輝かせる世界」です。
その点においては、私の目指す生き方につながってきますので、横から応援しているわけです。

企業の経営を、経営術から経営道に高めたいという市川さんの思いと活動に関わりだしてから、20年近くが立ちますが、
残念ながら社会は反対の方向に向かっています。
しかし、今の方向では限界が来るでしょう。もはや時間の問題です。
真剣に企業経営を考えたい方は、ぜひ参加しませんか。

詳しい案内は日本経営道協会のホームページをご覧ください。
今回は比較的内輪の会ですが、来週には社会に広く情報発信する場も予定されているようです。

■インキュベーションハウスの仲間が増えだしました(2006年9月29日)
インキュベーションハウスは本郷にオフィスを持っています。
活動を活発化するために仲間を増やそうということになりました。
アソシエイツの田辺大さんがイニシアティブをとって動き出してくれました。
田辺さんを社外社長にしたいところですが、業績不振でまだ私が社長引責留任を余儀なくされています。

今度、桐生市の対話法研究所の浅野良雄さんがアソシエイツ参加してくれることになりましたが、
さらに田辺さんの紹介で興味を持ってくださった人がいます。
グローバル・リンクス・イニシアティブ(GLI)の岸上有沙さんです。
GLIのことは私は知りませんでしたが、とても興味ある活動をしています。
本当の意味でのグローバリゼーションの活動、つまりたかだかこの数十年のアメリカ化ではなく、
アマルティア・センが述べているような「知恵と知識の普遍化」という意味でのグローバリゼーション活動です。
ホームページにはこう書いてあります。

思いやりと創造性、そしてエネルギーを持つ人々が手を取り合えば、世界を変えることができます。
こうした人々が「ネットワーカー」としてGLIのネットワークの一翼を担っています。
ネットワーカーは、主にGLIのWEBサイトを通じて、自らのビジョンや経験、知識などを、
世界のさまざまな人たちと分かち合うことができます。
現在、20カ国以上の160名余りのネットワーカーが活動中です。

グローバルなSNSです。
岸上さんによれば、日本でのソーシャルアントレプレナーの動きは海外にはあまりみえていないそうです。
それをもっと見えるようにしたいというのが岸上さんたちの今の関心の一つのようです。
もしかしたらコムケアとも接点ができるかもしれません。
これからの展開が楽しみです。

■災害情報の社会心理に取り組む関谷直也さん(2006年9月29日)
関谷さんが久しぶりにやってきてくれました。
関谷さんとは「環境広告研究会」以来のお付き合いですが、
技術者倫理をテーマにした公開フォーラムを企画推進している仲間でもあります。
最近忙しそうでなかなか集まりに参加できなかったこともあって、今日はわざわざやってきてくれました。

最近鹿児島の水害の調査に行ってきたといって、かるかんをお土産にもってきてくれましたが、
もっと大きなお土産も持ってきてくれました。
関谷さんに関する朗報です。
それを聴いて喜んでいたら、関谷さんに電話がかかってきました。
その内容が、もっと大きな喜びにつながる大朗報でした。
公表していいかどうかわからないので、2つとも内容は省略ですが、
来年からの関谷さんの活躍がとても楽しみです。

関谷さんは環境コミュニケーションのテーマにも取り組んでおり、
昨今の状況の中ではそのテーマのほうで声がかかることが多いようですが、
一番の関心は、風説被害などの社会心理のようです。
この分野はもっと実践的な研究が進むべきだと私も思っていますが、
市民がイニシアティブがとれる、つまり自己組織的な情報システムの構築が市民社会にとっての大きな課題だと思います。

話はそれますが、関谷さんたちとやっている技術者倫理の問題も、
私は「テクノロジー・ガバナンス」の問題として捉えていますが、
情報や技術は誰のものかという視点が真剣に考えられるべき時代だろうと思います。
関谷さんが取り組んでいるもう一つの分野である、
環境広告やCSR広告もそろそろパラダイム転換すべき時期です。

これまでの研究者や大学教授たちのアプローチはいずれも組織視点ですから退屈です。
関谷さんたちの新進気鋭の研究者たちの活躍に大きな期待があります。
なにか面白いテーマで、関谷さんたちの活動にもいつか参加したいと思いますが、
私はそろそろ人生の時間切れ間近なので、それは難しそうです。
できれば時々、関谷さんたちから刺激を受けたいと思っています。

■奥山さんが参加したのに少人数サロンでした(2006年9月29日)
オープンサロンでした。
前半は武田文彦さんだけでした。
そのため極めて個人的な話題になりました。病気と夫婦関係の話です。

武田さんもいろいろな病気を体験してきました。
そして強い意志ですべてを克服してきました。
いま直面しているのは女房と同じくがんです。場所は違いますが。

ドクター武田によれば、がんも含めて、病気を克服するポイントは2つだそうです。
死んでもいいという気持ち」と「絶対直ると言う気持ち」を持つことだそうです。
正反対の気持ちですから、少しむずかしいのですが、
それができればすべての病気は快癒するというのが武田さんの処方です。
ご自身の体験からのことですから、説得力があります。

私も同じように思っているのですが、私が言うのと体験者が言うのとでは言葉の重みが違います。
女房にはきっと説得力があったと思います。

次の話題は武田家の話題ですが、これはわが夫婦の話にもつながる話でした。
人間の世界にも、伴侶の死によって発生する辛さを自然と軽減する仕組みが埋め込められていると話です。
もちろん事故や病気による若い伴侶の死は別の話です。
歳をとるに連れて、夫婦間の距離が自然と発生し、
その死を受け入れられる準備が醸成されるようになっていると武田さんはいうのです。
還暦を超える年齢になる頃から気づきだすのではないかと武田さんはいいます。
そういう風に考えると、熟年離婚というのはむしろ悲しみを緩和するための自然の摂理の一つかもしれません。

残念ながら私はまだ自立できていないので、妻よりも早く死なないと悲惨な人生になることは確実です。
でも夫に先立たれた妻が元気になる話はたくさん聞きます。
残念ながらわが夫婦もそうに違いありません。

とまあ、こんな話題を決して暗くではなく、明るく3人で話していました。
そこにやってきてくれたのが奥山さんです。

奥山さんは、まぜ自分が行く時は参加者が多くて、行かない時は少ないのだといつも嘆いていましたが、
今日は最後まで奥山さんと武田さんの2人でした。
奥山さんがいらしてからは、民主主義の話になりました。
武田さんが今日はとても乗っていたので、結局、奥山さんの話をしっかりと聞けなかったのが残念です。
終わった後に気づきました。すみません、奥山さん。

■我が家のビオトープに沢蟹を放しました(2006年9月30日)
先週、福井からつれてきた沢蟹の中から大きな二匹を庭の池に放しました。
これで4回目なのですが、今までの先輩たちは姿かたちが全く見えません。

沢蟹の生息地域を写真で紹介します。
住みやすそうだと思いませんか。
私が沢蟹であれば、満足して定住しますが。
小さな沢蟹たちは飼育器で冬をすごしてもらう予定です。
大きさは1センチもない子蟹たちはとても元気です。




(2006年10月第1週)
10月になってしまいました。
例年に比べると今年の活動量は半分くらいではないかと反省しています。
やや遅すぎましたが、気を持ち直して残った3ヶ月を少し充実させたいと思います。
と思いながら、今週も思うように動けずに終わりました。

人生はいろいろあります。
「主体性なく、主体的に生きる」という、私の生き方の限界かもしれません。

■畑仕事から感ずること(2006年10月1日)
KAEの研究チームが「幸せ」論議をしたことは前にも書きましたが、
「幸せ」とは多義的な概念です。
私のいまの生活実感は、幸せでもあり、不幸でもあるのですが、
私にはそれはどうでもいいことであって、生活そのものがある以上、自分ではそれに満足しているわけです。
つまり幸せなわけです。動的な意味においてなのですが。

そういう視点から、この頃、社会のあり方や自らの社会との付き合い方を問い直したい気がしてきています。

今日、午前中は少しだけ女房の畑仕事を手伝いました。
といっても雑草とりと冬大根を蒔くための畝作りです。
それでも柔な老体にはきつい仕事です。
喉が渇いたら畑にできているミニトマトをとって食べるのですが、これがまたすごくおいしく、幸せを感じます。
どこの食卓の料理より、私にはおいしいです。

まあこれだけのことなのです、実はこうしたわずか1時間ほどの畑仕事で考えることはたくさんあります。
食に対する考えもそうですが、雑草とりをしながら考えることは少なくありません。
雑草と野菜や花とはどこが違うのか、
野菜はケアしないと枯れてしまうのに、なぜ雑草は抜いても抜いても出てくるのか。
実をならした後の野菜は抜かないとどうやって朽ちていくのか。
収穫されることなく捨てられる遅れて結実した茄子やトマトは幸せなのか。
作業をしながら、そんなさまざまなことが頭に浮かぶのです。

我が家の畑の道路側は通行人のための花畑です。
その花をまだ咲いているのに抜き取ることを農園主の女房から指示されるのですが、
まだ咲いている花を抜くことにも抵抗を感じますが、花好きの女房は見事に決断します。
そのほうが良いのだそうです。
そういえば樹木の剪定もそうですね。思い切ったほうがいいのです。

しょうもないことを書いていますが、
こうした仕事の中に、私はプラトンの哲学書よりも深遠な知恵を感ずる気がします。
そうした「大きな哲学体験」を日々している農業者はすごい哲学者なのではないか。
実はそれを言いたかったのです。

農業者に限りません。職人も商店で物売りをしている人たちもです。
そうした哲学者が最近は減ってしまいました。
それが社会の荒廃に影響しているのではないかと、この頃、痛感しています。
国会での安倍首相の答弁を聴いていて、本当に情けなく思います。
この記事はこのコーナーより、CWSプライベート向きですね。
来週そこに再録します。
CWSプライベートは最近なぜか読者が増えているのです。

■幸せな仕事(2006年10月1日)
畑仕事終了後、女房と娘が花や野菜を買いに行くというので同行しました。
茨城県の利根町のカノンです。
前に一度私も行ったことがありますが、近くのお店と違い家族経営のあまりお店らしくないお店なのです。
前に来たときに、たしか脱サラで開店したと聞きましたが、今回もみんな忙しそうに手入れをしていました。
もう少し展示の見栄えを良くしたら高く売れるだろうにと思うほどに、雑然と自然形で並んでいます。

しかも実に安いのです。
そしてその育て方を質問すると丁寧に教えてくれるのです。
安い例を書けば観賞用のとうがらしが10こくらいで157円なのです。
私も冬コスモスを250円で購入しました。
こんなに安くしてやっていけるのでしょうか。心配です。
しかし、親子3人(たぶん)で働いている姿を見ると実に幸せそうなのです。

私たちは物質的に豊かになるにつれて、物を入手することの喜びを失いだしています。
喜びや幸せ感は状況によって全く違ってきます。
砂漠の中での水との出会いは最高の感謝になるでしょうし、
ダイエットしなければいけないほどの飽食の人には松坂牛のビフテキもたいした感謝の念ももてないでしょう。
そう考えると、お金持ちがかわいそうです。
お金持ちになるにつれて、彼らは喜びを失っていくのでしょう。
それどころかさまざまな悩みまで増やしていくのです。
カノンの家族の皆さんの幸せそうな表情が印象的でした。
さて、私に今の生き方は果たしてどちらを向いているのでしょうか。

私がパソコンに向かって仕事をしていると女房が少し休んだらと声をかけてきますが、
水槽のなかの沢蟹を見ていると「幸せそうね」といってくれます。
人の幸せは身体の表情に出るようです。

■ホームページの効用(2006年10月2日)
ホームページの効用はいろいろあります。
突然、山口県の河野哲男さんからメールが来ました。
あることを検索していたら、このホームページに出会ったようです。
それで久しぶりにメールをしてきたのです。
このホームページを開設してからはほとんど交流がなかったので、登場はしていませんが、
私の人生にも影響を与えた人の一人です。
ホームページのおかげで思い出してもらえました。

そんなメールが時々来るのです。
このホームページはしかし、私のありのままを冗長に公開していますので、
残念ながら仕事に関してはマイナス効果を持っているかもしれません。
このサイトを見たら、仕事を頼もうと思う人はいないでしょうね。
いい仕事をするのですが。

マイナスは仕事面だけではありません。
やっとサロンに参加できるようになったので、久しぶりに私のサイトを見たという人からのメールはちょっと意外でした。
私のサイトを読んでいるうちに、腰が引けてしまったのだそうです。
そして私が書いた女房孝行のことを読んで、サロンではなく奥さんと映画を観に行くことにしたのだそうです。
「ゲド戦記」を観に行ったそうです。
映画から若者を想定されるでしょうが、そうではなく数年前まで大学の教授だった人です。
いまはNPOの理事長として、とても誠実に社会活動をされている方です。
この人ともしばらくお会いしていないので会いたかったのですが、ホームページが邪魔をしたわけです。

奄美大島でのオーケストラ演奏に協力したいという人もメールをくれました。
胃カメラが何ともなくてよかったねというメールも来ます。
私の生活を毎週読んでいるので、会わなくても会っているようだという人もいます。
女房はホームページやブログに時間を使いすぎだといいますが、私にはそれだけの価値があるのです。
世界とのつながりのメディアなのです。

■MHO運動の森建司さんが来訪されました(2006年10月3日)
滋賀県でMHO運動を展開されている森さんがやってきました。
新江州の会長ですが、循環型社会づくりを目標に精力的に活動されています。
ブックのコーナーで紹介した「循環型社会入門」の著者でもあります。
企業経営者であり、財界活動もされていますが、主張が明確で発言もシンプルなことに感心します。
実に素直な人です。初対面でしたが、とても話が合いました。

主張が明確なのは、たとえば、「長浜の黒壁は失敗だ」「トヨタやキャノンは間違っている」などです。
私も全く同感なのですが、私よりも評価は厳しいのです。
財界活動をしている経営者にもこういう人がいるのです。

もちろん考えの違うところもありました。
森さんは、「もったいない」活動が反経済活動だと批判されるらしいのですが、どうも自らもそう思っているようです。
にもかかわらず活動をしているところがすごいですが、
私は「もったいない」こそが経済の基本ではないかと確信しています。

経営は内部的には無駄をなくすことでもありますが、もしそうならば事業的にもそうでなければいけません。
その基本が、今の経済学者や経営学者、あるいは財界には認識されていないのです。
嘉田知事が新幹線駅の建設を中止したために無駄が発生して、
それこそ「もったいない」などと馬鹿なことを言う人もいますが、
問題は無駄の受益者と負担者が違うことから発生する問題です。
そうした構造をしっかりと整理すれば、問題はすぐに解決できるのですが、
嘉田知事も周りのブレーンもそれをやろうとしません。
そして無駄な努力を重ねているのです。
まさにもったいない構図がそこにあります。
発想を変えれば簡単に解決する問題はたくさんあります。
滋賀県庁から依頼があればうれしいのですが。はい。

横道にそれました。
森さんが今回やってきた目的は、私の活動とこうした活動との連携をし、全国的に広げていくことの協力要請でした。
年齢がもう10歳若ければ受けたところですが、残念ながら私には負担が多すぎる課題です。
連携だけはしていこうと思いますが、中心になることは辞退させてもらいました。

それに私の活動と大きく違うところがあります。
私は現場の知恵を優先しますが、MHO運動は有識者の考えを中心においています。
有識者嫌いの私としては、当事者にはなれない活動なのです。
しかし、とてもいい活動ですので、ぜひグランドデザインを作っていくといいとアドバイスさせてもらいました。
森さんと共創していく余地はいろいろありそうですので、これからの展開が楽しみです。

■ちょっとした出会い(2006年10月3日)
ちょっとした出会いから始まる物語というのがあります。
そのちょっとした出会いを忘れてしまうことが多いのですが、
今日、本郷のインキュベーションハウスに寄ったら2人の見知らぬ人がいました。
このオフィスは自律的に動き出しているようです。

一人は宮部さんの友人でイラストレーターの前田義高さんです。
お話していたら佐世保の出身でした。
佐世保といえば、東レを辞めた後、転居先候補の一つだったところです。
三川内焼プロジェクトやデザイナー村構想、さらには西海文化研究会など、思い出のあるプロジェクトにいくつか関わりました。
3年くらいはかなり通ったところです。
そんな話をいろいろしたのですが、もしかしたらいくつか接点もありそうです。
またゆっくり話し合いたいと思いますが、前田さんのイラストはとても人間的で動きがあります。
前田さんのサイトをご覧ください。楽しいです。

もう一人は、中川敦さんです。
早稲田大学人間科学研究科の博士後期過程で、
先行は家族社会学ですが、遠隔地介護に取り組むパオッコのサポーターです。
パオッコの太田さんからお話をお聞きしていた人ですが、運よく太田さんの所に来ていたのです。
家族社会学にはいささか言いたいことがあります。
核家族などという、家族の本質を壊すような動きをなぜもっと真剣に議論しなかったのかという不満です。
30年ほど前に(まだ東レにいた時代ですが)、家族の問題の大切さを予感していて、
家族に関するさまざまな研究会にできるだけ参加していました。
会社を辞めた後も、アルシンクタンク主宰の「住まい方研究プロジェクト」などにも参加したことがあります。
当時の私の主張は「核家族」ではなく「拡家族」でした。
家族の社会化をさらに進める方向こそが望ましい方向だと思っていました。
その後、保育問題に関わったときもその延長で、ソーシャル・フォスターリズムを提案しましたが、
すべてはほとんど情報発信できずに終わりました。
漸くここにきて、家族問題の見直しが始まっているようですが、
家族社会学(とは何かをあまり理解していないのですが)は気になっている学問なのです。
中川さんにお会いできたのはとてもうれしいことです。
改めてゆっくりとお話したいと思っています。

今日のこの2つの出会いが発展していくのを楽しみにしたいと思います。

■一橋大学町村ゼミの荒井さんと松田さん(2006年10月3日)
これもホームページの効用の結果の一つです。
私のサイトに出会って興味を持ってくれた学生が2人訪ねてきてくれました。
一橋大学町村ゼミの荒井友香さんと松田東子さんです。3年生です。
いまゼミで「新宿と市民運動」をテーマに共同研究をしており、手分けして取材や調査をしているのだそうです。

話を聞くととてもいい活動をしていますし、
大学生にしては状況認識も問題意識もしっかりしています。感心しました。
荒井さんはどんなところに取材しようかといろいろなキーワードを入れてネット検索したらしいのですが、
なぜか毎回、わけのわからない「CWS」という文字が出てきたのだそうです。
あまりに繰り返し出てくるので、自分の関心事と重なっているかもしれないという気になって、CWSコモンズを開いてくれたようです。
そして関心をももってくれたのです。

今回の2人の関心は「まちを創るのは誰か」「NPOはどういう役割を果たすのか」「人がまちを創る上で何が大切か」です。
さらに質問されたのは、なぜ私がこんなに幅広い社会活動をしているのか、そのモチベーションは何か、ということです。
そしてこういう質問もされました。
「佐藤さんはそういう活動の中で何を得ているのですか」
大人たちからは出てこない質問ですね。
一瞬答に窮しました。考えたことがないからです。
少し考えて「新しい人と出会えること、つまり世界が広がること」と答えました。
今日も新しい4人の若者と出会えましたが、それだけ世界が広がりました。
とても幸せな1日でした。

■胸の痛みと胃カメラ結果(2006年10月4日)
先日受診した胃カメラ検査は異常なしでした。
しかし慢性胃炎はどうやらストレスが原因のようです。
なにしろタバコも酒もだめなものですから、ほかに理由がないのです。
私もかなりストレスがたまっているようです。
Take it easyという信条と違う生き方になっているのでしょうか。
胃腸はそれで決着したのですが、以前打った胸部の痛みがまだ残っています。
というよりも最近ちょっと強まっています。
その上、手足の軽いしびれ。
来週はどうやら病院に行かねばならないようです。

■リレー・フォー・ライフ(2006年10月4日)
今日は女房の病院に行く日でしたが、
ちょうどその前にNHKテレビで放送していた「リレー・フォー・ライフ」のドキュメンタリー番組を2人で見ました。
素晴らしい活動です。
事前に知っていたら、何をおいても参加したかったイベントです。
これからも継続される活動のようですので、参加していきたいと思います。

リレー・フォー・ライフとは、1985年にアメリカで始まったイベントです。
「手を取り合って支えあい、がんに立ち向かって行こう」をめざして、
がん患者やその家族友人が、みんなでチームを組んで陸上競技場をリレー形式で歩き続けるイベントです。
参加者の参加料はがん対策基金に寄付します。
今では、全米4000カ所以上、世界20ヶ国以上で行われているそうですが、日本では今年の9月2日に初めて開催されたのです。

中心になって実現したのは、がん患者の三浦さんという方ですが、そのサイトは感動的です。
最近、がんに関するテレビ番組が多いのですが、
がんに関する啓発効果はあるでしょうが、がん患者ややその家族としては、その取り上げ方が気になることは少なくありません。
番組の編集方針がとても大事だと思います。
しかし、今回の番組はとても元気づけられるものでした。
少なくとも最近ちょっと元気を失っていた私たち夫婦が元気づけられたことは間違いありません。
私もこの活動に参加させてもらおうと思います。

今日は女房の病院に行く日でした。
その前にこの番組に出会えたことに感謝します。
再放送があると思いますが、皆さんぜひ見てください。

■下山浩一さんからのエール(2006年10月7日)
インキュベーション型コムケアフォーラムの実行委員長を買って出てくれたのがコミュニティアート・ふなばしの下山浩一さんです。
フォーラム開催日は11月19日なのですが、私的にはまだ時間がありますが、一般的にはもうすぐです。
しかしまだ場所と大枠が決まっているだけです。
そろそろ集客の呼びかけを始めなければいけませんが、私の努力不足でなかなか動き出せずにいます。

そこで下山さんにお会いしました。
下山さんはコムケアの強力な支え手です。
会う度にエールをもらいます。
今回もコムケアでまだやれることがあるでしょうと激励されました。

下山さんは「アートとクォリティオブライフ」のテーマに関心が向いているようです。
これを話し出したら、また延々となりそうです。
今日は時間がなかったので議論を差し控えましたが、アートも福祉も人生も、
ほとんど同義語で捉えている私としては、下山さんがこのテーマに行き着いたことに関心があります。
落ち着くことがもしあれば、一度、ゆっくり話したいと思っています。
しかし年内はいろいろ落ち着くことが難しそうです。
今日の青空は、雲も多いですが、とても美しいです。

■とてもきれいな満月(2006年10月7日)
昨夜は中秋の名月でしたが、残念ながら雨でした。
その代わり、今夜はとてもきれいな満月でした。
夕食後、女房と2人で庭でしばらく満月を見ていました。
昨年はなぜか家族が不在で、女房は一人で満月を見ていたそうです。
幸いに我が家の庭からは満月が良く見えるのです。
もっと早く気が付けばよかったのですが、
気が付くのが遅くて写真を撮るには上空に上がりすぎてしまいましたが、
できの悪い写真を撮りました。
黒い日の丸です。



思い出して、一条真也さんと鎌田東二さんのムーンサルとレターを読みました。
とても面白い内容でした。
主題は「霊」です。
そしてなぜか三橋節子です。
心に沁みました。
よかったら読んでください。

(2006年10月第2週)
素晴らしい秋晴れに恵まれました。

■日本経営道協会執行理事会(2006年10月10日)
日本経営道協会が新たな組織活動に入ることは何回か書きましたが、
今日はその中心にある執行理事のメンバーの集まりがありました。
私はアドバイザー的な役割で参加させてもらいました。
メンバーの多くは自分で会社経営をしている人たちですが、
単なる利益目的だけではなく、常に社会の行方を考えている人たちです。
新たな組織体制や活動に関しては大きな方向が決まりましたが、
10月30日には正式発足の集まりがあります。

企業経営者として、これからの企業や経営のあり方を考えている方がいたら、ぜひご参加ください。
私に連絡をいただければ、ご案内させてもらいます。

■KAE経営道フォーラム合宿(2006年10月12日)
今日はKAE経営道フォーラムの合宿です。
これまで活動してきたことをまとめるための合宿です。
私が関わっているチームは2つですが、

「おらが会社」と「働き甲斐のある会社」がそれぞれのテーマです。
今回はいずれのチームも「調査型」で、アンケート調査や企業インタビューに力を入れていたので、
議論が不足気味でいささか心配だったのですが、この合宿でかなり面白いところまで突っ込めたように思います。
もっともこの活動は報告書をまとめるところに価値があるわけではありません。
ちょっと立ち止まって自らの生き方や働き方を考えてみることに大きな価値があります。
その意味では、一緒にどのくらい楽しめたかが成果になってきます。
これからそれぞれのチームがどう発展していくか、楽しみです。

■明篤館館長宮田喜代志さん(2006年10月13日)
熊本の宮田さんが来てくれました。
最近の活動の報告をお聞きして、これまでの活動が大きなうねりになってつながっていく展望が見えてきました。

小規模多目的ホームの明篤館は見事に好循環に入ったようです。
最初にエネルギーとコストをかけて、じっくりと人間のつながりを育てておかげです。
コスト発想ではないバリュー発想の経営を宮田さんは実現しています。
先日書いた「拡家族」の話をしたら、宮田さんも共感してくれましたが、
まさに「拡家族モデル」といっていいでしょう。

もう一つがフェアトレード活動ですが、スリランカを舞台に実に魅力的な物語が始まりそうです。
フェアトレードが一段と進化しそうです。
「大きなフェアトレード」といっても良いでしょう。
しかもそこに宮田さんの得意な農業技術が要となっていきそうなのです。

さらに福祉の分野では障害者の社会参加と豊かな暮らしの実現を目指すきょうされん熊本支部の事務局長の仕事も順調に広がり深まっているようですし、
大矢野有機農産物供給sエンター構想も実現間近のようです。

これらが宮田さんを要にしてつながっているとこに面白さがあります。
少しずつ見えてくると思いますが、こうした動きが日本の各地で始まっているのです。
マスコミ情報だけ見ていると、海外の動きだけではなく国内の動きも見誤るかもしれません。

■KAEエグゼクティブフォーラム開講式(2006年10月13日)
山城経営研究所では経営道フォーラムと並んで、
エグゼクティブフォーラムというプログラムを持っていますが、
今日はその17期の開講式でした。
その基調講演は私がさせてもらっているのですが、
今回は「表情のある個人を起点に考える時代」をテーマに、
「アントレプレナーシップを持って企業価値を高めませんか」という話をさせてもらいました。

ブログにも書きましたが、みなさんの疲れを感じました。
意欲的で講演のあとの意見交換も面白かったのですが、
「エンプロイー(雇われ人)」意識の呪縛に囚われている気がしました。
アントレプレナーの世界とは実に対照的です。
しかし、そうした企業人たちが少し姿勢を変えて、アントレプレナーシップを高めれば、きっと社会は大きく変わるでしょう。
逆にそういう期待を感じました。

講演後、4つのグループに分かれての話し合いもありましたが、
私が入ったあるグループでは、半数の人が転職者でした。
いずれも大企業から300人以下のヒューマンスケールの会社への転身です。
みんな自発的転身です。転身してからのほうが働き甲斐を感じているようです。
また子会社に出向している人もいましたが、その人も働き甲斐が高まったようでした。

時代のベクトルが変わりだしているのを感じます。
毎年、どこかのチームが議論しにやってきますが、今年の議論は面白くなりそうです。

■ソフト整体で元気回復です(2006年10月14日)
最近、私の身体的精神的不調をここに書いてしまっているために、
いろいろな人から心こもった心配のメールや治療にむけての情報を送ってもらっています。
ありがとうございます。

10日に脳ドックに行く予定だったのですが、病院に出かける直前に考え直しました。
娘から勧められていたソフト整体にまず行ってみようと考えたのです。
検査よりも実際の治癒のほうがいいと考えたのです。
幸いにあいていたので、すぐに行きました。
中国から2年前に来たという宗さんという方です。
かなりの肩こりだそうです。
1時間揉み解してもらったかなり楽になりました。
筋肉が固まっているので、続けて来ないといけないといわれましたので、
今日もまた行きました。

だいぶ楽になったような気もしますし、よくわかりませんが、
頭痛と足裏のしびれはなくなりました。
週1回くらい通い続ければよくなるそうです。
宗さんは極めて穏やかな人です。

そんなわけで私の心身は極めてよくなりました。
ご心配をかけてすみませんでした。
ありがとうございました。

(2006年10月第3週)
定期的な書き込みは今週でしばらく休むことにしました。
不定期な書き込みはできるだけしていく予定です。

■男たちの居場所づくりプロジェクト(2006年10月18日)
KAE経営道フォーラムに参加していた伊藤さんがやってきました。
新しいプロジェクトの相談です。
男たちの居場所づくりに関わるプロジェクトです。
あと5年早かったら私も一緒にやりたかった内容です。
というよりも、実はコンセプトワークショップを始めた時のテーマの一つでもありました。
そしてインキュベーションハウスの目標の一つでもあるのです。
これからしばらくは時間がとれなくなりそうなので、
残念ながら横からアドバイスする程度しか参加できそうもありませんが、
まさに伊藤さんはソーシャル・アントレプレナーです。
詳しくお話できないのが残念ですが、大企業の中にもこういう人が増え始めました。
うれしいことです。

■「ほっかいどう学」実践フォーラム(2006年10月20日)
ブログでも書きましたが、昨年からほっかいどう学が新しい構想で動き出しています。
これまでも地域学を意識した展開がされてきており、道内にはすでに70前後の地域学があるそうです。
道民カレッジが、そうした実績を活かしながら、大きなほっかいどう学を構想し、すでに展開が始まっています。
道民カレッジ5周年として「ほっかいどう学実践フォーラム」がを開催され、その基調講演を頼まれたのです。

準備不足でお伺いしたのですが、
ほっかいどう学を企画推進している木村征範さん(北海道立生涯学習推進センター長)や町井輝久さん(北大大学院教授)とお話していて、
ほっかいどう学の取り組みがとてもしっかりした理念や思いで動いていることを知りました。
とても共感できる取り組みです。

そしてそれ以上に構造が面白いのです。
すでに道内各地で地道な地域学が展開されていますが、
それをつなげ支える形で「ほっかいどう学」は構想されているのです。
予算があまりないそうですが、それも望ましいことです。
予算が十分にあると継続的な事業は起こしにくくなります。まあ、これは私の考えですが。

講演の前に木村さんからなぜ私に声がかかったかを話してもらいました。
入間地区の公民館大会での話を聞いてくださった方から私の名前を聞いてくださり、
私のいくつかの講演記録を読んでくれて、声をかけてくれたのだそうです。
どうやら大きな期待が私にはかけられているようで、冷や汗の出る思いでした。
それにしても木村さんの発想はとてもやわらかで感心しました。
道内各地の地域学ネットワーク育てのために道内を駆け回っているようです。
そのためでしょうか、話がとてもかみ合うのです。
これまでの行政職員とはちょっと違う姿勢を感じました。

基調講演は何とかうまくいきました。
とてもうれしかったのは主催者の木村さんが喜んでくれたことです。
フォーラムの概要は北海道生涯学習協会のホームページにきっと報告されるでしょう。

会場に陰山さんが来てくれました。
終了後、陰山さんとお話しましたが、今もなお夢を追い続けているようです。
エゾシカの肉の活用プロジェクトです。
しばらく体調をくずされていたようですが、元気になりつつあるとのことでした。
今日は少し無理をして、出かけてきてくださったようです。

■我孫子手づくり散歩市(2006年10月21日)
この週末は我孫子手づくり散歩市です。
娘のスペインタイル工房も参加したので、我が家の一画にある工房が会場になりました。
そこで我が家をあげて娘に協力することになりました。
女房は最近調子が悪いのですが、こういうのがとても好きな人なのです。
がんばってケーキをつくったり、庭をきれいにしたりして、朝から張り切っていました。
久しぶりに家族全員でのイベント参加です。

我が家は手づくり散歩市のメイン通りからはちょっと離れているのです。
お客様があるかどうかは不安でしたが、幸いに天気にも恵まれ、たくさんの訪問者がありました。
近くの人も来てくれましたが、これまでなかなかゆっくり話し合う機会がなかった人もいて、とてもいい機会になりました。
明日22日の午後は私のコーヒーサービスのサロンもありますが、果たしてきてく
れる人はいるでしょうか。

■広島の原博巳さんからの土笛(2006年10月21日)
広島の原さんからまた土笛が届きました。
まだお会いしたこともない人から、毎年土笛が届くのです。
今年は土笛と一緒に猪の土鈴が贈られてきました。
来年の干支はいのししなのですね。
土笛は柿の葉の形でした。
原さんからの手紙の一部を引用させてもらいます。

柿の葉も日ごとに色づいてきました。
毎朝、柿の落葉を拾うのが楽しみです。
 無限異彩美しきかな柿紅葉
柿の葉を拾ってきては粘土に型取りして土笛にしています。
残念ながら自然の彩色には遠く及びません。
私などには決して出すことができない美しさです。
音色だけでも、吹いてみてください。

とても自然の良い色に仕上がっています。
どうしたらこんな色が出るのでしょうか。
吹いてみました。
とても素直な音です。
3つ送ってくださいましたが、それぞれ違います。

原さんのお心遣いに感謝しています。
3つもいただいたので、
どなたかご所望の方がいたら、お譲りいたします。
きっと原さんも喜んでくださるでしょうから。


(2006年10月第4週)
引き続き簡単な書き込みをしていくことにしました。
心変わりの原因は1冊の本でした。


■我孫子手づくり散歩市での意外な訪問者(2006年10月22日)
手づくり散歩市は天気に恵まれ、いろいろの方が来てくれましたが、遠方から思わぬ人がやってきてくれました。
佐々木憲文さんご夫妻です。
佐々木さんの奥さんにははじめてお会いしましたが、思ったとおりの人でした。
いろいろと元気をもらいました。

■三沢市花と緑のまちづくり委員会(2006年10月24日)
三沢市の花いっぱい運動のアドバイザーを引き受けていますが、
今回は行けないかもしれないと不安でしたが、何とか参加できました。
3ヶ月ぶりでしたが、委員のみなさんの顔つきが代わっていたのがうれしかったです。
委員会が始まる前にもいろいろと話しかけられましたが、少しずつよい感じで動き出しているようです。
住民は適切な場が与えられればみんながんばれるものです。
委員会も前回と違い、「○○してほしい」という要望や依存型の発言ではなく、
「こんなことを提供できる」という発言が出てきたのに感動しました。
この活動はきっと面白い展開になりそうです。

■台東デザイナーズビレッジ村長鈴木淳さん(2006年10月26日)
今日は久しぶりにオフィスに行きましたが、オフィスに行くといろいろ突然の来客もあるものです。
日本経営道協会の市川覚峯代表やビレッジハウスの山本京子社長がすれ違いで来訪されたので、偶然にお引き合わせできました。
面白い組み合わせです。
時間が少しあったので、今度のコムケアフォーラムの会場に予定している台東デザイナーズビレッジの鈴木村長を訪問しました。
廃校になった小学校の活用なのですが、魅力的な空間になっています。なかなか面白い会場です。

鈴木淳さんとはしばらくぶりです。
今は村長として、台東区のベンチャー企業のインキュベーションを支援しています。
会場を見せてもらったついでに、鈴木さんにも応援をお願いすることにしました。
鈴木さんの参加があればもうフォーラムは成功したようなものです。
今日は住友生命の井上さんにもお会いしたのですが、みんなから支えられている幸せを実感しています。
台東デザイナーズビレッジでのインキュベーション型コムケアフォーラムは11月19日です。

■コムケアの新しいNPO支援プログラム開発(2006年10月27日)
11月19日に開催するインキュベーション型コムケアフォーラムの実行委員会を急遽、
会場に予定している台東デザイナーズビレッジで開催しました。
村長の鈴木さんも早速仲間入りしてもらいました。これがまさにコムケア的なのです。
急な呼びかけにも関わらず、下山さん、北岡さん、橋本さん、山浦さんが集まってくれました。
おかげでフォーラムの趣旨やプログラムも確定できました。
予定外だったのは私がさぼれなくなったことです。
というのは、実行委員長の下山さんが、
資金助成を超える新しいNPO支援プログラムを発表するのはどうかといいだしたのです。
昨夜、寝不足だったのであまり思考力がなかったために、賛成してしまいました。
さてどうすればいいでしょうか。
少し悩まなければいけません。
困ったものです。

■「いまここに在ることの恥」からのメッセージ(2006年10月28日)
辺見庸さんの「いまここに在ることの恥」を読みました。
衝撃を受けました。涙が出るほどでした。
いろいろと状況変化や気分の変化があって、
しばらくは社会と関わるまいと思い出していたのですが、この本を読んで少しぐらついています。
辺見さんに恥ずかしくないのか。いや、自分に恥ずかしくないのか。
どうも自主性がありません。困ったものです。

追記:こんなブログを見つけました。私と同じ気分の人のようです。
辺見さんの本からの引用があります。

こんな迷いが出てきたのは、この本だけのせいではありません。
その前に2つのことがありました。
最初は東尋坊で自殺予防活動をしている茂さんが出版した「命の灯台]という本を読んだことです。
この本の紹介はブックのコーナーにしました。
心動かされます。茂さんや川越さんの生き方には敬服します。

本を読んだ日の夜、テレビで「吉田拓郎&かぐや姫 in つま恋2006」のドキュメントを観てしまいました。
何の気なしに女房と見ているうちに、2人ともひきつけられてしまい、最後まで観てしまいました。
私たちは「拓郎世代」でも「つま恋コンサート世代」でもありません。
しかし、当時の若者たちの熱い思いを、いささかの羨望を持ちながら、共感していた世代です。
ですから今回掛川で行なわれた「吉田拓郎&かぐや姫 in つま恋2006」に集まった中年族たちの思いには共振してしまえるのです。
あの時代は、若者たちは勝手に動いているようで、深く社会につながっていたのです。
その社会は小さな社会だったかもしれませんが、大きな世界や歴史への展望があったように思います。
未来があったのです。そしてなによりも、人間がありました。

この2つが私の気持ちにある変化をもたらしつつありましたが、
その翌日に読んだのが、辺見庸の「いまここに在ることの恥」(毎日新聞社)です。
気になって購入しておいた本なのです。
CWSプライベート「美しい国へ」のコメントに、知らない方が投稿してくれていたので、その返事に次のようなコメントを書きました。
長いですが、再掲載します。
とても良い本です。
よかったらぜひ読んでください。

mysunshineさん
ありがとうございます。
辺見庸さんが今年の4月に講演した内容が、「いまここにある在る恥」という本に収録されました。
毎日新聞社から出版されています。

私は一時、テレビに小泉首相の顔がうつるだけで嘔吐を感じました。
これだけ卑劣な犯罪者をなぜみんなが拍手するのかが全くわかりませんでした。
小泉が犯罪者でないとしたら、それに反対する私が犯罪者なのかも知れないと思うこともありました。
それで次第に自閉的になっていく自分に嫌悪感を持っていました。もちろん厭世気分もかなり高じていました。

私が信頼する数少ない大学教授の一人が、小泉首相を評価している発言を聞いた時には唖然としました。
やはり大学教授にはまともな見識を持った人はいないのだとさえ思いました。
まあ、みんな勝手にすればいいという気になったものです。
最近の気分もそれに近いのですが。
辺見さんは、しかし恥の中に甘んずることはしない人のようです。
あまりのひどさに、講演活動を続けるうちに、講演の最中に脳梗塞で倒れたようです。そしてがんまで発見されました。
しかし、それで終わりませんでした。
恥の中では死ねなかったのでしょうか。
そして今年の4月に「いまここに在ることの恥」の講演をされたのです。
私がその講演録を読んだのは一昨日です。
自らの生き方を、さらに恥じないわけにはいきません。

アンドルー・ワイルの「癒す心 治る力」に、「ニュース断食」という言葉が出てきます。
自己治癒力を高めるためには、ニュースには触れないほうがいいというわけです。
確かに最近のテレビニュースの毒性は高まる一方です。
テレビ関係者はすべて毒性を高める志向を持つ麻薬常用者のような存在に成り果てているように思います。
もちろんキャスターも含めてです。彼らも以前書きましたが、私には犯罪者の片割れにしか見えません。

mysunshineさんのご指摘のように、
日本は「愛国心教育」が必要なほどに「醜い国」になりました。
私たちの生き方の問題なのかもしれませんが、
どう立ち向かっていいのか私には見えません。
恥を甘んじて受けながら生きる生き方を脱せない自分が、最近はつくづくいやになりますが、
その生活の中にある「幸せ」の魅力は決して小さくもないのです。
私はいま、そうした方向にむき出しています。
醜さの中での幸せというわけです。
つまり私も大勢の日本人の仲間入りをしようと考えています。
できるかどうか不安ですが、慣れてしまえば簡単なのかもしれません。
みんなと一緒に犯罪をしていれば、罪の意識もなくなるでしょうし、恥の意識も気にならなくなるでしょう。

と一昨日まで思い出していました。
辺見さんの本を読んで、ちょっと迷いだしました。
いままだ迷っています。
辺見さんの「いまここに在る恥」は、ぜひ一人でも多くの人に読んでほしい本です。
その本の第3部だけでいいですから。

そんな3つのことが私の生き方をまた迷わせ出しました。
ちなみに、ワイルの「癒す心 治る力」は根本賢二さんが送ってきてくれたのです。
みんなが私をエンパワーしてくれているようです。

このホームページももう少し続けることにしました。
但し、不定期更新ですが。

(2006年11月第1週)
女房と一緒にすごす時間が増えました。
社会に関わることが、いろいろな意味でわずらわしくなってきています。
しかし、その一方で、気になることはますます多くなってきています。
ブログを書きたいテーマも頻発しています。
困ったものです。
さて今週は4つのことだけ書きます。

■新生日本経営道協会の発起会(2006年10月30日)
経営道を説き続けている市川覚峯さんに共感する人たちが集まって、
これまでは市川さんの個人活動だった日本経営道協会を組織にすることになりました。
今日はその発起会でした。
約70人の人たちが集まり、新たに理事や執行理事が決まり、これから活動を一段と広げていくことになりました。

市川さんが、これまでの10年とこれからの10年に関して、参加者に熱いメッセージを送り、
それを受けて、理事長や執行理事の代表たちが、それぞれの思いを発表しました。
多くの人たちが企業の経営者なのですが、
昨今の企業経営のあり方にいささかの異論を持ち、
社会的な視点を大切にした経営に心がけている人たちがほとんどです。

日本経営道協会は、新たに会員組織としてスタートしますが、
この組織が思いを持つ経営者たちの開かれた活躍の舞台になればと私もささやかに応援しています。
しかし、正直にいえば、日本の企業経営者の社会活動はまだまだアマチュアリズムのように感じます。
つまり「経営」と「社会性」とがしっくりとつながっていないのです。
大企業の社会貢献活動やCSR活動に比べれば、中小企業の本気度は高いですが、
私にはどこかに違和感を感ずるところがあります。
経営の真髄が語られていないせいかもしれません。

経営とは本来的に社会性のあるものなのですが、どうもそうなっていないのが残念です。
いや、その認識が最近の経営者には欠落しているのが残念です。

■NPOのこれからを真剣に考えている田中弥生さん(2006年11月2日)
ブックのコーナーで紹介した「NPOが自立する日」の著者、田中弥生さんが久しぶりに訪ねてきました。
今年の春、東大助教授から大学評価・学位授与機構の助教授へと転身されてから初めてお会いします。

田中さんは現在、日本NPO学会の副会長でもあります。
「NPOが自立する日」の中で田中さんは現在のNPOのあり方に厳しい問題提起をしていますが、
その問題意識はさらに深化しているようです。
久しぶりに田中さんとNPO議論をしました。

私は社会を捉えるパラダイムをシフトさせていますので、
今の研究者やNPO関係者とはコミュニケーションが難しいですが、今回は少しだけコミュニケーションできました。
次回はきっともっと議論がかみ合うでしょう。
これからのNPOのあり方、もしくは日本社会のあり方を真剣に考えている方がいたら、一度、田中さんに会うといいかもしれません。
田中さんが来年、どんな風を起こすか楽しみです。

■ジャパンバードフェスティバル2006(2006年11月4日)
近くの手賀沼で恒例のジャパンバードフェスティバル2006が開催されました。

女房と2人で散歩がてら出かけてみました。
にぎわっていました。
会場で県会議員の花崎広毅さんと前衆議院議員の松崎きみあきさんに会いました。
2人とも民主党です。
私は民主党が好きではありませんが(民主党というよりもすべての政党が好きではないのです)、
とりあえずは今ががんばりどころだと思いますし、がんばってもらわないと日本はひどいことになりそうです。
「平和への結集をめざす市民の風」の活動では、いま、平和統一候補活動に取り組んでいますが、
民主党とどう関わるかは悩ましい問題です。
今の民主党は改憲主義者が多いからです。

残念ながら地元では松崎さんも花崎さんも、なかなか実体が見えてきません。
こうしたところに政治家のこれまでの姿勢の限界があるのでしょう。
それに民主党は相変わらずに「市民参加」とか「協働」などという用語を使っています。
現場のことを知らないことを宣言しているようなものです。
自民党の地方分権構想の本質的なごまかしを継承しようとしているのかもしれませんが。
社会への働きかけにおいては、むしろ自民党が変わりだしましたが、民主党は相変わらずのような気がします。
私が民主党のコミュニケーション研究会の呼ばれた頃と全く変わっていないようです。

会場にアサザ基金もブースを出していました。
手賀沼にはアサザは群生していないようですが、
手賀沼も霞ヶ浦のような物語の創出にもっと真剣に取り組むべきでしょう。
他にもいろいろ面白い取り組みがありました。

女房はバードよりも花が好きですので、
またたくさんの花を買い込んできました。
実は女房の花日記ブログがスタートするはずだったのですが、なかなか進まずにいます。
あきらめずに準備を進めています。

■世間の狭さ(2006年11月4日)
娘のスペインタイル工房タジュール・デ・ジュンではタイル教室もやっていますが、
そこに今日、足代さんという方がやってきました。
我が家の近くにお住まいで、先日の手づくり散歩市に近くを通っていて、
偶然に娘の工房に立ち寄ってくださったのです。
その時はお話できなかったのですが、
娘から足代さんは喫形文字を学んでいると聞いたので、一度お話したいと思い、工房に顔を出させてもらいました。
そこで意外な展開になったのです。

足代さんは娘のホームページにリンクされている私のホームページを訪ねてくださり、
そこで「井上小太郎」という名前に出会ったのです。
井上さんの名前を見つけるとは、きっといろいろと読んでくださったに違いありません。
井上小太郎さんは、私がはまってしまったコムケア活動の生みの親です。
井上さんがいなかったら、コムケア活動は今のような形にはならなかったでしょうし、私も3年でやめていたと思います。
ともかく私のわがままな活動に全幅の信頼を与えてくれた人です。

足代さんと井上さんは同じ会社の先輩後輩で、顔見知りなのだそうです。
そんなわけで、足代さんも私にお話したかったようで、実にうれしい出会いになりました。
女房も一緒に、少しお話をさせてもらいました。

ホームページが縁で、こうした出会いがあることはうれしいことです。
そういえば、先週もある見知らぬ人から電話がありました。
ホームページで私のことを知ってくれたのだそうです。
もしかしたら、このホームページは閉鎖しようかと考えているのですが、
こういううれしいことに出会うとついつい続けたくなります。
そんなわけで今週も少しだけ更新させてもらいました。

(2006年11月第2週)
祈りを重ねています。
世界の平和と女房の回復が祈りの対象なのですが、
最近は前者を忘れがちです。
私にとっては、世界の平和よりも女房の元気が比較にならないほどに大切なのです。
もちろんそれらはつながっています。
しかし自らが幸せでないと、他の人の幸せは祈れないものです。
早くまた世界の平和を、心を込めて祈りたいと思っています。

■アイズキャリアクラブの坂本孜さんとの共通の世界(2006年11月6日)
日経ビジネスで私の名前に出会って、ホームページを訪問してくれた坂本さんが訪ねてきてくれました。
坂本さんはいま、潟Aイズというとことで取り組んでいるアイズキャリアクラブのお世話をされているようです。
アイズキャリアクラブは、企業を卒業されたシニア層を中心に、
その新しい活躍の場を支援しようというネットワーク組織のようです。
こうした話は私も15年ほど前にいくつか取り組んだことがありましたが、時期尚早で見事にみんな失敗しました。
今もその延長のものも含めていくつかにささやかな接点はありますが、どうもみんなあまり発展していません。
パラダイムに問題があるのではないかと思います。
先日やってきた伊藤さんのプロジェクトも、目指すところは同じです。
このクラブはすでにスタートしていますので、関心のある方はサイトをご覧ください。

ところで、その話はすぐに終わり、私も可能な範囲で協力させてもらうことにしたのですが、
いろいろと話し合っていると坂本さんと私は同年齢で、
しかもかなり共通の知人友人がいることがわかりました。
しかも坂本さんは学生時代に東レの滋賀工場で実習をしたそうですが、
その時の事務局が何と田代茂夫さんで、私の先輩です。
田代さんが本社に移った翌年に私が同じ職場に入社配属になったのです。
田代さんはコムケアの選考会に来てくれたり、オープンサロンに来てくれたり、今もお付き合いさせてもらっています。
女房も良く知っています。

話しているとお互いに知っている人たちの名前が次々と出てくるので驚きました。
世界の狭さをこのごろ本当に体験させられます。

■許されない行為への怒り(2006年11月6日)
前項の坂本さんが私を知ったのは、日経ビジネス10月30日号の「広がる消費の男女格差」という記事です。
そこに次のような記載があります。

NPOでセミナーなどを主催するコンセプトワークショップの佐藤修氏は
「男性は学ぶことが好きなので、無料のセミナーを開催すると申し込みが殺到するが、
1000円でも取る有料セミナーになると、途端に集まりが悪くなる」
と苦笑いする。
(57頁)

驚きました。事実無根の捏造記事です。
日経にはクレームを入れたいと思いますが、ひどいもので、名前も無断で使われています。

事実無根のところは2つあります。
まずは「NPOでセミナーなどを主催するコンセプトワークショップ」です。
これまでに一度もそんなことはやったことがありません。

次に、私の発言内容ですが、
これに関しては以前このコーナーに書いた記事を読んでくれた人もいると思いますが、私の言葉ではありません。

知人と一緒に来た日経マスターズの元編集長の言葉です。
あれは取材だったのでしょうか。
もしそうであれば、「やらせ取材」的な行為ですね。
がっかりしました。

昔、新聞取材で発言したことのない記事を書かれたことが幾度かありますので、
事前に確認できない取材は基本的には断っているのですが、最近は取材もほとんどないので気を許してしまいました。
それに知人の友人だといわれて、雑談だと思っていました。

記事はこうやって創られていくのでしょうね。
そういえば、いま、タウンミーティングで「やらせ質問」が話題になっていますが、何をいまさらという気がします。
今のマスコミはそうしたことを知って、記事作りをしていることは間違いないでしょう。
何しろ自らがそれをしているのですから。
とても寂しい事件でした。

■我孫子市で宮田穣さんに会いました(2006年11月7日)
我孫子市にこの数年、私の友人知人がよく来ます。
なにしろ我孫子市は市民活動支援の「先進的な自治体」で、さまざまな後援会やセミナーなどが開催されているからです。

今日は宮田穣さんがレベルアップ研修の講師としてやってきました。
終了後、お会いしました。半年振りでしょうか。
今回のテーマは「NPOの広報力アップ」です。
この分野ではきちんと話せる人は少ないと思いますが、
宮田さんは現場を踏まえながら、しっかり体系化された枠組みをお持ちです。

宮田さんの最近の関心事などを中心に意見交換させてもらいました。
私の関心事とかなり重なっています。
共通するキーワードの一つは「物語」でした。
広報活動の捉え方も共感できます。
久しぶりに「広報戦略」に関して、刺激的な意見交換ができました。
うれしいことです。
いつか一緒に活動をしたいと思いますが、私の事情がしばらくはそれを許さないかもしれません。
残念です。

■谷和原村の城山里まつりの誘い(2006年11月7日)
私にとってはすごくうれしい招待状が届きました。
茨城県谷和原村(合併して「つくばみらい市」などという退屈な名前になりましたが)の横田明さんからのお誘いです。
横田さんたちの活動については前回の記事をお読みください。
私が理想とする「まちづくり活動」のモデルの一つです。
行政主導の住民参加型の活動や行政と住民の協働プロジェクトなどという言葉だけの活動ではありません。
住民主役の活動です。

この1年間の活動報告書も入っていました。
地道に汗を流す自発的な楽しい活動をしています。
代表の横田さんは大変だと思いますが、仲間も少しずつ増えてきているようです。

その横田さんが、今回も夫婦でぜひ来てほしいというのです。
最近は気が滅入ることが多く、夫婦ともに元気が出ないのですが、久しぶりに元気をもらいました。
しかし残念ながら19日は参加できません。
最近、女房の体調が悪くて、2人では行けないのです。
残念ですが、きっとまた横田さんには会えるでしょう。
横田さんは本物の住民ですので、決して途中ではやめないでしょうから。

■私を元気づけに佐久間庸和さんがやってきました(2006年11月10日)
北九州市から佐久間庸和さんがやってきました。
佐久間さんに関しては何回か書いていますが、
孔子とドラッカーの考えを実際の企業経営に展開している経営者であり、
示唆に富む著作を次々に世に出している研究者でもあります。
17日に北九州市での集まりに招待されたのですが、
私がいまは遠出ができないといったら、佐久間さんが会いに来てくれました。
最近の私のホームページ記事やメールに「気」がないのを心配してくれていたのです。

刺激的な会話を楽しませてもらいましたが、
佐久間さんの冠婚葬祭に対する思いの深さを今日は改めて知らされました。

経営者にとって大切なことは、自分たちの事業への思いの深さです。
残念ながら、本田宗一郎や松下幸之助のような、
本当の意味でのミッションを追い続けている経営者が少なくなりましたが、
佐久間さんは間違いなく、その一人です。

佐久間さんは、心ゆたかな社会づくりを目指す平成心学塾活動に取り組んでいますが、
その基本テキストとしての平成心学3部作の3冊目が、今日、完成しました。
今日はその本を持参してくれました。「ハートフル・カンパニー」です。
17日にお披露目されるはずの本ですが、
北九州に行けなかったおかげで、みんなよりも一足お先に読ませてもらえることになりました。
すでに、「ハートフル・ソサエティ」と「ハートフル・マネジメント」(本題は「孔子とドラッカー」)はブックのコーナーで紹介していますが、
今回は、佐久間さんご自身が経営する株式会社サンレーが舞台です。
つまり具体的な実践記録なのです。

3部作というと、多くの場合、スタイルをそろえがちですが、
この平成心学3部作はそれぞれがスタイルも体裁もみんな違います。
それに著者の名前すら違うのです。
前2冊は一条真也というペンネームで、3冊目は佐久間庸和という本名で書いています。
それは最初から意図されていたようです。そのあたりも佐久間さんらしさを感じます。

冠婚葬祭ということに、佐久間さんは大きな思いを持っています。
冠婚葬祭は日本人のアイデンティティを象徴し、そこに日本社会の本質が込められていると佐久間さんは考えています。
その真意はなかなかみんなには伝わらないでしょうが、私は心から共感します。
冠婚葬祭はまさに生きることを豊かにする「人生道」だと思っています。
先人たちの知恵の集積でもあり、文化そのものでもあります。
それを軽んじたことが社会を崩してしまったのです。
文化や記憶のない社会は烏合の衆でしかありません。

ただ「冠婚葬祭」ではない、新しい概念用語が必要だと思います。
ぜひともそうした新しいシンボルワードを佐久間さんには創案してほしいものです。

佐久間さんと話をしていて、たくさんの元気をもらいましたが、
別れて一人になると、やはり厳しい現実に押しつぶされそうになります。
しかし、佐久間さんのおかげで、今日は少し余裕をもって祈ることができました。
佐久間さんの新著「ハートフル・カンパニー」はまた読ませてもらった上で、ブックのコーナーで紹介します。

■「銀河鉄道の夜」のジョバンニの不安と希望(2006年11月11日)
最近はコムケアの活動にもあまり時間を割いていないのですが、
インターネットのおかげでいろいろな相談を受けています。
役に立てることもあれば、役に立てないこともありますが、社会の実相は実感できています。
相談に来たけれども、その後、全く連絡がなくて、
まるで企業人のようだなと思っていたら、突然報告があることもあります。
もちろんすべてが良い話ではありませんが、社会を楽しくしようとがんばっていることを知るだけでうれしくなります。

今週もコムケア仲間の一人があることを相談してきました。
できる限りお役に立てればと思っています。
何回かのやり取りの後、その人から、こんなメールが来ました。

PS.昨日ご返事を差し上げる前に、宮澤賢治の銀河鉄道の夜を読みかえしました。
ジョバンニのたった一人であることの不安や、ほんとうのしあわせを求める希望が、とても心に残っております。

「銀河鉄道の夜」は宮澤賢治の生き方や思想の集大成作品だと私は思っていますが、
そのテーマは
みんなのほんとうのさいわい(しあわせ)
です。
私も久しぶりに読んでみました。
以前読んだ時とは全く違った読み方ができました。

そこにこんな言葉が出てきます。

誰だって、ほんとうにいいことをしたら、いちばんしあわせなんだねえ。」

ジョバンニの友達のカンパネルラの言葉です。
「ほんとうにいいこと」。
それが最近見えなくなってしまっています。

(2006年11月第3週)
天気が良かったので、少し元気が出てきました。

■我孫子からも富士山が見えます(2006年11月12日)
今日は自治会の防犯パトロールでしたが、そこで話題になったのが「富士山」でした。
話題といっても、パトロール中の雑談なのですが。
今朝は富士山がとてもきれいに見えたとある人がいいました。
そうしたら別の人が、10時には見えなくなってしまいましたね、といいました。
夕方はシルエットがきれいでしたよ、と私もいいました。
まあ、それだけの話なのですが、我孫子からも富士山が見えるのです。
そして、みんな結構気にしているのです。

防犯パトロールは3つの自治会の有志が一緒に回ります。
富士山議論に参加したお一人は、私の自治会の人ではなく、初めてお会いした人でした。
しかし富士山の話から、いろいろと親しく話が広がったのです。
みんなが楽しく話題にできるものがあることはとても大切だということがわかります。
まちづくりとは、そういうみんなのテーマや話題を育てることかもしれません。

私たち夫婦は、富士山が見える神奈川県に転居したくて、1年以上、転居先を探していました。
しかし、ほぼ場所が決まりそうになった段階で、富士山よりも我孫子で培った友人知人を選びました。
富士山の見える生活を諦めたのです。
ただ気分転換したかったので、我孫子市内で転居しました。
転居してしばらくしてから、自宅の屋上から富士山が辛うじて見えることに気づきました。
感激しました。思ってもいなかった幸せとはこのことです。
思いは必ず通じるものです。

以来、市内各地で富士山が見えることに気づきました。
それまでは私は決して富士山を我孫子からは見たことはありませんでした。
「見える」ということがわかると、見えてくるものなのです。
情報や知識、あるいは意識は、風景を変化させるものです。

我が家の屋上からの小さな富士山シルエットを写真に撮りました。
気づくのが遅かったので、暗くなりすぎて、ちょっと鮮明ではないのですが。

■建物が活かされずに壊されるのが悲しい(2006年11月13日)
コムケア仲間の紹介で、本間昌宏さんが訪ねてきてくれました。
相談事があるというのです。
仙台に3階建ての建物があります。
今は使われていませんが、そこを買い取って、
障害を持つ人たちの暮らしと働きの場にできないだろうかという構想をお持ちなのです。

本間さんは、以前デベロッパー関係の仕事もされたことがあり、
バブル期に造られた建造物が、活かされずに取り壊されている現状に怒りを感じているようでした。
その思いに、とても共感できます。
馬鹿げた建造物を建築してきた設計者や建築関係者の良心の無さを悲しく思いますが、
それ以上に、使われないからといって無残に壊す時代の風潮がとても寂しいと私も思っているのです。

「不要なもの」をつくり、「不要だから」といって壊すのは、
昨今の企業の基本姿勢ですが(わたしはそれを「産業のジレンマ」と読んでいます)、
設計者やプランナーがそうしたことに加担していることは少なくありません。もちろん今なおです。
本間さんとはすっかりと共感しあってしまいました。

本間さんが持ってきた構想は魅力的なものです。
ただし、それを実現するには、とりあえずは500万円の資金が必要です。
どなたか私に供託してくださる方はいないでしょうか。
500万円で、社会的に大きな価値のあるプロジェクトを立ち上げさせられるのです。

2億円あれば、このプロジェクトそのものも実現できます。
500万円か2億円か、いずれでもいいですが、もしポンと出してくださる方がいたら、ご連絡ください。
本間さんをご紹介いたします。きっと後悔はさせないと思います。
いかがでしょうか。

■至福のひなたぼっこ(2006年11月14日)
今日は長いことひなたぼっこをしました。
最近、女房の体調がよくないので、できるだけ女房の生活リズムに合わせた生活に心がけています。
その関係で、立ち止まって周囲を見る時間が増えました。
というよりも、最近はそうした生き方をしてこなかったことに気づきました。
いつも自分が動いていたような気がします。

先月、ブログに書きましたが、女房と一緒に近くのお店に行って、
女房が花を探している間、何もせずに近くのベンチに座ってまわりを見ていたことがあります。
そこで気づいたことは少なくありませんでした。
そうした時間と体験を、この頃たくさんしています。
立ち止まっていると音の聞こえ方も違います。

女房に雇われて毎年ピーナツの殻剥きをします。
今年は女房の体調のおかげで、わが農園は不作でしたが、それでもピーナツは少しできました。
その殻を手で割る作業をしていると30分もするととても無心になれます。
最初はむしろ雑念が大きくなるのですが、次第にただ割ることのみに気が行き、達成感すら出てきます。

単純作業ですら面白いのですから、本来、働くことは面白いことなのです。
その面白いことを給与の対象にした途端に、たぶん働くことは退屈な苦役になってしまったのでしょう。

大きな粒のピーナツはいつも誰かに送られますので、我が家で食べるのはいつも小さなピーナツです。
しかしこれが実に美味しいのです。
いかに苦労して、そのピーナツが育ったかを知っているからかもしれません。
お店で買ってきたピーナツであれば、たぶん捨てられるような小粒のものまで大事にしています。
なぜか美味しいからです。
食べ物もきっと、お金で買うようになってから美味しくなくなったのではないかと思います。

ひなたぼっこの先に見えるのは、
それがたとえば病院の庭であっても、我が家の猫の額ほどの庭であっても、とても落ち着く空間です。
観光地の紅葉のほうがずっと素晴らしいですが、時間を気にせず無為に過ごせるひなたぼっこもいいものです。

というわけで、今日は女房と至福の時間をすごさせてもらいました。
これが「ほんとうのさいわい」なのかもしれません。
とても良い1日でした。

■日本は働き甲斐が最も低い国の一つ(2006年11月15日)
次世代人材育成研究会でした。
前回に引き続き、若手企業人の活性化がテーマでした。
前回はついついさぼってしまったのですが、今回は事例発表もあったので参加させてもらいました。

正直に言えば、企業の取り組みは相変わらずという感じでした。
たぶん成功はしないでしょう。
今回発表があった事例はいずれも日本の企業の取り組みとしては一番しっかりしたものに属するものでしょうが、パラダイムが従来型です。
発想を変えなければ改善策は事態を悪化させるだけです。
学校改革と同じです。

ではパラダイムを変えるとはどういうことか。
友人が先日、「奇跡の経営」という本を送ってきてくれました。
四半世紀前に話題になったブラジルのセムコ社の社長だったセムラーの著書です。
私が東レのCIで目指したパラダイムが見事に成功して展開されているのを知りました。
私の仮説はどうやら間違っていなかったようです。
セムコの経営げんりは「個人起点」です。
組織起点ではないのです。

ところで、この研究会で前から話題になっているのですが、
企業で働く人のモティベーションや働き甲斐が最も低い国の一つが日本だそうです。さまざまな調査結果がそれを示しています。
企業の人たちと付き合っていて、それはとても納得できることでもあります。
だからこそ、政府も若手企業人の活性化を政策課題にしているのでしょう。
しかし発想が間違っていれば、事態は悪化するだけです。
この会でもそんな議論を本当はしたいところですが、それが難しいです。

■KAE「経営道フォーラム」開講20周年記念シンポジウム(2006年11月17日)
山城経営研究所の経営道フォーラムも20年目です。
その記念シンポジウムが椿山荘で開催されました。
企業経営幹部が650人も集まる大イベントです。
その第1部は経営道フォーラム39期生の研究発表会でした。
私がコーディネートした2つのチームの発表会は私の担当です。
いつもは私の問題提起とまとめのメッセージができるのですが、
今回は時間が限られたので、発表を中心におきました。
メッセージできない仕事は私にはほとんど意味が無いのですが、最後に少しだけメッセージさせてもらいました。

発表後の意見交換で、会場の人(大企業の経営者だった人)から、健康こそが大切ではないかという指摘がありました。
全く同感です。
そこで、日本の企業人のモティベーションの低さを話して、
かつては人を育ててきた企業が今では人を壊す場になっていることを話させてもらいました。
これが今回の私からのメッセージですが、どのくらいの人に通じたか不安ですが。
先に厳しい質問をした企業経営者OBの方が、私に握手をしにきてくれました。その方には伝わったようです。

会場で久しぶりに荒田弘司さんにも会いました。
ブックでご紹介した「商いの原点」の著者です。
他にも懐かしい人たちにお会いしました。
途中で帰ってしまったので、会えなかった人たち数人からどうしたのかというメールをもらいました。
せっかくのチャンスを逃したのがちょっと残念な気がしましたが、
あえなくてもつながっている実感が持てるのがうれしいです。

■日本経営道協会10周年記念シンポジウム(2006年11月18日)
経営道のことが続いていますが、今日は日本経営道協会の10周年シンポジウムでした。
市川覚峯さんのところです。
市川さんの基調講演「日本の心の経営を蘇らす」に続いて、
「感動の経営」をテーマにしたパネルディスカッションが行なわれ、そのコーディネーターをさせてもらいました。

市川さんの基調講演は力強いメッセージがこもったもので、
とてもわかりやすくて、会場の人たちに感動を与えたと思います。
パネルディスカッションは、多彩な顔ぶれすぎて、私もいささか疲れましたが、面白い話がいろいろと出てきました。
パネラーは、
ホスピタリティバンク研究所の浦郷義郎さん、
常磐大学助教授の村山元理さん、
そして作芸人磨心事務所代表の野尻博さんです。
これだけ多彩だとわかっていたらコーディネーター役は辞退したのですが、
わかったのは案内チラシの印刷が終わってからでした。いやはや。

浦郷さんはホスピタリティ、村山さんはスピリチュアリティ、野尻さんはエンターテイメントがキーワードです。
それぞれの話は実に面白いのですが、問題はそれをどう編集するかです。
今回は冷や汗をかきました。
時間がもう少しあれば、実に面白い話に展開できたでしょうが、時間不足が残念でした。
でも面白かったです。

その後、1年間研究活動をしてきたリード力開発道場のメンバーから研究成果が発表されました。
みんな若手の企業経営者や経営幹部です。実に良い発表でした。

日本の大企業は「人を壊す場」になってしまいましたが
中堅企業、中小企業はまだまだ人を育てる場になっているようです。
発表内容は日本経営道協会で報告書にしています。良い報告書です。

それをまとめた19人の経営者や経営幹部の若者たちは見事に成長しているようです。
日本の経営道が少しだけ見えてきたような気がして、とてもうれしい発表会でした。

(2006年11月第4週)
少し生活が落ち着きだしました。
人間の適応力はやはりすごいものです。
しかし、それが崩れてしまうとどんどん悪循環に入ってしまうのでしょね。
もしかしたら、今の日本社会はその入り口にあるのかもしれません。

■インキュベーション型コムケアフォーラム「きき耳」2006(2006年11月19日)
台東デザイナーズビレッジを会場にして、インキュベーション型コムケアフォーラム「きき耳2006」が開催されました。
実行委員長はコミュニティアート・ふなばしの下山浩一さんです。
今回の私の役割はワークショップの進行役だけです。
コムケア仲間の心遣いに感謝しなければいけません。
冒頭に下山さんから、今回のフォーラムの裏目的は「佐藤修をコムケアから解放してやること」という話が突然ありました。
感激しました。
まあ、それは極めて個人的な話ですが、コムケアのつながりのありがたさを改めて実感しました。

フォーラムは、まず会場である台東デザイナーズビレッジの村長である鈴木淳さんとのランチミーティングから施設見学で始まりました。
鈴木さんもまた、私の状況を知って全面的に支援してくださったのですが、
鈴木さんのおかげが今回の成功の大きな鍵になりました。

ワークショップでは5つのプロジェクト提案がありました。
それぞれじっくり時間をかけて、コンフロンテーションをしたい内容ですが、今回は総論的なプレセッションになりました。
後はそれぞれのチームで消化発展させていくことになるでしょう。

下山さんが最後に、今回をゼロ回目として、このフォーラムを継続していきたいと話してくれました。
参加者によるメーリングリストも継続することになりました。

詳しい報告はコムケアセンターのサイトにまもなく掲載されます。
報告書も年内完成の予定です。
関心のある方はぜひメーリングリストにご参加いただき、次回のフォーラムにご参加ください。

ブログにも書きましたが、雇用労働中心の社会から協同労働中心の社会へと時代は移っていくのではないかと思います。
新しい時代は私たち一人ひとりで創り出していかねばなりません。

なお参加してくれたコムケアサポーターの長岡素彦さんがジャンジャンに掲載してくれた報告記事もぜひお読みください。

■M&A資本主義(2006年11月22日)
日本のIR(インベスター・リレーションズ)の草分けの一人が鶴野史朗さんです。
1984年にIRジャパンという会社を立ち上げています。
当時はIRなどということをほとんど誰も知らなかった時代です。
私は会社を辞めた後、鶴野さんの「実践インベスター・リレーションズ」という本に出会い、
初めてIRについて体系的な知識を得ました。
そして、その少し後に期せずして誰かの紹介でお会いし、食事をご一緒させてもらいました。
その時の鶴野さんの「情熱」や「思い」が印象的でした。

もっとも私にとっては、IRというのはあまり関心事ではありませんでした。
企業は誰のものかと聞かれたら、従業員のもの、地域社会のものと考えるのが私であり、
米国流の企業論やコーポレートガバナンス論にはほとんど関心がなかったのです。
しかし、何となく鶴野さんの思いは心に残るものでした。

その後、ほとんど交流が途絶えていました。
1997年、日本にも金融ビッグバンがやってきました。
その時に、私の若い友人から頼まれて、財務戦略のテキストづくりに協力したことがあります。
少し調べてみて、米国流のグローバライゼーションが日本の経済社会を壊すのではないかという危機感を持ちました。
まだ当時は日経新聞も愛読していましたが、紙面からそうした危機感は感じられませんでしたので、
知り合いの日経の2人の編集委員に会って問題提起したこともありました。
しかし、議論は別の方向で進んでしまうばかりでした。
私の経済観や企業観はどうやら時代にはあっていなかったのです。

アタッカーズ・ビジネススクールで実施した「ビッグバンに向けた財務戦略」講座は私もプロデュースに参加し、
初回にはスピーチまでしてしまいました。
当時はまだ日本の大企業に大きな期待を持っていた時期だったのです。
そのプログラムで、ビッグバンに向けたIR戦略の講義を鶴野さんにお願いしました。
改めて鶴野さんのIRへの思いの深さを感じました。
当時、鶴野さんは新しいステージへと活動を進めているところでした。
熱い志を感じました。

そしてまた、10年近くが経ちました。
その鶴野さんから先週、「M&A資本主義]という本が送られてきました。
鶴野さんの友人の小倉正男さんの最新作です。

M&A。
実はM&Aに関しても書き込みたい体験を今年前半にしていますが、
結構生々しい体験なので、これはもう少しほとりが冷めてから書こうと思います。
しかし最近のM&Aの動きには怒りを感じています。
いわゆるファンドともほんの少しだけ付き合いましたが、がっかりしました。
まあこれに関してはいつか書きたいと思いますが、今は少し差しさわりがありますのでやめます。

ただ、株主のための企業合併に対する嫌悪感は高まる一方でした。
ですから、この本も、その書名の故に、読む気が起きずに鶴野さんへの礼状も書けずにいました。
ところが今日、ちょっと時間ができたので、机の横に放置されていたこの本をめくってみました。
そしてついつい読み出してしまったのです。
面白いのです。そして私の思いと重なる記述も多いのです。
で、読んでしまいました。
よく見たら書名の下に「敵対的M&A・三角合併」防衛法という副題が付いていました。
ジャングル資本主義への警告の書なのです。
勘違いしていました。

感想はブックのコーナーに書きますが、小倉さんのM&A資本主義論にとても共感できました。
第7章に鶴野さんの思いや活動が紹介されています。
ちょっと感動しました。鶴野さんの思いをあまり理解していなかった自分にも気づきました。
ただ違うのは、小倉さんはその動きは避けがたいことだと考えており、私はまもなく流れは変わるだろうと思っていることです。
客観的に考えれば私の考えのほうが分は悪いでしょう。
しかしそう思いたいのです。

遅くなりましたが、鶴野さんにお礼のメールを送りました。
先入観は捨てなければいけません。
ちなみに本書には私の知人がもう一人登場しますが、そのところにはいささかの違和感を持ちました。

■我孫子合唱祭(2006年11月23日)
女房は「道」というコーラスグループに参加しています。
今日は我孫子市の合唱祭で、彼女も出場する予定だったのですが、体調がよくないのでお休みさせてもらいました。
しかし仲間の出番にはぜひ聴きにいきたいというので、私がエスコートすることになりました。
幸いに出番を待つ仲間に出会えて女房は元気をもらったようです。

「道」の先生は谷篤さんといいます。
いつか書いたことがありますが、とても魅力的な先生です。声が素晴らしくいいのです。
私も何回か谷さんのコンサートを聴かせてもらいましたが、
とりわけ印象が強いのが、「パイドロス」と「雨にもまけず」の朗誦です。
雨にもまけず。
最近、宮澤賢治のメッセージが心に深く響きます。
女房が参加しなかったコーラスもなかなかよかったです。

■北海道の陰山京子さんもがんばっています(2006年11月23日)
北海道の陰山さんから電話がありました。
私は別室にいたため、私に代わる前に、女房のほうが長く話していたようですが、
先日札幌でお会いした後、倒れてしまい、点滴生活を送っていたそうです。
札幌に出かけた時に声をかけてしまったために、無理して会いに来てくれたせいかもしれません。
申し訳ないことをしました。
漸く元気が回復し、電話がかけられるようになったのだそうです。

私自身、今は自分の周りのことでいっぱいですので、陰山さんのそうした実状に気が回りませんでした。
反省しなければいけません。
しかし自らが苦境を体験した人ほど、他の人への思いやりを深く持てることを最近つくづく実感させられます。
人の優しさの根源はやはり自らへの優しさから生まれ育つのかもしれません。
そういう意味では私の思いやりなどは自分勝手な思いやりなのかもしれないと、この頃、改めて反省しています。
昔から上の娘に厳しく言われていたことなのですが。
子どもは親の本質を見抜くものです。

陰山さんからたくさんの「元気の素」情報をもらいました。
陰山さんも女房から元気をもらったと喜んでくれました。
元気は他の人に差し上げるとその倍になって自分に返ってきます。
みんながそれに気づけば、世界から戦争はなくなるのですが。

■北九州市の高橋典子さんもがんばっています(2006年11月24日)
陰山さんの電話に続けて、今度は北九州市の高橋さんからのうれしいメールです。
高橋さんは私のホームページを読んでくださっていますが、

 佐藤さんも少々元気が無いように感じられ、はるか九州の空から心配しております。
 少しでも元気付けられたら・・・と思いメールしました。
 夏から佐藤さんつながりで良いことがあったのでお礼を兼ねた報告です。

というメールです。
こういうメールや手紙が時々届きます。
これが、私がこの18年間、さまざまな活動に取り組んできた報酬なのです。
高橋さんからのご褒美はこれが2回目です。

「良いこと」のひとつは山形の宮崎亙さんと久しぶりに会ったことでした。
宮崎さんは北九州市で商店街の空き店舗を活用したデイケアセンターを見学したいということで、
今は商業振興課にいる高橋さんを訪れたというのです。
お2人が知り合うきっかけは私なのですが、高橋さんはこう伝えてきてくれました。

 山形、北九州ともに佐藤さんに関わってもらった当時の話をするうちに、
 当時のエネルギーが復活してくるようでドキドキしました。
 元気をいただきました。
 人とのふれあい・つながりはエネルギーの源ですね。
 つながりはさらに膨らませ、もっともっと活力にしていきたいものです。
 アレやコレやと長くなりましたが、自分が得た元気をお分けできたら・・・と思います。

いま私は山形にも北九州市にもお付き合いはなくなりましたが、
こういう形でささやかな痕跡が残っていることを心からうれしく思います。

高橋さんに負けずに元気にならなければいけません。
今日も青空です。

(2006年11月第5週)
元気と天気が回復しだしています。
女房の体調が2ヶ月前からすぐれないのですが、そのおかげで新しいことを体験しています。今週はエプロン姿で、料理に参加しました。娘が写真を撮って、来年の年賀状にはこれを使ったらと勧めています。料理の先生は女房です。
女房は周りの人からたくさんのエールをもらっているおかげか、少し元気になりました。
私もそのエールのおすそ分けをもらっているのです。
悪いことの裏側には必ず良いことがあるものです。

■柏市民活動センターの松清智洋さん(2006年11月27日)
コムケア仲間の松清さんが今年から柏市民活動支援センターのスタッフになりました。
12月から市民交流サロンを開催することになり、その相談に来てくれました。
柏は私が住んでいる我孫子の隣です。
松清さんは時々、我が家の近くを自転車で走っているそうです。

松清さんは面白いキャリアの人です。
本来は建築家ですが、設計事務所をやめて、福祉の世界に入りました。
今年はじめまでは介護老人保健施設で働いていましたが、今度は柏市民活動センターです。
転職の度に給与は減っているはずですが、生活の豊かさは高まっているのではないかと勝手に推測しています。
最近は、こうした人が増えてきました。
つまり自分の物語にそって仕事と生き方を変えていく人たちです。
こういう人たちが社会を変えていくのでしょう。

松清さんは環境問題にも関心が深く、かしわ環境ステーションの運営協議会のメンバーでもあり、
名戸ヶ谷ビオトープを育てる会など、実際の活動もいろいろとやっています。
手賀沼は、そうした視点からは魅力的なところです。

今日は、松清さんの思いや構想をお聞きして、とても共感できました。
私も20歳若かったら、あるいは今とちょっと状況が違っていたら、一緒にできるところがたくさんあります。
柏と我孫子は、手賀沼というかつては汚染ナンバー1の沼をはさんで隣接しています。
松清さんは行政単位ではなく、生活圏発想で活動を進めていくでしょうから(住民視点に立つと必ずそうなります)、
我孫子住民の私にもきっと役に立てる時が来るでしょう。
これからの松清さんの活動が楽しみです。
12月21日にスタートする、柏の市民交流サロンには参加させてもらうことにしました。
我孫子でやりたかったことが、柏で先にスタートするのはちょっと残念ですが、まあそんなことは瑣末な話です。
面白い展開になるように、私も協力していきたいと思います。

■女房の友人たちがやってきました(2006年11月28日)
今日は女房の友人たちが訪ねてきてくれました。
岡山と横浜の友人です。
私もわずかばかりの面識があるので、お付き合いさせてもらいました。
いまから四半世紀くらい昔の話ですが、ある企業の懸賞論文の入選者仲間です。
入選者で2週間ヨーロッパに贅沢な食ツアーに招待されたのです。
その時の仲間で、今もとても親しく付き合っています。
もう一人、北九州市にも仲間がいて、みんなかなり地域は離れているのですが、
誰かが近くに行くことがあると集まったりしているようです。

今回は岡山の友澤さんという方が東京に用事があって出てきたのですが、
いつもなら都内のどこかでお会いするようですが、
今回は女房が体調があまりよくないと伝えたら、わざわざ我が家まで横浜の野路さんと一緒に訪ねてきてくれたのです。
友だちというのは本当にありがたいものです。
友だちと話している時の女房はとても元気です。

女性の話し合いには私などはとても参加できませんが、
女房のおかげでこの数年、そういう現場に何回か居合わせています。
おかげで、女性なる生き物の実体への理解がかなり進みました。
明らかに男性とは違う生物です。はい。

人の幸せや元気は、人とのつながりで決まってくるというのが私の思いですが、最近特にそれを実感しています。
いつかも書きましたが、女房は友人たちに恵まれているなと思います。
私たちの元気は、すべて友人たちからもらっています。
感謝しなければいけません。

■沢蟹もやってきました(2006年11月28日)
女房ネタをもう一つ書きます。
今週は実は女房ネタがたくさんあるのですが、あまり書くと女房が怒るので、もう一つだけにします。

女房の滋賀の友人が夫婦で家庭農園をしています。
見事な野菜が時々送られてきますが、今回はちょっと変わったものを入れておくのでお楽しみにという予告がありました。
なんだろうと期待していたところ、なんと「カニ」でした。
といっても、沢蟹なのです。食用ではありません。飼育用です。
以前、我が家に来た時に沢蟹の話を私がしたのかもしれません。
彼女の自宅前の川に沢蟹がたくさんいるので、数匹を送ってくれたわけです。

私にとっては最高のプレゼントなのですが、ちょっと不幸なことが起こりました。
送り方があまり適切ではなかったのです。
あけてみると、無残にも片手のカニが多いのです。
輸送中に事故や不幸な争いがあったのかもしれません。

なぜそうなったのか。
砂などと一緒に送ってくれたのですが、
生きた沢蟹を輸送する場合は、おが屑や濡れた新聞紙や隙間のある植物などで柔らかな生活環境を作らなければいけないのです。
次回はぜひそうしてほしいと思ったのですが、次回はきちんと捕獲しに来てくださいといわれてしまいました。
はい、その通りですね。

はさみが2本ともとれたカニもいました。
えさが食べられないと心配した娘が顔の前に餌を置いたら直接口で食べたそうです。
元気を取り戻してくれるかもしれません。
ハンディキャップはみんなでケアしなければいけません。
しかし、仲間のカニたちにはあまり期待できないので、私が時々しなければいけないでしょうね。
この冬を越せるかどうか問題ですが。
彼らは春まで室内の水槽で飼育します。

ちなみに庭の池に放した沢蟹たちは相変わらず姿を見せません。
元気に冬を越してくれるといいのですが。

■帯津三敬塾クリニック(2006年11月29日)
女房と一緒に、池袋の帯津三敬塾クリニックに行きました。
このコーナーにも何回か登場した縄田理恵子さんが、そのクリニックで薬剤師をされているので、縄田さんに紹介してもらいました。

帯津さんは本などではいろいろ読ませてもらっていますが、お会いするのは初めてです。
ホリスティック医療の第一人者ですが、ご自身そのものがそれを象徴するように、温かなオーラを発しています。
思っていた通りの方でした。
縄田さんからはホメオパシーの話をお聞きしました。
女房にとっては久しぶりの遠出の外出でしたが、いろいろと元気をもらってきました。

■白紙の手帳(2006年11月30日)
最近、オフィスには週1回程度しか出ていないのですが、
そのせいか、曜日の感覚がなくなってしまいました。
それはともかく、今の私のスケジュールはほとんどゼロなのです。
手元の手帳には、毎週の病院行き以外は、土日だけに少し予定が入っていますが、ほかは白紙です。
数年前までは、手帳がほぼ真っ黒だったことを思えば、
よくまあこれほどの変化にうまく移行できたと我ながら感心しますが、
それでも今の状況に来るまでには3年以上かかっています。
ですからそれなりに対応できるのでしょう。

しかし、定年で企業を辞めた人はどうでしょうか。
突然にこういう状況に生活が変化したら、落ち着かないでしょうね。
この1か月、ほとんど自宅で過ごしましたが、定年退職気分をちょっと味わいました。
体験してみると様々なことに気づきます。
やはり体験こそが発想の原点です。

■低農薬・無農薬のお米がほしい方への朗報です(2006年12月1日)
大分の国見町の竹沢孝子さんからのメールが面白いので、
ブログを始めませんかと提案していたのですが、実はもうできていたことは前に書きました。
このサイトにリンクさせてもらおうとメールをしていましたが、今日、メールが来ました。
リンクの許可は書かれていませんでしたが、まあリンクしてしまいましょう。
まだ発展途上ですが、読んでください。
竹沢さんのスタイルですから、いささかよくわからないブログなのですが。

実は教えてもらっていたアドレスがわからなくなってしまい、その後、読んでいなかったのです。
今日、改めて竹沢さんに教えてもらい、開いてみました。
またまた私宛の手紙が掲載されていました。
しかも依頼事項まで書いてあるのです。
書かれたのは10月20日です。
気づかずに悪いことをしました。
竹沢さんのブログの使い方はちょっと間違っているような気もしますが、
何しろ相手が竹沢さんですから、仕方ありません。
ちょくちょく見なければいけません。困ったものです。

いささか遅いのですが、竹沢さんからの依頼事項です。
竹沢さんは次のように書いています。

それで、ひとつお願いがあります。
うちの新米、試しに食べてみようと言う人、募っています。
大分イレブンという米粒がしっかりしていておにぎりなんかに向くのと、九州の主力・ヒノヒカリがあります。
無農薬と共同防除を一回したものの2種類あります。
薬1回のは1キロ500円、無農薬のは600円で、送料は実費、20キロ以上は送料はこちらの負担です。

だいたい、お米の原産地は九州よりもっと暖かい地方のはず。
だとしたら九州は日本では、もっとも米作りに適した場所ではないか!
なのに新潟だとかなんとかいうのはいったいどういうことだ!と、ひとりむくれています。

件のシモンを作っている人はササニシキの本場の人で、毎年、互いに10キロずつお米を交換しています。
本人曰く「子どもたちは、米が変わっているの分からないみたいだよ、九州の米もなかなかじゃない」と、余裕のコメントです。

今年は、大豆がひさびさの大豊作です。
こちらもみんなで味噌を作っても余ること必定なので、売りたいと思っています。
雑草さえ取らない(?)完全放任栽培です。

というわけで、美味しい低農薬・無農薬のお米と大豆を竹沢さんは販売しています
竹沢さんのお米のうまさは私が保証します。
最近は、どこのお米も美味しくなりましたが、安全性に関しては竹沢米の優位性を保証できます。

詳しくは竹沢さんのブログ「田舎で暮らせば」をお読みください。
最初に、「佐藤さん」などという呼びかけが出てくるので、
これは何だと思うかも知れませんが 、実に面白い記事がところどころにあります。
大分にはまだ日本が残っているのです。

■久しぶりのオフィス(2006年12月1日)
久しぶりにオフィスに行きました。10日振りでしょうか。
最近、私が不在がちなので重病説もでていると柏の四元さんから聞きましたが、私はそれなりに元気なのです。
オフィスを長く空けると、昔は「夜逃げ説」が出回りましたが、最近は重病説に前進したわけです。
前進と言っていいかどうかは問題ですが。

留守電がいくつか入っていました。
一つは近くの印刷屋さんの奥さんからです。
高崎市在住のご夫婦でやっていた印刷屋さんで、とてもいい夫婦なのです。
いつも朝、高崎から一緒に出かけてきて、上野駅のカフェで夫婦そろって朝食をされ、
それから自分たちの印刷屋に出勤するのだそうです。
この話は私の女房が聞いた話です。

私たちが会社を始めた2年後に開業しました。
そのご夫婦のお人柄がとてもほのぼのとしているので、私が頼む印刷はすべてそこでお願いしていました。
川邊さんというのですが、川邊さんご夫妻も高齢のために引退することになったのです。
引退する前にもう一度お会いしたいと女房も言っていたのですが、
最近はオフィスに行けずにいるので川邊さんも心配して電話してくれていたのです。
それほど付き合いがあったわけではありませんが、
川邊さんたちも私の仕事をある程度知ってくれていますので、お互いにとても親近感があるのです。
こういうほのぼのとした街の印刷屋さんもだんだん存続できなくなってきました。
働きの場が、どんどん労働の場になっていくのが寂しい気もします。

川邊さんに会えなかったと自宅に電話したら、
奥さんから女房にプレゼントが届いたので電話で話をしたところだということでした。
感激屋の女房はとても喜んでいました。
仕事を通したちょっとした付き合いでも、心が通ずることはあるのです。

もう一人は18日にお会いした野尻博さんからの電話でした。
何回も電話をもらっていました。
やはりきちんとオフィスに来るか、電話転送をしないといけません。
しかししばらくは今のままになりそうなので、お急ぎの方は自宅に電話ください。

手紙もたくさん届いていました。
新松下村塾塾長の濤川栄太さんから著書も届いていました。
濤川さんとはちょっとした「論争事件」もあったのですが、名刺は残してもらっていたようです。
感謝しなければいけません。

オフィスに行ったついでにインキュベーションハウスにも寄りました。
本郷のオフィスは最近、賑やかになっているのです。
さらに足を延ばして、日本経営道協会のオフィスにも行きました。

久しぶりに何人かの人たちともお話ができて、良かったです。
というわけで、私は元気です。
このホームページの私の報告に元気がないために、いろいろな方にご心配をおかけしてしまっているようです。
反省しなければいけません。

■団塊世代よ大志を抱け!プロジェクト(2006年12月1日)
多摩大学総合研究所コミュニティビジネス研究センターの大川新人さんとも会いました。
いよいよ団塊世代インキュベーション・ネットワーク構想が動き出すのです。
年明けには、団塊世代向けの彼の本が出版されますが、
それに合わせる形で「団塊世代よ大志を抱け!プロジェクト」を、
コムケアセンターとの共催スタイルでスタートさせることになりました。
そのための意見交換をしました。
時間の許す限り、私もコミットする予定です。

構想の内容は私の思いとは必ずしも同じではないのですが、まあそのうちそろってくるでしょう。
読者の方で一緒に取り組んでもいいという方がいたら、ご一緒しませんか。
なにしろ大川さんと私では、いい加減過ぎるチームになりそうで、少し、いやかなり心配です。はい。
しかしいずれにしろ、来年の春にはプロジェクトを正式にスタートさせ、オフィスも開く予定です。
あくまでも「予定」ですが。はい。

■KAE40期のスタート(2006年12月2日)
KAE40期がスタートしました。
今回も経営理念や企業文化をテーマにした2つのチームを担当しますが、
今日の議論でそれぞれのチームのキーワードが決まりました。
「家族」と「笑顔」です。
まさにこれからの企業にとっての重要課題です。
どう展開するか楽しみです。

KAEも最近、ちょっと違和感を持ち出しています。
企業や経済の枠組みが変わろうとしていることを考えると、もっとパラダイム転換したほうがいいような気もします。
私独自の研修プログラムが実現できたら、きっと会社には役立つでしょうが、でもメンバーは集まりそうもありません。
何しろこのホームページはまだいいとして、
CWSプライベートの記事を読んだら、私に仕事を頼む気にはならないでしょうから。
困ったものです。

■日本構想学会の半田智久さんが我が家に11分滞在しました(2006年12月2日)
今日はKAE40期のスタートのため、森林公園のホテルに昼間でかけていたのですが、
たまたまその不在の時に我が家に突然の来客がありました。
半田さんです。
思わぬ来客でした。
女房の見舞いに来てくれたのです。

半田さんの行動は、いつも意表をつくものであり、
女房が以前入院した時にはやはり誰も知らないうちに病室に見舞いに来て、花だけを置いていったのです。
女房は眠っていたために気づかなかったそうで、花に気づいて知ったのです。
月光仮面のように、風のようにやってきて、風のように去るのです。

しかし今回は、幸いに我が家に11分滞在してもらうことに成功したのです。
どうやら娘と女房が無理やり自宅に上がらせたようで、私であれば成功しなかったかもしれません。
半田さんの突然の来訪は、女房に大きな元気を与えてくれました。
感激のサプライズだったのです。
不思議な人です。

そういえば、半田さんが中心になってやっている日本構想学会の大会が19日にあります。
今回は実に魅力的なプログラムです。
特に長野県看護大学の江藤裕之さんが主催する
「ケア概念を軸とした対話型授業プログラムの構想」のセッションは
教育やケアに関心をお持ちの方には、ぜひ参加してほしいセッションです。
日本構想学会のホームページに案内が出ています。

(2006年12月第1週)
寒くなりました。
我が家の庭にも電飾がつきだしました。私はあまり好きではないのですが、家族が好きなので仕方がありません。チャカチャカした電飾よりも、静かな月の明るさがつくる輝きのほうが私向きなのですが、ついてしまうと、それはそれなりに楽しいものです。

■鈴木菜佳子さんと木村芙紗子さん(2006年12月5日)
今度の土曜日に北区の区民講座に参加させてもらうことになっていますが、
その下打ち合わせに北区教育委員会の鈴木菜佳子さんと区民会議の企画委員である住民の木村芙紗子さんがやってきました。
この区民会議は、住民が企画しているのだそうです。

木村さんはその企画委員ですが、他にも様々な活動をされています。
また北区感動コミュニティ機構の代表もされています。
数年前まで大学で女性学の教鞭もとられていました。
鈴木さんは「社会教育」に深い思いがあるようです。
お2人とも、しっかりと現場に立脚されています。
その期待に応えられるかどうか、いささか不安がありますが、
面白い講座になりそうです。

■家事の大変さ(2006年12月6日)
最近、ほんの少しですが、家事を分担するになりました。
そのひとつが食事の後片付けなのですが、たかだか2週間ほどやっただけでその大変さに気づきました。
手の指がカサカサになってしまったのです。
水を扱うと手が荒れるとは聞いていましたが、これほどとは思っていませんでした。
主婦の大変さを少しだけ実感しました。
家事労働の評価が話題になった時期がありましたが、
生活者の視点に立てば、そして家族に何か問題が発生すれば、家事労働の大切さはすぐにわかります。
私も頭ではわかっていたのですが、最近、その当事者になって初めて体感できるようになりました。
恥ずかしい話です。

もうひとつの気づきは、家事労働は雇用労働とは全く違う時間で動いているということです。
外食産業で作られる食事と家事労働で作られる食事とは異質のものなのです。
いや、労働という概念が異質というべきでしょうか。
まあちょっと家事を手伝ったくらいで偉そうなことを言うな、とまた家族からは怒られそうですが、
生き方を変えるといろいろなことが見えてくるものです。

■SFの世界(2006年12月7日)
書類を片付けていたら、昔書いた文章が出てきました。
ブログに書きましたが、シマッククラークの作品からの抜書きでした。
いずれも1950年代の、「良き時代」のSF(空想科学小説)の作品です。
昨今の映画の題材はすべて当時のSFに出ていたといってもいいような気がしますが、
その抜書きを読んでみると、今の社会の状況もそこに描かれていたことに気づきました。

思い返してみると、当時のSFの多くは暗い作品が多かったように思います。
私が好きだった日本の作家は光瀬龍ですが、その未来年代記ものは底なしの暗さでした。
私が育った時代は経済が高度成長した時代でしたが、その本質は暗い時代だったのかもしれません。
作家の感性は、時代の本質と時代の行き先をきちんと読み取っていることに驚きます。

最近の小説は読んだことがありませんが、昨今の作家は時代をどう感じ、未来をどう見ているのでしょうか。
今日は手元にあったSFのアンソロジーをいくつか読みました。
若い頃のような感動がないのが意外でした。

■60歳からの生き方(2006年12月9日)
赤羽文化センターで行なわれた北区区民公開講座「教えて!地域でビューのきっかけ」に参加しました。
この講座は住民たちが企画し運営しているのだそうですが、
企画委員の一人が読売新聞に出ていた私の記事を読んでくれて、声をかけてきてくれたのです。
住民からの推薦であれば断るわけにはいきません。
北区には何のつながりもないのですが、お引き受けしました。
5日にやってきた鈴木さんと木村さんは、その関係だったのです。

今回は寸劇とシンポジウムの2本立てです。
寸劇は北区の住民たちのグループ「イザコ座」の自作自演です。
先日やってきた木村さんもそのお一人で、寸劇にも登場しました。
寸劇のテーマは「思い立ったら適齢期! お父さんの地域デビュー」です。
なかなかのもので、実にリアリティがありました。
「イザコ座」は北区の女性リーダーを育てる女性大学修了生の有志で成り立っているようですが、
いくつかの演目をもっており、出前公演もしているそうです。楽しませてもらいました。

第2部は、その寸劇を受けて、すでに地域デビューしている3人のシニア男性の事例発表を軸に私がコーディネーター役でパネルディスカッションを行ないました。
パネリストは個性的な生き方をしている3人の男性ですが、
3人に共通しているのは時期の差はあれ、みんな定年前に企業を退職されているのです。

豊田頴彦さんは、トライネットの事務局長で長年、環境教育や地域活動の活動をされています。
55歳で突然に会社を辞めて、好きな生き方を選ばれたようですが、
しっかりした主義を持って主体的な地域活動を重ねてこられたことが発言の端々に伺えました。
東京都の環境学習リーダーの第1期生だそうですが、
お話していたら、同じく環境学習リーダーとして活躍されている金田英一さんをご存知でした。

チョウ一流CLUBのメンバーの鴛海勝美さんは定年2年前に退職して、趣味の世界での活動を中心に楽しまれているようです。
チョウ一流とは「嫌味な名前」と思うかもしれませんが、「チョウ」は「超」ではなくて、「蝶」なのです。
いまでも蝶の最終活動で全国を歩いているようで、うらやましい人です。
コレクションの一部も見せてもらいました。
蝶の展示を通して、世界を広げている方です。

松本秀紀さんも変わった人です。
定年1年前にやめて大阪で個人活動を開始したのだそうですが、
奥さんが突然、東京で暮らしたいと言い出したのだそうです。
そしてたまたま北区のマンションが目に入ったので、全く縁もゆかりもなかったのですが、転居してきたのだそうです。
そして、赤羽文化センターで開催されている各種の講座に参加し、
2年で見事に地域になじみ、友人も完全のゼロから今ではたくさんの知り合いができたようです。

あまり詳しくは書けませんが、それぞれに時代を象徴する物語も背負っています。
こうした魅力的な人たちに、定年前に愛想をつかされてしまう今の日本の企業には未来がないと思わざるを得ません。
とても考えさせられるシンポジウムでした。

(2006年12月第2週)
教育基本法が変えられたことに哀しさを感じています。
日本も曲がり角を曲がってしまいました。
北朝鮮化がどんどん進行しています。組織の宿命なのでしょうか。

■学生まちづくり学会2006(2006年12月10日)
学生まちづくり学会2006が豊洲の芝浦工業大学で開催されました。
今年の実行委員会にコムケア仲間も何人か参加している関係もあって、
私もパネルディスカッションのセッションに参加させてもらいました。
コーディネーター役は、わかものNPO−Voice Of Tsukuba代表の山浦彬仁さんです。
高校生の時からの知り合いですが、いまは筑波大学の学生です。

今回のテーマは、コラボレーションです。
そのテーマに沿って、様々な切り口からコラボレーション活動をしている4人のパネリストを山浦さんが集めてくれました。
みんなお互いに初対面ですが、気持ちが通じ合えるメンバーでした。
財団法人まちみらい千代田の阿部武志さんは千代田区のまちづくり活動への助成活動をしています。
きっと共通の友人知人がいるはずです。
NPO向島学会の曽我高明さんも何人かの友人知人が思い浮かびます。
曽我さんはご自分の会社の建物をリフォームして、
現代アートのオルタナティブスペース「現代美術製作所」も主宰されています。
ホームページを見せてもらうと実に魅力的な活動を展開されています。
関西学院大学からやってきたのは、ほんまちラボで活動している大崎圭太郎さんです。
さまざまな実践をしてきていることが発言ににじみ出ている若者です。
こうした学生が増えてきているのはとてもうれしいことです。

学生まちづくり学会は、まだ固定的な組織化はされておらず、
毎年、実行委員会方式でイベントを行なっているようです。
今年で6回目になるそうですが、今回の実行委員長は芝浦工大の横山夏来さんです。
この集まりの報告者はまた作成されるでしょうから、ここでは報告しませんが、
参加した学生たちが一生懸命にメモを取っているのに驚きました。

とても刺激的な活動です。
オープンプラットフォームを活かしながら、やわらかな組織化を進めていくと面白い展開になるような気がします。

■病院のおかしさ(2006年12月12日)
最近、週に1〜2回は病院に行っています。
今日も病院で4時間ほど過ごしました。
ほとんどは待ち時間です。

病院のことはなかなか書きにくいのですが、
そこにおける人間関係の特殊性に大きな課題があると以前から考えていました。
そこで今春、長年の課題だった、暮らしの視点から病院のあり方を考える「ヒポクラテスの会」をスタートさせたのですが、
その直後に私自身があまりにも当事者になってしまったために活動ができなくなってしまいました。
もう少し準備をしてから立ち上げればよかったのですが、急ぎすぎてしまいました。
参加したみなさんには、本当に申し訳ないことをしたと思っています。

この半年の、改めての当事者体験から、やはり大きな疑問がたくさん出てきました。
ヒポクラテスの会も応援してくれている栗橋病院の本田宏医師は
「医療制度」に問題があるということで活動を全国的に展開されていますが、
根はもっと深いような気がしてなりません。
その最大の課題は「医師の意識改革」です。
いまお世話になっている何人かの医師に不満があるわけではありません。
みんなとてもよくしてくれています。
しかしどこかに「超えられない壁」を感ずるのです。
その正体が最近だいぶわかってきた気がします。
そうしたことをいつかしっかりとまとめられればと思います。

9日に、日本構想学会の大会がありました。
そこでそうしたテーマのラウンドテーブルが開催されたのですが、
今年は私のミスでダブルブッキングをしてしまい、参加できませんでした。とても残念です。
イバン・イリイチではありませんが、やはり「病院」概念のパラダイムシフトが必要なのです。
言い換えれば、今の医療体制の解体です。医療制度ではなく、医療体制です。
学校も病院も、政府も自治体も、すべてがどうやら次の段階への進化を必要としているような気がします。

3時間の待ち時間に、そんなことをぼんやりと考えていました。

■IHの菅野さんとKADOの市川さん(2006年12月14日)
インキュベーションハウスの菅野弘達さんと日本経営道協会の市川覚峯さんは、20年ほどに少し接点がありました。
しかし、その後、接点がなくなり、最近は会う機会がなくなりました。
オフィスはすぐ近くですので、一度、2人を引き合わせようと思い立ちました。
そこで菅野さんと一緒に市川さんのオフィスを訪ねました。
隣で2人のやり取りを聞いていましたが、改めて2人の過去を知ることができました。
こんな表現は誤解を招きそうですが、人の評価や解釈は人によって異なってきます。
ですから、そうした2人のやり取りを聴いていると、改めて2人のことがよくわかるのです。

最近、女房の体調の関係でインキュベーションハウスにもあまり顔を出せないのですが、
今春から菅野さんがフルコミットしだしたので、助かっています。
菅野さんがいなかったら、インキュベーションハウスも挫折していたかもしれません。
日本経営道協会とインキュベーションハウス。
何かコラボレーションできることがあるといいのですが。
全く異質のようですが、きっとどこかに接点があるはずです。

■日本が終わり始めた日(2006年12月15日)
やや刺激的なタイトルですが、これだけは残しておきたいと思い、書くことにしました。
新教育基本法が今日の参院本会議で与党の賛成多数で可決され、成立しました。
一般には「改正教育基本法」と表現されていますが、
パラダイムが違いますので、改正ではなく「新」というべきでしょう。

日本は曲がり角を曲がってしまいました
みんなが、それぞれの現場で忙しくしていて、心を亡くしている間に、
社会のパラダイムが大きく変えられてしまいました。
1950年代から60年代に警告を発していたSF作家の直感はどうやら的中したようです。
しかし、終わることもまた価値のあることかもしれないと、最近は少し思い出しています。
もう価値がなくなったということですので。

教育しなければ植えつけられないような愛国心の対象になる国家は不要です。
愛社心が企業を崩壊させた体験を思い出してほしいものです。
北朝鮮の教育とどこが違うというのでしょうか。
個を基軸にしない教育は、洗脳でしかありません。
洗脳されそこなった私には、居心地の悪い社会が始まりました。
会社は離脱できましたが、社会からは離脱できないのが無念です。

■「ローマ世界の終焉」と日本国家の終焉(2006年12月16日)
塩野七生さんの「ローマ人の物語」もいよいよ最終巻になりました。
発刊以来、15年が過ぎたわけです。
今日、その最終巻「ローマ世界の終焉」が発売になりました。
早速、書店で購入しました。
いつもならすぐに読み出すのですが、どうも最近、本が読めないのです。
実は、友人知人から贈呈された本も何冊かたまっているのですが、読む気がでてきません。
本当はブックのコーナーで紹介すべきなのですが、さぼっています。
最近、自宅にいることが多いので、時間はあるのですが、本を読み出すとなにやら雑念が出てくるのです。
言葉やシーンで、思わぬ方向に思考が動き出すのです。
そんなわけで、せっかく購入した「ローマ世界の終焉」も読めずにいました。
最終巻だから今回は正月まで先送りしようかと思っていました。

ところが昨日の夜、ちょっと読み出したら、
いまの日本の社会と見事に重なっているような気がしてきて、ついつい読み出してしまいました。
恐ろしいほどに近似しています。
そう思うのは私だけではないはずです。
それにしても、このシリーズの各巻のメッセージは、実にその時々の日本社会の状況に即していたように思います。
私たちもローマの歴史から学ばなければいけません。
特に今回の最終巻の第1章は示唆に富んでいます。
いくつかの文章を引用させてもらいます。

人間社会とは、活力が劣化するにつれて閉鎖的になっていくものである。」63頁
「経済力の低下は人口の減少につながる。
まずは、やむをえず結婚できない人が増える。
それはイコール、出生率の低下につながる。
これに加えて、栄養が充分でなければ肉体の抵抗力は減退するから、病気にもかかりやすくなる。
」67頁
5世紀に入りつつあった時代のローマの元老院階級に、公共心が欠如してことならば確かだった。
(中略)(その理由は)国による安全の保証を、信じなくなっていた(からだった)。
」71頁

最初の文章は、近年の企業や行政組織の実態を思わせます。
次の2つの文章は、まさに昨今の日本社会に当てはまるものです。
他にも、今の日本社会のNPOの跋扈状況を思わせる指摘もあります。
4世紀から5世紀にかけてのローマは、まさに今の日本社会のような状況だったのかもしれません。
その時代を生きた、スティルコという人物に大きな関心を持ちました。
いつの時代にも、人物は現れてくるものなのです。

(2006年12月第3週)
天気と女房の体調が見事といえるほどに同調しています。
人間も含めた、すべての生命が、自然の一部を構成している存在であることを実感しています。
週中は寒空と雨でしたが、週末は本当に穏やかな日和で、ゆっくりと時間を楽しむことができました。

■プロの農作業(2006年12月17日)
体調を崩している女房の見舞いに敦賀から義姉夫婦がやってきてくれました。
おかげで今週の女房は元気でした。
義姉夫婦は敦賀で自家消費用に作物をつくっている、いわばプロなのです。
その姉夫妻が、我が家の「農園」の状況を見るに見かねて、ちょっと「てこいれ」をしてくれ、
冬場でも育つ野菜の種をまいてくれました。
3畝ほどなのですが、その畝が見事なのです。
遠目にも違いがわかります。
しばらくして通りがかった近くの青木さん(この人も自家消費用の作物をつくっていて、いろいろとアドバイスしてくれている人です)が、
その見事さに気づいてわざわざ「農園」まで入って見ていました。
わが「農園」は、我が家から見下ろせる場所にあるので、その様子もまた見えるのです。
やはりプロは違います。仕上がりの美しさが違うのです。

今年は農園主の女房の体調不良をいいことに、小作人である私が手抜きをしてしまったので、
わが農園は美しいとはいえない荒れた状況になっていたのですが、義姉夫妻のおかげできれいになりました。
女房は安堵したようです。

ところで、この農園は今でもブロッコリーや冬大根ができています。
その収穫は私がしていますが、今は何も手をかけないのに、ありがたいことです。
大地の恵みには感謝していますが、こうした大地の恵みを私たちは結構無駄にしています。
わずかばかりの収穫体験があるからかもしれませんが、
テレビで過豊作の野菜が破棄されているのを見ると涙が出そうになります。
許されることではありません。
金銭経済を守るために実体経済を犠牲にするような本末転倒の社会は、それこそ天罰を受けることになるはずです。
それに気づいていない経済学者に、一度、農作業をやらせてみたいものです。
彼らは本当の経済を何も知らないのでしょう。
そういう人を政府は重用するのです。
あれ、また話がそれそうなので、この話はここまでにします。はい。

■黒岩比佐子さんから「仏教への旅」が贈られてきました(2006年12月18日)
黒岩比佐子さんから、仕事で関わった、五木寛之さんの「仏教への旅 インド編」(講談社)上下巻が贈られてきました。
同書の「あとがきにかえて」で、著者の五木さんが書いていますが、
黒岩さんは五木さんに同行してインドを旅行され、
本書の資料整理から構成までの、いわばプロデューサー的役割を果たされたようです。
本シリーズの前の「百寺巡礼」も一部を除き、黒岩さんは構成者として活躍されています。
その関係で、本ができると必ず送ってきてくれるのです。

黒岩さんのテーマへののめり込み方を少しだけ知っている者としては、
いつも本の背後にある黒岩さんの尋常ならざる仕事ぶりを感じるのですが、
今回は特にそのことを実感しながら読ませてもらいました。
いつもながらの、黒岩さんのエネルギーには感服します。

本書は、全体の構成がとてもうまく流れていて、わかりやすく、心に入ってきます。
なによりも現場発の情報を、ライブ感覚でなぞらえるのがうれしいです。
それにしても70歳を超えている五木さんのエネルギーの凄さには驚かされます。

今回は「利他一利」という言葉に出会いました。
「自利利他円満」という言葉は、確かに小賢しいですね。
私は、「自利一利」の生活を目指していますが、
「コモンズの回復」をテーマにしていますので、
宮沢賢治がいうように(世界中すべてが幸せにならない限り、自分の幸せはない。つまり、利他円満が自利の手段)、
私にとっては、「自利一利」は同時に「利他一利」なのです。
しかし、素直に「利他一利」と言ったほうがわかりやすいです。
考え直してみようと思いました。

本書で、アンベードカルという人のことを知ったこともうれしかったです。
私がなぜガンジーのどこかに違和感を持っていた理由がわかりました。
人は本当に見たいことしか見ないものです。

まあ、それはそれとして、黒岩さんの活動は超人的なのです。
女房も私も、その活躍ぶりから元気をもらっています。
最近、本を読まなくなった女房がこの本を読み出しています。
とても良い本です。お勧めします。

■金田英一さんのライフワーク(2006年12月19日)
金田英一さんから朝、いま東京にいるので時間がないかという電話がありました。
それで急いでオフィスに出かけました。
金田さんは東京と新潟を往復する生活をしているのですが、
環境問題や社会教育関係など、さまざまな活動をされており、 元気なシニアのお一人なのです。
先日も、赤羽で金田さんの知人に会いましたが、元気なシニアはどこかでつながっているのです。

今回は、金田さんのライフワークである、環境問題、とりわけ「川や堀につながる環境問題」についてお話をお聞きしました。
金田さんは最近の東京都の「環境学習リーダーニュース」に韓国でのソウル清渓川復元事業の視察記を投稿していますが、
他にも信濃川のサケ遡上のプロジェクトなどにもかかわっています。
体力も気になりますが、案の定、いろいろとあるようです。
しかし、ご自身が取り組んでいるプロジェクトの話をされる時の金田さんの表情は実に楽しそうなのです。
無理をしても取り組んでしまう気持ちがよくわかります。
元気シニアは、そうやって人生を楽しんでいるのです。
いや、それこそが人生なのです。
自分の人生にたどりつくまでの時間が、最近では長すぎるような気もします。
金田さんの元気に触れて、私も元気を思い出しました。

■NPOを支援する「ボランタリーライフjp」の友野健一さん(2006年12月19日)
20日に行なわれた学生まちづくり学会に参加していた、友野健一さんがオフィスにきました。
友野さんは、ボランタリーライフとCSRプロモーション「コラボPro。」というポータルサイトに取り組んでおり、
私の取り組んでいるコムケアとの接点があるのではないかと訪ねてきてくれたのです。
いずれも面白いサイトで、ある意味では私がコムケアやCWSで取り組んでいる思いにかなり重なっています。
しかしどうも私の理解力に不足から、どういうコラボレーションができるのかが良く理解できないために、
いつもこういう話には乗り遅れてきました。
しかし今回は友野さんの生き方そのものに共感できるところがいくつかありました。
いろいろな接点が生まれそうな気がします。

ちなみに、友野さんは瀬谷重信さんとの接点もありました。
瀬谷さんには私の事情ですっかりご無沙汰してしまっていますが、年が明けたら3人で会ってみたいと思っています。
友野さんには一度、コムケアサロンで話してもらおうと思っています。

■ミイラ展とエルミタージュ展(2006年12月20日)
むすめと一緒に「ミイラと古代エジプト展」と「大エルミタージュ展」をはしごしました。

エジプトに観光旅行したのはもう15年以上前なのですが、
その時の印象は今でも強烈に残っています。
その時のガイドをしてくださったのが、エジプト便りでバレンボイムのコンサートを紹介してくれた中野正道さんなのです。
中野さんの説明は実に面白く、以来、私はすっかりのエジプトファンです。

「ミイラと古代エジプト展」は3D画面でのミイラの説明が面白かったです。
私はミイラには全く興味がないのですが、その私も引き込まれるように見てしまいました。
もちろん今もミイラには興味はありませんが。
エジプト展のほうも面白い作品がいくつかありました。
名前は忘れましたが、顔が左右対称ではない、ちょっとエジプトらしからぬ女性像が印象的でした。
左右対称でないと表情がとても生き生きしてくることに気づきました。

エルミタージュ展は物語性を持った展示になっていましたが、そこからのメッセージは私には重苦しさを感じるものでした。
最近、読んだ「ローマ世界の終焉」と「仏教への旅」のせいかもしれませんが、歴史観がますます暗くなってきています。
そういえば、1月3日の夜10時から1時間、NHKで塩野さんと五木さんの対談が放映されるそうです。
黒岩さんが教えてくれました。
エルミタージュ展は、ナポリの花火という絵が、異様に私の脳裏に焼きついてしまいましたが、
全体には社会の暗さを改めて印象付けさせられました。
この暗さの中で輝やいている明るさがきっとどこかにあると思うのですが、最近は確信できなくなってきています。

美術展などはいつもは女房と行くのですが、今回は上のむすめから誘われたのです。
私が少し元気がないので誘ってくれたのかもしれません。
最近はむすめたちの支えられています。

■国家戦略の視点を持った教育再生提言(2006年12月20日)
今日は次世代人材育成研究会でした。
テーマは「教育再生」で、民間教育臨調事務局長の勝岡寛次さんが、
最近まとめた「美しい国へ−教育再生への一提言」(案)を紹介してくれました。
この報告書の視点として、最初に書かれているのが
『教育改革を行うに当たっては「国家戦略」の視点を持つ』ということです。
この視点、さらにその題からして、私には拒否感が消せない提言ですが、
反対であるとしても内容はきちんと理解しておかねばいけません。
私の考えもかなり偏っていますので、相対化させる努力はいつもしているのです。

この提言はまだ正式には発表されていないそうですが、実に具体的で思い切って書いています。
コメントはやめます。
何を書き出すか我ながら不安ですので。
しかし、意外なことに研究会ではけっこう評判がいいのです。
もちろん異論も少なくないようですが、その明快さに共感したのかもしれません。
賛否はともかく、提言にはあいまいな言葉は使うべきではありません。
その点では、私もこの提言の明快さには拍手を送りたいと思います。
内容は蹴飛ばしたい気持ちもしないではないですが。

■柏市市民交流サロン(2006年12月21日)
私の住んでいる我孫子市の隣にあるのが柏市です。
そこに市民活動センターが10月に誕生しました。
千葉県では14番目の行政がつくった市民活動センターだそうです、
コムケア仲間の松清智洋さんがそのスタッフになりました。
そして、市民交流サロンを始めたいというので、
第1回目の集まりに柏市民でもないのに問題提起の話しをさせてもらうことにしました。
松清さんからは、市民公益活動に関する問題提起といわれたのですが、
市民公益活動というのはつまるところ「まちづくり」だと思うと松清さんに話したら、それをそのままチラシに書いてくれました。

テーマは「みんなが気持ちよく暮らせるまちづくり」です。
これまでの3つのまちづくりがいずれも壁にぶつかっていること、
そうしたなかで住民たちが企業や行政やNPOを活かしながら、
楽しい暮らしづくりをしていくことこそ、これからのまちづくりではないかというメッセージを出させてもらいました。

予定人員は20人だったのですが、何とその倍近くの人が集まりました。
しかもみんなしっかりした現場をお持ちです。
私の住んでいる我孫子市でもこういう人たちが集まるだろうかちょっと心配になりました。
実は我孫子市でもこうしたサロンを開催したいと思っていましたが、
私の生活状況の変化もあって無期延期になってしまっているのです。

参加者の一人ひとりからそれぞれの活動の紹介がありました。
実に豊かです。
それに柏市役所の人たちの対応も黒子に徹していてとても好感が持てました。

刺激的な話もありました。
NPO法人手賀沼協会の人からは、手賀沼がきれいになっているなどと思ってはいけないと怒られました。
そういえば、CWSプライベートにもコメントが寄せられていますが、いままた手賀沼は汚染度が高まっているようです。
浄化が進んでいるという政治的なメッセージを鵜呑みにしてはいけないというのです。
たしかに手賀沼浄化に関しては、基本的なことはあまり進んでいません。

もっと強烈だったのは、柏原住民と自称する方の話でした。
その人の活動の一つに、鉄道の駅のホームに柵を作ることを義務付ける法律を作ろうというホーム柵日本会議があります。
ぜひホームページをご覧ください。

このサロンがこれからどう育っていくか、楽しみです。
我孫子市でもぜひサロンを始めたいと思います。

(2006年12月第4週)
今年最後の週になりました。
いろいろな思いのこもる1年でした。
お付き合いいただいた皆さんに感謝します。
今週は極めて個人的な日記です。

■ささやかなクリスマス(2006年12月24日)
我が家にはクリスチャンは一人もいません。
それに今年はいろいろありすぎて、楽しい気分にはなかなかなれません。
家族全員が、それぞれに疲れてもいますし。
しかし、そうであればこそ、せっかくのクリスマスを楽しもうということになり、
上の娘が手づくりケーキを作って、近くに住んでいる兄夫婦を招待することになりました。
娘のケーキは突然変異的な新種ケーキが少なくないので、いささかの危惧はあったのですが、
前日から準備をするという張り切りようです。
あいにく女房の体調が朝からあまりよくなかったのですが、女房もがんばって参加しました。
参加といっても、我が家でお茶を飲みながらケーキを味わうだけの話ですが。

今回のケーキは、なかなかの出来栄えで、好評でした。
兄夫婦もとても喜んでくれました。
3種類が用意されましたが、いずれも美味しく、久しぶりにたくさん食べてしまいました。
食がなかなか進まない女房も美味しいといって楽しんでいました。

まあ、それだけの話なのですが、最近はこうしたちょっとしたことを楽しめる幸せを感じています。
何万円もする高価な食事や贅沢なケーキがテレビで紹介されますが、
そんなお金があれば、困っている人への寄付に向けたほうが、もっと幸せな気分になれるだろうに、といつも思ってしまいます。
似たもの夫婦で、女房もそのタイプなのです。
ですから我が家には手づくりケーキが似合っているのです。

もう一つ意外なことがありました。
娘が、私に指輪をクリスマスプレゼントしてくれるというのです。
といっても、私の指輪ではなく、女房用の指輪です。
お父さんはお母さんに指輪などプレゼントしたことがないだろうから、これをお父さんからプレゼントしたらどうかというわけです。
娘は私にプレゼントし、私はそれを女房にプレゼントする。
同じ物で2回も喜びが生まれるというわけです。なかなかの妙案ですね。

しかしその提案は丁重に辞退しました。
娘からのプレゼントのほうが、きっと女房は喜ぶでしょう。
それに私がそんなことをするタイプではないことを女房は良く知っています。
私は指輪やアクセサリーの意味がほとんど理解できない人間なのです。
文化度が低いのでしょうか。困ったものです。

そんなわけで私はいつもながら何も用意していなかったのですが、女房からマフラーを贈られました。
いつ買いに行ったのでしょうか。最近は外にはあまり出られない状況のはずなのですが。
さて何をお返ししましょうか。こういうのが私には一番苦手なのです。困ったものです。
とまあ、今年はささやかですが、実に幸せなクリスマスでした。

■日本テレビの24時間テレビも30年だそうです(2006年12月25日)
日本テレビの24時間テレビの始まりの時は感動しました。
テレビの可能性に新しい展望を開くものでした。
自発的な募金の文化を広げた意義もとても大きいと思います。

その事務局長の神成尚亮さんが久しぶりにやってきました。
神成さんはコムケアの選考会にも参加してくれたことがあり、コムケア活動には共感してくださっているのです。
神成さんは、私のブログの辛らつなテレビ批判も読んでくれていますが
、テレビの持つ大きな可能性に深い思いをお持ちの方です。
最初に出会った時から、それが伝わってきました。
しかし、その思いや志を現在の企業社会やマスコミ社会で実現するのは至難のことかもしれません。

今日はいろいろと意見交換させてもらいました。
うれしかったのは、神成さんが、また元気が出ました、と言ってくれたことです。
自分の元気が最近はかなり低下していますが、まわりの人にはまだ元気をあげられるようです。うれしいことです。
神成さんは、コムケアともどこかで接点ができないだろうかとも言ってくれました。
来年に期待したいと思います。

■鰍bWSをどうするか、税理士の外崎さんに相談しました(2006年12月25日)
潟Rンセプトワークショップ(CWS)が存続の危機にあります。
まあ、今に始まったことではないので、たいしたことではないのですが。
18年、奇跡的に存続してきた私の会社も、いよいよ働く人がいなくなったのです。
つまり私があんまり働けなくなったわけです。
せっかく企業の仕事を再開した矢先だったのですが、
私にとってはかけがえのないパートナーの元気回復が最大の課題ですので、
彼女の元気が回復するまでは彼女に寄り添って、自宅中心の生活に切り替えているのです。
まあ、これまでもそう働いていたわけではありませんが、それなりに忙しくやってきました。
売上げにはつながらないことがほとんどでしたので、
経理をお願いしている税理士の外崎さんからは、もっとしっかり働けといつも言われていましたが、
まあ18年、よくやってきました。

しかしこの3年半、なかなか売上げになるような仕事をする暇はなく、厳しい状況だったのです。
昨年から私の月給を20万円に減額したおかげで、会社は辛うじて黒字になっていましたが、
外崎さんのアドバイスで、今年の夏以来は月給ゼロにすることにしました。
社長の月給がゼロなのはいかがなものかと外崎さんに抗議したのですが、
佐藤さんは会社に融資している金額が1000万円以上あるので、
もし会社に利益が出たら借金を返してもらうのがいいです、と言われてしまいました。
このままいって会社が倒産すると返してもらえなくなるわけです。
しばらくは会社の仕事を休もうかとも思っているので休業も考えましたが、
銀行からの借金が残っているからそれはだめだといわれました。
いやはや、物事はうまくいきません。

コンセプトワークショップを3億円で買収してくれる人はいないでしょうか。
あまり期待できないので、先日宝くじを買いました。
そこで驚いたのですが、私の前の人が、なんと宝くじを500枚も購入したのです。
つづいて10枚買うのがちょっと恥ずかしかったです。
10枚くらいでは3億円を手に入れるのは無理そうです。
やはり地道に働くのが一番ですね。
気づくのが少し遅すぎました。はい。

■アンベードカルの生涯(2006年12月27日)
五木寛之さんの「仏教への旅」を読んで、
インドの不可触民解放に取り組んだアンベードカルという人の存在を知りました。
早速、簡単に読める「アンベードカルの生涯」(光文社新書)を読んでみました。

私のガンジー理解はやはりかなり違っていたようです。
「やはり」という意味は、どこかに「何か違うもの」を感じていたのです。
ガンジーには、現場のにおいがしないような気がしてならなかったのです。
あれだけの現場を創りだし、乗り越えた人ですから、そんなはずはないのですが、
どこかに人間さを感じられずに、やはり聖者(マハトマ)は好きになれないと思っていたのです。

その理由が、この本を読んで納得できました。
ガンジーは、組織起点の人、全体起点の人だったのです。
それに対して、ライブな具体的な生に立脚しているのがアンベードカルのようです。
その生き方に共感しました。
死の断食を背景にしたガンジーとアンベードカルとの対決の場面は凄い迫力です。
映画「ガンジー」で見た時の状況とは全く違います。
あの映画ではよくわかりませんでしたが、
この本が正しければ、アンベードカルとガンジーでは人格の次元が違います。
アンベードカルの前ではガンジーも色あせて見える小賢しい人物でしかありません。

おそらく事実はそうだったのではないかと思えてなりません。
偉人は時の権力者によって、創りだされるものなのです。
しかし、偏った見方は危険でもあります。
この正月は少しガンジーの伝記も読んでみようと思います。
みなさんにはぜひアンベードカルを読んでもらいたいと思っています。
50年後の日本に、もしかしたら求められるような人物かもしれません。

■今年最後のお客様(2006年12月28日)
今年最後のオフィスへのお客様はビレッジハウスの山本ご夫妻でした。
ご夫妻との付き合いは長いのですが、2人とも実に個性的なアーティストなのです。
代官山にオフィスをお持ちで、空間設計に関するコンセプトデザイニングとプロジェクトマネジメントをお仕事にされています。
特にウェディングの分野では、これまでさまざまなヒット作を生み出しています。

一方は飛びぬけての心配性、一方は飛びぬけての楽観主義者という、
実に楽しい組み合わせの夫婦なのですが、
今日は年末の忙しい中を、お2人そろってきてくれました。
仕事でもささやかなお付き合いはあるのですが、私の環境変化のために、あまり深入りできずにいます。
面白い課題が山積みなのですが。
来年は少しはお役に立てるようにしたいと思っています。

ところで、今年も実に様々な人たちが湯島のオフィスに来てくれました。
秋以降は私があまりオフィスに行けませんでしたので、人数的には例年よりもずっと少ない人数でしたが、
今年も さまざまな出会いの場になりました。
来年もまたいろいろな人たちとの出会いの場になれればと思っています。

■インドネシアでパートナーを探している方はいませんか(2006年12月29日)
インドネシアで仕事に取り組んでいる、マレイシアのチョンさんからメールが来ました。
10年ほど前まで日本に留学していましたが、その頃、私がやっていた留学生サロンによく来てくれていた一人がチョンさんです。
実に博識で、愛すべき若者でした。
日本で会社に入り、その関係でインドネシアに行ってしまったのですが、
今年に入り、会社を辞めてしまったのです。
人の良さにかけては人後に落ちない若者ですので、いささかの心配がありますが、
とても明るく元気なのがチョンさんなのです。

毎年、年末年始になると当時集まってきていた人たちからメールや電話があります。
何か応援したいと思い、何かできることはないかといつも考えるのですが、
彼らの要望は実に具体的過ぎて、なかなか役に立てません。とても残念です。
役 にたってもいないのに、時々連絡してきてくれます。
女房が元気になったら、一緒に彼らのところに行こうと話しているのですが、なかなかいけそうもありません。
留学生サロンには女房も一緒でしたし、我が家にも遊びに来てくれたりしていました。
わが夫婦にとっても、本当に愛すべき若者たちでした。

この留学生サロンは、ある人から日本に来たアジアの留学生は半分以上が日本を嫌いになって帰国するという話を聞いたのがきっかけでした。
3年くらい継続したでしょうか。
いろいろな人が来てくれましたが、
今でもよく連絡してくるのは3人です。

このサイトともリンクしている呉さんはチョンさんに輪をかけた好人物ですが、
台湾でピンバッジなどの製造をしています。
これも応援してやりたいのですが、私自身がその種の仕事をしていないので役立てません。
どなたかイベントなどを仕事にされている方がいたらぜひ応援してやってください。
人柄は私が保証します。
チョンさんも今、仕事を探しているそうです。
インドネシアかマレイシアで仕事を展開されている方がいたら、仕事の相談に乗ってやってくれませんか。

どなたか応援してくださったらとてもうれしいです。

■年賀状を書かなかった年末(2006年12月31日)
3年ほど前から、年賀状を原則として新年の挨拶は年賀メールにさせてもらいましたが、
メールをやっていない方には年賀状を書いていました。
それも年々少なくなってきていましたが、今年はどうも年賀状を書く気が起きずに、
年賀はがきはいまだにそのまま白紙のままになっています。
今日は最後のチャンスだったのですが、書くのをやめてしまいました。

年賀状を書き出してから55年くらいでしょうが、初めて年賀状を書かない年になりました。
そんなわけで、今年は年賀状はありません。
ご容赦ください。
年賀メールは除夜の鐘が鳴り出したら、いつものように発信させてもらう予定ですが、
これもまたアドレス帳が混乱したままですので、届かない恐れがあります。
恐縮ですが、万一届かなかったらご連絡ください。
アドレスを復活させたいと思いますので。

■謝辞(2006年12月31日)
今年も残すところ1時間を切りました。
今年は私にとっては忘れられない年になりました。
たくさんの方たちに大きな励ましももらいました。
人のつながりのありがたさに、これほど感謝した年はありません。
この数年、私は「コモンズの回復」。つまり「つながり育て」に取り組んでいますが、
その姿勢が間違っていなかったことを実感させられました。

この退屈でわけのわからないホームページや、
感情的で支離滅裂なブログを愛読してくださった方々に深く感謝しなければいけません。
ありがとうございました。
感謝しています。

来年は、もう少し元気を取り戻していければと思っています。
元気が出てきたら、1月の下旬にでも、湯島で1回だけの湯島サロンを開催したいと思っています。
開催することになったら、できるだけ早く、このサイトのお知らせにご案内します。
お会いできることを願っています。
除夜の鐘が鳴り出しました。
いつものことながら、わくわくします。