活動記録2015
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(2015年12月最終週)
今年も最後になりました。
こんなにゆったりした年末ははじめてです。
なぜゆったりしたかと言えば、やるべきことを先送りしたからです。
今生が無理なら来世でもいい。
裏切られてもいいから他者を信頼しよう。
そう考えだしたら、ゆったりできました。
あえて書くほどのないくらい何もない最後の週でした。
たぶん新しい年も、そんな感じで始まるでしょう。
■「妻への挽歌」が「日経電子版」に掲載されました(2015年12月27日)
■お正月の買い物(2015年12月27日)
■大掃除(2015年12月27日)
■東尋坊からのお餅(2015年12月27日)
■WOWOWテレビドラマ「誤断」を観ました(2015年12月28日)
■何もせずに年末を過ごしました(2015年12月31日)

■「妻への挽歌」が「日経電子版」(12月22日)に掲載されました(2015年12月27日)
先週、書き落としたのですが、12月22日の「日経電子版」で、佐久間さんが「妻への挽歌」のことを紹介してくれました。
http://www.nikkei.com/article/DGXMZO95093080U5A211C1000000/ 
3000回を超えたことへの「お祝い」です。
そのおかげで、その後の数日、挽歌へのアクセスが超えていました。
私もフェイスブックで紹介したら、数名の方が記事をシェアしてくれました。

佐久間さんへの感謝の思いも込めて、ここに記録しておきます。
ついでに私のフェイスブックの記事も。
https://www.facebook.com/cwsosamu/posts/10201092245224158?pnref=story
電子データは後で探すのが大変で、見つからなくなることも多いですので。
一条さんの心遣いに感謝しなければいけません。

■お正月の買い物(2015年12月27日)
くのスーパーのカスミにお正月の買い物に娘と一緒に行きました。
お正月用の商品はたくさん並んでいましたが、混み具合は普段とそう違いませんでした。
このスーパーは元日から開店しているのです。
なにやらだんだん年越しのイメージが変わってきました。
結局、私自身の買い物はありませんでした。
私はお酒が苦手なのですが、元旦の朝の来客との一緒のお神酒だけを買いました。
お正月のおせちなどは娘がすでに購入していました。
最近は正月のお客さまもあまりないので、質素なお正月になりそうです。

■大掃除(2015年12月27日)
先延ばししていた大掃除を開始し、3日かかってかなりの成果がありました。
といっても、基本的には何も変わっていません。
それは廃棄したものがあまりないからです。
時々、書籍や雑誌をどっさり廃棄しますが、廃棄した分また書庫から出てきますので結局は片付いた雰囲気は数日で元戻りです。
しかしどうして書籍や資料を思い切って捨てられないのでしょう。
自分の過去と未来を捨てるような気分になるからなのでしょう。
まあ、来年は毎日を大掃除のつもりで過ごそうかと思いだしています。

■東尋坊からのお餅(2015年12月27日)
東尋坊で見回り活動をしている茂さんと川越さんから恒例のお餅が届きました。
みんなでお餅つきをし、関わっている人たちに贈ってくれるのです。
私は何のお役にも立てていないのですが、贈って下さるのです。
お礼の電話をしたら、おふたりとも仲間と一緒にまだお餅つきをしていました。
どれだけのお餅をつくのでしょうか。
言い換えれば、それだけ多くの人たちの人生を救ってきたということでしょう。
お2人とも元気そうでした。
そういえば、今年はおふたりには会えず終いでした。

■WOWOWテレビドラマ「誤断」を観ました(2015年12月28日)
大掃除の合間に録画していたWOWOWテレビドラマ「誤断」6話をまとめてみてしまいました。
筋書きはかなり無理がありますが、水俣病を思わせる公害を起こした製薬会社がお金でもみ消した事件が、40年前にまた再発し、それにどう対処するかという話です。
「お金で解決する文化」への問題提起です。
ほとんどすべてが善意で一生懸命に動きながらも、うまくいかないという現実が描かれています。
それを「時代の変化」のせいにしているのは賛成できませんが、「会社のためとがんばっている経営者」が、いまの大企業の経営幹部の人たちに重なってしまいます。
実際には、「会社のためが会社をだめにする」のですが。
また「反対運動」と「防衛活動」は結局は何も生み出さないというメッセージも込められています。
そして、それへの解決策も提案されています。
私自身の生き方も含めて、いろいろと思うこともあり、最後は涙が止まりませんでした。
ぜひ多くの企業人に見てほしいと思いました。
このドラマのダイジェスト版が放映されないものでしょうか。

ちなみに、原発問題もまさにこの映画のように、対立ではなく一緒に取り組めば、違った展開になるでしょう。
ストーリーや設定にはかなり粗雑さがありますが、そこから伝わってくるメッセージは、私には強烈でした。
終わり方が、実に突き放した感じで、どうもすっきりせずに見た後も忘れられなくなるのです。
いまの日本の社会をつくってきた人たちには、とても残酷なドラマです。

■何もせずに年末を過ごしました(2015年12月31日)
最後の3日間は、ほとんどなにもしませんでした。
娘の障子の貼り替えを手伝ったくらいでしょうか。
それに、玄関とトイレ掃除もしました。
本もあまり読む気がせず、パソコンにもあまり向かう気もせず、過剰に怠惰だったかもしれません。
不思議なくらい何もしませんでした。
こんな年末は本当に初めてです。

今年は、いろんなことがあった1年でした。
必ずしも良い年ではありませんでしたが、こうしてゆっくりと歳を越せる「幸せ」に感謝したいと思います。

(2015年12月第4週)
■DIYコミュニティ構想検討会(2015年12月23日)
■お金でない支え合いを考えるサロン(2015年12月23日)
■「ギリシア人の物語」(2015年12月24日)
■足立さんとの仏教雑談(2015年12月25日)
■田中さんからのクリスマスプレゼント(2015年12月25日)
■久しぶりの宮崎稔さん(2015年12月26日)
■カフェサロン「教育を核にしたまちづくり」(2015年12月26日)

■DIYコミュニティ構想検討会(2015年12月23日)
自分でできることはできるだけ自分でやっていこうという「Do It Yourself」的な生き方を広げていきたいという、秋山さんの思いに共感して、今日は関心を持った人たちとのミーティングをもちました。
久しぶりに、アラジンの牧野さんも参加しました。
コミーの小宮山さん、福祉問題に関わっている秋本さん、同じビジョンをお持ちの石井さんなど、6人が集まりました。
やはりしっかりしたビジョンや理念を核にした運動的な展開にするのか、まずは多能工的な技を習得する学びの場をつくるのか、などといった議論が行われました。
具体的なプロジェクトには至りませんでしたが、その芽は少し埋め込まれたと思います。
来年は少し前に進めたいと思っています。

■お金でない支え合いを考えるサロン(2015年12月23日)
湯島で、私が話すサロンをやりました。
たぶん私が最初に話す湯島サロンは、これまでの27年間のサロンの中では2回目です。
テーマは「お金だけでない支え合いを考える」です。
年末の、しかもクリスマス前の休日なので、参加者はあんまりないだろうと思っていたのですが、初参加の方も含めて20人ほどの集まりになりました。

いつもは、不十分とはいえ、私がホスト役なので、珈琲などを出したりするのですが、急遽、阿部さんや石井さんに珈琲をお願いしてしまいました。
急にお願いしたので、さぞかし迷惑だっただろうと思います。

1時間を、もしかしたらオーバーしてしまった私の話を、みんな聴いてくださいました。
何事も用意しすぎると退屈になるものです。
今回は、そうだったかもしれません。
パワーポイントをつくったのですが、あれも入れたいこれも入れたいとなんと66枚にもなってしまったのです。
困ったものです。

それでもその後の話し合いは、いろいろと面白かったです。
個人的に面白かったのは、家族の話になった時に、男性と女性との「家族」の捉え方の差が明確に出てきた時でした。
私の話で共感してもらったのは、「自分を生きる」ということでした。
66枚のパワーポイントの1枚に書かれていただけなのですが、私が一番言いたかったことの一つです。
みんながしっかりと「自分」を生きたら、社会は変わっていくと思っています。
いつものように、いつになっても終わる気配がなかったのですが、1時間ほどオーバーしたところで、終わらせてもらいました。

予想通り、具体的な「お金でない支え合い」の仕組みの提案があるのではないかと思って参加された方もいました。
それには、一見、何も応えていない話になっているのですが、実はきわめて具体的なメッセージを込めたつもりです。
私が取り組んでいる「コムケア活動」は、私にとっての平和活動ですが、湯島でのカフェサロンも、同じです。
それに、ロンドンのコーヒーハウスやドイツのバウハウスが新しい時代を切り開いたように、新しいものは常に「話し合い」から生まれると思っているのです。
もちろん話し合いの結果ではなく、話し合いが個人の思いに火をつけるという意味です。
今回、もう一つメッセージしたかったのは、「自分を生きる人たちのカフェサロンの大切さ」です。
これも何とかみなさんには伝わったようです。
カフェサロンをつづけたいという発言が複数の人からありました。

今回、1時間も時間をもらったので、カフェサロンのベースになるキーワード(キーコンセプト)はほぼすべて盛り込んでおきました。
来年は「お金でない支え合いパート2」で、「コモンズ空間としてのカフェサロン」させてもらえればと思っています。
そして、カフェサロンから、いくつかの仕組みが生まれればと思っています。
ちなみに、「コモンズ空間としてのカフェサロン」に関しては、以前ブログに少し書きました。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2015/09/post-0bca.html
もしお時間があればお読みください。

10代の若者から80代の方まで、そして立場も実にさまざまなみなさんが参加してくださり、私にとってはとてもうれしいサロンになりました。
ちょっとだけですが、(家族の捉え方をめぐっての)異論のぶつかりもありましたし。

■「ギリシア人の物語」(2015年12月24日)
塩野七生さんの「ギリシア人の物語」が刊行されだしました。
今度は3年がかりの3巻だそうです。
ちょっと不満ではありますが、早速に購入し、読みました。
第1巻は、テミストクレスとペルシア戦争が中心です。
私は、古代ペルシア帝国になんとはなく共感を持っています。
古代ギリシアよりも「人間的」だったのではないかと思えるのです。
そして、もしクセルクセスがギリシアを打ち負かせていたら、世界の歴史はどうなっていたかと思うのです。
西進の歴史は東進になり、インドを経て、いまとは全く違った世界が生まれていたでしょう。

ギリシアの物語の第1巻は、副題が「民主制のはじまり」です。
そのテーマに関しても、いろんな示唆をもらいました。
とても面白かったです。

■足立さんとの仏教雑談(2015年12月25日)
僧籍を持っている足立さんが湯島に来ました。
本来の用事は10分で済ませて、その後、お寺や仏教の話になりました。
足立さんはいまは、企業関係の仕事をしていますが、ライフワークはたぶん「仏教」です。
日本に8万近くもあるお寺の役割を見直したいと思っているのです。
それで、足立さんと会うとその話になります。

最近、私はテレビの「こころの時代」で改めて華厳の思想に興味を持っています。
それでまあ、あまり理解できていないにもかかわらず、足立さんに議論を吹っかけているわけです。
話しているときりがありません。
話すだけではなく、足立さんが構想していることに、どこかで関われないかと思いだしています。
どこか新しいことをしたいと考えているお寺の人を、どなたか紹介してくれる人はいないでしょうか。
なにかお寺がらみのプロジェクトを起こしたいです。

■田中さんからのクリスマスプレゼント(2015年12月25日)
日本NPO学会の田中弥生さんが、クリスマスのケーキを持ってきてくれました。
田中さんは湯島の近くにお住まいなので、まあ気分転換に寄ってくれたのですが、田中さんも今年は私以上にいろんなことがあったようです。
一時は疲れていましたが、今日は元気そうでした。
田中さんとの付き合いは、もう25年ほどですが、彼女のおかげで私の生き方は大きく変わりました。

複雑系の科学では、バタフライ効果と言う話があります。
上海で町長が羽ばたきをしたために、アメリカを台風が襲ったというたぐいの話ですが、田中さんからなぜか頼まれた仕事が、「コーポレート・シチズンシップ」の本の出版でした。
最初は書き手と出版社を探す約束でしたが、田中さんのボスの入山さんという、これまた魅力的な人がいて、彼とのやり取りの関係で、私が結局、直接に汗をかくことになったのです。
そこから、まさにバタフライ効果ではありませんが、いろいろとおかしな方向へと生き方が変わっていったというわけです。

その入山さんもなくなってしまいました。
そういえば、入山さんは塩野さんの友人だったそうです。
入山さんは、社会のど真ん中を、それも華やかに生きるのが好きだったと思いますが、私があまりに社会から脱落志向が強いために、神仏の世界に行ってしまった修ちゃんとはもう付き合えないなと言われていましたが、入山さんとのやり取りは、いつもとても小気味よく、私は彼が大好きでした。
もし今もなお元気であれば、たぶんわかりあえた人の一人でした。
派手好きな彼は、たぶん相手にはしてくれなかったでしょうが。

ここに入山さんがいたらどんなによかったしょうか。
ちょっとだけ入山さんのことを思い出しました。

■久しぶりの宮崎稔さん(2015年12月26日)
学校と地域の融合教育研究会を立ち上げた宮崎稔さんと会うのは10年以上ぶりです。
宮崎さんが隠岐の島の海士町に頼まれて、海士町に転居した時に、別件で海士町に行けることになり、宮崎さんに会えると思って出かけたら、なんとその日に限って宮崎さんは東京に講演に行っていました。
その話をしたら、あの時、佐藤さんは海士町の町長室から電話をくれましたね、と宮崎さんは覚えてくれていました。
東日本大震災が起こったため、宮崎さんは海士町から東北に活動の舞台を移し、いまは女川町で活動しています。
その合間に、湯島でサロンをやってもらうことにしました。
ちょっと他にも相談したいことがあり、サロンの前に少し話し合いました。

宮崎さんは、以前と全く変わっていませんでした。
現場で汗をかいている人の言葉には力がある。
改めてそう思いました。

■カフェサロン「教育を核にしたまちづくり」(2015年12月26日)
今日は今年最後の湯島サロンでした。
テーマは、「教育を中核としたまちづくり」。
話題提供者は、学校と地域の融合教育研究会会長の宮崎さんです。
宮崎さんはいま、宮城県女川町で活動されています。
私が知り合ったのは、宮崎さんが習志野市の秋津小学校の校長時代で、今や全国に広がっている、学校と地域の融合教育研究会が始まった頃でした。
その頃も一度、湯島でお話してもらったことがありますが、公立の小学校でもこんなことができるのかと、それこそ私の常識が覆される活動でした。
今回は、その話も含めて、隠岐の海士町での話や女川での最近の活動などについてお話してもらいました。
宮崎さんの実践には、教育やまちづくりの本質を示唆するたくさんのヒントがあります。
それに触れたら、本気で学校や地域社会を変えていきたいという人なら、必ずや「うずうず」してしまうはずです。
学校と地域の融合教育研究会のホームページもよかったらぜひのぞいてみてください。。
http://yu-go-ken.net/

宮崎さんは、学校の役割が第3期を迎えているといいます。
子どもの持つ多様な価値を、まちづくりの担い手として生かす、地域とともにある学校です。
そして、そうした「学校力」をどう活用するかが、地域社会にとっての課題だと言います。
そして宮崎さんは、それをまさに今、女川で実践されているわけです。

宮崎さんのお話はもっと多くの人たちに聴いてほしいと思います。
それで来年の2月27日に、宮崎さんにお願いして、公開フォーラムを開催することを考えることにしました。
決まりましたらまた案内させてもらいますが、いわばその実行委員会的なものはすでに生まれています。
今回はそのコアメンバーも参加しました。
ご関心のある方は是非実行委員会に参加してください。
ご連絡いただければ、ご案内させてもらいます。

(2015年12月第3週)
■緊急カフェサロン「辺野古のたたかいはいま」(2015年12月14日)
■みんなの認知症予防ゲームをどう広げていくか(2015年12月15日)
■認知症予防をテーマにした実践者交流会(2015年12月15日)
■スワンの岡村社長(2015年12月16日)
■経営道フォーラム58期との雑談会(2015年12月16日)
■「ギリシア人の物語」(2015年12月19日)
■ブログ「戦争と平和を考える」での座礁(2015年12月19日)

■緊急カフェサロン「辺野古のたたかいはいま」(2015年12月14日)
那覇在住の東アジア共同体研究所の緒方修さんに「辺野古のたたかいはいま」というテーマで、サロンを開いてもらいました。
急な呼びかけでしたが、参加者がわっと集まると思っていましたが、10人ほどの参加にとどまりました。
これ自体が、私には意外でした。
しかし20代の学生から70代のご夫妻という、幅広い参加者がありました。
いまの沖縄の問題は、まさに日本の「くにのかたち」を大きく変えていくものであり、しかも大きな時代の流れに逆行するものだと思っていますが、私たち「ヤマトンチュウ」の関心は低いのかもしれません。
これでは、ナチスファシズムに飲み込まれたのを後で悔やんだニーメラーの繰り返しになりかねません。

最初に映像「辺野古のたたかいはいま」を見せてもらいました。
今年の6月から8月の記録です。
いろいろと気づいたことや示唆もたくさんありました。
知らなかったこともたくさんお聞きできました。

私は2つのことがずっと気になっていました。
まず、沖縄の若者たち、とりわけ高校生や大学生たちはどう考えて、どう行動しているのだろうかということ。
それと、現地のアメリカ人たちはどう考え、どう行動しているのだろうかということです。
いずれもあまり動きがないそうです。
運動を起こす方が、「問題の立て方」に失敗しているのかもしれません。

緒方さんは、沖縄の新聞と「本土」の新聞の、問題の取り上げ方の違いについてもお話されました。
沖縄の人たちはほとんどが現地の新聞を読んでいますが、そこでは基地問題や民主主義の危機が大きく取り上げられています。
しかし、「本土」の新聞は時には1面に出ますが、取り扱いも取り上げ方もまったく違います。
そうした新聞を毎日読んでいることによって、意識は大きく変わってくることは間違いありません。

緒方さんは、キャンプ地にまだ放置されている遺骨の問題や大浦湾の生き物たちの話もしてくれました。
そして、「人権」や「環境」の問題をもっと表に出して、「世界」に訴えていくことの大切さも話してくれました。
しかし、それ以上にやはり、私たち日本人がもっと関心を持ち、自分の問題として考えることが大切だということで、話す場があれば、現場の状況を伝え、問題を知ってもらう活動に取り組まれているのです。
最年少参加者の大学生によれば、辺野古の話は周辺ではほとんど話題になっていないそうです。
学生に限らず、多くの人たちは、安保法制の問題と辺野古の問題を必ずしも結びつけていません。
そうした状況にこそ、問題の本質はあるのかもしれません。

ほかにもたくさんの話がありました。
機会があればまたぜひ緒方サロンを開きたいと思いますが、緒方さんが辺野古の話をするような場も、ぜひみなさんで作ってもらえればと思います。

なお、緒方さんたちの活動は次のサイトをお読みください。
http://eaci.or.jp/archives/
フェイスブックページもあります。
https://www.facebook.com/east.asian.community.institute

■みんなの認知症予防ゲームをどう広げていくか(2015年12月15日)
「スリーA方式認知症予防ゲーム」の普及に取り組んできた京都のNPO法人認知症予防ネットの活動に共感して、私もこれまでささやかに応援してきましたが、いろいろと事情があって、「スリーA」と言うタイトルをつかえなくなりました。
それを契機に、運動体的な仕組みをもっと強くできないかという思いも含めて、「みんなの認知症予防ゲーム」という名前を提案させてもらったのですが、賛成してもらい、そのタイトルで活動を組み替えることになりました。
と言っても、私自身は、直接の当事者ではないので、何のお役にも立てません。
せめてものお役立ちと思い、京都のNPOの理事長の高林さんと監事の平田さんと、首都圏を中心に活動に取り組んでいる加藤さんたちグループのミーティングを開き、第三者的なアドバイスをさせてもらうことにしました。

何とか大きな方向が見えてきました。
さてさてお引き合わせした手前、そう簡単には抜けられなくなりました。
来年はもう少しコミットしなければいけなくなりそうです。

しかし、「みんなの認知症予防ゲーム」構想は、我ながら良い構想だと思いますが、なかなかその本質を理解してもらえないのが残念です。

■認知症予防をテーマにした実践者交流会(2015年12月15日)
湯島で、認知症予防ゲームの普及に取り組んできた高林さんのサロンを開催しました。
高林さんは、まだ認知症は予防できないと言われていた頃からNPO法人認知症予防ネットを立ち上げ、京都を中心に実践活動に取り組んできた方です。
「みんなの認知症予防ゲーム」の根底にはしっかりとした理論があります。
最近さまざまな予防策や対応策がマスコミでも報道されていますが、そのほとんどの要素が組み込まれているのです。
今回は、長年その普及に取り組んできた高林さんを囲むサロンでした。
20人近いゲーム実践者のみなさんが集まりました。
みんなゲームを通して、「認知症」症状の改善(時には奇跡的な改善!)に出会った体験をお持ちの方ですので、もっともっと広げていきたいと考えているのです。
どうしたらもっと広げられるか、いろんな考えや知恵が出てきました。
みなさんの熱意に触れているうちに、来年はさらに広がるだろうなと確信しました。
定期的に実践者の交流会をやることも提案されました。
関西では、高林さんのNPO法人認知症予防ネットの講座がありますが、東日本でも様々な講座が開かれだしています。
「みんなの認知症予防ゲーム」に関心のある方はご連絡ください。

ちなみに、認知症予防ネットでは、「安心バッッジ」を製作し、その普及にも取り組んでいます。
関心のある方はNPO法人認知症予防ネットにお問い合わせください。
http://www.n-yobo.net/
ただ現在、ホームページを模様替え中ですのちょっとわかりにくいですが、メールでお問い合わせするといいです。

■スワンの岡村社長(2015年12月16日)
スワンは、ご存知の方も多いと思いますが、
「障がいのある人もない人も、共に働き、共に生きていく社会の実現」を目指して、クロネコヤマトの小倉さんが設立した会社です。
銀座の1号店をはじめとして、すでに25店のお店が展開されています。
http://www1.enekoshop.jp/shop/swanbakery/

岡村さんとゆっくりと話すのは久しぶりですが、とても共感できる話がたくさん聞けました。
うれしいことです。
スワンではクリスマスケーキも大きく育ってきているそうですが、
アレルギーのある人にも安心して食べてもらえる「みんなのハッピー?ケーキ」が新潟の十日町で作られていることを知りました。
そして、JR東日本が関わっていることを知りました。
そしてちょっとだけ私のNPO関係の活動ともつながっていることを知りました。
その後の企業の人たちの集まりに、JRの人が参加したので訊いてみたら、その人はそのケーキを買っていました。
つながっていないようで、実はつながっている。
湯島でいろんな集まりをやっていると、そういう「人のつながり」に出会うことは少なくありません。
そういう「人のつながり」が、「活動のつながり」になっていけばと思っています。

スワンの岡村さんはお土産に、スワンベーカリーのパンを持ってきてくれました。
うれしいお土産です。
そういえば、最近私はスワンベーカリーに行っていないことに気づきました。
また機会を見ていこうと思います。

■経営道フォーラム58期との雑談会(2015年12月16日)
岡村さんはもうかなり前の経営道フォーラム受講生ですが、現在の経営道フォーラムでの私の担当チームが湯島に来ました。
7人のチームですが、テーマは「新しい芽が生まれ育つ企業文化」です。
研究が進む前に、一度雑談に来たらと誘ったのを受けて、来てくれたのです。
今回のチームには「凡庸と言う悪魔」の本を推薦してしまったのですが、2人の方が読んでいました。
これはきちんとフォローしなければいけません。

企業の経営幹部の人たちは、現在の企業が抱える問題はほとんど認識しています。
そればかりではなく、その解決策さえもわかっているといえるでしょう。
しかし、それが実行できないのです。
実行できないわけは、個人の意思や能力の問題だけではありません。
そういう状況が、がんじがらめに構築されているからです。
ですから「形だけの改革」が行われるわけでが、これは経営コンサルタントにとっては好都合なことなのです。
そういう状況を感じて以来、私は経営コンサルタント業をやめていますが、どこかで状況をひっくり返す必要があります。
そのためには、個別企業を超えた仕組みが必要ではないかと思っていますが、そうした動きがそろそろ出てきてほしいと思っています。
できれば私もそうしたプロジェクトに関わりたかったのですが、見事に失敗してしまったようです。

■「ギリシア人の物語」(2015年12月19日)
新聞で塩野七生さんが「ギリシア人の物語」を書き出したことを知りました。
早速、注文しました。
塩野さんが「ローマ人の物語」を出版していた15年は、年末にそれを読むのが恒例行事でした。
それが復活しました。
来週には読もうと思いますが、ぱらぱらと目を通したのですが、塩野さんがギリシア人の物語を書いてこなかった理由が少しわかった気がします。
読んでみれば、その私の思いが当たっているかどうかわかるかもしれません。
すぐにでも読みたいのですが、あいにくこの数日、時間破産しているのです。
しばらくは「おあずけ」です。

■ブログ「戦争と平和を考える」での座礁(2015年12月19日)
安保法制騒動考をブログで書いてから、その第2弾、第3弾を書いてきました。
ところが、その第3弾「戦争と平和を考える」の途中で、まさに座礁したように、書けなくなりました。
頭が整理できなくなったのです。
それもあって、改めて関連した本も読み直したりしましたが、ますます頭は混乱するばかりです。
暫らくかけずにいましたが、そこに引っかかっていると時評編が書けないので、無理やり決着させました。
最後は40年前に撮影した枯葉剤で焦土に化したベトナムの航空写真でした。

しかし、このシリーズのブログを30編書いている過程で、いろんなことを考えました。
明らかに世界の構造は変わっていることを確信しました。
そして、間違いなく人間も「変質」しているようです。

来週からまた時評編を自由なテーマで再開します。

(2015年12月第2週)
■INORIコンサート IN ABIKO(2015年12月6日)
■INORIコンサート IN ABIKO打ち上げ会(2015年12月6日)
■「無縁の地平に 大仏照子の生涯」(2015年12月7日)
■ドラッカーの「経済人」と「産業人」(2015年12月7日)
■「みんなの社会教育」(2015年12月9日)
■子どもNPO実践交流会(2015年12月12日)

■INORIコンサート IN ABIKO(2015年12月6日)
SADAKO LEGACYの佐々木さん家族を迎えての、我孫子市の「平和の集い」は参加者にたくさんの感動を与える、とてもいい集まりになりました。
主催は我孫子市と平和事業市民会議ですが、第3部のコンサートの部分に関しては、市民による実行委員会が中心になって企画運営しました。
終了後、出会った人から、久しぶりに3回も泣いてしまったと言われました。
サダコ鶴についても多くの人に知ってもらえたと思います。

第3部のコンサートは、宮内さんがプロデュースしたのですが、奇跡とも言うべきほどの大成功だったと思います。
自発的に生まれたグループの力の大きさを改めて実感しました。
おかげで、私の出る幕は全くと言っていいほどありませんでした。
コンサート終了後、懐かしい人たちからも声をかけてもらいました。

佐々木さんのご家族にもとても喜んでもらえました。
もちろん問題がなかったわけではありませんが、新しい物語が始まるように思います。
佐々木祐滋さんにも感謝しなければいけません。

■INORIコンサート IN ABIKO打ち上げ会(2015年12月6日)
コンサート終了後、出演者を中心に打ち上げ会を持ちました。
私自身は打ち上げに参加するほどの資格はないのですが、最初のきっかけをつくったということで、宮内さんが誘ってくれたのです。
最初のメンバーの一人でもある原田さんも参加しました。

私には初対面の人が多かったのですが、とてもいい売上でした。
ギター奏者が多かったこともあり、後半はそれぞれが弾き語りをしてくれました。
最後は、祐滋さんの「INORI」でした。

私は何も役立てませんでしたが、ミュージシャンはいい人ばかりだなと改めて実感しました。
さてこれからどういう物語が生まれるか。来年が楽しみです。

■「無縁の地平に 大仏照子の生涯」(2015年12月7日)
昨年、マハラバ文庫を主宰している増田レアさんにお願いして、マハラバ村をテーマにしたフォーラムを開催しました。
マハラバ村は、1960年代に茨城県の千代田村(現・かすみがうら市)に生まれた脳性麻痺者たちを中心にしたコロニーです。
今日の障害者運動のひとつの原点は「青い芝の会・神奈川県連合会」にあると言われていますが、そのさらに原点になったのが、マハラバ村です。
そのマハラバ村の中心にいたのが増田レアさんのお父様の大仏空さんです。
そして増田さんは、そのマハラバ村で育ったのです。

その増田さんが、お母様の生涯を本にされました。
「無縁の地平に 大仏照子の生涯」です。
多くの人に読んでほしくて、ブックのコーナーで紹介させていただきました。
もしご関心を持っていただけたらお読みください。
また一度、増田レアさんのサロンも開催できたらと思っています。

■ドラッカーの「経済人」と「産業人」(2015年12月7日)
気になりながら、きちんと読んでいなかったドラッカーの「産業人の未来」を、かなり精読しました。
正直、なかなか腑に落ちないところはあるのですが、若きドラッカーの慧眼に改めて驚きます。
にもかかわらず、彼はなぜに株式会社を中心に産業社会を考えたのかがまだわかりません。
ノートまで取って精読したので、もう少し時間をかけて読み解こうと思いますが、第二次世界大戦がまだ終わっていなかった時期に書かれた「産業人の未来」はとても示唆に富む本です。
前作の「経済人の終わり」もそうですが、改めてこの2冊をしっかりと読もうと思い出しています。
ついでに、昔、私が書いた「脱構築する企業経営」も読んでみようかと思い始めました。
自分で書いたにも関わらず、実は一度も読んだことがないのです。
しかし、あの時の私の結論は、企業社会ではなく協同組合社会だったような気がしています。
25年前の私は何を考えていたのか、いささか躊躇しますが、来週には読んでみようと思います。

■「みんなの社会教育」(2015年12月9日)
社会教育のパラダイム転回を考えるための集まりも回を重ねてきましたがいよいよ来年2月にミニフォーラムを開催することになりました。
テーマとプログラムの内容などについての打ち合わせをしましたが、まずはミニフォーラムを開催し、つづいてみんなの社会教育研究会(仮称)を発足させ、夏以降に公開フォーラムを開催するという、ホップ・ステップ・ジャンプスタイルで進めていくことになりました。
テーマはまだ決まってはいませんが、私としては原点に返って、「社会教育ってなんだろう?」をみんなで考えるのがいいように思います。

パネルディスカッションには3人のゲストを呼ぼうということになりました。
それもできるだけ現場で実践している人がいいと思いますが、なかなか思いつきません。
候補は何人かいるのですが、何しろ手弁当方式なので、なかなか声もかけにくいのです。
どなたかいい人がいたらぜひ教えてください。
お上の社会教育ではなく、生活者の社会教育に取り組んでいる人です。
いるようでいないのが、実は最大の問題なのだろうと思っています。
私の評価基準が偏っているのかもしれませんが。

ちなみに、最近体験した地元の我孫子での「平和の集い」ですが、これはまさに「お上型社会教育」と「草の根社会教育」との合体イベントでした。
たくさんの気づきを、改めて得させてもらいました。
現場で気づくことは本当にたくさんあります。

■子どもNPO実践交流会(2015年12月12日)
日本子どもNPOセンター主催の「子どもNPO実践交流会」に参加しました。
「子どもNPO白書2015」の出版を記念し、白書の執筆者のみなさんもそれぞれの分野の紹介をされました。
私も少しだけお話させてもらいましたが、これを契機に「子どもNPO実践者ラウンドテーブル」のようなものを立ち上げてほしいと提案しました。
また、日本におけるNPO中間支援組織の役割も見直し、ベクトルを反転させる時期だという、少しややこしい話もしました。

子どもの世界からはまさに社会の実相が見えてきます。
ですからこの白書は「現代の社会白書」でもあります。
子どもに直接かかわっていない社会活動をしている人たちにもぜひ読んでほしいと改めて思いました。
よかったらぜひご購読ください。
http://homepage2.nifty.com/CWS/books.htm#150913

終了後、執筆者のみなさんを中心に打ち上げがありました。
学童保育やフリースクールの活動をしている人たちのところに座ったおかげで、その世界の生々しいお話をいろいろと聞かせてもらいました。
学童保育の活動をしていると学校の様子がよくわかるそうです。
ダブルスタンダードに生きる子供たちの話も考えさせられました。

湯島でもカフェサロン子供シリーズが始まっています。
話してもらいたい人にたくさん出会いました。
子どもたちから教えてもらえることは、それこそ山のようにあります。
「ミニいちかわ」というこどものまちに取り組んでいる渡慶次さんが、子どもと一緒に活動して子どもの力に気づくと大人たちが変わっていくという話がとても示唆に富んでいました。
いま代わるべきは、子どもたちではなく私たち大人なのだろうと思います。

日本子どもNPOセンターの小木さんとも久しぶりにお会いしました。
お元気そうでした。
名古屋の お土産までもらってしまいました。
立柳さんと上野さんが打ち上げに参加できなかったことが残念でした。

(2015年12月第1週)
■カフェサロン「ドラッカーとナチスと市民性」(2015年11月29日)
■「仕事における居場所感」調査(2015年11月29日)
■チューリップを植えました(2015年12月2日)
■オクトの田中さん(2015年12月4日)
■共済研究会「お金だけでない支え合い(社会)のあり方を考える」(2015年12月5日)
■INORIコンサートリハーサル(2015年12月5日)

■カフェサロン「ドラッカーとナチスと市民性」(2015年11月29日)
今日のカフェサロン「ドラッカーとナチスと市民性」は参加者が20人を超える状況で、しかもさまざまな立場の方、世代も20代から80代まで多彩な方々が参加してくださいました。
話題提供者は、日本NPO学会の会長でもある田中弥生さんです。
田中さん本来の専門領域の話ではなく、そこから広がってきている「三題噺」です。

田中さんはドラッカーの最後の弟子とも言われています。
非営利組織に関するドラッカーの著書も訳されていますが、ドラッカーと親しく交流されているうちに、経営学者としてのドラッカーではなく、思想家としてのドラッカーに触れたようです。
そこからナチス時代のドイツ社会に関心を持っていきます。
そのあたりは、田中さんの著書『ドラッカー 2020年の日本人への「預言」』(集英社)で詳しく紹介されています。
そして、ナチスファシズムを調べていくうちに、ご自分の専門領域である、ボランティア活動やNPOへの新しい問題意識を持ち出してきたのです。
そこに田中さんの思考の柔軟さと誠実さを感じます。
今日はそうしたご自身の気づきのプロセスも含めて、とても示唆に富む問題提起をしてくださいました。

田中さんの最後の問いかけは、次のようなものです。

ドラッカーの非営利組織論の「市民性創造」とは?
ナチスのNPOと、アメリカの自治(さまざまな非営利活動)と何が違うのか?
市民性を育むには何が必要なのか?

今回は、この論点の議論にまではいけませんでしたが、問題の共有化と考えるためのヒントはたくさんあったように思います。
ナチスドイツ時代といまの日本の類似点も少し話題になりました。
市民性創造はNPOだけではなく、会社だって同じではないかという議論もありました。
また「日本の国のかたち」や「統治の必要性(言葉には出ませんでしたが、統治から協治へ)」、さらにはソーシャル・キャピタル論も少し話題になりました。
面白い論点はたくさんありましたが、中途半端に書くのは難しいので、個々の内容は省略しますが、ドラッカーの思想のあまり知られていない側面、ナチスドイツはヒトラーという狂気が生み出したものではないこと(「国民」こそが主役だったこと)、NPOに参加することだけでは市民性は育まれないこと、ドイツの企業の発展にも強制労働や「ボランティア活動」が無縁ではないこと、などが、いろいろと示唆されたように思います。
一つひとつが、いまの日本社会を考える上で、とても重要な示唆を含んでいます。
書きだすときりがありませんが、そのうち、田中さんが本を書いてくれるでしょう。

私は、ドラッカーが「協同組合」ではなく、「企業」に、社会の主役を期待したことにずっと納得できず、そのためにドラッカーがどうしても好きにはなれません。
しかし、ドラッカーの「経済人の終わり」は感動しました。
若い素直な目で時代を見通すということは、こういうことなのだと教えられました。
ぜひ多くの人に読んでいただきたい本です。
それと、田中さんも紹介してくれましたが、最近出版された「ヴァイマル憲法とヒトラー」も読んでほしい本です。
http://homepage2.nifty.com/CWS/book2.htm#004

なお、今回に少しつなげるような形で、来年の2月頃に、フランクフルト学派の研究者である楠さんに、「家族」を切り口に少し違った視点からナチスドイツといまの日本との話をしてもらおうと思っています。
ますますハードなように思われるかもしれませんが、また今回のようにさまざまな人が参加してくださるとうれしいです。

■「仕事における居場所感」調査(2015年11月29日)
慶応大学湘南藤沢の氏家さんが取り組んでいた「仕事における居場所感」が学会の特別賞を受賞しました。
うれしい話です。
その発表の内容を報告に来てくれました。
いろいろなヒントがあるものになりました。
これまで協力してくれた企業関係者を対象にした報告会を開催しようと思っています。
年末年始はなかなか時間が取れないかもしれませんが、氏家さんの問題意識をさらに進化させたいと思っています。

■チューリップを植えました(2015年12月2日)
なかなか畑に行けなかったのですが、きょう、ようやく畑の花壇にチューリップを植えてきました。
来年は少しは花壇らしくなるでしょう。
今年最多百日草の種がこぼれたのか、すでに百日草が数本芽をだしていました。
冬に向かって、どうなるのでしょうか。
自然も少し狂いだしているのかもしれません。

■オクトの田中さん(2015年12月4日)
イオン水に取り組んでいるオクトの田中さんが久しぶりにやってきました。
最近は除染よりも医療分野に活動が向いているようです。
その気持ちはよくわかります。
放射性汚染の除染は、利権の世界ですから、関わっているうちに嫌気がさすのでしょう。
医療分野はかなり動きが具体化しつつあるようです。
もう少し早く田中さんに会っていたらと残念な思いがします。

■共済研究会「お金だけでない支え合い(社会)のあり方を考える」(2015年12月5日)
共済研究会の定例会で話をさせてもらいました。
テーマは、「お金だけでない支え合い(社会)のあり方を考える」です。
今年3月の公開シンポジウムでは、「現代における『支え合い』の役割と課題」というテーマで話をしたのですが、そのパート2です。
私の実践活動を織り交ぜながら、次の2点をメッセージし、最後に3つの提案をさせてもらいました。
・問題解決のための事業としてではなく、日常を支え合う関係性として共済を考えてほしい
・さまざまな問題の根っこは一つ。社会のあり方・私たちの生き方ではないか。
・共済事業として、例えば次のようなことを考えてほしい。
@ できることバンク
A 共済(生活者)経済研究会
B 共済通貨の検討

今回の研究会では、もう一人後援者がいました。
長年JF共水連で活動されていた佐野孝裕さんです。
佐野さんは「漁協の共済をつくった人々」という話をしてくれました。
これが実に面白かったです。
それに佐野さんのお人柄がすっかり好きになりました。
しかも佐野さんと私は、誕生日が同じなのです。
佐野さんは9月に退職され、新たに「チームハーモニー」なる会社を立ち上げ、そのキャプテンになる計画だそうです。
話をしていたら、共通の世界がたくさん出てきました。
またどこかできっと会えるでしょう。

■INORIコンサートリハーサル(2015年12月5日)
6日に、我孫子市の平和事業の一環の「平和の集い」が、我孫子駅前の「けやきプラザふれあいホール」で開催されます。
今年の夏、広島の平和祈念式典に参列した中学生たちの発表会と、有名な「サダコ鶴」の寄贈式、さらには朗読劇「禎子物語」が演じられます。
その第3部として、SADAKO LEGACYの佐々木祐滋さんを中心に、地元のミュージシャンたちが平和を祈る「INORIコンサート」を開催します。
今日は、そのリハーサルでした。
私は、その前の共済研究会で遅れてしまったのですが。

佐々木祐滋さんも、来てくださり、最後まで付き合ってくれました。
世界中を飛び回っているうえに、最近、初めてのお子様も誕生で、大変なはずですが、いつものように、そんな疲れなどそぶりも見せず、いつものように実に明るいのです。
急に開催を決めたにもかかわらず、多くの人の自発的な参加と佐々木祐滋さんの全面的な協力によって、とてもいいコンサートになりそうです。
プロデューサーは宮内さんです。
私が会場に着いた時には、12 Guitar Men と祐滋さんのコラボ演奏が始まるところでした。
急遽、集まった12人のギター奏者が見事なコラボをしてくれました。
祐滋さんの歌にも熱いものを感じました。

コンサートは完全な手づくりです。
いろいろな人たちが自発的に創り上げてくれたのです。
私は今回は何もできませんでしたが、プロデューサー役の宮内さんが仕事の合間を使いながら、まとめていってくれました。

リハーサルをちょっと聴いていただけでも、熱いものが伝わってきました。
「平和の集い」は午後1時から。第3部のコンサートは4時過ぎからです。
ぜひたくさんの人たちに、佐々木祐滋さんの「INORI」を聴いてほしいです。
最近、新聞やテレビでもよく取り上げられてきていますが、来年は、さらに「サダコ鶴」が世界中に広がっていくことを念じています。

(2015年11月第4週)
■INORIコンサート実行委員会(2015年11月22日)
■映画「自殺者1万人を救う戦い」を観て語り合う会(2015年11月23日)
■冬のような寒さ(2015年11月26日)
■経営道フォーラム58期スタート(2015年11月27〜28日)

■INORIコンサート実行委員会(2015年11月22日)
宮内さんのがんばりで、コンサートの内容が固まってきました。
私の意図とは違うものになりましたが、イベントとしてはいいものになると思います。
ついつい「マートンの目的の転移」を思い出しますが、私の不手際なのでしかたがありません。
案内チラシを添付します。
近くの方はぜひ遊びにきてください。
佐々木祐滋さんの活動はこれから大きく広がっていくと思います。

■映画「自殺者1万人を救う戦い」を観て語り合う会(2015年11月23日)
23日に、大阪で行われたあゆみあいネットが主催した「ドキュメンタリー映画「自殺者1万人を救う戦い」を観て語る会に参加させてもらいました。
参加者は少なかったですが、とても心に響きあう話し合いができました。
そこでもお話させてもらったのですが、少人数で、しかし本音で気楽に話し合える場がもっと増えていくといいなと改めて思いました。

今回、みんなで観た「自殺者1万人を救う戦い」は、アイルランド人のレネ・ダイグナンさんが制作した映画です。
この春、東京の青山学院大学で上映会と話し合いの場を持ちました。
そこからまたいくつかの動きが出ていますが、
25日もそこに参加した成蹊大学の学生が、成蹊大学で上映会を開催してくれます。
そんな感じで、いまもまだじわじわと広がっています。
今回も、上映会に参加してくださったおひとりが、ぜひ自分でも上映会を開催したいと言ってくださいました。

この映画は、自殺そのものを取り上げるのではなく、
自殺者がこんなにも多い日本の社会はおかしいのではないかと、
外国人の目で、日本の社会のあり方、つまり私たちの生き方に疑問を投げかけてくれています。
さまざまな視点で、問題提起されていますので、
いろいろな受け取り方ができ、いろいろな話もできます。

制作されてから3年ほどたちますが、
事態はそう変わっているわけではありません。
この映画を観ながら、私たちの生き方を話し合う場がもっと広がっていけばと思っています。
映画はユーチューブで観られます。
https://www.youtube.com/watch?v=oo0SHLxc2d0
52分とちょっと長いですが。

もし映画上映会などやって下さる方がいたら、DVDにダビングしてお送りします。
ペイフォワード方式で、このDVDを広げてきましたが、最近少し停滞していました。

今回、あゆみあいネットのおかげで、映画を観てじっくりと話し合うことの大切さを改めて感じましたので、
また再開することにしました。
もしご希望の方がいたら、ご連絡ください。

また話し合いの会など開催する場合は、ぜひご連絡ください。

ちなみに、レネさんはいまはちょっと活動を中止しています。
また再開することができるようになったら、彼のサロンも開催する予定です。

なお、豊中市を中心にゆっくりと活動している「あゆみあいネット」も、集まりをやっています。
代表の上村さんも、このメーリングリストにメンバーですので、
お近くの方はぜひ一度、あゆみあいネットの集まりにも参加してみてください。
あゆみあいネットは、その立ち上げの時点から、ゆっくりと進むのが方針です。

いろんなところに、気楽に話し合える場が広がっていくとうれしいです。

■冬のような寒さ(2015年11月26日)
冬の到来を感じさせる寒い日が続きました。
こたつを出したいほどでした。
急に寒くなると身体がうまく適応できません。
そんなところにも歳を感ずるのですが、意識はどうも変わりません。
困ったものです。

しかし、寒い冬もいいものです。

■経営道フォーラム58期スタート(2015年11月27〜28日)
経営道フォーラムは、その第1期から関わってきましたが、今期を最後に辞めさせてもらうことにしました。
その最後の58期がスタートしました。
那須塩原での合宿です。
今期は私が担当するのは1チームだけです。
テーマは「新しい芽が生まれ育つ企業文化」というようなものに決まりそうです。
私が関わる最後のテーマとしては、うれしいテーマです。
2日間、かなりみっちりと付き合いました。


(2015年11月第3週)
■カフェサロン「民主主義ってなんだろう」(2015年11月15日)
■SPM研究所の佐々木さん(2015年11月16日)
■サンティアゴ巡礼から戻ってきた鈴木さん(2015年11月17日)
■カフェサロン「TPPと共済」(2015年11月17日)
■経営道フォーラム57期発表会(2015年11月19日)
■経営道フォーラム57期修了式(2015年11月19日)
■地図状舌(2015年11月21日)
■カフェサロン「子どもの現在」(2015年11月21日)月21日)

■カフェサロン「民主主義ってなんだろう」(2015年11月15日)
カフェサロン「民主主義ってなんだろう」の参加者は5人でした。
残念ながら若い世代の参加はありませんでした。
その上、みんな一家言ある人ばかりだったので、軽い感じの雑談会にはならずに、かなり密度の濃い話し合いになってしまいました。
録音しておけばよかったです。
最初に究極的民主主義研究所の武田さんが、民主主義とはという問題提起をしてくれ、そこから参加者の「自分が考える民主主義」が語られました。
20年ぶりに湯島のサロンに参加してくれた坪田さんは、ドイツのドキュメンタリー映画「シェーナウの想い」の話から始めました。
https://www.youtube.com/watch?v=KD_2CAAA9gs
そして、民主主義の反対概念は独裁だと指摘し、循環する権力の話をしてくれました。
太田さんは、子ども時代の「民主的でない」と言われた体験を話してくれました。
そして、権力と情報について話しました。いつもながら本質的な問題的でした。
坪倉さんは、アテネの話も含めて、「個人の主体性」に言及されました。
民主主義の主体の問題です。
小林さんは、「効率」の問題にも触れながら、「話し合いの場」について話してくれました。
私は、武田さんの民主主義は決定手段ということに対して、なんで決めなくてはいけないのかと発言しました。
まあ、いろいろな議論が出ましたが、生活用語風にまとめると、こんな感じでしょうか。
「みんなが自分の意志で行動できること」
「それぞれが自分の思いを主張できること」
「おかしいことをおかしいといえ、本音で話し合える場所があること」
「それぞれの生き方を尊重すること」
表現は少し違いますが、意外にもほぼ一致しました。
これが民主主義の実体だとすれば、昨今の日本は民主主義からどんどん遠ざかっていることになります。

デモクラシーを民主主義と訳したおかげで、日本では混乱と理念化が進みました。
デモクラシーは制度や決定手段の問題ですが、民主主義はイズム(理念)や思想の問題です。
そこからさらに、運動としての民主主義、状況としての民主主義というものが生まれてきます。
制度、手段、理念、思想、運動、状況…、日本ではさまざまな民主主義論が展開できるわけです。
ポストデモクラシーの動きやマルチチュードの議論にも行きつくわけです。
また今回は深入りできませんでしたが、平等の問題や情報の問題もあります。
ちなみに、安倍さんの民主主義論もあるということも話題にはなりました。
民主主義の行き着くところは独裁政治だという話もありました。
書きだすときりがないですね。

最後は少し政策の話や制度の話にもなりましたが、これは次回以降のテーマになるでしょう。
小林さんが、とても面白かった、公開の場でこういう話し合いをしたいと言いました。
初参加の坪田さんは、刺激的だった、ぜひパート2をとメールしてきました。
参加していた人からは、大事な事がなにも報告されていないではないかと言われそうな報告ですが、気が向いたら補足してください。

しかし、「民主主義」って、実に多様な顔と力を持っていることを、改めて考えさせてもらいました。
次回からは、武田さんの「民主主義進化論」をテキストに、少し制度論的な議論をやろうかと思いますが、できればまた「民主主義ってなんだろうか」を生活用語で語る話し合いも定期的にやりたいと思います。
そういう会をやりたい人が新たにまた5人集まったら、パート2を開催しますので、希望者がいたら、ご連絡ください。

■SPM研究所の佐々木さん
(2015年11月16日)
岐阜の佐々木さんが湯島に立ち寄ってくれました。
佐々木さんは,韓国でしばらく仕事をされていましたので、東京よりも韓国が近いようで、韓国にはよく行きますが、最近は東京に来るのは久しぶりです。
その上、最近は愛嬢のミホが高齢のためあんまり体調がよくないようなのです。
愛嬢が高齢? と思われるかもしれませんが、ミホは佐々木夫妻お大事な愛犬なのです。

佐々木さんと会うとだいたい話す内容は決まっています。
にもかかわらず、しばらく会わないと会いたくなるのが不思議です。
佐々木さんは,ふだんは岐阜にお住まいです。
今は どうも「楽農」生活をされているようです。
朝は早く起きて ミホの散歩をし、ミホの食事を作り畑にいく。
うらやましいほど豊かな暮らしです。
いつもうらやましいほど話を聞かせてもらっています。

■サンティアゴ巡礼から戻ってきた鈴木さん(2015年11月17日)
ブログに書きましたが、73日かかって、サンティアゴ巡礼路1700kmを歩いてきた鈴木さんが湯島に来ました。
予定としては、帰国後、すぐに四国のお遍路に出かけるつもりだったようですが、1700kmの疲れで、まだ足の痛みが治らないそうで、出発がおくれたおかげで、来てくれたのです。
足はいたいようですが、出発前よりも格段と元気そうでした。
会った途端に巡礼の話を始め、止まることがありません。
次のお客様が来るまで、4時間近く話し続けましたが、たぶん話したいことのほんの一部でしょう。

話は、しかしとても興味深いことばかりでした。
鈴木さんは、2003年にも歩いていますが、当時とは様子はかなり変わっていたようです。
以前は年間6万人くらいの巡礼者が、昨年は25万人ほどに増え、来年はもしかしたら100万人を超えるかもしれないといわれているそうです。

面白い話が多いので四国から帰ってきたら、ぜひ鈴木さんの巡礼サロンを開きたいと思います。

■カフェサロン「TPPと共済」(2015年11月17日)
「TPPと共済」をテーマにしたサロンは、参加者は7人と少なかったのですが、議論は実に刺激的で、かなりの激論になる場面もありました。
というのも、「共済」に関してほとんど知らない参加者もいたおかげです。
知らないが故に気づくことの大切さを改めて実感しました。
関係者だけではなく、さまざまな人が参加する話の場は、やはり学ぶことが多いです。

問題提起者の佐々木さんの話はかなり「根本問題」に触れるもので、「成長」とは何か「生産性」とは何かということまで言及されました。
佐々木さんは、TPPによって日本の風景が変わってくるのではないかと指摘されましたが、もしかしたらすでにもう変わりつつあるのかもしれません。
しかし、変わることが悪いことなのか、という問題も出されました。
これも悩ましい問題です。

共済と保険はどこが違うのかに関しても、いろいろな視点が出されました。
共済は、金融事業か社会制度かという話もありました。
TPPも単に経済問題ではなく、ましてや関税の話ではなく、文化や生き方の話だろうと思いますが、TPPの実体がブラックボックスに入ったままに、議論が進んでいるというのが実状です。
不思議な話ですが、考えてみれば、最近はそういうことがたくさんあるように思います。
「共済」も、保険との違いさえあまり議論されないままに、保険の世界に取り込まれつつあります。

予定の時間をかなり超えましたが、次々と発言が出てきて、これはもう合宿でもしないといけないなという感じでした。
最後に、「で、どうしたらいいでしょう」ということになったのですが、残念ながら妙案は出てきません。
できるところで、各自が前に進むしかないのかもしれませんが、伊藤さんの生活クラブ共済連の取り組みなどに期待するとともに、「共済」という考えをもっと多くの人に知ってもらうことが大切ではないかと思います。
ちなみに、昨日も話題になりましたが、生活クラブには「エッコロ共済」というのがあります。
http://kanagawa.seikatsuclub.coop/care/kyosai/post_2.html
同時に、共済に取り組む人たちには、もっと「誇り」を持ってほしいと思います。

「共済の思想」は、人々の暮らしの中から生まれ育ってきたものです。
現在の日本の保険や共済は、明治期以前の無尽講や頼母子講、もやいなどとはつながっていない近代のものだと言う人もいますが、そんなことはありません。
経済はその地域の中で育っていくものですし、その主役は普通の生活者でなければいけません。
幸いに、日本では、その「共済の思想」や「仕組み」がまだ残っているように思います。

最近、「助け合い」とか「支え合い」、あるいは「共助」などということがよく言われますが、日本の歴史や文化の中にある「共済の思想」に学ぶことはたくさんあります。
それをつぶそうとしているのが、TPPかもしれません。
そもそも「自由貿易」などというのは、多様な生活文化を無視した話です。

話し合いの内容がきちんと報告できないのが、ちょっと残念ですが、湯島のサロンは、情報ではなく、ライブに話し合うことに価値を置いていますので、いつもながらの雰囲気的な報告になってしまいました。
それもかなり主観的な。

このテーマは、継続していきたいと思いました。
どなたか問題提起したいという方がいたら、大歓迎です。
ご連絡いただければ、うれしいです。

■経営道フォーラム57期発表会(2015年11月19日)
経営道フォーラム57期の発表会でした。
昨日から喉の調子がよくないので心配していましたが、何とか大丈夫でした。
そういえば、昨年も調子がよくなかったのを思い出しました。
相性がよくないのかもしれません。

私の担当チームは2つでしたが、今回は最初でした。
発表日直前まで議論していたようで、前回見せてもらったのと比べると格段の違いがあります。
発表も、いずれも 見事に時間ピッタリで、感動しました。
いい発表でした。
今日は5つの発表がありましたが、最後のコメントで3点だけ感想を話させてもらいました。
まず時代が大きく変わるんかで、これまでの常識を疑って欲しい、あるいは考え方のベクトルを反転させて欲しい。そして、企業を労働力の組織ではなく、人間の組織に戻して欲しい。それに取り組むのはみなさんだということを認識して欲しい。

さて明日から企業は変わって行き出すでしょうか。
私は、変わっていくと思っています。
そう思わなければ、こういう活動はやっていられませんので。

以前の私の担当チームだった時の受講生が2人参加してくれていました。
今では2人とも社長です。
一人はスワン・ベーカリーの社長になっているので、今度、湯島でサロンをしてよと頼みました。
スワンは、よく知られているように、障害を持つ人たちのための働き場を作り出した会社です。

■経営道フォーラム57期修了式(2015年11月19日)
発表会につづいて、夜、修了式がありました。
こういう儀式は、私一番不得手とすることですが、恒例により参加しました。
卒業者には一人ずつ記念品を渡すのです。
握手をしながら、みんなをねぎらいました。

私も少しは役に立ったようで、よかったです。
中には、テーマより佐藤さんを選んだのですよと言ってくれる人もいました。
また湯島にも遊びに来てくれるといいのですが。

私も彼らからいろいろと気づかせてもらいました。
これからの彼らの活動が楽しみです。

■地図状舌(2015年11月21日)
地図状舌炎になってしまいました。
昨日、リンゴがおいしくなかったのはそのせいでした。
喉風邪が続いていて、その上地図状舌炎。
それで遠藤さんに行くことにしました。
ついでに高血圧の薬もきちんと飲むように叱られました。
その結果、何と薬を8種類か9種類もらってきました。
さてきちんと飲めるでしょうか。
それにしても9種類とはすごいです。
私も、そういう歳になったのです。

■カフェサロン「子どもの現在と子どもたちから学ぶこと」(2015年11月21日)
小出陽子さんのカフェサロン「子どもの現在と子どもたちから学ぶこと」はとても刺激的でした。
参加者は14人。湯島サロン初参加の人も3人いました。
まず前半は、小出さんが子どもたちと「どんぐり倶楽部」でやっている、絵を描きながら学ぶワークショップをみんなでやりました。
たとえば、小出さんが「虹色の風船を売っているお店があります」という文章を読み上げ、それをそれぞれが絵にします。その風船は外からは中が見えない箱に入っています」「しかも箱の中には風船が入っていない箱もある」「でも5つ買うと必ず2つの風船が入っている」「では風船を6つ買うには箱をいくつかあったらいいでしょう」というように順々と文章を続け、それぞれの文章で、自分の描いた絵を修正しながら、答えを見つけていくのです。
2つほど体験した後、小出さんが実際に接している子どもたちの話をしてくれました。
小出さんは、最初は英語を教えていたそうですが、英語以前に国語や算数が必要だと感じて、「どんぐり倶楽部」教室を開いたようです。
後半の小出さんのお話もとても考えさせられるものでした。
小出さんは、「学習教室や学校で、子どもたちと学習する中で、たくさんのこどもたちの「わからない」に出会っていると言います。
「赤いものってなんですか?」
「からすって虫ですか?」
100円玉を握りしめながら、「15円がないから買えない」
こうした発言に出会っているそうです。
赤色も、からすも、虫も知っているのに、それが具体的なものに結びつかないのです。
小出さんは、子どもたちの「考えられない」状態も日々目にしているそうです。
子どもたちは「わかろう」とする意欲を持っているのに、学校の先生がそれにうまく対応できないでいるのです。
そして、実際には生活経験が乏しいままたくさんの言語を押し付ける教育にさらされるうちに、次第に子どもたちから思考力が「蒸発」している。
それは果たして子どもたちだけの話なのか。
小出さんは、「大人であるわたしたちも本当にわかっているのか」と問いかけます。
私は、大企業の経営幹部や大学教授などとの付き合いもありますが、子どもたちと同じかもしれないという気がします。
もちろん私自身も、ですが。
こうした話から、コミュニケーションや学力の問題、学ぶことと問うことの関係、私たちの生き方の問題などに話は広がりました。
参加者からこんな算数の問題も出されました(表現は少し変えていますが)。
「りんご3つとみかん2つがあります。全部でいくつでしょうか?」
「一つの大福と一つの大福があります。一緒にしたらいくつでしょう?」
みなさんはどう考えるでしょうか。
サロンでは、このほかにもたくさんの意見や問題が提起されました。
子どもの問題から、私たちの生き方や社会の実相も見えてきます。
次回は1月を予定しています。
どなたか問題提起して下さる方がいたらご連絡ください。
また小出さんのお話は、サロンというよりも、もっと時間をかけたフォーラムのようなものができるといいなと思いました。
どなたか一緒に企画しませんか?

(2015年11月第2週)
■鈴木さんのサンティアゴ巡礼からの帰国(2015年11月8日)
■市会議員選挙が始まりました(2015年11月8日)
■年金大家の大長さん(2015年11月9日)
■みんなの社会教育を考える(2015年11月9日)
■安保法制騒動考続編を書きました(2015年11月10日)
■歯医者さんの診断結果(2015年11月11日)
■市会議員選挙の事前投票に行きました(2015年11月12日)
■「高橋源一郎さん×SEALDs民主主義ってなんだ?」を読みました((2015年11月13日)
■リード力開発道場フォーラム(2015年11月14日)

■鈴木さんのサンティアゴ巡礼からの帰国(2015年11月8日)
サンティアゴ巡礼に出かけていた鈴木さんが無事帰国しました。
73日間かけて、1700q歩いたそうです。
サンティアゴからのハガキが届いたのと同時に、帰国した彼からメールが届きました。
疲れ切っているようですが、つづいて四国巡礼に出かけるそうです。
歩くことの魅力は、体験しないとわからないのでしょうね。

■市会議員選挙が始まりました(2015年11月8日)
我孫子市の市議会議員選挙が始まりました。
また電話が入りだしました。
いささか煩わしいです。

先日、ある新聞社の方から、我孫子市の市会議員は何もしないですね、と言われました。
隣の会話使途はどうも違うようです。
そう言えば、市外の集まりで我孫子市の市議会議員と出会ったことはほとんどありません。
20年前に、私たちがやっていたリンカーンクラブの公開フォーラムに、一度だけ参加してくれた市会議員がいましたが、その時にはパネリストに当時の市長に来てもらった関係だった気がします。
私たちが主催する福祉や環境などの集まりにも、我孫子市議会議員は誰も参加してくれたことはありません。
最近は案内もあまりしていないからかもしれませんが。

今回はなんとアントニオ猪木さんの弟子が乱入立候補しました。
この人が当選して、市議会を少し元気にしてくれるといいのですが。
私は、知り合いも多いのですが、知り合いだからという理由で投票することはありません。
それに、現在の市会議員制度には私はかなり否定的ですので、いつも悩ましい選択に迫られます。
しかし、棄権するのは一番好ましくない選択です。
改めて立候補者の資料を読み直しています。
読めば読むほど、この人は違うなという気になってしまうのが残念です。

■年金大家の大長さん(2015年11月9日)
14日に開催されるリード力開発道場のフォーラムで1年間の研究の成果を発表する予定のおひとりが湯島に来ました。
発表の準備はできたのだが、どうもまだ自分として何かが抜けているような気がすると言って、話に来てくれたのです。
私はその活動に関わっているわけではありませんが、毎年発表会だけはパネルディスカッションの進行役で参加するのです。
ですから、私のところになんで相談に来るのかよくわからないのですが、まあ「来る者は拒まず」ですので、今回もお会いしました。
その方の話を聞いて、自らへの誠実さに感銘を受けました。
役にたったかどうかはともかく、いろいろと私の考えなどを話しました。
それに前後して、その人のことを訊きました。
その方の活動理念にも興味を持ちました。
私の考えとは少し違っていますが、たぶん大きなところでは一緒です。
その方はランガルハウス株式会社の代表取締役の大長伸吉さんといいます。
老後の年金を、自分できちんと生み出す人を増やそうというのが、一つの目標です。
http://mbp-tokyo.com/nenkinooya/
モンゴルとの交流活動にも取り組んでいます。
発表会が終わったら、また一度、お会いしたくなりました。

14日はきっと感動的な発表を聞かせてもらえるでしょう。
大企業の経営者と個人企業の経営者の違いをまざまざと感じます。
大企業の場合は、たぶんもはや「経営者」はいなくなっているのでしょう。
良し悪しは別にして、日本の大企業は、経営よりも管理が大切になってしまっているのかもしれません。
とてもさみしいですが。

■みんなの社会教育を考える(2015年11月9日)
春から続けている「新しい社会教育を考える集まり」も、もう半年も続けているので、そろそろ具体的に動き出さないといけません。
年明けにまずはキックオフイベントを開催することにしました。
またメンバーも増やしていきたいと思います。
関心のある方はご連絡ください。
これまでとはパラダイム転換した社会教育を考えていきたいというのが、みんなの合意です。

■安保法制騒動考続編を書きました(2015年11月10日)
ブログに10回にわたり安保法制騒動考を書いたのですが、どうも一番書きたかったことが書けていない気がして、続編をまた10回書いてしまいました。
安保法制騒動考パート2疑念編です。
このサイトにもまとめて掲載しました。
でもやはり書きたいことが書けていない気がします。
何が書きたいというかと言えば、現実の呪縛から解放されようよ、という呼びかけなのです。
しかし、そこに行く前に、些末な事柄に私が呪縛されてしまっているのです。
こんな論考をするよりも、まずは自らが世情に惑わされることなく生きればいいだけではないかという声が、頭の中に充満しているのです。
それにもかかわらず、なんで書いてしまうのでしょうか。
われながらわかりません。
注意しないと引き続き書きそうな気がして、心配です。

■歯医者さんの診断結果(2015年11月11日)
歯医者さんで前回の検査結果に従って歯磨きなどのアドバイスをもらいました。
磨き残しは20%。まあこれは良しとして、歯ぐきの状況は悪化しています。
小さな虫歯もあるそうです。
歯医者さんに行く前だけ丁寧に歯磨きをするという性格の悪さがきちんと出ています。
話を聞いていて、「虫歯ってなんだろうか」「歯周病菌は人間にとってただ有害なだけなのだろうか」というような疑問が出てきました。
それで素直に、「虫歯ってなんですか」と質問してしまいました。
もしかしたら、相手は「この人は認知症ではないか」と思ったかもしれません。
場違いな質問をしてしまいました。
しかし、ちょっと興味ある疑問です。
虫歯になるのは、それなりに意味のあることではないかというのが、私の関心です。
調べてみなければいけません。

たまたま口内炎が出ていたので、レーザー処理してもらいました。
口内炎は胃腸の関係かとずっと思っていましたが、どうもウィル性らしいと歯医者さんに教えてもらいました。
免疫力が低下していると、口内の傷から炎症を起こすようです。
まあ最近はかなり免疫力が低下していると思いますので、何が起こっても不思議ではありません。
この歯医者さんに通うと、いろんなことを教えてもらえます。

■市会議員選挙の事前投票に行きました(2015年11月12日)
投票日の15日に用事が入ってしまい、投票に行けなくなったので、事前投票に行ってきました。
事前投票の場合、なぜ投票日がダメなのかを申告するようになっています。
それを記入しながら、これは余計な質問ではないかと思いました。
むしろ投票期間を1週間に知るとかした方がいい。
あるいは、投票日に投票に行けなかった人のために(突然の発熱で私の娘が行けなくなったことがありました)、事後投票制度があったほうがいいのではないかと思いました。
即日開票も必ずしもいいとは限りません。
まあそんなことを考えたわけです。

■「高橋源一郎さん×SEALDs民主主義ってなんだ?」を読みました((2015年11月13日)
河出書房新社から出版されている、高橋源一郎さんとSEALDsのメンバーが話し合った「民主主義ってなんだ?」を読みました。
SEALDsが、ベ平連を継ぐものといわれている意味がよくわかります。
奥田さんや牛田さんの生き方に、改めて感動しました。
教えられることが少なくない本でした。
ぜひ多くの人たちに読んでほしい本です。
特に、前半の「SEALDsってなんだ」に、彼らのメッセージを感じました。
後半は高橋源一郎さんの巧みな先導で、民主主義が多面的に語られ、本質的な問題が話し合われています。
民主主義は、理念か現実手段かの議論も少し行われています。

ちょうど15日に「民主主義ってなんだろう」をテーマにした湯島サロンを企画していますが、こんなに高度な議論はできないでしょう。
しかし、民主主義は、他者から学ぶべきことではなく自らで気づかなくてはいけません。
そのためには、サロンは効果的です。
できれば湯島の民主主義サロンを来年からスタートさせますが、この本を読んで、私たち大人は若者たちから学ばなければいけないと痛感しました。
民主主義の息吹の中で育つことの意味がよくわかりました。

■リード力開発道場フォーラム(2015年11月14日)
日本経営道協会のリード力開発道場フォーラムも、今年で15回目です。
私の役割は第2部のパネルディスカッションの進行役です。
パネリストはいずれも若き起業家です。
エニシングの西村さんは前掛け職人との出会いで伝統文化に関わります。
アプローズの光枝さんは障害のある人が働くフラワーコーディネートの事業を起こしました。
マイファームの浪越さんは耕作放棄地を活かしながら新しい農業に取り組んでいます。
それぞれにしっかりした基軸を持っている人たちです。
みなさんには準備はあまりしないで、気楽に話し合う気分で来てくださいとお願いしておきました。
そのため、始まる前にお弁当を食べながら、ミニミーティングをさせてもらいましたが、ほとんど打ち合わせなしの雑談になってしまいました。

パネルディスカッションの様子は日本経営道協会のサイトに間もなくアップされる予定です。
私としても気づかせてもらったことがいろいろありました。



終了後のパーティで、いろんな人に会いました。
久しぶりに村山元理さんにもお会いしました。
いつか村山さんのサロンを開きたいと思いました。

(2015年11月第1週)
■空白の4日間(2015年11月4日)
■報徳経済(2015年11月5日)
■コスタリカのコーヒー(2015年11月6日)
■山城経営研究所エグゼクティブフォーラム(2015年11月6日)
■経営における中高年問題(2015年11月6日)

■空白の4日間(2015年11月4日)
今週の前半は、見事なほどに何もしませんでした。
というよりも、週末にこの記録を書こうと思って、何をしていたか思い出そうと思っても、何も思い出せないのです。
実際には、いろんなことをやっていたような気もするのですが、全く思い出せないのです。
まさに「空白の4日間」です。
これは認知症の症状でしょうか。
そう言えば、最近、私の物忘れが原因で、周りの人に迷惑をかけることが増えてきました。
困ったものです。
しかし、これが「老いる」ということなのでしょう。
自然の摂理には抗わないで、できるだけ素直に従うのが私の信条なのです。
みなさんにはご迷惑をかけることがあるかもしれませんが諦めてください。

■報徳経済(2015年11月5日)
テツオ・ナジタという人が書いた「相互扶助の経済」という本を読みました。
350頁ほどの本ですが、読了までに4日もかかってしまいました。
テツオ・ナジタは、日系二世の方で、日本政治思想史の研究者だそうです。
本書がアメリカで出版されたのは2009年になっています。
今年の春、翻訳が出版されたのです。
原書のタイトルは、“Ordinary Economies”。
訳しにくいですが、民衆の経済といった意味合いでしょうか。
内容は、日本の無尽講や報徳運動を中心とした話です。
無尽講や報徳運動に関しては、それなりに知っているつもりでしたが、これからの経済を考える上で、私が考えていたよりずっと大きな意味をもっていることを知りました。
これまでも何回か新しい講への挑戦に取り組みだそうと思って失敗してきていますが、もう一度試みてみようかという気がしてきました。
ちなみに、私の試みは、とても小さな身近な「支え合いコミュニティ」づくりなので、運動性はありません。
どなたか一緒にやってもいいという方がいたらご連絡ください。

■コスタリカのコーヒー(2015年11月6日)
湯島の戦争反対サロンを応援してくれている、熊本の宮田さんから、軍隊をもたない国コスタリカのコーヒーが届きました。
宮田さんの友人の函館在住の田中桜子さんのところで扱っているコーヒーです。
田中さんは、発達障害の支援と行動療法という効果的な支援技術の開発もしているそうです。
よかったらホームページをご覧ください。
通信販売もされています。
http://greenforest-coffee.com/
次回の平和関係のカフェサロンで皆さんに味わってもらおうと思います。

■山城経営研究所エグゼクティブフォーラム(2015年11月6日)
以前、その最初の集まりで、基調講演させてもらっていた「エグゼクティブフォーラム」というプログラムがあります。
企業の若手管理者向けのプログラムです。
私の話は、どちらかと言えば、「アジテーション型」で、これからは雇用された従業員としてではなく、社会性を踏まえた事業家の意識をもってほしいというメッセージでした。
会社に使われるのではなく、会社を使い込めというわけです。
私は、会社という仕組みは、本来素晴らしいものだと思っています。
しかし、ガバナンスの理念が変えられてしまったために、いまは金が主役で人は従者になってしまい、本来の会社制度の良さが失われていると思っているのです。
まあ、こういうメッセージを27年続けてきていますが、状況はますます私が思うのとは反対の方向に進んでいます。

今年、久しぶりに、エグゼクティブフォーラムの一つのチームと話し合う機会をもらいました。
それが縁で、事務局の花輪さんが湯島にやってきました。
話の中で出てきた「ある一点」に興味を感じました。
来年から少し関わらせてもらう気になりました。

企業とはもう縁を切ろうと思い出していましたが、もしかしたら何かできるかもしれません。

■経営における中高年問題(2015年11月6日)
前項のエグゼクティブフォーラムよりも対象を経営幹部に置いた経営道フォーラムには、私は25年以上関わってきています。
今回も2つのチームを担当していますが、今日はEチームとプレゼンテーションに関するミーティングでした。
報告書をまとめる段階で、議論はかなり深まったようです。
人は、何かをまとめる過程で、本気で考えるのかもしれません。
いろいろと意見交換させてもらいましたが、本当は彼らの方が私よりも真剣に問題を考えているはずです。
私の意見は、所詮、ノイズでしかありません。
彼らが、自らで、自らの中にある知に気づいてくれたら、働き方や生き方は大きく変わっていくはずですが、それをどうもうまく引き出せないまま、いつも終わります。
たぶん半年では短すぎるのでしょう。

今回のテーマは企業における「中高年者活用」でした。
研究活動の結果の気づきは、企業にとって「中高年者活用」はコスト問題ではなく、戦略課題ということです。
その意味は、19日の発表会で報告されます。
もし関心があれば、ご参加ください。
山城経営研究所のサイトに案内がありますので。

(2015年10月第4週)
■INORIコンサート実行委員会スタート(2015年10月25日)
■存在する経営理念から運動する経営理念へ(2015年10月26日)
■ブログ新シリーズ「疑念」スタート(2015年10月27日)
■リード力開発道場発表会の打ち合わせ(2015年10月28日)
■歯医者さんの定期検診(2015年10月29日)
■金田さんとの昔話(2015年10月30日)
■手づくりハウジング(2015年10月30日)

■INORIコンサート実行委員会スタート(2015年10月25日)
INORIコンサート実行委員会がスタートしました。
急な呼びかけにもかかわらず、9人の方が集まってくれました。
集まった途端に実行委員会などと言われてしまうと、みんないささかの戸惑いもあったかもしれませんが、基本的には賛成してくれました。
6日のプログラム自体は、宮内さんが企画運営してくれることになり、出演者などをカバーしてくれました。
そのメンバーも実行委員になってくれました。
実は私自身は別の出演者をイメージしていましたが、
今回は時間がないのとたぶん私のやり方はなかなか理解してもらえないでしょうから、すべてを宮内さんにお願いすることにしました。
宮内さんは、問題を調整しながら、全体の構成を集約してくれました。
ここはもう全てを宮内さんに任せた方が、良いものになりそうです。

新たに参加してくださったのは、混声合唱団響の3人、それに宮内さんと同じように音楽演奏者の若桑さん、それに会場を熟知されている飯田さんです。
欲を言えば、もう少し若い人たちが集まると思っていましたが、高齢者中心になってしまいました。
ちょっと思惑が違ってしまいましたが、まあ順調な滑り出しです。
宮内さんがご多忙の中を奮闘されていますので、勝手なわがままは言えません。

結局、我孫子市との共催になりました。
もちろん実質的な主催は、INORIコンサート実行委員会です。
時間があれば、この実行委員会で資金調達するといいのですが、今回はそこまでは諦めました。
まだまだ我孫子市は行政主導型の文化が根強く残っています。

NPO法人SADAKO LEGACYも後援してくれることになりました。
これから集客など大変になりそうですが、まあ楽しく進めることを大事にしたいと思います。
今回は無理を言って、市役所の企画課長の大畑さんにも参加してもらいました。
大畑さんの軽やかさには感謝しなければいけません。
このプロジェクトが、青木副市長の夢につながるといいのですが。

■存在する経営理念から運動する経営理念へ(2015年10月26日)
経営道フォーラム57期の発表会が近づき、各チームはその発表の準備に入っています。
そのひとつのチームのミーティングに参加しました。
研究テーマは、お題目化している企業の経営理念をどう活かしていくか。
これまでもいろんなチームが考えてきたことの一つです。
たぶんこれは問題の立て方が間違っているのだろうと思いますが、半年の話し合いを経て、このチームもそれに気づき、
理念を活かすのではなく、生きた理念を創れば理念は自ずと活きてくることに視点を変えてきました。
その結論が、「経営理念運動」という戦略です。
これだけではわかりにくいと思いますが、関心のある方は発表会にご参加ください。
発表会は11月19日です。

■ブログ新シリーズ「疑念」スタート(2015年10月27日)
昨日の、政府による辺野古3地区への直接振興費支出の報道には驚きました。
ここまで来ているのかという驚きです。
腐敗した金権政治のもとでは、さまざまな企業不祥事が起こるのも当然です。
すべてはつながっているように思います。
社会が腐りだしているのかもしれません。
もしそうであれば、早く正していかねばいけません。
かなり長いですが、またブログに書いてしまいました。
疲れなければ、連続していく予定です。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2015/10/post-ea3a.html

■リード力開発道場発表会の打ち合わせ(2015年10月28日)
11月14日に、日本経営道協会のリード力開発道場の発表会を兼ねた公開フォーラムがあります。
毎年、その発表会でのパネルディスカッションのコーディネーター役を受講生から頼まれます。
一度、引き受けたのが縁で、受講生に伝承されているようです。
私が引き受ける条件は、必ず発表者と事前に話し合って、何を目指したいのかを理解させてもらうことだけです。
それで今回も、受講生3人が湯島に来てくれました。
今年のテーマは、「伝統と革新」です。
そのテーマにどういう思いを込めるか。
3人の思いに考えてもらいました。

まあそれはそれとして、若い起業家と話すのは、時代の実相を知るうえで効果的です。
起業家ですから、多くの場合、私の考えとは溝があります。
しかし面と向かって少人数で話すと少しだけ伝わります。
共感してもらえることもないわけではありません。
いずれにしろ社会を変えていくのは、こうした若い起業家たちです。

リード力開発道場フォーラムは11月14日です。

■歯医者さんの定期検診(2015年10月29日)
半年ぶりに歯医者に定期検診に行きました。
4か月毎と言われていますが、どうもいつも遅れがちです。
歯医者さんはすぐ近くなのですが、どうも億劫なのです。
時間をかけてじっくりと検査してくれましたが、どうも手入れ不足でまた叱られそうです。
また当分通わなければいけなくなりそうです。

■金田さんとの昔話(2015年10月30日)
新潟の金田さんが湯島に来ました。
10時の約束でしたが、いつも早く来るなと思い、15分ほど前に湯島に着くようにしました。
ところがもうすでにオフィスの玄関で金田さんが待っていました。
金田さんとは長い付き合いですが、こうして何回か、ビルの前で待たせてしまったことがあります。
金田さんにも湯島の鍵を渡しておいた方がよさそうです。

金田さんからは、「難題」の相談があると一昨日、電話をもらっていましたので、ちょっと気が重かったのですが、どうやらその問題は解決したようでした。
そんなわけで、今日は昔話に終わってしまいました。
金田さんとは、古代ギリシアの会パウサニアス・ジャパンの立ち上げをご一緒したり、NPO新潟水辺の会の信濃川に鮭を遡上させるプロジェクトなどでご一緒したりしましたが、ほかにも「コーポレート・コミュニケーション」の分野でつながっているネットワークもあります。
話し出すと共通の世界がいろいろとあるのです。
しかし、いまはもういずれも昔の話のように思います。

金田さんはもう80歳だそうです。
にもかかわらず、その関心領域は広く、行動も伴っています。
いろいろと個人的な問題も抱えているのを知っていますので、あんまり無理をされないようにといつも話しているのですが、無理をすることが一番の健康法なのかもしれません。

■手づくりハウジング(2015年10月30日)
阿部さんが、おもしろい構想を持っている人がいるので、一度お引き合わせしたいと言って、ユニ総合計画を主宰している秋山さんを湯島に連れてきてくれました。
会った途端に、私のブログの記事への賛意を示してくれました。
いまどきどこの国も日本には攻めてこないですよね、と。
初対面の人にも、私のことは筒抜けに見えてしまっているようです。
そのおかげで、打ち解ける時間が節約できます。
ブログなどを見て、愛に来るのをやめる人も少なくないでしょうが。

秋山さんの構想は魅力的です。
DIY、つまり自分の生活装置は自分で作っていくという思想を家づくりにまで広げたい。
そのための、「DIY多能工教育」を行う学校をつくりたいというのです。
それで、都内の廃校の利活用はできないかと探し出してもいるそうです。
私の理想のライフスタイルは「百姓」ですし、DIY発想は大好きです。
協力できることがあれば、したいと思い出しました。
まずは、こういう構想に関心を持っている人に声をかけて、ワークショップでも開こうかと思います。
同席していた阿部さんに、幹事になってもらうことにしました。
関心のある人がいたら、ご連絡ください。

(2015年10月第3週)
■INORI CONCERT in ABIKO(仮称)(2015年10月18日)
■李さん親子による「韓国史」(2015年10月19日)
■東京新聞の三輪さんと知り合えました(2015年10月20日)
■経営道協会足立さんのライフワーク(2015年10月21日)
■パウサニアス・ジャパン20周年(2015年10月21日)
■みゆきの里の富島ビジョン(2015年10月23日)
■リンカーンクラブをどう再開するか(2015年10月23日)
■「安保法制騒動を考える」完結(2015年10月24日)
■カフェサロン「子どもの現在を考える」シリーズ第1回の報告(2015年10月24日)

■INORI CONCERT in ABIKO(仮称)(2015年10月18日)
12月6日の、サダコ鶴贈与式でのミニコンサートの内容を、出演者との交渉も含めて、宮内さんが組み立ててくれました。
たった1週間で、ここまで組み立てられるのは、普段の活動の成果でしょう。
大枠を確認しながら、この枠組みで行くことにしました。
いくつか難点はありますが、動き出せばどうにかなるでしょうし、いくらでも軌道修正もできますから。
併せて、宮内さんたちがやっているA−Link というグループも、これを契機に形にしていけないかと話し合いました。
場合によっては私も参加しようかなどと思いだしています。
しかしまずは12月6日をみんなで一緒に、実現することです。
イベントは目的ではなく、手段ですから、目的をしっかりと共有していくことが大切です。

■李さん親子による「韓国史」(2015年10月19日)
図書館で見つけた「韓国史」を読みました。
韓国史に関しては、これまでも何冊か読んでいますが、いずれも日本人の書いたものです。
これは、韓国人の李成茂さんと李熙真さんという親子が書いたもので、しかも朝鮮半島全体の政治に焦点を合わせた通史です。
翻訳は李親子と親交のある、平木實さんと中村葉子さんという親子です。
ここにも興味を持ったのです。
とてもクールに書かれていますので、読みやすいですが、官職など聞いたこともない言葉がたくさん出てきて、読み通すのは難航しました。
正直に言えば、かなり読み飛ばしてしまったのですが。
しかし、たとえば秀吉の朝鮮出兵に関しては、知らなかったことがいろいろと出てきます。
朝鮮通信使の、もう一つの顔も知りました。
古代史に関しては、もっと朝鮮の視点が強いのではないかと思っていましたが、意外なほど、違和感がなく読めました。
韓国のテレビドラマとは違います。

また、朝鮮戦争後の現代史を読んで、そのすさまじさを、改めて知りました。
言い方を変えれば、韓国には人民による民主主義の素地が、日本よりはあるように思いました。
日本人は、与えられた民主主義しか体験していないため、民主党政権の鳩山首相を支え切れなかったのかもしれません。

いろいろと気づかされた本でした。

■東京新聞の三輪さんと知り合えました(2015年10月20日)
12月6日の、INORI CONCERT in ABIKOの実行委員に誘い込もうと思い、東京新聞の三輪さんに会いました。
同社の飯田さんに頼んだら、三輪さんを紹介してくれたのです。
まだ30代前半の若者で、気さくにわが家に来てくれました。
いろいろと話しましたが、可能な範囲で活動することを前提に、仲間になってもらえました。
しかし話した内容は、本題のコンサート以外の話が多かったです。
三輪さんの生き方も含めてです。
三輪さんは大学に8年もいたというツワモノです。
人柄からは、まったくそんな風には見えませんが。
いろいろと面白い話も聞きました。
湯島のサロンにも興味を持ってくれていたの、いつかきっと参加してくれるでしょう。
三輪さんのサロンもぜひやりたいと思います。

■経営道協会足立さんのライフワーク(2015年10月21日)
日本経営道協会の足立さんが湯島に来ました。
来月開催するリード力開発同情の公開フォーラムで、私がパネルディスカッションの進行をやるのですが、その相談です。
詳しい相談は来週、発表者メンバーとやるのですが、その前にいろいろと情報を持ってきてくれました。
今年は、パネリストが若いだけでなく、社会起業家的な人が多いので、物語をどう作るかが難しそうです。
しかしまあそれはどうにかなるでしょう。

というわけで、足立さんとの話は、それとは全く別の話になりました。
足立さんは、高野山大学で学んだ僧籍のある若者です。
いまの社会は、誠実な僧侶からは嘆かわしいことでしょう。
それに対して、僧としてやれることは、あるいはお寺という仕組みを使ってやれることは、たくさんあります。
まあそんなことをいろいろと話したわけです。
面白いプロジェクトができたら誘い込んでと頼んでおきました。

■パウサニアス・ジャパン20周年(2015年10月21日)
パウサニアス・ジャパンが今年で20周年です。
金田さんと吉田さんと3人で立ち上げ、最初のころは湯島で毎月サロンをやっていました。
毎年、みんなでお金を出し合って、若い古代ギリシア研究者をギリシアに行ってもらうという活動をしています。
もう15人のフェローをギリシアに送っているのです。
私は最初の事務局長として、基盤をつくる役目でした。
妻が病気になった時に、ほぼすべての活動から身を引いたときに、パウサニアス・ジャパンからも退会させてもらいました。
代わりというわけではないのですが、私の大学時代の友人2人に参加してもらいました。
そんなわけで、今日はその2人が湯島に20周年記念に創った記録集を持ってきてくれたのです。

私は大学の同期生のなかでは「外れ者」ですので、毎年開催されている同窓会にも滅多にしか行きません。
話が全くと言っていいほど合わないからです。
今日来た2人は、海外経験もある大企業経験者です。
人生を大きく分けてしまいましたが、若いころの友は、あっているだけで何かホッとします。
たとえ、激しい議論をしても、です。

20周年の集まりの写真を見せてもらいました。
私が知っているメンバーは、もう少なくなりました。

■みゆきの里の富島ビジョン(2015年10月23日)
熊本で医療・福祉の分野で多彩な事業展開をしている「みゆきの里」会長の富島さんが湯島に来ました。
長年、そこに関わっているリスペクトラストの吉本さんのお引き合わせです。
富島さんの最初の一言は、「落ち着く場所ですね」でした。
私には、最高の賛辞です。
コーヒーを淹れながら、雑談になり、その流れで「みゆきの里」の考える「医療」とは何かという質問をさせてもらいました。
その答えに、「共感」と「反感」が混在していたため、そこから、私は富島さんに対して質問攻めをしてしまいました。
とても興味あるお話ばかりでした。
30分以上経過して、ハッと気づきました。
富島さんが湯島に来た目的をまったく忘れていました。
というか、気にしていなかったのです。
で、少しだけ柔らかく、訪問の意図をお聞きしました。
富島さんが10年前から取り組んでいる、「一番思い入れの強い事業」が赤字を続けていて、それを黒字転換することのヒントをもらいに来たというのです。
「社会的価値」と「経済的価値」は、いまの経済のあり方のなかでは、一致しないことが少なくありません。
前者は人間の生活にとっての価値ですが、後者は人間とは別の金銭価値だからです。
そこにこそ、社会や経済のおかしさが示唆されていますが、誰もそんなことは考えません。
しかし主軸は社会的価値でなければいけません。
赤字事業を黒字にするのは簡単なことです。
まず「儲けよう」と思わなければいいだけなのです。
そして、その事業の社会的価値をしっかりと構造化し、可視化していけばいいのです。
というようなことを少し話しましたが、あんまりヒントにはならなかったでしょう。

富島さんの構想はとても魅力的です。
吉田紀子さんのホリスティックヘルスプロモーションプログラムも取り入れて、これから地域づくりにも取り組んでいくそうです。
ぜひともマネタリーエコノミクスの罠に陥ることなく、ケアリングエコノミクスの道を切り開いてほしいと思います。
遠いので、あまり接点が持てないのが少し残念なほどの構想でした。

■リンカーンクラブをどう再開するか(2015年10月23日)
リンカーンクラブをどう再開するかを創立者の武田さんと話し合いました。
武田さんと会うと、必ずと言っていいほど、民主主義に関する論争になってしまいます。
論争になるくらいなら、リンカーンクラブ再開に関わらなければいいのですが、そこが武田さんとの離れがたい縁なのです。
結局、議論が中心になってしまいました。
しかし、まずは武田さんの著書「民主主義進化論」をテキストにした、民主主義を考える会をスタートすることにしました。
若者を対象にしていきたいですが、同参加者を呼び込むかが悩みの種です。
同時に、それを補佐する意味も込めて、近現代史を学ぶ会もスタートしたいと思っています。

■「安保法制騒動を考える」完結(2015年10月24日)
ブログ(CWS Private)で「安保法制騒動を考える」シリーズを書いてきました。
今日、最終の10回目をアップしました。
最後はもう少しきちんとしたことを書けると思っていましたが、書けませんでした。
我ながらちょっと情けないです。
全編をこのサイトにも載せましたので、とても長いですが、お時間が許せばお読みください。

フェイスブックで、そのことを書いたら、医師の松永正訓さんがすべてを読んでくれてコメントしてきてくれました。
松永さんが読んでくれているとは思いもしませんでした。
増田・レアさんや宮田さん、kuseさんも早々とコメントしてくれました。
kuseさんは、まだ私の考えには納得してくれませんが、でも読んでくれているのがうれしいです。
いつか端氏の考えを批判する会が実現できればと思っているのですが。

■カフェサロン「子どもの現在を考える」シリーズ第1回の報告(2015年10月24日)
湯島で、「子どもの現在を考える」シリーズ第1回のカフェサロンを開催しました。
日本子どもNPOセンターの専務理事の立柳さんに、先月発表した「子どもNPO白書2015」の取りまとめで考えたことなどを話してもらい、参加者で話し合いました。
立柳さんと一緒に白書をまとめた上野さんや編集者の杉山さんも参加してくれ、総勢15人の参加者がありました。
実に多彩な立場の方が参加してくれました。
なかには山梨から参加してくださった方もいます。
「子どもNPO白書2015」については、別途簡単な紹介をしておきましたので、ご関心があればお読みください。
http://homepage2.nifty.com/CWS/books.htm#150913

立柳さんは、この白書をまとめて感じたいくつかの気づきを話してくださいました。
ひとつは、子どもを取り巻くさまざまな問題に個別に取り組んでいる人は多いですが、子どもの世界全体を観ている人が意外に少ないということです。
全体像が、なかなか見えてこない。
これは、福祉や環境問題全体についても言えることだろうと思います。
社会はさまざまな問題が絡み合って成り立っていますから、高齢者介護、情報社会化、まちづくりなどの問題との繋がりの中で見えてくる「子どもの問題」もあるでしょうし、逆に「子どもの現在」から、そうした問題の新しい側面が見えてくるかもしれません。
たまたま、前日に高齢者分野で施設展開している人が相談に来ましたが、「子どもの問題」にも視野を広げて考えると新しい解決策が見えてくるかもしれないと話したところでした。
社会の問題は、さまざまな問題のつながりや関係性の中で考えていくことが効果的です。
そのためには、その分野の実践者だけではなく、さまざまな立場の人が触れ合う場がもっと増えていってほしいと思います。

「子ども」は社会のさまざまな問題が凝縮されている存在かもしれません。
子どものかかえる問題からは、社会の実相が見えるような気がします。
そもそも「子どもNPO」ってなんだという話も出ました。
そこにはさまざまなテーマや課題が含まれていて、一括できないのではないかということかもしれません。
しかし、だからこそ、「子どもNPO」という捉え方に、私は意味を感じます。
縦割り社会で個別問題解決志向の強いいまの社会であればこそ、あらゆる問題につながっている
「子ども」の切り口から、社会を考えていくことが大切だと思います。
それに、立柳さんがお話してくれたように、「未来を託せるのは子ども」なのです。
子育てを終わった世代の人たちは、その思いから参加してくださったのだろうと思います。
子どもの視点に立って、未来を見ていくことは大切な事だろうと思います。

学童保育にも実際に関わっている上野さんは、子どもの遊びが大人によって「ルール化」されていることを紹介してくれました。
子供を大人がつくった「枠」にはめ込もうという「管理思想」が強まっているわけです。
子どものためという思いが子どもを抑圧しているという話もありました。
ここでも、「子どもNPO」の本質が問われています。
もしかしたら、福祉の本質にかかわることかもしれません。
NPOに関わっていると、いったい誰のための活動なのかと思わされることも少なくありません。
ちなみに、立柳さんたちは、「子育て」ではなく「子育ち」という視点で、子どもたちの主体性や尊厳をとても尊重した活動をずっとされています。

最近の子どもたちは、大人たちが決めたルールと自分たち(あるいは自分)のルールの「ダブルスタンダード」で生きているという話もありました。
いまや子どもも、「素直に」生きていけない、実に窮屈ですみにくい時代なのかもしれません。
子どもたちが、自分の主体性や自分の考えを育てるのではなく、それが摘み取られていく状況に、置かれているとしたら、未来はどうなっていくのでしょうか。
この問題は、「子どもNPO」の大きな課題だろうと思います。

ところで、蛇足ですが、「漢字テストのふしぎ」というビデオがあります。
19分で長いですが、よかったらぜひご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=FvdIbH0qtu4

子どもNPOは、資金的にも難しいという話もありました。
「子どもの貧困」と「子どもNPO」の財政的困難さは、実はつながっているのかもしれません。
しかし、だからこそ、そこに新しい社会のあり方の芽があるかもしれないと私は思っているのですが(つまりマネタリーエコノミーから抜け出す契機がある)、話がややこしくなるので、今回は発言を差し控えました。

ほかにもさまざまな論点が出されましたが、私自身、たくさんの気づきをもらいました。
土曜日の研修会には行政の人は参加してくれないという「嘆きの発言」もありましたが(まったく同感です)、行政の人や学校関係者にも、ぜひ参加してほしいサロンでした。

出版元のエイデル研究所の杉山さんが10冊持ってきてくださった白書は参加者のみなさんによって完売しました。
それだけでもうれしいことです。
この記事を読んだ方も、よかったらぜひ読んでみてください。
内容のとても濃い本です。

次回は、視点を変えて、学習塾などを通して、子どもたちに長年個人として関わっている、小出陽子さんに話題提供していただきます。
11月21日(土曜日)の午後を予定しています。
ぜひご参加ください。
驚かされる話がたくさん聞けるはずです。

(2015年10月第2週)
■カフェサロン「韓国での兵役体験を聴く」(2015年10月11日)
■「OMOしろいプロジェクト」ちば起業家大賞を受賞(2015年10月12日)
■SFC COACHINGの3人組(2015年10月12日)
■若者たちのデモ活動をどう見るか(2015年10月12日)
■テレビ「シャーロック」をまた見てしまいました(2015年10月13日)
■みんなの認知症予防ゲームのその後の経過(2015年10月14日)
■「すぐそばにある「貧困」」(2015年10月15日)
■時評編がまたちょっと途絶えています(2015年10月16日)
■入間市の建築散歩ツアー(2015年10月17日)

■カフェサロン「韓国での兵役体験を聴く」(2015年10月11日)
カフェサロン「韓国での兵役体験を聴く」は、会場があふれるのではないかと危惧していたのですが、三連休のど真ん中のせいか、残念ながら10人の参加にとどまりました。

韓国での徴兵制度のもとで、2年間の兵役を体験してきた、留学生の林(リム)さんのお話は、とても興味深いものがありました。
韓国では徴兵制度があるとは知っていましたが、その内容に関して、具体的にお話を聞くのは初めてのことでした。
私には知らないことばかりでした。
それに、リムさんは、自らの主観的評価も含めて、ありのままに語ってくれましたので、考えさせられることがたくさんありました。

リムさんは、兵役体験はよかったと総括しています。
2年間の兵役義務期間に、2等兵から上等兵を経て、兵長までを体験するのだそうですが、それは短期間に組織での働き方や生き方を学ぶことでもあります。
ある意味で、人生のシミュレーションと言ってもいいのかもしれません。
リムさんに限らず、2年間の義務兵役体験で、社会人としての適応能力と「考え方」がきっちりと植え付けられるようです。
リムさんは、この2年間で、「ほう・れん・そう」(報告・連絡・相談)の大切さがわかり、それが身についたことだけでもよかったと言っています。
軍隊の持つ、対外的な攻撃抑止力(戦争対策)以外の効用を強く感じました。
もしかしたら、韓国の経済成長を支えてきたのは、徴兵制度を通した「人づくり」ではなかったのかとさえ感じました。
ちなみに、今回のリムさんの体験談からは、韓国の軍隊には人間的で柔軟な要素があるようにさえ感じました。

日本との関係もいろいろと話してくれました。
日本政府に対する不信感はあるものの、それはそのまま、日本人への不信感にはつながっていないということも話してくれました。
この辺りは、微妙なところなので、中途半端な報告はやめます。

今回は、日韓関係に深い関心をお持ちの方も参加していましたが、さまざまな質問に対して、リムさんがすべて答えていたのに、私はとても感心しました。
果たして今の日本の若者たちに、こうした会話ができるでしょうか。
最近では、日本がアメリカと戦争したことさえ知らない若者が増えているとも聞いています。
しかし、韓国は学校で近現代史をしっかりと学ぶそうです。
日本とは大違いです。
国会デモに参加している若者たちは、どれだけ日本の近現代史を学んでいるのか。
そこに、私は、最近の動きの危うさを感じています。

参加者からの指摘やお話も、とても触発されるものがありました。
それも含めて、もっと多くの人たちに聴いてほしかったと、思いました。
あまり人数が増えて公開型になると、リムさんも話しにくいかもしれませんが、安保法制に賛成であろうと反対であろうと、韓国の徴兵制の話から学ぶことはたくさんあります。
もし関心を持ってくださる人がいたら、ぜひリムさんを講師に呼んで話を聞いて下さい。
そして韓国の若者たちとぜひ触れ合ってほしいと思います。

■「OMOしろいプロジェクト」ちば起業家大賞を受賞(2015年10月12日)
OMOしろいプロジェクトを進めているニッポン食堂の宇賀さんたちが、先週行われた千葉県主催の「超域クラウド交流会」の「第1回ビジネスプランコンペティション」で、最優秀のちば起業家大賞を受賞しました。
http://www.chibanippo.co.jp/news/economics/281420

プロジェクト応援団としては、とてもうれしい話です。
これで勢いがつけば、と思っています。

しかし現実にはいろいろな問題が山積みです。
それを一つずつ超えていかねばいけません。
夢は夢として、現実は現実として、どうつなげていけばいいかは、プロジェクトを推進していくときの一番の問題であるとともに、一番の面白さでもあります。
今日は、その現実部分をプロジェクト応援団ミーティングで話し合いました。
前回よりはかなり前進しました。
さてさて。

■SFC COACHINGの3人組(2015年10月12日)
慶応大学湘南藤沢キャンパスを略してSFCと言います。
最近、そこの学生が湯島によく来ますが、その一人、そして昨日韓国での兵役体験を語ってくれた林(リム)さんが、仲間と一緒に立ち上げたSFC COACHINGの仲間たちと一緒に、話に来てくれました。
SFC COACHINGの起業メンバーはリムさんと長井さんと青木さんの3人です。
失礼ながら、予想以上にしっかりと考えていて、取り組みも真摯です。
応援したくなりました。

若者には希望があります。
いろいろと書きたいことはありますが、SFC COACHINGのフェイスブックページがありますので、ご覧ください。
https://www.facebook.com/SFCcoaching?fref=ts
私とのミーティングの様子も紹介されています。
私はヨーダにされてしまいましたが。

■若者たちのデモ活動をどう見るか(2015年10月12日)
11日のサロンの紹介記事をフェイスブックとブログに書きました。
そうしたら、次の文章に関して、2人の人から、コメントが来ました。
国会デモに参加している若者たちは、どれだけ日本の近現代史を学んでいるのか。
そこに、私は、最近の動きの危うさを感じています。

おひとりのコメントは、こうです。
国会デモに参加している若者を殊更取り上げて知識不足、だから危ういという推論は乱暴ではないでしょうか。

もう一人は、
国会前デモ等に参加/観察した結果から言いますと、やや的を外したご意見のように思います。文藝春秋11月号にSEALDsの奥田君と保守派の論客(?)とされる古屋経衡氏の対談が掲載されています。ご参考までに。

こういうコメントが、私の一番苦手なコメントです。
一人は弁護士、一人は大学教授だった人です。
文章をちゃんと読んでコメントしてよと思いました。
どこに、私が「若者を殊更取り上げて知識不足、だから危ういという推論」しているというのでしょうか。
しかし、そうも言えないので、ていねいに返信しました。
それに私の表現の仕方も、確かに不十分です。
一応おふたりは納得してくれたとコメントを返してくれましたが、私はいささか納得できないために、ここに書いてしまいました。
どうも私自身の人間の器量はかなり小さいようです。
困ったものです。
しかし、この種のコメントが多いのに、少しだけ辟易しています。
ただしそこから得るものも多いので、半分は歓迎していますが。

■テレビ「シャーロック」をまた見てしまいました(2015年10月13日)
3連休は「働きづめ」でした。
それで今日はぐたっとして過ごしました。
昼食だけは、娘たち夫婦も来て、みんなで会食しましたが、それ以外はテレビばかり見ていました。
見たのはテレビドラマ「シャーロック」です。
シリーズ3の3本を4時間以上かけてみました。
もう何回か見ていますが、実に面白いのです。
このドラマでのシャーロックは高機能社会不適合症と自己認識しています。
見ていると彼の言動は、私と非常に似ているのです。
娘は、頭の出来が違うといいますが、それはたしかなのですが。

まあそんな感じで、怠惰に過ごしました。

■みんなの認知症予防ゲームのその後の経過(2015年10月14日)
昨日の惰性で、今日も午前中はのんびりしようと思っていたら、電話がかかってきました。
「いま湯島ですが、今日は10時半の約束ですよね…」。
そうでした、忘れていましたが、今日は認知症予防ゲームの今後の展開についてのミーティングだったのです。
気を許しすぎていました。
慌てて湯島に出ていきました。
私自身がすでに認知症の兆候が強まっているようです。
個人的には望ましいことですが、周囲の人には迷惑な話です。

なんとか時間を延ばしてもらい、2時間のミーティングを持ちました。
しかしいろんな宿題をまた背負ってしまいました。
いよいよ動き出さなければいけませんが、正直に言えば、みんなの勝手さにかなり辟易しているのです。
最近の人たちには、なかなか「運動発想」を持ってもらうのは難しいようです。
運動でなければ勝手にやってよと言いたいところですが、運動はいまどき流行らないのでしょうね。
ノーロングタームは、企業だけの話ではないようです。

■「すぐそばにある「貧困」」(2015年10月15日)
1か月ほど前に、NPO法人生活自立サポートセンター・もやいの大西さんが本を出版しました。
それが、「すぐそばにある「貧困」」です。
この種の本は、どうも読むのが重くて、読む気が起きなかったのですが、今日、ちょっとページを開いて、「まえがき」を読みました。
そして引き込まれてしまったのです。
一気に読みました。
思っていた内容とは全く違っていました。
涙が出るほどでした。
本の紹介をブックのコーナーに掲載しました。
ぜひ読んでください。
若者からは、多くのことを気づかせてもらえます。

■時評編がまたちょっと途絶えています(2015年10月16日)
先週書き出したブログの時評編が、またちょっと途絶えています。
やはりどうもモチベーションが高まりません。
書きたい気分はあるのですが、パソコンに向かと、どうも違うことをやりたくなってしまうのです。
言い換えれば、やらなければいけないことが多すぎるのかもしれません。
むかし流行った欣ちゃんの言葉ではありませんが、「なんでこうなるの!」ということが多いのです。
困ったものです。

■入間市の建築散歩ツアー(2015年10月17日)
湯島サロンの「ちょっと知的なカフェサロン」から生まれた建築散歩ツアーの日でした。
6人が参加、若林さんの案内で入間市を1日歩きました。
午前中はジョンソンタウン。戦後、米軍の軍人家族のための住宅ゾーンで、当時はまさにアメリカン・ライフスタイルが展開されていたところです。
一時はスラム化していたのを、地主の磯野商会が買い戻し、整備してきたそうです。
現在は120戸以上の平屋が緑に囲まれて、「古き良き時代のアメリカの街並み」を残しています。
一画にはカフェやレストラン、雑貨店やダンス教室などのゾーンもあり、若者たちのちょっとしたデートスポットにもなっているようです。
そのひとつのお店で、みんなで食事をしました。
内部は、スケルトンを活かしながら、それぞれの店主が内装を工夫しているようです。
敷地内の道路も含めて、地主の磯野商会が管理しているそうで、タウン全体が一つの雰囲気を醸し出していました。
磯野商会の地域への思いの深さに感心しました。
最初、ここに来た時にすぐ思い出したのが昔の代官山ですが、いまのような代官山にはなってほしくないと思います。

つづいて、旧石川組製糸西洋館。
これは大正時代につくられた洋風建造物で、年に数回の公開日だったため、なかも堪能させてもらいました。
石川製糸は昭和の初めに解散していますが、創業者の石川幾太郎は敬虔なクリスチャンで、その経営の理念は「愛」だったようで、いまでも石川製糸の「女工哀史」ならぬ「女工愛史」が語り伝えられているそうです。
こういう会社が日本にはあったことを、いまの大企業の経営者に知ってほしいです。

石川製糸が残した一つに豊岡教会があります。
16号沿いにある、W.M.ヴォ―リズ設計の少し目立つ教会です。
石川製糸で働いていた女工さんたちも礼拝を薦められていたそうです。

そこからは地元在住の建築家の岡野さんに案内をお願いし、
黒須地区の文化遺産的なものをいくつか案内してもらいました。
一つだけ紹介すれば、細芳織物工場で、住宅街の中に、鋸屋根がつながった工場で、いまもなお昔ながらの織機で織物をつくっています。
40年ぶりとは言いませんが、久しぶりにこうした織機が動いている現場を見せてもらいました。
社長自らも動き回るほどの忙しさでしたが、細芳さん自身、鋸屋根の工場も含めて、文化遺産としての動態保存に取り組まれていることがよくわかります。
ほかにも、「道徳銀行」とも呼ばれた無尽から始まった黒須銀行の建物(洋風土蔵造り)など、いろいろ見せてもらいました。

この地域の人たちが、どれだけ地域社会を大事にしていたか、を感じました。
そしていまもなお、その文化が受け継がれているのでしょう。
地域をゆたかにしていくのは、やはりその地域の人たちの、地域文化への思い入れなのだと改めて感じました。
しかし、そうした文化は、いま、経済主義の中で消えつつあるように思います。

歩き始めたころは小雨だったのですが、午後は雨も上がり、晴れ間も見えてきました。
5時間ほどの街歩きで、参加したみなさんと普段とはちょっと違った状況で話をするのも、こうしたツアーの魅力の一つなのだと感じました。
歩いてきた後、いただいた資料などを読み直していると、また行きたくなってしまいます。
これも街歩きのポイントだなと思いました。
若林さんが1回のみならず、何回も同じところを歩いていることの意味がわかりました。
若林さんが、回る先を選んでくださったのですが、振り返ってみると、そこから若林さんのメッセージが伝わってきます。

建物散歩は、単なる名所まわりではありませんでした。
自らの生き方や活動を問い直す刺激をいくつかもらいました。

(2015年10月第1週)
■太田さんとの2人だけのオープンサロン(2015年10月4日)
■細田さんの義理堅さ(2015年10月4日)
■sadako-legacy abiko project(2015年10月4日)
■鳥膳(2015年10月5日)
■電話が多すぎます(2015年10月6日)
■畑作業再開(2015年10月6日)
■ブログ時評編再開(2015年10月8日)
■あびこ魅力発信室の深田さん(2015年10月9日)
■パソコンサポーターの坂谷さん(2015年10月10日)

■太田さんとの2人だけのオープンサロン(2015年10月4日)
今日のオープンサロンは、誰も来ないかなと思っていたら、太田さんが来てくれました。
久しぶりに2人だけだったので、太田さんの経済同友会時代の話をいろいろとお聞きしました。
私の最大の関心事は、コーポレート・ガバナンスや金融ビッグバンの時の同友会の動きです。
いずれも、太田さんは、そのかなりのど真ん中にいたはずです。
有名な「今井・宮内論争」で、もし「雇用基準」のガバナンス路線が採用されれば、日本の経済は違ったものになっていたはずです。
金融ビッグバンも、日本経済に大きな影響を与えましたが、あの時の経済界の対応は、私には不思議でした。
当時、危機感を持った友人に頼まれて、連続講座にも協力しましたが、関係者の意識を知って、いささか驚きました。
流れを変えようなどとは、誰も思わずに、どうしたらその流れに乗れるかが、ほとんどの人の関心だったからです。
そしてその通り、流れは全く変わらずでした。
信頼していた日経新聞の論説委員と編集委員にも湯島に来てもらって危機感をぶつけましたが、言葉では私の意見に共感してはくれましたが、何も行動してくれませんでした。
以来、付き合いが切れてしまったのが残念です。
いまからでも遅くないので、資金調達視点からのコーポレート・ガバナンスから抜け出てほしいものです。
企業は、資本のためにあるのではなく、人のため、社会のためにあるのですから。

■細田さんの義理堅さ(2015年10月4日)
太田さんと話していたら、ドアをノックする人がいました。
次の人が来るにはちょっと早いなと思って、出てみると、山梨の細田さんでした。
細田さんは以前、私が主催した自殺対策関係の集まりに参加してくださったことがあります。
今年の初め、突然メールが来ました。
そして、湯島のサロンに参加してくれたのです。
ご本人もいろいろとあって、少し元気をなくしていたところだったようで、湯島のサロンに誘ったら、わざわざ山梨から出てきてくださったのです。
いまは、障がいを持つ人たちの施設で働いているそうです。
その時は、ゆっくり話す暇はありませんでしたが、わざわざ山梨から参加してくださったのが、私にはとてもうれしかったので、忘れることがありません。
その細田さんが、なぜかそこにいたのです。
細田さんが言うには、湯島で研修会があり、そこに参加していたのだが、コンセプトワークショップのオフィスがすぐ近くであることに気づき、前回のサロンの会費を届けに来たというのです。
ポストに入れておくつもりが、私がいたので驚いたようです。
サロンの会費は、500円ですが、部屋の片隅にある箱に、各自が自発的に入れておくルールなのです。
したがって、忘れる人が多いのですが、忘れたらそれもよしというのが、スタイルなのです。
会場を維持するための一助なのですが、同時に、無料だとお菓子などを持ってくる人もいて、むしろ負担感を持つ人もいるため、最近は会費制にしているのです。
それにしても、みんなけっこう、前回の会費を忘れたと後から届けてくれる人がいるのです。
迷惑をかけているのかもしれません。
500円でも未払いになっていると気になる人もいるのです。
細田さんとはまた、ゆっくりと話す機会もあるでしょう。
今回は500円をしっかりと受け取らせてもらいました。

■sadako-legacy abiko project(2015年10月4日)
前にも書きましたが、12月6日に、我孫子でサダコ鶴の贈与式が開催されます。
そこに、sadako-legacyの佐々木祐滋さんが来てくれるので、せっかくであれば、住民も巻き込んだ、楽しいイベントが実現できないかと考えました。
祐滋さんに相談したら、賛成してくれたので、我孫子の友人知人に話して、コアチームを作りました。
今日は、まずそのメンバーと祐滋さんとの初顔合わせを行いました。
方向の合意ができたので、進めることになりました。
2か月しかありませんので、かなり大変ですが、まあ何とかなるでしょう。
コンサートのほうは宮内さん、行政や市民会議との関係は職員の安武さん、全体のバックアップは原田さん、と役割分担しながら進めることになるでしょう。
私も、原田さんと一緒に、全体のバックアップと、できればこの活動の発展形を考えることにしたいと思っています。
我孫子市近隣の皆さんは、ぜひ12月6日に我孫子のケヤキプラザの「祈りコンサート」に遊びに来てください。
新しい物語のプロローグになるかもしれません。

■鳥膳(2015年10月5日)
娘の連れ合いのイタリアンのお店は火曜日が休みなのですが、毎月第1月曜日も休みです。
鰻を食べに行こうといつも思うのですが、近くの美味しい鰻屋さんは、火曜日がお休みなのです。
それで、今日なら鰻が食べられると思い、予約の電話をいれたら、なぜか月曜日もお休みになっていました。
それで急遽、柏で評判の鰻もやっている「鳥膳」にみんなで行くことにしました。
電話したら、何とか予約できました。
人里離れたところにある、古民家風の、不思議なお店です。
鰻は、どうもメインではなく、地鶏料理が中心のようですが、平日なのにかなりの込み具合です。
雑誌やテレビで、取り上げられる理由もわかりました。

お客様は、地元の中高年の女性たちが多かったです。
雰囲気的には、農家の人たちが多い感じでした。
農家の人たちの生活の豊かさを、ちょっと垣間見た気がします。
鰻は3500円からでしたが、鰻そのものはおいしかったものの、たれが私には合っていませんでした。
地鶏は、私には少し苦手なのですが、おもしろい雰囲気なので、また来てもいいかなと思いました。
最近はこういうお店が人気があるのでしょうか。

■電話が多すぎます(2015年10月6日)
11月に我孫子市の市会議員選挙なのですが、その関係で、毎日、電話がかかってきます。
特に多いのが、共産党です。
私は、共産党にはかなりのシンパシーを持っていますが、毎回電話がかかってくるので投票したことはありません。
以前一度、クレームをつけたのですが、相変わらず今もかかってきます。
昨日と今日は、連日です。
今日の電話は11時半ごろかかってきましたが、「朝早くからすみません」と言っていましたから、この人は朝早くから電話をかけ続けているのでしょう。
しかし、11時半に「朝早くから」と言った途端に、私にはもう論外です。
セールスの電話や、インターネットの契約変更などの電話もよくかかってきます。
相手の都合も考えないで電話をかけてくる勇気には感心しますが、電話をかけてきた途端に、私の投票優先度は大きく低下します。
しつこい場合は投票を止めることもあります。
選挙違反ではないかと思うこともありましたから。
そんなわけで、今回は共産党系は私の対象かは外れました。
この理由で、私は毎回、共産党員は選択肢にさえならないのです。
正直に言えば、ちょっと残念です。
どんなに立派な政策を掲げていようと、日常行動こそが大切です。

■畑作業再開(2015年10月6日)
3日間畑をがんばりました。
新たに畝を2本つくり、青菜類を蒔きました。
何しろきちんとした農地ではないので、開墾作業に近いのです。
しかしだいぶ野草の勢いをそぐことができてきました。

今年はあまり見なかった赤とんぼが急に増えました。
今日は、まさに乱舞状態でした。
安心しました。

以前植えておいたナスやキュウリは、もうだめですが、ミニトマトの樹がまだ元気です。
しかし、花は咲いているのに、実をつけません。
たぶん交配を進める虫がいなくなったからでしょう。
畑作業をしていると、いろんなことに気づきます。
これからも週に3回は通おうと思っています。

■ブログ時評編再開(2015年10月8日)
3週間、ブログの時評編を書けずにいました。
毎日、今日こそ書き出そうと思うのですが、パソコンに向かうとなぜか書く気が消えてしまいます。
辞表編を書くモチベーションは、社会への期待であり、希望です。
その希望が、最近、見事なほどに打ち壊されてしまっているのです。
頭では、必ずしもそうではないですし、言葉でもそうはいっていないのですが、心身の底から壊されてしまったような気もしています。
それがブログを書けない理由だろうと思いますが、このままだとさらに気分は沈みそうです。
ですから、まずはブログに辞表編再開を書き込みました。
書かないわけにはいきません。
辞表編再開です。
「安保法制騒動を考える」シリーズを書き出す予定です。

■あびこ魅力発信室の深田さん(2015年10月9日)
我孫子市には、「あびこ魅力発信室」というのがあります。
その室長は昨年秋に民間からスカウトされた深田さんです。
気にはなっていましたが、まだお会いしたことがありませんでした。
そこで、sadako-legacy abiko projectのことで、会うことにしました。
協力をお願いしましたが、気楽な仲間にまでは巻き込めませんでした。
でも心強いアソシエーツにはなってくれると思います。
ちょうど、広報課長の斎藤さんも席にいましたので、お会いすることができました。
斎藤さんは、実はわが家の農園の草刈りを昨年してくださったのです。
その手前、今年は畑作業をがんばっているわけです。

帰りに、副市長の青木さんとも偶然出会いました。
相変わらず忙しそうです。
さらに偶然にも、いろんな市民活動をしていた関谷さんにもお会いしました。
ちょうど市民活動支援課に行っての帰りだったようです。
私も思い出して市民活動支援課に寄ってみましたが、嶋田さんはじめ、知り合いは誰もいませんでした。

sadako-legacy abiko projectは、少しずつですが、前に進んでいます。

■パソコンサポーターの坂谷さん(2015年10月10日)
娘の連れ合いのパソコンが具合が悪いというので、坂谷さんに見てもらうことにしました。
久しぶりなので、坂谷さんのその後の話も聞きたかったこともありました。

パソコンは、1時間もあれば目途がつくだろうと思っていましたが、そうはなりませんでした。
坂谷さんは、手際よく次々とパソコンを分解し、確認していったのですが、原因がなかなかわかりません。
しかし、結局、当初の予想通り、コネクターと液晶の不具合のようでした。
それは思った通りだったのですが、パソコンの分解と再組立てに時間がかなりかかったのです。
まあ、思わぬトラブルも途中で発生しましたし。
しかし、そのおかげで、私はまたパソコンの構造知識を得ることができました。
私は以前、パソコンを分解して復元できなかったことがあるのですが、どうしたらきちんと復元できるかのノウハウを教わりました。
実に素朴な方法ですが、確実な方法です。
またパソコンを分解してみたくなってきたのが、いささか心配ではあります。

部品を交換するかどうかは、パソコンの持ち主に確認して対応することにしましたが、坂谷さんにはご苦労をおかけしました。

気がついたら、お昼をかなり回っていました。
昼食を食べに行く予定が、どこもお店が休憩に入る時間です。
何とか食事ができるお店を見つけて、食事をしながら、最近の坂谷さんの仕事などについてお聞きしました。
いろいろと興味を感ずる話もありました。
私からは、12月6日のsadako-legacy abiko projectの応援を頼みました。
もう坂谷さんも、仲間入りです。
こうやって仲間を増やしていくのが、住民活動を広げるポイントかもしれません。
いささか無責任と言われそうなスタイルなので、ディレクター役の宮内さんに叱られそうです。

(2015年9月第5週)
今週は何もしなかったに近いのですが、
なぜか時間的には忙しく、精神的にもゆとりのない週でした。
メールでの相談も、なぜか多い週でした。
気が滅入ることが多いので、その反動で、本をかなり読みました。
■スーパームーンの月見鍋(2015年9月28日)
■孤独な社会(2015年9月29日)
■やわらかな玄米食(2015年9月30日)
■ひとりだけの湯島(2015年10月1日)
■経営道フォーラム57期合宿(2015年10月2〜4日)
■社会変革に取り組む今井さん(2015年10月3日)

■スーパームーンの月見鍋(2015年9月28日)
昨日は中秋の名月。今日はスーパームーンでした。
娘が月を見ながら庭で月見鍋をしようと言い出し、次女も呼んで暗闇での月見鍋でした。
小さな庭ですが、高台のため、見晴らしは少しだけいいのです。
久しぶりに、月をよく眺めました。
どうみても、ウサギは見えてきませんでしたが。

■孤独な社会(2015年9月29日)
20年も会っていない友人から、看病していた父が亡くなったというメールが来ました。
まだ40くらいで、倒れた父親の看病をするため、仕事を辞めて看病に専念していたそうです。
父の死によって心に大きな穴が空いたような気がするが、相談する相手もなくて、と連絡して来たのです。
仕事を辞める時に、相談してくれればと思ったのですが、彼は全てを一人で背負ってしまったのです。
それがとても寂しい気がします。
以前、さみしい社会について書いたことがありますが、その状況は広がっているのでしょうか。

■やわらかな玄米食(2015年9月30日)
一時友人の勧めで玄米食にしていましたが、白米に戻っていました。
しかし、もう一度、玄米食を再開しようと思い、残っていた玄米を自分で炊くことにしました。
めんどうなので、数日分を炊いてしまおうと、ジャーの限度一杯炊くことにしました。
ところがどうも水加減を間違ってしまったようで、出来あがったら柔らかすぎてしまいました。
食べたら、実にまずいのです。
しかし、捨てるわけにもいかず、一食ごとにパックして冷凍しました。10食分ほど出来あがりました。
これを食べ続けなければいけません。
また玄米嫌いになりそうです。
困ったものです。

■ひとりだけの湯島(2015年10月1日)
今日は久しぶりに湯島で、一人で過ごしました。
最近は湯島で一人で仕事をすることもないので、少し手持ち不足でしたが、たまにはこうした状況に身を置くのもいいものです。
もっとも午後から天候が荒れそうになってきたので、早目に帰宅しました。
どうも湯島は、今や仕事場ではなくなってきたようです。
いや、仕事をしなくなってきたというべきでしょうか。

■経営道フォーラム57期合宿(2015年10月2〜4日)
経営道フォーラムの57期のまとめの合宿でした。
箱根の予定が噴火騒ぎで成田に変更になりました。
成田での宿泊は久しぶりです。
成田エクセルホテル東急は、海外、特に中国の観光客でごった返していました。

今回は、まとめの合宿です。
経営道フォーラム57期の成果発表会は11月19日です。
私が関わったチームは2つです。
ひとつは「存在する経営理念から運動する経営理念へ」。
もうひとつは、「中高年問題はコスト発想ではなく価値発想で」。
このタイトルは、私流の表現ですので、チームの発表タイトルではありませんが、いずれにも発想のパラダイム転換が込められています。

いま、大企業が抱えている問題のほとんどは、発想の視点を変えるだけで解決の道が見えてくると思いますが、それがどうもできないようです。

■社会変革に取り組む今井さん(2015年10月3日)
今回の経営道フォーラムの合宿は、ほぼ最初から最後まで付き合いましたが、2日目はあとは自分たちでやるからと言われて、私は失職しました。
代わりに、事務局のアドバイザー役の今井さんと議論する羽目になりました。
今井さんは、会うたびに、いつも議論を吹っかけてくるのです。
今井さんは私よりも2回りほど若いのですが、社会変革という大きなビジョンを持って、活動している人です。
その視点から、経営道フォーラムの事務局である山城経営研究所にも関わっているのです。
会うたびに論争になりますが、私にはどこかで波長が合わないものを感じます。
もしかしたら、今井さんが昔の私に似ているからかもしれません。
しかし、昔の私に比べれば、今井さんはずっと行動的で戦略的、そしてエネルギーもあります。
しかも、私以上に挑発的です。
私はついつい、その挑発に乗ってしまうわけです。

激論の後、今井さんは「目指すところは同じだけれど、どうも取り組みかたが違うことがわかった」とわざわざ言いに来ました。
取り組み方にこそ、価値を置いている私には、まあ賛成はできませんが、今回の話し合いで、今井さんとの共有の世界が少し見えてきました。
まあ私も少し成長したのかもしれません。

(2015年9月第4週)
■サダコ折鶴寄贈式に併せて何かできないだろうか(2015年9月20日)
■緊急カフェサロン「今回の安保法制成立をどう考えるか」の緊急開催(2015年9月20日)
■我孫子市市会議員が実質的にスタートしたようです(2015年9月21日)
■お彼岸のお墓見舞い(2015年9月21日)
■OMOしろいプロジェクトミーティング(2015年9月23日)
■緊急カフェサロン「安保法制成立をどう考えるか」の報告(2015年9月23日)
■読書三昧(2015年9月24日)
■カフェサロン「個人の尊厳と社会の尊厳」(2015年9月26日)
■久しぶりの本田宏さん(2015年9月26日)

■サダコ折鶴寄贈式に併せて何かできないだろうか(2015年9月20日)
12月6日に、我孫子にサダコ折鶴が寄贈されます。
その寄贈式が行われ、そこに佐々木さん親子が来てくれます。
その寄贈式に併せて、平和事業市民会議によってイベントが企画されています。
佐々木祐滋さんはミュージシャンなので、ご自分の作品の「INORI」を歌ってくれるでしょう。

しかし、折角、佐々木さん親子が来てくれるのであれば、公式のイベントだけでは何かもったいない気がします。
それに便乗して、市民中心の「もうひとつのイベント」を開けないかと、関係者に打診してきました。
3人の人が関心を持ってくれました。
それで今日、最初のミーティングを開催しました。
大方の合意ができました。
立場がみんな違う人で、まずはコアグループがスタートします。
後は、肝心の佐々木祐滋さんです。
どんどん活動の舞台が広がっている祐滋さんが、付き合ってくれるかどうかが問題です。

予算はゼロです。
私は出発点での予算ゼロのプロジェクトが大好きです。
自分たちのプロジェクトにしていけるからです。
うまくいくといいのです。
早速、祐滋さんに連絡をとって、みんなで会おうと思っています。

■緊急カフェサロン「今回の安保法制成立をどう考えるか」の緊急開催(2015年9月20日)
今回の安保法制成立の刑かはまだ私自身理解できていません。
あまりに、アクロバティックというか、常軌を外しているからです。
そのあたりのことをかなり穏やかにフェイスブックに書いたのですが、いろんな意見が届きました。
それにきちんと返信をしていたのですが、なかにはそう簡単に答えられない問題もあります。
ネットでやりとりしていたら、ますますおかしくなりそうです。
そこで、緊急カフェサロン「今回の安保法制成立をどう考えるか」を開催することにしました。
リンカーンクラブの武田さんに相談して、リンカーンクラブ主催とし、私が事務局役で進めることにしました。
結果も、この後に書かれることでしょうが、ともかくやれることはやっておこうと思います。

■我孫子市市会議員が実質的にスタートしたようです(2015年9月21日)
11月に、我孫子市会議員の選挙があります。
現在2人欠員ですが、少なくとも3人が新たに立候補します。
いずれも出戻りです。
私は任期を全うせずに、途中でほかの選挙に出た人は一切信頼しません。
3人は、県議、国会議員などに出馬のために市議を辞任したのですが、いずれもダメでした。
全員、私が比較的よく知っている人たちです。
底が悩ましい話です。

最近、いろんな市会議員や立候補予定者のニューズレターやチラシが届きます。
私は、残念ながらほとんど読みません。
昨日も、立候補予定の人が挨拶に来てくれました。
しばらくは、またいろいろ働きかけがあるでしょう。
しかし、私が思うには、そんなことにうつつを抜かしている時ではないのではないと思います。
いま日本の社会は大きく曲がろうとしています。
そういう時代認識がない人には、私は共感を持てません。
どうもそうした私の性向が、なかなか分かってもらえません。
出来るならば、投票は棄権したい気さえしますが、そうもいきません。
悩ましい時期の始まりです。

■お彼岸のお墓見舞い(2015年9月21日)
お墓にお見舞いに行きました。
にぎわっていました。
その中で、般若心経を唱えてきました。
涼しくなったので、造花から活花に替えました。
今日は、わが家の庭や畑の花も加えて、華やかの花になりました。
妻も両親も喜んでいるでしょう。

■OMOしろいプロジェクトミーティング(2015年9月23日)
ニッポン食堂の宇賀さんたちの構想が、ちば起業家応援事業ビジネスプランコンペティションの最終選考で入選し、10月4日に開催される千葉県の超域クラウド交流会のファイナリストに選ばれました。
交流会でも大きな話題を呼ぶことでしょう。
なによりも、その基本メッセージがいいのです。
みんなで大きな家族を育てよう、です。
私も参加したいのですが、当日はオープンサロンの日に当たってしまいました。

しかし、この構想を実現していくためには、たくさんの壁があります。
阿部さんも含めた検討会を急きょ開催しました。
夢を実現するのは、いろいろと大変です。
しかし、課題が多すぎて、へこたれそうです。

■緊急カフェサロン「安保法制成立をどう考えるか」の報告(2015年9月23日)
急な呼びかけにもかかわらず、10人の人が集まってくれました。
仕事を犠牲にしてまで参加してくださった方もいました。
残念ながら、今回の安保法制やその採決のあり方に怒りと不安を持った人だけでした。
そもそもこの集まりを緊急開催したのは、私の反対姿勢に異を唱えた人たちと話し合いたくての企画だったのですが、一人も参加してくれませんでした。
やはり思いの深さの違いかもしれません。
そこにこそ、もしかしたら時代が凝縮されているような気もします。
賛成者の参加がなかったので、議論はあまり豊かにはならなかったのですが、
しかし、幸いに、怒りの慰め合いには終わらなかったように思います。

参加者のおひとりが、「刃(やいば)は内に向けられている。私たち一人ひとりの生き方がどんどんと狭められている」と話されました。
私もまったくそう思います。
湯島でのこの種の話し合いも、来年はもうできなくなっているかもしれません。
しかし、その一方で、新しい動きも出てきたという話もありました。
若者は明らかに動き出していますし、大人たちも少しだけ政治に目覚めた動きもあります。
地殻変動が始まったと評価した人もいます。

いま大切なことは、「何を優先するか」です。
目先の問題にかまけて、大事なものを見逃してしまうような愚行だけはしたくありません。
ニーメラーのような後悔もしたくない。
そう思えば、一人ひとりが、いま何をすべきかは見えてくるでしょう。
そして、今日の10人が、明日の100人に広がることを念じています。

学ぶことを忘れてはいけないと参加した大学教授が話されました。
若者への言葉ではありません。
大学教授である自分も、若者から学ばなければいけないという意味です。
時代を切り開く真実は、いつの時代も「少数派」にあります。
あるいは、時代に染まっていない若者たちにあります。
いや、子どもたちかもしれません。
そう思わせられる発言もありました。

余計な知識の呪縛をすてて、素直に事実を見れば、裸の王様とその取り巻きのような愚行は犯さないでしょう。
なぜそれが多くの安倍政権支持者には見えないのか。
そういう人たちは、思考停止しているのではないか。
そのわけを知りたかったのですが、今回はそれができなかったのが残念です。

今回の集まりは一過性のものにしたくなく、継続させることにしました。
もし、今回の政府の進め方や安保法制の意義について、賛成の方で、問題提起してもいいという方がいたら、湯島の場所を提供し、私が事務局を務めますので、カフェサロンをやってもらえないでしょうか。
日程は、できるだけ合わせますので、ご連絡ください。

もし政府支持の人が手を挙げてくれない場合は、
次回は、「民主主義ってなんだろうか」をテーマにしたいと思っています。
また今回議論になった「国民投票制度」もテーマとして考えています。

出来ることから少しずつ、行動も始めたいと思っています。
それが時代の岐路とも言うべき、いまを生きる私たちの責任だろうと思います。

■読書三昧(2015年9月24日)
どうも気が安定しません。
昨日は6時間以上の話し合いで、いささか疲れてしまい、自宅で結構ぐったりしていました。
数名の方から昨日の感想なども届きました。
なにかが動き出しそうな気配はあります。

今日は一歩も出かけずに、自宅で本や論文を読みました。
午前中は、技術士の安藤さんの「リーダーのための技術士倫理」です。
現在、雑誌「オーム」に連載されている者を一括送ってきてくださいました。
コメントを要請されているので、かなりていねいに読みました。
安藤さんの体験を踏まえたものですので、人柄が出ています。
いくつかの異論と感想を送らせてもらいました。
安藤さんは、日本技術士会の副会長をやっていましたので、日本技術士会への注文も、少し過激に書きました。
いつか安藤さんに湯島でサロンをやってもらおうと思います。

続いて、杉原さんから送られてきていた「半市場経済」を読みました。
この本は一昨日から読んでいたのですが、これも紹介記事を書こうと思い、ていねいに読みました。
ひいき目かもしれませんが、杉原さんの担当したところが一番面白かったです。
この本はブックのコーナーで紹介します。

つづいて、いまさらと言われそうですが、丸山眞男の「超国家主義の論理と心理」を読みました。
この1か月、ナチスドイツ関係の本を読んだり、関連した映像記録などを見たりしていますが、どう考えてもいまの日本社会はナチスドイツと重なっています。
低賃金で失業率を減らそうというアベノミクスは、まさにナチスの経済政策です。
私には、阿部首相はほとんどヒトラーに重なるのですが、日本国民もドイツ人に重なって見えてしまいます。
たまたまフォルクスワーゲンの違法行為が発覚して話題になっていますが、ドイツの大企業はヒトラーの政策に便乗して成長したという歴史を思い出してしまいます。
彼らは、ユダヤ人や貧しい人たちを低賃金もしくは無償で働かせて利益を上げていたのです。
此れもまた、いまの日本の大企業に重なって見えてきます。
というわけで、改めて丸山眞男なのです。

久しぶりに読書三昧の日でした。

■カフェサロン「個人の尊厳と社会の尊厳」(2015年9月26日)
今日のちょっとハードなカフェサロン「個人の尊厳と社会の尊厳」は11人の参加でした。
弁護士の大川真郎さんが、心に残った裁判の話を踏まえながら、まさにテーマにぴったりの話をしてくださいました。
大川さんがなぜ弁護士になったのか、そしてなぜ弁護士会の活動に軸足を移して、司法改革という難事に取り組んだのか、友人でありながら、そういう話をきちんと聞くのも初めてでした。
これまで司法改革に批判的なことを書いてきましたが、大川さんの思いの深さを知って、自らの不明さを恥じました。
加えて、これまで取り組んだ裁判の被告の大変さに言及する時の大川さんの表情は実に印象的でした。

大川さんが詳しく話してくれた4つの裁判に共通するのは、被告の自らの尊厳を懸けた信念と勇気と忍耐であり、それが社会の尊厳を守ったということです。
そういう勇気ある人たちのおかげで、社会、つまり私たちの生活が守られていることを、私たちはもっと認識しなければいけないと、改めて思いました。

大川さんのお話で、心に深く残ったことを3つだけ書いておきます。

裁判では個別の事件しか扱えないが、個別事件の裁判が法や社会を変えていくことがある。
人間は大事にされなければいけない。司法はその守り手ではないのか。
現在は闘いを忘れた時代になっている。それでいいのか。

いずれも具体的な裁判の話に関連させて話してくれました。
大川さんの最近の著書「裁判に尊厳を懸ける」にも語られていることですが、やはり本人から直接聞くと心に沁みこんできます。
私には感動的な3時間でした。

参加者も多彩で、話し合いもいろいろと広がりました。
今回は、医療制度改革に取り組んできた本田宏さんも初参加してくれましたが、大川さんの医療過誤裁判の話に関連して、医療の世界の実態などを話してくれました。
本田さんは「患者さん第一」を理念に活動をされていますが、大川さんの被告視点での姿勢につながるものを感じました。

いろいろと話していくと、やはり制度自体が人間を呪縛しているとともに、司法や医療や法律といった個別の領域を超えた活動の連携が不可欠だというような話になりました。
様々な分野で活動している人たちの、緩やかなカフェサロンはやはり続けようと思いました。

いずれにしろ、大川さんが関わった裁判の被告たちのように、信念と勇気と忍耐をもった「闘い」が必要であり、闘う人たちの連携がもっと広がっていくことが大切です。
大川さんの本にも書かれていますが、19世紀のドイツの法律家イェーリングが言っているように、自己の権利を守ることによって法一般が守られ、法一般が守られることによって自己の権利が守られるのです。
昨今の憲法問題や安保法制、あるいは原発問題にもつながっている話です。
原子力損害賠償法問題などに取り組んでいる本間さんが、最後にそのことに言及してくれました。

参加者からもさまざまな体験紹介や思いの発信がありました。
ご紹介できないのが残念です。
大川さんの話ももっとたくさんの内容があったのですが、ぜひ大川さんの著書「裁判に尊厳を懸ける」を読んでください。
今日の話を聞いて、読み込みが少なかったことを反省して、私ももう一度読み直してみようと思います。
私のホームページにも簡単な紹介記事を書いています。
http://homepage2.nifty.com/CWS/books.htm#150719

■久しぶりの本田宏さん
(2015年9月26日)
先週、ブックで著書をご紹介した医療制度研究会の本田宏さんが、サロンに参加してくれました。
前にお会いしたのは10年以上前になります。
私に医療の問題への関心を植え付けてくれた人です。
ブックのコーナーでも書きましたが、本田さんは医療の世界だけでは限界があるという思いから、なんと本業の外科医をやめて、社会変革に取り組みだしました。
今日も、戦争法案反対のTシャツを着て参加してくれました。
15年ほど前にお会いした時も過激でしたが、ますます過激でした。
過激であることはわかりやすくていいです。

ぜひ一度、湯島でも本田サロンを開催したいと考えています。

(2015年9月第3週)
■プロジェクトOMO(2015年9月13日)
■休養日の読書(2015年9月15日)
■久しぶりの畑(2015年9月16日)
■安保法制反対デモと野党のがんばり(2015年9月17日)
■経営道フォーラム57期のEチーム(2015年9月17日)
■雨の中、国会デモに参加しました(2015年9月17日)
■一晩寝ても冷静さはもどってきません(2015年9月18日)
■まだだめです(2015年9月19日)
■畑に行きました(2015年9月19日)

■プロジェクトOMO(2015年9月13日)
「OMOしろい」の大きな構想が動き出します。
今日は、そのサポーターミーティングです。
と言っても、まだメンバーは4人。
次第に形が見えてきましたが、やはりじっくりと取り組まないといけなさそうです。
それはそうでしょう。
具体的な構想は、もう少ししたら公開できるかもしれません。
定期的なミーティングを開始することにしました。

■休養日の読書(2015年9月15日)
だいぶ元気が出てきましたが、なんとなく本調子ではありません。
外部と接点を持っていうと、どうしても「問題」が発生します。
最近、厭世気分が強まっていますので、傾向的にネガティブ発想が出てきているのです。
それで、2日間、休養日にしました。
具体的には、人に会わず電話に出ず、読書三昧するということでしたが、結果的にはあんまりうまくいきませんでした。
しかし、おかげで、読み落としていた「社会的共通資本としての森」(宇沢弘文さんの3部作の1冊)を読めました。
鬼怒川の堤防決壊があったこともあり、とても身近に読めました。
加えて、少し遅くなったのですが、本田さんの「本当の医療崩壊はこれからやってくる!」も読みました。
これはブックのコーナーで紹介させてもらうことにしました。
本田さんは、私に医療制度の問題点を教えてくださった人です。

■久しぶりの畑(2015年9月16日)
天気がよくなったので、畑に行きました。
久しぶりだったので、畑はすべて野草に覆われていました。
とりあえず、道路沿いの斜面の花のまわりの草をきれいにしましたが、半端でない茂り方なので大変で、くたくたになりました。
畑に大根と白菜と小松菜を蒔く予定でしたが、畝を一つつくるだけで疲れ切ってしまい、種を蒔く気が失せて、途中で帰りました。
農作業は結構体力が必要です。

午後、広島の折口さんから、電話がありました。
無理をしないようにという電話です。
ブログを見てくれたのです。
お天道様も見てくれているでしょうが、みんなに支えられていることを実感します。

■安保法制反対デモと野党のがんばり(2015年9月17日)
安保法制の参議院での採決が迫っています。
そうした中で連日、国会でのデモが激しくなってきています。
昨夜は、かなりの雨にもかかわらず、国会周辺でのデモは続きました。
シールズのメンバーも頑張っています。
ちなみにシールズは、私は最初、あまり評価できずにいましたが、私の認識が間違っていました。
かなり本気になってきていますし、社会的になってきています。
人は、場を通して急速に成長するのでしょう。
場に出かけていない私とは大違いです。

フェイスブックではいろいろと紹介していますが、ここでもシールズの奥田さんの国会の公聴会での映像を紹介しておきます。
うまく開けるといいのですが。
https://www.youtube.com/watch?v=5dsMhkj6eHk#t=72

しかし、最近のNHKの報道姿勢はますますおかしく感じます。
一昨日の夜の党首討論はひどかったです。
ついでに古いですが、山本太郎さんのNHKの日曜討論での発言のユーチューブも紹介しておきます。
https://www.facebook.com/cwsosamu/posts/10200815113896048?pnref=story

横浜の地方公聴会での水上弁護士の「公聴会が単なるセレモニーで茶番であるならば、私はあえて申し上げるべき意見を持ち合わせておりません」という発言は、やはり新しい事件と言っていいでしょう。
当然のことを口に出す人が現れだしたのです。
そのまま席を立てば、もっとよかったのですが。

話がそれましたが、国会周辺でのデモの盛り上がりに呼応するように、国会内部での野党の行動もしたたかさを強めているようです。
結局、16日には委員会も開催できずに、17日に持ち越しました。
そのおかげで私は寝不足になってしまい、今朝も眠かったです。
しかし、夜通しデモに参加していた人に比べれば、楽をしすぎています。
今日もまた雨です。
老躯に鞭打って。デモに行くべきでしょうが、あんまり自信がありません。
一応、雨合羽持参で出かけるつもりですが。

委員会の開催時刻が迫ってきました。
またしばらくはテレビに釘づけになりそうです。

■経営道フォーラム57期のEチーム(2015年9月17日)
経営道フォーラム57期のEチームのメンバーがディスカッションに来ました。
このチームが取り組んでいるのは、中高年の従業員を活性化し、会社とのWin- Win関係をどう構築するかです。
そのことが、会社全体に大きな影響を与えるだろうと考えているのです。
その問題を解くキーワードは「歩み寄り」になったそうです。
やはりその基本にあるのは、「人として扱う」ということになるでしょうが、そこになかなかみなさんの意識がいきません。
私から見ると、最近の大企業には「生きた人間」はいないと見えるのですが、当事者にはそれがなかなか実感してもらえないのです。
話し合いをしていると、まさにメンバーの企業観や自分の居場所感が伝わってきます。

「歩み寄り」というキーワードには、いささかの違和感はありますが、自分たちで到達したものですので、活かす方向で議論しました。
3時間ほど議論しましたが、役に立ったでしょうか。
流れを一応整理したつもりですが、どのくらい伝わったか不安があります。
なかなか一線を超えられません。
来月初めには合宿で、まとめに入る予定です。

終わった後、みんなに国会にデモに行かないかと誘いましたが、ほぼ無視されてしまいました。

■雨の中、国会デモに参加しました(2015年9月17日)
まだ特別委員会での採決には至ってないことを確認して、4時過ぎに国会に向かいました。
思ったより参加者は少なかったのですが、それでも熱気にあふれていました。
ところがついてすぐ、委員会での強行採決が行われたとの報告が入りました。
唖然としました。
時間的にどう考えても辻褄が合いません。
よほどの強行採決だったのでしょう。
その情報が入ったせいか、いつもより、強烈なシュプレヒコールが時折耳に入るようになりました。
気持ちはわかりますが、あまり気分のいいものではありません。

昨日は逮捕者も出たと報道されていました。
デモに参加した人からは、警察が先に挑発したようだというメールも届いていました。
また警察官が高圧的だと書いてきてくれた友人もいます。
私も今回はそう感じていましたが、今日は改めて警察官の様子をよく見ていました。
実は彼らこそ、こちら側にいるべき人ではないかといつも思っているのです。
デモしている人たちに直接対峙しているのは、まだ若い、子どものような素直そうな警察官が多かったです。
彼らは、もしかしたら、大勢のデモの市民に恐怖や不安を感じているのかもしれません。
その後ろや、一部に、先輩の警察官が陣取っています。
たしかに彼らは、高圧的かもしれません。
しかし、私が見た感じでは、みんな誠実そうでした。
今回は不かな事は体験しませんでした。
しかし、いざ秩序が乱れて、争いになると変わるのかもしれません。
悲しい話です。

今回はなぜか、シュプレヒコールが攻撃的に感じてしまい、大きな声が出せませんでした。
怒りが込み上げてもいいのですが、なぜか今回は虚しさだけが起こってきました。
周辺の風景もいつもと違う感じで、なぜかとても哀しい気持ちになってきてしまったのです。
その一方で、こんなに多くの人たちが声をあげているのに、安倍政権は聞く耳を持たない。
デモよりも、国会爆破しかないのではないかなど、といささか不穏なことも考えてしまっていました。
精神的にバランスを崩しかねない状況でした。
やはりデモは一人で来るものではありません。

だれか知り合いはいないかと思い、歩き回ってみたのですが、少し遠くに知人の石井さんを見かけただけで、友人には会えませんでした。
委員会での強行採決のことが気になり、少し早かったのですが、3時間ほどで帰ることにしました。

短い時間でしたが、異常なほど疲れてしまいました。
帰宅して、ずっと録画していた11時間のニュースを早送りで見ました。
そこには、あり得ない風景が映っていました。
強行採決の瞬間です。
鴻池さん、これはないでしょう、という感じです。
自民党の議員が、煽っているのが見えました。
疲れが限度を超してしまいました。
もはや日本はルビコンを超えました。
山本太郎さんが「自民党の死んだ日」と書いた紙を掲げていましたが、まったく同感です。
民主党は好きにはなれませんが、福山さんは健闘されていました。
そういう「良いこと」を思い出しながら、怒りを鎮めようとしましたが、だめでした。
安倍政権は、民主主義への宣戦布告を行ったのです。
もはや平和は敗れたのです。

■一晩寝ても冷静さはもどってきません(2015年9月18日)
一晩寝ても頭が冷静になりません。
ブログは書けないので、とりあえず観想的なことをフェイスブックに書き込みました。
いろんなコメントが書き込まれましたが、中にはさらに私の気分を逆なでするものもあり、ますますブログは書けなくなくなりました。
怒りはおさまりそうもありません。
困ったものです。

フェイスブックに書いたことの一部を転載しておきます。

委員会での強行採決は、安保法制が平和への宣戦布告であることをまさに物語っています。
委員会の最後の場面だけをニュースで見た人や鴻池委員長を閉じ込めたという報道の言葉を真に受けた人たちには、野党の暴挙と見えたかもしれませんが、ていねいにこれまでのことを見て、各地のデモにも参加し、自分で考えてきたら、たぶん違ったことも見えてくると思います。
そうしないと、アイヒマンをはじめとしたドイツ国民がそうであったように、私たちは共犯者になるでしょう。

現政権がいかに嘘ばかりを重ねてきたかも、広聴人として国会で発言した濱田元最高裁判事の言葉を借りれば、「普通の知的レベルの人」であれば、気づくはずです。
自民党から全く異論が出ないのは、もはやかれらは思考停止し、知性を失ったからでしょう。思考しない人から構成される政党は、山崎さんがコメントされたように「カルト集団」と言われても仕方がありません。
ガルトゥングが言っているように、暴力には「構造的暴力」もあるのです。今こそ、少しでも知性のある人は、しっかりした想像力をもたねばなりません。大人たちは、感性を持っている若者に学ばなければいけません。
「ヴァイマル憲法とヒトラー」の著者の池田さんが言うように、これほどの国民蔑視は、ヒトラーでさえ、やらなかったことです。

■まだだめです(2015年9月19日)
昨日、というか今朝未明、ついに参議院で安保法制は正式に可決されました。
可決されるまで、テレビを見ていました。
ニュース23の岸井さんが、かなり感情を込めて解説していました。
いまさら遅いだろうと思いました。
今回言ったことをもっと早くから連呼してくれていたらと思います。
報道ステーションも、相変わらず観察者的です。
NHKは、蹴飛ばしたくなりたいくらい、政権広報的です。
しかも地震や津波報道と同じく、同じことを何回も何回も繰り返し言っています。
アナウンサーが言ったことを、記者がまた全くに繰り返すのです。
疲れているとはいえ、よほど頭が空っぽなのか、マニュアル通りなのでしょう。
腹が立つので、NHKの場合は音声を消してみていました。

時間が経つと普通は気が鎮まりますが、どうもそうはなりません。
先日読んだ「<凡庸>という悪魔」を思い出しました。
まさにいま、そこで書かれている全体主義が見事に現実化しています。

山本太郎さんは自民党が死んだ日と書きましたが、日本が死んだ日かもしれません。
山本さんのように喪服で過ごしたい気がしましたが、先日、喪服を着ようとしたら、手入れ不足でちょっと虫に食われていました。
喪服を買いに行かないと着れませんので、今日は黒いTシャツにしました。
それも腹が立ちました。

■畑に行きました(2015年9月19日)
気が戻らないので、畑に行きました。
畑を覆っている野草を刈り取るためです。
もしかしたら、安倍政権にとっては、国会デモに集まった人たちはこの雑草のような存在なのかなと、草刈りしながら、ふと思いました。
そう思うと、野草を刈り取りにくくなりました。
しかし、すぐに、そうだとしたら、私たちもこの野草のように強くならなければならないと気がつきました。
早速、今回のことを話し合うサロンを開こうと思いつきました。
でもやはり少し間をあけたほうがいいかもしれません。

畑に大根を蒔いてきました。
少し気が落ち着いてきました。
血圧の薬を飲み忘れていたのもよくなかったようなので、今日からまたちゃんとのみだすことしました。
明日から、今回感じたことをブログに書きだす予定です。

(2015年9月第2週)
■オープンカフェサロン再開(2015年9月6日)
■プロジェクト宇賀スタート(2015年9月6日)
■仕事における居場所の調査(2015年9月7日)
■新潟の金田さんが湯島に寄ってくれました(2015年9月7日)
■森谷さんの葬儀(2015年9月8日)
■銀座久兵衛(2015年9月9日)
■リンカーンクラブはゆっくりと再開です(2015年9月9日)
■ミスター・リニアメトロの安藤さんにもご馳走になってしまいました(2015年9月9日)
■自然の猛威(2015年9月10日)
■建物散歩のたのしさ(2015年9月11日)
■SADAKO LEGACY(2015年9月12日)

■オープンカフェサロン再開(2015年9月6日)
再開オープンサロンの参加者は6人でした。
まあ突然に決めたこともありますが、参加申し込みをしてくださった3人は体調不良や急用で来られなくなり、申し込みのなかった人が集まりました。
ちなみにオープンサロンは申し込み不要です。

前半はかなりハードでホットな、時にちょっと険悪になりそうな、楽しい話し合いになりました。
話題は、難民問題です。
国家は他国の難民を受け入れるべきかどうかで、意見が真っ二つに分かれました。
その議論から、言葉の定義の問題になり、これに関しても意見は分かれました。
かなり厳しい対立とホットな応酬になりましたが、後半は一転、なんとマジックと遊びの体験会になりました。
マジックは「落ちない輪」。
参加者の半分が知らなかったので、その謎解きで盛り上がりました。
つづいて、国際箸学会の小宮山さんが手づくりの「ぶんぶんごま」を取り出しました。
江戸時代に流行った遊びですが、私も子供の頃やった覚えがあります。
こまに通したひもを引っ張ったり緩めたりしてこまを回すおもちゃです。
これでさらに盛り上がりました。
前半の対立ムードは一変して友好ムードになりました。
男どもは実に単純です。
その間に、言葉と実体が切り離されてきたというような深刻な社会問題の話も入りましたが。

オープンサロンは来月もやる予定(10月4日)です。
日曜日ではない日にもという希望も出ていますが、少し考えてみます。

■プロジェクト宇賀スタート(2015年9月6日)
OMOしろいの宇賀さんたちの新しいプロジェクトが動き出しそうです。
私は、どうやらそのアドバイザーになっているようです。
しかし、私一人では対応は難しく、チームを組もうということになりました。
まずは数字に強いけれど数字だけの人ではない人を入れようということになり、共通の友人である阿部さんに白羽の矢が立ちました。
そこでさっそくプレミーティングです。
阿部さんは、数字だけではなく、実に的確なアドバイスをしてくれました。
それでもうチームメンバーは確定です。
こうして人生の不幸、いや幸運はめぐってくるのでしょう。

さてしばらくは定期的にミーティングを持つことにしました。
どうも自分で自分の首を絞める生き方は直りません。
困ったものです。

■仕事における居場所の調査(2015年9月7日)
慶応大学湘南の学生の氏家さんは、仕事における居場所の調査に取り組んでいます。
予備調査の応援をした関係で、本調査の相談も受けています。
質問票や調査方法に関して、相談にやってきました。
大学の先生でもないのに、なんで私がと思わないこともないのですが、困った人がいたら手伝わなければいけません。
しかし指導教官の手前、どこまでやっていいのか迷います。

それはそれとして、企業の人たちにも調査協力を打診していますが、みんな驚くほど協力的です。
このテーマに関心が高まっていることを感じます。
しかし、その一方で、「居場所」という言葉にひっかかる人もいます。
先日、湯島に来た企業の経営者は、この言葉に抵抗を持ちました。
それで、いっそのこと、氏家さんをその人に引き合わせることにしました。
さてどうなりますか。
今週末に会うそうです。
実に楽しみです。

■新潟の金田さんが湯島に寄ってくれました(2015年9月7日)
新潟の金田さんが東京に来るので、お会いすることにしました。
前回はどうしても私の時間が合わずに駄目だったからです。
それに金田さんはこの数か月、私以上に大変な問題をさまざま抱え込んでいるのです。
会わないわけにはいきません。

しかし湯島でお会いした金田さんは、どこか吹っ切れた感じがして、それなりに元気そうでした。
最近のさまざまな事件や活動状況などを山のように話してくれました。
そのうえ、さらにこれから取り組もうとしている構想まで話してくれました。
いささか頑張りすぎですが、金田さんも前に進んでいかないと元気になれない人なのです。

お元気になられてよかったです。
でも頑張りすぎないといいのですが。

■森谷さんの葬儀(2015年9月8日)
私が住んでいる我孫子市で立ち上がったNPO第1号はNPO法人デイヘルプです。
その創設者の森谷さんが亡くなりました。
92歳。
江戸っ子気質の、実にいい人でした。
相談があると言われて、時々、呼び出されていました。
相談というよりも、雑談が多かったですが。

元気な人でしたから、90歳を超えていたとは気づきませんでした。
森谷さんの冥福を祈ります。

■銀座久兵衛(2015年9月9日)
貧しい佐藤さんにちゃんとしたお寿司をご馳走するよと武田さんが先週、電話してきました。
失礼な誘い方ですが、事実と言えば事実ですから、素直に受けることにしました。
そして、新橋まで呼び出されました。
連れて行かれたのは銀座久兵衛。
武田さんは、どこに行くか言っていなかったのですが、私を驚かそうと思っていたのです。
残念ながら私は驚きませんでした。
なぜなら、私は銀座久兵衛を知らなかったからです。
さぞかし武田さんはがっかりしたでしょう。
猫に小判とはこのことです。

帰宅して娘に聞いたら、呆れられました。
常識がないというよりも、あまりに失礼な話だと言われてしまいました。
それで武田さんに誤りのメールを書きました。
困ったものです。

娘から今後のこともあるのでと言われて、いくつかの「知っておいた方がいいお店」の名前を言われましたが、みんな知りませんでした。
というよりも、頭に残らないのです。
そういえば、先日、我孫子の美味しいお店を友人からお聞きしましたが私は知らなかったのですが帰宅して娘に行ったら、あそこだよと言われました。
お店の名前には、まったくと言っていいほど興味がないのです。
しかも、記憶容量が小さな私には、興味のないことは一切記憶に残らないようになあっているようです。
銀座久兵衛も、また忘れてしまうかもしれません。
困ったものです。

■リンカーンクラブはゆっくりと再開です(2015年9月9日)
銀座久兵衛でお寿司を満喫させてもらった後、ついでに喫茶店に入って、武田さんとリンカーンクラブの話をしました。
武田さんは資生堂パーラに行こうというのですが、大雨のため近くのお店に入ってしまいました。
満員でしたが、一人客が多く、話をする雰囲気ではありません。
喫茶店あるいはカフェの文化は変わってしまったようです。
それでも話をしてしまいました。
隣でスマホやパソコンをやっていた人は迷惑だったことでしょう。

リンカーンクラブに関しては、武田さんと私の目指す目的地は同じなのですが、手法や役割分担で、なかなか合意はできません。
2人とも、あと2〜3年しか活動はできないと考えていますが、私の場合は来世も視野に入れていますから、時間軸も会いません。
しかし、まあゆっくりとはじめようという点では一致しました。
少しずつ動き出します。

■ミスター・リニアメトロの安藤さんにもご馳走になってしまいました(2015年9月9日)
リニアメトロという言葉をご存知でしょうか。
従来の地下鉄電車に使用していたロータリー・モーターをリニア・モーターに置き換えた電車です。
この方式だと、地下鉄の建設費が30%縮減できるそうです。
たとえば、首都圏の大江戸線が、リニアメトロの一例です。
この技術開発と実用化を主導してきたのが、「ミスター・リニアメトロ」と呼ばれている、安藤正博さんです。
その安藤さんが、一度話したいと連絡してきてくれました。
先日のNPO科学技術倫理フォーラム総会後の懇談会で、私が発言したエシックスに関する一言が気になったようです。
安藤さんは最近は技術業に取り組む人の倫理の問題に取り組んでいるのです。

きちんとお話しするのは初めてなのですが、安藤さんは最初からご自身のことをとてもオープンに話してきました。
そのおかげで、すっかりと波長が合ってしまい、安藤さんが年長者であるのも忘れて、いろんなことを話してしまいました。
安藤さんは、日本技術士会の副会長もされていたのですが、その頃に親しくなれていたらよかったなと思いました。
日本技術士会にはいささかの不満があり、それも話してしまいましたが、安藤さんは極めて柔軟に、かつ好意的に受け止めてくれました。

話は実に多岐にわたりましたが、予定を大幅に超えて3時間も話してしまいました。
安藤さんのお人柄に触れて、いろいろと気づかされることの多い3時間でした。
技術者倫理の問題に関して、またちょっと食指が動きだしてしまったのが心配ですが。

■自然の猛威(2015年9月10日)
昨日と今日、関東地方は大雨に見舞われました。
そのおかげで、昨日は都心で私もずぶぬれになったのですが、今日は自宅で1日中、テレビにくぎ付けになっていました。
衣川の堤防が決壊し、茨城県の常総市が水浸しになったのです。
濁流の中に残された住民の救出劇を見ていたら、もう動けなくなりました。
映画のなかでの救出劇とは違い、なかなかうまくいかないのです。

それにしても自然の猛威はすごいです。
いろいろと考えさせられましたが、自然が私たちに怒りをぶつけているような気がしました。

後日、友人が次のようなメールをくれました。

ある人が、鬼怒川の決壊地点、ここで小貝川に合流してた場所だ。それを、人工的に 台地をショートカットして利根川に合流させてる。増水した鬼怒川は昔の流路を 選んだだけだったのだ、とツィートしていたので、しらべるとこんなサイトがありました。
http://members3.jcom.home.ne.jp/mizut/column/05kokaichisui/chisui.htm
l小貝川と合流していた部分を江戸時代に利根川を作る際にそちらがわに移動させてそこが決壊するという話で、東北の津波と同じで治水都市というより結局増産のための無理が江戸時代に行われたのだと思いました。

なるほど、やはりそうだったのか、と納得できました。
それにしてもあれだけの水は結局、どこに流れ出したのでしょうか。
流れ出さなかったのでしょうね。

■建物散歩のたのしさ(2015年9月11日)
ちょっと知的なカフェサロン「建物散歩のたのしさ」は、いつもとはちがったメンバーになりました。
参加者が少なかったのが残念でしたが、若い女性が3人、参加してくださいました。
建築好きの大塚さんと中国からの留学生の欧陽さんと鄭さんです。

長年、この活動をしている「街歩き達人」の若林さんが、埼玉の地勢や歴史を踏まえて、興味深い建物をたくさん紹介してくれました。
私が度肝を抜かれたのは、現在は本庄市立歴史民俗資料館 になっている旧本庄警察署です。
http://takuan21a.exblog.jp/17622151
明治16年に建てられた洋風建築ですが、なんとコリント式の列柱が創られています。
明示16年に、こんな建物がつくられていたとは驚きです。
ほかにも、魅力的な建物がたくさんありました。
どうして埼玉にはこれほど残っているのでしょうか。
いや意識したら、私の周辺も含めて、どこにもまだ残っているものもしれません。
大切なのは、そうしたものへの関心なのでしょう。
それは、たぶん私たちの生き方にもつながっています。

ところで、若林さんの観察によれば、いまに残る魅力的な建物の多くが、地元の有力者によって、景気が悪い時に作られているケースが多いのだそうです。
つまり職人たちに仕事を提供する場を、意図的につくりだしたということです。
それは地域経済を守るとともに、職人の技術を守るという意味があったのでしょう。
まさに「経世済民」の経済が、有力者によって行われていたわけです。

埼玉県の河川と用水の詳細な地図も見せてもらいました。
これがまた素晴らしい地図です。
ちょうど前日に鬼怒川の堤防の決壊が生々しく報じられていましたが、埼玉はある意味で江戸を守る遊水地域だったのだそうです。
大地全域に血管が張り巡らせているような地図を見ていると、大地とともに生きている私たちの生活が、可視化されているような気がしました。
この図をお見せできないのが残念ですが、ネットで調べたら次の記事が見つかりました。
そこに小さく表示されています。
http://www.japanriver.or.jp/taisyo/oubo_jyusyou/jyusyou_katudou/no16/no16_pdf/w-forum.pdf
小さいのとカラーでないのが残念ですが。

入間にあるジョンソンタウンも初めて知りました。
建物がコミュニティをつくりだす。
これも示唆に富む事例です。

簡単な紹介しかできないのが残念ですが、実にわくわくする時間でした。
10月17日には、実際に若林さんの案内で建物散歩をします。
詳細が決まったら、ご案内します。

■SADAKO LEGACY(2015年9月12日)
12月6日にSADAKO LEGACYの折鶴が、我孫子に贈られるのですが、その贈呈式の佐々木さん親子が来てくれることになっています。
それなら通り一遍の贈与式ではなく、もっと楽しい仕組みをつくりたいと思い、少しずつ関係者に働きかけていましたが、ようやく機運が出てきました。
なにか面白い企画が実現できればいいのですが。
もっとも私が「面白い」と思うことの意味は。なかなか共有してもらえないのが、気の重いところです。
いささか躊躇しながら進めています。
こちら側の合意ができたら、佐々木祐滋さんと会おうと考えています。

(2015年9月第1週)
■8・30国会10万人・全国100万人大行動に参加しました(2015年8月30日)
■小出さんと山口さん(2015年8月30日)
■大川真郎さんのサロンが実現しました(2015年8月31日)
■子どもNPO白書2015(2015年9月1日)
■田中さんのナチス社会分析(2015年9月1日)
■オープンカフェサロンの再開(2015年9月2日)
■妻の命日(2015年9月3日)
■NPOデイヘルプの森谷さんの訃報(2015年9月4日)

■8・30国会10万人・全国100万人大行動に参加しました(2015年8月30日)
「戦争法案廃案!安倍政権退陣! 8・30国会10万人・全国100万人大行動」が全国で展開されました。
デモをするよりも、まずは自らの生き方を考え直し、自分を取り戻すことが大切だという思いが強まってきているため、最近、どうもデモに参加する気分になれないでいましたが、今回はやはり参加したいと思い、行ってきました。
会場に到着するのが、ちょっと遅れてしまったため、最寄駅の地下鉄の駅から地上に出るまでに20分近くかかりました。
駅構内でも熱気が伝わってきました。
もちろん地上も人でいっぱいでした。
友人たちと待ち合わせていましたが、結局、会えませんでした。

最近の国会デモの雰囲気と同じく、私にとっては予想以上に穏やかで平静なデモでした。
こういうデモがいいと思ったこともありますが、やはり少し物足りません。
特に現在のように、国民の声など全く聞こうとしない政府の場合は、こんな平静なデモではなく、やはり逮捕者が出るようなスタイルがいいのではないかなどと思いながら、歩いていました。
どこかで小競り合いがあれば、荷担したいという思いもあって、歩き回っていました。

平静とはいえ、人数はこれまで以上に多かったですし、高齢の女性が多かったような気がします。
若者は、シールズががんばっていましたが、総じてやはり少ないのが気になりました。
労働者はゼネストを!というビラももらいましたが、そのビラを読んだ限りでは、たぶん広がりは出ないでしょう。

デモにはまったく縁を感じなかった小沢一郎さんが演壇で話をしました。
まさかの登壇でおどろきました。
私のまわりでは失笑も起こりましたが、とてもわかりやすい話でした。
小沢さんが戦争ができる「普通の国」を目指していたことを思い出すと、頭が混乱してきます。
しかし、最近の政府のやり方への批判であれば、十分に納得はできます。
今回のデモのテーマは、要するに「国民の声を無視する政府への批判」なのだろうと思います。

もう一つ感じたのは、原発事故後のデモの時に比べて、警察があまり協力的ではなかった気がしたことです。
これは思い込みのせいかもしれませんが、締め付けや働きかけがあったとしたら、これも恐ろしい話です。
本当は、警察官や自衛隊のみなさんこそ、こちら側で行動すべきではないかと私は思いますが、日本に限らず多くの場合で、彼らは居場所を間違っているように思います。

国会前の道路が久しぶりに埋め尽くされ、多様な立場の人がたくさん集まった。
これは新しい時代の始まりだと解説するテレビのキャスターもいましたが、正直に言って、私にはそれほどのことは感じませんでした。
たしかにマスコミ報道がていねいにされたことには「新しさ」を感じますが、ここから何か新しいことが始まるとは、残念ながら思えないデモでした。
もちろんこれによって流れが変わることを切望していますが、そういう期待は持てなくなっている自分が残念です。

■小出さんと山口さん(2015年8月30日)
若者自立支援などに取り組んでいる阿部さんに、若者たちのサロンを継続的にできないかという相談をしたら、ぜひ会わせたい人がいるというので、湯島で会いました。
どんぐり倶楽部成田教室などで子どもたちと関わっている小出さんと阿部さんの若い友人の山口さんです。
お2人それぞれから、とても示唆に富むお話をお聞きできました。

小出さんからは、「言葉」と「実体」を結び付けられない子供たちの話を聞きました。
たとえば、月と星の違いがわからないとか、春と秋がわからないという話です。
驚きましたが、考えてみると、大人たちもそういう状況にあるのかもしれません。
大企業の経営管理者と話していて、言葉だけで語っているような感じを受けることが多いですが、まさに言葉と実体がつながっていないのかもしれません。

山口さんからは、ご自分のこの10年の体験のお話を聞きました。
私自身が最近ようやく気づきだしたことにつながるお話で、実に多くの気づきをもらえました。
やはり実際の体験知から気づかせてもらうことは大きいです。

お2人を紹介してくださった阿部さんには感謝しています。
この2人はきっとまた縁があると思います。

■大川真郎さんのサロンが実現しました(2015年8月31日)
大川真郎さんの「裁判に尊厳を懸ける」はブックのコーナーに紹介しましたが、
その本を読んでから、大川さんにサロンをやってほしくなっていました。
しかし大川さんは大阪で活動していますし、その忙しさは知っていますので、そう簡単には頼めません。
しかし、やはり頼もうという気が強まってきました。
いまこそ大川さんの話を聞きたいと思ってきたのです。
そこで無理を承知で、大川さんにカフェサロンをしてもらうことにしました。

テーマは「個人の尊厳と社会の尊厳」です。
話してもらいたいことは山のようにありますが、あまり欲張ってもいけません。
案内をお知らせのコーナーに載せました。
よかったらご参加ください。
大川さんは大学時代の友人ですが、私と違って主流を生きながら、主流に毒されていない誠実な人です。

■子どもNPO白書2015(2015年9月1日)
NPO法人日本子どもNPOセンターの立柳さんが、「子どもNPO白書2015」が完成したと言って、持ってきてくれました。
見事な仕上がりで、これから数年おきに刊行していく計画のようです。
ささやかながら応援させてもらった甲斐がありました。
発表を兼ねた公開フォーラムのようなものも企画しているようです。

またこれを契機に、湯島でコムケアと日本子どもNPOセンターと一緒に、子供シリーズのカフェサロンが開催できたらと思っています。

なお、「子どもNPO白書2015」はまだ読めていないので、読み終わったら紹介させてもらおうと思います。

■田中さんのナチス社会分析(2015年9月1日)
日本NPO学会の会長の田中弥生さんが湯島に来ました。
1年ぶりくらいでしょうか。
田中さんとの付き合いはもう長いのですが、昨年末、妹さんを亡くされたとお聞きしたので、心配していましたが、やはり心配した通り、あんまり元気ではありませんでした。
まあそういうと、田中さんは否定するでしょうが。
妹さんの話は感動的でした。

今回は、最近田中さんがドラッカー研究から横道に入っているナチス社会分析の話をしたくて、声をかけたのですが、その話に限らず、田中さんが最近取り組んでいる様ざまな話をお聞きしました。
ひと言でいえば、広げすぎです。
しかし、だからこそ、妹さんの死を乗り越えられたのかもしれません。
田中さんが最近横道に入っているのも、そのせいかもしれません。

まあそんな詮索は止めるとして、田中さんがブログなどで断片的に発表しているメモは共感が持てるものが多いです。
私がドラッカー嫌いなのは、田中さんはよくご存じですが、田中さんはドラッカーの言わば最後の愛弟子の一人なのです。
しかし、ドラッカーの本当のメッセージが日本にはなかなか伝わっていないと田中さんも思っているようです。
ドラッカーの真意をきちんと理解するためには、ナチス社会を知らなければいけないというのが、どうも田中さんが横道に入った理由のようです。
その点に関しては、私も共感できます。
そこで、10月に湯島で田中さんのカフェサロンを開催することにしました。
ドラッカーが目指した「一人ひとりが位置と役割をもつ自由社会」をテーマにしたいと思っています。
きっと刺激的なサロンになると思います。

■オープンカフェサロンの再開(2015年9月2日)
最近湯島では毎週のようにサロンを開催していますが、そのほとんどがテーマのあるサロンになっています。
いろいろと思うことがあって、もう一度原点に返って、テーマなしのカフェサロンを再開しようと思い出しました。
これまでも何回か再開を試みたのですが、私の姿勢が揺れていたこともあって、定着できませんでした。
それを反省して、今度はしっかりと継続しようと思います。
そうしたオープンサロンへの思いをブログにも少し書きました。
まとめたものをこのサイトにも掲載しました。

できれば、いつか、湯島のオフィスは、いつでもだれでも立ち寄れるオープンカフェにできないかと思っています。
さてどうすればそれが実現できるのか、少し考えようと思っています。
お知らせのコーナーに書きましたが、6日からスタートですので、もう間に合いませんが、来月もたぶん最初の日曜日の午後、開催の予定ですので、よかったらお越しください。

■妻の命日(2015年9月3日)
妻の9回目の命日でした。
日数にして2923日です。
挽歌は計算間違いで、2925になっていますが、正確には2923日目です。
今年は法事も行わず、献花に来る方もいなかったので、娘たちと食事をしました。
次女の連れ合いの峰行がやっている柏のイタリアンのエヴィーバ!です。
妻の写真も持参しての会食です。

妻の友人たちからのお花に加えて、「唯葬論」の著者の一条さんからも立派な供花が届きました。
娘は妻の好きだったユリを供えました。
私はわが家の畑に行って、今年植えた百日草と刈っても刈ってもなくならない野生のセイジの花を飾りました。
妻は花が好きだったのです。

妻のいない9年目が始まりました。
最近は妻の不在はもう日常になりましたが、生活は大きく変わったまま、元には戻りません。

季節は秋になりました。

■NPOデイヘルプの森谷さんの訃報(2015年9月4日)
我孫子で最初のNPOはデイヘルプと言います。
それを立ち上げたのは元国鉄職員の森谷さんです。
きっぷのいい江戸っ子です。
わが家の近くに住んでいます。

森谷さんとは不思議な縁です。
まだ森谷さんがNPOをつくらずに、解くの日曜大工の腕を使って、高齢者のお宅に手すりをつけるなどのボランティア活動をしている頃、わが家の手すりをつけてもらったことがあるのです。
そして私が転居したら、なんとその近くが森谷さんのお宅でした。

私もわずかに我孫子の市民活動には関わっていたこともあり、時々、森谷さんからも相談を受けました。
最後に合ったのは3年前でしょうか。
ある人をお引き合わせしたのですが、その時にはコーヒーをご馳走になってしまいました。
いつあっても気持ちのいい江戸っ子会話で、お互いに憎まれを言い合っても、何も残らない良い人でした。

我孫子市の市民活動支援課の嶋田さんから、訃報が届きました。
気になりながら最近、声をかけなかったことを悔いています。
良い人でした。
冥福をお祈りします。

(2015年8月第4週)
■リンカーンクラブへの思い(2015年8月24日)
■田辺元「死の哲学」(2015年8月25日)
■納得できないのでもっと話を聞きたい(2015年8月26日)
■20年ぶりの荻阪さん(2015年8月27日)
■やさしい経営と新しい働き方(2015年8月27日)
■ニッポン食堂の大構想(2015年8月28日)
■なぜ経営を学ぶのか(2015年8月29日)
■「湯島の珈琲サロン ?憲法9条を召し上がれ?」(2015年8月29日)

■リンカーンクラブへの思い(2015年8月24日)
武田文彦さんと久しぶりにリンカーンクラブについてじっくりと話をしました。
最近の日本の政治状況を見ていて、武田さんの以前の思いがまた燃え上ってきているのです。
日本はまさにいまナチ前夜であり、似非民主主義が横行しだしている。
武田さんは、代議制民主主義は民主主義ではなく議会主義や代議制というべきだと言っていますが、それはともかく、民主主義の名の下の、人民がコケにされる状況がどんどん広がり深まっていることへの不快感は私にも強くあります。
それでリンカーンクラブ活動再開の意思を確認しあったわけです。

前回の活動においては、いろいろと行き違いがあり、私は事務局長を解任されたという認識ですが、武田さんは私が事務局長を無責任にも放棄したという認識です。
まあこの種の理解の違いは、私の場合、よく起こります。
私は、制度や全体に合わせることが不得手だからです。
困ったものです。

まあしかし、今回は大枠では合意ができました。たぶん、ですが。
問題は中心になって動いてくれそうな同志をどう探していくか、です。
活動が目指しているのは、「一人ひとりが自らの尊厳を実現できる社会」に向けて一歩でも近づくことです。
そのためにまずは、重要な国民課題に関しては国民投票で決することの立法化の検討です。
どなたか仲間になってくれる人はいないでしょうか。
もし一緒にやってもいいという方がいたら、私に連絡をください。

■田辺元「死の哲学」(2015年8月25日)
先週読んだ一条さんの「唯葬論」にでてきたに田辺元の「死の哲学」が気になり、岩波文庫の田辺元哲学選W」を読むことにしました。
最近、なぜか本を読んでいて、田辺哲学への言及によく出会うのです。
しかし、やはり難解で、通読はできそうにありません。
それで気の向いた時に、少しずつ読むことにしました。
難しい本も、読んでいるうちにわかってくるとよく言われますが、そんな気分です。
たしかに、時々、ピンと来ることがあります。
こういう本の読み方はめったにしませんが、これもどうやら「あり」のようです。

■納得できないのでもっと話を聞きたい(2015年8月26日)
湯島のサロンの参加されている、私よりも年上の女性が、テレビの討論会である人の発言が、納得できないので、その人をサロンに呼んでくれないかとメールが来ました。
あいにく私はその人と認識がありません。
それに湯島のサロンは、話に来てもらっても謝礼も出せません。
そこで、ちょっと繋がりを探してみますが、と返信しました。
そうしたらすぐにその人から、私も面識はないが、直接手紙で依頼しようと思うとメールが来ました。
その行動力にはっと気づかされました。
以前は私もそうだったはずが、いつの間にか、仲間内や知り合いでなければ頼まないというこうどうになってしまっています。
それでは世界は広がりません。
それに納得できない発言をしている人がいたら、その人と話をしたいと思うことも大切です。

さて、この試みは成功するでしょうか。
楽しみです。
ちなみに、私も同じ番組を見ていて、その人の発言には非常に反発を感じました。
実現するといいのですが、自分の発言には気をつけないといけません。
せっかく来てくださったのに、不快感を与えるのは避けなければいけませんので。

■20年ぶりの荻阪さん(2015年8月27日)
昨日、フェイスブックで「知り合いではないですか」というお知らせを見ていたら、懐かしい人の顔がありました。
スコラ・コンサルタントにいた荻阪さんです。
交流があったのは、20年以上前でしょうか。
仕事を一緒にしたことはありませんが、湯島にも来てくれたり、しばらくお付き合いがありました。
10年ほど前にご自分の会社、チェンジ・アーティストを立ちあげ、組織ビジョンの実践と組織力の強化に取り組まれています。
最近、本(「リーダーの言葉が届かない10の理由」)も出版され、ビジネス界では話題になっているようです。
懐かしくなって、友だちリクエストを送りました。
早速、返事が来ました。
そして、予定を変えてまで、わざわざ湯島に会いに来てくれたのです。

20年の空白があったとは思えないほど、話は弾むと同時に、20年前と一緒の話をしているなという感じがしました。
荻阪さんの情熱は、まったく変わっていません。
荻阪さんの本の紹介は来週、ブックのコーナーで行います。
荻阪さんが十禅の中から開発した「バインディング・アプローチ」による組織変革の実践手法がわかりやすく紹介されている本です。

■やさしい経営と新しい働き方(2015年8月27日)
山城経営研究所が主催するプログラムのひとつに、企業の管理職を対象としたエグゼクティブ・フォーラムというのがあります。
そこの一つのチームの7人が、湯島に話し合いに来ました。
事務局の花輪さんが企画してくださったのです。
1年間のチーム研究の後、その成果を発表するのです。
テーマは「やさしい経営と新しい働き方」。

いろいろと議論しましたが、最初からかなりストレートに話したためか、刺激が強すぎたかもしれません。
しかし、せっかくの機会なので、単なる研修では終わってほしくありません。
それに今、日本の企業は大きな岐路に立たされています。
ぜひともこれまでの経営観を根本から見直してほしいと思います。
チームの成果を楽しみにしたいと思います。

■ニッポン食堂の大構想(2015年8月28日)
ニッポン食堂の宇賀夫妻から電話があり、電話ではらちがあかないので、急きょ、湯島でミーティングをもつことにしました。
いま宇賀さんたちはかなりの融資を受けようとしているのですが、どうも窓口とコミュニケーションが成り立っていないようなのです。
それは当然で、夢を語る宇賀夫妻と金を扱う金融関係者とは、発想の基軸が違います。
私もどちらかというと、宇賀夫妻の仲間なのですが、これまでの経験から、少しだけバイリンガルです。
それで宇賀さんたちの問題を整理することには少し役立ちます。
それが、私の言う「コンセプトデザイン」なのですが。
問題の整理で終わればよかったのですが、うっかりそれ以上のことをコミットしてしまいました。
どうも人に会うとオーバーコミットする性格は直りません。
こうして時間破産を繰り返すわけです。
困ったものです。

■なぜ経営を学ぶのか(2015年8月29日)
韓国から日本に留学している学生が少し相談したいというので時間をとりました。
彼は日本で企業経営を学んでいます。
私自身は、いまの日本企業の経営は学ぶに足らないと思っていますので、彼に何のために学ぶのか、と質問しました。
その答えが、あまりにも意外でした。
将来、南北が統一された時、まだ資本主義を経験していない北朝鮮の人たちが働ける場を増やしていかねばならない。
そのために企業経営のことを学んでおきたいというのです。
感動しました。
これは中途半端には応援できないと思いました。
改めて話し合うことにしましたが、またまた悩ましい宿題をコミットしてしまった気がします。
幸いに9月は彼が帰国するようですので、1か月の余裕がありそうです。

■「湯島の珈琲サロン ?憲法9条を召し上がれ?」(2015年8月29日)
昨夜は若者たちが主催する「湯島の珈琲サロン ?憲法9条を召し上がれ?」に参加しました。
若者が7人、40〜70代の若者を終わった人が5人参加しました。
憲法9条ではなかなか人は集まらないのではないかと、若者たちは工夫し、出前カフェ活動(?)をしている友人に頼んで、本格的なカフェを開いてくれました。
豆は、アフリカ、南米、アジアを代表するタンザニア、マンデリン、ホンジュラスでした。
小林さんが手製のカステラを持参してくれました。

議論は主催者の若者チームが創った「憲法9条改正案」と現行9条、自民党の改正案の3つが壁に張り出され、そこから話し合いが始まりました。
現行憲法の条文は、あまり評判がよくありませんでした。
若者チーム改正案は、現行憲法より長くなっていたので、読むのが大変でしたが、みんなが議論した結果、さまざまな視点が出てきているのを感じました。
やはり自分たちで条文を読みこなし創りかえてみることの意味を改めて感じました。
若者7人のうち、3人が留学生だったのも意外でした。
やはりこういうテーマは、日本の若者の興味をひかないのかもしれません。

若者でない参加者は、あまり発言しない約束だったのですが、うっかり私が最初にいつもの気分で軽口をたたいてしまったためか、発言が多かったです。
これは私の責任で、主催者の3人には申し訳ないことをしました。
今回は静かにコーヒーを飲んでいればよかったのですが、迷惑をかけてしまいました。

話はいろいろ出ましたが、一切省略して、2つだけ書きます。

いま日本は軍隊を持って戦争ができる国になろうとしていますが、これに関する意見を聞いたところ、若者たちの賛否はまさに半分に分かれました。
しかもまわりの若者たちは、どちらかというと戦争ができる国がいいと思っているほうが多いというのです。
軍事力が戦争の抑止力になると思っているわけです。
軍事力は戦争の誘発力になると思っている私には、理解できない話です。
最近またアメリカで取材中のアナウンサーとカメラマンが銃で射殺される事故が起きましたが、私には、これこそ、軍事力の日常的な意味を示唆しているように感じています。

もうひとつは韓国と中国の留学生からの発言です。
近現代史において、日本は侵略されたことがないが、韓国も中国も侵略されてきた。
それに島国と陸続きという違いもある。
したがって、「戦争」というものの捉え方が、日本と韓国・中国とは違うというのです。
当然のことですが、お恥ずかしいことながら、私はそんなことさえ、あまり意識していませんでした。
これは大きな学びでした。
ほかにも、若者からの学びはたくさんありました。

(2015年8月第3週)
■山城経営研究所の花輪さんとのディスカッション(2015年8月19日)
■挽歌が追いつきました(2015年8月20日)
■東尋坊のお餅(2015年8月20日)
■アドバンテスト黒江さん(2015年8月21日)
■いま企業にとって必要なこと(2015年8月21日)
■サトヴィック・アーユルヴェーダスクールの佐藤真紀子さん(2015年8月21日)
■里山サロン(2015年8月21日)
■みんなの認知症ゲーム(2015年8月22日)
■ちょっとハードなカフェサロン「マトリックス人間学」(2015年8月22日)

■山城経営研究所の花輪さんとのディスカッション(2015年8月19日)
山城経営研究所の花輪さんが湯島に来ました。
彼女が担当しているプロジェクトのチームメンバーとのディスカッションを持つことにしたため、その打ち合わせです。
ついでにいろんな話をしました。
これからの企業の経営にとって、何が大切かは、その人の時間軸で変わってきます。
ほとんどの人は過去の経営観に呪縛されていますが、それでは10年先さえ見えなくなるでしょう。
失われた10年が20年になり、いまさらに30年になろうとしていますが、それはすべて企業観が間違っているからだろうと思います。
しかも誰も真剣に経営など考えていません。
というのが私の認識ですので、注意しないとコミュニケーションが成り立たないかもしれません。

逆に迷惑をかけてはいけませんので、事前に花輪さんとミーティングを持てたのはよかったです。
チームメンバーとのミーティングは来週です。
テーマは「やさしい経営と新しい働き方」です。
なにか気が抜けてしまうテーマですが。

■挽歌が追いつきました(2015年8月20日)
妻を見送った後、毎日、ブログで挽歌を書いています。
しかし最近、どうも書けない日もあり、挽歌の番号と妻を見送ってからの日数が1か月以上乖離してしまっていました。
もうじき妻の命日なので、それまでに揃えておこうと思い、今月に入って毎日複数の挽歌を書いてきました。
その努力が実って、本日、日数が一致しました。
今日で妻を見送ってから「2911日」目です。
挽歌もナンバーが2911になりました。

そんなわけで、この1週間は、挽歌ばかり書いていたので、時評編がおろそかになっていました。
此れで、正常化しました。
また時評編もきちんと書いていこうと思います。

■東尋坊のお餅(2015年8月20日)
東尋坊で、自殺防止のための見回り活動をしている茂さんたちが、お餅と焼き芋を送ってくれました。
焼き芋は、種子島産の安納芋です。
1年近く、茂さんにも会っていません。

茂さんたちは今度ドローンを導入するそうです。
常に前に向かって進んでいる茂さんには頭が下がります。
今年は東尋坊に行きたいと思っているのですが、なかなか実現できずにいます。

■アドバンテスト黒江さん(2015年8月21日)
山城経営研究所の機関誌に掲載するために、株式会社アドバンテストの黒江社長と対談しました。
黒江さんは、私が担当する経営道フォーラムの受講生だった人ですが、もう10年前のことですので、久しぶりにお会いしました。
アドバンテストはグローバル企業としての地位を確立し、さらなるグローバル化を進めていますが、グローバル化をどう捉えているかに関心がありました。
それによって、経営者としての思想がわかるからです。
黒江さんは、グローバル化とは多様性の活用だと考えているようです。
つまりアメリカンスタンダードの新自由主義化ではないという捉え方です。
加えて、コミュニケーションをどう捉えているかをお聞きしました。
コミュニケーションとは伝えることではなく、聴くことだと言われました。
いずれもとても共感できます。

対談の記録はそのうち公開されるでしょうが、私にはとても共感できる話が多かったです。
経営者との対談など退屈だろうなと思っていたのですが、私の認識違いでした。

■いま企業にとって必要なこと(2015年8月21日)
黒江さんとの対談の後、山城経営研究所の竹之内さんと食事をしました。
東京駅近くのオアゾにある丸善のレストランです。
そこの名物は早矢仕(ハヤシ)ライスです。

いささか熱く語ってしまいました。
いまこそ「経営道」が求められている時代なのに、その使命を十分果たしていないのではないかという、ここ数年ずっと思っている思いがさく裂してしまいました。
ちなみに竹之内さんは、30年近く前に経営道フォーラムが始まったころのコアメンバーの一人です。
私との付き合いも、もう長くなります。
私は、経営道フォーラムには、かなりの個人的思い入れがあるので、ついつい熱くなってしまうのです。

しかし、改めて思うのは、この経営道プロジェクトはますます大切になってきています。
いまこそ抜本的に見直すべき時期だろうと思いますが、私が考えているのとは真逆の方向に進んでいるような気がしてなりません。
そろそろ私も身を引く時期なのでしょう。

■サトヴィック・アーユルヴェーダスクールの佐藤真紀子さん(2015年8月21日)
たまたまフェイスブックを見ていたら、「友達ではないですか」という形で、知り合いの顔が出てきました。
サトヴィック・アーユルヴェーダスクールの佐藤真紀子さんです。
妻に胃がんが発見された後、真紀子さんの紹介でインドのアーユルヴェーダのドクターに診てもらったことがあるのです。
真紀子さんは、アーユルヴェーダの研究者です。

その後、気になりながらも、交流は途絶えていたのですが、フェイスブックで偶然にも出会えたのです。
こういうことが時々あります。
そういえば先月は、メキシコに移住された徳久さんにも再会できました。

さてシンクロニシティは、その後に起こりました。
知人が新しい事業の相談に来ました。
なんとそのテーマが「アーユルヴェーダ」。
なにか縁があるのでしょうか。

■里山サロン(2015年8月21日)
熊本で福祉と農業のいずれの分野でも、実践と研究をされている宮田さんが上京するというので、宮田さんを報告者にしたコムケアとアグリケアのふたつのジョイントサロンを開催しました。
さまざまな立場の人が9人集まりました。
宮田さんは、15年ほど前に私が呼びかけた「大きな福祉」運動にいち早く共感してくれた人です。
実践者でもあり研究者でもあるという、信頼できる人です。
最近は、北海道などの保安林にも関わりだし、それが契機で、改めて里山や入会地の問題に取り組みだしているそうですが、そこから見えてきた問題をいろいろと話してくれました。
1年前に起こった広島の土砂災害も、入会地やコモンズとしての里山の問題に深くつながっているというところから話は始まりました。

保安林で言えば、宮田さんは生活を管理する統治者の植林と生活に立脚した農民の植林(これを宮田さんは「農民的植林」と名付けました)の違いを実例を写真で見せてくれながら説明してくれました。
農民的植林。非常に示唆に富む言葉です。
もしかしたらここに「コモンズ」の本質を解くヒントがあるような気がします。
さらにコモンズとしての神社や水路の話にも広がりました。
コミュニティの話も出ましたが、コミュニティとは「人と人のつながり」だけではなく「人と自然のつながり」という視点も入れなければいけないことを改めて実感しました。

私たちは、長い歴史をかけて、自らの生活を支える膨大な社会的装置(コモンズ)を育ててきました。
「水田」はそのひとつです。
埼玉の見沼田んぼでの市民活動に関わっている若林さんが、その活動を通して、自然こそが世代を超えて、人をつなげていく装置ではないかというような示唆を与えてくれました。

そうした「みんなのもの」を一時の利益を求めて、誰かが処分してしまうようになった、いまの社会は、そして私たちの生き方は、やはり考え直す必要があります。

鳥獣被害の話も出ました。
昨今の環境保護活動は、私にはやはり違和感があります。
対症療法ではなく、私たちの生き方から考えていくことが求められているように思えてなりません。
このテーマは、今回参加してくださったナチュラリストの木村さんに、いつかサロンをお願いしたいと思っています。

いつもながら、実践を重ねての宮田さんのお話には、刺激を受けます。
粗雑な報告しかできないのがとても残念です。

今回、改めて私が感じたのは、先祖が営々と育ててきた社会的装置(コモンズ)が壊されていいのかということです。
これは単に環境の問題にとどまらず、福祉の世界にも言えるのではないかと思っています。

ちなみに、サロンにナチュラリストの木村幸一郎さんが参加してくれました。
久しぶりです。
あまりに久しぶりだったので、最初、すぐに木村さんとわからないほどでした。
うれしい再会でした。

■みんなの認知症ゲーム(2015年8月22日)
その普及に協力してきた「スリーA方式認知症予防ゲーム」の活動を「みんなの認知症予防ゲーム」とタイトルを変えることになりました。
同時に、進め方のスキームを変えることになりました。
現在は京都のNPO法人認知症予防ネットが本部機能を果たしていますが、全国的にかなり広がりだしたので、もう少し全国的な視点でシステムづくりをする必要が出てきました。
特に首都圏にコアになるような仕組みが必要だろうと思っています。
しかし、これまでそうした指向がありませんでしたのでそう簡単ではありません。

首都圏で一番頑張っているグループがあります。
そのメンバーが意見交換に来ました。
私のところに来るのも不思議な気もしますが、なんとなくこれまで首都圏での普及活動の事務局的役割を、私というかコムケアセンターというか、湯島が果たしていたからでしょう。
話をしていて、とても誠実に考えているようで、共感が持てました。
私も、何ができるかを考えてみようと思います。

■ちょっとハードなカフェサロン「マトリックス人間学」(2015年8月22日)
今回の「ちょっとハードなカフェサロン」は、「マトリックス人間学」がテーマでした。
人が仲間と一緒に社会にダイナミズムを生み出していく構造を考える視点を、長年の実践で検証してきた、椎原さんがお話をしてくれました。
そのダイナミック・マトリクスを丁寧に説明してくれた後、そのマトリクスのど真ん中にあるのは何かが、最後の椎原さんの問いかけでした。
実は私はお話をお聞きする前から、そのマトリクスに「いのち」を与えるのは何かを質問しようと思っていたのですが、逆に質問されてしまいました。
私はこれではないかと思っていたことがあるのですが、椎原さんは、そこに入るのは「モノ」だと言うので、わからなくなってしまいました。
無念なことに私は答えられませんでした。
他の方の答えも、「当たり」とは言ってもらえませんでした。
椎原さんの答えをお聞きして、それはないだろうといささか過剰に私は反応してしまいました。
そして反論している途中で、椎原さんに乗せられているなと気づきましたが、もう引き込めなくなってしまいました。
そういえば、25年前も、こうやって私は椎原夫妻の挑発に乗っていたなと思い出しました。

議論はかなり盛り上がり、ヘーゲルとかニーチェとか実存とか、難しい発言もありました。
いささか難しい議論もありましたが(なにしろ「ハードなカフェ」ですから)、難しくない発言もありました。
栃木から4時間かけて参加してくれた早川さんが、ご自分の物語を語ってくれたのです。
これだけでは参加されていない方には伝わらないでしょうが、生活視点で概念や枠組みの意味を再構築するという点で、私は多くの気づきと視点をもらいました。
時代の流れを変えるのは、生活視点をしっかり持った人の日常生活だと私は確信しています。

そもそもこのサロンは、「人間を起点とする社会哲学」が基調にあります。
人間を基調にしている以上、常に生活視点がなければいけません。
その意味で、私には早川さんの発言は大いに触発的でした。

椎原さんのマトリクス人間学のスキームは、まだ公開されていません。
椎原さんたちが立ち上げた「事業創造協議会」起点となるプロトコルだからです。
ですから、ど真ん中に入るものは何かもここでは書くのは避けたいと思います。
しかしそのうち、完成度を高めて公表されるでしょう。
ど真ん中の「文字」も、変わるかもしれません。

なにやらわけのわからない報告ですみません。
初めて参加してくださった方が、酒も飲まずにこんなに楽しい議論ができるとはと喜んでくれました。
その方は会社を定年退職で辞めた後、起業しました。
会社時代には扱えなかった「安全で安心なもの」を扱う会社をつくったと言いました。
実に素直な人です。
この言葉をテーマにサロンをしたい気持ちです。
4時間かけて2時間のサロンに参加してくれた早川さんは、来てよかったと言ってくれました。

(2015年8月第2週)
■若者たちの平和観(2015年8月10日)
■迎え火(2015年8月13日)
■すぎのファームの幸水(2015年8月13日)
■ヴァイマル憲法とヒトラー(2015年8月14日)
■両親見舞い(2015年8月14日)
■憲法違反罪を考える戦争反対カフェサロン(2015年8月15日)
■リンカーンクラブの復活計画(2015年8月15日)

■若者たちの平和観(2015年8月10日)
若い世代の人たちによる国会デモが最近広がっています。
私はまだ参加したことはありませんが、参加した人たちの話からするとこれまでとは違った感じを受けている人が多いです。
私も一度行ってみようと思いながら、まだ行っていません。

ところで若い世代に人たちにとって、平和とか戦争はどう感じているのだろうかという気がしてなりません。
そこで若い世代の人を主役にした平和サロンをやりたいと思っていますが、なかなかうまくセットできません。
それで、若者自治る支援活動を誠実にやっている阿部さんに相談することにしました。
阿部さんも共感してくれて、早速打ち合わせを持ちました。

私たち世代の戦争は、まさに殺し合いの戦場のイメージですが、たぶん若い世代にとっては、日常がすでに「戦場」になっているのかもしれません。
子どもの貧困も含めて、若い世代には生きづらい時代になっているような気がします。
そうした「見えない戦場」で生きている若い社会的弱者は、私の世代とは全く違った「平和観」を持っているはずです。
そんな思いで、まずはそうした人たちのカフェサロンを開き、何かあたらいいプロジェクトが起こせればと思っています。
まずはその予備会を開催しようと思います。

■迎え火(2015年8月13日)
妻が亡くなってから8回目のお盆です。
今日はお墓に迎えに行きました。
お墓はにぎわっていました。
いつものように私が般若心経を挙げ、ロウソクの火で先導して、わが家に連れてきました。
精霊棚は昨日つくって置きましたので、そこにおさまってもらいました。

■すぎのファームの幸水(2015年8月13日)
妻が大好きだった、すぎのファームの幸水梨を買いに行きました。
一昨日連絡もせずに行ったら、もう売り切れていたのです。
杉野さんの梨は人気なのですが、今年は雨が少なかったせいで収穫が少ないとフェイスブックに書いてありましたので、今日は予約しておいたのです。
杉野さんご夫妻は、収穫が少ない中を何とかわが家のものを確保してくれていました。

杉野さんと短い時間でしたが、いろいろと情報交換しました。
杉野さんはこの地域の農業のリーダーのお一人です。
我孫子にも無関係ではありません。

今度は食用ひまわり油に取り組みだしたそうです。
そういえば、手賀沼トラストもひまわり作りを始めていました。
手賀沼トラストにも杉野さんは関わっています。

杉野家族は私には理想の家族です。

■ヴァイマル憲法とヒトラー(2015年8月14日)
妻も寄生しているので、まあ位牌のそばでできるだけ過ごそうと思い、この2日間、読書時間が多かったです。
何気なく読みだした「ヴァイマル憲法とヒトラー」(岩波現代新書)がとても面白く、いつもなら自宅ではなかなか読書は続かないのですが、一気に読めてしまいました。
実に示唆に富む本です。
このサイトには最近「お薦めブックコーナー」をつくったのですが、そこで紹介させてもらいました。
とてもいい本です。
前半はドイツの話ですが、最後にそれを踏まえて私たちの生き方に強いメッセージを与えてくれます。
私も久しぶりに頭をガツンとやれた気分でした。
いつかこの著者にお会いしたいです。

■両親見舞い(2015年8月14日)
お盆で両親は兄の家に帰省しています。
それでお見舞いに行きました。
ちなみに私は最近、「お墓まいり」を「お墓に見舞いに行く」という言い方に変えました。
ブログで書きましたが、打つ村肝臓がそう言っていたそうです。
なるほどと思い、感化されたのです。

兄夫婦は近くに住んでいますが、最近はお互いに出不精で、交流も少なくなりました。
それに価値観や生活スタイルの違いから、会うとすぐに論争になるのです。
困ったものです。
まあ私の生き方は、夢のような生き方ですから(今回も兄夫婦2人から言われました)、理解はしてもらえないでしょう。
話はそう簡単には通じ合わないわけです。

ちょうど私が言っている時に、お寺のご住職がお経をあげに来てくれました。
ちょっといつものお経ではなく、真言マントラを中心にした短いお経でした。
この時期、お坊さんも大変で、先週は熱中症になったそうです。
お盆はもっと涼しい時にしてほしいものです。

■憲法違反罪を考える戦争反対カフェサロン(2015年8月15日)
戦争反対カフェサロンは、20代から70代まで多世代の人たちが12人、参加しました。



テーマは「憲法違反罪」。究極的民主主義研究所所長の武田さんの提案です。
武田さんは、悪評高いかつての「治安維持法」を頭において提案しています。
体制に危険な存在を排除する「治安維持法」を反転させて、国民(武田さんはむしろ「民主主義」と考えているようですが)を守るために、それを壊そうとする権力者を排除するものとして、この提案をしています。
そこから考えられる思考実験としては、とても面白いし、気づくことも多いです。
武田さんが雑誌に寄稿した文章は下記にありますので、ご関心のある方はお読みください。
http://homepage2.nifty.com/CWS/TAKEDA125.pdf
もっとも、私は、あんまり賛成ではありません。
法は、抽象度が高くなればなるほど、解釈の多様性が広がりますから、誰が違反と判断するかが困難、というよりも危険だからです。

それにしても、どうもみんな昨今の政権のやり方には強い「憤り」を感じているようで、思っていた以上にたくさんの人たちが集まりました。
そして政権批判や、いまの政治状況への怒りもたくさん出ました。
どうしてあんなに嘘ばかりついている人が首相なのかと嘆く私と同世代の女性もいました。
私は、憲法は「嘘をいわない。人の尊厳を認め合う。権力を集中させない」の3条でいいのではないかと思っているほどですので、「嘘をつく」首相は顔を見るだけで気分が悪くなります。
怒りを感じて参加した、何とかならないのか、という現役バリバリの女性もいました。
安倍さんも悪いが、そうした阿部さんを生み出す仕組みが悪いとも彼女は怒っていました。
そこから小選挙区制度や総裁に立候補の公認権が集中しすぎたことが問題だという話も出ました。
公務員と言ってもいろいろとあるという話も出ましたし、なんで公務員だけなのかという話も出ました。
話はさらに広がり、国民投票(直接民主主義)の話や天皇制の話もありました。
また若者たちの国会デモはどれだけ本気なのかという話も出ました。
若い世代の参加者が4人いましたが、彼らの感覚と壮年世代と私のような老年世代とは、また受け取り方がどうも違うようです。
とまあ、実に様々な論点と怒りが出されました。
さてどうするか。

国民投票はそう簡単にはできませんが、人民主役の大規模な世論調査を積み重ねていくのが、現実的ではないかと思い、提案したら、20代の若者が賛成してくれました。
いまマスコミで発表されているような世論調査は、私は百害あって一利なしと思っていますが、時間をかけたら人民主役のボードが構築できるかもしれません。
新しい政治インフラになるでしょう。

最後に、武田さんがリンカーンクラブの話をしてくれました。
最近活動が中断されていますが、以前、武田さんがやっていた直接民主主義にできるだけ近づけようという運動です。
それを再開する予定なので、それについても少しだけ予告してもらいました。

■リンカーンクラブの復活計画(2015年8月15日)
戦争反対カフェサロンの前に、武田さんとリンカーンクラブの活動再開について少し話し合いました。
リンカーンクラブは、このホームページの最初の頃には時々書き込んでいたとと思いますが、最近は活動は中断しています。
しかし、いまこそこの活動は必要ではないかということで、今度は湯島を拠点にして動き出そうかという話をしています。
構想はともかく、動き出すのが大事だという私の思いもあって、9月からリンカーンクラブのサロンを開始する予定です。
ますますサロンが増えるので、大変ですが、仕方ありません。
ぜひ同志を求めています。
特に事務局スタッフ公募中です。

(2015年8月第1週)
■サダコ折鶴と我孫子(2015年8月2日)
■お墓見舞い(2015年8月3日)
■柳宗悦晩年の仏教美学4部作(2015年8月4日)
■学生サロン(2015年8月5日)
■社会教育を考える(2015年8月5日)
■猛暑日が続いています(2015年8月6日)
■マーケティングとイノベーション(2015年8月7日)
■束ねる理念か活かす理念か(2015年8月7日)
■黒崎茶豆(2015年8月7日)

■サダコ折鶴と我孫子(2015年8月2日)
SADAKO LEGACY の折鶴が我孫子に贈呈されることになり、佐々木さん親子が12月6日に我孫子に来ることになっています。
せっかくの機会なので、なにか効果的なイベントでもできればいいと思いますが、残念ながらまだそういう動きはないようです。
平和事業市民会議はできていますが、メンバーがたぶん違うのです。
私の知っている人も何人かいますが、せっかく佐々木祐滋さんが来るんだったら、我孫子の若いミュージシャンとコラボでもやりたいなという風に考える人がいないのです。
さらに、我孫子からの情報発信素材を創ろうという戦略ともつながっていないのです。

先月、市役所の担当者とも話し合いましたが、やはり乗ってこないので、私の知り合いの原田さんと宮内さんに声を掛けさせてもらって、感触を確認してみました。
私が考えているほどではありませんが、それでもテイクチャンスしたいという姿勢でした。
一度、佐々木さんに相談してみようと思いますが、もしかしたら佐々木さんと我孫子市の市長や担当者は広島で佐々木さんたちに会っているかもしれません。
さてどうするか。
あまり余計なお世話はしないほうがいいかもしれないと思い出しています。
私が音楽活動をしていたら、すぐにでも動くのですが。

■お墓見舞い(2015年8月3日)
久しくお見舞いに行っていなかったお墓に行ってきました。
ちなみにブログにも書きましたが、内村鑑三は「墓参り」とは言わずに、墓に見舞いに行くと言っていたそうです。
そのことにいたく共感して、私もこれからお見舞いという言葉を使うことにしました。
今年もまたお盆が近づいてきました。

■柳宗悦晩年の仏教美学4部作(2015年8月4日)
事の成り行きで、柳宗悦晩年の仏教美学4部作を読んでいます。
それも気が向いた時にゆっくりと読むというスタイルです。
きっかけは、4部作の一つである「無有好醜の願」を読んだことです。
とても共感できることが多く、しかも今ちょうど考えていることに深くつながっている気がしたのです。
そして、「美の宗門」という発想にも共感し、なぜか読まないといけないという気分になってしまったのです。

まだ具体的にはイメージもできないのですが、これはコミュニティ論や組織経営論にもつながるところがあるように思います。
経済も経営も、仏教を起点にして捉え直すと、新しい示唆が得られそうです。
もちろん仏教経済学や菩薩経営論といったものは、これまでもありましたし、私も少しは勉強したり、友人と話し合ったりもしたことがありますが、もっと深いところから考え直すことが必要かもしれません。

我孫子に住んでいながら、柳宗悦をきちんと読んでいなかったことを反省しました。

■学生サロンがようやく動きだしそうです(2015年8月5日)
学生主役の集まりも4回目になりました。
今回は新たに2人の若者が参加しました。
いよいよ動き出しそうです。
しかしコミュニケーションとはやはり難しい。
私の感覚では、若者たちには、ともかく何かやってみようというアクションリサーチの発想がもっとあるかと思っていましたが、どちらかというと、組織論発想が多いのです。
つまり、組織が運動をつくるという発想です。
私は、運動が組織をつくるという考えなのですが、その発想はどうもマイナーなのかもしれません。

ところで、戦争反対カフェサロンで若者主役のものをやってみないかと提案したら、それにはすぐに乗ってきてくれました。
そして、8月29日に開催することになりました。
こういう「乗り」を若い世代には期待していたのですが、私の呼びかけ方が違っていたのかもしれません。
意外な展開になってきてしまいました。
29日のサロンは、内容が決まったので、お知らせに案内を載せます。
戦争反対カフェの番外編として、9条をテーマにしたワークショップになりました。
よかったら参加してください。

■民の社会教育を考える(2015年8月5日)
お上の社会教育ではない、民の社会教育を広げようという思いのミーティングも、もう5回目でしょうか。
この会でも、漸く考え方がシェアされてきたように思います。
そろそろ話し合いは飽きてきたので、ともかく行動を起こすことを提案させてもらいました。
最初に集まった時に、私が話したことなのですが、ようやく皆さんに伝わったようです。
コミュニケーションの難しさをここでも痛感しました。

これからの展開構想を起案することにしました。
どうもそこまでやらないとみんな動き出さない感じです。

■猛暑日が続いています(2015年8月6日)
連日猛暑日で、体調がかなり崩れてきています。
睡眠不足もたまってきました。
こんなに猛暑日がつづくことは珍しいでしょう。
いろいろと工夫していますが、やはりエアコンには勝てない結果になっています。
困ったものです。

■マーケティングとイノベーション(2015年8月7日)
経営道フォーラムの卒業生の古庄さんが、一緒に新しいチャレンジをしているマーケット・リサーチャーの大槻さんと一緒にやってきました。
古庄さんは、企業が保有している技術シーズを活かした商品開発や事業開発のコンサルティングをされています。
大槻さんは、新しいマーケッティングスキームを開発したようです。
お話を聞いていて、ついつい私が会社にいたころ取り組んでいたことを思い出して、話をしてしまいました。
私の感覚では、日本の企業の経営が一番輝いていたのは、1970年代から80年代だったと思います。
しかし、21世紀に入って、日本の企業の経営は急速に劣化しました。
マーケティングもイノベーションも、私が会社時代に体験していたものに比べて、あまりにお粗末になってしまっています。
それに、企業の中に本気で取り組もうと思っている人が少なくなりました。
日本の大企業の先は完全に見えてきてしまったように思います。
たぶん古庄さんも大槻さんも、そう感じているのでしょう。
話がすごく合ってしまったのですが、さてではどうするかというところまで行きませんでした。

企業の仕事をまたしたくなりました。

■束ねる理念か活かす理念か(2015年8月7日)
経営道フォーラム57期のDチームのメンバーが湯島にやってきました。
最初の箱根の合宿で、私は1時間以上のテーマ解題をいつもするのですが、がっかりするほど、伝わっていないことをこのころ痛感します。
この2〜3年は特にひどいです。
企業の人たちの視野がともかく狭く近視眼的になっています。
それは決して個人の問題ではありません。
企業が置かれている状況がそうなっているということです。
力関係が大きく変わって、組織を使うというよりも、組織に使われるようになってきているのです。
その関係性を逆転しない限り、日本の企業は元気にならないと思っているのですが、時代の流れはなかなか反転しません。
だから私とのディスカッションも、経営道フォーラムの参加者にはむしろ面倒なのかもしれません。
そう思いながら、いつもメンバーの議論にノイズを入れていますが、驚いたことにノイズは迷惑だと思っている人が意外と多いのです。
幸いに、今期のメンバーはそうではありません。
いくつかの気づきを得てもらったようです。
しかし、コミュニケーションは難しい。
たぶん私が生きている世界と大企業の経営幹部の人たちが生きている世界があまりにも違うからなのでしょう。

今日のチームは、企業理念がテーマです。
最後に、従業員を束ねる企業理念か、従業員を活かす企業理念かという問いかけをさせてもらいました。
これにどう応えるかで、その人の立場がわかってきます。
今日、湯島に来てくれた人たちは、ちょっと気づいてくれたかもしれません。
期待するしかありません。

■黒崎茶豆(2015年8月7日)
新潟の金田さんが例年の黒崎茶豆を送ってくれました。
今年は雨が少なく不作だったようですが、実が少し小さいとはいえ、おいしかったです。
おいしいものは高くなる。
そうしたことに私は異論はありません。
安全でおいしい食べ物に関わっている人は、私のまわりにも多いいのです。
でも、そうしたことに私自身は少し罪の意識があります。
美味しくて安全なものを食べられる人はいいとして、そんな余裕のない人のことを考えると、やはり私自身はそういうことがどうもできないのです。
美味しい黒作茶豆を食べながら、そんなことを考えていました。

実はこういうことを意識しだしたのも、柳宗悦の4部作を読んだことが影響を与えています。
柳宗悦の美宗門の問いかけは、深いです。

(2015年7月第5週)
■猛暑日は外で過ごすのがいい(2015年7月27日)
■参議院特別委員会での山本太郎さんに元気が出ました(2015年7月29日)
■猛暑の中の読書(2015年7月31日)
■エアコンのなかでの読書(2015年8月1日)
■手賀沼花火大会(2015年8月1日)

■猛暑日は外で過ごすのがいい(2015年7月27日)
今日も暑いです。
暑い時には暑い中で過ごすのがいいかもしれません。
突然、そういう考えが浮かびました。
そこで、庭のテーブルにパラソルを立てて、直接の陽射しは避けて、そこで読書をすることにしました。
家の中の陰湿な暑さよりも、外での単純な暑さの方が、過ごしやすいのではないか。
まあそう考えたわけです。
もっともわが家の庭でテーブルが置けるような場所は、樹木の影になるような冷涼な場所ではなく、しかもコンクリート張りなのです。
いささか無謀かもしれませんが、思い立ったらやらなければいけません

読む本も大事です。
ちょうど読みかけの「民藝の擁護」という、松井健さんの本がなんとなく似合っている気がしました。
暑いので、飲み物もと思いましたが、雰囲気に合わせて、かき氷にしようと思いました。
かき氷器で手づくりしました。
そして、テーブルの下にはふんだんに水をまきました。
さて後は読書です。

最初はとても快適でした。
暑いのですが、気持ち良い暑さです。
室内では33℃以下だった温度計はすぐに36℃を超えました。
もちろんパラソルの下の日陰のところです。
しかし、不思議なことに汗をかかないのです。
水を撒いたのに、湿度は室内よりも下がりだしました。
昔、海水浴場で感じたあの感覚です。

かき氷はシロップのせいか、あんまりおいしくなかったです。
しかし、室内では読む気にならなかった本も読めました。
そのうちに、アゲハ蝶が寄ってきました。
そして目の前の花の蜜を吸いだしました。
こんな近くで見るのは初めてです。
実に巧みです。
それを契機に、本はやめて、のんびりすることにしました。
で、気がついたら眠っていました。
頭がちょっとくらくらします。
このままだと熱中症になりかねません。
温度計は37℃を超えていました。

慌てて室内に戻って、水分補給をしたら、どっと汗が出てきました。
それもとても不快な汗です。
やはり暑い時は外で過ごすのがいいです。
夕方は畑に行きました。

■参議院特別委員会での山本太郎さんに元気が出ました(2015年7月29日)
ブログから転載です。
今日は参議院特別委員会で山本太郎さんが質問を行うというので、テレビの国会中継を見ました。
実にわかりやすく、本質をついています。
私のような、生活者目線のものには、実に納得できます。
この30数分のやり取りはぜひ多くの人に見てほしいです。
https://www.youtube.com/watch?t=189&v=XlC-oyJKSFs

山本議員は質問に先立ち、沖縄辺野古からの傍聴人が来ていることを紹介しました。
私には、それが実に新鮮でした。
いまの安保法制にきちんと反対できるのは、沖縄の人たちだろうと私は思っています。
私たち「やまとんちゅう」には、残念ながら、反対する責務はあったとしても権利はないかもしれません。

つづいて、安保法制に関連して、「稼働中の川内原発がミサイル攻撃を受けた時にどれくらいの放射性物質が放出されるのか?」と質問。
原子力規制委員会の田中委員長が「弾道ミサイルが直撃した場合の想定はしていません。ちなみに事故が起きた場合の想定は福島原発事故の1000分の1以下」と回答しました。
驚きました。
福島原発事故の1000分の1以下!!
田中委員長がどういう人であるかもよくわかります。

実は、福島原発事故が起きた時に、もし地震や津波でなくて、テロによる攻撃だったら、とぞっとした記憶があります。
直後のある報告会で、そのことを質問しましたが、関係者の回答は、その想定はしていないということでした。
その時にも愕然としました。
ある技術者に、原爆と原発は同じだから原発も原爆効果を持っているのではないかと質問したら、まったく別で攻撃されても爆発はしないと言われました。
専門家の意見と素人の意見の違いに、気づかされました。
専門家は、狭い想定の中でしか、考えていないのです。
しかし、実際の生活は、想定内だけで動いているのではないのです。
素人には「想定外」はないのです。

山本議員も総理に質問を重ねます。
「どうして福島原発の1000分の1で済むのか。前に質問したところ、仮定の質問でありお答えするのは差し控えたいとの返答があった。仮定の話ではお答えするのは難しいということなのでしょうか総理」。
安倍首相は「武力攻撃は規模の大小やパターンが異なることから、一概に想定するのは難しい」と答えました。
まさに罠にはまった感じです。
山本議員は、ここぞとばかり追求します。
「今回の法案、中身や仮定や想定を元にしていませんか?A国がB国に攻撃を仕掛けた。友好国のB国から要請があって武力行使ができるのできないの、これは仮定ですよね?」。
「都合の良い時だけ仮定を連発して、国防上ターゲットになり得るような核施設に対する仮定や想定は出来かねますって、どんだけご都合主義なのか」。
実にわかりやすい。

他にも拍手喝采したいところはいくつかありました。

山本さんは、国民に代わって質問し、そして国民に向かって説明してくれている感じでした。
それこそが、テレビ中継される場合の国会議論の意味のはずですが、他の多くの議員は国民への意識もなく、退屈な質問と自己主張にとどまりがちです。

安倍首相も田中委員長も、質問には何一つ答えません。
たぶん最初から応える気もなく、したがって情報もないのでしょう。
事前の質問にも、誰も答えていないことを山本太郎さんは明らかにしてくれています。
そして、国会という場がどんな状況になっているのか、専門家とはどんな存在なのか、政府とは何なのかを、明らかにしてくれます。
山本太郎さんも、たぶん国民と同じように「軽い存在」に見下されているのでしょう。
それを十分に意識しているように、山本議員は健闘されました。
私自身は久しぶりに胸がすく思いでした。
しかし、あれほどの白熱した質問にもかかわらず、終わった後の拍手はまばらでした。
多くの歯車的政治家たちには、たぶん別の世界の光景なのかもしれません。
若い世代の議員もいましたが、何か感じてくれたでしょうか。

国会議員になっても、山本太郎さんのような、まじめな姿勢を維持できる人がいることで、少し元気も出ます。
ネットがアップされています。
ぜひ見てください。
https://www.youtube.com/watch?t=189&v=XlC-oyJKSFs

彼が言うように、原発再稼働も安保法制も、国民のことなど、まったくと言っていいほど考えられていないのです。
なにしろ、国民生活への影響という、肝心の検討が行われていないのですから。
山本議員の最後の締めくくりの言葉が実にいい。
「安倍総理の規制委員会への責任転嫁で、この質疑は終わりたいと思います」
ちなみに、田中委員長は、もちろん責任感など微塵もないことを答弁で明らかにしていますが。

■猛暑の中の読書(2015年7月31日)
相変わらず猛暑です。
昨日は湯島に行きましたが、その帰り、また思いついて、暑い中を上野まで歩いてしまいました。
それでいささかおかしくなり、電車の中で吐き気さえ感じてしまいました。
やはり無理をしてはいけません。
それで今日は在宅休養です。
というのは口実で、実は本を読むことにしたのです。
久しぶりに佐久間さんが2冊の本を送ってきてくれたからです。
「永遠葬」と「唯葬論」です。
エアコンなしの暑い中を、「永遠葬」を読了しました。
とてもいい本です。
ブックのコーナーに紹介しました。
ぜひみなさんも読んでみてください。

■エアコンのなかでの読書(2015年8月1日)
エアコンを今年初めて使用しました。
朝起きたら、すでに部屋が涼しくなっていました。
娘がタイマーセットしていたのです。
実に快適ですね。
しかし、そこから出ると、いつもは暑いけれどもさわやかな庭もあんまりさわやかさを感じません。
エアコンのない2階の部屋は、さらにひどくて、不快感が高いです。
エアコンなしで暑さに対処してきた頑張りが崩れてしまいそうです。
タイマー予約してくれていた娘の心遣いには感謝しますが、その一方で、ちょっと複雑な気分も残ります。
ちなみに、今年は扇風機もほとんど使わないで過ごしてきました。
別に理由があってのことではないのですが、なぜか今年はそうしたかったのです。
しかし、その結果、私が熱中症になってしまったら、どうしようもありません。
娘はそれを心配したのでしょう。

在宅中はリビングで過ごして読書をしました。
昨日とは比べようもないほど、読書速度が速くなり、たぶん理解度も深まりました。

エアコンなしの生活か、エアコンありの生活か。
少し迷いますね。

■手賀沼花火大会(2015年8月1日)
手賀沼の花火大会でした。
わが家の目の前が打ち上げ会場です。
残念ながら手賀沼の花火も年々規模が縮小してきている気がします。
一番の問題は、たぶん「物語づくり」の難しさです。
花火で物語を創るのは難しそうですので、その周辺にどんな物語を構想するかでしょう。
そうなると地元全体を巻き込んだ設計が必要になります。
昔は盆踊りなどもあったのですが、いまは花火だけです。

以前は、花火大会にいろんな人に声掛けをしていましたが、
妻がいなくなってからは、おもてなしもできないので、声をかけるのをやめています。
しかし、花火はやはり大勢で見たほうが楽しいです。
来年はまた声を掛けようと思います。

(2015年7月第4週)
■猛暑でダウン(2015年7月22日)
■巡礼者鈴木さん(2015年7月23日)
■大塚さんと大坪さんと三浦さん(2015年7月23日)
■ちょっとハードなカフェサロン「「コミュニティ」の団体組織論的な解明」(2015年7月25日)

■猛暑でダウン(2015年7月22日)
最近の暑さは半端ではありません。
わが家は和室とリビングにしかエアコンはありません。
しかも、リビングのエアコンが不調です。
それで、この暑さにも関わらず、今年はまだ一度もエアコンを使っていないのです。
それに、暑い時には汗をかくのが正しい生き方だなどという、おかしな意識が私にはあるのです。
しかし、今年の暑さはかなりのものです。
夜も暑くて眠れませんし、昼間もぐたっとしています。
日曜日はちょっと熱中症気味でもありました。
そんなわけで、暑さ疲れで、今週前半はかなり怠惰に過ごしていました。

■巡礼者鈴木さん(2015年7月23日)
鈴木さんがやはり仕事を辞めて、サンチャゴ巡礼路を2か月半かけて歩くことに決めたそうです。
27リットルサイズのバックで2か月半を過ごすのですが、何をもっていくかがポイントで、しかもできるだけ重量を軽くする工夫が必要なのだそうです。
その選択がまた楽しそうです。
出発は8月の中頃ですが、気持ちの上では、もう巡礼が始まっている感じです。
実に楽しそうに、いや、幸せそうです。

前回は3回に分けて歩いたそうですが、今回はフランスから入り1600キロを一人で一気に歩くのだそうです。
そこから帰った後は、すぐに四国巡礼に移るそうです。

歩く魅力はなんでしょうか。
これは歩かないとわからないでしょう。
巡礼が終わった後、鈴木さんの報告会を開催してほしいと思っています。
引き受けてくれるかどうかはわかりませんが。

本は何をもっていくのかと聞きました。
1冊は決まっているようです。
トマス・ア・ケンピスの「キリストにならいて」だそうです。
私は読んだことがありませんが、鈴木さんが選んだ1冊なので、私も読んでみようかと思いました。

鈴木さんからは、この数年、毎週1〜2通のハガキが届きます。
それがしばらく来なくなるのがさびしいですが。
出発前に、もう一度くらい、会えるかもしれません。

■大塚さんと大坪さんと三浦さん(2015年7月23日)
久しぶりにプチ・サークルの大塚さんと大坪さんが来ました。
経営道フォーラムの受講生です。
この間、いろいろあって、大塚さんは大変なようですが、そういう逆風もものともしないのが大塚さんなのです。
どこまで書いていいのかわからないので、書かないことにしますが、久しぶりにいろいろと話しました。
経営道フォーラムの受講生で、一番湯島によく来るのはこのチームです。
もう一人の三浦さんは、本社に転勤になってしまったので、今回は来ませんでしたが、偶然のことに、今日、彼から転勤通知のハガキが届いていました。
これもたぶん単なる偶然ではないでしょう。

秋にまた集まりをやろうと言ってくれました。
さて何をやってくれるのでしょうか。
大企業にも、こういう人たちが増えていくと、企業も変わっていくのでしょうが。

■ちょっとハードなカフェサロン「「コミュニティ」の団体組織論的な解明」(2015年7月25日)
うだるような暑さの中を、7人が集まりました。
久しぶりに本間さんも汗びっしょりでやってきました。
テーマは、「法と倫理の両面からの「コミュニティ」の団体組織論的な解明」、問題提起者は杉本さんです。
話は、上場企業の財務報告の信頼性と原子力などの安全確保という、2つの身近な話題に関する問題提起から始まりました。
そして、日本のパートナーシップ(組合)法、パートナーシップと団体、コミュニティ、コミュニケーションなどについて、杉本さんは、独自の図解によって、わかりやすく説明してくれました。
杉本さんは、技術者、企業経営者というお立場を経て、50代半ばで会社を譲って法学を学びだし、その後、それらを統合した新しい視点でたくさんの著作を出され、大学でも講義されたり、技術倫理の問題に実践的に取り組んだりしてきています。
今回の発表は、そうした取り組みの結果、行き着いたところですので、そこにこめられた杉本さんの思いは2時間ほどのサロンでは消化しようもありません。
しかし、幸いに、多彩なメンバーが集まったので、その入り口は少しほどけたような気がします。
いつものことながら、話し合いのプロセスに意味がありますので、まとめようもありませんが、杉本さんのメッセージを私なりにまとめると、次の3点になります。
日本における団体組織の研究は、団体中心の論理に偏っていて、個人への視点が希薄だったこと、団体には「所有組織」と「業務執行組織」の2面があるのに、後者への視野がなかったこと、経済学・社会学などのコミュニケーション・ネットワーク論の発展に比べて、法学における取り組みは遅れていること。
そして、それを踏まえて、杉本さんは、冒頭に提出した2つの話題に関して、その意味とこれからの取り組みの方向性を示唆し、大切なのは個人を基点とした業務執行組織をどう設計し管理していくかではないかと締めくくりました。

私にとっての気づきはたくさんありましたが、所有組織に焦点を当てた法学的な議論と業務執行組織に焦点を当てた実際的な議論が、日本においてはいまもってあいまいなままになっていることを、きちんと問い直すことが大切だと強く思いました。
所有組織と執行組織を重ねていく動きは、たとえば、協同労働(ワーカーズコレクティブやソーシャルファーム)という形で、日本でも広がっていますし、アメリカではオープンブックマネジメントのように、実態的にそれらを重ねていこうという試みもあります。
しかし、時代の大きな流れは、むしろ、組織を資本の道具にすること、そして同時にそこに属する人間さえをも、その道具にするという方向に動いてきているように思います。
人を道具や手段としてはいけないというカントの命題は、もはや忘れられようとしています。
その流れに抗うために、組織(アソシエーション)とは何なのか、コミュニティとはなんなのか、を私たちは、改めて議論しなければいけないのではないかと思いました。

ちなみに、話し合いでの話題はいつものように広がり、なぜ福島原発事故が起きたのかとか、倫理とは何か、などといった話にも飛びそうになったりして、議論はなかなか終わらずに、今回も途中で終わった感があります。
しかし、私にはとても刺激的な3時間でした。
そしてまたいくつかの宿題をもらってしまったような気がします。

(2015年7月第3週)
■ダックスとの無言の再会(2015年7月12日)
■佐々木夫妻(2015年7月14日)
■久しぶりの石田さん(2015年7月14日)
■我孫子にサダコ鶴がくる(2015年7月17日)
■「女性が中心になって平和を語り合うサロン」の断片的な報告(2015年7月18日)
■みんなの認知症予防ゲーム実践者ミーティング(2015年7月18日)

■ダックスとの無言の再会(2015年7月12日)
任侠の世界から福祉の世界へと転身し、頑張っていたダックスが余命宣告を受けて、その通りに旅立ってからもう49日を過ぎました。
彼を最後に看護していたHさんが、位牌と一緒に訪ねてきました。
私のことをダックスから聞いていたのです。
Hさんの話から、ダックスが幸せの中で旅立ったことを知りました。

ダックスは、いまは東尋坊沖の日本海に戻ったそうです。
いろいろと思うことはありますが、私もダックスとはこれでお別れです。

■佐々木夫妻(2015年7月14日)
佐々木さんご夫妻が、湯島に来てくれました。
典子さんは、いよいよ韓国の大学を辞めて、戻ってくることになったので、今秋からは岐阜にお住まいです。
しかし、いろんな人が帰国後の期待をしているので、大変でしょう。
愛犬がいるので、あまり上京できなかった憲文さんは、少し東京に来やすくなるかもしれませんが、まあ憲文さんは、いまの晴耕雨読の生活がすっかり身についたようなので、そうはならないかもしれません。
ちなみに今回は、野菜作りの話がだいぶ出ました。

憲文さんとは何か一緒に取り組みたいと思いながら、なかなか実現していません。
典子さんは、帰国後、NPO法人認知症予防ネットに関わってくれることになっていますので、
むしろ典子さんとの接点が増えるかもしれません。
でも本当は、私自身、そろそろ認知症予防とは別れて、認知症を楽しむ生活に移行したい気もします。

でもまあ、典子さんが帰国されるので、憲文さんも一安心です。

■久しぶりの石田さん(2015年7月14日)
愛知の大学に20年以上、通い続けていた石田さんが、久しぶりに湯島に来ました。
毎年、湯島に来るといいながら、たぶん5〜6年、すっぽかされていました。
前回、石田さんに会ったのは、3年ほど前の名古屋でのフォーラムでした。
その時もお忙しそうでしたが、ようやく大学からも間もなく解放されるようです。

石田さんの専門はメディア社会学です。
しかし、学生のころから社会調査にも取り組んいて、コミュニティ問題にも造詣と関心が深いはずです。
今回は久しぶりだったので、いろんな話をしましたが、共通の関心事も少なくありません。
まだしばらくは名古屋に毎週通うそうですが、次第に東京中心になるそうです。
何か面白いことがご一緒できるといいのですが。

■我孫子にサダコ鶴がくる(2015年7月17日)
先日、サダコ・レガシーの佐々木祐滋さんに会った時に、今年の年末に我孫子にサダコ鶴の贈与を行うとお聞きしました。
それで市役所に確認したら、事務局が企画課の大畑さんでした。
何かあって、確認するといつも大畑さんに行きつきます。
早速、会いに行きました。

私の認識不足で、すでに数年前から佐々木さんとはつながっていたようです。
12月6日の贈与式も、実行委員会ができていろいろと企画しているようです。
一度、コアになって取り組んでいる人に会ってみようかと思っています。
折角の機会を効果的に活かしていくことができれば、みんなにとってうれしいことですから。

■「女性が中心になって平和を語り合うサロン」の断片的な報告(2015年7月18日)
7月18日午後1時から、安保法案の強行採決への抗議デモが各地で展開されました。
国会前にも6000人(主催者発表)の人が集まったようです。
その同じ時間、湯島で「女性が中心になって平和を語り合うサロン」を開催しました。
なかなか参加者が増えず、タイミングが悪かったなと思っていましたが、
結局、女性7人、男性7人の14人の集まりになりました。
最初に手を挙げてくれたのは80代の女性ですが、このサロンのためにわざわざ京都から参加してくれました。

いつもより長い2時間半を予定していましたが、終わる気配もなく、3時間半を過ぎたところで、打ち切らざるを得ませんでした。
にもかかわらず、議論は拡散し、参加されたみなさんはまだまだ話したりなかったと思います。
この種のテーマは、話し合うことが実に難しいです。
しかし、話し合うことの大切さは、改めてみなさんも感じたと思います。

今日の集まりを直前に知って、わざわざ予定を変えて参加してくださった76歳の女性がいます。
広島近くので体験と戦後、台湾で7年間暮らした時の体験を話してくれました。
京都から来てくれた80代の女性は、自らが「軍国少女」になっていたこと、その生き方の呪縛の中に、いまも生きていることを話してくれました。
あまりに強烈だったので、話を深めることができずに、後で後悔しました。
もう一人、やはり話したいことがあると言ってこられた女性の方は、戦後の大変さを話してくれました。
そして、戦後、大きく変わったと言われるが、学校教育の基本は何も変わっておらず、戦前とつながっているという指摘をしてくれました。
つまり、相変わらず「自分をしっかりと主張する人」が育っていないということかもしれません。

もっと、人が生きるという視点からの平和が語られると思っていたのですが、そして後から考えると、語られてもいたのですが、進行役の私自身がそれを上手く消化できずに、話が広がってしまいました。
やはりこの問題は、時間をかけて解きほぐしていかないといけないと思いました。
少し若い世代の女性たちは、違った視点で話をしてくれました。
概念的な話ではなく、いまの平和をどう守っていくか、広げていくかです。

男性たちも話し合いに入ったあとは、やはり概念論になりがちでしたが、実践的な学びの場(その方は「ラボ」という表現を使いました)が大切だというところで、生活レベルの平和と政治レベルの平和がつながったようにも感じました。
つまり、平和にとっては「学びの場」が大切だということです。

他にもいろいろと議論はありましたが、遅れてやってきた太田さんが、いつものように爆弾発言をしました。
同じことも視点が違えば、逆に見える。
それを知るだけでも人は変わるはずだと、実際に身体を使って、参加者に体験させてくれました。
太田さんの発言は、たとえば国家の自衛権への疑問(私はあるはずがないと思っていますし、国家の自衛権は人々の生活には無縁なことです)などを含めて、かなり刺激的なものでしたが、時間切れで女性のみなさんのお考えを聴き損ねました。

最後に、では私たちにできることは何かないかという話になりました。
この種の話題を話すことはあまりなかったが、やはりこうしたことをまわりの友人たちと話し合うようにしたいと40代の女性が言ってくれました。
70代の男性は、サロン終了後にですが、考えや立場の違う人と、話し合うことを増やしたいと言ってくれました。
他にもいろんな話はありましたが、それぞれできることをやっていこうという思いは強まったと思います。

デモには参加しませんでした、こういう地味な活動も、たぶんいろんなところで広がっているのでしょう。
次回の戦争反対サロンは学生を主役にしたいと思っていますが、若者たちは、デモの方が好きそうですので、なかなかメンバー集めが難しそうです。

■みんなの認知症予防ゲーム実践者ミーティング(2015年7月18日)
NPO法人認知症予防ネット理事長の高林さんが湯島のサロンに来てくださったので、それに便乗して、夕方、高林さんが広げてきた認知症予防ゲームの実践者を中心にした集まりを持ちました。
メーリングリストで声をかけたら、すぐ15人の定員に達してしまいましたが、結局、18人の過密サロンになってしまいました。
実は、高林さんたちは、これまで「スリーA方式」というタイトルでゲームを広げてきましたが、いろいろと事情があって、今年からは「みんなの認知症予防ゲーム」というタイトルで活動することになりました
名前は体を表すというように、ここにはいろんな意味が込められています。
しかし、残念ながら、そこに込められた思いや意味は、なかなか伝わりません。
高林さんのゲームを東日本に広げる役割を引き受けてきた私としても、その趣旨をきちんと実践者に伝えたいと思っていました。
本当は5月末に、こういう場を持ちたかったのですが、いろいろあって、いささか私自身が腰が引け、途中で止めてしまっていたのです。
しかし、今回、これまでゲーム展開に取り組んでいた方々が、みんな集まってくださったので、やっと肩の荷が下りました。

せっかくの機会なので、一つだけ高林さんのゲームをみんなでミニ体験しました。
ゆるやかな組織や制度がそろそろ必要な段階になってきていますが、「ゆるやかな仕組み」をつくることほど大変なことはありません。
もう10歳、私が若ければイニシアティブがとれるのですが、いまはその元気がありません。
しかし、きっと今回、集まった中から、誰かが動き出してくれるでしょう。
そうしたら、私にできることも見つかるかもしれません。

ちなみに私の「認知症」の捉え方は、極めてポジティブなのです。
なにしろ私の発想は、世間の常識には大体において反対なものですから。
もちろん「認知症」の方の周辺の人がどんなに大変かはわかってはいますが、まずはポジティブに捉えることを起点にしています。
多くの人が体験するのであれば、死と同じく、ポジティブに捉えなければ、解決策は見えてこないと思っているのです。

(2015年7月第2週)
■生き方インタビュー(2015年7月6日)
■東京大学饅頭(2015年7月6日)
■科学技術倫理フォーラム総会(2015年7月6日)
■下の家の庭が伐採されました(2015年7月10日)
■ちょっと不思議なカフェサロン(2015年7月10日)

■生き方インタビュー(2015年7月6日)
東大大学院の学生が3人、私の生き方をインタビューしに湯島にやってきました。
社会学を学んでいる学生たちですが、「日本人の生き方の習慣」のようなテーマでの、社会調査の一環だそうです。
いま学生たちで40人の人たちのインタビューをしているのだそうです。

まずは私のこれまでの生き方を中心に自己紹介をした後、さまざまな質問を受けました。
中心になったインタビュアーは中国からの留学生でした。
彼女から「佐藤さんの目指す良い社会ってなんですか?」とか「佐藤さんの大切にしていることはなんですか?」などと、まさに生きる本質について問われました。
次の来客が来られなくなったので、時間がたっぷりとれましたので、3人といろいろと話しました。
ついでに、私からもいくつかの質問をさせてもらいました。

彼女の関心事は「家族」でした。
それも、人生を共にしあう、ゆるやかなセイフティネットのイメージの家族でした。
血縁にはこだわっていないようです。

最近、家族のことがよく話題になります。
これまでのような家族のかたちが壊れてしまっているからかもしれません。
ちなみに、もう一人の学生の関心事は「結婚」でした。
例によって、「結婚ってなんですか?」と質問しました。
結婚のイメージもどうも大きく変わってきているようです。

インタビュー内容は録音していましたが、テープ起こしするそうです。
どんなまとめになるでしょうか。

■東京大学饅頭(2015年7月6日)
インタビューに来た東大の大学院生からおみやげに「東京大学饅頭」をもらいました。
そういえば、以前、やはり韓国から東大の大学院に留学していた学生から、灯台の名前のついた飴をもらったような記憶があります。
なにかとても大きな違和感があります。

それで、フェイスブックに、その写真とともに、「美味しかったですが、名前がよくありません。こういう名前を付ける人って、一体どんな人なのでしょうか」と投稿しました。
そうしたら、「赤門饅頭」「本郷まんじゅう」「銀杏まんじゅう」ではどうかというコメントがいろいろと届きました。
そういう話では、まったくないのですが、私の書き方もよくありませんでした。
「東京大学饅頭」の販売元は東大の生協です。
生協には饅頭などをつくってもらいたくないとまでは言いませんが、饅頭をつくる目的はなんでしょうか。
何か「いやしさ」を感じてしまいます。

ちなみに、本郷には饅頭ではありませんが、江戸時代から続いている壺屋というのがあって、そこの最中が人気です。
私には甘すぎて不得手ですが、個性があります。
私は、東京大学饅頭の月餅のようなものを食べましたが、やはり甘かったです。
そこに個性があるのでしょうか。

■科学技術倫理フォーラム総会(2015年7月6日)
湯島で、NPO法人科学技術倫理フォーラムの「最後の総会」を開催しました。
いつもは学士会館で行っていますが、理事長の杉本さんが「最後」だというので、湯島を指定してくださったのです。
最後という意味は、2年後にこのNPOを解散することになったのです。

このNPOは2003年に発足し、日本に「科学技術倫理」の概念を定着させるために活動してきました。
きっかけは、アメリカで基本テキストになっていた「科学技術者の倫理」を杉本さんが中心になって翻訳されたことです。
この出版に前後して、湯島で科学技術者倫理をテーマにしたサロンもやっていましたが、杉本さんのリードでレイチェル・カーソンの「沈黙の春」の読み直しもやりました。
そんなこともあって、杉本さんはNPO法人科学技術倫理フォーラムを立ち上げました。
杉本さんとは、ハワイのキラウェア火山ツアーで知り合っていたのですが、その関係で、私も理事にさせてもらいました。
私自身は、科学技術者倫理活動にはまったく寄与していませんが、昨夜はその活動に取り組んでいるコアメンバーが集まりました。

総会が終わった後、みんなで自由な話し合いになりました。
とても刺激的な話し合いで、こういう話し合いをそのまま、公開シンポジウムで展開したらと思いました。
このNPOでの話し合いは、いつも若い世代の技術者に聴いてほしいと思います。
ほとんどのメンバーが、いまは組織から離れ、お一人で活動されています。
ですから組織の呪縛を受けることなく、自由に発言できるのです。
もちろん、組織の中にいても、言うべきことは言うべきですが、実際にはそういう行動をする人は今やほとんどいません。
むしろそのことにこそ、技術者倫理の本質があるのですが。
私は、昨日もまたそんな発言をさせてもらいました。

理事仲間の安藤さんが、前の総会後の会食事に撮った写真を持ってきてくれました。
昨夜写真を撮れなかったので、代わりにその写真をアップします。
科学技術倫理の世界で、世上に流されずに健闘されている技術士や大学教授のみなさんです。
私だけが、技術士ではないのですが、杉本さん(左側中央)のおかげで、いつも刺激的な場で、気楽に発言させてもらっています。
杉本さんは、これから500頁の大作に取り組みだします。
私とは考えの違うところはありますが、私が最も尊敬する先輩のお一人です。

■下の家の庭が伐採されました(2015年7月10日)
わが家に隣接している下の家が壊されだしました。
庭がとても大きく、わが家からよく見えます。
その恩恵をずっと受けてきました。
わが家は少し高台なので、その家の緑を楽しめていたのです。
数年前に一人でお住まいだった人が亡くなり、空き家になっていました。
家主がいなくなってから、庭は大きく荒れてしまい、庭の樹木も枯れだしました。
わが家からはその様子がよく見えました。
家主の家族が転居してくる噂もありましたが、結局、売却され、分割されて戸建ての住宅が何軒か建つのでしょう。
庭の樹木が伐採され、ガスの配管工事が始まりました。

立派だった庭木は、造作もなく伐採されました。
大きな樹木がなくなると、なにやら庭がとても貧相に見えてしまいます。
写真を撮っておけばよかったと思いましたが、手遅れでした。
あの樹木が、あそこまで大きく育つには何年もかかったことでしょう。
しかし、1時間もせずに樹木は切り倒される。
何やら悲しい気がしてなりません。

■ちょっと不思議なカフェサロン(2015年7月10日)
昨夜の「ちょっと不思議なカフェサロン」は13人の大人数になりました。
最初に宇賀さんが、農業の意味をわかりやすく話してくれました。
そして、「現代の農地は人にたとえると暴飲暴肉食の人のお腹と一緒だ」と話されました。
農地がそんな状況では農業の先行きには、不安がぬぐえません。
それを解決する一つが、宇賀さんたちが取り組んでいる「ステビア農法」です。
そして、それを広げていく過程で、農業と福祉はつながっていることに気付いたのです。
そしていまは、障害を持つ人も含めて、だれでもが働く場、安心して生きていける場のあるコミュニティづくりに、仲間たちと一緒に取り組んでいます。
ともかく発想も違えば、話題も多岐にわたるので、時間不足でなかなか話を深められなかったのが残念でしたが、それぞれにさまざまな「気づき」があったと思います。

去年の夏、マハラバ村の話をしてくださった増田レアさんも、ちょうど東京に来ていたため、参加してくれました。
マハラバ村は私が大学生の頃に出現した、農政麻痺の人たちの自活コロニーです。
そこから、日本の障害者人権運動が始まったと言ってもいいでしょう。
レアさんは、その創始者の大仏空さんの娘さんです。
いまは山梨で、自然とともにある生活をされています。

農業に関心を持つ人や若者支援や高齢者支援に関わる人など、多彩な人が参加し、宇賀さんたちの構想を広げていくアドバイスもしてくれました。
宇賀さんたちの仲間も2人、飛び入り参加でした。

このテーマは、合宿スタイルで、時間をかけて話し合うのがいいかもしれません。
今度は、宇賀さんたちの農カフェ「OMOしろい」で、自然の中でのサロンを考えたいと思います。
「OMOしろい」の前にはとても自然な谷津田があるのです。
お近くの方はぜひ一度、「OMOしろい」をお訪ねください。
http://noucafeomoshiroi.favy.jp/

(2015年7月第1週)
■「資本主義のハビトゥス」(2015年6月28日)
■支援物資が届きます(2015年6月29日)
■働く人のモチベーション(2015年6月30日)
■働く人にとっての企業価値(2015年7月1日)
■社会教育を考える会(2015年7月1日)
■人生の疲労感(2015年7月2日)

■「資本主義のハビトゥス」(2015年6月28日)
先日の杉原サロン「時間と空間と人間の関係」で、楠さんが紹介してくれたピエール・ブルデューの「資本主義のハビトゥス」を読みました。
ブルデューは何回か挑戦しましたが、歯が立たないでいましたが、こんなに読みやすい本もあったのかと驚きました。
どうも最初の一般向けの書籍のようです。
原題は「アルジェリア60」で、植民地化によって、アルジェリアの農民たちのハビトゥス(生活のエートス)がどう変質したかを通して、資本主義経済社会の本質を示唆している本です。
そこに、農村社会には「失業」という概念がないという話が出てきます。
そして、成員に働く場を与えるのが社会の役割だったというような言葉が出てきます。
昨今の社会の異常さに、改めて思いを馳せました。
生きづらいわけです。

■支援物資が届きます(2015年6月29日)
この1か月、体調はかなり戻ったのですが、相変わらず悩ましい問題に埋もれていて、元気が出ません。
そのせいか、先週末にサロンでお会いした食養に取り組んでいる林さんと栗原さんが、元気になるための、梅醤番茶セットを送ってきてくれました。
そういえば、最近、いろんな人が心配してくれているようです。
感謝しなければいけませんが、残念ながら、そうした支援物資は大体において、無駄になりかねません。
何しろ本人が、あまり元気になりたいと思っていないからです。
ここに問題があります。
要は、長生きするモチベーションが極めて低いのです。
そうした精神的状況から抜け出さねばいけませんが、頭ではそう思っても、心身がついていかないのです。
解くべき問題が大きすぎると、人は逃げたくなるものです。
そうしたことが、見えてしまうので、ますます元気が出てこない。
困ったものです。

■働く人のモチベーション(2015年6月30日)
経営道フォーラムの一つのチームが、会社内のメインストリームを外れた中高年者をどう位置付けたらいいかのテーマに取り組んでいます。
15年以上前になりますが、私もある自治体職員を対象に取り組んだテーマですが、いまは企業にも波及しているわけです。
企業文化の本質が、弱い層に表れているのです。

それで2人の友人を紹介しましたが、私もその集まりに同席することになってしまいました。
今日は、Joy of Works の田口さんにお願いしました。
田口さんはロゴセラピーも学んだ珍しい経営コンサルタントですが、人間を核に置いた話をしてくれました。
田口さんの経営論をきちんと聞くのは初めてでしたが、思っていた以上に、私の考えと深く重なっています。
とてもうれしい気がしました。
田口さんのような発想でも、企業へのコンサルタントが広がるのであれば、時代は間違いなく変わってきています。
少し明るい気分になりました。

■働く人にとっての企業価値(2015年7月1日)
昨日に続いて、今日は、日本にGPTW(働き甲斐のある企業づくり)プロジェクトを導入した斎藤さんを経営道フォーラムのチームにお引き合わせしました。
斎藤さんとの付き合いも長くなっていますが、田口さん同様、斎藤さんからきちんと経営に関する話を聞いたことがありませんでした。
斎藤さんも、ていねいに話をしてくれましたので、フォーラムの受講生には伝わったでしょう。
たぶんこれくらいていねいに話さないと最近の企業の人には伝わらないのでしょう。
私の話は、これまでたぶん伝わっていないなということを改めて感じました。

おふたりとも謝礼なしで話をしてくださいました。
どこかでお返ししなければいけません。
何かできることがあればいいのですが。

■社会教育を考える会(2015年7月1日)
草の根からの社会教育を考えるミーティングも4回目です。
今回は、新たに2人のメンバーが参加しました。
東レ時代の友人で、いまは浦安市で活動している渕野さんと近藤さんの知り合いの余暇デザイナーの辰巳さんです。
加えて、社会教育指導員の安藤さんと立ち上げメンバーの根本さんと近藤さんです。
話し合いを続けていると考え方が少しずつですが、共有できてきます。
大きな枠組みはかなり見えてきた気がします。
次回は具体的なアクションプログラムにまで行けそうです。

社会教育は、まさに社会を方向づけます。
これまでの「お上による統治のための社会教育」から、「住民たちによる生活のための社会教育」にパラダイムを変えていかねばいけません。
関心のある方はご参加ください。
できれば年内に公開フォーラムを企画したいと思っています。

■人生の疲労感(2015年7月2日)
相変わらず「悩ましい問題」に埋もれた状況の中にいます。
身から出たさびですので、逃げるわけにはいきません。
しかし最近はいささか脳疲労で、思考力が弱まっています。
畑に行きたくでも、雨続きでいけません。
本を読んでもなかなか進みませんし、テレビを見ていても、頭が揺さぶられません。
第一、その気が起きません。
疲れるということは、こういうことなのでしょう。

そして最近は多くの人がこうした状況に陥っているのかもしれません。
であれば、政治への関心や社会問題への関心も高まらないでしょう。
疲れさせるのが「支配」の最善策かもしれません。
やはり、「体験」は人の世界を広げてくれます。
この1年の状況は私を少し広げてくれました。

(2015年6月第4週)
■サクランボ(2015年6月22日)
■人生の見直し(2015年6月23日)
■メインストリームを外れた人たちの働き甲斐(2015年6月24日)
■片目から見える世界(2015年6月26日)
■「福島の子どもたち」をテーマにしたサロン(2015年6月26日)
■働く人の居場所(2015年6月27日)
■若者サロン(2015年6月27日)

■サクランボ(2015年6月22日)
今年はサクランボの出来がいいそうです。
山形の一大さんから例年のように、佐藤錦がどっさりと届きました。
この10年ほど、一度も会っていないのですが、いつも送ってくれるのです。
私はほとんど中元や歳暮の概念のない人間ですが、一大さんの思いにはいつも感謝の気分です。
いつもはすぐに電話するのですが、今年は電話する元気がなく(私は電話がとても嫌いなのです)、メールで済ませてしまいました。
元気でやっている当メールが返ってきました。

また山形に行きたいなと思っていますが、なかなか機会ができません。

■人生の見直し(2015年6月23日)
詳しくはまだ書く気にはなれないのですが、いま自分自身の生き方を見直さざるを得ない状況に直面しています。
この歳になって、これまでの生き方の間違いに気づくのはかなり厳しいことではありますが(第一、取り返しようがありません)、娘は、この歳になってでも「気づいた」だけでもいいのではないかと言います。
バカは死ななきゃなおらないといい言葉が昔ありましたが、その意味がかなり分かった気分です。

私は正真正銘のバカであることは、数年前からわかってきていましたが、それでもそれを肯定的に受け止めていました。
ところが、どうもそれ自体が問題のようです。
私は、ありのままに生きることに価値を置いていましたが、もっと周りの人たちや時代をしっかりとみて生きなければいけないと娘たちに厳しく指摘されているのです。
考えてみるとそうかもしれません。
これまでどんなに多くの人たちに迷惑をかけてきたことでしょうか。
そう思うだけでも滅入ってしまいます。

自分ではそれなりに謙虚で周囲にも気遣いをしているつもりだったのですが、どうもそうではないようです。
なかなかすぐには直せませんが、そういう自分に気づいただけでも成長したわけです。
しかし、この歳になって、成長するのもまた辛いものです。

訳の分からないことを書いてしまいましたが、いつかもう少し書くことが出来るかもしれません。
まあその前に寿命が尽きるかもしれませんが。

■メインストリームを外れた人たちの働き甲斐(2015年6月24日)
経営道フォーラム57期のEチームのメンバーが湯島に来ました。
このチームのテーマは「企業において出世コースに乗ったメインストリームを外れた中高年者たちの活性化」です。
そういえば、昔こんなテーマの委員会に参加したことがあるのを思い出しました。
その時もそうでしたが、私にはその対処策ははっきりと見えています。
しかしいまの企業には受け入れてはもらえないでしょう。
そこに問題の悩ましさがあります。

最近の日本企業は社会的にはもちろん経済的にも淀み始めています。
このままでは自己崩壊に向かっていくでしょう。
私が25年前に見えていた通りになってきています。
パラダイムシフトしなければ、せっかくの「企業制度」という素晴らしい仕組みが壊れかねません。
そうさせないためにも、これからの企業を支えていく人たちには、世界うぃろくしロングタームの視点を持ってもらいたいと思っています。

■片目から見える世界(2015年6月26日)
15日ほど前にコンタクトレンズを片方なくしてしまいました。
なかなか眼鏡屋さんに行けずに、ずっと片目で過ごしています。
歩くのは慣れましたが、何やら元気が出ないばかりか、気分がよくありません。
気分的にも暗くなりがちです。
いや、片目の性ではなく、この2週間はかなり「くらい日々」を過ごしているので、むしろちょうどあっているのかもしれません。

添えでもさすがに不快なので、時間の合間を見て、近くの眼医者さんにいる眼鏡屋さんに行って、新しいレンズをつくってもらいました。
しかし完成は日曜日だそうで、もう2日間片目の世界が続きます。

片目だといろいろ気づくこともあるのではないかと思っていましたが、どうも不便で不快なだけです。
もう少しちゃんと探せばよかったです。
その上、余計な出費です。
また関西に行くのを1回、やめなければいけません。
困ったものです。

■「福島の子どもたち」をテーマにしたサロン(2015年6月26日)
「福島の子どもたち」をテーマにしたサロンは、たくさんの人に聴いてほしかった内容でした。
この種のテーマの集まりは、さまざまなところで開催されているでしょうが、やはり改めて、小さな場での話し合いの意味を感じました。
ハーバーマスの言葉を使えば、こうした「公共的空間」こそが、いま改めて求められているような気がします。
テーマも参加者も、多様であり、かつフラットであることが大切です。

昨夜は雨の中を10人が集まりました。
たまたま新潟から出張してきていたささえあいコミュニティ生活協同組合の高見さんと川上さんも参加してくださいました。

立柳さんは詳細のレジメとともに、たくさんの資料を用意してきてくださいました。
立柳さんは年に1回程度、福島の実状を湯島で話してくださるのですが、今回もかなり驚愕な事実がありました。
やはり現地で活動している人の話には気づかされることが多いです。
今回は録音しておき、文字起こしすべきだったと後悔しました。
一番心に残ったのが、除染作業員に関することでした。
中途半端に書くと誤解されますので、やめますが、沖縄を思い出しました。

学生から70代まで、女性も2人、経済界の関係者や食養に取り組んでいる人、NPO関係者、原子力行政に関わる組織の人など、多彩な立場の人がいたため、話し合いもさまざまな視点に広がりました。

非常に象徴的だったのは、初めて参加した人が、これまではあまり深くは考えていなかったが、立柳さんの話を聞いて、ちょっと認識の甘さを感じ、その後の話し合いの中で、生活実感的にはまた少し揺り戻され、最後には立柳さんが話された、いろんな捉え方があるが、大切なのはそれぞれが自分の問題として主体的に考え行動することだというメッセージに納得したと話されたことです。
これこそが、まさに私がサロンをやっている目的ですので、うれしい思いをしました。

にもかかわらず、「自分の問題として主体的に考え行動すること」だけでいいのかと、私は少し異を唱えました。
それは、「体験したものの責任」ということです。
これに関しては、今日か明日、ブログに書く予定です。

話の密度も高かったので、また30分も延長してしまいましたが、話したりなかったことがたくさんありました。
立柳さんのメッセージはいつも心に響きます。
やはりなにかをしなければいけません。

■働く人の居場所(2015年6月27日)
慶応大学の学生の氏家さんが「働く人たちの居場所」に関心を持って調査研究に取り組んでいます。
協力しているところですが、予備アンケート調査の結果をどう本格調査につなげるかの相談を受けました。
なぜ私が相談を受けなければいけないのか理解できませんが、受けた以上はきちんと対応しなければいけません。
いろいろと話をしましたが、氏家さんはどうも本気で取り組もうとしています。
大人たちがもっときちんと相談に乗ってやらなければいけませんが、どうも最近の大学にはそういう仕組みがないのかもしれません。
大学もまた壊れだしているかもしれません。

このテーマは、しかし大切なテーマです。
どうせなら少し大きなプロジェクトに育てていけないか、という気もします。
少しまた氏家さんを応援しようと思い出してしまいました。
実のところ、いまの私にはそんな余裕はないのですが。
困ったものです。

■若者サロン(2015年6月27日)
若者中心の集まりは一歩前進しました。
各人からの提案を踏まえて、大きなテーマがなんとなく決まりました。
キーワードはどうも「平和」と「住みやすさ」「生きやすさ」です。
もちろんつながっています。
途中で「家族」論議もありましたが、たぶんそれもつながっていくでしょう。
3回目にしてようやく若者層と元若者層の心が少しだけつながった気がしたと一人の若者から言われました。
社会の変質を感じました。
テーマに取り組む方法もいろいろ出てきました。
次回は若者たちが具体的な提案をしてくることになりました。
こうした場の大切さが、若者と元若者から出てきました。
次回は8月1日です。
若い世代の人の参加をお待ちします。
どなたか参加しませんか。

(2015年6月第3週)
■これまでの生き方を問い質させられるような試練(2015年6月16日)
■新しいストリーテリングのスキーム(2015年6月19日)
■SADAKO−LEGACYの佐々木祐滋さん(2015年6月19日)
■「時間と空間と人間の関係」を考えるカフェサロンの報告(2015年6月20日)

■これまでの生き方を問い質させられるような試練(2015年6月16日)
この2週間、ちょっと大きな試練を受けています。
これまであまりにわがままに生きてきたことのツケが回ってきたのかもしれません。
いつか内容を書けるかもしれませんが、いまはちょっと書ける状況でもありません。
ただ、私自身が後で振り返って、思い出せるように、項目だけを書いておきます。

■新しいストリーテリングのスキーム(2015年6月19日)
新しいストリーテリングのスキームを構想しようという大きなビジョンでのプロジェクトチームの予備ミーティングを行いました。
メンバーは、先日知り合ったガーナ人のアナボヌ・ユウジンさんとリゾーミック仲間の吉本さんです。
進め方などに関して、大きな方向付けをしました。
タイミング的には極めて厳しい時期なのですが、なんとかうまく進めていきたいと思っています。
進捗状況に合わせて、また報告していきます。

■SADAKO−LEGACYの佐々木祐滋さん(2015年6月19日)
宇賀夫妻が宇賀さんたちがぜひ私に引き合わせたいといって、SADAKO−LEGACYの佐々木祐滋さんと一緒に湯島に来てくれました。
SADAKO−LEGACYは、広島平和記念公園にある原爆の子の像のモデルとなった、佐々木禎子さんの生涯を伝えることを通して、平和への実現に向かって活動しているNPO法人です。
佐々木禎子さんは、2歳の時に広島で被爆し、12歳で亡くなりました。
最後まで、折鶴をおりながら。
本や映画になっているので、ご存知の方も多いでしょう。
http://www.sadako-jp.com/
SADAKO−LEGACYは、禎子さんのお兄さんと甥でミュージシャンの佐々木祐滋さんが中心になって活動しているNPOです。
http://www.sadako-jp.com/

佐々木祐滋さんとは初対面でしたが、書籍を通して、なんとなくイメージはできていました。
思った通りに、まっすぐ前を向いている人でした。
おかげで、疲労困憊していた私も少し元気が出てきました。

佐々木禎子さんが死の直前まで精魂込めて作っていた折鶴が、いま、世界に広がっていますが、私の住んでいる我孫子市も、今度、寄贈先の一つに決まったそうです。
今年の12月6日に、寄贈式が行われるそうです。
これには参加させてもらおうと思います。
12月6日は、たぶん12月8日に一番近い日曜日として選ばれたのでしょう。
12月8日は、真珠湾攻撃の日、そしてジョン・レノンが銃で撃たれた日です。
私にとっては、自分の誕生日よりも強く記憶にある日なのです。

祐滋さんに何かできることはないかと思い、祐滋さんの5年後の目標を少しお訊きしました。
日本の折鶴を平和のシンボルとして、折鶴づくりをもっと世界に広げたいというのも、祐滋さんのビジョンの一つのようです。
なにができるかまだ見えていませんが、少しだけ動いてみようと思います。

■「時間と空間と人間の関係」を考えるカフェサロンの報告(2015年6月20日)
昨日は「ちょっとハードなカフェサロン」でした。
しっかりと「自分の活動」に取り組んでいる、「かなりハード」なメンバーが9人集まりました。
今回のテーマは、杉原さんによる「時間と空間と人間の関係を考える」です。
最初に、杉原さんがパワーポイントを使って、話をしてくれました。

ドラえもんの時間旅行の話から始まりました。
そして「こころの時間」という言葉が出てきて、時間の多義性と「心の距離ゼロ=心の時間」が説明され、さらにそこからフランクルと西田哲学が出てきました。
なにしろ、ちょっとハードなカフェサロンですから。
そして、「生きる意味の源泉」としての「コミュニティ」から、歴史的・時間的な「縦のつながり」が解体されてきているために、人間の時間意識が変わってきているのではないかと杉原さんは指摘します。
そこから「時間の私有意識」が、自らを商品化し、それによって、人間価値が矮小化され、また関係存在の多様性が損なわれだし、生きる意味もまた見えにくくなってきた、というのです。
ここまではまだ序論です。

このまま続けると長い報告になりそうなので、勝手に要約すれば、杉原さんは「私的所有権」をもっと曖昧な、言い換えれば「開かれた」ものにすべきではないかと考えているようです。
となれば、私にはとても共感できます。
私は、どちらかと言えば、ゲルマン法理と言われる「総有」概念こそ、社会の基本でなければいけないと学生の頃からずっと思っていましたから。

「狩猟採集」「牧畜」「焼畑」をおこなうアフリカ諸社会では、「私的所有権」の観念は確立されておらず、むしろ個人的所有権をあいまいにし、無力化する装置をもっているということを参照しながら、「その社会において最も価値があるとみなされるものの所有権を、何らかの形で無力化し制限する」(松井健さん)のがいいのではないか、そして、現代社会において、「最も価値があるとみなされるもの」は、「お金」か「時間」ではないかと杉原さんは問いかけます。

と、こんな風に議論は展開され、近代化によって、時間は「円環的時間」から「直線的時間」へと変わってしまったこと、そのため江戸時代までに強く意識されていた死者と生者の繋がりも薄れ、生者の関係性も弱め、人の関係性によって構成される社会を変質させてきてしまったこと、そしてそれが、「生きる意味」だけではなく「死の意味」さえをも見えなくしてしまったこと、などへと展開されました。

ともかく内容が多様であったために、まずは杉原さんの話を消化するだけでも大変でしたが、たくさんの問題提起と現代を考える上でのヒントがありました。
そのため、議論も広がりすぎて、なかなか深堀りできませんでしたが、結論(私の勝手な捉え方ですが)は、それぞれが自分の時間を取り戻して、自分をしっかり生きることが、いまこそ大切だということです。
つまり、実体のない「社会」や「制度」「組織」「金銭」に合わせて生きるのではなく、個人を起点にして、主体的に生きることです。
というわけで、このサロンの出発点である「個人を起点とする社会哲学」につながる多様な示唆をもらえたと思いますが、なにしろテーマが壮大なため、参加者は少しだけ消化不良だったかもしれません。
予定の時間を1時間も延長しましたが、話し合いは際限なく続きそうでした。
いずれ、少しテーマを絞っての続編を企画したいと思っています。
すでにぜひ継続してほしいという連絡が、今回参加できなかったCWSコモンズ村のメンバーから届いています。

なお「ちょっとハードなカフェサロン」の次回は、「法と倫理の両面からの「コミュニティ」の団体組織論的な解明」という、これまたいささか難しそうなテーマで、NPO法人科学技術倫理フォーラムの杉本さんにお話ししてもらう予定です。

(2015年6月第2週)
■パウサニアス・ジャパンが20周年だそうです(2015年6月9日)
■柏での会食(2015年6月11日)
■「70年の不戦」を考える(2015年6月14日)

■パウサニアス・ジャパンが20周年だそうです(2015年6月9日)
古代ギリシアをテーマにしたパウサニアス・ジャパンというグループがあります。
古代ギリシアを楽しむとともに、研究者を支援するささやかなパトロネージをするために、友人と3人で立ち上げたグループです。
妻の病気とともに、私は事務局長を辞めました。
その事務局から久しぶりに手紙が来ました。
今年で20年になるので、20周年の集まりをするそうです。
それで私にもお誘いがあったのです。
あいにく日程が合わずに参加はできないのですが、20年も続いていることがとてもうれしいです。

今は私の大学時代の友人たちが継承してくれていますが、私自身は全く参加していません。
メンバーもかなり変わったでしょうが、時々、そのメンバーも湯島に来てくれたりしています。

この活動もそうですが、あの頃はいろんなグループを立ち上げたり、プロジェクトを起こしたりしたものです。
最近は、そのエネルギーがなくなってきました。
それが自然の流れでしょうが、少しさびしい気もします。

■柏での会食(2015年6月11日)
青柳さんから、柏で活動している知人をお引き合わせしたいというので、柏で4人で食事をしました。
青柳さんは、ある会社の社長ですが、私には赤電話をくださった方です。
いまはもう懐かしい赤電話をお持ちなのを知って、もし不要だったらくださいと厚かましくもお願いしたら、重い赤電話を持ってきてくれたのです。
ところが、そのお返しができません。
なにか私にやれることはないかと言っていたら、では、ある人に会ってくださいというので、引き受けたら、なんとそれは私たちにご馳走してくれる場所だったのです。

そこで、青柳さんのお知り合いのおふたりを引き合わせてくださいました。
経営コンサルタントの方とファシリティマネジメントなど様々な資格を持っている方です。
おふたりとも、とても楽しい人でした。
久しぶりに、昔のことも含めて、いささか話しすぎてしまいました。
実は、ちょっと早く帰宅しないといけない用事があったのですが、話がとても楽しく、ついつい1時間もオーバーしてしまいました。

青柳さんには、またまた恩義ができてしまいました。
この歳になると、なかなかお返しができないのです。
困ったものです。

■「70年の不戦」を考える(2015年6月14日)
昨日は第2回戦争反対サロン「70年の不戦」を開催しました。
11人が集まりました。
女性が少ないと嘆いたら、それを受けて、農福活動に取り組んでくださっている、農カフェ「OMOしろい」の宇賀富美江さんが参加してくれました。
後は、やはり全員、男性でした。

西坂さんは、このサロンをやろうと思い立ってから、自分の問題として真摯に考えた結果、「どうやら、私は心情的な左翼にすぎない」と思うに至ったそうです。
そして、それに基づいて自分の考えをまとめ、「平和のための模索」をまとめてくれました。
そして、生き方も少し変わったそうです。
そのプロセスと整理したことを3章立てのレジメにまとめてくださり、それに沿って、とてもわかりやすいお話をしてくれました。
そして、それに基づいてみんなで話し合いました。

さまざまな意見と議論が出ました。
どうしたらいいかの話もだいぶ出ました。
話し合いの内容をきちんと報告できないのが残念ですが、少しずつこのブログに書いていければと思っています。

唯一の女性の宇賀さんが、やはり男性たちの議論は男性たちの議論だなと感想を述べてくれました。
そして女性としての平和に関する考えや取り組みを、これもとてもわかりやすく話してくれました。
立場や属性によって、考え方は違います。
老若男女を含めて、さまざまな人たちが話し合う場がとても大切だと、改めて思いました。
さまざまな意見に出会い、いろんな考えに触れ合う場が広がることが、もしかしたら「戦争」や「争い」の最大の抑止力かもしれません。

私は、戦争は経済のあり方に大きくつながっていると思っています。
経済のあり方は、さらに私たちの生き方につながっています。
そこを変えていかないといけないというのが、私の長年の取り組みです。

次回は7月18日に、女性を中心にした集まりを予定しています。
まもなく案内をアップしますが、関心のある方はご連絡ください。
詳しい企画案を送ります。

なお、もしご関心のある方がいたら、今回のレジメを西坂さんに頼んで送るようにしますので、ご連絡ください。

(2015年6月第1週)
■自民党憲法改正案を読む会(2015年5月31日)
■街中の建築を歩く会の企画(2015年5月31日)
■メンタルヘルス総合研究所の久保田さんの悩み(2015年6月2日)
■税務署からの電話(2015年6月2日)
■社会教育指導員(2015年6月2日)
■きゅうりの収穫(2015年6月4日)
■70年の不戦(2015年6月4日)
■経営道フォーラム57期スタート(2015年6月5〜6日)

■自民党憲法改正案を読む会(2015年5月31日)
戦争反対カフェサロンの番外編として、自民党憲法改正案を読む会を開催しました。
戦争に向かって進みつつあるような危機感を、もし持つのであれば、時の政府が考えている憲法感覚はしっかりと知っておかねばいけません。
ましてや憲法改正案まで発表されているのですから、せめてそれくらいは読んでおかねばなら批判しようがないでしょう。
私の周りにも、実際に読んだ人があまりに少ないのには驚かされます。

そこで呼びかけたのですが、集まったのは私も含めて7人でした。
予告通り、全員で逐条音読し、重要な論点を話し合いました。
アドバイザー役に、究極的民主主義研究所所長の武田さんにお願いしました。
武田さんは、すでに大部の自民党憲法改正案の批判論文を書いていますが、まだ出版してくれるところがみつかりません。

まず前文から読み出しました。
この部分だけでも、改正案の思想と姿勢が明確に伝わってきます。
できれば皆さんも読んで、いまの憲法との違いを考えてほしいです。
それぞれの文章の主語の違いを比べてみるだけでも、改正案の意図が見えます。
ここでは参加者の一人から、日本人は明治時代の「臣民」からいつ「人民」になったのか。
そして、「人民」ではなくて「国民」であることの意味を認識すべきだと発言がありました。

第1章の「天皇」も、改正案では大きな変質が企図されています。
天皇の人権を無視していいのかという議論も多かったですが、改正案には民主主義や人権尊重という「建前の憲法思想」と整合しない根本的矛盾があります。
「天皇を救え!」という思いが出てこない日本国民の薄情さを私は感じます。
私は、あの「オメラスの話」を、いつも思い出します。

第2章は、現行憲法の「戦争の放棄」が改正案では「安全保障」になっていますが、この考え方が時代錯誤だという意見が多かったように思います。
この章名は「安全保障」ではなく「安全の放棄」にした方がいいような内容だと私は思います。

第3章の国民の権利及び義務は、もう情けなくなってきます。
憲法とはとても言えない内容のような気がします。

そんな感じで、改正案のあまりのお粗末さに、この改正案は本気でつくったのかという疑問が出てきます。
しかし、どんなものでも、一応、与党の公式の改正案ですから、これがデファクトとしていつのまにか「認知」されていきかねません。

条文から離れて1時間ほどの話し合いをしましたが、なかなか止まりません。
なんとか議論を収斂させようと試みましたが、その都度、また新しい論点へと広がって止まらないのです。
それで無理やり切って、最後にそれぞれが感想を言って、何とか4時間近い議論を終えました。

私は次のような感想を述べました。
改めて憲法を読んでみると、現行憲法も含めて、「統治基本法」でしかないこと。
それでも現行憲法にはわずかに残っていた理念や普遍性志向が削除され、ますます手続法になってしまっていること。(たとえば、現行憲法の97条が削除されています)
立憲主義の理念は失われ、臣民の守る道を示す「ありがたい存在」を目指していること。

私たちは、日本国憲法のもとで「人民」へと変われるはずだったのに、やはり「国民」という名の臣民にとどまっているのを見透かされてしまっているのです。

こういう学びや話し合いの場は、意味を持っているのでしょうか。
今回、物足りなかったのは、自民党の改正案に賛成する人がいなかったことです。
意見の同じメンバーが話し合っても意味はありません。
もしみんなの意見が同じであれば、次は行動に移さねばいけません。
そんなわけで、それぞれ何かアクションにつながるように考えようという提案をしました。
私は最近、政府向けのデモよりも、まずは自分の思想を磨くことが大切だと思い出しています。
そのためにも、この種のテーマの話し合いの場を続け、参加者を広げたいとと思います。
それが私の、当面のアクションプログラムです。

今度は現行憲法を読む会をやる予定です。

ちなみに、自民党改正案に関する私見は以前ブログでも書きましたが、その総集編があります

■街中の建築を歩く会の企画(2015年5月31日)
ちょっと知的なカフェサロンでは、これまで近代建築散歩を続けてきている若林さんにお願いして、秋に「近代建築を見て歩く会」を企画しています。
若林さんは仲間のみなさんと一緒に、「埼玉モダンたてもの散歩」や「懐かしの街さんぽ 埼玉」を出版されています。
若林さんは、フェイスブックでよくご自身で見に行った建築を紹介してくださっていますが、それがとても楽しそうなので、この企画をお願いしたところ、快諾していただき、早速に打ち合わせをさせてもらいました。
そのうえ、著書までいただきました。

夏の暑い時はやはり避けたほうがいいので、9月の後半に湯島でのカフェサロンを開催し、10月頃に現地をみんなで歩くことを考えています。
ご関心のある方はご連絡いただければ、登録し、歩く地域や日程なのの企画にも参加してもらうようにしたいと思います。
ぜひご連絡ください。

■メンタルヘルス総合研究所の久保田さんの悩み(2015年6月2日)
久しぶりにメンタルヘルス総合研究所を主宰している久保田浩也さんが湯島に来ました。
久保田さんは、30年以上前からメンタルヘルスの問題に取り組み、会社でも健康診断に並んで、メンタル診断をすることを提案されていました。
当時は、日本生産性本部に所属しており、プロジェクトにも取り組んでいましたが、少し事業気が早すぎたのか、結局、それは実現できずに、久保田さんも独立してしまいました。
まあ久保田さんも組織のなかにおさまるような人ではないのです。
私は生産性本部時代からのお付き合いで、当時もそんな研究会にも入れてもらっていました。

久保田さんは、その後、メンタルヘルス増進のための「こころの体操」を開発し、その普及活動に取り組んでいます。
著書も出され(ブックのコーナーで紹介済)、マスコミでも取り上げられましたが、なかなか普及しないので、その件で相談に来たのです。

最近、久保田さんが取り組んでいるもう一つの活動の話もお聞きしました。
がん治療のための「にんにく療法」です。
これまた久保田さんらしい取り組みです。

いずれも何かできることはないか、考えたいと思います。
「こころの体操」は、どこでも気楽にできるものです。
ご関心のある方はいつでも久保田さんをご紹介しますので、ご連絡ください。

■税務署からの電話(2015年6月2日)
会社の留守電に税務署から電話がはいっていました。
また何かミスをしたかなと心配になって、電話をしました。
以前も経費を引くところを足してしまい、利益が出てしまったことがあるのです。
今回は何だったのか、今回はお金がなくて書籍を変えず、図書館の利用が増えた結果、書籍代がけた違いに激減したのが不審に思われたのかなと考えながら、恐る恐る電話しました。

ところが、やはりそんな難しい話ではなく、私の単なる誤記の訂正で、税務署の方で書き直すので、控えも直しておいてくださいという用件でした。
どうも行政などへの申告書は書くのが苦手で、よく書き間違います。

今回は実はもっと大きな手違いがあり、実は控の分も、また途中計算のメモまで一括提出してしまっていました。
もう少し真面目に申告しないといけません。
最近は緊張感がなくなってきています。
困ったものです。

■社会教育指導員(2015年6月2日)
社会境域をテーマにしたミーティングの3回目です。
「社会教育」編集長の近藤さんと自在株式会社の根本さんと毎月やっていますが、少しずつ方向性が見えてきました。
今回は、社会教育指導員の問題に絞って話し合うことになり、新たに社会教育指導員として活動している安藤さんも加わってもらうことにしました。
次第に課題やテーマも見えてきています。

活動の目的は、前にも書きましたが、お上の社会教育から民の社会教育へのパラダイムシフトです。
まだまだ全員が考えていることには幅がありますが、少しずつ共有部分は増えているように思います。
手間に関心のある方は是非ご連絡ください。
実際にないか新しい仕組みをつくりだしていくことを目指しています。

■きゅうりの収穫(2015年6月4日)
朝、畑に行って、きゅうりを収穫してきました。
妻のお供えした後、早速、そのまま食べてしまいました。
実に美味しいです。

来週はナスが収穫できそうです。

■70年の不戦(2015年6月4日)
戦争反対カフェサロンの2回目は「70年の不戦」をテーマに、編集者の西坂さんが問題提起してくれることになりました。
実は日程とテーマは2か月前から決まっていたのですが、西佐中さんは実に誠実な方で、自分が納得できる準備ができるまで呼びかけを待ってほしいと言っていたのです。
レジメが送られてきました。
実に魅力的な内容です。
早速に案内を出しましたが、ちょっと期近すぎて、参加者が集まるかどうか不安です。
それに最近はサロンが多すぎますし。

そんなわけで、お時間があれば、ぜひご参加ください。
案内はお知らせのコーナーにあります。
6月13日の午後の開催です。

■経営道フォーラム57期スタート(2015年6月5〜6日)
企業の経営幹部の自主研究プロジェクトの経営道フォーラム57期のキックオフ合宿が那須高原で行われました。
今回は2日間、みっちりと付き合いました。
今回の担当は2チームです。
なかなか面白いメンバーですので、楽しみです。

私のチームのルールは、いつもながら「一人称自動詞」で話すことです。
またこれまでの発想の呪縛を一度はずしてもらうことです。
それができると面白い展開になりますが、それができないとまったく退屈な展開になります。
さて今回はどうなるでしょうか。

(2015年5月第4週)
■畑の状況(2015年5月24日)
■一足早い誕生日(2015年5月26日)
■株式会社コンセプトワークショップ決算(2015年5月27日)
■東京を自転車でよろよろ走りました(2015年5月27日)
■経営道フォーラムコーディネーター会議(2015年5月27日)
■STRAMD講義「企業の社会的価値」(2015年5月27日)
■国際箸会館コミーホールオープン(2015年5月28日)
■初収穫のきゅうり(2015年5月29日)
■ガーナのユウジンさんが箸ピーゲームに初挑戦です(2015年5月29日)
■コムケアサロン「貧困を考える」(2015年5月29日)
■若者サロンで誕生日を祝ってもらえるとは思ってもいませんでした(2015年5月30日)

■畑の状況(2015年5月24日)
畑が元気です。
キュウリやトマトが実を結び出しました。
一方、相変わらず野草も元気です。
熾烈な戦いが始まっています。
道沿いの斜面に花のタネをまきました。
芽を出してくれるといいのですが。

こうして少しずつですが、目に見える変化があるとやる気も高まります。
しかし、毎日は来られないため、まだ気は許せません。

■一足早い誕生日(2015年5月26日)
娘夫妻が少し早目の誕生日を祝ってくれました。
誕生日を祝うということが私には理解できていないので、娘夫婦はあんまり祝い甲斐がないでしょうが、それでも毎年祝ってくれます。
もう74歳です。
73歳はくたくたの1年でしたが、74歳はそうならないことを祈ります。

■株式会社コンセプトワークショップ決算(2015年5月27日)
会社の決算をしました。
ほとんどお金の出入りがないため、いまは私が一人でやっています。
今年はなんと利益が出ました。
それはそうでしょう。
私もこの10年以上、会社から給料をもらったことはありません。
以前は、働いた上に、決算期には私が会社に貸し付けるという感じでしたが、今年はあんまり仕事をしなかったので、経費があまりかかりませんでした。
それで、事務所経費を会社で負担してもらえることになったのです。
要するに黒字だったということです。
確定申告を作成して税務署に提出してきました。
あんまり内容のない決算報告書なので、いつも提出するのが恥ずかしいくらいです。
法人税も払えていません。
毎年払うのは東京都への事業税だけです。
ですからあまり社会には貢献できていないのです。

しかし、これまでかなり充当してきた私の貸付金は、今年は100万円、返してもらえました。
これで少し仕事ができそうです。

■東京を自転車でよろよろ走りました(2015年5月27日)
今日の東京は夏のような暑い日でした。
その中を、自転車で飯田橋まで行ってきました。
文京区のシビックホールに用事がったのですが、そこまでは自転車で下り坂なので楽なのです。
暑さを気にせずに、自転車で出かけました。
何しろ変速ギアなしのミニサイクルなのですが、下り坂は快適です。
用事を済ませて帰ろうと思ったら当然のことですが、長い上り坂が目の前にあります。
そこでついくじけてしまい、その後の用事の場所が飯田橋だったので、近いだろうとそちらに自転車で直接行くことにしました。
問題を先延ばしするのは人間の悪い習性です。
ところが今度は道を迷ってしまい、なかなかつきません。
何とか汗まみれになって到着しました。
2時間のミーティングは無事終わりましたが、あの上り坂を思い出すとぞっとします。
しかし、その次の用事があるので、湯島に戻らなければいけません。
帰りは迷いませんでしたが、ゆっくりと走ったり上り坂は歩いたりして、40分もかけて戻りました。
しかしいろいろと学ぶことがありました。
子どもを乗せて走る母親の自転車がとても多いのに気づきました。
それと歩行者と自転車の関係の危うさも実感しました。
自転車で走ると、いつもとは違う東京が見えてきます。
実は今日は、午前中も自転車で1時間近く湯島周辺を走っていたのです。

自転車も時にはいいものです。
年寄りにはいささか危険ではありますが。

■経営道フォーラムコーディネーター会議(2015年5月27日)
山城経営研究所でやっている経営道フォーラムのコーディネーターと事務局との方向性などのすりあわせを行いました。
山城経営学は私が大学生のころから有名でした。
私が会社に入って最初に学んだのも確か山城章さんの本でした。
それから20数年して、山城さんに会うとは思ってもいませんでしたが、私が会った時の山城さんはまさに好々爺で、話している言葉がよくわかりませんでした。
しかし、そのお人柄と信念は伝わってきました。
それもあってこれまで経営道フォーラムに関わってきました。

しかし、たぶん時代は、山城さんの経営学を古いものにしてしまっています。
不足の時代から過剰の時代へと社会は大きく変わり、経済もまた変質してしまいました。
社会とは何か、経済とは何か。
そして経営とは何か。
改めてそれを日本の文化や歴史の中で、そうした問題を正面から考える必要が出てきています。
人が幸せでないような会社が増えている昨今の状況を見る限り、経営道フォーラムに関わってきた25年は、私にとっては無駄な25年だったような気がしてきています。
しかし、そこで出会えた人も少なくありません。
今でも思い出す企業経営者の人たちが何人かいます。
しかし、時代はむしろ悪い方向に向かっているような気がします。

そんなわけで、あまり前向きの発言ができず、皆さんには迷惑をかけてしまったような気もします。
もう1年は、この活動に関わらせてもらいますが、それで終わるつもりです。

■STRAMD講義「企業の社会的価値」(2015年5月27日)
経営道フォーラムは、大企業の経営幹部を対象にしていますが、若い世代で、しかも変革志向や起業志向のある人を対象にしたデザイン戦略経営を基本としたビジネススクールがSTRAMDです。
今期も、1回だけ講義を引き受けました。
受講生によれば、私の話す内容はほかの講師たちと真逆のメッセージだと言います。
なにしろ金銭至上主義的な企業経営の在り方への異議申し立てですから。
それでも何人かの人はポジティブに反応してくれます。
それで何とか続けて来ました。

しかし、年々、共感よりも拒否感が強いような感じを受けています。
新自由主義のもうけ主義でなぜ悪いのか、社会に不安を起こしてビジネスチャンスを増やすのがマーケティングだ、などと言われてしまうと、私には説明する気力さえ萎えてきます。
ドラッカーは顧客の創造こそが経営だというようなことを言いましたが、私は顧客の解消こそが経営だと思っているのです。
いまの社会は、あまりに市場化が進み、金銭依存社会になっています。
もはや戻れないほどの社会的洗脳も進んでいるのかもしれません。

むしろ大企業の経営幹部のほうが、社会への違和感を持ち出しています。
やはり人は現実から学ぶ存在なのでしょう。
そろそろSTRAMDでの講義も役割を終えたかなと思いだしています。

ちなみに今回は、「企業の社会的価値」というテーマで話しました。
金銭呪縛から抜け出られない経済的価値基軸のCSRやCSVから、社会的価値を基軸とした企業経営に発想を変えようという話です。
昨今の日米の企業のCSRにも、そしてCSVにも「人間」がどうも見えてきません。
人を幸せにできない企業がいうCSRもCSVも、所詮は金儲けの手段にすぎません。
そろそろそんな時代から抜け出ないといけません。

■国際箸会館コミーホールオープン(2015年5月28日)
今日、川口市に国際箸会館コミーホールがオープンしました。
川口市の市長も挨拶され、箸ピーへの期待を話されました。
私もなぜかそこに参加してしまいました。
そのおかげで、長野の児童養護施設円福寺愛育園の藤本光世さんにお会いできました。
お話は何回も、小宮山さんからお聞きしていましたが、思った通りの人でした。
写真は、交流会でお話している藤本さんと小宮山さんです。
また久しぶりに、箸の先生の鈴木道こさんにもお会いしました。
道こさんの紙芝居による箸の話は、素晴らしかったです。
小学生になった気分で、紙芝居を見せてもらいました。
それにしても、箸ピーゲームがここまで大きく広がるとは思ってもいませんでした。

「箸ピー」ってなんだと思われた方は、ぜひ湯島にお越しください。
ゲーム体験した後、その壮大な構想をお話し、小宮山さんにつなげさせてもらいます。

帰りに、コミーのL室に立ち寄りました。
岩田さんが元気そうなのと、若い横田さんと船田さんにも会えました。
「L室」ってなんだと思われた方は… これは小宮山さんに訊くしかないですね。
面白い空間で、私はそこで自分と握手してきました。

■初収穫のきゅうり(2015年5月29日)
この数日、疲れ切っています。
幸いに今日の予定が参加する方の都合で2つも延期になりました。
それで午前中時間ができたので、畑に行ってきました。
身体的な疲れはかなりあるのですが、畑に行って自然と対峙するとなぜか元気になるのです。
30分ほど草刈りをしました。
野菜を見たらキュウリが成っていました。
初収穫でした。
今年は期待できそうです。

■ガーナのユウジンさんが箸ピーゲームに初挑戦です(2015年5月29日)
リゾーミック仲間の吉本さんが、コミュニケーションゲームの本の翻訳出版の相談に来ました。
最近出会ったというガーナ人のアナボヌ・ユウジンさんと一緒でした。
本の出版だけではなく、それを契機に新しいプロジェクトを起こしたいというので、参加することにしました。
新しいチームのスタートです。

ユウジンさんは、NGOプロジェクトWEAsONEの代表です。
今年のはじめに創業し、いまコアメンバーは6人、会員は50人だそうです。
テーマは「こころの深さ」。
唯識論の世界ですね。
その言葉で気に入ってしまい、プロジェクトへの参加をほとんど何も考えずに了承したのです。

吉本さんが、ここに来たら箸ピーゲームをやらないといけないと言い出しました。
それで前の来客だった宇賀夫妻も一緒にゲームをやってもらいました。
3人ともとても気に入ってくれました。
アフリカ関係での箸ピーゲームはたぶん初めてです。
終わったころにミスター・箸ピーゲームの小宮山さんが来たので、お引き合わせしました。

■コムケアサロン「貧困を考える」(2015年5月29日)
「貧困問題を考えるサロン」は途中までの参加も含めると14人になりました。
貧困への関心の高さがわかります。
見えていない人には見えませんが、きちんと生きている人には痛いほどわかる問題なのです。
もし皆さんが、「貧困」という言葉になにか感ずることがないとしたら、要注意です。
老後は不幸になるかもしれなません。

自立生活サポートセンター・もやいの理事長の大西さんの話はとてもわかりやすく、話し合いもはずんだので、30分以上も伸ばしたのですが、まだまだ話したかったという人が多かったです。
貧困問題からはいまの日本社会の実相が見えてくると同時に、私たちがいま正すべき課題も見えてくるような気がします。

今回は特にホームレス問題に関して、もやいが作成した「貧困問題レクチャーマニュアル」を使ってミニワークショップも組みいれてくれました。
たとえば、朝起きたら、家の前でホームレスと思われる人が寝ていたら、あなたはどうしますか、というテーマでの話し合いです。
自分の問題として考えると、問題がまた違って見えてくることをみんな実感したと思います。

ちなみにこのマニュアルはとても示唆に富んでいます。
自立生活サポートセンター・もやいのホームページからダウンロードできますので、多くの人に読んでほしいと思います。
http://www.npomoyai.or.jp/wp-content/uploads/2015/04/hinkonlec.pdf

私自身は、日本では、トリクルダウンの論理を使った、巧妙な貧困層の暮らしの市場取り込みの結果、逆再配分機能が発揮されて格差拡大が制度化されたと考えているのですが、そう考えると貧困層は「経済成長」のための不可欠な要素にされているような気がしています。
また多くの場合、住む場所(ハウスとホーム)こそが貧困問題を解決するカギだとも思っています。
必要なのは「雇用の場」ではなく「暮らしの場」だと思いますが、そういう意味から、貧困問題や経済の捉え方も見直していく必要があるようにも思います。

久しぶりに会った大西さんは実に逞しくなっていましたが、何よりもあの「優しさと明るさ」がそのままだったのがとてもうれしかったです。

■若者サロンで誕生日を祝ってもらえるとは思ってもいませんでした(2015年5月30日)
今日は若者主役で何かを始めようという話し合いの集まりでした。
私からの時間案内がめちゃくちゃだったようで、3時からと思っていた人と4時半からと思っていた人があって、皆さんに迷惑をかけてしまいました。
早目にオフィスについていたので、何とか大丈夫でした。
で結局、7人が集まって、いろいろと話し合いをしました。
プロジェクト型とイベント型で並行して企画案を考えていくことになりました。
面白いプロジェクトが始まりそうです。
まだまだメンバー公募中ですので、若い人はぜひ仲間になってください。
個性的な大人たちとの話し合いも、それなりに魅力的ですよ。
私にとっても、実にいろいろな気付きをもらえて、うれしいです。

ところで、今日は私の誕生日だったようで、FBでもいろいろとメッセージをもらいましたが、
なんとこの集まりでも、ふたりの方がケーキと亀まんじゅうをもってきてくれました。
わざわざネットで調べてケーキを買って来てくださり、亀まんじゅうは私の長寿を祈ってくださったのです。
亀まんじゅうは、楽しいので写真に撮りました。



亀の頭を食べたかったのですが、楠さんか太田さんが食べてしまいました。
困ったものです。
しかし、まあこの2人なら、仕方がありません。

(2015年5月第3週)
■システムに振り回されるようになってしまいました(2015年5月17日)
■KAE56期発表会(2015年5月18日)
■経営道フォーラムへの遺言(2015年5月21日)
■科学技術倫理フォーラムの杉本さんと組織論議をしました(2015年5月21日)
■みの〜れ訪問(2015年5月22日)
■重い重い電話が続いています(2015年5月23日)

■システムに振り回されるようになってしまいました(2015年5月17日)
ホームページの更新をしようと思ったら、うまくアップできません。
ホームページ作成は Dreamwaver というソフトを使っていますが、それがXP時代のバージョンなので、時々、不具合が発生します。
そのせいかもしれないと、いろいろと条件を変えたりして挑戦してみましたが、だめです。
うまくいかないとますます何とかしてやってみようという気になってしまい、パソコンまでXPのものに変えて、試してみましたが、すべてダメです。
諦めました。

ところが2日後、調べてみたらプロバイダー側に原因がありました。
プロバイダーのサイトに、不具合が生じていること、とりあえず別のやり方でアップできることが書いてありました。
その方法で火曜日にアップすることができました。
その後、プロバイダー側の不都合も解消しました。

とまあ、それだけのことなのですが、改めて自分の生活が「システム」に依存していることを痛感しました。
今回は、ホームページの更新だったので、大きな問題はありませんでしたが、いつ大きなところで不都合が起きるかもしれません。
システムに依存することによって、生活が脆弱になっていることを実感させられえました。

ところで、その後、今度は実害が発生するミスに気づきました。
JRのスイカのオートチャージができるようにしようと思い、ネットで手続きを試みたのですが、なぜか、新たにまた新しいクレジットカードを申し込んでしまったようで、そのカードが届いたのです。
もちろん費用も発生していましたが、それよりもカードがまた増えてしまいました。
さてさて困ったものです。
それにしても最近のネットでの手続きは実にわかりにくい。
私もとうとう時代から取り残されてしまったようです。

■KAE56期発表会(2015年5月18日)
椿山荘で経営道フォーラムの発表会でした。
今回は、4つのチームしかなかったので、全体で開催することになりました。
修了式にも参加したので、なんと7時間に及ぶ、長丁場でした。
4つのチームの発表を聞くのは疲れます。

発表会には懐かしい人が3人参加してくれていました。
羽生田さん、岡村さん、そして古庄さんです。
それぞれ私の記憶に残る受講生です。
みんなそれぞれの会社の社長になっていました。

私がこのフォーラム活動に期待するのは、「一人称自動詞で考える」ということです。
そうでなければ実践的なものにはなっていかないからです。
しかし、最近はだんだん抽象的な議論が増えてきました。
どうも私は流れから外れだしているようです。

もう25年近く、半年に1回、こういう発表会に参加してきました。
そのおかげで、日本の会社の実相をなんとなく垣間見てきたような気がします。
間違いなく、日本の大企業は劣化しています。
25年前に思っていたことが、だんだん現実化してきたように思います。
それもまたさびしいことなのですが。

■経営道フォーラムへの遺言(2015年5月21日)
経営道フォーラムを主宰している山城経営研究所社長の鈴木さんが湯島に来ました。
経営道フォーラムの展開に関して、これまでも何回か、湯島に来てくれていますが、なかなか苦戦されているようです。
経営道フォーラムは、その第1回目から関わらせてもらっていますので、私自身、思い入れが深いので、
これまではボランタリーに全面的に協力させてもらってきたのですが、最近はいささか疲れだしました。
それに、私の役割も終わったようです。
たぶん私の顔を立てて湯島に通って来てくれるのでしょうが、意味のない儀礼的なことは私が一番好まないことなのです。
そろそろ私はいなくなった方がよさそうです。

2人で話すのは、今回がたぶん最後になると思うので、一応、思いのほとんどをお伝えしました。
来週Mまた山城経営研究所でミーティングがありますが、その時はおとなしく後進の方にお任せしようと思います。
四半世紀、関わってきましたが、今年がたぶん最後になるでしょう。
いささか心さびしい気はします。

■科学技術倫理フォーラムの杉本さんと組織論議をしました(2015年5月21日)
NPO科学技術倫理フォーラムの杉本さんが、先日、日本法社会学会で、「法と倫理の両面からの
「コミュニティ」の団体組織論的な解明」を発表されました。
http://jasl.info/news/program2015.pdf
私にもぜひ聞いてほしいというので、今日は湯島で私だけにパワーポイントを使って発表してくれました。
実に杉本さんらしい、緻密でわかりやすい内容です。

そこでメッセージされているポイントの一つは、日本の組織論には「個人が見えない」というのです。
この点では、私もまったく同感です。
というか、このホームページもそうですが、私のこれまでの活動は、その点を変えていこうということに尽きるのです。

もうひとつ、杉本さんの議論には最近の「アソシエーション論」が反映されていないような気がしました。
その点も指摘させてもらいました。

この内容を、もう少し一般向けしたものにして、一度、湯島でカフェサロンを開催したいと思っています。
またご案内しますが、もし内容に関心のある方がいたら、ご連絡ください。
概要をお知らせするようにします。

■みの〜れ訪問(2015年5月22日)
我孫子市役所の青木さんたちと一緒に、茨城県の文化センター「みの〜れ」に視察に行きました。
我孫子市でも文化施設づくりが課題になっているのです。
それで、私が以前関わった「みの〜れ」に行くことになったのです。
どうせ行くなら表面的な見学ではなく、本音ベースの話し合いも持ちたいと思い、
みの〜れの館長の山口さんに頼み、
これまでの活動に関わってきている住民や職員にも特別に参加してもらうようにしました。
山口さんから、人選を任されましたので、人数が多くなってもと思い、3人に絞らせてしまいました。
最初から関わっているうちに市会議員になってしまった住民の福島さんと
センター建設と運営に住民と一緒に職員らしからぬ経験をして「みの〜れ精神」を叩きこまれた中本さん、
そして住民の文化活動の要になってくれ、自らの人生まで変えてしまった野手さんです。
3人とも、とても喜んで参加してくれました。

山口さんも、最初から最後まで、実に柔軟に、しかも実状をしっかりと話してくれました。
3時間もとったのですが、時間が足りませんでした。
我孫子からは副市長の青木さんはじめ、4人の職員が行きましたが、
それぞれにつながりができたので、あとはもうそれぞれでやってもらえるでしょう。
人間としての繋がりができれば、情報はライブに交流されるようになるものです。

往復の車中で、青木さんとは久しぶりにゆっくり話ができました。
副市長という激務にもかかわらず、青木さんはいつもとても明るく元気です。
お昼を青木さんにご馳走になってしまったのが、いささかの心残りですが。

みの〜れの中本さんが、早速、フェイスブックに写真付きでレポートを書いてくれました。
私もその記事をシェアさせてもらいました。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=832727570150710&set=a.173919662698174.42609.100002404251025&type=1&theater
中本さんや福島さん、野手さんからは、とてもうれしいコメントももらいました。

■重い重い電話が続いています(2015年5月23日)
最近、いろんな重い話に覆われているのですが、今朝の金田さんからの電話も重すぎて、
少し金田さんには失礼な応対をしてしまいました。
私が感情的になってしまう話題はいくつかあるのですが、がん治療の話は、いまもってダメなのです。
どこかで頭が混乱してしまい、ついつい聞きたくないというメッセージを発してしまうのです。
今日も最初は自重していたのですが、途中でやはりおさえられなくなってしまいました。

幸いに金田さんも頭が混乱しているようで、私の言葉は届かなかったかもしれません。
その証拠に、佐藤さんの元気な声を聞くと元気になると言ってくれました。
私が元気だったのでなく、いささかいらだっていただけのことなのですが、それが金田さんには元気に感じたのでしょう。

そしてその後に、金田さんが、こういう話は誰にもできないので、佐藤さんにしか言えないのですと言ってくれたので、私は大いに反省しました。
がん治療の話を聞くのはやはり私には耐えがたいのですが、
そんな思いで電話してきてくれたのに、なんと冷たい対応だったことか。

つづいて、今度は違う意味で「重い電話」がかかってきました。
武田さんが、安保11法案の閣議決定後の安倍首相の記者会見の新聞記事を読んで、どうしようもなく腹が立ったので電話したというのです。
とんだとばっちりです。
まあよくあることなのですが。
それについて、武田さんは雑誌の連載コラムに書くようですが、まずは怒りを私にぶつけてきたわけです。
迷惑だよと言ったら、こういう話をわかって聞いてもらえるのはあなただけだからというのです。
なんだか私は、不安や怒りのはけ口のような存在の気がしてきました。
安部首相は内容のない言葉しか語らないのだから、読む価値もないと話したら、武田さんはそれでも我々が選んだ首相だからね、と正論を返してきました。
加えて、阿部さんは小学校の時から国語は不得手だっただろうな、論理性が全くない、というのです。
阿部さんの発する言葉の矛盾をだれも指摘しないのも許せないと武田さんはお怒りです。
まあ、論理性がないとは、私もよく武田さんから言われていますので、同じレベルにされたかといささかムッとしました。
しかし、問題は論理性ではなく、発想できる世界の広さでしょう。
この電話がなぜ重いのか。
私はもうこの数か月、テレビのニュースや政治番組を見る気になれずにいます。
政治の記事を読んだり見たりした途端に、どこか不安が襲ってくるのです。
阿部首相の顔を見ただけでも、不快になります。
昔、小泉さんの顔を見ただけで精神が穏やかでなくなったころと同じです。

ほかにも重い話は、今日は2つほどありますが、書くことさえ気が重いのでやめましょう。
この状況から早く抜け出たいです。

(2015年5月第2週)
■国際箸学会への夢(2015年5月11日)
■畑の状況(2015年5月13日)
■Daxの訃報(2015年5月14日)
■小学校時代からの悪縁(2015年5月14日)
■ちょっと知的なカフェサロン「死ぬほど面白い音楽学」(2015年5月16日)

■国際箸学会への夢(2015年5月11日)
国際箸学会の本拠地となる国際箸会館が川口市にできました。
箸学会を立ち上げた小宮山さんの夢は、どんどん形になってきていますが、まだ推進体制に弱さがあります。
そこで、小宮山さんと西山さんとで話し合いを持ちました。
なぜかどんどん引き込まれてしまっていますが、西山さんとゆっくりと話す機会は初めてです。

西山さんと知り合ったのは、どのルートでしょうか。
いつの間にか知り合って、お互いによく知っているような気になっていて、実はあまり話したことがないということはよくあります。
今日、そのことに気づきました。

西山さんも、小宮山さんに誠実に対応しています。
私もそうですが、横から見ていたら、かなり失礼な発言もあるでしょうし、小宮山さんの意に反する発言もあります。
それが私がいう「誠実さ」です。
耳触りのいい人ではない2人を呼んだ小宮山さんの本気を感じました。
でも少し言い過ぎたかもしれません。

大方の合意ができました。
後は西山さんが、前に進めてくれるでしょう。
私もいまさら抜けられなくなってきました。
困ったものです。

■畑の状況(2015年5月13日)
1週間ほど、行けていなかったわが家の農園に行ってきました。
1週間ほど行かないだけでも野草がすごいのです。
1日に1センチ以上伸びるのです。
たぶんゆっくりとみていれば、伸びるのがわかるかも知れません。
畑の部分はまあいいとしても、その周辺はすごいことになっていました。
今年は、草刈りの後、マルチシートを張って草を防止する予定だったのですが、資材は買っていましたが、何か気が進まずに、やっていません。
除草剤も土壌にダメッジを与えないものを用意していたのですが、これもどうも使う気にはなれませんでした。
ですから、今年も野草との戦いです。

しかし、草刈りを始めたら、腰がまたおかしくなってきました。
腰痛の原因は、やはり畑仕事だったようです。
腰が曲がってきそうな気配もあります。
農家の高齢者が、昔、腰が曲がっていたのは畑仕事のせいですね。
私もまもなく腰が曲がるかもしれません。

最近の畑の状況です。



■Daxの訃報(2015年5月14日)
朝、パソコンを開いたら、知らない人からのメールが届いていました。
開いてみたら、Daxが今朝の3時過ぎに息を引き取ったという知らせでした。
この人はいったい誰だろう、なんでこの人からメールが来るのか。
もしかしたらとパソコンの「迷惑メール」のフォルダーを確認してみました。
3日ほど前に、同じ人からのメールがありました。
携帯電話からの名前のないメールが時々、迷惑メールに処理されてしまうことがあるのです。
最近それに気づいて、迷惑メールを消去するときに確認しているのですが、気づくのが遅すぎました。
そのメールは、下記のような内容でした。

リンクしていただいている daxの件でご連絡させて頂きました。
私 ○○と申します。
本人より入院したら その旨伝えるようにと申し受けておりましたが連絡先をはっきりと聞いておりませんでした。やっと佐藤様の所にたどり着きました。
8日より 神崎は入院しております。
先生の話では もう退院出来ないであろうと言うことです。
本人は退院する気でおります。

なんということか。
神崎さんとはdaxのことで、すい臓がんで余命宣告を受けた後、福井に戻って養生していたのです。
6月か7月に会いに行くからと伝えていたのですが、間に合いませんでした。
フェイスブックでは、数日前に、兄貴分に会いに行ってきたと書いてありましたので、安心していたのですが、いかにも急展開です。

神崎さんとの付き合いは、いろいろとあります。
やくざの世界から抜けて、誠実に生きようとしていました。
しかし、とんでもないトラブルにまた巻き込まれてしまいました。
男前を信条としている彼は、たぶん誰にも助けを求められずにいました。
それがわかっているだけに放っておくわけにはいきませんでした。
何とか支えることができ、やっと前に進めると神崎さんが報告に来た直後に、余命宣告を受けたのです。

心と笑顔のきれいな人でした。
彼にとって、私は100%、心を開ける存在だったと思います。
無念でなりません。
まあ彼岸でまた会えるでしょうが。

■小学校時代からの悪縁(2015年5月14日)
小学校時代の悪友4人組があります。
私も含めて、あんまり常識的でない生き方をしている連中です。
先週、声がかかりました。
小学校は大森でした。
いま大森に住んでいるのは一人だけですが、集まるのは大森です。

みんなそれぞれを一応心配しているので、元気な顔がそろうとホッとします。
最初は、みんな歳を忘れて小学校時代に戻りますが、2時間も話しているとお互いに老人になっていることに気づきます。
3時間もたつと、今度会う時には誰が欠けるかという、未来の話になっていきます。
時間の経過とともに、相手の顔や雰囲気まで違って見えてくるのです。
実に興味あることです。

訃報を受けた直後だったので、気が滅入っていましたが、みんなと会っている間はすべて忘れてしまっていました。
別れての帰路は、異常なほどの疲労感に襲われました。
帰宅後、メールをくれた○○さんにやっと電話が通じました。
Daxは、直葬で散骨なので、葬儀にもお墓参りにも行けないことがわかりました。
献体の予定は、あまりに急だったので、手続きが間に合わなかったそうです。
彼は、私の世界を少しだけ広げてくれました。
彼もまたそうだったと思います。

■ちょっと知的なカフェサロン「死ぬほど面白い音楽学」(2015年5月16日)
今日は「ちょっと知的なカフェサロン」の2回目、「〈文化、音楽、歴史、言語〉の観点から「死ぬほど面白い音楽学」を語る、でした。
話題提供者は、リストの研究者でもある李祥さん。
予想に反して、10人を超す参加になりました。
李さんは、12ページにもわたるレジメをつくってくれていました。

始まりは、なんと、万葉集からの2つの歌を、李さんが「謡って」くれました。
私は、この出だしに、近代音楽学に対する強烈な異議申し立てを感じました。
その後の話も、近代の枠組みの中での音楽学を超えようという李さんの思いを感じました。
私自身は李さんの話についていくのがやっとで、十分に消化できたわけではありません。
ただ何か大きな気づきに少し触れられたような、豊かな気持ちになったのは、前回の橋本さんの古代紋章の謎の時と同じです。

1時間半の李さんの話を受けて、1時間ほどの話し合いが行われました。
話題も広がり、時間が足りなかったのが、心残りでした。
今回は、音楽学にも造詣のある大島さんも参加され、話を豊かにしてくれました。
実際に今も、ケーナやギターで活動している櫻井さんや宮内さんも参加されました。
また音楽とナチス、あるいはスターリニズムなどの話題も出ましたが、武田さんや一松さん、西坂さんが話を深めてくれました。
阿部さんや二宮さんは生活体験からの音楽の力を紹介してくれましたし、高校教師だった折原さんは最後に今回の話を簡潔にまとめてくれた上で、学校における音楽教育への問題を示唆してくれました。
今日は特別参加者として、ヨガとアロマセラピーに長年取り組んでいる李さんのお母様も参加してくれました。
親子参加は、たぶん初めてです。

音楽の持つ恐ろしいほどのパワー、あるいは人間心理や人間社会への影響力をどう管理するかは、極めて重要な課題です。
あまり深刻には受け止められない問題ですが、私には言語教育と同じく、もっと関心を向けるべきことではないかと、改めて思いました。
私自身は、日本の暮らしの中に根付いていた音楽がどんどん失われていることに、「音楽」の変質を感じています。

私が考えていた以上に、大きな刺激と大きな示唆をもらえました。

次回の知的カフェサロンは、建築がテーマになる予定です。もしかしたら、まち歩きになるかもしれません。

(2015年5月第1週)
■ニッポン食堂の新しいプロジェクト(2015年5月5日)
■橋本武彦写真展「星空2015, ヨーロッパからの風」(2015年5月5日)
■「仕事における居場所」についてのアンケート(2015年5月6日)
■散歩市カフェ1日目(2015年5月9日)
■散歩市カフェ2日目(2015年5月10日)

■ニッポン食堂の新しいプロジェクト(2015年5月5日)
ニッポン食堂能が夫妻と、「たまごの恵みプロジェクト」に関する話し合いをしました。
いつの間にか、引き込まれてしまっています。
壮大なプロジェクトですので、私は最後までは付き合えませんが、最初のスタートだけでも少しだけお役立ちしようと思っています。

■橋本武彦写真展「星空2015, ヨーロッパからの風」(2015年5月5日)
ギリシア神話と天体写真をずっと追い続けている写真家の橋本武彦さんの写真展「星空2015, ヨーロッパからの風」に行きました。
https://www.facebook.com/TakeAratus?fref=ts
不思議な写真に圧倒されました。
今回は地中海の夜と女性がテーマです。
もう終わってしまいましたが、橋本さんの写真の一部をぜひ次のサイトでご覧ください。
圧倒されますよ。

ところで、橋本さんが、いよいよ古代紋章の謎をテーマにした原稿にまた取り組みだしたそうです。
楽しみです。

■「仕事における居場所」についてのアンケート(2015年5月6日)
先日湯島の集まりに参加してくれた大学生の氏家さんが、「仕事における居場所」についてのアンケートを企画していました。
主な対象は会社に勤務している人らしいのですが、あまり接点がないようなので、協力することにしました。
50人ほどの人にとりあえずメールでお願いしましたが、忙しいであろうにもかかわらず、多くの人が協力してくれました。
しかし私だけの知り合いだとどうしても偏りがちです。
できればもう少し広く協力者を探したいと思います。
必ずしも「会社」に限らないそうですので、仕事をされている方にぜひ協力をお願いしたいと思います。
アンケートは次のサイトにあります。
締め切りは一応、5月中でお願いします。
【アンケートURL】
http://goo.gl/forms/9ZED2H1xWU

開けない場合は、私の連絡いただければ、ワード版を送ります。

■散歩市カフェ1日目(2015年5月9日)
我孫子のアートな散歩市の一環で、手づくり散歩市が9~10の2日間、開催されました。
わが家の庭にある娘のスペインタイル工房が、今回も参加するというので、私も恒例のオープンサロンを開くことにしました。
わが家は、実は散歩コースからは少し離れているのですが、立ち寄ってくれた人へのささやかなお礼です。
妻が元気だったころに始めたものですが、妻がいなくなった今は私がやっています。

今日はその1日目だったのですが、昨日までとはうって変っての、寒い曇天になってしまいました。
しかも午前中は雨までぱらつき、散歩日和ではありませんでした。
そのせいで、来客も少なく、しかも寒くて震えそうでした。

午前中は、久しぶりに足代さんがゆっくりされていきました。
足代さんは某大企業の副社長でしたが、退職後は実に優雅な趣味の世界に遊んでいます。
娘のスペインタイルの教室にも通っていました。
今日は、その作品を獲りに来たついでに、コーヒーを飲んで行ってくれました。
足代さんとは、我孫子のまちづくりについて、いろいろお話をしました。

午後の最初には、これも久しぶりに市役所の杉山さんが来てくれました。
杉山さんは、我孫子市の市民活動支援のスキームを創られた人です。
その仕事から離れて以来かもしれません。
杉山さんは、市役所の職員でありながら、住民としての活動もいろいろと取り組まれています。
今日は、仕事を離れてゆっくりと話せました。
わざわざ来てくださったようで、感謝しなければいけません。

工房の方には何人か来てくれていましたが、散歩コースの最初に来た人が多いため、コーヒーを誘うのも躊躇しましたが、最後に寄ったという若い夫婦にはコーヒーを勧めさせてもらいました。
今年結婚して、奥さんは我孫子に転入してきたそうです。
若い世代の人を住民活動にスカウトしたいのですが、とついつい勧誘してしまいました。
どうもそういうぶしつけなところが、私の欠点なのです。

さて明日は誰が来るでしょうか。
いつも意外な人がやってくるので、楽しみなのです。

■散歩市カフェ2日目(2015年5月10日)
昨日は寒いほどで散歩気分にはなれない日でしたが、今日は絶好の散歩日和で、定刻の10時前からお客様があり、私のコーヒーも飲んでもらえました。
わざわざ印西市から、スペインタイル工房を見に来てくれたのだそうです。
続いて常連の安藤さん。
午前中はあまり来客はないので、久しぶりにゆっくりと話せました。
お昼近くに花かご会の山田さん。
話していたら、市役所の大畑さんが来てくれました。
いそがしいのに、たぶんわざわざ時間をつくってくれたのでしょう。
悪いことをしました。
今度、一緒に茨城県の小美玉市の文化センターを訪問するのですが、その打ち合わせもしてしまいました。
さらに、そこになんと市川で活動している「くまさん介護」の飯田さんと武田さんが来ました。
まさか飯田さんたちが来るとは思ってもいませんでしたが、昼時なのでとサンドウィッチ持参です。
私の分まで持ってきてくれたのです。
飯田さんは私と同い年ですが、その生き方はたぶん私と同じく、少し外れているようです。
武田さんは、その飯田さんの生き方に魅かれて手伝ったりしているのですが、自分の仕事はスポーツ関係で、オリンピック選手などと一緒にイベントなどにも取り組んでいるそうです。
お2人とこんなにゆっくり話したことはありませんでした。
それがサロンの効用なのですが。

食べながら話していたら、我孫子の北地区のまちづくり協議会の会長の藤木さんが来ました。
藤木っさんたちも近くのアビスタでやっている福祉まつりに出店しているようですが、せっかくなので抜け出してきたというのです。
藤木さんのお名前はよく聞いていましたし、一度きちんと接点をとりたいと思っていたのですが、藤木さんも私の話を聞いていたようで、同じ思いを持っていてくれたようです。
しかし、私に関するうわさは、賛否いずれもあるのですよ、と言われました。
たぶんそうでしょう。
嘘はつけないタイプなので、私に対しては好き嫌いがかなりはっきり出るはずです。
それにあんまり常識がないために、嫌いな人が多いでしょう。
藤木さんは、まあ誤解が多いのですが、と少しフォローしてくれましたが。
しかし、どんな噂が流れているのでしょうか。
興味は少しありますね。

最後に来てくれたのが、福島県の楢葉町で活動していた櫻井さんと町田さんでした。
楢葉町に行っていた櫻井さんから、我孫子市役所の職員が楢葉町役場で頑張っているという話を聞いていましたが、櫻井さんがその町田さんを連れてきてくれたのです。
町田さんの活躍ぶりは、朝日新聞で読んでいたのですが、いつか会いたいと思っていたのです。
会うべき人には、人は必ず会うものです。

庭の花を楽しんでいってくださる方もいて、先週ちょっと頑張ったことが報われました。

しかし、今日はコーヒーを飲み続けていたので、夕食を食べたい気分が出ないほど、胃腸がむかむかしています。
最近テレビでコーヒーを飲むと健康にはプラスと報道されていましたが、過ぎたるは何とかで、いささか飲みすぎてしまったようです。

オープンサロンは終わりましたが、天気がいいと、まあ居心地のいい庭です。
またいつかサロンを開きたいと思っていますが、理由がないとなかなか開けません。
何か理由が見つかったら、またサロンを開こうと思っています。
近くに来る機会があれば声をおかけください。
家の中は掃除ができていませんが、庭は何とかきれいですので、庭でのコーヒーであれば時間さえあえば、いつでもどうぞ。

(2015年4月第5週)
■我孫子市のまちづくりの方向性(2015年4月27日)
■畑の整備(2015年4月28日)
■みの〜れに行くことになりそうです(2015年4月28日)
■CWSコモンズ村メーリングリスト(2015年4月29日)
■整体院に行きました(2015年5月1日)
■北九州市の中嶋さん(2015年5月2日)
■2組の夫婦が参加したコムケアサロン(2015年5月2日)

■我孫子市のまちづくりの方向性(2015年4月27日)
久しぶりに我孫子市の都市部長の渡辺さんとお会いしました。
渡辺さんと最初に会ったのは、もう20年前くらいでしょうか。
当時、私は総合計画策定の委員をさせてもらっていたのですが、ある時、なぜか渡辺さんに自宅まで送ってもらったことがあるのです。
そのことが不思議なことに私の頭にずっと残っているのです。
特にその時に何かをご一緒したわけではありませんが、印象に残っているのです。
そして一昨年、手づくり散歩市の時のオープンカフェにご夫妻で立ち寄ってくださったのです。
まあそれだけの事なのですが、ちょっと我孫子市の都市計画の方向性や駅前花壇の話をお聞きしたいと言ったら、時間をつくってくださったのです。

いろいろとお話をお聞きし、考える材料がまた深くなりました。
さてこうしたことを活かして、次は私の方から何か提案していこうと思います。
本気で取り組むともう5年ほどは現世に残る必要があります。
さてどうしたものか。
迷うところではあります。

■畑の整備(2015年4月28日)
娘のジュン夫妻に手伝ってもらって、畑作業をやりました。
何とか畑らしくなりました。
収穫が楽しみです。

今年は私もそれなりに頑張りましたが、畑作業は自然との戦いであり、戦略が大切なことがよくわかりました。
まだ頼りない雰囲気ですが、じきにもっと畑らしくなるでしょう。

■みの〜れに行くことになりそうです(2015年4月28日)
我孫子市の企画課長の大畑さんから、茨城県小美玉市の文化センター「みの〜れ」に行きたいのでアレンジしてくれないかと頼まれました。
「みの~れ」関係の書籍も読んでいて下さるので、ここはきちんと対応しなければいけません。
早速、みの〜れの山口館長に電話しました。
日程をこちらで勝手に決めてしまっていたのですが、山口さんは例によって、極めて柔軟に了解してくれました。
やはり住民館長は違います。
そして誰を集めたらいいかも訊ねてきましたので、建設当初の職員と住民をお願いしました。
同時に、その人たちにも声をかけて日程を確認しましたが、いずれも快諾してくれました。
うれしい限りです。
私も同行するつもりです。
2年ぶりでしょうか。楽しみです。

■CWSコモンズ村メーリングリスト(2015年4月29日)
CWSコモンズ村を復活させることにしました。
まぜはメーリングリストからです。
湯島ではさまざまなサロンを開催していますが、サロンの参加者を中心にしたゆるやかなオープンプラットフォーム・ネットワークからスタートです。
実は、以前、CWSコモンズ村というバーチャルコミュニティがありました。
http://homepage2.nifty.com/CWS/commons.htm
しかし、村長が職務怠慢で、「村落消滅」してしまっていたのですが、できればその復活も考えたいと思っています。

フェイスブックでもグループ(CWSコモンズ村)を立ち上げる予定です。
湯島のコモンズ空間も、できれば「CWSコモンズ村」にし、以前考えていた「新しい結」にまで持っていければと考えています。

メーリングリストへの参加要件は、湯島のサロンに参加したことがある方を基本としますが、サロンとは別に湯島のコモンズ空間に複数回来た人を対象にさせてもらいました。
もし入村ご希望の方がいたら私あてにご連絡ください。
村の業務は連休明けから始めます。
村民の交流のFB広場は今月中に公開します。
地域通貨ジョンギも復活を考えています。

■整体院に行きました(2015年5月1日)
先週から腰のあたりに時々激痛が走ります。
それで病院に行こうかと思ったのですが、その前に娘から「効くか効かないかわからない整体院」の話を聞いていたので、そこに行こうと思い、今日、予約していました。
今日がその予約日でした。

そこに時々通っている娘に自動車でd峰抗してもらったのですが、自動車を降りる時になって、そういえば、今日は朝から腰の痛みがないことに気づきました。
病院に来ただけで治るのですから、これは名医に違いありません。
そこで帰ろうかと思ったのですが、せっかく来たのですから、名医に会っていこうと思いました。
その後のやり取りはブログに書きましたので、省略です。

ちなみに、自宅に戻ったらやはり腰は痛かったです。

■北九州市の中嶋さん(2015年5月2日)
北九州市役所の中嶋さんが湯島に来ました。
最近起こっているシンクロニシティ現象の関係者の一人です。
私だけではなく、実は中嶋さんのまわりでも、シンクロニシティが起こっているようです。
まあそれはそれとして、中嶋さんとゆっくりお話しするのはこれが初めてかもしれません。
いろいろ興味深いこともお聞きしました。

中嶋さんの話からは、とても豊かな暮らしぶりが伝わってきました。
暮らしが貧しいのは、もしかしたら首都圏の人だけなのかもしれません。
どこに住むかは、人生を大きく変えてしまうのかもしれません。

ちなみに、北九州市は、その昔、転居まで考えたところです。
一時はかなり通っていましたが、最近は行く機会がありません。
今年はぜひともまた行きたいと思っています。

■2組の夫婦が参加したコムケアサロン(2015年5月2日)
今日のオープンサロンはなんと2組のご夫婦を含めて8人の参加者がありました。
しかもなんと4時間のロングカフェでした。
北九州市の中嶋さんも最初だけ参加してくれました。

とてもうれしかったのは、フェイスブックで知り合った土佐さんが夫婦で参加してくれたことです。
一度、サロンに参加したかったのだそうですが、今日は時間があったのだそうです。
土佐さんは、奥さんが家庭内傾聴ファシリテイター、パートナーの壮一さんは自営業です。
壮一さんは数年前に会社をやめて、個人事業主になったそうですが、ともかく組織のような管理sの社会から自由になったことがとても幸せだと話されました。
そのお気持ちがよくわかります。
もう一組は、宇賀夫婦でした。
この夫婦もとても幸せそうです。

大学で経営を学んでいる学生の氏家さんにはちょっと驚きだったかもしれません。
氏家さんは、いま〔会社における社員の居場所〕の問題に取り組んでいます。
その関係で、アンケート調査をみんなにお願いしていますので、もし組織で働いている方がいたら、ぜひ協力してやってください。
アンケートは次のサイトから入れます。
〔会社における社員の居場所
よろしくお願いします。

なお、他にも武田さんと原田さん、それに李さんがさんかしました。
余りにも長いサロンだったので、何を話したか思い出せませんが。

(2015年4月第4週)
■病院に行くほどのことはないと思うことに決めました(2015年4月20日)
■津波の夢を見ました(2015年4月21日)
■市会議員の坂巻さんからお話をお聞きしました(2015年4月22日)
■社会教育にイノベーションを起こしたい(2015年4月23日)
■国際箸会館が完成しました(2015年4月23日)
■吉本さんの来訪(2015年4月24日)
■阿部さんの友人たち
(2015年4月24日)
■あゆみあいネットの岡崎さん(2015年4月24日)
■「自死」と「ささえあい」をテーマにしたコムケアサロン(2015年4月24日)
■シンクロニシティの頻発(2015年4月25日)
■若者カフェサロンがスタートしました(2015年4月25日)
■栄町役場の水野さん(2015年4月25日)

■病院に行くほどのことはないと思うことに決めました(2015年4月20日)
先週の金曜日から身体の不調を感じていましたが、それもあって週末はゆっくりと過ごしました。
腰の痛みは治らず、時に思わず声が出てしまうほどです。
また呼吸がしにくく、肩で呼吸していることも少なくありません。
そんなわけで、病院に行こうと思っていたのですが、ついつい億劫になってしまいます。
かかりつけのクリニックも少し遠くに転居してしまいましたし、高血圧の薬を飲んでいないので、いささか敷居も高くなっています。
大きな病院に行くと、待たされるので途中で帰りたくなりますし、すいている近くの病院は評判がかなり悪いので、診察の途中で帰りたくなるかもしれません。
実際に、これまで2つの病院は途中で帰りこそしませんでしたが、診断結果を聞きに行くのをやめてしまったこともありますし、
ここで健康診断したら殺されるかもしれないという感じを受けて、予約したものの帰宅してキャンセルさせてもらったこともあります。
それに、妻を病気で見送った後は、病院に行くのがいまなおかなりのストレスなのです。
困ったものです。

それで、病院に行くほどのことはないと思うことに決めました。
病は気からですから、そう決めたら直るかもしれません。

■津波の夢を見ました(2015年4月21日)
最近、夢をともかくよく見ます。
内容は目覚めて数分で忘れてしまいますが、夢を見た記憶はずっと残ります。
夢を意識しだした理由は、白洲正子さんの「明恵上人」を読み直したのが契機になって、河合隼雄さんの「明恵 夢を生きる」をかなりていねいに読んだためかもしれません。
私には、とても面白い本でした。

しかも今日は久しぶりに津波の夢を見てしまいました。
実は東日本大震災以前、頻繁に津波の夢を見ていたのですが、3.11以来、津波の夢をみなくなっていたのです。
それが見てしまったのです。
以前、そのことを話した佐久間さんに早速伝えたら、佐久間さんがブログで記事にしてくれました。
http://d.hatena.ne.jp/shins2m+tenka/20150423/p1

津波の夢はともかく、夢をよく見るようになってしまいました。
しかも不思議な夢が多いような気がしています。
それにi、なぜか夢の中でも頭がすごく疲労してしまうのを感じています。

ところで、津波の夢ですが、周りの光景は月面のようでした。
佐久間さんもそうではないかと後日のブログで書いてくれていますが、まさに月面、もしかしたら彼岸のようでした。

■市会議員の坂巻さんからお話をお聞きしました(2015年4月22日)
先週、花かご会の人たちが、相談のような、そうでないような話をしにわが家に来てくれましたが、
その話をどう展開させるかを構想する前に、事実情報を集めることにしました。
そこでまずは近くの市会議員の坂巻さんに会うことにしました。
事実関係と周辺状況がかなり整理できました。
坂巻さんは、手賀沼にもこだわっているので、手賀沼の底土の放射線汚染の関係についてもお話を聴きました。
こちらも状況がだいぶわかりました。
来週は行政の人に会う予定です。

花かご会の問題は、できれば、駅前の花壇と手賀沼公園をつなぐ道沿いを花で飾るような大きな物語に広げられないかと思います。
ここは我孫子市の顔になるところですので。
我孫子市の仲間を見つけなければいけません。
どなたかいないでしょうか。

■社会教育にイノベーションを起こしたい(2015年4月23日)
社会教育分野の実践者のオープンプラットフォームが創れないか、その分野でのチェンジ・エージェントを育てつなげられないか。
そんな関心から、近藤さんと根本さんとはじめたプロジェクトの2回目の検討会です。
「社会教育」にこだわるという原点の確認ができて、少し具体的なイメージが見えだしました。
「お上による社会教育」ではなく「生活からの社会教育」の復活です。
20年前から考えていたテーマですが、ようやく取り組める可能性が出てきました。

次回はさらに具体的に前進できそうです。
近々呼びかけられるかもしれません。

■国際箸会館が完成しました(2015年4月23日)
コミーの小宮山さんが取り組んでいる国際箸学会が、ついにビルを建ててしまいました。
今月初めにお披露目会があったのですが参加できなかったので、突然でしたが、小宮山さんに電話して訪問させてもらいました。
その会場を使って、認知症予防ゲームの拠点活動もしたいと思っていたので、その相談もしたかったからです。

ところが例によって、会社に着いた途端に、小宮山さんが壁新聞を説明しながら、最近の会社の話をしだして、それが終わったら、早速箸会館に行こうというのです。
社員の方がせっかくお茶と和菓子を用意してくださっていたのに、食べる間もありませんでした。
そこは社員も慣れたもので、すぐに箱詰めし、箸会館に持っていくように社長に頼んだのです。こういう関係は実にいいです。

箸会館は、コミーの会社の向かい側です。
玄関には、小宮山さんの独特な事業で、「出会いの喜び 創る喜び 信頼の喜び」と書かれています。
知らない人が見たら、何やら新興宗教の関係かと誤解されそうな気もします。

会館は3階建てです。
立派な施設なので、いろいろな使い方がありそうです。
2階が事務所になっていて、箸学会の事務局があるのです。
そこに行ったらすでにおふたりが待っていてくれました。
私は聞いていなかったのですが、せっかくなのでと小宮山さんが声をかけておいてくれたのです。
さて今度は話せるだろうと思っていたら、椅子に座って数分話しだしたら、
同席していた国際箸学会幹事の田中賛造さんが、場所を用意しているので、そこに行きましょうというのです。
また和菓子を食べそこないました。
和菓子はその料亭に持ち込むことになりました。

待っていたもうお一人は、川口市を今年定年で辞められた纐纈晴人さんでした。
私は初対面で、小宮山さんがお引き合わせしてくれたのです。
なぜ引き合わせするのかなどの説明は全くありませんでしたが、なぜか会った時からお互いに親近感を持ってしまいました。

まあそれからもいろいろと会ったのですが、すべて省略し、盛り上がった話の内容も省略しますが、久しぶりにとてもおいしい料理をいただきました。
いつもの質素な食事とは大違いでしたが、いささか「罪の意識」を持ちながら、しかし全部食べてしまいました。
しかし、持ち込まれたはずの和菓子はみんなもう忘れてしまっていましたので、結局食べられませんでした。
それが心残りでした。

ところで、この纐纈さんですが、これからきっと接点が広がりそうです。
こうして、私も箸学会に巻き込まれていくわけです。
何しろ気づいたら理事になっていて、しかし一度も理事会には出ていないのですが、今度は出ないわけにはいきません。
いやはや困ったものです。
ちなみに、小宮山さんはそんなことなど全く気にはしない人なのですが。

■吉本さんの来訪(2015年4月24日)
吉本さんが突然湯島に来ました。
最近忙しそうです。
吉本さんの話はいろいろありすぎて、私としての関わりようが見えてきません。
面白いプロジェクトもあるので、私もコラボレーションしたい気もしますが、持続的ではないのです。
吉本さんも、私をどう巻き込めばいいのかわからないのかもしれません。
ゆっくりとプロジェクトを育てるという私のスタイルとはどうも合わないのです。
困ったものです。

■阿部さんの友人たち(2015年4月24日)
吉本さんの次は、吉本さんも知っている阿部さんが、2人の友人と一緒に来てくれました。
お2人とも、阿部さんと同世代で、いま生き方を変えようとしているようです。
たぶん最近の組織は、50を過ぎると居にくくなるのかもしれません。
誠実な人は、仕事の意味への疑問も生まれるのかもしれません。
そうなると、私のところに来るわけです。
そして、お金のための仕事はもうやめましょうというメッセージに触れてしまうのです。
それが幸せへの入り口か不幸への入り口かわかりませんが、なにがしかの真実を含んでいることは間違いないでしょう。
だから繰り返しやってくることになります。
ただし、2度と来なくなる人もいるのですが。

阿部さんの友人のおふたりは、とても誠実な方でした。
いつか、どこかできっと接点が生まれそうです。

■あゆみあいネットの岡崎さん(2015年4月24日)
大阪のあゆみあいネットの代表の岡崎さんが湯島に来てくれました。
初めてです。
大阪では何回かお会いしていますが、大阪から島根に転居することになったので、
最後にコムケアサロンで話をしてくれることになったのです。
5年前に彼女に会った時とは全くイメージが違ってきました。
サロンが始まる1時間半前に来てもらい、いろいろと話をしました。
彼女からはたくさんのことを学びました。
感謝しなければいけません。
彼女もまた、たぶん私から多くのことを学んだはずです。
岡崎さんは、驚いたことに島根の亀嵩の近くの奥出雲に転居するそうです。
亀嵩と訊いた時には、私は耳を疑いました。
またシンクロニシティが起こったのです。
それに関しては、別項で。

■「自死」と「ささえあい」をテーマにしたコムケアサロン(2015年4月24日)
毎月、最後の金曜日の夜に開催しているコムケアサロンの今月のテーマは「自死」と「ささえあい」でした。
ゲストは、大阪豊中市を拠点に活動している「あゆみあいネット」の岡崎さん。
20代から70代まで、立場もさまざまな人が11人集まりました。
山梨からわざわざ参加してくださった方もいます。
大学生も2人参加してくれました。
岡崎さんは、小さな時に父親を自死で亡くされています。
父親の自死が、家族をどう変えるか、子供にどう影響を与えるか。
岡崎さんの自己紹介から始まる「物語」は、とても衝撃的であると同時に、心に響くものがありました。
岡崎さんは、5年前に私たちが主催した「自殺多発場所での活動者サミット」に参加してくれました。
岡崎さんの言葉を借りれば、それが人生を変えたのです。
その集まりでの、私の言葉を岡崎さんは覚えてくれていました。

その集まりがきっかけになって岡崎さんは、動き出しました。
それからの経緯は、私のホームページに時々登場しています。
そして、あゆみあいネットを軌道に乗せ、岡崎さん自身もお父さんの出身地に戻って結婚されることになったのです。
その節目として、わざわざ東京まで話をしに来てくれたのです。

岡崎さんの話を聴きながら、一人称自動詞で語ることの大切さ、つまり「当事者」が自らの問題に正面から向かい合い、それを開いていくことの意味を、改めて確信しました。
「自らの問題」を起点にしていくことこそが、深い社会性を創りだすように思いました。
視野をちょっと広げるだけで、実は「自分の問題」がひろく世界につながっていくことに気づくはずです。
そこから、世界は開けていくような気がします。
岡崎さんは、そのことをていねいに話してくれました。
そして、お互いに個人として認め合い、日頃のちょっとした声掛けや接し方を大事にすることこそが、「支え合い」なのだということを気づかせてくれたように思います。
日本社会における「自殺・自死」への位置づけの問題や家族の問題、また電話相談やネットの問題なども話題になりました。
いずれもとても考えさせられる問題でした。

岡崎さんの話がとても素直にオープンだったこともあったと思いますが、参加者も普段はなかなか話せないようなことまで開示してくれました。
自らの問題には限りませんが、みんなそれぞれに背負っているものを、素直に解き放す場が、もっともっとあるといいとも思いました。

そうした中から、「社会の穴」(岡崎さんの表現です)が見えてきたら、それをみんなができる範囲で埋めていくようにしていくことで、社会は豊かになっていくだろうという岡崎さんの話にとても共感します。
ところで、私のまわりでこの1週間、さまざまなシンクロニシティ現象が起こっています。
このサロンでも、それが起こりました。
それについても別項で。

■シンクロニシティの頻発(2015年4月25日)
先週から、私の周辺で、シンクロニシティが頻発しています。
シンクロニシティ。意味を感じさせる偶然の一致です。
実は今日もとんでもない偶然の出会いがありました。
昨夜遅かったので、湯島の集まりの時間ぎりぎりにオフィスに着いたのですが、オフィス近くの急な階段を登ったら、30メートルくらい先の道路で誰かが手を振っています。
最初はわからなかったのですが、手を振っている以上、知り合いだろうとよく見たら、坪倉さんでした。
そこにある小学校で息子さんがサッカーの試合に来ていて、そこに同行してスマホのフェイスブックをみたら、
湯島でサロンをやっていることを知ったので、ちょうど時間があいたのでちょっとだけ顔を出そうと思い、学校を出てきたのだそうです。
そして前を見たら、私が階段から顔を出したというのです。
出会うタイミングは3秒ほどでしょう。
いやはや驚きです。
そこで数分立ち話をして、坪倉さんは学校に戻っていきました。

まあどうでもいい話なのですが、この2週間の私のまわりのシンクロニシティ現象を考えると、私にはそれもまた意味があるような気がするのです。
シンクロニシティに関することは、ブログの挽歌編に何回か書いたのですが、時評編にも書く予定です。
たとえば、「亀嵩」という島根県の町に関する話に3回で会い、
5年前に開催したフォーラムに出た人が24日のサロンにお互いに知ることなく参加したり
(しかもそのお一人は、間違って私のところにメールが来たおかげで、数日前に知り合い、サロンに参加してくれたのです)、
フェイスブックに突然出てきた昔の友人らしい人にもしかしたらとメールしたら、いま佐藤さんのことを思い出していたということだったり、まあほかにもいろいろとあるのです。
あんまり多いので、書くのも疲れてしまいます。

さてさて何が始まるのでしょうか。

■若者カフェサロンがスタートしました(2015年4月25日)
若者を中心としたカフェサロンがスタートでいました。
3月28日に青山学院大学で開催した、映画「自殺者1万人を救う戦い」を観て、大学生たちが語り合うフォーラムを開催したのですが、そこから生まれた集まりです。
4人の若者と大学の先生が2人、それに企業に関わっている人が2人、社会からの脱落者が1人(私です)集まりました。

私にはいろんな意味で興味ある集まりになりました。
若者と大人とが対等な立場で話し合うことが、いまは少なくなっているのかもしれないと感じました。
それと、若者と大人の時間感が違うことにも気づきました。
若者はさまざまな好奇心を持っているのに、それを果たす場や方法がまだ見えていないような気もしました。

秋には、みんなでちょっと大き目の公開フォーラムを開こうというのが当面の仮目標ですが、
そのテーマを話しているうちに、「居場所のなさ」「生きづらさ」という言葉が出てきました。
そこで、私は思わず、若者たちに、今生きづらいのですか? と訊きました。
どうもそうではないようだったからです。
いまの社会は、あるいは会社は、居場所のない生きづらいところだというイメージが深く植え付けられているような気がしました。
かつての若者が感じたであろう「生きづらさ」や「生への不安」とは、まったく異質なもののようにも感じました。

無関係な話ですが、以前読んだ山下祐介さんの「地方消滅の罠」(ちくま新書)を思い出しました。
つまり、地方消滅というイメージを広げることで地方を管理しやすくしているという状況に、みんな洗脳されてしまいました。
原発がないとやっていけないという言説も同じものでしょう。
いや、中国が攻めてくるという言説も流布されてきています。
そして、社会は生きづらいという言説。
言説の呪縛の恐ろしさを改めて感じました。
私も考え直さなければいけません。

話が脱線しました。
ちなみに次回は5月23日の午後です。
若い世代(10〜30代)の方の参加を大歓迎します。
同時に、若者への敬意をもっている大人の参加も大歓迎です。
若者を管理したり教育したりしようとする人は、私はあまり歓迎しませんが、門戸は開いています。
関心のある人はご連絡ください。
また近づいたら案内します。

■栄町役場の水野さん(2015年4月25日)
若者サロンの帰りは、今春、千葉県の栄町役場に入職した水野さんと一緒でした。
栄町のことをいろいろと教えてもらいました。
古代の遺跡も多いそうです。
水野さんは日本史を専攻していたので、そのあたりに詳しいのです。
いろいろと書きたのですが、今日は疲れているので、またいつか書きましょう。
それにしても世界はどうしてこんなに面白いことが多いのでしょうか。
にもかかわらず実際には退屈です。
どこかで私の生き方が間違っているのでしょう。
困ったものです。
はい。

(2015年4月第3週)
■千葉県県議会議員選挙(2015年4月12日)
■自殺問題と時間意識パート2(2015年4月13日)
■カウンセラーの阿部さんとのコラボレーション(2015年4月13日)
■我孫子の活動をどう始めるか(2015年4月13日)
■ちょっと知的なカフェサロン第2回目は音楽学(2015年4月14日)
■敦賀のタケノコ(2015年4月14日)
■花かご会の悩み(2015年4月15日)
■自殺問題と情報(2015年4月16日)
■ちょっとおかしいぞ(2015年4月17日)

■千葉県県議会議員選挙(2015年4月12日)
千葉県県議会議員選挙でした。
私の住んでいる我孫子市は、定員2人に対し3人が立候補しました。
直接の知り合いは一人ですが、他の2人も間接的につながっていて、みんなからチラシや手紙が届いています。
こういうのは、実に悩ましいです。
情に流されるわけにはいきませんが、情から自由になることも難しいからです。

お昼過ぎに投票に行ったら、なんと投票率が6%台でした。
結局、最終でも千葉県の投票率は35%でした。
なぜこんなに低いのでしょうか。
住民の政治関心が低いということでしょうか。
私は、そうではなくて、現在のようなスタイルの県議会の存在意義がなくなってきているのだろうと思います。
国家モデルで自治体の議会をつくってしまったのが問題なのです。
向かい、みんなでまとめた「自治体解体新書」を思い出しました。
地方創生とは、まずは行政の枠組みを変革するところから取り組む必要がありそうです。

■自殺問題と時間意識パート2(2015年4月13日)
先週に続いて、杉原さんと「自殺問題と時間意識」についての議論を、今度は時間をかけて行いました。
杉原さんの考え方と私の考え方が似ているために、なかなか論点がクリアにならないのですが、論理を進める上での整理は、お互いにかなりできたと思います。
こうした議論をこんなにやるのは久しぶりですが、実に刺激的でもあります。
学生たちとこうした議論をやれる大学の先生が少しうらやましい気もします。
杉原さんの博士論文の完成が待ち遠しいです。

■カウンセラーの阿部さんとのコラボレーション(2015年4月13日)
前回会った時の阿部さんが、あまりにも元気がなかったので、会うことにしました。
やはりまだ元気は十分に回復していません。
阿部さんにとっては、現代社会はいささか住みにくい社会かもしれません。

阿部さんは、私と似ているから会いにいったらとある人に言われて湯島にやってきたのが、最初の出会いでした。
以来の付き合いですが、私とは違うと思っていました。
しかし、もしかしたら似ているのかもしれません。
だからきっと今が生きにくいのでしょう。

阿部さんと一緒になにかできることがないか、いろいろと話しました。
いろいろありそうです。
さてもう少し視野を広げて考えてみることになりました。

■我孫子の活動をどう始めるか(2015年4月13日)
地元の我孫子市での活動をどう始めるか、原田さんと話し合いを持ちました。
実は、あるグループを応援しようと会場まで取っておいたのですが、そのグループとの考えが合わずに、それはやめることにしました。
私の考えは、いささか特殊なのかもしれませんが、どうも最近の市民活動は中途半端に収益性を意識しているために、私にはなじめません。
それで、ゆっくりとゼロから始めることにしました。

ところが、原田さんから、もっと大きな話が提案されました。
手賀沼の除染です。
さてさてこれは大事(おおごと)です。
ちょうど、オクトの田中さんから、放射性汚染の除染実験の最終的な効果報告書が届いたところでした。
それも含めて、もう一度、考えてみようと思います。

■ちょっと知的なカフェサロン第2回目は音楽学(2015年4月14日)
ちょっと知的なカフェサロンの2回目は、音楽研究学者の李祥さんに話題提供してもらうことにしました。
というのも、李さんは最近、ある驚愕の発見をしたのだそうです。
その内容は教えてもらっていませんが、それも含めてのカフェサロンです。
案内をお知らせに書きましたので、よろしければご参加ください。

■敦賀のタケノコ(2015年4月14日)
恒例の敦賀のタケノコが届きました。
今年は裏年であまり取れなかったそうですが、取り立てを送ってくれたので、とてもおいしかったです。
タケノコは大好きなのですが、我孫子ではまだ放射線汚染のため食べられません。
ということは、この界隈はまだよくないということでしょう。
タケノコ好きの私としては、いささか残念です。

■花かご会の悩み(2015年4月15日)
花かご会の山田さんと黒武者さんが、相談があると言って訪ねてきました。
花かご会は、我孫子駅南口駅前花壇の整備をしているグループです。
私は花かご会のメンバーではありませんが、妻がその立ち上げの一人だったので、いまもささやかな付き合いがあるのです。

問題は、行政からの花苗代が出なくなったというのです。
きれいな花壇にしようとすると、年間20万円以上はかかるようです。
毎月2回、10人くらいで整備をしています。
夏や冬は結構大変でしょう。

我孫子はこれから観光に力を入れていこうとしていること、そして我孫子駅のその花壇は、観光の核になっている手賀沼公園への玄関口であることから考えると、むしろこれから力を入れていくことになるだろうと思っていましたが、どうもそうした全体の絵が描けていないようです。
我孫子駅前の商店会は、まったく協力してくれないようで、むしろ邪魔をしているようにさえ感ずることもあります。
妻がいたら私ももう少し行政や商店会に働きかけることができるのですが、勝手に働きかけて、花かご会のメンバーに迷惑をかけることになってはいけないので、ここは一応気を使わないといけません。
さてさてどうしたものか。
一度まずは市役所に行ってみようと思います。

■自殺問題と情報(2015年4月16日)
杉原さんに続いて東大の大学院博士課程で「自殺問題」をテーマに研究している前田さんがやってきました。
先月、青山学院でやった「大学生がいまを語り合う」のフォーラムに参加してくれたのが縁で、やってきてくれたのです。
3時間も話してしまいました。
内容もかなり拡散的でしたが。

杉原さんは「時間」が切り口でしたが、前田さんは「情報」が切り口です。
まだ博士論文を考える前段階のようなので、今回は「社会学」の話題と自殺研究の歴史が中心になりました。
若い人と話すとたくさんの刺激がもらえます。
うれしいことです。

■ちょっとおかしいぞ(2015年4月17日)
先日の畑作業の翌日から腰が少し痛かったのですが、ちょっと無理をしたかなというくらいで、あまり気にはしていませんでした。
それと喉というか呼吸というか、それも少しおかしいのですが、これもまたマスクをせずに畑仕事をし、放射線を体内に取り込んだためかなとあまり気にはしていませんでした。
しかし、腰も呼吸も、5日経ってもあまり改善されません。
腰の痛みも、筋肉痛とはちょっと違うような気もします。
呼吸も、いつもの喉の違和感ではなく、肺の違和感のような気もします。
歳をとると、いろいろな違和感が生じますから、いちいち気にしていてはやっていけませんが、今回はちょっと初めてのような違和感です。
しかし、初めてであることは新鮮でもあります。
病院に行こうかと思いますが、たぶんまた「健全に老化していますよ」と言われるだけでしょう。
自分の事は、この歳になると結構わかるものです。
それでも周りに迷惑をかけてはいけないので、病院に行こうと思います。
ちなみに、心配は不要です。
何しろ玄米を食べて、睡眠もきちんととっていますから。

(2015年4月第2週)
■オープンサロン(2015年4月5日)
■戦争反対カフェサロンがスタートしました(2015年4月5日)
■畑が大きくなりました(2015年4月6日)
■「生命倫理の源流」を読みました(2015年4月7日)
■平和サロン女性版の呼びかけ(2015年4月8日)
■時間の私的所有と自殺問題(2015年4月9日)
■宇賀さんたちの夢が大きく育ちだしました(2015年4月9日)
■日本子どもNPOセンターの立柳さん(2015年4月9日)
■コムケアサロンのテーマが決まりました(2015年4月10日)

■オープンサロン(2015年4月5日)
今月のオープンサロンは戦争反対カフェサロンの前座として開催しました。
武田さん以外は、みんな新しい参加者であり、しかも戦争反対サロンにも続けての参加でした。
武田さんの友人の塩尻さんと藤原さん、それに大学生の話し合いに参加した庭崎さんが参加しました。
藤原さんとは20年ぶりでしょうか。

■戦争反対カフェサロンがスタートしました(2015年4月5日)
戦争反対カフェサロンの第1回目は、雨の中を13人が集まりました。



20代から70代まで、年齢は幅広かったですが、男性ばかりでした。
平和や戦争に関心を持っているのは男性で、女性はたぶん平和を実践しているのでしょう。
そのせいか、話は争点的で論争的で、理屈も多かったです。
男性だけだとこういう議論になるのだと、桐山さんが感想を述べました。

安倍政権反対派が多かったのですが、安倍政権支持派もいました。
問題提起者の武田さんの、怒りのこもった簡潔な問題提起を受けて、最初に塩尻さんが、これもしっかりした事実認識をベースに反論し、そこから話は盛り上がっていきました。
時に横道にそれたこともありましたし、現実問題から社会哲学まで、議論が広がり、議論をテーマに戻すのに苦労しました。

最後に、湯島のサロンに初めて参加した大学生の庭崎さんが、大人たちの議論は私たちの世代とは全く違う、と感想を述べました。
言葉がきつく、対立的すぎて、発言したくなくなる(しにくい)というのです。
それまでにぎやかに論争を楽しんでいた大人たちは、ちょっとしゅんとしてしまいました。
そこからの議論も、私にはとても刺激的でした。
次に若い参加者(4歳年上)の李さんが、しかし、それでも自分の意見をはっきりというべきだと発言しました。
このやり取りも、昨今の社会状況というか若い世代の状況を象徴しているように思いました。

年長者たちからは、ご自身の戦争関係体験も踏まえて、戦争は絶対に繰り返したくないと強い発言もありました。
真ん中世代の人は、世代によってこんなにも考え方や論じ方、言葉が違うのに驚いたと言いました。
などなど、実に刺激的な「戦争反対カフェ」の始まりでした。

今回は柴崎さんが映像に録画し、それを一部削除してユーチューブに流してくれました。
https://youtu.be/InI9n8JUH7s

このサロンのために、熊本の宮田さんが、平和国家コスタリカのコーヒーを送ってくれたのですが、私が前日まで不在だったため、受け取れずに、再配達をお願いしたのですが、サロンに間に合いませんでした。
で、今回はブラジルのコーヒーになってしまいました。
コスタリカのコーヒーは次回用にしました。

ちなみに、次回は「不戦の70年」をどう受け止めていくかをテーマに、6月13日に開催します。

なお、このカフェサロンは継続的に開催しますので、案内をご希望の方はご連絡ください。
戦争賛成者も含めて、だれでも参加歓迎のカフェサロンですので。
ただし、「テロリスト」はあまり歓迎できませんが。

■畑が大きくなりました(2015年4月6日)
しばらく行けていなかった畑に行きました。
3時間近く頑張りました。
畑らしい面積が広がりました。
もう大丈夫でしょう。
石灰をまいて、作付の準備をしました。
問題は何を植えるかです。
花壇のチューリップも20本ほど咲きました。
こちらはまだ手入れが大変そうです。
マスクもせずにやっていたら、また喉をやられてしまいました。
困ったものです。

■「生命倫理の源流」を読みました(2015年4月7日)
今日は雨だったので、1日、自宅で本を読んでいました。
小児外科医の松永さんがフェイスブックで紹介していた「生命倫理の源流」です。
300頁を超える本でしたが、面白くて一気に読みました。
しかし、あまり根を詰めて読んでいたので、最後は疲れ切ってしまい、いささか消化不足になってしまいましたが。
しかし、たくさんのことを学ばせてもらいました。
このテーマでもカフェをやりたくなりました。

■平和サロン女性版の呼びかけ(2015年4月8日)
5日の戦争反対カフェサロンは、男性ばかりだったので、ふと思い立って、女性版をやらないかとメーリングリストとフェイスブックで呼びかけました。
ちょっと挑発的な呼びかけだったせいで、フェイスブックでは厳しい「違和感」を表明されてしまいました。

ちなみに、呼びかけをこんな感じです。

5日の日曜日に、湯島で「戦争反対カフェサロン」を開催しました。
大学生から70代まで13人の人が集まりました。
このカフェを開くことにしたきっかけは、ある集まりで、最近の日本の状況は、第二次世界大戦に突入した80年前に似てきているのではないかということが話題になったことでした。
最近の日本は、平和とは逆の方向を向かっていることは間違いないでしょう。
パラオに行かれた天皇の意図と安倍政権の意図は反対を向いているように思います。
「戦争反対カフェサロン」には13人が集まりましたが、みんな男性でした。
ある人が、男性だけで話していていいのだろうか、というような発言をしました。
たしかにそうです。
こうしたテーマの場合、なぜか男性は集まりますが、女性は集まりません。
NPO活動している女性たちは、目先の個別問題には熱心ですが、その土台になる社会全体のあり方には、なぜか関心を持ちません。
そういう人たちが、80年前には、戦争を起こす強力な支援役になったのではないかと思います。
しかも、最近の日本の女性たちは私には実に好戦的に見えます。
もしビジネスの場が、最近の戦場であれば、その戦いぶりは男性勝りです。
彼女たちの関心はまもなく戦争に向かうのではないかと思うほどです。
以前書きましたが、市民活動は「政治」から無縁であってはいけません。
政治から無縁であることが、政治の流れに加担するからです。
そうして、ドイツはヒトラーに身を任せてしまいました。
いささか挑発的に書きましたが、
そんなわけで、女性を中心にした「現在の政治状況と平和」を語り合う「戦争反対カフェサロン」を開きたいと思います。
「福祉活動」に関わる女性の参加者が3人以上、集まったら、の条件ですが。
最大の福祉は「戦争のないこと」だということに、気づいてほしいからです。
ぜひやりたいという人がいたら、私あてに連絡してください。
前の戦争を後ろで支えた女性のようにはなりたくないという人がいればいいのですが。

少し余計な言葉が過ぎたようです。
フェイスブックでのコメントなどは次をご覧ください。
https://www.facebook.com/cwsosamu/posts/10200308632914340?comment_id=10200309082165571&notif_t=like

■時間の私的所有と自殺問題(2015年4月9日)
時間と自殺問題をテーマに博士論文を書いている杉原さんがやってきました。
「時間と自殺問題」は、私にとっても興味あるテーマです。
以前にも一度、議論したことがありますが、その後、杉原さんの論考も発展しています。
またいろいろと刺激をもらいました。
こういう議論は最近あまり機会がありません。
議論に付き合わせてもらって光栄です。

■宇賀さんたちの夢が大きく育ちだしました(2015年4月9日)
「OMOしろい」構想に取り組んでいる宇賀さんご夫妻がその後の報告と相談にやってきました。
マンゴピューレをもらいました。
宇賀さんたちは、いつもめずらしいものを持ってきてくれます。

ところで、「OMOしろい」構想はますます壮大になるとともに、かなり現実的にもなってきました。
問題は、それが必ずしもきちんとつながっていないことです。
夫婦それぞれが必ずしも同じステップを考えていないため壮大路線と現実路線が並行して動いているのですが、夫婦であることで、それがたぶんシナジーをあげることになるでしょう。
夫婦でなければ、決裂かもしれませんが、ふたりともそれぞれの夢と同時に、夫婦、もしくは家族の夢もあるのです。
なぜ私のところに定期的に相談に来るのかわかりませんが、次第に私も巻き込まれそうです。
壮大な構想の方にですが。
困ったものです。

■日本子どもNPOセンターの立柳さん(2015年4月9日)
日本子どもNPOセンターの立柳さんが来ました。
湯島を事務所として提供させてもらっていますが、立柳さんもいろいろな活動をされているので、実際に湯島を使うことはあまりありません。
いまは、子ども白書に取り組んでいますが、なかなか接点が持てずにいるのが残念です。

立柳さんは福島でも活動されているので、6月に「福島の子どもたちと被ばく問題」をテーマにサロンをしてもらうことにしました。
6月26日の予定です。
また決まったらご案内します。

■コムケアサロンのテーマが決まりました(2015年4月10日)
今月のコムケアサロンは24日ですが、大阪であゆみあいネットを立ち上げた岡崎さんが話に来てくれることになりました。
案内をお知らせに掲載しました。
ぜひ多くの人に聴いてほしい話です。

岡崎さんは自死遺族であり、5年前に私が取り組んでいるコムケア活動のある集まりに参加してくれたのを契機に、当事者としての活動を開始し、あゆみあいネットを立ち上げました。
私も少し遠くからですが、伴走してきました。
そして多くのことを学びました。
当事者が、当事者として活動を起こすことの大変さと意味をみなさんにもぜひ聞いていただきたいと思っています。

(2015年4月第1週)
■畑作業(2015年4月1日)
■SVP TOKYOの栗原さん(2015年4月2日)
■上野公園の桜(2015年4月2日)
■経営道フォーラム合宿(2015年4月3〜4日)

■畑作業(2015年4月1日)
畑がだいぶ形を見せ始めてきました。
道沿いの傾斜地にもチューリップが咲きだしました。
まだ作付されたのは、ジャガイモとネギだけですが、ビジョンが可視化されると作業のモチベーションも高まります。
もっとも放射線汚染のため、収穫物は食べられないかもしれません。
しかし、きちんと畑にすることで、生き物が生きやすくなるという話も学びました。
一部をハーブのセイジ畑にしようと思いますが、放任されたセイジの群生地ではなく、政治畑にするには何を変えたらいいのかが、これからの課題です。
畑はいろんなことを気づかせてくれます。

■SVP TOKYOの栗原さん(2015年4月2日)
1月に行ったSTRAMDの講義を聞いた栗原さんが湯島に来ました。
会社を辞めて、いまは大学院で学び直しをしながら、社会活動に取り組み、これからの新しい起業構想をまとめることにしたそうです。
とりあえず、いまはSVP TOKYO(ソーシャルベンチャー・パートナーズ東京)に籍をおきながらプロボノ的活動をしているそうです。
「SVP TOKYO」、どこかで接点があった組織だなと話していたら、ソーシャルの立ち上げにコムケア活動でささやかに応援した活動でした。
いまでも印象に残っているのが、その立ち上げに取り組んでいた井上さんです。
最近は会う機会はありませんが、フェイスブックでその活動には触れています。

栗原さんの構想もお聞きしましたが、非常に共感できるものでした。
具体化されていくのが楽しみです。

■上野公園の桜(2015年4月2日)
オフィスからの帰路、思い立って、不忍池と上野公園を通って上野駅に行くことにしました。
歩いて20分ほどですが、以前はよくこのルートで帰りました。
上野公園の桜は、数日前が満開だったのですが、まだ花見には十分で、花見客でにぎわっていました。

■経営道フォーラム合宿(2015年4月3〜4日)
経営道フォーラムの合宿でした。
箱根でしたが、かなり荒れ模様でした。めずらしいです。
今回の私のチームは、イキイキとキラキラがキーワードです。
こうした言葉で、企業の理念や文化を考えることが大切だろうと思います。

大企業の景気はやはりかなり上向いているようです。
最近、経営管理の立場にある人たちと話していると、それを何となく実感できます。
たfだし、なぜか少し不安な気持ちもしますが。

ちなみに合宿はいつものように、小涌園の箱根ホテルでしたが、外国の人で賑わっています。
これも、少し不安な気もします。

(2015年3月第4週)
少し流れが変わりました。
春になりそうです。
それはいいのですが、また3つもいささか気の重いプロジェクトがスタートしだしそうです。
若かったたら、それこそワクワクするようなプロジェクトですが、歳をとると気も重くなるのです。
■ガマガエル騒動(2015年3月22日)
■畑への作付け(2015年3月22日)
■良い日(2015年3月23日)
■NPO法人科学技術倫理フォーラムの杉本さん(2015年3月25日)
■草の根からの社会教育(2015年3月27日)
■久しぶりに北川さんが湯島に来ました(2015年3月27日)
■食養サロン(2015年3月27日)
■大学生の話し合いフォーラム(2015年3月28日)

■ガマガエル騒動(2015年3月22日)
わが家の庭の池にカエルの卵が出現しました。
最近手入れを全くしていなかったのですが、大きなガマガエルが住みついてしまったのです。
魚もエビも全滅したのは、このガマガエルのせいかもしれません。
まずは卵を処分させてもらいました。
ガマガエルは探しましたが、見つかりません。
ところが夜になって、ガマガエルが大きな声で鳴きだしました。
懐中電灯で探してみたら、水を抜いた池の中で鳴いていました。
15pほどあったでしょうか。
飼うわけにはいかないので、捕まえて、近くの手賀沼まで連れて行き、放してきました。
かわいそうなことをしましたが、仕方がありません。

■畑への作付け(2015年3月22日)
畑が少しずつ形になってきました。
今日は畝をつくって、ジャガイモを植えました。
これまでの2年の惨敗ぶりとは違って、今年は畑が実現しそうです。
道沿いに球根を植えておいたチューリップも芽が出てきています。

■良い日(2015年3月23日)
ブログに書きましたが、今日は、良い日でした。
流れが少し変わってくれるかも知れません。
ともかくここ数か月、良いことがありませんでした。
このまま、行ってくれるといいのですが。

■NPO法人科学技術倫理フォーラムの杉本さん(2015年3月25日)
科学技術倫理フォーラムの杉本泰治さんが湯島に来ました。
杉本さんとのお付き合いは、もう30年以上になると思いますが、お会いした時には技術関係の会社の社長でした。
その後、会社を辞めて、大学で法律を学び直し、製造物責任論や会社経営論(経営技術論ではありません)に取り組み、その後、「科学技術者の倫理」というアメリカで話題になっている本を翻訳出版されました。
そして、NPO法人科学技術倫理フォーラム青立ち上げました。
この本は、杉本さんの人生も少し変えたと思いますが、それ以上に日本の社会に変化を与えるだろうと思っていました。
科学技術に価値観が不在なことに私は大きな懸念を持っています。
26年前に会社生活をやめた時に考えた一つのテーマは、科学技術と社会の繋がりを考えることでした。
少し着手したところで、もう一つのテーマだった、まちづくりの方に向いてしまいました。
それでもちょっと未練があり、技術倫理サロンなどを何回かやっていたこともあります。

杉本さんが情熱をかけた「科学技術者の倫理」は、この種の本には珍しくベストセラーになりました。
杉本さんも、いくつかの大学に、技術倫理講座をつくるために健闘されました。
日本版のテクストも何冊か書かれました。

にもかかわらず、残念ながら、杉本さんの人生を変えたほどにも、日本の社会も技術者も変わりませんでした。
杉本さんは、この20年ほどの活動を振り返って、「社会には歯が立たなかった」と言われました。
そのお気持ちがよくわかります。

実は私も、NPO法人科学技術倫理フォーラムの理事なのです。
たしかに「歯が立たない」のです。
私は技術者ではありませんが、杉本さんは私を「同志」と受け入れてくれています。
ただし、私の考えと杉本さんの考えは、かなり違うところもあります。
ですから今回も何回か論争にもなりましたが、考えが違うことは決して悪いことではありません。
そもそも倫理の問題の出発点は、異論に傾聴することでしょうから。

杉本さんは、歯が立たないと言ってあきらめる人ではありません。
次の構想を話してくれました。
何か私にもできればいいのですが、いささか気の重いプロジェクトです。
尊敬する杉本さんですので、できることはするつもりではありますが。

■草の根からの社会教育(2015年3月27日)
文部行政がまた社会教育に力を入れだしているようです。
まあ阿部政権の狙いであれば、当然ことでしょう。
しかし、それはいうまでもなく「お上(統治)のための社会教育」です。
教育ほど恐ろしい暴力はありません。
そうした動きに対して、いまこそ、「生活のための草の根社会教育」を起こしていかなければいけません。
そういう思いを持ち続けていますが、いまのように、悠長にやっていては間に合いません。

そういう思いを持った3人が集まって、プロジェクトを起こしました。
その2回目のミーティングです。
今回は大きなビジョンやコンセプト、そしてスキームがかなり共有できました。
話しているうちにだんだん大きな枠組みにしないといけなくなってきました。
さて、これもまた「気の重いプロジェクト」になりそうです。
しかし、楽しいプロジェクトになるかもしれません。

■久しぶりに北川さんが湯島に来ました(2015年3月27日)
トヨタ時代からお付き合いのある北川さんが、湯島に寄ってくれました。
北川さんは、いまはある自動車会社の役員ですが、その視野の広さと行動力、誠実で戦略的な経営実践には、日ごろ敬服している人です。
北川さんから、また刺激的なチャレンジの話を聴けると楽しみにしていました。
実に刺激的な話とチャレンジにつながる話を聴けたのですが、私が期待していたものとはあまりに違っていたので、いささか頭が混乱してしまいました。
でもまあ、北川さんの事だから、いい方向に向かうでしょう。

北川さんから『虚数の情緒〜中学生からの全方位独学法』の巻頭言のコピーをもらいました。
北川さんが共感したようです。
『虚数の情緒』を読んでみようと思います。

■食養サロン(2015年3月27日)
昨夜の「食養」サロンは、さまざまな立場の人が参加し、いつものコムケアサロンとはまた少し雰囲気の違うものになりました。
食養活動に取り組んでいる栗原さんと林さんが、手づくりの玄米おにぎりをお持ちくださり、またお味噌汁や梅醤番茶などの「食養メニュー」も体験させてもらいました。
食養の基本にある「食べ物の陰陽」の話、食によって人の心身が変わってきていることなども、話題になりました。
長年、企業に関わっていた太田さんからは、企業の社員寮で朝食をきちっと食べるような状況をつくったら、社員同士の交流が深まった事例を紹介してくれました。
食生活の変化で、人種を問わず、生まれた時には「赤かった」赤ちゃんが、「赤くなくなってきた」という話には、考えさせられました。
介護や福祉、教育や家族問題、さらには企業の変革にまで、「食」の問題は重要な意味を持っている。
やはり、食はすべての基本だと改めて感じました。

食養から広がる世界の大きさには、いささかたじろぐところがありますが、栗原さんと林さんはそれに向かっての活動を始めています。
「食養」に関心のある方がいたら、ご連絡いただければ、栗原さんと林さんにお引き合わせいたします。
おふたりとも、実践者です。

■大学生の話し合いフォーラム(2015年3月28日)
青山学院大学で「大学生たちがいまを話し合う−自殺者3万人の社会で生きる」の集まりを開催しました。
実行委員長は大学で社会学を教えている楠秀樹さん、最初の実行委員は楠さんの教え子の金城さんと杉山さん。それにいつも私の応援をしてくれる杉原さんと小林さん。ついでに今朝会った学生の藤原さんです。

春休みにあたっていたこともあり、十分な告知ができなかったのですが、7大学から15人の学生が参加してくれました。
学生以外の方もほぼ同数の参加でした。
「自殺者1万人を救う戦い」の映画を観た後、まずは学生のみなさんから感想を話していただき、続いてその学生の意見などに大人がコメントし、最後にみんなで話しあうと言ったスタイルを予定していましたが、それぞれみんなしっかりした発言が続き、結局、全員が発言したところで、時間切れになってしまいました。
しかし、それぞれのご意見は、みんなとても示唆に富むものでした。

終了後、話し足りないという学生のみなさんは残って、自発的に話し合いを始めました。
私ももちろんですが、実行委員長の楠さんも、これには感激でした。
今回の集まりを契機に、毎月、話の場を持続させていこうという呼びかけにも、多くの人が積極的に参加表明してくれました。
これまでにない手応えでした。
若い世代の人たちも、こうした「話し合いの場」を求めているのです。
ちなみに最初の集まりは4月25日です。
またひとつ、小さなネットワークとプロジェクトが生まれそうです。
学生のみなさんが運営していってくれそうです。
できれば、秋に、少し大き目の公開フォーラムが実現できればと思っています。

(2015年3月第3週)
心身的には相変わらず一進一退ですが、忙しい怠惰な生活を送っています。
今週は、在宅でダウンしていた時に見たDVD映画の話と、お会いした人を中心に少しだけ書いておきます。
■前半はテレビ三昧(2015年3月18日)
■後半は何人かの人に会いました(2015年3月19〜20日)
■畑にもいきました(2015年3月21日)
■大学生フォーラム実行委員会もやりました(2015年3月19日)

■前半はテレビ三昧(2015年3月18日)
週の前半はちょっと気が萎えてしまい、ほとんど在宅してしまいました。
予定もいくつかあったのですが、幸か不幸か、いずれも先方の都合などで延期になりましたので、それをいいことにテレビの前で怠惰に過ごしました。
最初に見たのが、20年以上前に見た映画「ダンス・ウィズ・ウルブズ」。
インディアンの生き方を絶賛する西部劇です。
この映画を観たために、今週はとても「哲学的」になりました。いまも、です。
この映画で感じたことはブログの挽歌に2回ほど書きました。
もう一つ見た映画は、閉じ込められたエレベーターを舞台にしたシチュエーションスリラー「ミッション:15」です。
イラク戦争で心的外傷後ストレス障害を抱える兵士たち3人が登場人物ですが、大きなテーマは、コラテラルダメッジへの批判です。
アメリカでは、こうした権力や専門家に対する直截な批判をテーマにした映画がよく作られますが、アメリカという国家の持つ暴力性と昨今の「イスラム国」とは無縁ではないなと改めて痛感しました。
録画していたジェシー・ジェームズの伝記的西部劇2本も見ようとしましたが、いずれも早送りで5分足らずで観終わってしまったので、観たことにはなりません。
まあ学生時代を少しだけ思い出すのに役立っただけです。
ドラマも観ました。
「相棒」のシリーズ13の最終回「ダークナイト」です。
後で知ったのですが、ネットでは批判や失望も多いようですが、私は思い切ったことをやるものだと、感心しました。
筋は最初からばれているのですが、面白かったです。
テーマは「正義」、もう少し言えば、生活者の正義と統治者の正義の違いです。
私は、統治者の正義感にはなじめませんので、今回は主役の杉下右京がみじめでぶざまに見えてきました。
正義感は、システムにとっては最高の部品なのだと思いました。
他にも観てしまいましたが、映画やドラマも、世界を広げてくれるという意味では、私にはとても有益だと思っています。

■後半は何人かの人に会いました(2015年3月19〜20日)
週の後半は湯島にも出かけ、何人かの人に会いました。
地元の我孫子でもおふたりに会いました。
湯島で会った一人は、吉本隆明の研究者でもある柴崎さんです。
柴崎さんとの付き合いはもう20年以上ですが、彼はなかなか生き方が定まりません。
きわめて個人的な生き方をしているので、余計な話ですが、気になっています。
能力や関心を社会的に生かすのが苦手なのです。
こういう人が、たくさんいることを私は実感しています。
有名な人はたまたまそうなっただけで、在野の研究者や思想家の方にこそ、学ぶことが多いのも私の体験知です。
柴崎さんは「資本論」3巻を読み直すことにしたそうです。
それには私も賛成です。

次に会ったのは、あるところに就職したはずが、どうも自分には合わないと言ってすぐやめてしまったSさんです。
組織に拘束される生き方は、どうももうできなくなったというのです。
Sさんも多彩な才能を持っており、いろんな生き方ができると思いますが、どうも納得できる生き方しかしたくないようです。
これにも改めて感服しました。
話していたら、とても素晴らしい計画があるようです。
それが実現するまでの1〜2年をどう生きるかがSさんの課題です。
こういうしなやかな生き方は実にうらやましいです。
いま書いている論文の話も少し聞きました。
新しい視点の論考なので、出来上がりが楽しみです。

地元で活動している人にもおふたりに会いました。
一人は認知症予防ゲームに取り組んでいる小此木さんです。
5月30日に柏市で京都の認知症予防ネットの高林さんの講演会を開催したいので、相談したいと言われたのです。
我孫子市ではもう5年以上前から認知症予防ゲームの体験会を開催したくて関係者に働きかけていましたが、うまくいきませんでしたが、昨年から小此木さんたちが動き出して、次第に広がりだしています。
開催が柏になって、ちょっと残念ですが。
これからどうするか、そろそろ体制そのものを考え出さないといけない時期に来ています。

昨年から時々お会いしている原田さんにも会いました。
原田さんは私と違ってじっくりと構想を練り上げて、状況を活かしながら、ゆっくり進めるタイプです。
見習わなければいけません。

おふたりとも今年は活動を加速されるでしょう。
さて何が始まるか、楽しみでもあります。

■畑にもいきました(2015年3月21日)
今週は畑にも2回ほど行きました。
今年は原田さんの真似をして、ジャガイモを植えようと思います。
放射線汚染されてしまった畑ですので、ジャガイモはやめていましたが、まあいいでしょう。
ジャガイモならそう手入れしなくても大丈夫ですので、まずはジャガイモから行くことにしました。
早速、メイクインの種イモを買ってきました。
来週、植えつけます。

■大学生フォーラム実行委員会もやりました(2015年3月19日)
怠惰な1週間でしたが、まったく何もやらなかったわけではありません。
大学生のフォーラムを3月28日に開催しますが、その実行委員会も開催しました。
学生2人と大人2人と私と5人で当日の進め方を話し合いました。
全体の信仰と最初のオープニングのスピーチは、学生がやることになりました。

しかし、まだ学生の集まりがよくありません。
皆さんのまわりに学生がいたら、ぜひお誘いください。
案内はお知らせにありますので。
大学生に限らず、若い世代の人に参加してほしいと思っています。
何しろ学ぶのは、私も含めた、大人たちだと思っていますので。

それにしても、10人以上の大学の先生たちにメールしましたが、4人からしかきちんとした反応がありませんでした。
これが私にはショックでした。
彼らはこういう問題に関心がないのでしょうか。
情ない話です。
今度会ったら蹴飛ばしたい気分です。
返事くらいしてほしかったです。

(2015年3月第2週)
今週も、悪夢続きでしたが、ようやく少しずつ晴れ間が見えてきました。
■うらやましい生き方の人もいるものです(2015年3月10日)
■我孫子に文化会館は建つのか(2015年3月11日)
■医療政治学の石垣さん(2015年3月11日)
■もう少しきちんと歯を磨きなさい(2015年3月12日)
■戦争反対サロン打ち合わせ(2015年3月13日)
■巡礼者鈴木さんが復活(2015年3月13日)
■会社を楽しくしたいプチサークル(2015年3月13日)

■うらやましい生き方の人もいるものです(2015年3月10日)
あんまり楽しくないことが続いています。
人に会う気がどうしても出てきません。
3日ほど、引きこもってしまいました。
それで、買ったままにしていた新書「反〈絆〉論」(中島義道)を読みました。
私は、〈絆〉という言葉があまり好きではないのですが、かといって、反〈絆〉でもないので、買ったままになっていました。
ところが、読み出したら、実に面白く、私の考えや生き方にかなり重なっているのです。
そうだそうだと思いながら、一気に読んでしまいましたが、最後の章で、著者との生き方の違いが大きく感じられ、がっくりしてしまいました。
しかし、がっくりしたのは、もしかしたら「羨望の念」からであり、平たく言えば、やっかみからかもしれません。
この本の著者は、実に見事な生活ぶりを完結させています。
実にうらやましい。
私には理想のような生き方で、うらやましさのあまり、著者が嫌いになったのでしょう。
この本の帯に、「〈絆〉は麗しい言葉 だからこそ 暴力は潜んでいる」とあります。
それと同じ「暴力」が私に襲いかかってきたわけです。
「反〈絆〉」にも同じことが言えるようです。

成功している人を見ると、妬ましくなるものです。
久しぶりに、私には成功している人に出会ったようで、妬ましくて妬ましくて仕方ありません。
それに、この人は夫婦喧嘩ができるのです。
絆に囲まれて、なんとまあ、幸せなことか。

ますます人が嫌いになってしまいました。

■我孫子に文化会館は建つのか(2015年3月11日)
茨城県の小美玉市の文化センター「みの〜れ」の建設の時に縁のあった佐藤総合設計の小宮さんが、重宗さんを連れて湯島に来ました。
私の住んでいる我孫子市でも、文化会館づくりの動きがあるのですが、それを知った重宗さんは何回か我孫子市役所に通っているそうです。
そこで私の名前が出たようで、小宮さんを通して、私に会いに来てくれたのです。
いうまでもなく、私は文化会館そのものにはまったく興味がありません。
興味があるのは、文化会館で何が生まれるかです。
いつものように、そんな話をさせてもらいました。

後から小宮さんから「みの〜れ」の頃を思い出したとメールが来ました。
景気対策か被災地復興か、地方創生か、わかりませんが、また箱モノづくりに大きなお金がばらまかれだしているようです。
全く腹立たしい話です。
それだけのお金があれば、住民の生活を豊かにする方法はいくらでもあるはずです。
私もまた、みの〜れのようなプロジェクトに関わりたくなりました。
本気でまち育てをした人はいないものでしょうか。
首都圏界隈にはほとんど興味はないのですが。

■医療政治学の石垣さん(2015年3月11日)
青山学院大学の須田さんが、イギリスのバース大学留学時代に知り合ったという石垣さんが、須田さんの紹介で湯島に来てくれました。
医療政治学が専門です。
医療政治学とは初めて知りました。
要は医療政策にまつわる政治学のようです。
久しぶりに、医療問題や政治学に関してお話をお聞きしました。
私の最初の質問が、「政治学ってなんですか?」だったので、石垣さんは驚いたかもしれませんが。
今回は「医療ってなんですか」という質問は控えましたが、民主主義って何ですかという議論もしました。
こうした議論がきちんとできるのは楽しいです。

石垣さんは医療政治学を社会科学的な発想で取り組んでいきたいと考えています。
日本の医療政治学者の多くは、医療界から入っている人が多いのだそうです。
それで、社会保障論をやっている本間さんの「社会科学としての保険論」を思い出しました。
それで、今回、ブックのコーナーに紹介することにしました。
石垣さんにもこの本を紹介し、著者の本間さんにお引き合わせすることにしました。
できれば「社会的共通資本としての医療」(東京大学出版会)に関しても話題にしたかったのですが、まあ次回の楽しみに残しました。
石垣さんとは、いろんなところで私の関心事と重なりがありそうです。
なにかご一緒できるとうれしいです。

■もう少しきちんと歯を磨きなさい(2015年3月12日)
いしど歯科医で、前回の検査結果を聞きました。
案の定、歯磨きの磨き残し率は30%を切れずに、注意されました。
特に奥歯がダメだと言われたので、奥歯は磨きにくいのでもうあきらめてもいいのですが、と訳のわからない弁解をしてしまい、そのせいで、次回は歯ブラシを持ってきなさいと言われてしまいました。
口は災いの元です。
いや、歯は災いの元なのです。
歯磨きの仕方はもう何回か説明を受けましたと言ったのですが、許されませんでした。
歯磨きにはまったく興味がないのですが、と捨て台詞を残すのが精いっぱいでした。

しかし、神様はどうして磨かないとダメになるような歯にしてしまったのでしょうか。
爪は磨かなくてもいいのに。

■戦争反対サロン打ち合わせ(2015年3月13日)
先週のオープンサロンで決まった「戦争反対サロン」を開催することしたので、最初の問題提起者の究極的民主主義研究所所長の武田文彦さんと打ち合わせました。
当然のことながら、武田さんとではきちんとした打ち合わせにはなりませんが、まあそれなりに打ち合わせました。
お知らせのコーナーに案内を載せました。

武田さんがせっかく湯島に来たので、お昼をご馳走になることにしました。
ご馳走したい人にご馳走になるのも、大切なことなのです。
お金のある人のお金を使う手伝いをすることも大切です。
珍しくささやかな経済成長への寄与をしました。

■巡礼者鈴木さんが復活(2015年3月13日)
鈴木章弘さんがやってきました。
サンチアゴを歩くことにしたようです。
もう数年前に一度3年かけて歩いていますが、今度は続けて全部を歩くそうです。
巡礼者鈴木さんの復活です。
私の四半世紀区切りではなく、鈴木さんは15年単位で人生に節目をつけているようです。
まだ確実ではないですが、新しい15年の始まりのようです。

巡礼路を歩く話になると鈴木さんの話は止まりません。
私があまり元気のない状況だったので、鈴木さんの話をただただ聞いていました。

それにしても、私は歩くことをいつからやめたのでしょうか。
30代までは、よく山歩きにも行っていたのですが。
いまは散歩さえあまりしません。
鈴木さんが、歩くとともかく心身がすっきりしてくると目を輝かして話していましたので、もし私が元気だったら、歩いてみようかと思ったかもしれません。
しかし、幸いなことに今日はほとんど疲れ切っていたので、その決意を避けられました。

■会社を楽しくしたいプチサークル(2015年3月13日)
久しぶりにプチサークルの大塚さん、大坪さん、三浦さんが湯島に来ました。
以前、経営道フォーラムで私のチームだった3人組です。
私が取り組んでいる自殺のない社会づくりネットワークに引き込まれて、いまは「会社で働く人が自殺に追い込まれることのないような楽しい会社づくり」に取り組んでいます。
しかし、今回はその話はほとんどなく、この間、発生したメンバーの一人の大事件の話で盛り上がってしまいました。

話の合間に、会社の景気の話を質問したら全員が業績は上向きだと言いました。
私の周辺に多い、格差の下の層の人たちの世界とは状況は全く違うようです。
安倍政権が支持されるのも、そういうことかと、改めて思いました。

(2015年3月第1週)
■大学生フォーラム準備会(2015年3月1日)
■オープンサロンから「戦争反対サロン」が生まれそうです(2015年3月1日)
■「ケアの始まる場所」(2015年3月2日)
■心が滑らかになれません(2015年3月2日)
■久しぶりの歯医者さん(2015年3月3日)
■海津さんと原田さん(2015年3月3日)
■北欧サスペンス(2015年3月3日)
■「社会科学としての保険論」(2015年3月4日)
■自然のアサリがどっさり(2015年3月6日)
■共済研究会シンポジウム(2015年3月7日)
■相変わらずの悪夢(2015年3月7日)

■大学生フォーラム準備会(2015年3月1日)
昨年から話し合ってきた、大学生対象の映画「自殺者1万人を救う戦い」の上映と話し合いの集まりを3月28日に開催することにしました。
実行委員長は東京理科大などで講師をしている楠さんです。
その準備会を行いました。
大学はすでに春休みに入っているようで、その集客が大変そうです。
むしろ大人たちの関心が強く、学生よりも大人がたくさんになってしまいそうです。
上映会には映画制作者のレネさんも呼びたかったのですが、いろいろと事情があって参加は無理ということになりました。
いつかまたこのあたりの話は書きたいですが、いまはまだ書けません。
社会には不条理なことが多すぎます。
ところで、3月の案内をお知らせのコーナーに掲載していますので、ぜひ周りの学生たちにご案内ください。
参加費は無料です。

■オープンサロンから「戦争反対サロン」が生まれそうです(2015年3月1日)
今月から毎月のオープンサロンを、毎月最初の日曜日に開催することにしました。
きちんとした案内をしていなかったのですが、今回は武田さんと吉本さんのおふたりの参加でした。
少人数のため、かなり踏み込んだ議論ができたのですが、そこから新しいサロンが生まれました。
戦争反対サロンです。
あまりにも直接的な表現ですが、名前はまだ仮称です。
しかし、このままいったら、日本は戦争に向かうだろうというのが3人の共通認識でした。
もっとも戦争と言っても、かなり広義な意味で考えていますが。
それをどう避けるか。
まずは自民党の憲法改正案をもっと多くの人に知ってもらおうということになりました。
できれば3月にスタートです。
決まったら案内をお知らせのコーナーに掲載する予定です。
一緒にやろうという方がいたらご連絡ください。

■「ケアの始まる場所」(2015年3月2日)
先日、ちょっとハードなカフェサロンでも問題提起してくれた、フランクフルト学派の研究者でもある楠さんが、仲間と書いた書籍を送ってきてくれました。
タイトルは「ケアの始まる場所」。
とても魅力的なタイトルです。
11人の様々な分野の研究者の論考集です。
字が小さいので、なかなか読みだせませんでしたが、読み出したら面白く一気に読んでしまいました。
内容もさることながら、視点がとても興味深く、たくさんの示唆をもらいました。
また取り組みたいことが生まれそうで心配です。
ブックのコーナーに紹介記事を載せました。

■心が滑らかになれません(2015年3月2日)
最近どうも不幸なことばかりおきます。
元気になりつつある一方で、無性に虚しくなったり腹立たしくなったり、精神的に安定しません。
そんなわけで、時々、誰かに八つ当たりしてしまいます。
なぜこうなるのか、心当たりがないわけでもありません。
しかしそれを認めたくない気分も強いのです。
どうもいくつになっても、私の精神は成長しません。
最後までこうやって未熟な精神のまま終わってしまうのでしょうか。
困ったものです。

■久しぶりの歯医者さん(2015年3月3日)
久しぶりに、いしど歯科医に行きました。
前回行ってからまもなく1年になろうとしています。
3か月ごとに行かなければいけないのですが、どうも延ばし延ばしになってしまうのです。

かなり合間があったので1時間かけて検査をしてもらいました。
レントゲン写真をみながら、先生から骨は30〜40代ですね、と言われました。
問題は歯ぐきと歯そのものです。
その検査結果の説明は次回です。
手入れをあまりきちんとしていないので、また落第点になりそうですが、まあ仕方がありません。
数年前に手術した親知らず歯の抜歯後はきれいに回復していました。

歯科医に通っている時だけは、きちんと歯磨きなどもしますので、毎月1回は通った方がいいかもしれません。
ちなみに、どこか不都合があるわけではありません。
定期検査です。

■海津さんと原田さん(2015年3月3日)
元我孫子市議だった海津さんから、我孫子と白樺派に関連する修士論文を借りていましたが、それを返却することもあって、海津さんのオフィスに行きました。
海津さんが、原田さんにも声掛けしていたので、3人でお会いしました。
30分で帰るつもりが、気がついてみたら、2時間もたっていました。
最近のいろんな鬱積もあって、余計な話をしてしまった結果です。
海津さんにはかなり辛辣な物言いをしましたが、彼女は全く介していないようです。
不思議な人です。
聞こえていないのかもしれません。

それにしても、どうも私は時代や社会から脱落しているようです。
誰かと話していると、自分の考えとあまりに違うので、腹立たしくなるのです。
精神不安定なのです。
それに最近はストレスもかなり鬱積しているのです。
こういう時は、気分転換をしないといけないと改めて思い直しました。

■北欧サスペンス(2015年3月3日)
前項に書いたようなわけで、気分転換しようと決めました。
しかし、今日は寒いので、テレビドラマを見ることにしました。
これで気分転換になるわけはないのですが、そう思ってしまったのです。
ちょっと気になって録画していたノルウェイのサスペンスドラマです。
「ジャーナリスト事件簿」全6作の6時間ものです。
2回分だけは観ていましたので、残りは4時間。
早回しで見るので3時間です。
見てしまいました。
テーマが暗すぎて、ますます精神は重くなってしまいました。
気分転換の選択を間違ってしまいました。
気分がすぐれない時には、間違った選択をするものです。

■「社会科学としての保険論」(2015年3月4日)
寝不足の朝に、またまた気分が大きく滅入る電話がかかってきました。
ここに書くのさえ不快なので、書くのはやめますが。
しかし机でも蹴飛ばしたい気分です。

それで今日の午前中も気分転換に当てました。
昨日の失敗を繰り返さないために何をしようかと思っていたら、机に積まれている書籍の1冊が目に留まりました。
先日、青学教授の本間さんからもらった本です。
本間さんが30年程前に書いた本で、本間さんが寄贈してくれたのです。
「社会科学としての保険論」です。
一度読みだそうと思ったのですが、字が小さいうえに学術書みたいな感じですぐに挫折してしまい、書籍の山に加わってしまったのです。

今度はきちんと読みだしました。
驚きました。
内容は書くのが大変なので、時間ができたらブック―のコーナーで紹介しようと思いますが、私が今度、共済研究会のシンポジウムで問題提起したいことに通ずるものがたくさんありました。
いまの日本にもまだまともな学者がいることに感激して、ついつい本間さんにメールしました。

気が滅入っている時に、ちょっといいことに出会うと、大きく元気づけられます。
しかし、気力が回復すると、やらなければいけないことがわっと出てきますので、明日から忙しくなりそうです。

■自然のアサリがどっさり(2015年3月6日)
また春が来ました。
九州の蔵田さんが、自らが海岸で採取した立派なアサリをどっさり送ってきてくれました。
お礼の電話をすると、奥様が出て、いまも蔵田さんがアサリ獲りに行っているというのです。
そちらはあったかいのですかというと、エアコンが必要なほどの寒さだと言います。
その寒い中を海に出かけているようです。
いかにも蔵田さんらしいです。
近隣の人も行っているようですが、今年はあまり取れないのに、蔵田さんだけが良い場所を見つけて大量なのだそうです。
完全にもう自然人ですね。
まあ蔵田さんは、そういう自然のままの邪気の全くない方ですから、アサリが寄ってくるのかもしれません。
砂抜きをして、お裾分けしましたが、アサリが大好きな私は、自分の分を今年はいつもよりたくさん確保してしまいました。
最近少し欲が深くなってきたのかもしれません。
困ったものです。

■共済研究会シンポジウム(2015年3月7日)
共済研究会のシンポジウムでした。
今回のテーマは「保険と共済の存在意義」でした。
基調講演は共済研究会代表の本間照光さんで、実に示唆に富む講演でした。
まず、国際協同組合同盟のレイドロー報告に出てくる「正気の島」という言葉を引用して、現在の「狂気に向かう世界」の流れを変えるためにも、「正気の島」をつくっていこうという呼びかけでした。
共済研究会にはしばらく前まで私も参加していましたが、教の本間さんの講演をもし聞いていたら、やめなかったかもしれないと思いました。
しかし、本間さんのお考えは、極めて少数派なのかもしれません。
今日の本間さんの講演は多くの人たちに聴いてほしかったです。
今回の記録は「賃金と社会保障」に収録されますので、ぜひ読んでみてください。
第2部は3時間に及ぶパネルディスカッションでしたが、私も外野席的な役割で、参加させてもらいました。
私自身は、保険も共済も、いま、奈落の底に向かっているような気がしていますので、いささか参加者の耳には届かなかったかもしれません。
オバマケアが、その象徴ですが、TPPに参加するようになれば、日本の社会保障は急速に劣化するでしょう。
そうした流れを反転させるだけの力が、日本の共済理念には内在していると思いますが、共済の世界にいる人たちがその気にならなければ流れは反転どころか加速されかねません。

もし保険業界が、しっかえりした役割を果たしていたら、原発も封じ込めたかもしれません。
少しそんな話も投げかけてみましたが、どうも場違いの発言だったようです。

今回は10ほどのキースピーチだったので、長くならないように周到に準備し、原稿まで書いてしまいました。
その結果、時間は伸びたうえに、原稿に縛られてうまく話せませんでした。
用意しすぎるも考えものです。
場違いのまま、終わってしまったようで、事務局には申し訳ないことをしました。

■相変わらずの悪夢(2015年3月7日)
共済研究会のシンポジウムの後、交流会があったのですが、急用ができてしまい、参加できませんでした。
シンポジウムが始まる前にも、携帯電話にある人から電話が入りました。
急ぎの用かと訊いたら、そうでもないということだったので、そちらは日を延ばしてもらいましたが、それも急ぎだったのかもしれません。
しかし、それよりもさらに急ぎの用事の連絡がありました。
まだまだ悪夢は続きそうです。
日を伸ばしてもらった人のことも気になりだしました。
悪い時には悪いことばかりが続きます。
しかし、これが私の人生かもしれません。
最近そんな気がしてきました。
最近なんだか性格が暗くなってきてしまったような気がします。

(2015年2月第4週)
表面的なことの裏で、悪夢に襲われた1週間でした。
■衝撃!(2015年2月24日)
■巡礼路ウォーカー(2015年2月24日)
■ちょっと知的なカフェサロンが始まりました(2015年2月24日)
■赤い公衆電話機(2015年2月24日)
■旧岩崎邸(2015年2月25日)
■共済研究会シンポジウムの準備(2015年2月26日)
■ちょっと気になったRさんと話しました(2015年2月27日)
■東北被災者への関わり方(2015年2月27日)
■玄米のお弁当(2015年2月27日)
■コムケアサロン「社会は壊れてきていないか」(2015年2月27日)
■ヴェネチア料理(2015年2月27日)
■今度は県議選(2015年2月28日)

■衝撃!(2015年2月24日)
今週から前向きに動き出そうとしていた矢先に、神崎さんから電話がありました。
どうも調子が悪いので医者に行ったら、すぐ入院で余命半年と言われたというのです。
また調子は振り出しに戻ってしまいました。
奇跡は起こらないものでしょうか。
神崎さんは自分のブログで状況を書いていますので、実名で書いてしまいました。
彼と一緒にやりたかったことがあったのですが、さてどうしたものか。

■巡礼路ウォーカー(2015年2月24日)
スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路を歩いたこともある鈴木さんが遊びに来ました。
鈴木さんにとってもいまは人生の契機のようです。
そしてまた、無性に歩きたくなっているようです。
今度は四国巡礼から始めるようですが、歩きたくなるとどうしようもないようです。
いつものように、変わった大福をもって話に来てくれましたが、今日は日が悪かったです。
余命半年の電話の直後だったので、思考力があまりなく、あまりきちんと考えずに話してしまった気がします。
いつも以上に、余計なことを話してしまった気がします。

■ちょっと知的なカフェサロンが始まりました(2015年2月24日)
第1回目の「ちょっと知的なサロン」でした。
10人が参加し、星座と古代世界を追い続けてきている橋本さんの「古代の星信仰」の話を聴きました。
話は、紀元前4500年のハラフ文化から始まり、クレタの4つの宮殿の方位のずれ、そしてキリスト教とローマ帝国までの壮大な物語です。
知識の乏しい私には、ついていくのが大変で、時々、素朴な質問をして話をとめてしまったりしました。
参加者の李さんは、すごいすごいと乱発しながらも、先日のハードなサロンよりもハードではないかと言っていました。
なにしろ橋本さんの長年の成果の発表ですので、消化するのが大変です。
それでもなんとなく、壮大な全体像が少しわかった気がします。
私の勝手な解釈では、人類は、星に象徴される自然によって生きていた時代から自分たちが創った神によって生きる時代へと変わってきた。
その過程で、信仰が宗教になり、自然が暦になり、人類の生き方が変質してしまった。
私らしい、いかにも雑駁な理解ですが、たぶん橋本さんがそのうち、しっかりした本にまとめてくれるでしょう。
それを期待していますが、橋本さんはまた星座を撮りに出かけてしまうかもしれません。
困ったものですが、星とともに生きている人ですから、仕方ありません。

今回のサロンは、パウサニアス・ジャパン(古代ギリシア愛好者の会です)の人、インド占星術に従って生きている人、映画プロデューサー、サンティアゴなど巡礼路ウォーカー、ラッパ吹き、韓国からの留学生(もう卒業しましたが)、雅な学究者といった多彩なメンバーでした。
さらに、橋本さんの中学時代の同級生(FBを通して30年ぶりの再会?)が、つくばから「つくば名物かりんとう」をお土産にして参加してくれました。

次回の知的なサロンにふさわしいテーマがあれば、お知らせください。
発表者を広く募集しています。

■赤い公衆電話機(2015年2月24日)
ネット企画の社長の青柳さんが、自ら重い赤電話を持ってきてくれました。
ご実家を整理していたら、蔵から赤い公衆電話が出てきたのだそうです。
FBでほしい人はいませんかと呼びかけがあったので、手をあげました。
私ではなく、むすめがこうした昔のものが大好きで集めているのです。
青柳さん、ありがとうございました。

■旧岩崎邸(2015年2月25日)
年に1回の従兄弟の集まりでした。
もうみんな70代です。
一人は神戸在住ですが、後は首都圏に住んでいます。
だんだん従兄弟も鬼籍に入ったりして、数少なくなってきました。
集まれるうちに集まろうということになってきたわけですが、どうもこういうのが不得手です。
しかし、なぜか私が日程を調整し声をかける役割になります。
それにしても、ほとんど内容のない話をしながらも、話が尽きないのです。
これは不思議なものです。

今回は、湯島のオフィスで会って、湯島天神と旧岩崎邸庭園を散策しました。
岩崎邸はみんな初めてでした。
私も10年ぶりくらいでしょうか。
ここは何回来てもいいところです。

■共済研究会シンポジウムの準備(2015年2月26日)
3月7日に共済研究会のシンポジウムがあります。
https://www.facebook.com/kyousaikenkyukai/photos/pcb.443312925822023/443312862488696/?type=1&theater
私も以前、そのメンバーだったこともあり、今回、シンポジストとして参加させてもらうことになりました。
当日の発表レジメの提出を忘れていました。
キースピーチは10分ほどなのですが、10分だときちんと考えて話さないといけません。
私に与えられたテーマは、「現代における『支え合い』の役割と課題−運動的視野から」というものです。
いかにも大きなテーマです。
共済研究会は、共済事業の関係者が中心ですので、共済や保険についてもある程度勉強しなければいけません。
いろんな資料が昨日届きましたので、今日はそれを消化して、話の骨子を考えました。
私が敬愛している本間照光さんの昔書いた「社会科学としての保険論」まで目を通しました。
先日、本間さんからいただいたのですが、本間さんの学者魂を改めて知りました。
敬愛が尊敬に変わりました。

考えているうちに、いろんなことに気づきます。
保険と共済の発想の違いを私なりに少し整理してみました。
かなりの独断的見解ですが、これをベースにもう少し考えてみようと思います。
もしアドバイスなどもらえればうれしいです。

■ちょっと気になったRさんと話しました(2015年2月27日)
最近何回か会っている若者が、少し様子がおかしいのです。
それで気になって、会うことにしました。
やはり少しおかしいのです。
約束の時間をかなり遅れてやってきました。
話してみるとやはり大きな問題を抱えているようです。
いろいろと話を聴きました。
何かできることはないかと考えをめぐらせましたが、まだ十分に状況をつかみきれません。
しかし、私が話を聴いただけで、少し気が和らいだと話してくれました。

実はこういうことは少なくありません。
私が過剰に反応して私自身がおかしくなってしまったこともありますが、周辺に気になる人がいたら声をかけて話を聴いてみる。
そういうことをみんながやりだすだけで社会は変わっていくでしょう。
今日、その人と話しながら、改めてそう思いました。

■東北被災者への関わり方(2015年2月27日)
石井さんが東北の被災地の子どもたちの応援をしたいのだが、寄付のような一時的なものでなくて、仕組みを育てる方策を考えたいと相談に来ました。
いろいろと意見交換しましたが、変化はやはり創造の契機だと痛感しています。
災いは福に転じなければいけません。
石井さんのこれからの展開に期待したいと思います。

■玄米のお弁当(2015年2月27日)
食養に取り組んでいる林さんと栗原さんが、伊勢丹新宿本店にお店を出している亀戸升本のマクロビオテック弁当をもって湯島に来てくれました。
まずは私に食べさせたいと思ったのだそうです。
2種類の玄米と10種類ほどの惣菜の組み合わせですが、すべて植物性の食材を活かしたものです。
ここにゴマ塩がかかっていたら完全だと、林さんたちは説明してくれました。
林さんと栗原さんは、こうした食養意識を広げていこうと考えています。
何か私にも役に立てることがあればいいのですが、まだそれを見いだせずにいます。
もう少しお付き合いしているうちに見つかると思うのですが。

■コムケアサロン「社会は壊れてきていないか」(2015年2月27日)
昨夜は「社会は壊れてきていないか」をテーマにしたサロンでした。
若者自立支援や生活困窮者支援の活動に取り組んできている阿部達明さん(生活サポート基金相談員)に現場の事例も含めてお話をお聞きしました。
阿部さんの、心身をかけての誠実な取り組みにはずっと触れてきていますが、そこから感じていることをまとめてお聞きするのは私も初めてでした。
「人間は社会的動物である」というアリストテレスの言葉から始まり、最後は「なぜ人を殺してはいけないのか」という人間にとっての最大なタブーでまとめられた話は説得力がありましたし、阿部さんが直接体験した事例も示唆に富んでいました。
阿部さんの話はいつも楽しいのですが、今回は内容が内容だけに、話が進むうちになんとなくみんな静かになっていきましたが、それぞれに考えさせられることが多かったと思います。
現在の社会はあまりにお金中心になってしまっていること(「一番ほしいものはお金」と平気で言える社会になってしまった!)、それを克服していくためには、もっと共同体感覚を広げていかなければならないことが、阿部さんの強いメッセージでした。
社会が壊れだしているだけでなく、人間さえもが本能や直感、心を失いつつあるのではないか、ということを具体的な事例を含めて話してくれました。
子どもの貧困や食の問題も出ました。
考えさせられることの多いサロンでした。

次回のコムケアサロンは、食養をテーマに、3月27日に開催する予定です。

■ヴェネチア料理(2015年2月27日)
娘夫婦が10日ほどヴェネチアに行っていました。
今日、帰国しましたが、観光旅行ではなく、ヴェネチア料理の勉強で、毎日食べ歩き、レストランで実習させてもらうという10日だったようです。
もう少ししたら、柏のエヴィーバにヴェネチア料理メニューができそうです。
お近くの方は是非ごひいきにしてやってください。
私も、タラを使ったメニューができたら行こうと思います。

■今度は県議選(2015年2月28日)
4月に千葉県の県議選です。
立候補予定者が仲間の市議の人と挨拶にやってきました。
なぜか私のところにはいろんな人が来ますが、私は地方議会の今のスタイルに大きな違和感を持っています。
国会議員制度と基礎自治体議会制度は待った違ったパラダイムに従うべきだというのが私の考えです。
つまりベクトルが違うのです。
その中間にある広域自治体はまた、別のロジック、つまり統合の発想です。
残念ながら昨今の地方自治体は国家政府の下請け機関となってしまい、地方議会はアクセサリーでしかないように思えてなりません。
ですからどうも関心を持てずにいるのです。
さて今回はどうしましょうか。

(2015年2月第3週)
動き出した途端に、少し頑張りすぎてしまいました。
■久しぶりの平等院(2015年2月15日)
■黄檗山宝蔵院(2015年2月15日)
■NPO法人認知症予防ネットとのミーティング(2015年2月15日)
■ライフパワーの横山さんに会いました(2015年2月16日)
■50年前に萬福寺に一緒に行った吉田さん(2015年2月16日)
■久しぶりの住友生命社会文化財団(2015年2月16日)
■すいた環境学習協会の増山さん(2015年2月16日)
■デイケアサービス協会の松本さん(2015年2月16日)
■久しぶりの我孫子市役所(2015年2月17日)
■統治のための社会教育から草の根からの社会教育(2015年2月18日)
■STJ準備会(2015年2月19日)
■みんなの認知症予防ゲーム(2015年2月19日)
■ちょっとハードな折原サロン(2015年2月20日)

■久しぶりの平等院(2015年2月15日)
宇治の黄檗の京大キャンパスでNPOとのミーティングを持つことにしましたが、すぐ近くに万福寺があるので、50年ぶりに立ち寄ることにしました。
少し早目に京都についたので、万福寺の前に平等院に寄りました。
ここも20年ぶりくらいでしょうか。
思った以上に人が多く、阿弥陀堂への入場は1時間半待ちでした。
時間がないので、阿弥陀堂は諦めて鳳凰堂のまわりを散策しましたが、鳳凰堂はいつまで見ていても飽きません。
高校の修学旅行で訪れたのが最初ですが、修学旅行で記憶に残っているのは、ここと薬師寺だけです。
すぐに萬福寺に向かえばよかったのですが、鳳凰堂の近くにある鳳翔館に入ったら平等院ゆかりの様々なものの展示があり、すっかり時間をとってしまいました。
気がついたら12時近くになっており、萬福寺の案内をお願いしていた高林さんに連絡するのをすっかり忘れていたことに気づきました。
平等院は、以前よりもきれいになっていましたが、それでも気持ちをいやしてくれる空間なのでしょう。
思わぬ長居をしてしまいました。

■黄檗山宝蔵院(2015年2月15日)
4年ほど前に、宇治にお住いの高林さんと萬福寺の話をした時に、萬福寺に行くのであれば、まずは経蔵を見るようにと言われたのがずっと記憶に残っています。
高林さんが反された経蔵が、黄檗山宝蔵院であることに気づいたのは、それから2年ほどたってからです。
テレビで紹介されていたのですが、それで黒岩さんの関わった五木寛之さんの「百寺巡礼」を読み直して、気がついたのです。

高林さんに電話し、急いで黄檗の駅に向かったら、もう高林さんが駅で待っていてくれました。 お待たせしてしまったようです。
高林さんが、まずは宝蔵院に行きましょうと言いました。
何と黄檗の駅からすぐ近くです。
一人できたら気づかないようなところです。

ご住職に案内していただきましたが、330年前に作られた6万枚の一切経の版木が残っており、しかも今なお実際に使われているのです。
経蔵の片隅で、刷り師のやべさんが1枚ずつ丁寧に刷っていました。
少しお話させていただきました。
ブログにも書きましたが、もう30年ほどこのお仕事をされているそうです。
とてもやさしい表情の方でしたので、ついつい無理を言って写真を撮らせてもらいました。
仕事が人の表情をつくっていくものだと、改めて実感しました。

宝蔵院に長居しすぎて、萬福寺は行けませんでした。
まあまた次回にしましょう。

■NPO法人認知症予防ネットとのミーティング(2015年2月15日)
NPO法人認知症予防ネットの理事長や理事、監事のみなさんとミーティングを持ちました。
私がささやかに協力している「認知症予防ゲームスリーA方式」が急速に広がりだしているのですが、それに伴いいろいろと問題が生まれてきているので、その整理の応援です。
NPOというのは、うまくいかなくてもうまくいっても、何かと問題が発生するものなのです。
そうした場合、部外者の役割というのもあります。
私は最初はNPOへの資金助成プログラムの開発と運営をしていましたが、大切なのは資金ではなく、活動がうまくいくために一緒に汗と知恵を出すことだということに気づき、それを私のコムケア活動にしています。
そのおかげで、ついに京都まで来てしまっているわけですが、じっくりと話をお聞きしたりして、実態が整理できました。
実態が共有できれば、問題解決はそう難しいことではないのです。
もう少し汗と知恵を出さなければいけないかもしれませんが、きっとあとはNPO自身の手でうまく進んでいくでしょう。
私も認知症予防ゲームの普及活動から解放されるかもしれません。
私自身は、「認知症なぞ病気ではない」と言ったある方の言葉に共感して、むしろ平和な認知症的生活を過ごしたいと思っています。
むしろ今度は認知症の健全な深化ゲームにでも関わりたい気分なのです。
高林さんには内緒ですが。

■ライフパワーの横山さんに会いました(2015年2月16日)
大阪でライフパワーの横山さんに会いました。
なかなかお会いできずにいましたが、今回は無理を言って、横山さんがお仕事に行く前の早朝に大阪まで来てもらったのです。
横山さんは、昨年、クラウドファンディングで、「うつ・ひきこもりなどすべての人の居場所」づくりプロジェクトを立ち上げました。
順調に進んでいるようですが、横から見ていると気がつくことも少なくありません。
それに多くの場合、結局、思いの強い人に仕事が覆いかぶさってしまう傾向があるのです。
それではせっかくの市民活動は広がりません。
さまざまな考えや立場の人の緩やかなつながりこそが、活動の中心にならなければいけないというのが私の考えです。
そんなこともあって、今回は横山さんの頭を冷やそうと思っていたのですが、久しぶりに会った横山さんは、失礼ながら大きく変わっていました。

きっとこれからもうまくいくでしょう。
どう育っていくか、とても楽しみです。

■50年前に萬福寺に一緒に行った吉田さん(2015年2月16日)
吉田さんは会社時代の同期ですが、歳は私の先輩です。
会社時代、私は4年ほど滋賀工場に勤務しましたが、そこで一緒に萬福寺に行った記憶がなぜか鮮明に残っています。
それで萬福寺に行った後、急に会いたくなりました。
これも前日にわがままにも無理を言って、新大阪まで出てきてもらいました。
入社の時から、私は吉田さんはじめ、みんなにいろいろとよくしてもらっていたのです。
たぶん頼りなかったのでしょう。
頼りないとみんなが助けてくれるのです。

久しぶりに吉田さんと話しました。
とても懐かしくこころやすまる時間でした。

■久しぶりの住友生命社会文化財団(2015年2月16日)
久しぶりに住友生命社会文化財団の篠原さんと原さんを訪問しました。
住友生命社会文化財団は、私がコムケア活動を始める慶喜を与えてくださったところです。
いまも何かあれば応援してくれる力強い存在です。
コムケアの仲間もいろいろと応援してくださっています。

今回は、できれば、認知症予防ゲームの活動を応援してもらえないかというお願いをしようと思ったのですが、専務理事の篠原さんが3月に定年退職らしく、今の段階では決断はできないということで諦めました。
しかし、篠原さんは認知症予防ゲームの体験会にも参加してくれたこともあり、いつも応援してくださっているのです。

今回は篠原さんと原さんにお昼をごちそうになりました。
篠原さんや原さんに会うと、いつもご馳走してもらう上に、元気を与えてもらえます。

■すいた環境学習協会の増山さん(2015年2月16日)
前回大阪に来た時にお会いしながらあまりお話しできなかった増山さんにも会いました。
増山さんもまた会社時代の先輩ですが、ともかく誠実さを絵にかいたような人です。
仕事を一緒にやった記憶はないのですが、なぜか会社を辞めてからの方が付き合いが深いような気がします。
いまは吹田市にお住まいで、「すいた環境学習協会」の理事長です。
その協会は昨年がちょうど11周年で、その記念誌をもらいました。
とても幅広く、しかも地に足つけた様々なプロジェクトを展開されています。
しかし、これだけの活動を展開するのは大変だろうなと思ったら、やはり大変そうでした。
いろいろとお話させてもらいました。
今回も、やはり時間不足でした。
わざわざ出てきてもらった増山さんには申し訳ないことをしました。
いつか吹田市にも行ってみたい気分です。
私自身は昔から自称エコロジストでしたから、本当は福祉分野ではなく環境系のNPOに関わりたかったのです。

■デイケアサービス協会の松本さん(2015年2月16日)
大阪に来て、時間ができたら松本さんに会わなければいけません。
出かける前に電話したら、松本さんも新大阪まで出てくるというので、お言葉に甘えることにしました。
電話で話した時に、松本さんは即座に大阪まで出ていくと言った理由がわかりました。
松本さんが取り組んでい活動に、また新しい動きが出てきたのです。

松本さんの取り組んでいるのは孤独死帽子や高齢者支援ですが、うまくいきそうでなかなか前に進みません。
簡単すぎて、なかなか理解されないのです。
松本さんは松下幸之助の奥さんに絶大なる信頼をもらっていた人です。
そそて、その松下むめのさんのアドバイスで、いま高齢者のライフセキュリティの問題に取り組んでいるのです。
今度こそ、動き出すことを願っています。

■久しぶりの我孫子市役所(2015年2月17日)
久しぶりに我孫子市役所に行きました。
企画課長の大畑さんに、以前もらってた宿題の話し、我孫子住民の原田さんと話している件についての感触を打診しました。
まあ今回は表敬訪問です。
ついでに知り合いの職場にいくつか顔を出したのですが、副市長はじめ、誰にも会えませんでした。
運があまりに悪すぎます。

でもまあこれから少しずつ皆さんに会っていこうと思います。

■統治のための社会教育から草の根からの社会教育(2015年2月18日)
教育に関わる雑誌の編集長だった人と現在も編集長のおふたりと、社会教育に関する気楽な話し合いをしました。
まだあまい具体的には書けませんが、新しいプロジェクトを立ち上げられそうです。
私が以前からずっと取り組みたいと思っているテーマですが、これまではなかなか賛成してもらえませんでした。
今回は大筋で賛同が得られたと思います。
テーマは「統治のための社会教育から草の根からの社会教育」。
つまり「社会教育」のコペルニクス的転回です。
来月から動き出す予定です。
またブログで少し詳しく書こうと思います。

■STJ準備会(2015年2月19日)
4回目の日本ストリーテリング協会(仮称)の検討会です。
前回から参加していますが、協会づくりよりも実際のジョイントプロジェクトを起こすことを先行させたらどうかという方向に動き出しました。
それでこの準備委員会も今回で中断し、ともかく具体的なプロジェクトに取りかかることになりました。
吉本さんが紙芝居とナラティブをつなげたプロジェクトを立ち上げたいと提案しました。
「紙芝居」には魅力を感じます。
それでそのプロジェクトに参加しようとついつい発言してしまいました。
さてどうなりますか。

■みんなの認知症予防ゲーム(2015年2月19日)
先日の京都での認知症予防ネットの今後の展開については、いろいろと提案させてもらいましたが、名称の「スリーA」が少し問題になっています。
それに代わる名前の検討にも入りました。

私は名前とは実体を象徴するものであり、また実体は生きているものでなければ市民活動とは言えないという考えを持っています。
ともかく「プロセス」が大切です。
それでこれからの活動のスタイルや組織化の方法と重ねながら、「みんなの認知症予防ゲーム運動」を提案しました。

京都のNPOが開発し広げてきているゲームは、これまでは「スリーA方式」と呼んでいますが、そのゲームは、実際に取り組むことでその精神を心身的に習得できるところに大きな意味があります。
これまではともかく広げるという思いが先行し、ある基本形を広げるのにすべてをかけてきました。
そしてその努力の結果、かなり広がってきました。
そこで改めて第2段階に入ろうという提案です。

そこで、改めて、「みんなの認知症予防ゲーム」として、スリーAを超えていくというシナリオです。
中心に置くのは、これまでの活動を踏まえて構築された「ゲーム理念」を中心に置いて、みんなの財産としての「認知症予防ゲーム」をみんなで育てていくという運動にしてはというのが私の提案です。

20のゲームの組み合わせの意味や、実践を通してお互いを人間として認め合った関係の構築の精神を習得していくということを共有化し、それを言語化していきながら、みんなで新しいゲームの名前を生み出していく。
新たな名前が決まるまでは「みんなの認知症予防ゲーム」という名前で取り組んでいくというわけです。
まさに「運動的」で、みんなが認知症予防とはどういうことなのかを学ぶ運動でもあります。
あるいは、認知症とうまく付き合う運動にもしていけます。
スリーAゲームで広がった実践を踏まえて、自分たちみんなで知恵と汗とお金を出して、認知症予防に取り組むというスタイルです。
私の大好きなスタイルなのです。

NPO法人認知症予防ネットの理事会で、この提案を前向きに取り上げてくれるそうです。
「みんなの認知症予防ゲーム」ネットワークができるかもしれません。
これで私は解放されるかもしれませんが、逆にさらに取り込まれる可能性もゼロではありません。
困ったものです。

■ちょっとハードな折原サロン(2015年2月20日)
ちょっとハードなカフェサロンは11人とにぎやかな集まりになりました。
テーマは矢部さんの近著『日本はなぜ「基地」と「原発」を止められないのか』が問題提起していることを踏まえて、いまの社会の問題を共有し、それにどう取り組むかを考えるというサロンです。
私たちの知らないところで政治はどんどん動いています。
その現実をしっかりと自覚し、もっと事実を共有していこうという話です。
問題提起者の折原さんが、矢部さんの本以外の文献も含め、18ページにわたるレジメを作成してきてくださり、いろいろと問題提起してくださいました。
折原さんの論考「金子光晴と現代」も予め配布されていました。
こうして整理して話を聞くと、ばらばらで考えていては見えないことも見えやすくなります。
私もいくつか新しい気付きがありました。
話し合いはいつものように、カジュアルで、話題もいろいろでした。
今回も予定の時間を大きくオーバーしてしまいました。

初めて参加された方も数名いたので、簡単な自己紹介をしあいました。
そこで「ベ平連」の話が出たのですが、「ベ平連」という言葉を初めて聞いたという人が2人いました。
2人とも、現在、しっかりと社会活動をしている人なのです。
ちなみに帰宅して娘に訊いてみたら、やhり「ベ平連」を知りませんでした。
時間の経過を改めて感ずるとともに、歴史はやはりしっかりと伝えていかねばならないものだと思いました。

このサロンは、さまざまな立場とさまざまな考えの人がいつも集まります。
参加者はみんなフラットですので、いろんな気づきをもらえます。
折原さんや本間さんが、こういう場が大切だと言ってくださいました。
参加者は少ないですが、継続していけば、少しは情報発信力を持てるかもしれません。
今年は毎月、開催しようという気になってきました。
「ちょっとハード」などと言っていますが、敷居は高くありません。
コーヒーを飲むつもりで、どうぞ気楽に遊びに来てください。
次回のテーマや日程が決まったら、ご案内します。

(2015年2月第2週)
■体制立て直し(2015年2月8日)
■経営戦略と人事戦略(2015年2月9日)
■微生物による原子転換(元素転換)(2015年2月10日)
■共済文化と共済事業(2015年2月11日)
■我孫子市でのサロン構想(2015年2月12日)
■畑を耕しだしました(2015年2月12日)
■新潟のチューリップが届きました(2015年2月14日)

■体制立て直し(2015年2月8日)
生活の体制を正そうと思っていた矢先に風邪をひいてしまい、さらに状況は悪化していました。
その立て直し策に取り組みだしました。
以前のように、課題の再整理をし、可視化しました。
仮題をリストアップしたら、20項目を超えました。
それでまたいささかへこたれそうになっていますが、まあ今週中にどうにか体制を立て直そうと思います。
生活リズムは一度崩れるとなかなか回復できないものです。
特に寒いとそうなります。
暖房がないせいかもしれませんが。

■経営戦略と人事戦略(2015年2月9日)
青山学院大学大学院教授の須田さんが久しぶりに湯島に来てくれました。
彼女は「人事戦略」、それも日本ではめずらしいイギリスの人事戦略をベースに研究している人です。
英国で7年間、研究活動をして日本に戻ってきました。
帰国後何冊かの著書も書かれています。
英国に行く前は、日本能率協会の雑誌「人材教育」の編集長だったので、日本企業の人事施策も通じています。
その上での、イギリスでの研究なので、日本の企業(ほとんどがアメリカ型化しつつありますが)の実践を相対化できるわけです。

帰国後、一度お会いしていますが、久しぶりでした。
とても刺激的なお話をお聞きしました。
大学の大変さも少し教えてもらいました。
日本では「学びの場」さえ、金銭市場化しているのがとても心配です。
3月にはまた新著を出されるそうです。
いつか湯島で須田さんにサロンをやってもらう了解を取りました。
企業の人たちに声をかけようと思っています。

■微生物による原子転換(元素転換)(2015年2月10日)
ニッポン食堂の、というよりも、OMOしろいの宇賀夫妻が湯島に来ました。
今日は日本ムスリム協会に行ってきたそうです。
ムスリムの食事は制約も多いのですが、宇賀さんのところであればよい食材が入手できるでしょう。
宇賀さんたちのフットワークと柔軟な発想にはいつも感心します。

今日は具体的な相談テーマもあったのですが、その前に、「土」の話になりました。
それが実に面白かったのです。
宇賀さんはステビア液をつかった土壌改良にも取り組んでいます。
そこから、土中の微生物による「原子転換」の話題になりました。
宇賀さんによれば、そうしたことが最近また話題になっているそうです。

以前書きましたが、オクトの田中さんと我孫子で放射線汚染土壌の除染実験をしました。
その際、なぜか理由はわからないのですが、放射線物質の全体量が減少するという結果が出てきたのです。
参加者のほぼ全員は、「物質不変の法則」に照らしてそんなことは起こらないと言いましたが、私ともう一人の参加者は、そこに関心を持ちました。
そのことを思い出したのです。
科学者は無知の知を大切にしなければいけません。

ネットで調べてみたら、生体による原子転換(元素転換)説を唱えたフランス人科学者ケルブランと食養の提唱者でもある桜井如一さんとは交流があったようです。
いま関わっている3つの活動が、つながってしまいました。
さてさてどう考えればいいでしょうか。
もう20歳若かったらと、つくづく思います。

■共済文化と共済事業(2015年2月11日)
3月7日に共済研究会の主催で、公開シンポジウムがあります。
パネリストとして参加することになりました。
私に与えられたテーマは、「現代における支え合いの役割と課題」です。
気楽に話してくれればいいと言われていますが、このテーマはそう気楽には話せません。
それに私の考え方はたぶん社会から浮いているので、うまく話さないと単なる「たわごと」にしかなりません。
かといって、正面から話せば、これまた単なる「常識」で終わってしまいます。
それでめずらしく今日は、どう話そうかを少し考えてみました。
しかし考えれば考えるほど、退屈なメッセージになりそうです。
結局、今日は投げてしまいました。
しかし、そのおかげでいろいろと考えることができました。
やはり時にはどこかで話す機会をつくらないとだめですね。
人は話すことによって考えるものだと、以前、講演の中でよく話していたことを思い出しました。

■我孫子市でのサロン構想
(2015年2月12日)
昨年、わが家にやってきた我孫子市民の原田さんが、我孫子でもサロンができないかと考えています。
その関係で、お会いしました。
ところが、原田さんの構想は、サロンを開くことではなく、サロンも含めた大きな「構想」をお持ちであることがわかりました。
そして、そのためにすでにいろいろと情報集めもしていました。
サロン開催と軽く考えていたのですが、どうもそれはほんの入り口だったわけです。

我孫子はコミュニティビジネス支援活動も早い時期に取り組んでいましたが、行政主導だったので私にはまったく興味がありませんでした。
私の友人が、最初のプログラムを受託した関係で、友人知人が我孫子に講演に来ていましたが、彼らからも行政の取り組み姿勢の実態を聞かされていたことも関心を持たなかった一因です。
地元の活動だとついつい「実態」が見えすぎてしまうので、どうもモチベーションが高まらないのも事実ですが、私のコミュニティビジネス観が、たぶん特殊なのかもしれません。

原田さんは、企業で活動された後に、市民活動に取り組みだされました。
そしていろいろな面で違和感をお持ちのようです。
しかし、その違和感になじむことなく、夢を膨らませています。
その姿勢には共感できます。
しかし、原田さんの構想は結構大きいので、コミットするには勇気がいります。
さてどうするか。
先行きがあまり見えませんが、もう少し前に進もうと思います。
昨年、副市長が「住民主役のプロジェクトに取り組みたい」と言っていたのがずっと気になっているのですが、それにもつなげられるかもしれません。
少し動いてみようと思います。
我孫子在住の若い世代の人で一緒に取り組もうという方はいないでしょうか。

■畑を耕しだしました(2015年2月12日)
畑を耕しだしました。
昨年は野草をかなり整理しましたが、注意しないとまた草が畑をおおいだします。
何しろ宅地の合間の土地を利用しての畑で、しかも7年ほど放置していましたので、笹が根をのばしたりして、もう大変なのです。
耕耘機を買おうかどうか迷っていますが、最近は貧乏なので7万円の耕耘機を買う勇気がありません。
ところが鍬で畑を耕すのは実に大変な重労働なのです。
10分もやっていると死にそうなほど疲れます。
休み休みやっていましたが、30分でダウンしてしまいました。
畑の土に座り込んで、ボーっとしていましたが、それが道から見えるのです。
それらしき服装をしていない老人が、畑の上に座って息絶え絶えの様子なので、注意しないと警察か救急車に電話をかけられかねません。
それに、もしかしたら本当に倒れてしまうかもしれません。
今日は用心して1時間もしないで止めましたが、自宅についたらめまいがしてきました。
いやはや困ったものです。
やはり少しずつやって、身体をならさなければいけません。

今年はまず何を植えるかまだ決めていません。
放射線汚染は不安ですが、私はもう気にせずに、食べることにしました。
まあ食べられるほどの収穫を得る方ができればの話ですが。

■新潟のチューリップが届きました(2015年2月14日)
新潟の金田さんが、また新潟のチューリップをどっさり送ってくれました。
今年は雪が多かったのですが、いつものように元気なチューリップです。

昨日、畑に行ったら、道沿いに植えておいたチューリップも芽を出し始めていました。
庭のチューリップはモグラにやられるので最近は植えていないのですが、畑にはモグラが進出していないようです。

花と言えば、庭の河津桜も芽吹いてきました。
花の季節が近づきました。

(2015年2月第1週)
不覚にも風邪をひいてしまいました。
毎年、最初に無理をしてこじらせてしまうので、今回は最初から大事を取ったおかげでひどくならずにすみました。
そのため、今週は水曜日までほぼ自宅で過ごしました。
予定を変更させてもらった皆さんには申し訳ありませんでした。
そんなわけで書き込むことはないのですが、後で思い出すためにいくつかのことを書いておきます。
■イスラム国による後藤さんの殺害が発表されました(2015年2月1日)
■年賀状に返信しました(2015年2月3日)
■「安全保障とはなにか」を読みました(2015年2月4日)
■雪が降りました(2015年2月5日)
■神崎さんの相談(2015年2月5日)
■共済研究会シンポジウム打ち合わせ(2015年2月5日)
■TBS報道特集の衝撃(2015年2月7日)

■イスラム国による後藤さんの殺害が発表されました(2015年2月1日)
イスラム国過激派によって拘束されていたジャーナリスト後藤さんが殺害された映像がネットに流れたようです。
この関係ではブログに何回か書いていますが、非常に残念な結果になりました。
しかし、1月20日に映像が流れた時に感じた違和感から少し予測されたとおりの結果になったのが残念です。
途中、一度、解決しそうな気配が感じられたのですが。
後藤さんは、私の中にはずっと生き続けてくれそうです。

■年賀状に返信しました(2015年2月3日)
今年は年賀状の返信もせずにいたのですが、妻の友人の手紙を見て、
最小限、やはり返信すべきだと思い直して、遅まきながらの寒中見舞いを出しました。
最近は手紙を書くのがとても億劫になってきました。
困ったものです。

■「安全保障とはなにか」を読みました(2015年2月4日)
イスラム国事件に関連して、いろいろと思うことが多く、カルドーの「新戦争論」を読んだり、
岩波書店のシリーズ「日本の安全保障」を読んでいますが、今週は安全保障とはなにか」を読みました。
まだまだ理解不足のことばかりなのに反省しました。
岩波のこのシリーズはまだ2冊しか出ていませんが、とても頭が整理できます。

■雪が降りました(2015年2月5日)
テレビでは大雪予想でしたが、ほんの少しだけの雪が降りました。
最近の天気予報はなかなか当たりません。
どうも最悪のケースを発表しているような気もします。
それでも午前中はとても寒く、凍えそうでしたが。

■神崎さんの相談(2015年2月5日)
神崎さんが相談があるとやってきました。
かなり重い相談でしたが、前回よりは元気そうでした。
最近、彼の「男前」が崩れだしているのが残念です。

■共済研究会シンポジウム打ち合わせ(2015年2月5日)
3月に共済研究会の公開シンポジウムがあります。
私は研究会からは脱会していますが、本間さんや長谷川さんの繋がりで、またシンポジストとしての参加を頼まれました。
タイトルは、「現代における「支え合い」の役割と課題」だそうです。
今日はほかのシンポジストも含めて当日の内容に関するミーティングでした。
さて何を話せばいいのでしょうか。
普段話していることを話せと言われましたが、普段私はいったい何を話しているのでしょうか。
少し整理しなければいけません。

■TBS報道特集の衝撃(2015年2月7日)
偶然にテレビをつけたらTBS報道特集でイスラム人質事件の真実と称する番組を放映していました。
この問題はもう辟易していたのですが、衝撃的な内容でした。
日本政府の本性を見せつけられたようで、何ともやりきれなさが残りました。
ブログにも書きましたが、ふたりのキャスターが外されなければいいのですが。

(2015年1月第4週)
■横瀬さんの2つの問題(2015年1月27日)
■自在研究所の根本夫妻(2015年1月27日)
■あんまんと吉本さん(2015年1月27日)
■原子力損害賠償制度を考える本間サロン(2015年1月27日)
■ストーリーテリング協会(2015年1月28日)
■STRAMD「社会性企業」(2015年1月29日)
■学生たちと自殺問題(2015年1月30日)
■オープンサロン(2015年1月30日)
■参加できなかった箸ピー大会(2015年1月31日)

■横瀬さんの2つの問題(2015年1月27日)
小宮山さんの紹介で、横瀬さんが湯島に来ました。
本人からも小宮山さんからも電話でお話を聞いており、日程も私の希望で決めていたのですが、うっかり失念してしまっていました。
湯島のオフィスについたら、横瀬さんがドアの前で待っていました。
約束の時間を40分も遅れてしまいました。
時々やってしまうミスです。

出足でミスをすると、そのあとが大変です。
でもまあ、なんとか横瀬さんの相談には応ずることができ、さらにいろいろとお話をさせてもらいました。
今日の相談ごとのほかに、どうやらもう一つ問題がありそうです。
いずれも公開の場ではちょっと書けないことばかりですが、もう一つの問題の発見は、まあ「怪我の功名」としておきましょう。
いつかまた書ける時が来るかもしれません。

■自在研究所の根本夫妻(2015年1月27日)
根本さん夫妻が久しぶりに湯島に訪ねてきてくれました。
フェイスブックなどで時々活動は拝見して、面白そうな活動をしていると思っていました。

根本さんには日本能率協会の雑誌「人材教育」の編集長をされていた時に、いろいろとお世話になりましたが、根本さんはその後、奥さんと一緒に「自在株式会社」を立ち上げられました。
昨年末に、その会社からの最初の本が出版されました。
その本を持ってきてくださったのですが、それがまたとんでもない本なのです。
ブックのコーナーで紹介しようと思いましたが、1週間ではとても消化できません。
なにしろA4版348頁、しかもカラーが298頁という贅沢な本なのです。
タイトルは「関帝廟と横浜華僑」。
見ているだけで楽しくなりそうな本です。
内容は次をご覧ください。
http://jizai.lolipop.jp/news/130.html
資料的な価値も高いようですが、なによりもこの本から様々な物語が始まるような気がしました。
根本夫妻のエネルギーには驚きました。

この大仕事が終わったので、また新しいプロジェクトに取り組むことを考えているようです。
話していて、関心事がつながるところもありました。
何かご一緒できることがあればうれしいのですが。

■あんまんと吉本さん(2015年1月27日)
今日は出始めが遅刻だったこともあり、最初の話が1時近くまでかかり、次の約束が1時からといった感じで、来客続きで食事ができませんでした。
どうしようかと思っていたら、LLPリゾーミック仲間の吉本さんがやってきて、なぜか私に肉まんとあんまんを食べませんかというのです。
私がお昼を食べていないことが伝わっていたのでしょうか。
それで何とかしのげました。
吉本さんとは明日のミーティングの打ち合わせでしたが、たぶんほとんど打ち合わせもせずに雑談に終わったような気がします。
私の記憶に残ったのは、あんまんがおいしかったことだけでした。

■原子力損害賠償制度を考える本間サロン(2015年1月27日)
お知らせのコーナーでもご案内していた「加害者保護に向かう原子力損害賠償制度の意味を考えるカフェサロン」は8人の参加者がありました。
問題提起は本間照光さん(青山学院大学教授)。
本間さんのお話は刺激的でしたが、みんなたぶんきちんとは知らなかったことです。
問題は、原発賠償が被害者救済よりも加害者保護に向かっていること、つまり、原子力損害賠償制度が生命や人間の尊厳よりも原発事業継続のために使われていること、そしてなによりも、原発事故による原発の矛盾が問題化されずに、公式の場では肝心のことを誰も議論していないこと、そしてあろうことか原発輸出が加速されていることです。
万一、輸出先で原発事故が起これば、日本人はみんな加害者になるということです。

本間さんは毎日新聞の文化欄に寄稿されていますが(2014年11月20日)にほとんど反応もなかったそうです。弁護士も法律家も動いていないようです。
参加者はみんなどうにかしなくてはと思いました。
市民メディアなどで伝えられないかという意見もありました。
皆さんもぜひ関心をお持ちください。
もし関心のある人が一定数いたら、本間さんに頼んで集まりをもう一度やろうと思います。
ちなみに、2月21日にも、原発や基地に関するサロンを予定しています。

なお参加者のお一人の岡田さんが、早速にフェイスブックも開いてくれました。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=865776406793814&set=a.266534910051303.62254.100000843897631&type=1&theater

■ストーリーテリング協会(2015年1月28日)
ストーリーテリング関係の仕事をされている吉本さんや内村さんが中心になって、ストーリーテリング協会(仮称)を立ち上げるべく準備会を何回かやっています。
私もお話をお聴きしていましたが、ついに今回は引っ張り出されてしまいました。
まだ内容が熟しているわけではなく、興味を持った人たちがいろいろと話し合っている段階です。
この種の協会や組織は作ったあとが重要です。
これまでも日本広報学会や日本CI会議体などを立ち上げてきましたが、いつも出来上がってしまうと私の考えていたものとは違うものになってしまいます。
今回はそうならないようにしなければいけません。
いろいろと本音で話し合えたかと思いますが、もう少し話し合いを続けることになりそうです。
関心のある人はご連絡ください。

■STRAMD「社会性企業」(2015年1月29日)
STRAMDで「社会性企業」の第2回目の講義をしました。
前回、参加者とのディスカッションがあまり盛り上がらなかったので、今回は話すのを中心にしました。
それで頑張りすぎて、ちょっと内容を欲張りすぎてしまいました。
それに、経営の根幹から考えようとしようとする人は、この種のビジネススクールには来ないのかもしれません。
ですから私の話は、何やら遠い話かもしれません。
私自身は、起業するにせよ経営するにせよ、社会の実態を踏まえておかないとうまくいかないし、自分の人生とか去らない仕事などは成功しないと思っていますが、どうもその所がなかなか伝えられずにいます。

今日は2年前に受講して下さった、古石さんがわざわざ聴きに来てくれました。
今回の講義のパワーポイントがあります。
興味ある方はご連絡ください。

■学生たちと自殺問題(2015年1月30日)
昨年、予備検討会を開きましたが、学生たちを中心にした「自殺問題のラウンドテーブルミーティング」を開催したいと思っていますが、その実行委員長を引き受けてくれた楠さんと打ち合わせを行いました。
2段階で考え、できれば継続的な場を育てていければということになりました。
3月にまず映画上映とミニワークショップの会を開き、9月に少し大きめの公開フォーラムという段取りです。
それと並行して隔月くらいの頻度でカフェサロンの開催です。

その話のついでに、楠さんといろいろと話しました。
楠さんはフランクフルト学派の研究者です。
プルデューの研究会も主宰しています。
プルデューはもっと話題になっていい学者だと思っています。
そういえば、岡田さんと共通の友人がいるそうです。
またサロンをするテーマが見つかりました。

■オープンサロン(2015年1月30日)
我孫子は雪が1センチほど積もりました。
今日は恒例のオープンサロンですが、朝、常連の武田さんから、やめたらどうかと電話がありました。
しかし、誰が来るかわからないのでやめるわけにはいかないのです。
参加者は2人だったのですが、実に面白い話になり、早くやめる予定だったのですが、結局、定刻までやってしまいました。
一番盛り上がったのは、古代のオリオン神話の話題でした。
写真家の橋本さん(最近帰国)が、発見した謎解きの話があるのですが、それを少しだけ話してくれたのです。
私はその大部の原稿を10年以上前に橋本さんから読ませてもらっています。
話の盛り上がりついでに、2月下旬にサロンを開催することにしました。
また案内させてもらいます。

■参加できなかった箸ピー大会(2015年1月31日)
寝不足と昨夜の寒さの今朝起きたら風邪のようです。
今日は実は国際箸学会の第1回箸ピー大会が開催されるので、参加する予定だったのですが、こじらせると大変なので、少し迷ったものの不参加にさせてもらいました。
記念すべき最初のイベントに参加できずに残念です。
しかし、箸ピーは今や盛り上がりだし、私の出る幕でもなくなってきました。
さびしいようなホッとするような、微妙な気分です。

午前中は休んでいましたが、やはり退屈です。
読もうと思っていたロドニー・スタークの「キリスト教とローマ帝国」を読み出しましたが、頭に入りません。
どうも寝ているのが不得手な人間です。
しかし、何とか休養日にできました。
今回はこじらせないですみそうです。

(2015年1月第3週)
あんまり時間がないので、思いつくまま簡単に。
■我孫子市長選挙(2015年1月18日)
■蔵田さんの川柳(2015年1月19日)
■金田さんの憂鬱(2015年1月20日)
■玄米食スタート(2015年1月21日)
■ステビアのパワー(2015年1月22日)
■わくわくキラキラ(2015年1月22日)
■イスラム国日本人拘束事件(2015年1月23日)

■我孫子市長選挙(2015年1月18日)
我孫子市長選挙でした。
今回の選挙はほとんど意味のない選挙のような気がして、投票にもいかないでもいいかなと一瞬思いましたが、出かけました。
投票所には誰もいませんでした。
結局、投票率は23%弱でした。
意味のない選挙というのもあることを、初めて知りました。
国政と自治体とは、そもそも制度設計の思想を変えるべきだなと思いました。

■蔵田さんの川柳(2015年1月19日)
福岡の蔵田さんは最近、川柳にはまっているようです。
毎日新聞に投稿して、繰り返し入選しています。
仲間で句集を作ったと言って、1冊送ってきてくれました。
蔵田さんらしい句がたくさんありました。
蔵田さんはいま「暇と退屈の倫理学」を読んでいるそうです。
実に豊かな生き方をされています。
私も見習いたいのですが、まだもう少し時間がかかりそうです。
蔵田さんの作品はブログに少し掲載しました。

■金田さんの憂鬱(2015年1月20日)
新潟の金田さんが湯島に来ました。
金田さんとは2つのNPOで関係があるのですが、いずれも問題含みです。
いろいろとお話をお聞きしました。
なにせ舞台が新潟なので、私ができることはほとんどありません。
金田さんは責任感が強い人なので、少し心配です。
これまでの活動よりも、もっと楽しいプロジェクトに取り組むことをお勧めしました。
面白ければ私も出かける気になりますので。

■玄米食スタート(2015年1月21日)
先週やってきた林さんと栗原さんに勧められた玄米食を始めました。
思っていた以上に美味しくて、これなら大丈夫そうです。
これで、現世滞在期間が数年延びるそうです。
あまり希望はしませんが、進められたら素直に試みなければいけません。

■ステビアのパワー(2015年1月22日)
玄米の次はステビアです。
「OMOしろい構想」に取り組む宇賀夫妻が先日話してくれたステビアのことが気になっていたら、早速、また宇賀夫妻がレクチャーに来てくれました。
話を聞いたら、かなり壮大な構想です。
さてさてどうかかわっていけばいいか、迷うところです。
それにしても宇賀夫妻は、どこか飛んでいて、私の体力ではどのくらい付き合えるか少し不安もあります。
でもまあ、もう少し前に進みましょう。

■わくわくキラキラ(2015年1月22日)
経営道フォーラム56期のチームがやってきました。
今回のテーマは、「わくわくキラキラ」です。
つまり、ワクワクしながら働けて、外からはキラキラしている会社をどうしたら実現できるかです。
いろいろと話し合いをしましたが、なかなかまだメンバー自体が「ワクワク」していないようです。
お互いに話し合いをもう少し重ねないと難しそうです。

■イスラム国日本人拘束事件(2015年1月23日)
今週の大事件は、イスラム国によって日本人が拘束され、その殺害よく映像が流れたことです。
ブログに3回ほど、関連記事を書きましたが、その報道ぶりにいささかの違和感をもちました。
ブログ記事のひとつをフェイスブックに転載したらすぐに20人を超す人がシェアしてくれました。
私のまわりにいる人が特殊なのでしょうか。
不思議でなりません。

(2015年1月第2週)
今週は滅入る事件がいくつか発生してしまいました。
せっかく何かやろうと動き出す気になっていた矢先でしたので、ショックは大きいのですが、それに合わせて、いくつかの元気が出るような新しい物語を予感させる話も増えています。
暗い話はやめて、明るい前向きの話だけを書くことにします。
■ストーリーテリング協会構想(2015年1月14日)
■佐々木さん夫妻の構想(2015年1月15日)
■松村組のおふたりの構想(2015年1月15日)
■STRAMDでの講義(2015年1月15日)
■OMOしろい構想(2015年1月16日)
■食養という思想(2015年1月16日)
■新しい経済の構想(2015年1月17日)
■漁協の新しい構想(2015年1月17日)

■ストーリーテリング協会構想(2015年1月14日)
ストーリーテリングを活用した仕事や社会活動に取り組んでいる吉本さんが、ストーリーテリング関係の組織を構想しています。
すでに準備会を始めていますが、日程が合わず、私はなかなか参加できません。
先日、吉本さんの思いをお聞きしましたので、その取り組み方を少し考えてみました。
私の本業は、あまりやってはいませんが、コンセプト・デザイナーです。
ですから「思いを構想化」し、実現に向けて可視化することが大好きなのです。
多くの場合、そこから「ビジネス」」が始まりますが、そこから先は一挙にモチベーションが下がってしまいます。
ただし、当事者として一緒にやる仲間がいる場合は別です。
以前、湯島でナラティブ研究会をやっていた時には、いささか同床異夢的で、挫折してしまいましたが、今回はあまり私の好みだけにこだわらないようにしようと思います。
さて今回はどうなるでしょうか。

■佐々木さん夫妻の構想(2015年1月15日)
佐々木ご夫妻が湯島に来てくれました。
憲文さんはSPM研究所でご一緒ですし、典子さんとは認知症予防ゲームスリーAで接点があるのです。
それぞれが構想をお持ちですが、いずれにも私はちょっと関心はあります。
典子さんはいまも韓国の大学で教えていて、韓国でのスリーAゲームの展開に取り組んでいます。
韓国でのスリーAの展開はさらにまた一歩進みだしているようです。
日本の展開に関してもとても参考になります。
憲文さんは現在は岐阜に戻っています。
今年は一緒に市民メディアの問題に取り組めたらと思っています。

おふたりと一緒にお会いするのは久しぶりです。
数年前、まだ私が妻の死から立ち直れていなかった時に、韓国に呼んでくれて、私に喝をいれてくれたのも、このおふたりです。
久しぶりに3人で会食させてもらいました。

■松村組のおふたりの構想(2015年1月15日)
昨年湯島に来た松村組の花見さんが、上司の久間さんと一緒に湯島に来てくれました。
松村組は、創立120年を超えたゼネコンです。
その歴史は、いろんなことがあったようです。
今、次の時代を見据えながら、新しい企画や事業展開の構想を考えているようです。
そのためには、いろいろと世界を広げることが必要です。
その一環で、たぶん私のところにも遊びに来てくれたのでしょう。
どこかで仕事の接点ができればいいのですが、今回は最初でもあり、お互いに知り合うところでとどまりました。
私も昔の会社時代のことを思い出しました。
会社のダイナミズムは、一度体験すると忘れられないものです。
何か面白い構想が生まれて来るといいのですが。

■STRAMDでの講義(2015年1月15日)
毎年恒例のSTRAMDでの講義をやりました。
テーマは「社会性企業」。
昨年までは1回の講義でしたが、今年は2回にわけてやることにしました。

STRAMDはデザイン戦略を基軸にしたビジネススクールですから、どうしたらビジネスがうまくいくかが授業の内容です。
ところが、私の講義は、大きな状況変化の中で企業は基本的な価値観を変え、金銭軸だけで考えていてはだめだという内容ですので、頭を混乱させるかもしれません。
初めて聴く人には、青臭い議論であり、実践的でなく、しかも現在の企業批判に感じてしまうかもしれません。
事実最後の質問にも、そういう質問がありました。

しかし私の本意は、いまのままの金銭重視、効率性重視の経営では、企業の先行きが危ういということを伝えたいのです。
バブルがはじけた時に、「東洋経済」が「会社のためが会社をつぶす」というような特集をやりましたが、その教訓が忘れられていることに危機感を持っているのです。
しかし、その意図はなかなか伝わらないです。
困ったものです。
次回の講義でそのあたりをもう少し直接的に話そうかと思っていますが、最近の企業人や若者たちの感受性の低下には、大きな危機感を持たざるを得ません。

このSTRAMDは、パオスの中西さんの深い思いのあるプロジェクトです。
これまでの企業経営はロジカルシンキング中心のため各論積み上げ発想が中心です。
それに対して、中西さんはもっとホリスティックで感性重視のデザイン戦略発想を広げていきたいのです。
そういう中西さんの構想に、私は共感していますが、私の考えは少しラディカルすぎて、実践現場にはつながらないのかもしれません。
私はそうは思ってはいないのですが、困ったものです。

■OMOしろい構想(2015年1月16日)
千葉県白井市で、「OMOしろい構想」に取り組んでいる宇賀夫妻が、私が前回お渡しした「事業構想と罷業計画のためのワークシート」に記入して持ってきてくれました。
宇賀さんたちは、夫婦そろって情熱家ですので、突進型なのです。
しかも一方は農業、一方は福祉の視点でそれぞれ考えていますので、議論していると時にぶつかりあうはずです。
事実、毎日激論で、離婚しそうになるほどだと、おふたりは笑いながら話してくれました。
さらに2人とも、情熱家でロマンチストなので、なかなか部外者にわかる言葉で話してくれません。
STRAMDの受講生と違って、ロジカルではなく、エモーショナルシンキングなのです。
だからこれまで何回かお聞きしていますが、どうも私の心身の中でイメージが見えてこなかったのです。
しかし今回はだいぶわかってきました。
宇賀夫妻の構想が、形として少し見えてきたのです。

なかには面白い物語の種もあります。
次回は、具体的な事業に関して議論することにしました。

ちなみに今回は、宇賀さんたちご自慢の野菜や卵をもってきてくれました。
実にうれしいことです。
これで次回はもう少し私は元気になっているでしょう。

■食養という思想(2015年1月16日)
農と食に取り組んでいる宇賀夫妻と入れ替わりに、「食養」に取り組んでいる林さんと栗原さんがやってきました。
おふたりは、4日の新年交流サロンに来てくださったのですが、その時お話になった「食養」という言葉に私はとても興味を持ちました。
私は「食養」という言葉を知らなかったからです。
食養はマクロビオテックの出発点だそうですが、マクロビオテックという言葉だけであれば、私はあまり興味を持ちませんでした。
しかし、食養という言葉は、すとんと腹に入ったのです。

林さんから一度またお話したいと言われたのですが、私も食養に関してもう少し知りたかったので、今日また来ていただいたのです。
ネットで調べれば、すぐわかる時代ですが、実際に体験している人からまずはお話を聞いてから、ネットや書籍で学ぶというのが、私の基本姿勢なのです。
まずは現場の人の声。
そこに大きな価値を感じています。

林さんはごま塩を、栗原さんはごま入りの胚芽パンをお土産に持ってきてくれました。
もちろん「食養」に適したものですが、ごま塩をきちんと食していれば、寿命が延びるそうです。
私は現世滞在はあと3年ぐらいを予定していましたが、林さんと栗原さんのおかげで、さらに数年延びることになりそうです。
まあそれがいいかどうかは微妙ですが、途中でごま塩をやめれば予定通りの終焉も選べますので、とりあえずごま塩をいただくことにしました。

このおふたりとは取り組む「食養プロジェクト」が浮かんできました。
さてどう構想するか。
まずは少しネットや文献で情報を集めてみようと思いますが、おふたりのお話で、そのエッセンスは理解できました。
「食養」とは料理法や食事の話ではないのです。
生き方の話であり、世界の平和の話なのです。
さてさて壮大すぎて構想も難しいですが、まあ小さな種まきから始めようと思います。

■新しい経済の構想(2015年1月17日)
ブログで何回か書いたのですが、私の好きなテレビ番組「小さな村の物語 イタリア」の190話は、私の大きな刺激を与えてくれました。
それをみながら思ったのは「誠実な生き方」ということなのですが、その番組を見ながら考えたことも、ブログでいま書いています。
その基本にあるのは「新しい経済」へのヒントです。

STRAMDの講義でも、経済は本来、経世済民で、人間のため生活のためのものなのに、今や企業のため、金銭のためになっていると話しました。
参加者の反応があまり良くなかったので、実は話している私の気も少し萎えたのですが,それもあって少しブログで書くことにしたのです。
それを現在までのものをまとめて載せましたので、お時間があれば読んでください。
新しい経済に関するメモ

「不足の時代」から「過剰の時代」に変わってきている中で、経済はパラダイムシフトしなければいけないでしょうが、経済の上に構築されている経営学はさらに変わらなければいけないと思っています。

かつては「価値の創造」に取り組んでいた企業は、いまや「顧客の創造」「市場の創造」という本末転倒した取り組みになってきています。
価値はむしろ損なわれだしているのです。
経営学者は、なぜそのことに気づかないのでしょうか。
中谷さんのことを笑っているだけではいけません。
実に嘆かわしい話です。
いや、これは私のひがみかもしれませんが。

■漁協の新しい構想(2015年1月17日)
今週は「構想」がらみの話が多かったのですが、今日、友人から電話がかかってきました。
ある漁協の変革のプロジェクトがあるのだが、何か参考にあるようなものはないかという問い合わせです。
その友人は、小さなプロジェクトではなく、大きな構想につなげていけないかと思っているようです。
漁協も漁業も、漁村も、いまは面白い転換期ですが、行政の補助金などが湯水のようにばらまかれているようなので、結局は本物のプロジェクトは育たないでしょう。
お金を効果的に使うのは難しく、それに補助金などが投入されるところには、現場とは無縁の東京のコンサルタントなどがお金目当てで集まってくるからです。

電話してきた友人は、そうしたタイプではありませんので、価値のある構想につなげていってほしいと思います。
ちなみに私の信条は、「解決のカギは現場にある」というものです。
構想は現場の人たちを主役にした話し合いからしか生まれません。
だから、残念ながら友人にはいいアドバイスをできませんでした。
現場で2日ほど過ごさせてもらえれば、アドバイスはできるのですが、最近はそれだけの気力がなくなってきています。
困ったものですが、仕方ありません。

(2015年1月第1週)
今週も何やらあっという間でした。
年賀状もほとんど見ずに、返事もかかずに、自然に心身を任せていました。
といってもなにもしなかったわけではなく、
月曜日には地元で市長選に立候補した人のところに行き、
火曜日には旧友に会って年齢を意識させられ、 
水曜日には緒方正人さんという人の本を読んで元気をもらい、
木曜日には来週の講演の準備にとりかかり、
金曜日にはこの数年私の元気を吸い取っているトラブルの関係者に会い、
土曜日には畑とお墓に行きました。
まあいずれもたいしたことではありませんが。
もちろんこれだけではありません。
金曜日には熊本の吉本さんから新しい構想が持ち込まれ、ちょっとその気にさせられてしまったりもしています。

私の今年の活動の始まりは来週からにしました。

(2015年1月最初の4日間)
■なにもしなかった三が日(2015年1月3日)
■新年交流サロン(2015年1月4日)
■湯島天神にお詣りしました(2015年1月4日)

■なにもしなかった三が日(2015年1月3日)
今年も初日を感ずることができました。
雲の向こう側で、日の出の時間よりも10分ほど遅れましたが、わが家の屋上から見ることができました。
昨年の予想では雨かもしれないと言われていたのですが、元旦の朝、雨が降っていた記憶は私にはなぜかありません。

いつものように、近くに住む次女夫婦と一緒に近くの子の神さまに初詣しました。
うっすらと富士山が見えました。
ささやかなおせちでお祝いしましたが、何やら無為に過ごした三が日でした。
寒かったですが、静かないい三が日でもありました。

■新年交流サロン(2015年1月4日)
年末に思いついて、4日に湯島で新年サロンをすることにしましたが、一昨年のようないささか集まりすぎてもと思い、広い案内はやめていましたが、2日にフェイスブックでも案内しました。
そのおかげがあったかどうかはわかりませんが、11人の人が参加してくれました。
しかも湯島に始めてきてくれた人が3人もいます。
これは実にうれしいことです。
3時間半の長いサロンでしたが、それでも終わらず、結局、6時過ぎまでの長いサロンになりました。
話が面白かったので、私はまたまた少し話しすぎた気がします。
それに用意していた、赤玉ポートワインも出すのを忘れてしまうところでした。
これは、現在の朝ドラの「まっさん」に出てくる太陽ワインのモデルではないかと思いますので、懐かしさもあって用意しました。
飲んでみたら何やら甘いジュースのような感じでした。
私が子供のころは正月の食卓に並んでいた記憶がします。

話はいろいろあったのですが、一番の話題は福島の実情でした。
福島医大の立柳さんが、いろいろと話してくれたのが、みなさんには衝撃的だったようです。
立柳さんは、事故後、ずっと線量計を身につけてその変化を体験している人です。
何回か湯島でもサロンをしてもらいました。
ぜひまたやってほしいと参加者から要請がありました。

もう一つの話題は、民主主義の話でした。
「民主主義進化論」を書いた武田さんが参加していたこともありますが、これもまた話が終わらないほど盛り上がってしまい、改めて民主主義サロンを開催することになりそうです。
終わった後、これまた思いついて残っていた人全員で写真を撮りました。
26年間の湯島サロンの歴史で、初めてのことです。
私自身は改まった集合写真があまり好きではないのですが、まあ集合写真もいいものです。
参加者にはあんまりちゃんと許可は取っていませんが、アップしてしまいます。

実は、昨年はちょっとサロンをやりすぎて、今年はオープンサロンはやめようかとも思っていたのですが、やはりテーマなしのサロンは大事だなと思いました。
毎月最後の金曜日の夜にしていましたが、今年は最後の土曜日の午後にしようかと考えだしています。
しかし1月の最終土曜がすでに予定が入っているためにちょっと迷っています。
また案内をお知らせのコーナーでさせてもらいますので、よろしくお願いいたします。

■湯島天神にお詣りしました(2015年1月4日)
サロン終了後、近くの湯島天神にお詣りしました。
サロンの前にお詣りに行こうとしたのですが、オフィスのあるビルのところまで行列ができていました。
それで諦めていたのですが、帰り時にはすいていました。

オフィスのすぐ近くなのですが、妻がいなくなってからは、年に2~3回しかお参りしなくなってしまいました。
夜の湯島天神は久しぶりでした。