〔なぜ私は会社を辞めたのか〕

会社を辞めて社会に入る

「サンサーラ」1990年掲載

 会社を辞めてそろそろ2年目になる。そのせいか、「会社を辞めて良かったですか」と聞かれることが多くなった。質問するのはほとんどが同年配の男性企業人である。女性や若い人からはまず質問されたことがない。退社した当時は、よく「どうして辞めたのですか」と質問されたが、その時も同じだった。「会社を辞める」ことの意味は、世代や男女 によって大きく違っているようだ。

 会社を辞めて非常に良かった、というのが現在の正直な答えである。今までとは違った 多くの出会いがあり、生活する世界が広がったからである。もっとも、会社を辞める前に考えていたのとはかなり違った生活になっている。やろうと思っていたことが必ずしもで きているわけではない。生活の安定には問題があるし、先行きも不透明である。しかし、毎日が清々しく毎朝が楽しくなっていることが、辞めて良かった何よりの証拠と言ってい い。今のところ家族もそれなりに喜んでいる。

 私が会社に入ったのは、日本が経済成長を加速しつつあった昭和39年である。会社は東洋レーヨン梶A現在の東レ梶B以来25年間同社にお世話になった。とても素晴らしい会社であり、私の価値観やライフスタイルの形成に大きな影響を与えてくれた。今でも非 常に好きな会社である。

 それなのに、なぜ辞めたのか。理由をあげようと思えば10や20はすぐあげられる。し かし、ひとつだけと言われれば、「25年、組織人をやってきたから、残りは別の生き方をしてみたい」ということである。その時の気分は、退社した時に知人友人に出した挨拶状が一番的確に伝えている。

 拝啓 そろそろ初夏の気分を感ずる季節になりました。季節の変わり目は幾つになっても心踊るものがあります。皆さまにおかれましても、ますますご活躍のこととお慶び申し上げます。本日は、私事で恐縮でございますが、近況報告をさせていただきたく、お手紙を差し上げました。3月末で東レ株式会社を退社いたしました。昭和39年に入社いたしましたので、ちょうど25年間勤めさせていただいたことになります。この間、素晴らしい方々との出会いに恵まれ、実に様々なことに触れさせていただきました。とても良い25年間でした。これもひとえに皆様方のご指導ご支援の賜ものと深く感謝しております。本当にありがとうございました。

 東レでの最後の仕事は、多くの人たちに支えられたCI(コーポレート・アイデンティティ/会社のあり方や社会との関わり方を問い直すことを目的とした経営戦略です)プロジェクトでした。ところが、会社のアイデンティティを考えているうちに、自分のアイデンティティの問題に行き当たってしまいました。ちょうど25年(四半世紀)という区切りの良い時期でしたので、とりあえず会社を辞めてみることにいたしました。それが長年お世話になった東レを辞めさせていただいた理由です。

 従って、これからの計画はほとんど白紙です。会社という組織の中での25年間に対して、次の25年間(全うできるかどうか不明ですが)は組織には所属せずに個人としてやっていこうということが唯一決まっている方針です。どんなことになるのか、私自身全く見えておりませんが、当面はまず自分の生き方を問い直しながら、できるだけ様々なことに関わらせていただこうと考えています。そして、働くでもなく遊ぶでもなく、学ぶでもなく忘れるでもなく、急ぐでもなくのんびりするでもなく、こ れから出会ういろいろな世界との関わりの中で、私自身の新しいライフスタイルとこれからの25年間の仕事を発見していくつもりです。終わりを迎える住処も見つけていきたいと思っています。(以下省略)

  この手紙から読み取っていただけるように、私は「会社」を辞めたのであって「東レ」 を辞めたのではない。別に東レが嫌いになったわけではないし、辞めなければならない理由があったわけでもない。脱サラという言葉が当てはまるほど、次のプログラムがあったわけでもない。ただ「生き方」を変えようと思っただけである。

 この考え方はなかなか周 りの人には理解してもらえなかった。退社して他の会社に行くのではないか、辞めるから には何か不満があるのではないか、などと考える人がほとんどだった。私の考えを理解してくれた人事部長も、「次の生活設計が決まるまでとりあえず退社をのばせ」と親切に助言してくれた。だが、そんなことをやっていたら「生き方」は変わるはずがない。

 自分の生き方の他に、企業や企業人を社会の視点から考え直してみたいということも退社の理由のひとつと言っていい。とりわけ企業人の生き方に関心があった。"普通の企業人"が、ある日突然退社したくなるということは、それほどめずらしいことではない。それを実行するかどうかは、その社会の状況に大きく依存している。そして、おそらく時代 は実行しやすい方向に進んでいる。だとすれば、これからは次の生活設計が曖昧なままに 退社する中高年サラリーマンも増えていくだろう。会社員としての生き方を捨てる人も少 なくないだろう。そうした動きが、もしかすると新しい企業社会や企業変革の引き金になるのかもしれない。そんな予感もあった。自分の行動を通して、実践的に企業や企業人の問題を考えてみようという気負いも少しあったと言っていい。

 退社したら何が起こるかを同時進行でドキュメント報道していったら面白いと考えて、 退社直前に某テレビ局に相談してみたのも、そんな理由からである。あるテレビ局が「一家の大黒柱が退社した後の家庭の変化」を中心に同時進行ドキュメントをしたいと言って くれたが、番組が主婦向けのものだったのと家族の猛反対(「そこまではつきあいきれな い」)で辞退させていただいた。できれば、企業人あてに何かメッセージしたかったのだが、残念ながら実現しなかった。

 会社を辞めて暫く無収入が続くことになるのだが、それに甘んじた理由はとにかく自ら の意識変革である。結局、失業保険も貰わずに(働く意思を持たなかった)、一年は働くことをしなかった。だからといって、わが家に特別の資産があったわけではない。ただ、自宅があったことと、上の娘が学校を卒業して私の退社する日から私に代わって会社勤めになることはひとつの安心材料であった。

 後で考えてみると、友人に恵まれていたことが、あまり先行きを心配しないですんだ理由だったかもしれない。前述の挨拶状に「事務所を開いたので遊びに来て下さい」と書いたら、一週間に百名を超す友人たちが訪ねてきてくれたのには非常に感激した。この友人 たちが私の退社を支援してくれた本当の理由と言うべきかもしれない。

 会社を辞めたのは平成元年の3月末日。最初に取り組んだのが、地元の住民運動への参 加である。そこでたくさんのことを学ばせていただいた。地域活動やボランティア活動が 如何に大変なことであるかも少しだが理解できた。地方行政の苦労と遅れも実感した。企業社会と地域社会との信じられないくらいの格差に唖然とすることも少なくなかった。しかし、一番痛感させられたことは、自分が25年間、社会人ではなかったのではないかという反省である。「企業人」は決してそのままでは「社会人」とは言えないことが良くわかった。

 その思いは会社にいた時に少しずつ強まっていた考えである。先の挨拶文を続けて引用させてもらうことにする。

 念の為に申し上げれば、今回の私の動きは『退社』であって『独立』ではありません。自分の活動拠点を事務所という形で持ちますが、それはあくまで便宜上のものです。もし変化があるとすれば、それは依存する組織を一つから多数に、さらには多くの人達へと変えただけです。私自身の『独立度』はむしろ弱まり、今まで以上に多くの人達に支えられた生き方になると思います。『独立』というよりも社会への『溶融』 を志向しています。そうした生き方が、ネットワーク社会と言われる現代にはもっとも適した生き方ではないかと考えていますが、そのシミュレーションもしてみたいと考えています。(以下省略)

 やや理屈っぽいが、正直な気分であった。しかし、社会への「溶融」は考えていたほど容易なことではなかった。2年たった今もまだ「社会人」の入口でウロウロしているのが 実状である。定年退職した男性を指して、「濡れ落ち葉族」という言葉が流行ったことがあるが、極めて実感できることである。たとえどんなに趣味があろうとも、それだけでは生活はしていけない。地域とのつながりも非常に大切だろう。

 地元での地域運動は結局中途半端なまま挫折してしまったが、それは私自身の社会人と しての感覚不足があったように思う。その反省もあって、その後、勉強も兼ねて地元以外での地域活動に僅かずつ参加させていただいている。近いうちにまた、地元での活動に戻 りたいと考えている。

 退社して始めたことのもうひとつは、ともかく様々な人に会うことである。25年間、 それこそ"一社懸命"に働いてきた結果の視野の狭さを克服するために、人に会い続けている。挨拶文に出てきた「活動拠点としての事務所」とは人に会う場所である。

 最後に家族について触れておきたい。退社については、まず女房に相談した。退社は自分の問題であると同時に、家族の問題であるから、女房が反対したら実現は難しい。そこを滑らかに乗り越えるためには若干の準備が必要だと考えた。その前年の芥川賞受賞作は 『長男の出家』(三浦清宏)だったが、「僧になりたい、と息子が言い出したときには、 驚いた」という書き出しで、結局、息子が僧になってしまう話だった。女房にこの作品を 読ませてから、突然に退社の決意を伝えたのである。

 しかし、これは全くの無駄な努力であった。「退社したいと夫が言い出した時には驚いた」ということになるどころか、女房はすんなりと賛成したのである。「25年間、家族 のために働いてくれて、どうにか家族も大きくなったのだから、これからはあなたの決意に協力しましょう」というのである。"女房の鑑"と言うほかない。

 しかし、よく考えて みるといい加減な女房のような気もする。夫が会社を辞めて失業するのに何も心配しないのである。拍子抜けもいいところである。娘たちも面白い から辞めてみたらと無責任である。繰り返すが、わが家は貧しいサラリーマン家庭であり 、財産があるわけではない。ただ、全員が根っからの楽観主義なのである。これも(財産のないことも含めて)会社を辞めた理由と言っていいかもしれない。

 しかし、現実はそうそう楽観できるものではない。私が会社を辞めた第一日目に、早速 不幸が始まるのである。惰眠を貪っていた私は、娘からの電話で起こされた。入社式に出 かけていった「社会人一日目」の上の娘からである。会社から漸く自由になった私の耳に 飛び込んできたメッセージは何と、「お父さん、この会社は私に向きそうもないから、入社式には出ずに帰ろうと思うけど、いいかな」である。そして、二週間後に娘は会社を辞 め、わが家には二人の失業者が出現してしまうのである(その後の話を聞きたい方は、わが事務所に来て下さい)。

 会社を辞めることは決して、自分だけに止まるものではない。その波及効果はいろいろである。会社を辞める時には、それなりの覚悟が必要である。いや、そうした先行き不透明を楽しむ感覚が必要だと言うべきであろうか。それさえあれば、理由などなくともすぐ にでも会社を辞めることをお勧めする。それがなければ、いかなる理由があろうとも、会社を辞めないほうがいいかもしれない。