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(2005年1月第1週)
めずらしく1週間、ゆっくりさせてもらった年明けでした。
■新年の挨拶
新年の挨拶を載せました。
まだの方、よかったら読んでください。
■40分遅れの初日の出(2005年1月1日)
初日の出を見ようと自宅の屋上でがんばっていたのですが、
残念ながら厚い雲にさえぎられてしまっていました。
しかし、40分後には、眩しい太陽の光が雲から顔を出しました。
一挙に風景が変わりだしました。
今年もいい年になりそうです。
■人口が増えるということ(2005年1月1日)
元日はお墓参りと初詣です。
今年は近くの布施弁天に行きました。
驚きました。
なんと境内の外にまで、お参りのための長い行列なのです。
こんなことは初めてです。
理由は簡単です。
我孫子市の駅周辺に昨年、大きな集合住宅がどんどんできたのです。
それで年末のスーパーがものすごい混雑だったのです。
人口が増えるということは、こういうことなのですね。
30年ほど前に、やはり我孫子は人口が急増しました。
学校はプレハブ校舎を建て増ししました。
子供たちは暑くて寒い校舎で苦労した時期がありました。
その再来になりかねません。
にぎやかになることはうれしいのですが、急激な人口変化は何かを壊すのではないかと少し心配です。
まあ、身勝手な論理ですが。
■年賀状の失敗(2005年1月5日)
年賀状を昨年からメールに変えましたが、今年から年が明けてから書くことにしました。
これが大失敗でした。
まず元日から時間の合間を見て、メールを書き出したのですが、50通くらいで限界に達しました。
時間がすごくかかるのです。
そのため、後は同じ文面でのメールにしてしまい、BCCで一斉発信したのです。
ところが、アドレス管理の不備から出した人と出さない人がわからなくなり、
結局、昨年後半に会った人には発信されなかったようです。
「ようです」というのは、それさえも明らかでないということです。
デディケーテッド・ホスピタリティを目指したはずが、正反対になってしまいました。
その上、他の人から届いた年賀メールや私のメールへの返信に返事を書いていたら、
これまた大変な時間がかかるのです。
その上、メールをされていない方からの年賀状には年賀状を書くことにしていたため、これもまた大変でした。
結局、ある程度終わったのは5日です。
来年はまた方式を変えないといけません。
しかし、このやり方は、相手との会話が成り立つ感じで、とてもいいです。
久しぶりに何人かの方とメールでやり取りできました。
とてもうれしい久し振りのメールもありました。
メールのメリットがもうひとつ見つかりました。
文章の最後にホームページのアドレスを書いている人の場合(私も書いていますが)、
そこをクリックするだけでホームページが見られますから、すぐ見る気分になります。
そこで意外な人の名前に出会うことがあります。つまり共通の友人知人の発見です。
メールやホームページは、人のつながりを加速させる働きがあることを改めて実感しました。
ネットをどう使いこなすかは、これがこれからの課題です。
■緊張感のない仕事始め(2005年1月6日)
3日の日に湯島のオフィスにちょっと立ち寄りましたが、
仕事での出社は今日が初めてです。
自宅にいると、生活がけじめられないので出てきましたが、電話もなければ静かなものです。
この湯島のオフィスは今年で16年目を迎えます。
小さなオフィスですが、実にさまざまな人が来てくれました。
昔は来た人の写真を撮っていました。記帳もしてもらっていました。
とてもオフィスとはいえない空間でしたが、私には大切な場所です。
この1年半、半分閉店でしたが、今年はまた開店です。
今日は仕事始めのはずだったのですが、結局、書類整理で終わってしまいました。
今年は少し本格的に仕事を再開する予定です。
刺激的な仕事があったらお誘いください。
■稻京株式会社の金光一さん(2005年1月8日)
うれしいことに、金さんが訪ねてきてくれました。
2年ぶりくらいになるでしょうか。
金さんは、昔、私が主催していた留学生サロンのメンバーで、一番の年長者でした。
アジアからの留学生が、日本嫌いになって帰国することが多いという話を聞いて、
ささやかな溜まり場をつくったのが留学生サロンでした。
3年くらい続いたでしょうか。
留学後、帰国した人も多いですが、金さんは日本で会社を起こしました。
稻京株式会社です。
金さんの出身地のハルピンにある、リネンの会社と日本の市場をつなげる仕事に取り組んでいます。
最近はほとんどを中国で過ごしています。
金さんは会社づくりに当たって、まず、理念を明確にしたいと言ってきました。
そういうタイプの人です。姿勢を大切にします。
起業後の苦労はいろいろでした。
私は何の役にも立てませんでしたが、時々、相談にやってきました。
最初は会社というものの概念が、金さんにはなかなか理解できませんでした。
なにしろ文化大革命のさなかに育った世代ですから、資本主義の発想が皆無なのです。
しかし、金さんは苦労して、ビジネスの発想を学んできました。
そして、稻京株式会社はいま、基盤をつくりつつあります。
扱っているのはリネンの生地です。
そして、金さんがいま取り組もうとしているのが、しわになりにくいリネンなのです。
技術的には完成しているそうです。
後は設備投資。それが数億だといいます。
アントレプレナーとしての金さんの正念場です。
彼の決断が未来を決めて行くはずです。答えは一つしかないはずです。
今年は大変な年になりそうですが、金さんなら大丈夫でしょう。
応援してもらえそうな方がいたら、ぜひご連絡下さい。
たまたま金さんが来ている時に、インドネシアにいるチョンさんからメールが届いていました。
これも偶然とは思えません。
新年には台湾の呉さんからも年賀状が届きました。
この3人が、当時の常連でした。
いつかみんなでまた会えればと思っています。
ちなみに、インドネシアではすでに国内だけで死者15万人と言われているそうです。
(2005年1月第2週)
仕事を開始しました。
思わぬこともあり、今年もまた波乱の年になりそうです。
刺激的な話がいろいろと入ってきています。
なかなか記事になるまでには至っていませんが。
■トイレの掃除(2005年1月9日)
今年から毎週我が家のトイレ掃除を私が担当することにしました。
掃除に関しては、イエローハットの創業者の鍵山秀三郎さんが有名です。
鍵山さんに共感する人たちによる、日本を美しくする会も全国に広がっています。
そうした活動は、ブラジルや中国などにも広がっています。
もう7〜8年前になるでしょうか、私も鍵山さんの直々のご指導を受けて、
箱根湯本の公衆トイレをみんなと一緒に掃除したことがあります。
実に刺激的な体験でした。
鍵山さんとは、ある会でご一緒させてもらったり、
また清水博さんとの対談を司会させてもらったりして、
たくさんのことを教えてもらいましたが、トイレ掃除はその後、お蔵にしまいこんでしまっていました。
今年から、その教えをきちんと実践することにしました。
といっても、我が家のトイレ掃除なのですが。
毎週土日のいずれかの朝に2か所のトイレ掃除をすることにしました。
今年はこれを皮切りに、少し家事に時間を割くことにします。
決断するのが少し遅すぎましたが、まあ、人生に遅すぎることはないでしょう。
鍵山掃除道から学んだことを思い出しながら、1回目の掃除は終わりました。
■渕野夫妻の来訪(2005年1月9日)
東レ時代の仲間の渕野康一さんご夫妻が我が家にやってきました。
今は東レ経営研究所にいますが、彼とは2回、仕事を一緒にやりました。
いずれも思いの深いプロジェクトです。
まずは東レ時代に私が取り組んだCIプロジェクトです。
これはトップに提案して実現したプロジェクトですが、
スタッフは誰でも選んで良いと言われて、まず同志に選んだのが渕野さんです。
私よりも10歳下ですが、彼の論文を読んで決めました。
私よりは根性が座っています。
そのプロジェクトで、しかし私は会社を離脱することになるのですが、もう一度、プロジェクトでご一緒しました。
東レの第2次CIです。
私は社外のスタッフとして、彼は社内の事務局としての組み合わせでした。
これは2人とも、実は心外だったのですが、結局、2人とも受けてしまいました。
いずれのプロジェクトもさまざまな秘話があります。
今や忘却の彼方ですが、渕野さんと会ったことで、いろいろと思いだしました。
渕野さんは今、東レ経営研究所の機関誌に「面白マネジメント」を連載しています。
そのうちに本にするでしょうが、関心のある人は彼に連絡すれば、きっと送ってくれるでしょう。
彼自身も面白マネジメントを実践しています。
激務の傍ら、さまざまな活動に取り組んでいますが、彼はまた大の富士山好きなのです。
富士山を毎日見たくて、三島に転居し、東京に通っていました。
残念ながら今は勤務地が浦安のため、浦安に住んでいますが、そこからも富士山は良く見えるので幸せそうです。
もうひとつ好きなのが、温泉です。
今日も我が家からの帰路に、帰り道にある柏の湯の華温泉に立ち寄ったようです。
なかなか良かったという電話がありました。
もっともその後、事件が発生したのですが、彼の名誉のためにそれは書かないことにします。
相変わらずのそそっかしさは直っていないようです。
■近くの岡村家族の来訪(2005年1月10日)
この連休は来客が続きましたが、もう一組だけ、初めての方なので書いておきます。
近くに住む岡村夫妻です。
まだ誕生日を迎えていない、蒼空ちゃんと一緒に来てくれました。
話しているうちに、いくつかの共通点が見つかりました。
共通の知り合いもいることがわかりました。世界は本当につながっています。
それがなかなか見えないのが残念です。
もっと見えたら、世界から戦争や犯罪はなくなるでしょう。
とても面白い話を聞きました。
仕事の関係で、1年間、アメリカで生活をされたそうですが、そこでの生活はとても豊かな生活だったようです。
会社の生活と個人の生活がとてもバランスしていて、余裕があったといいます。
日本に戻ってきたら、また残業漬け。なぜ日本の会社はこんなに忙しいのかと思ったそうです。
岡村さんは、「見てはいけない生活を見てしまった」と表現しました。
よく聞く話ですので、何も岡村さんに限った特別の事例ではないのでしょう。
めいこさんも、いま、アメリカで生活を楽しんでいます。
これはとても考えさせられる話です。
日本の企業は米国から多くを学んでいます。
しかし、おそらくそれは表層的な形だけであって、組織原理が違うのです。
組織の都合で振り回されるメンバーからなる疲弊した組織と自分をしっかりと持ったメンバーからなる気力と喜び満ちた組織。
それらは全く違います。
組織は、主体的に使い込む人によって生き生きとしてきます。
組織に使われる人だけでは組織は育たないでしょう。
最近、ワーク・ライフバランスという言葉が広がっていますが、
そろそろ日本の企業もそうしたことを真剣に発想を変えなければいけません。
フォードが昔、見事に会社を発展させた「5ドルの革命」から、いまこそ日本企業は学ぶ時です。
産業再生機構などに自らをゆだねては、未来は開けないでしょう。
ちょっと横道にそれてしまい、大げさになってしまいました。
こんなこととは無縁に、楽しい2時間でした。
■山形市NPO交流会(2005年1月11日)
山形市の共創プロジェクトは、今年はNPO支援がメインテーマです。
今日は、NPO法人による活動発表会が行われました。
山形市では昨年からNPO支援を開始していますが、
それに関連して、全市のNPOに呼びかけて、それぞれの活動発表と交流会を企画したのです。
山形市は昨夜から大雪です。
にもかかわらず、19のNPOが発表に参加、他にも資料参加や聴き手としての参加など、120人を超える参加者がありました。
行政職員にも知ってもらおうと会場を市役所にしたため、職員の参加もかなりありました。
市長も最初から最後まで参加しました。
これは市長の公約の一つであり、市長の発案が契機になっているのです。
山形市にこんなにさまざまなNPOが活動しているとは思わなかったというのが、市長の感想です。
行政から見えない住民活動はたくさんあります。
まちづくりの主役は住民なのですから、それは当然のことなのです。
しかし、それが行政にはなかなか見えないのです。
それぞれの発表はとても刺激的でした。
それに発表の仕方がとても熟していました。
山形市の市民活動は水準が高いです。いや、市民活動はどこも水準が高いのですが。
行政は、そうした活動とは意外と遠いのです。あまり見たくないのかもしれません。
まちづくりの主役は、行政から住民へと移りつつあります。
そこをしっかりと認識していく必要があります。
住民参加と称して、行政が集める「住民」は、本当の住民ではありません。
誤解されそうな表現ですが。
発表者には何人かの知り合いがいました。
このホームページにも登場したことのある、野口比呂美さん、須藤路子さん、菊池健太郎さんなど、みんな山形市の担い手です。
まちづくり市民会議の最初のメンバーにも会いました。
7年ほど前にやった先進事例会議の時に、イベントのインターネット配信などで支援してくれた松田充弘さんにも久しぶりに会いました。
活動を広げています。同志の池田知之さんにも会いました。
こうした若者が、各地で健闘しています。心強いです。
一つの地域に長く付き合っているとこういう喜びがあります。旧友に会ったような気がします。
最後に私からまとめとして、NPOの現代的意味や役割、方向性について、話させてもらいました。
その話を聞いて、何人かの方が、とてもよくわかった、確信できたと言ってきてくれました。
うれしいことです。最近はコミュニケーションできるようになってきたということです。
山形市で、新しい物語が始まりそうです。
ところで、市役所の菊池明美さんが、私に1冊の本をくれました。
大谷ゆみこさんが書いた「雑穀つぶつぶ食で体を変える」です。
私が食育講座をお誘いしたお返しです。
菊池さんは、共創プロジェクトに参加したメンバーの一人ですが、この雑穀料理を実践されているそうです。
情報発信していると、それに比例してさまざまな情報がもらえます。
文京区に雑穀料理のレストランがあるそうです。
行ってみようと思います。
■生きがい論を説く異色の経営学者、飯田史彦さん(2005年1月12日)
飯田さんといえば、「生きがいの創造」で一時期、大きな話題になり、
その後、次々と「生きがいシリーズ」を発表した、ベストセラー作家でもある、ちょっと変り種の経営学者です。
最近は生きがいを与えるCDもつくっており、そこには自らが作詞作曲そして歌っている曲が載っています。
朗読もあります。
多彩な人です。そして、無邪気な人です。
飯田さんとは、実は深い縁があるのです。
いつかまた書くことがあるかもしれません。まあ、なかなか信じてはもらえない深遠なつながりです。
コーヒーをごちそうしてくれれば、こっそり教えてやってもいいです。はい。
美味しいコーヒーでなければダメです。
久しぶりにお会いしました。
念のためにいえば、飯田さんは福島大学の助教授なのです。
経営学、主に人事管理が専門です。経営学関係の著書も多いです。
最近の活動の話を聞かせてもらいました。
病院経営に、最近は関心をお持ちのようです。
私の関心事とかなり重なります。どこかで接点ができるかもしれません。
最近も年に50回ほどの講演活動をしているそうです。
すごいエネルギーです。感服します。
飯田さんのホームページをご覧ください。最近の飯田さんの活動振りがわかります。
同時に、飯田さんの無邪気さも伝わってくるでしょう。
なぜこんなに元気なのか。
身体にいい人としか付き合わないようにしています、と飯田さんはいいます。
この言葉はよくわかります。
私も学ばなければいけません。しかし、それができないのが私の最大の短所です。
会うと死ぬほど疲れる人に、なぜか吸い寄せられるのです。
飯田さんと私との共通点は「愛」を発想のベースに置いていることです。
そのおかげで、飯田さんの著書の「生きがいのマネジメント」には私の名前も登場します。
しかし、経営は愛、などといっていると仕事にはなりませんし、
経営学の学者としても結構大変だろうなと思います。
飯田さんは「生きがいシリーズ」がベストセラーになったために、さまざまな体験をされたと思います。
にも関わらず、飯田さんと最初に会った学生時代のままでの付き合いが続いています。
うれしいことです。成功すると一変する人が多いものなのですが。
福島は大雪でしたので、このセレブな飯田さんに研修所まで自動車で送ってもらった上に、最近の新刊をもらいました。
本好きの私にとっては、本が最高のプレゼントなのです。
その1冊は「生きがいの教室」でした。
帰りの新幹線で読みました。感動的な事例がたくさん出てきます。
学校関係者にもぜひ読んでほしいです。
ブックのコーナーで紹介させてもらいます。
■福島県自治研修センターでの講義(2005年1月12日)
年に5回ほど引き受けている管理者研修です。今年度の最後回です。
この研修もこれが最後です。
来年度はテーマを進めて、ソーシャルアントレプレナーと政策形成をテーマにしようかと話しています。
実際になにか形につながるようなものにできればとてもうれしいです。
この研修所には遠藤哲哉さんがいます。
遠藤さんは飯田さんのところで学んだこともあり,二人は良く知り合っている間柄です。
久しぶりに3人で話し合う機会もありました。
遠藤さんは「学習する組織論」を自治体に広めようと頑張っています。
福島はとても魅力的なところです。
研修に参加する自治体職員も実に魅力的です。
まあ、研修所という空間がそうしているのかもしれませんが、
こうした人たちがそれぞれのところで思い切り思いを実現できる体制があれば、日本はどこもかしこも元気になるでしょうね。
いつもそう思います。何かがそれを阻んでいます。
私の話を聞いた建設関係の受講生が、
批判的に話を聞こうとしたが(私がそうお願いしているのですが)反論できないといってくれました。
うれしいことです。
これまでの自治体行政は主体性のない統治行政です。
住民エゴを受け入れるところから自治は始まります。
住民を指導しようなどという、目線の高い意識は捨てなければいけません。
10年前からそういう話をし続けてきましたが、受け入れてもらえるようになったのはこの2年くらいです。
時代は間違いなく変わってきています。
見えていないのは、自治体の「中枢にいる管理者たち」だけです。
時間があれば、夜学と称して参加者と話し合うのですが、今日は宿泊せずに帰ることにしました。
何しろ年明け後、ちょっと怠惰に過ぎたので、手付かずになっている宿題が山積みなのです。
福島はめずらしく吹雪いていました。
■秋田キャッスルホテルの沢井修さん(2005年1月13日)
ビレッジハウスの山本京子さんの紹介で、沢井さんにお会いしました。
秋田キャッスルホテルの専務です。
同社は業績も順調で、ホテルの質も高いのですが、
ビジョンと思いを持ったプロの沢井さんは満足せずに、さらなる進化を目指しているとのことです。
ホテルはホスピタリティの世界のモデルでもあります。
私が東レ時代にCIに取り組んだときに、最初に相談に行ったのが田辺英蔵さんです。
ホテルの世界の人です。
田辺さんの本を読んで感動して手紙を書いて会いに行きました。
面識のない若造に快く会ってくださり、元気を与えてくれました。
東レのCIに取り組んだ私を支えてくれたお一人です。
そして、私がホスピタリティやケアの本質に関心を持つきっかけを与えてくれた人でもあります。
2回しかお会いしていませんが、感謝しています。
何もお返しできませんでしたが、ペイ・フォワードの実践はしています。
ちなみにもうお一人は、ホンダの会長だった杉浦さんです。
杉浦さんからはソーシャルインの発想を教えてもらいました。
この言葉が広がる前の話です。
杉浦さんとの対談で生まれてきた言葉です。
もっとも当時はまだ、ソサイアティインなどと2人で話していましたが。
田辺さんも縁のあった新橋第一ホテルで沢井さんにお会いしました。
話していて、沢井さんのビジョンと思いが伝わってきました。
ホテルは面白い世界です。
また沢井さんからはいろいろと刺激をもらえそうです。
■北海道の蔭山京子さん(2005年1月13日)
久しぶりに蔭山さんからの電話です。
運良く在宅していましたのでお話ができました。
蔭山さんは以前、エゾシカ関連の事業開発で紹介したことがありますが、その後、連絡が途絶えていました。
年賀状によれば、入院されていたそうです。
気になっていましたが、電話で大変だったことを知りました。
正真正銘、九死に一生の体験をされたのです。
今はかなりお元気そうでした。
しかも新しい事業の展望が見えてきたというのです。
それでうれしくなって、私の声が聞きたくて電話してきてくれたのです。
お話によれば、かなり面白いお話です。
蔭山さんは、シニア・ソーシャルアントレプレナーです。
発想がいつも大きくて、挫折が多いのですが、発想は大きいほうがいいです。
まあ、シニアの場合ですが。
蔭山さんの人生も波乱万丈だったのです。
なぜかそういう人は、老いてなお意欲的です。
蔭山さんは北海道なので、なかなか応援できないのが残念です。
春には朗報が届くかもしれません。
それまでは新しい事業の内容は口ドメされています。
お金の余っている方、ぜひ投資先にお考え下さい。
蔭山さんのことですから、まあ必要資金はせいぜい数十億程度でしょう。
成功すれば、大爆発かもしれません。
私も出資したいところですが、残念ながら自分のやりたいことの資金集めですらうまく行っていないので、
残念ながら見過ごさざるをえません。いやはや。
■山形市長来訪(2005年1月14日)
山形市長がわざわざ湯島のコンセプトワークショップまで来てくれました。
まあ、市役所とは違った環境で、たまには意見交換するのも効果的です。
市長に限りませんが、組織のトップは過酷な決断を求められます。
時に非日常が必要です。
もっとも、トップのアドバイザー業務は私の仕事のドメインの一つですが、
かなり契約額が高いので実際の成約にはなかなかつながりません。
困ったものです。
組織にしろ自治体にしろ、トップの影響は大きいです。
企業の場合が、倒産ですみますが、自治体の場合はそれではすみません。
地域に住む大勢の人たちの未来が変わるのです。責任は重大です。
地域をダメにした首長は日本各地にいます。
今もダメにしている首長もすくなくありません。
そういう首長に限って、自信過剰なのです。
山形市長は問題を正面から受け止めて、真摯に考えるタイプです。
しかし、真摯に考えればそれでいいかというと、そうでもありません。
そこが難しいところです。
そろそろ山形は卒業しようと思っているのですが、なかなか卒業できずにいます。
どうしようか迷っています。
■ユニバーサルデザイン論争(2005年1月15日)
恒例の朝日ニュースターの「よみがえれ!ニッポン」に出演しました。
今日は、基本テーマのユニバーサルデザインに正面から取り組もうということになりました。
「改めてユニバーサルデザインとはなにか」です。
レギュラーに加えて、日立製作所のデザイン本部長の川口光男さんが参加してくれました。
私は、ユニバーサルデザインの運動的意味は評価しているのですが、
この言葉も手段的な言葉(instrumental
term)ですので、その背景にある思想や使い手の意図に関心がるのです。
しかし、多くの人はユニバーサルデザインそのものに価値を見出しているようです。
どうも違和感があるのです。
ユニバーサルには、表情をもったさまざまな要素が集まって構成する宇宙全体を指すような意味があるわけですが、
そこから普遍性と個別性がホロニックに含意されているといわれます。
したがって、だれにでも使いやすいという普遍性とその人にとって使いやすいという個別性の、
どちらに主軸を置いて考えるかによって、全く違ったものになるという、両刃の剣でもあるわけです。
そして残念ながら、いまはコマーシャリズムに浪費されているような状況にあるわけですが、
私がこの番組に参加しているのは、
それにもかかわらず、ユニバーサルデザイン概念の広がりが、
使い手が商品に対して主体的に声をあげていく契機を与えていることを評価しているからです。
この概念は時代の変わり目の中での過度的なものでしょう。
だからこそ、効果的に使わなければいけないのかもしれません。
ユニバーサルデザインそのものの掘り下げた議論も一度、してみたいと思いながら、
今回もまた議論の広がりの中で少し欲求不満のまま番組を終わりました。
番組での議論は難しいようです。
どなたかユニバーサルデザイン論議にやってきませんか。
(2005年1月第3週)
動き出した途端に目まぐるしい生活になってしまいました。
どうも私には中間がないようです。こまった人生です。
■バルネラビルな生き方(2005年1月16日)
このホームページに私の生活はかなりオープンに書き込んでいるわけですが、そのため、問題が起きることもあります。
私だけのことであればいいのですが、私が会った人のことまで書くため、その人に迷惑がかかることがあります。
まあ、知られて困るようなことをしている人とは基本的には付き合わないのが私の姿勢なのですが、それは私の勝手な思い込みです。
家族が時々、私のホームページをみて、品格がないとか表現が穏当でないとか、相手に迷惑をかけていると厳しく批判します。
それで時に後で表現を変えたり、項目が削除されたりすることがあります。
登場した人からの電話やメールもあります。
それにしたがって、12月も1件、削除しています。
自らをさらけ出すことは、相手に突っ込まれる材料を与えることです。
しかし、そういう状況に自らを置くことで、人とのつながりを深められることはいうまでもありません。
隙のない人とは退屈な会話しかできません。
金子郁容さんは、それをバルネラビリティと呼びました。
金子さんとは10年近くお会いしていませんが、岩波新書の「ボランティア」の本はとてもいい本です。
そこにこの概念が出てきます。
私は金子さんからこの言葉を教えてもらってから、出来るだけバルネラブルな生き方をしようとしています。
言い換えれば素直に生きようということなのですが。
ホームページに自分の情報を書き込むとどんな反応があるか、ひやひやすることがあります。
確かにそれで迷惑をかけることも少なくありません。
苦情は届かなくても、私の非礼さに愛想をつかされて友人を失っているかもしれません。
企業のビジネスの関係では、相手の会社のことやトップの悩みを知ってしまうわけですが、それを公開することは出来ません。
契約を結べば、当然のことながら機密保持契約を交わしますから、書き込めなくなります。
会ったことすらも書くべきではないこともあります。
まあ、そんなわけで、開かれた生活は神経が結構疲れます。
最近はそれに少し負担を感じるようになってきました。
しかし、なぜか、この露出的生活を止めないのは、それがまた面白いからです。
性格異常者かもしれません。いやはや、困ったものです。
家族からは顰蹙をかっていますが、今のバルネラブルな生き方をもう少し続けたいと思います。
ちなみに不都合の記事があれば、ご連絡ください。
必ず修正するわけではありませんが、項目の削除にはすぐ応じます。
■クライアント企業トップとのディスカッション(2005年1月17日)
先週、トップに対するアドバイス活動が私のビジネスドメインの一つだと書きましたが、今日はその日です。
月に2回程度のミーティングで、いろいろ経営問題などの相談に乗っています。
こうした企業のトップと話していると、日本経済や社会の実相が実感できます。
社会階層の二極分化の動きもよくわかります。
また、企業制度が金持ち創出機構であることもわかります。
もちろん成功する人は決して多くなく、ほとんどは失敗するわけですが。
それにしても、成功はともかく、企業を継続するためには目一杯自らの時間をビジネスに注がなくてはやっていけないのが現実です。
時間的にも精神的にも、仕事のことばかりです。
それで果たして、未来が開けてくるのか不安です。
自らの企業の株式上場に成功すると、それこそ百億長者になるわけですが、それでも果たして幸せかどうかは疑問です。
お金の使い方が分からないのではないかと思います。
ビル・ゲイツのような、効果的な消費をした日本の経営成功者を、私はまだ知りません。
あんまり仕事をしていない私でもわかるのですから、世の中の多くの企業経営コンサルタントは経済の実相を理解しているはずです。
しかし、私もそうですが、そうしたちょっとおかしな経済システムに寄生していないと、自らの企業を持続できないという現実もあります。
逆に寄生に徹すれば、利益を上げる事がそう難しくないのも現実です。
社会保険庁を取り巻く環境は、必ずしも例外的事例ではないような気がします。
真面目に汗した人が報われる社会に近づけたいものです。
今は汗をかかない人ほど報われているような気がしてなりません。
こんなことをいうので、私はある人から、今週もまた「危険思想家」といわれてしまいました。
しかし、秩序を壊すことは決して危険ではないのです。
ホメオスタシスという言葉があります。
組織は自ずと秩序を回復するバランス機構を持っているという概念ですが、
ホメオカオスという言葉もあります。
多様性を維持した安定性機構というような意味です。
秩序を壊す要素の存在は秩序の維持には必要なのです。
表題とは全く違う話になってしまいました。すみません。
私のトップカウンセリングが不人気なのはラディカルすぎるからかもしれません。
■リトルファーミング講座いよいよスタート(2005年1月17日)
私が日ごろから敬服する実践者の増山康博さんがいよいよ就農支援プログラムをスタートさせることになりました。
構想がかなりまとまり、春までには動き出すそうです。
その構想を持ってきてくれました。
題して「リトルファーミング講座」です。
リトルファームはアメリカ型のメガファームのアンチテーゼです。
日本の農政は基本的に工業型を指向していますが、増山さんは市民型ですので、1反百姓をモデルにしています。
増山構想はこんなものです。
日本の環境を守るためには、年間20万人以上の帰農者が必要だと言われています。
大規模な帰農者の群れを実現するため、首都圏のビジネス街に農業を学ぶ教室をつくり、
毎年1000人の帰農者を送りだすことを目指します。
この構想を実現するために、首都圏帰農サポートネットワークがスターとしました。
事務局長は増山さんです。
まもなく具体的なプログラムも発表されます。
このホームページでもお知らせのコーナーでご案内します。
増山さんは、ぜひ企業の人に受講してほしいと思っています。
関心のある方はぜひご連絡下さい。
■ユニバーサルデザインスタディーズの吉田健一さん(2005年1月17日)
オープンサロンと重なるために私は参加できませんが、今月28日に千葉である活動がスタートします。
生活者の協同組合活動に取り組む小松蹊さん(ASK協同クラブ)http://www.askcoop.jp/index.htmlのプロジェクトです。
いつかこのプロジェクトは紹介できると思いますが、その小松さんの紹介で、
今日はシニア社会学会のユニバーサルデザイン研究会の代表である吉田さんが訪ねてきてくれました。
吉田さんはいま、上野駅周辺のバリアフリートイレマップ作りに自主的に取り組まれているそうです。
吉田さんと話しているうちに、たくさんの共通の友人知人がいることがわかりました。
それも意外な人を含めてです。
このマップづくりにも興味はありますが、いつか何かコラボレーションできるかもしれません。
楽しみです。
■経営道の殿堂づくりに取り組む市川覚峯さん(2005年1月17日)
日本経営道協会の市川さんが、佐久間明久さんと一緒にきてくれました。
佐久間さんはボルボジャパンにいらしたそうですが、それを聞いただけで何か親しみを感じます。
ボルボは思想を持った会社です。いつか関係者に会いたいと思っていました。
市川さんに関しては何回か書きましたが、日本の大企業の経営者に経営道を身につけてほしいという活動を始められた人です。
それが経営道フォーラムの始まりですが、市川さんは途中で山に入り3年間の行をしてきました。
私も節目節目で、その行の一端を垣間見させてもらいました。
先週は異色の経営学者を紹介しましたが、市川さんはまさに異色の企業コンサルタントであり、道を説く経営思想家です。
なによりも「気」を送れる人です。
市川さんの本は何冊か出ています。
コモンズ書店にもあります。
日本経営道協会のホームページもご覧下さい。
市川さんは年初も山に籠って行をされたそうですが、その時に受けた啓示で会いに来てくれたのです。
人間としての付き合いを大事にする私にとっては、
どんな行者でも大先生でも、みんな同じように見えてしまうので、いつものように気楽な会話をさせてもらいました。
ここでも市川さんなどと気楽に呼ばせてもらいますが、まあお許し下さい。
だれでもが「さん付け」が私のスタイルです。
時に先生とか社長とかで呼ぶことはありますが、それは相手に対して軽い扱いをしている時です。
私もそうしたくなる気分になることもあるのです。
肩書きや職位に依存する人は、私には不幸な人にしか見えません。もちろん信頼できません。
日本の名経営者の殿堂をつくり、
そこに経営哲学や経営道を実践的に学び考える道場のようなものをつくることが、市川さんのやりたいことの一つです。
行から戻った時に、その活動にも取り組まれましたが、資金面で挫折してしまいました。
私は、最近の大企業経営者にはいささかの不信感をもっていますが、
松下幸之助や本田宗一郎、井深大、澁澤栄一など、今こそ見直すべき経営者の事績を集めて、
そこで経営者が本当の価値議論をする場であれば、協力したいと思います。
問題はその道場主を誰がやるかです。
その人が見つかればいいのですが、市川さんはまだその気はなさそうです。
昔、市川さんと吉野会議を企画したことがあります。
その企画の段階で出てきたコンセプトが「いのち輝く」というものです。
これは、経営の本質は愛だと考える私の経営観にもつながります。
このコンセプトでもう一度、吉野会議的なことをやってみたくなりました。
どうしてこうも次から次へとやりたいことが押し寄せてくるのでしょうか。
主体性がないからかもしれません。
私も行にでないとダメかもしれません。
カウンセリングのお礼に、食事をご馳走してもらいました。
お布施すべき人からお布施を受けてしまいました。いやはや。
■次世代人材育成研究会(2005年1月18日)
企業活力研究所が、次世代人材育成に向けての産業界の対応のあり方についての調査研究に取り組んでいますが、
その一環としてつくったのが、この研究会です。
委員長は加藤丈夫さん(富士電機ホールディングス相談役)で、
顧問には首都大学東京の理事長に予定されている高橋宏さんや三菱マテリアル会長の西川章さんなどの財界人と
東大の玄田有史さんなどの研究者、ほかにNPO関係者やマスコミ関係者など、多彩のメンバーで構成されています。
私も属性不明のまま参加しています。
時々、こういう場違いの委員会に紛れ込んでしまうのです。
今回はフリーターやNEETがテーマと聞いていたので、
深く考えずに参加させてもらったのですが、会場についた途端にしまったと思いました。
30人くらいの参加者で、委員の数よりも事務局や関係者の数が多いのです。
文部科学省や経済産業省などの人も参加です。
静かに聴いておくだけで、自治体会から欠席だなと思っていました。
不真面目な話です。事務局の人が読んだらムッとするでしょうね。すみません。
しかし、です。
問題提起的に委員の一人である玄田有史さんが30分話をしてくれたのです。
眠気が吹き飛びました。
とてもいい話です。現場に立脚しています。
とても共感できましたし、私とかなり同じ認識だったのでうれしくなりました。
NEETの増加が突きつけている問題を解くには、
問題解決のターゲットを若者に置くのではなく、企業や経済の仕組みに置くべきです。
その意味で、そもそも人材育成などという問題の立て方に間違いがあるのです。
しかも玄田さんは、君が代や国旗を押し付けるのではなく、とサラッと発言しました。
都知事と仲良しの高橋宏さんがいるところで、です。
そのため、眠っているどころか、先ずは最初の口火を切ってしまいました。現金なものです。
この種の委員会は一人で発言を独占できませんから、その後もぜひ議論したかったのですが、抑えました。
しかし、みなさんの発言には共感できることもありました。
たとえば、三菱マテリアル会長の西川さんは、「フリーターとかNEETという言葉をマイナスイメージで語りすぎている」と発言されました。
その一言で、私の嫌いな三菱マテリアルという会社が好きになりました。
いやはや、単細胞的ですみません。
しかし、人間のイメージはそんなものです。はい。
NEET問題は、要するに働き場の需給不適合が引き起こしている問題です。
難しく考えることはありません。しかもそれを解決するのはいとも簡単です。
まず量的不適合の面では、企業が真の意味でのワークシェアリングを導入すればいいのです。
西川さんは、私のそういう意見に「社内のワークシェアリングで精一杯」とコメントされましたが、
おそらく理解が従来発想でとどまっています。
質的不整合は、「働く」ことの意味合いの変化を含めて、働き場や働くことの概念を柔軟に広げていくことです。
NPOが働く場であるなどというのはもちろんですが、
それにとどまらず、お金をもらわない働きもあることを認識すべきです。
しかし、それでは経済的に自立できないと思われそうですが、
地域通貨や相互支援の関係づくりや長期的なライフデザインなどの視点を入れれば、
生活を支える働き方は多様に発想できるはずです。
ということは、いまの企業のかたちや私たちの生き方を見直すことにつながっていきます。
産業界が自らを変えずして、体外的な対応策を考えるのではなく、
自らを変身させる契機にこそ、すべきではないかと言うのが私の考えです。
そんな意見を述べましたが、伝わったかどうか不安です。
またこの研究会では、コミュニケーション力を育てることが大切だという議論が多かったです。
おかしかったのは、そのほとんどが相手のコミュニケーション力を問題視していたことです。
だいたい、コミュニケーション力を語る不とはほとんどがそうですが、
コミュニケーション力がないのは自分たちだと思わないと問題は解決しないでしょう。
今回のまとめが、こうした当事者意識のないまとめだったので、
次回はやはり欠席しようかなどとまた不謹慎なことを考えています。
■第21回コムケアサロン(2005年1月18日)
今回は元NHKのディレクターの清水康之さんを問題提起者にした「マスコミとどうつきあうか」です。
参加者が20人を越えたので、会場を住友生命にお願いして、いつもと違った拡大バージョンで行いました。
とても刺激的でした。
サロンの内容はいつものことながら、コムケアセンターのホームページで報告されています。
本題とは関係ありませんが、清水さんがなぜNHKを辞めたかといえば、
取材を通して現場の問題を知ってしまい、その問題への思い入れが強まって、
ついに一線を超えて、現場の世界に入ってしまったのだそうです。
そういう魅力に取り付かれ、辞めてしまう人は少なくないようです。
良くわかる話です。
現場の魅力は大きいです。手応えがあるということのすごさですね。
いまは手応えのない時代になっていますが、手応えこそが人間を動かす最大のモチベーションかもしれません。
群馬からわざわざ参加してくださった方も2人います。
次回はそのお一人の浅野さんから対話法入門をやってもらおうと思います。
2月22日です。
よろしければご参加下さい。まさにコミュニケーション力アップの話です。
■山形市でコムケアプログラム採用を検討(2005年1月19日)
先週、山形市で行ったNPO交流会をどう発展させていくかのミーティングをもちました。
山形市は先週からの雪が積もっており、町が輝いていました。
雪はいいですね。暮らしの上では大変でしょうが、生活と文化を思い出させます。
それに山形市は盆地ですから、周辺は山なのですが、その山がとてもきれいに見えました。
円やかな月山も見事でした。
先週の交流会は評判が良かったようです。
山形新聞にも紹介されていますが、
「分野の異なるNPO法人同士が集まる機会は少ない。違う団体で横のつながりを強くするための良いきっかけにもなった」
と参加者の一人が語っています。この成功をどう発展させるかです。
続けて来月また集まりをやろうということになりました。
鉄は熱いうちに打たねばなりません。
ところで、山形市での来年度以降のNPO支援を、コムケア方式をモデルに検討していくことになりました。
うれしいことです。
いくつかのところから打診はありましたが、現実に採用してくれるのは初めてです。
といっても、コムケア方式をそのまま導入するためにはいくつかの条件が必要です。
コムケアセンターとして受託するのはあまり適切とはいえません。
やはり地元が中心でやらなければ、私がいつも言っていることと矛盾します。
ですから、まずは地元にしっかりしたキーパーソンがいなければいけません。
コムケア方式はかなり属人的要素が強いので、仕組みだけを創ればいいわけではありません。
そのキーパーソンと一緒になって、仕組みを創れればと思います。
その点を今日はかなり議論させてもらいました。
これからの展開が楽しみです。
少し足しげく通わないといけなくなりそうです。
山形卒業どころではありません。
人生はなかなかうまくいきません。
■おたっしゃコールの呼びかけ(2005年1月20日)
大阪で高齢者の孤独死や不安解消を目指した
「専用電話を使ったおたっしゃコール」事業に取り組んでいる松本敏さん(NPO法人デイコールサービス協会理事長)のことは以前も紹介しました。
なかなか実現できずにいるのはいろいろと理由があるからですが、一番の理由は行政を巻き込めずにいることです。
この仕組みづくりにはそれなりの体制と資金が必要です。
そのため、内閣官房の地域再生計画などに提案しても、
事業主体が行政もしくは行政が参加している協議会でないと支援できないと言われるのだそうです。
そこで、松本さんの構想に荷担して挑戦してくれる自治体を探しています。
どこか心当たりのある方はぜひご連絡下さい。
松本さんの思いをぜひ応援したいと思っています。
この提案の内容はご連絡いただければ送ります。
■コミュニティの復興と暮らしの構造改革(2005年1月20日)
国民生活審議会の総合企画部会で「コミュニティの復興と暮らしの構造改革」をテーマに審議が進んでいます。
その様子は内閣府のホームページで紹介されています。
コミュニティばやりです。それに「暮らしの構造改革」です。かなりの違和感を感じます。
日本はどうしてこうも言葉を浪費したがるのでしょうか。
言霊の国の文化はとんでしまいました。残念です。
ところが、その内閣府から、この報告書のとりまとめの一環として、有識者講演会をやるのでとお誘いを受けました。
前回、国土交通省ではどんな会かよく理解もせずに気楽に行ってしまったので、今度はきちんと準備してお話をしに行こうと思います。
日本でコミュニティという言葉が広がった契機は、
1969年の国民生活審議会の答申「コミュニティ―生活の場における人間性の回復」です。
そして、1970年代に自治省がモデル・コミュニティづくりに取り組んで自治体を先導しました。
私が関わっている美野里町でも、行政主導型のコミュニティ形成が進められています。
しかし、一般にその意義が認識されたのは阪神淡路大地震が契機になったように思います。
コミュニティがしっかりしていたところの復旧が早かったといわれました。
しかし、この言葉はわかったようでわからない言葉でもあります。
日本語にはならないものでしょうか。
ちなみに、コミュニティ概念を言いだしたアメリカのマッキーバーの定義は、
「一定地域の中で行われる共同生活」で、地理的概念ではなく、人のつながりの概念でした。
日本における生活社会の一つの単位は「小学校区」です。
これは人のつながりや生活の実体をもった地理的概念です。
美野里町では、小学校区とコミュニティはほぼ重なります。
国民生活審議会では30年以上にわたって、コミュニティに取り組んでいるわけですが、
実際に現在、共同生活概念としてのコミュニティ意識が育ってきているかといえば、否定的にならざるをえません。
なぜでしょうか。
おそらくコミュニティの捉え方が統治型だったかからです。
個人起点のコミュニティを概念を再構築する必要を感じます。
出来れば言葉も日本語に置き換えたいです。
ちなみに、2月26日に、ちばNPOユースフォーラムが「コミュニティ力」をテーマにした集まりを企画しています。
そのプレイベントが2月3日にあって、わたしも問題提起を頼まれています。
ご関心のある方、ご参加下さい。3日でも26日でも、ご都合のつくほうに。
■こころと体がやさしくなれば地域が元気になる(2005年1月22日)
この言葉はいいですね。私はすぐさま惚れ込みました。
それが不幸の始まりです。
ユニバーサルデザイン生活者ネットワークが福島で、ユニバーサルデザイン参加型人権啓発セミナーを来月開催します。
これはそのテーマです。
ユニバーサルデザイン生活者ネットワークの大矢野さんからそこでの講演の依頼がありました。
講演は嫌いなのですが、このスローガンを聞かされたために、つい心が揺らいでしまい、
みんなで話し合うスタイルだったらいいといってしまったのです。
それでとうとう1日福島で過ごさねばならなくなってしまったのです。
あまり内容を理解していなかったのですが、その打ち合わせに大矢野さんと吉田さんがやってきました。
プログラムは2部構成です。
午前中は「人にやさしいを心で感じよう!」と題して、
ものづくりと市民活動の現場から、それぞれ使い手と作り手が一緒になった商品開発の体験と作品を語ってもらうのです。
そのコーディネーターが私だったのです。
午後は「人にやさしいを体で感じよう!」で、ミニワークショップなどが企画されています。
夕方、人に会う約束があったので午後は帰ろうと思っていたのですが、
話しているうちに、なにやら面白そうなので引き込まれてしまいました。
私が興味を持ったのは、
参加者にユニバーサルデザインの考え方を「腑に落としてもらう」のが午後のワークショップの狙いだと聞いたからです。
その方法も聞きました。事業型NPOをめざす大矢野さんたちのお手並み拝見というわけです。
ところがです。
なんとそのワークショップのファシリテーター役の一人としても私がキャスティングされていました。
お手並み拝見ではなくて、お手並みを見られかねません。
これだからNPOと付き合うのは疲れるのです。底がないのです。いやはや。
しかし、まあ、大矢野さんたちは、それ以上に疲れているようなので、仕方ないですね。
すっかり巻き込まれてしまいました。
しかし、ユニバーサルデザイン生活者ネットワークは、しっかりした信念のもとに活動を展開しています。
敬服します。この「腑に落とすプログラム」が深まり広がってほしいです。
安直なユニバーサルデザインブームを超えたいものです。
それに何よりも、このセミナーのテーマスローガンがいいですね。
とても気にいっています。
福島県の皆さん、参加されませんか。2月14日です。
■5時間を超えたゴミ論議(2005年1月22日)
今日はゴミ問題論議に参加しました。
主役は、ゴミ問題が面白いために健康に注意しだしている佐藤和美さんです。
まあ、私は途中で抜けましたが、気がついたら、それでも5時間半も議論していました。
ゴミの世界はなかなか難しい世界のようです。
生ゴミのコンポスト化の分野に友人が関心をもっていたので、それをある専門家に話したら、
この世界に入ってくるなら、それなりの覚悟でこい、と言われたことがあります。
ところが、その世界で、誠意をもって真剣に、正直からとりくんでいるのが和美さんなのです。
現場にも詳しく、実践知が頭の中にどっさり入っています。
質問すると、即座に確信を込めた答が返ってきます。
実に明快です。現場人間の特徴です。
和美さんがいつも心がけているのは、そこで働く人たちが誇りを持った施設にしたいということだそうです。
共感できます。みんなが誇りを持っていれば、必ずいいパフォーマンスが生まれます。
オーストリアのウィーン郊外には、観光スポットになったごみ焼却場があります。
日本びいきのフンデルトバッサーがデザインした楽しい施設です。
迷惑施設ではなく、地域価値を高めるごみ焼却場がこれからの課題だろうと思います。
発想を変えれば、世界は変わってきます。
実に面白い5時間でした。
(2005年1月第4週)
今週はサロンウィークでした。事件も多かったですが。
底に流れた今週のテーマは「統治から自治へ」です。読み取ってください。
■まちづくり組織条例についての湯島会議(2005年1月26日)
美野里町のまちづくり組織条例は条文案までいきましたが、動きは少しにぶってきました。
理由はまた合併問題です。
平成の大合併は、国家統治のための自治体政策としては効率的かもしれませんが(スケールメリットはもはや意味がなくなってきているのに気づかない人の発想ですが)、
住民生活のための自治体づくりの視点からは効果を損なうものだと思います。
これまでも何回か書きましたが、平成の大失政の一つとして評価されるだろうと思います。
まあ、何人かの官僚は高笑いしているでしょうが。
また横道にそれました。
この問題に対する私の怨念の深さと未練がましさの結果です。すみません。
さて美野里町です。
外野チームによる湯島会議を開催しました。
私たちの中ではほぼ合意が出来ています。しかし、それをどう実現するかです。
メンバーの井出さんから、自治体の計画も条例も、そのほとんどが霞ヶ関から予算をもらうための手続きだったという主旨の話がありました。
そう考えるとすべてが良く見えてきます。全くその通りですね。
美野里町のまちづくり条例は、その枠を超えるものです。
できればこれを住民発議で実現したいと思います。しかし、それへの道は厳しいです。
ちなみに、ネットで「まちづくり組織条例」を検索すると、私のホームページしか出てきません。
これは信じられない話ですが、まちづくり組織条例を作っても、誰からもお金をもらえないからかもしれません。
あるいは、住民参加発想からは出て来ない発想からかもしれません。
協働とか住民参画とか、言葉だけは広がっていますが、誰も真剣に考えていないのでしょうか。
ニセコの逢坂町長はどう考えているのでしょうか。
一度、お聞きしたくなりました。
どこか、本気でまちづくり組織条例を作ろうとしているところはないでしょうか。
あればぜひ教えてください。
まあ、しかし、井出さんのご尽力で、美野里町のまちづくり組織条例のプロジェクトは少しずつ進展しています。
美野里町がその気になれば、全国ニュースにもできるのでしょうが、残念です。
■第4回沈黙の春を読む会(2005年1月26日)
杉本泰治さんの問題提起シリーズも今日が最終回です。
今回はカーソンの科学技術観と関連させながら、アメリカの技術者制度の話が話題になりました。
断片的にはこれまでもお話はお聞きしていましたが、今日は全体像がかなりわかりました。
杉本さんと一緒に、高城重厚さん(タキ・アソシエイツ技術士事務所)も毎回参加してくださっているのですが、
高城さんからのお話も刺激的でした。
ちなみに、このお2人が責任編集されて訳された「環境と科学技術者の倫理」(丸善)はとてもいい本です。
環境問題やMOTに取り組む人にはぜひ読んでほしい本です。
今日は大きな問題が提起されました。
ひとつは、なんと「レイチェル・カーソン賞」設立の提案です。
ラボバンクネダーランドの茶之木淳さんからの提案です。
それでこの会の名前も「レイチェル・カーソン賞準備委員会」にしようと言うことになってしまいました。
いやはや、すごい乗りですね。
ところが、その後、調べてみたら、すでにノルウェイにレイチェル・カーソン賞があるのです。
ノルウェイはサステイナブル・デベロプメントの概念を提唱したブルントラントさんの国ですから、さもありなん、です。
しかし、それで諦めるわけにはいきません。
レイチェル・カーソン日本賞という手もありますし。
もっともレイチェル・カーソンという名前を使えるかどうかはまったくわかりませんが。
しかし、物事の最初は、まあこんなものでしょう。
もうひとつは、日本の技術士やエンジニアに捉え方の問題です。
米国テキサス州のエンジニア業務法を教えてもらいました。
その法律の第1.1条にこうあります。
数学、自然科学および工学の知識の急速な進歩が、エンジニアリングの実務に応用されるとき、
われわれ人間の生命、財産、経済および保安、さらに国防に及ぼす重大な影響を認識して、この法律が意図するのは、
(1) 公衆の健康、安全および福利を守るために、エンジニアリング業務を行う特権を、この法律の規定のもとで正当に免許されて実務を行う者のみに委ねること
(以下省略)
とても重要なメッセージが込められています。日本とは全く違います。
私が重要だと思ったのは次の2点です。
@ エンジニア(技術者)が社会的な資格として明確に既定されており、その活動に対する責任体制が明確なこと
A 技術に対する姿勢として、その危険性の認識が出発点になっていること
杉本さんは日本実状を象徴するものとして、科学技術基本法を紹介してくれました。
その第1条にはこう書かれています。
この法律は(中略)、我が国における科学技術の水準の向上を図り、
もってわが国の経済社会の発展と国民の福祉の向上に寄与するとともに
世界の科学技術の進歩と人類社会の持続的な発展に貢献することを目的とする。
実に対照的です。日本の国家政策がいかに空虚なものかが伝わってきます。
それにこの法律は国家予算を使うためにつくられたものだそうです。
都市計画法やそれに関連する条例などと同じです。
まさに社会はフラクタルです。
コンテンツのない日本社会の表層が感じられます。
統治から自治へのパラダイムシフトを図り、コモンズを回復しなければいけません。
最近は無力感にさいなまれていますが。
ちなみに、こうした議論は、
NPO法人科学技術倫理フォーラムの機関紙「科学技術と倫理」2004年1に杉本さんが論考を掲載しています。
ご関心のある方は、読まれるといいです。
■若い友人の訃報の知らせ(2005年1月26日)
また衝撃的な手紙が来ました。若い友人の死の知らせです。
3年ほど前からメールが届かなくなり、気にしていたのですが、
彼女のお母さんからの手紙で3回忌を終えたことを知りました。
彼女は個性的な人で、以前、ある雑誌に彼女のことを書いたことがありますが、
生まれ故郷で平和のためのコンサートをやりたいと言っていました。
女房と2人で彼女をコンサートに招待したこともありますが、無邪気な人でした。
その思いの実現に役立てなかったことが悔やまれます。
昨年末、急逝した三浦康英さんの奥様から、三浦さんが生前話していた言葉が送られてきました。
私も何度か聞いた言葉です。
記録しておきたいと思います。
私は Living For Today という言葉が好きです。
未来のために今があるのではなく
今のために未来と過去がある。
今一番したいこと、出来る事、すべき事に全力投球したい。
未来と過去はその結果と手段にすぎない。
三浦康英
生前の三浦さんが目に浮かびます。
私のところには、なぜかさまざまな人が来ます。
若者に限りませんが、それぞれにビジョンを持っています。
私に何が出来るかをいつも考えるのですが、いつもほとんど出来ることがありません。
無力さを感ずるとともに、こうした思いをもっとつなげあえる場があればいいなと思います。
そんな夢をつなげ育てる常設サロンがほしいものです。
自分よりも若い世代の人の死は、たとえ血縁関係がなくとも衝撃的で考えさせられます。
最近はこうした事が増えています。
社会が病んでいるのでしょうか。
■むらまち工房設立検討会(2005年1月27日)
コモンズの回復は、実はそう悲観的でもないのです。
各地でさまざまな動きが広がり、それらがつながりだしています。
その一つが、ローカル・ジャンクション21の活動です。
ローカル・ジャンクション21が提案して「むらまち工房」がスターとしました。
今日は、その設立検討会でしたが、実際には最初の集まりだったと思います。
この会の内容はローカル・ジャンクション21のホームページで紹介されるはずなので、ここでは私的な報告と紹介です。
最初に事務局長の朝田さんから「経済効率優先社会での新しいコミュニティづくりの必要性」を5分で話すように頼まれました。
こんなテーマを5分で話せるかと、言いたいですが、仕方ありません。
まず「私たちの子どもや孫の世代は私たちよりも幸せになるだろうか」と質問しました。
私がよくする質問です。
普通はほとんどイエスと答える人はいません。
ところが、今期は30人くらいのなかで、すぐに6〜7人の人が手を上げました。
この15年での初めての経験です。まあ、そこに今日の集まりの特徴があるのかもしれません。
しかし、ほとんどの人が先行きに不安を感じています。
15年ほど前の調査ではイエスと答えたのは2割でした。
8割の人が未来に希望を持っていない社会は、豊かであるはずがありません。
しかも、その割合は私の体験ではますます減っています。
それは社会的な異常な事件の増加と見事に相関しているように思います。
なぜそうなったか、それは今の社会が「つながりを壊すこと」によって経済的豊かさを発展させてきたからだと私は思っています。
つながりをこわすことで、企業や行政は生産性を高め、市場を拡大してきたのです。
それに対して、いま、人のつながりや信頼関係こそソーシャル・キャピタルだという動きが出てきました。
そろそろ統治のためのコミュニティ政策から生活のためのコミュニティづくりへと枠組みを変えていかねばいけません。
そうなれば、行政システムも経済システムも一変するはずです。
以下も経済学者や行政学者の多くは失職するでしょう。
まあ、そんな話をしたのですが、大忙しの話だったので、舌足らずでした。
もう一人の理事の澁澤寿一さんは、私と違って、いつも明快でわかりやすいお話をされます。
一つだけ紹介します。
昔は町にもコミュニティがあったので、生協が効果的に展開できたが、
いまや町のコミュニティは失われ、宅配が9割を占めるようになった、と言う話です。
この数十年の私たちの選択はコミュニティ壊しだったのです。
これからはコモンズ要素のない組織を壊していかねばなりません。
生活のためのコミュニティの回復です。
お名前だけは知っていた尾瀬ドーフの千明市旺さんも参加されました。
思ったとおりの人でした。感動しました。会うだけで感動できる人はそういません。
千明さんの尾瀬ドーフのことはローカル・ジャンクション21のホームページにあるはずです。
ぜひお読みください。
千明さんは東京に自分の商品の直売所を自分で手作りしたいと考えています。
材木も作り手も自分たちの仲間で集めてお金をかけずに創ろうと言うビジョンです。
東京は地価が高いから無理だなどと考えるのは、経済主義に埋没した人の発想です。
土地はみんなものですから、それに気づいた地主が東京に一人でもいれば実現できるはずです。
みなさんのまわりにいないでしょうか。
銀座が良いですね。銀座4丁目界隈に10坪の土地に1000万円くらい付けて提供してくれる人はいないでしょうか。
すぐに千明さんに紹介しますので、いたらお知らせ下さい。
他の方々の活動も実に楽しいです。コモンズは間違いなく広がっています。
今日の会場は三鷹市の産業プラザです。
有名な株式会社まちづくり三鷹のあるところです。
そこの関幸子さんもまちがわの一人として参加されました。
関さんの構想は昔、ソフト化経済センターの町田さんが始めた社会起業家研究会でお聞きしましたが、その構想が見事に形になってきています。
久しぶりに彼女の話を聞きましたが、三鷹市の自信の程が伝わってきます。
住民に支えられた自治体は育っていくことを改めて実感しました。
まちがわの一人として参加されていた自然育児の会理事長の内田淳子さんにもお会いしました。
自然分娩から始まった会ですが、その発展がとても示唆的です。
活動がどんどん広がっているのです。しかし、在る規模よりは大きくしたくないと言っています。
コモンズ発想で考えるとスケールメリットはあるところでなくなります。
いや拡大の歯止め機能をコモンズは内在させているのです。
そこで今度はコモンズ組織をつなぐ仕組みが必要になってきます。
これがソーシャル・キャピタル論のボンディングとブリッジングです。
最近感ずるのは、そうした発想が自然と広がっていることです。
もしかすると、コモンズが統治勢力を超えるかもしれません。
今日は明るい展望が少しもてた日になりました。
■ローカル・ジャンクション21サロン(2005年1月27日)
午前中の集まりに水俣市から参加した愛林館館長の沢畑亨さんを囲んで、湯島でサロンをやろうと言うことになりました。
私は沢畑さんにお会いするのは今日が初めてです。
しかし、ゲゼル研究会のメーリングリストで沢畑さんの発言はよく見かけていますので、とても親しみを感じます。
沢畑さんの活動を聞きながら、飲もうという話です。
私は飲めないので、お茶ですが。
沢畑さんが少し早めに来たので、いろいろとお聞きしました。
共感できます。彼の人生は魅力的です。
一番の魅力は都市の尺度では不安定なところです。
生活の不安定さはある社会では悲惨ですが、日本のような過剰経済社会では魅力です。
私は16年前に会社を辞めてから、実に不安定な生活に身をおいています。
明日どうなるかわからず、仕事のマーケティング活動もしないので報酬をもらえる仕事がなくなることもあります。
しかし、価値を創る仕事をしていれば、必ず報酬はやってくるものです。
それにコモンズ社会ではみんなが支えてくれるのです。
前項で書いた千明さんは酪農で失敗し、仕方がないので豆腐作りを始めたのだそうです。
しかし、その豆腐を片品村の人たちが喜んで買ってくれたのだそうです。
それがコモンズ社会です。
もちろん彼らは留守にするときでも鍵をかけません。
サロンにはいろいろな人が集まってきました。
みんなほとんどが初対面のようです。
沢畑さんのメール仲間も参加されましたが、なんとお2人も初対面だそうです。
にも関わらず旧知の中なのです。不思議な情景です。
私は所用があり、9時前に失礼しましたが、サロンは10時頃まで続いたようです。
これも内容はローカル・ジャンクション21のホームページで紹介されるでしょう。
そういえば、沢畑さんは今回、自分たちでつくった香り米「万石」を持参され、行商活動もしているそうです。
このお米を購入すると水俣の美しい棚田の保全にも利益の一部がまわるそうです。
それがまた面白いです。
私も少し購入させてもらいました。
明日のサロンでPRしたいと思います。誰か買ってくれるでしょうか。
都会の人はコモンズ発想が弱いので、いささか心配ですが。
■コムケア基金への寄付(2005年1月28日)
コムケア基金に5万円の寄付がありました。
名前は書きませんが、このホームページにも何回か登場している人です。今週も登場しています。
実は先週振り込まれたのですが、気づくのが遅れました。
基金もまもなく10万円に達します。
積極的に働きかければもっと集まるのでしょうが、なんとなくまだ怖いのです。
寄付を募ることはかなりの勇気が要りますね。
コムケア基金の活用策も含めて、2月か3月にはコムケア活動をどうするかの検討会を開催する予定です。
コモンズ組織に関心のある方のご参加を期待しています。
■恍惚人生を目指す大村和夫さん(2005年1月28日)
2時過ぎに大村さんがやってきました。
当事者として人生を考えている人です。
当然ではないかと思われそうですが、そういう人は意外と少ないように思います。
何で来たのかなと思っていたら、サロンに来たのです。
サロンは6時からなのですが、どうも勘違いしたようです。
まあ私ならよくある話ですが、大村さんもそういう勘違いをされるのはとてもうれしいことです。
時間を間違えてきたので、久しぶりにゆっくり話せました。
若者たちの社会不適合の問題が最初のテーマです。
若者に問題があるのか、社会に問題があるのか。
不適合は個人に目覚めたからか、組織に埋没しすぎたためか、
難しい議論です。
大村さんと話すと、こういう話が自然と出てくるのです。
大村さんは若者を信頼しています。私も、です。
先日の次世代人材育成研究会で話題になったコミュニケーション問題も話しました。
果たして若者はコミュニケーション力を弱めているのか、私の世代の尺度で測ってはいけません。
私の世代が社会を壊してきたのですから。
そういう意識のない人たちが、声高に何かを叫んでも信頼はできません。
この認識が私たちの共有基盤です。
大村さんは若者のコミュニケーション力に関しても肯定的でした。
念のために言えば、彼は大学の教授ですので、若者たちとはしっかりと交流しています。
これもめずらしい大学教授です。
大村さんがいいました。
佐藤さんは怖いものがないからいいですよね。
そんなことはありません。
最近、怖いものがどんどん増えてきています。
早く恍惚人生に入りたいと大村さんは言いました。
それはとてもいい発想です。
みんなが恍惚になれば、世界は平和になるかもしれません。
いや、もうなってきているのでしょうか。
それにしては、平和が遠いです。
またちょっとコモンズへの展望にかげりがでました。
いやはや。
■オープンサロン再開(2005年1月28日)
再開オープンサロンの一番乗りは、大村さんを別にすれば、リンカーンクラブの武田文彦さんでした。
続いては革命家柴崎明さん、それになんと30年ぶりの中谷哲郎さん、そして詩人の大久保正雄さん、建築模型の紀陸幸子さん、・・・。
後はわからなくなりました。
写真をご覧下さい。
紀陸さんはいま、水道橋で建築模型展を開催中です。
他にもいろいろと活動が広がっているようです。
その忙しさの中をわざわざ差し入れに来てくれました。
さてサロンですが、1年半のブランクのせいか、どうもリズムにのれませんでしたが、
いろいろな人がいろいろな話題を提供してくださいました。
今回はうまくさばけずに、ちょっとホストとしては反省が残ります。
この1年半、私自身に何か変化があったような気がしてきました。
それが何かはわかりませんが。
概要はサロンニュースで紹介します。
(2005年2月第1週)
今週のテーマは〔コミュニティ」と「つまがり」でした。
■テロリストは誰? 9条の会(2005年1月30日)
昨年の2月に開いた平和サロンに参加してくださった菊地謙さんからうれしい手紙が届きました。
その後、さまざまな経緯があり、職場とその周辺の友人らで、映画『テロリストは誰?』の上映実行委員会をつくり、
政治的な会派等から離れた2、30代の人間(10〜20名)で平和や戦争について考えてみよう、という活動を行っています。
そして、その活動の中から、「テロリストは誰?九条の会」というグループを立ち上げることになったそうです。
2月20日が設立茶話会だそうです。
出席したいのですが、この日はこのホームページでも案内させてもらっている子育ち学の公開フォーラムの日です。
とても残念でなりません。
これに限りませんが、土日はこうしたイベントや集まりがとても多く、いくつかが重なることが多いのです。
2年くらい前から、急速に増えてきたような気がします。
もしかしたら、みんなが話し出し始めたのかもしれません。
これはとてもすごいことで、社会が大きく変わる予兆かもしれません。
「テロリストは誰?九条の会」についてはホームページをご覧下さい。
ニーメラーの失敗を繰り返してはいけません。
平和に向けてできることはたくさんあるのです。
■SEGNETスタート(2005年2月1日)
昨年、11月に旬の社会起業家の集まりを紹介しました。
その集まりを起点にして、SEGNETというグループが発足しました。
まだ6人のメンバーだけの小さな会ですが、
みんな、きっちりと社会事業を起こそうという具体的な目標を持ち、
それをベースにした人生設計(ちょっとまだ甘さはありますが)をしている若者たちです。
若者ではない私もメンバーですが。
SEGNETは、Social Entrepreneur Grass-root Network
の略です。
この名前にメンバーの思いが込められています。
Grass-rootと言うところがポイントです。
命名者はサイクルコミュニケーションの斎藤正俊さんです。
この会は柔らかなつながりの中で、しかし実際の行動を起こしていく会にしたいと思います。
それに会に参加する事が楽しくてそれぞれにメリットになるようなプラットフォームを目指したいということになりました。
つまりSEGNETは、社会起業家のためのインキュベーション基地であり、疲れた起業家が時に立ち寄れる母港にしていきたいのです。
SEGNETで使える「起業通貨」も発行する予定です。
そのお披露目もかねて、5月に公開フォーラムを開催することになりました。
ご関心のある方はご連絡下さい。
特に、「自分で創りだしたい事業(構想)を持っている人」「いつか自分で事業を起こしたい人」は歓迎です。
■ソーシャルアントレプレナー個別相談サロン(2005年2月2日)
特別区職員研修所のソーシャルアントレプレナー養成講座の番外編プログラムです。
受講生がそれぞれ事業計画書を作成していますが、それに関する案をもちよっての雑談会です。
皆さんとても熱心で、10時近くまで議論が続きました。
これはもちろん研修でもなければ、仕事でもないのですが、みんなとても熱心です。
それぞれの考えている事業は、未発表のものですから、私がここで紹介することはできませんが、
それぞれの思いを踏まえた具体的なものです。
私は今回は極めて論争的にコメントしました。
みんな真剣に考えているのが伝わってきたからです。
おそらくムッとした方も少なくないでしょうが、そうした反論や刺激に耐えていかないと計画はブラッシュアップされません。
起業家にとって何が大切かと、問われれば、私の答えは明確です。
「やりたいことが一言で明確に語れ、しかも自らがその事業主体であることを認識していること」
当然じゃないかと言われそうですが、私の経験からは、こういう人はとても少ないのです。
もう一つ、重要なことは、
事業とはお金を使うことでもお金を稼ぐこともなく、お金や他の資源を活かすことだということです。
しかし、これもまた難しいのです。
今回は8人の参加者がありました。
そのうち、6人が女性です。これも象徴的なことです。
内容がかけないのがとても残念ですが、2月15日に、この発表会があります。
そうしたらまた報告させてもらいます。
■内閣府でのコミュニティに関する意見交換(2005年2月2日)
前にも書きましたが、国民生活審議会で「コミュニティ問題」を審議している一環で、有識者講演会というのが行われることになり、
有識者嫌いの私が有識者として話をさせてもらうことになりました。
講演会といっても、カジュアルなスタイルです。
プロジェクターを使わせてもらう関係で、官房審議官の個室でやらせてもらいました。
私の大好きなスタイルです。
なぜ私が呼ばれたのかとても不思議でしたが、その理由が判明しました。
昨年、国土交通省でお話をさせてもらったのですが、
そのとき、内閣府から出向していた後藤正之さんが私を推薦してくれたのです。
とてもうれしいことです。
まず、1時間くらい話しをさせていただきました。
テーマは「統治のためのコミュニティ政策から生活のためのコミュニティづくりへ」です。
国土交通省の時はなんだかよく分からずに気楽に話してしまいましたが、今回はばっちりとパワーポイントを作成したのです。
なんと100メガの大作です。まあ写真が重かっただけのことですが。
前半で状況整理とメッセージをお話し、後半でいくつかの事例を話させてもらいました。
その後、みなさんと意見交換させてもらいました。
とても刺激的でした。
いろいろと調べられ、考えられていることが、言葉の端々から伝わってきました。
3つだけ書いておきます。
一番印象的だったのは、中村吉夫審議官が、感想として、
「昭和50年代にも同じような議論があったように記憶している」と話されました。
そうなのです。
昭和50年代に、ネットワーキングという概念が日本に紹介されました。
リップナックとスタンプスの「ネットワーキング〕と言う本が翻訳出版されたのが1984年(昭和59年)です。
この翻訳に関わったのが社会開発統計研究所の橋本さんです。
もうかなり以前に研究所はおやめになっていますが、私が東レでCIに取り組んでいた時に橋本さんがやってきました。
そして、新しい社会構造を考える調査プロジェクトを起こしたいので参加してくれないかと相談されたのです。
ボスの了解を得て、2年間参加させてもらいました。
面白い刺激をたくさんもらいました。
実は、そのころの問題意識と課題が、まさに今また、語られているような気がします。
中村さんの感想にはとても共感できるとともに、
20年前にももしかしたら中村さんとどこかでつながっていたのかととても親近感を持たさせてもらいました。
当時と今の違いは2つあると思います。
当時は概念から入った議論だったこと、社会環境がまだ成熟途中だったことです。
従って、問題提起も学者や行政が主導しましたが、今はむしろ現場や住民が主導しています。
私は当時、はじめてボランティア団体のネットワークの存在を知りましたが、
まだあまり組織としては整備されておらず、ネットワークも形だけだったように記憶しています。
もう一つは、コミュニティにおける市民活動が経済を活性化させるような形で、
経済尺度で評価できる事例はないか、という質問をもらいました。
ソーシャル・キャピタルの議論でもそうした質問を受けたことがありますが、
そもそもNPOやコミュニティは、これまでの金銭尺度による経済社会へのオルタナティブなのです。
ですから、そもそも金銭で測ることに自己矛盾があるのですが、
国家政府の一員である内閣府としてはどうしてもそこから評価していかざるを得ないのかもしれません。
NPOやソーシャル・キャピタルの議論は、経済効果としては2つの側面を持っています。
まずはNPOやソーシャル・キャピタルは、脱市場化という姿勢を持っていますから、GNPを縮減する作用があります。
しかし、その一方で、NPOは新しい働き場や事業創出の作用もありますから、GNPを上昇させることもあります。
コムケア活動を通じて実感するのは時代の変わり目はビジネスチャンスが山積みだということですが、
そうしたニッチマーケットはNPOであればこそ見つけられます。
ですから、この問題は微妙です。
新しいパラダイムに基づく経済指標が必要なのです。
しかし、内閣府の問題意識はわかりますので、少し事例探しをしたいと思います。
何かあれば教えてください。
3つ目です。
今のコミュニティ活動への関心の高まりやそこに働き場を移そうとする動きは
可逆的と考えるか不可逆的と考えるかという質問がありました。
私は不可逆的だと答えました。
一度、土の感じや活動の手応えを感じてしまうと、もうそこからは離れがたくなるものです。
それにNEETが問題になっていますが、もしかしたら働き人間の組織人も、
ちょっと視点を変えればNEETのバリエーションかもしれません。
彼らも一度、組織の外の世界に触れたら生き方を変えるかもしれません。
時代はまさに地殻変動の真っ只中のような気がします。
■ソーシャルマネジメント研究会(2005年2月2日)
上山信一さんがかなり前にやったソーシャルマネジメント研究会を再開するというので、
私もまた懲りずに出かけて行きました。
会場は上山さんのオフィスで、しかも少人数です。
ホッとしました。表情を交し合える規模が楽しいです。
発起人の大住荘四郎さん(関東学院大学)と玉村雅俊さん(千葉商科大学)、それに上山さんを別にすれば、
知り合いは林泰義さん(計画技術研究所)だけでした。
林さんは相変わらず飛び回っているようです。
林さんとは、そういえばゆっくり話したことがないのですが、
なにやらお互いに心がつながっているような気分になるのが不思議です。
そういう人って、いるものですね。
今日のテーマは、佐賀県の県庁改進プロジェクトです。
マニフェストを掲げて当選した古川知事が進めている経営改革の話をきちんと聞いたのは初めてですが、
東レで取り組んだ企業変革プロジェクトを思い出しながら、興味深く聞きました。
説明してくれたのは、統括政策監の金崎健太郎さんです。
総務省から出向されています。
佐賀県といえば、国土交通省の満田さんも佐賀県に行っていますが、
満田さんは経営支援本部長だそうです。
統括政策監とか経営支援本部とか、聞きなれない名前でしょうが、
そこに佐賀県の経営改革プロジェクトの思想が凝縮されています。
新しい組織の名前も面白いです。
ぜひホームページを見てください。刺激されます。
私が共感したのは、電話の応対に個人名をきちんと名乗ることにしたことと総合窓口をつくり、
相談に来た人の用件を聞いたらそこに庁内の担当者に来てもらって説明させるようにしたという話です。
普通は職場名で電話を受け、相談窓口では担当の窓口場所を教えるのが普通の役所ですが、そこを逆転させたのです。
こうしたところに、変革の思想や真意がみえてくるものです。感心しました。
佐賀県はおもしろくなりそうですね。
一度、行ってみたくなりました。
国土交通省や内閣官房などの官僚と大学の先生がメンバーですが、いつもなぜか場違いのところに紛れ込んでしまいます。
これがリゾーミックな生き方の特徴かもしれません。
何に出会えるかわからない楽しみがあります。ちょっと疲れますが。
今日も議論が盛り上がって、10時過ぎまで終わりませんでした。
老躯にはこたえます。
■NPOの「ちから」広告代理店サロン(2005年2月3日)
奇妙な名前の集まりです。
NPO支援センターちばとちばNPOコンソーシアムの共催イベントとして、
2月26日に行われる、NPOフォーラム in ちば2005のプレイベントなのです。
コミュニティ力をテーマに、1回目は船橋で、今回は柏で開催されました。なぜか今日はゲスト出演です。
コミュニティとコムケアの話を少しさせてもらいましたが、参加者の皆さんとの議論は刺激的でした。
柏は私が住んでいる我孫子市の隣です。
その関係で我孫子市の知人に声をかけたら3人も来てくださいました。
柏と我孫子はもっと交流すると言いのですが、不思議なことにNPOも行政区の枠に意外と縛られているのです。
その枠を壊しながら、新しいコミュニティを創出していく力をNPOは持っているはずなのですが。
さいたまNPOセンターの人や埼玉県の社会福祉協議会の秋山みちさんも遠方からの参加です。
いずれもコムケアで接点のあるところですので、親しみを感じてしまいます。
他にもCS21の佐藤陽子さんやふなばしの下山さん、山本さん、こぱてぃの小熊さんなど、
つながっている人たちがたくさん参加していました。
こういう人のつながりが社会を変えていくというのが、私の考えですが、改めてそれを実感しました。
最後にコミュニティ力って何だろうという、ショートワークショップをやりました。
いろいろなキーワードが出ましたが、「多様性」が人気がありました。
ちなみに、ねばねばネットというのもありました。
9時の予定が、今日もまた10時になりました。
3日も続くと疲労してきます。明日は休養日にしたいものです。
■「鬼も内」(2005年2月3日)
10時半頃自宅に着いたら、女房が節分の豆まきの準備をしていました。
遅い時間だったので、静かで地味な豆まきをしました。
我が家では「福はうち、鬼は外」とはいいません。
昔から「福は内、鬼も内」なのです。
もっともこれは私の考えであり、必ずしも家族は納得しているわけではありませんが。
それに数年前、我が家は不幸続きでした。
良いことのない不幸な家族状況が続いたことがありますが、
もしかした鬼を招きすぎたのではないかと私ですら思ったりしました。
それで実は最近は、鬼も内はあまり大きな声ではいわないようにしていました。
ところが今年は、女房が「鬼も内」と自発的に言うのです。
なぜかと聞いたら、読売新聞の編集手帳を読んだのだそうです。
こんな記事です。
◆列島を強い寒波が襲い、新潟県中越地震の被災地は十九年ぶりの大雪という。
地震で泣かせ、豪雨で泣かせたあとも荒ぶる天地は、人々にひと息つくいとまを与えない。
「福は内」と豆をまく胸中には格別のものがあろう
◆春遠からじとはいうものの、「寒いから中へお入り」と鬼に声をかけてやりたいような、凍える夜がつづく。
こういう思いやりがあれば、鬼も改心してくれるはずです。
桃太郎的の時代は終わらせなければいけません。
今年はどんな鬼がくるでしょうか。
仲良くできると良いのですが。
■酒井さんの訃報 2005年2月4日
酒井さんが亡くなられました。
異色の知人でした。
テレビで彼の異才さを見た人もいるでしょう。
オープンサロンにもコムケアの選考会にも参加してくださいました。
61歳、いつか何かを一緒にやってみたい人でした。
私以上に社会から離脱し、しかし洒脱にスローライフしていました。
昨年、このホームページでもテレビでの酒井さんを紹介しましたが、
うっかりとその週の記録を消去してしまいましたので、その異色ぶりは再現できませんが、
まさに今週、酒井さんのブログの存在を大久保正雄さんに教えてもらい、久しぶりにメールを出したところでした。
来週にはこのホームページとリンクさせてもらおうと思っていました。
毎週のように届く訃報に、いささか寂しさに耐え切れない気分です。
酒井さんの絵本を一度見たかったです。
ご冥福をお祈りします。
■女房の還暦の祝(2005年2月4日)
女房が還暦です。
女房(節子)は節分生まれで、節子なのです。
家族でささやかな会食をしました。
女房は2年前に胃がん宣告を受けましたが、それからの目標は60歳まで元気でいることでした。
3か月ごとの検査結果を踏まえながら、1日1日を充実させようとしています。
そのおかげで、私の生活も充実してきました。
1日1日の大切さを認識し、平安な1日の終わりを感謝するようになりました。
最近、自殺や過労死、さらには無差別殺人や正義の名を語る殺戮が増えていますが、
生命の危機を体験した人からみれば、残念で仕方がありません。
なぜみんなもっと「生きる」ことを大切にしないのでしょうか。
そして、人の生命を軽く考えるのでしょうか。
コラテラルダメッジやネセサリーコストなどと考えている政府の人たちには少しはそうした痛みをわかってほしいものです。
しかし、1年以上たって、女房の元気も出てくると、
厳禁だったはずの夫婦喧嘩も復活しますし、生活も日常化するものです。
困ったものです。
私の還暦時には、家族が全員で我が家の小さな庭にビオトープをつくってくれました。
汗を流すのが我が家の文化の一つなのです。
女房の還暦の祝は何にするか、みんないろいろ考えたのですが、会食時には誰も何も用意できませんでした。
私のためのビオトープを埋めて、女房の好きな花畑にしたらどうか、という提案もありましたが、幸いに否決されました。
まあ、私だけの拒否権発動の結果ですが。
女房の還暦というか、誕生日のお祝いに、花が届けられてきました。
彼女は、花をもらうのが一番うれしいようです。
花を買いに行きましょうか。
しかし、ちょっと照れくさいですね、やはりビオトープをつぶしたほうがいいいかな、ちょっと悩ましい問題です。
みなさんならどうしますか。
■うれしい「つながり」(2005年2月5日)
今日はとてもうれしい話の紹介です。
私の活動を通して、2つのつながりが実現した話です。
ひとつは福岡です。
コムケア仲間の共生支援センターの西川義夫さんと縁側の梅川康さんをそれぞれにご紹介したところ、
なんと家がすぐ近くで、共通の知人がいたという話です。
もう一つは群馬で、これもコムケア仲間の太田敬雄さん(国際比較文化研究所)と浅野良雄さん(対話法研究所)です。
昨年のひだまり交流会でお2人はお会いしているはずですが、先月のコムケアサロンでつながりが強まったようです。
太田さんから、
群馬の者同士が東京経由でつながっている。変な時代ですよね。
と言うメールがありました。
梅川さんからは、
昨日西川さんがここを訪れて下さいました。
互いの住まいが歩いてもいける距離でそれを東京の佐藤さんを介して知り合えたことに2人で笑いました。
西川さんからは、
昨日、梅川さんにお会いしました。
私の家から5〜6分のところです。ホントのご近所さんです。
彼の友人が私のところのヘルパー養成講座の講師を勤めていたりで、
「ナンダ!それじゃ、あいつが言ってた養成講座って、西川さんとこだったんですか!」といった按配。
それぞれのネットワークがつなっがっていく(つながっていた)予感です。
なんだか、ずっと前から知り合い立ったような…楽しい時間でした。
世界の平和に少し役立てました。
とてもうれしくて、今日は気分がいいです。
(2005年2月第3週)
今週は2項目だけです。
■全国私立保育園連盟主催の保育総合研修会(2005年2月9日)
久しぶりに全私保連の大会に参加しました。
全国から600人くらいの保育園長たちが集まる大きなイベントです。
今年の会場は神戸でした。
全私保連との付き合いは長いのですが、この数年、参加する機会をなくしていました。
私が参加したのはその第6分科会「保育園経営の使命と未来像」です。
このテーマに関してはいいたいことが山ほどあります。
分科会を企画したのは経営強化委員会です。
私はその特別委員だったのですが、今回は特別委員がそれぞれ勝手に話をし、
それを元にディスカッションしようというプログラムです。
午前中は3人の保育園園長の話です。新澤誠治さん、松岡俊彦さん、桑戸大雄さん、
いずれも保育園の世界に大きな風を与えてきた重鎮です。
みんな久しぶりです。お話をお聞きして、保育園がどんどん進化していることを実感しました。
午後は私が話をさせてもらいました。
部外者の話です。アジテーションを意識しすぎて、うまく話せませんでした。
今回の話は失敗でした。反省。
新澤さんは私が最初に出会った保育園の園長です。
感動的な保育園経営をされています。
新澤さんはその後、行政の子育て支援センターを任されたり、日本子どもNPOセンターの代表になったりし、
いまは大学の教授で、しかもその付属幼稚園の園長です。
これほどビジョンとアイデアをお持ちの、無邪気な方は滅多にいません。
今日も「祝福のシャワー」や「モモの時間」などという素晴らしい言葉がたくさん発せられました。
松岡さんは相模原市で素晴らしい活動をされています。
地域育児センターという言葉を名実ともに実現されています。
地域とともに活動をしているうちに様々な事業が育ち、
ある種のコミュニティビジネスコンプレックスになってきています。
桑戸さんは佐世保で活動していますが、次々と新しい試み成果をあげています。
今回は初めて桑戸さんの保育論をお聞きしました。
とても共感できます。
いま、横浜市からも頼まれて横浜にも新しい保育園を作ろうとされています。
私の消化不良か先入観の強さのせいかわかりませんが、
最初にお会いした頃に比べるとそれぞれみんなすごい進化です。
いまや 私の出番は全くありません。
ディスカッションは藤森平司さんです。
早くから大きなビジョンで、新しい保育論を打ち出していた方です。
一時は藤森さんの保育園詣でが話題になったほどです。
せいがの森保育園と言います。
彼はまた有名なフュージョン永池の副理事長でもあります。
まさに「つなぎ手」です。
他にも様々な活動をしているメンバーが、経営強化委員会のメンバーでした。
そういう人たちに久しぶりに会いましたが、
保育園の世界が大きく変わってきていることを、皆さんと話していて、実感しました。
しかし、です。
昨今の子どもの世界の状況をみるにつけ、その責任の一半は保育園に関る人たちにあるのではないかと私は思っています。
つまり保育園関係者は経営を勘違いしていると思います。
行政ほどひどくはないでしょうが。
ですから、保育園の人たちに会うと、どうしてもラディカルになってしまい、思いがきちんと伝えられないのです。
困ったものです。
しかし、久しぶりにみなさんに会えてよかったです。
私からは最後に、保育園のライバルはNPOかもしれないと話しました。
個人起点の時代、そして人のつながりがソーシャルキャピタル、という社会は、
これまでの組織が制度疲労を起こし機能しなくなるような気がしています。
社会のリフレーミングの起爆剤的主役としてのNPOの動きが、私にはとても興味があります。
10年後が楽しみです。
新しい社会の姿を見るために、あと10年は生き続けなければいけません。はい。
■谷和原の住民組織は激しい議論の応酬で順調にスタート(2005年2月10日)
谷和原村の城山運動公園周辺整備事業検討会は順調に大波乱でした。
予定の時間では終わらずに、延長となりましたが、10分の休憩を挟んで一服したらあっという間に収束しました。
なにやら宮本常一の世界を少し味わいました。
実は前回の住民集会で、予想以上の速さで住民組織が出来てしまったのですが、
その後、いろいろとあったのです。
それで関係者にまた集まってもらおうと、
これまで城山運動公園整備に関わった行政と委員会と公募住民とが一堂に会して、
基本路線の再確認をすることになったのです。
そしてまた私が呼ばれたわけです。
「風の人」は呼ばれたら行かないわけにはいきません。
それに私は一応アドバイザーを引き受けてしまったのです。
今回は私と茨城県庁の鈴木賢嗣さんがアドバイザー役です。
まあ理屈では通じませんから、事例を話そうと言うことにし、
鈴木さんには玉里村と真壁町の話をしてもらいました。
いずれもとても面白い話です。
議論の内容は省略しますが、やる気のある住民が動き出すと必ず横槍が入るものです。
しかし、その多くは誤解に基づきます。
今回もそうです。混乱した議論を重ねた結果、最後はかなり分かり合えたように思います。
商工会の会長と村議会議員のみなさんが、議論を盛り上げてくれました。
そして、見事にまとめてくれました。
谷和原には古瀬の自然と文化を守る会というNPOがあります。
理念を持った自立したNPOです。
そこの小菅さんがいつも実に見事なアドバイスをしてくれます。
今回も小菅さんが節目節目で方向づけてくれました。
そんなわけで、無事、住民組織はスタートです。
一応、期間内に私の役割を果たせました。
発足した住民組織のコアは横田明さんです。
会が始まる前に、私のところに来て、前回、その気になってはしごを上ったのに、
その後、はしごを外されて、木に登ったブタになってしまったと話してくれました。
よくある話ですが、それでへこむ横田さんではないところがすごいところです。
横田さんがコアにいるかぎり、この組織はうまくいくでしょう。
古瀬の会に次ぐ本物のNPOのスタートです。
休憩に入った時に、県の鈴木さんが、
佐藤さんはこの混乱を楽しんでいませんか、どうもそう思えて仕方がないと、いうのです。
はい、そうなのです。
私がアドバイスすると混乱が起こる事が多いのです。
困ったものです。しかし、雨降って地固まる、です。
谷和原村の1年後が楽しみです。
(2005年2月第3週)
今週は週末が忙しくて、更新が遅れました。
ユニバーサルデザインで始まり、ユニバーサルデザインで終わった週でした。
■ユニバーサルデザイン参加型人権啓発セミナー(2005年2月14日)
コムケア仲間のユニバーサルデザイン生活者ネットワークの主催で、表記セミナーが福島で開催されました。
朝、6時前に起きて出かけました。
生活者ネットワークの事務局長の大矢野さんは人使いが荒く、最初は話だけだったのが午後のワークショップまで手伝わされました。
いやはや女性は強いです。
福島県ではユニバーサルデザイン製品開発支援事業を公募で行っています。
その支援を受けて開発に取り組んでいる企業やNPOの人がパネリストです。
私はそのファシリテーター役です。
最初にテーマの解題を意識して少しキースピーチしました。
ところが今回もまたうまく話せないのです。
話したいことは一応整理していたのですが、なぜか話した後に充実感がないのです。
それどころか、話しているうちに話に冷めてしまっている自分に気づくのです。こ
れはかなり危険ですね。
脳障害が始まっているのかもしれません。
パネルディスカッションは面白かったです。
議論の内容はきっと大矢野さんたちがまとめてくれるでしょう。
今回は作り手としてユニバーサルデザインに取り組んだ企業が2社と
使い手からユニバーサルデザインに行き当たったNPOの3つです。
いずれの事例もとても興味深く、共感できるものでした。
非常に象徴的だったのは、いずれも商品が食器だったことです。
記録がまとまったら報告しますのでぜひお読みください。
今回のイベントは「ユニバーサルデザイン」と「人権」の組み合わせでした。
少し唐突な感じがしますが、話しているうちに、これはいい組み合わせだと気がつきました。
そう実感させてくれたのは、パネリストとして参加してくださったNPO法人シャロームの大竹静子さんです。
大竹さんは長くノーマライゼーションに取り組まれており、
その過程の中からユニバーサルデザインの商品づくりにも関りだしたのです。
大竹さんの発言はとても重みがあります。
身体で実践しているからです。
シャロームはいうまでもなく「平和」です。
それも国家から考えた平和ではなく、人々に暮らしから考えた平和です。
日本にはあまりない概念だと思いますが、私の平和観にはぴったり合います。
大竹さんが始めた活動はたとえばこんな活動です、
車椅子の利用者が商店街にやってきて、雨が急に降り出したら、どうするか。
傘はさせません。
大竹さんがある人に聞いたら、急いで家に帰ります、と言う答えが返ってきたといいます。
せっかく町に出てきたのに、それはとても残念だと大竹さんは考えました。
そして、商店街に雨宿りの店になってもらおうと働きかけたのだそうです。
今では40店舗が協力してくれているそうです。
ここに私はユニバーサルデザインの本質を見ます。
こういうユニバーサルデザインはとてもいいです。
企業の事例は伝統工芸の漆器の事例です。
ここでも実に面白い議論がありました。
たとえば伝統工芸との関係です。
製造の世界だけの話ではなく、流通の問題も含まれるというような議論もありました。
書き出すと切りがありませんので、報告書にゆだねたいです。
東北経済産業局の総務課長の渡辺正嘉さんがこのイベントの支援者です。
どこかで聞いた名前だと思っていたら、何とこの数日、あるメーリングリストで話題になっていた人でした。
とても親しみを感じました。
メーリングリストの効用はこんなところにもあります。
■ ソーシャルアントレプレナー養成講座(2005年2月15日)
特別区職員研修所のソーシャルアントレプレナー養成講座の公開発表会でした。
10人の受講生が、それぞれ自分でやりたいことを事業計画にまとめて発表しました。
100人くらいの参加者があり、発表もとてもいいものでした。
この研修は少し風変わりで、受講生が10人に対して講師陣6人、
しかも講師と受講生という関係を超えたカジュアルな関係で進めてきました。
私もサロンをやりました。
主任講師はUFJ総研の広石祐司さん、それに井上英之さんや新谷大輔さん、
加えて富士ゼロックスの山下竜一さんと東レの渕野康一さんです。面白い組み合わせです。
10人の発表は、新宿歌舞伎町改造計画から精神障害者支援のためのキャラクター開発、渋谷のハチ公饅頭など、実に多岐にわたるものです。
内容自体は、正直にいってまだ素朴ですが(やはり行政の中にいると社会の実相が見えていないことを感じます。これは企業の人も同じですが)、
このプログラムが始まった当初と比べると雲泥の差があります。
広石さんが、「ここまで皆さんを変えられたのは、さすが私たち」と自画自賛されたのが素直に納得できる感じでした。
事業計画づくりは広石さんが中心になって方向づけてくれました。
ですからいずれもとても「優しい」事業になったように思います。
広石さんの人柄が大きな影響を与えたと思います。
今日も広石さんはとても良い話をしてくれました。
今の行政の仕組みが決して個人の視点で見ると生きていないこと、
それを生かしていくのがソーシャルアントレプレナーだということを具体的な事例を使ってとてもわかりやすく説明されました。
私も最後に少しだけ話させてもらいました。
やりたいことをしっかりもってそれに取り組むこと、
そのやりたいことを自分ひとりではなく関係者を巻き込んで一緒に育てていくこと、
これができる時代になった。
そしてそれを進めていくのが、ソーシャルアントレプレナーという話です。
今日は10のプロジェクトが発表されました。そのうちのいくつかはきっと実現するでしょう。楽しみです。
この発表会は参加者にもかなりの刺激を与えたようです。
各区の研修担当からの問い合わせも多かったようです。さらに広がるかもしれません。
事務局の千葉優子さんも、これで報われたでしょう。
■ タスマニアのこだまの森(2005年2月15日)
かんき出版の藤原雅夫さんが加藤久美さんを連れてきてくれました。
加藤さんはオーストラリアのクイーンズランド大学の先生です。
オーストラリアでの生活がもう18年だそうです。
加藤さんの関心は、大きな意味での自然と人間の共生のようです。
環境と開発の対立ではなく、それらを超えた視点で自然や文化を考えていこうと考えています。
タスマニアの森も伐採の危機にさらされています。
日本からの留学生と一緒にそうした森を訪ねたところから物語は始まります。
そして、加藤さんの思いに共感した現地の人から、タスマニアの森を託されたのです。
そこをどう活かしていくか、これが「こだまの森」プロジェクトです。
詳しくはぜひ次のサイトをお読みください。
http://www.bunkanken.com/journal/article.php?id=238
さてどうするか、加藤さんの苦労は始まります。
今回、来日されていろいろな人に会われたそうですが、とても反応はよかったといいます。
いろいろな物語の発展が考えられます。
まずはビジョンとグランドデザインです。
すでに加藤さんはいくつかの仕掛けに取り組んでいるようです。
これからの発展がとても楽しみなプロジェクトです。
またぜひ報告したいです。
ご関心のある方はご連絡下さい。
■ 子育ち学リサーチネットの深作夫妻の訪問(2005年2月16日)
子育ち学に取り組む深作夫妻がやってきました。
20日に予定されているフォーラムの打ち合わせです。
私などは実に気楽にフォーラムを考えてしまうのですが、主催者になるとなかなか気遣いも多いのでしょう。
今回は「子育ちから見直す自治体、企業の子ども施策」をテーマにしたシンポジウムです。
最近、「子育ち」と言う言葉が広がってきています。
2年前とは様変わりです。行政も企業も「子育ち」と言い出しました。
しかし、どうもそれは主旨が違うのではないかと、元祖子育ちの深作拓郎さんたちは考えています。
私もそう思います。
規範主義的な子育ち支援発想は、結局は子育て発想の延長でしかありません。
そういう言葉遊びにはどうも共感を持てずにいます。
私がこの会に関わっているのは、元祖だからです。
但し、元祖にしては、情報発信が下手ですし、活動も不完全です。
会の中心者として、この2人には頑張ってもらいたいと思っています。
時間切れでしたが、また話しあおうと思います。
■ 輝く職場と企業の業績(2005年2月16日)
KAE36期のFチームは「輝く職場と企業の業績や継続」のテーマに取り組んでいます。
これまでの議論の結果を踏まえて、意見交換をしました。
「輝く」といえば、研究会33期の発表に「輝きの方程式」またの名を「祝迫の定理」というのがありました。
今回のメンバーは、祝迫さんとも意見交換をして、さらにそれをより実践的に考えていこうとしています。
輝く職場といってもいろいろあります。
どこに視座を置くかで全く変わってきます。
経営者の視点で見ているとおそらく実態がみえないでしょうし、
しかし、現場だけの視点だと企業業績とのつながりが弱くなるかもしれません。
その解決策はオープンブック・マネジメントにあると私は思っていますが、なかなかそれは実感してもらえないようです。
今回の議論で出てきた視点に「家庭」があります。
企業内部だけではなく、家庭の問題もしっかりと考えていこうというわけです。
どう議論していくかはまだ決まっていないようですが、ここから新しい切り口が生まれると面白いです。
今回はまだ論点が整理されていなかったので、議論というよりも刺激を与えるという段階でしたが、
家庭と企業、生活と仕事という二つの視点で考えていくことで、さまざまな気づきがでてくるはずです。
議論の深化が楽しみです。
■河津桜と湯河原幕山の梅林(2005年2月18日)
桜と梅を見に行きました。
女房が大の花好きなものですから、まあつき合わされるのです。
女房に言わせると、私を過労死させないために私を引きずり出すのだそうですが。
湯河原の幕山の梅林は壮観です。
但し、残念ながらまだ3分咲きで今回はあまり迫力がありませんでした。
私は3回目ですが、まだその壮観さには出会えていません。
いつも早すぎるか遅すぎるのです。
河津桜は早咲きの桜で有名ですが、ここもちょっとまだ早かったです。
それに今日は寒い日でした。
桜はやはり暖かさの中で見たほうが良いですね。
いずれもしかし、平日にもかかわらず大勢の人でした。
それに住民の人たちによる出店が賑わっているのも共通の風景でした。
こういう風景はとてもいいです。
しかし、残念ながらそうした出店の出し方や活かし方に「物語」がないのです。
ですから一過性のものになりがちです。
河津は近隣の個人住宅の人が家の庭を開放してミカンなどを販売していますが、
うまく設計すればとてもおもしろい空間が創出できるはずです。
まちにプロデューサーが一人いたら可能になります。
河津は特に面白そうですね。
こういう場所が各地にたくさんあります。
経済主義で地域活性化を考えるのではなくて、
人の暮らしやつながりの視点で考えると、どこもかしこも元気の素をもっています。
それを活かすのが持続可能なまちづくりです。つまり「まち育ち」づくりです。
ところが、注意しないと、そこに経済主義が入ってきて市場化されてしまうのです。
専門家を信じてはいけません。
10年後の河津はどうなっているでしょうか。
今日の風景からはきっと市場として浪費されるなと感じました。
さてどうなりますでしょうか。
■ ユニバーサルサービス(2005年2月19日)
朝日ニュースターの「よみがえれニッポン」の今月のテーマは
「ソフトとしてのユニバーサルデザイン:ユニバーサルサービス」でした。
ユニバーサルサービスといえば、だれでもが利用できるサービス体制づくりを意味していましたが、
最近はソフトとしてのユニバーサルデザインという使われ方も広がっています。
そうした風潮はかなり気にはなるのですが、
福島のフォーラムも含めて、こうした表現のほうが広がるのかもしれません。
大げさに聞こえるでしょうが、小乗仏教と大乗仏教の論争と似ているなと思ったりしています。
もちろん私は小乗仏教派です。
ゲストは井上滋樹さん。博報堂のコーポレートコミュニケーション局に勤務していますが、
全国ユニバーサルサービス連絡協議会の代表でもあります。
今回は京王プラザホテルのユニバーサルルームと飛騨高山のまちづくりを紹介してくれました。
いずれもとても示唆に富む事例です。
今回は事例がわかりやすかったためか、視聴者からの電話やメールが多かったです。
(2005年2月第4週)
今週は毎日のようにサロンや集まりがありました。
来週も日曜から始まって、同じような週になりそうです。
■子育ち学フォーラム(2005年2月20日)
今年の子育ち学フォーラムのテーマは、
今、自治体で取り組まれている「子ども・子育て応援プラン、次世代育成行動計画」がテーマでした。
子育て分野で活動をしている人以外は、あまり知らないかもしれませんが、
今年度中に自治体はこの計画を策定しなければいけないのです。
策定に当たっては、住民の意見を反映させることうたわれています。
ところが、その策定の実態を知ると「またか」と思うほど、形だけのものになっています。
貴重な税金が、外部の安直なコンサルタント会社に流れているケースも少なくありません。
こういう状況はまだほとんど直っていません。
このフォーラムではこれまではむしろ実践者を中心に行ってきましたが、
今年はこうした状況の中で、ちょっと違った視点で4つの報告をしてもらい、議論しました。
実践者からは茨城県下館市の筑子保育園延長の中山勲さん、
研究者として佐賀女子短期大学の東内瑠里子さん、
ジャーナリストとして神奈川新聞の記者の堀込真理さん、
それに宮城県柴田町議会議員の白内恵美子さんです。
私が司会役です。
それぞれからなまなましい報告がありましたが、その基調にあるのは、形だけの計画づくりへの疑問です。
次世代の子どもたちの行動計画を実際には4〜5か月で策定しなければいけないなどというのは、霞ヶ関の机上論者の発想です。
それにみんな振り回されているわけです。
しかも、並行して市町村合併が破綻的に動いています。
ちなみに、市町村合併にと力んでいる多くの自治体では、この2年、いろいろな意味で仕事は停滞しているはずです。
私が市町村合併に反対なのは、そうした実態を感じているからです。
目的と手段が転倒しています。
ここで出された問題やそれへの私のコメントはCWSプライベートのほうに書き込みました。ぜひ読んでください。
ここでは別のことを書いておきます。
このフォーラムを主催した子育ち学リサーチネットでは、10年以上前から「子育ち」という言葉で社会にメッセージを出してきています。
その言葉には、学び育つ主体としての子どもという視点があります。
最近では、「子育ち」と言う言葉は一般化していますが、こういう視点は残念ながらまだほとんどありません。
相変わらず客体としての子どもという捉え方です。
そこを変えていかないと、事態は変わらないように思います。
■環境運動から環境活動へ(2005年2月21日)
地元の我孫子市役所の手賀沼課に行きました。
我孫子では環境課を手賀沼課というのです。
我孫子市の環境問題が、そこに象徴されているからです。
手賀沼課長の渡辺和夫さんには我孫子市の総合計画策定の時にお世話になりました。
昨年から手賀沼課に移られたので一度お話を聞きたかったのです。
いま、我孫子で私に出来ることを探し出しているのです。
現在の環境分野の市民活動についていろいろと教えてもらいました。
環境運動から環境活動へと時代は変わってきているなかで、渡辺さんはいろいろと新しい取り組みを考えられているようです。
そして、環境問題を広義で捉えながら、そこに新しい視点を取り込んでいく姿勢をお持ちです。
共感できます。
また環境学習という視点で、さまざまな活動を整理編集していくことも考えられているようです。
私自身は、環境と福祉は同じものと捉えていますが、これまでの行政の枠組みからはそうすんなりとはつながらないのも事実です。
ぜひともそこを生活視点で考えてもらいたいと思いますが、私に何が出来るかも考えてみるつもりです。
同席してもらった手賀沼課の嶋田繁さんの名刺で、手賀沼水族館の存在を知りました。
とても面白いです。のぞいてみてください。
ちなみに嶋田さんは、さまざまな形の石を材料に、そこにペイントしてカエルの置物を作っています。
カエルは環境問題や生物多様性の象徴でもあります。
私はどうもカエルが苦手ですが、最近はなぜかカエルの話が増えています。
タスマニアの加藤さんからもカエルの絵葉書をもらいました。
■まちなか差別表示ウォッチング(2005年2月22日)
コムケアの支援プロジェクトの一つに、まちの多言語警告・差別表示に関する調査プロジェクトがあります。
それを進めているのが、移住労働者と連帯する全国ネットワーク(移住連)ですが、
そこの矢野まなみさんが中心になって、差別表示ウオッチウオークを実施しています。
これまでの活動をお聞きしながら、これからの展開について一緒に考えました。
矢野さんたちの問題意識は次のようなものです。
駅や商店街、金融機関等で、多言語での警告や防犯をよびかける掲示物や、外国籍市民へ対する差別的な掲示物が増加しています。
しかし一方では、外国籍市民の暮らしにも役立つ情報やサービスに関する情報は、いまだに日本語中心です。
これは日本社会が、日本に暮らす外国籍市民を、地域社会の構成員としてではなく、
犯罪者予備軍・トラブルメーカーという視線で見ていることの表れではないでしょうか。
そこで、調査票とカメラをもって、駅や商店街を歩きながら、どのような情報が多言語化され、何が多言語化されていないか、
またどのような表現が用いられているかを調査する活動をしています。
自分たちだけではなく、みんなに呼びかけて実施しています。
3月5日と12日にも予定されていますので、ご関心のある方はぜひご参加下さい。
また自分のまちの調査をしたいという人も大歓迎です。
いろいろな発見があるはずです。調査マニュアルなどが用意されています。
もしやってもいいという方がいたら、私にご連絡下さい。
矢野さんたちは、この活動を通じて、だれにでも暮らしやすいまちづくりを考えるきっかけにしていきたいと考えています。
とても共感できます。応援したいと思っています。
できれば、公開フォーラムでもできないかと思っています。
どなたか助っ人はいないでしょうか。
■サイクルコミュニケーションプロジェクト(2005年2月22日)
サイクルコミュニケーションズの斎藤正俊さんのことは以前ご紹介しましたが、
博士課程を修了したら、就職せずに、サイクルコミュニケーション事業を起業する決意であることを知りました。
無謀ではないかと心配になり、余計なお世話でしたが、一度、話をしっかりと聞きたくなりました。
いま、論文作成で忙しい真最中のようですが、斎藤さんから具体的な計画をお聞きし、意見交換させてもらいました。
事業の目的は、
各地域において育まれてきた環境・経済・文化を好循環的に楽しむライフサイクルを広めていくことで、
各地域及び社会全体の環境・経済・文化を調和的かつ持続的に向上していくことです。
そのために3つの事業プログラムが用意されています。
先ずは自転車を活用したコミュニティビークル事業、参加型の情報提供のコミュニティガイド事業、
そしてネットを活用したコミュニティネットワーク事業です。
すでに20台以上の自転車を使いながら、昨年の6月から実証実験に取り組んできていますが、手ごたえはかなりあるようです。
会員がどれだけ確保できるかがポイントですが、斎藤さんの試算では2年目で黒字に持っていけるといいます。
計算根拠を見せてもらいましたが、まだ前提の数字に甘さがありますが、
社会的価値と組みあわせのイノベーション、持続可能性と発展性に関しては高く評価できます。
問題は収益性ですが、この点はもう一工夫必要です。
詳しくはサイクルコミュニケーションズのホームページをご覧下さい。
共感してくださったら、ぜひ応援団に入ってください。私は勝手に応援団になりました。
■ SEGNETミーティング(2005年2月22日)
斎藤さんもメンバーのSEGNETのミーティングです。
5月にイベントを開催することになりました。
新たに新メンバーも増えました。
この組織は、組織自体に新規軸がいくつか工夫されています。
まだ公表できませんが、私好みの仕組みが入っています。発案者は私ではありませんが。
5月のお披露目のイベントにぜひ参加してください。
ソーシャルアントレプレナーたちの新しい創発の場にしたいと思っています。
来週またミーティングがありますので、そこでの議論を踏まえて、来週報告させてもらいますが、
もしこんな事業をやってみたいということをお持ちの方はぜひ仲間に参加してください。
仲間をもう少し増やしていきたいと思っています。
■NPOお仕事チームの江村喜明さん(2005年2月22日)
コムケアに昨年応募してくれた江村さんが長野の佐久から相談にやってきました。
コミュニティビジネス支援センターの大川さんが応じてくれたのですが、私も後半、一緒に話をさせてもらいました。
相談の内容は、新たに障害者の働きの場としての喫茶室を開設することです。
場所は小諸市です。
単なる喫茶室の運営では収益をあげていくのは難しいでしょう。
しかし、発展性はいろいろある事業なので、江村さんはあえて取り組むことにしたのだといいます。
江村さんは長野に戻る前に。雲柱社の賀川学園で仕事をされていたといいます。
賀川学園といえば、賀川豊彦さんから始まる理念がしっかりした学園です。
私も雲柱社の集まりでお話をさせていただいたこともありますし、何人かの知り合いもいますが、賀川豊彦は学ぶことの多い先達です。
気になっている人の一人ですが、最近はどうも読書量が減っているため、忘れていました。
しかし、賀川学園にいたというだけで、とても親しみを感じてしまうのです。
喫茶室はとても面白い空間です。
新しい風はサロンから始まるというのが私の考えなのですが、
そうした地域の情報創発の場になるような喫茶室を江村さんに作ってもらいたいと思います。
開店したらまたご案内します。小諸にいったらぜひのぞいてください。
開店は4月以降ですが。
■コムケアサロン「対話法入門」(2005年2月22日)
ブックでも紹介した日本対話法研究所の浅野良雄さんを講師に、対話法入門を開きました。
参加者が20人近くになり、会場があふれんばかりでしたが、
浅野さんの心を込めたお話で、対話法の真髄はみなさんに伝わったと思います。
対話法は浅野さんが生み出したものです。
浅野さんは群馬で活動していますが、現在、他に3つの県にも研究会が生まれ、広がりだしています。
先週の福島のユニバーサルデザインのフォーラムでお会いした福島対話法研究会の藤村かおりさんもその一人です。
浅野さんは、全国にこの対話法を広げたいと考えています。
人間のこころや対人関係は複雑であるがゆえに、単純なコミュニケーション方法ほど実用性が高いというのが浅野さんの信念です。
ですから浅野さんの対話法の原則はシンプルです。
自分の考えや気持ちを言う前に、相手が言いたいことの要点を、相手の言葉で確かめる。
これだけです。
問題は、その確認方法ですが、単なる鸚鵡返しという意味ではありません。
つまり、反復と確認は違うのです。そのあたりに浅野さんの真髄があるのです。
受講された一人から、ぜひこの研究会を継続してくれないかと頼まれました。
そこで、もし興味を持ったのであれば、あなたが中心になってやってみませんか、と勧めました。
それが私の基本姿勢なのです。
もしかしたら、その方が東京の研究会をたちあげてくれるかもしれません。
立ち上がったら、また案内させてもらいます。
浅野さんの対話法にご関心のある方は、浅野さんの著書をぜひお読みください。
とてもわかりやすいです。
■次世代人材育成研究会(2005年2月23日)
先月に引き続き、NEETとフリーターを対象にした研究会にまた参加しました。
この種の研究会は苦手なのですが、
今回はコムケアでも支援したキーパーソン21の朝山あつこさんが報告者の一人だったので久しぶりに彼女の活動を聞きたくて、
懲りずに参加しました。
この研究会の委員は、みんな大企業や大学に所属していますが、私はちょっと異質の委員なのです。
朝山さんの報告には、実践の中から培われた自信と熱い思いを感じました。
活動がとても進化していることがわかりとてもうれしかったです。
こういう形で、コムケアの支援プロジェクトに出会う事が増えてきました、とてもうれしいです。
朝山さんたちの活動は一言でいえば、
小中学校や高校の生徒たちに、生き生きと働いている人との出会いの場をつくり、
そこから生徒たちに自分たちの夢に気づかせ、さらに個々に進路相談にまで応じていくという活動です。
詳しくはホームページをご覧下さい。
http://www.keyperson21.org
朝山さんの話は委員の方たちの多くから共感と評価がえられたと思います。
実践的で実に魅力的だからです。
朝山さんは、共感してくださったらぜひとも入会してくださいと良いましたが、残念ながらそれに反応してはもらえませんでしたが。
こういうところに、「有識者」の本質が見えてきます。
いや、これはまた蛇足的発言でした。
今回もまた、感激する発言にあいました。
委員の一人の日本レストランエンタプライズの荻野社長の発言です。
フリーターの生き方をしっかりと理解された発言でした。
現場の社員と心をつなげていることを感じました。
もう一人は、文部科学省の課長補佐の発言です。
文部科学省の官僚の話で共感できたのははじめてでした。
うっかり彼と名刺交換するのを忘れてしまったのが残念です。
今回は育て上げネットやニュースタート事務局の2つのNPOもオブザーバー参加されました。
しかし、彼らの発言時間は限られていました。
育て上げネットの体験は大きな価値があると思うのですが。
やはり現場が見える人がしっかりと企画しないといい研究会にはなりません。
残念です。
■これからのコムケア活動を考える会(2005年2月23日)
コムケア活動をこれからどう展開していくかについての検討会を呼びかけたら、10人を超える方が集まってくれました。
なかには何と福岡から参加してくれた人もいます。
共生支援センターの西川義夫さんです。
感謝しなければいけません。
それぞれ自らのNPOを主宰されているにもかかわらず、
こうして集まってくださるのは、やはりどこかにコムケアの価値があるからなのですが、
それが一体何なのかが、私自身にとっても実はあまりわかっていないのです。
もちろん私にとって、コムケアは子どものような存在です。
ある意味では「私物化」しているという見方もできるでしょうが、
そうでなければ、きっとこういう形にはなってこなかったように思います。
そして、その子どものようなコムケアの仕組みは、
これまでの同種のプログラムやNPO支援組織とは一味ちがった、
むしろこれからのモデルになる価値があるというくらいの自負はあります。
まあ、自己弁護・自己満足かもしれませんが。
しかし、にもかかわらず、どうも確信が得られません。
本当にみんなの役に立っているのか、コムケアがなくなったって別に不都合は起こらないし、
同じような動きはどんどん広がっているので、もう役割は終わったのではないか、という気もするのです。
正直に言えば、どこかで、もうそろそろこの世界から逃げたいという気持ちがあることも否定できません。
土日は少し休みたいですし。
でも、たとえばライフリンクの清水さんが今とても忙しいにもかかわらず参加してくださったり、
ドナー家族クラブの間澤さんが熱心に応援してくださったり、
ユニバーサルデザインの大矢野さんが自分のところも大変なのに出かけてきてくださったり、
環境クラブの増山さんがいろいろとアドバイスしてくださったり、
コミュニティアートの下山さんが元気づけてくれたり、
福岡から西川さんが応援に来てくれたり、・・・などなどあると、
もうやめるにやめられないのです。いやはや。
なんでコムケア活動などを始めたのでしょうか。
といえば、この活動を全面的に支援してくれた住友生命の井上小太郎さんや渡辺早苗さんまでが、
引きずりこんだ責任があるといって、親身で心配してくれるのです。
今日も井上さんからは提案をいただき、渡辺さんは遅くまで付き合ってくれました。
コムケアの関係者の関係は奇妙に錯綜しているのです。
温かいコミュニティが育ってきているといってもいいかもしれません。
これをどう維持し、発展させるかです。
今回はみなさんからさまざまな示唆をもらいました。
そろそろ「私物」ではなく「仕組み」にしていかねばなりません。
今日集まった人たちが、少しずつ運営にもコミットしてくださることも同意を得られましたので、新しいスタイルを創っていきたいと思います。
やはり法人化したほうがいいかもしれませんが、どうもまだふんぎれません。
法人化したNPO支援組織はたくさんありますし。
■史上最少のオープンサロン(2005年2月25日)
再開2回目のオープンサロンです。
今朝起きたら、外が雪景色でした。
寒いので参加者は少ないだろうと思っていたのですが、やはり少なく、なんと3人でした。
しかも、金田英一さんは新潟に戻るために途中で帰りましたので、最後はわが夫婦を入れても4人でした。
しかもしかも、メンバーが問題です。
武田文彦さんと大久保正雄さんです。つまり、革命家と哲学者です。
いやはや。これではサロンにならず、座談会になりました。
お2人は、いつものサロンは人数が多いので議論が掘り下げられないが、
今日、じっくりと掘り下げられた、それにお互いに同じ考えを持っていることがわかったと満足していたようですが、
まあ、たいして掘り下げられていないような気がしました。
しかし、リンカーンクラブの武田民主主義論がようやく哲学者に理解されたのは事実です。
みんな武田さんの民主主義論の内容がわかっていないですよと、哲学者は語っていましたが、
サロンではみんなお互いによく理解せずに、わかりあえた気分になっているのかもしれません。
まあ、それがサロンの面白さですが。
そういえば、武田さんとは長い付き合いですが、彼は私をほとんど理解していません。
誤解しているのです。困ったものです。
ところで話の内容です。
金田さんからは社会教育や新潟のお話をいくつかお聞きしました。
昨日はジョブカフェの講演会にも参加されたとのこと、相変わらず精力的に活動されています。
金田さんが抜けた後は、いろいろと過激な話も出ました。
何しろ革命家と哲学者ですから。しかし、なぜか記憶に残っていません。
脳の話や政治や憲法、いろいろ話し合ったはずなのですが、思い出せません。
きっと内容がなかったのでしょうね。
サロンって、いったい、どういう意味があるのでしょうか。
これは極めて哲学的なテーマです。はい。
最後に大久保さんが今回は写真を撮らないかといいます。
仕方なく写真を撮りました。
記念撮影のようになってしまったので掲載は見合わせたいのですが、
大久保さんを裏切るわけにはいかないので、見えないように掲載します。
時代の先端をいく革命家と哲学者と脱落者の3人の写真など見たくもないでしょうし。
コムケアサロンは会場があふれるばかりのコムケアサロンと違い、CWSサロンはだんだん寂しくなってきました。
来月はどうなるでしょうか。楽しみです。
■ コミュニティ力を考える会(2005年2月26日)
ちばNPOコンソーシアムのメンバーが中心になってつくっている、
人づくりでまちづくり実行委員会の主催するフォーラムが開催されました。
テーマは「NPOがつくるコミュニティ力」です。
ここでのコミュニティ力は、今週、ブックで紹介している地域力(ソーシャル・キャピタル)とは違って、
NPOを舞台にして、人と人がつながることから創出されるパワーの意味です。
これまで2回にわたりプレイベントを実施してきましたが、今回がその集大成イベントです。
このちばNPOコンソーシアムなる組織は、私が好きな組織構造を持つ組織なのですが、
それゆえにイベントもまたアバウトと言うかファジーというか、気楽でカジュアルなのです。
前半はパネルディスカッションで、
コミュニティアート・ふなばしの下山浩一さん、
芸術資源開発機構の並河恵美子さん、
ちばMDエコネットの山田晴子さん、
NPO支援センターちばの永田悦子さん、
そして私です。
ファシリテーターは江戸川大学の恵小百合さんです。
コムケア関係者が多いです。
下山さんとは今週は3回目のお付き合いです。こういう傾向から抜け出さないといけません。
私の生き方の信条は、拡散志向です。
できるだけ異質な世界を横に生きていくのが、私の好きなライフスタイルです。
ですから昔の仲間と集まる同窓会や組織OB会がどうもだめなのです。
歳のせいか、お誘いが最近多いのです。
幸いに時間がなくて参加できませんが、そういう居心地の良い空間が、私には退屈なのです。
困ったものです。
お誘いいただいている方、決して嫌っているわけではなく、これは私の生き方なのです。お許しください。
話がおかしな方向に行っていますが、フォーラムのことに戻ります。
5人のパネリストが、それぞれの活動の内容やコミュニティ力についての話をしてから、
少し意見交換し、後半はグループ討議をしました。
前半では、ホメオスタシスの話が永田さんから出されたので、私はホメオカオスの話をしました。
そして、コミュニティのパワーアップに大切なのは「わがまま」になることだといいました。
誤解されそうですが、これは私の生活信条の一つでもあります。
グループ討議も面白かったです。
面白い人にも出会いました。
ある大企業に所属する31歳の人が、3月で会社を辞めるのだと話してくれました。
閉じられた世界の閉塞感から抜け出たいようです。
こういう若者が増えてきています。
みんなが健全化しだし、社会の体制のおかしさが顕在化してきたのです。
ようやく私もマイノリティでなくなれるかもしれません。まだ少し時間はかかるでしょうが。
SEGNETで企画しているイベントの意味をますます実感しています。
我孫子からも何人かの方が参加していました。
お名前だけをお聞きしていた木田典子さんにもお会いしました。
一粒の麦というミニデイサロンに取り組んでいる方です。
また我孫子でのNPO第1号のデイヘルプの森谷良三さんにもお会いしました。
森谷さんが活動を開始したとき、実は我が家ではお世話になっているのです。久しぶりの再開でした。
だんだん我孫子の活動に吸い寄せられそうです。
私の発想は、環境なり社会から離脱しているために、
うまく波長が合うかどうか心配ですが、どうももう一歩進めざるをえないようです。
(2005年3月第1週)
最近、文字通り忙しいです。
つまり「心を失いがち」です。余裕がないのです。
目先のことへの対応で、あまり先のことが考えられていないことが自分でよくわかります。
この生き方から、まずは抜け出ようと思うのですが、この生き方もまた心地良いのです。
困ったものです。
自分の時間をしっかりと生きている折口さんや西川さんからは温かいお叱りを受けていますが、
なかなか脱却できません。
■全国ボランティアコーディネーター研究集会(2005年2月27日)
代々木の青少年総合センターで行われている全国ボランティアコーディネーター研究集会に参加しました。
こういう集まりは不得手なのですが、どうも最近、巻き込まれることが増えています。
私が参加したのは、「事業の虎!ビジネス感覚で企画するボランティアセンター事業はこれだ!」という分科会で、
参加者がグループに分かれて事業企画し、
その企画に対して、以前、テレビで話題になった「マネーの虎」スタイルで出資するかどうかを決めるというワークショップです。
事業の虎は、私のほかに、トヨタ財団の渡辺元さんと富士福祉事業団の枝見太朗さんです。
参加者の多くは全国の社会福祉協議会やボランティアセンターのスタッフです。
虎には1000万円の模擬紙幣が提供され、それを納得できる提案に寄付するわけです。
私は総額600万円を3つのプロジェクトに提供しました。
他愛のないゲームですが、コムケアではいつかこれを実際のお金と地域通貨でやりたいと思っているのです。
事業企画は4つ出されました。
いずれも基調は「つながりづくり」です。
どこに行っても最近は「つながり」です。
もしかしたら、社会福祉協議会がつながりを壊してきたかもしれないと、大変失礼な発言をしましたが、
終わった後、お一人の方から共感の感想をもらいました。
現場の当事者は気づきだしているのです。
みなさん、とても思いを込めて事業を構想していました。
こういう人たちのエネルギーをどうつなげて、新しい価値を創発させるかです。
これまであまり接点のなかった社会福祉協議会のネットワークに、
もう少し関心を持ったほうが良いかなと思いなおしました。
しかし、どこかに出て行くと必ず課題が見えてきます。
そして熱心な若者たちにも出会います。
なぜそれが大きな動きにならないのでしょうか。
関わっている大人たちが、もう少し真剣に考える必要がありそうです。
■信濃大町の地域通貨セミナー(2005年2月28日)
地域づくり工房の傘木宏夫さんのお誘いで、長野県の信濃大町に来ました。
大町駅前の本通り商店街で取り組んでいる地域通貨のシンポジウムへの参加です。
私のほかに、上田市で「まーゆ」という地域通貨に取り組んでいる蚕都くらぶの前田光俊さんと中島邦夫さんも一緒です。
大町の商店街がやっているのは「地域通貨アルペン」です。
とてもまじめな取り組みですが、まじめすぎてちょっと広がらないのではないかと心配です。
それはともかく、この大町駅前大通り商店街はとても気持ちのいい商店街です。
雪が多いので雁木も兼ねたアーケードがあるのですが、アーケードの持つうっとうしさがないのです。
とても気持ちの良い大通りが広がっているという感じです。
それに個々のお店がなかなか明るいのです。
人通りは少ないのですが、ホッとする雰囲気があります。
商店街通りの空間配置も、いろいろ遊びが出来そうな構造です。
前田さんの話がとても面白かったです。
前田さんは卸商をやっていたのですが、仕事が面白くなくなってきていたそうです。
新聞で知った地域通貨の「まーゆ」の集まりに参加したところ、
これまで体験したことがなかったような暖かな雰囲気の集まりだったので、それですぐに仲間になったそうです。
そして、商売を廃業してしまい、自分の店を事務局に提供し、
今はまーゆ活動にはまっているようです。前田さんの顔は生き生きしていました。
実に象徴的な話です。
大町の商店会理事長の吉澤俊郎さんが、 終了後、
私もまーゆの集まりに視察に行ったが、みんなの表情が生き生きしていて、
それが印象的だったとしみじみと話してくれました。
どうもこの地域通貨の発案者は吉澤さんのようです。
シンポジウムの終わりに、
参加されていた長野県商店街振興組合連合会代表理事の加藤光久さんが、とてもいい話をしてくださいました。
加藤さんの家も商店だったようですが、
ともかくいつも誰かがお茶を飲みにきていたこと、親父さんはどこかの店にいつもお茶を飲みにいっていたこと、
そうしたことで人のつながりを紡いでいたのが昔の商店だったが、
そうした原点に、もう一度返って考える時期ではないか、という話です。
まったく同感です。
売り上げは結果です。
地域社会とのつながりが育ち、商店街の中での人のふれあいが生き生きし、地域が元気になれば商店街は育つのです。
地域が支える商店街、地域を支える商店街。
これが私の商店街ビジョンです。
つまりまちづくりそのものといっていいでしょう。
人は楽しいところに集まります。今の商店街には余裕がないのです。
余裕がないために、仕事が楽しくならないのかもしれませんが、逆かもしれません。
楽しくない仕事は発展していくはずがありません。
商店街活性化は結果であって、目的ではないのです。
地域通貨アルペンはいろいろな可能性を持っています。
地域資源や地域文化に立脚して考えると、面白い展開ができるでしょう。
地域通貨は目的ではなく、そうした新しい物語作りのツールでしかないのです。
近くであれば関りたいプロジェクトですが、いささか遠すぎます。
傘木さんの個人サポーターとして応援していきたいと思います。
■SEGNETミーティング(2005年3月1日)
先週に引き続き、SEGNETのミーティングです。
今回は事業立ち上げのためのロードマップづくりの議論でした。
実際に取り組みながら、後続の人たちのガイドになるようなフローチャートを作成し、
それぞれのステップでの課題や必要要素をリストアップし、
それを応援する人材マップを地域通貨で対応する仕組みを創ろうというのです。
新たに2人の学生が参加して、コアメンバーも少しずつ増えています。
しかし、議論して感ずるのは、みんな言葉で語っていることです。
これは企業の人と話していても感ずることですが、実体のない言葉が氾濫しているのが今の社会かもしれません。
しかし、このチームも動き出したようです。
そろそろ私もお役ご免のようです。
この会から、もしかしたら「サルでも成功する社会起業ガイドブック」とそれを実際に支援する仕組みが創出されるかもしれません。
5月21日に、その発表も兼ねて、SEGNETの本格的お披露目の会が行われる予定です。
皆さん、期待してください。
■インキュベーションハウス総寄り合い(2005年3月2日)
インキュベーションハウスの定例寄り合いです。
昨年度はほぼ収支トントンになりました。
まだ動き出したとは言えず、社長は引責留任のままですが、今期は黒字に持っていけそうです。
仕事も少しずつ増えてきています。
もっとも、この会社は極めてスローライフ的なのです。
気持ちの良い関係を作ることに主眼があります。
前項で書いた、「まーゆ」の社会を、ビジネスのつながりでも実現したいというのが社員の思いですから、
最近の世知辛いビジネス社会の中では異端でしょう。
このつながりの中から何が生まれるのでしょうか。
今回は新潟から佐藤裕さんも参加してくれました。
全国の卸団地の話が少しありましたが、どこも壁にぶつかっているようです。
リフレッシュ休暇をとって、ボストンに1か月行っていた菅野さんからはボストン報告がありました。
1か月だったのですが、日本社会の異常さを実感したといいます。
雑誌編集で超多忙な野中さんも参加しました。
真っ赤なロングコートを着ての登場です。
なにしろ最近はファッション担当でもあるので、スタイルが変化してきています。
平田さん、宮部さんとは新しい仕事について少し相談しました。
私がアドバイザーを引き受けている会社からの仕事が来たのです。
インキュベーションハウスでは社員募集とアソシエイツ募集をしています。
ビジネス組織でもなく、相互扶助組織でもない、
なにかそれらを超えた組織ないしは関係の構築を目指しています。
インキュベーションハウスへのお誘い分もこのホームページに掲載されていますが、
関心のある方がいたら、声をかけてください。
詳しくご案内いたします。
■ネパール・ピース・ネットからの緊急アピール(2005年3月3日)
今週初めにネパール・ピース・ネットから緊急アピールが届きました。
それをいくつかのメーリングリストに流しました。
早速反応してくれる人もいました。お会いしたことのない方ですが、なにやらうれしくなりました。
メーリングリストは、人をつなぐメディアとしては実に効果的です。
また、この関係で平和関係のメーリングリストをていねいに見直していたら、
あるメーリングリストに登場している人が、実は同じ我孫子の知人だったことに気づきました。
全く別分野でつながっていた人です。
ネパール・ピース・ネットからの緊急アピールはブログにも書き込みましたが、ぜひそこのホームページもみてください。
今回のアピールに、私が反応した理由は、いくつかありますが、
一番の思いは、ブログにも書いたようにニーメラーの教訓を無駄にしたくないからです。
これはおそらくネパールの話ではなく、日本の今そのものの話なのです。
そう思ってまわりをみると、恐ろしいほどに私たちは包囲されているのがよくわかります。
■生活者にとってのユニバーサルデザイン(2005年3月4日)
ユニバーサルデザイン生活者ネットワークの大矢野さんと渡辺博子さんと意見交換しました。
先日の福島でのフォーラムを踏まえて、
全国に生活者視点でのユニバーサルデザインの風を起こすイベント展開ができないかという相談です。
私のユニバーサルデザイン観を知っていての相談ですので、対応しないわけにはいきません。
困ったものです。はい。
今のユニバーサルデザイン流行には、かなりの違和感を持っていますが、
ユニバーサルデザインの動きを契機に、モノづくりをあり方をしっかり考え出している人も少なくありません。
福島のフォーラムでお会いした小沼一夫さん(太陽漆器株式会社社長)からこんなメールが届きました。
フォーラムで佐藤さんのお話をお聞きしてから、「つながり」というキーワードでいろいろモノづくりも含めて考えておりました。
戦後、アメリカ主導の高度経済成長を経て国民が金銭的に豊かになった訳ですが、
徐々にその見返りに失ったものや矛盾・限界がはっきり見えてきて、
今まさに価値基準の見直しを迫られている状況であるということですね。
モノづくりというミクロ的視点に立っても、やはり同じことが言えると思います。
そして、このような時期にユニバーサルデザインという言葉が脚光を浴びるのも理解できます。
しかしながら、「漆塗りの器のモノづくり」というよりミクロ的な部分にかかわっている私としては、
まだどのようにユニバーサルデザインを絡めてよいか考えがまとまらないでいるのが現状です。
器は一番個人に近い又はその人の体の一部になって機能する道具であるので、
ハンディキャップの人にはその障害に即したデザインが必要になり、
その時点でそれ以外の人は使えなくなってしまうのです。
ということはある意味ユバーサルデザインというコンセプトからはずれてしまう訳です。
そのようなモノをユバーサルデザインと言うのでしょうか?
それは歩行困難な人の為の車椅子のように結局福祉機器・道具という言葉を当てはめたほうが良いのではないか?というような事を考えている次第です。
それと、佐藤さんもメールで言っていますように、
私も日本の器や道具は、かなりユニバーサルデザインであると思います。
そのような伝統的なデザインを「いじる」とかなり違和感のあるモノが出来てしまうのではないか、思ったりもしています。
いずれにしましても、健常者も障害者も高齢者も日本の伝統的な漆器を日常の生活に取り入れていってもらいたいという気持ちがありますので、
今回のUD事業をきっかけとして今後実際に新しいモノづくりの取り組みを通して引き続き考えていきたいと思っております。
とてもうれしい話です。
しかし、小沼さんの思いを結実させるためには、
使い手である生活者がもっと声を上げ、モノとの関係性を見直す必要があるように思います。
大矢野さんや渡辺さんは、生活者の視点で、いまのユニバーサルデザインブームを活かしていきたい。
できれば全国各地に生活者視点でのユニバーサルデザイン発信拠点をつくり、それをつないでいきたいと考えているようです。
そのグランドデザインをどう描くか、面白い話です。
これができれば、私のユニバーサルデザイン嫌いも直るかもしれません。
さて、どこまで荷担しましょうか。
時間がどんどんなくなります。困ったものです。
■夢を着実に実現している成瀬真二さん(2005年3月4日)
キャロル・フランクのことは3年前に少し書きました。
日本での事業展開に取り組んでいる成瀬さんの会社を訪問し、久しぶりに意見交換しました。
今のオフィスは代官山ヒルサイドテラスにあります。
事業は着実に前進しているようです。
成瀬さん独自の事業戦略に基づき、すでにいくつかの店舗展開もしています。
夢を持った若者たちが、その夢を着実に実現していっている姿を見るのは、本当にうれしいです。
今日は久しぶりにまた、成瀬さんの夢をお聞きしました。
夢もまた育ってきています。
私のように60歳をすぎると、夢も気楽に語れますが、
若者の夢は実現を前提にしていますので、夢は悩みや課題につながります。
忙しい事業家にとっては、悩ましい問題でもあります。
夢をどうやって実現していくか、それが今の成瀬さんの課題です。
しかし、夢を実現するのはそう難しい話ではありません。
誰かに話せばいいのです。
話しているうちに、夢は形を現してきます。
夢でつながる仲間が広がっていきます。
夢は誰かと話すことによって育っていくのです。
私も成瀬さんの夢の聞き手になろうかと思い出しました。
私のような世代の者のできることの一つが、聴き手になることだと私は思っています。
最も私は聴き手より話し手になりがちなのですが、そろそろ自らの年齢をわきまえないといけないと最近はいつも反省しています。
■インキュベーションハウスVS
ビレッジハウス(2005年3月5日)
インキュベーションハウスとしてのボンディング(メンバーの絆の構築)はかなりできたので、
いよいよ他社とのブリッジング活動(組織を超えた人間関係の構築)に入りました。
まあ、いわゆるビジネス社会の時間感覚で考えると、あまりにも遅いスタートです。
しかし、これくらいの時間感覚がこれからはいいのかもしれません。
インキュベーションハウスはようやく収支トントンになりましたが、
利益を上げてメンバーの給与をゼロにするまでは、社長は引責留任なのです。
早く卒業するためには業績を上げないといけません。
「給与ゼロ」が先ずは次の目標ですが、いまはみんなマイナス給与になっているのです。
まあそれが当社の特徴なのですが。
今回は平田さんと宮部さんと私の3人で、ビレッジハウスを訪問し、ビジネスディスカッションをしました。
ビレッジハウスはウェディングの世界では知る人ぞ知るイノベーター企業です。
全体としては下降気味のウェディング市場で、
いま元気に成長しているハウスウェディングの業態の種はビレッジハウスの山本秀太郎さんが創案したものです。
山本さんの空間創造力には常々敬服していますので、ぜひインキュベーションハウスと接点を持ちたいと思っていたのですが、
ようやく具体的なプロジェクトでコラボレーションできそうです。
インキュベーションハウスのこれからが楽しみです。
どうですか、参加しませんか。
ただいま、求人中です。
なかなか新入社員が見つかりません。困ったものです。
■尾瀬ドーフが届きました(2005年3月5日)
群馬県片品村で尾瀬ドーフをつくっている千明市旺さんから、
大豆をまるごと使った完全豆腐(オカラがでません)の試作品が届きました。
千明さんとは、ローカル・ジャンクション21のむらまち工房で、一度しかお会いしたことがありません。
千明さんの思いと発言に共感していたのですが、
一言二言しか話さなかったのに、憧れの尾瀬ドーフを送ってくださるとは感激です。
実は昨日も大矢野さんたちに尾瀬ドーフの話をしていたのです。それが通じたのでしょうか。
今回の試作品は、宮城しろめ大豆を使ってのざる豆腐です。
早速試食しました。女房は口に入れるなり、おいしいと声をあげました。
気持ちよい甘さと濃密な、しかしクリーミーな感触の深い味。丹精を込めた千明さんの思いが伝わってきます。
2丁送っていただいたので、1丁は夕食に白和えにして味わせてもらいました。
とても美味しく、文化を感じさせます。
尾瀬ドーフの物語は、ローカル・ジャンクション21の朝田くに子さんが
「増刊現代農業」の昨年8月号にとてもいい取材記事を書いています。
ぜひ読んでほしいです。
またホームページもあります。
千明さんの写真を見るだけで、きっと豆腐の美味しさが伝わってきます。購入も出来ます。
http://www5.kannet.ne.jp/~ozedofu/index.html
お勧めのお豆腐です。
都心に直営店をつくりたいという千明さんの思いを応援したいです。
■景観形成市民会議運営委員会(2005年3月5日)
ハケの道はご存知でしょうか。
山の裾野沿いにできた道で、水の豊かさが昔は感じられたであろう道です。
我孫子にも手賀沼を囲むように里山があり、それに沿ってハケの道があります。
その道を中心にして、2002年に我孫子景観形成市民会議が行政の呼びかけでつくられました。
私も参加させてもらいましたが、そこから生まれたのが、景観形成市民会議です。
どうも性格が理解しにくかったので、距離を置いていたのですが(こういう姿勢が住民としてはまずいのですが)、
なぜか運営委員になっていました。
ところがほとんど出席したことがありません。
言い訳になりますが、なぜかいつも用事が重なって会議の日に地元にいないことが多かったのです。
しかし、地元の活動を再開する以上は、決着をつけなければいけないので、久しぶりに参加しました。
参加者は10人。初対面の方が半数を占めていました。
久しぶりなのでまずはきちんと話を聞こうと思っていましたが、ついついまた余計な発言をしてしまいました。
住民活動はカジュアルであってほしいというのが私の考えですが、参加者が楽しくない会は続きません。
それでついつい素直な発言をしてしまったのですが、その後、けっこう面白かったです。
我孫子の人に会うと、みんな異口同音にいうことがあります。
我孫子は市民活動が盛んだと言うのです。
我孫子住民として、それもあまり市民活動をしていない者としては、なかなか実感できません。
確かにさまざまな会はありますが、どこかで楽しさが感じられないのです。
活動の渦中に入っていないからなのでしょうね。
反省しなければなりませんが、どうも違和感があるのです。
どこに違和感があるのでしょうか。
まーゆの前田さんが言っていましたが、楽しい会はその会場に入っただけでわかります。
人のつながりが出来ているだけでなく、新たな参加者へのホスピタリティがあるのです。
残念ながら、今日の会にはそれを最初感じませんでした。
若者がいないからでしょうか。それも重要な要素です。
若者は楽しさへの臭覚が発達していますから。
まあ、こんなふうに書いてくると、
この会がダメなように聞こえるかもしれませんが、決してそうではありません。
この会は着実に成果を上げています。
景観サロンもやっていますし、実際に汗をかきながらの手賀沼斜面林の下草刈りなどもやっているのです。
行政と市民活動の関係に関しても、いろいろと議論が出ました。
問題は多いようです。市長に聞かせたい話がたくさんありました。
この会の運営委員を継続するかどうか、今月中に決めようと思います。
やはり行政の呼びかけでスタートした会の運営は難しいような気がします。
■市民活動フェア
in あびこ2005(2005年3月5日)
この週末、我孫子市生涯学習センター「アビスタ」で、
50を超える我孫子市の市民活動の展示・交流会が行われています。
ブース展示のほか、さまざまなイベントが予定されています。
今日は初日でした。講演会や上映会には残念ながら参加できませんでしたが、展示を見せてもらいました。
何人かの知り合いにお会いできました。
私の女房たちの花かご会も参加しています。
なかなかいいパネルでした。かなり身びいきの評価ですが。
先月、柏のフォーラムでお会いした乗田律子さんにお会いしたところ、市会議員の内田みえこさんを紹介してくれました。
内田さんの名刺の裏を見ると、実にさまざまな活動をされています。
まちづくりは、さまざまな活動をつなぐことですが、
こうした多くの組織に属する「風の人」が増えていくと「まちづくり」が「まち育ち」に変わっていくのでしょう。
市民活動支援課の青木課長や杉山さんにもお会いしました。
交流会にも誘われたのですが、今回はパスしてしまいました。
交流会の様子を見ると、きっとまた一言言いたくなる気がしたからです。
自分が活動もせずに、コメントしたくなる性格を直さなければいけませんが、
それは無理なので、今年は自分の活動を始める予定です。
少しずつ方向が見えてきましたが、
声をかけようと思っていた若き夫婦が急に転居されるという連絡が来たので、ちょっと困っています。
このホームページの読者にもし、我孫子市民がいたら、ぜひ声をかけてください。
一緒にはじめませんか。
(2005年3月第2週)
今週は不安を抱えた週でしたが、その不安は幸いにクリアできました。
先週までの忙しさも克服できました。
春が見えてきました。気も少しずつ戻ってきました。
■山形市のNPOの集まり(2005年3月6日)
山形の駅前の高層ビルの22階と23階はまちづくり情報センターです。
県と市が一緒になって建設した建物ですが、いろいろと問題があり、
このセンターの開所に関しても市民の反対がありました。
反対していても仕方がないということで、当時展開していたまちづくり市民会議のコアパーソンがワークショップに参加しました。
実は、その設計を担当していたのは私の知り合いの会社で、その担当者とも話をしました。
残念ながらひどいものが出来ました。
余り活用されていません。
実は同じようなことが地元の我孫子市でも進められています。
私は全く関わっていませんが、山形に行くたびに、関わらなければと思うのですが、身体が動きません。
その山形のまちづくり情報センターが、
今度、共創プロジェクトの活動拠点として、市民活動支援センター(仮称)に衣替えすることになりそうです。
そこで、今日は、前回集まったNPOなどに声をかけての、
「この施設をどう活用していけばいいか」のフォーラムを開催することになりました。
私が行くまでもないのですが、これまでのつながりの中で、ファシリテーター役で参加しました。
主催は、今度から所管部署になる企画調整課共創係です。
50人を超える人が集まってくれました。
とても盛り上がり、いい集まりになったと思います。
失礼な言い方をすれば、山形市の市民活動が新しいつながりの時代に入りだしたと思います。
しかし、まだほんのその入り口ですが。
最後にまた、私からほんの少しだけ感想を話させてもらいました。
最初に、山形市のみなさんはまだまだ甘えていますね、と嫌味を言ってしまいました。
その上、行政の補助金は、みんなの税金だと言うことを知っていますよね、と言わずもがなのことを重ねてしまいました。
行政の補助金を期待するNPOを、私はどうしても好きになれません。
目的が明確であれば、賛成なのですが。
それでまた、山形市のNPOにも嫌われたかもしれませんが、
終了後、参加していた商店会の人が共感したと言ってきてくれました。
NPOとの連携を考えていたが、今日の話し合いでNPOとは一緒にやれないと思ったというのです。
その理由は「甘え」であり、自立性の不在です。
NPOの常識は決して社会の常識ではないのです。
もちろん商店会の常識も社会の常識とは違いますが、
そうしたいろいろな違いをぶつけていく場がもっと広がってほしいです。
子育てサークルランドの野口さんも参加してくれました。
野口さんはこの3年間、山形県からの委託事業「やまがた子育て応援団」事業に取り組んできたそうです。
そのまとめの資料を見せてもらいました。なかなかしっかりした取り組みです。
野口さんはまた、県の次世代育成行動計画づくりの座長もやっているそうです。
野口さんを座長にするとは、山形県の取り組みは期待できます。
もっとも彼女も、いかにも急ぎすぎと言っていましたが。
とてもいい出会いもありました。
山形らいふめぇと企画の井上准一さんです。
車いすを使っていますが、ハンディを持ちながら参加してくれました。
お話していたら、なんとこのセンターには車いす用のトイレがないのだそうです。
思わず、私は山形市民は怠慢ですねとみんなに言ってしまいました。
住民が声をあげないと施設は良くなりません。
実は山形市では私が関わりだした頃に、女性のグループがトイレチェックをしていました。
感心したものですが、そうした活動を行政は活かせていないのです。残念です。
もう一つの出会いは、山形県の社会福祉協議会の宮部さんです。
先週のJVCCの集まりに出て以来、社会福祉協議会への関心を高めています。
彼女から、佐藤さんは行政や社会福祉協議会が嫌いそうですね、と言われました。
そういえば、JVCCの集まりでも参加者から後でそう言われました。
好き嫌いはどうも隠せないものです。
しかし、私が嫌いなのは、人ではなくて、制度なのです。
そこをどう伝えればいいか、悩みます。
山形市の市民活動のつながりは広がりそうです。
■大学院で学ぶ3人のソーシャルアントレプレナーたち(2005年3月10日)
早稲田大学大学院で共存在コミュニケーションの研究に取り組む松本大典さんが
コムケアのホームページを見て、ケアに関する質問をしてきました。
なぜケアは双方向的な関係性概念なのかという問い合わせです。
幸いに彼の母親がボランティア活動をしていたために簡単なコメントですぐ理解してくれましたが、
ケアに関心を持つ若きエンジニアに興味を持ち、会うことにしました。
松本さんから、場の創出に影を活用する共存在コミュニケーションシステムの開発に取り組んでいるという、
実に刺激的な話を聴くことが出来ました。
場の研究の清水博さんも関わっているとのことです。
話を聴いても、実はよくわからなかったのですが、わからないものに興味を持つ癖のある私としては、
と ても気になって、ネットでいろいろと調べてみましたが、残念ながらまだ理解できていません。
松本さんは、修士課程を終えたら自分で起業してみたいとも考えているようです。
テーマは社会価値の創出です。環境分野に興味があるようです。
彼と話していたら、中央大学の大学院で交通工学を学んでいる斎藤正俊さんがやってきました。
斎藤さんのことは何回か書きましたが、いくつかの点で接点ができ始めています。
それにコムケアの考え方にとても共感してくれているのです。
斎藤さんは、今年からサイクルコミュニケーションズプロジェクトに本格的に取り組みだす予定です。
コミュニケーション、エンジニア、ソーシャルベンチャー。
とても共通点があります。
期せずして2人を引き合わせることが出来ました。
大学院で学んでいる彼らの話はとても刺激的です。
今日はもう一つ大きな刺激が飛び込んできました。
経済産業省の渡邊正嘉さんから博士学位論文が届きました。
「ユニバーサルデザイン関連プロセスに関する成熟度評価手法の研究」です。
渡邊さんは経済産業省で活躍する傍ら、東北大学大学院で研究を続けてきたのです。
そしてこの度、めでたく博士号を取得されました。
論文を読み出しましたが、軽く読み流すには難しすぎます。
少しじっくりと読んでみようと思います。
今日はたくさんの刺激をもらいました。
面白いことがどうしてこんなにたくさんあるのでしょうか。
時間が本当に足りません。困ったものです。
■九州からあさりが届きました(2005年3月10日)
先週は尾瀬ドーフが届いた報告をしましたが、実はその前に大分の国見町の温故蜜柑が届いていました。
北九州市の川口正信さんが送ってくれたのです。
温故蜜柑。
まさに温故知味の、昔のミカンの美味しさを再現したミカンです。
国見町の岸田和章さんが育てています。
とても美味しいです。最近のミカンとは違います。
そして今週は福岡県の椎田町からアサリが届きました。
この3週間、豊かな各地の産物が届いて、うれしい限りです。
アサリは私の大好物ですが、最近の北朝鮮問題で購入を控えていたのですが、
椎田町に転居した蔵田正章さんが自ら海に行って取ってきてくれたのです。
毎年恒例の「春の便り」です。
蔵田さんからのメッセージです。
3月8日、いよいよ私の季節がやって来ました。アサリ貝の解禁です。
気に入らないのは、この時期になると防波堤に沿って魚網が張られその所々に入り口が設けられる事です。
そして、なぜかここを通る時、何時も自分が魚になったような錯覚を覚えます。
子供の頃は、1年を通じて海は私の遊び場だったことが懐かしいです。
少し気に入らない所はありますがやはり海はいいです。
「海は広いなー大きいなー・・・」気宇壮大になります。
海はコモンズ、みんなのものでした。
しかし、最近はどうも様子が違っています。
10年ほど前に、福岡の海の中道のホテルに宿泊したことがあります。
朝、自転車を借りて、中道を走りましたが、宿泊したホテル以外の浜辺には出られなかったことを記憶しています。
みんな私有地になっていたのです。
土地は所有の対象ではなく、総有の対象にすべきだと私は思っています。
それはともかく、とても美味しいアサリでした。
我が家の夕食はアサリ料理のフルコース?でした。
近所のみなさんにもお裾分けさせてもらいました。
■28歳の千葉県県会議員立候補者花崎広毅さん(2005年3月12日)
世間はつながっています。
温故蜜柑の生産地である国見町の竹沢孝子さんのパートナーの花崎雅博さんからメールが届きました。
それによると、なんと花崎さんの甥が、
いま、我孫子地区からの千葉県県議会議員の補選の立候補している花崎広毅さんなのだそうです。
全く気がつきませんでした。
もしもう少し早くわかっていたら応援活動ができたのですが。
花崎広毅さんは28歳の、若い立候補者です。
たまたま3日くらい前に、駅で花崎さんからビラを受け取りました。
目があいました。
しっかりした目で好感を持てました。
そして今日のメール。なにやら因縁を感じます。
今日はちょっと1日、用事があったため、夕方になって漸く女房と花崎選挙事務所を訪問しました。
若手たちはすべて活動に出ているようで、おばさん族が事務所を守っていました。
好感の持てる雰囲気でした。
花崎さんのお母さんに会いました。
滋賀の木の本出身だそうです。女房の郷里の隣です。
明日は選挙日です。
千葉にも新しい風が吹き込むでしょうか。
(2005年3月第3週)
今週はめずらしく企業関係の仕事にかなりの時間をとられました。
昨秋から企業ビジネスも再開したのですが、少しずつ面白いプロジェクトに出会いだしています。
行政関係の仕事にかなり退屈しだしているため、時間配分を変えようと思っています。
企業関係は、相手がいるためにあまり公開できないのが残念です。
そんなわけで、今週は抽象的な報告が多くなってしまいました。
■千葉県知事選挙および県議会議員補選の意外な結果(2005年3月14日)
千葉県の知事選は現職の堂本さんが当選しましたが、予想に反して、森田健作さんとの差はなんと6000票でした。
もう少し時間があれば、当否は逆転したとも言われています。
自民党の働きかけはすごいものだったようです。
興味深いのは、共産党の推薦した第3の候補者への投票が大きく減って、おそらく堂本さんへ流れたことです。
もしそれがなければ、これまた当否は逆転していました。
これらをどう読むかは、いろいろありますが、私には対立軸の変化を感じます。
組織と個人の対立図式を感じます。
もっと意外な結果は、同時に行われた県会議員の補選です。
4人の補選が行われましたが、3地区で若者が当選しました。
25歳、28歳、31歳の3人です。
3人には共通点があります。
みんな大学を卒業していないのです。
2人が中退です。一人は入学もしていません。
そして、いずれも民主党です。
28歳の当選者は、言うまでもありませんが、先週書き込んだ花崎広毅さんです。
もう一人の当選者は自民党ですが、年齢は40歳。これまた若いです。
時代は動き出しました。
こういう話が各地で聞かれだしました。
経済の世界は着実に若者へ主役を移し出していますが、政治の世界もようやく動き出したようです。
30年来の私の展望でもありますから、とてもうれしいことです。
■子育ち学リサーチネット(2005年3月15日)
子育ち学リサーチネットの深作ご夫妻と星野さんとお会いしました。
本格的な組織化に向けての意見交換です。
私はなんとなくこの会に関わらせてもらい、毎年のフォーラムにも参加していますが、
実は組織の実態をあまり把握していないのです。
今日はじっくりとお話を聞かせてもらいました。
この組織は、かなり歴史もあり、実績もありますが、組織という点ではかなりあいまいです。
私の好きな「やわらかな組織構造」ともちょっと違います。
歴史があれば、組織のまとまりや方向が収斂してくるわけではありません。
むしろ同床異夢を助長させる恐れもあります。
それを、無理にある形で組織化すると矛盾が顕在化し、組織破綻も起こりえます。
難しい問題ですが、それゆえに面白い問題です。
まあ、無責任な話ですが。
子育ちのテーマは、緊急のテーマです。
この会が蓄積してきたノウハウやネットワークを活用すればいろいろなことができます。
研究者もいれば、実践者もいるネットワーク組織ですから、ソーシャルベンチャーも立ち上げられるでしょう。問
題は、誰がリスクをとるかです。
当事者として、私も少し真剣に考えてみようと思っています。
■ネットでのコラボレーション(2005年3月16日)
ある企業から依頼されたプロジェクトを、チームで取り組んでいます。
時間的な制約もあったため、電子メールを活用してコラボレーションすることにしました。
しかし、これがとても難しいことがわかりました。
プロジェクトの性格やメンバーの発想の違いもあるのでしょうが、
やはりネットコラボレーションにはしっかりしたマネジメントが重要であるという、当然のことを改めて実感しました。
今回は、結果を出さなければいけないビジネスプロジェクトでしたから、そういうことがはっきりと見えたのですが、
そうでないやり取りの場合も、さまざまな誤解やすれ違いや反応不足が起こっているのでしょうね。
注意しなければいけません。
ネットコミュニケーションは、可能性と危険性が混在する、発展途上のコミュニケーション方法です。
面白い問題をたくさん秘めています。
今回のプロジェクトは、結果的にはうまくいきましたが、途中はかなりヒヤヒヤしました。
その上、予定外の2日間を投入する羽目になりました。
新しい試みはいつもそうですが、このヒヤヒヤは健康によくありません。
もう2度とやるまいと思いながら、私の人生はその繰り返しです。
困ったものです。
■温故蜜柑と椎田浜宮のアサリ(2005年3月16日)
先週書いた温故蜜柑とアサリの後日談です。
ホームページを読んだ北九州市の中嶋重利さんからメールが届きました。
中嶋さんは蔵田さんの隣町にお住まいです。
おいしかったでしょう。
椎田の浜宮(はまみや)のあさりは、日本一うまいと私は思っています。
今年は、まだ貝堀りに行っていないので、佐藤さんがうらやましい。
椎田の浜宮海岸は、昔は、松林のきれいな海水浴場で、あさり、赤貝、絹貝などが、ただでいっぱい採れました。
肩までつかって肥料袋をいっぱいにして貝を採ってくる父を尊敬していました。
今日(14日)は、平成13年に71歳で亡くなった父の命日です。
なにやら縁を感じます。
温故蜜柑に関しては、大分県の竹沢孝子さんからのメールです。
竹沢さんはこれも先週書いた花崎雅博さんのパートナーです。
2人は大分県の国見町に転居し、ご夫婦で農業に取り組んでいます。
温故みかんの岸田和章さんちは大光寺のすぐ近くで、
彼のお父さんに、私たちはここに来て以来9年間お世話になりっぱなしです。
農業後継者のいないこの町で、ほとんど唯一の後継者です。
お父さんの岸田時義さんは、田んぼ10町以上にあれこれの野菜をほぼひとりで作り、
いつ寝てい るのだろうと思うほどの働き者ですが、
いつもニコニコしていて「こんなに明るく暮らせる人だから、息子さんが百姓するのだ」
と、昔から納得していました。
九州の文化は、なにかとても「あったか」ですね。
生き方を変えたくなりませんか。
中嶋さん、竹沢さん
勝手に私的メールを転載してすみません。
■エレ二の旅(2005年3月18日)
久しぶりにフランス映画社の佐久間さんから電話がありました。
ギリシアの映画監督のテオ・アンゲロプロスの最新作「エレニの旅」が4月に上映されるというお知らせです。
前作「永遠と一日」から6年目です。
ギリシアの会パウサニアス・ジャパンの事務局長をしていた頃、佐久間さんとの出会いがありましたが、
パウサニアス・ジャパンを休会しているためにお久しぶりの電話でした。
アンゲロプロス監督の前作「永遠と一日」は女房と観に行きました。
平日の午後、有楽町のシャンテ・シネでした。
私はギリシア映画の重苦しさがあまり好きではないのですが、この映画もそんな感じで、退屈でした。
退屈でも魅力のある映画はあります。
学生の頃、私がはまっていたのはミケランジェロ・アントニオーニでした。
訳のわからない映画で、実に退屈でした。
しかし、なにか気になって、繰り返し観に行きました。
でもやはり退屈なのです。
「永遠と一日」もそんな映画でした。
ところが、最後の10分くらいで状況が変わりました。
恐ろしいほどに画面に同化させられてしまったのです。
涙が湧き出すように出てきました。
嗚咽を抑えるのがやっとでした。
そして映画は終了、有楽町の人混みに出て行かなければならなくなったのですが、涙がこみ上げてくるのです。
女房が一緒だったので、何とかごまかせましたが、なぜあれほど涙が出てきたのかわかりません。
今でも映画の題名を聞いただけで目が潤みます。
もっとも、いまDVDが手元にありますが、観る気分になりません。
「永遠と一日」は、ギリシアの港町テサロニキを舞台に、
妻に先立たれ老作家と難民の子供との1日間の交流を詩情豊かに描いた映画です。
紹介記事は下記のサイトにあります。
http://www.sankei.co.jp/mov/review/99/eternity_and/
今度の「エレニの旅」もまた、孤児が主役です。ポスターを観ただけで涙をそそります。
私は観には行きません。しかし、きっと感動的な作品です。
こういう映画を観ると、昨今のリアリティのないCG映画などは映画とはいえないと私などは思ってしまいます。
ところで、最近、死を強く意識しだしました。
友人の死が多すぎるからかもしれません。
最近は葬儀には行きたくなくなりました。
数年前までは結婚式は嫌いでしたが、葬儀は好きだったのですが、昨年くらいから葬儀も嫌いになりました。
死の意識は、静かな意識です。
私がいなくなっても、この街や自然の風景は何も変わらないのだろうなという気持ちが強くなってくると、
今の自分の存在が奇妙に虚ろに感ずるのです。
いなくなっても何も変わらないのが、個々の生命の存在なのだろうと考えると、自らの死も静かに実感できます。
死が近づいてきているのでしょうか。
逆に死が遠のいているのでしょうか。
訃報を伝えてきた友人が、
「死者とはまた会えるような気がするので、大丈夫です」という主旨のメールをくれました。
死者とのつながりの深さを、私も少しですが実感できるようになりました。
「永遠と一日」は素晴らしい映画です。
機会があったら観てください。
まあ、退屈ですが。
この連休はちょっとダウンしています。
予定をすべて変えさせてもらいました。
(2005年3月第4週)
悪夢で始まった1週間でした。
パソコンをダウンさせてしまったのです。
メール関係では多くの方にご迷惑をおかけしているかと思います。
申し訳ありません。
■成田山真勝寺での厄落とし(2005年3月20日)
女房が厄落しに成田山に行きたいといいだしました。
そういえば、家族全員がこの数年厄年だったのですが、きちんとお払いに行っていません。
幸いに今日は全員そろっていましたので、全員で行くことになりました。
成田山までは車で1時間くらいなのです。
成田山にはほぼ毎年行っていますが、行くたびにきれいになってきています。
本堂で1時間おきに護摩祈祷が行われています。
10人以上の僧侶が見せ場もつくりながら護摩をたいてくれるのです。
護摩札の申し込みは、意外と若い人が多いのに驚きました。
お札も段階があり、3000円から3万円までですが、3万円には精進料理が付くそうです。
厄払いも金次第というわけでしょうか。
護摩壇の近くでお払いを受けましたが、なにやら厳粛な気分になります。
寺社の儀式は長い年月の中で育ってきていますから、見ているだけで歴史を感じます。
パフォーマンスとしても、よくできています。いつも感心させられます。
お払い後、寺前にある老舗の川豊でうなぎを食べました。
ほとんど考えずに、いつもこのお店に入るのですが、ここだけがいつも繁盛しています。
隣も含めて、近くにはうなぎ屋も多いのですが、いすれも客はまばらです。川豊だけが外まで行列です。
うわさというものは恐ろしいです。川豊だけがなぜかいつも混んでいるのですが、これも創られたイメージなのでしょうか。
ちなみに今回のうなぎは、さほどおいしくなかったです。罪の意識があったせいかもしれません。次回から別のお店に入ることにしました。他店も応援しなければいけません。
厄落しが終わり、これからきっと良いことが起こりだすでしょう。
というはずだったのですが・・・・
■悪夢のような出来事(2005年3月22日)
人生をリセットしたいと思ったことはありませんか。
人生のリセットは大変そうですが、パソコンはリセットできると聞いていました。
購入当初の状態に戻せると書いてあるのです。
最近、メインのパソコンがどうも調子がよくないので、一度やってみたいと思っていました。
たまたま日曜日に予定していた出張がなくなったので、思い切ってリカバリー処理をしてみました。
そこから不幸が始まりました。地獄に落とされた思いです。
厄落としはどうも効果がなかったようで、受け方がわるかったのでしょう。大いに反省。
最初の不幸はメールをバックアップしそこなったことです。
すべて消去してしまいました。
この3週間の忙しさの中で、返信しなければと思っていたメールをマークしておいたのですが、それが消えてしまったのです。
もし返信がなかった方がいたら、恐れ入りますが、もう一度メールしてください。すみません。
それを除けば、一応、リカバリーは成功しました。
何事もなかったように、購入時の懐かしい画面が出てきました。
気分爽快ですね。
人生もこのようにリカバリーできたらいいなあと思いました。
ソフトをインストールしました。
カスタマイズしていた辞書も復元し、メールアドレスも復元。
さあ、心機一転、気持ちよく再スタート、
というはずでした。
ところがどうも具合が悪いのです。
まずホームページの更新がうまくできません。
いろいろといじっているうちに、メールやインターネットが通じなくなってしまいました。
お手上げですね。
このホームページのパソコン側のデータもおかしくなり、直らないのです。
翌日、パソコンのサービスセンターに電話しました。
いろいろと指導を受けて、回復に努めましたが、だめでした。
もう一度、リカバリーをしてみてくださいといわれました。
せっかく戻したデータをまたバックアップし、再度挑戦。
何とかネットとメールができるようになりました。
この間、ほぼ3日かかっています。
こう書くとたいしたことではなかったように思えますが、大変だったのです。
まさに悪夢の3日間でした。
21日は休養日にしていたのですが、それどころではなくなり、23日も約束を変更して、作業にかかりきりました。
パソコン依存の自分の生き方に改めて反省させられました。
今は何とか回復しましたが、パソコンは何か不安定です。
もしかしたら私のこの数週間の気持ちが伝播したのかもしれません。
またダウンするかもしれません。
教訓。
パソコンですら完全なリカバリーはできません。
リカバリーしようなどという発想は捨てましょう。
現実を受け止めて、今を精一杯生きましょう。
■諫早湾干拓事業はなぜ止まらないのか(2005年3月22日)
「『沈黙の春』を読む会」(レイチェル・カーソン日本賞準備委員会)の定例会です。
今回からメンバーが話題提供し、議論するスタイルに変わりました。
その第1回は、諫早干拓緊急救済東京事務所に関わっている青木智弘さんの問題提起で、諫早干拓の問題を議論しました。
実に示唆に富む話で、刺激を受けました。
実態を知らなかったことを反省しました。
あまりにも面白い話で、密度も濃かったので、ここで報告する野は難しいですが、
ぜひ諫早干拓緊急救済東京事務所のホームページをご覧ください。
パンフレットも掲載されています。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~isahaya/isa/info/if041225pamph.html
また、青木さんも参加されて作った「市民による諫早干拓 時のアクセス』という報告書もPDFで提供されています。
http://www2s.biglobe.ne.jp/%7Eisahaya/isa/libr/ass/ass-rp.html
いろいろと話題にはなったものの政府の予算はほとんど何の影響も受けずに、事態はそれほど変わっていないのが実態のようです。
それが日本のスタイルなのですが。
そして、反対活動に参加している地元住民の方は極めて少ないそうです。
そこにはいろいろな意味があります。
いま訴訟が起こっている原告団には、漁民がはいっていますが、これは経済的な意味での活動ですから、住民の生活論理とは違います。
私自身は、昨今の環境問題は、生活が自然から切り離されたことに起因しているという認識を持っていますので、
こうした訴訟も地元住民の生活が起点になればいいのにと思ってしまいます。
諫早干拓問題は、実に象徴的な問題です。もっとわかりやすく解説した本があるといいのですが。
■NPO法人ことばの道案内の古矢利夫さん(2005年3月24日)
NPOことばの道案内では、視覚障害を持つ人が自由に外出できるように、言葉でナビゲートできるWEBサイトを制作しています。
このプロジェクトはコムケアの支援プロジェクトです。
その関係でことばの道案内代表の古矢利夫さんと意見交換させてもらいました。
古矢さんは40代になって失明されたそうですが、もともとは会計事務所を経営されていたビジネスマンです。
失明された直後は、自由を奪われ、自分が社会人ではなくなった気分になったそうです。
その体験から、その後さまざまなボランティア活動にも取り組まれ、
いまは会計事務所を経営しながら、NPO活動にも取り組んでいます。
古矢さんが目指しているのはノーマライゼーションです。
視覚障害のある人だけの活動ではなく、視覚障害を克服できる社会が目標です。
当事者の話はいつも迫力があります。
少し残念なのは、こうした元気な当事者と行政の関係が必ずしも共創的でないことです。
古矢さんは幸いにこれまでのネットワークやその後の活動を通していろいろな接点をお持ちですが、
それでもまだ共創まではいっていないようです。
行政に、あるいは社会に、まだ視覚障害を特別の問題として捉えようという発想が強すぎるからでしょうか。
コムケアでは支援プロジェクトに関して、資金助成だけではなく、何か役立てることがないかを見つけるために、
いま支援グループとの意見交換会を行っていますが、元気な古矢さんからむしろ元気をもらってきました。
古矢さんたちの活動はホームページでご覧ください。
とても発展性のある活動です。
関心のある方はご連絡ください。
まだまだ支援者を求めています
■練馬区社会福祉事業団の新しい物語の芽(2005年3月24日)
練馬区社会福祉事業団の尾関敬二さんが特別擁護老人ホームの施設長の中迫誠さんと一緒にコムケアセンターにやってきました。
社会福祉事業団も、今大きな変わり目にあると思いますが、私自身はあまり付き合いがありませんでした。
尾関さんとの出会いは、ソーシャルアントレプレナー養成講座の検討会です。
その後、私のホームページを読んでくださり、「村井弦斉」の黒岩さんや保谷幼稚園の鈴木さんなど、いろいろな接点があることがわかったのです。
まだゆっくりとは個人的な話はさせてもらっていませんが、なにやら世界がいろいろと重なっているようです。
不思議な人です。
その尾関さんが、中迫さんを連れてきてくれたのです。うれしい出会いでした。
中迫さんはある特別養護施設の施設長ですが、施設と地域社会とのつながりに関して、前向きの問題意識をお持ちです。
しかし、どう現状を打開していけばいいか、整理できずにいるようです。
そんなこともあって、相談に来てくれたのです。
誰かに相談したいと思っている人は、ほとんどの場合、すでに答えを自分の中に持っているものですが、中迫さんもそうでした。
私が発したたった一言で、問題は解決してしまったのです。
それは、「自己規制から自由になったらいいです」という言葉です。
これからの中迫さんの活動が楽しみです。
いつか中迫さんの施設にも行ってみたいと思っています。
■子育ち学リサーチネットの発足準備会(2005年3月24日)
子育ち学リサーチネットのコアメンバーが集まって、この集まりの組織化についての意見交換をしました。
子育ちという、新しい発想で子どもの問題を考えていくという理念は共有されているのですが、
それぞれが実際の活動の場を持っているとともに、子育ちと言う言葉の広がりがありますので、
組織化するとなるとそれなりの合意が必要です。
私がこの会に参加しだしたのは、2002年の公開フォーラムからです。
パネリストに招待されましたが、それ以来、部外者的な立場で相談に応じているうちに、いつしかコアメンバーになってしまいました。
もっとも、今でも現場を持っているわけではないので、特殊な立場になっていますが。
会の中心は立柳聡さんです。学童保育や児童館などでは実績と幅広いネットワークをお持ちです。
こうした活動を組織化していくのは、そう簡単な話ではありません。
しかし、その過程こそが大切なのです。
いよいよこの会も組織化に向けてのスタートです。
面白い議論がありました。
会員には当然子どもも参加できることになるでしょうが、その会費をどうするか、です。
@子どもだからといって特別扱いしない(大人と同じ金額)
A子どもの会費は安くする。
B子どもは無料にする。
さて皆さんはどう考えますか。
私は@ですが、メンバーの長谷部さんに、お金を自由に獲得できない中学生はどうするのかですか、と問い詰められました。
さてどう答えましょうか。
ブログに書いた記事につながっている問題だと思っています。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2005/03/post_1.html
説得力がまだ弱いですね。続きを書かなければいけませんね。
■自殺は個人の問題か社会の問題か(2005年3月25日)
ライフリンクの清水康之さんは行動の人です。
しかも、しっかりとビジョンを立てながら、実践的に行動しています。
新聞でご覧になった方も多いでしょうが、今年になって、自殺対策予防センターライフリンクを正式に立ち上げました。
そのお披露目のイベントは多くの新聞で取り上げられ、活動は順調に広がりだしています。
この活動に、コムケアとしてささやかな支援をさせてもらっていますが、
たかだか30万円の資金をこんなにも効果的に使ってもらえるかという、実にうれしい事例が清水さんたちの活動です。
ライフリンクの活動はホームページをご覧ください。清水さんのことも以前書きました。
清水さんから、その後の活動の動きやこれからの計画をお聞きしました。
清水さんと話していると、私が考えていることと、ほとんどすべて重なるのです。
元気が出ます。
自殺の多くは、社会の問題です。
しかし、 そういう発想を持つ人は少ないのが現実です。
引きこもりもニートも、常軌を逸した犯罪や奇行も、ドラッグや電話詐欺も、すべては社会に起因しています。
そして、昨今のように、その異常な水準は、意図的に作り出されているとしか思えません。
つまり自殺を増やすことで利益をあげている人がいるのです。
たとえば、高利の金融機関とそれを支えている銀行です。
たとえばライブドアも含めてのIT企業です。
200万円程度の借金の返済追い立てで自殺する人がいるそうですが、
そうした状況を創出しているのは財界と政界です。
イラク派遣と、同じ構造です。
自殺予防や遺族支援は、法的整備がなされていないために、自治体もあまり動かないのだそうですが、
清水さんたちは今、そうした法的整備にとりくんでいます。
イベントも予定されています。
また案内させてもらいますが、自殺の問題は私たちにつながる問題です。
ぜひライフリンクのホームページをご覧いただき、関心を高めていただきたいと思います。
■ニート問題をどう位置づけるか(2005年3月25日)
第4回次世代人材育成研究会に参加しました。
事務局は企業活力研究所ですが、内閣府、文部科学省、経済産業省、厚生労働省なども参加している研究会です。
今日は、今年度の最終回で、提言をまとめるための委員会でした。
こうした委員会方式ではどうしても総花的になります。
事務局案をベースに意見交換をしましたが、どうも違和感がぬぐえません。
その理由は、これまでと同じですが、ニート問題を観察者的に捉え、対象として考えているからだろうと思います。
当事者的な意識を持って、ホロニックに捉えていかなければ、社会の問題は解決しません。
そこがいつも物足りません。
しかし、まあ一歩前進かもしれません。
私は、現象対応型ではなく、問題解決型を志向し、予防策こそを提言すべきだと思っています。
不登校児童の増加は、学校制度への問題提起だと思いますが、
それと同じ意味で、ニートの増加は働き場の仕組みや企業制度への問題提起であり、
今の社会を創ってきた私たち世代の生き方への問題提起です。
そこを受け止めるコミュニケーション姿勢が、委員のほとんどに欠落しています。
おそらくこうやって、さまざまな制度改定や制度づくりが進められているのでしょう。
部分しか見えていない有識者の「善意」が、もしかしたら事態を悪化させているのです。
もしこのプロジェクトを発展させるのであれば、
ぜひとも若者たちも巻き込んでの検討をしてほしい旨の提案もさせてもらいました。
ニート問題は、若者の問題ではなく、私たち世代に問題です。
その意識がない限り、何も解決しないと私は思っています。
若者支援のためにかなりの政府予算が使われていますが、どうも効果的に使われているようには思えないのが残念です。
■オープンサロンは新しいスタイルに進化?しつつあります(2005年3月25日)
オープンサロンです。
ホームページに書いていないがサロンはあるのか、というメールがきました。
少し不安になりました。
ホームページには案内は載せませんが、サロンはあるのです。
オープンサロンの特徴は、一度はお知らせするのですが、繰り返しはお知らせしないところです。
ホストがいささか「偏屈」なのです。困った性格です。
ホームページにはオープンサロンのコーナーもサロンニュースのコーナーもあるのですが、おそらく誰も見つけられないでしょう。
ためしに努力してみてください。
見つけられた人には次にお会いした時にコーヒーをご馳走します。
ちなみにそれぞれに発見コードを書いておきます。それをご連絡ください。
このホームページはリゾーミックなのです。
しかし、私の頭とは連動しており、私にはまだ構造が見えていますので、まだまだ中途半端ですが。
しかし、今週のパソコントラブル事件で、かなりリゾーミックのつながりが切れたかもしれません。
リンクもかなり壊れているはずです。
お気づきになった不具合が見つかったら教えてください。
まあ、そんなことはどうでもいいですね。すみません。
今回も前回と同じく3人でした。しかもまたメンバーが個性的です。
イージーライダー型リサーチャーの小林貴博さん、生活者政治家を目指すロマンティストの木村勝隆さん、怒れる思想家の柴崎明さん。
共通するのは、いまの社会への強い問題意識に基づいた実践者であることです。
小林さんは地元でも住民として活動していますし、
木村さんは政治志望の若者たちを応援したり、時には自ら立候補したり、精力的に活動しています。
柴崎さんは、ちょっと思いがが深すぎて、今は袋小路にいますが、いつかきっと抜け出すでしょう。
前回の参加人数が少なかったことを知って、忙しい中をみなさん参加してくださったのですが、なんと今回も3人だったわけです。
小林さんからは、この方がゆっくり話せると言われましたが、そういえばそうで、このスタイルもなかなかいいです。
なにやら参加した人には悪い気がしますが、ホストとしてはゆっくり会話が出来て、このスタイルが気に入りだしました。
小林さんからはホームページでの案内を勧められましたが。
小林さんは、ご自身でも毎月第3金曜日に、虎ノ門でサロンを開催しています。
オープンサロンは小林さんに任せて、私のほうは3人サロンをしばらく続けてみようかと思い出しています。
うまくいくでしょうか。毎回3人。実に難しい課題です。
今回は写真を少し大きく載せます。前回はまったく見えなかったので不評でした。
話の内容は内緒です。というか、なかなか思い出せないのです。
まあ、それがサロンのよさなのですが。
4月のサロンはお休みです。
5月から再開です。目標参加者数は3人です。
さてどうなりますことやら。
(2005年3月第5週)
パソコンダウンの余波を残しながらの1週間でした。
砂上の楼閣の上での生活を実感しています。
■人事異動の時期(2005年3月28日)
自治体職員の異動時期です。異動のお知らせが入りだしています。
私はそうした「人事異動」の世界から離れて16年たちますが、
辞令で仕事を変えられるというのも考えてみると不条理な話です。
この発想もきっと「組織発想の時代」の遺物なのでしょう。
おそらくもう10年もしたら、なくなる文化ではないかと思います。
ソーシャル・アントレプレナー養成講座を企画運営した特別区職員研修所の千葉優子さんも
研修情報から異動することになりました。
その挨拶もかねて、わざわざ湯島のオフィスまで来てくれました。
今度は清掃関係の職場に移ることになったそうです。
希望していたところだということです。希望が通れば、異動システムも悪くはありません。
研修所での千葉さんの最後の仕事は、ソーシャル・アントレプレナー養成講座の立ち上げでしたが、それは見事に成功しました。
その報告書もまもなく完成だそうです。研修の報告書としては結構読み応えのあるものになるはずです。
私も寄稿しましたので、完成して発表されたら、このホームページでも私の小文を紹介させてもらおうと思います。
千葉さんのおかげで、区政の実態も少し垣間見ました。
いくつかの特別区の職員とも接点ができました。
何かまた面白い活動が生まれていくとうれしいです。
■ローカル・ジャンクション21の事業化の壁(2005年3月28日)
ローカル・ジャンクション21が取り組んでいる、風土倶楽部のオープンプラットフォームは育ってきていますが、
それを活かした新しいコミュニティビジネス構想は事業化の壁にぶつかっています。
仕組みを維持し、育てていくためにはそれなりのコストがかかりますが、その起業資金が確保できないのです。
理想的には、共感して集まっている人たちが少しずつ資金を出して仕組みづくりに取り組むことですが、
こうした活動に取り組んでいる人たちは、
今の貨幣経済主義とは違った視点で活動していることもあって、経済的には余裕がないのです。
事業としての有望性に着目して、資金を出してくれるところは探せばあるのでしょうが、
それをしてしまうとこれまでのビジネスの論理に制約される恐れも否定できません。
そこが、こうした事業型NPOに共通する悩みです。
真剣に考えれば、きっと妙案が出てくるのでしょうが、
関係者はみんな忙しすぎて、構想を具現化するための時間が確保されないのです。
ソーシャルベンチャーは、極めて属人的な要素が強いですから、資金があればすむ話でもありません。
経営資源として、「ヒト、モノ、カネ」と言われますが、経営資源としてのヒトは労働力です。
しかし、本当に必要なのは、経営資源としてのヒトではなく、事業主体としての表情のある人間なのです。
その人間が、なかなか見つからないのが、多くのソーシャルベンチャーの実状でしょう。
ローカル・ジャンクション21を活かして何かをしたいと言う当事者がもっと広がらないといけません。
一度、関係者で合宿でもしようということになりました。
これもまたさらに引きずり込まれそうで、不安です。
しかし、どうしてこうも次々と面白いプロジェクトがあるのでしょうか。
■住友生命社会福祉事業団のお2人も退職です(2005年3月29日)
企業関係者の異動のニュースも届きだしました。定年退職の案内もあります。
コムケア活動がここまで育ってきた最大の理由は、住友生命の関係者の支援です。
どうなるかわからない状況の中で、
私のわがままな発想を全面的に支援してくれた住友生命の関係者のおかげで、
コムケアは一味ちがったNPO支援の仕組みに育ってきたように思います。
その支援者である住友生命社会福祉事業団の安藤常務理事と高原茂部長が定年退職されることになりました。
企業というのは不思議な組織で、退職してしまうとなかなか会えなくなるのです。
もう一度、お礼を言いたくて、大阪に行きました。
気のせいか、お2人とも少し元気がありませんでした。
長年お勤めになった会社を離れるのはどんな気持ちでしょうか。
私は自分で勝手に辞めさせてもらったので、その気分がわかりません。
最後までお2人は、コムケアに対して応援してくれました。
そのことを忘れないように書き留めておきたいと思います。
ありがとうございました。
■洗剤のいらないガラ紡ふきん(2005年3月29日)
浜松で活動しているガラ紡愛好会は、コムケアの今年度の支援プロジェクトをやってくださっているNPOです。
会の名前にはさまざまな思いがこめられています。
私も今回お伺いするまで、その活動の広がりに気づきませんでした。
以前、支援させてもらった高知県介護の会もそうですが、日本型NPOに出会えるととてもうれしいです。
浜松にある佐鳴湖が物語の発端です。
佐鳴湖と言っても知らない方が多いと思いますが、私のような我孫子市民には聞き覚えのあるところです。
数年前まで、日本で一番汚染の進んでいた湖沼は我孫子にある手賀沼でした。
それが数年前に佐鳴湖に席を譲ったのです。
いま、一番汚染度の高いのが佐鳴湖です。
ガラ紡愛好会の代表の本田量子さんは、佐鳴湖の汚染改善のために洗剤を使わずに石鹸を使おうという活動を17年前に始めました。
そこから物語が始まりますが、まあ、その長い話は省略します。
今取り組んでいるのが、ガラ紡績といわれる明治時代に始まった方法で紡いだ太い糸で織った布巾やタオルの生産と普及活動です。
原料となる綿も、日本古来の和綿を使っていますが、その和綿も自分たちで作りだしているのです。
そのガラ紡ふきんをつかうと、食器洗いも洗剤や石鹸が不要です。
タオルも石鹸不要です。水も汚しませんし、皮膚にも悪い影響を与えません。
使っている人は、皮膚の荒れがなくなったといいます。
それに丈夫ですので、1年以上使えるそうです。廃棄しても自然に戻ります。
本物のエコグッズです。
私にはあまり実際的な評価能力がなかったのですが、購入して女房に使ってもらったら、とても好評でした。
もっと買ってくればよかったのにといわれました。
本田さんにお話を聞こうと思っていたのですが、本田さんのご配慮で、
活動に関わっている若い世代から80代までいろいろな人にお会いできました。
まず和綿の畑を見せてもらいました。
和綿の栽培収穫の師匠は83歳のあさだミチさんです。
お元気で、かなり大きな耕運機も操作しているといいます。
今でも裸足で作業をするのだそうです。
本田さんのお母さんも参加しています。
とても印象的だったのですが、野菜と会話が出来るのですとおっしゃっていました。
野菜や土から元気をもらっているのでしょうか、お2人ともとても元気そうでした。
畑をみた後、NPOのオフィスに行きました。オフィスといっても本田さんのご自宅です。
メンバーの方が集まってくれていました。みんな、それぞれの仕事をしながらこの活動に関わっています。
話していると、それぞれの思いがどっと出てきます。
生活を基点に考えると、必ずといっていいほど、活動はまちづくりにつながっていきますが、
まさにそうした活動への広がりを感じました。
まさに「大きな福祉」です。
伝えたいことがたくさんありますが、きりがありません。
ぜひともガラ紡愛好会のホームページをご覧ください。
そしてよかったらガラ紡布巾を購入してください。
私も普及活動に協力するつもりです。
■活き生きシニアフォーラム(2005年3月30日)
コムケア仲間のシニア・システム協議会の西川則雄さんががんばって実現したのが、活き生きシニアフォーラムです。
米国カリフォルニア在住のグループホームのパイオニアでもある高齢者福祉研究家のカルドマ・木村哲子さん(米国カリフォルニア在住)の基調講演に始まり、
シニアとまちづくりや生き生きシニアの実践報告など、盛りだくさんの内容の楽しいイベントです。
西川さんは欧米で行なわれている高齢者委員会制度を日本でも広げていきたいと考えています。私は、そのテーマにとても関心があるのです。
私も朝から参加させてもらいました。さまざまな刺激をもらいました。
西川さんがパネルディスカッションのまとめでとてもいいお話をされました。
高齢者が意識をちょっと変えれば社会は変わるというのです。
同感です。高齢者は社会のお客様ではありません。
社会の主役になれば、生き方も社会のあり方も変わっていきます。
午後は、そうした西川さんの主張を実践されているシニアの方々の事例報告がありました。
私も少しだけお話させてもらいました。
西川さんの取り組みは見事です。実に楽しくやっています。
千葉工業大学や地区社会福祉協議会とも連携しながら、まちづくりにも関わりだしています。
そして一番うれしかったのは、まさにコムケアの理念と重なるところが多いことです。
現場はやはりどんどん進化しています。
高齢社会はとても明るい楽しい社会になるでしょう。
■サイクルリングの北岡元子さん(2005年3月31日)
全国マイケアプラン・ネットワークの島村八重子さんは、もうひとつのNPO、サイクルリングの理事でもあります。
そのサイクルリングの代表の北岡元子さんと一緒に相談に来てくれました。
さいたま市が取り組もうとして、ある施設づくりに関する相談です。
まだ問題が煮詰まっていない状況だったので、具体的な話というよりも一般的な意見交換になりましたが、
行政が考える「住民参加方式」ではなく、「住民主体方式」を目指している姿勢に共感しました。
北岡さんの目指しているのは、「すべての人が生き生きと暮らすことができる社会」です。
そして、「すべての人に出番があるまちづくり」です。
北岡さんたちは、それを「ユニバーサルデザインのまちづくり」と呼んでいます。
ユニバーサルデザインという言葉を使うところには、いささか不満がありますが、
その発想やビジョンにはとても共感できます。
それを実現していくためには、やはり住民が主役にならないといけません。
「生き生きした暮らし」は、与えられるものではなく、自らが創りだしていくものです。
そして、生き生きさは外部が評価するものではなく、それぞれ自らが実感するものです。
北岡さんともいつかコラボレーションできることがありそうです。
酷使されそうなのでいささか躊躇しますが。はい。
■矢辺卓也さんの出発(2005年3月31日)
コムケア活動を手伝ってくれていたノーマライゼーションネットの矢辺さんが就職しました。
自分の志と重なった働きの場を見つけたのです。
障害をもつ人たちの働き場を見つけ創りだしていくのが、これからの仕事です。
まさに彼が考えているソーシャルベンチャーにつながっています。
会社に入ると埋没してしまう傾向がありますが、
幸いに入社する会社の社長は矢辺さんの思いに共感してくれているようです。
矢辺さんもまた、特定の組織に埋没することは避けたいと考えています。
そのためコムケアも継続して関わってもらうことにしました。
SEGNETも事務局長として取り組んでいこうということになりました。
若きソーシャルアントレプレナーのこれからが楽しみです。
果たして会社活動とNPO活動とは両立するでしょうか。
■介護を要する末期がん患者への介護保険給付(2005年4月1日)
vol-netの伊藤朋子さんが、久しぶりにコムケアのメーリングリストに投稿してくれました。
署名活動への協力要請です。私も署名活動に参加することにしました。
伊藤さんからのメールを下記します。
もし賛同していただけるのであれば、ご協力ください。
少しだけ費用と時間が必要ですが。
以下は伊藤さんからのメールです。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、
介護保険の支給対象として、特定疾病というのがあって
いわゆる成人病と呼ばれていた病気が対象になっていたのですが
がんは対象ではありませんでした。
2月15日の新聞報道で、
「政府・与党は40歳から64歳までの末期がん患者を、
介護保険の「特定疾病」に追加する方針を決めた。
ただし、この特定疾病は老化に起因する疾病に限定されているため、
乳がんは除外される方針である」とあり
患者有志が活動を始めました。詳しくは…
http://home.s00.itscom.net/777/kaigo/
お読みいただいて、ご理解ご同意いただけましたら、
ぜひご協力をお願いいたします。
(2005年4月第2週)
最近の週間報告は個人日記の様相を呈していました、
それでは余りに退屈なので、元に戻して、メッセージ性や情報性を少しずつ高めていこうと思います。
今週のテーマは、時代の変わり目の実相につながる話です。
■高齢社会と地域主権社会(2005年4月10日)
女房の小学校時代の同窓生が昨年、東京から出身地近くの滋賀の彦根に転居しました。
「出身地近く」と言うところがポイントです。
ご夫妻(東さん)とも出身は彦根から車で40分くらいのところです。
女房の実家に行く途中に、二人で新宅を訪問しました。ご夫妻で歓待してくれました。
東さんは大学卒業後、ずっと東京で暮らしていましたが、
定年退職後、インターネットで土地を探し、新居を建てて、ここに転居したのです。
もう少し働こうと思えば働けたようですが、思い切りのいい転身です。
彦根城が見えるいい場所で、近くには佐和山城址と松原の琵琶湖湖岸がある、最高の立地です。
ここでゆっくりとボランタリーな生活を楽しみだしたところです。
隠居ではありません。
地域社会にもなじみながら、あるいは役立ちながら、自分の町を豊かなところにしていきたいと、
知恵と汗を出す姿勢のある生き方のようにお見受けしました。
高齢社会は、こういうライフスタイルの生活者が増えてくるということです。
まもなく段階の世代が地域にどっと戻りだしますが、それは必ずしも、今の住所でも生まれ故郷でもないかもしれません。
自分の望むライフスタイルに合った地域探しが始まっています。
インターネットがそれを可能にしています。
政府や財界が進める地方分権社会とは全く異なる地域主権社会のイメージがそこから見えてきます。
高齢社会はきっと豊かな落ち着いた社会になるでしょう。
早く来い来い高齢社会という思いを改めて強めました。
■地域社会が守ってきた寺社の荒廃(2005年4月11日)
女房の実家は滋賀県高月町です。
観音の里と言われていますが、福井の小浜から奈良の東大寺までは「観音の道」といわれるように、
魅力的な観音像がいたるところに祀られています。
近くの鶏足寺と石道寺に久しぶりにおまいりに行きました。
残念ながら寺守の住民がいなかったので、石道の観音にはお会いできませんでしたが、
いささかショックだったのは、いずれも荒れていたことです。
特に鶏足寺(廃寺になっているのですが)は荒廃が進み、とても残念でした。
このあたりは、昔は大きな寺院だったようですし、そこに鎮座する本尊もなかなかのものでした。
その本尊はもはやここにはありません。
近くの己高閣に集められているのです。これもいささか残念な話です。
村で守り、村を守ってきた寺社が荒廃しているのは寂しいです。
有名な寺社はすごく利益を上げて経済主義化している一方、
信仰の対象だった村の守り本尊は維持できなくなり、荒れています。
観光資源と位置づけられているところもありますが、それこそが滅びの契機かもしれません。
金銭で栄えたものは必ず滅んでしまいます。
私が最初に高月の渡岸寺を訪ねた時は、とても雰囲気のある場所で感激しましたが、今は冷たいコンクリートの空間に居ます。
そのため、余り訪ねたいという気になりません。保存のためとはいえ、残念です。
それにしても、鶏足寺は悲しいほどの荒れ放題です。
廃寺になるとこうなってしまうのでしょうね。
私財があれば再建したいほどです。ともかく場所がいいのです。
こうした風景は、先に書いた地域主権社会の展望を危うくさせますが、
この組み合わせこそが、実は大きな動きになるような気がしています。
荒廃と創造は、常に組み合わさっていますから。
■山林の荒廃とこぶしの繁殖(2005年4月11日)
荒廃と創造といえば、今回、滋賀と福井で見た山林も、そうした場の一例です。
山林は荒れてきています。
松食い虫で枯れ木が目立ちますが、そこにこぶしの花がひろがっているのです。
最初は山桜かと思ったのですが、よく見るとこぶしです。
松が枯れた後にこぶしが繁殖しているようです。
山林のいたるところに白い花が目立っているのです。複雑な気分ですね。
日本では白は聖なる特殊な色ですが、山林にこぶしは似合わないように思います。
その一方で、都会はますます黒くなってきています。
新入社員にはダークスーツを着てほしくないのですが、相変わらず多いですね。
■公共空間としてのレストラン(2005年4月11日)
女房の実家近くに10年ほど前に温泉を軸にしたリゾートゾーンが誕生しました。
北近江リゾートといいます。
お昼に、そこに食事に行きました。和食やバイキングなど、レストランが4つあるのですが、ちょっと個性的なレストラン「ラ・ピラミッド」にいきました。
ゆったりした空間設計で、外がよく見えて、落ち着いた雰囲気です。ランチは1500円です。
こういう施設の食事はあまり期待できないのですが、とても美味しいのです。
フルーツのデザートとコーヒーもついています。
また来てもいいなと思わせる価格と内容です。
かなり時間をずらして、1時半過ぎにいきましたが、4組のお客様がいました。
いずれも女性たちのグループです。昼食時はいつもかなりこんでいるようです。
こういうところの利用者の多くは女性です。
茨城県の美野里町で、文化センターの隣にレストランを作ったところ、女性たちの新しい社交空間が出現しましたが、
きっとラ・ピラミッドも女性たちの新しい社交空間になっているのでしょう。
ハーバーマスが気づかせてくれたように、市民社会の始まりは、こうした話し合いの空間です。
ライブドアとフジテレビの騒動が「公共性」という言葉を話題にしてくれましたが、公共性の本質は「自由な話し合い」です。
合意形成が重要なのではなく、異質な意見の共存とその自由な話し合いこそが公共性の本質なのです。
近代産業社会をつくった男たちが捨ててきた文化です。
市民社会のパワーの源泉は、組織にではなく、こうした社交空間にあります。
ここでNPOが育ち、地域主権のパワーが育っていくはずです。
その主役はどうも女性たちのようです。
こうした落ち着いて話し合えるレストランや談話室的で間が、各地に増えてきています。
つまり、新しい公共空間が広がっているのです。
これもまた、地域主権への移行の風景のひとつです。
女性たちが、ここで話し合っている間に、男性たちはコンビニの弁当食べながら労働しているというのが、現代社会の構図かもしれません。
時代の主役が変わろうとしているのです。
■日本海さかな街の活気と鮮度(2005年4月12日)
敦賀市にある日本海さかな街に立ち寄りました。
何軒ものお店が並び活気で溢れるさかな街です。新鮮な魚介類が並んでいます。
ここは値切りながら買うのだそうです。
東京のアメ横は価格決めが定型化しているため、面白くないですし、それに商品の鮮度もよくありませんが、
ここはまだ商売の気分が残っており、また見た感じも鮮度がよくて衛生的です。
http://www.aosan.net/play09sakanamachi.html
ある店では、いろいろな魚を焼いていて、試食を進めていますが、なんと一匹ごとの試食です。
一匹でなくても味はわかるから小さく切ってくれないかといったら、丸ごと食べるのがいいというのです。
3種類の魚を丸ごと食べてしまいました。
これで儲かるのかと不思議です。もちろん買わなくてもいいのです。
お客さんが試食して「おいしい」というのがうれしいのでしょうか。
こういう店では買わないわけにはいきません。
ここは観光ツアーの立ち寄り場所になっており、休日は観光バス客でごった返しているようです。
確かに買物が楽しめますので、バスツアーなどの参加者が喜びそうな場所です。
しかし、観光ではなく、日常生活の中にこそ、こうした文化をもっと広げていきたいような気がします。
売り手と買い手の関係はお金のやり取りだけの関係にはしたくないものです。
そこに大きな問題があるような気がします。
近江商人の「三方良し」の事業観の原点が、ここにはまだ残っているような気がしました。
■真摯に生きている敬愛する友人からのメール(2005年4月13日)
寒さが戻ってきました。
花冷えの、ともかく寒い日でした。
しかしこれで今週の週末もまた東京は花見ができるでしょう。何が幸いするかわかりません。
今日、うれしいメールがいくつか届きました。
ひとつは、福岡の梅川康さんから、地域介護リーダー養成講座をスタートさせるという連絡です。
梅川さんとは福岡空港で一度しか会っていませんが、彼の思いに共感しています。
このホームページともリンクしているグループホーム縁側を主宰しています。
今回の講座は熊本の明篤館館長宮田喜代志さんが協力してくれたようで、基調講演も宮田さんです。
近くであれば出かけて行きたいところです。
案内をコムケアセンターのホームページに掲載しますので、お近くの方はぜひ参加してください。
梅川さんや宮田さんとのつながりができるだけでも、きっと良いことがあります。
宮田さんはいち早くコムケア活動に共感してくれた人です。
梅川さんの思いは以前、このコーナーでも紹介しましたが、こういう若者たちが日本の未来を開いていってくれるのだろうと思います。
もうひとつは根本賢二さんがこのホームページのフォーラムに投稿してくれたことです。
それがどうしたと言われそうですが、根本さんは私にはとても気になる人なのです。
とても真摯に生きているにもかかわらず、なぜか苦労の多い人がいますが、根本さんもその一人です。
根本さんにとっては大変失礼な言い方ですが、私にとっては根本さんの幸せが社会の豊かさの指標なのです。
根本さんのような人が苦労をしているような社会は、どこかに問題があるのです。
根本さんは今、失業中です。
今回の投稿は、題して「職安:求人票の「年齢不問」の嘘」。
実に考えさせられる話です。ぜひ読んでください。
このホームページの左欄の「フォーラム」をクリックすると出てきます。
いろいろなところで、同じようなことが蔓延しているような気もします。
私はブログでも「言葉」で作られた世界に不満を述べ続けていますが、こうしたまやかしが多すぎます。
地方分権、民営化、イラク復興、ゆとり教育、学力回復、予防介護、などなど、もう辟易しています。
しかし、梅川さんや根本さんは現場の人ですから、そんな言葉でのまやかしは通じません。
教えられることが多いです。
社会の実相は、こうした表情豊かな個人の生活の中にしっかりと現れます。
そこを見ていないと、時代の方向を見間違うような気がします。
たった2通のメールが、今日の寒さを吹き飛ばしてくれました。
そして、いろいろと考える材料も届けてくれました。
■若者たちが起こす新しい風(2005年4月14日)
2人の若い実践者に会いました。
一人は先月、千葉県県会議員になった花崎弘毅さんです。
新進気鋭の28歳です。
以前書いたように国見町の竹沢さんの義甥にあたります。
基本姿勢や関心事について、いろいろとお話を聞きました。
とても共感できますし、関心事もいろいろと重なっています。お互いに支えあえる関係がつくれそうです。
花崎さんはまだ後援会をつくっていません。
これまでのような政治家の後援会組織ではない、新しい仕組みをつくりたいと考えているようです。
そうした姿勢にも好感が持てます。
それにこれまで我孫子で特に政治活動を行ってきていませんから、変なしがらみや制約がありません。
自らの信念に基づいて、思い切り新しい風を起こしたいと花崎さんは考えています。
次の統一選挙までにどれだけ存在感と信頼感を得るかが花崎さんの課題です。
1時間話をして、彼の素直な姿勢が伝わってきました。
応援することにしました。これからが楽しみです。
読者の中に我孫子市在住で、花崎さんを応援したいという方がいたら、ご連絡ください。
5月後半に集まりを開催する予定です。
政治の流れを変えたいのであれば、汗をかかなければいけません。
花崎さんは政治の世界ですが、経済の世界でも新しい風を起こしたいという若者が増えてきています。
といっても、堀江さんのような人ではありません。
彼も新しい風を起こしていますが、基本的には在来型の経済人の一人でしかありません。
私が会ったのはサイクルコミュニケーションズの斉藤正俊さんです。
新しい事業モデル作りに取り組んでいますが、それについて意見交換しました。
まだ前途多難ですが、それだけに応援したいと思っています。
がんばっているのは若者だけではありません。
今日は菅野弘達さんにも会いました。
会社に勤めながら大学院に通っていますが、今度、コムケアのケーススタディを授業で発表してくれるのだそうです。
その関係で、彼の取材を受けたのです。
みんなそれぞれに時代に流されずに、健闘しています。
これもまた時代の気分なのでしょう。
しかしなかなか報われないのも事実です。社会に新しい風を起こすことは、そう簡単なことではないのです。
そうした人たちと話していると、何か元気付けられます。
若い世代に元気をもらう世代になってしまいました。
うれしいことではありますが、さびしい気もします。
■病院で半日過ごしました(2005年4月15日)
最近、身体的に問題がいろいろと出てきました。
頭痛が続く上に左肩が痛くて仕方がありません。
それに時々視野がおかしくなりますし、全体的な倦怠感があり、しかも気力が持続できないのです。
まあ、こう書くと明日にも危ないように思われそうですね。
そんなことはないのですが、いろいろと黄信号が出ているわけです。
先日、病気の先輩に会ったら、脳梗塞の予兆だと脅されました。
それで、いささか気になって、近くの慈恵大の病院にいきました。
1時間以上待ってようやく診察室に入り、症状を説明したら、即座に「それは首の問題ですね」と明るく断言されました。
その言い方がいかにも確信ありげだったので安心しましたが、
「まあ、そういっても気になるでしょうから、MRIを撮るようにしましょう」と言うのです。
そうすることにして、検査予約をとりました。
そんなわけで、今日は半日、病院の待合所で過ごしました.
半日もいると、病院のさまざまな問題が見えてきます。
ちょっと工夫するだけでかなり状況は変わるでしょう。
待ち時間が減るだけでなく、医師やスタッフの負担も減らせるでしょうし、コストダウンも図れるでしょう。
仕儀とガラ、どこに行ってもそういうことが気になります。
しかし残念ながら仕事に出会えないので、実現したことがありません。
仕事が来ないのは仕事をしていないからでもありますが、
世の中のコンサルタントは何をしているのでしょうか。
いささか気にはなります。
病院に半日居た、もうひとつの効用は、社会の実相を垣間見れることです。
いろいろな話がそれとなく聞けました。
がんセンターは、病気の種類のせいか、実に静かで重い雰囲気ですが、
今日の病院は思い中にも俗世間の会話が盛んです。
まあ話しているのはほとんどが高齢の女性たちですが。そして話の内容は嫁姑の話ですが、
病院もまた、社会の実相を実感するいい場所です。
皆さん、暇があれば、病院の待合室で読書をするといいです。
時に面白いです。はい。
というわけで、危険だから少し休養するように、という医師の言葉を少し期待していましたが、どうもそうはならないようです。
しかし、肩はますます痛いです。夜、目が覚めるくらいなのです。
困ったものです。
■ユニバーサルデザインブームは社会を変えていくか(2005年4月16日)
ばばこういちさんがキャスターを務める朝日ニュースターの番組「よみがえれ ニッポン」では、
ユニバーサルデザインの普及という視点から、
「ユーザーの立場に立ってモノづくりを考える」
「ユーザーとの対話とユーザーの参加」
などをベースに社会のあり方やモノづくりや施設・環境づくりなどを検証してきました。
私が参加しだしたのは昨年からですが、
今日は、『ユニバーサルデザインは日本社会にどこまで根付いたか』というテーマで話し合いました。
私が関わってきた分野でいえば、
ユニバーサルデザインのものづくりに取り組むNPOやユニバーサルデザインの精神でさまざまな人たちのつながりを目指すNPOも増えてきていますし、
まちづくりにおいても、たとえば公共施設作りなどではユニバーサルデザイン精神は広がっており、
「誰もが使いやすいように、さまざまな立場の視点を入れる」という発想が定着しつつあるように思います。
ばばさんは、ユニバーサルデザインを「参加と対話」「一人一人が主役」という発想で捉えていますが、
そう捉えれば、いまのNPO活動の広がりそのものがまさにユニバーサルデザイン発想の広がりと言ってもいいでしょう。
まちづくりにおける住民参加も、形式的な行政主導の住民参加ではなく、住民が主役になった取り組みも出始めています。
だれでもが出番のあるまちづくりを、ユニバーサルデザインのまちづくりと捉えて活動しているNPOもあります。
しかし、言葉だけが先行しているきらいもあります。
たとえば、ユニバーサルデザインの議論に、当事者が本当に参加しているかといえば、そこまではいっていないように思います。
結局はまだ、これまでの産業社会の枠組みから抜け出られずに、
その補完的な役割ないしは正当化のためにユニバーサルデザインという言葉が使われているケースも少なくありません。
ユニバーサルデザインという言葉には、私はどうしても近代産業パラダイムの影を感じてしまい、あまり良いイメージを持っていないのですが、
大切なのは社会を変えていくこと、ものづくりや組織のあり方、仕事の捉え方を変えていくことです。
具体的に言えば、ものづくりにもまちづくりにも、当事者としての消費者や生活者が、口を出せるようにしていくことです。
ユニバーサルデザインはたしかにそうしたことの可能性を広げてきました。
しかし、ユニバーサルデザインというと、イメージがどうしても限定されます。
そこにこめられた意味やメッセージを、新しい言葉に凝縮させられないものだろうかと思います。
そんなことを少し話してきました。
番組のコメンテーターの一人である、弁護士の小林元治さんから日本司法支援センターの話をお聞きしました。
平成の司法三大改革のひとつとして法律相談のコールセンターが実現するそうです。
裁判員制度がどうも共感できないために、司法改革には否定的だったのですが、このセンターはとても共感できます。
できれば弁護士たちのNPO活動として展開してくれれば、もっと共感できるのですが。
いろいろの分野で、改革は進んでいます。
まだまだ「現場」との距離は大きいですが、全体としてはいい方向に向かっているのでしょうか。
最近、迷っています。
(2005年4月第3週)
今週はいろいろな商品に出会いました。今週は商品紹介特集です。第2特集は平和に関する周辺の動きです。
■水俣愛林館の香り米「万石」(2005年4月18日)
今日、水俣の沢畑さんから、香り米販売のお知らせのメールが届きました。
水俣には見事な棚田があります。
愛林館の沢畑さんが、ベテランの棚田農家Tさんにお願いして、その棚田で育てているのが香り米「万石」です。
一度、紹介しましたが、すごくおいしいです。
これは古代種のもち米だそうです。香りがすばらしいです。
この香り米を、普通のお米に1割くらい混ぜて、お米を炊くと実においしい香りと味になるのです。
香りだけでも感動します。ぜひお勧めします。
価格は200グラムで400円くらいですので、少し高いですが、
その価格の中には、除草剤も使わず、人を雇っての棚田保全している沢畑さんの活動を支援費も入っていると考えれば、安いものです。
詳しくは愛林館のホームページをご覧ください。
http://www7.ocn.ne.jp/~airinkan/
幻の香り米「万石」5個セットが2300円(送料込み)で購入できます。
購入してよかったときっと思えると思います。
お米は本当においしいです。
■血液をさらさらにする松寿仙(2005年4月20日)
ビレッジハウスの山本秀太郎さんが松寿仙を送ってきてくれました。
松寿仙は、古来から知られている松葉健康法の飲み薬です
私のホームページを見て、私の頭が壊れてきていることを心配してのことのようです。
今日、病院でMRI検査をしてもらったのですが、私の頭は幸いにして、腫瘍もアルツハイマーもありませんでした。
脳梗塞は年齢並みに症状があるそうですが、しかし平均よりは少ないそうです。
この意味はよくわかりませんが(症状があるのに少ないから大丈夫?)、まああんまり心配しないでいいそうです。
ですから、山本さんが心配してくれるほどのことはないのですが、高血圧なのに薬も飲まない私を気遣ってくださっているのです。
感謝しなければいけないのですが、この松寿仙はなかなか飲みにくく、怠惰な私は続かないのです。
しかしいろいろと効用を読んでみると、なかなかの優れものです。
赤松葉、クマ笹、朝鮮人参のエキスが主要な原料ですが、血液浄化により自然治癒力を高める効果が高いようです。
山本さんは愛用されているようです。
そういえば、山本さんは風邪を引いたこともなければ、体調が悪いという話も利いたことがありません。
効用はありそうです。
私も一度、高血圧対策で少し飲んだことがあります。
継続しなかったにもかかわらず、血圧は落ち着きました。
高血圧の方にはお勧めです。
最近、私もいろいろなサプリメントを利用するようになりましたが、続いたためことがありません。
困ったものです。
しかし、今回の山本さんの好意には応じなければいけません。
美味しくはないのですが、がんばって愛用するようにします。
松寿仙の案内はホームページでご覧ください。
http://machi.goo.ne.jp/snd/ipid_28560/MID_935/gold/ec/ecDetail.asp
■ガラ紡ふきんはCWSショップの推薦商品です(2005年4月21日)
ガラ紡愛好会の本田量子さんからメールが届きました。
どうもパソコンがダウンしていたようです。
以前、このホームページにも書きましたが、本田さんたちが取り組んでいるガラ紡のふきんは石鹸も洗剤も不要なのです。
わが女房も良いものだと使い出しているのです。
生活感覚からの評価は信じられます。
それでこの製品の普及に加担しようと決めました。
このホームページでも紹介していこうと思います。
CWSショップ推薦商品です。
まわりに配ってしまい、手元に現物がなくなっていたのですが、その発注がようやく本田さんの目にとまったようです。
早速送ってもらうことにしました。
現物を見たい人は湯島のオフィスにお越しください。
1枚500円です。
できればガラ紡愛好会に注文してもらいたいですが、1枚だけほしいという方には在庫があり次第おわけします。
すぐなくなりそうですが。
こうした「優れもの」が、まだまだ埋もれているようです。
このホームページでもそうした物を紹介していこうと思います。
もっとも私の評価眼が頼りになるかどうか不安がありますが、まずは私もしくは我が家で使用したものに限定していきます。
ガラ紡ふきんは、その輝ける第1号製品です。
ガラ紡ふきんとそれに取り組んでいる本田さんたちのガラ紡愛好会は、次のサイトをご覧ください。
http://www.s-palette.jp/~s005garabo/
■キャロル・フランクのアロマエッセンスのパワー(2005年4月21日)
キャロル・フランクは、アロマテラピー(芳香療法)とフィトテラピー(植物療法)の相乗効果によって生まれる「気」のエネルギーを
身体に与えていくフランスのエッセンシャル・オイル商品のブランドです。
この分野はよくわからないので、不正確な表現かもしれませんので、詳しくはホームページをご覧ください。
http://www.carolefranck.co.jp/
この商品に取り組んでいるのが株式会社トランシスの成瀬真二さんです。
成瀬さんに関しては以前も紹介しましたが、志を持った思いのあるアントレプレナーです。
今日は成瀬さんと同社のマーケティング担当の箱石さんとお会いしました。
これまでも成瀬さんからエッセンシャル・オイルの話は聞いているのですが、
今回、なぜキャロル・フランクに成瀬さんがのめりこんでいるのかがようやくわかりました。
エッセンシャル・オイルの本道の商品だからです。
その商品のひとつであるアロマエッセンスを1滴、肌に落としてもらい、塗りこんでみました。
オイルのようなべたつきがないのが特徴だそうですが、確かにそうです。
また効用としては、皮膚の表層ではなく、内部に浸透し、内部から肌にエネルギーを与えていくのだそうです。
愛用されている箱石さんは、これを持ち歩き、何かストレスが生じたときに1滴使うと安心するそうです。
「お守りコスメ」と呼んでいます。
こうなると化粧品というよりも、まさにサプリメントであり、メンタルサポートグッズです。
こうしたカテゴリーの商品はまだ日本にはあまりないようです。
私は化粧品という商品がどうも理解できないのですが、こうした「精気」を呼び起こすものであれば、大きな価値を認められます。
化粧品とは本来、そういうものではないかと思っているのですが、どうも絵の具のような化粧品が増えているような気がしてなりません。
化粧品のリーダー企業である資生堂は、そうした文化の問題にもっと本気で取り組んでほしいです。
企業広告などで、表層的な文化は盛んに口にはしていますが、同社の経営には、どうも文化を感じません。
私の偏見かもしれませんが。
話が脱線していますね。反省。
成瀬さんは、本来的な意味でのエッセンシャルオイルの文化を日本にも広げたいと考えているようですが、
それだけではなく、社会を元気にするような大きな事業展開のビジョンも持っています。
成瀬さんのビジョンにもつきあってみたいと思っていますが、
その前にまず、キャロル・フランクのアロマエッセンスが、どのくらいの優れものであるかを確認したくなりました。
自然からのエッセンシャルオイルのパワーを体験してみたい方、ぜひトライしてみてください。
ただし、ちょっと高いそうです。
しかし、ストレスが解消されるのであれば、安いものかもしれません。
■蔭山京子さんが取り組む大豆加工商品(2005年4月22日)
北海道の蔭山京子さんから久しぶりの電話です。
彼女から電話があるときは、必ず「うれしい事」があったときです。今回もそうでした。
蔭山さんは私と同世代ですが、情熱的なソーシャルアントレプレナーです。
これまでも何回か身体を壊していますが、元気になるとまた走り出すのです。
以前もこのホームページで紹介したことがありますが、
北海道の地場産品を活用した、健康に関わる食品開発が蔭山さんのテーマです。
一時はエゾシカに取り組んでいましたが、いまは大豆です。
大豆の持つ自己治癒力を活用したある商品への取り組みです。
今日は、そのプロジェクトに関する朗報でした。
蔭山さんの仮説が検証されたようです。
これから資金調達と商品化に取り組むそうです。
この商品の具体的なイメージはまだ見えにくいですが、食品です。
効用はまだ企業機密ですが、放射線照射に曝され気味の現代人にとっての福音になるかもしれません。
まあ、ちょっと漠然とした話ですので、40分も電話でお話を聞いたのですが、まだ評価能力がありません。
しかし、こういうリアリティの見えない「わけのわからない話」が私は大好きなのです。
北海道は少し遠いおかげで、直接巻き込まれないのが幸いかもしれません。
全国各地には、いろいろな商品開発に取り組んでいる人がいるのです。
蔭山さんの開発した商品も、いつかCWSショップ推薦商品にしたいものです。
成功すれば、がん患者への朗報にもなるはずです。
■平和に関するいくつかの動き(2005年4月23日)
今週は平和に関するいろいろな情報に接する機会も多かったです。
私の活動を書くよりも、むしろまわりでの動きを少し紹介します。
長いですので、小見出しをつけました。
○寛容さと平和
私は平和に関するメーリングリストに3つ参加していますが、いずれも活発です。
私自身は最近は気分的に投稿する余裕がなく、読み手専門なのですが、読み手に徹することで見えてくることも少なくありません。
あるメーリングリストでは、一人のメンバーが他の人を糾弾するような投稿を行っているのですが、
その内容はともかく、それをめぐるメンバーのやり取りから多くのことを学ばせてもらっています。
糾弾メールは、私が読んでも不快な記事ですから、名指しされた人の不快さはもっと大きいはずです。
メーリングリストのルールに反しているように、私には思えました。
学んだことは二つあります。
ひとつは、問題を起こしている人を除名するかどうかに関する議論の中で、私もお会いしたことのあるHさんからの投稿記事です。
Hさんは除名すべきではないと明言されたのです。
その方の発言を否定されるのではなく、その発言から逆にその方への心遣いをした上で、
「○○さんのご意見はそれなりに何かしらの刺激になりました。
ですからこうした意見を封殺するのは、良くないと僕には思われます」と書かれているのです。
脱帽です。
40代の時に私が行動の基準にしたくて、しかしできずにずっとこだわっていた言葉があります。
「寛容さ」です。
ちょうど、「21世紀は真心の時代」を書いた前後です。
しかし、寛容さを身に着けることはできませんでした。今もってなお、です。
もうひとつ学んだことは、かなり批判的なやり取りの中から、
その方の立場や思い(発言の一部にですが)を理解するという投稿が出始めたことです。
合意形成ではなく、違いを認め合うということの意味を少し学ばせてもらいました。
実は、1か月ほど前に、ユニバーサルデザイン関係のメーリングリストでもある議論がありました。
ユニバーサルデザイン発想で、ライブドア問題や放送の公共性を議論したいという投げかけでした。
その問題提起に対しては、ユニバーサルデザインとはなじまないテーマではないかという意見が最初は多かったのですが、
そのうちにだんだん賛成者が増えてきたのです。
そして議論がどんどん広がり深まったのです。
私は最初の段階で、概念の乱用はよくないと投稿しかけたのですが、
時間がなくて投稿できずにいるうちに議論がその次元を超えだしていったのです。
そういう体験をした直後だったので、なおのこと、意見の多様性や複数性を改めて実感しました。
これが宮本常一さんが指摘している、日本の民主主義なのでしょうか。
公共性というもの、つまり私の関心事である「コモンズの回復」をまとめるのはどうもまだ時期尚早です。
私自身がまだ頭で考えているだけだったようです。
それにしても、Hさんの発言には感動しました。
平和を考えるということは、そういうことなのです。まだ私には現場感覚が不足しています。
もっとも、その後も誹謗のメールは続いており、除名を要請するメールも増えています。
これもまた考えさせられ状況です。なにやら国家の縮図を感じます。
○主張するTシャツの会
コムケアで接点のあるグループに、「主張するTシャツの会」というのがあります。
DV(ドメスティック・バイオレンス)の被害者支援とDVの防止・啓発活動に取り組んでいます。
DVの問題は、公共性と平和の起点にある問題だと思っていますが、なかなかそうした活動との接点の取り方がわからずにいます。
「主張するTシャツの会」は、これまで接点があったDV関係のグループとはちょっと違うようです。
その会が、この週末、代々木公園で開催されるアースデイ東京2005にブースを出し、「主張するTシャツ」展を開くそうです。
私は友人の結婚式や参加しているNPOの総会や、地方から来る友人との約束などで、参加できなくなってしまったのですが。
「主張するTシャツ」とは、DVの当事者、家族、友人がDVに対する思いや気持ちを、自分たちの着ているTシャツに描いたものです。
そうしたTシャツを展示することで、多くの当事者の主張やDVの引き起こす様々な面をたくさんの人たちに知ってもらい、
誰もが尊重される社会の実現を目指したいと、米山さんたちは考えています。
とても気になるイベントです。
○スタンピング平和展
コムケアの関係ではもうひとつ気になる活動があります。
スタンピング平和展です。
この活動は、名古屋市在住の画家松本れい子さんたちが、
9.11同時多発テロ事件から始まった戦争をきっかけに、アートを通して少しでも人々の心に平和を訴えたいと始めた活動です。
小さな版画に平和への願いを込めて彫り、それをスタンプして展示するという来場者参加型展覧会で、版画はもう900枚にもなっているそうです。
すでに10回以上、開催しています。
今月末の29日にも、名古屋の乗西寺の特設ホール(千種区仲田/052-751-3479)で、一日だけの特別展示も行われます。
お近くの方はぜひお出かけください。
松本さんもは時間中はずっといるそうです。
ところで、昨年行われたスタンピング平和展に参加したバルセロナの画家アルベルトプラサさんから、
ぜひバルセロナでもスタンピング平和展をやりたいので参加してほしいという連絡があったそうです。
もしこれまでの版画を持って参加するとすれば、100万円近い費用がかかります。
それをどう調達するかが、問題です。
私も少し企業などに支援のお願いをして見ましたが、残念ながらまだ支援先を見つけられずにいます。
しかし、とてもいい活動ですので、何とかお役に立ちたいと思っています。
どなたか支援先の心当たりはないでしょうか。
松本さんたちのホームページをぜひご覧ください。
ぜひ東京でも開いてほしいです。
松本さんにはまだお会いできていませんが、今年はぜひお会いしたいとおもっています。
○「テロリストは誰?九条の会」のメーリングリスト
1月に発足した「テロリストは誰?九条の会」のメーリングリストのやり取りもすごいですが、活動も盛んです。
毎週のように集まりがあります。
メンバーの活動度もすごく、こうした活動に参加すると新聞やテレビでの情報だけでは何も見えてこないなと思うほどです。
私は最近、生活が混乱していることもあって、なかなか参加できないのですが、大きな影響を受けています。
5月3日にもイベントがあります。
ホームページをぜひご覧ください。
こうした活動がどんどん広がっているのでしょうね。
これこそが地殻変動の実態です。
まもなく社会の枠組みは大きく変わるように思います。
表面に見えているのは、前時代の残渣なのかもしれません。
私の人生に、そうした大きな地殻変動が間に合えばいいのですが、まあ無理かもしれません。
ですからできるだけ、そうした動きに触れていたいと思っています。
○「ぼくの見た戦争」の写真家、高橋邦典さんのホームページ
平和の記事をまとめていたら、偶然にも今日(2005年4月23日)、
高橋さんからホームページに最近の現地の写真をアップデートしたというメールが来ました。
高橋さんは、ブックのコーナーで以前紹介した「ぼくの見た戦争―イラク2003」の写真家です。
今年また取材に行っていたのです。
なまなましい写真が掲載されています。ぜひご覧ください。
http://www.kuniphoto.com/main_ir00_index.htm
http://www.kuniphoto.com/main_kj2005-6.htm
「ぼくの見た戦争―イラク2003」はとてもいい写真集です。
(2005年4月第4週)
今週はまた日記風にしました。
テーマは「新しい物語」のプロローグです。
■新谷大輔さんの結婚式での出会い(2005年4月23日)
新谷さんの結婚式のことを先週書き込まなかったのですが、そこでお会いした何人かの方の話を書いておきます。
その前に結婚式のことですが、新谷さんらしく、自作自演のなかなか楽しい結婚式でした。
教会で行われた結婚式にも参列させてもらいました。
キリスト教徒ではない私にとっては、教会はいつも大きな違和感がありますが、
賛美歌や全体の演出などはそうした違和感を超えて厳粛な気分にさせてくれます。
演出の仕掛けとしても、歴史を重ねてきていることがよくわかります。
私が知っている人は後藤敏彦さん一人でした。
新谷さんのボスの寺島実郎さんと久しぶりに会えるかなと思っていましたが、彼には会えませんでした。
後藤さんは環境やCSRの世界でご活躍です。
私とは違って、メジャーなところで活動されていますが、以前、バルディーズ研究会でお会いして以来です。
京都ソーシャル・アントレ会で活躍しているソーシャル・デザイン・オフィスの浅野令子さんとGRI日本フォーラム事務局長の薗田綾子さんとも同席でした。
それぞれの活動は、とても魅力的ですが、最近、自分がいかに社会からドロップアウトしているかを改めて実感させられました。
みなさんの活動が、なにやら遠く感じられるのです。困ったものです。
お2人から宝酒造で環境活動に取り組んでいた吉田さんが一昨年亡くなられたことを知りました。
日本能率協会の環境提言をまとめた時に、私が唯一、環境経営報告書で「思い」を感じたのが宝酒造の報告書でしたが、それを作られた方です。
一度しかお会いできませんでしたが、また落ち着いたらお会いしたいと思っていた一人です。
まだ若かったのです。無念です。ご冥福を祈ります。
3人の社会企業家支援者にも会いました。
社会起業家ネットワークの服部篤子さんと吉田信雄さん、それに坂本文武さんです。
お名前はいろいろ聞いていましたし、坂本さんの著書も読んでいましたが、ようやくお会いできました。
皆さんも私のことを知っていてくださったようで、すぐになじめました。
これからまたどこかで接点ができるでしょう。
偶然にお会いしたのが、新婦の幼馴染の安藤政登さんです。
名古屋の公認会計士事務所に所属している税理士です。
冠婚葬祭は、人をつなげる場でもあります。
さてどんな物語がこれから生まれるでしょうか。
■手賀沼植木祭(2005年4月24日)
近くの手賀沼公園で高齢の植木市が昨日と今日、開催されました。
年々にぎやかになってきます。
幸いに天気に恵まれて、かなりの人出です。
花は人の心を和ませます。
私は女房に付き合って、よく花屋さんに行くのですが、ここもまた年々混んできています。
余裕の明かしでしょうか、それとも貧しさの現われでしょうか。
いやいや、そんなことを考えていては、植木たちに失礼ですね。
花木や混雑から、いろいろな気をもらいました。
今年から近くの空き地で、小さな家族農園を始めます。
私は主役ではなく、手伝い人ですが、今からそこに植える候補がたくさんあります。
ガラ紡愛好会からもらった和綿の種も蒔く予定です。
■子育ち学ネットワークの設立準備総会(2005年4月24日)
いよいよ子育ち学ネットワーク(旧子育ち学リサーチ・ネット)がスタートします。
今日はコアメンバーが集まってじっくりと方針や会則を議論しました。
子育ち学を提唱し始めた日本福祉大学の小木美代子さんや京都大学名誉教授の上杉孝實さんも、わざわざ遠方から駆けつけてくださいました。
現在の活動を中心になって支えている、立柳さん、星野さん、そして深作夫妻、
それにアフタースクールの楢原さん、スタッフとして関わっている田家さんも参加です。
私もなぜか、巻き込まれてしまっているわけです。
子育てと子育ちは、一文字違うだけですが、意味合いはまったく違います。
私の表現でいえば、制度発想と個人発想との違いですから、まったく正反対の意味と捉えることもできます。
最近は「子育て・子育ち」と並べて使われることが多くなりましたが、
必ずしも意味が十分整理されているわけではなく、語呂合わせのレベルであることが少なくありません。
この会としては、しっかりした子育ち学理論を実践的に構築していくことが目的にあげられています。
この会の活動は長いのですが、組織化の動きは最近始まりました。
それぞれに「思い」が強いですから、そう簡単ではありません。
6月に正式発足、秋には公開フォーラムも兼ねての社会へのお披露目イベントが行われる予定です。
どんな新しい物語が始まるのでしょうか。
「子育て」ではない、「子育ち」に関心のある方はぜひご連絡ください。
■ビジネス界の旧友の来訪(2005年4月26日)
ユニチカの藤原忠裕さんが久しぶりに訪ねてきてくれました。
東レ時代以来の付き合いですが、私が企業から離脱したためになかなか会う機会が少なくなりました。
藤原さんは、今はユニチカの代表取締役常務です。いつもは大阪にいます。
藤原さんは極めてビジネスディシプリンのしっかりしたビジネスプロフェッショナルです。
その藤原さんの関心事は、どうも経済学のようです。
確かに日本の経済学は退屈です。
藤原さんのように、ビジネスの第一線で、身体を張って企業経営に取り組んでいる人から見ると、物足りないことでしょう。
今夜は早稲田大学の大江建さんと会うそうです。
そう言えば、大江さんとも東レ時代、ある会で一緒でした。
そうした人たちとの交流が、会社を辞めてから少なくなりました。
人のつながりは、使い込んでいないとどんどん細くなります。
久しぶりの再開から何か新しい物語が始まるといいのですが、藤原さんは大阪なので、なかなか難しそうです。
■事業型NPOをテーマにしたコムケアサロン(2005年4月26日)
今回のコムケアサロンのテーマは「事業型NPOの面白さと問題点」です。
問題提起はユニバーサルデザイン生活者ネットワークの大矢野由美子さんです。
トステムとの共創活動を踏まえてのお話があり、それに基づいて話し合いました。
今回は新しい人がたくさん参加してくれました。
概要はコムケアのホームページに掲載されていますので、ご覧ください。
事業型NPOとかコミュニティビジネスという言葉が広がっていますが、
何回も書いていますが、その意味合いは非常にあいまいです。
私は、新しい経済システムの主体として捉えていますが、
その「新しい経済システム」の内容もまたあいまいですから、実際には同床異夢の議論が多いです。
しかし、まあ新しい概念の誕生時はそんなものでしょう。
事業型NPOについて議論していくと、NPOとは何かという問題にぶつかります。
今日の議論も、その入り口までたどり着いたように思います。
このテーマでの議論を続けたいという要請もありました。そろそろ研究会をスタートしてもいい頃かもしれません。
帰りはコミュニティアート・ふなばしの下山さんと一緒でした。
このラディカルなアーティストの活動はどんどん広がっています。
時代が下山さんのような人を求めだしているのでしょう。
船橋はますます面白くなりそうです。
■福島県自治研修所での管理者研修(2005年4月27日)
昨年まで行っていた「管理職の役割」をテーマにしていた研修プログラムの内容を見直し、
今年からは「管理者のための政策形成」をテーマに、ソーシャルアントレプレナーシップの話をすることになりました。
毎年5回開催することになっていますが、
新しい試みとして、受講した人たちに呼びかけて、希望者によるメーリングリストを作ることに挑戦してみることにしました。
まさに新しい物語づくりです。
参加者がいるかどうか心配ですが、「つながり」を重視する私としては、私の講義はプロローグにしたいと思っています。
ちなみに私のメッセージは、これからの自治体行政を考える視点とそのリーダーとしての管理者に求められるソーシャルアントレプレナーの勧めです。
そして政策形成とは難しい話ではなく、周辺の気になる風景を納得できるような風景に変えていくことであり、ともかく一歩足を前に出すことだという話です。
まあ、平たく言えば新しい物語づくりのお誘い」です。
夜の懇親会にも参加しました。
こういう場でこそ、面白い話が行き交います。
私の話を聞いて、こんなことをやろうと決めたという話もありました。
うれしいことです。
私の話が契機になり、いくつかの新しい物語が生まれていくことを期待しています。
メーリングリストも始まるといいのですが、これはいささか不安があります。
これまで3年間、福島県に関わらせていただき、さまざまな人に出会いましたが、今年もきっと多彩な人たちに出会うことになるでしょう。
どんな物語が始まるか、とても楽しみです。
(2005年5月第1週)
■それぞれのゴールデンウィーク(2005年5月5日)
今年のゴールデンウィークはいかがでしたでしょうか。
私はほぼ毎日、コムケアの報告書づくりに専念していました。昨年も確かそういう記憶があります。
もっとも世間的には連休ですので、緊張感がないため、仕事ははかどらないのですが。
しかし、メールで伝わってくる、それぞれの連休生活はさまざまです。
あるソーシャルアントレプレナーから連休中に会いたいと連絡がありました。
残念ながらスケジュールが会わず、電話で済ませてしまいましたが、
その人から明け方の5時にメールが届き、締め切りを過ぎていた報告書を今書いているが、もう少しで完成すると連絡がありました。
その人は連休中もきっと私以上に仕事三昧なのかもしれません。
いま、新しいプロジェクトを起こそうとしているのです。
この連休は大学の研究室に泊まって仕事をしています、という別の人からのメールもありました。
この人もソーシャルベンチャーに取り組んでいます。
彼にもあることを頼んだのですが、どうもそれどころではないようです。
私も組織に所属していた時代には、連休はまさに連休でした。
しかし、個人で仕事をするようになってからは、連休はまとまって仕事ができる週になりました。つまり仕事日です。
時間の使い方が一変しました。
連休で仕事以外のことが2つだけありました。
ひとつは足利に藤を見に行きました。満開でした。翌日、テレビでも紹介していましたが、感激しました。ついでに、館林のつつじも見てきました。
もうひとつは農場の開墾作業です。近くの土地を使っての家庭農園です。
農園主の女房に雇われての仕事ですが、農仕事は結構辛いです。
後の時間はパソコンに向き合っていました。
疲れると、最近、飼いだした沢蟹を見ています。
沢蟹を見ているとあきません。
いささか危ない光景ですが。
この生き方から、はやく抜け出なければいけないと思いながら、4年目です。
家族からは、自分で選んだのだから不満をいうなといわれますが、
ついつい不満を言ってしまいます。
■世界の平和を知るための雑誌「軍縮問題資料」が復刊されました(2005年5月5日)
この記事はCWSプライベートにも書きましたが、ここにも書いておきます。
とてもうれしいニュースであり、皆さんにもぜひ読んでほしいからです。
今日、4月で休刊となった「軍縮問題資料」の復刊予告号が届きました。
休刊を惜しむ人たちの尽力で、月刊誌としての復刊が実現したのです。
7月号からまた書店にも並ぶそうです。
この雑誌については、以前も何回か紹介しましたが、私がもっとも愛読していた雑誌です。
書名は硬いですが、中身は読みやすいです。それに広告がほとんどないのがいいです。
1年間の購読料は約1万円です。月額1000円弱です。コーヒー2杯の値段です。
ぜひともご購読をお勧めします。
世界のもうひとつの側面が伝わってきます 。
それ以上に、こうした雑誌を講読することで、平和への活動を応援することにもなります。
次のホームページから申し込みができます。
http://www.heiwa.net/
(2005年5月第2週)
寒い1週間でした。そのため元気が出ませんでした。
元気の素は、やはり自然です。
天気と元気はつながっていることがよくわかりました。
■コムケア活動報告書を書き上げました(2005年5月8日)
連休はコムケア活動の1年間の報告書のまとめにかかりきりでした。
私選した30団体の活動を公開用の報告書にまとめる作業ですが、
改めてそれぞれの活動記録を読み直してみて、こうした活動の広がりとすばらしさを感じました。
社会の実相は決してマスコミなどの情報では読み取れません。
30のプロジェクトやイベントから、時代を変えていくかもしれないと思われるような予兆を感じるものもありました。
それぞれになかなか具体的にコミットしていけないのがとても残念です。
身体が30あると、それも可能になるのですが、今のまま関わりだすと身体がばらばらに壊れそうです。
コムケアの報告書は完成したら、コムケアセンターのホームページに掲載します。
また印刷した小冊子も配布の予定です。
ぜひ読んでください。
■アジアの若者たちに関わる高見沢敏さん(2005年5月9日)
コムケアで昨年ささやかに支援した東京エイリアンアイズ(TAE)の高見沢さんがやってきました。
ちょっとばたばたしていたために、ゆっくりお話できなかったのが残念ですが、
TAEの話ではなく、彼が取り組んでいる留学生支援の活動の話を少し聞きました。
留学生交流団体ワールドユニオンです。
日本は留学生にとってはあまり暮らしやすい社会ではないと、以前、関わっていた数名の留学生たちからも話を聞いていましたが、
今もまだ余り状況は変わっていないようです。
高見沢さんは、これからもアジアに関わっていきたいと考えています。
私にも役立てることがあるかもしれません。またゆっくりと話し合ってみたいと思います。
こうした若者たちの動きの広がりとフットワークのよさは、驚くものがあります。
時代は間違いなく変わろうとしています。
世代交代によって、社会はとても暮らしよくなるでしょう。
新聞を見ていると、その反対のイメージを持ってしまいますが、
きっと社会の実相を編集する新聞社、あるいはテレビ局といった、マスコミの組織文化の実相が大きく反映しているのだろうと思います。
もちろん確かなのは現場の第一次情報です。
皆さん、組織の中で疲れたら、現場に出かけましょう。元気をもらえますよ。
■KAE経営道フォーラム発表会(2005年5月10日)
経営道フォーラム36期生の発表会が明治記念館で行われました。
3つのチームの発表のセッションを担当しました。
テーマは、新しいマネジメントスタイル、新しい企業像、社員をわくわくさせる企業文化です。
それぞれのテーマで半年間、自主研究してきた経営幹部のみなさんが発表するのです。
コーディネーター役として、こんな言い方は失礼ですが、年々、まじめな発表になってきています。
ややひどい言い方をすると、「勉強型」です。それと「言葉」で観察的に語る傾向も強まっています。
これはおそらく企業の実体そのものがそうなってきていることの現れでしょう。
大企業から「気」が失われているのではないかと危惧します。
まあ、そうは言いながらも、今回の発表はいろいろな気づきも与えてくれました。
あるチームはNPOの組織管理の話に気づきがあったようですし、別のチームは家族に本質的なパワーの根源を見つけたようです。
視野が少しずつ企業の外にむき出しています。
企業の外部には、実にたくさんのヒントがあるのですが、企業人はそことのコミュニケーションメディアをあまりもっていないのです。
それがあれば、今の社会が抱えているたくさんのビジネスチャンスとそれを具現化する新しいビジネスモデルに気づくはずなのですが。
来週から37期が始まります。
今度はもう少し直接話法でオリエンテーションすることにしました。
この面白い時代を、もっと企業の人たちに楽しんでほしいです。
■地域情報研究所の魅力的な実践者のお2人(2005年5月12日)
サイクルコミュニケーションプロジェクトの斉藤さんから、
地域情報研究所の田中恒明さんと長岡素彦さんと会うので同席してほしいと頼まれました。
事情がよくわからなかったのですが、同席することにしました。
最初はたまっている課題のことが気になっていて、気もそぞろだったのですが
(何しろコムケアの報告書づくりに忙殺されていて、企業関係の仕事が山積みなのです)、
お二人の話に次第に引きずり込まれました。
とてもいいコメントしてくださっているのです。
私はまちづくりプランナー的な人とはほとんど波長が合わないのですが、
失礼な言い方ですが、長岡さんと田中さんの姿勢にはとても共感できました。
お二人からいろいろなお話を聞かせてもらいました。たくさんの現場をお持ちのようです。
今回、私は同席者でしたが、改めていろいろと意見交換させてもらいたくなりました。
地域情報研究所はバーチャルアソシエーションのようです。ホームページをぜひご覧ください。
学ぶことがたくさんあると思います。
お二人と話していると、どうやら共通の知人友人がいそうです。
私は最近、かなり「ひがみっぽく」なっていて、ほとんどメジャーな集まりやプロジェクトには参加せずにいますが、
メジャーな動きのほうがどんどん活動を深め広げて、社会を変えてきているようです。
離脱者である私は、なにかますます「偏屈」になりたい気分です。困ったものです。
■NPO法人ヘルスケア・リレーションズの瀬戸加奈子さん(2005年5月12日)
インキュベーションハウスのメンバーで、いま大学院でも学んでいる菅野弘達さんが先日、
大学院での発表会でコムケアの話をしてくれたのですが、その話を聞いて、興味を持ってくれた人がいます。
ヘルスケア・リレーションズの理事の瀬戸さんです。
ヘルスケア・リレーションズは、患者中心の参加型医療の実現を目指して、理想と現実とのギャップを埋める研究、実践活動を行なっているNPOです。
5月22日には、患者中心の参加型医療研究大会も開催するそうです。
今年でもう5回目です。プログラムはとても魅力的です。
この日はめずらしく私は企業関係のビジネスの日なので、参加できないのがとても残念です。
瀬戸さんから活動の一部をお聞きしました。
一昨年は、入院を経験された方から「衣」「食」「住」に関する要望を集め、医療サービスの改善や新規商品の開発に役立てる調査も行ったそうです。
とても魅力的な活動をされています。
「患者中心の参加型医療」、初めて聞いた言葉です。
とても気になる言葉ですが、少し考えてみたいと思っています。
瀬戸さんと話していたら、和田務さんの名前が出てきました。
医療ジャーナリストです。もう20年近くお会いしていませんが、とても懐かしいお名前です。
そういえば、瀬戸さんは栗橋病院の本田宏さんもご存知のようです。
医療の世界でのつながりも少しずつ形になりそうな気配もあります。
医療分野に関しては、コムケアでも何かプロジェクトを起こしたいと思っているのですが、なかなか実現できません。
瀬戸さんとの出会いで、ぜひ何かを実現したいと思い出しました。
■光フレッツ導入顛末記(2005年5月13日)
我が家の情報環境を光フレッツに変えることにしました。これが大変なことになってしまったのです。
新聞のチラシ広告を見て、あまり考えることなく、電話で導入を頼んでしまったのです。
しかもかなり中途半端に、です。自業自得です。
5月2日に光ケーブルが導入されましたが、内部配線のことを考えていなかったため、すべてのパソコンのネットが使えなくなりました。
我が家では家族全員がそれぞれパソコンを使っているのです。
全員からクレームです。私も仕事の関係で困ったのですが、
そのときはなぜか奇跡的にルーターもないのに全員のパソコンが使えるようになったのです。
ルーター購入後、工事に来た人がなぜ使えたのかわからないと不思議がっていました。
しかし、まあそんなものです。
機械も困っている人は助けてくれるのです。
工事会社などといろいろ行き違いがありました。
私はあるところに申し込んだらすべてやってくれると思っていたのに、なんと関係者は4社もあったのです。
その4社がまた連絡不十分で、おかしくなってしまい、それによく理解していない私が熟慮せずに発注したりして、話がややこしくなったようです。
そのせいか、工事代無料だったはずなのに料金を取られてしまいました。
納得できなかったのですが、まあ、私のほうにも理解不足の非があるのであきらめて支払いました。
複数の企業とのややこしいやり取りはエネルギーを消耗しますし。
実は混乱はこれだけではなく、翌日、もっと大きな問題が発生しました。
移行にともない、いろいろとプロバイダーからのサービス項目をいじっているうちに、
これまた後先考えずに、あるサービスを解除してしまったのです。
いまはボタンひとつで解約も契約もできるので慎重さが必要ですが、
私はどうもその慎重さがなくて、すぐクリックしたくなるのです。
大事件?が発生しました。他の人に迷惑をかけてしまったのです。
プロバイダーになんとかしてほしいと頼んで、修復してもらいましたが、反省しました。
家族からももう少し慎重に行動するようにと厳重注意でした。反省。
それにしても 、電話回線はどんどん仕組みが変わってきました。我が家は2年周期で変わっています。
ISDN、 ADSL、そして光フレッツです。
その都度、ルーターやいろんな機械を買わないといけません。
どうも納得できませんが、新しい仕組みが出てくると、自然と変えたくなってしまうのです。
困ったものです。
ようやく昨日、完全移行が終わりました。
これからはネットやメールは便利になるのでしょうか。
光に変えた人からは、あまりいい評判は聞こえてこないのですが、どうなるのでしょうか。
■「生命・きずなの日」記念祭(2005年5月14日)
「生命・きずなの日」をご存知でしょうか。例年でいえば、5月17日です。
日本ドナー家族クラブ主催の第3回「生命・きずなの日」記念祭が行われました。
このイベントにはとても思いがあります。
書き出すと長くなるのでやめますが、ぜひ参加したいと思いながら、都合がつかずこれまで参加できませんでした。
それを見越してか、代表の間澤さんご夫妻が私の出番を作ってしまったのです。
参加しないわけには行きません。
参加させてもらいました。
感動しました。素晴らしい会でした。
もっと多くの人に聞いてほしかったです。
ドナー家族のことを、私たちは余りにも知らなさすぎます。
オーストラリアと大阪のドナー家族の方がそれぞれご自分たちの体験と思いをお話になられました。
感動すると同時に、世間の不条理を感じました。
臓器を贈られた方のお話もありました。研究者のお話もありました。みんな心に響くお話でした。
ドナーとはちょっと別の分野の人が3人、お話しました。
NPOライフリンクの鈴木七沖さんとNPO海から海への阿部愛子さんです。お二人の話も感動的でした。
いずれのNPOもコムケア仲間です。
コムケアの関係で、この3つがつながったのです。こんなにうれしいことはありません。
しかも、会場には全国マイケアプラン・ネットワークの3人のメンバーも来ていました。
私も話をさせてもらいました。皆さんの話と違って、迫力のない話になってしまいました。
その上、時間を短くしようと持っているうちに、一番いいたかったことをいい忘れてしまいました。
困ったものです。歳のせいでしょうか。
一番いいたかったのは、
ドナー家族のこの輪をもっと広げて、大きな「いのちときずなのキルト」をつくっていきたいというメッセージでした。
日本ドナー家族ではドナーファミリーキルト作りに取り組んだのですが、
私にはそのキルトづくりこそ、コムケアの活動が目指す「つながり」の象徴のように感じていたのです。
ドナー家族の人たちと触れ合ったのは今回が初めてです。
そして、ようやく間澤さんたちの思いを少しだけシェアできたように思います。
会場には海から海への阿部さんの娘さんの絵が展示されていました。素晴らしい作品です。この絵は海から海へのホームページで少しだけご覧になれます。
海から海への阿部さんご夫妻からの、コムケアはいろいろな元気をいただいています。
いろいろな会に出て、いつも思うことですが、関係者だけの会をもっと外に向けて開いていく必要を感じます。
ドナー家族以外の人に聞いてもらいたい話ばかりでした。聞かせてもらった私は幸運でした。
こういう場に、もっといろいろな人に来てもらいたい。
来年は、もっとさまざまな人をお誘いするお手伝いをしたいと思いました。
来年も5月に開催されるはずです。
ぜひ皆さんご参加ください。世界が大きく変わります。
■病のときは恵みのとき(2005年5月14日)
「いのち・きずなの日」記念祭でお会いしたライフリンクの鈴木さんから1冊の本をいただきました。
記念祭で鈴木さんはお話の最後に、「病気になったら」という詩を読み上げましたが、その詩の本です。
素晴らしい詩です。
鈴木さんは出版社に勤務されています。
その本の紹介をブックのコーナーに書きました。
詩の題は「病気になったら」です。
詩の最後は「病のときは恵みのとき」です。今の私にはかなり実感できます。
とても優しい詩です。もし病気になったらぜひお読みください。
病気が治らなくても元気になれるかもしれません。
本でできることはたくさんあります。
出版社の人はぜひ考えてほしいものです。
私も昔は詩作をしていました。
女房と付き合っていたときには、毎日1作書いて送っていました。
しかし、あまりにもわけのわからない詩が多いため、不本意ながら女房はあんまりうれしがりませんでした。
当時の私のお気にいりは、「金魚が泣いたら地球も泣いた」でした。
「空の青さに思わず死んでしまった」というのも記憶に残っています。
友人の結婚式のときにも詩を読んだことがあります。
これもまたよくわからない詩でしたが、友人が気に入ってくれていたのです。
たしか「いまスクラムのとき」だったでしょうか。
わけのわからない詩ではなく、こうした素直な素晴らしい詩を書けばよかったと後悔します。
当時も今も、素直なはずなのですが、
当時は詩になると、その素直さがもっと素直になってしまうために、誰にも伝わらない言葉になってしまうのです。
まあ、これは言い訳ですが。
昔書いた詩を探して読み直してみようかと思います。
本になるような詩が見つかるといいのですが。
(2005年5月第3週)
今週は企業の経営幹部、NPOのリーダー、行政の管理職の人たち、という3つのセクターの人たちとゆっくりお話できる機会がありました。
そして、 たくさんの「楽しみの芽」に出会えた週でした。
それらがどう育っていくかが楽しみです。
■日本経営道協会市川覚峯さん(2005年5月17日)
聖俗の世界をつなぐ異色のコンサルタントの市川覚峯さんが、協会の常務理事の江口裕司さんと一緒にやってきました。
市川さんは以前も何回か書きましたが、尋常ならざる人です。
比叡山、高野山、吉野山で、3年間にわたり、命を賭けた修行をしてきた人です。
千日回峰行を2度も成し遂げた光永覚道さんや松長有慶さんとも交流があります。
今も毎年、山に行に入ります。
時々ここで紹介するKAE経営道フォーラムの創業者でもあります。
私は、市川さんに誘われて、経営道フォーラムに巻き込まれているわけです。
今は別の活動拠点を開き、独自の活動をしています。
たとえば、企業の経営者を山に引率し、行体験を疑似体験するようなこともやっています。
不思議なパワーを持っている人です。
山から下りて、今年で10年です。一つに節目です。
いろいろと意見交換させてもらいました。
企業の経営者の生き方が問われだしています。
彼の培ってきた知見やネットワークが、これからはとても大切になってくるように思います。
お悩みの経営者がいたら、彼に会うといいです。元気がもらえるでしょう。
そうでない場合もありますが。はい。
■コムケアアドバイザー会議(2005年5月17日)
コムケア活動をこれからどう展開していくかは、私の悩みの一つです。
しかし、コムケアにはたくさんのサポーターの皆さんがいます。
そこで困ると声をかけさせてもらうわけですが、今日もご多用の中を集まってくださいました。
こうやって集まってくださる方々に、コムケアのコアメンバーとして運営委員になっていただいて、
運営委員会をつくるという提案をさせてもらい、了解をいただきました。
それぞれが自らの現場をもちながら、多彩な活動をされている方ばかりです。
これで悩みは解消されるでしょう。いや、そうだといいのですが。
コムケアの資金助成プログラムに関してもいくつかの提案がありました。
やはりいろいろな人の話を聴くことは効果があります。視野が広がるのです。
ありがたいことです。視野が広がると、大変さも増すわけですが。
コムケア仲間が一緒になって、コムケアのプラットフォームを活用したプロジェクトをぜひ起こしてほしいという呼びかけもさせてもらいました。
きっと何かが動き出すでしょう。楽しみです。
それにして、これだけの人たちが応援してくださることには深く感謝しなければいけません。
参加してくださったみなさん、ありがとうございました。
■不思議なイノベーター下山浩一さん(2005年5月17日)
コムケアのサポーターのみなさんは、それぞれに実にパワフルで魅力的なのですが、その一人が下山浩一さんです。
不思議な人です。
この人のことは、ぜひ下山さんのブログ「鳩の目日記」で体感してください。
いささか危ない人の気配もあります。もちろん、これは「褒め言葉」です。
コムケアの集まりの後、帰路が一緒の方向なので、いつもご一緒させてもらいます。
その間、いつも刺激的なお話を聞かせてくれます。
今日は高校における若者たちの話です。
下山さんは高校の先生なのです。
現場に関わっている人の話は実にたくさんのことを教えてくれます。
先週も書きましたが、さまざまな現場で展開されていることはほとんど他の人には見えてきません。
現代の特徴のひとつは、現場がみえなくなったことです。
つまり非情報化が進んでいるのです。
テレビや新聞は、現場を見せる努力をしながら、実際には逆に現場情報を見えなくしているようにも思います。
きれいに編集してしまうからです。
下山さんの話は中途半端には書けませんが、
高校生を通して見える社会の実相が下山さんの精力的な活動のエネルギーなのでしょう。
下山さんのように、たくさんの現場情報や現場体験を通して、10年後が見えている人たちがいます。
そうした知見が集まって、なにかを創発させていく仕組みがブログネットワークかもしれません。
それにしても下山さんは不思議な人です。
雨のときも傘をささないのです。
■KAE37期スタート(2005年5月18日)
経営道フォーラムの第37期がスタートしました。
その最初の合宿です。
最近、このフォーラムでの活動も「研修」的になってきました。
そこで今回のオリエンテーションでは、いくつかの注文をつけさせてもらいました。
調査発表、研究発表ではなく、自らが主体的な当事者になってのメッセージ性を重視してほしいということです。
せっかく企業の経営幹部として活躍している人たちが半年かけて取り組むのですから、本気になればかなり大きなことが出来るはずです。
経営学者とは全く違ったメッセージがだせるはずです。
「研究活動」というと、どうも文献整理や調査に終わりがちですが、実はそれは出発点に過ぎません。
それに文献や調査対象によって、全く違った方向の示唆を受けかねません。
中途半端な文献読み込みや調査、インタビューは、危険性もあるのです。
そのため、私は最初から本を読むのは避けたほうがいいとアドバイスしています。
これはなかなか難しいようです。
左脳ではなく右脳を活かしてほしいと期待しているのですが、さて、どうなるでしょうか。
楽しみです。
経営道フォーラムの基本にあるのは、故山城章教授の実践経営学、日本経営学です。
山城さんは私が会社に入ったころに、すでに定評のある経営学者でした。
私見ですが、価値論を踏まえた経営学を提唱していた経営学者はあまりいなかったように思います。
ですから私にも印象に残っていた学者です。
米国の経営手法を紹介するだけの経営学が多かった時代です。まあ、今よりは少しレベルは高かったようには思いますが。
私はこの経営道フォーラムがスタートした時から関らせていただいたおかげで、山城さんのお話も聴く機会がありました。
経営道フォーラムを展開している山城経営研究所は、
いま、改めて山城経営学の原点に立ち返って、著書の読み直しをしているそうです。
その成果が楽しみです。
■福島県自治研修(2005年5月19日)
福島県での研修講義の2回目です。
前回は欲張りすぎたので、ちょっと話す内容をスリム化したおかげで、何とか時間内に予定のプログラムを消化できました。
まあ、1日半のプログラムを4時間でこなすと言う挑戦ですので、大変ですが、実に刺激的です。
今回はかなり手ごたえも感じました。
ある人が、政策形成力をテーマにした研修なんて、どうせ役に立たないと思ってきたが、
今取り組もうとしていることにヒントがもらえたといってくれました。
私の「暴論」に共感したと話しかけてきてくれる人もいます。
自己満足ですが、こういう手ごたえがあればこそ、こういう活動もやっていけるのです。
今回は、参加者に、それぞれの新しい物語づくりに取り組むことを呼びかけたのですが、
またいくつかの物語が生まれそうです。実に楽しみです。
自治体の現場は実に面白いです。
いくつかの村の人にも会いました。
福島には面白い自治体がたくさんありますが、村の人と話していると何か実感が伝わってきます。
やはり自治体は村が良いです。日本を30万の村にわけると、きっといい社会になるでしょう。
市町村合併による自治体制度の改革は、おそらく見事に失敗して、解体していき、残るのはやはり村、というのが私の未来展望です。
まあ、50年はかかるでしょうが、そうなっていくと確信しています。
もちろんそのときには国家も、今のようなものではなくなっているでしょう。
今生では間に合いませんが、次に生を受けたときには、そうなっているはずです。
来世を楽しみにしています。
福島の安達太良山と吾妻小富士が見事でした。
■久しぶりの山形市(2005年5月20日)
山形市に久しぶりに行きました。
と言っても、2か月ぶり程度ですが。
七日町商店会の宮崎亙さんとお会いしました。久しぶりにゆっくり話しました。
宮崎さんとももうかなり長い付き合いになります。
2回のサミットを「共創」したのですが、いずれも面白い体験でした。
宮崎さんは山形市のど真ん中でいくつかの事業を展開していますが、今日はそのビジョンを少しお聞きしました。
こうした勢いのある住民と話していると、その地域の行政や地域の実態が見えてきます。
久しぶりに市長ともお会いしました。元気そうです。
山形市とはかなり長い付き合いなので、いろいろな人に出会います。
今回、偶然に会ったのは佐久間さんです。都市交通問題に取り組んでいる若者です。
これからは、こういう若者が地域を変えていくのでしょう。
地域が豊かになるということは、こういう若者たちが増えていくことだろうと思います。
以前書き込んだように、山形市では一時期、NPO支援にコムケア方式を取り入れたいという話があったのですが、
このプロジェクトは担当部門と私の考えに少しギャップがあったために白紙になりました。
少し残念ですが、少しホッとしています。
今回は共創係には時間がなくて立ち寄れませんでしたが、担当の小田さんたちがうまく展開してくれるでしょう。
今日は蔵王と月山がとてもきれいでした。月山はいい山です。
■ユニバーサルデザインでハコモノが変わった(2005年5月21日)
ばばこういちさんのテレビに毎月出演していますが、今回のテーマは「ユニバーサルデザインでハコモノが変わった」です。
こういうと、バリアフリー設計にしたおかげで、利用しやすくなったという話だと思われるかもしれませんが、そうではありません。
公共施設を使い手を主役にして再生させたら見事に大成功したという話です。
最近有名になってきた、千代田区の「ちよだプラットフォームスクウェア」の話です。
面白い事例です。ホームページをぜひご覧ください。
ご存知の方もいるでしょうが、長い間赤字に苦しんでいた千代田区役所の中小企業センターを民間からの企画募集をして昨年新しくしたところ、
たちまち黒字経営になったという事例です。
ともすると、民間に任せたからと捉えられがちですが、そうではないように思います。
ポイントは、使い手が作り手になり、運営も始めたことです。
関係者みんなが主役になる仕組みを要したことです。
組織からの発想ではない、個人からの発想のアプローチです。
この仕組みづくりに取り組んだプラットフォームサービス社の藤倉潤一郎さんがゲストです。
誰かのための仕組みづくりではなく、まさに自分のための仕組みづくりをしていることが伝わってきます。
楽しさも一緒にです。
全国に余り使われていない公共施設はたくさんあります。
それを資源として提供し、何かやりたい人に提供したら、その多くはきっと面白い物語を生み出すでしょう。
無駄なものとはいえ、せっかく作った施設を壊したり、ただ同然で売却したりする社会保険庁や省庁のやり方は無策の上乗りです。
「ちよだプラットフォームスクウェア」は実に示唆に富んでいる事例です。
多くの人が視察に来ているそうですが、学ぶべきことを学んでくれていることを願います。
形だけの類似事例が広がることだけは避けたいものです。
最近の自治体の職員には期待半分、失望半分です。
我孫子市ではどうなるでしょうか。ちょっと不安を持ちながら、しかしとても楽しみです。
我孫子市の人も視察に行っていますので。
(2005年5月第4週)
疲れがたまっていたせいか、風邪を引いてしまい、しかもそれをまたこじらせたようです。
風邪菌に身体を預けて、元気のでない1週間を過ごしました。
■40年ぶりの柏崎(2005年5月22日)
叔母が亡くなりました。
100歳の誕生日を迎えた翌日、眠るように逝ったそうです。
仕事やイベントなど、山積みの週末だったのですが、何とかわがままを通させてもらって柏崎に行きました。
40年ぶりです。
私は過去のことに興味がもてないタイプなので、両親の出身地であり、
しかも戦争中から戦後にかけて私自身住んでいた柏崎にも、大学卒業後、行ったことがありません。
そんなわけで、柏崎に行くのは久しぶりでした。
久しぶりの柏崎はさびれていました。
駅前の大きな商店街は私が40年以上前に行ったときとほとんど変わっていないような気がしました。
しかし、人がいないのです。
少し時間があったので、柏崎港まで行ってみました。
ここもまた40年前のような雰囲気でした。
さまざまな施設ができており、地元の人は大きく変わったと話してくれましたが、どこが変わったのかという感じでした。
都会人は「変化」にも麻痺しているのかもしれません。
商店街でにぎわっている店が1軒だけありました。
美堅屋です。ここは昔からの地元銘菓「明治饅頭」のお店です。
まだ昔のままの姿で売られています。食べてみましたが、味も余り変わっていません。
子どもの頃はお土産品としてはめずらしく美味しい饅頭だと思っていましたが、美味しくありませんでした。
それでも人気があるらしく、「明治饅頭」は一番いい場所に置かれていました。
日曜日は郊外のスーパーと大型パチンコ店がにぎわっているらしいです。
市街から人がいなくなるわけです。
町の作り方が、どこかで間違っているように思います。
柏崎駅からまっすぐに商店街を歩いていくと日本海です。
その気になれば、とても面白い空間になるでしょう。
誰かその気にならないものでしょうか。
こうした地域が日本には多すぎます。これもきっと「組織起点の発想」のためなのでしょう。
とても残念です。
■クリエイティブマネジメント研究所の井口哲夫さん(2005年5月24日)
久しぶりに井口哲夫さんが訪ねてきてくれました。
井口さんは企業経営のコンサルティングや人材育成の活動を独自のオリジナリティを大切にしながら、展開している人です。
井口さんのところのホームページは、このホームページともリンクしていますので、ぜひご覧ください。
ホームページを見ると、その人柄がわかりますが、井口さんの誠実さと思いの高さが感じられるはずです。
井口さんと話していて、いつも感心するのは、いつも「自分たちの生活リズム」を大切にしていることです。
一人で会社をやっていると、先行き不安感から仕事をどんどん入れてしまいかねないのですが、井口さんはそうではないようです。
私は今でこそ、仕事は極力やらない姿勢を大切にしていますが、
一人で仕事を始めた時は、来る仕事は拒まないようにしていました。
最初、2回ほど断ったら、その人からは2度と仕事は来ないことを経験したからです。
井口さんはもう10冊ほどの本を出版されているそうです。
その最初の本が、このホームページのコモンズ書店で「無料販売」している「創造性科学論」ですが,
この本はもう絶版になっており、アマゾンでは、なんと1万5000円の高値がついているそうです。
これは著者にとってはうれしいことでしょう。
ちなみに、その本はまだコモンズ書店には在庫があり、無料販売中です。
そういえば、井口さんからは「無料販売」はおかしいので「贈呈」にリライトしてほしい旨の要請がありました。
井口さんは、そういう几帳面さにあふれた人なのです。偏
屈な私は、その要請を受け入れませんでしたが。
企業経営や人材育成のお仕事があれば、ぜひ井口さんに相談してください。
■沈黙の春を読む会の定例会(2005年5月24日)
沈黙の春を読む会は、名称を「レイチェル・カーソン日本賞準備委員会」に改めたのですが、どうも実態にそぐわないので名乗りにくいです。
このホームページでは、しばらくは「沈黙の春を読む会」で行きたいと思います。
今回は環境倫理の問題ではなく、リーダーシップの議論でした。
メンバーの茶之木淳さんが最近翻訳出版した「統率者の哲学」が材料です。
たくさんの事例を材料にして、とてもわかりやすく書かれた本です。
管理の時代のリーダーシップ論と真心の時代のリーダーシップ論とは違いますし、
組織起点の発想でのリーダーシップ論と個人起点の発想でのそれもまた全く違います。
もちろん私はいずれも後者の視点で考えていますので、この本は、残念ながらいずれも前者の視点での議論です。
しかし、話をしていて、リーダーシップ論とは新しい組織構造原理の話なのだということに気づきました。
関係性としてのダイナミックなリーダーシップ論といってもいいでしょう。
面白そうなテーマです。
この本では21の「法則」がまとめられています。
それを見ながら思いついたのが、複雑系の議論でよく出てくるBOIDです。
鳥の群れがビル街を飛び交うアニメーションを作ろうと苦労していた人が、
全体のシステムからのアプローチを止めて、個々の鳥にある条件をつけたら見事な群れの動きが実現したという話です。
その条件はたった3つです。
@近くの鳥たちが数多くいるほうに向かって飛ぶ
A近くの鳥たちと飛ぶ速さと方向を合わせようとする
B近くの鳥や物体に近づきすぎたらぶつからないように離れようとする
これと同じ発想で、リーダーシップの構造を考えたら、きっと3つくらいにまとめられるかもしれません。
これも魅力的なテーマです。
本当に面白いテーマが山積みです。
私が数年前に書いた、リーダーシップ論を近いうちにこのホームページにもアップしたいと思います。
■水曜倶楽部(2005年5月25日)
風邪をひいてしまいました。
一昨日からおかしかったのですが、今朝起きたら発熱していました。それにのどがとても痛いのです。
今日の夜は山本秀太郎さんが主催している水曜倶楽部のサロンでお話しすることになっていたため、午前中は休んで寝ることにしました。
なんとか元気になって、水曜倶楽部に参加しました。
話している途中で、少し気分が悪くなり、頭が混乱して話も論旨不明になった気もしますが、なんとか役割を果たすことができました。
意見交換もとても面白かったです。
話しているときは何とかもちましたが、帰りの電車の中で疲労がドッとでてきて、座っていても辛い感じでした。
家に戻ってすぐに寝ましたが、おかげでどんな会話があったか全く思い出せません。
しかし、いくつかの物語が始まりそうな感じを持っています。
きっと誰かが訪れてきてくれるでしょう。
水曜倶楽部は、場所は青山のシティクラブで、雰囲気もディナースタイルです。
ちょっと非日常の雰囲気があります。
湯島のオープンサロンとは全く違います。
ご関心のある方は山本さんをご紹介しますので、ぜひ一度参加してみてください。面白人に出会えます。
ちなみに、このときのことをCWSプライベートに書いたら、参加者の東山さんたちが投稿してくれました。
お時間の許す人は、そちらも読んでください。
■食育講座畜産編が始まります(2005年5月27日)
食育が話題になっていますが、私もその通信講座を応援しています。
以前、ご紹介し、受講生も募集していましたが、その時は「野菜編」でした。
これは私のホームページもしくはメールから5人の人が受講してくれたおかげで、その紹介料が8500円入りました。
私の最初のネットビジネス売り上げです。
額は少ないのですが、仕組みが利益を上げる体験を始めてしたわけです。
今度、新たに「畜産編」がスタートしました。
その事務局をやっている Bay Creation の桐生一郎さんと JOBA の加藤雅之さんがやってきました。
また販売代理店をすることにしました。
今度は売り上げ10万円を目指そうと思います。
みなさんの周りで受講してくれる人はいないでしょうか。ぜひご紹介ください。
ただし、CWS経由で申し込まないと私の成績になりません。
これをどうするかが問題です。聞くのを忘れてしまいました。はい。
まあ、受講希望者はぜひ私のメールください。
次のサイトからも申し込めます。畜産編と指定してください。
http://www.shokuiku.info/cws/index2.html
食育が話題になる背景には食育基本法制定の動きがあるからです。
法がつくられると利権が発生し、そこに新しいビジネスが誕生するのですが、
そのビジネスとは「儲け」の仕組みが創られるというだけのことであり、本当のビジネスではありません。
私のように、ホームページに案内を出し、それに応募してくれる人がいると自然に1割がもらえるというような不労所得の仕組みができるだけです。
それをビジネスといって良いかどうかは大変疑問です。
しかし、この15年、組織を離れて仕事をしてきて、そうした仕組みの多さにいささか驚いています。
簡単に言えば、汗をかかない人ほど儲けられる仕組みができているのです。
逆に言えば、汗をかいていると儲けられないのが今の社会かもしれません。
「働く仕事」と「稼ぐ仕事」が分離され、後者が主役になってきたわけです。
私にとって居心地がいいのは、汗をかきながら利益を上げられない人たちの世界です。
その人たちが得ているものは、お金よりもきっと価値のあるものなのでしょう。
だから、一緒に居て、気持ちがいいのです。
話がとんでもない方向に来てしまいましたが、食育講座の受講生募集中なのです。
そして私は販売代理店。余計なことを言って混乱させてはいけません。
私は食育には大きな関心がありますが、どうもビッグビジネス的に捉えると危険です。
ましてや農水省の後ろ盾でおかしな仕組みができることは避けたいです。
ですから、こうしたNPOの皆さんが中心になって展開している活動を応援したいのです。
この通信講座の仕組みは面白い可能性をたくさん持っているように思います。
いつか、加藤さんや桐生さんたちと、新しい物語を創出できればと思っています。
そのためにも販売代理店の実績を上げなくてはなりません。
■やはり3人だけのオープンサロン(2005年5月27日)
湯島のオープンサロンが再開されたことを知らない人が多いようです。
今回も2人の人から今日はあるのかと問い合わせがありました。
1月は例年のように参加者はそれなりでしたが、その後は2回とも3人です。
そこで、前回の報告では、しばらく3人サロンを続けようかと書きましたが、今回もなんと3人だったのです。
思いは通ずるものです。
高校のとき、こんな経験があります。
全校試験の順位発表が行われることになりました。
400人くらいの生徒数だったと思いますが、たしか50番まで発表することになりました。
私は発表されたくないと思いましたので、51位を目指すことにしました。
これは実に面白い挑戦です。
1番は、トップであろうとビリであろうと、目標にしやすいですが、51番は簡単ではありません。
ところが、結果は見事51位だったのです。
以来、その気になれば、そうなるのだという不遜な自信が身につきました。
その種の体験は、その後もいくつかありました。
まあ、総体的にははずれのほうが多いのかもしれませんが、的中だけが記憶に残り、そのせいかいささか性格がゆがんでしまったようにも思います。
いやはや。
まあ、そんなことはどうでもいいのですが、
今回の3人は岸田能和さんと小林貴博さんと武田文彦さんです。
岸田さんは、今、とても面白い仕事をされているようです。
最近はよく中国にいかれているそうです。
中国という国は、私たちが考えているような国家概念ではない、というようなお話をされました。
たしかにそうでしょうね。
今回は私の暴論(本当は正論なのですが)が糾弾され、女房までが「敵」に回ったので、孤軍奮闘でした。
しかし、最後に小林さんが理路整然と総括?したのですが、それは私が言いたかったことなのです。
私が言うと指弾され、小林さんが言うと説得力があるのはなぜでしょうか。
やはり人徳の違いなのでしょうか。困ったものです。
さて次回はどうしましょうか。
やはりサロン再開の案内を出したほうがいいでしょうか。
まあ、それも退屈ですので、次回の目標人数を決めることで、それが実現するかどうかを試すことにします。
次回の目標人数は7人に設定します。
今の延長ではありえない人数です。
さて結果はどうでしょうか。もし的中したら、私には不思議なパワーがあることが証明されたことになります。さてさて。
(2005年6月第1週)
考えることの多い週でした。
テレビの国会中継もよく見ましたので、考えても無駄かなと思う週でもありました。
■ コミュニティスト東山高志さん(2005年5月31日)
東山さんはコミュニティストを名乗っています。
コミュニストではありません。コミュニティ+イストです。
ホームページをご覧いただきたいと思いますが、様々な活動に取り組んでいます。
映像製作や編集が一番得意の分野のようです。
東山さんと出会ったのは先週の水曜倶楽部の集まりでしたが、
その後、CWSプライベートにも数回投稿していただき、結局、お会いすることになりました。
発想に共通する点が多く、いつかどこかで接点ができそうな、世界の重なりを感じました。
特に映像関係での仕事を一度ご一緒したいものです。
話題になった話の一つが、ニーと問題ですが、そこで東山さんの『天の岩戸作戦」の話が出てきました。
詳しくは東山さんのブログに出ています。
http://plaza.rakuten.co.jp/ideaeast/diary/200505310000/
東山さんのパーソナリティが伝わってきます。面白いです。
半分共感します。まだ身体が動き出すまでにはいたりませんが。
しかし、私が一番関心を持ったのは、東山さんの生活基盤である住居です。
東山さんの会話によく出てくるのが「同居人」なのです。
その住居は、どうも4家族がシェアしているようなのですが、
そのメンバーがそれぞれ違った活動をしながら、やわらかくつながっているようなのです。
場所は都心のど真ん中です。都内は自転車で動いているようです。
新しいライフスタイルと新しいワークスタイルを感じます。
何かコラボレーションできるテーマを見つけたいと思っています。
■ NPO法人科学技術倫理フォーラムの杉本泰治さん(2005年5月31日)
科学技術倫理フォーラムは杉本さんの深い思いで立ち上げたNPO法人です。
その杉本さんからいろいろなメッセージをもらっているのですが、これまでなかなか対応できずにいます。
魅力的なプログラムの提案もいくつかいただきました。
たとえば「コーポレートロー」の基本テキストづくりのプロジェクトです。
日本には知的成果を蓄積するテキスト体系の文化がありませんが、会社法の分野でそれを構築したいという構想です。
中途半端に関わっただけで実現できませんでした。
このプロジェクトは、いまでも残念に思っているプロジェクトです。
本気で経営学の構築を考えている学者にとっては、面白いテーマだと思うのですが、これは私だけの考えかもしれません。
その杉本さんが、いま、老いの一徹と言えるほどにのめりこんでいるのが、科学技術倫理です。
これは私が17年前に会社を辞めた時に考えたテーマの一つですので、私にも魅力がありますが、
中途半端には関われないテーマなので、どうも躊躇してしまい、中途半端な関わりしかしてきませんでした。
杉本さんから、NPOに関して相談したいと連絡があったときには不安がよぎったのですが、
やはり予想通りの結果になってしまいました。
杉本さんたちのご尽力で、科学技術者に関わる倫理問題に関しては、
かなりの知見と実績が科学技術倫理フォーラムに蓄積されてきました。
それをさらに進化させる一方で、そろそろ社会への情報発信や働きかけに取り組んでいく必要があります。
それを私が引き受けることになったわけです。
時間的にすでに破綻しているのに、あまりにも無謀なのですが、
ゆっくりで良いという話なので、仲間を募って、プログラミングすることにしました。不安はかなりありますが。
まずはNPOの総会で企画を提案させてもらい、来年にはイベントを開催する方向で考えようと思っていますが、まだ仲間がいません。
そもそも科学技術者の倫理問題に、ソーシャルな視点から行動的に興味を持ってくれる人は決して多くはありません。
いないわけではありませんが、そういう人は個別の問題に真剣に取り組んでいますから、一般論には時間をなかなか割けない状況です。
そんなわけで、これから仲間を2人は見つけたいと思っています。
どなたか仲間になってくれる人はいませんか。
あるいは周りにどなたかいませんか。
これはとても大きなテーマです。しかし、楽しみながらやれればと思っています。
ご関心のある方はご連絡ください。詳しくご説明いたします。
■若者たちの思い(2005年6月2日)
今日は2人の学生と話しあいましたが、そのうちの1人のことを書きます。
茨城県で学生中心のNPOを主宰している石井邦知さんです。
東京に出てきているので会いたいというので、時間があまりなかったのですが、用事の合間をぬって上野駅で会いました。
石井さんは卒業後、個人を元気にしていく手伝いをする活動に取り組みたいのだそうです。
いわゆる「就職」はしないことに決めたようです。
まずは自らのパワーを磨くために、さまざまな場に参加しているとのことです。
しっかりしたビジョンを持って、自らの力とネットワークを高めている若者の顔は、いつも輝いています。
いまは、そうした生き方ができる時代なのです。
私たちの世代も、彼らに対して、何ができるかを考えていくことくらいはできそうです。
なぜ就職しないのかと質問したら、企業には余り魅力を感じないと言うような答えが返ってきました。
若者に魅力を感じさせない組織は先がないでしょう。とても残念です。
もう一つ残念なことがあります。
彼は今、自らを高めるためにあるベンチャー企業の活動に関わったり、あるNPOが主催する研修講座を受講したりしているのですが、
そうした場が大学の中にないことはとても残念なことです。
本当に学びたいことを学べない大学と言うのは一体何なのか、とても気になります。
そうした思いから、静岡大学の半田教授は、super
College of Tokyo構想を打ち出していますが(この研究会もまた再スタートします)、
大学もまた若者には魅力のない場になってきているのかもしれません。
企業も大学も魅力を失いつつある。これはよく考えなければいけない問題です。
働くことも学ぶことも、いずれもわくわくする楽しいことだったはずなのですが、
なぜか最近は退屈なものになってきてしまっています。
■病院での3日間(2005年6月3日)
今週は女房と一緒に1日置きに病院に行っていました。
最近の病院は、ホスピタルと呼んでもいいくらい、ホスピタリティが重視されてきています。
しかし、 それでもかなり疲れます。
いつかも書きましたが、病院は人の気を吸い取るところかもしれません。
幸いに、私たちが通っている病院は国立のせいか、
施設も明るく医師やスタッフに余裕があるので救われますが、小さな病院だともっと疲れます。
なぜでしょうか。
病院をもっと元気が出る場にしたいという思いで活動しているWAPのホスピタルアート活動もありますが、
病院という場を、そこにきた人を、癒すのではなく、エンパワーするような場にしたいものです。
病院という空間の持つ場の力を研究している人はいないでしょうか。
どなたかそんな病院をつくろうという人はいないでしょうか。
病院で過ごしているときに、いつも思うことです。
(2005年6月第2週)
体調は戻りました。体調が戻ると面白い話が入りだします。不思議なものです。
コムケア活動もいよいよ本格的にスタートです。
■我孫子市の富樫道廣さん(2005年6月7日)
我孫子市民の富樫さんから話をしたいと連絡がありました。
ずっと昔、まちづくり研究会なるものを知人が立ち上げた時に初めて富樫さんに出会ったのですが、富樫さんは山形市出身でした。
私が山形市に関わりだした頃の話ですが、私を山形市に巻き込んだ舟山さんの友人でした。
そのため、お互いに親近感が生まれ、ちょっと気になる存在でした。
その後、景観形成市民会議でまた出会いました。私は我孫子市よりも外に関心を向けていたのですが、
富樫さんはしっかりと我孫子での活動を深められていました。
富樫さんとは数か月前にもお会いし、その構想をお聞きしていましたが、今回はちょっと違う話です。
前回、美野里町で住民の人たちと一緒に作成したまちづくり計画(都市計画マスタープラン)を差し上げたのですが、
それに共感してくださったのです。
そして、ある問題を契機に、そうした地区計画をつくりたいという相談でした。
契機になった問題が、実は大きなテーマなのです。
私はまちづくりとは物語づくりだと考えていますが、その物語づくりに関わる問題です。
我孫子市は白樺派の文人が別荘を持ったり住んだりした地域です。
今もその跡が残っていますが、それは大きな地域資源です。
しかし、それもだんだん風化し、開発の影響を受けかねません。
富樫さんはそれを危惧しています。
そうした地域資源を活かし育てるのが都市計画だと私は思っていますが、
残念ながら今の都市計画はハード指向ですから、物語などと言う概念はなじみにくいのです。
ビジョンは創られますが、住民の生活や息吹は感じられないことが多いです。
富樫さんもそれに不満なのです。同感です。
そんなわけで、富樫さんの活動に参加することにしました。
先行きが見えない話があるとつい惹かれてしまう。
どうもこの性格は直りません。さて、どうなりますことやら。
■第24回コムケアサロン(2005年6月7日)
今回の話題提供者は須田正子さんです。
埼玉県坂戸市で「よりあい*ええげえし」というボランティアネットワークをやっています。
それ以外にも実に多彩な活動をしている元気な人です。
ちなみに「ええげえし」とは相返しのことだそうです。
まさに私が考えている大きな福祉の理念の本質です。
私はコムケア活動を始めた当初、こうした活動にあまり関心を持っていませんでした。
むしろ明確なテーマを持っている市民活動を基軸にして、それらの新しいつながりを育てていけないかと考えていました。
しかし、そうした考えがいかに頭だけの発想かを思い知らされたのが、
高知県の宅老所「えびす」が主催した幡多昔むかし祭での体験でした。
それに関しては、その時の報告をお読みください。
そこから改めてコミュニティケアやまちづくりについて考えるようになりました。
その精神が、たとえば美野里町の都市計画マスタープランづくりにも大きく影響しています。
同時に、かつて書いた、「賢い住民」ではなく「賢くない住民」による自治こそが、基本だと言う思いに確信を深めました。
誤解がないようにいえば、ここでの賢さは逆説的に使っています。
これに関しても、私のまちづくり理念の小論をぜひお読みください。
サロンの内容はコムケアセンターのホームページをお読みください。
今回はたくさんの人に聞いてほしかったのですが、ちょっとこじんまりとした集まりになってしまいました。
しかし久しぶりに武藤さんが参加したり、初めての小島さんが参加してくれたりして、いいサロンになりました。
須田さんたちの活動はまさに内発的かつ自律的なまち育ちの活動です。
なによりも素晴らしいのは、肩に力をいれずに、心から楽しんでいることです。
しかも深い心配りをしながら、です。
それにしても、須田さんのようなパワフルな女性たちがまた生活を主導しだしたことに、時代の転換期を見る思いです。
生活者おそるべし、です。
■いわき市の自治体内分権(2005年6月8日)
恒例の福島県の管理者研修に行きました。
今回は残念ながら宿泊できなかったので、みなさんとゆっくり話をする時間がありませんでした。
しかし、ちょっとした時間の合間に、参加者のお2人から、
3月まで現場でやってきたが、管理職になって本庁に異動になってからは仕事が楽しくなくなったという話をお聞きしました。
ここに今の組織の本質的な問題があるように思います。
仕事は楽しくなければいけません。
どうしたら楽しくなれるか、それが私の講義のポイントなのですが、
最近は仕事に楽しさを求める人が増えてきました。うれしいことです。
講義はまた欲張りすぎてしまいました。10分超過。困ったものです。
時間がなくて話はできなかったのですが、坂口正治さんに久しぶりに会いました。
私は坂口さんがあるニューズレターに書いた「いわき市の地域内分権」に興味をもったのですが、
それを知って最近書いた論文「自治体内分権の展望と公益」をくれました。
面白い論文です。まもなく公表されるそうです。
「住民参加」と言う言葉が盛んに使われますが、これまではまやかしでした。
なぜ断言できるかと言えば、住民は抽象概念であって、実体概念ではないからです。
意見はばらばらで、くくれるわけがありません。
ですから誰を「住民」に選ぶかで全く別の意味を持ってくるのが、これまでの「住民参加」です。
支配するには好都合の概念なのです。しかし実体はありません。
まさに権力者が好む言葉なのです。
もし本当に住民の意見を重視するのであれば、
住民一人一人が意見を発信できる仕組みとそれを自律的に編集する仕組みが不可欠です。
それを可能にするのは、個人起点の発想での住民自治組織の形成です。
NPOもその一つと言っていいでしょう。
「自治体内分権」の動きは各地でありますが、ひねくれ者の私としては、どうも信用できないのです。
発想が組織発想だからです。
しかし、実態を持った動きも育ちだしている予感はありました。
いわき市がそうかもしれません。
いわき市では市民まちづくり団体と行政のワーキンググループ方式でまちづくりへの取り組みが始まっているそうです。
地域内分権が実現するためには、住民側にしっかりした地域住民自治組織が育っていくことが必要です。
このテーマは、まさに坂口さんの専門分野なのです。
論文を皆さんにお見せできないのが残念ですが、ご関心のある人は坂口さんをご紹介します。
また発表されたらご案内します。
このテーマはとても興味がありますし、私のテーマである「コモンズの回復」の、まさにコアテーマでもあります。
いつか坂口さんとご一緒できればと思っています。
福島に講義に来た日は、高沢公信さんといつも昼食が一緒です。
高沢さんはP&Pネットワークの代表です。
いつも雑談なのですが、今回はコムケアの話をしてしまいました。
うれしいことに興味を持ってくださいました。
高沢さんは、創造力開発や問題解決力向上などの研修やプランニングのお仕事をされています。
ご関心のある方はホームページをご覧ください。
■21世紀委員会(2005年6月10日)
多摩大学教授の北矢行男さんは私が信頼する経営学者です。
その北矢さんから頼まれて、いいちこの会社(三和酒類株式会社)の21世紀委員会で話をすることになりました。
最近は企業での講演はあまりしていないのですが、気楽に話していいというので引き受けました。
参加メンバーをみたら、会社関係者以外はほぼ全員知り合いでした。
最近は会っていない人が多いのですが。
テーマは「当事者たちのつながりによる社会のリフレーミング」にしました。
なにやらややこしいテーマですが、まあ私が最近やっていることの話です。
話した後の意見交換はとても面白かったです。
山本哲士さん(スイス・ジュネーブ国際学術財団)が口火を切りました。
「ソーシャル」ではなく「プライベート」が重要だと言うのです。
実は私の話も、いつものように、個人起点の時代へのパラダイム転換がメッセージですので、全く共感できました。
昨日までスイスにいたとのことで、ジュネーブでの動きを話してくれました。とても納得できる話でした。
河北秀也さんも「つながる」ことの意味を話してくれました。 これも同感です。
大宅憲一さんは「主体性」という言葉に反応してくれました。
まあ、みんなそれぞれ切り口は違うのですが、どうも展望は同じようです。
平林千春さんや伊藤洋子さんにも久しぶりに会いました。
最近は、こうした世界からどんどん離脱していますが、時にはいいものです。
「21世紀は真心に時代」を書いた頃から、私の21世紀のイメージはほぼ変わっていませんが、
さまざまな情報を分析し、現場に出かけていったり人に会ったりしながら、社会の展望を考えていた当時がとても懐かしいです。
わくわくするような発見の毎日だったのを覚えています。
この21世紀委員会では私もとても刺激を受けました。
■「デセプション・ポイント」(2005年6月10日)
「ダヴィンチ・コード」で話題になったダン・ブラウンの「デセプション・ポイント」を読みました。
最後の終わり方に不満はありますが、実に面白かったです。
題名のように、どんでん返しの連続です。電車の中だけで読んだので、3日もかかってしまいましたが、
電車の待ち時間にも読んでしまうほどの面白さです。
ダン・ブラウンの小説はリズミカルなのがいいです。
これは昔、フォーサイスに出会ったときを思い出します。
いくつかの話が並行的に進んでいくモンタージュ風の展開がなんともいえません。
それに文章がビジュアライズされているのです。
物語の内容は紹介できませんが、国や自らの信念を守るために無関係な人を殺すというコラテラル・ダメッジがリアルに描かれています。
しかし、人を殺してまで守るべき国とは何なのでしょうか。
この本にも出てきますが、「少数を犠牲にして多数を救え」というのは便利な言葉なのです。
典型的な「組織発想の時代」の哲学です。
この大義に裏付けられて日本型リストラがまかり通っているわけです。経営者にとっては、良心の呵責なしに。
しかし、個人発想の枠組みの中ではこれは大義にはなりません。
最近はフィクションをほとんど読まないのですが、ダン・ブラウンにますますはまってしまいました。
皆さんにもお勧めします。
主人公のレイチェルは、情報を分析してメッセージを読み取ることのプロフェッショナルです。
私はプロにはなれませんでしたが、企業時代は少しだけそんな仕事をしていました。
これは実に刺激的な仕事でした。
最近はそうした緊張の場がなくなっていることに気づきました。
ちょうどいま、あるビジネスプロジェクトにかかわりだしているのですが、
そこで少しそんな議論もしてみようかなとも思っています。
しかし、 残念ながらそんなことが無意味になってきているのが今の日本のビジネス社会かもしれません。
■うれしい話(2005年6月11日)
このコーナーで書いていること以外にも、毎週、いろいろなことがあります。
ビジネス絡みと個人的すぎる話、家族の話は極力自粛しているのですが、
むしろそうした話にこそ書き残しておきたい発見やドラマがあります。
私が比較的、元気が出たり元気を失ったりするのは、そういう世界での事件が原因であることが多いのです。
今回は少し書いてしまいます。
といっても内輪話になってしまいますが。
根本さんの就職が決まりました。
これは実にうれしい話です。
根本さんは今まで何回か登場していますし、最近、フォーラムに「職安:求人票の「年齢不問」の嘘」という投稿をしてくれた方です。
とてもうれしいです。
長崎の南里さんから電話がありました。
東京に出てきたのです。
南里さんとは古い付き合いです。
長崎県のCIに取り組んだときにささやかに応援したのが付き合いの始まりですが、
いろいろとドラマのある付き合いをさせてもらいました。
最近は、諫早湾干拓問題で意見の違いから話をしないようにしていましたが(彼は一時、長崎県の農水部長だったのです)、
今は人事委員会にいますので、まあ話もしやすくなりました。
残念ながら会う時間がありませんでしたが、元気そうだったのでうれしかったです。
彼も大病をしたのです。
残念と言えば、高知県の宅老所えびすの豊永恵美さんも東京に出てきたそうで、電話がありました。
時間が合わずに会えませんでした。
豊永さんのことは今週も書きましたが、幡多昔むかし祭のときに出会って以来のお付き合いです。
元気なお年寄りに囲まれているせいか、年々若返っているようです。
女房が元気になったら、また出かけていかなければいけません。
そんな人たちが全国に少しずついます。
不思議なことに、思い出すと連絡があるのです。
ガラ紡のフキンの話を紹介しましたが、
浜松市の本田さんはいよいよガラ紡績機の動態保存のために機械を引き受けることにしたそうです。
そのためてんやわんやのようです。
やっと連絡が取れたのですが、元気そうな声におされて、ある質問を忘れてしまいました。
和綿の栽培の北限を聞いてほしいと福島の矢部さんから頼まれていたのです。
可能なら綿の栽培に加担してくれると言うのです。うれしい話です。
もっともフキンのほうは、なかなか売れないです。
私が持っていくのが男性たちの集まりのせいかもしれません。
男性は行動よりも思考が得意なようで、誰も買ってくれません。
まあ買ってくださいといわないからかもしれません。
兵庫の社会福祉士の小山美代さんからも手紙が来ました。
今度は家庭介護のリハビリ関係の仕事に移られたのです。
小山さんはコムケアの理念に共感してくださり、ずっと応援してくれています。
1度しかお会いしていませんが、私の精神的な支えの一人です。
とまあ、こんな感じでいつも皆さんから元気をもらっているわけです。
さまざまな人たちとのつながりが私の元気と幸せの源です。
みんなの声がとても明るかったのが、とてもうれしいです。
(2005年6月第3週)
入梅したのに初夏のような日が続きました。今年は空梅雨のようです。
■住民活動の難しさ(2005年6月14日)
我孫子市で活動をしている3人の人とお会いしました。
どうも今の行政の姿勢に不満を感じているようです。
そういえば、先週お会いした富樫さんからも、行政と相談したが、やはり住民が中心になってグランドデザインをつくらないとだめだ、と言ってきました。
いつかも書きましたが、行政はがんばらないと怒られ、がんばっても怒られる不幸な存在です。
住民参加のまちづくりは難しいのです。
バラバラの住民がNPOなどで実体化しだしたと私は考えています。
しかし、実際にはそのNPOがまたバラバラなのです。 それをつなげる仕組みがありません。
結局はいいように行政に利用されているのが多くの実状です。
しかし、それでは住民も行政も不幸です。
今回お会いしたのは立場の違う人たちですが、その一人が森谷良三さんです。
実践者です。実践者の発言はとても共感できますし、シンプルです、今回もとても共感をもてました。
我孫子市は市民活動支援やコミュニティビジネス起こしなどではかなり話題を提供している自治体です。
補助金制度や福祉問題でも先端的な試みをしています。
ですから、私などが入り込む余地はありません。
私はうまくいっているところには興味を感じないタイプなのです。
昨年来、いろいろな人から問題提起や相談を受けていますが、汗をかく気になれないのは、まあ我孫子のまちづくりは順調に進んでいるからです。
しかし、参加型まちづくりや協働発想に否定的な私としては、不満も少なくありません。
それに講演や講座に来る人たちの多くを知っていることもあって、そのマイナス面も見えてしまいます。困ったものです。
そんなわけで、もうひとつ自らが関わる気になれないのです。
今回はかなり問題を指摘されました。
まさかそこまでは、と思いながらも、3人の人から異口同音に訴求されるとその気になってしまいます。
もう一度、少し人数を増やしての話し合いをすることにしました。
もしこれを読んでいる方の中に我孫子市民がいたらぜひ私にメールをくれませんか。
そして一緒に我孫子市に新しい風を起こしませんか。
お待ちしています。
■SEGNET
再スタート(2005年6月15日)
新しいソーシャルベンチャーを起こそうとしている若者の会の再スタートです。
ノーマライゼーション・ネットに取り組んでいる矢辺卓哉さんは就職したのですが、彼も参加してくれました。
相変わらずですが、2か月の会社生活を活かしていることが伝わってきて、とてもうれしかったです。
彼は障害を持つ人の働く場づくりをライフワークにしていますが、その夢に向けて着実に進んでいるようです。
矢辺さんが就職したので、SEGNETの事務局長は斉藤正俊さんに代わりました。
サイクル・コミュニケーションズの斉藤さんです。彼も今、その事業の立ち上げで大忙しです。
今回は新たに3人が参加しました。
まずはぐっぴーの石井邦知さん。コムケアの応援にも馳せ参じてくれています。
先日、石井さんの思いはお聞きしていますが、なかなか行動的です。
石井さんが同行してくれたのが梅本高行さんです。
自分の体験を踏まえて、居場所のない若者たちが主役になれる場をつくりたいと考えているようです。
そして着目したのが「祭り」です。
着目はとてもいいですが、それを事業にしていくのはかなりの工夫が必要です。
まあすでにいろいろな取り組みがあるからです。
彼は学生ですが、大学に企業にもほとんど魅力を感じていないようです。
しかしネガティブにではなく、ポジティブに、それを超えていこうと考えているようでとても共感できます。
「グスクの海」プロジェクトに取り組んでいる小島裕さんも参加してくれました。
先週のコムケアサロンに参加してくれたのでお誘いしたのです。
ゲームと社会貢献をつなげていこうというビジョンを持っています。
ホームページをぜひご覧ください。
参加者が改めて、それぞれの思いや夢や活動を紹介しあいました。
予定では7月にイベントを開催する予定なのですが、時期は遅れるかもしれませんが、面白くなりそうです。
私はそろそろ距離を置いてもよさそうです。
この集まりはできるだけオープンプラットフォームにしていこうというのがみんなの思いです。
みなさんのなかに参加したいという人がいたら、ぜひご連絡ください。
社会に新しい風を起したいという方であれば、きっといい仲間が見つかるでしょう。
■福島県自治体職員のみなさんとのメーリングリスト(2005年6月16日)
とてもうれしいニュースです。
福島県の管理職研修で、今年は受講者にメーリングリストの提案をしています。
これまで3回呼びかけましたが、参加者がいなかったのですが、今日、2人の参加者がありました。
他にも2人、正式ではないのですが、連絡があったので、メーリングリストをスタートさせようかと思っています。
これからはネットワーク資源がとても大切ですが、なぜかみんなネットワーク資源を大切にしません。
名刺交換は盛んにやりますが、その後のフォローはみんなあまりやりません。
私は月に30〜50人の新しい人との名刺交換をしますが、できるだけ名刺交換した人には数日以内にメールを送ります。
しかし、半分以上は返事がありません。
交流する意思がないなら名刺交換しないほうがいいと思います。
念のために言えば、私は自分から名刺交換することは少ないですが、その場合は、その後も交流したいからです。
人のつながりは、使えば使うほど太くなります。
余計なことをかいてしまいましたが、福島県のメーリングリストが実現したことはとてもうれしいです。
まあ維持していくのが大変です。
事実、私が呼びかけて作ったメーリングリストが二つ休眠状態になっていますので、そのメンバーの方がこの記事を読んだら怒るかもしれません。
新しいメーリングリストをつくるより、今のメーリングリストを大切にしろ、というわけです。
しかし、私はどうも維持するのが苦手で、創るのが好きなのです。
困った性格で、皆さんに迷惑をかけています。すみません。
しかし、これを契機に休眠しているメーリングリストも再開しようと思います。
休眠状態のメーリングリストは、「風のまち」と「CWSコモンズ村」です。
メンバーの皆さんすみません。7月中に再開しますので、お許しください。
■美野里町まちづくり組織条例が制定されました(2005年6月16日)
私が昨年まで関わっていた茨城県の美野里町の「まちづくり組織条例」が正式に制定されたとの連絡がありました。
諸般の事情で、最後はあまり関われませんでした。
私にとっては、美野里町への働きかけの集大成的な意味をもっていましたし、
全国初のまちづくり組織条例という名前も提案させてもらっていたので、
いささか寂しいですが、しかしまあ制定できたことは喜ぶべきでしょう。
「まちづくり組織条例」先週、書いた坂口さんの地域内分権の仕組みづくりです。
そうした大きなパラダイム転換のビジョンがあるかどうかで、条例の意味合いは全く変わってきます。
この条例を活かして、ぜひ美野里町の住民の皆さんにはがんばってもらいたいと思っています。
■コムケア資金助成プログラム(2005年6月17日)
コムケア資金助成プログラムの枠組みが漸く決まりました。
今回はいろいろとあって、もう止めようかと思ったほどでしたが、なんとかまとまりました。
今日、募集を開始しました。
今回も「大きな福祉」を目指す新しいプロジェクトを支援していきたいと思いますので、
もし資金助成を受けたいというグループがあれば応募してください。
募集の詳しい内容はコムケアセンターのホームページをご覧ください。
そこにも書いていますが、応募段階から相談に応じます。
資金助成など不要だが、仲間になりたいという団体もいますが、そういう方も大歓迎です。
ついでにご案内ですが、コムケアのメーリングリストもとても面白いです。
だれでもが気持ちよく暮らせる社会を目指したい方はぜひ参加してください。
実践者が多いですから、いざと言うときにはいろいろとアドバイスをしてくれる仲間の集まりです。
参加ご希望の方は、私にでもコムケアセンターにでもネールをいただければすぐ登録します。
コムケアの資金助成プログラムが始まることは、半分はうれしいのですが、半分は辛いのです。
また心配で朝早く目が覚めてしまう3か月が始まるのです。
しかし、今年からコムケア仲間に声をかけて運営委員会を発足させました。
みんなにきっと助けられて、私のやることはなくなってしまうかもしれません。
それもまた、半分うれしく半分つらいですね。
コムケア活動への思いは複雑です。困ったものです。
(2005年6月第4週)
梅雨なのに初夏のような毎日でした。西日本は水不足になってきているようです。
■高崎から榛名山(2005年6月19〜20日)
女房の検査結果があまり思わしくないこともあり、薄氷を踏む思いの毎日なのですが、
検査結果がわかるまでに旅行をしておきたいという女房の提案で、急に家族4人で伊香保温泉に行くことにしました。
こんなことでもないと家族旅行などは無理でしょうが、本当に久しぶりです。
しかも今回は自動車で行くことになりました。
ついでに、姪が嫁いでいる高崎に寄ることになりました。
姪の義父母はとても気さくな人で、結婚式以来初めてなのですが、これまたある理由で、女房の病気をとても心配してくれているのです。
19日に出発し、その日は伊香保に泊まりました。
石段のある温泉街ですが、時期はずれなのか、さびれていました。
翌日は赤城山を経由して帰ってきました。赤城山の白樺牧場のレンゲツツジは見事でした。
途中、ぐんまフラワーパークにもよりました。
今回も花を見るコースでした。女房は花が大好きなのです。
ぐんまフラワーパークでは私は花壇の横のベンチで寝ていましたが、女房は元気で回っていました。
私は人に会うと元気が出ますが、女房は花を見ると元気になるのです。
暑かったせいもあって、観光地や高速道路のサービスエリアで、ソフトクリームがどんどん売れていました。
私も食べましたが、その売れ行きはすごいです。
それにしてもみんなよく食べますね。飽食の時代とはよくいったものです。
「千と千尋」を思い出してしまいました。
天罰がくだらないのがおかしいくらいです。
■ライフリンクの清水康之さん(2005年6月21日)
ライフリンクの清水さんが来てくれました。
清水さんは昨年自殺予防対策センターライフリンクというNPOを立ち上げ、自殺遺族のつながりづくりに取り組んでいますが、
その活動のおかげで流れは大きく変わり出しています。
最近のマスコミは盛んに取り上げていますし、
遺族の方々の発言の場も広がりだし、社会問題としての位置づけがきちんとできつつあります。
政治の流れにも大きな影響を与えてきています。
そのため、清水さんの生活は超多忙になっているようです。
その合間に、コムケアセンターに来てくれ、これからのコムケア活動に関して親身になったアドバイスをしてくれました。うれしいことです。
清水さんの時間感覚からすると今のコムケアは冗長すぎるでしょうが、とても誠意をもってコムケアと付き合ってくれているのです。
コムケアはこうした人たちによって支えられています。
清水さんと話していると元気が出てきます。
コムケア活動も、少し戦略的に動く必要があります。
その点がかなり欠落していたことは否めません。
これは一重に私のパーソナリティの問題です。冗長で試行錯誤的で、持続力に欠けているのです。
しかし、今日、清水さんと話していて、行き方を少し変えることにしました。
初心に返って、コムケア活動を次のステップに進めたいと思っています。
ところで、清水さんはフィンランド出身の国会議員ツルネン・マルティさんともつながりができたそうです。
ツルネンさんとはかつて「アンテナ市民活動」をやっていたことがあります。
議員になってからはお会いしていませんが、立候補の頃、湯河原の彼の自宅に招待されたことがあります。
彼の人柄と生活ぶりがよくわかりました。
湯河原には私の仕事場があるのですが、最近はほとんど行ったことがありません。
今度行った時に久しぶりに伺ってみようかと思います。
■我孫子市市民活動支援課との意見交換(2005年6月23日)
我孫子市は市民活動にいち早く着目し、その視線に力を入れています。
その中心になっているのが市民活動支援課です。
課長の青木さんには私もいろいろとお世話になっていますが、
私自身が我孫子での活動をあまりしていないので、心苦しい気がしています。
先日来、何人かの人から行政との関係で相談があったこともあり、今回は少しコミットした活動をすることにしました。
私も各地のまちづくりに関わっているおかげで、住民の論理と行政の事情をある程度知っていますので、
双方の善意のすれ違いを解きほぐすことはできるかもしれません。
今回のとりあえずのテーマは、駅前にできる市民活動サポートステーションの運営に関することです。
我孫子市では市民活動をしている人に呼びかけて、準備委員会を発足させ、
そこにさらに運営形態を考える作業部会を置き、たたき台をつくってきました。
その説明会を開いたのですが、そのあたりから現場を持って活動している住民たちから異論が出てきたのです。
今日は我孫子で地域コーディネーター役をしている藤田幸子さんと一緒に市民活動支援課を訪問しました。
藤田さんは様々な活動をしています。彼女のホームページも見てください。
行政と住民との関係は非常に多様であり、複雑です。
住民参加とか行政と住民の協働とか、言葉は気楽に使われますが、実体を構築するのは至難です。
それは住民が抽象概念であり、実体概念ではないからです。
住民を実体化するためのNPOも、まだ主体性を持ったところはそう多くはありません。
とりわけ行政の補助金などを期待して行政に集まってくるグループは、組織発想の時代の市民活動ですから、
そこに依存してしまうと行政も立ち行かなくなります。
また「支援」という言葉も微妙です。おこがましさもありますし、控え目な逃げの姿勢もないわけではありません。
私 は「共創」という言葉にはまっているので、少し抵抗がありますが、しかしまあ、今の時代状況では適切な言葉なのでしょう。
我孫子市には市民活動に対する7つのルールがあります。
その一つは、「カネを出すなら口も出せ」です。
つまり補助金を出す以上は、その相手の行動にも責任を持てということでしょう。
問題は「口の出し方」です。ルールをもう一歩、実践的にしないとマイナス面も出てきます。
今日は、かなりざっくばらんに話させてもらいましたが、やはり話し合いがまだまだ不足している気がします。
それは行政だけではありません。住民側に関しても、です。
7月に住民サイドの話し合いを持つことにしました。
それを踏まえて、もう一度、青木さんたちと話し合おうと思います。
■現役シニアの金田英一さん(2005年6月24日)
金田さんとはいろいろと重なる世界があります。きっかけはパウサニアス・ジャパンです。
古代ギリシアを楽しむこの会を最初に話し合ったのは銀座でした。
代表の吉田行雄さんと3人でカレーライスを食べながら金田さんにお会いしました。
シニア社会学会を立ち上げた守永さんの紹介でした。
いずれの会からもいま一時休会させてもらっていますが、いずれも面白い会です。
金田さんの紹介で新潟水辺の会にも参加させてもらいました。
その会の活動の一つは新潟市の掘割を復活させることだそうです。
金田さんはそれにはまっているようで、各近江八幡など地の掘割や水郷をまわっているようです。
韓国にまで行っています。 金田さんはともかく行動的なのです。
もう一つの接点は社会教育です。
雑誌「社会教育」編集長の近藤真司さんが私たちの共通の友人なので、金田さんと会うと必ず彼の話が出ます。
金田さんは介護の関係で新潟と東京を行き来しています。
新潟は私の両親の出身地です。
そんなわけで金田さんは、新潟市長に引き合わせてくれたり、いろいろと私を新潟につなげるご尽力をしてくれています。
怠惰な私はそれに応えられずにいます。
金田さんはまた、若い頃に私がいま住んでいる我孫子市に住んでいたのです。
我が家の比較的近くです。
このように金田さんとは実にいろいろな接点があるのです。
そして私をいろいろな形で応援してくれているのです。
サロンの前に久しぶりにゆっくりお話しようと思っていたのですが、私も金田さんも話し好きなために雑談をしているうちにサロンの時間が来てしまいました。
金田さんとの久しぶりの情報交換はそんなわけでまた延期になりました。
しかし金田さんはお元気そうでした。
活動している人はいつも元気です。
■今回のオープンサロンは7人?(2005年6月24日)
オープンサロンは再開したのはいいのですが、3人サロンが続いていました。そして、先月はこう書きました。
次回の目標人数は7人に設定します。
今の延長ではありえない人数です。
さて結果はどうでしょうか。もし的中したら、私には不思議なパワーがあることが証明されたことになります。さてさて。
結果は微妙でした。参加者は5人でした。
ところが私と女房を含めると7人になるのです。
さて、私の不思議なパワーは立証されたのでしょうか。いや無理ですかね。
まあ、それはともかく、初めて参加の岡田修さんから
学校で「君が代」斉唱を強制している東京都の姿勢をみんなどう考えているのかという刺激的な質問がありました。
彼は公務員なのですが、公務員ではない人たちの受け取り方を知りたいというのです。
ちなみに岡田さん以外の参加者は、金田英一さん、紀陸幸子さん、武田文彦さん、藤原雅夫さんです。
それぞれにしっかりした意見を持って行動している人たちです。まあ、いささかの偏りはありますが、はい。
意見は分かれました。それは健全なことです。
しかし問題は、こうした人たちにすら、いま東京都の学校で何が起こっているのかがあまり知られていないということです。
ニーメラーの教訓を思い出しました。
ちなみに君が代に関しては次の記事を思い出してもらえるとうれしいです。
○君が代が歌えない渡邊さんの話
○コスタリカの若者とコスタリカ政府の対応の話
岡田さんはまた、歌舞伎町の活かし方にも関心を持っています。
これに関しては以前も書きましたが、その発想に共感がもてます。歌舞伎町議論も面白かったです。
紀陸さんの建築模型の活動は順調に発展しているようです。
スクール事業は広がっていますし、新しいプロジェクトにも取り組みだそうとしているようです。お元気そうでした。
藤原さんとは久しぶりです。
最近手がけた本だといって「日本人の宗教『神と仏』を読む」(黒塚信一郎著)をお土産に持ってきてくれました。
ブックのコーナーで紹介させてもらいましたが、面白い本です。
靖国を考えるのであれば、国会議員もこのくらいのことを踏まえて議論してほしいものです。
武田さんは今回は少しおとなしかったです。
君が代論にはもちろん激しく反応しましたが。
まあそんなわけで、6月のオープンサロンは楽しく終わりました。
次回の目標はどうしましょうか。右肩上がりで、10人に設定しましょう。
みなさん、よろしければぜひご参加ください。
意味のない無駄な公共空間なのですが。
■グレートブックスセミナー実践研究会スタート(2005年6月25日)
日本構想学会の研究会として、グレートブックスセミナー実践研究会がスタートしました。
今日はそのコアメンバーの第1回ミーティングです。
久しぶりに半田智久さん(静岡大学)と猪岡武蔵さん(会社人になりました)に会いました。
外岡淳也さん(教育出版)とも久しぶりです。
メンバーは10人なのですが、急な集まりだったので、こじんまりした会になりましたが、その分、じっくりと話せました。
とても刺激的でした。
グレートブックスセミナーに関しては以前説明したと思いますので省略ですが、
秋に5つくらいのスタイルのグレートブックスセミナーを一堂に会して開催しようということを考えているのです。
企画者は半田さんと猪岡さんです。これはきっと面白いものになります。
9月24日に東京国際フォーラムで、12時間のロングイベントです。
定員は20人くらいですので、ご関心のある方は私にご連絡ください。
今なら参加登録可能です。
私はグレートブックスセミナーをまだ体験したことがありません。
そのせいか、その価値は理解できるのですが、どうもまだ身体が動きません。
時代を超えて読み継がれてきた古典を材料に、知をぶつけあい磨きあうことの面白さは、やはり体験しないとわからないのでしょう。
猪岡さんたちは自ら体験してきたために、のめりこめるのですが、どうもまだあんまりワクワクしないのです。
古典はひとりで熟読したほうがいいような気がしてなりません。
しかし、体験せずに決め付けてはいけません。
私が変節できるかどうか楽しみです。
教育出版の外岡さんがいらした関係で、教科書論も交わすことができました。
最近の中学の教科書はフルカラーだそうですが、内容もかなり変化してきているようです。
一度読んでみたくなりました。
教科書も読まずに教育論を語るのはやはりまずいですね。
半田さんのスーパーカレッジ構想のほうに私は関心があるのですが、それはまだ見えてきません。
グレートブックスセミナーは、その重要なプログラムの一つなのですが、はやくスーパーカレッジ構想に取り組みたいものです。
まあ2〜3億円もあれば実現できそうなのですが、誰かポンと半田さんに出してくれる人はいないものでしょうか。
お心当たりのある方はご連絡ください。
画期的なプロジェクトなのです。
(2005年6月第5週)
■早朝太極拳(2005年6月26日)
朝、女房と散歩をしているのですが、時々、近くの手賀沼公園で太極拳をやっているグループに出会います。
いつもは見過ごすのですが、今日はちょうど始まったところでした。
女房がやってみようというのです。
女房はこういうのが好きなのですが、私はどうもこの種のパフォーマンスが苦手なので、横のベンチで座って見ることにしました。
ところが、見ているのも奇妙な感じなので、ついつい参加してしまいました。
一番後ろでみんながやっているのに合わせて真似をしていたのですが、
突然、向きが逆転してしまい、私の場所が先頭になってしまいました。
さてどうやっていいかわかりません。
災難はどこでやってくるかわかりません。いやはや。
女房はヨガや気功をやったこともあるので、なんとなく流れに乗っているのですが、
私は手と身体と足がバラバラの感じで、自然の流れにはほどとおいものがありました。
疲れました。汗もかきました。
まあそんなわけで1時間の初めての太極拳を体験しました。
このグループはもう20年近く毎週日曜日にやっているそうです。
先生がボランティアで始めたのだそうです。今朝は20人くらいが参加していました。
来週も参加することになりました。いささか気が重いですが、女房には逆らえません。
それに最近は50肩と運動不足で気力を喪失しているのです。その対策にもなるでしょう。
でも少しはまともに動けるように、練習してから参加したいなという思いが拭えないのです。
まだまだ見栄を捨てられません。いやたいした見栄ではないのですが、要するに防衛的なのですね。
困ったものです。
■NPO科学技術倫理フォーラム総会(2005年6月27日)
NPO科学技術倫理フォーラムの総会でした。
このNPOは杉本泰治さんが中心になって立ちあげたのですが、
杉本さんらしく、内容の質と密度を高めることを基本にしていますので、着実に実績をあげてきています。
技術者倫理に関する状況を調べようとネット検索すればわかると思いますが、
ここに集まっているメンバーの活躍は大きいです。
もっとも最近の企業は「倫理」の重要性にまだ気づいていませんから、このNPOへのアクセスはあまり多くはないようです。
MOTに取り組んでいる関係者ですら、話をしてもぴんと来ないことが多いですが、そういう人は信頼できません。
そういう人が語るMOTは企業を壊すだけでしょう。
しかし、そうしたMOTがのさばっているのが現状です。企業に知がなくなりだしています。
NPO総会と言っても、多彩な人たちの集まりですので、実に面白い会話が行き交いました。
酸性雨の話、イヌワシや真昆布の話、技術の世界におけるグロバライゼーションの話、
そして森林オオカミと動物園の話、みんなすごく刺激的な話です。
このNPOはこれまで、情報蓄積と大学や企業での情報発信をしてきましたが、
そろそろ社会への情報発信や問題提起活動に取り組もうということになりました。
そこで私からそのためのやわらかい研究会を提案し、承認されました。
うれしいことに即座に3人の方が一緒にやろうと手を上げてくれました。
外部にも一人心当たりがありますので、5人の研究会をスタートさせることになりました。
来年度に、技術者倫理の問題を社会へ問題提起するような公開フォーラムを開催することを目標に設定しました。
杉本さんの活動に比べるとせめてこのくらいはやらなければいけないと思うのですが、
もしかしたら杉本さんの罠にはまったなという気もしないではありません。
しかし、このテーマは私が会社を辞めたときに考えたテーマのひとつですから、真剣に取り組んでみるつもりです。
同志を募集しています。
■シニア社会学会ユニバーサルデザイン部会の吉田健一さん(2005年6月28日)
上野駅界隈のトイレマップに取り組んでいた吉田さんが訪ねてきました。
トイレマップが完成したのです。
いろいろと苦労もあったでしょうが、プロローグは終わりました。
これからの展開が楽しみですが、ワーカーズ・コレクティブ方式で企業化していくことを考えているようです。
面白い展開ができるでしょう。参加したい気分が起きそうなので、心配です。
さすがに今抱えている課題の多さを自覚しているので、今日はなんとか自重できました。
吉田さんがなぜこのプロジェクトに行き着いたかを、あるところに寄稿した文章を読ませてもらいました。
とても納得できました。
トイレマップと言えば、ネットワークでご紹介している四元さんも浦和で作成したことがあり、
全国のトイレマップ・ネットワークにも取り組んでいるとお聞きしています。
もしかしたら、今日あたり、愛知万博でイベントをしているかもしれないと吉田さんからお聞きしました。
テーマを追いかけていると物語は広がるものです。意図せざる発展です。
吉田さんが取り組んでいる活動の主体は、シニア社会学会のユニバーサルデザイン研究会ですが、
そこにはふぁっとえばーの秋山岩雄さんやサロンの常連だった江口直明さんも参加されています。
秋山さんにも久しくお会いしていませんが、健闘されているようでうれしいです。
また吉田さんが活動しているとコムケア仲間に出会うことも多く、そこから私とのつながりが見つかるそうです。
今回、吉田さんがやってきたのも海から海への阿部さんのところで、私とのつながりを知り、久しぶりに訪ねてきてくれたのです。
コムケアネットワークはしっかりと育ちだしているようです。
■コムケア運営委員会準備会(2005年6月28日)
3回目の準備会です。
毎回、同じような議論ではないか、もう具体的に動きたいと一部の人からは怒られ続けています。
私が取り組んでいるコムケア活動は、これまではかなり私の個人的思考で取り組んできました。
最初の立ち上げに関わってくれた片岡勝さんや北矢行男さん、
そして資金提供者の住友生命が全面的に私の思いを支援してくれ、任せてくれたからです。
しかし、5年目にもなるとそういうわけにも行きません。
それにコムケアのビジョンは自立したコモンズ組織なのです。
そこで今年度から運営委員会を発足させ、共同経営を目指したいと考えたのです。
外部から応援してくれるアドバイザー制度や理事会的なものであれば、委嘱すればいいのですが、それではこれまでの仕組みと変わりません。
そこで、このコムケアをみんなに共同で乗っ取ってもらう仕組みを創らないといけません。
運営委員には協力や協働をしてもらうのではなく、共創してもらいたいのです。
その姿勢を理解してもらいたくて、同じような議論を繰り返しています。
それに付き合ってくれる人がこれだけいることに感謝しています。
しかも今回は熊本から明篤館の宮田喜代志さんが参加してくれました。
参加してくれたメンバーは、それぞれにしっかりと自らの現場を持ったNPO活動を展開している人ですが、そのテーマも様々です。
こうした異分野の実践者が、同じテーブルで、コムケアネットワークなどという抽象的な議論をしてくれるのです。
求心力は「大きな福祉」です。
今回の話し合いで運営委員会は正式スタートです。
早速、10月に予定されている資金助成プログラムの公開選考会を運営委員会が検討することになりました。
私はこれまでのことを10分くらい説明して後はできるだけ発言しないようにと言われました。
ちょっとさびしく、大きくうれしいなりゆきです。
コムケアの運営委員会に入りたい人はご連絡ください。皆さんに相談してみますので。
■まちのグランドデザイン(2005年6月29日)
我孫子市で景観やまちづくりに取り組んでいる富樫さんと太田さんと話し合いを持ちました。
太田さんとは久しぶりです。太田さんは我孫子市の手づくり散歩市を起こした中心人物です。
まちづくり交流会を主催されており、私も一時、それに参加していました。
今回は、富樫さんからのお声がかりです。
以前少し書いたように、住民の息吹をこめたグランドデザインを住民で作ろうという呼びかけです。
主旨と思いには共感できます。しかしこれはそう簡単ではありません。
それに私の基本姿勢は現場からの積み重ねですから、
まずは富樫さんの近隣社会の中から物語を育てていくことから始めないと
行政がつくるのと同じ抽象的なビジョンになってしまうのではないかと言う危惧があります。
まずは富樫さんの地区から始めることをお勧めしました。
それに関して協力できることはあるかもしれません。
太田さんがサロンの話をしてくれました。
私がやっているサロンのようなものから始めたらどうかという提案です。
サロン好きな私は賛成ですが、我孫子市でもいろいろなサロンが始まっています。
しかし、サロン好きの私からはホストが不在なのと目的が見えすぎるのが少し気がかりです。
今日のような自由な話し合い空間があるといいですね。
我が家を設計する時に、公共空間の場をつくっておけばよかったと悔やまれます。
資金不足で計画が縮小され、家族の部屋しかつくれなかったのです。
我が家でのサロンは難しそうです。
公共空間はとても大切です 。
宝くじが当たったら家を改装して、公共空間を作りたいと思っています。当たるといいのですが。
■住友生命社会福祉事業団の山上常務理事が激励に来てくれました(2005年6月30日)
コムケアを応援してくださっていた安藤常務理事が退任され、
今年から山上吉明常務理事がコムケアを応援してくださっています。
新年度に当たり、私が挨拶に行こうとしていたのですが、わざわざ当方に来てくださいました。
住友生命の井上小太郎さんと渡辺早苗さんも同行されました。
コムケアは「大きな福祉」を標榜していますが、住友生命は「介護と医療」を標榜しています。
そのギャップをどう埋めるかが私に課せられた課題ですが、なかなかうまくいきません。
大きな介護、大きな医療という発想がコムケア仲間では少しずつ通じるようになりましたが、会社の中ではおそらく通じないでしょう。
山上さんや井上さんには迷惑をおかけしているわけです。
「まちづくり」が行政やコンサルタントの言葉であるように、
「介護」「医療」は観察者の言葉です。現場の人にとって大切なのは気持ちよく暮らせるということです。
それが最高の介護であり、医療なのです。
企業がいう「介護」「医療」は、暮らしの視点に立つと「大きな福祉」「つながり」になるのですが、
これはなかなかわかってもらえないでしょう。
実はそうした言語の違いが、企業とNPO、行政と住民とのコミュニケーションを妨げているのです。
みんなが「くらし」の視点で言動しだすと、社会は大きく変わるのではないかと思っています。
まだもう少し時間がかかりそうです。
山上さんには、いくつか活動に関心を持ってもらえたようでとてもうれしいです。
住友生命とコムケアとつながりがもう少し深化できればと思っています。
■市民活動とNPO法人(2005年6月30日)
コムケアセンターに突然相談に来た人がいます。
コムケアの資金助成プログラムをみて、なんでも相談に乗ると書いてあったので飛び込んできたのだそうです。
資金助成は余り関心がないようです。
もう1000万円くらい集まっているのだそうです。
こういう人たちはどこに相談にいけばいいのでしょうか。
行政やボランティアセンターやNPO中間組織でしょうか。
実はこの方は区のボランティアセンターに行ったそうです。
そうしたらコムケアセンターを紹介してくれたのだそうです。なんと無責任なことでしょうか。
私が紹介するのであれば、まずはコムケアセンターのことを自分で確認してから紹介しますし、
相談に訪問するとしたらまずは相手に電話をかけてから訪問します。
こうした「常識」が欠落している人たちが社会活動をし、市民活動をしているのです。
私がコムケア活動を始めてから、
NPOが嫌いになり社会福祉協議会やボランティアセンターに不信を持っていることがわかってもらえるでしょうか。
しかし、今日、私のところにやってきた人は、どこに相談に行っていいかわからなかったのです。
それもまた問題です。
そして、市民活動をするためにはNPO法人格をとらなくてはいけないという思いで、定款や書類を作成しているのだそうです。
そうした手続き書類作成の前に実体作りが大切ですと申し上げましたが、
ネットで定款モデルをダウンロードし、そこに自分たちの言葉を埋めているようです。
これが行政などの指導の実態だとしたら、恐ろしい話です。
今回はたまたま私がいたので相談に応じられました。
用事があったのですが、結局は1時間近く相談に乗ってしまいました。もっとも「相談以前」の段階でしたが。
コムケア活動をしているとこういうことが多いのです。
重要なことは、決して市民活動で困っているのは「資金」ではないのです。
知恵と常識なのです。あるいは「社会性」や「つながり」と言ってもいいかもしれません。
専門家ではなく、その一歩手前の相談相手が不在なのがいまの問題です。
日本の市民活動はこの50年で大きく交代しているように思えてなりません。
ちょっと日頃の鬱憤晴らしをしてしまいました。
■ホームページへのアクセス数の異常な増加(2005年6月30日)
ちょっと不思議なことが起こりました。
29日か30日か、わからないのですが、いずれかの日にこのホームページへのアクセスが急増したのです。
普段は1日30〜50件なのですが、この2日間でたぶん200件くらいのアクセスがあったのです。
なにかチェックが入ったのでしょうか。
このホームページはどこかの検索エンジンに登録しているわけでもなく、
またテーマ性もないのでアクセスはそれほど多くないはずですが、ちょっと不思議な感じです。
ホームページにしろメールにしろ、相手がわからない状況の中での情報の受発信は不安な要素がいろいろあります。
不愉快なこともあります。ホームページを止めようと思ったことも何回かあります。
ホームページで私自身のアドレスも公開しているせいか、いわゆる迷惑メールも多いです。
最近はガード体制を強化しましたので、かなり解決しましたが、それでもかなりの数が届きます。
ホームページのアクセス数の一時的急増が何か嫌なことにつながっていなければいいのですが。
■我孫子市のサポートステーション論議(2005年7月2日)
我孫子市には市民活動サポートセンターがありますが、今度、我孫子駅前に新しい設備として移転することになっています。
市民活動支援に関しては、我孫子市は全国に先駆けて取り組んだ自治体です。
しかし実際にはさまざまな問題があります。
何回かこのコーナーでも書いたように、新しいサポートステーションとその運営に関しても一部の熱心な実践者たちからは不満が出ています。
そこでまずは意見交換会を開こうと言うことになり、その第1回を開きました。
残念ながら集まった人は少なく、総勢9人でした。
しかし議論は白熱しました。みんなの思いは同じだと改めて実感しました。
こういう場に市長に同席してほしいものです。
しかし市長が出席するのはほとんどが議論の場ではなく、お客様の場です。
そのためにすべての市長は裸の王様になっていくわけですが。
3時間近い議論の結果、こうした話し合いの場を継続しようということになりました。
現場の人が主役にならない住民参加などはマイナスこそあれプラスは皆無です。
今回も進行役を引き受けながら、主観的な偏った主張をしすぎてしまいました。
反省しなければいけません。
しかし税金で新しい施設をつくる以上は、住民が主役にならなければいけません。
市長のためや行政職員のため、現在の既得権者のため、法令遵守のために施設はつくるのではありません。
残念ながら現在の我孫子市の案は住民視点がほとんどありません。
しかもそれが住民参加で進められていることにみんな不満を持っているのです。
私もどうしても発言が厳しくなってしまいます。
それではコーディネーターは勤まりません。困ったものですが、この性格は直りません。
それにしても、不思議なことなのですが、我孫子市では住民活動のつながりがあまりないようなのです。
市民活動サポートステーションができるのであれば、それを契機に、その「つながり」をつくることができるかもしれません。
それを意識して、少し動いてみたいと思います。
それこそが、実は市民活動を支援することなのだということを行政にもわかってもらえればと思っています。
次回は7月12日の予定です。
我孫子市民の方が、もしこれを読まれたらぜひご参加ください。よろしくお願いします。
(2005年7月第1週)
不思議なほど相談の多い週でした。しかも見ず知らずの人からの相談までありました。
どうやら社会は問題で満ちているようです。
■マイケアプランシンポジウム2005(2005年7月3日)
コムケア仲間の全国マイケアプラン・ネットワークの主催するマイケアプランシンポジウム2005に参加しました。
この会の活動に関しては会のホームページをご覧いただきたいのですが、ケアプランの自己作成を広げる活動に取り組んでいます。
私はその活動に共感しています。もちろんいささかの異論はあるのですが。
シンポジウムの報告は同会のホームページにお任せするとして、少し感想を書きます。
代表の島村八重子さんが「自己作成だから見えてきたもの」を最初に話しましたが、これは示唆的でした。
そのメッセージのポイントはケアプランを自分たちで作成するか、作成のためにいろいろと考えることが、介護予防になるというのです。
シンポジウムに参加していた2人の方が、その体験を話されましたが、実に説得力がありました。
私は介護予防を超えて、社会のあり方を変えていくと思っています。
もう一つは、パネルディスカッションに参加した厚生労働省の課長が、person centerd care に言及したことです。
これは驚きでした。しかもこの課長はその視点を評価しているようでした。
私は今の介護保険制度には、その視点が欠落していることが最大の問題だと思っていますが、
もしその視点から介護保険制度を見直すと今とはまったく異なるものになるように思います。
ただ制度には限界がありますから、もし本気で取り組むとなると、
安直な「社会福祉構造の変化」などといってごまかすことはできなくなるでしょう。
それこそパラダイムシフトです。
もう一つ感じたのは、いつもこうした会に出て感ずることなのですが、
やはりどうしても制度に合わせようという受動性を感じます。
これは実際に現場で取り組んでいると仕方がないことですが、枠の中での発想の限界かもしれません。
創造的な楽しさがもっと広がるといいのにと思いました。やや無責任な感想ですが。
しかし、総じてとてもいい集まりで、わが我孫子市の職員にも参加してほしかったです。
呼びかけはしましたが、我孫子からは藤田さんが参加してくれただけでした。
会場で、やはりコムケア仲間の小山さんに会いました。
大阪で、おんなの目で大阪を創る会をやっています。
こうした会で、他のコムケア仲間に会えることが多くなってきました。うれしいことです。
意外にも、「栄養と料理」の編集者の鈴木章弘さんにも会いました。
どうやら小林さんと宮部さんに巻き込まれたようで、取材に来てくれたのです。
他にもいろいろな人に会えました。
イベントはまさに人をつなぐ場です。
■いささか深刻な相談(2005年7月3日)
人生にはいろいろな事件があります。
ある事件が起きることで、生活が一変することもあります。
じわじわと変化していくこともあります。
今日はなぜかいろいろな相談が飛び込んできました。集中しました。
深刻な相談もあります。
私自身、誰かに相談したいことがないわけではありませんが、
そうしたことを気楽にポッと相談する仕組みが今はあまりにも少ないのでしょうね。
しかし、コムケアに取り組んだり、オープンサロンをやったり、わがままな生き方をしてきたおかげで、いろいろな人が相談してきてくれます。
いや、相談と言うよりも、自らを話に来てくれるのです。
今日はいくつかのカウンセリングをさせてもらいました。
疲れました。少しは相手の方を元気にしたでしょうか。
いま必要なのは、やはり「人のつながり」です。
■スロー・ファミリー・マッサージ(2005年7月5日)
「スロー・ファミリー・マッサージ」は、社会起業家である田辺大さんが始めた新事業の屋号です。
そこには田辺さんの思いがたくさんこめられています。
「スローとはつながりを大切にすること」というのが田辺さんの考えです。
田辺さんが盲ろう者の星野さんと一緒に7月から始めた事業です。
奇しくもスワンベーカリーを創業した小倉さんが亡くなられた7月1日に田辺さんたちの事業はスタートしました。
田辺さんたちは盲ろう者の人たちの働く場とフェアトレードのコーヒーを楽しめる「カフェ&マッサージのお店」を目指していますが、
そのモデルの一つがスワンベーカリーなのです。因縁を感じます。
田辺さんたちはまず、出前マッサージサービス事業から着手することにしました。
企業などに出かけていって、福利厚生の一環として従業員のリフレッシュに役立てようと言うわけです。
「社内にマッサージ師がやってきて、効率的にリフレッシュできる。新しいワークスタイルをご提案します」
とスロー・ファミリー・マッサージの案内書に書かれています。
詳しくはぜひホームページをご覧ください。
そして、もし共感してもらえたらぜひ田辺さんに声をかけてください。
2万円程度で6人くらいの従業員をリフレッシュさせられます。
6人集まれば出前で来てくれるそうです。
私は田辺さんたちのこの取り組みを横から見ていました。
とても真摯な取り組みです。ささやかながら私も応援することにしました。
ぜひみなさんお客さん探しに力を貸してください。
スワンベーカリーは新しい風を起しましたが、
スロー・ファミリー・マッサージもきっと新しい風を起すはずです。
応援してもらえるとうれしいです。
■ローカルジャンクション21の二人は疲れながらも元気です(2005年7月5日)
ローカルジャンクション21の浦嶋さんと朝田さんがやってきました。
そういえばちょっと久しぶりですね。また新しい局面に入りだしたようです。
きっかけは蜂蜜です。いま蜂蜜がブームのようです。
そういえば、都心での蜂蜜づくりがテレビでも放映されて話題になっていますね。
これにもローカルジャンクション21はつながっているのです。
詳しくはローカルジャンクション21のホームページをご覧ください。
このグループの活動の広さと深さにきっと驚かされます。
コアメンバーは2人なのです。
経済産業省の助成プロジェクトは1年で終わってしまいました。
残念ですが、まあ現場に疎い世界には目利きがいないことの証明でもあります。
私はこのプロジェクトこそ、経済産業省に新しい視点を持ち込むものだと確信していましたが、
その含意するところが伝わらなかったのでしょう。仕方がありません。
本格的な活動を展開するので、いよいよNPO法人を取得することになりそうです。
ますます疲れそうですね。しかし展望も少しずつ見えてきたようです。
■保育園の未来経営を考える(2005年7月5日)
突然大阪から電話がかかってきました。
私が以前に書いた「保育園の未来経営を考える」という本を読んで、その続きはないのかという問い合わせです。
この本は「保育通信」と言う雑誌に連載したものをまとめたものですが、基礎編で終わってしまい、未来経営まで届かなかったのです。
この本の基調は「経営」と「保育」とは同じだと言うものです。つまり「愛」です。
その人はいまの社会のあり方に疑問を持ち、子育てに関わろうとして夫婦で取り組みだしたところで夫が亡くなり、
ご自身も病気で4年間体調を崩してしまっていたそうですが、
周辺がどんどんおかしくなっていることに黙っていられなくなって、子育て支援活動をする決意をしたようです。
さてどうしたらいいか、そこでなぜか私の本を思い出して、電話してきたのです。
さて私に何ができるでしょうか。
と思っていたら、その電話中にまた電話が入りました。
これがまた大阪です。しかも久しくあっていない大阪ガスの社会活動を担当している人です。
こうした偶然の一致がよく起こります。
さてこの2つの電話から何が始まるのでしょうか。
■経営道と自転車道(2005年7月6日)
あんまり意味のない表題です。
突然オフィスで空白の時間ができました。
奇妙な話ですが、オフィスでは基本的にデスクワークはしないのです。
そこで自転車で都心を走ろうと思い立ちました。
立ち寄れそうなところを考えて、まずは飯田橋の山城経営研究所に向かいました。
オフィスから後楽園遊園地まではすぐなのです。しかも下り坂。快適です。
しかし、その後が不快でした。
歩行者道路の横が自転車道路になっているのですが、そこがレンガ張りでデコボコなので、走りにくいのです。
やはり自転車は余り想定されていないようです。
しかし、目的地まで10分で着きました。電車を使うと30分、自転車は便利です。
都心に自転車道路を整備したら、利用者は増えるかもしれません。
そういえば、20年ほど前、クローバーシティ構想と言う論文を書いたことがあります。
鉄鋼倶楽部の懸賞論文に応募して銀賞をもらいました。
そこでの都市内交通は自転車を想定しました。
この論文もいつかこのホームページに復刻したいです。探せばあるはずなので。
山城経営研究所はKAE経営道フォーラムの事務局です。
うかがったらほぼ全員がいました。
この研究所の発足当初は、その展開方針などをめぐってみんなと議論しによく行きましたが、最近はとんとご無沙汰でした。
代表の八尾さんから、今年は山城章さんの13回忌でもあり、次の展開に向けて、改めて山城経営学を整理しているとお聞きしました。
その中心になっているのが堀越勝さんです。
一度、意見交換をしようかということになりました。
この活動も節目を迎えています。
ついでに近くの日本経営道研究所の市川覚峰さんを訪ねる気になりました。
ここも久しぶりです。この市川さんが経営道フォーラムの創始者なのです。
いまは別に研究所を設立し、より運動性を高めた活動をしています。
市川さんは異彩です。どのくらい異彩かは別の記事をお読みください。
その市川さんも、いま曲がり角です。
運動展開してきたが、疲れてきたと言うのです。思いを込めた運動は疲れるのです。
実はたまたまのことなのですが、今日は市川さんがKAEから離れて新しい活動を初めて10年目だったのです。
これも偶然とはいえ因縁を感じます。
そこでついついまた余計なお世話で1時間近く話してしまいました。
気がついたらオフィスに戻らなければいけない時間になっていました。
こうして自転車ツアーは2箇所で終わってしまいました。
帰りは上り坂で大変でした。
エッシャーのだまし絵ではないですが、下り坂だけの都市はつくれないものでしょうか。
■SEGNETが動き出しそうです(2005年7月6日)
再開SEGNETの2回目です。
前回の参加者に加えて、新たに高橋良太さんが参加しました。
それぞれやりたいことをお持ちなのです。
高橋さんは初対面ですが、共通の知人がいました。
竜ヶ崎で農業に取り組んでいた宇野さんやコムケアに応募してくれた松原さんです。
いま高橋さんは松原さんの活動にも関わっているようです。
高橋さんはミニさくらのような活動に関心があるようです。
SEGNETの方針が決まりました。
予定より少し遅れますが、集まりも実現します。 これで私の役割は終わったようです。
このグループがどう広がり、どういう新しい風を起すか、楽しみです。
次回は7月25日の夜です。
社会に何か新しい風を起したいと思っている若者の皆さん、もしご関心があれば遊びに来るといいです。
きっと仲間が見つかります。
私に連絡してもらえれば、事務局長の斉藤正俊さんにつなげます。
■言の葉さらさら2025(2005年7月7日)
残念ながら曇りの七夕です。
ところで、「言の葉さらさら2025」プロジェクトなるものをご存知でしょうか。
これは薗田綾子さんたちが企画した「七夕にあわせて国民から未来に向けた声を集め、未来の国創りビジョンを確立して提言していこう」という思いで、
「2025年までにこんな日本にしたい」「次世代の子供たちに、こんな社会を創りたい」という願いを短冊に書いてもらい、
それを10万人から集めようというプロジェクトです。
「国創りビジョン」とあり、後援に国土交通省をはじめとした中央省庁が名前を連ねているために、
一部の新聞では国が仕掛けたものという報道もありましたが、そうではない民間プロジェクト?です。
詳しくはホームページをご覧ください。
その資料を読んでいたら、なんと呼びかけ人に私の名前が入っていたので驚きました。
呼びかけ人になった覚えはないからです。
しかし、まあ薗田さんからその話をお聞きしたときに、プロジェクトに賛同はした記憶はありますので、もしかしたら呼びかけ人も引き受けたのかもしれません。
まあ目くじらを立てるのは止めましょう。
いい活動は支援しなければいけません。動機が何であれ。
呼びかけ人である以上、私も書き込まないわけにはいきません。
カテゴリーは5つあるのですが、そのすべてに書き込みました。
まあ他愛のない「願い」です。
暮らし:喜びも悲しみも、まわりの人とわかちあえるような暮らしができますように。 日本社会:誰もが主役になれる気持ちのよい社会が広がりますように。 地域:鍵をかけずに留守にしても安心なまちに戻りますように。 働き方:働く人の顔が輝いているような仕事が広がりますように。 家庭:笑い声がもっともっと増えていきますように。 |
願い事をしたものの、2025年には私は生存しているでしょうか。最近の心境では可能性は低いかもしれません。
しかし、またどうせいつかは戻ってくるでしょうから、願いは無駄ではありません。
そうです、私は輪廻転生を確信しているのです。
前世の友人の知り合いもいますので。
■3つのメーリングリストがスタートしました(2005年7月8日)
今週はなんと5つのメーリングリストがスタートしました。
2つはコムケア関係で、これはコムケアセンターの橋本さんが創ってくれましたが、それ以外に私も3つのメーリングリストをスタートさせました。
福島ソーシャルアントレプレナーネット、技術者倫理を考える会、そして我孫子の市民活動を考える会です。
今でも20以上のメーリングリストに参加しています。
私が主催しているものだけでも7つあるのですが、今回の追加で10になりました。
これだけのメーリングリストをどう処理していくかですが、そのコツはある時期は集中し、ある時期は無視することなのです。
まあ、あまりほめられた話ではありませんが。
しかし、活発なメーリングリストは1日に5〜10の投稿がありますので、読むのが大変です。
しかもそういうのに限って長文が多いのですが、とても示唆に富む内容で、コメントしたいものが多いのです。
我慢して普段はROMに徹します。
ところで、このメーリングリストは文化を変えているように思います。
実際の会議の場合は、同じ時間に一つの会議にしか出席できませんが、
メーリングリストの場合、同時に複数の集まりに参加できるわけです。
市民活動にとっては、実の大きな効用があります。
おそらく「公共空間」が飛躍的に拡大され、参加者もまた激増しているはずです。
しかし、その一方で、「公共空間」を変質させてもいます。
一言でいえば、人間の持つ豊かな表情が希薄になった機能的な公共空間という気がします。
私自身は、公共空間の冗長性や多義性、そしていつでも軌道修正可能な論争と忘却性がとても好きなのですが、
ネット空間ではそれが難しいです。
記録に残ってしまうのですから。
このホームページを訪ねてきてくれる人のメーリングリストを考えたことがあります。
呼びかけもしていますが、申込者は1人でしたので、挫折しました。
このホームページには、そうした挫折の痕跡がいろいろと残っています。
さて、新たにスタートしたメーリングリストは、どうなるでしょうか。楽しみです。
(2005年7月第2週)
梅雨と夏が並存した週でした。
■髪の毛がまた黒くなりました(2005年7月11日)
私はほぼ白髪です。
かなり早い段階から白髪が多かったのですが、今ではほとんど白髪で、その上、頭部の真ん中はかなり毛がうすくなっています。
その髪の毛が最近黒くなってきています。黒というよりもまだ褐色ですが。
実はこれは理由があるのです。友人から勧められたヘアクリームを使用した結果なのです。
色だけではありません。毛髪が太くなり、もしかしたらこれから増えていくかもしれません。
その製品の説明書にそんなことが書かれています。
しかし、今迷っています。白髪が褐色になってきたのがどうも落ち着かないのです。
実は毛髪に関しては数年前に大事件がありました。
カラーリンスと間違って毛染めを使ってしまい、髪が真っ黒になってしまったことがあります。
使用後、あまりの黒さに驚いて、間違いに気づきました。
慌てて娘に聞いて、脱色する薬を買ってきてもらいました。
真夜中に近い時間でしたが、その時は24時間営業の店があることを初めてうれしく思いました。
それを使いましたが、なかなか脱色しません。それでもう一度やってみました。茶髪になってしまいました。その上、頭がなぜかがんがんしてきました。娘に聞いたら、これは劇薬なので連続して使ってはだめなのだそうです。
その上、髪は細くなり、はげてしまうと脅されました。いやはや。
その劇薬を、ご丁寧に大量に繰り返し使用してしまいました。
実は翌日、教育問題に関する大きな会議があり、そのコーディネーター役をしていました。
その会議では前回、茶髪問題が話題になりました。
茶髪批判が多い中で、私は茶髪でも良いではないかという立場でした。
そんな経緯があったので、もし茶髪でその会議に参加したら、顰蹙をかうことになるでしょう。
翌朝、もう一度洗髪し、黒いカラーリンスで茶髪を黒めにして、その会議に参加しました。
会のコーディネーターは元気が出ませんでした。
この黒髪が解消するのには半年かかりました。
当時の写真が残っていますが、私ではないような雰囲気です。
その事件以来、白髪は急増し、毛髪は一段と薄くなったのです。
そういう体験があるのに、また新しいヘアクリームを使い出してしまいました。
白髪過ぎたからですが、全体がまた黒くなってくるとまた違和感が出てきてしまったわけです。
人間は勝手なものです。
ところで今回の体験の結果はもう少しで判明します。
果たしてこの商品は本当に毛髪を元気にする効果があるのかどうか。
毛髪にお悩みの方への朗報がまもなく書き込めるかもしれません。今の段階では比較的順調です。
つまらない話題ですみません。
■テディベアの訪問(2005年7月12日)
テディベアが訪ねてきたのではありません。
偶然ですが、テディベア大好きな人と今日、出会い、またテディベアに活動をしている人から本が届いたのです。
こうした不思議な偶然が私は大好きなのです。
ひとりはNPOカドリー・ベア・デン・イン・ジャパンの竹澤泰子さんです。
群馬でさまざまな活動をされています。
昨年3月に癒し系テディベアコンテストを開催しました。
私も参加させていただき、その活躍ぶりを垣間見させてもらいました。
しかし、その後、メールアドレスが変わったようで連絡がつかなくなってしまいました。
実はそのイベントの1か月前にパートナーを見送ったこともあり、気になっていたのですが、突然、今日、本が贈られてきました。
「国際主婦学部卒」。竹澤さんらしい書名です。
ブックのコーナーで紹介させてもらいました。
この本は竹澤さんたちのNPO活動の資金集めのための出版のようです。
協力していただける方はぜひお願いします。
もうひとりはコムケアの橋本さんの後輩です。
コムケアに関心を持った学生が来るので一緒にあってほしいと橋本さんに言われたのです。
やってきたのは多摩大学2年生の石塚泉さんです。
自分のやりたいことを事業計画にまとめているので見てほしいと言われました。
題して「思い込み玩具」プロジェクトです。
きっかけはテディベアなのです。
いまテディベアづくり教室に通っているそうですが、テディベアなどのぬいぐるみに思いを込めて、人のつながりを育て深めることを目指しているようです。
石塚さんが好きなのは白熊(ナヌーク)だそうです。
まだ事業コンセプトは整理中のようですが、思いはかなりのもののようです。
コンセプトを膨らませていくときっと面白い物語ができるでしょう。
今日は夜に地元の集会所で集まりをやったのですが、その別の部屋でテディベアが展示されていました。
偶然は重なるものです。これもまた何かの啓示でしょうか。
■我孫子の住民集会(2005年7月12日)
我孫子市の市民活動サポートセンターの運営委員会を「市民」「社会福祉協議会」「市」の三者共同体制にすることへの疑問が、前回の集まりで出てきたので、
今回はそれをテーマに行政の考えを聞こうということになりました。
そこで市役所の市民活動支援課の青木さんと杉山さんにも参加してもらいました。
相変わらず集まりは悪いですが、新たに福田さんと山原さんが参加してくれました。
福田さんは我孫子市では昔からふれあいサロン活動に取り組まれている有名な方です。
山原さんは手づくり散歩市で一度ご一緒しました。
まちづくり活動のリズムは思い切りスローなのです。それになじめないと挫折します。
社会福祉協議会のことをメインテーマにしたかったのですが、
なぜか前回より皆さんの発言のトーンがダウンしてしまい、議論になりませんでした。
それに。三者共同体制はどうやら行政の意図ではなく、住民参加での議論の結論だということがわかりました。
なにか狐に包まれたような話です。
やはり住民活動の奥は深いです。
もしかしたら、我孫子の市民活動の問題は行政主導なのではなく、行政不在・住民不在なのかもしれません。
基本から考え直さなければいけません。
社会福祉協議会問題はあまり盛り上がりませんでしたが、いまのプロジェクトの進め方についてはまた議論が沸騰してしまいました。
前回参加できなかった森谷さんが正論をぶち上げたのです。
やはり現場感覚のある人は迫力があるのです。
次回からはいよいよ建設的な議論に入っていきますが、どう議論を進めればいいか、悩みどころです。
■社会福祉協議会とNPOの関係(2005年7月13日)
福祉環境がパラダイムシフトする中で、社会福祉協議会は大きな変わり目にあります。
しかしなかなかうまく入っていないのが現実でしょう。
社会福祉協議会嫌いのNPOはすくなくありません。
今の社会福祉協議会の現実に不満を持っている若い職員も少なくありません。
そんな話が私のまわりでもよく聞こえてきます。
そこで、社会福祉協議会内部からの問題提起をしてもらって、NPOのこれからの関係を議論する会を持とうかと考えました。
そこでコムケアのメーリングリストに投稿してみました。
返信は余り期待していませんでした。
ところが反響がかなりあったのです。
メーリングリスト上でもある職員の方が実名でコメントをくれましたし、ある方は個人的にぜひ参加したいと言うメールをくれました。
みんな一応は私の面識のある方です。
また社会福祉協議会関係者ではありませんが、興味を持った方からいろいろと投稿が続きました。
この世界に深さは、それなりに感じていますので、軽々には論じられないテーマですが、
日本NPOセンターであれば無理でもコムケアセンターなどというニッチな組織であればこそ、取り組めるテーマです。
来月のでも企画したいと思っています。
私が最大に違和感を持っているのは、その中途半端な性格です。
町内会会費として社会福祉協議会会費が徴収されていることを知っている人は余りいないと思いますし、
社会福祉協議会と行政との関係を理解している人も少ないでしょう。
ともかく不可思議な組織です。
その活動は決して無意味であるわけではありません。
とてもいい活動もありますし、職員の方々の多くは誠意を持って仕事に取り組んでいます。
しかし、たとえば市町村の地域福祉計画というのを皆さんはご存知でしょうか。
その計画づくりや実施には社会福祉協議会はかなりコミットしています。
にもかかわらず、その計画の存在はほとんどの住民は知りません。
その一時をもってしても、社会福祉協議会なるものの本質がわかります。
住民視点ではないのです。
そのあたりを議論してみたいと思います。
ある人からは「米軍の基地問題ほどではないにしろ我が国の闇の部分をつついてみるのもオモシロイかもしれませんね」とコメントが届きました。
「闇の部分」。きっとそうなのです。
会の案内はこのホームページでも告知します。
ご関心のある方はぜひご参加ください。
■日本広報学会ってご存知ですか(2005年7月14日)
東大大学院の特任助手の関谷直也さんが「広報学」の話を聞きたいといってやってきました。
関谷さんとは以前、環境経営のプロジェクトでご一緒したことがあります。
関谷さんは日本広報学会のメンバーでもあります。
その学会が今年で発足10年目なので、その記念すべき大会で、広報学会の活動の総括をすることになったのだそうです。
その関係で、学会発足当時のことなどを聞きに来たのです。
この学会には複雑な思いがあります。
発足当初から関わっていましたが、発足前に主旨の違いが見えてきたために準備会からも一度外れようかと思ったほどでしたが、
結局、発足まで付き合い、最初の何年かは研究担当の理事として活動してきましたが、あまりもすっきりしない運営体制に嫌気がさしてやめさせてもらいました。
しかし言いだしっぺの一人として、広報学とは何かをしっかりと議論する芽を作ろうと思い、「広報学研究会」を2年やりました。
その報告書に載せたものをベースにした小論がありますので、それをこのホームページに再録しました。
暇な人はお読み下さい。
この学会ができるときに、私は「広報」という言葉にこだわっていました。
当時はコーポレート・コミュニケーションという言葉が流行していましたが、
言葉の置き換えによる安直な対応をしている経営学者への不満もあって、言葉の置き換えには当時は反対だったのです。
ところが今日、関谷さんから「広報」という名前なので魅力がないし、相手に伝わらないのではないかと指摘されました。
言われてみて、気づきました。新しい広報の実体づくりと社会への働きかけがほとんどなかったのです。
私も、その意図があっての広報学会の提案を当時の経済広報センターにしたはずなのに、結局はその前段階で放棄してしまっていたのです。
反省しなければいけません。
しかし、広報学会でのいろいろな体験から広報の世界にほとんど関心を失って、
学会を辞めた後は広報センターとの付き合いもなくなりましたし、関係者との付き合いもほとんどなくなってしまいました。
そもそも私の関心事は「企業論」です。
経営論の時代は終わったと思っていたからです。
事実昨今の経営学は、昔の焼き直しや繰り返しが多いように思います。
その意味で、改めて山城経営学を読み直して見たい気分にもなったわけですが。
関谷さんの名刺には「環境情報・災害情報の社会心理」と書かれています。
このテーマで一度意見交換したくなりました。また機会があるでしょう。
■みんなが安心して暮らせる社会を目指す出崎克さん(2005年7月15日)
株式会社キャプテンの出崎さんが10数年ぶりに訪ねてきてくれました。
実はこの1か月の間に、佐渡島関係の人に3人もお会いしました。
それで佐渡島出身の出崎さんに久しぶりにメールしたら、早速やってきてくれたのです。
しかも懐かしい人が同行されました。
安一生さんです。
昔、総友会という組織のスタッフだったのですが、
どうも私が講演を依頼されたのですが、その時に私よりも適任の人がいるといって紹介さんしたのが出崎さんだったようです。
それが縁で、いまは出崎さんの会社に入ったのだそうです。
私の知らないところで、こうしたつながりが育っていることが、私にとっては一番嬉しい話なのです。
出崎さんはリスクマネジメントや製造物責任の分野でお仕事をされています。
出崎さんの会社の理念の冒頭には
「日本国および世界の人々と子供たちの希望に満ちた未来を築く為に」
と書かれています。このことで出崎さんの人柄がわかってもらえるでしょう。
その出崎さんは、セフティマネジメント協会というNPOの専務理事でもあります。
そのNPOの事業として、防災に関連した社会事業を考えているようです。
お話をお聞きし、とても共感できました。
どこかで接点ができるかもしれませんが、これからの展開が楽しみです。
そのNPOの事務局長を安さんがやっています。
その安さんは我孫子市の住民であることがわかりました。
これはもう地元の活動の仲間に引き込まないわけはありません。
力強い同志が一人確保できました。
■みんなのコミュニティサイトcanpan(2005年7月15日)
すごいサイトが育ちつつあります。
日本財団が取り組んでいる公益活動をドメインにしたコミュニティサイトです。
canpanといいます。
その仕掛け人の一人の寺内昇さんがやってきました。まいける東山さんの紹介です。
日本財団とは少しだけ関わりがありました。
話していたら共通の友人がいろいろといました。きっともっとたくさんいるでしょう。
寺内さんはコムケアに関心を持ってくれたのですが、お話をお聞きすると私がコムケアで実現したかったことのほとんどが実現しそうです。
うれしい限りです。少し残念な気分は残りますが、やはり資金力の違いです。
この仕組みは素晴らしいです。ぜひみなさんも参加されるといいです。
しかし、だからと言って、コムケアの意味がないわけではありません。
次元が違うのです。いずれもオープンプラットフォームを目指していますが、役割分担はできそうです。
それにコムケアの本質はヒッピーなところですから、こうしたソーシャル・キャピタル・インフラが育つことは大歓迎なのです。
寺内さんとはすっかり話があってしまいました。
しかし、私はどうもこういうメジャーなシステムが苦手なのです。どうしてでしょうか。論理的には共感して、私もすぐ参加してしまったのですが、どこかに入り込めない何かがあるのです。それはもしかしたら、こうしたコミュニティのガバナンスへの疑念が払拭できないからかもしれません。
このサイトをどう活かしていけばいいかを少し考えてみようと思います。
今流行のSNSにはどこか胡散臭さを感じますが、寺内さんを通してcanpanの理念を埋めこめられたせいか信頼感があります。
きっと大きく広がるでしょう。
日本財団の活動のメインになるような気がします。
だから少し恐ろしさもありますが。
■経営道教祖市川覚峰さんの突然の来訪(2005年7月15日)
突然、市川さんがやってきました。
先週、久しぶりに会ったのですが、その延長です。先日、気楽に立ち寄ったのは失敗でした。
市川さんがやってくるのは何か困りごとがある時です。
こういう人がとても多いのですが、なぜか彼は憎めません。
彼とはいろいろな深いつながりがあるのです。
1時間のカウンセリングをしました。
異才にカウンセリングするのですから、これはまた凝縮した1時間です。
結局、改めてきっちりと話し合うことにしました。
私のオフィスである湯島には実にさまざまな人が来ました。
その後、有名になった人も少なくありませんし、有名な人がなぜかやってきた例もあります。
私にとっては、この17年が凝縮されている空間なのです。
なぜか今日は昔の人が3人もやってきました。この偶然もきっと意味があるのでしょう。
(2005年7月第3週)
先週末からの3連休ではパソコン離れの3日間を久しぶりに体験しました。
時間の流れが少し違った3日間でしたが、無常観を少しだけ感じました。
もっともすぐにまたパソコン生活に戻ってしまいましたが。
先週末からの記事を書きます。
■沢蟹捕り(2005年7月16日)
姪の結婚式の関係で、この連休を福井県敦賀の義姉の家で過ごしました。
我々が行くと義姉夫妻はいつもいろいろとプログラムを組んでくれるのですが、今日は私の強い要望で沢蟹捕りにいくことにしました。
最近は河川はコンクリート張りになっているため、なかなか難しいのです。
義兄が見つけていてくれた川に行きました。
たまたま甥も来ていましたので、不幸にも彼も付き合わされることになりました。
大の大人が3人、小さな川でカニ探しです。
やはり感覚的に慣れている義兄が一番うまく見つけます。
ついで私です。甥は最後にやっと1匹見つけました。
自然遊びは継承されていないのです。いささか大げさですが。
しかし、きっと異様な光景だったでしょうね。
砂金探しのようにみんな熱心に探していましたから。私などは久しぶりに裸足になってズボンをビショビショにしてしまいました。
沢蟹は15匹捕獲できました。
エコロジストや動物愛護主義者、生命権主義者からは糾弾されそうですが、私にとってはこの上ない収穫です。
さて彼らを無事自宅まで連行できるでしょうか。
■西福寺の改修工事現場の見学(2005年7月17日)
以前、書き込んだ大原山西福寺の庭がライトアップされて公開されているというので、連れて行ってもらいました。
いま平成の大修復に取り組んでいるのですが、その工事現場も公開されているのです。
西福寺の本堂は総本山の知恩院と同じ造りですが、規模もほぼ同じなのだそうです。
前回も書きましたが、京都の大原とつながりがあるかどうかをお寺の人に聞いて見ました。
残念ながら明確ではないそうですが、あとでお寺でもらった資料を読んでいたら面白い話が出ていました。
昔、この寺にどうも京都の天狗が空を飛んで通っていたそうなのです。
大原の天狗かもしれません。
もしそうならば、それはきっと勝林院の天狗に違いありません。
西福寺に着いたのは午後7時半頃でした。
山につながる庭がわずかにライトアップされ、雰囲気が出ていました。
庭に面した縁側でお茶をいただきながら見ていると気持ちが穏やかになります。
この寺は勅願寺で、襖も文化財指定で普段はここにはないのだそうですが、今日はあるべきところに置かれていました。
お寺の人が説明に出てきてくれました。
京都や奈良と違い、まだお寺の心が残っています。
有名な浄土回廊も工事中でしたが、そこを通って本堂に入れます。
いつもは外からおまいりするのだそうですが、今日はじっくりと堂内を見せてもらいました。
真ん中のかなり高いところに法然上人の坐像が祀られています。
この寺は浄土宗の中本山なのです。
その法然像は迫力があります。しばらく目を合わせていましたが、かなりの迫力です。
しかし、こんなに高い位置に像を収めたのは間違いでしょう。
法然であれば、同じ目線に置くのがふさわしいでしょう。いささか威嚇的でした。
後ろに回るとたくさんの位牌が所狭しと並んでいます。
観光寺院では見られない風景ですが、生々しいおどろおどろしさを感じます。
しかも世俗の欲得も感じさせる雰囲気も否定できません。
それとは矛盾しそうですが、勅願寺のせいか菊の紋章のようなものがたくさんありました。
修復工事の現場の中に入っていけるのが面白い体験でした。
工事現場の階段をのぼっていったら阿弥陀堂の屋根のところに出ました。
真っ暗だったので何も見えませんでしたが、屋根をなでてきました。珍しい体験でした。
来年には1期工事が完成するそうです。
また寄せてもらうことにしました。
■社内誌コンテスト(2005年7月18日)
各社の社内誌がダンボール箱いっぱい届きました。
恒例の社内誌コンテスト審査のためです。
これを毎年読んで、一つずつコメントを書くのです。
かなり膨大な仕事なのですが、毎年やっているおかげで会社の動きがそれなりに見えてきます。
私の感じでは、日本の会社は進化どころか退化しています。
しかも社内誌の世界では残念ながら知見が蓄積されずに予算削減の分だけ劣化しているようにも思います。
社内誌は面白いメディアですし、経営にとっての戦略ツールです。
しかし、そうした意識はあまり多くはありません。とても残念でなりません。
これから3週間かけて、この社内誌を全部読む予定です。
ちょっと気が重いですが、ちょっと楽しみです。
今年の社内誌はどうでしょうか。
■天然良品の野原敏生さん(2005年7月19日)
エコソシオの野原さんが久しぶりにやってきました。
なんということのない近況報告の交換に終わりましたが、野原さんの関心事はかなり私とは重なっているのです。
取り組み方はまったく違うのですが。
野原さんが今取り組んでいるのは、「天然良品」というブランドのもとに、鮮魚などを楽天を活用して販売していく事業の立ち上げです。
新しい仕組づくりはいつも大変ですが、野原さんは凝り性ですからさらに大変なのです。
それに野原さんは構想者ですからいつも大きな構想を描くのです。
私などはその全貌がなかなかわかりません。
若者たちの起業と私たち世代の起業とは大きく違います。
発想も違えば、取り組み方も違います。きっと世界の見え方が違うのでしょう。
天然良品の鮮魚が皆さんに見えてくる日も近いようです。
■第1回CC運営委員会(2005年7月19日)
コムケアの運営委員会が始まりました。
準備を重ねてきたので、主旨は共有されているとは思うのですが、
これまでの発想の枠で考えるのが人の常ですから、いささかの心配はあります。
今回は選考会のスタイルを中心に議論しましたが、また新機軸がうまれそうです。
選考会に参加した人が共感した活動に寄付をする仕組みです。
こうした動きは以前からありましたが、それをコムケアらしい方法で実現できればと思います。
これまでも検討課題だったのですが、事務局ではなく運営委員から発案してもらったので自己満足にならずにいけそうです。
さらにこれを発展させられれば、コムケア通貨やコムケア基金につなげられるでしょう。
仕組みづくりより実体づくりから入るという理想的なやり方です。
運営委員会はうまくいきそうです。うれしい限りです。
■我孫子のまちづくりの問題点(2005年7月19日)
CC運営委員の下山さんと松清さんは松戸と柏の住民です。
帰路一緒でした。まちづくりの話になりました。
我孫子の市民活動がどう見られているかが良くわかりました。
ほとんどの人から語られることが共通しているのです。
それは私の感覚とほぼ同じです。
残念ながら我孫子のまちづくりは時代から取り残されつつあるのかもしれません。
それが悪いわけではありません。それだけ我孫子は住みやすいともいえるわけです。
相模原市のアドバイザー役をしていたことがあります。
相模原市は住みやすいが物語がないために楽しくないという住民が多かったのですが、それを解決するために物語をどう創りこんでいくかが課題でした。
「相模原学」を提唱しましたが、残念ながら実現しませんでした。
もしかしたら我孫子市もそうなのかもしれません。物語が不在なのです。
今の我孫子市の都市計画は在来型で、開発業者に振り回されているように感じますが、それは都市計画のコアになる物語がないからです。
素材はたくさんありますが、生かせていないのです。
それに着目して事起こしをしたいといっているのが富樫さんなのです。
我孫子市はいま、大きなマンションがどんどん増えています。
一昔前の発想の延長で取り組まれていますので、本当のビジョンが見えません。
まちづくりだけではありません。環境活動もビジョンやシナリオがないような気がします。
目先の流行に追われており、生活発想が不在なのかもしれません。
それはまた住民不在と言うことかもしれません。
住民の一人として反省しなければいけません。いや行動しなければいけません。
さて、どう動き出せばいいのか、悩ましい問題です。
■市川覚峯導師の思い(2005年7月21日)
異能な行者、市川さんから久しぶりにこれから取り組みたいことを体系的に聴きました。
これまでの活動を踏まえて、組織展開をしたいのだそうです。
組織展開のポイントは「コアバリュー」と「コアネットワーク」です。
この二つは既にかなり蓄積されています。後はプログラミングするだけです。
市川さんは、今も時々、経営者を引率して山の行を体験するプログラムを主宰しています。
これは好評です。参加を希望される方がいたら、ご連絡ください。市川さんをご紹介します。
市川さんは「経営道」を言い出した人です。
経営の世界では「能率道」というのがありました。
これは産業能率大学の上野陽一さんが言い出したのですが、
それに触発されて、市川さんは山城章さんと一緒に経営道を提案し、その活動に取り組んできたのです。
しかし、残念ながら「経営道」に心を埋め込むことに必ずしも成功していません。
いま、市川さんが重点をおいているのが「霊性」です。
なにやら流行迎合と思われそうですが、市川さんの場合はそうではありません。
自らの身体的体験の中から体得したところなのです。
市川さんの修得している霊性もかなりのものです。
市川さんは来月から本拠地を戸隠に移します。
この20年の活動の集大成に取り組みます。
何が出てくるか心配ですので、勝手にお目付け役を引き受けることにしました。
霊力のある人のお目付け役になるためには、「無」につながる強欲が必要です。
さて私に果たせるでしょうか。
■市民活動って何ですか?(2005年7月22日)
「市民」ってなんだろうか、と私は時々悩みます。どうも実感が得られないのです。
ところで、今日、コムケアの申請をしたいので相談に乗ってほしいという人がやってきました。
相談に来るまでにいきさつがいろいろあるのですが、それには今回は触れないことにします。
驚いたのは、私がやろうとしていることは「市民活動」なんでしょうか、と聞かれたことです。
やはり「市民活動」という言葉は身近ではないのですね。反省しました。
「社会活動」のほうが適切でしょうか。
やりたいことをやれる時代になったとよく言われます。私もそう思います。
その気があれば、本当に様々なことができます。
雇用される仕事は少なくなっているかもしれませんが、仕事はいくらでも創れる時代です。
失業という概念が変わってきているのです。
ただ、雇用は給料につながりますが、自分で起こす仕事はすぐには対価を得られないかもしれません。
時には対価をとられてしまいます。それでも「仕事」かといわれそうですが、私はそれこそが「仕事」だと思っています。
仕事の定義も、報酬の定義も変わりつつあるのです。
家事は仕事か?、と同じように、市民活動、住民活動は事業かどうかという問題もあります。
事業型NPOとかコミュニティビジネスとか新しい言葉が生まれていますが、どうも発想のベースを転換するまでにはいたっていません。
そこを変えなければ実は何も代わらないように思います。
ちょうどそんなことを話していたら、電話がかかってきました。
昨年度の続いて、 ニートの委員会の継続参加を依頼されました。
発想の転換とはほど遠い有識者たちとの議論は退屈ですが、もう少し付き合ってみようかと思います。
二神さんもオブザーバー参加されるようですし。
(2005年7月第4週)
台風一過、真夏になりました。
■機械関連企業における社会的責任への取り組み(2005年7月25日)
久しぶりに機械振興協会経済研究所の研究会に参加することになりました。
座長が井口哲夫さん、事務局が渡辺博子さんで、テーマは機械関連企業における社会的責任への取り組みです。
抽象論ではなく、たとえばものづくり現場における社会的責任意識のようなものをさぐりたいということです。
その捉え方に共感しました。
企業の社会的責任論は1950年代に始まりますが、当初は「経営者の倫理観」が問題になりました。
その後、1990年代には経営論に変化し、いまのCSR論議は企業論になってきています。
その先には社会論としての企業論があるわけですが、そうした動きを追うだけでも面白いテーマです。
経営論にとどまっている限り、おそらくこの問題は解決しないでしょうが、
現実に語られていることは、今もって経営論の話がほとんどです。
だから私には退屈ですが、この研究会は「ものづくり」にこだわるようなので楽しみです。
委員の半分は初めての方です。
どんな議論が始まるでしょうか。
井口さんや渡辺さんと久しぶりにご一緒できてうれしいです。
■台風の影響(2005年7月26日)
非常に不謹慎なのですが、私は台風が大好きです。
あの風の威力は感動します。
我が家の駐車場の屋根がとばされたり、植木が被害をこうむったり、
大阪への途中で新幹線が止まり、会議に参加できなくなり、それが原因で問題が発生したり 、
まあ、いろいろな被害は体験していますが、ともかく好きなのです。
自然の威力には本当に感動します。
被害を受けた人たちには問題発言でしょうが、ともかく自然が無条件で好きなのです。
今日は大型台風だということで、朝からテレビが騒いでいました。
午前中はオフィスに行こうと思っていたのですが、ついついテレビを見ているうちに行きそびれてしまいました。
午後もずっとテレビの各地の中継を見ていました。
用事もあったのですが、台風を口実に中止してしまいました。
時々、外に出て台風を実感していましたが。
夕方の地元での集まりも台風のため、直前で中止になりました。
ところが残念ながら、今回の台風は思ったより雨風は少なく、肩透かしされた感じです。
我が家の被害は皆無でした。
そういえば23日に地震がありました。
足立区では震度5を超えました。我孫子は4強でした。
ちょうど地震のときに、家族と一緒に近くのショッピングセンターでコーヒーを飲んでいました。
突然の大きな揺れで、店内の人は一斉に立ち上がりましたが、それだけでした。
私は思わず天井を見ました。落下しそうなお店でしたので。
しかし揺れはしたものの被害はありませんでした。耐震構造なのだそうです。
急いで帰宅しましたが、我が家も被害が皆無でした。
いささかこれも気が抜けました。期待はずれ?だったのです。
こうした経験から、被害者になりたがっている自分に気づきました。
なんと不謹慎なことでしょう。
最近の社会はいささかおかしいです。
天に罰せられて当然のはずですが、なぜこういう自堕落な日本社会を天は罰しないのでしょうか。
最近、そんな思いが頭のどこかにあるのです。困ったものです。
大きな天の怒りが近いうちに来そうで心配です。
■司法の死(2005年7月27日)
一度しかお会いしていませんが、尊敬できる人がいます。
山梨の久松さんです。
ゆっくりお話したことはありません。
久松さんは私を覚えていないでしょう。
しかし、私はメーリングリストで久松さんの言動に触れています。とても共感できる人です。
その久松さんから「司法の死」というメールがまわってきました。
昨日、甲府地裁で行われたイラク派兵意見裁判の報告です。
ブログ(CWSプライベート)に書きましたので、ぜひお読みください。
とても悲しいです。
そのメールを受けて、ある人が司法の葬式をやりましょうと提案してきました。
賛成したい気分です。
日本の司法界はどうも信頼できません。
裁判員制度にごまかされてはいけません。そこにこそ司法界のひどさが象徴されているように私は考えています。
しかし、なぜかみんなはそうした形だけの変化や言葉だけの言い換えに満足してしまいます。
とてもさびしいです。
■情報リテラシーをどう考えるか(2005年7月27日)
「沈黙の春」を読む会の今回のテーマは「情報リテラシー」です。
情報好学を専門にされている橋本義平さんが問題提起してくれました。
実に示唆に富むお話で、刺激的な議論が出来ました。
情報リテラシーは一般に、だれでもがITを活用できるようにしようという主旨で議論されますが、
そうした段階はもはや終わり、ITを使うことの意味、影響力の大きさなどをしっかりと身に付けさせることが大切だというのが橋本さんのお考えです。
その基本は、「偉大なる常識人」になり謙虚さを持つことだというのです。同感です。
まあこう書いてしまうと軽くなってしまいますが、これを基調に様々な議論が行なわれました。
杉本さんが録音したかったとおっしゃいましたが、私もそう思いました。
生々しい話も出ました。
つい最近発見された、オンラインバンクのアカウント情報を盗み取るトロイの木馬も紹介されました。
安直にネットに依存するのは危険ですね。
振り込め詐欺などが問題になっていますが、もしかしたらもっと大きな構造的な詐欺的構造が構築されつつあるのかもしれません。
茶之木さんが、ウィルス防止ソフトが、そもそもウィルスになっていると言いましたが、これもいわれてみるとその通りです。
産業のジレンマの典型的な事例ですが、システムの持つ本質を考えさせられました。
情報コストが限りなくゼロに近づいているとよくいわれますが、そのことにもハッとさせられました。
情報コストはもしかしたら急速に高まっているのかもしれません。
スケールデメリットや社会的費用の問題がここでも重要な課題になりそうです。
目からうろこという感じでした。
情報の持つ表と裏は、もっと明確に認識されるべきでしょう。
最後に川口さんが、「まさに新しい『沈黙の春』ですね」といいましたが、同感です。
今回は5人の集まりでしたが、とても深い議論が出来ました。なにかとてもリッチな気分になった感じです。
ところで、この集まりは秋に発足予定の「技術倫理サロン」(仮称)に継承していく予定です。
秋には再スタートします。関心のある方はぜひご連絡ください。
■カネボウ粉飾決算における責任追求と原因究明(2005年7月29日)
カネボウの粉飾決算が話題になりだしました。
そして、ついにかつてのトップが逮捕されてしまいました。
テレビを見ていたら、その一人の宮原卓さんの映像が移りました。
私の知人の宮原卓さんでした。
カネボウの粉飾決算は、おそらくかなり広い範囲でささやかれていたことであり、私ですらかなり前から何となく聞かされていました。
まあ、そんなことはそうめずらしいことではありませんので、そう気にもしていませんでしたが、
その規模はかなり大きいのと経営幹部の意図的な操作のすごさから、問題になるのは時間の問題だとは思っていました。
しかし、そのトップに宮原さんがいると走りませんでした。
宮原さんは三井銀行出身です。
私が東レにいた時代、三井系の会社の企画調査関係のスタッフの集まりをやっていました。
その時に一人が宮原さんです。
私とは大学卒業年次が同じですので、親しみを感じていました。
それにとても真面目な人柄でした。
宮原さんが三井銀行からカネボウに派遣されたのは19995年です。
当事のカネボウはすでにさまざまな問題を山積していたはずです。
最初はまさか彼がと思いました。いや今でも信じられない気分です。
これもたまたまなのですが、今日、その時のメンバーの一人から40数年の会社生活を無事終了したという挨拶状が届きました。
そして宮原さんの事件です。
安定した大企業に入社し、真摯に仕事に取り組んできた2人の知人の明暗をわけたのは何でしょうか。
安全学を提唱している村上陽一郎さんが「第三者機関による事故情報の収集と分析」の大切さを指摘しています。
そして、事故に対して「責任の追及」よりも「原因の究明」が大切だと言っています。
同じことが企業活動にも言えると思います。
宮原さんがなぜこんな不運に巻き込まれたのか、彼の責任を追及することも必要ですが、
それ以上に必要なのは原因です。
責任の追及は「倫理」問題ですが、原因の究明は「論理」問題です。
そうした発想が、残念ながら日本にはほとんどありません。
西武鉄道で自殺した社長も、組織の論理に負けたのです。
思考のパラダイムを変えないと、こうした悲劇がまだまだ繰り返されるでしょう。
■今月のオープンサロンは予想を外しました(2005年7月29日)
オープンサロンに久しぶりに中村公平さんがやってきました。
予定では八ヶ岳山麓で農業をやっているはずなのですが、
まだ企業の世界から解放されずに、今度は第一交通産業の東京支店の顧問に就任されました。
第一交通産業といえば、北九州市に本社がありますが、
ホスピタリティ運動の最初のフォーラムで、そこの浅野さんに参加してもらいました。
とてもしっかりしたホスピタリティマインドを持った会社だと思った記憶が今でもあります。
続いて紀陸さん、武田さん、小林貴博さん、柴崎さん、そして斎藤正俊さんとやってきました。
今月の予想は10人だったのですが、もしかしたらまた実現かと思ったのですが、そこでストップしてしまいました。
少しして、藤原さんがやってきましたが、結局は我々を入れても9人でした。
私の特殊能力は否定されてしまったわけです。
まあ、どうでもいい話ですが。
話題はいろいろと広がりましたが、斎藤さんや中村さんが来たこともあり、自転車や都市交通の問題もかなり話が出ました。
農業の問題やアスベスト問題、ビジネスフォンの話や都市構造の話など、私には面白い話でした。
今日はまさにサロン的な感じで、よかったです。
小林さんがやはり10人以内がサロン的で良いといいましたが、同感です。
しばらくはこんなテンポで静かに進めることにします。
今回はデジカメを忘れてしまったために写真はありません。
■週末農業(2005年7月30日)
この週末、予定があったのですが、すべてキャンセルしました。
意図的に怠惰に過ごすことにしました。
最近どうもやるべき課題に取り組もうとする気力が枯れてきているのです。
周辺の起こるさまざまな事件がそうさせているのかもしれませんが、
気が乗らない時は、ともかくリズムを変えるのが一番です。
近くの家庭農園で雑草取りをしました。
先週一生懸命やったのでかなりきれいにはなっていますが、
それでも草はどんどん世界を広げてきます。
我が家の農園は道沿いが草花ですが、半分以上は野菜です。
近くで農業をやっている青木さんが時々アドバイスしてくれます。
余った苗も分けてくれます。
今年ははじめたのが遅く季節外れのために土壌づくりが中心ですが、
それでも10種類を超える野菜がそれなりに育っています。
和綿も蒔いたのですが、これは4本しか出ませんでした。
農業での悩みの一つは野菜を食べる毛虫や青虫をどうするかです。
もちろん家庭菜園ですから、薬は全く使いません。
見つけると除去しなければいけないわけですが、方法は殺すしかないわけです。
これにはいつも抵抗があります。
農業は殺生と重なっているのです。
雑草とりも殺生そのものなのです。
複雑な気分になります。
青木さんがネットをして毛虫の卵がつかないようにすればいいのですと教えてくれました。
ネットをつかえば、キャベツや白菜にも挑戦できそうです。
殺生と農業、自然破壊と工業、人間疎外とサービス業、
そんなことを考えてしまった1日でした。
(2005年8月第1週)
日本列島はうだっています。
■我孫子の住民活動と行政の支援体制(2005年8月1日)
前にも書きましたが、地元の我孫子市の住民活動(市民活動)に少し波が立ち始めています。
住民活動が広がっていく過程でぶつかる壁の一つかもしれません。
今日の午前中は市役所の市民活動支援課と意見交換させてもらい、
夕方には住民活動に取り組んでいる人たちの集まりを開きました。
我孫子市の市民活動には関係者はかなりの自負を持っています。
行政も住民も、です。
しかし、最近、もしかしたら我孫子の活動は形先行で実体が弱く、
行政依存から十分に抜け出ていないのではないかという意識が広がってきているのです。
外部からもそうした意見は増えています。
「協働」という理念は広がりだしています。
私はこの言葉がまちづくりに大きなひずみを与えていると思っている人間ですが(脱価値的な手段用語だからです)、
協働理念が住民側にはとりあえずの自立の思考を広げていくようです。
ですからまあ、協働理念も受け入れないといけないのかもしれません。
ちなみに、「市民活動」とか「支援」とかが安直に語られている風潮にもいささかの違和感はありますが、それもまあしばらくは妥協しましょう。
それにしても、わけのわからない言葉が多すぎますが。
こうした状況の中で、我孫子市では市民活動サポートセンタが新設移転することになっています。
それを契機にその運営をめぐり、市民参加(住民参加ではありません)で議論を重ねてきたのですが、その案が不評なのです。
なぜ不評かは私には明確です。
価値観が見えないからです。ビジョンとグランドデザインが不在で、現状問題対応発想での手続き論がすべてだからです。
いいかえれば「協働発想」であって、「共創発想」ではないのです。
この違いはなかなか理解してもらえませんが、とても大きな違いだと思います。
午前中の行政との話し合いはかなりお互いに本音で話し合えたと思います。
私も実態の理解が進みました。
問題は簡単ですが、最初のボタンを掛け違えるとその解決は非常に難しくなるのです。
しかし、もしかしたら、今回がそのボタンの賭け違いを正すチャンスかもしれません。
問題は誰がボタンをかけなおすかです。
それができるのは一人しかいません。
夕方は住民集会です。これで3回目ですが、新たに二人の方が参加してくださいました。
議論はおおもめで、大変でした。あまりに情報が共有されていないための混乱です。
しかし、みんな本音での議論ですから、実に真剣です。
9時になっても議論は付き添うもありません。まあもう少し続けなければいけません。
こうした話し合いの場が実はまちづくりの拠点なのです。
いわゆる公共空間ですが、こうした話し合いが広がればほとんどすべては解決します。
行政がやれる支援とは、実はこうした話し合い空間、いわゆる公共空間を広げ、つなげることなのかもしれません。
この集まりはもうしばらく続けたいと思いますが、この活動のビジョンとグランドデザインも必要になってきました。
本気で取り組むべきかどうか、迷うところです。
なぜなら私の発想は現状を混乱させることが多いですから。いやはや。
■KAE37期Eチームメンバーとの意見交換(2005年8月2日)
今回のEチームのテーマは「ステークホルダーとのwin-win関係づくりを、社員を切り口に考える」です。
議論が壁にぶつかってしまったようでみんなで話に来ました。
話を聞いてみると、みんな難しく考えすぎのような気がしました。
どうしてみんな物事を難しく考えてしまうのでしょうか。
研修の場に参加して、いつも感じるには、みんな理論から考えてしまうことです。
もっと身近な問題から考えると議論はしやすくなるはずなのですが、なぜか理論や知識から議論を始めます。
それでは本音の議論はしにくくなります。もちろん答えは見つかりません。
理論の中に答えはありません。
私はKAEでは「理念」をテーマにしたチームのアドバイザーですが、
いつも企業の理念を考えることは自らの生き方を考えることだと話します。
しかし 、ほとんどそれは皆さんの耳に残りません。
自分の問題を自分の言葉で話し合うことの面白さに気づけば、学ぶことに意味は大きく変わるのですが。
話しているうちに、いろいろと具体的な話が出てきました。
職場の問題も出てきましたし、これまでの議論の仕方の問題点も見えてきたようです。
ここまでくればもう大丈夫です。次回はきっと面白い議論が出来るでしょう。
しかし、この数年、皆さんの関心は必ずといっていいほど、同じところにたどりつきます。
「社員の元気」です。企業の現状がよくわかります。
■ホリスティック医療に取り組む縄田理恵子さん(2005年8月2日)
縄田さんとの出会いは、統合医療研究会です。
縄田さんはホメオパシーや健康食品に造詣が深い方ですが、
この1年、帯津良一さんが主宰する池袋の帯津三敬クリニックの立ち上げに取り組んでいました。
もう軌道に乗り出しているようです。
帯津さんはその分野では著名な方で、私の女房の時も何人かの方から帯津さんに診てもらったらどうかとお勧めを受けました。
当時は接点が全くなく諦めたのですが、縄田さんがまさかその帯津さんと一緒に仕事をすることになるとは思ってもいませんでした。
不思議な縁を感じます。
縄田さんはいろいろな思いをお持ちですが、迷いもいろいろとあるようです。
しかし、まずは動き出すことが大切です。
年内には次の第一歩を踏み出すでしょう。
どんな物語がまた生まれるでしょうか。
■ナイト・スタディ・ハウスが今度で10回目になります(2005年8月3日)
ナイト・スタディ・ハウスに関しては、最初、少し報告しただけであまり触れてきませんでした。
とても面白い活動で、私も毎回参加したかったのですが、いろいろと不運が重なり2回目以降、参加できなかったのがとても残念です。
毎回、イベントが終わると主催者の菅野さんと塩野さんが報告してくれます。
このプロジェクトは、この二人の思いがこもっているのです。
前回の集まりはこのホームページでも案内させてもらいましたが、とても面白かったようです。
ところでこの活動も次回で10回目なのだそうです。
これまでの活動でさまざまなノウハウが蓄積され、人の輪も広がったようです。
そろそろ次のステップに進む頃かもしれません。
どうも2人ともそんな意識を強めているようです。
この活動で育ってきたクリエーターたちのネットワークは、たぶん一方向ではないでしょう。
それぞれの現場で、同じ目線で語り合うという姿勢で、しかも食事を共にするということを基本にしていますから、
共創的な感覚が育ったひとのつながり、あるいは人の輪はかなりライブなはずです。
信頼関係を根底に置くプラットフォームといえるかもしれません。
そのオープンプラットフォームを活かして、何をやるかが次の課題です。
私も参加していたら、その一翼を担えたのでしょうが、残念ながらこればかりは横からは入れないのです。
当事者が育てるプラットフォームでないとどこかで形が優先していくからです。
10回目のイベントがどのようなものになるのかとても楽しみです。
これからは参加できるといいのですが、時間禁治産者としては自信がありません。
ちょっと残念ではあります。
■インキュベーションハウスかイヤシ(癒し)ベーションハウスか(2005年8月3日)
インキュベーションハウスの夏の総寄り合いです。
インキュベーションハウスはまだ業績が上がらず、赤字路線を続けています。
普通はこのあたりで銀行から敏腕な経営者が送り込まれるのですが、零細企業は見放されていますから、誰も歯牙にもかけません。
第一、会社の監査役の外崎さんも本気でやる気がないなら解散したらと本当は思っているのです。
それに、メンバーの話しあいでは、新しい事業起こしになるとみんななんとなく静かになってしまいます。
なかには何も無理して仕事をすることもないと言う人までいるのです。
スローライフ志望者が中心なのです。
結局、新たなメンバーによる活性化の期待しようという声が出ました。
他人任せです。こういう社員は厳罰に処すべきですが、発言したのは社長です。困ったものです。
今なら入社のメリットとして「入社すると社長役がついています」というのはどうかという素晴らしい案も出ました。
皆さん、いかがですか、一度は社長もいいものですよ。
まあメリットはあんまりないですが。
結局、夏なので暑気払いに飲みにいこうということになりました。
今回はアソシエイツの田辺さんや山本哲さんも参加してくれました。
2人 の話は素晴らしかったです。たくさんの刺激をもらいました。
田辺さんは時々このホームページにも登場しますが、現在、盲ろう者の出前マッサージ事業起こしに取り組んでいます。
その発端の話を今日初めて聞きました。
とてもいい話ですが、公開はしません。田辺さんが好きになりました。
山本哲さんはローカルジャンクション21の集まりで一度お会いしましたが、
今日は本当の山本さんの顔に触れさせてもらいました。
キャリアをきちんと聞いたのですっかり好きになりました。
キャリアは表現の仕方で全く変わってきますね。
今日はハチミツの話のほか、いろいろと話題を出してもらいました。
この3人がインキュベーションハウスに関ってくれることになったのです。
いや、私がそう思っているだけですが。これで近いうちに社長引責留任を解かれるかもしれません。
アントレプレナーの田辺さんは、今回の私たちの議論にほぼずっと付き合ってくれたのですが、
最後に、インキュベーションハウスをイヤシ(癒し)ベーションハウスに社名変更したらといいました。
なるほど。
しかし、こういう提案に感心していること自体が問題なのです。
何か良い事業はないでしょうか。
時間を割かなくて利益が大きな、しかも楽しい仕事はないでしょうか。
早く頼んでくれないと会社が倒産してしまいますので、よろしくお願いいたします。
あるいは癒しを求めている方は、ぜひ入社してください。
それなりの支えあう仲間がきっと得られるはずです。
「それなり」ではありますが。
■福島管理者研修(2005年8月4日)
年5回引き受けている研修の今年のテーマは「管理者にとっての政策形成力」です。
と言っても、難しい話をするわけではありません。
私の薦めは「これからの管理職はソーシャルアントレプレナーシップ」を持たなければいえないということです。
そして出来ればそれぞれが自分の仕事に関して「自分の物語」を生み出してほしいという提案させてもらいます。
そのガイダンスシートも一応はあるのです。
講義の途中でミニワークショップをグループ単位にやってもらい発表してもらいます。
テーマは「管理職として政策形成力を高めるために一番大切なことは何か」です。
今回も発表してもらいましが、いつも共通点があります。
厳しい言い方をすれば、当事者意識の不在、言葉だけのまとめ、模範解答的答えなどです。
意地の悪い私はそれでは納得しないわけで、
たとえば「コミュニケーション」などと言う発表には「コミュニケーションって何ですか」と質問するわけです。
「住民ニーズの把握」と言われれば、住民って何ですかと質問しますし、
模範解答には、本当にそう思っていますか、と失礼な問いかけをするわけです。
扱いにくいコメンテーターです。
私は「政策形成」の出発点は「気になる風景を気にすること」と考えています。
時間があれば、気になることをみんなに出してもらい、その解決処方を出し合いながら、政策ってなんだろうと言う議論をしたいのですが、
まあ時間が4時間しかないので、意地悪をして混乱させるわけです。
いやな性格かもしれません。
今日は珍しい人に出会いました。
数年前に私の講演を聞いてくれた赤松さんです。
その後、メール不通になっていました、今回は研修生として参加してくれました。
こういう出会いが時々あります。
講義の終わったあとに、シンクタンクふくしまの坂口正春さんから最近の論文をもらいました。
コミュニティガバナンス、地域内分権のテーマは面白いテーマです。
皆さんに呼んでもらえないのが残念ですが、そのうちに公開されると思います。
■NPO研究者の田中弥生さん(2005年8月5日)
先週、ブックのコーナーで新著を紹介させてもらった田中さんが久しぶりにやってきました。
田中さんもいまや東大大学院の助教授です。時代の経つのは本当に早いです。
しかし、彼女のフットワークの良さはすごいです。
彼女が考えている新しい経済社会システムと新しいNPO論の方向性を少しだけ聞きました。
私にはまだ在来型の枠組みを超えていないように思いますが、いくつかの点では共感できます。これからが楽しみです。
肝心の論点はまだ議論しませんでしたが、たまには私のようなドロップアウトした発想と意見交換するのも意味があるだろうと思います。
学者の世界は退屈でしょうから。
日本のNPOに関する実態調査も進めているようです。
NPO業界団体の調査からは新しさは出てこないと私は思いますが、まあ必要なのかもしれません。
今日は他にもとても面白話を聞きました。
外務所の第三者評価のプロジェクトに関連して、国際経済協力における調整融資のレビューをしたのだそうです。
私の認識では15年以上前に問題にされたようなことがまだ継続されているような気がしました。
組織発想の時代から個人発想の時代に社会構造原理が大きく変わろうとしている中で、
思い切って発想を変えないとマイナスのほうが大きい経済協力は少なくないはずですが、事態はまだ変わってはいないようです。
いずれにしろ田中さんは大学を楽しんでいるようです。会うたびに成長しています。私とは対照的です。
■手賀沼花火大会(2005年8月6日)
手賀沼花火の会場の一つは我が家の目の前なのです。
我が家の屋上からは水上花火も良く見えます。花火だけは満喫できます。
これが我が家の唯一の贅沢なのです。
今日は絶好の花火日和でした。
諸般の事情で、今回はほとんど友人知人に声をかけなかったために来客は2組でしたので、
わが夫婦もここに転居以来、初めてゆっくりと花火を観ることができました。
迫力満点です。
ほぼ突然にやってきたのは、渕野夫妻です。
東レ時代に同志としてCIプロジェクトに取り組んだのが渕野康一さんですが、今は浦安に住んでいます。
東レのCIプロジェクトには2人とも深い思いがありますが、それを共に体験したことで、つながりができています。
会っても当時の話はほとんどしませんが、気心は互いにほぼ完全に理解しあっているでしょう。
体験を共にすることの意味は大きいです。
花火終了後、10時近くまで話しこんでしまいました。
話題は何と「健康」と「感謝のある生き方」です。年齢を感じますね。
もう一組は娘の友達親子でしたが、2歳の子どもは花火の音が怖かったようで、鑑賞どころではありませんでした。
そういえば、我が家のちび太くんも花火の音でいつも狂乱するので、今夜は外泊でした。
自然を破る現象には生命は本能的に反応するのです。
私にとっての年1回の贅沢は終わりました。
明日からまた、つつましやかに生きる生活です。
さまざまな雑念を花火は飛ばしてくれましたので、きっとしばらくは素直に生きることができるでしょう。
少し不安はありますが。
(2005年8月第2週)
今週もさまざまな相談があった週でした。
コムケアの資金助成プログラムの関係での相談も多かったです。
相談事はビジネスからボランティア活動までかなり幅広いものでした。
しかし、そうした中に、どうも現代社会を考える重要なヒントがあるような気がしてなりません。
今回はいつもとは少し趣向を変えて、いろいろなことを羅列的に簡単に紹介します。
■郵政民営化法案否決(2005年8月8日)
郵政民営化法案が参議院で否決されました。否決の現場だけは見ておきたいと思い、投票実況をテレビで見ていました。
衆議院ほどの緊張感がなかったのは、主舞台がすでに移っていたからかもしれません。
政治の陰湿さを感じました。野党も反対派も、すでに小泉内閣が次のステップに移っているのに気づかなかったのかも知れません。
否決されたのはよかったのですが、これもまた国民をだますシナリオに効果的に組み込まれているような不安を感じました。
民主党を初めとした野党と自民党反対派の戦略シナリオがどうも感じられません。
参謀はいないのでしょうか。
もしかしたら、小泉独裁路線は一歩前進なのかもしれません。そんな暗い気分になりました。
杞憂だといいのですが。
■かんき出版の藤原雅夫さんがやってきました(2005年8月8日)
藤原さんが電話して来ました。相談があるというのです。
藤原さんのことはいつか書いておきたいと思っていたので、ちょうどいいので少し書いておきます。
藤原さんはかんき出版の編集者です。
このホームページでもお薦めした「ものづくりのヒント」や「赤ペンをもって憲法を読もう」などの本を企画担当された人です。
もう15年来のお付き合いです。
CI関係の本を企画された時に相談に来たのが最初です。
以来、オープンサロンの常連になり、ご多用の中を今でも参加してくれています。
藤原さんは受身の編集者ではありません。企画者なのです。いろいろ面白い企画もやってきました。失敗もあれば成功もあります。
今日は2つの話がありました。
ひとつはとても魅力的なテーマです。まだ藤原さんの許可を得ていないので内容は書けませんが、少なくとも一つは私が考えていることにつながっているテーマです。
時間があればのめりこみたくなるようなテーマです。もしかした接点ができるかもしれません。
藤原さんとはいつか何かを一緒にやりたいと考えていますが、この話が発展するとおもしろいです。
ちなみテーマは環境教育です。
もう一つは日中交流です。これもおもしろそうです。
■メディカルエステ事業構想(2005年8月8日)
本業?の企業コンサルティングの仕事の関係で、メディカルエステのプロデューサーチームと会いました。
この世界は非常に曖昧な世界ですが、ビジネスは曖昧な世界でこそ面白いのです。
つまりハイリスク・ハイリターンの世界です。NPOの世界とは全くロジックが違うのです。
ハイリスク・ハイリターンの中でも、メディカルやエステの世界は、飛びぬけて非論理の世界です。
医療の世界ではよくEvidence Based Medicine(EBM)ということがいわれます。
しかし、生面現象は極めて個別ですから、実はEvidenceをどう捉えるかはとても難しいわけです。
そこで、メディカルエステというような境界概念が出てくるわけです。
いかようにも設計できる世界であり、しかもそこにいるのは世間を知らない医師と「患者」です。
市場化の格好の標的といっていいでしょう。
そこに巣食っているのが医師会です。これもまた昨今の政治家と同じ「闇の住人」たちです。
念のために言えば、医師の多くはこの世界とは無縁に真摯にミッションに取り組んでいると思います。
私がホリスティック医療と言う言葉に出会ったのはもう25年くらい前です。
生命館の中村桂子さんを訪問した時に教えてもらいました。
中村さんはその時はまだ三菱化成の生命科学研究所にいらっしゃいました。
話を聞きに訪問したのですが、とても感動的な話をお聞きしましたので、今もはっきり覚えています。
それは生命科学とはまったく別の人生観の話です。男社会の医師の世界とは全く違う文化を感じました。
ついでに聞いたのがホリスティック医療という言葉でした。それが私が医療に関心を持ち出したきっかけです。
ところで、医療の世界は大きく変わるべきでしょうが、その転換期にはさまざまなビジネスチャンスがあるのです。
私にはいささかの違和感はありますが、時代はどうもメディカルエステを求めだしているように思います。
同じような話は他の人からもお聞きしていますが、今回お会いした人たちの構想はもっとビジネス寄りです。
たまには私もビジネス寄りの活動もしなければいけません。なにしろ会社が倒産しそうですから。
このプロジェクトにどう関わるか、悩ましい問題です。まあ、もう少し関わっていく予定です。
ビジネスはやはり男心をワクワクさせますので。
■Asante
Sanaで片岡勝さんに会いました(2005年8月8日)
片岡勝さんと言えば、市民バンクや第3世界ショップで有名ですが、コムケア活動の選考委員を頼んでいます。
いつも片岡さんらしい、個性的な視点で評価してきてくれます。
片岡さんとはもう15年以上の付き合いです。
私が東レを辞めた時、彼から会いたいと連絡がありました。
当時、いろいろな人が会いに来ましたが、今でもしっかりと付き合っているのは片岡さんくらいです。
私の脱落志向を知ると2度と連絡してこなくなった人もいます。それなりに有名な方ですが。
片岡さんとは不思議に続いています。
お互いの生き方の違いを認識し、お互いにかなり批判的でありながら、不思議に共感しているようなところがあるからです。
きっと論理ではなく、人柄がお互いに好きなのです。
コムケアも5年目なので、片岡さんと意見交換をしたいと思い、久しぶりに片岡さんを訪問しました。
片岡さんはあまり東京にいないので、なかなか会う機会がないのです。
恵比寿の第3世界ショップのお店Asante Sanaで会うことにしました。とてもいい場所です。
ちょうど片岡さんが映像取材を受けている日でした。
相変わらずでした。つまり人生を楽しんでいると言うことです。片岡さんは幸せな人なのです。
彼はいつも私の生き方に対して、もっと楽になるようにとか人を選んで付き合えとか言ってくれます。
しかし、私にはそれができないこともよく知っています。今日もそんな話で終わってしまいました。
コムケアの方向性には全面的に共感してくれ、今度、話に行こうかと行ってくれました。
一度、企画してみようかと思っています。
誰を対論の相手にしようか迷いますが、危険なアーティスト下山さんがいいかもしれません。
WWBジャパンの奥谷京子さんにも会いました。
どうやら我孫子市の藤田さんはここにも進出しているようです。私の名前がなぜか奥谷さんにも伝わっていました。
■地域と市民の放送局(2005年8月9日)
多摩大学講師の大川新人さんの紹介で、3人の学生がやってきました。
3人は地域と市民の放送局という事業型NPOのコアメンバーですが、卒業したら、そのNPOで働こうとしています。
その関係で相談にやってきたのです。
まもなくホームページが立ち上がるでしょうから、活動内容やビジョンはそちらに任せます。
立ち上がったらすぐにリンクする予定です。
気になったのは、3人ともが会社に入る意思がないことです。
こうした若者が増えているのはなぜでしょうか。さまざまな理由が考えられますが、やはりどこかで問題があるような気がします。
彼らの事業構想を聞いていてもどこかに不安があるのです。
しかしまあ、ホリエモンが大もうけできる時代なのですから、それでもいいのかもしれません。
ハイリスク・ハイリターンの時代になってしまいました。私が目指す社会とは正反対です。
地域と市民の放送局というと、私は反体制的な市民ジャーナリズムをイメージしてしまいますが、最近の文脈はどうもそうではないのです。
現状の体制を補完するイメージなのです。それはそれでとても必要です。しかし私にはちょっと寂しいです。
大学の文化が大きく変質していることが、学生たちとあっているとよくわかります。
■技術者倫理サロン(仮称)スタート(2005年8月9日)
NPO法人科学技術倫理フォーラムのひとつのプログラムとして、技術者倫理市民啓発プロジェクトに取り組むことになり、
有志による技術者倫理サロン(仮称)をスタートさせることになりました。
今日はその顔合わせのミーティングです。
メンバーはフォーラムの橋本さんと権上さん、鳥羽瀬さん、そして私、ほかに青木さんと関谷さんがスタートメンバーです。
これから少し増やしていきたいと思っていますので、関心のある方はぜひご連絡ください。
これからがとても楽しみな刺激的な集まりであることは間違いありません。
最初の集まりでしたので、まずは自己紹介と問題意識を披瀝しあったのですが、
みんな自らの体験に基づく話ですから、実に面白く、結局、9時近くまでそれで終わってしまいました。
しかし、その中に、技術者倫理の問題の社会発信に関するさまざまな視点やヒントがありました。
議事録をとらなかったのが残念なほどです。
橋本さんから、社会と技術は対立関係ではなく、倫理を問題にすることで技術者を萎縮させ防衛的にさせては事態はよくならないとお話がありましたが、全く同感です。
そもそも「倫理」という言葉を前面に出すことは避けたほうがいいでしょう。
しばらくはこんな話を続けながら、来年度のプログラムを考えていく予定です。
次回は10月4日の予定です。
■高崎市のゆいの家の高石友江さん(2005年8月10日)
高崎で一昨年行われたひだまり交流会でお会いしたのが高石さんです。
高石さんは中学校の先生だったのですが、不登校関係の担当をするなかで、「学校って何だろう」という問題にぶつかりました。
そして、それが契機になって、2001年に学校を辞めてしまいました。
そして、近くの家を借りて、居場所を探している人たちの集まる場所を育て始めました。
「不登校や障害者を含めて、今の社会に生きづらさを感じている人に、"生きていくのはたいへんだけど、一緒に生きていこうよ!!」
という思いを伝えていきたいというのが、高石さんの思いです。
その拠点が「ゆいの家」です。
高石さんは教員時代から、「風の大地」という会報とミニ講演会を発行してきています。
しっかりした理念とビジョンの中で、汗しながら実践している方です。
日本の社会はこうした地道な活動で支えられているのです。
高石さんが相談にやってきました。そろそろ次の段階に進む時期になったと思い出したようです。
お話をお聞きするとまさにそのようです。いろいろと意見交換させてもらいました。
コムケアもそうですが、ある程度の基本構造ができたら、スタイルを変えていく必要があります。
しかし、そこが意外と難しいのです。
高石さんは3反の土地を借りて、野菜作りや果樹栽培も手がけ始めています。
この3反の土地の活用も課題です。早速、ここは環境クラブの増山さんにつなげることにしました。
高石さんはニート支援にも取り組みだしたいと考えているようです。ここでもコムケアはいろいろと接点があります。
有識者のニート委員会は退屈ですが、実践者の支援は実に刺激的です。
高崎なのでなかなか会えませんが、いつか何か一緒の物語が生まれそうな気がします。
■野田のソーシャルアントレプレナー育てプログラム(2005年8月10日)
コムケアを応援してくれている松清さんが、NPO支援センターちばの松浦光恵さんと一緒にやってきました。
何か相談事があるのだそうです。少し不安だったのですが、松清さんの依頼であれば断れません。
松清さんはコムケアの運営委員に自発的に名乗りを上げてくれた方ですから。
支えられたら支えないと人生はバランスしません。
不幸にも、話は案の定、講演依頼でした。
私は講演嫌いですから、極力お断りするのですが、断れませんでした。
今回のテーマは、野田市のNPO関係者たちのソーシャルアントレプレナーシップを刺激するプログラムのようですので、もしかしたら面白くできるかもしれません。
そこで講演会ではなく、ワークショップ風の楽しい場にしたいと提案しました。
それでも良いといわれてしまいました。いやはや。
ともかく何か具体的な活動が始まるようなプログラムでなければ、意味がありません。
少し私もプログラムを考えることにさせてもらいました。少し憂鬱です。
一つ引き受けると同種の依頼を断れなくなってしまいます。
いささか不安ではありますが、まあこれは何とか対応しようと思います。
ただ意味のあるものにしようとすると、結構大変なのです。
そこで、今回は、まあほどほどのもので妥協したいと思っています。
■子育ち学ネットワークがなかなか動き出せません(2005年8月10日)
子育ち学ネットワークのキーマンの深作拓郎さんと星野一人さんと3人で、ざっくばらんな話し合いをしました。
せっかくたくさんの情報やネットワークが蓄積されてきているのに、子育ち学ネットワークはまだオープンプラットフォームとして活用されていないのです。
それに関して、少し本腰で考える提案をさせてもらいました。
この活動に関しては、私は後で巻き込まれた存在ですので、かなり客観的に活動を評価できます。
どうやら子育ちに関する中間組織的な活動と現場支援的な活動の両者が未整理のまま混在しているところに問題がありそうです。
それが整理できて、コアメンバーが役割分担しながら共創関係を育てていけば、とても面白いネットワークが育っていくはずです。
そのグランドデザインが弱いような気がします。
実際にはすでにさまざまな活動が始まっています。
深作さんは、地元の鷲宮市で、「わしのみや子育てネットワーク」を発足させつつあります。
9月10日に、そのキックオフも兼ねてのシンポジウムを企画中です。
残念ながら先約があり、私は協力できないのですが、これもきっと面白い展開になるでしょう。
星野さんもサロンやフォーラムを企画中です。
子育ち学の公開フォーラムを是非とも開いてほしいと思っていますが、年内には実現しそうです。
こうした活動にはコムケアも連携したいと思い、星野さんにはコムケアの運営委員にもなってもらいました。
こうやってどんどんつながりを育てていけば、きっと社会は変わっていくはずです。
■コムケア運営委員会に新しい助っ人が登場しました(2005年8月10日)
コムケア活動の第2回運営委員会です。今日は新たな参加が5人もいました。
子育ち学ネットワークの星野さんとNPO支援センターちばの松浦さんは、たまたま今日、私のところに相談に来たために、巻き込まれてしまいました。
まあ、それがコムケアスタイルなのです。また、住友生命の渡辺さんも初参加です。
意外だったのは、ライフプラン21の阿部達明さんと福仁製作所の近藤将仁さんです。
阿部さんは一昨年のコムケアの公開選考会に参加してくださいましたが、近藤さんは初対面です。
もしかしたらコムケアサロンと勘違いしているのではないかと不安だったのですが、お二人とも間野惠子さんの仲間なのだそうです。
間野さんから勧められて参加してくださったのです。
間野さんは、コムケアの以前からの応援者なのです。うれしい話です。
お2人にはもちろんですが、間野さんにも感謝しなければいけません。こういう人たちの支えで、コムケアは育っているのです。
今回はこのお2人の強力な発言で、運営委員会も順調に進みました。
選考委員会の実行委員会体制もかなり明確になってきました。
今日から参加した松浦さんや星野さんは、いつの間にか、どんどん巻き込まれてしまい、驚いたかもしれません。
しかし、まあ、人生はそんなものです。
コムケアの今年の公開選考会は10月16日です。ぜひご予定ください。
面白い新機軸も打ち出せると思います。
■ライフリンクの若者たち(2005年8月11日)
自殺予防対策に取り組むNPOライフリンクが9月10日にシンポジウムを開催します。
その実行委員会に湯島のオフィスを一時期解放することにしました。
そんなわけで、今週からライフリンクと私とでオフィスをシェアしていますが、そのおかげでライフリンクのメンバーの方々にお会いできています。
多くは若者たちです。ここにも社会の変質を感じます。
シンポジウムに向けてがんばっているのは、清水さんのほかに、尾崎盛幸さん(大学講師)と社会人入学で医療系の大学受験を目指している三谷宏子さんです。
尾崎さんとはまだゆっくりお話していませんが、三谷さんとは少し話をさせてもらいました。
ある体験が契機になって、医療系を学び直すことにしたのだそうです。
とても納得できる話ですが、こうした動きにも、社会の大きな変化を感じます。
ライフリンクのニューズレターも完成しました。
きっとホームページにも掲載されるでしょう。ぜひご覧ください。
■日航機墜落から20年(2005年8月12日)
あの忌まわしい事件から20年がたちました。
さまざまな視点からテレビは特集番組を報じていましたが、ついついその多くを見てしまいました。
考えさせられました。
事故の現場だった上野村の村長が、
「今日は20年目と言う節目だというが、私たちにはそんな節目はなく、21年目も19年目も同じなのだ」
と言う趣旨の発言をしていました。
その言葉が心に焼きつきました。
それにしても、こうした問題に対して、いまなお原因究明の思想が弱いような気がしてなりません。
実に象徴的だったのは、まさに今日、福岡空港を離陸した日航機がエンジン火災を起こしましたが、
その事件への日航の対処に関して乗客から不満が出ていました。
以前、日航のことに関して私も口汚く批判したことがありますが(反省しています)、安全や安心に対する文化も発想が変わっていないのかもしれません。
企業を変えるのは難しいですが、企業が変わるのは簡単なのです。
その発想がきっと日航にはないのでしょう。
テレビで9才の息子さんを亡くされた母親の活動が紹介されました。
NPOの原点を実感しました。
国家は何もしてくれないことがよくわかります。
そろそろ国家幻想から脱却しなければいけません。
■パンとサーカスの日本(2005年8月13日)
とても暗い気分になっています。
郵政民営化法案否決以来の状況は最悪に近いような気がします。
民主党にも自民反対派にも、戦略不在が明確になってきました。
信じられない話です。政治がわかっていないのです。
それに輪をかけて、マスコミや有識者たちは小泉翼賛会の気配を強めていますし、
国民はパンとサーカスに満足して言葉だけの世界で満足してきています。
一昨日もある人とついつい民営化論争を声高にやってしまいました。
私の意見はおそらくわかってもらえなかったでしょう。
日本は曲がり角を曲がったのかも知れません。
だとしたら、もう社会と関わっても意味がないかもしれません。
生き方を改めて考え直そうかと思い出しています。
勘違いだと言いのですが。
(2005年8月第3週)
暑さが相変わらずきつかったです。歳のせいか暑さを楽しめなくなりました。
今週はコムケア資金助成プログラムの対応で本郷に通い詰めましたが、なぜかいろいろなところから呼び出しがあり、並行していろいろな出会いもありました。
これも経験則ですが、忙しい時に限り、会いたいと言ってくる人が増えます。
暇な時には誰も連絡してこなくなります。
皆さんもそういう経験はありませんか。
■コムケア資金助成プログラム締め切り(2005年8月15日)
■千葉まちづくりサポートセンターの原田正隆さん(2005年8月16日)
■社会福祉協議会とNPO(2005年8月16日)
■偶然であったふぁっとえばーの秋山哲生さん(2005年8月17日)
■社内誌コンペティション2005(2005年8月18日)
■地元の青木さんの話(2005年8月18日)
■元祖住民流福祉活動の布教者木原孝久さん(2005年8月19日)
■上坂且さんの新著が完成しました(2005年8月19日)
■坪倉昭さんは魅力的です(2005年8月19日)
■美野里町みの〜れ物語のいま(2005年8月20日)
■久しぶりにお会いした美野里町の人たち(2005年8月20日)
■コムケア資金助成プログラム締め切り(2005年8月15日)
コムケアの資金助成プログラムの応募の締切日です。
今回は200件を越えるのではないかと心配だったのですが、結果は昨年とほぼ同じ140件強でした。
まだ読み出してはいませんが、途中で相談がいろいろとありましたので、いくつかのプロジェクトには触れています。
コメントは差し控えますが、市民活動はある意味でまだブームのような気がします。
つまり主体性はまだまだ少なく、資金助成への依存が大きいと言うことです。
もっと気になるのは、応募の相談をしてくるのに、また申請書を送ってくるのに、応募要綱をほとんど読んでいないと言う人も少なくないことです。
お金さえもらえればという姿勢が見えてきます。
私が資金助成プログラムを続けたくない理由の一つですが、ますますその傾向が強まっています。
一番腹立たしいのは申請書を長々と書く人です。
コムケアの場合、2種類の様式があり、それぞれ1枚仕立てなのですが、中には5頁にもわたって詳しく書いてくる人がいます。
コミュニケーション能力の問題ではなく、姿勢の問題です。
本来であれば、私はそうしたものは没にしたいと思っていますが、なかなかそういうわけにも行きません。
ここにも市民活動のレベルを感じます。
これから予備選考です。25人の人が参加してくれます。
他の資金助成プログラムでは真似ができない仕組みだと自負しています。
■千葉まちづくりサポートセンターの原田正隆さん(2005年8月16日)
コムケアのメーリングリストに、住民が地域計画を主体的に作成している事例を紹介してくれた千葉まちづくりサポートセンターの原田さんが来てくれました。
おそらく私とは共通の友人がいるはずなのです。
原田さんは土木系のエンジニアですが、いまはまちづくりに取り組んでいます。
千葉まちづくりサポートセンターは、延藤安弘さんを中心に設立された老舗?のNPOです。
原田さんは今、そこの運営委員です。
どうも延藤さんとの出会いが原田さんの人生を方向付けたようですが、そのことだけで原田さんの人柄や関心事がわかる気がします。
とても面白い話だったのですが、時間不足で消化不良に終わってしまいました。
最近そういえば、こうした議論をあまりしていないような気がしています。
反省しなければいけません。
■社会福祉協議会とNPO(2005年8月16日)
今月のコムケアサロンは社会福祉協議会がテーマです。
とても大勢の人が参加してくれて、面白い話し合いができました。
ややまだ生ぬるい感じはしましたが、1回目ですから仕方がありません。
以前、ボランティアコーディネーターの研修会でお会いした武藤さんと小林さんが、このサロンを実現する気にさせてくれたのですが、今日も参加してくれました。
私の地元の社会福祉協議会の横田さんとサポートセンターの佐藤祐子さんも参加してくれました。
他にも多士済々のメンバーで、時間が足りませんでした。
問題提起は、市民活動情報センターハンズオン埼玉の若尾明子さんです。
議論の内容はコムケアセンターのホームページに掲載しました。
関心のある方はお読みください。
できれば秋には公開フォーラムも開催したいと思っています。
ところで今回のサロンには異色の人が参加しました。
感声アイモというNPOの菅原三記さんと木村紀子さんです。
感声アイモは、発声訓練と作画訓練などを通して、感性の実践教育に取り組んでいます。
障害をもつ人への働きかけもしていますが、感動的な事例もお持ちです。
ちなみにお二人は画家だそうです。
とても興味を持ちました。また機会を改めてお話を聞きたいと思います。
■偶然であったふぁっとえばーの秋山哲生さん(2005年8月17日)
めずらしく企業のコンサルティングの仕事で、相手企業に行く途中に、ふぁっとえばーの秋山さんに地下鉄の駅でぱったりお会いしました。
急いでいたため、ゆっくりお話できなかったのがとても残念ですが、少し立ち話をしました。
秋山さんと言えば、以前はいろいろとここでも書きましたが、障害を持つ人たちの働き場を作りたいと取り組んでいます。
ご自身も病気で障害を残しています。拠点は千葉の館山ですが、その不自由な身体で、実に行動的に出歩いています。
ふぁっとえばーの立ち上げにはいろいろ応援したのですが、
ある程度、形ができるとほかのところにエネルギーを注ぐのが私の姿勢なので、最近は何も応援していませんが、活動状況はいろいろとお聞きしています。
先月も一度、会おうと言うことになっていたのですが、お互いにばたばただったので延期していたのが、今日、偶然に出会えたのです。
秋山さんは元気そうでした。
東京は人が多いので、時々、街中で友人知人に会います。何かとてもうれしい気分になります。
■社内誌コンペティション2005(2005年8月18日)
恒例の社内誌コンペの審査員を今年も引き受けたために、この1週間で45種類の社内誌を読んで、それぞれの評価とアドバイスをまとめました。
毎年、期待して読み出すのですが、裏切られます。
日本の企業は社内誌の戦略的意味合いにまだ気づいていないようです。勿体無い話です。
メディアの多様化のなかで、活字メディアである社内誌のポジショニングや機能を基本から考えなおす必要があるように思います。
しかし、面白い企画もありました。
特に小さな記事で光るものが多かったです。
私の評価基準はメッセージ性と発展性です。
残念ながら今年は昨年よりも出来が悪かった気がします。
どうしてでしょうか。きっと昨今の企業の状況が影響しているような気がしますが、考えすぎでしょうか。
コンペティションの結果は9月頃発表されます。
■地元の青木さんの話(2005年8月18日)
オフィスに行く電車の中で、近くの青木さんと会いました。
我が家の農業のアドバイザーなのですが、お互いに今の仕事は知らないままの付き合いです。
夏休みのため電車が空いていたので、隣り合わせのまま50分近く話しました。
青木さんは地の人です。以前書いたハケの道沿いに住んでいます。
昔からのハケの道沿いの家族たちの会が今でもあるのだそうです。
市民景観会議ではそんな話は一度も出てきませんでした。
その会を基本にしない議論は存在しないはずなのですが。
青木さんは行政にもやや失望している感じでした。
話はよく聴いてくれるのだが、何も変わらないというわけです。
青木さんは単に行政に陳情をするだけではありません。
できるところは自分でやっています。実践者なのです。
我孫子市はこの数十年で隣の柏市に大きく引き離されてしまいました。
行政の指導力とトップのビジョンの欠如だと思います。
今の市長になってかなり変わってきていますが、やはり残念ながらまだ大きな物語は不在なようです。
たとえば、我孫子駅界隈にどんどんマンションが建設されていますが、いささか心配です。
どうせつくるのであれば、もっとしっかりしたものを創るべきだと思いますが、今はかなり安直な気がします。
さまざまな施策も打ち出されますが、形が先行して心が入っていないという批判が少なくありません。
行政主導の限界です。
手賀沼湖岸の景観規制もかなり厳しくなってきています。
それは決して悪いことではありませんが、青木さんに言わせると、地主のことも少し考えてほしいというのです。
景観条例はできていますが、これは「市民」は関わっていますが、どうやら「住民」はあまり関わっていないようです。
これは以前書いた富樫さんの地区での条例の話と同じです。
我孫子ではまだ上からの景観行政が行われているのかもしれません。
昔から地元に住んでいる人とゆっくり話したのはこれが初めてです。
頭で考えていることが無残にも崩れてしまいます。
まちづくりは本当に難しいです
。だからこそやる価値があるのでしょうが。
とても考えさせられる50分でした。
■元祖住民流福祉活動の布教者木原孝久さん(2005年8月19日)
久しぶりに木原さんを訪問しました。
私が信頼する福祉関係者の一人です。コムケアも応援してもらっています。
木原さんは長年、住民流福祉に取り組んでいます。
最初はなかなか理解されませんでしたが、今では各地で取り組まれだしています。
木原さんの基本は「現場発想」です。
住民たち当事者が中心になって、住民の支え合いマップを作成していくのです。
地元学の吉本さん(水俣市)が地域の水マップを作成するのと同じ姿勢です。
ですからとても信頼できます。現場を巻き込まない福祉はどこかに胡散臭さがあります。
今回はコムケアの話をしに行ったのですが、逆に木原さんからある相談事がありました。
数年前に私のオフィスに来たときに相談を持ちかけたそうなのですが、私の反応がよろしくなかったのだそうです。
そういえば、そんな記憶もあります。
まだ私がコムケアにのめりこむ前だったようです。
木原さんの構想は、住民が各地の現場で取り組んでいる事例を一か所に集めた住民流福祉活動のエンサイクロペディアともいうべきセンターを創設することです。
私の思考にはなかなかあわない構想ですが、木原さんの思いは良くわかります。
一度ゆっくりと意見交換することを約束しました。
木原さんと話をしていると、木原さんが考えているビジョンと活動の姿勢は私とほぼ同じです。
しかし、どうも木原さんはそれに気づいていないようです。
そういえば、私もきちんと木原さんに話したことがありません。
先週、片岡さんに会った時もそう感じました。
コミュニケーションは難しいものです。主体性のある人ほど、他の人の意見と自らの意見を差別化する傾向があるようです。
違いよりも同じことを大切にする姿勢が大切なのですが、どうもなかなかそうはならないような気がします。
ちなみに、木原さんの住民流福祉に関する活動は素晴らしいです。
本も何冊か書いていますし、「元気予報」という会報も出しています。
この会報は申し込めば購読できます。
住民流福祉総合研究所のホームページをご覧ください。
私が愛読している3冊の雑誌の一つです。お勧めします。
■上坂且さんの新著が完成しました(2005年8月19日)
突然上坂さんから、新著ができたので持っていくという電話がありました。時間の合間に少しだけお話しました。
新著は、山口県の個性的なベンチャー企業の紹介本です。
出版の相談があったので、日本地域社会研究所に頼んだのです。
この出版社とも、実は古いおつきあいがありますが、もう20年近く、社長にも担当の方にもお会いしていません。
この本作りの相談の時にお伺いする予定が急用でいけなくなってしまい、ちょっと気になっていたのですが、出版されてとてもうれしいです。
書名は『モノづくり維新!「超」ベンチャー企業』です。
ブックのコーナーに紹介しましたので、関心のある人は読んでみて下さい。
最も販売は9月になってからかもしれません。
上坂さんは、このコーナーでも以前に紹介したことがありますが、家庭用アイスクリーム製造機「どんびえ」の開発者です。
その後、山口県庁で仕事をされ、今では東京で山口県の地場企業の応援をしています。
山口の個性的な企業に関心のある方はぜひご連絡ください。
■坪倉昭さんは魅力的です(2005年8月19日)
CSRの研究会でお会いした坪倉さんがやってきました。
研究会の時に、コミュニティに関心があるとお話されたので、ぜひ一度お話をしてみたかったのです。
それに坪倉さんのキャリアに興味を持ったのです。
人のキャリアに興味を持つのは私の昔からの性癖ですが、普通のキャリアには全く関心はありません。
関心があるのは、組織や権威との距離なのです。言い換えれば主体性の有無です。
坪倉さんとはコミュニティ論を交わす予定でしたが、坪倉さんのキャリアの見事さに、話がすっかり盛り上がってしまい、そこまで行きませんでした。
しかし、坪倉さんがアメリカにいた時に関わった日系アメリカ人のコミュニティの話を題材に、少し意見交換した限りでは、私のコミュニティ観とかなり重なるような気がしました。
話はここでは再現できないくらい、ライブでワクワクするような話でした。
彼の話にはメッセージ性もありますし、リアリティもあります。
ブログを始めることを勧めました。
スタートしたらこのホームページにリンクさせてもらいます。
そこで彼の人となりがわかるでしょう。私の中途半端な紹介はやめます。
いつかきちんと報告できることがきっとあると思います。
こういう生き方が広がっているとしたら、日本の未来もまんざらではありません。
■美野里町みの〜れ物語のいま(2005年8月20日)
美野里町の文化センター「みの〜れ」に住民主役の演劇を観に行きました。
みの〜れのスタッフである中本正樹さんから招待されたのです。
一度、美野里町に行きたいと言っていた女房と2人で行くことにしました。
実は今日は、朝日ニュースターのテレビの日で、裁判員制度をテーマにするので出演してほしいとばばさんから依頼がありました。
今回の問題提起者はレギュラー仲間の小林弁護士で、私が裁判員制度に反対なことを知っている小林さんからもお勧めがあったのですが、観劇のほうを選んでしまいました。
なぜなら、今回の公演は住民たちがやってきた舞台表現ワークショップの集大成であり、しかもプロデューサーが中本さんなのです。
つまり、住民主導で取り組んできた文化センターづくり物語の延長にある、しかもその中心にいる中本さんの総決算の場なのです。
行かないわけにはいきません。
それに、これまでの住民主役の路線は町村合併に中で見直されるような話も届いていますので、私自身が関わったプロジェクトの行く末も見ておきたいと思ったからです。
作品は「光れ!」です。
小学生から70代まで55名の役者が半年間にわたって集中的に稽古してきた、歌入り演劇とあります。
出演者の中には私の知り合いも何人かいます。
出だしはとても好調でした。
最後の盛り上がりもとてもよかったです。私などは途中で涙まで流してしまいました。
それに会場を巻き込んだ、とても巧みな演習や工夫もあります。
わが我孫子市でも市民ミュージカルが近々公演されますが、その演出の人たちに見せたいと思ったほどです。
住民たちらしい工夫を感じました。美野里町の文化は育っています。
とまあ、ここで終わっておけばいいのですが、正直者の私としては余計なことを書かざるを得ません。
それは全体が冗長なためにリズムが作れていないことです。
実際に、前半は小学校の学芸会かと思いました。プロがついていて、これはないだろうと失望しました。
ところが後半はとてもよかったのです。
これはとても残念なことです。
休憩時間に帰ってしまった人がいなければいいのですが。
全体の公演時間が2時間半ですが、シナリオをきちんとすれば、2時間で十分です。
それに2時間にすればリズミカルになり、面白さが増したはずです。
全体の印象もかなり変わったような気がします。
この根底にあるのは、アウトプット志向です。
つまり発表会なのです。この点は出演した住民には責任はありません。
たぶんシナリオの悪さです。演劇ワークショップと公演とのつなげ方に問題があるように思いました。
しかし、住民観客はみんなとても感激していました。大成功と言っていいでしょう。
また演劇ワークショップや自己表現ワークショップについても、きちんと組み込まれていましたから、これからのみの〜れ活動をエンパワーしたと思います。
美野里町の文化は着実に進化しているようです。
■久しぶりにお会いした美野里町の人たち(2005年8月20日)
半年振りの美野里町でした。何人かの人たちにお会いしました。
公演に出演した福島ヤヨヒさんは、私が美野里町の関わった最初からのお付き合いです。
「みの〜れ物語」にも登場しますが、今では町議会議員です。
美野里町で、福島さんのような人が議員になったこと自体、私には感激ですが、きっと新しい風を起しているのでしょう。
出演者の岩佐さんにも会いました。おそらく最高齢者です。
この公演を最後に美野里町から転居するそうです。いい思い出を持っての転居です。
他にも何人かの方に会いましたが、文化センターを設計建設した佐藤総合設計の小宮さんにも会いました。
若い社員たちとインターンと一緒に観劇に来ていたのです。久しぶりにお話しました。
小宮さんもまた、みの〜れにかなり思いがあるようです。
この文化センター物語の最大の功労者の沼田和美さんにもお会いしました。
私が美野里町と付き合った理由は、沼田さんです。
ビジョンと信念をもった自治体職員にはほとんど出会えなかった時に出会えたのが沼田さんです。
いろいろと事情があって、今は美野里町の社会福祉協議会の事務局長ですが、久しぶりにゆっくりとお話しました。
いろいろと思うことがありますが、ここでは書くのはやめます。
中本さんはじめ、中村さんや細谷さんなど、職員にも会いましたが、話す時間はありませんでした。
しかし、みんな元気そうだったのがなによりです。
久しぶりの美野里町はいろいろな刺激をまた与えてくれましたが、残念ながらワクワクさせてはくれませんでした。どうしてでしょうか。
(2005年8月第4週)
台風一過、秋が来ました。
■第3回コムケア運営委員会は順調でした(2005年8月23日)
コムケアの第3回運営委員会です。今回は新たの多摩大学の2人の学生が参加してくれました。
地域と市民の放送局の創設に関わっている七宮さんと反町さんです。
ほかに阿部さんと近藤さん、島村さんと須田さんの名コンビ、加えて下山さん、松清さん、松浦さんです。
さまざまな活動をしているなかを毎回参加してくれることにかんしゃしなければいけません。
そのうちに、関係が逆転して、私が感謝されるようになりたいと思っていますが、もうしばらくはこの関係が続きそうです。
会の進め方も、単にアイデアだしではなく、自分たちでも汗をかく実行委員会方式に変わりつつあります。
今日の運営委員会でも途中2つのグループに分かれての議論になりました。
私はその間、おにぎりを食べていました。
10月16日に、公開選考会を開催しますが、面白いものになりそうです。ご期待ください。
ぜひ皆さんも参加してください。関心のある方は、もちろんこの運営委員会にも参加してもらえるとうれしいです。
参加するとどんどん巻き込まれて、後悔するかもしれませんが、人生とはそんなものです。はい。
コムケアセンターのスタッフの橋本さんが議事録などもまとめてくれていますし、きちんとフォローしてくれていますので、事務局長の私が頼りなくても、大丈夫でしょう。
私の大好きな、共創型イベント推進体制が育ちだしています。
帰りはまた常磐線組でした。下山さん、松清さん、松浦さんです。
そして最後に大発見がありました。
NPO支援センターちばの松浦さんが、実は我孫子市でふれあいサロンの活動をずっとされている福田さんの娘さんだったのです。
世間は本当に狭いです。
松浦さんからの依頼の講演を断らなくて良かったです。まあ、今日まで引き受けたことを忘れていましたが。
■がん患者にとってのサプリメント情報(2005年8月24日)
女房と病院に行きました。がんセンター東病院です。定期的に主治医が対応してくれているのです。
できるだけ一緒に行くようにしています。先生にあうと私たちも元気になります。
そういえば、縄田さんが帯津さんの写真を見ただけで元気になる患者がいるとお話になっていましたが。
心境はよくわかります。
ところで、友人が万田酵素を勧めてくれました。迷っています。
実はさまざまな方からさまざまなお勧めや情報をもらいますが、評価能力がないために対応に苦慮します。
それにいずれも高いものです。
がん患者学を書かれた柳原和子さんは毎月10万円を超すと書かれていましたが、よくわかります。
いずれもエビデンスがないが故に、高価なことが「エビデンス」になりかねないのです。
月2万円を越すものはやめたほうがいいということを言う人もいますが、当事者にとっては無意味なアドバイスです。
今週、たまたま知人の方がかなり重度の甲状腺のがんであることを知りました。
私の知っているサプリメント情報を提供したいのですが、これがまた難しいのです。
以前も書きましたが、がんに効用があるというサプリメントはたくさんあります。
しかしいずれもかなりいい加減な情報しかありません。
西洋医学の医師の多くはまだ否定的というか情報を余りお持ちではありません。
その一方で、狂信的に信頼している人もいます。一方、利用者は精神的に余裕がありません。
そうした状況の中で悪質な商売人も入り込んできますし、信頼性に欠ける噂話も広がります。
NHKが「がんサポートキャンペーン」を展開していますが、そのホームページにはサプリメント情報は投稿以外ではありません。
リスクが大きすぎるからでしょう。しかし多くのがん患者にとって、一番関心のあることの一つがサプリメントの評価なのです。
エビデンスのないものは評価できないという医療の世界では医師が評価するのは難しいでしょうが、
そもそも医療におけるエビデンスには100%のものはありません。
事実、かつて三共のクレスチンが鳴り物入りで売り出され、三共の経営危機を救ったにもかかわらず、
その後、効用に疑問が出されたこともありました(また最近復活の動きもあるようですが)。
医薬品だってかなりいい加減なのが実状です。
だとしたら、こうしたサプリメントに関する情報の評価支援の仕組みに真剣に取り組んでもいいでしょう。いや取り組むべきです。
それとももうどこかにあるのでしょうか。
ネットで時々調べるのですが、よくわかりません。
もしどなたかサプリメントの評価を集めているサイトをご存知の方がいたら、教えてくれませんか。
また、何かがんに効用のあるサプリメント情報をお持ちの方はぜひ教えてください。
この記事はCWSプライベートにも掲載させてもらいました。
■我孫子市の市民活動を考える会がまた台風とぶつかりました(2005年8月25日)
今日は我孫子市の市民活動サポートセンターのことを考える4回目の集まりだったのですが、台風が来たために延期になりました。
実は前回も台風のために日程を変えたのですが、この会はなぜか台風に縁があります。
我孫子の市民活動の台風の眼になれということでしょうか。いやいや、これは悪い冗談でした。
今日はその会のためにせっかく休んでいたのですが(実は前回もそうでした)、残念です。
いまはまだ2時過ぎですが、雨がかなりひどくなってきました。
午前中、少し時間があったので隣の柏市で開発が進んでいる「手賀の杜」を見てきました。
手賀沼周辺の開発は我孫子市にも大きな影響を与えます。
ちなみに我孫子界隈はいまさまざまな開発が進められています。
一昨日、柏の人たちに、手賀の杜周辺の自然の話をお聞きして気になったのです。
手賀沼を囲んでいるのは我孫子市と柏市です。
両市で「手賀沼を生かしたまちづくり推進委員会」もつくり、広域的で積極的な環境整備にも取り組んでいます。
事業構想も策定されています。
しかし、そうした活動はなかなかまだ住民には見えにくいのが現実です。
おそらく行政は住民が参加してこないと思い、住民は行政主導で参加したくならないと思っているのです。
その接点を広げるために、さまざまなイベントも行われています。
手賀沼ガイドをご覧ください。
どこの自治体にも総合計画や都市計画マスタープランがありますが、そうした計画はなかなか活かされません。
それは計画の創り方と位置づけのためかもしれません。
同じようにどこの自治体にもたくさんの「公共施設」がありますが、うまく活用されていないところが少なくありません。
その原因は、住民が実体化されていないからだと私は考えていますが、住民問題に取り組むのはやはりなかなか大変です。
時間がかかります。取り組みだしたばかりですが、少しめげています。
入り口をまた間違えたのかもしれません。
■「社会教育」編集長の近藤眞司さん(2005年8月26日)
近藤さんが久しぶりにやってきました。お元気そうですが、この1年、公私共にいろいろ変化があったようです。
「社会教育」という雑誌は、全日本社会教育連合会で発行している、半世紀以上にわたる歴史を持つ月刊誌ですが、
実際にそれをきりもりしているのは編集長の近藤さんなのです。
各地の事例がふんだんに取り上げられている情報性の高い雑誌です。
しかし、発行元の全日本社会教育連合会が文部科学省管轄の財団法人ですので(近藤さんもその職員です)、
いろいろと制約があり、そこが近藤編集長の悩みどころなのです。
読者は市町村の担当課が中心ですが、最近の市町村合併で購読者は減っているようです。
こんなところにも影響があるわけです。
社会教育や生涯学習は面白いテーマです。
私は一時期、「社会教育」という発想に違和感がありましたが、組織起点から個人起点に発想の視座を変えてからは違和感がなくなりました。
つまり、「社会」を目的語から主語に変えたのです。
社会を教育するのではなく、社会が教育するというわけです。
そこで社会教育の新しいパラダイムとスキームづくりに関心があるのですが、議論する仲間と時間が不足しています。
近藤さんには前からそうした動きを提案していましたが、もしかすると今度は近藤さんも動き出してくれるかもしれません。
基礎自治体の重心が、環境や福祉にシフトしてきていますが、次は間違いなく文化や教育です。
それも、福祉がそうであるように、「上からの教育」ではなく、「共創型の教育」なのです。
この発想をわかってくれて実践してくれる自治体はないでしょうか。
ところで近藤さんは10月から、オクトーバー・ラーニングというプロジェクトをスタートさせるそうです。
時間が許せば私も参加しようかと思います。しかし、10月は絶望的に時間破産に陥りそうな見通しですので、不安です。
■また3人のオープンサロン(2005年8月26日)
オープンサロンはまた3人に戻ってしまいました。柴崎さん、武田さん、紀陸さんです。
参加者の関係で、またテーマに沿ったじっくり議論をしましたが、ちょっと偏った議論だったかもしれません。
前半は、企業とNPOのコラボレーションやソーシャルベンチャーやNPOの経済的自立の話でした。
紀陸さんはご自分が取り組んでいる事業体験を踏まえて、最近の事業型NPOや社会起業家に関していくつかの疑問を呈しました。
私が不用意に発した「福祉の分野を企業(発想)が荒らしている」という言葉が、紀陸さんを混乱させたようです。
不用意な言葉は注意して使わなければいけません。
後半は昨今の政治状況に関するものでした。
残念ながら小泉首相の姿勢は首尾一貫していて、これまでの旧体質の日本の政治を壊している点で評価している人が多いようです。
私の考えはかなりマイナーなのかもしれません。
若い柴崎さんは今の若者はともかく敵をつくっていじめたいのだといいましたが、
自分よりも弱いものをみんなでいじめる文化が急速に広がっていることは私も感じます。
以上、いずれのテーマも、私の極めて関心の高いテーマですので、今回は少し話しすぎてしまいました。
困ったものです。
オープンサロンもそろそろ見直す必要がありそうです。
このままだとうちわの会になりそうです。あるいはテーマサロンにしてもいいかもしれません。テーマには事欠きませんし。
しかし、それでは主旨にはずれます。
ともかく無目的な集まりをしたいというのがオープンサロンの主旨でした。
もう少し今のスタイルを続けたいと思います。
■いじめと自爆(2005年8月27日)
昨日のサロンでも話題になりましたが、小泉自民党が圧勝しそうな気配です。
それを支えているのが若者と女性と中高年男性です。
つまりすべての国民ですね。それを先導しているのが、マスコミと「有識者」です。
なかには小泉首相のリーダーシップを評価する人もいます。
権力とリーダーシップを勘違いしているわけですが、日本の権力構造は見事に国民を洗脳しています。80年前と同じです。
若者たちは戦争に狩り出されることに気づいていません。
いや実はもう狩りだされているのです。見えない戦争に、です。
いまの荒廃した世情はそれを示唆しています。
それを加速しているのが、小泉首相に象徴される体制推進者たちです。
小泉首相はぶれないのが良いと新聞に投稿がありました。
私の周りにもそういう人がいます。そう言う人には価値観が欠落しています。
それこそがパンとサーカスの享受者の特徴なのですが。
しかし、その投書にある人が、ぶれない姿勢がどこを見ている環境が問題、と反論していました。
私の住んでいる我孫子市の61歳の女性です。
額に汗して生きている無名の生活者には知性と価値観があります。現場の人には価値観があるのです。
大企業の経営者や大学教授や政治家と違って、それがなければ生活していけないのです。
イラク戦争参戦に反対し退官に追い込まれた元レバノン大使の天木直人さんが小泉首相の選挙区で立候補しました。
これがいくつかのメーリングリストで賛否の議論を起こしています。
今は大同団結すべき時と考える私は、もちろん反対ですが、天木さんもやむにやまれずの自爆行為なのでしょうか。
今の状況は、そんなことをいろいろなところで起こしています。
いじめと自爆、米国支配の社会での状況が日本でもどんどん広がっているような気がして、仕方がありません。
みなさん、それでも小泉首相を支持しますか。
そんなに戦争がしたいのですか。
CWSプライベートに書いた記事もぜひお読みください。
■天木さん立候補への応援の広がり(2005年8月27日)
天木さんが神奈川11区で立候補したことで、メーリングリストで動きが活発です。
私も早速、民主党と共産党に独自候補の立候補引き下げ要請のメールを出しました。
ここは反小泉票を集中することが大切です。
いまは小異を捨てて、大同団結して行動すべき時です。
これに関しても両党には送りました。
ついでですが、新党日本のロゴに関しても、田中康夫さんに見直し提案をしました。
もちろんそれらへの返事は来ますが、どれほどの効果があるかは全くわかりません。
自己満足という人もいますが、自分の意思表示ができる時代になっているのですから、自己表示はすべきです。
天木さんの動きはまもなくマスコミでも取り上げだすでしょうが、みなさんもぜひご注目ください。
時間があれば、天木さんのホームページもぜひご覧ください。
緊急のお願いもご覧ください。
(2005年8月第5週)
夏の疲れが出てきてしまいました。
■我孫子市市民活動サポートセンターの説明会(2005年8月28日)
我孫子市内の市民活動を主対象にした説明会がありました。
これまで3回にわたり話し合ってきたのは、この会にきちんと意見を言っていこうというためのものでもあったのですが、
残念ながら関係者は5人しか参加できず、論客のうちの2人が参加できませんでした。
もっとも質問時間が1時間足らずだったので、参加していても発言は難しかったかもしれません。
私はそろそろ質問が途切れだしたので手を上げましたが、残念ながら時間不足で打ち切られてしまいました。
打ち切り前に挙手した人には、普通は発言させてもらえるはずなのですが、
司会の人がともかく時間通りに終わらせたがっているようでしたので、協力することにしました。
司会者は渥美さんで、私たちの会にも一度参加してくれた人です。
ところで受付で、所属団体を聞かれました。
受付簿も、まず団体があって個人名を書くことになっています。
瑣末のことのようですが、こういうところに基本的な姿勢が現れてくるわけです、
そういえば、この会の案内も会の代表に送られてきています。
女房は団体に所属し、その代表ですので、私が参加すると言ったら、どういう資格で参加するのか心配していました。
私はあえて、団体は白紙で名前だけを書きました。
説明はやはりわかりませんでした。構造が曖昧だからです。
費用負担でかなりもめていましたが、議論がかみ合っていませんでした。
市長も回答しましたが、市長の理念と現実の案のつながりが見えないのが残念でした。
市民の税金を使って新しい施設をつくるわけですが、それで創出する新しい価値や住民にとっての効用などが全く語られていないのも驚きでした。
説明を聞いていて、いろいろと気づいたことがありますが、断片的な意見よりも、まとめて意見を提出したほうがいいように思いました。
基本的な認識が違いますので、短い時間の発言をしても真意は伝わらないでしょう。
事実、すれ違いの質疑応答が少なくありませんでした。
一緒に参加した人が、我孫子市では話し合いの文化がなく、まだみんな慣れていないのだと言いましたが、そうなのかもしれません。
しかし、今日は説明会ですから、そもそも話し合いを期待していたのが間違いかもしれません。
午後は市民ミュージカルを見に行く予定でしたが、疲れがどっと出てしまい、女房の誘いを断ってしまいました。
さてどうしましょうか。帰り際に事務局長と渥美さんからぜひ意見を出してくださいと言われましたが、問題はかなり根深そうです。
■次世代人材育成研究会がまたスタートしました(2005年8月29日)
昨年に続き、今年も次世代人材育成研究会に参加することにしました。
今年の委員長はメリルリンチ日本証券の小林いずみ社長です。
できるだけ実践的な提案をまとめていこうということになりました。
オブザーバーとして、毎回、内閣府、文部科学省、厚生労働省、経済産業省も参加していますが、
今回は最初でもあったので、内閣府が中心で取り組んでいる若者自立・挑戦プランの話を聞きました。
一言で言えば、退屈で、私などはほとんど意味が理解できません。
所詮は、これまでの体制に若者を合わせようという対症療法策でしかないからです。
縦割り構造や制度転換(イノベーション)の発想が感じられません。
その点を述べたのですが、おそらくほとんど真意は伝わらないことでしょう。あまりに発想の枠組みが違うのです。
しかし、その後、ニュースタート事務局の二神納基さんが生活用語で話してくれました。
「ニート支援、NPO支援などと言われると逆に目線の高さに腰が引けてしまいます」と。
そして、政府主導の若者自立塾では人は集まりにくいとお話になりました。
それは皆さんには伝わったようです。
こういう委員会的な研究会は、一人だけ発言しているわけにはいかず、
発言時間を自己規制せざるをえないので私には向いていませんが、後半は何とか退屈しないですみました。
そればかりではなく、新しい気づきもありました。
やはり世間には出て行かないといけません。
それにしても、主体性を失いつつある組織人こそ、問題ではないかなどと私はつい思ってしまうわけですが、
ニートなどという言葉は早くなくなってほしいですね。
■東レ経営研究所の渕野康一さん(2005年8月29日)
次世代人材育成研究会終了後、オブザーバーとして参加していた渕野さんと久しぶりに仕事の話をしました。
彼は東レ時代のCIの同志なのです。
渕野さんはいま、面白マネジメント論を展開しています。
仕事を楽しむことが組織のパワーアップにつながるという考えで、彼自身、それを実践しています。
しかし、今のように企業が厳しい状況に置かれるとどうもそれどころではないようです。
ちょうど、今日、新聞に残業時間と心の問題の記事がありましたが、最近の企業の仕事は面白いなどとはいえない状況のようです。
これに関しては、CWSプライベートに書きましたのでお読みください。
人材育成が各所で話題になっています。
明らかに流行です。本気さはどこでも感じられません。
それに時代の大きな変わり目にあっては、人材育成という姿勢自体に限界があるのです。
時代の方向性を見間違えてはいけません。
もっと大きな構想力で新しいプログラム開発したらどうかと提案しましたが、実際にはそう簡単な話ではないのです。
しかし、渕野さんの「面白マネジメント」のコンセプトはとてもいいです。ぜひ展開させていってほしいものです。
だれかフィールドを彼に提供してやってくれませんか。
■機械関連企業におけるCSR委員会(2005年8月30日)
今日は井口哲夫委員長のCSRの研究会です。
昨日の委員会と違い、10人程度のカジュアルな委員会なので、気楽な話し合いが可能です。
事務局の渡辺さんは、こうした活動を長くしてきていますので、蓄積も豊富ですし、問題意識も旺盛です。
正直に言えば、私自身は昨今の企業のCSRブームにはかなり批判的です。本気ではないからです。
環境経営もそうですが、本気になれば、企業進化の契機になるはずですが、企業にはそれだけの創造性も構想力もありません。
そこでどうしても短視眼的なPR発想になってしまうのです。残念な話です。
本気で取り組めば、業績を高めるための戦略につながるはずなのですが。
私は企業のCSRは、社会との関係性のパラダイムシフトにあると思います。
その出発点は組織発想から個人起点への転換です。
企業を開かれたプラットフォームにし、そこでたとえば顧客や地域の人とのコラボレーションが起これば、状況は全く変わります。
平たく言えば、社会に活用してもらう企業になればいいわけです。
その原点は近江商人の商人道にあるのかもしれません。
委員長の井口さんも事務局の渡辺さんも、こんなことはわかっているのですが、問題はそれをどう実行するかなのです。
これからの展開が楽しみです。
■羽仁もと子研究者の田代優子さん(2005年8月31日)
コムケアセンターに突然やってきたのが、田代優子さんです。
先日の水曜倶楽部で私の話を聞いてくれたのです。
ついしばらく前までは自由学園に勤務していましたが、いまはフリーで生き方を模索中のようです。
先月はインドのアシュラムで行をしてきたそうです。
田代さんは自由学園の前は、外資系のPR会社でバリバリのビジネスプロフェッショナルだったようです。
それが自由学園に移られたのは、自由学園創設者の羽仁もと子に関心があったからだそうです。
なぜ関心を持ったのかは聞きそびれましたが、きちんとした理由がありそうです。
明治大正期には、福祉の世界では岡上菊枝が、教育の分野では羽仁もと子が、というように、多くの女性たちが活躍しました。
歴史には残りにくいでしょうが、現場ではもっとさまざまな女性が活躍していたはずです。
最近の選挙に狩り出された女性たちとは全く別種の女性たちが社会の発展や安定を支えてきていたのです。
教育の世界は、福祉と同じく、私は女性が主導するべき世界だと思っています。
つまり競争原理ではなく、共育原理であり、押し付け姿勢ではなく引き出し姿勢が大切だと思っています。
私自身は羽仁もと子に関しては自由学園創設者くらいの知識しかありませんし、彼女の自由教育理論についてもほとんど知りません。
田代さんの話では、最近韓国が各国の学校に関するとてもいいテレビ番組をつくったそうですが、
日本で選ばれたのはきのくに子どもの村学園と自由学園だったそうです。
学校のあり方は、もう一度、原点に戻って考えるべき時期だろうと思います。
■ふぁっとえばーの秋山岩生さん(2005年8月31日)
秋山さんがやってきてくれました。
先日、地下鉄の駅で偶然にお会いしたのですが、
それは「偶然」ではなく意味があったのだと考える秋山さんは、わざわざ館山から出てきて、会いに来てくれたわけです。
出てくる以上は、他のところにもと言うのが行動的な秋山さんの姿勢ですが、
私のところに来る前に相談に行ったところで、とてもいいことがあり、そのおかげでとても元気な秋山さんと話せました。
うれしいことです。
ふぁっとえばーは立ち上がり時には私も何回か秋山さんとも会い、相談にも乗せてもらいましたが、
活動が軌道に乗ってきたようなので最近はほとんど接点を持たずにいました。
コムケア活動のおかげで、次から次へとさまざまな組織との接点ができていますから、1か所には止まっていられないのです。
それが中間組織的な活動をしている最大の悩みですし、一番充実感が得られない理由でもあります。
ふぁっとえばーの近況をお聞きしました。
体制は少しずつひろがっていますが、やはり仕事探しが大変なようです。
いまは秋山さんが一人で東奔西走しているようです。
まもなく「ふぁっとえばーはこんな仕事ができます!!」というパンフレットを作成し、それを関係各所に配布するそうです。
点字名刺や点字封筒の作成、はがきや新聞の製作、印刷や配布、パソコン作業など、障害を持つ人たちのネットワークのなかでさまざまな仕事への取り組みをしています。
なにかあればぜひふぁっとえばーに発注してやってください。
私のご連絡いただければいつでもご紹介します。ホームページもぜひご覧ください。
元気な秋山さんと久しぶりにお話できてよかったです。私として何ができるかも考えていくつもりです。
■大村和夫さん里村佳子さんの事業構想(2005年8月31日)
今日はもう一組、来客がありました。
法政大学大学院の大村和夫教授と学生(といっても社会人ですが)の里村佳子さんです。
里村さんは広島県呉市の居宅介護支援事業所クレベタニアホームの施設長です。
驚くことに毎週、呉から大村さんの授業に通っているのだそうです。そのエネルギーに敬服します。
里村さんが大学院で学ぼうとしているのは、制度に縛られ、善意をそのままに発揮できないでいる職員に対し、より自由度の高い場を提供できないかということです。
福祉法人の限界もよくわかっていますので、新しい事業主体を発足させることも考えているようです。
指導教官としての大村構想も聞きました。
「非上場・情報公開型株式会社」構想です。完全なオープンプラットフォームとしての会社を想定しています。
最初は私に勘違いがあり、ちょっと異論を唱えてしまったのですが、
よく聴いているうちに、インキュベーションハウスやコムケアセンターなどと全く理念は同じではないかと気がつきました。
もしかしたら、私が15年前に、「脱構築する企業経営」執筆時に考えた結論と大村構想とはほとんど同じかもしれません。
最近は理解力がなくなってきました。
里村さんは引き続き大学院に通って、実行計画をまとめていくようです。きっと新しい動きが始まるでしょう。
大村さんが取り組んでいることと大村さんの姿勢が良くわかりました。
とても共感できました。こんな教授もいるのです。
(2005年9月第1週)
台風が九州などにかなり被害を与えました。
テレビは相変わらず退屈な選挙報道を流しています。
もう少し報道機関としての取り組み方がありそうなものですが。
今回はごみ問題への私の思い出を書いてしまいました。
■脳疲労下での原稿書き(2005年9月4日)
生あくびがよくでます。
これはあまりよくないシグナルです。
先週、久しぶりに「企業文化」をテーマにした原稿を頼まれ、軽い気分で引き受けたのですが、金曜日にパソコンの前に座ってもどうも書き出せません。
文章を書くのが好きですので、気分が乗れば1日で書けるはずの分量なのですが、全く書けません。メッセージが見つからないのです。
結局、土日も気になりながら、時々チャレンジするのですが、だめなのです。
全く書けないわけではなく、少しずつは書けるのですが、楽しくないのです。
結局、書き上げたのは今日、月曜日です。なんと4日間かかりました。たった6000字程度の小論です。
しかもかなり疲れました。
脳がやはり疲れているか、終焉を迎えているか、いずれかなのでしょうか。
友人が脳出血で倒れました。
このホームページも読んでいてくれた友人です。いま、リハビリ中で、奥さんが代筆された手紙が届きます。
その人が、私の高血圧を心配してくれています。
ご自身が大変なのに、心配してもらえるとは本当にうれしいです。
みんながそういう生き方をすれば暮らしやすい社会になるのでしょうが。
もっと大変な病気を抱えている知人もいます。コムケア活動の応援団の一人です。
そんな大変ななかを、いつも私たちへの気遣いを忘れない人です。
その人も、ご自身の経験から、もっとみんなが支えあう社会になればと書いてくれました。
痛みを知る人は、思いやりも育てます。
最近疲れを感じて、身体を休めることは多くなりました。
高血圧もなんとか食生活で正常化しました。
しかし、どこかで気が休まらない毎日です。
なぜでしょうか。
■某市の市長と6時間のロングランの議論(2005年9月6日)
ある問題に関して専門家も交えた議論をしました。
内容は差し控えますが、さまざまなことに気づきました。
行財政改革が進まない理由も改めて確信しました。
内容をかけないのが残念ですが、いつかブログで問題提起します。
■コムケア予備選考会(2005年9月7日)
第5回コムケア資金助成プログラムは146件の応募がありました。
このプログラムの特徴は、予備選考をコムケア仲間が行うことです。
今回は呼びかけに応じて22人の人が自発的に手を上げてくれました。
共創型を志向して、仕組みを育ててきたおかげです。
この仕組みは他の資金助成プログラムでは決して真似できないものです。
今日は、その結果を踏まえて、第2次選考のための40件を選ぶ予定だったのですが、選考に難航し、結局、1件多い41件を選びました。
この41件を、4人の選考委員に回しました。個性的な4人です。
今回、感じたのは、子育て関係とDVが多かったことです。
また在日外国人支援のプロジェクトも目に付きました。どう考えるべきでしょうか。
なお、コムケアでは選考の過程をできるだけメーリングリストやホームページで公開しています。
ご関心のある方はご覧ください。
http://blog.livedoor.jp/comcare/
■ふたたび手がたりの会の田辺大さん(2005年9月7日)
社会起業家の田辺さんはコムケアセンターのオフィスをシェアしています。
そのおかげで、よくお会いするのですが、今日は田辺さんが構想しているソーシャルアントレプレナー育成プログラムについて意見交換しました。
田辺さんは以前も書いたように、ご自身でもリスクを引き受けての事業立ち上げにも取り組んでいます。
たとえば出前マッサージ事業です。
これに関しては、新しい企業厚生福利プログラムにならないかと思っています。
どなたかぜひ応援してくれませんか。
いまホームページをまた全面更新する予定だそうですが、ぜひ今のホームページもご覧ください。
出前マッサージをやってみたいと言う方がいたら、ぜひご連絡ください。
http://www.slowfamily.jp/home/
■期日前投票に行きました(2005年9月8日)
11日の選挙日が不在になる可能性が高いので、女房と2人で期日前投票に行きました。
意外にも込んでいました。若い人が多かったです。
もしかしたら、日本の選挙の投票率の低さは投票日が1日だったからかもしれません。
やはり制度に合わさせる発想を変えたら社会は変わると確信しました。
投票を急いだのはもう一つ理由があります。
誰かから働きかけがあると、私は意見を変えてしまいそうだったからです。
なんと私が投票に行っている間に葉書が2通届きました。
これを見たら、もしかしたら投票先が変わったかもしれません。名前が書いてあったからです。
しかも、1通は何で私の住所を知っているのか不思議でした。
こんなばかげた選挙活動は止めるべきです。その政党のだめさが良くわかります。
ところで、不覚にも今回、最高裁判事の審査を忘れていました。
評価能力がなかったので、30秒ほど考えたのですが、白紙で受付に戻し、投票をしないことにしました。
投票所を出た後、悔やみました。
ブログなどで司法の批判をしていながら、なぜ意見を言わなかったかをです。
全員、不信任でも良かったのではないかと思いました。
せっかくの意思表示の機会を無駄にしました。
皆さん、そうしたことがありませんように。
投票が終わったので、誰から電話が来ても大丈夫です。
みなさん、どんどん電話をください。
次の選挙の参考にします。もちろん減点になりますが。
■ごみ焼却場とリサイクル問題(2005年9月10日)
長いので関心のある人だけお読みください。まあ、いうまでもないことですが。
佐藤和美さんと久しぶりでもないですが、ゆっくり話しました。
和美さんはごみ焼却場のコンサルタントです。
それもちょっと異色な、と言ったほうがいいかもしれません。
どこが異色かと問われたら困るのですが、まあ異色なのだから仕方ありません。
和美さんはたくさんの人が集まってくるような、みんなに自慢できるごみ焼却場を作りたいと考えています。
私が和美さんと付き合っている理由の一つが、そこにあります。
私は「ごみ」という概念を捨てたいと考えています。
ごみの概念がないという江戸時代や近未来のドイツにとても共感を持っています。
私がゴミの問題に関心を持ったきっかけは、1970年代に広がったコンシューマリズムです。
そこでプラスティック廃棄物処理の問題にぶつかりました。
当時は東レに勤めていましたが、まだペットボトルがない時代でした。
さまざまなゴミ施設もいくつか見せてもらいましたが、なにかすっきりしませんでした。
その頃、山村硝子のビールびんの回収再利用の新聞広告に感動しました。
「1本のあきびんから」という全面広告でした。今も残しています。
山村徳太郎社長に会いに行きました。共感しました。
山村硝子は、1972年からガラスびんのリサイクルを展開していました。
しっかりしたリサイクル思想が基本にあったように思います。やっと私が探していた解が見つかったような気がしました。
当時、東レではペットボトル事業やその原料生産の検討がなされていました。
私はペットボトルには疑問を感じました。しかし、時代の流れは止まりようもありません。
今はペットボトル全盛で私もよく利用しています。
山村さんは急逝してしまい、1度しかお会いできなかったのが残念です。
その次に出会ったのが、ウィーン郊外のフンデルトバッサー設計のごみ焼却場です。
まさに目からうろこで、ごみは生活をつなげる資源なのだと確信しました。
自称フンデルトバッサーの弟子の山本秀太郎さんからいろいろとお話を聞き、いくつかの自治体に話をしたこともありますが、みんな面白いと言うだけでした。
一人だけ実際に見に行った人がいます。
山形市の五十嵐信さんです。しかし、アクションにはつながりませんでした。
東久留米市で農業とごみ問題のフォーラムを開催しましたが、残念ながらこれは発展させられませんでした。
山形県長井市のレインボープランも有名ですが、ごみ問題は工業発想から農業発想へと産業のパラダイムを変えると全く違ったビジョンがえがけます。
北九州市のエコタウンも北九州市役所の青柳さんに頼んでじっくりと見せてもらいました。
しかし、青柳さんには申し訳なかったのですが、エコタウンやリサイクル産業への疑問が増幅されてしまいました。
ある学会が北九州市で開催された時に講演を頼まれた時には、エコタウン批判までしてしまいました。
山村さんが構想していたリサイクル社会は、いまや全く異質なものに変質してしまっています。
リサイクル産業発想になってしまったのです。
山村さんが生きていたら、どう思うでしょうか。
私はもちろん大反対です。
北九州市のエコタウンを見せてもらう前に、水俣市を吉本さんに案内してもらいました。
吉本さんは環境行政や地元学で大きな実績を上げた有名人ですが、地に足つけた活動には感動すら感じました。
さて、そんなこんななかで、数年前にエコソシオの関係で和美さんに出会ったのです。
何回かお会いするうちに、異色なごみ焼却場コンサルタントであることを知りました。
しかし考えてみるとこの問題を2人でゆっくり話したことがないことに気づきました。
ごみ焼却場をどう考えるかは、地域社会の文化や自治体の行政文化を読み取る象徴的な切り口です。
いくつかの自治体と、この分野で付き合いの豊富な和美さんと話したら、きっと今の自治体が置かれている状況の本質が見えてくると思いました。
和美さんは和美さんで、別の理由で私と話しあいたいと思っていたようでした。
それで今日、2人だけの話し合いの場を持ちました。
ところがです。話はまったく別の問題に終始してしまいました。
何の話に終始したか、それは内緒なのですが、これもまたいつか書きこめるでしょう。
和美さんとどこかでプロジェクトを一緒に取り組みたいと改めて思いました。
彼は異色のごみ焼却場コンサルタントです。間違いありません。
■相模原市のさがみ愛育会での講演(2005年9月10日)
数か月前に社会福祉法人さがみ愛育会理事長の松岡俊彦さんから電話がありました。
理事会の後で、講演してくれないかというのです。
私は講演が嫌いなので躊躇しましたが、松岡さんとのお付き合いを考えると断るわけにはいきません。
もう長いお付き合いなのです。中身をよく確認しないまま、ともかく引き受けてしまいました。
松岡さんとの出会いは、全国私立保育園連盟の経営強化委員会でした。
松岡さんはそのメンバーでした。私は特別委員として参加させてもらっていました。
その委員会は数年前に役割を終えたのですが、年初の全国私立保育園連盟の集まりで、当時のメンバーを中心にしたフォーラムが開催されました。
そこで松岡さんに久しぶりに出会い、講演の依頼予告をされていたのです。
そして、今日がその日だったのです。
与えられたテーマは「未来の保育園経営」でしたが、私には無理なので、ソーシャルアントレプレナーのすすめをお話させてもらいました。
しかし、いささか準備不足で、せっかくの機会をもらったにも関わらず、松岡さんには申し訳ないことをしてしまいました。
舌足らずでメッセージが伝わりにくかったと不安です。
さがみ愛育会は保育園を中心にして、デイサービスセンターなど7つの施設を複合的に経営しています。
淵野辺保育園の常勤職員だけでも70人もいる大きな保育園です。
愛育会のホームページを見てもらうとわかるのですが、地域にしっかりと根付いた、さまざまなプログラムを展開しています。
保育園とあまり接点のない方にとっては、きっと驚くことでしょう。
保育園は進化しています。
保育園とデイサービスセンターは隣りあわせでつながっています。
相互に交流も行われています。学童保育や一時保育なども、切り離されることなく、しっかりと全体の中につながった設計になっています。
会の理念は「いっしょっていいね」です。実にいい言葉です。
施設を少し見せてもらいましたが、松岡さんらしい優しさがきめ細かく埋めこめられていました。
久しぶりに保育園を見せてもらいました。
私は保育園はもっともっと開かれて、地域の住民活動やNPOとのつながりを深めていくのがいいと思っています。
そして保育園は、未来のまちづくりセンターになっていくポテンシャルを持っていると思っています。
さがみ愛育会は、すでにそうしたビジョンに向けてかなり動き出しているような気がします。
ところで、さがみ愛育会の創始者は松岡さんの母上なのですが、
松岡さんのご両親はいずれも賀川豊彦さんのところで活動を始められたのだそうです。
賀川豊彦さんの思想が、しっかりと生きているような気がして、とても納得できました。
(2005年9月第2週)
選挙結果に気力が失せてしまいました。
迷い多き1週間でした。64歳にして、まだ達観できない未熟さを痛感しています。
■衆議院選挙結果への驚き(2005年9月12日)
昨日の選挙結果が判明しました。
小泉自民党の圧勝です。
信じがたい結果です。
ブログにも書きましたが、私はこれまで現場で汗している大多数の人たちの良識を信頼し、知恵に確信を持ってきました。
若者たちにも全幅の信頼を置いていました。
彼らには純粋に時代を見る眼があると確信していました。
コミュニティケアとかまちづくりとか若者支援に関わってきたのは、そうした確信があったからです。
しかし、それはどうも幻想だったようです。
時代認識が甘かったのでしょう。
ニーメラーと同じ間違いをしてしまったようです。
少し生き方を変えようと思います。
CWSプライベートは、また不特定多数の人を信頼できるようになるまでお休みします。
■住民流福祉展示館構想(2005年9月12日)
元祖住民流福祉の木原孝久さんとじっくり話しました。
多くの国民がお上に自らの暮らしを白紙委任した選挙結果の日としては、いささか気が乗らなかったのですが、約束していたのです。
木原さんは40年ほど前から福祉のパラダイム転換を主張してきた人です。
主張だけではありません。汗をかきながら現場に深く関わってきた人です。
木原さんは、これまでの福祉、今のほとんどの福祉活動は、当事者を顧客と見た、制度の担い手や推進者の視点での福祉だと考えています。
そうではなく、当事者、つまり住民が主役にならなければ本当の安心した暮らしは実現できないと考えています。
まったく同感します。コムケアの理念もまったく同じからです。
しかし、木原さんは私をまだ信じていません。
頭だけでしか理解していないのではないかと疑っているのです。まあそれは事実ですから仕方がありません。
ちなみに、私もまた木原さんこそ観察者的なところからまだ本当に住民になっていないと考えています。
お互いにそのせめぎ合いをしているわけですが、基本は一緒だと思っています。
木原さんの考えはいまかなりの広がりを見せています。
40年の苦労が少しは報われてきたと私は思っていましたが、木原さんは満足していません。
どうしたらこの新しい福祉概念が広がる仕組みがつくれるかです。
木原さんと私はかなり共通点があります。
まずNPO嫌い、そしてNPO中間組織嫌い、専門家嫌いなのです。
資金がないのも似ています。確信をもっているのも同じかもしれません。
私と違うのは、木原さんのところにはたくさんの現場情報、実践情報があることです。
私もその点ではそれなりに自負していますが、木原さんとは情報の深さや量の桁が違います。
私のはまだまだ間接情報なのです。残念ながら迫力がありません。
私が木原さんに優位なのは、関わっている世界の広さです。
私は福祉の問題に、暮らしの視点から入りましたが、木原さんは福祉からくらしに広げています。
また、木原さんは住民のためという視点がありますが、私には自分のためという視点からいつも出発します。
だれかのため、社会のため、という人は不得手です。
しかし、木原さんは数少ない例外です。
彼は私にとっては、全面的に信頼できる人なのです。
木原さんは各地の様々な住民流福祉の事例を集めた「住民流福祉展示館」を構想しています。
たかだか30億円もあればつくれるはずなのですが、誰か出してくれる人はいないでしょうか。
その後の経営は私たちで考えます。
もっとも必ず展示館という施設をつくらなければいけないわけではありません。
要は、住民流福祉の考えと実践が広がればいいのです。
これに本気に取り組めば、福祉予算の節約ですぐに30億などは生み出せます。
その上、効果は間違いなく飛躍的に増大します。
そんなことは自明の理なのですが、頭で考えている人には伝わりにくいのです。
しかし、たぶんそれでは政治家や行政官僚や企業は儲けられないのです。
そこが郵政民営化とは違うところです。
小泉首相は今回の選挙で莫大な利益を得たでしょうが、住民流福祉が広がっても木原さんはきっと負担が大きくなるだけなのです。
まあ、こういうことで、世の中は「悪貨が良貨を駆逐」していくわけです。
いずれにしろ、木原さんの思いにもう少し関わろうと思います。
その仲間も探したいと思います。いかがですか。
ところで、住民流福祉とは何かですが、これはぜひ木原さんの主宰している住民流福祉総合研究所のホームページをご覧下さい。
まだ木原さんの話を聴いていない人は、是非聴くといいです。
目からうろこが落ちるか、木原さん嫌いになるか、どちらかですが。
また、木原さんが発行している「元気予想」という機関誌があります。
これはお勧めの機関誌です。
私が必ずほぼすべてを愛読している雑誌は「軍縮問題資料」とこの「元気予報」の2冊です。
福祉や社会の元気に関心のある人にはお勧めします。
■なぜ民主党は人を集められなかったのか(2005年9月12日)
この項目は一部、ブログと重なっています。
ブログにものせたくなってしまったのです。すみません。
昔、「アラモ」という映画がありました。
私が大学生の頃です。ジョン・ウェインの監督主演作品です。
最近、リメイクされていますが、リメイクされた作品で面白いものはありませんので、古い映画の話です。
アラモといえば、メキシコからの独立を目指して、廃墟になった教会に立てこもって戦った勇敢な男たちの話です。
「アラモを忘れるな」という言葉がアメリカにはあると、その頃聞きました。
私は当時のアメリカ西部劇がとても好きなのです。
単純で、わかりやすいからです。ネイティブの扱いが問題などというのは横においての話ですが。
まあ10回も観れば飽きる程度の映画ですが(私には何回見ても飽きない映画もあります)、印象的な場面がいくつかあります。
指揮官のトラビスが戦いを始める場面はあきません。
私が喧嘩の仕方を教えてもらったのは、この画面です。もっともそうはうまく真似できませんが。
トラビスの作戦に反対してアラモ砦から出ようとしたジム・ボーイが、結局は大嫌いなトラビスに共感して、思いとどまり、
全員が死を覚悟して砦に残るシーンは何回観ても開きません。涙さえ出ます。
しかし、一番素晴らしいのは、クロケットが、なぜ死を覚悟してアラモに来たかを語るところです。
それはここにテキサス共和国を創るためなのですが、
「共和国、リパブリックか。響きがいい。言葉には力がある。
自由に暮らせ、自由に話せる国。人の行き来が自由で暮らしも自由。
言葉を聞いただけで胸が一杯になる。」
その場面を急に見たくなって、今日は早めに帰ってきてしまいました。
DVDでそこだけを観ました。実にいい場面です。
リパブリック。
民主党の「政権交代」という言葉にはパワーがなかったのです。
それは実体がないからです。構造改革、郵政民営化と同じです。
そこに問題があったのですね。
■逃亡するエリヤ(2005年9月13日)
今回の選挙結果で、私がもう活動をやめたくなったと書いたら、ある人からメールが来ました。
そこに書かれていたのが、聖書の「列王記上19章 逃亡するエリヤの物語」でした。
彼はクリスチャンなのです。
そして、彼は、
「とりあえず、ぐっすり寝て、何か食べてから考えましょう!
荒れ野に向かう勇気が出ますよ」
と言ってきました。
しかし、勇気は出そうにもありません。
なぜなら、エリヤと違って、私は主のためではなく、自らのためにやってきたからです。
自らの価値観が崩れると人は動けなくなります。
■経営品質賞には何が欠けているか(2005年9月13日)
KAEの経営道フォーラムには2つのプログラムがあります。
経営幹部コースと経営幹部候補生コースです。
私は前者のアドバイザーですが、後者のプログラム(KAEエグゼクティブフォーラム)では開講式の基調講演を担当させてもらっています。
そのおかげで、そのメンバーも時々やってきてくれます。
今日は、その第16期の開講式でした。
私の話の前に、前期の活動を代表して1チームが成果発表をしてくれました。
とてもいい発表でした。
彼らは最初、経営品質賞の勉強から入ったのですが、そこにある限界を感じて、参加者みんなにパラダイムシフトが起こったといいます。
批判的議論がしっかりとなされたことが、発表から伝わってきました。感激しました。
私は10年以上前の「脱構築する企業経営」という雑誌の連載記事で、
企業の生み出す社会価値をプラスとマイナスに分けて、企業規模の最適化を議論すべきだということを書いたことがありますが、
事業には光と影があると彼らはわかりやすくまとめています。
とてもいい内容なので、どこかで出版することを勧めたいと思います。
それに比べて、私の基調講演は元気が出ませんでした。
選挙ショックからまだ立ち直れていなかったのです。
話しているうちに、何か虚しさを感じてきてしまい、途中で気分が乗らなくなってしまったのです。
話し終えての充実感が全くないのです。
その後の議論で少しは元気を戻しましたが、どうも最近は話に元気が出ないのです。
申し訳ないことをしました。
私のメッセージは、もっと仕事を楽しんで、やりたいことを思い切りやろうよ、そのためにも世界をもっと広くしようよ、というものなのですが、
それはわかるが現実の企業は儲けなければいけないという質問や意見が出ました。
「働く喜び」の回復というメッセージは、ブログでも反論があったようになぜか共感がえられません。
もう一つのメッセージは、組織起点から個人起点への発想転換ですが、これもなかなか伝わりません。
要は私の表現力不足なのですが、まずは企業の利益を上げるためにはリストラも仕方がないという意見まで出ました。
多くの人が固定観念の呪縛に陥っています。
企業にとって利益は目的であるとしても(そう思っているのは株主だけのはずですが)、
その利益を上げるためには事業価値を上げ、社員を元気にしなければいけません。
言い換えれば、社員の元気、仕事の喜びこそが、企業の元気、社会の元気の出発点なのです。
リストラなどは全く逆な発想です。
しかし、その呪縛から日本の企業の経営幹部は抜け出られません。
このあたりの議論を時間をかけてやりたいものです。
誰か異論を持ってやってくるのを期待しています。
■ジョイオブワークとTQM(2005年9月14日)
今日の次世代人材育成研究会の集まりでは、「ジョイオブワーク」をテーマに青山学院大学大学院の吉田耕作教授が問題提起されました。
昨日の議論でも、まさにこのテーマが中心でしたので、期待を持って参加しました。
吉田さんは、この研究会の顧問団の一人です。
ところが、話はTQMの話でした。
吉田さんはQCの生みの親のデミングの右腕としてアメリカで活躍してきた人だったのです。
話は迫力があり、面白かったです。たくさんの示唆もありました。
しかし、ジョイオブワークという点ぬは言及がありませんでした。
要は、TQMの基本は「ジョイオブワーク」であり、それを基本にすると企業の競争力は飛躍的に高まり業績が上がるという話です。
つまりはTQMです。
講演後、まず最初に「ジョイをどういう意味で使っていますか、またそれによって得た成果の配分は参加者にどう配分されますか」と質問させてもらいました。
答えは「配分はされない、自己実現できた喜びがジョイで、それ自体が報酬」というようなものでした。
私の関心は完全に冷えてしまいました。
これではただの管理手法の話ではないかと思ったのです。
ジョイとは何か、働くとは何かの議論が、いま求められていると私は思っているのです。
私にとっては、その後は退屈な話し合いになりました。
TQMは、アメリカのマルコム・ボルドリッジ賞が出発点です。
実はボルドリッジ賞に関するハーバードビジネスレビューの論文を、日本で最初に翻訳させてもらったのは私なのです。
その後、日本で経営品質賞が導入されましたが、その中心になったのが牛窪一牛さんです。
牛窪さんとはボルドリッジ賞にも日本の経営品質賞にも価値議論が薄いですねという話をさせてもらっていました。
一度、その点を議論することになっていたのですが、牛窪さんはその後、急逝されてしまいました。
そのため、私も全く関心をなくしてしまいました。
私は価値議論のない評価手法にはほとんど関心のない人間なのです。
牛窪さんは、そうした問題を理解してくれる人だったのです。
ISOもそうですが、観察者主役の管理手法にはどうも関心を持てません。
しかし、偶然にも昨日のKAEの発表と今日の講演と、連日、経営品質賞やジョイオブワークの話になりました。
そして、さらに今日、ある方からいただいたメールにも、同じようなメッセージが偶然にもあったのです。
これは無視できません。
退屈ですが、少しきちんと考えてみたいと思います。
■中高校生たちの政治感覚(2005年9月15日)
未練がましい話ですが、実は少し期待していたことがあります。
NPO法人Rightsが、今回の衆院選の期間中に選挙権のない未成年者を対象に模擬選挙を行っていましたが、その結果に期待を持っていました。
昨日、その結果が発表されました。
今回は首都圏を中心とした街頭投票のほか、中学、高校など42校も参加して、6−19歳まで幅広い年齢層の若者が1票を投じたといいます。
投票総数6754票のうち有効投票数は6099票。前回よりも反応は良かったそうです。
結果はホームページで発表されていますが、それによると、政党別には次の通りです。
カッコ内は今回の有権者の投票結果です。
自民党 36%(38%)
民主党 32 (31 )
共産党 12 ( 7 )
社民党 8 ( 7 )
公明党 8 (13 )
有権者の投票結果と、自民対民主の関係はほとんど同じですが、共産党と社民党はかなり違っています。
そこに一条の希望は感じられますし、自公という捉え方をすれば、51%が44%へとかなりのダウンになります。
詳しくは次のサイトをご覧ください。
http://www.hayadai.net/mogisenkyo2005result.ver.2.pdf
希望は、しかし、また外れてしまいました。
元気を回復するきっかけがつかめません。
■地域づくりを目指した新しい住まい方(2005年9月16日)
コムケアのメーリングリストに参加しているNPOハーモニー虹の小畑万理さんと西田ちゆきさんが相談にやってきました。
お2人とも実践志向の研究者のようです。
小畑さんは大学で教鞭もとられ、西田さんは大学院の博士課程で研究しているとのことです。
お2人が目指しているのは「地域づくりを目指した新しい住まい方」です。
新しいコミュニティのあり方と言ってもいいでしょう。まさに私の関心事です。
ハーモニー虹の設立趣意書にはとても共感できます。
まだホームページがないのが残念ですが、
小畑さんたちはそうした新しい住まい方を支える住まい作りを目指しており、全国に広がるようなモデルを構想しています。
ところが、時間をかけて取り組む予定が、住まいをつくる土地を提供してくれる人が出てきてしまったのです。
さてどうするか。ここからが悩みの始まりです。
そこで相談に来たわけですが、しっかりと考えられていますが、まだ論理発想です。
そこに落とし穴があります。
暮らしや住まい方、福祉やコミュニティの問題は、決して論理だけでは成り立ちません。
そこが魅力でもあり、恐ろしさでもあります。
リスクは大きいですが、事業には常にリスクが付き物です。
要はそれらを知った上で、挑戦するかどうかです。
私ならたぶん延期しますが、きっとこのお2人は挑戦するでしょう。
としたら、私に何ができるかです。難しい問題ですが、考えてみることにしました。
こうした人たちが増えてきています。
そして不思議にも、多くの場合、成功していきます。
時代の変化を感じます。
行政の無駄使いのほんの一部をこうした活動に提供すれば、状況は変わっていくでしょう。
大切なのは構造改革ではなく、発想の転換なのです。
社会福祉の基礎構造改革は残念ながら発想の転換にはまだつながっていません。
ただ企業が利益をあげただけの話のように思えてなりません。
いたるところで、小さな「民営化」が進んでいます。
民営化賛成者たちには、それが見えているのでしょうか。
哀しい話です。
■使いやすさ研修済認証マークってご存知ですか(2005年9月17日)
久しぶりに朝日ニュースターの「よみがえれニッポン」に出演しました。
今回のゲストは、NPO日本ユニバーサルデザイン研究機構の理事長の横尾良笑さんです。
理事長といってもまだ20代前半なのです。
このNPOの活動は2つあります。
ユニバーサルデザインコーディネーター2級検定事業と使いやすさ研修済製品の認証事業です。
詳しくはホームページをご覧ください。
今日のテーマは後者です。
私は評価とか認証とかが好きではありません。
ですからあまり気乗りがしなかったのですが、横尾さんの話を聞いていて、脱帽しました。
彼女たちは頭だけではなく、実に行動的に現場をまわりながら情報を集め、きちんとしたリサーチ手法を開発し、
しかもしっかりしたユニバーサルデザイン観をもって活動しているのがよくわかったからです。
使いやすさ研修済認証マークの決め方に、横尾さんたちの考え方が象徴されています。
デザイナーたちに50種類のマークをデザインしてもらい、それを一般の生活者たちに選んでもらったそうです。
普通は逆です。彼らが「専門家」をどう位置づけているかが良くわかります。
もうひとつ共感できるのは、ユニバーサルデザイン商品としての認証ではなく、使いやすさの検証済の認証です。
そこにはまやかしがありません。若者らしい素直さが感じられます。
私はユニバーサルデザインにはかなりの違和感を持っているのですが、
横尾さんたちの活動はむしろそうした実体のないユニバーサルデザインブームに、実体を与え、
作り手と使い手のコミュニケーションを育てていこうとしているところに共感を持ちました。
作り手、使い手、いずれにも刺激を与えていく活動です。
しかし認証は目的ではありません。
目的にしてしまうと、今のさまざまな認証制度のように利権がらみのおかしなものになりかねません。
大切なのは認証から始まる物語です。
認証の過程で気づいたさまざまな情報を公開していくとともに、
さらに使い手から情報を取り込む仕組みをつくって、商品が常に進化していく仕組みを育てていくべきでしょう。
そういうコメントをしたところ、どうやら横尾さんたちはすでに準備を進めているようです。
横尾さんには完全に脱帽ですね。志を感じます。
これからが楽しみの活動です。
ところで、まだ認証された製品はひとつです。
ホームページに詳しく書かれていますが、タイムレコーダーです。
今頃タイムレコーダー?と違和感を持っていたのですが、話を聞いていて改めて気づいたことがあります。
ユニバーサルデザインとは結局はパラダイムシフトを回避する手段なのではないのか。
前にも在来型の工業発想の延長にあるものと書いたことがありますが、もしかしたらイノベーションを妨げるものかもしれません。
ますますユニバーサルデザイン嫌いになってしまいそうですが、
今回の使いやすさ検証は、設計次第でパラダイムシフトにつながる仕組みにしていけるのではいかということです。
なお、余計なことですが、タイムレコーダーと言う商品にも関心を持ちました。
発想を変えると全く新しい商品が生まれそうです。
横尾さんはユニバーサルデザインを学びたくて、500冊近い文献を渉猟し、
企業のユニバーサルデザイン商品を体験し、開発担当者に取材したそうです。
これまでのユニバーサルデザイン関係者とは姿勢の違いを感じました。
もしかしたら、私にも納得できるユニバーサルデザインの仕組みが生まれるかもしれません。楽しみです。
(2005年9月第3週)
人間界がどうであろうと、自然はしっかりと秋に向かって進んでいます。
今週は「死」がいろいろと話題になった週です。秋らしいです。
■ウトロ地区の強制執行と動きのない拉致事件(2005年9月18日)
宇治市のウトロを守る会からお知らせが届きました。
9月25日にウトロ地区内の空き家の土地収用の強制執行が行われることになったのだそうですが、それを阻止するための緊急集会のお知らせです。
裁判所の執行官がウトロ地区に来るのは史上初めての出来事だそうです。
ウトロに関しては以前も書き込みましたが、私たち日本人が背負っている歴史を実感させてくれる現場の一つです。
今回は土地所有者の申し立てによる強制執行ですが、もっと違った解決の方法があるように思います。
ところで、北朝鮮の拉致事件はいま一体どうなっているのでしょうか。
家族会・救う会では、8月24日、拉致問題連絡調整室を通じて、
「なぜ8か月経っても「厳しい対応」をとらないのか」など、6項目について政府に質問し回答を依頼したそうですが、今日現在でも全く回答はないそうです。
弱いものをいじめる小泉自民党内閣の姿勢がいずれにも感じられて仕方がありません。
ウトロの次は、何でしょうか。
少し考えすぎだとは思いますが、不気味さを感じます。
しかし、拉致問題は完全に凍結状態です。
「民意」の点では郵政民営化と同じくみんなが賛成している経済制裁をやらないのには立派な理由があるのでしょう。
そこに問題の本質が垣間見えてくる気がします。
■小中学校の先生に世代断層があることをご存知でしたか(2005年9月19日)
娘の小学校の時の担任の先生が、家族で娘のスペインタイル教室にやってきました。
娘のタジュール・デ・ジュンは少しずつですが売り上げも伸びており、教室も回数が増えています。
若い世代の人たちの手作り商品への関心の高まりを改めて認識させられています。
こうした動きの中に、ビジネスのパラダイムシフトの予兆を感じます。
しかし、今日はそのことではありません。
その先生は今も現役の先生ですが、少しお話をさせてもらいました。
最近は小中学校にはあまり縁がないので間接的な情報しか入ってこないのですが、いくつかの面白い話を聞かせてもらいました。
先ず驚いたのは、その先生の今の役割は新しい先生たちを指導することだそうです。
つまり「先生の先生」です。
なぜそんなことが必要なのかといえば、子どもたちの数が減りだした1980年代から教員の新規採用数が激減したらしいのです。
そのため、今の学校は45歳以下の先生がほとんどいないようです。
そのために、文化継承がうまく行われていないようです。これには驚きを感じました。
日本の政治はこの20年間、予算面でも「教育」をおろそかにしてきたと感じていましたが、それがこういう形で行われていたのです。
21世紀に入って採用数は回復しつつあるようですが、教育の連続性を考えるとこれは大きなひずみを残すことになるでしょう。
いや、今すでにもう問題が出ているのかもしれません。
スイスのビジネススクールによる国際競争力比較の調査では、
国としてのランクは2位だそうですが、教育部門は日本は最下位の49位だそうです。
田中角栄の時代に教師の給料は大幅に増額されたそうですが、その後はむしろ先生の数を押さえ込むことで予算削減を図ってきたのでしょう。
軍事や無駄な産業政策への予算の一部を削減するだけで事態は大きく変わるはずですが、そこには目が向かなかったのです。
国家100年の計の不在です。
そのとがを、今、産業界も受けているわけですが、したたかな産業界はその問題をまた新たなビジネスチャンスとしているわけです。
そこには子どもたちへの思いやりなどこれっぽっちもないのです。やりきれない気分です。
ちなみに、教育を最もないがしろにした一人が小泉首相です。
それを支援しているのは教育を理解していない優等生と優等生コンプレックスを持つ人たちです。
私のまわりを見ているとはっきりそれがわかります。
小中学校の先生と話したのは久しぶりですが、いろいろなことを考えさせられました。
■NPOに対する資金助成は意味があるのでしょうか(2005年9月20日)
第5回コムケア資金助成プログラムの選考委員会でした。
片岡勝さんが急用ができてしまい欠席でしたが、実に面白い組み合わせなのです。
北矢行男さん、町田洋次さん、木原孝久さんです。
みんなしっかりと自分を生きている私の信頼する友人たちですが、生き方も考え方もかなり違います。
予備選考で41件に絞り込んだプロジェクトを20に絞り込みました。
その経過などはコムケアセンターのホームページに書き込みましたが、ここでは議論していて感じた素直な私見を書きます。
今年はますます魅力を感ずるプロジェクトが少なくなりました。
年々、退屈になってきます。
みんなとても真剣に取り組んでいますし、社会的な価値は高く、みんな支援してやりたいと思う一方で、なぜかワクワクしないのです。
どうも問題は私の側にありそうです。
資金助成プログラムの事務局長がこんなことを言うのは極めて不謹慎ですし、応募した皆さんには大変失礼なのですが、かつてのように燃えないのです。
きっと私の感度が落ちているのです。
最初はすべてのプロジェクトに感動したものですが。
こういう仕事は5年が限度なのかもしれません。そんな気がしてきました。
仕組みに関しては、木原さんがコムケアのように面白いプログラムは他にはないのだからもっと世間に発信していくべきだと、今回も言ってくれました。
木原さんは最初からこのプログラムの価値を評価してくれていました。
しかし、広げればマイナス面も出てきます。
資金助成プログラムは私にとっては一つの手段でしかありません。
それが目立ってしまうことには乗り気がしません。
それにマスコミは信じられません。彼らに消費されたくはないのです。
幸いにコムケアで考えてきたことは少しずつですが、実現されだしたようにも感じます。
しかし、資金助成プログラムのないコムケア活動が可能かどうか、それが心配です。
小さくてもいいから、ささやかな結いが生まれ、新しい物語が育っていく風土ができる。そして、徐々に私は消えていくと言うのが、私の理想なのです。
それは結構難しいことではありますが。
昨年も書きましたが、NPOへの資金助成プログラムは本当に意味があるのかどうか。
どうも悩みます。どちらかと言えば、私は否定的なのです。
今日も、もっと自分で資金を稼ぎ出すことを考えるべきだという指摘が選考委員から出ましたが、同感です。
資金助成はNPOの健全な発展を阻害しているのではないか、そんな思いからどうしても解放されないのです。困ったものです。
そろそろ資金助成プログラムから足を洗う時期かもしれません。
コムケアに参加している人がこんな記事を読んだら、私への不信感を持つでしょうね。
しかし、これが偽らざる私の本音です。嘘はつけません。
公開選考会が終わったら、こんなテーマでのコムケアサロンを呼びかけてみてもいいかもしれません。ひんしゅくをかうかもしれませんが。
コムケア仲間が、この記事を読まないことを祈ります。
しかし、無理でしょうね。
困ったものです。はい。
■社会福祉協議会とNPOの目指すところは同じでしょうか(2005年9月21日)
東京ボランティアセンターが来年予定しているフォーラムの企画の関係で、そのプロジェクトの実行委員のお2人がやってきました。
NPOゆうゆうの加藤木桜子さんと鶴ヶ島市社会福祉協議会の川田虎男さんです。
お2人はいま、東京ボランティア・市民活動センターの「ボランタリーフォーラム」の企画に関わっています。
事の発端は、加藤木さんがそのフォーラムで「NPOと企業の協働」をテーマにしたイベントをコムケアと一緒に企画できないかと考えたことです。
加藤木さんはコムケア仲間の一人なのです。
このテーマはコムケアにとっても私にとっても関心事ですので、まずはお会いすることになったのですが、川田さんも一緒にきてくれました。
川田さんは社会福祉協議会で働いているうちに関心が高まって、今は立教大学の大学院で研究活動にも取り組んでいるとのことです。
学と実践に並行して取り組んでいる人が、最近は増えてきました。とてもいいことだと思います。
お2人は今、福祉の現場にいるわけですが、
制度優先になりがちな福祉を見直し、セツルメント活動のように現場を基点とした活動に戻していくべきではないかと考えているようです。
社会福祉協議会はなぜかNPOと対立しがちです。
両者ともに、暮らしやすい地域社会を作ろうと一生懸命に活動しているのに残念な話です。
なぜそうなるか、それは発想の枠組みの違いではないかと思います。
それは、このホームページのテーマでもありますが、「組織起点」か「個人起点」かの発想の枠組みの違いです。
社会福祉協議会、もしくは最近の福祉活動の多くは、組織や制度から考えます。
ですからどうしても窮屈で、個人の事情は軽視されがちです。
しかし、福祉とはそもそもが個人ごとに表情があるのです。
制度には当てはめられない要素がたくさんあります。
かつてのセツルメントはまだ制度が不整備だったために、上からの福祉発想ではありましたが、当事者と一緒に問題解決に「共創」できたのです。
しかし、皮肉なことに制度が整備されるとともに、制度依存が始まり、福祉活動が作業になってきてしまったのです。
そこに今の社会福祉協議会の問題があるように思います。
今日ははじめての意見交換だったので、まだ具体策は見つかりませんでしたが、どこかで何かを「共創」できればと期待しています。
■死を近くに実感すると人生が変わります(2005年9月21日)
書こうかどうか迷いましたが、名前を伏せて書き残すことにしました。
ある女性の話です。
彼女は外資系の有名な企業で営業の仕事をしていましたが、健康診断である値の異常値が発見され、それが契機で検査のために入院しました。
疑わしい病気はがんでした。
その関係で、末期がんの患者の人たちと病室を同じくする経験をしたのです。
幸いに彼女はがんではなく、無事に退院したのですが、その体験が彼女の人生観を大きく変えました。
いま、彼女は看護師を目指して大学に再入学しようとしています。
今受験の最中だそうです。
しかし社会人入学の倍率はとても高いようです。ここにも大きな問題がありますが、まあそれは今日のテーマではありません。
彼女が進路を変えたのは、自らの死に直面させられたからでしょうが、同室の人たちとの交流も影響を与えたでしょう。
看護師は大変な仕事なのに、なぜあえてその道を選ぶのかと質問しましたが、そんな質問は彼女には全く無意味な質問だったと思います。
宗教の問題、日本の学校教育の問題、死の問題など、話はさまざまなところに飛びましたが、実に共感できる話が聞けました。
彼女は日本語とイタリア語のバイリンガルですが、イタリア語で話している時と日本語で話している時とでは、人格が変わってしまう気がするそうです。
これも面白い話です。
私は外国語が全くだめなので、その気分は理解できませんが、もし人格を使い分けできれば人生はもっと生きやすくなるでしょうね。
今日は、全く別の用事で彼女にあったのですが、予想もしていなかった話の展開になりました。
いつか彼女とも何かをコラボレーションできればと思っています。
それにしても、こういう若者がたくさんいるのに、なぜ小泉自民党が圧勝したのでしょうか。
私は若者たちが軽々に動いてからではなかったのかと思っていましたが、もしかしたら小泉自民党を支持したのは大人たちかもしれませんね。
また私たちの世代が間違いを犯したのです。
それはとても残念なことですが、
もしそうであれば、少しは未来に希望が持てます。
日本はたぶんもう元には戻れないでしょうが、80年前の再来は回避できるかもしれません。
そんな気がしてきました。
本当に少しだけですが、元気が出てきそうです。
■自殺は防ぐことができるか(2005年9月22日)
日本では毎年3万人を超す自殺者があります。
この問題に正面から取り組もうとNPOを立ち上げたのが元NHKのディレクターの清水康之さんです。
そして自殺対策支援センターを立ち上げ、今年の初めから精力的に取り組んできました。
その功あって、新聞などでの取り上げも増えてきましたし、行政の動きも変わってきました。
コムケアがこうした動きをささやかに応援できたことはうれしいことです。
そのライフリンクが今月10日の世界自殺予防デーに、官民の実務担当者に呼びかけて緊急フォーラムを開催しました。
テーマは「自殺対策のグランドデザインを考える」。
私は他の約束が2つもあったために参加できませんでしたが、盛会だったそうです。
新聞やテレビで見た方もいるかもしれません。
そこで、ライフリンクが翻訳した「フィンランドの自殺防止プロジェクト」の報告書が配布されました。
その表題が「自殺は防ぐことができるか」です。
私も読ませてもらいましたが、フィンランドの取り組みは世界の模範になっているようです。
この報告書はライフリンクで実費配布をしています。
ご関心のある方はライフリンクのホームページから申し込んでください。
清水さんからの話やこの報告書からいろいろ考えさせられましたが、いま大切なのは、問題の設定の仕方かもしれないと思いました。
清水さんの取り組みに私が共感したのは、自殺の問題を通して社会のあり方を考えていこうという姿勢です。
その姿勢にたつと、まさに「自殺対策のグランドデザイン」が重要になってきます。
そしてそれはきっと「自殺」の問題を超えて、コミュニティのあり方や人の生き方につながっていきます。
そう考えると、果たして今のマスコミの取り上げ方や行政の対応はいいのだろうかという疑問が出てきます。
相変わらずテーマを浪費していくのではないかという心配があります。
こうして、あらゆる問題と同じように、
私が取り組んでいるコムケア活動こそが、自殺予防の最善策かもしれないと我田引水的に考えてしまうのが私の悪癖なのですが、
一度、清水さんと改めての意見交換をしてみようと思いました。
みなさん、自殺は身近な問題とつながりますか。
私はすごくつながって感じています。
■上野界隈を歩くといろいろな人に出会います(2005年9月22日)
女房が久しぶりにオフィスに来ました。
帰りに時間ができたので、上野まで歩くことにしました。
ビジネスウォークだと15分ですが、スローウォークすると1時間はかかります。
出発点は湯島天神です。
祭囃子が聴こえたので良く見たら天神の一角に出店が出て、浴衣を着た女性が何人かいました。
何かのドラマの撮影でした。
私は気づきませんでしたが、女房が東ちずるさんだと言いました。何だか奇妙な風景でした。
そこから下に下りたら、ドンキホーテの店がありました。
最近できたのです。初めて気づきました。入店したことがなかったので、女房と2人で入ってみました。
確かにごちゃごちゃしています。398円のネクタイがありました。買ってしまいました。
テレビもあれば、食料品もありました。確かに不思議なお店です。
この近くには旧岩崎邸があり、公開されています。
とてもいい雰囲気のところですが、今日は遅かったのでやめました。
代わりに全く対照的なアメ横に向かいました。
途中にもそれなりの面白いお店があるのですが、うろうろしながら歩いていたら、小沢昭一さんに出会いました。
と言っても知り合いではないので、挨拶はしませんでしたが、女房が気づきました。
そういえば、いつでも気づくのは女房です。
何時ぞやは箱根で日産のゴーンさんに気づいたのも女房でした。
男性と女性とでは見える風景が違うのかもしれません。
いや、ただ私がボーっとしているだけのことかもしれませんが。
アメ横は賑わっていました。
雑踏の中で売られている生ものは我が家ではだめなので、見るだけです。
何も買わないのは残念だと思っていたら、出口近くで1山1000円のマツタケがありました。
1万円ではありません。千円です。
激安ですが、最近家計が苦しいのか、女房はそれを買ってしまいました。
まあこの数年、またきちんと働いていないので、異議申し立てもできません。
それにしても、小さいマツタケです。いやはや。
上野駅は数年前に大きく改装されました。アトレという商業空間ができました。
以前に比べればすごくきれいになりましたし便利になりましたが、楽しさがあまりありません。まさに商業空間なのです。
湯島天神から上野までの空間は実に雑多で奇妙な空間です。
コースによっていろいろですが、和菓子の老舗もあれば、かなり猥雑な危ない空間もあります。おしゃれなレストランもないわけではありません。
しかし、こうした猥雑な都市は次第になくなっていくのでしょうね。
さびしい気がしますが、そういう動きに加担しているのもまた私たちなのでしょう。
そんなわけで、今日の我が家の夕食はマツタケ三昧でした。
マツタケご飯、マツタケの土瓶蒸し、マツタケの茶碗蒸し、焼きマツタケ、まだ何かあったかもしれません。
夢のような豪華な食卓でした。
しかしなぜかあんまりマツタケの香りがしませんでした。
1000円のマツタケは香りがしないのです。
しかし、香りのないマツタケって、一体何なのでしょうか。食べたこと、ありますか?
まさに夢のようなマツタケ三昧でした。夢には香りはないのです。はい。
退屈な書き込みでした。すみません。
今日は庶民の生活報告でした。
女房が読んだらまた消去を命じられそうです。
■平穏な休日の1日(2005年9月23日)
今日の起床は6時です。
我が家の小さな庭にはミニミニビオトープがあります。そこに沢蟹を放しています。
朝、起きるとそこに行って、沢蟹を探すのが私の休日の始まりです。
しかし、この半年、出会えたことがありません。
少し入り組んだ構造になっているのでどこかに隠れているのでしょう。
家族はもうどこかに逃げたか、死んでしまって、いないといいますが、私は必ずどこかにいると信じています。
そう思うだけで、何かとても豊かな気分になれます。いいはじまりです。
それからメールチェックです。最近、少しメールが少なくなってきたように思います。
歳のせいでしょうか。友人知人が減りだしているわけではありませんが、それでも訃報の数は多いです。
今週も一人、知人を送りました。
7時過ぎると家族が起きてきます。
普段は女房とご飯ですが、休日だけは私はパン食です。
女房は病気以来、パンが食べられなくなったのです。
自分でコーヒーをたっぷりと煎れ、トーストを食べます。
シンプルな食事ですが、果物だけはいつも用意してもらっています。果物が大好物なのです。
今日はイチジクと桃と梨でした。イチジクは日本無花果、梨は香水、桃は川中島の硬いのが好きなのです。
日曜日はトイレ掃除が私の当番ですが、今日は祝日なのでトイレ掃除はありません。
先の選挙以来、テレビのニュースや報道番組は見ませんので、今日は書類の整理をしました。
私の仕事場は書類で山盛りですが、処理する量より新しく積まれる量が多いため、山がどんどん増えて、結局、いつか読まれもせずに処分されがちなのです。
そうならないために、月に1日は書類の整理に当てたいのですが、これが難しいのです。
今日は少しだけ山が整理されました。
秋分の日なので、お昼近くに家族みんなで墓参りをしました。と言ってもすぐ近くなのです。
昨夜、亡母の夢を見ました。
生前はあまり孝行息子ではなく、親に反発して生きていた感じがします。
孝行したいときには親はなし、というのは実に正しい教えです。この頃、時々夢を見ます。
女房がおはぎを作ったので、一人住まいの近くのお年寄りにおすそ分けです。
近隣とのおすそ分け関係が結構あります。
しかし、まだ男性同士の付き合いはほとんどありません。これは私の責任でしょうが。
午後は家庭農園の雑草取りと土づくりです。花と野菜を植えるのだそうです。
私は女房の小作人で、下働きしかできません。
土を耕していたら、近くの青木さんがひまわりのタネをくれました。青木さんは近くの兼業農家の人なのです。
無防備で行ったために身体中、蚊に刺されてしまいました。薮蚊がすごいのです。
普通だと、一汗かいた後は風呂に入ってビールを飲みながら、相撲でも観るのでしょうが、私はアルコールがだめなのです。
またコーヒーを煎れて、琴欧州と朝青龍の一番を待ちました。
予想に反して、めちゃくちゃな取り組みで琴欧州が負けてしまいました。
最近は私の予想は当たったためしはありません。
それにしても、優勝争いの力士のいずれもが外国人なのは気になります。
もしかしたら、私もナショナリストなのかもしれません。でもまあ、琴欧州は好感が持てますね。
夕食後はめずらしく読書です。
私は電車などではかなりの読書家ですが、自宅ではあまり本は読みません。
著者が直接送ってきてくれた本は着後2週間以内には必ず読みますが、それも多くは電車の中です。
最近、本を書く人が多く、自分で読みたくて買った本はなかなか読めません。
そのため、机の横には読むべき本がいつも10冊くらい積みあがっています。
しかも今日読んだのは「責任の思想」という本です。前に坪倉昭さんから勧められていたのです。
さて、こうした生活をしていると、政治などはどうでも良くなりそうです。
定年退職後の人たちは、毎日がこうした生活なのでしょうか。
■グレートブックから学べること(2005年9月24日)
このホームページでも案内していたグレートブックスセミナーフェスティバルに参加しました。
4つのグレートブックスセミナーの実践者が集って、それぞれのスタイルでショートコースをやってくれたのです。
おそらく日本初の試みです。
選ばれた古典は「ノヴム・オルガヌム」(F.ベーコン)、「饗宴」(プラトン)、「夜と霧」(フランクル)、「人間知性論」(ロック)です。
それぞれが実に刺激的なテーマで、議論も面白かったです。
参加者が少なかったのがとても残念でした。
グレートブックスセミナーについては、これまでも何回か書き込んできましたので繰り返しません。
また今回の議論の内容は報告するには密度が高いので、これもまた省略ですが、今度またあったらぜひ皆さんもご参加ください。
人生が変わるとは言いませんが、古典を契機にして話し合うことの意味は大きいです。
企業人の方にはきっと目を開いてもらえると思います。
アメリカでは経営者がしっかりとグレートブックセミナーを受けているようですが、
日本の経営者はあまり関心を持たないでしょう。
経団連がやるべきことは、こういうことのはずですが。
そこにこそ競争力と戦略の差が出てくるのではないかと思います。
内容は書きませんが、いつの時代も同じだという感想を持ちました。
たとえば、400年前の「ノヴム・オルガヌム」のメッセージは、まさに今の日本を示唆していますし、
「夜と霧」の状況は、これまた日本の現在です。
いずれも今の日本のほうが状況は悪いかもしれないと思いながら、プレゼンテーションを聞いていましたが、
もしかしたら、これはモデレーターやプレゼンターの意識のせいかもしれません。
私たちは、古典を読む場合、常に自分の時代を読んでいるのかもしれません。
議論を一つだけ紹介します。これは実に刺激的でした。
「夜と霧」は後藤英司さん(横浜市立大学教授)がモデレーター役で、医学部の学生4人がプレゼンテーションをしたのですが、
解剖の話で「ご遺体」という言葉が出たことが話題になって、「死」や「臓器移植」の議論に展開したのです。
本論とは離れる議論でしたが、これが実に面白かったのです。
1時間くらいの議論でしたが、エンドレスで議論したい気分でした。
同時に、この4人の医学生にとても興味を感じました。
後藤教授もこうした議論がもっと必要だとおっしゃいましたが、今の教育の現場にかけているのがこういう議論だと思いました。
この議論を問題提起したのは、アゴラ・ソクラテスの原田広幸さんです。
原田さんの問題提起の意図に大きな興味を持ちました。
急用ができてしまったため、最後のフリーディスカッションに参加できなかったのがとても残念です。
12月の構想学会の大会で、こうした議論をもう一度企画してもらえないか、半田さんに頼んでみようと思います。
昨日ののどかな生活に比べると今日はかなり刺激的な1日でした。
しかし、現在の危険な状況を打破する唯一の方法は、昨日の平穏な生活にみんなが戻ることかもしれません。
生活を取り戻すこと、きっとそれが最大の解決策なのです。
今日のセミナーでも、そんな話もしてしまいました。
■ホメオパシーってご存知ですか(2005年9月24日)
全くの偶然だったのですが、グレートブックスセミナーを開催していた会場の隣の会議室で、
日本ホメオパシー医学会の研修会が開催されていました。
日本ホメオパシー医学会といえば、縄田さんです。
期せずして縄田さんにお会いできました。
今日の研修は、学会の認定医を対象にしたアドバンスドコースだそうです。
会場をちょっとだけのぞかせてもらいました。
若い医師が多かったのが印象的でした。
しかもこの研修は学会のホームページによればかなり高額です。
グレートブックスセミナーでも医学と医療の話がでましたが、西洋医学への新しい問題提起はさまざまなところで起きています。
生命・身体二元論は限界ではないかと私は思ってしまいます。
ホメオパシー(homeopathy)は欧米で広がりだしている代替医療の一つです。
簡単にいうと、 「症状を起こす物を与えて治療する」、つまり、
ある症状を持つ患者に、
もし健康な人間に与えたら、その症状と似た症状を起こす物質をきわめてごく薄く薄めてわずかだけ与えることによって、
症状を軽減したり治したりしようとする療法のことです。
薬ではなく毒を与えるのと驚かれるかもしれませんが、たとえばワクチンなどを考えてもらえれば納得してもらえるでしょう。
ちなみにホメオパシーでは、薬とは言いません。
レメディといいますが、主に植物や動物から取られた生薬のエキスを希釈したものです。
それが生命体の免疫力を高めるわけです。
極めてエコロジカルで、私の感覚にはぴったりです。
日本ホメオパシー医学会の設立の経緯には、こう書かれています。
現代医学は各分野の著しい高度化が進むとともに細分化され、治療現場では患者本人よりも "疾患"に対して治療が行われているのが現状です。
とくに慢性疾患に対して従来の医療(西洋医学)では限界を感じる医師や患者は多く、
21世紀の医療として患者ひとりひとりへの包括的治療をおこなうホメオパシー医療に本当の意味での"ヒーリング"の医療としての期待が集まっています。
前項のグレートブックスセミナーでの「死」の議論に際して、
私は全人的存在としての人の死とそのサブシステムとしての臓器の死は別だと発言させてもらいましたが、
近代医学はそろそろ生命現象をもっと大きな枠組みで考える時期に来ているように思います。
そしてそれは実は、次元を拡大すれば、社会の死や歴史の死にもつながっていきそうです。
ナチスの悪夢は実はプロローグに過ぎなかったのかもしれません。
話がそれてしまいましたが、ホメオパシーは「病気」というものの捉え方を基本から問い直しています。
こうしたホリスティック医療は、近代医学とどう折り合いをつけるのでしょうか。
実に興味あるテーマですが、私には手が出そうもありません。
しかし、なぜか今週は、書き込まなかった事件も含めて、死について考えさせられた週でした。
先週お会いした小畑さんからは、死に関する興味深い論文を送ってきてくださいました。
また一条真也さんからは「ロマンティック・デス」(幻冬社)という再刊された自著を送ってもらいました。
デイホスピスづくりに取り組む人とも話しましたし、少し不謹慎なことをいえば、主観的な世界における死者との出会いもありました。
「死」が近づいてきているのかもしれません。いやはや。
(2005年9月第4週)
元気が戻りそうです。ブログも再開できそうな予感がしてきました。
今週もいくつかの共通のキーワードがあります。
身の回りで起こる事柄は、いつも不思議とつながっているのです。
個体を離れた大きな生命現象を感じます。
■何かしていないと不安になりませんか(2005年9月25日)
この2週間、「やる気のない生活」を続けてきました。
もちろん何もしていないわけではなく、それなりにいろいろな活動をしていますが、
私の主観的基準では活動量は普段の2〜3割です。
特に、やるべき課題には手がつけられずにいます。
私の場合、気分が乗らないと身体も頭も動かないのです。
最低限の義務は果たしていますが。
しかし、産業社会の戦士として教育されたせいか、何もしないと不安感が募ってきます。
不安感というよりも罪悪感です。
しかし身体が動かない、そのため精神的なパニックが起こります。
これが続くとたぶんうつ状態になるでしょう。
こういう状況は以前から時々起こるのですが、幸いに私の場合は、3〜4日するといつも元気になるのです。
ところが今回はなかなか元気が戻ってきません。困ったものです。
不安を解消するために、いろいろと何かをやっていますが、どうも充実感がありません。
それは当然で、本当にやるべきことをやっていないからです。
しかし動いていれば、その時は不安感から解放されます。
何かしていないと不安になる生き方というのは、やはりどこかおかしいです。
いや、何かの「何」が問題なのかもしれません。
早く元気になりたいと思います。
また一週間が始まります。
■若者にとって企業は魅力的でしょうか(2005年9月26日)
今春就職して関西に転居した若者が訪ねてきました。
彼は学生時代にNPOを立ち上げ、様々な活動をしていました。
コムケアの選考会なども手伝ってくれました。
彼はNPO支援の活動を目指していましたが、その勉強を目指して中小企業を顧客とする政府系の金融機関に就職しました。
その後、連絡がなくなりました。
ちょっと気になっていましたが、連絡がない場合は、順調なことが多いのです。
その彼からメールが来ました。
予想に反して、仕事へのモチベーションが高まらず、このまま会社生活を続けていいのだろうかと悩みだしているのだそうです。
気をつけないと、うつへの入り口です。
たまたま夏休みで帰省するというので会うことにしました。
思いのある若者が魅力を感じない組織には、どこかに問題があるというのが私の基本姿勢ですが、
今回の場合はどう考えるべきでしょうか。半年は早すぎます。
私が知っている限り、彼は好奇心が強く、誠実に社会と関わってきました。
新しいNPOを立ち上げるなど、行動的でもありましたし、構想力や実行力もありました。
そしてあるビジョンを持って企業に就職したわけです。
彼を活かせれば、企業にとっても大きなパワーになるはずです。
企業は変質しています。
ある人に勧められて、ロナルド・ドーアの「働くということ」(中公新書)を読みました。
経済学者や経営学者にも読んでもらいたいです。
もっとも私にこの本を薦めてくれたのは経営学ですが、この人は例外でしょう。
現在の日本の状況や企業の実態を理解するための材料が整理されています。
お薦めします。
これをよめば少しは「民営化の虚構」や「産官政の癒着」が読み解けると思います。
しかし、もっと大きな問題は、彼のような若者を魅了できない企業が増えているのではないかと心配です。
政治のベクトルが時代に逆行していることは間違いありません。
■NPOにとって大切なのはグランドデザインかもしれません(2005年9月26日)
自殺対策支援センターライフリンクの代表の清水康之さんが先日のイベントの報告もかねてやってきました。
イベントのために湯島のオフィスを彼らに提供していたのですが、漸くまた私のオフィスに戻りました。
清水さんも言っていましたが、やはり場所の効用は非常に大きいです。
この2か月近く、私自身、自分の活動拠点が不安定だったので、改めてその大切さを実感しました。
話は飛躍しますが、ホームレスはやはり問題ですね。
もっとしっかりと考えなければいけません。
いや、それ以上にやはり「家庭」の問題をもっとしっかり考えるべきですね。
今の社会の不安定さは、要するに「家庭の喪失」に起因しているのかもしれません。
これがこの一か月の私の体験知です。
ところで、清水さんたちの活動が政府や行政を動かしだしたことは間違いありません。
しかしどこかに不安があります。
清水さんは、内閣府が中心になって自殺問題に取り組む包括的な活動や仕組みができ、動き出しそうだといいますが、
たとえばニート問題が同じような省庁総合的取り組みを称しながら結局は大きな物語もビジョンもないのと同じようにならないかと不安です。
そうならないためには、ライフリンクが、つまり清水さんたちがもうひとがんばりしなければいけません。
当事者を中心としたつながりが、自立的かつ主体的に動き出す仕組みを確立しなければいけません。
いわゆる当事者主権の発想です。
そうしたことに向けての私的なグランドデザインを書いて清水さんにはお渡ししたのですが、
それを書きながら、これはすべての市民活動にとって共通の課題だと思いました。
社会の構図を、生活と統治、いいかえれば個人起点と組織起点とで再構成し、視座を前者に移して発想していくことが必要です。
それがない限り、表層的な解決はできても、流れは変えられないでしょう。
市民社会に向けてのグランドデザインが、いま必要になってきています。
それが不在なのが、日本の不幸かもしれません。
実に刺激的なテーマですが、私にはとても歯が立ちません。
それにしても、清水さんのこの半年の活躍はすごいものでした。
これからますます大変になるでしょう。
どなた3億円くらい基金提供してくれる人はいませんか。
清水さんにはコモンズ債を提案しました。うまくいくといいのですが。
コモンズ債に関しては、いつかまた書き込みたいと思っていますが、
NPOの資金問題を解決する唯一の方策だと考えています。
■市川覚峯さんのパワーを活かすグランドデザイン(2005年9月27日)
日本経営道協会の市川覚峯さんがやってきました。
あることの相談だったのですが、それは5分で終わり、いろいろと意見交換しました。
市川さんはいま、霊性(スピリチュアリティ)に焦点を置いた企業コンサルティングや人づくりに取り組んでいます。
スピリチュアリティは、いまの流行でもありますが、
市川さんはこの問題に15年前から取り組み、しかも自らが身体的な取り組みも含めて正面から実践している人です。
頭だけで考えているコンサルタントではありません。
しかも彼は不思議な霊力を持っています。
こんなことをいうと疑われそうですが、私は確信しています。
市川さんは長野の戸隠に道場を持っています。
そこをもっと活かすことができないものかと考えることにしました。
昨今の企業は私の主観的基準ではどんどん劣化してきていますが、
その流れを反転させるためには、やはり中核になる人がしっかりした信念と経営道を身につけなければいけません。
ちょうど昨日、グランドデザインの話をしていたせいか、急にそうしたことのグランドデザインを考えてみたくなりました。
一度、私も戸隠道場に行って、構想してみることにしました。
少しずつ、また「やる気」が出てきました。
■共感できるNPOに「1000円のエール」を送りませんか(2005年9月27日)
コムケアの運営委員会です。
10人ほどの人が全くのボランタリーで集まってくれました。頭が下がります。
お知らせのコーナーでもお知らせしていますが、
10月16日にコムケアの資金助成プログラムの支援先を決定する公開選考会があります。
その企画運営をコムケア仲間に呼びかけて検討してもらっているのです。
コムケアは「共創」を目指しているのです。
選考会まで20日足らずです。
200人の参加者を集めたいと思っていますが、まだ申し込みは10人程度です。
いささか心配ですが、不思議なことにいつも当日になると予想以上の人が集まってくれます。
しかし、事務局としては当日まで不安で眠れない夜が続くのです。
健康によくありません。
みなさん、ぜひ参加申し込みをしてください。
誰でも歓迎ですし、きっと参加してよかったと思ってもらえます。
今年から新しい仕組みも用意しました。
参加費を1000円もらうことにしましたが、
その参加費は発表される20のプロジェクトの中から自分が応援したいと思った団体に寄付することができるのです。
つまり共感できた活動に直接寄付することができる仕組みです。
お金だけではなく、ノウハウや汗で応援することももちろん可能です。
そうした出会いの場にしたいと思っています。
詳しくはコムケアのホームページ、もしくはそこに書き込んでいるメッセージをお読みください。
コムケアは新しい挑戦を大事にしてきました。
他のNPO中間組織ではできないようなことを実験的に取り組んできました。
今回のこの試みも、似たようなものはあると思いますが、中途半端ではないところがいいと思っています。
どうなるかわかりませんが、きっと新しい風を起してくれると思っています。
皆さんもぜひ1000円のエールを送りに、選考会に参加してくれませんか。
参加者が200人を超えると、私は熟睡できますので。
■アマゾンのユースドブックの購入(2005年9月28日
私は書籍の購入はネットで申し込んで近くの書店で受け取るという方法を中心にしています。
アマゾンが便利なのですが、地元書店の応援と郵送にかかるエネルギー軽減のためです。
コミュニタリアンにして、エコロジストの私の、これはマナーなのです。
以前は書店に毎週通いましたが、最近の書店はどうも好きになれないのです。
買いたい本が見つからず、売りたい本ばかりが目立つからです。
ここでも私はきっと時代からドロップアウトしているのでしょう。
今回、ある本を書店に注文したら絶版になっていました。
今までは諦めたり図書館に探してもらったりしていましたが、初めてアマゾンのユースド市場で探してみました、
見つかりました。しかも定価よりも安いのです。
もっとも同じ本が定価よりも高く売り出されていました。
これも面白い現象です。一物一価はここでも壊れだしています。
まあ当然のことですが、ネットの世界はやはり刺激的です。
迷ったのですが、安いほうで購入してしまいました。少し罪悪感が残りましたが。
そこで他にも書店に購入しようと思っていた書籍のユーズド出品を探してみました。
6冊見つかりました。今回は8冊注文する予定でしたので、かなりの比率です。
そのうちの4冊を試しに購入してみました。
昨日までにすべて届きました。みんなきちんと包装され、送り方も丁寧ですし、メールでの連絡もきちんとしています。
送ってくれた4人ともきっと本好きなのでしょう。
できれば交流を始めたい気分になってしまいます。
これがまた私の最大の悪癖なのですが。
ただ新本を最初に開いた時の、あの何ともいえない感覚を味わえないのが残念です。
価格は郵送料がかかりますので、さほど安くはなりませんし、
郵送というエネルギー負荷がありますが、書籍が無駄にならないのが最高にいいです。
私のように本好き人間にとっては、書籍が無残に廃棄されることはとても我慢できないことなのです。
これはなかなかいいシステムです。
今日はいろいろと気になっていた本を検索してみました。
また3冊注文しました。
また本の山が高くなりそうです。
たぶん死ぬまでには読了できないでしょう。
困ったものです。
■恵庭市の中島興世さんが市長選に立候補しました(2005年9月29日)
少し元気になるメールが今日は2通届きました。
いずれも市会議員からです。
一人は北海道の恵庭市の市会議員、中島興世さんからです。
中島さんは前にも書き込んだことがありますが、
国土庁の地域振興アドバイザーでご一緒したのが契機でお付き合いが始まりました。
ビジョンと信念をお持ちの方です。
私が中島さんから一番刺激を受けたのはCAS(Community assisted agriculture)です。
農業が支える地域づくり、地域が支える農業育て、です。
私が関わらせていただいた茨城県の美野里町の都市計画マスタープランづくりに際しては、この思想をかなり参考にさせてもらいました。
残念ながら私の力不足で奏功しませんでしたが。
その中島さんから突然の市長選への立候補通知です。
きっと地域が中島さんのことを理解したのだとうれしくなったのですが、
中島さんから送られてきた「立候補の決意表明」を読んだら、どうも事情はそんなにハッピーではないのです。
お時間のある方は、中島さんの決意表明を読んでほしいですが、現体制への異議申し立ての立候補なのです。
中島さんのメッセージに共感します。
異議申し立てはきちんとリスクをとった行動にしなければいけません。さすが中島さんです。
衆議院の選挙結果などで気力をなくしていてはいけません。
反省しました。
中島さんは新たにブログをスターとさせ、メッセージを出していくそうです。
恵庭市に知人友人がいる方はぜひ応援してください。
中島さんの見識は私が保証します。
もう一人は、わが我孫子市の市会議員の方からのメールです。
私のホームページをよく読んでくれたようで、オープンブック・マネジメントの本を購入したいと言ってきてくれました。
自治体にもまさにこうした発想が必要だというのです。
これも元気付けられました。
願わくば、自治体職員にこうした意識を持った人がいればいいのですが。
■気力の底からようやく脱しられそうです(2005年9月29日)
今日はある理由で、3時間空白の時間ができました。
最近、気になっていた本を思い出して、読み直しました。
齋藤純一さんの「公共性」(岩波書店)です。
2000年に出版されたのですが、メッセージにあふれた本だったので、
アンダーラインを引いては熟読し、1週間以上かかってようやく読み終えた記憶があります。
実は今回の選挙結果がどこかに予想されていたような気がしてならなかったのですが、それがこの本だと気がつきました。
気づかせてくれたのは、前述のロナルド・ドーアの「働くということ」(中公新書)です。
同署に、前に読んだことのあるようなメッセージが繰り返し出てきます。
デジャビューかなと思って読んでいたのですが、この「公共性」という本を思い出したのです。
開いてみたら、まさにロナルド・ドーアと同じメッセージが出ています。
同署の第3章です。お時間のある方には、ぜひお勧めします。
今の日本の政治状況を読み解くヒントが実にうまく整理されています。
前に読んだ時は、まだ十分に消化できなかったようです。
今回は選挙結果を踏まえて読みましたので、とても読みやすかったです。
歴史の展開は見事に仕組まれているのです。
要するに、そうした動きに、私が取り残されていただけです。
ニーメラーは私自身だったわけです。
正すべきは、どうも私自身のようです。
気力が上向きだしました。
■園芸福祉からコミュニティ・レストランへ(2005年9月30日)
NPO支援センターちばの松浦さんから相談を受けていた人材育成プログラムの関係で、
松浦さん、四元さん、松清さんと話し合いを持ちました。
具体的なプロジェクト展開につながるようにしたいと思っていましたが、全体像がようやくつかめました。
テーマは農と食、つまり生活そのものです。
松浦さんたちは、すでに野田市を中心にして、循環型スローライフ・プラットフォーム・プロジェクトを展開しています。
その第1号は、遊休農地を活用した園芸福祉です。
そこで生産した野菜などを活用したレストランへの挑戦が、今度のプログラムの狙いのひとつです。
つまり、野田でのコミュニティ・レストランづくりに取り組む人材探しとその応援を、松浦さんたちはしたいのです。
こうした具体的なイメージが分かると協力できそうです。
8回の研修プログラムが終わったら、公開フォーラムを開催することにしました。
研修で終わるのでは参加者も楽しくないでしょう。
ハレの舞台を用意してやることが大切です。面白くなりそうです。
野田市が舞台なのが少し気になりますが。中途半端に、私の地元に近いからです。
■社会を見据える若者たちの感性はしっかりしています(2005年9月30日)
都立大学大学院で社会学を専攻している熊本容子さんと田中綾子さんがやってきました。
お2人は「つながり」をキーワードにして、これからの社会のあり方を考えています。
熊本さんが、その視点からネットリサーチをしていて、コムケアを見つけてくれたのです。
熊本さんのテーマは「NPOの連携」、田中さんのテーマは「組織の生き直し」です。
いつもであれば、「連携」「生き直し」という言葉に込めた意味合いを訊くところですが、
今回は「つながり」がキーワードだということもあって、そこはこだわらずに意見交換させてもらいました。
お2人ともしっかりと価値基準とビジョンを持っているのに感心しました。
「つながり」をキーワードにして、主体的に社会に関わっていこうとしている若者がいるだけでも、私には元気が出ます。
この3週間、誰かに何かを話すことのモチベーションが働かなかったのですが、
久しぶりに話したい気分になってしまいました。
お2人とも来春は就職です。
自治体と企業だそうです。
大学院でNPOや社会のあり方などをしっかりと学んだ若者が、自治体や企業に入っていくことは、社会のリフレームにつながっていくでしょう。
日本は、いまのどん底状況を抜け出せるかもしれません。
田中さんは、齋藤純一さんの「公共性」を読んでいました。
田中さんは雪印の企業の成り立ちに話をされました。
そして、2人からコミュニティ・レストランの話が出ました。
今週、私の周りで起こっていることが、驚くほどにつながっています。
今週は実に不思議な週です。
■議論になってしまったオープンサロン(2005年9月30日)
中村公平さんが最初の参加者です。
その中村さんが、生き方を変えたらすごく元気になったと言う話をしっかりとお聞きしました。
どう変えたかといえば、私流に言えば、素直に自分を生きるという生き方です。
まあ、中村さんはこれまでもそう見えましたが、仕事のために人と付き合うという面も会ったといいます。
しかし、今はともかく何かのためではなく、素直なつきあいをすることにしたそうです。
そうしたら、人がとても好きになったそうです。
もともと元気な中村さんですが、ますます元気がみなぎっていました。
柴崎明さんはその逆で、しばらく止めていた整体を再開するそうです。
身体状況がいい時は、お酒やコーヒーなどを飲まないでいいのだそうですが、
最近はまた飲みたくなったというのです。
ストイックな彼は、身体に素直に生きている面がありますが、
身体は脳とは別に生きていますから、その調和はけっこう難しいです。
武田文彦さんは死と隣り合わせた手術をしたにもかかわらず、元気です。
武田さんの論理は常に「生」なのです。
死は自分では認識できないから、死という概念は当事者の概念ではないという考えの持ち主です。
つまり、死は存在しないのです。
これは私もかなり共感できる発想です。
こう考えると、人は死ぬことはないのです。
続いてやってきたのが、藤原雅夫さん。
この名編集者は、私のアドバイスを聞かない点で全く気に食わないのですが、
だからこそ私が信頼できる数少ない編集者なのです。
今回もせっかくベストセラー間違いなしの出版企画を提案したのに聞いてもらえませんでした。
いやはや困ったものです。
そして小林貴博さん。
小林さんは最近地元の活動を広げています。
来月は埼玉県の各地で焼き芋プロジェクトが展開されるそうですが、それにも関わっています。
最後にやってきたのが、乾真人さんです。
いまはフリーランサーですが、また新しいプロジェクトを起こそうとしているようです。
まあ、今回はこんなメンバーだったのですが、話の真ん中は、「つながり」でした。
私が、この前の話の余韻をもちこんでしまい、
つながり壊しの歴史概説?などをしてしまったせいで、議論になってしまいました。
後で女房から、また興奮して話をしすぎていた、と注意されました。
なにしろ大恐慌と今の小泉自民党をつなげる話をしてしまったのです。
伝わるはずがありません。
民営化がいかに時代の流れに反しているかを理解してもらえないように、
つながりこわしが今の経済の根底にあるなどと言っても、なかなかわかってくれないのかもしれません。
中村さんから、佐藤さんの話にはお金のことが出てこないといわれましたが、
お金などはこの100年のあだ花でしかないと思っている私には、瑣末な話なのです。
私たちはお金がないと生きていけないと思いがちですが、
その呪縛から抜けないと人生は取り戻せません。
もちろんお金が不要などといっているわけではありません。
呪縛から解放されると、中村さんのように元気が戻ります。
乾さんは性善説だからと言ってくれましたが、本心から性悪な人などいないはずです。
性悪にならざるを得ない社会があり、
そこでの生きる力を高めるために義務教育で徹底的に性悪化が進められるのです。
またセーフネットも、かつての「個人のつながりによるセーフネット」から、
統治者による管理のための「金銭的なセーフネット」へと変質してしまっています。
つまり、「セーフ」の意味が変質してしまったのです。
とまあ、こんなことを議論してしまったわけです。
どうですか。関心はありませんか。
関心のある方は、ぜひ次回、ご参加ください。
元気が出てきました。
来週からブログを再開します。
たぶん、ですが。
(2005年10月第1週)
今回は改めて昨今広がっているプログラムや制度の限界を実感しました。
時代の大きな変質が進む中で、さまざまな制度のパラダイムシフトが求められています。
今週はコムケアの選考会の準備に少し追われすぎてしまいました。
にもかかわらず、選考会への参加申し込みが増えません。
みなさん、参加してくれませんか。
そんなわけで、CWSプライベートもウォーミングアップで終わりました。
■社会起業家を支援する仕組みには理念が必要です(2005年10月3日)
ソフト化経済センター理事長の町田洋次さんがやってきました。
町田さんとはもう四半世紀の付き合いです。
今はコムケア活動も応援してくれています。
彼のブログにも選考会の案内を載せてくれました。
ソフト化経済センターには、私も少し思いがあります。
そこでいくつかの研究会を主宰させてもらったこともあります。そこで知り合った人も、少なからずいます。
そのソフト化経済センターも、いよいよ閉じることになりました。
少しさびしい気もしますが、健全な動きというべきでしょう。
町田さんは、昨今流行の社会起業家ブームの火付け役の一人です。
しかし、おそらく今の動きには満足していないでしょう。どこかで違っているのです。
私はそう思っていますが、町田さんもそう思っているでしょう。
どこが違うのか、私と町田さんとは少しニュアンスが違いますが、
社会を変革する仕組みにしなければいけなという点では同じです。
今の動きは各論的で発展性を感じないのです。しかも理念に歴史観がありません。
現状の延長なのです。それでは世の中をおかしくしてきたビジネスリーダーと同じ道を歩みかねません。
それに加担する気には私はとてもなれません。
私と町田さんの違いは、大仰に言えば、資本主義に立脚するか、共同主義に立脚するかの違いです。
私は貨幣万能主義に辟易しているわけですが、町田さんはバンカー出身ですので、やはり通貨をベースに考えます。
そこが分かれ目です。
今回いろいろ話をしていて、もう一つに違いがわかりました。
スピード感です。
私はどんどんスローになってきていますが、町田さんはスピードこそがパワーだと考えています。
現在の状況を考えると、間違いなく町田さんが正しく、実際に町田さんは様々な実績を作ってきています。
それに比べ、私はどんどん脱落し、コムケアももう止めたいという退嬰的な気分に陥りがちです。
困ったものです。
社会起業家支援の仕組みづくりに、町田さんは動き出しそうです。
町田さんにそろそろ動いてもらわないと困ります。
もう我々にはそう時間がないのだから急がないとだめなのです。
動き出せば町田さんのことだからきっと早いでしょう。
新しい風がまた起こるかもしれません。
私が共感できるかどうかはまだわかりませんが、少なくとも今よりはずっとよい動きなるでしょう。
ともかく、昨今の中途半端な仕組みはそろそろ卒業する段階です。
町田さんは今、インターネットやブログにはまっています。
町田さんのブログは面白いです。お勧めのサイトです。
社会起業家やビジネスの最前線の話が凝縮されて、しかも町田さんによる付加価値をつけて書き込まれています。
みなさん、ぜひ愛読してください。
■中途半端な資金助成プログラムはそろそろ役割を終えたようです(2005年10月4日)
昨日の町田さんとの話に、今年のコムケアの資金助成プログラムへの応募はみんな「小粒」だったねという話が出ました。
たしかにあまりワクワクドキドキするプロジェクトはありませんでした。
それは前にも書きましたが、私だけの印象かと思っていたらそうではなかったようです。
町田さんによれば、他の資金助成プログラムでも同じような現象が起こっているそうです。
それだけ活動が広がったのだというのが、町田さんの解釈です。
そうでしょう。しかしそこには大きな危険性があります。
難しくいえば、これは二極化が進む中での権力支配の構図につながっていくのです。
そういえば、コムケアの選考委員のメンバーのコメントがコムケアセンターのホームページに掲載されました。
みんな、そろそろコムケアの資金助成プログラムは変化すべきだと言っています。
さてどうしましょうか。
ところで、今回、コムケアの最終選考会に残ったほとんどのプロジェクトが地方です。
その発表会への参加費用は事務局で持つのですが、なんと想定していた予算の倍以上がかかることがわかりました。
さてどうやって捻出するかです。
みなさんならどうしますか。
名案が見つからなかったので、対象団体に、予算がオーバーしたので、できるだけ安い交通費のルートを探してくださいとメールしました。
まあ、こんないい加減な事務局は他にはないでしょうね。相手も戸惑ったでしょう。
しかし、これがまたうれしい結果をもたらしました。
今日、北海道と沖縄の参加者からメールと電話がありました。
宿泊込みのパックで安いのが見つかったというのです。
それで決めていいかとの相談です。
まあこんなやり取りができるのはコムケアならでは、です。
しかし、そうした皆さんの協力を得ても、やはり30万円くらいは予算オーバーです。
さて次の手は何があるでしょう。
こうした難問を考えるのは実に楽しいです。
ちょっと負け惜しみっぽいですが。
■ヨーロッパのCSRは地に足ついているでしょうか(2005年10月4日)
ユニバーサルデザイン生活者ネットワークの大矢野さんが、オランダとベルギーに市民参加のCSR事情を調べに行ってきました。
今日のCSR研究会で、その報告がありました。面白かったです。
大矢野さんからの報告に限っての印象ですが、彼らの関心はどうも「公正な契約」です。
従業員との契約、取引企業との契約、そして途上国などとのフェアトレードです。
とても納得できる話です。
CSRなどというわけの分からない言葉ではなく、
こうしたコンテンツのある言葉を先行させた上でのCSR議論をしなければいけません。
アメリカとは違う印象を持ちました。
もっとも、公正とは何か、という問題があります。
フェアトレードの弊害もないわけではないのです。
大矢野さんは、この調査を通して、CSRなどというきれいな言葉ではなく、
中小企業などでの地道な社会との付き合い方や地域の信用組合のようなものへの関心を高めてきたようです。
それこそが重要な問題だと私は思います。
CSRは、企業のパラダイムシフトを視野に置くかどうかで、全く違ったものになるでしょう。
実は今日の研究会は、機械関連企業におけるCSRへの取り組みに関するアンケート調査の設計がメインの議題でした。
とても意欲的な質問表の提案があったのですが、どこかでものたりません。
■技術者倫理サロンは刺激的な話が続いています(2005年10月5日)
技術者倫理の問題を社会的な視点で考えながら、そうした問題への関心を広げていこうということではじめたのが、このサロンです。
各分野で活動している人たちの、いわば雑談会なのですが、来秋には公開フォーラムでも開催したいと思っています。
参加者はさまざまです。
今回は、「コミュニケーション」の問題を意識しながら、最近の活動焼きになったことを話し合いました。
特にテーマを決めていないままの話し合いですが、いろいろと面白い展開になりました。
それぞれが、様々な分野で社会活動をしていますから、どれをとっても面白いのです。
今、たぶん一番忙しいのは、アスベスト問題に関わる評価のお仕事をされている権上さんです。
権上さんのおかげで、アスベスト問題の見えない部分が少しずつ見えてきます。
いや、アスベスト問題を通して、国家や産業のあり方が見えてくるといってもいいでしょうか。
今回は「リスク・コミュニケーション」も少し話題になりました。
最近、やけにはやりだした言葉ですが、私自身はかなり不信感を持っている言葉です。
この言葉はリスクの存在をできるだけ知らせていくことで、問題の予防を図るためのものだとされていますが、どうもにわかには納得できません。
どこかに「無責任さ」と「悪意」を感ずるのです。
性善説の信奉者の私にとっては、論理矛盾なのですが、流行りだした言葉には疑いの目を持ってしまうのが、私の性善説の限界です。
器が小さいのです。
事業者の立場からのコミュニケーションの問題も議論されました。
たとえば今、私は山形市のごみ焼却場問題に極めて細々と、しかも間接的に関わっているのですが、
それを見ていて感ずるのは、行政のコミュニケーションの絶望的なまでの下手さ加減です。
もちろんこれは山形市に限りません、ほぼすべての自治体にはコミュニケーションの基本が基本的に欠落しています。
それは上からの統治に慣れてきたからです。
言い換えれば、事業者サイドのコミュニケーション、サプライサイド・コミュニケーションに埋没していたからです。
山形市の事例で言えば、行政が「コミュニケーション」しようと思えば思うほどに、コミュニケーションは成立しなくなります。
そのために電通や博報堂のビジネスチャンスが拡大するわけですが、彼らは実体としてのコミュニケーションなど鼻からやる気はありません。
ですから、ここでも産業のジレンマが発生するのです。
合意形成とコミュニケーションの問題も少しだけ話題になりました。
これは私にとってはとても関心を持っているテーマですが、
合意形成を目指すコミュニケーションにはいささかの胡散臭さを最近感じ出しているのです。
とまあ、今回はコミュニケーション論議を楽しませてもらいましたが、その過程で技術者倫理に関するヒントもかなりあったと思います。
このサロンはメンバーにものすごく恵まれています。
私が一番、現場から遠い存在でしょう。
毎回たくさんのことを教えられるとともに、みなさんの活動には敬服させられます。
コムケアでつかれたなど言ってはバチがあたりそうです。
■グループ90の仲間はみんな元気です(2005年10月5日)
グループ90という会が、1980年代にありました。
当時、異業種交流の会が盛んだったのですが、その一つです。
契機は何だったか覚えていませんが、「情報」がキーワードだったと思います。
その仲間の一人が、長年の徳島勤めを終えて戻ってきたので、久しぶりに会おうということになりました。
15年ぶりでしょうか。久しぶりの対面です。そうでない人もいますが。
この会の長老は酒井大蔵さんです。
長らく日本電気の情報参謀的な役割を果たしてきた人です。
いまや75歳。しかしその饒舌さは一向に衰えていません。今回もきっと半分くらいは酒井さんが話していました。
酒井さんとは20年前に3週間、南米をご一緒しました。
朝日新聞の懸賞論文に入選した褒美です。
もう一人国語の大学教授がご一緒でしたが、とても贅沢な旅でした。
酒井さんはその旅をよく覚えていましたが、
私はテオティワカンのピラミッドに登ったことやリマで深夜神々の泣き声を聴いたことといった、本来的な目的ではないことしか覚えていません。
パチャカモ遺跡も行きました。
当時はまだマチュピチュはそれほどポピュラーではなく、私はぜひクスコに行きたいと言ったのですが、
あまりに本道から外れるということで賛同を得られませんでした。その代償がパチャカマでした。
今回の主役はしかし、西村捷敏さんです。
徳島大学の教授でしたが、4月にお辞めになりました。今は名誉教授です。
西村さんはNECから自らが応募して徳島大学に転進した人です。
15年、徳島での教授生活をされていたのです。
私は一度だけ大学に遊びに行ったことがあります。昔は私もかなりフットワークが良かったのです。
西村さんの話をじっくり聞きたかったのですが、ゆっくり聴けなかったのが残念です。
これから「組織と個人の関係」をテーマにしていくとのことです。
できればそのテーマで小説を書こうという思いもあるようです。実に楽しみです。
どこかでまた接点があるかもしれません。
今回の場を楽しいものにしてくれた立役者はコラボレーション経営研究所の瀬谷重信さんです。
いま、コーチングを学んでいるそうですが、瀬谷さんならその実績と体験からむしろ教える側にいてもいいはずなのに、学ぶほうにいるのです。
まずはそのことに驚きましたが、その成果か、みんなをとても気持ちよくさせながら、しかも明るくきちんとメッセージを出しているのです。
感服の至りです。
瀬谷さんのコラボレーション経営論はますます磨きがかかっているようですが、まだ出版にはもう少しかかりそうです。
瀬谷さんの人生は見事といっていいでしょう。
経済的にはわかりませんが、生活の質という点では、とても豊かさを感じます。
なによりもいつも素直の生きているのが共感できます。
今回、場作りをしてくれたのはリンカーンクラブの武田文彦さんです。
武田さんと私は、今回はあまり存在感のない存在でした。
グループ90は、他にも何人かメンバーはいましたが、記憶力の乏しい私はどんな会で何をやっていたか余り記憶にありません。
どうやら命名者は私なのだそうです。
なぜかみんながそういいますが、その頃から会を作るのが好きだったのかもしれません。困ったものです。
さて、この会から何か生まれるでしょうか。難しそうですね。
■現在の企業人研修プログラムはパラダイムシフトが必要です(2005年10月6日)
日本経営道協会の市川覚峯さんと東レ経営研究所の渕野康一さんをお引き合わせしました。
そこから新しいものが創発されることを期待しての引き合わせです。
最初から波長があったようで、これからが楽しみです。
市川さんが取り組んでいるのは、スピリチュアリティです。
IGからEQへの動きが進んでいますが、市川さんはさらに一歩進んで、SQと言っています。
市川さんが早い時期から取り組んでいた「経営道」は、まさにSQにつながっています。
もっとも私は、Qという捉え方(相対比較して数値化する発想)に違和感がありますが、この視点は大切だと思います。
私の意図はこうです。
小さな最適化を目指す脱価値的な今の人材研修は、技を身につけさせても、人をだめにするおそれがあります。
人事コンサルタントは、極端にいえば、人が育っては仕事にはなりませんから、各論的な人材を育てるだけで、
本当のアントレプレナーは育てませんから、結局は企業のパワーを落としていきます。
その一方で、人間の成長を目指す心や魂に働きかける体験学習は、主体性に気づかせても、具体的な技とのつながりでは弱さがあります。
そのため、トップでない人の場合は、組織に混乱を持ち込むことにもなりかねません。
それらに統合的に取り組んでいる企業もないわけではありませんが、むしろそれらを個人レベルで統合していくことが必要だと思います。
それにはその2つの研修プログラムを相乗効果が上がるように組み合わせていくことが大切です。
1980年代にそうした動きが少し出たことがありますが、残念ながらそれは失敗しました。
その当事書いた小論を掲載します。お読みいただければうれしいです。
コーポレートデザイン
こうした研修の決め手は、導師であり、講師です。
研修はプログラム内容で効用が決まるわけではありません。一重に講師次第だと思います。
市川さんのプログラムは、余人をもっては代替できません。
導師としての彼が不可欠な要素です。
一方、渕野さんのプログラムもまた、彼ならではのものがあります。
そうした講師になる条件はなにか、と渕野さんが質問しました。
市川さんの回答を要約すれば、資質もあるでしょうが、要はその人がどのくらいの天のエネルギーを自らに引き寄せ蓄積しているかです。
平たく言えば、その人の生き様です。
今回は第一回目でしたが、これからはきっとこの2人でコラボレーションが始まるでしょう。
パラダイムシフトした新しい「人づくり支援」のプログラムが生まれることを期待しています。
■フリーターとアントレプレナーの差は何でしょうか(2005年10月7日)
サロンに参加した乾真人さんがやってきました。
サロンでフリーターになったといっていたのですが、その経緯を聞きました。
いまさら会社にも入れないので得意の筆でライター稼業をしているそうですが、
今度は高齢者向けの楽しい雑誌を創刊するプロジェクトを起こそうと思っているそうです。
フリーターからアントレプレナーへの転身です。それができる時代なのです。
フリーターやニートとアントレプレナーの差はなんでしょうか。
その共通点は、自らの生を権力に預けないということではないかと思います。
フリーターは、エンプロイー予備軍ももちろんいますが、どこかに依存型志向でない面があるためにフリーターになっている人も少なくありません。
両者は、その意味においては正反対ですが、形においては同じです。
こうした関係にある対照的なことが、同じ言葉で語られ、同じに扱われることが最近は少なくありません。
要するに言葉がどんどん単純になってきているのです。
管理の時代の典型的な特徴です。
「高齢者向けの楽しい雑誌」。
ぜひ実現してほしいです。面白いことがたくさんできるはずです。
類書がなぜ失敗したかは明らかです。
高齢者をお客様として捉えているからです。個人起点で考えれば、全く違ったものが見えてくるはずです。
■外発的組織化と内発的組織化の話(2005年10月7日)
ローカルジャンクション21の2人が来ました。
いよいよNPO法人化に動き出したようです。
私も理事になることにしました。
今までかなり深入りしてしまっているので仕方ありませんが、私の最近の原則を破ることなので、いささか気が重いです。
今日は、2人が考えているNPOの組織に関して議論しました。論点は組織原理です。
ローカルジャンクション21は、コラボレーションを支援するオープンプラットフォームを目指していますが、なかなかそうなりません。
なぜでしょうか。そういえば、子育ち学ネットワークも同じ悩みに直面しています。
もしかしたら、私たちは「組織化」という言葉を混同しているのかもしれません。
組織化には外発的組織化と内発的組織化があります。
近代社会における組織化は前者です。
組織者のある目的のために「組織化」を考えるのです。
そこでは参加者は対象としての要素になります。
ですから組織を維持していくためには、管理(事務局)と構造が必要になります。
しかし、そうした組織の限界が見えてきました。
そのため、私が東レの時代から取り組んでいるのが、内発的組織化です。
残念ながらまだ成功はしていませんが、これは一重に私の力量と意欲の問題でしょう。
私のビジョンの広がりに比べて、私の現実の世界が狭いからなのです。
内発的組織化は、自己組織化とつながっていますが、視座が違います。
自己組織化論も、メンバーを観察者的に捉えており、外発的働きかけの要素があるからです。
内発的組織化における組織者は、メンバー全員です。
状況的組織者といってもいいでしょう。
量子力学のイメージが重なるかもしれません。
そして組織は極めて状況的であり、構造は柔構造というよりも「漠構造」というほうがいいかもしれません。
私の組織論は、いうまでもなく後者です。
ですから、組織議論をしてもほとんどの場合、コミュニケーションが成り立ちません。
前提と目的が違うからです。
ローカルジャンクション21の2人は現場で汗をかいていますし、社会のイノベーションを目指しています。
そのビジョンは私とかなり重なっています。
しかし発想の起点においては、まだ共有はされていないような気がします。
つまり私と違って、まだ離脱していないのと、現実にコミットしているからです。
そんなことはお構いなしに、今日は少し組織論を話し合ってしまいました。
もちろんここで書いたようなややこしい話はしませんでしたが。
彼らは私と話すことできっと疲れるでしょう。
しかし異質さとの対話に価値を見出しているのでしょう。
わたしもそこにローカルジャンクション21の未来を感じています。
正式に理事になることにしました。
NPO法人からはできるだけ離脱しようと思っているのですが、3年間は付き合いましょうか。
■感受性が高まっているような気がします(2005年10月8日)
この3週間、元気をなくしていたために、かなり本を読みました。
そして、いい本に出合えました。いや私の感受性が高まっているのかもしれません。
またこれまではあまり自宅で本を読む習慣がなかったのですが、
国会中継もニュースも見なくなったおかげで先週から自宅でも本を読み出しました。
今日は「社会の喪失」(中公新書)を読みました。
軽い新書なので2時間もあれば読めるだろうと思っていたのですが、とんでもありません。
すごい本でなかなか読み進めないのです。
内容の多くは、思想史家と政治理論家の対談です。
しかもそこに時代を反映する記録映画に関する思想史家のモノローグがついています。
そのモノローグもすべて感動的です。
この3週間、読んできたことが極めて具体的に語られているのです。
誤解のないようにいえば、この本は決して「具体的」な本ではないのですが。
ワクワクしながら読んでいます。今日は半分しか読めませんでした。
これから出かけてしまいますので。
著者は法政大学の市村弘正さんと杉田敦さんです。これまで知らなかった人です。
早速、2人の本を書店に申し込みました。
この本を読んでいて、
今の社会のひどさは何も今に始まったものではないことに気づきました。
私の感受性では見えなかっただけの話です。
そして今もなお、見えない人がいる。
要するにいまの日本人はちょっと前の私だったわけです。
選挙結果で社会に失望している自分を恥じなければいけません。
いつも問題は自分にある、それが私の姿勢だったはずなのに、恥ずかしい限りです。
昨日、水俣の知人が、
「私もがっかりでしたが、絶望しては向こうの思う壺だと自らに言い聞かせております」
とメールをくれました。その通りです。
社会には二つの側面があるといわれます。
私流に表現すると「大人の社会」、つまり合意形成を大事にする全体化志向の社会と、
「生命の社会」、つまり異質性を楽しむ複数性志向の社会です。
そのいずれかに「社会」の価値を見るかで、生き方も考えも変わります。
さらにいえば、たとえば、このそれぞれの社会に応じたノーマライゼーションの発想があるように(そしてその内容は全く正反対のものになります)、
この違いは「異質」というよりも「異次元」なのです。
そこを巧みに操るのが権力の常套手段ですが、そこに愚かにも埋没するのが小市民の常なのです。
愚かさを反省しなければいけません。
ブログを再開しました。
ゆっくりと。
(2005年10月第2週)
ともかく体調の悪い週でした。
前半は好調だったのですが。
何とか乗り切れました。
■市民自治と住民自治(2005年10月9日)
私は「市民」よりも「住民」に信頼を置くタイプです。
以前、行政コミュニケーション研究会という集まりで、そういう姿勢で話していたら、
「住民から市民への発想の転換が大切」とアドバイスしてもらったことがあるのですが、私の思いは伝わりませんでした。
「市民」概念は武蔵野市の市民活動から広がりました。
私は当時、武蔵野市に住んでおり、その発想に惹かれました。
しかし、どこかに違和感がありました。
私が「市民」の欺瞞性を感じたのは、会社を辞めて、いくつかの自治体や住民活動に関わってからです。
そこでは「市民代表」という「有識者」が「エゴを主張する住民」を管理しようとする構図があり、
実は住民生活と市民意識にはギャップがあるような気がしたのです。
以来、一人ひとりの住民の表情のある視点を大切にすることにしました。
地元の我孫子市でいま、サポートセンター移転に伴う運営体制の見直しが進められています。
これに関しては、以前、少しだけ書きましたが、私たちの働きかけにもかかわらず既定の路線で進んでいるようです。
その中でも最も「奇怪な仕組み」である、利用者協議会設立準備会が今週開催されることになったそうです。
これはもちろん市民活動ですので、行政は直接は関わっていません。
これまで検討に関わってきた「市民組織」や「有識者」が集まるようです。
こういう形で、住民活動は市民活動に絡めとられていき、注意しないと私物化されてしまいます。
先週、ローカルジャンクション21との話し合いの中でも、「組織」をメンバーにする「組織」の胡散臭さについて話したのですが、
そうした「中間組織」は、現場から遊離した管理組織になりやすいのです。
私が取り組んでいるコムケアセンターも、実はそうした組織に見られがちですが、私の意識は個人による組織なのです。
そう思っていない人が少なくないのですが。
組織が構成する組織は、個人が構成する組織と同じように考えていいのでしょうか。私にはよく分からない問題です。
しかも、今回は施設の「利用者協議会」を関わってきた一部の人たちでつくろうというわけです。
行政が建設する施設を一部の利用者で利権化しようというように見えないこともありません。
もちろん関係者は善意です。住民のために汗と金を出してがんばってくれているわけです。
これが「市民」です。私には信頼できない人たちです。ある意味では敬意を払ってはいるのですが。
なにやら難しいことを書いてしまいましたが、
地元我孫子市の市会議員の内田さんが、私のホームページを読んで「オープンブック・マネジメント」を購入してくれました。
それをお渡しするので、少しお話をさせてもらったのですが、そこでサポートセンターのその後の経緯をお聞きしたわけです。
我孫子市の市民として、反省しなければいけません。
これからは「市民自治」ではなく「住民自治」の時代です。
もっとプロセスを大切にしなければいけません。
コムケアの選考会が終わったら、少し考えます。
■引き受ける生き方(2005年10月9日)
16日のコムケアの公開選考会は自発的に集まってくれた運営委員の皆さんが企画運営に当たっています。
これは「参加型」ではなく「共創型」なのです。
理解されているかどうかはいささかの心配はありますが、
所詮、人間は理解しあえない存在ですし、同時に理解する必要もなく通底している存在ですから、気にしなくていいのです。
今回の選考会では新基軸として参加費相当分を各人が共感した活動に寄付するという仕組みを実現することにしました。
その仕組みを考え、実際に準備し、当日展開するリーダーが松清智洋さんです。
発表会終了後、交流会がありますが、これを企画運営するリーダーが下山浩一さんです。
2人とも仕事もあれば、ご自分のかかわるNPOでも目一杯忙しい人です。
たまたま私も含めて常磐線沿線族ですので、柏で会いました。松清さんが探してくれたカフェラインです。
用件はすぐ終わりました。任せてもらっていいというのです。頼りがいがあります。
それで、その後は雑談をしてしまいました。お2人の都合も考えずに、ちょっと長すぎた雑談でした。
そのお店の雰囲気も良かったからですが。
さてこうしたコムケアフェロー(コムケア仲間と呼んでいましたが、何かピント来ないので、町田さんの提案でフェローと呼ぶことにしました)がたくさんいるのです。
うれしいことです。
ところで、この2人はなかでもちょっと異色です。
それぞれが何者であるか、私はあまり知らないのですが、いずれもアーティストで行動者です。
そして何よりも「引き受ける生き方」をしているのです。言葉だけではありません。
下山さんは若者たちの未来をとても心配しています。
高校の先生もやっているのです。いやそれが一般的な意味では本職なのです。
昨日はこんな話を聞きました。
不登校とかいろいろいわれるが、学校が唯一の安息の場所という子どもたちもいるという話です。
家庭がすさみ、地域社会は壊れ、友人コミュニティは荒れ果て、そうした中で物理的空間を安息所にしている子供たちのことをマスコミは決して伝えません。
しかし、そのイメージはよくわかります。
病院が唯一の安息所、会社が唯一の安息所、仕事場が唯一の安息所、という生活は決して少なくないのです。
こうした仕組みはどこかで破綻します。
松清さんは建築家でありながら、今は福祉施設ではたらいています。
そればかりかさまざまな地域活動に取り組んでいます。それも半端ではありません。稀有な人です。
いま、柏市の環境ステーションを舞台にした環境活動にも取り組みだしています。
彼の社会ビジョンをいつかしっかりと聞きたいと思っています。
この2人はとても不思議な人です。
どこが不思議かといえば、その生活ぶりです。
大人の社会ではなく、生命の社会に生きている人かもしれません。
そのくせ、しっかりと「引き受ける生活」をしているのです。
模範にしなければいけません。
■リゾーミック・ネットワーク組織(2005年10月10日)
コムケア仲間のイーパーツの会田和弘さんからメールが来ました。
「NPO同士の柔らかいネットワークの重要性をことある毎に思います。
コムケアのMLはそれが実現されているように感じました」
うれしいメールです。
コムケアのメーリングリストはともかく(とてもいい育ち方をしていると思います)、「柔らかいネットワーク」は私の目指す組織なのです。
これまでいくつかの組織を作りましたが、その基本は「やわらかな組織」です。
気に入ってくれる人もいますが、組織活動を続けていると、しっかりした組織にしたいと思い出す人が出てきます。
そして形式的な組織化が進められ、体制が整えられます。
そこで私ははじき出されるか、違和感をもって退出するかになるわけです。
しかし、そのほうが組織としては発展と考えることもできます。
要するに私はそうした組織には向いていない人間なのかもしれません。
「やわらかい組織」。境界のない組織。
私が「リゾーミック・ネットワーク」と呼んでいる組織です。
リゾームとネットワークは違う概念ですが、あえてつなげています。
個人はみんな自分を起点にしたリゾーミック・ネットワークを持っています。
人と人がつながると、そうしたリゾーミック・ネットワークが、さらにリゾーミックにつながります。
こうやってどんどんひろがっていくと人から見た組織構造が現出してきます。
これが「個人起点の組織原理」なのです。イメージしてもらえるでしょうか。
問題は、こうした組織は境界が固定できないのです。
どの個人から見るかで組織の形もスタイルも変わるのです。
これを組織と言っていいでしょうか。
どなたか議論の相手をしてくれる人はいないでしょうか。
■しびれとめまい(2005年10月11日)
朝起きたら、真っ直ぐ歩けないのです。
蟹になった気分です。
そして嘔吐感。
そういえば、昨日もパソコンのしすぎか、頭痛がひどいので早目に寝たのです。
ところが、私のベッドの横に小さなテレビがあります。
それを見たのが悪かったのです。
最近、見ていなかったニュースステーション。岡山市長選挙の報道です。
CWSプライベートに書きましたが、腹が立ちました。
夢を見ました。
嫌な夢でした。
そして朝起きたら、めまいなのです。
さて因果関係はあるでしょうか。
午前中の約束を2つキャンセルさせてもらい、半日、安静にしていました。
午後は何とか落ち着いたので、コムケアセンターに行きました。
選考会の司会者との打ち合わせと橋本さんとの最後の詰めです。
参加者は相変わらず増えません。
参加費(といっても発表団体への寄付なのですが)を徴収することが制約になっているのでしょうか。
不安が残ります。
■不思議な感覚(2005年10月12日)
体調が相変わらずなので、1日、休養です。
病院に行く予定だったのですが、気が進みません。
コムケアの選考委員会が終わってから行くことにしました。
こういう形で、手遅れになってしまうことも多いのでしょうね。
しかし、人生とはそういうものでしょう。
身体の健康を保持することが目的になってしまったら、人生はあまり楽しくはないでしょう。
目的と手段を間違えてはいけません。
まだ頭の後ろが回転している気分があるので、ジェリー・ゴールドスミスの古い映画音楽を聴きながら空を見ています。
幸いに私の部屋から空が見えるので、机に向かってこれを書き出しました。
空がとてもきれいです。
私は17年前に会社を辞めてから、空をよく見るようになりました。
空を見ていると人生観は変わります。きっと。
今日の空は雲が適度に流れていて、心を和ませます。
見ていると、その雲の動きに自分が同期して、溶けこんでしまいそうです。
不思議な気持ちです。
このままずっと眠り続けたい気分です。
私が見ているのに反応してくれたのか、空の明るさが急に変わりだしました。
あたたかさが増したのです。
きっと体調はまもなく治るでしょう。
雲の動きを見ていると、人間界の動きなど本当に瑣末で退屈です。
自然の大きな優しさを感じます。
■人はなぜ働くのか(2005年10月13日)
箱根の強羅で、KAEの経営道フォーラムの合宿です。
今回の私のチームのテーマは、「企業と社員と社会をつなぐ企業理念」です。
とても真剣に議論しています。
とてもいい議論になってきたことをとてもうれしく思います。
新しい企業理念論、と言ってもいいかもしれません。
つまり社員一人ひとりの思いから生まれてくる企業理念こそ、会社と社会をつなぎ、みんなのwin-winを生み出す、と言うメッセージです。
「三方良し」の企業理念です。
大企業の経営幹部の皆さんが、こんな青臭い議論をしていることはもっと多くの人にも知ってほしいものですが、
本当はこうした議論こそ、社長たちがやるべきでしょう。
いつもそう思います。
私は議論を方向付けることは一切しません。
時にアンチテーゼや疑問は呈しますが、参加者の素朴な思いに呼びかけるだけです。
今回は不思議なことに「個人起点の組織原理」のようなところに、話が進んでいます。
もちろんこうした言葉は出てきていませんが、経営学者たちが主張するアメリカ流経営学の本質はみんな気づき始めたようです。
企業の変局点は間近いかもしれません。
人はなぜ働くか。
決してお金のためではありません。働くことが楽しいからです。
そうした状況を広げていければと思います。また批判されそうですが。
この研究活動の成果発表は11月16日です。
ご関心のある方はご連絡ください。
ご案内します。
(2005年10月第3週)
コムケア活動のおかげで、またたくさんの素晴らしい出会いに恵まれました。
が、しかし、風邪でダウンしてしまいました。
そのおかげで、脳外科病院の検診は行かずにすみました。
何が幸いするか分かりません。
その逆もまた真なりですが。
■コムケア資金助成公開選考会(2005年10月16日)
第5回コムケア資金助成プログラムの公開選考会です。
あまりにもたくさんなことがあって、何を書くか迷います。
ともかく元気なとてもいい会になりました。
130人くらいの方が参加してくださり、会場に椅子が置けないほどでした。
参加しないとたぶん実感は伝わらないでしょうが、実にさまざまな活動が各地で行われているのです。
今回は北海道から沖縄までかなり広範囲のグループから発表が行われました。
詳しい様子はコムケアのホームページのほうに報告していきますが、ここではちょっと違った視点で報告します。
9時、会場にボランティアスタッフが集まりました。
今回は本当にたくさんの人が手を上げてくれ、お断りするほどでしたが、それでも20人くらいが来て下さいました。
本当は半分くらいが効果的に動けるのですが、そうした参加の場をつくり、一緒に非効率に準備することの大切さを私は最近確信しています。
今回の総合プロデューサーはコムケアセンターの橋本典之さんです。
彼が前日までがんばってくれたの、とてもスムーズに進行できました。
10時に発表者が集まりだしました。
みんな不安気です。それはそうでしょう、3分間で発表して入選しなければいけないのですから。
リハーサルをしたこともありましたが、最近は時間の関係でリハーサルなしです。
1時間半くらいかけて、気分をほぐし、自己紹介しあってもらいました。
みんなじっくりと活動に取り組んでいる人たちですが、コムケアはできるだけ現場活動を重視していますから、
こうした発表の場も体験したことがない人が多いのです。
ある人から、コムケアはまだ基盤が確立しておらず、
本当に大丈夫かと思われるようなグループやあまり助成の対象になりそうもないプロジェクトを応援するのですね、と言われました。
コムケアの理念を理解してもらい、とてもうれしかったです。
選考会は12時半からです。
まず私の話からです。いつも長いので短くしろと言われていたので、15分の用意をしていましたが、
話し出したら長くなってしまい、後半をはしょったにもかかわらず20分以上話してしまいました。困ったものです。
参加してくれた法政大学教授の大村和夫さんがいくつかのキーワードがよかったと言ってくれたので、話した内容とパワーポイントをコムケアに掲載します。
よかったら見てください。
1時からいよいよ20団体の発表です。
実に様々な活動が展開されています。
NPO関係者でもきっとその多様さに感激するでしょう。私は毎回、感激しています。
そして参加者による投票です。
今年から参加費をもらうようにしましたが、その参加費はすべて本人の意思で発表団体もしくはコムケアセンターに寄付できる仕組みにしました。
これも新機軸ですが、これを企画し準備し、当日運営してくれたのが、ボランタリースタッフの松清さんを中心にした運営委員です。
これはすばらしい仕組みだと思います。今回は83人の人が寄付に参加してくれました。
寄付の対象に事務局であるコムケアセンターも名乗りを上げました。
寄付をする側ではなく、もらう側です。これもコムケアならではなの破天荒です。
そしてなんと一番寄付が多かったのがコムケアなのです。
橋本さんからまずいですよ、と言われましたが、
コムケアセンターが目指しているのは、支援する側、される側の関係ではなく、同じ仲間としてのつながりなのです。
15票、ゲットしました。1票差でトップです。
選考会終了後は交流会です。
住友生命社会福祉事業団の山上常務理事がとてもいいスピーチをしてくれました。
この活動は住友生命の全面的な支援のもとで展開されているのです。
こんなに自由にさせていただいているプログラムは他にはないでしょう。
交流会ではたくさんの人に会いました。
実にうれしい出会いもありましたが、なにしろ時間の限界があり、お話できなかった人がたくさんいたのが残念です。
選考委員の町田洋次さんも来てくれました。
町田さんからはコムケアはさまざまなアドボカシー活動を支援しているのがわかった、とメールしてきました。
これも実にうれしいコメントです。
少しずつですが、私の姿勢を理解してくれる人が増えてきているのです。
残念だったのは、大企業の人の参加がとても少なかったことです。
もし参加していただければ、たくさんの刺激と事業展開のヒントが得られたでしょうに。
もっとも感受性が衰えているとだめですが。
今回の選考会からまた新しい物語がいくつか始まります。
楽しみです。
とても幸せな1日でした。
■コムケアメーリングリストのオフ会(2005年10月16日)
コムケアの選考会の後、コムケアのメーリングリストのオフ会を開催しました。
提案者の浅野良雄さんがイニシアティブを取ってくださり、17人の人が集まりました。
コムケアでは言い出した人がいつも担当してくださるのです。
浅野さんは桐生市からの参加ですが、自発的に引き受けてくれました。
こうしたすばらしい関係がコムケアにはあるのです。
選考会の集客も、実は自発的にみんなが協力してくれたおかげで130人も集まったのです。
なかには「困ったら言ってくれたら協力する」と言ってきてくれた人もいますが、これはコムケア的ではないので、お断りしました。
言われなくとも自然に身体が動く関係をコムケアは目指しています。
そういう人がたくさん集まってきてくれています。
コムケア活動のど真ん中にいるおかげで、人のすばらしさをいつも実感しています。
それで私は止められないのですが。
ところでオフ会ですが、近くのタイ料理屋さんに集まりました。
若者が多かったですが、発表団体のアイモの菅原さんが車椅子の川嶋さんと一緒に参加してくださり、また手がたりの会の田辺さんと星野さんも参加してくれました。
星野さんは目と耳に障害があります。
子育ち学の星野さん、地域放送局の3人組、コムケアの応援団の松清さん、鎌田さん、大川さん、矢辺さん、スタッフの宮部さん、橋本さん。
途中から全国マイケアプランの島村さんが他のイベント中なのに来てくれました。
私は風邪のせいで、端っこでダウンしていました。
何しろ今日は、栄養剤のゼナを2本も飲んでがんばったのですが、終了後、ドッと疲れが出ました。
しかし皆さんと話していると元気が出ます。
今度本格的なコムケアメーリングリストのオフ会をやりたいなと思いました。
浅野さんにはとても感謝です。
コムケアは本当に大勢の方に支えられています。
■いろいろな問題(2005年10月19日)
コムケアの選考会の準備のために、いろいろなことを先延ばししていました。
その対応でばたばたした3日間でした。
月曜日は風邪でダウンしたため、自宅でのパソコン対応でしたが。
来週から毎週、講演やフォーラムの司会などの仕事が入っていますが、コムケアを口実に打ち合わせも延ばしていました。
関係者の方にはご迷惑をおかけしています。もう少しお待ちください。
不安なのは、ばたばたしているうちに、その一つが誰から何を頼まれたのかわからなくなってしまったことです。
まあ一番遠い先なのですが、11月17日、浜松町の国際貿易センターで何かを頼まれたと手帳に書いてあるのですが、それが何かわからないのです。
困ったものです。どなたか心当たりはないでしょうか。
不安です。はい。
この2週間、NPO一色の世界でしたが、今週は行政や企業の関係の話に頭を切り替えなければいけません。
幸いに私の頭はあまり論理的にできていないので、そう大変ではないのですが、風邪で頭がボーっとしていることもあって、それなりに疲れます。
そうしたさまざまなテーマとかなり凝縮された話し合いをしているといつもとても不思議な感覚になります。
それぞれがどうも無関係に動いているのです。
なぜお互いにもっと関心を持ち合わないのか、私にはなかなか理解できません。
私にはごみ焼却場を建設するのも、新しい収益事業を立ち上げるのも、福祉活動に取り組むのも、
みんなつながっているように感ずるのですが、どうもそう思っている人は多くないようです。
そこをどうつなげればいいか。
最近は話しても理解されないのがわかってきただけに、そうした様々な世界に違和感なく関わっている自分に不思議さを感じます。
やはりどこかに欠陥があるのでしょうか。
■読売新聞社の安田武晴さんと出会えました(2005年10月20日)
コムケアの選考会の案内を厚生労働省の記者クラブに投函しました。
反応はないと思っていましたが、読売新聞社の安田さんと言う記者からメールがありました。
電話でお話したら、選考会にも投票に参加してくださるというのです。
こういう姿勢の記者の方には初めて出会いました。
その安田さんが、改めて取材に来てくださいました。そしてゆっくりと話をさせてもらいました。
とてもうれしかったのは、コムケアの報告書やホームページをとてもよく読んで下さっていることでした。
こんなうれしいことはありません。
いろいろと意見交換させてもらいました。これからコムケア活動を応援してもらえそうです。
安田さんからとてもいい話をお聞きしました。
安田さんはまだ独身ですので、子育てには縁遠い存在です。
しかし、子育て関係の取材をして変わったことがあるそうです。
それは、例えば電車の中で親子ずれが乗ってくると、今まではむしろうるさいなと思っていたのだそうですが、
その大変さを理解し、そうした親子に温かい眼差しを送れるようになれたというのです。
そして、みんながそういう小さな思いやりを持つだけで、社会は変わっていくと気づいたと言います。
まさにこれがコムケアで考えている大きな福祉なのです。
この話を聞いて、私は安田さんと心がつながりました。
コムケアにとっては力強い応援団になってくれるでしょう。
うれしいことです。
■子育ち学ネットワークがいよいよ本格スタートです(2005年10月20日)
子育ち学ネットワーク代表の深作拓郎さんがやってきました。
このNPOはいろいろと進め方をみんなで検討してきたのですが、ようやく路線が明確になりました。
その新生子育ち学ネットワークのお披露目を兼ねた公開フォーラムを12月18日に開催します。
案内をお知らせに掲載しましたので、ぜひ読んでください。
また深作さんたちが出版した「子育ち支援の創造」もブックのコーナーに紹介しました。
子育てに関心のあるみなさんにはお薦めの1冊です。
先日、徳島大学を退官された西村さんからお話を聞きましたが、制度変更の中で今大学は大変な状況のようです。
民営化発想の弊害が見事に出ているような気がします。
そこでは学生や社会の視点は希薄です。
深作さんもそうした状況の渦中にいるようですが、それにもめげずに子育ち学ネットワークの立ち上げにがんばっています。
私も何か役立たないといけないのですが、最近は何をやろうとしても「虚しさ」が頭から離れずに気力がなかなかでないのです。
深作さんのドメインは、子育ち、社会教育、アウトリーチ活動などですが、それらをテーマに、実践と研究をバランスよく両立されて活動しています。
少し思いいれの強さが強すぎるところもあり、誤解される傾向もあるのですが、真面目な青年です。
私の周りには、実に様々なタイプの人がいるのですが、ちょっと異色の存在です。
子育ち学ネットワークで来年、「子育ちと子育て」をテーマにフォーラムをやってほしいと思っていますが、
深作さんや星野さんは合宿まで考えているようです。
そういえば、最近は合宿が少なくなりました。それも面白いかもしれませんね。
(2005年10月第4週)
シンクロ二シティをたくさん体験しました。
■企業文化とMOT(2005年10月25日)
私のホームページの論文に目を留めてくださった方がいます。
論文は「企業を変えるのは簡単です。変えるつもりがあればですが」です。
日本CI会議体の仲間と一緒に出版した「21世紀CI展望」に書いた小論です。
題はちょっと軽いですが、内容は真面目です。
この論文をご自分のブログで取り上げてくれたのが、カレイザネットの渡辺日出男さんです。
ブログでMOTと企業文化について書き続けています。その渡辺さんのお目に留まったのです。
早速お会いすることになりました。
予想では30代の若者を想定しました。きっと手ひどく批判されるだろうと思っていました。
しかも渡辺さんはデュポンにいた人を同行するといいます。これは手強そうです。
久しぶりに企業文化論争です。
実はこれも不思議なのですが、先日、東レ経営研究所の渕野さんから急に頼まれて「企業文化論」を書いたところなのです。
この小論も渕野さんには厳しくコメントされましたが。
その小論もついでですから、このホームページに載せることにします。
渕野さんのコメントによって修正する前の原版です。掲載されたものよりも私好みのものです。
それはともかく見知らぬ人との論争の話に戻ります。
なんと渡辺さんは私と同世代でした。
同行した廣岡述穂さんは最近までデュポンで役員をされていたそうです。
渡辺さんはエンジニアです。開発のお仕事をされてきて、MOTと企業文化のテーマにはまったようです。
私が在籍していた東レは、モデルがデュポンでした。
私も東レとデュポンの合弁会社に出向していたことがあります。
そこでデュポンの人事制度についてまとめたことがありますが、
そのおかげで、経営学者が盛んに言っていた日本的経営論のいい加減さを知り、以来、日本の経営学者を信頼しなくなったのです。
もちろん例外はいますが。
そんなこんなで、お会いした途端に、東レ時代を思い出してしまい、久しぶりに当時の話をしてしまいました。
論争どころではなく、すっかり意気投合してしまったわけです。
それにMOTに対する考え方もかなり共通しています。
いまの管理型のMOTは害こそあれ役にはたたないでしょう。
マネジメントを管理と勘違いしてしまっているような気がします。
渡辺さんと廣岡さんが考えている構想をお聞きしました。カレイザネット構想です。
これに関しては、ぜひサイトをご覧ください。
サイトには設立主旨として、こう書かれています。
カレイザネットは大企業・中小企業に勤める企業人、
企業や公的研究所の研究者・技術者、新規事業を模索する中小企業経営者、 或いは学生、
こういった人達のビジネスにおける創造性を刺激するインターネット・サイトを目指しています。
ちなみに、カレイザとは卵黄の両側に付いている白いひも状のものだそうです。
それが殻につながっていてバネの役目をはたしているので、卵黄が常に卵の真ん中に保持されるようになっているのだそうです。
私はこの話を聞いて、この構想にほれ込んでしまいました。
ですから構想そのものの内容はあまり理解していません。困ったものです。
2時間、いろいろと話しました。
おかげで風邪でぐちゅぐちゅしていた気分が元気になりました。
渡辺さんたちは個人の創造性と組織風土の見直しを刺激するコモンズ型のサイトを育てていこうとしているようです。
どこかで接点が生まれるかもしれません。
予想もしていなかったことになりました。どうなりますやら。
■城山の里まつり(2005年10月26日)
うれしい手紙が届きました。谷和原村の横田明さんからの手紙です。
11月20日に、城山で里まつりをすることになったそうです。
そのお誘いの手紙です。
谷和原村は昨年と一昨年、数回お伺いしました。
国土交通省の地域振興アドバイザーを頼まれたのです。
谷和原村には素晴らしい谷津田がありますが、つくばエキスプレスの開通で先行きが心配です。
そこで村役場が中心になって住民に呼びかけて、その活用を議論してもらったのです。
ところが逆にそこにいろいろなものを建設しようと言う方向の計画ができてしまいました。
東京の商業主義のプランナーの仕業でしょうか。
しかし、幸いなことに財政難で資金がなくなり、頓挫しました。
行政としては一度つくった計画は無視できません。
そこで私のところにアドバイスの要請が来たのです。
答えは明確です。
住民がみんなで考えたら、知恵が出るというわけです。
それで5回ほど通いました。その経緯は何回か書きました。
私の呼びかけで住民活動のイニシアティブをとろうと男気を出してくれたのが横田明さんです。
手紙をくれたのは、その横田さんです。
活動は少しずつ前進しているようです。
そこでさつまいも掘りや蕎麦打ちを中心にみんあで「城山の里まつり」をやろうと言うことになったのです。
しかし初めての住民企画です。横田さんはこう書いています。
内輪でやるつもりでしたが、不特定多数になってしまい、どのくらいの人たちが着てくれるか予測がつきません。
先生(私は一応先生なのです)が忙しいのは十分わかっていますが、時間を作ってぜひ来て見てください。
初めての試みで不安はありますが、仲間たちは元気な人ばかりですので何とかなると信じています。
こういう手紙はうれしいです。
なぜか行政からはその後、連絡はないのですが、多くの場合、そこで出会った住民は継続して接点を育ててくれるのです。
里まつりといってもさつまいも掘りです。
しかし、主催は「城山を考える会まつり実行委員会」とあります。
これは行かないわけにはいきません。
さて時間の都合はつくでしょうか。
手帳を見たら、イベントが2つ入っていました。
幸いにいずれにも出席の返事を出していません。
先ずはこの会を優先することにしました。
さつまいも掘りならば我が家の畑で来週あたりする予定なのですが。
実はこうした動きが各地で広がっています。
そして動き出すと必ずといっていいほど、活動は他の分野にまで広がっていきます。
社会の構造や動きの軸が変わりだした、と私は思っています。
■西の湖美術館構想(2005年10月27日)
城山の里まつりは素朴ですが、もっと発展した活動もあります。
琵琶湖最大の内湖である西の湖を中心に活動している丹波道明さんからメールが届きました。
「西の瑚美術館構想」。
ビジョンもアクションプログラムもある、まさに共創型プロジェクトです。
私がきっと関心を持つだろうと送ってきてくれたのです。
まさに関心を持ってしまいました。
丹波さんのことは何回か書きましたが、東近江水環境自治協議会事務局長です。
少し古いですが、インタビュー記事に丹波さんの人柄と考えが出ています。
構想を読ませてもらって感激しました。
とても共感できる、モデルにしたい構想です。
まずは、最初の呼びかけ文をお読みください。
西の湖は、消えて行った琵琶湖の内湖の中にあって奇跡的に残された宝物です。
かってこの湖(うみ)が美しい水に満ち溢れ、多くの生き物を育てていたことを知る者にとって、
この湖が高度成長時のように特定の利害関係者の目先の利益のみで、そのありようが決められることは許されないと考えています。
この宝物は公のものであり、子孫からの預かりものだからです。
こういう思いから丹波さんたちは、昨年、西の湖保全自治連絡協議会を設立し、西の湖美術館づくりに取り組みだしたのです。
なぜ美術館か。提案書にはこう書かれています。
西の湖の湖畔、あるいは西の湖に流れ込む川岸を散歩しているとしましょう、
散歩に疲れてふとたちどまった時に見る風景が絵の様に美しい、
ちょうど美術館を訪れて、つぎつぎに部屋から部屋へ絵をみて歩くのと同じように、
西の湖周辺の場所場所に楽しめる美しい風景を作って行こうと言う提案です。
美術館の建物を作ろうということではありません。
(中略)
美しい風景をつくりあげ、それを聖域として大切に守って行こうという呼びかけなのです。
こうも書かれています。
風景はその時代の暮らしを映し出している鏡なのです。
町並みの乱れはコミュニテイの乱れ、風景(景観)の荒れようや乱れようを見て自分達の生活を省みてみる。
持続可能な社会へのアプローチは風景(景観)の保全から入るのが案外早道かもしれないと考えるようになったからです。
どうですか。説得力がありますね。
もちろん同じようなことを言っている人は少なくないかもしれません。
しかし、丹波さんたちの素晴らしさは、それがしっかりしたプログラムになっていることです。
しかも見事に「共創」型なのです。
きっとまもなく見えるようになって来るでしょう。そうしたらまた報告させてもらいます。
住民主役のまちづくり(まち育ち)はここまで来ているのです。
■サイクルリングの北岡元子さんの悩み(2005年10月28日)
サイクルリングの北岡さんと意見交換をさせてもらいました。
北岡さんは自分の会社を拠点に様々な活動をしていましたが、今年の3年間、どうもNPO活動にはまってしまっていたようです。
テーマは福祉と教育。その切り口からは問題が山積みであり、事業型NPOの立ち上げを取り組んだのです。
しかし、事業型NPOはそう簡単ではありません。思った以上に苦労されているようです。
私もそうですが、ひとりで活動していると時に元気がなくなることがあります。
その時、誰か気楽に話せる人がいるかどうかが大切です。
仲間と一緒にコラボレーションしようと思っても、温度差がありますから、
結構難しく、結局は言い出した自分が重荷を背負うことになることが多いのです。
最悪の場合は、それで友人の信頼関係を失うこともありますし、自分の仕事を犠牲にしなければならなくなることもあります。
みんな最後は自分のことで精一杯になってしまうことが多いのです。
私も年中体験しています。
多分、組織人には理解してもらえないことでしょう。
もちろんなかには信頼を育てる関係に育つこともありますが、概して失望することが多いのです。
みんなきっと余裕がなくなってきているのでしょう。
私自身そうした体験を今でも繰り返していますから、北岡さんのご苦労や精神状況が少しわかるのです。
北岡さんと話していて、お互いに関心が重なるところがいくつかあることに気がつきました。
そんな分野で何か役立てることがあるかもしれません。
もしかしたら面白いプロジェクトを共創できるかもしれません。
楽しみです。
■平和の阿部達明さんとITの近藤将仁さん(2005年10月28日)
コムケアの選考会の企画運営に参加してくれた不思議な2人組がやってきました。
阿部さんと近藤さんのコンビです。コムケアを支援している真野さんが紹介してくれた人たちです。
お二人がどんな人か今日ゆっくり話していて、よくわかりました。
阿部さんは平和主義者なのです。
コムケアの選考会ではがんばってくれましたが、ともかく「ああいうのがすきなのです」だそうです。
そうした阿部さんのいいコンビが近藤さんで、近藤さんは若いのにいろいろと修羅場をくぐってきた人のようです。
ITに強いアイデアマンだそうです。
そして、阿部さんとはちょっと違いはありますが、やはり平和主義者です。
要するにそれがわかったことなのですが、こう書いてみるとまだあんまりわかっていないですね。
しかし、まあ人間理解なんてそんなものです。はい。
阿部さんは私の書いたホームページの記事を読んで、考えが気に入ってくれたようです。
それでわざわざ来てくれたのですが、平和やボランティアにどうも関心が強いようです。
ちなみに阿部さんは存在自体が平和を感じさせる人です。
このお二人ともまた何か一緒にやれることがでてくるかもしれません。きっとまた遊びに来てくれるでしょう。
不思議なコンビです。
■また3人になったオープンサロン(2005年10月28日)
オープンサロンは今回また3人でした。どうも3人が基本スタイルになりそうです。
今回、最初にやってきたのは八千代市でがんばっているはずの金居さんでした。
八千代市で、障害を持つ人たちの働き場をテーマにしたイベントを開催し、それを契機に市民の話し合いの場を創ろうとしたそうですが、
活動の継続が難しく、やめてしまったそうです。
住民はなかなか乗ってきてくれないとがっかりしていましたが、まあそんなものです。
自分のことを考えれば納得できるのですが。
次に来たのは常連の武田さんです。
武田さんは先日、私のブログを読んで、
「佐藤さんこそ独断的で自分の考えを押し付けみんなの意見を聴かない。唯我独尊だ」
とお叱りのメールをくれました。
御説ごもっともと共感の意向をお伝えしたのですが、それがまた不満で、厳しく批判したのだからきちんと反論しろ、といってきました。
今日は激論になる予定だったのですが、金居さんがいたため、「修羅場」は避けられました。はい。
さらにその後に、トヨタの北川尚人さんがやってきました。
久しぶりです。北川さんとは長い付き合いですが、当代めずらしい主体性を持った人です。
いまは話題のレクサスの企画部長です。
北川さんが手がけた車はたくさんありますが、みんなしっかりしたコンセプトが感じられます。
それだけではなく、その仕事への取り組み方も主体的で現場発想を感じます。
生活もしっかりとされている人です。
北川さんの仕事や生活の話を書き出すときりがないほど、たくさんありますので止めておきます
北川さんとの出会いは15年ほど前です。
トヨタの技術者たちが始めた社内運動に関ったのと、北川さんがそれとは別に取り組んでいた地域社会活動のフォーラムのコーディネータを引き受けたのです。
いずれも私にはとても印象的なプロジェクトでした。
トヨタという会社を見直す契機にもなりました。
北川さんが参加してくださったので、自動車論議で花が咲きました。
しかし、もっと面白い話題を北川さんが提起してくれました。
一つは林業。もうひとつは漆です。
いずれも最近、北川さんが関心を持ち、かかわりをはじめたテーマです。
自動車、林業、漆。この三大噺は書き出すとまた切りがありません。
翌朝、武田さんから少人数サロンは面白いとメールをくれました。
これで武田さんと仲直りできるでしょうか。
まあ、彼とは年中けんかしているので、仲直りする意味もないのですが。
■山形市の商店街青年部会主催の公開フォーラム(2005年10月29日)
半年ぶりに山形市に行きました。
昨年開催した全国リサイクル商店街サミットでスタートした実践活動の中間報告会を兼ねての公開フォーラムがあったのです。
そのサミットの総合プロデューサーをやった関係で、今回も誘われたのです。
商店街主催のフォーラムですから、商店街活性化がテーマだと思うかもしれませんが、
テーマは「持続可能かまちづくりのために、私たちは何ができるか」です。
昨年も書きましたが、エネルギー問題から子どもの問題、都市交通から他地域とのネットワークまでとても幅広いのです。
この1年、5部会に別れて活動してきましたが、これほどしっかりやっているとは思いませんでした。
しかも中心は若手たちです。どんどん成長しているのがよくわかります。
すべては人とそのつながりだと考えている私にとっては、見事な成功事例と言って良いでしょう。
報告の内容は彼らのホームページを見てください。
ここでは内容ではなく、シンクロにシティの話を書きます。
まず活動の一つの第2部会では以前も書いた佐久間さんが都市交通に取り組んでいますが、
ゾーン30やパークアンドライドの報告をし、来年度は社会実験に取り組むと発表しました。
昨日のサロンに参加したトヨタの北川さんがかつて取り組んだ社会実験と同じです。
昨日この話も出たのです。
その実験や提案が、今回の愛知万博でかなり採用されたことに北川さんは喜んでいましたが、同じ話が今日もまた出てくるとは思いませんでした。
今回はパネルディスカッションもやったのですが、
パネリストには山形市長と研究会の代表の菊地健太郎さんのほか、
ネイチャーゲームのインストラクターで7人の子どもを持つ高橋真美さんと山形大学で環境教育を学んでいる学生の近野貴衣子さんが参加してくれました。
そのためか、林業の話が出たのです。
これも昨日まさにサロンで話していたことの再現でした。
これほどのシンクロにシティは、私にも珍しいです。
11月12日に、天外伺朗さんと市川覚峯さんたちのフォーラムをやるのですが、そこでもきっとシンクロ二シティの話がでるでしょう。
何かそれに向けてのリハーサルのような奇妙な気分になりました。
ちなみに今回のフォーラムは、参加された山形市消費者協会の会長の五十嵐さんから大学の学生まで、感激したという応援の発言がありました。
これからの展開が楽しみです。
山形市でも主役はまさに行政から住民に移ってきました。
これもまたシンクロニシティでしょうか。
来週が楽しみです。どう発展していくでしょうか。
(2005年11月第1週)
シンクロニシティはまだ続いています。いわゆる「フローライフ」です。
実に多様な人たちとの出会いも続いています。
■手賀沼エコマラソン(2005年10月30日)
今日は手賀沼を1週するエコマラソンです。
私が出場したわけではありません。
そこに女房の主治医である先生が出場したのです。
伊藤先生といいます。
患者(家族)にとって病院の外での医師に出会えることはとてもうれしいことです。
病院というある意味では人間を閉じ込める空間ではなく、また医師と患者という固定的な関係ではなく、人間としての関係に気づけるからです。
こうした関係が今では消えてしまいました。
私の子どものころは、まだ医者が私のことを「人間」として気遣ってくれましたが、今はたぶん患者としてのつながりが多くなっているでしょう。
以前、書きましたが、昨年診察してもらった皮膚科では患者ではなく、症状としてしか扱ってもらえなかった気がします。
さてマラソンです。
応援バナーをつくると張り切っていた女房がどうしても応援できなくなくなってしまいました。
それで娘たちがかりだされました。
我が家の近くはスタート地点から3キロのところです。
そこで、家族で目をこらして伊藤選手を探していたのですが、何しろ参加者が多くて大変です。
走者はなんと8800人です。3人の目で追いかけましたが、とても識別できません。
最初の走者が通ってから15分ほどたってしまい、見過ごしたかと諦めかけていたら、なんと「さとうさん!」と声をかけられました。
なにやら関係が逆のようですが、向こうが見つけてくれたのです。
慌ててエールを送りましたが、写真を撮るのを忘れてしまいました。
気づいて追いかけましたがマラソンとはいえ、結構早いのです。1
00メートルくらい走りましたが、追いつけませんでした。
そんな私を見て、見知らぬ走者からがんばれと声をかけられました。
どうなっているのでしょうか。いやはや。
ところで100メートルの疾走は快適でした。
それで来年は出場しようかという気になりました。
家族は、また始まったと信用していませんが、すぐその気になるのが私のいいところです。
ところが翌日の朝刊に、このマラソンで20代の人がゴール寸前で倒れて死亡したという記事が出ていました。
それを読んで、やはり出場はやめることにしました。
すぐその気になるのが私のいいところですので、はい。
伊藤選手は完走したそうです。
来年は手賀沼トライアスロンに出場するそうですので、今度はしっかり写真を撮ろうと思っています。
■ピーナッツの収穫(2005年10月31日)
みなさん、ピーナッツの収穫をしたことはありますか。
今年の我が家の「にわか農園」では、ピーナッツを栽培したのです。
今日はその収穫日です。夕方、小作人として作業に参加しました。
葉っぱは見事に広がって元気でしたので、さぞかしい立派なピーナッツがたくさん収穫できるだろうと期待していたのです。
しかし掘ってみるとあんまり実がついていないのです。
普通、ピーナッツは2つが一つの殻に入っていますが、一つのが多いのです。
これではピーナッツとはいえません。
農業はやはり難しいのです。
ガラ紡愛好会の木田さんに勧められて、和綿も植えましたが、
これは4本が成長しただけで木田さんのところに収穫成果を送るにはいたりませんでした。
サツマイモは実に見事に茂りましたが、掘ってみるとやはりあんまり育っていません。
小作人として私はサツマイモ2本の権利をもらいましたが、掘ってみたら、なんとそれぞれ1個の芋があるだけでした。
葉が養分を独占したようです。
もっとも今年は土作りの年でしたので、これでいいのですが、収穫が少ないと自分ではなかなか食べられないのです。
収穫をまず周りの人に捧げなければいけませんので、配ってしまうと自分のところには残らないのです。
小作人の悲哀を感じます。
しかしその一方で、作り手の喜びはなんともいえないのでしょう。
女房は収穫されたピーナッツを、どこどこに送ろうと楽しそうに話しています。
生のピーナツを食べたことはないだろうから喜ぶだろうというわけです。
私の口にはなかなか入りそうもありません。
来年は小作時間を増やし、もう少しがんばらなければいけません。
そういえば、今日、滋賀の女房の友人夫妻から野菜が届きました。
なんと卵まで届きました。自分のところで鶏を飼っているのだそうです。
つい最近まで、企業で働いていたご主人ががんばっているようです。
時代がまた変わろうとしているのでしょうか。
■コミュニティサロンづくりのキックオフ(2005年11月1日)
NPO支援センターちばの松浦さんが、8回連続の研修プログラムをはじめたのですが、そのアドバイザーになってしまいました。
物事あまり深く考えずに、友人から頼まれたら引き受ける、というのが私の基本姿勢ですが、
友人とは何かと考えると、私の場合、宮沢賢治的に、みんな友達だと思えてしまうので、よほどのことがないと断れないのです。
しかし、このプログラムは引き受けてよかったなと思っています。
今日はその最初の集まりです。11人の人が参加されました。
柏、野田、流山、市川、それに船橋の人も、です。残念ながら我が地元の我孫子の人は参加していません。
最初なので、私がなぜいま、コミュニティケアなのかという話をしてしまいました。
こうした話はきっとみなさんには退屈だろうなと思いながらも、そうした話があまりにおろそかにされている現実にどうしても異を唱えたいのです。
参加者はみんな魅力的なメンバーです。
野田で園芸福祉に取り組んでいる人、特別養護施設で働いているボランティア、循環型農業に関心を持っている人、みんなすでに活動をしている人たちです。
それぞれの関心を話してもらったのですが、この組み合わせだけで新しい物語がすぐにでも動き出しそうな気がします。
年明け後には成果の発表会をやる予定です。楽しみです。
■柏のまちづくりの主役は若者です(2005年11月1日)
コミュニティサロンのプログラムの終了後、参加者の希望者とNPO支援センターちばのスタッフと近くの居酒屋に行きました。
改めてメンバーをみたら、半分はコムケアのメーリングリストに参加している人たちです。
なにやらコムケア柏が生まれたような気がしてしまいました。
NPO支援センターちばには若者が集まっています。
このホームページでも登場したことのある、松清さん、四元さんを始め、宮奈さんや松浦さん、
それに今回初めて知り合った山口さん、遠藤さん、みんな若いのです。
しかも男女比もちょうど同じなのです。うらやましい限りです。
しかもみんなしっかりしたテーマと思いを持ちながら、主体的に行政もうまく活かしながら活動をしているのです。
柏のまちづくりはきっと面白くなるでしょう。
私が関わった我孫子市での体験とあまりにも違っています。
若者が主力になることで、活動の内容は全く変わってきます。
先週の山形市もそうですが、やはり若者の時代になってきているのです。
彼らから我孫子市の人にはビジョンがないのでしょう、といわれてしまいました。
言い返せなかった自分を反省しなければいけません。
■観世音寺と黒岩比佐子さん(2005年11月2日)
先週、「日露戦争 勝利のあとの誤算」をブックのコーナーで紹介しましたが、読んでくれたでしょうか。
読みでがあるので大変ですが、ぜひお読みください。
その著者の黒岩比佐子さんが、五木寛之の「百寺巡礼」第10巻を送ってきてくれました。
なぜかといえば、このシリーズのほとんどに黒岩さんは「構成役」として関わっているのです。
あとがきに五木さんから黒岩さんへの謝辞が毎回掲載されていますが、このシリーズは、黒岩さんの調査編集能力が遺憾なく発揮されています。
だから安心して読めるのです。
その最後の巻は九州です。そしてその最初に出てくるのが大宰府の観世音寺です。
この寺は私にはとても印象深い寺なのです。
最初に行ったのは20年ほど前だと思います。
今はもう寺院としての建物はほとんどありませんが、仏像類が宝蔵に収蔵されています。
初めて訪れたのはもう20年ほど前だと思いますが、
夕方、人気のない廃寺跡を歩いている時に、突然、デジャビューの感覚が高まり、すごく懐かしく心休まる気がしてきたのです。
以前、ここに住んでいたという生々しい実感がわきあがってきました。
不思議な数分間でした。
閉館間際の宝蔵に入りました。
階段を上っていくと、狭い空間に多くの仏像が並んでいるのです。
五木さんも書いていますが、実に迫力がある空間です。
私が訪れた時は、もう薄暗くなりかけた時間で、しかも私以外は誰もいなかったのですが、異様な空気を感じました。
それまで仏たちは話し合っていたのではないかという空気です。
ひとつの仏を観ていると背後から別の仏像が私を見据えているような視線も感じました。
それほど感性が研ぎ澄まされる空間でした。怖さも感じました。
この観世音寺が移築されて造られたのが法隆寺だという説がありますが、私の頭の中ではそれはもう確信になっています。
そして、いずれかの私の前世は、ここできっと暮らしていたと思えてなりません。
黒岩さんが本を送ってくれたので、いつか書きたいと思っていたことを書いてしまいました。
観世音寺のことを知っている人がいたら、ぜひいろいろと教えてください。
私の前世が思い出せるかもしれませんので。
■コムケアMLはオムツと比良山で盛り上がっています(2005年11月3日)
コムケアのメーリングリストがにぎやかです。
私が参加しているメーリングリストでは投稿数が多いMLのベスト5に入りますが、
ちょっと贔屓目かもしれませんが、あったかなやり取りが多いのです。
いま盛り上がっているテーマは「オムツ」と「比良山」です。
前者は福祉系、後者は環境系ですが、そういう幅広いやり取りがコムケア・メーリングリストの特徴です。
もっと絞ってほしいとか、テーマ別に分けてほしいというアドバイスも良くあるのですが、
コムケアは「大きな福祉」に向けてのつながりを目指していますから、それでは意味がないのです。
最近はみんな本当に「タコツボ」願望が増えています。
しかし、そうした主旨も少しずつ理解されだしています。
そしてそれなりに話題づくりにつながってきています。
仲間はなかなか増えませんが、それでも今は全国に430人くらいメンバーがいます。
一昨日、最近、参加したある人からこんな投稿がありました。
市民活動でがんばっている人で、私も気になっていた人からのものです。まだ面識はないのですが。
ちまた(私の周辺)ではいつも「コムケアのMLでも流れてたね」という言葉をなんどもきくので、
おそまきながら入れてもらいました。
ちょっとオーバーじゃないのという気がしますが、とてもうれしいメールです。
以前、「ちっちゃな保育園」で盛り上がったこともありますが、
それ以外でも都市交通、障害児の保育園入園、入院患者の選挙投票問題など、いろいろとあります。
そういえば、最近も「葬儀で写真を撮ること」に関する問題提起もありました。
葬儀で携帯電話で写真を撮る人が増えているようです。
2日の真夜中に、ある人がこんなメールを投稿しました。
実は、環境問題もあり、紙オムツを布オムツに変えたいと研究しています。
山のように材料を買い集めいろいろ工夫をしましたが、もう一つ良いものが出来なくて困っています。
そして、何時も助けて下さるこの書き込みで、助けて!とお願いすることに致しました。
そうしたら翌日の午後7時時点で、何と全国から10通を超えるコメントが寄せられたのです。きっとまだ続くでしょう。
メーリングリストの事務局としては、これほどうれしいことはありません。
みなさん、ぜひコムケアのメーリングリストに入りませんか。
投稿数がちょっと多いかもしれませんが、打てば響くようなメーリングリストです。
気持ちのいい社会作りに関心のある人であれば誰でも歓迎です。
ご連絡いただければ登録します。
だまされたと思って、ぜひ参加してください。
違う社会の一面に触れられるかもしれません。
■東京桜田門ライオンズクラブで話をさせてもらいました(2005年11月4日)
違う社会の一面に触れた話です。
科学技術倫理フォーラムの橋本義平さんのお誘いで、桜田門ライオンズクラブの例会に参加させてもらいました。
コムケアの話を少しだけさせてもらいました。
今日のゲストは2人でした。
もうお一人は、銀座のクラブ順子の田村順子さんでした。
ライオンズクラブの会には始めて参加させてもらいましたが、みなさんのホスピタリティマインドには感心しました。
JCもそうですが、アメリカ発の文化はしっかりと様式化され、ビジュアライズされています。
それがきっとパワーの源泉なのでしょう。
会は20人くらいの参加者で、とても気持ちのいい雰囲気でした。
なかにテール・ツイスター役の人がいて、楽しい話題提供をしてくれます。
それを聴いて面白かったと思う人はテーブルに置かれたかごにお金を寄付します。
呰上さんがとても楽しい話を披露し、喝采を受けていました。
そのほか、何かと共感した人は寄付をする仕組みになっているようで、今日は約6万円の寄付が集まりました。
いかにもアメリカ的な面白い仕組みです。
メンバーの話し合いがあまりないのが意外でしたが。
ところで、開会にあたり、国旗に向かっての国家斉唱にはいささか驚きました。
おそらくアメリカの文化に起因しているのでしょうが、私は「アラモ」のデビー・クロケットのセリフ、「リパブリック」を思い出しました。
当時はきっとみんな高らかに国家を歌い、レパブリックを目指したのでしょう。
いい時代だったのです。
国家や国旗には、物語がなければいけません。
言い換えればビジョンであり、理想です。
残念ながら今の日本の国家や国旗には、それが感じられません。
最近、自民党が出した新憲法案には多くの国民をわくわくさせる理想があるでしょうか。
このクラブのメンバーは30人弱のようですが、様々なメンバーがいるようです。
自民党総務会長には久間章生さんもメンバーだそうです。
会長の坂本政さんから入会のお誘いを受けました。
こういう組織は会員資格をかなり限定しているはずですから、これは光栄なことなのでしょう。
しかし、私にはあまりに場違いなので、橋本さんや坂本さんには申し訳ないのですが、入会は遠慮させてもらうつもりです。
コムケア活動を広げていくためには、こうした組織やメンバーとお付き合いさせてもらうことも必要なのですが、
私はそうした論理から離脱してしまっていますから、生き方において適応できないのです。
ちなみに、定例会での乾杯の発声は"We serve"でした。
目的語がないのが、とても気になりました。
■銀座のクラブ順子の田村順子さん(2005年11月4日)
場違いといえば、ライオンズクラブの例会終了後、会長の坂本さんが、銀座のクラブ順子に案内してくれました。
田村順子さんのお店です。
私はこうした世界は全く疎いのですが、とても著名な方だそうです。
帰宅後、家族に話したら、みんな知っていましたし、つい最近もテレビに出ていたということでした。
昭和40年、24歳にして銀座にお店を出し、「銀座最年少ママの誕生」と話題になったといいます。
そういえば、そういう話があったことは記憶しています。
田村さんのモデルにした映画やマンガまでできているそうです。
彼女から自分をモデルにした本をもらいました。
「銀座女帝伝説 順子」です。
帰りの電車で読みました。ドラマティックな人生を送っている人です。
私はそうした話に全く知識がなく、関心がないのです。
例会でもみんなが彼女と一緒に写真を撮ってもらっていましたが、その意味が本を読んで初めてわかりました。
我が娘でさえテレビで見たことがあるという、有名なクラブ順子はとても家庭的な、昔のままの空間でした。
13坪の広さがとても落ち着きを与えます。
ここにこれまでさまざまな分野の有名人が来ているわけです。
座るだけで10万円とテレビで言っていたと娘が教えてくれました。
これも後で知ったのですが、そこに有名なママさんたちが3人いました。
彼女たちのことをあらかじめ知っていたら、もう少し感激したかもしれませんが、
予備知識が皆無だったために、全くの平常心で過ごしてきてしまいました。
順子さんお薦めのおにぎりはおいしかったですが。
順子ママがみんなの数占いをしてくれました。私の数字は5だそうです。
田村順子さんの話し方はとても穏やかで明るいです。
品格と信頼感、安心感を周りに創りだす人のようです。
本に出てくる順子ママのドラマティックな人生は完全に昇華されています。
田村さんは「銀座マダムは私の天職だと思った」と、本に書かれていますが、銀座マダムとは最高のファシリテーターかもしれません。
あるいは人をつないでいく役割を果たす人かもしれません。
彼女がいるだけで、きっとこの小さな空間は人を輝かす空間になるのでしょう。
席料10万円の意味が良くわかります。
田村順子さんは難病支援の活動もしているそうです。
私とはまったく違い世界で生きている人ですが、とても親しみを感じたのは彼女のケアマインドのせいかもしれません。
橋本さんのおかげで、ありえない経験をさせてもらいました。
ところで、これに関してまたシンクロにシティが起こったのです。
ライオンズクラブの例会に参加する直前に、坂元恭子さんから電話がありました。
あるプロジェクトの相談を受けたことがあるのですが、それが実現しそうだという報告です。
義理堅い人です。
それはともかく、彼女は角川春樹事務所の映画づくりに関わっていたとお聞きしていますが、
田村順子さんはその事務所の映画の2作目の「人間の証明」に出ているのです。
もしかしたら、2人は面識があるかもしれません。
坂元さんも田村さんも、私にはほとんど無縁の世界で生きている人たちですが、この偶然はどういう意味があるのでしょうか。
(2005年11月第2週)
最近、アクティビティが落ち込んでいます。無為に過ごすことが少なくありません。
一応、外から見ると何かをやっているのですが、気が入らないのです。
これまで考えてきたことのいくつかが、無残に壊れてしまってきていることが原因の一つです。
このホームページは独断的独りよがりの集積ですが、どうもそれに関する迷いから足元が揺らいでいるのです。
とても遅い「アイデンティティ・クライシス」に襲われているわけです。
また、生き方を変えたくなってきています。
しかし、その生き方への確信がもてないのです。
これまでだと確信がもてないからこそ動き出せたのですが、最近はそれを理由に、動き出すことを先延ばしするようになっています。
心身に勢いがなくなってきています。困ったものです。
しかし、このところなぜか不思議な縁でつながっているように、偶然の一致事件が頻発しています。
これをシンクロニシティと呼んでいいかどうかは微妙ですが、何か見えない糸である方向に手繰り寄せられているような気がします。
どこに行くのでしょうか。
■サロン空間の大切さ(2005年11月8日)
最近、我孫子市で活動をされている方々からの意見交換のお誘いがまた増えています。
私自身はあまり活動に取り組んでいないのですが、そろそろ何かしたいと思いだしていますので、極力お会いするようにしています。
今週は前半に3人の人に会いました。
立場は三者三様の方々ですが。
そういえば、各地での動きの話もメールなどで届きます。
谷和原村の横田さんたちが6日に美野里町の「みの〜れ」に視察に行ったそうです。
沼田さんと中本さんが対応してくれたそうですが、こういうつながりが知らないところで育っていくことが、私には最高の喜びです。
我孫子市に関しては、前にサポートセンターの運営に関する会のことを書きましたが、
先週、私および有志の会から提出していた意見に対する回答書が届きました。
行政的な文書でしたので、私はよく読みませんでしたが(それが私の悪いところです)、
その回答書をメーリングリストに流して、その会は一応、白紙に戻しました。
この会に期待していた私の思いは見事に挫折しました。ボタンのかけ方は大事です。
今週お会いしたのは立場もテーマもさまざまな方たちですが、もっと住みよい我孫子にしたいという思いは共通しています。
それぞれに行政にはかなりの不満を持っていますが、不満を持って批判していても何も変わりません。
まずは自分たちで動こうと活動している人たちです。
とても健全な動きです。こうした動きが少しずつ広がっています。
これは現在の「協働路線」とは似て非なるものです。
いま流行している協働路線は行政主導の延長でしかありません。
最近は私自身が無気力感に陥っていますから、自分で動き出すほどの元気はないのですが、
よくしたものでそういうときにはちゃんとみんなが刺激を与えてくれるのです。
これも一種のシンクロニシティです。
ところでそこで気がついたのですが、我孫子駅界隈にはゆっくり話す静かな喫茶店がありません。
静かに話のできるコモンズ空間はまちづくりの拠点ですが、それが意外となくなっているかもしれません。
公共空間が歴史を変えていくというハーバーマスの発見はもっと重視されるべきです。
ネットの空間がそれに代替できるのかどうか、私には疑問です。
人と人との冗長な話し合い。それが歴史を変えていような気がします。
その冗長な話し合いがどんどんなくなっているのが残念です。
■発声が元気を創る(2005年11月8日)
鎌ヶ谷市を拠点に活動しているNPO感声アイモの菅原三記さんと木村紀子さんはとても不思議な人です。
一度会ったらもう忘れられません。
感声アイモの理事長の木村さんのメッセージを一部ご紹介します。
感声アイモの願いは、日本の教育を素晴らしい方向に発展・成長させることです。
日本の伝統文化の中心は声の響きにその源があります。
言語の原点である「あいうえお」と五・七の旋律に育まれてきた日本人。
この文化が日本人の心を育んできました。
しかし、現在では、この基本中の基本が曖昧になってきています。
その結果、言葉が単なる活字と同様に扱われているのです。
日本の言葉には文字だけでは無くその言葉の音色で心を伝える言語であることを忘れてはなりません。
心を伝えることを忘れた日本語は、日本人を正しく育めません。
現在、社会現象となっている不登校・自閉症・引きこもり・教育障害・行動障害等々の遠因はまさにその点にあるのではないでしょうか。
心のコミュニケーションが出来なくなった原因こそ心を育む感性の音色が使えなくなったことにあります。
感声アイモは、この間題に真正面から向かい合い遠くまで優しく届き、心に美しく響く音色を「感声」としてその普及に勤めてきました。
それは心を豊かにする日本語があらゆる人の教育に活用できると確信していたからです。
そしてさまざまな分野で成果を挙げてきました。
アイモは長年の活動の中で、発声機能と腹筋力とを同時に高めるユニークな技法を開発してきていますが、
それによって、たとえば、こんな「奇跡」を引き起こしています。
重度の四肢麻痺のため29歳まで声を十分に出すことができず、会話障害に陥っていた人を、
2年間ほどの訓練により人前にて宮沢賢治の詩や芭蕉などの古典の朗読を可能とさせたのです。
先日のコムケアの選考会で菅原さんと一緒に発表壇上に立った川嶋徳人さんです。
この技法が役立つのは障害者支援、予防介護、自閉症などの子供たちの心を開くことなど、非常に多いと木村さんと菅原さんは考えています。
土曜日に、千葉県社会福祉協議会がその意義を認め、県下の関係者を対象に研修会を開催しましたが、
少しずつ世間の注目をあびだしています。
都内でも時々研修会を開催していますし、12月のコムケアサロンではその入門編を行う予定です。
ご関心のある方はぜひ一度ご参加ください。
そのお2人が、湯島にやってきました。
アイモが確立しつつある、この発声法を広げていくためにはインストラクターの育成が必要です。
それをコムケアネットワークとの連携で効果的に進められないかという話です。
プロジェクトリーダーがいれば面白いプロジェクトになりそうですが、どなたかやってみようという方はいないでしょうか。
もしいたら是非ご連絡ください。
■コムケアではイベント支援の対象を募集中です(2005年11月8日)
コムケアの運営委員会でした。
佐々木敏之さんと田代優子さんが初参加してくれました。
選考会の報告をコムケアセンターのホームページの「メッセージ」のコーナーに書いていますが、
この選考会を企画推進してくれたのが、コムケア運営委員の皆さんです。
すべて自発的に参加された方たちです。感謝しています。
今日は選考会の反省会も兼ねての運営委員会を開催しました。
コムケアの会議はすべてそうですが、思い切り冗長なのです。
そして、その冗長さは私のせいなのです。
NPOの方向性は2つあります。
経済的自立を目指した事業型NPOと社会的自立を目指したコモンズ型NPOです。
私は最近、後者に向いています。
経済的自立は重要ですが、それは手段であって目的ではありません。
そういう認識が高まってきたのです。
経済的自立をしている人たちが社会的には自立していない事例をあまりに見すぎているためかもしれません。
また冗長性の中にこそコミュニケーションが深まるという思いもあります。
コムケアでは今度はイベント支援助成プログラムを展開します。
10万円の助成金を10のイベント企画者に提供するというプログラムです。
これは選考が思い切り事務局主導なのです。
どうでしょうか。皆さんも応募しませんか。募集要項はコムケアセンターのホームページに掲載されています。
その気になれば、2時間で申請書は書けると思います。
もちろん書くだけではなく、企画の骨子を起案することも含めてです。
イベント助成プログラムは、この運営委員会で選考していこうと思っています。
運営委員も応募できるようになっています。
もし面白い企画をお持ちの方はぜひ運営委員になって、その企画を実現してくれませんか。
運営委員会の日程などはコムケアのメーリングリストで案内されていますが、私にお問い合わせいただければご案内します。
うっかりして、次回の日程を決めるのを忘れてしまいました。
■読売新聞にコムケアと私の記事が掲載されました(2005年11月8日)
読売新聞にコムケア活動と私のことが紹介されていました。
署名入り記事ですが、とても丁寧に記事を書いてくださったのが、安田武晴さんです。
記事は次のサイトで、しばらくは読めると思います。
http://www.yomiuri.co.jp/iryou/kyousei/sasaeru/20051108ik03.htm
私は新聞の取材が好きではありません。
といっても、取材が来るわけでもないのですが、数少ない取材で懲りたことが何回もあるからです。
ところが安田さんはコムケア活動に関心を持ってくださり、
これまでの報告書をしっかりと読み、ホームページも丁寧にチェックしてくださったのです。
感謝しなければいけません。
ところで、やはり全国紙だけあって、いろいろな人が見てくれたようです。
久しくお会いしていない遠くの方からもメールがありました。
やはりマスコミの威力は大きいです。その分、恐ろしいですが。
■紅葉狩り(2005年11月10〜11日)
バスツアーで紅葉を見に行きました。
コムケアが一段落したら女房に付き合うと約束していたのですが、なかなか日程があわず結局1泊二日のバスツアーになってしまいました。
お互いにいろいろやっているために、うまく日程が合わないのです。
今回はバスで蔵王まで行きました。
途中、茨城と福島のもみじ場を見ながらです。
時期もあまりよくなかったのか、今年の紅葉はあまり美しくはありませんでしたが、いわき市の中釜戸のしだれもみじには感心しました。
実にめずらしいもみじでした。残念ながらまだ色づいてはいませんでしたが。
まだ観光ルートにはのっていない場所でしたが、これから観光スポットになるかもしれません。そんな場所でした。
三春の桜は1本であれだけ集客するのですから、設計次第ではここも大きく変えられるでしょう。
今は壊れかけた古いお堂があるだけです。駐車場もありません。
もっとも観光スポットになることが現地にいいことかどうかは難しいですが、現地にとってうれしい観光スポット化は可能です。
そもそも「観光」とはそういうことだったはずです。地域の光づくりです。
花貫渓谷と花園神社にも寄りましたが、バスツアーですので、
あまりゆっくり時間が取れず、特に花園渓谷は入り口の花園神社で終わりました。
その日は蔵王で泊まりましたが、翌朝、蔵王山頂までロープウェイで上りました。
2日前に雪が降ったおかげで樹氷までは行きませんでしたが雪景色もちょっと楽しめました。山頂は0度でした。
2日目のコースは、まずは白石市の小原渓谷(碧玉渓)でした。ここはとてもよかったです。
この渓谷は私有地だそうです。
帰りにもう一つ見事な紅葉を見ました。蛇の花遊楽園です。
ここはまだ整備途中のようですが、紅葉も見事でしたし、蛇の花御殿なる建物があり、それがとてもよかったです。
ここもいろいろ経緯があったようですが、
残念ながらその名前(遊楽園)にも象徴されているように設計の基本思想があいまいなため、せっかくの素晴らしさを活かせずにいるようです。
どうもこういうところにいくと、そんなことばかりが気になります。
地域の資源を活かす姿勢がもう少しあれば、どこももっと素晴らしい物語が生まれるなとついつい思ってしまうのです。
職業病ですね。小賢しい話です。
■自治体に関わらせてもらったことのボーナス(2005年11月11日)
これまでいろいろな自治体に関わらせてもらいました。
そこで様々な人たちと出会いました。
仕事が終わっても続いている人も少なくありません。
そんな一人から、今日、とてもうれしいメールが来ました。
今回は一応、匿名で書きます。過去に何回かこのホームページにも登場した女性ですが。
彼女は若い係長と2人で、数年前に実に素晴らしいまちづくり活動を展開しましたが、その時にちょっとだけ応援したのです。
以下は彼女からのメールの要旨です。
東京の大学に入った学生から、あの時の取組みの話を聞かせてほしいというメールが来ました。
地元を離れ、改めて地域というものを考えてみようと思ったそうです。うれしいことです。
昨日、里帰りした学生と会うことになりました。
係長も私も話をしていくうちに、いろいろな想いがよみがえってきて、熱弁をふるってしまい、なんと5時間も話してしまいました。
自分としては、日常の直面した仕事(問題)に追われ、どこか忘れかけていた「まちづくりの視点」を再確認できました。
自画自賛ですが、あの取り組みはやはり素晴らしいものだったと・・・。
ちょっと興奮した勢いでメールを送ってしまいました。
俄然、元気が出てきました。暗い迷路の中から抜け出した気分です。
まあ、がむしゃらにではなく、あくまでも無理をせずに・・・です。
2人が学生相手に話している姿が目に浮かびます。2人ともとても熱い若者です。
仕事が変って、今はきっとエネルギーをもてあましています。
それが組織のよさでもあり悪さでもありますが、まちづくりという視点からはとても勿体無い気がします。
まちづくりは蓄積ですが、行政の仕事は決して蓄積型ではないからです。
主役が住民になれば、蓄積型になるのですが、いまのほとんどの住民参加行政はそうはなっていません。
こうした友人がいくつかの自治体にいます。私の思いでもある「共創」精神をしっかりと実現してくれている人たちです。
今の自治体の置かれている状況の中では、なかなか思うように動けない人が多いようですが、月に一つくらいですが、こうしたメールが届くのです。
これが15年間、各地の自治体に関わってきたことのボーナスです。
終身年金のようなものでしょうか。
■リード力開発道場発表会(2005年11月12日)
日本経営道協会のリード力開発道場の発表会に参加しました。
今回は5年目ですが、最初の年にお話をさせてもらってから以来です。
道場の塾頭は市川覚峯さんですが、彼から今年のパネルディスカッションと発表のコメンテーターを頼まれたのです。
基調講演はソニーでアイボの開発に取り組まれた天外伺朗さんです。
天外さんは「あの世の科学」とか「運命の法則などの異色の本を書かれている方ですが、
講演後、霊性にこだわっている市川さんとパネルディスカッションをやるというので私が狩り出されてしまいました。
パネリストは他にバイク急便で話題のBy−Qホールディングスの創業者の大槻かつみさんです。
大槻さんの創業物語は「瞬間物流革命」に詳しいですが、そのビジネスへの取り組み姿勢には感心します。極めて人間的なのです。
天外さんの講演は唯識論の話が基本でしたが、キーワードとして「死との対決」の話をされたのは面白かったです。
大槻さんはもう50歳だそうですが、相変わらずの若々しさを感じさせました。もちろん生き方における「若々しさ」です。
今回の中心はリード力開発道場で1年間研修してきた若手経営幹部たちの成果発表ですが、これが実に良かったです。
良かったという意味は、受講生たちがみんな楽しんで取り組まれてきたことが実感できたからです。
3つのチームに分かれて、企業理念、リーダー、人間力の3つに切り口から、全体としての大きな物語を構築しています。
キーワードは「クロススパイラルカンパニー」「ボランチリーダーシップ」「高い志が肚を育てる」です。
それぞれが自分たちの言葉に消化しているのにも好感が持てました。
厳しく言えば、まだ言葉の段階ともいえますが、抽象論ではなく具体的な実践段階まで落とし込んでいたところがとてもよかったです。
それに発表者の素直さと真摯な姿勢にもとても好感が持てました。
ちなみに受講者の多くは地方の中堅・中小企業の経営幹部が多いのです。
老舗企業の後継者も少なくありません。
大企業の経営幹部とは全く違った文化を感じました。
しかも、この研修プログラムは、単なる座学ではありません。
戸隠道場という山行の場での体験が組み込まれています。その成果が明らかに出ています。
発表会の様子や報告書などは、きっと日本経営道協会のホームページに掲載されるはずですので、ご関心のある方はご覧ください。
参加者は200人くらいでしたが、終了後、懇親パーティがありました。
何人かの知り合いにも会いましたが、奇遇だったのはだいあんグループの代表の光田敏昭さんにお会いできたことです。
光田さんは、ふぁっとえばーの秋山さんから私のことを聞いてくれていた、声を掛けてくれました。
企業経営幹部の集まりでコムケア仲間の知り合いに合うのは珍しいことですが、こうしたことがこれからはきっと増えていくでしょう。
(2005年11月第3週)
今週もまたさまざまな立場の人たちとお会いできました。
緊張感の無い1週間でしたが、最後の土曜日にとても幸せな体験をしました。
世の中は本当にいい人ばかりです。
■コムケアをどう展開すればいいのか(2005年11月15日)
コムケアの選考会を紹介してくれた読売新聞の記事は意外な人が読んでくれて、まだメールが届きます。
うれしいことなのですが、実はコムケア活動をこれからどう進めていくか、これが私の悩みなのです。
単なる資金助成プログラムではなく、それぞれのプロジェクトにも可能な範囲で関わり、
参加してくれた人たちのつながりを育て、新しい「結い」を創ろうとはじめたのですが、これが思いのほか、大変なのです。
作業が大変だと言うことではありません。
それぞれに自分のテーマを持って、目いっぱい活動している人たちをつなげていくことは、ビジネスのアライアンスとは全く違います。
理念には共感してくれても、みんな時間的な余裕がそうあるわけではないために、一緒に何かを創りあげるのは難しいのです。
中間組織の限界かもしれません。
私自身は現在のNPO中間組織とは違う、共創型の組織を創りたいのですが、どうも無理があるようです。
最近そんな気がしています。
コムケアの入り口は資金助成プログラムでした。
そのおかげで5年の間にそれなりの活動が実現できたように思います。
しかし、その資金助成プログラムに最近は違和感も生まれました。
当初からわかっていたことですが、資金を媒体にするとなかなか心が通じません。
実際にいまのコムケアを支えてくれている人の半分以上は、資金助成プログラムの恩恵を受けていない人のほうが多いのです。
これは考えさせられます。
資金助成先も1年が経過すると、どうしても関係が弱くなります。
コムケアは「金の切れ目が縁の始まり」をモットーにしていますが、現実は必ずしもそうはなりません。
資金助成プログラムを一時休もうかと思います。
資金助成プログラムのないコムケア活動は継続できるでしょうか。
また難題を抱え込んでしまいそうです。
■NPOをつなぐことは可能か(2005年11月15日)
コムケアで結いづくりに少し不安を持ち出しているところなのですが、
そんな時に9月に一度やってきた都立大学の2人の学生がやってきてくれました。
熊本さんと田中さんです。
「NPO同士が連携することで、
一つの団体だけでは提供できないようなサービスを提供することが可能になり、
そして経済基盤を安定させつつ発展していくことができるのではないか」
というのが2人の考えです。それは私の考えでもありますが。
ところが、いろいろと調べてみると、そう簡単ではないようだと気づきだしたのです。
2人の問題意識をメールから転載させてもらいます。
あれから、またいくつかの団体の方にお話を聞いて回ったのですが、NPO発展構想のむずかしさを感じております。
と言いますのも、発展、規模拡大していこうにも、活動されている方の時間がそんなにはとれないという実状やご意見があるということです。
また、長く活動されている方たちにその秘訣を伺うと、
「事業を拡大しない」、「メンバー同士がお互いに深く立ち入らない」からだというお答えをいただいたりもしました。
よくわかります。私がコムケアで直面している問題でもあるからです。
少し意見交換しました。
長く活動していく秘訣が、もし「メンバー同士がお互いに深く立ち入らない」ことだとしたら、とても寂しいことです。
うっかりとこの点を議論するのを忘れてしまいました。
一度、コムケアフェローの参加も得て、この議論をしてみようかと思います。
これはコムケア活動をどう展開していくかにとっても重要なテーマですので。
■読売新聞の安田記者は大の映画好きのようです(2005年11月15日)
最近できた「個人情報保護法」は実のところは個人情報管理法ではないかという気がしますが、
これができたことによって、不都合がさまざまなところで起きています。
この法律は「管理発想」に依拠していますから、状況はますます悪くなることは間違いありません。
発想のパラダイムを「真心発想」「個人発想」に変えなければいけません。
まあそれはそれとして、このホームページもあまりに個人情報を開示しているので、評判がよくありません。
お前に会うとホームページに書かれてしまうので困るという人も少なくありませんし、削除依頼もあります。
ある国会議員の秘書から相談があった時も簡単な記事を書いたのですが、削除依頼が来ました。
私が良識派だと思っている高名な議員ですが、以来、その議員は信用できなくなりました。
秘書の話かもしれませんが、秘書の言動は議員が責任を持たなければいけませんので。
ただビジネスに関わる話は原則として書き込みはしていません。
それ以外は、私の時間を割くわけですから、自由に書かせてもらいたいと思うのですが、問題はそう簡単ではありません。
ややこしい時代になってしまいました。
前置きが長くなりましたが、これとはまったく別の話を書きます。すみません。
今日は読売新聞の安田さんに会いました。もちろん取材ではなく、個人的に、です。
安田さんはフランス文学選考ですが、どうも大の映画ファンのようです。
私も学生時代は大学に行くよりも映画館通いが多かった時期もあるのですが、安田さんは本格的です。
学生時代は映画学にも取り組んでいたそうです。
学生時代、私が関心を持っていたのが、ミケランジェロ・アントニオーニとイングマル・ベルイマンですが、
いずれも難解で、しかしどこか惹かれるところがあって、繰り返し見ました。
もっともほとんど理解できていなかったような気がしますが、大人になってからは全く見たいと思わなくなってしまいました。
安田さんはきっと解読しているのでしょうが、今となっては話題にするのも難しいほど、私の記憶からは抜け落ちていますが、
彼らの映画が私のその後の生き方に影響を与えたような気がしてなりません。
最近、吉祥寺でほぼ全作品が上映されたテオ・アンゲロプロスの話も出たのですが、
私が近年感動した「永遠と一日」は途中で寝てしまったといわれてしまいました。
安田さんはこの作品に限ってはDVDで観たようですが、確かにあの映画はテレビで観たら寝てしまうでしょう。
テレビと映画は全くの別物です。
私は最近はあまり映画館には行かないのですが、安田さんのお勧めは「マラソン」でした。
サイトで調べたら、とても面白そうです。ぜひ観てみようと思います。
安田さんはマスコミ人らしからぬ人です。
とても覚めた目と主張をお持ちです。安田さんの書いた過去の記事を読んでいたら、
「障害者」という言葉をやめて「要支援者」にしようと提案されていることを知りました。
この置き換えには少し異論はありますが、安田さんのあたたかな眼差しを感じます。
当事者意識をお持ちのジャーナリストに出会えたことをうれしく思います。
■武井優さんに偶然出会いました(2005年11月16日)
浜松町の駅のホームでぱったりと武井優さんに出会えました。
すっかりご無沙汰していましたが、私の応援団の一人です。
何回かこのコーナーでも取り上げましたが、最近の話で言えば、「岡上菊枝の生涯」の紹介をしたことでしょうか。
岡上菊枝は日本の児童福祉の先駆者です。
ちなみに坂本竜馬の姪にあたります。
その本を書き上げた直後に湯島にやってきました。
もう2年近く前のことです。
昨年、確か一度電話があり、また新しいテーマ(といっても武井さんの目線は常に児童福祉です)に向けての思いを話してくれました。
そろそろまたやってくるのではないかなと思っていた矢先の偶然の出会いです。
お互いに急いでいたこともあり、わずかな立ち話でしたが、読売新聞の記事を読んだよと大きな声で話しかけてくれました。いつも元気な不思議な人なのです。
そういえば、いろいろな人への不義理を重ねていることを思い出せてくれました。
この半年、精神的な余裕の無さもあって、気になりながら連絡できていない人がたくさんいるのです。
特にこの2か月はそれが急増しています。
そうした人に対して、きちんと連絡を取るようにというメッセージでしょうか。
12月に入ったら、仕事を極力やめて、たまりに溜まった不義理の解消をしようと思います。
私の人生もいつ終わるかわかりませんので。
60歳を越すと、やはり身辺を身軽にしておかねばなりません。
「死への準備」ではなく、豊かに生きるための準備です。
■KAEの発表会は盛況でした(2005年11月16日)
経営道フォーラムの37期の発表会でした。
先週のリード力とは違い、このフォーラムは大企業の経営幹部の人が対象です。
先週も書きましたが、大企業の経営幹部の方はうまくまとめてしまうので、私には結構退屈なのですが、
私が担当するチームは、アドバイザーがしっかりしていないこともあって、私は毎回楽しませてもらっています。
今回は報告書までは退屈だったのですが、今日の発表はそれとはかなり違ったもので、とても良かったです。
たくさんの示唆があるだけではなく、チームメンバーの気づきが伝わってきたのが何よりうれしかったです。
これからの展開が楽しみです。
この発表会には、33期のチームが毎回参加します。
今回も4人が来ていました。これもうれしいことです。
久しぶりに祝迫さんにもお会いできました。
祝迫さんは黒岩さんの「日露戦争」をしっかりと読んでくれていました。
さて今回の発表は3つにチームが行いました。
テーマは、「企業習慣病」「コミュニティサービスバンク」「企業と会社と社会をつなぐ企業理念」です。
いずれも示唆に富む内容なのですが、もう一押ししてもらうともっと面白くなるなと思いながら、聴かせてもらいました。
企業習慣病は大企業病の読み替えです。
言葉としても発想としても数年前に言い古されたことですが、それを丁寧に整理し、自分たちの問題として消化していたのに好感が持てました。
それから次の企業パラダイムを導き出せるはずですが、
今回は残念ながら経営幹部らしく、結論は「当たり前のことを当たり前にする会社」という言葉段階で終わってしまいました。
これからまだ活動を継続するようですので、これからに期待したいと思います。
コミュニティサービスバンク構想を発表したチームのリーダーは、コムケアの選考会にも参加してくれましたが、
NPOの世界で広がりだしている動きも視野において面白い発表をしてくれました。
新鮮だったのは、LLP(有限責任事業組合)のスタイルをとり入れたことでした。
具体的には3つの事業モデルを提案しましたが、いずれも私にはリアリティを感じました。
NPOの世界ではかなり動き出していることですが、
企業の人たちが関心を持って本気で取り組めば、企業や事業のパラダイム転換にもなるように思います。
最後のチームは、私がアドバイザー役のチームです。
それぞれの「気づき」から実践的な「提案」を発表してくれました。
概念本位に陥らず、自分たちでまとめようと苦労した跡が私には伝わってきました。
そのせいか気負っていないのがとても私には好感が持てましたし、報告書段階から大きく実践や具体的な言葉に移行しているのがとてもよかったです。
きっとこれからも自分の問題として進化させていけるでしょう。
ちょっと「贔屓目」でしょうか。
先週の発表会とはかなり雰囲気の違う発表会でしたが、
大企業の経営幹部の皆さんの特性と迷いを実感させられる、とてもいい発表会でした。
■不可解な大事件(2005年11月18日)
実に不思議な事件が昨日起こりました。
よほど暇の方だけお読みください。
歯医者に通っています。
治療していた奥歯が1本だめになってしまい、そこを治療していますが、昨夜、突然、その治療してもらっていた歯がなくなっていることに気づきました。
たしか仮歯をかぶせてくれていたはずなのですが、それがなくなっているのです。
これまでも、虫歯にかぶせていた金冠が食事中に外れて、危うく食べてしまいそうになったことがありますが、
今回は、そうした感触がないままに、気がついたら歯がなくなっていたのです。
いつもと違い、いつ歯が取れたか全く記憶が無いのです。
それにかなり大きな歯のはずですから、飲み込んだらわかるはずなのですが、気づきませんでした。
不思議極まりない事件です。
胃の中に入ってしまったのでしょうか。
歯のある胃腸になれば消化力は飛躍的に高まるかもしれませんが、そのまえに消化器系を傷つけるかもしれないと心配になりました。
そういえば、どうものどのあたりに違和感があるのです。
それにしても記憶が全く無いのは不思議です。
せっかく治療してくれた歯医者にどう説明すればいいでしょうか。
食べたともいえないし、落としたというのも変ですし。
まあ、私の場合、この種の不可解な事件は時々起こります。
女房といったはずの温泉の話をしても女房はそんな温泉に入ったことがないといわれたり、
私が発言した記憶が無いことを家族はみんな聞いていたりするのです。
私のほかのもう一人、私がいて家族と付き合っているような気がすることもあります。
いや、こんなことをあまり書くと私の信用がなくなりますが。
さて、歯のことです。
仕方がないので歯医者に電話をしました。
いつ取れたかというので、記憶がないが歯がないのは確かだといいました。
そうしたらすぐに来いというのです。とても親切な歯医者さんなのです。親切でもありますが、面白い歯医者さんです。
で、歯医者さんに行きました。
せっかく治療してもらったのに、なくしてしまってすみませんと謝ったのですが、口の中をみた歯医者さんはついていますよというのです。
ますます不可解な事件です。
舌で触っても感触が無いし、事実、私には見えないのに、彼には見えるのです。
そんなことがありえるでしょうか。まさに、世にも不思議な話です。
怖い話でしょう。
ところがです。
歯医者さんと話していて、理由が判明しました。
実は最初から仮歯はかぶっていなかったのです。
歯医者さんが治療したのは上の歯だったのです。
私が下の歯をかぶせてもらったと思いこんでいただけの話のようです。
大恥をかきました。かなり痴呆化が進んでいると思われてしまったことでしょう。
しかし、冷静になって考えるとやはり不思議です。
私のような「しっかりした人物」がそんな馬鹿げた勘違いをするでしょうか。
治療後は確かに歯があったはずなのです。これは何かの罠かもしれません。そう思いませんか。
いささか怪訝な顔で帰宅して女房に話したら、笑い転げられてしまいました。
あれほど昨日は心配したのに、あれは何だったのかというのです。
いやはや、困ったものです。どうやらやはり私の痴呆化現象だったようです。
ということは、これまで私のまわりで発生していた怪奇現象や不思議な事件はすべて私の痴呆現象だったのでしょうか。
もしかしたら、世の中には不思議な事件などないのかもしれません。
自信喪失です。
つまらない話を読ませてすみません。
私には大事件だったのですが。はい。
そして、いろいろなことに気づかせてもらった事件でした。
■高尾山でおいしい会津鍋?をいただきました(2005年11月19日)
予定していた出張がなくなったので、思い立って女房と2人で、高尾山に紅葉を見に行きました。
ネットで調べたら紅葉が始まったとあったからです。
高尾山は学生の頃は良く通ったところです。奥多摩や奥秩父が大好きだったのです。
高尾に着いたのが10時半頃でしたが、人でごったがえしていました。
2日前から寒くなって紅葉が始まったので、今日はどっと人が出てきたようです。
空気は冷たかったですが、風もなく晴天に恵まれた絶好の紅葉日和でした。
山頂への道は行列です。
頂上からは珍しく富士山がとても大きく見えました。
感激しました。
頂上でおにぎりを食べようと場所を探しましたが、ここもまたすごい人です。
幸いにテーブルを囲みながら鍋をつくっている3人組の場所の一画が開いていたので、そこに座らせてもらうことにしました。
本格的ですねと挨拶したら、よかったら食べませんかと鍋を振舞ってくれました。
自称会津風の鍋だそうです。寒かったので身が温まり、とてもおいしかったです。
それがきっかけで、すっかり話し込んでしまいました。
この3人組は、ある会社のOBと現役でつくっている会で、3か月に一度、参加できる人で近くの山に出かけているのだそうです。
今日は欠席者が多く3人だったのです。定番のコースは山の上で食事をし、下山して温泉に入り、それから美味しい酒を飲むのだそうです。
こんな人間的な付き合いができるのはとてもうれしいと、若手現役の目黒さんが話してくれましたが、
最近の企業から失われがちな、とても人間的なあたたかい関係が話していて伝わってきました。
こういうつながりがあれば、過労死も不祥事もうつ病も起こらないでしょう。
こうしたつながりが最近はなくなってきているように思います。
後の2人は、平さんと西脇さんです。
みんなとてもあったかい人で、初対面とは思えぬあったかい交流ができました。
西脇さんは米沢の青菜漬けを、平さんは美味しいカリントを勧めてくれました。
私は目黒さんからコーヒーまでご馳走になりました。
すごく幸せな気分に奈ってしまい、1時間も話をしてしまいました。
女房も私も、すごく幸せな気分になりました。
本当に世の中はいい人ばかりです。
にもかかわらず、なぜ悲惨な事件が起こるのか、不思議です。
最後は全員で記念撮影。ついでですから写真も乗せてしまいます。
またお会いできるでしょうか。
(2005年11月第4週)
このホームページは原則としてテキストベースです。
写真やデザインのないホームページですね、と取材に来たライターの女性に言われて、
ムッとしてますますデザイン要素をなくした文字ベースにしてしまったのです。
大きなことには寛容なのですが、瑣末なことにはすぐムッとするのが私の欠点なのです。
今でも文字ばかりで読みにくいと言う指摘を受けています。
しかし今週は少し写真を入れてみました。少しは読みやすくなったでしょうか。
もっとも、私は文字だけのホームページのほうが読みやすいのです。
なかにはデータが重いせいか、なかなか画面が出てこなかったり、デザイン処理に懲りすぎて読みにくいものもありますが、
それが企業のホームページだったりすると、とても気になります。
まあ、このホームページは無味乾燥であることは間違いありませんが、これから少し写真を入れようかと思い出しています。
■谷和原村城山の里まつり(2005年11月20日)
谷和原村の横田明さんからのお誘いの「城山の里まつり」に女房と一緒に出かけました。
谷和原村は車で我孫子から30分くらいかかります。
谷和原は10月のつくばエクスプレスの開通で都心に40分になりました。
これから発展が期待されますが、そこに残っている里山と谷津田を活かして、
住民たちの触れ合いの場にできないかというプロジェクトに関連して、2年前にアドバイザーとして訪問させていただいたのです。
昨年度も3回ほど通ったのですが、そこで住民側の中心になってくれたのが横田さんです。
横田さんは会社に勤める傍ら、城山を考える会の代表としてこの1年がんばってきたのです。
横田さんの真面目な取り組みに、少しずつ輪が広がっているようです。
里山整備と並んで、畑を借りてさつま芋、大根、蕎麦を育ててきたのですが、今日はその収穫祭もかねてのイベントです。
初めてのことでもあり、最初は内輪でやろうと考えていたようですが、
参加したおばさんグループが盛り上がって、結局は役場の応援も得て、住民みんなに呼びかけるイベントになりました。
私は現場を何回か見ていますので、いささかの不安がありました。
里山整備も大変ですし、会場に華やかさがないと次の発展にもつながりにくくなります。
どのくらいの住民の方が横田さんに賛同して動いてくれたかに少し不安があったのです。
それにこれまでの経緯の中では女性を巻き込むのに失敗していましたので、それも気になっていました。
会場の駐車場に着くと見慣れた顔に出会いました。役場の菊地さんと荒井さんです。
会場に行こうとしたら村長が下りてきました。行政との関係がきちんとできているなと少し安心しました。
会場はちょっと小高いところなのですが、そこに行く途中はきちんと整理され、以前来た時とは全く違います。
広さも感じられますし、途中に手づくりのベンチまでありました。そしていかにも住民の手づくりの看板もありました。
木立を越えると会場です。
見えてきた途端にうれしくなりました。
華やかににぎわっているのです。
遠くにカラフルなインディアンテントまであります。
何よりいいのは子どもたちと若者が多いのです。
周りが雑木林なのでこの一帯は無風地帯です。
幸い天候にも恵まれて、 とてもあったかな空気が会場をつつんでいます。
入り口でとん汁をふるまっていました。
早速いただいていると、遠くから横田さんが見つけてくれて声をかけてきました。
とてもいい笑顔です。
その笑顔がこのイベントの成功を実感させてくれました。
会場では、自分たちでつくった食材をつかっての蕎麦打ちや焼き芋など、参加者との楽しそうな交流が展開されていました。
立派な大根なども格安で販売されていました。
これまでの活動の写真も展示されていました。
横田さんたちのご苦労の一端を感じるとともに、とてもいい展開になっていることを実感しました。
焼きイモの番をしていたのは、大久保さんです。
最初の頃はたしか体育館がほしいと言っていた人が、、焼きイモ担当とは実にうれしい話です。
野外での焼き芋づくりは久しぶりだと楽しんでいる様子でした。
農家の方も何人かいました。
最初はなかなか協力してもらえなかったようですが、こうした場を一度体験すると意識は変わるでしょう。
2人の農業者と話していたら畑は余るほどあるのだが、人手がいないというのです。
ちょっと工夫すれば、きっと様々なコミュニティビジネスが生まれるはずです。
蕎麦打ちに女房ははまっていました。
私と違い行動派の彼女はそば切りの手ほどきを受けていましたが、これでまた我が家のメニューが増えそうです。
とてもおいしい蕎麦でした。これもきっと発展の可能性があります。
まちづくりとは施設をつくることでも仕組みをつくることでもありません。
住民のつながりを育てることです。
それも防犯のためとか福祉のためとかではありません。楽しみのためです。
資金が最初にあるのではありません。予算消化のためのまちづくりは、実はまちこわしです。
企業経営の世界にデシの法則と言うのがありますが、同じことはまちづくりに当てはまります。
資金がどこかから提供されるまちづくりは役には立ちません。
地方交付税は根本から見直されるべきでしょう。
横田さんやいろいろな人と話していて、これこそがまちづくりの原点だと改めて思いました。
ともかく参加していた人たちの顔が良かったです。
アドバイザーとして4回通ったことが報われました。
横田さんに感謝しなければいけません。
たくさんの野菜のお土産までもらって、とてもうれしい1日でした。
■パキスタン北部大地震の被災者に1000円の寄付をお願いできませんか(2005年11月21日)
パキスタン北部大地震の被災者支援のお知らせは先週させてもらいましたが、
そこに書いた船尾修さんのポストカードが届きました。
その写真を掲載させてもらいます。
これは地震の写真ではなく、これまで船尾さんが撮りためてきた写真の一部を急遽、ポストカードにしたものです。
私は船尾さんとは面識はありませんが、8枚の写真を見ていると、この人の人柄が少し見えてきます。
いまたぶんイラクで子どもたちの笑顔を撮影しているであろう高橋邦典さんに通じる、素直なあたたかさを感じます。
8枚のポストカードを購入していただき、その利益を全額パキスタンの支援に送ります。
いま、船尾さんはパキスタンに行っています。
ポストカードは私のところにありますので、ぜひみなさん、ご協力ください。
1000円です。
船尾さんのサイトは次のところです。
http://www.atelier-hb.com/funao/
またパキスタンに入ってからの報告は次のところに出ています。
http://www.atelier-hb.com/funao/p009/009_index.html
このサイトは実に読みにくく、設計ミスだと私は思いますが、我慢して読んでください。
ちなみにパキスタン北部大地震に関するサイトはたくさんありますが、
例えば次のサイトは最近の様子を含めて復旧状況がよく分かりますし、
また現地に行っていた人の各地の説明会の案内もあります。
http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nippagrp/pearthquake.htm
■伝統文化プロデューサー濱崎加奈子さん(2005年11月22日)
久しぶりに濱崎さんに会いました。
伝統文化に研究と実践と両面で取り組んでいる若者です。
東大の大学院の特別研究員ですが、コムケアに応募してくれて以来のお付き合いです。
彼女の最近の活動拠点は京都です。
連という組織を発足させ、
日本の伝統文化にこめられた知恵を現代に生かす方法を提案する活動に取り組んでいます。
ホームページから少し引用させてもらいます。
日本人であるという「根っこ」を見失いがちな時代にあって、
「伝統」をテーマに「日本」との「つながり」を、それぞれの内部にふたたび呼び戻し、
過去から現在、明日へ・・とつながっていく。
そんな社会を、ともに考え、共有し、実現することを目指しています。
京都で実践活動に取り組む中で、様々な問題に気づきだしているようです。
最近の若者たちの行動力にはいつも驚かされますが、研究に勢いがつき、会社まで設立してしまったのです。
その一方でまだ博士論文にも取り組んでいるようです。
何回かイベントのお知らせを届けてもらっていますので、もう事業基盤も確立しだしているかなと思っていましたが、
まだなかなか本格的には動き出せないでいるようです。
文化政策は今まさに求められているテーマですが、
行政も企業も中途半端にしか取り組んでいませんから、そうしたところとの連携はそう簡単ではないでしょう。
文化を軸にしたまちづくりも盛んですが、彼女たちのような純粋な視点はなかなか受け入れられないかもしれません。
しかし時代は間違いなく、本物の、しかも生活につながっている文化を求めだしています。
濱崎さんたちの活動のこれからがとても楽しみです。
ホームページをぜひご覧下さい。
それにしても、さまざまなところで若者たちががんばっています。
せめて彼らの邪魔だけはしたくないと思っています。
■助成という仕事とプログラムオフィサーの役割(2005年11月22日)
日本財団などの主催する助成財団研修セミナーに参加しました。
コムケアの紹介をしてほしいと言われたのです。
この種のセミナーはとても苦手なのですが、事務局が知人の小林香織さん(笹川平和財団)ですので、断れませんでした。
なぜ苦手かというと、基本的に発想が違うような気がしているのです。
多くの場合、会話が成り立たないのです。
その一番大きな理由は、私のコミュニケーション能力にあります。
あるいはコミュニケーション意欲でしょうか。
違う世界の人という「思い込み」が私にはあるのです。
ブログで「ペルソナとシャドー」について触れましたが、
私のもう一つの思い(シャドー)がいまのNPO中間組織のスタイルとして発展しているのが、素直に受け入れられないのかもしれません。
困ったものです。
会場に行ってみたら、参加者はほとんどがNPO資金助成財団の人たちでした。
楽しいワークショップを少しイメージしていましたが、講演スタイルのパネルディスカッションでした。
パネリストは、ヤマト福祉財団の専務理事の早川雅人さんと市民社会創造ファンドの坂本憲治さん、
坂本さんとは前に一度、こうした交流会でお会いしています。
コーディネーターは助成財団センターの久須美雅昭さんでした。
会場のみなさんにコムケアをご存知ですかと質問したら、誰も知りませんでした。
そういえば、参加した人たちの属している財団も、私自身知らないところが多かったのですが、こうした活動の横のつながりはあまりないようです。
ここにも大きな問題があるように思います。
産業社会のパラダイムである「つながり軽視」がここにも継承されています。
早川さんは小規模作業所パワーアップセミナーの話をされました。
私はスワンベーカリーしか知りませんでしたが、とてもいい活動だと思います。
ただ宅急便の抱える構造的な問題を考えると、どうも素直には受け入れられなくなっている自分があります。
坂本さんとは3年ぶりでしょうか。とてもいい活動になっていると思います。
しっかりしたロジックで、さまざまなプログラムを開発しています。
坂本さん自身のビジョンも感じました。
一度また市民社会ビジョンについて意見交換したいとも思いました。
私の話はいささか中途半端に終わってしまいました。
私にはどうも相手に理解してもらいたいという意識が少ないようです。
これはまあ私の悪癖のひとつですが、今回はどうもそれがもろに出たように思います。
「資金」助成の時代は終わったということを「資金」助成担当者の前で中途半端に話しては反感を買うのは当然です。
反省しなければいけません。
いつになっても成長しない自分にいささか嫌悪感を感じました。
ちなみに、資金助成する立場が権力構造を生むという話がでましたが、
むしろそれに乗っていた構造が少しずつ切り崩されているようです。
意識が芽生えれば、状況は変るものです。とてもうれしいことです。
それが今回の大きな収穫でした。
■第26回我孫子合唱祭(2005年11月23日)
私の女房は地元の女声合唱団「道」のメンバーです。
毎年、我孫子市では市内の団体の合唱祭を開催し、「道」も参加します。
私も最近は極力聴きに行っています。
一時はどこかの男性コーラスグループへの参加を考えたこともあるのですが、
いろいろなことに関わりたいノマド性のある私には無理そうなのでやめています。
今年は23のコーラスグループが参加しました。
次々とさまざまなグループが、さまざまな曲目を発表するのですが、いつも思うのですが、どうも退屈です。
もう少し物語性を考えた編集があればかなり雰囲気は違ってくるでしょう。
今のままでは単なる発表会ですから、聴き手も面白さを感じません。
こうしたイベントも、そろそろ基本的な設計を見直すべきだろうと思います。
遊びの要素がもう少しあるともっと魅力的なものになるでしょう。
実行委員会方式をとっているのでしょうが、その仕組みの問題かもしれません。
「道」の今年の出し物は、ブラームスとフォーレの歌曲でした。
指揮者の谷篤さんが訳詞、編曲をされたのです。昨年は万葉集でしたが、がらっと雰囲気が変りました。
女房は前日まで歌詞が覚えられないと練習していましたが、なんとか歌え終えられたようです。
出場者は女性のほうが多いです。女性の平均寿命が延びていくのがよくわかります。
川崎さんの報告はフィンランドで展開されている内的起業家精神教育モデルの紹介です。
北欧は福祉のモデルとしてよく取り上げられますが、
1990年代の経済的危機のなかで人材を育てることを主眼とした思い切った教育システムの改革があり、
その一つのモデルとして出てきたのが、このモデルだそうです。
もっともこれは、全国的なものではなく、バーサ地区での事例だそうですが、
フィンランドでは思い切った現場への分権が行われているので、様々なところでこうした試みが行われているようです。
それが見事に成功し、いまやフィンランドは経済的にもとても元気になってきており、
今やフィンランドは「福祉&経済」のモデルになっていると川崎さんは話してくれました。
川崎さんは単なる知識としてではなく、実際に教育の場でさまざまな活動を実践されています。
そこにとても共感を覚えました。
いずれも示唆に富むお話でしたが、こうした現場での知見がなぜか社会の知として広がらないのが残念です。
またそこでの知見も、なかなかパラダイム転換にはつながりにくいのが現実です。
ところで、今日から思わぬ人が委員として新たに参加されました。
NPO法人人材アカデミー理事長の大森淑子さんです。
一度、お身体を壊されてとお聞きしていましたが、とても元気そうでした。そして情熱的なのは全く変わっていません。
大森さんとの接点は教育を考えるフォーラムのときです。
これはもうかなり前の活動ですので、このホームページには書き込みがありませんが、
「頭の体操」の多胡輝さんと市川覚峯さんたちが中心になって日本の教育問題を考える活動を1年行いました。
その活動は参加者のメッセージをまとめた本として出版されましたが、私はその会議のコーディネーターを頼まれたのです。
私の価値観とはかなり違う人たちの集まりでしたので、違和感はありましたが、それなりに面白かったです。
ちょうどその頃、大森さんは大学生と企業の人事部門の接点づくりの活動をしていましたが、それを一度だけお手伝いしたのです。
大森さんの活動はホームページをご覧ください。
次回の研究会で、もしかしたら大森さんから報告があるかもしれません。
■危ない話(2005年11月24日)
先週、「不可解な大事件」と称して、私の失策を書きましたが、
それを読んだ広島の折口さん(折口日記)が、私も似たようなことをやったので安心してくださいと慰めのメールをくれました。
折口さんも同じような経験があるからといって、安心できるのかどうか悩みますが、折口さんはいつもやさしいのです。
ところがまたまた、安心できない事態が起こりました。
今日は、房総半島の先端近くの富浦でKAEの合宿です。
私は夕方、人に会う約束があったため、東京を出るのが遅れ、各駅停車を乗り継いでいかなければならなくなりました。
まず蘇我で乗りかえ、君津で乗りかえ、10時過ぎにホテル着になる予定でした。
ところがなぜか、君津で降りるべきところを、一つ手前の木更津で降りてしまったのです。
そのため、なんと木更津駅で1時間近く次の電車を待つことになってしまいました。
君津から先は1時間に1本しか電車がないのです。
唖然としました。最終でなくて良かったのですが。
まあ、そのおかげで昨日と今日の報告を書き込めたのですが(いま、ホームのベンチでパソコンを打っているのです)、これはいささか問題です。
なぜ疑いもなく終点で降りるべきところを一つ前で降りてしまったのか。
元気であれば、深層心理的に解析?したいところですが、そんな元気はありません。寒いのです。
これはやはり健全な老化の現れとして喜ぶべきでしょうか。私も健全に成長しているようです。
ところで、寒いのでつい自動販売機で温かい飲み物を買ってしまいました。
何年ぶりでしょうか。
私は自動販売機反対論者なので、自動販売機は使わないことにしているのですが、その禁を破ってしまったのです。
何しろ寒いのです。
幸いにして、もうじき電車が来そうです。
パソコンに向かっていて、また乗り違えると大変です。
今度こそ間違わないようにしなければいけません。はい。
■KAE38期がスタートしました(2005年11月25日)
KAE経営道フォーラムの38期のスタート合宿でした。
今期はまた2チームを担当することになりました。企業理念と企業文化をテーマにしたチームです。
テーマに関する意見交換をしました。
今回からテーマ解題の話は止めて、参加者と少し議論しながら、それぞれのテーマの切り込み方を考える契機にしてもらおうと思いましたが、
これがなかなか難しいのです。それでも参加者の問題意識はかなり理解できました。
やはりポイントは「人」です。
今の企業が人をあまり元気にはしていないことが良くわかります。
人が元気でなければ、企業の発展はありませんが、その当然のことが「管理」によってカモフラージュされているのです。
昨日、フィンランドは福祉と経済とが両方ともレベルが高いという川崎さんの報告を紹介しましたが、本来、両者は深く連動しているはずです。
フォード自動車の有名な「5ドルの成功」という話があります。
まだ自動車産業がヨチヨチ歩きの時代の話ですが、フォードでは従業員の日給を一挙に倍増し、5ドルにすることを決めました。
これは有識者の批判の対象になり、フォードは倒産すると騒がれました。
しかし、実際にはこれがフォードの急成長の契機になったのです。
従業員の給与を高めること、つまり従業員福祉(その一部ではありますが)を充実することが生産性を高め、
さらには給料が上がったために従業員にとっても自社製品の自動車が手の届くものになったのです。
それで市場が一挙に拡大し、さらなるコストダウンにつながったのです。
福祉と経済は決して別のものではありません。
むしろ深くつながっているのです。
企業にとって、理念も企業文化も業績を上げるためのツールです。
あるいは従業員を支援するためのツールです。
にもかかわらず、現実は業績にとってほとんど役にたたない理念があり、従業員を働きにくくする企業文化が存在します。
なぜでしょうか。
私は根底にある二元論発想が災いしているのだと思います。
環境と経営、福祉と経営、働きやすさと業績、社会責任と利益、社会貢献と利益、
これらはいずれも対立概念ではなく、シナジーのポテンシャルを持つ概念なのです。
私たちが陥っている「二元論発想」を克服して、それらを統合する視点を持てば、企業は全く違ったものになるでしょう。
長々書きましたが、この二元論を克服できるかどうかが、経営道フォーラムの一つのポイントだと私は思っています。
なかなか伝わりませんが。
今期の皆さんは、何をテーマにして、どんな議論に発展させるでしょうか。
楽しみです。
■今年最後のオープンサロン(2005年11月25日)
今年最後のオープンサロンです。
サロンを再開しましたが、今年は少人数のじっくり話し合い型サロンになりました。
そして、なぜか3人のときが多かったのですが、今日も3人でした。
銀座の女帝、田村順子さんによれば、私の数字は「5」なのだそうですが、なぜか「3」なのです。
しかし、よく考えると、私たち夫婦を入れると見事に5人なのです。
参加者は川口さんと武田さんと新田さんです。
川口さんからは地元でのまちづくり活動に関する話がありました。
住民が主役になるまちづくりとは何なのかがポイントですが、川口さんの思いと私の思いはかなり重なっているようです。
その視点から考えると今の住民参加型のまちづくりはあまり評価できません。
理想は谷和原村の横田さんたちの活動ですが、こうした活動をどうして起こしたら言いかが課題です。
武田さんには面白い動きがこれから起きそうですが、これはまだ未公開のようなので書き込みはやめておきます。
2つありますが、近いうちに公表できるでしょう。
もちろんリンカーンクラブに関する活動です。
久しぶりに新田さんがきました。
新田さんは私のホームページで案内した、憲法の集まりに参加した人です。
今年最後のサロンだと言うのでやってきてくれました。
実はこの新田さんは「謎の人物」なのです。
今取り組みだしているのは、子どもたちの国語力強化プロジェクトです。
新しいビジネスモデルも考えているようです。
後半はその話に集中しました。
それに関して、川口さんが「知識の杭」と言う言葉を紹介してくれました。
世田谷にある静嘉堂文庫美術館のガイドの人の言葉だそうです。
そこから昭和のくらし博物館の話になり、
さらに 鮫島順子さんの本の話になりました。
川口さんはその2人の本をお持ちでした。
ちょうどいま、川口さんが読んでいるそうで、かばんの中から鮫島さんのサイン入りの本を出されました。
鮫島さんの本は以前ここでもご紹介しましたが、日本のかつての暮らしをご自分の生活風景として描いています。
その出版には少しだけ相談に乗りました。
鮫島さんもコムケアセンターにやってきてくれたことがあります。
最近はお会いしていませんが、鮫島さんは渋沢栄一の孫です。
そして、 鮫島さんの甥の澁澤寿一さんとはローカルジャンクション21でご一緒なのです。
世界は本当につながっています。
まだ謎の人物の新田さんともきっとどこかでつながっているのでしょう。
今年のサロンはこうした無事終わりました。
(2005年11月第5週)
また風邪を引いてしまいました。
ひどくないので、通常の生活をしていますが、頭がうまく回りません。
風邪のせいかどうか、いささか疑問ではありますが。
■パソコンから解放された4日間(2005年11月27日〜30日)
女房に元気が出てきたので、女房の姉夫婦と一緒に箱根に行ってきました。
義姉夫妻と一緒です。
紅葉はあまりきれいではありませんでしたが、久しぶりに富士山を裾野から完全な形で見ることができました。
いつ見ても感動的な風景です。
今回はパソコンを持ち歩きませんでした。
女房は旅行にパソコンを持ち込むのが嫌いなのです。
私の感覚は携帯電話のようなものですが、女房にはビジネスツールに見えるのです。
旅に出るといろいろな人に出会えますし、いろいろな発見があります。
箱根や熱海がなぜさびれてきているかもわかります。
大雄山最乗寺にも行きました。
関東にはめずらしい雰囲気のあるお寺です。
女房たちがご朱印をもらいに行っている間、境内のベンチで、落ち葉を掃いている人を見ていましたが、とても豊かそうでした。
見ている人までも幸せにしてくれる、リズムを持っています。
寺社空間の持つ、この清浄な空気は一体何なのでしょうか。
その余韻を大切にするために、旅行中はテレビもやめました。
テレビやパソコンは、私たちを豊かにしてくれているのでしょうか。
今日、帰宅してパソコンを開いた途端に、また元の生活に戻りました。
世情は問題で埋まっていますね。
うれしい話もないわけではありませんが。
■良心の高さとコストの安さは比例する(2005年12月1日)
私もそうですが、零細企業の経営は相変わらず大変です。
大企業は巨額の利益を上げているようですが、個人生活の感覚はまだきっと不況ではないかと思います。
私はバブルがはじけた時ですら、不況ではなく平常に戻っただけと書いて、あるエコノミストから怒られましたが、その認識は全く変っていません。
予想していなかったのは、個人の生活を犠牲にて組織(一部の経営者と出資者と金融業者)が利益を上げ続ける構造がここまで進んでしまったことです。
唯々諾々と組織に使われている人の多さには意外な感じがします。
今回の姉歯設計事務所に端を発した事件ですが、これなどは経営者までも被害者にしてしまうほどに組織の論理が強くなっています。
データ改ざんはいずれ露呈し、自社が破産することは冷静に考えたらわかる話です。
しかし、社長たちは一緒になって危険な構造物を立て続けたわけです。
自殺しなければいけなくなるまでに、なぜ彼らは続けたのでしょうか。
この事件で利益を上げたのは「産業」であり、「経済成長率」です。つまり「組織」なのです。
リストラブームで従業員たちを切り捨てたように、今度は経営者までが切り捨てられている図式を感じます。
加担した企業の経営者たちは加害者ですが、組織やシステムとの関係でいえば「被害者」かもしれません。
前置きが長くなってしまいましたが、今日は小さな会社を経営している友人が突然相談にきました。
設計・建設関係の仕事をしているのですが、最近、なかなか仕事がなくて苦戦しています。
見積もりを出しても高すぎるために、なかなか受注できないのです。
良心とコストは残念ながら昨今の市場では反比例しているようです。
しかし、「コスト・パフォーマンス発想」を取り入れれば、コスト評価は全く変わります。
コストと良心は実際には正比例の関係にあるはずです。
買い手がそれに気づかなければいつになっても事態はかわりません。
公害事件や欠陥品問題で、そのことはもはや自明の理になっていたはずですが、
懲りない人たちは相変わらず、これまでの路線を走り続けてしまったのです。
しかし、私たち消費者も同罪であることを自覚する必要があるようです。
■我孫子市の市民活動の可能性(2005年12月1日)
我孫子市長が「市民自治の可能性」と言う本を出版しました。
市長のビジョンとこれまで展開してきた施策の一部をまとめた本です。
埼玉県の市民活動情報センター・ハンズオン埼玉が「私のだいじな場所―公共施設の市民運営を考える」を出版しました。
協働→参加のまちづくり市民研究会がまとめた調査報告書です。
2冊の本を読み比べると、行政と住民の視点や展望の違いがよくわかります。
さて、我孫子市です。
我孫子市でさまざま活動に取り組んでいる人たちの気楽な集まりがありました。
私も参加させてもらいましたが、これまで活動してこなかった私には不思議な話もあれば、素晴らしい発見もありました。
現場で活動している人たちの発言はいつも生き生きしています。
ただ、まだ「官民」の枠組みからなかなか抜け出られずにいるように思います。
つまり市民自治ではなく、市民参加の段階です。
そこから抜け出ていくためには、活動のドメインと体制を変える必要があるかもしれません。
今日は初回だったので、それぞれの自己紹介から始まりましたが、女性たちの活動には感服します。
いつも思うのですが、男女共同参画の問題設定は基本的に間違っているように思います。
正すべきは男性の生き方であり、生活状況の悪い男性たちを支援することです。
15年前に電機連合の集まりで話させていただいたことがあるのですが、なぜかまだ女性が社会的弱者という基本認識が続いています。
基軸が違うと発想は全く反転するはずなのですが。
話は盛り上がってしまい、なんと4時間半にもわたってしまいました。
風邪がまたひどくなってしまいました。
この集まりは継続することになりました。どう展開するでしょうか。
我孫子の住民の方がもし読者にいたら、ぜひご参加ください。
ご連絡いただければ、集まりの場所と時間をご連絡します。
■地域社会も動き出しているようです(2005年12月2日)
大分に転居して百姓生活に転じた花崎・竹沢夫妻から毎年恒例の手紙が届きました。
この1年間の農業生活の報告ですが、収穫物のリストもあり、購入もできます。
収穫物一覧表を添付しますので、よろしければ購入してください。
夫妻が手塩にかけて育てた安心作物です。
めったに手にはいらない希少作物もあります。
もし購入していただける場合は、直接竹沢さんにメールで発注してください。
あるいは私に連絡してくだされば、転送します。
ぜひごひいきにお願いします。
今年の報告は面白かったです。
少しだけ引用させてもらいます。
2007年問題とかで、この町の土地もけっこう動いているようです。
そうでなくとも、広島に住んでいたが会社を辞めて家族で戻ってきたとか、離婚して子供づれで戻ってきたとか、
そんなこんなで毛色の変わった移住者がふえて、ひょっとしたら町も変わっていくかもしれません。
地域というのは生きているのですね。
この10年だけでも、少し変わったように思います。
この際、変わっていくこの地域を見続けていこうと考えています。
ついでにこの国が変っていく様子を、徹底的に見続けていこうではありませんか、ふてぶてしく元気に、最後まで。
大地と一緒にエコロジカルに生きている住民の強さを改めて実感します。
私のように砂上の楼閣で小賢しく生きている人間には、こういう腰の座った主体性はありません。
国の変容にいらいらしてしまう小賢しさを超えなければいけません。大いに反省。
ところで、この花崎・竹沢夫妻の甥が我孫子地区代表でがんばっている千葉県議の花崎弘毅さんです。
またパキスタン地震被災者支援のためのポストカードの写真家の船尾さんも、
竹沢さんたちの町(大分県国見町)に数年前から転居し、農業に取り組んでいるそうです。
今はパキスタンに行っています。
パキスタン地震被災者への寄付もよろしくお願いいたします。
ポストカードは私のところにありますので、ご購入ください。
■高齢者が望んでいること(2005年12月3日)
読売新聞の記事を読んで何人かの方から手紙やメールをもらいました。
多くは元気な高齢者からです。
みんなそれぞれのビジョンを持ちながら活動したいと考えていますが、応援団が見つからないのです。
高齢者は決して「お客様」ではなく、地域社会の主役のはずですが、主役として活動する仕組みが整備されていないのです。
米国ではシニアのインキュベーターが多いと聞いたことがありますが、
知恵と経営資源を持つシニアがソーシャルベンチャーを起こしていく仕組みはもっと考えられていいでしょう。
高齢社会は決して暗い社会ではなく、成熟した元気な社会になるはずです。
連絡をくれたお一人の的場トシ子さんとお会いしました。
会社経営をしていた夫が3年前に亡くなったのですが、
残してくれた土地を活かして、高齢者が元気に楽しくなる施設をつくりたいと考えています。
どうして取り組めばいいのか、展望が開けない時に、私の記事を読んで会いに来てくれたのです。
67歳ですが、とてもお元気です。
お話を聴いていると、いささかの不安を感じます。
的場さんの善意が、裏切られないように実現するにはどうしたらいいか。
しっかりと具体的にアドバイスしてくれる人が不足しているのです。
来年にも開業を想定されているようで、資金繰りや建設設計などの話が進んでいるようですが、
的場さんの善意と周囲のビジネス志向との溝を感じました。
あまり書くと差しさわりが出るでしょうが、こうした人をしっかりと支援する仕組みが日本にはまだ少ないのです。
そのために、高齢者の資産に群がる人たちによって、残念な結果になることも少なくないのでしょう。
ともかく、信頼できる人で時間をかけてじっくりと構想し、計画化するといいと勧めました。
今の私にはそれくらいしかアドバイスできませんが、
2時間近い話し合いの中で、問題が整理でき、実現への糸口がつかめたと喜んでくれました。
どう展開していくか、楽しみです。
(2005年12月第1週)
風邪をこじらせてしまいました。
予兆があったので、月曜日はコムケアサロンにもかかわらず早目に帰宅したのですが、間に合いませんでした。
翌日から体調が悪化する一方で、2日も寝込んでしまいました。
そんなわけで今週の予定はほぼすべてキャンセルさせてもらいました。
このホームページで案内していた集まりも延期させてもらいました。
ご迷惑をおかけしました。
そんなわけで、今週は病床日記です。
熱のせいか、理屈っぽいです。
■さまざまながんばり方(2005年12月5日)
若い友人から写真展の案内がきました。
大内山真一郎。年に1、2回連絡がありますが、最近は会ったことがありません。
鹿児島大学卒業後、東京に出てきて、がんばっています。
今月の15日から20日まで代官山のフォトギャラリーAOACAで写真展をやっているそうです。
よかったら行ってやってください。がんばっている若者です。
横から見ていてとても不安なのですが、着実に前進しているようです。
超大企業の現役部長がオフィスに立ち寄ってくれました。
私が敬服する企業人の一人です。
こういう人が企業のトップになれば、きっと日本の財界も変るでしょう。
ビジネスではもちろんですが、地域活動もしっかりと行い、自らの生活も大切にしている人です。
昨今の企業人のがんばり方には少し違和感がありますが、こういう人のがんばりにあうとホッとします。
そして、大企業にも期待を持ってしまいます。
友人から本が送られてきました。
「ものづくり都市の再生」。著者は藤原肇さんです。
藤原さんは東レ時代の私の1年先輩ですが、私より早く東レを退社し、繊維産業やファッション産業の分野で活躍した人です。
がんのために今年亡くなりました。
昨年、そのうち訪問したいという連絡があったのですが、結局会えずじまいでした。
彼のメッセージを聞き損ねてしまいました。会いに来いというメッセージだったのです。
そんなに病状が悪いとは知りませんでした。
亡くなった後、友人たちが彼の論文をまとめて本にしました。
それがこの本ですが、藤原さんの友人である増山さんが私にも読むようにと送ってきてくれたのです。
藤原さんのがんばりの一部を、本を見せてもらって知りました。
がんといえば、先週末に壮絶ながんとの闘いにあった税理士の郡嶋さんが亡くなりました。
意思の強い人でしたので、奇跡がまた起こると確信していたため、見舞いにも行かずに悔いを残しました。
彼女とは2度しか会ったことがなく、しかもほとんど話らしい話もしていないのですが、
私が取り組んでいるコムケア活動にとても共感してくれていました。
姪御さんに手紙を書きながら、彼女のがんばりを思い出しました。
彼女が最後にあるところで話した記録が送られてきましたが、とても説得力がありました。
今日、メールが来たのが福岡でデイケアに取り組んでいるコムケア仲間の梅川さんです。
高い志の元に、納得できる福祉事業に取り組んでいますが、現実は大変なようです。
「自力でがんばりこの薄氷の上を渡りきり」たいとメールが来ました。
いささか心配ながんばり方ですが、彼の一途な性格は止めようもないでしょう。
今日はなぜか、がんばるというキーワードで1日がすぎました。
館山でがんばっている70代の元気シニアからの電話もありました。
がんばり方にはいろいろあります。
今日、がんばらなかったのは私だけです。
風邪がひどくなりそうだったので、楽しみにしていたコムケアサロンも欠席して早々と帰宅し、寝てしまいました。
■風邪がこじれてしまったようです(2005年12月6日)
昨夜、早く帰宅し、すぐ寝たのですが、夜中から咳が出はじめました。
今日は事務局をつとめる技術者倫理サロンが予定されていたのですが、延期させてもらいました。
他の予定もキャンセルさせてもらって1日、自宅で休養だったのですが、この休養というのが曲者です。
寝ているほどひどくはない上に、とにかく咳が出るのでどうしようもありません。
ブログでも書こうかと時々パソコンに向かいますが(今もそうですが)、いつもと違って書くことが頭に浮かびません。
本を読もうとしても難しい内容のものは読む気になりません。
寝るでもなく、何かするでもなく、家の中をうろうろしながら居心地悪く生活しています。
昨年もたしかこんな感じだったのを思い出しました。
年末に風邪をこじらせるのは、どうも私の年間行事になったようです。
今週はちょっと早い冬休みにしようと思います。
■身体の煩わしさ(2005年12月7日)
咳がとまりません。
起きているといいのですが、寝ると咳が出てくるのです。身体の変調が眠らせてくれません。
身体というのは実に厄介なものです。
自分でコントロールできません。
身体がなければ痛みや苦痛も起きないわけですし、きっと寿命もないでしょうから、釈迦が悩んだ生老病死の四苦から解放されるでしょう。
しかし、身体がなければ生命は具現化できないのですから、実は生きるということは苦痛を引き受けるということになります。
もっとも、苦痛は快楽の一面ですから、苦楽は同一のものというべきでしょうが、やはり生きることはそれなりの覚悟が必要です。
今日は生命と身体について、めずらしくいろいろと考えてみました。
そういえば、参加できなかった月曜日のコムケアサロンは、感声アイモの発声法がテーマでした。
発声が生き方を変えていくことを実践されているのです。
アイモの開発してきた「健康ボイストレーニング感声」はまもなく話題になっていくでしょう。
身体論といえば、柴崎兄弟を思い出します。
時々メールをもらいます。私も一度武芸を体験しろと勧められていますが、私はそうした生き方がまったく不得手な人間なのです。
私には、身体はどうも煩わしい存在になってきてしまいました。
■3冊の雑誌を読みました(2005年12月8日)
どうしても行かなければならない用事があって、午前中オフィスにでかけましたが、
やはり調子が悪く、熱もあるため、用事が終わり次第帰宅し、自宅で過ごしました。
今日はオフィスと自宅に3冊の本が届いていました。それを読むことにしました。
まず、ダイヤモンド社の経営雑誌「ダイヤモンド・ハーバード・レビュー」です。
開いたら、昔、翻訳させてもらった「オープンブックマネジメント」の論文が再録されていました。
そういえば、先日編集長から連絡がありました。
再録と同時に、翻訳出版した書籍を新装版で再販することも検討してくれるそうです。うれしい話です。
オープンブックマネジメント(OBM)の思想は「コモンズの回復」につながる話であり、それが広がったら日本の企業はみんな元気になるはずです。
そして、今のようなばかげた不祥事は起きなくなるでしょう。
OBM革命で日本の企業や行政を元気にしたい、が私の思いです。
もう1冊は、私の愛読書の「軍縮問題資料」です。
今月号の特集は「改憲論を斬る」と「在日米軍再編」です。
元防衛官僚の竹岡勝美さんの「夫や息子が海外派兵で殺されぬか」はとても共感できます。
この論文だけは次のサイトから読めますのでぜひお読みください。
http://www.janjan.jp/
教育ライターの永野厚男さんの『「もの言えぬ学校作り」をたくらむ都教育庁』もとても読んでほしい記事です。
日本の学校はますますおかしな方向に走っているというべきでしょうか。
そろそろ学校の役割は終わりました。
平和を望む人にはぜひ購読してほしい本です。申し込みはホームページからできます。
3冊目は、住民流福祉総合研究所の「月刊住民流福祉」です。
以前は「元気予報」という表題でしたが、今年から題名が変りました。
言うまでもなく、住民流福祉総合研究所の木原さんが出し続けてきた雑誌です。
福祉の分野で私が一番愛読している雑誌です。ともかく教えられることの多い雑誌です。
今月の特集は「支え合いマップに滲み出てきた福祉の病理」です。興味ある題名でしょう。
この雑誌は30ページ強の小冊子ですが、その内容は実に示唆に富んでいます。
ぜひご購読ください。年間2000円です。
申し込みは住民流福祉総合研究所のホームページでできます。
今日ではありませんが、昨日、協同総合研究所の「協同の発見」も届きました。
今月の特集は「障害者自律支援法」でした。
この雑誌も私が長らく愛読している1冊です。
NPOやソーシャルベンチャーに関心のある方にはぜひお勧めします。
■暖かな日和の中での不安(2005年12月9日)
体調は相変わらず良くありません。風邪にしてはちょっと長すぎますし、咳も抜けません。
最近は結核も広がっているようですので、家族は医者に行けといいます。
しかし、前回行った時にもらった降圧剤を飲んでいないので、気が進みません。
久しぶりに血圧を測ってみました。
なんと下が106でした。
きっと風邪のせいだ、と小賢しく理由を見つけて自分を納得させてしまうのが私の悪いところですが、慌てて例の松寿仙を飲みました。
こうしてみんな手遅れになっていくのでしょうか。いやはや。
それにしても今日は小春日和です。
ここに転居してから、これほどゆっくりした数日を過ごしたことはありません。
いつも何かばたばたしてしまっています。困ったものです。
今日は昨日に続き、読書三昧しようと考えました。
自宅で本を読むのは不得手で、自宅では滅多に読書はしないのです。
電車の中が私には最高の読書時間です。
ちょっと古い本ですが、途中で挫折していた土屋恵一郎の「正義論/自由論」を読みました。
最近ブログでロールズの正義論に出てくる「無知のベール」なる言葉を使ってしまい、気になっていたからです。
ついでに、これも読みかけだったイリイチの「生きる思想」のまだ読んでいない章を読みました。
その第3部の「健康・体・生命の概念」は、まさに2日前に考えた生きることと身体につながる話です。
いずれからもたくさんの刺激を受けましたが、風邪のときにこんな本を読むのはどうかと思い出し(あまり理解できないように感じました) 、
実は2冊ともまた完読できずに終わりました。
気分直しに読み出した夕刊に驚きの記事が出ていました。
立川ビラまき事件の控訴審判決の記事です。
以前にもブログで問題提起しましたが、東京都立川市の防衛庁宿舎で、
自衛隊のイラク派遣に反対するビラをまいて住居侵入罪に問われた「ビラ配りで逮捕」事件です。
控訴審は、無罪だった一審判決を破棄した逆転有罪判決でした。
驚いてしまいました。新聞記事をお読みください。
http://www.asahi.com/national/update/1209/TKY200512090171.html
小春日和どころではありません。
正義論や生きる思想どころか、足元が危うくなっています。
日常感覚に合わない司法のおかしさを考える時、裁判員制度などの制度遊びでごまかされてはいけないと改めて思いました。
法曹界の人たちは、日常感覚に合わない裁判の実態を少し真剣に考えてほしいと思います。
せっかくの静かな読書三昧の思いも、無残に打ち破られました。
■自由に、自律的に生きるということ(2005年12月10日)
風邪の悪化から5日目です。
日中はかなりよくなりましたが、なぜか夜になると咳がでるため、寝つきがよくありません。寝不足の感じです。
今日は日本構想学会の大会の1日目なのですが、休ませてもらうことにしました。
明日は総会のため行かなければならないのと、来週からまた少し忙しくなるため、ともかく大事をとることにしました。
実はこうやって何もしないでいると、罪悪感が生まれます。
みんな働いているのにサボっていていいのかという潜在意識が強く埋め込まれていて、週日に自宅にいると不安感が強まるのです。
そういう私に、女房は、「同世代の人は定年退職して悠々自適なのだからゆっくり休んだらいい」といいます。
以前はそれに反発していましたが、最近はその言葉で自己納得するようになってきてしまいました。
罪悪感からはかなり解放されました。
それにしても、自由に生きる、ということは難しいことです。
行動の自由を規制する条件は二つあります。
外的規制と内的規制です。
私の場合、会社を辞めた時から「自由に、自律的に生きる」ことを大事にしてきました。
しかし、様々な自己規制が埋め込まれていたために、なかなか自律的とは言い難い生き方を続けてきています。
たった数日の休暇ですら、そうなのです。
会社を離脱した時の基本方針が、「働くでもなく遊ぶでも休むでも学ぶでもなく、生きる」でしたので、
本来は「休暇」という概念さえ否定していましたので、これはとても矛盾した話です。
しかし、頭とは別に身体が反応してしまうのです。
私の場合、外的規制はかなり弱いです。
やりたくないことは断る選択肢がかなりありますし、実際に断ることが多いのですが、だからと言ってやりたいことだけをやっているわけではありません。
やりたくないことを断らないのは、自己規制のためであることが多いです。
たとえば、ビジネスではなく誰かが困っていて、相談を受けたとします。
大体において断れません。
「困っている人には可能な範囲で手を貸すべきだ」というルールが私のなかにあるからです。
いや、私だけではないでしょう。誰にもあるはずです。
しかし、「可能な範囲」とは何かです。これが難問です。
どうも私の身体の中には、独自の自己規制条件が埋め込まれているようです。
ですから自由のようで、あまり自由でないのかもしれません。
まあ、今日はそんなことを考えながら、空の美しさをみながら1日を過ごしました。
夕方、夕焼けを見に手賀沼に行きました。歩いて5分なのです。
遠くに富士山のシルエットが見えました。いつ見ても感動します。
風邪が治ったと思ったのですが、やはり夜の9時を過ぎると咳が出ます。
風邪ではないのかもしれません。
来週は元気になれるでしょうか。
(2005年12月第2週)
相変わらず体調不振です。今年は思い切り長いです。
免疫力が低下しているのでしょうか。今週もあまり活動的でない1週間でした。
■日本構想学会は第2期に進化します(2005年12月11日)
昨日は風邪で休んでしまいましたが、今日は参加できました。
久しぶりに宮城大学のメンバーにも会えました。みんなそれぞれに成長しています。
午前中は4つの発表がありました。
日本構想学会のサイトで発表抄録を読めると思いますが、
「リベラルアーツ」
「グリーンツーリズム」
「産業クラスター」
「広州市サンパーク地区の開発」
です。それぞれに面白い発表でした。
最後の開発事例はダイナアーツ・インターディベロプメントの加藤誠也さんがプロデュースしているプロジェクトですが、
加藤さんらしいダイナミックな取り組みです。
最近は加藤さんと会えるのも、この大会だけになりました。
加藤さんから、私のホームページには最近、ビジネスのにおいがしないし、表現がやわらかくなったと怒られました。
三浦さんが生きていたら、きっとそういいますよ、というのです。
そういえば、三浦さんが帰天してちょうど1年です。
まだ実感は持てませんが。あれ以来、彼の会社には行かないことにしています。実感したくないからです。
お昼時間に構想学会の総会をやりました。
学会の総予算は100万円弱です。
100万円もあればこれだけのことができるということでもありますが、運営はかなり厳しいのです。
ほとんどすべてが中心にいる半田智久さんのご尽力に依存しています。
その半田さんが今回はかなりの過労で私以上に体調が悪かったようです。
個性的な活動は特定の個人の個性と活動に依存していることが多いです。
しかし、特定の個人が持ちこたえられるのはせいぜいが5年です。
その意味では構想学会も新しい段階に移行すべき時期なのでしょう。
半田さんからそういう提案がありましたが、納得できます。
コムケア活動と非常に重なって、自分事のように感じました。
午後は2つのラウンドテーブルセッションでした。
1つ目は横浜市立大学の医学部の学生たちによる「ヒポクラテスの誓い」です。
企画者は同大学の後藤英司教授、ゲストコメンテーターは河原直人さん(生命医療工学研究所)でした。
とても刺激的な議論になりました。
こういう議論をもっと一般の人も入れながら話し合えないかと思います。コムケアのイベントとしてぜひ企画したいと思います。
2つ目は構想学会をこれからどうするかです。
来年で6年目ですので、最初の5年間の実績を踏まえて新しい体制とミッションを議論しました。
きっと面白くなるはずです。皆さんもぜひ参加されませんか。
私も来年は何らかのプログラムを企画運営したいと思います。
来年から早稲田にも慶応にも「○○構想学部」ができるそうです。
その受け皿になればとても面白い展開になります。
■日本橋タワービルの東レにはじめて行きました(2005年12月12日)
私が17年前までいた東レが、最近話題の日本橋タワービルに入りました。
初めて訪問しました。
コムケアの支援継続の相談です。
入るなり、こういうビルで一度は仕事をしたかったなという思いが浮かびました。
まだまだ未練がましいのが私の中途半端なところです。
受付に行ったら、思いもしなかった人に声をかけられました。
東レ時代に私が取り組んでいたCIのプロジェクトのことを覚えていてくれた森寶摂郎さんです。
当事はまだ入社間もなかったような気がしますが、今では課長になっていました。
時代はどんどん進んでいるわけです。
一緒にいた顔見知りの役員からも、新聞を読んだよと声を掛けられました。
CIプロジェクトに取り組ませてもらったおかげで、今でも覚えていてくれる人がたくさんいますので、とてもうれしいです。
東レには滅多に来ないのですが、来るとやはり当時の仕事のことを思い出して、またやりたくなるのです。
ビジネスのダイナミズムは、体験した人には忘れられないものです。
東レに来た時だけは、退社したことを後悔する気分が少しだけ出てきてしまいます。
困ったものです。
新しい東レのオフィス環境はとても快適そうです。
オフィス環境がそこで働く人の意識を変えるというのはとてもよく分かります。
都心再開発の中で、オフィスがどんどん新しくなってきていますが、
そこに移った大企業の企業文化はきっと大きく変っていくことでしょう。
いい方向であればいいのですが。
東レでは今年からCSRレポートを作成していますが、そこにコムケア活動のことも載せてくれました。
とてもありがたいことです。
さて、どうやってコムケア支援のお返しをしたらいいでしょうか。
そんなことは一切言わずに支援してもらっているのですが、何か考えないと気がすみません。これはしかし難題です。
企業と、こうした「結い」的な関係を作れるのは、とても幸せなことです。
そして、東レの企業文化は変わっていないのがとてもうれしいです。
ちなみにコムケアに関しては、東レは来年も支援してくれることになりました。
■コミュニティサロンづくりの活動が進んでいます(2005年12月12日)
柏にあるNPO支援センターちばの主催するコミュニティサロンづくりのプロジェクトのアドバイザーをしています。
と言っても、初回に少し話をさせてもらっただけで、その後、用事が重なって参加できずにいました。
これからはきちんと参加しようと思います。
残念なのは、参加者に我孫子市民が一人もいないことです。
中には船橋から参加してくれている方もいるのに、隣町にも関わらずに参加者がいないのは残念です。
このプロジェクトは、単なる机上論の研修ではなく、実際にコミュニティサロンかコミュニティレストランを実現してしまおうというプロジェクトなのです。
私自身、机上論の研修はほとんど興味がありません。
講師としては全く面白くないからです。
実際に一緒に何かをやるとなれば、私も楽しめます。
今日はこれまでのプログラムを踏まえて、具体的に何を目指すのか、その実現の第一歩として何をやるかのワークショップもどきをやりました。
面白い議論がたくさん出ましたが、要はみんな「居場所探し」をしているのです。
盛んに取り組まれている行政主導のコミュニティケア活動はほとんどが税金の無駄使いなのかもしれません。
何回か書いているように、私は「協働」発想が嫌いです。
今広がっている協働のほとんどは、行政のためのものであって、住民のためではないからです。
私が住んでいる我孫子市では市長が「住民自治の可能性」という本まで出版していますが、
残念ながら官民発想の上からの協働の域から抜け出られないでいるような気がします。
住民側にも問題はあるでしょうが、やはりビジョンとグランドデザインがないことが大きいです。
それがない協働は行政主導の制度づくりで終わってしまいがちです。
物語のないビジョンはパワーを持ちません。
参加者に住民流福祉の木原孝久さんを知っているかと聞いたのですが、誰も知りませんでした。
私が予想している以上に、住民流福祉の発想は広がっていないようです。
住民自治を本気で考えるのであれば、木原さんの話を聞かなくてはいけません。
しかしなかなか広がっていないようです。
木原さんの嘆きが少し実感できました。
木原さんへの協力をもっと真剣に考えようと思います。
みなさんもぜひ住民流福祉総合研究所のホームページを読んでみてください。
今のNPOの危険性や行政の間違いを発見できるかもしれません。
少し古いのですが、コムケアの集まりで話してもらった記録がありますので、読んでみてください。
木原さんの本当のすごさは必ずしも出ていないかもしれませんが。
http://homepage2.nifty.com/CWS/kihara-kouen.htm
■ヒポクラテスの会(仮称)が動き出します(2005年12月13日)
動き出すと道は開けるものです。
医療関係のコムケア的公開フォーラムをぜひやりたいと思っていましたが、なかなかコアチームをつくれずにいました。
それが具体的に動き出した途端に、ネットワークがひろがりそうです。
コアになると立候補してくれたのが横浜市立大学の医学部の学生たちです。
そのきっかけは日曜日の「ヒポクラテスの誓い」の話でしたので、勝手に仮に「ヒポクラテスの会」と仮称しておきます。
今日はライフリンクのメンバーでもある三谷宏子さんと会いました。
彼女もヒポクラテスの会の仲間になることになりました。
なぜそうなったかは前に書き込みました。
ところで、三谷さんはいま、「独り善がりプロジェクト」にはまっているようです。
無添加生活のために先ずは石鹸づくりをしています。
その最初の作品を持ってきてくれました。パーム油とオリーブ油と何とかで自製した石鹸です。
アルカリ分がまだ十分跳んでいないので、10日くらい乾燥させてから使うようにといわれました。
使い勝手が良かったコモンズショップで販売いたします。はい。
三谷さんはこの石鹸を病院患者に創ってもらったり、使ってもらったりできないかと考えています。
三谷さんはイタリアで生活していたこともあり、とてもラテンなのです。
他にも心強い参加者がいます。構想学会の若手の猪岡武蔵さんと丸山和人さんです。
ホスピタリティアートに取り組んでいる栗橋病院の本田宏さんもWAPの高橋雅子さんも協力を表明してくれています。
実はそのほかにも魅力的な人が2人、参加してくれそうです。
来週にでもプレミーティングです。今なら誰でも参加可能です。関心のある方はご連絡ください。
■千葉県会議員の花崎さんの関心は教育と医療です(2005年12月14日)
我孫子を基盤にしている花崎さんと久しぶりにゆっくり話しあいました。
花崎さんは今年、県議会議員の補選で当選した若手の議員です。
前に書いたように、大分の竹沢さんの甥です。20歳代の新進気鋭の新しいタイプの政治家です。
我孫子市で若者たちのやわらかなネットワークを育てたいと思っていますが、あいにく私にはそれほど接点がありません。
そこで相談に乗ってもらったのですが、前の時もそうですが、かなり関心事が重なっているので、話がとても弾みました。
花崎さんの関心事は、教育と医療です。
そして若者の就業支援や平和にも関心を持っています。
いずれも私のドメインに重なります。いろいろと情報交換や意見交換をしました。
川本さんの平和憲法の本も差し上げました。
花崎さんはまた、住民主役の自治を基本にしようとしている姿勢を持っています。
我孫子市では今それが一番欠けていますが、それを実現するためには少なくとも10年の時間軸で考えないとだめでしょう。
その時間軸は今の自治体の仕組みの中では難しいです。
よほどしっかりした首長が本気で取り組まなければ実現しません。
それに今の自治体は規模が大きすぎます。
統治主義者の霞ヶ関と有識者が市町村合併を推進しましたから、いまさらに規模は大きくなっています。
その反動で、実は生活圏レベルでの地域自治組織が話題になりだしています。
これもまた偶然なのですが、実は今日、町内会・自治会の研究会の話の相談を受けました。
まだシンクロニシティは続いているのです。
話がそれていますが、花崎さんとの共創プロジェクトが少し具体化しそうです。
■頑固なシューフィッターのお店はいかがですか(2005年12月15日)
小学校の時の悪がき仲間はいつになっても関係を変えられずにいます。
その最悪の仲間の4人組のうち、私以外が昨夜、新宿で忘年会をやりました。
私は運良く先約があり、参加せずにすみました。
さて、その報告がありました。ともかくこの仲間の共通点は成長していないことなのです。
それに、私以外はバランス感覚がありません。
強い主張の持ち主で、そのライフスタイルも個性の塊のようなものです。
常識人は私だけなのです。
そしてややこしいのは、きっと4人とも私と同じく、自分だけが常識人と考えていることです。
基準が違うと人の評価は全く変わります。困ったものです。
1人はマーケッター、1人はエンジニアなのですが、問題はもう1人です。
今回の主役はその人物です。
その職人は靴作りの職人なのです。
極めて頑固で、ラテン的で、無邪気で、しかし繊細で、独断的なのです。
信じられないくらいの無邪気な善人です。
言い方を変えると、まあバカともいえますが。
私もそれなりにバカですが、私よりも立派な誇りを持ったバカです。はい。
さて靴の話です。
靴をネット販売することになったのです。今日、そのサイトが開きました。
http://www.echirashi.com/beppinya/index.htm
シューフィッターのいる靴屋、別品屋です。
まだできたばかりですので退屈ですが。
皆さん、ぜひ見てやってください。
そして良かったら注文してやってください。
品質は私が保証します。
何しろ彼は靴一筋に生きてきた男なのですから。
しかし問題はここかからです。
靴職人の彼は最近は靴づくりをやめてしまっています。
彼からのメールを少し変更して引用します(文責:佐藤修)。
今でも20〜30万でオーダーメイドの靴は国内で販売されているようです。
でもそれがそれがどれほどのものか見たことがないのでわかりません。
しかし、 おそらく今の人間の技術では私の思っているような靴はできないと思います。
まだしばらくは既製品の靴の時代が続くと思います。
とても意味深長な言葉です。
近いうちに彼と会いたくなりました。
■コムケアのイベント助成プログラム(2005年12月16日)
コムケアではイベント支援助成プログラムを募集していましたが、18件の応募がありました。
運営委員会で選考基準を確認し、先週からその選考を進めてきましたが、予想以上に選考に難航してしまいました。
しかしようやく決定し、応募先に通知しました。
詳しくはコムケアセンターのホームページに書き込みますが、とても楽しみなイベントが10件選ばれました。
とてもうれしいのは、九州と大阪でコムケア仲間がコムケアフォーラムを開催してくれることです。
大きな福祉の輪が少しずつ広がっています。
イベントに関しては、私はとても大きな評価をしています。
会社時代にいくつかのイベントを行いましたが、その体験から効果を実感しているからです。
昔、日本能率協会の「人材教育」に「イベントオリエンティド・マネジメントのすすめ」を書いたことがあります。
その小論を整理の悪いデーターバンクからやっと見つけましたので掲載します。
そういえば、この記事を読んだ産業能率大学の人が感激して訪ねてきてくれました。
自分が考えていたことと同じだと話をしに来たのです。
その人はその後連絡がありませんが、その後どうしたでしょうか。
思い出すと、 そういうことが少なくありません。
みんなどうして人のつながりをもっと大切にしようとしないのでしょうか。
私はいろいろな集まりで名刺交換をさせてもらいますが、
私から名刺交換させてもらった場合は、必ず後からフォローし、長い付き合いに心がけます。
逆に名刺交換を受けた場合はあまり働きかけをしませんが、
なぜかそうした人からは名刺交換しただけでその後連絡もないことが多いです。
連絡するつもりがないのであれば、名刺交換はすべきではないでしょう。いつもそう思います。
話がそれてしまいました。
コムケアのイベント支援の件です。
これから来年の4月頃まで、この関連の魅力的な10のイベントが展開されます。
案内はコムケアセンターのホームページに掲載されますが、
ぜひみなさんもご参加ください。
■歯医者の恐怖(2005年12月17日)
歯医者事件のことは以前書きましたが、あの後、今度はうっかり予約日を忘れてしまい、治療が延びています。
そのため、歯が欠落した状況が続いているのですが、
2本の歯が不完全なだけで、いかに食事の気分が変るものかを実感しています。
味まで変ってしまいます。不思議なものです。
今日は忘れずに歯医者に行きました。1時間治療を受けました。
麻酔をかけての治療で、口をずっとあけていないといけないのでちょっとした難行です。
まあ、それはいいのですが、いつもは医者で思うのは、途中で話せないことです。
治療時には私は目をつぶりますので、口の中でなにをされているかわかりません。見えないからです。
そうした状況の中で、コミュニケーション手段を奪われることには恐怖を感じます。やや大げさな表現ですが。
というのも昔次のような経験があるのです。
私は扁桃腺肥大だったため、扁桃腺を切除する手術を勧められました。
中学生の時です。医師に行って切ってもらったのですが、麻酔が十分かかっていなかったようで、
ジョリジョリというはさみで切る音とその痛みで大変な思いをしたことがあるのです。
なにしろ声が出さない状況なので、そのことを医師に伝えられずに、手をばたばたさせた記憶があります。
拷問にあった感じです。
それで今でも口を開けさせられて話せなくなると恐怖感がよみがえるのです。
この歯医者さんは新しもの好きのようで、治療台の前にはパソコンで歯のレントゲン写真が出ています。
マウスも乗っているので、医師の目を避けて、ついさわりたくなるのですが、まだ成功していません。
まあ、それはどうでもいいのですが、パソコン画面で口の中のライブな状況を見えるようにできないものでしょうか。
そしてパソコンを使ってコミュニケーションできる仕組みはできないでしょうか。
まあそんなことを考えていたら、1時間たってしまいました。
まだ仮歯ですので、当分は食事がまずいそうです。
年内には間に合わせると先生は言ってくれていますが、次回行くのを忘れないようにしないといけません。
(2005年12月第3週)
体調がほぼ戻りました。寒い1週間でした。
■子育ち学全国フォーラム(2005年12月18日)
子育ち学ネットワークのキックオフも兼ねて、新体制での子育ち学全国フォーラムが開催されました。
このフォーラムも今回で通算4回目ですが、最近出版した「子育ち支援の創造」の出版記念シンポジウムもかねての欲張りフォーラムでした。
会場も巻き込んでの3時間フォーラムですが、パネリストは4人の実践者です。
記録は子育ち学ネットワーク代表の深作さんのホームページに掲載されていますので、お読みください。
発表された事例はみんな面白いです。
パネリストのお一人は、学校と地域の融合教育研究会副会長の岸裕司さんです。
久しぶりにお会いしました。
私もこの会のメンバーなのですが、最初の集まりに代表の宮崎さんに誘われて参加させていただいて以来、
メーリングリストで年に1〜2回投稿するだけの怠惰なメンバーなのです。
その最初の集まりで岸さんにもお会いしているのです。
なにしろその後参加していないのでもう忘れられていると思っていたのですが、
何と名前を言うと、「コンセプトワークショップの佐藤さんですね」と応じられてしまいました。
しかもコムケア活動のことも知っているようです。
人と丁寧に付き合っている岸さんのお人柄が感じられます。
岸さんはいまや全国ベースでご活躍ですが、地域コミュニティ育ての元祖の一人です。
千葉県習志野市の秋津小学校区での活動は見事と言うしかありません。
私は岸さんのパートナーである代表の宮崎さんとの付き合いが多いのですが、
今日は宮崎さんとはまた違った視点で岸さんたちの活動の話をお聞きし、大きな刺激を受けました。
我孫子でももう一度話をしてもらいたくなりました。
学校と地域の融合教育研究会については、このホームページでは最初の頃に少し紹介しただけで、その後、言及する機会がありませんでした。
改めてホームページの紹介をしておきますが、実践者たちの素晴らしい会です。
ぜひサイトをご覧ください。
メーリングリストもとても面白いです。
このテーマにご関心のある方は、入会されることをお勧めします。
参加者の中に鷲宮市の町議員の大谷和子さんとわしみや子育てネットワーク代表の宮内美保さんがいました。
宮内さんはコムケア仲間でもあり、その活動には注目させてもらっています。
大谷さんは深作さんから少し話をお聞きしていました。
今回はゆっくりはお話できませんでしたが、行政との関係や「協働」の問題点など、共感できるところがたくさんありました。
子育ち学ネットワークも本格的にスタートです。
■町内会とNPO(2005年12月20日)
笹川平和財団の理事長だった入山映さんが湯島のオフィスに来てくれました。
この湯島にはいろいろな方が来てくれましたが、入山さんは初めてです。
私のライフスタイルを反映して、この種のメジャーな人はあまり交流はないのですが、
それでも過去に、たとえば諸井虔さんや現広島市長の秋葉さんなど、有名な方も何人か来ています。
有名無名、権力者革命家など、ともかく多彩な人たちの触れ合いの場にしたいと思っていたときがありますが、
残念ながら実現に動くまでにいきませんでした。
いまでもそうした公共空間的なカフェは創りたいと思っていますが、どうも今回の人生では時間切れのようです。
入山さんとの出会いは会社を辞めてからです。
1990代のはじめに笹川平和財団で、コーポレートシチズンシップの普及に取り組み、同名の書籍を出版する時に関わらせてもらったのです。
その時以来、入山さんは私の「良き不理解者」なのです。
理解者と不理解者はまあ同じようなものですが、入山さんは私のヒッピーな生き方に共感してくれてはいないのです。
私から言えば、彼こそ極めつけのヒッピーなのですが。
今年、財団を辞めて、今は立教大学の教授しかやっていません。
私よりも怠惰です。
先週、自治会町内会のことに言及しましたが、それが入山さんです。
今日来たのもその関係です。久しぶりにゆっくり話をしました。
友好的に話が進み、共感し合うことも少なくありませんでした。NPOに対する危惧も同じでした。
一つだけ紹介すれば、現在のNPOの目線の高さへの問題意識です。
税制のために日本でNPO活動への寄付が増えないと言う常識への疑問も共通でした。
そんな馬鹿な話はありません。
長年のNPOや市民社会論への取り組みのなかで、
近代パラダイムの市民活動組織ではない地域に根ざした住民組織である町内会や自治会に関心が向いたのだそうです。
入山さんの場合、先ずはしっかりした実態把握をしなければいけないのです。
私は常に感だけですが、何しろ入山さんはアカデミックな人なのです。
入山さんのアカデミズムは、しかも中途半端ではないのです。
構想を聞いたら、日本、アジア、アメリカ、欧州での調査をしようという国際プロジェクトなのです。
まあ入山さんは構想家ですから仕方がありません。
そして来週はタイの大学の友人に相談に行くそうです。
実践家でもあるのです。私とは少しずつ象限が違うのですが。
その活動資金をどうするかです。
まだ工面はできていないようですが、入山さんのことですから集めてくるでしょう。
そしてプロジェクトはきっと面白い展開をするでしょう。
それにどう関わるべきか、全く見えてきませんが、まあ関わっていこうかなと思っています。
国家の解体はもう目に見えてきましたが、近隣住民組織もまた解体の途中です。
しかし、それこそが、つまり近隣生活圏こそがすべての基本なのです。
ソーシャル・キャピタル論はそこから始めないといけません。
残念ながら今はそういうベクトルにはなっていませんが。
関心のある方がいたらご連絡ください。入山さんに紹介させてもらいます。
■遠距離介護の会パオッコの活動はなぜ企業に伝わらないのでしょう(2005年12月20日)
コムケア活動を始める時に、何人かの方に選考委員やアドバイザーをしてもらおうと声をかけたのですが、その一人がパオッコの太田さんでした。
ちょうどその頃、「遠距離介護」を出版され、その本にとても共感したので電話させてもらったのです。
残念ながら当時太田さんはこの活動の立ち上げ時でもあり、コムケアの選考委員参加は見合わされました。
しかし私には気になる存在でした。
なぜなら企業で働く同世代の人たちにとって、遠隔地で生活する親の介護は大きな問題だと思っていたからです。
太田さんは3回目のコムケアの資金助成プログラムに応募してくださいました。
そして予備選考を通過し、支援先のひとつになりました。
それ以来、私が思っていたのとは少し違う形でコムケア付き合いが始まりました。
そのパオッコが2月に、遠距離介護をテーマに、市民と企業がはじめて出会う公開ミーティングを開催することになりました。
それにささやかに支援することにしました。
とても意味のある会だと思ったからです。
パオッコの代表の太田差惠子さんと理事の西村真裕美さんがコムケアに来てくれました。
イベントのみならず、パオッコのこれからについてもいろいろとお話を聞きました。
思っていた通りの価値のある活動ですが、残念ながら事業計画が弱いです。
ここはどなたか企業経営の経験者が参加して、事業型NPOへと脱皮させていくことが大切ではないかと思います。
企業を定年で辞められた方でどなたか支援してくれる方はいないでしょうか。
とても重要な活動です。パオッコのサイトをぜひご覧ください。
離れて暮らす老親ケアに役立つサービスや商品の「クチコミ情報局」も今月21日に開設されます。こちらもぜひご覧ください。
参加も検討してもらえるとうれしいです。
■NPOの目線と敷居(2005年12月20日)
コムケアセンターで久しぶりに橋本さんとゆっくり話しました。
選考会以来、なかなかゆっくり話せずにいたのです。
そういえば、コムケアの選考会の報告書がコムケアセンターのサイトに乗っています。
みんなでつくった「共創物語」です。関心のある方はお読みください。
橋本さんはグループホームで働いていますが、そこでの話はいつも教えられます。
現場の状況が良くわかるのです。現場の人の情報はいつも刺激的で考えさせられます。
橋本さんはまたコムケアを通して様々なNPOの状況も実感していますし、自らもいくつかのNPOに関わっています。
その橋本さんと話していて、出てきた言葉が「最近のNPOの目線や敷居の高さ」です。
午前中に入山さんと話していた内容につながります。
私はNPO法案が議論されている時点で、何か違和感を捨てられなかったのですが、
コムケア以前からNPO関係者の目線の高さが好きになれませんでした。
そのため、いずれのNPO中間組織にも関わっていません。
もちろん否定しているのではありません。
彼らの活動は見事でしたし、新しい状況を育ててきたと思います。
ただ私はどうしても好きになれないと言うだけの話です。
住民流福祉総合研究所の木原さんもきっと同じなのでしょう。
現場と触れているとNPO嫌いになるのはよくあることかもしれません。
市民活動としてのNPOと住民活動としての自治活動。
このテーマで、来春、フォーラムをやれないか木原さんに相談しています。
木原さんからはわたしはまだまだNPOの世界の人だと思われていますが、彼の信頼を勝ち得なければいけません。
木原さんも思い込みの強い人だからこれは結構大変なのです。
コムケアは来年からスタイルを変えます。
詳しくはコムケアセンターのブログに年が明けたら書き込んでいく予定です。
今年のコムケアは橋本さんにお世話になりました。彼なくしては途中でへこたれていたでしょう。
■志村ゆずさんから「ライフレビューブック」が送られてきました(2005年12月21日)
回想法ってご存知でしょうか。
回想法とは、高齢者が昔を振り返って考え、自分を取り戻したり、それを他の人に話したりすることを支援する療法の一つです。
これは個人向けの療法であるばかりではなく、社会病理にももしかしたら効果があるものではないかとなんとなく思っています。
もちろん素人の勝手な妄想ですが。
黒岩さんの最初の著作「音のない記憶」の井上孝治さんの写真を見ているとなぜか心が開け、見ず知らずの隣の人ともついつい話をしてしまいます。
鮫島順子さんのイラストの本を見ていると今の生き方の問題点が見えてきますし、人との付き合い方を変えたくなります。
昔の民家を見るとほっとします。
都市再開発もいいですが、少しはこうしたことを意識してほしいものです。
回想法のひとつに、ライフレビュー・セラピーというのがあるそうです。
日本構想学会で昨年お会いした志村さんが編纂した新著です。
ブックのコーナーで紹介させてもらいますが、その本の写真を見ていて、女房と話が弾みました。
家族のコミュニケーションの点でも効用は大きいようです。
回想法は必ずしも自らの体験を思い出すことではないでしょう。
自分が育った時代を思い出すことで当時の自分がよみがえるのでしょう。
時代状況とそこで生きた自分はホロニックな関係なのです。
とすれば、
今の私の生き方と現代の状況はまた、ホロニックな再帰関係にあるわけです。
そのために、私は今の時代を知れば知るほど、元気がなくなるのでしょうか。
志村さんのこの本を参考にして、私も自分史を整理してみようかと思います。
みなさんもいかがですか。
志村さんのライフレビューのセミナーも2回ほど予定されています。
お知らせに案内を載せますので、よろしければご参加ください。
■和歌山県から河田順子さんが訪ねてきました(2005年12月22日)
読売新聞の記事を読んだ、和歌山県の河田さんが訪ねてきました。
河田さんは35年間、海外で生活してきましたが、老後は日本で暮らそうと家族を残して日本に戻りました。
ところがそこで直面したのが地域社会での人のつながりがなくなってきていることでした。
さまざまなボランティア活動をはじめましたが、どうもみんなバラバラに生きている状況を変えられずにいるようです。
また高齢者のお化粧ボランティアをやりたいと思っているようですが、どうやって進めていけばいいかわからないというのです。
先日も的場さんがやってきましたが、こういうエネルギーは社会の中にはたくさん埋もれているのです。
それをエンパワーするだけで、きっと福祉分野の歳出低下が実現できるはずです。
社会活動をみんなが始めれば、介護対象にはならなくなる可能性が高まるはずです。
発想を根本から変えなければいけません。
何かをしたい人は決して少なくありませんが、社会のどう関わっていけばいいかの仕組みとリテラシーがないのが今の社会です。
なぜそうなったかといえば、産業社会のパラダイムに原因があるように思います。
つまり産業社会の設計思想は、顧客の創造なのです。
顧客は主役ではありません。みんなが主役になる社会ではないのです。
そこを舞台にして生活している人たちが主役になることを想定するか、お客様になることを想定するかで社会の仕組みは一変します。
今の社会は、受身で生きていくにはとてもよくできています。
しかし、能動的に自分を生きようと考え出すと途端に生きづらくなるのです。
社会のアフォーダビリティという言葉が私は好きなのです。
つまり社会がそこで生きるために「使い勝手」がいいかどうか、どのような「支援機能」を用意しているかどうかということです。
その意味では、いまは受動的に生きる暮らしにとってはアフォーダブルですが、
そうした「家畜的」な生き方を抜けようとするとあまり使い勝手は良くないのです。
たぶん、河田さんの悩みはこうした状況に起因しているのでしょう。
そういえば先月、アントレプレナーにとってアフォーダブルな企業文化について書きましたが、誰からも共感を得られませんでした。
企業の現況がよくわかります。
もう一つ地域交通の話が出ました。
地方に行けば行くほど、交通弱者が増えていくことは間違いありません。
そのためコミュニティバスへの期待が大きいわけですが、交通に関するグランドデザインをもっと真剣に考えるべきでしょうね。
NPOでもボランティアグループでもない、個人の活動の話を聞くのもいろいろと考えさせられることが多いです。
■久しぶりの人との電話は元気が出ます(2005年12月22日)
西日本は大雪です。そのおかげで、午後から会う予定の人が東京に戻ってこられなくなりました。
それでスポッと時間が空いてしまいました。
そこでご無沙汰している人たちに電話することにしました。
その一人が藤本純一さんです。カネボウのファッション研究所で活躍されていましたが、久しくお会いしていません。
お元気そうでした。新たに会社を立ち上げたようです。うれしいことです。
藤本さんは実に不思議な人なのです。
いつか紹介したいと思いながら、このホームページを始めてからはあまり付き合いがなくなってしまったのです。
年内に会えるかもしれません。楽しみです。
いろいろな人と電話で話しているうちに、急に外が寒々としてきました。
今にも雪が降りそうです。実は今日、次世代育成研究会が予定されているのですが、何だか急に帰りたくなってしまいました。
今日は大森淑子さんが報告してくれる予定なので、出席するつもりでしたが、急に帰りたくなったのです。
まあ、それなりの理由はあるのですが。
研究会の事務局に電話をして渕野さんが出たら出席、出なかったら欠席と言うことにして、東レ経営研究所に電話しました。
そしたら出たのが坂上弥生さんです。
坂上さんは私が東レ時代に取り組んだCIプロジェクトのチームのメンバーの一人です。
当時はとてもいい仕事をしてくれました。今は渕野さんのところで仕事をしています。
彼女とも久しく会っていませんが、いつも元気です。
2人とも女房のことを心配してくれています。ありがたいことです。
実は女房の今年最後の検査結果の説明が昨日だったのです。
結果はまたグレイでした。すっきりしないまま年越しです。
最近実感しだしたのですが、どうも私よりも女房のほうが精神的に強いですね。
女性の強さに改めて感心しています。私は昨日はかなり滅入ってしまいました。
また2か月後に検査です。
それまではともかくできることを思い切りやろうという女房にできるだけ私も付き合うつもりです。
生命が軽んじられている時代ですが、そんな風潮は私たちには理解できません。
郡嶋さんが最後に送ってくれたメールに、ともかく生きたいです、と書かれていたことが頭から離れません。
自殺を考える人たちに、この思いを伝えたいものです。
柳原和子さんがおっしゃるように、限られた時間を充実させることの大切さを教えられたことは、感謝しなければいけませんが、
がん宣告を受ける前にこそ、気づくべきでした。みなさんもぜひ気づいてください。
人生はすべての人にとって、有限であることを。
まあ、そんなこんなで次世代育成研究会はサボってしまいました。はい。
■「夜盗、風の中を走る」(2005年12月22日)
また退屈な書き込みです。
私が一番印象に残っている日本映画は、稲垣浩監督の「夜盗 風の中を走る」です。
「7人の侍」よりも好きでした。もう一度観たいとずっと思っていたのですが、先日、テレビで放映されました。
そのDVDを今日は観てしまいました。
困窮した村のために夜盗たちが自らを犠牲にして村民を守る話です。
それだけでは退屈すぎる話なのですが、
一人だけ逃げのび、後にある国の侍大将になってその村に立ち寄ります。
しかし村人たちは彼には気づきません。
しかし、事件から長い時間が経っているにもかかわらず、
村はずれに建てられた野盗たちの墓には、村人たちが花を絶やさず弔続けているのです。
列をなしてお参りする村民たちをみて、彼は激しい孤独感に駆られるというのがラストシーンです。
私には黒沢明の農民観よりも、ずっと好きです。
まあありがちな結末なのですが、それでも考えさせられます。
一つは土に汗している人たちは信頼できること、
もう一つはどんな成果も前から知っている人から評価されることが最高の報酬であることです。
ところがいずれも「ひとのつながり」が壊れた社会では、それ自体が成り立ちにくくなっているのです。
とても寂しい気がします。
■年末の転身の話(2005年12月23日)
年末はいつも意外な情報が届きます。
今年は「衝撃的」と言える情報は届いていません。
昨年は衝撃的なニュースが続きましたが。
しかし 相変わらず転身のお知らせは多いです。
今日も企業の若い友人から、大学に転身するという連絡がありました。
さらに2人の企業人からも退社の連絡をもらいました。
いずれも30代から40代の友人です。
大きな流れは、企業からの転出が多いです。
企業の魅力が薄れているのでしょうか。
私にはそう思えてなりません。
ねずみが逃げ出すと船は沈没し、家は火事になるといいます。
大丈夫でしょうか。
どんなに巨額な利益を上げても、社員のメンタルヘルス障害が多い企業には先はないでしょう。
企業業績と社員のストレスが正比例しているような状況は変えていかなければいけません。
■気分が変わってまた元気になるかもしれません(2005年12月24日)
今日は歯の治療と大掃除でした。
無事新しい歯が入りました。しかし、ちょっとした異変が起こっています。
利き歯だった右の奥歯が3本ないまま1か月以上を過ごしたため、左側の歯で噛むようになりました。
最初はとても違和感があったのですが、今は自然になっています。
しかし、そのせいでどうも食事の味が変ったのです。
味だけではなく、食感も違うのです。慣れとは恐ろしいものです。
今日、右側の歯が復活しましたが、まだ利き歯は右に戻りません。
味だけではなく、もしかしたら思考回路も変ったのかもしれません。
この1か月半の精神的な不安定さと気力のなさは、そのせいかもしれません。
それとは関係ないのですが、気分を変えるために私の仕事場のレイアウトを変えることにしました。
といっても狭い仕事場なので変えようもないのですが、パソコンに向かう位置を反転させました。
それに伴い書類などの配置が正反対になりました。
この空間配置でもまた気分は変わるでしょう。元気が出ればいいですが。
ちなみに今年の大掃除はこれで終わりです。
家族割り当ては他にもありますが、今年は私の分担はかなり減らしてもらいました。
まあ、今年始めたトイレ掃除はやらなければいけませんが。
明日からまた毎日用事が入っています。
社会から脱落しつつあるとはいえ、年末は人並みに忙しいのです。
30日だけはあいているのですが、きっとこの日は読書をしなければいけません。
何しろ今年はまだ「ローマ人の物語」が刊行されていないのです。
毎年1冊ずつ出ている塩野七生さんの本です。出版されたらすぐに読むのが私のルールなのです。
年々、発行が遅れていますが、今年はまだ出版されていません。
困ったものです。
(2005年12月第4週)
今年も最後に週になりました。
この1週間、以前の元気が戻りました。
おかげさまで何事もなく平穏に年を越せそうです。
お読みいただき、ありがとうございました。
■CSRをどう考えるか(2005年12月26日)
機械関連企業のおける社会的責任(CSR)への取り組みに関する調査研究プロジェクトの最終委員会でした。
事務局が行ったアンケート調査の結果を材料にしての意見交換でしたが、最近はこういうアンケート調査の回収率がとても低いのだそうです。
企業が外部からのアンケート調査の多さに辟易しているのはよくわかりますが、
そうした調査にきちんと応えていくことがまさにCSRにつながることでしょう。
私自身は最近のCSRブームにはいささかの違和感を持っています。
形式的過ぎるからです。心が入っていないように感じます。
かつての環境経営ブームを思い出します。
実は私もコムケアの関係で東レのCSRレポートの一言寄稿させてもらいましたが、CSRに対しては次のように考えています。
以下はこの委員会の事務局に送ったメモの抜粋です。ちょっと長いですが。
私はCSRにとって重要な課題は、「従業員の社会性の担保」と「地域社会との目線を同じくしたつながり」だと思っています。
「社会性」というのは、極めて曖昧な概念です。
「社会」という言葉にだまされてはいけないというのが、最近の社会運動家たちの共通認識だと思いますが、
とても便利な言葉ですが、ほとんど意味は特定できない言葉のように思います。
私は「表情を持った人との開かれたつながり」というような意味で使いますが、これもまた曖昧な定義です。
それはともかく、従業員の社会性の担保とは、
いいかえれば、従業員自身の生活の支援であり、従業員を労働力ではなく、人間として位置づけ、
人間としての関係性を組織の中で実現しているかがポイントになります。
その意味では、従業員が自らの意見を主張できると共に、自らのポジションを認識できる状況が不可欠になります。
地域社会との目線を同じくしたつながりもわかったようでわかりにくいかもしれませんが、
要は地域社会を市場、つまり商品市場や労働市場として手段的に考えているか、自らの存続基盤であり寄与対象として考えているかがポイントです。
ややこしい言葉を使えば、ホロニックな関係性を認識しているかどうかです。
CSR議論はどうももっと大きなマクロな捉え方が多いように思いますが、私はこの点が基本ではないかと思っています。
そういう立場からは、たとえば、
・ 従業員が企業内において、しっかりと自らの主体性を確保し、意見が言える環境
・ 地域に対する開放性と狭い経済の枠を超えた地域社会への関与
がこれからのCSRのポイントではないかと思っています。
もちろん、事業や商品を通してのという軸が中心になるべきだと思います。
実はこのいずれもが、企業の業績につながっていくことだと思っています。
ですからCSRはコスト要因ではなく収益要因です。
平たく言えば、「やらなければならない責務としてのCSR」ではなく「やれば儲かる経営し沿うとしてのCSR」と捉えないと、意味がないように思います。
以上ですが、こういう視点で考えると昨今のCSRへの取り組みはやはりおかしいような気がします。
私の不勉強や勘違いだとうれしいのですが。
■企業人のノーマライゼーション(2005年12月26日)
電通総研にいた平岩千代子さんからNPOと企業をテーマに話に来ないかと誘われました。
電通は小泉自民党大勝に加担したのではないかと思っているので、少し迷ったのですが、
最近電通とも接点がなく、話もしたことがないので引き受けてしまいました。
汐留の電通本社は初めてです。
先日、日本橋三井タワーに行った時は、こういう場所で仕事をしてみたかったと思いましたが、
電通本社はさらにビジネス先端的で、私のような脱落傾向者にはついていけない感じでした。
まさにビジネスプロフェッショナルの世界ですね。
若者はあこがれるでしょうし、私のようなシニアは気後れしてしまいそうです。
こうした空間の設計や雰囲気に、きっとこれからの企業の行く末が読み取れるのでしょうね。
個人に勝ち目はなさそうです。はい。
議論はとても面白かったです。
4人の方たちと一緒でしたが、中心は平岩さんと比留間さんです。
比留間雅人さんとは初対面ですが、濱崎加奈子さんの先輩だと後で知りました。
比留間さんの基本的な認識と問題意識に共感できるものを感じました。
コムケア活動などを通して、これからの社会課題としてどのようなものを考えているかという質問がありましたが、
これに関しては私が東レを辞めたときに考えていた課題を話しました。
当時は誰も理解してくれませんでしたが、今回は少し伝わったような気がします。
その課題とは、「企業人のノーマライゼーション」です。もちろん男性が中心です。
女性も高齢者も障害者も子どもたちも、みんな居場所がなくてそれぞれにケアを必要とする問題を抱えていますが、
実はその問題を解決するためにも、壮年男性の生き方の見直しが必要だとずっと考えています。
彼らをケアし、自分の生活を取り戻す仕組みがもっと真剣に考えられるべきなのです。
この課題解決は、ケアの概念を多分変えていきます。
壮年男性がたとえば高齢者支援や障害者支援に関わることは、自らのケアになっていきます。
発想を変えれば、仕事に埋没している男性たちが様々な社会活動に関わっていくことそれ自体が、
社会を変え、企業を元気にしていく好循環の出発点になりえるのではないかと思います。
こうした取り組みは「ケアのノーマライゼーション」につながっていきます。
介護問題もDVも教育問題もすべて解決していくのではないかというのが私の考えです。
まあ30年もあれば実現できるでしょう。
それが広がれば、世界の平和にもつながるでしょう。
ところで、話しているなかで、日本NPOセンターが展開している「NPOの広報力アップ」プログラムがあることを知りました。
その枠組みは平岩さんや比留間さんたちも関わって作成したようです。
電通としてのコンピタンスであるコミュニケーションノウハウを社会に開放していこうという思いからの取り組みだそうです。
残念ながらアプローチがNPO中間組織経由のようですので、現場に届くのは無理でしょうが、その発想には共感できます。
さらに、企業が持っているさまざまなコンピタンスを社会に開放していく仕組みを実現できればと2人は考えています。
これはコムケアの発想と同じです。ぜひ実現してほしいものです。
電通をはじめとした企業の大きなパワーを、NPOがうまく活用できるようになれば、社会は一変します。
比留間さんたちの活動と、どこかで接点ができればと思います。
電通嫌いの私も少し考えを変えなければいけませんね。
先入観が強すぎるのが私の欠点なのです。はい。
■我孫子市の住民の集まり(2005年12月26日)
25日のテレビで、高齢者が主役のまちづくりというテーマで、我孫子市の事例がかなり詳しく紹介されました。
ご覧になった方もあるかもしれません。
昨日、私も何人かの人から我孫子市は見事だねといわれました。
テレビを見ている限り、見事です。
今日は我孫子市でさまざまな活動に取り組んでいる人たちで始めた、意見交換会の2回目です。
まだ名前もないのですが、徐々に会としての柔らかな組織化をしていければと思っています。
メンバーはまだ7人ですが、みんな強力なパワーと実践力を持っています。
ここでもこのテレビが話題になりました。
テレビで紹介されている活動にも関わっている人もいますし、それぞれみんなその実態を知っている人たちです。
市長に聞かせたい話ばかりでしたが、市長がいたらこういう話がでたかどうかはわかりません。
それが不思議なところです。
我孫子市の現在の市長は我孫子市を一変させました。
私はそう思っています。とてもいい市長です。
しかし、3期の今は問題も山積です。
市長は多分気づいていないでしょう。きちんとコメントしてくれる人が近くにいないのかもしれません。
とても良い市長だっただけにとても残念です。
ビジョン先行の中で追い詰められているのかもしれません。
そうした状況の中で、これからの我孫子市をどうするか、これがこの会のメンバーの共通テーマです。
共創が私の基本姿勢ですので、まずは共創できるための主体性を育てる仕組みが必要です。
それがないまま、「協働」に取り組んでいることが、今の自治体の多くですが、それでは事態は深化しないでしょう。
主役の交代が起こらないからです。
まだ意見交換の段階ですが、議論は少しずつ進化しているように思います。
我孫子市民の方がいたら、ぜひ参加しませんか。
住民組織は常に開かれていないと退屈になりかねません。
次回では会の形を少し意見交換できればと思っています。
実に刺激的な意見交換がなされましたが、内容は省略します。書き出したらきりがないほど、実に面白い話ばかりでした。
まあ各地のまちづくりでの現場に共通した話でしたが。
■藏田正章さんからの野菜便がまた届きました(2005年12月27日)
昨年と全く同じ日に、九州の蔵田正章さんから昨年以上に立派な野菜が届きました。
にわか農家の女房が感激して、早速電話をしたそうです。たしかにそれほど素晴らしい野菜です。昨年からも進化しています。
私も帰宅後、荷物を見て驚きました。
それほど立派な野菜です。
今年は雪のために野菜が高騰します。
我が家にはうれしいボーナスでした。
今日は蔵田野菜のフルコースの夕食でした。
■東大大学院の佐野敦子さんの悩み(2005年12月28日)
コムケアに佐野節子さんという仲間がいます。
愛知県で障害を持った人たちと一緒に、パン屋さん開業に取り組んでいます。
とてもいい進め方で、コムケアモデルにしたいようなプロジェクトです。
私はまだ会ったことがありませんが、コムケアの資金助成プログラムに応募してくださった関係で仲間になってくれました。
資金助成の面ではお役には立てなかったのですが、そこがコムケアの素晴らしいところです。
さて、その佐野さんの娘さんがやってきました。
パン屋の話ではありません。
敦子さんというのですが、彼女は今、東大大学院で、イギリスのソーシャルワークと移民コミュニティについて修士論文を書いているのですが、
それがどうも壁にぶつかってしまっているようです。
そこで節子さんから一度雑談相手になってほしいといわれたのです。
ソーシャルワークと移民の問題は、これからの日本にとってたぶん問題になっていくでしょう。
面白いテーマですが、難解なテーマでもあります。
福祉施設のワーカーとして外国人が関わり始めていると思いますが、さまざまな問題がきっと発生していることでしょう。
その対処方法はこれまでの発想では解決できないと私は思っています。
むしろその問題を通して、日本の介護のあり方、福祉のあり方を根本から変えていく契機にすべきだと思いますが、残念ながらそういう動きはなかなか出てこないでしょう。
専門家は発想の転換などしないからです。
いつか書きましたが、Educated Inability、知っているが故の不作為はよくある話です。
本当は知っていないわけですが。
佐野さんは学部生の時に、イギリスの福祉施設で1年間、働いてきたそうです。
そこでブラック・アフリカンの人たちと一緒に活動してきたのが、どうも問題意識の根底にあるようです。
きっと刺激的な経験だったのでしょう。
どなたかフィリピン人やイラン人たちの介護職の方が働いている福祉施設をご存知ではありません。
もしあったら訪問したいと彼女は考えています。もし何か情報があったら次をクリックして教えてくれませんか。
佐藤修へのメール
福祉の世界にもっと触れてもらえればと思い、佐野さんにはコムケアの応援団になってもらうことにしました。
■プロジェクトBが始まってしまいました(2005年12月28日)
大変なことが始まりました。
先々週紹介した靴づくりを止めた靴職人の話ですが、彼にまた靴を創らせようというプロジェクトがスタートです。
もしかしてみてもらったかもしれませんが、あのホームページサイトは退屈でどうしようもないということになったのです。
だれがそう決めたかといえば、それは靴職人と小学校時代の仲間だった4人組です。
とうとう私も仲間に入らされました。年内に会おうかと一言言ったために、例の悪がき3人組がオフィスにやってきたのです。
そして立ち上がったのがプロジェクトBです。
靴をテーマにした新規事業起こしです。
参加者のモチベーションはかなり違います。
毎年年末に鍋を腹いっぱい食べさせてくれれば参加するというレベルから5年後に上場してビルを建てようというレベルまでかなり幅がありますが、
まあそれなりにみんな真面目なのです。何しろ前回紹介したように、エンジニアとマーケッターがそろっていますから成功するでしょう。
私の役割はあんまりないのですが、訳の分からない話を形にするのは大好きですので、当面はプロジェクト・プロモーター兼コンセプトデザイナーです。
企業機密の上に内容がないので詳しくは報告できませんが(ちなみに多くの企業機密は内容がないので発表できないことが多いのではないと私はいつも思っています)、
あなたの生活を支援する靴を一生、提供し続けるサービスを考えています。
靴でお困りの方がいたらぜひご相談ください。
どんな問題も解決できるかと思います、なにしろプロジェクトBなのですから。
ちなみにBは「バカ」のBではありません。
別品屋というのが今回主役の靴職人の店の名前なのですが、その頭文字です。はい。
ごひいきにお願いします。
ビルができたら、私が管理人になります 。
こういう話がいくつもあるのですが、なぜかまだひとつも実現できていません。困ったものです。
プロジェクトBではぜひ年末の鍋ではなくビルを実現してほしいです。
プロジェクトBの最高機密会議は毎月、都内某所で開催されます。
出資希望者はご連絡ください。厳しい審査の上、誰でも受け入れますので。
■地域医療に取り組む宮崎文子さん(2005年12月29日)
ヒポクラテスの会がスタートできそうです。
千葉県県議の花崎さんの紹介で、宮崎文子さんに会いました。
初対面でしたが、直感的に宮崎さんの思いが伝わってきました。
やっと私も元気を取り戻せたようです。勘が戻ってきました。私は理解するタイプではなく、感ずるタイプなのです。
そのせいで(誤解かもしれませんが)、宮崎さんが何を考えているかもきかないままに、医療関係のイベント仲間への参加のお誘いをしました。
幸いにも宮崎さんも共感してくれ、これで5人目の仲間ができました。
あと1人です。7人そろったらヒポクラテスの会(仮称)を発足します。まだ余裕がありますので、参加希望者はメールをください。
宮崎さんは専門分化した医療従事者のつながりの欠如に強い問題意識をお持ちです。
病院の現状にもたくさんの知見と問題意識をお持ちです。
ヒポクラテスの会にとっては、強力なコアメンバーを確保した思いです。
いろいろとお話して、思いがかなり重なっていることがわかりました。
今の医療の取り組みは、個人に焦点を当てているが、地域社会全体を変えていかなければ病気への根本的な解決にはならない、というのが宮崎さんの考えです。
つまり社会のあり方に宮崎さんの最終的な目は向いているのです。
それもいわゆるまちづくりではなく、近隣コミュニティから発想しているようです。
とても共感できます。
医療に関しては、パラダイムシフトが求められていると思います。
私の思いは少しだけ書いたことがありますが、来年は考えを深められそうです。
■菅野弘達さんの新しい人生(2005年12月29日)
菅野弘達さんがいよいよ新しい人生に移ることになりました。
会社を辞めるというのです。私が東レを辞めたのが47歳、菅野さんもほぼ同じ48歳です。
菅野さんとは何で知り合ったかも思い出せないくらいの長い付き合いです。
コムケアも手伝ってくれましたし、インキュベーションハウスの仲間でもあります。
最近はなかなかゆっくり話す時間がありませんが、今日は久しぶりに食事を一緒にしました。
ところで、今日は菅野さんに怒られてしまいました。
最近の私のサイトやブログ、あるいはメーリングリストへの投稿に元気が感じられず、暗いイメージが強すぎるというのです。
そういえば、最近、インキュベーションハウスのメーリングリストに投稿した記事を読んで、野中さんが私を心配してこんな投稿をしてくれました。
修さん、詳しい事情は存じ上げませんが、どうぞ元気を出してください。
いつも前向きなのが、修さんには似合ってます。
いろいろな場面で修さんの前向きさに助けられ、励まされた人が大勢います。
僕もその一人です。
こういうメールをもらうとついついその気になってしまうのが、私の「良い点」です。
家族はそれが「悪い点」だというのですが、まあ無視しましょう。
確かに最近、気分が退嬰的でした。前向きになれませんでした。
内向的で、人との接点を自分から取る気になれなくなっていたのです。
きっとこのサイトも愚痴っぽくて、気を感じさせないものになっていたのでしょうね。大いに反省です。
来年は気分一新して、動き出します。
ところで、菅野さんですが、いろいろと新しいプロジェクトもありそうです。
さまざまな新しい物語が始まりそうです。
その菅野さんを主軸にして、インキュベーションハウスも飛躍しそうです。
楽しみです。
■子育ち学ネットワークも来年は飛躍します(2005年12月29日)
飛躍といえば、子育ち学ネットワークの来年も楽しみです。
代表の深作拓郎さんと事務局長の星野一人さんがやってきましたが、状況が熟しました。
2人が中心で企画運営した先日のフォーラムを踏まえて、いくつかのプロジェクト起こしもできそうです。
少子化や子どもの問題がこれほど騒がれているにもかかわらず、
そして子育ち学ネットワークにはさまざまなノウハウが蓄積されてきているにもかかわらず、
なかなか事業展開は難しく、まだ経済的には自立できずにいますが、それが現在の課題です。
こうしたことはさまざまな分野で起こっています。
その一方で、行政の助成金の「消化機関」として、いい加減な活動をしているNPOや中間組織も少なくありません。
そうした矛盾にとても矛盾を感じています。
マネジメント能力やネットワーク不足だといってしまえば、それまでですが、
本来は現代の課題をしっかりとこなしていける住民組織や市民組織を見極め、育てていくメディエーターを育てていかなければいけません。
その、いわゆる「目利き」があまりにも少ないのと、助成金に群がる似非NPOが多すぎるのです。
もちろんそれで利益を一番受けているのは行政側の仕事をしない職員ですが。
■ローマ人の物語14「キリストの勝利」(2005年12月30日)
塩野七生さんのローマ人の物語も14巻になりました。
15巻の予定ですので、来年で完成です。
今年は発売が12月28日でしたから、大変でした。
昨日までさまざまな人との約束が会ったので、昨夜から今日にかけてようやく読み終わりました。
おかげで今年は年賀状も年賀メールも、片付け作業も仕事の宿題もすべて年越しになりそうです。
ところで14巻は、いよいよ背教者ユリアヌスです。
権力的で単一の尺度を押し付ける制度化された宗教に馴染めない私にとっては、寛容さを重視したユリアヌスは、昔からとても好きな存在でした。
但し、辻邦生の小説を大昔読んだ程度の知識しかないのですが、「背教者」という表現に私はとても魅力を感じてしまいます。
しかもそれが挫折するわけですから、ますます好きになってしまいます。
成功者はほとんど例外なく、成功の故に純粋さを失い、結局は壊したもの以上のものをつくりあげるのが常ですから、
壊す人は途中で自らも壊すのが、私の美学にはあっています。
それはともかく、今回もまた実に面白く、一気に読みました。
ユリアヌスに関して言えば、残念ながら私が思っていたのとはかなり違い、結果としての「背教者」なのかと思わざるを得ませんでした。
もっとビジョンと信念の存在を感じていたのですが、やはりローマは実践の社会だと改めて感心しました。
しかし、塩野さんが横道に入って語ってくれる話はいつものように刺激的です。
異端についての本来的な意味合いが「選択」だったという話は非常に納得できます。
価値基準が単一の社会、つまり一神教の世界では、選択は善悪を伴う排除につながるわけです。
本書の帯にも引用されていますが、次の一文は今の世界状況や国内状況を考える上でもとても刺激的なメッセージです。
いったんキリスト教徒になれば、皇帝といえども一匹の羊にすぎない。
「羊」と「羊飼い」では、勝負は明らかであった。
その構造を見事に構築したのが、ミラノ司教アンブロシウスという人物だったことを初めて知りました。
ギリシアから始まった新しい寛容の文化は、結局、オリエントの一神教の文化に負けたわけです。
その最後のかすかな抵抗がユリアヌスだったわけです。
歴史はローマから始まったという言葉がありますが、13巻、14巻と読んできて、ローマは本流を偽装する舞台だったように思います。
やはりオリエントの神の力は圧倒的です。
寛容や信頼がまた時代のキーワードになってきていますが、やはりそれは権力とは無縁の庶民の生活の話だけなのかもしれません。
しかし未練がましく、昨年も書いたミラノ勅令の一部を掲載します。
「今日以降、信ずる宗教がキリスト教であろうと他のどの宗教であろうと変わりなく、
各人は自身が良しとする宗教を信じ、それに伴う祭儀に参加する完全な自由を認められる。
それがどの神であろうと、その至高の存在が、帝国に住む人のすべてを恩恵と慈愛によって和解と融和に導いてくれることを願いつつ」。
これを反転して世界を変えたアンブロシウスには感心させられますが、そこにすでに歴史の破綻が埋め込まれていたように思います。
いまでは極東の日本ですら、その構造に従属した国民がほとんどです。
しかし、その文化に立ち迎えるのは、やはりアジアだけでしょう。
日本のアイデンティティを復権させる必要を感じます。
とまあ、そんなことまで考えさせられた1冊でした。
コンスタンティウスの悲劇も面白かったです。
この本を読むと、年が終わったという気がしてきます。
ちなみに本書の感想は、CWSプライベートにも書きましたが、
アナクロニズムとイノベーション、寛容と選択という、とても興味深い問題も提起されています。
これからの社会を考える上では、ユリアヌスの話よりも大きな示唆を含意しています。
■年越し蕎麦は自家製のスプーン蕎麦でした(2005年12月31日)
大晦日のもうひとつの恒例行事のお墓参りです。
幸いに両親の墓は我が家から車で10分くらいのところです。
原則として家族で墓掃除に行くようにしています。
ちび太くんも同行しますが、偶然にも墓地でちび太と同じウェストハイランドホワイトテリアの菊丸くんに会いました。
同じ犬を連れている人に会うと、見ず知らずの人でもすっかり仲間だと思えてしまうから不思議です。
墓参りから帰宅後、今年最後のトイレ掃除をしました。
途中、出張などで不在のためできなかったことはありますが、1年間続けました。
今年は年末に本当にばたばたしましたから、結局、私の部屋の書類整理はできませんでしたし、年賀状もまだできていません。
数年前からメール年賀状にしましたが、メールをしていない人が100人くらいいますので、年賀状もかかないといけません。
メール年賀状も、実は結構大変なのですが、これは新年の最初の仕事にします。
せわしない大晦日です。
今年の最後の行事は蕎麦打ちでした。
横田さんからもらったそば粉を使っての蕎麦打ちです。
女房と娘が張り切って打ち出しましたが、なかなかうまくいきません。
家族総出でがんばったのですが、結局、完成したのは半分で、しかもこれまで見たことのないような短い蕎麦でした。
味はとても美味しかったのですが、短いために箸ではとれず、スプーンでないと取れないのです。
蕎麦をスプーンで盛り付ける、皆さん体験されたことはありますか。
なかなかいいものです。いや、そんなはずはないですよね。
短蕎麦、もしくはスプーン蕎麦がもし将来ブームになったら、その始まりは我が家からなのです。
きちんと覚えておいてください。世紀の大発明大発見は、こうして行われるのです。はい。
しかしです。短い蕎麦は食べにくいので、おなかが満腹になりません。
あまりのおかしさに家族全員大笑いの中で、笑いつかれて、食べるのをやめてしまったということもありますが。
そのせいか、いま、11時ですが、かなりおなかが減ってきました。
あいにく、年越しのご飯が出ないようにと、今日のお昼にすべてのご飯を食べてしまったのです。
女房が明日のためにつくったおせちでも食べないと空腹で眠れないかもしれません。
大事な時に慣れないことをやってはいけません。
今年は最後まで、「不幸な」事件が続きました。
来年が思いやられます。
しかし、おかげで大笑いのうちに年を越せそうです。
これで今年の活動報告はすべて終わりです。
そろそろ除夜の鐘が聴こえてきそうです。
今年も私の退屈な生活にお付き合いいただき、ありがとうございました。
来年は元気をお届けできるようにします。