〔住民とのパートナーシップによるまちづくり〕

参加型まちづくりから共創型まちづくりへ
潟Rンセプトワークショップ:佐藤修(2000/04)
〔北九州市職員研修所機関誌「いちいがし」95掲載〕

■ 地方分権時代がやってきた

 地方分権時代の到来により、自治体行政の枠組みが大きく変わりつつある。

  地方分権は単に中央から地方へ権限が移管されるということではない。地方の自主性、自立性を高めることである。少し理屈っぽくいえば、国家統治の視点から市民と接していた自治体行政を、地域住民主役の自治を目指す自治体行政へと変えていくことである。

 中央から発想するのではなく、地域からの発想に変えるわけだから、発想の方向が逆転することになる。したがって、自治体職員としての顔の向きや判断基準も変えていかねばならない。中央を向いていた顔を地域や住民に向け、横並び基準やお上基準ではない自分の基準を持つことが必要になってくる。当然、住民との関係も変えていかなければならないし、自治体行政の役割も見直す必要がある。単に制度が組み替えられただけではなく、その根底にある理念と枠組みが、中央集権から地域主権へと変わったことをしっかりと認識する必要がある。

  変わったのは制度だけではない。自治体行政と表裏一体にあるまちづくりの枠組みも変わってきている。

  まず、まちづくりの対象が施設や道路などのハードづくりからそれらを活かした生活づくりというソフト面へと移ってきた。モノづくりから物語づくりへと言ってもいい。しかも、その物語は地域に立脚した個性的なものが求められている。横並びのまちづくりから個性を主張するまちづくりへの変化である。実際の行政課題も、環境や福祉など、生活に密着した分野に重点を移しつつある。

  こうした変化の結果、まちづくりの主役は行政から住民へと移りつつある。行政だけでは施設や制度をつくることはできても、物語はつくれない。とりわけ、福祉や環境の分野は住民と一緒になって取り組まなければ実効があがりにくい。住民がまちづくりの主役になってきたのである。地方分権が意味することは、行政主導から住民主役への移行でもあるのだ。

■まちに飛び出す市役所になっているか

 地域主権、住民主役へと時代が変わっていくなかで、自治体行政はどう変わっていけばいいのだろうか。その出発点は、地域の実相を知ることである。地域の実相は統計資料や住民の意識調査などからは見えてこない。地域を歩き、住民と話すことから、はじめて地域の実相は見えてくる。

 現在の自治体行政の問題点のひとつは、地域の実相との乖離ではないだろうか。いくつかの自治体と関わって不思議に思うことのひとつは、行政の中枢ともいうべき企画部門が地域社会の住民生活に直接触れる仕組みをあまり持っていないことだ。実相よりも統計や理論が、さらには中央からの情報が優先されている。住民の生活は発想の起点ではなく、行政の対象でしかないのだろうか。それでは住民の生活を豊かにし、個性のあるまちを育てていくことは難しい。三重県が打ち出した「生活者起点」発想が話題になっていることが、そうした事態を象徴している。

  さらに加えて、役所内部の第一線と政策形成部門との距離も問題である。まちや住民との接点をもつ現場職員の意識と政策形成部門のそれとのズレが見られることも少なくない。企業では顧客との接点である現場が重視され、現場起点の逆ピラミッド構造が議論されだしているが、行政においてもそうした発想が必要になっている。首長や中央省庁のほうばかり見ていては大切な情報は集まらない。発想のベクトルが変わったのだから、政策形成部門こそ住民との直接接点が必要になっている。「地方分権の理念」は中央省庁と自治体との関係だけではなく、自治体内部にも当然当てはまる。

  地域を愛し、まちづくりに真剣に取り組んでいる行政人にとっては、住民との接点は刺激的であり、手応えを実感する喜びを味わえる場だ。しかも時代の先も見えてくる。公民館活動や出前講座などで意識を変えた職員に出会うことも多いが、庁舎にいては時代は見えてこない。職員(特に管理職)は、庁舎を出てどんどんまちなかに入っていくことが大切である。アンケート調査やモニター制度、あるいは市民有識者から成る審議会などでは、なかなか地域の実相は見えてこない。

 北九州市では、「まちに飛び出す市役所」を目指し、全国に先駆けて出前活動を展開してきたが、それが市役所の文化を変えるところまでは、残念ながら深化していないように感じられる。出前講座はすでに全国では600を超える自治体で行われており、取り組みも深まっているばかりか、それをテーマに自治体を超えた交流や連携もとられだしている。さらに住民が役所に話に来る逆出前講座も始まっているし、政策形成を志向する出前講座の動きもある。中央省庁ですら、出前講座を始めだす時代である。政策がらみで出前活動を始めたパイオニアとして、この分野でももっと新しい風を起こすことを北九州市に期待したい。

■地域社会に関わりだした住民たち

 行政と住民の関係は、地方分権体制への移行によって大きく変わっていくだろうが、変化の要因はそれだけではない。住民自体もまた意識や生き方を変えつつある。その背景には社会の成熟化や高齢社会への移行という時代の大きな流れがある。

  バブルがはじけたことも契機になって、人々はここにきて急速に「自分の生活」への関心を高めだしている。仕事優先でがんばってきたおかげで、私たちは確かに物的豊かさを実現した。しかし、ほんとうに「幸せな生活」を手に入れたのだろうか。むしろ社会が荒廃に向かっている兆しは増えており、安心や安全すら損なわれようとしているのではないか。自らの足元を見直し、自分の生活に対する「自己責任」を果たさなければならない。いやそれよりも、自分の生活をもっと大事にしよう、という意識が広がっている。

  生活への関心の高まりは、当然のことながら、自分が住んでいる地域への関心の高まりにつながっていく。しかも、高齢化の進展で地域社会との関わりは長くなる方向にあるため、住民側も行政に対する意識や姿勢を変えつつある。これまではともすると行政への住民参加も、受動的な駆り出され型や暇つぶし型、あるいは逆に対立的だったりしたが、これからは違ったものになっていくだろう。参加層も大きく変わっていく。そうした変化を軽視して、これまでのような発想で取り組んでいくことは避けなければならない。

  ところで、地域住民にとって役所とは一体何なのだろうか。「お上」だった時代もあるが、最近は「公僕」などという見方もある。お上と公僕は全く違うようにも受け取れるが、住民と行政とは位相が違う、つまり上下関係にあるという意味で同じ発想である。今でも「行政公僕論」が語られているが、中央集権体制のもとでの「公僕」は、一歩間違うと「お上」の「僕」になりがちである。

 最近は「行政サービス業論」も盛んである。行政サービスの質を高めることが大切であることはいうまでもないが、サービス業もまた目線は違っている。サービスはサーバント(使用人)につながることを思い出せば、それがかたちを変えた公僕論であることがわかるだろう。それに、まちづくりの主役である住民はほんとうに行政のお客様でいいのだろうか。

 地域主権、住民主役という枠組みで考えれば、これからの自治体行政は住民のパートナーになっていくべきだ。だとすれば、住民もまた行政のパートナーということになる。パートナーとお客様とは違う。住民をお客様扱いして、まちづくりはできるのだろうか。安直にお客様とかサービスとかを口にすべきではない。

  これからの自治体行政は、住民のまちづくり活動を支援する事務局であり、個々の住民では対応できないことに取り組む地域経営者あるいは調整役になるべきである。経営や調整を行うためには、自らもしっかりした理念や主体性を持つ必要がある。そして、時には個々の住民に対してもはっきりと「ノー」と言わなければならないし、総花的な形式的平等主義は捨てなければならない。

  また、往々にして「統治」「依存」「癒着」「対立」に陥りがちだった行政と住民の関係も変えていかねばならない。近年、「参加」「参画」「協働」といった関係づくりにも注力されているが、ともすると手法や「べき論」が先行しがちで、双方いずれも無駄なエネルギーを使っているように思われる。そうした背景には、やはり行政の枠組みや住民の意識が大きく影響しているが、その条件が変わりつつあるのだ。まさに関係を変える好機といっていい。かたちだけの参加や参画ではなく、当事者意識をもった参加や参画、住民と行政とが一緒に知恵と汗を出し合う共創の関係をつくっていかねばならない。

 行政が主導するまちづくりの時代は終わり、行政と住民のパートナーシップの時代が始まろうとしているのである。

■ パートナーシップに向けての仕組み

 パートナーシップの基本は情報共有である。情報を共有せずにパートナーシップは成り立たない。パートナーシップは意識だけの問題ではない。

 住民に情報提供すると、住民エゴが出てきて公正な事業展開が難しくなるから、住民には計画が確定してから情報提供する、という声をよく聞く。たしかに住民を巻き込むと、エゴがぶつかりあって話が混乱し、時間がかかるおそれがあることは否定できない。しかし、だからといって住民に情報も提供しないでいいのだろうか。その発想には、住民を「統治」しようという「お上」の発想がある。その意識を払拭しない限り、いくら参加を募ったところで、アリバイ工作的な参加にしかならない。第一、それでは住民は本気で知恵も汗も流さないし、行政にとっても負担だけが増えることになる。パートナーシップが実現するはずがない。

  自治体行政における情報公開やアカウンタビリティ(行政活動を透明にし、活動内容や成果を住民にきちんと説明していくこと)が重視されつつあるが、地域主権の枠組みでいえば、それによって行政がやりやすくなるからである。情報共有が住民の意識をそろえ、住民と行政との間にパートナーシップを構築していく。不信感ではなく、信頼感から出発しなければならない。そうした動きも広がっている。

 たとえばグラウンドワーク。グラウンドワークとは、1980年代にイギリスの農村地域で始まった、パートナーシップによる地域での実践的な環境改善活動である。地域を構成する住民、行政、企業の3者が協力して専門組織(トラスト)を作り、身近な環境を見直し、自らが汗を流して地域の環境を改善していく仕組みである。身近な空間(グラウンド)の環境をみんなで汗を流して(ワーク)改善するというのが名前の由来である。重要なことは、住民、行政、企業が、それぞれ得意なところを役割分担するということである。たとえば、企業は資金や技術や資材を、行政は資金や情報や調整機能を、住民は情報や労働力を、というわけである。

 この仕組みが日本でも広がりだしている。富士山の湧水で有名な静岡県三島市では、ばらばらに環境保全に取り組んでいた住民組織や青年会議所グループ、三島市、地域企業がひとつになって、1992年に「グラウンドワーク三島実行委員会」を組織し、それぞれが役割分担しながら、環境保全や地域づくりに成果をあげている。グラウンドワークで、荒れ地を整備し手作りでミニ公園をつくったところ、行政がやれば建設費が2500万円かかるところを、たったの5万円で完成したという話もある。資金がかからなかっただけではなく、そうやってつくられた公園は地域住民に大事にされ、生き生きした公園になるだろうし、そうした活動の中からもっと大きなまちづくりへの意識が生まれ、住民と行政との信頼関係(パートナーシップ)も深まっていくことになる。それこそがまちづくりなのである。

 アドプトシステムも広がっている。アドプトとは「養子縁組」のことである。行政が管理していた道路や公園を養子に出し、世話をしてくれる里親を探す仕組みである。たとえば道路を2キロ単位に区分し、そこの清掃活動をしてくれる市民グループや企業などを公募する。里親になったところは、そこが汚れないように掃除をしたり花を植えたりして、面倒をみることになる。その見返りとして、この場所は自分たちが世話をしているということを良識の範囲でPRしてもいいことになっている。企業であれば、道路わきに自社の社会に対する姿勢などをメッセージする広告看板を立ててもいいということである。行政はこうした活動をプロデュースし、マネジメントする役割である。最初は小さなパートナーシップだが、その輪を次第に広げていくことで、住民のまちづくり意識を大きく育てていくことができるだろう。

 ワークショップも、まちづくりに盛んに活用されるようになってきた。北九州市は、ワークショップにはかなり積極的に取り組んでいるので説明するまでもないだろうが、重要なのはワークショップの成果を個別課題の解決に役立てて終わるのではなく、そこで醸成された参加者のまちづくり意識や当事者意識を、引き続き実際のまちづくりに自発的に向けていくように仕向けていくことである。住民によるワークショップが市内各地で生まれていけば、まちは自然と育っていく。ワークショップはまた、単に異質な意見の合意形成にとどまらず、新しい人々の出会いを創出するとともに、新しい知恵や価値を創発する場としても効果的である。

  IT技術の発展により、住民とのパートナーシップを組むための技術やノウハウも蓄積されてきている。そうした技術も駆使して、地域への関心を高めている住民たちとの間に確実なパートナーシップを構築していくことが、これからの自治体行政にとっての重要な課題であることは間違いない。そうした試みは各地で始まっている。

■ 総合計画実現を目指した山形市の共創プロジェクト

  住民と行政とのパートナーシップによるまちづくりの事例について、私が関わっている山形市と茨城県美野里町の事例を少し詳しく見てみよう。

 山形市(人口25万人)では、平成8年に新総合計画を策定した。住民参加の策定委員会ではかなり実質的な議論が交わされたが、その過程で住民側にも行政側にも、計画の策定だけではなく実施についても住民が主役になるべきではないかという意識が高まってきた。その結果、新総合計画には5つの重点政策課題に併せて、「市民が主役になって計画を推進していく」という1章が加えられた。その具体的な展開を保証するものとしてスタートしたのが、「共創プロジェクト」である。

 共創とは関係者が汗と知恵を出し合って、価値あるものを「共に創り出していこう」ということで、「共生」や「協働」よりも創造的で包括的な概念である。総合計画などの策定への住民参加はめずらしいことではないが(現実は形式的なものも多いが)、計画遂行段階での共創を包括的な枠組みで用意しているところは非常にめずらしい。

 「共創プロジェクト」は、図に示す通り、住民と行政とがそれぞれ自らを変革しながら、そして相互の新しい関係を構築しながら、新しい山形市を共に創っていこうというプロジェクトで、共創体質化を目指した市役所プログラム、住民の共創活動を支援する市民プログラム、そして両者で新しい山形市をつくっていこうという山形市プログラム、の3つのプログラムから構成されている。

 共創プロジェクトのなかで重要な役割を期待されているのが、「職員ワークショップ」と「まちづくり市民会議」である。このふたつの「仕組み」は、職員や住民が自己変革していくための共創の場だが、同時に住民と行政とが共創関係を構築していくための場になることも想定されている。

 職員ワークショップは「職員一人ひとりが主役となって議論し、知恵を出し合う自主的自律的な場」である。テーマも含めて職員のイニシアティブで組織されるアドホック(時限的)な組織で、こんなことを考えたい、こんなことを市役所の中で実現したい、という思いを持った職員が全庁にメンバーを呼びかけて発足するのが原則だが、職制が職員に呼びかけて組織するワークショップもある。前者の例ではカジュアルデ−ワークショップが市役所のカジュアル化に取り組み成果を上げているし、後者の例では職員課からの呼びかけで禁煙を考えるワークショップなどが行われてきた。

 一方、まちづくり市民会議は「市民一人ひとりがまちづくりを自分の問題として考え、議論し、知恵を出し合う自主的自律的な場」である。職員ワークショップと同じく、ひとつの組織体ではなく、住民のだれでもが一定の条件のもとでそれぞれ個々のテーマに応じた「市民会議」を創設することができる。行政としても必要があれば住民に呼びかけてまちづくり市民会議を組織することができるようになっている。

 行政と住民とのコミュニケーションを深めていくためには、情報の受発信を行う仕組みをつくるだけでは十分ではない。双方が自らを変えていかなければならない。そのためには具体的なテーマを通して、問題解決的に行動を起こすことが効果的である。山形市ではそうした認識から住民による市民会議と職員によるワークショップを基本において、共創プロジェクトを展開しているのである

■ 進化する山形市のまちづくり市民会議

 まちづくり市民会議についてもう少し詳しく見ていこう。

 「市民会議」という名前は山形市に限らずよくある名前だが、多くの場合は行政主導でテーマやメンバーが決められ、運営についても行政が事務局機能を果たすことが多い。しかし、山形市の場合は、名実ともに住民イニシアティブであるところに特徴がある。住民のだれでもがその気になってある条件を満たせばつくれるのである。

 市民会議づくりの条件は難しいものではない。具体的なテーマを決めて、仲間を5名以上集めればいい。テーマは新総合計画に関連にしたものであれば、たとえ行政に対して批判的なものでも認められる。市民会議として登録されると、情報収集面で行政から積極的な協力が得られるとともに、議論した内容や提案を行政や住民に発表する場を行政が用意することが約束されている。しかも、行政としては、単に結果を聞くだけではなく、提案については正式に検討し、必要があれば議会にも諮って、実現に向けて取り組んでいく姿勢を打ち出している。但し、行政からの資金的支援は原則として全くない。市民会議の運営もメンバーの手弁当で行われることになっている。

 この市民会議の仕組みは平成9年度からスタートしたが、全く新しい試みであり、住民はもちろん市役所職員の理解を得ることも簡単ではないため、初年度は試行的にあらかじめテーマ(「馬見ケ崎川(市内を流れる川)を考える」など)を設定してメンバーを公募するという方法がとられた。公募に応じて、100名を超える住民の参加があった。

 運営についてはそれぞれかなりの紆余曲折があったようである。たとえば「馬見ケ崎川」については、環境か開発かなど議論の多いテーマであったため、意見の全く異なる人たちが同じ市民会議に集まり、当初は議論が混乱しがちだった。また、情報収集のために市役所職員とミーティングを持つこともあったが、最初は情報収集というよりも、行政批判や陳情の場のようになってしまったこともあった。しかし、集まりを重ねるにつれて、参加者の意識は変化していき、行政との関係も変わってきた。

 活動成果の発表会が翌年4月に行われ、市長や議員、市役所職員、住民など、あわせて200名を超える参加者があった。行政に対する辛辣な批判もあったが、全体的には非常に建設的な内容であり、また1年間の体験から市民会議そのものに対しても非常に高い評価が異口同音に出されたのが印象的だった。こうした場を通して、住民も行政も、共創の意味を実践的に学んでいったのである。

 2年目からまちづくり市民会議はテーマもメンバーも完全に自由となった。20近い市民会議が毎年成立し、代表者による連絡会も行われている。2年目の特筆すべき動きとしては、ある中学校の1年生が全員でまちづくり市民会議をつくったことである。総合学習に向けての試みとして学校が主導したのだが、生徒一人ひとりがそれぞれテーマをもって山形市を観察し、提案をするというものだった。発表会では大人に混じって中学生が発表したが、中学生が入っていたために会の雰囲気もやわらかくなり、所用のため途中退席する予定だった市長もついつい最後まで聞いてしまうほどの盛り上がりだった。パートナーシップをできるだけ幅広い層に広げていくことは重要なことである。特定のメンバーへの固定化は避けなければならない。

  3年目には新しい形の活動が発展的に始まった。市民会議に参加していた山形青年会議所のメンバーが中心になって地域づくりの全国会議を開催することになったのである。まちづくり市民会議のメンバーによびかけ、新しいメンバーもいれながら、実行委員会が組織された。行政も市だけではなく、県、さらには国の出先機関の職員も巻き込み、住民と同じ目線で知恵と汗を出すという共創関係が成立した。本当に実施できるのかどうか危ぶまれるようなスタートだったにもかかわらず、会議には全国から600人近い参加者を集めることができた。通常のまちづくり市民会議とはかたちもテーマも異なるが、これもまちづくり市民会議の発展形のひとつである。

 この体験はさらにいくつかの新しい動きを生み出している。そのひとつは、商店街活性化のプロジェクトである。実行委員会の中心メンバーだった一人が呼びかけて、商店街活性化に向けてのイベントを実施、新しいまちづくりに向けての活動が始まっている。行政が支援していることは言うまでもないが、主導しているのはいまや住民である。そして新しいかたちの市民会議活動が次々と生まれだしている。

  3年目にはもうひとつ大きな事件があった。年度末に市長が交代することになったのだが、ここで特筆すべきことが起こった。まちづくり市民会議の代表者たちが自発的に集まり、市長が変わっても、共創の理念と市民会議の仕組みは継続していくことを働きかけていこうという合議がなされたのである。市民会議は住民主役とはいえ、行政が始めたものであり、行政の支援がなければ継続は難しい。そこで彼らは市役所の事務局にも声をかけて集まりをもったのである。そのせいどうかはともかく、市長は交代したが、共創プロジェクトもまちづくり市民会議も継続している。むしろ、新市長のもとで新しい展開に向けて共創の輪を広げようという動きが強まっている。

  あまり派手さはないが、そして必ずしも計画通り発展しているわけでもないが、共創を理念にした山形市の共創プロジェクトは、これからのまちづくり、あるいは自治体行政の新しいモデルに向かって漸進しているように思われる。

■ 白紙から始まった住民主導の文化センタ−づくり 

 もうひとつ、茨城県の美野里町(人口2万5千人)で進められているパートナーシップ事例を紹介しよう。事の発端は文化ホールの建設である。

 美野里町では町の長期構想に基づき文化ホールの建設に取り組むことになったが、基本構想を描くところから住民主導で取り組む方針が決定された。そして、町民と町役場の職員に対してプランナーを公募したところ、10人の町民と5人の職員から応募があった。全員、ほぼ完全な自発的応募である。そして委員会が発足した。

 当初、ほとんどの委員が、町役場の案に希望や意見を述べればいいだろうと考えていた。それまでの委員会はほとんどがそうだったからである。だが今度は違っていた。町は本気で住民主導の活動を考えていたため、まさに白紙からの検討が求められることになった。行政は3人の専門家アドバイザーを用意したが、あくまでも彼らはアドバイザーであり、実際の活動は委員たちで行わなければならなかった。これは大変なことだと委員が気づいたのは、委員会が始まってからである。

 しかし、戸惑いながらも委員は意識を変えていく。自分たちで勉強を始めるのである。ある町民委員は近隣の文化施設を自発的にまわり、県庁にまで意見を聞きにいったりした。委員会の運営も次第に町役場から委員の手へと移りだす。

 委員の意見も変わっていく。音楽関係のサークルに参加していたある委員は、是非とも音響効果の優れた立派なコンサートホールがほしいという動機で応募したのだが、議論しているうちに果してコンサートホールを建設することがいいことなのかどうか悩みだす。文化ホールを建設し運営していくための費用を考えたら、もっとやることがあるのではないか。いやそれ以上にもっと地域のことを知り、町の文化そのものを、つまり町での生活のあり方そのものを考え直すことが大切ではないかと考えだすのである。別の委員は文化ホールをつくることはまちづくりであり、人をつくることだと考えるようになる。町の財政を気にする委員も出てくる。そして全員がもっと自分たちのまちのことを知らなければならないことに改めて気づいていく。

 町の職員も住民の意識変化に大いに触発されたことは言うまでもない。それまでやや相互不信感があった住民と行政とのミゾは埋められ、行政と住民とのパートナーシップによるまちづくりが始まったのである。

  ハコモノ批判が強まるなかで、文化ホール建設への反対も少なくなかった。そのため委員会での検討内容は、ニュースレターによって全住民に配布された。ニュースレターの作成も委員が自発的に分担した。

  また、全住民を対象にした文化ホール建設の是非を議論する公開フォーラムも実施されたが、そこにも委員がパネリストとして参加し、全町に文化ホール論議を広げていった。フォーラムでは反対意見も多かったが、グループに分かれての自由討議を含め、賛否含めた議論が公開の場で行われたことに対する住民の評価は高く、住民の関心は高まっていく。そして、ただ反対賛成を議論するのではなく、これからの美野里町にとって必要な施設はどのようなものなのかが議論されだしたのである。委員会はいくつかの部会にわかれて活動を活発化させ、住民によるワークショップなども行われた。その過程で「文化ホール」という呼び方は「文化センター」に変わっていった。

■共創体験から生まれた住民による総合計画づくりへの挑戦

 2年の検討の結果、基本構想が完成し、全住民への説明会が行われた。施設コンセプトは「呼吸する文化センター」。住民同士はもとより、公演者と観衆が直接ふれあえるような、まさに共創の理念を象徴するようなコンセプトである。行政と住民それぞれの役割分担もしっかりと提案された。構想を設計に展開していくための設計業者の選定も、委員会のアドバイザーが中心になって、複数の企業によるプロポーザル方式でガラス張りのスタイルで行われた。施設建設はともすると業者選定の過程で透明性を欠き、それがせっかくの住民とのパートナーシップを損なうことも起こるが、美野里町の場合は極めて公正に行われたといっていい。

 基本設計の段階でも、共創の思想は大切にされ、設計途中で設計者と住民との意見交換や要望聴取なども積極的に行われた。当初の計画に比べると時期は2年ほど遅れているが、着実に実現に向けて建設は進んでいる。

  住民主導の文化センターの体験から、住民と共創していくことの意義を実感した行政は、総合計画策定も住民主導で進められないかと考えた。しかし、一挙には難しい。たまたま今年度は、現在の総合計画の後期基本計画を策定する時期にあたっていたので、次の本格的な住民主導の計画づくりに向けて、今回は実験的な試みも含めて、できるだけ住民を広く巻き込んでの計画作りに取り組むことになった。「実験的な挑戦」(つまり失敗もありうる)とは担当課長の言葉だが、これまでの行政の発想からはまず出てこない言葉である。そこに美野里町の強い決意が感じられる。

  あえて誤解をおそれずにいえば、計画策定を主目的にせず、その過程で行政も住民も意識を変え、共創関係を確立していくことに焦点を合わせたのである。したがって、一見、計画とは関係のないようなプログラムも用意した。住民たちによる地域の魅力発見活動や若手職員を中心にした勉強会、子供たちを巻き込んだ風景絵画コンテスト、住民公開のまちづくりフォーラム。さらに町役場の一室を定期的に開放して住民が気楽に立ち寄れる美野里町サロンも開設した。

  同時に、活動をみんなが共有できるように、職員ニュース「ブレイクするー」や全戸配布の住民向け月刊紙「みのり人」も発行しだした。「みのり人」の編集は、今年役場に入った新入職員が担当している。住民感覚で計画策定プロジェクトの動きを住民に報告していくとともに、役場に入った彼ら自身の意識の変化をライブに伝えていこうというわけである。

  さらに、地区別の計画を策定することになったが、これは地区住民が中心になって起案することになった。しかも、単に行政計画だけではなく、住民として何をやるかも計画の中に入れ込むことが検討されている。

 総合計画策定に住民が参加したり、地区計画がつくられるのはめずらしいことではないが、ここまで入り込んだ計画づくりはあまりないのではないかと思われる。しかも、一番の狙いは、住民と行政とのパートナーシップの確立であるから、行政は積極的に情報を提供していく姿勢をとっている。たとえば住民の意見調査結果報告書(自由意見を原則としてそのまま全て収録)なども実費で住民に配布されているし、それに対する職員の意見なども集約して住民に発信していく予定である。電子メールなどの活用も取り組まれ始めており、住民からのメールも届きだしている。

■ 住民による内発的まちづくりを支援する行政へ

  山形市と美野里町における住民と行政とのパートナーシップ活動を詳しく紹介してきたが、両者に共通しているのは「住民の知恵とエネルギー」を主軸にしてまちづくりを進めていこうという住民主役の姿勢である。これまでの「参加型まちづくり」を一歩超えた「共創型まちづくり」と言ってもいい。

  パートナーシップというとすぐ住民参加を想起するが、住民参加という言葉には、やはり主体は行政で、その行政活動に住民が参加するというニュアンスがある。そのため、山形市では住民活動に行政が参加するという意味で、主客を逆転させた「行政参加」という表現を使っている。住民とのパートナーシップでは先進的な展開をしている水俣市でも「行政参加」と言っているが、まちづくりにおける参加の方向性はこれから逆転させていくべきだろう。

 正確にいえば、行政が主役になって進めていくべき課題と住民が主役になって進めていくべき課題とがあるだろうが、大切なのはいずれにおいても「当事者意識」を持っての「自発的」参加でなければならないということである。しかも、ただ参加したり協働したりするのではなく、当事者として主体的に価値を創りだしていくという共創の精神が必要である。参加という形態が重要なわけではなく、自分たちのまちを一緒になって創っていくということに意味がある。当事者意識がなければ、パートナーシップはかたちだけのものに終わってしまう。

  国際開発の理論に「内発的発展」という概念がある。外部の手による開発ではなく、当該地域の実態に合わせて、地域の人たちが特性を活かしながら地域を豊かに発展させていこうという考え方である。外部主導の開発の場合は、外部からの支援や働きかけがなくなれば元に戻ってしまいがちだが、内発的な発展であれば、プロジェクト終了後も自己成長していくことになる。ポイントは発展に取り組む当事者を、地域内にどれだけ増やせるかということである。

 この考え方は、当然、まちづくりにもあてはまる。もしかすると、これまでの行政は横並びのシビルミニマムを実現するために、そうした内発的なまちづくりのパワーを壊してきた面があるかもしれない。しかしこれからは、むしろそうした内発力をどう育てていくかが行政の最も重要な課題になっていくだろう。つまり、そこに住んでいる住民たちが、地域に対する愛情と誇りを持ち、「ここは私たちのまちであり、私たちが育てていく」という当事者意識をもっていれば、地域はおのずと発展していく。

  それに関連して、最後に「住民」と「市民」という言葉について言及しておきたい。1960年代に自治体行政への住民参加が広がりだしたころから、「市民」という言葉が盛んに使われるようになってきた。行政とのパートナーシップのためには、あるいは健全な地域発展のためには、地域住民も地域エゴから解放されて、普遍的な社会性をもった「市民」にならなければいけないといわれたのである。

 たしかに住民の行政依存体質や無責任な勝手な言動が地域の好ましい発展を阻害してきた事例は多い。私自身、住民の意見調査などをまとめながら、あまりに身勝手な言い分に、行政職員でもないのに、ついつい腹立たしくなることも少なくない。そうした住民たちの要望の矢面に立たなければならない職員が、住民たちに不信感を持つのもよくわかる。しかし、住民の要望に応えるために「すぐやる課」などをつくって、そういう住民を育ててきたのもまた、これまでの行政なのである。そこを忘れてはならない。

 地域エゴを超えた賢い市民になれという発想の根底には、住民不信があるばかりか、土(地域)とのつながりへの軽視があるように思われる。そうした発想が、地域の固有の価値をおろそかにし、土を媒介にした人間のつながり(コミュニティ)を壊してきたのではないか。土(地域)から離れては地域の内発力は育っていかない。いま必要なのは、中途半端な市民意識ではなく、しっかりと地域に根ざした住民意識の醸成なのではないか。地域エゴを主張するかもしれないが、それは彼らがしっかりと地域に根ざして生活しているからである。判断に偏りがあるかもしれないが、それは情報がきちんと提供されていないからである。住民も市民意識を持て、などという前に、まず職員自らが土に根ざした住民意識を持つべきだろう。パートナーシップのはじまりは、自らが相手のふところに入ることから始まることを忘れてはならない。

  まちづくりとは地域が育つ仕組みをつくることである。そして、地域をつくっているのは住民である。その住民を信ずることから自治は始まる。パートナーシップによるまちづくりもまた、住民を信ずるところから始まるのである。相手を信頼せずにパートナーシップなど生まれるはずがない。

 行政がまちをつくろうなどという発想は捨てたほうがいい。住民が当事者として動き出すために、行政として何ができるのか、いま、それが問われているのである。

(2000,4,30)