活動記録2007
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(2007年12月第4週)
私の人生が変ってしまった年の最後の週です。
■お墓参り(2007年12月23日)
■オフィスの掃除(2007年12月24日)
■立体交差(2007年12月24日)
■人間嫌いになったのでしょうか(2007年12月25日)
■スーパーでの買物で感じたこと(2007年12月29日)
■「栄光への脱出(エクソダス)」(2007年12月29日)
■「夕張希望の杜」を支援するメルマガ(2007年12月29日)
■最後の日にダウンしてしまいました(2007年12月31日)

■お墓参り(2007年12月23日)
毎週、日曜日には節子のお墓参りです。
今日は娘と一緒に行きました。
お花がたくさん飾ってありました。
数日前に花かご会のみなさんがわが家に献花にきてくれたのですが、
その前にお墓にも行ってくれたのだそうです。
しかもその時に、お墓も花がきれいでしたよと言ってくれたそうです。
もしかしたら他にもどなたかお墓に行ってくれたのかもしれません。
本当にうれしいことです。

お墓は、しかし寒々してきました。
夜はどんなにか寒いだろうと思うと、節子がとても不憫です。
年が明けたら、節子は自宅に転居させようと思っていたのですが、
そこで、昔、マルチハビテーションを志向したことを思い出しました。

その思いつきのおかげで、実は退職金を失い、さらにかなりの借金をつくってしまったのですが、
その時、気づいたのはマルチハビテーションとは空間的な意味ではなく、テーマなのだということでした。
さまざまなテーマに生きること。
以来、そうした生き方を大事にしてきました。
しかし、本当のマルチハビテーションはむしろ魂の次元なのかもしれません。

いま、節子はマルチハビテーションを楽しんでいるかもしれません。
とすれば、お墓であろうと庭であろうと、そんなことは瑣末な問題かもしれません。
節子の転居計画は白紙に戻しました。
節子はいまやどこにもいる遍在的存在なのです。
と思いながらも、やはりお墓の前に来ると涙が出ます。
どうしてでしょうか。
本当に不思議です。

■オフィスの掃除(2007年12月24日)
今年はあまり湯島のオフィスには行けませんでした。
この半年、ほぼ放置したままでした。
来年から活動を再開するために、自分の気持ちを鼓舞しようと思い、娘たちに頼んで掃除に行きました。
節子との19年の思いの詰まったオフィスであり、私の人生が詰まった場所でもあるのです。
クリスマスイブにもかかわらず、娘たちが付き合ってくれました。
節子に感謝しなければいけません。

しかし何となくこの空間から気が抜け出してしまっているような気がします。
なぜでしょうか。不思議です。
そういうことがひしひしと伝わってくるようななった気がします。

■立体交差(2007年12月24日)
一橋大学の町村敬志ゼミの報告書「立体交差」が届きました。
インタビューに来た学生たちの成果が1冊の本になったのです。
取材に来たのは昨年の10月3日、1年以上前でしたので忘れていました。
実は昨年までのことは、私の頭の中では前世の話のような気もするのです。

軽い気持ちで読み出したのですが、なかなか面白いのです。
荒井さんはジンメルの「大都市と精神生活」を材料にして、
ジンメルとの書簡のやり取りのスタイルで「つながり」を解読しています。
松田さんは保育園の話をハーバーマスまで持ち出して語っています。
それぞれがなかなかの力作です。

考えてみると学生たちが集まる大学は、かなりのことが出来る場であるなと改めて思いました。
しかしなぜ多くの大学教授たちは、そうした知の結集を楽しまないのでしょうか。

みんな4年生で4月から就職のようです。
その前にまた一度遊びに来るそうです。
この1年での成長ぶりが見られそうです。

■人間嫌いになったのでしょうか(2007年12月25日)
小学校時代のぽんゆうの一人が美味しいコーヒーを飲みたいとやってきました。
最近、オフィスに美味しいコーヒーがないので、近くの喫茶店に行きました。
いろいろと話したのですが、なんだか違う世界の人と話しているような気分です。
私が参加しなかった先月のクラス会の話を盛んにしてくれるのですが、退屈なのです。
みんなお前の活動を手伝おうって言っているぞ、と言われても、
私自身が活動できずにいますので、うっとうしいだけです。
どうも最近の私は、極度にひねくれてしまっています。

そういえば、1か月ほど前に大学の同期の友人たちに誘われたのですが、
そこでも違和感が大きくて、もうこの仲間では会うことはないなという気になったほどです。
彼らの話していることが私にはリアリティを感じないのです。
おそらくおかしいのは彼らではなく私なのでしょう。

私は学生の頃から少し外れていましたが、
40代頃からますます社会から外れだし、いわゆる権威や権力と反対の世界に安住しだしたのです。
その世界から見ると、有識者は無知な寂しい人に見えますし、
要職にある人は哀しい人に、お金持ちは貧しい人に見えてしまうのです。
妻がなくなってからは、さらにその傾向が強まり、加えて、人の言葉の空虚さに苛立ちさえ感じるほどです。
人の見え方も変ってきてしまったのです。
人間嫌いになりそうです。

ちなみに今年は忘年会は皆無です。
みんなが気を使って誘わないのもあるかもしれませんが、誘われても参加する気になれないのです。
今年のことは忘れたくありませんし、忘れることはないでしょう。

■スーパーでの買物で感じたこと(2007年12月29日)
娘と一緒に近くのスーパー(エスパ)に買物に行きました。
正月用品でとても着飾った売場になっていましたが、今年のわが家はそうしたこととは全く無縁です。
両親と同居していた頃の年末の買い物は大イベントでしたが、
両親も妻もいなくなってしまうと買うものもないのです。
いささかの寂しさを禁じえません。
メモを見ながら買い物をしている夫婦を見るとついつい亡き妻のことを思いだしてしまい、買い物に来たことを後悔しました。

ところで驚いたことがあります。
妻がいなくなってから、自分の責任において時に食材の買い物をするのですが(基本的には娘がやってくれています)、
今日のスーパーは一昨日行った近くのスーパー(ライフ)に比べて1〜2割高いのです。
たとえば市田柿ですが、一昨日、580円で購入したのにここでは680円です。

主婦は1円でも安いお店を探して買いに行くという話がありますが、
実はそうした行動こそが無駄ではないかと思っていました。
しかし、自分が日常の食材などを買う立場になってみるとその気持ちが実によくわかります。
損得というよりも、高い価格で買うことへの抵抗感なのです。
主婦が他所よりも安い物を求めるのは経済合理性のためではなく、精神衛生上の問題なのかもしれません。

ついでにもう一つのスーパー(京北)に寄りました。
そうしたら、私の常食の明治ブルガリアヨーグルトが250円でした。
いつも近くのお店で158円なのです。
もちろん全く同じ物ですが、あまりの差に驚きました。
商品の価格にはいろいろと思うことがあるのですが、
自分が当事者になって購入し出すと考えが変わってしまうものですね。

消費者はきっと自分にあったお店を見つけているのでしょう。
結局、現在のわが家は近くのスーパー(ライフ)が一番向いているようです。
ダイエーが苦境なのは、たぶん実際の消費者の気持ちが分からなくなってしまったからなのでしょうね。

■「栄光への脱出(エクソダス)」(2007年12月29日)
ほぼ半世紀前の映画「栄光への脱出(エクソダス)」を観てしまいました。
イスラエル建国の歴史をユダヤ人側から描いた映画です。
半世紀前には大ヒットしましたが、アラブ諸国が経済のイニシアティブを取るにつれて、
この映画は上映されなくなったような気がします。
テレビでの放映は私の記憶ではありませんでした。
私の思い過ごしかもしれません。

この映画は、たしかにドイツへの憎しみが根底にあるように思いますが、
平和のメッセージも込められています。
大学時代にこの映画を観て、私にとってのイスラエルの印象はとても良くなり、
しばらくはイスラエルの視点から中東問題を受け止めてしまっていました。
映画の影響は実に大きいことを、身を持って体験した一例です。

大学時代、私は大学に行くよりも映画館に通うほうが多かった時期があります。
そのほとんどがアメリカ映画でした。
イタリア映画とスウェーデン映画にもはまった時期はありますが、アメリカ映画の影響は拭いがたいほど大きいです。
映像の影響力の大きさを考える時、昨今の日本のテレビ映像のあり方に大きな危惧を感じます。

それにしても、手持ちぶたさの年末です。

■「夕張希望の杜」を支援するメルマガ(2007年12月29日)
時間を持て余している私と違って、今日も仕事で出勤していた人からメールが届きました。
九州のある自治体の職員のYさんからです。

メールは夕張市に関するものです。
メールの主旨は、「夕張希望の杜」を広告収入で支援するメールマガジンの購読のお勧めです。
そのメルマガの広告収入を「夕張希望の杜」に寄附しようということなのですが、
購読者が増えれば広告収入も増えるようになっているのです。

このメルマガを立ち上げたのは前佐賀市長の木下敏之さんだそうです。
自治体のネットワークの中から動き出したプロジェクトです。
自分の自治体だけでなく、他所にも目配りしている人たちがいることにとても感動しました。
早速、登録しましたが、私も購読者拡大に協力させてもらうことにしました。

Yさんはこう書いてきました。

昨年の「夕張ショック」、本当に日本行政史に特筆されるべき事件だったと思います。
夕張ショックが財政健全化法の制定をもたらし、自治体財政運営にパラダイム・チェンジを迫っています。
「2006年」はひとつの画期として記憶されることでしょう。

さて、夕張の財政破たんの象徴ともいうべき夕張市民病院が、
「医療法人 夕張希望の杜」として再スタートしたことは、ご存知の方も多いと思います。
地域医療を再建するため、理事長である村上医師が個人保証をして調達した一億円で新しい医療法人は運営されています。
当然、夕張市役所は「逆さにして振っても一円も出ない」という状況ですから、医療法人に対して補助金も出ていません。
建物もかなり傷んでいます。
全国的に注目されている「夕張希望の杜」ですが、日々の活動はまさに悪戦苦闘であり、経営状態もかなり厳しい状況です。

Yさんの思いが伝わってきます。
そこで「夕張希望の杜」を広告収入で支援するメールマガジンが生まれたのです。

購読の登録は次のサイトから簡単にできます。
http://www.mag2.com/m/0000253983.html
また、支援スキームの詳細は木下さんのサイトをご覧ください。
http://www.kinoshita-toshiyuki.net/newsletter.html

ぜひ周りの人にもお伝えください。
これは決して他人事ではありません。

■最後の日にダウンしてしまいました(2007年12月31日)
今年の年末は例年とは全く違っていましたが、最後の1日もまたいささか異常でした。
朝起きたら、めまいがするのです。そして吐き気。
初めての体験です。
3時過ぎまで寝ていましたが、あまり事態が改善されないので、娘たちに頼んで急患病院を探してもらいました。

最初のところではあいにく薬が調達できずに、結局、時々かかっている近くの病院に行きました。
いずれの先生もとても親身に対応してくれました。
結局、あまり心配ないということになりましたが、4日以降にきちんと検査することになりました。

節子がやはり寂しがって、私を呼ぼうとしているのかとちょっとうれしい気もしたのですが、
心配してやってきた兄に対して、娘が今日はまだ死なないよ、と言っていました。
まあ、その通り、病院から戻ったら少し落ち着き出しました。
こうしてパソコンまで打てるようになりました。

医師が言うには、たぶんストレスのせいの良質性何とかんとかという病気だそうです。
めまい止めの薬を飲んで、それでもおかしければ緊急検査してくれる病院に行くようにと言われました。
退屈で手持ちぶたさの年末年始が突然に緊張感ある年末年始になってしまいました。
そんなわけで、今年はまったく異常な年末になりました。

しかし、今日も寝ながら考えていたのですが、
人間は生きようという意欲が弱まると病気になってしまうようです。
心を入れ替えないといけません。
きっと節子が私の生き方に警告を与えてくれたのでしょう。

今年は、最後まで「節子の年」でした。

(2007年12月第3週)
本格的な寒さ到来です。
■コムケアとマイケア(2007年12月17日)
■コーラス仲間の献花(2007年12月17日)
■労働力管理の時代から生きた人間関係の時代へ(2007年12月18日)
■NPO活動支援のためのSNS(2007年12月19日)
■早期に転職したがる新社会人の急増をどう考えるか(2007年12月20日)
■ ハートフル・ウイルス(2007年12月22日)

■コムケアとマイケア(2007年12月17日)
久しぶりにコムケア仲間の橋本典之さんに会いました。
ゆっくり話すのは半年振りくらいでしょうか。
橋本さんもこの間、いろいろあって、忙しい毎日だったようです。
自分がたこつぼの中に入ってしまっているような気がして、私に会いたくなったのだそうです。うれしいことです。

橋本さんはコムケアのコアスタッフでもありますが、全国マイケアプラン・ネットワークのメンバーでもあります。
私にとって、実は「コムケア」と「マイケア」はコインの表裏なのです。
そんな話もしました。

3月にコムケアフォーラムを開催しようということになりました。
年が明けたら動き出します。
すべては年が明けたら、です。
今年の年末は、何もする気が起きないからです。

■コーラス仲間の献花(2007年12月17日)
とてもうれしいことなのですが、節子が参加させてもらっていたコーラスグループ「道」のみなさんが献花に来てくださいました。
おもてなしできなかったのが残念ですが(節子がいないために、どうおもてなししていいかわからないのです)、
みなさんのお心遣いで気持ちが温かくなりました。
ブログにも書きましたが、節子の好きそうな寄せ植えの鉢を持ってきてくださいました。

献花台をつくって本当によかったと思います。
節子はお墓ではなく、ここに転居させたほうが良いような気がしてきました。
話を大きくしてしまうのが私の性分なのですが、
もしかしたら「お墓」という仕組みは考え直すべきことかもしれません。
死者だけを集めるネクロポリス発想はなぜ生まれたのでしょうか。
私が毎週、お墓に節子に会いに行くのに娘たちはよく付き合ってくれるのですが、
次女のジュンはお母さんは庭にいるのにと言います。
そうかもしれないと最近考えるようになりました。
まもなく妻は転居させ、お墓は別荘にする予定です。

夕方には福井の義姉から庭の最後の菊が届きました。
先週も坂戸市のSさんが献花に立ち寄ってくれました。
18日には近くの吉田さんもカーネーションを献花しにきてくれました。
そして19日には、また花かご会の人たちが来てくれました。
節子は本当に花になってわが家に戻ってきているのかもしれません。

■労働力管理の時代から生きた人間関係の時代へ(2007年12月18日)
人材育成研究会でした。
企業のミドルマネジメントに関する実態調査の中間報告がありました。
いろいろと考えるところがありましたが、20年前とあまりに企業の構造が変っていないのに驚きました。
まさに「失われた20年」なのかもしれません。
いまの企業は、1980年代に学んだことをほとんど忘れているような気がします。
相変わらず自閉的で、人間が管理できると思っているようです。

この研究会は、しかし今年は刺激的です。
企業が変ろうとしているのかもしれませんが、
それ以上に座長の林文子さん(ダイエー会長)の価値観によるところが大きいように思います。
企業の主役が、男性から女性に変ったら、全く違った経済システムや経営スタイルが生まれていくかもしれません。
今回、私が感じたのは「人間と扱われずにモチベーションは高まるのか」ということでした。
なぜそんな簡単なことに企業の人は気づかないのか、不思議です。

問題は、人間として扱われるポイントは何かということです。
労働力管理の時代から人間関係(科学的管理法で言われた「人間関係」ではありません)の時代に入りだしているように思います。
日本が育ててきていた日本的経営の原点を思い出すべきかも知れません。

■NPO活動支援のためのSNS(2007年12月19日)
NPOのコミュニケーション活動支援をするための、新しいSNSを開発したので、
ぜひ話を聞いてほしいと頼まれていました。
SNSの胡散臭さに辟易していますので、あまり会いたくなかったのですが、
友人からの紹介でもあり、またその方の熱意が感じられたので、会うことにしました。

BIMコンサルティングの納富高志さんです。
お名前の通り、「高い志」を感じました。
少し前まで企業で環境会計やCSRの仕事をされていたそうですが、さぞかし生きにくかったと思います。
本気で環境会計やCSRを考えている大企業を、残念ながら私は知りません。
そんな議論をしていたら、あやうく喧嘩になりそうでしたが、おかげでかなり本音での議論ができました。

肝心の新しいSNSの仕組みに関しては話を聞きませんでしたが、
取り組む人の熱意と社会性があれば、どんな仕組みも改善されていきます。
逆に、どんないい仕組みも、使い手の思いで劣悪なものになっていきます。
納富さんは、この仕組みに人生を賭けている姿勢を感じました。
協力することにしました。

やはり会わなければ良かったとおもいますが、人に会うとどうしても働かなければいけなくなっていきます。
この数年は、そんな余裕はなく、借金返済のための労働をしなければいけないのですが 、
どうも私にはそれは向いていないようです。
困ったものです。

■早期に転職したがる新社会人の急増をどう考えるか(2007年12月20日)
先日この欄で書いたNPO人材アカデミーの第6回就職・離職に関するシンポジウムでした。
パネリストは官界、政界、財界、教育界それぞれからの論客、
加えて会場参加者も全国から一過言ある人たちが集まっているというので、
コーディネーター役としてはいささか気が重かったのですが、
中心になる人が多湖輝さんや高橋宏さん、あるいは山崎富治さんといった方々なので、いつものようにカジュアルにできました。
この3人とは、以前、ニッポン創新アクション会議というプロジェクトでご一緒させてもらいました。
そのプロジェクトは、私には退屈だったのですが、その3人のあったかなお人柄にはほれ込んでしまっていました。
不思議な包容力をもった人たちでした。

このシンポジウムは、長年、学生の就職支援活動に取り組んでいる、NPO人材アカデミー理事長の大森さんの活動に共感した人たちが集まって、毎年開催しているのですが、
今回のテーマは「早期に転職したがる新社会人の急増をどう考えるか」でした。
基調講演(厚生労働省職業安定局次長の大槻勝啓さん)とパネルディスカッションがメインです。
パネリストは大槻さんのほかに、参議院議員の浜四津敏子さん、財界からは論客の加藤丈夫さん(富士電機ホールディングス相談役)、松本直勝さん(東京青年会議所理事長)、教育界からは高橋宏さん(首都大学東京理事長)、多湖輝さん、それに若手官僚の鈴木英敬さん(経済産業省)です。
これだけのパネリストが集まると進行が大変です。
会場とのやりとりは、3分間メッセージのスタイルをとりましたが、発言希望者続出でこれまた大変でした。

議論もいろいろと刺激的でした。
入社早々、離職したいと思う若者が増えてきているということは、
単に若者だけの問題ではなく、企業はもちろんのこと、教育や社会のあり方につながる大きな問題ですので、
まさに議論は百出し、結局は大人たちの生き方の問題ではないかと言うところまでいきました。
しかし、対策としてはどうも「制度」的なところに議論が行ってしまうのが気になりました。
中高年以上の世代は、まだ「制度発想・組織発想」から抜け出られずにいるようです。
ブログにも書きましたが、当事者的な視点での議論になかなかならないのもいつものことながら気になりました。

会社に入ってすぐに辞めたくなるという現実は、多くの問題提起をしています。
そこから学ぶことは多いのですが、自分の問題として捉える人が少ないことにこそ問題の本質があるのかもしれません。
そうしたことを少しだけ言外に込めながら進行させてもらいましたが、届いたかどうかは不安です。
力量不足は否めません。

働きたい人と働きの場とのミスマッチは、働くものにとっても、企業にとっても、
さらには社会にとっても無駄が多く、社会的損失が大きいと言っていいと思いますが、
しかしマイナス面だけではなく、プラス面もあるはずです。
大切なのは、こうした現状をどうしたらプラスに転じられるかですが、そうした議論もありました。
それにしても、こうした現実への関心が広がらないには残念です。
大森さんの思いがよくわかります。

多彩なメンバーが集まったおかげで、さまざまな問題が指摘されました。
議論が広がり、具体的なところにフォーカスできなかったのでコーディネーター役としてはいささかの欲求不満が残りますが、私にとっても楽しめた3時間でした。
報告書が作成されることになっていますので、関心のある人はご連絡ください。

最後にコーディネーター役として、
今日の議論に込められているメッセージを前向きに受け止めて、問題をチャンスに変えていく事が大切。
それぞれの立場で何が出来るかを考えてほしいと話させてもらいましたので、私も具体的な活動を始めようと思います。

これに関してはまた改めて報告できると思いますが、
学生と企業とをもっと人間的につなげる活動に興味のある方がいたら、ぜひ一緒に取り組みませんか。
面白いテーマが山積されているように思います。

■ハートフル・ウイルス(2007年12月22日)
「ハートフル・ウイルス」というタイトルのメールが届きました。
ウイルスという文字に一瞬、ドキッとしました。
佐久間庸和(一条真也)さんの造語でした。
このサイトでも紹介させてもらっていますが、
佐久間さんは社長業という激務の合間を縫って、積極的な著作活動や講演活動をされています。
そうした活動の基本にあるのが、「ハートフル」という理念です。
佐久間さんの「ハートフル・ソサエティ」は、その総論ですが、実に様々な分野に関して、佐久間さんは発言してきています。
佐久間さんのサイトにある著作一覧をご覧下さい。
「ハートフル」理念は、私が目指す「生きる姿勢」でもありますし、私にとっての「社会ビジョン」でもあります。

佐久間さんは、
各分野に散ったハートフル・ウイルスたちが少しでも社会を良くしてくれれば、こんなに嬉しいことはありません。
と書いてきました。
同感です。

もっとも私自身は最近ちょっと悲観的になってきています。
残念ながら、そうした「ハートフル」な方向は、必ずしも強まっていないように思うからです。
一番残念なのは、「ハートフル」や「ホスピタリティ」が、商業的に浪費されていることです。
しかし、私たちにとっての未来を切り開いていくのは、「ハートフル」理念以外にはありえないと、私も思っています。
ハートフル・ウイルスがどんどん増殖していってほしいと思います。

佐久間さんのハートフルシリーズを、改めて皆さんにご紹介したいと思います。
お正月休みにでもぜひ「ハートフル・ソサエティ」をお読みください。

(2007年12月第2週)
師走の気忙しさ、ボーナスのうれしさ、華やかなクリスマスや忘年会、年賀状の準備、そういうことから全く無縁の生活をしています。
■節子の百か日(2007年12月11日)
■企業の新しい福利厚生プログラム(2007年12月12日)
■知らない間の献花(2007年12月13日)
■黒岩比佐子さんの新著「編集者 国木田独歩の時代」(2007年12月14日)
■日本構想学会2007(2007年12月15日)

■節子の百か日(2007年12月11日)
私に「生きる意味」を与えてくれていた妻の節子が逝ってから100日目です。
今回はお寺にはお願いせずに、家族で静かに節子への感謝を行いました。
節子の幼馴染の雨森さんが、
「(うちのお寺のお坊さんは)百か日にお参りしてもらうと、挨拶に『だんだんと、お淋しくなりますネ』と言われます」
と書いてきてくれました。
全くその通りで、日が経つにつれて節子がいない現実感が高まり、寂しさはつのる一方です。
この寂しさの高まりがいつまで続くのか、考えると気が重くなります。

愛するものに先立たれることの辛さは、体験しないとわからないでしょうが、
しかし、愛するものたちに先立つことの辛さはもっと大きかったのだろうなと、改めて節子が不憫で仕方がありません。
できるものなら夫婦は一緒に最後を向かえるように神様は設計してほしかったものです。
しかし、そうなると今度は残された他の家族の問題が残ります。
そして友人たちというように、人のつながりは際限なく広がっていきます。
そんなことを考えながら、何とか生きていく意味を見つけ出そうとしていますが、まだ納得できるところには至っていません。

年賀欠礼の手紙への返事が届き出しました。
節子に読んで聞かせていますが、多くの場合、最後まで読めません。
でもいろいろな人が節子のことを思い出してくださっていることに感謝しています。

■企業の新しい福利厚生プログラム(2007年12月12日)
コムケア活動を少しずつ再開しようと思っていますが、
今日は、遠隔地介護の支援に取り組むパオッコの太田さんからこれからの展開の相談を受けました。
パオッコは企業とのコラボレーションに少しずつ取り組み出していますが、
企業にとっても従業員の家族介護の問題は重要なテーマのはずです。
私自身は、企業における新しい福利厚生プログラムが必要だと以前から考えていますが、
そうした候補になるような活動がコムケアにはたくさんあります。
パオッコも、その一つです。

ですからそれを真剣に考えるプロジェクトを立ち上げたいと考えていますが、
自分自身の心境の不安定さから実現に踏み切れずにいます。
それにまもなく誰かが取り組み出すだろうという気もします。
気力も体力も萎えてきていますので、あんまり苦労もしたくないですし。
しかし、久しぶりにコムケアの個別活動の話を聞くと、何かしないといけないという強迫観念が動き出すのです。
そういえば、ふぁっとえばーの秋山さんとの約束もあります。
年が明けたら、動き出そうと思います。
いささかの不安はありますが。

■知らない間の献花(2007年12月13日)
ブログに書いたのですが、不思議な事が起こりました。
家族の誰も気づかないうちに、庭の献花台に献花されていたのです。
それも、めずらしい花の入ったちょっとおしゃれな花束でした。
一瞬、節子が献花に来たのかなと思いました。
まぁ、そんなことを考えること自体に、今の私のおかしさがあるのですが。
でも、このことでとてもあったかな気持ちになりました。
だれかが庭に入って献花してくれた。

翌日になって、献花の主がわかりました。
娘の友だちだったのです。
我孫子に転居して来た時に、節子がささやかな応援をしてやったようで、それもあって献花に来てくれたらしいです。
一件落着ですが、節子を思い出させる顛末になりました。
献花された方に感謝します。

■黒岩比佐子さんの新著「編集者 国木田独歩」(2007年12月14日)
黒岩比佐子さんから新著が送られてきました。
「編集者 国木田独歩の時代」(角川選書)です。
来年は国木田独歩の没後百年なのだそうです。
黒岩さんらしい本です。
著書を贈られた場合、私は必ず1週間以内に読むのですが、最近はどうも読書のスピードが落ちています。
それに黒岩さんの本は、じっくり読まないといけません。
なにしろ文章の後にある情報量が多いですから、読み応えがあるのです。

国木田独歩といえば、私は「武蔵野」しか読んだことはありませんし、作家のイメージしかありません。
しかし、今回は作家ではなく編集者としての独歩の本です。
まだ目次を見ただけですが、興味深い内容です。
そんなわけでブックでの紹介は次の更新時になります。今日は予告だけです。
ぜひ書店で手にとってみてください。

■日本構想学会2007(2007年12月14日)
日本構想学会の恒例の大会です。
今回のラウンドテーブルのテーマは「戦略」と「プロジェクト」です。
というよりも、この2つが最近の構想学会のビッグテーマです。
それに関わる報告は、いずれも興味深いものがありました。

久しぶりのメンバーに加えて、新しいメンバーにも会えました。
いろいろと刺激を受けたので、書き込もうと思っていましたが、あまりにたくさんあって書き込むのが面倒になりました。
たぶんその様子は学会のホームページにまもなく出るでしょうから省略します。

一つだけ書いておきます。
仏教と戦略の関係という話題です。
キリスト教の戦略に関して、いささかの不信感を持っていましたが、日本の仏教寺院の戦略という切り口から考えていくと、戦略の新しいパラダイムが見つかるかもしれないと思いました。
何を言っているのかわからないと思いますが、知りたい方は是非日本構想学会に入会してください。
ご関心のある方はご連絡ください。
とても刺激的な学会です。
その気になれば、ですが。

(2007年12月第1週)
動き出した途端にパンクしそうです。
それに不思議と久しぶりの人との出会いが多かったです。
■加野さんからの電話(2007年12月2日)
■節子の3回目の月命日(2007年12月3日)
■久しぶりのミスターM(2007年12月4日)
■潜在意識とコンセプトワーク(2007年12月4日)
■共同募金会の可能性(2007年12月4日)
■茨城NPOセンター・コモンズの横田さんの健闘(2007年12月5日)
■東葛地域でのコムケアフォーラムが実現しそうです(2007年12月6日)
■新宿で島田京子さんに会いました(2007年12月6日)
■転職したがる新社会人の急増(2007年12月6日)
■捨てることの難しさ(2007年12月8日)

■加野さんからの電話(2007年12月2日)
夕暮れはさびしいです。
節子が最後までいた部屋で3か月前のことを思い出していたら、
その状況を見透かしたように、福岡の加野さんから電話がかかってきました。
佐世保で護摩をあげてきてくださったのだそうです。
心が見透かされているようで慌てました。

加野さんも7年前に最愛の娘さんとの別れを体験されているのです。
加野さんは大宰府の天満宮の参道で、久留米がすりの専門店を開いています。
その一つの店舗を、その娘さんのためのショップに改装するのだそうです。
もし天満宮に行く機会があれば、のぞいてみてください。
たしか、太宰府駅のすぐ近くで、天満宮に向かって右側だったと記憶しています。

娘さんは平和を願っていて、彼女の夢は大宰府でいつか “We are the world”のコンサートを開くことでした。
彼女(加野寿恵さん)のことを昔ある雑誌に書いたことがあります。
掲載しました。
とても純粋な素直さを持っていた人でした。
加野さんによれば、今は彼岸で節子とも会っているそうです。
節子は向こうでもいろいろな人に囲まれているでしょうか。

■節子の3回目の月命日(2007年12月3日)
節子の3回目の月命日でした。
3か月たったのに、私にはまだ節子の不在が実感としてないのです。
毎日、姿の見えない節子と話し合っています。
そろそろ現実をしっかりと見据えなければいけないのかもしれませんが、 まだしばらくは(あるいは死ぬまで)、
こうした節子がいる意識の世界と節子のいない現実の世界の両方で生きていくことになりそうです。
それは決してできないことではありません。
今日は雨が時々降る寂しい日です。
ポインセチアが届きました。

■久しぶりのミスターM(2007年12月4日)
思わぬ人から会いたいというメールが来ました。
5年ぶりです。
メールの主はミスターMです。
前に会った記事をホームページに書き残したはずなのですが、出てきません。
このホームページはリゾーミックに広がっているため、私にも全体像が掴みきれていない上に、書き落としや間違っての削除が結構あるのです。
記事はなかったのですが、隠れていた関連記事がでてきました。
ミスターMの構想です。
この話が私とミスターMとのファーストコンタクトの契機でした。

今回は、特に用事があって来たのではありません。
なぜか会いたくなったのだそうです。
最近取り組んでいる仕事のことを聞きました。
取り組んでいるのは、国家間の経済連携関係の活動です。
そうなのです、ミスターMは中央省庁の職員なのです。
金銭と権力への私欲ではなく、こういう大きな夢を持った人も霞ヶ関にはいるのです。
私はブログで霞が関をこき下ろしていますし、「危険思想」の持ち主でもあるのですが、友人知人もまた少なくないのです。
いささか複雑な気分です。

■潜在意識とコンセプトワーク(2007年12月4日)
KAE山城経営研究所の顧問をされている田村曠さんと久しぶりにゆっくりと話をしました。
田村さんとの出会いは、もう15年ほど前になるでしょうか。
KAEの経営道フォーラムの8期のメンバーです。
そこでの体験が田村さんの意識を変えたようで、その後さまざまな取り組みをされてきたことを知りました。
昨今の企業経営に対して、いろいろと思うことが少なくないようです。
お話をしてみて、問題意識が極めて重なっていることを知りました。

田村さんのキーワードは、潜在意識、経営文化、コンセプトワークのようです。
単なる表層的な経営術ではなく、その根底にあるコンセプトをもっと重視する必要があると考えています。
全く同感です。
時代の大きな変わり目の中では、基本から考え直さなければいけないと私も思っています。

最近、「経営道」に関して、このコーナーでも何回か書いてきましたが、思わぬところに同志がいたのです。うれしいことです。
これを契機にまたいろいろと意見交換していこうと思います。
またシンクロニシティが戻ってきたようです。

■共同募金会の可能性(2007年12月4日)
またシンクロニシティです。
コムケア活動に興味を持ってくれていた共同募金会の清水和良さんが話を聞きたいといってやってきました。
私も一度話したいと思っていた人ですが、なかなか話す機会がありませんでした。
山下さんという若い人と一緒に来てくれました。

正直に言えば、共同募金はもう役割が終わったか、あるいは活動のパラダイムを変えなければいけないと思っています。
そう思ったのは、実は17年前、「コーポレート シチズンシップ」という本づくりに取り組んでいた時です。
まあ、その話は書き出すときりがありませんので、やめますが、
しかし共同募金会の果たしてきた役割や構築してきたネットワーク資源などを考えると、
大きな社会的財産かもしれないという思いもありました。
ですから、その実体に興味があったのです。
同じことは社会福祉協議会にも言えるのですが、いずれもあまりにもテーマが大きく、中途半端には取り組めません。
関心をもちながら、17年間、放置していた課題です。

もっとも今日は共同募金の話ではなく、コムケアの話です。
清水さんはコムケアに関する資料を読み込んでくださっており、「佐藤さんの考えは理解しています」と言ってくれました。
うれしいことです。
私のCCブログやコムケアのサイトの記事なども読んでくれているようで、自分で作成した図解まで持参です。

話はいろいろと展開しました。
結局、あまりコムケアの話はしなかったような気がしますが、とても奇妙なことですが、
消えかかりそうな私自身の中にあるコムケアへの思いを再燃させられた気もします。
帰り際にちょっと元気が出ましたといってくれました。
私も少し元気が出そうです。

■茨城NPOセンター・コモンズの横田さんの健闘(2007年12月5日)
コモンズの事務局長の横田能洋さんがやってきました。
横田さんと話すのは久しぶりです。
横田さんはもともとは企業の世界にいた人ですが、1
0年ほど前からNPOの世界に入った、この分野では草分けの一人です。
いわゆる中間組織なのですが、コモンズは自分の現場も持っているせいか、目戦がとてもやさしいような気がします。
現場を持っていること、企業や行政と共創する姿勢とリテラシーがあること、
これがこれからのNPO中間組織の必要条件ではないかと私は思っているのですが、
その点で横田さんの活動には以前から興味を持っていました。
しかし、10年たっても、その活動は大変そうです。

日本の市民活動の基盤はなかなか進化しません。
日本ではすでに3万近いNPO法人が誕生していますが、まだまだNPOが自立していく環境は整備されていません。
そうしたNPOを支援するNPO(中間組織と言われますが)も増えていますが、
そうしたNPO中間組織も自立が難しいのが現状です。
私自身は、NPOが現在の経済システムのサブシステムになっていること自体に大きな問題があると思っていますが、
それを一挙に変えるのは無理でしょう。
ですから横田さんたちのような地道なNPO中間組織が育っていくのを待たなければいけません。
行政や会社からの資金的な支援に依存している中間組織には見えないことが見えているだろうという気がしています。

コモンズは本拠地が水戸ですが、つくば市にも拠点を創ったそうです。
筑波には大学がありますので、きっとまた新しい展開が始まるでしょう。
これからがとても楽しみです。

■東葛地域でのコムケアフォーラムが実現しそうです(2007年12月6日)
これまで各地でコムケアフォーラムを開いてきましたが、自分の地元でやったことはありません。
そこで今回は千葉県の東葛地区でのコムケアフォーラムが開けないかと思い立ち、コムケア仲間に声をかけました。
柏を中心に活躍している松清さんと四元さんです。
声をかけた途端に、2人からやろうという返事がありました。
そこで今日は第1回目のフリートーキングです。

松清さんは今は柏市民活動センターを中心にさまざまな活動を展開しています。
四元さんは今はちょっとある準備でフリーの立場ですが、これまた柏や埼玉を拠点にいろいろとやってきました。
2人とも力強いコムケア応援団なのです。
いろいろなアイデアもでてきて、面白いことになりそうです。
まずは1月に、コムケアフォーラムを目指したコムケアサロンをやろうということになりました。

東葛地区の方でもし一緒にやろうという方がいたらご連絡ください。
きっと面白い体験が出来るはずです。
テーマもスタイルも、すべてこれからですので、もし何かアイデアがあればぜひ一緒に実現しましょう。
気楽にご連絡ください。

■新宿で島田京子さんに会いました(2007年12月6日)
今日、新宿をボーっと歩いていたら声をかけられました。
日産自動車で、社会活動に取り組んでいた島田さんでした。
もう10年以上ぶりでした。
島田さんは、私が信頼する数少ない企業の社会貢献活動の専門家でした。
経団連の社会貢献推進関係の座長をやったり、中央教育審議会の委員をされたりもしていました。
物静かな方ですが、しっかりした信条やビジョンをお持ちです。

私が一番最近お世話になったのはコムケアの関係です。
あるグループが子どもたち向けの環境教育プログラムをやりたいのだが予算が不足していると相談に来ました。
それで島田さんを勝手に紹介したのですが、島田さんはそのプロジェクトの意義を評価して支援してくれました。
そのお礼にも行っていないのですが、島田さんが日産を辞めたため、交流が途絶えてしまっていたのです。
その島田さんに街中で偶然に出会えたわけです。
島田さんは今、日本女子大学の事務局長をされているそうです。
久しぶりに会えたのも意味があるのかもしれません。

■転職したがる新社会人の急増(2007年12月6日)
12月20日にNPO人材アカデミー主催の「就職・離職に関するシンポジウム」が開催されます。
このシンポジウムは毎年開催されていますが、今回は6回目です。

そのNPOの理事長の大森淑子さんとは、これまたひょんなことを契機にお付き合いが始まっていたのですが、
ここ数年はその活動には参加したことがありませんでした。
ところが先日、大森さんから、そのシンポジウムのパネルディスカッションの進行をやってくれないかと言う連絡がありました。
どうしようか迷ったのですが、大森さんが連絡してくる時はかなり困っている時なのです。
前回もそうでした。もしそうであれば断れません。
それで内容もよく知らないままに引き受けてしまったのですが、今日がその最初の打ち合わせでした。

相変わらず大森さんのエネルギッシュな活動には感心させられます。
何しろ大森さんはもう70歳を越えているのです。実にお若いです。
今回のテーマは「早期に転職したがる新社会人の急増」です。
案内にあるように、パネリストは多士済々です。
政治家もいれば財界人もいれば教育界も官界もいます。
どうやってまとめればいいでしょうか。
しかも話し出したらとまらない人もいるのです。
ちょっと安直に引き受けたことが悔やまれますが、まあ仕方がありません。

それにこのシンポジウムを支援しているのが、首都大学東京理事長の高橋宏さんなのです。
高橋さんとはこれまたいろいろと因縁があるのです。
最初にお会いしたのは1977年。
私がまだ企業の世界にいた頃ですが、経済同友会の研究部会でご一緒して以来、なぜかいろいろなところで会うのです。
もっとも立場は全く対照的で、高橋さんはメインストリームの代表として、私はエマージナルポジションの立場で出会うわけです。
今も次世代人材研究会でご一緒していますが、高橋さんはお人柄が実に魅力的です。

打ち合わせの後、高橋さんの部屋に行きましたが、都庁の35階で、夕陽と富士山が見事に見えました。
真下にはまさに雑多な東京の街が見えます。
こうしたところで執務していると、発想も変っていくでしょう。
私もメインストリームから離脱しなければよかったかなと思いたくなる一瞬でした。
12月20日のシンポジウムの案内はNPO人材アカデミーのサイトにあります。
ご関心のある方はぜひご参加ください。
シンポジウムの前にある講演会も魅力的な内容です。

■捨てることの難しさ(2007年12月8日)
*この記事はCWSプライベート(ブログ)からの再録です。
佐々木さんからからもらった「本来無一物」の掛け軸を見ていたら、急に資料や書籍の整理をしたくなりました。
今までも何回も挑戦して実現しなかった難題です。
亡くなった妻は、どんな資料も保存していく私の性癖には少し呆れていました。
書籍もそうです。私がお金を使う唯一の対象が本でした。
最近は違いますが、以前は読むためにではなく、いつか読めるようにしておくために新聞などで見ては書店に注文していました。
ですから読んでいない本がたくさんあります。
資料もそうです。私が関わったプロジェクトの資料はほぼすべて残しています。
愛着があるということもありますが、いつかまた参考になるかもしれないと思っているのです。
ところが、妻が亡くなった後、彼女が残したたくさんの写真や手紙を前に、
もし私が死んだらこの書籍や資料はどうなるのかと思ったのです。

資料や書籍は、所有者との関係においてのみ意味を持っています。
妻に来た手紙は、私にとってはあまり意味はありません。
「物」というのも「事」と同じく、個人に付属しています。
私の持っている書籍や資料は、私がもっているからこそ意味を持っている。
そうであれば、「思いを持って」それを廃棄できるのもまた、私だけです。
廃棄するのに、「思い」など関係ないのではないかと言われそうですが、そんなことはありません。
妻を亡くして、そういうことがよくわかってきました。
もちろん私は妻を「廃棄」したのではなく、「別れ」を体験したのです。
書籍や資料もまた私の一部だったわけですから、「廃棄」ではなく「別れ」と考えるべきです。
私の一部であればこそ、いつもは「廃棄」できなかったのですが、私の一部であればこそ、「良い別れ」が必要だと思ったわけです。
そう思ったおかげで、今回はかなりたくさんの資料との別れができました。

私もいま66歳ですが、そろそろ「人」や「物」との別れを意識的に進めていく時期かもしれません。
それでこそ、世界が広がり深まるのではないかと思うようになりました。

(2007年11月第4週)
ますます寒くなりました。
■当事者にならないと見えないことがありますね(2007
年11月26日)
■ミドルマネジメントへの期待(2007年11月28日)
■4人のビジネスパーソン(2007年11月29日)
■「経営道」再考(2007年11月30日)
■経営道フォーラム第42期のキックオフ合宿(2007年11月30日)
■久しぶりの湯河原の仕事場(2007年12月1日)

■当事者にならないと見えないことがありますね(2007年11月26日)
節子への挽歌を同人誌に掲載してくださり、それを送ってきてくださった友澤さんがご夫妻で献花に来てくださいました。
ちょうど1年前にご夫妻でお見舞いに来てくださったのですが、その時は元気な顔でお2人を迎えた節子は今回いません。
せめて私も元気を装うとしましたが、話しているうちにやはり涙が出てしまいました。
友澤さんが節子の訃報にどれだけ悲しんでくれたかは、葬儀の時から伝わってきていました。
冷静な対応ではなかったのです。
頭が白くなって、あの時はうまく対応できませんでしたということでした。
人の真実は必ず見えるものです。

節子が亡くなって、ようやく伴侶を失う意味がわかったこと、
自分が社会的弱者の立場になった今、見えてくることがたくさんあることなどをお話しましたが、
友澤さんたちも同じようにいろいろと経験してわかったことがあるとお話になられました。
当事者にならないと見えないことがいろいろとあります。
節子のお陰で、今日は節子がいないのに、ゆっくりと心を通わせ合うことができたように思います。

■ミドルマネジメントへの期待(2007年11月28日)
次世代人材研究会でしたが、今回は面白い議論が出て、久しぶりに刺激を受けました。
座長はダイエーの会長の林さんなのですが、林さんの見識はいつもしっかりしています。

今回は4つの事例報告がありましたが、いずれもそれぞれに面白かったですし、意見交換もとても面白かったです。
どこが面白かったかというと、企業経営に関する受け止め方や考え方の世代間のギャップが感じられたことです。
私も3点、質問させてもらったのですが、いずれも質問の意図は伝わりませんでした。、
そこにこそ今の企業の実態を象徴しているように思いました。
私が質問した方たちは、企業経営の分野ではかなり先進的な考えと実践をされている方のはずなのに
、言語と発想の構造が違っていたわけです。

しかし、一部の企業が動き出していることは感じました。
とりわけ感心したのは、座長の林さんの意見でした。
彼女の経営観には「人間の視座」があります。
昨今の日本企業に欠けているのは、この点だろうと思います。

■4人のビジネスパーソン(2007年11月29日)
ビジネスに関して、久しぶりに面白い議論をしました。
あるプロジェクトのミーティングがあったのですが、私はそのプロジェクトに少し関わることになってしまいました。
いわば部外者参加なのですが、どうも部外者ではなくプロジェクトの
わりと真ん中に近い所にミッションが置かれていることに気づきました。
仕事は安直に請けてはいけません。

私以外はみんな長年取り組んでいるプロフェッショナルです。
しかもそれぞれが個人で会社をやっている人のようです。
ですから組織人ではない真剣さと柔軟さがあります。
最近は、ビジネス関係の話は原則として書かないことにしているのですが、
このプロジェクトはもしかしたら面白くなるかもしれませんし、
もしかしたら辛いものになるかもしれませんので、そのキックオフの記録は残しておくことにしました。
それにそれぞれが魅力的な人物です。
最近は世界を広げる意欲が萎えていますが、彼らの後にある世界に興味を感じました。

その生き方をやめて20年近くたちますが、ビジネスの世界のリズムや議論の小気味良さはやはり魅力的です。
私もビジネスのリズムが染み付いているのでしょうか。
今日は複雑な気分でした。

■「経営道」再考(2007年11月30日)
今日から経営道フォーラム第42期の合宿ですが、
参加する前に時間があったので、そもそもこのプログラムを創った創業者市川覚峯さんのところに雑談に寄りました。
市川さんは、今は経営道フォーラムとは別に日本経営道協会を設立して、
中堅中小企業の経営者を中心にした活動に取り組んでいます。
その発表会のことは先々週書きました。

私はいずれもそのスタートから関わらせてもらっていますが、
最近どうも「経営道」へのこだわりがいずれからも低下しているような気がして、不満なのです。
せっかくの2つの活動ももっと連携すれば効果的なのですが、
組織というものはできてしまうとそれぞれ独自の論理を育ててしまい、
大きなミッションに基づく連携ですら難しくなるものです。
余計なお世話ですが、いずれにも関わっている私としては、どうも納得できないのです。
それに時代の流れからすると、経営道はやはり横に置かれがちです。
実践的な課題や知見が求められがちで、道とか志とか理念は煙たがられそうです。

しかし、私がこうした活動に関わらせてもらっていて感ずるのは、
個人レベルではそうした「生き方」に通ずるテーマへの関心は高まっていることです。
経営道は、所詮は個人の生き方です。
その原点に立って、せっかく市川さんが苦労して起こしてきた、この経営道運動をもっと広げていけないものかと考えています。
来年になったら市川さんと一緒に、新しいプログラムをコラボレーションしたいと思っています。
元気が戻ってきたらですが。

■経営道フォーラム第42期のキックオフ合宿(2007年11月30日)
経営道フォーラム第42期のキックオフ合宿は箱根で開催されました。
最近は合宿もいつも日帰りさせてもらっていたのですが、今回は1年ぶりに宿泊しました。
というよりも、節子がいなくなってから最初の外泊です。
なにしろ場所が節子の大好きだった箱根ですから、私にはかなりの勇気が必要でした。

懇親会の前の乾杯の時に、少し時間をもらって、あえて今回は「経営道」に関して一言話させてもらいました。
茶道、剣道と同じように、経営を通じて自らを磨くことが経営道という言葉に含意されていること、
であればこそ、観察対象的に企業経営を考えるのではなく、自らの生き方と重ねて考えてほしいこと、
そして企業経営幹部として生き方を問い直す機会にしてほしいことを話しました。
こんなにまじめに話したのは初めてですが、それほど今の企業には危機感を感じます。

私が担当するのは「経営理念」と「企業文化」をフィールドにした2つのチームです。
今回は、ウィトゲンシュタインがご専門の大学教授やユピキタス・エネルギーをライフワークにしているエンジニアなど、いつも以上に多彩なメンバーです。
私のチームではないのですが、社員教育に「四書五経」を使っているという会社の人がいました。
これまたとても興味を持ちます。
これからの半年間、どう展開していくか楽しみです。

■久しぶりの湯河原の仕事場(2007年12月1日)
実は最近数年間、ほとんど行ったことはないのですが、湯河原に私の隠れ仕事場があります。
会社を辞めた時、私はじっくりした仕事場がほしかったのと、
節子が海の近くに住みたいという希望もあって、退職金を投入して購入したマンションです。
投資価値があるといわれて買ってしまったのですが、
その後の不動産価格の低下で退職金の総額以上の負債になってしまったという悪夢のようなマンションです。
しかし、節子は気に入っていて、元気なときは時々使っていました。
しかし、この数年はほとんど使わずにいます。
どなたか高く買ってくれませんか。
時価で売ると借金がさらに残るという複雑な仕組みになっていますから、時価の倍くらいで買ってもらわないといけないのですが。
そういう奇特の方がいたら教えてください。

まあそれはそれとして、ずっと行ったことがなかったので、箱根の帰りに寄ってみました。
というのも、急いで東京に戻る予定がなぜか箱根のホテルを出たら天気がとても良くなってきたのです。
これは節子が湯河原に寄れと言っているのだと思いました。
40年も連れ添っていると以心伝心なのです。はい。
もしかしたら節子が一人で待っているのではないかというわずかばかりの期待もあったのですが、やはりいませんでした。

最後に節子と来たのはいつだったでしょうか。
1年以上前のはずです。
私の仕事関係の資料や書籍の一部はここに持ってきているのですが、もうここで仕事をすることはないでしょう。
ここに私が仕事で来るときには必ず節子も一緒に来てくれたために、思い出が残りすぎているのです。
せっかく寄ったのですが、30分くらいしかいられませんでした。
娘たちは泊まってきたらと言ってくれたのですが、節子のいない湯河原にいても仕方がありません。
いや、節子のいないこの世にいるだけでも辛いのですから、湯河原で泊まれるはずがありません。
13階なので、真夜中に飛び降りかねませんし。
急いで出てきたので無事に我孫子の自宅に着きました。
今日はゆっくり眠ります。

(2007年11月第3週)
寒くなりました。
■お墓に駅前の花壇の花が供えられていました(2007年11月18日)
■我孫子市議会議員選挙(2007年11月18日)
■いろいろな人からの辛い話(2007年11月19日)
■脳外科の結果(2007年11月20日)
■高校における校長のマネジメント・スタイル(2007年11月21日)
■コミュニティ内モビリティ問題(2007年11月21日)
■節子の民生委員時代の友人が来てくれました(2007年11月22日)
■技術事故の情報発信と社会的記憶(2007年11月22日)
■節子に秋が届きます(2007年11月23日)

■お墓に駅前の花壇の花が供えられていました(2007年11月18日)
日曜日には家族3人で節子の墓参りです。
実は昨日から体調を崩していたのですが、ちょっと無理して出かけました。
お墓に我孫子駅前の花壇にあった千日紅の花がたくさん供えてありました。
私たちの知らないうちに、花かご会のみなさんが供えてくださったのです。
本当にみんなよくしてくれます。
駅から2キロくらい離れているのに、わざわざ来てくれたのです。

節子は最後まで駅前の花壇のことや花かご会のことを気にしていましたので、とても喜んでいるでしょう。
節子は本当にやさしい友だちに囲まれていたのですね。
うらやましいほどです。

■我孫子市議会議員選挙(2007年11月18日)
地元の市会議員の選挙でした。
選挙は必ず節子と一緒でした。今日は娘たちと行きました。

今回は28人の定員に38人が立候補しました。
知り合いがたくさん出ていますので、地元の選挙は誰に投票するかいつも迷います。

午前中に電話がありました。
驚いたことにある政党の候補者の関係者からでした。
誰を選ぶかという点からいえば、こういう電話があると選びやすくなります。
電話があった人はその時点で私の場合、選択肢から外れます。
今もそんなことをやっている人がいるのですね。
本人はきっと知らないのでしょうが(本人は私もかなり信頼している人です)、周りの人が電話してくるのでしょう。
そんな人を周りにおいていることを知ったので、もうこれからはその人は私の選択肢からは永久に外れました。

しかし、まだまだ自治体の選挙は旧体質です。
今回は若い世代が新たにだいぶ立候補しましたので、選挙のあり方もだいぶ変わってきましたが、
相変わらず立候補者の実体は見えないままの選挙になっています。

選挙結果に関しては、いろいろと思うところが多いのですが、あまりに知り合いが多いのでコメントは差し控えます。
ちなみに今回の投票率は51%でした。
前回は67%でしたので、大幅に低下しました。
これもまた、いろいろと思うところがありますが、それについてはいつかブログのほうで書くつもりです。

選挙が終わっても、誰も連絡をしてきません。
選挙前にはいろいろと挨拶に来た人が何人もいたのですが。
人柄が見えてきます。

■いろいろな人からの辛い話(2007年11月19日)
先週に年賀欠礼の手紙を出しました。
いろいろな方から電話や手紙、メールが来ます。
ショッキングな手紙もあります。
いや、そう言う手紙が多いのです。
節子の友人の一人は夫を亡くし、私たちの共通の友人はご自身ががんになり、
あるいは目の病気で失明してしまったとのことです。
まだいろいろあります。
果たして訃報を伝えるべきだったか、複雑な気持ちです。

楽しい手紙を出すと楽しい情報が入ってきますが、
悲しい手紙を出すと悲しい情報が入ってくるものだとつくづく思いました。
しばらくお会いしていない方が多いのですが、とてもうれしいことに、みんな同じ言葉を言ってくれるのです。
「だれにもやさしい人でしたね」
節子のやさしさは、私だけのものではなかったことをとてもうれしく思います。

■脳外科の結果(2007年11月20日)
実は半年前くらいから、手足の軽いしびれがあります。
その上、時々の頭痛。
そして先週の土曜日、出かけようと思ったら、視野がおかしいのです。
焦点が会わずに、目の前に湯気が立っているような感じになってしました。
そういえば、2年ほど前にも目が一時期おかしくなったことがありました。
幸いに横になっていたら、30分ほどでなおりました。
まあ、そんなわけで一度、今日は近くの病院の脳外科に行きました。
節子の通院に毎週のように病院に通っていましたので、
今は病院には行きたくなかったのですが、行ってみれば何と言うこともありませんでした。

結論的にいえば、検査結果は正常でした。
脳もとてもきれいで、腫瘍も見つかりませんでした。
まあ、できるだけ早く節子のところに行きたいという気持ちもあるのですが、
娘たちのことを考えると、そうわがままも言っていられません。

まあ、何ともなかったことを節子に報告しました。
節子はうれしかったでしょうか、残念だったでしょうか。
いずれにしろ、脳は大丈夫のようです。
しかし、今もまだしびれを感じています。
気持ちの悪さは何とも言えません。

■高校における校長のマネジメント・スタイル(2007年11月21日)
日本教育大学大学院教授の井口哲夫さんが久しぶりに寄ってくれました。
いろいろとお話をお聴きした中の一つに、
最近井口さんがまとめた「私立高校における好調のマネジメント・スタイルの類型化」の話がありました。
アンリ・ファヨールの管理原則論に基づいての試論だそうです。

アンリ・ファヨール。懐かしい名前です。
人間関係論で有名なテイラーと並んで、経営管理論の基礎を構築した人です。
私自身は「管理」という概念を超えたいと考えていますので、その枠組みには必ずしも共感はしませんが、
時代の大きな変わり目においては、改めて原点に戻って考えるということは大切なことです。
井口さんらしい取り組みです。

この試論をぜひとも発展させるようなミニプロジェクトを立ち上げてほしいと思いました。
学校のマネジメントのあり方は、いま大きな岐路にあるように思います。
いろいろと刺激を受けました。

■コミュニティ内モビリティ問題(2007年11月21日)
先日、わが家の突然やってきた斎藤さんに改めて会いました。
彼が長年かかって書き上げた博士論文の
「鉄道駅における移動円滑化施策の評価手法になんする研究」
を持ってきてくれたので、先ずはその話を聞きました。
私は最近の駅空間のデザインには大きな違和感を持っています。
もう少し工夫するだけで、乗降客の利便性や快適性は向上させられるはずです。
斎藤さんの博士論文は、利便性の視点を中心に検討されています。
難しい算式が出てきて、私に歯が立つかどうかわかりませんが、読ませてもらうことにしました。

本論は、コミュニティの中におけるモビリティ問題です。
斎藤さんは自転車を基本にした社会実験を既にやってきていますが、
いまは横浜市のNPOに協力しながら、第2フェーズに入っているそうです。

これからの地域福祉において、個人単位の移動支援ツールはとても重要になっていくでしょう。
ツールというよりもシステムというべきかも知れませんが、
それは単に移動手段の話ではなく、コミュニティ形成に深く関わっています。
私がこのテーマに以前から関心を持っているのは、そうした視点からです。

もう25年ほど前になりますが、自転車を基本にした「クローバーシティ構想」という雑文を書いたことがあります。
どこかにあると思いますので、探し出して来週にでもこのサイトのアーカイブに収録しようと思っています。
自転車は私にとっては魅力的なツールです。

年が明けたら、斎藤さんに気楽なプロジェクトを立ち上げてもらいたいと頼みました。
活動を再開した途端に、またいろいろと研究会への関心が高まってきています。
破綻しなければいいのですが。

■節子の民生委員時代の友人が来てくれました(2007年11月22日)
節子は転居前、民生委員をさせてもらっていました。
私が大きな福祉を目指すコムケア活動に取り組むだいぶ前からです。
民生委員の現場の仕事は家族にも話せないといって、時に悩みながらも話してはくれないこともありました。
その民生委員時代の仲間だった2人の友人が献花に来てくださいました。
そして、いろいろと節子の話を聞かせてもらいました。
そのことはブログに書きました。

ここで書いておこうと思うのは、節子の友人たちと話していて感ずることです。
今日、お会いした人もそうですが、節子がいなくなってからたくさんの節子の友人たちとお話しました。
初対面の人も少なくありません。
しかし、とても不思議なのですが、どなたも初対面という気がしないのです。
そして自然と言葉も出てくるのです。
もしかすると私の心身のなかに節子がいるのかもしれないと思うことがよくあります。
事実、話している時にどこか近くに節子がいるような気がしないでもありません。
もちろんそうではなく、節子の不在を強く感じることもないわけではないのですが。

その一方で、その友人との話が終わり、その人が帰ってしまうと、
なぜかすごく疲れを感ずるのです。
それもどちらかといえば、身体的な疲れなのです。
どうしてでしょうか。
いつも不思議に思います。

でもいつも節子に関する新しい発見があります。
今日の発見は「さわやか節子さん」でした。

■技術事故の情報発信と社会的記憶(2007年11月22日)
技術と暮らしを考えるサロンが再開しました。
今回のホストは佐藤R&Dの佐藤国仁さんです。
テーマは「技術事故の情報発信と社会的記憶」。
国仁さんの仮説の発表に基づいて話し合いました。
考えてみると、こうした場に参加するのは半年振りです。

国仁さんの問題提起は単なる絵空事の仮説ではなく、自分の活動を踏まえての仮説、
しかも大きな展望を持った仮説でしたので、私には実に刺激的でした。

今回は、原子力分野および鉄道分野を題材としての具体的な話が多かったのですが、
その分野に詳しいメンバーがそれぞれいたこともあって、話は盛り上がりました。
しかし、国仁さんの問題提起の議論の入り口で時間切れになってしまったような気がしますので、ぜひとも続きをやりたいと思いました。
久しぶりにわくわくさせられる議論をさせてもらいました。いささか消化不良ではありますが。

話し合いも面白かったですが、他にも私にとって興味あることがありました。
国仁さんの個人的な活動です。
国仁さんは2000年から、主として鉄道事故に関わる調査報告を読み込み、
それに関する異議などを雑誌に発表するという活動をしているのだそうです。
たとえば「日経ものづくり」の11月号に、「福知山線事故の真実」と題して異議を発表しています。
ネットで検索すると、国仁さんの活躍ぶりがわかります。
日比谷線の脱線事故に関する論文もネットで読めます。
私がマスコミ情報で創りあげていた認識とはかなり違っていました。
もし関心があればお読みください。

もうひとつの発見は、原子力問題に関する議論の難しさを改めて感じたことです。
参加メンバーはいずれもかなり主張の強いメンバーですが、
異論への寛容性や創造的な志向性をお持ちなのですが、
なぜか原子力問題になるとすれ違いが生じます。
そのこと自体に大きな意味が含意されていると私は思っていますが、実に興味あることです。
このサロンで、いつかこの問題も話し合えたらと思っています。

次回は1月の下旬に行います。
お知らせのコーナーにご案内しますが、
暮らしと技術のつながり、あるいは技術のミッションや技術者の倫理などに関心のある方は、ぜひ私にご連絡ください。
会の概要をお話しますので、よかったらご参加ください。
とても面白い会です。

■節子に秋が届きます(2007年11月23日)
娘のおかげで、節子の花の庭はいまも花でにぎわっていますが、
節子がいたらそうしたであろうように、もっと賑やかにするための花を買いに行きました。
花売り場に行くと、節子はいつも時間がかかりました。
今回は娘たちが買ってくれたのですが、
節子の文化を引いてしまったせいか、時間がかかります。
節子がいた時と同じように、またベンチで長く待たされました。
なんだか節子のいる時と全く変わらないのです。

そんなわけで今日はちょっと全員が留守してしまったのですが、
帰宅すると玄関に見事な花束が届いていました。
節子の友人の福島さんの名刺が残っていました。
ばたばたしていて葬儀の時にはお知らせできなかったので気になっていたのですが、
訃報の手紙を送ったので知ってくださったのです。
遠くからわざわざ歩いて届けてきてくださったのです。
とても残念なことをしました。

でも後でわかったのですが、
鍵の開いている庭に入って、献花台に献花し、いすに座って節子に少し話しかけていってくださったのだそうです。
献花台をつくって本当に良かったと思いました。

福井からも秋の花が届きました。
名古屋からは柿が届きました。
赤いバラの絵手紙も届きました。
節子は本当にいろいろな人やいろいろな思いを呼び込んでくれます。
喜ぶべきか悲しむべきか、とても複雑な気持ちです。
節子自身が受けたら、どんなに喜ぶことでしょう。
節子の顔が目に浮かびます。
私が先に逝けばどんなによかったろうかといつも思います。

(2007年11月第2週)
動きだしたら、どんどん広がりだしました。
■気分を変えて(2007年11月11日)
■ネパールからの弔問客(2007年11月12日)
■年賀欠礼の手紙(2007年11月13日)
■ビジネス世界の停滞もしくは後退(2007年11月13日)
■まちづくり世界の後退もしくは変質(2007年11月14日)
■経営道フォーラム発表会(2007年11月14日)
■節子の話をいろいろと聞かせてもらいました(2007年11月15日)
■本来無一物
2007年11月16日)
■オープンイノベーション(2007年11月16日)
■企業の力で地域や社会を元気にする(2007年11月17日)

■気分を変えて(2007年11月11日)
気分を変えるために、髪の毛を黒くすることにしました。
そこで、娘に頼んでヘアマニキュアで黒くしてもらったのですが、
ていねいにやってもらいすぎたおかげで、予想以上に黒くなってしまいました。

私の髪は最近ずっと真っ白でした。
それに慣れているのですごく違和感があります。
実はこうした間違いを前に一度やってしまったことがあります。
2000年、政治の世界で「加藤の乱」の年です。
なぜ覚えているかといえば、ほんの少しだけつながりがあるのです。
あまり意味のあるつながりではないのですが。
この顛末で、節子が大笑いしたのを今も覚えています。

その時は大変だったのですが、今回もほぼ同じ結果になってしまいました。
時間がたつと黒さは薄くなるのだそうですが、ともかく今日は思い切り黒いのです。
洗髪を2回もしたのですが、効果がありません。
困ったものです。
でも気分が変わるかもしれません。
今週、会う人はどんな感想を持つでしょうか。

しかし、慣れるということはすごいことだと思いました。

■ネパールからの弔問客(2007年11月12日)
ネパールで生活している田中雅子さんが節子のことを知って、弔問に来てくれました。
このホームページに「カトマンズ便り」を掲載してくださっている田中さんです。

田中さんとは久しぶりです。
節子が元気だったころ、2人でネパールに行きたいねと計画していたこともあるのですが、実現できませんでした。
田中さんの海外での活躍の話を聴いて、いつも節子は感心していました。
あの小柄な身体で、よくそんなにがんばれるね、と言っていました。
評価のポイントがずれていますが、まあ、それが節子でした。

今回はパートナーの定松さんと一緒の帰国とのことですが、
タイトなスケジュールの中をわざわざ我孫子まで足をのばしてくれました。
きっと私のブログを読んで、私を元気づけにきてくれたのでしょう。
しかし、やはりなかなか元気は出ません。

話していないと不安なので、誰かと会うと私自身、口数は多くなります。
それに、できるだけ節子の話をしないように、話題を一般化します。
節子の話になると涙が抑えられなくなるからです。
しかし、話の話し方から「気」のなさは伝わってしまうような気がします。
まあ、それは仕方がありませんが、相手が安心して帰っていけるようにはしないといけないと思うわけです。
節子なら、そうするでしょうから。

田中さんは国際協力の現場に近いところでずっと活動していますので、
そのお話はいつもとても興味深いものがあります。
今回もたくさんの刺激的な話をお聴きしました。
いまはオランダのNGOに所属し、ネパールで活動しているのですが、
そうしたワークスタイルそのものが田中さんたちの生き方を象徴しています。
またそうした体験から、日本の海外協力の問題なども感じられるような気もします。
国際協力や平和などに関して、いろいろな刺激を受けました。
節子と一緒に話を聴けなかったのが残念です。

■年賀欠礼の手紙(2007年11月13日)
妻が亡くなったので、来年の年賀状は出さない予定ですが、
そのことをみんなに知らせなければいけないと娘から言われました。
年賀欠礼の葉書が毎年年末にたくさんきますが、私が書くことになろうとは思っていませんでした。
多くの人は知ってくれていますので、出すのはやめようとも思ったのですが、
節子の友人知人もまだ節子の訃報を知らない人がかなりいることに気づきました。

それで、節子宛の今年の年賀状を見直しました。
その文面を読んで、改めて悲しくなりました。
ある人は、「お元気のことと思います」と書いていますし、
「毎年の年賀状でお幸せそうな夫婦の写真を見せてもらっています」と書いてくれている人もいます。
そういう人に、突然の訃報が届いたら驚くでしょうね。
出状を躊躇しましたが、年賀状が来たら放っておくこともできないので出すことにしました。

私は数年前から郵便による年賀状はやめて、年始の挨拶メールに切り替えています。
その場合は、何かメッセージをもらえるとすぐ反応できます。
「お元気のことと思います」と書いてくる人がいたら、
即座に「実はちょっと体調を崩して闘病中です」と書けるわけです。
ですから、年賀メールに切り替えてから、私にとっての年始の挨拶はとても大きな意味を持ち出しました。

それでも私宛に年賀状がまだ200通くらいは届きます。
その中のメールをやっていない方には手紙を書きます。
形式的な年賀交換ではない形をつくりたいと思っています。
でも節子は、年末に心を込めて年賀状を書くのが文化だと思っていました。
書きながら、その人のことを思うのだそうです。
そういう節子のおかげで、私の機能志向発想への行き過ぎは抑えられていたのです。

節子の訃報をお知らせする手紙を書きました。
訃報をまだ知らない節子の友人知人にだけ送りました。
私の知人友人にはどうしようか、今はまだ思いあぐねています。

■ビジネス世界の停滞もしくは後退(2007年11月13日)
いささか不遜な言い方ですが、昨今の日本企業の事業家マインドは冷え切っているように思います。
それは、たぶん企業、とりわけ大企業の経営に関わる人たちが萎縮しているからです。
たぶん昨今の企業経営は間違っています。
そうでなければ、これほどの企業不祥事が毎日報道されるはずがありません。
不祥事は、実際には企業が壊れてきていることの現われの一部でしかありません。

あまり具体的に書くと差支えがありますが、
この2週間、久しぶりにいくつかのビジネスミーティングに参加しました。
そこで感ずるのは企業の人たちが発想の袋小路に入っていることです。
エンプロイーの世界に埋没してしまっているといってもいいかもしれません。
そのためアントレプレナーシップが失われているのです。

今は時代の大きな変わり目ですから、ビジネスチャンスは山のようにありますが、
だれもそこに手をつけようとしません。
私は20年前まで、東レという企業で経営戦略参謀的な仕事をしていましたが、
当時の状況よりも、時代は後退している感じがします。
企業にとって、この20年は間違いなく失われた20年です。

企業人がアントレプレナーシップを回復したら、きっと本当に意味で日本の企業は元気を回復するでしょう。
この2週間のいくつかの企業とのミーティングから感じたことです。

思わせぶりな書き方ですみません。
企業を対象にしたビジネスを再開しようかと思い始めています。

■まちづくり世界の後退もしくは変質(2007年11月14日)
山口県の河野哲男さんが久しぶりに訪ねてきました。
10年までにはなりませんが、かなり久しぶりです。

河野さんとの接点は、彼が宇部市でやっていたまちづくり活動への参加です。
当時はまだ40歳前後だったと思いますが、とても刺激的なまちづくり活動に取り組んでいました。
河野さん自身は自治体の職員なのですが、その活動は全くの住民の立場での活動でした。
当時はそうした活動が各地でいろいろと展開されていましたが、
私もいろいろなところにささやかな接点をもたせてもらっていました。
佐世保と山口が、当時は一番、私には面白かったところです。
青年だった河野さんも、まもなく定年だそうです。
私も歳をとったわけです。

ところで、当時を思い出してみると、
各地でさまざまな個性的な住民活動が展開されていたような気がします。
最近の活動よりも、エネルギッシュだったような気もします。
ビジネスの停滞の印象と同じようなことを、まちづくりの世界でも感じます。
市町村合併やNPO活動の広がりが、まちづくりを変質させているような気がします。
最近の活動はどうもきれい過ぎて、面白さを感じません。
私の活動範囲が狭まったせいかもしれませんし、私がそうした活動に出会っていないだけかもしれません。

まちづくりの世界にも、またもう少し関わろうかとも思い出しています。
まあ、面白いプロジェクトに出会えればですが。

■経営道フォーラム発表会(2007年11月14日)
41期の経営道フォーラムの発表会です。
テーマは、「個人の力を最大限に活かす経営のあり方」と「個の時代の組織・風土」です。
期せずにして、今回のテーマは両チームとも「個人」になりました。
今回はいずれのチームもかなりじっくりと本音をぶつけ合ったようで、発表は面白かったです。
一番よかったのは、自らの言葉で実体を語ってくれたことです。

私はいつもと違って、最初に「なぜ経営道なのか」を少し話させてもらいました。
この活動が始まったのは今から20年以上前のバブル経済の最後の頃です。
当時も企業不祥事が頻発し、その一方で企業は好業績を謳歌していました。
それらは矛盾する話ではなくて、実は見事に繋がっていることなのだと最近はわかりましたが、
当時、そうした状況に危機感をもった市川覚峯さんが中心になって始めたのが、この経営道フォーラムです。
しかし、最近、その原点が忘れられてきたような気がしました。

そこで、あえて「なぜ経営道」なのかをほんの少しだけ話させてもらったのです。
私にとっては、この20年の経営道啓発活動は一体なんだったのかと総括した気分なのです。
昨今の状況を見ていると、日本の企業経営の世界は20年前に戻った感じがします。
このままでいいのか。
そんな気がします。

今回のチームの皆さんは、それぞれとても良い気づきを得たようです。
これからのみなさんの活動がとても楽しみです。

■節子の話をいろいろと聞かせてもらいました(2007年11月15日)
節子の友人が3人、献花にきてくれました。
みんな転居前のところでお近くだった人です。
それぞれからの節子の話は、私にはとてもうれしい話ばかりでした。
いまなお、節子はそうやって気にかけてもらっていることを本当にうれしく思います。

それにしても、節子がいなくなってからもう2か月半もたつのに、いろんな人がやってきてくれます。
それがとても不思議な気がします。
節子がみんなを呼び込んでいるのでしょうか。
節子が、やっと私のことがわかりましたか、と笑っているような気がします。
知っているようで知らない節子にたくさん出会えます。
具体的な事実は結構知っているのですが(私たちは隠し立ては皆無でしたから)、
それが周りの人たちにどう感じられていたのかは節子からは聴けなかった話です。

今もブログで、節子への挽歌を書いていますが、書きたいことが毎日どんどん出てきてしまいます。
もしかしたら、バーチャルな世界で節子を蘇らせることができるかもしれません。
そんな気がしてきています。

■本来無一物(2007年11月16日)
自然体の生き方をしている、共済や協同組合の研究者の佐々木憲文さんが1本の掛け軸を持ってきてくれました。
本来無一物
佐々木さんは韓国に遊学していた時に、佐々木さんの師だった妙心寺の老師が訪ねてきて、揮毫してくださったものだそうです。
佐々木さんにとっては、とても大切なものなので、受け取るのは躊躇しましたが、
「本来無一物」の軸ですから、判断が混乱してしまいました。
「本来無一物」を悟り実践している佐々木さんの生き方を知っている者として素直に受けるべきですが、
「本来無一物」を頭でしかまだ理解していない私にとっては、受け取ること自体が趣意にも反するような気もしたのです。
おそらく元気な時であれば、きちんと考えられたのでしょうが、
最近は思考力が低下し、難しいことは考えられなくなっているのです。
それで、結局、いただくことにしてしまいました。

佐々木さんが私に持ってきてくれたのは、私がブログなどで、そのようなことを書いているからですが、
書くよりも行動だと私をエンパワーしてくれたのです。
感謝しなければいけません。
もらった後で気づいたのですが、妻を亡くして自失している私に対する、これは佐々木さんからの公案なのかもしれません。

「本来無一物」
佐々木さんからのメッセージをどう解くか。
これは難問かもしれません。
じっくりと取り組まなければいけないようです。

■オープンイノベーション(2007年11月16日)
日本NPO学会副会長の田中弥生さんが最近に問題意識を持ってやってきました。
相変わらず世界を飛び回りながら、主体的な取り組みをされているようです。

田中さんとの出会いはもう20年近く前ですが、活動の転機にいつも雑談に来てくれます。
彼女の問題意識はかなり時代先取り型ですので、
私のように社会から脱落したポジションにいる者からはメジャーな世界の動きがそこから垣間見えて面白いです。

今回のキーワードは、オープンイノベーションでした。
田中さんはドラッカーの直弟子でもありますが、
これまでドラッカーをクローズド発想で捉えていたが、
もっとオープンな発想で捉えないといけないことに気づいてきたというのです。
要素還元主義を超えた、ホリスティックアプローチを基軸にすべきだと考えている私にとっては、当前のことだと思うのですが、
それでもドラッカーにはオープンな発想、あるいはホリスティックな要素があるように思います。
問題は読み手の側にあるのかもしれません。
田中さんはそこに気づかれたようです。

私が19年前に会社を辞めたのは、クローズドシステムの会社に限界を感じたからでもあります。
当時、朝日新聞に頼まれて、「企業は自らを開く時」という文を寄稿したことがあります。
その記事を呼んで数名の人が訪ねてきてくれました。
懐かしい思い出ですが、今から思うとその記事が私が会社を離脱する始まりだったのかもしれません。

田中さんは、また新しいテーマに取り組むようです。
どんな展開になるか楽しみです。

■企業の力で地域や社会を元気にする(2007年11月17日)
日本経営道協会のリード力開発道場フォーラムが開催されました。
中堅中小企業の経営者が1年間研究してきた成果の発表会です。
先日の経営道フォーラムは大企業中心ですが、こちらは中堅中小企業です。
いずれもはじめたのは市川覚峯さんです。
市川さんの思いは深いのですが、なかなか日本の企業は心を改めません。

成果発表の前に、基調講演やパネルディスカッションがあったのですが、私は後者のコーディネーター役でした。
パネリストは、小布施の小布施堂社長市村次夫さんとツカサグループ会長の川又三智彦さんです。
お2人とも個性的な経営者です。
私は初対面ですが、事前にいろいろと資料を読ませてもらっていました。
その経営哲学には共感します。
2人も有名人なのでご存知の方も多いでしょうが、人間的に魅力のある方です。

基調講演やパネルディスカッションの様子は、日本経営道協会のホームページからインターネット放送で見られるはずです。
面白かったのは、最後に「国家や制度などに振り回されてはいけない」というようなまとめになったことです。
大企業の経営者にはとても理解できない話でしょう。
市村さんも川又さんも「ただもの」ではありません。
久しぶりにまともな経営者に会った感じでした。

発表も面白かったです。
この活動は間違いなく進化しています。
大企業の人たちに聞いてほしいと思いました。
懇親パーティでもいろいろな人に会いましたが、今日は体調が悪く辛いので途中で失礼してしまいました。
今週はちょっとがんばりすぎてしまいました。
来週はまた自重します。

(2007年11月第1週)
今週は久しぶりにたくさんの人たちに会いました。
なかなか身体が動きませんが、前に向かって歩き出しました。
■小沢辞意表明騒動(2007年11月6日)
■活動の再開(2007年11月7日)
■献花台がにぎわっています(2007年11月8日)
■3か月ぶりの本郷(2007年11月9日)
■「鏡の伝説」(2007年11月10日)

■小沢辞意表明騒動(2007年11月6日)
民主党の小沢代表が辞意を表明し、それが大騒ぎになっています。
これに関しては、ブログの政治時評に何回も書き込みましたが、
その報道を見ていて、とても気分が落ち着きません。
何だか本質から離れたところで、みんな議論し仕事をしているのだなという気がしてきたからです。
もちろんその中には私も含まれます。

問題が起こるとマスコミも政治家も元気になります。
生活の現場とは別次元の世界がそこにあります。
妻が亡くなってから自宅で引きこもりの生活をしています。
そのせいかもしれませんが、ほとんどすべての人のコメントに違和感をもちます。
なぜか小沢さんの気持ちがわかるような気がしていますが、そんな自分にも違和感があります。
肝炎薬害訴訟の和解勧告への原告団のみなさん以外の反応にも違和感があります。
私自身が変わってしまったのかもしれません。

■活動の再開(2007年11月7日)
いよいよ活動を再開することにしました。
問題は何をやるか、です。
言葉を代えれば、何のためにやるか、です。
気を紛らせるために仕事をやったほうがいいと言う人がいます。
借金を返すために仕事をしなくちゃと言う人がいます。
社会に対する責任があるでしょうと言う人がいます。
みんなを安心させるために活動を再開しないといけないと言う人もいます。
さてさて、どうすればいいでしょうか。

でも「○○○のため」には仕事はしたくありません。
もし「ため」があるとしたら、「節子のため」しか、私にはないのです。
やりたい仕事はないわけではありません。
むしろたくさんあるのです。
やれないだけなのです。

今週は何人かの人と会いだしました。
ビジネスもあれば、社会活動もあれば、お金のかかる活動もあります。
面白いテーマもいくつかあります。
気持ちはまだ動きにくい状況ですが、頭はやる方向に向かっています。
もしかしたら、やれるかもしれません。
悩ましい話ですが、少しずつ私も以前の生活に戻れそうです。
形だけではありますが。

■献花台がにぎわっています(2007年11月8日)
ブログにも書きましたが、献花台にいろいろな人が来てくれます。
そのおかげで、なかなかお話しする機会がなかった人ともお話しする機会がもらえます。
毎日、だれかがやってきてくれます。

今日は近くのOさんと節子の友人のHさんが来てくれました。
昨日はオフィスに出かけたのですが、留守中にやはりお2人の方が来たというので、今日は自宅待機をしていたのです。
来週はまた3組の方々から連絡が入っていますが、突然来る方のほうが多いのです。

献花台をつくってよかったと思いました。
通夜の夜、節子の寝顔を見ながら思いつき、節子に相談して決めたことです。
一時は、なんと身勝手なことを、と反省しましたが、いまは良かったと思っています。

ちなみに献花台に供えた花は、なぜかなかなか枯れません。
それで花がこぼれるほどににぎやかなのです。
とてもうれしいことです。

■3か月ぶりの本郷(2007年11月9日)
本郷のコムケアセンターインキュベーションハウスに行きました。
節子がいなくなってから初めてです。
理由はわからないのですが、心理的に行けなくなっていました。

宮部さんと朱さんに会いました。
久しぶりにいろいろと話して、少し元気になりました。
話していると節子がいた頃のような気持ちになるのが不思議です。
本当は、節子はまだどこかに旅行に行っているだけではないのか、改めてそんな気がしました。

たくさんの郵便物が届いていました。
反応もせずにご迷惑をおかけした人もいるかもしれません。
これからみなさんに返事を書くようにします。

■「鏡の伝説」(2007年11月10日)
雨です。
最近は雨だと全く元気が出ません、
はやばやとコタツを出して、節子がよく聴いていたCDを聴きながら、めずらしく本を読みました。
私は自宅ではめったに本を読みません。電車などの移動時間が読書時間なのです。
ですから遠くへの出張がないと読書量は激減します。

今日は、「鏡の伝説」(ダイヤモンド社)を読みました。
20年ほど前に出版された、カオス・フラクタル理論に関する本です。
複雑系に関心を持った時に購入していた本がたくさん山積みになっていますが、その1冊でした。
読み出したら、実に面白いのです。
なぜもっと早く読まなかったのか悔やまれます。
この本を読んでいたら、以前、書いた複雑系の小論は全く別の物になっていたでしょう。
いや、もう少しまじめに書いたはずです。
それだけではありません。
節子の治療への取り組みも変わっていたでしょう。

まあ、何を読んでも、何を見ても、最近は後悔の念が浮かびます。
少し前までは、「後悔」は私には無縁のものだったのですが。

ちなみに、「鏡の伝説」は、混沌と秩序のつながりを解説した本です。
この認識をベースに昨今の世界を見ると、大きな可能性を見つけることができます。
日本の政局も、世界の政局も、です。
古い本ですが、読みやすいです。

(2007年10月第5週)
日曜日は快晴でしたが、週後半は雨天でした。
私もそうでした。最近は天気と同調しています。
■七七日法要の報告への返礼(2007年10月28日)
■夢判断(2007年10月29日)
■久しぶりの都心の雰囲気(2007年10月31日)
■斎藤正俊さんの来訪(2007年11月2日)
■西川さんがハーモニカを吹いてくれました(2007年11月3日)
■白樺派カレーを食べてみました(2007年11月3日)

■七七日法要の報告への返礼(2007年10月28日)
先週、七七日法要が終わったので、葬儀に来てくださった方たちにその報告を出状しました。
その手紙を読んで、いろいろな人が電話をしてきてくださいました。
おかげで思わぬ人とも電話でお話できました。
節子がつなげてくれたのです。

葬儀の会葬礼状もそうですが、七七日の報告なども決まった様式があります。
そうした既定のものではなく、自分で作文したものを礼状として出させてもらいました。
いずれもカラーの写真入です。
封筒も100円ショップの封筒です。
切手も葬祭用のものは使いませんでした。
本当は花好きの節子にふさわしく花の切手にしたかったのですが、
足りなかったので、自宅に残っていたミッフィーの切手や年賀状の切手を使おうかと思ったら、
それだけはやめた方がいいと娘に言われました。
私は楽しいほうがいいと思ったのですが、節子が怒るよというのです。
節子はカジュアルが好きでしたが、変なところにこだわりがありました。

まあ、そんなわけで、みなさんに送ったのですが、私の管理が不十分で届かなかった人もいるかもしれません。
もしいたらお詫びします。
なにしろ葬儀の資料は、整理する気になれず放置していたら分からなくなってしまったのです。
人間の記憶は、本当にいい加減なものであることを今回は痛感させられました。
実は、七七日から1週間たちますが、今日、やっと最後の手紙を出しました。

ホームページのトップに、まだ訃報記事を載せています。
先週で終わりにしようと考えていたのですが、今なお、それを見て知ってくださる方がいます。
今日も海外にいる友人がホームページで訃報を知ったとメールしてきました。
そんなわけで、もうしばらく掲載しておこうと思います。
しかし、初めてこのホームページに来た人は驚くでしょうね。
すみません。

気弱な手紙を送ったためか、いろいろな人が心配メールや電話をくれます。
これからますます辛くなるよという人もいれば、時間が癒すからという人もいますが、私の場合は、間違いなく前者です。
そんなわけで、このホームページはこれからさらに「くらく」なりそうです。
申し訳ありません。

■夢判断(2007年10月29日)
夢を見ました。
私は会社員で、異動を命じられ、新しい職場にうつった夢です。
その場所は昔あった「窓際族を集めた職場」でした。
誰も仕事をせずに、部屋のカーテンも閉めて雑誌を読んでいました。
そこで私は彼らに立ち上がって仕事をしようと熱弁をふるうという夢です。
実はその直前に、亡くなった妻の夢を見ました。
彼女は道路の向こうのバス停に並んでいて、私にいつもの明るい笑顔で手を振っていました。
とてもあったかな気持ちが私を包み込みました。
その先が記憶にありません。突然に職場の夢につながっているのです。
「夢判断」ではどう解釈すればいいでしょうか。

仕事を始めたほうがいいよという節子のメッセージでしょうか。
いろいろな人から預かっていた資料を読み出そうかと思います。
しかし、節子がいないのに、仕事をして何の意味があるのか、まだ見えてきません。
伴侶を失ってなお、仕事に取り組んでいる人たちがうらやましいです。

■久しぶりの都心の雰囲気(2007年10月31日)
久しぶりに国会議事堂から霞ヶ関を歩きました。
議員会館の前ではキリスト者のグループが平和をテーマにした抗議活動をしていました。
霞ヶ関のほうからはデモのような声も聞こえていました。
この数か月、私は家に引きこもりがちでしたが、平和に関連してさまざまな活動が積極的に繰り広げられているようです。
平和関係のメーリングリストでは、そうした活動への呼びかけも盛んに回ってきます。
しかし、最近はそうしたメールも読まずにいました。

しかし、実際に都心に出てみると、そうした活動に出会います。
テレビや新聞ではそんな動きは全く見えてきません。
やはり時々、霞ヶ関や赤坂を歩かないといけないようです。
久しぶりに刺激をもらってきました。

■斎藤正俊さんの来訪(2007年11月2日)
山口でエルマーの会をやっている佐原さんが手づくりクッキーを節子さんへと送ってきてくれました。
エルマーの会の新商品です。
施設で商品化するため、わざわざ東京まで通って菓子作りの指導を受けていましたが、その試作品が完成したのです。
とても嬉しいお菓子なのです。
佐原さんとはコムケアの縁でのつながりです。
節子の事をとても心配してくれていましたが、結局、会えずに終わってしまいました。
残念です。

今日はオフィスに出かけようと思っていたのですが、
佐原さんの手紙を読んでいたら、2か月前のことを思い出してしまいました。
最高に幸せになる日だったのに、最高に不幸になってしまった日なのです。
それで出かけそびれてしまいました。
そのおかげで、思わぬ人に会うことができました。

自転車に夢をかけている斎藤正俊さんです。
最近、連絡がないので気になっていた若い友人です。
昨日、久しぶりに私のホームページを見て、節子のことを知ったのだそうです。
そして今日、ともかく行かなくてはという思いでやってきてくれたのです。
自宅にいたおかげで、会うことができました。

斎藤さんはオープンサロンで節子に数回会っています。
私が妻に支えられているのはサロンのときからずっと感じていたそうです。
そして、宮沢賢治の銀河鉄道を思い出しました、と言うのです。
佐藤さんがもしかしたらジョバンニのように、列車に乗ってしまうのではないか、
ともかく急いで行かねばと思ったのだそうです。

ジョバンニについては以前一度書いたことがあります。
宮沢賢治の思いが込められている人物です。
いや賢治そのものかもしれません。
ともかく哀しい主人公です。
私のまわりにジョバンニの霊があるとしても、私には全く違和感はありません。
むしろいろいろ思い当ることがあるのです。
これに関しては、おいおいブログのほうで書いていくつもりです。

それにしても、まさか斎藤さんが節子に会いに来てくれるとは思ってもいませんでした。
しかし、実は、一昨日からあることで斎藤さんにメールしようかと思っていたのです。
ある新しいプロジェクトの件への参加呼びかけでした。
結局、違う人に声をかけたのですが、何だかとても不思議な気がします。
私の思いが、彼に私のホームページを久しぶりにチェックする気にさせたのかもしれません。

何だかすべての後に節子がいるような気がしてなりません。
2か月目の節子が、何人かの人を呼び込んでくれたのです。
エスクの名木さんも、その一人です。
名木さんの話はまた書く機会があるでしょう。
今日はとても不思議な日でした。

ちなみに、斎藤さんのライフワークは地域交通システム、特に自転車とコミュニティです。
このテーマに関心を持っている人はいませんか。もしいたらぜひご連絡ください。
私も参加して、研究会を始めたいと思っています。

■西川さんがハーモニカを吹いてくれました(2007年11月3日)
今日は節子の月命日です。
節子と会えなくなってから、もう2か月もたってしまいました。
どこかで、でもまだきっと会えるという思いが残っているのが不思議です。

福岡の西川義夫さんが来てくれました。
再入院の前に自宅に見舞いに来てくださって、節子のためにハーモニカの演奏をしてくれた西川さんです。
西川さんは、この挽歌を読んでいてくれて、よくメールをくれます。
西川さんからのメールが、私をどんなに元気づけてくれたかわかりません。
こうした挽歌を書くことの無意味さは、書く本人が一番良く知っています。
しかし書き続けられたのは、西川さんを初めとした数人の方からのメールでした。
一人でも読んでいてくれる人の顔が見えれば書き続けられるものです。

西川さんは献花台の前で、2曲、ハーモニカを演奏してくれました。
「庭の千草」と「トロイカ」です。
トロイカは、愛する人を送る歌なのだそうです。
西川さんが、節子のためにこの2曲を選んでくれた気持ちがとてもうれしいです。
心のこもった演奏を聴いていたら涙が出てしまいましたが、不思議と2曲目には心が静まりました。
節子もきっと心和やかに聴いていたことでしょう。
ちょうど演奏が終わった時に、花かご会のみなさんが献花に来てくれました。
西川さんには無理をお願いして、もう1曲、演奏してもらいました。
2曲を厳選してきた西川さんには不本意だったと思いますが、
花かご会の皆さんにも聴いてもらって、多分節子はすごく喜んでいるはずです。
節子は、そういう人でした。
曲は「埴生の宿」でした。

西川さんのブログでも今日の記事を書いてくれています。
西川さんのお人柄がわかります。
花かご会がきれいにしている、我孫子駅前の花壇の写真もあります。

節子が大喜びするだろうことが毎日起こっていますが、
一番喜んでいる節子がいないのがいつもとても不思議な気持ちです。
今日も西川さんと話していて、途中で節子のいないことに気づいてしまいました。
主役のおまえがいないでどうするの、と心の中で節子に話しかけました。
その途端に急に不安感が高まり元気がなくなりました。
西川さんには気づかれたかもしれません。いささか心配です。
西川さんが「ゆっくりもどればいい」と、(たぶん)言ってくれました。
ゆっくりと節子との新しい生活を育てていこうと改めて思いました。

しかし、本当にどうして節子はこんな大事な時に姿を現さないのでしょうか。
本気でそう考えている自分が、時に心配になります。

■白樺派カレーを食べてみました
(2007年11月3日)
娘たちと夕食を食べに行くことにしました。
前から評判になっていた「白樺派のカレー」なるものを食べてみようと思ったのです。
我孫子は大正時代に白樺派の文人たちが居を構えて創作活動に取り組んでいた場所です。
我が家の近くには、ハケに道がありますが、そこはたぶん文人たちが歩いた道です。
志賀直哉の小品にも出てきますが、武者小路実篤や志賀直哉の別荘跡が残っています。
柳宗悦も住んでいましたが、その妻の兼子が実篤や志賀直哉らに振る舞ったカレーを最近再現したのが「白樺派のカレー」です。
テレビでも話題になりましたが、そのお店が我が家の近くにあるのです。

案内によれば、当時の料理本や兼子の回想記をもとに、「我孫子に文学カレーをつくる会」がレシピをつくったようです。
国産の野菜や鶏肉、当時から流通しているカレー粉、隠し味のみそを使うのが特徴だそうです。
鶏肉は、私は不得手なのですが、我孫子に住んでいる以上、一度は食べておかねばと思った次第です。
ちなみに、隠し味にみそを使うのは、やはり我孫子で窯をやっていた、陶芸家バーナード・リーチのお薦めだったそうです。

さて、味のほうですが、正直にいうとピンと来ませんでした。
隠し味のみそが独特の風味と甘さをだしているのですが、カレーとしての強さが中途半端なのです。
辛さはインド風なので、ますますちぐはぐな感じがします。
好きな人にはいいのでしょうが、私には残念ながら向いていませんでした。
でも話の種にはいいかもしれません。
我孫子駅の近くのランコントルで、780円でした。

(2007年10月第4週)
少しずつ生活を戻しています。
頼りない進み方ですが。
■節子の七七日法要(2007年10月21日)
■また花が届きました(2007年10月22日)
■人材育成研究会(2007年10月23日)
■花かご会の人たちが献花に来てくれました(2007年10月24日)
■すごく心和らぐ手紙が届きました(2007年10月24日)
■活動を開始しましたが、やはりどこかおかしいです(2007年10月25日)
■安房チャレンジド大会(2007年10月25日)
■エンプロイーからアントレプレナーへ(2007年10月25日)
■2人の弔問客との魂の話(2007年10月27日)

■節子の七七日法要(2007年10月21日)
節子の七七日法要でした。
朝、遺骨を抱いて屋上で太陽を見ました。
日の出には間に合いませんでしたが、屋上からの景色は節子の好きな風景でした。
今日は雲ひとつない快晴です。
思い込みでしょうが、節子が息を引き取ってからの天候は、節子の心の様子(ばいいかえれば私の心)を伝えてくれているような気がします。
今年の秋は晴れた日が少なかったです。

法要は親族を中心に行いました。
実は3日前からすごい不安感が高まっていたので、心配だったのですが、なんとか乗り切れました。
娘たちのおかげです。

自宅の祭壇もなくし、節子の位牌や写真も仏壇に引っ越しました。
わが家的にとてもカジュアルです。
祭壇を囲んでいた、たくさんの花の持って行き場がなくなったので、しばらくは仏壇の周りに花を置かせてもらうことにしました。
節子のおかげで、今もなお花がいっぱいなのです。
娘の朝最初の仕事は、花の手入れです。

七七日も終わったので、皆さんからいただいた弔電なども整理しだしました。
弔電に関してはブログで書きましたが、立派過ぎて捨てるのが本当にもったいない気がします。
罪の意識が残ります。でも捨ててしまいました。電文は残しましたが。
みなさん、弔電はできるだけ質素にして、文章は自分で考えましょう。
私のように困る人も少なくないと思いますので。

節子は無事、試験に合格して、彼岸にわたったでしょうか。
落第して戻ってきてくれるとうれしいのですが、がんばり家の節子のことですから、きっと合格して今頃は彼岸を楽しんでいるでしょう。

また寂しくなりました。

■また花が届きました(2007年10月22日)
花がまだ届き続いています。
ホームページやブログで、「節子は花が大好きだった」と書きすぎているためではないかと娘たちから注意されました。
今度の仏壇は庭の近くですので、
これからは、庭に自然に生えている花が見えるようになりました。
そういえば、節子は切花よりも土に生きている花が好きでした。

それにしても、本当に驚くほど、花が届きます。
いつか書きましたが、少なくなると届くのです。
昨日は近所のご夫妻がとてもおしゃれな花を持ってきてくれました。
子どもがお世話になったのに病気のことを知らなくてすみませんでしたと、会うたびに言ってくれていた人です。
節子がどんな世話をしたのかよく知りませんが、こちらのほうが恐縮してしまいます。
節子の人柄なのでしょうか。子どもに本当に好かれた人でした。

今日は滋賀の親友たちから花が届きました。
私以上に長い付き合いの親友たちです。
女性のつながりの深さには感心します。

そんなわけで、小さな仏壇が花で埋まっているのです。

それにしても、花というのは不思議なものです。
私は初めて、それを知りました。
生前に、節子に花の贈り物を一度もしなかったことを後悔しています。
花がこんなにもメッセージ力があるとは知りませんでした。

そんなわけで、私も今日、ある人に花を贈りました。
その人は、いま、彼岸で節子と会っているはずです。
その人も節子よりも2周りほど若い女性ですが、7年前に彼岸に旅立ちました。
昨日、彼岸に着いた節子ときっと今日は話し合っているはずです。
奇妙な記事ですみません。

ちなみにわが家の庭の花が元気を取り戻しましたので、花はもう大丈夫です。
長いことありがとうございました。

■人材育成研究会(2007年10月23日)
今年、第2回目の人材育成研究会です。
今年のテーマは、ミドルマネジメントの活性化なのですが、
今日はコンサルティング活動に取り組んでいる3人の専門家からお話を聞きました。

毎回思うのですが、どうも20年前の企業の状況と現在の企業の状況はあまり変わっていないような気がします。
各社の事例などをお聞きしても20数年前にタイムスリップしたような議論です。
日本の企業はこの20年、一体何をしていたのでしょうか。いつも本当に不思議な気がします。
ミドルマネジメント層の役割はこの20年で大きく変わったはずです。
その予兆が出てきた頃に私は会社を離脱しました。
そのころは、まさに「管理職」から「支援職」へとミドルマネジメントの役割が移行する動きが広がっていました。
人事管理からエンパワーメントへの動きも強まっていました。

しかし、その後の20年、どうも流れは反転しています。
アメリカ流の管理主義が席巻したのです。
そして、今またその矛盾が問題になり、企業現場は混乱しています。
また振り出しに戻ったような気がします。

20年前に戻ったような話を聞きながら、20年前には元気な節子がいたのになあ、とまた節子のことを思い出してしまいました。
20年前に戻れるなら、戻りたいものです。
節子が一番輝いていた時期です。

■花かご会の人たちが献花に来てくれました(2007年10月24日)
節子の仲間だった花かご会の人たちが、駅前の花壇の花を持って、献花にきてくださいました。
節子がとても喜んでいることでしょう。
花かご会は節子の自慢の仲間でしたから。
皆さんと話していると、この場になぜ私がいて、節子がいないのか、とても不思議な気分です。
そういえば、最近は私の友人よりも節子の友人と話すことが多くなっています。
しかし、とても不思議なのですが、自然と話が出来るのです。
きっと私の中にいる節子が話しているのでしょう。
献花台の花は、なぜかみんな長持ちしています。
これも不思議の一つです。

■すごく心和らぐ手紙が届きました(2007年10月24日)
とても心が和らぐ手紙が届きました。
30年以上、会っていない吉田さんからです。
東レ時代の同期生ですが、久しく会っていませんし、この30年、年賀状の交換程度の付き合いでした。
私よりも年長のこともあって、入社の頃はお世話になりました。
当時から私は頼りない存在だったのですが、生活面での指導をよくしてくれました。
吉田さんは節子の病気を知ってから、時々、メールをくれるようになりました。
吉田さんは節子のことも私たちのことも知っているのです。
節子の訃報を知った時もメールをくれました。
「伴侶であり、相棒であった奥様を失うことはどれだけお辛いか、察するさえ難しいと、思います」と書いてありました。

そして、今日、49日が終わるのを待っていたように、手紙が来ました。
とても優しい、そして心が本当に救われるような、あったかな手紙です。
泣くようなことは書いていないのに、涙が出て仕方がありませんでした。
手紙を紹介できないのがとても残念です。

彼は伴侶との別れを体験してはいません。
にもかかわらず、こんなにも気持ちがわかるのかと改めて驚きました。
いや、「察するさえ難しい」と自覚しているからこそ、なのでしょうか。
弔意を表するとはこういうことなのかと知りました。

吉田さん
ありがとうございました。
お言葉にしたがって、めそめそしつづけます。
出来るだけ早く、会いに行きたいと思います。
節子にではなく、吉田さんに、です。
めそめそしながらも、前に向かって進みだせそうです。

■活動を開始しましたが、やはりどこかおかしいです(2007年10月25日)
朝、湯島のオフィスに着いたら2人の人が待っていました。
ダブルブッキングです。
申し訳なかったのですが、時間をずらしてもらいました。
そういえば、いろいろなミスをします。
先日も電車で目的駅を意識しながら、降りずに乗り過ごしてしまいました。
ケアレスミスが続出しています。
私の思考力や判断力も半減したのでしょうか。
夜、久しぶりに講演をさせてもらいました。
お会いした事務局に人たちは、元気そうで安心したといってくれましたが、
終わった後で、私のことを心配してくれている方が、なにげなく「でもちょっと違いますね」といいました。
そうなのです、一見、同じような行動をしながらもどこか違うのです。
気をつけなければいけません。

これからますます辛くなるよ、とある人が手紙をくれました。
これ以上の辛さはもう勘弁してほしいですが、節子の辛さに比べれば、耐えなければいけません。

■安房チャレンジド大会(2007年10月25日)
ふぁっとえばーの秋山さんが館山から相談に来ました。
来年の秋に第5回安房チャレンジド大会をちょっと大きくやりたいというのです。
それにあわせて、NPOふぁっとえばーの活動基盤の確立も目指しています。
秋山さんは、障害を持つ人たちの働き場を創出しようとがんばってきました。
いまは点字名刺の仕事がだいぶ広がってきましたが、まだ経済基盤は火の車です。
まじめに働いている人が、報われない社会はさびしいです。
いつもいろいろと意見交換し、事業型NPOを目指していこうということになるのですが、
秋山さんが孤軍奮闘してもなかなか前には進めないのが現実です。
今回は来年の大会を少し収益型にできないか考えてみることにしました。
だれか一緒にやってくれる人がいるといいのですが。
千葉県でチャレンジド関係の活動をされている方、一緒にやりませんか。
ご関心のある方はご連絡ください。

■エンプロイーからアントレプレナーへ(2007年10月25日)
今日から山城経営研究所のエグゼクティブフォーラム18期がはじまります。
大企業の管理職のみなさんが10ヶ月にわたり、これからの企業経営のあり方の研究に取り組みます。
経営道フォーラムの管理職版です。
その開校式の基調講演を毎回させてもらっていますが、いささか不安はあったのですが、約束していたのででかけました。
最近は、エンプロイーからアントレプレナーへというのが私のメッセージです。
何か新しい事を起こそうとする人にとって、企業とは材料の宝庫なのです。
冒頭に、仕事は楽しいですかと聞きました。
みんなあまりり楽しそうではありません。
企業の要である管理職の皆さんが楽しくない組織は長くは続きません。
日本の企業病理は日常化しています。
また企業の仕事を再開したくなりました。
時代が大きくパラダイムシフトしようとしている今ほど面白い時代はないはずなのですが。

■2人の弔問客との魂の話(2007年10月27日)
台風が近づいている中を2人の方が節子の弔問に来てくださいました。
金居さんと鍋山さんです。
最初はこの2人の組み合わせが理解できなかったのですが、お話をお聞きしてわかりました。
要するにオープンサロンつながりなのです。
それで納得できました。
残念ながら鍋山さんは節子とは直接会ってはいないのですが、サロンの関係で節子の話を聞いていて下さったようです。
私のいないところで、誰かが節子の話をしていてくれる。
それだけで私はうれしくなります。

節子のおかげで、今日は魂の話がでました。
鍋山さんが学生の頃に体験したという不思議な話もお聞きしました。
金居さんは佐古曜一郎さんや川棚町の霊能者の話をされました。
どうやら2人とも、その世界にもつながっているようです。
話してみないとわからないものです。

ちなみに2人ともバリバリのビジネスの世界の人です。
おそらく職場ではこんな話はしていないでしょう。
節子のおかげで、今日は不思議な話で盛り上がりました。
節子は聴いていたでしょうか。

いろいろな人たちがやってきてくれます。
節子が頼んでいるのでしょうか。
自宅で久しぶりにオープンサロンをした気分でした。

(2007年10月第3週)

辛さと元気が同じように高まっています。
どうもそれらは正の相関をしているようです。
今週は完全に私の感情の記録です。
■献花台はにぎわいました(2007年10月14日)
■まもなく節子の七七日法要(2007年10月18日)
■花かご会から華やかな花が届きました(2007年10月19日)
■生きる意味が見えてくるかもしれません(2007年10月19日)

■献花台はにぎわいました(2007年10月14日)
今日、最初の献花者は東レ時代の友人の安藤さんでした。
節子が好きだった真紅のバラを持ってきてくれました。
家にばかり引きこもっていないで、といろいろと誘ってくれましたが、まだどうもその気になりません。
その後も数組の方が来てくれました。
浦和から来てくださった方もいます。
小さな献花台もちょっと賑やかになりました。

浦和から来てくださった方は、節子さんの魂は家族と一緒にいますからと言ってくださいました。
この人も信仰心の篤い方です。きっと今日も節子の魂と触れ合って下さったと思います。
福岡の加野さんからは、節子さんはあなたの横にいつもいますよ、と電話してきてくれました。
今日は節子の六七日だったのです。
加野さんの娘さんの7回忌でもありました。

節子はいろいろな方から、今もなおエールを送ってもらっています。
そのうれしさで、さびしさが小さくなるわけではありません。
実際にはむしろ、さびしさは大きくなるのです。

ちなみに、献花台には「みんな ありがとう」と書かれています。
これは、献花する人みんなに対して節子が「ありがとう」と言っている意味もありますが
、むしろ献花する人が「いろんなことすべて」に対して、「感謝」の思いを持とうという意味です。
節子は「感謝」という言葉がとても好きでした。

■まもなく節子の七七日法要(2007年10月18日)
妻の節子が亡くなってからまもなく49日です。
亡くなった後、ほとんど何もやらず、ただただ節子のそばにいるだけでした。
七七日法要まではいろいろとやることがあって、それで寂しさがまぎれるようになっていると言ってくれた人もいますが、私の場合は全く当てはまりませんでした。
やるべきかどうかとは無関係に、やれなかったのです。
それにこの世の中には絶対にやらなければいけないことなど、そうあるものではありません。
できなければ謝ればいいだけの話です。
まあ、60を過ぎると人間はそういう開き直りもできるようになるものです。

とはいえ、葬儀に参会してくださったみなさんへの報告もしなければいけません。
娘たちにばかり負担をかけてばかりいるわけにもいきません。
いろいろと動き出しました。
お寺に行ったり、礼状を書き出したり、会葬者名簿を整理したり、結構大変です。
これまではこうしたことはすべて妻の節子がやってくれていました。
そのありがたみが本当にわかります。

これまでは節子がやってくれたことを、これからは私がやらなければいけません。
七七日法要の準備も私がしなければいけません。
ところがこういうことが私は不得手です。
というよりも、これまではすべて節子に頼んでいたのです。
ブログにも書きましたが、自分でやってみると結構大変なのです。

こうしたシャドウワークに比べたら、ビジネスワークなど楽なものです。
社会は女性たちに支えられてきたことがよくわかります。

■花かご会から華やかな花が届きました(2007年10月19日)
花かご会のみなさんから、また花が届きました。
節子の祭壇はいつも花に囲まれています。
少なくなりだすとまたどこかから届くのです。
なんだか祭壇の花の様子を見ながら誰かが管理しているような気さえします。

この祭壇もまもなくなくなります。
21日からは小さな仏壇に節子は移ります。
ですから今回の花がきっと最後になるでしょう。

みなさんのおかげで、49日間、節子はたくさんの花に囲まれて過ごしました。
これほどの花が届くとは私も全く思ってもいませんでした。
ほんとうにありがとうございました。
感謝しています。

■生きる意味が見えてくるかもしれません(2007年10月19日)
最近は毎日、3つの小文を書いています。
ブログでの「節子への挽歌」と「時評」、そしてホームページの週間記録です。
これまではともかく「書くこと」で気分を鎮めてきましたが、少しずつですが、本を読む気も出てきました。
最初に読み出したのが、フーコーの関係の入門書です。
最近の社会の動きをみていると、どうしてもフーコーを思い出すのです。
まあ、読んでもなかなか理解できないのですが。
そんな状況の中で、今日、フーコーにちょっと縁のある恩田さんと久しぶりにお会いしました。

残念ながらフーコーとは全く無縁の話をしました。
そもそも私が恩田さんにお会いしたきっかけは、フーコーだったのですが。

不思議なのですが、恩田さんと話していたら何となく気が鎮まってきました。
ちょっとだけですが、何か新しいことを始めようかという気になってきました。
恩田さんの「生きる意味」がわかったからかもしれません。
私はまだ「生きる意味」を見つけられずにいますが、恩田さんとの話はとても納得できる話でした。
やはり、長年、哲学に取り組んできた人の言動には学ぶことがあります。

恩田さんが、別れ際に、「欝(うつ)にならないようにどんどん出てきてください」と言いました。
私の様子が、やはり少しおかしかったのでしょうか。
気をつけないといけません。

(2007年10月第2週)
私の内面では実にたくさんのことがあった1週間でした。
コムケアの仲間に救われる毎日でした。
記事にはなかなかならないのですが。
■悲しく寂しい雨(2007年10月8日)
■少しずつ外出しはじめました(2007年10月10日)
■経営道フォーラムの合宿に一部参加しました(2007年10月11日)
■栃尾駅保全運動への署名協力のお願い(2007年10月12日)
■東尋坊の茂幸雄さんの活躍(2007年10月12日)
手づくり散歩市と献花台(2007年10月13日)
■背中合わせの隣人たちの来訪(2007年10月13日)

■悲しく寂しい雨(2007年10月8日)
昨日は過ごしやすい秋の日でした。
放置していた部屋も少しずつ整理され、気持ちも前向きになってきました。
娘たちとの家族会議も行い、さあ再出発と思っていましたが、今日は雨です。
それもとても悲しそうな寂しい雨です。

今朝は大きな不安の中で目を覚ましました。
なぜかわかりませんが、私の気持ちと同調するような声の聞こえる雨が降っています。
今日は誰もこないでしょう。
静かに節子と一緒にいるつもりです。
節子がきっと、精神の不安定さを沈めてくれるでしょう。
黒岩さんから贈ってもらった「仏教への旅 日本・アメリカ編」を読もうかと思います。
(朝の10時に書きました)

長い1日でした。
「仏教への旅 日本・アメリカ編」はとても面白かったです。
ブックのコーナーで紹介させてもらうことにしました。
昨日は寝不足なので、今日は早く寝ます。
(夕方6時に書きました)

■少しずつ外出しはじめました(2007年10月10日)
9日の明け方、初めて節子の夢を見ました。
湯島のオフィスに一緒に行く夢でした。
それもあって、9日は湯島に出かけました。
最近ずっと自宅に引きこもっていたためか、駅まで歩いていくだけで疲れてしまいました。
困ったものです。
しかし、いよいよ活動開始です。

■経営道フォーラムの合宿に一部参加しました(2007年10月11日)
もう20年以上お付き合いのあるKAE経営道フォーラムの合宿に参加しました。
ただし私自身は日帰りにさせてもらいましたが。
私が関わっている2つのチームは、いずれも結果的に「個人と会社の関係」に関心が集中しましたが、まさに時代を象徴しています。
ただし、その捉え方はなかなかこれまでの発想を脱せられないようです。

今回はいずれのチームもすでにかなり論旨がまとまっていたので、私の出番はあまりありませんでしたが、
少しだけ「ゆらぎ」のためのノイズを入れさせてもらいました。
両チームとも、それぞれに独自の主張のある報告になりそうで楽しみです。

成果の発表会は11月14日、椿山荘で行われます。よかったら参加してください。
それにしても、日本企業の問題点はかなり明らかになってきているように思いますが、
どうしてそうした問題に企業は正面から取り組まないのか、不思議です。
相変わらず企業の不祥事は継続しています。
このままでは日本の企業の未来は展望しにくいように思います。

■栃尾駅保全運動への署名協力のお願い(2007年10月12日)
北九州市の折尾駅舎の保存活動に取り組んでいる知人(蒔田さん)から、その署名運動への協力要請がありました。
彼女は私が取り組んでいる、「大きな福祉」を目指すコムケア活動の仲間です。
大きな福祉にとって、こうした問題はとても重要なことだと私は考えていますので、早速協力させてもらうことにしました。

折尾駅は私も一度だけ乗り降りしたことがありますが、木造総2階建ての駅舎で、とても味のある良い建築物です。
その駅舎が、折尾総合整備事業によって取り壊されることになっているのだそうです。
こうした歴史的産業遺産は以前よりも大事にされてきたとはいうものの、まだ壊されているのが現実です。
メールによれば、木造総2階建ての駅舎は今や数少なくなっているようです。

蒔田さんからのメールの一部を引用します。

折尾駅舎は、大正5年建築の90年を越える木造総2階建の駅舎で、
「日本初の立体交差・待合室の丸椅子・高架下の赤煉瓦のトンネルなどがあり、
訪れるべき価値のある駅」の全国7位に選ばれました。(日経新聞)
折尾駅舎は、まちを愛する人にとっての誇りであり、シンボルです。
折尾らしさを残した駅にするため、新駅に隣接するなどして、折尾駅舎を保存活用できないものかと思います。
折尾のまちは、駅を中心に交通・産業・文化の拠点として繁栄してきました。
その中でも『折尾駅』は、石炭輸送によって日本の近代化に大きく貢献した重要な歴史的遺産です。
(中略)
JRで現存する木造総2階建の駅舎は、折尾駅・門司港駅・日光駅・原宿駅の4つだけだともいわれています。
折尾地区だけでなく、日本中の方にも保存を呼びかけていただければと思います。

署名用紙は次のサイトにあります。
署名用紙のダウンロード
http://f17.aaa.livedoor.jp/~heritage/orio.html
また、折尾駅の今昔物語もサイトをご覧ください。
http://members.jcom.home.ne.jp/nittan3/Orio-index.htm

蒔田さんは、こうも言っています。
日本は、社会的資源(文化的、歴史的、空間的、、、)を 軽く感じすぎますよね。
まず、先人の思いや知恵などの経緯(歴史)を知らないから誇りも感じられないし、
大切にすることもできないのかなとも思います。
折尾の開発は、利便性を良くするだけでなく、
そういったものを次世代につなげていけるような開発であってほしいと思います。

全く同感です。
折尾だけの問題ではありません。
よかったら協力してください

■東尋坊の茂幸雄さんの活躍(2007年10月12日)
前項に続いて、もう一つコムケア仲間の活動です。
今日のテレビの報道特集で、東尋坊で自殺予防活動を展開している茂さんが紹介されていました。
東尋坊は最後に節子と旅行に行ったところです。
そこで茂さんにもお会いし、美味しいおろし餅をご馳走になった、私には実に思い出深いところです。
節子がテレビを見たらとても喜ぶでしょう。とても残念です。

最近テレビで、コムケア仲間の活動によく出会います。
みんながんばっています。
テレビを見たと茂さんにメールしたら、茂さんから「佐藤さんも元気を出して!」と返事が来ました。
元気を出さないといけません。

■手づくり散歩市と献花台(2007年10月13日)
今日から2日間、我孫子市の手づくり散歩市です。
娘の工房が会場の一つになるので、旗を立てたり案内地図をはったり、しました。
昨年は女房がケーキを焼いておもてなししましたが、
今年は娘がケーキを焼いて、私が珈琲や紅茶を入れる担当になりました。

それに合わせて、花を愛でる献花台も今日からスタートです。
あまり考えずに決めたことなので、どういう風に献花するかなども決めていません。
実際にやろうとなるとこれが難しいのです。
結局、わが家の畑から花をたくさんとってきておいて、そこから小さな1輪を手向けてもらうことにしました。

用意万端整ったのですが、なかなかお客様がありません。
お昼過ぎから三々五々訪問者があるのですが、珈琲を飲んでくれる人がいません。
それにだんだん寒くなってきました。
今年の手づくり散歩市は出品者もかなり少なくなったと聞いていましたが、散歩者も少なくなったのでしょうか。
そろそろ店じまいしようかと話していたら花かご会の山田さんが来ました。
最初の献花者は山田さんでした。
節子も喜んでいるでしょう。

山田さんとちょっと煮詰まった珈琲を飲んでいたら、
突然、With ゆうの小川さんが花を持って飛び込んできました。
最初は誰かわかりませんでした。
なぜなら小川さんは君津に住んでいるはずなので結びつかなかったのです。
Withゆうは、「誕生死(流産、死産、新生児死亡)などで子供がお空にいる天使ママさん、天使パパさん」(WithゆうのHP)たちの会です。
数年前に、コムケア活動でささやかに応援させてもらったのです。

小川さんは、佐藤さんのブログを読んでいると7年前のことを思い出すのです、と言ってくれました。
ブログを読んでくれていて、私を心配して、わざわざ君津から来てくれたのです。
ちなみに君津は我孫子から電車で2時間くらいかかります。
小川さんのお気持ちがとても嬉しかったです。

コムケアに取り組ませていただいたおかげで、本当にたくさんの人が節子や私にエールを送ってくれます。
日本の社会もまだまだ捨てたものではありません。

さて明日は何人のお客さまがあるでしょうか。
結果は次の更新で報告します。

■背中合わせの隣人たちの来訪(2007年10月13日)
手づくり散歩市や献花台とは無関係に、
今日は偶然にも、背中合わせの隣人も2組やってきました。

背中合わせの隣人なので、玄関が向いている道路が全く別ですので、普段はなかなか会う機会もありません。
しかも、傾斜地なので段差があって、目線を合わすこともほとんどありませんから、日常的な付き合いはないのです。

まず隣り合わせのSさんは息子さんと一緒に来訪されました。
息子さんが我孫子市の市議会議員選挙に立候補されるのだそうです。
29歳です。政治を志す若者が増えてきました。
地方議会も変わっていくかもしれません。

少しして、今度はその隣のTさんがご夫妻で来てくれました。
Tさんは、数年前に家を建てたのですが、まだ転居してきていないのです。
したがって普段は留守なのですが、時々、家を開けにやってきて、その時に節子と話したことが何回あるのだそうです。
3日前に節子のことを知って奥様が弔問に来てくださったのですが、今度はご夫妻でわざわざ来てくださったのです。
お話を聞くとお2人とも節子と同じ滋賀のご出身です。
奥様の趣味なども節子と重なるところがあり、
転居してきたら付き合いを深めたいと思っていたのにとても残念です、と涙を流してくださいました。
きっと節子とは仲良しになれたはずです。
残念でなりません。
節子が元気でいたら、またきっと新しい物語が生まれたはずです。

(2007年10月第1週)
秋です。私の時計は止まってしまっていますが。
■思い切って出かけてみましたが(2007年10月1日)
■福岡から蔵田さんが来てくれました(2007年10月2日)
■涙がとまらないこともありました(2007年10月2日)
■節子の月命日(2007年10月3日)
■地方からの2つのニュース(2007年10月4日)
■やっと立ち上がれそうです(2007年10月5日)
■今日も節子の前はにぎやかでした(2007年10月6日)

■思い切って出かけてみましたが(2007年10月1日)
雨が止みました。
昨日は節子の四七日でしたが、肌寒い雨でした。
節子のことがずっと気になっていました。節子の旅は順調でしょうか。

月がかわりました。もう10月です。
どこかで流れを変えないといけないとは思っていますが、
人は自分の世界に引きこもると外に出たくなくなってしまうものだとつくづく思います。
このまま隠居したい気分です。
しかし残念ながら、そうした贅沢は許されません。
まだ借財を抱えています。
節子がいたらどうにかしてくれるのでしょうが、これからは私が決着をつけていかねばなりません。
つまり、現実的に生きなければいけません。
ネットでBig(TOTO)を購入しましたが、6億円は当たりませんでした。
当たったらどこかの山に引きこもるつもりだったのですが。
人生はうまくいきません。

そこで今日は思い切って湯島のオフィスに出かけました。
東レを辞めてから、節子と一緒に通勤することも多かったのですが、そうした思い出がよぎるとついつい目頭が熱くなります。
ポストから郵便物があふれ出ていました。
そして、オフィスに入った途端に、節子の思い出がドサっと覆いかぶさってきました。
このオフィスには節子と一緒の思い出が多すぎます。
30分ほど茫然自失としていましたが、やはり帰りたくなりました。
本郷の仲間のオフィスにも行こうと考えていましたが、無理でした。

我孫子駅からの帰路、近くの人に会ってしまいました。
また節子の話が出て、涙がこらえきれなくなりました。
やはり外出はおそろしいです。
また引きこもりたくなりました。
困ったものです。

■福岡から蔵田さんが来てくれました(2007年10月2日)
節子の訃報を知って、福岡から蔵田さんがやってきてくれました。
蔵田さんとは以前、お仕事でご一緒して以来、個人的にもお付き合いさせていただいていますが、
会社を辞めてから出身地の福岡に戻り、悠々自適な生活を楽しまれています。
毎年、節子が驚嘆するほど立派な野菜や近くの浜辺でとった見事なリを送ってくれていました。
豊かな生活ぶりをいつも感じていました。
今回も、ご自分の畑からの朝取り野菜を持ってきてくれました。
節子にぜひ食べてもらいたいと言うのです。
すごく嬉しいことです。節子が感激しているはずです。
まさかこんな形でお会いするとは思っていなかったのですが、
節子が元気な時に、お互いに夫婦一緒でお会いできなかったのが残念でした。

久しぶりの蔵田さんは、以前よりもますますお元気そうでした。
節子の前で久しぶりにゆっくりと話をさせてもらいました。
蔵田さんは、私を元気付けるためにわざわざ来てくださったのですが、
蔵田さんの生活ぶりを聞きながら、元気をもらいました。
蔵田さんは本当に変わりません。いつも地で生きている人です。
帰り際に、「奥さんに、修さんに元気を与えてやってくださいと頼んでおきましたよ」といわれました。
蔵田さんから頼まれたら、節子も断れないでしょう。
明日から元気が出るかもしれません。

それにしても、私たち夫婦は本当に良い人たちに囲まれて生きてきたことを改めて感謝しなければいけません。
いや、世の中には本来、悪い人などはいないでしょう。

■涙がとまらないこともありました(2007年10月2日)
ブログには書いたのですが、1か月前の今日は、「天国と地獄」を味わった日です。

節子の出身地の滋賀から2通のメールが届きました。
その1通は節子の幼馴染の雨森さんからでした。
節子が8月に出した葉書の写真を送ってきてくれたのです。
その手紙は、私も出す前に節子から見せてもらっていましたが、いま読むと涙がとまりません。
こう書いてあります。

季節のうるおいと共に自然に癒され感慨深い月日が過ぎていきます。
闘病生活も十ヶ月となりました 最近は体力気力共に落ち込み横になることが多くなってきましたが、
家族や友人に支えられて感謝の日々を過ごしています。
すっかりご無沙汰になリました。
お二人さまお元気でお過ごしのことと思います。
今年は猛暑?の様 どうぞ御身体にはご留意くださいませ。
ごきげんよう


その方は、「ごきげんよう が最後になるなんて 泣けてきます」と書いてくれました。
涙が出て仕方がありません。
それが今日の朝でした。

夕食後、小学校の同級生から電話がありました。
もう30年以上、会っていない人です。
先週の週末、同窓会があったのですが、私は参加する勇気がありませんでした。
そこで、私の妻のことを知って、電話してくれたのです。
実は彼女もまた、伴侶を8年前にがんで亡くしたのだそうです。
まだどこかから戻ってくる、どこかで会えるという感覚があるそうです。
よくわかります。
悲しいのは私だけではないのです。
少し自分を客観的に考えることができました。
それが今日の夜でした。

しかし、1か月前は、まだ節子がいたと思うとたまらなくなります。
今日はたくさんのことがありすぎました。

■節子の月命日(2007年10月3日)
節子が出かけてから1か月目です。
朝、5時に目が覚めてしましまた。
いくら考えても、節子が存在しないことが理解できません。
気がおかしくなるくらいです。

そういう私を見て、娘が献花台の花受けを買いに行こうと誘ってくれました。
ちょっと遠くのお店ですが、節子とよく一緒に行ったお店です。
どこもかしこも、節子の思い出だらけです。
救いようがありません。

月命日ということで、節子の友人たちが来てくれました。
花かご会の山田さんは、節子も少し知恵を出した花かご会の紹介が書かれた冊子を持ってきてくれました。
最後に節子とハグをした長沼さん、結婚前からお付き合いのあった木村さんも、来てくれました。
節子はこうした人たちに愛されていたのです。

話していると、どうもみんな私を心配してくれているようです。
ブログやホームページを読むと、私がもう泣き明かしているように感ずるのかもしれません。そんなことはありません。
私はいたって元気なのです。
ただ世界が変わってしまったのです。

木村さんからはちゃんと食べてちゃんと寝なさいと言われました。
長沼さんからは娘さんたちに感謝しなさいと言われました。
はい、いずれもそうしています。

最初の月命日は、次々と来る友達に会えて、節子にはきっとうれしい1日になったと思います。
しかし、節子が逆の立場だったら、みんなにこんなによくしてやるでしょうか。
そんなことを思うほど、みなさんには感謝しています。

■地方からの2つのニュース(2007年10月4日)
久しぶりに快晴です。
いま気づいたのですが、節子がいなくなってから、こんなに晴れたのは初めてではないかという気がします。たぶん私だけがそう思っているのでしょうが。
新潟の金田さんから電話がありました。
声が元気そうで安心しました、と言われました。
みなさんに迷惑をかけている気が、だんだんしてきました。

今日は2つのうれしいニュースが届きました。
いずれも節子と一緒に行きたかったところです。
一つは高知県介護の会の豊永さんからの電話です。
10月18日に幡多昔むかし祭を今年も開催するので、夫婦で来てくださいというお誘いです。
幡多昔むかし祭は、その復活をささやかに応援したのです。
私が「大きな福祉」観に大きな影響を与えた事件でした。
以来、毎年、豊永さんからお誘いがあります。
節子が元気になったら必ず行こうと思っていた場所の一つでした。
豊永さんに、節子のことを話しました。
豊永さんと節子とは電話では話していますし、節子の手作りケーキも宅老所に集まるお年寄りのみなさんにも食べてもらったこともあります。
豊永さんとそこに集まる元気なみなさんに、節子を紹介できなかったのがとても残念です。
みんなきっと節子が気に入ってくれたはずです。

もう一つは青森の三沢市からです。
今年のはじめ、花いっぱい運動のフォーラムを開いたことは以前書きましたが、その活動が順調に広がっているようです。それが特集された広報誌が届いたのです。
この活動には節子はとても関心を持っていました。
私が三沢市にアドバイザーとして行く時には、節子からいろいろとアドバイスしてもらっていました。
そして、元気になったら、一緒に行こうと思っていました。
我孫子での花かご会の展開にも、きっと参考になったはずです。
それに、三沢市の花が大好きなみなさんとも引き合わせたかったです。
とても残念でなりません。

節子がいなくなり、自宅に引きこもっているのに、、この頃、毎日のようにこうした話がやってきます。
それが不思議でなりません。

■やっと立ち上がれそうです
(2007年10月5日)
2か月ぶりに仕事場のパソコンで仕事を再開しました。
なかなか立ち上がれないなどとホームページに書いたり、話したりしているので、
みんなが心配してくれているようなのです。
それは私の本意ではありません。
私はただ自然体でいたいと思っているだけなのです。
しかし、あまりにみんなが気にしてくれます。
迷惑をかけてしまっていることに気づきました。
節子は私のことをほぼ完全に知っているはずですから、
今の私を全く心配していないでしょうが、他の人は違います。
そこで、そろそろ立ち上がることにしました。

なんだ、立ち上がれるのかと思われそうですが、立ち上がれなくとも立ち上がればいいだけの話です。
動き出せば、何とかなるでしょう。
その、何とかなって立ち上がってしまうことが、本当は不本意なのですが。
でもまあ、立ち上がりましょう。

まずこの2か月、手付かずになっている手紙や書類を整理することにしました。
私の仕事場はわが家で一番狭い部屋です。
その狭い部屋が、書類などで山積みになってしまっています。
なにしろ3か月前に突然、節子の病状が悪化し、その時点から私の活動は一変してしまっていました。
手紙なども開きもせずに部屋に投げ込んでいたのです。
みなさんにも失礼があったかもしれません。すみません。

部屋がかなりすっきりしました。
9日から活動再開です。

■今日も節子の前はにぎやかでした(2007年10月6日)
節子への来客が続いています。

最初に来たのは、市原市の根本さんでした。
ご自身もあまり体調が良くなく、かなり大変なはずですが、わざわざ遠くから来てくださいました。
根本さんは、節子が病気になって以来、
元気が出るようにと自らが選曲して作成したCDを何枚も送ってきてくださった方です。
ご自分も大変なのに、親身で心配してくださっていました。
根本さんは、節子には会ったことがないのですが、
節子は根本さんのことは良く知っていて、いつも気にしていました。
たまには電話してみたらといわれて電話したこともありますが、
節子も含めて、自分が大変な状況にある人ほど、同じような状況の人への思いやりの心が働くようです。
根本さんと初めて会えて、節子はきっと喜んでいるでしょう。

節子とも知り合いの黒岩さんと紀陸さんも来てくれました。
2人ともこのサイトには何回か登場していますが、黒岩さんはノンフィクションライター、
紀陸さんは建築アートの取り組む起業家です。
黒岩さんの驚異的な執筆活動には節子は敬服の念を持っていましたが、
そのがんばりぶりにいつも健康を心配していました。
黒岩さんが関わった、五木寛之の「仏教への旅」のインド編を途中まで読んだところで、読書が難しくなってしまいましたが、
黒岩さんの関係した本が出版されるといつもうれしそうでした。
紀陸さんとは夫婦ぐるみのお付き合いが広がったところで、病気が悪化してしまいました。
紀陸さんの旦那さんとの家庭農園談義をもう一度したかったのに、それが実現できないのを残念がっていました。
今日はお2人とも久しぶりにゆっくりとお話しできました。
節子は聞いていたでしょうか。

節子の友人知人がくると、なんだか節子もすぐそばにいるような気がします。
しかし時折、姿が見えないことに思いがいくと、急に不安になります。
どう考えても、私の思考体系はおかしくなっているようです。
どうせなら徹底的におかしくなってくれれば、楽になるのですが。

(2007年9月第4週)
今週はずっと自宅で妻と一緒に過ごしました。
妻への挽歌は、まだ書き続けていますが、
読者には意味がないでしょうが、書いていると落ち着くのです。
そのおかげで、新しい世界が少しずつ開けてきたような気がします。
ブログ(CWSプライベート)の時評も再開しました。

■再生のバルド(2007年9月23日)
■真紅のバラ(2007年9月24日)
■「長い灰色の線」(2007年9月25日)
■元企業戦士たちからの花の贈りもの(2007年9月26日)
■アクセスが80000を超えました(2007年9月27日)
■痛みのシェア(2007年9月28日)
■flowers for life 献花台のこと(2007年9月29日)
■花かご会のみなさんが献花に来てくださいました(2007年9月29日)

■再生のバルド(2007年9月23日)
節子が旅立って21日。三七日です。
チベット死者の書によれば、22日目から「再生のバルド」が始まります。
節子はまた新しい旅に入ります。

再生のバルドの先導役は観音菩薩です。
節子の郷里は、以前も書きましたが、「かんのんの里」といわれる滋賀県高月町です。
すばらしい観音像が今も残っています。
特に有名なのが、渡岸寺の十一面観音です。
先週、節子の友人が、わざわざその写真を届けてくれました。
昨日、来てくれた秋山さんもなぜか最初にその話をしてくれました。
観音との付き合いは多いはずなので、節子はきちんと観音菩薩の光を見つけられるでしょう。

今朝の4時10分、空が大きく泣くような声がしました。
目が覚めてしまいました。
節子が呼んだのではないかと思ったのです。
そして、そろそろ動き出したら、と節子がいっているような気がしました。
1時間後にまた、同じような呼びかけがありました。
今日は三七日。
今日は思い切り、節子の世界に浸り、明日からはシャンとすることにしました。
決めたことは実行する。
これは私と節子のルールでしたが、2人ともあまり守れなかったルールでもありましたが。

今日は岐阜から佐々木さんが来てくれました。
実は今日、佐々木さんが突然現れるような気がしていました。
三七日の節目に当たる日に、佐々木さんが来てくださったのも偶然ではなさそうです。
節子は喜んでいるでしょう。
佐々木さんを同志と考えていましたから。

ちなみに、今日、自民党総裁選があり、福田さんが選出されました。
大相撲では白鵬が4回目の優勝をしました。
佐々木さんが来てくれたことに比べれば、いずれも今の私には瑣末な事件です。
まだそんな気分にいます。

■真紅のバラ(2007年9月24日)
真紅のバラは供花になるでしょうか。

こんなメールをもらっていました。

夫の好きなウイーンの公園にあったピンクのト音記号を白の花の中に書きました。
お帰りに夫の好きだったバラを一本ずつラップして頂きお持ち帰り頂ました。
バラは葬儀には使用しないそうで葬儀屋さんから断られ、お花屋さんに頼んで・・・

彼女が数年前に伴侶を亡くされた時の話です。
その方から、好きな花をお供えくださいと言われたので、バラを飾らせてもらいました。
真紅のバラです。
節子は真紅のバラが好きでした。
供花はどれもこれもあまり表情がありません。
私は供花といえども、表情を大切にすべきだと思います。
宗教宗派によっては守るべき作法はあるでしょうが、
基本は当事者、つまり送られる人と送る人の関係や個性を可能な範囲で配慮すべきだと思います。
多様な人が集まる葬儀の場ではある程度の限界はあるでしょうが、個人的な供花は枠をはめるべきではありません。

真紅のバラのおかげで、節子の霊前に元気が漂い出しました。
節子の新しい旅を元気づけているようです。

■「長い灰色の線」(2007年9月25日)
私が高校か大学の時に観て、生きることの喜びと哀しみがとても印象に残った映画があります。
「長い灰色の線」です。
最初のシネマスコープと話題になった映画でした。

いつか節子と一緒に観たいとずっと思っていた映画です。
最近、テレビで放映されましたので、節子が元気になったら一緒に観ようとDVDで録画しておいたのです。
残念ながら、その機会は永久に失われてしまいました。
一人では観たくないので消去しようと思ったのですが、なぜか観てしまいました。

もしかしたら、節子にまだ会う前から、今回のことは決まっていたのかもしれません。
それを知っていたから、この映画が深く心に残っていたのかもしれません。
実はそうした「思い当り」が他にもあるのです。
口に出すのさえためらわれますが。

いずれにしろ、この映画は節子と一緒に観たかったなと改めて思いました。
節子と一緒にやりたかったことが他にもたくさんあります。
悔しくてなりません。

今日から動き出そうと思っていたのですが、
そんなわけで今日もまたDVD鑑賞しかできませんでした。困ったものです。
いつからオフィスに出られるようになるでしょうか。

■元企業戦士たちからの花の贈りもの(2007年9月26日)
娘のジュンはわが家の庭に小さな工房を建てて、スペインタイルをやっています。
Taller de JUN(タジュール・デ・ジュン)です。
その教室に通っている生徒さんにTさんがいます。
生徒といっても、娘よりもずっと年上、いや私よりも年上です。
Tさんは以前有名な大企業の副社長でした。
まさかそんな人だとは全く知らずに、私たちの付き合いは始まりました。
そのTさんが節子に会いに来てくれました。

今夏の暑さで体調を崩されていたのですが、ようやく外出できるようになったと言います。
節子とは何回か会っていますが、わざわざ来てくださるとは感激です。
私もこれまで何回かお会いして話したこともありますが、
今回初めて少しだけ大企業時代の話を聞かせてもらいました。
Tさんの現在の生き方の背景が少しわかったように思います。
とても共感できる話でしたので、ついつい私も企業時代の思いを話してしまいました。

Tさんはとても飄々としていて、大企業の副社長だった過去は微塵も感じさせません。
その仕草や言動には、古武士のような風格もありますが。
いまは大学で古代文明史を学んだり、陶芸やタイルをしたり、地道なボランティア活動をしたり、
ともかく無欲さが伝わってくるような生き方をされています。
経済や企業の世界とは正反対の世界です。
Tさんは節子が大好きだったカサブランカをたくさん持ってきてくれました。

同じ大企業の経営幹部だったKさんもまた、定年後、すっぱりと企業の世界を捨てて、故郷に帰って豊かな人生をしています。
そのKさんが節子のことを知って、見事な胡蝶蘭を送ってきてくれました。
貧乏性の節子には、とても買えなかったような見事な胡蝶蘭です。
大きな声を上げて喜ぶ節子の顔が見られないのがとても残念です。

今日の節子は、2人の元企業戦士からの見事なプレゼントに囲まれています。
生まれて初めての私の花のプレゼントは、影が薄くなってしまいました。
しかし、まさかそうした方々から、こんな見事な花を手向けてもらうことなど、節子は夢にも思っていなかったでしょう。
節子はそのお2人とはわずかばかりの接点しかありませんでした。
しかしお2人とも、きっと節子の良さを直感してくださったのだと思います。
節子は私だけではなく、会う人みんなに幸せを与えてくれる人だったのかもしれません。
自分の幸せをもう少し残しておいてほしかったのですが。

■アクセスが80000を超えました(2007年9月27日)
このホームページへのアクセスが80000を超えたのに気づきました。
節子がいなくなってから、なぜか急にアクセスが増えたようです。
節子の訃報をそれだけ多くの人が知ってくれたわけです。
遅れてスタートしたブログ(CWSプライベート)はすでに11万を超えていますが、カウンターの動き方が違います。
ブログは私がアクセスしてもカウントされますし、1日に何回アクセスしても毎回カウントされますから、数字があがりやすいのです。
このサイトは私がアクセスしてもカウントされません。
また構成上、インデックスにアクセスしないとカウントされません。
ですから、8万アクセスはそれなりのものです。
まあ、だからどうしたと言うことなのですが、記録のために、8万アクセス達成を書き残しておきます。

■痛みのシェア(2007年9月28日)
太田黒さんが来てくれました。
最近は個人情報にうるさいので、あまり実名は出さないようにしていますが、まあいいでしょう。
太田黒さんとはもう20年以上の付き合いです。
仕事もいくつかご一緒したことがありますが、その一つが「NPOの評価」です。
もう10年ほど前の仕事で、この分野ではかなり草分け的な仕事でした。
太田黒さんはその後、その仕事での蓄積を本にして出版しています。
「非営利組織の事業評価」です。

太田黒さんは、その後もその分野でお仕事をされています。
私はむしろNPOそのものの活動に興味がありましたので、別々の方向で、NPOに関わってきました。
今年になって、久しぶりにお会いする機会がありました。
その時に妻の事を少し話していたのですが、訃報を知ってわざわざ来てくれました。
私がよほど傷心しているのではないかと心配してくれたのです。
元気そうなので安心してくれました。

人に会った時には元気になるのは、私の性格ですので、安心してもらっては困るのですが。
いや、それは冗談ですが、私とてずっとメソメソしているわけではありません。
明るく前向きな節子のパートナーですから、基本的には元気で、笑いも出ています。
しかし、ふと節子がいないことに気づいて、ちょっとだけ涙が出るのです。

太田黒さんと初めてゆっくりと心を開いて話したような気がします。
それぞれの背負っている人生を少しだけシェアできたような気もします。
節子のおかげで、何人の人と心を開き合えたでしょうか。
感謝しなければなりません。
さまざまな人と会いながら、節子との人生を思い出して、自分がこれまで以上に素直になっていくのがわかります。
なかなかシャンとはできませんが、立ち上がるための素地は少しずつ固まってきているようです。

■Flowers for Life 献花台のこと(2007年9月29日)
節子の告別式で、後先を考えずに、庭に献花台を創ることを話してしまいました。
告別式に来てくださった近所の方から、会うたびにいつできるのかと訊かれます。
10月13日にオープンすることにしました。
というのは、10月13日〜14日に、我孫子で手づくり散歩市なるイベントがあります。
わが家の庭にある娘のスペインタイル工房が、その会場の一つになるのです。
節子は、その時にケーキをつくって、来た人を接待しようと楽しみにしていました。
そこで、その日に献花台もオープンすることにしました。
お知らせのコーナーに案内させてもらいましたので、お近くの方はよかったらお越し下さい。

しかし、問題は「献花台」の主旨です。
告別式では、ただただ節子への愛惜の思いで、節子への献花をイメージしていました。
しかし、自らに「献花」してもらうのは、節子の考えにはなじまないことに気づいたのです。
それに実際に花を持ってきてくださる方がいても、飾る場所があまりありません。
きちんと考えてから発言しないといけません。

節子が望んでいるのは、みんなと一緒に花を愛(め)でることであり、花がみんなを幸せにしてくれることのはずです。
そこで、献花の対象を、節子ではなく、花そのものにしようと思います。
「花を献ずる」のではなく「花に献ずる」。
私たちの人生や生活、そして生命そのものに、元気や喜びを与えてくれ
る花に感謝しようというわけです。
Flowers for Life。
花を愛でながら、花が大好きだった節子と一緒に、
花が咲きこぼれるような、気持ちの良い社会になるようにちょっとだけ思いを馳せる時間をつくる場にできればと思っています。
そのついでに、ちょっとだけ節子のことを思い出してもらえれば、うれしいですが。

とても小さな献花台なので、まわりにある花を摘んで供えてもらうようにしようと思います。
そのためにまわりに少し花を植えなければいけませんが。
すぐには間に合わないので、その場合は花のような笑みを供えてもらえればうれしいです。

いずれにしろ、13日には完成します。
気が向いたらお越しください。

■花かご会のみなさんが献花に来てくださいました(2007年9月29日)
今月中に献花台ができると話していたので、花かご会のみなさんが駅前の花壇の花を摘んで献花に来てくださいました。
まだ献花台ができていないため、節子の霊前に供花してもらいました。
節子は花かご会がほんとうに大好きでした。
みんなとてもよい人で、活動がとても楽しいといつも言っていました。
花かご会は節子の自慢でもありました。
もう一度、花かご会の仲間と一緒に花壇づくりをしたいというのが節子のがんばりを支えた目標のひとつでした。
残念ながら、それは実現できませんでしたが、花かご会のみなさんにはいつもエールをもらっていたように思います。

節子さんがいなければ花かご会は生まれなかった、とどなたかが話してくれました。
そんなことはないのでしょうが、そう言われると私もうれしくなります。
節子さんは聞き上手だったとも言われました。
節子がほめられると無性にうれしくなります。
そんな話につれられて、ついつい私も節子のことを話し出してしまいました。
そうしたらまた涙が出てしまいました。
なかなか涙から解放されません。

今日は、若い頃の節子を知っている人からオレンジトーンのあったかい感じの花束が、
そして大学で国文学を教えている人からは平安朝を感じさせる幽玄な雰囲気の花束も届きました。
花かご会の花と一緒に、節子のまわりはちょっと楽しげです。
節子は本当に花三昧の毎日です。

(2007年9月第3週)
堂々とめそめそしながら、涙を出して笑いながら、自然体に時間を過ごしています。
■節子の二七日(2007年9月16日)
■2組の弔問(2007年9月17日)
■「十分に悲しみください」(2007年9月18日)
■社員の能力を最大限に活かす企業(2007年9月19日)
■福島で講演ができました(2007年9月20日)
■「百億の夜と千億の昼」(2007年9月21日)
■ふぁっとえばー秋山さんの来訪(2007年9月22日)

■節子の二七日(2007年9月16日)
節子が旅立って2週間目です。
市川覚峯さんが来てくれたので、二七日法要は市川さんにお願いしました。
市川さんが写真を持ってきてくれました。
市川さんの得度式の時や高野山や大峯山での写真です。
高野山の断食明けに節子と一緒に行きました。
その時の写真に、私たちと松長有慶さんが一緒に写っている写真がありました。
松長有慶さんは、今は高野山真言宗の管長です。
まさかそんな高僧とは節子は思っていなかったでしょう。
節子も私も職位にはほとんど無関心なタイプなのです。
しかし何となくうれしい気がしました。
松長大僧正と知り合いであれば、彼岸への旅も安心かもしれません。

二七日膳はちょっと豪華に外食でもと思っていたら、姉がまぜご飯を届けてくれました。
それで節子と一緒に膳を囲みました。
霊前の花に庭のひまわりと花虎ノ尾を入れて少し感じを変えました。
白い花にエネルギーを吸収されて、へとへとになっていましたが、これで大丈夫です。

■2組の弔問(2007年9月17日)
節子の件は、私の友人知人には葬儀が終わってから連絡しました。
節子の友人を中心としたお別れの場にしたかったからです。
私の友人知人に伝えると何やら大げさになりそうな懸念もありました。
しかし、情報は少しずつ広がるものです。

今日は私のホームページを見た大学時代の友人が2人やってきました。
霊前で私が茫然自失しているのではないかと心配してとんできてくれたのです。
私が元気そうなので安心してくれました。
どうも私の表現は大げさすぎるようです。
「呆けている」と書いていますが、頭だけが呆けているのです。
とても大きな花束を持って来てくれましたが、予め頼んでおいたので色目の多い花を持ってきてくれました。
祭壇の白い雰囲気が華やぎました。
落ち着いたらまた集まりをやろうと言われました。
みんな心配してくれているのです。ありがたいことです。

アイモのお2人も突然やってきました。
中越地震の被災地、柏崎に行っていたそうです。
柏崎の様子を少し聞きました。大変そうです。
アイモはコムケア仲間です。
実は、私がコムケア活動にのめり込んだのは、少なからず妻の影響がありました。
頭だけで考えがちな私に対して、妻はいろいろな形でアドバイスしてくれました。
選考会にも必ず出席してくれ、後でいろいろとコメントしてくれました。
ケアとは何か、つながりとは何か。
これについても節子との会話や節子の活動の中からたくさんの気づきを得ることができました。
私の活動が、それほど独りよがりにならないですんだのは節子のおかげかもしれません。
コムケアは、実は節子との共同作業でもありました。

ですから、節子がいなくなった今、コムケア活動にどう関わればいいのか、ちょっと迷っているのです。
相談相手も、元気づけてくれる人もいなくなり、動機づけがなくなってしまったからです。
しかし、その一方で告別式に来てくれた、ふぁっとえばーの秋山さんの言葉も忘れられません。
「佐藤さんが戻ってくるのを待ってます」。
今日もアイモの2人から同じようなことを言われました。
みんな私のことを心配してくれているのでしょう。
ありがたいことです。

こうしてたくさんの人たちからエールを送ってもらっています。
でも残念ながら、節子の笑顔には勝てません。
節子の笑顔に勝るものはありませんから。

■「十分に悲しみください」(2007年9月18日)
今日も2組の人が弔問に来てくれました。
娘の友人たちと節子の親友だった長沼さんです。
節子はちゃんと気づいているでしょうか。

夕方、1通の手紙が届きました。
今年の6月に知り合った同世代のKさんからです。
衝撃的な内容でした。
一挙に涙が出てきてしまいました。
その人の奥様が、節子と全く同じ病気で、今年の3月に亡くなられていたのです。
全く知りませんでした。
「十分に悲しみください」と書いてありました。
私だけではなく、同じ立場の方がたくさんいることに気づきました。
節子の前で手紙を読み上げようと思いましたが、途中で読めなくなりました。

明るいニュースも届きました。
パウサニアス・ジャパンのメンバーの早川さんから、念願のギリシア移住が決まったという電話がありました。
ニコス島でシェフになるそうです。
節子が元気だったら2人で遊びに行けるのですが、節子がいなくなってしまったので、私が訪ねることはありません。
でもとても嬉しいニュースです。
早川さんのことはとても気になっていたのです。
長いこと音信不通になっていたのに、私にまで連絡してくれました。
良かったですね、と言ったのですが、ついつい節子のことを思い出してしまい、心がこもっていなかったかもしれません。
申し訳ない事をしてしまいました。

今日は他にも意外な人から電話がありました。
節子のことはまだほとんどの友人が知らないのでしょうね。
話していて、なにかとても不思議な気がします。
節子がいなくなっても世界は何も変わらない。
みんな明るく私に話しかけてきます。
そんな当然なことさえ、今の私にはとても不思議に思えてなりません。

■社員の能力を最大限に活かす企業(2007年9月19日)
久しぶりに湯島のコンセプトワークショップで企業の経営幹部のみなさんとミーティングをもちました。
KAE経営道フォーラム41期の人たちとのディスカッションです。
テーマは、個人と組織の関係。
昨今の企業現場に関しては、私はいろいろな思いがありますが、
ようやく多彩な個人を前提にした経営発想が出てきたように思います。
管理から経営へ、やっと日本の企業も新しい局面に入りそうです。
メンバーたちで議論を重ねてきたようで、成果が楽しみです。
成果発表会は11月です。

みなさんと議論しているときは元気だったのですが、
議論が終わって一人になったら、やはりどうにも悲しくなってしまいました。
このオフィスは節子と一緒に育ててきたところです。
節子の思い出がつまり過ぎているのです。
コンセプトワークショップは累積損も大きく、今でも借金がありますが、
収入になる仕事よりも出費ばかりの仕事をしていた私のせいです。
給料も払えないのに、節子は不平も言わずに私に付き合ってくれました。
そんなことを思い出すといたたまれなくなります。
どこに行っても節子との思い出があり、辛いです。

帰宅するとまた涙がとまらない手紙がTさんから届いていました。
この人も、節子のことをとても心配してくれていました。
節子が息を引き取った後、連絡がなくなっていました。
その理由は推測できたのですが、やはりそうでした。
みんな、それぞれに辛い人生を持っています。
節子のおかげで、そういうことがやっと見えてきました。
「あなたは物事を簡単に考えるが、人はそれぞれみんな重いドラマを背負っているのよ」。
節子のそんな声が聞こえてきます。

そうした重いドラマを背負いながら、そして悲しみを超えながら、みんな生きている。
私は果たして超えられるでしょうか。
節子は、そのことを一番心配していました。
そのことを知っているかのような手紙が、2日続けて届きました。
これは決して偶然ではないでしょう。
節子に感謝しました。
もちろん昨日と今日の手紙の差出人にも、です。
人は本当に多くの人に支えられています。

■福島で講演ができました(2007年9月20日)
今日は前から約束していた、福島での講演です。
不安はあったのですが、約束は守らなければ、節子に叱られます。
しかし、上野を新幹線が発車した途端に、なにやら不安感が強まりました。
節子はやはり遠出を望んでいないのかもしれません。
でも節子の顔を思い出していたら、落ち着きました。

今回は勤務25年前後の県や市町村の職員を対象にした、
「地域経営の担い手としての意識変革」の話です。
私の話は、たぶんほかの講師とは違い独善的ですので、受講者は反発することも多いはずですが、
みんな熱心に聴いてくれました。
かなり盛りだくさんの内容なのですが、コアメッセージさえ伝わればいいのです。
失敗など気にせずに、自分がやりたいことを見つけて挑戦できる時代になっているのだから、
思い切り仕事を楽しみましょう、というのが私のメッセージです。
話していると節子を忘れられるのですが、途中で、一度だけ節子のことを思い出してしまいました。
そんなこともあって、今回はやや声が暗かったかもしれません。
しかし何とか無事終えることができました。
終了後、控え室に戻ったら、話を聞いて感動したので挨拶したいという人が来てくれました。
こうした反応があればこそ、嫌いな講演も続けられます。
ちょっと元気が出ました。

帰路、福島の花見山に節子と一緒に来た時のことを思い出してしまいました。
磐梯吾妻スカイラインにはとうとう一緒にくることはできませんでした。
そういう「積み残し観光地」がいたるところにあります。
その近くに行く度に、きっと涙が出るでしょうね。

■「百億の夜と千億の昼」(2007年9月21日)
2か月ぶりに本を読みました。
節子の状況が悪くなった7月中旬から、本を読む気がなくなっていました。
久しぶりの読書です。
しかし、読んだ本は「漫画」です。

萩尾望都の「百億の夜と千億の昼」。
ご存知の方もいるでしょうが、原作は光瀬龍の小説です。
私は光瀬龍のSFが大好きでした。まだ節子に会う前でした。
私の心の底にある、冷え切った無常観や輪廻転生観は、若い頃に読んだ光瀬龍の宇宙年代記物の影響です。
萩尾望都の「百億の夜と千億の昼」は、原作の小説とは違った作品だと言われています。
難解な光瀬龍の小説をビジュアライズした萩尾望都の想像力と創造力には驚嘆しました。
この本は実に魅力的です。ダヴィンチ・コードより壮大です。
キリスト教徒には冒涜の書と言われるでしょうが。

ちょうどブログに般若心経のことを書いたところなのですが、
昨夜、夜中に目が覚めて、般若心経をあげて何の意味があるのだろうかと思い出してしまったのです。
そして唐突に思い出したのが、この漫画でした。
書庫から探し出して、久しぶりに読んでみました。
主役は阿修羅、主な脇役はキリスト、ユダ、シッタルダです。
時間軸は数十億年。
宇宙とは何か、私たちは何なのか、生きるとは何か。
壮大な物語です。

残念ながら般若心経をあげる意味は見つかりませんでした。
般若が見つからなかったということです。
般若心経はこれからもあげ続けることにしましたが、節子ともっと会話することにしました。
話したいことがたくさんありますから。
なぜ話せる時にもっと話しておかなかったのでしょうか、などと思わずに、これからでも遅くないと気がつきました。

■ふぁっとえばー秋山さんの来訪(2007年9月22日)
お彼岸です。
館山からコムケア仲間のふぁっとえばーの秋山さんが節子に会いに来てくれました。
秋山さんは告別式でも最後まで送ってくれたのですが、
朝、(たぶん)6時に起きて、不自由な身体で我孫子まで来てくださいました。
遠くから本当にいろいろな人が来てくれます。
節子が呼び寄せているのでしょうか。私が心配で来てくれるのでしょうか。
ちなみに私は元気で心配は全くありません。
元気なのに、涙が出て、身体が動かない、頭も動かない、ただそれだけです。
少し減った体重も回復してきています。

秋山さんは館山を拠点に、障害を持つ人の働く場を広げて行く活動に取り組んでいます。
ご自身が42歳で身体障害者になってしまい、以来、人生を大きく変えた人です。
5年前から安房チャレンジド大会を毎年開催するなど、南房総では話題の人ですが、
NPOの運営面では経済的にも活動面でもとても苦労しています。
安房(南房総)では、まだ障害者が自ら働くという意識が強くないのも問題かもしれません。
私は、ふぁっとえばーがスタートする時にささやかに応援しました。
しかし、最近はほとんど関わりがなくなっています。

コムケア活動の事務局長をしていると、特定のNPOにコミットできるのは長くて1年です。
できるだけさまざまな活動に関わっていくことがミッションでもあると思っています。
実は、そこにこそコムケアセンター事務局長の「疲れる理由」があり、
節子がいなくなったいま、持続できるかどうかの悩ましさがあります。
しかし、秋山さんと話していて、ついついまた約束してしまいました。
10月に、これからのふぁっとえばーの展開に関する検討会を開くことにしました。
テーマは、障害者就業支援です。
現場の人に会うと、ついついコミットしてしまう、私の習癖を、節子はどう思っているでしょうか。
こういう生き方が、実は節子にいろいろと苦労をかけてきてしまったのです・
相変わらずね、ときっと笑っているでしょう。


(2007年9月第2週)
今週も妻と一緒の生活日記です。すみません。
少しずつ社会との接点を増やそうとしていますが、時間がかかりそうです。
気を紛らすために、CWSプライベート(ブログ)に「妻への挽歌」を書いています。
■話していないと気がつまりそうです(2007年9月10日)
■久しぶりに社会復帰した1日(2007年9月11日)
■節子の仏壇(2007年9月12日)
■間に合わなかったイチジク(2007年9月13日)
■節子に会ったことのない人たちからのお悔やみ(2007年9月14日)
■子育ち座談会に参加しました(2007年9月15日)
■節子の彼岸への旅は順調です(2007年9月15日)

■話していないと気がつまりそうです(2007年9月10日)
お客さまがありません。
節子の遺影の前で呆けているのですが、無性に話かけたくなります。
娘が気を使って話かけてくれますが、節子の代わりにはなりません。
伴侶を失うと言うことはこういうことなのだと少しずつ実感が強まっています。
私のようなさびしがり屋が果たして耐えられるかどうか心配です。

いろいろな方からメールが入り出しました。
節子の前にパソコンを持ち込んで、返信したりしていますが、すぐには返信できないものも少なくありません。
節子に読ませたいようなメールも少なくありませんが、読ませることができないのが寂しいです。
本来ならば、仕事などで気がまぎれるのかもしれませんが、私の場合は、しばらくは仕事をやる気さえ出てきません。
家事はむすめたちがやってくれますので、私はやることがありません。
世間のニュースへの関心もいまはありません。
時評を目指していたブログ(CWSプライベート)も節子への挽歌しか書けなくなってしまいました。
これは毎日書いています。

夕方、兄がやってきてくれました。ホッとしました。
誰かが来ると気分がまぎれます。
節子は花が好きだったことを知ってくれている方が多いせいか、花がよく届きます。
節子の祭壇のまわりは、今も花でいっぱいです。
節子には部屋いっぱいの花が見えているでしょうか。

■久しぶりに社会復帰した1日(2007年9月11日)
最後を看取ってくれた岡田医師にお礼に行きました。
岡田医師は往診するクリニックを昨年開院したのです。
岡田さんのおかげで、節子は最後まで自宅で過ごせました。
節子は喜んでいるはずです。

自宅への引きこもりを打破するため、前から予定されていた委員会に出席することにしました。
人材育成委員会です。
4年目になりますが、今年度はダイエー会長の林文子さんが委員長です。
私は面識はありませんでしたが、しっかりした見識を感じました。
今年度は企業のミドルマネジメントがテーマです。
これに関しては、いろいろと意見がありますが、通ずるかどうか少し不安です。

委員会が始まった直後にむすめからメールが届きました。
滋賀から弔問客が突然やってきたというのです。
魚助の松井俊和さんでした。
節子がまだ闘病中に見舞いに来たいと言っていたのを延期してもらっていた人です。
委員会では幸いに最初の方に意見を言う機会をもらえたので、途中で退席して帰宅しました。
在宅の時は、あまり人は来ないのに外出すると来客があるようで、他にも弔問客がありました。
近くの3世代家族でした。節子は世代を超えて愛された人でした。

松井さんと会うのは本当に久しぶりです。
彼は滋賀で、鮒寿司に取り組んでいます。伝統を活かしながら、今の時代に合わせた鮒寿司です。
このサイトともリンクしています。
私も彼の活動を応援して行くつもりです。節子の親戚なのです。
久しぶりなので話がつきませんが、私の方がダウンしてしまいました。
人と話していないと気が持たないのですが、
1時間も話していると今度は節子が恋しくなって、また気が持たなくなります。
どうしようもありません。

今日は疲れきった1日でした。

■節子の仏壇(2007年9月12日)
また弔問客があるといけないと思い、自宅にいましたが、来客はありませんでした。
どうもうまくいきません。

墓石に戒名を彫ってもらいお願いに行きました。
帰りに仏壇も見ました。
節子的な仏壇にしないといけないのですが、最近はなんとベネチアングラスの仏具までありました。
わが家にある節子が好きだった小物で、もしかしたら節子の世界が構成できるかもしれません。
仏壇は小型のものにする予定です。
10万円から数百万円までいろいろありますが、娘たちに任せることにしました。

それにしても、やはり葬儀や死者の弔いにかかる費用はかなりのものです。
しかもそこに経済的な商業主義のわなが巧みに仕組まれているのです。
ブログで弔電のことを批判的に書く予定ですが、
いざ自分が選ぶ段になると安い物を選ぶのに何となく抵抗を感じます。
節子も私も、そしてわが家の文化も価格にはほとんど無関心なはずなのですが、
死者のためにどこかで高価な立派なものを選んでしまいそうなのです。
もちろん見栄も働いています。
自分の卑しさがいやになります。

■間に合わなかったイチジク(2007年9月13日)
節子の気分がおさまったのか、今日は青空が見えています。
このごろはすべてのことが節子とのつながりで考えてしまいます。
今日は3組の方が弔問に来てくれました。
弔電をたくさんの方たちからもらっていましたので、その方たちにお礼のメールを送りました。
弔電に関しては、ブログにちょっと失礼なことを書く予定ですので、それを読まれるとちょっとまずいかなとも思いながら。

節子が世話をしていた家庭農園の隅にイチジクの樹があります。
4年ほど前に節子が植えました。
転居前の家のイチジクを挿し木で育てていたのです。
前の家の庭にあったイチジクは、毎年、たくさんの実をつけました。
日本イチジクですから、お店で売っているものとは味が全く違います。
節子はそのイチジクが大好きだったのです。
闘病中に早く熟さないかと思っていましたが、鳥に食べられたりして収穫できませんでした。
そのイチジクが今日やっと一つ収穫できました。
霊前に供えましたが、節子に食べてもらえなかったことが残念です。

世間は、安倍首相の突然の辞任で大騒ぎですが、福田さんが名乗りをあげました。
節子が聞いたら喜ぶでしょう。
節子は福田さんにはなぜか信頼感を持っていました。
相対的な話ではありますが。
節子は政治にも関心をもっていました。もちろん生活者の視点からですが。
その節子の意見がこれからは聴けないのがとても寂しいです。
私の考えはますます偏りそうです。困ったものです。

娘たちのおかげで、少しずつですが、私の生活も元に戻り出しそうです。
娘たちは、節子からの最高の贈りものです。改めて節子と娘たちに感謝しています。

■節子に会ったことのない人たちからのお悔やみ(2007年9月14日)
このサイトに何度も登場している佐久間さんから、本が送られてきました。
「希望は失望に終わらず」(致知出版社)です。
最愛の妻が遺していった愛のメッセージを軸に三浦光世さんが書き綴った本です。

佐久間さんは節子の闘病中からいろいろと気にかけていただいていました。
お互いに面識はないのですが、女房は佐久間さんからのお守りを大事にしていました。
元気になったら会いに行こうと言っていたのに、実現できませんでした。

佐久間さんは少し前に「愛する人を亡くした人へ〜悲しみを癒す15通の手紙」(現代書林)という本を出版しています。
このサイトでは佐久間(一條真也)さんの著書は必ず紹介させてもらっているのですが、この本だけは読む気になれずにいます。
佐久間さんは、そのことをもちろん知った上で、今回の本も送ってくれたのですが、
いずれの本も読み出せるのはもう少し先になりそうです。

佐久間さんのように、節子に会ったことがないのに節子のことを気にかけてくれていた人がたくさんいます。
私の妻だからということでは必ずしもないようにも思います。
節子は、みんなから愛される不思議な人でした。
節子のおかげで、つながりが深まった私の友人知人も少なくないのです。
そうした人たちに、私の誇りだった節子を会わせられなかったことが残念です。

昨日、私も一度も会ったことのない広島の折口さんから電話がありました。
折口さんの友人までが節子のことを気にしていてくれたようです。
電話を切った後、遺影の笑顔を見ていたら、涙がでてきました。
全国にいる、そういう人たちに会いに行けなくなってしまったのが本当に残念です。
また、節子に会ったことのない人から、生花が届きました。
花が大好きだった節子は、いまも花に囲まれています。
私も花の香りに囲まれて、今日は静かに過ごせました。
そろそろ動き出せそうです。

■子育ち座談会に参加しました(2007年9月15日)
迷ったのですが、前から頼まれていた子育ち学ネットワークの座談会に出席しました。
代表の深作さんが、私の状況を知っていて、欠席してもよいと言われていたのですが、
子育ち学ネットワークには私も思いがありますし、なによりも何かを始めないと節子に怒られそうです。
娘たちからも勧められました。
自宅にばかりいるとおかしくなりそうでもありますし。

座談会には久しぶりの吉成信夫さんやコムケア仲間の渡部達也さんも参加されました。
子育ち学ネットワークで今度本を出版するのですが、そのための座談会です。
とても刺激的な話が飛び交いました。
一つだけ全員に共通していた思いを書けば、子育ち・子育てとはつまるところ、
大人たちの生き方、社会のあり方の問題だということです。

私以外はみんな現場での実践者ですが、彼らの目は子どもたちを超えて、大人たちの生き方にあるのです。
とても共感できます。
本が出版されたらご紹介しますが、その本には各地での見事な実践が紹介される予定です。
ぜひ多くの人に、そうした現場の動きを知ってもらいたいと思います。

コムケア活動をこれからどう関わろうか迷っていますが、少しずつまた復活できるかもしれません。

■節子の彼岸への旅は順調です(2007年9月15日)
節子が息を引き取って明日で2週間目です。
今もなお毎日のように花が届いていますので、節子が安置されている祭壇のまわりは花でいっぱいです。
ちょっと多すぎて困っているほどです。
それも白い花がほとんどなので、そこにずっといるとなんだか気分が悲しくなります。
今日も花が2つ届きました。

花だけではありません。
広島の折口さんと原さんからとても素朴な土の風鈴が届きました。
2人とも、私も会ったことのない人です。人のつながりは不思議なものです。
できるだけさみしくない音色を選んでくれたそうですが、やはりさみしいでした。
節子はどう感じているでしょうか。

ところでもう一つ届いたことがあります。
その後の節子の様子です。
いわゆる「危ない話」シリーズに属する話なのですが、節子のことをとても心配してくださっていた方から電話がありました。
若くして亡くなった彼女の娘さんからの伝言です。
節子はいま花いっぱいの美しいところで、彼女の娘と一緒にいるということです。
節子の彼岸への旅は順調のようです。
これについてはまたブログに書きます。

(2007年8月第5週〜9月第1週)
9月3日に妻の節子が息を引き取りました。
予想もしていなかったことです。
このホームページももうやめようかと思ったのですが、
何かしていないととてもやり切れませんので、続けることにしました。

毎朝、早く目が覚め、節子の遺骨の前で般若心経をあげることから1日が始まるのですが、節子は返事をしてくれません。
いえ、まだ聞こえないだけかもしれませんが、そこに座っていると涙がとまりません。
そこでパソコンを持ち込んで、遺影を見ながら、節子のことを書き残すことにしました。
もちろん私のこともです。
私と節子は、いつも一心同体でした。
ブログも再開するつもりです。
話しているか書いているかしていないと、気がおかしくなりそうです。
これまでと少し違ったトーンになると思いますが、お付き合いしてください。

しばらくは自宅にいますので、気が向いたら足をのばしてください。
何もお構いはできませんが、節子には会えるかもしれません。

■一番幸せになるはずだった日(2007年9月2日)
闘病生活をしていた節子に奇跡が起こった日でした。
午前中に、このホームページに週間報告を書く予定で、原稿を書きかけていましたが、
そこには、奇跡のことが書かれ、明るい記事が載るはずでした。
しかし、そうはなりませんでした。
その日が終わった、3日の午前0時、節子は息を引き取りました。
私にとっての、幸せな世界は終わりました。

■節子を送った1週間(2007年9月3〜9日)
通夜まで、私はずっと寝ている節子に寄り添っていました。
節子の寝顔は、すばらしく美しかったです。
あれほどの凄絶な闘病生活を続けていたとは全く思えませんでした。
節子が息を引き取る時のことは告別式の挨拶で少し話しましたが、
最後まで家族のためにがんばってくれました。
息を引き取った朝、市川覚峯さんご夫妻がとんできて、般若心経と観音経をあげてくれました。
それからの1週間は、あっという間でした。

○9月3日
自宅で節子と過ごしました。
節子と親しかった友人知人と節子の病いを気にかけて下さっていた人たちに連絡しました。
しかしいろいろと抜けがあったと思います。
節子は、あまり幅広く伝えることを望んでいませんでしたので、私の友人知人には連絡しませんでした。
何人かの方々が節子に会いに来てくれました。
みんな、節子のことを「前向きで、やさしい人」と言ってくれました。
本当に、明るく、前向きで、やさしい人でした。
私の誇りでした。
私が自分の生き方を貫けたのは、彼女のおかげです。
悲しすぎて、涙がとまりません。

○9月4日
午後4時まで節子は自宅にいました。
節子も一緒に最後の家族会議を開きました。
娘たちにも、とてもすばらしい母親でした。友達でもありました。
4時に葬儀場に出発しましたが、晴れていたのに、家を出た途端に雨が降り出しました。
そして葬儀場についたら止みました。
告別式も含めて、この2日間は雨がよく、そして激しく降りましたが、
節子や私たちが外に出る時には不思議と雨は止みました。
節子が家を出る前に、会葬に来てくれた人たちにお渡しする手紙を書きました。

葬儀場についたら、生花が祭壇に並んでいました。
「いきがいの創造」の飯田史彦さんからの花もありました。
どうして知ったのでしょうか。
飯田さん以外にも、まさかと思う人からの生花がありました。
20本を超える生花が届いていました。

通夜には200人くらいの人が来てくれました。
最初に来たのは杉本泰治さんでした。
杉本さんは3日に自宅にも来てくださいました。
節子が尊敬していた人ですので、とても喜んでいるでしょう。
通夜が終わった後、葬儀場の隣室で、節子の姉夫婦と一緒に泊まりました。

忙しい1日でした。娘たちがよくしてくれました。
いつもなら節子が相談にのってくれるのですが、今回は私と娘たちとで進めなければいけません。
しかも考える時間もなく、何となく流れに乗ってしまった気がします。
本当に節子が望んだお別れのスタイルになっているのかどうか、ようやく気がつきました。
今の流れの中で、できるだけ「節子的」に進めていこうと反省しました。

○9月5日
5時過ぎに節子が寝ている所に行って、明かりをつけようとしたら、壁に3筋の光が輝きました。
気のせいかもしれませんが、私には確かに見えました。
節子といろいろと話しました。相談にも乗ってもらえました。

告別式には100人ほどの人が来てくれました。遠くからも来てくれました。
最初に来てくれたのは、ふぁっとえばーの秋山岩生さんでした。
節子はいつも秋山さんのことを気にしていました。
いや、秋山さんだけではなく、私を通して知った人たちのことを気にしていました。
自分よりも、他の人のことを気にする人でした。
ただ、8月には、そうした気配りをする余裕がなくなるほど、大変でしたが。

式が始まる直前に、福岡の西川義夫さんが飛び込んできてくれました。
ずっと気にしていてくださったのです。まさかの西川さんでした。
告別式の最後に、話をさせてもらいました。
涙で話せなくなるのではないかと思っていたのですが、不思議にも最後まで話せました。
しかし、何か一番大事な事が話せなかったような気がしています。

火葬場にもいろいろな人が来てくれました。
九州や滋賀などから来てくれた節子の親友たち、花かご会の人たち、秋山さん、
それに最後まで節子を元気づけてくれた長沼さん。
菅野さんと宮部さんも来てくれました。
みんなで見送ってくれました。

告別式が終わり、自宅に戻っても、まだ実感が持てませんでした。
夜は、遺骨を私たち夫婦の寝室に運んで、節子と一緒に眠りました。
すべてが変わったようで、何も変わらないようで、まだ思考力が戻りません。

○9月6日〜8日
少しずつ、私の友人たちにも訃報が伝わり出しました。
弔電や花が届き出しました。
花好きの節子は、今は花に囲まれています。
節子の遺影をまざまざと見ていたら、この写真は少し賢そうすぎて、節子らしくないような気がしてきました。
節子のやさしさや明るさが出ていません。

近所の人や娘の友人たちも来てくれました。
節子は本当にたくさんの人たちに愛されていたのです。
みんな異口同音に、優しくて、前向きで、いつも元気をもらっていました、と言ってくれます。
そのやさしと前向きさに、私は元気をもらい続けていたのだなと、改めて知りました。

○9月9日
初七日です。
法要は葬儀の時にすませましたので、家族3人で祭壇を囲んでの食事です。
わが家らしく、質素な初七日膳です。

祭壇は家族で「節子的」に賑やかにしました。
遺骨には節子のお気に入りの帽子をかぶせました。
もっとも、遺骨は家族がいろんな場所に連れて行っているので、結構忙しいのです。
常識や風習を意識しながらも、それに囚われることなく、
自由に、明るくカジュアルに、しかし心を込めて、というのが、節子が育ててきた、我が家の文化です。
節子が教えてくれたことは山のようにありますが、それに気づいたのは彼女が厳しい闘病生活に入ってからでした。
本当にだめな夫だったと、遺影をみながら反省をしています。

来週はもう少し立ち直れるでしょうか。
無理でしょうが、節子が守ってくれるでしょう。
私にとっては、彼女はすべてでした。

(2007年8月第4週)
8月も終わりそうです。
今年の夏は、我が家には過酷な夏でした。
女房の過酷な闘病の一端を担っただけなのですが、
「闘病」という言葉の意味を初めて実感しました。

闘病とは、愛する人のために自らと闘うことなのだと実感しました。
自らのために病気と闘うことではないのです。
女房の様子をみていて、それがよくわかりました。
そして、闘病の目的は必ずしも病気を治すことではありません。
病気との関係も含めて、自らをしっかりと生きぬくことです。
いうまでもありませんが、病気になった当事者だけが闘病しているわけではありません。
家族もまた同じように闘病しているのです。
そのことを改めて再認識しました。

闘病を支えるのは、やはり「希望」です。
希望を基本にしない医療は闘病中の人には支えにはなりません。
もちろん家族にとっても、そうです。
家族は、希望があればこそ、闘病に取り組めます。
希望があれば、延命措置という行為は生じません。
そのことに気づきました。

希望を持続することはそう簡単なことではありませんが、
それがなければ闘病は継続できません。
そうした患者や家族に対して、医師は大きな存在です。
医師は希望を与えられると同時に、希望を壊すこともできます。
しかも、そのいずれも「誠実さ」や「善意」から行われます。
そこに医師のプロフェッションを感じます。

やや大仰に思われるでしょうが、近代科学の問題もかなり見えてきました。
近代科学に欠落しているのは、やはり生命への畏敬の念です。
近代科学は小賢しい者たちの「幸せな」饗宴なのかもしれません。
イバン・イリイチのメッセージを思い出しました。

同時にまた、人に植え付けられた「思いやる心」への確信も深まりました。
人は人を思いやることで、喜びを得ると同時に悲しさを味わいます。
人の本質は開かれた思いやりの心(仏性)だという確信は深まりました。

介護の傍ら、鈴木信夫さんが届けてくれたテレビで放映された五木寛之さんの「仏教への旅」を10時間見せてもらいました。
本とは違った気づきがいろいろとありました。
改めて仏教の役割を感じました。

それにしても、わが女房は健気に闘病しています。
彼女の故郷の渡岸寺や赤後寺の観音が応援しているのかもしれません。
多くの人たちのエールが支えてくれているからかもしれません。
私が同じ立場になったらどうでしょうか。
女房のようにはがんばれないかもしれません。
私たちのために闘病している女房に惚れ直しています。
気づくのがちょっと遅かったでしょうか。

今週は何をやったでしょうか。
何もやらなかったのですが、途方もなくたくさんのことをやったような気もします。
自宅から一歩も出なかったのも生まれて初めての経験です。

週末に秋を感じるようになりました。
稔の多い秋であってほしいと念じています。


(2007年8月第3週)
暑さが続いており、40.9度になったところもあります。
我孫子も暑かったです。
なかなか女房の病状を安定させられずに、今週もずっと在宅介護を続けました。
そんなわけで報告記事がありません。

(2007年8月第2週)
猛暑になりました。
しかし女房のおかげで、私は我が家の涼しい「病室」で毎日を過ごしています。
ほとんど自宅で生活しているため、曜日感覚がなくなってきました。
家事は娘たちがしてくれますが、私もそれなりに手伝っています。
改めて家事の大切さと大変さに気づかせてもらっています。
社会がおかしくなってきたのは、家事を社会化したためではないかと思います。

今週は北九州市から橋典子さんがやってきました。
スペインタイルもやってみたいと、我が家までやってきてくれました。
久しぶりに北九州の話をいろいろと聞かせてもらいました。

久しぶりに大宰府の加野信子さんとも電話で話しました。
女房のことを気遣ってくれて、フコイダンを送ってきてくれました。
フコイダンに関して、どなたか情報をお持ちの方がいたらぜひ教えてください。

女房がすぎの梨園の梨が食べたいというので、すぎの梨園に行きました。
杉野さんたちの生き方は理想的です。家族で梨園を中心に汗を流す仕事をしています。
今日は美味しいとうもろこしをもらってきました。

医師や看護師との関係も少しずつ見えてきました。
点滴交換など、わざわざ看護師にお願いしなくても家族で出来ることはたくさんあります。
できることは家族で手分けしてやることにしています。
ここにも、これからの医療制度を考えるヒントがあります。

福井から女房の姉夫婦が見舞いに来てくれました。
女房が一番大変な状況のときでしたので、きっと心配を背負ってしまったのではないかと思います。

まあ、そんなこんなで気がついたら日曜日になっていました。
この3週間は、本当にアッという間の3週間でした。
とりわけ今週は寝不足も続き、ブログもあまり書けませんでした。
気丈夫な女房も、今週はとても大変でした。
しかし希望は失っていませんし、奇跡の予兆もあるのです。
信ずることから、奇跡は必ず始まります。
もうじき奇跡の報告もできるかもしれません。
祈ってくださっている方たちに、心から感謝します。

(2007年8月第1週)
女房が自宅で在宅診察を受ける体制に切り替えました。
病院やクリニック、訪問看護ステーション、ケアマネージャーなど、さまざまな人たちとのネットワークが整いました。
おかだクリニックの岡田邦博医師との出会いが状況を一変させました。

わが家に病室が出来た感じですが、まさかこうなるとは思っていなかったので、間取りがよくありません。
住宅を新築する時には、こうしたことも想定しておく必要があると痛感しました。

そんなわけで、今週もほぼ自宅生活でした。
書きたいことは山ほどありますが、あまりに個人的かつ概念的なことが多いので、今週の週間報告はお休みします。

久しぶりにパオスの中西元男さんに会ったり、 思わぬ人から電話やメールが来たりしましたが、
いずれもいつかまた書く機会があるでしょう。

今週はいささかばて気味ですが、娘たちに支えられて元気です。

(2007年7月第4週)
今週はちょっと厳しい週でしたが、梅雨もあけ、颯爽とした夏が来ました。
これで気分が変わっていくかもしれません。
今週はあまり書く元気がなく、更新をやめようと思ったのですが、週末に少し元気が出てきたので、金曜日のサロンの話を書いておくことにしました。
ちなみに、ブログ(CWSプライベート)だけは毎日書いています。

■技術と暮らしを考えるサロンの再開(2007年7月27日)
昨年、中断してしまったサロンの装いを少し変えて、再開しました。
今回の話題提供者は科学技術倫理フォーラムの鳥羽瀬さんです。
久しぶりに鍋山さんと半田さんが参加したほか、新たに坪倉さんと佐藤国仁さんも参加しました。
今回はそれに権上さんと私の7人でした。
多種多様な立場と意見を持ったメンバーです。

今回のテーマは「宇井純」でした。
宇井さんがなくなって半年以上たちますが、先月、「宇井純を学ぶ」という公開自主講座が開催されました。
それに参加した鳥羽瀬さんがそこで出会った、宇井さんをめぐるさまざまな「気になる言葉」を紹介してくれ、それを入り口に自由に意見交換するというのが今回のサロンでした。

このサロンは、毎回、話題提供者を決め、その人がテーマとスタイルを決めることになっています。
今回は鳥羽瀬さんがその役目を引き受けてくれたのです。
最初にテーマをお聞きした時、鳥羽瀬さんから「実は1年ほど前まで宇井さんのことはまったく知らなかった」と聞かされて驚いたのですが、今回、参加されたなかにも知らない人がいたのです。
念のために言いますが、鳥羽瀬さんも含めて、いずれも「環境問題」に関心が高く、しかも好奇心の強い人たちです。
時代の流れを感じます。

宇井さんといえば、私たちの世代にとっては、自らの生き方に少なからず影響を与えた人ですし、知のあり方においても新しい風を起こした人です。
しかし、考えてみると、私自身どの程度知っているかと問われるとあぶないものです。
私自身は宇井さんが続けられていた自主講座には一度も出ていませんし、直接,お話をお聞きしたこともありません。
にもかかわらず、宇井さんというと、時代を切り開いた存在であり、語り継がれている人だという勝手な先入観があったのです。

鳥羽瀬さんが紹介してくれた、さまざまな人の「宇井さんからのメッセージ」はとても刺激的で共感できるものでした。
宇沢弘文さんもまた、宇井さんから大きな影響を受けていたことも知りました。
宇井さんの起こした風は、いろいろなかたちで広がっているのです。
ただ残念ながら、その風はいまだに時代の風にはなっていないようです。

話の内容が紹介できないのが残念ですが、実に刺激的でした。
とりわけ佐藤国仁さんの宇井さんへの思いを込めた発言には、私も若い頃の思いが蘇ってくるような気がしました。
佐藤国仁さんは初めての参加でしたが、次回の話題提供役を引き受けてくれました。
今度はどんなテーマでしょうか。

次回 は9月28日です。
ご関心のある方はぜひご連絡ください。
だれでも参加できる気楽なサロンですので。

(2007年7月第3週)
台風が来ました。そして地震も来ました。
今週は大きな構想に取り組む人たちとの接点がいくつかありました。
そのなかから、共感してくださる方がいたら、それぞれの構想者にぜひ紹介させてほしいものを書いておきます。
関心をもたれたら、ぜひ私に気楽にメールをください。
■助け合う文化(2007年7月17日)
■支えあう仕組み(2007年7月17日)
■川本兼さんの「平和学構想」(2007年7月19日)
■和菓子と日本文化(2007年7月20日)

■助け合う文化(2007年7月17日)
共済文化の危機に取り組む岩川さんと渡辺さんとお会いしました。
今回は「共済制度と日本経済」の著者の一人でもある相馬健次さんも一緒です。
岩川さんたちの取り組みは、ぜひ、共済の今日と未来を考える懇話会のホームページを見てください。
国会議員への働きかけも進んでいるようです。

岩川さんたちは、さらにもっと広く社会に呼びかけたいと考えています。
いまそのための構想を検討しています。
何か役立てることがないか、私も考えています。

日本がいま急速に失おうとしているのが「助け合う文化・支えあう仕組み」です。
その結果、最近、悲しい事件が頻発しています。
ブログ(CWSプライベート)でも少しそのことを書きました。
日本が育ててきた「助け合う文化・支えあう仕組み」から改めて学ぶべき時期に来ているように思います。
関心のある方はぜひご連絡ください。

■支えあう仕組み(2007年7月17日)
日本が失いつつある「支えあう仕組み」づくりに取り組んでいるのが、ライフ・カルチャー・センター澤登信子さんです。
時々すれ違いながら、久しく会う機会はありませんでしたが、久しぶりにお会いしました。

会った途端に、機関銃のようにさまざまな話が飛び出してきました。
元気さは全く変わっていません。
澤登さんは最近、エコ検定の仕組みづくりに取り組んでいたようですが、
基本的にはソーシャル・マーケティング・プロデューサーなのです。
起業して40年ですが、そこに通底するテーマは「支え合い」だったかもしれません。

その集大成のビジョンがソーシャル・ワーク・コミュティ構想です。
それは、私の関心事とかなり重なっています。
要は、一人ひとりの能力を思い切り発揮できる、プラットフォームづくりです。
方法論や具体的な計画は私の発想とはかなり違いますが、澤登さんは実現に向けてのさまざまな要素を積み重ねてきています。
後はそれを大きく編集し、動き出させることなのです。
どこかでコラボレーションできるかもしれません。

一度、澤登構想をテーマに話し合いの場を持とうと思います。
関心のある方はぜひご連絡ください。

■川本兼さんの「平和学構想」(2007年7月19日)
平和権の確立に取り組んでいる川本兼さんから、また新著が届きました。
今度は『「日本国民発」の平和学』です。
また改めてブックのコーナーで紹介しますが、川本さんの持続力には頭が下がります。

今度の選挙は「年金選挙」などと言われていますが、実際には平和を大切にしていく国家にするかどうかの選挙です。
このテーマが争点にならないのは、民主党も自民党と同じに戦争をしたがっているからかもしれません。
そうした状況であればこそ、川本さんは次々と本を出版して、警告しているのです。

川本さんが構想しているのは、「平和権」を基本的人権に加え、「平和のための革命」を起こしていこうというものです。
最近の「平和学」とは違い、問題を「戦争」と「直接的な暴力」に絞っています。
だからといって、視野を狭めているわけではありません。
むしろ経済や社会の問題をホリスティックに捉えています。
そして、「日本国民発」の平和学で世界を変えていこうという壮大な構想なのです。

『「日本国民発」の平和学』については、ブックのコーナーで紹介しますが、選挙の前にぜひ読んでほしい本です。
川本さんの構想に共感してもらえる人がいたらぜひご連絡ください。
川本さんの著作の紹介

■和菓子と日本文化(2007年7月20日)
久しぶりにインキュベーションハウスの菅野さん、宮部さんと話しました。
いろいろなプロジェクトに取り組みだしていますが、その一つのテーマが和菓子です。
和菓子の中には、日本古来の知恵やノウハウが含まれているということに着目した、新しい構想を描いているのです。

最近、いろいろな人と新しい事業やプロジェクトに関して話し合う機会があるのですが、必ずといってほど出てくるテーマが「食」です。
その食の長い歴史が、和菓子には含まれているというわけです。
そこで、和菓子と日本文化の再興を目指したプロジェクトの構想が生まれたのです。
その立ち上げには、若干の資金が必要なのだそうです。
資金提供者を探しています。
お心当たりのある方がいたらご一報ください。
お金はないけど関心はあるという方もぜひどうぞ。

(2007年7月第2週)
我孫子も梅雨入りです。
今週はほとんど自宅でしたが、2件ほど取材を受けました。
それだけを書いておきます。
■あなたにとってのユニバーサルデザイン(2007年7月9日)
■LLPって広がるでしょうか(2007年7月11日)

■あなたにとってのユニバーサルデザイン(2007年7月9日)
朝日ニュースターのユニバーサルデザインをテーマにした番組、「よみがえれニッポン」が6年目を迎えました。
そこで、キャスター役を務めているばばさんと安藤さんが、ユニバーサルデザインに関する本をまとめることを検討しているのですが、その関係で、安藤千賀さんがやってきました。
私も時々ですが、その番組に参加していたのです。

テーマはいうまでもなく、ユニバーサルデザイン。
「あなたにとってのユニバーサルデザインって何ですか」というわけです。
ユニバーサルデザインに関しては、このサイトでも、またブログでも、何回も書いてきました。
私は、ユニバーサルデザインは工業時代の発想だろうと思っています。
ユニバーサルな発想で、本当に使いやすさが生まれるのか、
むしろ作りやすさのための発想ではないか、と思ってしまうのです。

「だれもが使いやすい」というのは、メーカーやデザイナーの言葉です。
個人にとって大切なのは、誰でもが使いやすいことではなく、自分が使いやすいかどうか、使いたくなるかどうかです。
生活は一人ひとり表情が違いますから、誰にでも使いやすいということは、実は誰にでも不満が残るということでもあります。
事実、ユニバーサルデザインはコマーシャリズムのコピーになりがちです。

しかし、そのなかに、使い手主権の復活や人と商品の関係の見直しの契機を含んでいることは間違いありません。
つまり、大量消費発想の問い直しのメッセージでもあるわけです。
ユニバーサルデザインを言い出したメイスは、そんなことは考えていなかったでしょうが、
個人の視点で考えるという社会構造原理の転換の文脈で考えると新しい地平が開けてくるわけです。
それはさらには、使い捨てから使い込みへという、ものづくりや産業のあり方につながっていきます。
日本の古来の経済システムにもつながっていくはずです。

まあ、そんな話をしてしまったわけですが、ユニバーサルデザインなどという近代的発想ではない、日本の文化に立脚した概念の実体化こそが必要なのだろうと思います。
あまりに理屈っぽいので、安藤さんはきっと困ったことでしょうが。

■LLPって広がるでしょうか(2007年7月11日)
ダイヤモンド・ハーバード・ビジネスレビュー編集長の岩崎さんとボストンコンサルタントグループの満喜さんがやってきました。
テーマはLLP(有限責任事業組合)です。
先日、岩崎さんが来たときにも少し話題になりましたが、LLP関連での出版を検討しているようなのです。

LLPは、私が10数年前に会社を辞めてから考えてきた、オープンプラットフォームの考えそのものなのです。
東レで新しい企業の形を考えるCIに取り組んだ体験から、
会社はアントレプレナーシップを持った人たちに開かれた場にならなければいけないという考えに辿りついたのです。
その後、その場としてインキュベーションハウスやコムケアネットワークなどに取り組みましたが、
いずれも見事に失敗してしまっています。

開かれたリゾーミックなプラットフォームという概念は、なかなか伝わりませんし、
ましてや当事者としてのコラボレーションに参加してもらうのは至難なことです。
しかし、LLPという具体的な制度ができたおかげで、その概念が誰にも見えるようになりました。
ウィトゲンシュタインではありませんが、言葉が実体を生み出すことは少なくありません。
これからはきっと面白いLLPが育っていくでしょう。

しかし、制度をつくっただけでは限界があります。
制度というのは、実は実態があればこそ生まれてきます。
そこに「制度のジレンマ」があります。
つまり制度が目指すべきことを本気でやろうとしている人たちは、制度がなくても実践してしまっているのです。
制度が生まれて、それを活用しようという人たちは、創造性や主体性という面では必ずしも強くはありません。
そのため、注意しないと「制度に合わせた姿勢」が強くなります。
そのため制度が目指した本来の形とは違ったものになってしまうこともあるわけです。

とまあ、こんな話をしてしまったわけです。
ユニバーサルデザインの話と同じく、今回も、実はLLPの実例は日本の社会の中に、数十年前まではいろいろとあったのではないかという話もしました。
たとえば、若者宿や子ども組などの日本の伝統の仕組みがその一つかもしれません。
日本の社会を壊しながら、海外、とりわけ米国の企業の世界から、わけのわからない言葉が歓迎される今の社会には、私自身は辟易しています。
もっと日本の社会文化を学ばなければいけないと思いますが、それを学ぶことはそう簡単ではありません。
そういう現状がいささか残念ですが、そうした事態に何もせずにいる自分自身の怠惰さも反省しなければいけません。

最近は反省することが多くて困ります。。

(2007年7月第1週)
雨と曇りが続きました。私たち夫婦の気分も全く同じです。
しかし、今週は「久しぶりの人」とのつながりがいろいろありました。
■茂木健一郎さんの写真(2007年7月1日)
■山形市の高倉正則さん(2007年7月1日)
■恵庭市市長の中島興世さん(2007年7月2日)
■内水護さんの紹介者の澤登信子さん(2007年7月4日)
■サードエイジスタイル社社長の久留一郎さん(2007年7月6日)
■ケアする人をケアする新しい仕組み(2007年7月6日)
■14年ぶりの吉田さん家族(2007年7月7日)
■病気は恵み(2007年7月7日)

■茂木健一郎さんの写真(2007年7月1日)
先週の内水さんの本の照会メールのおかげで、思わぬことになりました。
本がなかなか見つからなかったことを反省して、ついに未整理の書類や書籍の整理を始めたのです。
前回一度チャレンジして、途中で挫折してしまっていました。
最近は自宅にいる時間が多いので、その気になればできない話ではありません。
それに家族からは、もうそう先がないのだからきちんと廃棄しておいてほしいと要望が出ているのです。
私の書斎はとても狭いのですが、それよりももっと狭い書庫が別にあります。そこに書類や書籍が山積みになっています。
家族にはゴミにしか思われていませんが、私にはそれぞれ愛着があります。
私のこれまでの人生が、そこに詰まっているのです。
思わぬ記録も出てきます。

その一つが、「茂木さんへ」という封書です。
開いてみたら、写真が数枚出てきました。
そこに、今や売れっ子の茂木健一郎さんが写っています。
以前、ハワイのキラウェア火山を見に行くツアーがあったのですが、
10年近くたって、その参加者が湯島で集まった時の写真です。
茂木さんは、その後、すぐイギリスに留学したため、写真を送りそこなってしまっていたのです。
キラウェア火山に同行した時の茂木さんはまだ高校生でした。

私たちは夫婦で参加したのですが、テレビに茂木さんが出るたびに、女房とキラウェアを思い出します。
またみんなと再会したいですが、もうちょっと無理かもしれません。
その写真が見つかったために、またまた作業は中断し、いま、書斎(正確には仕事場)は足の踏み場もない状況です。

■山形市の高倉正則さん(2007年7月1日)
山形市役所の高倉さんから久しぶりに手紙が届きました。
がんばっているようです。
最近は全く縁がなくなり、この1〜2年は会うどころか音信も途絶えていました。
突然の便りです。
便りといっても何か用件があったわけではなく、
「これまで修さんにいただいた想いを胸に、日々なんとかがんばっております」
という短いメッセージだけです。
まあ、これが高倉的なのですが。

短い手紙は長い手紙以上にメッセージを感じます。
私の手紙やメールはいつも冗長なのですが、こんな短い手紙だと放っておけないですね。
そういえば、先々週、山形市の佐藤一大さんからももっと短いメッセージが来ました。
山形の人は言葉が少ないので、困ります。はい。
ちなみに、その後、2人からは追伸メッセージがありましたが。

■恵庭市市長の中島興世さん(2007年7月2日)
今日は国土交通省の地域振興アドバイザー交流会でした。
参加する予定だったのですが、急にいけなくなってしまいました。
事務局からも今回は恵庭市の中島市長も来ると聞いていたので、楽しみにしていたのですが、残念でした。

中島さんとは久しくお会いしていないのです。
中島さんも以前、地域振興アドバイザーをされており、一緒にアドバイザーを引き受けたことがありますが、
時代を見据えていたのが印象的でした。

夕方、今頃交流会も盛り上がっているだろうなと思っていたら、電話がありました。
なんと中島さんからです。
お会いできませんでしたが、元気そうな声が聞けました。
「いろいろ大変でしょう」と月並みなことを言ってしまったら、
逆風はすべて追い風にしていますよ、と中島さんらしい答が返ってきました。

中島さんのサイトもぜひ見てください。
恵庭市からの新しい風は、きっとそのうち、私が住んでいる我孫子にも届くでしょう。
自治体行政が大きな岐路にあります。
しかしまだほとんどの自治体は従来路線から抜けられません。
首長の役割がとても大きくなっていると思います。

■内水護さんの紹介者の澤登信子さん(2007年7月4日)
内水さんに関する照会メールのおかげで、もう一人の「久しぶりの人」と会いたくなりました。
内水さんを私に紹介してくれた澤登信子さんです。

澤登さんから最近の関心事が届きました。
「これからの自分の行く末を考えながら、地域で支えあえる関係を築き、コミュニティの再生」に取り組みだしているというのです。
私の関心事と重なります。

澤登さんとお会いしたのは半世紀ほど前です。
ドラマの会というのをやっていたのです。
そこには先ほど書いた三浦さんも参加していました。
私は、その後、社会的に脱落し、メジャーなプロジェクトには縁遠くなってしましたが、
澤登さんはさまざまな分野で新しい風を起こし続けています。
時々、少しだけすれ違うこともありますが、もう10年近くお会いしていないかもしれません。
近々会いに行こうかと思います。

■サードエイジスタイル社社長の久留一郎さん(2007年7月6日)
久留さんと久しぶりに会いました。
何年振りでしょうか。
まあ何年も会っていなくとも、いつもすぐ隣にいると思える人の一人が久留さんです。
久留さんと一緒に取り組んだプロジェクトはいろいろありますが、
そのそれぞれがいろいろと私には思い出に残るものです。

ちなみに、久留さんと私の共通の友人の一人が三浦康英さんです。
三浦さんとはこれからも当分会うことはないでしょうが、私にはいつでもすぐ隣にいるような気がしています。
そういう人って、皆さんにもいるのではないでしょうか。
ちなみに三浦さんは少し前に彼岸に旅立ちましたので、これから先10年ほどは会えそうもありません。
いや意外と早く会えるかもしれませんが、まあいずれにしろ、必ず彼岸では会うはずだと思っています。

ところで、久留さんは多彩な才能と感覚を持っています。
しばらく会っていない間に、またビジネスプロフェッショナルとしての磨きをかけているのが伝わってきます。
うれしいことです。

彼のことを書き出すと際限がありませんのでやめますが、活動範囲も実に多彩なのです。
最近は自らが中心になって立ち上げた潟Tードエイジスタイルの社長業を中心に活動しています。

「サードエイジ」って、ご存知でしょうか。
アクティブなシニア層の呼称として、サードエイジスタイルの生みの親であるODSという会社がつくった造語です。
その活動の当初、私も少しだけ関わりました。
中途半端な関わり方で、久留さんには迷惑をかけてしまったのではないかと反省しています。
その「サードエイジ」コンセプトもどんどん進化しているようです。

久しぶりに仕事の話も聞かせてもらいましたが、その他、もろもろ今日は昔話も含めてゆっくりと話ができました。
もちろん三浦さんの話もです。
久留さんはODSの役員でもありますので、来週はODSを訪問してみようかという気になりました。
「久しぶりの人」に会うと、何やら懐古思考が高まり、深入りしたくなります。
私はそういう「懐古指向」が大嫌いな人間だったのですが、最近、ちょっと変化してきている自分に出会うことがあります。
歳のせいでしょうか。

■ケアする人をケアする新しい仕組み(2007年7月6日)
エディターの乾真人さんが、長野で新しい事業を起こそうとしている知人を連れてやってきました。
まあ、乾さんは「久しぶりの人」ではないのですが、面白いプロジェクトが始まりそうですので、書き込んでおきます。

今度は、「ケアする人をケアする新しい仕組み」をつくりたいというのです。
まあ、私のプロジェクトではないのでどこまで書いていいのかわかりませんので、内容は解禁されたらまた紹介します。

「ケアする人をケアする新しい仕組み」も、コムケアの目指すテーマそのものです。
私は、ケアとは双方向的な、しかも相似形的な関係であり、ケアすることがケアされることでなければいけないと考えています。
女房が病気になってから、そのことを改めて実感しています。
一方的なケアはたぶん長続きしないか、どこかで作業的になるような気がしてなりません。
しかし、そうはいっても、「大きな福祉」の社会が実現するまでは、「ケアする人のケア」は大きな課題であることは間違いありません。
できるだけ協力していきたいと思います。

今日、乾さんと一緒にやってきたのは、比留川さんと花井さんです。
2人とも、それぞれにケアの世界に接点をもったことがあるそうです。
その体験があればこそ、きっと効果的な仕組みが構想されるでしょう。
問題はそれを持続していける事業性をどう確保するかです。
面白い課題です。

■14年ぶりの吉田さん家族(2007年7月7日)
「久しぶりの人」特集のついでにもう一つ書きます。
昔、近くにすんでいた吉田さん親子がやってきてくれました。
吉田一家も私たちもその後、転居したのですが、
先日の「道」のコーラスで偶然にお会いしたのが縁で、今日、わざわざ野田からやってきてくれたのです。

吉田さん一家が転居してからもう14年目だそうです。
娘たちもよく知っているので、いま下でみんなでわいわいやっていますが、
私は入り込む余地はなく、一人でパソコンに向かっているわけです。
女房は朝からちょっと調子がよくなかったのですが、吉田さん親子に会ったら、元気を回復したようです。

まあそれはそれとして、吉田さんはたくさんの野菜を持ってきてくれました。
ご主人が野菜づくりをしているのだそうです。
定年後に野菜作りに取り組む人は多いですね。
それも中途半端ではなく、いずれもまわりにお裾分けできるほどに立派なのです。
ブログなどにも書きましたが、こうしたことの意味はとても大きいような気がします。
まだその行方は必ずしも明確には見えてきませんが、
そこに含意されているメッセージをしっかりと解読していくことが大事なような気がします。

■病気は恵み(2007年7月7日)
今日は七夕です。
あまり関係ないかもしれませんが、私にも実はとてもうれしい出会いがありました。
いや実際にはお会いしてはいないのですが、実にうれしいことが起きました。
勝手に書かせてもらいます。

全く見ず知らずの人から荷物が届きました。
開けてみると発酵食品です。
間違いなく女房のことを気遣ってのプレゼントです。
送り主の名前には全く見覚えがありません。
手紙が入っていました。
それを読んで、疑問が氷解しました。
その一方で、凄くうれしくなりました。
あまりにも私的なことなので迷ったのですが、書くことにしました。

見覚えのない名前は、内水さんのことで私にメールをくれた人の本名でした。
その人の要望には、私は応えられませんでした。
探していた本は結局見つからなかったのです。
逆に、私はその人から、たとえばサイモントン療法などのいくつかの情報をもらいました。
その情報は、私たちの生活を変えだしています。
感謝しなければいけないのは私たちなのです。
にもかかわらず、その人は、私の女房の病気のことを知り、彼女を元気にしようと祈りを込めてくれたのです。

サイモントン療法を紹介している本「がんのイメージコントロール法」は、「がんは恵み」という見出しから始まります。
インドのヴェーダ医療でも「病気は恵みである」と定義されているそうですし、
病気になった人の書いた「恵みのとき」という本もあります。

がんは辛い病気です。
しかし、たしかにたくさんの恵みを経験させてもらっています。
気持ちがとてもあったかくなった七夕でした。

(2007年6月第4週)
梅雨が始まりました。
今週はほとんど自宅で過ごしました。
そのため、曜日感覚が失われがちで、気がついたら土曜日でした。
行動はあまりできませんでしたが、その分、思考の世界は広がっていますし、ネットの世界も広がっています。
そのいくつかを簡単に書いておきます。
■2冊の新著(2007年6月25日)
■内水護さんとサイモントン療法(2007年6月26日)
■ヒポクラテスの西洋医学序説(2007年6月27日)
■野菜ラッシュ(2007年6月27日)
■技術者倫理サロンが再開されます(2007年6月28日)
■オフィスマッサージ(2007年6月28日)
■コモンズ書店は順調です(2007年6月29日)
■福島県自治体職員のメーリングリスト(2007年6月29日)
■社会の劣化(2007年6月30日)

■2冊の新著(2007年6月25日)
一条真也さんから2冊の新著が届きました。
「龍馬とカエサル」「愛する人を亡くした人へ」の2冊です。
読み終わり次第、ブックのコーナーで紹介します。
後者は読めるかどうかわかりませんが。

社長という激務のなかで、こうして次々と著作を出版するエネルギーにはただただ驚嘆するばかりです。
人の活動量を決めるのは、時間ではないことがわかります。
それにしても、一条さんの「博覧強記」ぶりには感心します。
中途半端な知識で、知ったかぶりをする私とは大違いです。

それに刺激されたわけではありませんが、最近、少し本をじっくりと読むようにしだしました。
そして「本から学ぶこと」の面白さを久しぶりに楽しんでいます。
きっかけは、「マルチチュード」を読み終えたことですが、何やら世界を読む鍵を手に入れたような気がして、改めていま本を読み出したくなっています。
まだ読んでいない本が書棚に山積みされていますので、少しずつ読んでいこうかと思っています。

■内水護さんとサイモントン療法(2007年6月26日)
このホームページに一度だけ、それもほんのわずかに「内水護さん」のことを書いたことがあります。

その記事を見つけた人がメールをくれました。
内水さんの著書を探しているのだそうです。
たしかどこかに本と資料があったはずだと書庫を探し出しましたが、何しろ転居以来、十分な片付けもしていないので、大変でした。
何とかみつけることができましたが、その人が探している本ではありませんでした。
その人が探しているには「土の心・土の文化」です。
そうした分野に関心のある友人たちにメールで訊いてみましたが、だれも知りませんでした。
どなたかご存知の方がいたら、私にメールくれませんか。

ところで、そのメールを下さった方ですが、大阪在住の人です。
東京に来ることはないですかと質問したら、がん治療プログラムのサイモントン療法の研修に昨年参加した時に行ったきりで、その後、関東に行く機会はないというメールが来ました。

サイモントン療法
早速調べてみました。
サイモントン療法は米国の心理社会腫瘍学の権威カール・サイモントン博士により開発された、がん患者さんとそのサポーターのためのヒーリングプログラムでした。
書籍を注文しました。
これは決して偶然ではないでしょう。
こうしたシンクロニシティが今も続いています。

■ヒポクラテスの西洋医学序説(2007年6月27日)
サイモントン療法ではありませんが、「21世紀の健康」を読んでから、医療関係の本も読み出しました。
梶田昭さんの「医学の歴史」(講談社学術文庫)は面白いです。
それを読んでいて、ヒポクラテスを思い出しました。
ヒポクラテスの会も再開しなければいけません。

そんなこともあって、改めて「ヒポクラテスの西洋医学序説」を読んでみました。
ヒポクラテスの医療は自然療法ですが、これが18世紀まで続いていたわけです。
この本の著者は、こう書いています。

よい医療は、医者一人ではできない。昔も今も、よい医療は医者、看護スタッフ、患者自身、それに環境に恵まれて始めて成り立つのだろう。これはヒポクラテスの第一の主張だった。

ヒポクラテスたちは、病名をつけることをしなかったそうですが、これも示唆に富んでいます。
有名な「ヒポクラテスの誓い」は、ヒポクラテスたちではなく、ピタゴラス派の作ったものではないかというのが、この著者の説明ですが、それに重ねながら著者はこう言っています。

いま、多くの医学部や医科大学ではヒポクラテスの像を正門や玄関に飾っている。これは「ヒポクラテスの誓い」ゆえにと思われるが、守れもしないものを、自分たちのシンボルとして掲げることに意味はあるのだろうか。

辛らつなメッセージですが、そろそろ医療の世界も覚悟する時代になっているように思います。
ヒポクラテスの会は、できれば秋までに再開します。
事務局を引き受けてくださる方、いないでしょうか。
もしいたら、すぐにでも再開します。

■野菜ラッシュ(2007年6月27日)
各地から野菜が届いています。
ブログでも書きましたが、定年退職後、野菜作りに取り組む人が少なくないですが、どんどん本格化します。
送られてくる野菜は実に見事です。
わが家の農園は、女房が作業できなくなった上に、私があんまりやらないので、近所の人が見るに見かねて最近は手伝ってくれています。
それと娘が私とは正反対に几帳面な頑張り屋なので、最近は女房の代わりをし始めました。
しかし、彼女も仕事があるので、早々出来ません。そんなわけで収穫は減少しています。

野菜が届くと近所に少しおすそ分けですが、それがまた別のものになっておすそ分けされてきます。
こういう関係をしっかり育てれば、お金などあまりなくても暮らしていけるのではないかなどと安直に考えてしまうのが、私のだめなところなのですが、野菜好きの私にとってはうれしい季節です。

■技術者倫理サロンが再開されます(2007年6月28日)
昨秋、予定していた、技術と暮らしを考える公開フォーラムは、私の個人的理由で直前になって中止してしまいました。
科学技術倫理フォーラムの総会で、それを再開する約束をしたので、ともかくコアメンバーに集まってもらいました。
橋本さん、権上さん、鳥羽瀬さんです。
7月から気楽なサロンを再開します。
ご関心のある方は私にご連絡ください。ご案内を差し上げます。

■オフィスマッサージ(2007年6月28日)
盲ろう者の就労支援活動に取り組んでいる田辺大さんたちインキュベーションハウスとのコラボレーションができないかと話し合いを続けていますが、今日はかなり具体的な確認が出来、いよい動き出すことになりました。

最近の企業の従業員はかなり疲れていますので、新しい福利厚生として、社内でマッサージを受けられるようなプログラムを導入するのは効果的なことではないかと思います。
マッサージは血行をよくしますので、体力のみならず気力も高め、メンタルヘルス上も効用があります。
私は時々、手の痺れがでたり、気力が落ちたりする時に、近くの整体院でマッサージをしてもらいますが、身体的のみならず気分が変わります。
企業経営者や企業の福利厚生を検討されている方にはぜひお薦めのプログラムです。

詳しくは田辺さんたちのホームページを見てください。
ご関心を持ってもらえれば、いつでも説明に参上する手配をさせてもらいますので、ご連絡ください。

■コモンズ書店は順調です(2007年6月29日)
コモンズ書店の売上げは順調に伸びています。
また2冊売れました。
なにしろコストゼロですから、売上げがそのまま利益になります。
知らないうちに利益が入ってくるのは奇妙な感じです。
コモンズ書店アマゾン事業部の書籍を少し充実させようと思います。
こうしてだんだん人は怠惰になり欲張りになっていくのでしょうか。

■福島県自治体職員のメーリングリスト(2007年6月29日)
福島県の自治研修センターで、若手の職員対象に2回、「ソーシャル・アントレプレナーのすすめ」を講演させてもらいました。
そこで最後に参加者にメーリングリストをやりませんかと呼びかけたのですが、5人の人から参加希望のメールをもらいました。
実は昨年も少しシニアの人たちを対象に同じようなメーリングリストを立ち上げましたが、私の事情もあって、うまく展開しないでいます。
にもかかわらずまた呼びかけてしまったのですが、どうもこうしたことは私の「病気」の一種かもしれません。
ともかくすぐメーリングリストや会を作りたくなるのです。
最近はそれでも時間がないこともあって抑えているのですが、時々、ついうっかり呼びかけてしまうわけです。
自治体職員関係のメーリングリストは他にもありますが、いずれも活動はストップしています。
いつかそれらを再編成したい気もしますが、いずれにしろ福島版2007のメーリングリストはスタートです。
参加者が20代の職員ですので、これまでとはちょっと違った展開になるかもしれません。
どう発展するか、少し心配、少し楽しみです。

■社会の劣化(2007年6月30日)
国会での強行採決が続いていますが、日本社会の自滅を垣間見るようで気分が重いです。
産業界でもミートホープ社のような事件があっても財界は何も反応をしませんし、
光市母子殺害事件控訴審での弁護士の非常識な行動にも司法界は行動を起こしません。
自分たちの行動を律せないようなサブシステムの集合は解体に向かっていると同じではないかと思います。
日本はいまや規範の失われた群集国家に成り下がってしまったような気がします。

そんなことを最近はブログで書いていますが、今週のアクセスはとても多かったです。
みんなの怒りや不安の声が聞こえてくるようです。
「マルチチュードの時代」になってきたのかもしれません。
もっとも、マルチチュードがどういう時代を構築するか、大きな分岐点にあります。
しかし、私もですが、みんな動かない状況を考えると、不安が残ります。
これは私の現在の心境の反映かもしれませんが、元気が出ない時代です。

(2007年6月第3週)
相変わらずの暑さです。
そのせいもあるのかもしれませんが、今週はちょっと疲れてしまっていました。
栄養剤を飲みながらの1週間でした。
いろいろなことがありましたが、週末まで書き込みをさぼっていたら、何があったかなかなか思い出せないのです。
物忘れがはげしくなりました。困ったものです。
■「マルチチュード」をやっと読了しました(2007年6月17日)
■マーシャルローとマルチチュード(2007年6月19日)
■久しぶりのリンカーンクラブ代表の武田文彦さん(2007年6月21日)
■久しぶりのパウサニアス・ジャパンの店網俊夫さん(2007年6月21日)
■弁護士へのメッセージの返信(2007年6月22日)
■鈴木淳村長とのコラボレーション(2007年6月22日)
■CWSプライベートへのアクセスが10万件を超えました(2007年6月23日)

■「マルチチュード」をやっと読了しました(2007年6月17日)
昨年から読み出して、まだ読み終えずにいたのが、一時話題になった「マルチチュード」です。
この本は上下2冊のセットですが、上巻は読み出した途端に魅了されてしまい、ほぼ一気に読みました。
自分で書いたのではないかと思うくらい共感できたのです。
しかし下巻の第3部に入ったら難解になってしまい、そこでぷつっと読む気力がなくなり、半年以上、書棚の片隅に詰まれていました。
先週からまた読み出しました。
やはり退屈でしたが、最後になるにつれてまた面白くなり、そしてついに読了できました。
荒削りですが、示唆に富んでいます。
こんなに苦労して読み終えた本は久しぶりですが、それだけの価値はありました。

ところで、マルチチュードってなんだかご存知ですか。
辞書によれば、「多数」とか「大群集」とか出ています。
その昔、政治哲学者のホッブズは、社会契約を結んで「国民」になる前の「まとまりのないたくさんの人びと」という意味で使ったそうですが、本書の著者、アント二オ・ネグリとマイケル・ハートは、グローバルなネットワーク社会の新しい主役、それも変革主体として、この言葉を復活させたのです。
あえて説明すれば、統一されていながら多様性を失わない、また、共通性を持ちながらそれぞれの差異を失わない、多数者のことなのです。
わかりにくいですね。
私自身まだ消化できず明確に定義できないのですが、本書を読むと実感的にかなり理解できます。

「コモン」という言葉も本書のキーワードですが、そこで語られていることは、私が抱いている「コモンズ」(一般的な意味のコモンズではありません)とほぼ重なっています。
本書ではコモンズという言葉は意図的に排除されていますが。
実にうれしいことに、「民営化」の意味も語られています。
苦労して読んだ甲斐がありましたが、こうした本が既にあるのであれば、私が構想していた「コモンズの回復」という本は書く必要がなくなったとも思いました。
私が書いたととしても、この本の足元にも及ばないでしょうし、彼らは既にこの本の続編を書いているそうですから。

この本の評価はわかれているようですが、私には実に共感でき納得できました。
もっと早く読了していたらよかったと悔やんでいます。
皆さんも良かったら読んでください。かなり難解ですが、刺激的です。
わがコモンズ書店からアマゾン経由で購入できます。
ご利用ください。

■マーシャルローとマルチチュード(2007年6月19日)
ちょっと怠惰に昔の映画「マーシャルロー」を観てしまいました。
「マルチチュード」を読み終えて、この映画を思い出したのです。
テロとの闘いがこの映画の骨子ですが、そのテロ活動の主体は中枢部のないネットワーク組織で、事件の中心部をやっつけても、すぐまた別の動きが出て行くという、まさに個別性と共通性を兼ね備えたマルチチュード型組織という前提です。
それに対する防衛主体は軍とFBIとCIAの3つなのですが、最後に成果を出すのはFBIです。
このあたりもマルチチュード発想なのですが、シナリオがやや腰くだけで、この映画は改めてみると中途半端でした。

むしろ今回、見直して感じたのは、9.11事件を予見したような映画だということです。
もし9.11事件がブッシュ政権の仕業だったとすれば、この映画もまた一役かっているような気がしました。
映画は時代の鏡であるとともに。時代の創作者でもあることに、改めて怖さを感じました。
マルチチュードを読んだ後で、この映画を見ると、いろいろと考えさせられます。

ちなみに、「マルチチュード」の第3部は「民主主義」です。
これまでとは違った新しい民主主義が提案されています。
民主主義と代表制(議会制)の関係も明確に整理されています。
代表性は民主主義を抑える役割を持っていたということも書かれています。
この点は、今週、武田文彦さんが「理想国家論」で書いていることにもつながります。
議会制民主主義は、本来の民主主義とは似て非なるものなのです。

■久しぶりのリンカーンクラブ代表の武田文彦さん(2007年6月21日)
久しぶりに代官山の友人のオフィスを訪ねたのですが、
そのついでに、半年以上会っていない、リンカーンクラブ代表の武田さんに会うことができました。
武田さんから前日に電話があったのです。
この1週間、改めて「民主主義」に関する本を読んでいましたが、民主主義といえば、武田さんです。
それに武田さんは今週、このサイトに連載している理想国家論にまさにその問題を投稿してくれたのです。
シンクロニシティです。

今回は恵比寿で会いました。
いつもなら会った途端に論争が始まるのですが、今日はそうはなりませんでした。
話題がちょっとずれてしまい、人生論になってしまいました。
武田さんからいろいろと元気をもらいましたが、いつもとは違う話し合いのため、ちょっと調子が狂ってしまいました。
やはり武田さんとはディベートが向いています。

せっかく会ったのに、最近の武田さんの活躍ぶりをお聞きできなかったことを別れた後に気づきました。
最近、話を聴かずに、話をしている自分によく気づきます。
困ったものです。

■久しぶりのパウサニアス・ジャパンの店網俊夫さん(2007年6月21日)
民主主義といえば、古代ギリシアです。
といえばパウサニアス・ジャパン。古代ギリシアをテーマにした会です。
私は脱会してしまっていますが、いまは代表の吉田さんと店網さんが中心になって活動しています。

その店網さんが私のことをたぶん心配してわざわざやってきてくれました。
彼は私の大学時代の同期生です。
パウサニアス・ジャパンはギリシアをテーマにしたサロンを定期的にやっていますが、
毎年、会員の寄付金で若手の研究者にささやかな経済支援をし、ギリシアに研究にいってもらう、パトロネージ活動をしています。
これまで既に10人近いフェローをギリシアに送り込んでいます。
とても贅沢な気分になれる会なのですが、最近はちょっと会員が減ってしまったようです。
古代地中海文明に関心のある方がいたら、ぜひ入会してください。とても良い会です。
私も女房が治ったら復帰する予定にしていますが、今のところは会員拡大に協力するくらいしかできません。

ちなみに、ブックのコーナーで紹介した「ギリシア・ローマ文化誌百科」の監修者小林教授と出会ったのは、この会でした。
店網さんは、その本を私のコモンズ書店で購入してくれました。
大枚200円がわがコモンズ書店に入りました。なんだか実にうれしいですね。
コモンズ書店は順調に成長しています。

■弁護士へのメッセージの返信(2007年6月22日)
ブログで「弁護の皆さん、恥ずかしくないのですか」というちょっと過激な呼びかけをしたのですが、
関連して知り合いの弁護士7人にもメールを送ったことは以前書きました。
3人目の弁護士から返信が来ました。私の大学時代の同期生です。
丁寧にコメントしてきてくれました。

その人は正直に、「答えにくいが」と書いてきました。
答えにくい質問をしたことを反省しました。
プロフェッションは、小さな問題への回答も充分に注意しなければならないのでしょうね。
そこにこそ問題があると私は思ってしまいますが、冷静に考えるとその事情もよくわかります。
しかし、そういう「しがらみ」のなかで、個人の感覚とは違った世界が構築されていくことの危険性も感じます。

それにしても7人の方にメールしたのに3人しか返信がないのはいささか残念です。
もしかしたらあまりメールをしていないのかもしれないなと思っていたら、その一人から手紙が来ました。
てっきり私への返信かと思って開いたら、全く別の内容でした。
この人は私のメールを読んでいませんね。文面からわかります。
手紙で送るべきだったかもしれません。
確かに私の友人の弁護士は、メールをやっていない人が多いのです。
どうやら手段を間違えてしまったようです。

ところで、その手紙ですが、中山武敏さんからでした。
中山さんは狭山再審弁護団主任弁護人として有名ですが、私が出会ったのは「平和への結集」の集会でした。
とても人間的な方で、一度しかお会いできていませんが、弁護士のあたたかさを感じました。

先月5月24日に、東京地方裁判所で、東京大空襲訴訟の第1回目の裁判がありました。
その意見陳述で中山さん(弁護団長です)は
この裁判は人間回復を求める裁判であり、裁判所は歴史の審判に耐えうる裁判をするように
と訴えたそうです。
政府は、しっかりした被害実態などの調査もすることなく、早期棄却を求めています。
公正な裁判をするためには世論の盛り上げが必要です。
私たちもしっかりと見守って生きたいと思います。

中山さんは、そうした活動にも取り組んでいますが、6月27日の夜、竹ノ塚で講演会を開催するそうです。
夜なので、私は参加できるかどうかわかりませんが、関心のある方はぜひご参加ください。
詳しくはお知らせのコーナーをご覧ください。
こうした弁護士もいるのです。

■鈴木淳村長とのコラボレーション(2007年6月22日)
台東デザイナーズビレッジの鈴木さんとインキュベーションハウスの菅野さんと3人で、
「インキュベーション」をテーマに何かコラボレーションできないかという意見交換をしました。
それぞれの活動している分野は、デザイン、NPO、CSR、イベントなどですので、
それらをつないで、社会を元気にするプロジェクトが出来ないかということになりました。
改めて関心の持っている人たちにも声をかけて、検討会をやる予定です。
ご関心のある方はぜひご連絡ください

ちなみに、鈴木さんが村長をつとめている台東デザイナーズビレッジは、廃校になった小学校です。
いまはファッション系を中心としたSOHOにもなっています。
いつ行っても何かホッとする空間です。
いや鈴木さんがもしかしたら、ホッとする空気の源かもしれません。

■CWSプライベートへのアクセスが10万件を超えました
(2007年6月23日)
このホームページ(CWSコモンズ)と並行して書いているブログ(CWSプライベート)へのアクセスが10万件を超えているのに気づきました。
最近、毎日のアクセス数も少しずつ増えてきています。
基本的には「時評」の姿勢を心がけていますが、内容は多岐に渡り、いずれも独断的なやや思いに流されての記事が多いのです。
後で読むと削除したくなるものも少なくありません。
しかし、まあその時々の私の気分を残しておきたいということで、その姿勢は出来るだけ大切にしています。
ただ表現があまり品がなく、感情的な表現も少なくありません。
そのため家族からは評判がよくありませんし、時にはリライトの要請があります。
ですから最近は少し表現が軟らかくなっているはずですが、時には怒りに任せて下品な言葉も使ってしまいます。

最近は毎日150人を超える人がアクセスしてくれますが、プロフィールを見てくれている人が毎日何人かいますので、新しい読者も増えているようです。うれしいことです。
ブログを書くのは、朝起きてすぐか、夕方です。
書きたいことがたくさんある日と書くことがなくて困る日とがありますが、書き出すといつも冗長になってしまいます。
ある読者からは、長すぎて読む気がしないと言われましたが、書き出すといろいろと発想が広がって、書きたいことが次々と出てきてしまうのです。

まあそんな独善的なブログですが、アクセスが10万件を超えたとは驚きです。
ちなみに、このホームページのほうはスタートして5年半ですが、まだ75000アクセスです。
最近は私的報告が中心になってしまい、「コモンズ」要素が弱くなってしまっています。
ブログと逆にしたほうがいいかもしれませんが、しばらくはこんな形で継続して行くつもりです。
もう少しきちんと編集したいのですが、なかなか取り掛かれません。
困ったものです。

(2007年6月第2週)

梅雨入り発表があった途端に夏のような天気になりました。
私たち夫婦の状況と見事に重なっています。
今週はいろいろと予定を入れていました。
女房も、退院後少しずつ元気になってきましたので、また活動を広げようと思っていました。
「女房は治る」と確信すれば、そのほうがよいとも考えたのです。
ところが。

月曜日、久しぶりに朝、出社しました。
オフィスに着いたら自宅から留守電が入っていました。
女房が肺炎の恐れがあるので、入院することになったというのです。
近くのクリニックに念のために行って、レントゲンをとった結果でした。

この1年、活動を再開しようとすると必ずといっていいほど、何かが起こります。
唯一の例外は、4月のコムケアフォーラム2007でした。
天の試練は、いささか厳しすぎるような気がしますが、しかし例外があるということは、何か意味を持っているのでしょう。
試練には耐えて、天からのメッセージもしっかりと受け止めなければいけません。

この1週間は、私たちにとっても、梅雨入りと夏晴れでした。
週間報告をお休みするつもりだったのですが、何とか書く元気が戻りました。
今週はすべて更新日に書き込みました(いつもはほぼ当日書いています)。
■女房の1週間(2007年6月10日〜15日)
■コーラスの発表会へのお付き合い(2007年6月16日)
■おまけ:がん治療その1(2007年6月16日)

■女房の1週間(2007年6月10日〜15日)
先週から女房が風邪から気管支にきていましたが、先週末に少し落ち着きだしました。
体調の関係で延期していた「治療措置」が今度こそできるように、慎重に過ごしていたのです。
ところが、レントゲンの結果は肺炎の恐れあり。
私も急いで帰宅しました。また「気を抜いていた自分」に気づきました。
がんセンターでもう一度レントゲンと血液検査をしました。
肺炎ではなく、入院はしないですむことになりました。
ひとまずホッとしました。
しかし、ちょっとめげてしまいました。
これが月曜日でした。

火曜日は予定していた手当て日でした。
昨日のショックにもめげることなく、出来る時にやっておこうと女房は予定通りやることにしました。
これはうまくいきました。
不思議なことに、女房の症状が少し改善されているように思えました。
肺炎の恐れがあるといわれた時とは大違いです。
私よりも女房のほうが吹っ切れているのかもしれません。
最初に女房の手術をした外科医の医師に相談に乗ってもらいました。
まだ若い医師なのですが、私たちのメンターでもあるのです。
いろいろと話をさせてもらい、私も漸く元気を少し戻しました。
がん患者やその家族にとって必要な治療とは何なのか、「医術」ではなく「ケア」だと改めて思いました。
病院の帰りに、女房が突然、手賀沼のあやめを見に行こうと言い出しました。
どこからそんな元気が出てきたのでしょうか。
病気は、まさに「気の問題」と実感しました。
がんは心身症だという見方もあるそうです。
火曜日は、しかしまだ私はいささかめげがちでした。

水曜日。前から約束していた福島の自治研修センターでの講演でした。
女房を娘たちに任せて、出かけました。
往復の新幹線で、先週、友人が送ってくれた、がん治療に関する川竹さん(ウェラー・ザン・ウェルの会代表)の本などを読みました。
そしてまだ「医学の論理」に呪縛されている自分に気づきました。吹っ切れました。
この本を送ってきてくれたのは鈴木淳さんなのですが、なぜこの時期に送ってきてくれたのでしょうか。
たぶん書店でこの本を見つけても私は購入しないでしょう。
いやこの種の書籍のある書棚には行きもしないでしょうから、鈴木さんが送ってくれなければ読むことはなかったでしょう。
川竹さんのことは、前にもう一人の鈴木さん(鈴木章弘さん)にも紹介されており、冊子まで送ってもらっているのです。
その時はまだピンと来なかったのです。その名前が出てきたので、なおさら真剣に読んだのです。
そして私の主な読書時間である新幹線での移動時間が久しぶりに出来たので、この本を読むことが出来たのです。
私は自宅でゆっくりと本を読むことはあまりないので、長距離出張がないとあまり本は読まないのです。
つまり3つの条件がそろったおかげで、この本に出合えたのです。
帰宅した時には、私は女房が治る確信を回復しました。

木曜日。女房と1日をゆっくりと過ごしました。
心をまた入れ替えて、足裏マッサージをしました。女房の元気も戻りだしました。
今日は岐阜に転居した佐々木さんと会う約束でしたが、事情を話してキャンセルしてもらったのです。
ですから佐々木さんのためにもゆっくりと1日を過ごしました。

金曜日。今日は衆議院議員会館で、「自主共済を守り、共済、互助会の今日と未来を語り合うつどい」の日でした。
楽しみにしていたのですが、これも事情を話し、欠席させてもらいました。
とても大切な問題ですし、女房も参加したらと言うので、前夜まで迷っていたのですが、やめました。
もしかしたら、天のテストかもしれません。ここは合格点をとっておきたいと、ついつい我欲が出てしまいました。
たまたま名古屋から女房の友人が来てくれたので、今日は私はいなくてもよかったのかもしれません。
元気な人で、その影響で女房も声に元気が戻ってきました。
夕食後、女房が近くのわが家の農園まで散歩に行こうと言い出しました。
何かが変わりだしているような気がしました。

土曜日。女房が参加していたコーラスグループ「道」の発表会に女房と一緒に行きました。
これは項を改めますが、週はじめにはとても行けそうにないと言っていた女房が元気に参加できたのです。

今週は梅雨のような気分で始まりましたが、初夏の気分で終わることができました。
人生はいろいろありますが、大切なのは希望を捨てずに、ともかく前に進むことですね。
そして、天を疑ってはいけません。
信ずることからすべては始まるのですから。

■コーラスの発表会へのお付き合い(2007年6月16日)
我孫子の女声合唱団「道」の発表会でした。
女房はこのメンバーだったのですが、10月以来、休会しています。
この発表会はとても楽しみにしていたのですが、そんなわけで今回もまた聴衆としての参加です。
このグループを指導されているのが谷篤さんですが、今回は谷さんの出番もありました。
谷さんの朗誦は見事なのです。それに前回のねずみの話も実にコミカルでよかったです。
というわけで、私も同行しました。
もっとも今回は女房の友人たちがいろいろと来てくれたので、私は不要な存在だったのですが 、
あなたにも聴かせたいという女房のご託宣なので、仕方がありません。
今日は東京で、共済研究会や団塊シニアプロジェクトのミーティングなどがあるのですが、こちらを優先しました。
中身は「道」のホームページで紹介されるはずですが、とても面白かったです。

今回の目玉のひとつは、第3部の「朗読と歌、合唱による宮澤賢治」です。
農民藝術概論が谷さんの朗読で聞けました。それだけではありません。
賢治の「永訣の朝」も合唱と谷さんの独唱で聴けました。
涙が出ました。私には思い出がつまっている詩なのです。

谷さんは埼玉の川越にお住まいですが、そこのグループの指導もされています。
そのメンバーが「あっちゃん」の娘の須田さんです。
その須田さんも、仲間と一緒にコーラスを聴きに来ました。
会場でお会いしました。
9月に川越で発表会を開くそうです。
その参考にしようと仲間と一緒にやってきたのだそうです。
女房とは初対面でした。

女房のまわりになぜか友人知人が囲むような感じになったのも不思議でした。
座ってみたら、偶然に後ろも彼女の知人たちでした。
久しぶりにたくさんの人たちに会えて、女房は元気になってしまいました。
疲れたら途中で帰ろうかと言っていたのですが、最後まで聴いていました。
いや、終わった後もいろいろな人と立ち話をしつづけていました。
事情を知っている友人が心配そうにエスコートしてくれていましたので、私の出番はありませんでした。

彼女の元気の源は、やはり友人知人なのだと実感しました。
話は跳びますが、地域社会が豊かになり、人のつながりが育っていけば、
医療費や福祉予算は大幅に削減できるでしょうね。

■おまけ:がん治療その1(2007年6月16日)
今日は時間があるので、最近のがん治療について書いておきます。
といっても、女房がやっていることの一部です。

いま一番重視しているのが食事ですが、次が足裏マッサージです。
官足法の岡山さんの指導で私がやっています。
私自身が汗がでるほど真剣にやっています。これは効果があります。
びわの葉療法も欠かさずにやっています。
週、何回かはお風呂にもびわの葉を入れて入浴します。
これは身体全体が温まり、私にも明らかな効果があります。
これは自然療法ですが、予防上も効果があります。
みなさんにもお薦めします。

抗がん治療に関しては、いろいろと学びました。
私の情報や判断が正しいわけではありませんが、この4年でやっとある程度の段階に到達したと思います。
つまり全体像が少し見えてきたということです。
この知見をできれば同じ立場の人に伝えたいと思います。
ただこれはとても難しいことです。
でも何か私だけにとどめておくのはもったいない気もします。
もしがんで悩んでいる方がいたら、雑談の相手にはなれるかもしれません。
この4年の私たちの対応は、いまにして思うと後悔したくなることがたくさんあります。
同じ間違いを同じ病気に悩む方にはしてほしくないと思います。

(2007年6月第1週)
夏のような1週間でした。
今週はさまざまな人たちから相談を受けました。
こちらから声をかけてお会いした人もいますが、私の周りでは実にいろいろな問題が起きています。
社会の状況が良くなってきているという実感がどうしても持てません。
わが家も今週はちょっと大変でしたが、いろいろな人が応援してくれています。
京都から思わぬエールが届きましたし、健康に関する書籍をドサッと送ってきてくれた友人もいます。
みなさんからもらう元気を、少しでも他の人に役立てたいと思っているのですが、誰かに役立とうとすると逆にその人からも元気がもらえます。
人は本来支えあう存在なのだということを、ますます実感しています。
今週はあまり書き込める記事がないのですが、忙しい週でした。
■近隣の人たちとの食事会(2007年6月3日)
■木村勝隆さんの政治への思い(2007年6月4日)
■科学技術倫理フォーラム総会(2007年6月4日)
■コモンズ書店の最初のお客様(2007年6月5日)
■夏柑糖と鮒寿し(2007年6月6日)

■近隣の人たちとの食事会(2007年6月3日)
昨年度の自治会役員のご苦労さん会をかねて、近隣の人たちと昼食会をもちました。
自治会役員を引き受けた関係で、近隣の人たちと顔見知りになれたことはとてもよかったことです。
この地域には5〜6年前に13世帯が転居して来ました。
昨年から集まりを始めましたが、まだなかなか一緒に何かをやろうというところまでいきません。
しかし、こうして少しずつですが、家族同士での付き合いが始まりだしそうです。
今回は女房の体調が優れずに、私ひとりの参加だったのが残念でした。

■木村勝隆さんの政治への思い(2007年6月4日)
4月の統一地方選に立候補して、残念ながら落選した木村勝隆さんが報告を兼ねてやってきました。
今回は絶対に当選すると思って、ほとんど応援らしいものをしていなかったのですが、まさかの落選でした。
選挙は本当にわかりません。
木村さんと久しぶりに政治談議をしました。
木村さんはめげずにまた次回も出るのでしょうか。
まだ終わって間もないので、複雑な心境だと思います。
木村さんの思いを聞く度に、私たちの政治に対する姿勢はこれでいいのかといつも考えさせられます。

■科学技術倫理フォーラム総会(2007年6月4日)
NPO科学技術倫理フォーラムの総会です。
この活動では実は私は昨年、約束を履行できなかったプロジェクトがあります。
技術者倫理の問題を社会に投げかける公開フォーラムの開催を引き受けていたのですが、
直前になって女房の病気の関係で延期させてもらったのです。
その報告もかねて、参加しました。

この総会は毎回、学士会館でディナーを食べながら開催します。
参加者は14人でしたが、今回も北海道や沖縄からもわざわざ来られたメンバーもおり、
分野もまたさまざまでいつも刺激的な議論が展開されます。
私にとっては、数少ないアカデミズムとの接点の場でもあります。

このNPOでは最近、4冊の技術倫理関係の書籍を発行しました。
いずれも代表の杉本泰治さんが中心になって書かれたのですが、いずれもとてもよい本です。
技術者のみならず、ぜひ多くの企業人や行政関係者に読んでほしいと思います。
その発行部数を聞いて唖然としました。
こういう良書はなかなか売り上げが伸びないことがよくわかります。
コモンズ書店で紹介していますので、良かったら購入してください。

ところで、またまた議論の運びの中で、
技術者倫理をテーマにした学生を巻き込んだ柔らかなサロンを開催するのを引き受けてしまいました。
本当は私の事情を話して、誰かに任せて解放されることをもくろんでいたのですが、
今日はやや疲労気味で、そういう提案をする気力が出なかったのです。
困ったものです。まあしかし、昨年一緒に取り組んだ鳥羽瀬さんたちが何とかしてくれるでしょう。
2人の大学教授が、学生に履修単位をやることも考えられるといってくれました。
それくらいのものにしていければと思っています。

■コモンズ書店の最初のお客様(2007年6月5日)
なんとコモンズ書店にお客様がつきました。
私のサイトから「東尋坊 命の灯台」を買ってくれた人が出たのです。
私もネットで利益を得た人になりました。
次はアフリエイト広告を出してみようかとも思います。期間限定ですが。
いろいろと実験的な体験をしてみたいのです。
ネットはやってみないとなかなか理解できません。

私は、最近のSNSの広がりに違和感を持っています。
どう考えても活用の仕方が間違っていると思うのです。
さらに、その基本にある自由主義への違和感もあります。
SNSは共和主義に立脚すべきですが、いまどきは共和主義は流行ではありません。
経済のパラダイムを変えなければいけないと思っていますが、まだまだ市場主義が隆盛を極めています。
形式ではなく、実体としてのSNSを目指す人はいないものでしょうか。

ところで、コモンズ書店で「東尋坊」を購入された方、
もしよろしければぜひ湯島にも遊びに来てください。
コーヒーをご馳走したいと思います。

■夏柑糖と鮒寿し(2007年6月6日)
京都を拠点にして、日本の伝統文化にこめられた知恵を現代に生かす活動に取り組んでいる
「連REN」の濱崎さん京都和菓子の老松の太田さんが、夏柑糖を送ってきてくれました。

この夏柑糖は期間限定で、なかなか入手できないようです。
古代和菓子は、果物を保存し食すものより始まったのだそうですが、これはまさにそれにつながるものです。
夏蜜柑の果汁を寒天(ゼラチンは使われてません)で固めたものですが、
冷やして食べると、爽やかで自然な甘さとほろ苦さが口の中に広がります。
実に気持ちが豊かになります。
本当は女房へと送ってくれたのでしょうが、果実好きな私もお相伴させてもらいました。
これを食べると元気になって、不老長寿に近づく効用もありそうです。

ちょうどその前日に、鮒寿しの魚助の松井さんから、
最近は鮒寿しが茶事に使われるという話を聞いていたので、
濱崎さんに訊いてみたら、浜崎さんたちのお茶会でも使うことがあるそうです。
まさかのまさかでした。
松井さんはさらにフレンチと鮒寿しの組み合わせを考えているようですが、
そのことを 濱崎さんに伝えたら、合うんじゃないのといとも簡単な同意がありました。

食の世界もフュージョンを楽しむ時代になったのでしょうか。
食の文化の奥深さにはついていけません。

(2007年5月第5週)
今週は久しぶりにいろいろと活動をしてしまいました。
面白い話がたくさんあるのですが、あまり書けないのが残念です。
■農林中金の田中文章さんに久しぶりにお会いしました(2007年5月28日)
■不労所得の報告(2007年5月29日)
■自治体職員へのソーシャルアントレプレナーシップの勧め(2007年5月30日)
■北区子ども感動コミュニティ機構(2007年5月31日)
■DHBR編集長の岩崎卓也さんとの意見交換(2007年5月31日)
■ネーダーのコンシューマリズムがCC戦略の生みの親(2007年6月1日)
■経営道フォーラム21期の始まりです(2007年6月1〜2日)
■感傷的な月の道(2007年6月2日)

■農林中金の田中文章さんに久しぶりにお会いしました(2007年5月28日)
いま共創文化の行方に関心を持っていますが、そこで思い出したのが田中さんです。
以前、お会いした時に、ライファウゼンの信用組合のお話をお聞きして、いつかきちんと調べてみたいと思っていました。
その直後に、女房がダウンしたので、資料を集めたままでそのままになっていたのですが、それを思い出したのです。
ここは一度、田中さんのご意見もお聞きしたいと思ったわけです。
そこで久しぶりに連絡を取ったのですが、田中さんは海外に転勤になっていました。
しかし、何とした幸運か、ちょうどいま一時帰国されていたのです。
これはやはり何かの理由がありそうです。

もう4年ぶりでしょうか。久しぶりの再開でした。
前回のように、実にたくさんの刺激を受けました。
来年の春まで海外勤務だそうですので、しばらくはお会いできませんが、
帰国されたらまたいろいろとお話をお聞きできるでしょう。
またいろいろと取り組みたいテーマが出てきてしまいました。
どうしてこうも面白いテーマが次々と出てくるのでしょうか。
困ったものです。

■不労所得の報告(2007年5月29日)
先週の不労所得作戦の報告です。
自分で本を購入したのですが、その3%、約100円をゲットしました。
3300円の本を購入したのです。
残念ながらまだ私以外の本の購入はありませんので、今週の利益は99円でした。
つまり私はすべての本を3%引きで購入できるようになったというわけです。
購入額が増えていくと、この%が上昇します。
ですから、どんどん買いたくなりますね。困ったものです。
もし月10万円の書籍を購入すれば、3000円の収入になるわけです。
書籍はせいぜいが月10万円ですが、何か高額のものを買う場合、この手法はメリットがありそうです。
100万円のものを買えば3万円です。

どこかに落とし穴がありそうですが、こうしてみんな消費の世界に入り込んでいくのでしょうか。
私も危ないものです。
アフリエイトで利益を上げましょうというキャンペーンメールがよく届きます。
私のように少し常識の欠落している人は、その気になってしまいます。
こうしてみんな汗して働くことをしなくなるのでしょうか。

不労所得作戦は少し継続する予定ですが、またきっといろいろな気づきがあるでしょう。
皆さん、1億円くらいの買い物がある場合は、ぜひわが「コモンズショップ」をご利用ください。

■自治体職員へのソーシャルアントレプレナーシップの勧め(2007年5月30日)
久しぶりに福島の自治研修センターに講演に行きました。
対象は入職後4年目の県および市町村の職員です。
まず驚いたのが、黒いスーツを着ている人が多かったことです。
企業の研修に来たのかと一瞬、勘違いしてしまいましたが、
私の中にある自治体職員のイメージに、どうも偏見があるようです。
しかし、大企業社員のような黒いスーツを着てほしくないなという思いがどこかにあります。

テーマは「時代の変化と意識変革」ですが、
私からのメッセージは昨年と同じく、ソーシャルアントレプレナーシップを持ちましょうという呼びかけです。
本当は、夕張市の事例をみんなでじっくりと話し合ったほうが効果的なのですが、
受講生が多いため講演方式になってしまいました。

昨年と同じく、また懲りずにメーリングリストへの参加も呼びかけてしまいました。
今回、少しショックだったのは、福島ではまだソーシャルアントレプレナーという言葉が知られていないことです。
私が福島でこの言葉を使ってから、もう5〜6年はたつと思いますが、新しい言葉はなかなか広がらないようです。

■北区子ども感動コミュニティ機構(2007年5月31日)
北区で精力的な住民活動をしている木村芙紗子さんが、活動仲間の橋本弥寿子さんと一緒に、やってきました。
木村さんとは昨年、赤羽の地域デビューのフォーラム以来の再開です。
お2人はいま、北区子ども感動コミュニティ機構の活動に取り組んでいます。
お話をお聞きすると、実にさまざまな活動に取り組んでいます。
しかし、いろいろと悩みもまた多いようです。

コムケア活動に取り組んだ関係で、こうした相談はいろいろとあります。
そのおかげで、社会の実相が本当に良く見えてきます。
同時に、住民パワーのすごさも実感します。
男性中心の企業社会とはまた違った活動への執念のようなものも感じます。
そうしたパワーがうまく組み合わさって、シナジーをあげられるといいのですが。
めげることが多いですが、現場で活躍している人と会うと元気が出ます。

■DHBR編集長の岩崎卓也さんとの意見交換(2007年5月31日)
岩崎さんとは久しぶりです。
DHBRとは「ダイヤモンド・ハーバード・ビジネス・レビュー」のことです。
経営学関係の月刊誌です。
ちょっとスタイリッシュで、アカデミックで、しかし結構カジュアルな雑誌です。
私も論文や翻訳を載せてもらいましたが、それはいずれももう10年ほど前の話です。

岩崎さんは長年この雑誌の編集をしていますので、日本の経営学や経営の変遷を良くご存知です。
編集者としてしっかりした考えや姿勢を持っていますから、話をしていて面白いのです。
まあ、私とは考えの違うことも少なくありませんが。

私は最近の日本の企業経営は極めてお粗末だと思っています。
私が会社にいた20数年前に比べても、退化していても進化はしていません。
私の認識が間違っている可能性は大きいですが、
それにしても大きな時代変化の中で、経営学のパラダイムもこれまでとほとんど変わっていないことには不信感をもちます。
人は学んだ知の限りでしか、生きられないのかもしれません。

今回、岩崎さんがやってきた理由のひとつは昨今話題のLLPの話がきっかけでした。
私が会社をやめて以来、取り組んでいるのが「場としての会社」、つまりはオープンプラットフォームの構築です。
それもワーコレ方式で共創したいのです。
20年近く取り組んでいますが、成功していません。
あんまり気が入っていなかったからです。

まあ、そんなことも含めて、久しぶりに経営談義を楽しみました。
話は多岐にわたりましたが、ひとつだけ書いておきます。

これまでの「工業型」生産社会における企業経営と「情報型」生産社会における企業経営とは、
パラダイムを変えなければいけないのに、今の日本の経営学者は、
相変わらず新古典派経済学に無批判に立脚した、工業型企業モデルで考えているので、
ほとんど役には立たないのではないかという、私の暴論的自論をぶつけました。

そのパラダイムシフトのポイントは、制度起点から個人起点です。
このサイトもそうですが、私のブログ(CWSプライベート)のメッセージの基調はすべてこの発想なのです。
もう10年以上言い続けていますが、誰も反応してくれません。
きっと当然過ぎるか、あるいは無意味なのでしょうね。
困ったものです。

■ネーダーのコンシューマリズムがCC戦略の生みの親(2007年6月1日)
今日は以前、プレジデント社で活躍されていた金田英一さんが訪ねてきてくれました。
昨日、やってきた岩崎さんともお知り合いですが、岩崎さんの2時代前のダイヤモンド社で活躍された人です。
昨日、岩崎さんと会ったことを話したこともあって、経営学の話になりました。
そしてこんな話をお聞きしました。

1960年代末に、アメリカの経営学者が組織論の大著を出版したそうです。
そして、その後に、ラルフ・ネーダーのコンシューマリズムが広がります。
それを受けて、アメリカでコーポレート・コミュニケーション(CC)戦略の動きが広がったのだそうです。
日本に入ってきたのは1970年代半ばです。

金田さんは、そうした日本へのCC戦略紹介のプロジェクトにいろいろと関わられたのです。
以前、当時の資料も見せてもらったことがあります。
ネーダーのコンシューマリズムがCC戦略の生みの親とは、実に面白い話です。
まあ考えて見れば、当然過ぎるほど当然なのですが、防衛的なCC戦略の本質が見えてきます。
しばらくして、戦略広報という発想が出てきますが、そこでも広報はあんまり戦略的だありませんでした。
私が日本広報学会の立ち上げに関わったころは、そうした戦略志向もなくなり、退屈な広報が息を吹き返していました。
まあ、このころの話は私自身いろいろと思うことがあるので、書き出したらきりがありません。

ラルフ・ネーダーに関してもいろいろ書きたい話が山ほどあります。
当時、私は会社に所属していましたが、1970年に企画調査部というところで
トップへの調査レポートを報告する仕事をやることになりました。
最初に与えられたテーマが、特恵関税が繊維産業にどういう影響を与えるかでしたが、
それは練習版で、後は自分でテーマも選べました。
私が次に選んだテーマが、コンシューマリズムでした。
その選択が、もしかしたら私のその後の人生を決めてしまったのかもしれません。
企業を経済機関としてではなく、社会機関として考える姿勢を身につけてしまったのと、
企業を批判的に見る発想をもてるようになったのです。

実はほかにもすごく面白い話がありました。
金田さんは新潟水辺の会のメンバーですが、このNPOは実に面白いのです。
単なるNPOではなく、ある意味でのNPO支援中間組織なのです。
しかも現場目線で、活動支援型の中間組織なのです。
これに関してはまたいつかご紹介したいですが、ぜひホームぺージをご覧ください。

■経営道フォーラム21期の始まりです(2007年6月1〜2日)
KAE経営道フォーラムの41期のスタートです。
箱根の強羅のホテルでの合宿です。
以前、箱根の交通機関の乗り継ぎの時間の悪さを書きましたが、改善されていました。
今回はとてもスムーズでした。

さて、今期の研究テーマです。
とりあえずのテーマが決まりました。
まずは「会社にとっての個人 個人にとっての会社」です。
会社と個人の関係を考えるのではなく、それぞれの視点からそれぞれを考えるというわけです。
これは意外とこれまでなかったアプローチです。
もう一つは、「個の時代における個人の感動」です。
「個の時代」と「感動」がキーワードですが、それぞれが面白い言葉です。
ちなみにこのチームにはペイ・フォワードに取り組む西尾さんも参加しています。
さてどう展開していくか楽しみです。

■感傷的な月の道
(2007年6月2日)
満月です。


わが家から見た手賀沼の湖面に映る月の道です。
女房と一緒に見ました。
なんだか私たちを迎える道のようにも感じます。
福岡の一条真也さんは月面葬も提唱されています
太陽も素晴らしいですが、月のメッセージも心惑わせます。
陰陽説 が生まれたのはよくわかります。

(2007年5月第4週)
初夏を感じさせる1週間でした。
そのせいか、とても疲れた1週間でもありました。
■不労所得の仕掛け(2007年5月20日)
■技術者倫理の問題に関心のある人はいませんか(2007年5月21日)
■裏切り行為の心の痛み(2007年5月22日)
■コムケア活動の6年目の報告書(2007年5月23日)
■まちづくりに求められるPRの視点(2007年5月24日)
■最近、スリランカにはまっている宮田喜代志さん(2007年5月25日)
■弁護士の犯罪(2007年5月25日)
■病気を治すよりも、病気の概念を捨てればいい(2007年5月26日)
■「ホテル・ルワンダ」を観ました(2007年5月26日)

■不労所得の仕掛け(2007年5月20日)
話題になったtotoビッグも恩恵に浴しませんでしたので、新たな不労所得戦略を練ることにしました。
不労所得に否定的な私としてはいささかフェアではないのですが、ちょっと最近経済的に苦しくなったのです。
困ったものです。
そんな状況の時に、ホームページで利益を上げませんかというメールが届いたわけです。
それでこのホームページに広告を載せて、それで儲けようというわけです。
果たして儲けられるでしょうか。
以前、ある会社に頼まれて、このサイトで食育通信教育の募集をやった時には
たしか3人ほどが受講してくれて、1000円くらいもらった気がします。
今回はブックのコーナーにアマゾンの広告を掲載し、私のサイトから発注されると3%が私のところに来るのです。
ブックのコーナーにバナーを載せましたので、ぜひ皆さん購入してください。

でも購入する人はいるでしょうか。
そこで名案が浮かびました。
私の購入したい本のバナーを掲載し、私が購入したらどうでしょうか。
早速、やってみました。
さて利益はどうなったでしょうか。
結果報告は来週です。

■技術者倫理の問題に関心のある人はいませんか(2007年5月21日)
NPO法人科学技術倫理フォーラムの代表の杉本泰治さんとお会いしました。
杉本さんは、先日のコムケアフォーラムにも参加してくれたのですが、今日は技術者倫理がテーマです。
杉本さんは、おそらくこのテーマへの思いの強さや見識の点で、日本の第一人者だと思いますが、着実に成果をあげてきています。
しかし、残念ながら肝心の企業の技術者たちへの広がりはまだそう大きくはありません。相変わらずMBA的なMOTが広がっています。
杉本さんの思いもあって、このNPOはメンバーを抑えがちなのですが、
活動を継続させ、運動展開していくためには、若い世代を巻き込むことが必要ではないかと思います。
今日はそんなことも含めて、久しぶりにゆっくりと話しました。

倫理規定違反への対処や原子力問題に関しても、かなり議論 が出来ました。
こうした議論ができる、オープンな場がほしいと私は思っていますが、
そのキックオフの試みが昨年秋に行う予定だった、技術倫理をテーマにした公開フォーラムでした。
私の家庭の事情で、直前に止めてしまったのですが、それをどうするかも考えなければいけない課題です。
どうも私自身に取り組む準備がまだ出来ていません。
コムケア的な取り組みは、科学技術倫理フォーラムには難しいのです。

さて、どうするか、悩ましい問題です。
このサイトでも何回も呼びかけていますが、どなたか一緒にやってくださる方はいないでしょうか。
もしいたら、ぜひご連絡ください。

■裏切り行為の心の痛み(2007年5月22日)
治療した歯の冠部分が外れてしまいました。
かかりつけの歯医者からは、そろそろまたやり直さないといけないが、しばらくは応急処置にしておきましょう、といわれていたところです。
その時期がきたのです。
従って、かかりつけの歯医者に行って、処置してもらうのがルールです。
ところが、最近できた近くの歯医者に行ってしまいました。

なにか裏切り行為のような気がして、心痛みます。
なぜそうしたかというと、実は歯医者を変える度に、それまでの治療の問題点を指摘されることが多かったのです。
会社を辞めて、会社近くの歯医者から自宅近くの歯医者に変えた時には、前の治療がいかに不適切だったかを知りました。
その歯医者が遠くに移転したので、4年ほど前に近くの別の歯医者に変えたのですが、そこでの対応もまた違っていました。
そんなわけで、医者を変えると新しい発見があるのです。

人間はどうしても自分がかかっている医師に影響されますが、そのうちにその発想でしか考えられなくなります。
いわゆるセカンドオピニオンにもつながるかもしれません。
歯医者くらいで何を大げさにと言われそうですが、そんなこともあって、今回は歯医者を変えてしまったのです。
そして新しい発見がいくつかありました。
これまで思い込んでいたのとは少し違っていたのです。

世界を変えることはいいことです。
しかしなんだか前の歯医者さんを裏切ったようで心痛みます。
まあ、人生はこうした裏切りの連続なのかもしれませんが。
昔はこんなことは少なかったでしょうね。

■コムケア活動の6年目の報告書(2007年5月23日)
先週も書きましたが、コムケア活動6年目の報告書「みんなが主役になれるオープンプラットフォーム」が完成しました。
副題に「『コムケア』って何だったのか そして、何なのかの中間報告」と書きました。
これまでこの活動で出会った人たちに寄稿も頼みました。
それなりに面白い報告書になったと思います。
コムケアセンターのホームページにPDF版を掲載しました。
よかったら読んでください。
製本された報告書をご希望の方は実費での配布もしています。
読み込んでいくと、いろいろなヒントがあると思います。

■まちづくりに求められるPRの視点(2007年5月24日)
日本パブリックリレーションズ協会で発行している機関誌がリニューアルされることになりました。
その最初の号の座談会に参加しました。
テーマは、「まちづくりに求められるPRの視点とは」です。
メンバーは、古賀勝次郎さん(早稲田大学日本地域文化研究所所長)、八甫谷邦明さん(季刊『まちづくり』編集長)、そして私です。
モデレーターはプラップジャパンの矢島尚さん。
私は全員が初対面です。

久しぶりの座談会でした。
最近、すっかりそうした活動から脱落していましたが、久しぶりだったこともあり、面白かったです。
それになによりも、面白かったです。
アッという間の1時間半でしたが、もう少し長く話したい気分でした。
たまにはこういう場にも参加したほうがよさそうです。

座談会の記事はまた機関誌にのるでしょうが、皆さんの発言はとても共感できました。
いろいろと共通の知人もいそうです。

ところで、古賀さんが藩校の話をされたので興味を持ちました。
どういう研究をされているかお尋ねしたら、研究所で出している書籍をもらいました。
「吉備の歴史と文化」(行人社)です。面白そうです。
冒頭に黒住真さんの「地域文化=学術の社会性」を掲載しています。
黒住さんとはメール交換だけでまだお会いしていませんが、いつかお会いしたい人の一人です。
帰宅後、ネットで調べたら、古賀さんはハイエク、ヒュームの研究者でもあるようです。
また、「西洋の法と東洋の法〕という論文も見つけました。
法の支配と法実証主義の論考が書かれていて、とても面白かったです。
いま私はブログで弁護士批判をしていますが、絶妙のタイミングでこの論文に出会えました。
偶然でしょうか。いや偶然であるはずがありません 。
そういう人が藩校を研究されている。ますます興味を持ちました。
八甫谷さんからは季刊誌「まちづくり」をもらいました。
各地の情報をたくさんご存知のようです。
またどこかで接点ができるかもしれません。

■最近、スリランカにはまっている宮田喜代志さん(2007年5月25日)
熊本のコムケア仲間の宮田喜代志さんが訪ねてきました。
宮田さんとは思考とビジョンがかなり重なっているのです。
会う度に、いつも刺激的な意見交換が出来ます。
宮田さんは今回は、明日から開催されるスリランカフェスティバル 2007に参加するための上京です。
スリランカとのコーヒーのフェアトレードに宮田さんたちは取り組んでいます。
単なる輸入ではなく、スリランカの産業起こし支援活動なのです。
宮田さんたちが取り扱っているコーヒーはとても美味しいです。

最近はフェアトレードのコーヒーを扱う友人知人が多いので、実はだれのを愛用すればいいのか困っていますが、
宮田さんのところのコーヒーは今後ますます美味しくなるそうです。
コーヒー好きな方は一度、試してみてください。お薦めします。

6月前半であれば、湯島にきたらご馳走します。
5月はNPOもやいの「こもれびコーヒー」ですが。

■弁護士の犯罪(2007年5月25日)
光市母子殺害事件の差し戻し控訴審に関する弁護団の言い分がなんとも腹立たしく、昨日は寝付かれないほどでした。
彼らは日本の司法制度を壊そうとしているような気がしたのです。
この事件に関しては、これまでも何回かブログで取り上げてきました。
弁護士の仲間から何らかの議論が内発することを期待していたのですが起きませんでした。
彼らには自浄力がなくなっているのでしょう。専門家集団にはよくある話です。

そんなことを考えていたためか、早く目が覚めてしまいました。
それでまたブログに書いてしまいました。
「弁護士のみなさん、恥ずかしくないのですか」という、少し挑発的な記事です。

そして、私の知っている、とても良心的な7人の弁護士に、
今回の弁護団の発言をどう思うか質問のメールを送りました。
早速、2人の弁護士から返信が来ました。
考えさせられる内容です。私信ですので、公開は出来ませんが、
他の方からのものも含めて、概要をブログでまた書く予定です。

ところで、私のブログは毎日のアクセスが100程度なのですが、この事件を書いたためか、今日は250を超えました。
ネットの反応のよさには感心します。
ちなみに、2人の弁護士からの返信で、どうも議論がかみ合わないことに気づきました。
私の表現力の不足か、弁護士の目線の高さか、理由は決めかねますが、念のためブログに私の論点を書き直しました
良かったら読んでください。
弁護士たちからのコメントへの私のコメントはブログに書くつもりです。

■病気を治すよりも、病気の概念を捨てればいい(2007年5月26日)
久しぶりに官足法の岡山さんの指導を受けました。
女房の奇跡は、岡山さんの足裏マッサージから始まったのです。
2か月ぶりですが、その間、可能な範囲で私が毎日足裏マッサージをしてきました。
足裏に限っていえば、ほぼ合格点をもらいました。

岡山さんに足裏をもんでもらった後。女房が、「完治は無理だが、病気とうまく付き合いながらいきたい」というような話しをしたら、
岡山さんが、病気と付き合うという発想を捨てることが大切ですというのです。
そうか、病気だと思うこと自体が、自らを病気にすることなのだと気づきました。
となると、「治る」と確信することさえもが、もしかしたらまだ生を信じていないことかもしれません。
なんとなく岡山さんの明るさの真髄が見えてきたような気がしました。

「病気」という概念を超えればいいのです。
もしかしたら、これは私の生き方に通じます。
だから私は病気にならないのかもしれません。
ちょっと自分の生命観に自身を強めました。
女房もハッと気づいたようです。
でもこれで梅雨はきっと乗り越えられるでしょう。
菅野さんがとても心配してくれているのですが。

■「ホテル・ルワンダ」を観ました(2007年5月26日)
ブログにも書きましたが、話題になった時期から半年も遅れましたが、「ホテル・ルワンダ」を観ました。
日本に住むことの幸せを改めて感ずるとともに、この状況がいつまで続くのかますます不安になりました。

クラスター爆弾の禁止条約づくりを目指す「リマ会議」も合意ができなかったようですが、
この会議に関連して、久間防衛相は記者会見で、クラスター爆弾が必要だと述べたそうです。
同じ日に防衛省の空幕長も同様な意見を述べたと報道されています。
久間防衛相は、
「日本を守る時にそれに代わるいい武器がない。
攻撃されて蹂躙(じゅうりん)されっ放しでいいか、守り抜いて後はその処理をしたらいいか、
国民がどちらを取るかだ。私は後者だと思う」

と述べたそうですが、この設問の立て方が詐欺的ですが、
国民にも向いているクラスター爆弾に賛成する国民が多いのでしょうか。
またブログに書きます。


(2007年5月第3週)
多くの人たちの支えの中で、元気が出てきました。
本当にたくさんの人たちが私たちを応援してくれているのが伝わってきます。
それに最近はかなり甘えていますが、いつかきっとまたお返しできるでしょう。
たぶん直接ではありませんが。
先週、ある人からペイ・フォワードの言葉を久しぶりに聞きました。
その人は300人を超える部下に、ペイ・フォワードの勧めをしているのだそうです。
しばらく忘れていた「ペイ・フォワード」。
また意識的にペイ・フォワードしようと思います。
最近はされているばかりです。
■コムケア活動報告書(2007年5月13日)
■対話法ワークショップ(2007年5月14日)
■免疫ミルク(2007年5月14日)
■昼食を食べる時間がない医師の忙しさ(2007年5月15日)
■企業の行方に関する2つの話し合い(2007年5月16日)
■寛容ということ(2007年5月18日)
■柏市民合唱団50周年コンサート(2007年5月19日)

■コムケア活動報告書(2007年5月13日)
コムケア活動の6年目の報告書ができました。
といっても原稿の段階ですが。
私がさぼっていたために、締め切り間際になってしまい、協力者の宮部さんと菅野さんに、
日曜日なのにわざわざコムケアセンターに来てもらって、仕上げをしてもらいました。
今回は、思い切り「私的な報告書」にさせてもらいました。
私の6年間のコムケア活動がかなりつまっています。
ですから他の人が読んでも面白くないかもしれません。
しかし、ケアとは何かを官上げるヒントがたくさんちりばめられているように思います。
報告書は今月中に完成します。
そのPDF版をコムケアセンターのサイトに掲載しますので、良かったらぜひ読んでください。
製本されたものも実費配布する予定です。
ご希望の方はご連絡ください。

■対話法ワークショップ(2007年5月14日)
たまたま本郷のコムケアセンターでは、日本対話法研究会の浅野良雄さんが、対話法のワークショップを開催していました。
浅野さんが独自に開発した、極めて実践的で、だれでもできる「コミュニケーション技法」のワークショップです。
浅野さんは桐生市在住ですが、東京でも毎月、ワークショップを開催しています。
コミュニケーションでお悩みの方がいたら、ぜひ参加されるといいです。
新潟では、学校でも展開され始めているようです。
関心のある方は、ぜひ浅野さんにお問い合わせください。
私の連絡いただいても結構ですが、ぜひとも全国に広げていきたいと思っています。

浅野さんの対話法は、平和への道かもしれないと思っています。
まずは浅野さんの対話法研究所のホームページをご覧ください。
ネットでの学習も可能ですので。

■免疫ミルク(2007年5月14日)
がんに効果がある方法の情報をいろいろな人が教えてくれます。
この種の情報は情報源になっている「個人」が重要な意味をもっています。
それを伝えてくれる人と情報の内容が一緒になって、情報価値が決まります。
同じ内容の情報でも、たぶん、伝えてくれる人によって、その意味あいは変わります。
最近、そういうことを痛感しています。

今日、電話で教えてくれた人は、最近、女房の病気のことを知り、わざわざ教えてきてくれたのです。
その人自身、実は女房以上に大変な状況なのですが。
ブログにも書きましたが、がんになるとみんなとてもやさしくなります。
もちろん、それ以前からやさしいのですが、そのやさしさを素直にだせるようになるのでしょうか。
「痛みを分かち合う」ということの意味が、最近、ようやくわかってきました。

ところで、今回の情報は「免疫ミルク」です。
早速、紹介された本を読みました。
もし何か情報をお持ちの方がいたら教えてください。

■昼食を食べる時間がない医師の忙しさ(2007年5月15日)
今日もまた病院でした。
外来日なのですが、主治医の先生はやはり外来日には昼食を食べていないのです。
医者の不養生は、本人の意向だけではないようです。
忙しすぎるのです。

「病院で働く研修医や非常勤医の時間外労働は月平均73時間にのぼり、「過労死ライン」とされる月80時間を超す医師も4割以上いる」と、
日本医療労働組合連合会が報告書をまとめていますが、これは日本の医療制度の本質的な問題を象徴しています。
労働時間だけではなく、食事すら出来ないという状況は、やはり異常です。

女房の手術後、初めての外来でしたが、何事もなく、ホッとしました。
「治る」という確信を持ち続けるのはかなりのエネルギーが必要ですが、多くの人に支えられて、前に進んでいるのを実感しています。
感謝感謝です。

■企業の行方に関する2つの話し合い(2007年5月16日)
日本の企業は、いまどうもおかしな方向に向かっています。
そうした動きに「経営道」ということを言い出し、
その普及活動に取り組んできたのが日本経営道協会の市川覚峯さんです。
今から20年前に、経営道フォーラムという活動を開始しました。
これに関しては、このサイトでも何回も書いています。

しかし、残念ながら、その試みは失敗しました。
相変わらず日本の企業経営者たちは、「道」とは遠いところで、
金銭に追い回されています。企業不祥事もなくなりません。

もっとも、経営道フォーラムの活動は、ある意味では成功し、
今や卒業生は2000人近くなり、多くの大企業経営者を輩出しています。
市川さんがこの活動を始めた頃から、私はこの活動に関わっていますので、
その活動の裏表をある程度知っていますが、残念ながら、市川さんの当初の思いは必ずしも実現していません。
しかも今、活動は市川さんの思いとは別の方向に向かいだしているようにも思います。
活動の理念は、創業者にしかないのかもしれません。
組織は理念で生まれますが、金銭で継続されるのかもしれません。

長々と書きましたが、今日はそんな話を市川さんとしました。
この20年間の活動は何だったのか、市川さんの苦労を知っている一人として、市川さんのその「問い」には考えさせられます。
市川さんはいま、経営道フォーラムとは別の組織を立ち上げ、活動に取り組んでいます。
私は、経営道フォーラムにも、また市川さんの今の活動にも関わっていますが、両者を統合してほしいと思っています。
それがなかなか難しいようなのです。
その理由が、最近、わかってきました。
哀しい話ですが、やはり日本の最近の企業経営者はあまり信頼できません。

今日はまた、社会事業に取り組んでいる人とも話しました。
そこでもまた、社会価値(理念)と財務価値(金銭)の話になりました。
社会価値の創造だけでは事業は継続できない、やはり財務的な資金繰りが回らないと事業は継続できないという話です。
それは当然のことです。
それを対立的に捉えることはなく、結局は同じものだというのが私の論理です。
しかし、社会事業であろうと、それを起業しようとすれば、どうしても金銭が必要になります。
そこで社会起業家は苦労し、時に変質するのです。

事業発想のスキームを変えることが必要です。
金銭は手段でしかありません。
もしそうであれば、金銭に代わる起業ツールがあるのではないか。
そういう思いをどうしても私は捨てられません。

今日は、これからの企業のあり方に関わる議論を全く立場の異なる2人の専門家と話し合いましたが、
どうもすっきりしない話し合いに終わりました。
どうしてでしょうか。

そういえば、日本NPO学会の田中さん(副会長)からも、NPOの持続可能性を向上するために経済的要素をもっときちんと考える必要があるというメールを今日、もらいました。
そこでも理念と金銭が絡んでいます。
大きなパラダイム転換が必要だと思う私としては、
どうも皆さんの議論が現状のパラダイムの中での議論のように思えてなりません。

■寛容ということ(2007年5月18日)
先月のコムケアフォーラム2007の実行委員長をやってくれた橋本典之さんと久しぶりにゆっくり話しました。
彼はまだ20代なのですが、極めてポジティブシンキングの人なのです。
これからコムケアをどうするかが建前のテーマでしたが、むしろ最近の橋本さんの関心や生き方の話になりました。

橋本さんと話して、「寛容」という言葉を思い出しました。
このサイトの読者には、私が極めて不寛容な思考の持ち主だと思われているでしょう。
それはたぶん正しいでしょうが、「寛容」という概念は、
私が会社時代の最後に取り組んだ企業のアイデンティティのプロジェクトを進めている間中、
ずっと考えていた企業組織論のキーワードのひとつです。
当時、異質をどのくらい包括しているかが、組織の豊かさや強さを決めていくと考えていたのですが、
異質を束ねていくための重要な要素が「寛容」でした。
その寛容さは残念ながら受け入れられませんでした。
寛容さを受け入れない不寛容さの文化の壁にぶつかったことも、私が会社を辞めた理由の一つでしたが、
不寛容さを受け入れないこともまた不寛容なわけで、結局は自己否定をしてしまったわけです。
この「寛容のジレンマ」が、私のその後の言動に少なからず影響を与えているように思います。

では寛容とは何か、これも人によって定義が違うでしょう。
村上陽一郎は「文明の死/文化の再生」でこう書いています。

自己が一つの選択肢としての、ある伝統に依拠していることを自覚することができ、
それに基づいて、伝統に関して他の選択肢の可能性を認め、
かつそれに依拠する他者の存在を認め、また、その可能性を自ら検討できる、
という2つの能力を有するとき、
その個人、あるいは共同体は、「寛容」であると定義できるのではないか。

いささか小難しい定義ですが、平たく言えば、
自分にしっかりした価値基準があり、しかし、それは相対的なものであるから、それと異なる価値基準もまた、自らの価値基準を補強するものだと肯定的に受け入れられる姿勢です。
ぜんぜん、「平たく」なっていませんが、要は異論もまた大きな意味での自論の一部と思えるかどうかではないかと思います。
自論と思えばこそ、厳しい批判の対象にもなりえます。
またジレンマです。

橋本さんは、自分とは違う意見をすべて肯定的かつ好意的に受け入れて、自論を具現化する支援材料にしてしまうのです。
しかも、それがきわめて自然になのです。
そうか、「寛容」とは「自然の態度」なのだ、と気づきました。
「寛容になる」というのは、「寛容でない」証拠なのかもしれません。
ややこしくなりました。

抽象的な書き込みでわかりにくいと思いますが、ともかく橋本さんは「寛容」なのです。
私も少し見習わなければいけません。
ある意味で、私は寛容さをもっている自負はあるのですが、橋本さんに比べるとまだまだ未熟です。

橋本さんはいま理学療法士を目指して、学校に通っています。
10年後の橋本さんがどうなっているか、私には実に興味があります。
どうして私が興味を感ずるのか、橋本さんのブログを読んでいただくとわかってもらえるかもしれません。
特に、最新の記事は面白いです。

橋本さんは友人たちと「結いネット」なるものももっています。
このブログも、このサイトで紹介して良いと許可をもらいました。
最近の若者たちの、「もうひとつの世界」をみることができるかもしれません。
今日はちょっと個人的な話を書いてしまいました。
まあ、いつもそうですが。

■柏市民合唱団50周年コンサート(2007年5月19日)
女房のコーラス仲間が柏市民合唱団のメンバーなのですが、今日はその発表会でした。
女房と約束していたので、今回も一緒に聴きに行きました。
50年とはすごいですね。なかには80代の人もいました。

ところで、女房は退院後、急速に元気を戻しています。
たくさんの人からの励ましのおかげです。
私が毎日続けている足裏マッサージも少しは効果を発揮しているかもしれません。
ある人が私に、「ひとときの記事で、きっと遺伝子がオンになったのですよ」と言ってくれました。
その意味があんまりわからないのですが、そうなのだと考えることにしました。
いや、事実そうなのかもしれませんし。
今日、突然、女房が自動車を運転すると言い出して、近くの八百屋さんまで行きました。
助手席に乗っていましたが、スリルのあるドライブでした。
今日の彼女の「いいことだけ日記」には「自動車を運転できた」と書かれるでしょう。

(2007年5月第2週)
初夏を思わせるような1週間でした。
わが家の小さな庭でも、いろいろと季節の変化を感じられます。
自宅で女房と過ごす時間が多かったのですが、少しずつ外出もできるようになりました。
■女房が退院しました(2007年5月7日)
■コムケアって何だったのか(2007年5月8日)
■2人の人からの手紙とメール(2007年5月9日)
■KAE40期発表会(2007年5月10日)
■北矢行男さんの風雅な暮らし(2007年5月10日)
■かまきりの子どもたち(2007年5月11日)

■女房が退院しました(2007年5月7日)
女房が退院しました。
連休中も外泊で帰宅していましたが、やはり精神的には退院とは違います。
病院から解放されたという気分は、本人にも家族にもとても大きな喜びです。
そこで、ささやかな退院祝をしようと、久しぶりにレストランに行きました。
といっても、女房はあまり食べられないのですが。

■コムケアって何だったのか(2007年5月8日)
いま、コムケア活動の報告書を作成していますが、
そこに掲載するために、これまでコムケア活動で出合った人たちに、
「コムケア」って何だったのかというようなメッセージを書いてほしいと呼びかけました。
たくさんの人が書いてきてくれました。
それを読んでいて、この6年間のコムケア活動のことをいろいろと思い出しました。

その6年間のおかげで、今の私の生活がこんなにも支えられることになるとは思ってもいませんでした。
何かをしていたら、必ず報われるものです。
みなさんから届いたメッセージは、報告書が完成したら、コムケアセンターのホームページに掲載します。
ぜひ読んでほしいと思います。
私も書きましたが、それを下記します。

<コムケアは私にとっても平和活動なのです>
コムケアは「私の平和活動」です。
私も昔の「安保世代」ですが、平和の恩恵をたくさん受けてきました。

しかし、最近の日本はどうもおかしな方向に進みだしているように思えてなりません。
そこで、40年ぶりにデモに参加したり、ピースウォークを楽しんだり、平和サロンを開いたりしはじめました。
そして、2年前、平和に向けての市民の結集の集まりに参加しました。
さまざまな人の自己紹介を聞きながら、私もこれまでの活動の話をしようと思っていたのですが、
口から出たのは「私の平和活動はコムケア活動です」という言葉でした。
たぶん参加者には意味が伝わらなかったでしょうが。

人のつながりが切れたところから平和のほころびが生まれるような気がします。
もし相手に友人がいたら攻めていけるでしょうか。ビルを爆破できるでしょうか。
「できる」と答える人もいるでしょう。しかし、少なくとも私にはできません。
ですから、表情のある人のつながりを育てていくコムケア活動こそが、私にとっての平和活動だと思ったのです。

コムケア活動に関わりだして、何が変わったかといえば、世界が変わりました。
自分の住んでいる世界が広がり、しかも豊かな表情が感じられるようになりました。
その分、背負い込んだものも増えましたが、支えてくれるものも増えました。
今日も、私が元気なのはコムケアのおかげです。
コムケア仲間に感謝しています。

コムケア活動は新しいステップに入ります。
よかったら参加してください。
まずはメーリングリストからでも。

■2人の人からの手紙とメール(2007年5月9日)
2人の人からの手紙とメールを紹介させてもらいます。
あえてこの2人を紹介するのは、それぞれの現況が私に大きなパワーを与えてくれたからです。
おかしな言い方ですが、2人とも私以上に、きっと大変な状況にあるのです。
しかし、そうであっても人を元気にすることはできるのです。
そこにこそ、ケアの本質を感じます。
その意味で、あえて紹介させてもらいます。

一人は大学でも教鞭をとられている方です。
私の女房が投稿した「ひととき」の記事を読まれていましたが、私の女房だと気づいたのはコムケアのメーリングリストだったようです。
そこで手紙を書いてきてくれたのです。
こう書かれています。

生きている限り、ほんとうに悩みはつきませんね。
大事なことは現象に振り回されず、自分が何を選び、どう生きたいかだと思うのですが、
次々いろいろおきると一時的に後ろ向きの気持ちになることがあり、まだまだ修業が足りないと思います。


彼女(女性なのですが)もまた、たくさんの試練に直面しています。
試練は、人を優しくします。強くするだけではありません。
彼女は大きな夢も持っています。
少しでも力になりたいと思いながら、なかなか応援できずにいますが、夢と試練は切り離せないものです。

手紙と一緒に、女房にと「セブンパワーズ」という本を贈ってきてくれました。
ご存知の方も多いでしょうが、ひとりの若き騎士が、さらわれた王子と聖剣を取り戻すため、<運命の地>へと旅立ち、試練を超えて、夢を実現し、自分に出会う話です。
私も読ませてもらいました。自分の人生を振りかえさせられるような気がしました。
生き方に自身が持てる本です。

もうひとりは最近ふさぎこんでいる友人です。
ずっと気になっていましたが、電話する精神的な余裕が出てきませんでした。
そうしたら彼(男性です)からメールが来ました。
ちょっと心配になるメールでした。
すぐにはやはり電話する勇気がなく、1日置いて、元気を蓄えて電話しました。
幸か不幸か不在でした。
留守電にメッセージを入れておいたのですが、早速にメールが届きました。
今度はホッとする内容でした。

彼の状況はとても厳しい状況です。
何も力になれない自分がいささかふがいないですが、結局、誰かを救うなどということは私にはできそうもありません。
メールのやり取りの中で、少しずつ、その人の元気が高まってきたような気がしますが、それくらいのことしかできないのです。
しかし、メールのやり取りのなかで、元気とはお互いの係わり合いの中で、双方が高めあうものだということです。
彼からの最後のメールは、私を元気にしてくれました。
感謝しなければいけません。

ちなみに、上記の2人は、これまで何回かこのコーナーに登場した人です。
人生はほんとうにいろいろあります。

■KAE40期発表会(2007年5月10日)
KAE経営道フォーラムの40期の発表会が椿山荘で開催されました。
ここでも紹介しましたが、私が担当するチームの成果発表会です。
テーマは「家族が喜ぶ企業」「笑顔を作り出す企業」です。
それに「ヒット商品を生み出す企業」のチームも含めて、私がコーディネーター役です。
発表は、いずれも昨今の大企業の状況が垣間見えて、興味深いものでした。
発表の後、テーブルディスカッションを行って、発表してもらうようにしていますが、そこでの議論がどこに向いているかも面白いです。
誤解されそうな表現になりますが、いまの大企業の病理が見えてきます。
いや、社会の病理と言っていいでしょうか。

終了後、参加者の一人がやってきました。41期の受講生でした。
ぜひ私のチームに入りたいというのです。
理由は今取り組んでいるのが、ペイ・フォワード活動だというのです。
企業とペイ・フォワード。
近江商人の経営道がようやく見直されだしてきたのかもしれません。
これに関しては、また報告できるかもしれません。

■北矢行男さんの風雅な暮らし(2007年5月10日)
KAEのコーディネーター仲間の北矢行男さんが、コーディネーター役を降りることになりました。
そこでこれまで彼の指導を受けた受講生が謝恩会を開催しました。
なぜかそこに私も招かれました。

北矢さんとは私も長い付き合いです。
彼は戦略経営、ホロニック経営、ソシオカンパニーなど、時代を切り開く新しいメッセージを出し続けてきた経営学者です。
そのオリジナリティに、私は敬意を表します。

その彼も、夫婦ともども、いま、健康上の問題を抱えだしています。
私の女房ががん宣告を受けた時に、最初に実践的なアドバイスをしてくれたのは北矢さんです。
自分で服用して効果があったサプリメントを教えてくれました。
残念ながら、そのサプリメントは女房には効果を出してはくれませんでしたが、以来、いろいろと気遣ってくれていました。
私が会社を辞めて以来の、やや破天荒な生き方を即座に理解したのも彼でした。
しかし、今や彼のほうが私の先を歩いています。
ずっと遅れていたはずなのに。

乾杯の発声を頼まれたので、
「北矢さんのこれからの優雅な生き方を祝して乾杯」
とやったら、彼から異議がでました。
優雅ではなく、風雅なのだというのです。
最近は奥さんと毎日、「風歩」しているそうです。
散歩ではなく、風歩です。
私も、それに似た生活をしていますので、よくわかります。

北矢さんがいなくなると、KAEも少し寂しくなります。
北矢さんの誠実な生き方には教えられることが少なくなかったです。
彼のこれからの風雅な生き方に、改めて乾杯したいです。

■かまきりの子どもたち(2007年5月11日)
わが家の庭の片隅に、かまきりの巣がありました。
そこから今朝、子どもたちがワッと生まれだしました。
こんなふうに。

2時間後に行ってみたら、だれもいなくなっていました。
みんなどこに行ってしまったのでしょうか。
そしてそのうちのいったいどれだけが大人になるのでしょうか。

(2007年5月第1週)
大型連休ですが、わが家はちょっと試練の連休です。
しかしみんな元気です。
ますます私的な家庭日記になってしまいましたが。
■一時外出で女房が戻ってきました(2007年4月29日)
■「ひととき」その後(2007年4月30日)
■ヒポクラテスの会が再開できそうです(2007年5月1日)
■女房が今度は外泊許可で、連休中は自宅です(2007年5月2日)
■とてもあたたかな青空です(2007年5月3日)
■地域社会のコモンズ空間(2007年5月5日)

■一時外出で女房が戻ってきました(2007年4月29日)
女房の回復が予想以上に早く、今日は一時外出を認められました。
近くに住む女房の友人が元気づけにきてくれました。
私も一緒に話をさせてもらいました。
病気のおかげで、私と女房は、お互いの友人知人を共有し始めています。
これもまた「病気になったおかげ」でしょうか。

ところで、一時帰宅のわずかな時間に女房に名前も聞いたことのない人から電話がかかってきました。
私が電話をとったのですが、「もし間違っていたらすみませんが・・・」という電話でした。
訊いてみると、朝日新聞の「ひととき」を読んで、もしかしたら20年ほど前にある趣味の教室で一緒だった人かもしれないと、女房に電話をかけてきてくれたのだそうです。女房も覚えていました。
それにしても女房の在宅時(最近、わが家は留守がちです)に合わせたような電話です。
最近の女房はついています。
新聞に掲載されたおかげで、女房にはいろいろな物語が生まれたようです。

■「ひととき」その後(2007年4月30日)
女房の「ひととき」投稿は思わぬ展開になって複雑な気分ですが、たくさんの方からメールをいただきました。
私たち夫婦にとっては、大きな元気をもらったことになりますが、逆にこの小論から元気をもらったというメールもありました。
私たちの記録の意味も込めて、このサイトに埋め込みましたが、やや褒められすぎなので、非公開にさせてもらいました。
私には読めるのですが。
そういう記事が、このサイトにはいくつかあるのです。
私の人生の記録ですので、非公開記事も含めてホームページをつくっています。
しかし、「いいことだけ日記」がこれほどまでに話題になるとは思っていませんでした。
悪いことの多い時代なのかもしれません。

たくさんの人たちからのメッセージを私たち夫婦で独占してはもったいないので、少しだけ紹介させてもらいます。

○医療は不確かであいまいで、最後の拠り所は患者さんの気力だけ。だから、「いいことだけ日記」が患者さんを強く出来ると思うのです。
○不安だらけのこころの中に「ポッ」と明かりが灯ったような心境です。少しですが元気が沸いてきました。
○良い面を見る、良いように感ずる、怒らない、そして笑う、大いに笑う。癌とは闘わず大きな何かにお任せする。それが同じく癌持ちの私の信条なのですが、なかなかそうはいきません。そのとき支えてくれるのはパートナーであり仲間です。
○とかく悪いことばかりに気持ちがゆきますが、いいこと、有り難いことに気付いていなかったのではないかと最近思います。私に勇気を与えてくださいました。
○時折、くじけそうになることもありますが、「前向きに、前向きに」と自分を励しつつ、毎日を送っています。病気になってつらいことも多いですが、発見したこともたくさんあります。自分自身が少し成長できたように感じています。人間、どんな状態になっても学ぶことはあるのだなぁと再発見しています。
○心が幸せに動いた瞬間を小さなことでも、たくさん積み重ねておられる奥様の姿が目に浮かびました。それが力になっていくんですよね。私も積み重ねていこうと思います。奥様ががんばってくれると、私の勇気が出てきます。
○ポジティブな気持ちって意図しない場面においてもきっとどこかで暮す誰かの心を自然に支えているのだと思っています。だから、どんな状況下であろうと、どんな境遇であろうと必要の無い人間なんて決して一人としてこの世に居ないのだとおもうのです。
○先日、小学生の娘の授業参観があり、プラスのことばとマイナスのことばを挙げる道徳の時間でした。マイナスの言葉ばかりたくさん出てくるのが今の小学生の現実でした。日頃の大人の接し方に問題があるのでしょうか。
○先日からいいことを書き始めました。「かわいいとほめられて嬉しかった」「友人に夕食に招待されて嬉しかった」などなど・・・。3年経ったとき、わたしの日記は幸せに満ちていることでしょう。
○「いいことだけ日記」も、「今日と未来の選択肢を多様化するもの」と確信いたします。
○私はいぜん医療記事をよく書いていたのですが、治療もさることながら何より重要なのは「気持ち」です。
○私たちも病院での活動が長く、患者さんたちのささやかな笑顔や元気がなにより活動を続けていける後押しとなっています。
○大事なのは「感謝」ですよね。

病気を治すのは、感謝の気持ちだと官足法の岡山さんからいわれました。
みなさんからのメールにたくさんのことを気づかせてもらいました。
感謝の気持ちで一杯です。

■ヒポクラテスの会が再開できそうです(2007年5月1日)
「ひととき」騒動の余波で、うれしいことにヒポクラテスの会が再開できるかもしれません。
ヒポクラテスの会のメーリングリストはその後、全く動きがなったのですが、
ある人がコムケアのメーリングリストと間違えて、「ひととき」関連のメールを投稿したのです。
それが契機で、メンバーの医師がまた投稿してくれました。
こうなると放ってはおけないので、私からもその後の事情を投稿しました。
あわせて再開の予告もしてしまいました。
6月になったら、動いてみようかと思います。

そこで少し始まった議論は、とても共感できることが多いですが、驚きのメールもありました。
いつかCWSプライベートで話題にしたいと思います。
医療訴訟に関する話です。医師も大変です。

■女房が今度は外泊許可で、連休中は自宅です(2007年5月2日)
連休のためもあって、女房の外泊が許可されました。
何も問題がなければ、このまま退院できそうです。
その前に、これからの治療方針に関して、主治医と話をしました。
きびしい話に、今日はちょっと夫婦ともども落ち込んでいます。
希望にはいつも試練が同伴します。
明日には元気になるでしょう。
いや、元気にならなければいけません。

■とてもあたたかな青空です(2007年5月3日)
今日は、あたたかな、青空のきれいな1日でした。
おかげで、女房の元気も、私の元気も少し回復できました。
青空は本当に、人を癒してくれます。

青空といえば、「日本の青空」という映画が話題になっています。
高校の同窓生が監督をした映画のため、高校同窓会のメーリングリストで早くから話題になっていましたが、私はまだ観ていません。
我孫子でも平和のグループが上映会を検討しています。

今日は憲法記念日ですね。
なぜか今年は憲法にまつわる新事実がマスコミに乗ります。
もっと早くから公開しておくべき話だと思うのですが、
こうした情報公開やマスコミによる「スクープ」も見事にスケジュール化されているのが不気味です。

まあ、それはともかく、今日はとても穏やかな日でした。
久しぶりに、女房は花三昧をしていました。
自宅の庭が満開です。いつもよりは少しだけ寂しいですが。

■地域社会のコモンズ空間(2007年5月5日)
昨年度の自治会役員の打ち上げをかねて、私たちの班の親睦会をやることにしました。
本来は会長だった私が呼びかけるべきなのですが、最近はどうも気が出てこないので、同世代の3人に頼むことにしました。
小酒さんと寺内さんと大西さんです。
お互いにすぐ近くなのですが、ゆっくり話す機会は意外とありません。
それで今日はすぐ近くにあるサイゼリアで、相談しました。
相談は10分で終わりましたが、話はいろいろと広がり、270円のドリンクバーなるメニューで1時間半も話し込んでしまいました。
昔であれば、縁台で顔を合わせて、こういう話が日常的に行われていたのでしょうね。
地域社会からも「コモンズ空間」がなくなってきているのです。
それが最大の問題なのかもしれません。
3人から女房へのお見舞いということで、花束をもらいました。


(2007年4月第4週)
天国と地獄という気分を味わいました。
■コムケアフォーラム2007はコムケア的でした(2007年4月22日)
■女房のための最高に贅沢なコンサート(2007年4月23日)
■コムケア活動が新しいステップに入りました(2007年4月24日)
■女房の入院(2007年4月25日)
■今日も病院で1日を過ごしました(2007年4月26日)
■朝日新聞の「ひととき」に女房の投稿が載りました(2007年4月27日)
■久しぶりにまた東レを訪問しました(2007年4月27日)
■女房の投稿記事が思わぬ展開を見せてしまいました(2007年4月28日)

■コムケアフォーラム2007はコムケア的でした(2007年4月22日)
このサイトでもご案内していたコムケアフォーラム2007は、とてもコムケア的でした。
6年間の節目として考えていたのですが、それが私(わたくし)的には実現できました。
手作り風に、適度に失敗もあり、適度に成功もあり、ともかくオートポイエシック(自己創生的)なフォーラムでした。
前後の物語も含めてです。
私が理想とするオープンプラットフォームです。

30近い団体が展示や呼びかけを行い、約150人の人が参加してくれました。
わざわざ私に会いに来てくださった方までいました。
その人、安田晋さん(GREER)は参加費を払い、私に会って、会が始まる前に用があるからといって帰りましたので、
会には参加してもらえませんでしたが、3年ぶりに会うコムケア仲間でした。
まだ若い、現役の企業人です。
こういう人も増えているのです。

フォーラムそのものも、2003年に開催したバザール型コムケアフォーラムを思い出す賑やかさでした。
フォーラムの様子は、コムケアフォーラム2007のブログに書きこみつつあります。
やや自己満足的ですが、もっと多くの人たちに雰囲気を実感してもらいたかったと思います。
こういう場に出てくると、NPOへのイメージもきっと変わるはずです。

参加できなかった熊本の宮田さん(九州コムケア)からは、参加者全員への紅茶のお土産が一袋ずつ提供されました。
これもコムケア的です。
橋本さんの企画で、今回もケアップカードを取り入れましたが、これも大成功でした。
これに関しては、ブログにも書きましたが、実に素晴らしい効果を発揮しました。
そして、またたくさんのエピソードが生まれました。
これもフォーラムのブログでこれから少し紹介するつもりです。
このカードのおかげで、いま話題の龍の子学園に35000円の寄付をすることが出来ました。
副代表理事の玉田さんがご自分のブログに紹介していますので、読んでください。
そういえば、他にも何人かの方がこのフォーラムのことをブログに書いてくれています。
たとえば若尾さんや四元さんです。

あまりに書きたいことが多いので、これでやめます。
ともかく今日はつかれきりました。とても充実感のある疲れですが。
実行委員長の橋本さんをはじめとした、たくさんの仲間たちに感謝しています。
ありがとうございました。

■女房のための最高に贅沢なコンサート(2007年4月23日)
今日もまた最高の1日になりました。
昨日のコムケアフォーラムに福岡から参加してくれた、あした葉の西川義夫さんが自宅に来てくれたのです。
体調の悪い私の女房のことを気にしてくれて、滞在を1日、延ばしてくれての来訪です。
ちなみに、西川さんは女房とは面識はありません。
私とさえも、これまで2回しかお会いしたことがないのです。
にもかかわらず、私の女房のことを知って、急に行ってもいいかと言い出したのです。

西川さんと女房とは共通点があります。
共に闘病中(こういう表現は西川さんは好まないかもしれませんが)なのです。
西川さんも難病を抱えています。
私と西川さんも、ゆっくりお話したことはありませんが、共通点があります。
たぶん社会の見え方とビジョンが一緒なのです。
最初の出会いで、たぶんそれが分かり合えたのだと思います。
そのおかげで、今日は旧知の仲のような時間が過ごせました。

西川さんは女房に真紅のバラを腕いっぱいに抱えてきてくれました。
上野からずっと持ってきてくださったようです。松坂屋の袋でしたので。
大きなバラの花束を持って、電車に乗るのは私にはできそうもありません。
西川さんと私とは、違いも少なくないようです。
女房は真紅のバラが大好きで、以前にも一度もらって喜んだことがあります。
もちろん私ではありません。
西浦さんという、私のブログに時々投稿してくれる人です。
おしゃれな男性はやはり違うわね、とさんざん言われていましたが、またこれから言われそうです。

西川さんはいつも笑顔の人です。
笑顔でない西川さんを思い出せないほどに笑顔です。
これに関してはブログでも書かせてもらいました

西川さんは、また、ハーモニカの名手でもあります。
昨年は、アジアの大会で堂々の2位でした。
福岡でずっとストリートパフォーマンスをしていて、テレビの30分番組で西川さんのドキュメントがあったほどです。
その西川さんが、女房のお見舞いにとわが家でコンサートを開いてくれました。
幸いに今日は娘が2人とも自宅にいました。
そこで家族4人のための最高に贅沢なコンサートが実現しました。
あまりの感動的演奏に、アンコールまでお願いしてしまいました。
その時の写真を掲載させてもらいます。
西川さんの許可は取っていませんが。

左のバラが西川さんから女房へのプレゼントです。
ちなみに真ん中にテディベアが座っていますが、
これはカドリーベア・デン・イン・ジャパンの竹沢泰子さんの作品です。
女房が元気になるように贈ってくださったもので、わが家にはテディベアが4人もいます。
こうしたあたたかな応援の中で、女房はがんばっています。

今日はとても良い日になりました。
西川さんとの話も、とても元気をもらえる話でした。
もっとも内容は、とても厳しく重い話なのですが。
西川さん、ありがとうございました。

ちなみに、西川さんの演奏は次のサイトで聴くことができます。
西川義夫ハーモニカベストセレクション
また西川さんのブログにもわが家訪問の記事があります。

■コムケア活動が新しいステップに入りました(2007年4月24日)
今日もうれしさが続いていました。
午前中までは、ですが。
コムケアのメーリングリストがにぎわっています。
現在、600人近い登録のあるメーリングリストですが、22日のフォーラムの熱い余波が続いています。
ますますコムケアはオートポイエシック(自己創生的)に育ってきました。
もうそろそろ手放ししていいかもしれません。
メーリングリストでのやり取りの一部はブログに再録しますので、よかったら読んでください。
コムケアの次のステップへの検討チームも発足できそうです。

と、ここまではよかったのですが、午後に流れが変わりました。
コムケアの流れではなく、私たち家族の流れです。
女房の定期検査結果が思わしくなかったのです。

先週、実は様子がおかしくなり、予約日ではなかったのですが、相談に行きました。
その時はまだ懸念だけだったのですが、それが現実のものになってしまったのです。
22日の前にそれが発覚しなかったのは、女房の思いやりかもしれません。
私の自己中心的な本性が現れたのかもしれません。
いずれにしろ、医師から厳しい宣告がされた時には、また夫婦ともども落ち込んでしまいました。
私も女房も、ともかく感情の起伏が大きいのです。

すぐに手術し入院といわれましたが、一晩待ってもらうことにしました。
近代医学のスピードには、最近なかなかついていけなくなったのです。
迅速なのが悪いわけではありません。
しかし、人間の身体はゆっくり動いています。
医学データ的に見れば急変かもしれませんが、実際にはゆっくり変化しているはずです。
その生命的な動きに、近代医学の論理志向は合っていないのです。
これに関しては、いつかブログの医療時評で書きたいと思います。
そんなわけで、笑顔のない夜になってしまいました。
しかし、ヴァルネラブル(やわらかな弱さ)でありながら、気丈な女房は、元気に明日の入院の準備をしています。
人生には山あり谷ありです。

■女房の入院(2007年4月25日)
久しぶりに入院の付き添いです。
朝から夜まで、ずっと病院で過ごしました。
手術は午後の遅い時間でしたので、それまではかなり無為に過ごしました。

病院の入院患者のたまり場で、ボーっとして話を聞いていると実に多くの気づきがあります。
医師や看護師やスタッフの人も、時には変装して紛れ込むと面白いでしょうね。
最高の学びができるはずです。
病室で半分まどろみながら周辺の動きを、聴くでもなく聴かないでもなく、耳と目を開いているのも面白いです。
世上の動きと全く違った時間の流れが、そこにあるからです。
此岸と彼岸の渡し場のような気持ちを、私はいつも実感します。
ちょっと誤解されそうな言い方ですが。

手術は予定以上の時間がかかりましたが、かなりうまくいきました。
かなりというのは微妙な言い方ですが、
医師の、本当に誠意ある対応にも関わらず、残念ながら半分は施術できなかったのです。
まだ諦めたわけではありませんが、少し様子を見るようにしました。
それは、しかし私たちにとっては希望が持てることなのです。
医療には希望がないといけません。

しかし、がん治療の場合、多くの医師は自らは気づかないとしても患者の希望を壊しがちです。
それはきっと日本の医療教育が間違っているからだと私は思います。
今日、1日、病院にいて、やはりそのことを痛感しました。

こんなことを言うと、私たちがかかっている病院がよほど悪くて医師も冷たいように思われそうですが、そうではありません。
医師はとても親切ですし、看護師も献身的です。
でも、それとこれとは違うのです。
基本的な医療パラダイムの話です。
これもブログに書こうかと思います。

病院にいると、医師の大変さもよくわかります。たぶん私には務まらないでしょう。
医師の過労死も納得できます。
しかし、そこにこそ問題があるわけです。
これに関してはぜひ本田宏さんのホームページも読んでください。

手術終了後、次々とお世話になっている先生たちが病室に来てくれました。
最初の外科手術をしてくださった先生は、手術前にも元気づけに来てくれました。
この先生の顔を見ると、女房も私も元気が出ます。
今の主治医は内科の先生ですが、手術室にも病室にも来てくださいました。
きっと女房の状況を一番よく知っていてくださるのでしょう。
今回の手術をアドバイスしてくれたのはこの先生です。
今回、中心になって施術してくださったのが泌尿器科の先生です。
とても元気で話し方が恐ろしいほど直截的なのですが、ともかく信頼できる先生です。

みんなとても誠実で、真剣です。
毎日、たぶん昼食もまともに食べずに仕事に取り組んでいるのではないかと思います。
この3人の先生たちが、病院では女房を支えてくれています。
こういう医師を知れば知るほど、いまの病院のあり方や医療のあり方に疑問を持ってしまいます。
日本の医療制度改革の方向性は間違っているように思えてなりません。

8時に自宅に戻りました。
今日は女房のいない、寂しい夜です。

■今日も病院で1日を過ごしました(2007年4月26日)
今日もまた病院で過ごしました。
1日滞在すると面白いことがたくさんあります。
そのいくつかを書きます。
実はいま、ある人から勧められて、いとうせいこうの「見仏記」を読んでいますが、これが実に面白いのです。
波長がとても合うのです。肝心のことが書かれておらずに、瑣末なことが自己満足的に書かれているのも気に入りました。
勧めてくれた人は、白洲正子の「十一面観音巡礼」よりも面白いというのですが、
それは賛成できませんが、ともかく主観的なのがいいですね。
本書に出てくる、女房の実家の近くの赤後寺の話にはかなり共感できるところがありました。
いや、共感というよりも同感のほうが正しいですね。
但し、渡岸寺の話には、いささかの不満があります
唐突に「見仏記」のことを書きましたが、
この本のようなスタイルで書くと、今日の病院での1日は1冊の本になるくらいのエピソード盛りだくさんだったのです。
数日振りに女房も笑い転げるほどでした。
車いすなので、転げられはしませんが。

患者のたまり場は時に深刻で、時に賑やかな場になります。
私たちが行った時には2人の70歳代の男女が座っていました。
で、話が始まりました。
お一人は入院した翌日にリンパ球の細胞を摘出したそうです。
本当に癌だったのかどうかわからないが、生身のからだがきられると痛くて仕方がないとぼやきました。
出だしは深刻です。

そして、点滴をするのに針が入らなくて、4回もやり直しで、傷だらけだと大きな声で言うのです。
このあたりからは八つ当たり的です。
そうしたら黙って聴いていたもう一人のおばあさんが、私は5回だと静かに話しだしました。
静かに話すのが実にいいのです。
そしたら負けじとわが女房が、私は6回、というのです。
最後は笑いながらの自慢話ですね。いやはや。

病院でこんな会話で盛り上がるとは困ったものですが、
みんな結構うっぷんをはらせたというか、不幸なのは自分だけではなかったと喜んだというか、ともかく盛り上がったのです。

ところが、その話が最高潮に達した時に、女房の針の問題を解決してくれた医師が通りかかったのです。
みんな大きな声なので、聞こえていたはずです。
さて、どうしたらいいでしょうか。
小賢しい私は、「でもこの先生がきたら一発でうまくいったんですよ」と先生に聞こえるように話しました。
迎合的な、下心ある卑しい自分にいささか恥ずかしさを感じましたが、
最初にこの話題を言い出した70代男性も、すかさず、そう、この先生は上手だ、と発言しました。
一斉に彼を誉めそやす大合唱です。

まあ、話はそれだけなのですが、いとうせいこうなら1冊とはいいませんが、1章は書き上げるだろうなと思いました。

さて、次は食事です。
また70歳代の男性が、今日の昼食のスパゲッティはまずすぎる、看護師にあんた食べてみろ、と怒ったというのです。
実は私は女房が残したスパゲッティを食べたのですが、スパゲッティが好物ではない私にも、決してまずくはありませんでした。
女房が4年前に比べるととても美味しくなったといっても、彼は全く意に介することなく、
おひたしには醤油がかかっていないし、ともかく食べられるものではないと譲りません。

病院の患者同士の会話においては、決して妥協はありません。
ほとんどすべての会話は、基本的に一方的に発信されているだけで、相手の耳にはほとんど届かないのです。
ですから議論は成り立たないのです。
時に意見が合うと突然盛り上がりますが、その場合もかみ合ったからではありません。
単に雰囲気的に盛り上がっているだけなのです。
それが、病院談話室での会話の特徴なのです。
そのすれ違いとかみ合いの微妙な展開が、横で聞いていると実に面白いのです。
渦中に入るよりも、横で冷ややかに聴いているのが面白いです。

ところで、その70歳代男性の病院食への怒りは留まること知りませんが、
明日、退院なので、医師からは禁じられている酒を飲んでやると息巻いて、どうにか少し落ち着きました。
その頃合を見計らったように、70歳代女性がポツンと、でも食事は好き好きだからとつぶやいたことで決着しました。
とまあ、こういう議論が果てしなく続くのが病院で談話室の風景なのです。

3時間後にまた談話室に行きました。
今度は栃木県は佐野市からきた70歳代男性です。
かなり方言がきついので、話はほとんどわかりませんでしたが、
それでもお互いに一方的ですから、会話は充分成り立つのです。
外国人がいて、別の言語で話しても、患者同士の会話は成り立つでしょう。
但し、患者と医師の間では成り立ちません。
しかし、それもたいした問題ではありません。
日本語を話す日本人同士でも、患者と医師の会話は成り立っていないことが多いですから、
とりわけ言語が違っても差はないのです。
まあ、こんなことを書いていたらきりがないですね。

こういう事件もありました。
一人でエレベーターホールのいすに座っていたら、見知らぬ50代男性がやってきました。
そして、私はがんセンターは初めてなのですが、6B棟にいくにはどうすればいいのでしょうか、と尋ねるのです。
そういえば、その人は先ほどから病室の廊下を首をかしげながら歩き回っていました。
その階はは7Bなので、彼が探している階の一つ上なのです。
ですからエレベーターで1階降りればいいだけなのです。
ところがその人が言うのには、エレベーターに乗らずに行くのはどうしたらいいかというのです。
すっかりその人のペースにはまってしまい、私も少し考えてしまいました。
すぐそこにある階段を使えばいいだけの話ですが、それではあまりに簡単な答なので、
何かもっと良い方法があるのではないかなどと考えてしまったのです。
そんな方法などあるはずがありません。
しかし、まあ病院に半日もいると、そんなことになるわけです。

女房は、今日は輸血でした。
こんな脳天気なことを書いていると本当に女房のことを心配しているのか疑われそうですが、
脳天気にならないと、病院での暮らしは辛くなるのです。
いや、病院だけではなく、現代の社会そのものがそうなのかもしれません。

■朝日新聞の「ひととき」に女房の投稿が載りました(2007年4月27日)
今日は女房にとって、喜びと辛さが同時にやってきた日です。
朝日新聞の「ひととき」欄に、女房の投稿が掲載されたのです。
いいことだけ日記に」という小文です。
女房はとても喜びました。
闘病中は自閉的になりがちですので、こうした開かれた事件は患者を元気にします。

実は、今日は一昨日に続いての2回目の厳しい手術の日です。
病院からの朝の電話は全く元気がなかったのですが、この件を話すと少し元気になりました。
それで私は久しぶりにコムケアの関係での会社訪問ができたのですが、
終わって病院に行くと、その新聞がベッドに置かれていて、すでに看護師に話が伝わっているのです。

手術は4時少し前から始まりました。
麻酔が使えない手術のため悲鳴がこらえられないほどの激痛だったそうです。
手術室からストレッチャーで運ばれてきた女房は今にも死にそうな感じでした。
病室に戻っても、元気が出ません。声も出ないのです。

ところがです。
心配してやってきた主治医の先生に、何とその記事のことを話して、読ませてしまったのです。
まだ頭が朦朧とするほどの痛感が残っている様子だったにもかかわらずです。
いやはや、たいしたものです。先生には迷惑な話でしょうが。

まあ、そんなこともあって、彼女にとっては最高に辛い日だったのが、喜びもある日になったのです。
これは断じて「偶然」なのではないでしょう。
天の配慮に感謝しなければいけません。

ちなみに、その「ひととき」の記事をPDFで掲載します。
良かったら読んでみてください。

■久しぶりにまた東レを訪問しました(2007年4月27日)
女房がちょっと落ち着いている間に、コムケア活動のけじめをつけようとしているのですが、
その一つとして、支援してくれていた東レを久しぶりに訪問しました。
私の古巣です。
社長に頼んで資金助成をしてもらったのですが、窓口になっている常務が会社時代から信頼している人なのです。
本当はコムケア活動の報告やこれからの展開に関して話し合うべきなのですが、
いつものことながらそれはほとんどせずに雑談で終わりました。

いや雑談というべきではないかもしれません。
人生論、企業論、経営論、社会論など、時代の本質に関わるといっては大げさですが、そんな類の話の2時間でした。
最後は、イノベーションやCSRの話でした。
実に刺激的な話し合いでした。
最近はこういう議論ができる人が余り私の周りには見つかりません。
そのため、ついつい話に夢中になって、病院に行く時間に遅れそうになったほどです。
やはり私は、企業経営の世界にまだ大きな未練があるのかもしれません。

しかし、企業の中にいても、見えている人には見えているのだということを、彼に会うといつも感じます。
それはとてもうれしいことです。
しかし、見えていない人には全く見えていないのも事実なのですが。

■女房の投稿記事が思わぬ展開を見せてしまいました(2007年4月28日)
昨日の女房の「ひととき」投稿の波紋が思わぬ広がりを見せてしまいました。
昨日、東レから病院に向かい、女房の大変な1日に寄り添い、自宅に戻ったのが8時過ぎでした。
疲れきってしまい、いつもはメールチェックをするのをさぼってしまいました。
そして今朝、5時過ぎに起きてメールチェックをしたのですが、思わぬメールが届いていました。

女房の投稿記事に気づいた、コムケアスタッフの宮部浩司さんが、
コムケアのメーリングリストに、簡単な紹介とこれは佐藤修さんの奥さんですと書き込んだのです。
そうしたら、それに何人かの人が反応してくれているのです。

焦りました。
宮部さんの紹介が、いかにも宮部的で、穴があったら入りたい気分にさせられる内容なのですが、
関連したコメントも赤面ほどはいきませんが、過大評価ものなのです。
つまり、私が褒められているのです。たぶん。
迷ったのですが、私から事実を公開することにしました。
これで女房の状況はコムケア仲間には知れ渡ってしまいました。
また女房に怒られそうですが、その場合は宮部さんのせいにすれば解決するでしょう。

女房の投稿で私が褒められるのは、ちょっと場違いなのですが、
しかし、人間は卑しいもので、なにやらみんなからいろいろと褒められるとついついうれしくなってしまうのです。
私もかなり軽薄で調子者なのだと自覚させられました。
他にも記事に気づいた人からメールが届きました。
「ひととき」の担当記者からのエールまでありました。
それをすべてプリントして、今日は病院に届けました。
女房はとても喜びました。
まだ術後の痛みは残っていますし、熱も少しあって、辛そうですが、こうしたみんなからのエールが女房を支えてくれています。
エールを送ってくださった方、ひとときを読んでくださった方、
ありがとうございました。

今日は私も少し過労気味だったので、途中で帰宅しました。
今週は半分くらいの時間を病院で過ごしました。
外来時の医師と入院時に対応する医師の感じがかなり違うことを知ったのも、大きな発見でした。
日本の医療制度はやはり間違った方向に動いているような気がします。
本田宏先生の行動にますます共感してきました。

(2007年4月第3週)

どんよりした日が多く、それに寒さも戻って、元気の出ない1週間でしたが、
週末はあたたかな気持ちのいい春でした。
■病院でこんな構想を思いつきました(2007年4月17日)
■団塊シニアプロジェクト(2007年4月18日)
■介護なんでも文化祭(2007年4月18日)
■小林雅夫教授から本が送られてきました(2007年4月18日)
■コムケアフォーラム2007(2007年4月18日)
■久しぶりの2つのメール(2007年4月19日)
■滋賀から鮒寿司が届きました(2007年4月20日)
■手賀沼公園植木市(2007年4月21日)

■病院でこんな構想を思いつきました(2007年4月17日)
今日も病院だったのですが、待っている間にすばらしいアイデアが浮かびました。
まあ、それほどのものではありませんが。
待合室で健康教室をやるのはどうでしょうか。
足裏マッサージコーナーや太極拳コーナーはどうでしょうか。
健康サロンもいいですね。
ともかく自分の番が来るのがもっと遅いほうがいいと思わせるような、
楽しい役立つコーナーを待合室で行うことが出来ないものでしょうか。
講師はもちろん患者自身です。
もし実現したら、「病院」は「健院」に変わります。

どこかの病院で取り組みませんかね。

■団塊シニアプロジェクト(2007年4月18日)
団塊世代支援プロジェクトの最初のプログラムがほぼ完成しました。
告知を開始します。
まもなく日経新聞にも告知が出ます。
プロジェクトリーダーは大川新人さんです。
ご関心のある方はお問い合わせください。

■介護なんでも文化祭(2007年4月18日)
介護サポートセンター・アラジンの牧野さんと有馬さんから、
毎年やっている介護なんでも文化祭への協力の相談がありました。
この介護なんでも文化祭の推進メンバーは、コムケアでのつながりから生まれたネットワークです。
ですからコムケアの事務局長として、私も関心をもっていますが、もっと強力に推進していく価値のあるプログラムです。
今年は横から少し応援させてもらおうと思います。

■小林雅夫教授から本が送られてきました(2007年4月19日)
パウサニアスジャパンでお世話になった小林先生から本が届きました。
小林さんは、前にも書きましたが、病気で言語障害に見舞われたにもかかわらず、
講義を継続したり、出版活動も継続されたりしています。
その積極的な姿勢に、女房は、そして私もですが、元気づけられています。
以前、オープンサロンにご夫妻でも来てくださり
当時はまだちょっと元気だった私の女房が小林夫妻のファンになったほどです。
とても気持ちの良いご夫妻です。

その小林さんが、原書房から「ヴィジュアル版 ギリシア・ローマ文化誌百科」(上下)を翻訳出版されました。
私が遺跡周りが好きなのを知っていてくださり、送ってくださったのです。
地中海の古代遺跡を見て回る私たち夫婦の旅行も、実はイランを最後に中座してしまっています。
最後に行ったのは、もう10年近く前になるでしょうか。
私自身は一人で遺跡めぐりをするつもりは皆無ですから、
女房の病気が回復しない限り、遺跡を踏むことはありません。
ですから、ビジュアルな写真がふんだんに出てくる本書は私たち夫婦にとっては実にうれしいプレゼントです。
ギリシアは夫婦で、ローマはそれぞれ別々に、昔訪問したことがありますが、それを思い出しながら読ませてもらいました。

読了したら、ブックのコーナーで紹介させてもらいます。

■コムケアフォーラム2007(2007年4月18日)
最後の実行委員会が開催されました.
かなり参加者も多いフォーラムなのですが、中心で準備しているのは実は橋本典之さん一人なのです。
もちろん実行委員会でいろいろな人が協力してくれていますが、作業面は橋本さんが中心で取り組んでいます。
まさかの実態です。

コムケアでイベントを経験すると、イベント開催をとても気楽に考えられるようになります。
しかし常識的に考えると、これは至難のことなのです。
しかし、だからこそ面白いのです。
橋本さんは、その緊張感をいま味わっていますが、フォーラムが終わった後が心配だといっています。
確かにそうですね、私も何回か経験があります。

今日は下山さん、鎌田さん、菅野さん、宮部さんが参加してくれました。
22日のフォーラムは面白くなります。

実は、この記事がアップされる日にフォーラムは開催されます。

もし間に合えば、参加しませんか。
面白さは保証します。

参加できない人はぜひ次の3つの記事をよんでください。
参加者の紹介
参加者による一言メッセージ概要
参加費の仕組み

■久しぶりの2つのメール(2007年4月19日)
とてもうれしいメールが2つ届きました。
まずは山形市の佐藤一大さんからです。1年ぶりくらいでしょうか。
新しい職場に異動になったそうですが、昨年くらいからまた仕事を楽しみだしたようです。
仕事を楽しむようになれば、必ず実績は上がります。
いろいろと一大さんらしい活動に久しぶりに出会えた、うれしいメールでした。
一大さんとは、山形市の共創プロジェクトでいろいろとご一緒したのです。

もうひとりは谷和原村の横田明さんからです。
谷和原村は市町村合併で、いまはつくばみらい市になっています。
そこで住民主役の里山を中心とした地域文化作りの活動に取り組んでいるのが横田さんです。
昨年は女房の体調の関係で参加できませんでしたが、
横田さんが動き出して苦労しているきっかけは、私にも一因があるので、いつも気になっているのです。
つくばエクスプレスの開通で、いろいろと状況変化が起こっているのではないかと心配していましたが、
どうも時間の進み方はまだ谷和原村的なようです。
しかし、気は許せません。少し落ち着いたら、一度伺ってみようと思います。
女房がちょっと元気だ、といったら、とても喜んでくれました。
横田さんの笑顔はとても良いのです。
今年はまた、あの笑顔に会いたいものです。

そういえば、もうひとり、美野里町の中本正樹さんからも近況を伝えるメールが来ました。
これは22日のフォーラムの誘いを出した返信でしたが、
美野里町の共創プロジェクトの時のメンバーのことを書いてきてくれました。
みんな仕事を楽しんでいるようで、うれしいです。

今日は、期せずして、私が関わった3つの共創プロジェクトの中心メンバーとメール交換が出来ました。
これも単なる偶然ではないでしょうね。

■滋賀から鮒寿司が届きました(2007年4月20日)
今日もまたシンクロニシティが起こりました。
テーマは「滋賀」です。

滋賀出身の女房の友だちが訪ねてきてくれました。
木村俊子さんといいます。
私の会社生活の出発点は滋賀の石山です。
大津市の北にあるのが石山ですが、東レ株式会社の創業の地です。
私の会社生活は、そこから始まったのです。
その職場で一緒だったのが女房ですが、木村さんは私の入社した翌年に私の職場に入社しました。
ですから、私もよく知っています。
その木村さんは時々女房を元気付けに来てくれるのですが、
今日もやってきて、女房を近くの公園に連れて行ってくれました。
まあ、それだけの話なのですが、もう一つの滋賀がやってきたものがあります。
それは鮒寿司です。

鮒寿司は滋賀県の特産品で、鮒を用いて作る熟れ寿司の一種です。
酸味と臭気が強いので、初めての人には抵抗があります。
女房の実家に行った時に出してもらいましたが、とても食べられるものではありませんでした。
地元の人には珍重される高価なものらしいのですが。

女房の遠縁の人が、滋賀の湖北で鮒寿司のお店を始めたのだそうです。
その人が女房のことを知り、発酵食品である鮒寿司は免疫力を高めるというのでわざわざ送ってくれたのです。
突然の鮒寿司に驚きましたが、早速いただくことにしました。
臭みがあまり強くなくなっていましたので、これなら食べられると思って食べてみたら、やはり「かなりのもの」でした。
しかし昔に比べたら、とても食べやすく美味になっています。
女房がお礼の電話をしたところ、近くの大学の先生と共同研究して臭いを改善したのだそうです。
鮒寿司の世界にも技術革新が入ってきているのです。

女房は私と違って、どうやら鮒寿司が好きのようです。意外でした。
これでまた女房の免疫力向上食材が増えました。
鮒寿司で癌が治った人もいるそうです。

送ってくださったのは、湖北にある「鮒寿し魚助」です。
通販もしています。
とても美味しいとは私は言いませんが、好きな人にはとても美味な健康食品です。
もしチャレンジしてみようという方がいたら、ぜひ魚助の通販で購入してください。
店主の松井利和さんは、私も以前お会いしたことがありますが、誠実な頑張り屋です。
ご贔屓にしていただければうれしいです。
ホームページから購入できます。
ちょっと異例ですが、ネットワーク先としてリンクさせてもらうことにしました。

■手賀沼公園植木市(2007年4月21日)
今週は冬に戻ったようなどんよりした天気続きだったのですが、今日はあたたかな春日和です。
近くの手賀沼公園で植木市があるというので、女房と娘と一緒に出かけました。
実は明日開催するコムケアフォーラムで話をするパワーポイントも出来ていませんし、
準備もほとんどできていないので、それどころではないのですが、
私は「大切なこと」からではなく「簡単なこと」から出かけるタイプの人間なのです。
困ったものです。

女房がともかく花好きなので、この植木市には毎年付き合わされています。
手賀沼公園は歩いて5分くらいの所にあります。
たくさんの人でいつもにぎわっています。
参加者に花のプレゼントがいつもあるのですが、今年は新しい市長が自ら手渡し役をやっていました。
午後はいろいろな催し物もありますが、やはり明日の準備が気になって、途中で私だけ戻ってしまいました。
最近、気弱になりました。
昔は一晩徹夜をすればどうにでもなると開き直れたのですが、最近は無理がききません。

明日は晴れてくれるといいのですが、予報では曇りのち雨です。
そんなはずはないのですが。

(2007年4月第2週)
テレビで「男たちの大和」を観てしまいました。
最後の「生きる意味」について仲代達矢と鈴木京香のやりとりに、涙がとまりませんでした。
すべてのいのちがまた息吹きだす春が本格化してきました。
■統一地方選挙の結果の退屈さ(2007年4月8日)
■天然良心に取り組む野原敏生さん(2007年4月9日)
■子育ち学の深作さんが地元の活動に力をいれていくようです(2007年4月9日)
■インキュベーションハウス再建計画(2007年4月9日)
■病院でのコミュニケーション状況が少し変わりました(2007年4月10日)
■新しい我孫子市長の星野順一郎にお会いしました(2007年4月11日)
■ICTを活用した事業プロジェクト(2007年4月12日)
■話題の中心は「病気」でした(2007年4月12日)
■コムケアフォーラムは面白くなりそうです(2007年4月12日)
■2つの笑顔(2007年4月13日)

■統一地方選挙の結果の退屈さ(2007年4月8日)
統一地方選挙が終わりました。
ブログに書きましたが、勝ち馬がますます勝っていく構図が見えてきたような結果でした。

私の友人も何人か当選しました。
このサイトで紹介した人でいえば、福岡の玉井さん千葉の花崎さんです。
落選した知人もいます。

4月22日の後半戦でもまた友人知人が何人か立ちます。
身近なところで言えば、目黒区から木村勝隆さん練馬区から加藤木(かとうぎ)桜子さんが立候補します。
2人の良識と見識をぜひ応援したいと思っています。
もし目黒区と練馬区に友人知人にいたら教えてやってください。
それぞれしっかりした信念と生活感覚を持った、信頼できる人です。
また行田市では園芸福祉に取り組んでいる中村博行さんが立候補しました。

■天然良心に取り組む野原敏生さん(2007年4月9日)
久しぶりにエコソシオの野原さんが来てくれました。
野原さんには女房の件でもいろいろお世話になっているのです。
以前も書きましたが、野原さんが今取り組んでいるプロジェクトの一つがネットをつかったモール展開です。
ブランドは「天然良心」です。

久しぶりに私も見せてもらいました。
商品もさることながら、店長でもある野原さんと利用者のやりとりをしている掲示板を見て、野中さんの誠意と大変さがわかりました。
実はお会いした時は、これからのe−ショップやwebの活かし方について大論争をしてしまったのです。
野原さんは実践から、私は理屈からのやりとりですので、なかなかかみ合わなかったのですが、野原さんが強いことはいうまでもありません。
実践の前には理屈などは吹っ飛んでしまいます。
にも関わらず、イノベーションは現場の外からもたらせることも少なくありません。
これからも懲りずに議論をするつもりですが、お互いに譲らないタイプなので、結構な激論でした。

「天然良心」をぜひご贔屓にしてください。
魚介類が中心ですが、パンも美味しいと評判のようです。

■子育ち学の深作さんが地元の活動に力をいれていくようです(2007年4月9日)
子育ち学ネットワークの深作拓郎さんがやってきました。
深作さんも最近、問題続発で苦戦しています。
人生は問題があればあるほど、刺激的で豊かになることもありますが、そうとばかりはいっていられません。
第一、問題が続発すると疲れがたまりますし。

深作さんも最近ややつかれがたまっていそうです。
教鞭をとっていた大学も3月で辞めてしまったそうです。
この1年は体調も整えて、また新しい物語を始める決意をされたのです。
深作さんの忙しさもあって、最近は子育ち学ネットワークの活動がちょっと停滞していましたが、また動き出しそうです。

そんな話をいろいろとしましたが、話しているといろいろと展望が開けていきます。
時間ができそうなので、深作さんが住んでいる鷲宮市の子育ち支援活動にも今まで以上に力を向けられるでしょう。
そうなると面白いことがいろいろできるはずです。
深作さんの今年は面白くなりそうです。
何か応援できることがあるかもしれません。

■インキュベーションハウス再建計画(2007年4月9日)
菅野さんと宮部さんと3人で、インキュベーションハウスの今後の展開について話し合いました。
スタイルを変えようと思います。
経済的自立を目指して、シャキッとすることになりました。
オープンプラットフォームとしての新しい場を想定していましたが、その実現はなかなか難しいです。
しばらくは「普通の会社」で力をつけたいと思います。

■病院でのコミュニケーション状況が少し変わりました(2007年4月10日)
今日はまた女房と一緒に病院に行く日でした。
最近、少し病院嫌いになっていました。
ところが今日は、少し状況が変化していました。
実は昨年から、この病院では患者と医師とのコミュニケーションに関して、アンケート調査を行っていたのですが、
そのおかげでしょうか、今日はいつもと少し様子が違うのです。
抽象的な言い方で申し訳ないのですが、明らかな変化があったのです。
お互いにちょっとした気遣いで、関係改善できることはたくさんあります。
そんなことを今日は改めて実感しました。

ちなみに、女房にはまだ改善の兆しは見えてはきていません。
辛い日々が続いています。
嘘でもいいから「良くなってきていますよ」と医師には言ってもらいたいといつでも思いますが、
そういう病院を創ったら流行るのではないでしょうか。
プラセボ効果が確認されているのであれば、プラセボ型病院があってもいいような気がしますが、いかがでしょうか。
ブログに少し書いてみようと思います。

1■新しい我孫子市長の星野順一郎にお会いしました(2007年4月11日)
1月に我孫子市の市長が変わりました。
新しい市長は49歳の星野順一郎さんです。
私は面識はないのですが、ある人の紹介でお会いすることになりました。
せっかくの機会なので、いろいろとお話しようと俄か作りの資料まで持参しました。

前の福嶋市長はそれまでの市政を大きく変えて、住民参加のスタイルの形を整えました。
これからの課題は、それを踏まえて実体を育てていくことでしょう。
そのためには、住民と一緒になって進めていく「プロセス」こそが重要になります。
まちづくりとはプロセスであり、まちとはまさに人と人との、日々変化するつながりなのです。
かつてのハードに焦点を当てた箱物行政はさすがに最近は後退していますが、
住民参加や協働などといいながらも、相変わらず制度や仕組みを目的にしたハード型行政は少なくありません。
住民参加や住民主役の目的を起点にした取り組みが必要になってきています。

今回は30分ほどに時間でしたが、いつものようにカジュアルに話させてもらいました。
星野さんはJCの理事長をされていた方なので、柔らかなコラボレーションの精神をお持ちのようです。
とても気持ちの良い30分でした。

新たに企画調整室長になった青木章さんも同席してくれました。
青私が青木さんと知り合ったのは我孫子市の総合計画策定時でした。
その時に、当時の市長の福嶋さんの紹介で、湯島にまで足を運んできてくれたのが、
今の助役の渡辺さんと企画調整課の峯岸さんでしたが、
偶然にも今回、市長にお会いする前後にお2人にもお会いしました。

市長とお話した後、久しぶりの市役所だったので市民活動支援課によりました。
小池さんや段林さん、栗原さん、嶋田さんとたくさんの人に会えました。
今年から入所した佐藤さんにも会いましたが、彼女はせんだいみやぎNPOセンターのスタッフだったそうです。
我孫子市とコムケアの関係は一歩深まるかもしれません。

この1年、少し市役所との間に距離がありましたが、みんながとても楽しそうに仕事をされているのが印象的でした。
今年はすこしまた市役所とのつながりを深められればと思いました。

■ICTを活用した事業プロジェクト(2007年4月12日)
ICT、自治体、地域活性化。
この3つをつないだ、新しいプロジェクト起こしの検討会をインキュベーションハウスで進めていますが、
今日はその2回目の外部とのミーティングです。
先週、内部の検討会を開催しましたが、いろいろと面白いプロジェクトがでてきました。
内容は一応、仲間や他の会社の人と一緒に取り組んでいるビジネスなので、書けないのですが、
この時代、ビジネスシードは山ほどありますね。
問題は根性を入れて取り組むかどうかです。

今回は3つのプロジェクトに絞りましたが、そのなかの一つは実に面白いです。
ここでお話できないのが残念です。
まあ、こんな感じでインキュベーションハウスも「ふつうの会社」に向けて舵を切り替えだしました

■話題の中心は「病気」でした(2007年4月12日)
人生にはいろいろのことが起きます。
小学校の時の同窓生の悪ガキ4人組のつきあいが、不幸なことにまだ続いています。
その4人にもいろいろと事件が押し寄せてきます。
一人は昨年お店が火事で全焼、一人は伴侶が病気、一人は本人がいろいろ。
一人だけまだ無事なのがいますが、割と付き合いの良い仲間なので、きっと時間の問題でしょう。

久しぶりの会食と雑談会です。
途中で気がついたのですが、なんと話題は「病気」ネタが多いのです。
それに気づいて唖然としました。
もともとそんなことなど全く話題にしないようなメンバーだったはずです。
最初は、ガン(銃)のコレクションの話題だったのですが、
それがいつの間にか癌の話になり、ついには健康法の話へと広がってしまいました。

お互いに歳をとった証拠です。
病気の話題で盛り上がっているのに気づいて、ショックを受けてしまいましたが、その次の話題は何でしょうか。
不安になりますね。

■コムケアフォーラムは面白くなりそうです(2007年4月12日)
コムケアフォーラム2007への参加申し込みが増えてきました。
20を超えるグループが展示参加し、30人近い人が1分間メッセージに参加してくれます。
コムケアフォーラムのブログに書いた記事を転載します。

22日は面白いフォーラムになりそうです
コムケアフォーラム2007の開催まで1週間をきりました。
いつものように、みんな集まってくれるのだろうかという不安と期待が
そろそろ高まってくる時期です。

これまで関わらせてもらった人たちにお誘いしたところ、
たくさんのみなさんからご連絡をいただきました。
急なお誘いだったにもかかわらず、
福岡や山口、福井や大阪など、遠方からの参加も含めて、
20を超えるグループが展示に参加、
30人近い人が呼びかけを行ってくれることになりました。
今回は用事と重なって参加できないという人も、
メッセージを送ってきてくれるなど、
コムケアのつながりを大事にしてくれています。
コムケアのつながりに、改めて感謝しています。

ミニセッションもいろいろあります。
スタッピング平和展もあれば駄菓子屋もでますし、
対話法のミニセッションもあれば、パオッコのミニサロンもあり、
ケアプランづくり体験や異文化体験などのコーナーもあります。
まだまだいろいろあります。

参加者による呼びかけもいろいろ出てきそうです。
昨年、「NPOが自立する日」を出版し、
NPOの自立を問題提起した日本NPO学会副会長の田中弥生さんも呼びかけに参加します。
田中さんはコムケアの最初の頃にいろいろ参加してくれた人です。
事業型NPOで話題になり、団塊世代問題でもテレビなどで活躍の
イーエルダーの鈴木さんも来ますし、
新しい社会事業モデルに取り組む田辺さんも来ます。
交流時間もタップリありますので、
いろいろとつながりを広げることができると思います。

NPO活動は、ともすると自分たちだけの活動に埋没しがちです。
そこを変えていこうというのが、コムケアの一つの目的ですが、
今回はその目的に沿って、実にさまざまなグループや人が参加してくれます。
大企業の部長も、中堅企業の社長も参加してくれます。
学生も主婦も、いろいろです。

ともかく面白いフォーラムになりそうです。
まだ参加を迷われている方がいたら、
ちょっと無理をしてでも参加されることをお勧めします。
もしかしたら、また新しい物語が始まるかもしれませんから。
忙しい毎日のなかでの、
ちょっと緊張感のないコムケア時間は楽しいかもしれませんし。

私もたくさんの新しい出会いを期待しています。
もし参加されたら、会場でぜひ声をかけてください。
楽しみにしています。

お申し込みはここのサイトからできます

■2つの笑顔(2007年4月13日)
KAE経営道フォーラムの40期のまとめの合宿です。
久しぶりに箱根の小湧園ホテルに行きました。

私が担当する2つのチームは、「笑顔」と「家族」がテーマです。
なかなか面白い成果が出てきています。
その一部のさわりを紹介します。

まず「笑顔」ですが、会社の元気は社員の笑顔に象徴されるというのが一つのチームの出発点でした。
議論していく途中で、笑顔にはいろいろあることがわかってきました。
「満足笑顔」と「元気笑顔」、さらには「伝わる笑顔」があることに気付いたそうです。
そして、そうした笑顔と会社業績や会社の命運が、どうもつながっているというのです。

もう一つのチームは「家族」がテーマです。
これから発展する会社は、家族の喜ぶ会社でなければいけないという仮説からスタートしましたが、
何と要するに社員である自分が生き生きしていることこそ、家族が喜ぶ最高の要因だということになってきました。
なんだかトートロジーのような気がしますが、アンケート調査などの結果を聞かせてもらうと、これがまた結構面白いのです.

どうですか、いずれも興味ある話でしょう。
研究成果の発表は5月10日、椿山荘で行われます。
公開ですので、もっと話を詳しく聴きたい方はぜひ参加してください。
私に連絡してくれれば、事務局に伝えます。

最近の大企業の置かれている状況が、皆さんの話から本当によくわかります。
印象的な言い方になりますが、日本の企業は、この30年、堂々巡りで進歩のない状況にあるような気がします。
経営コンサルタントが自己市場維持を目論んでいたとさえ思えるほどです。
経営が不在の30年だったのかもしれません。

(2007年4月第1週)
先週と一変して、あたたかで気持ちのよい春の始まりです。
ただ温度はちょっと低かったですが。
自然の表情の豊かさには本当に驚かされます。
■自治会引継ぎ(2007年4月1日)
■起業者視点の起業者サポーター(2007年4月2日)
■コムケア仲間の100人以上のコムケア仲間にメールしました(2007年4月4日)
■団塊世代よ 大志を抱けプロジェクト検討会議(2007年4月5日)
■コムケアフォーラム2007は面白くなります(2007年4月5日)
■大分のお百姓さんの竹沢孝子さん(2007年4月6日)
■共済文化の危機(2007年4月6日)
■桜並木道路を女房と一緒に自転車で走れた幸せ(2007年4月7日)

■自治会引継ぎ(2007年4月1日)
自治会の会長役が昨日で完了しました。
昨日作成した決算書の監査もぶじ終了し、今日は新年度の役員の皆さんに引継ぎをしました。
1年間の役員体験でいろいろと気づいたことはありますが、
それに関しては先週、少しブログに書きました
私にとってはたくさんの気づきのあった体験でした。
同時に、女性たちの感覚と男性たちの感覚の違いも実感しました。
やはり近隣社会を支えていくのは女性たちだろうと改めて実感しました。

■起業者視点の起業者サポーター(2007年4月2日)
友人の紹介で潟Cンディペンデンツの平松さんがやってきました。
潟Cンディペンデンツは、上場意向のある起業家に対して、投資活動を通じて成長支援を行っている会社です。

ブログなどで書いているように、私は金融工学的発想に生理的な嫌悪感をもっていますので、
最初は場違いの人ではないかと思っていました。
しかし、話しているうちに、どうも私の先入観が強すぎたようで、
平松さんの活動は自らもリスクをとる形での資金調達の支援を中心に、
ともかく起業家と同じ立場に立って、一緒に起業や上場を手がけることのようです。
つまり私がコムケア活動で目指していることと同じなのです。
それにクライアントが個人も含むというので、とても親近感を感じました。
ソーシャル・アントレプレナーや事業型NPOの相談に乗ってもらえるかもしれません。
これから取り組もうとしている団塊シニアプロジェクトでも連携できるかもしれません。
コラボレーションできるプロジェクトをお互いに検討していくことにしました。
資金調達にお困りの方がいたら、ご紹介いたしますので、ご連絡ください。

■コムケア仲間の100人以上のコムケア仲間にメールしました(2007年4月4日)
この2日間、これまでコムケアでささやかに支援させてもらった140団体の人にメールをしていました。
4月22日のフォーラムへの参加のお誘いと、
それと並行して制作する「コムケア物語集」への寄稿のお願いです。
アドレスがわからなくなっている人や組織が変わっている人もネットのおかげでだいぶ接点を見つけることができました。
便利な時代になったものです。

その団体と接点を持っていた頃のことを思い出しながら、
それぞれにメールを書いたので、2日もかかってしまいましたが、
この6年間の自分の行動をレビューする意味でも感慨深いものがありました。

早速、何人かから返事がありました。
突然の、しかも直前のお誘いにもかかわらず、とても好意的な回答が多かったので感激しました。
山口や福井や大阪から、わざわざ来てくれるというのです。
福井の東尋坊で自殺予防活動に取り組んでいる茂さんは仲間と一緒に参加してくれるそうですし、
山口のエルマーの会の佐原さんはともかく参加してくれるそうです。
いろいろな方から届いたメールを紹介したら、面白い記事が書けそうですが、
まあ私の懐古談になりかねませんのでやめましょう。
でも涙が出そうなほどにうれしいメールもいくつかありました。

コムケアネットワークはオープンプラットフォームとして成り立つのだろうかといささか不安に思っていましたが、
これなら存続できるかもしれません。
まる2日間かけての作業でしたが、とても元気をもらったような気がします。
みなさんに感謝しなければいけません。

■団塊世代よ 大志を抱けプロジェクト検討会議(2007年4月5日)
大川さんの団塊プロジェクトの定例検討会です。
アラジンの牧野さんと有馬さんと大川さんと4人がコアメンバーです。
前回はとりあえずの問題の共有化でしたが、今回は少しビジョンの話が出来ました。
当面はNPOインターンを含む実践講座をスタートさせますが、
そうしたことを通して何を目指すかについて、少しずつ方向性の確認ができてきました。
一歩前進です。
まだ仲間を探しています。
このプロジェクト自体が、いわばインキュベーションモデルの開発になると思いますので、
関心のある方はぜひご参加ください。
今ならスターティングメンバーになれます。

■コムケアフォーラム2007は面白くなりそうです(2007年4月5日)
コムケアフォーラム2007の実行委員会です。
いまのところ20数団体の参加申し込みがきていますが、 なかなか面白い組み合わせで、
これほど豪華なメンバーが表情を持って集まるフォーラムは他にはそうないのではないかと思います。
どんなグループが集まるかはコムケアセンターのホームページに書き込まれていきますので、ぜひご覧ください。
これまでなかったような刺激的な場になりそうです。
NPO関係者だけではなく、企業や行政の関係者も参加してほしいと思っていますので、みなさんもぜひご参加ください。
目からうろこのような刺激を受けるだろうと思います。
フォーラムの詳しい内容はコムケアセンターのホームページをご覧ください。
実行委員長の橋本さんががんばっていますが、スタッフも不足しています。
ぜひ応援してもらえるとうれしいです。
当日のボランティアスタッフも募集していますので、よろしくお願いいたします。

■大分のお百姓さんの竹沢孝子さん(2007年4月6日)
「百姓」という言葉は「差別語」なのだそうです。
ですからあまり使わないほうが良いのかもしれませんが、
私は「百姓」という言葉に生活の理想を感じます。
さまざまなことをこなせる自立した生活像を感じるのです。

大分で、そうした百姓生活をしている竹沢さんがやってきました。
竹沢さんのことは何回か書きましたが、直接お会いしたのは1度だけでした。
大光寺でお話しさせてもらった時ですが、
その時は女房の病気のことがあって、私自身が大きく落ち込んでいた時でした。
ですから竹沢さんに近くの六郷満山両子寺を案内してもらったのに、何を話したかさえ覚えていないのです。
にもかかわらず、お付き合いが続いているのは、竹沢さんたちご夫妻が誇りをもった「百姓」生活をしているからです。

ちなみに、竹沢さんは以前、「百姓天国」という雑誌の編集に関わっていました。
今は廃刊になってしまった、その雑誌を読ませてもらいましたが、今こそ読者がたくさんありそうな雑誌です。
その雑誌のイメージで、私は竹沢さんが百姓だと思い込んでいるのかもしれません。

まあ、そんなことはどうでもいいのですが、百姓的生活こそ、これからの目指すべき生き方だと私は思っています。
最近は「持続可能な」という言葉がよく使われますが、そんな言い方よりも「百姓的」といったほうが的確です。

まあ、それもまたどうでもいいのですが、
竹沢さんは、どうも「都会的生き方」に違和感があり、都会人が社会を覆いだしているのを残念に思っているようです。
もっとも私は、そもそも「都会人」「田舎人」という括り方に異論があります。
むしろ、具体的に自立して生きる生活者と抽象的に他人依存で生きる消費者・生産者とに分けて考えたほうがすっきりします。
都会にも田舎にも、この2種類の人がいるように思います。
前者は生きている人、後者は生かされている人といってもいいでしょう。
「生かされている」というと仏教の「他力本願」という、極めて自立的な生き方を思い出しますが、
そうではなく、むしろ生活を支える要素のほとんどを他者に依存している生き方のことです。
なにかブログの記事みたいになってきました。

話を戻しましょう。
竹沢さん夫婦は大分の国見町で、農業をやっています。
とても自然な農作物を通販しています。
竹沢さんによれば、そうした自然な食材が近辺にはいろいろあるのだそうです。
そのネットモールを検討しているようです。
あんまり竹沢さんには向いていないような気もします。
なにしろ竹沢さんは百姓なのですから。
いや、そうではないですね、百姓であればこそ、そうしたことが向いているかもしれません。

いやいや、そんなことはどうでもいいのです。
どんな話をしたか、ですが、いろいろと話しましたが、いま思い出そうとしても思い出せません。
思い出せるのはホームレス問題で意見があったことぐらいです。
最近、いろんな人といろんな話をしますが、すぐに忘れます。
認知症でしょうか。

■共済文化の危機(2007年4月6日)
佐々木憲文さんのおかげで、とてもうれしい出会いがありました。
共済の今日と未来を考える懇話会の関係者が4人も来てくれたのです。

今、日本の「共済文化」は大きな危機に直面しています。
これについては昨年、何回か書きました。
私が初めて、その問題を知ったのは昨年の6月です。
ある会社の共済組合の事務局長が、知人の紹介で相談に来たからです。
専門家の友人を紹介したり、相談に乗ったりしたのですが、
その後、何の報告もなく、いささか呆れました。
こうした無責任で非礼な人が事務局長をやっているような共済組織が多いのであれば、すべて潰れてしまってもいいと思ったほどです。
この組織は有名な世界企業の関連組織なので、悪しき大企業文化を持ち込んでいるのでしょう。
しかし、その会社は経営理念でいつもトップに語られる会社です。
その会社のトップがテレビに出るたびに思い出します。
これは瑣末な小さな私憤ですが、立派なことを言っている人にこうした仕打ちを受けると哀しくなります。
人は言葉ではなく、行動で決まります。
話がそれました。反省。

昨年8月、佐々木さんたちの共済研究会で少し詳しく学ぶ機会があり、そこで改めて愕然としました。
これは「共済制度」の問題ではなく、
「共済文化」、つまり日本古来の結いや講、連、舫いなどの文化の問題だと気づいたのです。
金銭経済主義は、そこまで来てしまっているのです。
その会で最近の動きを報告してくれた、岩川修さん(保団連事務局)の熱い怒りにすっかり共感してしまいました。

ところが、その後、私自身の事情でほとんどの活動をやめなければいけなくなってしまいました。
この問題も、封印されてしまいました。
しかし佐々木さんが時折刺激を与えてくれるので、気にはなっていましたし、
一度、情熱家の岩川さんにお会いしたいと思っていたのです。
それが実現したわけです。
岩川さんをはじめとして、佐々木さんも含めて5人の思いを持った専門家たちから現況と問題を聞かせてもらいました。

知れば知るほど由々しき問題です。
どういう問題か、それは共済の今日と未来を考える懇話会のホームページをぜひお読みください。
日本の社会原理でもある、支えあう文化を壊す話です。

概要はこうです。
2005年に保険業法が改正され、無認可共済についても、将来的に保険会社または少額短期保険業者のいずれかに移行することが義務づけられたのです。
仲間の支えあいのための互助組織である自主的な共済活動も規制対象にされてしまったのです。
簡単にいえば、市民活動が資本のための市場にされてしまったということです。
昨年、ブログにも書きました

そうした不条理な流れに対して、岩川さんたちは「共済の今日と未来を考える懇話会」を立ち上げて、さまざまな活動をしているのです。
国会議員への働きかけもかなり進んでいるようです。
以前の公益法人改革オンブズマンの時の浜辺さんを思い出しました。
こういう人たちががんばっていればこそ、日本はまだ持ちこたえているのです。

しかし、この問題はまだマスコミでも大きな話題になっていません。
今日、来てくださったみなさんと一緒に、私も何ができるかを考えたいと思います。
早い時期に一度、岩川さんたちにお願いして気楽な話し合いの場を実現しようと思います。
これはまさにコムケア活動のビジョンにもつながっていますし、私の目指すコモンズの回復をぶち壊す暴挙です。
まあ多くの「有識者」たちには縁のない話かもしれないのですが。

■桜並木道路を女房と一緒に自転車で走れた幸せ(2007年4月7日)
わが家の近くにある手賀沼沿いの道路は2キロにわたって桜並木になっています。
まだ若い桜なのですが、先週末に満開になりました。
その桜並木の道の一部を、女房と自転車で走りました。
女房は半年振りの自転車です。
脚の筋力が低下しているので、少し不安はありますが、思い切って出かけたのです。
たかだか往復2キロを自転車で走っただけですが、私たちの幸せ感と充実感はとてつもなく大きいのです。
人間の幸せは本当に人それぞれです。
自転車で走っている同じ道を脚にギブスをはめた人がリハビリで歩いていました。
きっと彼女もまた桜から大きなエネルギーをもらいながら、充実した幸せを実感していたことでしょう。
人生はいろいろです。

たまたま夜、バブルの思い出番組をテレビでやっていました。
そこで語られる、バブルな幸せと最近私が実感している小さな幸せとは、あまりに違いますが、
バブルを体験すればこそ、今の幸せに感謝できるのかもしれません。


その番組を見てしまったのは、たまたまチャンネルを変えていたら、銀座の順子ママが出ていためです。
娘が目ざとく見つけて順子ママだよと教えてくれました。
最初は誰のことと気づきませんでしたが(私とは余りに違う世界ですので)、画面を見て思い出しました。
以前 、お会いしたことがあるのです
彼女と一緒に写した写真もわが家にありました。
彼女はとても誠実な人でしたし、その銀座のクラブもとても素直な空間でした。

彼女からもらった自伝を読むと、実にドラマティックな人生を送っています。
にもかかわらず、あれだけ柔和な顔をしているのは、
きっと彼女も私と同じような、小さな幸せをたくさんもっているのだろうなと思いました。

最近は本当にちょっとしたことで、涙が出るほど幸せになります。
今日もとても幸せな1日でした。
天に感謝しなければいけません。

(2007年3月第4週)
土曜から日曜にかけて私の住んでいる我孫子は嵐のようでした。
今週の始まりは、どんより曇った陰鬱な1日でした。
天が怒っているのかもしれません。
とても不安な週の始まりでしたが、案の定、能登半島地震が起こりました。
週末もどんよりした寒い日になり、夜は嵐のような風でした。
■こもれびコーヒーのお話(2007年3月25日)
■いろんな人と話しました(2007年3月26日)
■病院での反省(2007年3月27日)
■NPO事業評価に取り組んでいる太田黒夏生さん(2007年3月28日)
■韓国弥勒仏の写真が届きました(2007年3月29日)
■久しぶりに我孫子市役所に行ってきました(2007年3月29日)
■インキュベーションハウスの行方(2007年3月30日)
■鈴木基之さんにやっと火災保険の保険金がおりそうです(2007年3月30日)
■コモンズ村の石本さんからの電話(2007年3月30日)

■こもれびコーヒーのお話(2007年3月25日)
先週、「愛あるコーヒー」のことを書きました。
その送り手は石本君代さんです。
そして、このコーヒーは、NPO法人自立生活サポートセンター・もやいの「こもれびコーヒー」です。
ご存知の方もいると思いますが、
このNPOは、路上、施設、病院など広い意味での「ホームレス状況」に置かれている人たちがアパートに入居する際の連帯保証人を提供し、
さらにそこからの新生活の基盤づくりをお手伝いしているNPOです。
目指すは、誰もが排除されることなく、安心して暮らせる社会をつくっていくことです。

その活動の一つに、「サロン・ド・カフェ こもれび」というのがあります。
さまざまな年代のさまざまな境遇にある人たちがコーヒーを片手に交流できる寄り場です。
サロンが始まって一年目の冬、コーヒーを飲みながら、
「このコーヒーを自分たちで焙煎することはできないだろうか?」という声があがりました。
そんなとき、アジアの最も貧しく最も新しい国である、東ティモールのマウベシという村で 、
コーヒーを生産している人たちのことが話題になりました。
そして、その村の農家から生豆を購入して、サロンに集まる仲間たちの手で焙煎しようということになり、
ついに「こもれびコーヒー」が生まれたのです。
無農薬無添加はもちろんですが、たくさんの愛のこもったコーヒーなのです。
詳しくはもやいのホームページをお読みください。
こもれびコーヒー物語も出ていますし、そこから購入することもできます。

石本さんはこう紹介してくれました。
世界最貧国の東ティモールのコーヒー農民と、
世界一金持ちでありながらホームレス生活を強いられてきた経験のある人たちが、
手を結んで世に送りだされたコーヒー豆です。
ぜひご賞味ください。


石本さんは、このコーヒーを飲むようになって、一気に悩みが解消したそうです。
そして次々と幸せな奇跡の連続があったそうなのです。
「このコーヒーには、愛と感謝の気持ちを引き出す不思議な力がこもっている」と石本さんは太鼓判を押してくれました。
みなさんもぜひ「こもれびコーヒー」で幸せをつかんでください。

話が長くなってしまいました。
実は、こもれびコーヒーだけではなく、「愛ある○○○」の話を書くつもりだったのですが、長くなったのでやめます。
最近、わが家には「愛」があふれていて、紹介したいことが山積みです。
いつかまた書かせてもらいます。

■いろんな人と話しました(2007年3月26日)
今日は実にたくさんの人たちに会いました。
それぞれテーマは違うのですが、不思議とつながるものです。

午前中にお会いしたのは友野さんと吉田さんです。
いずれも企業の人ですが、少しはみだしながらNPOやまちづくりにも関わっています。
今回はインキュベーションハウスの菅野さんと宮部さんと一緒にいろいろと意見交換しました。
面白い物語がいつか生まれるかもしれません。

その後、コラボレーション経営研究所の瀬谷重信さんが久しぶりにやってきました。
実は瀬谷さんはかつて友野さんと同じ会社にいた人です。
友野さんは瀬谷さんのことをご存知でした。今回はすれ違いでしたが。
瀬谷さんとは企業とNPOのコラボレーションに関して意見交換しましたが、話題的にも友野さんたちとの話とつながっています。

そして3番目は田中弥生さん
田中さんは独立行政法人大学評価・学位授与機構の助教授ですが、日本NPO学会の副会長でもあります。
もちろん話題はNPOです。かなり過激に、です。
先日開催された日本NPO学会で、実に刺激的な議論があったのです。
その内容は言論NPOのサイトに4回にわたり詳しく報告されています

田中さんと話した後、4月に予定しているコムケアフォーラムの会場を見に行きました。
久しぶりに自転車で都内を走りましたが、道に迷って苦労しました。
会場は廃校を活用した台東デザイナーズビレッジの体育館です。
これまでの会場とは全く違いますが、今回は同窓会的要素もあるので、
ここがふさわしいと橋本さん(実行委員長)がとても気に入っているのです。
台東デザイナーズビレッジの村長の鈴木淳さんには、
前回のコムケアフォーラムの時も全面的に協力してもらいましたが、今回も応援してもらえることになりました。
鈴木さんと会うと、なぜか温かいものが伝わってきて元気が出ます。

会場確認後、橋本さんと少し話しました。
橋本さんはいま理学療法士の学校に通いながら、コムケア活動に取り組んでいます。
今回のフォーラムの実行委員長です。
現在の医療現場の話も含めて、最近、橋本さんが体験したことが話題でしたが、
全く縁のないような人に会っても、不思議とテーマがつながってくるという体験をしているようです。
人間はみんな多様な側面を持っていますし、たくさんの生活場面を持っていますから、
どんな人とであろうと必ず接点はあるはずです。
橋本さんの世界がどんどん広がっているようでうれしいです。

とまあ、今日もたくさんの刺激をもらった1日でした。
最近は週に2回くらいしかオフィスに出ないので、出た時には目いっぱい予定を入れてしまいます。
その日は、以前のようなさまざまな刺激に次々に出会う生活のミニ版を楽しんでいます。少し疲れますが。

■病院での反省(2007年3月27日)
今日は病院でした。
そこで少し反省しました。
ブログ(CWSプライベート)に書きましたが、最近は流れに流されがちな生き方になっています。
歳のせいでのエネルギーの枯渇でしょうか。
今日はいろいろと反省しました。

■NPO事業評価に取り組んでいる太田黒夏生さん(2007年3月28日)
太田黒さんと会うのは4年ぶりくらいでしょうか。
太田黒さんはR&Dの社長だったのですが、
いまは引退され、新しいライフスタイルにシフトしながら、
社長時代に取り組んでいたNPOの事業評価の仕事を続けています。

新しいライフスタイルは、マルチハビテーションです。
この生き方は10数年前に私が志向した生き方ですが、それが少し影響を与えたようです。
いまは1/4を那須で過ごしているそうです。
私のマルチハビテーション事例は、以前、ある本で取り上げられましたが、
見事に挫折し、いまは自宅に閉じこもりがちになっています。
しかし、そのときの体験から得たことは、
マルチハビテーションとは実は住居地のことではなくマルチテーマライフのことだということです。
その本の取材の時も、そう話した記憶があります。
そうした意味であれば、その後も発展させてきました。
空間的マルチハビテーションではなく、テーマ的マルチハビテーションは、まさにいまの私のライフスタイルになっています。

まあ、それはそれとして、太田黒さんとは久しぶりにNPOの事業評価の話になりました。
太田黒さんは「非営利組織の事業評価」という本を数年前に書いています。
その紹介をブックのコーナーで書きましたが、そこに私と太田黒さんとNPO事業評価の関係が出ています。

太田黒さんからこの分野の仕事での協力を相談されました。
私のNPO観や評価論は、全くメジャーではありませんので、なかなかビジネスにはつながりませんが、

太田黒プロジェクトが面白くなりそうであれば、どこかで接点を持ちたいと思います。
さてどうなりますか。

■韓国の灌燭寺弥勒仏の写真が届きました(2007年3月29日)
私のホームページを読んでくれている佐久間さん(一条真也さん)が韓国に講演に行ったついでに、論山の灌燭寺(アンチョクサ)の弥勒仏をお参りしてきました。
灌燭寺はソウルから車で3時間のところだそうで、そう簡単には行けないようです。
ところが今回、佐久間さんが講演した会場の建陽大学は、なんと灌燭寺から車で5分のところだったのだそうです。これも何かの縁でしょうか。
佐久間さんが写真を送ってきてくれましたので、許可を得て、掲載します。
写真をクリックすると大きくなって、もう1枚出てきます。
1枚の写真に佐久間さんご自身が写っていますので、この仏の大きさがわかります。
それに周辺の風景から、仏の生活ぶり(というのもおかしいですが)が伝わってきます。

佐久間さんは、このサイトのブックのコーナーで紹介した「仏教への旅朝鮮半島編」を読んでくださり、早速、この弥勒仏に会いたくなったのだそうです。
フットワークの良さは私とは大違いです。

佐久間さんによれば、「弥勒仏は圧倒的な存在感でしたが、その顔から私は「厳しさ」のようなものを感じました」ということです。
写真で観ていると、なんとなくほのぼのとしたあたたかさを感じるのですが、現地でお会いするときっとそう感ずるのでしょう。
仏像は、写真と実物では印象が大きくちがうことが少なくありません。
ちなみに、この仏のモデルは百済の王様だそうです。
私が最初に思い浮かべたのは飛鳥大仏と勝林寺の阿弥陀仏ですが、ずっと見ているともっと時空を超えた宇宙仏を感じます。
いくら見ていても飽きません。

佐久間さんから灌燭寺の魔除けの数珠と病気平癒に「ご利益」のある守り札をもらいました。
女房は感激して、早速、般若心経の読経に使うといっていますが、般若心経と灌燭寺の数珠の組み合わせはちょっとミスマッチな気もします。
しかし、そうした寛容さこそが日本の宗教感覚の素晴らしさだと佐久間さんも書いていますので、シナジーが起こると確信しましょう。
ちなみに、数珠も守り札も、日本のそれとはかなり違います。

■久しぶりに我孫子市役所に行ってきました(2007年3月29日)
自治会で防災マップを作成しましたが、
道路課への相談事項が出てきたので、久しぶりに市役所にも行きました。
先日、自宅近くで市役所の渡辺さんに偶然にお会いしました。
私が我孫子市の総合計画の審議会委員をしていた時にお世話になった人ですが、いまは道路課に属しています。
それもあって市役所に行くことにしました。

道路課ははじめてでしたが、少しそこで話しているだけでいくつかの問題点が見えてきます。
どうもカウンセラー根性は私の心身の隅々にしみこんでいるようです。いやな性格です。
一 番気になったのは、業者関係者と思われる人が名刺を職員の机において回っていたことです。
15年前にはどこの役場にもよくあった風景ですが、まさか今も続いているとは思いませんでした。
それも我孫子市役所で。

我孫子市は今年の初めに市長が変わりました。
4月から新体制になります。
さてどうなるでしょうか。

■インキュベーションハウスの行方(2007年3月30日)
インキュベーションハウスが危機にあります。
先週、ある挫折感を味わったのですが、少し考え直しました。
やはり私の独りよがりが問題だと気づいたわけです。
今週に入り、メインメンバーや税理士の外崎さんと、それぞれと話して、少し頭が整理されました。
外崎さんからは、要は佐藤さんの意識を変えなくてはいけない、といわれました。
全くその通りです。
自分のことは、本当に見えなくなるものです。
しかし、ばらばらでしたが、3人と話していて、なにかホッとしました。
インキュベーションハウスは新しいスタイルで元気になるような気がしてきました。
これまたどうなりますか、ですが。
理念に共感する人がいたら、ぜひ仲間になってください。

■鈴木基之さんにやっと火災保険の保険金がおりそうです(2007年3月30日)
1年前に延焼で自宅を全焼してしまった鈴木さんから電話がありました。
長い交渉の結果、漸く保険金がおりたのだそうです。
この長さはいったい何なのでしょうか。
保険とは一体何なのか、とても疑問に感じます。
金融業界の人たちはやはり信頼できません。
それを野放図にしている監督官庁はもっと許せません。

しかも、そうした金融の世界の人たちが、日本の産業界と社会をいま席巻しつつあります。
彼らの多くには、人が見えないのです。
日本の社会がぼろぼろになってしまうのは当然です。

まあ、しかし、遅くなったとはいえ、保険金がおりたのはうれしいことです。
早速、仲間内の集まりをやることになりました。
鈴木基之は私の小学校時代のぽんゆうなのです。
ホッとしました。

■コモンズ村の石本さんからの電話(2007年3月30日)
CWSコモンズ村の石本さんから電話がありました。
こもれびコーヒーを送ってきてくれた「富裕な貧乏な人」です。
もたぶん3年ぶりくらいです。
相変わらず元気な声です。

開口一番、「村長」と呼びかけられました。
グサッと心に突き刺さる言葉です。
実は私はCWSコモンズ村の村長で、石本さんは村民なのです。
ところがコモンズ村はいま村長が責任放棄してしまっているので、全く機能していないのです。
村民の情報伝達システムさえ壊れているので、村民同士の連絡もつきにくい状況なのです。
実は村政を近代化し、住民参加の仕組みを創ろうと思っていた矢先に、
家庭事情で村長が夜逃げしてしまったような状況になっているのです。
そういえば、新しい風の町というのもあったのですが、それもいま町政が滞っています。
何とかしなければいけません。

石本さんからはまたいろいろと「愛ある情報」をもらいました。

(2007年3月第3週)
寒さの中に春が来ました。
しかし、春の中にも寒さがあります。
私には心弾まない春の始まりです。
■自治会役員会(2007年3月18日)
■信濃川へのサケの遡上を再現したい(2007年3月20日)
■コムケアフォーラムのブログができました(2007年3月20日)
■アサリの季節(2007年3月20日)
■お墓参り(2007年3月21日)
■半年振りに女房と湯島のオフィスに行きました(2007年3月22日)
■協創の場プロジェクトがスタートするようです(2007年3月23日)
■日本的経営精神の復権(2007年3月23日)
■コンヴィヴィアルなオープンプラットフォームの挫折(2007年3月23日)
■愛あるコーヒー(2007年3月24日)

■自治会役員会(2007年3月18日)
自治会会長を引き受けてからほぼ1年がたちました。
今日は最後の役員会を開催しました。
会長を引き受けた時には、いろいろなことをやりたいと考えていましたが、
結局はほとんど何も出来ずに終わってしまいました。
反省しなければいけません。

役員会の後、今回新たに作成した防災マップを持って、有志と一緒に改めて自治会内を歩きました。
地図を片手に歩くと、気になるところが意識できます。
会長を引き受けたおかげで、新しい知人も増えました。
来年度も副会長で役員を続けますが、4月で会長は引き継ぎます。
まだいろいろと残務は残っていますが。

■信濃川へのサケの遡上を再現したい(2007年3月20日)
新潟と東京を往復しながら、様々な活動をしている金田英一さんとお会いしました。
興味ある活動がいろいろと進んでいるようです。

私が今回一番興味を持ったのは、やはり信濃川へのサケの遡上問題です。
昭和のはじめには長野県の千曲川(信濃川の上流です)でサケの水揚げがかなりあったのですが、
いまはサケの遡上は全く確認できないそうです。
信濃川の途中に発電用のダムが2つできたためのようです。
そのダムでの発電は、東京の山手線の電車を動かすために建設されたそうです。
ダムの横には魚道も作られていますが、とてもサケが遡上するようには作られていないのだそうです。
写真を見せてもらいましたが、私でも首を傾げたくなるような魚道です。
いまも子どもたちがサケの稚魚を川に放す活動をしているようですが、それが全く報われていないわけです。
詳しくは新潟水辺の会のホームページの記事をご覧ください。

金田さんは新潟水辺の会の世話人でもあります。
この問題は時代を象徴し、物語性もあります。
東京で公開フォーラムを開催して世論を高めていくことが効果的ではないかと思いました。
都知事選のテーマにはなりにくいでしょうが、こうした問題にこそ、本質があるように思います。

■コムケアフォーラムのブログができました(2007年3月20日)
4月22日開催のコムケアフォーラム2007のためのブログが開設されました。
公開されていますので、ぜひご覧ください。
このフォーラムでは、コムケア活動の中から始まった物語やコムケア活動が関わってきた活動を発表してもらいながら、
参加者みんなが、それぞれにコムケアとは何だろうかについて考え、
新しい人のつながりや物語のきっかけを創っていけないかと、私は期待しています。
今回の実行委員長は橋本典之さんです。

コムケアフォーラム2007の実行委員長の橋本典之さんとフォーラムの内容について意見交換しました。
内容がかなり膨らんできました。
いよいよ参加呼びかけを始めます。
開催まであと1ヶ月ですので、いささかの心配はありますが、これがコムケアスタイルなのです。
橋本さんがフォーラムに向けてのブログを開設してくれました。
ぜひお読みください。
このブログには私も書き込ませてもらう予定ですが、
もしかしたらこのブログが次のコムケア活動のコアの一つになっていくかもしれません。

■アサリの季節(2007年3月20日)
アサリの季節です。
テレビで美味しそうなアサリの料理番組をしていました。
食欲がそそられていたら、また九州の蔵田さんからドサッとアサリが届きました。
蔵田さんのご自宅の近くの海岸で採れた、実に見事なアサリです。
毎年、この時期になると蔵田さん自らが採集したアサリを送ってくれるのです。
それにしても立派なアサリです。
自然は本当に豊かです。スーパーで売っている痩せたアサリとは大違いです。
お裾分けしながら、美味しくいただきました。

■お墓参り(2007年3月21日)
家族みんなで父母の墓参りに行きました。
お彼岸なので賑わっていました。
お彼岸のお寺は毎年賑わいます。
遠くから戻ってくる人もいるでしょう。
お寺として何か考えられないものでしょうか。
お墓参りにきた人たちのふれあいの仕組みは考えられないものでしょうか。
冠婚葬祭を切り口にして、未来を考えている一条真也さんに提案してみたくなりました。

ちょうど一条さんの新刊「神道&仏教&儒教」(だいわ文庫)を読み終えたところなので、そんなことをついつい考えてしまいました。
「神道&仏教&儒教」は、ブックのコーナーで紹介させてもらいました。
よかったらお読みください。

■半年振りに女房と湯島のオフィスに行きました(2007年3月22日)
元気になったら湯島のオフィスに行きたいと女房がずっと言っていました。
私が19年前に会社を辞めて、その後、活動拠点にしていたのが湯島のコンセプトワークショップです。
オフィスといっても、真ん中にラウンドテーブルがあるだけの場所ですが、
ここは私たち夫婦にとってはとても思いの深い場所なのです。
15年以上続いたオープンサロンは、女房と2人でやってきましたので、そこでの出会いは夫婦共通の財産なのです。
収入がなくて家賃が払えなくなり、解約しようと思ったこともありますが、そんなわけでここは閉じることはできません。
私たちにとっては、この19年の人生が詰まっている場所なのです。

今日はそこで、先月お会いした岡山さんに官足法の指導を受けることになっていたのです。
女房の調子が、前日まであまりよくなかったので、不安だったのですが、
穏やかな日和だったので、予定通り湯島に行くことができました。
ご無沙汰していた湯島天神にもお参りができました。
実にうれしい1日でした。

それだけではありません。
岡山さんに会うと、なぜかとても元気になるのです。
足もみの指導も受けました。
とてもうれしい1日でした。

■協創の場プロジェクトがスタートするようです(2007年3月23日)
自律した「個」の連帯による生き方創造の場を目指す、「協創の場」プロジェクトに取り組んでいる伊藤さんが、
その後の経過報告にやってきました。
かなり具体的になってきました。
面白い試みですが、聞いていて、
伊藤さんのようなしっかりした目線と自分を持っている人でさえ、
昨今の企業論理の呪縛から解放されていないような気がしました。
企業の呪縛の強さに、改めて驚きます。
しかし、伊藤さんはすぐにそれを自覚したようです。
刺激的な会話ができました。

私のところには、いろいろな構想が持ち込まれますが、
私の関心は企画書ではなく、本人の思いです。
その点から言えば、このプロジェクトはとても興味があります。
私たちが取り組もうとしている団塊世代支援プロジェクトと接点ができるといいのですが。

■日本的経営精神の復権(2007年3月23日)
次世代人材育成研究会も3年続きました。今日はその最終回です。
この研究会は企業活力研究所が事務局となって活動していますので、
研究会の内容はそのホームページでご覧下さい。

私は場違いなメンバーだといつも自覚していましたが、いろいろと気づかされることが多く、
参加させてもらったことを感謝しています。
今回は今年度最後の研究会で、提言書の内容の最終確認でした。
今回のメインテーマは「若手企業人の活性化」でしたが、
これまでの議論はともかく、提言書としてはわかりやすく具体的なものになりました。
これまでの中で私には一番なじみやすいです。
ただ残念ながら内容的には退屈です。

というか、企業の世界はこの20年むしろ後退しているとしか思えない気がします。
企業の外はどんどん変化してきているのに、
厚い壁と単一基準しか持たない企業の世界はいまや退化しているように思います。
企業から外れすぎてしまった私の勘違いかもしれませんが。

しかし、企業の人事管理や人事支援が企業内部だけで完結する時代はもはや終わったことは確実です。
以前も書きましたが、個人を起点に発想しておくと、どうしても家庭や地域社会が重要な要素になってくるのです。
最後にその点だけを感想で話させてもらいました。

ちなみに、今回の提言には「社員を大切にする日本的経営精神の復権」という項目もあります。
この意味はとても大きいと思います。

■コンヴィヴィアルなオープンプラットフォームの挫折(2007年3月23日)
インキュベーションハウスの昨年度決算は黒字になりました。
菅野さんと宮部さんががんばったおかげです。
今日はその決算報告とこれからの展開を考える、インキュベーションハウスの総寄り合いでした。
黒字にはなりましたが、みんなはどうも満足していないようで、議論が少し紛糾しました。
もっとも異論は私だけでしたが。
それもあって、ドッと疲れてしまいました。

コンヴィヴィアルなオープンプラットフォームを目指したインキュベーションハウス構想はどうやら挫折したようです。
同じような試みをいろいろやってきていますが、なかなか成功しません。
どこかに無理があるのかもしれません。

そういえば、今週もかなり私には残念なことが別にもありました。
私の友人が展開してきた活動が今かなり経済的に困難な状況になっています。
その相談を受けながら、関係者も含めて議論してきたのですが、
驚くべきことに経済的に大変なことがわかった途端に多くの人が離れていってしまったのです。
困った時こそ応援するべきではないかと思うのですが、
そしてみんなで応援したら再建は簡単なのですが、なぜかそうはならないのです。

その状況は1000万円もあれば解決する話なのです。
私にお金があれば応援できるのですが、私の貯金は残念ながら今は400万円にも届かないのです。
その上、最近は医療費の不安があり、せめてそれくらいは持っていないと困るのです。
いま、検討している健康保険のきかない治療を受けると1回で300万円くらいかかるのだそうです。
サプリメントだけでもつきに10万円になることもあるのです。
日本の医療費も結構高いのです。
もっと貯金をしておけばよかったと、私にしてはめずらしく反省しています。
後悔はしていませんが。

コモンズの悲劇という話があります。
私はむしろ「コモンズの幸せ」という仮説を持っています。
まだあまり書いたことがないので、近くCWSプライベートに書きます。
コンヴィヴィアルなオープンプラットフォームは、私が考える幸せなコモンズなのです。
上記の友人が目指していたのも、彼は意識していませんが、そういうプラットフォームでした。
でもなかなか実現できません。

ラスキンはこう書いているそうです。
「生命以外に富は存在しない。最大多数の高潔にして幸福な人間を扶養する国が、最も富裕な国であり、人格と所有物の両方によって、他人の生命にもっとも広く役立つ影響力をもっている人が最も富裕な人である」

お金などいざとなれば何の役にもたちません。
しかし、お金がないと困ることはあるのです。
いざという時に、みんながお金を出し合うような豊かな社会になってほしいと私は思っていますが、
みんながそう考え出せば、そんな社会は簡単につくられるはずです。
しかし、そんなことは全くのリアリティのない話かもしれません。
今年はあまりお金をもらえる仕事をする時間がなさそうなので、宝くじを買おうと思っています。
やはり私は「富裕な人」にも「お金持ち」にもなれそうもありません。
困ったものです。

話はそれましたが、コンヴィヴィアルなオープンプラットフォームを目指す試みは、少し落ち着いたら再挑戦するつもりです。
もしかしたらコムケアネットワークがそうなるかもしれませんし、コモンズ村の再開も検討しようかと思います。
ただ最近は私自身のモティベーションが下がっているのが問題です。

■愛あるコーヒー(2007年3月24日)
土曜日に、富裕で貧乏な友人から「愛のコーヒー」が届きました。
このコーヒーを飲むと幸せがやってくるのだそうです。
ちょっとコーヒーをやめていた女房と2人で飲ませてもらいました。
東チモールのコーヒーです。
来週はきっと今週よりも大きな幸せが来るでしょう。
このコーヒーの話はまた来週書きます。
今週はとてもいい1週間になりました。

(2007年3月第2週)
ちょっと厳しい1週間でした。
そのせいか気候も寒くなりました。
もしかしたら、私たち夫婦の気分が気候を左右しているのではないかと夢想してしまいそうです。
■団塊シニアプロジェクトが始まりました(2007年3月12日)
■丸の内朝飯会(2007年3月12日)
■コムケアフォーラム実行委員会(2007年3月12日)
■笑いと涙のチャリティコンサート(2007年3月13日)
■自宅で過ごす平凡な1日(2007年3月15日)
■AHCC健康フォーラム(2007年3月16日)
■ユキ・建築アートの紀陸幸子さん(2007年3月16日)

■団塊シニアプロジェクトが始まりました(2007年3月12日)
大川さんが中心になっての「団塊世代よ 大志を抱けプロジェクト」のプロジェクトチームが発足しました。
NPO法人アラジンの牧野史子さんと有馬さんが参加してくれたのです。
これから毎週、ミーティングを重ねて、4月にはモデル版のプログラムがスタートします。
団塊シニアが新しい活動を起こしていくことを支援しながら、そうした人たちの輪が広がることを期待しています。

ブックのコーナーで紹介していますが、
このプロジェクトのリーダーの大川新人さんの新著「団塊世代のミッションビジネス」も書店に並びだしました。
これをテキストとした出前講座も始まりますので、ぜひ応援してください。
しかし、余計なことはしないでいいよ、というシニアの声も聞こえてくるような気もしますが。

■丸の内朝飯会(2007年3月12日)
川口秀人さんが久しぶりにやってきました。
川口さんは、数年前から「丸の内朝飯会」に参加しだしているそうですが、
この会は何と44年間、毎週、朝食を食べながらの集まりを続けてきているのだそうです。
2000回を超えたので、今度、本を出版することになり、それを川口さんが引き受けたようです。

丸の内朝飯会のことは、以前、聞いたこともあるような気がしますが、最近またマスコミに取り上げられているようです。
目的も会則もなく、会費も会長もいない集まりが、なぜ44年も続いたのか不思議だと川口さんはいうのです。
しかし、目的無・会長無・会則無・会費無それに事前予約無ということこそが、続いた理由でしょう。
私が10年以上やってきたオープンサロンも、まさにそうでした。
どうせ出版するのであれば、メッセージ性を持たせて、新たな物語が始まるようにしたらいいのではないかとアドバイスしました。
川口さんのことですから、きっと面白いものが出来るでしょう。

■コムケアフォーラム実行委員会(2007年3月12日)
コムケアフォーラムの実行委員会だったのですが、
うっかり日程を間違って案内してしまい、予め声をかけていた人しか集まりませんでした。困ったものです。
しかし下山さんと高橋さんという、昨秋開催したコムケアフォーラムの実行委員が参加してくれたので、話は混乱して、うまく行きそうです。
文章がおかしいと思う方がいるかもしれませんが、話は混乱するほど、面白くなるものです。まあ半分は負け惜しみですが。

全国コムケアフォーラムの開催まで1か月ちょっとです。
まだ正式な案内も出していません。
150人の参加者が目標です。
不安になりますね。
しかし、きっと面白いものになりそうです。
みなさん、ぜひ4月22日はコムケアフォーラムに参加してください。
人生が変わるかもしれません。はい。

■笑いと涙のチャリティコンサート(2007年3月13日)
今日は女房にとっては盛りだくさんの1日でした。
心配していましたが、何とかこなせました。
夕方、近くの柏市民文化会館でのTEPCOふれあいツアーコンサートに行きました。
ボニージャックスと歌おう、というチャリティコンサートです。
私自身は付き添いの予備要員だったのですが、幸か不幸か、友人ではなく私が同行者に選ばれました。
女房も今日は病院などもあって、疲れ気味だったので、直前まで迷っていたのですが、近くですので思い切って行くことにしました。

ところが、実にすばらしいコンサートでした。
夫婦ともども、笑いと涙の2時間半でした。
笑いはゲストの岡崎裕美さんのショーでした。
テンポの良い、見事な盛り上げ方で、綾小路きみまろに勝るとも劣らぬショーでした。

その後は、ボニージャックスが取り組んでいる障害を持つ子や難病の子どもの詩を歌にしたコーナーがありました。
視覚障害を持つ子が、ずっとウサギは空を飛ぶのだと思っていた話や難病の子どもが残したお母さんへのメッセージなど、素晴らしい歌が続きました。
2人とも涙が出てとまりませんでした。
ボニージャックスがこういう活動をずっと続けていることを知りませんでした。

音楽でできることは、本当にたくさんあります。
森進一の「おふくろさん」騒動が喧しいですが、こういうまじめな活動に取り組んでいるミュージシャンも少なくないのでしょう。
テレビでもっとこうした活動を紹介してほしいと思います。

途中で、「うたごえ喫茶」のコーナーもありました。
これに関してはブログに書きましたが、久しぶりに歌いました。
女房は「道」という合唱団のメンバーなのですが、
病気のため今は休会しているので、最近は歌っていなかったのですが、久しぶりに全曲(5曲)すべてを歌っていました。
病気になる前よりもうまくなっていました。

あまり期待していなかったコンサートでしたが、とてもよかったです。
昼間はちょっと元気をなくしていたのですが、元気が出てきました。
ボニージャックスに感謝しなければなりません。
岡崎裕美さんにも。

明日もまた、病院です。

■自宅で過ごす平凡な1日(2007年3月15日)
今日は自宅にいました。
昨日がかなりダークな日だったのですが、今日は可もなく不可もない、最近よくある1日でした。
たまには、そんな1日の記録です。

午前中は、久しぶりに女房と近くの農園に行って、畑に石灰をまいたり、雑草を取ったりしてきました。
女房はあまり体調がよくないのですが、よくないからこそ散歩に行くことが大切です。
土が好きな女房は、畑に行くと元気をもらえるのです。
距離にして200メートルもないくらいのところなのですが、女房はゆっくり歩くので、それでも結構かかるのです。

今日の収穫は大根でした。
立派なのが1本とれたので、これは近くのお年寄りの家に差し上げることにしました。
先日は大根を差し上げたら、わかめをたくさんもらってしまったので、そのお礼も兼ねてです。
わかめは、その家のお手伝いさんの実家からどっさり届いたのだそうです。
わらしべ長者ではありませんが、お金がないほうが豊かな暮らしが出来るのではないかと思うことがあります。

近くの空地に家が建つようで、その夫婦が土地を見に来ていました。
そこでいろいろと質問されて10分ほど、立ち話をしました。
退職されて、ここを終の棲家にするのでしょうか。いろいろと気にしていました。
高齢になって転居する生き方は考え直す必要があるように思います。

そんなこんなで、200メートルをゆっくりと歩いていると、いろんな風景が見えてくるわけです。時間もかかりますが。
女房の病気のおかげで、私の見える風景もだいぶ変わってきました。

午後は近くの友人とコーヒーを飲みました。
定年退職した友人は、悠々自適の暮らしなのですが、マチュピチュやインドなど、海外旅行を楽しんでいます。
来週からはギリシアとトルコに行くそうです。
昨年はブッダの足跡を訪ねてインドに行ってきたそうです。
五木寛之の「仏教への旅インド編」の通りだったそうです。
この本の構成を担当したのが、黒岩比佐子さんですが、そういえば黒岩さんが「朝鮮半島編」を送ってくれました。
黒岩さんが手がけた本ではないのですが、せっかく贈ってくださったのでブックのコーナーに紹介させてもらおうと思います。

友人と別れた後、近くの図書館に行き、ガンジー伝を借りてきました。
書店で探していたのですが、最近は出版されていないのです。
ガンジーの時代は終わったのでしょうか。
図書館に行ったら、シニアの男性たちがたくさん座っていました。
もちろん雑誌や書籍を読んでいるのですが、少し異様な風景です。
図書館はそうした人たちにとっての、もっとアクティブな場になる可能性を持っています。
その気になる図書館はないのでしょうか。
その気になれば、新しい図書館のモデルを創出するのはそう難しくないはずなのですが。
まあそれはともかく、団塊シニアプロジェクトは早くやらなければいけません。

帰宅してパソコンでメールチェックです。
柳原和子さんから「大丈夫ですか?」というメールが来ていました。
今週、女房が病院に行くことを知ってくださっているのです。
アメリカから帰国した田中弥生さんが、近々話しに来たいそうです。
平和関係のメーリングリストは相変わらず活発です。
コムケア仲間からの相談もいくつかあります。
難問もあります。

返信を書いていたら、来客がありました。
近くの岩村さんと寺田さんと、県議の加藤さんです。
ゆっくりお話するのは初めてです。
最初はスペインタイル工房の娘の所に来たのかと思っていたのですが、どうやら私にも用事があるようなのです。
岩村さんは近くで我孫子窯をやっている人です。
数年前の手づくり散歩市の時に、私も工房と作品を見せてもらいましたが、お話いたことはありませんでした。
最近は、タイル工房が縁になって、娘との付き合いが始まっているのです。
その岩村さんが、なぜか県議の加藤さんと寺田さんと一緒にやってきたのです。
加藤さんを応援しているので、よろしくということのようです。
寺田さんもいろいろと活動をされている方で、いろんなところでお名前をお聞きしていました。

加藤さんは千葉県の県会議員です。
女房の関係で、毎回、機関紙などは届いていますが、私は初対面です。
4月には選挙があるのですが、定員2名のところに3人が立候補していますが、非自民が2人です。
加藤さんと、もう一人は花崎さんです。花崎さんのことは以前書きましたが、大分の竹沢さんの甥なのです。
さていずれに投票したらいいでしょうか。
地域の選挙にはこうしたことがいつもつきまといます。
先の我孫子市の市長選もそうでしたが、少しでも住民活動して付き合いが始まると、どこかでつながりが生まれます。
誰に投票するかは、必ずしも政策などでは決められないのです。
どうしても人情や人のつながりが影響を与えます。
そういうことを考えると、今の地方政治の選挙制度のあり方は再設計するのがいいように思います。
国政とは全く違いますので、国会議員の選挙をモデルにしてはいけないはずです。
発想のベクトルを変えなければいけません。

夕方は女房の足裏マッサージです。
来週は岡山さんの指導を受ける予定ですが、毎日、やっています。
最近、腱鞘炎気味なので、道具を使うようにしていますが、技術がないために道具を使うとどうも気が入りません。
そして自治会の資料作りです。18日が役員会なのです。
作成後、近くのスーパーにコピーしに行きました。1枚5円です。
私のオフィスでコピーすると確か原価が15円くらいするはずですが、なぜ5円で出来るのかいつも不思議なのです。
きっとゼロックスの利益の秘密がそこにあるのでしょう。

その先は家事です。
といっても私はどうも家事向きではないようで、まだ自立できずにいます。
女房に早く回復してもらわなければいけません。
その祈りが、私の1日の最後の仕事です。
最近、寝る前に女房と般若心経を唱えていますが、隣家に聞こえているかもしれません。
新興宗教に入信したのではないかと心配されているのではないかと少し心配です。
最近の自宅生活を、こんな感じですごしています。
明日はどんな「良いこと」があるでしょうか。
あってほしいと思いながら、毎日、眠りにつくのですが。

■AHCC健康フォーラム(2007年3月16日)
女房が飲んでいるサプリメントの一つがAHCCです。
北海道のアミノアップ社が開発し、20年前から販売されています。
免疫力を高め、健康維持に役立つといわれていますが、その効用のためにがん患者にも使われています。
そのAHCCの臨床研究に取り組んでいる、関西医科大学外科教授で、
日本補完代替医療学会理事の上山泰男教授が講演するというので聴きに行きました。
主宰は、WINGというAHCCを販売している会社です。
上山教授は免疫とAHCCの話をわかりやすくされました。
その後、AHCCの開発会社のアミノアップ社の開発部長の話もありました。
とても誠実で好感の持てる話でした。AHCCへの信頼感も高まりました。

それは別にして、考えさせられたことがあります。
この会を主催したWINGという会社は、健康食品などを口コミで販売している会社です。
正確にはホームページを見てもらいたいですが、一種のねずみ講的な要素が入っているように思います。
今回も、そうした人たちの研修会も兼ねているように見受けました。
参加者の中には自らのクライアントを連れてきているような人も少なくありませんでした。

それが悪いわけではありません。
私もそうした人からAHCCのことを教えてもらって、感謝しているのです。
しかし、抗がん作用があるといわれるサプリメントの多くが、こうした形で販売されていることがいつも気になっています。
しかも、そうしたサプリメントはどれもこれもとても高価なのです。
生命に関わりますから、価格は二の次となりがちですが、月に5万円とか10万円とかかかるとなると多くの人はついていけません。
それでも、もし効用がきちんとわかるのであれば、借金してでもがんばれますが、
サプリメントの客観的な評価はほとんどありません。
病院の医師に聞けば、ほとんどの場合、効用はなく害さえあるといわれるでしょう。
厚生労働省が遅まきながら昨年、ガイドラインを出しましたが、ほとんどの医師は読んでいないでしょう。
何しろ医師は忙しいですから、そんなものを読む暇がないのです。
いや、関心がないのかもしれません。

そこで患者は悩みます。
主治医に内緒でサプリメントを飲んでいる患者は少なくないでしょう。
念のために言えば、女房は一応、話はしています。
情報もそう一般化してはいませんから、噂で聞いたものを高価に買わなければいけません。
そういう世界ですから、奇妙なサプリメントもかなり出回っているはずです。
事実、問題を起こすことも時々あります。
この状況を打破していく必要があるように思います。

話がなんだかおかしなほうに進んでしまいました。
こういうことはブログのほうで書いたほうが良い内容ですね。
少し整理してまた書くようにします。
言いたかったのは、抗がん作用のあるサプリメントは野放し状態にあるということです。

AHCCは、私がこれまで知りえたサプリメント中では数少ない、かなりしっかりしたものの一つです。
今回のフォーラムで、そのことを改めて実感しました。
もしどなたかAHCCに関する情報や効果的なサプリメントに関する情報をお持ちであれば、ぜひ教えてください。
お願いします。

■ユキ・建築アートの紀陸幸子さん(2007年3月16日)
最近、お会いしていなかったユキ・建築アートの紀陸さんと久しぶりに会いました。
紀陸さんは思い込んだら猪突猛進の人ですが、またいろいろと動き出しているようです。
なかにはコムケア活動につながることもあるようなので、最近の動きをお聞きすることにしたのです。
案の定、お会いしたら機関銃のようにやろうとしていることが出てきました。
思いだけではなく、すでに動き出しているものばかりです。
とても短い時間では消化できそうもないので、改めてオフィスを訪問することにしました。

紀陸さんがこの会社を始めて20年近く経ちます。
その活動振りは、ぜひホームページを見てください
社会活動も展開してきていますし、スクール事業で育てた人たちも多いはずです。
たくさんの経営資源を蓄積してきていますので、編集次第で面白い構想が描けるはずです。
次回はそのあたりを話し合ってみようと思っています。


(2007年3月第1週)
久しぶりに「世間」に復帰しだしているのですが、
驚くほど、時間がたつのがはやいです。
やはり世界には2つの時間がありそうです。
今週のテーマは笑顔です。
■百万回の永訣(2007年3月4日)
■笑顔を作り出す企業(2007年3月5日)
■現場の人たちの笑顔を育てたい根本夫妻(2007年3月7日)
■久しぶりの小倉正男さん(2007年3月7日)
■コムケアから始まった物語(2007年3月7日)
■久しぶりのビジネスネゴシエーション(2007年3月8日)

■百万回の永訣(2007年3月4日)
「がん患者学」の著者、柳原和子さんの再発後のドキュメント番組「百万回の永訣」が放映されました。
柳原さんに感想をお届けする約束だったのですが、書けませんでした。
いろいろと考えることが多すぎました。
と同時に、こうしたドキュメントには感想など書くべきではないと思ったのです。
とりわけ当事者には、です。
どんな感想も白々しくなるからです。
言葉に思いを込めることの難しさを改めて知りま長した。
ブログ(CWSプライベート)には少し書きましたが、
医師と患者の関係を根本から考え直す必要があるのではないかという気もしてきました。
ブログでは医療関係のことはあまり書いてきませんでしたが、
新たに「医療時評」というカテゴリーを設けることにしました。

柳原さんからメールが来ました。
私のホームページを読んでくれたそうなのですが、こう書いてきてくれました。
彼女は以前から私たちを元気づけてくれています。
自らが元気づけられたい状況であるはずなのに。

厳しい中で自分を奮い立たせる力はどこから湧き起こるのか?
それは強さではなく、自分のなかの弱さ、脆さにある、とわたしはちかごろ気づいています。

とても共感できます。私がここ数年実感していることです。
そしてまた、別のメールではこうも書いてきてくれました。

苦しいとき、わたしたちは自分をもっとも愛してくれる人に向かってその苦痛を投げかけてしまいます。
それがどんなにかその相手を傷つけるかはずいぶんあとになって気づくことです。
傷つけることで自分の痛みをうもれさそうとする行為、といっていいかもしれません。

この2つの文章を読んで、みなさんはどう感じますか。
脈絡のない引用なので、届きにくいかもしれませんが、
ケアの本質、あるいは生きるということの本質を考えさせてくれる言葉のように思います。
またコムケア活動に取り組んできたおかげで、こうした感覚を私自身も強く持っています。
だからといって、私が強くなれたり、優しくなれたりしているわけではありません。
むしろそうしたことの反対の自分に気づくことが多くなっているかもしれません。

柳原さんは、いつも、何か出来ることがあればと言ってくださいます。
私はまだ柳原さんにお会いしたことはありません。
単なる読者、単なる視聴者でしかありません。
にもかかわらず、柳原さんは私たちのことを気遣ってくれるのです。
最近の自分の余裕のなさに恥ずかしい限りです。
もっと笑顔を増やさなければいけません。

■笑顔を作り出す企業(2007年3月5日)
笑顔といえば、最近の企業人には笑顔が少なくなってきているように思います。
と思っていたら、今期のKAE経営道フォーラムのひとつのチームが、「笑顔を作り出す企業」をテーマにしました。
今日は、そのチームと意見交換しました。

企業人からなぜ笑顔が消えだしたか。
その理由は簡単だと思いますが、その状況を克服するにはどうしたらいいかが、このチームの課題です。
いろいろと議論しましたが、私がアドバイスしたことの一つだけをここに書いておきます。

最近の企業は、従業員の管理や支援を会社の内部で完結させようとしています。
しかし人間は会社の中だけで生きているわけではありません。
仕事がどんなに面白くても、もし家族に不幸があったり、悩みを抱えていたりしたら、笑顔などは出ません。
顧客満足の前に従業員満足だと言われていますが、その前に従業員の生活の満足があるはずです。
それは、企業内だけでは考えられない問題です。
家族や地域社会にまで視野を広げてこそ、見えてくる問題です。
そうした生活基盤の状況が、会社での仕事に必ず影響をしてきます。
30年前までの日本企業は、良い意味でも悪い意味でもそうしたことを視野に入れて従業員を管理していました。
しかしいまは、良い意味でも悪い意味でも切り離されてしまっています。
私は、底に大きな問題を感じています。

成果の発表は、5月10日に行われます。ご関心のある方はぜひ聞きに来てください。
詳しくはKAE経営道フォーラムのホームページをご覧ください。
私に連絡してもらえれば、参加できるようにさせてもらえるかもしれません。

■現場の人たちの笑顔を育てたい根本夫妻(2007年3月7日)
「人材教育」(日本能率協会)の編集長だった根本英明さん夫妻が訪ねてきてくれました。
昨年、夫婦そろって会社を辞めてしまい、新しい仕事のインキュベーションに取り組もうとされています。
夫婦そろって会社を辞めてしまうというのは見事です。
何か役に立てることはないかと考えたくなります。

なぜ2人がそうした決断をしたかには、ここではちょっとかけない話もあるのですが、基本は生き方の問題です。
自らの生き方を見直そうという人たちが、少しずつ増えています。
私の所に訪ねてくる人には、そういう人が少なくありません。

根本さんの企てや事情はあまり書けませんが、一言だけ書いておきたいと思います。
それは根本さんたちの思いです。
お2人とも企業の人材教育などに深く関わってきたのですが、
最近の状況に触れながら、現場の人たちこそを元気にしなければ企業も社会も良くならないという思いを強めてきたようです。

現場に、良い意味での笑顔がなければ、健全な社会とはいえません。
作られた笑い、自暴自棄の笑いなどは、社会を悪くしても、良くはしないでしょう。
その思いは私と全く同じです。
もしかしたら、どこかでご一緒することが出来るかもしれません。

■久しぶりの小倉正男さん(2007年3月7日)
現場の人だけではなく、いまは企業の経営幹部も笑顔が少なくなっています。
それは仕事への誇りや暮らしへの余裕がなくなってきているからかもしれません。
企業経営から「道」がなくなっているのです。

KAE経営道フォーラムの事務局を手伝っている小倉正男さんが久しぶりに訪ねてきました。
小倉さんは、日立クレジット(現在は日立キャピタル)でCIを推進してきた人です。
ここのCIは見事でした。
社長の花房さんが山城章さんという経営学の神様の信奉者だったのです。
私も昨年、座談会で久しぶりにお会いしましたが、その経営論は腹が据わった見事なものです。
利益のみしか視野のない昨今の似非経営者とは大違いです。

小倉さんは定年退職したら、仕事は一切やめるおつもりだったそうですが、
そうしたこともあって、山城さんが創設した経営道フォーラムの支援を続けています。
今日は、そうしたことに関して忌憚のない意見交換をしにやってきたのです。

私は、昨今の企業の人事管理や人材育成の思想に大きな不信感を持っています。
最近の大企業の不祥事の多くは、そうした研修会社が起こしているのではないかとすら考えています。
技術論や錬金術だけを教えていていいのか、と思うわけです。
ですから、私の意見は想像がつくでしょう。
学校教育も社会教育も企業人教育も、すべてがどこかで間違った方向を向いている、
というのが私のちょっと「歪んだ」考えなのです。
小倉さんの悩みはよくわかります。

問題はそれをどう解決していくかです。
私のように、部外者として意見を言うのは簡単ですが、当事者として意見を実現するのは大変です。
しかし小倉さんのことですから、着実に前に進めていくでしょう。

■コムケアから始まった物語(2007年3月7日)
コムケアの考えの一つは「楽しい福祉」です。
福祉活動は楽しくなければいけないというのが、私の意見です。
あまりにも現実離れしているかもしれません。
しかし現実が楽しくなければこそ、楽しさを目指さなければいけません。
コムケアの最初の公開選考会でこういう話をしたら、
ある人から、私たちにはとても楽しい福祉などは理解できないといわれたことを思い出します。
しかし、その人は1年後には共感してくれました。
日本ドナー家族クラブの間沢さんです。

コムケアに関わって、そうした変化をした人は少なくありません。
そこで、「コムケアに関わった変わったこと、始まったこと」をテーマにしたコムケアフォーラムを開催しようということになりました。
これが今度の全国コムケアフォーラムです。
これまで何回かの打ち合わせをやってきましたが、今日から少し多くの人に呼びかけて、実行委員会を始めました。
急だったこともあり、集まったのは私を入れて6人でした。

大枠が決まりました
4月22日に台東デザイナーズビレッジで開催します。
面白物語が発表されたり、冊子で配布されたりします。
みなさんもぜひ参加してくれませんか。
参加されると、もしかすると新しい物語が始まるかもしれません。

来週、このホームページのお知らせでも詳しい内容をご案内します。
コムケアですので、実行委員会にも誰でも参加できますので、よろしければどうぞ参加してください。
メールをもらえれば、登録させてもらいます。

久しぶりのビジネスネゴシエーション(2007年3月8日)
仕事はやめていましたが、私が関わってきた企業の関係で、
ちょっとしたビジネスネゴシエーションの場に参加させてもらいました。
「交渉人」役として、です。
そんな暇があるのかと怒られそうですが、
昨今苦戦している中小企業を支援することも、気持ちよく暮らせる社会を実現するためには大切なことなのです。

日本は間違いなく格差社会(格差の有無ではなく、ある閾値を越えたという意味です)にはいってきていますので、
今の段階でどうにかしないと構造化してしまうように思います。
大企業の何もしない経営者の年収が1億円を超す一方で、中小企業の経営者は相変わらず資金繰りに苦戦しているのが現実です。
汗している人間に笑顔がない社会は健全とはいえません。

まあ、そんなこんなで、今週は3回のビジネスネゴシエーションをやりました。
久しぶりに「小気味よいビジネスゲーム」を楽しませてもらった感じです。
成否はいずれもまだわかりませんが、やはりビジネスの世界の「緊張感」は刺激的です。
内容を書けないのが残念ですが、まあそんなことも時にしているのです。

ちなみに、先週、テレビでゴッドファーザーをやっていました。
日曜日にそれを見てしまったのですが、企業の経営幹部の研修の教材にしたらどうかと思いました。
問題はどう使うかですが。

(2007年2月第4週)
庭で梅と桜が咲いています。
いずれも小さな樹なのですが、花が咲くだけでみんなを元気にしてくれます。
季節がくると毎年花を咲かせる植物は、生命としては私たちよりはずっと完成した生命系かもしれないと、このごろ、つくづく思います。
今週は3人の不思議な人との出会いがありました。
加えてまた個性的な活動をされている人たちとも少しだけゆっくりと話す機会がもてました。
元気が戻りそうです。
■フーコーはお好きですか(2007年2月26日)
■市場原理主義を促進させるITと打破するIT(2007年2月26日)
■「病院」という名称が間違いの始まり(2007年2月27日)
■シニアコミュニケーションと団塊シニアプロジェクト(2007年2月28日)
■母性の経営(2007年2月28日)
■帯津良一さんのオーラ(2007年3月1日)
■官足法の岡山至さんの感謝の生き方(2007年3月1日)
■環球協力社(GLI)の朱惠文さん(2007年3月2日)
■大学のユニバーサルデザイン化(2007年3月2日)
■ボランティアコーディネーター研究集会(2007年3月3日)

■牧岡さん大研究(2007年3月3日)

■フーコーはお好きですか
(2007年2月26日)
久しぶりに淑徳大学教授の清水正道さんがやってきました。
一緒に来たのが、フライブルグ・リサーチ・コンサルタントを主宰している恩田誠さんです。
恩田さんにお会いするのを私は楽しみにしていました。
なぜなら恩田さんは20数年、ドイツのフライブルグで哲学を研究されていたとお聞きしたからです。
しかもフーコーの名前が出てきたのです。

ミシェル・フーコー。
知と権力と人間と社会について、刺激的な問題提起をしたフランスの哲学者です。
おそまきながら、私もいま、改めてフーコーに興味を感じているのです。
社会の深遠と未来を見るヒントを、フーコーがたくさんメッセージしているように思うからです。
もっとも私のはきちんと勉強しているわけではなく、解説書による表層的な理解でしかありませんが。
これまで2回ほど入門書を読みだし途中で退屈していましたが、なぜか今回は奇妙にしっくりするのです。3回目の正直です。
もっともフーコーが理解できているわけではありません。
フーコーから始まるさまざまな物語やメッセージに、なぜか魅かれるのです。

ところで、フライブルグといえば、環境問題のメッカでもあります。
日本人のフライブルグ詣でも一時はよく聞きました。
恩田さんも、その分野には関心があるのかなと思ったのですが、恩田さんの関心はどうもコミュニケーション問題のようです。
それもメディアと人との関係性に興味があるようです。
私の関心とかなり重なりそうです。

今回はしかし、フーコーを語るためにお会いしたわけではありません。
それに恩田さんのご専門は、ハイデッガーのようですし。これはフーコー以上に、私には歯が立たなかった哲学者です。「存在と時間」は魅力的な著書なのですが。

今回はしかし、恩田さんが取り組んでいる、環境負荷の少ない建材の事業展開の相談でした。
哲学者も生きていくためには経済活動をしなければいけない、不幸な時代ですので、
恩田さんらしくない事業活動をいま少しやっているようです。
一応、その事業にも協力することにしましたので、関心のある方はお問い合わせください。
たぶん画期的な新商品ですので、収益事業に関心のある方には良い情報です。
残念ながら、私はあまりそうしたことに関心がないので、恩田さんは不幸な人に紹介されてしまったわけです。
これは清水教授の責任です。
しかし、そのおかげでフーコーやハイデッガーの研究者にお会いできました。
なにかとても豊かな気分になりました。
それに久しぶりに会った清水さんからも、いろいろと刺激をもらいました。
次回は恩田さんにフーコー入門をレクチャーしてもらおうと思います。
いや、その前に建材をどうにかしなければいけませんが。

■市場原理主義を促進させるITと打破するIT(2007年2月26日)
前にお会いしたボランティアネットの友野さんのことを、
インキュベーションハウスの菅野さんに話したら、ぜひ会いたいというので、お引き合わせすることにしました。
菅野さんもwebの分野で、いま新しい事業起こしを検討しているのです。
もしかしたら接点があるかもしれません。
私はwebの世界は感覚的にはわかるのですが、論理的には理解できないので、2人の話を聞いているだけです。
しかし聞いていて、とても納得できることが多いのです。

もしかしたら経済のシステムや運動の形態が全く変わってくるのではないかと思ってしまうほどです。
ITが狭義の金銭経済に取り込まれているのが現状ですが、
逆に今の金銭原理主義、市場原理主義を打破するために使われたら、社会は様変わりするでしょう。
ホリエモンとは違ったタイプの若者が、早く出てきてほしいものです。

友野さんの話は今回で2回目ですが、着実に活動は進展しているようです。
ビジョンを持った活動はしっかりと進んでいくものだと改めて実感しました。

■「病院」という名称が間違いの始まり(2007年2月27日)
今週はさまざまな医療施設と関わったのですが、今日はその一つである国立病院の話です。
この病院には平均すれば週に1回は通っていますが、待ち時間が多いのです。
もちろん予約制度になっているのですが、1時間から2時間は普通です。
私だけではありません。
待合室は何となくよどんだ雰囲気で、みんな疲れたような顔をしています。
今回もそうでした。

なぜ待ち時間が多いのかは、様々な理由がありますが、要は良い意味でのマネジメントが不在だからです。
解決策はいくらでもあるでしょう。
しかし待ち時間の存在は決して悪いわけではありません。
病院のパラダイム転換を行えば、待ち時間こそが「治癒」時間にもなるのです。
その発想がないのは、病院が近代医学工場になっているからかもしれません。
こういうことを書き出したら切りがありません。

まだ私が会社に勤務していた30年前に、病院経営のテーマに取り組んだことがあります。
当時からの問題は、それなりに解決に向かっているように思いますが、とても大切なことが抜けてしまっているような気がします。

病院や医療に関しては、先々週予告したように、CWSプライベートのブログで、医療時評をまもなく開始しますが、
ここでは一つだけ今日考えたことを書きます。
それは「病院」という言葉です。
病院はホスピタルの訳語ですが、ホスピタルにはたぶん「病」という意味は含まれていないように思います。
ホテルやホスピタリティという言葉につながる言葉ですから、むしろ元気につながるように思います。

病院のミッションは何でしょうか。
病気の集まるところでしょうか。
元気を生み出すところでしょうか。
「病院」という言葉を見直すことが必要なのではないかと、今日、1時間待っている間に気がつきました。
人を疲れさせる空間が病気を治すはずがないと気づいたのです。
これは先々週の朝日ニュースターのテレビで話したことですが。
まあ、こんなことをこれからブログで少し書き出そうかと思っています。

■シニアコミュニケーションと団塊シニアプロジェクト(2007年2月28日)
シニアコミュニケーションという若い会社があります。
いまコムケア仲間で始めようとしている団塊シニアプロジェクトの関係で、
何回か接点を持って何か一緒にできないかと相談しています。
中心はプロジェクトリーダーの大川新人さんが相談していますが、私も一度お会いしました。
今回は2回目の相談です。

シニアコミュニケーションではすでに、ITネットワークを駆使して大勢のシニアのネットワークを構築しています。
しかしまだNPOとのネットワーキングは不十分なので、その分野での新しい仕組みを作ろうとされています。
こうした話は最近多いのですが、コムケアセンターは全国のシニア関連の活動実践者とネットワークしていますので、どこかに接点があるように思います。
ただ問題は、多くの会社が量を目指すのに対して、コムケアは表情の見えるつながりを大事にしたいと考えていることです。
その違いがバリアではなくシナジーにつながれば、面白い物語が始まるはずです。

友野さんとの話もそうですし、昨年も相談を受けた数社の人たちの話もそうですが、面白い芽はたくさん生まれだしています。
最近は大川さんが意欲的になっていますので、きっと何かが始まるでしょう。

ちなみに、大川さん編著の「団塊世代のミッションビジネス」(日本地域社会研究所)がまもなく出版されます。
見本誌を今日もらいましたが、読みやすく実践的です。
またブックのコーナーで紹介させてもらいますが、この本も材料にして、団塊シニアの共創型起業支援プロジェクトをスタートさせます。
一緒に取り組む人を探しています。
関心のある方は私にご連絡ください。
ぜひ一緒に新しい物語を育てていきたいと思います。
3月中旬にプレミーティングも予定されています。参加しませんか。

■母性の経営(2007年2月28日)
また不思議な人がやってきました。
今度はM&Aとアンマの組み合わせです。
コムケア仲間の宮部さんと菅野さんの紹介で、NPO国際チャリティ協会アムリタハートの伊藤芳朗さんが尋ねてきてくれました。

伊藤さんはバリバリのビジネスマンだったのですが、思うことあってインドに行き、アンマに出会ったようです。
アンマの話は、宮部さんから聞いていました。
宮部さんもまたアンマの活動に関わっているのです。
そのおかげで、コムケアセンターのスタッフになると宮部さんのお薦めでアンマのサンガ(集まり)に参加する人が多いのです。
不幸にして、私はまだ参加していませんが、宮部さんの話から疑似体験した気分になっています。
アンマの公式サイトをぜひご覧ください。

今年は5月に来日し、サットサンガを開催するそうです。
伊藤さんは、そのアンマに魅かれて活動に参加されているのです。
ところで、伊藤さんの経済的な意味での仕事はなんとM&A関係なのだそうです。
つまり企業の経営に深く関わる仕事です。
そうしたビジネスと愛の活動との関わりの中から、「母性の経営」というところに辿り着き、
これからは「母性の経営」の伝道をしていきたいと考えているようです。
私の理解ですから、たぶんかなり不正確な紹介ですが、まあそんな感じでしょうか。

宮部さんが、母性の経営の話が出た時に、宮部さんが「愛の経営」を語っている人がいるといって、私を紹介してくれたのです。
それで今日の出会いになったわけです。
もっとも私は「愛の経営」などといっているわけではありません。私は「経営は愛」だといっているのです。
宮部さんもまた、私と同じでアバウトな人ですので、まあこの程度の間違いはよくあることなのですが、
その間違いで今日の出会いが会ったとすれば、間違うことは決して悪いことではないのです。

ところで、今日は宮部さんも菅野さんも一緒だったのですが、
肝心の母性の経営論に入る前に、伊藤さんの仕事でもあるM&Aの話になってしまいました。
私が「M&Aも地に落ちましたね」などと挑発したためなのですが、そのおかげでとても示唆に富むお話を伊藤さんからもお聞きできました。
同時に伊藤さんの人柄も伝わってきました。

ビジネスの最先端で活躍している人たちの間で、何かが起こり出している。
そんな気がした出会いでした。
アンマにご関心がある方は、宮部さんにコンタクトするといろいろと相談に乗ってもらえます。きっと、いやたぶん。

■帯津良一さんのオーラ(2007年3月1日)
池袋の帯津三敬クリニックに女房と一緒に行きました。
今週、2つ目の医療機関です。
帯津さんは日本ホリスティック医学協会の会長です。

帯津さんに診てもらうと女房は元気になります。
近代医学の病院との違いは歴然としています。
空間があたたかく、来る人を元気にしてくれるのです。
帯津さんは白衣などは着ていません。今日はカジュアルなオープンシャツでした。

このクリニックは、決して人を疲れさせないのです。
書棚に清水博さんの「場と共創」という本も並んでいますが、場の意味を帯津さんたちはよくしっているのです。
工場ではないのです。
もう一つの違いは、昔ながらの触診や人間的なコミュニケーションがあるのです。

いま病院では「コミュニケーション」の問題が話題になっていますが、
そこで語られているコミュニケーションはおそらく工場でのコミュニケーション論議ですから、あまり役には経たないのです。
視点を間違えば、問題は決して解決はしません。
地域のことを知らないプランナーが立派なまちづくり計画を作り、まちづくりに取り組んで、地域を壊した事例は数知れませんが、
今の病院は、患者の表情や身体をしらずに、病気を治そうとする傾向が強くなってきているように思います。
病気は薬で治るかもしれませんが、病人はふれあいや愛で治るのです。

アンマは世界中の人を抱擁することで、世界を治そうとしています。
世界を壊す政治家と世界を治すアンマとの図式は、さまざまなところに見られます。
横道にそれてしまいましたが、伊藤さんとの会話は刺激的でした。
ちょうど伊藤さんに会う前に、日本経営道協会の役員会議に出席していましたので、市川覚峯さんのことを紹介しました。
経営とスピリチュアリティのつながりがいろいろなところで芽生えだしていますが、
伊藤さんの取り組みは体験的で目的的なので、これからの展開が楽しみです。

母性の経営に関して、伊藤さんに講演をお願いしたい人がいたらご連絡ください。
伊藤さんに頼んでみます。

■官足法の岡山至さんの感謝の生き方(2007年3月1日)
今週、3人目の不思議な人は岡山至さんです。
大分の竹沢孝子さんの紹介で、女房と一緒にお会いしました。
どこが不思議か。オーラで満ちているのです。
女房もですが、私も元気をもらいました。

大分の竹沢孝子さんも不思議な人なのですが、彼女からメールが届いたのが先週です。
私の女房のことを心配して、迷った挙句に岡山さんを紹介してくださったのです。
竹沢さんはそのメールで、私たちをしかりつけてきたのです。
病気のことで一喜一憂している限り、薄氷を踏む思いなどといっている限り、病気は治らないというのです。
全くその通り。頭では私たちもそう思ってはいるのです。

同じ時に、実は大阪の永井さんというコムケア仲間からもメールをもらいました。
ともかく「治る」といい続けなさいというのです。
竹沢さんも永井さんも私とは1度しか会っていませんし、女房とは会ったこともありません。
にもかかわらずのアドバイスです。守らなければいけません。
しかし、頭ではわかっていても辛いことが毎日起こる女房にはめげることも少なくありません。
それが伝わってくる私もまた、めげることもあります。
それではいけないと、竹沢さんはいうのです。
そして岡山さんに会うと良いと紹介してくださったのです。

お会いしました。
結論的には、とても元気になれました。
なぜ元気が出たかを書き出すとまた長い記事になりそうです。
いつかまた書く機会があるでしょうから、一つだけ書いておくにとどめます。
岡山さんは官足法という健康法の実践者です。

官足法というのは、血液をきれいにする足もみ健康法です。
今日も女房も私も少し施術してもらいました。
その施術が私たちを元気にしたのではありません。
岡山さんから伝わってくるオーラとドラマです。

岡山さんが大切にしているのは「感謝」です。
感謝の対象は個々人を超えた存在に対する感謝だろうと思います。
実は昨日お会いした伊藤さんともそうした話をしたのです。
宇宙に支えられて私たちは生きていることをどれほど意識できるか、感謝できるか。
それこそが根源なのかもしれません。
長くなったので、岡山さんの話はまた次に書きます。
まもなく再会できそうですので。

■環球協力社(GLI)の朱惠文さん(2007年3月2日)
環球協力社。聞きなれない言葉ですが、これはGlobal Links Initiativeの中国の呼び名です。
略してGLI。一度、紹介しましたが、本郷のインキュベーションハウスの仲間です。
そこの日本オフィスの朱さんから、GLIの運営に関して意見交換したいといわれながら、なかなかチャンスがなかったのですが、
漸く今日実現しました。いや、実現したかに見えただけだったのですが。

GLIは、「人と人をつなぐこと」を目的に活動しているNGOです。
今は中国と英国と日本にオフィスがあり、
全世界を対象に、社会起業家を中心にした実践者たちのネットワークを構築しつつあります。
組織をつなげるのではなく、人をつなげる。
これはコムケアセンターと同じなのです。
どこかで一緒に出来ることがあるはずだと思っているのですが、
私自身のエネルギーが今は不足していて、まだ具体的なコラボレーションは始まっていません。
しかし、オフィスをシェアしているので、朱さんたちもコムケア活動のことを何となく理解してくれているでしょうから、
まもなく何かが始まるでしょう。自然発生が私の理想なのです。

朱さんとゆっくり話すのは初めてです。
そこで朱さんの自己紹介が始まりました。
上海出身で6年前に来日。最初は中国の国際協力問題を学ぶ予定だったようです。
いまはICUの博士課程で学びながら、GLIのスタッフとして活動しているのです。
いまのテーマは市民社会論だというのです。
そこから話の流れが横道に入ってしまいました。

中国の市民社会論。興味があります。
1990年代に入り、中国ではコミュニティ政策が展開されだしたのだそうです。
どうも日本の1970年代のコミュニティ政策に似ています。
統治のためのコミュニティ作り政策です。
日本ではほぼ失敗したと思いますが、中国ではどうでしょうか。

そして2000年頃からは、ハーバーマスやハンナ・アレントが流行しているというのです。
面白い話です。
中国における公共空間や公共性とは何なのか。これもまた、実に興味があります。
そんな話をしているうちに、時間がなくなってしまったのです。
それでGLI運営の相談はまた後日になってしまいました。
GLIのことはぜひホームページを見てください
とても発展性のある活動です。

今回、時間切れになってしまったのは、次に約束していた日本構想学会の半田さんがやってきたからです。
しかしそのおかげで、お2人を引き合わせることができました。
GLIのIはInitiativeですが、日本構想学会の構想の英語訳もInitiativeなのです。
2人に接点がないはずがありません。
人と人をつなげるGLIの活動を、今日は代わりにしてしまいました。
何が創発されるのか、とても楽しみです。

■大学のユニバーサルデザイン化(2007年3月2日)
久しぶりに半田さんとゆっくりお話できました。
私と半田さんは、発想の起点と方法は、たぶん全く違うのですが、
どこかでつながっているような気がします。不思議です。

お互いに最近の話をしあったのですが、半田さんからまたとんでもない議論が出てきました。
すべての大学の単位取得のテストを標準化し、ベーシックなレベルをそろえた上で、
個々の大学の個性を育てていったらどうかという提案です。
これは半田さんの大学のユニバーサルデザイン構想の一部なのです。

皆さんはどう思いますか。

標準化なんてとんでもないと私は思いますが、半田さんの構想はそうした批判を踏まえながら、それを超えている内容なのです。
詳しくは半田さんから直接聞くといいです。
もし興味のある人が3人集まったら半田さんの時間のある時に、意見交換会を開いてもらうように頼みますので、ご連絡下さい。

いずれにしろ、大学はこのままでは(他の学校もそうですが)教育機関ではなくなっていくでしょう。
まあ、それが教育再生という取り組みの目的ですから、仕方がないのですが、日本の社会は際限もなく崩れて行きかねません。
ひどい人物を首相にしてしまった私
たち国民の自業自得ですが。

なんだか訳のわからない内容になってしまいましたが、半田さんがもしかしたら大学に関する新しい研究会をスタートさせるかもしれません。
もしそうなれば、私も片隅に参加させてもらおうと思います。断られない限りですが。

大学のユニバーサルデザイン化は面白いテーマです。

■ボランティアコーディネーター研究集会
(2007年3月3日)
全国ボランティアコーディネーター研究集会2007が、横浜で開催されました。
市民セクターよこはまの佐塚玲子さんから頼まれて、ついつい断れずに出かけました。
ビジネスは断れますが、ボランタリーな活動は断ることは難しいのです。
断れないボランティアって、不思議ですが、実際にやりだしてみるとそれがよくわかります。
もしかしたら、そこにこそこれからの社会のあり方を考えるヒントがありそうです。

佐塚さんに私を紹介したのは、どうやら松原優佳さんのようです。
松原さんはコムケアの始まりの頃にいろいろと応援してもらいました。
出産で活動を中断されていましたが、最近また復帰したようです。

今回の私の役割は「助成金をテーマにした分科会」にパネリストでした。
他のパネリストは横浜市南区社会福祉協議会の長尾克也さんと日下地域ケアプラザの沼佐代子さん。
コーディネーターは牧岡英夫さん(「共育ひろば」主宰)でした。
お金よりも人のつながりだと考えている私は、あんまり適任ではないと思っていたのですが、
みなさんと考えがとても共通していたので、ホッとしました。
5年前にこのテーマの集まりに行った時とは全く違っていました。
その時は、資金助成プログラムの関係者やNPO中間支援組織の人が多かったのですが、
私の発言は浮いてしまっていましたし、私自身、他の人の発言に嫌気がさして、
以来そういう集まりには出なかったのですが、時代は変わってきているようです。
とてもうれしい変化です。

ボランティアやNPOは、金銭至上主義の社会を変えていこうというものではないかと思うのですが、
そうであれば資金助成は両刃の剣のようなものです。
どうしたら資金助成を獲得できるかというような話になるのではないかと思っていましたが、完全に杞憂でした。
コーディネーターの牧岡さんの話もとても共感できましたし、長尾さんや沼さんの話も示唆に富んでいました。
沼さんが取り組んでいる子育てママの地域活動支援の紹介はまさに私が目指していることを見事にやった事例でした。
説得力がありました。この事例はぜひいつか紹介したいです。

議論のなかで、長尾さんがコミュニティファンドの話をしてくれました。
それを受けて、
今のままでは社会福祉協議会の存在意義はなくなっていく。
せっかく凄い資源をもっているのだから、そのネットワークで新しい「地域ファンド」を作る活動に取り組んでほしい

という話をさせてもらいました。
参加者には社会福祉協議会の人が多かったのです。
舌足らずで伝わらなかったかもしれませんが、
そうした新しい地域福祉の構想を出すことこそが、社会福祉協議会の役割ではないかと思います。
社会福祉協議会のこれからのあり方は、私の関心事の一つで、
一昨年も一度、コムケアサロンで話題にしたり、フォーラムでも取り上げてもらったりしましたが、その後は取り組めずにいます。

今日の分科会の内容の報告は省略しますが、全国各地で熱心に取り組んでいる人たちとまた何人か知り合えたのがうれしいです。

そういえば、隣の会場でコムケア仲間の若尾さんと長岡さんが講師をしていたようで、休み時間にお2人とも会えました。
おふたりの活動はいつかきちんと報告したいですが、社会福祉協議会問題も含めて、とても実践的な活動をされています。
それにしても長岡さんは神出鬼没で、いろいろなところでお会いします。
不思議な人です。

■牧岡さん大研究(2007年3月3日)
ボランティアコーディネーター研究集会のパネリストを引き受けた理由が、実はひとつだけあるのです。
コーディネーターが牧岡さんだったことです。
といっても、牧岡さんのことを知っていたわけではありません。
その名前に関心があったのです。

私の母は新潟の柏崎出身ですが、姓が牧岡です。
それでその名前に、もしかしたらつながりがあるのではないかと思ったわけです。
牧岡さんにご出身を尋ねたら、やはり柏崎につながっていました。
しかも牧岡さんの又従兄弟の方が牧岡家の大研究というホームページをつくっていました。

そこに柏崎の牧岡さんというコーナーがあり、読んでいったら私の母方の祖父の名前が出てきました。
叔父や従兄弟の名前も出ています。
平家の落人だったという話を母から聞いたことがありますが、そんな話も出ていました。

ちなみに父方のことを昔調べたことがありますが、これも結構面白かったのです。
土地の昔話につながっていたのです。
一時、ルーツという小説が話題になりましたが、祖先探しは面白いかもしれません。
父母が健在だった頃、きちんと聞いておけばよかったです。
私はそうしたことにあまり関心がなかったので、まともに聞いたことがありません。
今度、従兄弟に話を聞いてみようと思います。

(2007年2月第3週)
■南房総は花が満開です(2007年2月19〜20日)
■竹澤ベアの家族入り(2007年2月20日)
■三沢市の花いっぱい活動も満開です(2007年2月21〜22日)
■綾小路きみまろはきっと多くの人たちを元気にしています(2007年2月22日)
■ボランティアからNPO、そして起業家へ(2007年2月23日)
■全国コムケアフォーラムをどう開催するか(2007年2月23日)

■南房総は花が満開です(2007年2月19〜20日)
家族で南房総にドライブ旅行しました。
女房の体調が心配だったのですが、娘たちが同行してくれるというので、思い切って出かけることにしました。
九十九里浜を南下して鴨川シーワールドに行くのが1日目のコースです。
途中、誕生寺に寄ったりしていたため、着いたのが2時半でした。
近くのレストランで遅い昼食をとることにしましたが、
イタリアンが良いというので雑誌に載っていたイタリアンレストランキッズというお店に入りました。
南房総でイタリアンというのは、私にはあまり気が向きませんでしたが、
なぜか女性たちはイタリアンが好きなのです。
なんだか見たことのある雰囲気だなとみんなが言い出したのですが、
メニューを見て先週テレビの旅行番組で紹介されていた店だと気づきました。
お店の人の推薦もあって、テレビで出されていたメニューを私たち夫婦はついつい頼んでしまいました。
娘たちは違うものを頼みました。
どうもテレビに影響されやすいのはシニア世代なのかもしれません。
いや、私たち夫婦だけかもしれませんが。
鴨川シーワールドのイルカショーには間に合いませんでしたが、まあ何とか雰囲気は楽しめました。
ちょっと寒かったのでゆっくりできなかったのが残念でした。

夕食は宿への途中のお店に入りましたが、ここはとてもおいしかったです。
館山市外からちょっと離れた多津味というお店で、家族でやっているようなお店でした。
早かったせいか、お客様はあまりいなかったのですが、すぐに満席になりました。
ここもきっと評判の良いお店なのでしょう。

翌日は花三昧をする予定だったのですが、天気がよくなかったので、途中から道の駅三昧に切り替えました。
「三芳村」鄙の里では足湯がありました。
雨が降る寒い中をみんなで足湯につかりましたが、いささか奇妙な風景だったかもしれません。
今回は7つの道の駅を回りましたが、
もうひとつ面白みに欠けているのと、ホスピタリティマインドがそれほどないのとで、後半は退屈してしまいました。
しかし、久しぶりの2日旅行ができてよかったです。

■竹澤ベアの家族入り(2007年2月20日)
NPO法人カドリーベア・デン・イン・ジャパンの竹澤泰子さんから女房に手づくりベアが贈られてきました。
竹澤さんのことは以前も書きましたが、3年前に高崎で癒し系テディベアコンテストも開催し、私も参加しました。

ちなみに、このイベントに参加した記事をこのサイトで探したのですが、なぜか掲載されていません。
かなり印象的なイベントであり、いろいろな人との出会いもあったので、
書き残しているはずなのですが、記録されていません。不思議でなりません。
実はそうしたことが時々あるのです。
人間の記憶や記録は、かなりいい加減なことがよくわかります。

まあそれはともかく、また新たなベアがやってきたのです。
名前は「ふくちゃん」になりました。
わが家に「福」を呼び込んでくれる存在になってくれるでしょう。
竹澤さんたちは、テディベアを活かしたさまざまな活動をしています。
今回もこんなことが書かれていました。

4月から前橋市教育委員会の肝入りで市内全小学校の各クラスにベアを1体ずつおき、悩み相談箱の番人にとのご指名がありました。
700体の抜け殻(ベアのセット)作製にメンバーは燃えています。

コムケア活動から始まったお付き合いと物語の広がりに、いつもとても元気づけられます。

■三沢市の花いっぱい活動も満開です(2007年2月21〜22日)
青森県の三沢市に来ました。雪が全くありませんし、暖かです。
三沢市の「花と緑のまちづくり活動」のアドバイザー役を、玉野さんと荻原さんと一緒に引き受けているのですが、
その活動成果を発表しようということで、住民たちが手作りで公開フォーラムを企画したのです。

ブログにも書きましたが、最初は行政依存志向が強かった住民たちが、
4回の委員会活動を通して大きく変わったのが大きな成果です。
美野里町の文化センタープロジェクトを思い出しました。

前日の打ち合わせの後、有志の人たちと会食をしました。
実に面白い話題が次々と出てきます。
地方には本当に文化があり、実践者がたくさんいます。

22日は春のような暖かな日になりました。
どのくらいの人がフォーラムに参加するか気になっていましたが、
予定の140人を大幅に超えて、慌てて椅子を用意するような状況でした。
主催は三沢市花と緑のまちづくりり推進委員会です。
受付も案内も司会も、すべて住民たちです。
もちろん背後には、田面木るり子さんをはじめとした、市役所のまちづくり対策室のメンバーの応援があったのですが、
住民のみなさんの生き生きした顔がとても印象的でした。
意見交換などで本当に意見が出てくるのだろうかという心配もあって、
全体の話し合いのセッションのファシリテーター役を頼まれていたのですが、
それを引き受けたのを後悔したくらい、話し合いは盛り上がりました。
住民の発表も具体的で主体的な内容で、とてもよかったです。

最後にアドバイザー3人が少しずつ話をしました。
荻原さんは公園作りの事例紹介を、玉野さんは町内会の意義をとても具体的に話してくれました。
私は「協働のまちづくり」の話をしました。
このプロジェクトは「協働のまちづくり事業」として取り組んできたからです。
「協働」の動きに批判的な私としては、少し皮肉な役回りですが、
三沢市で始まりだしている協働はとてもすばらしいです。
それは単なる「行政と住民との協働」ではなく、
その基本に「住民同士の協働」があり、さらに企業も巻き込んだ「行政・企業・住民の協働」が育ち始めているからです。
これまで3回にわたり、少しずつ「まちづくりの主役は住民」というメッセージを出してきましたが、
今回はそれがうまく皆さんの腹におさまったようで、手応えがありました。
美野里町のような発展が期待できそうです。
三沢に3回通った甲斐がありました。
これからの展開がとても楽しみです。

フォーラムの様子が三沢市のホームページに掲載されています

いつか花好きの女房と一緒に三沢を訪問できればと思っています。
10月以来、初めての宿泊出張でした。

■綾小路きみまろはきっと多くの人たちを元気にしています(2007年2月22日)
インキュベーションハウスの菅野弘達さんから女房に意外なプレゼントが届きました。
綾小路きみまろのDVDです。
笑いこそ最高の薬といわれますが、思い切り笑って元気になってくださいという心遣いが伝わってきて、
女房ともどもすぐに見せてもらいました。
人生の機微を知っているものであればこその、
そしてきみまろの苦労を知っていればこその笑いが込められています。
こういうパーソナリティが私は大好きです。

実は我が家は女房の病気以来、笑える番組はできるだけ見るようにしています。
菅野さんがいうように、笑いは元気の素です。
笑いで、福とツキを呼び込んでください、というのが菅野さんからのメッセージです。
そんなわけで、菅野さんのプレゼントにはもう一つおまけがついていました。
「ツイてる!」という本です。
菅野さんらしいメッセージとスタイルに女房は感激していました。
私も、菅野さんのプレゼントのおこぼれをもらって、
福とツキをもらえそうです。

最近の女房への知人友人からのメッセージは、一緒に読ませてもらっていますが、世の中には本当に良い人ばかりです。
それなのに、どうしておかしな事件が起きたり、戦争が起こったりするのでしょうか。
それが不思議でなりません。

■ボランティアからNPO、そして起業家へ(2007年2月23日)
全国マイケアプラン・ネットワークの井出さんがテレビで事業型NPOのフローレンスの活動を知って、
急にアントレプレナーシップに目覚めてしまいました。
それで事業化したいといって、島村八重子さんと一緒に相談にやってきました。

フローレンスも全国マイケアプラン・ネットワークも、いずれも最初の頃にコムケアが支援したグループです。
しかし、その後の展開は見事に対照的です。
一方は事業性を主軸にし、一方は運動性を主軸にしたのです。
そのそれぞれが見事に成功している事例だと思います。

もっとも継続的な事業活動としては、フローレンスの見事さに比べてマイケアのほうはいささか頼りないところがあります。
だからこそ、私のところに相談に来るわけですが
(だいたいにおいて私のところに相談に来る人たちはこういう頼りない活動展開をしている人が多いのです)、
私の主観的な判断基準では、実はいわゆる「頼りない活動」のほうこそが、これからの中心になっていくだろうと考えています。
期待しているといったほうがいいでしょうか。
時代の変わり目には、頼りない活動の中にこそ真実があるというのが私の考えなのです。

安直に事業化して、安直に組織化して、安直に埋没しないように、そんな話を2時間近くしてしまいました。
井出さんたちが納得したかどうかは心配ですが、きっと面白い展開が始まるのではないかと思います。

■全国コムケアフォーラムをどう開催するか(2007年2月23日)
コムケア活動は現在、各地でフォーラムなどが展開されだしていますが、私自身はなかなか参加できずにいます。
今春にはこれまでの活動の総括もかねて、全国フォーラムを開催することになったのですが、なかなか準備が進みません。
今日は2回目の打ち合わせです。

久しぶりに全国マイケアプラン・ネットワークの島村さんが参加してくれました。
急なお誘いだったので、残念ながらそれ以外の方々は参加できませんでした。
それにしてもみんな忙しいようです。

橋本さんが今回は実行委員長なのですが、大枠を決めてくれました。
「コムケアって?コムケアを理解する・感じる。そしてコムケアを使い込むことを感じる」
というような内容で、ここから始まるいろいろな可能性をみんなで感じようというのが、今回のフォーラムの目的のようです。
キーワードは「感じる」でしょうか。
4月22日の日曜日を予定しています。
コムケアのお祭りのようなものに出来ればと思っています。
現在、ボランティアスタッフを募集中です。
コムケアに関わったことの有無を問わず、面白いイベントを一緒にやる仲間を募集しています。
参加してくれませんか。

(2007年2月第2週)
暖かな、そして温かな気候に感謝しています。
今週は久しぶりのことがたくさんありました。そのいくつかを書きました。
■市民社会をつくるボランタリーフォーラム(2007年2月11日)
■近隣シニア3人でコーヒーを飲みました(2007年2月12日)
■久しぶりの共済を考える研究会(2007年2月13日)
■久しぶりの福西七重さん(2007年2月14日)
■久しぶりの京都老松の和菓子と連の濱崎加奈子さん(2007年2月14日)
■家族も喜ぶ企業(2007年2月15日)
■下山浩一さんとのアート論(2007年2月15日)
■アミネ事件の結末(2007年2月15日)
■5か月ぶりの百貨店(2007年2月16日)
■病院のユニバーサルデザイン(2007年2月17日)

■市民社会をつくるボランタリーフォーラム(2007年2月11日)
久しぶりにボランティア関係の集まりに参加させてもらいました。
東京ボランティア・市民活動センターの「市民社会をつくるボランタリーフォーラム2007TOKYO」です。
「第二の人生 定年を迎える人のためのボランティア・市民活動、コミュニティビジネス入門編」のパネリストとしての参加です。

私自身は、こういう集まりが好きではありませんので、自分からは参加したことはありませんが、
今回は調布市市民活動支援センターの小林祐子さんからのお誘いなので、参加させてもらいました。
小林さんとは2年ほど前の、同じような会でお会いしたのです。
人のつながりでのお誘いには断れないのが私の弱みなのです。
そこでの話の一部はブログに書きました。

今回のコーディネーターは富士福祉事業団の枝見太朗さん。
もう一人のパネリストは太田想三でした。
私と同い年で、まだ企業にお勤めですが、その傍ら、地域活動やNPO活動を楽しんでいる方です。
そのお話しぶりから、楽しまれているのがよくわかります。
こうしたシニア世代が少しずつですが、増えてきていますから、
行政などがよけいな世話お世話をしないほうがいいように思います。
終了後、太田さんと話したかったのですが、いろいろな人がやってきたため、話せないまま別れてしまったのが心残りです。

何人かの方が私の話に関心をもってくれましたが、
話していていつも思うのは、さまざまな活動が各地で行われているのに、それらが意外と学びあえていないことです。
私の反省も含めてですが、こうした活動のコーディネーターや講演者の世界をもっと広げていくことが大切です。
この世界自身が未成熟なこともあって、あまりにもアマチュアが多すぎます。
私もそうなのでしょうが。

会場でコミュニティアート・ふなばしの蔵本さんに会いました。
今回の事務局役の海老根奈美さんにも、紹介者の小林さんにもお会いしました。
こうした若い人たちが中心になって、もっとアクティブなネットワークができないものかということも、いつも思います。
NPOの世界は大きく変革していかないといけないという思いはますます強くなっています。
まあ、現在のNPO支援組織が嫌いなことから来る、私のひがみ願望かもしれません。

■近隣シニア3人でコーヒーを飲みました(2007年2月12日)
自治会で防犯マップをつくることを口実に、3人の男性メンバーで会いました。
近くの小酒さんと寺内さんです。
全員だとどうも話が広がらないので、今回はシニア3人組での集まりにしました。
近隣なのですが、なかなか雑談をすることがありません。
話していると、それぞれの仕事や関心事も見えてきます。
こうした輪を少しずつ広げていこうかということになりました。

■久しぶりの共済を考える研究会(2007年2月13日)
久しぶりに佐々木憲文さんたちの研究会に参加させてもらいました。
前回は2000年でしたから、もう7年以上前です。
協同組合や共済がテーマの研究会です。
前回はNPOという名称よりもSPO(Social Profit Organization)と呼ぶのがいいのではないかと話したのですが、
それに佐々木さんは共感してくれました。
今回もそうしたことをと言われたのですが、なんだか違うことを話してしまいました。

この会はもう7年以上続いているわけですが、3年でやめてしまうタイプの私としては見習わなければいけません。
参加させていただいたおかげで、教職員共済や自治労共済などの人たちとお会いできました。
それぞれの思いを少し垣間見ました。

大きな意味での共済問題を気楽に考える公開フォーラムを開催できないかという気がしました。
時代はまさに「共済」の仕組みを求めているように思うのですが、
現実はそれと反対に、個々人をばらばらにする福祉や管理の方向に向いているように思います。
共済の仕組みは産業の仕組みにはきっと合わないのでしょう。
それに抗していかないと社会はますます壊れるように思います。
誰が悪いのではないままの解体なので、手の施しようがなくなるような気がします。
いろいろと話しているうちに、10時を回ってしまいました。

女房が体調を崩して以来の、初めての夜の集まりへの参加でした。

■久しぶりの福西七重さん(2007年2月14日)
久しぶりに福西七重さんに会いました。もう10年ぶりくらいでしょうか。
福西さんはリクルートの社内誌「かもめ」の編集長でしたが、
いまはナナ・コーポレート・コミュニケーションの社長です。
社内誌の世界では第一人者ですが、その他にも雑誌や出版など、活動の世界は広がっています。
最近は広報サロンも始めていますが、さらにサロンの輪を広げたいようです。

私も一時期、社内誌には大きな関心を持っていました。
企業文化を変革していくためには、社内誌の役割はきわめて大きいからです。
残念ながらそうした認識は多くの経営者は持っていません。
移り気なのと時間不足で、残念ながら取り組む機会がありませんでした。
せいぜい小論を書く程度に終わっています。

福西さんとは長いお付き合いなのですが、久しぶりに会っても久しぶりの気がしません。
人のつながりは、決して時間や会う頻度ではないと思います。

今回は手がたりの会の田辺さん、星野さん、三浦さんと一緒に福西さんを訪問しました。
手がたりの会の活動が、企業の新しい福利厚生制度のモデルになるばかりではなく、
企業変革にもつながっていくのではないかと考えたからです。
田辺さんもそう考えています。
田辺さんたちの福西さんへの説明を聞いていて、そのことを改めて確信しました。
福西さんも共感してくれ、応援を約束してくれました。
手がたりの活動はますます面白くなりそうです。

その時に盲ろう者の星野さんから聞いた話が面白かったので、ブログに書きました。

■久しぶりの京都老松の和菓子と連の濱崎加奈子さん(2007年2月14日)
久しぶりに老松の和菓子を食べさせてもらいました。
送ってくれたのは、日本の伝統文化にこめられた知恵を現代に生かす方法を提案する「連 REN」の代表の濱崎加奈子さんです。
濱崎さんとも久しぶりですが、老松の和菓子も久しぶりです。

濱崎さんとの出会いは2001年でした。
当時、彼女は東京大学大学院総合文化研究科(表象文化論専攻)の学生でしたが、
もう一人の友人と「伝統の知恵ネットワーク」を立ち上げ、日本の伝統文化とコミュニティの関係に取り組んでいました。
当時、私は「大きな福祉」の考えにたどりついた頃でしたが、
彼女が関心を持っているお祭りのなかに、大きな福祉のヒントがあるのではないかと考え、
コムケア活動の中で彼女たちの活動をささやかに支援させてもらいました。

その活動の発表会も兼ねて、2002年、東大の駒場で「耳で食べる・時を聞く」というシンポジウムを開催、
駒場のキャンパスでちょっと変わったお茶会が出現したのです。
私も女房と一緒に参加させてもらいましたが、
そこでのパネルディスカッションで、西表島の染色家の石松昭子さんと京都老松の太田達さんとご一緒させてもらったのです。
記録も残っていますが、私には印象深いシンポジウムでした。

その時、太田さんの自作の和菓子がとても美味しかったのですが、
その時のことを濱崎さんも覚えていて、太田さんの新作和菓子を送ってきてくれたのです。
濱崎さんの活動はぜひ連のホームページを見てください。
太田さんも執筆していますが、実に興味深い内容です。
いま、また濱崎さんとはインキュベーションハウスを通じて、ある活動のコラボレーションが始まりだしていますが、
濱崎さんが手紙の最後にこう書いてくれてきました。

数年を経てこうしてコラボレーションできる力が、コムケアだなあと、頼もしく感じています。

こういう言葉をもらうと、やはりコムケアの活動を続けたくなります。
4月にはコムケアの同窓会的な集まりも計画していますが、
コムケアに関わって生まれた物語を話してもらえるかと何人かの人にメールしたら、
無条件に協力するという、これまた実にうれしい返事が来ました。
無条件。
元気が出ます。

連のホームページに濱崎さんはこう書いています。

日本人であるという「根っこ」を見失いがちな時代にあって、
「伝統」をテーマに「日本」との「つながり」を、それぞれの内部にふたたび呼び戻し、
過去から現在、明日へ・・とつながっていく。
そんな社会を、ともに考え、共有し、実現することを目指しています。

これもコムケアの思いと共通しています。

■家族も喜ぶ企業(2007年2月15日)
経営道フォーラムの40期の活動が進んでいます。
あまりコンタクトがないので、いささか心配していましたが、チームのひとつからディスカッションの申し出がありました。
テーマは「家族が喜ぶ企業像」です。

顧客満足から従業員満足へと、経営の関心が移ってきていますが、
その先に家族満足があるのではないかというのが議論の出発点です。
家族が満足していればこそ、従業員は一生懸命に働けるというわけです。

問題は、家族の満足とは一体何かです。
その発想にはとても共感できますし、
考える過程で、メンバーが自らの家庭で企業の話をする機会が増えれば、それだけでも価値があると思います。
一見、企業経営とは無縁なようなテーマですが、これからの企業や社会を考える、重要な示唆が得られるはずです。
これからの展開が楽しみです。

■下山浩一さんとのアート論(2007年2月15日)
久しぶりに刺激的な、しかし極めてアバウトな議論を、
コミュニティアート・ふなばしの代表の下山さんとさせてもらいました。
下山さんとはこの数日連絡がとれなかったのですが、アジアダンス会議なるイベントで数日間、缶詰になっていたようです。
そこでの体験を下山さんが話してくれたのですが、それがきっかけでアートの話になったのです。
会議の様子は下山さんの鳩の目日記を読んでください。

下山さんが言うには、最近のダンスは、日常の仕草がそのままダンスの構成要素になっているというのです。
そして少人数でコラボレーションするような公演が増えてきているというのです。
かなり気楽に聞いていたので、勘違いしているかもしれません。

下山さんと話していて、なぜか思い出したのが「反半進歩主義」です。
私は歴史の流れの常識を逆流させて考えることが多いのです。
豊かな文化の石器時代から貧しい文化の現代。
世界が一体化して個人の活動範囲が広かった古代から世界が分断されて活動範囲も狭くなった現代。
そして、暮らしがアートそのものだった時代から、アートが暮らしから切り離されて死んでいった現代。
たとえば、こうした見方が私の歴史観なのです。

まあ、そんな話を下山さんとしたのですが、
下山さんはなぜか最近、エンディングをテーマにフォーラムをやりたいといっているのです。
アートとエンディング。面白いテーマです。
いろいろと話したのですが、あまりに面白かったので中身は忘れてしまいました。

しかし帰り際に実に魅力的なテーマがでてきました。
美術館構想です。
実は下山さんに会う直前に、柏市市民活動支援センターの松清さんのところに寄ったのですが、
そこでまちを会場にしたイベントの話がでました。

空間に閉じ込めた美術館の時代はそろそろ終わりにしたいものです。
地域と未来に開かれた美術館プロジェクト。
そんなプロジェクトを下山さんに起こしてもらいたいと思っています。
さてどうなるでしょうか。

■アミネ事件の結末(2007年2月15日)
このホームページでご紹介して署名もお願いしていたアミネ問題がとりあえず決着しました。
私にはとても不満な結果ですが、まあ最悪の事態は避けられたかもしれません。

最近のブログにも書きましたが、この記事へのアクセスはとても多くて、関心の高さを知りました。
アミネ一家をはじめとした非正規滞在外国人を支援しているAPFSから、

18歳の少女の将来を壊さずにすんで、とりあえずホッとしています。
とはいえ、こうした家族はいまだ数多くあります。
微力ではありますが、帰る場所を失った非正規滞在者のために活動を続けていきたいと思います。


というメールが届きました。
この事件は氷山の一角でしかありません。
そこに含意されていることを私たちはもっと真剣に考えるべきです。
ブログにも書きましたが、これはまさに私たちの生活に直結しているのです。
その想像力が今の社会から欠落してきていることをとても哀しく思っています。

■5か月ぶりの百貨店(2007年2月16日)
今日の久しぶりは、女房と柏の高島屋に行ったことです。
女房の体調が悪化してから初めてのデパートショッピングです。
といっても買うものは決まってのショッピングなのですが、女房が自分で行きたいと言い出したのです。
女房は毎週近くのクリニックに、点滴に通っていますが、先生から「佐藤さんは気丈だね」と言われたそうです。
夫である私が言うのもなんですが、私もそう思います。私に比べれば格段に気丈です。
もっともそうでない部分もたくさん見ていますが。
その女房の希望であれば、同行しないわけには行きません。

1時間程度のショッピングができました。
カフェで少し休んでゆっくりしようかと思いましたが、
彼女はまだあまり飲み物が飲めないので、スタンドで生ジュースを2人で一杯飲んだだけで終わりました。
帰りにサンジェルマンでパンを買いました。
ここのパンの耳でつくるピザが最近の女房の朝食なのです。
普通のパンは食べると気分が悪くなるそうですが、サンジェルマンのパンの耳で作るピザは大丈夫なのだそうです。
ちなみにパンの耳は無料です。

我が家の暮らしはとても質素なのです。
質素でも不幸でも、充分に幸せは実現できるのです。

久しぶりの女房とのショッピングは、私にとってはとてもうれしいことでした。
ちなみにショッピングの一つは男性用のエプロンでした。はい。

■病院のユニバーサルデザイン(2007年2月17日)
久しぶりに朝日ニュースターのばばこういちさんの番組に出演しました。
1年ぶりでしょうか。
実はばばさんが昨年入院したことは知っていたのですが、まだ退院していないことを今日、知りました。
2か月を超える入院です。
その入院を通して、病院のユニバーサルデザインについていろいろと考えが高まり、それをテーマにしようということになったのです。
今日は病院を抜け出してのテレビ出演です。
ばばさんらしいです。

出演の打診があった時にはお断りするつもりだったのですが、テーマを知って出演させてもらうことにしました。
ただこのテーマは中途半端に話すと表層的な菜愛用になりかねないなと少し心配だったのですが。

番組は、ばばさんがメインキャスターの1時間半の生番組「よみがえれニッポン」です。
今回のゲストは、ばばさんが入院されていた東京都済生会中央病院院長の高木誠さんです。
高木さんのお話はとてもわかりやすかったです。
この番組は視聴者参加番組ですが、視聴者からの意見はいずれも共感できるものでした。

病院の問題はいまや社会の問題として共有化され、その解決の方向も明確になっているのです。
あとはやるかやらないかだけの話ですが、
この分野もNPOの世界と同じく、アマチュアリズムが横行しているように思います。
学校もそうですが、参加者が情報的に、あるいは権力的に、垂直構造になっている社会は
ある資格さえ手に入れたらアマチュアでも役割が果たせますから、組織文化は帰られなくなりがちなのです。
それを変えていくには、開かれた広がりの中で、現場の人が中心にってのコモンズ空間を創出していくことだろうと思います。

今回はあまり時間がなくて問題を掘り下げるところまで行きませんでしたが、こうした場がもっと増えていくことを期待したいです。
生活者の目で病院や医療の問題を考えるヒポクラテスの会は、私の個人事情もあって開店休業中ですが、
やはりまた動き出さなければいけないと思いました。

会場で久しぶりにばばさんの奥さんに会いました。
奥さんも大病をされたのですが、以前とまったく同じく、溌剌としたお元気さでした。
「久しぶり」といえば、朝日ニュースターのスタジオが原宿に移転したので、原宿を久しぶりに歩きました。
若者たちでごった返していますが、歩きながらこれは縁日空間だなと思いました。
明らかな偽物で着飾った縁日は私には懐かしく魅力的な空間ですが、
ここに集まっている若者たちは、この装置を偽物だと認識しているだろうかと少し疑問になりました。
彼らはもう本物の世界から抜け出てしまっているのかもしれません。
もう少し考えてみたいテーマです。

ところで、最近、CWSプライベートのカテゴリーを整理したのですが、
新たに医療時評を新設しようかと思い出しました。
再来週から書き出そうと思います。

(2007年2月第1週)
平安と不安と、期待と失望と、そんな対極にあるものが、
盛りだくさんに体験できた週でした。
まあ、最近はこうした暮らしにもなれてきましたが。
今週は簡単な報告です。
■女房の誕生日(2007年2月4日)
■患者と医師とのコミュニケーション(2007年2月7日)
■コムケアを支えてくれる人たち(2007年2月9日)

■女房の誕生日(2007年2月4日)
女房の誕生日です。
家族で食事に出かける予定だったのですが、
女房の体調の関係で、自宅でケーキだけのお祝いになりました。
家族は誰一人プレゼントを用意していなかったのですが、
素晴らしい花束が、彼女の友人から届きました。
最近の我が家は花で一杯なのです。
夕方には近くの友人が、またプレゼントと花を届けてくれました。
そうした花のせいか、夕方には女房の体調も直り、元気が戻ってきました。
花療法というのもありそうですね。
来年は私も花を用意しようと思います。

■患者と医師とのコミュニケーション(2007年2月7日)
今週の前半は女房の病院に同行していました。
3人の医師にお世話になっているのですが、毎週のように通っているといろいろと気づくことがあります。
たくさんの気づきがありますので、ブログで医療時評のようなものを書きたいと思いますが、なかなかそこまでは踏み切れません。
生徒の親が学校時評を書きにくいのと同じです。

その病院から「患者と医師のコミュニケーションに関するアンケート調査」が来ました。
回答者は患者である女房ですが、昨年に続く2回目の調査です。
その設問を読ませてもらいましたが、よく考えられています。
とても良い病院です。
しかし、それにもかかわらず、発想の起点が病院なのです。
アンケート調査は設問によって、答は全く変わってきます。
患者の視点での設問にしてほしいと思いました。
しかし、こうした取り組みがされていることは患者としてはとてもうれしいことです。

■コムケアを支えてくれる人たち(2007年2月9日)
5年間積み上げてきたコムケア活動をこれからどうして行くかは、悩ましい問題です。
いろいろ考えてはいるのですが、踏み出せずにいます。
話が広がりそうな心配もあるからです。
それを心配して、いろいろな人が動き出してくれています。
今週はインキュベーションハウスの菅野さんや宮部さん、それにコムケアセンターの橋本さんと話しあうことができました。団塊シニアのプロジェクトもコムケアの発展プログラムにもなりそうですので、大川さんとも話をしました。田辺大さんからもたくさんの元気をもらいました。
みんないろいろと考えてくれています。
肝心の私が動き出せずにいるのです。
歳のせいかもしれません。
でも少しずつ4月以降の進め方が整理されてきました。
女房に劣らず、私もとても友人知人に恵まれていることをうれしく思います。


(2007年1月第5週)
千葉は暖冬です。
■オープンサロンのその後(2007年1月29日)
■般若心経(2007年1月28日)
■日本経営道協会の市川覚峯さん(2007年1月29日)
■団塊世代プロジェクトは少しずつ前進しています(2007年1月29日)
■日本経営道協会執行理事会(2007年1月31日)
■福岡市の玉井輝大さんがまた動き出しました(2007年2月2日)
■例年と違う節分(2007年2月3日)

■オープンサロンのその後(2007年1月28日)
先週のオープンサロンは私が帰った後、人はこなかったのですが、
私がオフィスを出たそのわずか5分後に宅急便で花が届いたのです。
不在だったので受け取れませんでした。
その花が少し寄道をして私の自宅に届きました。
オープンサロンに参加したいといっていた森田朋子さんが、
出張で参加できなくなったというので、トルコキキョウを贈ってくれたのです。
トルコキキョウの花言葉は「希望」だそうです。
私の年始のメッセージを読んでくれていたのです。
5分の差でオフィスには届かなかったのですが、そのおかげで自宅に転送してくれました。
最近、あまりオフィスにはいけないので、ちょうど良かったです。

私もそうですが、わが家族は花が大好きです。
季節柄、さすがに庭の花は寂しいですが、室内にはいろいろの花が咲いています。
その一つが山形の啓翁桜です。
女房がやっている花かご会のメンバーの一人が山形から取り寄せてくれたのだそうです。
いま玄関先で満開になっています。
今年は1月から桜を楽しませてもらいました。

早咲きの桜といえば、伊豆の河津桜ですが、 まだ小さいですが、鉢植えの河津桜もあります。
まだ咲くまでにはいたっていませんが、つぼみがだいぶ大きくなりました。
来週は咲くでしょう。
室内では大きなカサブランカが咲いています。
女房の花好きを知っている彼女の友人たちがいろいろと花を届けてくれるのですが、
私もそれを楽しませてもらっています。

オープンサロンの話が花の話になってしまいましたが、
オープンサロンへの反応もありました。
このサイトのフォーラムにも向阪さんが投稿してくれています。
またやらないのかというメールも3人からありましたが、今のところ予定はありません。
オープンサロンの時代は終わったのかもしれません。
さて今度はどんなサロンを始めましょうか。楽しみです。

■般若心経(2007年1月28日)
最近、寝る前に般若心経を唱えることにしました。
般若心経の解説書は学生の頃から何回か読んでいますが、
いつも頭で読んでいますので、すぐに忘れてしまいます。
生半可な知識は身につきません。
それで、女房に付き合うことにしました。
お手本がないと読経しにくいので、市川覚峯さんにお願いしたのですが、
なんとわざわざ長野の大法寺にまで行ってくださり、
その十一面観世音の前で気を込めて祈祷してくださったテープを送っていただきました。

なぜ十一面観音に祈っていただいたのでしょうか。
不思議な縁を感じました。
市川さんにはお話していませんでしたが、女房の実家が滋賀県の高月町なのです。
高月には有名な渡岸寺の十一面観音がいます。
村人たちによって守られてきましたが、井上靖が絶賛したことで有名になりました。
しかも、高月町は「かんのんの里」と自称しているくらい、周辺には観音像がたくさん残されています。

長野県の大法寺は、私は知りませんでしたが、ネットで調べてみたら素晴らしい三重塔があります。
塔には、私はとても興味があるのですが、その美しさは写真で見ても伝わってきます。
残念ながら十一面観音像の写真はいくら探しても見つかりませんでした。
ただ身長が171cmです。私と同じです。
まあ、どうでもいいことですが、こういうことが奇妙に気になるのです。

ところで、市川導師の般若心経ですが、これがとても心に響くのです。
何回かリズムと音調を変えて吹き込んでくれました。
最後には光明真言も念を込めて唱えてくださっています。
不思議なもので、テープなのですが、とても平安をもたらしてくれるのです。
父を亡くしてから、母が毎日読経していたのを聞いていましたが、一度も一緒に読経したことがありませんでした。
当時はどうも読経することに抵抗があったのです。歳のせいか、状況のせいか、最近は抵抗がなくなりました。
女房がそれを喜んでいます。
母が健在だった頃、一緒に読経すればよかったと後悔しています。

昔は後悔など私には無縁なものだったのですが、最近は後悔することが多くなりました。
人生が残り少なくなったからでしょうか。
みなさんも「後悔」を残しませんように。
「後悔」は健康によくありませんから。

■日本経営道協会の市川覚峯さん(2007年1月29日)
昨日話題にした般若心経の読経者、市川さんにお会いしました。
悟りに達しない限り、人はみないろいろな問題を抱えています。
そして、人は悟りには達せない存在なのです。
般若心経のお返しが、私でもできることがあるかもしれません。

市川さんは、これまで何回か書きましたが、日本の企業経営者に経営道を広めることをライフワークにしています。
そのために1200日にわたるハードな行を、比叡山、高野山、大峰山で行ってきました。
その行は半端ではなく、その世界の人たちにさえ感心されたものです。
私は3回、現場に行きましたので、そのことを実感しています。

しかし、その行にもかかわらず、市川さんの思いはなかなか広がりません。
企業の経済至上主義の動きはますます強まり、企業不祥事は相変わらず続発しています。
不二家が企業刷新に本気で取り組むのであれば、これまでのパラダイムを根本から見直す必要があります。
もしそうであれば、市川さんのような人にこそ、変革を託すべきです。
いまの企業社会の真っ只中にいる人では、新しい企業文化は創出できないでしょう。

市川さんとは20年の付き合いですが、
市川さんを通して、私は日本の企業社会の変質とそこに集まっている人たちの実態をいろいろと学ばせてもらってきました。
その市川さんも60歳です。
その志が実現するように、何ができるかを考えたいと思います。

■団塊世代プロジェクトは少しずつ前進しています(2007年1月29日)
2007年問題を契機に社会は進化するのではないか。
これが私の期待なのですが、そうした動きに少しはかかわっていければという思いもあって、
団塊シニアの社会活動支援プロジェクトを起こしたいと思っています。
しかし、今の私の状況は、なかなかそれを可能にしにくいですので、
誰かを主役にして、私はそのサポーターになろうと、いささか不純な思いを持っています。
それでまずは大川新人さんとチームを組んで、動き出しています。

すでに一つのプログラムを進めているところですが、
また新しいプログラム(まあ似ているのですが)を始めることにしました。
今日は、その基本構想を議論しました。
定年退職する団塊シニアと社会活動のマッチングプログラムの開発です。
大川さんが基本構想をしているのですが、どうも話が現実的過ぎます。

現実的な構想は一番非現実的である、
という信念を持っている私としては、いささかの不満はありますが、
今のところ、私にはあまりエネルギーがないので大川構想に従わざるを得ません。困ったものです。
しかし、この問題は実に面白いテーマです。
少しずつですが、前進していますので、もう少ししたら具体的に発表できると思います。
その時にはぜひ応援してください。

■日本経営道協会執行理事会(2007年1月31日)
今日は市川さんの活動を継承することをめざす、新生日本経営道協会の執行理事会です。
私は執行理事ではないのですが、アドバイザー約として時々参加させてもらうようにしています。
メンバーの多くは志の高い経営者です。
わざわざ地方からも、このためにやってくるメンバーもいます。
こうした若い企業経営者が増えてきています。
大企業の経営者にも、この運動が広がればいいと思います。

市川さんがこれまで苦労して構築してきた経営資源、
つまり理念とネットワーク資源とバリューを活かして、
執行理事たちがどのような新しい運動を広げていくか、とても楽しみです。

■福岡市の玉井輝大さんがまた動き出しました(2007年2月2日)
以前、福岡市の市長選に出馬しようとした玉井さんは、
その時には票を分散させないことを重視して立候補を取りやめましたが、
また 活動を開始しました。
玉井さんが目指すのは、「心地よい時間の流れるまちづくり」です。
玉井さんからこんなメールが届きました。

口先だけで「福岡から新しい時代を」などと言うだけではもう空しく、
実際の政治的行動を起こすことを決意しました。

玉井さんらしい決断です。
そして、あいさつと考えをまとめたパンフレットデータが添付され、次のような依頼がありました。

貼付いたししました3つのファイルとともに、
5人(もちろんそれ以上でも結構でございます)ぐらいのお友達に、
このメールを転送していただけないでしょうか?
そうして、また、転送先のお友達にも5人のお友達のメールを転送していただくようにお願いしていただけると幸いです。
「新しい時代」に即した運動を試してみたいと思っております。
よろしくご参加のほどお願いいたします。

玉井さんのあいさつ文やパンフレットデータは玉井さんのホームページに掲載されています。
福岡界隈の人がいたら、ぜひ読んでみてください。
そして共感できたら、玉井さんを応援してください。
玉井さんのビジョンと見識と行動力と人柄には、私はとても魅せられているのです。

玉井さんの個人ブログリンクしましたので、お読みください。

■例年と違う節分(2007年2月3日)
我が家の今年の節分は例年と少し違いました。
「福は内、鬼は外」と豆をまいたのです。
そして家族みんなで恵方巻を食べました。
どこが違うのかというと、我が家では昔から
「鬼は内、福も内」だったのです。
ところが最近、いかにも「不幸つづき」です。
今年は「鬼」はちょっと辞退してもらうことにしました。
そして恵方巻にも福を祈願したのです。
しかし、なんとなく力の入らない豆まきでした。
来年は大きな声でまた「鬼は内、福も内」と唱えたいと思っています。

(2007年1月第4週)
温暖の差がはげしい毎日です。
私の気分もそれに少し連動してしまっています。
■我孫子市長選挙(2007年1月21日)
■女房がだいぶ元気になってきました(2007年1月23日)
■柳原和子さんからのメッセージ(2007年1月23日)
■誰も来ないオープンサロンで考えたこと(2007年1月26日)

■我孫子市長選挙(2007年1月21日)
我孫子市の市長選挙でした。
現職の福嶋さんは3期を限度と考え、続投要請の声もあったのですが、立候補を辞退しました。
福嶋市政には私は批判的ですが、この決断には大きな拍手を送りたいです。
他の首長もぜひ真似てほしいものです。

後任は2人の対戦になりましたが、
福祉と環境を掲げた星野順一郎さんが、教育を掲げた渥美省一さんを破って当選しました。

■女房がだいぶ元気になってきました(2007年1月23日)
全くの個人日記になりそうですが、今日は女房のことを書きます。
近況報告に書いていますので、読んでくださった方はご存知でしょうが、
私の女房はいま「闘病中」なのです。
昨年秋から体調が急変し、そのため私も自宅で女房に寄り添う生活に切り替えました。
私が体調を崩し、自宅療養中だと思っている方が多いのですが、私自身は健康そのものです。
ただ女房のこともあって、精神的にはかなりダウンしていました。

うれしいことに今年に入り、女房の体調も好転しだしています。
今日は病院(国立がんセンター東病院)だったのですが、
女房の体調が好転しだしたので、看護師や医師がとても喜んでくれました。
この病院にはもう3年半以上通っていますので、顔見知りの人も少しずつ増えてきているのです。
病院に顔見知りの人が増えると心理的に安心できます。
看護師の一人は手をたたいて喜んでくれましたが、こういうことが実は最高の治療になるような気がします。
女房の元気がまた少し上昇しました。
病気を治すのは薬かもしれませんが、病人を治すのは愛や思いやりなのだと、つくづく思います。
医師の方々にも、ぜひそうしたことをもう少し理解してほしいと思います。
そうすれば、病院はもっと元気を与えられる場になるはずです。

昨日は、わざわざ北九州市から女房の友だちがお見舞いに来ました。
20数年来の友だちなのです。
年末にも来てくれた横浜の共通の友人もご一緒でした。
その前々日には、10年以上お会いしていない人が来てくれました。
四国巡礼をしてきて、その時に見つけた「お守り」を持ってきてくれたのです。
そういう友人知人に彼女は守られているのです。
彼女のベッドのまわりには、友人たちからのハガキがところ狭しと張られています。
どうやら守っているのは私ではなさそうです。
私もまた、そういう人たちに守られているのです。
感謝しなければいけません。

友人たちと楽しそうに話している女房を見ると、人のつながりこそが人を元気にすることをいつも実感します。
女房はとても良い友人をたくさん持っています。それが彼女の自慢なのです。
毎週、2組程度の友人が女房を元気付けに来てくれます。
その都度、付き合わされる私は結構大変なのですが、なぜかほとんどの人が私も知り合いなのです。

女房のことを気遣う点では、彼女の友人たちよりも私のほうがずっと強いと思うのですが、
夫婦あるいは家族の間にはどうしても「甘え」や「わがまま」が出てしまいます。
ですから、長く一緒にいるとお互いに元気を吸い取ってしまう関係に陥りやすいのです。
これもこの数年の間に学んだことです。
支えあうことの難しさ、寄り添うことの難しさを、痛感しています。
そんなわけで、たぶん女房は私よりも気の置けない友人たちといる方が元気になるのです。
これは残念なことですが、どうも否定できないことのように思います。
友人こそが、やはり最高の財産なのです。

病気のことをみんなに話さない人も多いでしょう。
しかし、私はどんどん話したらいいと思っています。
話すと必ずといっていいほど、エールが送られてきたり、同じような体験者に出会ったりします。
身近に同じ体験をしている人がいることもあります。
同じ体験者と話すことは、これもまた大きな元気付けになります。

コミュニケーションの出発点は、自らの弱みを見せていくことです。
それによって様々な人からのエールがもらえるようになれば、弱みは強みに転じます。
みんながもっと弱みを見せだせば、社会はもっと優しくなり、争いなどはなくなるのではないかという気がします。
とんでもないと言われそうですが。
いま、ちょうど私がささやかにかかわっていた平和に取り組むネットワークの一体感が少し危うくなっていますが、
その経緯と私の最近の女房との関係が、何かフラクタルな近似性を持っているような気がしてなりません。
私たち夫婦の関係は決して危うくはないのですが。はい。

■柳原和子さんからのメッセージ(2007年1月23日)
「がん患者学」の著者で、本人もがん患者である柳原和子さんのことは何回か書いたことがあります。
最近、柳原さんの声が聞こえてこないので気になっていましたが、
今年に入り、がんサポートキャンペーンのサイトに連載している「南禅寺便り」に最新作(1月9日)がアップされました。
それを知った時にはお元気で活躍されていることを知り、とてもうれしかったのですが、
読んでみるといつもとちょっと雰囲気が違います。
何回も読み直してみましたが、どうも気になってしかたがありません。
1週間迷ったのですが、メールを出しました。
以前、テレビなどでの自分の発言に反応がないのが寂しいと言っていたことを思い出したのです。
すぐに返信が来ました。

何回かのやり取りのあと、柳原さんから、
奥さんががんである働き盛りの男性たちのネットワークをいずれ創り出してください、というメッセージが来ました。
柳原さんは、
「女性よりも、ある意味で男性はとっても弱く、もろいところがあります」
「男はなかなか本音をはき出せず、日常を女性に頼り切って、任せきっている人が多いので、そのケアがむずかしい」
と書いてきました。私も同感です。

いまはその気力は出ませんが、いつか考えてみようと思います。
一緒に考えてくれる人がいたら、ぜひご連絡ください。
私一人では、いつになっても動き出せないかもしれませんので。
よろしくお願いします。

(追記)
ところで、「南禅寺便り」ですが、その後、2回、掲載されています。
最後は26日ですが、この記事を自分のサイトにアップする直前に読みました。
涙が出てしまいました。
つまり今、涙を流しながら、この記事を書いています。
例の吉田拓郎の「わたしは今日まで生きてみました」 の歌の話です。
私と同世代の方はぜひ読んでください。
涙がとまりませんよ。私だけかもしれませんが。

■誰も来ないオープンサロンで考えたこと(2007年1月26日)
10月以来、オープンサロンをお休みしていましたので、
年があけたら一度、1回だけのオープンサロンを開催しようと思っていました。
それで先週のホームページの更新時に、突然に思い立って、お知らせのコーナーに案内を載せました。
このホームページは毎週300人前後の人が見てくれています。
そのなかの1%の人が来るだけで3人の人が来るのでちょうどいいかなと思ったのです。

ところが実際には誰も来なかったのです。
空振りに終わってしまいました。
女房は案内もしていないのだから誰も来ないでしょう、
と出かける時にも言っていたのですが、まさにそうなってしまいました。
私よりも女房が正しいこともあるのです。
いや、最近はそういうケースのほうが多いですね、困ったものです。
しかし、誰もこないとなるといささか寂しいです。

最近、メールやホームページに関していろいろな気づきがあります。
書き方が難しいのですが、あまりきちんとは読まれないということです。
自分自身のことを考えれば、そんなことはよくわかることなのですが、
どうも自分のメールやホームページは読んでもらえているとみんな思いがちなのです。
私もご多分に漏れず、頭ではわかっていても、読んでもらえているはずだという思いが、どこかにあるのです。
傲慢な話です。反省しなければいけません。
なにしろ情報は津波のように押し寄せてきますから、いちいち丁寧に読む時間はないのです。
読まれないことを相手のせいにしてはいけません。
それにしても一人くらい来てくれてもいいですね。
いま、7時です。もう帰りたくなりましたが、8時までと書いたので、せめて7時半まではいないと信義に反します。
いや、8時までですかね。
コーヒーをもう3杯も飲みました。朝から数えると7杯目です。健康に良くありません。

やることがないので、最近きちんと読んでいなかった「平和への結集に向けての市民の風」のメーリングリストをまとめて読み出しました。
そうしたら、「平和」ではない波風がますます高まっています。
やはり平和への結集は難しいです。
ある人がそのメーリングリストから離脱すると決めて、惜別の辞を書いています。
その文章に魅せられてしまいました。
私よりご年配の方ですが、感動しました。
最近、私も歳のせいか涙もろくなってしまいました。いやはや。
私も一時、この会の運営委員を引き受けていたのですが、
なにやら「文化」の違いを感じたことと、女房の体調の関係もあって、10月以降、離脱していたのです。
この活動を始めたのは「非戦の哲学」を書いた千葉大学教授の小林正弥さんです。
彼と2人でピースウォークに参加したとき、小林さんの思いと私の思いが同じであることを知り、参加させてもらったのですが、
私は役に立たないまま、離脱してしまっていたのです。

3ヶ月も離脱してしまうと、この種の運動は戻りにくくなってしまうものです。
そこにこそ、運動の限界があるのですが、
なかには小田実さんのように、おおらかに楽しくやったらどうかという提案も出ていました。
べ兵連活動が残した教訓とノウハウは、理想ではあっても実践するのが難しいです。
運動というのは個人のライフスタイルや価値観に帰属することが多いからです。

そういえば、今日、住友生命の井上小太郎さんのところに行ってきました。
コムケアを来年はどうするのかと訊ねられていたからです。
コムケアの組織論や運動論も、私のライフスタイルに依拠してしまいがちで
、どうも私抜きの組織活動には展開しにくいのです。
困ったものです。

またまたそういえば、住友生命に行く前に、日本経営道協会の市川覚峯さんと協会の組織化に関して意見交換しましたが、
この協会も市川さんの個人的パーソナリティとライフスタイルに依拠しているために、組織化に苦戦しています。
運動はやはり中心にいる個人の生き方から離れられないのかもしれません。
サロンとは無関係な記事になりました。

7時半をすぎました。ますます帰りたくなりましたが、8時までいないとだめでしょうか。
でもまあ、もう来ないでしょう。
さすがにやることがなくなりましので、そろそろ帰ることにします。
帰った後、万一来た人は連絡してくれれば今度お詫びにコーヒーをご馳走しますので許してください。

みなさん。
もし何かやる時は、きちんと案内を出さないといけません。
案内を出さずに参加者が集まるなどと思ってはいけません。
女房は、そんな風に思うのはあなただけだといいますが、世の中には不思議なことも起こることがあるのです。
そういえば、以前も一度、こんなことがあったような気がしてきました。
次のサロンもこういう形で行いたいと思います。
誰も来ないオープンサロンも、なかなか良いものです。

それでは帰ります。

(2007年1月第3週)
女房の状況が少し好転し、私も動き出せそうになってきました。
■田舎の文化と都会の文化(2007年1月15日)
■蔵田正章さんの優雅な田舎暮らし(2007年1月16日)
■コムケア活動の再出発(2007年1月16日)
■坂谷信雄さんと関谷忠治さん(2007年1月17日)
■働きがいの根底にある「元気の連鎖」(2007年1月17日)
■久しぶりのビジネスランチ(2007年1月17日)
■司法時評と司法改革(2007年1月20日)

■田舎の文化と都会の文化(2007年1月15日)
福島からリンゴが届きました。
名前を見ると佐伯克司さんです。
久しく会っていないので、何でまたと思いましたが、とてもうれしいメールが来ました。

独身のころはあまり意識していませんでしたが、
家内が味に敏感なもので、野菜や果物のおいしいさ、おいしいものを食べることの楽しさを感じております。

その美味しいリンゴを私たちに食べさせたいと思ってくれたのです。
佐伯さんは結婚されたのですが、奥さんが福島出身なのだそうです。
そして、こう書いてありました。

田舎育ちということもあって、野菜や果物のおいしさや都会で失われつつある人情を良く知っています。

田舎に残っている文化が、都会の人たちのライフスタイルを変える時代になってきたのです。
社会のベクトルが、いよいよ実際に変わりだしているのかもしれません。

■蔵田正章さんの優雅な田舎暮らし(2007年1月16日)
今日もまた「田舎」の文化が届きました。
福岡で優雅な「田舎暮らし」をしている蔵田正章さんから、また自慢の野菜がどっさりと届いたのです。
ブログでも紹介してしまいましたが、今年はご自分で釣り上げた「関鯵」の天日干しまでついています。
最近、定年後に「田舎暮らし」する人も増えていますが、みんなとても楽しそうです。
大分県に夫婦で転居した竹沢・花崎夫妻からの年賀状にこんなことが書かれていました。

暮れに、他所からこの半島に移り住んだ人々の餅つきがありました。
定年を機に移った人、定年を見据えて準備している人、離婚して一人山奥で家を作っている人・・・・。
「無謀な人がこんなにいたんだ」と、定年を残し好きな陶芸で暮らすべく大阪から来たご夫妻の奥さんが、
少しうれしそうに5人の仲間を見て言いました。
残り火でサザエやタコ、イノシシ、椎茸を焼いて宴会をし、
食べきれないほどのお餅と少しの元気をもらって去年は暮れました。

実に豊かな温かさが伝わってきます。
こうした報告が毎年少しずつ増えてきています。
北海道に転居して新しい活動を開始した知人もいますし、
海外に生活の場を移し、これまでとは全く違ったライフスタイルで社会活動を始めた友人もいます。
高齢社会の実態は、識者の予測とはかなり違ったものになるでしょう。
早く来い来い高齢社会です。

19年前に私が会社を辞めた時は、私のライフスタイルもそれなりに新しかったのですが、
今ではすっかりと色あせたものになり、最近会社を定年退職する友人たちに比べるとダイナミズムが乏しいような気がします。
時代は間違いなく変化し、良い方向に進んでいるのかもしれません。
時代から取り残されつつあるような、一抹の寂しさを最近感じ出しています。

■コムケア活動の再出発(2007年1月16日)
この3ヶ月、コムケア活動にあまりエネルギーが割けていませんでした。
やりたいこともやるべきことも山積みなのですが、どうも気力が出ませんでした。
コムケア活動も6年目ですので、予定では今年、これまでを総括して、新しい段階に移行するつもりでした。
そのために、準備もしてきたのですが、個人的な事情で活動が停滞してしまっています。

幸いに今年に入り、女房も落ち着いてきたので、私も少しずつ余裕がでてきました。
物理的な余裕ではなく、精神的余裕です。
そこでコムケア仲間の橋本さんと相談することにしました。
誰かと話しながら考えるのが一番良いと、私はいつも考えています。

橋本さんはいま理学療法士を目指して学校に通っていますが、その傍ら、さまざまな体験も重ねています。
友人たちと「結いネット」という緩やかな仲間活動もしています。
そんな話をいろいろと聞かせてもらいました。
橋本さんと話しているうちに、少しずつコムケア活動の展開の方向が見えてきました。
相談の結果、4月にコムケア活動の同窓会的な集まりをやってみようということになりました。
コムケアには面白い活動仲間が少なくありませんから、きっと楽しいものになるでしょう。
早速動き出そうと思っています。

そういえば、11月に開催したインキュベーション型コムケアフォーラム「聞き耳2006」の報告書を高橋さんがまとめてくれています。
この活動からも新しい動きがいくつか始まる予定です。

■坂谷信雄さんと関谷忠治さん(2007年1月17日)
先週、坂谷信雄さんが突然我が家にやってきました。
坂谷さんはCWSフォーラムに時々投稿してくれていますが、昨年まで東京都庁の職員でした。
ところが、昨年春に辞めてしまったのです。40代の前半での転身です。
坂谷さんは我孫子出身で、ご両親の介護の関係もあって、時々我孫子に戻ってくるということです。
我孫子に来た時に何か社会活動をしたいというので我孫子市市民活動サポート委員会の関谷忠治さんにお引き合わせすることにしました。
坂谷さんのように、まだ若い時期から地域の活動に関わろうという人も増えだしていますが、
なかなかそうした仕組みが育っていないのが実状です。
しかも坂谷さんは我孫子に住んでいるわけではないのです。

そういえば、同じようなスタイルで地域活動に取り組んでいる人がいます。
新潟の金田英一さんです。
こういう活動スタイルも増えていくのかもしれません。
これからどう展開していくのか、とても興味があります。

■働きがいの根底にある「元気の連鎖」(2007年1月17日)
次世代人材育成研究会の今日のテーマは、若手企業人の活性化でした。
この問題はそう難しいことではなく、要は上司が元気になれば部下である若手企業人は元気になります。
上司である管理者層が元気になるためには、経営幹部が元気になればいいのです。
そうした元気の連鎖が、今の日本の企業には失われています。
それを壊しているのは、人事コンサルタントかもしれません。
ともかく最近は、経営者自身が仕事に意義を感じず、仕事を楽しんでいないケースが多すぎます。

今回はちょっと面白い話がありました。
光海カンパニーの山本潤一さんが「他人依存度行動特性」と「自己抑制型行動特性」の尺度を紹介してくれたのです。
実際に自己採点してみました。
前者は15点満点、後者は20点満点ですが、私はいずれも4点でした。
つまり他人依存度も自己抑制度も低いということです。
日本人は自己抑制度が高く、8割以上の人が7点以上なのだそうです。
自己抑制が強いと良い意味での他人との相互支援的な依存関係も育ちません。
楽しんで仕事をすることも難しく、安心できる人間関係も育てられません。
そこに大きなヒントがあるのではないかと山本さんは言うのです。

共感できます。
逆に言えば、自己抑制度も他人依存度も低い私は、仕事を楽しみ安心できる人間関係を広げやすいようです。
最近では少し自己抑制したほうが良いのではないかと迷いだしていましたが、
この話を聞いて、やはり今までと同じく自己抑制せずに、わがままを維持しようと思い直しました。
ただ、そうした生き方のせいか、最近、私へのメールが減ってきているような気もしています。
自己抑制しないと嫌われるのかもしれません。
皆さんもご注意ください。はい。

■久しぶりのビジネスランチ(2007年1月17日)
久しぶりにネクタイをしめてのビジネスランチの機会がありました。
3人の企業経営者との会食です。
私の企業観や経営論はなかなか普通の企業経営者には受け入れてもらえませんので、
最近は大きなプロジェクトに取り組むことがないのが残念です。
しかし、今こそ私の経営論は検討に値すると思うのですが、どうもそれは私の独り善がりのようです。
昨今の不二家事件などを見るにつけ、私に仕事を発注してくれたらいいのにと思いますが、この2年、全くオファーがありません。
困ったものです。

さて、今日のビジネスランチから何か新しいビジネスは生まれるでしょうか。
食事は実に美味しかったのですが。
いずれにしろビジネスを再開します。
よろしくお願いいたします。

■司法時評と司法改革(2007年1月20日)
大学時代の同窓生の大川真郎さんが、自著「司法改革」を贈ってきてくれました。
彼は2004年まで、日本弁護士連合会の事務総長でしたが、
今進められている「司法改革」の中心人物の一人です。
彼の前著「豊島産業廃棄物不法投棄事件」(日本評論社)は、
ブックのコーナーで紹介しましたが、とても面白く示唆に富んだ本です。
そして、大川さんの人柄や見識がよくわかります。

さて問題は、私が「法曹界」嫌いであることです。
最近の司法の世界への不信感と腹立たしさが、ますます募ってしまっています。
そして昨日、CWSプライベートのブログに新しいカテゴリーとして「司法時評」というコーナーをつくったところなのです。
私のブログは暴言が多く、裁判官や弁護士を口汚くののしっていますので、大川さんが読んだら友情が壊れるかもしれません。
困ったものです。

そういえば、最近、敬服できる弁護士に会う機会が増えています。
私の法曹界への不信感は、私が検事になれなかったことの「ひがみ」から生まれているのかもしれません。
来週、この「司法改革」を読んで、私の認識を自己評価したいと思います。
さてどうなりますか。
なにやらとてもわくわくします。
来週、結果を報告します。
本もブックのコーナーでご紹介します。

(2007年1月第2週)
関東南部は穏やかな毎日ですが、寒さが厳しくなってきました。
今週もまた、私生活日記です。
■住民アンケートへの協力(2007年1月8日)
■サウンドマシンカンパニーの野尻博さん(2007年1月10日)
■NPOマネジメントコンサルタントの大川新人さん(2007年1月11日)
■さまざまな来客(2007年1月12日)
■「喜ばしいこと、楽しいこと」しか書かない日記(2007年1月13日)
■久しぶりに女房とあけぼの山公園に行きました(2007年1月13日)

■住民アンケートへの協力(2007年1月8日)
自治会長の仕事として、我孫子市の社会福祉協議会から住民アンケートへの協力を引き受けました。
安直に引き受けたことを後悔しました。
送られてきた実施要領によると、年代別、男女別に指定のサンプル数を確保しなければならないのです。
ランダムサンプルではないのも問題ですが、配布だけではなく、確実な回収まで依頼されたのにも驚きました。
つまり自治会はこういう形でも利用されていますし、
社会福祉協議会は今なお、こんな発想で行政的な仕事をしているわけです。
アンケートに関しては、私もそれなりに仕事上、いろいろとやってきましたから、
意味のあるアンケート調査か形だけのアンケート調査かはすぐわかります。
今回のものがいずれであるかはともかく、問題はこれがどう使われるかです。
効果的な活用をぜひやってほしいと思います。
電話で協力者を探して一人ひとり頼みましたが、こんなことに協力していいのだろうかと途中で不安になりました。

■サウンドマシンカンパニーの野尻博さん(2007年1月10日)
昨年、日本経営道協会のシンポジウムでパネリストをお願いした野尻さんから年始に電話があったのですが、
野尻さんたちの活動の資料が届きました。
野尻さんが主宰する会社は「作芸人磨心事務所」と書きますが、「サウンドマシン事務所」と読むのだそうです。
元気創造カンパニイを標榜しています。

あなたのまちも元気になれる」との呼びかけで、全国各地で様々な取り組みをしています。
実に楽しい取り組みを各地でされています。
基本にあるのは大道芸です。

野尻さん自身もまさにサウンドマンで、10種類を超える楽器を同時に駆使した大道芸の達人です。
野尻さんに会うとみんな元気になります。
自分のまちを元気にしたいという方がいたら、ぜひ作芸人磨心事務所のホームページを見てください。
私もいつか野尻さんと一緒に何かプロジェクトを起こしたいと思います。

■NPOマネジメントコンサルタントの大川新人さん(2007年1月11日)
このコーナーにも時々登場する大川さんは、極めて個性的なライフスタイルを維持しています。
そのライフスタイルに興味を感じています。
現在は多摩大学総合研究所コミュニティビジネス研究センターの研究員ですが、コムケアの仲間でもあります。

前に書いたように、今年は彼が中心になって団塊シニアを対象にした新しいプロジェクトを起こす予定です。
今日はその打ち合わせだったのですが、むしろ話は拡散してしまい、なかなか構想作りまで行きません。
なにしろ私と大川さんでは、なかなかビジネスライクにはならないのです。
もう一人仲間を見つけないとだめかもしれません。
どなたか興味のある人はいませんか。
目指すのは、シニア・インキュベーション・ネットワークです。
私が10年近く前に構想したものの発展系なのですが。

■さまざまな来客(2007年1月12日)
女房の体調の関係で、最近は自宅で過ごすことが多いのですが、逆にいろいろな人が訪ねてきてくれます。
思わぬ来客もないわけではありません。
おかげで私たちそれぞれの友人知人が、共通の友人知人になりました。
自宅にばかりいるとどうしても閉塞感がでてきますので、いろいろな人が来てくれるのがとてもうれしいのです。

こうして社会から少し遮断されてしまうと、改めて人のつながりの意味がよくわかります。
幸せをもたらせてくれるのは、やはりお金や物ではなく、人なのです。
人のつながりこそが、やはり最高の財産ですね。

■「喜ばしいこと、楽しいこと」しか書かない日記(2007年1月13日)
CWSプライベートにも書きましたが、最近、猟奇的な事件が頻発しています。
しかもその情報をテレビが詳しく、そしてしつこく(まさに猟奇的に)流しています。
今週のテレビは、そうしたニュースが本当に目立ちます。
平穏な年明けだと喜んでいましたが、社会の実相はかなり壊れてしまっているようです。
それにしても、興味本位とも思われるような、最近の報道姿勢には大きな疑問を感じます。
こうしたニュースに毎日のように触れていることの影響を心配します。
毎日意識する事実や情報は生きる力に大きな影響を与えるはずです。

私の女房は、いま闘病中なのですが、新しいスタイルの日記を付け出しました。
その日記は、普通の日記とはちょっと違います。
喜ばしいこと、楽しいこと」しか書かない日記なのです。
実は、女房は昨年、体調が悪くなってから、「一つでもいいから毎日前に進むことをやろう」と考え、一日一挑戦に取り組みだしました。
しかし「挑戦」は疲れます。

そこで、今年は、ともかく毎日、少しでもうれしかったこと、喜べたこと、楽しかったことを書いていこうということになりました。
寝る前に、今日は何ができたか、何が楽しかったかを思い出すだけでも、きっと元気が出てくるのではないかと考えたわけです。
これはとても良い療法ではないかと思います。
病気だけではなく、人生を元気にするための妙薬かもしれません。

人間は、元気がない時には、どうしても辛いことや悲しいことに気が向いてしまいます。
そしてますます元気をなくし、悪循環に陥りやすいものです。
逆に、どんな小さなことでも、楽しいことに目を向けていけば、
きっと良い方向に向かった好循環になっていくのではないかと思います。

マスコミの暗いニュースばかり見ていると、気分が沈んできてしまいます。
マスコミも、もっと明るい楽しいニュースを中心に報道してほしいものです。
他人の不幸は決して自らの幸せにはつながらず、自らの不幸につながることを、私たちはもっと意識すべきです。

■久しぶりに女房とあけぼの山公園に行きました(2007年1月13日)
今日はとてもうれしいことが起こりました。
女房が柏の布施弁天にお参りに行こうと言い出しました。
そこで娘も一緒に布施弁天に行きました。

昨年までは毎年正月にお参りに来ていたところです。
江ノ島、浅草と並んで関東3弁天の一つになっていますが、真言宗豊山派のお寺です。
利根川の河川敷に面したところにあり、すぐ近隣が柏のあけぼの山農業公園です。
見晴らしもよく、とても気持ちの良い空間なのです。
明日がお札のお焚き上げの日だそうですので、お札をあげてもらいました。

帰りは途中まで女房の運転でした。
彼女がハンドルを握るのは、3ヶ月ぶりでしょうか。

まあ、これだけの話なのですが、これだけで我が家の家族には最高の幸せが実感できました。
人の幸せは、状況によって全く違います。
不幸な状況が大きければ大きいほど、小さな幸せがとても大きく感じられます。
我が家では、かくして毎日、幸せを感じています。
不幸もまた、幸せの裏面なのかもしれません。
それぞれの幸せを大事にしていく生き方を、今年も大切にしたいと思います。

(2007年1月第1週)
穏やかな年明けでした。
今年1年が、こうして穏やかに過ごせればと思います。
■年の始まり(2007年1月1日)
■年明けになった年賀状書き(2007年1月4日)
■諸井虔さんの死去と昔話(2007年1月4日)
■初出勤で3人の人に会えました(2007年1月5日)
■希望の年への思わぬ反響(2007年1月6日)

■年の始まり(2007年1月1日)
昨年は私にとっては試練の年でしたが、
幸いに年末にある啓示があり、心穏やかに(完全というわけではないのですが)家族一同新年を迎えられました。

今年の始まりは我が家の屋上での初日の出との出会いでした。
不思議なエネルギーをもらえる一瞬でした。
新年の挨拶にも載せましたが、ここにも写真を掲載させてもらいます。

平安な1年を女房と一緒に祈念しました。
女房の体調も良かったので、朝食後、家族みんなで近くの子の神様に初詣に行きました。
いつもよりもにぎわっていましたが、天気がよければ見えるはずの富士山は拝めませんでした。
これが今年の始まりでした。

■年明けになった年賀状書き(2007年1月4日)
昨年は年賀状も年始メールも用意できませんでした。
年始メールは、元日の夕方から始めたのですが、
パソコンのアドレス帳が混乱していてうまく出せずに、半数くらいの方にしか出せませんでした。
それで毎日少しずつ整理して発信していますが、なかなかうまくいきません。
ダブったり届かなかったりで、無様な状況になってしまっていると思います。すみません。
もし顔見知りの方で年始メールが届かない人がいたら、お手数ですが、ご連絡ください。
アドレス帳からもれているのです。

そうしているうちに、いろいろな人たちから年始メールが入りだしました。
そのやり取りが始まると時間がいくらあっても足りません。
昨年も書きましたが、メールでの年始交換はライブでとてもいいです。
とても良い交流ができます。
それにしてもアドレス変更が多いのがいつものことながら気になります。
届かずに戻ってくるものも少なくありません。
アドレスをもっと大切にする文化がもっと育ってほしいと思います。
ちなみに私は一度も基本アドレスを変えたことがありません。

メール交換に明け暮れしてしまったために年賀状を書くのが今日からになってしまいました。
メールアドレスのある人には年賀状はやめていますが、
それでも100人くらいの人からは年賀状をいただくので、返信を出すことにしました。
これも相手の年賀状をみてから出しますので、対話が成り立ちます。
年始メールは年賀状に一区切りつけられるのは週末になりそうです。

■諸井虔さんの死去と昔話(2007年1月4日)
財界活動で活躍されていた諸井虔さんが年末に亡くなったと新聞に出ていました。
ご冥福をお祈りいたします。

諸井さんには様々な思い出があります。
最初にお会いしたのは1977年でした。
経済同友会が若手企業人の研究会を始めました。
諸井さんはその研究活動の親委員会の委員長でした。
私は当時、東レにいましたが、最初の活動(グループ77)に参加させてもらいました。
50人近い人が参加しましたが、メンバーはその後、社長になったり、財界活動で活躍された人が少なくありません。
私は途中で脱落しましたが。

実にたくさんの思い出があります。
研究成果としての報告書の一部は私が起草させてもらいましたが、
具体的な10の提言をしています。
私としてはかなり気に入っている提言でした。

私は最年少組の一人でしたが、なぜか幹事にさせてもらいました。
そのおかげで諸井さんとはかなりお話しさせてもらう機会がありました。
私が参加したのは、私のボスだった東レの副社長の孫工さんが推薦してくれたからです。
この孫工さんにも深い思い出があります。
東レ時代に大きな影響を受けたおひとりです。
いつか孫工さんのことも書き残しておきたいと思っています。
東レには実に魅力的な人がたくさんいました。
私が東レに入社しなかったら、今の私はないでしょう。

研究活動のあと、諸井さんが孫工さんに呼びかけて、経済文化フォーラムという研究会を立ち上げました。
テーマは「日本の21世紀への構想」です。
8人の小さな研究会でしたが、毎回ゲストを交えた密度の濃い議論を楽しめました。
そこでのまとめは本になりました。
「経済文化の時代」(日本経済新聞社)です。
当時はまだ「経済」と「文化」という言葉はつながりませんでした。
命名者は確か日経の論説主幹だった坂口昭さんでした。

本には座談会の記録も掲載されていますが、本文は香西泰さんが書きました。
最近話題の政府税制調査会の会長になった香西さんです。
とても誠実で学識豊かな方です。

諸井さんはリクルート事件でしばらく活動を休止されていた時期があります。
その時、湯島のコンセプトワークショップに突然ぶらっとやってきました。
女房と3人で2時間ほど雑談をしたことが懐かしく思い出されます。
当時、諸井さんは若手企業人の政治への無関心を嘆いていました。
そして若手企業人がもっと政治に関心を持ち、活動していくための仕組みをつくってくれないかといわれました。
構想して諸井さんに提案しましたが、基本的なところでの認識の違いから賛成してはもらえませんでした。
まあ、私の政治や財界に対する基本認識と諸井さんのそれとは全く違いますから仕方がありません

防衛問題に関して諸井さんと話していて、
もし日本に外国が攻めてきたらどうするのか、と訊かれました。
私の答は諸井さんを失望させました。
新聞で、そのやりとりを紹介し、いまの世代には失望するとコメントされていました。
その時の私の回答は正確に覚えておらず、その新聞記事を探したのですが、残念ながら出てきませんでした。
これも記憶に残っていることの一つです。
諸井さんが地方分権の活動に取り組むことになった時には、経済同友会でのグループ77の活動を思い出しました。
私が担当し、起草した部分は、まさに「地方の時代」の提言だったのです。
これからは地方からのベクトルへと主軸を変えるべきだと提案をしましたが、
諸井さんは「ベクトル」という言葉を新鮮だと喜んでくれました。

その後もいろいろありましたが、私はどんどんメジャーから脱落してきましたので、年賀状の付き合いだけになりました。
しかし何かをお願いするときちんとやってくれました。
KAEの講演をお願いした時も、何も理由を聞かずに引き受けてくれました。
私にとっては、数少ない財界人の知り合いでした。
グループ77は、ある意味で私の生き方にも大きな影響を与えた活動でしたので、
諸井さんの訃報をお聞きして、感慨深いものがあります。
ついつい長い昔話を書いてしまいました。

諸井さんの考え方や言動は私には相容れないものが少なくありませんが、私にとっては温かなとても好きな人でした。
重ねてご冥福をお祈りいたします。

■初出勤で3人の人に会えました(2007年1月5日)
湯島と本郷のオフィスに出かけました。
いずれも10日ぶりでしょうか。

本郷ではうれしいことに、手がたりの会の田辺大さんとGLIの朱さんに会えました。
田辺さんは昨年から大活躍ですが、手がたりの会の活動もいろいろと注目されだし、
新しいスタイルの社会事業モデルが生まれそうです。
久しぶりに少し、意見交換させてもらいました。

GLIの話はきっとまた紹介する機会があると思いますが、
日本と中国と英国をコアにした地球規模のネットワーク作りを目指しているNPOです。
ちなみに中国ではグローバルを環球、グローバライゼーションを全球というそうです。

湯島の最初のお客様は東レ経営研究所の渕野康一さんでした。
久しぶりにいろいろと意見交換しました。

時代は間違いなく動き出していると実感しました。
今年はきっと、いや多分、いやいやもしかしたら、良い年に向かいだすでしょう。

■希望の年への思わぬ反響(2007年1月6日)
新年の挨拶に「希望の年」にすると書いたら、ブログにも書きましたが、思わぬ反響がありました。
いろんな人からメールが来ました。
いまさら小学生みたいなことで恥ずかしい気分で書いたのですが、予想外の反応でした。
「希望」のない時代なのかもしれません。

カトマンズ便りを送ってくださっている田中雅子さんは、

「希望」の話は、平和構築を語る上でもよく使われます。
「絶対に平和にするんだ」という希望というか能動的意思がなければ平和への動きはつくれないという理由からです。


とメールしてきてくれました。

そうなのでしょうね。希望がなければ、人は生命を投げ出せません。
元気も出てきません。すべては「希望」からなのかもしれません。
日本社会の今の閉塞状況を打破していくためにも、「希望」を実感させられるマジックワードが不可欠です。
それが見つかれば、政権交代も簡単でしょう。
平和に向けての市民の結集ももう少し前進するでしょう。

で、思いつきなのですが、
それぞれの「希望」を語り合うサロンをやってみたらどうでしょうか。
賛同者で参加希望者はぜひメールをください。
5人集まったら、湯島のオフィスでやりたいと思います。
100人集まったら、会場をとるようにします。

まあ、それはそれとして、新しい言葉を掲げた新しいリーダーが、そろそろ出てきてもいい頃かもしれません。