□ビジネスの発想を変える高齢社会の捉え方

  シルバービジネスからビジネスのシルバー化へ

   「あんふぃに」(住信基礎研究諸調査季報)2000年春号から転載

 

■高齢社会への大きな期待

 

●高齢者問題は文化の問題

 日本ではすでに65歳以上の高齢者が総人口の15%を超え、いわゆる「高齢社会」に突入している。今後さらに高齢化は進行し、2025年には4人に1人が高齢者(65歳以上)になると推計されている。

 高齢社会の到来により、ビジネスのあり方が大きく変わっていくことは間違いない。すでにその予兆は見えはじめているが、高齢社会をどう捉えるかで、予兆の読み方も変わってくるし、ビジネスの展開方向も変わってくる。これまでのビジネス・パラダイムの延長で考えていていいのかどうか、は重要な問題である。

 一般に高齢社会には暗いイメージがつきまとっている。年金制度が破綻するとか、介護する人が足りないとか、社会の活力が低下するとか、ともかく高齢者が増えることへのマイナスイメージが強い。たしかに年齢とともに人間の生理的機能は低下し、まわりの人のお世話になることは増えるだろう。だが、人間が「歳をとること」はそんなに否定的なことなのだろうか。

 「女性は社会によってつくられる」と言ったのは、ボーボワールだが、高齢者もまた社会によってつくられる。私たちの意識がつくる「高齢者像」が実体に大きく影響していることは否定できない。

 高齢者問題というものが、もしあるとするならば、それは「文化の問題」であり、その解決の第一歩は私たちの意識のなかにある高齢者イメージを問い直すことではないかと思われる。

 暗い高齢生活が常識になっている社会では、高齢者介護が一般化するかもしれないが、加齢が評価され高齢者が社会的にもしっかりした役割があるような社会では、高齢者も元気でいられるのではないだろうか。暗い高齢社会か明るい高齢社会か、いずれにしろ「高齢社会」の実体は私たちがつくっていく。先入観としての固定的な高齢社会像は破っていかなければならない。


●加齢の価値の見直し

 社会の高齢化とは社会の成熟化でもある。若者たちのようなまぶしいほどの輝きはないが、高齢者にはそれこそシルバーのような深みのある輝きがある。しかも最近では、高齢者のハンディキャップをカバーするためのさまざまな技術や仕組みも整いだしている。高齢社会は決して「暗い」わけではない。

 事実、私のまわりには元気なシルバー世代がたくさんいる。最近の若い世代より、よほど元気であり、社会活動にも熱心だ。自分たちで会社をつくって、地域に役立つ事業を展開している高齢者も少なくない。社会的な仕事を目指した高齢者協同組合も各地に次々と生まれているし、高齢者によるNPO活動も盛んである。

 「高齢者=年金受給者」というイメージはかなり昔の高齢者像を前提としている。最近の65歳は決して隠居生活が相応しい存在ではない。そのことは、近年の老年学の成果からも裏づけられる。「高齢者」という言葉のせいもあって、私たちはついつい隠居生活をイメージしてしまうが、それは決して、本人にとっても社会にとっても好ましいことではない。

 高齢者は元気なだけではない。彼らと付き合っていると、歳をとることの価値が伝わってくる。単なる知識ではない知恵を教えられることは多いし、改めて「生きることの意味」や「豊かさのあり方」を考えさせられることも少なくない。きちんと歳をとっている人たちからは教えられることが非常に多い。昔話にでてくる「古老の知恵」が示唆しているように、高齢者の知恵は社会みんなの共通資産としてもっと活用されるべきではないだろうか。第一、歳をとることがマイナスであるような文化はいつから始まったのだろうか。そんな社会が健全であるはずがない。歳をとること(加齢)の価値を改めて考え直す必要がある。

 高齢社会をどう捉えるかで、シルバービジネスの展開の方向も変わってくる。暗い高齢社会ならば個人対象の福祉型が中心になるだろうが、明るい高齢社会ならば高齢者を主役とした支援型になっていく。シルバービジネスのあり方も全く違ったものになっていく。

 

■高齢社会の積極的価値

 

●質の高い第3の労働力の誕生

 女性の社会進出は、それまでの壮年男性を中心とした社会にとって第2の労働力の出現だった。それが労働需給を変え、産業構造を変え、男性たちの働き方にも影響を与えたことは記憶に新しい。残念ながら、それによってビジネスのパラダイムや産業社会そのものの見直しにまでは到らなかったが、もはや女性労働力を抜きにしては社会は語れなくなっている。

 高齢社会においては、女性に次ぐ第3の労働力として、高齢者が労働需給を変え、産業を変え、働き方を変えることになるだろう。年金受給者が増えるだけではなく働き手も増えるのだ。しかも、その働き手は組織で仕事をした体験があり、ノウハウやネットワークも持っている。生活面での負担が、一般に壮年者よりも軽いために、報酬に対しても多様なインセンティブが考えられる柔軟性も持っている。女性の社会進出の時よりももっと大きな積極的な意味があることは間違いない。

 働き手が増えるということは、納税者が増えると言うことでもある。いまは「税金消費者としての高齢者像」が定着しているが、それは人為的な定年制度とか年金制度のためであって、必然的なことではない。思考の呪縛から解放されるならば、「納税者としての高齢者像」が見えてくる。

 高齢者にとっても、年金のお世話になるより、自らが自立し税金を納めるほうが、誇りや生きがいの持てる幸せな生き方になるはずだ。もちろん、近年の「心身を犠牲にする」ような働き方は見直さなければならないが、第3の労働力としてのシルバー世代が、そうした見直しの契機となり、それによって多様な働き方が広がっていくことも期待される。

 言い換えれば、第3の労働力としての高齢者が、これまでの壮年男性中心の産業社会を変えていくことになるだろう。それは、環境問題や社会病理現象など、さまざまな面で壁にぶつかっている産業社会が新しい地平を開くことにもつながっていく。

 高齢者の増加を産業社会を進化させる第3の労働力の誕生と捉えると、高齢社会のイメージは一変する。そして、高齢者を社会の主役(働き手)として捉えることによって、高齢者を社会のお客さま(消費者)として発想しがちなこれまでのシルバービジネス観も大きく変わっていく。

 

●浪費型市場から共創型の成熟市場への進化

 シルバー世代の増加は、労働市場だけではなく、当然、商品市場、サービス市場も変えていく。市場における高齢者の比率が高くなり、市場の主役は次第に高齢者へと変わっていく。量的にも大きな新しい市場の誕生である。そこから新たなシルバービジネスの出現が期待されているわけだが、そうした個別の顧客の出現よりも、市場そのものが変質していくことに留意すべきである。市場(商品やサービス)は顧客と企業との共同作品だから、顧客が変われば市場も当然変わっていく。

 高齢者が市場の主役になるということの意味はいくつかある。たとえば、広い世界でさまざまな体験をしてきた高齢者の、商品やサービスを見る眼は厳しいものになる(ちなみに、現在の高齢者の商品やサービスを見る眼は厳しいどころか概して甘いが、これは生産中心に生きてきたためであり、この状況は今後急速に変わっていくだろう)。その眼が日本の市場を成熟させ、気まぐれで短命な資源浪費型の日本の市場を変えていく。

 当然、それはビジネスのあり方にも影響を与える。メーカーの思いつきのようなプロダクトアウトの使い捨て型商品よりも、使い手にとって効果的で愛着が持てる商品やサービスを顧客と一緒になって育てていく共創型のビジネスが必要になっていく。作り手も使い手も、ともに愛着を持てないモノづくりはそろそろやめなければならない。ブランドも流行の象徴であることから、実体としての価値を象徴する本来の姿に変わっていくだろう。それこそが、本当のグローバル・スタンダードではないだろうか。

 問題はこれからの高齢者が本当に市場を育てていけるかどうかだが、社会との接点を持続しながら、市場に対してもしっかりと主張し参加していく顧客は間違いなく増えてきている。ビジネス側もそうした高齢顧客を支援し、顧客との共創関係をつくっていく必要がある。現在の企業の顧客対応は「消費者」や「クレーム」という言葉が抵抗なく使われているように、基本的には対立型である。対立からは新しい価値は生まれない。

 商品やサービスの供給側の担い手の多くは、顧客の中心となる高齢者よりも若いために、顧客の事情を十分にビジネスに反映できないという問題もある。これまでの商品やサービスの供給者は、ほとんどの場合、自分が生活してきたライフステージにいる顧客を相手にしていればよかったわけだが、高齢社会においては、自分には生活実感のない顧客を相手にしなければならない。これが、シルバービジネスがなかなかうまくいかない一因である。高齢者の行動意識調査などをいくらやっても実態は把握できない。こうした点からも、これからの市場は供給型から共創型へと変わっていくだろう。

 福祉の世界で、高齢者が高齢者の世話をする動きが広がっているが、これは単に人手不足などといった供給側の事情だけではなく、サービスの性格とも関わっている。高齢者であればこそ、高齢者の感情や欲求がよくわかる。そこにこれからのシルバービジネスを考えていく上での重要な示唆が含まれていると思われる。

 

■高齢社会におけるビジネス・パラダイム

 

●量的拡大志向のビジネス・パラダイムの限界

 高齢社会というのは、先進国、なかんずく近年のビジネスの優等生だった日本が、その先頭を走っていることからわかるように、これまでのビジネスの発展の結果であり、産業社会のひとつの到達点と言っていい。

 これまでの産業社会の中心は生産、しかも大量生産であり、それは屈強な壮年男性の「労働力」によって担われてきた。そこでの支配的な尺度は「量的生産性」であり「効率性」だった。かつては知恵と技能の面から知恵者や熟練者として尊敬されていた高齢者は、そうした効率第一主義の社会ではむしろ邪魔な存在であり、子どもと共に、社会の「お客さま」になってしまった。

 言い換えれば、そうすることによって産業社会はパワーを高め、スピードをあげ、大量生産、大量消費によって物的豊かさを実現したのである。そのもうひとつの結果が高齢社会の到来だった。高齢社会は産業社会の必然的結果なのである。

 高齢社会は長寿社会ではない。高齢者の比率が多い社会である。それは長寿化とともに、少子化を伴っており、総人口の増勢が大幅に低下する社会でもある。高齢者が増える側面だけに目を奪われてはならない。

 人口増加がなければ、経済の量的拡大は持続できない。高齢社会の到来は、これまでの量的拡大志向の経済展開の基盤を奪っていく。消費市場においても労働市場においても、もはや右肩上がりは維持できないのである。量的拡大志向のビジネス・パラダイムの持続可能性の限界が見えてきたと言ってもいい。さらに言い換えれば、これまでのビジネス・パラダイムに対して、環境問題が外部からの警鐘であるとすれば、高齢社会の到来は内部からの警鐘と言ってもいい。

 いずれにしろ、持続可能な発展のためには、新しいビジネス・パラダイムに移らなければならない。これまでの延長でシルバービジネスを考えるだけでは、社会の持続可能性は確保されない。

 

●持続可能なビジネス・パラダイム

 新しいビジネス・パラダイムのヒントは加齢の意味のなかに含まれているように思われる。

 近年の生涯発達心理学の成果を引用するまでもなく、私たちは身体的成長がとまった後も成長を続けている。中高年以後の加齢は身体機能が衰えていくことではなく、経験や世界が広がっていくことでもある。さまざまな体験のなかで多様な価値観を育て、知恵と技能に磨きをかけていくことでもある。尺度を変えれば、成長は生涯持続していくと言っていい。そして、人間は常に成長を求める存在である。元気な高齢者はみんな自信をもって成長を続けている。

 さまざまな体験を蓄積した高齢者たちが織りなす社会は、おそらくこれまでの効率第一主義、物的豊かさ至上主義の社会とは違ったものになっていくだろう。画一的な物的拡大から個性的な質的深化へ、効率追求の手段重視から価値追求の目的重視へ、画一的な尺度から多様な尺度の広がりへ、量的拡大はないけれども、文化の成熟度や精神の豊かさは深まり、世界は広がっていくだろう。いや、そうしなければ、社会は失速しかねない。再び知恵と技能が、そして人と人との心のつながりが重要な役割を果たす時代である。

 それはまた、高齢者が「消費者」や「被扶養者」として扱われるのではなく、社会の主役として自由に生き生きと輝きだす時代でもある。そして、まさに現実の日本の高齢者はその方向に動きだしている。にもかかわらず、ビジネスや行政における発想は、これまでの高齢者パラダイムの延長からなかなか抜けでられずにいる。発想を変えなければならない。

 高齢者を対象とした介護や年金など、個々の高齢者にまつわる個別問題の解決は重要である。しかしそれ以上に重要なのは、社会のあり方そのものを変えていくことである。これまでの産業社会とは異なる高齢社会の意味をもっと掘り下げて、ビジネス全体のあり方を見直していかねばならない。

 そのためには、シルバー世代にまつわる問題をビジネス化するだけではなく、ビジネスのパラダイムそのものを変えていくこと、つまりビジネスのシルバー化(成熟化)が必要なのではないか。それによって、ビジネスのフロンティアは一気に広がり、社会の持続可能性も高まるものと思われる。

 

■高齢社会への対応に向けての発想転換

 

●ビジネス全体のシルバー化

 ビジネス・パラダイムを変えるということは、単に解決すべき問題を変化させることではなく、ビジネスそのものの思想や枠組みを変えることである。

 その予兆はすでにさまざまな形で現れている。たとえば最近のインターネットの普及は、新しい情報関連事業を生み出しているが(情報の産業化)、同時に事業そのものの情報化という形でビジネスの枠組みや考え方を根本から変質させている(産業の情報化)。環境問題の深刻化もリサイクル事業や環境保全事業などの環境ビジネス(環境の産業化)を成長させる一方で、事業構造のゼロエミッション化や省エネ化など「事業の環境化」という発想を生み出しつつある。「ビジネスのシルバー化」も、そうした発想の転換を意味している。

 いずれも単なる新しい市場の発生ではなく、ビジネスの概念そのものを変質させつつあることが重要である。新しい市場の表層にばかり目をやっていると、いつかビジネスは成り立たなくなる。根底で起こっている変化の意味をしっかりと受け止めていかねばならない。

 ビジネスのシルバー化については、詳細を述べる余裕はないが、方向性を示せば、これまでに触れてきた「共創」「価値重視」「質的深化」「多様性」「愛着」などのコンセプトが鍵になっていくものと思われる。それは産業社会そのものを変えていく鍵でもある。

 特に大切なことは、生産者と消費者とを対立させるのではなく、それぞれの立場を対話と協働に基づいて統合していくことである。かつて、アルビン・トフラーは生産者と消費者を統合した「プロシューマー」という概念を提唱したが、高齢社会にあってはまさに生産と消費の概念や関係は再編集されるべきだろう。高齢者は画一的な消費者ではなく、個性に満ちた生活を大切にする存在である。もちろん余暇専業者でもない。働き、学び、遊ぶ、生き生きとした生活者なのだ。そして、それは高齢者に限ったことではなく、高齢社会における人間の生き方と言ってもいい。高齢社会は高齢者のライフスタイルを変えるだけではなく、すべての世代の生き方(ワークスタイルも含めて)を変えていく。高齢者だけを見ていてはビジネスは成功しない。

 

●高齢者イメージのパラダイムシフト

 ビジネスのシルバー化は、まずシルバービジネスへの取り組みの発想を変えることから始まる。一言で言えば、「高齢者の問題解決のための事業」ではなく「明るい元気な高齢社会づくりのための事業」へと発想を変えていくことである。

  そのためには、まず高齢者を「お客様」として捉えるのではなく、「主役」として捉えなければならない。高齢者が本当に求めているのは「介護」や「年金」ではない。社会との接点であり、社会に役立つことである。そうした場がしっかりとあれば、寝たきりになる暇はない。高齢者を「介護イメージ」で捉えるのではなく「活躍イメージ」で捉えることが大切である。しかも彼らこそ、新しいビジネス・パラダイムの推進者なのだ。先駆者的存在としての「活躍する高齢者」と考えると、彼らとの新しい付き合い方が見えてくる。そこにこそ新しい事業機会がある。

 加齢をマイナスとして捉えるのではなく、積極的に評価していくことも必要である。高齢化することの問題ではなく、高齢化によって創られる価値を発見していくことだ。そうした視点はこれまでほとんどなかったが、改めて考えていくとさまざまな価値が見えてくる。その価値を活かすことが新しい事業機会を生み出すとともに、新しい社会の構築につながっていく。

 「福祉の仕組み」としての対応から「社会の仕組み」としての対応に発想を変えていくことも大切である。視点を「暗い部分を解決すること」から「暗い部分をつくらないようにすること」に移すと言い換えてもいい。そうなると、高齢化による新しい事業機会は何も高齢者だけを対象にしたものに限らないということになる。それがビジネスのシルバー化にもつながり、新しいビジネス発想を育てていくことになるだろう。

 このように発想を変えていくと、大切なことは高齢者向けの商品の開発ではなく、すべての商品や事業そのもののあり方、さらには企業のあり方の問い直しということになってくる。高齢化の問題も、高齢者が増えるのではなく、社会そのものが高齢化(成熟)していくと捉えたほうがいい。そうした視点が欠落していたことが、これまでの「シルバービジネス」が大きく成功しなかった理由ではなかったのか。そうした視点で今のビジネスのあり方を変えていくことが「ビジネスのシルバー化」ということである。

 高齢社会はさまざまな点で、これまでの産業社会とは異なった様相を持ってくるだろう。受動的に対応するのではなく、高齢社会の価値を積極的に活かしていくような創造的な対応が望まれる。目先の利害のみを考えたシルバービジネス展開に終わってはならない。高齢者こそ、閉塞状況に陥っている日本企業に新しい地平を開いていく元気を与えてくれる存在なのかもしれない。                           

2000.1

潟Rンセプトワークショップ/佐藤修