美野里町の都市計画マスタープラン
美野里町では、これまでとは違った新しい都市計画づくりに取り組んでいます。
(美野里町モデルの基本方針)
この下に詳しい記事があります。
これを読むと、2002年からの動きがライブにわかります。
編集されていないために、ダブっていますが。
特にポイントとなるところは記事とリンクさせましたの、お急ぎの方はそこだけを広い読みください。
青字がリンクしています。
(2004年)
■美野里町まちづくり計画事務局会議(2004年1月26日)
■美野里町まちづくり会議企画運営委員会(2004年1月6日)
(2003年)
■ 美野里町都市計画マスタープラン3年目(2003年4月8日)
■ 美野里町まちづくり計画湯島会議(2003年4月16日)
■ 美野里町まちづくり計画ワークショップ(2003年4月21日)
■ 美野里町のまちづくり計画がさらに一歩前進します(2003年5月7日)
■美野里町の住民主役のまちづくり(2003年6月19日)
■ 美野里町もいま、ちょっと重いです(2003年6月30日)
■ 美野里町区長会議(2003年7月18日)
■ 筑波大学名誉教授の高野恒雄さん(2003年7月18日)
■ 美野里町農業部会と耳の会(2003年7月25日)
■ 美野里町まちづくり会議羽鳥部会(2003年7月28日)
■ 美野里町農業委員会(2003年7月28日)
(2002年)
■ 美野里町まちづくり職員ワークショップ(2002年1月30日)
■ 都市計画について話し合いました(2002年4月6日)
■ 美野里町で都市計画マスタープランの打ち合わせをしました(2002年4月8日)
■ 美野里町の社会福祉協議会の石川さんに会いました(2002年5月15日)
■ 美野里町都市計画マスタープラン湯島会議(2002年5月20日)
■ 美野里町都市計画マスタープラン(2002年5月27日)
■ 鳳林院竹内さん(2002年5月27日)
■ 美野里町のいろいろな人(2002年6月14日)
■ 美野里町都市計画マスタープランづくり本格始動(2002年6月14日)
■ 美野里町まちづくり会議準備会(2002年6月22日)
■ 美野里町都市計画マスタープラン(2002年7月15日)
■ 美野里町都市計画マスタープラン検討会(2002年7月23日)
■ 第1回美野里町まちづくり会議(2002年8月6日)
■ 美野里町都市計画マスタープラン起草委員会(2002年8月28日)
■ 美野里まちづくり会議地区部会(2002年9月26日)
■ 美野里町都市計画マスタープラン(2002年9月27日)
■ 美野里町都市計画マスタープラン
■ 美野里町の大塚佼巳さんの「ヴェルデ・モンターニャ」
■ 美野里町福祉部会
■ 美野里町。次は「いいとこフォーラム」(2002年11月5日)
■ 美野里町羽鳥部会(2002年11月14日)
■ 美野里町都市計画マスタープラン会議(2002年11月29日)
■ 不満からはじまる計画づくりでいいのでしょうか
■ 美野里町の都市計画マスタープラン(2002年12月17日)
■ 2003年最初の事務局会議と起草委員会(2003年1月22日)
■ 美野里町都市マス事務局会議(2003年2月7日)
■ 美野里町まちづくり会議全体会(2003年2月26日)
■ 美野里町都市計画マスタープラン事務局会議(2003年3月6日)
■ 美野里町都市計画マスタープラン湯島会議(2003年3月6日)
■ 美野里町まちづくり会議(2003年3月14日)
〔詳細記事〕
(2004年)
■美野里町の住民たちはますます意欲的です(2004年11月15日)
美野里町の住民たちはまちづくりにがんばっています。
今日は2つの住民委員会がありました。
昼間はまちづくり組織条例原案作成委員会、夜はまちづくり計画実践大会の企画運営委員会です。
メンバーは重なっている人もいます。
まちづくり組織条例はほぼ枠組みが決まりました。
住民たちの理解がきっちりと共有されているかどうか、やや不安はありますが、少なくとも行政よりは真剣に考えています。
行政は逃げている感じがしてなりません。
いつも、どこでも、一番先を行っているのは住民です。
なぜならば、住民は生活がかかっているからです。
にもかかわらず、住民の意識が低い、啓発しなければなどという行政職員が多いのです。
それも行政改革に成功した先進自治体の職員に限ってそう言う人が多いのです。
まあ、行政改革とまちづくりとは全く無縁のものですが。いや、時に反比例しますが。
住民の都合も考えずに、なにが行政改革だ、と思いますが、
お上に仕える優秀な官僚や職員はお上に褒めてもらう事が生きがいなのでしょうか。
住民を見下しているとしか思えません。
美野里町では、まちづくり計画の住民配布版も住民の手によって作成されました。
そして、その発表の大会のプログラムも決まりました。
司会もコーディネータも発表も、すべて住民がやります。
めでたく私は卒業です。失職しました。
住民と行政の関係を変えたら、まちづくりも行政改革もきっと大きく変わるでしょう。
米国の基礎自治体のあり方を住民たちがしっかりと学んだら、きっと今の日本の基礎自治体の議員はみんな失職するでしょう。
わけのわからない地域コンサルタントも追放できます。私もその一人ですが。
早くそうなってほしいものです。
■美野里町まちづくり会議企画運営委員会(2004年10月18日)
美野里町都市計画マスタープランの住民配布用のパンフレット作りは、住民たちの手によって、ほぼ完成しました。
私のような外部者のプランナーから見れば不満ですが、これを作成する課程がとても重要だったのです。感激ものです。
今日は最終確認が行われました。
続いて、発表のためのまちづくり実践大会の打ち合わせです。
意見交換のセッションの進行役が私に来るかなと内心期待していたのですが、
今回は住民のみなさんが自分たちでやることになりました。
私はお払い箱になってしまいました。喜ぶべき前進です。
住民たちがその気になれば、ほとんどのことが出来るのです。
そのことに気づくかどうか、そしてやる気になるかどうか、
それがまちづくりのポイントです。
今日はとてもいい気分で美野里町から帰れました。
■美野里町まちづくり湯島会議(2004年10月5日)
美野里町外野チームの検討会です。
最近は東京理科大学で開催しています。
今回のテーマは、まちづくり組織条例に関してです。
前回の美野里町での会議で、これまでの行政区を一気に変革するのではなく、
これまでの体制のそれぞれの段階のなかに、新しい住民活動支援の芽を入れていくことを提案していくことになりました。
まちづくりはいま、さまざまな意味で変わる絶好のチャンスを迎えています。
それに気づいている首長がいる自治体は幸せですが、首長だけでは限界があります。
住民にもしっかりした実践者がいないと難しいでしょう。
しかし、取り組む人はあまり報われないのも事実です。
多くの住民は応援するどころか、冷ややかにしか反応しないからです。
新しい事を起こす場合、最初に人は自己満足でしか報われない事が多いのです。
それでもきっとやる価値はあるでしょう。
そう言う人が出てくるかどうか、それがこれからのまちづくりの方向を決めて行くのではないかと思います。
美野里町はどうでしょうか。
■美野里町の住民たち(2004年9月28日)
美野里町のまちづくり会議企画運営会議が開催されました。
今日のテーマは、みんなで作成したまちづくり計画(都市計画マスタープラン)の全住民配布版の原稿確認です。
この原稿はまちづくり会議メンバーが自発的に自分たちで作ると言い出して、分科会をつくり検討してきたのです。
できあがった原稿は、まあ、専門家からみたら不満でしょうが、そこに至るプロセスが意味を持っているのです。
多くの人が関わり、文章はともかく実体がいろいろとできたようです。これこそが私が目指すまちづくりです。
美野里町の住民の皆さんは元気です。
最初の頃と違い、みんな意識の違いを対立的にではなく、共創的に提出するようになってきました。
高齢者が多いため、それぞれが大人的な気遣いをしていますが
、ここに行動的な実践者が入ってきたら、面白い展開になるはずです。
環境は整備されてきていますが、まだまだ猪突猛進型のフロントランナーが出てきません。
もう少し時間がかかるかもしれません。
11月か12月に、まちづくり会議が「まちづくり計画実践大会」をやることになりました。
また住民たちに雇われるおそれがあります。
ギャラがもらえないのが残念ですが、住民たちとの間にささやかながらの信頼関係が広がっているのがとてもうれしいです。
お金がなくなったら、美野里町に移住すればなんとかなりそうです。
■美野里町のまちづくり組織条例事務局検討会(2004年9月10日)
美野里町のまちづくり組織条例の事務局会議を開催しました。
大きな方向転換をやるかどうかの議論です。
参加者は美野里町の町長公室の4人と我々美野里町外野チームの3人との小さな会議ですが、
語られている内容は革命的なのです。
少なくとも、私にとってはパラダイム転換です。
霞ヶ関主導の自治行政は集権行政のパラダイムの中での小手先の対応でしかありません。
地方分権一括法などはすべて中央集権体制の強化策です。
といっても、実は私はあまり読んでいないので、断定はできませんが、その後の動きを見ているとそうだと思わざるを得ません。
その最たるものは市町村合併です。
ひどいものです。ビジョンが皆無です。
いままでの住民組織は、最近のNPO法人も含めて、ほとんどが、
そうした枠のなかで、霞ヶ関省庁の権益拡大の方策でつくられています。
「おろかな住民」を統治していくために、行政計画を作らせ、住民組織を作らせてきたのが、これまでの自治行政です。
税金を使って、自分たちの儲け場所を拡大してきただけです。
そのパラダイムの中での住民参加はアリバイ工作でしかありません。
小賢しいコンサルタントが、参加から参画へ、だとか、協働とかパートナーシップとか、言葉遊びをしていますが、
彼らはそうした霞が関の権益に寄生しているだけの話です。
ビジョンも情熱も感じられません。
かく言う私も、大きな意味ではその一人に位置づけられるかもしれません。
自分ではそうではないと思っているのですが、まあ同じようなものかもしれません。
美野里町のまちづくり組織条例は、そうした下請け住民組織からの脱却の契機になるかもしれません。
そうした方向を目指そうという方向が、今日は確認できました。
まあ、理解度は人によって違うかもしれませんが、歴史の始まりはそんなものです。
東西ドイツを分断していた壁も、そうした勘違いから始まったと言いますし。
楽しみです。
担当者の太田勉さんがこの記事を読んだら驚くかもしれません。
しかし、きっと太田さんはわかってくれていると思いますが。
■美野里町まちづくり組織条例(2004年8月27日)
美野里町に最近ちょっと行けていませんが、プロジェクトは順調に進んでいるようです。
まちづくり組織条例調査会も発足し、条例づくりに向けて動きだしました。
今日は、その応援団の美野里町外野チームの検討会です。
美野里町には、地縁組織としては、行政区とコミュニティ組織の二つがあります。
その関係が我R我には当初理解できなかったのですが、
行政区は人を基準として設計されており、コミュニティ組織は空間を基準として設計されている事がだんだんわかってきました。
自治の歴史を知る事ができます。
今回の条例づくりで、そうした組織原理も見直していければと思っています。
悩ましい問題は議会とまちづくり組織の関係です。
基礎自治体の議会は大きく変えて行く事が望ましいですが、それが難問です。
具体的に考えて行くにつれて、問題も見えてきます。
どこまでやれるか、楽しみです。
■美野里町まちづくり会議の新たなスタート(2004年5月28日)
美野里町のまちづくり会議が久しぶりに開かれました。
昨年完成したまちづくり計画を実現するために、
・計画の住民配布版を作成し、住民説明会を開催する
・まちづくり計画実現のためのまちづくり組織条例をつくる
の二つを住民たちが主導していくことになったのです。
今日のまちづくり会議は行政の呼びかけで行われましたが、
あくまでも主役は住民ですので、司会役も部外者の私にまわってきました。
11人の住民が集まりました。みんな意欲的です。
計画づくりに合わせて具体的な活動にも取り組みだしています。
派手さはありませんが、画期的な取り組みです。
行政はそうした動きについていけていません。
行政の担当は、この2年、まちづくり計画づくりに取り組んできた太田勉さんです。
引き続き担当するために、職場まで変えたのですが、
その太田さんですら、住民の意識にはついていけていないように思います。
もっとも、太田さんが一人でやったら全く違った動きになるでしょうが。
まちづくり組織の条例づくりに、私自身は大きな期待を持っています。
市町村合併に弊害をプラスに転ずるためには、住民自治組織をしっかりと定着させていかなくてはなりません。
フランスやイギリスのように、基礎自治体は多くても数千人の規模に抑えるべきです。
そうしたモデル開発に本気で取り組みたかったのですが、
どうも今回は美野里町役場にはその気がありません。
少し気が引いてしまいましたが、住民たちの情熱に触れるとやはり荷担したくなります。
住民自治組織については、ふくしま自治研修センター教授の坂口正治さんが取り組んでいます。
坂口さんの論文を読ませてもらいました。
日本でもいよいよ「地方政府」の議論が出てきたようです。
コミュニティ・ガバナンスの問題は本格的なまちづくり議論の始まりのような気がします。
坂口さんは日本公共政策学会でこれについて発表されています。
その要旨は同学会のホームページの大会資料に掲載されています。
64頁にでてきます。 ご覧下さい。
また坂口さんが昨年3月に訪問した、
「高度な自治制度」を実現している広島県高宮町川根振興協議会の調査概要が次のところに掲載されています。
http://www.thinktank-fukushima.or.jp/hpsight/msakarepo101.pdf
いずれも面白いです。
他の市町村で住民自治組織にとりくむところがあれば、ぜひご連絡ください。
本気で取り組むのであれば、ぜひ関わりたいです。
■美野里町の住民自治組織条例プロジェクト(2004年5月12日)
美野里町に、環境計画機構の井出建さんと一緒に行きました。
完成した「美野里町まちづくり計画」を実現するために、新たなプロジェクトを立ち上げることになったのです。
計画はつくってからが大切です。
窓口は相変わらず太田勉さん。
また1年の付き合いがはじまりそうです。
今年の焦点は、まちづくり組織条例をつくることです。
もちろん住民主導ですが、市町村合併の前に作ってしまおうという、馬鹿な話になったのです。
こういう馬鹿な話には、ついつい引きずりこまれます。
美野里町には、行政区という住民組織と行政が働きかけてつくった小学校区単位のコミュニティ組織があります。他にもテーマ別の住民組織があります。それらを総合して、これからの住民自治組織のあり方を考え、条例で制度化してしまうという話です。
どうですか、それを半年でやるのです。常識的に考えれば無理があります。
どうせまた行政主導でつくるのだろうと思うでしょう。
しかし、違うのです。
これまでの活動で、美野里町の住民にはかなりの状況ができているのです。
何もないところにつくろうと言うのではありません。
確実ではないですが、面白くなると思います。
これについては、また動きを書いていきます。
■美野里町まちづくり組織(2004年4月20日)
気が滅入りながら、美野里町に出かけました。
3月まで取り組んでいたまちづくり計画を実現するために、
いよいよまちづくり推進担当が生まれたのです。
そして、新しい住民主導のまちづくり組織づくりに取り組むことになったのです。
市町合併の前に、まちづくり組織条例をつくろうという話です。
急いで何かをやることは、私の趣味ではありません。
ですから最初はどうせ行政主導の形づくりだろうから、関わりたくないと思っていましたが、関係者と話しているうちに気持ちが変わりました。
かなり本気で考えられそうな気がしてきたのです。
あくまでも可能性の話ですが、
成功の確率が低いほど、私は意欲がわくタイプです。
ちょっと真剣に取り組んでもいいかなと思い出しました。
みなさんの町で住民主導のまちづくり組織の条例がもしあれば、教えてください。
もしなければ、美野里町でモデルを作りたいと思います。
■ 美野里町まちづくり会議(2004年3月19日)
美野里町のまちづくり計画ができたのですが、問題はそれをどう活用していくかです。
これまでの行政は、計画を作って終わりにしがちでした。
しかし、美野里町はそうではありません。
住民も行政担当者も、これからが本番だと考えています。
私たち外野チームもそう考えています。
しかし、現実はそう簡単ではありません。
計画完成後、どうしていくか。
今日は美野里町に出かけて、
ざっくばらんに担当課長の内田さんと担当の太田さんと話しあいました。
こうしたお付き合いができるのはとてもうれしいことです。
仕事は、作業が終わったところから始まるのです。
これからの自治行政の主役は、いうまでもなく住民です。
しかし、その住民は実体のとらえどころのない概念です。
最近、NPOというかたちで住民が実体化してきていますが、
まだそれはわずかの動きでしかありません。
それに、昨今のNPOに対する行政の姿勢は、
これまでの自治体行政のサブシステムという枠組みです。
相変わらず、行政のための住民であって、住民のための行政という発想は希薄です。
団体自治と住民自治は、残念ながら、対立するのかもしれません。
そこに日本の地方分権の限界を感じます。
つまり組織から発想した地方分権だからです。
いま、全国で市町村合併が進められており、
これがまた日本をだめにしていくことは間違いありませんが、
もしかしたら一つだけメリットがあるかもしれません。
それは行政機構の改革ができるかもしれないということです。
これまでの行政改革がうまくいかない理由は、機構に関するパラダイム転換ができないからですが、
市町村合併を契機に、新しい組織や機構に変えていくことが可能です。
実際には、そういう動きは難しいでしょうが、
その気になれば、可能です。
ビジョンに基づく、新市の機構ビジョンをつくっているところはないでしょうか。
美野里町でのこれまでの動きが、そうしたものにつながっていけないかが、私の関心事です。
まだ予断は許せませんが、もしかしたらもしかします。
■ 美野里町まちづくり公開シンポジウム(2004年2月27日)
3年間にわたる美野里町での都市計画マスタープランづくりの活動の、
ひとつの締め括りとしての公開シンポジウムが、開催されました。
会場は、私にとっても思いの深い文化センター「みの〜れ」です。
計画の発表は、若手職員からなる起草委員を代表して、山口さんと村山さんです。
手づくりパワーポイントで、見事な発表をしてくれました。
つづいて、会場も巻き込んだ話し合いです。
話の引き出し役として、
住民からはまちづくり会議の代表2人、
我々外野チームからは井出さんと大月さん、
それに町長が参加してくれました。
私は進行役です。
会場からの議論もいろいろと出ました。
なかなかいい集まりになったと思います。
計画は作ったときが始まりです。
この計画を良くするも悪くするも、これからです。
まちづくり会議の委員長の内田さんが、
住民が主役になってこの計画を実現していかなければならないとまとめてくれました。
ところで、完成した計画案は、県にはやはり少し違和感があったようです。
当然です。
計画をつくることと、計画書を作ることとは違うのですから。
これで8年にわたった美野里町との付き合いも一段落です。
最後のシンポジウムに、私を美野里町に巻き込んだ沼田さんが参加してくれて、
発言してくれたことがとてもうれしかったです。
これからの美野里町の発展が楽しみです。
■美野里町まちづくり計画事務局会議(2004年1月26日)
美野里町のまちづくり会議も大詰めです。
これまでの活動成果を踏まえて、計画づくりに取り組んでいます。
昨日も、その打ち合わせをやっていたのですが、
これまで収集した住民意見が1700件になりました。
それにすべてキーワード・コードをつけて、
それを編集しながら、方針や目標、さらにはまちづくりビジョンを創っていこうというのが、今回の進め方です。
膨大な作業ですが、大月さんがそれにかなりはまっています。
時間的に果たして可能なのかどうか、いささか心配ですが、
これまでの計画づくりに批判的な我々としては、可能な限り、その原則を崩さずに進めたいと思っています。
ただ、ここにきて、やはり外部者と行政と住民との発想の違いもかなり見えてきました。
2月27日にまた公開フォーラムを開催する予定です。
今度は若手職員の起草委員が活躍することになりました。
■美野里町まちづくり会議企画運営委員会(2004年1月6日)
今年は美野里町でスタートです。5日に湯島会議を開催し、今日は美野里町での会議です。
5日の会議で、外野チームの方針がまとまりました。
細かな点はともかく面白くなりそうです。
6日はまちづくり会議の懇親会も含めて、行政からの手離れ式?でした。
思わぬハプニングはありましたが、なんと住民配布用の計画概要版は住民(まちづくり会議委員)がつくることになりました。
これは驚きです。感激しました。
日本では最初のことではないでしょうか。
計画本編もこれまでの計画書とは違います。
むしろ構想と読んだらどうだろうかという外野チームの提案は、事務局の大田勉さんに拒否されました。
こういう関係が生まれたのもとてもいいです。
外部の人の意見に、はっきりノーという姿勢がなければ、良い仕事にはなりません。
今年の出だしは好調です。
懇親会では住民の皆さんとかなりゆっくり話せました。
やはりまちづくりの主役は住民です。
美野里町は間違いなく面白くなるでしょう。
(2003年)
■ 美野里町まちづくり計画がまた一歩進みました(2003年12月16日)
美野里町まちづくり計画は順調に動き出しています。
一時は私もちょっとやる気をなくしていましたが、面白くなってきました。
事務局の太田勉さんが、がんばってくれたおかげです。
先日の住民主役のまちづくりフォーラムでも、住民から盛んに太田さんの名前が出ました。
これまでは行政は個人の名前を出すことに消極的でした。
しかし、これからの行政は個人の名前で仕事をしていく時代です。
名前を出された太田さんは迷惑でしょうが、
まあ、がんばっている職員は住民には必ず見えてくるものです。
今日は、これまでの経過を踏まえて、もう一歩前進することを町長に提案しました。
美野里町の町長は「住民主役・行政支援」を早くから主張してきた人です。
その集大成を感じさせたのが前回のフォーラムでした。
私は基本的に市町村合併には否定的ですので、美野里町とは今年で縁を切ろうと思っていましたが、
もしかしたら、美野里町のこれまでの実績がうまく展開できれば、新しい市を大美野里町にできるかもしれません。
つまり形式的には合併しても、実質的にはもっと小さな単位での、
つまりコミュニティベースのまちづくりが実現できるかもしれないという意味です。
ちょっと未練が出てきました。
まあそんなことはどうでもいいのですが、
美野里町の都市計画マスタープランは面白くなりそうです。
歴史を変えるかもしれません。
かなりオーバーな表現ですが、歴史の転換はいつも小さな一歩からですから。
■ 美野里町湯島会議(2003年12月12日)
美野里町が面白くなってきました。
住民が動き出しました。
まちが育ちだす機運が高まっています。
そうした動きを受けて、外部応援団の打ち合わせをやりました。
新しいコミュニティ組織に関しては環境計画機構の井出建さんが、
新しいスタイルの計画づくりは東京理科大学の大月敏雄さんが、
それぞれ思いを込めて取り組んでいます。
だんだん新しいスタイルも見えてきました。
まさに新しい計画概念が生まれそうです。
これからの展開について、来週、町長と話し合います。
そしてコミュニティ組織を展開している大井川町を、住民たちが見に行きます。
来年はいよいよ第4幕です。
■美野里まちづくりフォーラム(2003年11月30日)
美野里町で住民の企画運営によるまちづくりフォーラムが開催されました。
実に感動的な集まりでした。残念ながら参加者は決して多いとはいえませんが。
みんな自発的なのがとてもいいです。
美野里町のまちづくり会議は、都市計画マスタープランづくりを契機に発足したのですが、この2年で急速に進化しました。
そして、それに合わせて、美野里町の都市計画マスタープランもまた進化しました。
一番の特長は、計画づくりと実際の住民たちのまちづくり活動とが連動して来ているということです。
単なる計画づくりではなく、計画づくりをしながら計画実現の活動に住民が行政よりも一歩先を行って取り組みだしているということです。
もちろん今でも、我々の意見を行政は実現につなげてくれるのか、などという住民発言はありますが、
そんなことはどうでもいいことで、
自分たちが行政を活用しながら動き出せばいいと言う住民が増えてきたのです。
うれしいことです。
これからのまちづくり会議について、内田委員長は次の3つを提案しました。
○ 地方分権に向けて、住民がまちづくりのノウハウを身につけていこう。
○ 住民の視点で、自然環境整備を目指したまちづくりをしていこう。
○ 郷土を愛する心を育てるまちづくりをしていこう。
共感します。住民ならではのまちづくりの視点があるのです。
実にいい会でした。
沼田さんが参加できなかったことがとても残念です。
沼田さんがいたら、きっと感激したでしょう。
こんな素晴らしい会に出たのは初めてです。
但し、問題はこれからです。
この会がどう育っていくか。
不安半分、期待半分です。
■ 美野里町まちづくり会議企画運営委員会(2003年11月21日)
美野里町に毎週行っていますが、今日はまちづくり会議の企画運営委員会でした。
今月30日に住民がまちづくり計画とまちづくり会議をテーマに公開フォーラムを主催するのですが、その打ち合わせです。
事の成り行き上、私も巻き込まれてしまい、応援することになりました。
まちづくりを一番真剣に考えているのは住民です。
今日はそのことを改めて実感しました。
実に素晴らしい話し合いでした。
町長に聞いて欲しかったです。
余りにもすばらしくて、みなさんにお伝えできないのが残念です。
美野里町に惚れ直しました。
30日に、美野里町に来て見ませんか。
これからのまちづくりのモデルが見られるかもしれません。
私を美野里町に引きずり込んだのは、役場の企画財政課長の沼田和美さんです。
沼田さんの蒔いた種は確実に育っています。
■
美野里町農業協同組合訪問(2003年11月11日)
美野里町のまちづくり計画の関係で、JA美野里町を訪問しました。
実は農業政策についていろいろと取材するつもりだったのですが、
本部に行った関係で、管理金融部の担当理事とお会いすることになりました。
本部は今や金融機関化が進んでいるのです。
しかし結果的には、現在の農協の状況が実感できて、とてもよかったです。
これは皮肉ではありません。念のため。
農協経営の展望はなかなか見えてきません。
それは農業へのしっかりした哲学がないからだろうと思います。
もちろんその根幹は農水省にビジョンがないからだろうと思います。
ビジョンをお持ちの農水省の人がいたら是非教えて下さい。会いに行きたいです。
協同組合の良さは、組合員が自由に語り合う場があることだと思います。
しかし、最近の農協はなかなかそうした場がないようです。
話し合いのない協同組合が機能するはずがありません。
そこにもしかしたら問題の本質がありそうです。
金融機関化した農協を立て直すのは大変です。
その根底にある農業の問題を考えなければいかないからです。
しかし魅力的なテーマです。
農業だけ見ていては展望は開けないし、農業関係者だけの議論では壁は破れないでしょう。
今日はそんなことを意見交換させてもらいました。
農協関係者もそんなことはきっと百も承知なのです。
美野里町で新しい農業の動きがでてくるといいのですが。
取材後の昼食時に、偶然にも役場の産業課の皆藤さんと一緒になりました。
地域水田ビジョン作りが全国で展開されているそうです。
農水省による米政策改革が進められていますが、その関係です。
農水省の動きをみると本当に愕然とします。
改革の方向はいいのですが、その言い方です。
これまでの政策の評価や反省が皆無なのです。
霞ヶ関の改革論者の人たちに共通する姿勢です。
これまで自分たちがやってきたことへの、当事者としての謙虚な反省がないまま、
改革路線を出版したり講演したりしている人たちの無責任さには、どうも違和感があります。
現場感覚を共有していないから、できることなのかもしれません。
■ 美野里町まちづくり計画起草委員会(2003年11月11日)
美野里町のまちづくり計画の起草委員は役場の若手職員です。
計画のスタイルがだいぶ見えてきました。
住民意見を主体とした計画です。
起草委員は住民が主役のまちづくり会議に毎回参加し、議事録をつくっているのですが、
それが今回は計画の材料になるのです。
これまでどこにも無かったような、新しい計画が生まれそうです。
■ 美野里町農業部会(2003年10月27日)
農業部会では、消費者と生産者のつながりを考えるために、
農協のなかの栽培研究グループの女性たちと意見交換をさせてもらいました。
5人の方が参加してくれましたが、みなさん、こだわりを持って生産にかかわっている方ばかりです。
安全な野菜をつくって買ってもらおうとしても、
虫に食べられたり、見栄えが悪かったりすると結局買ってもらえないという話が異口同音に出ました。
その意味がしっかりと消費者に伝わればいいのですが、それが一番難しいのです。
座長の藤枝さんの場作りのうまさで、この会はいつも気持ちのいい議論で盛り上がります。
もっともそれがどう「まちづくり計画」につながるのかとなると、いささか心配ですが、
こういう人のつながりが育つことがまちづくりだと考えている私にとっては、
どんどんまちが育っているように見えて、とてもうれしいです。
それにしてもやはりまちづくりの主役は女性ですね。
実践的です。男性の議論は、私も含めて、理屈が優先します。
理屈ではまちは育ちません。
農家はちゃんと自家消費と市場出荷用は別々に作っているという話もでてきました。
まあ、どこでもある話です。
市場出荷用は近所にもおすそ分けはしないそうです。
先週も書きましたが、こういう現実をそのままにしている日本の農政には未来はありえません。
農水省にはまじめな人はいないのでしょうか。
彼らの家族は何を食べているのでしょうか。
とても興味がありますね。
■ 女性農業士の保田しつ子さん(2003年10月27日)
栽培研究グループを農業部会に呼んでくださったのが、
農業部会のメンバーの保田さんです。
保田さんは女性農業士です。
こういう資格はご存知でしたか。
保田さんは花づくりが専門です。
日本の農業は男性が仕切りだしてからだめになったのではないかと私は思っています。
昔も男性が仕切っていたのではないかといわれそうですが、
水争いと土作りは男性がやったとしても、
実際の栽培は女性が中心だったと私は固く信じています。
田植えも野菜作りも、イメージとしてはすべて女性でしょう?
もちろん、日本古来の農業の本質は土作りと水作りでした。
ところがある時から、男性が農業を商売だと勘違いしたのでしょうね。
そして産業としての農業が始まったのです。
しかし、今また、女性による農業が復活し始めているように思います。
美野里町の農業を変えていくのも、女性でしょう。
女性たちは、生産者と消費者の立場を超えて、
生活やいのちの面で(いずれもライフですが)通じ合えるからです。
男性にはそれができません。
まあ、そんなことはどうでもいいのですが、
私が美野里町で知った二人目の女性農業士が保田さんです。
みんなとても魅力的です。
彼らに美野里町のレストランを任せたら、本当に面白かったと思います。
■ 美野里町まちづくり計画湯島会議(2003年10月21日)
前回のまちづくり会議でちょっと期待が高まった、美野里町の都市計画マスタープランのプロジェクトです。
このプロジェクトは、井出建さん(環境計画機構)と大月敏雄さんの研究室(東京理科大学)と一緒に取り組んでいますが、
われわれの中でも意見が微妙にちがうことがあります。
共通するのは、本当に住民に価値のある成果を創りたいという思いです。
大きな方針がまとまりました。
画期的な計画が実現しそうです。
■ 美野里町まちづくり会議企画運営会議(2003年10月16日)
正直に言うと、山形市もですが、美野里町にもちょっと退屈しています。
この記事を関係者が読んでいるとちょっとまずいですが、まあ、気にしないで下さい。はい。
また気分が変わるかもしれませんし。
しかし、今日はとてもいい日でした。
美野里町のまちづくり会議が大きく一歩前進したのです。
各部会の代表の集まりとして、企画運営会議が行われました。
司会をさせてもらいました。
本当は外部の者がでしゃばるところではないのですが、
事務局の太田さんがきっと疲れていたのでしょう。
20人近い住民が集まりました。とてもいい会でした。
美野里町のまちづくり会議が第2段階に深化したといっていいでしょう。
部会テーマを超えて、つながりだすことが必要だ。
市町村合併するからこそ、美野里町のまちづくりを今しっかりやっておかねばいけない。
住民が行政を使い込まないとだめだ。などなど。
議員よりも真剣な議論ではないかと思いました。
日本の市町村の議会は有害無益ですが、現場に汗する住民の議論は素晴らしいです。
山形市のまちづくり会議の最初のころと同じように、住民同士がお互いにたしなめあって、
行政と住民との対立構図を避けていく動きも出てきました。
11月30日にまちづくり会議主導で公開フォーラムを開催することも決まりました。
内容は住民による幹事会が決めることになりました。
楽しみです。少し心配ですが。
ところで、住民たちの活動の中から、いろいろな取り組みが広がっています。
自分たちで炭を焼いて、その炭で河川を浄化しようという動きや、
公園を作ろうという動き、里山づくりの動き、実にさまざまです。
そんなにばらばらでいいのかという心配もでていますが、どんどん進めることが大切です。
そのうちにさまざまなものがつながっていくはずです。
生活や社会は、そもそもつながっているのです。
そうした視点で考えて行けば、
縦割り行政的な統治システムとは全く違った自治の仕組みが育っていくはずです。
まちづくりも「個人の生活から発想する時代」です。
そこから必ずコンテンツのある計画が育っていきます。
計画は創るものではなく。育つものです。
そうした動きに刺激を与えるのが、外部のコンサルタントのできることです。
しかし、こうしたコンサルタントに付き合う人は大変です。
事務局の大田勉さんが、早くこの仕事から離れたいと今日も言いました。
気持ちはわかりますが、もう少しすると太田さんもそろそろこのスタイルにはまってくるころです。
そして「不幸」になっていくのです。いやはや。
それにしても、太田さんは実によく住民活動をフォローしています。
今回のプロジェクトがうまく言ったら、その功労者は大田さんです。
■ 美野里町農業部会(2003年9月29日)
残念ながら参加者は増えませんが、議論は深められています。
今回は「生産者と消費者のつながり」を考えることがテーマでした。
考えるだけでは意味がありません。実践に向けての一歩を踏み出すことが大切です。
どうやら、その一歩が踏み出せそうです。
今回は消費者が多かったのですが、次回は農家の奥さんたちの会と話しあおうということになったのです。
さらに学校給食の関係でも、地元の食材を使っていくための話し合いも学校と持てるかもしれません。
やはり話し合いは力です。
経済発想でつながる男性ではなく、生活発想でつながる女性が、やはり社会を変えていくのでしょうね。
コミュニティの部会の中心パワーは、女性たちです。
■ 美野里町羽鳥部会(2003年9月12日)
美野里町の羽鳥地区の住民会議に参加しました。
みんな元気です。実に意欲的です。
暴走しちゃうのではないかと思うほどですが、闊達な意見交換がなされています。
行政の人は心配していますが、心配不要です。
住民がともかく一番よく知っていますし、一番真剣です。
楽しみです。
こうした動きがどんどん出てくれば、行政も楽になるはずなのですが。
■ 美野里町まちづくり調査報告会(2003年8月7日)
美野里町のまちづくり計画に関わらせていただきだして、3年目です。
その間、東京理科大学の大月研究室が中心になって様々な調査活動をしてきました。
その一部を住民たちに報告する会を開催しました。
あわせてまちづくり計画に関わる行政計画もわれわれ外部の者が報告することにしました。
70人くらいの参加者がありました。
ちょうどこの日は様々な行事が重なっており、参加数が危ぶまれたのですが、女性たちも参加してくださり、とてもよかったです。
開発の動向、行政区と地域集会施設、長屋門を中心とした歴史的景観、大規模開発住宅地を中心とした住環境の運営の4つが報告テーマです。
みんなとても魅力的な内容です。
大月研究室は住民の視点に立ったまちづくりを目指していますので、とても含蓄ある報告になっていました。
短い時間でしたので、どのくらい伝わったかの不安はありますが、こうした会を継続的にやっていけたらと思います。
その後、住民主導で策定中のまちづくり計画素案に関わる行政計画や行政の動きを、これも私たち外野チームが報告しました。
行政職員も参加しているなかで部外者のわれわれが報告するのは変かもしれませんが、
行政が報告するとどうしても建前論がちになるのと住民も陳情などをしたくなるので、なかなかコミュニケーションが難しいのです。
そこでこんなスタイルになりました。
事務局の太田さんの尽力で実現したのです。
一人の職員でやれることはたくさんあります。
初めての試みでしたが、とてもよかったです。
翌日、職員の一人からもっと多くの職員にも聞かせたかったとメールが来ました。
住民からもこうした場を毎年やってほしいといわれました。
美野里町で定着するといいのですが、
■ 美野里町農業委員会(2003年7月28日)
美野里町農業委員会の坂本絹江さんにお話をお聞きしました。
坂本さんからは総合計画策定時にもお話を聞いたことがありますが、今回はしっかりと農業委員会についてお話を聞きました。
農業委員会は農地の権利移動、たとえば農地を宅地に転用する許可を与える組織です。
その委員は農業者が中心です。面白いと思いませんか。
農地はもちろん私有地ですが、勝手には宅地転用はできません。
それを認可するのは農業者が中心の委員会なのです。
現在の私的所有権はローマ法の概念ですが、
それとは別の流れのゲルマン法理体系に「総有」という概念があると、昔大学で学びました。
すごく新鮮な発想だったので、今でも覚えています。
私のコモンズ発想にも影響を与えています。
まさにそうしたことが、日本の農地でも行われているのです。
農業委員会は多分形骸化していますが、仕組みとしては面白いです。
やはり農業から学ぶべきことはたくさんあります。
もう一つ面白い話を聞きました。
最近、小作が増えているというのです。
耳を疑いましたが、間違いありませんでした。
その意味は、小農が自らの田畑の自耕作を放棄し、大規模経営者や会社などに貸すのだそうです。
大規模経営者や会社が小作農するわけです。
実態は「小作」ではなく「大作」なのです。
農業委員会はいま、制度改革の検討が進められています。
その資料も読みました。
農業関係者だけの話ではないはずですが、なぜか話題にはなりません。
こうした事が、至るところで進められているのでしょうね。
国家がどんどん壊れていくはずです。
■
美野里町まちづくり会議羽鳥部会(2003年7月28日)
美野里町は4つの地区に分かれていますが、今日はその一つ、羽鳥地区の集まりでした。
この地区の皆さんはみんな元気です。
会議の様子は美野里町のホームページに掲載されるでしょうから、省略します。とてもいい会でした。
美野里町には「よまいごと」?という言葉があります。
社会奉仕活動のことのようです。その話が面白かったです。
そういえば、先週会った敦賀の人は、「社会奉仕があるから明日は帰らないといけない」といっていました。
こうした事も調べていくと面白いテーマでしょうね。
先先週の議論を思い出します。
昨年も何回かこの部会は紹介しました。
そこでも登場した職人の安達さんからとてもいい話を聞きました。
祭りに使う太鼓のバチを子どもたちに作ってやるそうです。
もちろん無償で、しかも個人用に作ってやるのだといいます。
自分のバチを持つ喜びとともに、大事にすることを教えたいということで始めたそうですが、
子どもたちに喜ばれるのが安達さんの喜びです。
報酬は決してお金だけではありません。
安達さんは40代です。いつもとてもいい話をしてくれます。
学校の修理にも行くそうです。
先日は先生から「子どもたちが無茶をしても壊れないように作ってくれ」と注文を出されたそうです。
足立さんはすぐに先生に、「壊さないように教えるのがあんたたちの仕事ではないか」と叱ったそうです。
40代で、こういう話ができる安達さんを尊敬します。
安達さんだけではありません。
住民の集まりに参加すると、いつも教えられます。
小泉さんもタウンミーティングで持論を吐くのではなく、教えを聞かなければいけません。
いつの時代も、最高の知恵と倫理は汗を書いている現場にあります。
■ 美野里町農業部会と耳の会(2003年7月25日)
まちづくり会議のなかに「まちづくりの視点から農業を考える部会」というのができました。
今日はその初回でした。
住民は女性が3人、男性は3人です。先週紹介した高野さんもわざわざ参加してくださいました。他に職員が6人。
かなり面白い会になりました。
やはり女性が参加したのが、面白くなった理由の一つです。
男性と違って、女性は身体的に動きます。
今日の参加者もいろいろと実践的に情報を集めたりしています。
生活にもしっかりと根付いています。
女性が中心になりだすと、住民活動は面白くなります。
それを男性が退屈なものにしてしまうことが多かったのですが、最近は男性も変わってきました。
この部会は、「産業の視点」からではなく「まちづくりの視点」から、農業を考えていこうと言うことです。
私は、日本の農業者は自信を持って、腰をいれれば、いくらでも成功すると確信しています。
まあ、当事者ではないですから、無責任な確信ですが。
でも農水省や農協の桎梏から抜け出れば、日本の農業には大きな未来があるはずです。
農協や補助金に依存している農業者はうまくいくはずがありません。
それは企業の場合も同じです。
いや、依存して生きている人はすべてそうです。
正直に言えば、最近の美野里町の農業は退屈です。
以前はそうではなかったはずです。
もう10年以上前になりますが、茨城県の「耳の会」がやっていた収穫祭に参加したことがあります。
鉾田町(美野里町の近くです)在住の農民運動家、市村一衛さんがそこで塾をやっていました。
囲炉裏を囲んで、私も市村さんから話を聞きました。
耳の会では土壌菌を使った農業や畜産に取り組んでいました。
EM菌が話題になるずっと前の話です。
内水護さんから、私も土壌菌とそれにまつわる話を聞いていました。
それで興味を持って参加したのです。
その耳の会には美野里町からも2人参加していました。佐々木さんと井坂さんです。
その時はもちろん全く知りませんでしたが、美野里町に通うようになってから、お二人にお会いました。
佐々木さんのアイガモ水田も見せてもらいました。
美野里町の農業サロンにも来てもらいましたが、残念ながら信頼してもらえませんでした。
私の呼びかけは都会者のたわごととしか、受け止めてもらえなかったようです。
当然のことであり、事実、たわごとに近いものですから。
しかし、歴史はたわごとから始まるものです。
私が美野里町に関わりだしてから、ずっと農業に関心を持っていたのは、こうした前史があったからです。
しかし、これまでは刺激的な出会いはなく、もう諦めようかと思っていたところです。
しかし、今日の民さんとの出会いで、ちょっと思いとどまることにしました。
美野里町の農業は変わっていくかもしれません。
もしそうなったら、美野里町も変わるでしょう。
若者が参加しなかったのは残念ですが、今日の会はこれからに期待を持たせる会でした。
■ 美野里町区長会議(2003年7月18日)
港区と豊島区の住民集会?に引き続き、今日は美野里町の住民集会です。
しかも、今回は本物の住民集会です。
美野里町には49の行政区があります。
区といってもそれは自治会や町内会のようなもので、地域社会の行政面での最小単位のことです。
地域によって違いますが、こうした組織はまだしっかりと残っています。
実は港区と豊島区の集まりでも、これからは人と人のつながりが大切だという話が出ました。
特にコムケアサロンでは、増山さんからごみ問題などを本当に解決していくためには「町会」が重要という発言もありました。
町会はまさに行政区です。
そうした基礎コミュニティを基軸にしたまちづくりへの関心も高まっています。
市町村合併だけが時代の流れではありません。
今日は美野里町で、その行政区の区長たちが役場の執行部(町長や課長)との行政懇談会がありました。
私は初めてオブザーバーとして参加させてもらいました。
区長は全員男性でした。若い世代も少しいました。示唆に富む体験でした。
いろいろ思うことがありましたが、書き出したらきりがないので、
いつかまたメッセージのコーナーで問題提起したいと思います。
■ 筑波大学名誉教授の高野恒雄さん(2003年7月18日)
美野里町のコミュニティ活動に大きな影響を与えてきているシンボリックな人が筑波大学名誉教授の高野恒雄さんです。
私は美野里町の文化センタープロジェクト以来、いろいろな形でささやかな接点を持たせてもらっていますが
、
いつも住民活動の長老的なリーダーとして、建設的な応援をしてもらっています。
今回の美野里町まちづくり計画プロジェクトでも、地区部会の活動でお力添えいただいていますが、
これからの活動に向けてアドバイスをもらいに行ってきました。
高野さんはご自宅の近くで自家農園をされています。
農業のお話や生涯学習のお話も出ました。
サロン好きの私としては、美野里町に高野塾ができないものかとついつい考えてしまいます。
地域における長老の役割はとても大きいです。
最近は高齢者受難の時代ですが、今年の現実を変えていかなければ、継続的なまちづくりなどはできません。
そんなことを改めて感じました。
■ 美野里町もいま、ちょっと重いです(2003年6月30日)
美野里町のまちづくり計画は前進しながらもいろいろと問題が出てきています。
住民主役のまちづくり計画への取り組みは、やはり難しいものです。
しかし、それこそが本物の動きの特徴です。
今日は、二人の職員の方から、農村体験館構想と地域福祉の話を聞きました。
話の内容はともかく、お二人の考えがいずれも住民視点で縦割りを超えた生活発想なのがとてもうれしかったです。
現場に近い職員の意識は大きく変わってきています。
こうした職員と住民が信頼関係でつながっていけば、自治体は大きく変わるでしょう。
それを可能にするには首長の意識です。
日本の場合はここが最大の問題ですが。
美野里町に来たついでに、みの〜れ(文化センター)に寄りました。
中村さんと中本さんがいました。久しぶりに雑談をしました。
みの〜れはますます面白くなっていきそうです。
みの〜れ応援団も間もなくできそうですし、地域通貨も誕生しそうです。
最近のみの〜れのホームページは発展しています。
住民主導の活動はうまくいけば、どんどん育っていきます。
そこまでもっていくのが大変なのですが。
美野里町まちづくり計画事務局会議も行われました。
いつものようにかなり重い会議です。
どうしても軽くなりません。困ったものです。どうしてでしょうか。
毎回、「答のない問題」を解かなくてはいけないようで疲れます。
私流の、「まあ、どうにかなるんじゃないの」という姿勢はどうもここでは通用しないのです。
美野里町のまちづくり計画の3年目は、けっこう大変そうです。
■美野里町の住民主役のまちづくり(2003年6月19日)
実は14日に美野里町で住民が実行委員会をつくって、公開フォーラムを開催しました。
残念ながら、私はコムケアフォーラムと重なってしまい、参加できませんでした。
その結果を踏まえて、美野里町のまちづくり計画作りの最終年度の進め方を外野チームで議論しました。
今年もまた、東京理科大学の学生たちが参加してくれます。
少しずつですが、住民の意識や行動が変わってきているように思います。
■ 美野里町のまちづくり計画がさらに一歩前進します(2003年5月7日)
美野里町のまちづくり計画プロジェクトに関して、ふたつの集まりをしましたが、その一つを紹介します。
計画づくりに関っている人たちの合同ミーティングを開いたのです。
昨年、住民主役で作成した「まちづくり計画素案」を住民に広く知ってもらい、議論を広げていくことが今年の課題ですが、その出発点の「素案説明公開フォーラム」をまちづくり会議の住民委員が主催することになったのです。
これは画期的です。
誘いに対して男性委員は最初、消極的でしたが、女性の小笠原さんがぜひやりたいと手をあげたのです。
彼女は昨年のまちづくり会議での活動の手ごたえに、今年はぜひもっと多くの人を巻き込みたいと言っています。
その勢いの強さに、男性の伊藤さんが反応し、結局、住民主役のフォーラムが実現しそうです。
美野里町に関ってきた甲斐があります。少しずつ前進です。
残念ながら、私はこのフォーラムには参加できないのですが、自治体職員の方で参加されたい方がいたら、美野里町の事務局の人に頼んで傍聴されたらどうでしょうか。
自治体は間違いなく、実態も変わりだしています。
■ 美野里町まちづくり計画ワークショップ(2003年4月21日)
美野里町のまちづくり計画づくりの3年目が動き出しました。
今年最初のプログラムは、係長対象のワークショップでした。
引き続き、事務局会議も開催。
今年は事務局体制もさらに強化され、保健福祉課、学校教育課、生涯学習課も合同事務局に参加する事になりました。
これで7課が事務局を構成します。
こうした横断的な事務局が育っていくのは画期的なことです。
ワークショップでは私は「農業」をテーマにしたチームに参加しました。
やはり農業をまちづくりの柱にしていくことには、みなさん、戸惑いがあるようです。
農業への期待と現実は、かなりギャップがありそうです。
まちづくりの視点から農業のことを考えていく部会が生まれることになりましたが、問題が大きいだけに、ちょっと心配です。
■ 美野里町都市計画マスタープラン3年目(2003年4月8日)
美野里町のまちづくり計画プロジェクトも3年目です。
いよいよ今年完成です。まあ、最初の一歩の完成ですが。
行政の常として人事異動があり、不安でしたが、中心になっている事務局メンバーはほぼ異動なしです。
厳密には異動はあったのですが、4課合同事務局にしていたおかげで、ほとんどの人がその範囲内にとどまったという意味です。
私たちの取り組みは作業ではなく、思いの共有化のような面があるので、人の異動は結構辛いものなので、ホッとしました。
大きな変化といえば、沼田さんが市町村合併に事務局長に転出し、その関係で課長職に異動があり、新たに内田課長が都市建設課長として参加されることになりました。
今日は新任の内田課長とコアメンバーとで意見交換をしました。
大きな時代認識と農業観で世界を共有できそうです。うれしいことです。
かつて企業では「ジョブ・エンラージメント」といって、仕事を隣と重なり合わせる発想が広がったことがあります。
残念ながら定着はしませんでしたが、これからの組織はそうでなくてはいけません。
特に縦割り行政が問題になりがちな、行政においては大切な課題です。
企業間ではサプライチェーン・マネジメントやカスタマー・リレーション・マーケティングなどと難しい言葉で騒がれていますが、組織内の関係さえつけられずにそんなことをいくらやってもだめです。
それはそれとして、美野里町の人はみんな実に和やかです。
豊かで平和な土地柄のせいでしょうか。とても気持ちよく仕事をさせていただいています。
まあ、直接の担当者である太田勉さんと島田清一郎さんは苦労していると思いますが。
まあ、それは運が悪いと思って諦めてもらうしかありません。
しかし、今日の議論では太田さんがかなりつっこんで発言してくれました。感激しました。
今年の展開が楽しみです。
全国の自治体のみなさんにモデルを提供したいと思っています。
ご期待ください。
■美野里町まちづくり計画湯島会議(2003年4月16日)
美野里町のまちづくり計画の外野チーム作戦会議です。
来週のワークショップや事務局会議に備えての作戦会議です。
このプロジェクトの外野チームは、環境計画機構の井出建さんと東京理科大学の大月敏雄さんとその研究室メンバーと私の3者で構成されています。
一応、私が事務局的なまとめ役ですが、進め方や作業はみんな並列的に関わっています。
ですからみんなで議論しながら進め方を模索しています。
私が最年長なので(しかし専門性は最下位です)みなさんが私を立ててくれますが、こういう進め方だと実に多くのことを学べます。
どちらかというと、私は唯我独尊に陥りやすいタイプですので、時に意見の相違でムッとしますが、そのおかげで間違いに陥らないですんでいます。チームワークのありがたさです。
21日のワークショップは、農業をテーマにしたグループの担当になりました。
楽しみです。
(2001〜2002年度)
■美野里町まちづくり職員ワークショップ(2002年1月30日)
私がこの7年、関わらさせていただいている茨城県の美野里町で、職員ワークショップが行われました。
美野里町ではいま、共創型のまちづくりが進められていますが、この経緯は別のところで書き込んでいますので、お読み下さい。美野里町の取り組みはまさに新しい自治体行政のモデル(地域主権モデル)の一つになりえるのではないか、と私は考えています。
昨年から、美野里町の都市計画マスタープランづくりを依頼され、仲間と一緒に取り組んでいますが、地域主権に沿った新しい都市計画マスタープランのモデルを開発したいと思っています。3年計画です。これについては追々紹介していきますが、その活動の一環で、若手職員のワークショップが30日に行われました。
都市計画マスタープランは全国の自治体に策定が義務づけられています。美野里町は名前の通り、農村風景が残っている美しいまちですが、「都市計画」などという言葉はあまり馴染みません。そんな自治体でも策定しなければならないというところに、私は違和感を感じますが、どうせ策定するのであれば、住民にとって本当に価値のあるものにしなければいけません。そのため、美野里町では計画づくりを目的にするのではなく、まちづくりを目的にする姿勢がとられれています。
まちづくりの基本的なよりどころは、各自治体が策定する総合計画(これもすべての自治体にあります。皆さんは自分の町の総合計画を知っていますか)ですが、今回の都市計画マスタープランはそれに並ぶ準総合計画づくりと位置づけ、まちづくりの骨格の拠り所を住民と一緒につくっていこうとしています。そして、出来上がる計画そのものを目的にするのではなく、策定のプロセスを大切にし、生きた計画を育てていこうというのが美野里町の都市計画マスタープランづくりです。そういうことになると、当然のことですが、行政だけでは作れません。ましてや、私のような外部のまちづくりコンサルタントにつくれるはずがありません。主役の作り手は住民でなければなりません。そうした認識の下に進められています。その姿勢に共感して、ささやかながら加担させていただいています。
この町に、昨年の夏、東京理科大学の学生が中心になって、3週間くらい住民のお宅をお借りして滞在し、町をくまなく回りました。今回は、その観察結果を材料にして、職員に美野里町を再認識してもらおうというワークショップでした。短い時間でしたが、実に様々なヒントが得られました。ワークショップを実施すると、話し合うことの大切さが本当によくわかります。
ちなみに、私の活動拠点のひとつは「株式会社コンセプトワークショップ」です。15年前の設立ですが、当時はよく「何を売るお店ですか?」と聞かれたものです。最近はまちづくりや企業変革のひとつの方法として広がっています。
参加者は次回のワークショップに向けて、各自、町の気になる風景を写真に撮ってきて、それを材料にまたワークショップを開く予定です。
○ 都市計画について話し合いました(2002年4月6日)
美野里町でチームを組んでいる井出建さんと大月敏雄さんと気楽な都市計画論議を長々としました。
私自身は統治型の行政計画の時代は終わったという認識ですが、そうした認識を踏まえて美野里町の都市計画マスタープランづくりに取り組んでいます。
私と違って、お二人は都市計画には造詣が深いので、いろいろ素人質問をして、私の考えを検証させてもらいました。
そして、新しい計画づくりの必要性と可能性の確信をますます強めました。
○ 美野里町で都市計画マスタープランの打ち合わせをしました(2002年4月8日)
美野里町の都市マスづくりに関わっていますが、昨年の作業を踏まえて、実践的で効果的な計画実現のために、美野里町役場事務局と外部チームの私たちとで検討会を行いました。
美野里町の地域性にあった住民主役の計画にしていくために、あえて「美野里町モデル」と名づけていますが、美野里町役場の英断で、かなり挑戦的な試みになりそうです。
内容に関してはまたご紹介しますが、関心のある方はご連絡ください。
可能な範囲で情報を提供します。また都市計画に関わっている方の応援をお待ちしています。
できれば、これからの都市計画のあり方を考えるフォーラムをいつか開きたいと思っています。
今回のプロジェクトの過程は美野里町のホームページでも公開されていくはずです。
■ 美野里町の社会福祉協議会の石川さんに会いました(2002年5月15日)
石川さんはパワフルな女性です。
一昨年、美野里町で魅力発見隊という活動をやりましたが、その時に参加してくれました。
その時は魅力マップを作ったのですが、福祉マップをつくりたいとおっしゃっていたのが気になっていました。
そこで先週紹介した「住民流福祉研究会の支え合いマップ」の話をしに行きました。
美野里町ではいま、都市計画マスタープラン作りを進めています。
そこにぜひ福祉の視点を入れたいのです。
まちづくりも都市計画もつまるところは福祉につながっています。
しかし、今の都市計画の発想では両者はなかなかつながりません。
どうつなげていくかがこれからの課題です。
石川さんと話して、その接点が見つかりました。
都市計画とは離れますが、社会福祉協議会がこれからどう動くか、非常に興味を持っています。
その動きようによって、おそらく未来は大きく変わるからです。
社会福祉協議会の新しい動きについて、いろいろ知りたいと思っています。
情報をお持ちの方、ぜひ情報をお寄せください。
■ 美野里町都市計画マスタープラン湯島会議(2002年5月20日)
美野里町の都市計画マスタープラン作りに取り組んでいますが、そのチームの作戦会議です。
前から紹介しているように、美野里町では住民に本当に役立つ計画づくりにしたいと考えています。
そこで、美野里町と相談して、都市計画マスタープラン美野里町モデルというのを検討しています。
その考え方を別項に掲載しますので、ご関心のある方はお読み下さい。
それなりの自負をもっての、取り組みです。
成否はわかりませんが、応援団を募集したいです。
また、新しい都市計画(さらにはもっと広義に行政計画)づくりに関心のある方、ぜひご連絡下さい。情報交換したいです。
このチームの行動主体は、東京理科大学の大月研究室です。
大月さんは以前にもご紹介しましたが、スラムや民家や同潤会アパート、コアハウジングにはまっている建築家です。
大月さんの研究室のホームページと同潤会の建築を考える研究会のホームページをご紹介します。
ご関心のある方はぜひとんでみてください。
■ 美野里町都市計画マスタープラン(2002年5月27日)
美野里町の都市計画マスタープランづくりがいよいよ本格的にスタートします。
役場の管理職を中心としたキックオフの呼びかけが行われました。
思いは大きく、都市計画マスタープランの新しいスタイル「美野里町モデル」への挑戦です。
計画内容は住民と役場職員の混成チームであるまちづくり会議で議論し、起草は公募によって集った役場職員です。
こうした取り組みに踏み切った美野里町役場の関係者に敬意を表します。
私たちは外野チームとして応援していきます。
進捗状況はまちづくりの美野里町コーナーで報告していきます。
■ 鳳林院竹内さん(2002年5月27日)
美野里町文化センター本づくりの相談で、美野里町の鳳林院ご住職の竹内ご夫妻を訪問しました。
奥様は文化センター構想のときから参加されています。
ご夫妻で、ずっとお寺で「いい音楽を聴く会」を主催されてきました 。
こういう活動が地域文化を豊かにしていくのだろうと思います。
今度はご自分の敷地に音楽や美術に触れあう喫茶店をつくる計画をお持ちです。
そういえば、美野里町にはもうおひとり、喫茶店計画をお持ちの方がいます。
「みのり人」という住民情報紙の編集に参加している大塚さんです。
サロニストとしてはとても楽しみです。
■美野里町のいろいろな人(2002年6月14日)
美野里町の文化センター建設現場の前で、ぶらぶらしていたらいろいろな人に会いました。
これが地域社会の面白さです。
花を育てている農業者の山口さんに久しぶりにお会いしました。
山口さんは美野里町の文化センター構想の最初の住民委員の一人です。
総合計画作りにも参加してくれました。
今は、以前ご紹介した文化センターに隣接するレストランの経営にも関わっています。
たまたまそのレストランを利用していた美野里町議会の荒川議長にもお会いできました。
レストランの名称を決める委員会の時にご一緒でした。
ところで、このレストランは名称を「みのりの森のレストラン キャトル・セゾン」です。地産地消とお洒落さを組み合わせたレストランです。
夜の住民たちとの集まりの会場に向けて歩き出したら、社会福祉協議会の石川さんが通りがかりました。
彼女の車で会場まで送ってもらいましたが、その車中でもたくさんの情報がもらえました。
まちづくりに関わっていると、こうした個人的な交流が広がります。
町民や行政職員よりも、ある意味での情報通になれるかもしれません。
但し、そのおかげで休日の朝に直接に電話の相談が来ることもあります。
論理的相談ではなく、感情的カウンセリングです。つかれます。
実はこの記録を書き込んでいた15日もそうでした。
共創型のまちづくりに関わると土日がなくなってしまかねません。
ちなみに夜の集まりは、私も出資している美野里出版社の幹事会でした。
今回はそれほど重くなく、少し軽やかになりました。
倒産せずにすみそうです。
■美野里町都市計画マスタープランづくり本格始動(2002年6月14日)
美野里町の都市計画マスタープランのミーティングを行いました。
この取り組みは次の点で特徴的です。
・ 公募の住民と職員からなるまちづくり会議が計画づくりの中心
・ 行政側の事務局は4課合同(縦割り行政への挑戦です)
・ 町内会の活動も重視
こうした基本方針が合意されました。
しかし、これからが大変です。
■ 美野里町まちづくり会議準備会(2002年6月22日)
土曜日ですが、美野里町で住民と職員による画期的なまちづくり会議の準備会がありました。都市計画マスタープランづくりに向けて、いよいよ住民のみなさんとの共創が始まります。
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美野里町都市計画マスタープラン(2002年7月15日)
久しぶりに美野里町の都市計画マスタープランの話です。これまでも何回か報告してきましたが、実際の展開を進めていくにつれて、関係者の意識の共有化の大切さが感じられてきました。そこで美野里町の担当職員に、われわれ外部チーム(外野チームと呼んでいます)のざっくばらんなミーティングに参加してもらうことにしました。東京までわざわざお二人に来てもらい、丸1日じっくりと理念論争を行いました。
美野里町で中心になっているのが都市建設課の太田さんですが、「こんな議論をいつもやっているのですか、よほど思いがないと持ちませんね」と感想を残してくれました。太田勉さんは実に真剣にこのプロジェクトに取り組んでくれています。私の無謀な意見にも真摯に対応してくれます。感謝です。しかし、たしかにこんな進め方をしていたらビジネスにはならないし、時間がいくらあっても足りません。何とか進んでいるのは、井出さんと大月さんという、異才のおかげです。これまた感謝です。
今回の議論で、ひとつだけ現実論に戻ったことがあります。それは美野里町では都市マスを議会の決定事項にするという方針をやめたことです。つまり、一般的なやり方に後退したということです。地方議会はいまや自治の邪魔をしているというのが私の認識です。だからこそ、住民主役の共創型まちづくりに荷担しているのですが、都市計画マスタープランは制度上、住民参加を義務付ける一方で議会の決定事項からはずされているのです。これは論理矛盾です。地方議会は嫌いですが、しかし、ある以上は重視すべきです。いや、良くすべきです。地方議会をまともにしていくためにも、議会は尊重すべきです。今の法制度の矛盾に一矢報いたかったのです。でも、あんまりわがままを押し通すわけにも行きません。
でも、いつかどこかで実現したいです。全国の都市計画マスタープランを取り組んでいる市町村の職員の方、ぜひそういう場合は私に声をかけてください。
私にこうした考えを植え付けてくれたのは、福岡県にいる廣瀬さんです。都市計画マスタープランへの関心を植えつけたのは吉木さんです。いずれも国土交通省の知人です。お二人には誤解されそうな書き方になりましたね。今度、お会いしたときにきちんと説明しますのでお許しください。
でも今日はいい議論ができました。
都市計画マスタープランの美野里町モデルでは、身近な近隣社会(常会)からのまちづくりにも取り組みます。常会、まあ自治会といってもいいでしょうか、そこを起点にした計画づくりです。まずは各常会の自慢探し活動から始めることにしました。なんとかその進め方の合意ができました。予定調和型のプログラムではなく、しかも失敗するかもしれないプログラムですから、行政の人は心配だと思いますが、今回、ミーティングに参加してくださった、太田さんもコミュニティ担当の長谷川正典さんも、積極的に取り組んでくれることになりました。うれしいかぎりです。これでもう美野里町の都市マスはとてもいいものになると確信しました。
長くなりましたね。すみません。ともかく、美野里町の新しいスタイルのまちづくり計画が始まったのです。経過は極力、美野里町のホームページに掲載してもらえそうです。また町の広報誌でも毎月1ページ、経過報告をしていく予定です。完了したら、本にして出版したいです。もし許してもらえればですが。
■ 美野里町都市計画マスタープラン検討会(2002年7月23日)
先週に引き続き事務局会議です。形式的にではなく、実態として住民視点での計画づくりに向けて、結構、青臭い議論も含めて真剣な議論が続いています。こういう議論をもっと公開の場で行いたいものだと思います。行政が悩んでいる実態を住民にも見せたいものです。信頼関係を構築するためには、とりわけ弱みを正直に見せていくことです。しかし、それが一番難しいことでもあるのですが。
ホームページでの公開も決まりました。美野里町の情報化は細谷次央さんが取り組んでいます。彼とは美野里町の総合計画づくりで一緒に汗をかきました。正義漢ですが、愛すべき駄々っ子でもあります。
町のホームページなどに、どんどん書き込まれることで、本当の情報共有が始まれば、美野里町の新しいまちづくりは加速されていくでしょう。今はまだ難産ですが、どこかでブレイクスルーしてくれるでしょう。それがまちづくりに関わる醍醐味です。
■ 第1回美野里町まちづくり会議(2002年8月6日)
美野里町の第1回まちづくり会議が開催されました。住民と職員がほぼ半々で、総数60人を超える参加がありました。画期的です。住民と職員が同じ目線で、都市計画マスタープランにためにまちづくりを語り合おうというのです。
全体会議の後、4つのテーマ別部会と4つの地区部会に分かれて議論しました。みんなとても意欲的です。これからが楽しみです。美野里町は目が離せませんよ。まもなくホームページで公開してもらいます。
私は福祉部会を担当することになりました。以前、このコーナーにも登場した社会福祉協議会の石川さんが参加してくれました。私はこの部会で「大きな福祉」を考えていきたいと思っています。都市計画と福祉、面白いテーマです。ご期待ください。
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美野里町都市計画マスタープラン起草委員会(2002年8月28日)
美野里町の都市計画マスタープランの起草委員会が開かれました。美野里町ではまちづくり会議での議論を踏まえて、職員が計画を起草していくのです。
8人の起草委員が任命されました。みんな不安半分意欲半分です。何しろ新しい試みですから、私たち外部の支援者も不安半分です。行政にとっては、迷惑な話かもしれません。なにしろ費用を払っての委託事業なのに、もしかしたら失敗するかもしれないなどとその受託業者(私です)が言うのですから、普通なら怒ってしまいますね。事実、時々担当の大田さんは怒っています。しかし、私も負けずに時々怒ってしまいます。今日も双方とも怒ってしまいました。まだまだ人間ができていません。すみません、太田さん。
しかし、こうした人間的な絡み合いの中で、お互いが納得できる仕事にしていくことが大切だと、私は思っています。仕事は作業ではないからです。
ところで、起草委員の意欲には感動しました。エンパワーメントの大切さを改めて実感しました。美野里町の都市計画マスタープランは間違いなくいいものになるでしょう。楽しみです。
■ 美野里まちづくり会議地区部会(2002年9月26日)
美野里町都市計画づくりのための地区部会です。美野里町のまちづくりは実に面白い芽を持ち出していますが、今回は羽鳥地区の集まりに参加しました。住民のパワーと意識の高さを感じます。行政よりはよほど意気込みがあります。それは当然のことで、自分たちの問題だからです。このエネルギーと共創していけば、今の行政予算は半減どころか1/10になるでしょう。そうしないところが、公的世界のまやかしです。「住民のため」などという言葉を信奉していては、これからの自治体職員は務まりません。企業人が「社会のため」「顧客のため」などというのと同じです。それらは「統治の言葉」「管理の言葉」です。人はまずおのれのために生きなければなりません。それが必ず社会や組織のためになるのです。いや、そうならなければ自分のためなどになりません。
私が共感できるのは「世界すべてが幸せにならないと自分の幸せなどない」という宮澤賢治の言葉です。まちづくりやケアの世界に少しだけ関わって、そのことを実感しています。
■ 美野里町都市計画マスタープラン(2002年9月27日)
また美野里町です。今週は3回も美野里町に通いました。いま、仲間の学生が貸家を借りて現地調査に取り組んでいます。そこに行ってきました。驚きました。
仮設としか思えない新しい住宅が並んでいるのです。美野里町には広大な土地があります。なぜこんな小さな敷地に、しかも10年程度しかもたないような住宅を造るのか、そのセンスに驚きを感じました。日本ではやはり住宅は消費財なのですね。
私は自宅を建てた時に、消費税を課せられたのは唖然としたのですが、今回、納得しました。
こうした動きに都市計画はどう取り組んだらいいのでしょうか。今日は、その定例会議でもありました。遅速ながら、美野里町の新しいまちづくり計画は進んでいます。いつかまとめて報告できるといいのですが。
■美野里町都市計画マスタープラン
美野里町の都市計画マスタープランの関係で、例の文化センターで「いいとこフォーラム」をやることになりました。住民が自分たちの地域の「いいとこ」を自慢しあう会です。小中学生にも「いいとこ自慢カード」を出してもらいました。
私のまちづくりへの姿勢は、問題解決型ではなく、いいところを活かすスタイルです。問題解決は簡単ですが、新しい価値を創発しにくいからです。
このフォーラムは11月24日に行なわれます。美野里町の「みの〜れ」に来ませんか。
■美野里町の大塚佼巳さんの「ヴェルデ・モンターニャ」
美野里町で住民と行政で一緒になって、総合計画をつくったときに、住民委員として参加した大塚さんが美野里町にちょっとお洒落なお店を開きました。大塚さんは会社を辞めてから修業されて、ご自分の夢だったお店を開いたのです。今日はお休みの日だったのですが、声をかけたら、わざわざお店を開いてくれて、パスタを作ってくれて、おまけに美味しいコーヒーを煎れてくれました。
ちょっと甘いソースで、これが大塚味かと感心していたら(私にはとても美味しかったのですが)、急に作ったので塩を入れるのを忘れたというのです。いやはや。でもおいしかったです。
店内の雰囲気はとてもいい雰囲気でした。まさに大塚さんのお城という感じでした。懐かしいオープンリールのテープが、柔らかな音で、60年代の曲を流していましたが、それもあってか、何か学生時代を思い出しました。これからのまちづくりは「思いを語り合う場」がとても大切だと思いますが、ここが、美野里町の新しいまちづくり会議の場になればいいなあと思います。
パスタを作っている大塚さんは実にし合わせそうでした。
このお店は、JR常磐線の羽鳥駅の近くです。歩くとちょっと距離がありますが、大塚さんと機会があったら、訪ねてみてください。但し、パスタを頼む時は、塩を忘れないように注意してやって下さい。
美野里町には、こうした幸せな人がすくなくありません。
■ 美野里町福祉部会
美野里町の都市計画マスタープランでは福祉部会をつくっています。都市計画の基本は福祉ですから、それは当然ことですが、日本では長いこと、都市計画と福祉が切り離されていました。建築と生活が切り離されていたように、です。
しかし、住民と行政とのまちづくり会議の部会を作ったのですが、やはりみんなバリアフリーに関心が向いてしまいます。どうしてでしょうか。道路のバリアフリーなどは当然のことで、計画ではなくすぐやればいいのです。そんなことまで計画で取り組まなければならない行政やまちづくりに、最近は辟易しています。
美野里町の都市計画マスタープランのプロジェクトも、どうも最近は私の思いを離れだしたのかもしれません。私の思いが不足しているからかもしれません。
1か月前の報告とあまりに違う報告ですみません。
住民主役のまちづくりは、まだまだ時間がかかりそうですね。
■ 美野里町。次は「いいとこフォーラム」(2002年11月5日)
美野里町の新しい文化センター「みの〜れ」の大ホールで、「美野里町いいとこ自慢フォーラム」が11月24日に開催されます。都市計画マスタープランづくりのプログラムの一環です。そこで、役場職員によるエンターテイメント・プログラムが行われます。今日はそのメンバーとの打ち合わせです。
意外な人が意外な特技を持っているのに驚きました。組織は、メンバーのほんの一部のポテンシャルしか引き出していないことを改めて感じました。組織に個人を合わせる発想を、個人に組織を合わせる発想に変えたら、組織も個人ももっと元気になることは間違いないですね。パラダイムを変えれば新しい歴史は開けます。
11月24日。皆さん、美野里町に来ませんか。
■ 美野里町羽鳥部会(2002年11月14日)
美野里町の都市計画マスタープランの活動の一環で、各コミュニティ単位で住民たちのまちづくり会議が展開されています。
まちづくり計画は本来、住民たちが議論し作っていくべきです。
それを行政がまとめていけばいいのです。
行政に計画をつくっている限り、住民主役は実現しません。
つまりは地域主権が実現しないということです。
美野里町ではそうした思いから、新しい計画作りを進めていますが、なかなか難しいというのが正直のところです。
しかし、今日の羽鳥地区の会議は実に活発な議論がありました。
こうした議論が広がっていけば、馬鹿な市町村合併などなくなるはずです。
リーダーの伊藤さんも言っていますが、こうした会議にもっと若い世代や子どもたちを巻き込んでいくことが必要です。
羽鳥部会には比較的若い安達さんが参加してくれていますが、それでも40代です。
まちづくりへの子どもの参画はこれからの大きなテーマです。
総合学習との関係で、学校との連携がしやすくなっているはずなのですが、実際には学校制度の硬直性の中で、これまたそう簡単ではありません。新しい教育基本法にも失望しています。
■ 美野里町都市計画マスタープラン会議(2002年11月29日)
美野里町の都市計画マスタープランは横道を辿りながら進んでいますが、その方針を確認する会議を行いました。
新しい試みの場合、関係者が同床異夢であることはやむを得ず、そのため、なかなかプロジェクトの推進力が出ないことが多いですが、美野里町もいま、そんな袋小路に入っています。
みんなそれぞれにちょっと嫌気を感じ出しているのが実状です。
ここからが本番です。
しかし、新たなる問題が発生しました。
市町村合併です。
これまでもご紹介しているように、美野里町では地道なまちづくり計画づくりという捉え方で、近隣社会的なコミュニティをベースにした住民の話し合いに取り組んでいます。
そうした発想からは、市町村合併の動きは問題です。
私は以前もどこかに書きましたが、「市町村分割論者」です。
統治のための行政から自治支援のための行政にパラダイムシフトしていくためには、生活密着のコミュニティを基本にしていく必要があるからです。
市町村合併などはとんでもない発想だと思っています。
しかし、美野里町にも合併論議が始まりました。残念です。
そうしたことを視野に置くと、いま、取り組んでいる地域計画づくりって一体何なのだろうかと悩んでしまいます。
来週は美野里町に行って、方針を再確認してくる予定ですが、かなり気が重いです。
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不満からはじまる計画づくりでいいのでしょうか
住民主役のまちづくりに関わっていると時間が本当にかかります。
行政もそうでしょう。だから住民参加は進まないのかもしれません。
ビジネスと言う視点で考えると、外部から関わると膨大な時間がかかり、費用も膨大になります。そこで、まちづくりコンサルタントは形式的な対応をせざるをえなくなります。例えば都市計画策定の予算はこれまでの相場だと2〜3年で1000万円から2000万円です(実際は都市規模によって違いますが)。これまでの方法ではかなりの利益が出せるはずです。極端に言えば、資料さえもらえれば、1週間で作れます。もちろん役には立たないでしょうが、正直のところ、誰も役に立つものをつくろうなどとは思っていませんでした。県や国から言われてしぶしぶ作成している計画はたくさんあります。そうした誰も使わない計画を乱造して、ビルを建てた会社もあるそうです。
しかし、役に立つものをしっかりつくろうとすれば、とてもそんな予算ではつくれません。私たちは、いま、美野里町からそれなりに予算をもらって取り組んでいますが、ビジネスとして考えると残念ながら成り立ちません。しかし、美野里町もそれ以上の予算はつけようがありません。相場があるのですから。そして、見栄えはおそらく従来方式の方が立派なものができるでしょうから、私たちに計画づくりを頼むのは極めて危険なのです。美野里町はそのリスクをとってくれているのです。
もっともその地域にいる人が引受ければ、話は違います。ビジネスとしても多分成り立つでしょう。ですから、もともと地域の計画策定は外部のコンサルタントなどには頼むべきではないのです。そう言う文化を作った日本の霞ヶ関行政が間違っていただけです。
私はこれまでの意味での計画行政は捨てるべきだと思っています。その私が美野里町の都市計画マスタープランの策定を受託しているのですから、困ったものです。無責任と言われそうですが、まあ、過度期なので許して下さい。しかし、こうしたスタンスですので、美野里町の担当の太田さんには迷惑をかけています。今週は、その大田さんや島田さんと方針確認のミーティングを持ったり、納場地区のまちづくり会議に出たりしました。
納場地区の集まりでは、地区の「気になるところ」を出しあいました。ところがメンバーの二人の女性は、この地区は住みやすいし、特に不満はないというのです。そのうちに他のメンバーの意見に刺激されて少しずつ問題点が出てきましたが。
私はいつも悩むのですが、なぜまちづくりで問題点を出しあうのでしょうか。企業変革のプロジェクトでもそうです。まず「不足している事」や「満足していない事」を探し出すことから始まります。もっと楽しくやりたいものです。そして、活性化などと思わずに、気持ちのいい地域社会、気持ちよく働ける企業文化を創ろうとすればいいのでないかと思います。活性化って、どういう意味なのでしょうか。私の嫌いな言葉です。
美野里町の都市計画マスタープランづくりの基本方針は別項にあるように、ポジティブアプローチで、悪い所を直すのではなく、いい所を伸ばすようにしたいと考えていました。しかし、みんなの意識は悪い所を直すのが好きなのです。どこかで間違っているように思うのですが、どうでしょうか。これはメッセージにきちんと書きたいと思います。
■美野里町の都市計画マスタープラン(2002年12月17日)
またまた美野里町です。都市計画マスタープランもそろそろ中間集約の時期になってきました。
これからの進め方をみんなで議論しました。
私はこれからの都市計画マスタープランの一つの方向性を「美の基準」に象徴される真鶴のまちづくり条例においています。
真鶴でこれが本当に実効をあげているのかどうかには疑問もありますが、問題を一歩進めた意味で、高く評価しています。
批判は誰にでもできますが、新しい動きを実現することは本当に大変なことですから。
美野里町は、しかし、これを超えなければなりません。いやはや大変です。
それに関する湯島会議や事務局会議、起草委員会などを今週は何回か開催しました。
少しずつ先が見えてきましたが、まだ確信は持てません。
計画の起草は意欲的な若手職員が中心になって行います。
まちづくり会議の8部会で出た意見をできるだけ拾いながら、それを積み上げ整理していく方法です。
それで本当にビジョンや方針が構築できるのか、みんな不安を持ちながらの取組みです。
ふつうは外部のコンサルタントは、当事者に不安を極力与えないのでしょうが、私たちはむしろ不安を与えてばかりいます。
私たちも不安を持って悩みながらの進行です。
これから3月まで、素案づくりに入っていきます。
ぜひとも美野里町モデルと言われるようなものを見つけていきたいと思っています。
■ 2003年最初の事務局会議と起草委員会(2003年1月22日)
今年最初の美野里町訪問です。
美野里町の都市計画マスタープランづくりの仕事を受託していますが、今日はその事務局会議や起草委員会がありました。
新しい取り組み方をしていますから、まさに試行錯誤です。
どこが新しいかは別項で説明していますのでご覧下さい。
起草委員会の話を少し紹介します。
起草委員は町役場の若手職員です。
さまざまな職場から選ばれて発令されました。
その起草委員がまちづくり会議の部会に参加し、そこで出た委員の意見を整理編集して計画の素案を作成するという方法をとっています。
その素案をさらに住民に公開し、議論を広げていく予定です。
こう書くと簡単ですが、初めてのことでもあり、住民の参加もそれほど多くはないし、まだまだ「協力してやる」と言う姿勢があるので、職員にとっては苦労の多い取組みだと思います。
しかし、大切なのはこういうかたちで計画づくりのノウハウを役場内部に蓄積して行ったり、計画づくりを通して役場と住民との新しいパイプや信頼関係を構築していくことだろうと思います。
今回のプロジェクトがうまくいけば、私たち外部のコンサルタントは不要になります。
私もまた新しい仕事に取り組めるわけです。
こうした発想がこれからのビジネスの姿勢ではないかと私は思っています。
ビジネスが社会の問題を解決するためのものであれば、ビジネスの目的はそのビジネスを不要にすることかもしれません。
■ 美野里町都市マス事務局会議(2003年2月7日)
美野里町の都市計画マスタープランも、いよいよ素案づくりに入ってきました。初めての進め方なので、職員の方は大変です。しかし、まあ、心配しても始まりません。進むしかありません。
美野里町の都市計画マスタープランは、これまでも何回も書いているように、新しいスタイルのまちづくり計画なのですが、なかなかそうした発想が共有できずに苦労しています。
私は、最初から都市計画法や国土交通省の形式的な方針には全く無関心ですので、気になりませんが、関係者には気になることもあるでしょう。理論武装も必要です。そこで、チームメンバーの井出さんに「まちづくり計画としての都市計画マスタープランと総合計画」の関係を整理してもらうことになりました。ご期待下さい。
しかし、こうしたことは国土交通省や研究者がもっと早くやっておくべきことです。各地の都市計画マスタープランに関わっている都市計画の専門家も、この問題を認識しながら、放棄しているように思います。ビジネスや研究だけで、目先を過ごしている人たちには怒りを感じます。都市計画マスタープラン研究会なる会にも参加し、美野里町の動きには関心を持ってもらいましたが、そこでの動きのない事も不満です。まあ、私もその後報告もしていない弱みもありますが。
地域主権に向けて、そろそろ総務省や国土交通省から解放されて、地域に立脚した計画づくりをしたいものです。
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美野里町まちづくり会議全体会(2003年2月26日)
美野里町のまちづくり計画(都市計画マスタープラン)の粗案が住民と職員で構成されたまちづくり会議各部会でまとまりました。
その相互発表の場として、拡大まちづくり会議が美野里町のみの〜れで開催されました。
まちづくり会議で出された意見を丁寧に拾い上げ、それを整理してまちづくりの方向性を抽出、それをいくつかの方針にまとめていったのです。とてもいい粗案ができました。起草委員ががんばったのです。
出来たものは、これまでのものと同じように見えるかもしれませんが、同じ言葉でも、その背景に住民の生の声があるので意味合いは全く違うのです。
参加した住民の一人が、[会議で話したことをともかくすべて取り上げて、形にしてくれたので感激した。これからはもっと知り合いを誘っていきたい]と話してくれました。
こうしたことを通して、住民と行政の信頼感が育ってくれば、まちは健全に育ちだすのです。
計画そのものは瑣末なものです。
計画づくりの過程にこそ価値があるのです。
計画は現場にいない人の管理ツールでしかないのです。ちょっと言い過ぎですかね?
今回、私が感激したのは、自分たちが主体的に取り組むという発言が何人かの住民からあったことです。
計画づくりはまちづくりそのもの、と改めて感じました。
この粗案を少し編集して、素案ができます。そして本格的な住民議論が始まるわけです。
全国の自治体のみなさん、ぜひこれからの展開をご期待ください。
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美野里町都市計画マスタープラン湯島会議(2003年3月6日)
美野里町都市計画マスタープラン(まちづくり計画)の素案作りのための、湯島会議(外部支援チームのミーティング)を開催しました。
このプロジェクトは、3つのチームで支援しています。
それぞれ体験と考えが違いますが、共通しているのはこれまでの行政計画のあり方を変えたいという思いです。
中でも都市計画に関して全く無知なのが私です。
私は制度は活かすべきもので、制約されるものではないと考えていますから、住民に役にも立たない制度や法令に縛られることはないと割り切っています。
それに、現在の行政計画の体系は、生活者の目から見たら、論理矛盾だらけです。
霞ヶ関の縦割り行政や自信のない官僚の権力志向が根底にあります。
そんなものに、いちいち付き合っているわけにはいきません。
私は法学部卒業です。
そこで学んだことは一つです。「リーガルマインド」。
法の形にとらわれずに、法の理念に身をおいて考えるという姿勢です。
法文などは私には瑣末に思えますし、その解釈ですら、興味がありません。
大切なのは法の精神、という考えなので、法曹界には失格であるばかりか、今でも法文や契約文も読めずにいます。
しかし、現実を知らずに、非常識な判決を出す裁判官よりはいいと自負しています。
法律を学ぶことは、世界を学ぶことでなければいけません。
こうした視点が近代社会には欠落しています。
あれ!話が横道に行きそうです。反省。
行政には総合計画とか都市計画マスタープランとか、○○マスタープラントか、たくさんあって、わけのわからない計画構造になっています。
そこで私がいま、美野里町に提案しているのは、そんな根拠法などはどうでもいいから、町の住民の生活にとって、よりどころになるまちづくり憲法をつくろうということです。
しかし、現実を考えると、そうばかりはいっていられないのです。
行政職員にとっては、めちゃくちゃな論理だと思われるでしょうね。
また専門家になると、理論武装も必要になってきます。
どこまで制度を超えるのか、われわれ3人の中でも、いろいろ議論になります。
理念と現実のせめぎあいの中での湯島会議は、毎回実に刺激的です。
こういう議論を、もっと多くの都市計画プランナーとやってみたいです。
まあ、きっと打ち負かされてしまうでしょうが。
3人のチームは、環境計画機構代表の井出建さんと東京理科大学の大月敏雄さんと私です。
大月研究室の安武さんや深見さんなど、学生の皆さんも実に足しげく現場に通ってくれています。
面白い論文もいくつか完成しています。このチームの参加者は、みんな個性的です。
わがままな私は、時々ムッとすることもありますが、面白いです。
この仲間と一緒に議論できることを感謝しています。
■ 美野里町都市計画マスタープラン事務局会議(2003年3月6日)
今日は、美野里町での会議です。
湯島会議での議論もいろいろあるのですから、行政との議論はもっと大変です。
事務局の中心者、都市建設課の太田勉さんは、苦労が多いでしょうね。
しかし、本当に頑張ってくれています。
どうやら素案の方向性は決まりました。
少しずつですが、お互いの考えが理解されだしています。
私はまだちょっと浮いているかもしれませんが。
私にはすごく面白い議論がたくさんあったのですが、さすがにホームページには書き込みにくいです。
しかし、美野里町は面白くなっていくでしょう。
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美野里町まちづくり会議(2003年3月14日)
先週に続いて、美野里町のまちづくり会議の素案検討会です。
粗案を編集整理していくと、生々しさが失われがちです。
しかし、生々しさが強すぎると多くの人には伝わらないという面もあります。
きれいに整理してしまうと議論も反応も起こりにくくなりますが、逆に刺激的すぎると反発がおきかねません。
そのバランスが難しいのです。
それに第一、長すぎると読む人は非常に限られますし、整理されていないとメッセージ性をもちません。
具体的な記述には、関心ある人は伝わりますが、部外者には無視され、結局、何の意味もありません。
外部の私たちの興味と住民の興味とは全く違います。
行政と住民の視点も違います。
そのあたりが、実は一番面白いところですが、多くの人で議論していると、まるくなってしまい、
薬にも毒にもならないものになりかねません。
ですが、逆に、多くの人が参加すると多様な意見が出て、本質的な議論ができます。
いつもぶちあたるジレンマです。
今日の論点は「農業」でした。
私はこれからの世界は「農の時代」に入っていくと確信していますが(25年前からの結論です)、
論理演算からの確信なので説得力がありません。
美野里町が「農を活かした都市化」のモデルになればすごいと思っていますが、前途多難です。