本の紹介

私の友人たちが書いたり、関わったりした本の紹介です。
ここでは最近のものだけを紹介します。
これまでの一覧表の書名などをクリックすると紹介情報や著者からのメッセージが読めます。
<これまでの紹介分野別一覧>

(最新の紹介書籍です)

「世にも恐ろしい損保犯罪の話」
「隠蔽されてきた行政行為の不適切性および違法性」の可視化。

「トヨタチーフエンジニアの仕事」
トヨタの製品開発力の強さがよくわかります。
著者の働き方もとても参考になります。

「カイゼン4.0-スタンフォード発 企業にイノベーションを起こす」
企業を現場から変えていこうという活動の実践知

「心ゆたかな社会」
こういう時だからこぜひそ読んでほしい本です

(最近の紹介書籍)
『死を乗り越える名言ガイド』

「21世紀の平和憲法

 

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■「世にも恐ろしい損保犯罪の話」(平成出版 1300円)
濱中都己さんの「世にも恐ろしい損保犯罪の話」(平成出版 1300円)をご紹介します。
本書の出発点になった事件に関しては、私も濱中さんからお話をお聞きしながら、お役にたてていない反省があるのですが、湯島のサロンで改めて取り上げたいと思っています。

まずは出版社による本書の紹介文をお読みください。

本書は、日本のエリン・ブロコビッチとも言える、著者の執念の賜物です。 日本では、すでに既得権のある大企業、とりわけ損保業界に、はむかう人はいません。 母親の交通事故をきっかけに、国民健康保険を利用する形で交通事故の補償をするのはおかしいのではないかと著者が主張すると、不当逮捕・冤罪被害となってしまいました。しかも恫喝も続きます。 本書を読んで、不当な立場におかれている「弱者」について、ぜひ考えていただきたいです。

エリン・ブロコビッチ。
ジュリア・ロバーツ主演の映画「エリン・ブロコビッチ」を観た人も少なくないでしょう。
私も数回見ましたが、そう言われてみると、たしかに著者の濱中さんにはそういう雰囲気があります。偶然に出合ってしまった問題を掘り下げていくうちに、利権構造で固められ、不労所得に覆われている日本の社会にぶつかってしまい、どんどんと深のめりしている濱中さんには、むしろエリン・ブロコビッチ以上のパワーを感じます。
本書には、その濱中さんが、突然の母親の交通事故から、国民健康保険をむしばむ巨大損保会社の犯罪に巻き込まれ、怒りを強めていく過程が克明に描かれています。そうした「生活者」の怒りの対象はどんどん広がり、そして金融省までも含む既得権益による「社会的犯罪」に挑むことになっていくという、生活と深くかかわった告発の書です。

そこで示唆されているのは、単に損保業界の話にとどまりません。
たとえば、本書では特別民間法人の話が出てきますが、そこに現在の日本社会の本質が垣間見えています。すべて利権に絡め取られ、労働と収入は全く無縁になっているとさえ思いたくなる日本の経済社会の実相が、です。
しかし、ほとんどの人がそうした仕組みに組み込まれているために、おかしなことを「おかしい」とさえいえなくなっている。その仕組みを変えないといけないと、濱中さんは立ち上がっているわけです。まさに、物知り顔で事実を見過ごす人たちとは違う、「生活者」ならではの行動です。
そうした行動の結果、濱中さん自身が、「恫喝訴訟」とも言われる、威嚇目的のスラップ訴訟の対象にされるのですが、そこから日本の司法界の問題も見えてきます。
国民が安心して暮らせて行いけるための、せっかくの「保険」や「司法」という社会の仕組みが、それらの目的とは全く真反対の運用がされている現実も垣間見えてきます。

濱中さんは、単に問題提起しているだけではありません。身体をはって行動しています。たとえば、交通事故損保犯罪対策委員会を立ち上げたり、「反スラップ法制定」の請願活動を呼びかけたりしています。

本書の「あとがき」の一文を紹介します。

いままで国民の目から巧妙に隠蔽されてきた行政行為の不適切性および違法性を可視化し、行政立法の内容等を行政訴訟の対象とすることによって不適切性や違法性を早期に是正することは国民の権利義務の正当性実現と救済にとっても極めて大きな意義を有します。

「隠蔽されてきた行政行為の不適切性および違法性」の可視化。
濱中さんの活動がそのきっかけの一つになればと思い、私に何ができるかを考えていますが、まずは本書の紹介から始めることにしました。
濱中さんに頼んで湯島のサロンも開催したいと思っています。
またご案内させてもらいます。

■『トヨタチーフエンジニアの仕事』(北川尚人 講談社α新書 880円)

トヨタの経営と言えば、原価低減や品質管理に優れたトヨタ生産方式がすぐに頭に浮かびますが、もう一つの「トヨタの強さ」は次々とヒット商品を生み出すトヨタ製品開発方式であり、その中心的役割を果たすチーフエンジニア(CE)制度です。
長年トヨタで、チーフエンジニアとして、新車を開発してきた北川尚人さんは、これからの成熟した経済社会にあっては、この製品開発システムこそが企業の活力の根源だろうと考えています。
「現在、世界を席巻する巨大IT企業GAFAはトヨタのCE制度を徹底的にベンチマークし、プロダクトマネジャー制度として導入し、大きな成果に繋げていることは意外と知られていない。プロダクトマネジャー制度の源流、本家はじつはトヨタのCE制度だ」と北川さんは言います。
つまり、モノづくり企業にとどまらず、トヨタのCE制度にはこれからの企業経営の活力の源泉のヒントがあるというわけです。

北川さんは、トヨタで10年間、チーフエンジニアとして数多くの新車の開発に取り組んできました。そうした自らの実践を通して蓄積してきた体験知を、わかりやすくまとめたのが本書です。
本書の中心は、北川さんの体験から生まれたCE17条(言い換えれば、ヒット商品開発のポイント)の紹介です。その第1条は、「車の企画開発は情熱だ、CEは寝ても覚めても独創商品の実現を思い続けよ」です。これだけ読むと、北川さんはただの猛烈社員のように思うかもしれませんが、そうではありません。それに続く17条を読んでもらうと、北川さんの「働くことの哲学」あるいは「生きる哲学」がわかってもらえるでしょう。

「一人でも多くの人を幸せにする乗り物を開発したい」というのが北川さんの夢だったそうですが、それは言いかえれば、「自動車メーカーの人間として何とかできないのか」と考えつづけることでした。そのために北川さんは、仕事のかたわら、まちづくりに関わったり、老年学を学んだり、障害者施設を訪問したりしていました。会社の中にいるだけでは、新しい製品は見つかりません。
本書には、そうした北川さんの夢への取り組みが具体的に紹介されています。

時代は大きく変わり、「HOW」から「WHAT」へと社会が求めるものも変わってきている。WHATを生み出し続けられる価値創造の仕組みこそが、これからの企業の活力につながっていく、と北川さんは言います。
トヨタが創り上げてきたCEのシステムは、これからの時代、メーカーだけではなくサービス分野を含むさまざまな企業にとって役に立つだろうと考えた北川さんが、自らの実践知を惜しげなく公開した本書には、力を失ってきている日本の企業を活性化するヒントがたくさんあるように思います。

製品開発のためのテキストとしても参考になるでしょうが、むしろこれからの働き方を考えるような読み方も面白いのではないかと思います。

■「心ゆたかな社会 ハートフル・ソサエティとは何か」
(一条真也 現代書林 1500円)
こういう時だからこそ読んでほしい本があります

企業の社長という激務のかたわら、社会への働きかけを目指した著作活動にも積極的に取り組んでいる一条真也さんが100冊目の本「心ゆたかな社会」を現代書林から出版しました。これからの社会ビジョンと私たちの生き方を考える示唆が盛り込まれた本です。
新型コロナで社会のあり方が改めて問われているいま、まさに時宜を得た出版だといえます。多くの人に読んでいただきたいと思い、紹介させてもらうことにしました。

15年前、一条さんは、ドラッカーの遺作『ネクストソサエティ』の問いかけに応じたアンサーブックとして『ハートフル・ソサエティ』を出版しています。
http://cws.c.ooco.jp/book-kiroku.htm#1jou3
しかし、最近の日本は、一条さんのビジョンとは反対に、心を失った「ハートレス・ソサエティ」になってきていることを一条さんは活動の現場で実感しているようです。さらに、コロナ騒ぎで、人と人とのつながりさえもが難しくなってきている。だからこそ、「心ゆたかな社会」としてのハートフル・ソサエティを改めて目指すべきだと考え、前著を全面改稿した『ハートフル・ソサエティ2020』として本書を出版したのです。

ハートフル・ソサエティとは、「あらゆる人々が幸福になろうとし、思いやり、感謝、感動、癒し、そして共感といったものが何よりも価値を持つ社会」だと一条さんは定義しています。平たく言えば、「人と人が温もりを感じる社会」です。
最近の日本の社会は、どこかぎすぎすしていて、楽しくありません。フェイスブックのやり取りでも、ネガティブな意見や人の足を引っ張るものが多く、「温もり」どころか「寂しさ」に襲われることも多いです。そこで、「人と人が温もりを感じる社会」を目指して生きている私としては、本書を多くの人に読んでほしいと思い立ったわけです。

社会のビジョンは、これまでもさまざまな人たちが語っていますが、そういう人たちのビジョンや思いが、とてもわかりやすく整理・解説されているのも本書の特色です。この一冊を読めば、社会について語られた主要な考えに触れられます。
しかも、一条さんらしく、たとえば、「超人化」「相互扶助」「ホスピタリティ」「花鳥風月」「生老病死」といった視点から議論が整理されていて、それを読んでいるうちに自然と一条さんの「ハートフル・ソサエティ」の世界に引き込まれていきます。
つづいて、その社会の根底ともなる哲学や芸術、宗教が語られ、「共感から心の共同体へ」というビジョンへと導かれていきます。宗教嫌いの人にはぜひ読んでほしいところです。宗教を語らずに社会を語ることはできないでしょう。

最近、社会の全体像が見えにくくなっていますが、本書を読むと、社会というものが捉えやすくなると思います。少なくとも、社会と自分の生き方を考えるヒントが見つけられるはずですし、「心ゆたかな」とは一体何なのかを考える材料もたくさんもらえると思います。
一条さんの個人的な夢が語られているのも親近感がもてます。一条さんにとって「ハートフル・ソサエティ」の象徴の一つは月のようです。ご自分でも書いていますが、一条さんはルナティック(月狂い)なのです。
ちなみに、私はフェイスブックも時々書いていますが、お天道様信仰者ですので、私にとってのハートフル・ソサエティの主役はお天道様です。
まあそんなことはどうでもいいですが、一条さんの提唱するハートフル・ソサエティをベースに、自分にとってのハートフル・ソサエティを構想してみるのも面白いでしょう。

いつか一条さんに湯島でサロンをやってもらえるように頼んでみようと思っています。
九州にお住まいなのでなかなかお会いする機会も得られないのですが。
もし読まれたら、ぜひ感想を聞かせてください。

■「カイゼン4.0-スタンフォード発 企業にイノベーションを起こす」(柿内幸夫 サニー・プラス 1500円)
企業を現場から変えていこうという活動に長年取り組まれている柿内幸夫さんの新著です。
柿内さんの著作は以前にも紹介させてもらいましたが、今回は柿内さんが実際に取り組んだ事例をふんだんに紹介しながら、これまでの実践知を改めて、体系的にまとめています。

「カイゼン」活動と言えば、モノづくり現場でのコスト削減や生産性の向上というイメージが強いと思いますが、柿内さんの目指す「カイゼン」は、企業にイノベーションを起こす活動です。
ですから本書の書名も、『カイゼン4.0-スタンフォード発 企業にイノベーションを起こす』とされています。
柿内さんは、こう書いています。

カイゼンという日本発の技術は、お金がかからないシンプルな技術であり、正しく運用すると生産性や品質はもちろんのこと、新商品や新マーケットをも生み出してしまうすごい不思議な技術なのです。そしてこれは日本にしかできない特別な技術です。ですから正しいカイゼンができていない会社が多い今の日本の中小製造業の状況は、とてももったいないと思っています。
私はカイゼン指導が専門のコンサルタントです。そして私の指導先ではそのすごいことが普通に起きています。

本書でも紹介されていますが、まさに「すごいこと」を、柿内さんはいろんな会社で引き起こしています。
現場のカイゼンにはとどまりません。
会社そのものが大きく変わるばかりでなく、異分野のヒット商品が生まれたり、新しいマーケットが発掘されたりすることもあるそうです。
柿内さんは全組織協働型の経営改革活動と言っていますが、その原動力は会社を支えている全員の力ですので、大きな資金投入など不要です。
魔法のような話ですが、その取り組み方法はきわめて簡単なのです。
ポイントは、社長など経営トップと現場で働く人々が同じ目線に立って、一体となって取り組むことですが、それをどうやって進めるか、そして経営とは何か(経営者の役割とは何か)が、本書には具体的に書かれています。

とても読みやすい本ですので、会社の経営に関わっている方にはお勧めです。
会社だけではなく、NPOや行政の方にもおすすめです。

■『死を乗り越える名言ガイド』(一条真也著 現代書林 1400円)
一条真也さんの「死を乗り越える」シリーズの第3弾が出版されました。
現代書林から出版された『死を乗り越える名言ガイド』(1400円)です。
読書、映画に続き、今回は名言です。副題は「言葉は人生を変えうる力をもっている」。
一条さんが多彩な活動の中で出合った、人生を変える力を持つ言葉を100集めて、それぞれに一条さんの思いを添えた名言集です。

新型コロナウイルスで、世界中に「死の不安」が蔓延している現在、「死の不安」を乗り越える言葉を集めた本書を上梓することに、一条さんは大きな使命を感じていると書かれていますが、まさに時宜を得た出版で、ぜひ多くの人に読んでほしいと思います。
100のメッセージからいろんなことが示唆されますが、きっと自分にとって心にすとんと落ちる言葉が見つかるはずです。そして、生きる元気が得られるでしょう。
また100の言葉を通読すると、長年、死と生の現場に関わってきている一条さんの深いメッセージも伝わってきます。

一条さんの死生観にかかわる著作はこれまでもこのホームページでたくさん紹介させてもらってきていますが、一条さんの死生観を貫く3つの信念が、本書の最後にまとめられています。
その3つとは、「死は不幸ではない」「死ぬ覚悟と生きる覚悟」「死は最大の平等」です。
そうした信念に基づいて選ばれた100の名言には、それぞれに「人生を変える力」が秘められています。この時期にこそ、じっくりと噛みしめて、そこから力を引き出してほしいと思います。

ちなみに、同じ「死を乗り越える」シリーズの次の2冊も同じ現代書林から出版されています。よかったら併せてお読みください。
『死を乗り越える読書ガイド』
『死を乗り越える映画ガイド』

■「21世紀の平和憲法」(川本兼 三一書房 2300円)
今年の憲法記念日は、新型コロナの陰に隠れがちでしたが、こうした時期であればこそ、ぜひ多くの人に読んでいただきたい本を紹介させてもらいます。
コロナ危機への対処の仕方も、変わってくるかもしれません。

湯島のサロンの常連の一人、川本兼さんは、長年、平和や人権の問題に取り組んできていますが、改めて「平和」に関するこれまでの論考を整理した「21世紀の平和憲法」を三一書房から今月出版しました。
かなり粘度の高い論考ですが、川本さんの独自の視点と時間をかけて取り組んできた地道な活動の成果のおかげで、読み終えると、なにか動き出したくなる、実践的なメッセージがこもった1冊です。
巻末に川本さんの日本国憲法改正私案も掲載されています。

川本さんは、戦後日本国民の「戦争そのもの」「戦争ができる国家」を否定する「感覚」を高く評価しています。しかし、それがアメリカからの「押しつけ憲法」の憲法9条とつながったことで、日本人は平和が実現したと「錯覚」してしまい、その「感覚」を普遍的な理念(思想)にしてこなかったことを問題にします。
そしてこのままだと、その平和の感覚も風化し、日本の平和運動は次世代にも世界にも広がっていかない。したがって、戦争体験を通じて獲得した日本国民の戦後の「感覚」に「ロゴス」としての「言葉」を与えてそれを思想にし、さらにそれを世界に発することが急務だと言います。
そして、そうしたことに向けて、行動を起こそうというのが、本書のメッセージです。
本書の帯には、「次世代、他国の人々にも受け継いでもらえる運動を構築するために」と書かれています。

川本さんは、日本国民の戦後の「感覚」が求めこの平和は、「変革を要求する新しい価値」だったといいます。つまり、戦争放棄だけでは平和は実現しないのです。
そのために、川本さんは、「戦争そのもの」を否定する新しい論理、「戦争ができる国家」を否定する新しい論理を、平和主義、革命、基本的人権、社会契約という切り口から、次々と展開していきます。
そして、そうした論考を踏まえて、最後に日本の現状を変えていくために、新しい平和憲法と新しい運動の主体について、具体的に提言しています。
類書とはかなり切り口が違いますので、新しい気づきも多いはずです。

話が多岐にわたるので、簡単には内容紹介できませんが、特に最後の「21世紀の平和憲法」を多くの人に読んでほしいと思います。
できれば、川本さんの憲法改正私案もお目通しいただきたいです。

川本さんの憲法改正私案は、いささか挑発的です。
現憲法は第1章「天皇」から始まりますが、川本私案の第1章は「人および国民の権利及び義務」で、人権原理から始まります。これは近代憲法のスタイルです。
問題は、現憲法の第2章「戦争の放棄」にあたる第3章が、「自衛軍と国際協力」となっていて、自衛軍(自衛隊ではありません)の保持が謳われていることです、
「平和憲法」なのに自衛軍を認めるのかと思う人もいるでしょうが、その意図を読めば、たぶん納得する人は多いでしょう。そこに込められた川本さんの仕掛けには、私は若干の異論を持ちながらも、共感し納得しました。
いずれにしろ、いろんなことを考えさせられる本です。

コロナ騒ぎが少し落ち着いたら、川本さんの改正私案を材料にしながら、日本国憲法を話し合うサロンをぜひとも開催したいと思います。

■ 「グレタのねがい」(ヴァレンティナ・キヤメリニ著 西村書店 980円)

私たちはいま、17歳の少女に「あなたたちが話しているのは、お金のことと経済発展がいつまでも続くというおとぎ話ばかり。恥ずかしくないんでしょうか!」と指摘されています。
少女の名前はグレタ。
その名前と、怒りと悲しみに満ちた表情と鋭い問いかけは、多くの人の記憶にまだ新しいでしょう。
スウェーデンのグレタ・トゥンベリさんは、地球温暖化を食い止めるために「自分でできる方法」として、学校へ行かずに国会議事堂前で、ひとりで抗議ストライキを始めました。
そこからいまや、グレタのメッセージは世界中に広がってきています。
そして、昨年9月に国連でスピーチをした時に発せられたのが、上記の言葉です。

グレタさんはつい先日、スイスのダボスで行われた世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)でもスピーチを行いました。
グレタさんはスウェーデンのストックホルムに住んでいますが、そこからスイスのダボスには飛行機を使わずに、陸路を30時間かけて行ったそうです。
飛行機がいかに環境に負荷をかけるかを熟知しているからです。
グレタさんの母親は国際的に活躍しているオペラ歌手だそうですが(日本にも来たことがあるそうです)、グレタさんに説得されて、いまは飛行機の使用をやめ、海外での公演もやめたそうです。
生き方を変えたのです。

そのグレタさんのことを紹介する「子供向け」の本が西村書店から出版されました。
友人が送ってきてくれたので、さっそく読ませてもらいました。

「小学校高学年以上」が対象とされていますが、大人でもわかる本です。
私は、大人よりも子供たちのほうが読解力が優れていると思っていますが、この本はたぶん大学を卒業した人でも、少しでも知性が残っているならば、理解できるでしょう。
しかし、本書が向けられているのは、しっかりした知性と思考力をまだ失っていない子どもたちです。

本書の表紙には、「地球をまもり 未来に生きる 大人になるまで待つ必要なんてない」と書かれています。
子どもたちができることは、大人たちよりもたくさんあります。
でも、グレタさんの母親が示してくれているように、大人たちにもできることがある。

本書を送ってきてくれた友人は、「この本は、気候温暖化のメッセージ本ではなく、グレタさんが身をもって新しい生き方を示す、これからの新世代へのエールととらえます」と書いてきました。
たしかにそうだと思います。
そして、地球環境問題に対処するには、私たちの生き方を問い直さなければいけません。
排出ガス規制や環境権などと言っている限り、解決は見えてこないでしょう。

しかし、人間であれば、誰にでもできることがあるはずです。
では私たちに何ができるか。
まずは今日のお昼を抜いて、この本を買って読むことから始めましょう。
そして読んだら、その本を近くにいる子どもたちにあげましょう。
この本を読んだ子どもたちがきっといい方法を見つけてくれます。
そこからもしかしたら、大人にもできることが見えてくるかもしれません。

ぜひ多くの人に読んで、生き方を変える契機にしてほしいです。

■「脱原子力 明るい未来のエネルギー」(折原利男 新評論 1800円)
湯島サロン仲間の折原利男さんの新著「脱原子力 明るい未来のエネルギー」(新評論)が出版されました。ドイツの脱原発倫理委員会メンバーのミランダ・シュラーズさんを日本にお迎えし、各地で行った講演会や市民との話し合いなどの記録をまとめたものです。折原さんが、随所に最新の情報や注釈をていねいに補記してくれています。
脱原発政策に転じたドイツが、実際にどう変わってきているかが具体的に伝わってきます。
自らの生き方にも実践的なヒントがもらえる本なので、多くの人に読んでいただきたく、紹介させてもらいます。

書名は、3.11の福島原発事故後話題になった、福島原発のある双葉町にあった大きな看板「原子力 明るい未来のエネルギー」という標語をもじったものです。
単に「脱原子力」ではなく、未来に向けてのビジョンが具体的に語られています。
副題が『ミランダ・シュラーズさんと考える「日本の進むべき道筋」』となっていますが、道筋だけではなく、その進め方に関しても具体的に語られています。
とりわけ、高校生との対話で呼びかけられているミランダさんのメッセージは実践的で、私たち大人も傾聴し実践すべき内容です。

環境NGOの満田夏花さんが推薦文で、「原発をどうするのか。それは単なるエネルギーの問題だけでなく、民主主義の問題であり、私たちの暮らしや生業、環境の問題であり、私たちや未来の世代に何を残すかという選択の問題であることを、この本は、決して押しつけがましくなく、平易だが確固とした言葉で指し示してくれている」と書いていますが、まさにその通り。ともかく、ぜひ読んでいただきたいと思います。

蛇足になりかねませんが、私が特に印象的だったことを3つだけ紹介します。
ドイツでは、いま、「エネルギー自給村」や「エネルギー協同組合」が広がっています。自然エネルギーに投資するということは、地域の生活の未来を考えることであり、脱原発というエネルギー転換は雇用の創出につながっているそうです。
それは、循環型・持続型の経済へと経済や産業の枠組みを変え、人々の働き方を変えることにもつながっているようです。

また、ある地域は風力、ある地域はソーラーというように、自然立地の差を生かした自然エネルギーの支え合いが展開されることで、表情ある地域整備が始まっているようです。これまでのような地域開発とは発想が全く違います。

政治の進め方に関しても、大きな変化があるようです。ミランダさんは、それを「ドイツのもうひとつの革命」と表現しています。
脱原発が決まった後、それを推進していくために、政府と国民をしっかりとつなぐ仕組みがつくられたそうです。そして、国民の信頼を得るには市民たちとの交流が必要であるという考えで、直接、国民に呼びかけて政治への参加を実現したそうです。
ミランダさんは、「脱原発は民主主義のあり方とも結びついている」と言っていますが、脱原発を通して、ドイツではデモクラシーが問い直されているようです。

経済パラダイム、地域開発パラダイム、そして政治パラダイム。
この3つのパラダイムシフトが読み取れますが、さらにミランダさんは「倫理」とか「プロテスト」という人間としての生き方にも言及されています。
学ぶことが盛りだくさんの内容ですが、それらがとても平易な生活言葉で書かれています。
そして、ミランダさんの「前向きに目の前の状況を一つひとつ改善し、明日に向かってより良く変革していく」姿勢から大きな元気がもらえます。

最後にちょっと長いですが、ミランダさんがフクシマの高校生たちとのトークセッションで高校生たちに話したメッセージを引用します。

「今世のなかを見ると、民主主義が危ないんですよ。あなたたちの時代は大変なことが始まっている。民主主義を助けてあげないといけない、自分たちの未来を強くするためにも」
「皆が自分の考えていることを言う[のが民主主義]」
「いろんな意見があるから、それをちゃんと発言しないと、民主主義が消えてしまう」
(高校生たちから、自分たちにできることはあるかと問われて)「自分の地域の政治家に手紙を出したことありますか? 自分だけでなくて高校のみんなが政治家に手紙を書いて送る。安倍首相に手紙を書いたことありますか。書いたらどうでしょうか。そしてその手紙を新聞社やジャーナリストに送ったらどうですか」

機会があれば、折原さんに湯島でサロンをやってもらおうと思いますが、まずはぜひ本書を読んでもらえればうれしいです。
もし本書を入手されたい方は、折原さんに直接ご連絡いただければ、税、送料込みで1800円で送ってくれるそうです。
私にご連絡いただければ折原さんの連絡先をお伝えします。


■「次の日本へ 共和主義宣言」
(詩想社新書 1000円)
元民主党議員だった首藤信彦さんと鳩山友紀夫さんが書いた「次の日本へ 共和主義宣言」を首藤さんからもらいました。
新たな政治システムを実現するための実践宣言の書です。
こうした動きが出てきたことに大きな期待を感じます。
しかも、その理念が「共和主義」というのはうれしい話です。

私は、以前から書いているように、共和主義者です。
そのきっかけは大学4年の時に見た映画「アラモ」です。
テキサス独立運動の中で行われたアラモの砦の攻防戦を描いた映画です。
そこで、ジョン・ウェイン演ずるデビー・クロケットが、「リパブリックと聞いただけで心が躍る」というセリフに感動したのです。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2005/05/post_b721.html
以来、そういう生き方を大事にしています。
トクヴィルの「アメリカの民主主義」にも、リパブッリクの精神を感じます。
残念ながら、いまは大きく変質していますが。

2016年に民主党が解体した時の新しい名前に、「民主共和党」を提案したことがありますが、残念ながら「共和」は誰も使いませんでした。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2016/03/post-f9c1.html

そんなこともあったので、大きな期待を持って、早速読ませてもらいました。
首藤さんは、前書きでこう書いています。

民主党政権の蹉跌と崩壊を身をもって経験し、その後に襲来した時代錯誤のような保守復古路線と、無策な経済運営を続ける自民党安倍政権そして、それをただ傍観しながらひたすら自己の保身に終始する野党勢力のつくり出す、劣化した政治カオスのなかで7年間考え続けた成果である。

そして本編は、次の文章から始まります。

令和元年9月吉日 我々は停滞、腐敗、無力の既存政党、旧態政治を離れて、新しい政治活動集団を組織する。其の名称は「共和党」とする。

つづいて、共和党の国家目標やそれを実現するための新たな政治システムが紹介されています。
共和党は、国家の目標として、国民の幸福の実現を掲げます。
そしてその実現のために、正義・美徳・卓越・友愛の4つの公準を提案しています。
国家目標や国家体制につづいて、具体的な政策が体系的に紹介されています。
さまざまな問題や議論への目配りがされていて、しかも実践的でわかりやすく、共和党の目指すことがよくわかります。
いまの政治状況の問題を踏まえて考えられているので、新しい政治を考えるテキストとしてもお薦めできます。
気軽に読める本(新書)ですので、ぜひ多くの人に読んでほしいと思います。

と、こう書いたうえで、勝手な私見を書きます。
期待が大きかった反動かもしれませんが、私にはいささかの物足りなさが残りました。

私が共感したのは、次の文章です。

日本を窮状に追い込んでいるのは「富国」にある。
その富国を可能にするものこそが、「成長」である。

これまでの日本は、明治維新以来の「富国強兵」を国是にしてきましたが、それこそが問題だと指摘しているわけです。
とても共感できますし、ここから政治の議論を始める姿勢にも共感します。
明治維新時にも、「富国強兵」に対峙して「富国安民」が議論されていましたが、この共和党は「富国有徳」を標榜しているようです。
それを読んで、ちょっと腰が引けてしまいました。

政治のパラダイム転回の時期に来ていると考えている私には、やはり従来型の「近代国家」スキームでの議論にいささかの物足りなさを感じてしまったのです。
せっかく、「富国」や「成長」が問題だと指摘しながら、「富国有徳」と「富国」を第一に語っています。
せめて「安民富国」と発想を変えてほしかった気がします。
成長に関しては定常経済を「健全」としていますが、そこでもやはり基準は金銭経済のようであり、新しい「成長」概念への発想の転回はあまり語られていません。

私は、そろそろ「国家」から発想する政治や経済ではなく、生活者個人を起点として発想する政治や経済へと視点とベクトルを180度転回すべきだと思っていますが、本書で言う共和政治はどうもそこまでは想定していないようです。

さらに、「政治の目標を人間第一主義(ピープル・ファースト原理)に定める」とあるように、時代錯誤的なものも混在していて、現在の政治との違いがあまり見えてきません。
正義・美徳・卓越・友愛の4つの公準も、「友愛」をのぞけば、いずれも私には危険な「プラスチックワード」です。

こう書くと私は本書の提案に反対しているように感ずるかもしれませんが、そうではありません。
現実の政治状況を変えるには、改善型の活動もあってしかるべきですし、革命的な活動があってもいいと思っています。
これまで湯島で、新しい政治や経済をテーマにしたサロンもやっていますが、パラダイム転回のような話はほとんど伝わらないことも体験しています。

本書にはさまざまな論点や具体的な提案が含まれています。
現在の政治状況を概観し、問題意識を高めるには、いい材料が山積みです。
こういう、新たな提案の書がどんどん出版され、そうした本に基づいて議論が広がることで、政治は変わっていくはずです。

ネットには、「共和党の広場」ができていて、広く参加者をもとめています。
http://kyowa-to.jp
本書を読んで、もし共感したら、参加してみてください。

■「社会的セーフティネットの構築」((岩崎久美子編 日本青年館 1500円)
児童虐待に関する報道が相変わらずつづいています。
問題が顕在化されてきたのはいいとしても、相変わらず「児童虐待」そのものに目が行き過ぎて、社会全体への視野が広がっていかないのが残念です。
こうした傾向は、ほぼすべての社会問題に言えることですが、事件は事件として対処していくとして、その背景にある社会全体の状況への視野と自らの生き方の見直しとが大切ではないかと思います。

それに関連して、1冊の本を紹介させてもらいます。
子どもの貧困を意識した教育格差是正のための社会的セーフティネットを取り上げている「社会的セーフティネットの構築」です。
基礎になったのは、国立教育政策研究所の岩崎久美子さんたちが進めてきた「教育格差是正のための社会的セーフティネットシステム形成に関する総合的研究」です。
研究の目的は、子どもの貧困など、家庭の社会経済的背景に由来する教育格差の拡大が社会問題化している中で、諸外国における政策介入の効果や多様なパートナーの連携によるセーフティネット形成の実例を参考に、わが国の施策に資する知見の提供」です。

私は、本書の出版に関わった「社会教育」編集長の近藤真司さんからこの本を贈ってもらい、読ませてもらいました。
「社会的セーフティネット」というと、多くの人は高齢者や障害者、あるいは失業や病気や事故で、生活が維持できなくなった人の問題をイメージするかもしれません。
しかし、本書で取り扱っているのは、子どもの貧困や教育格差の問題です。
しかも、実際の現地取材をもとに、アメリカ、フランス、イギリスの事例がたくさん取り上げられていて、とても示唆に富んでいます。
あわせて日本の事例も幅広い視野で紹介されています。
抽象的な政策論ではなく、現実の事例から政策の方向性を示唆しているところがとても共感できます。

子どもの問題は、「保護者」や「家庭」、さらには「学校」という存在に隠されて実状がなかなか見えてこない上に、当事者が声を上げにくいため、政策の焦点にはなりにくいですが、子どもの問題は「子どもだけの問題」ではなく、社会の実相を象徴すると同時に、その社会の未来を示唆する「社会全体の問題」です。
社会のひずみは、子どもの周辺で露出してきますから、子どもの幸せや貧困を見ていくと、社会の矛盾が見えてきます。
逆に言えば、子どもの世界から、未来の社会の可能性も見えてきます。
ですから、すべての政策の起点は「子ども」であるべきではないかと、私は思っています。
本書は、そうした視点から、とても示唆に富む、実践的な書だと思います。

書名を「社会的セーフティネット」としているため、そうした内容が伝わるかどうか不安があり、それが本書を紹介する気になった理由です。
昨今の社会的セーフティネット議論には「子ども」を主軸にした議論が少ないと感じている私としては、本書をたくさんの人に読んでほしいと思います。
事例がふんだんに紹介されていますので、読みやすく、実践的です。
政策は政府や行政機関だけで生まれていくものではありません。
国民の関心や働きかけが、政策を変えていきます。
その意味でも、政策立案関係者だけでなく、多くの人たちに本書を読んでほしいと思います。

日本では、「子どもの貧困元年」とされる2008年から、10年以上が過ぎていますが、今なお子どもたちを取り巻く環境は改善されているようには思えません。
福祉やセーフティネットと言えば、どうしても高齢者に目が向きがちですが、子どもこそが起点になるべきではないかと思います。
できれば、このテーマでのサロンも開きたいのですが、どなたかやってくれませんか。

■「インターナル・コミュニケーション経営」
(清水正道編 経団連出版 2000円)
清水正道さんたちのインターナル・コミュニケーション経営研究会の成果が本になりました。
この研究会のことは清水さんからお聞きしていましたし、途中で一度、湯島でもサロンをしてもらいました。
この分野は、かつては私もメインテーマとして取り組んできたことなので、興味深く読まさせてもらいました。

本書では、インターナル・コミュニケーションを、「経営戦略の効果的な実行に向けて、組織で働く人々の知識、態度、行動を継続的に強化するために計画された組織的なコミュニケーション活動」と定義し、「トップマネジメントがインターナル・コミュニケーション活動を経営の中核的企業行動の一つとして捉え、日常的な経営の仕組み(仕掛け)に組み込み、経営戦略を効果的に実行すること」を「インターナル・コミュニケーション経営」(IC経営)と捉えています。
そして、日本とアメリカの企業21社を現場取材し、インターナル・コミュニケーション活動の仕組みと実践を紹介するとともに、「社員のモチベーション」「企業文化」「事業戦略」「企業変革」といった、企業にとっての戦略課題に合わせて、インターナル・コミュニケーション経営実践の取り組み方を具体的に紹介しています。
さらに、実践者のために、最後の章では、調査結果を踏まえた「効果的な戦略実行に役立つコミュニケーション手法24」が体系的に整理されています。
そして自社の持つIC(インターナル・コミュニケーション)ツールを一度、棚卸してみたらどうかと提唱しています。
企業はさまざまなコミュニケーションツールを持っていますが、私の体験ではほとんどの企業がそれらをバラバラにとらえて、効果的に展開していないように思います。
時にはそれらがお互いに効果を妨げあっていることさえあるようです。
それを見直すだけでも、企業のパフォーマンスは飛躍的に上昇するはずです。

内容は読んでもらうしかないのですが、私が共感できた点をいくつか紹介します。

まず本書の基調が、社内だけではなく、社会を視野に入れての、表情を持った「個人」を起点にして経営を考えようとしている姿勢です。
多彩な個を活かし、創発を生み出すようなコミュニケーションの仕掛けが求められているという本書のメッセージに共感します。
その意味で、単なる「社内広報」や「インナーコミュニケーション活動」ではなく、まさに「経営」の視野が組み込まれています。

そしてそれが価値を生み出し、ひいては企業価値にまでつながっていくというわけですが、その際の「企業価値」が単なる財務的な企業価値ではなく「人や社会の幸福につながる便益や恩恵という意味も持つベネフィット」と考えられている点にも共感します。
湯島でのサロンでも一度取り上げたように、「ベネフィット・コーポレーション」の動きが少しずつ広がってきていますが、資本の視点からではなく、社会の視点から企業価値をとらえていくことこそ、長い目で見た企業の強みになっていくはずです。

コミュニケーション活動こそが「価値」を生み出す時代における経営を考えるための格好の教科書と言えるでしょう。
企業に関わる人にはぜひお薦めしますが、企業のみならず、自治体やNPOにかかわる人たちにも参考になるはずです。

■「贈与と共生の経済倫理学」
(折戸えとな 図書出版ヘウレーカ 3800円)
とても共感できる本に出会いました。
有機農業の里として知られる埼玉県小川町にある霜里農場の金子美登さんの実践活動と、そこに関わりながら、誠実に生きている人たちのライフストーリーをベースに、新しい生き方(新しい社会のあり方)を示唆する、意欲的な本です。
「贈与と共生の経済倫理学」という書名にいささかひるんでしまう人もいると思いますが、さまざまな人の具体的な生き方や発言が中心になっているので、自らの生き方とつなげて読んでいけます。
要約的に言えば、人間の生の全体性を回復するための実践の書です。

ただ読みだしたときには、ちょっと驚きました。
レヴィナスの「他者の顔とは、私たちに何かを呼びかける存在としてそこに現前している」という言葉や、イリイチのコンヴィヴィアリティ(自立共生)といった言葉が出てきたからです。
しかし、さぞや難解な文章が続くと覚悟したとたんに、今度は金子さんや彼とつながりのあるさまざまな立場の人たちに対するインタビューによって描き出される生々しいライフストーリーが始まります。
そのあたりから、引き込まれるように一気に読んでしまいました。
ちなみに、レヴィナスとイリイチの言葉は、本書の描き出す世界の主軸になっています。
もう一つの基軸は、ポランニーの「経済を社会関係に埋め戻す」という命題です。
こう書くと何やら難しそうに感ずるかもしれませんが、そうしたことを解説するのではなく、むしろそうした概念に実体を与え、日ごろの私たちの生き方につなげていくというのが、著者の意図です。

金子美登さんがなぜ有機農業に取り組んだのかは、きわめて明確です。
象徴する金子さんの言葉が最初に出てきます。
「より安全でよりうまい牛乳を、喜んで消費者に飲んでもらうことが、私のささやかな望みであり、これが可能でないような農業はあまりにもみじめなのではないか。このようなことが実現されてはじめて、自分の喜びが真の喜びになると思っていたのである」。
つまり出発点は、金子さんの生きる喜びへの思いなのです。
私は、そこに、理屈からは出てこない「ほんもの」を感じます。

しかし「この本質をつく農業を行っていたのでは、目的の生活がなりたたない社会の仕組みとなってしまっている」という社会の現実の前で、金子さんのさまざまな活動が始まっていきます。
その取り組みは、失敗したり成功したりするのですが、いろんな試行錯誤の結果、現在、行きついているのが、金銭契約ではなく、「お礼制」という仕組みです。
「お礼制」とは、出来たものを消費者に贈与し、それへの謝礼は「消費者の側で自由に決めてください」という形で、生産者と消費者がつながっていく、という仕組みです。
そのつながりは、お互いをよりよく知りあい、「もろともの関係」に育っていくことで、双方に大きな生活の安心感が育ってくる。
そして、ものやお金のやりとりを超えた人のつながりが広がっていく。
新しい生き方、新しい社会のあり方のヒントがそこにある。

契約を超えた「お礼制」と「もろともの関係」に集約される本書の内容は、簡単には紹介できませんが、
出版社であるヘウレーカのサイトにある解説で、概要はつかめるかもしれません。
https://www.heureka-books.com/books/396
また本書の帯に書かれている内山節さんの推薦文も、本書の的確な要約になっています。
「有機農業によって自然と和解し、価格をつけない流通を成立させることによって貨幣の呪縛から自由になる。それを実現させた、独りの農民の営みを見ながら、本書は人間が自由に生きるための根源的な課題を提示している」。

つまり、本書は自由に生きるための生き方を示唆しくれているのです。
それもさまざまな生き方を具体的に例示しながらです。
そして、自由な生き方にとって大切なのは〈責任・自由・信頼〉を核にした生き方だというメッセージにつながっていきます。
言葉を単に並べただけではありません。
折戸さんは、「責任」「自由」「信頼」の言葉の意味をしっかりと吟味し、それをつなげて考えています。

金子さんは「ことばの世界に生きていない」と自らを位置づけているそうですが、折戸さんもまた、別の意味で「ことばの世界に生きていない」人だと感じました。

本書のキーワドは、書名にあるように、「贈与」「共生」「倫理」です。
いずれも聞き飽きた退屈な言葉ですが、この「流行語」がしっかりと地に足付けて語られています。
しかもそれが大きな物語を創っているばかりか、人が生きることの意味さえも伝えているのです。
同じような言葉を並べた、書名が似た本とは全く違います。

たとえば「倫理」。
倫理に関する本を読んで私はいつも違和感を持ってしまいます。
私の実際の生き方につながってこないからです。
倫理(ethics)という言葉の語源であるギリシア語のエトスは、「ねぐら」「住み処」という意味です。
つまり、その人の生活圏での暮らしを通じて形づくられる「生き方」や「振る舞い方」、言い換えれば、どうしたら快適に暮らせるかのルールとすべき価値の基準が「倫理」だと、私は考えています。
折戸さんは、たぶんそういう意味で「経済倫理学」という言葉を選んだのでしょう。
崇高な理想などとは無縁の話で、「いかに善く生きるか」が著者の関心です。
そして、それぞれが善く生きていれば社会は豊かになると、たぶん確信しているのでしょう。
私も、そう確信している一人です。

生きやすさを求めることを「倫理」と考えれば、そのカギとなるのは「贈与」と「共生」だと折戸さんは言います。
ここでも折戸さんは退屈な定義には満足していません。
贈与とは「他者との関係性を豊かにすること」であり、「共生」とは「もろともの関係」で生きることだというのです。
いずれにも「覚悟」が必要です。
これだけで、本書は退屈な「贈与」や「共生」を解説する本ではないことがわかってもらえると思います。

ついでに言えば、書名にあるもう2つの言葉、「経済」と「学」についても、折戸さんは、前者は「オイコノミクス(家政)」「経世済民」と捉え、後者に関しても、あいまいな「言葉」だけでは不十分だと指摘しているような気がします。

以上のことは、私の勝手な解釈ですので、折戸さんからは叱られるかもしれません。
しかし、本書を読んでいると、彼女の深くて実践的な問題意識と新しい学への意欲をいたるところで感じます。

ところで、レヴィナスの「顔」はどうかかわっているのか。
そこに込められたメッセージは「個人の尊厳の尊重」であり、ほんとのコミュニケーションは、顔を持った個人間で行われるということです。
個人が存在しなければ、ほんとうのコミュニケーションも成立しない。
そして、イリイチのコンヴィヴィアリティやサブシステンス概念は、まさに「もろともの関係」に具現化されています。

折戸さんが「終わりに」に書き残した文章を、少し長いですが、引用させてもらいます。

巨大システムの中で個が一括管理されていくような世界で、自然と不可分につながっている人間たちの尊厳をかけた運動は、私たちの生存と生きがい、生産と再生産、自由、責任、信頼にとってなくてはならない不可欠な要素なのである。その意味において、たとえすべての人が、生活全体を「もろとも」の関係性で構築することは不可能であったとしても、このような関係性のない世界では、私たちは生きることができないといっても過言ではないだろう。

関係性のない世界で生きることに多くの人が馴らされてきている現在の社会に少しでも違和感を持っている人には、ぜひとも読んでいただきたい本です。
きっと新しい気づきや生きるヒントを得られると思います。
そして、できるならば、折戸さんが残したメッセージ(本書の「おわりに」に示されています)を引き継ぐ人が現れることを心から願っています。

いつも以上に主観的な、しかも長い紹介になってしましたが、もう少し蛇足を。
著者の折戸えとなさんには、私は残念ながらお会いする機会を失しました。
お名前はお聞きしていましたが、まさかこういう本を書かれていたとは知りませんでした。
折戸えとなさんは、本書を仕上げた後、亡くなりました。
お会いできなかったのが、心底、残念です。
本書を読んだ後、どんな人だったのだろうと思っていたら、その後、会う機会を得た折戸さんの伴侶から、なぜか写真が送られてきました。
人は会うべき人には必ず会うものだという私の確信は、今回も実現しました。

■「認知症になってもだいじょうぶ!」
(藤田和子 徳間書店 1600円)
2年ほど前に出版された本なのですが、やはり多くの人に読んでほしいと思い、改めて紹介させてもらうことにしました。
書名に「認知症」とありますが、それにこだわらずに、さまざまな人に読んでほしい。
読むときっと世界が広がり、生きやすくなる、そう思ったからです。
もちろん認知症に関わっている人には、たくさんの学びがあることは言うまでもありませんが。

本書は、看護師であり、認知症の義母を介護し看取った経験もある藤田和子さんが、45歳でアルツハイマー病と診断されてからの10年間の自らの経験をベースに、「認知症になってもだいじょうぶな社会」をつくっていこうと呼びかけた本です。
最初読んだときは、「認知症」という文字に呪縛されてしまい気づかなかったのですが、今回改めて読ませてもらったら、本書は社会のあり方や私たちの生き方へのメッセージの書だと気づきました。
藤田さんは本書の中で、「人権問題としての『認知症問題』」と書いています。
ここで語られているのは、認知症になっても大丈夫な生き方だけではなく、たとえ認知症になっても快適に暮らせるような社会を実現するための私たち一人ひとりの生き方です。
認知症とは無縁だと思っている人もふくめて、多くの人に読んでほしい本です。

私は20年ほど前から、「誰もが気持ちよく暮らせる社会」を目指す「コムケア活動」に、個人としてささやかに取り組んでいます。
そこで一番大事にしているのは、「個人の尊厳の尊重」ということです。
「ケア」も、「一方的な行為」ではなく「双方向に働き合う関係」と捉えてきました。
最近では、マニュアル的な押し付けケアではなく、当事者個人の思いを起点にした生活全体に視野を広げた地域(生活)包括ケアという発想が広がりだしていますが、それはまさに「誰もが気持ちよく暮らせる社会」につながっていくと思っています。
誰もが気持ちよく、という意味は、障害を意識しないですむようなという意味です。
もちろん「認知症」や「高齢化」も、障害にはならない社会です。

テレビなどで、2025年には「高齢者の5人に1人が認知症」などという顧客創造情報が盛んに流れていますが、そうしたことには私は全く関心がありません。
しかし、コムケア活動の流れの中で、「みんなの認知症予防ゲーム」を通して、社会に笑顔を広げていこうというプロジェクトには参加させてもらっています。
その集まりで、私はいつも、私自身は認知症予防よりも認知症になっても気持ちよく暮らせていける社会のほうを目指したい、そして自分でもそうなるように生きていると発言しています。
藤田さんのいう「認知症になってもだいじょうぶな社会」をつくるのは、たぶん私たち一人ひとりです。
そう思って、自分でできることに取り組んでいますが、本書を読んで、とても元気づけられました。

藤田さんは、盛んに書いています。
「一人の人として関わり続けてくれる人がたくさんいれば、孤立することはありません」
「私には、アルツハイマー病になってもこれまでどおり関わってくれる友人が何人かいます。ありがたいなあと思っています。私のことを一人の人として見てくれていると実感しています」
「より多くの人と出会い、多くの頼れる人とつながっていると、人生を豊かにする可能性が広がっていくと思うのです」
大切なのは、いろんな人との支え合うつながりを育てていくということです。
藤田さんは、そういう人たちを「パートナー」と呼んでいるようです。

藤田さんが呼びかけていることはもう一つあります。
自分らしく生きること、そのためにはしっかりと社会に関わっていくこと。
パターン化された「認知症になってからの人生ルート」などに従ってはいけない。
もし、「認知症の人への偏見が自分らしく生きることを妨げている」のであれば、他人任せにするのではなく、そうした偏見のあやまちを身を持って示していく。
そのためにも、自分らしい生き方を大事にすることが大切だと藤田さんは言います。
そして、「私たち抜きに私たちのことを決めないで」と主張しなければいけない。
心から共感します。
「私たち抜きに私たちのことを決めないで」とみんなが言い出せば、社会はきっと豊かになっていきます。

本書で語られている藤田さんのメッセージには、ハッとさせられることが多かったのですが、とりわけ次の言葉はハッとさせられました。

「私自身、アルツハイマー病だった義母を9年間介護してきて、その大変さは身に染みて体験しています。けれども今はアルツハイマー病の患者本人としての立場で、介護者だったときにはわからなかった『本人の世界』をわかってもらいたいと思います」

これは、ケア活動で、ついつい陥りやすい落とし穴です。
当事者でなければわからないことがある。
相手のためと思っていることが、相手を押さえつけることにならないように注意しなければいけません。

本書は、藤田さんの素直な生活感覚が語られているので、とても読みやすい。
人の生き方として共感できることも多いです。
藤田さんが「幸せ」なのは、ご自分を誠実に生きているからでしょう。

藤田さんは、認知症に関する世間の偏見をなくしていきたいとも言っています。
ちょっと長いですが、引用させてもらいます。

「認知症への偏見を持ったままでは本人も周囲の人も、そして、社会全体が不幸せになるのだと思います。正しい理解を広めることができるのは、認知症の人、一人一人なのではと思います。ですから、自分の体験を世間に伝えることで、「これから認知症になる人々が早い段階で自分自身を理解し、自分の周りにいる人々とともにより良く生活できる工夫の必要性を考えることができるようになると思います」

「正しい理解を広めることができるのは、認知症の人、一人一人」、心に響きます。

藤田さんは、「本書が、アルツハイマー病とともに生きている私から、これから認知症になるかもしれない皆さんとそのパートナーになる方々へのヒントになるとうれしい」と書いていますが、本書にはたくさんのヒントがあります。
ぜひ多くの人たちに本書を読んでいただきたいです。
たくさんのことに気づかせてくれる本です。

この本を紹介してくれた島村さんに感謝します。

■『成長が「速い人」「遅い人」』
(荻阪哲雄 日本経済新聞出版社 1500円)
昨年末、長年の友人の経営コンサルタント荻阪哲雄さんが湯島に来たのですが、その時に、昨年出版された新著『成長が「速い人」「遅い人」』を持ってきてくれました。
荻阪さんは、プロセス・コンサルティングの視点で、長年、組織開発に取り組んでいる、論理的な熱血漢のプロフェッショナルです。
これまでも何冊かの経営関係の書籍を出版していますが、その主張は、ご自身の実体験に基づいていますので、いずれも具体的かつ実践的です。
その荻阪さんが、「個人」の働き方支援に重点を置いてまとめたのが、本書です。
組織開発の出発点である個人の成長を支援しようというのが今回のテーマです。

荻阪さんは、「人間の成長」とは「新たな働きかけをする人へ自分自身が変わること」だと捉えています。
私にはとても共感できる捉え方です。
この捉え方に、荻坂さんの経営思想やコンサルティング理念が凝縮されています。
新たな働きかけをする人たちの集まった組織は、放っておいても生き生きと動き出す。
それこそが、荻阪さんの考える、個人を起点とした組織開発のポイントです。

しかし、実際には、新しい「働きかけ」をすることはそう簡単なことではありません。
組織の中にいると、さまざまな呪縛が「働きかける」ことの足かせになってしまうからです。
それを荻坂さんは「7つの悩み」にまとめています。

その悩みを解いてやるにはどうすればいいか。
それが本書で提唱されている「飛躍の7力(ななりき)」モデルという人間成長法です。
さまざまな現場で、さまざまな人たちと長年接してきた荻阪さんの体験知を体系化し、誰もが自分に合った「気づける力」を高める取り組みができるようにしたのが、このモデルです。

「飛躍の7力」とは、熱望力、実験力、修業力、結果力、体験力、盟友力、好転力です。
耳新しい言葉もありますが、大切なことは、これらの7つの力が、相互に活かしあう関係でつながり、全体として循環している仕組みに気づくことです。
その仕組みを踏まえて、自分の得意な「力」から入っていけば、自然と無理なく、「飛躍の7力」を会得し、人間力が高まっていく。
本書では、その7つの力を高めていく方法が実践的に説明されています。
詳しい内容は本書をお読みください。

「飛躍の7力」モデルの出発点は「熱望力」になっています。
「熱望力」とは、「惹く力」だと荻阪さんはいいます。
仕事を通して、強く望んでいる「想い」や「感情」、それがさまざまなものを惹き付け、自らもまた惹き付けられていく、これこそが成長するための出発点だと。
いわゆる「志」といってもいいかもしれません。

しかし、「想い」は自らの中にあるだけでは大きくは膨らんでいきません。
「飛躍の7力」モデルの7番目は「好転力」。
「好転力」は、自らの目の前にある現実をよくする力だと荻阪さんは言います。
人は自らが置かれた環境の中で、他者と関わりながら、現実を生きている。
同時に、自らの存在や生き方が、環境をつくりだしていく。
自分と環境(他者)は、一体であり、共進化関係にある。
つまり、自らの想いが現実をよくしていくことで自らが成長し、環境(会社)は成長していく。
それこそが、個人を起点にした組織開発であり、継続していく生きた組織づくりだというわけです。
「熱望力」から「好転力」に向けての「飛躍の7力」がどうつながり、どう循環していくかは、本書を読んでじっくりとお考えください。

本書はビジネスマンに向けて書かれた本ですが、会社の中での生き方にとどまるものではありません。
この「飛躍の7力」モデルは、生きる上でも大きな示唆を与えてくれます。
個人を起点とする社会や組織にしていくことを課題にしている私には、とても示唆に富む本です。
企業人にはもちろん、社会を豊かにしていきたいと思っている人にも、お勧めします。

もし本書を読んでもう少し議論を深めたいという方が複数いらっしゃったら、荻阪さんもお呼びして、読書会的サロンを企画します。
本を読まれて、関心を持たれた方は私にご連絡ください。

■「タネと内臓」
(吉田太郎 築地書館 1600円)
湯島のサロンで、種子法や遺伝子組み換えのサロンを開こうと思い、霜里農場の金子友子さんに話題提供者の相談をしました。
友子さんはすぐに吉田太郎さんがいいと即答され、吉田さんの新著を紹介されました。
読んでみて、世界では各地でいま、食の視点から農業が変わりだそうとしていることを知りました。
私が思っていたのとは逆の方向です。
諦めていたことが世界では始まっている。
子どもたちは救われるかもしれない。
ちょっと元気が出てきました。
早速に吉田さんにサロンをお願いしました(2月10日に開催予定)。
あわせてこの本を、多くの人に読んでほしくなりました。

本の内容は、同書の裏表紙に書かれている文章が簡潔で分かりやすいですので、ちょっと長いですが引用させてもらいます。

遺伝子組み換え大国アメリカはもちろん、ヨーロッパ、ラテンアメリカ、ロシア、中国、韓国まで、世界中の母親や家族が、農薬漬けの農業を見直して種子を守り、農産物や加工食品の質を問い直す農政大転換が始まっている。
なぜ、日本だけ主要農産物種子法が廃止され、発がん物質として世界が忌避する農薬の食品への残留基準が規制緩和されていくのか、緩和の事実がなぜ日本の大手メディアでは報道されないのか。
世界の潮流に逆行する奇妙な日本の農政や食品安全政策に対して、タネと内臓の深いつながりへの気づきから、警笛を鳴らす。一人ひとりが日々実践できる問題解決への道筋を示す本。

ちなみに本書の副題は、「有機野菜と腸内細菌が日本を変える」です。
これは、吉田さんの体験を踏まえたメッセージでもあります。
吉田さんは、自らの大病を有機野菜で克服したのです。

ついでに同書の表表紙の文章も引用させてもらいます。

世界中で激増する肥満、アトピー、花粉症、学習障害、うつ病などが、腸内細菌の乱れにあることがわかってきている。けれども、日々私たちと子どもたちが口にする食べものが、善玉菌を殺し「腸活」の最大の障壁になっていることは意外と知られていない。

吉田さんも自らの病気を通して、そのことに気づき、食生活を変えることによって大病を克服したのです。
農と食、そして生命は深くつながっている。
そのことを多くの人に知ってもらいたくて、吉田さんは本書を書いたのでしょう。

本書には2つのメッセージが込められています。
一つは、世界でいま農政大転換が始まっているが、その主役は母親を中心とした普通の生活者たちだということ。
つまり、農政の変革は政治や専門家ではなく、生活者である私たちにこそ起こせるのだということです。
残念ながら日本ではそういう動きはまだ顕在化してきていません。
種子法が廃止され、遺伝子操作によって農業が変えられそうなのに、マスメディアも生活者もまだ大きな問題としてとらえていないということです。
でも逆に言えば、私たち生活者が動き出せば、農政は変わるということでもあります。

もう一つは、農政変革を待たずとも、それぞれの生活者でもできることがあるということ。
吉田さんは最後の「あとがき」で、その具体的な方法をていねいに説明しています。

本書の根底にはもう一つの大きなメッセージが流れています。
現在の工業型社会への懸念です。
それを抽象的にではなく、たとえば「生産性」や「経営」という概念がいかに偏った理解をされているか、というように具体的に語っています。
企業型農場が生産しているのは「農産物」ではなく「商品」だ、と吉田さんは書いていますが、農業とは何なのか、を根源的に問うているのです。
それは言うまでもなく、私たちの生き方への問いかけでもあります。
そしてそれが、たぶん前に書いた2つのメッセージにつながっているのです。

本書はそう簡単に読める本ではありませんが、そこに込められた吉田さんのメッセージは生々しく伝わってきます。
それをしっかりと受け止めて、まずは自分でできることをしっかりと実践していく。
そんな決意を起こさせてくれる本です。

多くの人に読んでいただきたくて、紹介させてもらいました。
2月10日には湯島で吉田さんのサロンを開きます。
本書を読んで、ぜひご参加ください。

■「リアリズムの老後」
(きたじまちよこ かもがわ出版 1800円)
リアリズムの老後、ドキッとする書名です。
自分の老後をリアリズムで考えだす時には、往々にして、遅すぎることが多いのですが、著者は、老後を自分らしく生きたいと願い、老後と介護をシュミレーションしながら、全国の先進的な介護施設やキーパーソンに会いに行き、それをまとめたのが本書です。
そうした著者自身の問題意識が何となく感じられて、単なる解説書とは違う生々しさが伝わってくるのが、本書の特徴かもしれません。
文章はちょっとこなれていないところもないわけではありませんが、それがまたライブ感を生んでいます。

最初に日本の介護保険制度の概要とその実際が簡潔に紹介されています。
これを読むだけでも、自分や家族の老後の備えになるでしょう。
そこで、介護保険のケアプランは自分で作成できることが指摘されています。

つづけて、著者は、実際の介護保険のケアプランを自分(家族)で作成した人たちに直接インタビューし、その体験談を生々しく再現しています。
併せて、介護サービスに取り組んでいる人たちにもインタビューし、「質の良い介護」とは何かを、当事者目線で考えていきます。
ここまで読むと、自分や家族の老後の介護についてのイメージが実感できるようになり、他人ごとではなく、自分ごととして考えられるようになるはずです。

著者の老後への視野は、介護にとどまりません。
ターミナルケアに関しても著者はふたりの方(ディグニティセラピーに取り組む小森康永さんとチャプレンの藤井理恵さん)にインタビューし、老後の生き方に示唆を与えてくれます。
そこで示唆されているのは、生きることの価値と信仰の意味です。
このおふたりのインタビューがあることで、老後のリアリズムはますます生き生きとしてきます。

しかし、それだけでは終わりません。
最後に「介護の時をゆたかにしてくれる10冊の本」が紹介されます。
ここで選ばれている本が、私にはとても興味深かったのですが、タイトルは「介護の時」ではなく「老後」でも「人生」でもいいような紹介ぶりです。
著者の「一人称自動詞」の深い思いを感じました。

実は私は著者の北島さんとはついしばらく前にお会いしたばかりです。
それもある集まりで、わずかばかりの言葉をやり取りしただけです。
そしてその時に本書をいただいたのですが、装丁が何となく暗かったこともあり、しばらく机の上に置きっぱなしでした。
何気なく開いたのが最後の章で、それを読んで、あれ!っと思って、読みだしたのです。
面白くて一気に読んでしまいました。
おかしな話ですが、最後の章から順次前に向かって読んだのですが、こんな本の読み方をしたのは初めてです。

著者は本書を「老後を生きるガイド」になればと思って書いたと序文に書いています。
たしかに「老後を生きるガイド」ではありますが、それ以上に著者の思いが伝わってきます。
もしかしたら、悩みながら生きている北島さんの私小説かもしれないと、読み終わってふと思いました。
誠実に生きている人からは学ぶことはたくさんあります。

本書の底流には、自分をしっかりと生きることの勧めが感じられます。
序文の副題は、memento mori、「死を忘れるな」です。
読みかえれば、「死を意識して豊かに生きよう」です。
介護関係者だけではなく、さまざまな人たちに読んでほしいと思います。

あえて欲を言えば、たくさんのインタビューを体験した著者の主張をもう少し知りたい気がします。
北島さんの第2作目を期待したいです。
その時には、ぜひ装丁をもっと明るくしてほしいというのが勝手な私の希望です。
正月休みに読むにはちょっとふさわしくないかもしれませんが、気が向いたら読んでください。
考えさせられることが少なくない本です。

■「きみはそのままでいいんじゃないか」
(西坂和行 電波社 1200円)
昨年出版された本ですが、縁あって最近読ませてもらいました。
筆者は湯島のサロンにも時々参加する西坂和行さんです。
この本のことは以前もお聞きしていました。
西坂さんは、あることがきっかけで、お寺にある掲示板に掲げられている「言葉」に関心を持ち出したそうです。
意識してお寺の掲示板を読むと、そこには実にさまざまなメッセージが書かれていることに改めて気がついたそうです。
そうした言葉は、必ずしもそのお寺の住職のオリジナルではないのですが、その言葉を選んだ視点にはそのお寺の住職の思いが込められています。
そこで西坂さんは、そうしたメッセージに「坊言」と命名しました。
お坊さんから社会に向けてのお説教メッセージです。
なかには、意味がよくわからないものもあったようで、そういう時には西坂さんはお寺に飛び込んで、ご住職に話を聞くようになったようです。

そうした「坊言」がたくさん集まりました。
それで、印象的なものを選んで、そこに西坂さんの感想を書き込んでまとめたのが本書です。
タイトルは「きみはそのままでいいんじゃないか」。
これは、西坂さんがたくさんの「坊言」から得た「悟りの言葉」かもしれません。
いや、「悟れなかった悟り」の言葉というべきかもしれませんが、まあそれはそれとして、本書に紹介されている100の「坊言」は、それぞれに実に示唆に富むものです。
そして、西坂さんの解説も、とても面白いです。
ちなみに、書名になった言葉は、秋田市にある西善寺に掲示されていた坊言だそうです。

本書の帯に「悩みの9割はこれで解決!」とありますが、それはちょっと保証しかねますが、本書を読むと、「悩みもまた人生を豊かにしてくれるかもしれない」ということに気づけるかもしれません。
そうすれば、悩みなど解決する必要はないと開き直れるかもしれません。
なにしろ「きみはそのままでいいんじゃないか」なのですから。

こんな紹介だと本書の面白さが伝わらないといけないので、実際の坊言をいくつか紹介しましょう。
「×も45度回せば+になる」
「ハードルは高ければ高いほど、くぐりやすくなる」
「できないのですか、やらないのですか」
「親のいうことを聞かぬ子も、親のまねは必ずする。
「人生が行き詰まるのではない、自分の思いが行き詰まるのだ」
「「政治家が悪い、官僚が悪い、評論家が悪い」と云いながら、それにテレビワイドショーを喜んで観ているお前はもっと悪い!!」
「貧乏とは少ししか持っていないことではなく、無限に欲がありいくらあっても満足しないことです」
「にぎり拳では握手は出来ない」

どうでしょうか。
ちょっと興味を持っていただけたでしょうか。
しかし本書の面白さは、こうした坊言を西坂さんがどう受け止めたかです。
どう面白いのか、それは本書を読んでもらうしかありません。
人生に悩んでいる方も、悩みに気づいていない幸せな方も、気が向いたら是非お読みください。
珈琲2杯のお金と珈琲2回飲む時間で、たぶん読めるでしょう。
とても読みやすく、人によっては人生にとってのかけがえのない示唆がもらえるかもしれません。もっとも、人によっては単なる暇つぶしで終わるかもしれませんが、それは保証の限りではありません。

この本を材料に、近いうちに湯島で、「坊言サロン」を開こうと思います。
参加者に、近くのお寺で、気になる「坊言」を見つけてきてもらい、みんなで「坊言」品評会もやれればと思っています。
年末年始に寺社を回られたら、是非掲示板を見てください。

■「人間性尊重型大家族主義経営」
(天外伺郎・西泰宏 内外出版社 1500円)
友人の上本洋子さん(自在株式会社)が編集協力した、西精工株式会社の経営を紹介した本です。
最近、話題になっている「ティール組織」を、実践的に理解することのできる副読本のような内容ですので、紹介させてもらうことにしました。
著者は、西精工社長の西泰宏さんと新しい経営論を提唱している天外伺郎さんです。
天外さんが、これからの企業経営モデルとしての「人間性尊重型大家族主義経営」(長いのが難ですが)を概説し、その事例としての西精工の経営について西さんが生々しい紹介をするという構成です。
天外さんの概説のところで、フレデリック・ラルーの「ティール組織」ではあまり詳しく言及されていない「ティール組織」の主役になる社員の意識の成長モデルが、ケン・ウィルバーのトランスパーソナル心理学にまで遡って解説されています。
それを読むと、ティール組織のイメージが少し明らかになってくると思います。

西精工は徳島にあるナット・ファインパーツ製造会社ですが、「日本でいちばん大切にしたい会社大賞」をはじめ、たくさんの経営賞を受賞しています。
がんで余命宣告された社員が、死を目前にして、もう一度、会社に行きたいと言ったというエピソードも紹介されていますが、社員の9割が「月曜日に会社に行きたい」と思っているそうです。
いわゆる日本型の家族経営ですが、かつてのような家父長型ではなく、一人ひとりの社員が人間として大切に扱われるという意味で、「新しい家族主義」と捉えられると天外さんは注目しているわけです。
そこでは、家族一人ひとりが大切にされ、経営者と従業員は人間的な上下関係はなく、同じ仲間として尊重し合う関係が目指されています。
イバン・イリイチが言う“コンヴィヴィアリティ”(自立共生)に基づく組織といってもいいでしょう。

本書を読んでみると、西精工はまだ「家父長的」なものから完全には抜け出ていないように思いますが、だからこそ、「人間性尊重」とは何かを考える材料がふんだんに含まれています。
天外さんは、「家父長型と人間性尊重型の違いを明らかにすれば、日本の企業経営の歴史がわかり、今後どういう方向に発展させるべきかが明らかになります」と書いていますが、そうしたことを念頭に、本書をただ感心するだけでなく、批判的に読むと、「ティール組織」を考える副読本になると思います。
批判的という意味は、否定的とか反論するという意味ではありません。
考えながら読むということですので、誤解がありませんように。

言うまでもありませんが、組織は個人ではできないことを実現するための仕組みですが、最近はその仕組みであるはずの組織に、個人が使われてしまうような、本末転倒が起こっています。
時代状況の変化の中で、組織の構成理念は変化していかねばいけません。
そうしたことを考えるためにも、企業関係者にはぜひお勧めする1冊です。

できれば、この本を材料にしたサロンを湯島でも開催しようと思っています。
本書を読んでいただいた感想などを聞かせてもらえればうれしいです。

■「日本列島「法」改造論」
(阿部泰隆 第一法規 3000円)
本書は、「逆転の発想による法改革」によって日本を変えるための処方箋です。
というと何やら難しそうですが、普通に生活している人であれば、誰でも「ふんふん」とうなずきながら楽しく読める処方箋が満載された本です。
「漫談」的な要素も込められていて、読者はあきることがありません。

著者の阿部さんは、私の大学時代の友人ですが、毒舌・名言でも有名な、そして具体的な提案活動もしっかりとしている、曲がったことの嫌いな、国士的な学者です。
時に、阿部さんは「変人」とも評されますが、ご自分は「変人」を「変革の人」と読み替えて、変人であることを受け入れています。
「政策法学」という新しい分野の創始者で、その分野でもたくさんの専門書を書いています。

「政策法学」というのは、現在問題となっている法制度を具体的に取り上げ、その立法政策的な改善策を提言する学問だそうです。
公共政策にもつながる具体的な提言や問題提起につながる実践法学と言ってもいいでしょう。
法学というと、私には敷居が高いですが、それであれば私にも関心があります。
というか、その姿勢は、「法とは何か」という、私の基本的な関心課題につながっていますので、まさに私の関心事でもあります。

ちなみに、私自身は、最近「法」というものに、ほとんど関心を失ってきています。
私が法学部で学んだのは「リーガルマインド(法の精神)」ですが、その視点で考えると、最近の法には「心」があるのかと、つい思ってしまうのです。
日本はほんとうに法治国家なのだろうかという疑問さえ、時に感じます。

そんな私のような世捨て人的なひねくれた姿勢ではなく、現実に果敢に取り組んでいるのが、阿部さんです。
専門書を書くかたわら、阿部さんがさまざまなところで発表してきた、日本社会を覆いだしている病魔の法的処方箋の集大成が本書です。
本書の帯に「病魔に苛まれている法と政策を蘇生させよ Dr.阿部の執刀開始!」と書かれていますが、その快刀乱麻ぶりは、時にはちょっと共感できないものもありますが、そこにこそ、本書の真価があります。
誰もが違和感なく読めるようなものは、読む価値も聴く価値もありません。

阿部さんは、日本の法律学に関して、こんなことも書いています。

法律学では、そもそも、「疑え」という研究方針や指導方針がないと感ずる。
判例通説を整理せよ、外国法を整理せよ、そしてまとめよというものが多い。
そこから新学説は出てくるが、それでも、新規の考え方は少ない。

まったくもって同感です。
そして阿部さんは言います。

筆者は、法律家として、日本の法制度がうまくいっているのか、不備をどうすれば改善できるのかを念頭に、何事にも疑問{?}を持って、半世紀以上研究してきた。

こうした視点で、まとめられたのが本書です。
もう少し阿部さんの言葉を引用させてもらいます。

そして、問題を発見したら、解決策としては、通り一遍ではなく、逆転の発想で、あるいは、一手しか読まないのではなく、せめて二手読むとか、二者択一ではなく、合理的な中間案をつくるとか、あるいは強行着陸ではなくソフトランディングを試みるというものである。
このような研究は、法学界では前例がない新しい道を開拓してきたもので、いまだ十分な評価はされていない(それどころか、四面楚歌かもしれない)が、これこそが日本の法学者の使命であると信じている。

どうですか。法律嫌いの人も、ちょっと読みたくなるでしょう。
目次だけでも15頁もあるほど、Dr.阿部の手術のメスは、社会すべてに向けられています。
第1章は「国会・内閣・裁判所のありかた」。つづけて「社会問題・国民生活」「税制改革」「医療福祉」「環境保護」「大学」「その他身辺雑記」と広い分野にわたって論が展開されています。
しかも、そこには、与党独裁体制を許さない法システム、「国旗国歌は作り直せ」とか「オリンピックは無駄」とか、祝日も休日にするな(来年の10連休は大反対)、「命を大切にせず、医療費を無駄使いする厚労省」、さらには「バカほど儲かる医師・弁護士システム」、未亡人の再婚を邪魔する遺族年金、文科省は廃止せよなどといったことが書かれています。
Dr.阿部の、快刀乱麻ぶりがわかるでしょう。

できれば、まずは「はじめに」を読んでもらい、後は関心事に合わせて拾い読みしてもらうのがいいと思います。
「はじめに」に、阿部さんの生き方がわかる文章があるので、引用させてもらいます。

社会科学者仲間では、福島の原発事故にもかかわらず相変わらず「原子力村」で、原発は安全であるという枠内の研究をしたり、阪神・淡路大震災や東日本大震災が身近に起きても我関せず、自分の「学問」に没頭したり、広島原爆の被災地にいながら、被爆者に寄り添うことなく、平和な学問をして偉くなっている人が少なくない。
筆者には、彼らは民の苦しみなど知る余地もないように見える。(中略)
筆者の専攻の行政法学関係者は、役所からお座敷がかかるので、どうしても役所寄りの発想になりがちである。

そうだそうだ!と拍手したいです。
阿部さんの人柄がかなり伝わってくるでしょう。
彼自身は、「とうの昔に御用学者を総撤退し、大学にも縁がないので、「しがらみ」がなく、文科省批判も含め、信念に従った発言をしている」と言っています。
まあ、しがらみがあっても発言してきたと思いますが(そのために社会の主流派から外されたと本人は言っています)。

ちょっと高価なのが気にいりませんが、現代日本の「法的欠陥事典」と考えれば我慢できそうです。
しかし、個々の問題の処方だけが本書のメッセージではありません。
「逆転の発想」で頑固な法律さえも、活かし方が変わってくること。「学問」とは何か、学ぶとは何か、社会をよくしていくためにできることは何か、などということへのヒントも、その気になれば読み取れます。
アジテーションも含意されているかもしれません。
これを読んだ読者が、身近な病魔にDr.阿部流の執刀作業を始めると、日本ももっと住みやすくなるかもしれません。
法の精神が蘇ってくるかもしれません。
ですから本書は、ある意味で、Dr.阿部の執刀術学習講座でもあるのです。

多くの人に読んでもらい、多くの人に執刀をはじめてほしい。
そんな意味で、本書を推薦します。

ちなみに、Dr.阿部の湯島サロンを10月12日の夜開催します。
まだ少し余席があります。
参加ご希望の方は私あて、ご連絡ください。

■「反ヘイト・反新自由主義の批評精神」
(岡和田晃 寿郎社 2000円)
「批評の無力が叫ばれて久しい。だが、本当にそうであろうか? 否、と大声で言いたい」という、岡和田さんの熱いメッセージから本書は始まります。
出版社からは、「文学界・思想界からの反響・反発が必至の〈禁断〉の文芸評論集」と紹介されていますが、著者の岡和田晃さんが「2008年から2018年まで書いてきた「純文学」とポストコロニアルな問題を扱う評論を、現代日本の閉塞状況を少しでも打破せんとする視座から精選」した評論集です。
副題は「いま読まれるべき〈文学〉とは何か」。
ほとんどの作品を読んでいない私としては、少し罪の意識を持ちながら本書を読みました。
岡和田さんは、作品を呼んでいない人への心配りをしているのですが、それでも時に取り上げられた作品を読みたくなります。
まあ、それが評論の一つの使命と効用なのでしょうが。

切り口は、アイヌ民族・沖縄・原発など、いわば「現代日本の辺境」からの「渾身の〈一矢〉」ですが、向けられている矢先は、東京界隈で無機的に生かされている私たちです。
その鋭い矢先は、私にもかなり鋭く刺さってきました。
岡和田さんの深い知と強い思い、そして「冷えた怒り」さえ感ずる「熱い本」です。

岡和田さんの批評精神への視線は、なかなか厳しいです。
「既存の権威におもねらず、単独者の観点から風穴をあける行為が批評」だと言い、「批評という境界解体的な知のスタイル」を縦横に駆使して、「虚飾とシニシズムが積み重なり、閉塞に満ちている」現代社会の実態を解き明かしていかねばならない、と言います。
しかし、現在の批評は岡和田さんの期待に応じていない。
「かつて批評とは、アカデミズムとジャーナリズムの谷間に位置し、両者を架橋する言説」として、新しい物語の創発を働きかけていたが、昨今の批評は、アカデミズムとジャーナリズムと一緒になって、「同調圧力を高める類の願望充足的な物語」の提供に頽落したと、厳しく指摘します。
しかも、批評は「無力」どころか、積極的な「旗撮り役」を担っている。
そうだそうだ!と、年甲斐もなく、思わず声を出したくなってしまいます。

文学や思想の根本に根ざす「どこからか不意にやってきて人間を揺さぶるような発想」から生まれる言葉が、真空に掻き消える前に把捉し、あらゆるカテゴライズの暴力を拒むダイナミズムを起こしていくことが、文芸批評だと、岡和田さんは言います。
言葉の力を、「こちら側」で、主体として確信している。
「批評とは、常に死との対話であり、終わりのない格闘でもある」とも言っています。
これもまた心に響きます。

しかし最近の私は、文学や評論から遠のいてきています。
20年ほど前から、そうしたものがうまく受け止められなくなってきているのです。
「現代文学は政治性や社会性から目を閉ざし、他者を意識することなく衰退の道を辿ってしまった」という岡和田さんの指摘に、自らの怠惰さが救われるような気がしましたが、その状況においてもなお、岡和田さんは文学や批評の意義を確信している。
そして、「このような知的風土に息苦しさを感じ、そこを切り拓く言葉、すなわち〈文学〉とは何かを模索」し、劣化しつつある現実を穿つために、本書に取り組んでいる。
我が身を省みて、大いに反省させられました。

本書の理論的な屋台骨は「ポストコロニアリズム」、それも「ポスト=終わった」植民地主義ではなく、まさに「いま、ここ」にある植民地主義です。
自分ではそう思いたくないのですが、もしかしたら私もすでにその十分な住人なのかもしれない。
それが最近の、私の厭世観や不安の根因かもしれません。
生き方を問い質さなくてはならない。

本書で取り上げられている作品のかなりの部分が、「北海道文学」です。
なぜ岡和田さんは北海道にこだわるのか。
それは、そこが日本の「辺境」だからです。
「辺境とは、近代国家が発展を遂げる際に、民族差別や「棄民」の発生など、切り捨てられた矛盾が露呈する場所。『北の想像力』が目指すのは、その矛盾から目をそらさず、できるだけ精緻に思考をめぐらせていくことだ」と岡和田さんは言います。
辺境では、埋められた過去に後押しされて現在の本質が露呈してくる。
そして、そこから未来の道が二手に分かれて見えてくる。
そこに岡和田さんは新しい地平を感ずるのでしょう。
ちなみに、私も、ある意味での「辺境の住人」を意識していますので、未来はそれなりに見えていると思っています。

しかし、辺境はまた、独善にも陥りやすい。
本書では、最後に「沖縄」がわずかに取り上げられています。
そこに私は大きな意味を感じました。

最初に会った時、岡和田さんは「SF評論」に取り組んでいると言ったような気がします。
そのSFは、「“思弁=投機”(スペキュレーション)性を軸に現実とは異なる世界を希求するSF(=スペキュレイティヴ・フィクション)」を、たぶん意味しています。
現実に埋没し安住するのではなく、思弁の世界にも遊ばなければいけない。
そこに岡和田さんのメッセージがあったのでしょうが、その時には気づきませんでした。
私も老いてしまったものです。
若いころ、私もSFの世界を楽しんでいましたが、どうもその頃の余裕を失ってきています。
自らの、いろんな意味での「老い」にも、本書は気づかせてくれました。

剥き出しにされた個としての人間を制度的に絡め取っていく国家に、どう対峙すべきか。
数字と金銭とシステムで構成された管理社会をどう生きていくか。
岡和田さんは、たとえばそう問いかけてきます。
そして、もっと悩めと追い込んでくる。
それが人間というものだろうと、いうのです。
反論のしようもありません。
老人には、酷な話なのですが、逃げてはいけない。
そういう意味では、生きる元気を与えてくれる本でもあります。

かなりハードな本だと思いますが、社会をよくしたいと思っている方には読んでほしい本です。
未消化の紹介で申し訳ないのですが、いのちと希望のこもった評論集です。

■「アイヌ民族否定論に抗する」
(岡和田晃 マーク・ウィンチェスター編 河出書房新社)
本書は2015年、つまり3年前に出版されました。
いまさら紹介するのはどうかとも思いましたが、昨今の社会状況からして、その内容はますます価値を持ってきていると思い、紹介させてもらうことにしました。
著者は文芸評論家の岡和田晃さん。
私は一度しか会っていませんが、なぜか岡和田さんがその後、送ってきてくれたのが本書です。

しばらく置いていたのですが、読みだしたら、中途半端な姿勢では読めない本だとわかりました。
編著者の岡和田さんの思いも、強く伝わってきました。
読み終えたのはかなり前ですが、今回また要所要所を読み直しました。
改めて、「読まれるべき本」だと思いました。

書名通り、「アイヌ民族否定論に抗する」というのが、本書の内容ですが、編集のコンセプトは、「アイヌ民族否定論へのカウンター言説の提示をベースにしつつ、現在、第一線で活躍している作家と研究者たちが、自分たちの専門分野/関心領域に引きつける形でアイヌについて語ることで、現代を読み解いていこう」というものです。
ていねいに書かれているので、アイヌについてあまり知識のない人にも読みやすい内容になっています。
同時に、アイヌにまつわるヘイトスピーチの現状やアイヌの置かれている状況を、広い展望のなかで、概観できるようにもなっています。

最初に、編者(岡和田晃 vsマーク・ウィンチェスター)の対談が置かれていますが、そこで本書の全体像と方向性としての軸が示されています。
つづいて23人の人が、それぞれの関心領域から、自由な議論を展開しています。
そのおかげで、「アイヌ問題」が、非常に立体的に、あるいは私(読者)の生活とのつながりも感じられるほど具体的に見えてくると同時に、私たちの社会が抱えている問題や先行きの懸案課題が可視化されてきます。
つまり、アイヌを語りながら、私たちの生き方が問われている内容になっています。

視野はとても広がっています。
たとえば、香山リカさんは、ナチス時代のドイツの精神医学から優生学や民族衛生学の危険性を語りながら、それにつながるような形で、「国家」とは何かを示唆してくれています。
テッサ・モーリス=スズキさんは、視野を世界に広げ、経済のグローバル化の進む中で、世界各地でも排外主義と人種差別に基づく誹誘中傷が驚くほど増大してきているが、日本のインターネット上において、人種差別による誹誘中傷、威嚇や脅迫の言葉が野放図に拡大していることは、世界各地の傾向に逆行していると指摘します。
さらに、日本のヘイトスピーチの特徴は、差別的なレトリックがターゲットとする範囲が広がり続けていることを指摘し、「最初は北朝鮮と韓国、中国、今度はアイヌ…。次に来るのはいったい誰でしょう?」と問いかけてきます。
寮美代子さんは、私がなんとなく感じていたことを言葉にしてくれました。「私がはじめて「先住民文化」を意識したのは、アメリカ先住民だった。野蛮で残忍なのは、むしろ征服者側の白人のほうだったという認識が生まれた」。アメリカで生活して得た感覚だそうです。
さらに、寮さんはこんなことも書いています。「比較的好戦的なナヴァホ族は、戦いを好まないホビ族をさらに乾いた土地へと追いやっていた」。テッサ・モーリス=スズキさんの問いかけに重ねて考えると不気味です。
ちなみに、寮さんは「Chief Seattle's speach」を翻訳編集して、絵本(『父は空母は大地』)にした人ですが、その絵を描いたのが友人の篠崎正喜さんです。素晴らしい絵です。

結城幸司さんは、ヘイトスピーチについて、「言葉は人を殺すし、人を生かす」と書いていますが、「私たちアイヌは言葉の民であるからこそ、言葉の力を知っている」とも書いています。
結城さんの文章を読んで、私はヘイトスピーチだけではなく、反ヘイトスピーチにおける言葉の乱れを思い出します。
どこかで間違っている気がしますが、本書の書き手はみんな言葉を大事にして書いていますので、安心して読んでいられます。

こんな感じで内容について書いていったら切りがありません。
ともかく23人からのメッセージは、いずれも思いがこもっています。
そしてそれらが共振しながら、読者に問いかけてくるのは、そんな社会に生きていていいのですか、ということです。
問題はアイヌにあるのではありません。
アイヌの問題が、私たちの生き方や社会のあり方のおかしさを問い質してくれている。
それを気づかせてくれるのです。

ぜひ多くの人に読んでもらいたくて、3年前の本ですが、紹介させてもらいました。

なお、なぜ本書を紹介したくなったかの理由は、最近出版された岡和田晃さんの「反ヘイト・反新自由主義の批評精神」(寿郎社)を読んだからです。
岡和田さんの若い情熱に圧倒されたのと、文芸評論という仕事の意味に気づかせてもらいました。
その「反ヘイト・反新自由主義の批評精神」は、読み終わるのに1週間以上かかってしまったうえに、十分消化できたとは言えませんが、何かとても大切なことを思い出させてくれました。
岡和田晃さんの世界についていく力はありませんが、こういう若者がいるのだと感動しました。
この本も、また紹介させてもらおうと思います。
十分に咀嚼できていないので、紹介する能力はないのですが。

■「子どもNPO白書2018」
(日本子どもNPOセンター編 エイデル研究所 2500円)

日本子どもNPOセンターが、2号目になる「子どもNPO白書2018」を出版しました。
創刊号に劣らず内容が充実しているので、この活動も軌道に乗ってきたことがわかります。
子ども関係のNPOはとても多く、その全体像はなかなか見えてきませんが、こうした白書の継続的な発刊を通して、さまざまな分野の活動がゆるやかにつながっていくことが期待されます。

第1号と同じく、白書は大きく「理論編と「実践編」に別れています。
理論編では、創刊号発刊後3年間の間に起こった、大きな変化について解説されています。
まずは法的環境の変化について、NPO法、児童福祉法、教育基本法の改正とその問題点が解説されています。
市民活動の視点から、改正の方向性に関する批判的な指摘もしっかりと行われています。
市民、それも実践者中心の手による白書であることの強みと言っていいでしょう。

NPO活動は、法的環境に大きく影響されますが、改正の動きを所与のものとして受動的に捉えるのではなく、むしろ法的環境を能動的に変えていくことがNPOの大きな使命です。
個々のNPOとしては、なかなかそうした使命は果たせませんが、そう言う意味でも、こうした白書づくりの意味は大きいでしょう。
子ども関係のNPOをつないでいく子どもNPOセンターの最大の役割はそこにあるように思います。
個々のNPOはどうしても目先の問題の対応に追われがちですが、ゆるやかにつながっていくことで、子どもの視点からの法的環境の整備にも関わっていくことができるはずです。

理論編では、法的環境と並んで社会環境の変化も取り上げられています。
自然環境、平和活動、SNSに代表される情報環境、さらには子どもの貧困への具体的な実践として広がりだしている子ども食堂などの動きなどが、多角的に語られています。

実践編は、第1号と同じく、領域別に具体的な活動事例や実践者の論考が展開されています。
いずれも実践を踏まえたものなので、説得力を感じます。
事例は、北海道から九州まで全国にわたっています。
第1号よりも、執筆者の顔ぶれが広がっているのも、うれしい前進です。
なお、資料編として、関係法や条文なども掲載されています。

日本子どもNPOセンター代表の小木さんは、「刊行によせて」で、今回も第1号で掲げた編集方針を大事にしたと書いています。
それは、「全国の子どもNPO活動の全体像が鳥撤できること」と「全国に点在する子どもNPOにヒントを投げかける理論と実践を紹介すること」の2つです。
この「白書」活動を継続していくことこそ、いま必要なことと確信している小木さんの思いは、着実に深まり広がっているようです。

読み物としても、資料としても、密度の高い、しかしとても読みやすい白書ですので、子ども関係のNPOに関わる人はもちろんですが、多くの人に読んでほしい白書です。
NPOのネットワークがつくる白書の継続刊行は、めずらしい活動ですが、個々の問題に取り組むとともに、そうした活動が横につながって、社会への情報発信をしていく活動こそが、市民社会を育てていくのではないかと思っている私としては、応援していきたい活動です。
ぜひとも多くの人に知ってもらい、この白書活動をさらに広げていければと思います。

ただ、そのためにもいくつかの課題はあるように思います。
私は第1号の紹介に際して、白書の内容として、2つの要望を書かせてもらいました。
ひとつは、「領域を超えた実践者たちが、今の子どもたちや社会をどう考えているかを話し合うような座談会」。
もうひとつは、「子どもにとっての活動の場である社会を、子どもたちはどう見ているのかという子どもたちの声」。
今回も残念ながらそうしたものはかなえられませんでしたが、第2号を読んでもう一つ感じたことがあります。
それは、小木さんが意図されているように、子どもたちの世界や子どもNPO活動の世界が鳥瞰できるように、この白書を図解化できないだろうかということです。
図解化することで、見えてくることも多いですが、それ以上に図解化することで、子どもNPO活動に降り汲んでいない人たちの理解は進むでしょう。
創刊号も含めた2冊の白書を材料にして、子ども世界の動向を鳥瞰図的に図解化するワークショップや研究会などができれば、きっと子供世界がもっと見えてくるような気がします。

これだけの白書をつくることに、関係者のみなさんがどれほどの苦労をされたかが少しはわかる者として、こうした要望を表明するのは、いささかの躊躇はありますが、逆にこれだけの苦労をさらに効果的なメッセージにしていくためにも、第3号にはそうした企画をぜひ入れていただきたいと思います。

せっかくできた白書ですので、ぜひこれを活用したフォーラムや集まりを、領域を超えて展開していっていただきたいとも思います。

ぜひ多くの人に読んでいただきたい白書です。
できれば一度、湯島でもこの白書を材料にサロンを企画したいと思います。
子ども世界を見れば、これからの日本が見えてきますので。

■「発達障害に生まれて 自閉症児と母の17年」
(松永正訓 中央公論新社 1600円)

豊かに生きたいと思っている、すべての人に読んでほしい本のご紹介です。

「トリソミーの子」「呼吸器の子」と、これまで難病の子どもと母親との関係を軸に、人間の素晴らしさと危うさを、深く優しく問いかけてきた松永正訓さん(小児外科医)が、今回は知的障害児とその母親を取り上げました。

本書の帯には、「幼児教育のプロとして活躍する母が、自閉症児を授かり、世間一般の「理想の子育て」から自由になって行く奇跡を描いた渾身のルポルタージュ」とありますが、知的遅れのある自閉症の男の子(勇太君)の17年間を母親からの聞き取りをもとに、松永さんがまとめたものです。
松永さんは「あとがき」で、「ノンフィクションを書く上で重要なのは、筆者の取材力と表現する力であるが、それ以上に大事なのは、取材を受ける人間の語る力かもしれない」と書いています。
私は、それ以上に大切なのは、「筆者と語る人の信頼関係」ではないかと思っています。

本書では、主役である「母」の思いや言葉が、実に素直に、剥き出しのまま書かれていて、驚くほどです。
そこには取り繕った「言葉」はありませんし、へんに遠慮した筆者の思いこみで包まれた「言葉」もない。
発している言葉が、実に生々しく、とんがっている言葉なのに抵抗なく心に入ってくる。
その一方で「母」に向けられた周囲の声が、まるで自分に向けられたように、心に突き刺さり、うれしくなったり悲しくなったりするのです。
本書のいたるところで、「母」と筆者の信頼関係を感じます。
実に安心して読めるだけではなく、読んでいる自分も、違和感なくその世界で一緒に生きているような気になるのは、筆者の立ち位置が単なる観察者ではないからでしょう。
だから、読んでいるほうまでも、「母」と「同期」してしまって涙が出てしまう。
私は本書を電車の中で読んでいたのですが、3回ほど、涙がこらえられませんでした。
本に出てくる情景が、あまり生々しく、まるで自分のことのように感じたからです。
「母」の思いに筆者が同期し、さらに読者まで同期してしまう。

今回も松永さんの大きな関心は、「受容」です。
人を受容するとはどういうことか。
しかも評論的にではなく、これまでの作品と同じように、松永さんはいつもそこに「自分」を置いて考えています。
今回もそれがよくわかります。
さらに今回は、そこにもう一つの視点が加わりました。
「普通」という呪縛です。
松永さんは、本書を通じて、自閉症の世界の一端を明らかにし、私たちの日常を縛る「普通」という価値基準の意味を問い直したいと書いています。
「普通」という呪縛から解放されると、世界は豊かに輝いてきます。
「受容」は「普通」からの解放に深くつながっています。

そのことが本書には、具体的に語られています。
たとえば、ちょっと長いですが引用させてもらいます(文章を少し変えています)。

知り合いの母親に、勇ちゃんの保育園での写真を見せた。健常児が横一列にきれいに整列して歌を歌っている。勇ちゃんは後ろの方の床で絵本を広げでいる。「こんなふうに、うちの子はみんなと一緒に歌ったり、集団行動が取れないのよ」。母は嘆くように相談を持ちかけた。実はその母親は、自身がアスペルガー症候群(知能が正常な自閉症)だった。従って勇ちゃんの気持ちが分かる。分かってそれを言葉で伝えてくれる。「この一列に並んでいる子たち、本当に不思議ねえ。どうして同じ格好をして歌っているのかしら? 後ろで本を読んでいる方がよっぽど楽しいのに」。この言葉も母には衝撃だった。そうか、自分は健常者の視点でしか、我が子の世界を見ていなかったのか。

発達障害の二次障害という、衝撃的な話も出てきます。
無理に「普通」に合わせようとする結果、うつ病や自律神経失調症などの精神障害を発症してしまうことがあります。
それを頭では知っていても、親はわが子を何とかしてやりたくて、無理をさせてしまう。
しかし、それは子どもためにはならない。
それが時にどういう結果になるか。
母がそれに心底気付いたのは、たまたま入院病棟で垣間見た病室の風景でした。
その場面は、読んでいて、私の心は凍りつきました。
読後も決して忘れられないほど、強烈なイメージが残りました。

受容とは普通の呪縛からの自由になって、お互いを信頼し合うことなのです。
それは、「発達障害の世界」に限った話ではない。
それに気づくと、世界は違って見えてくる。

読みだしたら、引き込まれて一気に読んでしまう本です。
勇太君と母との17年間は、たくさんの気づきと生きる力を、読む人に与えてくれる。
この本は書名の通り、発達障害児と母との物語です。
しかし、読みようによっては、誰にでもあてはまる示唆がたくさん散りばめられている。
人とどう関わるか、信頼するとはどういうことか、幸せとは何なのか、生きるとはどういうことか。
自らの問題として、そこから何を学ぶかという視点で読むと、山のようなヒントがもらえるはずです。
書名の「発達障害」という言葉にとらわれずにすべての人に、読んでほしいと思う由縁です。

ちなみに、10月6日に、湯島で松永さんにサロンをしてもらいます。
松永さんの人柄に触れると、さらに本書のメッセージを深く受け止められるでしょう。
ご関心のある人は私に連絡してください。

■「九条俳句訴訟と公民館の自由」
(佐藤一子/安藤聡彦/長澤成次編著 エイデル研究所)
私は、昨今の「社会教育」のあり方に大きな違和感があります。
時代状況が変わる中で、「社会教育」(学校教育もそうですが)の捉え方を変えていくことが必要だと思いますが、一度できた枠組みはそう簡単には変わりません。
いまだに、統治視点からの行政主導の「与える社会教育・与えられる社会教育」、「国民の意識を高める(国民教化)ための教育型の活動」が中心か、もしくは自分の趣味を広げる(つまりある意味での社会性を抑え込む)「生涯学習型の社会教育」になっているような気がしてなりません。
しかし、社会がここまで成熟し、人々の意識や生き方が変わってきている中で、そろそろそうしたあり方を見直し、むしろ方向性を反転させて、私たち生活者一人ひとりが主役になって、「お互いに学び合う社会教育」「まちや社会を自分たちで育てていく社会創造型の活動」にしていく段階に来ているのではないかと思います。
それは同時に、私たち一人ひとりの社会性や市民性を高めていくことでもあります。

そこで、3年ほど前に、「みんなの社会教育ネットワーク準備会」を友人たちと立ち上げました。

しかし残念ながら、その試みは挫折したまま、今もって動き出せずにいます。
ところが、社会教育の地殻変動は、現場では広がりだしているようです。
この本を読んで、大きな元気をもらいました。
その一方で、やはり改めて「社会教育」の捉え方を変えていくことの必要性を実感しました。
そこで一人でも多くの人に読んでほしいと思い、本書を紹介させてもらうことにしました。

さいたま市のある公民館の俳句サークルで選ばれた秀句が、いつもなら掲載されるはずの「公民館だより」への掲載を拒否されるという事件(2014年6月)は、覚えている方も多いでしょう。
その対象になった俳句は、「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」。
その句が、「社会教育の政治的中立性」という理由で、行政から掲載拒否されたのです。
俳句の作者と仲間たちは行政に異議申し立てし、その支援者も広がりだしました。
しかし、市民と行政との話し合いは、うまくいかずに、訴訟にまで発展し、「九条俳句不掲載事件」として今なお争われているのです。
一審で敗訴した行政は控訴し、高等裁判所による控訴審の判決が、この6月18日に出されます。

俳句サークルの人たちやその応援団の人たちは、この数年、社会教育法をはじめ、さまざまなことを学びながら、「おかしなことをおかしい」と主張してきました。
問題を広く知ってもらうための公開イベントなども開催してきました。
新聞やテレビでも取り上げられましたので、湯島のサロンでも話題になったことはありますが、私は、そんな動きが広がっていることさえ知らずに、最近では忘れてしまっていたことを大いに反省しました。

本書は、こうした「九条俳句訴訟」事件のドキュメタリーです。
今月18日の高裁判決に合わせて緊急出版されました。
自治体から突然、理不尽な圧力を受けた女性たちが、それに抑えられることなく、正面から対峙し、公民館で住民が学び続ける意味を再確認するとともに、表現の自由を守る活動へと広がっていった経緯が、事件に関わったさまざまな人たちの「思い」も含めて、立体的に紹介されています。
本書から、この事件から見えてくる最近の日本の社会の「あやうさ」と、実践活動を通してのメッセージが伝わってきます。

原告作者は「もう70年前の様な時代に逆戻りは絶対ごめんです」と、2015年7月の提訴にあたっての呼びかけ文に書いています。
また、かつて公民館職員だった方が、ある事件に関連して、かつて社会教育と政治の関係について次のように述べていたことが紹介されています。
「私たちの生活に関する話題は、そのほとんどが政治にかかわることだといっても過言ではありません。政治にかかわる事柄が、政治的だという理由で公民館活動のなかで禁止されるとしたら、人間の自己教育活動としての社会教育は成立しなくなってしまうのではないでしょうか。」

まったく同感です。
俳句の掲載拒否の理由はいうまもなく『九条守れ』が問題視されたのです。
そもそも憲法を遵守しなければいけない行政職員が、憲法を守れということに否定的という、それだけも公務員の倫理責任に反するようなことが堂々とまかり通るようになっている現実は、変えていかねばいけません。
一人でも多くの人に本書を読んでいただきたいと思います。

6月には、本書をテーマにしたサロンを湯島で開催する予定です。
また、社会教育のベクトルを反転させた「みんなの社会教育ネットワーク」も、再挑戦しようと思い出しています。
共感して下さる人がいたら、ぜひご連絡ください。

なお、本書の目次は次の通りです。
その合間に、この問題から見えてくる重要な「キーワード」の解説もあります。

【第T章】九条俳句不掲載一何が問題か?−
【第U章】九条俳句不掲載損害賠償等請求事件の原告主張と地裁判決
【第V章】九条俳句訴訟の争点と課題
【第W章】社会教育施設の学びの自由を守るために
【資料】判決文(全文)/弁護団声明/九条俳句市民応援団声明

■ブックレット「児童労働、NPO/NGOのチャレンジ」(日本子どもNPOセンター編 400円)

3年前に「子どもNPO白書」を発刊した日本子どもNPOセンターが、ブックレットの刊行に取り組みだし、その第1号が出版されました。
それが「児童労働、NPO/NGOのチャレンジ」です。
ぜひ多くの人に読んでいただきたくて、ご紹介させてもらうことにしました。

私は、「児童労働(Child Labor)」と「子どもの仕事(Child Work)」をわけて考えられていることを本書で知りました。
「児童労働」は義務教育を妨げる労働、有害・危険な労働のことで、ILO条約にこれらを禁じる条項が設けられ、日本も批准しているそうです。
一方、「子どもの仕事」は、教育を受ける権利や健康的な発達を妨げることなく、学校に行きながら家の手伝いや物売りなどのアルバイトをすること。
前者は子どもの育ちを妨げ、後者は子どもの育ちを支援するものといってもいいでしょう。
これを分けて考えることから、たぶん問題の所在が見えてくると思いますが、世界にはまだまだ「児童労働」が多いのが現実です。
その現実を変えようと動き出した「子どもたち」によって、いま、世界は変わりだしています。
しかし、動き出したとはいえ、現実には多くの問題が山積です。
本書はそうした活動に取り組んでいるNGOフリー・ザ・チルドレン・ジャパン・ジャパン(FTCJ)のメンバーを中心にした集まりの記録をもとに構成したブックレットです。
http://www.ftcj.com/
とても興味深いのは、FTCJの報告を聞いた、子ども関係のNPOで活動している若者たちが、自らの活動と繋げながら、想いを語っているところです。
とても生き生きしたやりとりが、そこから伝わってきます。

本書の企画に関わった日本子どもNPOセンターの森さんは、本書の「はじめに」で、「地域で活動するNPO、海外の現場と国内をつなぐ国際NGO、どちらも現場で得た知見を発信することは、大切な役割の一つです」と書いていますが、私たちには見えない「現場」はたくさんあります。
特に、子どもたちの世界は、大人たちにはなかなか見えません。
子どもたちの問題を、子どもたちが現場で関わりながら、変えていく。
そのことをもっと多くの人たちが知れば、子どもたちの取り組みはもっと大きな動きになっていくだろう。
知ることから何かがはじまる。
森さんは、そう考えているようです。

ところで、アジア、アフリカなどの児童労働の問題は、私たち日本人にとっては遠い話だと思う人も多いかもしれません。
しかし、決してそうではないと、現場に関わっている人たちは言うでしょう。
アジア、アフリカ、中南米などの児童労働の背景には、経済のグロバリゼーゼーションがあります。
それは、むしろ先進国の一員でもある日本人が進めていることです。
そして、その動きは、国内においても「子どもの貧困」と「大人の貧困」を生み出しています。
そういう視点から、子どもたちからのメッセージを受け止めると、まさにこの問題は私たちの生き方につながっていることに気づきます。

小さなブックレットで、コーヒー1杯分で購入でき、コーヒータイムの時間で読み終えることができます。
ぜひお読みいただければうれしいです。

本書を購入したい人は、日本子どもNPOセンターの森さん(QZP13433@nifty.com)にメールでご連絡ください。
あるいは、湯島の私のオフィスに来てもらえれば、直接、購入してもらえます。
またこのブックレットをテーマにした湯島でのサロンも5月20日に予定しています。
お時間があれば、ぜひご参加ください。

■「大学生が本気で考える子どもの放課後」
(深作拓郎・岸本麻依編集 学文社 2018)
以前、子育ちネットでご一緒した深作拓郎さんが、学生たちなどと一緒に取り組んでいる活動を本にしました。
深作さんは、「子どもたちが育っていく環境を豊かにすること」をライフワークにしています。
研究と合わせて、子ども視点の実践活動を、子どもや若者たちと一緒に取り組んでいる姿勢に、とても共感しています。
いまは青森県の弘前大学生涯学習教育研究センターの先生なので、なかなか会う機会はありませんが、深作さんの最近の活動報告書でもある本書を読んで、彼の姿勢がまったく変わっていないことをとてもうれしく感じました。
いろんな意味で、本書は示唆に富んでいますので、紹介させてもらうことにしました。

本書の主役は、書名からもわかるように、大学生です。
本書の紹介文にこう書いてありました。

大学生が地域に出て行き、子ども主体の豊かな放課後を考える。
弘前大学の学生と教員の研究会“らぶちる"の魅力的な活動の数々を紹介。
地域の子どもを魅了したその活動と、子ども主体の働きかけの具体を探る。
大学の地域貢献を考える際にも参考になる一冊。

まさにそういう本です。
地域で、子どもたちに関わる人には、ぜひ読んでほしいです。
いや、まだ関わっていない若者たちにも読んでほしいです。
ついでに、大人たちにも。
子どもへの見方が変わるかもしれません。

深作さんは、編集代表のひとりとして、第1章で、大学や大学生が地域社会と向き合い,これからの地域社会の担い手としての10代から20代前半の青少年がどのような育ちをしているのか,について、調査と実証研究からの考察と提言を試みています。

学校でもなく家庭でもない、第3の空間としての地域社会を深作さんは「エピソードとファンタジーが連続する世界」と書いています。
子どもたちは,子ども同士で「遊ぶ」ことを通して「いきいき・わくわく・ドキドキ」しながら「育ちあい」=「子育ち」を営んでいると、深作さんは言います。
「子育て」という表現に少し違和感を持っている私としては、「育ちあい」「子育ち」という発想は、とても共感できる捉え方です。

しかし、と深作さんは、いまの状況への危惧を表明しています。
そうした子ども同士で繰り広げられる「自主的」「自治」の世界であるはずの放課後・学校外、そして家庭外の世界が、大人の「価値観」が侵略されてきているというのです。
遊びの中に「学習」や「成果」が要求されるようにもなってきている。
いわゆる「放課後の学校化」です。

深作さんたちが実施した調査でも、子どもたちには、「ゆとりのなさ」「行動の内向き化傾向」「自分に自信がない」という傾向が見えてきていると言います。
このままでは、家庭の困窮や教室内での息苦しい人間関係から逃れ,素になれる貴重な機会でもある第3の世界が子どもたちから奪われるのではないかと深作さんは心配します。

では、どうしたらいいか。
プレイワークとコミュニティワークを活用して、そうした状況を変えていけるのではないか。
深作さんは、そういう思いで、6年前に、学生・教員研究会「らぶちる−Love for Children」を立ち上げます。
“らぶちる”では、「放課後は学校ではないこと」「学校の先生のような指導はしないこと」「子どもを信じて見守ること」を大切に、さまざまな活動に取り組んでいます。
本書は、その“らぶちる”メンバーが中心になってまとめた活動報告書でもあります。

“らぶちる”メンバーの大学生たちの実践が、彼ら本人によってリアルに報告されています。
そして、そうした活動を地域の人たちがどう捉えているかが、さまざまな立場から寄稿されています。
さらには、こうした実践から、大学発の子どもの地域活動の可能性も語られていて、
地域社会にとっての大学の役割を考える上でも、たくさんの示唆が得られます。
教育とは何か、子育ち支援とは何かを考えるヒントもたくさんあります。

さまざまな視点によって語られている本ですので、いろんな読み方ができます。
これからの“らぶちる”の活動に大きな関心を持っています。
いささか遠いので、参加できないのが残念ですが。

子どもたちに関心のある人たちにお薦めの1冊です。

■「ドラッカーが教えてくれる人を活かす経営7つの原則」(村瀬弘介 産業能率大学出版部 1800円)
経営の中心は「人間の尊厳」にあるべきだ、というドラッカーの経営思想にほれ込んだ、ジャズミュージシャンでもある経営コンサルタントの村瀬弘介さんが魂を込めて書き上げた、きわめて実践的な経営リーダー指南書です。

ドラッカー経営論を読んだ方は多いでしょうが、本書はちょっと異色のドラッカー書だといっていいでしょう。
どこが「異色」かといえば、本書はドラッカーの経営論の紹介というよりも、ドラッカーの魂と出会った著者村瀬弘介の魂が、これまでの実践のなから生みだした、独自のドラッカー思想実践経営の書なのです。

村瀬さんは、本書の中でこう書いています。

本書のマネジメント学の多くは、敬愛するドラッカーの思想からインスピレーションを得て、私のアート・感性・精神世界の学びをコンサルティングの現場で統合・昇華したものです。

つまり魂の響き合いの中で生まれたインスピレーションが、この書を生みだしたといえるでしょう。
もちろんその根底にあるのは、ドラッカーの思想です。
ドラッカーの経営理論から学んだ人は多いでしょうが、村瀬さんの学びはいわゆる「右脳的」で、確信的で、その魂から学んだのです。
村瀬さんが脱構築したドラッカー理論は、本書を読んでもらうしかありませんが、一言で言えば、次のようになるかもしれません。
経営は、「人間の尊厳」や「平和で自由な社会」を実現するためのものであり、ただ組織の利益を上げるためのものではない。
しかし、人間の尊厳と平和と自由な社会こそが、企業を元気にしていき、結果的に業績も上がっていく。
企業は人によって実体が創り上げられていますし、社会によって支えられているからです。
そこには、個人と企業と社会が三位一体となった経営の捉え方があります。

そうした理念を、村瀬さんはこれまでのさまざまな実践の中から、極めてわかりやすく7つの原則に体系化し、具体的な行動手順と具体的なツールで、誰もが実践できるように、道筋を示してくれているのです。
しかも、知っているだけではだめだと言って、最後に「世界をより良きものにするために、さあ行きなさい!」と、読者の魂のスイッチを押してくれるのです。
ドラッカーと村瀬さんの魂に背中を押されたら、動かないわけにはいきません。

村瀬さんは、昨今の日本の状況に大きな危機感をもっています。
だからこそ、企業の経営リーダーの人たちに向けて、本書を書かずにいられなかったのです。
村瀬さんは、リーダーシップとは権力ではなく、働く人を活かし、成果を上げる「責任」だと言います。
本書を読んだ人たちには、そうした真のリーダーとしての自らのスイッチを起動させ、人と社会を幸せにしていくためにこそ、自らの組織の成果を上げてほしいと村瀬さんは願っています。
そしてそれこそが、人間中心の経営を説くドラッカーの願いだと確信しているのです。
「リーダーに、正しいことをしなさい。人と社会を幸せにしなさい。もう戦争の起きない、自由で平和な社会を守りなさい。と彼(ドラッカー」は魂から訴えています」と、村瀬さんは書いています。

本書の目次は次の通りですが、7つの原則ごとに、実施手順と実践ツールが示されていますので、その気になればすぐにでも実践につなげられる、とても実践的な書物です。
そして、実践することで、おそらくドラッカーの理念も体現できるでしょう。
もしかしたら、それは最近の(人を浪費しがちな)企業経営とは似ているようで違っていて、まちがいなく企業を元気にし、業績につながっていくはずです。

企業に関わっている方はもちろんですが、行政やNPOに関わっている人にも、ぜひとも読んでいただき、実践に取り組んでいいただきたいと思います。
もしかしたら、実践を通して生き方も変わるかもしれません。
なにしろドラッカーと村瀬さんの魂がこもっていますから。

序章    ドラッカーとの出会い
原則1  顧客志向の原則:マーケティングカンパニー
原則2  変革・進化の原則:イノベーションカンパニー
原則3  成果を上げる原則:プロダクティブカンパニー
原則4  学習する組織の原則:ラーニングカンパニー
原則5  リーダー確立の原則:リーダーシップカンパニー
原則6  使命・立命の原則:ミッショナリーカンパニー
原則7  人を活かす原則:マネジメントカンパニー
最終奥義 立命・克己・行動の章:あなたの真のリーダーシップに火をつける

■社会保障切り捨て日本への処方せん
(本田宏 自治体研究社 1100円)
医療制度改革に精力的に取り組んでいる本田宏さんが、とてもわりやすい本を書いてくれました。
ぜひ一人でも多くの人に読んでほしい本です。
本田さんは、情熱の人です。
いささか思いが強すぎて、話についていけない人もいないわけではありませんが、きちんとお話を聞けば、みんな共感するはずだと私は思っています。
本田さんの思いを、ぜひ多くの人に知ってほしくて、何かできることはないかと考えていたのですが、この本を広めていくことに、まずは尽力したいと思います。

本田さんは、外科医として医療に取り組むむかたわら、日本の医療制度や社会保障制度を国民の視点から改革していくための活動に取り組まれてきています。
一時期は、テレビなどでもかなり発言されていましたので、ご存知の方も少なくないと思います。
そうした活動を進めるうちに、本田さんの思いは、医療や社会保障にとどまらず、教育問題や政治問題、つまり社会そのもののあり方を変えていかなければという思いにまで広がり、還暦を契機に、社会活動に専念すべき、外科医を引退したのです。
以来、医療と日本再生のための講演や執筆などの情報発信に加えて、幅広い市民の連帯を目指して多くの市民活動への参加に全力を投じてきています。

湯島のサロンでもお話していただいていますが、もっと時間をかけて、多くの人に聞いてほしいといつも思っていました。
ですから本書が出版されたことは、とてもうれしいことです。
本書では、本田さんが伝えたいことの一部だとは思いますが、本田さんがなぜ人生を変えてまでこの活動に取り組んでいるのか、そして本田さんが一番伝えたいことは何か、がとても誠実にわかりやすく書かれています。
思いはこもっていますが、単に「思い」だけで語っているのではありません。
医療現場での体験と広い視野からのデータに基づいて、日本のどこが問題で何を変えれば医療や社会保障が充実するのかを、広い視野と深い洞察のもとに展開しているのです。

具体的な内容は、本書を読んでいただきたいのですが、本田さんが、なぜこうした活動を続けられてきたのかの理由を紹介させてもらいます。
それは、「諦めずに明らめる」ように努めてきたからだと、本田さんは言います。
そして、問題の本質を明らめるための4つの視点として、「全体像を把握せよ」「ショック・ドクトリンに騙されるな」「歴史に学べ」「 グローバルスタンダードと比較する」をあげています。
これは、最近、私たちがともすれば失いがちな姿勢ではないかと思います。
そしてそうした4つの視点を活かすためには、考える基盤になる情報がポイントになるので、情報に振り回されないメディア・リテラシーを高めなければいけないと呼びかけます。

それに関連して、本田さんは、「日本の学校は、考えない人間を5つの方法で生み出している」という、鈴木傾城さんという人のブログを紹介し、次のように書いています。
ちょっと長いですが引用させてもらいます。

「多くの日本人は勘違いしているが、覚えると考えるは別である」と鈴木氏は強調し、「日本では国民の8割がサラリーマンのため学校の重要な使命は上司の言うことをよく聞いて、口答えせず、言われたことを忠実に行い、不満があっても黙々と働き、集団生活を優先するように規格化すること」と日本の教育を一刀両断にしています。確かに教育こそが国家にとって都合のよい人間を生産できるシステムです。振り返れば医療費抑制の国策の結果の先進国最少の医師数の中で、家庭を犠牲にしてまで黙々と働いてきた私も、「言われたことを忠実に行い、不満があっても黙々と働き、集団生活を優先する」という、考えない教育の賜物だったのです。

「終わりに」で本田さんが書いていることにも心から共感しますので、これもちょっと長いですが引用させてもらいます。

政治が良くならなければ医療はもちろん社会保障や教育も良くならない、その一念で纏めたのが本書です。今後も日本を「国民第二に考える民主国家として子や孫の世代にバトンタッチできるよう、明日からも「考えて政治に関心を持つ人」を増やすことを目標に講演や市民活動に邁進したいと思います。

このメッセージを、私はしっかりと受け止めようと思います。
私も、生活とは実は政治そのもんだと思って、サロンを毎週開催しています。

本書は本田さんが続けてきている講演のエッセンスがベースになっていますので、とても読みやすいので、ぜひ読んでほしいです。
そして共感したら、まわりに人にもぜひ紹介してください。
また本田さんはいろんなところで講演もしていますので、機会があれば是非お聞きください。
本田さんは、何人か集まれば話に行ってもいいとまでおっしゃっています。
本書には出てこない、時にはちょっと滑ってしまうような、心和む楽しいジョークや横道話もたくさんあるので、書籍で読むのとは違った面白さと示唆があります。

いろんな意味で多くの人に読んでいただきたいと思っています。

■「観光先進国をめざして」
(田川博己 中央経済社 1600円)
「観光開発」をテーマにした地方自治体の地域活性化政策が広がっています。
私が住んでいる千葉県の我孫子市も、数年前に観光に力を入れるために、外部から専門家を採用し、観光行政に力を入れ出しました。
しかし、その進め方は私にはどうも違和感があります。
「伝え方」重視で、「伝える価値」と「関わり方」の磨き方が弱い気がします。

我孫子市だけではありません。
観光ということを取り違えているとしか思えないような話を聞くことは少なくありません。
以前、地域振興アドバイザーという活動をしていて、ある観光地に関わったことがありますが、観光の捉え方は人によってまったく違うことを痛感しました。
私自身は、「観光」とは、その地域を輝かすことだと思っています。
輝かすと言っても、立派な施設をつくるとか、派手なイベントをするとかいうことではありません。
要は、みんなが住みつづけたいと思うような(行きたくなるようなではありません)魅力的な地域にしていくことではないのか。
つまり、観光産業とは、観光客のためにあるのではなく、そこに住んでいる人たちのためにあるのだろうと思います。
地域は、施設や自然環境だけで成り立っているわけではありません。
一番大切なことは、そこに住んでいる人たちの生活が醸し出す文化、雰囲気。
そこに暮らしている人たちがみんな幸せそうなら、そこを訪れた人たちも幸せになるでしょう。
その結果、いわゆる「観光客」も増えてくる。
そんな気がします。

そんな思いを持っていた時に、出会ったのがこの本です。
友人の上本洋子さんが関わった本です。
本書は長年、JTB(日本交通公社)で観光産業の発展に取り組んできた田川博己さん(日本旅行業協会会長)が、新しい時代に向けての「ツーリズム」の価値と役割を、社会に問いかけた書です。
田川さんは、ツーリズムを「物見湯遊山の観光旅行」を超えた、「人々の流れを創出し、交流、消費を促すとともに新たな価値観を創り出す活動」と定義しています。
そこから、経済活動としての観光産業論ではなく、社会活動としての広い広がりをもった提言を展開しています。
ツーリズムには、雇用を生み、経済を成長させる力だけではなく、善を進め、平和な社会を構築するという力があるというのが、田川さんの確信です。
それは、田川さんの長年の活動からの確信でしょう。
とても納得できます。

ちなみに、昨年(2017年)の訪日外国人数は2869万人と言われ、日本経済への波及効果も高まっています。
しかし経済効果だけではありません。
それによって、日本という国への理解や親しみが広がるとともに、私たち日本人もまた、多様な世界の存在に触れ、「意識の壁」が開かれ、それが平和につながっていくというわけです。
とても共感できます。

そうした視点から考えると問題も見えてきます。
日本人は、自国の魅力をしっかりと認識できているだろうかと田川さんは問題提起します。
私たちはもっと、日本の歴史や文化を知らなければいけません。
そしてそれが世界にとって、あるいは未来にとって、どんな価値があるのかをしっかりと考えなたとえば、田川さんはこう言います。

国としての立場だけでなく、世界から見た日本の地域として考えてみましょう。
日本は唯一の被爆国で、東日本大震災では福島原発事故にも見舞われました。
これらの事実を検証しながら、ネガティブではなくポジティブに発信していく時期に来たのではないでしょうか。

そして、「日本の根っこにある文化と、平和を求める精神をどう引き出すか、これは東京オリンピック・バラリンピックに向けて新しいメッセージを打ち出したい部分でもあります」とも書いています。
私は、最近のような単なる経済活動になってしまったオリンピックの開催には否定的ですが、こうしたことに取り組むのであれば、オリンピックにも大きな価値を見いだせます。

さらに田川さんは、2015年の国連サミットで採択された持続可能な開発目標(SDGs)に向かって、ツーリズムでできることはたくさんあると主張します。
そしてそれに向けて、JTBは「第三の創業」に取り組んでいることを紹介しています。
そこで表明されているJTBのこれからの事業領域は、「人の生活の質の向上」「持続的な地域社会の発展」「企業の社会的価値の向上」の3つです。
まさに、観光からツーリズムへとJTBが率先して変わりだしているわけです。
それに比べて、日本の自治体の観光政策の意識は大きく遅れているように思います。

本書は、副題にある通り、「日本のツーリズム産業の果たすべき役割」を書いた本ですが、その第5章『旅が変えるこの国の未来・人の生き方』に象徴されるように、私たちの生き方にもいろんな示唆を与えてくれます。
観光とは何かを考える1冊としてお勧めします。

■「おっしゃん二代記」
(吉村克己 コミー株式会社 1800円)

ATM(現金自動預払機)を利用したことのある人なら、だれもそこについている小さなミラーをご存知だと思います。
平らなのに広角に見える不思議な鏡です。
最近は地下鉄の通路などにも広く使われて、衝突防止などに役立っています。
このミラーをつくっているのが、コミー株式会社です。
もっとも、コミーの社長の小宮山さんに、コミーは何をつくっている会社ですかと訊くと、うちは物語をつくっている会社だと答えるはずです。
コミーにはたくさんの物語があるのです。

そのコミーが、出版事業を始めました。
物語をつくる会社として、多くの人に読んでほしい「物語」を本にして、しっかりと残していく活動に取り組みたい、というのが出版事業に取り組みだした理由です。
2月に2冊の本が出版されました。
1冊は、黒岩比佐子さんの「音のない記憶」の復刊です。
この本ができたのは湯島のサロンが関係していますので、私には思い出の深い本です。

そしてもう1冊が、ここで紹介する「おっしゃん二代記」です。
主役の一人は、長野にある児童養護施設「愛育園」理事長の藤本光世さんです。
私も2度ほどお会いしています。
そのお父さんの藤本幸邦さんにはお会いしたことがありませんが、まったく無縁だったわけでもありません。
この本を読んで知ったのですが、間接的にはささやかなつながりが私にもあったのです。

本書は、上野駅で悪さをしていた戦争孤児を引き取るというエピソードから始まります。
そして、その活動から始まった児童養護施設「愛育園」の卒園者が国立大学に合格するというエピソードで終わっています。
その間、70年。
日本の社会は大きく変わり、人々の価値観も変わりました。
敗戦から経済復興を経て、現在にいたるまで、子どもたちに関わってきた藤本父子の二代記は、同時に、その70年の日本社会の小史でもあります。
時代の変化は、さまざまなエピソードや父子二代の言動にも読み取れますが、特に印象的だったのは、愛育園50周年記念誌に、幸邦さんが書いた、「私は、明治のものさしで子供を見ていたのでした」という言葉でした。
実践から出てきた、その言葉には深い意味を感じます。

本書に一貫して通底しているテーマは、「家族」「教育」「幸福」です。
戦災孤児3人をお寺に引き取り児童養護施設を始めた先代住職と、その長男で長野県立高校校長を歴任し養護施設を継いだ2代目住職の活動を通読すると、時代状況や社会の価値観の変化が読み取れ、そこから「家族」や「教育」、さらに「社会」に対する考え方の変化が見えてくると同時に、時代を超えて変わらないものへの気づきも得られます。

微妙に意識が違っている父子二代の間で、どのようなやりとりがあったのか、とても興味がありますが、直接的なやりとりはあまり出てこないのはちょっと残念です。
また、先代の話が中心になっていますが、先代のもとで育った2代目光世さんが、時代の変化のなかで何を考え、これからをどう展望しているかは、興味があります。
著者は、「家族とは何か、家庭とは何か少しでも考えるきっかけになってもらえればありがたい」と書いていますが、「親子関係のあり方」や「子どもの自立」とは何かについても、問題を投げかけています。

光世さんを中心にした続編を期待しています。

■「食は、しあわせの種」(高石知枝 花伝社 1500円)
私は料理をすることはほとんどありません。
妻には先立たれましたが、幸いに娘と同居しているので、妻が私用に残してくれたエプロンも、10年たちますが、使われたことがありません。
だからと言って、インスタント物は好きではありません。
外食は時々しますが、基本的には手づくり料理が基本の生活をしています。
娘がいなければ、餓死していてもおかしくはありません。

高石さんは、食こそしあわせの種であり、生命の基本だと言います。
そして、料理をすることの大切さと楽しさを広げていきたいと言っています。
その高石さんが、私にもちゃんと料理ができると言って、この本を送ってきてくれました。
余計なお世話ですが、好意には報わなければいけません。
ですから読むだけではなく、実践してから紹介文を書こうと思っていたら、やはり遅くなってしまいました。
なにしろ料理は苦手どころか、その気が皆無なのです。
しかしなんとか、この本にしたがって基本の基本は自分でやってみました。
基本の基本とは、しいたけ、玉ねぎ、にんじんを使っての「重ね煮」です。
おどろくことに、いとも簡単に、私でもできました。
そして美味しくいただけました。
ちょっと幸せな気分になりました。
もし、みなさんが「健やかに幸せに生きたい」ならば、この本をお薦めします。

食に取り組みだしたきっかけは伴侶をがんで見送ったことです。
夫の病気を治すために、そして夫の死を無駄にしないために、高石さんは、食と健康についてたくさんの本を読み、体験を重ね、「食」の大切さを強く感じるようになりました。
「食は生き方」とか「食はいのち」ということが、単に言葉だけではなく、心底そうだと思えてきたのです。
そして、いきついたのが「しあわせに生きるための食」。
それこそが、夫の死を無駄にはしないことだと気づいたのです。
本来、食は人をしあわせにするもの。料理を楽しく作ることはその第一歩。
それが高石さんの考えです。
ですから、一人でも多くの人に、「しあわせに生きるための食」を伝えていきたいと考えたのです。

高石さんは、料理は楽しくできなければいけないと言っていますが、たしかに私にもできる料理法です。
高石さんは「私の料理は適当料理」といい、調味料の分量などはこだわっていないのです。
高石さんはこう書いています。

料理方法は最初から決めつけず、その野菜を見てその時一番いいと思った料理の仕方をすればいいのです。(中略)料理も生き方と同じで、作り方や味付けもこうでなければとこだわりすぎるのは料理の幅を狭くしてしまうと思います。
料理の中心軸にあるのは、自分や家族の心と体にとって喜びとなる料理と考えます。(中略)常に自分の心と体の声を聞く。心も休もいつも同じではありません。季節やその時の体調などでちがってきます。年齢によっても変わります。頭ではなく、常に自分の体に向き合い対話をしながら作ることです。体がちゃんと教えてくれます。

「適当」には、とても深い意味が込められているのです。
そして、高石さんは、料理は自分自身に向き合うことかもしれないといいます。

しかし、最近は、料理を楽しく作っているだけではしあわせになれない部分が出てきた、と高石さんは言います。
あまりにも不自然な食べ物が多くなり、今は食べたもので病気になっていくようになってしまったからです。
そして、食を通してしあわせに生きるための「食からの未病学」を提唱します。
それは次の3つの柱からなっています。
@自然(じねん)料理を通して「料理を楽しい」と思って作ること
A未病のための陰陽講座を通して「自分の主治医は自分自身」という自覚を持つこと
B子どもたちを台所に立たせることは、未来の未病につながるということ

さてこれから先は本書をお読みください。

最後に、もう一つだけ高石さんの文章を引用します。

自分が作ったものを「おいしいね」といって食べることで、みんながしあわせになっていく。「食」ってすごい力を持っていると思いませんか。そんな「食」の持つカをもっともっと大事にしてほしいです。生かしていってほしいです。「食」はすべてをつなげていきます。すべてをしあわせに変えていく力を「食」は持っています。

私もちょっとだけ料理をしてみて、このことだけは実感しました。
どうですか。
みなさんも本書を読んで、幸せになりませんか。


■「青い眼の琉球往来」
(緒方修 芙蓉書房出版 2017)
16世紀半ばのポルトガル製の世界地図には、中国大陸の東に横たわる列島が描かれ、その列島全体の名として、「琉球」を意味するポルトガル語が記されていた、ということを加藤陽子さんの「戦争まで」という本で知りました。
その列島の一つの島の名が「日本」だったそうです。
日本は、琉球(沖縄)の一部だとの認識が、当時の世界にあったということになる、と加藤さんは書いています。
言うまでもなく、当時の琉球は日本とは別の国家でした。
このことを知って、改めて沖縄のことを調べたくなった時に、沖縄在住の緒方さんから『青い眼の琉球往来』(芙蓉書房出版)が届きました。

不思議なほどのタイミングなので、一気に読ませてもらいました。
そして、1793年に出版された初版の『アメリカン・エンサイクロペディア』や1797年の『エンサイクロペディア・ブリタニカ』には、「琉球とはアジアの強大かつ広大な帝国を成す島々の名前である。その国民は文明開化され、アジアに広がる他の野蛮国と混同してはならない」と書かれていたことを知りました。
ますます沖縄のことを知りたくなりました。

本書は、19世紀に琉球にやってきた“青い眼”の人たちの航海記や遠征記などの記録を読みながら、現地を訪問してまとめた、緒方さんの歴史紀行エッセイです。
単なる記録の紹介ではありません。
緒方さんも、あとがきで、「ところどころ逸脱して原文から離れ、想像の世界に遊んだ」と書いていますが、緒方さんの人柄や考え方が素直に出ていて、エッセイとしても面白い。
時に横道に外れながらも、現代の沖縄問題への鋭い目線も感じさせるメッセージも込められています。
気楽に読める本ですが、読み終えると現在の沖縄の状況への共感や理解が深められるような、そんな緒方さんの思いが伝わってきます。

日本を開国させたペリーは、日本に来る前に琉球に寄っていますが、そのことを私は本書で初めて知りました。
ペリーは、琉球をとても重視していて、日本には2回しか寄港していませんが、琉球には5回も寄稿していたことも、初めて知りました。
本書の副題は「ペリー以前とペリー以後」とあります。
その視点は山口栄鉄さんの著書から学んだ、と緒方さんは書いていますが、それにつづけて、「乱暴な言い方をすれば、ペリー以前、バジル・ホールの航海記は紳士的(英国の狡猾さはあまり見えない)、ペリーは乱暴者(砲艦外交)。沖縄にいると、ペリーのやり方が今でもまかり通っている、と感じる」と書いています。
私は、この短い文章に緒方さんの強い思いを感じます。

緒方さんは、クリフォードの「訪琉日記」を踏まえて、琉球が「香港」と並ぶ自由貿易港になっていた可能性を想像し、もしそうなったら、100年後の日米戦争では琉球国内に英米軍基地がつくられ、そこから日本への爆撃機が連日飛び立っただろうと言います。
そしてその後で、「米軍の嘉手納基地から日本本土に対する核攻撃がいつでも可能という現状を思い出させる」と書いています。
誰もあまり口にしないことですが、私にはとても真実味を感じさせられる言葉です。
沖縄の基地は、中国や北朝鮮ばかりでなく、「日本本土」にも向けられていることに気づかなければいけません。

面白いエピソードもひとつ紹介しておきます。
1816年、琉球王国に寄港、那覇に40余日間滞在した英国人バジル・ホールは、帰国途中で、セントヘレナに流されていたナポレオンのところに立ち寄ったそうです。
バジル・ホールの父は、士官学校でナポレオンと同窓でした。
彼の『航海記』には、「琉球では武器を用いず、貨幣を知らない、また皇帝の名前も聞いたことがない、とホールが語ると、ナポレオンは大笑いし、笑い声が隣室まで聞こえたという」と書かれているそうです。
そしてナポレオンは、こういったそうです。
「そのような嘘は止めてもらいたい。自分が生きているこの世の中に武器を持たない民族がいるはずがない。武器がなければ、その民族はどのように戦争をするのだ」。

沖縄から学ぶことはたくさんありそうです。


■「礼道の「かたち」−人間道、80年のあゆみ」
(佐久間進 PHP 2000円)
初代日本冠婚葬祭互助協会会長で株式会社サンレーの創業者である佐久間進さんが、創業50周年を機に、ご自身の「人間道」への歩みを振り返り、儀礼につながる「礼道」と人間性を高めるための道である「人間道」の真髄をまとめた書です。
佐久間さんは、日本の歴史や人物、宗教などの研究と、現代の偉人との交流などを積み重ねることで、窮境の「八美道」(『わが人生の「八美道」』http://cws.c.ooco.jp/books.htm#071216)を完成させていますが、今回はそれをさらに深めて、日本人として忘れてはならない生き方を語ってくれています。

本書の詳しい内容紹介は、佐久間庸和さんのブログをお読みください。
http://d.hatena.ne.jp/shins2m+new/20171030/p1

佐久間進さんは、長年、冠婚葬祭事業や観光事業に取り組まれていますが、私が佐久間さんにお会いしたのは、北九州市の観光協会主催の「ホスピタリティ」をテーマにしたシンポジウムでした。
そこでお話しさせてもらい、その後、佐久間さんが経営するサンレーをお訪ねしました。
それがきっかけで、息子さんの佐久間庸和さんとの交流も始まったのですが、その頃は佐久間進さんが、こうした大きな理念のもとに事業展開されていることに気づきませんでした。
今回の本を読ませてもらって、恥ずかしながらそれに気づいたのですが、そこで語られていることの多くは、まったく違うアプローチですが、私の活動に通じていることが多く、とても共感しました。
本書の内容に関する紹介は、庸和さんのブログをぜひお読みいただきたいのですが、私が気づかせてもらったことを2つだけ紹介しておきます。

ひとつは、日本の文化にはきわめてポジティブな思想が込められているということへの気づきです。
佐久間さんの信条は、「何事も陽にとらえて、明るく楽しくいきいきと生きる。そこには必ず道がひらける」ということだそうです。
ポジティブに生きることで、人は人生を苦しめる四苦八苦を克服できるというのです。
そして、そうしたポジティブシンキングを支える文化が日本にはあることに気づかせてくれます。
たとえば、般若心経は、きわめてポジティブな意味を内包するもので、ポジティブシンキングを実現するための有力な手段でもあると言います。
私も毎朝、般若心経を唱えていますが、これにはまったく気づきませんでした。
しかし言われてみると納得できます。
講・結・座といった、日本の互助のための組織もまた、とらえようによってはポジティブシンキングを支えてくれる仕組みです。
そう考えれば、日本の冠婚葬祭文化もまさにそうです。
そもそも「和の文化」は、まさに人を元気にさせる仕組みとも言えます。

もうひとつは、そうした「和」の文化を世界に広めていくことで、世界に平安をもたらすことができるという気づきです。
佐久間さんが、冠婚葬祭事業や観光事業に取り組んでいることの意味がよくわかりました。
佐久間さんは、すでにそうした文化を世界に広げていく活動を進めています。
私は、最近の日本の観光産業の進め方には違和感を持っていましたが、佐久間さんのような理念に基づいて展開するのであれば、とても大きな意味をもっています。
そして冠婚葬祭事業と観光とは、深くつながっていることにも気づかせてもらいました。

とても読みやすい本です。
『礼道の「かたち」』という書名で、ちょっと腰が引ける人があるかもしれませんが、生き方を考える大きなヒントが、平明に書かれています。
関心のある方はぜひお読みください。

■「高齢期社会保障改革を読み解く」(社会保障政策研究会編 自治体研究社)

先日、湯島のサロンで、福祉環境は改善されている一方で、社会保障政策の劣化を感ずるという発言をしたら、福祉の現場の真っただ中にいる参加者にたしなめられました。
現場から見ると、福祉環境も福祉行政も大きく改善されているというのです。
たしかにそういわれると反論はできません。
でもどこかに違和感を強く持っています。
そういう状況の中で読んだせいか、とても共感できるメッセージの多い本でした。

本書は、安倍政権の社会保障政策を高齢者に焦点を当ててその本質を読み解くとともに、
高齢期に発生する生活問題を整理したうえで、それを変えていくためには市民による改革が必要だと主張しています。
とても共感できる内容です。
高齢期社会保障に限らず、福祉政策全体に言えるのではないかと思います。
念のために言えば、福祉行政も大きく改善されているという現場の人の意見に異論はないのです。
どちらが正しいかという問題ではなく、たぶんどちらも正しいと思います。
その上で、しかし、多面的な視点を持たないと現実や未来は見えてこないのではないかと思うのです。
私たちは、二者択一の○×で判断しがちですが、いずれも○の異論が両立することはよくあることです。
その意味で、本書はできるだけ現場の人に読んでほしい本です。
「現場の人」という言葉には、すべての高齢者も含めています。

数名の執筆者が高齢期社会保障の問題をさまざまな具体的な切り口から論じ出ていますが、本書の基本姿勢は第1章の「高齢期社会保障に潜む課題と地域共生社会の本質」(芝田英昭)で示されています。
たとえば、こんな風に現在の政策は厳しく批判されています。

安倍政権の下では復古主義的・保守主義的政策が一気呵成に実施されているが、社会保障分野においても、家族主義、コミュニティヘの依存を強める自助・自立・相互扶助を基本とした社会保障切り捨て政策が全面的に打ち出されている。
例えば、厚生労働省に置かれた「『我が事・丸ごと』地域共生社会実現本部」(2016年7月設置)が、社会保障切り捨ての先導役を務めていると言える。
しかし、実現本部は、「地域共生社会」の名の下に、地域に生起するあらゆる課題・問題を地域住民が自助・共助を基本に解決していくとしているが、この方向性は、生存権を公的責任のもと具現化した社会保障制度の基盤を揺るがす重大な誤謬を犯しかねない。

「地域共生社会」という、私も目指したビジョンさえもが、「社会保障を崩壊させ、監視国家へ変貌する危険性を孕んでいる」と辛らつに指摘されています。
説明会に参加した友人から、「『我が事・丸ごと』地域共生社会」のビジョンの話を聞いた時には、共感を持ちながらも、政府がそんなことを言い出すことに違和感がありました。
本書を読んで、その違和感に確信が持てました。
芝田さんは、「国家が監視しているだけでは、国民を完全には統制できないことから、一段進んだ形態として、「住民相互の監視システムと密告」装置を構築させようとしている。それが、まさしく「現代版隣組制度」としての「地域共生社会」ではなかろうか」と書いていますが、それほどの厳しい目が必要なのだと気づかせてもらいました。
違和感は放置していてはいけないのです。

もう一つ共感したのは、「健康長寿社会の形成に資する新たな産業活動の創出及び活性化、(中略)それを通じた我が国経済の成長を図る」こととし、「健康・医療」分野を、経済成長の道具と位置づけている。人間の生命・生活の根幹をなす分野を産業化することは、商品としての健康・医療分野を購入できる者とできない者との格差を拡大させ、国民の健康破壊を推し進めることにしかならないし、健康・医療における人権思想・倫理観が欠如しかねないといわざるを得ない」という指摘です。
そしてこの問題は、第5章の「高齢者福祉「改革」と市場化・産業化」(曽我千春)へと引き継がれます。
ここでの主張は私がずっと前から思っていたことで、20年ほど前に雑誌などでも書いたこともあります。
http://cws.c.ooco.jp/siniaronnbunn1.htm
私が一番危惧しているのは、「汎市場化」の流れです。
介護保険制度は介護の社会化と言いながら、介護を市場化してしまいました。
それによって、介護環境は「改善」されたかもしれませんが、失われたものも大きいように思います。
この章は、我が意を得たりと思いながら読みました。

本書の最後は、「市民による改革の必要性」(本田宏)です。
実は本書は、執筆者のおひとりでもある本田さんにいただいたのですが、医師だった本田さんは医師を辞めてまで、社会をよくしようという活動に取り組んでいます。
本田さんは、「いま高齢期の社会保障を直撃する「社会保障費抑制と市場化・産業化」の流れを止めるためには、市民による改革が不可欠である」と書いています。
本章は読んでいて、本田さんの熱い思いが伝わってきます。
お時間がない人は、この本田さんの怒りの章だけでもぜひ読んでほしいです。

■「二宮尊徳に学ぶ報徳の経営」
(田中宏司ほ
か編著 同友館 2017)
二宮尊徳の報徳思想は、農村救済の枠を超えて幅広い分野に浸透し、今日まで脈々と息づいていると言われています。
実際に、渋沢栄一、豊田住吉、松下幸之助、土光敏夫など、多くの経済人や組織にも影響を与えてきています。
本書は、こうした日本における経済・経営思想の原型といっても過言ではない「報徳思想」を現代の企業経営につなげながら、具体的かつ実践的に紹介しています。
最近の企業不祥事の報道に触れるたびに、日本の経営理念はどこに行ってしまったのだろうかと思う私としては、経営に関わる人たちに、いまこそ報徳思想を学んでほしいと思います。

本書は二宮尊徳の生き方を学び報徳思想を整理するとともに、現代の企業の実践から報徳思想を読み解くという方法で、理論と実践を一体化させた『二宮尊徳に学ぶ「報徳」の経営』を提唱しています。
尊徳のエピソードや企業経営の実践例がたくさん紹介されているので、とても読みやすいです。

本書の冒頭に、大日本報徳社社長の榛村純一さんが「二宮尊徳の人と思想と一つの実践」を寄稿していますが、榛村さんは長年、掛川市の市長として報徳思想を実践してきた人です。
この特別機構は30頁ほどの小論ですが、報徳思想の概論として、とても簡潔にまとめられています。それによれば、GHQのダニエル・C・インボーデン少佐は、二宮尊徳をリンカーンのような偉い人物だったと評価し、新生日本は尊徳の再認識を必要としていると主張していたそうです。

つづいて、第1部では二宮尊徳の生き方に学ぶとして、「一円観」「至誠」「勤労」「分度」「推譲」という、尊徳の考えが、現代の企業の経営課題である「ステークホルダー・マネジメント」「コンプライアンス」「顧客満足」「従業員満足」「危機管理」といった現代企業の経営課題につなげられて紹介されます。
さらに、第2部では、二宮尊徳の教えの実践事例として、岡田良一郎、渋沢栄一、御木本幸吉、豊田佐吉、黒澤酉蔵などが取り上げられ、さらに伊那食品やナガイレーベンなどの報徳経営に取り組んでいる企業が紹介されています。
研究会での成果の一つとして、報徳経営チェックリストも参考になります。

本書でも語られていますが、尊徳は、荒廃した土地を復興するには、まずそこに住む農民の「心」の復興が出発点だと考えていました。
いわゆる「心田開発」です。
最近の企業の不祥事を聞くにつけ、このことを思い出します。

企業だけではありません。
尊徳の思想や実践から学ぶことはたくさんあります。
ぜひ多くの人に読んでほしい本です。

■「なぜ、一流の人はご先祖さまを大切にするのか?」(一条真也 すばる舎 1400円)
世の中で「一流」と言われる人には共通点がある。
それは、ご先祖さまを大切にすること。
これが本書の出発点です。

本書は「誇れる人生」を送るための極意書です。
あるいは人生に「いいこと」を呼び込み、成功を獲得するための指南書です。
そんな大層にいわずに、今日を元気で過ごせるためのヒント書と言ってもいいでしょう。
難しいことが書かれているのではなく、「ご先祖さま」を敬うことだけで、人生は変わってくる、というメッセージの書です

著者の一条真也さんは、会社の経営者でもあります。
経営者として、一条さんが大切にしていることが「ご先祖さまを敬う」ことだそうです。
ご先祖さまこそ最強の成功応援団、と一条さんは次のように言います。

「ご先祖さまを敬う」ことは、わたしの経営者として役割を初期化してくれます。
何のために、この仕事をしているのか。
何のために、この会社が生れたのか。
わたしは迷ったときに、必ず神棚に手を合わせ、自問自答します。
これこそ、わたしにとっての初期化にほかなりません。
ご先祖さまに「この考えは間違っていませんか」と問うからこそ、わたしは道を大きく誤ることなく、これまで歩んでこられたのだと思っています。

一条さんに生きる指針を与えているのは「ご先祖さま」なのです。
ではその「ご先祖さま」とはだれなのか。
決して血縁的な先祖だけを指しているのではありません。
一条さんはこう書いています。

もちろん「あなた」という存在は、あなた自身なのですが、一方で、あなただけのものではありません。
必ず、あなたにつながる先人の血を受け継いでいます。
ご先祖さまを意識すれば、時間粋が「いま」から拡大されて、歴史を味方にし、さらに「永遠」を味方につけられるのです。
先祖を大切にする人は、永遠なる世界から得られる「永遠力」を獲得するのだといえるでしょう。

「ご先祖さまを敬うこと」は、歴史や宇宙に広がる生命力のパワーの源泉とつながることと言ってもいいかもしれません。
そしてそこから「永遠力」を得て、いのちを輝かすことができる。
一条さんは、「わたしたちは神や仏、あるいはご先祖さまという、見えない力によって支えられています」と書いていますが、ベルクソンのエラン・ビタールを思い出します。

とても平易に書かれていますが、そこに込められている一条さんの思いは、とても深いです。
生きることの意味を問いかけてくる本でもあります。
本書を読んで、「一流とは何か」「成功とは何か」に関しても、ぜひ思いを深めてほしいです。

■「コーオウンド・ビジネス」(細川あつし 築地書館 2015)



10年以上前に「オープンブック・マネジメント」という本の翻訳を出版させてもらいました。
オープンブックとは、会社の財務情報を社員に公開し、会社業績を社員にシェアする文化をつくろうという考えです。
もしこれが実現できれば、企業はみんな元気になるだろうという思いで翻訳しました。
私は経営学で学んだ「所有と経営の分離」という考えにずっと疑問を抱いていました。
それが会社をおかしくした最大の理由ではないか。そこから「雇用」という非人間的な関係が生まれるのではないかと思っていたのです。
書名は、「OBM革命で会社は変わる」としたかったのですが、残念ながら採用されませんでした。
OBMはオープンブック・マネジメントの略ですが、MBO(Management Buyout)を含意させていました。
その後、10年以上たってからですが、日本レーザーの近藤さんに会いました。
近藤さんは、Management Buyoutどころか、Management & Employee Buyoutを実現した経営者です。
感動しましたが、OBMを翻訳したころの思いはよみがえりませんでした。
企業のコーポレート・ガバナンスの動きが真逆に動いているのに、いささかの諦めを感じていたからです。

ところが、先週、その「オープンブック・マネジメント」を読んだ方がおふたり、湯島に訪ねてきました。
従業員所有事業協会の細川さんと小泉さんです。
そしてその時にいただいたのが、この「コーオウンド・ビジネス」です。
読んでいて、「オープンブック・マネジメント」を訳し、仲間と一緒に研究会をやっていた頃のことを思い出しました。
細川さんたちの思いに、久しぶりに昔の思いがよみがえってきました。

というようなことで、出版されたのは2年前ですが、多くの人にこの本を読んでいただきたくて、ここで紹介させてもらうことにしました。

コーオウンド・ビジネスという言葉を聞いたことがない方も少なくないでしょう。
要は従業員みんなが会社の株を持っていて「自分たちの会社」「みんなの会社」だと思えるような会社です。
本書によれば、すでに英米では確かな潮流になっているビジネスモデルで、米国では、すでに民間雇用の10%が「従業員が大株主」のコーオウンド・ビジネスだといいます。
そしてそうした企業は、利益も成長率も高くて、しかも社員みんながハッピー、会社の持続性も高いと言います。
そういう会社を実際にたくさん視察してきた細川さんたちが言うのですから、間違いありません。

コーオウンド・ビジネスが成功するための三種の神器は、「情報共有」「プロフィット・シェア」「オーナーシップ・カルチャー」だと細川さんは言います。
単に社員が株式を所有すればいいわけではありません。
情報と利益(経費もですが)が共有され、しかもみんなが「自分の会社」と思って仕事に取り組む。
それがきちんとできていれば、組織は「したたか」で「しなやか」なものになるはずです。
資本金まで自分たちで出しているということになれば、名実ともに「自分たちの会社」ですから、経費を使うのも慎重になりますし、利益を上げる喜びも高まります。
なによりも、出資者の顔色をうかがって仕事をする必要はありません。
なにしろ主役は自分なのですから。
管理などしなくても、それこそ自律的に、そして効果的に動き出すでしょう。
最近の企業のように、社員の精神障害で悩むこともなくなるでしょう。
そういう点でも、企業活動の生産性は高まりすし、無駄なコスト負担も少なくなります。

細川さんは昨今の企業で働く人たちについて、「多くの人にとって「仕事」と「しあわせ」が結びつかないものになり、「働くこと」と「生きがい」の間が遠いものになってしまった」と書いています。
私も、そこにこそ、昨今の企業の根本的問題があるように思います。
しかし、会社の出資者になれば、意識も取り組み方も全く変わるでしょう。
つらい難題も楽しくなるかもしれません。
仕事が楽しくなければ、生産性や仕事の質が高まるでしょう。
「会社のため」と「自分のため」「社会のため」がつながってこそ、仕事の生産性や品質は高まるはずです。

この本を読んで、オランダの会社のことを思い出しました。
オランダは、いち早く「働き方」「働かせ方」を大きく変えて、経済も社会も元気になってきています。
仕事も会社の制度に合わせるのではなく、自分の生活に合わせて、勤務や仕事が選べるようになっています。
その結果、経済も元気になってきています。
働くことに幸せを感じている人が増えると生産性は高まるでしょうし、自分が主役で働ければ、無駄な仕事や無駄な経費は減少するのでしょう。
みんなが楽しくなれば、身体や精神を壊して、会社に負担をかけることも少なくなるでしょう。
コーオウンド・ビジネスは、まさにそうした状況を生み出していくはずです。

細川さんは、コーオウンド・ビジネスは後継者に悩むオーナー経営者にとっては、M&Aに代わる事業継承策としても効果的だと言います。
すでにそうした相談にも乗っているそうです。

コーオウンド化の進め方は、企業によって違ってくると細川さんは言います。
コーオウンド・ビジネスは「社員がオーナーになってしまう」という、単純明快なビジネスモデルですが、実際には、そのビジネスモデルを実現するのは、多様な価値観を持つ人間です。
ただ単に、資本金を社員でシェアすればいいという話ではありません。
それを成功させるのは、推進する人たちの「ガット・フィーリング」だと言います。
言い換えれば、コーオウンド・ビジネスは単に論理だけではなく、人間的要素が大きな意味をもつということです。
細川さんは、「コーオウンド・ビジネスはガット・フィーリングによって実現し発展するモデルであり、同時にそのモデル自体が一人ひとりのガット・フィーリングに作用する」と書いています。
ちょっと長いですが、細川さんの言葉を引用させてもらいます。

社員たちはコーオウンド・ビジネス・モデルに身を浸して、「仕事とは何なのか」「自分は仕事を通じて何をしたいのか」「しあわせとは何なのか」という根源的な質問に直面する。人によってガット・フィーリングがただちに共振したり、最初はわけがわからないと思っていたが、だんだんガット・フィーリングがクレッシェンドしてきたりする。まったく共振しない人もいる。「モデル」は人を選ぶし、人も「モデル」を選ぶ。

細川さんの思いが伝わってきませんか。
細川さんは最後にこう問いかけます。

本書はあなたのガット・フィーリングに響いただろうか。

私には響いてしまいました。
細川さんの熱い情熱には歯が立ちませんが、私もなにができるかを考えたいと思います。
なぜなら、もし日本にコーオウンド・ビジネスが広がっていけば、日本の経済は元気になり社会にも笑顔が広がっていくと思うからです。

コーポレート・ガバナンスを変えなければ、企業は変わっていかない。
そう思っている私に、大きな元気をくれた本です。
ぜひ多くの人に読んでいただきたい本です。
オーナー経営者はすぐにでも取りかかれますし、大企業の経営者たちはその精神から学ぶことがたくさんあります。
そして若き起業家たちも若くない起業家たちも、その気になればすぐにでも挑戦できるビジネスモデルです。

近いうちに、細川さんに湯島でサロンをしてもらいたいと思っています。

■「般若心経 自由訳」(現代書林 一条真也 1000円)
一条真也さんが「般若心経」の自由訳を上梓しました。
一条さんは以前にも上座部仏教の根本経典の「慈経」の自由訳を書いています。
その時と同じく、本書も沖縄在住の写真家安田淳夫さんの写真と一条さんの自由な訳とそれを補足する話が、わかりやすく展開されています。
一条さんの自由訳とその表現方法は、空海の『般若心経秘鍵』に、そのベースがあると、一条さんは本を送ってきてくれた手紙に書かれていました。
『般若心経秘鍵』で、空海は「空」を「海」、「色」を「波」にたとえて説いているそうです。
本書でも、それがとてもわかりやすく説かれています。

私にとって一番新鮮だったのは、般若心経の中に書かれている「真言」の捉え方でした。
つまり、「羯諦羯諦、波羅羯諦、波羅僧羯諦、菩提薩婆訶」の自由訳です。
真言ですので、まさに無分別智の世界ですが、それを一条さんは鮮やかに読み解いています。
私にとっては、「目からうろこ」でした。
私は、毎朝、亡妻の位牌の前で般若心経を読誦していますが、一条さんの解釈にはまったく気づきませんでした。

本書を通して、般若心経の真髄にふれると、一条さんがいつも言っているように、「死は不幸ではない」ことが納得できるかもしれません。
空海の「海」と「波」の写真とそれを使った空の説明もとても説得力があります。

ちなみに、『般若心経 自由訳』のプロモーション動画も一条さんはつくっています。
ぜひご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=r00AKzL_YpA&feature=youtu.be

とてもきれいな書籍です。
身近に置いておくだけで、効用があるような気もします。
時に開けば、心の平安が得られるでしょう。
お手元に置く1冊としてお薦めです。

コモンズ書店から購入

■「重助菩薩」(筧次郎 地湧社 1500円)
筑波山麓で百姓暮らしをしている哲学者の筧次郎さんの短編小説集です。
なぜ哲学者が小説?と思われるかもしれませんが、私もその一人で、そのためしばらくは机の上に放置されていました。
しかしふと気になって読みだしたら、なぜか一気に読んでしまいました。
本の帯を改めて読んだら、こう書かれていました。

筑波山麓で就農してから34年。その間、百姓暮らしが与えてくれた視座と仏教に教えられたものの見方によって、農業のこと、環境のこと、近代の歴史、死生観など、いくつかの文章を発表してきました。そうした文章は、ひたすら論理の正確さだけを求めたため、感情の部分を抑えています。そのため、本を上梓するたびに短編の物語を書いてきました。この小説集は、いわば今まで書いてきた本の挿し絵のようなものです。

哲学者の挿し絵のような本。
とても納得しました。
そして今度は、挿し絵ではなく、文章のほうを読みたくなりました。
しかし、挿し絵だけでも明らかに大きなメッセージが伝わってきます。
むしろ本編は、挿し絵の説明文なのかもしれないと、「死を超えるということ」を読んで感じました。
言い換えれば、私には挿し絵に当たるこの本のほうが断然面白かったのです。

本書には5編の作品が収録されています。
そのいずれもがそれぞれに、少したじたじしてしまうほどの、大きなメッセージを与えてくれます。
しかし、私の心を騒がせたのは、最後の「王の愁い」でした。
たぶんこれは私が読んだ「死を超えるということ」の挿し絵でしょう。
「死を超えるということ」では、ソシュールの言語論が盛んに語られています。
もし言語がなかったら、人は人になれるのか、というのが同書のメッセージの一つですが、「王の愁い」はその回答かもしれません。
しかし、私にはうまく消化できずに(だからこそ心が騒いだのですが)、いささか忌まわしい気分が残ったのです。
私流に言えば、それは問うてはいけない問いなのです。
なぜ問うてはいけないのかは、「王の愁い」を読めば明らかです。
改めて考えると、この挿し絵はやはり分別知のこだわり過ぎているような気がします。
しかし、そこにこそ、著者が論理では語れなかった無分別智の世界が吐出されている。
だからとても面白く、示唆に富んでいる。
著者が何を考えたのか、思いを巡らすとどんどん広がっていきます。

「王の愁い」のなかに、ネナンドロス王と尊者ナーガセーナの会話がでてきます。
ちょっと長いですが引用します。

『大王よ、あなたは何歳になられますか?』
『わしは今年35歳になる』
『いいえ大王よ、あなたはもっともっと数えられないほど高齢です。あなたの肉体はたしかに35歳と言ってもいいのですが、あなたの心は生まれたときにもともと持っていたものでも、生まれてからのわずかな経験が作ったものでもない。遠い過去世からの祖先たちの営み、すなわち業がナーマ・ルーパの中に蓄積され、伝承されて作られたものなのです。ナーマ・ルーパが赤子のときにあなたの肉体に宿って、あなたの心を作るのです。そして私たちは自分の業によってナーマ・ルーパをいくらかでも変え、それを次の世代に伝えていきます。こうして人間の心は世代から世代へと流転していく。大王よ、この、ナーマ・ルーパの形をとって人間の心が世代から世代へと流転していくことを輪廻というのです』。

ナーマ・ルーパとは「言葉とその対象である形あるもの」だそうです。
まさにソシュールのシニフィアンとシニフィエです。

これは本書にある5つの短編の一つです。
5つはそれぞれに全く違う話です。
いずれも、自らの生き方を(いい意味で)問い質されるような気がします。
人とは何か、生きるとは何か。
そんなことを考えたくなるような、たくさんのメッセージが読み取れます。

最後の「王の愁い」はともかく、他の4編はとても読みやすいです。
ちょっと時間ができた合間に読めるような短編ですので、よかったら読んでください。
人生がちょっと変わるかもしれません。

コモンズ書店からの購入

■「呼吸器の子」(松永正則 現代書館 1600円)
小児科・小児外科の個人開業医の松永正則さんの新作です。
松永さんの「運命の子 トリソミー」は以前ここでも紹介しましたが、同書に少しだけ登場するゴーシェ病の凌雅君が今回の主役です。
松永さんは長年、先天性難病の子どもたちと交流してきていますが、
松永さんご自身の世界がどんどん広がっているのが本書から読み取れます。

松永さんは、メールでこう書いてきました。

このたび、新しい本を書きました。
「呼吸器の子」です。
先天性難病(ゴーシェ病)により2年の命とされた男の子が、人工呼吸器を付けて自宅に暮らし、現在14歳になります。
寝たきりで意識は乏しく、呼吸器の力で生きています。
ともすれば、最重症の障害児に対して、「悲惨」というイメージを持ちかねません。
ところが、長期に聞き書きを行ってみると、彼は豊かな世界の中に生きていました。

本書を読むと、凌雅君は豊かな世界に住んでいるだけではなく、まわりの人たちを豊かにしていることが伝わってきます。
そして、この本を読むと、その豊かさを少しお裾分けしてもらえるような気がします。

松永さんがこの本を書くきっかけになったのは、凌雅君の母親が発した「毎日が楽しい」という一言だったそうです。
その言葉に誘い込まれるように、4年間、松永さんは凌雅君家族と交流を深め、そこに豊かな世界を見つけていくのです。
そしてひとつずつ納得して前に進みながら、ご自身の考えも問い直していく。
松永さんの視界はとても広くて深く、さまざまな問題が問い質されていきます。
読者もまた自分の考えや生き方を問い質されるはずです。
他者の物語にとどまらずに、自らの生き方につながっていく。
そんなたくさんのメッセージが含まれた秀作です。
単なる障害児の物語ではありません。
本書の執筆に取り組みながら、松永さんはずっと「人とは何だろう?」「人間の尊厳とは何だろうか?」と考え続けたといいますが、
そのひとつの答えが本書には示されています。

私がハッとしたところを少しだけ紹介します。
人工呼吸器をつけることになった凌雅君を、自宅に連れ戻すかどうかに関して、家族には迷いはなかったと言います。
「病院は病人を診る所で、治療をする場所。生きていくのであれば、その場所が病院でいいはずがない」というのが、母親の考えでした。
これだけ読むと誤解されそうな気がしますが、ここには病院とは何かという、私たちがあまり考えていない大きな問いかけがあります。
これに関しては先週、ここでも紹介した「日本病院史」の紹介記事でもちょっと触れた問題です。
私たちは、病院とは何かをしっかりと考え直すべき時期にきています。

なぜ凌雅君の両親は辛さを克服できて、楽しくなれるのか。
母親がこういっています。
「(同じような状況の子どもたちを育ててきた)母親たちからもらった勇気とか明るさを、次に入院してくる子どもの家族に伝えなくてはならない。
命のバトンをつなぐことが自分の役割ではないか」。
ここには、人がつながる意味が、あるいは人が生きる意味が、しっかりと示唆されています。
すべての人を元気にするメッセージが、私には読み取れます。
それに、「辛さ」と「楽しさ」は矛盾するものではないのです。

ちょっとドキッとする話も出てきます。
重度心身障害の中でもひときわ症状が重く、けいれんで苦しそうになる難病の子どもに接した医師の体験談です。
あまりの大変さに、その医師は、「これはちょっと家族には辛い。血みどろになってまで闘うことはやめよう」と考えます。
それが、家族にも患者にもよかれと思ったのです。
もちろん誠実に治療に取り組みますが、最後の最後までその子の病気と闘うことはしなかった。
その子が亡くなったとき、家族は「この子がいて、私たち、とても幸せだったんです」と涙を浮かべながらつぶやいたそうです。
医師は、その言葉に、「もうちょっと生かしてほしかったという責める気持ち」を感じたそうです。
両親の真情とともに、医師の苦悩を感じます。
安楽死や尊厳死にもつながると、とても重い問題を投げかけています。

幸福とは何だろうかという問いも出されます。
訪問看護を始めて約13年になる小山看護師の言葉は考えさせられます。
2つだけ紹介します。
「そもそも人間って、辛い状況にあるとき、苦しみの中にちょっとした楽しさや前向きの気持ちを見つけて、それにすがって生きていかざるを得ないと思うんです」
「凌雅君はとても愛されています。そうした愛され方が、最初に言った凌雅君の落ち着きにつながっているのだと感じます」

説明はしませんが、何気ないこの言葉は私に「幸せ」とは何かを気づかせてくれました。

袖ヶ浦特別支援学校の小林克彦校長の問いは、もっと難しい。
「私たちにとって障害者とは何? と聞かれても答えが出ない。
あなたにとって障害者って何ですか? と尋ねても答えは返ってこないでしょう。
人々の心の中にある障害者の姿はこの30年の間、止まっています。
凌雅君のお母さんは、多くの人に凌雅君のことを理解してほしいと思っているでしょう。
では、私たちは、一体、凌雅君の何を分かればいいのか? そのことが分からない。」

紹介したいことはまだ山のようにありますが、最後に一つだけ、私にとっては「目から鱗」だった話を紹介します。
松永さんは、当初、健常児を育てることは日常的で、呼吸器を付けた子をケアすることは非日常的だと考えていたそうですが、
それは「誤った思い込み」だったと書いています。
詳しくは本書を読んでほしいのですが、健常児であろうと障害児であろうと、子どもを育てるということでは、
極めて個別のことであり、それぞれにおいて日常(あるいは非日常)です。
そのどこが違うというのか。
たしかに、生まれたばかりの子どもたちはみな誰かの支えがないと生きていけない。
いや、大人だってそうでしょう。
私たちは、障害児家族の日常をあまりに特殊視していないでしょうか。
それはたぶん、私たちが日常的に触れていないからです。
つまり、健常児(者)と障害児(者)の日常(生活)が離れすぎている。
私が目から鱗が落ちたと感じたのは、健常児と障害児を分けて考えていたことです。
子どもといるのは、楽しいに決まっています。
私自身、根本的な偏見に呪縛されているのに気づいたのです。

凌雅君の母親は、
「障害児に対する偏見とか、外出の際の人目とか、肩身の狭い思いをしなければいけない大本の原因は、分離教育にあると思います」と語っています。
「凌雅のような子の存在を知らない人が世間には多すぎます。小さいうちから触れ合っていれば、偏見がなくなる社会に近づくはずです」
松永さんは、人は多くの場合、いい意味でも悪い意味でも、自分が見て聞いて触れた世界の範囲の中で生きていくし育っていく、と書いています。
その通りです。
私ももっと世界を広げなければいけません。

本書は、「凌雅君一家は順風満帆である。2016年も終わろうとしている。凌雅君は14歳の誕生日を迎えた」という文章で終わっています。
この一言のおかげで、とても救われた気がします。

長くなりましたが、もう一つだけ書き加えます。

あとがきで、松永さんは昨年起こった相模原市の知的障害者入所施設に男が侵入し、多くの利用者を殺傷した事件に触れています。
そしてそこから見えてくる、現代社会の中に潜んでいる優生思想への懸念を書いています。
私たちの心の奥底に、薄く優生思想が沈殿しているのではないか、と松永さんは問いかけます。
人は存在するだけで尊厳がある、と松永さんは言います。
私もそう思って生きていますし、その考えでそれなりに活動はしています。
しかし、松永さんから、そう問われると、私は恥ずかしながら、タジタジしてしまいます。

本書は、私たちの中に潜む差別思想に対するカウンターブローになるだろうか。
たった一冊の本にそれだけの力はないかもしれないが、可能性を信じないことには世界は何も変わっていかない。
私は愚直に信じることにする。

松永さんは「あとがき」でこう書いています。
私も、松永さんに倣って、愚直にそう信じようと思います。
だから一人でも多くの人に、この本を読んでもらえればと思います。
決して気楽に読める本ではないのですが。

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■日本病院史(福永肇 ピラール社 4000円)
3か月前に読んだのですが、時間が取れずに紹介が遅れてしまいました。
この本の著者には面識はないのですが、この本を出版したピラール社の高橋さんがかなり力を入れ込んだ本のようなので、ここで取り上げさせてもらいました。
高橋さんは厚い本だから、無理して読まなくてもいいですよと言ってくれたのでしばらく机の上に置いていたのですが、ふと思いついて読みだしたら、実に面白くて、あっという間に読み終えました。
本の紹介に、「初めての本格的な病院の歴史」と書いてありましたが、まさに日本の病院通史です。
聖徳太子の「療病院」の話から始まります。

病院経営学の専門家である著者が、何故、病院史に取り組んだのか。
その理由やその取り組み方は、本書の序文に詳しく語られています。
その序文を読むだけでもとてもたくさんの気づきをもらえます。
序文が面白かったので、ついつい本文が読みたくなり、気づいたら読了していました。

病院は、その時の政治体制、経済環境、財政状況、社会思想、人口構成、疾病構造といった社会基盤の上に存立しているから、病院を論ずるときにはその時代の背景と医療政策の理解なしには語れない、と著者は言います。
本書を読むと、そのことがよくわかります。
それは同時に、病院のありようから社会が見えてくるということでもあります。
そう考えると、今日の医療制度や病院というものを捉える視野が広がってきます。
病院をどう位置づけるかで、医療のあり方が決まってくる。
さらに、医療の問題だけではなく、社会の問題、つまり私たち一人ひとりの生き方の問題にもつながっていく。
本書を読んで、そのことに気づきました。

科学と同様、医療もまた戦争によって発展してきました。
古来、日本では往診医療が中心でしたが、幕末から明治にかけての内戦に対応する軍事施設として明治維新後に病院がつくられだしたのです。
そして、銃創対応の救急現場では漢方医は役に立たないために、結局、日本の公的医療制度は漢方医学とは決別してしまったのです。

もちろん「衛生」や「予防医学」という流れもあります。
それに関しても、その背景に、国家の健民健兵政策が大きく影響しています。

第二次世界大戦後、GHQが日本の医療をどう変えてきたか。
これに関してもとてもわかりやすく説明されています。
憲法もそうですが、GHQはたくさんの幸運を日本人に与えてくれた気がします。
GHQで社会保障を担当したクロード・サムスが患者の臨床を行う医師だったおかげで、戦後の日本では、疾病予防、治療、社会福祉、社会保障の4分野のバランス保った方向が打ち出されたのです。
国家のための生政治医療から生活のための福祉医療へと変わったといってもいいでしょう。
医療産業化もまた、そのおかげで少し踏みとどまったといってもいいかもしれません。
いずれもこの30年程で、覆されつつありますが。

こういう形で、日本の病院史と医療制度の変遷がわかりやすく紹介されているのです。
本書を読んで、日本の医療制度の向っている方向に、ますます関心が高まりました。
私自身の病院との付き合い方も、少し変えようと思うようになりました。

気楽にお勧めできるような本ではありませんが、私にはとても示唆に富む面白い本でした。
医療制度の関心のある方には、お勧めします。

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■「開城工団の人々」(キム・ジヒャン 地湧社 2000円)

地湧社の増田さんが最近出版した「開城工団の人々」という本を持ってきてくれました。
開城工団といってもわかりにくいですが、ケソン工業団地といえばわかる人も多いでしょう。
北朝鮮が、韓国の企業を誘致して北朝鮮国内につくった工業団地です。
昨年、両国の関係悪化から韓国側が引き上げるなどのニュースが流れていましたが、私自身はその実情をほとんど知りませんでした。
というか、新聞報道をそのまま受け入れていました。
そして韓国の人たちがみんな無事に帰国できたらいいなと思っていました。

ケソン工業団地事業は2000年に始まり、南北関係の悪化によってさまざま紆余曲折を経ながらも、2016年2月まで続いていました。
この本は、そのケソン工業団地で働いていた韓国人の証言の記録です。
はじめは、韓国の人も北朝鮮の人も、お互いに相手を角の生えた鬼くらいに思っていたそうです。
同じ民族でありながら、異なる政治状況の下で交流もなく50年以上も過ごした結果、全く違った考えになってしまっていたのです。
ですからどう接していいかわからなかったようで、ちょっとした言動が大きな問題につながっていったこともあったようです。
しかし、尽き合っていくうちにお互に理解が進み、国の都合で閉鎖に追いやられた後、操業再開で久しぶりに再会した時には、感動的な場面がたくさんあったようです。

この本を訳した塩田さんはこう書いています。

世界中にはさまざまな対立や紛争があり、未だに出口が見えない状態が続いています。これから世界は、自分の敵と「敵対」するのではなく、「共存」する方法を模索しなければならないのです。そのヒントとして、この開城工団での体験談は、とても重要な示唆を与えてくれるはずです。
(中略)
ぜひ、多くの方が開城工団について知ってくださって、今まで敵対していた人々が互いに協力し合える世の中を創るきっかけとなれば、と思います。

ケソン工業団地には、未来につながる大きなヒントがあるというのです。
「共存」への入り口は、実際に一緒に何かに取り組んで「共存」することです。
理屈ではありません。
本書を読めば、塩田さんの指摘に共感できると思います。

本書を読んで、私は自分がいかに北朝鮮を「自分の基準」で判断してきていたかに気づかされました。
著者はこう書いています。

韓国社会の「自由」の概念と北朝鮮社会の「自由」の概念は違う。
「労働」と「雇用」、「経済」の概念も違う。
北側には「賃金」という概念ははじめからなく、ただ「生活費」という概念があるのみである。
我々はそのすべての「違い」を「違い」として見ずに、「間違い」として否定してしまう。
結局その「否定」が蓄積されて「総体的無知」に発展する。

「違い」を「間違い」と考えてしまう。
そこから不幸な分断がはじまっていくわけです。
私が北朝鮮に抱いていたイメージも、そうだったかもしれません。

著者は、「相互尊重」は互いを敵視しないことだと言います。
私は果たして、北朝鮮の主体性を尊重したうえで、北朝鮮のことを理解しようとしていたのか。
恥ずかしながら、自分の世界の基準で判断し、北朝鮮を「遅れた国」とみていた自分を否定できません。
むしろそこに私たちの未来があるのではないか。
たとえば次のような話には、いまの日本の閉塞状況を打破するヒントがあるような気がします。

30代の若者の体験談。

資本主義とカネに対する考え方はすごく違いますね。
あるとき「どうして必死に金儲けをしようとするのですか」と聞かれたことがあります。
「金を稼がなければ食べていけないじゃないですか」と言ったら、「我々はそんなことをしなくても食べていけます」と言うんです。
それで「我々はもっといい暮らしをするために金を稼ごうとしているのです」と言ったら、「理解できません」と言っていました。
私はあちらの社会主義の概念が本当に理解できません。
でも一方で、韓国ではこんなに一生懸命働いているのに自分の家一つないのに、北側の人々は少なくともそんな心配はしないで生きているんだろうな、と思ったりもします。

チーム長として勤務した人の話。

あちらは社会主義なので一生懸命働いてもインセンティブがありません。
いい加減に仕事をしても、我々に人事権がないために制裁できないのです。
それだから仕事ができない人ができる人に合わせるのではなく、できる人ができない人に合わせるようになります。
こんな状態が続くと生産が落ちる場合が出てきます。
我々が望む生産力に到達しようとすれば、人員を補充するしかありません。
一つのラインに南側では12名が必要だとすれば、開城では15名を入れるというふうにです。
そうやって生産性を100%に合わせています。

どちらの発想が、私たちを幸せにするでしょうか。
彼らから学ぶことはないでしょうか。

著者はさらに多くの取材を経た結果としてこう書いています。

基本的に北側の人々は南側の人々よりも他人に対して礼儀正しく好意的で純粋だ。純朴で善良で誠実だ。我々のように高度な経済社会で生きてきた人々ではないので個人的な競争心はあまりない。ただ集団的な競争心は並大抵ではない。お金と資本の価値概念が希薄なのも事実である。彼らの立場から見れば我々南側の人々は「すべてのことにカネ、カネ、カネばかりこだわる本当に情のない薄情な人々」だ。

そして朝鮮統一に関してこう書いています。

(朝鮮統一は)「相互尊重」があればいいのだ。お金は一銭もかからない。統一費用は虚構であり、嘘である。いつまで総体的な北朝鮮無知によって軍事的な災難の危険をはらみつつ生きるつもりなのだろう? 相互尊重の原則一つさえあれば南北の品格のある平和統一繁栄国家を具現化することができる。本当に易しくて簡単だ。相互尊重だ。

「南北が対峙しながら武力で競争して対決する状況が今日まで非常に厳然と続いています。この本がこのような冷たい対立を打破する希望の種となり、実を結ぶことができたらうれしいです」というのが著者たちの願いです。
とても共感しました。

ケソンから学ぶことは、私にもたくさんありました。
この本を読むまで、北朝鮮という国が瓦解するのは時間の問題だと思っていましたが、もしかしたら瓦解するのは私たちの社会かもしれないという思いが少し浮かんできました。
世界が少し広がった感じがします。

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■「医療制度改革の比較政治」(石垣千秋 春風社 5400円)
医療政策に関心を持っている石垣千秋さん(山梨県立大学准教授)の博士論文が本になって出版されました。
5月の連休に読ませてもらったのですが、時間に追われて紹介するのが遅れてしまいました。

1990年代から2000年代にかけて、欧米先進国はいずれも、医療の質を高めながら医療費を削減するという課題に取り組みだしました。
日本も、状況は同じでした。
本書は、米・英・日の3か国の、そうした医療制度改革を、医療の標準化を指向する「診療ガイドライン」をめぐる政策に焦点をおいて、比較分析しています。
国が診療ガイドライン策定を主導するも失敗した米国、国主導の策定に成功し国際的に注目を集める英国、診療ガイドライン策定に国があまり関与できない日本といった、三者三様のあり方が語られ、そうしたなから、医療制度改革の成否を決める要因が抽出されるとともに、医療政策の意味が問われています。
もちろんこれからの方向性に関する示唆も示されています。

博士論文という学術的な内容ですが、改革の経緯が具体的にていねいに説かれていますので、読み物として読んでも面白いです。
比較政治論、あるいは統治論としても示唆に富んでいます。
医療のように技術的な専門性が高く、不確実性の高い分野の政治はどう展開するのか、を切り口にして、現代の専門職政治への問題提起にもなっています。

とても興味深かったのは、欧米の「プロフェッショナル・オートノミー」と日本の「プロフェッショナル・フリーダム」の話です。
診療ガイドライン政策は、プロフェッショナル・オートノミーをめぐって専門職と国家が対峙し、専門分化した専門職がガバナンスのイニシアティブをとったということですが、日本の場合は、長らく日本医師会がプロフェッショナル・フリーダムを提唱していたと著者は言います。
プロフェッショナル・オートノミーとプロフェッショナル・フリーダム。
私はこれまであまり意識したことがありませんでしたが、この視点で考えるといろんなものが見えてくるような気がします。
石垣さんはそこで、「認識共同体」という概念を援用します。
認識共同体は、環境問題などで語られだした概念ですが、石垣さんは「ヘルスサービス(HS)研究共同体」を提唱し、これがこれからの医療ガバナンスのアクターとして重要だと提唱しています。
国家政策の枠の中で考えているところに少し違和感がありますが、石垣さんの次の指摘には共感します。

医療ではないにしても、やはり技術的な専門性が高く不確実性が高い政策分野、例えば、エネルギー政策、特に2011年3月11日に起きた東日本大震災以降議論が活発化している、原子力発電の有無を論点としたエネルギー政策のような政策を議論する際にも、専門的知識やそれをもたらすアクターのうち、どの組織あるいは誰を選択すべきかが自明ではないことも多い。そうした政策過程を考察する上でも、本論で示したHS研究共同体の概念は有益であると考えられる。

本書はまた、医療パラダイムがどう変わってきているのか(著者はEBM(Evidence-based medicine)への移行を基軸に置いていますが)、医療の標準化とは何なのか、といった医療政策や医療そのもののありようを考えるヒントを与えてくれます。
もっとも、EBMによる標準化(診療ガイドライン政策)はパラダイムシフトというよりも、リノベーションではないかと思います。
私はそもそもいまのエビデンスは施術側の視点であり、それがいま少しずつNBM(narrative-based medicine)に移行しつつあると思っていますが、その先にこそ医療制度や医療政策のパラダイムシフトが議論されるべきではないか、と考えています。
私がささやかに関わっている認知症予防に関しては、エビデンスよりも当事者の生活改善に着目しています。
その積み重ねで、新しいエビデンスの捉え方が少しずつ広がってきているように思いますが、それは同じエビデンスと言っても思想(視点)が違うように思います。
それは同時に、医師中心の“治す医療”から看護師中心の“生きる医療”への変換にもつながると考えています。
そして、診療ガイドラインをだれが主導するかという問題にもつながっていきます。

少しだけ違和感をもったところを書きましたが、全体としては、とても示唆に富む、充実した内容の本で、医療政策に関心のある人にはぜひ読んでほしいと思います。
私は医療にも医療政策にも大きな関心を持っています。
それは、私の生き方だけではなく、社会全体に大きな影響を持っているからです。
さらに専門職政治について私は批判的ですので、その視点からもとても興味深く読ませてもらいました。

本書を読んで一番強く感じたのは、日本の医療はやはり「国民医療」という明治維新期の医療パラダイム(「健民健兵」政策)から抜け出せないままだということです。
医療ガバナンスの転換こそが大切ではないかと考えている私にとって、その考えを深めるという意味で、とても気づかされることの多い本でした。
ちょっとハードな本ですが、気が向いたらお読みください。
いつか湯島のサロンでも話題にできればと思っています。

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■「人生の修め方」(一条真也 日本経済新聞出版社 1500円)
最近、よく話題になる「終活」の代わりに「修活」という言葉を提案している一条真也さんが、日経電子版「ライフ」(現NIKKEI STYLE)に連載していたコラムが単行本になりました。
一条さんの連載コラムは大人気で、多くの人に読まれた結果です。
タイトルは「人生の修め方」。
「修」は私の名前なので、読まないわけにはいきません。
果たして私は、きちんと人生を「修めて」いるかどうか。

一条さんは、しばらく絶筆していたことがあります。
執筆再開の最初の本の1冊が「幸福論」ならぬ「老福論」でした。
一条さんは、「人は老いるほど豊かになる」と書いていました。
私も当時、高齢社会の到来に積極的な意味を感じていましたので、若い世代からそうした主張が出てきたことは歓迎でしたが、少し違和感があったのを記憶しています。
老いるほど豊かになるには、老い方というものがあり、それを支える社会のあり方が問題になるからです。
老いは個人の問題であって、個人の問題ではないというのが、私の考えでした。

その後、一条さんはたくさんの執筆活動をしてきましたが、そうした中で私の違和感は解消されていきました。
一条さんの思いが、次々と具体的に語られだしたからです。
しかしその一方で、老いを豊かにつなげる社会の仕組みは、逆にどんどん失われてきているような気もしています。
そうであればこそ、一条さんの問いかけや提案は、ますます価値をもちだしているのですが。

一条さんは、「1人でも多くの高齢者の方々に美しく人生を修めていただきたい」と念じています。
本書の読者として、高齢者、もしくは高齢を迎えつつある人を意識しているように思います。
でもそうでしょうか。
私はむしろ、若い世代の人にこそ、本書を読んでもらいたいと思います。
たぶん一条さんもそう思っているのではないかと思います。

美しく人生を修めるのは高齢になってからの話ではありません。
人生をはじめたときから、修め方は始まっている。
私自身は、それに気づくのがいささか遅すぎました。
人生の修め方は、若い世代にとっても大切なテーマなのです。
だから、若い世代の人にこそ読んでほしいと思うのです。

一条さんは、本書の「はじめに」でこう書いています。

よく考えれば、「就活」も「婚活」も広い意味での「修活」であるという見方ができます。
学生時代の自分を修めることが就活であり、独身時代の自分を修めることが婚活だからです。
そして、人生の集大成としての「修生活動」があります。
かつての日本人は、「修業」「修養」「修身」「修学」という言葉で象徴される「修める」ということを深く意識していました。
これは一種の覚悟です。
今、多くの日本人はこの「修める」覚悟を忘れてしまったように思えてなりません。

まったく同感です。
問題は「終活」ではなく、生き方です。
そういう視点がない「終活」論は、私にはきわめて個人的な話題でしかありません。
一条さんは、だからこそ、「終活」に代わって「修活」という言葉を選び、さらに「人生の修め方」と表現したのだろうと思います。
美しく人生を修めるのは、高齢者だけの問題ではないのです。
そして、美しく人生を修めていれば、おのずと豊かな死を迎えることになるでしょう。

本書には、「豊かに老いる」そして「美しく人生を修める」ためのヒントがたくさんあります。
ぜひ多くの人に読んでいただきたいと思います。
ちなみに、私の話もちょっと出てきますので、いささか気恥ずかしいのですが。

一条さんは、「老い」は人類にとって新しい価値だといいます。
一条さんが指摘しているように、「高齢者にとって「老い」は「負い」となっているのが現状」でしょうが、「老い」が新しい価値だとすれば、新しい未来の地平が大きく開けます。
そんな大きなテーマにも、本書の40編の話を読みながら、思いをめぐらせてもらいました。
そうしたことのヒントもまた、本書には散りばめられています。

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■共鳴力(宮嶋望 地湧社 1800円)
今回は私の友人の著書ではないのですが、とても共感する内容の本を発行人の増田さんからいただいたので、紹介させてもらいます。
副題は「ダイバーシティが生み出す新得共働学舎の奇跡」です。
共働学舎についてはご存知の方もいるでしょうが、
1974年に長野県の小谷村で宮嶋眞一郎さんが立ち上げた、障がいを持つ人のための授産施設から始まった活動です。
理念は、「協力社会」「手作り生活」「福祉事業」「真の平和社会」を目指す「自労自活」。
社会福祉法人やNPO法人として、さまざまな活動に取り組んでいますが、事業体というよりもコミュニティと言っていいでしょう。
ホームページによれば、「独立自活を目指す教育社会、福祉集団、農業家族」です。
詳しくは、共働学舎のホームページをご覧ください。
http://www.kyodogakusya.or.jp/about/plan01.html

本書は、宮嶋眞一郎さんの長男の宮嶋望さんが、みずからが北海道の新得町で立ち上げた「新得共働学舎」でのいわば実践報告書ですが、
それは同時に、著者が最後に確信を持って明言しているように、これからの社会のモデルを示唆していると思います。
しかも、そこには私たち一人ひとりの生き方はもちろんですが、企業組織のあり方にとっても示唆に富んだノウハウや知見があふれています。
ちなみに、ご存知の方もいると思いますが、新得共働学舎でつくられているナチュラルチーズは数多くの国際賞を受賞していて、ビジネスとしても成功しています。

本の帯の言葉が、本書のすべてを語っています。

いらない人間なんていない。
いのちは共鳴し合い、最高のパフォーマンスを発揮する。
強いものだけが残り、弱気ものが捨てられる社会は本物ではない。

しかし、私が本当にハッとさせられたのは、著者の次の言葉です。

僕は、障がい者や弱い立場に立つ人はむしろ積極的な意味合いを持つ存在だと思うのです。

著者は、いま弱者とされている人々の中にこそ、次の時代を切り開く種があるというのです。
とても共感できます。
共感できた人はぜひ本書をお読みください。確信はさらに深まるでしょう。
違和感や疑問を持った人もぜひ本書をお読みください。納得してもらえると思います。

もうひとつ、私が関心を持ったのは、新得共働学舎の実践の底流に流れる自然や人間への深い信頼と柔軟性です。
宮嶋望さんはアメリカのウィスコンシン大学に留学して農学と自然科学を学んできた人ですが、
その宮嶋さんから、「メタサイエンス」とか「シュタイナー農法」、さらには「カタカムナ」とかいう言葉が発せられます。
いずれも現代の異端と言っていいものですが、それを著者はさらりと実践につなげているのです。
その一方で,エコツーリズムといった今様の動きともしっかりとつながっていくのです。
その「したたかさ」と「しなやかさ」には、感服します。

宮嶋望さんは、「自分が幸福である」と感じられる生き方を、一人ひとりが見つけてほしいと思い、
そのために、みんなが幸せを感じ取れる基盤をつくろうとしているわけですが、そこで有効なのは、生きものと関わることだといいます。
ここにも、時代の潮流に抗う大きな思想を感じます。

共働学舎の創業者の宮嶋眞一郎さんは、
「多様である故に一致するときにこそ価値がある人間の生命」という言葉を残していますが、
その実践者宮嶋望さんは、心身にいろいろな困難を抱えた人たちが70人以上集まって暮らしている共働学舎新得農場では、
「全体のために一人が蟻牲になるのではなく、それぞれの個性の本質を守りながら、無理なくできる範囲で、一人ひとりが少しずつ調整し合っていく。
すると全体がすばらしく共鳴するようになり、個人の人間の幅も広がっていきます。
全体の中で多様なその人らしさを維持していくからこそ、うまく響き合ったときにすばらしい世界が現れます」
と語っています。
それとは真逆にさえ思える「ダイバーシティ戦略」に取り組んでいる現在の大企業の経営者に聞かせたい言葉と実践です。
言うまでもありませんが、「心身にいろいろな困難を抱えた人たち」がつくっているのが、私たちが生きている「社会」です。
新得共働学舎は、特に特殊の世界ではないことに、私たちは気づかなければいけません。

内容を紹介しだしたらきりがないほど示唆に富むエピソードが山積みです。
それらがすべて、新得共働学舎の「奇跡」につながっている。
読んでいるうちに、読者もまた、その世界に「共鳴」していく。
とても読みやすい本ですので、ぜひ多くの人に読んでいただきたいと思います。
そして、自分でもできることを見つけてほしいと思います。
たぶんそれによって、何かが変わっていくはずですから。

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■「新」実存主義の思想(川本兼 明石書店 2400円)
この−コーナーでもたびたび紹介している川本兼さんの前著「右傾化に打ち克つ新たな思想」につづく「人間を起点とする社会哲学」の第2弾です。

実存主義の最大の欠点は社会哲学を持っていないことにあり、そのために全体主義への歴史の流れを止めることができなかった。
全体主義に打ち克つためには、「人間を起点とする社会哲学」の視点を入れることが必要だというのが、本書のメッセージです。
これまでの実存主義と「人間を起点とする社会哲学」が統合された、新しい実存主義こそが、全体主義へと向かう歴史の潮流を変えていくと川本さんは考えています。

川本さんはまず、これまでの実存主義やマルクス主義の問題点を整理し、それらが結果的には全体主義への流れを生み出してきたことをわかりやすく説明してくれます。
そして、人間の尊厳を「公理」とし、そこから演繹して人権革命や「平和のための革命」や民主主義の発展などの論理を追究していく「人間を起点とした社会哲学」を提唱します。
出発点に神や自然法を置くのではなく、個人の実存から論を展開しているところにポイントがあります。
人間の実存を考えていくと、「かけがえのない他者」を思いやる自己の生き方にたどりつく。
つまり、個人の視点で考えると、極めて具体的な「かけがえのない他者」の存在が見えてきます。
個人は、そうした「かけがえのない他者」の存在によって、実存しているからです。
そして「かけがえのない他者」の数を無限大に拡大していけば、その言葉が極限値として「人間の尊厳」になるというのが川本さんの考え方です。
これが、川本さんの人間を起点とする社会哲学の核になっています。
そこから、自分にとっての「かけがえのない他者」が「かけがえのない存在」として扱われるような社会が、普遍的な社会像として現出してくるわけです。
こうして、実存主義と人間を起点とする社会哲学とを統合することによって、実存主義は「新」実存主義へと脱構築されていきます。
社会のあり方が個人の生き方を規定するのではなく、個人の生き方が社会のあり方を規定していく。
そういう成熟社会において、本書で提唱されている「新・実存主義」には共感します。

本書はこうした思想を抽象的に語っているだけではありません。
第3章では、こうした「人間を起点とする社会哲学」の視点から、日本型全体主義の考察が行われます。
そして、「日本人はあの戦争で何を反省しなくてはならなかったのか」が具体的に解明されていきます。
そこからは、まさに私たちがこれからどういう思想に基づいて、全体主義の流れに打ち克っていけばいいかが示唆されています。
そう簡単に読める本ではありませんが、ぜひ多くの人に読んでいただきたいと思っています。

ただ私としてはいささかの異論もあるので、湯島で一度、川本サロンをやってもらう予定です。
関心のある人はご連絡いただければ、個別に案内を差し上げます。

なお本書の第4章は、湯島のサロンでの講演録です。
この章は、川本さんがなぜ「新・実存主義」という考えにたどりついたかの経緯も書かれていて、川本さんの人柄も含めて、川本思想の全体像を鳥瞰できる内容になっています。

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■「儀式論」(一条真也 弘文堂 5500円)
一条真也さんが、「儀式論」を書き上げました。
一条さんは、本書を送ってきてくださった手紙にこう書いています。

結婚式にしろ、葬儀にしろ、儀式の意味というものがどんどん軽くなっていく現代日本において、かなりの悲壮感をもって書きました。
儀式の軽視は、文化的衰退そのものであるからです。
わたしは、人間は神話と儀式を必要としていると考えます。
社会と人生が合理性のみになったら、人間の心は悲鳴を上げてしまうでしょう。

一条さんの「悲壮感」はとても共感できます。
日本の社会には、すでに「悲鳴を上げている心」があふれ出しているように思います。
それは個人の問題であることを越えだし、いまや社会そのものを大きく劣化させようとしています。
そうした流れを、儀式に見直しで食い止められるのか。
一条さんの儀式論は、単に研究報告の書ではなく、社会のあり方への大きな問題提起の書なのです。

すぐにも読みだしたかったのですが、
600ページというその厚さと時空間の広がりを感じさせる体系的な構成の目次を見て、いささかひるんでしまいました。
これは軽い気持ちでは読みだせないなと思いながら、しばらくパソコンの前に置いて眺めるだけにしていましたが、
ようやく読む気になって、今月初めから気が向いた時に、章ごとにゆっくりと消化しながら読みだしました。
しかし、各章とも内容の密度と広がりに、そう簡単に読み進めません。
それにそこに言及されている参考文献も読みたくなってしまうのです。
このままだと、このコーナーでの紹介が年内にはできないなと気になっていたのですが、
たまたま今週読んだ「心の習慣」という、30年程前にアメリカで出版された本の、日本版への序文に、こんな文章がありました。

本書がモーレス、すなわち「心の習慣」に焦点をあてていることじたい、
儒教の「礼」に照応するものをアメリカ文化のなかに探しだそうとしたものとも言えるかもしれない。
「儀礼」の語を広い意味で用いるとすれば、私たちはアメリカ人の生活の儀礼的パターンを描き出そうとしたと言える。
心の底に深く根を下ろした個人主義のゆえに、アメリカ人は自分たちは内発的に生きているのであって、
儀礼などに支配されてはいないと考えようとする。
しかし、事実はそうではない。
この点こそ、本書の中心的な主張の一つである。

一条さんのメッセージを思い出しました。
「心の習慣」の著者のロバート・ベラーは、この本の中で、アメリカ社会の先行きに大きな懸念を表明していますが、その基盤にあるものが、一条さんと通じているのです。
ベラーは、こう書いています。

私たちの活動のすべては他者との関係において、集団や結社や共同体のなかで繰り広げられている。
そしてこうした関係や集団や結社や共同体は制度的構造によって秩序づけられ、
文化的な意味パターンによって解釈されている。

まさに、儀礼と儀式。
一条さんは、儀式と儀礼に関してこう書いています。

儀礼とは文化を文化たらしめるもの、限りなく「文化」の同義語に近いものと考えることができる。
儀式とはそれを具象化するもの、つまり文化の「核」になるものと言っていいだろう。

そして、手紙にこう書いていました。

わたしは、儀式を行うことはすなわち人類の本能であると確信しています。
そして、儀式の存在こそが人類の滅亡を防いできたと考えています。

同感です。私もそう考えています。
本書の紹介文に、「儀式が人類存続のための文化装置であることを解明し、
儀式軽視の風潮に警鐘を鳴らす、渾身の書き下ろし」とありますが、
儀式や儀礼は、私たちが生きることの基盤を支えてくれています。
それは、「儀式論」の目次を見ればよくわかります。
実は私はまだようやく7章にたどり着いたところです。
ですから本書の内容紹介は一条さんのブログにお任せしたいと思います。
http://d.hatena.ne.jp/shins2m+new/20161101/p2

それにしても、刺激的な本です。
一条さんは、儀式に関連したさまざまな分野の文献や事例を踏まえて、人類にとって儀式とは何かの知見を集大成したのです。
この儀式エンサイクロペディアとも言うべき本書を通して、読者はさらにさまざまな分野へと知の旅ができるはずです。
ですから、私もあまり急がずに、ゆっくりと、寄り道しながら、本書を読み進めようと思います。

みなさんも、よかったらぜひお読みください。
そして、「儀式」ということについての思いを深めてもらえればうれしいです。
たぶん、世界の見え方が少し変わり、生き方も変わってくるはずです。
読まないで、机の上に置いて、眺めているだけでも、心が豊かになります。
そんな本です。

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■「葬式に迷う日本人」(一条真也 vs 島田裕巳 三五館 1200円)
『葬式は、要らない』『0葬』などで知られる「葬儀不要論者」の島田裕巳さんと、
『葬式は必要!』『永遠葬』を書いた「葬儀必要論者」の一条真也さんが、
往復書簡と対談で真正面から論争し、これからの葬儀にあり方を話し合った、とても刺激的な本です。

2人とも、頭だけで考えている人ではありません。
いずれも、自らの問題として、真剣にこの問題に取り組んでいる人たちです。
私は、これまで島田さんの主張には、耳を傾ける気にさえなっていなかったのですが、この対談を読んで、
島田さんがなぜそう考えるようになったかが少しわかったような気がします。
同時に、一条さんの思いの理解も少し深まったような気がします。
異論をぶつけ合うということの大切さを、改めて感じました。
おふたりの真摯な取り組みに敬服します。
ちなみに、私は、一条さんと同じく、葬儀や墓に大きな意義を感じています。

ただ、読んでみて感ずるのは、ふたりの意識の大きなずれです。
島田さんは、現状を客観的に受け容れながら、そのなかでの最適解を求めようとしています。
つまり、関心が現在にある。
一方、一条さんは、現状を批判的に受け止め、何とかそれを変えていこうという姿勢を強く感じます。
関心は未来にあると言ってもいいでしょう。
時間軸をそろえると、意外と違いは小さいのかもしれません。
視点もやや違います。
島田さんは死者の視点、一条さんは残された人の視点に、重点を置いています。
もちろん、2人とも、その双方への視野はしっかりとお持ちですが。

ただ、あきらかに違う点があります。
島田さんは「生きている人が死んでいる人に縛られるのっておかしい」と言い、
一条さんは、「生きている人間は死者に支えられている」と考えていることです。
もっともこれも、もう少し議論を深めれば、つながってくるような気もします。
それに、「縛られる」と「支えられる」も、コインの裏表かもしれません。

妻を見送った私は、一条さんの言葉が、心にひびきます。
私の人生がまさにそうだからです。
「私たちは、死者とともに生きている」という言葉も、私にはとても実感できます。
ただ、島田さんが言うように、死者に縛られている人もいるでしょう。

ところで、対談の最後に、「迷惑」が話題になっています。
一条さんの言葉には私たちの生き方への大きなメッセージを感じますので、ちょっと長いですが、引用させてもらいます。

「参列者の方に迷惑をかけたくない」という理由で家族葬を選択しています。
「迷惑」は無縁社会のキーワードですね。すべては、「迷惑」をかけたくないがために、
人間関係がどんどん希薄化し、社会の無緑化が進んでいるように思えてなりません。(中略)
「迷惑をかけたくない」という言葉は、現代の日本社会における人間同士の希薄な「つながり」を象徴しています。

私は、たくさんの人に迷惑をかけながら生きています。
これからもそうでしょう。
しかし、同時にたくさんの人たちからも「迷惑」をもらっています。
それが私の人生を豊かにしているような気がします。
そういう生き方をしているせいか、自分の葬儀のことを考えたことはありません。
でも、私の葬儀が家族や友人知人に「迷惑」と同時に、きっと何かの「お役立ち」にもなるのではないかと思っています。
そういう生き方でありたいと思っているのです。

「お葬式」をテーマにした話し合いですが、私たちの生き方や死生観に大きな示唆を与えてくれる本ですので、ぜひ多くの人に読んでもらいたいと思います。
そして、自らの生き方を、ちょっと考えてもらうのも、いいのではないかと思います。

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■「死を乗り越える映画ガイド」
(一条真也 現代書林 1400円)
『死が怖くなくなる読書』を書いた一条真也さんが、今度は、『死を乗り越える映画ガイド』を上梓しました。
副題は「あなたの死生観が変わる究極の50本」。
「死を想う」「死者を見つめる」「悲しみを癒す」「死を語る」「生きる力を得る」という、5つのテーマに沿って、50本の映画作品が紹介されています。

一条さんは、映画は人間の「不死への憧れ」が生み出した技術だと言います。
映画は、「時間を生け捕りにという芸術」であり、かけがえのない時間をそのまま「保存」するというのです。
たしかにその通りです。
さらに一条さんは、人間の文化の根底には「死者との交流」という目的があり、映画は「死者との再会」という人類普遍の願いを実現するメディアでもあると言います。
「映画館という洞窟の内部において、わたしたちは臨死体験をするように思います」とさえ、言うのです。
一条さんの、映画への思い入れを感じます。

作品の一つひとつの紹介は、一条さん自らの思いを重ねながら、死生観を問いかけてくれる内容になっています。
通読すると言うよりは、映画のタイトルを見ながら、気が向いた時に読んで、さらに気が向けば映画を見るという、まさにガイドブックです。

50本の作品の紹介のあと、一条さんは「あとがき」で、もう1本、紹介しています。
それは、進藤兼人監督の「裸の島」です。
私が大学生だった頃の映画です。

舞台は、瀬戸内海にある、飲み水はもちろん、野菜を育てる水さえ隣の島から運んでこなければいけない小さな島に住む家族の話です。
その家族の息子が急死し、そのお葬式が描かれています。
そのお葬式を見て、一条さんは、感動したのです。

わたしは、こんなに粗末な葬式を知りません。
こんなに悲しい葬式を知りません。
そして、こんなに豊かな葬式を知りません。
貧しい島の貧しい夫婦の間に生まれた少年は、両親、弟、先生、同級生という、彼が愛した、また愛された、多くの“おくりびと”を得て、あの世に旅立って行つたのです。
これほど豊かな旅立ちがあるでしょうか。

そして、こう言います。

「裸の島」は、いわば極限までに無駄なものを削った生活だからこそ、人間にとって本当に必要不可欠なものを知ることができるのです。
そして、その必要不可欠なものこそ、水と葬式でした。

詳しくは一条さんのブログをお読みください。
http://d.hatena.ne.jp/shins2m/20100228/1267364286

「裸の島」の紹介を通して、一条さんの死生観の真髄が伝わってくるような気がします。

映画好きな方は、ぜひ、手に取ってみてください。

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■「「論語と算盤」の経営」
(田中宏司・水尾順一・蟻生俊夫編著 同友館 1800円)
最近、日本の経済は、マネー資本主義に覆われそうな状況になってきていますが、いまこそ改めて、経世済民の理念で、日本の資本主義を育てた渋沢栄一を思い出す必要があります。
そう思っていた矢先に、清水正道さんが、仲間と一緒にこんな本を書いたと言って、持ってきてくれたのが本書です。
見たら、編者にも執筆者にも、私の知り合いが含まれていました。
早速、清水さんの書いたものから読ませてもらったのですが、とても面白く、結局、一挙に全部を読んでしまいました。

渋沢栄一については、いまさら説明するまでもないでしょうが、明治期にたくさんの企業の創業に関わり、日本の資本主義の父と言われた人であり、その著書「論語と算盤」では、企業経営の理念を明確に説き、経営学者のドラッカーにも大きな影響を与えた人です。
私は、15年ほど前ですが、偶然に、渋沢栄一のお孫さん(と言っても私よりもかなり年上の女性)と知り合い、そのお住まいを何回かお訪ねしたことがありますが、ご高齢なその方の闊達さには感服した記憶があります。
その方のお話があまりに面白かったので、友人に頼んで取材し本にさせてもらいたかったのですが、いくつかの不幸な事情が重なり、実現できませんでした。
返す返すも残念でした。

本書の面白さは、さまざまな立場の人が、さまざまな視点から、渋沢栄一の思想と実践を、書いていることです。
目次を見れば、その多様さはわかってもらえると思いますが、章ごとに執筆者が違うので、それぞれ新鮮に読めます。
テーマもさることながら、執筆者18人の、それぞれの「渋沢栄一論」に触れられます。

特別寄稿 渋沢栄一と日本資本主義(渋澤健)
プロローグ 現代に生きる「論語と算盤」の経営
第1章 人間「渋沢栄一」の素顔とこころざし
第2章 渋沢栄一の学問的基礎
第3章 渋沢栄一と職業倫理
第4章 渋沢栄一の教育イノベーション
第5章 渋沢栄一とコーポレート・ガバナンス
第6章 渋沢栄一と社会貢献活動
第7章 渋沢栄一と神宮創建・永遠の杜
第8章 ドラッカーが見た渋沢栄一の魅力
第9章 実業が国の本/東京商工会議所
第10章 もっともっと東京を明るくしたい/東京ガス
第11章 算盤勘定だけではない企業経営/IHI
第12章 まちづくりに生きる渋沢栄一の理念/東京急行電鉄
第13章 『航西日記』から学ぶアデランス
第14章 「道徳経済合一説」から学ぶ味の素
エピローグ 実践で生かす「論語と算盤」の経営 チェックリスト
付 録 渋沢栄一の関連年表

冒頭に、渋沢栄一5代目子孫の渋澤健さんが特別寄稿されていますが、これがとても面白いです。
私が面白かったのは、渋沢栄一がよく語っていたという「合本主義」と、渋沢栄一は使うことがなかったという「資本主義」に関する言及です。
合本主義には、「一滴一滴の滴が集まって大河になる」というイメージがあると渋澤健さんは書いていますが、その理由は本書をお読みください。
私の勝手な解釈では、資本主義は学者の操作対象物、合本主義は現場の人が主役です。
「との力」と「かの力」も面白い話です。
「論語と算盤」と「論語か算盤」とでは全く違ってきますが、そこから面白い話が引き出されています。

最後に、実践で生かす「論語と算盤」の経営チェックリストまでついています。
企業の経営幹部の人であれば、ぜひ自社の経営をチェックしてみてください。
章ごとに完結していますので、とても読みやすいです。
渋沢栄一の入門書としても、お薦めします。

コモンズ書店で購入
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■「経営道 心と道の経営」(市川覚峯 致知出版社 1500円)
日本経営道協会の市川さんの最新の著作です。
松下幸之助や本田宗一郎の教え、近江商人や商家の家訓などを紐解きながら、企業経営の核心をわかりやすく、かつ実践的に説きながら、企業経営のリーダーとしての「心のあり方」を問いかけてくれています。
昨今の日本企業の実状をみるにつけ、改めて市川さんの提唱する「経営道」、「経営の心と道」の大切さを感じます。
とても気楽に読める本ですので、多くの経営幹部のみなさんに読んでほしいと思います。

市川さんが「経営道」活動に取り組まれたのは、いまからもう30年程前になります。
山城経営研究所を拠点にして、経営道フォーラムを起こしました。
私は偶然にも、その最初のプログラムに参加させてもらったのが縁になり、その後も関わらせてもらいましたが、時代の要請もあって、そのプログラムは育ちだしました。
しかし、市川さんは、さらに大きな構想を描き、自らの世界を広げるために、比叡山、高野山、大峯山で1200日の荒行を重ねました。
本書には、その体験から得た、魂のメッセージも感じられます。

日本経営道協会も設立20周年を迎えました。
市川さんが3年間の山の行を終えて戻ってきた時のことが、いまも鮮明に記憶にあります。
あれから20年。市川さんの活動の場は大きく広がっています。
うれしいことです。

市川さんの主張には、人を大切にする、和を重んじる、人々を幸せに導くことこそが、経営の本質だというメッセージが込められています。
いまの日本の企業は、そうなっているか。
私も、そうした「経営の本質」がおろそかにされていることこそが、いまの企業の実相につながっていると考えています。
大切なのは、経営技法ではなく、経営理念です。

経営に関わるみなさんへのお薦めの1冊です。

■「社員参謀!人と組織をつくる実践ストーリー」(荻阪哲雄 日本経済新聞出版社 1800円)
昨年、このコーナーで紹介した「リーダーの言葉が届かない10の理由」に続く、
株式会社チェンジ・アーティスト代表荻阪哲雄さんの「組織開発」シリーズ第2弾です。

前著で示された、ビジョンに向けて会社を大きく変えていくための実践手法「バインディング・アプローチ」を、
架空の企業を舞台に、実際に展開する物語として、小説にまとめ上げたのが本書です。
物語は、変革の進捗に応じて5章に分けられ、それぞれに「荻阪哲雄の組織開発ノート」という、解説がついています。

臨場感ある小説を読みながら、荻阪さんの開発した組織開発手法「バインディング・アプローチ」を実践的に学べるという仕組みになっています。
バインディング・アプローチとは、要するに「トップダウン」と「ボトムアップ」を「バインディング」、 つまり「結束」させる手法ですが、
詳しくは「リーダーの言葉が届かない10の理由」に体系的に説明されています。

私自身、もう30年以上前になりますが、東レという会社で、
まさに「企業文化変革プロジェクト」に取り組んだことがあります。
その体験が、あまりに大きかったために、私は会社を辞めることになったのですが(自らの生き方の問題にぶつかったのです)、
当時のことがまざまざと蘇ってくるシーンもありました。
まるで自分のことではないかと思われるシーンもありました。
おそらく荻阪さんも、そうしたシーンを何回も体験しているのでしょう。
実際に体験した立場から言えば、いささかことがうまく運びすぎているように思いましたが、本筋には共感できました。
荻阪さんは本書を届けてくれた時に、本書で新しい「日本型の組織開発論」を提起したかったと、話してくれましたが、
同時に、「組織開発のリーダーシップ論」を語りたかったと本書のあとがきで書いています。
その目的は、果されているように思います。
組織開発のリーダーシップ論の要素がしっかりと埋め込まれています。

本書の書名の「社員参謀」は、荻阪さんの造語です。
小説の最後に社員の口から出てきた言葉として、最後に登場します。
この概念は、実は私も自分の体験から考えていた概念です。
成熟した社会の企業においては、経営者にとっての参謀と同じく、社員にとっても参謀が必要です。
社員一人ひとりの力を引き出し、組み合わせていく上では、個人を起点にした参謀役が効果的です。
その視点で、本書を読むのもいいと思います。

物語の展開には、生々しい臨場感もあり、興味深く読めます。
会社の変革に取り組んでいる方には、たくさんの示唆や勇気も与えてくれるでしょう。
さまざまなシーンで登場する、経営に関する実践的なヒントや思考を深めるためのキーワードなども、実践的なものが多く、読む人の思考を刺激してくれるはずです。
組織開発ノートも示唆にとんでいます。

だからかもしれませんが、読み終わって感ずるのは、第3弾がほしいなということです。
本書では、フォーマル組織とインフォーマル組織の組み合わせや、企業文化と企業業績とのつながりなども、話題にされていますが、
そのあたりの展開は、まだまだ語り足りてはいない気がします。
小説の中でも、物語が動き出してからの具体的な現場の物語が、もう少し読み滝もします。
荻阪さんには、ぜひシリーズ第3弾を書いてほしいと思います。

ところで、本書の主人公の姿晋介は、この変革プロジェクトが成功した後、なぜか会社を辞めて、「新しい組織開発の実践の途についた」、と書かれています。
これが小説の結語になっています。
もしかしたら、荻阪さんは、すでに第3弾を書くつもりで、その布石として、こういう結末にしたのかもしれません。

ちなみに、私も、会社の企業変革プロジェクトが節目を超えた時に会社を辞めさせてもらいました。
私の場合は、プロジェクトを通して世界が広がってしまい、「新しい社会変革の実践」へと生き方を変えました。
ですから、新しい組織開発の実践に向かった主人公のその後には関心があります。
本気で企業変革に取り組んだ人であるならば、世界は必ず変わってしまっているはずだからです。

最後に余計なことを書いてしまいましたが、いまの企業の状況に疑問を感じている人には、ぜひお勧めします。
そして、ぜひ会社に新しい風を起こしてほしいと思います。
日本の企業は、もっと元気になれるはずですから。
お読みになった方の感想をお聞きしたいです。

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■「自死-現場から見える日本の風景」(瀬川正仁 晶文社 1500円)
私の友人が書いた本ではないのですが、ある人からいただいた本を紹介させてもらいます。
1か月ほど前に、京都でTさんにお会いしました。
Tさんは、息子さんを自死で喪っています。
Tさんは、私が妻を喪っていることをご存知です。
愛する人を喪った人は、どこかで心が通じます。

京都駅近くの喫茶店で会ったTさんは、別れ際にこの本を私に下さったのです。
白地に黒で「自死」と書かれただけの本書の表紙は、読む者に覚悟を求めます。
そのためか、いただいてから1か月近く、読めずにいました。
毎日眺めながら、ようやく読めたのが今週でした。
私自身少し疲れ切っているなかで、なぜか読む気が生まれました。
読んで正直ホッとしました。
Tさんからの宿題が果たせた気がしたからでもありますが、本書の内容にホッとしたのです。
本書の副題、「現場から見える日本の風景」がていねいに書かれていたからです。
自死から見えることはたくさんあるのですが、往々にして自死という強烈な事実に、その風景が見えなくなってしまうことが少なくありません。
著者の瀬川さんが、さまざまな風景を見てきていることが伝わってきます。

最初の方に出てくる自死した高校生の残した詩の一部を引用させてもらいます。

この世は悲しみと喜びがあるから美しい。
6の悲しみと、4の喜び。
これが、私の中のこの世の比率。
なにもない。0
これが、私の中の死という考え。
6つの悲しみと4つの喜びより、起伏もなにもない0。
臆病な私は、0へ。

この世は悲しみと喜びがあるから美しい、と言っている若者が、なぜ自死を選んだのか。
言い方を選ばずに言えば、生きている人こそが自死できるのだともいえる気がします。
自死した人や自死を企図した人の話も出てきていますが、みんなそれこそ、とてもよく生きていることが感じられます。
自死した人の方が生き生きと生きている。
なんという大きな矛盾か!

瀬川さんは、「自殺」ということばでなく「自死」という言葉にこだわっていることを説明した後、「学校と自死」「職場と自死」「宗教と自死」「精神医療と自死」「責任と自死」「高齢者と自死」「原発自死」とさまざまな現場から「自死」の問題を取り上げていきます。
考えさせられること、気づかされることがたくさんあります。
さまざまな現場を報告した後、瀬川さんはこう書いています。

「自死」は本人にしかわかり得ない、いや、もしかしたら本人でさえ気づいていない複雑な要因が絡み合って起こる難解な事件なのかもしれない。
そういう意味で、自死対策が一筋縄ではいかないことはよく理解できる。
だが同時に、現在、日本で起こっている「自死」の多くに通底する要因があるとも感じた。
それを短い言葉で表現すれば、「経済効率を最優先する社会」である。

まったく同感です。
「経済効率を最優先する社会」を変えなければ、問題は解決しない。
必要なのは、自殺防止対策ではなく、私たち一人ひとりの生き方の見直しなのです。
瀬川さんは、子どもたちから学ぶ喜びを奪ってきたことが学校でのいじめにつながっていると書いています。
大人たちも、働く喜びを奪われてしまっている。
学ぶことも働くことも、本来喜びに通ずるものだったのに、いまやいずれもストレスのもとにさえなっている。
そういう社会のあり方を問い直す必要があります。

本書の最後を引用させてもらいます。

これだけ社会が豊かになったにもかかわらず、多くの自死者が存在するという現実を、私たちは直視しなければならない。
「自死」の最大の問題点は、その「死に方」にあるのではない。
「自死」を選択せざるをえなかった「生」、言い換えれば、「自死」を選択させた「社会」に問題があると思うからだ。

「自死を選択させた社会」をつくっているのは、私たちです。
ぜひ多くの人に本書を読んでもらいたくて、あえて紹介させてもらいました。
本書を教えてくださったTさんに感謝します。

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■「子どもたちを戦場に送らない勇気」
(武田文彦 WAVE出版 1500円)
リンカーンクラブ代表の武田文彦さんが、新著「子どもたちを戦場に送らない勇気」を書きました。
現在の安倍政権の、憲法をないがしろにした暴走を止めなければ、そう遠くない未来に、私たちは子どもたちを戦場に送ることになるだろうと、武田さんは憂いています。
そして、そうであればこそ、それを逆手にとって、自由で平和な暮らしができる政治体制を築くために動き出すべきだと考えたのです。
それが、もう本は書かないと言っていた武田さんが、再び本を出版した理由です。

武田さんは、湯島のサロンの常連の一人でもあるので、ご存じの方も多いでしょうが、彼はビジネスのかたわら、在野で民主主義をずっと研究してきた人です。
一時は、国会議員も巻き込んだリンカーンクラブも展開、早い時期から直接民主主義への可能性を提案していたので、最近亡くなった「第3の波」の著者、アルビン・トフラーにも関心を持たれた人です。
私自身は、リンカーンクラブ立ち上げ時に事務局長をやっていたこともあり、武田さんの思いやこれまでの取り組みはかなりわかっています。
必ずしも意見は同じではありませんが、武田さんの主張には基本的には共感しています。

今回、急遽、出版に踏み切ったのは、言うまでもありませんが、現在の参議院選挙、そして来年の衆議院選挙が、日本の未来を決めることになるだろうという、懸念からです。
本書の副題は「安倍政権の独裁政治を止めて、希望の国に!」となっています。
いままさに、日本は「大きな岐路」に立っています。
この私のホームページでも、自民党の憲法改正案については、何回も、そしてかなり詳しく書いたことがありますが、自民党憲法案に書かれている日本への道は、いまここで閉ざさなければ、ナチスを止められなかったニーメラーの二の舞になるでしょう。
それに気づいてもらうためにも、本書を一人でも多くの人に読んでほしいと思っています。

本書の内容を出版社のサイトから引用させてもらいます。

安倍政権の独裁政治は走り始めてしまった。
本書はその恐ろしさを明らかにして、このままだと日本はどうなるのかを示し、そうさせないために、本当の民主主義国家を築くにはどうすればいいかというところまで著したものである。
豊かに見えるこの世界が堕ち始めていることを一日も早く知り、平和を守るための最後の切り札をどう使うか。
暴走する安倍政権に歯止めをかけ、私たちが安心して幸せな暮らしができる国を築くための具体策を説いている。

本書のポイントは、ここに書かれている「平和を守るための最後の切り札」、そして「そのための具体策」にあります。
詳しくは本書を読んでいただきたいのですが、武田さんは問題を「改憲か護憲か」などと単純化しません。
民主主義と平和主義を基本に置いた憲法が、いまのようにないがしろにされるのは、どこかに欠陥があったはずだと言うのです。
そして、「議会制民主主義」を問題にし、「現行の議会制民主主義を正当化し保証する日本国憲法そのものにも欠陥がある」、そして、「その欠陥が、安倍政権の憲法破りを誘発した」と、武田さんは指摘します。

ではどうしたらいいのか。
その答えは本書の中に書かれています。
「第三次民主革命」構想です。
「民主革命の真の目的は、安倍政権を倒すことではなく、より進化した、私たちがより安心して幸せな暮らしができる政治体制を築くことです」と武田さんは書いています。
「日本国憲法下の「議会制民主主義」という制度の根本的な欠陥を解決することが第三次民主革命の第一の目的、本当の民主主義を実現させることが第二の目的」なのです。
詳しくは本書をお読みください。

とても読みやすい本です。
武田さんの独創的な視点や提案もあります。
ぜひ多くの人に本書を読んでいただきたいと思います。

ちなみ、本書の出版を記念して、湯島で武田さんを囲むミニ講演会やカフェサロンも数回開催予定です。
現在決まっているのは、7月9日のミニ講演会と7月24日のサロンですが、継続的に開催していきます。

さらに来週詳しく発表できると思いますが、武田さんの言う「第三次民主革命」に向けての活動を始めるために、しばらく休会になっていたリンカーンクラブ活動も再開します。
まだ制作途中ですが、リンカーンクラブのホームページもできつつあります。
http://lincolnclub.net/
多くの人に入会していただきたいと思っています。

湯島でも本書の販売をしていますので、湯島に来たら声をかけてください。
コモンズ書店での購入
http://astore.amazon.co.jp/cwsshop00-22/detail/4866210184


■「歩きはじめた沖縄−沖縄の自然と歴史・そして辺野古」(緒方修 花伝社 1500円)
緒方さんは、文化放送記者などを経て、1999年より沖縄大学教授として沖縄に転居しました。
現在は、東アジア共同体研究所の琉球・沖縄センター長として、沖縄の実状を発信し続けています。
緒方さんは、「本土」で行われている沖縄関連の報道と沖縄現地での報道があまりにも違うので、そこに大きな危機感を抱いているように思います。
時々、湯島に来る時に、沖縄の新聞を持ってきてくれますが、たしかに全く違います。
毎日触れる情報が違えば、問題の捉え方や意識も変わっていくでしょう。
緒方さんは、たぶんそのことを懸念しているのです。
そんなこともあって、緒方さんは、湯島のサロンにも時々話をしに来てくれるのです。

その緒方さんが、「沖縄の置かれている状況」をもっと知ってもらおうと出版したのが本書です。
いま話題の辺野古の問題ばかりではなく、副題にあるように、沖縄の自然と歴史に関しても言及されています。
辺野古の問題は、日本が沖縄をどう考えてきたのかの歴史と無縁ではありません。
緒方さんは、「何百年来、日本が沖縄に対して行ってきたこと」をしっかり知らなければ問題は見えてこないと考えているようです。
たしかに問題の根は深く、私たちはあまりに沖縄のことを知らないのです。

緒方さんはこう言います。
「日本がこれまで隠し通してきた嘘が沖縄ではとっくにばれてしまい、その影響が日本中に広がりそうな気配」であり、現在の安倍政権は、それを危惧しているのだろう、と。
沖縄県は日米政府と闘い、辺野古新基地建設を全力で阻止しようとしている沖縄の実情を伝えることは、日本の未来にとっても大きな意味をもつ。
緒方さんは、それを自らのミッションだと考え、昨年から、「東アジア共同体ニュースマガジン」に毎週、沖縄現地でないとわからないような細かいことを含めて、「沖縄ノート」を寄稿しています。

本書は、そうした活動を踏まえての、緒方さんが見た沖縄の報告です。
単なる現状報告ではなく、そこから見えてくる沖縄の歴史や自然も語られていますので、問題を立体的に捉えられます。
それに、緒方さんが沖縄で生活し、あちこち現地に出かけていっての報告ですので、とても具体的なのです。

とても読みやすい本ですので、ぜひ多くの人たちに読んでいただきたいですが、「あとがき」に書かれた「夢のような話」だけ、ちょっと長いですが紹介しておきます。

ここで夢のような話をする。もし沖縄がアメリカの一つの州になっていたら…。沖縄と日本の立場は「主客」逆転、日本の首相を呼びつけて、もうお前のところには協力しない、これからのことは自分達で考えろ、と宣言する。誰が日本なんかを守ってやるものか。沖縄戦で多数の住民を殺し、島全体を「太平洋の捨石」にしたつけを払ってからものを言え。
アメリカなのだから大統領にも注文をつけられる。嘉手納基地はすぐに民間航空機の乗り入れを許可する。全世界から人を集める戦略を進める。国際会議、エコツーリズム、マリンスポーツなどなど、どうぞ長期滞在して青い空、青い海を堪能してほしい。そのためにはビーチを独占している米軍基地は撤去。海兵隊はもともと不要。日本とつるんで基地存続を唱えるような知事は落選させる。上院・下院に送り込んだ議員はワシントンでロビー活動を展開し、アジア・太平洋の楽園づくりに邁進する。中国の国家主席も韓国の首相も海水浴に来てもらい、美しい砂浜でのんびり環境保護の話でも出来たのではないか。

さらに、独立したらという夢の話も書かれています。

最後に緒方さんはこう書いています。

この本が少しでも沖縄の現状を理解する手がかりとなればうれしい。
辺野古まで出かけて応援しようという人もいれば、自分の持ち場でなにかやろうとする人もいるだろう。
一人ひとりの力で現在の悪政をただし、非戦を実現する方向に向かうことが出来れば幸いだ。

沖縄の人たちは頑張っています。
私たちも、何ができるかをそれぞれの地域で考えていきたいと思います。
そのためにも、ぜひみなさんにも読んでいただきたいと思います。

なお緒方さん、今回は、戦後70年の沖縄からの現状報告のつもりで書き始めたため、沖縄の文化面の魅力がほとんど書けていないと言っています。
ですからきっと近いうちに、沖縄の文化を中心にした第2段が出版されるかもしれません。

コモンズ書店での購入
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■「漫談で斬る自民党改憲案―これが彼らの本音だ」
(小林康二 新日本出版社 2016)
今回は、私の知り合いの本ではないのですが、
このコーナーでも何回か著書を紹介させてもらっている弁護士の大川さん(たとえば「裁判に尊厳を懸ける」はぜひ読んでほしい本です)から届いた本の紹介です。
大川さんの送り状に、「私の古くからの友人が本を出しました。一番先に、貴兄に贈らせてもらうことにしました」と書いてありました。
そこに込められた意味が、私にはなんとなくわかったものですから、すぐに読ませてもらい、紹介させてもらうことにしました。
著者の小林さんとは面識はないのですが、許してもらえるでしょう。

著者の小林さんは、30年以上にわたって労働組合で活動した後、
55歳で転身、笑作家として演芸の世界に入り、
1998年には、励ましの笑いを届けるお笑い集団“笑工房”を設立しました。
http://show-kobo.co/index.html
さらに2012年、自民党が「国防軍保持」を明記した憲法改正草案を発表したのに強い危機感を抱き、
憲法漫談「これがアベさんの本音だ」を書いたことが契機になり、73歳にして、みずからも「憲法芸人」としてデビューしたという人です。

その漫談が好評で、公演回数も50回を超えたので、もっと多くの人たちにも読んでもらおうとまとめたのが本書です。
当初は、自民党改憲案を「批判する内容で」と考えたそうですが、
現憲法とともに戦後を生きた日本人の憲法に対する熱い思いを伝えることが大切だという思いになり、
自らの半生記と重ねながら、その思いをさまざまな切り口で漫談風に楽しく書いています。
読者は、とても楽しく読んでいるうちに、
日本国憲法に刻まれている、一人ひとりの人間を大切にする理念を知るとともに、
自民党改憲案に潜んでいる「彼らの本音」に気づかされるというわけです。
まさに、小林さんが意図している「面白くて、分かり易い憲法解説書」になっています。

ちなみに、励ましの笑いを届ける笑工房は、
学校、PTA、労働組合、労働金庫などからの依頼が多く、
公演総数は3000回を超え、売り上げも目標の吉本興業に近づいているそうです。
小林さんはこう書いています。

吉本が年商約500億円、これに対し笑工房は約499億7000万円だけ、売り増やせば吉本に並ぶところまで来ました。
「あと一息だ」と頑張っています。

なるほど、「あと一息」ですね。
実に共感できる発想です。
本書をたくさんの人たちが読んでくれれば、自民党による改憲の暴挙阻止も「あと一息」になるかもしれません。
そうなるように、ぜひ多くの人たちに本書を読んでいただきたいと思います。
ホームページを見てもらうとわかりますが、小林さんたちはどこにでも出かけて、励ましの笑いを届けてくれるようです。
笑工房が吉本興業に追いつくことも、ぜひ応援してください。
いずれも、「あと一息」ですから。

このまますぐ、コモンズ書店(楽天)でも購入できます。
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■「技術者の倫理入門第5版」
(杉本泰治・高城重厚 丸善 1800円)

NPO法人科学技術倫理フォーラム代表の杉本泰治さんが、心を込めて取り組んでいる技術者倫理のテキストも、第5版になりました。
事例に沿った、とてもわかりやすい本なので、読むだけで考える力がついてきます。
ぜひ多くの人に読んでほしいと思っています。

本書の内容に関しては、第3版の紹介文を読んでください。
今回は、実務に結びつく筋道を明らかにする方向へとさらに一歩進め.内容も大幅に充実されてきています。
新しい執筆陣も加わっています。

第5版への杉本さんの思いと本書の構成は、「はじめに」にとてもわかりやすく書かれていますので、それを引用させてもらいます。

普通の日本人が、日常の生活や業務において問題にぶつかったときどうするか。
通常、学説を持ち出して考えるようなことはしないものだ。
記憶のなかに何かがセットされていて、予測が無意識のうちになされる。
それなら、その仕組みを簡単な「イメージ」に収めて、普通の人ならだれでも記憶のなかにセットでき、無意識のうちに動くようにするとよい。

それこそが、倫理を考える出発点であると、杉本さんは考えています。
そして、その「イメージ」を意識しながら、本書は構成されています。
その「イメージ」は本書の第4章で具体的に整理されています。

さらに杉本さんは、エンジニアの責務として、こうも書いています。

科学技術に取り組む姿勢にかかわることは、まずエンジニアが責任をもたなくてはならない。
2011年に東日本大震災に伴う事故が起き、その後、研究不正が社会問題となり、
日本でも、技術者や研究者が倫理を身に付けていることが当然の前提とされるようになった。
エンジニアは、エンジニアの倫理を、自ら築くべきである。
この国の人々に広く受け入れられるような倫理を、自ら築く責務がある.

まったく同感です。
それに共感して、私もNPO法人科学技術倫理フォーラムに参加させてもらっています。

とても読みやすい章立てになっていますので、企業のエンジニアの方にもぜひ読んでほしい本です。
これをベースにした技術者サロンの開催も、考えたいと思っています。

■「猫と鐘 マルタ留学記」(いとう啓子 zag出版 2015)
先日、20年ぶりくらいに会った、いとう啓子さんから本が送られてきました。
「猫と鐘 マルタ留学記」
いとうさんは、思うことあって、昨年、50代にして、マルタに英語短期留学のためホームステイしたのです。
本書はその記録で、オンデマンドでの出版です。

amazonに掲載されている本書の紹介記事を引用させてもらいます。

50代の筆者は、独身ひとり暮らし。
親を見送ったあと、地中海にあるマルタ島に1ヶ月の英語短期留学に出かけた。
ホストホームで四苦八苦しながら初の海外生活を体験し、学校ではさまざまな国の学生と一緒に英語を学んだ。
日本の英語学習との違い、外国人とのコミュニケーションの難しさ、ホストホームの生活体験、マルタ島の稀有な歴史や人々の様子などについて綴る。

いとうさんは、プロのライターであり編集者です。
ですから本書も、4週間という短い期間にも関わらずに、編集者の視点で、密度の高い内容になっています。
それも、とても具体的に書かれていますので、これからホームステイする人にとっては、とても参考になるでしょう。
加えて、マルタの歴史と風土と人々の生活ぶりも、伝わってきます。
ちなみに書名の「猫と鐘」は、4週間のマルタ生活の毎日、いとうさんが目にし耳にしたことの象徴です。
ホームステイした家のすぐ裏にある教会の鐘の音で、毎朝午前6時に目覚め、窓を開けて、なぜかいつもそこにいる猫の「ちーちゃん」にあいさつすることから、いとうさんの1日が始まっていたようです。

しかし、いとうさんはなぜ50代になってから英語短期留学に出かけたのか。
いとうさんが、そのことについて書いていることを、すこし長いですが、引用させてもらいます。
一部、文章を省略させてもらっていますが。

50歳を過ぎて両親を見送ったあと、焼雑な手続きや実家の後片づけなどが全て終わり、無気力感に襲われたこともある。
親も子もなく独身という状態になり、寂しい気持ちになったこともあるし、改めて“ひとり暮らし”という立場について考えた。
このまま歳をとっていくことに不安を感じたこともある。
さすがにまだ“老後”の準備を本格的に始める歳ではない。
かといって若くもない。
どのくらい健康寿命が残っているのかは分からない。
だったら、“おひとりさま”だからできることをしてみようと考え始め、思いついたのが“留学”だった。
残りの人生も、同じように与えられた仕事をこなしていくだけでいいのかという思いもあり、気持ちはどんどん留学へと傾いていった。
もちろん、海外生活、久々の学校など不安だらけで、気持ちが揺れ動くこともあったが、今このチャンスを逃したら一生できないかもしれないと、思い切ることができた。

いとうさんの気持がとてもよく伝わってきます。
「このまま歳をとっていくことに不安」。
同じような話を、社会的に活躍している50代の人たちから、これまでも何回か聞いたことがあります。
そのテーマで、湯島でサロンを開催したこともあります。
そのことを思い出しました。

本書の内容に関する紹介をしていませんが、それはぜひ読んでもらうとして、いとうさんの感じたことを2つだけ、言葉通り紹介しておきます。

「やっぱり、バーチャルよりリアル。これもまた実感したことだ。」
「文化や習慣の違う人たちとコミュニケーションをとることは簡単じゃない。」

最後にいとうさんが得た、「マルタ留学効果」についても。

今回の短期留学で、人生のリセットができたかどうかは分からないけど、新しいことに挑戦できたので、ちょっとした自信にはなった。まだまだイケる!という気持ちがでてきたと思う。
それに、停滞していた脳が活性化されたような感じはする。
50数年生きていると、どうしても過去の経験から自分の考えが凝り固まりがちになる。
今回思い切ってマルタに行ったことで、少し凝りがほぐれたような気はする。
少なくとも頭を柔軟にしなければと感じたから、マルタ留学効果はあったのだろう。

さて、50代のみなさん。
いかがですか、海外へのホームステイは?

■「死ぬまでにやっておきたい50のこと」(一条真也 イースト・プレス 1400円)
長年、冠婚葬祭の視点から、人の生き方や死生観を考えてきている一条真也(佐久間庸和)さんの最新作です。
副題は「人生の後半を後悔しないライフプランのつくり方」。
後悔のない人生を生き、そして最期の瞬間を清々しく迎えるための50のヒントを、次の5つの分野に分けて、佐久間さんご自身がふれてきた具体例やエピソードなどを含めながら、とても具体的に、提案しています。
・ライフサイクルづくりに必要な6のこと
・教養として身につけておきたい16のこと
・最期まで楽しむためにやっておきたい11のこと
・世の中のためにやっておきたい10のこと
・清々しい最期を迎えるためにやっておきたい7のこと

佐久間さんは、お仕事柄(冠婚葬祭会社の社長でもあります)、いろいろな方の最期に立ち会うことも多く、そのなかで耳にする故人や遺族の後悔の念に触れるうちに、そうした思いを整理して提案することで、一人でも多くの方が、後悔のない人生を生き、清々しい最期の瞬間を迎えられるようになればという思いで、本書を書き上げたそうです。
佐久間さんは、私が知っている中でもとびぬけた読書家で、「生」と「死」に関する古今東西の文献を読み込んでいます。佐久間さんの頭のなかには、人類の長年の知見がどっさり入っていますが、その知見も存分に散りばめられています。

しかし佐久間さんは、本書で「やるべきこと」を語っているのではありません。
悔いを残さないように、「やりたいこと」をやれるように、それを意識化しようという提案をしているのです。
本書が読者に呼びかけているのは、死ぬまでにやっておきたいことを具体的に考えましょうという呼びかけなのです。
決して、お説教的にこれをやっておくべきだなどと言っているのではありません。

言いかえれば、みんなもっと夢を持ちましょうということかもしれません。
佐久間さんは、夢というのは必ず実現できると確信しています。
しかし、その夢をきちんと意識化し可視化しなければ、実現には向かわないでしょう。
だからまずは50個、書き出してみようと呼びかけているのです。
本書はそのヒント集です。
最後に佐久間さんご自身の50の「やりたいこと」(夢)が挙げられています。
笑い出したくなるようなものもありますが、本音で書けば、たぶん多くの人もこのような内容になるだろうなと思えることを実感させてくれます。
そして、自分も書きだしてみようかという気になります。
まあ最初は1個でもいいでしょうが、書き出せばついつい増えてく。
そして、自分でも気づかなかった自分に気づくかもしれません。
そう思うと、これは最近話題のエンディングノートそのものではないかということに気づくでしょう。

ところで、本書にはなんと私も登場します。
50項目の一つが「先に亡くなった大切な人に手紙を書く」なのですが、そこに出てくるのが、妻を亡くして以来、私が書き続けているブログ「節子への挽歌」なのです。
そのことを紹介してくれた後、佐久間さんはこう提案しています。
「わたしは、愛する人を想って亡き方への手紙を書くということを提案します。」

まあこんな感じで、50のヒントがあげられているのです。
忘れていた自分に出会う入り口になるかもしれません。
この本から、いろんなことができそうな気がします。

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■「改善の急所」(柿内幸夫 日本経営合理化協会出版局 2012)
■「ちょこっと改善」(柿内幸夫 経団連出版 2012)

今回は、最近、知り合った柿内さんの2冊の本を紹介します。
企業で働く人にはすぐにでも役立つ本ですが、それだけでなく、私たちの生き方においても、とても示唆に富むメッセージが含まれています。
紹介する気になったのは、「ちょっとした小さな改善をしっかりと進めていくと全体が大きく変わっていくんですよ」という柿内さんの言葉に、とても共感したからです。
ゆりかもめの車中で柿内さんと話していた時でした。
それに柿内さんが「ちょこあん」という言葉を使ったのにも興味をひかれました。
「ちょこあん」ってなんだろう、と思ったのです。

柿内さんは、長年にわたり、全国の工場現場を指導してきた改善コンサルタントです。
ともかく現場に直接行くのが大好きのようです。
それも私が共感をもったことの一つです。
私の信条は、「現場にこそ答がある」ですので。

柿内さんは「改善」を、「単なる作業効率を上げるアイデアや、利益を捻出するための合理化策」ではなく、「会社全体の方向性や体質を変えていく考え方や思想活動」と捉えています。
私は、改善と改革を、ともすれば別次元のものと捉えていましたが、柿内さんはそれをつなげて捉え、改善を個別問題の解決にとどめて捉えないのです。
その意味は、とても深く大きいです。
ほかの人が同じ言葉を語っても私の心には響かなかったと思いますが、その話になる前の柿内さんとの話が、その深い意味に気づかせてくれたのです。
この種の本をこのコーナーで紹介することはめずらしいのですが、2冊の本を読んで、柿内さんの長年の実践的哲学の結晶のように感じて、紹介させてもらうことにしました。
企業の経営とは関係ない人にも、生きる知恵を与えてくれる本なのです。

内容を少し紹介します。
「改善の急所」は、柿内さんの体験知からの「101の改善の急所」が、実にわかりやすく具体的・実践的に書かれています。
「本当に自分の眼で見たことと、そうでないことを区別せよ」とか「人不足と手不足に分けて考えよ」とか、「機械は製品をつくるが、人の手は価値をつくる」、「モノを捨てるとチエが出る」など、あげていったらきりがありませんが、私が「なるほど」と思ったものを一つだけ紹介します。
それは「少数精鋭は少数から。上から人を扱くと精鋭化する」ということです。
これは私もなんとなく思っていたことですが、柿内さんがはっきり指摘してくれるととても納得できます。
柿内さんはこう書いています。

少数精鋭は、少数にすることから始めるとうまくいく。
ただし、優秀な人から順に抜いて少数化していくことがポイントだ。
人は何人か集まると、お互いに無い部分を補うようになる特性がある。
10人いるチームで、ナンバーワンを抜かれたチームは、それまでのナンバーツーがリーダーに育つ。
逆に、最も出来ない人を抜くと、少しマシだった人がダルマ落としのようにズリ落ちる。
どちらの方法でも9人のチームになるが、後者の方法だと全体のレベルは下がってしまう。
精鋭化には、勇気をもって優秀な人から抜くことだ。

どうですか。実に納得できるでしょう。
しかし、実際にこうする人はほとんどいないように思います。

本書を読んで、もう一つ感じたことがあります。
それは柿内さんの企業観や人間観です。
急所の一つに、「幸せ中心、楽中心で評価する」というのがあります。
そこにこう書いてあるのです。

人は機械と違って意思や自発性がある。
だから、作業が楽で仕事が楽しく、その人が幸せかどうかを評価する指標が必要だ。
従業員それぞれに課題が与えられ、それぞれに頑張れる環境があり、そして結果が出たら必ずほめられ、難しかったら手伝ってあげる体制をつくる。
皆が助け合い意欲的に改善を進めれば、会社は自然と進化向上する。
効率追求と幸せ追求、前者に偏りがちな会社が多いが、人は自らの幸せのために自発的に動きだしたとき、驚くほど大きな力を発揮する。

柿内さんが、改めて好きになりました。

ところで、「ちょこあん」が出てきませんが、これはもう1冊の「ちょこっと改善」に出てきます。

本当にちょっとした改善アイデアをみんなで実行して、それを簡単に用紙に書いて報告する仕組みが「チョコ案制度」です。
「ちょこっとした案を実行して報告する」からチョコ案で、「チョコとアンが一緒なのでとても甘く、絶対に叱られない」という意味もあります。
これまでの堅苦しい提案制度と違い、圧倒的に気楽で気軽です。

このチョコ案制度には、だれが考えてもそりやそうだと思える「改善の心に火をつける」4つの原則が含まれていると柿内さんは書いています。
この後は本書をお読みください。
「チョコ案」で、会社が変わった事例も紹介されています。

工場管理に関心のある人には強くお薦めですが、そうでない方にもお薦めします。

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■「「無縁の地平に」―大仏照子の生涯―」
(増田レア マハラバ文庫 2160円)
湯島のサロンでもお話しいただいたことのある 増田レアさんが、ご自身のお母様のことを本にされました。
「無縁の地平に―大仏照子(おさらぎあきこ)の生涯―」
増田さんが主宰しているマハラバ文庫からの出版です。

1960年代、70年代に社会的に活動し多くの報道もされていた、脳性麻痺者集団「青い芝の会」がありました(現在も全国青い芝の会としてあります)。
その活動の出発点になったのが、増田さんのお父様の大仏空さんが中心になって開いた「マハラバ村コロニー」です。
マハラバ村や青い芝の会については、たくさん本が出ていますので、ご存知の方も少なくないでしょう。
昨年8月に、増田さんにマハラバ村の話をしてもらったことがあるのですが、その時、増田さんはそうした書籍で書かれていることには「距離」を感ずると言っていました。
たしかに、増田さんから直接お話をお聞きして、その意味が少しわかりました。
当事者が語ることの大切さを、改めて知りました。

本書は、これまであまり語られることのなかった、増田さんのお母様の大仏照子さんの生涯をまとめた本です。
増田さんは、こう書いています。
少し長いですが、引用させてもらいます。

私が、母の生涯を綴ってみたいと思うようになったのは、何時頃からだったでしょう。
親について文章にするなんて、他人様には読み難いはかりの物を書くものではないとは考えたのですが、一つには父、大仏尊教(晃または空)に添い遂げ、社会の変革のための一石を投じさせた妻であったことを、偉大だと考えてのことです。
自宅でもある寺を開放して在った脳性麻痺者の共同コロニーで、脳性麻痺者への傷害事件を起こし、刑に処せられる行いをした父を、事件後も理解し思想をともにし、社会的に疎外させることなく、活動を継続させた妻であった姿です。
父については幾つもの出版物が出ているのですが、その思想を支え、生活を成り立たせる伴侶であった人のこともまた、記録として残したいと考えたのです。
そして、53歳という父の早逝後、母一人になってからの、独立した活動も、常人ではできないものだと見ていたのも、母について書き表したい理由の一つなのです。

本書を読むと、そうした増田さんの思いの意味がわかります。
増田さんは、メールでこうメッセージを送ってきてくれました。

北海道の石狩平野に落ちる夕陽を見ていた女の子。戦災孤児院の寮母となり、そして、茨城ではじまった障害者運動。
晩年の冤罪事件裁判被害者支援などの日々も資料を入れてまとめました。
現在、社会的課題になっている、貧困や格差、社会的排除というものに対して、個人の在り方として向き合ってきた事を記録し、今、声を上げている若い世代への励ましとしたいと考えています。

さりげない風景の中に、時代の息吹や生きることの本質を感じさせられる本です。
考えさせられることも少なくありません。
内容の紹介はあえてしませんが、本書の最初と最後に書かれている2つの文章だけを紹介しておきます。
増田さんのお人柄と本書への思いが象徴されていますので。

人は歴史の証言者となった瞬間から、事実を独り占めにして創作していくものであると考えています。事実というのは個人的な主観によって述べられるものです。障害者解放運動について語るには、不運にも健全者であった私には相応しくないことです。

母のどの時代を切り取っても、一緒に居てくれた人たちに助けられているのです。そして、私もここに生きている。私は書きつくせない多くの人に感謝します。人は皆、生まれに関わらずその与えられた魂の尊厳において、差はないのです。
そして過ごしてきた人生の中に、多くの過ちも、悔俊する罪業も、平らかになる所は無縁の地平と考えるのです。そこに立つ虹に辿りつき、昇って行くのです。

本書の購入は、増田さんのマハラバ文庫のホームページからお願いします。
http://www.bunko-maharaba.com
ご不明の方は私にご連絡ください。

いつかまた増田さんのサロンを開催できればと思っています。

■和を求めて(一条真也 三五館 2015)
本書は、『礼を求めて』『慈を求めて』に続く、日常生活を題材にして日本文化を考える一条さんのエッセイ集第3弾です。
『礼を求めて』では儒教的なものを、『慈を求めて』では仏教的なものを主軸に語られましたが、
今回の『和を求めて』は、神道を主軸に書かれたものを中心に編集されています。
一条さんは、「「和」は神道の核心をなすコンセプト」だと書いていますが、
同時に、「和」は神道も踏まえた、日本が創り上げてきた日本文化の核心でもあり、日本文化は、まさに「和の文化」だとも考えているのです。
「礼」「慈」に続く3つ目のキーワードが「和」と知った時には正直少し拍子抜けしたのですが、
考えてみれば、このシリーズの完結編としては「和」に落ち着くのは、とても納得できる話です。
一条さんは、もしかしたら、最初から「和の文化論」をメッセージしようとしていたのかもしれません。

一条さんが、シリーズの完結編に「和」を置いたのは、もう一つの意味があるようです。
本書の副題は、「日本人はなぜ平和を愛するのか」となっています。
そして、一条さんは本書を送ってきてくれた書状に、こう書いていました。

「和」とは大和にも平和にも通じます。いま憲法改正の議論が活発ですが、
太子の制定した「十七条憲法」こそは平和国家・日本のシンボルであると思います。
日本の「和」の思想が世界を救うことを願って、また戦後70年記念出版として、本書を書きました。

つまり、本書の「和」に込めた一条さんの思いは、「大和の「和」であり、平和の「和」」なのです。

というわけで、本書は、一条さんの「日本論」と「平和論」を根底においた、日本文化論になっています。
前の2冊と同じく、日常の身近な題材に、「和」について、さまざまな切り口、たとえば、「歌舞伎」「能」「大相撲」と言った伝統文化の切り口や、「京都」「金沢」「高野山」「富士山」と言った文化の集積している地域、「終活」「無縁社会」といった時事現象など、なじみやすい切り口から、いつものような軽快な「一条語り」が展開されています。
各編、完結しているので、ちょっとした時間の合間に、関心に任せてどこからでも読んでいけるスタイルです。
気楽に読みながら、いろいろな気づきや新しい知識にも出会えるはずです。
そして、これからの世界にとって、私たちの日本文化が持っているだろう「価値」に気づかせてもらえるかもしれません。
現在話題になっている「安保問題」への考え方は、たぶん私と一条さんは違うと思いますが、「和の日本文化」の中にある、平和への価値に関しては、とても共感できるものがあります。

本書の「はじめに」は、一条さんの詠んだ歌で締められています。

神の道 仏の道に人の道 三つの道を大和で結び 庸軒

庸軒は、一条さんの「歌詠みの雅号」です。
一条さんの思いが込められています。

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■すぐそばにある「貧困」(大西連 ポプラ社 2015)
一人称自動詞の語りが、私は大好きなのですが、本書はまさにそういう本です。
著者はNPO法人自立生活サポートセンター・もやい理事長大西連さんです。

「貧困」を語る本はたくさんありますが、どこか「他人事」の本が多く、読み終わった後、
すっきりしない気分になることが多いのですが(そういう先入観のために、この本を1か月近く読めずにいました)、
本書はそれとは全く違い、読み終えた後に元気が出る「貧困に関する本」です。
といっても、著者の大西さんが自分の「貧困物語」を語っているのではありません。
なにしろ大西さんは、いまもまだ20代の若者ですし、「経済的に困窮」しているわけでもありません。

高校2年の時、最終電車に乗り遅れて困っていた時に、ホームレスのおじさんに出会ったのがきっかけで、大西さんは新しい世界に関わりだしていきます。
その経緯は本書に書かれていますが、その時、ホームレスの一人から、こう言われたそうです。
「兄ちゃん、どんな事情があるかは知らないがあんたはまだ若い。俺たちみたいには、なるなよ」
その「言葉」が、大西さんの心に火をつけたのかもしれません。
そして、大西さんの「豊かさへの旅」(私の勝手な表現ですが、後で意味を書きます)が始まります。

大西さんは、それを契機に、ホームレス支援活動に関わりだします。
そして、自分の出会った人たちとの交流を通して、体験したことや気づいたことを、素直に書きつづったのが、本書です。
ですから、読者は一人の若者が、社会と関わりながら、自らを育てていく物語を読むことになります。
そこにはさまざまなドラマがあり、エピソードがあり、たぶん飽きることはありません。
文章も読みやすいばかりでなく、若者らしいやわらかさを持っています。
気おいもなければ、てらうことも、さとすこともない。
時に笑いたくなることさえある、気持ちのいい文章です。

しかし、読者は、たぶん本書から2つのことを学ぶことでしょう。
ひとつは、私たちの日常の隣にありながら、なかなか見えなくなっている、日本社会の「貧困」の実相。
もうひとつは、「豊かさ」とは何かという、「貧困」のもう一つの側面です。

大西さんという若者の生き方とホームレスと言われる人たちの生き方の関わり合いを通して、「貧困」と同時に「豊かさ」の姿も垣間見えてきます。
なによりも、大西さんの生き方が豊かになっていくのが感じられます。
もちろん彼の財布は貧しいままのようですが、彼の人生は豊かになってきているような気がします。
大西さんは、社会の実相と関わることで、自らの居場所を育ててきているのです。
「貧困」は私たちの暮らしのすぐそばにありますが、もしかしたら「豊かさ」もまた同じように、私たちの暮らしのすぐそばにある。
本書を読みながら、私は改めてそう思いました。
大西さんは、自らの暮らしの「豊かさ」と出会っていったのです。
それが先ほど書いた「豊かさへの旅」ということです。
「貧困」も「豊かさ」も、価値基準の問題につながっていることにも気づかされます。

本書の内容については紹介しないままに、長々と書いてしまいました。
ネットでの本書紹介記事から2つ引用します。

ひょんなことから路上支援の最前線に飛び込んだ若者が直面した社会の現実。現場のリアルを徹底して描く衝撃のルポルタージュ!
6人に1人が貧困。豊かな日本の見えない貧困に、20代にしてNPO法人「もやい」理事長の著者が迫る、衝撃のノンフィクション!!

まさにこの通りですが、まずは「まえがき」の6頁のエピソードを読めば、おそらくその先が読みたくなるでしょう。
大西さんは、「まえがき」の最後に、こう書いています。

「貧困ってなんだろう?」
このとらえどころのない問いに対する答えを、みなさんと一緒に考えていけたら嬉しいです。

ともかく多くの人に読んでほしいと思います。
私たちが生きている、いま、ここの社会の実相が見えてくるからです。
大西さんは最後にこう書いています。

僕は、この日本という社会のなかで、そして新宿の路上で、貧困という問題に気づいてしまった。そこで生きる人たちの人生を知ってしまった。
知らなかったふりをして生きていくことは、もうできない。ため息ばかりの毎日だ。
でも、前に進まないといけない。

私も、前に進もうと思います。
最近読んだ中で、一番、心に響いた本です。
ぜひみなさんも手に取ってみてください。
社会への眼差しが少し変わるかもしれません。
それはきっと、自らへの眼差しにつながっていくはずです。
若者から学ぶことは、たくさんあります。

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■「墓じまい・墓じたくの作法」
(一条真也 青春出版社 850円)
お墓に関しては、印象に残っていることが2つあります。
ひとつは、スイスのチューリッヒ郊外の墓地を訊ねた時です。
墓地に入った途端に、まさにここには「死者の生活」があると感じました。
古代からつづく、ネクロポリスの文化を、まざまざと感じました。
あのお墓の強烈な印象は決して忘れられません。

もうひとつは、東日本大震災後、1年半ほど経過した時の南相馬で見た墓地です。
周辺の住宅はすべて決壊し、土台だけしか残っていませんでしたが、
その一角に、きちんと整備された墓地が見えました。
通りすがりに遠くから見ただけでしたので、不正確な記憶ですが、何やらそこだけが手入れされていたような印象でした。
この2つの例から一般化することはできませんが、墓地やお墓に対する彼我の違いを強く感じます。
そして、そこには、死者との関係性をどう考えているかが明確に表れているように思います。
いうまでもなく、それはいまを生きるものの生き方に深くつながっています。

唯葬論を書いた一条真也さんが、お墓に関する、わかりやすい作法書を書きました。
お墓と言っても、若い世代にはあまり関心がないかもしれませんが、ある世代からは逆に大きな関心事になる問題です。
ネットでの本書の紹介記事にはこうあります。

お墓に向き合う「こころ」と「かたち」。少子高齢化、核家族化が進み、お墓の悩みを抱える人が増えている。
先祖のお墓を引っ越しする「墓じまい」、新たにお墓をつくる「墓じたく」―お墓のかたちが多様化する今、どのような選択をすれば後悔しないのか。
これからのお墓のあり方を考える。

一条さんは、お墓とは供養の場所、祈りの対象だと考えています。
そして、それは必ずしも石のお墓である必要はないといいます。
先祖に感謝する、死者を弔い供養する気持ちがあれば、お墓の「かたち」にこだわる必要はない。
これは、前著「永遠葬」などでも語られている一条さんの葬儀観にもつながっています。
しかし、だからこそ、むしろ「作法」が大切になってくる。
これが本書を書いた一条さんの目的でしょう。
それに関して、とてもわかりやすく、いろんな視点から解説されています。
「葬儀と埋葬の種類」や「お墓選びチャート」も掲載されています。

しかし、本書は単なる作法書にとどまらず、これからのお墓や墓地に関する提言書でもあります。
たとえば、社会の変質による無縁墓の増加にどう対処するかに関しては、
昭和のはじめに提案された細野雲外の「一寺一墓制」や住民すべてを葬る合同墓としての「都市墓」などを紹介しています。
お墓と墓地が一致する、コミュニティ単位のお墓です。
これは、単にお墓や墓地の話ではなく、たぶん生きる者たちの生き方の問題でもあり、
さらには死者とのつながりを通しての未来とのつながりを示唆しているように思います。
ちなみに、頭に書いたスイスの墓地は、生者と死者を分ける思想を感じましたが、日本のお墓は生者と死者をつなげる思想を感じます。

一条さんは、この本を紹介したブログにこう書いています。

わたしは、人間とは死者とともに生きる存在であると思います。
それは、人間とはお墓を必要とする存在だということでもあります。

お墓を考えることによって、いまの生き方に関して、気づくことは少なくありません。

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■「半市場経済 成長だけでない「共創社会」の時代」(内山節ほか 角川新書 800円)
いまの社会に生きづらさを感じている人は少なくないと思いますが、そうした中で、新しい働き方や生き方を目指す人たちが、少しずつ増えてきています。
多くの人たちは、社会に合わせて生きていますが、いうまでもなく、社会はそれを構成する一人ひとりの生き方の集積ですから、そういう新しい生き方が社会を変えていくことになります。
自らの生き方を変えることは難しいことですが、それでも社会を変えることに比べればできないことではありません。
そして、そうしたことを可能にする状況が、生まれてきているのも事実です。
生きづらい社会を嘆くのではなく、生きたいように生きることを考えたほうがいい。
そう思って行動を起こした人たちが、社会を変えていくかもしれません。
本書は、そういう思いを持っている人たちへの応援の書です。

湯島のサロンの常連の一人でもある杉原学さんも、社会に合わせる生き方ではなく、自らの納得できる生き方を実現している一人です。
その杉原さんも執筆者の一人として、参加したのが本書です。
全体を方向づけているのが、「里の哲学者」とも言われる内山節さんです。

最初に内山さんが、経済(狭義)の展開と社会の創造が一体化しうる経済のかたちを発見したいと書いています。
ちなみに、「半市場経済」は、競争原理の市場経済に関わりながらも、より良い働き方やより良き社会をつくろうとする経済の営みと説明されています。
つまり、本書が目指しているのは、新しい経済学ではなく、新しい社会、あるいは経済のあり方、そしてその基本にある私たちの生き方(経済の営み)なのです。

第2章では、そうした「半市場経済」の活動事例として、「社会性ミッション」と「事業性ミッション」の両方を同時追求する「なりわい」としてのエシカル・ビジネスが語られます。
第4章では、そうした動きの背景にある、世界的なウェルビーイングへの潮流と、半市場経済の活動が引き起こすソーシャル・イノベーションが具体的に語られています。
そこに出てくる2つのキーワード(概念)が私にはとても興味がありました。
「総有」と「産霊(むすび)の力」です。
これは私がずっと志向していることでもあるからです。

その2つの章の間にあるのが、杉原さんの「存在感のある時間を求めて」という論考です。
杉原さんは、時間を切り口に、私たちの生き方を問い質していきます。
そして、半市場経済を活かした動きを背後で支えているのは、市場経済に管理されながら生きる人間が失った存在感のなさが関係的生き方を希求させ、それが新しい共感をつくりだす基盤になっていると杉原さんは言うのです。
ここで説かれている「時間論」はとても面白いです。
「私有された時間」と「共有された時間」という捉え方で、杉原さんは生き方を論じていきます。
そして、私有したはずの時間が、貨幣に置き換えられながら収奪されてゆく「時間の私的所有」のパラドックスを問題にします。
時間を私有した途端に、私たちの生は物財化してしまう。
だからもう一度、「みんなの時間」を考え直そうと呼びかけます。
腕時計が嫌いな私にはとても共感できます。
時間は共有されてこそ、生きているのです。

内山さんは最初の章で、「幸せを感じる条件は暮らしのなかに充足感のある居場所があるということだ」と書いています。
とても共感できます。
本書は、そうした「充足感のある居場所」を目指して生きている4人の実践者たちの論が有機的に絡み合いながら、「これからの社会」「これからの生き方」を浮き立たせてくれます。

気軽に読める本ですが、たくさんの示唆を与えてくれる本です。
ぜひ多くの人に読んでいただき、「充足感のある居場所」づくりに活かしていただきたいと思います。
「充足感のある居場所」のある人たちが増えれば、それだけで社会は豊かになっていくでしょうから。

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■「本当の医療崩壊はこれからやってくる!」(本田宏 洋泉社 1300円)
私が最初に本田さんに出会ったのは、2002年のオルタナティブ・メディスン研究会で、本田さんのお話をお聞きした時です。
そこで本田さんの、医療制度にかける思いの深さに感動しました。
その本田さんが、外科医を辞めて、医療制度改革の活動に再度挑戦することにしたことを知りました。
その決意に基づいて書いたのが本書です。
本書のあとがきで、本田さんは「本書は、メスを置くことを決意した一外科医の、医療界への「遺言」であり、新たな活動に向けた「所信表明」でもある」と書いています。
出版後、半年以上たってしまいましたが、紹介させてもらうことにしました。

本田さんは、長年、医療制度改革に取り組んでいますが、本田さんの改革の視点は極めて明確です。
ペイシェントファースト(患者さん第一)の医療体制をつくるために医師を増やす、これが本田さんの取り組みなのです。
その背景には、日本の医療政策と医療の現場は決して患者さん第一にはなっていないという現実があります。
それは、80年代半ばからの医療費抑制策のために医師養成数が抑えられ、日本の人口当たり医師数は先進国中最低であること、その一方で国民の自己負担は先進国最高であることに現れていると本田さんは指摘しています。
救急患者の受け入れ拒否による死亡事件や、医療事故の問題が起こると、世論は病院や医師を責めますが、そうしたことの背景には絶対的な「医師不足」の現実があるのです。
日本の医師は11万人不足している、と本田さんは言います。
この医師不足が解決されない限り、日本の医療崩壊は止まらない。
病院にかかったことのある人なら、誰も気づいていることでしょうが、医師は不足しています。
医療政策における医師不足への危機感は私から見ても不思議なほど稀薄です。

さらに大きな問題が目前に迫っています。
TTPです。
TTPに加入すれば、日本の医療は世界に開放されることになります。
その結果、どうなるか。
TPPは、日本が育ててきた国民皆保険制度を変質させ、壊していくと本田さんは言います。
「先進医療」の動きの中に、既にその兆候は現実化している、とも。
ちなみに、昨年亡くなった、数少ない、まともな経済学者の宇沢弘文さんは「TPPは社会的共通資本を破壊する」と言っていました。
そして、TPPに象徴される「市場原理主義の日本侵略が、日本の国民皆保険制度の完全な崩壊への決定的な一歩を歩み始めようとしている」、と「社会的共通資本としての医療」(2010年)で警告していました。

ではどうしたら医療崩壊は止められるのか。
本田さんは、これまでの活動の体験を踏まえて、日本人の意識が変わらないと医療を根本から立て直すことはできないと結論します。
それは、医療制度の利用者である、私たち一人ひとりが、いまの医療制度の問題点を知ることから始まるでしょう。
そして、「私たち一人ひとりの患者の意識と受診行動を変えていただくだけで、地域の病院を守ることにつながる」と本田さんは言います。

これは医療に限ったことではありません。
本田さんはこう呼びかけています。

国民第一の幸せな社会を目指すには、日本人一人ひとりが、よりよい国をつくるためにどうすべきかを考え、自分のできることを実行していく必要がある。
さもなければ、医療だけでなく、日本そのものが崩壊してしまう。

そして、本田さんは、外科医を辞めることを決意し、医療問題、ひいては日本社会全体の問題の解決のために本腰を入れて取り組んでいこうと決意したのです。
本田さんのメッセージには心から共感します。

本書は、医療崩壊の真相と医療現場の実態、現在の医療界の問題などとともに、その対極にあるともいえるキューバの医療の報告、さらに医療再生への具体的な提案などが、わかりやすく書かれています。
多くの人にぜひとも本書を読んでいただき、医療制度への関心を高めていただきたいと思い、紹介させてもらいました。

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■「子どもNPO白書2015」(日本子どもNPOセンター編 エイデル研究所 2500円)
NPO法人日本子どもNPOセンター(代表理事:小木美代子さん)が「子どもNPO白書2015」を完成させました。
いろいろと経緯があって、現在、日本子どもNPOセンターは湯島の私のオフィスに事務局を置いています。
その関係で、専務理事の立柳聡さんとは、お話しする機会も多く、この白書への取り組みもお聞きしていました。
出来上がってきた白書を見せてもらい、立柳さんたちの思いの深さを実感しました。
それと同時に、なぜこれまでこういうものがなかったのだろうかと改めて不思議な気がしました。

長年、さまざまなNPOにささやかに関わっていて感ずるのは、日本のNPO活動の「つながりの弱さ」と「大きな理念」の不在です。
本書は、その2つの課題に取り組んでいるように、私には思えました。
編集
委員長の小木さんは、「刊行によせて」でこう書いています。

子どもの権利条約が謳う“子ども最優先”の理念を軸にして、それぞれの領域の概説と、その領域が抱える課題の解決に向かうモデル的な実践を取り上げることにより、領域毎のあるべき姿、方向性を示すことができ、ひいては“子どもNPO”が今後辿るであろう道筋を示すことができるのではないかと考えたのです。ぜひ、子ども系NPO関係者をはじめ多くの方々が、NPOが社会的に果たしてきた役割を実感していただき、新たなステップに向かっていただければと願っています。

「子ども最優先」という理念が基本に置かれています。
「領域が抱える課題の解決に向かうモデル的な実践」には当然領域内外での「つながり」が必要ですが、そのためにはまずは子どもの問題に関わるさまざまなNPO活動への俯瞰が不可欠です。
本書は見事に、その2つの課題に応えていると思います。
本書を読むことで、これからの活動の方向性を見つけられ、元気づけられる人も多いでしょう。
それは本書の編集方針でもあったようです。

私が小木さんや立柳さんと出会ったきっかけは、「子育ち支援」という言葉です。
私自身は「子育て支援」という言葉にずっと違和感を持ち続けていましたが、「子育ち支援」という言葉に出会って、そう考えている人がいるのだとうれしくなりました。
それが小木さんや立柳さんたちでした。
もう20年ほど前のことでしょうか。
私も当時は、ソーシャル・フォスターリズムという視点を軸に保育問題にかかわっていました。

本書の内容は盛りだくさんです。
第I部では、子どもNPO をとりまく動きが7つの視点から説かれています。
これによって、現在の子どもNPOの状況とこれからの方向が俯瞰できます。
第II部では、9つの領域にわけて、領域別の概説と実践が、とても具体的に語られています。
第III部の資料編では、関連法規などの解説がされています。
かなり濃度の高い本ですが、読みやすい工夫がなされていて、楽しく読めます。

日本におけるNPO中間支援組織は、ある意味でその役割を終え、次のステップに移っていく時期に来ているように思います。
本書は、そうしたことにも一つの方向性を与えてくれています。
ともすると目先の問題に埋没しがちなNPOの視野を広げ、活動の社会性を高めていく刺激を与えるために、こうした「白書」活動は、これからの中間組織の大きな使命だと思います。

せっかくですので、要望も2つほど書いておきたいと思います。
まずせっかく多様なNPOの人たちが参加したのであれば、領域を超えた実践者たちが、今の子どもたちや社会をどう考えているかを話し合って、「子ども最優先」という理念を掘り下げるような座談会があったら面白いだろうなと思いました。
さらにその延長に、子どもNPOの活動を、外部(子ども関係ではないNPO関係者も含めて)はどう見ているのか、ということも気になりました。
子どもは社会の基本です。
その子どもたちを、子どもには直接かかわっていない人たちは、どう考えているのか。
また、子どもにとっての活動の場である社会を、子どもたちはどう見ているのか。
あるいは、子どもたちとの接点は用意されているのか。
私は認知症予防関係のNPOと接点がありますが、そこで展開している認知症予防ゲームで子どもたちと高齢者の接点をつくり、子どもたちに「やさしさ」を体得してもらう活動をしている人がいます。
対象を異にするNPO活動が組み合わさることで、新しい世界が見えてきます。
多様な問題が絡み合っているのが社会ですから。

さらに欲を言えば、子どもたちの直接の声も聞きたい気がします。

こうしたことは第2号以下にぜひ期待したいと思います。
ちなみに、第2号は、3年後を予定しているようですが、急激な社会の変化を考えると、もう少し早く出してほしいと思います。

多くの人に読んでほしい白書です。
子どもNPOに限らず、おそらく市民活動に取り組んでいる人はもちろん、社会に関心をお持ちの方には、ぜひ読んでいただきたいです。
手元において、気が向いたときに読む本としてもお薦めです。

日本子どもNPOセンターでは、この白書の出版を記念して、公開フォーラムのようなものも企画されているようです。
関心のある方は是非それにもご参加ください。
内容が決まったら、また案内させてもらいます。

http://astore.amazon.co.jp/cwsshop00-22

■「リーダーの言葉が届かない10の理由」(荻阪哲雄 日本経済新聞出版社 1600円)
企業経営に関わっていると、よく話題になるのが、ビジョンや理念をどうしたら全社に浸透させられるかという問題です。
会社にとって重要なのは「ビジョン」です。
しかし、それはなかなか浸透せずに、絵に描いた餅になっていることが多い。
これはもう何十年も前からの課題ですが、未だに議論されているところにこそ、昨今の企業が抱える本質的な問題があると、私は考えています。

しかし、現実にそうした問題に取り組んでいる企業があるとすれば、それを解決することも大切でしょう。
長年、そうしたテーマに取り組んできた、株式会社チェンジ・アーティスト代表の荻阪哲雄さんが、
これまでの活動の集大成として自らが開発した「バインディング・アプローチ」を軸に、
ビジョンに向けて会社を大きく変えていくための実践手法を体系的に、しかもわかりやすく書き上げたのが本書です。
荻阪さんは、ビジョンを「未来の目的地」「組織をまとめる軸」と位置づけ、それに向けて、会社をどう変革していけばいいかを、とても実践的に説いています。

荻阪さんは「あとがき」で、自らの「暗黙知」を実践者に伝えるために
、ケースストーリー、場面シーン、比喩、原体験のエピソード、ツボとコツ、実践の技法など、著者の「智恵」が読者に届くように考えながら書き下ろした、と書いています。
たとえば、前半は具体的な事例に沿っての会社内での話し合いや、会社の担当者と外部のコンサルタントの話し合いが会話型で書かれていますので、
読者は自らが当事者になったような臨場感が得られますし、実際にコンサルティングを受けているような感じで、自然とリーダーシップを発揮できる実践手法が身につくように工夫されています。

本書全体の構成も、読者が頭を整理しながら読み進められるようになっています。
まずリーダーのビジョンが社員に届かないのは、連鎖する10の「ビジョンの壁」があるからだ。
その壁を乗り越えるには、10のツボがある。
現場にビジョンを浸透させるためには10の視座が必要である。
こう整理した上で、荻阪さんは「かけ声だけのスローガン」から「実践するビジョン」にするためのアプローチとしてのバインディング・アプローチを提案します。
そして、ビジョンを現実化すための6つのメソッドとして、「創造」「決断」「衆智」「習慣」「支援」「反省」を説明し、この円環の流れを動かしていくことで、ビジョンの浸透が確実に届くようになると言います。
そして、ビジョン浸透のカギは、バインディング・アプローチの「定着」にあると結論していますが、その確信は長年の荻坂さんの実践の成果から来るのでしょう。
具体的な内容は、本書を読んでもらうとして、大枠の構成はおわかりいただけると思います。

私が特に興味を持ったのは、チームメンバーの「7つの役割」というところです。
これは、バインディング・アプローチの「支援」のところで書かれているのですが、荻坂さんはこう書いています。

優れたチーム、結果を出す組織で働く人たちの動きを見ると、キーパーソンでなくとも、ある「役割」を補い合いながら、支え合い、仕事を進め合っていた。
つまり、一人ひとりがある役割を演じて、助け合えるのだ。
しかも不思議なことに、その役割は「暗黙の知」であり、「言葉」になっていなかったのである。
まさに、日本における組織の文化が、この「暗黙の助け合う役割」を生み出していたのだ。
その暗黙の役割は7つあった。

とても共感できます。
7つの役割の内容については本書をお読みください。
荻坂さんは、この助け合えるフォーメーションこそが、ビジョンを実現する職場結束力なのだと言います。

本書に書かれていることは、単に企業だけの話ではなく、NPOも含めて、さまざまな組織活動をしている人にとっても、示唆に富んでいます。
著者は、あとがきで、一人ひとりが人間の成長を果たし、目の前にある、現実のビジョン問題を解決するお手伝いをすることが、本書に込めた「ビジョン」です、と書いています。
つまり、この本を読んだ後は、読者が主役になって、物語を起こしてほしいというわけです。
ぜひ、みなさんも本書を読んで、自らの組織を変えていく、チェンジ・アーティストになってほしいと思います。

ちなみに、荻坂さんは、働く組織において誰もが始められる「バインディング・アプローチ入門編」として、
『結束力の強化書』(ダイヤモンド社)も書いています。それも併せて読んでいただければと思います。

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■「Nikoにこカンボジア」(二胡 文芸社 2014)
先日、湯島にやってきた、Nikoさん、こと小室桃子さんからいただいた本です。
昨年出版された本ですが、ご紹介しておきます。
小室さんは、2010年、32年続けた小学校教諭を退職し、国境なき教師団の一員として、2年間、カンボジアで教員養成ボランティアをしてきました。
それがとても楽しく刺激だったそうで、活動当時、ブログに書き込んでいた記録をもとに、帰国後、本にまとめたのが本書です。

活動していたのは、プノンペンから100キロ離れた街灯さえない田舎町プレイペン。
日本とは全く違った世界に飛び込んで、戸惑いながらも、とても楽しい生活と仕事の2年間の記録です。

そのなにげない生活記録の中から、教育とは何か、社会とは何かを考えさせられる本です。
小室ご自身が、この体験によって、自らも変わったと言っています。

2年ぶりで日本に戻ってきた時には、多くの日本人が暗い顔で下を向いて歩き、スマホばかりやっていることに、大きな違和感を持たれたようです。
たぶん、カンボジアに行く前の日本も、そうだったのだろうと思いますが、そこに居るとその異様さに気づかないのかもしれません。

そうした体験から、これからの日本がこれまで以上に気になりだしたようです。
そして、日本でもできることがいろいろとあるのではないかと、いまはさまざまな活動に取り組みだしているようです。

自費出版の本なので、あまり目に入ることはないと思いますので、あえて紹介させてもらいました。
しかしアマゾンからも購入できます。
カンボジアに関心のある人はもちろん、教育に関心のある方にもお勧めします。

■「唯葬論」(一条真也 三五館 1800円)
一条真也さんが、ご自分で「これまでの執筆活動の集大成」というほど、思いを込め「唯葬論」が完成しました。
その思いの深さは、「唯葬論」という書名にも表れています。
世界観、歴史観、そして人間観。
そうしたものの基底に「葬」を置いた、一条真也の世界が見事に描き出されています。

「葬」とはなにか。
一条さんは、人間のすべての営みは「葬」というコンセプトに集約されると言い切ります。
表現を変えると、「葬儀とは人類の存在基盤」であるというのです。
単なる行為ではなく、存在基盤であり、発展基盤だというのです。
そして、「葬という行為」には人類の本質が隠されているという基点に立って、世界と人間、文化と文明、そして過去と未来を解きほぐしていくのです。

本書は18章からなっていますが、最初に置かれているのは「宇宙論」。
そして最終章が「葬儀論」。
それこそマクロコスモスからミクロコスモスまでが、つながりながら縦横に論じられていきます。
それも単なる私見の展開だけではなく、先人が語ってきたことや蓄積されてきた歴史や考古学の知見を踏まえながら、論を展開しています。
ちなみに、本書の構成は、
宇宙論/人間論/文明論/文化論/神話論/哲学論/芸術論/宗教論/他界論/臨死論/怪談論/幽霊論/死者論/先祖論/供養論/交麓論/悲嘆論/葬儀論です。
この目次だけでも圧倒されます。

人類の文明も文化も、その発展の根底には「死者への想い」があったと一条さんは言います。
しかし、問われるべきは「死」ではなく「葬」。
だから『唯死論』ではなく『唯葬論』だと書いていますが、『唯死論』と『唯葬論』では、ベクトルがまったく違った世界になっていくように思います。
さらに、「唯葬論」は、「葬」の本質にある「関係性」から、論が時空間を超えて広がっていきます。
たとえば、葬によって、人類は環境として与えられた自然世界とは別の、「もう一つの世界」を創造し、自らの生きる世界の次元を豊かにしたという議論が広がるのです。
「葬」を起点に置くことによって見えてくるダイナミズムに気づかされます。
「死」に関してはよく語られますが、「葬」がこれほど広範囲に、また体系的、哲学的に語られたことを、私は寡聞にして知りません。
私は、たくさんの示唆と気づきをもらいました。

ご紹介したいメッセージはたくさんありますが、とてもこの短い紹介記事には書けません。
ぜひ本書をお読みいただければと思いますが、一つだけ、本書に埋め込まれている爆弾のような文章を紹介しておきます。
そこに、本書のもう一つの意味が読み取れると思うからです。
ちょっと長くなりますが、本書から引用します。

今後は「葬」よりも「送」がクローズアップされるだろう。
「葬」という字には草かんむりがあるように、草の下、つまり地中に死者を埋めるという意味がある。
「葬」にはいつまでも地獄を連想させる「地下へのまなざし」がまとわりつく。
一方、「送」は天国に魂を送るという「天上へのまなざし」へと人々を自然に誘う。
「月への送魂」によって、葬儀は「送儀」となり、葬式は「送式」、そして葬祭は「送祭」となる。

挑戦的なメッセージです。
一条さんは、「葬」を起点に世界を語りながら、「葬」より「送」だというのです。
「唯葬論」を提唱しながら、「葬」よりも「送」? 混乱します。
私は、こう勝手に受け止めました。
一条さんの提唱する「唯葬論」は、その根幹にある「葬」そのものもまた、常に捉え直していくというダイナミズムを内在しているのだ、と。
実は、一条さんはずっと以前から、「月面葬」や「天空葬」を提唱しているのです。

一条さんは、本書をこれまでの集大成と位置づけました。
それは同時に、これからの出発点だということでしょう。
本書は、世界の新しい捉え方を示唆してくれます。
私も本書を読んで、自らの生き方も含めて大きな示唆をもらいました。
しかし、あえて言えば、この世界観、歴史観、人間観に基づいた、一条真也さんの世界や歴史に向けての「唯葬論」的メッセージを期待したいです。
当然一条さんはもうお考えでしょうが、自作が楽しみです。

厚い本ですが、章建てになっているので、とても読みやすいです。
ぜひお手に取ってみてください。

コモンズ書店からも購入できます。

■「永遠葬」(一条真也 現代書林 1200円)
通夜も告別式も行わずに遺体を火葬場に直行させて焼却する「直葬」。
さらに、遺体を焼却後、遺灰を持ち帰らずに捨ててしまう「0(ゼロ)葬」。
そういう動きが増えているそうです。
葬儀不要論もあいかわらず語られています。
そういう風潮に対して、再び一条真也さんが、葬儀の意味をていねいに語ってくれたのが、本書です。
すでに、一条さんは「葬式は必要!」を上梓していますが、本書は、人とは何か、というところまでさかのぼって、
葬儀の本質と重要性を語るとともに、私たちの生き方や現在の社会のあり方を問い質し、さらにどうしたらそうした状況から抜け出せるかを示唆してくれます。

一条さんは、葬儀という営みをやめれば、人が人でなくなるといいます。
人間とは「ホモ・フューネラル」(葬る人間)だというのが一条さんの前々からの持論です。
しかも、葬儀によって、有限の存在である“人”は、無限の存在である“仏”となり、永遠の命を得る。
葬儀とは、実は「死」のセレモニーではなく、「不死」のセレモニーであり、人は永遠に生きるために葬儀を行う、というのです。
とても共感できるだけでなく、そこに未来を考える大きなヒントを感じます。

一条さんは、葬儀は残された人々の魂にも生きるエネルギーを与えてくれるとも書いています。
私も、自分の体験からそう確信しています。
そうであれば、葬儀は人類の発展の原動力にもなっていたと言っていいでしょう。
一条さんは、葬儀こそ人類の滅亡を防ぐ知恵だったと書いていますが、
もし葬儀の文化を失えば、人類の未来はどうなるのか。
短視眼的に、葬儀不要論や葬儀簡素化論を唱える風潮に、私も大きな危惧を感じます。

身近で私も最近体験しましたが、直葬も0葬も、好き好んでそうしている人は少ないはずです。
本当は、みんなきちんとした葬儀を行いたいのです。
もしそうであれば、誰もが葬儀を行える社会を目指す必要があります。
一条さんは、本書で、「わたしは、なんとか、安心して老いることができる社会、安心して死ぬことができる社会、そして安心して葬儀があげられる社会を実現するお手伝いがしたいと思っています」と書いています。
誰もが、安心して葬儀をあげられる社会。
このことを私たちはもっと真剣に考えるべきではないか。
私が取り組んできている活動も、そこにつながるのではないか。
それが本書を読んで、私が気づいたことのひとつです。

一条さんは、そのためのキーワードとして「永遠葬」を語ってくれました。
とても説得力があるメッセージですが、そうした時間軸に加えてもう一つ空間軸として、「社会葬」という視点を入れることも必要ではないかと思いました。
時空間を超えた社会葬が実現できれば、誰もきっと基本的人権としての葬儀権が得られるかもしれません。
そんなことまで考えさせられる本です。

ちなみに本書には、日本仏教が持つ「成仏の思想」という物語や人を永遠に供養する仕組み、そして永遠葬の具体的な提案もわかりやすく書かれています。
さらに最後の章で、一条さんは自らが関わってきたお仕事である冠婚葬祭互助会の活動を振り返り、反省とともに決意も述べられています。
その意味で、本書は責任意識に支えられた、信頼できるメッセージです。
安直な葬儀不要論で社会を壊していく無責任な風潮に抗っている一条さんに拍手を送りたいです。
単なる葬儀論ではありませんので、ぜひ多くの人たちに読んでいただきたいです。

詳しい内容や一条さんの思いは、一条さんのブログをお読みください。
http://www.ichijyo-shinya.com/message/2015/07/post-775.html

■「裁判に尊厳を懸ける」(大川真郎 日本評論社 1700円)
高校時代だと思いますが、「真昼の暗黒」という映画を観ました。
原作は、正木ひろしの『裁判‐人の命は権力で奪えるものか』で、冤罪事件と騒がれた八海事件を題材にしたものです。
冤罪事件の恐ろしさがリアルに描かれるとともに、ずさんな警察の捜査を告発した内容で、社会派映画の代表的傑作と評判になった映画です。
映画を観た帰り道、ずっと強い怒りから解放されませんでした。
それが、私が「検事」(弁護士ではありません)になろうと思った最初のきっかけでした。
そして、法学部に入学しましたが、いろいろとあって、法曹界への道は断念しました。

大学時代の同級生の一人が、この本の著者の大川さんです。
大学を卒業後、久しぶりに会った時には、彼は日本弁護士連合会の事務総長でした。
彼に会った直後、大川さんは自分が関わった事件を本にした「豊島産業廃棄物不法投棄事件」を送ってきてくれました。
私の中で、弁護士という仕事の捉え方が少し変わりました。

本書は、その大川さんがこれまで関わった7つの裁判についてまとめた4冊目の著書です。
はしがきで、大川さんはこう書いています。

 長い弁護士生活のなかで、裁判を通して、数々のすぐれて魅力的な人々に出会った。
 虚飾のないたたかいの場で、数々の試練を乗り越えた当事者らのつよい信念、勇気、忍耐、決断、そしてなにより人間性に心を打たれた。

最初に取り上げられている事件は、無実の2青年が権力犯罪と闘った事件です。
読んでいて、まさにあの「真昼の暗黒」を思い出しました。
久しぶりにまた若いころの怒りが全身にこみあがってくるのを感じました。
高校生の頃の思いはどこに置いてきてしまったのかと、いささか自責の念が浮かびました。

つづいて、警察の暴力に職責を守り抜いた弁護士、集団暴力に屈せず職責を貫いた地方議員、大気汚染に立ち上がった市民たち、企業の不利益扱いを許さなかった女性労働者たち、虚偽の医療過誤告発を跳ね返した心臓外科教授、大量に不法投棄された産業廃棄物の撤去を求め続けた島民たち、といった6つの事件記録が続きます。
いずれも戦いを余儀なくされた当事者たちの記録です。
大川さんは、その当事者たちに寄り添いながらも、理性的に事件のてん末とその意味、そして当事者たちの生き方を語っています。

7つの事件に共通しているのは「人間の尊厳」の回復ですが、それだけではありません。
裁判の結果、新たな立法の契機になるなど、「社会の尊厳」もまた守られたのです。
大川さんはこう書いています。

 もし、当事者らが裁判に立ち上がらず、人権侵害に屈していたならば、
 自らが著しい不利益を受けたまま終わっただけでなく、
 
法によって保障された人権そのものが実質的に失われることになったかもしれない。

そして、19世紀のドイツの法律家イェーリングの名著「権利のための闘争」(実に懐かしいです)に言及した後、こう書いています。

 わが国の憲法も「この憲法が国民に保障する基本的人権は国民の不断の努力によって保持しなければならない」としている。
 人権は常に侵害の危険にさらされている。
 人権侵害の不法に対しては、勇敢なたたかいが求められ、そのたたかいが多くの人の棒利を守るだけでなく、権利をさらによりよい方向に生成・発展させることにもなる。

いま、その憲法そのものが危機に瀕している事態が発生していますが、イェーリングが言うように、憲法を守れるのは国民の不断の努力だけなのです。
そして、本書の7つの物語は、その勇気を思い出させてくれるでしょう。
ぜひ多くのみなさんに読んでいただきたいと思います。
コモンズ書店から購入

蛇足を付け加えれば、司法界のみなさんにもぜひ読んでほしいものです。
大川さんは、最後にこう書いています。

 21世紀において、司法は他の政治権力から独立し、国民の権利、自由、民主主義の担い手として、より信頼され、頼りがいのある存在にならねばならないと思う。

私もそう願いますが、残念ながら現在の司法界は、自らの尊厳を失ってきているように思います。
大川さんは、先の「司法改革」においても大きな役割を果たし、その経緯も詳しく本にまとめられています。
残念ながら、私はその司法改革はあまり共感できませんが(理念を感じられないからです)、法曹界の人たちには、改めて「司法とは何か」をしっかりと考えてほしいと思います。
すみません。まさに蛇足ですね。

■「それでも人生にYESを」(富樫康明 WAVE出版 1300円)
多くの思いを込めて、この本を創った編集者の玉越さんから、この本を出発点にして、YES運動を始めたいと言われて、この本をいただきました。
すぐに思い出したのが、V.E.フランクルの「それでも人生にイエスと言う」です。
多くの人に生きる力を与えた本です。
本書もまた、YESという「魔法の言葉」で自らの人生を変えてきた富樫さんという人の体験から生まれた本です。
「それでも人生にイエスと言う」日本版です。

たぶん富樫さんと玉越さんの魂の出会いから、本書は生まれたのでしょう。
玉越さんは、「私自身が、企画から編集まで一切を行った、思い入れの強い本です」と言って、私にこの本を渡したのです。
後日、玉越さんはメールでこう書いてきました。

乾ききった現代社会の「オアシス」、心優しき人々への「心の杖」となる本だと確信いたします。
この本のシリーズを基軸にした「YES運動」を日本中に広めようと準備中です。

玉越さんの思いが伝わってきます。
応援しないわけにはいきません。

富樫さんは本書の「はじめに」でこう書いています(要約しています)。

「YES」という言葉には、不思議な力があると私は思います。
「YES」のおかげで、私自身暗転しかけた人生を何度も好転させ、あわや万策尽きて終了するかのように見えた人生を、復活・再生させ、自分自身を立ち直らせてきたからです。
かつての私は、人生を肯定したことがありませんでした。
幼い頃、重病で入院していたことが暗い私をつくったのです。
やっと社会に出ても、多くの人たちから否定され続け、人生のすべてを否定して生き、心は歪み、病的となり、不幸の塊となって毎日を送っていました。
私は若い頃に、すべての夢と希望を失ったのです。

その富樫さんの人生を変えたのが、「YES」という言葉です。
そして、富樫さんは、「私の身に起きたこと、実際に起こった出来事に加えて、私を救った珠玉の言葉たちを、大切に丁寧に、心をこめて一冊の本」にまとめたのです。
その感動的なお話は、ぜひ本書でお読みください。

玉越さんは、富樫さんの呼びかけを受けて、世界に「YES運動」を広げたいと考えています。
まだ広い呼びかけは始まってはいませんが、作成中の趣意書を読ませてもらいました。
とてもわかりやすく、しかも、とても実践的な呼びかけになっています。
8つの「YES」の言葉も提案されています。
私が勝手にここで紹介するわけにはいきませんが、近々公開されるでしょう。

富樫さんは、「この8つの言葉が「YES」運動のはじまりになります。世界中の多くの人々がこの言葉を使う事が未来に希望を持ち、平和を生み出します」と書いています。
ご関心のある方は、玉越さんにご紹介します。

でもその前に、ぜひ本書を読んでみてください。
あなたの人生を変えてくれるかもしれません。

コモンズ書店からも購入できます。

■被災地デイズ(矢守克也編著 弘文堂 2400円)
昨年出版された本の紹介です。
私が取り組んでいる「コムケア活動」のメーリングリストメンバーが、多くの人に読んでほしいと送ってきてくれました。
読ませてもらい、私も多くの人に読んでほしいという気になったので、紹介させてもらいます。

本書は、「時代QUEST」シリーズの第1号です。
このシリーズは、「正解のない問いを考える」ことを目的に創刊されたものですが、
本書は、『クロスロード』と呼ばれる手法をヒントに、
読者がある立場になったつもりで、災害時のジレンマを考える防災ゲームのスタイルをとっています。
全部で31の問いが示され、それを与えられた「立場」に立って、まずは回答し、それから解説記事を読むわけです。
一人称で考えながら読むことになるので、自分の問題としてしっかりと考えられます。
1冊の本を、こういうスタイルで読んだのは初めてですが、
読んでいくうちに、「自分の生き方」が整理でき、改めて自らを問い質されるような気分になりました。
そのおかげで、「災害時における知恵」以上のものを気づかされた気がします。

本書の31の問いは、阪神淡路大震災の事例に関して行われた、被災者への聞き取り調査データを踏まえて作成されているそうです。
そのせいか、質問はいたってシンプルなのですが、いずれも生き生きしています。
さらに、それらの質問が、時間軸に沿った「ひとつの物語」として編集されているところも見事です。
自学自習スタイルで学ぶこともできますが、問題をみんなで考える、NPOでの学びのテキストとしても効果的でしょう。
今回は「災害編」ですが、「介護編」「看護編」など、いろんな分野での「時代QUEST」シリーズ続編が楽しみです。

NPO活動に取り組んでいる人たちは、目先の問題解決で忙しいでしょうが、
時に、こうした「クロスロード・ワークショップ」をやると、その活動もさらに効果的なものになるだろうなと思いながら、読ませてもらいました。
ぜひ多くの人たちに読んでほしい1冊です。

本書の内容の説明は ユーチューブでの紹介がありますので、それをぜひご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=q16pIM8dIcI

■社会科学としての保険論(本間照光 汐文社 1983年出版)
このコーナーは、私の友人知人が最近出版した本を紹介していますが、今回は30年前に出版された本の紹介です。
著者の本間照光さん(青山学院大学教授)から最近いただいた本なのですが、読んでみて、いまなお(いまこそ)読む価値があるという思いから紹介させてもらいます。
それに本間さんは、「保険を自分とは無縁のものと思っている人びと、保険研究を自分の研究対象とはかかわりがないと考えている研究者たちによってこそ、本書が読まれることを希望する」と書かれていることに、共感したからです。
さらに、40年前に亡くなった無名だった小林北一郎さんとの共著という形で本書を出版し、自らの生き方までも変えていった本間さんの生き方も、多くの人に知ってほしかったからです。

日本における保険は、いまではもう完全な金融商品になってしまっていますが、本来、そこには「危険を担保し、生活を安定させる」という理念があったはずです。
本書の冒頭で、本間さんは「現代の発達した資本主義国において、保険が果たしている広範かつ重要な機能について、これを否定する者は皆無であろう」と書いていますが、私たちの生活を支えているのが「保険」です。
たとえば、もし自動車賠償保険制度がなかったら、自動車を気楽に運転することはできないでしょう。健康保険がなければ、重い病気にかかることが生活の破綻につながるでしょう。私たちの生活は、保険によって支えられ、社会の安定は保険によって維持されていると言ってもいいでしょう。

しかし、その「保険」が、大きく変質してきています。
本間さんは、長年、保険の劣化に対する懸念を表明し、社会に提言してきた人です。
経世済民を研究の基本に置いている、数少ない経済学者でもあります。
本書の出版の理由も、「従来の保険学のありかたとその経済学における位置」に対する疑問から、その欠陥を明らかにし、経済学そのものを視野に置いた、これからの保険論を構築するためだと明言されています。
30年も前の話ですが、哀しいことに、状況はいまむしろ悪化しています。

本間さんが、こうした課題をライフワークにすることになった契機のひとつは、80年前(第二次世界大戦前です)に書かれた在野の保険研究者、小林北一郎さんの論文との出会いです。
小林さんは、マルクス経済学の視点に立って、保険のあり方、保険労働のあり方、そして経済や社会のあり方を論考しています。
本書は、小林さんの論考を第2部に置き、第1部で本間さんがその要旨を解説し、そこから本間さんの「社会科学としての保険論の展望」を書いています。
学術書スタイルなので、気楽に読める本ではありませんが、小林さんや本間さんの深い思いが伝わってきます。

本間さんや小林さんの「保険論」は本書を読んでほしいです。
ちなみに、私の心に響いた、「あとがき」の本間さんの文章だけ紹介させてもらいます。

見えないものを見えるようにすること、目の前の混沌とした現象の世界から本質を見抜くこと、そのための眼力をやしなうことこそが科学であるとするならば、保険は、科学の世界からなんと遠い存在であったことか。そして、そのことが、科学にとっての大きな不幸であったことを思わずにはいられない。

■ケアの始まる場所(金井淑子・竹内聖一編 ナカニシヤ出版 2015)
執筆者の一人である楠秀樹さんからいただいた本ですが、題名が実に魅力的です。
この本の話は楠さんからお聞きしていましたが、まさかこういうタイトルだとは思っていませんでした。

私は、21世紀の大きな流れは、希望的観測を込めて「マネーからケアへ」だと思っていますが、まさにそうした私の思考をくすぐるタイトルです。
本書の執筆者たちもまた、21世紀はケアの時代という視点に立っているようです。

副題に「哲学・倫理学・社会学・教育学からの11章」とあるように、本書はさまざまな分野の研究者による実践的ケア研究の論考集ですが、その内容もタイトル以上に魅力的です。
何よりも、「ケア」を福祉や医療の世界に閉じ込めていないところに共感できます。
ケアは、私たち自身の生きることに内在しているものであって、弱者への思いやりと捉えてしまった途端に、おかしくなっていくことを、私は体験してきました。
ですから「私たちは日々誰かをケアし,誰かにケアされている」というところから出発している本書の姿勢に強い共感を持ちます。
しかも、本書が「ケアの始まる場所」としてとりあげたものは、日常から非日常まで幅広く、死者への「悼み」や災害によってもたらされた「痛み」にまで及んでいます。
特に、自らへのケア(このテーマを楠さんが執筆しています)も含まれていることに共感できます。
すべてのケアは、自らへのケアから始まるというのが、私の考えだからです。
それぞれの論考の中に、論者の一人称的な当事者意識を感じることも共感できるところです。

11の論考を紹介したいところですが、このコーナーは書評ではないので、目次だけの紹介にさせてもらいます。
そこから本書の姿勢や執筆者たちの意気込みが感じられると思います。

第1章 コミュニケーションとしてのケア
第2章 内発的義務論における経験の直接性と〈場〉
第3章 〈持っている〉ナルシシズムと〈成就する〉ナルシシズム
第4章 妊娠の身体性―フェミニスト現象学の観点から代理出産を考える
第5章 〈リベラリズムの生殖論〉から〈ケア倫理の生殖論〉へ
第6章 「教育」と「ケア」をめぐる相克―「幼保一元化」の検討から
第7章 関係性としてのケア―「共」の結びつきと「じか」の関係構築
第8章 死者とケア―ケアにおいて存在しうる死者
第9章 「リスク」という物語に馴化させられる社会
第10章 〈核災〉と〈いのち〉の選別
第11章 ケアの思想と臨床知をつなぐ―自己へのケア/記憶のケアへ

それぞれが完結した論考になっていますので、興味のあるところから読まれるといいですが、私はそういう読み方から順不同で読んでいて、結局、気がついたらすべてを読んでしまっていました。

本書の紹介記事に、「ケアの手前にあるもの」への視線から、臨床的ケアロジーのフロンティアを拓く、とあります。
つまり、本書の意図は、「ケアが始まる場所」での「臨床的多声的な声」の聴取です。
そのため、その声の編集には至っていません。
読者としては、読み終わった後にそれを聞きたいと思います。
最後の論考で、編者の金井淑子さんが、そうしたことに言及し、ケアロジーの概観図をまとめています(本書232頁)。
非常にわかりやすく、また挑戦的なビジョンを感じますので、これだけはちょっと引用させてもらいます。
いろいろと書き加えたいですが、書評でも解説記事でもないので差し控えます。
「大きな福祉」を理念にコムケア活動にささやかに取り組んでいる私にとっては、それぞれの論考がとても興味深いもので、ある意味ではさまざまな声と場所をつなぎながら、ケアマインドを意識化させる契機になるかもしれないと思いながら、11の論考を読ませてもらいました。
できれば、これを踏まえての11人の絡み合いながらの話し合いの続編をつくってほしいと思います。

社会活動に取り組む人たちに読んでほしい1冊です。
字が小さいのが難点ですが。

■「おもてなし入門‐ジャパニーズ・ホスピタリティの真髄」(一条真也 実業之日本社 1000円)
「観光」が改めて注目されだしていますが、一条さんが、
これまでの論考と体験知を注ぎ込んだ「観光哲学」ともいうべき「おもてなし論」を、平易な読みやすい本にまとめてくれました。
「おもてなし」の心(理論)とかたち(実践)の書です。
本書への一条さんの思いや本書の内容は、一条さんのブログの記事がとても簡潔で分かりやすいので、それをお読みください。
http://d.hatena.ne.jp/shins2m+new/20150217/p2

一条さんは精力的な執筆活動をしていますが、冠婚葬祭会社サンレーの社長でもあります。
同社のミッションは、「人間尊重」を基本にしたホスピタリテイ・サービスの提供です。
一条さんはまた、冠婚葬祭の根本をなす「礼」の精神にも造詣が深く、日本文化論にも通じています。
「おもてなし」は日本社会の核心でもあると思いますが、そういう意味では本書は日本文化論の入門書であるともいえるでしょう。
本書の中で一条さんはこう書いています。

日本人の“こころ”は、神道・仏教・儒教の3つの宗教によって支えられており、「おもてなし」にもそれらの教えが入り込んでいます。
「おもてなし」は、日本文化そのものです。
かつての日本は、黄金の国として「ジパング」と称されました。
これからは、おもてなしの心で「こころのジパング」を目指したいものです。

目次をご紹介します。
はじめに 「おもてなしの時代〜こころのジパングを目指して〜」
第1章 「おもてなし」とは何か〜ジャパニーズ・ホスピタリティ
第2章  「おもてなし」のルーツを探る〜ホスピタリティの源流を求めて
第3章  日本人の「おもてなし」の心〜ハートフル・マインドのすすめ
第4章  経営にも必要な「おもてなし」感覚〜ホスピタリティ・マネジメントのすすめ
第5章 冠婚葬祭と「おもてなし」の作法〜小笠原流礼法の奥義
おわりに 「慈礼〜おもてなしの新しいコンセプト」

私が特に興味を持ったのは、最後の「慈礼〜おもてなしの新しいコンセプト」です。
ちなみに、この「おわりに」は、本書のエッセンスの要約でもありますが、ここだけでも多くの人の読んでほしいと思いました。
すべては紹介できませんが、そこで一条さんは、ブッダの説く「慈」と孔子の説く「礼」を結びつけて「慈礼」という新しいコンセプトを提唱しています。
一条さんは、こう書いています。

「慈礼」つまり「慈しみに基づく人間尊重の心」があれば、
心のこもった挨拶、お辞儀、笑顔、そしてあらゆるサービスの提供が可能となります。

そして、「慈礼」を、日常の生活、ビジネスの世界で表現したものが「おもてなし」ということではないかと書いています。
そう遠くないいつか、一条さんの「慈礼」を論が読めることと楽しみにしています。

気楽に読めますので、よかったらお読みください。



■関帝廟と横浜華僑(「関帝廟と横浜華僑」編集委員会編 自在株式会社 3900円)
とんでもない本をいただきました。
正式書名は『関聖帝君鎮座150周年記念 関帝廟と横浜華僑』。
友人の根本夫妻も編集委員となって3年がかりで完成した本です。
根本さんの主宰する自在株式会社で発行しました。

横浜中華街にある関帝廟は、明治維新の少し前に創られました。
http://www.yokohama-kanteibyo.com/
同書によれば、こういう経緯です。
日本の開港とともに、欧米5か国の人たちが日本に居を構え貿易を開始しましたが、
その中国人たちが心の支えとして関聖帝君を祀ったのが、横浜関帝廟の始まりだそうです。
2011年が、その鎮座150年に当たります。
その記念祭の一環として企画されたのが本書ですが、
構想がだんだん大きくなって、ついに昨年、大著として本書が完成したそうです。

根本夫妻からいただいた以上、きちんと読まなければいけないと思いながら、
あまりの厚さ(A4版347頁!)に圧倒されて開けなかったのですが、
時間の合間にふと開いてみたら、面白くて最後まで(きちんとではありませんが)目を通してしまいました。
盛りだくさんの内容で、飽きることがありませんでした。

本書の内容は、自在株式会社のホームページに任せるとして、私が特に面白かった点を3点だけ紹介します。

その前に、関帝廟の説明が必要ですね。
関帝廟は関聖帝君を祀る廟ですが、関聖帝君とは三国志で有名な関羽です。
関羽がなぜ祀られることになったのかも面白い話ですが、詳しくは同書に任せるとして、関羽は中国では商売の神様なのです。
そのため、華僑の人たちは海外に移住するとまず建てるのが関帝廟なのだそうです。

さて気になった3点です。
現在の関帝廟は1990年に再建された4代目の建物です。
その歴史もまたドラマがありますが、当時、横浜華僑は大陸派と台湾派に分裂していたそうです。
海外に出てきている華僑にとっても、故郷の中国の政治状況が不幸な分裂を引き起こしているというところに、私は関心を持ちました。
これが1点目です。
これを考えていくだけでも、国家とは何かが見えてくるような気がしたからです。
分裂に対する反省から、みんなが力を合わせて関帝廟を再建しようという動きになったわけですが、再建はみんなの寄付で実現しました。
その寄付者の名簿が本書の最後に出ています。
3100万円の寄付者から200円の寄付者までが平等に記載されているのです。
実に感動しました。
それが私が関心を持った2点目です。
そこに華僑文化の素晴らしさを感じました。

もう一つは、鎮座150周年記念行事の開催は2011年でした。
その年は東日本大震災のために、日本国中がいろんな催事を自粛していた時期でした。
横浜華僑の人たちは、そういう時期であればこそ、元気をみんなに与えたいと言って、予定通り記念行事をはなやかに展開しました。
どちらが被災者によかったかは、その後の動きを見れば見えてきます。
形式主義の日本人と実質主義の華僑の人たちの違いを感じます。

本書の内容に関する紹介も少しだけ書いておきます。
関帝信仰の歴史や現在の世界の関帝廟などの紹介も面白いです。
なかには、関帝廟霊験記などという記事まであります。
また、横浜中華街の歴史という視点からの記事もあります。
私が一番面白かったのは、さまざまな華僑の人たちの記録を通して、日本という国の実相が垣間見えたとことです。
現在、日中関係があまりよくありませんが、華僑の人たちを通して、何かできることがたくさんありそうだなと感じました。

同書は発行部数も少ないので入手は難しいかもしれませんが、自在株式会社の根本さんに問い合わせれば、購入できるかもしれません。
もし見るだけであれば、湯島においてあります。
観るだけでも楽しい本です。
それにしても、華僑のパワーを感じさせるすごい本です。

■超訳 空海の言葉(一条真也監修 KKベストセラーズ1500円)
一条真也さんの監訳による『超訳 空海の言葉』が、高野山金剛峯寺開創1200年にあたる2015年を前にして出版されました。
空海の名前を知らない人は少ないでしょうが、空海が残した言葉は?と訊かれると答えられる人も少ないでしょう。
空海には一時期、魅了されたことのある私は、正面からそう訊かれると答えることができません。
本書は、空海の201の言葉を、超訳スタイルで紹介してくれます。

本書の内容は、著者の一条さんのブログに詳しいので、そちらをぜひお読みください。
http://d.hatena.ne.jp/shins2m+new/20141210/p1
一条さんが、この仕事を心から喜んで引き受け、思いを込めて監訳されたことも素直に伝わってきます。

そのブログで、一条さんはこう書いています。

現代によみがえった空海のメッセージはきっと読者のみなさんにとって生きる上での大きなヒントとなるはずです。

201のメッセージは、それぞれとても短いものです。
すべてが1ページ単位になっています。
だから気楽にぱらぱらと開いて、偶然開かれたところを声に出して読むのもいいでしょう。
私は、枕元に本書を置いておき、朝起きた時と寝る前に、そういう読み方で、見開き2つずつ読んでいます。
だからまだきちんと書評するところまでいけていませんが、この読み方をちょっと気に入っています。
みなさんにもお勧めです。
たぶんいろいろと気づかされることがあると思います。



■永遠の知的生活
(一条真也×渡部昇一 実業之日本社 1000円)
一条さんは、自称「読書依存症」というほどの読書家です。
その一条さんが、15万冊の蔵書をお持ちの渡部昇一さんと対談されました。
いうまでもなく渡部さんと言えば、「知的生活の方法」というベストセラー・ロングセラーの著者でもあります。
一条さんの読書好きは、この「知的生活の方法」との出会いから始まったようです。
おふたりとも、大の愛書家ですから、対談の始まりは「書斎のある生活」です。
本好きな人には、読んでいるだけで楽しくなるような対話です。

そこから話は「知的生活」へと広がっていきます。
底流にあるのは「人は死ぬまで学び続ける。それが最高の幸せ」という、おふたりの生き方です。
対話を進めながら、おふたりがどんどん盛り上がっていき、とても親密な関係が生まれていくのが、読んでいてよくわかります。
対談は5時間にも及んだそうですが、途中で渡部さんが愛唱歌「戦友」を歌うほどの盛り上がり方だったようです。
話の内容も多岐にわたり、死生観や日本人論にまで広がっていきます。
対談を楽しんでいるおふたりの気持ちが伝わってきて、何やら読んでいるほうも楽しくなります。

渡部さんは現在84歳。95歳まで読書を続け、学び続けると宣言されていますが、この勢いだと95歳では止まらないでしょう。
一条さんは、渡部さんの素晴らしい書庫に圧倒されたようですが、もしかしたら、それを上回る書庫に挑戦しそうだなと、読んでいて感じました。
対談の中で一条さんは「書斎づくりは人生を作ること」だと話しています。
私もそう思います。
ただ、そうした生き方が、最近ではなくなりつつあることが残念です。
私は、そのことが、社会を変質させているのではないかという気さえしています。

読書の楽しさを教えてくれる本として、紹介させてもらいました。



■「終活入門」(一条真也 実業之日本社 2014)
一条真也さんの新著ですが,この種のタイトルの本にはいささか抵抗があり、送ってもらいながら読まずにおいていました。
先日、ある本を読んで少し気が変わり、気になっていた本書を読みました。
一条さんらしいメッセージが込められていました。

一条さんは、「終活」を「人生の終い方」ではなく「人生の修め方」と捉えています。
「人生の修め方」。
そういえば、私にはこの視点がまったくないことに気づきました。
素直に生き、自然に死んでいくのが、私の理想だからです。
しかし、それでは周りの人たちには大きな迷惑をかけるでしょう。
やはりきちんと「修めない」といけません。

この本は、しかし、そうした意味での「修め方」の本ではありません。
「修め方」であれば。むしろ一条さんのほかの著作のほうが示唆に富んでいます。
この本は、むしろ「人生の締めくくり方」という意味での「修め方」を整理してくれています。
いわば、「修め方基礎編」です。

内容は、エンディングノートの選び方から、葬儀やお墓、供養法や家族への金銭などの残し方などが書かれています。
そうしたことを切り口にして、「老」と「死」の間をどう過ごすかがメッセージされているのです。
本書を読むことで、いろんな視点を得られると思います。

ただ私としては、一条さんには、この基礎編の続きとして、改めて「人生の修め方」の書を書いてもらいたいという気がします。

■「運命の子 トリソミー」
(松永正訓 小学館 1500円)
先週開催した「マハラバ村」の集まりに参加してくださった松永正訓さんという方がいます。
ブログなどを読ませてもらい、その活動に興味を持ちました。
一番気になったのは「トリソミー」という言葉でした。
以前、NPOへの資金助成プログラムの事務局をやっていた時に、トリソミー関係のグループからの応募があり、その時に初めて「トリソミー」という言葉に出会ったのですが、残念ながらその時には支援対象に選べずに、ずっと気になっていたのです。

それで松永さんの新著「運命の子 トリソミー」を読ませてもらいました。
昨年の小学館ノンフィクション大賞の受賞作でした。
松永さんの見事な筆力のおかげで一気に読めましたが、5日のマハラバの集まりでもらった気づきと深くつながっていることに気がつきました。
私の障害者問題への理解が少し深まったのと、社会とは何かへの理解も広がりました。
ぜひ多くの人に読んでもらいたくて、このコーナーで紹介させてもらうことにしました。

本書の内容の紹介は、アマゾンの紹介記事がとてもわかりやすいので引用させてもらいます。

人間の生命は、両親から一本ずつ染色体を受け継ぎ誕生しますが、染色体が3本に増えている病気がトリソミーです。異常のある染色体の番号によって、「13トリソミー」「18トリソミー」「21トリソミー(別称・ダウン症)」などがあります。13トリソミーの赤ちゃんは、心臓の奇形や脳の発達障害があるため、半数が1か月ほどで、ほとんどが1歳までに死亡します。本書は、小児外科医である著者が「地元の主治医として13トリソミーの赤ちゃんの面倒をみてほしい」と近隣の総合病院から依頼され、朝陽(あさひ)君とその両親に出会うところから始まります。朝陽君の両親は我が子を受け容れ、自宅へ連れて帰り愛情を注ぎます。そして障害児を授かったことの意味を懸命に探ります。著者は朝陽君の自宅へ訪問をくり返し、家族と対話を重ねていきます。また、その他の重度障害児の家庭にも訪れて、「障害児を受容する」とはどういうことなのかを考えていきます。やがて朝陽君の母親は、朝陽君が「家族にとっての幸福の意味」を教えてくれる運命の子であることに気付きます。

筆者の松永さんは、医師として関わっているのですが、単なる医師を超えて、障害児や家族から信頼され、ある意味での「仲間」になっていることが、本書から伝わってきます。
だから、よくぞここまでと思えるような、本質的なことを言語化しています。
そして、それがあまり類書にはないような深い問いかけになっています。

そうした松永さんの姿勢は、たとえば次の文章に読み取れるでしょう。

障害児を授かるとは一体どのようなことなのだろうか。その不条理な重みに人は耐えられるのか? 受け容れ、乗り越えることは、誰にでも可能なことなのだろうか?(中略)この13トリソミーの赤ちゃんの家族の言葉に耳を傾け、その言葉の一つひとつを丁寧にすくい上げていけば、何らかの答えが得られるのではないかと私は思い至った。そして家族から話を聴いていくこと自体が、13トリソミーの赤ちゃんの生命を鼓舞し、家族への勇気になると考えた。

この松永さんの試みは、本書において見事に成功していると思います。
ぜひ多くの人に読んでいただきたい本です。



■「ミャンマー仏教を語る〜世界平和パゴダの可能性」
(一条真也ほか 現代書林 1000円)
数年前からその瞑想法が日本でも話題になり広がりだしているのが上座部仏教です。
ミャンマー仏教は、そうした上座部仏教の流れを汲むものであり、釈迦の教えに近いといわれています。
このコーナーでもよく取り上げさせてもらっている一条真也さんが、そのミャンマー仏教に関わっていることを知ったのは、以前紹介した「慈を求めて」を読んでからです。
一条さんは、お住まいの北九州市にある、日本唯一のミャンマー式寺院である世界平和パゴダの活動再開にも尽力され、上座部仏教の根本経典である「慈経」を新たに自由訳されたりしています。
昨年、北九州市でパゴダ再開を記念した「仏教文化交流シンポジウム」が開催されましたが、本書はその記録です。

当日、「仏教が世界を救う」をテーマにパネル・ディスカッションが行われましたが、次の4人のみなさんが、とてもわかりやすくミャンマー仏教を語るとともに、その視点からさまざまな問題提起と提言をされています。
井上ウィマラさん(高野山大学文学部教授)
天野和公さん(「みんなの寺」坊守・作家)
八坂和子さん(ボランティアグループー期会会長)
一条真也さん(作家・株式会社サンレー社長)
パネリストのみなさんは、みんな実践を重んずる方たちのようで、それぞれのお話をもっとお聞きしたいと思わせるほど、とても魅力的な話をされています。

私は、真言宗徒ですが、特定の宗派や教団にこだわることなく、神道や儒教までも組み込んだ「日本の仏教」を生きる信条にしていますが、本書で語られているミャンマー仏教は違和感なく心に響いてきます。
これまで日本で広がりだしている上座部仏教には、知識不足もあり、あまり良いイメージを持っていませんでしたが、一条さんの本を読んでからイメージが変わりだし、本書を読んでさらに違和感がなくなってきました。

詳しい内容などは、一条さんのブログをお読みください。
http://www.ichijyo-shinya.com/message/2013/11/post-622.html

とても読みやすい本ですので、もしご関心があればお読みください。
そういえば、私の友人がスリランカに通っていますので、いつかスリランカの仏教も学んでみたいと思い出しています。

■「みずべにはじまった子育てひろば」
(新澤誠治 トロル出版部 1800円)
「みずべ」とは、東京の江東区の木場の川沿いに1999年に隅田川につくられた「東陽子ども過程支援センター」の愛称です。
その「みずべ」の創設に関わり、所長を務めたのが、本書の著者の新澤さんです。
新澤さんは、賀川豊彦の影響を受けて、保育の世界にはいったとお聞きしています。
私が出会った時には、賀川豊彦が創立した神愛保育園の園長でした。
保育園でお会いした新澤さんの笑顔は今でも忘れられませんが、その笑顔のおかげで、私は保育の世界にささやかに関わることになり、それが私の生き方を大きく変えてしまいました。

神愛保育園のある地域は、太平洋戦争の時の大空襲で家を焼かれ肉親の職も失った人たちがたくさんいたところです。
神愛保育園は、保育の施設というよりも、そうした地域の住民たちをつなぐ「ひろば」として、最初から地域に開かれた「みんなの家」だったようです。
少なくとも新澤園長はそういう思いで園を運営してきたと思います。
神愛保育園は、私がお伺いした時(20年以上前)も、すでにかなり新しい試みに取り組んでいました。
その一つが、園長がマスターの喫茶コーナーでした。
新澤さんには、根っから「ひろば」の感覚があるのです。

「みずべ」は、こうした新澤さんの思いと保育園での実践を踏まえて、始まりました。
そして、子どもたちは朝起きると「今日はみずべに行く」と言い、「みずべ」は親子で通う場になっていきました。
「子育てに困ったらみずべに行ってみなさい」とみんなが言うほど、紹介するほど、江東区で子育てに関わる人たちにとっては身近な場所になったのです。
そして、今では江東区には4つの「みずべ」ができています。

そうした「みずべ」での子育てひろばの広がりの物語をまとめたのが、本書です。
そこには、新澤さんの子育て理論(哲学)もしっかりと、しかも具体的実践的に紹介されています。
活動に関わってきた人たちの座談会も収録されていますので、それらが、多面的に生き生きと伝わってきます。
子どもに関わる活動に取り組んでいるみなさまにはぜひ読んでほしい1冊です。
新澤さんに、一度、湯島で話をしてもらおうかとも考えています。
ご興味のある方は、ご連絡ください。



■「決定版冠婚葬祭入門」
(一条真也 実業之日本社 800円)
冠婚葬祭は「文化の核」だという一条真也さんは、冠婚葬祭の分野で実践と研究と啓発活動に取り組まれています。
本書はその一条さんが書いた「冠婚葬祭」についての基本的なルールやマナーを紹介する入門書です。

一条さんは、冠婚葬祭の役割として、次のことをあげています。
まず、冠婚葬祭は人がもっているたくさんの縁を可視化し実体化するといいます。
この世に無縁の人などいないという一条さんの考えに共感するものとしては、とても納得できます。
また、冠婚葬祭は、「時間を生み出し」「時間を楽しむ」役割があると言います。
これもとてもよくわかります。
時間に流されがちな現代人には、とても大きな効用を持っています。
一条さんは、こう書いています。

日本には「春夏秋冬」の四季があります。儀式というものは「人生の季節」のようなものだと思います。七五三や成人式、長寿祝いといった人生儀礼とは人生の季節、人生の駅なのです。わたしたちは、季語のある俳句で季節を愛でたように、儀式によって人生という時間を愛でているのかもしれません。

そして、こう続けます。

それはそのまま、人生を肯定することにつながります。そう、儀式とは人生を肯定することなのです。冠婚葬祭とは、すべてのものに感謝する機会でもあります。

こういうように考えていくと、たぶん、冠婚葬祭のイメージが大きく変わってくるのではないでしょうか。
そのあたりの深い洞察は、一条さんのほかの著作に任せるとしても、まずは冠婚葬祭の基本ルールとマナーの入門書として、本書をお勧めします。
一条さんはこう言っています。

冠婚葬祭の基本ルールは変わりませんが、マナーは時代によって変化していきます。
基本となるルールが「初期設定」なら、マナーは「アップデート」です。
本書は、現代日本の冠婚葬祭における「初期設定」と「アップデート」の両方がわかる解説書をめざしました。本書を手に取られたみなさんが、冠婚葬祭の持つ奥深い世界を知っていただき、少しでも心豊かになっていただければ、これほど嬉しいことはありません。

とてもスマートな入門書です。

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■「これが自殺防止活動だ!」
(茂幸雄 太陽出版 1500円)
福井の東尋坊で自殺防止のための見回り活動をしている茂さんの最新の活動記録です。
茂さんの活動ももう10年になり、この間、500人近い人に遭遇し、その人たちの相談に乗ってきています。
東京で、茂さんと会っていても、時折、茂さんの携帯電話に相談の電話がかかってきます。
そういう活動を10年も続けているというのは大変なことです。
それが持続できているのは、茂さんには信念とぶれない軸があるからです。

茂さんは、自分の活動を「自殺防止活動」とは捉えていません。
「人命救助活動」だというのです。
本書で茂さんは、こう書いています。

私たちと遭遇した人の多くは、本人ひとりのカでは自分が抱えている悩みごとを解決することができない状態になっているのです。
しかし、周りの人は「励まし」「叱咤激励」「説教」「指導」「助言」をするだけで、何ら手を貸そうとせず、本人を責めるだけです。

それでいいのか、と茂さんは言います。
疲れきっている本人だけのカではとても解決することができない。
それを放置しているのは、「社会的・構造的な組織犯罪」だ。
放っておくわけにはいかないというのです。
放っておいては、「社会的・構造的な組織犯罪」に荷担することになってしまいます。

茂さんたちは、東尋坊で遭遇した人たちからじっくりと時間をかけて自殺に至った動機や原因を聴き出し、自分たちでできる支援策を見つけだし、対策を講じてきました。
まず、緊急三本柱として「緊急避難所」「頼れる人」「支えてくれる人」が必要だと考え、そのネットワークを育ててきています。
さらに次策三本柱として、「悩みごとの解決または軽減支援」「自立支援」「メンタルヘルス」の対策にも取り組んでいます。
茂さんたちのこうした活動で、たくさんの人たちが再出発しているのです。
一度、自殺を考えたが、今では逆に、自殺を防止する活動に取り組んでいる人もいます。
本書はそうした活動の報告です。

茂さんは、この本を出来るだけ多くの人たちに読んでもらい、自分にもできる「人命救助」活動を見つけてほしいと考えています。
誰でもできることはあるはずです。
その輪が広がれば、自殺に追い込まれる人は減っていくはずです。

私も、その考えに共感して、茂さんたちと一緒に「自殺のない社会づくりネットワーク」を立ち上げ、毎年、公開フォーラムなどを東京で開催してきました。

ところで、茂さんたちの活動も今年で10年ですが、それを記念して、5月17日に福井で公開シンポジウムを開催します。
それに先立ち、出版したのが本書です。
シンポジウム会場は福井ですが、ご関心のある方はご参加ください。
お知らせのコーナーに案内を掲載しておきます。
また本書を読んで、ぜひ一度、東尋坊でボランティア活動を体験したいと言う方がいたら、ご連絡ください。
茂さんにお伝えいたします。



■「右傾化に打ち克つ新たな思想」(川本兼 明石書店 2014)
川本兼さんは、長年、独自の「新」社会契約論に立って、「平和」の問題を考察してきている思想家です。
平和のための経済学や政治学に関する本も書いていますし、世界の未来構想という大きな問題から、原発のような具体的な問題にまで、多くの著作があります。
このコーナーでも、これまでほぼその全てを紹介してきました。
本書は、川本さんの最新作です。
最近の日本社会の「右傾化」を憂いての警告の書ですが、単なる警告書ではありません。
時代の大きな流れを展望して、「人間を起点とする社会哲学」に基づいて社会のあり方を変えていこうと提唱しています。

川本さんは、「右傾化の流れの中に身を委ねることによって、日本人は「誇り」や「心の安定」を得ることができるかもしれない」が、そうした右傾化の誘惑に打ち克たなくてはならないと言います。
では、どうやって打ち克つか。
そうした議論の根底にあるのが、「人間を起点とする社会哲学」です。
そして、ルソーとは違う、さらにはホッブスやロックとも違う、新しい社会契約説を提唱するのです。
川本さんがそうした新社会契約説を提唱しだしたのはもう15年ほど前だったと思いますが、
次第にその考えは思想的に深められ、今回は「人間を起点とする社会哲学」として、かなり全体像が見えてきたように思います。

「人間を起点とする社会哲学」にあっては、すべての人間の尊厳が不可欠です。
そのためには、戦争はあってはならないものです。
川本さんは、長年、「平和権」を基本的人権と位置づけています。
そして、「戦争ができる国家」はアンシヤン・レジーム(旧制度)だと言います。
そのアンシヤン・レジームからの離脱が、川本さんの目指すところです。
川本さんは、前著『「新」平和主義の論理』で、戦争そのものを否定する感覚が、戦後の日本人の中には充満していたことを詳しく論考しています。
これは、品川正治さんの体験的認識と同じです。
その日本人の感覚をロゴスに置き換えるのが、川本さんのライフワークなのですが、昨今の日本は、むしろ「戦争ができる国家」へと邁進しています。
まさに日本は歴史を逆行しているわけです。
川本さんの危機感が、よくわかります。

必ずしも読みやすい本ではありませんが、ぜひ読んでほしい本です。
共感を得るところがあったら、川本さんのいろんな著作も読んでみてください。
本書を読まれた方を中心にして、川本さんを囲むカフェサロンを開催したいと思っています。



■「慈経 自由訳」
(一条真也訳 三五館 1000円)
上座部仏教の根本経典の「慈経」(メッタ・スッタ)に関しては、一条真也さんの著書「慈を求めて」に紹介されていますが、一条さんによる、その自由訳が出版されました。
私が中途半端な説明をするよりも、一条さんから送られてきた解説文を、少し長いですが、引用させてもらいます。
「慈経」(メッタ・スッタ)は、上座部仏教の根本経典であり、大乗仏教における「般若心経」にも比肩するものです。人は何のために生きるのか、人生における至高の精神が静かに謳われており、人の「あるべき姿」、いわば「人の道」が平易に説かれている経典です。
わたしは「慈経」が孔子の言行録である『論語』、イエスの言行録である『新約聖書』の内容とも重なる部分が多いことに着目し、世界でも初となる大胆な自由訳を試み、「世界平和」を祈念するために上梓したものです。
この「慈経」の教えは、老いゆく者、死にゆく者、そして不安をかかえたすべての者に、心の平安を与えてくれると思います。無縁社会も老人漂流社会も超える教えなのではないでしょうか。

「慈経」は、ブッダが実践した生き方の拠り所を、10項目に凝縮したものです。
そこに流れているのは、「慈しみの心」です。
10項目は、実にわかりやすく、心に響き、誰でもその気になれば、実践できるものです。
ただ、そうはいっても、それはそう簡単ではありません。
そこにこそ、生きることの難しさや面白さ、悲しさや喜ぶがあるように思います。
むしろこれこそが、大乗仏教の経典にふさわしいようにも思いますが、それは私の勝手な思いです。

一条さんは、北九州市にある、日本で唯一の上座部仏教寺院「世界平和パゴダ」を支援する過程で、このメッタ・スッタに出会ったようですが、それが本書が生まれる契機になったそうです。
一条さんが、思いを込めて推敲したであろう、美しい文章に、リサ・ヴオートさんの美しい写真が添えられています。

短いお経ですが、そこに3回ほど、繰り返される章句があります。

すべての生きとし生けるものが
幸せであれ
平穏であれ
安らかであれ

この祈りが、自らを安らかにしてくれることは間違いありません。
一条さんの思いが、世界に広がることを、私も祈りたいと思います。

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■「慈を求めて」
(一条真也 三五館 1500円)
昨年、孔子文化賞受賞記念として出版された「礼を求めて」に続く、一条真也さんのエッセイ集です。
前著は、「論語」に語られている「礼」が主なテーマでしたが、今回は仏教にちなむものが多く、「慈」がテーマになっています。

一条(本名は佐久間庸和)さんは北九州市に本社のある株式会社サンレーの社長でもありますが、北九州市の門司の和布刈公園には、日本で唯一のビルマ(ミャンマー)式寺院「世界平和パゴダ」があります。
ビルマ政府仏教会と日本の有志によって昭和32年(1957年)に建立されたそうです。
本書にも出てきますが、一時閉鎖されていた世界平和パゴダも一条さんたちの尽力で、いまは再開され、ミャンマーと日本の仏教界の交流も始まっています。
ミャンマーは上座部仏教の国です。
そのご縁で、一条さんはいま、上座部仏教の根本経典の「慈経」の自由訳に取り組んでいるそうです。
慈経を紹介した本の「序文」には、次のように書かれているそうです。

生命のつながりを洞察されたお釈迦さまは、人間が浄らかな高い心を得るために、すべての生命の安楽を念じる〈慈しみ〉いう優しく、温かい心を育てる『慈経(メッタスッタ)』を説かれたのでした。メッター(悲しみ)は、大いなる友情とも訳されます。『すべての生きとし生けるものは、健やかであり、危険がなく、心安らかに幸せでありますように』と念じるお経です。

一条さんは、本書でまた、新しいコンセプトを提唱しています。

「慈」という言葉は、他の言葉と結びつきます。たとえば、「悲」と結びついて「慈悲」となり、「愛」と結びついて「慈愛」となります。わたしは、「慈」と「礼」を結びつけたいと考えました。すなわち、「慈礼」という新しいコンセプトを提唱したいと思います。
「慇懃無礼」という言葉があるくらい、「礼」というものはどうしても形式主義に流れがちです。また、その結果、心のこもっていない挨拶、お辞儀、笑顔が生れてしまいます。
逆に「慈礼」つまり「慈しみに基づく人間尊重の心」があれば、心のこもった挨拶、お辞儀、笑顔が可能となります。

次の文章からも、一条さんの思いが伝わってくるでしょう。

仏教は、正義よりも慈悲の徳を大切にします、いま、世界で求められるべき徳は、正義の徳より寛容の徳、あるいは慈悲の徳です。この寛容の徳、慈悲の徳が仏教にはよく説かれているのです。わたしは、仏教の思想、つまりブッダの考え方が世界を救うと信じています。

前著もそうでしたが、本書の根底に流れるのは、一条さんの新しい冠婚葬祭論であり、現代社会論です。

礼、慈。さて次に一条さんが選ぶ「一文字」はなんでしょうか。
読み終えての私の一番の関心は、そのことです。
私の予想が当たるといいのですが。
前著と同じく、とても読みやすく、心に響きます。
よかったらお読み下さい。

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■「稚き面輪はだれに似たるや」(岡紘一郎 編集工房ノア 非売品)
今回は私の友人が自費出版した本の紹介です。
非売品ですので、紹介しても意味はないのですが、なかなか面白い本なので、こんな本もあるということで紹介させてもらいます。
もしご関心があれば著者をご紹介します。
先週、「オランダからの白い依頼状」というドキュメンタリーを紹介したのですが、それとほぼ同じ時期に読んだので、私の関心が特に高まったのかもしれません。
著者はプロのライターではないので、仕上げは未熟かもしれませんが、私にはその素直さがとても魅力に感じました。

著者の岡紘一郎さんは、私の会社時代の同期生です。
彼は研究者でしたので、私とはまったく違う分野でしたが、組織との距離感が私と通ずるところがあり、今なおささやかな付き合いがあります。
彼は山登りが大好きで、山に関する本も出版していますが、今回は若くして長崎の原爆の被爆で亡くなった叔父の記録です。

このコーナーに書く気になったのは、著者がわずかばかりの情報をヒントに、叔父の足跡を辿っていくプロセスの面白さとついに長崎の図書館で叔父の最後に関する記事を見つけるというドラマが印象的だったからです。
それを踏まえて、記録とは別に、第2部として小説仕立てにしていることにも興味を持ちました。
記録と小説という2つのアプローチで、原爆投下後の様子や当時の背景を生き生きと伝えてくれていますが、私の原爆投下理解がいかに粗雑だったかを思い知らせてくれます。

同時に、私にとって衝撃的だったのは、60年前の日本の社会と現在とのあまりにも大きな違いです。
そこで書かれている状況は、私自身の記憶にもたしかに残っている現実です。
ともすれば、私自身、その違いを忘れることもあります。
そして、私たち世代とともに、その記憶はまもなく消えてしまうでしょう。
その記憶をしっかりと残しておこうと思った著者の思いに、ハッとさせられたのです。
語り伝えや書き伝えということの大切さは、それなりに認識しているつもりでしたが、それをやってこなかったことへの悔いもあります。
私の両親からも聞いておくべきだったと思いますが、もうそれも叶いません。
小学生の頃、先祖調べをしたことがあります。
それなりに面白かったことを覚えていますが、娘たちにはそれをまったく伝えていません。

最近、自分史を出版する人が増えているようですが、歴史や先人たちへの関心と自分史とはまったく違うように思います。
100年後にもしこの本が残っていたとしたら、とてもいい「歴史資料」になるでしょう。
本書は非売品で入手は困難ですが、さらに遂行を重ねて出版してほしいと著者には伝えています。
もしそれが実現したら、改めて紹介させてもらいますので、楽しみにしておいてください。
問題は、著者がもうひとがん張りしてくれるかどうかですが。

■「オランダからの白い依頼状」
(武井優 現代書館 2000円)
しばらくご無沙汰していた武井さんから、「オランダからの白い依頼状」が出版できたという連絡をもらったのは、もう2か月ほど前です。
このテーマはかなり前からの武井さんのテーマで、何回かお話も聞いていました。
すぐに読もうと思ったのですが、私自身がいささか時間破産を続けていて、積んだままになっていました。
この週末、思い出して読み出したら、その内容に引き込まれてしまい、一気に読んでしまいました。

本書は、オランダ日系二世の父親探しの物語です。
と言っても、なんで「オランダ日系二世」が日本人の父親を、と思う人も多いでしょう。
私も、最初この話を聞いたときにすぐには理解できませんでした。
事情はこうです。本書の案内文から引用します。

太平洋戦争中、オランダ領東インド(現在のインドネシア)に侵攻した日本軍。戦争中にも関わらず比較的物資が豊富で、「極楽島」とも呼ばれたインドネシアで、現地のオランダ系女性と日本人の問に多くの二世が誕生した。日本の敗戦後、インドネシアの独立戦争が始まり、オランダ系の人々は、日系二世の子どもたちと一緒に本国に引き揚げた。彼らは大人になり、日本の父親を捜し始めるものの、その取り組みは困難を極めた。しかし、彼らの願いを聞いた1人の日本人が現れる。

本書は、その日本人、内山馨さんのヒューマンドキュメントです。
著者の武井さんのライフワークは「子どもの社会問題」ですが、「子どもにとつて、父親はどんな存在なのか」という、「父と子」や「家族」というテーマが、本書の底流に流れています。
内山さんの人柄や活動は、本書の序章に見事に描かれています。
なんでもない市井の人が、乏しい情報をもとに、一人で地道に父親やその関係者を探して行く姿は敬服させられますが、それ以上に、そこで明らかになるさまざまな人間模様は感動的です。
人間というものの哀しさとやさしさ、そしてすばらしさを教えてくれます。

本書は、内山さんが取り組んだ父親さがしのいくつかの物語をとりあげていますが、そこに登場するさまざまな人生物語は、時代に翻弄される人間の弱さと同時に、人間というもののすばらしさや強さを実感させてくれます。
たとえば、同じ父を持つ異母兄弟が、複雑な思いを超えて、心を許しあうまでを紹介している「ニッピーの涙」は、読んでいて、私自身も涙が出てくるほど感動的です。
テーマの重みにもかかわらず、すがすがしささえ感じます。
もちろん、悲劇としかいえないような結末の事例もありますが、武井さんはあえて、人の持つやさしさや可能性のほうを浮き立たせることで、家族の問題の捉え方を示唆してくれているような気がします。

内山さんと並んで、本書にはもう1人の主役が登場します。
アムステルダム在住の日系二世のヒデコさんです。
彼女は同じ立場の人たちに声をかけて、オランダで日本の父親さがし活動を始めます。
内山さんとヒデコさんは、日本とオランダで全く別々に活動を始めるのですが、いずれも1983年前後です。
さらにその2人が、偶然にも出会うのです。
不思議なものを感じます。なにか大きな意思も感じます。

内山さんは今年で87歳ですが、いまも日系二世の子どもたちのための父親さがしに取り組んでいるそうです。
しかも、ほとんど表に出ることなく。
武井さんがほれ込んだのも無理ありません。

よかったら読んでください。
いろいろと考えさせられることの多い本です。

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■「今を生きる僧侶の言葉」
(築地本願寺&東京ビハーラ編 かんき出版 1300円)
先週、一条真也さんの「死が怖くなくなる読書」を紹介しましたが、同じような元気づけられる本も紹介したいと思います。
友人が編集に関わった本です。
その友人とは、かんき出版の藤原さんですが、藤原さんからこんなメールが届きました。

「逝く人達に、お坊さんはどんな話をしているのだろう?」。その思いが発端で、『今を生きる僧侶の言葉』をつくりました。
築地本願寺を拠点に終末ケアの活動する僧侶の方々、そして一部、家族や本人の話も収録しています。

出版後すぐに、本書を読んだFM東京の番組制作者から登場者の一人に生出演の依頼があるなど、本書はすでにさまざまなところで取り上げられていますので、もう読まれた方もいるかもしれません。

浄土真宗本願寺派では、1987年以来、日本各地でビハーラ活動(生老病死の苦しみや悲しみを抱えた人々を全人的に支援するケア活動)を展開しています。
「ビハーラ」とは、サンスクリット語で「安住」「安らか」「くつろぐ」という意味で、ビハーラ活動とは、ホスピスやターミナルケアの仏教版と言ってもいいでしょう。
具体的には、僧侶、医師・看護師、福祉士などがチームを組み、支援を求めている人々が不安と孤独のなかに置き去りにされないように、共感しその苦悩を直視し、自らの問題として共に歩む活動です。
「東京ビハーラ」は、そのような患者さんの心に寄り添うために生まれた組織で、宗教・宗派を問わず、だれでも参加できる語り合う会だそうです。
本書はそうした活動のなかで集められた「心にしみ入る話」を選りすぐったもので、「死の壁を越えるエッセンス」が詰まっています。

東京ビハーラに集まっている人たちも、一条さんと同じく、「死は敗北である」とは考えず、「死は必然である」と捉えています。そして、こう書いています。

逝こうとしている人々は何を考えているのか、何を求めているのか、集まった関係者は何を語りかけているのか。本書は、患者を独りにしないための知恵を集めたものである。そして、死を前に癒されていく人の心境の変化を知ることは、まだ逝かない人であっても、悩み苦しむ心に染みわたり、安らぎを感じさせてくれる。

本書は「不幸な人たちの話」ではありません。
読み手にも、大きな安らぎと元気を与えてくれる本です。
今を豊かに生きるために、お勧めの1冊です。

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■「死が怖くなくなる読書」
(一条真也 現代書林 1400円)
一条真也さんの最新作です。
8月に送ってもらっていたのですが、時間破産を続けていて、紹介できずにいました。
あまり遅くなってはいけないので、まだきちんと読んではいないのですが、紹介させてもらうことにしました。

本書の副題は、『「おそれ」も「かなしみ」も消えていくブックガイド』とあります。
その副題がないと本書の内容はよくわかりませんが、一条さんからの案内文が本書の内容を的確に説明してくれています。
ちょっと長いですが、引用させてもらいます。

長い人類の歴史の中で、死ななかった人間はいませんし、愛する人を亡くした人間も無数にいます。その歴然とした事実を教えてくれる本、「死」があるから「生」があるという真理に気づかせてくれる本を集めてみました。これまで数え切れないほど多くの宗教家や哲学者が「死」について考え、芸術家たちは死後の世界を表現してきました。
(中略)
なぜ、自分の愛する者が突如としてこの世界から消えるのか、そしてこの自分さえ消えなければならないのか。これほど不条理で受け容れがたい話はありません。本書には、その不条理を受け容れて、心のバランスを保つための本をたくさん紹介しました。

つまり、本書は、「死が怖くなくなる」本を紹介するブックガイドなのです。
それも、実に多方面からの本が50冊も取り上げられています。

一条さんの関心事は「幸福」です。
これまでの人類のさまざまな営為は、すべて「人間を幸福にするため」だったのではないかと一条さんは考えます。
そして、その人間の幸福について考えて、考えて、考え抜いた結果、その根底には「死」というものが厳然として在ることにたどりついたと、本書の最初に書いています。

死と幸福。
一条さんは、人が亡くなったときに「不幸があった」と言うことに違和感をお持ちです。
一条さんは、「死」を「不幸」とは絶対に呼びたくないといいます。なぜなら、そう呼んだ瞬間に将来わたしは必ず不幸になるからです。
死はけっして不幸な出来事ではない。
死を堂考え、どう受け止めるかは、まさに私たちの幸福につながっていきます。

一条さんは、死ぬことの「おそれ」と、愛する人が亡くなったときの「かなしみ」が少しずつ溶けて、最後には消えてゆくような本を選んだと言います。
そして、そういう本を読むことで、死別の悲しみを癒す「グリーフケア」になると言います。
一条さんは、はじめにで、こう書いています。

本書を最後まで読まれたならば、おだやかな「死ぬ覚悟」と「のこされる覚悟」を自然に身につけられることと思います。それとともに、あなたが「生きる希望」を持って下さったなら、著者としてこれほど嬉しいことはありません。

死を考えることは、生を考えることです。
「死が怖くなくなる読書」というタイトルに、私はどうしても違和感がありますが、むしろ本書は「よりよく生きるための読書のすすめ」ですので、死への怖れのない人にもお勧めします。

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■「大丈夫! うつな心はフェイスブックで退治せよ!!」(浜田幸一 日新報道 1400円)
ご自身も「うつ」で入院した経験のある浜田さんのうつシリーズ第2弾です。
前作「うつな人ほど成功できる」と同じく、ご自身の体験を踏まえた本なので、とてもわかりやすく、説得力があります。
それ以上に、ともかく読んでいて楽しい本です。
それもそのはず、なにしろ浜田さんは、私が知っているなかでも飛びぬけて楽しいプレゼンテーションのプロ中のプロなのです。
浜田さんに会うだけで、元気が出てきますが、この本を読んだだけでもうつから抜け出られるかもしれないと思うほどに、明るいメッセージが届いてくる本です。

もっとも、本書は「うつ」対策だけの本ではありません。
浜田さんは、ご自分の「うつ状況」から抜け出る上で、フェイスブックが大きな役割を果たした体験をお持ちですので、一人でも多くの「うつ」気分の人にフェイスブックの効用を知ってほしいと思って、本書を書いたのでしょうが、うつと無縁な人にとっても、浜田流のフェイスブック活用策は参考になるでしょう。
フェイスブックを使い込めば、世界はばら色になると思わせるほどの、惚れこみようですが、それがまたなかなか説得力があるのです。
なにしろすべてが浜田さんの実践に基づいての話だからです。

しかし、「フェイスブック」活用策本にとどまっているわけでもないのです。
副題は「時代はビジネスライクからビジネスLOVEの時代へ」となっているように、ビジネスの捉え方の本でもあるのです。
いやさらに言えば、生き方の本かもしれません。
要するに、うつやフェイスブックに関係のない人が読んでも、たくさんの示唆を得ることのできる本ということです。
ともかく浜田さんらしい、サービス精神旺盛な、元気のいい本なのです。

内容の紹介もしないといけませんが、書き出すときりがないので、目次を紹介しておきます。
これでなんとなくわかってもらえるでしょう。

第1章 “うつ”病―“どん底”からの旅立ち
第2章 希望の光“フェイスブック”がやって来た!!
第3章 フェイスブックをどう使う?
第4章 フェイスブックにはまる
第5章 フェイスブックは“癒し”の総合商社
第6章 浜田流“フェイスブックの使い方”5大ルール
第7章 なぜ、浜田主催のイベントには人が集まるか?
第8章 “ビジネスLOVE”の時代がやって来た!!

あんまり本の紹介にはなりませんでしたが、元気になりたい人やフェイスブックをはじめたい人には、特にお勧めの1冊です。

ちなみに、浜田さんの話は実に楽しく、お会いしただけでたくさんの元気がもらえます。
まだ浜田さんのお話を聞いたことのない方はぜひ一度お話を聴くといいです。
それだけで、うつな心はすっとぶかもしれません。
みなさんのグループや会社でも、ぜひ浜田さんの講演会を開いてください。
たぶん周辺がパッと明るくなるような、そんな元気がもらえるはずです。
本もお勧めですが、講演もお勧めです。
もし浜田さんにお会いしたくなったら、気楽にご連絡ください。
まあ楽しい人です。

■「命には続きがある」(一条真也 vs 矢作直樹 PHP研究所 1200円)

本書は、「人は死なない」の著書もある医師の矢作さんと近年グリーフケアの普及に尽力されている一条さんの対談です。
お2人とも、大の読書家で、しかも発想がとても柔軟です。
ですから、話は多岐にわたっていますが、大きなメッセージは2つです。
「死は終わりではない」
「死は不幸ではない」

多くの人は、いずれのメッセージは素直に受け容れられないかもしれませんが、
本書を読むと納得してもらえると思います。

受け容れられないといえば、本書では、霊魂や幽霊、憑依や交霊の話も出てきます。
こうしたことを受け容れられない人も少なくないでしょうが、
お2人は自らの体験を踏まえて、生き生きと語ってくれていますので、
読者にはたぶん違和感なく入ってくるでしょう。
私も妻を見送った後、いささかの体験をしていますが、生と死に立ち向かうお仕事をされているお2人はたくさんの体験をされているはずです。
対談を読んでいて、それが自然に伝わってきます。

本書は、グリーフケアの本になっていますが、私にはむしろ、私たちが忘れてしまった「大切な生き方」を思い出させてくれる本のように思いました。
少し長いですが、そう感じた部分のひとつを引用します。
ルドルフ・シュタイナーを参照しながら、話し合っているところです。

一条:わたしたちは、あまりにもこの世の現実にかかわりすぎているので、死者に意識を向ける余裕がほとんどないですよね。死者どこ ろか、この世に生きている者同士の間でも、他人のことを考える余裕がないくらいの生活をしています。けれども、そうかといって、自分自身とならしっかり向き合えているかというと、そうでもありません。ほとんどの人は、自分自身に対する態度も、他者に対する関係も中途半端なままに生活している状態でしょう。
どうしたら、この世の人間は死者との結びつきを持てるのか。シュタイナーによれば、そういうことを考える前に、死者=霊魂が現実に存在していると考えない限り、その問題は解決しないといいます。
矢作:死者=霊魂の存在を認めることが前提ですよね。
一条:ところが、仏教の僧侶でさえ、死者=霊魂というのは、わたしたちの心の中にしか存在していないという人が多いというのです。そういう僧侶は、人が亡くなって仏壇の前でお経をあげるのは、この世に残された人間の心のための供養だというのです。
もし、そういう意味でお経をあげているのなら、死者と結びつきを持とうと思っても、当人が「死者などいない」と思っているわけですから、結びつきの持ちようがありません。
死んでも、人間は死者として生きています。しかし、その死者と自分との間には、まだはっきりした関係ができていないと考えることが前提にならなければなりません。
矢作:わたしが『人は死なない』で言いたかったことは、まさに人間は死者(他界の人)として生きているということです。

私は毎朝、妻の位牌の前で読経していますが、決して自分の心の供養ではありません、
その時間は、まさに妻との交流の時間です。
それができるのも、妻がまだ、姿こそ違えど生きていると確信しているからです。

一条さんが引用している、シュタイナーの言葉も紹介しておきましょう。
私も、共感している言葉です。

今のわたしたちの人生の中で、死者たちからの霊的な恩恵を受けないで生活している場合はむしろ少ないくらいです。ただそのことを、この世に生きている人間の多くは知りません。そして、自分だけの力でこの人生を送っているように思っています。

引用が長くなってしまいました。
本書の成り立ちや内容に関しては、対談者の一条さんのブログをお読みください。
そちらのほうが、本書の適切な紹介文です。
それに、本書とはまた違った面白さもありますので、お勧めします。

グリーフケアなど必要ないよと言う人にも、お勧めの一冊です。

■フクシマが見たチェルノブイリ26年目の真実(宗像良保 寒灯舎 2013)
アートセラピストの中村香織さんが、ペイフォワード方式でこの本を広げたいといって、持ってきてくれたのが、この本です。
出版社を退職し、いまは福島に住んでいる宗像良保さんが、思いを込めて自費出版した本です。
早速に読ませてもらいました。
私が知らないことが書かれていました。
それもとても衝撃的な事実です。
チェルノブイリを管理するウクライナの基準よりも、日本の基準はあまいという事実です。
本書の記事の一部を引用します。

ウクライナ法では、移住義務ゾーンが毎時0.57マイクロシーベルト。移住権利ゾーン(自主避難地域で、これも政府が避難先の住居を提供)が毎時0.11マイクロシーベルト。
2013年1月1日の郡山市は毎時0.55マイクロシーベルト、福島市は毎時0.63マイクロシーベルトでした。ウクライナ法を適用すれば福島市は強制避難地域、郡山市は自主避難地域です。そこにいまだに多くの市民が暮らしているのです。

ちなみに、千葉県我孫子市にあるわが家の庭は、昨年の測定では少なくとも0.11マイクロシーベルト以上です。庭の芝生の表面で測ると0.3を上回りました。

本書は、2012年9月に宗像さんが仲間たちと一緒に、26年前に原発事故を起こしたチェルノブイリに行って、現地を見て、現地の人たちから聞いてきたことをまとめたものです。
宗像さんは、こう書いています。

いくつもの衝撃的な事実を目の当たりにしました。ファインダーを通して切り取った写真には、悲しい真実が見えます。
原発事故から26年がたつ現在でも、チェルノブイリの特別区域は「ゾーン」と呼ばれ、有刺鉄線のフェンスで区切られ、立ち入り禁止となっています。加えて原発から北東350kmには約100カ所のホットスポットが点在、この高濃度汚染地域では農業や畜産業が禁止されています。

写真からたくさんのメッセージが聞えてきます。
私だけでなく、多くの人に、そのメッセージを伝えたい。
中村さんが、私にこの本を持ってきてくれた意味がわかりました。
私も本書を広げることにしました。
よかったらぜひ手に入れてください。
入手方法はいま確認中なのですが。

宗像さんは福島県郡山市のご出身だそうです。
昨年末に会社を退職し、「フクシマ暮らし」を始めたそうです。
「フクシマ暮らし」という言葉が心に響きました。
この言葉に無縁な人はいないはずです。

■「日中韓 しきたりとマナー」(一条真也監修 祥伝社 571円)
一条真也さんの監修された本は何冊も出ていますが、今回の本はちょっと面白いので、ここで紹介させてもらいます。
書名通り、日韓中の生活文化の比較をまとめたハンディブックです。

最近、日本と韓国、日本と中国は、領土問題などを通して、あまり関係がよくない状況になっていますが、日韓中をつなぎ儒教文化に造詣の深い一条さんとしては、とても残念なことでしょう。
本書のはしがきで、一条さんは「本書に日本・中国・韓国の良好な関係構築と東アジアの平和への願いを込めました」と書いています。
儒教の根本にある「礼」とは、もともと2500年前の中国の春秋戦国時代において、他国の領土を侵さないという規範として生まれたものだそうです。
だとしたら、最近の日中韓の争いは、いかにも哀しい話です。

それはともかく、「礼」からは、さまざまな「しきたり」が派生したと一条さんは言います。
それが日中韓では、微妙に違ってきているわけですが、その違いを知ることはとても興味深いです。
それだけではなく、そうしたちょっとした違いが、日中韓のいざこざにも大きく影響しているかもしれないと思うと、その違いと共通点を知っておくことの大切さがよくわかります。

本書は、「ライフスタイル」「冠婚葬祭」「伝統行事」「子育てと教育」「ビジネスマナー」といった5つのパートに分けて、それぞれの分野の「しきたり」が紹介されています。
小型の文庫本とはいえ、特に「冠婚葬祭」や「伝統行事」は類書にない詳しさでだと一条さんは書いています。
詳しさもさることながら、全体像が見えてくることも、本書の強みでしょう。
中国や韓国に旅行される場合には、とても便利なガイドにもなります。
出かける時は、忘れずに、です。

時間のある時に、気楽に読んでいくと、いろんな気づきがあって面白いです。

■ 「考えない論」(杉原白秋 アルマット 1300円)
杉原さんは実に個性的な人生を送る若者です。
コピーライターでもあり、シンガーソングライターでもあり、「自殺」をテーマにした研究者でもあります。
フリーターや企業勤務を体験した後、いまは大学院の博士課程にいます。
私は、杉原さんの修士論文を読ませてもらいましたが、これがとても面白く、これを本にしたらと思っていたのですが、その前に、もっと面白い本が出来てしまいました。
それが、この「考えない論」です。
数年前に杉原さんの書いていた同名のブログを読ませてもらったときにも面白かったのですが、なかなか更新がなされないので読むのをやめていたら、いつの間にかこんな立派な本になってしまいました。
そして、実に面白く説得力があり、深い示唆に富んでいるのです。

表紙に「悩まなければ答えが見つかる!」とか「ありのまんまで機嫌よく生きる発想法」と書かれていますが、まさにそういう内容用です。
しかし、単にそれだけではありません。
ちょっと字が小さいので読み落としがちですが、哲学者の内山節さんがこうも書いています。「透きとおった自由な人生を手に入れるために若い感性が書き上げた新しい時代の人生論」。
なにか読みたくなりますね。

杉原さんの「はじめに」の言葉も引用しましょう。

ほとんどの人が、子どものころから「考えることの大切さ」を教えられて育ってきたのではないでしょうか。
「しっかり自分で考えなさい」
そんな言葉を、何度耳にしてきたことでしょう。
もちろんぼくも、それを素直に聞いて育ちました。いや、むしろ人並み以上に「考えること」に依存してきた人間かもしれません。考えることをやめると、自分が自分じゃなくなってしまうような、そんな気さえしていました。
でもあるとき、どんなに考えてもうまくいかない状況に陥ってしまったのです。考えれば考えるほどに、全てがうまくいかない。ほとほと考えることに疲れ果てて、自分の頭の中をあきらめが支配したとき、別の考えがフッと浮かんできました。
「ど−せ考えてもうまくいけへんのやったら、いっぺんまったく逆のことをやってみよう」

その体験から生まれたのが本書です。
47の章立てで、とても読みやすいです。
哲学的な話もあれば脳科学の話もある。
武道も出てくれば、仏教も出てくる。
抱腹絶倒の話もあれば、ちょっと「考え込んでしまう」話もある。
もちろん「考えないための実践法」もあります。
ともかく読み出すときっと一気に読んでしまう魅力があります。

杉原さんは、この本を楽しみながらつくりあげたなと思うほど、楽しい本です。
考えることに疲れた人はもちろんですが、考えないで生きてきた人にもお勧めの一冊です。

■「70歳すぎた親をささえる72の方法」(太田差恵子 かんき出版 1400円)
「離れて暮らす親のケアを考える会パオッコ」を拠点に長年、遠隔地介護の問題に取り組んでいる太田さんが、これまでの実践を活かした「別居介護の安心読本」を書きました。
離れたところに住んでいる親の介護のために、会社を辞めざるを得なかった友人が、私にも何人かいますが、これからそういう人はさらに増えていくかもしれません。
それは当事者にとってはもちろんですが、社会にとっても大きな問題です。
太田さんは、そうした問題に早くから気づき、多くの人の相談に乗ってきました。

本書の帯に、こう書かれています。
仕事を続けながら、親と離れていても、あなたひとりでも、ここまでできます
本書を読めば、私の友人たちも、もしかしたら会社を辞めないでよかったかもしれません。
会社を辞めることは、ひとつの選択肢ではありますが、それによって失うものも少なくありません

高齢社会に入り、高齢者の生活を支えるさまざまな仕組みが生まれてきています。
しかし、「老いた親をささえるのは子の役割」という社会で育った高齢世代は、そうした仕組みをうまく活用できずにいます。
一方、その世代を親に持つ世代は、親の介護をそうした仕組みにゆだねることに「負い目」を感じがちです。
昨今の「自己責任」発想の風潮が、そうした状況をさらに強めているのかもしれません。
せっかくの仕組みが活かされず、逆に問題を複雑にしてしまっていることもあるでしょう。

太田さんは、仕事との両立に悩む人が増え、 世話する子供たち世代間のトラブルも増え、悲惨な状況になるケースも少なくない、と書いています。
たしかに私の周辺にも、同じような問題を抱える人は少なくありません。
しかし、そうした相談に乗ってきた太田さんは、こう言うのです。

 でも大丈夫。人の力を上手に借りればいいのです。
 親はよろこぶし、あなたもぐっとラクになります。
 そんな知恵を紹介します。

私は、この言葉に「介護の価値」を感じます。
力を貸してくれた人もまた、幸せになるかもしれません。
もしそうなら、まさに「三方よし」になるかもしれません。
介護は「介護してやる」だけではなく、「介護させてやる」という、大きな力を持っています。
それに気づけば、福祉の捉え方は一変しますが、どうもそう捉える人は多くはありません。
その風潮を変えない限り、社会は住みよくならないと思いますが、もしかしたら、遠隔地介護での体験がそうしたことに気づかせてくれるかもしれません。

それはともかく、せっかく広がってきた高齢世代の生活支援の仕組みをうまく活用していけば、同居しなくてもできることはたくさんあるのです。
それだけではありません。
逆にそうした仕組みを活用することで、親子ともども元気になれるばかりでなく、新しい人のつながりも育ってくるのです。

「親の介護」をもっと肯定的に捉えたいと、私は思っています。
「介護する側の心的不安、身体的・金銭的負担を軽減するための方策について具体的に述べ、
親の気持ちを尊重しながら、自分も自分の家族も幸せになれる方法」をまとめた、と太田さんは書いています。
つまり、本書は「悩み解決の書」ではなく、「幸せになれる書」なのです。
目次を見てもらうと、その内容がよくわかると思います。
1章 親も子もラクしよう!―自分は自宅にいて手伝う
2章 親の楽しみを応援する―同居だけが幸せじゃない
3章 離れたままで介護する―近・遠距離からささえる
4章 介護の出費をおさえたい―介護貧乏にならないために
5章 親の安心・安全をささえる―トラブルを起こさない
6章 親・兄弟・親族間のイザコザ―これが深刻な問題
7章 親の介護と自分の仕事を両立させる―これが最大のテーマ

いずれも太田さんの長年の相談活動に基づいたものなので、とても具体的で、すぐにも活かせるものもあります。
もし親の介護が気になっている人には、ぜひお勧めです。
実は私はもう70歳すぎですので、ちょっと複雑な気分で読ませてもらいましたが。

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■「地域で遊ぶ、地域で育つ子どもたち」(深作拓郎ほか 学文社 1900円)
子育ち学の考えで、子どもたちに関わっている深作さんたちの新しい本ができました。
今回は「地域」と「遊び」がテーマです。

最近では「子育ち支援」とい言う言葉もかなり使われるようになってきましたが、
「子育て支援」と「子育ち支援」の違いは、革命的な発想の転換というべきでしょう。
子育て支援が、時に「子育ち」を邪魔することもないとは言えません。
「育てる対象としての子ども」ではなく、「育つ主体としての子ども」へと発想を変えると、
子どもとの関係性が変わり、支援のあり方は大きく変ります。
そうした視点から、20年ほど前から深作さんたちは活動し、発想転換の大切さを世に問うてきました。
定期的に成果を出版してきているのも、そうした運動のひとつです。
その一連の著作を最初からずっと読ませてもらっている読者としては、
その進化のほどが毎回楽しみなのですが、今回は期待を上回る深まりを感じました。

本書は複数の若手研究者や実践者が寄稿していますが、単なる寄せ集め論集ではありません。
編集委員が何回も集まって議論し、実践例や執筆者を選んでいったのです。
そのおかげで、全体が見事にまとまったひとつのメッセージを発しています。
根底に流れるのは、「育つ主体としての子どもに対して何ができるだろうか」という、子どもへのあたたかな目です。
しかも執筆者たちは、それに対する答として実践的な具体策を楽しそうに語っているのです。
それぞれ現場をもって実践している執筆者たちの自信が伝わってきて、読んでいて元気がでてきますし、
子どもたちの素晴らしさも実感できるでしょう。

本書は3部構成です。
第1部の総論編では、「遊び」と「地域」に関わる課題と論点が整理され、
遊びを通した子育ち支援や「地域のジレンマ」克服の方向性が示唆されています。
第2部の実践編は、その方向を具現化している5つの事例が紹介されていますが、
それを通して、子育ち支援の意味が腹におちるはずです。
第3部の各論編では、「地域」と「遊び」が、さらに深く語られています。
この3部が、全体として見事に編集されています。

また本書の大きな特徴は、執筆者として、子どもたちが参加していることです。
「子どもの参画」にこだわっている深作さんの思いが今回初めて実現しました。

深作さんはこう書いています。

子どもの遊びや体験が貧困化しているとの問題関心から、現在さまざまな実践が取り組まれていますが、子どもの力量形成とともに、私たち大人の力量形成が必要なのです。「子どもが主体」ということを基軸に据えて子どもたちが自ら創造する世界を保障していくこと、そして、子どもの世界に必要以上に介入せずに信じて見守る絶妙な「距離感」を養うことです。このことが、地域を舞台に遊びを通した「子育ち支援」に求められているのではないでしょうか。

共感します。
子育ての問題は、実は大人たちの育ちを求めているのです。
子育て・子育ちに関わっていない方にも、ぜひ読んでいただきたい1冊です、

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■「仕事おこしワークショップ」
(傘木宏夫 自治体研究社 2100円)
NPO地域づくり工房を拠点に、長野でじっくりと地域活動に取り組んでいる傘木さんの最新著作です。
表紙に、「志を形に みんなの手で 地域の仕事をおこそう!」と書いてありますが、まさにそのための実践的なガイドブックです。
傘木さんの著作は、これまでのものもそうですが、自らの研究成果と実践成果を踏まえて、自分の言葉で語っていますので、とてもわかりやすく説得力があります。

本書は、まず第1部で、これまでの活動の実践例を紹介しながら、
「地域での仕事おこし」の意味と取り組み方をていねいに説明しています。
そして第2部では、仕事おこしワークショップの進め方が具体的に語られます。
豊富な実践から育ってきた「傘木流ワークショップ」ですから、読んでいて、実際の場面が感じられる臨場感と共に、
傘木さんの地域への思い入れやお人柄が伝わってきます。
読者も、地域での仕事おこしの魅力を追体験しながら、実践的な知恵を習得できます。
私がこれまで読んだワークショップに関係する本の中で、一番表情を感じた本です。

しかし、私が本書に魅力を感じたのは、それだけではありません。
本書に流れる、傘木さんの地域や仕事に関する考え方です。
昨今の「まちづくり」や「ソーシャルビジネス」に関する議論や実践に、私は大きな違和感を持っているのですが、
傘木さんのそれは実に心に響きました。
傘木さんは、こう書いています。
ちょっと長いですが、傘木さんの文章をつないで、紹介します。

私は、市民が自発的に社会の公益に資する事業(非営利事業)を起こそうとする行動を「市民からの仕事おこし」と表現しています。
こうした行動が広がることにより、市場優先主義により歪んだ社会の欠陥が補われるとともに、新しい社会像への準備となる主体が形成されていくことを展望しています。
(具体的には)地域に小金がまわる仕事を生み出していくことが地域の経済的な自立を促し、地域社会を支える環境や福祉などの活動を必要とし、支えるのだと考えます。
(それは)歪んだ資本主義経済を土台から変革する社会活動であるとの志をもって、それこそ奉仕の精神で挑戦する仲間を広げていきたいと思います。

「市民からの仕事おこし」は、傘木さんにとって、「地域の資源を自分たちの手で活かしながら、自分と身近な人たちのために働くという運動」なのです。
そして、傘木さんはこうも言います。

「仕事そのもののなかに意識的な感覚の喜びがある」ような仕事を、自分たちの手で生み出す運動を広げていくことで、地域の生活の質を高めていくことに貢献できるのではないかと考えています。

この考えに基づいて、傘木さんは地域に戻って活動を重ねてきたのです。
この数年、傘木さんにお会いしていませんが、本書を読んで無性にお会いしたくなりました。
とても読みやすく魅力的な本です。
これから社会に出て行く若い世代、社会で疲れている大人たち、会社を卒業して地域社会に入ろうとしている人たち、みんなにお薦めの本です。

ちなみに、傘木さんたちが取り組んでいる、「くるくるエコプロジェクト」「菜の花エコプロジェクト」という2つの活動も生々しく紹介されています。
そこから学ぶこともたくさんあるはずです。
多くの人に読んでほしい、社会変革のための書です。

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■『ドラッカー 2020年の日本人への「預言」』
(田中弥生 集英社 1400円)
著者の田中弥生さんは、日本のNPO活動の広がりに尽力してきた人ですが、
企業のマネジメント論で高名なドラッカーの愛弟子でもあります。
それも単なる先生と生徒の関係ではなく、田中さんの言葉を借りれば、
「普段着の会話を通じての交流」だったようで、自らの生き方についても多くのことを学んできたようです。
その田中さんが、田中さんでなければ書けないドラッカーを書いてほしいと言われて書いたのが本書です。
たしかに本書には、「これまで日本であまり語られていないドラッカー」が語られています。

それだけではありません。
私が一番共感したのは、田中さんが自分の思いをしっかりと表明していることです。
つまり、自分の思いを重ねながらドラッカーを語っているのです。
著者の思いのこもっていない本は私には退屈ですが、本書には著者の思いがふんだんにこもっています。
ただその分、少しくどさを感じましたが、そこにまた田中さんの人間味も感じました。

田中さんは、あとがきで自らの心の内を潔く表明しています。
まず、本書は自分にとっては「宣戦布告の著」だというのです。
田中さんらしい、いささかの「昂ぶり」を感じますが、実にうれしい言葉です。
この時代、人は戦わなければいけないと私はずっと思っているからです。
田中さんは、「ドラッカーのナチスの批判を書き進めるうちに」、「昨今の日本の政治・有権者の混乱、社会秩序の混迷をみるにつけ、ドラッカーの言葉を伝えねばならない」と思ったと書いています。
それが本書の書名に込めた思いです。

田中さんはもう一つ自らの心情を吐露しています。
それは「無関心の罪との葛藤」です。
「本著の重要なキィワードのひとつは「無関心の罪」です。
実は、この罪を私自身も犯しているのではないかと悩みながら記していました。
さらに、「私は、位置と役割をもっていきいきと生きているだろうか?」という疑問がたびたび頭をよぎりました」。

そしてこう続けています。
「ドラッカーの思想の原点を探るにつれ、自分自身に対して問いかけざるを得なくなってゆきました。
おそらくそれは、若きドラッカーが、執筆を通じて、命がけで闘っていた時代を肌で感じたからです。
そして、そのようなドラッカーの思いが皆様に伝わってくれれば幸いです」


どうでしょう。読まないわけにはいかないでしょう。

ところで、本書の内容ですが、これからの社会のあり方、そのなかでの企業や非営利組織のあり方に関する、とても具体的なメッセージが書かれています。
しかも、とても新鮮なキーワードもたくさん含まれています。
田中さんはすでに何冊かのドラッカーの著書の翻訳や自らのNPO論の自著を出していますので、
そうしたことに関しては、ここでは触れませんが、ドラッカー思想の原点とドラッカーのビジョンだけを紹介しておきます。

ドラッカーの思想の原点は、「ナチスの全体主義への批判であり、その批判を起点に生まれた新しい社会像」だと田中さんは言います。
当時の社会状況の中で、ドラッカーが「位置と役割をもたなければ社会からつまはじきにされる」「失業は人と社会との接点だけでなく、家族の絆をも破壊する。人々はやがて、無関心になり、何も感じなくなる」と発言していることに注目します。
社会との接点を失い、「位置と役割」を失った人は、精神的にも脅かされる。
したがって、ドラッカーがめざした社会は、「一人ひとりの人間が位置づけと役割をもち、社会的な権力が正当性をもって機能する自由な社会」です。
これだけで、ドラッカーのマネジメント論への理解が広がります。
ドラッカーの関心は「企業経営」ではなく「社会の統治のありかた」だったのです。

私が印象に残った文章を。あと2つだけ紹介します。
「コミュニティとは厄介で煩雑なものだけれど、それを調和させるために必要なのは、結局は思いやりなのだ。」
最近話題になりだしている「ケアリング・エコノミー」を思い出しました。
「以前の魔物とは地震や台風など自然のものであったが、(戦争や長期失業という)「人工の魔物」は、いずれも人が造ったものであり、だからこそ恐るべき脅威となった。」
この言葉では今話題になっている原発を思い出しました。

ほかにも紹介したいことはたくさんあるのですが、これ以上書くと長くなりすぎですので、あとはぜひ本書を読んでください。
NPO関係者、企業関係者はもとより、今の生きている人すべての読んでほしい本です。
ぜひお手にとって見てください。

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■「まちづくり編集会議」
(みの〜れ物語制作委員会 日本地域社会研究所 1800円)
茨城県小美玉市にある文化センター「みの〜れ」は、私が知る限り、一番元気な地域文化センターです。
10年前に、住民が主役になってつくり、そこを拠点に地域の文化が見事に大きく育っているのです。
企画段階から私は関わらせてもらっていますが、その経緯はこのサイトにもいろいろと書いてきましたし、住民と一緒に本にもしました。
「文化がみの〜れ物語」です。

その「みの〜れ」が10歳の誕生日を迎えました。
それを契機に、また本をつくりたいと住民たちが考えました。
そうやって生まれたのが、本書です。

「みの〜れ」ができて、そこと関わることで、人生を変えた人がたくさんいます。
「みの〜れ」を拠点に、たくさんの豊かな文化も育ってきています。
本書は、そうした「文化センターにつどう人たちの物語」です。
住民たちが書いた原稿を読んで感激することが何回もありました。
そして、そこに「まちづくり」の本質を感じました。

「みの〜れ」の建設が議論されだした時に、私はアドバイザーとして呼ばれました。
私がそこで申し上げたのは、「文化センターをつくるのではなく、文化を創るのです」ということです。
ハコモノづくりの風潮には辟易していましたが、ハコモノの効用の大きさも、私は感じていました。
この本を読んでもらうとわかると思いますが、私のその思いは見事に実現されています。
そしていまやこの町(当時は美野里町、いまは小美玉市)が大きく育とうとしています。

本書は「物語編」と「記録編」の2部構成です。
「物語編」では「みの〜れ」で世界を広げた8人の物語を中心に、住民主役のさまざまな話が紹介されています。
「記録編」は10年間に取り組んだ主なイベントや育ってきたグループが紹介されていますが、ここでも主役は住民たちです。

私は、編集に関わりましたが、住民のみなさんと一緒に本づくりに取り組むプロセスは実に魅力的です。途中で投げ出したくなったこともありましたが、住民のみなさんのエネルギーには脱帽でした。
みなさんの熱意が、とても良い本を生み出したと思います。

文化センターのみならず、まちづくりに関心のある人たちに、ぜひ読んで欲しいです。
読んでいただければ、なぜ書名が「まちづくり編集会議」なのかも分かってもらえると思います。
まちは、さまざまな人の物語で成り立っているのです。
その物語が、それぞれに豊かで、つながりあっていれば、地方交付金など当てにしなくても、まちは豊かに育っていくのです。

本は住民たちがみんなで売っていくことで、費用を回収しようとしています。
もし関心を持っていただけたら、小美玉市の「みの〜れ」でも販売していますので、買いに行ってください。
遠くの人は私にご連絡ください。
佐藤修へのメール

■「地域・施設で死を看取るとき」(小畑万里編著 明石書店2300円)
本書は「看取りの教科書」です。
専門家のための教科書であると同時に、すべての人たちに読んでほしい、お勧めの1冊です。

小畑さんは、私が妻を見送ったことを、その過程も含めて、よく知っています。
2年ほど前でしょうか、小畑さんから「死を看取るためのテキスト」を創りたいのだが、協力してくれないかといわれました。
私には「死を看取る」という感覚が全くなかったので、お断りしたのですが、
小畑さんの「看取り」への思いを聞かせてもらい、小畑さんの意図が少し理解できました。
小畑さんの考える「死を看取る」とは、
不可逆的に死に向かう人が、悔いなき生を全うできるように、しっかりとその生に寄り添うことなのです。
だから、本書の副題は「いのちと死に向き合う支援」となっています。
私には、むしろ「生を看取る」という表現のほうがぴったりしますが、
それはともかく、テキストを作りたいという小畑さんの思いには共感できます。
それでもとても自分で書く気にはなれなかったので、取材の形で材料を提供させてもらうだけで許してもらいました。

その小畑さんの思いのこもった本が完成しましたが、すぐには読みだせませんでした。
福祉関係者の教科書だという思いがあったからでもありますが、
それ以上に、私にはちょっと気の重いテーマだったからです。
しかし、意を決して読み出したら、とても素直に読み進めるのです。
そして、みんなに読んでもらいたいと素直に思いました。

小畑さんは、福祉分野の専門家ですが、観察者的にではなく、
ご自身の生活に重ねながらしっかりと実践的に取り組まれている方です。
本書の執筆も、小畑さんの個人的な体験が起点にあります。
だから信頼できます。
体験に基づかない福祉論や教育論は、私には退屈です。

小畑さんはこう書いています。
 看取りは医療の専売特許ではなく、
 福祉の現場に携わる支援者たちも視野に入れて考えなければならないテーマとなってきた。

福祉の現場に携わる支援者には、家族や友人も含まれるでしょう。
それが本書を読んで、私の一番の気づきでした。
私ももっと早く読んでおけばよかったと思いました。
小畑さんの意図が、読んでみてはじめてわかったのです。

本書では、福祉のさまざまな現場での実践報告や家族の手記や物語を土台にして、
5つの視点から「いのちと死に向き合う支援」が語られています。
5つの視点は次の通りです。
  視点1 人は死をどこで迎えているのか
  視点2 看取るのはだれか
  視点3 施設で迎える死
  視点4 生きる意味から死を考える
  視点5 終末期に支援者は何ができるのか
それぞれに実例や体験談などが用意されているので、とてもわかりやすく、現実的です。

本書でとても共感したことを一つだけ紹介します。
小畑さんは、昨今の老いの否定する風潮に懸念を表します。
私も常々そう思っている一人ですが、
「何かを生み出し、社会に対して貢献できることに価値を置く社会全体の価値観を転換しない限り、
老いることで社会から引きこもり、家族だけで介護を抱え込み、孤立死する高齢者は、増えるのではないか」

という小畑さんの意見に同感です。
高齢者問題は発想を根本から変えなければいけません。
小畑さんはまた、
「死に対する体験が少なく、死が隠された社会では、死について考え、準備する機会がないことへの危惧」
も表明しています。

まだいろいろと紹介したいことはあるのですが、きりがありません。
ぜひ本書をお読みください。

小畑さんは最後にこう書いています。

生と死に関することは、簡単に納得のいく答えを引き出せません。
答えがあるのかも定かではなく、本書も、まだ途上です。
しかし、投げ出さず、問い続け、熟成させることで思考は深まり、新たな地平が見えてきます。
読んだ方が、改めで死と向き合い、考える契機となるなら、本書を編んだ者として、これに勝る喜びはありません。

これは、たぶん著者としての小畑さんの課題でもあるでしょう。
いつか小畑さんをゲストに、この問題を話し合う場ができればと思っています。

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■「現場からの教育再生」
(折原利男 すずさわ書店 2400円)
週間報告に書いた折原さんの著作です。
本の帯に本書の内容に関する簡潔な紹介が書かれています。
「危機的な状況にある教育の場で、教え子たちとともに、たゆまず真理の探究を続けてきたベテラン国語教師の実践記録と明日への提言」。
掛値なしに、その通りの本です。
やや内容が欲張りすぎていて、2冊に分けたほうがいいようにも感じましたが、読み終わってみると、それらが組み合わさっていることこそが、本書の特徴だと思い直しました。
つまり「概観的な視点も踏まえた教育現場の実態」と「そこでの実践の体験とその具体的な教材」が、いささか強引に組み込まれているのですが、それらが奇妙に共振して、著者のメッセージがとても生き生きと心に響いてくるのです。
単なる事実解説でも、実践報告でもなく、時に自らが生徒になったような気分にさえなってしまう不思議な本です。

教育関係者の教育再生論への不信感が強い私が、本書を一気に読んでしまったのは、「はじめに」の中の次の文章に出会ったからです。
「教員は、なによりも目の前にいる生徒にこそ学ぶ。生徒を尊重し、生徒の率直な、あるいは控えめな反応をみて、自分の教育を確かなものにしていくことが多いのだ。」
さらに折原さんはこう続けます。
「我々が生徒に必要な知識や、ものの見方、考え方を提供し、それをもとに考え、判断する場を保障しさえすれば、生徒たちは自分で真理を追究し、未来を創っていこうとする。そのような生徒たちを目の前にすると、若者への信頼と、救いと、希望を覚えるのである。」
「若者への信頼と、救いと、希望」。
この人は生徒を信頼し、生徒を愛している。これは読まなければいけないと感じたのです。

わが国の学校教育の現状に関しては、私も本で少しは読んでいますが、そうした状況の中で現場の教師が具体的にどう生徒と接しているのかは、なかなか実感できませんでした。
教員や元教員の本も読んだことはありますが、教員は大変なのだとわかっても、正直ちょっとぴんと来ませんでした。
しかし、本書は違いました。
折原さんは、他人事的に「大変だ」などとは言わないで、むしろ教えることの楽しさを、具体的に伝えてきてくれるのです。
教育再生とは、学ぶことを楽しくすることから始めなければならないと考えている私には、教育基本法の「改正」で、もう学校は再生しようがないだろうと思っていますが、もしかすると、まだ諦めることはないのかもしれません。

折原さんは、勉強は面白くて楽しいものだ、考えています。
とても共感できますし、そういう折原さんを信頼できます。
学ぶことが楽しくないはずがありません。
楽しくするのではなく、楽しまなければいけない。そう思います。
その原点を大事にしなければ、そもそも学びの場など存続できません。
しかしなぜか学校の勉強が楽しいと思っている人は少ないようです。
折原さんも、残念ながら「現実は勉強は苦しいものになってしまっている」と書いています。
しかし、折原さんはそのなかでも(苦しみながら、かもしれませんが)楽しもうとしているのが伝わってきます。

私は、学ぶことも働くことも楽しいと、いつも思っています。
楽しいということは「楽をする」ことではありません。
楽しい42キロでしたと、シドニーオリンピックのマラソンで優勝した高橋尚子さんは言いました。

働くことを「労働」としか考えられない経営者が会社をだめにしたように、学ぶことを楽しいと思わない教員は学校を壊すだけでしょう。
教育や勉強させることを「楽しくない労働」にしてしまったのは、誰なのか。
文科省の役人や教育委員会の委員だけではないでしょう。

学校を再生し、教育を再生するのは、大人ではなく、生徒たちかもしれません。
学びの主体が、主役になるのは当然です。
もっとも、折原さんが冒頭に書いているように、教員も生徒から学ぶのであれば、教員も学びの主役です。

本書の最後で、折原さんは、教育再生シナリオとして13項目をあげています。
とても共感できますが、要約すれば、「学校を、人を管理し競走させる場ではなく、人を信頼しお互いを活かしあう楽しい学びの場にする」ということでしょうか。
まったく同感です。そうなれば、子どもたちの表情も戻ってくる。
いじめも自殺も、落ちこぼしも、不登校も、なくなるでしょう。
昨今のいじめ対策などは、むしろいじめを助長するような気もします。

本書の基底に流れているのは「平和」です。
そもそも著者が本書を書くきっかけになったのは、平和に関する2つの論文を書いたことです。
私も、その論文を雑誌で読んでいましたが、とても説得力のある「平和論」でした。
その先入観があるためかもしれませんが、本書は極めて実践的な平和の書だと感じました。
教育は平和に深くつながっています。
本質的な平和運動は、いうまでもなく、教育です。
経済につなげる教育ではなく、平和を目指す教育を、私たちはもう一度回復できるかどうか。
いままさに、私たちは「大きな岐路」にいます。
俗耳にはいりやすい教育改革や教育再生の流れを変えないといけません。
そのためにも、一人も多くの人に、本書を読んでほしいと思います。

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■「ある心臓外科医の裁判ー医療訴訟の教訓」
(大川真郎 日本評論社 1700円)
弁護士の大川真郎さんの3冊目の本です。
1冊目の「豊島産業廃棄物不法投棄事件」は環境問題。
2冊目は、まさに本業の「司法改革」
そして今回は医療訴訟の問題です。

題材は平成11年に起こった近畿大学付属病院での心臓手術による死亡事件です。
同病院の心臓外科部長だった奥秀喬教授が執刀した患者が、術後、死亡したのですが、遺族から奥教授が訴えられた事件です。
それをマスコミは真実を確かめることなく、大きく取り上げました。
特に「アサヒ芸能」は、告発キャンペーン「『医者』に殺される」シリーズを組み、「メスを凶器にした心臓外科教授を妻が断罪!」などと書きたてました。
新聞も、ほぼ同じように奥教授の医療過誤と患者無視の報道をしていたように思います。
当時、その記事を読んだ私も、憤りを感じたのを覚えています。

しかし本書を読んで、報道と事実とは全く違っていたことを知りました。
たしかに医療過誤はあり、そのため近畿大学付属病院は慰謝料を支払いましたが、被告となった奥教授に関する嫌疑は裁判でほぼ晴れたのです。
遺族も、そうしたことがわかって、奥教授への控訴を取り下げています。

しかし、奥教授は単に訴えられてだけではなく、事実を明確にするために、いくつかの訴訟を自らも起こしました。
マスコミ、窓口となった主治医、遺族代理人弁護士を告訴したのです。
ほかにも奥教授を追い落とそうとする同業医師との闘いもありました。
それらに対して、すべて正面から闘ったのです。
そのおかげで、改めて医療訴訟や医療の実態が見えてきます。
本書はその記録です。

裁判には勝ったものの、奥教授とその家族の生活は無残にも打ち壊されました。
心臓外科医として評判の高かった奥教授の医療行為も、その後は行われることはありませんでした。社会的にも大きな損失と言うべきでしょう。
裁判が終わった後に、奥教授は『虚構の嵐』という私家本を出版していますが、そこで彼が伝えたかったのは、「巨大組織の権力の前では、一個人が如何に脆弱な存在であるか」ということだったようです。
大川さんは、本件の背後に山崎豊子の名著『白い巨塔』のごとき背景のあったことをうかがわせる、と書いています。

実は、大川さんは奥教授と郷里が同じです。
そのせいか、第三者の私からみれば被告への思い入れを少し感じます。
しかし、大川さんは被告の名誉挽回のために本書を書いたわけではありません。
「奥の闘いは、世に知らせる価値のあるものだという確信」が、大川さんに本書を書かせた理由です。
そのことには私も共感します。
本書の最後に、大川さんは「この事件の教訓」として、医師、マスコミ、病院、弁護士と項目を分けて、教訓をまとめています。
そこには、これからの医療や医療訴訟を考えるためのさまざまな示唆が示されています。

医療訴訟は、医療の世界の現状を象徴しています。
医療訴訟の視点から、医療改革を考えていけば、たぶんいまとは違った医療改革が実現できるはずです。
このことは医療に限りません。
大川さんが前著で取り上げた「司法改革」にも言えることです。
司法改革もまた、「冤罪」や「司法不信」や「司法訴訟」(そんな言葉はないでしょうが)の視点から考える必要があるでしょう。
本書は、「改革」というものに取り組む視座を与えてくれます。

本書を読んで感じたことはもう一つあります。
大川さんは、あとがきで『奥は、決して「一個人として脆弱」ではなかった。さまざまな苦境を乗り越え、見事な闘いをした』と書いています。
「巨大組織の権力の前では一個人は脆弱な存在」だとしても、無力ではない。闘うことができるのだということを、奥教授は実践をもって示してくれています。
私が、一番考えさせられたのはそのことです。

とても考えさせられる本です。
できれば一度、本書を読んだ人たちで、医療訴訟についての話し合いの場を持ちたいと思っています。

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■「無縁社会から有縁社会へ」
(一条真也ほか 水曜社 800円)
一条さんも参加している座談会の記録をベースに、発言者が加筆して編集された本です。
テーマは「無縁社会から有縁社会へ」。
本書のカバーにはこう書いてあります。

  毎年3万人以上が“孤独死”するこの国を、大震災が襲った。
  6人の論客が“有縁の未来”を模索する。

6人の論客とは、一条真也さんをはじめとして、ホームレス支援に取り組む奥田知志さん、哲学者にして宗教学者の鎌田東二さん、宗教史やスピリチュアリティの分野に造詣の深い島薗進さん、家族論で活躍している山田昌弘さん、イーウーマン代表の佐々木かをりさんです。

「無縁社会」と言う言葉を巡っての議論も面白いですが、私が一番興味を持ったのは、一条さんの次の発言です。

互助会の存在は、戦後の日本社会にとって大きな意義がありました。戦後に互助会が成立したのは、人々がそれを求めたという時代的・社会的背景がありました。もし互助会が成立していなければ、今よりもさらに一層「血縁や地縁の希薄化」は深刻だったのかもしれません。

しかし、その一方で、一条さんはこう発言しています。

おそらく、互助会は便利すぎたのではないでしょうか。結婚式にしろ、葬儀にしろ、昔はとても大変な事業だった。親族や町内の人がみんないっせいに集まるような、一大事のイベントだった。それが、互助会にさえ入っておけば、安いかけ金で後は何もしなくてもOK、結婚式も葬儀もあげられるという感覚を生み出してしまった。そのことが、結果として、血縁や地縁の希薄化を招いた可能性はあると思います。

一条さんは、全日本冠婚葬祭互助協会の理事です。
そして本書は、その全日本冠婚葬祭互助協会主催の公開座談会の記録なのです。
そうしたことを踏まえて考えると、「無縁社会」と言われるような状況を生み出した責任の一因が互助会にある、という一条さんの発言は実に刺激的です。
もちろん、だからこそ、冠婚葬祭互助会は新しい社会的役割と使命を真剣に考えなければいけないと言っているわけです。
一条さんは、そうした新しい取り組みを始めていますので、その発言には説得力があります。
この発言を聴いた「業界」のみなさんが発奮してくれるといいのですが。
その気になれば、大きな風を起こせるでしょう。
しかし残念ながら、風はなかなか起こっていないような気がします。

先日、昨年の津波ですべての住居を根こそぎ流された相馬のはらがま港に行きました。
住宅の土台しかない集落の一角に、きれいに修復された共同墓地がありました。
住む家よりも、まずはお墓を修復したという、漁師のお話を聴いて感動しました。
南相馬の小高地区にも寄りました。まだ放射線汚染で住民が戻れない状況のためか、集落の一画にあった貴船神社が荒れたままでした。
今回、福島を回ってきて、それが一番印象に残ったことでした。

一条さんは、「冠婚葬祭が行われるとき、「緑」という抽象的概念が実体化され、可視化される」と考えています。そして、これからの互助会の役割は、縁を見えるようにし、良い縁づくりのお手伝いをすることだと最後に話しています。
私も、冠婚葬祭の意味やあり方を、改めて問うべき時代にきているように思います。

ちょっと特殊な本のように思えるかもしれませんが、生き方を考える上での示唆が沢山含まれています。

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■「合う・合わない」で仕事は決めなさい(長谷真吾 技術評論社 1580円)
採用コンサルティングや社員研修などの仕事に取り組んでいる株式会社ディリゴの長谷さんが、長年の実践的知見を踏まえて書いた力作です。
就職活動をしている人にぜひ読んで欲しいですが、それにとどまらず、採用活動や大学関係者のみなさんにも読んでほしい本です。

長谷さんが本書を執筆した動機は、若い世代の人たちに、「幸せな就職」をしてほしいという強い思いからだそうです。
お仕事柄、そうでない事例に触れることが多いのでしょう。
長谷さんは、「有名大学を卒業し、有名企業に就職することが「幸せ」につながらない例を数多く見てきました」と書いています。
たしかに、「七五三」といわれるように、せっかく就職した会社を早々と辞めてしまう若者が多いのが現実です。
ちなみに、「七五三」とは、中学、高校、大学の卒業後、3年以内に離職する割合が、それぞれ約7割、5割、3割となっている現実を指しています。
これは、本人にとってはもちろんですが、企業にとっても、社会にとっても大きな不幸です。
なぜ、産業界や教育界がそうした状況を、長年放置しているのか、とても不思議です。
私も以前、一度、そうしたテーマのフォーラムに関わったことがありますが、事態は変わっていません。
誰かが動き出さなければいけません。
本書が、そうした動きへの一石になればと期待したいです。

長谷さんが考える「幸せな就職」とは、「自分のやりたい仕事に就いて、その仕事で活躍すること」です。
私は、「仕事」とは「生きること」の同義語だと思っていますので、この考えに共感します。
仕事とは会社に入ることでも、給料をもらうことでもなく、自分のやりたいことに継続的に取り組めることだと思います。
それは「生きること」そのものと言ってもいいかもしれません。

しかし、そうは言っても、「自分のやりたい仕事」がわからないという人も少なくないでしょう。
そういう人のためにも、本書はとても有益です。
後半の「適職マップ」で、きっと自分のやりたい仕事のヒントが得られるでしょう。
本書は2部構成になっています。
前半は「合う仕事」を選ぶことの大切さとその選び方を、とてもわかりやすく、説明してくれています。
その過程で、会社とは何かが、学生にもよくわかるように解説されています。
後半は、実際にどういう仕事があるのか、そしてその仕事にはどういう能力・資質や価値観が求められているのかがわかる「適職マップ」です。全部で、6分野78職種が、それぞれの仕事の顧客やビジネスモデルも理解できるように簡潔に整理されています。

新しい就活ガイドとして、本書が毎年、更新されていくことを期待します。
そして、本書を活かした、さまざまな仕組みも育てばいいなと思います。
そこに、昨今の不幸な「会社と学生のミスマッチ状況」を変えていく「一石」を期待したいのです。
長谷さんには、ぜひとも本書を活かした新しい仕組みづくりにも取り組んでほしいと思います。

長谷さんは、本書の中で書いています。

「若者は何でもできる」「人には無限の可能性がある」という言葉はとても前向きで、聞いていて耳障りが良く、誰も反論しません。しかし、あえて言います。人生は有限であり、人には合う仕事と合わない仕事があります。

その通りだと思います。
ぜひ多くの若者に、自分に合った仕事を見つけてもらいたいと思います。
そして、そうした相談に乗るためにも、多くの人に本書を読んでもらいたいと思います。

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■「礼を求めて」(一条真也 三五館 1575円)
一条真也さんは、孔子とドラッカーに共感し、その知見を自社の経営で、また自らの生き方で活かしている、
まさに知行合一を実践されている方です。
その一条さんが第2回孔子文化賞を受賞されました。
受賞の理由はいろいろあるでしょうが、私は、一条さんの日常生活がその最大の理由ではないかと、勝手に推測しています。
うれしいことです。

受賞の記念ではないでしょうが、そうした一条さんの日常的な生き方や考えを、定期的にニュースサイトの「毎日jp」のコラムに寄稿していたものが、加筆されて本になりました、
それがこの本です。

一条さんの書籍はこれまでもたくさん紹介してきましたが、この本は一条さんの人柄や生き方を通して、そうした書籍からのメッセージを実践的に感じさせてくれます。
36項目にわたり、「論語」に語られている「礼」を基本において、さまざまな日常的なテーマが鮮やかに語られています。
いずれもとても読みやすく、心に響きます。
たとえば、こんなテーマです。

 花は天国のもの―葬儀こそART
 葬式は必要!―葬儀は人類の存在基盤
 茶と人間関係―お茶は人間を平等にしてくれる
 連続性の中で生きている―先祖や子孫への「まなざし」
 孤独死―常盤平団地・孤独死ゼロを目指して
 自殺のない社会―支えあい、安心して暮らせる社会へ
 隣人祭り―「孤独死」をなくすための方法の一つとして

いずれも一条さんの生活の雰囲気が伝わってきて、親しみが持てます。

私も最近、孔子に共感を感ずることが多いのですが、一条さんの新しい冠婚葬祭論にもいつも教えられることが多いです。
文化の基本は、冠婚葬祭に埋め込まれていますから、そこから見えてくることは多いです。
コーヒーなど飲みながら、気楽に読むことをお薦めします。

「礼を求めて」

■「縮小社会への道」
(松久寛編著 日刊工業新聞社 1600円)
週間報告でも書きましたが、友人の佐藤国仁さんも参加している縮小社会研究会のメンバーが本を出版しました。
縮小社会研究会は、2008年にスタートした研究会です。
経済成長への執着を捨てない限り、社会の破滅は免れない。
もし本気で持続可能性を目指すのであれば、縮小社会を目指すべきだという発想で始まった研究会です。
国仁さんからは、以前からお話をお聞きしていましたが、そこでの議論の一部が本になりました。
本書では、その縮小社会の理念と実現のための道筋が語られています。

本書の認識は次の通り明解です。

環境の持続可能性を回復するためには社会の縮小しかない。
縮小とは「人間が利用する物質およびエネルギーと自然環境に排出する廃棄物の量を自然環境の持続可能性が損なわれない範囲に抑える」ことである。

そうした視点から考えると、昨今の日本の人口減少傾向は、まさに社会の枠組みを変える絶好のチャンスなのです。
同時に、私たちの資源浪費型の生き方も見直さなければいけませんが、それもまた、昨今の原発事故以来の社会の風潮は、そうした意識を高めているように思います。
もちろん安直な経済成長論は否定されなければいけません。
東日本大震災で何もかも失い、学校の体育館で避難生活をしていた人たちがテレビ局の取材に答えて、「少なくても分け合えば足りるが、多くても取り合えば足りない」と語っていた話が本書で紹介されていますが、そうしたことに私たちはようやく気づきだしてきているのです。

本書の良さは単なる理念の書ではないことです。
たとえば、国仁さんは、「縮小社会の技術」というタイトルで、縮小社会に向けての技術のあり方を提案しています。
持続可能性を目指すのであれば、単なるお題目ではなく、それぞれがその持ち場で実際に動き出さねばいけません。
あるいは動き出せば、そうした方向に変わっていく状況にあるのです。

「縮小」という言葉にマイナスイメージを持つ人もいるかもしれませんが、過剰になりすぎた膨張社会を適度なものに戻すと考えてもいいでしょう。
本書には私たちの生き方を問い直すヒントがいろいろと含まれています。

なお、本書の編者でもある縮小社会研究会代表の松久さんが7月7日の研究会で講演されます
お知らせに案内を掲載していますので、ご関心のある方はご参加ください。
私も参加する予定です。

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■「原発をつくった」から言えること
(後藤政志 クレヨンハウス 500円)
自らも原子力プラント設計技術者として「原子力ムラ」の一人だった、後藤政志さんの講演の記録をもとにしたブックレットです。
講演をベースにしていますので、とても読みやすいです。

私は基本的に、原子力ムラの人たちや原子力関係の学者の話は信じていませんが、
3.11以後、少しずつ自らを反省して行動を起こした人の話には耳を傾けるようにしています。
「何をいまさら」という思いは拭えませんが、一人称自動詞で語っている人の言葉には真実を感じます。

後藤さんは、3.11以後、いち早くユーチューブなどで情報発信してきた人です。
私もユーチューブでは、何回もお話を聞かせてもらいました。

また、後藤さんは、ストレステスト聴取会の委員の一人でもあります。
前にこのブログでも書いたような記憶がありますが、茶番とも言える委員会の流れに怒りの告発をした委員のお一人です。
後藤さんは、昨年末に、NPO法人APASTを立ち上げて、
原発を含む現代科学技術のあり方と、適正なエネルギー消費社会実現に向けての調査研究や啓発事業に取り組みだしています。
その後藤さんが昨年8月に講演したものが本書の基本になっています。
いま読んでも示唆に富む内容です。
私は最近(2012年5月12日)、後藤さんの講演を直接お聞きしましたが、主旨はまったく変わっていません。
後藤さんの信念を感じます。

後藤さんは原子炉格納容器の設計の専門家でした。
そのお立場から、本書では原発の本質を解説してくれています。
そして結論は、「原発の安全性は確保できず、早急に脱原発する必要がある」といいます。
福島原発事故に関しても、まだ安定しているわけではなく、不安は大きいと書いています。
そういうことが、とてもわかりやすく、具体的に書かれています。
60ページほどのブックレットですので、気楽に読めます。
ぜひお読みください。

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■ある離婚訴訟の記録(英真 共栄書房 2000円)
週間報告に書きましたが、私のブログ(司法時評)を読んだ方から送られてきた本です。
英さん(仮名)は最高裁までの離婚裁判を体験して、日本の裁判の実態に驚かれたようです。
たぶん裁判の世界の「無法性」を体験されたのではないかと思います。
司法の世界の外部には「法」はありますが、内部には「法」はないのではないかと、私は時々思うことがあります。

子どもの頃、私は検事になりたくて、大学は法学部を選びました。
検事が「正義の仕事」だと思っていたわけではありません。
むしろ逆で、国家権力の走狗になっている検事の世界を正したかったのです。
そのきっかけは、「八海事件」という映画です。
その映画は実話に基づくものですが、冤罪を告発した映画でした。
中学時代にそれを観た時に、心身が震えました。心底、権力への怒りを感じました。
それが私の、その後の人生を決めたのかもしれません。

しかし、残念ながら検事にはなりませんでした。
そして、その後もたくさんの裁判の不条理をみてきました。
弁護士の夫との離婚裁判を起こした知人はひどい扱いを受けたようですし、最近も冤罪でひどい扱いを受けたという人からお話をお聞きしました。
司法界には友人知人も多いのですが、人の問題というよりも、制度としておかしいと思っています。
しかし、そうした「おかしな仕組みの世界」で長年いると、人までもおかしくなっていきます。
誠実な人もいますが、そうでない人も少なくありません。

英さんは、私と違い、裁判に正義を期待していたのでしょう。
司法界の人たちにも、生活者としての常識があると思っていたのでしょう。
そこが私と違うところです。
英さんは、こう書いています。

実際に裁判をやってみて、驚きました。
裁判の現実は、法律書に書かれていること・法学者の思考とは、まったく違います。

法律条文は勉強しても、法の精神など勉強したことのない司法関係者は多いように思います。
英さんも本書で書いている、「法というものを市民の常識の基礎のうえにすえなければならない」という原理を理解している司法関係者は決して多くはないようですし、リーガルマインドなど持ち合わせていない司法関係者がほとんどかもしれません。
身分が保証されている上に、仲間内の相互批評や相互学びあいの文化は全くと言っていいほどありません。
仲間がおかしなことをしていても、批判するようなことは先ずありません。
批判のない世界は健全であるはずがありません。

英さんはこうも書いています。

我々は、「裁判信仰の神話」を捨て、裁判を社会経験が少ない「裁判官という名称を付けられた国家公務員・官僚の行っている単なる行為」という観点に基づき、客観視する必要があろう。

こうした英さんの言葉からも推察されるとおり、英さんが体験した裁判は「支離滅裂」だったようです。
その体験から、裁判所には「(証拠を評価する能力を含む)裁判をする能力を疑問視して当然であるという結論」を得るのです。そして、
当事者は時間と金をかけて、生命・人生・財産等に関して真剣勝負をしているにもかかわらず、こんな裁判をやっていることを明確にして、裁判所は、「まともに裁判をやらんかいな、まともな判決理由を書かんかいな」という主張を書籍ですることにしました。
というわけです。

本書は、しかし裁判体験を読み物風に書いたものではありません。
本書の副題にあるように、「体験的裁判所批判論」です。
最初に本件高裁および最高裁を中心にして裁判所の思考の問題点を論じ、次に本件に関与した裁判所の判決書の違法性を具体的かつ細部にわたって検証。そしてそれらを踏まえた司法改革への視点をまとめています。
その体験から、最後に「司法と国民との相互コミュニケーション・システムの確立」を提案、それに関連してメディアの役割に関しても言及されています。

軽く読める本ではありませんが、体験からの貴重な批判の書です。
不条理な裁判に泣き寝入りせずに、きっちりと批判を試みた英さんに敬意を表して、本コーナーで紹介させてもらいました。

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■「ものづくり力」で挑戦する独創企業(浜銀総研 寺本明輝編著 プレジデント社 1800円)
浜銀総合研究所の経営コンサルティング部の編著による「挑戦する独創企業」シリーズ第3弾です。
今回は、日本の経済を支えてきている「ものづくり中小企業」に焦点を当てて、
常に先を見据えて積極的に挑戦している企業20社の実践を生き生きとレポートしています。
そこには、最近の日本の大企業が失いつつある、いわば「企業経営」のエッセンスが感じられます。
大企業の人たちにこそ、読んでほしい内容です。

もちろん単なる事例集ではありません。
そこには、浜銀総合研究所の経営コンサルティング部が長年取材し、経営の相談にも乗ってきた成果を踏まえた、経営を考えるパラダイムがしっかりと感じられます。
そもそも、本書の題名である「独創企業」にも深い思いが込められています。
経営コンサルティング部部長の寺本明輝さんは、「はじめに」でこう書いています。

以前、中小企業経営者を対象とした講演会の場で、参加者から「中小企業という呼び方を変えたい。何かふさわしい呼び名はないものか」という質問をいただいた。質問の意図は、現在の中小企業が置かれている厳しい状況から想起される中小企業のネガティブなイメージを払拭し、もっとポジティブな存在にしたい、という思いによるものと理解した。
その質問に対して、私は「独創企業と呼びたい」と答えた。独創企業とは、「独自の価値を創造、提供する企業」を意味する。

そして、独創企業の特徴として、次の5つをあげています。
長年の活動から得られた、具体的かつ実践的な内容が、それぞれに込められています。
Vision  志の高い組織
Alliance 戦略的ネットワーク組織
Learning 学習する組織
Uniqueness 独自の力をもつ組織
Execution 実行し続ける組織

もう一つ印象的なのは、寺本さんが、さまざまなステークホルダー(利害関係者)にとっての企業価値(経済価値・社会価値・顧客価値・組織価値)を重視していることです。
そして、次のよう書いています。とても共感できます、

これからの経営には、経済目標のもと、ヒト、モノ、カネといった経営資源をいかに効率よくコントロールするかといったマネジメントから、常に、これら4つの価値からなる企業の独自の価値の創造をメルクマール(指標)として意思決定し、行動していくマネジメントが求められている。

5つの独創企業の特徴ごとに3〜5社の企業が紹介されていますが、どの企業も魅力的です。
実践的に紹介されていますので、実践のためのヒントが山盛りです。
また各事例の最後に、「寺本明輝の独創企業に学ぶ」が付いています。これが実に面白くて示唆に富んでいます。
これだけを通して読んでも面白いです。

企業経営者はもちろんですが、企業で仕事をされている人たちにお薦めの1冊です。

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■「きぼうのかんづめ」(すだ やすなり 宗誠二郎 ビーナイス 1200円)
木の屋石巻水産は今回の津波に襲われ、工場は跡形も無く流されてしまいました。
テレビで巨大な缶詰が横倒しになっている風景を見た人もいるでしょうが、あれが同社のシンボルでした。
会社はもう解散かという話まであったそうですが、奇跡的に在庫していた缶詰が工場の瓦礫の中からたくさん見つかりました。
そこからドラマが始まります。
ご存知の方も多いでしょう。
その話は「希望の缶詰」として有名になりました。
感動的な話なので、ぜひサイトをご覧ください。
http://kibounowa.jp/seisan-kinoya.html

瓦礫の中から掘りだされた缶詰は、缶は錆びたりへこんだりしていても、缶を開ければ味わいはそのまま。そこで、その名が示すとおり、復興への希望がカタチとなったこの缶詰を購入するという支援が全国に広がったのです。
そのドラマを、同社のファンたちがプロジェクトを組んで本にしたのが、この絵本です。
絵本づくりのプロジェクトもまた感動的です。

私は昨年の秋、同社の社長とパネルディスカッションをご一緒させてもらいました。
実に魅力的な社長で、こういう人が社長であれば、支援活動が起こるのもよくわかるなと思いました。
その時に一緒にお会いした同社の松友さんが本を送ってきてくださいました。
松友さんのお手紙によれば、工場再建までにはまだ1年ほどの時間がかかるようです。
しかし多くのファンに支えられて、同社は前に向かって進みだしています。
本書もその応援を担っています。
本書は全国の一部書店で購入できます。よかったら手にとって見てください。
その情報は次のところにあります。
http://kibouno-canzume.benice.co.jp/

絵本づくりのプロジェクトの呼びかけにこう書いてあります。
 津波に流されずに
 残ったものがあった。
 それは、希望だった。
さすがの大津波も、希望だけは流せなかったようです。

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■技術者倫理 日本の事例と考察(橋本義平ほか編著 丸善出版 3000円)
日本で技術者倫理の教育が本格的に始まって10年になります。
そのきっかけは、私の理解では、日本技術士会の杉本さんたちがアメリカで1995年に出版された『科学技術者の倫理』を翻訳出版したことでした(1989年)。
その出版を契機に、杉本さんはNPO法人法人科学技術倫理フォーラムを立ち上げました。
私もその仲間に入れてもらいました。
そこで知り合ったのが本書の編集責任者代表の橋本さんです。
その後、日本技術士会のなかに技術者倫理研究会も発足し、橋本さんが中心になって毎月、研究会を開催しています。
またさまざまな大学での技術者倫理講座の開設にも取り組んでいます。

そうした活動を踏まえて、杉本さんや橋本さんは、これまでも多くの著書を出版してきていますが、本書はアメリカの基本的テキスト『科学技術者の倫理』の日本版をめざした基本テキストです。
橋本さんは本書の「はじめに」でこう書いています。

米国で育った技術者倫理はたしかに優れたものであったが、この10年の経験から、日本で受け入れられるようにするために必要なことがわかってきた。

そして生まれたのが本書です。
日本技術士会に所属する20名の技術士が、実務経験にもとづく事例を用いながら執筆しています。取り上げられている事例は特殊のものではなく、普通の技術者が日常、出会うような事例である点が特徴です。
事例ごとに経過と事実関係が紹介され、争点と判断基準が明確にされたうえで考察していくというスタイルがとられています。そこで意図されているのは、正解ではなくて、正解を導くような考え方を読者が学ぶことです。倫理が働く仕組みや、倫理の判断を必要とする枠組みが理解できるように工夫されているのです。日本に特有の文化的・社会的背景を踏まえた考え方が重視されているのも特徴の一つです。
数多くの事例は、7つの原則、9つの義務にしたがって整理されているので、原則や義務についてのモデル的な発想が身につき、技術者倫理を構造的に捉えられるようになっています。

橋本さんたちは、本書を技術者以外の人たちにも読んでもらい、一般の方々が、技術者の役割を理解する架け橋になってほしいと考えています。技術者に限らず、仕事や生活のなかで出会うさまざまな倫理問題に対処する実践的な力を養うことができるという意味で、多くの人に読んでほしい1冊です。

ちなみに本書が軸にしている技術者が守るべき原則と義務は次の通りです。
<7つの原則>
持続性原則・有能性原則・真実性原則・誠実性原則・正直性原則・専門職原則
<9つの義務>
 注意義務・規範順守(コンプライアンス)義務・環境配慮義務・継続学習義務・情報開示義務(説明責任)・忠実義務・守秘義務・自己規制義務・協同義務

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■「父は空 母は大地」
(寮美千子編・訳 篠崎正喜画 パロル舎 1700円)
1800年頃に種族の土地買入れを申し入れたアメリカ政府に対して、インディアンの酋長・シアトルが書いた手紙の話は有名なので、ご存知の方も多いでしょう。
その手紙の話を、新たな翻訳と力強い絵で、まさに蘇らせたのが本書です。
なぜか半年ほど前、フェイスブックで知り合った画家の篠崎さんが、一昨日の「いのち」をテーマにした集まりに、私にわざわざ持ってきてくれました。

新著ではなく、出版はもう10年以上前です。
にもかかわらず、今回紹介させてもらうのは、改めてその文章を読んで、多くの人にも知らせたいと思ったことも理由の一つですが、もう一つ理由があります。
実は最近、神話学者のジョセフ・キャンベルの「神話の力」を読んでいるのですが、そこにこの逸話が紹介されていたのです。
ちょうど、それを読んだ直後に篠崎さんからこの本をもらったのです。
偶然の一致とは思えません。
それに、篠崎さんの絵が、とてもスピリチュアルで、伝わってくるものがあります。
これは紹介しなければいけないと思ったのです。

実は、シアトル酋長の手紙も書簡も実際には存在しなかったといわれています。
ですからこれはむしろアメリカン・ネイティブの魂の現われだと私は思っています。
ご存知の方も多いでしょうが、その一部を引用させてもらいます。

ワシントンの大酋長が、土地を買いたいといってきた。
どうしたら 空が買えるというのだろう?
そして、大地を。
わたしには わからない。
風の匂いや 水のきらめきを
あなたはいったい どうやって買おうというのだろう?

こんな文章も出てきます。

あらゆるものが つながっている。
わたしたちが この命の織り物を織ったのではない。
わたしたちは そのなかの 一本の糸にすぎないのだ。

文章だけであれば、ネットでも読めるかもしれません。
しかし本書は、篠崎さんの思いを込めた、一種独特の絵が主役です。
その絵を見ながら、思いを馳せて、文章を読むと、まさに魂への響きがあります。

多くの人たちが、この本をしっかりと読んでくれたら、社会は変わり、歴史は変わるかもしれません。
そんな気がして、紹介させてもらいました。

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■あなたの住まいの震災対策
(不動産コンサル21研究会 清文社 2000円)
週間記録にも書きましたが、
インキュベーションハウスのメンバーの阿部さんが所属する不動産コンサル21研究会が出版した本です。
不動産コンサル21研究会は多彩なメンバーからなるグループで、
建築士、不動産コンサルタント、税理士、土地家屋調査士、ファイナンシャルプランナー、不動産経営管理士などから構成されているネットワーク組織です。

東日本大震災以来、震災対策への関心は高まりました。
非常時のために備える防災グッズも売上を伸ばしているようです。
しかし大切なのは私たちの生き方の見直しです。
その生き方にとって、「住まい」はとても大きな意味を持っています。
また被災後の生活建て直しにとっても、「住まい」は大きな意味を持っています。

本書は、震災に備えて、住まいに関して、何をどうしておけばいいのか、また被災した時に何をどうしたらいいかを、さまざまなテーマに沿って、専門家がQ&A形式で、わかりやすく解説した「安心・安全のための一歩進んだ震災対策」のガイドブックです。
とても読みやすいのが特徴です。
巻末には、震災対策チェックリストも掲載されています。
このリストにより、震災対策がどこまでできているのか、何が足りず、どこまで対策すればよいかなども整理できます。

住宅などに関しては、震災対策と言っても何をしたら良いのか、なかなかわからないのですが、
そうしたことを考えるためにも便利な1冊です。
住まいのことが気になっている方はお読みください。
内容に関して、もしお問い合わせなどあれば、いつでも阿部さんを紹介します。

執筆者の一人でもある阿部さんは、大切なのは日頃の生き方だと言っています。
そうした阿部さんの思いと本書に書かれているような具体的な震災対策とをつなげたようなワークショップかカフェサロンを一度企画する予定です。
関心のある方は私にご連絡ください。

■日本の公務員倫理
(杉本泰治 創英社/三省堂書店 2000円)
NPO法人科学技術倫理フォーラム代表の杉本さんが、今回の原発事故後、原子力安全基盤機構の依頼で、「原子力安全規制技術者のための技術者倫理研修」を実施しました。その実践も踏まえて、書きおろしたのが本書です。
ちなみに、杉本さんは技術者倫理に関してこの10年以上、著作や大学での講義などを通して、調査研究を重ねるとともに、技術者倫理の普及活動に取り組んでいます。

本書の帯に、「これまで公務員倫理法のもとで“公務員倫理”とされてきたのは「消極的倫理」だった」と書かれていますが、本書で杉本さんが主張しているのは、そうした消極的倫理だけではなく、「積極的倫理」とそれに基づく「官民協働関係」の必要性です。

杉本さんは、技術者倫理を考える上では「public(公衆)」という概念がカギになるとしていますが、公務員倫理を考えるカギも「public」(日本では「公共」と訳されていることが多いですが)だと考えています。
たとえば、こういうのです。

公務員の責務として、「公共の利益の増進」という「バラ色」の目標を掲げるよりは、害されやすい公衆に対する責務として説くほうが適切ではないだろうか。

「公共の利益」はわかったようでわかりません。しかし公衆、つまり私たち普通の生活者に損害を与えないようにする責務といえば、よくわかります。
今回の原発事故を考えれば、さらによくわかるでしょう。
損害を与えないためには、ただただ法令順守しさえすれば良いわけではありません。
むしろ「やるべきことをやらない」不作為こそが責められるべきでしょう。
そこに積極的倫理の意味があります。
そして杉本さんはこういいます。

消極的倫理に取り組む場合と、積極的倫理に取り組む場合とでは、その人の姿勢に大きな違いがある。

具体的にはこういうことです。

公務員倫理の違反行為26項目は、懲戒を免れるにはこれを遵守すればよい、それ以外のことは考えない、という意味で「後ろ向き」の消極的倫理になった。法令に定められたことはそのとおりするが、それ以外のことは義務ではないという、消極的な法令順守(=遵守)である。そういう姿勢が身につくと、倫理だけにとどまらず、業務一般において、いわれたことは、そのとおりするが、それ以外のことには気を遣わないという、消極的な姿勢を助長することになる。

いまの公務員が見えてきます。
もっと紹介したいところはたくさんあるのですが、長くなりますので、もう一つだけ引用します。私が一番共感した部分です。

倫理は、単に、してよいこと、してはいけないことの規範ではない。倫理的に行動することは、他の人を、人として尊重する姿勢を意味する。さらに、問題点に取り組む自主的、自律の姿勢を意味する。それは、接する人との間に、対話と信頼の人間関係を築く努力にほかならない。

官民協働関係の必要性に関しても一つだけ引用します(原文を要約)。

国民の福利への寄与を最大にするためには、行政庁がもてる力と、事業者がもてる力とが、両者の相乗関係において最大限に発揮されなくてはならない。行政庁と事業者に期待されるのは、そういう前向きの姿勢である。

本書にはまた今回の原発事故に関わる話題もたくさんでてきます。
その視点で読んでも多くの示唆が得られます。
公務員倫理の本ですが、多くの人に読んで欲しい本です。

■「日本人は脱原発ができるのか」
(川本兼 明石書店 1600円)
長年、平和の問題に関して「新しい思想」を追求してきた川本兼さんが、
昨年の福島原発事故を切り口にして、これまでの成果をわかりやすく集大成した本を出版しました。
標題も刺激的です。
「日本人は脱原発ができるのか」
単なる原発事故に関した本ではありません。
副題が「原発と資本主義と民主主義」となっているように、川本さんの問題意識は次のようなものです。

「脱原発」は原発問題だけには収まりません。それは資本主義経済の害悪の中で起こり、近代民主主義(西欧型民主主義)の欠点の下で起こっています。ですから「脱原発」を求める以上、その「脱原発」を資本主義の害悪を克服していく過程、近代民主主義を発展させていく過程の中に位置づけていく必要があります。(あとがき)

川本さんの「思想」は「新社会契約論」です。
一言で言えば、ルソーに始まるこれまでの社会契約論は正確には「国家契約論」でした。
それに対して、川本さんは、具体的な人のつながりに契約の基点を置くのです。
つまり、2人以上の人間の間に何らかの関係が存在している場合、その「人間相互の関係によって成立するそれぞれの人間にとっての共通の生活領域」を社会と規定し、そこでの当事者の関係から、社会契約を考えていくのです。
これに関しては、すでにこのコーナーで紹介している川本さんの多くの著書、ととえば「日本生まれの正義論」などをお読みください。
もちろん本書にもていねいに説明されています。

本書のタイトル「日本人は脱原発ができるのか」への答えはどうでしょうか。
その鍵になるのは、「「他者の『人間の尊厳』に配慮しあう」ことができるかどうかだと川本さんは言います。
残念ながら、これまでの日本人の多くは、そうではありませんでした。
しかし、日本人はある時期、そうなった時期があると川本さんは言います。
第二次世界大戦が終わった直後です。
「戦争体験を通じて獲得した日本国民の戦後の「感覚」は多くの点で、すでに西欧型民主主義や社会主義国型民主主義の考え方を超えていた」と言うのです。
しかし、残念ながらその感覚は定着せずに終わってしまいました。
原爆体験も、結局は活かされなかった。
そして、原発を受け容れてしまったのです。
私も全く同感です。
だから、「日本人は「脱原発」ができないのではないかと感じています」と川本さんは書いています。
そして、そこから抜け出すには「新しい思想」が必要だというのです。

その新しい思想は、現在の資本主義の弊害も民主主義の欠点も克服していくことになる。
言い換えれば、それがなければ、脱原発はできないだろうと言うのです。
つまり、「「脱原発」は資本主義の害悪を克服していこうという運動であり、近代民主主義の欠点を克服していこうという運動」でなければいけないと川本さんは考えます。
私は昨今の脱原発運動には大きな違和感がありますが、本書を読んで、その違和感の理由が少し納得できました。

後半は、いささかまどろっこしい議論が続きますが、極めて本質的な問題提起がなされていると思います。
ちなみに、川本さんは必ずしも楽観はしていませんが、岐路にある日本人が「他者の『人間の尊厳』に配慮する」生き方を選んでほしいと念じています。
私も、期待を込めて、そうなっていくだろうと思っています。
少なくとも、私はそういう生き方をしています。
もちろん「他者」は日本人だけではありません。
ベトナムにも原発は輸出してほしくありません。

できるだけ多くの人に、読んでほしい本です。
もし読まれて関心を持ってもらえたら、川本さんをお呼びしたサロンを企画したいと思いますので、希望者がいたらご連絡ください。
3人集まったら企画します。

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■「最高の職場」
(M・バーチェル+J・ロビン ミネルヴァ書房 2000円)
最近の日本の会社は、かなり疲れているように思いますが、
会社を元気にするためには、従業員が生き生きと働ける職場にしていかなければいけません。
そうした考えから、働きがいのある職場や会社を長年調査し、
さまざまな提言を行っているのがアメリカを中心に世界に広がっているGreat Place to Work(GPTW)プロジェクトです。
昨年、アメリカで、20年にわたるGPTWの調査成果を踏まえた本が出版されました。
THE GREAT WORKPLACE。
日本語に訳すと「最高の職場」です。

長年そうした活動に取り組み、日本にもGPTWを紹介してくれた斎藤智文さん(組織と働きがい研究所代表)たちが、
その話題の本を翻訳出版してくれました。
早速に読ませてもらいましたが、まさにいまの日本の会社に必要な示唆が山のように盛り込まれている本だと思いました。
本書の表紙カバーには次のように記されています。

いかに社員のモチベーションを保ち、仕事の効率を高める良い組織となるか、についてどのような工夫をしているのか。
そして、社員が、自分の会社を誇りに思い、評価しているのはどのようなところなのか。
本書では、100社近いケーススタディをもとに実践につながる解説を行い、「最高の職場」創出の秘訣を明らかにする。

豊富な具体的事例の紹介とリーダーとしての行動のチェックリストなど、実践的なテキストでもありますが、
単なる実践のためのノウハウ本ではありません。
底流に流れるのは、経営思想の転換です。
働く従業員を起点に経営のあり方を考えようという姿勢には、
最近の日本企業が忘れがちな「人間」の視点が強く感じられます。
またこれまでのような、無機質な経営論ではなく、
複雑性の科学での議論も感じさせるダイナミックな経営論になっていることにも共感できました。

本書が、最高の職場を実現するために重視しているのは3つの関係性です。
「従業員とそのリーダーとの関係」
「従業員とその仕事との関係」
「従業員相互間の関係

この3つこそが、経営の要と言っているのです。

ともすれば、「人間」を忘れがちな最近の企業経営の流れの中で、こうした視点は改めて大きな意味を持っています。
3つの関係性は、「信頼」「誇り」「連帯感」という3つの切り口で具体的に語られています。

ともかく実際の現場での体験知をベースにしていますので、
とてもわかりやすく、説得力もあり、またその気になれば、明日からでも取り組めるものばかりです。
企業や行政など、組織で仕事をしている人にはぜひ読んでほしい本ですが、
関係性の視点から自らの生き方を問い直すという意味では、すべての人にお薦めしたい本です。
この本を読んで、自らの生き方をちょっと変えるだけで、たぶん周辺が変わってくるように思います。

コモンズ書店からの購入

■「のこされた あなたへ」
(一条真也 佼成出版社 1500円)
一条真也さんの著書はこのコーナーでも毎回紹介させてもらっていますが、
今回は一条真也さんのライフワークにつながるグリーフケアをテーマにした本です。
一条さんは「日本にグリーフケアの文化が完全に根づくための一粒の麦になりたい」と前から書いていますが、本
書は2冊目のグリーフケアの本です。
一冊目は『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)です。

一条さんに本書を書かかせたのは、3月11日の東日本大震災だったようです。
本書の副題は「3・11 その悲しみを乗り越えるために」となっています。
被災地に立った時の思いも本書に書かれていますが、冠婚葬祭業の会社の社長として、さまざまな葬儀に立ち会っている一条さんは、そこにたくさんの思いを見たことでしょう。
そして本書ができあがったのです。

一条さんはご自身のブログにこう書いています。

もちろん、どのような言葉をおかけしたとしても、亡くなった方が生き返ることはありませんし、その悲しみが完全に癒えることもありません。しかし、少しでもその悲しみが軽くなるお手伝いができないかと、わたしは一生懸命に心を込めて本書を書きました。時には、涙を流しながら書きました。

本書を読んでいて、時々、被災地の風景が垣間見える気がするのは、そのせいかもしれません。
しかし本書はそれにとどまりません。
本書の帯には「グリーフケアの入門書にして決定版」と書かれていますが、これまでの一条さんの活動を踏まえた該博な知識と体験から、グリーフケアを支える仕組みや思想が体系的にしっかり書き込まれていますので、「すべての“愛する人を亡くした人”」へのメッセージにもなっています。
それは私たちの生き方そのものへのメッセージでもあります。

目次は次の通りです。
第1章:葬儀ができなかったあなたへ
第2章:遺体が見つからないあなたへ
第3章:お墓がないあなたへ
第4章:遺品がないあなたへ
第5章:それでも気持ちのやり場がないあなたへ
そして、「あとがき」に代えてとして、「別れの言葉は再会の約束」で本書を貫く、そして一条さんのグリーフケア理念でまとめられています。

おそらく本書を読まれるとみなさんは新しい発見がいろいろあるはずです。
そしていろいろな「弔い方」があることにも気づかれるでしょう。
コピーライターの名手でもある一条さんは、刺激的なメッセージも投げかけてくれています。
たとえば、こんなメッセージを受けたら、あなたはどう思いますか。
「残されたあなたこそ遺体です」と。

お薦めの1冊です。

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■横浜・野毛の商いと文化
(野毛地区街づくり会 横浜商科大学 1500円)
自在株式会社の根本さん編集の地域学シリーズの第2作です。
今回は横浜の野毛地域がテーマです。
野毛は、居酒屋やジャズバーなど、500軒以上のお店がひしめく横浜の一大商店街で、野毛大道芸でも有名ですが、演芸場や劇場なども多く、多彩な庶民文化を発信しているまちです。
中華街や元町に比べるとあまり知られていませんが、横浜の開港をきっかけにして自然発生的に形成された街で、横浜のアイデンティティを理解するうえで重要な街のひとつとも言われています。
そこで2007年から行われている「野毛まちなかキャンパス」での、2010年度の講演をまとめたのが本書です。
地元の商店主、郷土史家、「野毛大道芸」の関係者などが語る野毛の話は、部外者が読んでも実に魅力的で面白いです。

本文は、「歴史と街の成り立ち」「大衆文化と芸能」「商いと街の活性化」の3部構成ですが、そのそれぞれが単に野毛という地域の話だけではなく、そこから日本の歴史や文化が垣間見えてきます。
横浜という地域の特性によるのかもしれませんが、横浜に住んでいない者にとっても面白く読めます。
根本夫妻の編集の腕によるのかもしれませんが、私も興味深く全編を読ませてもらいました。
いろんな意味で面白い本です。

最近、各地で「まちなかキャンパス」や「まちなかカレッジ」が広がりだしていますが、野毛まちなかキャンパスはそうした動きのはしりのひとつでしょうか。
かつて地域学が広がった頃に、効した本作りもかなり行われましたが、まちなかキャンパスの記録をこうした形でしっかりとまとめているところはそう多くはないでしょう。
ですから、本書はそうした「まちなかキャンパス」活動を企画する上でも参考になります。
その意味で、まちづくりに取り組んでいる人にもお薦めの1冊です。
野毛地区街づくり会に関してはホームページをご覧ください

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■「ホスピタリティ・カンパニー」(佐久間庸和 三五館 2100円)
このコーナーでもたくさんの著書を紹介させてもらっている一条真也さんの本名は佐久間庸和さんです。
そして佐久間さんは北九州市に本社がある株式会社サンレーの社長でもあります。
本書は、佐久間さんが本名で出版する2冊目の本です。
サンレーは、冠婚葬祭サービスを中心に事業展開をしている会社ですが、最近注目されてきている「隣人祭り」を日本で一番多く開催している会社でもあります。
佐久間さんは、「無縁社会」などという言葉が広がっている現在の社会状況を変えていこうと、事業を通して、また執筆・講演活動を通して、奮闘されているのです。

本書は、その佐久間さんが最近5年にわたって、社長として社員の前で話したメッセージを本にしたものです。
ちなみに、その前の5年のスピーチは、以前紹介した「ハートフル・カンパニー」にまとめられています。
佐久間さんのホームページでも公開されていますが、佐久間さんが、社内に向けても社会に向けても変わることなく、メッセージを出していることがよくわかります。
まさに「知行合一」。その姿勢に共感を持ちます。

社員向けの話だからどうせ内輪の内容だろうなどと思う人がいるかもしれません。
そういう人にこそ、本書を読んでほしいです。
そこで語られている内容の深さや広さに驚くはずです。
しかも全体が大きなビジョンで包まれています。
まさに「ビジョナリー・スピーチ」なのです。

佐久間さんは、「ホスピタリティ」は今後の会社のみならず、社会全体の最大のキーワードだと言います。
人類が21世紀において平和で幸福な社会をつくるための最大のキーワードだとさえ言い切っています。
その意味は、ぜひ本書で読み取ってもらえればと思います。

スピーチを本にしていますので、とても読みやすいです。
通読してもよし、座右において気の向くままに読んでもよし、です。
短い一話一話から得る示唆は決して少なくありません。

企業経営にまつわる本のように思われるでしょうが、決してそうではありません。
生き方を考えさせられる本でもありますから、すべての人たちにお薦めしたい本です。

ちなみに私が佐久間さんと知り合ったのも「ホスピタリティ」という言葉のおかげです。
もう10数年前になりますが、北九州市で「にこにこホスピタリティ運動」が展開されましたが、そのキックオフの集まりで、ホスピタリティの話をさせてもらったのです。
私自身も自らの生き方の基本に「ホスピタリティ」を置いています。
ホスピタリティを基本に置いて生きていると、いつも快適にいられます。
みなさんにもぜひお薦めしたい生き方です。
本書を読んで、その一歩を始めてもらえるとうれしいです。

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■「市民社会政策論」(田中弥生 明石書店 2415円)
田中弥生さんが、これまでの調査研究活動を踏まえて、まとめたのが本書です。
田中さんは、大学評価・学位授与機構 評価研究部の准教授ですが、
日本のNPOに関しては「思い」も「知見」もとても深いものをお持ちで、
その分野で長年、積極的な活動を重ねてきていいます。
私が最初に出会ったのは1990年ごろですが、
その時に田中さんが取り組んでいたのが、欧米やアジアの「コーポレート・シチズンシップ」の調査です。
私が共感したのは、事例にしっかりと向き合う姿勢でした。
以来、時には巻き込まれながら、さまざまな取り組みを横から見させてもらっています。

本書は、そうした20年にわたる田中さんの思いが、いささか「怒り」を込めてまとめられています。
その「怒り」のおかげで明快なメッセージが伝わってきまので、私のような「専門家」嫌いな者の心にも響いてきます。

「はじめに」のタイトルが「政府はなぜボランタリズムを萎縮させたのか」です。
このタイトルに、本書の基本姿勢が感じられます。
副題として、「3.11後の政府、NPO、ボランティアを考えるために」とありますが、
多くの人は今回の日本大震災で活動しているボランティアの報道にたくさん触れていることでしょう。
にもかかわらず、田中さんは「政府はなぜボランタリズムを萎縮させたのか」と問題提起します。
そうした表層的な動きに流されない、しっかりした視点に立った問題提起が本書の根底に流れています。
それは本書の目次を見ただけでわかります。
私の理解では、その核心にあるのは「市民性」です。
市民性を高めていくことこそが、政府の市民社会政策の基本でなければいけません。
私がこの30年感じているのは、その方向と反対の政策の動きですので、本書のメッセージにはとても共感できます。

田中さんは本書を出したという案内文にこう書いてきました。

日本の復興を支えるためには強い市民社会が不可欠です。
そのために、私たちは何を目指さねばならないのか、政府に何を求め、求めるべきではないのか、
皆様とともに考えてゆきたいのです。
本著がその一助になれば幸いです。

その意図は見事に果たされていると思います。
問題は、本書を読む人の感度かもしれません。

本書は、田中さんがこれまで長年にわたり地道に取り組んできた調査結果も踏まえていますので、説得力があります。
それに何よりも、田中さん自身の個性が素直に出ていて、楽しく読ませてもらいました。

田中さんは仲間と一緒に「エクセレントNPOをめざそう市民会議」を立ち上げ、「エクセレントNPO」の評価基準を活用して、「強い市民社会」への良循環を作り出すことを目指しています。
本書は、そうした活動の基本的なテキストにもなっています。

NPO関係者をはじめ、これからの日本社会のあり方に関心のある人にはぜひ読んでほしい本です。
そして、自らの生き方を見直す契機にしていただければと思います。

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■句集「五弦琵琶」(塚谷誠 角川書店 2667円)
会社時代の先輩である塚谷誠さんの第一句集です。
塚谷さんは会社を引退後、塩川雄三さんに師事して俳句を始めました。
その最初の句集です。

私と塚谷さんの関係はこれまでも何回か週間活動で書き込みましたが、塚谷さんが会社の変革に取り組んだ時に、少しだけ仕事をご一緒させてもらいました。
そのご縁で、今もお付き合いが続いています。

私は俳句にはまったく関心がありませんでした。
ですからこの句集を送っていただいても、普通はぱらぱらとめくっただけだったでしょう。
しかし今回は、書名の「五弦琵琶」の響きに魅せられてしまい、ついつい読み出してしまいました。
そして、一気に最期まで、すべての句を読ませてもらうことになりました。
句集を、こうやって一気に読むのがいいのかどうかはわかりませんが、塚谷さんの人柄を知っているからかもしれませんが、一つの世界が生き生きと実感できました。
はじめて俳句の世界が、少し垣間見た気がします。

詠まれた句には、私の世界と重なる世界がいくつかありました。
余呉や海士で詠まれた句には、ある繋がりを感じました。
一心不乱に企業戦士を勤め上げてきた人の平安も感じました。
奇妙な話ですが、読み上げた後、私自身、心の平安さえ感じます。

友人が時々、句集などを送ってくれますが、正直、あまり興味を感じませんでしたが、今回はちょっと違いました。
時に、句集も良いものだと思いました。

3つだけ紹介します。
私の心に響いた句です。

 ひさびさに 娘残せし 雛飾る
 看取りせず 別れし母の 墓洗ふ
 曝涼の 館に聴けり 五弦琵琶


■自然保護分野の市民活動の研究(藤澤浩子 芙蓉書房出版 2800円)
コムケア仲間の藤原浩子さんは様々な活動に取り組みながら、大学院などでの研究活動も長年熱心に続けています。
そのエネルギーには頭が下がりますが、今回、出版したのが「自然保護分野の市民活動の研究」です。
この本を受け取った時、なぜ「自然保護」なんだろうと思ったのですが、本書を読んで、その理由がわかりました。
三浦半島自然保護の会(50年を超える歴史のある会)の活動に長年触れていたのです。
実践活動への共感に立った問題意識が藤澤さんの支えになっているのです。
本書は実際の市民活動の記録を克明に分析し、そこから市民活動への実践的なヒントをたくさん抽出していますが、観察者的ではなく、当事者的な視点を感じるのはそのせいかもしれません。

藤澤さんは、本書を書いた目的として次の2つを挙げています。
まず「市民活動の現場に蓄積されている知見の可視化」です。
それも構造化していきたいというのが藤澤さんの思いのようです。
もう一つは「現在および将来世代の研究者との研究素材の共有」です。
たしかに市民活動の実践記録は散逸しがちですが、それらを集約していくことで、市民活動の位置づけや役割が見えてくるだろうと藤澤さんは考えています。
この主張にはとても共感できます。
昨今、「新しい公共」論もでていますが、これまでの公共概念との違いが私には見えません。
私自身は「公」と「共」とは視座も理念も全く違うと思っていますが、まさに実践の現場からの脱構築作業が不可欠ではないかと思います。
その意味でも、本書から学ぶことは少なくありません。

前半は日本の市民活動の概念整理と歴史的な概括、後半は実証的な実態調査を踏まえた問題提起になっています。
5つのケーススタディはそれぞれにかなり踏み込んだものですので、それ自体からも学べますが、それらを通じた藤澤さんの構造化をめざした試み(たとえば長期継続的な市民活動の展開の6段階モデルなど)に、私は興味を感じました。
自然保護分野に限らず、市民活動を考えていく上での実践的なヒントがたくさんありますので、実践者の方のよいテキストになりそうです。

私がこの本を読んで思い出したのは、イヴァン・イリイチが提唱した、コンヴィヴィアリティとサブシステンスです。
市民活動の継続要因に関しては「楽しみ」や「喜び」という要素が最も重要だろうと私は思っています。
本書では、自然保護分野の市民活動の長期継続要因として、「現場感覚」「共通の目的や関心」「平等な立場での臨機応変な役割分担」「独創的な取り組み手法」「広報活動」の5つがあげられています。
「共通の目的や関心」のなかに「楽しみ」の要素も含意しているようですが、私自身はそれこそが出発点だと思っています。
その意味でイリイチのコンヴィヴィアリティは示唆に富んでいます。

もうひとつのサブシステンスは、脱市場経済の切り口として最近少しずつ議論され始めていますが、市民活動を支える基本概念ではないかと思います。
それとのつながり、あるいは経済パラダイムの転換と市民活動の関係は大きな課題です。
私は昨今の日本のNPOもまた市場経済のサブシステムになっているようで、違和感が大きいのですが、住民活動とは違うとしても、その立脚点はサブシシテンス経済におかれるべきだと思っています。
サブシステムからサブシステンスへ、です。
もしそうした姿勢を強くもてば、社会のリフレーミングの尖兵になれるはずです。

藤澤さんには、ぜひそうした方向での問題提起を次はお願いしたいと思います。
博士論文がもとになっているので、難しそうな気配はありますが、読んでみるととてもわかりやすいです。
市民活動に取り組まれている方はぜひどうぞ。

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■「なぜ、社員10人でも分かりあえないのか?」
(日経トップリーダー編 日経BP社 1400円)
「気配りミラー」の専業メーカー、コミー株式会社の小宮山社長は、
このホームページではもっぱら「箸ぴーゲーム」で登場しますが、私が敬愛する経営者のお一人です。
私も会社に何回か伺わせてもらっていますが、行くたびに新しい発見があります。

昨年くらいからテレビでも盛んに取りあげられているので、小宮山さんやコミーのことをご存知の方も多いと思いますが、
コミーの「気配りミラー」は私たちの周りにたくさんあります。
一番身近なのは、ATMの画面の上あたりにもついている、小さなミラーです。
飛行機に乗ると頭上の荷物入れにもコミーのミラーが付いています。
コミーは小さいながら、世界中を飛び回るミラーをつくっている世界企業なのです。

そのコミーが大切にしているのが、「コミュニケーション」です。
本書の帯にも書かれていますが、「小さな会社だから一心同体、というのはまったくの誤解」というのが小宮山さんの経営哲学です。
その哲学の上に、コミーでは実にさまざまなことが行なわれています。
本書には、その取り組みとそこから得た実践知がたくさん紹介されています。

小宮山さんは「言葉」にこだわる人です。
流行語には安直にながされません。
たとえば、CS(顧客満足)という言葉がありますが、小宮山さんは「CSを追及していたらコミーは潰れていた」といいます。
では何を追及していたのか。
コミーが追求していたのはUS、ユーザーの満足でした。
そこには「現場」での第一次情報を最優先する小宮山さんの情報観があります。

小宮山さんはまた「物語」を重視しています。
詳しくは本書を読んでほしいのですが、最近流行りだした「ナラティブマネジメント」を早くから実践しています。
もちろん小宮山さんは「ナラティブ」などという言葉を意識していたわけではなく、
コミュニケーションを重視した経営実践の中から生まれてきたのが、コミーの物語重視経営なのです。

本書にも出てきますが、松下幸之助はよく「うちは人を作っている会社です」と言っていたそうですが、
小宮山さんは「コミーは物語を作っている会社です」と言っています。
そうしたコミーの物語はすで10を越えています。
コミーのホームページにも掲載されていますので、ぜひお読み下さい。
ちなみに、コミーの物語の主人公は社員一人ひとりです。
そこに小宮山さんの人間観が象徴されています。

本書は、そうした小宮山さんの経営哲学の実践の場であるコミーの経営の実際を具体的に紹介していますが、
小宮山さんの経営訓もコラムで紹介されています。
大企業の人にもとても学ぶことの多い本です。
いや企業関係者だけではなく、NPOや行政の人にもぜひ読んでほしい本です。
小宮山さん自身が書いている6頁の「あとがき」を読むだけでも考えさせられることがたくさんあります。

お勧めの1冊です。
コモンズ書店で購入

■「隣人の時代−有縁社会のつくり方」(一条真也 三五館 1500円)
「隣人祭り」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
10年ほど前、パリで始まった、近隣に住む人たちが気楽に食事をしながら、交流する集まりです。
同じアパートに住む老人の孤独死が1か月も放置されていたことに疑問を持った若者が住人に呼びかけて集まりをもったのが最初と言われています。
その後、フランス全土に、そしてヨーロッパ、さらに世界中へと大きな広がりをみせています。
その隣人祭りを、日本国中に広げてきているお一人が、本書の著者の一条さんです。

一条さんは、このコーナーでもよく紹介させていただいている作家ですが、
同時にサンレーという冠婚葬祭互助会の会社の社長でもあります。
一条さんは、昨今の「無縁社会」という言葉に異論を唱えています。
私も何回か書いていますが、社会は「無縁」であろうはずがありません。
しかし、「無縁化」する動きが広がっているのは否定できません。
互助会という一条さんの仕事は、まさにそうした「無縁化」の動きに抗う活動であり、冠婚葬祭は「縁」をつむぐ仕事でもあるのです。
一条さんは、互助会という仕組みを使って、この近隣の集まりを広げると共に、ご自身でも毎年たくさんの隣人祭りを開催しています。
そうした活動を通して、一条さんはこの社会を本来の「有縁社会」にしていこうとしているのです。

一条さんはまた言葉づくりの名手です。
本書のタイトルの「隣人の時代」は、まさにこれからの時代を指し示す名キャッチコピーです。
ここで「隣人」と書いていますが、本書では一条さんは「となりびと」とも表現しています。
流行語にまでなった「無縁社会」は死んだ言葉でしかありませんが、「隣人の時代」は生きて動きを創出する言葉です。
さらにそれを「となりびと」と表現すると、ほのぼのしたあたたかさを感じます。

一条さんは、これから始まるのは「有縁社会」であり、「隣人の時代」だといいます。
そして本書で、となりびとの見つけ方、付き合い方をわかりやすく書いています。
もちろん、隣人祭りの開催のためのヒントもたくさん出てきます。
一条さんも書いているように、本書は「となりびと」と仲良く暮らし、幸せに生きるための本なのです。
そこに流れているのは「助け合いは、人類の本能である」という考え方です。

たまたま本書の出版の直前に東北関東大震災が発生しましたが、一条さんはこう手紙で書いてきました。

本当に日本史上最悪ともいえる悲惨な災害でした。
でも、わたしは、この大地震によって日本に「隣人の時代」が呼び込まれるかもしれないと考えています。

私もそう思います。
そうしていくためにも、多くの人たちにお読みいただきたいと思います。

コモンズ書店での購入

■「日本生まれの「正義論」」
(川本兼 明石書店 2310円)
平和の問題に取り組んでいる川本兼さんが久しぶりに新著を出版されました。
書名には「正義論」とありますが、昨今流行のサンデルの「正義論」とは、一味違って、平和への強い思いがあります。
川本さんの、これまでの数多い平和論・憲法論の集大成でもあります。
川本さんは、今度こそ最後の著作になるかもしれないと書いてきました。

副題は「サンデル「正義論」に欠けているもの」となっています。
そこに示されているように、川本さんは最近のサンデルブームに危惧の念を持っています。
本書のはしがきには、こう書かれています。

サンデル・ブームに関して私が先ず思ったことは、現在の日本の若者もまた他国からの思想を「権威」として受け入れ、その「いいところ取り」を行ってしまうのかということです。

ブログでも書きましたが、川本さんはコミュニティを意識し過ぎるサンデルの主張には賛成していません。
集団に対する連帯の責務を強調することが、戦争や平和の問題に関しては、愛国心と結びつき、さらには徴兵制とも結びつくというのです。
つまり、サンデルの正義論は、若者の反動化を通じて日本全体の反動化をさらに促進するのではないか、と危惧しています。
私は、コミュニティを基盤に発想しているのですが、たしかにサンデルの議論にはその危険性を感じていました。
いささか短絡的に感ずるのです。
しかし、川本さんは、批判だけしているわけではありません。
川本さんは、「日本国民はその日本国民の戦争体験を通じて、戦争と平和の問題をも含む新しい正義論を提起しなくてはならない」と考えているのです。
この姿勢は10冊を超える、川本さんの精力的な執筆活動の基調を成すものです。

本書は2部構成です。
前半は「人間の尊厳および人権概念の普遍化」です。
そこでは、日本国民の戦後の「感覚」が求めた正義論と平和論が書かれています。
本書の議論の出発点は、この日本国民の戦後の「感覚」です。
後半は「「革新」勢力の消滅と日本人」で、日本人が再び自ら戦争を行うようになってしまうかもしれないという危惧が語られています。
いずれも、独自の川本理論に基づいていますが、決して独善的ではありません。

ところで、川本さんが重視する「日本国民の戦後の感覚」とはなんでしょうか。
彼はその感覚に「ロゴス」としての「言葉」を与えなければいけないと言うのです。
彼のこの数年の著作活動は、まさにそのためにあったように思います。

本書はこれまでの川本さんの著作のエッセンスが込められていることもあって、そう簡単に読める本ではありません。
しかし、ぜひ多くの、とりわけ若い世代に読んでほしい本です。
一人で読むと挫折しそうなので、川本さんを読んで読書会をしようと思っていましたが、東北関東大震災が起こってしまったため、しばらくは実現できそうにもありません。
しかし、夏以降に、ぜひとも本書を題材にした話し合いの場を開催したいと思っています。
川本さんと相談してまたご案内します。

しかし、その前に、ぜひ多くの人に本書を読んでもらいたいと思います。
川本さんがいうように、「日本国民の戦後の感覚」は未来を開く力を持っているのかもしれません。
しかし残念ながら、その感覚がロゴスにならないままに、このままだと散在してしまいそうです。
とりわけまさにいま、その感覚は歴史の岐路にあるように思います。

本書を読まれて関心をお持ちになった方は、ぜひ私にご連絡ください。
お願いします。

コモンズ書店での購入

■「社会的共通資本としての川」
(宇沢弘文・大熊孝編 東京大学出版会 4800円)
私が顧問をさせてもらっているNPO法人新潟水辺の会の代表の大熊さんは、
大学教授にしてはめずらしい、知を愛する実践の人です。
その生き方において、魅力を感じます。
その大熊さんと宇沢さんが中心になって、まとめたのが本書です。
14人の専門家が、川をテーマに、コモンズの大切さと可能性、
そしてこれからの私たちの目指すべき生き方(社会のあり方)の方向性を語っています。
それぞれの論がとても面白く示唆に富んでいます。

厚い本なので、読み出すまでちょっと抵抗があったのですが、読み出したら、とても面白いし、読みやすいことがわかりました。
それに小気味良さもあります。
私が拍手したくなったのは、関良基さんの「脱ダムから緑のダムへ」です。
この数十年の日本の政治経済のばっさりした評価がとても小気味良いのです。
こういう学者もいるのかとうれしくなりました。
まあ私の思いと全く同じなので、うれしくなっただけかもしれませんが。

社会的共通資本とは、コモンズのことです。
宇沢さんは、社会的共通資本を、
「一つの国ないし特定の地域に住むすべての人々が、ゆたかな経済生活を営み、すぐれた文化を展開し、人間的に魅力ある社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような自然環境や社会的装置」
と定義しています。
そして、社会的共通資本は、それに重要な関わりをもつ生活者の集まりやそれぞれの分野における職業的専門家集団によって、管理、運営されることが必要だと言うのです。
まさにこれが私のこの20年のテーマ、「コモンズの共創」、つまり「みんなのものをみんなで育てる」でした。

議論は多岐にわたっていますが、各論考に共通しているのは現実の出来事を踏まえて語るという姿勢です。
だから読みやすく、説得力があるのです。
宇沢さんの序章につづき、次の3部構成です。
第1部 持続可能な治水と利水の実践
第2部 リベラリズムとしての脱ダム思想
第3部 コモンズによる川の共有

大熊さんは「技術にも自治がある」と題して、治水技術の伝統と近代につい書いていますが、
そこに昔の治水技術として、筑紫平野の塩原川の「野越」という越流堤の話を紹介しています。
水を越えさせない堤防ではなく、越えさせる堤です。
近代の管理思想では出てこない、見事な発想です。
「見試し」という人間の知恵も登場します。
技術だけのことではなく、私たちの生き方や組織のあり方を考える上で、
私たちが忘れてしまってきたことをいろいろと思い出させてくれます。

論者の中に岡田幹治さんのお名前も見つけました。
東レ時代に一度接点があっただけですが、記憶に残っている方です。
「週刊金曜日」の編集長時代にもメールをいただきました。
岡田さんは「なぜダム建設が止まらないのか」をとても具体的に、関係者の実名まで出して書いています。
河川工学者と国交省官僚と報道関係者の共同謀議だと私は思っていましたが、そのことが見事に描かれています。
ちなみに、大熊さんは河川工学者ですが、そういう人もいます。
また岡田さんの文章にも出てきますが、違和感を持ってやめた河川行政官僚もいます。
その一人である宮本博司さんの「淀川における河川行政の転換と独善」は、それだけでも本書を読む価値がある気がします。
厚くて高価なので、だれにでも薦められる本ではないのですが、これからの社会のビジョンを示す本ですので、多くの人に読んでほしいと思います。

厚くて高価なので、だれにでも薦められる本ではないのですが、
これからの社会のビジョンを示す本ですので、多くの人に読んでほしいと思います。

ちなみに、大熊さんが代表をしている新潟水辺の会では3月19〜20日、信濃川と千曲川で鮭の稚魚を放流するイベントを開催します。
案内をお知らせのコーナーに載せていますので、よかったら参加してください。
私も参加します。

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■100番目のメッセージメッセージプロジェクト かんき出版 1300円)
このホームページでも紹介したことのある学生たちによる「メッセージプロジェクト」の本が完成しました。
この本づくりには私も友人を数名紹介しましたが、そのほかにも私の知り合いが何人か登場しています。
このサイトにも登場する一条さんや神崎さんも協力してくれました。

登場するのは、アスリート、音楽家、美術家、写真家、落語家、社会活動家、職人、起業家など、さまざまなジャンルの99人です。
本書を企画したのは、今春卒業予定の学生たちです。所属大学も就職先もバラバラな5人が、大学最後の「学び」を本というカタチにすることを目指して実現したのです。
そして、99人の人たちに、若い世代に元気を送ってもらったのです。
このプロジェクトを通じて、彼らが何に気づき何が変わったのかを知りたい気がしますが、それはともかく、多彩な人が登場していますので、通読すると時代の気分を感じられるかもしれません。

今週の2月11日と12日に渋谷の明治神宮前近くのCampus Plus で99日が書いたメッセージの展示と交流会も予定されています。

学生たちはもちろん、本書に登場した人たちの一部も参加するそうですので、よかったらご参加ください。

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■「満月交感 ムーンサルトレター」(一条真也 vs 鎌田東二 水曜社 上下各1600円)
不思議な本が出版されました。
といっても、本の体裁や出版のされ方が不思議だというわけではありません。
本書は、2人の異才の往復書簡集です。
2人とは、このサイトにもよく登場する一条真也さんと「バク転神道ソングライター」を自称する宗教哲学者の鎌田東二さんです。

どこが不思議かといえば、そこで語られている世界の奇妙さです。
語られているテーマは実に幅広いのです。
だからと言って、その内容が特殊かといえば、必ずしもそうではありません。
霊性思想や宗教儀礼などの話には、いささかの特殊性はあるかもしれませんが、奇をてらっているような内容ではなく、とてもわかりやすく、かつ、示唆に富む共感できる内容が多いのです。
なによりもお2人の日常の生活に立った話をされていますので、すんなり理解できます。
話題は奔放に飛び交うのですが、常にお2人のそれぞれの実際の生活がそれをつないでいるため、読者も自然と世界を飛び交うことができるのです。
ですから決して特別の世界が語られているわけではありません。

しかし、それを通して読むとなにやらとても不思議な世界が垣間見える気がするのです。
もしかしたら、この往復書簡が満月の夜ごとに交わされたということに関係しているのかもしれません。
霊気の強い2人が満月に誘われて、世界を語りながら発しているメッセージの強さが、読者の霊気を刺激するのかもしれません。

そもそもこの往復書簡は、お2人のホームページにも毎月掲載されていました。
ですから私はそのいくつかを読んでいたのですが、改めて本書を通読してみると、不思議な魅力に引き込まれて、上下巻の、そして文字が小さいので文字数がとても多い本なのに、なぜか一気に読んでしまいました。
そして、本書からの奇妙なエネルギーを感じたのです。

まあこんな紹介をしてしまうと、腰が引けてしまうかもしれませんね。
すみません。
本書をしっかりと紹介するには、私のパワーが不足しているようです。
しかしまともな紹介をすれば、宗教哲学者と会社経営者の語り合う現代社会論なのです。
出版社の解説によると、「日本人の精神世界、長寿社会「日本」の未来、若者たちの意識、現代社会の問題点など」が鋭く切り込まれているのです。
読んでみて私もそう思います。
さまざまなテーマがしっかりとつながる形で語られていますので、退屈に切り刻まれた最近の多くの議論とは違った世界を感ずることができるでしょう。
話題は多岐にわたっていますので、退屈する暇もありません。

何しろ不思議な本で、うまく紹介できなかったのですが、私にはとても面白かったです。
気楽に読めますので、一気になどと思わずに(私はつい引き込まれてしまったのですが)ゆっくり読めば、たくさんの示唆が得られることは間違いありません。

ちなみに、お2人の満月交感は今も続いています。
一条さんのサイトもぜひご覧ください
もっと不思議な世界が見えるかもしれません。

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■「エクセレントNPO」の評価基準
(「エクセレントNPO」をめざそう市民会議 言論NPO 800円)
「エクセレントNPO」をめざそう市民会議は昨年11月に発足しました。
非営利セクターに競争をもたらし、強く豊かな市民社会づくりへの良環境をつくることが理念だそうです。
コアメンバーの一人である田中弥生さんからもお話をお聞きしていましたが、私は参加していません。
基本的に私の発想とはまったく違っているからです。
この本も、私の考えとは大きく違う発想に立っています。
第一、「エクセレントNPO」という表現は、私の発想にはありません。
30年前に流行した「エクセレントカンパニー」騒ぎを知っている者としては、違和感もあります。
内容に関しては、いろいろと書きたいことがあります。

にもかかわらず、この本は、現在NPO活動している人には実践的なガイドになることは間違いありません。
いまのNPOがぶつかっている壁を超えるためにはとても有益なテキストといってもいいでしょう。
この市民会議の前身は、3年前に発足した非営利組織評価研究会ですが、3年間にわたりNPOの実態調査やさまざまな視点からの議論を踏まえてつくられた評価基準を基軸にして、これからの非営利セクターのあり方が示されています。
ですから単に頭で考えただけのものではなく、体験知も含めての評価基準なのです。
評価基準は「市民性」「社会変革性」「組織安定性」を柱にして、それぞれに具体的な評価リストが明示されています。
自己診断リストは33項目あげられています。
いずれも長年「評価」に取り組んでいた田中さんの知見を感ずるものです。

副題に「「エクセレントNPO」をめざすための自己診断リスト」とあるように、実際にNPO活動に取り組んでいる人の自己確認作業の提唱でもあります。
「エクセレントNPO」宣言団体の呼びかけも行われています。
ちなみに、本書は以前ここで紹介した「エクセレントNPOとは何か」の続編です。

そうした評価基準の作成に関わった3人の人が、3つの評価軸に関して、それぞれの思いも語っています。
また最後には自らの組織を自己診断するリストがていねいに解説されていますので、実際にNPO組織に関わっている人は自己評価されるといいと思います。
それを通してこれからの課題が整理できるはずです。
壁にぶつかっているNPO関係者の皆さんやNPOを発展させていきたいという皆さんはお読みになるといいと思います。

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と書きながら、以下は蛇足です。
本書の紹介とはちょっと違うので、よほど暇な人だけ読んでください。
 
本書はどこが私の発想と違うかを少しだけ書いておきます。
書き出すときりがないのですが、本書で語られている「市民社会」のイメージがまずは曖昧なことです。
昔、田中さんの呼びかけで「市民社会研究会」というのがあったのですが、そこでの「市民社会」は社会のサブシステムとしての「市民社会」でした。
メンバーがほとんど大学教授だったから仕方がなかったかもしれません。
当時はそれが主流でしたが、私は社会そのものの変化に興味がありました。
NPOや市民活動は、社会そのものをリフレームしていくというのが私の発想です。
フレームの組み替えだけではなく、当然、社会構造原理が変わります。
このサイトの基調である、組織起点から個人起点への転換や脱貨幣志向が起こるのだろうと思っています。
そういう視点では、「価値観」が基軸になります。
つまりいま必要なのは、企業の世界をもじれば、「エクセレントNPO」ではなく「ビジョナリーNPO」なのではないかと思います。
ビジョンがなければ評価はできませんし、変革もできません。
つまり市民社会のビジョンがとても重要だということです。
「組織安定性」という組織論への違和感もあります。
これも社会のあり方と深く関わっています。
というように、まあいろいろと私の世界観とはちがうところがあるわけです。

なにやら薦めているのか、くさしているのか、ややこしいですが、薦めてはいるのです。
ただ、ぜひともそうした視点も持って読んでもらえると嬉しいというだけの話です。

この先の話に興味のある方は、ぜひ本書を読んだと後で湯島に遊びに来てください。

■社員みんながやさしくなった(渡邉幸義 かんき出版 1400円)

今年最初の本の紹介は企業関係の本です。
しかも私の友人の著者ではなく、友人が企画編集した本です。
「社員みんながやさしくなった」。編集を担当した友人は藤原雅夫さんです。
書名の下に副題があります。
「障がい者が入社してくれて変わったこと」。
「入社して」ではなく「入社してくれて」というところに、本書のメッセージを感じます。
著者はアイエスエフネットグループ代表の渡邉幸義さんです。
残念ながら私は面識がありません。

この本は藤原さんがもしよかったらと持ってきてくれました。
副題に惹かれて読ませてもらいました。
とても共感できます。
いささか我田引水的に言えば、私が取り組んでいるコムケアの理念にもつながっていますし、私の企業経営観にも一致します。

著者は、「会社というのは単に働く場所ではなく、働くすべての人の生きがい、やりがいを育む場所だ」と考えています。そして、「自分がつくった会社が、社員たちの夢の実現に役立ってくれることは、何よりの喜びです」と明言します。
私の友人にも、さまざまなかたちで障がい者の働く場づくりに取り組んでいる人が少なくありません。
しかし多くの人は苦戦しています。
その最大の理由は、今の経済や社会のあり方に起因しているように思います。

著者の渡邉さんは、こう書いています。

成熟化した社会の特徴は多様化が進むことですが、その社会で人々が幸福を感じられるようにするためには、異質なものに対する偏見をなくし、ともに社会をつくるメンバーとして認め合うことが不可欠です。
それは結局、日本の昔のスタイルなのだろうと思います。長屋住まいの人々が、何か困ったことがあればおたがいに助け合って、日常的に醤油や味噌を融通しあう。子どもの面倒は長屋の大人たちみんなで見るような、そういうことではないでしょうか。

私の目指している生き方であり、コムケアの理念です。

さらにこういいます。

いまの日本は、一億総無関心化が進んでいます。無関心になった瞬間に、人とのコミュニケーションがなくなります。無関心になることは、あえて自分から人とのつながりを拒否することです。それは、人間が本来持っている隣人への愛を拒否することです。人間が社会で生きるためのベースは隣人愛だと私は思うのですが、それを拒否するのですから、やがては心が病んでしまいます。

無縁社会だとか、孤族とか、無責任な言葉を語っている人たちに読ませたいです。

こう書いてくると、これは企業経営の書ではなく、生き方論や社会論のような誤解を与えかねませんが、本書は経営書なのです。
こうした信条に基づいて企業経営に取り組んできた渡邉さんの企業は、この不況期にも元気で成長しているのです。
これからの企業経営の真髄が、そこに示唆されているように思います。

とても読みやすい本ですので、企業の人たちにもぜひ読んでほしいと思います。

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■巨大企業に勝つ5つの法則
(古庄宏臣+玉田俊平太 日本経済新聞出版社 893円)
KAEの経営道フォーラム47期の古庄さんの本が出版されました。
古庄さんに関しては、何度かこのサイトの週間報告でも紹介しています。
大企業を跳び出して、自らの志を実現すべく、知財務株式会社を設立し、新たなるイノベーションに取り組んでいる人です。

本書のテーマは、より規模の小さな会社がより規模の大きな会社を超えて、事業を発展させていくための考え方です。
実例も紹介されているので、とても説得力があります。
5つの法則はつぎの通りです。

(1)誰もが「無理だ」と言うことを実行せよ
(2)身の丈を超える目標を掲げよ
(3)劣勢を強みに変えよ
(4)変人を重視せよ
(5)サムライをリーダーにせよ

そこに通底するのは、「弱みは強みになる」という発想です。
そうした思いきった逆転の発想ができるところに、あるいはせざるをえないところにこそ、「スモールメリット」があるというのです。
スモールメリットという言葉を著者は何回か使っていますが、普通使われているスモールメリットの発想に留まらず、そこにも逆転の発想があるように感じます。
たとえば、第3の法則のなかに、「未経験者有利の法則」が出てきます。
「経験者は経験から学ぶ、未経験者は歴史から学ぶ」。だからこそ、実は未経験者ほど多くの経験(他者の経験も含めてです)から学べるはずだというのです。
企業の経営資源は内部にあるだけではないということです。
顧客も経営資源にするというのも同じ発想です。
つまり規模の大きい企業の経営資源や知的資源を超えるためには、社会全体を視野において、あるいは時間軸を長く取って発想すればいいというわけです。
とても納得できます。

本書は経営論であると同時に、個人にとっての仕事への取り組み方として読んでも示唆に富んでいます。
たとえば、こんなくだりがあります。

多くの人は学校を卒業すると社会人になるが、その多くは「社会人になる」のではなく、特定の企業の従業員になるケースが多い。(中略)学校を卒業した時点における頭の中は真っ白なキャンパスであり、色々なものを描けたはずである。しかし、企業に入社すると描くものには制約がかかる。

全く同感です。
そういう「企業人」が集まっている組織は、これからの変化の時代には残れないかもしれません。

古庄さんの人柄を示す話も144頁に出てきます。
その内容はぜひ本書を読んでください。

とても読みやすく、示唆に富んでいる実践的な本ですので、面白い仕事をしたいと思っている人にお薦めします。

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■140字でつぶやく哲学(一条真也 中経出版 505円)
世界一やさしい哲学の本が出版されました。
著者は一条真也さんです。
一条さんは「140字とはもちろんツイッターを意識していますが、じつは哲学を知るのに最適な字数だ」と言います。
本書は、その140字を基本にした、つぶやき的な対話形式をとっていますので、とてもはいりやすく、すらすらと読んでいけます。
しかも文庫本という限られた誌面にもかかわらず、古今東西の哲学者が37人、さらに世界の宗教、日本の近代思想化などが19人も登場します。
そうした人たちが、いろいろとつぶやいてくれるのです。

一条さんはもう一つの工夫を埋め込んでいます。
従来の哲学入門書とは違い、現代の実存主義からはじめるのです。
最初に登場するのはキルケゴールです。
つまり現代の哲学者から始まって古代の哲学者へと遡って行くスタイルなのです。
「現代の身近な問題から哲学に触れて、そのうち自然に根源的なテーマについて学ぶことができる」ようにしたのです。
いかにも一条さんらしいスタイルです。

つぶやいているのは、哲(テツ)さんと学(マナブ)くんです。
2人のリズミカルなつぶやきにつきあっていると、自然に哲学がまなべてしまうというわけです。
もちろん人によっては物足りないかもしれません。
しかし、哲学の大きな流れを鳥瞰することには大きな意味があります。
大きな流れの中で、さまざまな考えを相対的に捉えていくことは、世界を広げてくれるはずです。
哲(テツ)さんは、「哲学を知ることで、より人生は生きやすくなります」と本書の冒頭でつぶやいていますが、私も同感です。

気楽な本ですので、気楽にお読みください。

コモンズ書店

■「パンとペンー堺利彦と「売文社」の闘い(黒岩比佐子 講談社 2400円)
今年は堺利彦生誕140年に当たります。
堺利彦といっても、最近は知らない人が多いかもしれません。
明治大正期に日本の良心とも言うべき存在だった人たちは、いま、急速に忘れられつつあります。
かくいう私も、堺利彦に関しては、幸徳秋水とともに「平民新聞」を創刊した社会運動家とか、日本共産党の初代委員長だとかいうことくらいしか知りませんでした。
黒岩比佐子さんが、その堺利彦を、見事に蘇らせてくれた、それが本書です。

堺利彦だけではありません。
日本がどちらを向くか、まだ必ずしも定まっていなかった明治後半から大正を生きた、さまざまな人たちが、新しい表情を持って、本書には登場します。
たとえば、夏目漱石です。
堺利彦と漱石は直接会う機会はなかったようですが、堺の飼い猫の名前は「ナツメ」で、それが思わぬ事件を起こすのですが、それに対する漱石の対応は実に面白く、私の漱石観は一変しました。
黒岩さんの作品には、そうしたエピソードがいつも豊富で、それが大きな魅力の一つなのですが、本書はそうした話が潤沢にあるのです。
そのおかげで、当時の時代がイキイキと感じられます。
堺利彦と尾行刑事の話も時代を感じさせます。
私には、いまよりもずっといい時代のように感じます。 人間がいました。

黒岩さんから堺利彦を書くと聞いたときには、なぜ堺利彦なのかと思いましたが、本書を読むとそう思ったのが不思議なほど、これはもう黒岩さんの世界そのものなのです。

黒岩さんは、本書の動機として、あとがきにこう書いています。

堺利彦が幸徳秋水と共に日露戦争に反対して設立した平民社のことは、これまでに多くの歴史書が取り上げている。一方、堺が社会主義運動の「冬の時代」を耐え抜くために設立した売文社は、ほとんど無視されているに等しい。だが、私は「売文社」という語の強烈なインパクトに惹きつけられた。

本書は堺利彦の評伝として、これまでなかった側面を描き出した魅力的な、そして意義ある作品ですが、それ以上に、私には日本の歴史の岐路を描き出した、優れた歴史書であり、今の日本を生きる私たちへのメッセージの書のように感じました。

黒岩さんが興味を持った「売文社」の話が本書の中心と言ってもいいかもしれません。
木下尚江。内村鑑三、新渡戸稲造など、登場人物も豪華で面白いですが、そこを通底しているのは「売文社の闘い」です。
闘いの相手は当然、時代の流れです。
尾崎士郎は、ある作品で、堺利彦は大石内蔵助で、「売文社」という看板を掲げて討ち入りの時を待っていた、と書いたそうです。

内容を紹介しだしたらきりがありませんが、本書はこれからさまざまなところで話題になり、紹介記事がたくさん出てくるでしょう。
ともかく、見事な作品です。
ともかくみなさんにもぜひ本書を読んでもらいたいです。
厚いですが、実に面白く読みやすく、あっという間に読めてしまうはずです。

黒岩さんは、辛い闘病をしながら本書を書き上げました
どうしても書いておかなければという強い思いが、本書から伝わってくるもう一つのメッセージです。
身勝手な読者としては、黒岩さんにはもっともっと書いてほしいと思っています。

最後に、堺が獄中から妻に当てた書簡に書かれていた言葉を紹介しておきたいです。
「人を信ずれば友を得、人を疑えば敵をつくる」
黒岩さんは、これは堺利彦の生涯の信条だったのではないかと書いています。

なお、お知らせのコーナーでも案内していますが、本書の出版記念も兼ねて、黒岩さんの講演会が東京と福岡で行われます。
お時間があればぜひご参加ください。

コモンズ書店(アマゾン)で購入

■「戦略人事論」(須田敏子 日本経済新聞出版社 2010)
青山学院大学大学院教授の須田さんとはもう20年くらいのお付き合いです。
最初に出会った時は、日本能率協会の「人材教育」の編集長でした。
ところがある日、やってきて、イギリスに留学することにしたと言うのです。
男性と違って、女性の思い切りの良さは、しばしば体験していますが、その時には「なぜイギリスなのか」、私にはピンと来ていませんでした。

予想以上に長くイギリスで研究活動を続けた後、大学の先生になりました。
帰国後、続けて2冊の本(「日本型賃金制度の行方」「HRMマスターコース 人事スペシャリスト養成講座」)を出版しましたが、その後、本を書いていないなと少し気になっていました。
というのは、前著で問題提起されていた「体系的な発想」の続きがぜひ読みたかったからです。
昨今の人事管理論は、これまでの企業の枠組みの中で語られているだけで、大きな社会変化の流れのなかでは、ほとんど意味のない話ばかりだと私は思っているからです。

そんな時に、本書が送られて来ました。
私が期待していた内容の本でした。
実に多くの示唆に富んだ本です。
なによりも共感したのは、狭い経営学の世界ではなく、経済学や社会学などの成果も取り込みながら、さまざまな制度とのつながりのなかで、人事マネジメントの流れを整理し、展望している点です。

須田さんはメールで、こう書いてきました。

日本の人事の議論はあまりに狭い範囲で議論がなされているというのが、イギリスで学んできた私の意見です。
人事を考える実務家の方には、組織内外の幅広い環境、さらに意識しない領域も含めて人事をつくりだすメカニズムを考えてほしいのです。
私自身は、幅広い視野から人事をとらえるほうがずっと楽しいことですし、今後の方向性も見えてくる気がします。

私がこれまでずっと望んでいたことです。
そうした視点で考えると、いわゆる日本的経営論の意味もみえてきます。
そして、これからの展望と課題、さらには企業における人材マネジメントを通して、社会にどう関わっていけるかも見えてくるはずです。
企業の社会責任論(CSR)が話題ですが、私にとっては、人材マネジメントをどう取り組むかこそが、企業の最大のCSRなのです。
その視点が、いまの経営学には完全に抜けています。

本書の問題意識はこうです。

人材マネジメントは経営戦略の一部であると同時に、社員の生活に直結するため、企業の論理だけでは決定できない面が大きく、経営戦略面からみれば変化が必要なのになかなか実行できない。これが現在、日本企業が直面している問題だろう。
この間題を解決するための第一歩は、企業の人材マネジメントの形成・実践に影響を与える要因・圧力を包括的に知ることだと筆者は考える。

そして、戦略人事の包括的フレームワークを提案し、それに基づいて、日本における人材マネジメントの流れと現状、さらには展望を整理してくれています。
その基本軸は「同質性」と「異質性」です。

戦略人事の包括フレームワークは、同質性・異質性(あるいは収欽化・差異化)という二つの相反する圧力が企業の人材マネジメントには作用しており、両者に配慮し、バランスをとりながら自社の人材マネジメントを形成・実践していくことが重要」だというのが、須田さんの主張です。

そして、具体的な個別人事施策を材料にして、最近の人材マネジメントの動きを動態的に評価しています。
そうしたところを丁寧に読んでいくと、自らの組織に即した「競争優位をもたらす人材マネジメントの方向性」が見えてくるはずです。

須田さんは、「人材マネジメントの変化を予測するのは難しい」と認めながら、「人材流動化が進んでいる社会ほど、各企業が独自の人材マネジメント施策をとりやすくなる」と指摘しています。
まさに、「戦略人事」が必要になってきています。
グローバリゼーションの動きには敏感でなければいけませんが、ただ適合させていくのではなく、体系的な発想のなかで、自らの組織の置かれている状況をしっかり認識しながら、独自の戦略人事マネジメントのシステムを、社外も巻き込みながら抗争していくことが、企業の競争優位につながっていくのだろうと思います。

内容がとても豊富なので、その紹介は簡単にはできませんが、これからの企業のあり方を考える上でも大きな示唆が得られます。
ただ、またこの続きを読みたくなりました。

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■「ご先祖さまとのつきあい方」(一条真也 双葉新書 840円)
冠婚葬祭の世界で、新しい風を起こしている企業(サンレー)の経営者でもある一条真也さんが、とてもわかりやすい、しかし含蓄のある本を出版されました。

タイトルがややノウハウ本的なイメージを与えるかもしれませんが、本書は私たちの生き方の本質を語っている書です。
気楽に読めますので、ぜひ皆さんも読んでみてください。
ここで書かれていることのすべてに、私は共感し、それなりに自分でも実践しています。

「無縁社会」が叫ばれ、血縁が崩壊しつつある今こそ、日本社会のモラルをつくってきた「先祖を敬う」という意識が復権しなければいけません」と、一条さんは本書を送ってくれた手紙に書いていますが、それが本書を書かせた動機かもしれません。
ちなみに、本書は前に紹介した「葬式は必要!」の続編ですが、本書を読むと、「無縁社会」を変えていくために、これからもこのシリーズは続くようです。

本書はコンパクトですが、これまで一条さんがさまざまな視点から書いてきたことが、立体的に編集されてまとめられていますので、これまで一条さんの本を読んできた人には、一条ワールド(ハートフル・ソサエティ)を鳥瞰するガイドになるかもしれません。

さて本書の内容です。
「わたしたちは、先祖、そして子孫という連続性の中で生きている存在」というのが、一条さんの出発点です。
そして、「遠い過去の先祖、遠い未来の子孫、その大きな河の流れの「あいだ」を漂っている」という考えが、日本人の生き方を支えてきたというのです。
それがいま大きく壊れようとしているところに、一条さんは危機感を持っています。
この認識は私も共有しています。
余計な一言をいえば、この認識がない限り、持続可能性などという言葉は使って欲しくありません。

内容を具体的に紹介しだすときりがありませんが、たとえば「死なないための方法」などという章もあります。
不老不死の薬を求めたという、秦の始皇帝に読ませたいところです。
翁と童、つまり老人と子どもをつなぐ、沖縄の「ファーカンダ」という言葉(概念)も紹介されていますが、この当たりも今の日本の社会の仕組みを変えていくヒントがふんだんに含まれています。
宗教学者のヤン・スィンゲドーの「和」と「分」の文化の話も出てきます。
このように、本書の前半は、私たちの生き方、社会のあり方に関する深い議論が、とてもやさしい日常語で語られています。
そして後半は、それを踏まえて。先祖とくらす生活のすすめが、具体的に提案されているのです。

余計な紹介を加えれば、日本の沖縄復帰の提案もあります。
私たちは沖縄を考える時に、観光や基地などでしか考えないですが、一条さんはこれからの日本、さらには世界、人類の未来を創りだすヒントが沖縄にあると考えているようです。
まったく同感です。

最後の部分を引用しておきます。

ある意味では、本当の祖先とは過去にではなく、未来にいるのかもしれません。
先祖は子孫となり、子孫は先祖となる。これぞ、魂のエコロジーです。
大いなる生命の輪は、ぐるぐると永遠に廻ってゆくのです。
本書を読まれるあなたが、 先祖とともにくらし、本当の意味で幸せになられることを心より願っています。

ぜひお読みください。
私たちの未来のために。
なお、一条さんが書かれているコラムもぜひ読んでください。

コモンズ書店からの購入

■「賃金と社会保障」特集号:『共済の灯を消してはならない!パート3』
(2100円)
今回は雑誌の特集号の紹介です。
発行されたのは2010年7月なのですが、できれば多くの人たちにも読んでほしいという思いで、紹介させてもらうことにしました。

このサイトの週間記録にも書きましたが、今年の3月20日に共済研究会の公開シンポジウムがありました。
共済研究会の公開シンポジウムとしては3回目ですが、毎回、雑誌「賃金と社会保障」がその記録を特集として掲載してくれています。
今回のシンポジウムの特集を組んでくれたのが、「賃金と社会保障No.1518(7月下旬号)」です。

シンポジウムのテーマは、「現段階の法規制問題と問われる共済のあり方―保険業法・協同組合法・保険法と共済の課題」でしたが、昨年は賀川豊彦が神戸のスラムに身を投じてから100年目だったことから、基調講演では共済研究会の代表でもある本間照光さんが「賀川豊彦がいま問いかけるもの―共済はどうあったらよいのか」をお話されました。
本間さんの思いが強く感じられる示唆に富む講演でした。
これを読んでいただくだけでも、ぜひこの特集号の存在を多くの人に知ってほしいと思います。
ちなみに、賀川豊彦は、シュヴァイツァーやガンジーと並ぶ20世紀の三聖人の一人といわれ、ノーベル賞候補にもなった人ですが、最近ではその名前さえ知らない人が多くなってしまいました。
平和運動、貧困問題、生活共同組合運動など、さまざまな社会運動の先駆者です。

基調講演後のパネルディスカッションは賀川豊彦から離れてしまった議論になっているのが残念ですが、それでも、この分野への思いの強い相馬健次さんが「保険と共済の本質的な違い」をわかりやすく話していますし、青森の医師の森明彦さん(全国保険医団体連合)が自主共済活動に関して心に響く話をされています。
もちろん法制度の話もきちんと紹介されています。

共済というとちょっと距離を感ずるかもしれませんが、要するに「支え合いの文化」に根ざした仕組みであり、生活者の世界にはずっとあり続けた仕組みです。。
その仕組みがいま危機に瀕しているわけですが、それは私たちの社会の崩れにつながっていくのではないかと私は危惧しています。
そのことはブログなどで何回か書いたことがありますので、よかったら読んでください。

なお、このシンポジウムの1回目、2回目もそれぞれ特集号に全文収載されています。
第1回シンポジウム特集・賃金と社会保障1461号
第2回シンポジウム特集・賃金と社会保障1484号

雑誌の入手方法は、出版元の旬報社に注文してくださっても結構ですが。共済研究会の本間さんが多くの人に読んでほしいということで何部か購入していますので、もし読みたいという方がいたらご連絡ください。
本間さんから送ってもらうようにします。
価格などは相談させてください。
ぜひ周りの人にもお薦めください。

■「クラウドで会社をよくした13社」
(中村輝雄 リックテレコム 1050円)
週間記録で書きましたが、テレビでご一緒したことのある中村さんが豊富な体験をもとに最近話題のクラウド・コンピューティングについて、その効用を中心にまとめた本です。
私にはいささか難解でしたが、実際に導入した中堅・中小企業の導入事例が中心ですので、関心のある人にはわかりやすい実践の書になっているものと思われます。

本書の解説を紹介しておきます。

ITに求められているのはビジネスにおける利活用であって、その所有が目的ではありません。この当たり前のことが、これまでは満足にできていませんでした。そこに登場したのが、“クラウド”です。ITに頭を悩ませる経営者に朗報となった“クラウド”ですが、これは大企業に限定された話ではありません。むしろ、中堅・中小企業にこそ効果を発揮します。本書では、クラウドを先行活用した中堅・中小企業13社を取り上げ、その狙いと効果を明らかにします。

ITの世界の展開は私にはなかなかついていけないほどの速さですが、社会を大きく変えつつあることは間違いありません。
「クラウド」も言葉だけはかなり早い時期から知っていましたが、概念的にはともかく、ビジョンとしてなかなかまだ理解できていません。
著者の中村さんは、ご自分の体験から、クラウドを活用すると現場に活気が出てくるといっています。
ビジョンよりも具体的な実践例を学んだほうがはやいかもしれません。
そう考えている方にはとてもいいテキストになるかもしれません。
惜しむらくは、私がまだ消化不能で、適切な推薦ができないのが残念です。
関心のある方はお読みになって、また私にもフィードバックしてください。

■「もしもし、生きてていいですか?」
(篠原鋭一 ワニブックス 1300円)
自殺のない社会づくりネットワークにも参加してくださっている自殺防止ネットワーク風の理事長の篠原さんが本を出版されました。
篠原さんは、千葉県成田市にある長寿院のご住職ですが、長年、地道な活動に取り組まれてきました
昨年秋に開催した自殺のない社会づくりネットワークの立ち上げのフォーラムでは、とても示唆に富むお話をしてくださいました。
その篠原さんが、相談電話で出会った人たちの話を紹介しながら、これからの社会に向けての処方箋をまとめたのが本書です。

篠原さんのお人柄を反映してか、文章がやさしく明るいので、とても読みやすく、しかも元気をもらえます。
タイトルも、とても好感が持てます。
それになによりも、篠原さんの覚悟が感じられます。
ここまで自らを開いてコミットできる人は、そうはいないでしょう。

私は最近、「自殺」を話題にすることへの違和感を持ち出しています。
自殺防止に関する本は、私もかなり読みましたが、読むのにかなりの勇気が必要です。
私も少し書かせてもらった「自殺をくい止めろ!東尋坊の茂さん宣言」も、友人から読み出したが気分が重くなりすぎて読み進めなかったといわれました。
その点、本書は読むにつれて元気が出てきます。
だれが読んでも、きっと何かヒントを得られるでしょう。
多くの人に読んでほしい本です。

本書の紹介文に「生きることに迷い、疲れた人の心へ届けたい、救いのメッセージ」とか書かれていますが、まさにその通りの本です。
私たちの生き方を考えるヒントがたくさんあります。

ちょっと長くなりますが、「はじめに」のなかの文章を少し要約して紹介させてもらいます。
ここに、篠原さんの取り組みの原点を感ずるからです。
私の生き方にもつながっています。

人間は、ひとりで生きているわけではありません。
「自分」と「自分以外の人」とともに生きている。
そして、生きていればさまざまな苦悩と直面する時がいずれやってくるのですが、その苦悩を乗り越えたり回避したりすることは、自分ひとりのカでは難しい。
そう、自分と関わりのある人のカを借りなければ、乗り越えたり回避したりすることはできないんだ。
つまり、自分と自分以外の人がどう関わり合うか、お互いがお互いの人生をまっとうするためにどう関わるのか、それこそが人間が生まれてきた意味であり、価値になるのです。

私は禅僧として、20年近く「死」を見つめている人たちとの対話を重ねてきました。その20年を通して実感するのは、関わりというものがとても希薄な社会になってしまった、ということ。
ではどうすればいいのか。
私はよく「もっとお節介をやけばいいんじゃないですか」と言います。
現代社会では「他人のことに口を出すな」といった風潮が強く、お節介やきというのは嫌われる存在に思われがちですが、実は人と人との関わりというのは、お節介なしに成り立たないのです。

そして、篠原さんは、しばらく前までの日本はそういう社会だったというのです。

過去には苦しみも哀しみも喜びも幸福も、お互いに包み込んで共有しながら生きてきた社会というものがあったじゃないですか。
日本はまさにそんな国だった。

同感です。そしてつづけます。

本来人間が持っているはずのこういう社会性が失われてしまうと、人は孤独を通り越して孤立してしまうのです。
そしていつしか 「死」を身近に引き寄せてしまう。

問題は「自殺」ではありません。
孤立が広がってしまった社会そのものなのです。
それを変えていくのは難しい話ではありません。
まずは自らの生き方を変えていくことです。
誰かを変えるのではなく、まず自らが変わる。
そこからすべては始まります

お薦めの1冊です。

コモンズ書店から購入

■「社史で読む長崎原爆」
(同編集委員会 630円)
週間記録に書きましたが、長崎市民たちが昨年編集委員会をつくり、長崎で原爆被害を受けた会社のうち社史を刊行している17社の社史から、原爆の記事を中心に太平洋戦争のはじめから、敗戦直後までの記事を編集し、コメントをつけた本です。

社史にはその会社の姿勢が現れてきますが、同時にその時代の空気も感じられます。
社史に掲載された社員たちの体験記も、とても生き生きしています。
当時の人たちが、どのような価値観を持っていたかも伝わってきます。
また、あれほどの惨事でありながら、被爆日も含めて、それ以後も社会の秩序がしっかりと維持されていることにも驚かされます。
わずか100ページ程度の本ですが、たくさんの示唆と元気をもらえます。

報告書的なスタイルですので、最初は入りにくいかもしれませんが、体験者の手記もあり、生々しい情景に、ついつい引きずり込まれてしまいます。
忘れられがちな長崎原爆の体験を。ぜひ多くの人たちにもう一度、思い起こしてほしいと思います。

週間記録にも書きましたが、
私が一番か考えさせられたのは、あれほどの惨事でありながら、被爆日も含めて、それ以後も社会の秩序がしっかりと維持されていることです。
言い悪いはともかくとして、しっかりした社会があったのです。
しかも、そこでは各人がしっかりと「自立」し、「主体的」に動いているのです。
今の日本では果たしてどうでしょうか。
最近、社会が壊れだしていると思っている私としては、いささか複雑な気持ちです。

編集委員会代表の森草一郎さんは、長崎路上観察学会・アルキメデスの会長でもあります。
そのブログやサイトもありますので、よかったら訪ねてみてください。

「社史で読む長崎原爆」編集委員会に連絡すると購入できます。
送料を含めて1000円程度だと思います。
詳しくは次のサイトをご覧ください。
http://arukime.blog118.fc2.com/blog-entry-139.html
編集員会のアドレスは
smoori@aqr.bbiq.jp

■古書の森 逍遥
(黒岩比佐子 工作舎 3200円)
古書を古読せず、雑書を雑読せず。
これは、明治・大正の実業家で社会事業・公共事業に取り組んだ金原明善の言葉だそうです。
黒岩比佐子さんの古書コレクションの展示会で知りました。
黒岩さんの世界が、急に見えてきたような気がしました。

本書は、黒岩さんのブログ「古書の森日記」をベースに、編集しなおした本です。
手にとってみると、本好きの黒岩さんならではの本だと実感できます。
取り上げられた本は220冊。時代順に並べられていますが、小見出しを読んでいるだけでも時代の流れが見えてくるような気がします。
学者とは違ったところに視点を当てたいと黒岩さんは常々語っていますが、まさにその黒岩さんの視点が感じられます。
同時に、黒岩さんの世界がどう広がってきたかも読み取れます。
いいかえれば、本を読むことが世界をどう広げていくかという、「楽しい読書の勧め」のようなメッセージも伝わってきます。
ともかく血の通った、思いのこもった本です。

章ごとに、「古書展めぐり」というコラム(これもブログからのライブな記事です)がついていますが、これを通読するだけでも実に面白いです。
ちょっとマニアックな古書ファンの世界を身近に感じられます。
そこを先ず読んでから、本文はゆっくりした時間の流れに任せて読むと、多分とても豊かな時間を過ごせるでしょう。

選ばれた本のほとんどは、私には聞いたこともなかったものです。
にもかかわらず、いずれも面白く読めるのは、黒岩さんの世界が通底しているからです。
取り上げている本は実にさまざまで、雑誌もあれば、辞書もあります。
そうしたものを通して黒岩さんが見ている当時の社会への目がまた実に面白いのです。
黒岩さんが、どれほど本を愛し、明治大正を愛しているかが伝わってきます。
巻頭には取り上げられた本のカラフルなグラフィティがあります。
私にとっても、とても懐かしさを感じます。
昨今の雑誌などのカラフルさとはまったくといっていいほど異質です。

本書の帯にこう書いてあります。
サントリー学芸賞受賞のノンフィクション作家が、古書展通いで出会った魅力的な雑書たち。
その雑書を「雑読せず」に、心底「愛読」した黒岩さんの幸せを、少し共有できる、素敵な本です。

読まなくても、そばに置いておくだけでも幸せが伝わってくるような本です。
本が好きな人には絶対にお薦めです。

本の文化は、やはり守らなくてはいけません。
たぶん古書展にいったら、私も人生を変えてしまうような気がします。
ですから、私は行きませんが。

コモンズ書店からも購入できます。

■「エクセレントNPO」とは何か(非営利組織評価基準検討会 言論NPO)
とても良い本です。
本書は、非営利組織評価基準検討会の2年間にわたるNPO評価基準の検討の活動から生まれたものであり、参加したみなさんそれぞれの思いが感じられます。
中心は、現場としっかりとつながった活動をしている5つのNPOの代表や事務局長による座談会です。
そこで、「なぜいま市民社会なのか」「新しい公共」「エクセレントNPO」が熱く語られています。
さまざまな視座と視点で語られていますので、たくさんの示唆がもらえます。
なによりもいいのは、全体がしっかりした問題意識で貫かれていることです。
冒頭の「はじめに」で言論NPO代表の工藤さんが全体の展望を、また続く最初の章で検討会主査の田中弥生さんが「エクセレントNPO」についての考えを明確に書いています。
いずれにも時代の現場を見据えてのしっかりした問題意識が感じられます。
これからの社会のあり方に関心のある人にはお薦めの本です。

と言ってから、かなり批判的なことを書きます。
繰り返しますが、とてもいい本だからこそ、多くの人に問題意識を持って読んでほしいからです。

田中さんからは、この活動を始める前にその思いをお聞きしています。
その思いには共感するところがとてもありました。
ただ私とはかなり違う世界の活動なのだと何となく感じていました。
どこが違うか、本書のタイトルを見て、それに気づきました。
たかがタイトルではありますが、もしかしたらそこに大きな意味があるのかもしれません。

本書の書名は「「エクセレントNPO」とは何か」、副題が「強い市民社会への「良循環」をつくりだす」です。
特に最初に抵抗を感じたのは「強い市民社会」という言葉です。
私なら「やさしい」とか「生きやすい」という言葉を選びます。
私が会社を辞める契機になったのは、CI活動です。
その目標が「やさしい働きやすい会社」でした。
ところが社長が代わって、「強い会社」を求められました。
これが、私が会社を辞めたたくさんの理由のなかの一つです。
「強い」という言葉は、私の世界の言葉ではありません。
CIプロジェクトでは私の編集で活動ニュースを毎月発行していましたが、最終号のタイトルはたしか「やさしい東レから強い東レへ」でした。
これは私の東レへの決別のメッセージでもあったのです。

「エクセレント」もまた私の世界の言葉ではありません。
その言葉に否定的になったのは会社を辞めてさまざまな現場に関わりだしてからです。
第三者が目線高く評価する姿勢を感じてしまったのです。
まあこういう言い方をすると田中さんに怒られそうです。
田中さんは本書で「エクセレントNPO」について丁寧に定義しています。
それに異論があるわけではありません。
工藤さんの「はじめに」を読むと、NPOの評価基準として「社会変革」「市民性」「経営の安定性」を重視しているようです。
それにも異論はありません。
ただ問題は、それぞれの意味合いです。
言葉には異論は挟めませんが、大切なのは言葉の含意する方向性です。

強い市民社会についても工藤さんは「有権者が自ら当事者意識を持ってこの国の未来のために政治を選び、政策を判断する。そういう政治と有権者との間に緊張感のある社会」と定義しています。
ここでも「政治と有権者との間に緊張感」という捉え方に違和感を拭えません。

政治や社会の捉え方が違うのかもしれません。
それが違和感の原因だったような気がします。

しつこく繰り返せば本書はいい本です。
ですからもしできれば、私の違和感も少しだけ頭においていただいて読んでもらえるとうれしいです。
600円ですので、珈琲1杯分で購入できます。
読み応えはかなりありますが、座談会が中心なので読みやすいです。
企業の人にもぜひ読んでほしい本です。

コモンズ書店

■「世界でいちばん会社が嫌いな日本人」
(斎藤智文 日本経済新聞出版部 1600円)
衝撃的なタイトルです。
私が企業に勤め出した頃(昭和39年)には「世界でいちばん会社が好きな日本人」と言われていたのに、
今ではこの書名が奇妙に納得できる状況になっているのです。
斎藤さんは長年日本能率協会で活躍してきた人事問題の専門家ですので、
その変遷をしっかりと現場を通して体験してきています。
それに斎藤さんは、まえにこのコーナーでも紹介した「働きがいのある会社」の著者でもあり、
Grate Place to Work プロジェクトを日本に紹介したのも斎藤さんです。
斎藤さんには、「従業員の視点」で、企業の実態がよく見えているのです。

斎藤さんとの最初の出会いは、私がまだ東レにいた頃ですが、
数年前にある委員会で偶然に隣り合わせになり、またお付き合いが始まりました。
お会いしていなかった20年の間、私は企業からどんどん外れてしまいましたが、
斎藤さんは国内外のたくさんの企業と接点を持ちながら、専門家としての知見を磨いてきています。
その豊富な知見とGrate Place to Work プロジェクトでのしっかりした視座で書かれたのが本書なのですが、
そのタイトルが「世界でいちばん会社が嫌いな日本人」だったことに私は大きなショックを感じました。
私も、企業の外縁から何となく感じていたことだったからです。

しかし本書は、そうした事実を批判的に書き上げたものではありません。
それとは逆に、だからこそみんなが好きになる会社にしようと斎藤さんは思っています。
そもそも斎藤さんが長年勤めていた組織を離れて、組織と働きがい研究所を設立したのは、
「働きがいのある会社」を増やしていきたい思いからなのです。
どうしたら「働きがいのある会社」になるかの処方箋を斎藤さんはもっています。
だから最近の企業の状況は、斎藤さんには残念でならないのでしょう。
その思いが、本書のタイトルに感じられます。

豊富な取材調査結果を踏まえて、本書の第2部では、世界の「働きがいのある会社」に共通する文化が挙げられています。
これは「働く人が幸せを感じる職場をつくる12の特効薬」と言ってもいいでしょう。
とても実践的で人間が感じられる特効薬です。

私が一番印象的だったのは、斎藤さんがSASを訪問した時の話です。
ちょっと長くなりますが、引用させてもらいます。
このエピソードを本書のはじめに紹介しているところに、斎藤さんの企業観を見る思いがするのです。

人事部の担当役員が、我々に珍しい質問をした。
それは、「皆さんがお酒を飲みにいく時、何を基準に店を選びますか?」というものだった。
突飛な質問に思ったが、一緒に訪問したメンバーの中に「会いたい人がいる店かなあ」と答えた人がいる。
人事部の担当役員は「その通りです。やはり、会いたい人がいる場所が一番でしょう。会社も同じです。たとえば営業の担当者が頻繁に代わってしまうと、顧客は嬉しくありません。親しい人がいないと会いにいこうはと思ってくれません。信頼できる営業の担当者がいてこそ、良好な関係が維持できるのです」と言った。

いうまでもないですが、同僚や上司に会いたい人がいれば幸せです。
反対な場合は、会社が嫌いになるかもしれません。

12の特効薬を参考までに書いておきますが、それぞれに具体的な実例をあげながら、実践的なアドバイスが書かれています。
みなさんの会社(職場)はいかがでしょうか。いくつ当てはまりますか。
 1 価値観を共有できる人を採用する
 2 ワークライフバランスを徹底している
 3 ダイレクトな対話がある
 4 FUNを追求している
 5 ユニークさと元気がある
 6 認め、感謝し、称える
 7 家族のような温かさがある
 8 明快な哲学が浸透している
 9 つねに他者に学んでいる
 10 強い愛着心がある
 11 多様さを歓迎する
 12 たゆまない向上心がある

楽しく働きたいと思っている方はぜひお読みください。
とても読みやすいです。

コモンズ書店

■「葬式は必要!」
(一条真也 双葉新書 740円)
■「最期のセレモニー」(一条真也 PHP研究所 1200円)
4月のオープンサロンでも「葬式は必要か」と言うような議論がありましたが、最近、あまり「葬式」をしない人が増えてきたという発言がありました。
しかしよく聞いてみると、葬式のスタイルの問題であって、葬式そのものを否定しているのではないようです。

一条さんはこの本の中で、
「人間とはホモ・フューネラル、即ち、葬式をするヒトなのです」
と書いていますが、私もそう思います。
葬式をしないことなど私には考えられません。
ただ最近の葬儀には違和感がないわけではありません。

一条さんは冠婚葬祭の会社の社長ですが、社長になる前から「葬儀」のテーマに取り組んでいました。
1992年に「魂をデザインする 葬儀とは何か」という対談集を出しています。
その対談のなかで、とても示唆に富むメッセージをたくさん出しています。
私が葬儀に関心を持った契機になった1冊です。
ご関心のある方はぜひお読みください。
葬儀は不要などというバカな発言はしなくなるでしょう。

とても共感できる言葉を引用させてもらいます。

葬儀とは、人間の死に「かたち」を与えて、あの世への旅立ちをスムーズに行うこと。
そして、愛する者を失い、不安に揺れ動く遺族の心に「かたち」を与えて、
動揺を押さえ、悲しみを癒すこと。

妻を見送った者として、後半の2行にとても共感します。
しかし残念ながら私の場合は、葬儀に関する準備が少し不足していたため、いささかの悔いが残っています。
そうならないように、本書をしっかりよまれることをお薦めします。
一条さんが書いているように、死を「不幸」と考えることもやめたほうがいいでしょう。
誰も迎える「死」が不幸であるなら、生には本当の喜びは生まれません。
明るく読める本ですので、ぜひ若い人も含めて読んで欲しい本です。

一条さんには「最期のセレモニー」と言う本もあります。
昨年出版されましたが。私が読めずにいた本です。
「葬式は必要!」と言う本を読んだおかげで、今回、ようやく読むことができました。
「メモリアルスタッフが見た感動の実話集」という副題がついているように、「おくりびと」たちからの「愛」の報告です。
本書の帯には「人生の最期は、こんなにも愛であふれている」と書かれていますが、愛と死は切り離せないのかもしれません。
本書は読むのはそれなりに勇気がいりますが、元気ももらえます。

なお一条さんはこの分野の本を何冊も書いています。
「また会えるから」というフォトブックも現代書林から出していますし、DVDも出しています。
一条さんのホームページにいろいろと紹介されていますので、ご関心のある方はアクセスしてください。

コモンズ書店

■「自殺をくい止めろ!東尋坊の茂さん宣言」
(茂幸雄 三省堂 1600円)
福井の東尋坊で自殺防止活動に取り組んでいる茂さんの3冊目の本です。
茂さんのことは、このサイトにもよく出てきますが、もうお付き合いが始まってから6年ほどでしょうか。
いくつかの偶然が重なって、その活動をささやかに応援するようになりました。
昨年は茂さんと一緒に「自殺のない社会づくりネットワーク・ささえあい」も立ち上げましたが、
本書ではそうした活動にも言及しています。
私も、コムケア活動の視点から一文を寄稿させてもらいましたし、
また昨年10月24日に開催した集まりの記録も掲載させてもらいました。

茂さんの活動は、最近いささか過剰すぎるほどにテレビで報道されていますが、
テレビなどの報道はワンパターンで、茂さんの本当の思いはなかなか伝わっていないのではないかという気がします。
本書には、そうした茂さんの本音の思いや活動の実態が書かれています。
また自殺を考えたことのある人や自死遺族の人のメッセージから、
私たちが見失っていることや取り組まなければいけないことにも気づかされます。
「自殺」と言うと、何か特別の問題と考えがちですが、そんなことはありません。
そこには私たちの生き方を問い正す強いメッセージが含まれているのです。

よかったらお読みください。
そしてもし共感していただけるところがあれば、
「自殺のない社会づくりネットワーク」や「コムケア・ネットワーク」にご参加ください。
いずれも、会費などは一切ない、メーリングリストだけのゆるやかな支え合いのつながりです。
ご希望の方は私にメールいただければと思います。

本書の目次は次の通りですが、第8章に茂さんの「怒り」を込めた思いが出ています。
茂さんの怒りを、一つだけ紹介しておきます。

(自殺が多発しているにもかかわらず)何の対策も講じず、
何の保護の手も差し伸べずに放置しておく行為は殺人罪にも匹敵する重要な犯罪行為となり、
法律違反になる虞があると思います。
(152頁)

私は、そうした茂さんの怒りにほだされてしまっているのです。

第1章 東尋坊の水際の現場から
第2章 東尋坊で巡りあった人たち
[1]多重債務からの脱出
[2]パワー・ハラスメントからの脱出
[3]生活苦からの脱出
[4]家庭崩壊からの脱出
第3章 自殺ってなに?
第4章 どうしたら良いの?
第5章 自殺を考えた体験者との「語る会」の開催報告
第6章 自殺多発場所での活動者サミット報告記 
第7章 シェルター・ネットワークの構築 
第8章 自殺防止活動が、いまだに理解されないのは何故? 

コモンズ書店

■韓国の経済発展と在日韓国企業人の役割(永野慎一郎編 岩波書店 3400円)
共済研究会の佐々木さんが、日韓の橋渡しに関わる活動をされていることはそれとなくお聞きしていました。
今年のはじめにも大東文化大学でのシンポジウムのご案内もいただいていましたが、気になりながら参加できませんでした。
その佐々木さんからいただいたのが本書です。

佐々木さんも執筆に参加されていますが、実践的研究者の立場で、本書の原稿段階で通読されていろいろとご意見を出されたということが、編者のあとがきに書かれていました。
佐々木さんのあたたかな、しかし厳しい企業を見る目が全編に行き渡っているという関心から私も読ませてもらいました。

本書の表紙扉の解説文も、私の読む気を起こさせた理由です。

異郷で差別・偏見と闘いながら、人一倍努力し、チャンスをつかんで成功した一群の在日韓国企業人たちがいる。彼らは、やがて、当時貧困の中にあった祖国・韓国の経済発展に、様々な形で寄与していく。アイディア、技術、資金の提供、金融再生など。それは今日の韓国経済の礎ともなったが、実態はほとんど知られていない。本書は、この知られざる日韓戦後関係史を、日本・韓国・在日の研究者が共同研究したものである。

どうですか、ちょっと興味をそそられるでしょう。
終章では、在日コリアン社会の課題と展望まで語られています。

私が一番面白かったのは、神韓銀行の話です。
神韓銀行は、1982年に在日企業家たちによって設立された、韓国初の純粋民間銀行です。
その設立には、在日韓国企業人たちの深い思いが込められていました。
そしてその銀行が、24年後の2006年に、銀行韓国の金融を主導してきた歴史ある名門の朝興銀行を吸収統合したのです。

読み出す前には、かなりハードルが高く、佐々木さんが関わっていなければ読まないだろうなと思っていたのですが、読み出したらとても面白く、感動的なのです。
専門書ではありますが、経済を通した生々しい日韓関係史であり、また国家とは何か、経済とは何かを考えさせられる刺激的な本です。
多くの在日韓国企業人の紹介もあります。
そうしたそれぞれの紹介記事からも、その苦労と情熱と志を知ることができます。
軽い気持ちで読める本ではありませんが、読書をしなくなった日本の企業人たちにも読んでほしい本です。

コモンズ書店

■環境コミュニケーション(清水正道 同友館 2400円)
先週の週間報告で紹介した清水正道さんの最新作です。
清水さんの思いが込められた意欲作ですが、
同時にこれは清水さんのこれからのコミュニケーション論研究の出発点になるのではないかと、私は勝手に期待しています。
副題は「2050年に向けた企業のサステナコム戦略」。
新しい視点があります。

清水さんは、環境経営から始まった環境コミュニケーション活動が、従来の企業コミュニケーション論を大きく広げていくだろうと展望しています。
本書の解説の文章がそのことを上手く説明しています。

持続可能な社会形成に向けた企業の取組が「待ったなし」の状況を迎える中で、
情報開示を含む統合的コミュニケーション活動へと発展しつつある環境コミュニケーション活動を時間軸と空間軸とでとらえ直し、
その活動の枠組みを検討し、メディア活用やマネジメント手法を提示する。
さらに今後に向けて、企業を主体とするサステナビリティ・コミュニケーション(サステナコム)の戦略的意義を説く。

ブログにも書いたように、私が共感を持ったのは、本書が単なる広報論ではなく企業論を展開していることです。
あるいは企業と社会との関係論をテーマにしていることです。
まだその入り口の議論にとどまっているという気もしますが、新しい議論の地平に向けての問題提起はさまざまなところに感じられます。

惜しむらくは、終章の「環境サステナコムとしてのコミュニケーション戦略」をもう少し掘り下げてほしかったことです。
「螺旋収束モデルからシステム間コミュニケーションへ」、そして「システム間コミュニケーションの相互作用」と、ちょっと期待させる節があるのですが、中途半端には書けないと思ったのか、あるいは書き疲れたのか、清水さんは軽く書き上げてしまっています。
しかし欲張ってはいけません。
ここは、清水さんの次作を待ちましょう。

目次は次の通りですが、第5章は今回はちょっと詳しい予告編と受け止めました。
きっと清水さんもそう考えているでしょう。
本書の議論がこれからどう「進化」していくか、とても楽しみです。
その期待も含めて、企業の情報参謀や経営参謀をはじめ、企業のあり方に関心を持っている人たちにお勧めします。
一度、清水さんを囲んでの気楽な環境コミュニケーション談義をする場を湯島で企画したいと思いますので、関心のある方はご連絡ください。

序章 変容する社会経済と環境コミュニケーション
第1章 環境コミュニケーションの構図
第2章 企業の社会的コミュニケーションの現状と課題
第3章 環境報告の現状と課題
第4章 環境コミュニケーションの枠組み
第5章 環境サステナコムとしてのコミュニケーション戦略

コモンズ書店で購入

■古代ローマのヒューマニズム(小林雅夫 原書房 2010)
早稲田大学の小林教授が、これまで書いてきたヒューマニズムの論文をまとめあげました。
本の帯に「ライフワークを集大成した名著」とありますが、まさに期待にたがわぬ内容の本です。
これまでも小林さんから贈っていただいた書籍や論文で、その一部は読ませてもらっていますが、
集大成とあるだけにさまざまな話題が取り上げられています。

小林さんと出会ったのは、私が事務局長をしていたパウサニアス・ジャパンの活動のときです。
小林さんの教え子を会のパトロネージでギリシアに行ってもらったのが縁だったと思います。
その会でやっていたサロンにも来ていただきお話をお聞きしましたが、
私と同い年だったこともあり、またそのお人柄が実に人間的で魅力的だったこともあり、お付き合いが始まりました。
しかし数年前にご病気をされ、その後遺症が残ってしまったのですが、その後も小林さんらしいリズムで活動を展開されています。

本書の紹介文には、次のようにあります。

「人間らしい人間」の追求――多くの碑文資料の分析と、ローマの教師や医師の実態を労働観・死生観・人生観の検討から、古代ローマ世界に成立したヒューマニズムの起源を明らかにする。

人間らしい人間といえば、まさに小林さんです。
その小林さんから以前、ローマのヒューマニズムのお話を聴き、もう少し詳しく知りたいといっていたら、送ってきてくださったのが「古代ローマの人々」でした。

小林さんが広義のテキストとしてつくったものですが、興味ある内容でした。
生々しいヒューマニズム論と合わせてリベラルアーツ論も語られていますが、当然ながらそれらは深くつながっています。
小林さんの本の面白さは、ご自分の人間性に立脚した人間の生活が基本にあるので、とてもライブなのです。

その本の紹介の時に、「残念ながら授業のテキストという制約は免れません。これを踏まえて、分量を気にせずに、小林さんの主観を思い切りいれた本をぜひまとめてもらいたい」と書いたのですが、本書がまさにその本です。

本書のもう一つの特徴は、紹介文に「多くの碑文資料の分析」とあるように、膨大な碑文資料から当時の生活に浸っていることからくるリアリティです。
第1部ではヒューマニズムの歴史とリベラルアーツが語られ、つづいて第2部でローマの医師と教師について詳しく語られます。
なぜ「医師と教師」なのかということに、実は古代ローマ社会の実相が見えてきます。
小林さんによれば、古代ローマでは医師と教師はしばしばひとくくりでされて言及されていたそうです。
その共通点は、ほとんどがギリシア人であり、しかも低い社会階層の出身者だったそうです。
社会にとって、医師と教師は重要な役割を示す職業にもかかわらず、なぜそうだったのか。そこに面白さがあります。

第2部の中にギリシア人医師アスクレピアデスの話が出てきます。
ローマで成功した医師ですが、彼はなぜ成功したか、それはヘレニズムではなくローマを生きたからです。
これではわけがわからないでしょうが、そんな具体的な話から、古代ローマのヒューマニズムが、そしてヘレニズムではなくローマングレコが歴史を主導していくことになる理由までもが垣間見える気がします。

たまには、非日常的な、こういう本を読むのもまた楽しいものです。

コモンズ書店

■ケアプランを自分でたてるということ(島村八重子+橋本典之 CLC 1500円)
コムケア仲間の全国マイケアプラン・ネットワークの島村さんと橋本さんが本を書きました。
全国マイケアプラン・ネットワークは、
介護保険を利用するためのケアプランを自分で立てている人たちのやわらかなネットワーク組織です。
といっても、ただ単にケアプランをつくるだけではありません。
同時に、介護とは何か、ケアプランとは何か、をやわらかく考えている人たちの輪なのです。
本書には6人の体験が出てきますが、みんな全国マイケアプラン・ネットワークの仲間です。
その6人の話を聴いて歩く役割を果たしたのが、そのグループで最も若い橋本さんです。
若いって何歳くらいだと思いますか?
30歳の、しかも男性なのです。
介護の現実は、次の次の社会を担う若者にどう映るのか。

全国マイケアプラン・ネットワークの代表でもある島村さんが、本書の最後の「おわりに」に書いている文章に感激しました。
少し長いですが、引用します。

介護をしている人が、世間体を気にすることがよくあります。(中略)
私はそうした世間の目はまったく気になりませんでしたが、ただ一つだけ、常に気にしていた“目”がありました。
それは、子どもたちの目です。
親の生き方を後ろから見ている子どもの目。
もっと広くいうと、次の世代の目がとても気になったのです。
介護という壁をよじ登ろうとしたり、跳ね返されたり、大人は必死にもがいていますが、その姿を次の世代が確実に見ていて、そこから何かを感じ取っているはずです。

どうですか、
私は涙が出そうになるほど、感激しました。
こういう思いが大人たちにもう少しあれば、社会は今のようにはならなかったはずです。
この文章にもし共感してくださったら、ぜひ本書を読んでください。
必ず自らの生き方を考えるヒントが得られるはずです。

節回し役の橋本さんは本書の冒頭でこう書いています。

今現在、介護に直面している人、自分自身の老後をどう生きていこうかと不安な人、いずれ訪れる両親の介護をどうしようかと心配な人、介護なんてまだ関係ないと思っている若い人などなど、多くの人に手にとっていただければと思います。

私も、ぜひ多くの人に、とりわけ世間体を気にして生きている男性たちに、読んでほしいと思います。
これは「ケアプラン」の本ではなく「ライフプラン」の本なのです。

■奇跡の団地 阿佐ヶ谷住宅(大月敏雄ほか 王国社 2000円)
大月さんとは彼が大学院生の時からの長い付き合いです。
最初は友人の紹介で、新しい保育システム構想づくりの仲間になってもらいました。
その縁で、その後、いろいろと楽しいプロジェクトをご一緒させてもらいました。
元気工場型住まい研究会でも話をしてもらいましたが、とても好評でした。
仕事でも美野里町の都市計画マスタープランづくりでご一緒しました。
私が一番好きなのは、大月さんの目線と時間感覚です。

大月さんはいま東大大学院の准教授ですが、さまざまな現場に関わっています。
特に彼がこだわっていたのが、同潤会アパートでした。
そこでの住まい方に関心を持っていたのです。
日本の建築家は、建物に興味を持ちますが、そこで営まれる人の住まい方にはあまり目を向けていないように思います。
空間設計ではなく、枠組み設計が多いような気がします。
私が有名人の建築設計が好きになれないのはそのためです。
しかし大月さんは違います。
その大月さんが仲間と一緒にまとめたのが本書です。

阿佐ヶ谷住宅は、杉並区にある昭和33年竣工の日本住宅公団の分譲型集合住宅です。
その特徴は、中層住宅に並んでつくられた2階建てテラスハウスタイプのほうが多い構成になっていたことです。
テラスハウスは和製英語ですが、当時は私のような子どもでさえ、憧れを感じたスタイルでした。
さらに、緑が重視された空間設計で、ある本によれば、その緑の空間は「個人のものでもない、かといってパブリックな場所でもない、コモン」と位置づけられています。
そこには当時注目されていた田園都市のイメージが重ねられていたわけです。

その阿佐ヶ谷住宅も、住居は消費財と考える日本の住宅観には抗しがたく、昨年、建て替え計画が決定したのだそうです。
そうやって私たちは都市を壊してきているわけですが、大月さんたちはそうした動きへの鋭い視点を据えながら、愛情を込めて阿佐ヶ谷住宅の意味と変遷の物語を語ってくれています。
ともかく面白いです。
日本の住宅史というよりも、都会での暮らしの歴史を通して、日本社会がどう変遷してきたかを実感できます。
だが面白いだけではありません。
そこから著者たちが発しているのは、未来に向けての、あるいは今を生きる私たちの生き方へのメッセージです。

時間のない人は、ぜひ本書の大月さんのあとがきだけでも読んでください。
その時間もない人のために、そこで語られているメッセージを一つだけ紹介しておきます。ちょっと長いですが。

そもそも、近代的都市計画は「場違いなまち」をつくってしまわないための技術であったはずだ。
(中略)
昭和30年代前半の団地設計で、彼ら(設計者)の筆を引っ張っていたのは、「経済原理」ではなく「素直な都市計画」という原理だったに違いない。その事態とは打って変わって、今では設計者が持つ筆に、経済至上主義の世界からの一本の強力な糸が結びついていて、知らず知らず計画上の線がそっちの世界に引きずられてしまっているような気がする。
(中略)
(日本の今の建築設計の現状は)「場違いなまち」をつくらないように、との思いで線を引いてきた頃とは隔世の感がある。
(中略)「経済至上主義の世界からの一本の強力な糸」が今や、公共の政策になっている現実を嘆いているのであり、そこにしか、居住空間の再編を頼るすべがない日本国民の危うさを嘆いているのである。

ともかく多くの人に読んでほしい本です。
自らの生き方、住まい方と重ねながら。

■香を楽しむ
(一条真也 現代書林 1300円)
一条真也さんの「日本人の癒し」シリーズ第4弾です。
相変わらずの健筆にただただ驚くばかりですが、このシリーズを私はとても楽しみにしています。
一条さんの生活から出てくる文化論、生活論が感じられるからです。

今回は香りですが、香りへの関心の高まりの背景には、合理主義一辺倒の近代主義への反省や「見えない世界」への志向がある、などと書かれると、ますます読みたくなってしまいます。
今回もまた「香り」を切り口に一条さんの文化論が縦横に語られるのですが、今回は2つのことを私は特に教えてもらいました。

まず「香道」です。
「茶席」に相当する「香席」というのがあって、そこでは「組香」という遊びがあるのだそうです。
その最高傑作は「源氏香」と言われるもので、5つの香の組み合わせを当てるものだそうです。
その組み合わせ数は52.それが源氏物語54帖の内の52に対応していると言います。
香の種類は、辛、甘、酸、しおからい、苦の5つだそうですが、そもそもこれすら私にはよく分かりません。
これが創られたのは江戸時代だそうですが、江戸文化の深さを改めて思い知らされます。
日本人の香りの文化のすごさを感じました。

ところで、「香道」の「香り」のもとになる香木は全て日本産ではなく、アジア各地のもので、日本には香木がないそうですが、これも実に興味深い話です。
日本は、おそらく香りという面ではおとなしい風土なのでしょうが、そこでなぜ香道が広がったのか、興味が尽きません。

「プルースト現象」というのも教えてもらいました。
臭覚によって過去の記憶が呼び覚まされる心理現象をいうらしいですが、これはマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」の書き出しに由来するのだそうです。
たしかに香りが昔の記憶を思い出させることはよくあります。
子どもの頃の世界の匂いがすると何やらとても懐かしく幸せな気分になることは、私のような歳になってもあることです。

ほかにも興味ある話が出てきます。
「香木は龍の肌」という信仰があったのではないかという仮説は、いかにも一条さんらしいですし、西洋の香水と東洋の香を重ねた「香水香」と言うのがあることも知りました。
後半には、香産業の経営者との対談も掲載されています。
小冊子ではありますが、このシリーズはいつもわくわくしながら読ませてもらえます。
正月のゆったりした気分の中で、お読みなると、最近の私たちの生き方のおかしさに気づくかもしれません。

■介護認定(小竹雅子・水下明美 岩波ブックレット 500円)
市民福祉情報オフィス・ハスカップ代表の小竹さんの精力的な活動にはいつも感心しています。
コムケアで知り合ったのですが、そのシャープな視点と行動力は会ったとたんに伝わってきました。
私自身あまり接点はないのですが、なにかわからないことはあればお聞きすると応えてくれるという、私にとってはとてもありがたい存在になっています。

その小竹さんが、5月に発行した『介護情報Q&A第2版』の追加情報として、まとめたのがこの岩波フックレットN0.770『介護認定』です。

小竹さんのお手紙から引用させてもらいます。

介護認定は3年ことに厚生労働省令で見直しが行われていますが、(中略)10月から再び見直された介護認定がはじまっています。
市民福祉情報オフィス・ハスカッフでは、多<の人たらに十分な情報が提供されないまま実施されようとしている見直しに危機感を抱さ、国会集会などを開催してきました。
そのなかで、複雑な介護認定のしくみにはわからないことが多いと考え、新たにフックレットをまとめました。
(中略)
本書か多くの人が介護認定のし<みを理解する一助になり、次期見直しの課題を考えるさっかけになることを願っています。

なお、小竹さん経由で注文すると、著者割引(2割引、消費税別。30冊以上は送料無料)で購入できます。
こ希望の方は小竹さんにご連絡ください。
市民福祉情報オフィス・ハスカッフ 小竹雅子
FAX.03−3303−4739 Mail:toffice@haskap.net

■足利まちおこし事件簿(中島粂雄 下野新聞社 1300円)
地域振興アドバイザーで一度ご一緒したことのある中島粂雄さんから本が送られてきました。
中島さんは地域振興アドバイザーとして全国を飛び回りながら、地元の足利市の商工会議所の専務理事として、足利市のまちおこしに取り組み、見事な成果を次々に上げてこられた方です。
私も一度、お誘いを受けたのですが、時間がなくて参加できずお役に立たないまま、もう10年以上のご無沙汰をしてしまっています。

中島さんは、実は小学生の頃からのシャーロキアンです。
私はシャーロキアンではありませんが、やはり小学生の頃からシャーロック・ホームズの大ファンでした。
中島さんとのホームズ論議も楽しい思い出の一つです。

本書は、中島さんがど真ん中にいて体験してきた足利のまちおこしの話の集大成版です。
中島さんはすでに足利のまちづくりに関しては2冊の本を出していますが、いずれも中島さんらしい面白さがありました。
久しぶりに出した本書は、副題が「シャーロック・ホームズ先生に捧ぐ」となっています。
それにもひかれるところがあります。

本書には足利銀行の話が出てきます。
ホームズの冒険談の中でも有名なのが、『赤毛組合』ですが、この事件の舞台は1890 年のロンドンの銀行です。
その頃、足利銀行も生まれたのだそうです。
そんなことにつなげながら、中島さんはこういいます。
昨今は、金融資本がギャンブルのように世界を席巻して益々巧妙な犯罪が横行している。
こんな時代にホームズ先生ならどんな解決をしてくれるのだろう。

ちなみに、足利銀行の母体は、1892年にできた「足利友愛義団」だそうです。
金融資本主義と友愛。
なにやら今の時代状況の役者がそろっています。

ほかにも、「ココ・ファーム」や「まちおこし探偵団」「花火でのまちおこし」など、中島さんが関わったまちおこし物語が語られています。
住民主役のまちおこしのヒントがたくさん含まれています。
各地でまちおこしに取り組んでいる方にはぜひお勧めしたい本です。

コモンズ書店で購入

■横浜中華街の世界(横浜商科大学編 1500円)
自在研究所の根本英明さんから本が送られてきました。
それがこの本です。
根本さんが、横浜商科大学の学生たちのキャリア開発支援に取り組んでいることは少し聴いていましたが、なんでそれがまた横浜中華街の本なのかと思ったのですが、根本さんの手紙を読んで理由がわかりました、
今年は横浜港開講150周年にあたるのだそうです。
それで横浜商科大学では、「中華街まちなかキャンパス」という公開講座を企画したのだそうです。
そして、中華街が生まれ故郷だった根本さんが、そのコーディネーターを引き受けたのです。
公開講座への受講希望者は定員を大きく上回り、参加できなかった人が少なくないようです。
それもあって、その成果をきちんと本にしようということになったのでしょう。

この種の公開講座の記録は、失礼ながらあんまり面白くないことが多いので、私も最初はあまり興味を感じなかったのですが、ぱらぱらと本をめくってみると、印象が一変しました。
本の説明にこんな文章が出ています。

「中華街の道はなんで斜め?」
「中国人はいつからこの街に来たの?」
「中華料理の店って何件あるの?」
「中華街のお客さんは年にどのくらい来ている?」
……中華街通の識者総勢12人がまちの魅力や歴史、文化を語り尽くす。
横浜中華街を愛し、この地で活躍する人たちがまちの秘密を全部教えます!

中華街通の識者総勢12人がまちの魅力や歴史、文化を語り尽くす。
たしかに講座での話し手の人選が光っています。
それでついつい一気に読む羽目になってしまいました。
各講座とも実に面白いです。

その面白い内容をここで中途半端に紹介するのはやめますが、終章に書かれていたことが印象的でしたので、それだけを紹介しておきます。

中華街は世界各国で生まれていますが、中国政府は「中華街から出よ、そして主流社会に融け込め」と呼びかけているそうです。中華街は新たにやってきた中国人の一時滞在の場ですから、そこから出られないというのは経済的に成功できていないということです。しかし日本では、逆に中華街に店を出したら成功とされているのだそうです。
日本以外の国の中華街では9割の人が中国人であるのに対して、横浜中華街は9割以上のお客さんが日本人だそうです。
この話からいろいろなことを気づかされます。

まあこんな話が、この本にはいろいろとちりばめられています。
いろんな大学で公開講座や冠講座が開かれていますが、おそらくこんな面白い講座はそうないでしょう。
根本さんのコーディネーター力に感心しました。
興味のある方はお読みください。

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■おもわずありがとうといいたくなった大津のちょっとええ話
(CHOIはなくらぶ編 筒井書房 1000円)

長いタイトルの本です。
CHOIはなくらぶは、この本を制作するために結成したグループです。
その事務局長が福井美知子さん。
大津を拠点にさまざまな活動に取り組んでいる元気な方です。
私が取り組んでいるコムケアの活動で出会いました。
軽やかにさまざまな活動をされています。

そもそもこの本ができる契機になったのが、地元大津を走っている京阪電車の駅や電車を舞台にしたギャラリー活動です。
私が知りあった時に取り組んでいた「町のオアシス」活動もすばらしい活動で、商店街の空き店舗を活用したギャラリー&サロンの活動でした。
そうした活動からさまざまな本が生まれていますが、今年は2冊の本が生まれました。
「電車と青春+初恋」(サンライズ出版)と本書です。

本書は書名は長いですが、本文はとても短い文章と写真の組み合わせです。
文章は「ありがとう話」の公募に応じてくれた作品の中から選ばれたものです。
みんな心温まる話ばかりです。
たとえば、

月に1〜2回、近所の高齢者のお宅を訪問しています。
心待ちにしてくださる方も多く、ときには部屋に上がりこみ、小一時間ほど思い出話を聴かせていただくことも。
「いつもありがとう」に私が元気をもらっています。

こんなのもあります。
子ども達には挨拶の大切さを説いてきました。
それを忠実に実行した小3の娘には、友だちがたくさん!近所のおじさん、おばさんとも仲良くなったおかげで、助けてもらえる安心感からか、薄暗くなった道を歩くのも怖くなくなりました。

この本の冒頭の作品もいろいろと考えさせられます。

4月に石坂線で運行していた「おもいでお花見号」、終始半眼で向かい側の車窓を見つめていた参加の老婦人。
「いつも目を開けていてもほんとは見えてないの。でも今日は最初から最後まで桜が見えました。ありがとう」

私もこういう本をつくりたいとずっと思っていました。
福井さん、ありがとう。

小さな本ですが、とても元気がもらえます。
ご注文はここからもできます。

■涙は世界で一番小さな海
(一条真也 三五館 1300円)
涙は「世界で一番小さな海」とは、アンデルセンの言葉だそうです。
その海は、もしかしたら「世界で一番深い海」かもしれません。
私は、2年程前に伴侶を見送りましたが、その体験から、実感としてそう思います。
その深さは、彼岸に届くほどのものです。

それはともかく、本書は、一条さんの「ハートフル」シリーズ、ハートフル・ファンタジー論です。
副題は、「『幸福』と『死』を考える、大人の童話の読み方」とされています。
取り上げられているのは、アンデルセン(「人魚姫」「マッチ売りの少女」)、メーテルリンク(「青い鳥」)、宮沢賢治(「銀河鉄道の夜」)、サン=テグジュペリ(「星の王子さま」)です。

一条さんは、この4人が深くつながっていることを示しながら、彼らが伝えてきているメッセージを読み解いていきます。
かなり明確に自分の主張も表明していますが、いささか過激に思われるところもあります。
そうした主張は、4人からのメッセージを読み解いた後のエピローグで語られているのですが、その口調はかなり強いです。
昨今の「ファンタジー」映画の俗悪さに辟易している私としては、一条さんの次のような指摘にはとても共感できます。

たしかに「指輪物語」を忠実に映画化した「ロード・オブ・ザ・リング」三部作などはアカデミー賞を独占しただけあってすばらしいクオリティの作品でした。しかし、延々とつづくスペクタクルな戦闘の場面にどうにも違和感を覚えてしまったのは、わたし一人だけでしょうか。わたしは、「なぜ、癒しと平和のイメージを与えてくれるのではなく、ファンタジー映画に戦争の場面ばかり出てくるのか?」と素朴に思ってしまうのです。

この文章に、一条さんのハートフル・ファンタジー論が要約されているようにも思います。

ハートフル・ファンタジーは、「死」の真実や「幸福」の秘密を語るもの、と一条さんは考えているのです。
幸福はわかるとして、なぜ「死」なのか。
これに関しては、次の一条さんの言葉がすべてを語っています。

私がどうしても気になったことがありました。
それは、日本では、人が亡くなったときに「不幸があった」と人々が言うことでした。
わたしたちは、みな、必ず死にます。死なない人間はいません。
いわば、わたしたちは「死」を未来として生きているわけです。
その未来が「不幸」であるということは、必ず敗北が待っている負け戦に出ていくようなものです。
(中略)
わたしは、「死」を「不幸」とは絶対に呼びたくありません。
なぜなら、そう呼んだ瞬間に将来必ず不幸になるからです。
死はけっして不幸な出来事ではありません。

そう捉えれば、死は幸福につながっていくはずです。
そして、死が愛と深くつながっていることに気づくでしょう。

本論とは違うことを紹介してしまいましたが、本書では5つのファンタジーを読み解きながら、一条さんの世界観や人生論が語られています。
それはおそらく一条さんが子どもの頃から慣れ親しんできたファンタジーの作品の影響が大きいでしょう。
自分のこととして語っていることに共感がもてます。

一条さんは、ファンタジー作品を単なる読み物とは捉えていません。
そこには、人智の真髄、宗教や哲学の真髄などの人類の普遍思想が、誰にもわかるように書かれており、社会にまだ影響されない前の子供たちが、そうした作品にさりげない触れることによって、実は人類の方向性が導き出されていると、一条さんは考えているようです。
世界中の人たちが、心を通わせ合えるのは、もしかしたらそのおかげかもしれません。
そうかんがえれば、ファンタジーこそが平和を育てているのかもしれません。

大人が、ファンタジーから学ぶことも少なくありません。
本書はそのことにも気づかせてくれます。
気楽に読めますので親子で読んで話し合ってもいいかもしれません。

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■「むすびびと」(一条真也編 三五館 952円)
一条真也さんの本の紹介が続いていますが、今週も一条真也さんが編集した本です。
書名は「むすびびと」。
といえば、いうまでもなく思い出すのは「おくりびと」。
もちろんそれを意識しての一条さんらしい造語が「むすびびと」です。
一条さん的にいえば、魂と魂を結ぶ仕事をしている、いわゆるウェディングプランナーと呼ばれる人たち、それが「むすびびと」です。

以前も書きましたが、一条真也さんは冠婚葬祭関係の会社の社長でもあります。
ですから、一条さんの周りには「むすびびと」も「おくりびと」も多く、たくさんのエピソードに取り囲まれて仕事をされているわけです。
そして、おそらく一条さんご自身も、「むすびびと」「おくりびと」を自認されているのだろうと思います。

一条さんが「むすびびと」をどう捉えているかは、次の文章でわかります。

元来は一つのものだった「魂」の片割れ同士が、ふたたび一つに結びつく瞬間を高らかに謳いあげること、すなわち「結魂」のお手伝いをするのが、本書の主人公“むすびびと”の仕事なのです。

「結魂」も一条さんの造語です。
「結魂論」という著作もあります。

本書には、そうした「結魂」にまつわる19の物語が紹介されています。
すべて事実に基づくものです。
そして、そこには「むすびびと」たちの悩み、不安、喜び、感動がありますが、いずれも読み終えた時に、何かとてもあったかな幸せを感じます。

19のエピソードと書きましたが、実はもうひとつエピソードが紹介されています。
「あとがき」で一条さん自身が体験した「心の仕事」が紹介されているのです。
そこでのテーマは「家族」です。
「結魂」から始まるのは「家族」です。
実は、そのことを一条さんは一番言いたかったのかもしれません。

まあ普通はそこで終わるのでしょうが、一条さんはさらにこう書き加えています。

「こころ」を扱う仕事の中でも“むすびびと”たちは、とても大切なものを売っています。
わたしたちの本当の商品は、「平和」という名の商品なのです。

一条さんの会社のスローガンは「結婚は最高の平和である」。
異論もあるでしょうが、私はその通りだと思います。


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■あらゆる本が面白く読める方法(一条真也 三五館 1400円)
本とは心を太らせる「こころの食べ物」。
こう考えている一条さんは、実に大食漢です。
なにしろ毎年700冊を超える本を読んでいるのだそうです。
肥満になるのではないかと心配ですが、一条さんのもう一つの顔である佐久間さんとしては、激しい競争社会の中で会社を経営し、さまざまな社会活動もこなしていますし、ご自身でも次々と本を出版していますので、決して肥満にはなりません。
その消化力は驚嘆するものがあります。

本書は、その一条さんの読書論です。
単なる読書術の本ではありません。
技術篇と思想篇にわかれていますが、技術篇でさえも無味乾燥な読書術ではありません。
全編に流れているのは、一条さんの本への愛情です。
本書でも「読書は恋愛」と書いていますが、私が感ずるのは一条さんは「読書」というよりも本を心底愛しているのです。
本を愛していればこそ、恋愛行為である読書は面白いもの、楽しいものになってきます。
そうした一条さんへの本へのラブレターが、本書です。
博愛家の一条さんは、本を愛することの意味や楽しさを多くの人に知ってもらいたいという思いで、ラブレターを公開したのでしょう。

もちろんとても実践的な読書法も紹介されています。
たとえば、一条さんは目次を5分以上かけて読むのだそうです。
私はこうしたことをしたことがなかったのですが、その意味を本書で知りましたので、これからは心がけるつもりです。
難解な本の読み方もとても共感できます。

本書が単なる個人的なラブレターで終わっていないのは、一条さんの実績が背景にあるからです。
本書でも紹介されていますが、一条さんは読書によって得た「ことわり」に支えられて会社を建て直しました。
読書を通して「死」への不安も克服しました。
そして今では「読書」する一方で、自らの志を育てながら、自らの著作や講演などを通して、世に発信しているのです。
書斎にこもっている読書人ではないのです。
ですから、そこで書かれていることは、とても親しみを持て、また実践的でもあるのです。

一条さんはこういいます。
あなたの「志」を生むものは読書です。
あなたの「志」を育てるのも読書です。
そして、あなたの「志」を実現するのは、あなた自身です。

一条さんの読書論は、人生論でもあるのです。

本書の内容の紹介は、出版社の案内を読んでください。
いろいろなことを気づかせてくれる読書論です。

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■最短で一流のビジネスマンになるドラッカー思考(一条真也 フォレスト出版 1500円)

経営の世界に多大な影響を与えたドラッカーに関する書籍は多いです。
しかし、人間的な思いを込めてドラッカーの思想を語っている書籍は、そう多くはありません。
一条真也さんは、自らがドラッカー経営学の実践者です。
自らが経営する会社を、ドラッカーの教えに従い見事に立て直しました。
しかし、それはそうめずらしい話ではありません。
私が、一条さんに感心するのは、単に企業経営の世界だけではなく、自らの生き方においてもドラッカーに共感し、実践していることです。
まさに知行合一の見事なモデルです。
一条さんは、ドラッカーの思想を見事に消化し、実践し、さらにそこに自らの知と生を重ねてきています。

本書は、そうした一条さんのドラッカー経営学の現時点での実践的な集大成です。
この書名には、嘘はないと私は思います。
本書を読めば、ドラッカーの経営思想の本質に触れることができるでしょうし、その知恵に多くのことを気づかされるでしょう。
実践テクニックの書は、私は好きではないのですが、これは「思考が身につく実践テクニック」なのです。
むしろテクニックの書ではなく、思考の書としてお薦めします。

一条さんは自らを「ドラッカー・チェルドレン」というほど、ドラッカーのファンです。
ドラッカーの「ネクスト・ソサエティ」という著作を受けて、「ハートフル・ソサエティ」というアンサーブックまで書いているほどです。
私は正直、ドラッカーのファンとは程遠い存在ですが、それでもこの本を読むとドラッカーファンになりそうなくらい、一条さんはドラッカーを自らのものにしています。
一条さんとドラッカーの、とてもあったかいコラボレーションを感じます。

本書は6つの章からなりたっています。
「自己実現」「マネジメント」「マーケティング」「イノベーション」「リーダーシップ」「未来創造」。
いずれもドラッカーの思想のキーコンセプトです。
最初に「自己実現」が置かれているところに、一条さんの本書への基本的な姿勢がうかがえます。
まずは、新しい自分への気づきを呼びかけているわけです。

本書は、まず企業の人たちにお薦めします。
とても読みやすいですので、仮に本が好きでない人であっても、最後まで読めるはずです。
次にNPOの人にお薦めしたいです。
悪しき企業経営の本を読んで懲りた経験のある人でも、きっと読んでよかったと思うでしょう。
やる気のある行政の人や公益法人の人にもお薦めします。
そして、自らの生き方にちょっと迷っている方にもお薦めしたいです。

装丁がいささか派手すぎて抵抗がありますが、中身はとてもしっかりしています。
お薦めの1冊です。

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■半農生活をはじめよう(増山博康 かんき出版 1400円)
週間記録で紹介していた菜園クラブの増山さんの本が完成しました。
増山さんが実際に実践している「半農生活」のすすめです。
似たような本はたくさん出ていますが、
この本は増山さんの生活がしっかりと反映していますので、嘘偽りのない実践者の本になっています。
なによりも土と野菜のにおいがするのがいいです、
それに昨今の社会状況をしっかりと意識していますので、読者の読む気も誘うでしょう。

本の内容は紹介文に的確にまとめられています。

平日は都会で会社勤めをして、週末は郊外の菜園で楽しみながら野菜をつくる。そして食べて、売る。それが半農サラリーマン生活です。半農生活はカンタン。しかも、菜園での適度な運動と育てた野菜を食べることで健康になり、売り方しだいで年収100万円アップも可。本書を手に、いますぐ半農生活をはじめよう。

100万円などと書いているところは私の趣味には反しますが、これは決して単なるキャッチコピーでないことは、本書を読むとよくわかります。
目次をご覧ください。
とても実践的で、読みやすい本です。
そして、ついつい「半農生活しようか」という気になってしまう本です。
1 半農生活はカンタンにはじめられる
2 自宅から通える範囲で農地を探そう
3 菜園でどんな野菜をつくるか考えよう
4 菜園の広さに応じて道具をそろえよう
5 野菜別カンタン栽培の方法とポイント
6 半農生活で育てた野菜は意外とよく売れる
7 こうすれば半農生活で月10万円稼げる

増山さんは実際の農園を確保して、農業クラブの活動を提案しています。
その上、半農生活サポートセンターも立ち上げました。
そして、この本の出版に合わせて、半農生活サポートセンター主催で、「みんなで半農ライフを楽しむ時代目指して」をテーマに9月29日にフォーラムも開催します。
お知らせのコーナーに案内を載せました

増山さんはこう呼びかけています。

私たちはやはり自然≠フ一員。
農作物を育てれば、その実感と喜びがわいてきます。
農業を取り巻く環境も変わりつつあり、都会の生活や仕事をしながら「アマチュア農業」をする「半農ライフ」のやり方もいろいろ生まれてきました。
そのひとつは、私たちが提案する「農業クラブ」。
初心者でも、忙しくて毎回畑まで通えそうにないという人でも、気軽に参加して栽培を楽しめます。
趣味のクラブのように「農業クラブ」が広がって、文字通り実も花もとれて楽しい日々が送れる人が増えればと思います。「農業クラブ」について知りたい方、とにかく野菜を育ててみたいという方、お気軽にご参加ください。

この本からいろいろな物語が始まりそうです。
増山さんは、こう呼びかけています。
増山さんが主宰する菜園クラブのホームページもぜひご覧ください。

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■「灯(あかり)をたのしむ」(一条真也 現代書林 1300円)

一条さんの「日本人の癒し」シリーズ第3弾です。
今回のテーマは「灯(あかり)」。まさに一条さんの世界です。
「天の光、地の灯」という序章に続き、本編は「灯のある暮らし」と題して、いつものように一条さんの世界が縦横無尽に語られていますが、今回の主役は「ロウソク」です。
むしろ「炎をたのしむ」でもよかったくらい、一条さんも炎に魅了されているような気がしました。

以前、ブログでロウソクの炎のことを書いたことがありますが、その時、すかさずに一条さんからメールが来ました。

ロウソクの炎に人間の魂が宿るのは本当ですよ。
日々の葬儀の中で、何度も経験しております。

その時からきっといつか「炎の世界」のことを書いてくれるだろうなと期待していました。
本書は、いわばその予告編のような感じで私は読ませてもらいました。

気楽に読める手軽な本ですが、いつものようにさまざまな示唆が込められています。
もちろんキャンドルライフやキャンドルを活かした平和運動のこともたくさん出てきますが、
特に印象深かったのは、ファラデーの「ロウソクの科学」のなかにある記事です。

ファラデーは、その本に子どもたちに話したことを収録しているそうですが、
そこで「一本のロウソクにたとえられるのにふさわしい人になってほしい、
そして、ロウソクのようにまわりの人びとに対して光となって輝いてほしい」というような話をされているそうです。
すぐに思い出すのは「一隅を照らす」という言葉でしょう。
一条さんも、それにつなげながら、こう書いています。

太陽は光を放ちます。
月や星は、その太陽光を反射します。
しかし、地上の人間にできることは灯をともすことだけなのです。
それは、ささやかな灯かもしれません。
周囲を少ししか照らすことができないかもしれません。
風が吹けば、すぐに消えてしまうかもしれません。
それでも、人間には灯をともさなければならないのです。

さらにこう付け加えます。

ロウソクは自らの身を細らせて燃えるもの。
自己を犠牲にして周囲を照らすものです。
ただひたすら他者に与える存在であり、それは「利他」の実践に他なりません。

他にも紹介したいことがたくさんなりますが、もう長すぎるほど書いてしまいました。
もう一つだけ紹介して、あとは本書を読んでもらうことにしましょう。

戦争と環境問題という人類にとっての最大の難問を解決する糸口がロウソクの炎の中から見つけられるような気がする。

名前だけは知っていた「ロウソクの科学」も読んでみようと思います。
みなさんもよかったら読んでください。

これまでの「日本人の癒し」シリーズ
■「茶をたのしむ」 監修一条真也 現代書林

■「花をたのしむ」  一条真也 現代書林

コモンズ書店から購入

■「ガンと一緒に山登り」(庵幸雄 白山書房 2009 1500円)
著者の弟は私の大学の同窓です。
先日、湯島に来た時に、この本の話が出ました。
がんになった兄が山登りで、がんを克服したという話です。

著者が山登りに挑戦しだしたきっかけは、「山がくれたガンに負けない勇気」(小嶋修一)という1冊の本との出会いだったそうです。
小嶋さんは、ガン患者には無理なとも思われる富士登山、モンブラン登山への挑戦で人間が備え持っている自然治癒力を高めてガンを克服したのだそうです。
その本に刺激された、著者も登山を開始、良い仲間に出会えたこともあって、昨年、ついに日本百名山を制覇したのです。
胃の全摘出という手術をしてから7年目の壮挙です。
本書は、その山日記が中心ですが、その前後に書かれている著者の思いを知って読んでいくと、いろいろと灌漑深いものがあります。
一味違った登山記としてお読みいただければと思います。

体験を通して、著者が語っていることがとても示唆に富んでいますが、その中からちょっと長いですが、一説を引用させてもらいます。

世の中には、当人が病魔と闘っているのを、周囲の人達が心ならずも結果として、つぶしていることがけっこう多いのではないだろうか。もちろん、その人としては、何とかしてあげたい、黙ってはいられないという気持ちなのだろうが、病魔と闘っている当人の立場に立っての助言というよりも、周囲の人間の立場に立っての助言に陥っていないだろうか。病人なのだから無理をさせずに、静かにさせておいた方がよい、周囲で見守ってあげなければと、当事者を離れた周囲の常識を基準にした助言に陥っていないだろうか。
本来、当事者が自分の状況はいちばんよく分かっている。人間は思ったよりも強靭にできているようだ。

当事者であればこそ、説得力があります。
がんと対峙している人たちに力強いエールの書ではないかと思います。
私ももう少し早くこの本に出会っていればと悔やまれます。

コモンズ書店で購入できます。

■「語り部とともに歩く熊野古道」(かんき出版 1600円)
かんき出版の藤原さんからお話をお聞きしていた自信作の本が出版されました。
この本の魅力は、3人のプロフェッションが時空間を超えたバーチャルな熊野古道の世界を
創りあげているところです。

「観光カリスマ百選」の1人にも選定されている、熊野古道語り部の坂本勲生さん。
ヨーロッパの「人と文化」に焦点を当てて活動しているフォトグラフィック・ライター、南川三治郎さん。
そして、朗読は、「平家物語」の朗読をライフワークとして、舞台出演の傍ら、朗読会や講演活動を全国的に展開している、前進座の嵐圭史さん。
この3人が、写真と文章と朗読でコラボレーションしているのです。

「語り部とともに歩く」とあるように、古道に沿った編集になっているので、写真を見ながら読み進めていくと、巡礼路を歩いているような気分にもひたれます。
その歩きの中で体感できるような、自然の音が時にCDから聞えてくると最高なのですが、そこまで望むのは欲が深すぎるでしょう。
しかし、写真はみんな撮り下ろしなので、南川さんの息づかいとともに、その風景の音まで少し聞えてくるような来もします。
そして、写真の世界に同化している自分に気づくような体験もできます。

坂本さんが語り続けている話の中から24話を、嵐さんが朗読したものがCDとして付いていますので、背景に流しながら写真を見ていると、今度は時間を超えた、もうひとつの熊野古道の世界を体感できます。

この本を片手に熊野古道を歩いたら、きっとさらに多くの気づきがあるでしょう。
熊野古道を歩いたことのある方が読んだら、その時にタイムスリップしたような気分になるでしょう。
歩きたくても歩けない人には、歩いたような喜びを与えてくれるでしょう。
熊野古道を歩いた人も、歩きたいと思っている人も、そしてなによりも、熊野古道を歩けない人も、それぞれに堪能できる魅力的な本です。

疲れた時に、ゆっくりと味わう本として、お薦めします。

コモンズ書店からも購入できます

■「職場うつの正体」 (広野穣 かんき出版 1575円)
著者とは面識がないのですが、私の友人が出版に関わっているのと、このところこの話題での相談が多いので、紹介させてもらうことにしました。

著者の広野さんは、「言葉の心理カウンセラー」だそうです。
最近、広がっている「職場うつ」の正体は人間関係病、その病原菌は「言葉」である、というのが広野さんの考えです。
本書はその考えに基づき、職場からうつ病をなくしていくための具体的な処方箋が語られています。
但し、うつ病対策だけの本ではありません。
そうではなく、うつ病患者を生み出してしまうような職場にならないように、職場そのものを元気にし、明るくするための社風変革の処方箋と言ってもいいかもしれません。
私は、会社そのものが「うつ」になっている現状を変えないといけないと考えていますので、広野さんの発想に賛成です。

目次を見てもらえばわかりますが、いわゆる「うつ病対策」の本ではありません。
むしろ職場を元気にする実践的ガイドといった方がいいかもしれません。
自らを元気にしてくれるためのガイドブックと言ってもいいでしょう。
目次は次の通りです。

Part1 言葉が与えるストレスと<うつ>対策
  1.<うつ>病が急増している背景を見てみる
  2.<うつ>対策の現実と解決のためのヒント
  3.日常の観察で<うつ>信号は発見できる
  4.<うつ>に追い込む言葉の意外な「正体」
 
Part2 人を<うつ>に追い込む言葉と話し方
  1.「断定」すれば相手も自分も追いつめる
  2.「威圧」すれば精神が壊れていく
  3.他人を「否定」すると自分も否定される
  4.「命令」が飛び交う会社に明日はない
  5.「質問」が下手だと相手を追いつめていく

Part3 人を<うつ>から救う言葉と話し方
  1.前向きな気持ちと行動を呼び起こす
  2.リーダーシップを育てる話法
  3.ほめ言葉が人を落ち込ませることもある
  4.ほめ言葉は人も職場も明るくする

会社内にうつ病予備軍が急増しているといわれますが、そうしたところに最近の企業の最大の問題が現れているといってもいいかもしれません。
うつ病の温床になっている企業の現状を変えなければ、企業そのものが立ち行かなくなりかねません。
うつ症状の増加は、実は企業の制度や文化の問題です。
本書はとても読みやすく、実践的な本ですが、会社のあり方や私達の生き方にも、さまざまな示唆を与えてくれます。
よかったら読んでみてください。

コモンズ書店で購入

■認知症予防ゲーム〈高林実結樹 NPO法人認知症予防ネット 1000円〉
今回は一般書店では購入できない本のご紹介です。
このサイトにはちょっと相応しくないかもしれませんが、こうした種類の本もこれから少し紹介していきたいと思いだしました。

この本は、週間報告に書いたように、先日京都でお会いした著者の高林さんからいただいたのです。
そして、このテキストが生まれた経緯とこのテキストから生まれた物語をいろいろとお聞きしました。
認知症に関しては、さまざまなテキストや書籍が出ています。
本書と同じく「認知症予防ゲーム」を扱った本もあります。
にもかかわらず、私がこの本をここで紹介しようと思ったのは、著者の高林さんの熱い思いを感じたからです。

高林さんは私よりも10歳年上ですから、間もなく80歳です。
認知症に関心を持ち出したのは、今から30年以上前にご自分のお母さんが認知症を発症し、それが契機になったようです。
15年ほど前に、静岡の高齢者リフレッシュセンターの増田未知子さんという方が開発された、スリーA方式の認知症予防の考え方に出会い、その考えの有効性をご自分で確かめられてから、それを全国に広げていきたいという思いから、仲間と一緒にNPOを立ち上げて活動を開始したのです。

私は、この10年、各地でのさまざまな福祉関係の活動にささやかに関わらせてもらっていますが、そのおかげで「ホンモノ」と「そうでないもの」とを見分けることが少しだけできるようになってきました。
高林方式は、学問的には検証されているわけではありません。
私自身、その成果を直接知っているわけでもありません。
でも、高林さんと話していると、ゲームの成果、あるいは研修の成果が目に見えてくるのです。
それで高林さんたちの活動をできる範囲で応援しようと思ったのです。

本書の内容は、書名の通り、ゲームの進め方のテキストです。
しかしその前と後ろに、基本的な考え方が簡潔に述べられています。
また、このテキストの利用法も丁寧に書かれています。
できれば、皆さんのお住まいの地域にある、地域包括支援センターやデイサービス施設などに、この本をご紹介いただければうれしいです。
高林さんたちを講師に招いて、講演会やミニ研修会などを企画してもらえればもっとうれしいです。
高林さんに連絡したい場合は、次の電話番号にお電話ください。
高林さんは、とても気さくに電話応対してくださるはずです。
0774−45−2835

本書の購入は、NPO法人認知症予防ネットのホームページからお願いします。
そのホームページには、スリーAの考え方や高林さんたちの活動も載っています。
併せてご覧いただければと思います。

■『介護情報Q&A』第2版
(小竹雅子 岩波ブックレット 800円)

コムケア仲間の小竹雅子さん(市民福祉情報オフィス・ハスカップ代表)がまとめた、介護情報のわかりやすいブックレット『介護情報Q&A』が内容を新しくした第2版ができました。

介護保険の基本的なしくみや改正の具体的内容、困ったときの解決方法、関連情報などを、65の用語にわけて、利用する市民の立場から説明しています。
実践活動の中から生まれてきている本ですので、複雑になって、ますますわかりにくくなってきている介護制度を理解するために必ず役立つと思います。
市民福祉情報オフィス・ハスカップでは、メルマガも発行しています。
この分野に関わっている方は、メルマガも申し込まれるといいと思います。
ホームページから申し込めます。

この本はテキストなどにも向いています。
5冊以上だと著者割引も利用できるそうです。
ご注文は市民福祉情報オフィス・ハスカップまでお申し込みください。

■「技術とコンプライアンス」(杉本泰治 丸善 1500円)
日本では「コンプライアンス」という言葉が極めてご都合主義的に使われています。
一般的に「法令遵守」と訳されますが、果たしてそれでいいのかとずっと思っていましたが、それに関してきわめて明確に、それが誤訳だと教えてくれたのが杉本さんです。
これに関しては以前CWSプライベートでも紹介したことがありますが、それがとてもわかりやすい本になりました。
先週紹介した「技術者倫理‐法と倫理のガイドライン」と同じくテキスト風のスタイルの本です。
今回の副題は、「寄生法令と倫理のガイドライン」です。
書名も、いかにもテキスト風なので少し引いてしまうかもしれませんが、内容はとても読みやすく、示唆に富んでいます。

杉本さんが本書を書いた意図は2つあります。
コンプライアンスがこれだけ話題になっているのに、規制行政法に関する入門書がなかったのだそうです。
そのため、日本のコンプライアンス実務に関する混乱があるのではないか。杉本さんは、その間隙を埋めたかったのです。
技術と経営と法律を、それぞれしっかりと学び体験してきた杉本さんならではの入門書になっているように思います。
もう一つは、社会的信頼を失ってきている企業への信頼回復のために
、実のあるコンプライアンス活動を広げていきたいという、杉本さんの深い思いです。
これは杉本さんのライフワークといっていいでしょう。
この話をしているときの杉本さんからは、時々、鬼気迫るほどの熱意を感ずることもあります。

企業の技術者のみなさんには、ぜひ読んでほしい本です。
目次を紹介しますが、各項目とも深い内容をきわめて簡潔に要点をまとめていますので、忙しい技術者にも短時間でマスターできます、
しかし、できれば、先週紹介した本とあわせて、ぜひ企業内での読書会や勉強会を始めてほしいです。
みんなで話し合うと、きっとそこにこめられた深い意味を学べるはずです。
言葉だけのMOTなどよりも、よほど価値があると思いますので。

目次は以下の通りです。
これを見ても、杉本さんの発想法がわかると思います。
1 コンプライアンスの意味
2 コンプライアンス問題の始まり
3 不合理な法制は不正の温床
4 行政手続法は語る
5 民主国の規制行政
6 行政者と事業者の関係
7 規制法令とは何か
8 コンプライアンスの経営判断

■「技術者倫理‐法と倫理のガイドライン」(杉本泰司 田中秀和 橋本義平 丸善 1500円)
技術者倫理の文化を日本の企業に定着させたいという深い思いから、
著作や講演、研究会などで活躍されている杉本さんたちの著作が続けて2冊出ました。
今回はそのうちの1冊をご紹介します。
今週は時間がなくて、1冊しか読めなかったからです。

杉本さんたちは、大学生向けのテキストはすでに完成させており、このコーナーでも紹介させてもらいました。
定期的にその内容を見直しているスタイルで、すでに現在第4版になっています。
そのテキストを使って、いくつかの大学ですでに講座を展開していますが、企業の技術者にもしっかりと技術者倫理の文化を定着させたいと最近は企業での研修などにも取り組んできました。
そして杉本さんらしいメソドロジーも開発し、成果をあげているとお聞きしていましたが、そのテキストが完成したのです。
その1冊が本書です。

ですから本書は、企業などの実務に取り組む人を対象とした本ですが、企業での活動にまつわる「法と倫理」について、とてもわかりやすく概観していますので、多くの企業人に読んでもらいたい本です。
具体的な事例も、道微視自動車のハブ破損死傷事件、西宮冷蔵の内部告発事件、耐震偽装事件など、6つの事件が取り上げられています。
変わった事例としては、武蔵野市のまちづくり条例検討委員会の「利益相反」事件も取り上げられています。
「利益相反」問題は、私も最近関心を持っているのですが、これからのコミュニティやアソシエーションを考えるときのキーワードのひとつになっていくのではないかと思っています。

まあそれはともかく、本書はともかく読みやすく、親しめます。
それは杉本さんらしく、用語をしっかりと構造的に定義しながら、簡潔に記述しているからです。
技術者倫理というと難しそうですが、前編が平易な日常語で書かれていますし、話題もコミュニティとは何かとかいう話まで包含して、大きな枠組みで語られているのがとてもいいです。

内容的な紹介になっていませんが、良かったら読んでください。
もし企業の技術者の方であれば、ぜひ周辺の技術者と勉強会などもやってもらえればうれしいです。
もし杉本さんを講師で呼びたいということであれば、時間さえあえば、杉本さんはきっと引き受けてくれると思います。
まあ、これ以上、杉本さんを忙しい目に合わせたくないのですが。

来週は、もう1冊の「技術とコンプライアンス」を紹介します。
今度は内容も含めて。

■「花をたのしむ」(一条真也 現代書林 1300円)
前にご紹介した「茶をたのしむ」につづく、「日本人の癒し」シリーズ第2弾です。
一条さんが前作よりも乗っているなと感じたのは、序章が全体の1/3を占めているからです。
序章は「魂のごちそう、心の万能薬」と題されていますが、そこに一条さんの花への思いが一気に書かれています。
一条さんは、きっと楽しんで書いたのでしょう。
花はあまりに広いテーマなので、どう切り込むか関心を持っていましたが、一条さんらしく、冠婚葬祭を切り口にして書き出しています。
まさに一条さんのホームグラウンドです。
そうはいっても、一条さんらしく、話題は古今東西、じつに軽やかに広がっていますから、あきることがありません。

「花はこの世のものとしては美しすぎる」と一条さんは書いています。
ハッとするような言葉です。
しかし、その美しさにどのくらいの人が気づいているか。

私が、花の美しさに気づいたのは最近です。
それまではバラとかカサブランカとか、「名前のある花」に目が行きがちでしたが、そのせいか、変な言い方ですが、花は単に花でした。
野山に咲く小さな花も好きでしたが、ゆっくりと眺めたことがありませんでした。
その魅力を教えてくれたのは妻でした。
花は、見る対象ではなく、共にある存在なのだと、妻がいなくなってからやっと気づかされました。
花の美しさは、心を通わせてはじめて見えてくる、そこに潜む「やさしさ」と「けなげさ」なのかもしれません。
一条さんは、花はいのちのシンボルだといいます。
いのちの美しさを教えてくれているのかもしれません。

花はまた人をつなぐものでもあります。
一条さんは、花は平和のシンボルだともいいます。
3年前に青森の三沢市で住民たちの花いっぱい活動にささやかに関わらせてもらうことがありました。
「花を育てよう」という思いが、住民たちをつなぎだし、今では「まちを育てる」動きになってきているように思います。
まさに花は平和につながっています。

いのちと平和。
本書はそれを基調にして、花のたのしみ方をさまざまな視点から紹介しています。
テーマが広すぎることもあって、一条さんのメッセージが少し弱いのが気になりますが、その分、すんなりと読めるかもしれません。

■人間関係を良くする17の魔法(一条真也 致知出版社 1400円(税別))
一条さんの今年最初の本は「人間関係」でした。
といっても、表層的なテクニック論ではありません。
一条さんならではの人間関係論です。

一条さんは、「良い人間関係づくり」のためには、まずはマナーとしての礼儀作法が必要だといいます。
ですから本書は、礼儀作法の本でもあります。
いまさら礼儀作法? などといわずに、ぜひお読みください。
あまりにも基本がおろそかにされているのが、今の日本ですから。
本書を読むといろいろなことに気づかされるはずです。
私も反省すべきことがいろいろとありました。

一条さんは日本の礼法の基本である小笠原流の免許皆伝を26歳で許されています。
そして、それを実際の生活や企業経営の面でしっかりと実践されているのです。
小笠原流礼法の基本は、「思いやりの心」「うやまいの心」「つつしみの心」という3つの心を大切にすることだと一条さんは言います。
それをしっかりと守っていれば、人間関係で煩わされることはなく、むしろ人間関係に支えられていくというのです。
私のささやかな経験からもとても説得力があり、うなずけることが多いです。

2つだけ引用させてもらいます。
ここに一条さんの、人間関係観が出ています。

本当に大切なものとは、人間の「こころ」に他なりません。
その目に見えない「こころ」を目に見える「かたち」にしてくれるものこそが、
立ち居振る舞いであり、挨拶であり、お辞儀であり、笑いであり、愛語などではないでしょうか。
それらを総称する礼法とは、つまるところ「人間関係を良くする魔法」なのです。

結局、人間関係を良くすることはもちろん、
心ゆたかな社会をつくるための最大のカギこそ、私たちの礼能力ではないでしょうか。
他者への「思いやり」の心くらい大切なものはありません。

スタイリストの書き手である一条さんは、本書でもスタイルにこだわっています。
本書の構成は「17の魔法」とタイトルされています。
そして、17のそれぞれの章の最後に、内容を要約する一条さんの短歌(道歌)が掲載されています。
一条さんが楽しみながら執筆したことが伝わってきます。

人間関係を単なる個人の処世術と位置づけていないのも共感できます。
最後に、世界を良くする究極の魔法が説かれています。

人間は一人だけでは生きていけません。
社会と関わる必要があります。
社会の中において、あなたが良い人間関係を築き、かつ、すべての人が幸福になれる道とは何でしょうか。


その問いかけに一条さんは、こう答えています。
それは「志」です。
志とは、心が目指す方向、つまり心のベクトル。

つまり本書は生き方の指南書なのです。
楽しく読めますので、ぜひお読みください。

コモンズ書店

■日本の未来と市民社会の可能性(非営利組織評価研究会編 2008 900円)
先日紹介した「NPO新時代」の著者の田中さんが主宰している非営利組織評価研究会での議論を中心に、NPO法人の言論NPOがブックレットにまとめたものです。
「NPO新時代」での論点の背景や意味合いが、議論を通して伝わってきますので、並行して読まれると面白いです。
研究会のメンバーに加えて、ゲストとして、武田晴人さん、加藤紘一さん、野中郁次郎さん、上野真城子さん、辻中豊さん、ウォルフガング・パーぺさんが参加していますが、それぞれの思考がよく見えてきます。
「NPO新時代」の紹介でも書きましたが、わが国でNPO法が施行されてから10年がたちます。
その功罪がかなり見えてきましたが、それを踏まえて住民活動や市民活動はこれから変わっていくように思います。
しかし、NPOだけを見ていてはたぶん先は見えてこないでしょう。
その意味で、本書のような幅広い議論は示唆に富んでいます。

日本では、NPOの意味をあいまいなままにして、住民発想の現場視点のものも、市民社会志向のものも、一緒に語られていますが、両者は全く違ったものだという気がします。
サブシステムとしてのNPOや市民社会論ではなく、イノベーションとしての住民活動や市民活動、あるいは社会そのものの概念としての市民社会に、私は関心があるのですが、そうした視点から本書を読むと、それぞれのゲストの問題提起は示唆に富んでいます。
私が特に面白かったのは、辻中さんの「自治会、町内会の存在意味の大きさ」に関する指摘です。
辻中さんはこういっています。

自治会をはじめ、さまざまな団体をすべて含めると、日本ではものすごい地域ネットワークが張りめぐらされています。
報酬は年間2万円とか、それから少し出る、そういう微妙なお金で、民生委員や国勢調査の調査員などを含めて、皆が動いているのが日本の一つの現実です。

そうしたリゾーミックな市民社会をNPO法が壊してしまったような懸念を私は持っています。

上野さんの市民社会論も面白いです。

NPOがやるべきことは、市民社会で政策をちゃんと知り、社会をちゃんと知り、そこに声を上げていける市民をつくらなくてはいけないということ。それがノンプ・ロフィットセクターの責任であろうと思うのです。

私の関心事とは少し違いますが、今のNPO発想を基軸にするのであれば共感できます。
本書だけで読んでも面白いです。
コモンズ書店からも注文できます。

■ホルクハイマーの社会研究と初期ドイツ社会学(楠秀樹 社会評論社 3200円)
久しぶりに学術的な専門書を読みました。
著者の楠さんは、娘の友人のパートナーです。
一度、わが家にも来てくれたことがありますが、
楠さんがこうした分野の研究者であることは全く知りませんでした。
その楠さんが、昨年末に本書を贈ってくれました。
この分野は大いに関心のあるところなのですが、久しぶりの専門書であり、正直、苦戦しました。
しかし、知り合いの書いた本はしっかりと読んでこのコーナーで紹介するのが私のルールですので、読まないわけにはいきません。
年末から読み出し、暇さえあれば(幸いにもかなりあったのですが)本書を開いていましたが、速読の私も一向に進みません。
ところが、第4章になって突然視界が開けたように面白くなったのです。
読み終えた後は、この続きが読みたいと思ったほどです。
現代の社会を読み解くヒントがたくさん含まれています。
ある程度の覚悟は必要ですが、現代社会の先行きに関心のある方にお薦めします。

ところで、ホルクハイマーは恥ずかしながら、私はフランクフルト大学の社会研究所の所長だったことしか知りませんでした。
その主張や業績などは全く知らなかったのです。
ですから本書は私にとっては、すべて知らないことばかりでした。
しかし読んでいるうちに、なぜかとても親しみを感じ出しました。
その主張や方法論にも、とても共感できました。

ホルクハイマーはユダヤ系のドイツの社会学者です。
生まれは1895年。1930年にフランクフルト大学の社会研研究所の所長になり、
労働者の現状とファシズム的な心理を問う実証調査などに取り組んだドイツを代表する知識人の一人です。
母国を襲ったファッシズム(ナチズム)に対して、そしてさらにスターリン主義に対して自由のために闘った、信念の人でもあります。
いわゆるフランクフルト学派を代表する一人です。

ホルクハイマーの研究生活の出発点は現象学でしたが、そこから唯物論、社会学へと広がり、社会哲学へと向かっていきます。
本書はそうしたホルクハイマーの思想形成の過程を丁寧に追いかけていきます。
本書の帯に、「社会を批判する社会思想の原型が浮かび上がる」と書いてありますが、まさにその通りです。

内容はかなり専門的で難しいのですが、学生の頃学んだ懐かしい名前が次々と出てきますので、興味深く読み進められます。
それに、多様な思想が広がりだしていたワイマール時代のドイツの知的環境のなかで、ホルクハイマーが抱いた疑問や問題意識は、見事に現在の社会に繋がっているように感じます。
たとえば、近代の要素還元主義を超えたホロニックな発想や統治者の哲学とは対照的な現場からの哲学の芽を強く感じました。
もっとも、これは現代を生きている著者の楠さんの意識が影響しているのかもしれません。
あるいは、当時の社会学との差異化を目指していた、ホルクハイマーの社会研究の到達点の映像が重なっているのかもしれません。
しかし、いずれにしろ、そこで語られていることはこれからの時代を考える上でのヒントがたくさん含意されていることは間違いありません。

後半では、ドイツ社会学の成り立ちの経緯も垣間見られますが、これはとても興味深かったです。
私の貧弱な知識が、いろいろな意味で刺激を与えられ、頭の中で少しよみがえってくるような気にもなりました。
ホルクハイマーが、その後書いた『啓蒙の弁証法』も読んでみたくなりました。

専門的な学術書ですので、そう簡単にお勧めはできませんが、
社会を見る目を養うためにはとても頭が整理されます。
よかったらお読みください。
いつか楠さんに話を聴きたいと思っていますので、読まれた方でご希望の方がいたら連絡してください。
一緒に話をお聞きしましょう。

コモンズ書店からも注文できます。

■技術者の倫理入門第4版(杉本泰治・高城重厚 丸善 2008)

今年最初のご紹介は科学技術倫理フォーラム代表の杉本さんの心を込めた技術者倫理のテキストです。
以前、第3版を紹介したときにも書きましたが、この本には杉本さんの熱い思いがこもっているのです。
もちろん高城さんの思いもそうですが、杉本さんは同志だった高城さんを2006年に見送っています。
私も短期間ではありますが、高城さんと交流させてもらいましたが、
そのお人柄は実に魅力的で、もう少しいろいろとお話をお聞きしたかったと残念でなりません。
その高城さんの業績でもある曽木発電所遺稿の発見のエピソードが追加されています。
短い紹介ですが、そこに込められた著者たちの思いは胸に応えます。

本の内容に関しては、第3版の紹介文を読んでください。
多くの人に読んでほしい本の1冊です。

コモンズ書店

■世界の「聖人」「魔人」がよくわかる本(一条真也監修 PHP文庫 648円(税別))
「神社へ行こう」に続く、一条さんの最新監修本です。
一条さんは例によって、しっかりと「まえがき」を書いています。

本書は人間のカタログなのだ。だから、面白い。
「聖人」にしろ「魔人」にしろ、過剰な人間について知ることほど刺激的でワクワクすることはない。
なぜなら、わたしたちは人間だからだ。
人間にとって一番面白いものは人間に決まっているではないか。
わたしは、「面白いぞ人間!」と叫びたい気分である。

いかにも一条さんらしいです。
それにしてもいろんな人が登場してきます。
その数、聖人66人、魔人47人です。
聖人の数が多いのが不満ですが、
一条さんも書いているように、聖人と魔人は表裏一体の存在ですから、
そんなことは気にするのが間違いでしょう。

私には名前も知らなかった人も少なくありませんが、
まあ時間のある時にぱらぱらと読むと面白いです。
私にとっては、どちらかといえば、魔人編のほうに取り上げられた人のほうが魅力的でした。

気分転換に、たまにはこんな本もいかがでしょうか。
113人の聖人魔人のエピソードをまとめて読むのは、意外と刺激的です。
知っていたようで知らない、面白いエピソードにも出会います。
退屈している人にはお薦めします。
世界がちょっと広くなるかもしれません。

コモンズ書店

■NPO新時代(田中弥生 明石書店 2008)
久しぶりに共感できるNPO関係の本を読みました。
NPO業界本ではなく、市民社会に視点を置いたNPO論ですので、
NPO関係者だけではなく多くの人にぜひ読んで欲しい本です。

田中さんのNPO関係の本は何回かここでも紹介しました。
特に前回の「NPOが自立する日」は、NPO業界に新しい問題提起をするものでしたが、
本書は、その問題を解く基本的な視点と展望を与えてくれるものです。
NPO論というよりも、市民社会論として読むのがいいかもしれません。
副題は「市民性創造のために」とありますが、田中さんはそこにNPOの役割を期待しています。

田中さんは、こう書いています。

多くのNPOで経営技術や資金調達方法あるいは顧客開拓方法など、技術的な側面から様々な取り組みがなされ、実に頼もしく感じています。
しかし同時に、それだけでは問題の確信に届いていないと私は感じていました。
そして行き着いたのが
NPOとは本来何をめざしていたのか。ほんものとして、めざすべきモデルはどこにあるのか
という問いかけでした。
この問いの先にあったのは、日本の市民社会をどう再編するのかという課題でもあったのです。

田中さんがは、寄付やボランティアに対する再認識を呼びかけています。

NPOは市民性創造という役割を通して日本の市民社会再編に貢献するという、大きな可能性を秘めています。
そうした役割を果たすためには、まずNPOが参加者としての市民とのつながりをより太くしゆくことが重要であり、
そのためには、何よりも寄付ボランティアとのつながり方を再認識することが必要です。

NPO法人は急増しましたが、ボランティア人口はむしろ減少しているという統計もあります。
介護保険制度の導入に伴い、近隣の支え合いが消えてしまったという声もありましたが、
日本型のボランティア活動はNPOの広がりの中で変化してきているのかもしれません。
寄付文化に関しても、日本型の寄付文化が見落とされているように思います。
私自身は、田中さんとちょっと見方の違うところもありますが、
田中さんの主張は説得力もあり、実践的で、示唆に富んでいます。

PST(パブリック・サポート・テスト)を重視しているのは、田中さんの視点の所在を象徴しています。
PSTを中心においた市民社会の方向性もわかりやすく提案されています。

書きたいことはいろいろありますが、
何よりも、ぜひ本書を読んでほしいと思いますので、中途半端な紹介は差し控えます。
NPO関係者はもちろんですが、NPOに違和感をお持ちの方にも、あるいは企業関係者にも、お薦めしたい本です。
現場で地道に活動している人たちには、元気を与えてくれるはずです。

コモンズ書店経由でアマゾンからも購入できます
目次などはそこで見てください。

■明治のお嬢さま(黒岩比佐子 角川選書 2008)
歴史は、その視座と視野によって、全く別の世界を見せてくれます。
黒岩さんの語る明治大正には、いつも新鮮な発見がありますが、
今回のテーマ「明治のお嬢さま」は、そのタイトルからして、新しい発想を予感させられます。
しかし、本書を開くまでにはいささかの時間が必要でした。

この本の内容などは、黒岩さんのブログを見てください。
書き出した動機やこの本への黒岩さんの思いが、実に素直に書かれています。

黒岩さんも書いていますが、本書は、
女性史研究というようなことではなく、
あの当時の新聞や雑誌に実際に書かれていた記事から読み取れることを、
自分なりに整理して書いた

ものです。
ですから実に生き生きとしていますし、いつものように、小さなエピソードや横道の話がふんだんに登場します。
黒岩さんの本の面白さの一つは、そこにあると私はいつも思っています。
それは、黒岩さんが膨大な資料の中に埋もれながら、その世界を楽しんでいることの証左でもあります。
黒岩さんは、前に取り組んだ村井弦斎(「食道楽の人 村井弦斎」)や国木田独歩(「編集者 国木田独歩の時代」)が編集に関わった、当時の『婦人世界』や『婦人画報』をかなり読んでいるようです。
つまり、その時代を生きながら、この本を書いたのだろうと思います。

黒岩さんは、
百年前に生きていなくてよかった
と言っています。
そこにも、決して観察者としてだけではない黒岩さんの姿勢を感じます。

先に書いたように、黒岩さんの本はともかくディテールが面白いのです。
ですから内容紹介は難しいのですが、今回は「面白さ」において、黒岩さんは自信を持っています。
ブログにこう書いています。

でき上がってみると、予想以上に面白い本になったので、自分でもびっくりしています。  

黒岩さんの自信作です。
どこが面白いかは、ぜひ本書を手に取ってください。
「明治のお嬢さま」を通して、新しい明治、あるいは今の日本の底流が見えてきます。

この本がたくさん売れると、黒岩さんの次の本の資料収集活動が一段と高密度になるでしょう。
つまり次の作品の面白さが増していくということです。
その意味でもぜひ皆さん、購読してください。
コモンズ書店でも購入できます
黒岩さんも、ブログで書いています。
ぜひ、皆さん買ってください!

■学校を辞めます(湯本雅典 合同出版 1200円(税別) 2008)
この本は私の友人の著書ではなく、たまたま出合った本ですが、紹介させてもらいたくなりました。
これまでの、そして現在の教育改革の本質が読み取れるからです。
CWSプライベートの教育時評でも紹介させてもらいましたが、
著者の湯本雅典さんは、1昨年まで、東京都の公立小学校の教員でした。
いまは、自主退職し、私塾「じゃがいもじゅく」を開いています。
この本は、そうした湯本さんの記録です。
現在の小中学校の実態や子どもたちの状況が生々しく伝わってきます。
この本の簡単な紹介は前述のブログをお読みいただくとして、ここでは本書の「はじめに」を引用させてもらいます。
やはり著者本人の言葉にこそ迫力があります。

僕が東京都の公立小学校の教員を自主退職した2006年、おなじ東京都で新人教員が2人、自ら命を絶った。
僕の退職は本意ではなかった。僕は学校という職場が好きだった。「通信教育」で教員免許をとった後、教員採用試験に合格した時の喜びは、今でも忘れることができない。
自死した2人の若い教員も、大きな希望を胸に抱いていたのだろうと思う。2人の悔しさは、僕の何倍、否、何十倍だったろう。
「うつ病」などの精神疾患で休職をした教員は、2006年度に4,765人にのぼり、過去最高を記録した(文部科学省発表)。
今、学校現場はどうなっているのか?
「教育改革」の大きな流れの中で、学校で働く教職員は生き生きと働けているのだろうか。そうならば、僕は退職を選択しなかったし、この二人の新人教員も自死をしなかっただろうと思う。
僕は、僕自身の経験を通して、今の学校現場がどうなっているのかを報告しようと思う。これは、僕個人の記録ではあるが、多くの現場教員の「叫び」でもある。

本文からも一つだけ引用させてもらいます。

今の学校は、教員が子どものことで悩むことが充分にできない状態にある。マスコミなどが、子どもや保護者が変わったという論調をしきりに流しているが、子どもや保護者が変わったのではない。国の教育行政が大きく変わったのである。
一言で言えば学校に「競争原理」を導入したことだ。子どもには学力向上と教員には職階制(教員の格差付け制度)である。

みなさんの周りでも起こっていることではないですか。

こうしたことは、学校のみならず、社会のいたるところで起こっていることなのかもしれません。
そう思って読むと、いろいろなことが見えてきます。
現在の教育改革の本質に、私たちは気づかなければいけないと思います。
それは決して子どもたちだけの問題ではないのです。

簡単に読める本です。
ぜひお薦めします

コモンズ書店からもどうぞ。

■毎朝15分間の音読(百瀬昭次 エイチアンドアイ 1429円)
先日、日本経営道協会のフォーラムでお会いした百瀬さんが最近出版された本です。
百瀬さんは、教育の荒廃に危機感をもって、勤めていた会社を辞めて百瀬創造教育研究所を設立しました。
もう30年以上前の1976年です。
これまでの活動振りは、百瀬創造教育研究所のホームページをご覧ください。

本著は、百瀬さんの長年の実績を踏まえて、家庭の持ち味を生かした真の人材育成法について述べたものです。
それも極めて実践的に書かれていますので、だれでも今日から実現できます。
百瀬さんの出発点は、「子育ては偉業だ」と言うところから出発します。
そして同時に、「子どもたちは偉大だ」と考えています。
私が共感するのは、まさにその点です。
その2点さえしっかりしていれば、子育てはうまくいくでしょう。
その2点がしっかりしていなければ、今の日本のように少子化も家庭崩壊も学校荒廃も直らないでしょう。

教育の要諦は「人間学」の基本の修得にある、と百瀬さんは言います。
そして「子どもたちはずつと以前から「人間学」の基本を心底求めていた」のに、
世の親たちのみならず教育関係者たちまでもが、そのことに気づいていなかったというのです。
この点も同感です。
子どもたちは、大人以上に物事の本質を見極めます。
その時期にこそ、本質を見る目を応援することは大切です。
たぶん理解力も、大人たちより優れているでしょう。

では、具体的にはどうすればよいのか。
百瀬さんの提案する方法はいたって簡単です。
「人間学」の基本をうたった適切な手本となる本を一冊選び、それを毎日「15分間」音読すること、
これを継続し、中身がすっかり頭に入るまで(マスターできるまで)貫徹することです。

この考えに共感して実践している学校がいくつかあります。
音読する本には、百瀬さんの書いた『君たちは偉大だ』が使われています。
百瀬さんの提案のポイントは、『君たちは偉大だ』の音読の勧めにあるのです。
こう書くと、自分の著書の勧めではないかと受け取る人もいるかもしれません。
しかし、そうではありません。
子どもに向けた人間学の本も含めて、それが百瀬さんの提案する子育て法なのです。
実践した子どもたちの反応はとても感動的です。
その結果、この活動は広がりだしているようです。

百瀬さんの提案する方法は、子育てに限った話ではないように思います。
企業における人材育成にも参考になるはずです。
音読の効用は大きいはずです。
子どもをお持ちの方や教育関係者にはお薦めします。

コモンズ書店
からも購入できます。

■「開運!パワースポット「神社」へ行こう」

一条真也監修 PHP文庫 533円

今回はちょっと軽い本の紹介です。
最近、若い人の中で神社への関心が高まっているのだそうです。
そんな動きに合わせて出版されたのが、この本です。
ですから若い人向けの軽いつくりになっています。
いつもとちょっと場違いの本ではあるのですが、監修が一条真也さんであり、
しかも私も好きな神社の関係の本ですので、紹介させてもらうことにしました。

一条さんの「神社論」があれば、おもしろいと思うのですが、
今回は監修者のため、いつものような示唆に富む神社論はありません。
しかし、内容は結構おもしろく、いわば「神社入門書」になっています。
全体は、「神社のそぼくな疑問20」「儀式と行事」「歴史と種類」「全国神社めぐり」の4部構成です。
それぞれが項目別に、簡潔に読みやすく書かれていますので、気楽に読めます。
興味を持った項目をぱらぱらと読むのもいいです。
たとえば「おみくじの吉と凶の割合はどれくらい
の頁を開くと、浅草寺の凶の割合は30%、日枝神社は0%などと言う図が出てきます。
参拝の作法や祝詞の解説もあります。
この本を読んでおくと、神社の風景が少し良く見えてくるかもしれません。

いつか一条さんには、本格的な神社論を期待しています。

■『なぜ、今「子育ち支援」なのか−子どもと大人が育ちあうしくみと空間づくり』
子育ち学ネットワーク 学文社 1900円

次々と友人が本を出版するので、自分が関わった本を紹介するのが遅れてしまいました。
出版されてから2か月も経ちましたが、紹介させてもらいます。
子育ち学ネットワークが関わって出版した4冊目の本になります。
今回も、深作拓郎さんが代表をつとめる子育ち学ネットワークのコアメンバーが分担執筆しています。
私もコラムに寄稿させてもらいました。

深作さんの紹介文を引用させてもらいます。

「子育ち」視点に立ち、さまざまな視野から子ども自身が育つ力を尊重した地域での豊かな実践と先端の研究を積極的に取り入れて結合させていこうと若手の研究者と実践者が集い、2年以上の交流研究を続けてきました。
その想いと研究活動の一端をまとめたものです。
3部構成となっていて、第1部の総論編では、「子育ち」の概念を教育・発達心理・政策動向から探っています。
第2部は、全国各地で取り組まれている子育ち支援の実践から5本を選び紹介しています。
これらの実践には、いくつかの共通項があります。
それは、子どもの育ちを支えるための視点であり、それに取り組む大人の姿勢でもあります。
第3部は、編集委員によるそれぞれの視点から探る「子育ち」の論考です。
子どもの育ちは、教育学や心理学だけは網羅できない学際的要素があります。そこへのチャレンジの意味も兼ねています。
まだ途中経過ですので、理論も稚拙な域を拭いきれませんが、意気込みを汲み取っていただき、忌憚の無いご意見をいただければと思います。

事務局長の星野一人さんによる「子育ち・子育てをめぐる政策の15年史」も掲載されていますが、国としての子育て哲学が垣間見えてきます。
国の少子化対策には大きな違和感を感じざるを得ません。
星野さんは、こう書いています(文章は一部変更)。

日本は子どもの権利条約を批准しているのですが、その後現在に至るまで、同条約の理念をふまえて行われた政策はきわめて少ないのが特徴です。国連子どもの権利委員会でも、二度にわたり日本政府に対して、多くの懸念事項を表明し、勧告も行われています。

すっかり定着してしまった「心の教育」「奉仕活動」といったキーワードのなかで、少子化への対策と新しい「公共」の創出という「社会的要請」のなかで、地域社会を舞台とした子育ち・子育て関連の施策群が展開されていますが、それらの施策は依然として「大人の都合」で行われていたに過ぎないといえるのではないでしょうか。

子育ち・子育て施策を検討するにあたっては「地方自治」の視点を忘れてはならないことを付言しておきたいと思います。基礎自治体がどのような子育ち・子育てのプランを描いていくのか、子どもや親、地域住民との共同という視点もふまえながら、今後の取り組みに期待したいところです。

星野さんは、具体的な施策はいわゆる有識者ばかりでなく、子どもの現場に寄り添ってきた職員や地域住民を交えて、子どもの育ちを第一義的に考慮した内容のものが打ち出される必要だと書いています。
全く同感です。
長年、現場に寄り添って活動してきた星野さんの言葉には、とても共感できるものがあります。
だからこそ、子育て視点ではなく、子育ち哲学が必要になってきているように思います。

子育ち学ネットワークでは、この本をテキストのしたワークショップの展開を応援したいそうです。
もし開催を企画してくれるところがあれば、ご連絡ください。

ちなみに過去に出版された本は次の3冊です。
「子育ち支援の創造」 小木美代子、立柳聡、深作拓郎、星野一人編著 学文社 
●「子どもの豊かな育ちと地域支援」 深作拓郎ほか 学文社
「子育ち学へのアプローチ」小木美代子 立柳聡 深作拓郎 エイデル研究所

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■会社員のためのCSR経営
清水正道ほか 第一法規 1714円

先週、紹介したCC戦略の本の著者の一人でもある、清水さんも参加した 琉球大学での連続講座をもとにして編集された本です。
私は昨今のCSR議論には大きな違和感をもっていますが、この本は共感できるところが多々ありました。
広義の記録をベースにしているので、とても読みやすいですし、編集の視点に好感が持てました。
たとえば、本書の「おわりに」に、著者の一人、公認会計士の大久保和孝さんはこう書いています。

今の経済社会を一言で言い表すと、「無知にして形式主義に走り、社会全体が思考停止状態に
陥っている」と表現せざるをえないのかもしれません。

形式論理と制度重視でCSRを語っている人が多いのに辟易している私としては、あれっと思いました。
大久保さんは本分で、CSRをこう定義しています。

企業が社会からの期待や要請を正しく理解したうえで、
事業活動を通じた対応を図ることで、結果として当該組織の持続的成長を実現すること。


続いて13人の人がCSR経営に関して論じていますが、いずれにもしっかりしたメッセージを感じます。
CSR論議のきらいな私は、清水さんのところだけ読もうと思っていたのですが、大久保さんの最初の「経営の本質としてのCSR」のメッセージに魅かれて。ついつい全部を一気に読んでしまいました。
危機管理とコンプライアンスについても郷原信郎さんが明確に切り込んでいます。
そこで紹介されている不二家事件の実態は私にはいささかの驚きでした。
まあ、そんな面白いメッセージがいろいろとあります。
退屈なCSR論が多い中で、本書はライブで具体的、しかもホリスティックな視野が感じられます。
CSRに関心のある方にはぜひお薦めしたいです。

清水さんは、CSRとコミュニケーション戦略を書いていますが、
清水さんが目指すCSRや企業コミュニケーション戦略の方向性が明確に示されています。
ダイナミックなCSR、ダイナミックな関係性を清水さんはメッセージしています。
週間報告にも書きましたが、この分野で清水さんが新しい取り組みを始めるような気配を感じます。
清水さんの次の本が待ち遠しいです。

企業関係者にぜひお薦めしたい1冊です。
コモンズ書店からも購入できます

■「CC戦略の理論と実践−環境・CSR・共生」

清水正道ほか 同友館 2600円

日本広報学会時代の友人たちが共著で書いた、コーポレート・コミュニケーション(CC)に関する最新の書籍です。
企業にとってのCC戦略の重要性はますます高まっています。
競争戦略や成長戦略を支えていくのは、まさにCC活動です。
ただ重要なのは、CCを「企業からの情報発信」と捉えるのではなく、「組織と人との関係性」と捉える視点をもつことです。
著者たちは、長年、企業の広報活動の現場にも関わってきた人たちですので、
本書では単なる机上論ではなく、そうした現実の流れを踏まえた、ライブなCC論が語られています。
これからの企業のあり方を考える上での示唆がたくさん読み取れます。

本書は企業広報だけに焦点をあてたものではありません。
目次を見ればわかりますが、行政やNPOのコミュニケーション戦略にも言及しています。

 第1章 企業社会の変容と広報戦略への視点
 第2章 コーポレート・コミュニケーション
 第3章 企業の社会活動とコミュニケーション
 第4章 新しい時代の広報・コミュニケーション
 第5章 行政・NPOのコミュニケーション
 第6章 広報・コミュニケーションマネジメント
 第7章 広報・コミュニケーションの理論と歴史

議論は広範囲にわたっていますが、それぞれに新鮮味もあります。
書名に「環境・CSR・共生」とついているように、新しい話題もしっかりと取り上げられています。
現代の広報活動の戦略化を目指した体系整理や実践的な戦略論ですので、
企業の経営者や経営参謀は多くの実践的なヒントが得られるでしょう。
しかし、それだけではありません。
広報・コミュニケーションマネジメントでは、ハーバーマスの「コミュニケーション的権力」やハンナ・アレントまで紹介されていますし、
終章の「広報・コミュニケーションの理論と歴史」には、プラトンやアウグスチヌスまで登場します。
もちろん東洋思想におけるコミュニケーションも語られています。
本書が単に平板な実務書になっていないのは、著者たちの持っている視野の広がりやビジョンの豊かさの表われではないかと思います。

「組織と人との関係性」としてのコミュニケーション戦略論は、これからの企業の大きなテーマになるでしょう。
私自身は、コミュニケーションとは信頼性の向上を通して社会コストを削減することだと考えていますが、
もしそうであれば、社会との関係、人間との関係において、語られる必要があります。
そうした視点からも、いろいろと示唆が得られるCC論です。

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■歴史のかげにグルメあり
黒岩比佐子 文春新書 800円

黒岩さんの最新作です。
元祖食育の村井弦斎の評伝を著して以来、黒岩さんは食に関心を深めているようで、「食育のススメ」に続く食シリーズ第3弾です。
食は、文化や生活の基本ですから、そこを通してあらゆるものが見えてきます。
それもたぶん「本音」で見えてくるのが面白いところでしょう。

本書では、幕末のペリー来航から、明治維新、大津事件、日清・日露戦争、明治末期の大逆事件まで、明治の著名な人物とさまざまな事件を取り上げながら、食と歴史を絡ませた興味深い12の物語が語られています。
黒岩さんは、「午餐合や晩餐合のメニューからは、主催者がその料理や酒にこめた思いが伝わってきます。明治人のグルメ度の高さにも驚かずにはいられません。その一方で、捕虜収容所の食事や監欺の食事も、さまざまなことを物語っています。調べていくにつれて、これまで知っているつもりだった事件の別の意味に気づくことになり、たくさんの発見がありました。胸を躍らせながら、楽しく書くことができました」と書いてきました。
読んでみて、そのことがよくわかります。
こういうエピソードも一緒に歴史が学べたら、歴史好きの人は増えるでしょうし、きっと忘れないでしょう。
今まで全く私には存在感のなかったニコライ皇太子の表情が伝わってきましたし、本書に登場する人たちへの好感度も増しました。
明治天皇の人間的な側面も語られていて、とても好感をもてました。

私に一番面白かった話を一つだけ紹介させてもらいます。
幸徳秋水に関して書かれた「アナーキストの菜食論」の中に出てくる話です。

犬や猫が好きな堺利彦は、動物虐待防止会の会員になったことで、動物を殺してその肉を食べることへの感情が鋭敏になった。だが、次第に社会主義の思想から、肉食そのものに対する疑問が生じてきたのだった。堺によれば、世の競争論者は生物界の生存競争を見て、人間界の階級制度や貧富の格差を是認しているが、社会主義者は弱い者を踏み倒さず、自由競争の代わりに相互扶助で、安楽で競争のない世界をつくろうと望んでいるのだという。
 そのため、社会主義研究会では、毎回のように肉食問題が持ち上がり、「人間と動物との境界線は何処に引く乎」「肉食を廃した所で、植物も矢張り生物では無い乎、(中略)然らば人間は結局何を食物とすべきである乎」などの質問が相次いだ。

なんだかほのぼのしてきます。
このまま進めば、日本の社会主義も新しい時代を開く役割を果たせたでしょうね。
私はかなり本気でそう考えました。
あまり賛成はしてもらえないかもしれませんね。

楽しい本ですので、グルメに興味のない人にもお薦めします。
コモンズ書店からアマゾンでの購入もできます


■「働きがいのある会社‐日本におけるベスト25」
斎藤智文 労務行政 2500円(税込)

Great Place to Work(GPTW)はというのをご存知でしょうか。
従業員の働きがいの視点から、会社を評価し、会社をもっともっと魅力的にしていこうという活動です。
本部はアメリカにありますが、この数年世界中に広がりだしている活動です。
この活動を日本に紹介し、日本での活動を推進してきたのが、斎藤さんです。
斎藤さんはこれまで日本能率協会コンサルティングで、この活動に取り組んできましたが、
今度、同社からスピンアウトし、働きがいのある会社研究所を設立しました。
Great Place to Workの思想をさらに広げていきたいというのが斎藤さんの思いです。
その斎藤さんが、最近出版したのが本書です。
神戸大学大学院の金井教授は、「Great Place to Workの日本デビューに寄せて」という文章を本書に寄せています。

斎藤さんと出会ったのはもう20年近く前になるでしょうか。
当時、私はまだ企業に関わる仕事に大きな魅力を感じており、日本能率協会ともいろいろと接点がありました。
その後、私自身は企業の動きに失望し、まちづくりやNPOの世界にのめりこんでいましたが、
斎藤さんの名前は雑誌などで時々は意見していました。
一昨年でしょうか、次世代育成研究会で斎藤さんに久しぶりに会いました。
そしてGreat Place to Workに取り組んでいることを知りました。
25年前に東レで実現したかったことの一つです。

斎藤さんからは時々情報をもらっていましたが、斎藤さんも独立されたので、
一度お会いしたいと思っていたら、本書を持ってオフィスに来てくれました。
いろいろと話してみて、斉藤さんの経営観は私のそれと極めて近いことがわかりました。
本書を読んで、ますますそう思いました。
本書は、経営に発想の転換を求めています。
ぜひ多くの企業人、あるいは組織人(行政やNPO)に読んでほしい本です。

Great Place to Work調査(働きがいのある会社)調査は、1998年以来、毎年アメリカで行われ、
その結果は「フォーチュン」に掲載され、話題を呼んでいます。
以前、従業員のモチベーションの高さでサウスウエスト航空が話題になりましたが、
それはこの調査の第1回目で、同社がベスト1になったからだそうです。
日本でも斎藤さんたちが中心になって3年前から始まり、結果は毎年、日経ビジネスで発表されています。
本書は日米の調査結果を踏まえながら、Great Place to Workの考え方とその実現策を理論的かつ具体的にまとめたものです。
事例も豊富ですし、なによりもこれまでの調査実績を踏まえての、
斎藤さんの経営論(Great Place to Workの理論的背景と言ってもいいですが)が示唆に富んでいます。

長くなるので、そのいくつかを箇条書きで紹介します。
・「働きがい」には会社全体を覆う「信頼」の文化が不可欠である。
・Work Harder時代から、Work Smarter時代を経て、今はWork Togetherの時代。
・従業員以外の何も新しい価値を生み出すことはできない。
・「組織における働きがい」と「仕事のやりがい」は別のもの。

どうですか、読みたくなりませんか。

日本企業の強みと弱みに関しても、たくさんの示唆を得ることができます。
私には共感するところが実にたくさんありました。
おそらくそれは、この調査が「従業員の生の声」をベースに組み立てられているからだろうと思います。
現場にこそ真実はある。
これは私の信条の一つです。

Great Place to Work活動は、来年からきっと本格的に拡がっていくでしょう。
いえ、そうしなければ、日本の企業は疲弊していくばかりです。
Great Place to Work活動が、日本の企業を変えていくことに期待したいです。
斎藤さんにがんばってもらわなければいけません。
私もまた久しぶりに、企業に関わろうかという気が出てきたような気がします。

コモンズ書店からアマゾンでの購入もできます。
企業を変えたいと思っている方はぜひお読みください。
動き方がきっとわかってきます。

■「新」平和主義の論理
(川本兼 明石書店 2008)

平和をライフワークにされてきた川本さんが、いよいよ実践に向けて動き出す段階に入りました。
本書は、その決意宣言書でもあります。
川本さんの著書に関しては、毎回、このコーナーで紹介してきました。
これまでに著書は次をご覧ください
川本さんは、これまでは主に若者に向けて語りかけてきましたが、私のような世代のものが読んでも示唆に富むものでした。
残念ながら読者が多いとはいえない状況です。
今回は、読者のターゲットを変えました。
これまでの著作活動の、いわば集大成です。

川本さんは、高校の教師ですが、それとこの活動とは峻別して考えています。
ですからこれまでは執筆活動が中心でした。
しかし、その川本さんも間もなく定年です。
たぶん実践に向かうでしょう。
今の時代状況は、それを求めています。
いま動かなければ、また繰り返しです。

川本さんの新平和主義の特徴は次の3点です。
@「戦争そのもの」「戦争ができる国家」の否定
A「希望する平和」ではなく「獲得する平和」という平和観
B基本的人権としての平和権
これらは、このサイトや私のブログの根底にある、組織起点の発想から個人起点の発想へという世界像のパラダイムシフトと符号しています。

本書の内容の紹介は今回はやめます。
ぜひ読んでほしいからです。
それに代えて、はじめにで川本さんが書かれていることを少し長いですが、一部を省略させてもらいながら、引用させてもらいます。

ここ数年の間私は、主に若い読者を対象に本を書いてきました。
これからの日本や世界を担っていく若い読者に私と一緒に考えていって欲しいと考えたからです。
しかし、この本は、「戦争を知らない『元』子供たち」であるわが世代を対象に書きました。
その理由は、現在の日本の状況を見て、私たちの世代が本当にこのような国を作ろうと思ったかを問いたいからです。
「戦争を知らない『元』子供たち」たちは、戦争体験を通じて獲得した日本国民の戦後の「感覚」の真っ只中で育っています。
そして、「戦争を知らない『元』子供たち」は、学生運動などを通じてかつては戦後の日本を作ろうと考えました。
その私たちの世代が、本当にこのような国を作ろうと思っていたのか?
防衛庁が防衛省になり、海外派遣が自衛隊の本来任務になってしまった国。
すべての学校で「君が代」を歌うことが強制されていても何ら問題にされない国。
「勝ち組」「負け組」という言葉が情け容赦なく使われるようになってしまった国。
貧富の差がこれほどに拡大してしまっているのに労働組合がただ傍観しているしかできない国。
「革新」という言葉が姿を消し、二大政党が大連立を組むための試みまでもが行われる国。
そして、何よりも、学生や若者が何事に対しても自らの意思を表明しなくなってしまっている国……。

戦争体験を通じて獲得した日本国民の戦後の「感覚」は、多くの点ですでに西欧型民主主義やソ連型社会主義(=社会主義型民主主義)の考え方を超えていた。
しかし、わが国民はそれを表す言葉(ロゴス)や論理(ロゴス)や普遍原理(ロゴス)を持ってはおらず、そこでわが国は、その日本国民の「感覚」とは異なる方向へと歩むことになってしまった。
したがって、「戦争を知らない『元』子供たち」は日本国民の戦後の「感覚」に「言葉(ロゴス)」を与えなければならず、そしてもしそのことが可能であれば、日本国民は本当の意味での国際貢献を行えるようになり、世界をリードすることになる。
「戦争を知らない『元』子供たち」は、子供の頃、「戦争を知っている大人たち」に「どうして反対しなかったのか」「どうして抵抗しなかったのか」と問いかけました。
そのことが大人たちをいらつかせ、そのいらつきから発せられる「戦争も知らないくせに…」という言葉に対して、「戦争を知らない子供たち」の歌が生まれたのですが、しかし、これからは私たちの世代が「どうして反対しなかったのか」「どうして抵抗しなかったのか」と問われかねません。
そこで私は、この本でわが世代に本当にこのような国を作ろうと思ったかを問い、そして「戦後日本の再構築」を呼びかけたいのです。

読まなければという気になったら、ぜひお読みください。
感想なども聞かせてもらえるとうれしいです。
川本さんにお願いして、一度、話を聴く会を開催したいと思っています。
関心のある方はご連絡ください。
5人集まったら開催する予定です。

コモンズ書店経由でアマゾンから購入できます

■「つくってみよう まちの安全・安心マップ」
傘木宏夫 自治体研究社 1333円(税別)

傘木さんは、長野県の大町市に拠点を置く、NPO地域づくり工房の代表ですが、
地元でまちづくり活動に取り組みながら、全国的にもさまざまな活動をされています。
私が知り合ったのは、コムケア活動のおかげですが、
そこで傘木さんが企画したプロジェクトに関心を持ったのが最初です。
そのプロジェクトは残念ながら予想外の「事件」によって傘木さんの思うようには展開できなかったのですが、
その時の傘木さんの対応の姿勢がとても心に残ったのです。
プロジェクトは成功するに越したことはありませんが、
それ以上に大切なのはプロセスであり考え方だと思っている私には、とても印象に残りました。

その後、傘木さんが主催する会にゲストとして呼ばれたことがあります。
地域に立脚して、住民主役の姿勢で地域づくりに取り組んでいる傘木さんの誠実さを感じました。
しかも傘木さんはそうした活動と並行して、地域づくり関係の研究所などにも参加しながら、
現場に埋没することなく、その世界を広げ深めているのです。
いわゆる「土の人」でもあり「風の人」でもあるのです。

その傘木さんから、新著が送られてきました。
それが、この本です。
「安全・安心マップ」。まさにいま各地で求められているものです。
傘木さんの実際の体験を基本においた実践書ですから、とても読みやすく説得力があります。
協働が新しい段階に入ってきたのだと、私はこの本を読んで実感しました。
この本で紹介されているのは、子どもやお年寄りがむしろ主役になって地域づくりの取り組む事例ですが、そこでは行政主導の形式的な協働のまちづくりではなく、住民同士の協働の実践への展望が見えてきます。
地道な活動を重ねてきた傘木さんならではの、思想を背景にした実践書です。

「安全・安心マップ」は、完成したマップが重要なのではありません。
マップづくりのプロセスがとても大きな意味を持っています。
私も数年前、自治会長を引き受けた時に、「安全・安心マップ」の取り組もうと思いました。
残念ながら、その時は実現できませんでしたが、この本があれば少し違った展開ができたかもしれません。

自治会や学校、あるいは老人会などで、
この本を参考に、各地の「安全・安心マップ」づくりが広がるといいなと思います。
子育て関係のNPOやグループでも、ぜひ取り組むといいのではないかと思います。

あんまり本の内容紹介にはなっていませんが、とても良い本です。
まちづくりや暮らしに関心のある人にお薦めします。

■「新・挑戦する独創企業」
浜銀総合研究所経営コンサルティング部編著 プレジデント社 1800円(税別)

昨年、この欄でもご紹介した、「挑戦する独創企業」の続編です。
浜銀総合研究所経営コンサルティング部は、「先見性と創造性と専門性を発揮し、幅広い情報の提供を通じて地域の将来の発展に貢献する」ことをミッションに、主に中小企業を対象に、現場に足を踏み入れての問題解決支援のコンサルティング活動に取り組んでいます。
そこで出会った元気な企業を、その独創性に主に着目して紹介してくれているのが本書です。

この本の編集の中心になっている浜銀総合研究所の寺本明輝さんのメッセージが、ますます冴えてきています。
寺本さんは、これまでの豊富な事例体験から、こういいます。

独創企業に見られる特徴的な企業文化を抽出していくと、改めて植物の生き方に似ていることに気づく。
厳しい環境変化の中にあって、風向き(外部環境)はなかなか変えられない。
しかし、根の張り方(組織能力)を変えることは十分可能なはずだ。
植物の生き方にも通じる、 独創企業の環境対応のマネジメントには、中小企業が存続・発展し続けるためのヒントが隠されている。

こう書かれている第1章「植物の生き方に学ぶ中小企業経営」は、とても示唆に富んでいます。
中小企業経営とありますが、大企業にとっても学ぶことは多いです。

つづいて、キラリと輝く独創企業19社の事例が、「経営理念とビジョン」「事業の仕組み」「組織とマネジメント」「技術と技能」「製品(商品)開発力」という5つの切り口で紹介されています。
いずれの事例も面白いですが、それぞれに、前著と同じように、寺本さんの解題的なコメントがついています。
たくさんの企業経営現場に触れ、多くの企業経営者に会っている寺本さんの心身から発せられているメッセージだけに、説得力もありますし、含蓄もあります。
どれだけ消化できるかは、むしろ読者の問題かもしれません。

寺本さんは、こうも書いています。

成熟化した社会において、質的向上はさまざまな局面で問われている。
しかしながら、企業経営の現場では、まだまだ売上高、生産高、シェアなど量の追求に躍起になっているのが現実だ。
その結果、価格競争による利益不足が差別化投資の不足を招くという悪循環に陥っている企業が少なくない。

量の追求に血眼になっている限り、価格競争という体力消耗戦から抜け出すことはできない。
経営資源の量で大企業に劣る中小企業が、体力消耗戦に挑んでも勝ち目がないのは明らかだ。
成熟経済の時代においては、独創化に成功した企業だけが存続・発展を許されるのである。


共感できます。
そしてこれは、単に大企業に対する中小企業の戦略ではなく、企業そのもののあり方へのメッセージだと思います。

企業経営に関わる皆さんに、ぜひ読んでいただきたい1冊です。
現場の知がふんだんに感じ取れるはずです。

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■「UD革命―思いやりの復権」
ばばこういち+安藤千賀 リベルタ出版 1800円

CSテレビの「よみがえれニッポン」の番組で、
6年以上にわたって、UD.ユニバーサルデザインに取り組んでいるのが、ばばさんと安藤さんです。
私もその番組には何回か出演しましたが、
お2人の関心は、デザインではなくて、思想としてのユニバーサルデザインなのです。
したがって当初はいささかの違和感がありましたが、そのうちに、私もその情熱に取り込まれてしまいました。
それに6年も継続して取り組んでいる姿勢は、それだけでも感心します。

この6年間の活動を踏まえた、いわば中間報告が本書です。
お2人のユニバーサルデザイン論がとても具体的に語られています。
思想としてのユニバーサルデザインですから、
プロダクトデザインの話よりももっと幅広い世界が語られています。
法テラス病院や診療所の話、行政やまちづくりの話などが、とてもわかりやすく紹介されています。
ねじれ国会はUD的などというメッセージもあります。
私が関わった美野里町(現小美玉市)の文化センターの話も出てきます。
社会派ジャーナリストのばばさんのシャープな目とフットワーク抜群の若い安藤さんの素直な目が、
とてもいいバランスで組み合わさっているように思います。

この番組に関わった人たちの、それぞれのユニバーサルデザイン論もありますが、
それぞれが勝手に書いているのが愉快です。
ユニバーサルデザインの本質の一つは「寛容さ」であり、
昨今のユニバーサルデザインの動きには多様性が欠落しているような気がしている私としては、
この部分にこそ、ばばさんのユニバーサルデザイン論の本質が見えるような気もしました。

しかし、ばばさんがメッセージしたいことは明確です。
最終章でばばさんはこう書いています。

経済力や軍事力が力の本質として存在する中で、
国際的なリーダーシップをとるために、私はユニバーサルデザインを国是にして掲げることを提唱したい。
「相手の立場で考え」「対話と参加」を大切にするユニバーサルデザインの思想は、
地球人にとって何よりも大事な地球益第一の運動につながる。
国是としてのユニバーサルデザインとは、
日本が環境保全を積極的に推進し、世界平和のために戦争を起こさぬ断固たる姿勢を貫くことである。
その意味で日本国憲法は、ユニバーサルデザインの思想そのものだと言えるだろう。

実例も多くて、読みやすい本ですので、夏休みの合間にでもぜひお読みください。

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■「戦争絶滅へ、人間復活へ」
むのたけじ  聞き手黒岩比佐子 岩波新書 2008

「食育のススメ」の黒岩比佐子さんの尽力で実現した、たぶん後世に残る1冊です。

黒岩さんからはむのたけじさんのお話を何回か聞いていました。
いつかきっと本になるだろうなと思っていたら、黒岩さんが聞き手になっての本になりました。
最高の聞き手とめぐり合えたむのさんの幸せと社会の幸運をとてもうれしく思います。
少し褒めすぎのように思えるかもしれませんが、本書を読んでもらえれば、きっと納得してもらえるでしょう。

93歳のむのさんの体験に裏付けられたメッセージはいずれも心に響きます。
そして確信を持った理想への姿勢が伝わってきて、元気づけられます。
私の目指す生き方とこれほどに重なっていたのかと、改めて驚きました。
もちろん私はまだ、その目指す生き方には程遠い生き方でしかありませんが、最近いささかめげていたので、大きな元気をもらった気分です。

日本は新憲法で完全に交戦権を奪われた。憲法9条は、軍国日本に対する死刑判決だとむのさんは言います。
国家への死刑判決。
アメリカにとっては、実に皮肉な話ですが、国家を否定された日本のその後の歩みは、まさにそれに符合しています。
そして、むのさんはこういいます。
「戦争を永久に放棄する」という文字通りに、憲法9条を実現するためには、私たち一人ひとりがどんな生き方をしなければいけないのか。それを考えるところから、人類の平和への道しるべが見えてくるのはないか。
私なりに解釈すれば、国家から自由になる生き方です。

さらにこうもいいます。
もう一度、一人、一つ、一個というところから始めよう、ということです。
結局、大事なのは、私を救えるのは私以外にないということです。私は私であり、私自身を大事にして自分に誇りを感じ、志をもって生きるということ。そうすると、他の人のこともよく考えることができる。自分を大事に思う人間でなければ、他人を大事にすることもできません。結局、人を変えるものはやはり自分で、他力によって人は変わりません。

元気づけられます。
すべての出発点は、自分の生き方なのです。

現代の社会に対しても、むのさんは述べています。
私はこれまで93年も生きてきたけれども、日本の社会がこんなにもそわそわして落ち着きがなくなったのは、見たことがない。なにもかもが細切れに切れてしまって、バラバラになっている。だから、いまの若い世代の人、20代や30代の人たちがわが身を落ち着けることができず、非常にそわそわしているというのは、彼らが悪いのではなくて、社会の状況がそうさせているのだろうと思う。
この視点に立たない限り、昨今のさまざまな事件の本質は見えてこないと私も思います。

きりがないですね。
ここで引用させてもらったのは、ほんの一部です。
こういうメッセージがふんだんにちりばめられている本です。

聞き手の黒岩さんの発言にもたくさんの示唆を感じます。
単なる聞き手ではなく、引出し手であり、むのさんに異を唱えることも含めて、むのさんの発言と共振しているのが読んでいて気持ちがいいです。
現場に立脚している黒岩さんの現代への憤りも時に感じられますが、まあ、それは読んでのお楽しみです。

ぜひ多くの人に読んでほしいです。
近くの書店で購入して読んでください。
新書ですからすぐ読めますし、コーヒー2杯分で購入できます。
近くに書店がない場合は、アマゾンで申し込んでください。
次のところから簡単に申し込めます。
戦争絶滅へ、人間復活へ―93歳・ジャーナリストの発言 (岩波新書 新赤版 1140)
ぜひ読んでほしい1冊です。
そして生き方を少しでも変えてもらえるとうれしいです。
自分を大切にする生き方に、です。
私たちにできることは、ほんとうにたくさんあるのですから。

*黒岩さんが、日本近代文学館主催・夏の文学教室で、.「1905年、戒厳令下の東京」の講演をします。
 会場は有楽町駅すぐのビックカメラ7階「よみうりホール」。詳しくは日本近代文学館のホームページをご覧ください。

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■「法則の法則―成功は「引き寄せ」られるか」

一条真也 三五館 2008年 1500円

一条さんから本書が贈られてきた時、「やっぱり」と思いました。
一条さんからは、この本の構想は聞いたことはなかったのですが、
何となく一条さんがいつか書くだろうなと思っていた書名の本だったからです。
しかし読んでみたら、私が予想していた内容を超えていました。
一条さんがこれまでずっとメッセージしてきたことが結論として書かれていたのです。
それは一条さんの「究極の成功法則」です。
ハートフル・ソサエティの基本原則と言ってもいいかもしれません。

一条さんは、メールでこう書いてきてくれました。

お送りした『法則の法則』ですが、自然科学・社会科学・人文科学の境界、
あるいは文系・理系の境界を超えた「リベラル・アーツ」の書を意識して書きました。
結論はおそらく意外に思われることでしょうが、わたしの本心そのままです。
『般若心経』『論語』『聖書』に、『国富論』『人口論』『資本論』・・・と、
古今東西の名著を「法則」というキーワードで読み解いた、
小生なりのグレートブック・ガイドともなっています。
佐藤さんのお好きなアダム・スミスの『道徳感情論』も出てきますよ。

本書は、「法則ってなんだろう?」という問いかけから始まります。
そして、「これから、私と一緒に「法則」をめぐる不思議な旅に出かけませんか」と誘います。
そして、旅の終わりには「あなたはすべての「法則」を貫く「法則の法則」について知ることでしょう」と約束してくれるのです。
その約束は少なくとも私には満足できるものでした。
もっともあまりにも素直すぎて、不満な人もいるかもしれません。
それを見越して、一条さんは自分で「結論はおそらく意外と思われるでしょう」と言っているのかもしれませんが、
私には極めて納得できる結論でした。
もう一条さんの世界にはまってしまっているからかもしれません。
しかし、それが本書の結論に、これほど「あっけらかん」と置かれるとは、思ってもいませんでした。
それが、私の「予想」を超えていたところです。

その「究極の成功法則」は2つありますが、ここで紹介するのは差し控えます。
本書を読んでいって、そこにたどり着くのが一番いいと思いますので。
そこに至るまでの「法則の旅」は面白いですし、いろんなヒントに出会えるはずです。

いくつかのキーワードを書いておきます。
「万有引力の法則」から「引き寄せの法則」へ
「求めよ、さらば与えられん」と「足るを知る、感謝のこころ」
黒魔術と白魔術
仏教と現代物理学

なんだか読みたくなりませんか。

最後に一条さんはこう書いています(一部省略)。

わたしにはいくつかの自分なりの「法則」のようなものがあります。
そうした「プチ法則」は、わたしが生きていく上で大切な支えとなっています。
結局、「法則」は人間が生きていくために役に立つものでなければならないと、私は考えます。
人間を幸せにするもの、人間を元気にするもの、人間を励ますもの、
そんな「プチ法則」たちをこれからも見つけていきたいと思います。
そして、みなさんにも、きっとそんな「プチ法則」があるはずです。

法則は「縛られるもの」ではなく、「創るもの」と考えると、なんだかわくわくしてきますね。 疲れている方は、ぜひ本書をお読みになって、元気になってください。
ここからも購入できます

■「間違いだらけのメンタルヘルス」
久保田浩也 法研 1500円

最近、メンタルヘルスが大きな話題になっています。
この言葉に私が最初に出会ったのは30年前です。
当時、日本生産本部でこの問題に取り組んでいた久保田さんからお聞きしたのです。
久保田さんは、メンタルヘルス研究委員会を発足させ、企業に「メンタルヘルス診断」を広げようとしていました。
なぜ「身体」的な健康診断は企業や学校でやるのに、精神的な健康診断はしないのか。
久保田さんの主張は説得力がありました。
しかしなぜか広がりませんでした。
そして、メンタルヘルスの捉え方は全く違う方向に行ってしまいました。

久保田浩也さんは、メンタルヘルスをライフワークにされています。
いまはご自身のメンタルヘルス総合研究所をを拠点にして活動されています。
最近のメンタルヘルスは、本書で久保田さんが指摘しているように、「心の病気」をイメージさせるものになってしまっています。
私自身、いささかの違和感を持ちながらも、そういう意味で使うようになってしまっています。
反省しなければいけません。
しかし、元祖メンタルヘルスの久保田さんは違います。

本書の副題は「心が病気になる前に、打つ手はないのか」です。
久保田さんのメッセージは明確です。
病気にならないようにすることこそが、メンタルヘルス問題だろうということです。
全くその通りです。
問題の定義を間違えれば、問題を解くことはできません。
まさにいま、私たちはそうした間違いに陥っているように思います。
本書は、そうした状況を変えていくための啓発の書であり、実践提案の書です。
ぜひ多くの人に読んでほしいと思います。
久保田さんの長年の蓄積と世間の流れへの苛立ち?もあって、
本書はいささか欲張りすぎて、しかも「密度」が高いため、軽く読むのは難しいかもしれませんが、
さまざまな示唆と実践的なヒントが満載されています。
それに著者自身が自称しているように、久保田さんはかなりの「へそ曲がり」ですので、言葉だけで語る人たちを信用していません。
ですから、時に辛らつな言葉で「常識」を切り捨てることもありますので、
ムッとする人もいるかもしれませんが、 その主張はとても理に適っています。

前フリを長々と書いてしまい、肝心の内容の紹介ができませんでしたが、
企業や学校で、久保田さんが提案するようなスタイルでのメンタルヘルスが一般化し、心の体操が広がることを期待したいです。
いまの社会を変えていくためのヒントが、そこにあるように思います。

内容紹介の代わりに、本書から2つの文章を紹介させてもらいます。

心の問題を、心の病の問題と多くの人は勘違いしています。
心の問題は、健康な人を含めたすべての人の問題であり、
すべての企業・組織・集団の問題であり、
すべての学校、すべての家庭の問題です。

心の健康管理のモデルは身体の健康管理にあります。
私たちが必要としているのは、身体の健康でもありませんし、心の健康でもありません。
普通の人に必要なのは心と身体が一体となった、私たち一人ひとりの「人間の管理」です。

ちなみに、本書には誰でも簡単に習得できる、久保田さんが開発した「心の柔軟体操」の方法も掲載されています。
ここからも購入できます。



■愛する人を亡くした人へ
一条真也 現代書林 2007年 1100円

長いこと、机の上に置かれていた一条真也さんの「愛する人を亡くした人へ」を読みました。
昨年発売された本ですが、まさに愛する人を亡くした私には開くに開けずにいたため、紹介ができずにいました。
ブログの節子への挽歌でも書きましたが、「愛する人を亡くした人へ」と一括して語られることへの違和感もありました。
この種の本は、むしろその状況になってからではなく、その状況から一番遠い状況の時によんでおくのがいいように思います。
一度読んでおけば、万一そうなった時にもきっと読めるでしょう。
本書は、そういう本のようにも思います。
つまり愛する人がいる人は、あらかじめ読んでおいたほうがいいということです。
それに本書を読むと、人に対するやさしさが高まるのではないかと思います。
本書の帯に「現代人のための心の書」とありますが、理屈っぽい生き方の本よりも私にははいりやすいように思います。

本書の私の読後感は一部、ブログに書きましたが、ここでは私の心にすっと入ってきたことを一つだけ書いておきます。
第4章は「いのちー永遠につながっています」というタイトルです。
そこで「孝」の思想が語られています。
いのちは時間を超えてつながっている、
一条さんはこう書いています。

現在生きているわたしたちは、自らの生命の糸をたぐっていくと、
はるかな過去にも、はるかな未来にも、祖先も子孫も含め、みなと一緒に共に生きている。
わたしたちは個体としての生物ではなくひとつの生命として、過去も現在も未来も一緒に生きるわけです。

そして、こう考えれば、「死」へのまなざしは「生」へのまなざしへと一気に逆転する、というのです。
私にはとてもよくわかります。

表題のメッセージが強いですが、むしろ多くの人に気楽に読んでほしいと思います。
一条さんは、グリーフケアの文化を広げたいと思っています。
本書がそうした活動を加速させることを期待しています。
一条さんのホームページもぜひご覧ください。

■世界をつくった八大聖人−人類の教師たちのメッセージ
一条真也 PHP新書 700円

最近はあまり聞きませんが、私が子どもの頃は世界の四大聖人という言葉がよく使われていました。
その言葉を久しぶりに聞いたのは、たしか2年前、佐久間庸和さんからでした。
「四大聖人って誰が言い出したのでしょうね」という話でした。
そういえば、この捉え方は考えてみると実に奇妙な発想です。
まさに人類的視点がなければ、このように文化や宗教を超えた発想は出てこないはずです。
それまで全く思ってもいなかったのですが、
こうした発想の根底には、西欧近代とは全く別の視点がありますから、
だれが言い出したのかは興味ある話です。
そう思いましたが、いかにも古い言葉ですので、それ以来すっかり忘れてしまっていました。

しかし佐久間さんはそうではありませんでした。
一条真也は佐久間さんのペンネームですが、その疑問を発展させて本を書きました。
それがこの本です。

佐久間さんが取り上げた八大聖人は ブッダ、ムハンマド、イエス、モーセ、ソクラテス、孔子、老子、そして聖徳太子です。
その人たちを「人類の教師」と位置づけ、そのメッセージを読み解こうというのが本書です。
そのメッセージから、人類の未来の希望につながるヒントが読み取れると佐久間さんはいいます。
そしてそのヒントを具体的に語ってくれます。
その根底にあるのは、佐久間さん(一条さん)の一連の著作を通じて語られている、平成心学の理念です。

私にとって興味深かったのは、聖徳太子の話でした。
佐久間さんの太子論は初めて読むような気がしますが、佐久間さんは聖徳太子を龍だというのです。
龍となれば、当然、水が出てきますが、
人類の現状を水と火から読み解きながら、火と水をつなげて、火水(かみ)というのです。
コンセプトメーカーにしてコピーライターの一条真也さんの面目躍如ですが、
そこに込められた佐久間さんの願いには共感できます。
さらに佐久間さんは、友人の鎌田東二さんの「聖徳太子は集合的無意識」論に共感して、
「聖徳太子は人類の集合的無意識の原型(元型)だ」と言い切ります。
そしてこういいます。
「聖徳太子という存在自体が巨大な意味を秘めた人類への暗号のような気がしてならない」

興味を持たれたら、ぜひ本書をお読みください。

私自身は、「不寛容で閉じられた存在」から「寛容な開かれた存在」へと宗教が進化する段階に来ていると思っていますが(一神教のような初期宗教の役割は終わったように思います)、まさかその鍵が「聖徳太子」にあるとは思ってもいませんでした。
一条さんの「聖徳太子の謎」をぜひ読んでみたいと思っています。
聖徳太子に込められた人類の謎をぜひ解き明かしてほしいです。

■実践社会調査入門
玉野和志 世界思想社 2008 2000円

今回はちょっとテキスト風の本の紹介です。
社会調査とは、人々の意識や行動などの実態をとらえるための調査のことです。
統計学と同じく、社会調査もまた近代の申し子のような気もしますが、
そもそも社会調査は労働者の生活実態を可視化することから始まったとされており、
その点では統計学とは違って、人間の視点を大事にしています。
そして、人々の主体的な動きを支援する源泉にもなったとされています。
まちづくりや市民活動においても、社会調査は効果的な材料を与えてくれますが、
最近ではしっかりした社会調査に代えて、安直な統計的情報ですませてしまう場合もあります。
それでは、管理のための実態把握はできても実践のための実態把握はできないように思います。

話が脱線してしまいましたが、社会調査はいま改めて必要になってきているように思います。
本書はそうした社会調査の入門テキストです。
著者の玉野さんとは一昨年、青森県の三沢市のまちづくりプロジェクトでご一緒しました。
実はその前に、玉野さんの著書「東京のローカル・コミュニティ」を読んで、
ぜひとも玉野さんとご一緒したいと思っていたのが幸いに実現したのです。
そこで玉野さんのたしかな住民視点と社会調査重視の姿勢を感じました。
「東京のローカル・コミュニティ」が面白かった理由がわかった感じがしました。
しっかりした社会調査を踏まえていたからなのです。しかも住民視点で。

本書は、社会調査の基本的な手引書ですが、
単に手法を書き連ねただけではなく、社会調査を実際に重ねてきた実践者の思いが感じられるとともに、
社会調査に取り組む基本的な姿勢に関しても、さまざまなメッセージがちりばめられています。
たとえば、最後の方にこんな記載があります。

社会調査はつねに人々の自発的な協力を得られるように、
きちんとした説明責任を果たし、かつそれが人々に何らかのメリットをもたらすものであることを示さなければならない。
社会調査の倫理とは、一言でいえば、そのような信頼を失わないように誠実に努めることに他ならない。

そしてそうしたことの一つとして、
スポンサー向けの報告書や研究のための報告書にとどめずに、対象者向けの報告書を作成することを提案しています。
とても共感できます。

最後のメッセージも共感します。

労働者大衆が歴史の表舞台に躍り出た近代という時代に成立した社会調査の方法が、
日本においても、われわれが自分自身を知り、自らを社会全体の中に位置づける道具として定着していくことを、切に願うものである。

ちょっとテキスト風なので誰にでもというわけではありませんが、
まちづくりや社会問題の解決に取り組んでいる人
たちにはお勧めです。
ここからも購入できます。

■中小企業にしかできない持続可能型社会の企業経営
森建司 サンライズ出版 2008

滋賀県に本社のある叶V江州の森会長は、会社の経営者でありながら、
昨今の経済至上主義の企業のあり方に大きな異論をもっています。
異論を持っているだけではなく、実際に現状を変えようと積極的に活動しています。
このコーナーでも前に「循環型社会入門」をご紹介しましたが、最近、また本を出版されました。
それが本書ですが、書名では伝わりにくいですが、持続可能な社会に向けての企業のあり方を提案している本です。
とてもわかりやすく、明確です。

たとえばこう書いています。

経済至上主義社会は「企業」という法人の利益を目指すものであり、
そこに関わる人々の利益を目指すものではない。

コストダウンによってもたらされるモノの豊かさは、人間関係を希薄にし、人のモノに対する愛着を失わせ、結果として古いもの、歴史的なものへの軽視を生んだ。新しいモノに囲まれている人間、それが常識になってしまっている。

共有していた従前の仲間が、そろって生き残ることを前提として考えるのは、いまでは、経営学で論じるものでなく、単なる倫理の問題として片付けられているのだろう。

法治国家として、法律遵守は当然のこととして受け入れても、法律に書かれていない社会基準、倫理、道徳をはじめ、世にいう良識によって戒められてきた戒律のようなものには、ほとんど関心を寄せていない。少しあれば便利で役にも立つが、大量にあることによって人間に害を与えるものや、市場の要請があるからといって、社会悪と成っているにもかかわらず、これらをいまだに大量生産を続けてやまない大企業はいかに多いことか。

引用が多すぎましたが、とても共感できます。
日本経団連の会長とは大違いです。

新江州は包装資材を扱う会社であるにもかかわらず、包装はできるだけないほうがいいと主張しているのです。
そして実際にそうした取り組みもしてきたのですが、なかなか成功しなかったようです。
消費者に関してもこう書いています。

供給側がいかに改革を目指して努力しても、生活者である消費者の意識や行動が変わらないと大勢は変わらない。その消費者の意識は、供給側の長期にわたる洗脳とも言える激しい宣伝活動の結果によるものでもあろうが、「より廉価なもの、品質の保証されたもの、いつでもほしい時ほしい場所で供給されるもの」。この3条件を消費者が求め続けている限り、包装はますます過剰になり、削減されることはまずない。

こうした状況を打破するのは、まさに中小企業だと森さんは主張します。
全く同感です。
大企業が主導する産業体制の中では、持続可能な社会など夢のまた夢かもしれません。

中小企業の人ではなく、大企業の人、とりわけ経営者や一般の生活者に読んでほしい本です。
森さんは滋賀県で、MOH運動というのを展開しています。
ぜひともそのサイトも見てください。
手軽に読めるサイズの本ですので、ぜひとも読んでみてください。
お薦めします。

購入はコモンズ書店からどうぞ

■「神さまがいっぱい」
武原敢 清流出版 2004

2004年に出版された本ですが、先日のコムケアフォーラムで出会った著者の武原さんからいただき、読ませてもらいました。
とても面白く、いろいろな人にも読んでほしいという気がして、紹介させてもらうことにしました。

この本は、武原さんが10年ほど前に体験したカナダのカソリック系の知的障害者施設で、障害者と一緒に過ごした半年間の生活記録です。
帯にこう書かれています。

「素直に生きてごらん! 
知的障害者と呼ばれる彼ら。
みんな個性的。そして自分勝手。
でも、みんな優しくて、みんな自分の世界を生きている」

そうした優しく個性的な人たちとの交流が、実に生き生きとえがかれています。
そして、著者の武原さんもまた、彼らに負けずに、素直に生きていることが、素直に表現されているのです。
私も10年ほど前に、知的障害者施設で宿泊させてもらい、彼らの優しさに感動したことがあります。
彼らを見ていると、私たちが失っていることに気付かされます。

武原さんは、6ヶ月のアシスタント試用期間の後、結局は「解雇」されるのですが、その顛末もとても生き生きと書かれています。
あまり書いてしまうとこの本を読む魅力がそがれかねませんが、
日本における福祉のあり方やNPOのあり方に対して、とても大きな問題提起をしているように思います。
私にはすごく面白い本でした。

その施設に本採用になるかどうかの評価の際に、武原さんはこんなコメントをもらいます。

「仕事はよくこなしているが、残念ながら今回もあなたからのギフトがなんなのかということが、はっきりしなかったわ」

自分でしかできない何か、ここではそれが「ギフト」と呼ばれ最も重視されている、と武原さんは書いています。
ギフトの思想
私たちの生き方や組織のあり方を考える上での本質的なものを含意しているような気がします。

共感したり、示唆をもらったりしたことはたくさんありますが、もう一つだけ書きます。
施設の利用者である、「知的障害者」たちについての記述です。

「彼らが、暴力を感じさせないのは、追い出されるのが怖いからではなく、そんなものは人間として生きていく上で必要ない、と本能的にとらえているからではないかと思う。たとえ力でねじ伏せることができたにしても、相手の心までは決して変えられるものではなく、そんな他人を蹴落としてまでして手に入れた安らぎに本物の喜びはない。いつか自分も誰かにやられるのでは、と常に不安がつきまとっていくことになる」

私たちの生き方が問題なのです。
ぜひ多くの人に読んでほしいと思い、紹介させてもらいました。
なお、著者の主宰しているネットワーク「つなぐ」も共感できます。
良かったら見てください。

■食育のススメ
黒岩比佐子 文春新書 850円

最近の食育ブームのあり方にいささかの違和感を持っているものとして、
「食育」という言葉には食傷しているのですが、この本はその種の本ではまったくありません。
むしろ「食育」とは何なのかを問題提起している本なのです。
抽象的な問題提起ではありません。
極めて具体的に、実践的にメッセージしています。

著者は、数年前に『「食道楽」の人 村井弦斎』を書いた黒岩さんです。
書名は、食育のススメですが、何を食べたらいいとかというような話ではありません。
明治のベストセラー小説「食道楽」のあらすじの紹介を軸にして、当時の風潮が生き生きと描かれています。
読んでいると、果たして日本の社会は明治以来、進歩したのだろうかと言う疑問を持ってしまうほどです。

「いのち」と「くらし」を直接的に支えている食はすべての文化の基本だと私は思っています。
食から社会を見ると様々なことが見えてくる、まさにそのことが見事に証明されている本です。
狭義の「食育」ではなく、広義の「食育」、つまり、文化論、社会論、人生論なのです。
いまの管理志向の食育発想とは全く違う食育文化が展望できます。
読み物としても面白いので、ぜひみなさんにも気楽に読んでほしいと思います。

もちろん中心に置かれているのは「食」です。
今の社会とつなげながら読むと、面白さは倍化します。
たとえば、食品の見分け方と保存法の話を読むと、食文化がいかに後退しているかがわかります。
そして、昨今の食品偽装事件の意味することも見えてくるような気がします。
さらにいえば、「食育」という言葉が取り違えられているのではないかとさえ思ってしまいます。

一編の小説が、国民病だった脚気の克服に大きな影響を与えた話も示唆に富みます。
小説とは何かを考えさせられます。

「食医」の話も出てきます。
しばらく前に話題になった韓国ドラマ「チャングム」で「食医」が話題になりましたが、
中国では医師が、食医、疾医、瘍医、獣医の4つに別れていて、
食医の地位が最も高かったそうですが、そんな話も出てきます。

弦斎は、この本で、家庭にも食医が必要だと書いているそうですが、驚きました。
最近、統合医療が話題ですが、どうも西洋医学の体系で考えられているような気がしているのですが、
そうした違和感の理由が何となく納得できました。
統合医療の取り組み方も見直す必要があるような気がしました。
まあ、それは余計な話ですが。

このように、書き出したら切がないほど、たくさんの話題がつめられている本なのです。
他にも、教育の話、結婚や夫婦の話、美人になる方法、健康や医療の話、住宅の造り方、まあ、話題は広いです。
食事のメニューやレシピもあります。
アイスクリームやパンの作り方まであるのです。

村井弦斎はこの小説を「教訓小説」と意識していたそうです。
黒岩さんは「食育小説」だといいます。
私は生活事典の面もあるなと思いました。
出版社の紹介記事に、役立つ「食」のヒントが満載とありますが、その通りです。

長い紹介になりましたが、珈琲2杯分で購入できますので、ぜひ購読してください。
きっとこれから話題になっていく本だと思います。
ちなみに、3月2日まで横浜にある県立神奈川近代文学館で、
『「食道楽」の人 村井弦斎』の収蔵コレクション展が開催されています。
2月2日には、著者の黒岩さんの記念講演会もあります。
テーマは「食道楽と日露戦争」。
いずれも黒岩さんの新著のテーマです。
お知らせは案内サイトをご覧下さい
ご関心のある方は、ぜひどうぞ。


■「書」から戴いた宝物
市川明徳 新風舎 2008

とても不思議な本です。
著者の市川さんが不思議な人ですので、
それと符合するのですが、感想をどう書いていいか迷います。
著者の市川さんは大企業のエンジニアです。
幼少の頃から書に親しみ、ついに本を出してしまったのです。
それで贈ってくれたのですが、実に不思議な本なのです。

市川さんと知り合ってかなりたちます。
企業変革の提案を目指すエンジニアの研究会で、彼が選んだテーマが水琴窟です。
日本庭園にある、水滴により琴のような音が発生する仕掛けです。
実に澄んだ音が響きます。それを社内に着けたらどうかというのです。
とてもいい提案だったと思いますが、実現はしなかったようです。
湯島のオープンサロンにも何回か来ました。
生き方において個性的なのです。一度会ったら忘れられません。

さて本の話です。
構成そのものが、そして編集そのもの、文章そのものが、あまり読者を意識していないのです。
最初は「大学合格体験記」ですが、その文章を書いたのが18歳、まさに受験の体験をしたその時なのです。
そしてそれに続いて、「今振り返る大学受験生時代」という文章が続きます。
よくあるパターンではないかと思うでしょうが、内容が不思議なのです。
自分用のメモをそのまま集めたような内容なのです。
ところが、それが奇妙に面白いのです。

それに続けて、23歳の時に書いた「科学者の倣(おご)り」なる小論が出てきます。
そこになんと、こんな文章が出てきます。
「有と無は同じことである」。
そしてそれがきちんと証明されているのです。
そして次第に、東洋学の話に移ります。
そのあたりから書が出てきます。
書家 手島右郷の「崩壊」の写真が登場し、文字が実体を表現できることが語られます。
こんなふうにまさに著者の人生録なのですが、一貫した読み物にはなっておらずに、
ひとりごとのようにさまざまなことが語られています。
いや語るというよりも、いろいろな場面で書かれた手紙や小論、あるいは書が展示されていると言っていいかもしれません。

最後に雑記と題して3つの章があります。
京都見聞録と旅行記と人生のテーマです。
その題につられて読むと肩透かしを食らった気がします。

まあ、こういう風に書いてくると、わけの分からない本のように思うでしょうが、実際にわけのわからない本なのです。
自分の備忘録ではないかという気がして途中で読むのを止めようとしたのですが、
何となく引き込まれて結局、最後まで読んでしまいました。
そして読んでしまうと実に不思議なのですが、市川さんのメッセージが伝わってきたのです。

はじめに、で彼はこう書いています。
私は学歴からすれば(途中省略)京都大学大学院機械工学研究科修士課程卒、
その後、エンジニアになる。と言えば、世間ではエリート的な存在かもしれない。
が、私がこれだけの世界しか知らなかったら、おそらく何か怪しい団体に入っていたか、
挫折して、どこかで「のたれ死」にしていたかどちらかだったと思う。
私の人生を2倍以上面白く豊かにしてくれたのが書道およびそれを取り巻く世界との出会いだった。

この本を読んで市川さんのことがようやくわかりだしました。
念のためにいえば、書に関してはいろいろと面白い話が出てきますし、教えられることも少なくありません。
市川さんが「書」を通じて得た、たくさんの「宝物」からも学ぶことは少なくありません。

不思議な本です。
みなさんにお勧めすべきかどうか迷いますが、
まぁ、こういう本のつくりかたもあるということで紹介しておきます。
みなさんも、ご自分の本をつくってみませんか。

市川さんは1月の16日から豊田市の美術館松欅堂で個展を開催しますが、
そこにいくと市川さんに会えるかもしれません。
不思議な人です。
会ったらよろしくお伝えください


■「茶をたのしむ」
監修一条真也 現代書林 2007

一条さんの監修で始まった「日本人の癒し」シリーズの1冊目です。
副題に「ハートフルティーのすすめ」とあるように、
一条さんが目指す「ハートフル・ソサエティ」に向けてのガイドブックと言ってもいいでしょう。
序文に一条さんが「茶の大いなる慈悲」を書かれていますが、
一条さんらしいパースペクティブをもった示唆に富む文章です。

一条さんはコーヒーも大好きなのですが、こう書いています。
コーヒーが意識を「外」に向かわせる飲み物なら、緑茶は「内」へと向かわせます。
こうも言います。
(理性の飲み物であるコーヒーとは違い)緑茶は「理性」の飲み物ではありません。
むしろ、「理性」を解体して「瞑想」へと向かわせる力を持っています。


茶室には「平和」と「平等」が凝縮されていると一条さんはいいます。
そこまではそうだよなと読み進められますが、一条さんはそこでは止まりません
さらに、茶室とはあらゆる宗教が共生する場所だと続けます。
手水鉢は神道、掛軸は仏教、作法は儒教、方角方位は道教、袱紗はキリスト教を象徴しているというのです。
宗教への造詣に深い一条さんらしい話です。

一期一会という究極の人間関係を生み出すのもお茶だといいます。
また日本では、
寿司屋でも蕎麦屋でも日本料理店でも、店に入ると一杯のお茶が出される。もちろん無料で、いくらおかわりしてもタダ
ということに大きな意味を読み取っています。
私自身も、そうした中にこそ、日本人の生き方や日本社会の文化の本質があるように思っています。
まさに一条さんがライフワークにしているホスピタリティの本質が含意されています。

とても短い文章の中に、たくさんの示唆が込められています。
茶の歴史や効用、入れ方や種類などの紹介もあります。
長年お茶の製造販売に取り組んでいる丸島園の若い経営者や日本茶インストラクターとの対談もあります。

ふだん何気なく飲んでいるお茶が秘めている大きなメッセージを改めて考えさせられる好著です。
このシリーズはこれから「花」や「旅館」が計画されているようです。
一条さんが創りだす、ハートフルライフの世界が育っていくのが楽しみです。

■「編集者 国木田独歩の時代」
黒岩比佐子 角川選書 1700円(税別)

黒岩さんが2年がかりで取り組んでいた本が完成しました。
今回は国木田独歩です。
但し、黒岩さんの関心は、作家としての独歩ではなく、ジャーナリスト・編集者としての独歩です。
実にたくさんの新しい発見があります。

黒岩さんからの手紙の一部を引用させてもらいます。

明治の日露戦争期の前後に、編集長として数多くの雑誌を創刊し、
その後は自ら「独歩杜」 を興して、特色のあるグラフィックな雑誌を発行し続けた独歩。
調べるにつれて思いがけない事実が次々にわかってきて、
独歩とその周囲の人たちに惹きつけられることになりました。
しかし、「独歩社」は破産という鈷末を竣えることになり、
その一年余りのちに独歩は36歳で亡くなっています。
彼の起伏に富んだ人生の大半は、情熱あふれる編集者として費やされたのでした。
現在、ほとんど忘れられている独歩が手がけた雑誌や「独歩杜」について、
本書をきっかけに知っていただければ、これほど光栄なことはありません。
ちょうど来年は国木田独歩没後百年の紀念の年です。
その直前に本書を刊行できたことを、心からうれく思っています。

独歩の実に魅力的な生き方が、生き生きと描かれています。
私は途中2回ほど涙が出るほどでした。
しかし、それ以上に興味を持ったのは、黒岩さんらしい徹底的な調査によるさまざまな発見です。
それも今の時代にも通ずるメッセージ性を持ったものが少なくありません。
時代が捨ててきた社会の文化や人間的な生き方も思い出させてくれます。

国木田独歩に関しては、私には自然主義作家ということと「武蔵野」しか知らなかったのですが、
本書を読んで、独歩の生き方にこそ大きなメッセージがあることに気づきました。
社会を見る目も共感できます。
まさに黒岩さんが言うように、編集者にしてジャーナリストなのです。

ちょっと一般の人には敬遠されそうな書名ですが、
もし働き方に悩んでいる人は231頁にある独歩の手紙を読んでみてください。
元気がもらえます。
その前にある「独歩社は自由の国」のあたりも示唆に富んでいます。

格差社会に憤慨している人は、212頁の底辺社会ルポルタージュへの独歩の指摘を読んでください。
アイデアに枯渇している人は、独歩のアイデアと実践力に刺激を受けてください。
さまざまな挑戦をしてきた独歩の事業戦力には刺激を受けるはずです。

明治という時代、あるいは日本の社会に育てられてきたもの、などを知る上でも興味ある材料がたくさん書かれています。

いろいろとご紹介したいところはあるのですが、中途半端な紹介よりも読んでもらうのが一番です。
文章はとても読みやすいので気楽に読めますし、なかには「謎解き」もあります。
「謎の女写真師」の正体を見事に解明してくれるのです。

前半は黒岩さんらしくややディテールが豊か過ぎるので、慣れていない人はちょっと疲れるかもしれませんが、
それが後半の面白さにつながっていきますので我慢してください。
後半はきっと引き込まれていきます。
これが黒岩スタイルなのです。

私も、前半を読んだ後、少し休んで読もうと思っていたにもかかわらず、
後半に入った途端に止められなくなり、最後まで読んでしまいました。

最後に、なぜか黒岩さんはこう書いています。
ジャーナリズムと戦争の関係は、現代に生きる私たちにとっても重要なテーマになっている。
未来を見つめるだけではなく、忘却されている過去をふり返ることも必要ではないか。
改めていま、そう思わずにはいられない。

私も本書を読んで、改めてそう思いました。
仕事にはすぐには役立たないかもしれませんが、お薦めします。

ここから購入できます。

■「わが人生の「八美道」」
佐久間進 現代書林 1000円(税別)

佐久間進さんは、このコーナーによく登場する佐久間庸和(一条真也)さんの父上です。
この度、旭日小綬章を受賞された記念に、ご自身の生き方を振り返り、それを「八美道」としてまとめたのが本書です。
とてもコンパクト(ソフトカバーの新書版)で、気持ちの落ち着く本です。
というのも、内容は「こころにしみこむ温かい言葉と、こころを癒す珠玉の写真」で構成されているからです。
写真は著者の友人の、沖縄の写真家、安田淳夫さんの沖縄の写真です。
その写真に添えるような形で、著者独自の「八美道」が書かれ、その合間にホッとするメッセージが書かれています。
読む、というよりも、眺めながら考える、というような本です。

たとえば、こんな文章が出てきます。

年をとったら、
ひとつ、ひとつ、捨てていくこと。
それしかない。
それがいい、

またこんなのもあります。

ありがとう、が一番
どこにでも
だれにでも
ありがとう
ありがとうの数だけ
あなたは幸せになれるのだから

著者は、日本にホスピタリティ産業の草分けの一人です。
10年以上前に北九州市で始まったホスピタリティ運動のシンポジウムに参加させてもらった時にお会いしましたが、その時は北九州市観光協会の会長でした。
実に壮大な構想力をお持ちで刺激をもらいましたが、その縁で私と一条真也さんとの付き合いも始まりました。
最近は一条さんの本ばかり読ませてもらっていましたが、今回は久しぶりに佐久間進さんの本です。

本の最後に、「ホスピタリティ産業の確立を目指して」という小論が載っています。
短いものですが、とても示唆に富んでいます。
たとえば、「ホスピタリティとは美しさ」と書いています。
単なる「おもてなし」ではなく、もう一歩踏み込んで「心が入る」=「美しさが出る」、これが真のホスピタリティだというのです。

美しさといえば、佐久間さんは、小笠原流礼法にも通じており、現在は日本儀礼文化協会の会長でもあります。
佐久間さんのホスピタリティ論をいつか本にしてほしいと思っていますが、
この本の行間にはそうしたホスピタリティの本質が込められているようにも思います。
いつも携行して、ちょっとした時間ができた時に好きなページを開いてみると、きっと元気と知恵をもらえるでしょう。
そんな本です。

本書の最後に、こんな文章が書かれています。
求道とは、自分をどこまで高められるか。
その挑戦が、私の人生目標です。

疲れた企業人の皆さんに、特にお薦めします。

■「CSRイニシアチブ」
日本経営倫理学会CSRイニシアチブ委員会 日本規格協会 2600円

CSR(企業の社会的責任)は古くて新しい問題ですが、いまや企業にとっては存続をかけた戦略的な課題になってきています。
しかし、言葉の広がりのわりには実体はかなり曖昧のまま、形式的な取り組みに終始しているケースが少なくないように思います。
私にとっては、この問題は「経営論」というよりも「企業論」だと考えていますので、昨今の取り組みにはむしろ大きな不信感を持っていますが、経営論としてのCSRももっと真剣に取り組まれるべきだと思います。
CSRは大企業の道楽やイメージ戦力ではなく、まさに業績に直結する問題だからです。

日本経営倫理学会では、すでに2年前に、企業がCSRを進めていく上での羅針盤となる、経営理念、行動憲章、行動基準を「CSRイニシアチブ」としてまとめ、発表しています。
本書は、その実践的なガイドブックです。
その具体的な展開を、各社の事例もふんだんに紹介しながら、ら実践的に解説してくれています。
体系的な項目立てを、各項目見開き2ページというスタイルでまとめていますので、関心に応じてどこからでも気楽の読めるというCSR事典でもあります。
編者の一人でもある清水正道さんは、「おわりに」でこう書いています。

効果的なCSRコミュニケーションとは、相手のステークホルダーの方々と我が社の人々とが、大所高所から肩書き付きで一方的に伝えるようなものではない。
できるだけ同じ目線で、何度でも繰り返しメッセージを伝え、反応を開き考え、改善のための行動を行い、その成果をまた伝えていく。
いわば、人と人との循環的な相互作用なのである。

同感です。
CSRとは、企業の存立基盤としての社会とのコラボレーション活動なのだと思います。
本書を読むと、そのコラボレーションの切り口が見つかるかもしれません。
ここから購入できます。

■「面白いぞ 人間学」
一条真也 到知出版社 1400円

一条さんの最新作です。
副題に「人生の糧になる101冊の本」とありますが、
30年にわたって、人の生き方、あり方を追及してきた到知出版社の書籍の中から、
101冊の本を簡潔に紹介したブックガイドです。

人間学というとなにやら難しく聞こえますが、一条さんは人間学について、こう書いています。

人間学とは、人間がいかに心ゆたかに生き生きと生きていくかを考えることである。
だから、人間学は楽しいし、面白い。
なぜなら、わたしたちは人間だからだ。
人間にとって一番面白いものは人間に決まっているではないか。

全く同感です。
もっともこの本が主に想定しているのは企業の経営者や経営幹部です。
章立ても、「帝王学入門」「先人に学ぶ」「経営の王道」「心ゆたかに生きる」「人間らしく生きる」「言葉の宝石箱」となっています。
1冊2ページで構成されていますので、気楽に読めます。
一条さんらしいガイドになっていますので、わかりやすく読みやすいです。

企業の経営幹部の皆さんには、人間学を考えるためのガイドブックになるでしょう。

■「仏教への旅 日本・アメリカ編」
五木寛之 講談社 1700円

「仏教への旅」は何回か取りあげたので、シリーズ最終巻の「日本・アメリカ編」も紹介させてもらいます。
本書のあとがきで書かれているように、私の友人の黒岩さんが関わっていますので。

本書では、親鸞と他力と9.11を通して、新しい仏教の可能性がメッセージされています。
最近、あまり本を読む気力がなくなっていたのですが、文章に勢いがあり、今回も一気に読めました。
いつもながら安心して受け入れられる示唆もたくさん受け取りましたが、
それに加えて、現代社会に向けての強い憤りを行間に感じてしまったのは、私の現在の心境のせいかもしれません。

9.11事件の捉え方も、とても共感できました。
ニューヨークにホームレスがいなくなっていたことに、
「権力を握った為政者が本気で何かをやろうとすれば、どんなことでも可能にしてしまのだなと、つくづく痛感したものである」
というところを読んで、9,11事件の現場で五木さんが何を見てきたか、何を感じたかを勝手に想像してしまいました。

また息子を事件で亡くした母親(アデールさん)が、
その後のアメリカの動きのなかで、「私たちアメリカ人も同じことをしているのではないか」と思い、
アフガンの現地に行き、平和の活動に取り組んでいくという話は、
まさにマルチチュードの世界の広がりを示唆する話です。

他力や悪人正機の話も面白いですが、
そうしたことが現実の生活と政治と絡み合いながら語られている本書から、
時代を見る目や時代を生きる知恵がたくさんもらえます。
いつもながら、とても読みやすいです。
読んだ後、このシリーズは日本の仏教界への問題提起の本ではないかという気がしてきました。
仏教の新しい可能性もたくさん取り上げられていますが、
日本の仏教界がこうした問題提起を受けて、自らのビジョンとミッションを広く社会に発信し、動き出してほしいと思います。

できれば、五木さんにも、問題提起だけで終わるのではなく、
仏教界の人たちと一緒に、実践に向けての新しい動きを起こしてほしいと思います。

次をクリックするとコモンズ書店を通してアマゾンから本書を購入できます。

「無所有」はなんと3冊も売れてしまいました。

■「無所有」

法頂 東方出版 2001年 1600円

今回は私の知人ではない人の本の紹介です。

妻が1か月前に亡くなりました。
以来、本を読む気力を失っていましたが、
以前、五木寛之さんの「仏教への旅」を読んで、気になっていた本がありました。
亡くなった妻と、毎朝、心を通わせあうなかで、なぜかこの本が思い出されました。
そこで読んでみました。
20年前(会社を辞めた前後)から妻と話していた、
私が目指している生き方がそこにとても具体的に示唆されていました。
驚きました。
私は、目指すだけで実行にはたどりついていませんが、
本書に書かれているほとんどすべてが、私の思いに重なります。
この本の原著が書かれたのは1970年代はじめです。
今から30年以上前ですが、その頃に本書に出会っていたら、私の人生は大きく変わっていたように思います。

著者の法頂は、韓国の僧で、「華厳経」と「星の王子さま」が愛読書だそうです。
生活の基本信条は「本来無一物」。
法頂は、何かを持つということは、一方では何かに囚われるということだといいます。
そして、そのことに気づいた。法頂は、こう心に決めたそうです。
「その時から、私は1日に一つずつ自分をしばりつけている物を捨てていかなければならないと心に誓った」。
そして、実践されます。

本書は、その法頂が日々の生活の中で見聞し感じたことを書き集めた随筆集です。
とても読みやすいです。
感動的な挿話も少なくありません。
泥棒の被害を受けた話がいくつか出てきますが、実に共感します。
一人でも多くの人に読んでもらいたくて、紹介させてもらいました。
きっと生き方に、新しい視点を加えてくれると思います。

書店では見つかりませんが、アマゾンで購入できます。
ここをクリックするとそれができます。

■『「日本国民発」の平和学』
川本兼 明石書店 2600円(税別)

平和をライフワークにしている川本兼さんの最新作です。
本書は、川本平和理論の集大成ともいえますが、同時にいまの日本の状況を踏まえた「警告の書」でもあります。
しかも昨今の平和への取り組みに対しても、なぜそれが奏功していないのか、川本さん独自の視点で理論化しています。
若者を意識して書かれていますが、論旨明快で、とても説得力があります。
若者をだめにしてしまった、私たち世代も読みたい本です。

川本さんは「平和」を「民衆の戦争の苦しみからの解放が基本的人権として保障されている状態」と定義しています。
この定義には、実にさまざまなことが含意されています。
そうした平和を実現するためにどうしたらいいか。
それは本書を読んでください。
これまでの多くの「平和関係の書」とは違います。
目線が常に生活者個人にあるのです。

川本さんはいくつかの具体的な概念を提起します。
たとえば基本的人権としての「平和権」、そして「民衆の非武装権」。
これまでの平和学からは出てこない発想です。

「民衆の非武装権」とは、民衆が国家の兵員になることを拒否する権利です。
民衆による暴力を禁止し、暴力を独占することによって、近代国家は権力の基盤を確立しましたが、
それは同時に「国民を暴力に狩り出す権利」の獲得でもありました。
そのため、これまでの平和理論の中では「民衆の武装権」が問題になりました。
民衆が圧制からの自由を求めて、立ち上がる権利です。

その典型的なものが市民革命ですが、川本さんはそうした「民衆の武装権」はもはや必要なくなったといいます。
むしろそうした武装権は国家に組み込まれてしまい、実質的には国家に対する兵役義務に転化してしまったというのです。
国家による暴力行使の主体は国民です。
国家が戦争を遂行できるのは、兵員としての国民を自由に暴力遂行パワーとして使えるからです。
ブッシュや小泉が戦争をするわけではなく、現地で戦いを担うのは兵隊や自衛隊員です。
しかも彼らは原則として戦場で人を殺すことも含めた暴力の行使を拒否することは出来ないのです。
そこでは「平和のために人を殺傷する」というおかしなことが起こります。

そこで、国家による暴力行使のために強制されることを拒否する権利として、非武装権が重要になってくるというわけです。
これはガンジーの非暴力主義とも違います。

この非武装権は川本平和論のキーワードの一つですが、
こうしたいくつかの重要な概念が私たちの生活の視点で語られているのです。
そして、日本人の貴重な戦争体験を踏まえて、平和への革命をスタートさせようと呼びかけています。
その第一歩は、「戦争ができる国家」に制約を加えることだといいます。
具体的には、新しい平和憲法の制定です。
この点に関しては、今の日本の状況は全く反対の方向を向いており、
戦争をしやすくしようと多くの政治家や経済人は考えていますし、多くの国民もまたそれを支持しています。
川本さんは、そうした状況を知っていればこそ、あえて新しい平和学を提唱しているわけです。

ちなみに、川本さんは新しい平和憲法も起案しています。
これに関してはすでに別著「自分で書こう!日本国憲法改正案」を書いていますが、本書にも川本平和憲法案が掲載されています。

在野の研究者の新しい平和論。ぜひ多くの人に読んでほしいと思います。
川本さんがこれまで出版された本も、併せてお読みください。
もし著者と話し合いたいという方がいたらお知らせください。
川本さんをご紹介します。
5人以上集まれば、川本さんをお呼びして話し合いの場をつくるようにします。

いま「平和」の問題をしっかりと考えておかなければ、
この先100年、私たちはたぶん平和を手に入れることはないのではないかと私は思っています。
そうならないようにするのが、日本人のミッションではないかと思っています。
本書を読んで、平和についてぜひ考えてみてください。

■「仏教への旅 ブータン編」
(五木寛之 講談社 1700円)

同じシリーズの朝鮮半島編を紹介した関係もあって、ブータン編も紹介します。
この本づくりには、黒岩比佐子さんが深く関わっているからです。
もちろんブータンも五木さんと一緒に歩かれてきました。
黒岩さんはフリーのノンフィクションライターですが、
本書の「あとがきにかえて」で五木さんご自身がお書きになっているように、五木さんの著作にこの数年関わってきました。
これまで一度も紹介することはありませんでしたが、今回は紹介させてもらいます。

というのも、実は本書を贈ってもらってからしばらく読む時間がなかったのですが、
昨夜、真夜中に目が覚めしまったので眠気を呼び起こそうと読み出したら、引き込まれてしまって、ついに読み明かしてしまったのです。
私が目指す社会のビジョンをそこに感じたからです。
そこでちょっと寝不足で頭が整理されていないのですが、
感動が薄れないうちに、特に刺激を受けた2つのことを書いておくことにしました。

最初は輪廻転生とつながりの話です。
ブータン仏教の基本には輪廻転生思想がありますから、死者を閉じ込める墓もなく、先祖供養も行わないようです。
その延長に「つながり」が出てきます。
業と縁起によって、すべての生きるものはつながっていきます。
輪廻転生という時間を超えた縦のつながりが、いま現在の生命のつながりを意識させることになります。
すべての人、すべての生き物が、時空を超えてつながっていくわけです。

そこから出てくるのは、「みんなが幸せでなければ本当に自分の幸せはない」という発想です。
まさに私が目指す、だれもが住みやすい社会です。
チベットやブータンにある化身の考えは、こうしたことから考えると納得できますし、
家族のあり方、家族と社会のあり方にも私たちの発想とは全く違った捉え方があることを教えてくれます。

そして、そのことはブータンが取り組んでいる「国民総幸福量(GNH:Gross National Happiness)」のテーマにつながっていきます。
これに関しては、本書をぜひ読んでください。
国民一人ひとりまでがGNP基準で考えるようになってしまった日本と、
国王までもが一人ひとりの生活のGNH基準で考えるブータン。
この違いには、歴史の岐路が含意されています。

ブータンにも近代化の波が押し寄せてきています。
今年の新春のテレビで、五木さんと塩野七生さんの対談がありました。
そこでもブータンの国民総幸福量が話題になり、
塩野さんが、一度、物質的生活を知ってしまえば、もはや戻れないと不安を表明されましたが、
五木さんは新しい生き方だと主張されていました。
私は五木さんに共感します。
ブータンの国民総幸福量の実験が、歴史を変えていくことを期待します。
その可能性を最初から諦めることはしたくはありません。

現地で体験されてきた黒岩さんも五木さんも、日本の仏教とブータン仏教は違うといいますが、
本書を読んで、私は考え方においてほとんど同じではないかと思いました。
むしろ私たちが忘れたり、気づかなくなってきた日本社会の古層が、そこに感じられます。
私の思い違いかもしれませんが。

いずれにしろ、キリスト教とイスラム教の対立に振り回される状況を変えるためにも、
仏教は大きな役割を果たせるのではないかと思います。

あんまり本書の紹介にはなりませんでしたが、ともかく示唆に富んでいます。
自分の生き方へのたくさんのヒントも得られます。
読みやすい本ですので、ぜひお薦めします。

■「共済事業と日本社会」
押尾直志監修 共済研究会編 保険毎日新聞社 1800円

いま、人々の助け合いである共済や互助会が存続の危機に立たされている。
改定された保険業法の中身が知られるにつれ、各種団体の内外から対策を求める運動が起こってきた。
共済を守ることで自らの生活と仕事、地域社会を守ろうとする人々が、組織をこえて手をつなごうとしている。
本書の出版は、共済事業が全国の職域、地域に広く根づいて国民の生活を支えている役割を伝え、
保険業法改定による共済規制が何をもたらすかといぅ問題に対して、
正確な認識を広く社会に訴えようとするものである。

本書の「あとがき」の書き出しの文章です。
悪徳保険業者を規制するはずの保険業法改定が、日本の古来の文化でもあり、いま再び見直されだしている共済文化を壊そうとしていることに関しては、これまでも何回か書いてきました。
本書は、そうしたことに危機感を強めて活動を開始した共済研究会のメンバーが緊急出版したものです。

さまざまな実績を重ねてきている現場からの報告も含めて、共済文化の現実と意義が語られています。
しかも、ただ語られているだけではなく、そこに日本社会の未来に向けての著者たちの深い思いがにじみでています。
単なる「共済事業」の本ではなく、経済主義一本やりの昨今の風潮への異議申し立てとそれに変わる新しい社会のあり方につながる提言などが込められた、社会変革の書です。
そして、私たちの社会が暮らしの中で育ててきた、支え合いの知恵を、改めて思い出させてくれる書でもあります。
ぜひとも多くの人に読んでほしい本です。

本の内容は目次から読み取ってください。
論考も事例も多岐にわたっていますが、何よりも、それぞれの現場に立脚している人たちのコラボレーションの成果であることがすばらしいです。
あとがきでも書かれていますが、この本の出版そのものが、新しい共済文化の予兆を感じさせます。

もうひとつだけ、あとがきから引用させてください。
共済は、人間の生き死に、事故、災害、人生のドラマに根ざしている。
いのちとくらし、仕事と生活、自然そして人間どうしの結びつき、つまりは、社会とリスクの現実に根ざしているのである。
その意味で、日本社会の基本形と歴史的地層・現状を反映し、支えている。

とても共感できます。
私自身も、日本の共済文化の回復を願っている者の一人ですが、
今回の保険業法改定が、共済文化の光を当てたことを、大きなチャンスとして捉えていくことが大切だと思います。
まさに禍転じて福となす、です。
そのためにも、ちょっと硬い本ではありますが、できるだけ多くの人たちに読んでほしい本です。
また関心のある方は、ぜひ共済研究会にもご参加ください。


T.共済規制の経過と内容
1.共済事業の今日的意義と法規制問題
2.日米の保険マーケット拡大と共済規制
3.共済事業の歴史と共済規制の歴史
4.共済法の現状と課題
U.共済事業の果たしている役割と課題
1.共済事業の全体像
2.協同組合共済の果たしている役割と課題
3.共済の経営問題と法規制
4.自主共済の果たしている役割と課題
5.労働組合共済の果たしている役割と課題
6.無認可共済の論議と連合の取り組み
7.PTAの「安全互助会」の果たしている役割と課題
8.知的障害者の「互助会」の果たしている役割と課題
9.労協連のCC共済の果たしている役割と課題
10.ヨーロッパにおける共済組織の位置づけと現状
資料および解説
保険業法改正問題の経過と背景資料

ちなみに、「資料および解説:保険業法改正問題の経過と背景資料」は岩川さんの力作ですが、これを読むだけでも、いろいろなことが見えてくるはずです。

コモンズ書籍経由でアマゾンから購入できます

■「龍馬とカエサル」
(一条真也 三五館 1400円)


一条さんの今度の新著は「ハートフル・リーダーシップ」論です。
龍馬とカエサルという、魅力的な人物に生き方を題材にして、人間的魅力とは何かを縦横に語っています。

実は私はまだ完読していません。
このコーナーでは必ず読み終えた上で紹介させてもらっていますが、今回は初めての例外です。
安直に通読する本ではないと考えたのです。
いま毎日10頁ずつ読んでいます。
2頁単位でまとめられているので、とても読みやすいのですが、その2ページに実にたくさんの示唆が込められています。
ですから、むしろゆっくりと読みながら、立ち止まって自分の生き方を考えるのがよいと考えたのです。
いろいろと考えさせられることが多いです。
読みながら考える本なのです。

全体は4つに分けられています。
「リーダーの理想」「リーダーの資質」「リーダーの使命」「リーダーの条件」です。
全体を流れるのは、龍馬とカエサルへの著者の想いです。
一条さんの著作の基本コンセプトのひとつは「ハートフル」ですが、
この2人はまさにそのコンセプトを体現している「ハートフル・リーダー」なのです。
本書の冒頭で、著者はこう書いています。

リーダーとはまず、人を導く存在であり、それゆえ人を動かす存在であると言える。
では、どうやって人を動かすのか。それは、その人の心を動かすしかない。
ならば、どうやって人の心を動かすのか。
「人の心はお金で買える」と言った人物がいたけれども、もちろん、人の心はお金では買えない。
人の心を動かすことができるのは、人の心だけである。
本書では、徹底的に「心」に焦点を当てて、リーダーシップについて考えてみた。

本書は、一条さんの平成心学三部作のひとつ、「孔子とドラッカー 〜 ハートフル・マネジメント」の続編として書かれています。
孔子やドラッカーが平成心学における「知」の部分の具現者なら、龍馬やカエサルは「行」の部分の具現者だというわけです。

昨今の企業はさまざまな病理をかかえていますが、それは「心」を失ってしまったからだと思います。
企業が「心」を取り戻すには、企業のリーダーたち(経営者に限りません)が、自らの心を呼び戻さなくてはいけません。
一条さんの平成心学シリーズに私が共感している理由の一つです。

具体的な事例もふんだんに出てきて、
88項目の小見出しも示唆に富んでいて、目次を見るだけでも読みたくなってきます。
企業の経営者や管理者にはぜひともお薦めしたい1冊ですが、
自分の生き方をちょっと振り返ってみたいと思う人であれば、だれにでもお薦めしたいと思います。
そして、ぜひとも、読みながら考えてみてください。

一条さんの関連著作もぜひどうぞ。
http://www.ichijyo-shinya.com/books.html

■「こころの通う対話法」
浅野良雄 鰍ワぐまぐ 700円(送料込み)

対話法研究所の浅野良雄さんが、自らが開発された「対話法」のテキストをオンデマンド出版されました。
このコーナーでも以前、ご紹介した『輝いて生きる』(文芸社)の第2部を土台にしていますが、その後の実践を踏まえて、内容はさらにわかりやすく、かつ実践的になっています。持ち運びにも便利な小冊子スタイルなのもうれしいです。
詳しくは浅野さんの対話法研究所のホームページをご覧ください。
オンデマンド出版なので書店などでは購入できませんが、ホームページには申し込み方法なども書かれています。

本書の「はじめに」で、浅野さんは対話法の概略をこう書いています。

対話法は、「自分の考えや気持ちを言う前に、相手が言いたいことの要点を、相手に言葉で確かめる」ことを原則にしています。日常の会話のなかで、必要なときに、この原則を守ることにより、傾聴と同様、誤解を防いだり、信頼関係をはぐくむはたらきがあります。
「対話法」の原則の後半の部分が、従来の傾聴に相当するのですが、「対話法」では、この概念と技法を、新たに「確認型応答」と名づけました。傾聴という呼び方では、「耳を傾けて聞いた」あとの「応答」の重要性がぼやけてしまうからです。このように、(対話法)では、対話の原則を明確にしたり、新しい用語を取り入れたことにより、傾聴とくらべて技法の理解と習得が容易になりました。

浅野さんは各地で「対話法」の研修会やワークショップを展開していますが、本書では、一般の参加者を対象として行なった研修会の様子を再現する形で、「対話法」が実践的に説明されていますので、研修会に参加したような気分で、すいすいと読んでいけます。
基本さえマスターすれば、誰でもが自分のものにできるのが、「対話法」の特徴です。
浅野さんは、この本を読んだ人たちによって「対話法」が全国各地に広がり、快適な人間関係に裏打ちされた、安全で住みやすい社会が実現することを願っています。

コーヒー2杯分で購入できますので、ぜひみなさんもお読みください。
それによって、きっと皆さんの周辺は気持ちの良い社会になっていくはずです。

■「故郷の親が老いたとき  46の遠距離介護ストーリー」
(太田差惠子 中央法規出版  1680円)

最近、「遠距離介護」という言葉をよく聞くようになりました。
核家族社会のなかで高齢化が進むと、親の介護問題は「非日常的な事件」になりますが、
その親との生活場所が遠く離れていると、さらに問題は複雑化します。
故郷に住む親の介護のために、会社を辞めて郷里に戻った友人が、私にも何人かいますし、
働きながら週末は故郷の実家に帰る生活をしている知人もいます。
企業や行政にとっても、「遠距離介護」は真剣に考えなければならないテーマになってきています。

この「遠距離介護」という言葉を生み出したのが、本書の著者の太田さんです。
1998年、「「遠距離介護」の上手なやり方」(かんき出版)を出版し、
離れて暮らす親のケアを考える会パオッコ(NPO法人パオッコの前身)を結成、
以来、太田さんは遠距離介護に取り組むたくさんの人たちと会い続けてきています。

本書は、いわばその集大成で、
46の遠距離介護の事例を紹介しながら、遠距離介護の実像を具体的に鳥瞰させてくれます。
本書の帯に書かれてあるように、
遠距離介護をしている人、離れて暮らす親の老後が気になる人にはとても参考になる内容ですが、
それ以外の人たちにもぜひ読んでほしい本です。
故郷の親が老いる前に、です。

本書の事例からは、遠距離介護という問題を超えて、
私たちの生き方やいまの社会のあり方に対するさまざまなメッセージが伝わってきます。
私たちのように、すでに親を見送った夫婦にとっても、考えさせられることがたくさんあります。
この本を読んだら、生き方が変わるかもしれません。
これからの社会に向けての大きなヒントも読み取れます。

親の介護には、その人の生き方や価値観が現出します。
あるいは、それを通して、自らの人生を考える契機になるといってもいいでしょう。
そこで問われるのは、親の介護というよりも、自らの生き方なのです。
しかも、それはいつか立場を変えて、自分にまた戻ってくる問題でもあります。
46の物語は、自らの生き方と重ねて読むと、そのことが実感できるはずです。
「親子介護」の先にある「夫婦介護」の問題を考えるヒントもありそうです。

太田さんは、本書のプロローグで、
「介護」に「遠距離」をくっつけただけのように思われがちだが、私は、それ以上の思いをこめている。
それまでは、介護といえば、食事介助やトイレ介助などの身体的介護が中心にとらえられていたが、
遠距離介護はそれ以外の意味も含めている。
家族がそばにいられないから、いわゆる「介護」が必要となる以前から困ることが生じはじめる。

と書いています。

読み流してしまいそうな、この文章に私は今の社会の本質的な問題を感じます。
そして、遠距離ではなく同居であろうと、実は同じ問題が起こってきているようにも思います。
「介護とはつながりのこと」だと考えている私にとっても、とても考えさせられるメッセージです。

いずれにしろ、「介護」問題はすべての人にとって、必ず何回か体験する問題です。
ぜひとも多くの人に読んでほしい本です。
若い世代にもぜひ読んでほしいと思います。

自らの生き方を考えるヒントがたくさん見つかるはずですから。

■「社協ノ宝もの」へぇ〜、社協ってそういう仕事なんだ!
NPO法人市民活動情報センター・ハンズオン!埼玉 600円

コムケア仲間のハンズオン!埼玉の出版第2弾です。
前作の「私のだいじな場所―公共施設の市民運営を考える」はとても好評でしたが、
本書も建設的な問題提起がたくさん含まれている興味ある内容です。

社協、つまり社会福祉協議会は、地域福祉の主役としてがんばってきましたが、
最近は新たな主役であるNPOとの関係が必ずしもよくなく、場合によっては対立関係さえ起こしているところもあります。
私も最初は、社会福祉協議会の役割はもう終わったなと考えていましたが、
コムケア活動を通して、そこで働く若い職員の情熱に触れているうちに考えが変わってきました。
少なくともこれまで社会福祉協議会が育ててきたネットワークやノウハウは大きな社会資源です。

本書は埼玉県内の社会福祉協議会の職員有志とNPOの関係者が一緒につくった本です。
そのいずれにも私の知人が少なくないのですが、
4年前からじっくりと取り組んできた活動の成果ですので、内容はとても示唆に富んでいます。
なによりもカジュアルに本音で語り合った内容が、読みやすくまとめられているのがうれしいです。

地域福祉はまちづくりそのものですし、私たちの生き方に深くつながっています。
しかし、たとえば社会福祉協議会という名前すら知らない人が少なくありません。
そういう人も含めて、
社会福祉協議会の関係者のみなさん、
さらには社会福祉協議会の現場軽視の風潮に反発している人、
逆にNPOの独善的な姿勢に反発を持っている人、
あるいは気持ちよく暮らせる社会を願っている人、
そんな人たちにぜひ読んでいただきたい小冊子です。

内容は次の通りです。
キラン★その1 うっかり本音座談会──社協ノ仕事って何だ?
キラン★その2 どっぷり旅日記──宝モノを探しに西へ
キラン★その3 ゆっくり昔話──地域福祉ノ原点にもどる
資料編:埼玉県内の社協とNPOの協働に関する調査報告
社協キャラクターコレクション2007という、楽しい特別付録までついています。

書店では購入できませんが、ハンズオン!埼玉に連絡してもらえれば購入できます。
〒330-0063埼玉県さいたま市浦和区高砂2-10-6
メールoffice@hands-on-s.org TEL/FAX 048-834-2052(担当:若尾)

この本がさらに新しい風を起こしていくことを期待しています。

■「自分なりのお別れ」
(一条真也監修 扶桑社 1400円(税別)

一条さんが監修された本です。
詳しい書名は、
『「あの人らしかったね」といわれる 自分なりのお別れ お葬式』
です。
本の帯に書かれているように、いまは、「送られかた」は自分が決められる時代なのです。
監修者の一条さんは、本名、佐久間庸和さんで、このコーナーでも著書を時々紹介させてもらっていますが、
このテーマはまさに一条さんの独断場です。
本書を送ってくれた手紙にこう書かれています。

本書は、葬儀を人間にとっての究極の自己表現としてとらえています。
現代の葬儀におけるあらゆる問題点や疑問点にも広く目を配り、
これから高齢者となってゆく団塊の世代の新しい葬儀スタイルも多数紹介しております。
(略)この本によって、多くの日本人が「死」や「葬」をタブー視せず、
日常的に考えてくれるきっかけになればと願っています。

お葬式を、それも自分のお葬式のスタイルを考えることは、若いときほど、自由に発想できるでしょう。
そして、それは生き方の問題にもつながっていきます。
そういう意味で、私はこの本をぜひ若い世代の人たちに読んでほしいと思いました。
しかし、身近な問題として考えられるのは、私のような世代かもしれません。
最初はちょっと壁があるかもしれませんが、読み出すと、おかしな言い方ですが、楽しくなってきます。
これからの生き方を考える刺激をたくさんもらえるはずです。
一条さんの監修意図は見事に成功しています。

自らの生き方を考えるために、お薦めしたい本です。

■『介護情報Q&A』
(小竹雅子 岩波ブックレット 700円)
http://www.iwanami.co.jp/hensyu/booklet/

コムケア仲間の小竹雅子さんがまとめた、介護情報のわかりやすいブックレットです。
介護保険の基本的なしくみや改正の具体的内容、困ったときの解決方法、関連情報などを、
65の用語にわけて、利用する市民の立場から説明しています。
小竹さんは、市民福祉情報オフィス・ハスカップを主宰され、実に精力的に活躍されています。
そこで集まった情報を、多くのみなさんの「介護のある暮らし」に活用してもらえることを願って、この本をまとめたのです。
とても読みやすく、便利です。
それに小竹さんらしく、極めて実践的です。

本書を20冊以上、まとめて購入されたい方は小竹さんに頼むと便宜を図ってくれます。
私にご連絡ください。


■ギリシア・ローマ文化誌百科(上下)
小林雅夫・松原俊文監訳 原書房 各4300円

小林教授がまた魅力的な本を翻訳され、贈ってきてくれました
古代世界のパノラマのヴィジュアル版で、実に楽しい本です。
600近い写真が、ていねいな解説と共に載せられていますので、それだけ見ていってもギリシア・ローマ世界を充分に堪能できます。
また単なる通史ではなく、テーマ別にかなり詳しく言及されていますので、新しい発見もたくさんあります。

厚い上下2冊セットなので、実は私も完読していませんが、とてもうれしいのは、写真の解説やコラム、それに関連文献の抄訳がいたるところにあることです。しかも、それらがばらばらにではなくつながりあう形で編集されています。
たとえば、医神アスクレピオスの聖域に立地しているエピタウロスの野外劇場の写真の説明文には、「悲劇によって観客の心にある悩みは「治癒」する」というアリストテレスのカタルシス理論が紹介されていますが、それに関連して、すぐそばにアリストテレスの詩学の抄訳が載っているのです。
ですから、野外劇場と医療とのつながりがしっかりと見えてきます。

私も以前、トルコのベルガモンのアスクレピオン(医療施設)と、その上のアクロポリスにある見事な野外劇場を訪ねてことがありますが、その二つを「メンタルケア」の視点でつなげて考えたことはありませんでした。
アスクレピオンから小高い丘に立つ大劇場は見えるのですが、さらにその後ろにはトラヤヌス神殿が見えたような気もします。
そう考えていくと、アテネのアクロポリスにも、新しい意味を感じとることが出来ます。

そこから、ギリシアの医療とはなんだったのかも想像が広がります。
別のところに書かれている医学の項目の本文に戻って読み出すと、そこにアリストファネスの喜劇「神の福」が抄訳されています。
さらに菜食主義のことまで書かれています。
ベルガモンのアスクレピオンでは、温泉療法や音楽療法の話を聴きましたが、それだけではなく、古代ギリシアの医療は東洋医学につながるホリスティックなものだったことに気づきます。
生活そのものを治療につなげていく中国での体験を、先日、福岡の西川さんからお聞きしたところですが、ギリシアのアスクレピオンでは、そうしたことが行われていたのかもしれません。

そういうふうに、古代世界のパノラマがどんどんと広がっていくのです。
好奇心を膨らませ、その好奇心をかなり満足させてくれるヒントがふんだんに込められている、これが本書の魅力です。
哲学と教育の章も、最近の日本の教育論議に重ねて読んでいくと実に面白いです。

そんなわけで、本書は、読む百科辞書でもあります。
ですから、むしろ通読するのではなく、パッと開いたところから読み出して、索引も活用しながら、前編を自由に飛びながら読むのが、本書には向いているかもしれません。
読書サーフィングが楽しめるわけです。

監訳者の小林教授は、いろいろと身体的な障害をかかえているにもかかわらず、ともかく前向きにいろいろな活動に取り組まれています。
そして奥様が、その小林教授を実にあたたかく支えているように思います。
小林教授はまた、とても人間的なあたたかさをお持ちです。
そうした人柄が、きっと本書にも影響しているはずです。

ちょっと値段が高いですが、存在感のある本書の内容を考えると、それだけの価値のある本です。
パウサニアスジャパンの皆さんや古代世界に関心のある人たち、
そしてちょっと時間が出来始めた団塊シニアの人たちには、ぜひお薦めします。
図書館で借りて読む本ではなく、購入して隣に置いておく本です。

ここから購入できます

■「知ってビックリ!日本三大宗教のご利益」
一条真也 大和書房だいわ文庫 762円(税別)

一条真也さんの最新作です。
「ユダヤ教 vs キリスト教 vs イスラム教」(だいわ文庫)に続くものですが、今回はvs ではなく、& でつながれています。
「神道&仏教&儒教」です。
一条さんからの手紙の文章を一部引用させてもらいます。

一神教同士の衝突が人類社会の存続を脅かす現在、わたしたちが目を向けるべきなのは、宗教の持っている寛容性だと思います。
本書で取り上げた神道、仏教、儒教の三宗教はいずれも「情」や「慈悲」や「仁」の精神を重んじた、
つまりは思いやりの心を大切にした宗教であり、
この三宗教が奇跡的に合体を果たした国こそ、わたしたちの日本です。
三宗教はまた、武士道、心学、冠婚葬祭といった子どもたちを生み出し、日本人の心の「かたち」をつくってきました。

そして、一条さんは、こう続けています。
人類の危機を救う秘密は、まさに日本人の宗教生活のなかに潜んでいるという確信の元に本書を書きました。
世界中の人々の心が「&」で満ちたアンドフル・ワールドになることを願って書きました。

書名に違和感がありますが(一条さんも反対したそうですが)、中身はしっかりした本です。
日本の三大宗教は、いうまでもなく「神道・仏教・儒教」ですが、
それらがアンドフルに生み育ててきた世界がわかりやすく描かれていますので、
前著と同じく鳥瞰的な整理をすることができますが、新しい発見もたくさんあるはずです。
なによりも、いつもながらのメッセージ性があるのがいいです。

最後のほうで、石田梅岩の心学が語られていますが、
そこで語られている「心」こそが、神道、仏教、儒教を実践的につなげる要であり、
それが一条さんの主唱しているハートフル・ソサエティにつながることが示唆されています。
先日、一条さんにお会いした時に、心学の話が出ましたが、
きっとそう遠くない時期に石田心学に関する本をまた書くのではないかという予感をもちました。楽しみです。
こうした発展が期待されるメッセージが、本書にはいろいろと込められています。

もう一つ紹介します。
こういう記述があります。

日本において共生した神道・仏教・儒教の三宗教は、冠婚葬祭において合体を果たした。
冠婚葬祭とは何か。
それは、結婚式や葬儀といった人生の二大通過儀礼を中心として、人々の心に共感を生み出す文化装置である。

つまり冠婚葬祭は日本の三大宗教の凝縮した文化であり、
それこそが日本最大の宗教ではないかという意見もあると紹介されています。
一条さん自身は、冠婚葬祭は「宗教」そのものというよりも、「宗遊」とでも呼ぶべきものだと書いていますが、
冠婚葬祭は佐久間さんの独壇場ですので、 この議論の発展は実に楽しみです。
宗遊という概念は、実に示唆に富んでいます。さて、この先が楽しみです。

他にも刺激的なメッセージや発想のヒントがいろいろ込められている本です。
文庫本という手軽な本ですので、気楽に読んでみてください。

■「仏教への旅 朝鮮半島編」
五木寛之 講談社 2007年

このコーナーでは原則として、私の友人知人の著作や友人が関わった書籍を紹介させてもらっていますが、今回は番外編です。
五木寛之さんの「仏教への旅」は全6巻ですが、今回、取り上げるのは3冊目の「朝鮮半島編」です。
この前に出た「インド編」(上下)は、友人の黒岩比佐子さんがインド取材に同行し、構成も担当されたのですが、
今回は黒岩さんの担当ではありません。
以前、黒岩さんが「インド編」を贈ってくださった時に、朝鮮半島編に興味があるとお伝えしたのですが、
そのことを知った編集の方が、私たち夫婦にプレゼントしてくださったのです。
そのお礼を兼ねて、このコーナーで紹介しようと思ったのですが、この間、いろいろあって、読むのが遅れてしまっていたのです。

今朝、早く起きて読ませてもらいました。
読んで、なぜ黒岩さんが私たち夫婦に贈ってくれたのか意味がわかりました。
いまの私たち夫婦の心境にそのままズバッと入ってきました。
黒岩さんに、そして編集者の方に感謝しなければいけません。

本書の紹介をしだすと際限がなさそうです。
五木さんの個人的な話と韓国の仏教事情が、重なるように語られているので、
とても読みやすく、しかも大きな示唆を与えてくれます。
実は韓国の仏教事情や寺院のことを知りたいというのが私の「興味」の内容だったので、もう少し寺院の情景を知りたかったのですが、
読み終えてみると、心象風景的に韓国の寺院が体感できたような気になりました。

本書は、五木さんが育った論山の町にある般若山灌燭寺(アンチョクサ)を訪れるところから始まります。
そこの石造の弥勒仏の写真が本書の後表紙に載っていますが、異形な仏です。
写真を見ているだけでも、涙が出てくるほどにメッセージを送ってくる仏です。
ぜひ書店で、この写真だけでも見てください。
私は、これまでこんなに話しかけてくる仏にお会いしたことがありません。
奈良の勝林院の阿弥陀仏以上です。

韓国の仏教の根底には、華厳の思想「一即多・多即一」と「和諍」の思想があるそうです。
「和諍」とは、さまざまな思想や教えを融合させていこうという姿勢のようです。
おそらく「一即多・多即一」の思想から出てくる姿勢だと思います。
そして、本書の終章は「すべてはつながっている」なのです。
そこで見事に「人を殺してなぜ悪いのか」という、一時話題になった議論への明確な回答も書かれています。
とても共感できますし、納得できます。
華厳には「インドラの網」という寓話が出てきますが、それを思い出しました。

本書にはこれからの生き方を考える上でのたくさんの示唆が込められています。
生き方だけではありません。
インド編と本書との共通点は、インドでも韓国でも仏教が広がり、社会に影響を与えているという動きです。
これは未来を考える上で、大きな示唆を与えてくれます。
しかし、五木さんご自身も書かれているように、インドはヒンズーの国、韓国は儒教の国というイメージが強いです。
その根底で仏教が元気に広がっていることを知ることで、未来への展望は全く変わってくるように思います。
日本の未来を考える上でも、大きな影響があると思います。

しかし、私が本書で大きな元気をもらったのは、五木さんの造語である「只管人生」という言葉です。
いうまでもなく道元の「只管打坐」から創った言葉です。
こんな文章があります。

<ただ生きる>こと、それがいま、私が考えているいちばん大切なことだ。(197頁)

いま、とても深く心に入ってくる言葉です。
おそらく1年前までであれば、頭でしか受け止められない言葉だったでしょうが。
最近、ようやく「生きること」の意味が自分なりに整理できて来ました。
仕事も遊びも、社会活動も、すべては余技でしかないことに気づきました。

19年前に会社を辞めた時に、
「これからは働くでもなく遊ぶでもなく、学ぶでもなく休むでもなく、ただ生きていこう」
と宣言したことの意味が、漸くいま自分の腹に落ちてきました。

女房ともども、いまは生きることを純粋に目的にすることが出来るようになりました。
生きることの哀しさが、最近、心にしみてくるようにもなりました。
その分、歓びもまた実感できるようになりました。
本の紹介のつもりが、なにやら個人的な感想になってしまいましたが、
とても面白かったです。
それにしても、 灌燭寺の弥勒は魅惑的です。

■「団塊世代のミッションビジネス」定年後の社会事業型NPOのすすめ
大川新人編著 日本地域社会研究所 1700円(税別)

コムケア仲間の大川新人さんがまた新著を出しました。
社会に戻ってくる団塊シニアに、これまで蓄積してきた知識や経験を生かして、
地域や社会に役立つ新しい事業を起こしてほしいというエールの書です。

大川さんに関しては、これまでも何回かこのホームページにも登場していますが、
学習院大学卒業後、証券会社に10年間勤務。
その後、多摩大学大学院で、経営情報学修士を取得。
さらに、米国オハイオ州のケース・ウェスタン・リザーブ大学大学院に留学し、非営利組織修士を取得。
帰国後、日本の草の根的なNPOのマネジメントサポートなどに取り組んでいます。
コムケアセンターのサポーターでもあり、
現在はシニアコンサルタントとして、団塊シニアプロジェクトに実際に取り組んでいます。

本書は、昨年、大川さんが中心になって行った事業型NPO起業講座の講演録をベースに、
一緒に講座を受け持ったNPO法人イーエルダーのメンバーの協力を得て、完成した実践の書です。
私も座談会で登場していますが、大川さんの思いを知るものとして、
最初に「序に変えて/団塊世代の新しい舞台が広がりだしています」という小文も寄稿させてもらいました。
このサイトにも掲載しましたので、お読みください。
そして、もし興味を持っていただけたら、本書もお読みください。

本書の目次は次の通りです。
第1章 なぜ、定年退職後にミッションビジネスか
第2章 事業型NPOのすすめ
第3章 NPO法人をつくろう
第4章 NPO法人の事務局運営
第5章 情報通信技術が経営を効率化する
第6章 サービスと顧客満足度を向上させるには
第7章 団塊NPOの成功事例
第8章 団塊世代よ、大志を抱け!(鼎談)

本書の「おわりに」にも告知していますが、
本書の出版を契機にして、出前講座や団塊シニアNPOインターンシップなどのプログラムが始まる予定です。
コムケアセンターとしても全面的に応援していきます。
ご関心のある方は、「団塊世代よ、大志を抱け!事務局」にご連絡ください。
また、講演や研修プログラムもお引き受けできると思います。

なお、団塊シニアプロジェクトを起こすための資金源にするために、
「団塊世代よ、大志を抱け!事務局」でも本書の販売を行います。
少し面倒ですが、上記事務局にご注文いただけるとうれしいです。
「団塊世代よ、大志を抱け!事務局」へのメール

■「挑戦する独創企業−なぜ、この会社はキラリと光るのか!」

浜銀総合研究所経営コンサルティング部編著 プレジデント社 1400円(税別)

私は15年ほど前に書いた「脱構築する企業経営」という雑誌連載記事を、大企業解体の予兆という書き出しで始めました。
産業の主役は、大企業から中小企業へと移るだろうと感じていたのです。
残念ながら、そうはならずに、大企業はますます合併などを通して大規模化しています。

しかし、いま元気な企業は中小企業のような気がします。
大企業組織は人間が思い切り働く場としては制約がありすぎます。
特に時代の変わり目には、主体的に働く社員が働きやすい場でないと、企業は元気にならないのではないかと思います。
実際に最近私が出会う元気な会社は、いずれも大企業とはいえない中小中堅企業が多いのです。

そうした元気企業を20社も集めて、その元気の実態と理由を明らかにしてくれるのが本書です。
単なる事例を集めただけの本ではなく、
長年、中小企業にしっかりと関わってきたプロフェッショナルの目からの評価と解説がついているので、
企業経営に関わる人には絶好の「生きたテキスト」になる本です。

「中小企業の経営者・幹部必読!」と本書の帯に書かれていますが、
私はむしろ大企業の経営幹部の皆さんにこそ読んでもらいたいと思います。
経営の基本は規模によって変わるわけではありません。

本書をまとめた経営コンサルティング部部長の寺本明輝さんとは、長いお付き合いですが、
寺本さんは豊富な知識と情報を踏まえて、実践的な視点でこれまで多くの企業の経営相談に取り組んできた人です。
しかも寺本さんは好奇心が強く、研究熱心な人でもあります。
寺本さんからはこれまでも、日本の中小企業の創意工夫や挑戦意欲のすごさについて、いろいろと刺激的な話を聞かせてもらっていました。
日本の経済を発展させ、支えてきたのは、決して大企業ではなく、中小企業であると確信している私としては、
いつかそれをまとめてほしいと思っていました。
それが漸く実現したのです。

寺本さんは「はしがき」で、「企業経営には必ずドラマがある」と書いています。
本書では独創的な20の優良中小企業に取材し、
それぞれのドラマを紹介するとともに、企業の元気の要因を具体的に解説してくれています。
事例も面白く、示唆に富んでいますが、
それぞれの解説も具体的でわかりやすく、しかも体系的なので、
それを読むうちに経営にとっての大切な視点が自然と学べるようになっています。
このあたりは、豊富な体験と情報をお持ちの寺本さんの独壇場といってもいいでしょう。

ちなみに、独創の源泉として、次の5つの要件が上げられ、それにそった事例が集められているのです。
・ 経営理念とビジョン:大志を抱いて理念を伝え、実行する。
・ 事業の仕組み:事業の仕組みで差別化を実現する。
・ 組織とマネジメント:基本を大切にして経営革新に挑む。
・ 技術と技能:ものづくりの原点に愚直にこだわる。
・ 伝統と革新:変革を恐れず、老舗ブランドを守る。

いずれにも実践例が具体的についていますので、とても納得できます。

浜銀総研が活動の主舞台としている神奈川県だけでも22万を超す中小企業があるそうです。
本書に登場するのは、その1000分の1でしかありません。
すべての中小企業が独創的で元気だというわけではありませんが、
この厳しい経済状況の中で、自らの知恵と努力で経営を持続させていくには、それぞれに独自の実践をしている企業は多いはずです。
大企業と違い、ちょっと失敗したりするとすぐさま倒産してしまうほど、毎日が緊張の連続なのが中小企業です。
そうした実践知からのメッセージは説得力があります。
それに事例に出てくる経営者には、いずれも豊かな表情があるのです。
ですから読んでいて、元気がもらえます。
経営者には人間的な表情がなければいけません。

少しほめすぎてしまったでしょうか。
しかし、企業関係者にはお薦めの書です。
本書よりも詳しく学びたい方は、ぜひ寺本さんのところのコンサルティングを受けてください。
寺本さんの誠実なお人柄は、私が保証します。
寺本さんのブログもこのサイトにリンクしています。
ぜひお読みください。

■「司法改革」
大川真郎 朝日新聞社 2400円(税別)

いま日本の司法制度が大きく変わろうとしています。
一言でいえば、「官の司法」から「民の司法」への転換だそうです。
この活動を熱心に推進してきたのが、日本弁護士連合会(日弁連)です。

CWSプライベートに書きましたが
その司法改革の山場だった2002年から2004年まで、
日弁連の事務総長を務めたのが、本書の著者の大川さんです。
大川さんと私との関係は、CWSプライベートをお読みください。
日弁連の司法改革への取り組みに関しても、そこに少し書きました。

この本が送られてきた日は、実はまさに私が司法への怒りを強く感じていた日でした。
あまりのタイミングの良さに、早速読ませてもらいました。
ブログにも書きましたが、本書の副題にあるように、
司法改革は「日弁連の長く困難なたたかい」だったようですが、
そこにこそ日本の法曹界の実態が象徴されています。

出版社の表現をかりれば、本書は、

裁判員制度の導入、法科大学院開校と新司法試験、司法支援センターの創設、裁判官・弁護士制度の改善等々、24もの関連法が成立することになった戦後初の司法大改革。
「市民のための司法」を提唱し、先鞭を切って乗り出した日本弁護士連合会(日弁連)が、政府や最高裁・検察と時に対峙し、時に妥協して改革を実現していった過程を、客観的かつ具体的にたどる「昭和・平成司法改革」編年史。

です。
これはとても正確な紹介で、当時の資料や発言などをていねいに引用して、
「司法改革」の経過が客観的かつ具体的に解説されています。
著者の思い込みや押し付けは全くありません。
著者の大川さんの人柄を感じさせます。実に誠実でフェアです。

資料を駆使したドキュメントなので、司法界以外の人にはやや難解で退屈ですが、
内容が極めて誠実ですので、司法に関心のある人はちょっと努力して読む価値があると思います。
内容のあるしっかりした本です。

「司法改革」と言っても、政府や裁判官、あるいは財界の姿勢と日弁連の姿勢とはかなり違うことが、本書を読むとよくわかります。
前者は、「現状の不備なところを直す」。
後者、つまり日弁連は、「すべて国民は、個人として尊重される」(憲法13条)社会をつくるためというのが基本姿勢のようです。
この違いが本書での改革の経過を読むとよく伝わってきます。
司法改革というと、裁判員制度が話題になりがちですが、
法テラスという法律相談の仕組みの充実やロースクールの拡充なども重要です。
「小さな司法」「大きな司法」という言葉も出てきます。
これからの司法を考えていくためのたくさんの材料が、この本には詰まっています。

もちろん、日本ではすでに「司法改革」は議論の段階を終えて、制度的には実践に入っているわけですが、
制度を活かすのは関係者(最大の関係者はもちろん国民です)の意識と行動です。
私たちはもっと司法に関心を持ち、その実態を知る努力をすることが大切です。
その意味で、かなり重い本ではありますが、司法関係者以外の方にもお薦めの本です。
この本をテキストにした学習会も広がると効果的ですね。

ちなみに、本書にはもう一人私の知人が出てきます。
テレビで何回かご一緒した小林完治弁護士です。
テレビに出るタレントのような弁護士は好きにはなれませんが、
小林さんは大川さんと同じように誠実さを感じさせる人です。
おそらくテレビで現を抜かしながら社会をだめにしている弁護士とは全く違う種類の弁護士が、
司法の現実を変えようとがんばっているのでしょう。
そんなことも考えさせられました。

そんなわけで本書はお薦めの本ですが(読もうという覚悟のある人にだけですが)、
私の司法への評価は残念ながら変わりませんでした。
ブログの「司法時評」で書いてきたことは撤回する気にはなれませんでした。

「官の司法から民の司法へ」「市民のための司法」。
それがどういうものか、私にはまだわかりませんが、方向は歓迎できます。

問題は、その中身です。
法は、社会のあり方によって全く変わってきます。
どんな社会を目指すのかによって、法の役割は変わるのではないかと私は思います。
その「どんな社会を目指すのか」という議論が見えてこないのが一番の不満です。
これを法曹界に求めるのは過大期待だといわれそうですが、
法を考えるということはそういうことなのではないかと思います。

よかったら「司法時評」も読んでください。
かなりの暴論集なのですが。

ここから購入できます。

■「ハートフル・カンパニー」
佐久間庸和 三五館 2800円(税別)

今年最初の紹介は、佐久間庸和さんの「ハートフル・カンパニー」です。
著者の佐久間庸和さんのペンネームは、一条真也さんです。
このコーナーにたびたび登場している人です。
その一条さんの「平成心学三部作」の完結編が本書です。
かなり前にいただいていたのですが、いろいろ事情があって、途中で読むのが止まっていたのです。
それに実に読み応えのある本なのです。

前の2冊とは趣がかなり違います。
本書は副題に「サンレーグループの志と挑戦」とあり、著者名もペンネームではなく、本名で出版しています。
サンレーは北九州市に本社を置く、冠婚葬祭を事業ドメインとする会社です。
前にも書きましたが、冠婚葬祭への思いの深さにおいては、サンレー以上の会社はないでしょう。
佐久間さんが構想している冠婚葬祭の意味は、実に広く深いのです

佐久間さん、つまり一条さんの世界は、
このサイトにリンクしている佐久間さんのホームページを読むと少し理解できるかもしれません。

21世紀に入った2001年、佐久間さんはこの会社の社長に就任しました。
そして社員たちに呼びかけながら、佐久間さんらしい会社づくりに取り組んできました。
その理念や方法は、佐久間さんがこれまで著した様々な書籍に書かれていることです。
つまり佐久間さんは、学んだこと、考えたことを、自らの会社で実践してきたのです。
まさに佐久間さんが目指す知行合一です。
そして見事にサンレーの業績は向上し続けているのです。

本書は、そうしたサンレーの経営実践を、社長として社員に呼びかけていた文章や話の記録を中心にまとめた本です。
時系列で読めることも興味を高めます。ライブ感があります。
なんだ、社長の訓示集かなどと思わないでください。
その種の本で面白い本は皆無に近いのも知っています。
しかし本書に出てくる話は、そのテーマ、語られる話題や情報、語り口のスタイルなど、実に多彩で問題提起的です。
具体的にして、普遍的といってもいいでしょうか。
ボリュームも多いので、なかには飛ばしたくなるような部分もないわけではないのですが、
ところどころに光る言葉や心動かされるメッセージもちりばめられています。

いささか褒めすぎの感もありますが、
これまでの佐久間さんの著書を読んできたものとしてはとても面白く読ませてもらいました。
こういう経営者がもっと増えてきたら、日本の産業界は大きく変わるでしょうね。

会社経営者の方にお勧めの1冊です。

「恋に導かれた観光再生」
中村元 長崎出版 1400円(税別)

「車イスの青年に恋した少女が、
青年に気に入られようと動くたびに奇跡が起きた。
人を動かし、町を動かし、行政を動かし、
とうとう国まで動き出す。」


本書の帯にはこう書かれています。
これは伊勢志摩バリアフリーツアーセンターの誕生の物語です。
著者は同センターの理事長の中村元さんです。
中村さんとは朝日ニュースターの番組で何回かご一緒しましたが、実に楽しい人なのです。
中村さんのブログもこのホームページにリンクされていますので、ぜひお立ち寄りください。
ちなみに中村さんは水族館にも新しい風を起こした人なのです。
その分野のほうで有名なのですが、今回は違った分野での著作です。

本書の内容は帯の紹介文でおわかりいただけると思いますが、
「バリアフリー」「観光」「まちづくり」「社会変革」「NPO」などのテーマに関心のある方はぜひお読みください。
とても気楽に読める楽しい本ですが、
たくさんのメッセージと提案、あるいはこれからの社会を考える上での重要な問題提起がちりばめられている密度の高い本なのです。

まずは書き出しの言葉が刺激的です。
日本の多くの観光地では、まちづくりというものが行われていない。
全く同感です。

こうも書いています。
町の住民が誇りに思わない観光地に、観光客が集まるわけがない。
本当に住民不在の観光行政がまだ少なくありません。

さて、本文ですが、これがまた実に面白く、示唆に富んでいるのですが、
とても衝撃的だったところを一つだけ紹介しておきます。
車いすで伊勢神宮に入れなかった人の話です。
詳しくは回転ちょこラムのサイトを開き、
右上の「アルバムをみる」で、2003年4月24日と26日を探して読んでみてください。
衝撃的です。少なくとも私にとっては、衝撃的でした。
バリアフリーの本質が示唆されている事件です。
なにやら持って回った言い方ですが、興味のある方はぜひ本書をお読みください。

この本の真骨頂は11章です。
こんな文章があります。
かつては江戸よりも文化の集積と発信の中心地だった伊勢。その勢いをバリアフリー観光で再現したい。
中村さんたちは、本気でそう考えているのです。
だからこそ、先の伊勢神宮事件は大きな意味を持ち資源になりえるのです。

ちょっと脈絡が見えない紹介ですみません。
ともかく 、11章に中村さんたちの大きな構想が読み取れるのです。

中村さんたちは、いまこのプロジェクトでつくりあげてきた、
パーソナルバリアフリー基準を全国に広げていこうと、日本バリアフリー協会の設立に取り組んでいますが、
その奥には日本社会のパラダイム転換への挑戦があるのです。

「あとがきにかえて」と題して、「補完性の原則」への中村さんの思いが書かれています。
それを踏まえて、もう一度、本書を読むと、きっとこれまでのまちづくりの限界や今の地方分権のおかしさに気づくはずです。
この1年、中村さんとはお会いしていませんが、中村さんらしい、実践の書です。

書名が良くないですが、内容はとてもよい本ですので、まちづくりやNPO活動に取り組んでいる人にお勧めしたいです。
中村さんのブログも面白いですよ。

■「M&A資本主義 敵対的M&A・三角合併防衛法」
小倉正男 東洋経済新報社 1700円(税別)

週間報告にいろいろと書きましたが、日本のIRの草分けの鶴野史朗さんから送られてきた本です。
鶴野さんの友人の小倉正男さんの最新著作で、鶴野さんの活動も紹介されています。
株価資本主義が、株式という「世界共通通貨」でM&Aを一般化、活性化させ、
ニッポン資本主義を新しい局面に導いていくという時代の流れの中で、
日本企業はどうしたらいいかをわかりやすく実践的に解説しています。

著者は必ずしも株価資本主義に賛成しているわけではありません。
しかし、2007年にいわゆる三角合併(外国企業が日本の子会社を通じて日本企業を買収すること)が可能になれば、
日本型経営の歯止めのあったニッポン資本主義は「株価資本主義」にはっきりと移行する、
つまり旧来のニッポン株式会社は完全に解体され、グローバルな資本主義に組み込まれるという展望のなかで、
しっかりしたコーポレート・ガバナンスの仕組みを整え、
企業価値(必ずしも株式価値ではありません)を高めておかなければ、
海外のハゲタカファンドにやられてしまうというわけです。
とても説得力のある話です。

ジャーナリストとしての著者の見識も伝わってきます。
企業の経営幹部の方にはしっかりと読んでほしい本です。

目次をご紹介します。
第1章 M&Aの活発化と日常化
第2章 三角合併解禁の脅威
第3章 株式持ち合い解消がM&A活発化をもたらした
第4章 「時価総額」をどう考えたらよいのか
第5章 企業価値極大化は自らの経営努力で実現せよ
第6章 コーポレート・ガバナンスこそニッポン資本主義の課題
第7章 株主判明調査、プロキシー・ソリシテーションの進化
第8章 “株主に顔を向けた経営”こそM&A防衛策
第9章 敵対的なM&Aで狙われるのは「低PBR会社」
第10章 “ハゲタカ・ファンド”が次に狙う巨大な獲物

ちなみに、私は株価資本主義への流れではなく、
広義のステークホルダーの長期的な視点に立った企業価値に立脚したコーポレート・ガバナンスの仕組みが育っていくのではないかと期待しています。
そのためには、企業の組織原理や規模が大きく変わる必要があるように思います。

久しぶりに企業論を読んで刺激を受けました。
みなさんにもお勧めです。

■「集合住宅の時間」
大月敏雄 王国社 1900円(税別)

私は安藤忠雄の建築が好きではありません。
というか理解できないのです。
その意識が明確になったのは、瀬戸内海の直島の家プロジェクトの空間を体験させてもらってからです。
いずれもとても素晴らしい作品でしたが、どうも違和感が残ったのです。
空間への愛情を感じられないのです。
私が好きな建築はホッとする空間のようです。
空間に静かな記憶が残っていくような建築です。

本書は、保育プロジェクト美野里町プロジェクトなどでご一緒した大月敏雄さんの最初の単行本です。
書名がとても大月さんらしくて、うれしくなりました。
帯にこんなメッセージが書かれています。

濃密な「生活の記憶」を語り継ぎたい
古びた集合住宅の建物の言いぶんに耳を傾けてみよう。
目に見えない時間の蓄積を味わう魅力に浸ってみよう。
昨今の子育てのように良い所を見つけてほめてみよう。

本書には生活の記憶を存分に感じさせる24の「集合住宅と呼ぶことのできる」建物が登場します。
そして、大月さんという思いを持った語り手によって、
それぞれの生い立ちやそこでの物語がとても人間的に語られています。
一つひとつの物語から、これまでの自らの生き方を考え直したくなるメッセージが伝わってくるのは、私の世代のせいでしょうか。
時に懐かしく、時に痛みを感じながら。

それぞれの物語と、そこに託した大月さんのメッセージは本書を読んでもらうとして、
ここではそこに通じている大月さんの大きな思いについて紹介しておきたいと思います。
それは私がずっと感じていた思いでもあるからです。

大月さんが問題にするのは、建物における減価償却の発想です。
大月さんはこういいます。

日本の建築物においては、「時間が経つことは、価値が無くなっていくことである」という悲しい現実があるのである。
そのせいもあって、日本の都市は常に記憶喪失の危機に瀕しているのである。

「このまま行けば日本人は「国民総記憶喪失」になるのではないか」と大月さんは心配しています。
心配はすでに現実になっているというのが、私の認識ですが、
それを助長しているのが、減価償却パラダイムの建築概念ではないかと大月さんはいうわけです。

そして、
「時間が経てば価値が減る」ことが常に正しいというのは、なんだか変なのではないか、
と大月さんは疑問を呈します。

「時の経過とともに価値は減っていく」。
もしこれが人間に適応されるとしたらどうだろうか。
「あなたの価値は年を経ていくごとに減っていき、60歳になると、価値がゼロになります」
(後略)。

恐ろしい話だと思いませんか。

大月さんは、同潤会アパートを中心とした、古い集合住宅の実測調査や
そこに住んできた人々への聴き取り調査などを20年近く取り組んできています。
それに関する報告書や論文もたくさんあります。
そうした長年の現場体験が、こうした問題提起の背後にあるのです。

建造物でも、時間の経過が価値を高める世界があります。
遺跡や歴史的建造物です。
私の好きな世界です。

その世界とは全く正反対に、時間経過をマイナス価値にしてしまったのが、
現在の産業社会であり、資本主義経済システムです。
そこでは「破壊」や「浪費」が「発展」と「生産」に置き換えられてしまったのです。
時間の概念も全く変わってしまったのです。

そんな大きな問題提起を感じながら本書を読むと、
改めて昨今の私たちの暮らしぶりや生き方の貧しさを感じてしまいます。

とても示唆に富んでいる本です。
建築家ではない人たちにも、ぜひ読んでもらいたい本です。

■「東尋坊 命の灯台」
茂有幹夫 太陽出版 1300円(税別)

コムケア仲間の茂さんは、福井県の東尋坊で自殺防止活動に取り組んでいます。
東尋坊は、絶景の観光地として有名ですが、同時に、別名「自殺の名所」とも言われています。
日本海に突き出した断崖の上に立つと吸い込まれてしまうような気持ちになってしまいます。

茂さんのことはこのサイトにも書きましたが、
NPO法人「心に響く文集・編集局」を立ち上げ、地道な活動を展開されています。
茂さんたちの活動で、自殺を思いとどまった人は少なくありません。
今年、「毎日社会福祉顕彰」を受賞されましたが、その時のインタビュー記事をお読みください。
茂さんのあたたかさが伝わってきます。

私は9月に東尋坊でお会いしましたが、その時に今度本を出版するとお話になっていました。
その本が本書です。
この本を読むと今の社会のおかしさが見えてきます。
茂さんは東尋坊のある三国警察署に勤務したのが契機になって、この活動を始めるのですが、その経緯もこの本に書かれています。
とても共感できます。

その事件は平成15年に起こりました。
茂さんは当時、三国警察署の副署長でした。
薄暗くなった東尋坊の松林で黙ってベンチで横たわっている年配の2人ずれに出会ったのです。
訊いてみると経営していたお店がうまくいかずに、東尋坊で自殺しようと決めてやってきたのだそうです。
話をしているうちに、2人の手首にカミソリで切ったまだ新しい傷があることに気づいた茂さんは、
すぐに地元の病院に入院させ、役場の福祉課に「現在地保護」の手続きを頼みました。
ここで事件は終わるはずでした。

5日後、その2人から手紙が届きました。
茂さんへのお礼の手紙でした。
しかし、2人はその手紙を出した後、首吊り自殺をしてしまったのです。
相談に行ったところすべてから見捨てられたのです。

茂さんはこう書いています。

当時私は現職の警察官でした。
42年間の警察官生活の中で私は、
日本という国は、「助けてほしい」と叫んでいる人がいたら、
どこかでだれかが助けてくれる、すばらしい法治国家であると信じてきました。
しかし現実は違っていました。
因っている人を保護する法律は、ちゃんとあるはずなのに・・・。

少し長いですが、続けて引用させてもらいます。

警察は保護すべき者を発見した際は速やかに福祉機関に引継ぐ義務があり、
引継ぎを受けた行政機関は、保護を決定して保護を開始すべき義務があり、
それを怠った者には罰則が課せられるのです。
私はそれを信じて、2人に「国に保護を求めなさい」と助言しました。
2人は私の言葉を信じて旅を続けたのです。
しかし北陸道の沿線にある役所では、支援をしてくれる場所が1箇所もなかったのです。
あの2人にとって私の存在は何だったのでしょうか。
死までの苦しみをさらに長引かせただけの存在だったのではないでしょうか。
私はあの2人に、二重の苦しみを与えるだけの存在になってしまったのでしょうか…。

もっと引用したのですが、きりがないので、それはこの本を読んでもらいたいと思います。
2人からの手紙も本には紹介されています。

この事件が茂さんの人生を変えました。
茂さんはこう書いています。

どんな思いであの2人は、私に手紙を託したのでしょう。
口をつぐむのは簡単です。
しかしこれからも第二、第三の犠牲者が生まれるのを見続けて、私は心穏やかでいられるでしょうか。
自分には関係ない、自分の責任ではないと、平然としていられるでしょうか。
なぜ、定年も間近になって、こんな出来事が起こったのか。こんな現実を知ったのか。
知ってしまった以上、私がやるしかないという決意が、ゆっくりと固まっていきました。
10年間に253人もの人が苦しみながら死んでいる。
だれかが253人の代弁者となり世間に訴えなければ、世間の人は気づいてくれない。
「あなたならできる、あなたがやるしかない」と白羽の矢が立てられたような気がしました。

茂さんの思いが痛いほど伝わってきます。
人はこうして自分の人生を変えていくのです。

この本には、茂さんが体験した何人かのケースが紹介されていますが、
茂さんはそうした事例を闇の中に放ってはいけないと考えました。
もっとみんなで考えなければいけない問題です。
私もコムケア活動を通じて、さまざまな人生にささやかに触れるようになってから、
茂さんと同じように問題をもっとオープンの場でみんなで考えていかなければいけないと思うようになりました。

それに自分に無縁な問題などはこの世にはないのです
すべてがつながっています。

この本にはもうひとつ考えさせられる文章が載っています。
茂さんと一緒に活動している川越さんの体験談です。
茂さんと川越さん。
お2人の実体験に基づく活動に心から敬意を表したいと思います。

いま、私は「いのち」という問題に改めて直面していますが、
この本を読んで、その問題の深さに畏れを感じています。

みなさんにもぜひ読んでほしい本の1冊ですので、あえて詳しく紹介させてもらいました。
ここからも購入できます。

■「商いの原点」
荒田弘司 すばる舎 1600円(税別)

日本の商人道や経営哲学をライフワークにされている荒田弘司さんの新著です。
荒田さんは日産自動車で活躍された後、
いくつかの企業の役員として企業経営に取り組まれていましたが、
そうした経営の実践を踏まえて、企業経営の現場から引退された後も、
日本の経営のありかたに熱心に取り組まれています。
私がお会いしたのはもう15年ほど前なのですが、
その頃から終始一貫した姿勢を持ち続けられています。

荒田さんは企業の現役時代は経理畑でした。
経理の世界にいると企業の実態がしっかりと見えるのでしょう。
最近の経理の専門家は数字だけを追っているような気もしますが、
荒田さんは数字の背景にある企業経営の実態を見ていたのです。
そして次第に関心が経営哲学や顧客価値などに向いてきたのです。

本書はそうした荒田さんの最新の研究成果です。
本書の副題は「江戸商家の家訓に学ぶ」となっています。
三井家に始まり、近江商人まで、それぞれの家訓をベースにして、
日本企業の経営の基本哲学がとてもわかりやすく紹介されています。
原文もたくさん引用されているので荒田さんのガイドでかみしめるのもいいでしょう。
読めば読むほど示唆が得られます。

荒田さんは「結び」で次のように書いています。

企業が社会に対する本来の役割を果たしていくためには、関係者全員が一致して行動しなければならない。
そこで、企業理念、行動規範が必要となる。
企業は理念を具体的に文字に示すことで一致団結し、行動していけるのである。
現代にあっては、理念を持たないために、企業が向かうべき方向が明確でなかったり、
株式など単なる運営手段にすぎないものを、目的であるかのように錯覚しているケースが、あまりに多い。
今般社会を騒がす事件は、その結果発生しているといってよいだろう。
企業は今こそ、自社の〈家訓)を簡潔かつ明快に示すべきなのである。
江戸商家の家訓を読み解くことで、現代企業のあり方を考える一助としたい。

同感です。
昨今の日本企業には経営哲学が不在どころか、
経営も不在になっているような気がしてなりません。
企業経営に関わる方々にじっくりとかみしめてもらいたい本です。

■「NPOが自立する日」
田中弥生 日本評論社 2200円(税別)

日本のNPO活動に当初から関わってきた田中弥生さんの新著です。
副題が「行政の下請け化に未来はない」と、明確な主張を持っている本です。
この田中さんのメッセージは昨年のNPO実態調査を下敷きにしていますので、単なる論理演算のメッセージではありません。
具体性があるのです。
それに彼女の長年のNPOとの付き合いを通して到達したメッセージなのです。
ですから説得力があります。
私などはむしろ下請け化したNPOが日本のコモンズをだめにするとさえ思っていますが、これはあまり説得力がありません。はい。

NPOとの付き合いの中で、最近、田中さんは「NPOの何かが変質しているのではないか」と感じ始めたのが本書の始まりだったそうです。
彼女とNPOの付き合いは、冒頭の「はじめに」に書かれていますが、これがなかなか面白いです。
田中さんとの付き合いは長いのですが、本書の書き出しは初めて聞く話で、とても興味を持ちました。
NPO前史を田中さんはいろいろと見聞しているのです。

面白いのはもちろん「はじめに」だけではありません。
本文も事例とメッセージと全体像がうまく編集されていて、文章もこなれて読みやすく、しかも示唆に富んでいます。
何よりも好感が持てたのは目線がしっかりしており、指摘が明確なことです。
NPOへの愛着も感じられます。それにこれまで以上に腰が座っているのが伝わってきました。
現実を踏まえると論考に迫力が出てきます。

ともかくこれからのNPOの展開を考えていく上でのたくさんの示唆が得られる、NPO関係の好著です。
NPO関係者はもとより、行政や企業の人たちにもぜひ読んでほしい1冊です。

■「技術倫理 日本の事例から学ぶ」
佐伯昇・杉本泰治編著 丸善 2000円(税別)

科学技術者の倫理問題に精力的に取り組んでいる杉本泰治さん
北海道大学の佐伯昇教授たちと一緒にまた新しい本を出版されました。
70代も後半に入ったはずの杉本さんの行動力にはいつも頭が下がります。

杉本さんは日本の大学に「技術者倫理」の講座を広げようと
NPO法人科学技術倫理フォーラムのメンバーと一緒に講座を展開してきていますが、
本書はそのメンバーたちの共著です。
分筆されていますが、特に杉本さんの書いた部分には明確な主張を感じます。
私とは少し考えの違うところもないわけではありませんが、
主張が明確ですので、とても気持ちよく読めます。

本書は大学の教科書として書かれています。
杉本さんはすでに教科書として「技術者の倫理入門」を出版していますが、
本書は「実学的に技術倫理の基本的な考え方、意思決定の手法が習得できるように
学習プログラムが組まれている」と書かれているように、
効果的なグループ討議ができるように編集されています。
「グループ討論の新しいモデルを示した」という著者たちの思いが、これまでとは違う魅力を生み出しています。

私が特に共感したのは、取り上げた事例の広がりとその取り上げ方です。
序に「現代、科学技術は人間生活に広く深く関わり、あらゆるところに技術者の職場があり、倫理問題がありえる。
本書が取り上げているのは、現代の技術者の身近にある倫理問題である」と書いていますが、
選ばれた事例を読むだけでも、著者たちのパースペクティブの広がりを感じられます。
技術者に限らず、倫理問題は当事者の世界の広がりだと考えている私にとっては、とても共感できる姿勢です。

技術者倫理は限られた世界で語られると逆効果になりかねません。
技術者の世界を広げることこそが、技術者倫理の最大の課題ではないかと私は思っています。
事例の中に「えちぜん鉄道」が取り上げられています。

えちぜん鉄道は、京福電鉄が福井県下で運営していた越前本線が2度の事故のために廃線になったのを
福井県と沿線自治体が一緒になって継承した第3セクターです。
第3セクターというとあまりイメージは良くないですが、
沿線住民も一緒になって、とても素晴らしい運営をしているようです。
どう素晴らしいかは本書をぜひ読んでほしいと思いますが、一部、そのさわりを次のサイトでお読みください。
http://www12.ocn.ne.jp/~shiokaze/newpage22.html

杉本さんは実際にえちぜん鉄道に乗車し、その体験も踏まえて本書で感想を書かれています。
とても心あたたまる事例報告ですが、こうした事例でもわかるように、
本書が取り上げる事例や本書のメッセージには、人間や生活の視点が感じられます。
技術倫理などというと難しいイメージを持つかもしれませんが、
要は生活視点をしっかり持つことが倫理の基本なのだと思います。

目次の一部を紹介しますと、
「人間生活における注意義務」
「組織のなかの個人」
「コミュニティの人間関係と内部告発」
「人間と動物の関係」など、魅力的な項目が並んでいます。
しかもそのすべてがしっかりした事例を中心にやさしく語られています。

大学生に限らず、技術者や科学技術に関わる人にも読んでほしいと著者たちは書いていますが、
私は技術者に限らず、企業人や生活者すべての人が大きな示唆を得る本だと思います。
特に企業経営幹部の人たちには読んでほしいと思います。
グループ討議のガイダンスを活用しながら、話し合いのテキストとしても最適です。

ちなみに、私も科学技術倫理フォーラムのメンバーです。
こうした杉本さんたちの活動をさらに広げていくために、
2006年11月26日に、技術者倫理の問題を暮らしの視点から考える公開フォーラムを企画しています。
10月になったら詳しい案内をお知らせコーナーで行ないますので、ぜひご参加ください。
関心のある方は私にメールを下されば、別途ご案内します。


■「平和のための政治学」
川本兼 明石書店 2600円(税別)

川本兼さんは積極的に若者向けへの平和の働きかけをしていますが、この4年で6冊の本を出版されました。
しかも、極めて密度の濃い内容を、高校生でも理解し興味を持てるように、十分に咀嚼した本です。
単なる知識を整理した本ではなく、川本さんオリジナルのメッセージもあります。
川本さんへの平和への思いの深さや危機感の強さが伝わってきます。

本書は前著「平和のための経済学」の姉妹編ですが、副題には「近代民主主義を発展させよう」とあります。
高校生や大学生を意識した書き方になっており、言葉の概念整理をしっかりしていますので、
言葉だけの議論ではなく、実体議論がなされていることに好感が持てます。
知識を持っている大人たちには、時に教科書的な印象を与えるかもしれませんが、
今こそこうしたしっかりした本を多くの大人たちにも読んでほしいと思います。
決して、若者向けだけの本ではありません。

政治とは何か、国家とは何か、民主主義とは何か、といった基本的な概念を、
私たちはあいまいにしたまま、政治論義をし、平和論議をしがちですが、それでは議論は出来ても行動にはつながりません。
本書の内容は別のサイトをお読みください。
http://www.hanmoto.com/bd/ISBN4-7503-2404-3.html

私が面白かったのは、「民衆」「公衆」「大衆」「群集」の議論です。
そうした言葉に本質が含まれていることは少なくありません。
「民主主義は平和と結びつくことによって発展する」も面白かったです。
普通は「平和は民主主義に結びつくことによって発展する」という議論が多いのですが。
最終の項目は「近代民主主義はもはや『遅れた民主主義』である」です。
国家権限の再配分の提案もあります。
どうですか。読んでみたくなりましたでしょうか。

もう少し薄くして、安くしてほしいですが、まあじっくり消化すれば格安の本です。
高校生に戻ったつもりになって、読んでみるととても楽しいかもしれません。
そして、読んだら是非行動に移してもらえればと思います。
平和に向けてできることはたくさんあります 。
今の日本は、まさに歴史の帰路にあります。

ちなみに川本さんの本書以外の最近の5冊は次の通りです。
いずれもブックのコーナーで紹介しています。
●「平和のための経済学」
●「自分で書こう!日本国憲法改正案」
Q&A「新」平和憲法 ― 平和を権利として憲法にうたおう
●「どんな世界を構想するか」
●「どんな日本をつくるか」

川本さんを囲んでの平和論議に関心のある方は私にご連絡ください。
3人以上のご希望があれば、企画します。


■「栗原貞子を語る 一度目はゆるされても」
広島に文学館を!市民の会 700円 

活動記録でも紹介した「広島に文学館を!市民の会」のブックレット第1号です。
2005年に開催されたシンポジウム「栗原貞子を語る」の記録を中心に、栗原さんの作品なども収められています。
内容に関しては、中国新聞の記事がとてもよく欠けていますので、それに委ねたいと思います。
「栗原貞子さん解説のブックレット」

私は、このホームページにある折口日記の筆者の折口さんから贈ってもらいました。
折口さんは、栗原さんの詩の仲間である原博巳さんからこの本を教えてもらったようです。
私は折口さんにも原さんにも、実はまだ面識がないのですが、不思議なご縁が続いています。
小冊子ですが、内容はとても密度が高く、感動的です。
入手はやや面倒かもしれませんが、市民の会で受け付けています。
周りに人にも勧めてもらえるとうれしいです。
平和はいま、大きな曲がり角に来ているように思います。
諦めたくなりますが、この本を読んで、やはり諦めてはいけないと思いました。
為政者にも読んでもらいたいです。

■碑文から見た古代ローマ生活誌
ローレンス・ケッピー 小林雅夫・梶田知志訳 原書房 2500円(税別)

7月のオープンサロンでご紹介した小林教授の最新の翻訳書です。
実は贈られた書籍は1週間以内に読むのですが、この本は読み応えがあり、
読み流すことができずに紹介が遅れてしまいました。
古代ローマの生活誌に関しては、
たとえば弓削達さんの「素顔のローマ人」(河出書房新社)などありますが、
そうしたものとはちょっと違い、碑文を通した、もう一つのローマ市を感じさせてくれるのです。
碑文というものの魅力も伝わってきます。

それにしても、人間とは「書き残すこと」の好きな生物であることがよくわかります。
落書きも含めて、いたるところに「歴史」を残しているのです。
エジプトのメムノンの巨像は小学校の時に小松崎茂の「砂漠の魔王」で知って以来、憧れだったのですが、
10数年前に感激の出会いを持ちましたが、そこにはたくさんの落書きがありました。
本書によれば、1000を超える落書きがあるそうです。
トルコのエフェソスでもいくつかの落書きの話をガイドから聞きましたが、
この本を読んでいたら、そうした場面がもっと楽しくなったでしょう。
パムッカレの商人の墓の話も出てきますが、古代地中海世界が大好きな私としては、
ちょっとした記述の一つ一つがとても興味深いものでした。
塩野七生さんの「ローマ人の物語」とは、また違った面白さがあります。

私がもっと知りたかったのは、1818年年に発見されたという碑文です。
5字5行の四角形の語方陣ですが、これがミトラス経やユダヤ教徒関連があるとの説もあるそうです。
こういう少し秘密めいたものにはなぜかわくわくします。
ローマ市に詳しい人が読むと実に楽しい本なのでしょう。
メセナの語源になったというマイケナスらしい人も登場しますし、じっくり読むと楽しいです。
古代ローマ市に関心のある方にはお勧めです。
但し、一気に読むのではなく、気が向いたら面白そうなところを読んで、
最後に序文の「歴史を塗りかえる碑文」を読むといいでしょう。

なお本書の内容に関しては、次のサイトが参考になります。
http://www.augustus.to/books/archives/2006/08/post_27.html

■「ユダヤ教 vs キリスト教 vs イスラム教 宗教衝突の深層」
一条真也 だいわ文庫 762円(税別)

また一条さんの新著です。
ちょっとこれまでのものとは分野が違いますが、これまた意欲的な長期構想(世界を "vs"で読み解きたい)の最初の著作です。
まえがきの一部を引用させてもらいます。
この前書きの文章で私はこの本の基本姿勢に共感を持って読ませてもらいました。

本書は、人類の歴史に大きな影響を与えてきた三人の姉妹の物語である。
長女は、ユダヤ教。二女は、キリスト教。そして、三女は、イスラム教である。
同じ親、つまり同じ一神教の神を信仰し、「旧約聖書」という同じ啓典を心のよりどころにしながら、憎しみ合い、殺し合うようになった世にも奇妙な三人の姉妹。
(中略)
姉を慕う三女は二女とは初めからうまく付き合えなかった。好戦的な二女がいつも攻撃を仕掛けてくるので、仕方なく受けて立つようになった。
(中略)
本書は、この3人の娘の生い立ちから、その精神世界まで広く探ってゆく。
三姉妹宗教を知れば、世界が見えてくる。

私は10年ほど前まで、ギリシアとペルシアに関して、民主的で人間的なギリシアと専制的で非人間的なペルシアというイメージを持っていました。
20年ほど前に、ペルシア史の入門書を読んでそのイメージを疑いだしました。
私の世界観や歴史認識は、近代西欧の価値観に浸りきっていたようです。
それはともかく、ペルシアのほうが人間的だったのではないかという思いがぬぐい切れません。
キリスト教へのイメージもまたその頃から大きく変わりました。
いまの世界の構造の見え方も、その疑問に立脚するとマスコミとは全く違ったように見えてなりません。
洗脳教育とは恐ろしいものです。洗脳教育は何も北朝鮮だけの話ではありません。
いや、そもそも教育の本質は洗脳なのかもしれません。

信頼できる友人でも、その考え方においては全く受け入れない場合が少なくありません。

考え方が違うからといって、信頼関係が揺らぐことはありませんが、
時々、やりきれない気持ちになることはあります。
世界観や人生観において埋めがたい断絶を感ずるからです。
世代の違いかもしれませんが、もしかしたら教育環境(学校だけではありません。
最高の教育はマスコミからの情報です)の違いかもしれません。

ところで本書ですが、コンパクトな文庫版ですが、内容は欲張っているといいたいほど網羅的です。
しかしそこに著者のメッセージがこめられていますので、単なる解説書ではありません。ですから面白いです。

時にはこんな本もいかがでしょうか。
無節操で見識のないマスコミの論調への免疫を高めるためにも。

■「孔子とドラッカー ハートフル・マネジメント」
一条真也 三五館 1500円(税別)

一条真也さんに鬼神が乗り移ったとしか思えないのですが、また新著です。
よくもこう、次々と出版されるものだと感心しますが、その一冊一冊がとても消化されており、実践的なメッセージに満ちているのです。
大学に籍を置き、研究や執筆を業としているのであれば不思議はないのですが、
一条さんはれっきとした年商200億円の企業の社長なのです。
しかし、驚くのはまだ早いのです。
本書を受け取って1週間もしないうちに、こんなメールが来ました。
「鬼神が乗り移ったせいか、もう1冊上梓いたしましたので、また送らせていただきます。」
いやはや、勢いのある人の行動力は、計り知れないものがあります。

それはともかく、この本は前に紹介した「ハートフル・ソサエティ」に続く平成心学三部作の第2弾ですが、
同時にまた前作の「知の巨人ドラッカーに学ぶ21世紀型企業経営」ともセットになっています。
とても実践的で、しかも理念的です。
読者は経営の極意を学ぶとともに、その生き方への大きな示唆を得るはずです。

編集のスタイルも工夫されています。
読書嫌いの最近の企業人でも気安く、そして楽しく読めるようになっています。
全体が48の章に分けられているのですが、
その見出しが、たとえば、「仁」「義」「礼」などという漢字一字になっています。
いかにも孔子だなと思われるかもしれませんが、
中には「利」「運」「怒」「泣」「狂」など、一条風もふんだんに取り上げられています。
もちろん文中にはドラッカーも出てきます。
一条さんが信奉している先哲たちの話もたくさん出てきます。

面白いのは、著者の生活ぶりも垣間見えることです。
なぜ著者がこれほど次々と著作を物しているかの秘密も少し示唆されています。
文体も変化に富んでいて、面白いです。
私がとても気に入ったのは、「読」「書」の章です。
たとえば、「読」はこんな書き出しです。
私は、とにかく毎日、読んでいる。
何を読むか。まず、本を読む。

つづく章の「書」は、
私は、とにかく毎日、書いている。
何を書くか。まず、原稿を書く。

実にスタイリッシュです。気に入って、何回も読んでしまいました。

内容の紹介が不足していますね。
すみません。

あとがきから少し引用して内容紹介に代えます。
「本書は、月光の書である」と、あとがきは始まります。
人を動かすときの典型的な二つの方策のアナロジーとして、
太陽と北風のイソップ寓話が使われますが、一条さんはこういいます。

リストラの風を吹きつけ社員を寒がらせる北風経営でもなく、
バブリーに社員を甘やかす太陽経営でもなく、
慈悲と徳をもって社員をやさしく包み込む月光経営。
これこそ、心の経営、つまりハートフル・マネジメントのイメージそのものとなる。


本書は、その月光経営の極意書なのです。
詳しくは是非本書をお読みください。
実践的な経営道が語られています。
そればかりか、生き方を考える上でも、たくさんのヒントがもらえるはずです。

座右の書として、時々、気の向いた章を読むといいのではないかと思います。
企業経営者にはもちろんですが、NPOや行政の人たちにも是非お勧めしたい本です。
前著も一緒に是非お読みください。

ちなみに、一条さんの経営観は、「慈悲と徳をもって社員をやさしく包み込む月光経営」ですが、
私の経営観も「愛と慈しみ」です。蛇足ですが。はい。

■「循環型社会入門」
森建司 新風舎 1200円(税別)

時々思ってもいなかった本に出合うことがあります。
今回紹介させていただく本書は、私の友人が書いた本でありません。
ある人がなぜか送ってきてくださったのです。
本の内容がもしかしたら、私の考えにつながっていると考えてくれたからかもしれません。
その本のあとがきに、次のようなことが書かれています。

循環型社会の運動は革命的転換を意味している。
経済至上主義社会を崩壊させ、「経済によってのみ人は生かされている」という価値観から脱出を図らなければならない。
そして、そのあとの新しい価値観をもった循環型社会の姿が見えてくる。
新しい体制は「破壊と創造」から生まれる。
そのためにも、思い切った勇気ある「破壊」の行動を起こさなければならないわけである。

循環型社会を口にしながらも、経済至上主義から脱却できずにいる、多くの企業経営者たちに読ませたい文章だと思いませんか。

ところがです。
実はこの本は企業の経営者が書いた本なのです。
著者の森建司さんは滋賀県の新江州株式会社の会長なのです。
新江州は包装資材などを中心に事業している、従業員100人強の中堅企業です。
社是は「過去には感謝 現在には信頼 未来には希望」。
滋賀の会社らしく、近江商人の伝統の「三方よし」を大切にしているようで、三方よし実践企業としても紹介されています

会社の紹介が長くなってしまいましたが、会社としてもちょっと興味を魅かれます。

さて肝心の本の話です。
この本の副題に「もったいない おかげさま ほどほどに」と書かれていますが、
この3つのキーワードに循環型社会の本質が象徴されていると森さんはお考えのようです。
まあ、これだけでは良くある本ではないかと思われるかもしれません。
私もそう思って軽く読み流そうと思っていたのですが、
読んでいるうちに、書かれていることが著者の実際の生活体験や現場実感に立脚しているのに気づきだしました。
そして人間的な眼差しと同時に強い批評眼をお持ちなのが伝わってきたのです。
途中から襟を正して読ませてもらいました。

特に私にとってはとても共感できるメッセージがたくさん出てくるのです。
たとえば、「静脈産業のごまかしというところでは、
静脈産業には大きな矛盾がある。その発展のためには廃棄物が増えなければならないと指摘しています。
環境ビジネスは過渡的現象であるとも明言されています。

私はこう明確に言い切った経済人を知りません。
しかし森さんが言うように、静脈産業論はまさにごまかしでしかありません。
私も10年以上前からそういっていますが、残念ながら環境産業のパラダイムシフトは起こっていません。
ますます環境を悪化させる環境産業が増えているようにさえ思います。

「個々の対策では対応できない社会問題」という章もあります。
まさに私が取り組んでいる大きな福祉に向けてのコムケアの考え方です。
「人間の絆が人間を創る」ともあります。

まるで自分で書いた本を読んでいるような気がしました。
しかも、私とは違って、メーカーの経営者なのですから、その発言の重みは私とは全く違います。
感服させられた次第です。

他にも示唆に富む指摘がふんだんに出てきます。
しかも、肩に力が入っていない平易な言葉で語られていますから、とても読みやすいです。
それに各章の最後に一言警句が添えられています。
それを並べただけでもたくさんの気づきをもらえるはずです。

森さんは、「もったいない おかげさま ほどほどに」の考えを広げるために、
その頭文字をとった「MOHの会」をつくって活動を展開しています。
つまり高邁な評論にとどまる人ではなく、実践者でもあるのです。
「MOHの会」はこの本でも少し紹介されていますが、機会を見てもう少し調べてみようと思っています。

長い紹介になってしまいましたが、針路を誤っているように見える昨今の企業経営幹部のみなさんに是非読んでほしい本です。
企業に不信感を高めているNPOの人にも読んでほしいです。
いや、すべての人に読んでもらって、自らの生き方をちょっと見直してもらうのがいいでしょう。
ともかく お勧めの1冊です。

「もったいない おかげさま ほどほどに」
とても共感できるキーワードです。
私も生き方を見直さなければいけません。

■「知の巨人ドラッカーに学ぶ21世紀型企業経営」
一条真也 ゴマブックス 1200円(税別)

私はドラッカーがあまり好きではありませんでした。
著書はかなり読んでいるのですが、どこかに違和感があります。
その理由は自分ではわかっています。
会社に入社した頃、ドラッカーの「現代の経営」などを読んだのですが、
そこにでている「事業とは顧客の創造」というメッセージに大きな違和感を持ってしまったのです。
その最初の出会いが、私をドラッカー嫌いにしてしまったのです。

しかし、そうした私の思いとは別に、ドラッカーの著者は多くの経営者やソーシャルアントレプレナーに大きな影響を与えてきました。
そして、私の周りにもたくさんのドラッカー信奉者がいます。
企業の世界にもNPOの世界にも、です。

その一人、一条真也さん(企業経営者でもあります)が、ドラッカーの全著作を見事に消化した上で、とても実践的な本にまとめられました。
もし一条さんが書いた本でなければドラッカーの解説書は読まなかったでしょう。
一条さんからこの本が贈られてきた時にも、一瞬、読みたくないなと思ったほどです。
しかし、前著「ハートフル・ソサエティ」にとても共感したこともあり、
そしてそれがドラッカーの最後の著書「ネクスト・ソサエティ」への回答書であることを知っていたこともあって、読まないわけにいきません。
それに一条さんは単なる評論家ではなく、ドラッカー理論の実践者であることは知っていましたので。
実践者の本は、必ず示唆が含まれています。

改めて読んでみて、もしかしたら私のドラッカー評価は認識不足だったかもしれないと思いました。
もちろんまだ翻意したわけではありません。
なにしろ私は「顧客の消滅が事業の目的」と考えている人間なのです。

まあ、私がどう思うかは瑣末な話です。
この本はドラッカーの理論を極めて簡潔に、かつ実践的にまとめています。
企業の人にはもちろんですが、NPOやソーシャルアントレプレナーにもお勧めの本です。
この1冊を読めば、現在の企業が抱える重要な戦略テーマや基本的な経営理論の構造が理解できます。
それに一条さんの要約は、実に簡潔にして要を得ています。
経営指針書としても完結しているように思います、

この本を読んだおかげで、ドラッカーの所期の著作を改めて読む気になりました。
そういう意味で、ドラッカーになじみのない人にも、馴染みすぎた人にも、お勧めの経営書です。
最近、勘違いした経営理論に振り回されている行政の人にもお勧めします。

詳しくは下記サイトをご参照ください。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4777103404/250-0578551-8678607#product-details

■「技術者資格−プロフェッショナル・エンジニアとは何か」
杉本泰治 地人書館 2400円(税別)

技術者の倫理の問題に取り組んでいる杉本さんが、今度は技術者資格の本をまとめられました。
倫理と資格、この問題は深くつながっていることを杉本さんからは何回もお聞きしていますが、
本書の「はじめに」に杉本さんは次のように書いています。

米国にプロフェッショナル・エンジニアという技術者資格制度があり、この制度がまた、技術者倫理を育ててきた。
技術者の倫理と資格とは、車の両輪の関係にある。
というのは、技術者に倫理を求める社会の事情がまた、技術者資格を必要とするからである。
わが国の現状は、技術者倫理が強調されるようになったばかりで、まだその観点からの技術者資格には目が向いていないが、
早晩、それでは足りないことに気がつくに相違ない。

杉本さんらしく、論理が整然としています。
こうした杉本さんのホリスティックなバランス感覚に教えられることが多いのです。

この本はやや専門的であり、法や制度の解説が中心ですので、必ずしも一般的な読み物とはいえませんが、
それでもさまざまな示唆を得ることができます。
2つだけ紹介します。

科学技術や技術者資格に関する法律は日本にもアメリカにもありますが、
その理念と基本姿勢が違うことを杉本さんは明確にしてくれます。
日本法は、科学技術を利用しようとしているのに対し、米国法は、科学技術を制御しようとしている。
そして、それが技術者資格制度に大きな影響を与えているというのです。
私にとっては、これは驚くべき気づきでした。
これまで何となくモヤモヤとしていたことが一気に氷解されたような気もします。

もうひとつも私には大きな気づきでした。
資格には、私益の側面と公益の側面があるが、
日本では私益の観点で捉えられており公益の視点が埋没していると言うのです。
言われてみるとまったくその通りです。
これは大きな意味を持っています。

いうまでもなく、この2つは深くつながっています。
そして、この2つの指摘から杉本さんの考えや姿勢が読み取れるでしょう。
この2つのことに気づくだけでも本書は読む価値があると思います。
ちょっと堅い本ではありますが、
技術に関心のある方やMOTに取り組まれている方、
あるいは企業倫理に関心のある方には、是非読んでいただきたい本です。

ちなみに、杉本さんが代表をつとめるNPO法人科学技術倫理フォーラムでは、
来年度、技術者倫理をテーマにした公開フォーラムの開催を検討しています。
そのための気楽な研究会を発足させています。
隔月に集まって、情報交換しながら、どんなフォーラムにしようかを気楽に話し合っています。
次回はお知らせのコーナーで案内していますが、4月4日です。
関心のある方はぜひご参加ください。
事務局は私が担当していますので、メールをいただければご案内させてもらいます。

■「平和のための経済学」
川本兼 明石書店 2500円(税別)

先週、週間報告で紹介した川本兼さんの新著です。
これまでも川本さんの著作は数冊紹介してきましたが、
川本さんがこれほど著作活動に力を入れるのは、「平和に関する新しい考え方」を広げていきたいからです。
その考え方を川本さんは次の3点に整理しています。

@平和を民衆の解放の歴史の中に位置づける。
A民衆の解放は基本的人権で表される。
B平和は基本的人権の形にして民衆が獲得していくべきものである。


この3点をベースにして、川本さんはこれまで数々の著作を書いてきました。

しかし、もっと広い見地で、政治や経済に対する考え方を伝えていかないとだめだということに気づいたそうです。
そして、新たに書き下ろしたのが、本書です。今回は経済が扱われています。

川本さんが発想の根底においている独自の考えが2つあります。
「人権革命」と「新社会契約説」です。
その視点から「平和権的基本権獲得のための第3の革命」を問題提起しています。
言葉だけだと伝わりにくいと思いますが、こうした発想の基本にあるのは「すべての人間の個人の尊厳」です。
統治のための基本的人権や民主主義の限界を川本さんは指摘します。
こうしたことはこれまでの川本さんの著作で詳しく述べられてきましたが、
本書でも最終章「資本主義経済に枠組みを与える社会的価値」に簡潔に整理されています。
次の文章を読んでもらえれば、川本さんの視座と視野を理解してもらえるでしょう。

近代民主主義は、人間の尊厳と基本的人権を認められる人々の範囲が余りにも狭すぎる。
資本主義の利潤原理は「他者の『人間の尊厳』に対する配慮」を欠いた経済原理だった!
近代民主主義も「他者の『人間の尊厳』に対する配慮」を欠いた政治原理だった!

その原因を、川本さんはそれらの淵源のカルヴァニズムに求めています。

そうした考えを基本において、本書では経済学の基本がわかりやすく書かれています。

平和を獲得していくためには、
私たち一人ひとりが、自分の考えに基づいて主体的に行動していくことが必要であり、
そのためには経済に対する知識が必要だと川本さんは言います。
これまで学校で教えていた経済学は果たして平和のための経済学だったのかどうか、
というのが川本さんからのもうひとつの問題提起かもしれません。

本書は是非若い人たちに読んでほしい本ですが、
「経済を知って平和や福祉のことを考えよう」(本書の副題)という川本さんからの呼びかけは、若者だけに向いているわけではありません。
読んでいただけるとうれしいです。

そして平和に向けての何か行動を起こしてもれるととてもうれしいです。

■「あなたの子どもを加害者にしないために」
中尾英司 生活情報センター 2005 1500円(税別)

コムケアの公開選考会でお会いしたのが中尾さんです。
そして著書をもらいました。それがこの本です。
副題に「思いやりと共感力を育てる17の法則」とあります。

子育てを通して自分の深淵が見えるということに私も最近漸く気づいてきたのですが、
そんなこともあって表題に惹かれて気楽に読み出しました。
しかし、読み出した途端に、中尾さんのするどいメッセージが心に深く突き刺さり、一気に読み終わってしまいました。
実に多くのことに気づかされる書です。
この本に出合えたことを深く感謝します。
子育てももちろんですが、人との関係性を考える上で、最近うすうす感じていた私自身の問題を正面から指摘された気がします。
自分への嫌悪感と自己変革の可能性への希望と言う、矛盾した二つのメッセージをもらった気がします。

あまりにも個人的な感想を書いてしまいましたが、すべての人に読んでほしい本です。
少なくとも子育てに取り組んでいる人には是非とも読んでほしいです。
この本の題材になっているのは、酒鬼薔薇事件を起こした少年とその両親の話です。
私はこういう事件が生理的にだめで、事件そのものに関する報道や論評をほとんど読んでいませんでした。
そして特殊な事件と考えていました。
私が座り直して一気に引きずり込まれたのは、読み出してすぐの15頁目です。
そこには、事件を起こした少年と母親とが事件後に初めて面会した時の様子が、母親の手記から紹介されています。

(少年は)「ギョロッとした目を剥いた」「すごい形相」で抗議すると同時に、その目からは涙が溢れていました。
同時に溢れた二つの激情。母親は、「心底から私たちを憎んでいるという目」を見てショックを受けます。
そして、少年を「じーっとただ見つめて」観察し、ボロボロと涙をこぼしているのを見て、「これ」とハンカチを渡そうとします。
少年は、そのハンカチを「バーンと激しく払いのけ」ました。

中尾さんはこの情景に、問題の本質を読み取り、そこからさまざまなことを読者に気づかせてくれるのです。
その眼差しはまさに温かな人間の目であり心です。
そして、私たち親への厳しいメッセージを出してくれます。
少なくとも私は、中尾さんのメッセージを心の底まで実感させられました。
消化できるかどうかまだ自信はないのですが。

子育てだけの話ではありません。これは社会のあり方にも大きな示唆を与えています。
いや、私自身の生き方を改めて考えなければいけないと思い知らされました。
まだまだ私には観察者からの脱却できない自分、生理的に拒否するものから逃避してしまう自分がいます。
少年の母親とどれほどの違いがあるか、自信がありません。
大人になることを極力忌避してきたつもりですが、もう十分に大人になってしまっているのかもしれません。
様々なことを考えさせられてしまいました。
そして、ちょっと違った一歩を踏み出す契機をもらいました。
中尾さんに感謝しています。

本書に関する詳しい案内や読者の反響などは中尾さんのホームページにも掲載されています。
ぜひお読みください。

http://www.jiritusien.com/familypsychology/book/index.htm

また、中尾さんは、他にもたくさんのサイトを持っています。
あなたの自律支援COM
http://www.jiritusien.com/index.htm
組織改革ご支援COM
http://www.jiritusien.com/sosikikaikaku/index.htm
などはいずれも示唆に富む内容が満載です。

ともかく今はたくさんの人にこの本を読んでほしいと思っています。
第一章だけでもいいです。ぜひお読みください。
感想をきかせてもらえれば、もっとうれしいです。

ここからも購入できます。

■「ハートフル・ソサエティ」
一条真也 三五館 1500円

一条真也さんが戻ってきました。
執筆を再開されたのは昨年で、昨年も2冊の新著「結魂論」「老福論」を書き下ろしましたが、まだ本来の一条さんらしさを感じませんでした。
今回の新著は一条さんらしい大きな構想に基づく魅力的な新作です。
一条さんからの手紙によれば、「ハートフル・マネジメント」「ハートフル・カンパニー」へと続く「平成心学三部作」の幕開けの書です。
待ち望んでいた著作です。

私が一条さんと出会ったのは、たぶん北九州市でのホスピタリティをテーマにしたフォーラムだったと思います。
もしそうなら10年前です。すでにその時、一条さんは執筆活動をやめて経営者業に専念していました。
彼の何冊かの著作を読ませてもらい、その広がりと深さに驚きを感じていた私は、ぜひ執筆再開を望んでいましたが、
いよいよ本格的な執筆が再開され、とてもうれしいです。
この間、会社経営を体験され、新たな視点が吹かされているはずですから、自作以降への期待も高まります。

3部作の1作目にあたる本書は、ドラッカーの「ネクスト・ソサエティ」での問題提起に対する具体的な回答書だと著者は位置づけています。
著者の意気込みが伝わってきますが、読み終えてその思いがとても納得できました。
これほど全面的に共感できた本は、あまりありません。
一条さんのこれまでの本には、時々異論も感じたのですが、本書に関しては全面的に共感します。
この考えを具体的な企業経営に発展させていく次作が実に楽しみです。

私も20年ほど前に「21世紀は真心の時代」という小論を書き、
当時所属していた東レで「真心集約産業」や「デディケイテッド・マーケティング」などを提案したりしていましたが、
この本はそんな上っ調子な論調ではなく、実に生真面目に理論を整理し、心豊かな社会のデザインを描いています。
高齢社会の指針としての実践的な示唆にも富んでいます。
内容の密度が高いので容易には要約できませんが、熟読されることをお勧めする好著です。
視野も広いですが、それらが見事につながっています。

一条さんは、本文で、
21世紀における私たちの課題というのは、共同体の新しい形を構築していくことなのだ(87頁)。
と述べています、そしてそのモデルの一つとして、結いや講をあげています。
全く同感です。
私が取り組んでいるNPO活動やまちづくりは、すべてその視点に立っています。
このシリーズは企業経営へと書き進められていく予定ですが、
新しい共同体社会への展開もぜひ期待したいと思っています。
本書は、そうした新しい大きな物語のプロローグです。

ちょっと褒めすぎの感もありますが、今読み終えて、実に心がワクワクしていますので、仕方がありません。
本の内容は、出版社のサイトで見てください。
ともかくお勧めしたい1冊です。
これを読んで、改めて昨年の2冊を読むとまた違った印象になるかもしれません。

コモンズ書店での購入

■「戦争が終わってもーぼくの出会ったリベリアの子どもたち」
高橋邦典 ポプラ社 1365円

以前、ご紹介したアメリカ在住の写真家、高橋邦典さんの写真絵本の2作目です。
前回の「ぼくの見た戦争」はとても好評で、私のところにも反響がありました。
今回は、高橋さんがリベリアの内戦中に出会った子供達数人のその後の生活を追ったドキュメンタリーです。
私には前作以上に考えさせられるものがありました。
前回もお知らせしましたが、高橋さんのホームページもぜひご覧ください。
とてもライブな動きのある写真からさまざまなメッセージが受け取れます。
写真集は説明を書くよりも見てもらうことですね。
書店にまだ出ているはずです。ぜひお手にとって見てください。

http://www.kuniphoto.com
http://www.jmag.com/kuni.html (kuni journal)


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