日本構想学会の2002年の年次大会に参加しての極めて個人的の気づきと感想です。

●新しい学びの場への構想
2種類の構想が発表されました。
半田さんと太田敏雄さん(国際比較文化研究所)からです。
半田さんは学会を拠点に出来ないかというのです。
これからの構想学会が楽しみです。ぜひみなさん入会してください。
太田さんは前にちょっとだけ紹介した、榛名山麓みどりの大学の構想です。
2万円の寄付を37万5千人が出してくれたら実現するという呼びかけです。
まさにコモンズ型の取り組みです。
ぜひ太田さんのところのホームページをご覧下さい。
こうした新しい学びの場づくりが始まっていることはうれしいことです。

●構想日本のラウンドテーブル
「自治体の現場から国と地方のありかたを見直す」と「非営利活動をはぐくむ社会のつくり方」をテーマにした、二つのラウンドテーブル・ディスカッションが行なわれました。
とても楽しみにしていましたが、完全に失望しました。
いずれもビジョンと現場視点が皆無だったからです。
しかも交流の姿勢がほぼ皆無だったからです。

構想日本のフォーラムには、私も一度出席したことがありますが、今回はがっかりしました。
完全に官の立場ですね。今まで勘違いしていました。

それに比べて、長野県の田中康夫知事は民の立場でしっかりした意見を述べられていました。
私の聞き違いかもしれませんが、田中さんは「個人に立脚した発想」を大切にしていることが伝わってきました。
こうした知事が出てきたことに感謝しなければなりません。
新しい姿勢で活躍している知事は増えていますが、私が信頼できる知事は初めてです。
人気の高い北川さんも、どうも個人の生活の視点が感じられないです。
それを、まさか田中さんから感じるとは思いもしませんでしたが。

彼のような視点に立つならば、県の役割も、もしかしたら再構築できるかもしれませんね。
最近の市町村合併の動きと合わせて考えると、私の県不要論は見直さなければいけません。

●コモンズ社会に向けての新無尽講構想
これは私が主催したラウンドテーブル・セッションです。
やはり話しすぎてしまいました。反省。

話題提供者として、小倉美恵子(農的暮らしを考える研究会)、佐藤和美(環境コンサルタント)、西村美和(産業能率大学・CWSコモンズ村民)、渡辺清(大阪大学大学院社会人学生)に参加してもらいました。
それぞれみんな初対面、事前打ち合わせ全く無し(現地集合)です。
まあ、気楽なものですが、4人のみなさん、ありがとうございました。

それぞれから実に面白い話が聞けました。
会場からも面白い指摘を受けました。
議論の内容はきっと構想学会のホームページに掲載されるでしょう。

実は終了後、話題提供者の4人の間でメールが飛び交いだしました。
テーマは「マネー」です。
会場(たしか猪岡さんですね?)からの発言がきっかけでマネー論議があったためです。
そのメールのやり取りがとても面白いのですが、いつか、マネーをテーマにしたフォーラムをやろうということになりました。また案内します。

●NPOの位置づけ
NPOをテーマにしたセッションが発表の部も含めていくつかありましたが、とても気になったのは、すべてがNPOを行政や企業の下部システムと捉えている目線の高さです。
私は今のNPOの多くは、行政の下請けであり、企業の逃げ場であり、寄付依存のアマチュアリズムであると考えていますが、みんな、それでいいと思っているのではないかと思うほどです。
がっかりします。

セッションのテーマは「非営利活動を育む社会のつくり方」でした。
こういう姿勢に私は全く馴染めません。
社会が非営利活動を育むのではなく、非営利活動(もちろん営利活動もそうですが)が社会を育むのです。
これまでの議論の多くが主客逆転しています。
この点はメッセージ6を読んで下さい。
なかなか思いが伝わらないと思いますが、「社会」は主語にはならないような気がします。
もし主語にするのであれば、その実体を整理すべきです。
少なくとも「お上」なのか「制度」なのか「社会の雰囲気」なのかくらいは整理するほうがいいです。
もしそうであれば、その言葉を使えばいいと思います。
「社会のため」「公共のため」と言う言葉ほど、眉唾物はありません。
救いは、河北総合病院の河北博文さんの発言でした。
河北さんはビジョンの大切さを強調されていました。
現場をお持ちの方だと感じました。

●北関東統合医療研究会
群馬大学の小池さんの発表でした。
昨年の大会で小池さんたちの活動を知りました。
そして、医療問題に関心を持つようになったのです。
その後、ホメオパシーとかアーユルヴェーダとか、アロマセラピーとか、色々な出会いがあったのはそのおかげです。

小池さんの話を聞いていて、素人なりに医療制度のパラダイムシフトの3つの方向をこう考えました。

(1)「医術基軸から看護基軸へ」
12月第1週でも体験的に書かせてもらったのですが、個人生活の立場から言えば、医療の中心におかれるべきは、直接、生命と触れ合う看護ではないかと思います。
看護師が医師を状況に合わせて編集していくべきではないかと思います。
病気現象は極めて生命的な現象であり、医療は人間的な関係性のなかで捉えていくべきだというのが私の意見です。
(2)「病気づくりから健康支援へ」
小池さんは統合医学の視点から身体観へと視点を移されていますが、同時にそれは病気現象のフェーズの違いにつながっているとお話になりました。
私は近代医学的な意味で、医師が定義する病気概念には違和感がありますが、病気がもし生命現象であるとすれば、極めて個人的な現象であり、医師が勝手に命名すべきではありません。
そうなると、当然、病気治癒ではなく、命の輝きを支援するというのが医療の使命になるように思います。
ややこしいいい方をしていますが、多分、病気観が全く変わってくるような気がします。
(3)「医療制度や医学知見に合わせる治療から個々の生命に合わせる治療(支援)へ」
極めて生命的な現象である病気は、極めて個人的なものです。
同じ病名でも実態は全く違うはずです。
もしそうであれば、もし病気を治療するのであれば、まずはその個別状況から発想すべきです。
しかし、今はそうなってはおらず、制度や病院や医学知識体系に合わせる姿勢が基本ではないかと思います。

個々人に合わせて対応していたら、費用も人手もいくらあっても足りないと言われそうですが、そんなことはありません。
そこにこそ、パラダイムシフトの意味があるのです。
なんだかめちゃくちゃな素人論議のような気もしますが、私が今思っている事を書いてしまいました。
すみません。

●学び合いの大切さ
この2日間、私はとても沢山の気づきがありました。
新しい人との出会いもありました。
とても残念だったのは、折角、ラウンドテーブルセッションに参加した人たちが自分たちの発表が終わるといそいそと帰ってしまうことでした。
そこには「テーマを極めて要素還元的にしか考えていない姿勢」と「自分の考えを話すことにしか関心がない余裕のなさ」を感じました。
構想日本のセッションの参加者はすべてそうでした。
とても寂しい感じがしました。
参加者からこんなメールが来ました。無断で掲載します。

前の2つのラウンドテーブルの関係者は皆さん、それぞれさっさとお帰りになりましたね。せっかくの機会だから他のも聞いてみると良いのに、もったいない。田中耕一さんの言うようにもったいないは重要な言葉なのでしょうね。

共感します。
でも、実は私もあんまり変わらないのではないかと反省しました。
私も自分の考えを主張してばかりいたのではないか。
たしかに、私ももったいない事をたくさんしてしまったような気がしてきました。
反省しなければいけません。はい。

●質問の仕方の大切さ
私はセッションには出られませんでしたが、グレーとブックスセミナーを主宰されている原田さんが、ソクラテス・メソッドが発表されました。
ソクラテスの対話法は今まさに必要な事だと思います。
みんな「質問の仕方」を忘れているからです。
ラウンドセッションで大切な事は、的確な質問です。
私はいつも最初にまず、発表者のビジョンや目的に関する質問をします。
社会のあり方をテーマにしながら、技術論にとどまっていることが多いからです。
ビジョンのない構想はありえません。
教育で一番大切なのは、質問の仕方を学ばせることだなと思いました。
誤解されそうな中途半端な文章ですみません。

この大会に出た方の感想をぜひお寄せ下さい。
ここに追加したいです。