活動記録2016
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(2016年12月30日)
今年最後の週はのんびりと過ごしました。
■表情変化アンケートを始めました(2016年12月25日)
■田中弥生さんからのプレゼント(2016年12月26日)
■「善い社会」をもう一度読み直しました(2016年12月27日)
■立柳さんとのコラボができるといいのですが(2016年12月28日)
■最後のオープンサロン(2016年12月28日)
■東尋坊からの「わたしの気餅」が届きました(2016年12月29日)
■メガネを作りました(2016年12月29日)
■中掃除(2016年12月30日)
■今年最後の日(2016年12月31日)
■表情変化アンケートを始めました(2016年12月25日)
眼瞼下垂矯正手術の結果、別人のようだと娘たちが言います。
そして前よりも悪くなったというのです。
自分ではあんまり変化は感じないのですが、念のためアンケートを取ることにしました。
私と会うことになったら、ご協力ください。
結果は1月末に発表です。
■田中弥生さんからのプレゼント(2016年12月26日)
田中弥生さんは、何か問題が起こるとやってきます。
この2年ほど、彼女は大変なことばかりでしたので、今度はいったいなんだろうと思ったのですが、とてもうれしい話でした。
久しぶりに、元気な田中さんでした。
もう大丈夫でしょう。
しかし気に入らないことがあります。
田中さんは、クリスマスだと言って、クルミのお菓子を持ってきてくれましたが、そのパッケージが気に入りません。
どう見ても子供向けのパッケージです。
そういえば、昨年はたしかスヌーピーのケースに入ったキャンデーでした。
75歳の先輩をなんだと思っているのか。
不満を指摘したら、でもかわいいでしょうと言うのです。
困ったものです。
田中さんとの付き合いはもう30年近くになるかもしれません。
ちょっととんがって挑発的な魔女のような田中さんも、すっかり大人になってしまいました。
私と違って社会の主流を進んでいますので、退屈になってしまってもおかしくないのですが、いまもなお私のような脱落者に話に来てくれます。
うれしいことです。
■「善い社会」をもう一度読み直しました(2016年12月27日)
1週間前に、ベラーの「善い社会」を読了しました。
もう30年程前の本ですが、とても共感できるばかりか、私が思っていることと重なっていることばかりで、驚きました。
ベラーをもっと早く読んでいたら、私ももっと自分の考え方や生き方に自信が持てていたかもしれません。
社会から脱落しているなどということもなかったかもしれません。
それで改めて、読了後、もう一度、要所を再読しました。
以前、私はどちらかというと精読することはなかったのですが、最近はじっくりと読むようになってきていますが、読了後、すぐに再読するのは初めてです。
しかし、読めば読むほど、この本は示唆を与えてくれます。
古い本ではありますが、多くの人に読んでほしいと思い、お薦めブックのコーナーで紹介させてもらうことにしました。
厚い本なのでそう簡単には読めないかもしれませんが、多くの人に読んでほしいと思っています。
■立柳さんとのコラボができるといいのですが(2016年12月28日)
学童保育や社会教育を通して、子どもの問題に取り組んでいる立柳さんからも、相談があると言うので、お会いすることにしました。
立柳さんとは、子育ちネット以来のお付き合いですが、その関係で、日本子どもNPOセンターの事務局を湯島に置くようになり、立柳さんとのコラボを考えていました。
しかし、立柳さんは最近、日本子どもNPOセンターの専務理事を辞めてしまいましたので、残念に思っていました。
しかし、いろいろとお話ししてみると、むしろコラボの可能性は高まっているかもしれません。
来年はきっと何かコラボできそうです。
今回の相談はそれとは別の話でした。
それに関してもささやかのアドバイスさせてもらいましたが、うまくいくといいと思っています。
それも何か役立てることがあるかもしれません。
■最後のオープンサロン(2016年12月28日)
今年最後のオープンサロンは、初対面の人も含めて、4人の人が参加してくれました。
ミュージシャン、アナリスト、エッセイスト、フォトグラファーです。
なにやら特異なメンバーばかりです。
それにふさわしく、話題も「特異」でした。
最初は、時代を創っているのは誰かという壮大な話から始まり、最後は、自分の存在とは何だという、深遠な話でした。
その途中には、連帯とは何か、言語とは何か、時間とは何か、などといった難解な話もありました。
と、こう書くと、いかにも小難しいサロンだったように感ずるでしょうが、それはものの書きようであって、実体は、実にたわいない雑談サロンでした。
でも、参加者の人柄がほどよく出ていた、気持ちのいいサロンでした。
来年も、こんなサロンを増やしたいと思いました。
最後に、全員で写真を撮ることになりました。
今年も私は元気だったことの証として、私も写っています。
写真の真ん中の中島さんが持っている箱は、実は「投票箱」です。
いま湯島に来た人は、あることで投票してもらっています。
まぶたの手術をした私の雰囲気が、良くなったか悪くなったかの投票箱です。
■東尋坊からの「わたしの気餅」が届きました(2016年12月29日)
東尋坊で見回り活動をしている茂さんと川越さんから、恒例のお餅が届きました。
茂さんたちの活動で、生きることに真剣に取り組みだした人たちがみんなでついてくれたお餅です。
それがとてもおいしいのです。
言葉遊びが好きな茂さんが、そのお餅を「わたしの気もち〈餅〉〕と命名しているのです。
今年は茂さんとはお会いできませんでした。
講演の相談も受けましたが、私にはちょっと荷が重いテーマだったので、辞退させてもらいましたが、ちょっと残念でした。
がんばって引き受けたらよかったのですが、今年はいろんなことがありすぎて、がんばれませんでした。
電話したら、いつものように元気な茂さんの声が聞けました。
来年はまた東尋坊に行ければと思っています。
■メガネを作りました(2016年12月29日)
まぶたの手術後、コンタクトレンズを装着すると、まだまぶたが晴れているせいか、外すのが大変になりました。
それで、気のりはしなかったのですが、メガネをつくることにしました。
すぐ作ってくれる眼鏡屋さんがあると言うのでそこに行きました。
5000円でできました。
ところが、長年メガネを使っていなかったせいか、あるいは安いメガネのせいか、世界が小さく見えてしまうのです。
後悔しましたが、不思議なもので2日目には慣れてしまいました。
しばらくはメガネ生活です。
■中掃除(2016年12月30日)
今年は年末の大掃除も軽く流そうという感じになっていましたが、今朝はなんとなく掃除したい気になって、娘と一緒に大掃除に取り組みだしましたが、途中で疲れて中掃除になってしまいました。
それでも久しぶりに掃除に取り組みました。
部屋の掃除はまだしていませんが、昨年もしていないので、まあいいでしょう。
だんだん自分が怠惰になっていくのがよくわかります。
困ったものです。
■今年最後の日(2016年12月31日)
今年最後の日には、次女の娘家族が来ました。
以前は一緒の年越しそばを食べていましたが、今年は昼食を一緒に食べることにしました。
それも外食は混んでいるので、家でお寿司をとって済ましてしまいました。
だんだん手抜きになっていきます。
そしてみんなでお墓の掃除に行きました。
これも恒例行事です。
本堂にも感謝の気持ちを伝えにお参りしました。
今年は孫ができましたので、いつもよりはちょっとにぎやかですが、まあ静かな年末です。
それにしても、今年もまた、実にいろんなことがありました。
大変なこともありました、うれしいこともありました。
のんびりした大晦日です。
(2016年12月第3週)
■退院(2016年12月18日)
■自省(2016年12月19日)
■瞑想(2016年12月20日)
■読書(2016年12月21日)
■抜糸(2016年12月22日)
■隠棲(2016年12月23日)
■余韻(2016年12月24日)
■退院(2016年12月18日)
眼瞼下垂手術のための4日間の短期入院から退院しました。
入院時の様子や退院後のことはブログに書きました。
■自省(2016年12月19日)
入院時もそうですが、退院時、いろいろと思うことがあり、これまでの自らの生き方を改めて問いただしました。
基本的にはさらに確信をしたものの、実際にはできていないことの多さに気づきました。
時に立ち止まって自省することが必要です。
■瞑想(2016年12月20日)
手術後、コンタクトレンズを装着できないので、視力0.1と乱視のために、もうろうとした世界の中で過ごしています。
あまり目を使うなと言われ、できることは音楽を聴くことくらい。
それで音楽瞑想生活?に入っています。
「生きているということは」を毎朝聴くことにしました。
■読書(2016年12月21日)
読書ならいいだろうと思い、読みかけて止まっていた本を読みました。
「向う岸からの世界史」
「善い社会」
そして、入院中に読んだ「大衆の反逆」をもう一度読み直しました。
沢山の学びがあり、なぜもっと若いころにもっと読書をしなかったのかと悔やまれます。
■抜糸(2016年12月22日)
手術したところの抜糸に行きました。
種々してくれた高久医師は、いい出来だと喜んでくれました。
看護者も10歳若返ったようだと言いました。
娘たちでさえ、別人のようだと言います。
しかし私が見る鏡の中には、相変わらずの私がいます。
抜糸は実に簡単で、あっけなく終わりました。
■隠棲(2016年12月23日)
この1週間、世間から離れて、ほぼ一人だけの時間を過ごしていました。
時々、長電話がありましたが、まあいずれも穏やかに対応できました。
テレビ報道も、私には遠い世界に感じて、沖縄の動き以外には、なんの感情も生まれなくなっています。
こうした生き方をしていると、もはや政治の動きなど瑣末に感じてしまいます。
困ったものです。
しかし、水槽で大事にしたはずの沢蟹が昨日から動き出していたのですが、今朝、死んでいました。
やはり水槽で飼ったのは失敗でした。
その方が冬を越せると思っていたのですが。
残っていた沢蟹を庭の池に放しました。
たとえ冬を越せなくても、自然の中で生きるのがいいでしょう。
私もそろそろ「水槽」から出ようと思います。
■余韻(2016年12月24日)
入院からこの10日間、世間と縁を切っての、不思議な10日間でした。
まわりの都合とは無縁に、気の向くままに過ごしていました。
自分の生き方の矛盾にもいろいろと気づきます。
一番の収穫は、自分の生き方に改めて納得できたことです。
来週からはまた現世に復帰です。
今日はその過渡的な1日でした。
娘たちと食事をし、あろうことか娘からプレゼントをもらいました。
ケーキは食べられませんでしたが、それもよかったです。
(2016年12月第2週)
■リンカーンクラブ代表スピーチの録画(2016年12月12日)
■エグゼクティブフォーラムの打ち上げ忘年会(2016年12月12日)
■お寺を舞台に何かできないか(2016年12月14日)
■ストーリーテリング協会理事会(2016年12月14日)
■第2回まちづくりサロン報告(2016年12月14日)
■人生2度目の入院(2016年12月15日)
■リンカーンクラブ代表スピーチの録画(2016年12月12日)
19日に開催したリンカーンクラブの公開フォーラムの代表スピーチをホームページにアップしましたが、
真意がなかなか伝わらない感じがしたので、改めて武田さんの補足スピーチを録画収録しました。
Mcardの近藤さんに撮影をお願いしました。
https://www.youtube.com/watch?v=ydVtxlS0E0M
近藤さんにはお世話になったので、彼の仕事を支援できないかと考えています。
近藤さんのお仕事はホームページをご覧ください。
どなたか発注しませんか。
http://isc-creative.com/+M/
■エグゼクティブフォーラムの打ち上げ忘年会(2016年12月12日)
先月完了した、山城経営研究所のエグゼクティブフォーラムの打ち上げ兼忘年会のお誘いを受けました。
今年は忘年会はすべてやめようと思っていましたが、これは活動の延長なので断れずに受けました。
場所はJR東日本都市開発が開発した話題のAki-Oka Arutisan 2k540にある遊食家ブー。
メンバーの一人が、その開発などに関わっていたのです。
2k540を少しありぃてみましたが、これはまさにデザインビレッジの鈴木さんの活動につながっているなと思いました。
後で訊いたらやはりそうでした。
ちょっと面白い空間です。
みなさんもモチベーションお近くに行ったらぜひ立ち寄ってみてください。
JR山手線の御徒町と秋葉原の間の高架線下です。
■お寺を舞台に何かできないか(2016年12月14日)
お寺という装置が、私からすればあまりその価値を発揮していません。
もっとできることがたくさんあるはずなのに、対応できていない気がします。
そこで、若い僧である足立さんと修活に関心を持っている友人との気楽なプレミーティングを行ってみました。
まずはそれぞれの問題意識の披瀝です。
何か生まれるといいのですが。
■ストーリーテリング協会理事会(2016年12月14日)
ストーリーテリング協会は半年を経て、課題がかなり見えてきました。
体験してみることで、はじめて実のある議論も可能になります。
それぞれの思考方法や行動形式もわかります。
それらを出し合って、来年の方針を確認しました。
全員が、自分の仕事よりもストーリーテリング協会の活動に身をいれてきましたが、来年は少し報われる年にしたいと思います。
■第2回まちづくりサロン報告(2016年12月14日)
第2回まちづくりサロンは、コミュニティ・オーガナイジング・ジャパンの副代表理事である、池本修悟さんにお招きして、ミニワークショップも体験しながらのサロンになりました。
参加者は14人という大人数でしたが、池本さんのリードで、ワークショップも盛り上がりました。
コミュニティ・オーガナイジングは、課題に直面した人たちが、自ら立ち上がって状況を変えていくための方法です。
池本さんは、まずそうした「オーガナイジング」の根底にある考え方を、事例も含めながら、わかりやすく説明してくれました。
出発点は、「私の課題は何か」ではなく、「だれが私の同志か」です。
当然、課題設定も、「私の課題」ではなく、「私たちの課題」となりますが、ここにポイントがあります。
実際にまちづくり活動(組織変革でも同じですが)に取り組んでいる方は、個々人の課題ではなく、「私たちの課題」にしていくことで、状況が全く変わることを経験されていると思います。
そして、「同志」(仲間、あるいは当事者たち)が持っている広義の資源を共有化し、創造的・創発的にパワーに変えていくのです。
つまり、人々の関係性を高め、人々の持っているさまざまな力をパワーに変えていくことで社会に変化を起こしていこうという考え方なのです。
具体的には、パブリック・ナラティブ(みんなで物語る)を基本に置いたワークショップなどで、共有価値を核にしたコミュニティをオーガナイズしていくのですが、そうして生まれたコミュニティは、持続的で能動的な課題解決のもっているわけです。
ちょっと理屈っぽい説明になってしまいましたが、池本さんはアメリカや日本の事例も紹介しながら、わかりやすく説明してくれました。
後半は、パブリック・ナラティブを構築するための3つの要素の入り口である、「ストーリー・オブ・セルフ」のミニワークショップを4つのグループに分かれて行いました。
参加者それぞれが、自らの価値観を語り合い、相互にコーチングしあいました。
ミニワークショップとはいえ、実際に体験するといろんな気付きがあります。
価値観を意識したストーリーを語るわけですから、自らを問い直すことにもなりますし、生々しい話も出てきて相互の理解度もずっと深まります。
その入り口を、それぞれに体験させてもらいました。
最後にみんなが一言ずつ感想を言い合って、刺激的なサロンを終わりました。
なお、コミュニティ・オーガナイジングについては、コミュニティ・オーガナイジング・ジャパンのホームページをご覧ください。
http://communityorganizing.jp/
最後に私の感想です。
池本さんは、コミュニティ・オーガナイジングのモデルは日本にもあるという、提唱者のガンツ博士の話を紹介してくれました。
たしかに日本の一昔前までの文化には、コミュニティ・オーガナイジングに通ずるものがあったように思います。
しかし、同時に私は、アメリカこそ、こうした理念で建国され、発展してきたように思います。
19世紀のアメリカの見聞記をまとめたトクヴィルの「アメリカのデモクラシー」には、そうした事例がたくさん出てきます。
当初のタウン・ミーティングはまさに、コミュニティ・オーガナイジングでした。
しかし、20世紀にはいり、アメリカの社会は大きく変質しました。
1980年前後のアメリカ人の価値観を200人を超す人たちのインタビューによって調査したロバート・ベラーの「心の習慣」によれば、すでに当時、そうした文化は消え去っていたようです。
そして、それに抗うように、いままた個人の価値観、つまり生活に戻って、社会を捉え直そうとする動きが広がっている。
そこから、私たちが学ぶことはとてもたくさんあるように思います。
国家のあり方(つまり政治のあり方)もまた、それと無縁ではないように思います。
来年は、そうした「価値観」の問題に関わるようなサロンをいくつか考えています。
池本さんのお話は、そうしたことに深くつながっているような気がしました。
池本さんの語ってくれた、ご自分の物語も、私にはとても刺激的なものでした。
■人生2度目の入院(2016年12月15日)
眼瞼下垂の矯正手術のため、柏厚生総合病院に入院しました。
数年前の親不知歯抜歯に次ぐ人生2度目の入院です。
歯とか目なので、実に退屈な入院生活です、
今日は朝から病室に入りましたが、やることは何もなく、時間をもてあましました。
夕方になって、手術をしてくれる高久医師などいろんな人がきはじめたので、少し退屈さが緩和されました。
病院というのは、不思議な世界です。
患者と接していると、みんな良い人になるのでしょうか、良い人ばかりです。
何しろ、その理念は、「ホスピタリティ」ですから。
にもかかわらず、福祉施設ではどうも反対の状況もある。
どこに違いがあるのでしょうか。
眼瞼下垂手術は16日に無事終了。
そこから48時間はまぶたのクーリングで、寝たきり。
その苦行を経て、日曜日の朝、退院。
入院中の様子などは挽歌番外編に書きました。
退院後も事件は起きましたが、まあまもなく正常化するでしょう。
(2016年12月第1週)
■祈りづるプロジェクトのミーティング(2016年12月5日)
■岐阜の佐々木さん(2016年12月7日)
■「心の習慣」を読みました(2016年12月10日)
■祈りづるプロジェクトのミーティング(2016年12月5日)
サダコ鶴を世界に、そして未来に、飛び立たせようというプロジェクトがいよいよ始まります。
今月14日には、ある集まりがありますが、そこから世界に無k手の甲口活動が始まります。
ロゴも生気に決まりました。
組織の立ち上げも決まりました。
来年はきっと予想以上の広がりを見せることでしょう。
■岐阜の佐々木さん(2016年12月7日)
SPM研究所の佐々木さんが、岐阜から久しぶりに出てきてくれました。
お元気そうなのですが、やはりまだ活動しだすには至っていないようです。
この数年の佐々木さんの悲しみを思えば、それは仕方がありません。
ゆっくりと待つしかありません。
しかし、その前は、たぶん私がそういう感じだったのでしょう。
原点に返って、もう一度、佐々木さんと「共済文化」を考えるプロジェクトを立ち上げられればと思っていますが、何しろ、岐阜と東京なので、なかなか難しいです。
■「心の習慣」を読みました(2016年12月10日)
ロバート・ベラーの「心の習慣」をを読みました。
最初は、なんとなく、気になっていながら読んでいなかった本なので、かなり義務的に読みだしました。
しかし、最後のほうになって、がぜん面白くなりました。
アメリカのことがよくわかったと同時に、いままさに日本で展開している状況を考える上で、大きな示唆が得られた気がします。
ゼ億編の「善き社会」喪読もうと思います。
(2016年11月第5週)
今週はとても機嫌の悪い1週間でした。
もし私に会って、不快な気分になった人がいたらお詫びします。
どうも感情を隠せないタイプなのです。
ただ、機嫌が悪かったのは、特定の誰かへの感情ではなく、むしろ自分自身に対することで不機嫌だったのです。
すみません。
■経営道協会の足立さん(2016年11月28日)
■まちづくり編集会議幹事会(2016年11月30日)
■1年ぶりの歯医者さん(2016年12月1日)
■くら寿司のうな丼(2016年12月2日)
■第5回リンカーンクラブサロン(2016年12月3日)
■経営道協会の足立さん(2016年11月28日)
先日のリード力開発道場の報告もかねて、協会の足立さんが来ました。
ついでに足立さんのもう一つの関心事である、お寺の話をしました。
お寺は、これからの社会にとって、大きな役割を果たす可能性を持っているのではないかというのが、足立さんと私の共通点です。
それで、会うたびに、そういう話になるのです。
なにかプロジェクト起こせないか考えたいと思っているのですが、ふたりともバタバタしていて、なかなか動きだせません。
来年こそは何かを考えたいものです。
■まちづくり編集会議幹事会(2016年11月30日)
まちづくり編集会議の幹事会でしたが、メンバーが忙しすぎるのか、なかなか前に進みません。
前にやっていた「みんなの社会教育ネットワーク」と同じ動きになっているような気がして、いささか不安を感じています。
やはり私の思い込みが強すぎるのかもしれません。
さてさてどうしたものか。
悩ましい話です。
しかし、少し間をおくのはいいかもしれません。
私も楽ができますし。
■1年ぶりの歯医者さん(2016年12月1日)
4か月おきに検査に行く約束の歯医者さんに、なかなか行けずにいました。
放置しておくと、1年以上、間が開くので、ともかく行くことにしました。
いつものように1時間かけて検査をしてくれましたが、問題はいろいろとありそうです。
詳しい説明は次回ですが、どうも夜中の睡眠中に歯ぎしりをしているようで、舌の骨が落ち込んでしまったそうです。
よほどストレスがあるのでしょうか。
自分では全く意識がないのですが、困ったものです。
■くら寿司のうな丼(2016年12月2日)
新聞のチラシに、くら寿司で「うな丼」を始めたと書いてありました。
くら寿司のうな丼。まったくピンときません。
ところが、ひょんなことで、昼食時間の間際に、兄の家に娘と一緒に行ったのですが、その帰り道に「くら寿司」があり、昼食には少し早かったのですが、チラシを思い出して、入ってしまいました。
特上うな丼が、980円でした。
娘は、食べませんでした。
私も少し後悔しました。
しかし、何か「おかしなこと」があると、ついつい気になって、誘い込まれてしまうのです。
困ったものです。
■第5回リンカーンクラブサロン(2016年12月3日)
19日のフォーラムには参加できなかった方も4人参加してくれました。
そこで19日の様子も報告させてもらいました。
私の報告はかなり偏っていますが、他の方がすこし補正してくれました。
今回のサロンでは、どうしたら私たちの意見を政治につなげられるか、も議論したかったのですが、前半はむしろ、民主主義の捉え方や、当日ゲストスピーカーから発言のあった「愚民」といった言葉の捉え方などで、さまざまな意見が出ました。
デモクラシーと言った場合、ややこしいのは、それが「民主主義」という理念の問題と「民主制」という政治体制の問題が困難されてしまうことです。
私は、あくまでも理念と捉え、「個人の尊厳の尊重」を基本に置いていますが、それはどうも一般的ではないようです。
その点をもう少し明確にすべきではないかという指摘も受けました。
また、政治をどこから見るかで、問題の捉え方は大きく変わっていきます。
フォーラムで、少し物議をかもした「愚民と民主主義」は、まさに民主主義や民主制を考える、格好のテーマではないかと思いますが、それを深めるのはどうも難しそうです。
リンカーンクラブ代表の武田さんも私も、直接民主主義を衆愚政治やポピュリズムにつなげて、否定的に捉えることに異論を持っています。
民の声には「愚かさ」も「賢さ」もない。
「愚かさ」や「賢さ」を認めてしまえば、それは「選ばれた人による政治」を認めることになるからです。
つまり代議政治は、そのひとつの仕組みです。
しかし、この考えは、なかなか共有されるにはいたりません。
後半は少しだけですが、どうしたらいいのかという話になりました。
自分たちの地域社会の「憲法」をつくる活動に取り組みたいという宣言もありました。
いまの選挙での投票活動に限界を感じ、何かを考えたいという人もいました。
選挙制度を見直す活動をしたらどうかという意見や、国民投票や住民投票の話も出ました。
リンカーンクラブとしての、憲法案をつくったらどうかという提案もありました。
国会議員を巻き込もうという人もいました。
どれもこれも、ともかくやってみようと言う人がやりだすことが大切です。
誰かが何かを始めたら、できるだけ応援していくのが、リンカーンクラブの姿勢です。
政治は、3人称で語るテーマではなく、1人称で語らなければならないと私は思っています。
リンカーンクラブとしては来年から、いくつかのプログラムを始める計画です。
またご案内させてもらいますが、こういう話し合いの場がもっと広がっていけばいいなと、いつも思います。
(2016年11月第4週)
■祈り鶴プロジェクトミーティング(2016年11月21日)
■夜明けの地震(2016年11月22日)
■11月の雪(2016年11月23日)
■リンカーンクラブをどうするか(2016年11月23日)
■エグゼクティブフォーラム発表会(2016年11月25日)
■祈り鶴プロジェクトミーティング(2016年11月21日)
「祈り鶴」を、みなさんなんと読んだでしょうか。
「おりづる」ではなく、「いのりづる」です。
折ると祈るは似た文字ですので、先入観で「おりづる」と読んだ人も多いでしょう。
前にも書きましたが、いよいよ「祈りづる」プロジェクトがスタートです。
ロゴもほぼ決まり、大きな方向も決まりました。
中心になるのは、“INORI”の作曲者でもあり、歌い手でもある、NPO法人SADAKO LEGACYの佐々木祐滋さんです。
どういう展開になるかは、間もなく紹介できるでしょうが、かなり壮大なプロジェクトです。
このプロジェクトの関係で、JA共済総研の濱田さんに会いました。
以前からお名前は聞いていましたが、OMOしろいの宇賀さんたちのお引き合わせだけあって、初対面とは思えないほど、通ずるものがありました。
いささかあやういスピリチュアルな世界の話もあって、それも含めて、とても共感できるものがありました。
近々地震が起こるというような話までありました。
■夜明けの地震(2016年11月22日)
昨日、濱田さんたちと地震の話をしていたのですが、まさにそれが現実に発生しました。
久しぶりに津波を伴う地震が、東北を襲いました。
3.11の時と違い、私はまったく予兆の夢を見ませんでしたが。
幸いに大事にはなりませんでしたが、福島原発はたぶんダメッジを受けているはずです。
それでも東電と政府は隠し通すでしょうが、それへの戒めのような気がします。
昨日は、2020年の東京オリンピックは開催されないだろうという話まで出ましたが、私もその可能性を否定できない気がします。
まさに、「ソドムとゴモラ」を思い出して、憂鬱になります。
■11月の雪(2016年11月23日)
地震につづいて、今度は11月の雪です。
50年以上ぶりだそうですが、我孫子は実際に積雪しました。
都心も雪でしたが、私が湯島についた時には雪はほとんどありませんでした。
それでも寒い1日ではありました。
私は地球温暖化にはあまり関心は持っていませんが、むしろ昨今の気候の不安定という問題に関心があります。
温暖化という直線的な捉え方ではなく、むしろ構造が変わろうとしているのではないかと思うのです。
構造の変化と温暖化とでは、問題の捉え方は全く違います。
気候は、つまり自然は生きていますので、もっと構造的な捉え方をしないと問題は見えてこないでしょう。
温暖化というのは、いかにも産業的な捉え方です。
それにしても、最近の気候の不安定さには、身体がついていくのが大変です。
風邪をひかないようにしなくてはいけません。
■リンカーンクラブをどうするか(2016年11月23日)
19日に開催したリンカーンクラブの公開フォーラムへの意見がいろいろと届いています。
ゲストのおふたりの話に出てきた「愚民」という言葉に失望したという意見も少なくありません。
私自身もその一人ですが、それに関して報告では言及しませんでしたが、悩ましい問題です。
それもあって、今日はリンカーンクラブの立ち上げメンバーでのミーティングを改めて開催しました。
そして、それに関して、私の私見を公開してもいいという了解をもらいましたので、ブログなどで公開していくつもりです。
しかし、少し頭を冷やしてからにしようと思い、しばらくは考えないことにしました。
この週末から書きだす予定ですが。
同時に、今回残念ながら入会者も少なかったので、資金計画を見直す必要が出てきました。
今回は多くのボランタリースタッフの応援をもらいながらも、10万円以上の赤字になってしまいました。
こんな状況では活動は発展しません。
そこで、連続講座やセミナーで、活動資金を自前で調達していくことを考えることにしました。
年明けからスタートです。
みなさん、ぜひ応援してください。
なお、19日のフォーラムの全記録をPDFでアップしています。
■エグゼクティブフォーラム発表会(2016年11月25日)
山城経営研究所の「エグゼクティブフォーラム」の発表会が、椿山荘で行われました。
今回のコーディネーター役は、私を含めて4人です。
静岡大学の舘岡さん、慶応大学の岡田さん、松尾学術振興財団の宅間さんです。
前半の発表は受講生たちが行うので、私たちは会場の片隅の円卓でのんびりと聴かせてもらうだけです。
おかげで、4人でいろんな話をすることができました。
面白かったのは、宅間さんがアカデミズムは4つの部門があって、それをどうパーティシペーションしていくかと言い出したのです。
確認はしませんでしたが、ここでいう「パーティシペーション」とは、たぶんレヴィ=ブリュルの言う「総合的に融即」するという意味でしょう。
4つとは、自然科学と人文科学と経済と政治です。
私は、それぞれが独にメディア、ないしツールを持っていることを指摘し、それをどう統合するかが課題ではないかと話しました。
つまり。自然事実、言葉、貨幣。暴力です。
私自身は、言葉が一番の要だろうと思っています。
もうひとつ、やはり宅間さんが「勿体性理論」を提唱しました。
相対性理論ならぬ、勿体性理論です。
これも面白い議論でしたが、何しろ発表会の合間の雑談でしたので、時間切れでした。
宅間さんとこうやって話すのは20年ぶりですが、数学にも音楽にも通じている宅間さんの知の世界を久しぶりに感じました。
それに、レヴィ=ブリュルの言う「パーティシペーション」も、実に懐かしい。
私が大学で学んだ事で記憶に残っている、わずかなことの一つが、レヴィ=ブリュルの「未開社会の思惟」です。
今回で山城経営研究所の活動への支援は終了するつもりですので、発表会の後の修了式にも参加しました。
初対面の岡田さんと話したかったのですが、ディナースタイルだったので残念ながら話せませんでした。
しかし岡田さんの人柄はだいぶわかりました。
論文で想像していたのとは違って、実に魅力的な人柄でした。
(2016年11月第3週)
■リンカーンクラブ大会準備会(2016年11月13日)
■若井さんと加納さん(2016年11月16日)
■まちづくり編集会議準備会(2016年11月16日)
■リンカーンクラブ第1回公開フォーラム(2016年11月19日)
■リンカーンクラブ大会準備会(2016年11月13日)
19日の公開フォーラムに向けて、最後の打ち合わせを行いました。
いささか不安が残りますが、ここまできたらもう成功させるしかありません。
実行委員の人数はさらに増えてきています。
映像撮影をしてくれる人も出てきました。
文字起こしに手を挙げた人もいます。
次第にコムケア的になってきました。
とてもうれしいです。
■若井さんと加納さん(2016年11月16日)
若井さんと加納さんが、あるプロジェクトの相談に来ました。
高齢者の生活支援に関するプロジェクトです。
若井さんはこれまでの活動で培ってきたネットワーク資源などがたくさんあります。
それを社会的に活用できないかというのが、若井さんの希望です。
まずは、その基盤をつくらなければいけません。
私もお役にたてるといいのですが。
■まちづくり編集会議準備会(2016年11月16日)
まちづくり編集会議として、活動の柱として、「まちづくり編集講座」を企画することになりました。
その試行として、1月21日に公開セミナーのようなものも開こうということになりました。
このプロジェクトの中心は北川さんです。
どんなものになるか楽しみです。
20年前にやりたかったことの一つなので、私も少し身を入れて考えようかと思っています。
■リンカーンクラブ第1回公開フォーラム(2016年11月19日)
リンカーンクラブ活動再開記念フォーラムは60人ほどの参加者がありました。
テーマは「わたしたちの声を政治にどう届けるか」でした。
前半では、リンカーンクラブ代表の武田さんが、キースピーチを行い、
それにコメントする形で、憲法学者の小林節さんと弁護士の伊藤真さんが、お話をしました。
後半は、その3人も含めて、参加者みんなの話し合いになりました。
まずは、「なぜ私たちの声は届かないのか」、そして「どうしたら届けられるか」を話題にしました。
前半の話は間もなくユーチューブでアップします。
3人の話を、今回のテーマ(なぜ国民の声と政治にはギャップがあるのか)に即して整理すれば、
武田さんは「仕組み」に、小林さんは「政権側」に、伊藤さんは「国民側」に、問題があるというお話でした。
私自身も、「国民」、つまり「私」に問題があると考えていますが、その内容は、伊藤さんとは真反対の理由です。
伊藤さんは、現状に満足している国民、つまり「自分」とは無縁の国民に問題があると考えているようです。
これに関しては、実はもう少し刺激的な議論があったのですが、
部分的に紹介すると誤解されそうなので、ここではやめます。
ブログではもしかしたら書くかもしれません。
会場からの発言は、とても示唆に富むものだったと思います。
たとえば、マンションの住民組合ではみんなの声で運営することができるのに、
なぜ国政ではそうならないのか、という指摘には、私は大きなヒントがあると思いました。
都心飛行反対活動をしているという、「普通のサラリーマン」の人は、
まずは身近な問題を取り上げて、政治が自分たちの生活とつながっていることをみんなで理解していくことが効果的だと話されました。
子どもたちの教育に関わっている人たちからは、教育の問題もでました。
子どもたちの教育は学校だけの問題ではありません。
家庭の問題でもあり、地域の問題でもあり、何よりも私たち大人の生き方の問題だというような話も、ちらっとですがありました。
それこそ、私は民主主義の出発点だろうと思っています。
ちなみに、
子どもたちにいろんな現場を体験させたいと思い動き出しているが、
学校や教育委員会を説得できない、という話もありましたが、
説得する必要など全くなく、勝手にやればいいだけだと私は思っています。
1時間半ほどの話し合いの時間は、あっという間に過ぎました。
みんな話したいことがたくさんあるのです。
そして行動したいと思っている。
リンカーンクラブは、そういうエネルギーが集まる場にしていきたいです。
新たな入会者もありました。
みなさんも、ぜひご参加ください。
さまざまな声が集まってこそ、政治のレベルに近づけますから。
このフォーラムを受けて、12月3日には湯島で、リンカーンクラブのサロンを開催します。
その時には、私の個人的感想も、思い切り控え目に話させてもらおうと思いますが、
今日はかなり公式的な報告です。
交流会もとても盛り上がりました。
今回のフォーラムは、ボランタリーに手を挙げてくださった12人の実行委員を中心に企画運営しました。
本当にお疲れ様でした。私も含めての12人の人たちに感謝です。
日本の未来は、明るいです。たぶん。
なお、19日のフォーラムの全記録をPDFでアップしています。
(2016年11月第2週)
■祈り鶴プロジェクトがスタートです(2016年11月7日)
■19日の公開フォーラムの参加者が集まりません(2016年11月8日)
■アメリカ大統領はトランプさんになりました(2016年11月9日)
■リード力開発道場フォーラム(2016年11月12日)
■気仙沼の魚を学校給食に普及させる会の代表臼井壮太朗さん(2016年11月12日)
■祈り鶴プロジェクトがスタートです(2016年11月7日)
この写真の折り鶴をご存知ですか?
「サダコ鶴」です。
広島平和記念公園にある原爆の子の像のモデルとなった、佐々木禎子さんが残した折り鶴です。
映画にもなっています。
http://www.earthartfactory.org/blank
その「サダコ鶴」は、平和の祈りを乗せて、世界に飛び出しています。
昨年は、アメリカのトルーマン図書館にも贈られました。
トルーマン大統領は、70年前、原爆の投下を承認した大統領です。
その図書館に、どうして被爆者の折り鶴が置かれることになったのか。
尽力されたのは、トルーマン大統領の孫、クリフトン・トルーマン・ダニエルさん。
そして、NPO法人SADAKO LEGACYの佐々木雅弘・祐滋さん親子です。
禎子さんは、禎子さんの兄と甥です。
おふたりは、平和を祈って病床で最後まで鶴を折っていた禎子さんの思いを世界中に届ける活動を続けています。
そのサダコ鶴が、昨日、湯島にも立ち寄ってくれました。
その写真です。1円玉と比較してみてください。
とても小さな折り鶴ですが、そこに込められた「平和へのいのり」はとても大きく、世界を変えようと飛び出しているのです。
佐々木祐滋さんは、ミュージシャンです。
“INORI”という曲をご存知の方も少なくないでしょう。
ご存じない方がいたら、ぜひユーチューブで聴いてください。
https://www.youtube.com/watch?v=aZKgqjtig3M
昨日、祐滋さんと、サダコ鶴をもっと大きくはばたかせようという話し合いをしました。
何ができるかわかりませんが、いろんな力がほしいです。
世界のしあわせに向けて、できることはたくさんあります。
力を貸して下さる方がいたらご連絡ください。
■19日の公開フォーラムの参加者が集まりません(2016年11月8日)
リンカーンクラブ活動再開記念の公開フォーラムは呼びかけ開始が遅かったこともあり、参加者が集まりません。
会費を3000円にしたのもどうも敗因のようです。
なにしろ会場費だけで15万円以上もかかり、講師謝礼などを入れると30万円ほどかかってしまうのですが、そのために参加費がわ3000円になってしまいました。
できれば赤字にならないようにと思ったのが、間違いでした。
しかし、ある程度の参加者がいないと、せっかくの活動再開のイベントなのに元気が出なくなります。
そこで今日は、1日かけて、いろんなところに案内を出しました。
成果が出るといいのですが。
また内容的にもまだ詰めが甘く、開催日前日も明けることにしました。
そのため。前日に予定されていた山城経営研究所の30周年記念シンポジウムに参加できなくなってしまいました。
いささか状況を楽観視しすぎてしまいました。
困ったものです。
それにしても手ごたえが悪い。
みんな政治にはやはり興味がないのでしょうか。
■アメリカ大統領はトランプさんになりました(2016年11月9日)
アメリカの大統領選は、大方の予想に反して、トランプ候補が当選しました。
私の友人の中には、早い時期からそう確信していた人もいますが、私は否定的でした。
その一方で、クリントン候補よりは望ましいだろうと考えていました。
それは今の構造へのノイズを持ち込むことになるからです。
しかし、まさかの結果です。
今回の結果が示唆することはたくさんあります。
世上に出回っている情報がいかに頼りないものであるかということと、アメリカでの99%勢力の怒りは、日本と違って本物だということです。
いろんなことを考えなそういい契機になるでしょう。
ちなみに、私は少しホッとしています。
トランプ当選で、株安円高に進むのも、私には大いに歓迎するところです。
いじれも私にとっては良いことだからです。
ただ、せいじがけいざいにまけたこと、しかも不動産という一種の金融資本経済に負けたことがこれからどう展開していくかにはいささかの不安はあります。
■リード力開発道場フォーラム(2016年11月12日)
昨日は日本経営道協会のフォーラムでした。
200人を超える起業家や経営者が集まりました。
毎年、このフォーラムでのパネルディスカッションの進行役を引き受けていますが、
今年もまた、見事というほかない3人の経営者にお会いしました。
気仙沼の臼福本店の臼井壮太朗さん
北星鉛筆の杉谷和俊さん
面白法人カヤックの柳澤大輔さん
それぞれ全くと言っていいほど違った思考を持っているように思える個性的な経営者ですが、話していると、その奥に共通のものを感じました。
それは、「確固たる自らの視点」と「時空間的に広がる視野」です。
「時空間的に広がる視野」などと書くとややこしいですが、
昨日は3つのまなざしという形で話させてもらいました。
地域社会へのまなざし、未来へのまなざし、そして人へのまなざしです。
3人とも、地域や未来や人が大好きなのです。
それと「確固たる自らの視点」。
3人とも「自分を信じている」ということです。
ありのままの自分を信じ、自らの思いを大事にしている。
社会的な通念にとらわれるのではなく、自らの信条からぶれずに経営をされている。
そして同時に、自らの人生をとても大切にし、自分の人生の大切な要素として事業に取り組んでいる。
事業は単なる仕事を超えて、自らの生き方に深くつながっている。
その姿勢が、たぶん、一緒に取り組む仲間を生み出し、事業を広げている気がします。
だからどんな難局にぶつかっても、前に進める。
「経営者は孤独」とよく言われますが、昨日、3人のお話を聞いていて、もしかしたら、それはこれまでの話で、これからは孤独ではない経営者が増えていくのではないかと思いました。
新しい時代を予感させます。
■気仙沼の魚を学校給食に普及させる会の代表臼井壮太朗さん(2016年11月12日)
リード力開発道場フォーラムのパネルディスカッションのパネリストのお一人は気仙沼の臼福本店の臼井壮太朗さんでした。
ディスカッション前のうつ合わせのミーティングで、3人顔合わせをする予定でしたが、いろいろと手違いがあったようで、定刻に集まったのは私と臼井さんだけでした。
そのおかげで、臼井さんとさまざまな話ができました。
パネルディスカッションの打ち合わせというよりも、もっといろんな話ですが、臼井さんの取り組み姿勢と私の考えがとても重なっていて、ついつい話が盛り上がり、フォーラムがスタートしているのにもかかわらず、控室で2時間も話し込んでしまいました。
途中、石巻の「希望の缶詰」で有名な、木村さんも顔を出してくれましたが、木村さんと臼井さんはやはりつながっていて、木村さんには大変おありがとうございました。世話になったと臼井さんは言っていました。
やはりまだ、経営者同士のいい関係は、残っているのです。
臼井さんが取り組む活動の一つが、「気仙沼の魚を学校給食に普及させる会」です。
食は文化の基本ですが、私たちは「食」を産業化してしまいました。
いま話題になっている築地問題も、そうしたことを象徴しています。
豊洲移転を受け入れた築地の人たちは、自らの誇りを捨ててしまったとしか、私には思えませんが、もっと大きな問題は学校給食です。
気仙沼でも、地場の魚ではなく、産業化された仕組みのなかから提供される「安価」な魚が給食で使われているそうです。
そこに臼井さんは大きな疑問を持ち、この会を立ち上げ、活動をしているそうです。
その思いの深さをお聞きしました。
そんなところから、なぜ捕鯨の話にまで行き、いまの経済の仕組みについてまで話が広がりました。
東北の被災地の防潮堤にも話は進みましたが、安倍首相の奥さんも一緒になって、防潮堤反対の活動もされています。
私は、住民ではないのですが、防潮堤をつくる住民たちの考えが全く理解できずにいますので、臼井さんの話を聞いて、とても安堵しました。
未来は明るいかもしれません。
それは、他の2人のパネリストと話していて、感じたことでもあります。
北星鉛筆の杉谷さんとも、帰り際に少し話しましたが、その誠実な生き方の感激しました。
面白カヤックの柳澤さんの話からもいくつかの希望をもらいました。
それぞれ書きだすときりがありませんが、3人からは大きな元気をもらった気がします。
(2016年11月第1週)
■ライフヒーリング映像(2016年10月31日)
■まちづくり編集会議準備会(2016年10月31日)
■台湾の呉さん(2016年10月31日)
■ストーリーテリング協会総会(2016年11月2日)
■リンカーンクラブ大会準備会(2016年11月3日)
■第4回リンカーンクラブサロン(2016年11月5日)
■ライフヒーリング映像(2016年10月31日)
先日の「看取りのサロン」に参加された、写真家の近藤さんが湯島に来ました。
現在のお仕事の相談もあったのですが、私の関心事は、近藤さんが取り組んでいる「ライフヒーリング映像(隠しテーマ:運命との和解と受容へのセレナーデ)」です。
以前に作った試作を恥ずかしながらご覧いただきたく存じます。
当時の携帯電話(ガラケー)で病床で見てもらうことを想定した低画質で恐縮ですが・・寝たきりの方でも視聴可能なように、スマホでも見られるライフヒーリング映像を制作し、体験者に平安を与えたいという思いの活動のようです。
試作品を見せてもらいましたが、一つの試みとして、その意義を感じました。
近藤さんはまた、アーノルド・ミンデルにも造詣の深い方です。
私も刺激を受けて、ミンデルを読んで模様と思っていますが、まだ実現に至っていません。
■まちづくり編集会議準備会(2016年10月31日)
まちづくり編集会議準備委員会を開催しました。
だいぶ方向が見えてきました。
案内パンフレットを作成することになりました。
当面の活動は、今月からスタートした「まちづくりサロン」。
それに加えて、来年からは連続講座や?みなーを始めることにしました。
年明けの1月21日には、そのお披露目を兼ねて、公開セミナーを開催する予定です。
できれば、全国のまちづくり活動のゆるやかなネットワークを育てていければと思っています。
■台湾の呉さん(2016年10月31日)
20年ほど前に、湯島で、アジアからの留学生たちのためのサロンをやっていました。
そこに来ていた台湾の呉さんから、昨日、突然、日本に来ているので会いたいという電話がありました。
仕事で来ているので、今夜しか時間がないと言うのです。
彼と会うのは4年ぶりくらいでしょうか。
予定していた夜のミーティングを早く切り上げてもらい、なんとか彼と会うことができました。
彼は、いま、台湾でピンバッジやノベルティグッズなどを取り扱う会社をやっています。
私は何の役にも立てていないのですが、もしみなさんのなかに、何かのイベントでピンバッジやノベルティなど制作する機会があれば、ぜひ彼の会社に頼んでやってください。
100個からでも大丈夫と呉さんは言っています。
とても誠実で、この上ないほどの善人です。
だからきっと会社も続いているのでしょう。
http://dskg.com.tw/jp/
■ストーリーテリング協会総会(2016年11月2日)
ストーリーテリング協会に新しい理事として、布留川さんに参加してもらうことになりました。
その承認のための臨時総会を開催しました。
合わせて、これからの活動に関して、見直しを行いました。
これまでは拡散型で活動してきたために、財政的にはかなりの持ち出しになっています。
これからは収益性も考えながら、活動を重点化していくとともに、独自の手法なども開発していくことにしました。
併せて、出版計画に関しても話し合いました。
新しい組織の立ち上げは、やはり大変です。
■リンカーンクラブ大会準備会(2016年11月3日)
11月19日に開催するリンカーンクラブ活動再開記念フォーラムの実行委員会を開催しました。
自発的に手を挙げてくれたメンバーが実行委員会をつくり、その合議で会の内容なども決めていくという方式をとっています。
今回も新たに3人の人が参加してくれたので、議論がまた広がり深まりました。
この方式だと、実は本番よりも実行委員会での議論が面白く、私はとても気にいっています。
今日の議論で、タイトルも見直しました。
私たちの考えを、より的確に表現できたと思います。
政治に声を届けることをあきらめていませんか。
つながることで、できることがまだあります。
新たに実行委員になってくれた方は、あきらめていたけれども、まだ希望があると考え直したと言ってくれました。
それを聞けただけで、リンカーンクラブの活動再開に関わってよかったと思いました。
19日のフォーラムにはたくさんの方に参加していただき、私たちのKAEをしっかりと政治につなげていくための一歩を踏み出せればと思っています。
フォーラムの案内は次にありますが、ぜひ多くの人に参加していただきたいと思っています。
http://lincolnclub.net/events.html
参加者が集まらないと心配でねむれないので、よろしくお願いします。
■リンカーンクラブサロン「私が安倍政権を支持する理由」(2016年11月5日)
第4回目のリンカーンクラブサロンは、現在の安倍政権を支持する片野さんから、「私が安倍政権を支持する理由」をお話しいただき、それに基づいて、いつものように話し合いを行いました。
片野さんは、若いころから政治に関心をお持ちで、いまも「市民の立場」で、実際の政治にもつながりを持って、いろいろな働きかけもしています。
リンカーンクラブのサロンに参加する人は、現在の安倍政権には批判的な人が多いのですが、民主主義をテーマにする以上、いろんな意見の持ち主が、お互いに学び合うということを大事にしたいと思っています。
安倍政権は、立憲主義を否定し、民主主義をおろそかにしているという意見も多いですが、国民の半数前後の支持を得つづけている安倍政権を、そう簡単に、民主主義に反すると言っていいのか。そこは一度、冷静に考える必要があります。
同じ考えの人だけで話し合っていても、そこからは何も生まれません。
異論を拒否するような場からも民主主義は育ちません。
湯島のサロンには、安倍政権批判派が圧倒的に多いのですが、それを承知の上で、話を引き受けてくださった片野さんの誠実さに、感謝したいと思います。
案の定、参加者のほとんどが、アンチ安倍政権だったような気がしますが、そうした立場からの辛辣な異論や質問に対して、片野さんは常に平常心で応えてくれました。
片野さんは、冒頭、おおむね次のような基本姿勢を話してくれました。
「政治の目的は、国民の生命や財産の安全を守ることである」。
「国民は税金を払う義務と同時に、政治のおかしさを正していく義務がある」。
そしてつづいて、
民主党政権の「ていたらく」と違い、いまの安倍政権は、日本に「安定」をもたらしている、と話してくれました。
民主党政権の「ていたらく」とはなにか、安倍政権がもたらした「安定」とは何かについて、少し議論のやり取りがありました。
片野さんはまた、いまの日本は、努力すれば生活ができる社会だとも話されました。
これに関しては異論が出ました。
片野さんの「努力」とは何かも話題になりましたが、片野さんは教育の重要性を、出身地の釧路市の「子どもたちに基礎学力の習得を保障するための教育の推進に関する条例」を例に説明してくれました。
これには、子どもたちの学習に関わっている人たちから、質問や異論が出されましたが、「学力」や「努力」が何を指すかは、政治の捉え方の重要な分かれ目かもしれません。
片野さんはまた、現場と現実に立脚することの大切さも話されました。
そして実践につなげていくことが大切だとも言われました。
たしかに、実際に何かを実現するには、与党になり政権を取らねばいけません。
なにかを実現しようとすれば、与党や政権を通さなければいけない。
しかし、片野さんがいう国民の義務の「政治のおかしさを正していく」動きが、政権によって阻害されていることはないのか。
そうしたことに関連して、報道規制や憲法違反と言われての安保法制などの強行採決はどう考えるべきか。
また、国会での議論などで、政権は「政治のおかしさ」を指摘する声に、耳を傾ける「話し合い」の姿勢があるのか。
報道規制に関する片野さんの考えは、さまざまなメディアがそれぞれの主張をしており、報道の画一化にはなっていない。
実際に片野さんは、毎日さまざまな新聞を読んで、そう感じているそうです。
安保法制に関しては、いまの政治状況を考えれば、国民の安全を守るためには安保法制は緊急の課題であり、憲法改正などという時間をかけていては間に合わない、と言います。
憲法を守ることよりも国民の安全を守ることの方が優先されるべきだというわけです。
国会での議論が、異論に耳を傾けて考え直すような「話し合い」になっていないという意見に対しては、片野さんはあまり意識していなかったようですが、もしそうであればそれは糺すべきだというのが片野さんの考えのようでした。
片野さんの確信は、きちんと整合しているのです。
いまの日本では、「現場」には、どうも2つの層がありそうです。
片野さんがふれている現場と、私がふれている現場とは、どうも違っているような気がします。
国会議員にとっての「現場」とは、どこなのか。
一昨日、湯島に来た人が、私たちの現場の声は政治に届いていないと嘆いていましたが、片野さんが考える現場の声は政治に届いているのかもしれません。
とても大雑把な報告になりましたが、参加者の人たちにとっては、一番肝心のことが書かれていないと思うかもしれません。
それは、政治への評価は、その人が生まれ育ったなかで培われた生き方やいまの立場によって大きく規定されているということです。
片野さんは、それをとても素直に話してくれました。
政治は「理論」ではなく「感情」なのかもしれません。
最近読んだ吉田徹さんの「感情の政治学」を思い出しました。
だからこそ、いろんな人たちが、本音で気楽に話し合う場が大切だと、私は思っています。
その意味で、私にはとても示唆に富むサロンでした。
安倍政権支持の片野さんと安倍政権が心底嫌いな私の価値観は、もしかしたらそう違っていないのかもしれません。
片野さんが最初に語った2つのことには、私は異論はないのです。
なんだかとても複雑な気分です。
(2016年10月第4週)
■第1回まちづくりサロン(2016年10月23日)
■若くない若井さん(2016年10月24日)
■はったつ凸凹組合準備会(2016年10月24日)
■宇賀さんと佐々木祐滋さんのプロジェクト(2016年10月25日)
■久しぶりの高須さん(2016年10月26日)
■柏厚生総合病院に行きました(2016年10月27日)
■今年最後の畑の収穫(2016年10月27日)
■風邪?(2016年10月28日)
■カフェサロン「地域に看取りの文化を取り戻す運動」(2016年10月29日)
■第1回まちづくりサロン(2016年10月23日)
第1回まちづくりサロンを開催しました。
さまざまな立場で「まちづくり」に関わっている人たちが、13人集まりました。
これだけ集まると、「まちづくり」の捉え方もさまざまです。
「ハード面でのまちづくり」と「ソフト面でのまちづくり」
「行政主導のまちづくり」と「生活者主導のまちづくり」
「統治環境整備」と「生活環境整備」
「お上のまちづくり」と「民のまちづくり」
さまざまな「まちづくり」の考え方が出てきました。
本題に入る前の雑談で、「居場所」が話題になっていましたが、「居場所をつくるまちづくり」と「居場所のある社会をつくるまちづくり」というのもあるように思います。
また、まちづくりには「王様」(リーダー)が必要かどうかという議論もありました。
そもそも「まちづくり」ってなんだろうという話もありました。
福祉活動に取り組む人にとっては、「まちづくり」と並行して、「まちこわし」が進んでいるように思えているかもしれません。
そもそも私が、この「まちづくり編集会議」を思い立った動機の一つが、「まちづくり」という名の「まちこわし」の動きへの懸念からです。
「まちづくり」と「まちこわし」はコインの裏表かもしれません。
つまり、「まちづくり」とは、そこに住む人たちの生き方の変革です。
建物や施設が、その地域の人たちの意識や暮らし方を変えることはよくあります。
人によって、同じことが反対の意味を持ってくることはよくあることです。
大切なのは、「だれにとってのまちづくり」ということかもしれません。
であればこそ、「まちづくり」の主役は誰かということが問われなければいけません。
建物や施設を構築するのも「まちづくり」ならば、建物や施設を活用するのも「まちづくり」です。
施設を建設するのは住民だけでは難しいかもしれませんが、施設を活用するのは「個人」にでもできることです。
そういう視点で考えると、いまの社会には「活用」できる施設は余るほどあります。
「まちづくり」の思想を変えなければいけない時代のような気がします。
さまざまな話題が出たので、うまく報告できませんが、私が一番面白かったのは、建築家でハードなまちづくりに長年かかわってきた竹居さんの、近くのまちの「おばさん」が、小さなスペースを活用して地域を豊かにしようとしているというお話でした。
そこに、新しい「まちづくり」のはじまり、あるいは本来の「まちづくり」の回復を感じました。
そして、それを象徴するように、今回のサロンの最後は、「挨拶をしなくなった社会」の話題で盛り上がりました。
今回のサロンの(私の独断的な)結論は「まちづくりは挨拶から」です。
ちなみに、サロンの中で、「まちづくり編集会議ネットワーク」の構想を話させてもらいました。
近々フェイスブックページも立ち上げます。
ご関心のある方はご連絡ください。
まちづくりサロンは、継続的に開催します。
■若くない若井さん(2016年10月24日)
加納さんが同じ職場だった先輩の若井さんをサロンに誘ってくれて以来、若井さんが湯島のサロンと私に関心を持ったようで、前から言われていたのですが、今日、加納さんと若井さんが2人で湯島に来てくれました。
若井さんと言っても、若くはなく、私よりも年長です。
話していたら3つの共通点が見つかりました。
両親が新潟、子どもの頃からアリナミンを飲んでいた。
そして、3夢は伴侶をなくしていることです。
若井さんも5年前に奥さんを見送ったそうです。
そんなわけで話が弾みましたが、若井さんはこれまで人生で蓄積してきたネットワーク資源などを活用して、もっとみんなが安心して暮らせる社会づくりに向けての仕組みを作りたいという夢をお持ちのようです。
そんな話を聞くと、放置してはいられません。
それで、何かを構想しようということになり、プロジェクトをスタートさせることになりました。
なにか似たようなプロジェクトが乱立気味ですが、その内自然と整理されるでしょう。
■はったつ凸凹組合準備会(2016年10月24日)
はったつ凸凹組合準備会に1たらしいメンバーが2人はいりました。
今日は、長澤さんと2人の新メンバーとのミーティングです。
新メンバーは大関さんと大島さん。
それぞれ得手な「技」をお持ちです。
大島さんはイラストレーターですが、いろんな仕事をされています。
大関さんは、経営分析が得意のようです。
3人で話をしていて、少し新しい方向も見えてきました。
話をしていると先が見えてくるものです。
■宇賀さんと佐々木祐滋さんのプロジェクト(2016年10月25日)
農カフェ「OMOしろい」の宇賀さんたちから、SADAKO LEGACY 活動に取り組んでいるミュージシャンの佐々木祐滋さんと新しいプロジェクトを起こすからと言われて、まったく事情も知らないまま、我孫子まで来た祐滋さんと一緒に、農カフェ「OMOしろい」に連行されました。
話を聞いてみると、壮大な構想です。
それに実に魅力的なもので、私が取り組んでいることと深くつながっています。
しかし、どうもまだ宇賀富美絵さんと祐滋さんの頭の中に構想があるだけで、全体像も具体的な内容もよく見えません。
気楽に2人の話を聞くつもりで来たのに、いつのまにか、ファシリテーター役になってしまっていました。
そうなると、その流れの中で、コミットしてしまいかねません。
昨日のこともあるので、今日は注意しようと思っていたのですが、話しているうちにどんどん引きずり込まれてしまいました。
話し合った後は、いつの間にか「仲間」にされてしまっていました。
困ったものです。
しかし、「祈り」を世界中に飛ばしたいと思っている祐滋さんの思いは、前に聞いていて、何かできることを探そうと思っていましたので、これもまたあらかじめ決まっていたことかもしれません。
それにしても、また難儀なことを引き受けてしまいました。
ところで、久しぶりに農カフェ「OMOしろい」に行きましたが、とてもにぎわっていました。
新たに石窯もでき、そこで焼いたピザをご馳走になりました。
めずらしいピザでしたが、とてもおいしかったです。
お近くのみなさん、ぜひ一度、行ってみてください。
いまはまだ昼食しかやっていないのが残念ですが。
■久しぶりの高須さん(2016年10月26日)
昨日、高須さんのお母さんから新米が届きました。
送り先の高須さんに電話したら、息子の高須さんが電話口に出ました。
と言っても、私が知っているのは、息子のほうの高須さんですが。
彼は主に中国で仕事をしているので、日本にいるとは思ってもいませんでした。
それで長電話になりました。
中国から見ているときっと日本の状況もよく見えるのでしょう。
いろいろな気付きをもらいました。
元気そうなので安心しました。
■柏厚生総合病院に行きました(2016年10月27日)
眼瞼下垂を手術しようと、先日、小川眼科に紹介状をもらった柏厚生総合病院に行きました。
とても合理的で、ホスピタリティマインドを感じました。
受付に案内してくれたスタッフに訊いたら7年前にできたのだそうです。
とても感じがよく、合理的でもあり人間的でもあります。
まあ気になることもないわけではないのですが、とても気に入りました。
私も、少しずつ病院アレルギーが消えてきたのかもしれません。
形成外科の松久さんは、どうして眼が開くのか、から教えてくれました。
私の瞼は、長年頑張っているのです。
不自由だったでしょうと言われました。
もっと早く来れば、私の人生は変わっていたかもしれません。
手術は2か月先くらいになりそうです。
とても混んでいるのだそうです。
手術をすると顔の表情が大きく変わるそうです。
それもまた実に楽しみです。
■今年最後の畑の収穫(2016年10月27日)
さつまいもを掘りかけのままにしていたので、残りを掘りにいきました。
前回とほぼ同じ収穫でしたが、手入れ不足で、どうも今年はダメでした。
畑と付き合うのはやはり難しいです。
来年はどうしようか迷っています。
ちょっとめげそうです。
■風邪?(2016年10月28日)
昨夜、急に発熱しました。
そういえば、前日からのどの調子がよくありませんでした。
風邪かと思い、急いで寝ましたが、朝になってもどうも風邪の気分です。
ちょっと用件が混んでいるので、いつものように、風邪を引くわけにはいかず、めずらしく遠藤クリニックに行きました。
そしてほぼ1日、寝ていました。
おかげでどうやら悪化は避けられました。
最近少し寝不足だったようです。
こんなに寝たのは久しぶりです。
■カフェサロン「地域に看取りの文化を取り戻す運動」(2016年10月29日)
カフェサロン「地域に看取りの文化を取り戻す運動」は20人を超す集まりになりました。
しかも、20代から80代まで。
みなさんの関心の多さに、改めて驚きました。
お話してくださったのは、東京の中野区で「ホームホスピス」を創る活動をしている「なかの里を紡ぐ会」の冨田眞紀子さんです。
富田さんが、その活動を始めるに至った思い、仲間の医療・介護関係者との取り組み、そして自らが半年間関西に転居して、実際の施設で体験してきたことなどを話してくださいました。
実際に、冨田さんが出会った「看取り」のお話も紹介してくれました。
そこから伝わってきたのは、「幸せな死」の豊かさでした。
それは、看取った人をも幸せにしてくれるような気がしました。
そこに冨田さんの取り組みの意味が凝縮されているように思いました。
富田さんはパワーポイントを使って、とてもわかりやすく話してくれました。
なぜ、いま、看取りの文化を地域に取り戻さなければいけないのか。
死を迎える場所が、自宅よりも施設が多くなったのは、1975年ごろ、いまから40年ほど前です。
言いかえれば、40年前にはまだ「看取り」が生活の中にありました。
それがいまは、「看取り」が社会からなくなってしまった。
その意味を、私たちはもっと考えなければいけません。
「看取る」体験は、人の意識を変えます。
それが、社会のあり方も、大きく変えているはずです。
私たちは、その大事な体験の場を失ってしまっているのかもしれません。
「死」は、人を分かつだけではなく、人をつなげるものでもあります。
「看取り」とは「受け取ること」だ、冨田さんは話されました。
冨田さんの言葉は、実践に裏付けされているので、一つひとつが心に響きました。
そして、最後の言葉は「尊厳を守る・存在の承認」でした。
腑に落ちました。
富田さんたちの活動はぜひホームページでお読みください。
http://www.nakano-sato.org/
そこに、これまで発行された機関誌がアップされていますので、関心のある方はぜひお読みください。
また冨田さんが講演されるような機会があれば、ご案内します。
ぜひ多くの人たちに聞いていただきたいと思いました。
今回の参加者は人数も多かったですが立場もさまざまでした。
長年、看取り活動に取り組んできた研究者やホスピスでたくさんの方を見送った体験のある若い僧侶、これからそういう問題に取り組もうとしている方もいました。
身近な人の看取りを体験された方も数名いて、それぞれ、ご自身の体験を語ってくれました。
そのひとつひとつに、大きな問題提起を感じました。
「看取り」の意味や死生観について、そしてどうしたら「看取りの文化」を地域に取り戻せるかについて、もう少し話し合いたかったのですが、そこまでたどり着けませんでした。
みんな話したいことがあるので、1回だけでは難しいようです。
冨田さんたちは、来年、中野に「ホームホスピス」を開園します。
その動きを知って、新しい家を提供してもいいという人も出てきているようです。
たぶんいろんな動きが出てくるでしょう。
今回、サロンで話を聞いた人のなかにも、いろんなことを考えた人がいるようです。
冨田さんたちの、これからの活動がとても楽しみです。
できれば、今回の続きとして、「看取り」をテーマにしたサロンを開催?できればと思っています。
話題提起者になってもいいという方がいたら、私にご連絡ください。
(2016年10月第3週)
■我孫子のまちづくりに取り組む石井さん(2016年10月16日)
■寒い1日(2016年10月17日)
■みんなの認知症予防ゲーム実践者交流会(2016年10月18日)
■ストーリーテリング協会理事会(2016年10月19日)
■特別展「平安の秘仏」(2016年10月19日)
■パズル療法士(2016年10月22日)
■リンカーンクラブ大会実行委員会(2016年10月22日)
■我孫子のまちづくりに取り組む石井さん(2016年10月16日)
我孫子で「音楽を通して人をつないでいこう」という活動をされている宮内さんが、やはり我孫子で、あるスペースを拠点に人をつなぐ活動をしている石井さんを紹介したいと言ってわが家に来てくれました。
石井さんのことは何人かの人からお聞きしていましたし、そのスペース“haco-color”もわが家のすぐ近くですので、その活動は知っていましたが、石井さんに会うのは初めてでした。
話していて、これまで我孫子で活動している人たちとの違いをすぐに感じました。
私が知らなかっただけの可能性も大きいですが、我孫子にもようやく新しい風が引き出したのかもしれません。
石井さんの活動が広がっていくことは間違いないでしょう。
これからが楽しみです。
■寒い1日(2016年10月17日)
寒い1日でした。
それにしても最近の寄稿の変動のめまぐるしさに付き合いのは大変です。
歳のせいか、適応力が弱まっていますので、暑いと疲れ寒いと疲れます。
困ったものです。
今年は秋がなくて、すぐ冬が来そうです。
■みんなの認知症予防ゲーム実践者交流会(2016年10月18日)
第2回みんなの認知症予防ゲーム実践者交流会は、首都圏で活動されている人たちが集まってくれました。
みんなそれぞれの場所で、いろんな活動をしている方ばかりです。
なぜか私だけが、まったくの部外者です。
今回は、京都のNPO法人認知症予防ネット理事長の高林さんも参加してくれました。
高林さんと実践者の、ざっくばらんな交流も、わずかながらできたかと思います。
この活動は、高林さんの熱意とご尽力で、ここまで広がってきましたが、広がっているわりには、組織的に世の中に情報発信されておらず、活動もばらばらの感があります。
そのためか、マスメディアでもあまり取り上げられることもありません。
横からずっと見ている者としては、それがどうにももどかしく、余計なお世話とは思いながら、今回また呼びかけさせてもらったわけです。
一番の動機は、せっかく高林さんが苦労して育ててきた、このゲームが少数の人たちの「私物」になってほしくないということです。
今回も、少しそうしたことと関連した話題も出ました。
できれば、ゆるやかな組織へと向かうお手伝いをしたいと思っていますが、活動を持続していくためには「事業性」と「社会性」のいずれもが必要です。
しかも組織に関わるみんなにとって、意味のある組織でなくてはいけません。
なにしろ「みんなの認知症予防ゲーム」と称しているのですから。
そうなるためには、まずはメンバーの間に信頼関係が育たなくてはいけません。
「みんなの組織」は、創るのではなく、生まれるのでなければいけません。
横からささやかに関わらせてもらっているおかげで、いろんなことに気づかせられます。
実践者でもない私の役割も、少しはあるようです。
実践者であればこそ、見えてこないこともありますから。
実践の現場から見えてくる日本の福祉思想の実相や限界も垣間見えてきて、実践者のお話は私にはいつも刺激的です。
ちなみに、私は「認知症」という概念そのものが、基本的に間違っていると思っています。
そういう考えにもかかわらず、なぜ「みんなの認知症予防ゲーム」に関わっているのかと問われると困るのですが、それはたぶん、このゲームの実践者が、みんないい人だからでしょう。
今日も10人集まりましたが、例外なくみんないい人です。
ご多用のなか、参加してくださった人たちに感謝いたします。
ぜひ「みんなの組織」を育てていければと思っています。
ご関心のある方はご連絡ください。
次回からのご案内をさせていただきます。
■ストーリーテリング協会理事会(2016年10月19日)
ストーリーテリング協会は立ち上げたのは良いですが、苦戦しています。
収益事業が育たないまま、いろんな活動をしすぎて、資金が回らなくなりそうです。
そこで、私自身、運営の実態にもう少しコミットすることにしました。
これまで任せっぱなしだったことを反省しています。
一番の問題は、「ストーリーテリング」の理念を曖昧にしすぎてきたことかもしれません。
そうしたことも含めて、活動を見なおしていければと思います。
しかし、その前にまずは会員を増やさなければいけません。
みなさん、ぜひ参加してください。
まさにいまは、「ホモ・ナランス」の時代ですから。
■特別展「平安の秘仏」(2016年10月19日)
気になっていた東京国立博物館の特別展「平安の秘仏」を観に行きました。
ちょっと時間ができたのと、娘が行くと言うので、それに押されて、一緒に行きました。
お目当ては、滋賀の櫟野寺(らくやじ)の十一面観音坐像。
お寺からこの像が外部に出るのは今回が初めてだそうです。
櫟野寺は、滋賀の湖南の甲賀市にあるお寺です。
白洲正子の「かくれ里」で紹介されていますが、ちょっと不便なところなので、私もこれまで行ったことがありません。
写真だけは、以前から見ていましたが、頭上の10面の観音面がとても丁寧に彫られていて、いつかお会いしたいと思っていました。
それに、櫟野寺には20体ほどの重要文化財の仏像がありますが、そのひとつの聖観音の表情は何とも言えないほど、私には魅力的です。
十一面観音坐像はやはり見事でした。
ところが、もうひとつの聖観音は、なぜか見つかりません。
それらしきものには合えたのですが、私の記憶とはちょっと違うのです。
実は、今日、急に立ち寄ることにしたため、きちんと写真を見てこなかったのっですが、私の記憶と少し違うのです。
観音像の表情も変わるのかもしれませんが、不思議な気持ちです。
時々、こういうことがあるのですが。
いずれにしろ、櫟野寺の十一面観音坐像とみほとけたちは、心和ませてくれます。
10分もあれば、その世界を堪能できますので、もしお近くでお時間ができれば、お薦めです。
http://hibutsu2016.com/
■パズル療法士(2016年10月22日)
パズル療法士の細田さんが湯島に来ました。
「パズル療法士」は、細田さんのオリジナルのタイトルです。
そのタイトルに、まずは大きな関心を持ちました。
最近、私も「パズル」の効用に、改めて気づきだしていたからです。
細田さんは自分でパズルを開発し、それを活かしたワークショップなどをやりだしています。
いまは福祉関係の学校に通っていますが、その合間の活動です。
今月末にはパズルの本も出版するそうです。
細田さんの開発したいくつかのパズルを体験させてもらいました。
シンプルで、実に面白い。
細田さんは、認知症予防などにも活用できると考えています。
いろいろと一緒に取り組める分野がありそうです。
何ができるかを考えてみようと思います。
とりあえずできるだけ早く湯島で細田サロンを開催する予定です。
■リンカーンクラブ大会実行委員会(2016年10月22日)
リンカーンクラブでは11月19日に、活動再開を記念して、第1回の公開フォーラムを開催します。
しかしなかなか準備が進まず、参加者もまだ20人ほどです。
目標は150人ですので、前途多難です。
それで、私の好きな「開かれた実行委員会」を立ち上げることにしました。
メーリングリストやフェイスブックで公募したら、まずは4人の人が手を挙げてくれました。
ちなみに、3人は女性でした。
そこで急遽、実行委員会を開催しました。
今回は急だったのでなかなか集まれませんでしたが、これまでの漢字を含めて5人が集まりました。
実行委員会と言っても作業的な議論というよりも、フォーラムの基調講演の内容に関する話が中心です。
代表の武田さんがキースピーチするのですが、それに関して実行委員が気楽に話し合うと言うスタイルです。
たぶん当日のフォーラムよりも、実行委員会の議論のほうが密度が高いかもしれません。
実行委員会の最大の課題は、しかし、集客です。
なにしろまだ目標の1割しか集まっていないのです。
さてさてどうするか、みなさん、いい知恵はないでしょうか。
(2016年10月第2週)
■第1回ちいきコン(2016年10月10日)
■弁護士とのミーティング(2016年10月11日)
■「ジェイソン・ボーン」(2016年10月12日)
■永続的な企業経営(2016年10月13日)
■リンカーンクラブ幹事会(2016年10月13日)
■チェーンメール騒動(2016年10月13日)
■JSTA出版プロジェクト(2016年10月14日)
■弁護士を介した話し合い(2016年10月14日)
■まちづくり編集会議準備会(2016年10月15日)
■サロン「3.11福島原発事故後の福島で仕事をしてきて感じたこと」(2016年10月15日)
■第1回ちいきコン(2016年10月10日)
若者法人Japanese TEAMの支援による、「ちいきコン2016」に、審査員の一人として参加しました。
全国から応募があった、若者グループが、それぞれの取り組みを語ってくれました。
グループの平均年齢が20代というのが条件でした。
トップバッターは、青森の学生団体ASC。高校生が中心のグループです。
活動はお土産開発やイベント主催です。
それに始まり、8つのグループが、発表し、審査員とのやり取りなどを行い、それに基づいて、審査員と会場参加者で、グランプリを決めるというスタイルです。
特徴的なのは、参加者は、参加費の一部を、応援したいグループに寄付できることです。
これは、以前、コムケア活動でやったのと同じスタイルです。
さまざまな活動の発表がありましたが、その活動もさることながら、いろいろと考えさせられることが多かったです。
グランプリは、仙台で活動している、WE SENDAI 転勤族チームでした。
これは実に示唆に富む活動で、私自身、いろんなことに気づかせてもらいました。
コンテスト終了後の交流会で、発表者の大山さんと話させてもらいましたが、これからの展開が楽しみです。
福岡からきた学生コミュニティづくりの取り組む、LIFE SCHOOLは、まだいささか危うい段階の活動ですが、その可能性に感ずるところがありました。
それで、交流会でも発表者の岡本さんともいろいろと話しましたが、今回の発表プロジェクトとは別に、彼が持っている構想に、むしろ関心を持ちました。
こういう若者が、社会を変えていくのだろうなと思いました。
紹介しだすときりがありませんが、発表の内容などは、「ちいきコン」のホームページかフェイスブックで紹介されるでしょう。
私が感じたことは、またブログに書こうかと思います。
審査員も8人でしたが、このメンバーがまたみんな興味ある活動をしている人たちでした。
ちなみに、基調講演者は、熊本の山江村の内山村長でした。
これも実に示唆に富むお話でした。
内山さんの名詞には、尊重という表示よりも、ずっと大きな字で、「九州山江村営業本部長」と書かれていました。
内山さんが、山江村で育てている物語は素晴らしいです。
栗のおいしいところで、いまは村で加工したお菓子を販売しているそうです。
ネットでも購入できるそうですので、お好きな方はぜひどうぞ。
この活動が、さらに広がり続いていくことを楽しみにしたいと思います。
■弁護士とのミーティング(2016年10月11日)
私にとっては、いささか不条理な問題が起きています。
それがあまりにも長引いているので、弁護士に相談しました。
実状を聞いた弁護士が、あまりのひどさにあきれたのか、放置しておくべきではないと示唆してくれました。
そういわれると、だんだん私も腹が立ってきて、ここはきちんと決着をつけようかという気になってきました。
金銭が絡んでいるのですが、私は実質的に一円ももらっておらず、逆に借金までしてかなりの金額を支援してきたつもりです。
以前も一度、同じような問題で弁護士に相談しましたが、その時は、私の生き方を優先し、法的な争いにはしませんでした。
それなりのダメッジは受けましたが、それは経済的なもので、精神的なものではありません。
今回は、どうなりますか。
かなり憂鬱ですが、弁護士に任せることにしました。
信頼できそうな弁護士でしたので。
■「ジェイソン・ボーン」(2016年10月12日)
今日は、午前中の時間が空いていたので、「ジェイソン・ボーン」を観に行きました。
アクション映画に革命を起こしたと言われる「ボーン・アイデンティティ」シリーズの最新作です。
午前中だったからか、意外なほど、空いていました。
内容に言及するのは、ルールに反するでしょうから、書きませんが、物語の展開のさせ方に、時代の変化の影響を感ずるものがありました。
作品の評価は、書くのをやめておきます。
時間がないと言いながら、映画などを観に行っているのか、と言われそうですが、これは一種の「瞑想」の時間という意味もあり、私には最優先の「仕事」でもありました。
瞑想のおかげで、マインドフルになり、午後は何とか雑務に対応し、今日も倒れずにすみました。
ここしばらくは、多用な日々から抜け出せませんが、もう少しでたぶんまた、たっぷりした時間に恵まれるようになるでしょう。
今日の映画瞑想のおかげで、乗り切れるでしょう。
この作品は、続編がさらにできるでしょうが、できるならば、傍流に位置付けられている「ボーン・レガシー」との合流も生まれるといいなと思っています。
■永続的な企業経営(2016年10月13日)
日本経営道協会のリード力開発道場フォーラムの毎年の発表会には、いつおパネルディスカッションの進行役で参加しています。
この活動自体には、関わっていないのですが、どういうわけか、毎年、受講生から頼まれるのです。
今年もその時期がやって来て、発表会のチームの代表が湯島に活動報告に来てくれました。
今年のテーマは、「永続的繁栄起業をめざす」です。
そのためには、「とらわれない経営 流されない経営」が大切だと言うのが、今年の研究活動の成果です。
3対のチームのメンバーと話しました。
それぞれが自らのテーマに熱中しているので、全体の物語が見えにくくなっていたようなので、少し刺激を与えさせてもらいました。
いろいろと考えていた結果でしょうが、それぞれに気づきを得て、それぞれの繋がりに気づいてくれたようです。
大企業の人たちは、往々にして、各論思考に陥りがちですが、中小企業の経営幹部は、やはり全体への視野が広いような気がします。
先日の合宿での受講生の反応とは全く違います。
発表会は11月12日です。
案内は日本経営道協会のホームページにあります。
よかったらご参加ください。
日本青年会議所の発表会のような、私には苦手の雰囲気のあるフォーラムですが、私が担当するセッションは、いつもカジュアルに進めさせてもらっています。
■リンカーンクラブ幹事会(2016年10月13日)
11月19日に、リンカーンクラブの大会を開催しますが、準備が遅れています。
100人以上の集客を予定していますが、さすがに私もあさっていますが、実行委員のメンバーが少なく、なかなか進みません。
実行委員になってもいいと言う人いないでしょうか。
と言っても、何をやるかわからないでしょうが、ようやくチラシができました。
お知らせに掲載しましたので、手伝ってもらえる人を募集中です。
参加者集めもぜひご協力ください。
■チェーンメール騒動(2016年10月13日)
チェーンメールが久しぶりに回ってきました。
チェーンメールは評判が悪いですが、私は好きです。
先日、友人からチェーンメールが回ってきました。
こんなメールです。
今年の10月には、
月曜日が5日、
土曜日が5日、
日曜日が5日ある。
これは823年に一度しかない。
これはお金の袋と呼ばれ、
この事を少なくとも5人以上の人に伝えると4日以内に豊かさが舞い込んでくると言われているとの風水のいわれだそうです。
1か月の日数は31日のこともあり、必ず3日間は同じ曜日になるのは自明ですから、これが嘘であることは自明です。
しかし、まあそういってしまえば、世の中は面白くありません。
そんな詮索はやめて、遊び心が通ずると思われる5人に回しました。
そうしたら、2人から連絡があり、送った先から、昨年の8月も、一昨年の8月も、そうだと連絡があったが、とメールが来ました。
遊びがまったくわかっていない。
ちなみに、私にメールしてきた人は、このチェーンメールを受信後5分以内に私に送ったおかげで、実際に予期していなかったお金が入ってきたそうです。
信ずる者は救われる、です。
このこともフェイスブックに書いたら、「お金に過剰な価値をおいた内容で佐藤さんとは思えない投稿です」と叱られてしまいました。
いやはや、とかくこの世はすみにくい、です。
■JSTA出版プロジェクト(2016年10月14日)
ストーリーテリング協会で本を出そうというプロジェクトがあります。
すでに大枠は決まっていて、執筆者はすでに書き始めています。
最近は出版するのはそう簡単ではないのですが、出版社との話し合いも始まっています。
チームで執筆する計画ですが、私もメンバーの一人です。
出版社が受けてくれるといいのですが。
■弁護士を介した話し合い(2016年10月14日)
前日のトラブルで、弁護士を介した打ち合わせを持ちました。
当事者が話すと水掛け論になるので、弁護士同士を基本に話し合いを持ちました。
弁護士という人たちが、どういう姿勢で話すのかがよくわかりました。
弁護士費用がかなり高額の理由も少しわかりました。
事件の内容はいまは書けませんが、面白い体験でした。
■まちづくり編集会議準備会(2016年10月15日)
まちづくり編集会議の大枠が合意できました。
来春、組織化を目指して動き出します。
その最初のプログラムとして、毎月、湯島で「まちづくりサロン」を開催することにしました。
お知らせのコーナーに掲載しましたので、良かったらぜひご参加ください。
まちづくり編集会議の主旨なども、その案内に少しだけですが、書いています。
■サロン「3.11福島原発事故後の福島で仕事をしてきて感じたこと」(2016年10月15日)
昨日開催のカフェサロン「3.11福島原発事故後の福島で仕事をしてきて感じたこと」は、16人参加という大盛況でした。
福島が忘れられていないと言うところで、まずはほっとしました。
3.11後、福島の楢葉町と浪江町で3年間仕事をしてきた櫻井さんは、クリスチャンでもあるので、話の最初に、新約聖書のマタイ伝25章をまず読み上げてくれました。
そして、櫻井さんご自身の3年間の仕事や生活について、話してくれました。
直接的に被災の状況が報告されたわけではありませんが、櫻井さんの生活を通して、いろんなメッセージを、それぞれが受け止めたと思います。
たとえば、櫻井さんは道路補修を終えた後に、そこに横断歩道の白いマークを書き上げた時に、「これが復興だ」と感じたと言います。
あるいは、人はたくさんいるのに、女性や子どもたちが少ないことに異様さを感じていたとも言います。
週末に東京に戻ってくると、そのあまりのギャップにも異様さを感じていたようです。
被災地の人たちは、みんなやさしいとも言いました。
被災そのものよりも、それによって、住民たちの間に、いろんな溝ができてしまったことの方が、大きな問題かもしれないとも話されました。
事故直後、現地の住民たちは、死を意識する緊迫感の中で過ごしていたというお話もありましたが、私には、櫻井さんが体感されたそうした日常的な話が心に突き刺さりました。
話の内容は、参加者のお一人の近藤さんがビデオで記録してくださいましたので、ユーチューブでアップできると思います。
福島の支援活動にも取り組んでいた山根さんは、先日、福島に行かれたそうです。
現地に行ってみて、衝撃を受け、意識が一変したという話をしてくれました。
報道を通して私たちが感じていることと、現地はあまりにも違ったのでしょう。
現地に触れることの大切さを、みんな改めて感じたと思います。
話し合いを紹介しだしたらきりがないので、これもユーチューブにゆだねたいですが、参加された方から後でいただいたメールをご紹介します。
原発問題は昔から少し興味があったので、とても勉強になりました。
普通の主婦なので、難しい事はわかりませんが、
原発の危険度は、わかっていますので、
これから主婦の集まりで話していきたいと思います。
櫻井さんにもお伝えしましたがとてもうれしい感想です。
サロンをやっていてよかったと思うのは、こういう感想が聞けた時です。
最後に、私の思ったことを(当日も発言しましたが)書かせてもらいます。
福島の人たちは、3・11が起こるまで、原発は安全だと思っていました。
しかし、安全ではなく、それによって人生は大きく狂ってしまいました。
しかし、原発が福島に建設された時でさえ、原発の危険性を強く主張していた人はいました。
でもみんな、安全だと思い、その利益を享受する方にばかり関心を向けていたのかもしれません。
原発事故が起こって、初めて現実と直面することになったわけです。
しかし、それは福島の人たちだけではありません。
もしかしたら、福島とはまったくちがって幸せそうに見える東京の人たちにも、もしかしたら、明日、「3.11」が起こるかもしれません。
利便性にばかり関心を向けていていいのか。
福島に寄り添うことも大切ですが、福島から学び、まずは身の回りの問題に関心を高めることも大切ではないか。
そんなことを、櫻井さんの報告を聞きながら、私は考えていました。
(2016年10月第1週)
■みんカフェ・我孫子がスタートです(2016年10月2日)
■眼科医は混んでいました(2016年10月3日)
■我孫子市役所訪問(2016年10月4日)
■健康のため、Wii-fitを再開しました(2016年10月4日)
■ストーリーテリング協会の事業開発(2016年10月5日)
■企業の管理職のみなさんとの合宿(2016年10月7〜8日)
■みんカフェ・我孫子がスタートです(2016年10月2日)
地元の我孫子で、土佐さんが「みんカフェ・我孫子」を開催してくれました。
「みんカフェ」は、「みんなのゆる〜いカフェ」の略で、誰でも、そこに行くと自分の居場所が見つかるような、「ゆる〜いカフェ」を、ゆる〜くつないでいこうということで、昨年から、湯島でスタートさせたものです。
主旨に共感してくださった方が、それぞれの場所で自分流に開いてもらい、いつかそれがゆる〜くつながればと思っています。
いまはまだ、新潟と成田と印西などで、開催されているだけですが、我孫子でも始まったのがうれしいです。
もしやってみようという方がいたらご連絡ください。
簡単なメモですが、「みんなのゆる〜いカフェ」(みんカフェ)ネットワーク構想を送ります。
そして、できるだけ応援したいです。
今日は、7人の人が集まりました。
今回はどちらかというと、いろんな活動をしている人たちが集まりましたが、テーマのない集まりであるからこそ、さまざまな活動が学び合い、つながっていく機会になったような気がします。
今回の呼びかけ人は、土佐さんでした。
土佐さん、ありがとうございました。
我孫子での「みんカフェ」は面白くなりそうです。
■眼科医は混んでいました(2016年10月3日)
右目の調子がますます悪くなっているので、延期していた眼科医に行きました。
ところがドアをあけたら、待合室に30人ほどの人がいました。
座る席もなさそうなので、帰ってきました。
しばらくまた、不便な生活ですが、まあかなり長いこと、そういう状況ですので、なんとか我慢しましょう。
■我孫子市役所訪問(2016年10月4日)
最近、市役所に毎週のように行っている気がします。
今日は、先方から声がかかり、前回話したことの説明をしたいのでというので、原田さんと一緒に青木副市長を訪れました。
青木さんは、超多忙なので、雑用で時間を取るのが憚れるのですが、お伺いしました。
前回、積み残した件を、ていねいに説明してもらいました。
恐縮至極です。
内容は省略ですが、その後、気楽にいろんな話をさせてもらいました。
その話の中で、先日の「みんカフェ・我孫子」はどうだったかと訊かれました。
なんで知っているのだろうかと驚きましたが、青木さんはコムケアのメーリングリストを読んでくださっているのだそうです。
そういえば、コムケアの立ち上げの頃、青木さんは公開選考会にも参加してくれていたのを思い出しました。
いやはや、いまなお読んでくださっているとは驚きました。
ありがたいことです。
ついでに、柳兼子に関心を持っている職員に会いたかったのですが、今日もまた不在でした。
3回目もまただめでした。
相性が悪いようです。
しかし、青木さんから資料をもらってきました。
4回目は会えるでしょう。
■健康のため、Wii-fitを再開しました(2016年10月4日)
今日も眼医者は行かなかったのですが、ちょっとは健康対策をする気になって、役に立つかどうかはともかく、家にあったWii-fitを出してきて、ゲームを再開しました。
これは、いろんなバージョンがありますが、最初の頃のものが私向きです。
その中でも、最も簡単な、ジョギングから始めることにしました。
3分間、その場で走るのです。
距離はだんだん長くしていけます。
娘も一緒にやることにしましたが、同じようには知っても、評価が全然違います。
走り方が悪いと得点が低いのです。
私はいつも、圏外ランクです。
もうひとつ、座禅もやることにしました。
これは30秒、ボードの上で、座禅を組むのです。
娘は、3分間無事終了し、お見事と評価されますが、
私は今日は2回やりましたが、1分も経たないうちに、「渇!」が入り、終了します。
どこか違うのかわかりませんが、私の場合は、精神が乱れていて、それが身体の揺れに出るのだそうです。
いやはやムッとします。
さて、毎日が理想的ですが、まあ無理をせずに、少し続けてみようと思います。
ちなみに体重は理想的だそうです。
■ストーリーテリング協会の事業開発(2016年10月5日)
ストーリーテリング協会ではいろんなプログラムやプロジェクトを展開中ですが、なかなか収益活動に届きません。
ですから組織を維持するのがかなり大変で、コアメンバーは無報酬で頑張っていますが、いささかばて気味です。
そこで活動の基盤を作るために、収益事業を開発していくことにしました。
そのひとつとして、企業向けの営業力強化プログラムを考えています。
今日は、そのモデルを構築したくて、某大企業を訪問し、提案させてもらいました。
私自身は、かつて企業向けの仕事をさせてもらっていた時にも、基本的には営業活動をしたことがありません。
相談に応じて、納得できるものを受けさせてもらっていたのですが、そういう意味では企業にプログラムを売り込みに行くのは苦手でした。
しかし今日は2回目なのですが、これも結構面白いことがわかってきました。
どこが面白いかと言えば、企業の実態が垣間見えることです。
企業の経営・管理に当たっている人たちとは、ささやかな接点がいまもありますが、それとは別の実相が感じられます。
それはそれとして、ナラティブやストーリーテリングを活用しての、企業変革プロジェクトなど、考えている会社があれば、ぜひご相談ください。
プロジェクトチームを組んで対応させてもらいます。
■企業の管理職のみなさんとの合宿(2016年10月7〜8日)
山城経営研究所の「エグゼクティブフォーラム」というプログラムのコーディネーターを、今年は引き受けました。
半年間の活動プログラムなのですが、そのキックオフ合宿は、春に奈良で行いました。
そのまとめの合宿は、私ではなく、もうひとりのコーディネーターの宅間さんが担当だったのですが、宅間さんのご都合が悪くなり、急遽、私が行くことになりました。
今回は、石和温泉のホテル春日居です。
近くに、種無しブドウ発祥の地の石碑がありました。
活動チームは4つ。
それぞれが、それぞれのテーマに沿って、自主研究をしてきていますが、来月の発表会に向けて、それぞれのメッセージをまとめることが今回の合宿の目的です。
長くやっていた経営道フォーラムよりも若い世代が対象なのですが、傾向は同じです。
企業の実相は間違いなく変わってきています。
同時に、時代の流れからどんどん離れていっているような気がします。
日本の企業の凋落はもはや避けられないと思います。
しかし、その一方で、新しい感覚も生まれてきているようです。
それはまだわずかではありますが。
4か月前に奈良ホテルで会った時にも印象に残っていた、魅力的な若者とも少し話しました。
彼にとっての企業は何なのか、いつかゆっくりと話したい気がします。
(2016年9月第5週)
■我が事・丸ごと地域共生社会(2016年9月25日)
■カフェサロン「病原体から人間を考えるパート2」の報告(2016年9月25日)
■ライフシェアコミュニティプロジェクト(2016年9月25日)
■弁護士訪問(2016年9月26日)
■「NHK朝ドラのロケ地に柳兼子と白樺のまち「我孫子」を!」(2016年9月27日)
■さつまいも掘り(2016年9月27日)
■引きこもり家族に何ができるだろうか(2016年9月28日)
■リンカーンクラブ幹事会(2016年9月28日)
■我孫子市の民営化事業への応募はやめました(2016年9月29日)
■JSTA理事会(2016年9月30日)
■LLPコモンズ手賀沼のミーティング(2016年10月1日)
■我が事・丸ごと地域共生社会(2016年9月25日)
今年の7月に、厚生労働省から「我が事・丸ごと地域共生社会」事業というのが発表されていますが、そのタイトルに興味を持ったのですが、どうせまた形式だけのものだろうという先入観のために、何も調べずにいました。
たまたま先日、そのテーマでの緊急討論集会というのがあり、それに全社協の小林康子さんが出席されていたというので、小林さんに頼んでその概要を教えてもらいました。
私が思っていた以上に、現実的で実践的なもののようで、少しきちんと調べてみようという気になりました。
私が会社を辞めて以来、ずっと考えているテーマは「コモンズの共創」ですが、最近、行きついたその先が、「ライフシェアコミュニティ」です。
これは、まさに「我が事・丸ごと地域共生社会」ということです。
時代はまさに、そこに向かいだしたような気がします。
行政やアカデミズムへの、私の不信感が深いですが、気がついたら、私の方がずっと遅れているということもあります。
最近、時々、そう思わされることがあります。
反省しなければいけません。
■カフェサロン「病原体から人間を考えるパート2」の報告(2016年9月25日)
カフェサロン「病原体から人間を考えるパート2」は、10人のサロンになりました。
今回も、益田さんの話に、みんなが質問しながら、話し合うスタイルで進みました。
前回のレビューから話は始まりましたが、ポイントは、「生物と環境」というところです。
生物にとって環境は自らの存在基盤ですが、問題は環境をどうとらえるかです。
病原体は、みずからにとっての環境である人間を、発病させて死に至らしめると考えがちですが、益田さんは、前回、ジフテリア菌を例にして、そうではないのではないかと話しました。
ジフテリア菌は、そもそもそれ自身は、人間に対する毒素を持っておらず、実は発病させるのは、ジフテリア菌に寄生しているファージが毒素を出すというのです。
つまり、ジフテリア菌そのものは、自らの環境である人体を壊そうなどとはしていないわけです。
これを少し広げて考えると、生物は自らにとっての直接の環境を損なうようなことはしないが、その環境のもう一つ外側にある環境を損なうような行為をすることがあるということになります。
そこで生物主体と環境の構造を複層的に考えるという視点が出てきます。
いささか粗っぽい言い方をすれば、人間は自らの直接的な環境である、いまの生活を良くしようと思いながら、その外部にある自然環境を壊す(環境破壊)という生き方をしているわけです。
前回、糖尿病を例にして、食欲あっての自分と考えるか、肉体あっての自分と考えるかで、行動が変わるだろうという話が出ました。
これも、生物と環境の構造をどうとらえるかに関わってきます。
そして益田さんは、前回同様、同心円で、人間の環境構造を図解してくれました。
益田さんの考えは、人間のど真ん中には「欲」がある。
その外側に、「心」があり、さらにその外に「肉体」、そしてその外に「自然環境」という図です。
同時に、その構造は、外から内内部が創りだされていくとも言います。
自然が人間を生み出し、人間が心を生み出し、心が欲を生み出す、というわけです。
そこで、「生物は、自らの直接外側の環境を壊すことはない」という命題に戻って考えると、どうなるでしょう。
益田さんは、「自殺」を例に挙げます。
自殺は、肉体のみならず、心をこわすわけですが、先の命題に従えば、それを行うのは「欲」であるはずがないと言うのです。
欲の直接の環境は、心であり、肉体だからです。
とすれば、欲の中に、実はもう一つの「何か」が寄生しだしているのではないか。
それが、直接の環境である「欲」のために、その外側にある「心」や「肉体」を壊すのではないかというのです。
問題は、その「何か」とは何か、です。
それは益田さんにも分からないと言いますが、いくつかの示唆はありました。
たとえば、社会構造、たとえば、名誉心、です。
そして、益田さんは、自殺の問題は、そこから考える必要があると言います。
うまく伝わったでしょうか。
他にも破傷風菌の不思議な行動の話もありましたが、普段、考えたこともないような、いろんな話が出ました。
話し手の益田さんも、大学教授を辞めて以来、こんなに頭を使ったことはないと言いましたが、参加者はもっと頭を使ったと思います。
まあ、そんなサロンでした。
2回連続してサロンをやって、私の関心はかなり高まりましたが、どうも私のように関心を高めた人は少ないようなのが残念です。
できれば、メンバーを固定して、継続的にしっかりした研究会を立ち上げ、本にしたい気がしますが、メンバー集めが難しそうです。
どなたか一緒にやる人はいないでしょうか。
益田さんはきっと賛成してくれると思うのですが、あと2,3人ほしいです。
ちなみに、今回のサロンの記録は映像に残しました。
関心のある方はご覧ください。
編集していないのですが、17分経過後からサロンの記録です。
https://www.youtube.com/watch?v=gTFSWJU5jMw
■ライフシェアコミュニティプロジェクト(2016年9月25日)
引きこもり家族に関連して相談に来ている阿部さんと認知症予防ゲームで相談に来ている横山さんと私の3人で、なにかコラボできないかというゆるやかな意見交換会を何回か持っていますが、少しずつ思いが共有できるようになってきました。
その基本コンセプトは、「ライフシェアコミュニティ」です。
ただ、まだあまりにもジグゾーパズルの要素が不足しています。
この件は、理念先行ではなく、要素を起点として進めたいと考えていますので、ゆっくり進めていくつもりです。
しかし、年内には具体的な第一歩を踏み出す予定です。
仲間を募集しています。
■弁護士訪問(2016年9月26日)
かつてのビジネスがらみで、ちょっとしたトラブルに巻き込まれていますが、その関係で、また弁護士に会いに行きました。
友人の弁護士から紹介された、その分野に詳しい弁護士です。
内容は書くのは避けますが、弁護士の冷静さにはいつも感服します。
それにしても、私の脇の甘さが、裏目に出てしまったことが悔やまれて仕方がありません。
善意は必ずしも報われないのです。
注意しなければいけません。
■「NHK朝ドラのロケ地に柳兼子と白樺のまち「我孫子」を!」(2016年9月27日)
朝、わが家のポストに、知人の名前の書いた袋が入っていて、それを開いたら「私の名刺」が10枚ほど出てきました。
私の名詞と言っても、私がつくったものではありません。
Kさんと、それはまた不思議な人がつくった名刺です。
名詞に「NHK朝ドラのロケ地に柳兼子と白樺のまち「我孫子」を!」と書いてありました。
Kさんは、柳兼子を主役にしたNHK朝の連続ドラマの実現を願っている一人です。
そこで、そのアピールを名刺に手作りしたのだそうです。
そして、昨日の市民活動メッセに持って行ったら、好評だったので、私の分まで作ってくれたというのです。
デザインは私の好みでは全くないですし、だいたい私の名前の下の情報が多すぎますので、使えそうもないのですが、まあ、Kさんの思いは受けなくてはいけません。
さて何をしたらいいか。
人と付き合うのは退屈はしませんが、面倒くさいことが多いです。
困ったものです。
ところで、柳兼子ってご存知でしょうか。
たしか彼女は、この我孫子のわが家の近くに7年間、暮らしていたはずです。
間違いなく、ドラマになる人です。
どなたかドラマを書いて、NHKに売り込んでくれませんか。
■さつまいも掘り(2016年9月27日)
久しぶりに雨がふっていないので、畑に行ってきました。
さつまいもの収穫です。
もういいだろうと思って、まずは土の上に生い茂っているさつまいもの茎と葉を刈り取りました。
そして、芋を掘り出したのですが、なんと出てくるのがみんなまだ小さな芋ばかりです。
いささか時期が早かったようです。
しかし、もう葉茎を刈り取ってしまったので、後の祭りです。
それでも少しだけ収穫がありました。
本当はこの5倍はあったはずですが、急ぎすぎました。
この1か月、雨ばかりでまったく畑に行けずにいました。
そのために畑は野草で覆われてしまっています。
さつまいも以外の野菜は、ほぼ野草に負けてしまっています。
雨が少なくなったら、また秋野菜を植えようかと思いますが、覆い茂っている元気な野草を見ると、気が萎えてきます。
花壇の百日草は、元気に世界を広げているようで、少し救われます。
■引きこもり家族に何ができるだろうか(2016年9月28日)
引きこもり家族連合会の関係者とのミーティングを重ねていますが、私の役割がどうも見えてこないので、いささか辟易しているのですが、今回は、連合会のあり方に私と同じ考えを持っている人がいるので引き合わせたいと言って、前会長の池田さんが牟田さんを連れてきてくれました。
牟田さんは24歳の時からほぼ45年間、まさに不登校や引きこもりの若者支援の活動を、全くぶれずに取り組んできた人です。
NPO法人教育研究所を主宰されており、富山には研修所をお持ちです。
お話をしていて、まさに現場に立脚している人であることが、伝わってきました。
いろんな人を連れてきてくれましたが、初めて、心が通ずる人に出会えた気がします。
最初にこの人に会えていたら、私の取り組み方も違っていただろうと少し残念です。
さてどうするか。
ちょっと迷いだしています。
■リンカーンクラブ幹事会(2016年9月28日)
リンカーンクラブの再開お披露目を兼ねて、11月19日に「わたしたちの声は政治に届いているのか」をテーマにした公開フォーラムを開催する予定ですが、なかなか方針が決まりません。
結局、憲法学者の小林節さんと伊藤塾で有名な弁護士の伊藤真さんを軸に、前半は講演、後半は参加者を交えての話し合いというスタイルになりました。
問題はどうやって人を集めるかです。
内容がほぼ決まったので、案内を始めだします。
チラシができ次第、このホームページでもご案内しますので、よろしくお願いします。
■我孫子市の民営化事業への応募はやめました(2016年9月29日)
先週書き込みましたが、我孫子市の事業民営化の募集に応募することになり、だいたい内容を決めて、市役所の担当課に事前説明に行きました。
残念ながら、今年は準備不足で、申請は無理そうです。
しかし話にいったおかげで、久しぶりに我孫子市の市民活動支援などの状況が少し垣間見えた気がします。
いまではもう私が知っている職員は一人もいません。
今年の応募はやめました。
ちょっとホッとしています。
■JSTA理事会(2016年9月30日)
ストーリーテリング協会の理事会を久しぶりに開催しました。
これまではともかく試行錯誤的に展開してきましたが、これからはマネジメントが重要になってきます。
体制を整理し、事業収支の改善にも取り組まねばいけません。
問題は山積していますが、可能性もまた広がっています。
ストーリーテリングに興味のある方、ぜひ入会してください。
なかなか会員が増えません。
そこで、お披露目も兼ねた公開イベントを企画することにしました。
内容が決まったらまたご案内します。
■LLPコモンズ手賀沼のミーティング(2016年10月1日)
久しぶりにコモンズ手賀沼の集まりがありました。
来年秋に、我孫子で「第50回日本女子オープンゴルフ選手権」が開催されます。
それをテイクチャンスするためのプロジェクトが、立ちあがっているのですが、その火付け役が、コモンズ手賀沼代表の富樫さんなのです。
そもそもコモンズ手賀沼は、2009年に開催された日本女子オープンゴルフ選手権の時に、それを活かして、我孫子に新しい風を起こそうという思いで、立ち上げた組織です。
私はゴルフをやらないのですが、富樫さんから相談を受け手立ち上げたのが、コモンズ手賀沼なのですが、最初のイベントにはささやかに協力したものの、その後、あまりコミットせずに来ています。
今日は、富樫さんから我孫子とゴルフの関係や、スポーツとしてのゴルフの大きな流れを聞かせてもらいました。
ゴルフは、アメリカではすでに誰でもできる気楽なスポーツになり、ゴルフを軸にしたまちづくりもあるというお話を聞くと、また何やら面白そうな物語を想定してしまいます。
今日は、お話を聞いて、プロジェクトの取り組み方を少し提案させてもらいましたが、もう少し考え見ようと思います。
林兼子もいいですが、ゴルフも、状況を変えていくためのテーマとしてはいいかもしれません。
(2016年9月第4週)
■まちづくり編集会議がスタートです(2016年9月18日)
■我孫子市の提案型公共サービス民営化制度(2016年9月19日)
■がんばって課題の山を少し崩しました(2016年9月21日)
■保育力研究所をつくりたい保育士(2016年9月22日)
■サロン活動再開(2016年9月23日)
■我孫子市民活動メッセ「市民のチカラ」(2016年9月24日)
■まちづくり編集会議がスタートです(2016年9月18日)
6月くらいから、まちづくりや各地の社会教育などに関わっている仲間たちと、「まちづくりに関わっている人たちのゆるやかなネットワーク」をテーマに話し合いを重ねてきました。
大枠の合意ができましたので、具体的に動き出すことにしました。
名前を「まちづくり編集会議」としました。
この名前には、実は深い思いがあり、3年ほど前にもあるところで立ち上げたかった仕組みです。
地域社会には、多種多様な素材や多彩な人材がいます。
そうした素材や人を「編集」し、その地域社会ならではの「物語」を育てていくことが、私が考える「まちづくり」です。
それも、だれかが編集するのではなく、そこに住む住民たちみんなが主役になって編集するという、「共創」型のまちづくりが、私がこれまで関わらせてもらってきたプロジェクトの理念です。
全国各地に、そうした「まちづくり編集会議」が生まれ、それらがゆるやかにつながっていく。
そんなビジョンを描いています。
まもなくホームページも立ち上げ、広く呼びかけていく予定ですが、いまはまだ6人の小さなグループです。
今日は5人が集まりました。
呼びかけの対象は、自治体職員や自治体議会議員、あるいは各地でまちづくりや社会教育の活動をされている人たち、さらにはそういう活動に関心のある人たちです。
来春には本格的に組織化する計画ですが、組織づくりと並行して、いろんな集まりやイベントを開催していく予定です。
またご案内などさせてもらいますので、よろしくお願いいたします。
こうした活動に関心のある人がいたら、私あてにメッセージを送っていただければと思います。
■我孫子市の提案型公共サービス民営化制度(2016年9月19日)
我孫子市では、かなり前から、行政事業の一部を民間事業者の民営化するという仕組みをとっています。
行政での事業内容と予算を公開し、それよりも効果的で費用も抑えられるような提案があれば、そこに事業を委託していくと言う仕組みです。
この制度ができたのは、前の市長の時代ですが、理念はいいのですが、私はその仕組みと運営の仕方に違和感がありました。
私は、行政事業とは単なる公共サービスではないと考えているということもありますが、民営化という発想そのものに違和感があるのです。
これに関しては、ブログでいろいろと書いたことがありますが、どうも「公共」という概念に、「公」と「共」が混在しているところに問題があるように思います。
それはともかく、今度、新たに立ち上げつつあるグループで、この公募プログラムの一部に応募しようということになりました。
もし公募して委託されると、また仕事が増えますので、いささかの躊躇はありますが、実態をいろいろと聞いてみると、やはり無駄遣いされているという感じをいなめません。
それで、またそういう活動に参加することにしました。
注意しないと際限なく引き込まれそうです。
■がんばって課題の山を少し崩しました(2016年9月21日)
どうも最近、心身共に萎えていたため、課題が山積みになっています。
ごみ屋敷と同じで、課題がある限度を超すと、その山が気にならなくなります。
困ったものですが、そんな感じで、これまで几帳面にメモしてた課題リストも、最近はかなりいい加減になっていました。
やり過ごしたことも少なくないでしょう。
しかし、このままだと、まさに収拾がつかないごみ屋敷のようになります。
そこでこの2日間、頑張って課題の山を少しだけ崩しました。
そうしたら、その山は思ったほど高くないことがわかりました。
ごみは考えずに捨てればいいわけです。
問題は、ごみと考えられるかどうかです。
この2日間で、かなり身辺整理ができました。
■保育力研究所をつくりたい保育士(2016年9月22日)
保育士が2人、湯島に訪ねてきました。
いじれも30代の女性ですが、いまの社会に大きな問題意識を感じているようです。
最初は子ども関係のNPO設立の相談課と思っていたのですが、どうもそうではなく、もっと大きな構想を描いているようです。
一言で言えば、社会の保育力を高めたいということです。
私が以前、考えていた、ソーシャル・フォスターリズムの理念を思い出しました。
たまたま湯島の書棚に、その報告書と「保育園」のファイルがあるのですが、保育士の一人が、あれはなんだと問いかけてくれました。
それで、25年間に取り組んだ、駅型保育園モデルの説明とソーシャル・フォスターリズムの説明までさせてもらえました。
2人は、いま墨田区で「キッチン図鑑」という活動をしています。
http://kitchenzukan.net/
月に2回、ある施設を借りて、子どもたちの「考えよう!やってみよう!食べてみよう!」を応援する活動です。
しかし、聞いてみると、通り一遍の場づくりではありません。
大きな展望も持っています。
更にいま、保育力研究所なるものを立ち上げたいと考えているようです。
2人が目指しているのは、保育の市場化ではなく、社会の保育化なのです。
私の考えにぴったり合います。
保育園が足りないとか保育士の頭数が足りないとかいうところに社会の関心が行っていますが、それを解決するために、逆に本来的な保育士や保育の文化を失っているというのが私の感じです。
2人の保育士の構想に共感しました。
何ができるかを考えようと思います。
■サロン活動再開(2016年9月23日)
8月、9月と湯島のサロン活動を少しサボってきましたが、10月からまた再開することにしました。
何人かに話をして、賛同を得ました。
またいろんな企画をしていく予定です。
さらに「まちづくりサロン」もスタートさせようと思います。
よかったらご参加ください。
■我孫子市民活動メッセ「市民のチカラ」(2016年9月24日)
我孫子市の市民活動メッセ「市民のチカラ」が、この週末開催されています。
我孫子駅に隣接する、けやきプラザを舞台に、市内の市民グループが中心になって、さまざまな展示や集会をやっています。
メインの一つは、「我孫子のこれからフォーラム」です。
6つのテーマでの集まりが行われ、あす、その、まとめのフォーラムがあります。
とてもいい企画だと思います。
私自身は、まったく参加していませんが、我孫子の市民活動も予想以上に進化しているようです。
展示会場といくつかのフォーラム会場をのぞいてみました。
自治会サミットは参加者も多く、話が弾んでいました。
展示会場では不思議なことにどなたとも会えませんでした。
私がいかに、地元の住民活動に関わっていないかを思い知らされました。
訪問した時間が悪かったのでしょうか。
雨のため、屋外でのコンサートやパフォーマンスの観客は少なかったですが、展示会場はにぎわっていました。
何回か顔を出しましたが、MC役の宮内さんにも会えませんでした。
今日はどうもついていない日でした。
(2016年9月第3週)
■新しいコムケア組織づくりの検討会(2016年9月11日)
■第2回エッセイ賞「私と箸」の募集が始まりました(2016年9月11日)
■音楽と数学(2016年9月13日)
■ホームページ移行作業(2016年9月13日)
■リンカーンクラブサロン「EU離脱に関する英国の国民投票」報告(2016年9月14日)
■ストーリーテリング協会理事会(2016年9月15日)
■新しいコムケア組織づくりの検討会(2016年9月11日)
コムケアの理念を継続的に展開していくために、新しい組織づくりを検討していますが、なかなか焦点が絞れません。
私自身が中心で進めるのであれば簡単なのですが、私がいなくなっても持続できるようなものにしたいと考えています。
そうした組織を担ってくれる人がいればいいのですが、そういう人はまず出てこないでしょう。
ですからある程度の収益性を組み込んだものにしたいと考えていますが、そこに難しさがあります。
収益性を確保する分野は少しずつ見えてきましたが、それとコムケアの理念をどうつなげていくかが難問です。
もう少し時間をかけようと思います。
■第2回エッセイ賞「私と箸」の募集が始まりました(2016年9月11日)
国際箸学会は、いま第2回エッセイ賞「私と箸」の募集を行っています。
一昨年の第1回では、素朴ながら味わいのある作品が集まり、その作品も配布しています。
国際箸学会会長の小宮山さんは、こう呼びかけています。
日本人にとって箸ほど身近な道具はありません。
振り返ってみれば、誰でも箸に関する体験や思い出が一つくらいは思い浮かぶのではないでしょうか。
「うまくなくてもいいから、ぜひそれを文字にしてほしい。文字にして残すこと.は、我が国の素晴らしい文化である箸を見直すことにもなり、また人生をより深く味わうことに通じる」。
誰でも気楽に挑戦できる1000字のエッセイです。
みなさん、挑戦してみてくれませんじゃ。
募集要項は次にあります。
よろしくお願いいたします。
http://www.kokusai-hashi.org/essay-syu.html
■音楽と数学(2016年9月13日)
松崎奈岐さんは数学者で、東京学芸大学の名誉教授です。
松崎さんは、60代になってからフルートを始められました。
松崎さんにお会いしたのは、2か月ほど前ですが、数学と音楽の話を少し聞かせてもらいました。
論理の世界の数学と情感の世界の音楽とどうつながっているのか?
松崎さんは、数学と音楽はつながっていると言います。
そしてリサイタルのご案内をいただきました。
お手紙によれば、「数学の延長上に音楽の楽しさを表現したい」と書いてありました。
「音楽の基礎を従順に丁寧に表現することを、フルートに託してお届けしたい」とも書かれていました。
10月17日の午後4時から、初台の近江樂堂で開催されます。
チェンバロの新谷久子さんに加えて、
松崎さんがフルートで師事された新谷要一さんもゲスト出演されるそうです。
よかったら、数学の上の音楽を聴きにいらっしゃいませんか?
■ホームページ移行作業(2016年9月13日)
2001年から続けている、このホームページはニフティのサービスを受けていたのですが、ニフティがそのサービスをやめることになったので、ホームページのプロバイダーを変えなければいけなくなりました。
全く別のプロバイダーにすることも考え、一応、ドメインなどは取得したのですが、ニフティの新しいサービスが始まったので、とりあえずそれに切り替えることにしました。
ところが、その移行にてこずってしまいました。
しかし何とか移行を済ませました。
ただそのためにホームページのアドレスが変わってしまいました。
http://cws.c.ooco.jp/
もし登録されている方がいたら、お手数ですが、変更してください。
なお、これにより使える容量が増えましたので、これまでは抑制気味だった写真なども増やせそうです。
容量の関係で、昔の記事はかなり削除してしまっていますが、しばらくはそうしたことも不要になりました。
他にもいくつかホームページをやっていますが、とりあえずコムケアセンターのサイトだけ移行しました。
あとはこれを機会にやめました。
いささかホームページが多すぎて、フォローできなくなっていますので。
■リンカーンクラブサロン「EU離脱に関する英国の国民投票」(2016年9月14日)
リンカーンクラブサロンの3回目は、「EU離脱に関するイギリスの国民投票」をテーマに開催しました。
平日の夜でしたが、その関係か、いつもとは違ったメンバーになりました。
生活者感覚の高い2人の女性も参加してくれました。
今回のイギリスの国民投票に関しては、ネガティブな見方が多いですが、リンカーンクラブ代表の武田さんは、「民主主義政治の歴史に残る金字塔を打ち立てるほどの画期的な出来事」と高く評価し、民意を反映させる手段としての国民投票制を日本でも取り入れるべきだと問題提起しました。
加えて、いまの日本の議会制民主主義は、果たして民主主義を反映できる仕組みなのかと、疑問を投げかけました。
そこから話し合いが始まりました。
欧州生活の長かった庵さんは、世代別の投票率が大きく違っているなど、今回の国民投票の実態や、在英の友人のコメントなどを紹介してくれました。
畑さんは、国民投票だからといって民意を反映するとは限らないと指摘し、民意を反映させるための条件が重要だとし、さらに国民投票にはふさわしくない問題もあると指摘しました。
片野さんは、現在の議会制民主主義においても民意は反映されているのではないか、と指摘しました。
国民が重要な政治問題に賛否を投票するには、ある程度の知識や情報も必要になるのではないか、いまのマスコミ報道は果たしてそういう状況を創りだすようになっているかという指摘をしたのは、女性の小室さんです。
子ども問題などに関わっている鎌田さんは、日常の問題を通して社会をよくしようと活動している立場からすれば、男性たちの議論にはちょっと距離を感ずるというような指摘もありました。
いずれも生活者感覚と実際の社会活動から出た、説得力ある発言でした。
この種の話し合いでは、問題の捉え方や議論の仕方における男女の違いが出てくることが多いのですが、今回もまさにそれを明確に感じました。
リンカーンクラブの藤原さんは、最後に、だからこそ、こういう話し合いが大切なのだろうと思うとまとめてくれました。
大きな流れはこんな感じですが、その間、原発問題や教育問題なども出ました。
民意をより強く反映させられるような選挙制度へのアイデアも、鎌田さんから出されました。
武田さんと畑さんの異論のぶつかり合いもありましたが、まあ今回も事なきを得ました。
お互いに、最後に言い方がきつかったことを謝っていましたが、激論ができたということは、今回のサロンもまあ民主主義的に行われたということでしょう。
私は、話を聞いていて、民意を反映させるための手段として国民投票を実現するためには、制度的な条件整備と同時に、投票する私たち国民がしっかりした「民意」を持つことが大切ではないかと改めて思いました。
民意を反映させるためには、そもそも「民意」がなければいけません。
民主主義は誰かがつくってくれるものではなく、私たち自らが創っていかねばいけません。
改めて、そのためにこそ、リンカーンクラブの活動を広げていきたいと思いました。
みなさんもぜひリンカーンクラブへの入会をご検討下さい。
なお、次回は、安倍政権支持者の視点からの問題提起を受けて、日本の民主主義の現状について話し合いができればと思っています。
掴み合いにならない程度の激論が予想されます。
日程など決まったら、リンカーンクラブのホームページで案内させてもらいます。
■ストーリーテリング協会理事会(2016年9月15日)
ストーリーテリング協会の理事会でした。
問題山積ですが、いつも理事会は笑いに包まれています。
しかし、今回も予想していなかった問題が発生し、並行して進めていた寄居プロジェクトが白紙に戻りそうです。
私が一番期待していたプロジェクトだったのですが。
(2016年9月第2週)
■リンカーンクラブキックオフ大会をやることにしました(2016年9月4日)
■丸山さんのリンパマッサージを受けました(2016年9月4日)
■寄居プロジェクトの応援者を募集します(2016年9月5日)
■家族だけの10回忌(2016年9月6日)
■あびこ市民活動ステーション指定管理者への応募(2016年9月9日)
■ホームページのプロバイダーの切り替えが終わりました(2016年9月9日)
■リンカーンクラブキックオフ大会をやることにしました(2016年9月4日)
リンカーンクラブの展開方針について、議論を重ねてきていますが、11月19日にキックオフもかねて、公開フォーラムを開催することにしました。
それで急遽、実行委員会を呼びかけ、その第1回目を開催しました。
まずは4人が集まりました。
スピーカーには、憲法学者の小林節さんと弁護士の伊藤真さんをお願いしました。
堤未果さんも打診しましたが、講演日に重なっていました。
リンカーンクラブとしては11月19日は動かせなかったので、残念ですが堤さんは次回にしました。
なぜ11月19日にこだわっているかというと、この日はアメリカ第16代大統領のリンカーンが、ゲティスバーグで、あの「人民の、人民による、人民のための政治」の演説を行った日なのです。
予定していた会場がダメだったので、この日にこだわったために会場費が20万円近くかかることになってしまいましたが、まあ仕方がありません。
問題は参加者をどうやって集めるかです。
みんなで考えながら、実現していく。
それが私のスタンスですが、そのために実行委員会のメンバーを増やさなければいけません。
実行委員になって下さる方、いないでしょうか。
次回の実行委員会は9月14日です。
■丸山さんのリンパマッサージを受けました(2016年9月4日)
フェイスブックで私の体調不良の記事を読んで、お誘いをいただいていた丸山さんのリンパマッサージを受けてきました。
おかげさまで、身体はすっきりしました。
生命力が回復したような気がします。
丸山さんに感謝しています。
これまでのリンパの施術は受けたことがありますが、これまでの中では一番、効果が実感できました。
近くであれば、通いたいところですが。片道2時間はちょっと悩みます。
丸山さんの治療院は、偶然にも私が昔住んでいた保谷の、それも棲んでいたところの近くでした。
それで帰りはそのあたりを少し歩いてみました。
大きく変わってはいましたが、どこか懐かしさを感じました。
■寄居プロジェクトの応援者を募集します(2016年9月5日)
前から少し紹介してきましたが、埼玉県の寄居町にある施設を舞台にして、新しいコミュニティがつくれないかとか構想している人がいます。
その内藤さんから相談を受けてきているのですが、施設を購入しないと、別の人に所有権が移ってしまいそうです。
そこでなんとかして、購入する費用を集めなければいけなくなってきました。
しかし、内藤さんも私も、お金にはあまり縁がありません。
そこで考えたのが、1口50万円の1年融資で、まずは1000万円を集め、出資してくれた人と一緒に、その施設を活用したビジョンを具現化していこうという方式です。
1年間、無利子で融資してもらい、その間は、その施設の活用策を一緒に考えてもらおうというものです。
もちろんその間、宿泊してもらっても、イベントで活用してもらってもいいのですが、もし可能性が見えてきたら、さらに融資期間を延ばしてもらい、遅くも3年以内には自立していける目処をつけようという構想です。
いま関係者で詰めているところですが、50年間を融資してもらい、1年間、一緒に夢を語るという人はいないでしょうか。
もう少し内容が明確になったら、改めてご案内しますが、関心のある方は是非ご連絡ください。
■家族だけの10回忌(2016年9月6日)
妻が亡くなって今年で10年目です。
普通は10回忌はやらないのですが、家族だけで10回忌を行いました。
といっても、お坊さんに法事をお願いしたわけでもなく、私の般若心経と会食だけだったのですが。
まさか10年も生き続けるとは思ってもいなかったのですが。
■あびこ市民活動ステーション指定管理者への応募(2016年9月9日)
我孫子駅の近くにあるあびこ市民活動ステーションは、指定管理者に管理を受託する方式をとっていますが、来年の4月から3年間の指定管理者を募集しています。
そこに応募しようと春から新しいグループを立ち上げました。
いろいろと事情があって、これまではあまり書けなかったのですが、今日はそのプレゼンテーションでした。
応募したのは3〜4グループのようですが、我孫子市の場合はいかにも秘密主義的で、手続き的にも問題がたくさんあります。
選考委員会は6人の委員で行われます。
こうしたコンペの選考委員会は、選考委員側では体験したことはありますが、応募側での体験は初めてでした。
ちなみに、今回はNPO法人テラス21とコムケアセンター(コンセプトワークショップ)との共同事業体で応募しました。
結果が楽しみです。
■ホームページのプロバイダーの切り替えが終わりました(2016年9月9日)
このホームページは、ニフティのホームページプログラムを利用していますが、そのサービスが中止になりました。
それで新しいプログラムに移行しなければいけないのですが、それがうまくいかずに、この1週間苦労していました。
なんとか移行できましたが、そのためにホームページのアドレスが変わります。
新しいアドレスは、
http://cws.c.ooco.jp
です。
もし登録されている方がいたら、お手数ですが、変更してもらえるとうれしいです。
移行に伴い、容量が増えましたので、今までは掲載を控えていた写真も載せられるようになりました
(2016年9月第1週)
■カフェサロン「病原体から見た人間」(2016年8月28日)
■病院での検査(2016年8月29日)
■佐々木MGワークショップ(2016年8月30日)
■エグゼクティブフォーラムチームミーティング(2016年8月31日)
■弁護士との相談(2016年9月1日)
■バナナボート訪問(2016年9月1日)
■KHJ関係者とのミーティング(2016年9月1日)
■10回目の命日(2016年9月3日)
■カフェサロン「病原体から見た人間」(2016年8月28日)
遅くなりましたが、昨日開催のちょっと知的なカフェサロン「病原体から見た人間」の報告です。
12人の参加でした。
益田さんは、ジフテリア菌の話から始めました。
ジフテリア菌が人に悪さをするのは、ジフテリア菌に寄生しているファージ(細菌に感染するウイルスのこと)が持っている「毒素」のせいなのだそうです。
そこから、host parasite relation、つまり寄生者と宿主の構造の話になりました。
ファージの毒素は、宿主であるジフテリア菌には悪さはせずに、ジフテリア菌の宿主である人間に悪さをするのです。
そこから、寄生者にとっての環境とは何かという問題が出てきます。
生物学的に言えば、言うまでもなく、寄生者にとっての環境は宿主です。
ですから、生物と環境は、一次的な意味では win-winの関係です。
ジフテリア菌の場合も、よく見れば、host parasite relation はwin-win関係なのです。
しかし、ジフテリア菌の宿主である人を、ファージの毒素が殺害するとなると、ジフテリア菌は自らを支える環境を失うことになるわけです。
ファージの想像力が弱く、見えている世界がいかにも狭いのです。
ジフテリア菌の場合、みずからが環境となってさせているファージがあるとともに、ジフテリア菌にとっての環境である人間がいます。
この環境構造を人間に置き換えるとどうなるか。
人間を支える環境は自然環境といっていいでしょう。
人は自然環境に寄生しているわけです。
ではジフテリア菌にとってのファージは、人間の場合、何でしょうか。
益田さんは、それを「心」あるいは「脳」といいます。
さらに、「心」を中心に考えたらどうなるか。
心を支えている環境は「肉体」、心の中にあるファージ役は「欲」だというのです。
たとえば、糖尿病患者が、「食欲会っての自分」から「肉体会っての自分」へと認識を変えれば、事態は変わりだすと益田さんは言います。
これはきわめてわかりやすい話です。
つまり、自分をどうアイデンティファイするか、そして環境をどう捉えるか、という問題です。
ところで、細菌には、常在菌と病原菌があるそうです。
というか、広い意味での世界と仲良くやっている常在性の細菌と間接的な環境に悪さをする病原性の細菌がいるそうです。
これも人間社会に喩えれば、いろいろなことに気づかされますが、大切なのは、「病原性」という言葉です。
「毒素」という言葉もそうですが、いずれも人間の都合での命名です。
そこから考えていくと、さらに深い世界が見えてくる気がします。
人はなぜ自殺するか、人はなぜ戦争するか。
そういう話も出ましたが、時間の関係もあってあまり深められませんでしたが、いろいろと考えるヒントはあったと思います。
私は、政治(民主主義)や経済(資本主義)を考える大きなヒントもあるような気がしました。
ちょっと飛躍しますが、私はアリストテレスの「ピュシス」(「自然」と訳されています)という概念に共感しているのですが、その視点からは病原体も人間も同じ存在だろうと思います。
だから、人にとっての「悪さ」には、かならず「善さ」もふくまれていて、それをどう編集するかが課題なのだろうと思います。
蛇足ですが、今回はなぜか女性の参加者は一人もいませんでした。
男性にとっての環境は女性という捉え方をすると、これもまた面白い発見があるかもしれません。
なお今回の話を、参加者のお一人の西坂さんが録音してくれています。
益田さんはホワイトボードを使って説明してくれていたので、音声だけではわかりにくいと思いますが、ご希望の方はご連絡ください。
また今回は、初めての湯島サロン参加者もおふたりいました。
おふたりともとても喜んでくださいました。
湯島サロンは、いつでも気楽で息抜きできますので、初めての方も喜んでくださいます。
ぜひみなさんも気楽にご参加ください。
なお、今回2回目だった「人間を考えるシリーズ」の3回目は、スピリチュアルな話にできないかと考えています。
ちょっと飛びすぎてしまうかもしれませんが、焦点をどこに置こうか、ちょっと悩んでいます。
■病院での検査(2016年8月29日)
先週末の身体の異変はおさまってはいるのですが、なんとなく不調なため、病院に行きました。
神経内科がなかったため、脳神経外科に行き、MRIや心電図などの検査をしてもらいました。
いくつかの所見は出ましたが、経過観察になりました。
症状がおさまっていたためです。
しかし、関連していくつかの問題点が出てきました。
食事療法などいろんな指導を受けましたが、まあ歳とともにいろんな問題は出てくるものです。
■佐々木MGワークショップ(2016年8月30日)
一緒にSPM研究所をやっている佐々木さんが開発した福祉経営マネジメントゲームを、エイデル研究所のコンサルタントを中心に、体験会を実施しました。
とても好評で、これをどう展開するかの話し合いにまで発展しました。
このゲームは、私は体験するのは3回目ですが、佐々木さんはどんどん改良してきています。
佐々木さんと相談して、どこかで実際に展開しようと思っています。
■エグゼクティブフォーラムチームミーティング(2016年8月31日)
山城経営研究所のエグゼクティブフォーラムのAチームが湯島に来ました。
研究の方向性が決まり、取材先も決まってきたようです。
取材先の一つに、滋賀のシンコーメタリコンという会社が選ばれたのですが、そことつないでくれたのが、東レ時代の同期生の香川さんです。
香川さんとはもう30年以上、会っていませんが、フェイスブックでつながって交流しています。
香川さんのご尽力で、インタビューが実現しました。
その報告を聞くのが楽しみです。
■弁護士との相談(2016年9月1日)
私自身いまちょっとトラブルに巻き込まれています。
私にとっては、あまりに不条理な話なのですが、放置しておくわけにもいかずに、弁護士と相談しました。
訴訟を起こすことも考えていますが、できれば避けたいと思っています。
私の生き方は、どうも弁護士には伝わらないようで、やはり訴訟しかないのかもしれません。
どうしたものか、悩んでいます。
■バナナボート訪問(2016年9月1日)
引きこもり家族の支援活動をしている阿部さんの相談所、バナナボートに行ってみました。
どんなスタイルで行われているのか、実感できました。
たぶん行政支援の活動は、こんな感じで行われているのでしょう。
私の感覚にはやはり合いません。
世間の福祉活動に、やはり私はなじめずにいます。
■KHJ関係者とのミーティング(2016年9月1日)
全国引きこもり家族連合会の関係者と4回目のミーティングを持ちました。
何を相談されているのか、あまり理解できないでいたので、今回は私から提案させてもらいましたが、やはり手ごたえがなく、終わってしまいました。
まともに考えている人がいるのかとかなり腹立たしくなりましたが、湯島に4回も来るということはやはり何か問題意識があるのだろうと思います。
しかしこのままだと私自身が疲れ切りますので、少し距離を持とうと思いました。
日本の福祉の世界は、やはり私には肌が合わないのかも知れません。
■妻への供花(2016年9月2日)
妻の命日が近づき、滋賀の妻の友人たちから花が届きました。
もう10年目に入りますが、うれしいことです。
早速、お礼の電話をそれぞれにしましたが、みんな元気そうでした。
■10回目の命日(2016年9月3日)
妻が亡くなってから10回目の命日です。
娘と墓参し、お寺にお参りしてきました。
10回忌をやろうかと思っていたのですが、静かな命日を過ごそうと思い直し、1日、自宅で過ごしました。
(2016年8月第4週)
■みんなの認知症予防ゲーム実践者交流会(2016年8月22日)
■台風直撃の被害(2016年8月22日)
■ストーリーテリング協会交流会(2016年8月24日)
■我孫子市副市長との意見交換(2016年8月25日)
■はったつ凸凹組合スタート(2016年8月26日)
■異変(2016年8月26日)
■みんなの認知症予防ゲーム実践者交流会(2016年8月22日)
台風直撃の中を5人の実践者が集まってくれました。
みなさんの思いの深さを知りました。
今回の交流会の開催には、あまり書きたくないような、微妙な経緯があり、開催しようかどうか迷いながらの開催でしたが、開催してよかったです。
外の台風とは無縁に、とても和やかで、気持ちのいい、しかし実に長い時間の集まりになりました。
みんなの認知症予防ゲームをやっている人は、みんなやさしくなるようです。
そこに、このゲームの本質があるのだろうと思います。
いままた話題になりだしている、ユマニチュードと同じで、人と人の関係を大事にするようになるところに、このゲームの本質があるのだと、改めて実感しました。
そこを外しては、単なるゲームになってしまいかねません。
私が望んでいる「やさしさのコミュニティ」への、また新しい物語が始まりそうです。
現場で実践している人たちの、ちょっとした体験や知恵の共有が大切なことも全員が共有する思いで、こういう場を継続することにしました。
台風のなか、「命がけ」で参加してくださった5人のみなさんに感謝いたします。
■台風直撃の被害(2016年8月22日)
台風の強風で、わが家の庭の藤棚が倒壊しました。
ちょっと危なかったので、藤が終わった後、庭師の方には見てもらっていたのですが、今年は大丈夫だろうと言われて、満開のノウゼンカズラがおわったら建て替えることにしていたのですが、間に合いませんでした。
幸い、倒れた方向がよかったので、あまり被害はありませんでしたが、15年育った藤の木には申し訳ないことをしました。
私は留守をしていましたが、すごい風だったようです。
■ストーリーテリング協会交流会(2016年8月24日)
ストーリーテリング協会では毎月1回、湯島で誰でも歓迎の交流会を開催しています。
案内はストーリーテリング協会のサイトに出ています。
気楽にご参加ください。
今回は高校生の方も参加してくれました。
■我孫子市副市長との意見交換(2016年8月25日)
いま我孫子市で活動するための、新しい組織づくりに取り組んでいますが、その組織にとってのキックオフプロジェクトともいうべきプロジェクトに関して、ちょっと放置しておくわけにはいかない問題点がみつかりました。
ことを大きくしないようにしたいと思っていますが、副市長に会うことになりました。
副市長は超多忙な人なので、煩わしたくはなかったのですが、まあ問題の性格上、止むを得ません。
ざっくばらんに話し合いをさせてもらいました。
きっといい方向に動き出すでしょう。
やはり気が付いた人が声をあげなければいけません。
■はったつ凸凹組合スタート(2016年8月26日)
発達障害の仲間たちと「はったつ凸凹組合」を立ち上げることにしました。最初はただ、発達障害の人たちの起業支援の相談に応じているだけだったのですが、何回か話しているうちに、まあ私も仲間になるのがいいと思ってしまったわけです。ミイラとりがミイラになってしまった感じです。まあ、こんなことの連続が私の人生なのですが。
それで今日、集まった2人の発達障害の友人たちと「はったつ凸凹トリオ」、いや「はったつ凸凹組合」をスタートさせたわけです。
当面は、中古PCをUbuntu(Linux)で使えるようにするとともに、Ubuntuコミュニティを育てていくと言うビジョンです。
かなり難しいテーマですが、発達障害の人たちは、雇用労働よりも協同労働が向いているのではないか、という思いで、ともかく動き出すことにしました。
なにしろまだ仲間も少なく、資金も皆無です。一緒にやってもいいという方、協力して下さる方、資金や中古PCを提供してくれる方、ともかくなんでもいいので、応援者や仲間を探しています。
よろしくお願いします。
ちなみに、発達障害の、私の定義は、人は皆、何らかの意味で、発達障害というものです。だから私も仲間に入れてもらえたわけです。
さてさて、これからどうなるか。
見通しも勝算もなく、あるのはただただ不安ばかり。
今日もまた、いろいろ考えて眠れなくなるかもしれません。
しかし、相談に乗るということは、そういうことです。
この姿勢を、私は、東尋坊で見回り活動をしている茂さんから教えてもらいました。
そういえば、その茂さんからも先週、難題をもらってしまいました。
1週間悩んで、結局、引き受けました。
人生は苦難の道です。
疲れます。
はい。
高畑さんの息子さんの事件で、発達障害への偏見が生まれなければいいのですが。
女優の高畑さんの記者会見には、とても感動しました。
彼女をとても好きになりました。
久しぶりに、女性に惚れた気がします。
余計なことをかいてすみません。
だから発達障害だと言われるのかもしれません。
いやこれも、余計なひと言、ですね。
困ったものです。
■異変(2016年8月26日)
昨夜から「異変」が起こりました。
左の手足が私の意志とあまり関係なく動きだしたのです。
それもほぼ必ず3動作の組み合わせです。
上、下、横と動くのです。
パソコンをやっていても、落ち着かない、左手と左足がある。
ベッドに横になっても、何やら動きたくなる。
なにかの前兆でしょうか。
今朝はだいぶおさまってきましたが、まだ落ち着きがない。
もうひとりの私が、右脳で目覚めてしまったのでしょう。
こんな経験された方はいるでしょうか。
なにかの病気の前兆かもしれません。
発病はもう少し待ってほしいのですが。
翌日、体調は少し安定しましたが、今日は予定をほぼすべてキャンセルし、安静にしていました。
困ったものです。
ちなみに、月曜日に病院に行きましたが、その結果報告はブログでさせてもらいました。
(2016年8月第3週)
■沢蟹がわが家にやってきました(2016年8月14日)
■東尋坊の茂さんがまた新しいプロジェクトです(2016年8月15日)
■送り火(2016年8月16日)
■2つ目のメロン(2016年8月17日)
■両親への墓参(2016年8月17日)
■我孫子市役所訪問(2016年8月18日)
■コムケアセンターをどうするか(2016年8月20日)
■自民党改憲案を読む会(2016年8月20日)
■沢蟹がわが家にやってきました(2016年8月14日)
ことの?末はブログに書きましたが、わが家に沢蟹が11匹、やってきました。
10年以上、待ち望んでいたことです。
わが家の庭の池に棲んでもらう計画です。
これまでも2回、挑戦しましたが、いずれも年を越せませんでした。
今回は大勢やってきたので大丈夫でしょう。
しかし慎重を期して、まずは7匹を放しました。
後の5匹はしばらく水槽住まいです。
■東尋坊の茂さんの認環塾構想(2016年8月15日)
東尋坊で活動している茂さんから電話がありました。
また新しいプロジェクトに取り組むのだそうです。
認環塾構想です。
それは良いですねと感心して聞いていたら、私にも一度、話に来てほしいというのです。
しかもそのテーマが難しい。
即答しかねましたが、茂さんからの依頼であれば断ることはできません。
胃が痛くなりそうです。
■送り火(2016年8月16日)
お盆で帰省していた妻が帰りました。
今回はお墓まで見送らずに家で送り火を焚きました。
今年のお盆は、例年になく、いろいろと考えさせられるお盆でした。
■2つ目のメロン(2016年8月17日)
畑に行った時に、うっかりしてメロンのツルを引っ張ったらなっていたメロンがもげてしまったのですが、もうひとつも昨日、なぜかもげてしまいました。
ちょっと早いかなという気もしましたが、切ってみたら何と見事に熟していました。
ちょうど娘家族が来たので、みんなで食べてみました。
まあ美味しいとは言いにくいですが、まずくはなかったです。
来年は本格的に?作ろうと思います。
■両親への墓参(2016年8月17日)
今日は全家族がそろったので、みんなで両親の位牌を預かっている兄の家に挨拶に行きました。
残念ながらもうお盆は終わっていたので、途中でお墓にお参りしました。
そういうのは一応きちんとしておきたい性格なのです。
孫も初めてのお墓でした。
祖父母は喜んでくれたでしょう。
兄夫婦も、にこに会うのは初めてなので、喜んでくれました。
■我孫子市役所訪問(2016年8月18日)
我孫子の仲間たちとあるグループを立ち上げ、プロジェクトを起こそうとしているのですが、それに関して調べているうちに、仲間の一人がとても大きな問題に気づきました。
市会議員に問題提起したらどうかという意見もあったのですが、あんまり大仰な問題にはしたくありません。
しかし、そのまま見過ごすわけにもいかないので、とりあえずは個人的にアドバイスをもらおうと市役所の知り合いに会いに行きました。
問題の意味を理解してもらい、改めてもう一度、話し合いを持つことにしました。
それにしても、こういう活動をしていると本当に日本の市民活動やNPO活動はお粗末だと感じます。
そうしたことにはほとんど興味がないのですが、それが私の生き方の間違いなのかもしれません。
困ったものです。
■コムケアセンターをどうするか(2016年8月20日)
コムケアセンターを法人化、つまり組織化できないかと考えていますが、実体はゆるやかなオープンプラットフォーム型のネットワークですから、どういうスタイルがいいか迷います。
そもそも脱組織化を志向してきたのがコムケア活動ですから、理念的には無理があります。
しかし逆に理念的には緩やかな組織化をしなければ継続は難しいでしょう。
悩ましい問題です。
そこで、メンバーをつないでいくオープンプラットフォーム型ネットワークとその事務局やそこからインキュベートされた活動を事業化する二重構造の一般社団法人にしようかと考えています。
その事業化活動として実際にいくつかを想定しながら組織化を考えることにし、それについて、阿部さんと横山さんとのミーティングを持ちました。
9月上旬には構想を決めて、できるだけはやく組織化し、事業も立ち上げることにしました。
■自民党改憲案を読む会(2016年8月20日)
リンカーンクラブ主催の「自民党改憲案」を読む会を開催しました。
みんなで声を出して、改憲案の全条文を読むことを中心にする退屈な会ですとご案内しましたが、8人の方が集まってくれました。
政治ジャーナリストの方や福祉関係の大学教授、編集関係の方や若者の就労支援をしている方、右傾化する社会に警告を発してきている思想家の方など、多彩な方たちでした。
これまでも、例えば前文や9条、基本的人権の章などは読みあって議論したことはありますが、今回はともかく全文を読み通すことを目的にしました。
私たちはともすると、個々の議論に走りがちですが、全体から伝わってくるものも大切です。
ともかく最後まで一気通貫に読んでみたかったのです。
途中議論が始まり、話題も広がったりしましたが、みなさんの協力によって、3時間かかりましたが、前文を読み終えました。
最後にそれぞれから感想を話してもらい、長丁場の「自民党改憲案を読む会」は終わりました。
途中で議論となった論点はいくつかありますが、あらためて全文を読み通すことで気づいたことも少なくなかったような気がします。
かなりの努力は必要ですが、ぜひみなさんも、周りでやってほしいと思います。
自民党改憲案はネットで入手できます。
https://jimin.ncss.nifty.com/pdf/news/policy/130250_1.pdf
私の感想は、「ともかく長い」ということでした。
現行憲法も私には長すぎます。
それに文章が美しくありませんし、無駄な形容詞が多すぎます。
みんなが読みたくなるよう憲法であってほしいです。
そもそも憲法に関して議論している人たちでさえ、果たしてどれだけがきちんと憲法を読んでいるかどうか。
ちなみに、自民党改憲案は「日本国は」(現行憲法の始まりは「日本国民は」)で始まります。
そして最後の102条は「すべて国民は、この憲法を尊重しなければならないとなっています。
私はここに改憲案の基本思想を感じます。
みなさんもぜひ一度、現行憲法と自民党憲法案を読み比べてください。
憲法こそが、私たちの社会を方向づけているのですから。
(2016年8月第2週)
■大きな福祉を目指す新しい組織づくり(2016年8月7日)
■みんカフェ(2016年8月7日)
■リンカーンクラブ幹事会(2016年8月8日)
■天皇が国民に向けてビデオメッセージ(2016年8月8日)
■核廃絶という言葉の虚しさ(2016年8月9日)
■ちいきラボとちいきコン(2016年8月10日)
■多様な価値観と企業業績(2016年8月10日)
■すぎのファームの梨とひまわり油(2016年8月11日)
■テラス21とコムケアセンターのコラボ(2016年8月12日)
■妻の里帰り(2016年8月13日)
■大きな福祉を目指す新しい組織づくり(2016年8月7日)
コムケアセンターを法人化することを検討しだしていますが、話し合ってみるとやはりなかなか理念的に合意できるまでには時間がかかりそうです。
とりあえず法人化してしまう方法もありますが、誰がコアメンバーになるかによって、方向が決まりかねません。
悩ましい問題であります。
もう少し話をつづけたいと思い出しました。
■みんカフェ(2016年8月7日)
昨日の湯島のみんカフェは、参加者は中高年男性5人でした。
想定外の組み合わせでしたが。
手術後のリハビリだと言って、くまさん介護の飯田さんが、異常な暑さの中を来てくれました。
リハビリになったでしょうか。
状況が悪化しなければいいのですが。
湯島には初めての伊藤さんも来てくれました。
伊藤さんは福祉関係の相談員です。
もう少しお話をお聞きしたかったのですが、常連の太田さんと阿部さんも話したいことが山積みのようで、それに太刀打ちできませんでした。
しかし、紆余曲折の後、話はなんと、世の中に「悪い人」はいるのだろうかというような話から、「人間とは何か」という深遠?な話になりました。
中高年の男性たちが、こんな話で盛り上がるとは、暑さのせいでしょうか。
でもまあ、今度、湯島で「人間を考えるシリーズ」カフェサロンを開催する踏ん切りがつきました。
なお、みんカフェも少しずつ広がってきています。
8月28日には、千葉の印西市で土佐さんが開催します。
■リンカーンクラブ幹事会(2016年8月8日)
リンカーンクラブの幹事会です。
だいぶ方向性の確認ができてきました。
もう一息です。
しかし民主主義的にことを進めるというのはエネルギーが必要です。
それでも、11月10日に、キックオフフォーラムを開催することは決まりました。
国会議員会館で、100〜200人規模を目指します。
ゲストも決まりだしました。
■天皇が国民に向けてビデオメッセージ(2016年8月8日)
天皇が国民に向けてビデオメッセージを発しました。
天皇の誠実さと思いの深さを改めて感ずることができました。
テレビで、天皇のお話をお聞きしながら、2つのことを思い出しました。
ひとつは、上山春平の言葉です。
ある本(「公共圏という名の社会空間」)からの孫引きですが、見つけたので2つ引用しておきます。
朝日新聞(1989/1/16)に載っていた座談会の発言。
今の日本は国家組織の中枢に近い人々がけがれた印象を与えている。その中から選ばれた人が国の中心にいたのでは、やりきれない思いになる。しかし幸い、われわれはそういう汚さから無縁で真っ白な方を中心におくことができる。これは国の姿として実にありがたいことだ。
1990年11月号の「思想」に載った文章です。
天皇制は、国制の頂点に聖域を設け、権力競争に汚れやすい政治家たちをシャット・アウトする。その聖域から権力とのかかわりを最大限に排除したのが、今日の天皇制である。非権力という点では、世界の君主制のなかで最も徹底したケースといえるかもしれない。
もうひとつは、『ゲド戦記』の原作者アーシュラ・ル・グィンの『オメラスから歩み去る人々』です。
その短編小説の書き出しだけ引用しておきます。
此処ではない何処か遠い場所に、オメラスと呼ばれる美しい都がある。
オメラスは幸福と祝祭の街であり、ある種の理想郷を体現している。
そこには君主制も奴隷制もなく、僧侶も軍人もいない。
人々は精神的にも物質的にも豊かな暮らしを享受している。
祝祭の鐘の音が喜ばしげに響き渡る中、誰もが「心やましさ」のない勝利感を胸に満たす。
子供達はみな人々の慈しみを受けて育ち、大人になって行く。
素晴らしい街。人の思い描く理想郷。
しかし、そのオメラスの平和と繁栄の為に差し出されている犠牲を知る時、現実を生きる自分達は気付くのだ。こ
の遥か遠き理想郷は、今自分が立っているこの場所の事なのだと。
オメラスが求めた犠牲。それはこんな姿をしている。
オメラスが求めた犠牲。それは思い出すのさえおぞましい話です。
ましてや、天皇のメッセージにつなげて書くのはさすがに憚れますが、実は私が最初に思い出したのは、オメラスの話です。
それがあまりに誤解されそうなので、書くのをおもんばかっていたのですが、何回も聴いているうちに、上山春平さんの言葉を思い出したで、一緒に書けば、真意はそれほど誤解されないだろうと思い、フェイスブックにも書きました。
私の生活の平安が、いかに天皇に依存しているのか、ようやく実感できるようになりました。
ちなみに、オメラスについては知らない人もいるかもしれません。
以前、ブログでシリーズで書いた記事をこのホームページに転載しています。
「オメラスとヘイルシャムの話」です。
あまりお勧めはしませんが、よかったら読んでください。
■核廃絶という言葉の虚しさ(2016年8月9日)
今日は長崎に原爆が投下された日です。
長崎での平和式典をテレビで見ていました。
長崎市長の呼びかけは、心にひびきました。
被爆者代表の井原東洋一さんのお話も、とても感ずるものがありました。
でも聴いていて、どこかに虚しさが残りました。
それは。「核廃絶」と言いながら、誰一人として、原発に言及されないことです。
言うまでもありませんが、原爆と原発は同じ原理で作られています。
しかも原発は核兵器の原料を作りだすという意味で、技術的にはつながっているものです。
原発は、福島での事故で証明されたように、意図的に爆発されたら、核兵器にもなり得ます。
核廃絶というのであれば、当然、原発も廃絶しなければいけません。
しかし、誰もそれを明言しようとしません。
しかもそこに核兵器推進論者の首相を招いての式典です。
どう考えても茶番でしかない。
井原さんのスピーチの中に、聞きようによっては安倍首相への問いかけがありました。
それが発せられた直後、テレビは安倍首相の表情を映し出しましたが、気のせいか不快そうな表情に感じましたが、ただそれだけでした。
安倍首相が登壇しようとした時に、会場から大きな野次が一言ありましたが、言葉は聞き取れませんでした。
みんなおとなしく聞いていた。
私には実に不思議な光景です。
本気でみんな核廃絶を願っているのだろうか。
いつもそう思います。
原発はなぜ核発電と呼ばないのでしょうか。
核廃絶運動に、原発廃止も含めないかぎり、虚しい言葉で終わってしまうように思えてなりません。
■ちいきラボとちいきコン(2016年8月10日)
桜美林大学の学生の美里さんが、湯島に来ました。
一般社団法人若者法人Japanese TEAMというのがあって、美里さんはそのメンバーです。
そこにある「ちいきラボ」の新しいプロジェクトとして、今年から「ちいきコン」、全国地域活性団体コンテストというのをやるのだそうです。
今回、美里さんがやってきたのは、その審査委員の依頼です。
主旨や展開構想をお聞きし、協力させてもらうことにしました。
ちなみに、美里さんたちが考えていることの一つに、RF(リアルファンディング)コインというのがあります。
コンテスト参加費の半分を参加団体のいずれかに寄付することができるという仕組みです。
これはコムケア活動でかつて試みた「ケアップカード」と全く同じ仕組みです。
その体験から、この仕組みの効用を話しました。
ちいきコンは、単なる一過性のイベントではなく、新しい思想が組み込まれています。
また詳細が決まったら案内させてもらいますが、いまは協賛金も募集中です。
寄付して下さる方がいたら、ご連絡ください。
事務局につなげます。
■多様な価値観と企業業績(2016年8月10日)
山城経営研究所のエグゼクティブフォーラムのコーディネーターを引き受けていますが、そのチームメンバーが湯島に来ました。
テーマは、「多様な価値観をもつ社員(shine)が共に輝く 『ワクワク・キラキラ・ニコニコ型』組織をつくるには」になったそうです。
ちょっと言葉が飛び跳ねすぎているような気がしますが、その心は、「社員が生き生きと活躍するにはどうしたらいいか」でしょう。
しかし、多様な価値観と企業業績がどうつながるのかは、自明のことではありません。
その点からまず話をさせてもらいました。
しかし、企業の人たちと話していると、いまの日本の実相がわかります。
組織は、その構成員がその持てる力を十二分に出すための仕組みであるはずですが、いまは逆に構成員の力を削ぎかねない存在になっているということです。
それは、組織にとっても構成員にとっても、さらには社会にとっても、好ましくないだけではなく、大きな問題を生み出しているはずです。
そこに焦点を当てて、これからの会社の経営について考えていくのがこのチームの関心事です。
パラダイム転換すれば、その解は簡単に見つかるのですが、そのパラダイムシフトが難しい。
いろいろと考えることがありました。
このプログラムへの参加も、今年で終わりにしようと思います。
■すぎのファームの梨とひまわり油(2016年8月11日)
柏市のすぎの梨園の梨が出荷され始めたとお聞きしたので、早速、私も予約を入れてから買いに行きました。
人気が高いので、油断していると手に入らないのです。
今日も、お客さまでにぎわっていました。
少しお話したかったのですが、それどころではありませんでした。
杉野さん家族が、いつものように楽しそうに働いていました。
私の妻が大好きだった「幸水」を買ってきて、お供えしました。
私も、冷やして食べました。
実に美味しい。
杉野さんから、手賀沼トラストの「ひまわり油」をもらいました。
杉野夫妻は、おふたりとも実にチャレンジングで、商品開発もされています。
昨年は、奥さんが開発した栗ジャムなるものを始めて食べました。
杉野さんの梨は、わが家のお盆には欠かせないのです。
http://sugino74en.jimdo.com/
■テラス21とコムケアセンターのコラボ(2016年8月12日)
プロジェクトHOSという、私が勝手に命名したチームがあります。
HOSは、最初のメンバーの人の頭文字です。
我孫子市での新しいネットワーク組織を目指していますが、いまはまだ必ずしも3人の意図が重なっているわけではありません。
まずは、起動のための「最初のプロジェクト」を実現できるかどうかがポイントです。
形の上では、NPO法人テラス21とコムケアセンターとがコアになって、プロジェクトを起こしていきますが、実際には、我孫子在住のコアメンバーでの活動になっていくでしょう。
理念的には、地域はそこに住む一人ひとりの住民たちが汗と知恵を出して作っていくということです。
同志のおふたりに、改まって確認したことはないのですが、たぶん、ですが。
住民主役の実践者ネットワークが育てばと思っています。
しかし、その過程でいろいろとまちづくりに関わる実状を調べていくと、いろんな問題が見えてきます。
その問題がいかにもひどかったために、中心で動いているHさんから、招集がかかり、どう対応すべきという話し合いになりました。
曖昧な書き方しかできないのですが、いつかまた明確に書けるでしょう。
事実を知れば、不都合なことが見えてくる。
それを見逃しては社会はよくなりません。
しかし、それに一々対応していたら、身が持たない。
悩ましい問題です。
■妻の里帰り(2016年8月13日)
今日からお盆です。
精霊棚に昨日、畑から収穫したメロンをお供えしました。
熟しているかどうか不明ですが、昨日、畑で草刈りをしていたら、なぜか意図していなかったのに、このメロンがつるから離れて転がってきました。
それで今朝、お供えしました。
わが家の精霊棚を飾る供花は、毎年、仏花ではなく明るい花です。
いつも届けてくれるお隣さんも、それを知っていて、今年はカスミソウとバラでした。
わが家の畑の百日草もお供えする予定です。
蝉がにぎやかな、いつものお盆です。
(2016年8月第1週)
暑くなりました。
■リンカーンクラブのプロトコル(2016年8月1日)
■益田さんとコミーを訪問(2016年8月3日)
■畑での苦闘(2016年8月4日)
■生命倫理カフェ・ねりまの森本さん(2016年8月5日)
■北九州市の中嶋さん(2016年8月5日)
■人間を考えるサロンをどう展開するか(2016年8月5日)
■くろさき茶豆(2016年8月6日)
■「時間かせぎの資本主義」を読みました(2016年8月6日)
■手賀沼花火大会(2016年8月6日)
■リンカーンクラブのプロトコル(2016年8月1日)
リンカーンクラブの幹事の間でも、具体的な活動になっていくと、微妙なずれが生ずることがあります。
根本の考えをしっかりと共有していないと、溝にもなりかねません。
そこで、改めてコアメンバーで、リンカーンクラブのプロトコルを確認しました。
「民主主義=個人の尊厳を尊重すること」という理念をベースに、多様な意見の共存を重視し、組織も運営もフラットであることを基本にします。
もう大丈夫でしょう。
最初の段階でボタンを掛け違うと後が大変です。
リンカーンクラブは、ゆっくりと動き出したいと思っています。
■みんカフェ・新潟の金田さん(2016年8月3日)
新潟で、「みんなのゆる〜いカフェ」に取り組んでいる金田さんが、湯島に来ました。
金田さんご自身は、ゆるいどころか几帳面な方なので、苦労されているようにもお見かけします。
もっと肩から力を抜いてやってもらわないと、集まる人たちも方から力が抜けません。
そこをなかなか分かってもらえずに、苦労しています。
でもまあ、2回目の「みんカフェ・新潟」も無事終わり、順調に育ってきているようです。
秋にまた私にもまた参加してほしいという要請を受けました。
さてどうしましょうか。
■益田さんとコミーを訪問(2016年8月3日)
先日、湯島のサロンで「紙細工」もワークショップをやってくれた益田さんと一緒に、久しぶりにコミーを訪問しました。
益田さんと小宮山さんは、共通するところがあり、お互いにそれを望んでいたからです。
しかし、私自身がいろいろと刺激をもらうことになってしまいました。
コミーの顧問の西山さんとは、聴覚障害のある人が音楽を楽しむために「響台」の話を聞きました。
体験もさせてもらいました。
私にも何かできることがあるかもしれません。
ぶんぶんごまを極めつつある田村さんからは、ぶんぶんゴマの発電セットを見せてもらいました。
いろんな可能性を感じました。
コミーの開発担当の岩田さんからは、来年の構想を少し聞きました。
とても興味を感じます。
もう少しコミーには通わなければいけないと、少し反省しました。
■畑での苦闘(2016年8月4日)
梅雨が明け、夏になったので畑に通いだしています。
なんとか野草の勢いを削ぐことに成功しましたが、まだまだ劣勢です。
しかし暑さのために倒れてもいけないので、少しずつ劣勢を挽回してきています。
きゅうりと茄子とミニトマトとピーマンは収穫していますが、トウモロコシとメロンがもしかしたら収穫できるかもしれません。
花畑も何とか面積を広げてきています。
自然との闘いは、正直、熾烈です。
■生命倫理カフェ・ねりまの森本さん(2016年8月5日)
練馬区で、生命倫理カフェの活動をしている森本陽子さんが湯島に来ました。
これまでも何回か話したことはあるのですが、今回は森本さんの活動の進め方に関しても少し意見を話させてもらいました。
森本さんと私は、かなりつながった領域で活動しているのですが、たぶん理念と姿勢が違うのです。
そこを話させてもらったのです。
生命倫理カフェでは、今度、「風は生きよという」という映画の上映環境とシンポジウムを開催します。
「風は生きよという」は、人工呼吸器装着者たちの日常生活のドキュメンタリーですが、それに合わせて、松永正訓さんや白井隆之さんたちのパネルディスカッションもあります。
私も参加したいのですが、その日は別件で参加できそうもありません。
案内は下記にありますので、もしよかったらぜひ参加してください。
http://bioethicscafe-nerima.jimdo.com/%E3%81%8A%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%9B/
まさに時宜を得た企画なのですが、どうも集まりが悪いようです。
よろしくお願いいたします。
■北九州市の中嶋さん(2016年8月5日)
久しぶりに北九州市の中嶋重利さんが湯島に寄ってくれました。
中嶋さんは状況に合わせて、時々、湯島に寄ってくれるのです。
彼との出会いは、私が北九州市役所の新任課長研修の講師をしていたおかげです。
そこで出会った課長はかなりの数になるはずですが、なぜか中嶋さんとは縁があるのです。
中嶋さんは、文化活動にも取り組んでいますし、何よりも職員としてではなく、住民としての活動にも取り組んでいます。
私が考える理想形なのですが、それもあまり力を入れずに取り組んでいます。
毎回会うたびに、いろんな刺激をもらいます。
同僚の高橋さんと中島さん、それぞれから妻への供物をもらいました。
覚えていて下さるのがうれしいです。
■人間を考えるサロンをどう展開するか(2016年8月5日)
超人ワンダーランド構想をライフワークにしている内藤さんと、人間を考えるサロンについて話し合いました。
同時に、彼女がいま最大の課題にしている、寄居の施設購入の計画に関しても話し合いました。
いずれに関しても、ティック・ナン・ハンのメッセージが参考になると思い、最近再放映されたティック・ナン・ハンの番組の録画DVDを渡しました。
■「時間かせぎの資本主義」を読みました(2016年8月6日)
目から鱗というか、やはりそうだったかという刺激を受けた本に出会いました。
フランクフルト学派のヴォルフガング・シュトレークの「時間かせぎの資本主義」(みすず書房)です。
翻訳出版されたのは最近ですが、原著は2013年に出版されています。副題は「いつまで危機を先送りできるか」となっています。
いろいろと気づかされることの多い本でした。
お薦めブックのコーナーで紹介しました。
■くろさき茶豆(2016年8月6日)
新潟の金田さんが恒例の黒崎茶豆を送ってくれました。
黒崎の枝豆は、身が引き締まっていて、とてもおいしいです。
特に香りが素晴らしい。
■手賀沼花火大会(2016年8月6日)
今日は手賀沼の花火大会でした。
近くに住んでいる兄夫婦が来てくれました。
いろいろと事情などあって、この数年はお客様をお呼びしていなかったのです。
花火の打ち上げは、わが家の目の前から行われます。
ですから、とてもよく見えるのです音もすごいですし、時に花火の残渣が落ちてきます。
今回は、発火しなかった火薬の小玉まで落ちてきました。
むかしは花火が大好きでした。今はさほどではありません。
(2016年7月第4週)
■リンカーンクラブサロンが始まりました(2016年7月24日)
■Weasoneの国連プロジェクト(2016年7月25日)
■相模原障害者施設殺傷事件が起きてしまいました(2016年7月26日)
■久しぶりのお墓訪問(2016年7月27日)
■トランセンドプロジェクト(2016年7月28日)
■中島さんの来訪(2016年7月28日)
■人間とは何だろうか(2016年7月29日)
■畑での闘い(2016年7月30日)
■リンカーンクラブサロンが始まりました(2016年7月24日)
第1回目のリンカーンクラブサロンを開催しました。
代表の武田さんの新著「子どもたちを戦場に送らない勇気」を読んでの感想を出し合うことから始まりました。
本の前半の現政権批判は論点が分散しすぎて、何を伝えたいかがよくわからなかったが、後半のメッセージはよくわかった。
制度に関しの議論が多いが、制度を使っていくのは人間だから、国民の主権者意識を高めていくことが大切ではないか。
日本の政治に大きな影響を与えているアメリカとの関係があまり語られていない。
自民党の改憲案を論ずる場合、現行の日本国憲法だけではなく、大日本帝国憲法とモチベーション比較するともっとわかりやすいのではないか。
平和権的基本的人権(参加した川本さんが以前から提唱している概念)という視点から考えていくことも効果的ではないか。
いろいろと論じられているが、どうしたらいいかをもっと絞ってメッセージしてほしい。
ほかにも、代表を選ぶ選挙のあり方や国民投票制度に関する議論もかなりありました。
さらに、リンカーンクラブそのものについても厳しい問いかけがありました。
民主主義と民主制とは別のものであり、むしろ民主制に焦点を絞ったほうがわかりやすいのではないか。
リンカーンをタイトルにするとアメリカの民主制をイメージしてしまうので、「リンカーン」のタイトルを捨てたらどうか。
これについては、リンカーンクラブのホームページのブログ欄で、リンカーンクラブとしての考え方を書いていこうと思います。
今回は、現在の政権に批判的な人たちが集まりましたが、大学生も一人参加してくれました。
こういう話し合いの場に出たのは初めてでとても面白かったというのが、彼女の感想でした。
次回も友達を誘って来てくれるそうです。
リンカーンクラブとしては、政治を政治家任せにして、批判や要請を出すだけではなく、
一人でも多くの人が、政治への関心を高め、いま何が進んでいるのかについての知見を広げていくためにも、
今回のような「政治を話し合う場」が増えていくことが、すべての出発点だと思っています。
小さな活動ですが、こうした動きが全国に広がっていくことを目指したいと思います。
次回は8月20日の午後2時から、「自民党改憲論」をテーマに開催する予定です。
詳しくはまたリンカーンクラブのホームページでご案内します。
リンカーンクラブは会員募集中です。
ホームページに案内を書いていますので、ご入会いただけるとうれしいです。
http://lincolnclub.net/
■Weasoneの国連プロジェクト(2016年7月25日)
Weasoneのアナボヌ・ユウジンから頼まれて、Weasoneの国連プロジェクトのミーティングに湯島のオフィスを提供し、私も傍聴させてもらいました。
国連の集まりで配布するメディアに日本企業を10社ほど紹介すというのが、Weasoneの国連プロジェクトですが、なかなかまだ実態がつかめません。
そこで私も実状を確認するために同席させてもらいました。
関心を持った2つの会社の社長が参加しました。
国連プロジェクトを支援しているオフィスに方も参加しました。
話を聞いていて、やはり全体の設計が弱い気がしてしま、ついつい声を出してしまいました。
しかし実態がだいぶわかってきました。
私としても、Weasoneにどう関わっていくかそろそろ決めないといけません。
それはそれとして、今日、お会いした2つの会社で取り組んでいる商品には大変興味を持ちました。
いつかまた接点が持てるかもしれません。
■相模原障害者施設殺傷事件が起きてしまいました(2016年7月26日)
障害者施設に、元職員が侵入し、19人の重度の障害者を殺害するという、悲惨な事件が起きました。
まさに衝撃的ですが、私には時代を象徴しているような気がしました。
関連した記事をブログとフェイスブックに書きました。
いろいろとコメントをもらいました。
ブログ記事だけを3つ、このホームページにも再掲しました。
もし読まれていない方がいたら、お読みいただければ嬉しいです。
補足コメントなどはフェイスブックなどでご覧ください。
■久しぶりのお墓訪問(2016年7月27日)
春のお彼岸以来、お墓に行っていませんでした。
久しぶりに娘と一緒に行ってきました。
妻も間もなく10回忌です。
■トランセンド・プロジェクト(2016年7月28日)
ストーリーテリング協会では、吉本さんが中心になってファミリー・ミーティングのセミナーを開催していますが、
それをもう少し深化させて、トランセンド・プロジェクト似していこうかという検討をしていますが、その相談も含めて、税理士の樋口さんを含めたミーティングを開催しました。
トランセンド・プロジェクトとは、もともとヨハン・ガルトゥングが提唱した紛争解決の手法です。
それをベースにして、ストーリーテリング協会独自のものを開発していこうと考えています。
近いうちにストーリーテリングのホームページで紹介できると思います。
紛争解決問題を抱えている方がいたら、ぜひご連絡ください。
■中島さんの来訪(2016年7月28日)
ストーリーテリング協会の会員の中島さんが、リンカーンクラブに興味があるのでと言って、湯島に来ました。
中島さんとは最近知り合ったのですが、いろんな活動をされています。
最近は社会に対する問題提起型の映画上映会などに関わっているようで、その話をすると気の中島さんは生き生きしてきます。
現代社会の状況に関しても、一家言お持ちのようで、お話を聞かせてもらいました。
リンカーンクラブの話も、むしろ組織開発の話になったような気もしますが、まあいろいろと話し合いました。
■人間とは何だろうか(2016年7月29日)
ストーリーテリング協会の仲間である内藤さんは、超人ワンダーランド構想というのをライフワークにしています。
超人ワンダーランド構想に関しては私から説明するのは難しいですが、そのコンセプトや進め方についてささやかなアドバイスをさせてもらいました。
もしかしたら、私が目指している社会と通ずるところもありそうです。
ただし、超人という言葉は私にはまったくなじめません。
内藤さんから、「人間とは何か」をテーマにしたサロンを開きたいという話がありました。
あまりに大きなテーマですが、内藤さんに企画してもらうことにしました。
どんなサロンになるか、楽しみです。
■畑での闘い(2016年7月30日)
畑に2日つづけていきました。
梅雨の間に野草が多いだしているのです。
いささか大げさに言えば、野草との死闘です。
畑を維持するのは本当に大変です。
でも、土や野草とのかかわりは、疲れますが、元気ももらえます。
梅雨も明けたので、これからはできるだけ畑通いをする予定です。
(2016年7月第3週)
今週は私的な問題に時間がとられ、あまり活動できませんでしたが。
■引きこもり家族のために何ができるか(2016年7月19日)
■本当に怒っていたと後から言われました(2016年7月20日)
■メール記録がすべて消失(2016年7月22日)
■引きこもり家族のために何ができるか(2016年7月19日)
今日は、引きこもり家族会連合会の2組の方たちがやってきました。
その間も、この問題を契機に組織を立ち上げようと考えている阿部さんとのミーティングもありましたので、ほぼ1日、引きこもり家族問題を話し合っていました。
お話を聞けば聞くほど、問題は深刻であり、実情はまだ社会には伝わってきていません。
その一方で、注意しないと「産業化」の波に飲み込まれる可能性もあります。
話していて、問題は「教育」と「家族」だという、いつもの話になってきてしまいました。
ではどうすれば教育と家族を変えていけるのか。
問題は、一つのNPOや問題領域の話ではありません。
いまこそ「大きな福祉」の発想が必要であり、さらには金銭経済依存を減らしていかねばいけません。
どう取り組めばいいか、難問です。
具体策を考えていくことになりました。
■本当に怒っていたねと後から言われました(2016年7月20日)
朝から電話が続きました。
私自身がいろいろと問題を抱えている時に、こうした相談ごとの電話は受けるのがとてもつらいです。
中には、そんな問題は私の方がもっとたくさん抱えていると言いたくなるようなものもあります。
前に時間をかけて確認したのに、蒸し返してくる人もいます。
私は電話は苦手なので、時々、「キレて」しまいます。
どうも今日も、キレてしまったようです。
3日後、その相手から電話がかかってきました。
あの時は本当に怒っていて、佐藤さんもそういうことがあるのかと思った。
本当に怒っていたね、と彼は電話で言ってくれました。
素直に謝りました。
怒るという行為は、みずからに余裕がないから起こるのでしょう。
最近の私はいささか余裕がありません。
注意しなければいけません。
■メール記録がすべて消失(2016年7月22日)
精神的に余裕がない時に限って、問題は起こるものです。
夕方、パソコンを開いてメールをしようと思ったら、これまでのすべてのメールが消えていました。
最近はできるだけこまめにメールを消去していましたが、それでも数千のメールの記録が残っていたはずですが、すべてのファイルが空になっているのです。
いろいろと調べてみましたが、復元はできません。
暫らくいささかのパニックを体験しましたが、少ししてハッと気が付きました。
これは何らかのメッセージなのだと。
それでフェイスブックに次の記事を書きました。
昨夜、思ってもいなかったことが起こりました。
パソコンの電子メールの受発信記録がすべて消えてしまったのです。
不要なものはかなりこまめに削除していたのですが、この数年の何千というメール記録がなくなってしまったわけです。
いろいろと試みましたが、回復できませんでした。
一瞬にして記録が消える。
実にすばらしい経験です。
いろいろと考えさせられました。
実に脆い仕組みに支えられて生きていることにも気づかされました。
というわけで、メールを送って下さっている方にはご迷惑をおかけするかもしれませんが、お許しください。
できれば返信が必要な方で返信が届いていない方は、改めてメールください。
この記事に対していろんなコメントが届きました。
いろいろとまた考えさせられました。
たぶんコメントしてくださった方が考えてもいないような気付きですが。
夕方時間があったので、パソコンの中を探してみました。
散在していましたが、いろんなところにばらばらに記録が存在しているのがわかりました。
しかし復元はしないことにしました。
なんだかさっぱりした感じです。
(2016年7月第2週)
■ストーリーテリング協会理事会(2016年7月10日)
■久しぶりの大川さんとの会食(2016年7月12日)
■ウォーゲーム「朝鮮戦争」体験(2016年7月12日)
■たかつきメロン(2016年7月12日)
■D社へのストーリーテリングプロジェクト提案(2016年7月14日)
■荻阪さんの近著「社員参謀!」(2016年7月14日)
■はったつ凸凹ギルド構想(2016年7月14日)
■寄居ストーリーテリング・ジャンボリー(2016年7月16〜17日)
■ストーリーテリング協会理事会(2016年7月10日)
関東在住のストーリーテリング協会理事の全員会議を開催しました。
ストーリーテリング協会も、なかなか思うようにカインが増えません。
にもかかわらず、作業はどんどん増えています。
そこで体制の見直しに取り組むことにしました。
また新しいプロジェクトについても話し合いを行いました。
ひとつの組織を立ち上げるということは、やはり簡単なことではありません。
■久しぶりの大川さんとの会食(2016年7月12日)
NPO研究者の大川新人さんと久しぶりに会食をしました。
この前にあったのは、3.11の後に彼がいわき市のボランティア活動や講演に行く直前だったのですが、その後の彼の話を聞きました。
主軸は、博士論文を書くことですが、それもそろそろ完成しそうです。
その間、ちょっと楽しいプロジェクトもあったようです。
沖縄のNPO活動に少し関わったそうです。
大川さんとの付き合いは15年以上にもなりますが、まったく変わっていません。
彼の最近の論文をいくつかお読ませてもらいました。
それに関する、ちょっとしたコメントもしました。
博士論文の指導教官もいるのでしょうが、私から見ると、いささか不満です。
■ウォーゲーム「朝鮮戦争」体験(2016年7月12日)
今日は、ウォーゲームの研究者の蔵原さんと軍事問題研究者の桜井さんと3人で、朝鮮戦争を題材にしたウォーゲームをやりました。
私だけが場違いなのですが、事の成り行き上、こういうおかしな組み合わせができてしまったのです。
蔵原さんが北朝鮮軍、私と桜井さんは韓国軍と国連軍でしたが、史実に反して、私たちが敗北してしまいました。
かなり難しいゲームで、正直、疲れ切りました。
慣れている蔵原さんは楽しんでいましたが、国連軍の桜井さんと私は、いささか疲れて、厭戦気分に襲われてしまいました。
戦争は、ゲームでも疲れますので、実際の戦争はやりたくありませんね。
3時間にわたる戦争ゲームで、学んだことは少なくありません。
たとえば戦争は最初の対応で、ある意味決まってしまうということです。
またゲームの進行のなかで、蔵原さんと桜井さんから、朝鮮戦争に日本がどう関わっていたかも、具体的に教えてもらいました。
思ってもいなかった事実も教えてもらいました。
私もそれなりに朝鮮戦争については、書籍などは読んでいるつもりですが、生々しい地図を目にしながらゲームでシミュレーションすると全く違った印象が得られます。
軍事専門家の桜井さんですら、気が付いたことがあると言っていましたから、ゲームの効用は大きいようです。
しかしそれにしても、疲れました。
このウォーゲームから何が得られるのか。
ゲーム終了後、少し話し合いました。
それぞれの戦争観が出てきてしまい、私はどうも浮いてしまっている気がしました。
戦争ゲームよりもテロ対策ゲームがいいのではないかと提案しかけましたが、あんまり強く主張すると、ゲームではない、本当の論戦が起こりそうなので、友情維持のために自らの主張を少しおさえました。
何しろ相手は専門家、それも2人ですから、論争の勝ち目はありません。
ゲームで敗北した上に、何かもう一つの敗北感がありました。
ゲームでの朝鮮戦争終了後、北朝鮮の将軍はどうなったかという議論になりました。
英雄になったか、処刑されたか。
大きな意見は一致しました。
戦争は、いずれにしろ惨めで虚しいです。
■たかつきメロン(2016年7月12日)
妻の実家から恒例のメロンが送られてきました。
滋賀県高月町のメロンです。
今年は、わが家の畑にもメロンを植えてみました。
幸いにまだ枯れずに頑張っています。
成るといいのですが。
■D社へのストーリーテリングプロジェクト提案(2016年7月14日)
ストーリーテリング協会の新しいプロジェクト起こしのために、企業を訪問しました。
理事の一人が、付き合いが深い企業があるので、一緒に行くことになりました。
久しぶりにビジネス関係での会社訪問です。
最近は企業もどんどん変わってきています。
ついでに社内を見せてもらいました。
最近の職場環境は、とてもきれいになっています。
しかしどこか窮屈そうでもありました。
生かはまだわかりませんが、まあ動きは出るでしょう。
■荻阪さんの近著「社員参謀!」(2016年7月14日)
チェンジ・アーティストの荻阪哲雄さんが、新著「社員参謀!」を出版しました。
前作「リーダーの声が届かない10の理由」を進化させ、今度は物語仕立てで作った本です。
その本に込めた、荻阪さんの思いをまた聞かせてもらいました。
荻阪さんは、プロセスコンサルティングの活動の中から、新しい組織開発論を独自に構築してきているようです。
いわばその集大成の始まりが、どうもこの本のようです。
今週はまったく時間がないのでよめませんが、読み次第、またブックのコーナーで紹介させてもらいます。
■はったつ凸凹ギルド構想(2016年7月15日)
発達障害の若者たちが、自分たちで働く場をつくりたいといって、湯島に相談に来ました。
発達障害といわれている人たちには、多彩な能力を持つ人たちが少なくありません。
最近は、発達障害という代わりに発達凸凹という人もいるそうです。
要するに、能力の発達度合いが凸凹しているからです。
凹の視点で発達障害を捉えれれば福祉の問題になりますが、凸の視点で考えれば事業の世界につながります。
支店の置き方によって、問題は全く違ってくるのです。
しかしそうは言っても、その凸凹の故に、コミュニケーションは難しいのです。
いささかハードな話し合いになりました。
結論として、はったつ凸凹ギルド設立準備会を立ちあげることにしました。
私も参加します。
さてまたひとつ、大きな宿題を背負ってしまいました。
今日のミーティングは、久しぶりに心底疲れるミーティングでした。
■寄居ストーリーテリング・ジャンボリー(2016年7月16〜17日)
ストーリーテリング協会主催の「ストーリーテリング・ジャンボリー」を埼玉県の寄居で開催しました。
私は代表なのに、何も役立たずで、実際には、超多忙な吉本さんと内藤さんがすべてをやってくれました。
集まったのは、ストーリーテリング協会の会員と内藤さんのヒーリング活動関係の人たちが半々でしたが、それがまた面白いハーモニーを醸し出していました。
その報告は、ストーリーテリング協会のホームページなどを見ていただきたいと思いますが、20人近い人が不思議な2日間を過ごしました。
一番のクライマックスは、会員の講談師の神門さんの講談でした。
前後の解説も含めて実に面白かったです。
夜はロウソクを灯しての、なんとなくストーリーテリング。
翌日、30代の人から、中高年の人たちはなんであんなに熱く語れるのかと驚いたと言われました。
その言葉に私は、むしろ驚きました。
ふつうに語っているだけなのですから。
いまは、語り合う場がなくなってきているのかもしれません。
2日目は、朝、みんなが寝ているうちに、布留川さんと内藤さんと3人で近くの鉢形城址に行ってみました。
寄居町の場所の記憶と積み重なっている歴と文化を少し感じました。
ちなみにより意はとてもいいところですが、今回、会場にした「学びの森。ストーリーテリングカフェ」の施設は、良い気が集まっているパワースポットです。
その施設を購入したいと内藤さんは考えています。
しかしまだ私たちにはお金がありません。
どなたか3年間無利子で1000万円貸してくれる人はいないでしょうか。
そして私たちの仲間になって、寄居のその施設を、居場所のない人には寄合の居所にし、居場所のある人には時に癒しに立ち寄れる居場所にしてもらえる、「みんなの家」を実現していきませんか。
篤志家からの連絡をお待ちしています。
(2016年7月第1週)
■5年目の返信(2016年7月3日)
■Weasoneとのミーティング(2016年7月3日)
■ワークショップサロン「新聞広告などを使った遊具づくり」(2016年7月3日)
■プロジェクトHの詰め作業(2016年7月4日)
■コムケアセンターの法人化検討(2016年7月5日)
■Weasoneのユウジンがまたやってきました(2016年7月5日)
■まちづくり編集会議準備会(2016年7月5日)
■KAEエグゼクティブフォーラム(2016年7月6日)
■ダウンしてしまいました(2016年7月7日)
■畑(2016年7月8日)
■JSTA出版プロジェクト(2016年7月9日)
■リンカーンクラブ緊急ミニ講演会(2016年7月9日)
■リンカーンクラブ幹事会(2016年7月9日)
■5年目の返信(2016年7月3日)
5年前に「また湯島にも遊びに来ませんか?」というメールを送っていた友人から、まさにちょうど5年目に当たる今日、「わかりました、いつがいいですか?」と返信がありました。
なんとゆったりした時間を生きている人か!
その人はNPOや福祉問題の研究者の大川さんです。
まさに彼らしい。
それで、私もそのリズムで返事をしました。
大川さんは、この数年、博士論文に取り組んでいるのです。
ところがまた返信がありません。
もし書いたら返信はまた5年後でしょうか。
私が生きているうちに届くといいのですが。
■Weasoneとのミーティング(2016年7月3日)
Weasoneのコアメンバーとのミーティングでした。
といっても参加したのは、ユウジンと吉成さん。
しかし、ようやくユウジンの活動の概要が見えてきました。
組織活動をするには、3人のコアネットワークが出発点になるので、3人がそろったら協力することを伝えました。
問題は山のようにありそうです。
■ワークショップサロン「新聞広告などを使った遊具づくり」(2016年7月3日)
ワークショップ型サロン「新聞折り込み広告などをつかった遊具づくり」は、9人の参加となり、予想以上に盛り上がりました。
特に女性たちがこんなに熱中するとは思っていませんでした。
高齢者や子ども、さらには障害を持つ人たちと関わっている人たちは、早速、活用したいといいながら、作業途中や作品を写真に撮っていました。
子ども関係の活動をしている人の参加が少なくて、残念だったのですが、竹居さんご夫妻が小学生の子どもさん(こう君)と一緒に参加してくださいました。
子どもの創造力のすごさには、改めて実感しました。
こう君は、講師役の益田さんとは全く別の作品をつくっていました。
男性は私も含めて、3人参加しましたが、頑張ったのは太田さんだけで、小宮山さんも竹居さんも私も途中でついていけなくなったほどです。
講師の益田さんは、細菌学の教授でしたが、なぜ紙細工に凝りだしたのか話してくれるかと思っていましたが、あまりにも参加者の反応が強かったため、最初からみんなで手を動かすワークショップになってしまい、結局話は聞けませんでした。
益田さんは高校時代の同級生ですが、自分で工夫して何かをつくるのがその頃から好きでした。
益田さんが、最近こんなものをつくったと、と言って、自作の紙製のコマを持ってきたのは、10年ほど前でしたが、そこから作品は広がっていました。
今回、人気があったのは、紙飛行機(上に持ち上げ手を放すだけで滑空していきます。アンパンマンもできます)と紙製の「タケトンボ」でした。
折り鶴を発展させた人形や紙ボールなども作りました。
「ぶんぶんゴマ」も登場しました。
基本は、紙を丸く巻くことなのですが、これも試行錯誤の結果、増田方式を生み出し、ちょっとした道具を使うことで、誰でも簡単につくれます。
遊具をつくること、そしてそれを使って遊ぶこと、さらにはその遊びでいい意味での競い合いや創造意欲を高めること、など、さまざまな効用を感じました。
いつか私の住んでいる我孫子にも、彼に来てもらってワークショップを開きたいと思いました。
いろいろと広がりが期待できます。
今回は試行的なワークショップサロンでしたが、実践活動をしている人たちが、お墨付きを与えてくれました。
益田さんと一緒に、この活動を広げていくことができないか、少し考えてみようと思います。
仲間になりたいという方がいたら、ご連絡ください。
いま少しずつ広がりだしている「みんカフェ」、みんなのゆる〜いカフェのプログラムにも向いているかもしれません。
■プロジェクトHの詰め作業(2016年7月4日)
地元の我孫子で進めている、新しいグループづくりですが、その立ち上げのための事業提案の最終の詰めを行いました。
いくつか面倒な話もあるのですが、中心になって動いているHさんの尽力で、事業提案できるところまできました。
検討しているうちに、いろいろと構想が広がってきました。
来年は忙しくなりそうです。
プロジェクトの内容は、まだあまり公開できないのですが。
■コムケアセンターの法人化検討(2016年7月5日)
なぜか最近、コムケアセンターを法人化したほうがいいというアドバイスが3つのプロジェクトの関係で出てきました。
私自身は、「法人化思想」にどちらかというと反対の考えが強くなってきているのですが、時代の流れに抗うのもつかれます。
それに法人化すれば、個人的にも抜けやすくなります。
それで、とりあえずキーマンに声をかけて、法人化を打診しました。
話し合いの結果、NPO法人か一般社団法人にしていこうということになりました。
これでもしかしたら、いまの際限のない底なし生活から抜けられるかもしれません。
まあ一抹の寂しさはありますが。
■Weasoneのユウジンがまたやってきました(2016年7月5日)
2日前に会ったユウジンがまた相談があると言ってやってきました。
どうも彼は私にはまだ話していないことで悩んでいるようです。
時間の合間をつくって、彼の相談に応じました。
問題の理解を深めるために、彼の家族や生い立ちも話を聞かせてもらいました。
こうしてだんだん深みにはまっていくわけですが、だんだん気が重くなる一方で、何かしなければいけないという気もしてきました。
いやはや疲れます。
■まちづくり編集会議準備会(2016年7月5日)
まちづくり編集会議の組織化も進んでいます。
今日はかなり具体的な枠組みが議論できました。
会員制度にし、仕事を創出していくという構造です。
まだコアメンバーは5人ですが、具体的に動き出すことにしました。
併せて、春にキックオフフォーラムを開催した「みんなの社会教育ネットワーク」は、コアメンバーの方針が合意できなかったため、改めてそのタイトルを戻してもらい、再構想しようと思っています。
■KAEエグゼクティブフォーラム(2016年7月6日)
先月、奈良での合宿から始まったKAEエグゼクティブフォーラムの私の担当チームが、湯島に来ました。
まだテーマ設定が詰まっていないようで、それに関する話し合いをしました。
大企業の管理者のみなさんですが、共通した課題は、いまの会社では人が輝いていないということです。
問題解決の糸口は、実に簡単で、自分の問題として考えれば、すぐわかることですが、それがなかなか難しいのです。
私の基本スタンスは、それぞれが自分の問題として考える姿勢を持つことの大切さに気づいてもらうための支援ですが、やはりそのためのスキームが違っていうのかもしれません。
そこに研修プログラムの限界がどうもありそうです。
■ダウンしてしまいました(2016年7月7日)
昨夜帰宅したら、どうしようもない疲労感に襲われてしまいました。
それで夜中にメールで今日の予定をすげてキャンセルさせてもらいました。
まあ倒れてからではさらに悪いので、無理はしないようにしているのです。
そんなわけで、今日は在宅でダウンしていました。
■畑(2016年7月8日)
実は今日もダウンでしたが、夕方、畑に行きました。
土と交流すると元気が出ると思ったのですが、畑は最近言っていなかったので、野草に覆われてしまっています。
それでも立派なナスが一つ、キュウリが一つ、それとミニトマトがたくさん収穫できました。
メロンはまだ実が生らず、トウモロコシは期待薄です。
収穫は二の次にして、野草から野菜を守る努力をしました。
しかし疲れて倒れそうな気がしたので、ほどほどにして戻りました。
畑作業は大変です。
野菜はもっと多くてしかるべきですね。
■JSTA出版プロジェクト(2016年7月9日)
ストーリーテリング協会で本の出版を考えています。
その企画会議をやっていますが、今日はほぼ目次を決めて、みんなで書きはじめることにしました。
内容は、人を育てるストーリーテリングです。
経験豊富なメンバーなので、良い本ができそうです。
■リンカーンクラブ緊急ミニ講演会(2016年7月9日)
リンカーンクラブ代表武田文彦さんの「子どもたちを戦場に送らない勇気」出版を契機にして、しばらく会員活動を休止していたリンカーンクラブの会員制度を再開させました。
昨日、その呼びかけを兼ねた武田さんのミニ講演会を開催しました。
かつての会員も数名参加し、総勢14人。
武田さんの思いをお聞きした後、さまざまな話が続出、2時間半の予定が3時間半を過ぎても議論が続きました。
学生や女性にも声をかけていたのですが、最初は男性ばかり。
それも高齢者が多かったのが気になっていましたが、遅れて参加してくれたのが30代の女性でした。
若い彼女の参加に、少し希望を感じました。
参加者の考えはさまざまです。
安倍政権を強く支持している人もいますし、安倍政権打倒を目指している人もいます。
国民投票制度や教科書検定制度や経済的格差の構造化の話題も出ました。
しかし、今回の話し合いの根底に流れていたのは、全体主義化している時代の流れへの懸念です。
リンカーンクラブの理念は、「個人の尊厳と尊重」、つまり「一人ひとりのさまざまな考えが尊重され、できるだけ活かされる社会」を目指すことです。
制度的に言えば、そうした民主主義の理念に、現実の政治制度を近づけていく活動をしていくのが、リンカーンクラブの新しい会員制度の目指すところです。
その意味では、特定の政党を支持することはなく、さまざまな政党や個人が、自由闊達に議論しあえるとともに、誰もが同じように思いを発信でき、決定に平等に関わっていくことを、リンカーンクラブの方針にしていくことになっています。
クラブとしてのアドボカシー的な活動はあるとしても、具体的な活動は個人をベースにして展開していきたいと考えています。
全体主義社会への動きに対峙するには、自らの組織もまた、全体主義ではなく個々人をベースにした活動でなければいけません。
しかも、その個人が主体的に考えられる姿勢と環境を持っていなければいけません。
そこが一番の難題ですが、昨日の議論の様子を見ていると、たぶん大丈夫でしょう。
リンカーンクラブは会員募集中です。
詳しくはホームページをご覧ください。
http://lincolnclub.net/
なお7月24日には、リンカーンクラブサロンを開催します。
武田さんの「子どもたちを戦場に送らない勇気」を読んでの感想や意見をベースにした、気楽な話し合いです。
改めてご案内しますが、会員以外も大歓迎ですので、ぜひご参加ください。
武田さんの「子どもたちを戦場に送らない勇気」も読んでもらえるとうれしいです。
http://homepage2.nifty.com/CWS/books.htm#160703
■リンカーンクラブ幹事会(2016年7月9日)
ミニ講演会終了後、リンカーンクラブの幹事会を行いました。
会員制度を発足させるため、ニューズレターや定例会が必要になります。
コアメンバーはみんなあまりITが得意ではありません。
ITを駆使できるかどうかが、これからの社会活動の展開に大きな影響を与えます。
資金がないので、スタッフを雇えないので、不得手な高齢者集団が取り組まねばいけません。
早く若い仲間を見つけなければいけません。
その方策も話し合いました。
前途多難です。
(2016年6月第5週)
いま取り組んでいる3つのプロジェクトについてだけ報告します。
■プロジェクトH(2016年6月27日)
■リンカーンクラブ幹事会(2016年6月29日)
■まちづくり編集会議構想(2016年6月30日)
■プロジェクトH(2016年6月27日)
我孫子の仲間たちと新しいプロジェクト起こし(とりあえず「プロジェクトH」と命名)に取り組んでいますが、そこにもう一人、強力な仲間が参加してくれました。
久しぶりに会う人ですが、話していて、その考え方がとても共感できるものだったので、うれしくなりました。
プロジェクトの中心はHさんですが、Hさんがプロジェクト企画書をまとめてくれることになりました。
実現するとなると、来年4月からスタートです。
私は個人的にはもちろんですが、コムケアセンターやコンセプトワークショップも連携していくスタイルを考えています。
コムケアセンターの活動はいつやめようかとずっと考えてきていますが、止めずに続けられる体制づくりを考えようかと思いだしています。
そう考えていた時に、それに繋がるような話を2つのところから打診されるという偶然が重なったので、今月中に方向性を出す予定です。
プロジェクトHは、とても広がりのあるものになる可能性があります。
うまく若い世代を巻き込めればですが。
我孫子在住の若い方で、新しいスタイルの市民活動をしたい人がいたら、ぜひご連絡いただけませんか。
■リンカーンクラブ幹事会(2016年6月29日)
武田さんと相談して、リンカーンクラブ活動再開を決めました。
代表は武田さん、私は2年間だけ事務局長を引き受けました。
会員制度を再開します。
活動再開になったきっかけは、武田さんの新著の出版です。
「子どもたちを戦場に送らない勇気」。
とてもいい本になりました。
ただ問題は、どう運動展開につなげていくかです。
武田さんは運動家ではありませんので、そこが難問です。
本の出版に尽力された藤原さんにも参加してもらい、構想中です。
手はじめに、7月9日には湯島でミニ講演会を開きますが、11月19日には発足記念公開フォーラムを開催したいと思います。
そのための資金集めも必要です。
さてさてまた重荷を背負ってしまいました。
■まちづくり編集会議構想(2016年6月30日)
「みんなの社会教育ネットワーク」構想がちょっと挫折気味なので、
並行して「まちづくり編集会議」構想を進めてきていますが、少しずつ機が熟してきました。
一番熱心な根本さんと大枠を話し合い、少しずつ動き出すことにしました。
秋にはもう一度、プレイベントが開ければいいのですが、少し難しいかもしれません。
それで、「みんなの社会教育ネットワーク」構想も引き取らせてもらい、並行したかたちで、今度は私主導で進めていこうと思います。
もちろん私だけでは無理なので、仲間を公募中です。
どなたか、「お上の統治型社会教育」から「民の自治型社会教育」へのパラダイム転回の活動をやりたい方はいないでしょうか。
もしいたらぜひ連絡ください。
ちなみに、実は今週報告した「プロジェクトH」も「リンカーンクラブ」も「まちづくり編集会議」も、
すべて根っこは、つながっていて、私のテーマの「コモンズの共創」なのですが。
(2016年6月第5週)
■リンカーンクラブの会員制度(2016年6月20日)
■沖縄を考えるカフェサロン・パート2の報告(2016年6月20日)
■ストーリーテリング交流会(2016年6月22日)
■てんてこまいの1日(2016年6月23日)
■weasoneの自立性(2016年6月25日)
■みんカフェ湯島(2016年6月25日)
■引きこもり家族会連合会(2016年6月25日)
■リンカーンクラブの事務局の確認(2016年6月25日)
■リンカーンクラブの会員制度(2016年6月20日)
しばらく運動的な活動を休止していたリンカーンクラブの会員制度を再開することにしました。
何しろ今の日本の政治状況を放置してはおけないからです。
そこで、リンカーンクラブ代表の武田さんと今回武田さんの本の出版をプロデュースした藤原さんと相談して、リンカーンクラブの運動的な展開に関して相談しました。
そして、7月から、湯島でリンカーンクラブサロンを開催、また民主主義をテーマにした研究会を立ち上げるほか、できれば秋に「民主主義のいま」をテーマにした公開フォーラムを開催できないかと考えています。
武田さんの本のタイトルは、「子どもたちを戦場に送らない勇気」に決まりました。
来週にはブックのコーナーで紹介します。
この本の帯には、憲法学者の小林節さんが推薦文を書いてくれていたのですが、彼が選挙に立候補することになったため、選挙違反になる恐れがあるという理由で、帯を変えることになりました。
まあ、政治の世界はいろいろとあります。
リンカーンクラブは以前は、さまざまな政治家とも接点を持っていましたが、いまはほとんどありません。
そもそも接点を持つに値する政治家がいなくなったとも言えます。
だからこそ、直接民主主義にできるだけ近づける政治を志向していきたいと考えての、リンカーンクラブの活動再開です。
みなさん、ぜひ会員になってください。
今月末には、ホームページも公開します。
■沖縄を考えるカフェサロン・パート2の報告(2016年6月20日)
昨年12月の緊急サロン「辺野古のたたかいはいま」の、パート2を開催しました。
前回に引き続き、東アジア共同体研究所琉球・沖縄センター長の緒方修さんが、辺野古の写真を使って、最近の状況だけではなくその背景について、お話してくださいました。
前日(6月19日)に開催された「沖縄から海兵隊の撤退を求める県民大会」の様子も話題になりました。
やはりマスコミ報道からは伝わってこないことがたくさんあります。
緒方さんが見せてくれた写真の中に、アメリカからやってきた「平和を求める元軍人の会」のメンバーが、辺野古で新基地建設反対を訴えている写真がありました。
昨年12月の辺野古反対抗議活動の時の写真だと思いますが、その報道の時に、元海兵隊員の方が、「私はテロとの戦いのためにイラクに派兵されたが、実際の戦場では、自分自身がイラクの人々にとってのテロだった」と話していたのを思い出しました。
そして、沖縄に基地を押しつけていることもまた、ある意味でのテロへの加担ではないかという気がしました。
私たちは、簡単に対立を図式化して、敵と味方に分けがちですが、大きな問題に立ち向かうには、敵味方を超えた話し合いを通して、問題を捉え直していく必要があるように思います。
真の敵は、もしかしたら、自分の中にいるのかもしれません。
沖縄の人たちが、いわゆる本土の人たちをどう考えているかという話もありました。
「結婚相手としては、米兵より日本本土人の方に抵抗を覚える」という話は衝撃的でした。
そういえば、20年以上前に沖縄に講演に行ったことがあります。
企画してくださった沖縄の人たちと、とても実りのある話ができた満足感を得ました。
ところが、帰りに空港までご自分の車で送ってくださった方が、東京から沖縄に嫁いだ方でした。
いろいろと話した後で、彼女が、沖縄の社会に入るまでの苦労を話してくれました。
それは暗に、沖縄の人はやさしいので本土から来た人にはなかなか本心は語ってくれませんよ、と言うメッセージだと気づかされました。
彼女から後で、沖縄の文化について沖縄の人が書いた本が送られてきました。
辺野古がいまどのような状況にあるか、そしてこれからどうなっていくか。
緒方さんのお話から、新聞やテレビの情報から感じていることとはかなり違う印象を、私は受けました。
そして少し安心しました。
沖縄独立論や沖縄大使の話も出ました。
知らないことがまだまだたくさんあることを思い知らされました。
緒方さんは、沖縄では自分たちはできることをやっている、だからみなさんもそれぞれにできることを考えてほしいと話されました。
案内にも書きましたが、沖縄の辺野古で起こっていることは、私たちの未来に深くつながっていることを考えれば、私にも何かできることがあるはずだと改めて思いました。
まずは、沖縄のことを周りの人にももっと伝えていこうと思います。
緒方さんは、最近、本を出されました。
「歩き始めた沖縄」(花伝社)です。
昨日もその本の紹介をしてくれましたが、私は地元の図書館にこの本を購入してもらうように頼みました。
まだ届いてはいませんが、きっと何人かのみなさんが読んでくれるでしょう。
まあ小さなことですが、そんなことも含めてやれることはあるでしょう。
緒方さんから今朝、メールが届きました。
私が沖縄にいて幸せを感じる時。
海辺で沈む夕陽を見ていたら犬を散歩させていたおばさんから、きれいですね、と話しかけられる。
居酒屋で隣に座っていた人からマグロの刺身の残りを、どうぞ、と差しだされる。
などは決して東京ではあり得ないことでしょう。
昨日はあまり良い話が出来ませんでした。
次の本は青い目が見た琉球。逝きし世の思い出、のように100〜200年前の時代を振り返りたい、と考えています。
沖縄サロンパート3が楽しみです。
■ストーリーテリング交流会(2016年6月22日)
ストーリーテリング協会の最初の交流会を開催しました。
全員で12人の、にぎやかな集まりになりました。
前半の2時間は、協会理事の吉本さんのリードで、ストーリーテリング体験をしながらの交流でした。
終了後、懇親会で交流を深めました。
来月からは、こういうスタイルの交流会を毎月開催する予定です。
次回はもう少しソフトでもいいかなと感じました。
ストーリーテリング協会は順調に進んでいますが、まだ会員が少ないです。
みなさんもぜひ入会してください。
たぶん人生がちょっと豊かになるのではないかと思います。
■てんてこまいの1日(2016年6月23日)
なにやら朝からてんてこ舞いの1日でした。
電話が続き、いろんなことに巻き込まれてしまったのです。
しかし、人間はいろんな事件に巻き込まれると元気になります。
頭が少し動き出して、暇から抜け出します。
シャーロックの気持がよくわかります。
しかし、夜にはかなり疲れ切ってしまいましたが。
■weasoneの自立性(2016年6月25日)
Weasoneのユウジンがやってきました。
前にもこのコーナーで少し紹介した国連プロジェクトが動きだしそうです。
国連プロジェクトは、活動資金獲得のプロジェクトという意味もありますので、うまく動き出しそうになると、それとともに、weasoneの理念に会っているかどうかが、少し心配になったようです。
それで、その点を確認にやってきたのです。
ユウジンの話を聞いて、とてもいい展開だと思いましたが、体制的に少し弱さを感じました。
そこで、新たにチームを発足させ、国連プロジェクトのアフタープログラムを構想することを提案しました。
ちなみに、国連プロジェクトとは、国連のあるメディアに、日本の企業やNPOを紹介S、グローバルなつながりを育てていくプロジェクトです。
それのコーディネートをWeasoneが担うのです。
近いうちに、まずは湯島で最初のチームミーティングを開催することにしました。
私も参加しなければいけなくなりましたが、少しは役に立てるかもしれません。
■みんカフェ湯島(2016年6月25日)
今日の「みんカフェ」(みんなのゆる〜いカフェ)は異色の組み合わせでした。
初めての方も2人参加してくれました。
一人は20代の若者ですが、実に見事と思える、20代を過ごしてきたWさんです。
さまざまな問題を解決しながら、いろんな事情で延期せざるを得なかった「目標」に向かって、いままた進んでいます。
彼の見事な生き方は、多くの若者たちにも聞かせたかったです。
私は、こんな若者がいるのだと、感激しました。
もしかしたら、若者は本当はみんな彼のようなのかもしれません。
もうひとりは、北陸に帰っていたIさんです。
彼女は数年前に私の前に現れ、私たちがやっている活動を手伝ってくれた後、故郷の富山に戻りました。
そのIさんが、予告なしに参加してくれたのです。
わざわざ新幹線で来てくれました。
今年から、彼女が目指していた仕事に関われるようになったそうです。
これほどうれしいことはありません。
久しぶりに会った彼女は、前とは違い、とても穏やかな表情でした。
彼女もまた、みずからの目標に向かって着実に進んでいます。
もうひとり飛び入り参加がありました。
サロンの後にお約束していた私よりもご高齢の女性ですが、
早目に来たので、参加してもらいました。
なんとベリーダンスをやっているそうです。
その話から、日本にはなぜ「ハグ文化」がないのだろうというような話になりました。
常連の4人も加え、今回も、ゆる〜いカフェは気持ちのいいサロンになりました。
■引きこもり家族会連合会(2016年6月25日)
引きこもり家族会連合会の代表だった池田さんが相談に来ました。
40/80問題というのがあります。
引きこもりのために社会への適応力を育てられなかった人たちは、親が健在の時には親に守られていますが、親が高齢になり、亡くなってしまうと、自立できない場合があります。
親にとっては、自分が死んだ後のことが最大の問題です。
これは、引きこもりに限りませんが、引きこもり家族においても大きな問題です。
池田さんは、何とかその問題を解決できないかと考えています。
私は、これこそ行政の課題であると同時に、コモンズの課題だろうと思っています。
こうした問題に取り組もうとしたことは以前はありまし我が、いまはもうエネルギーがないだけではなく、時間軸からも私には責任を取れないプロジェクトです。
しかし、私より高齢の池田さんが取り組もうとしているのを見ると、放ってはおけません。
悩ましい問題ですが、同じ問題意識を持つ阿部さんと一緒に、少し知恵を出してみようと思います。
さてさて、どこまで引き受けられるか、大いに心配ですが、関わることになるでしょう。
現世に残る期間をもう少し延ばさなければならなくなりそうで、いささか兪鬱です。
■リンカーンクラブの事務局の確認(2016年6月25日)
リンカーンクラブの事務局を発足させました。
まだ若い世代の獲得には成功していませんが、代表の武田さんを支援するために、藤原さんも参加してくれることになりました。
会員制度の大枠を決めました。
年会費1万円で、さまざまな活動を提供していくとともに、会員自身がいろんな活動をしていくという、共創型ネットワーク組織です。
毎月、ニューズレターも発行します。
いまの日本の政治状況に危機感をお持ちの方は、ぜひ入会してください。
リンカーンクラブサロンも毎月開催します。
スタートは、7月24日の午後です。
詳しいことが決まったら、お知らせのコーナーで告知させてもらいます。
ミーティング後、3人で食事をしましたが、案の定、論争が続きました。
民主主義は疲れます。
(2016年6月第3週)
■巡礼者との2時間(2016年6月13日)
■ウォーゲームのミーティング(2016年6月13日)
■JSTA出版検討会 (2016年6月15日)
■小槻さんとの出会い(2016年6月15日)
■夢は実現しなければいけません(2016年6月15日)
■Neccoカフェ訪問(2016年6月16日)
■プロジェクトHOSが動き出しました(2016年6月17日)
■リンカーンクラブ再開(2016年6月18日)
■カフェサロン「なぜ私は〈ママと子供の無料パソコン教室〉をやっているのか」(2016年6月18日)
■巡礼者との2時間(2016年6月13日)
四国巡礼を終えた鈴木さんが湯島に来てくれました。
昨年のサンチャゴ巡礼から戻ってきた時は、しばらくは足が痛くてあまり出かけられなかったと聞いていますが、今回はそうした後遺症は全くなく、足も痛くならなかったそうです。
鈴木さんには「巡礼で考えたこと」などをテーマに、19日に湯島でサロンを開催してもらいますが、それに先立ち、いつものように巡礼談をしに、湯島に来てくれました。
いろいろと興味深い話を聞きましたが、四国に残っているお接待の文化の先行きが少し心配になりました。
同時に、お接待の文化の持つ意味について、改めていろいろと気づかされました。
今回お話を聞いて、一番驚いたのは、宿泊場所が個室化されてきていること、どこも食事の内容が豪華になっていることでした。
詳しくはまた、サロンでお聞きしようと思います。
■ウォーゲームのミーティング(2016年6月13日)
ウォーゲーム研究者の蔵原さんに頼んで、実際にウォーゲームをしてみたいと話していたのですが、軍事問題研究会代表の桜井さんと3人でトライする予定が、いつものように話し合いが盛り上がりすぎて、ゲームにまで至りませんでした。
しかし、蔵原さんの言うウォーゲームが、いわゆる軍事シミュレーションゲームであることがわかりました。
私がいささか買い被っていたようです。
今回は、朝鮮戦争ゲームを持ってきてくれたので、朝鮮戦争に話になってしまいました。
桜井さんは、軍事問題研究所を主宰し、軍事民論というニューズレターを配信したりしています。
私自身は、オーソドックスな軍事ゲームには興味はあまりないのですが(戦争に勝利するのは簡単なことだと思っていますので)、そこから得られるものはたくさんある気がします。
それで、やはり一度、体験しようと思っています。
ついては、興味のある方を2〜3人公募したいと思います。
7月12日の午後3〜5時の予定です。
参加されたい方がいたら、ご連絡ください。
蔵原さんの指導の下に、櫻井さんと私も参加します。
場所は湯島です。
■JSTA出版検討会
(2016年6月15日)
JSTAで本の出版を検討していますが、コアメンバーがそろいました。
ただ私自身はだんだん心配になってきました。
最近なにやらいろんなことがまわりで始まってしまい、時間と思考が大丈夫かという心配です。
しかし、出版される本は、面白いものになりそうです。
私の代わりにメンバーになってくれる人はいないでしょうか。
切望しています。
■小槻さんとの出会い(2016年6月15日)
JSTAは、外部の人とのコラボレーションスタイルで、新しい事業を創出していこうと考えています。
今日は、映像制作会社の小槻さんとミーティングを持ちました。
私はあることを聞くと、その先をついつい膨らませて考えるタイプなのですが、小槻さんと一緒に広げる事業は無限に広がりそうです。
しかし、そうやって広げていくと、それこそ過労死しそうです。
もっとも私の場合は、その前にサボってしまいますので、プロジェクトが衰弱死してしまう恐れがあります。
好奇心は、ほどほどに抑えなくてはいけません。
余生も少ないので、よくばってはいけません。
それはわかっているのですが、最近いろんなことをやりたくなってきて、困っています。
今生の最後が近づいてきているからでしょうか。
■夢は実現しなければいけません(2016年6月15日)
ちょっと魅力的なプロジェクトに出会いました。
魔法使いの内藤さんが、いま住んでいる埼玉県寄居の施設を買い取って、そこを拠点に大きな世界を展開をしたいと考えていることを知りました。
それが彼女の夢なのだそうです。
夢は実現しなければいけません。
しかも、その夢はなかなか一筋縄では行けなさそうです。
なにしろ、内藤さんにはその施設を購入する資金がないのです。
必要資金は2000万円以内だそうです。
舛添さんの退職金より少ないと思えば、たいした金額ではありません。
内藤さんは魔法使いなので、木の葉を紙幣に換えればいいだけなのですが、そうではなくきちんと資金を集めて購入できまいかということになっているのです。
お金の使途に困っている人がいたら、寄付していただけないでしょうか。
こう書くと冗談のように聞こえますが。これはれっきとしたアセット・マネジメントプロジェクトです。
2000万円ほどのお金を出してもらえれば、必ず有効に使い、いつか(来世になるかもしれませんが、地球が残っているうちに)返済します。
お金の使いみちがなくて困っている人がいたらご連絡ください。
きっといい人生が過ごせると思います。
■Neccoカフェ訪問(2016年6月16日)
長澤さんに誘われて、高田馬場のNeccoカフェに行きました。
Neccoカフェは、大人の発達障害者の憩いの場なのですが、
もちろん発達障害者以外にも開かれています。
Neccoカフェ代表の金子磨矢子さんともお会いできましたし、話もとても合いました。
長澤さんから少しお話を聞いていたITの達人の神崎さんとも会えました。
神崎さんと話していたら、共通の知人が2人もいました。
長澤さんや神崎さんの話は、いささか専門的すぎるところがあり、私のような高齢者にはついていくのが大変でしたが、とても刺激的でした。
いろいろと新しいことも教えてもらいました。
Neccoカフェは、高田馬場駅から近いです。
私自身は、「発達障害」という言葉には違和感がありますが、Neccoカフェで流れている時間は、こころよいものがあります。
今日はやっていませんでしたが、イベントも多いそうです。
案内は、Neccoカフェのフェイスブックページにも出ています。
https://www.facebook.com/neccocafe/?fref=ts
ぜひみなさんも一度、ぶらっと入ってみてください。
運が良ければ、磨矢子ママがいますし、パソコンをやっていたら神崎さんかもしれませんし、瞑想している人がいたら長澤さんかもしれません。
私の名前を言えば、たぶん覚えていてくれるでしょう。
入り口がちょっとわかりにくいですが、中華料理屋さんのビルの2階です。
■プロジェクトHOSが動き出しました(2016年6月17日)
地元の我孫子の活動に取り組むためのプロジェクトHOS(仮称)が動き出しました。
その本格的なミーティングを持ちました。
これまでも何回かプレミーティングを持ってきましたが、正式にスタートです。
リーダーはHさんです。
新しいメンバーも参加してくれましたが、今日は活動の理念の共有化ができた気がします。
しかしいろいろとやらなければいけないことを考えると、ちょっと憂鬱です。
■リンカーンクラブ再開(2016年6月18日)
リンカーンクラブ代表の武田さんが本を出版します。
とてもいいタイトルの本です。
来週あたりには公表できると思いますが、それに合わせて、リンカーンクラブの運動的な活動を再開することになりました。
とりあえず私が事務局を担うことなりそうです。
だれかやってくれる人がいたら、大歓迎です。
関心のある人はご連絡ください。急いでいます。
いずれにしろ、湯島で、リンカーンクラブサロンや民主主義研究会、あるいは勉強会を開催する予定です。
会員制度も発足させます。
みなさん、ぜひ入会してください。
日本の政治に、改めて民主主義と立憲主義を回復させる活動を一緒に始めませんか。
会費が必要なのがバリアーですが。
来週には、構想を発表できると思います。
ホームページも公開します。
本の予告もです。
さてさていろいろと動き出してしまって、てんてこまいです。
困ったものです。
■カフェサロン「なぜ私は〈ママと子供の無料パソコン教室〉をやっているのか」(2016年6月18日)
今回は、主に母娘対象にパソコン技術を学んでもらうことによって、母娘ともども、生きる力を高めてもらおうという活動に取り組んでいる、ひだまりサロン主宰者の日高正晃さんにお話をお聞きして話し合いました。
8人の参加者でしたが、湯島のサロンには初めての方が3人もいました。
それも、在日韓国人の方、大企業の方、社会教育に取り組んでいる方と、多彩でした。
日高さんが、あえて主対象を母娘にしているのには理由があります。
DV被害を受けてシェルターに入っていた母親の支援に取り組んでいるからです。
日高さんの思いは2つあります。
ひとつは、母親の経済力を高めるためにパソコンの技術を取得してもらい、在宅でも仕事ができるようにすることと、その子どもたちの情報リテラシーの学びの場をつくりだしていくことです。
前者は、これからの働き方(私は「生業」を基本に置いた働き方への関心が高まると思っています)につながる問題であり、後者は、経済的な格差が教育の格差を引き起こし格差の構造化をますます進めるということへの対策です。
いずれも、とても大切な課題だと思います。
しかし残念ながら、日高さんの活動は毎年かなりの赤字です。
どうしたら活動を持続させ、発展させられるか。
参加者のみなさんから、さまざまなアドバイスや意見がありました。
具体的な提案もありましたので、私もさっそく動いてみようと思います。
今回は企業の人も参加していましたが、企業の人ができることも山のようにあります。
企業やNPOといった壁を超えて、もっとみんながつながればいろんな解決策が生まれてくるような気がします。
それぞれの「たこつぼ」世界から出ていけば、違った世界が見えてきます。
実は、サロンの2日前に、発達障害の人たちのたまり場である、高田馬場のNeccoカフェに行ってきました。
そこで発達障害の人たちと話していて、この人たちのそれぞれの才能や特技をつなぎ合わせたら、いろんなことができるだろうなと考えていたのですが、同じ問題を抱える人たちだけで考えるのではなく、もっと広いつながりのなかで考えていくことが大切だろうと改めて思いました。
コムケア活動を始めた動機の一つは、個別問題だけに取り組むのではなく、その根底にある社会の問題や自らの生き方へも目を向けるような社会にしたいと思ったことですが、そのためには一人ひとりの「視野」を広げる必要があるように思います。
話が盛り上がって、気がついたらまた予定の時間をオーバーしてしまっていました。
日高さんのように、社会活動を経済的に自立させることに悩んでいる人は多いと思います。
そうした人たちの学び合いの場をつくることもいいかもしれません。
どなたか事務局をやってもいいと言う人がいたら、ご連絡ください。
また今回、在日韓国人の方の発言を聞いていて、やはりそういう人たちにとっての生きにくさを感じました。
コムケアでは最初の頃、そうした問題にも取り組んでいましたが、最近すっかりと抜け落ちていました。
少し考えていきたいと思います。
日高さんの活動については、ひだまりサロンのホームページをご覧ください。
http://hidamari-salon.jimdo.com/
(2016年6月第2週)
■カフェサロン「ベーシックインカムを考える」(2016年6月5日)
■リンカーンクラブ武田さん(2016年6月7日)
■まちづくり編集会議準備会(2016年6月7日)
■STRAMD講義(2016年6月8日)
■山城経営研究所エグゼクティブフォーラム合宿(2016年6月10日)
■奈良公園の朝(2016年6月11日)
■法隆寺と下鴨神社(2016年6月11日)
■Tさんと会えました(2016年6月11日)
■カフェサロン「ベーシックインカムを考える」(2016年6月5日)
カフェサロン「ベーシックインカムを考える」は15人の参加がありました。
最初から異論反論が噴出し、サロン初参加の話題提供者の三木さんは驚いたかもしれません。
三木さんは、ベーシックインカムの本質を話題にするために、いまの経済のおかしさを、信用論や需給構造の話から話し出したのですが、その段階で議論が噴出しだしてしまったのです。
三木さんの話をきちんとお聞きしてから話し合いを始めればよかったのですが、交通整理する私自身が議論に入り込んでしまい、サロンを議論の場にしてしまいました。
それに参加者があまりに多彩で、話し合いの視点があまりにも多核的でした。
あまりに話し合いが広がり紛糾したため、いつも以上に報告が難しく、どうしたものかと悩んでいるのですが、今回はサロンの報告はやめて、私が感じたことを一つだけ報告させてもらうことにしました。
ベーシックインカムとは、wikipediaによれば、「最低限所得保障の一種で、政府がすべての 国民に対して最低限の生活を送るのに必要とされている額の現金を無条件で定期的に
支給するという構想」ですが、私は、基本的には社会の成員みんなが生きていける状況を保証して、自分らしい生活をできるようにする考えを具現化する仕組みと捉えています。
そして、大切なのは、その基本にある思想ではないかと思います。
それは、所得配分の問題や経済の問題ではなく、社会をどうとらえるかという問題です。
わかりやすく言えば、「社会とは働くものがつくっているものではなく。そこに存在する者すべてによって成り立っている」と捉えるということです。
昨日も、労働だけが「価値」を生み出すという議論がありましたが、その発想こそ、問題にされなければいけません。
労働はともかく、「働く」ということを「社会に役立つ行為」と捉えれば、それは「対価」とは無縁のことです。
働いて対価を得られない人にベーシックインカムを「恩恵的に」支給して、生きていけるようにするというベーシックインカムは、現状の経済スキームと何ら変わりません。
そうではなく、存在するだけで「社会に役立っている」という考えが、ベーシックインカムの一つの捉え方です。
こう書いてくるとわかりにくいかもしれませんが、その実例は私たちの身近にあり、しかも、それによってたぶん人類はこれまで大きな存在になってきたのです。
その実例とは、「家族」です。
家族の一員である乳幼児は対価を得る労働はあまり出来ませんが、存在するだけで家族に役立っています。
身体が不自由になった高齢者も同じかもしれません。
しかし、家族の一員は、「労働」しなくても生きていけます。
家族の一員であることによって、「ベーシックインカム」は保証されているのです。
家族を超えて、「同族集団」もまた、大きな意味でのベーシックインカムが保証されていたように思います。
かつては、リーダーの使命は、民を飢えさせないことでした。
もし「ベーシックインカム」をそういう視点で捉えると、それは現代の社会や経済のあり方への代替案の提案になっていきます。
改善案ではないのです。
したがって、単に制度を導入するという話ではなく、制度づくりの理念や方法を考え直すということです。
ちなみに、若い参加者から、もし数万円の生活支援費がもらえたら、金銭に呪縛されずに自らの能力を発揮させられる仕事に取り組めるかもしれないというような話がありました。
いまの日本社会は、みんな生活を維持するための労働に呪縛されているため、せっかくの「能力」を発揮できずにいる人が多いでしょう。
そう言う人たちが、自らの能力を発揮できるようになれば、社会は活力を取り戻し、後ろ向きの社会コストは削減できていくでしょう。
それこそが、本来的な「お金」の使い方だと私は思いますが、そこにどういう思想を盛り込むかによって、効果は「両刃の剣」になるでしょう。
ベーシックインカムを所得配分政策と捉えてしまうと、相変わらず金銭呪縛の社会から解放されない気がします。
何もしなくても餌を与えられて生きている家畜のような存在になっていいのか。
そうなってしまえば、社会はむしろ停滞していくでしょう。
19世紀初頭のアメリカを旅行したフランスの思想家トクヴィルが、自由の有無がいかに人間の生活を変え、自由の侵害がどんな社会的・経済的な状況をもたらすのかを報告しています。
当時、まだアメリカの南部では奴隷制が残っていました。
トクヴィルは、奴隷の少ない州ほど、人口と富が増大しているという点に注目します。
そして、奴隷制のない北部と奴隷制度が残っている南部を見て周り、北部では黒人も白人も生き生きと働いているのに対して、南部では働いている人が見つからないと報告しています。
彼は、「奴隷の労働の方が生産性が低く、奴隷の方が自由な人間を雇うより高くつく」と言っています。
ベーシックインカムと、まったく無縁でもない話のような気がします。
サロンはいささか混乱したかもしれませんが(私の責任です)、三木さんのおかげで、いろんな論点が見えてきたような気がします。
参加者のお話も気づかされることが多かったです。
ちなみに、この日、奇しくもスイスで成人の国民全員に毎月30万円、子供に7万円を支給するベーシックインカムの国民投票が行われました。
結果は反対者が多くて否決されたそうです。
また、フィンランドでも試験的な導入が決まっています。
これからいろんな形で議論が盛んになるでしょう。
まさに「両刃の剣」であり、根底に置く理念次第で、その展開は全く違ったものになるでしょう。
■リンカーンクラブ武田さん(2016年6月7日)
リンカーンクラブの武田さんが、最近の政治状況に黙っていられなくなって、本を書くことにしました。
それがほぼ完成しました。
その出版と合わせて、リンカーンクラブの新しい活動を始めようかという話をしています。
いまのところホームページもありませんし、定期的な交流会もありません。
ゆるやかにそうしたものを復活させていこうかと話し合いました。
といっても、武田さんも私も、体力も落ちていますし、余生期間もさほどありません。
何をどこまでやるかで、なかなか意見がそろいません。
でもまあ動き出すことになりそうです。
またご案内しますので、ご関心のある方は、ぜひ参加してください。
本は出版されたらご案内いたします。
まずは湯島で、武田さんサロンをやる予定です。
■まちづくり編集会議準備会(2016年6月7日)
各地でまちづくりに取り組んでいる人たちのゆるやかなネットワークづくりに関する基本合意ができましたので、具体的に動き出すことになりました。
まだメンバーは5人ですが、自治体の議会議員や職員を主な対象にして、立ち上げていきたいと考えています。
みんなそれぞれに活動wやっているメンバーなので、まあ当面はゆるくゆるく、そしてゆっくりと進む予定です。
仲間になってくれる人がいたらご宴楽ください。
■STRAMD講義(2016年6月8日)
企業経営をデザイン思考するという「戦略経営デザイン人材育成講座」STRAMDの恒例の講義をやってきました。
いわゆるビジネススクールですが、デザイン思考というところに特徴があります。
ビジネススクールは、私にはきわめて場違いなものですが、これはパオスの中西さんのライフワークですので、協力させてもらっています。
といっても、私の講座だけは「場違い」なものかもしれません。
毎年のように、受講生からそういわれます。
ビジネス志向の強い人には、むしろ反発されそうな内容かもしれませんが、仲にはとても興味を持って、受講後、湯島に来てくれる人もいます。
講義のテーマは「企業の社会的価値」です。
毎年、受講生の感想文が事務局から送られてくるので、一人ひとりに私のコメントを送っているのですが、昨年は、驚くことに誰一人として、私のコメントへのコメントが帰ってきませんでした。
ということは、私の話は価値がなかったということでしょうから、役割は終わったかなと思い、辞退するつもりだったのですが、いろいろと事情があって、引き受けてしまったのです。
ところが、今回はとても反応が良くて、いろいろとコンタクトがありました。
昨年とそう違った話はしていないのですが、大きな違いでした。
もしかしたら、面白い議論をしに、湯島に来てくれる人がありそうです。
中西さんにも1年ぶりに会いました。
オリンピックのエンブレムのデザインの選考に巻き込まれて、さぞかし不快な思いをしているだろうなと思っていましたが、今回はちらっとしか話ができませんでした。
それでもほぼ一瞬にして、私が予想していた通りだったのだなと伝わってきました。
気のせいか、ちょっと疲れを感じました。
■山城経営研究所エグゼクティブフォーラム合宿(2016年6月10日)
山城経営研究所の経営道フォーラムのコーディネーターは辞めさせてもらったのですが、そのジュニア版のエグゼクティブフォーラムのコーディネーターを引き受けてしまいました。
最初の合宿が、奈良ホテルで行い、しかも京都と奈良で日本文化に触れるプログラムを行うと言うことにつられてしまったのです。
困ったものです。
それにコーディネーターに最近お付き合いが切れていた美学者の宅間さんがいたので、久しぶりに宅間さんとご一緒したかったのです。
そのフォーラムの最初の合宿が、奈良ホテルで開催されました。
大企業の中間管理者層が対象です。
なかなか面白かったです。
やはり世代によって、考えや姿勢が違います。
守りの度合いが少ないのと、素直さが違う気がします。
私からは大きくは、企業の帽子だけではなく、社会の帽子をきちんとかぶろうというような話を繰り返しさせてもらいました。
2日目には、参加者から合食での気づきを話してもらい、それに私が少し膨らませた刺激を与えるというスタイルをとりましたが、とても気持ちの良い話し合いになった気がします。
これから半年活動は続くのですが、面白くなりそうです。
でも驚いたのは、フェイスブックをやっている人がほとんどいなかったことです。
2日前に話をしに行ったSTRAMDの受講生はほぼ全員フェイスブックをやっていました。
ところが大企業の人たちはほとんどやっていない。
それは実に象徴的といっていいでしょう。
フェイスブックをやっている人とやっていない人とでは、たぶんこれから世界が違っていくのではないかと思いますが、それは経済のあり方にも深くつながっていくでしょう。
改めて大企業の時代は終わったなと思います。
■奈良公園の朝(2016年6月11日)
奈良ホテルはとてもいいホテルで、ホスピタリティも素晴らしい気がします。
前回、奈良に来た時には、日航奈良ホテルに宿泊しましたが、施設的には日航ホテルの方がよかった気がしますが、ソフトな面の対応や備品などは、奈良ホテルの方が気にいりました。
最近はホテルに宿泊しても、早朝散歩する習慣はなくなっていましたが、さすがに奈良ホテルだったので、早く起きて散歩に出かけました。
元興寺に行こうかと思っていたのですが、まずは奈良公園を散策することにしました。
シカがのどかに草をたべていましたが、興福寺の南円堂近くの一言観音堂のお百度石のところで、はだしでお百度参りをしている女性がいました。
久しぶりに、お百度参りをしている女性に出会いました。
寺院に行くと、まあこうしたいろんなことに出会いますが、だいたいにおいて女性の場合が多いです。
猿沢の池はまだ汚染が残っていました。
朝早かったのですが、夏のような暑さで、元興寺は諦めて戻りました。
でも、奈良公園はやはり歩いていて気持ちがよかったです。
■法隆寺と下鴨神社(2016年6月11日)
2日目の合宿の公式行事は私のワークショップだけでした。
10時には終了し、午前中は法隆寺、午後は下鴨神社を訪問しました。
てっきり何か行事が組み込まれていると思っていたのですが、単なる観光ツアーでした。
いずれでも、僧侶や宮司の案内はつきましたが、正直、内容のない案内でした。
それで、私だけはあんまり案内も聴かずに自由に行動させてもらいましたが、夏のような暑さにそれも嫌になり、参加したことを後悔しました。
まあしかし、これもたぶん合宿プログラムの一環なのでしょう。
どうもそうした団体行動が不得手なのです。
法隆寺は来るたびに良さが失われてきている気がします。
今回は中門の屋根瓦の工事をしていましたが、いかにもというやり方でがっかりしました。
大講堂の受付の人とだいぶ話させてもらいましたが、こういう場でお仕事をされていると心がやわらいで幸せになるでしょうねとお訊ねしたら、最近はいろんな人がいるので、心が休まらないと言うようにも受け取れる話をしてくれました。
とても穏やかな表情の男性でしたが、まあいろいろあるのでしょう。
下鴨神社はめずらしくごった返していました。
蛍の茶会が行われる日に当たっていたようです。
お店もたくさん出ていました。
宮司さんのお話は、神社がいかに財政的に厳しいかというものでした。
その話があまりに長かったので、お賽銭をお供えする気が萎えてしまいました。
あんまり楽しくない観光ツアーでした。
■Tさんと会えました(2016年6月11日)
奈良合宿に出かける10日ほど前に、昨年、一度、ある会でお会いしたTさんからメールが来ました。
その内容から、何か一度会いたいような気持が感じ取れましたので、京都でお会いすることにしました。
合宿の終了時間がかなりあいまいだったので、当日、携帯電話でやりとりして、お会いすることにしていました。
ところがなんと私が携帯電話を自宅に忘れて合宿に出かけてしまったのです。
合えるかどうかとても心配したのですが、Tさんのお心遣いのおかげで、お会いすることができました。
とてもうれしい出会いでした。
そのやりとりは、フェイスブックにも書かせてもらいました。
Tさんは、数年前にご子息を自死で亡くしています。
私が出会ったのは、大坂で開催したえいが「自殺者1万人を救う戦い」の上映会です。
映画を観終わった後、それを材料に話しあいの場を持ったのですが、そこに参加してくださったのです。
私がその時の進行役をさせてもらったのですが、Tさんは私がこれまで出会ったことのある自死遺族の方の多くとは、どこか大きく違いました。
それで心にとても残ったのですが、Tさんも私のことを心にのこしてくださったのです。
それが今回の再会になったのですが、私がたまたま京都に行く日程に重なるようなタイミングでTさんがメールをくださったのは、偶然ではないような気がします。
Tさんは、ゆっくり話ができる場所を探しておいてくれました。
小川珈琲のお店でしたが、あんまりの暑さに喉が渇いていたため、ジュースを頼んでしまいました。
あとでちょっと後悔しました。
でもTさんは、そんなことなど気にもせずに、お互いに心を開いた時間が持てました。
とてもうれしい再会でした。
ちなみにTさんは私の1歳年上です。
きっとまたお会いすることがあるでしょう。
Tさんもそう言ってくださいましたが、なぜか旧知のような気がします。
もしかしたら、前世でご縁があったのかもしれません。
(2016年6月第1週)
■75歳になりました(2016年5月30日)
■CWS決算(2016年5月31日)
■阿部さんとのミーティング(2016年5月31日)
■みんカフェ新潟メーリングリスト(2016年6月1日)
■我孫子市市役所へ行きました(2016年6月2日)
■原田さんとのミーティング(2016年6月2日)
■日本子どもNPOセンターの体制変更(2016年6月3日)
■経営道フォーラム51期3人組が安否確認に来てくれました(2016年6月3日)
■ストーリーテリング協会出版計画(2016年6月3日)
■プロジェクトHスタート(2016年6月4日)
■75歳になりました(2016年5月30日)
フェイスブックで、とうとう75歳になったようですと書いたら、いろんな人からメッセージが届きました。
これがフェイスブックの効用かもしれません。
https://www.facebook.com/cwsosamu/posts/10201686446478818?pnref=story
自分のことが、改めてよくわかるのです。
自らをさらして生きていると、みんなが私の生き方にアドバイスしてくれます。
なかにはムッとしたくなるのもありますが、それも含めて感謝です。
人はやはり、みんなに支えられて生きていることを改めて感じます。
■CWS決算(2016年5月31日)
私がやっている会社(株式会社コンセプトワークショップ)の決算をしました。
この10年近くは、ほとんど仕事をしていないので、税理士に頼む余裕もなく、私自身が税務申告の書類作りをしています。
私自身の給与はもらっていませんが、私が時たま行う講演料やコンサルタント料の収入があり、それで事務所経費や活動費を賄っていますので、会社は一応存続させています。
収入はわずかですが、支出もわずかなので(収入に合わせて出張しています)、毎年わずかばかりの利益が出ます。
しかし累積損がいささか大きいので、その補填にあてるため法人税はこの10年、払ったことがありません。
会社としての債務も少しずつ減ってきましたが、まだかなり残っていて、どこかで収益の上がる活動をして、返済しなければいけません。
しかし、75歳にもなると、収益のために仕事をする気にはなれません。
やりたいことをやって、運よく収益が上がるような仕事に出会えることを祈るばかりです。
できれば、3年以内には債務をゼロにして終わりにしようかと思っています。
■阿部さんとのミーティング(2016年5月31日)
みんなが支え合う相互支援協同組合的なものをつくりたいと考えている、ライフプランニングリレーションズABEの阿部さんとミーティングをもちました。
そろそろ実現に向けて動き出そうという話し合いです。
阿部さんは、私がやっていることと自分の構想がつながっていることを感じて、数年前から湯島に出入りしています。
一緒にいくつかの集まりもやってきましたが、なかなか起業まで行きません。
早く動き出してもらわないと私の現世時代には間に合わないので、そろそろ動こうよと働きかけたわけです。
話しているうちに、阿部さんの中にひとつひらめきが生まれたそうです。
何とか間に合うかもしれません。
私も参加する予定です。
■みんカフェ新潟メーリングリスト(2016年6月1日)
先週開催した「みんカフェ新潟」のメーリングリストを立ち上げました。
いまのところまだ参加者は8人ですが、徐々に増えていくでしょう。
ネットの広がりの中で、こうした活動を持続的に展開することがかなり容易になってきました。
その分、消耗的にもなり、分散的にもなってきているのでしょうが、大切なのはたぶんネットワークの要になる人です。
その人次第でネットワークの動きは決まってきます。
「みんカフェ新潟」のキーパーソンはまだ見えてきませんが、メーリングリストを展開しているうちに見えてくるでしょう。
年内にもう一度くらい行きたいと思っています。
■我孫子市市役所へ行きました(2016年6月2日)
久しぶりに我孫子市役所の大畑さんのところに行きました。
平和事業に関して、確認したいことがあったからです。
個人的に気楽に行ったのですが、大畑さんが副市長の青木さんに声をかけてくださっていたようで、久しぶりに青木さんも含めてお会いしました。
平和事業に関しては、青木さんにも少しだけお話していたので、まあそれはそれでよかったのですが、ついでにいろんな話をしてしまいました。
私自身は行政に陳情しようとか苦情をぶつけようなどという発想は皆無です。
ただただ行政とは違った視点で、地域を住みやすくできないかという発想しかありませんが、いまも我孫子はほどほどに住みやすいので、あんまり活動はしていません。
もっと住みにくいところがたくさんありますし、いまの問題は地域の問題を超えているので、私の関心もどうも社会全体のあり方に向いてしまいます。
市役所に行ったついでに、他にも2人ほど会いたかったのですが、青木さんや大畑さん、木下さんとの話し合いの時間が長引いてしまったので、改めてまた市役所に出かけることにしました。
■原田さんとのミーティング(2016年6月2日)
市役所に出かける前に地元の原田さんから連絡があり、お会いすることにしました。
今日もまたシンクロニシティが起こっています。
市役所に向かう車の中で、福岡の権藤さんから電話があり、彼女の知り合いの我孫子在住の小柴さんが私に会いたいと言っているのであってくれと言うのです。
私の活動を支援したいと言っているそうですが、私は面識がありません。
別に支援はしてほしくはないですが(一緒に何かをやるのであれば大歓迎ですが)、いつでもどうぞとお応えしました。
そしてその前に原田さんからの連絡です。
午後から出かける予定をキャンセルしました。
以前と違って、シンクロニシティには素直に従うことにしたからです。
原田さんの思いをお聞きしました。
支援ではなく、一緒にやることにしました。
始めるとしたら早い方がいい。
それで、「プロジェクトH」をスタートすることになりました。
内容はいつかまた書き込もうと思いますが、いまはまだ極秘裏?です。
まあ私の場合、そんなことは無理ですが。
■日本子どもNPOセンターの体制変更(2016年6月3日)
日本子どもNPOセンターの専務理事の立柳さんが、業務多忙もあって、専務理事を辞任するという連絡をもらいました。
私としては、立柳さんと一緒に子どもシリーズのサロンをスタートさせ、できれば「社会教育」のパラダイム転回を目指す活動にも取り組みたいと思っていましたので、突然の話に驚きました。
それで一度お会いしたいと連絡させてもらったのです。
日本子どもNPOセンター代表の小木さんからもお手紙をいただいていたのですが、どうも状況が理解できなかったからです。
お会いして状況がかなりわかりました。
組織運営のむずかしさは、私もそれなりに理解していますので、納得できることが多かったです。
しかし、せっかく、倒壊寸前だった日本子どもNPOセンターをここまで立て直した立柳さんが抜けるのはいかにも残念です。
立柳さんは、秋以降、少し落ち着きそうですので、社会教育の問題に改めて一緒に取り組めるようになるかもしれません。
それに期待したいと思います。
■経営道フォーラム51期3人組が安否確認に来てくれました(2016年5月31日)
KAE経営道フォーラム51期の大津Kさん、大坪さん、三浦さんが湯島に私の「安否確認」に来てくれました。
「安否確認」とは全くもって失礼な発想ですが、説得力もある言い方です。
そもそも、仙台に転勤になった三浦さんが東京出張のついでに、湯島に立ち寄ってくれただけの話なのですが、何と大塚さんや大坪さんまで顔を出してくれたのです。
これからは、彼らを「安否確認3人組」と呼ぶことにしましょう。
この3人とも企業の要職にいて仕事も大変なはずなのに、自殺問題に関わる私の活動に協力してくれて、企業関係者相手のワークショップを開いてくれたり、時度、湯島でのミーティングに参加してくれているのです。
先月で辞めさせてもらった経営道フォーラムの受講者ですが、こうして終了後も付き合いが続いていることに感謝しなければいけません。
■ストーリーテリング協会出版計画(2016年6月3日)
ストーリーテリング協会で本を出版しようということになりました。
それでそのプロジェクトチームが発足し、その方針の打ち合わせ会を行いました。
プロジェクトリーダーは吉本さん、それに内藤さんと私のほかに、会員の福島さんも参加です。
ストーリーテリング協会としての独自性を出せればいいのですが。
目標は秋に出版です。
もちろん書き下ろしです。
■プロジェクトHスタート(2016年6月4日)
プロジェクトHがスタートしました。
コアメンバーのミーティングを持ち、大きな方針を決めました。
当面の目標は明確なのですが、それを実現するためには時間がとてもタイトです
ちょっと頑張らなければいけなくなるかもしれませんが、基本方針は楽しく勧めることですので、まあ大丈夫でしょう。
プロジェクトHの内容は、秋には公開できるだろうと思います。
(2016年5月第4週)
■今庄そばまつり(2016年5月22日)
■西福寺(2016年5月22日)
■敦賀の豊かさ(2016年5月23日)
■薬を飲めば血圧は下がる(2016年5月24日)
■みんカフェ新潟準備会(2016年5月26日)
■新潟市役所に立ち寄りました(2016年5月26日)
■金田さんと裕さんにご馳走になりました(2016年5月26日)
■みんカフェ湯島(2016年5月28日)
■キャリコンを活かした仕事はできないか(2016年5月28日)
■今庄そばまつり(2016年5月22日)
南越前市の今庄そばまつりに行きました。
たくさんの人出でにぎわっていました
夏のような暑さの中で、とても開放的なお祭りです。
今庄は蕎麦で有名なところですが、このお祭りは各地区ごとにお店をだしています。
つまり全住民参加のお祭りです。
最初に初回(ちなみに今回は29回)から参加の古木地区のお店に入りました。
たまたまそこが一番すいていたからです。
蕎麦は美味しかったのですが、出し汁がいかにもという味でした。
つづいて隣の湯尾峠地区のお店に入りました。
お蕎麦は1椀400円の小さなものなので、2〜3椀は大丈夫です。
湯尾峠は昨年からの参加で、地区住民がみんなでそば打ちをしたそうです。
蕎麦粉はどう考えても同じですが、腰と太さが違います。
しかし、残念ながら出し汁がまったく同じで、蕎麦の美味しさを殺しています。
お店を出ると、客寄せをしている人がいました。
美味しかったと声をかけたら、蕎麦はちゃんとできていましたかと言われました。
えっ!と問い返すと、ぶつ切りになったり、太さがバラバラなのはなかったかというのです。
気が付かなかったと言うと「それはあたりでした」と言われました。
今朝早くから住民みんなでそば打ちをしたのだそうですが、不出来なのもあったようです。
いろいろとお話を聞くと、これは地区別の競い合いのようです。
蕎麦粉と出し汁は主催者からの一括支給だそうですが、それをどう仕上げるかは各地区の知恵の出しどころです。
もう少し考えれば、もっと盛り上がるだろうにと思いました。
ところで、この辺りは、江戸時代は交通の要所で、いくつかの峠があります。
湯尾峠もそのひとつで、「歴史の道100選」に選ばれ、いま売り出し中なのだそうです。
峠のふもとに住む山内さんから、いろいろとお話を聞かせてもらいました。
少し話しただけで、すぐ情が移るのが私の習癖なのですが、山内さんと仲間の人に並んでもらった、シャツでPRすることにしました。
ついでに山内さんの写真も撮ってしまいました。
許可は得ていませんが、アップしてしまいました。
みなさん、湯尾峠をごひいきにお願いします。
今庄におそばを食べに行ったら、湯尾峠にも寄ってください。
もし山内さんに会ったら、よろしくお伝えください。
山内さんのお名前はお聞きしましたが、私の名前を伝えるのを忘れてしまったので、伝えても伝わらないでしょうが。
今庄のそばは美味しいです。
そばがあまり好きでない私が言うのですから、間違いありません。
■西福寺(2016年5月22日)
久しぶりに敦賀の西福寺を拝観させてもらいました。
前回来た時は修復工事なかでしたが、一段落していました。
ここはかつては北の秀嶺といわれた古刹ですが、いまは観光化の波に乗ることなく、地域としっかりとつながって存在しているようです。
本堂に座っているととても安堵できるお寺です。
借景様式の庭もとてもなごみます。
ちょうと芭蕉の弟子の曽良の命日だったので、恒例の「五月雨忌」に当たり、書院で句会をやっていました。
■敦賀の豊かさ(2016年5月23日)
敦賀の義姉の家は敦賀市内ではなく、郊外の沓見というところです。
裏がすぐ山ですが、その風景は心が洗われます。
こういうところでのんびりと暮らしていたら、
みんな善良な人になっていくだろうなと思います。
なぜ人は都会に出てくるのか。
不思議です。
■薬を飲めば血圧は下がる(2016年5月24日)
喉の調子が悪いのでかかりつけのクリニックに行きました。
血圧を測ったら、正常値でした。
最近は薬をきちんと飲んでいるからです。
喉の調子は、風邪でしょうといわれてしまいました。
つまり症状を上手く伝えられなかったのです。
風邪のはずはないのですが、薬をもらったので3回だけ飲むことにしました。
医師のアドバイスは大切にしなければいけません。
これまではほぼまったく無視していましたので、少し人間的に成長しました。
ちょっと遅かったですが。
■みんカフェ新潟準備会(2016年5月26日)
5月26日、「みんカフェ新潟」の準備会に参加してきました。
企画者は、「ささえあい・新潟」の金田さんですが、総勢8人の参加があり、「みんカフェ」の主旨に共感していただき、正式にスタートすることになりました。
薬局をやられている薬剤師の方は、薬局でもできるかもしれないと言ってくれました。
公民館の館長の方は、次回は自分のところでやってもいいと言ってくれました。
ちなみに、この方の発言には共感することばかりで、こんな館長がいるのかと感激しました。
ささえあい生協新潟の高見さんも応援して下さると言ってくれました。
高見さんが誘ってくれて、ふたりの福島からの避難者が参加してくれたのも、うれしいことでした。
思わぬところで、福島の実情にも触れられました。
2人もとても共感できる活動をしています。
これはまた別途紹介したいです。
次回は7月7日に開催です。
新潟在住の方で、仲間になって下さる方がいたら、ご連絡ください。
事務局にご紹介します。
■新潟市役所に立ち寄りました(2016年5月26日)
みんカフェ新潟の後、新潟市役所のいのちの支援室に立ち寄りました。
ささえあい・新潟が接点を持っているところです。
今年から学生を対象にした自殺防止活動に取り組んでいるとお聞きしていたので、その状況を聞きたかったら空で鵜s。
まだ始まったばかりだそうですが、どう展開するか楽しみです。
■金田さんと裕さんにご馳走になりました(2016年5月26日)
みんカフェ・新潟の段取りをしてくれた金田さんと佐藤裕さんにご馳走になりました。
新潟に来るといつも2人にご馳走になってしまいます。
裕さんには駅まで送ってもらいました。
■みんカフェ湯島(2016年5月28日)
新潟につづいて、東京の湯島で「みんカフェ」を開催しました。
10人の参加で、今回もまた1時間ほど伸びてしまいました。
銚子からわざわざ高速バスで2時間かけて参加してくださった若い女性の「仕事」への姿勢の話がとても私には興味がありました。
ちなみに彼女は内定が決まった就職先の「雰囲気」が自分に合わないと思って、入社を見合わせたのです。いま失職中のようです。
発達障害を公言しているNさんは、同日開催されている5つのイベントの中から、このサロンを選んで参加してくれました。
クリエイティブコモンズの話をしてくれましたが、彼もまた、現在の金銭至上主義の経済や社会のあり方に居心地の悪さを感じて、お金を介さない生き方を志向しています。
朝から夜までかなりハードな仕事をしているSさんは、前回も参加してくれましたが、たぶん仕事を通じて、社会の実相を感じていると思いますが、今回もさわやかな笑顔で参加してくれました。
こうした若者たちの話を聞いていると、現代という社会の醜い面も素晴らしい面も見えてきます。
若者たちもまた、普段はあまり接点のない、年上の世代の人たちの本音の話に触れて面白かったと言ってくれました。
いつものサロンの常連もかなり参加してくれました。
私の思いは、みんなの喫茶店を実際につくれないかということです。
「こども食堂」や「ブックカフェ」もいいですが、「居場所カフェ」もいいです。
そういう場所が増えれば、きっとみんな生きやすくなり、犯罪やヘイトスピーチなど減っていくでしょう。
今日の話を聞いていて、なんだか実現できそうな気がしてきました。
もし一緒に取り組もうという人がいたらご連絡ください。
私の代わりに苦労してくれる人を募集したいです。
■キャリコンを活かした仕事はできないか(2016年5月28日)
先日の一般社団法人認知症予防ネットの説明会でお会いしたキャリアコンサルタントでもある横山さんが湯島に来ました。
あの説明会の後、一般社団法人の理事になるのを辞めたのだそうですが、その経緯の報告もかねてです。
彼女が組織の理事を辞めたのが、とても残念ですが、きちんと経緯報告に来てくれるところに彼女の人柄が現れています。
そういう人が入れない組織は、やはり心配です。
彼女はキャリアコンサルタントの仕事もされているようなので、いろいろと接点ができるかもしれません。
まずはストーリーテリング協会に入会してくれることになりました。
(2016年5月第3週)
■散歩市サロン2日目(2016年5月15日)
■経営道フォーラム最後の発表会(2016年5月16日)
■SPM研究所佐々木さん(2016年5月18日)
■エイデル研究所と佐々木さんの引き合わせ(2016年5月18日)
■チベット医学四部医典(2016年5月18日)
■ストーリーテリング協会理事ミーティング(2016年5月18日)
■東福寺(2016年5月21日)
■NPO法人認知症予防ネット総会(2016年5月21日)
■散歩市サロン2日目(2016年5月15日)
散歩市2日目の午前中は常連の安藤さんと海津さんでした。
海津さんは、いつもそうなのですが、今回も珍しいワインが手に入ったと言って持ってきてくれましたが、あいにく、飲める人がいませんでした。
海津さんは、なぜかいつもワインを持ってくるのです。
海津さんはいま、柳兼子の研究をしています。
その話がとても面白く引き込まれました。
何しろダヴィンチにまでつながる話です。
これはたぶん発展しますので、またいつか報告します。
午後から工房を見に来てくれた人たちが数名いました。
半分の人がカフェでコーヒーを飲んでくれましたが、取手から来た山内夫妻とはいろいろと話しました。
こうした出会いがオープンカフェの魅力です。
最後に山崎さんが、ジュンの出産祝いにと花束を持ってきてくれました。
■経営道フォーラム最後の発表会(2016年5月16日)
椿山荘で、経営道フォーラムの発表会でした。
このプログラムは、企業の不祥事が多かった1980年代、経営者に「経営の心と道」を学んでほしいという市川覚峯さん(現在は日本経営道協会代表)の思いから始まりました。
市川さんの思いに共感して、そのプログラムに関わらせてもらってきましたが、今回の発表会をもって、私はコーディネーター役を辞めさせてもらうことにしました。
ちなみに、私には強い自責の念があります。
私のスタンスは、最初から全く変わっていません。
私が考える「経営道」とは生きる主軸を確立するということです。
「営み」の軸になるような「経」、つまり原理原則を大事にするということです。
平たく言えば、経営技術者や金銭管理者ではなく、主体性を持った人間になってほしいという思いです。
そのためには、自分の企業という「たこつぼ」から出て、広い世界を生きなければいけません。
そういう思いから、受講生のみなさんには、企業に使われるような経営者ではなく、企業を活かして、社会を豊かにしてくれる活動に目を開いてもらうような刺激を、ささやかに与えてきました。
その私の思いは、残念ながら果たせませんでした。
最近もまた、企業の不祥事が話題になっていますが、日本企業の経営者の多くは、企業を活かして社会を豊かにするどころか、企業に寄生して、社会をむしばんでいるような気さえします。
経営者だけではありません。
社会全体が、金銭利得に覆われてしまい、多くの人は「人間」であることさえ忘れかねているように思います。
そうした無力感から、辞めることにしたのです。
そして今日が最後の発表会でした。
最後は、とてもいいチームに恵まれ、その発表に対して、参加者が「静かな感動を受けた」と言ってくださるほどでした。
私も感動しました。
そして、もう少し続ければよかったかなという未練さえ感じました。
最後に、会場に向かって、いささか場違いな話もさせてもらいました。
広い世界を見てください、そうしたら企業を通してできることは山のようにあると話しました。
子どもの育ちの現場をもっと知ってほしいとも話しました。
ちょっと感情が入りすぎてしまい、伝わったかどうかは疑問ですが。
この数十年の経済学は、現場から離れた、演繹的な公理をベースにしたフィクションエコノミクスだと言われだしてからもう10年以上経過します。
私自身、会社時代からずっとそう思っていました。
経済学の前提にある公理は、私には非現実的なものばかりでした。
言葉と論理だけで、経済は日常生活とは、無縁な世界を構築し、企業はそこでのメインアクターとして、金融工学に基づいて、社会を市場化してきています。
汎市場化の中で、最近のオリンピック関連のさまざまな騒動に見られるように、スポーツも市場化されました。
環境や福祉の世界もまた、どろどろしたお金の世界になってきてしまい、本来的な環境保全や福祉はどこかに押しやられてしまいつつあります。
いまや経済は、生きた人間のための経済ではなく、死臭の立ち込めた死の経済になってきています。
改めて、生きた経済を回復しなければいけません。
経営学もまた、演繹起点の世界を構築し、企業から生きた人間を放逐しだしています。
それでは企業は元気になるはずはありません。
経営の基本は、生きた人間の無限の能力でなければいけません。
企業経営の要である、戦略も組織も、生きた人間が主役なのです。
それを忘れた企業は、単なる金銭増殖機械でしかありません。
感情が入り込んできて、少し書きすぎました。
経営道フォーラムの意義は、これからますます高まっていくでしょう。 これからの活動に期待しています。
■SPM研究所佐々木さん(2016年5月18日)
大切なのは、金銭的利益ではなく、社会的利益、つまりソーシャルプロフィット(ソーシャル・パフォーマンス)だという思いのもとの佐々木さんが立ち上げたSPM研究所に私も入れてもらっています。
私は何もやっていないのですが、その組織がSPM研究所です。
もっともSPMには、もっと深い意味があるのですが。
人間のスタッフは、佐々木さんと私だけですが、実はPとMは、この組織のコアメンバーです。
ところが、この数年でPとMが亡くなってしまいました。
PとMは、佐々木さんの愛犬で、佐々木さんにとってはかけがえのない存在だったのです。
ですから、佐々木さんは、魂が抜けたような状況になってしまっていたのです。
岐阜在住の佐々木さんは上京した時には湯島に立ち寄ってくれます。
PとMが亡くなってからはじめてでしたが、どうもまだ回復していません。
まあ私自身のことを思い出せば、そう簡単ではないのです。
このままだと、佐々木さんはどうも家に引きこもりそうです。
引っ張り出すのが私の役割かもしれません。
でもまあ「時期」というものもあります。
SPM研究所がうまく動きだせればいいのですが。
■エイデル研究所と佐々木さんの引き合わせ(2016年5月18日)
SPM研究所の佐々木さんは、福祉施設のマネジメントゲームに関心をお持ちで、独自に開発されています。
その話をエイデル研究所の人に話したら、ぜひ話を聞かせてくれないかということになり、お引き合わせをしました。
佐々木さんは迷惑がるかなと思っていましたが、やはり自分が育ててきたマネジメントゲームの話になると生き生きとしてきます。
なにかエイデル研究所とプロジェクトが組めればいいなと思いました。
■チベット医学四部医典(2016年5月18日)
近くに転居してきたピラールプレスのおふたりがやってきました。
もう落ち着いたそうです。
今回はとんでもないすごい本を出版したのです。
チベット医学四部医典です。
とても豪華な本で、6冊セットで18万円だそうです。
さてどうやって売るか。
チベット医学といっても知っている人は少ないでしょう。
チベット密教ともつながる、心と体と魂がひとつになった医療体系です。
販売に関しては、あまり妙案は浮かびませんが、話題にする方法はいろいろあります。
それで一度、湯島でサロンをやってもらおうかと思います。
それいがいにもいくつか相談事がありました。
それで前回の相談料がまだ支払われていないことを伝えました。
前回の相談料は、おいしいコーヒーだったのです。
それをご馳走になったら、今度の相談に対応しようと思います。
■ストーリーテリング協会理事ミーティング(2016年5月18日)
組織を立ち上げることはそれなりに大変です。
今日またミーティングを持ちました。
なかなか思うようには行きません。
今年は5つの組織を立ち上げる計画ですが、すでに2つは挫折して組み直しに取り組みだしています。
この協会はそうならないように頑張らなければいけません。
■東福寺(2016年5月21日)
宇治のNPO総会に参加する途中、京都の東福寺に立ち寄りました。
夏のような暑さでしたが、新緑に覆われた東福寺の通天橋は、素晴らしかったです。
方丈庭園は、ピンときませんでしたが。
■NPO法人認知症予防ネット総会(2016年5月21日)
NPO法人認知症予防ネットの総会に参加させてもらいました。
その活動にささやかにかかわらせてもらっていたので、一度、総会に参加したいと思い、理事長の高林さんにお願いして傍聴させてもらったのですが、その代わりに話をするように言われました。
プログラムを見たら、基調講演となっていたので、いささかあわてました。
私の活動が不十分だったための「お仕置き」か、少しは役立てたことへの「ご褒美」か、いずれかはともかく、2日前に慌ててパワーポイントを作成しました。
初めての総会でしたが、とても誠実に行われているのに触れて、とても嬉しい気がしました。
最近の日本のNPOには、私はいささかの不信感を持っていますが、とてもあったかな気分になりました。
遠方からの参加者もあり、総会後の懇親会も、グループに別れての話し合いでした。
会員でもないのに、私も参加させてもらいました。
このNPOが取りくんでいる認知症予防ゲームは、以前は「スリーA」というタイトルを使っていましたが、昨年から「みんなの認知症予防ゲーム」と改称しました。
このいきさつを知っている者としては、いろんな意見もありますが、福祉の世界で活動している人たちは、そもそも福祉とは何かさえ理解していない人が多すぎます。
「みんなの認知症予防ゲーム」というタイトルは、私の生き方(みんなのものをみんなで創ろうという「コモンズの共創」が私の信条です)にぴったり重なっています。
高林さんの生き方も、それにつながっているのが、私がささやかに応援して来た理由です。
総会に参加させてもらったおかげで、懐かしい人にも会えましたし、名前だけしか聞いていなかった人にも会えました。
愛媛や名古屋から参加していた人とも知り合いになりました。
私と同じく会員でもないのに遠くからやってきた城井さんにも2度目の出会いをいただきました。
城井さんも、コモンズの共創に取り組んでいる方です。
いろいろと考えさせられることが多かったです。
NPOを支援するのであれば、やはり総会に行くのが一番だと改めて思いました。
ちょっと不安はありますが、一応、高林さんとの約束は果たせたと勝手に安堵しています。
(2016年5月第2週)
■一般社団法人「みんなの認知症予防ネット」説明会(2016年5月8日)
■孫の誕生(2016年5月9日)
■お寺を活かしたアセットマネジメントの可能性(2016年5月12日)
■ストーリーテリング協会ミニ理事会(2016年5月12日)
■経営道エグゼクティブ合宿の打ち合わせ(2016年5月12日)
■weasoneとのディスカッション(2016年5月12日)
■一般社団法人みんなの認知症予防ネットの顧問を断りました(2016年5月13日)
■散歩市オープンカフェ初日(2016年5月14日)
■孫の退院(2016年5月14日)
■一般社団法人「みんなの認知症予防ネット」説明会(2016年5月8日)
一般社団法人「みんなの認知症予防ネット」が立ち上がり、昨日、湯島でその説明会が行われました。
京都からNPO認知症予防ネット代表の高林さんも参加され、17人が参加されました。
組織としても会員システムとしても、動きながら整備していくことになると思いますが、まさに「みんなの」に込められた理念を体現したスタートでした。
組織の代表は加藤良江さん。
いろいろと紆余曲折はありましたが、10年近く前の高林さんとの約束が果たせました。
少しずつ入会の呼びかけなどが始まっていくと思います。
一応、これで私の役割も終了です。
高林さんから、今日もまた、ハッとさせられるお話が聞けました。
認知症が引き起こしかねない「悲劇」に関する話です。
いつかまたブログで紹介したいと思いますが、やはり社会そのもののあり方や私たち一人ひとりの生き方を変えないと、問題は解決しません。
私は、認知症問題の奥にある問題に取り組みたいので、この組織には参加しませんが、厚労省や医療関係者、さらには福祉関係者の土俵で議論しているだけでは不十分だと思っています。
ちなみに、この「みんなの認知症予防ゲーム」を広げている、いわゆるゲームリーダーの人たちには、認知症になった人はいないようです。
私よりも10歳も年上の高林さんを見ていると、このゲームの「生きたエビデンス」のように思います。
このゲームが広がれば、「認知症よ、さようなら」の社会に向かいだすだろうと思います。
私は厚労省のいう2025年問題の設定の仕方に、大きな違和感をもっています。
事態を変えていくのは、私たち「みんな」の意識だろうと思っています。
■孫の誕生(2016年5月9日)
9日の深夜、娘が出産しました。
この歳になっての初孫です。
翌日、面会に行きました。
高齢での出産なので、心配していたのですが、母子ともに元気でした。
私の生き方も、変わっていくのでしょうか。
たぶん変わることはないでしょう。
しかし、いろいろと考えることが多くなってきました。
■お寺を活かしたアセットマネジメントの可能性(2016年5月12日)
若い在家の僧侶の足立さんとお寺の方向性に関する話し合いをしました。
2人の共通の知人である神宮寺の高橋卓志さんの話になりました。
高橋さんにお会いしたのは、もう15年ほど前です。
高橋さんが取り組むプロジェクトにささやかに応援させてもらったのですが、その思いの熱さに共感しました。
その後の高橋さんのご活躍ぶりは目覚ましく、社会に大きな刺激を与えていきました。
しかし、時代の流れは必ずしも、高橋さんのビジョンの方向には行っていないのが残念です。
妻の死と孫の出産を体験して、改めて生と死がつながっていることを実感しています。
改めてお寺や信仰の意味を問い直したくなっています。
足立さんとはそんな話をしましたが、今年はできれば具体的なプロジェクトに散り組めればと思っています。
私の関心事は、お寺を活かしたアセットマネジメントの可能性です。
■ストーリーテリング協会ミニ理事会(2016年5月12日)
明日福岡でストーリーテリング協会のお披露目入門セミナーを開催します。
私は行かないのですが、他の理事は全員参加します。
それに先立ち、ミニ理事会を開催しました。
組織を立ち上げることの大変さを改めて感じていますが、経済的に成立させるのは、企業相手のプロジェクトを起こさなければいけません。
それで財政基盤をしっかりしてから、社会活動にも取り組めます。
できればさらに「研究機能」も付加したいと思います。
課題が山のようで、つぶされそうです。
■経営道エグゼクティブ合宿の打ち合わせ(2016年5月12日)
経営道フォーラムは今回で終了ですが、今年はそのジュニア版であるエグゼクティブフォーラムのコーディネーターを、引き受けてしまいました。
最初の合宿が奈良だと言うので、ただそれだけで引き受けてしまったのですが、その合宿の打ち合わせをしました。
正直、少し後悔しています。
結局、大きな枠組みの中では同質であることがわかったからです。
安直に人生を選んではいけません。
困ったものです。
でもまあ、1年間は楽しもうと思います。
参加者には刺激を与え、人生を問い質す機会にしてもらおうと思っていますが。
■weasoneとのディスカッション(2016年5月12日)
weasoneのユウジンとその仲間の渡辺さんが、これからの展開の相談にやってきました。
これからの展開に関するユウジン構想を聴かせてもらいました。
構想は良いとして問題は、その実現に向けてのアクションプログラムです。
最近、いろんな相談に来る人がまた増えていますが、構想と目先の行動をつなぐグランドデザインがないケースが多いのです。
今回はそれについていろいろと話しました。
とりあえずユウジンとの話し合いの第一段階セッションは終わりました。
次回からは第2ステップに入りたいとユウジンから提案がありました。
このあたりの発想は、実に合理的です。
こういう話し合いだと疲れません。
日本の女性たちも少しはこうした発想を身につけてほしいものです。
■一般社団法人みんなの認知症予防ネットの顧問を断りました(2016年5月13日)
先日立ち上げをした一般社団法人みんなの認知症予防ネットの顧問の依頼がありました。
前から何回か要請されていたのですが、改めてお断りしました。
これまでの私のアドバイスは、換骨奪胎されて、表層的にしか取り入れられていないからです。
責任は持てません。
むかし日本広報学会を設立した時のことを思い出します。
あの時も、見事に換骨奪胎されてしまい、私が最初に提案した構想とは似て非なるものになってしまいました。
最初の数年は何とか関わりましたが、結局、数年で退会させてもらいました。
私と多くの人の組織観はどうも違うようなのです。
京都のNPO認知症予防ネットの総会にも話に行く予定ですが、気が重くなってきました。
気が向かなくなると、一気にモチベーションが下がるタイプです。
実に困ったものです。
■散歩市オープンカフェ初日(2016年5月14日)
例年の我孫子の散歩市に合わせて、わが家でオープンカフェを開きました。
本来的な目的の娘のスペインタイル工房の留守番役を兼ねてです。
今回は旗を立てるのも面倒なので辞めたのですが、そのたけに最初の工房のお客様は、場所探しで大変だったそうです。
悪いことをしました。
最初のカフェの来客は、市役所の木下さんでした。
つづいて大和さん。
おふたりともわが家に来るのは初めてです。
最後の来客は我孫子ではなく、2時間もかかってやってきてくれた小林さんと太田さんでした。
小林さんは娘さんと一緒に来てくれました。
太田さんと小林さんが一緒になると、延々と議論が続きそうですが、実際に延々となりました。
小林さんの娘さんは、最後まで付き合ってくれましたが。
結局、来客は8人でした。
■孫の退院(2016年5月14日)
出産した娘の退院日が、今日になってしまいました。
帰宅途中にわが家の家族みんなで立ち寄ってくれました。
初めて孫を抱いてみました。
改めて生命は心身でコミュニケーションしていることを感じました。
新生児はまさに神につながっていることも感じました。
孫になんと読んでほしいかと娘に問われました。
もちろん名前で、と答えておきました。
ちょうど彼らがやってきた時には、カフェの来客は途絶えた、ちょうどその30分でした。
見事なほどの天の配慮です。
赤ちゃんは元気ですが、母親の娘は貧血状況になっているようで、痛々しい感じです。
出産とは、やはり大変なのでしょう。
名前は教えてくれましたが、思っても見ない名前でした。
しかし発想は、私とほぼ同じです。
私のように、将来、子どもから恨まれないといいのですが。
(2016年5月第1週)
大型連休とは全く無縁な1週間でした。
■ストーリーテリング協会理事会(2016年5月1日)
■やはり日本国憲法は「前文」だけで十分です(2016年5月3日)
■まちづくり編集会議プレミーティング(2016年5月4日)
■瞑想家三木さんとの出会い(2016年5月5日)
■畑の拡張(2016年5月7日)
■ストーリーテリング協会理事会(2016年5月1日)
ストーリーテリング協会の理事会を開催しました。
大きな方向性が合意できて、正式に法人化することにしました。
一般社団法人ストーリーテリング協会が発足します。
実際に組織としてスタートするにはさまざまな問題を解決しなければいけません。
資金的にはほぼめどがつきましたが、課題は山積みです。
2年間、私が代表を務めることになりました。
ご関心のある方はぜひご参加ください。
http://www.storytelling.tokyo/
■やはり日本国憲法は「前文」だけで十分です(2016年5月3日)
憲法記念日の私の朝は、毎年、日本国憲法を読むことから始まります。
今年は、例年よりも少していねいに読んでみました。
そして、改めて、日本国憲法は前文だけで十分だと思いました。
その前文の実体が、自民党の改憲案では削除されます。
それだけで私は自民党の改憲案には反対です。
一人でも多くの人が、日本国憲法の前文を読んでほしいと思います。
そしてそれを大切に生きてほしいと思います。
フェイスブックでこういうメッセージを出したら、予想以上の反響がありました。
うれしい一面、しかしこれはいまの社会の主流ではないのだろうなと思いました。
日本は70年にしてまた壊れだしていますが、歴史とはそういうものなのかもしれません。
■まちづくり編集会議プレミーティング(2016年5月4日)
「みんなの社会教育」ネットワーク構想はちょっと挫折したので、改めて、根本さんと一緒に、原点に戻って考える集まりをやりました。
今回は、地域で活動している人たちのネットワークの要にいる人や行政コミュニケーションの専門家、さらに商工会などとの連携で起業支援をしている人などに声をかけさせてもらいました。
なかなかいい案は見つかりませんが、それぞれ何かをやりたいという姿勢はあるので、今度こそ動き出せそうです。
とりあえずゆるやかなネットワークグループとして立ち上げることにしました。
名称はとりあえずには「まちづくり編集会議」。
今度は挫折しないように、私自身が中心になって進めようと思っています。
関心のある方はぜひご連絡ください。
■瞑想家三木さんとの出会い(2016年5月5日)
農カフェ“OMOしろい”の宇賀夫妻から、ぜひ引き合わせたい人がいるのでと、朝、7時に呼び出されました。
引き合わせてもらったのは、瞑想家の三木さんです。
魅力的な人でした。
昨年まで出版社にいたようですが、宇賀さんたちとはインドでつながったようです。
いただいた名刺を見たら、メールアドレスに「アーナンダ・タオ」という文字が入っていました。
それで三木さんが瞬時に伝わってきました。
いろんな話で2時間を超える朝食になったのですが、話は、ベイシック・インカム論から入りました。
ベイシック・インカムは、両刃の剣のような多義性を含んでいますが、社会とは何かを考える本質的な問題が込められています。
話は尽きず、三木さんに湯島でサロンを開催してもらうことにしました。
だいぶ先ですが、良かったご参加ください。
■畑の拡張(2016年5月7日)
畑をがんばって、面積を倍増させました。
しかし、植え方やその後のケアが悪かったため、またきゅうりが全滅でした。
昨年は猪飼ですべて大丈夫だったのですが、今年はうまくいきません。
肥料をやり過ぎたのかもしれません。
畑の面積が増えたので、また苗を買ってこなくてはいけません。
何を植えようか、名案が浮かびません。
(2016年4月第4週)
■フランクフルト学派をテーマにした会食(2016年4月24日)
■カフェサロン「今、子どもたちが危ない!」(2016年4月24日)
■畑の面積が倍増です(2016年4月26日)
■熊本の友人に非常食などを送りました(2016年4月27日)
■自己破産した友人が新しい会社を立ち上げました(2016年4月27日)
■みんなの認知症予防ネットの組織化(2016年4月28日)
■経営道フォーラム最後のミーティング(2016年4月28日)
■カフェサロン「人工知能と人間の創造性について考える」(2016年4月30日)
■フランクフルト学派をテーマにした会食(2016年4月24日)
たしか2月ごろ、フランクフルト学派をテーマにしたサロンを開催しました。
ナチスドイツの福祉政策などに関心を持っている田中さんの依頼を受けての企画だったのですが、当日、田中さんが参加できなくなってしまいました。
そこで、田中さんが楠さんと食事をすることになり、成り行き上、私もお相伴することになりました。
私が入ると、また余計な意見を行ってしまうので、躊躇しましたが、私自身もこの分野ではそれなりの意見を持っているので、参加してしまいました。
千駄木のイタリアン「露地」。
千駄木は路地の街なのです。
やはりついつい口を挟んでしまいました。
しかし田中さんは、楠さんのサロンのレジメを片手に、メモまで取っていました。
楠さんも、どんな質問にも的確に対応していました。
それを聞きながら、こういうサロンがあってもいいなと思いました。
私は「市民」という言葉の欺瞞性について発言してしまいました。
加えて、日本の学者たちの「市民社会論」に関しても、翻訳用語の域を脱していないとつい言ってしまいました。
困ったものです。
次回からはやはり辞退したほうがよさそうです。
それにしても、ナチスドイツから学ぶことは山のようにあります。
■カフェサロン「今、子どもたちが危ない!」(2016年4月24日)
「今、子どもたちが危ない!」をテーマにしたサロンは、14人の参加で、熱い議論が交わされました。
問題提起してくれたのは、児童虐待防止全国ネットワークオレンジリボンの久米さん。
女川で活動している宮崎さん(学校と地域の融合教育研究会)も「伝えたいことがある」と言って参加してくれました。
いつものように、実に多彩なメンバーです。
久米さんはまずご自身が関わっているオレンジリボン運動(http://www.orangeribbon.jp/)の話を紹介してくれたうえで、参加者に問いかけるスタイルで話を進めてくれました。
前回の吉田さんの時もそうでしたが、なかなか先に進めないほど、発言が多いのです。
みんな「思い」が山のようにあるようです。
最初の問いかけは、次の3つが「育児」か「しつけ」か、というものでした。
@「怒って子どもを叩いてしまう」
A「遊ぶ時間がないほど毎日習い事に通わせる」
B「毎食コンビニお弁当」
議論百出で、@だけでも2時間がたちそうでしたが、大きくは、「暴力的行為は絶対にダメ」派と「状況による」派と別れましたが、後者が多かったように思います。
私は「叩く」ということが即虐待というようなマニュアル的な発想や問題提起のあり方に、むしろ問題の本質を感じています。
「ハグ」も「叩く」も、人間の表現形式の一つではないかと思うからです。
問題は「叩き方」であり、大切なのは、相手に対する姿勢、さらには日常的な人と人との関係のありようではないかと思うからです。
その意味では、私はAとBこそが「虐待」ではないかと思っていましたが(一時的な行為ではなく日常的な状態ですから)、話し合っているうちに、それもまた「短絡的」だという気がしてきました。
「身体的な虐待」や「暴力の行使」は「犯罪」ですから、その取締りをきちんとすればいいだけの話です。
むしろ問題にすべきことは、そうした犯罪や暴力ではなく、目には見えにくい「精神的虐待」や「構造的虐待」であり、さらには「虐待をしてしまう状況に追い込まれている人が増えている」という社会のあり方だろうと思います。
「子どもの虐待」という「事実」の奥にある「虐待を生み出す社会」に焦点を当てていくことが必要です。
そうした社会つくり出しているのは、私たち一人ひとりですから、それを変えていくのもまた私たち一人ひとりであるはずです。
このステップの最後に、久米さんは、「高層住宅の上層階で済むことはどうだろうか」という問題を付け加えましたが、これもとても示唆に富む問いかけだと思いました。
こうした議論を踏まえて、「児童虐待のない社会」にするには、という議論に移りました。
「子どもの立場に立って考えること」の大切さが指摘されましたが、そもそも「子どもの立場に立つ」とはどういうことかの議論になりました。
結局は、大人が考える「子どもの立場」は、大人の立場かもしれません。
親から虐待を受けている子どもも、ほんとは親がとても好きなのだと、実際に活動に取り組んでいる日高さんから指摘がありました。
それに、子どものほうこそ、親の立場を考えて嘘をつくことさえあるという指摘もありました。
私もそういう体験をしたことがあります。
母娘の関係は、実に不思議です。
単なる共依存の理論で理解してはいけない深さを持っているように思います。
とまあ、こんな感じで話し合いはつづいたのですが、最後の方では、虐待をしたくて虐待している人はほとんどいないのではないかという話題になりました。
つまり、みずからもまた、社会から広い意味での虐待を受けて、生きづらくなり、その結果、弱い立場の子どもへの虐待が生じているとしたら、まずは親を虐待から解放しなければいけません。
虐待されている子ども不幸ですが、虐待している親もまた、被害者だという気がしてなりません。
私が、児童虐待の報道に触れて、いつもまず思うのは、子どもと同時に、親への憐憫の情、あるいは親子の関係の哀しさです。
親に関する報道姿勢はいつも厳しいですが、親の状況をもっとしっかりとみていかないと、児童虐待はなくならないように思います。
しかし、そう考えると問題は解決しません。
虐待している親の現実は止めなければいけませんし、具体的な虐待から子どもたちを守らなければいけません。
たぶん、こうした大きく異なった問題が混在しているために、事態はなかなか変わっていかないような気がしますが、それはともかく現実の問題への取り組みも大切です。
児童虐待防止活動に取り組んでいた高月さんからは、参加者一人ひとりができることを考えてほしいという発言がありました。
私に何ができるか。
企業の経営管理者のみなさんに、自分たちが働いている世界の外部では、実は子どもたちはこんな世界に生きているのだということをもっと知ってもらうことが大切だという話も出ました。
私もできることは、そうしたことへの働きかけかもしれません。
■畑の面積が倍増です(2016年4月26日)
最近、どうも気持ちがすっきりしません。
新しいプロジェクトを起こそうとすると、どうも軋轢が発生します。
今頃なんだという気もしますが、やはりどうも私は、社会から脱落しているようです。
それでいらいらすることが多くなっているのです。
そこで今日は畑に3時間も行きました。
畑作業をしていると、人間界のことを忘れられるのです。
大地から声が聞こえてきます。
自然は人間と違って、知的で優しいですから、安堵できるのです。
しかし、身体的にはもう死にそうなほど疲れました。
困ったものです。
畑面積は倍増しました。
次回はさらに倍増する手配をしてきました。
また苗を買ってこなければいけません。
これでわが家の食費は大助かりになるでしょう。
野菜の高騰とも無縁になりそうです。
さて、しかし、果たしてうまくいくかどうか。
植え替えたきゅうりがまた枯れそうです。
道沿いにもマリーゴールドを植えました。
こちらもだいぶ形ができてきました。
ここまでくると、モチベーションは高まります。
■熊本の友人に非常食などを送りました(2016年4月27日)
熊本の自身も少しずつ落ち着きだしてきたようです。
そこで用意していた応援物資を送りました。
しかし、送った後で、あまりに日常的なものを送ってしまったなと反省しました。
非常食20食分とレトルトカレーです。
輸送環境が整えば、こういうものはあまり必要ないかもしれません。
被災地に支援物資を送るのは難しいです。
■自己破産した友人が新しい会社を立ち上げました(2016年4月27日)
ホームページではこれまであまり書いてきていませんが、自己破産した友人がいます。
まあ実にドラマティックな10年を過ごしてきていますが、私もそこに巻き込まれてしまい、一時は私自身が大変でした。
その友人が、苦難を乗り越えて、新しい会社を立ち上げることになりました。
その報告に来てくれました。
いつか実名を書けるようになってほしいと思っています。
私の経験もいつか書きたい気がしますが、まあそれはやめましょう。
思いだしたくもない体験ですが、そこから学んだこともたくさんあるのです。
■みんなの認知症予防ネットの組織化(2016年4月28日)
みんなの認知症予防ゲームの実践者たちの組織化の相談に乗っています。
しかし、その相談者チームが白紙になってしまい、別のグループに組み替えられてしまいました。
私は、簡単に帽子を変える人が嫌いなのですが、いろいろ事情があって、抜けるに抜けられなくなってしまっています。
しかし、あまりに納得できないので、協力を断るつもりで、最後のつもりで、ミーティングを開催しました。
話しているうちに、大きな目的はなんだったのかと思い直しました。
それで、できるだけいい方向に向けての組織化に進むように、外部から支援していこうと思い直しました。
まあこうやっていろんな人たちに「利用」されてきているのですが、まあ「役立つ」とはそういうことかもしれません。
しかし、少しはお礼をしてもらいたいという気分が、最近は出てくるようになってきました。
性格が悪くなってきたのかもしれません。
頼むときは難解でも足を運びながら、問題解決すると来なくなる人が多いのが、とても哀しいです。
でもまあ、それだけみんな余裕がなくなっているのかもしれません。
悲しい時代です。
■経営道フォーラム最後のミーティング(2016年4月28日)
経営道フォーラム58期の知無メンバーが最後のミーティングに湯島に来ました。
今回はとても楽しいチームでした。
最後にいいチームと出会えたことに感謝しなければいけません。
活動内容もよかったです。
発表会が終わったら、みんなで本をつくろうという話も、もしかしたら実現するかもしれません。
発表会は5月16日。
椿山荘です。
関わりだしてから、28年。
私にとっては最後の発表会になります。
■カフェサロン「人工知能と人間の創造性について考える」(2016年4月30日)
音楽を切り口として、「人工知能と人間の創造性について考える」のサロンには、予想以上に幅広い立場の15人の参加者がありました。
「音楽」に興味のある人と「人工知能」に興味のある人とが混在したために、音楽論と人工知能論が行ったり来たりしましたが、それがまた面白かったです。
話し合いが始まる前に、音楽のために生きているという小林さんが、こう話しだしました。
今日はジャムセッションのような感じで自由にサロンができたら良いなと思っています。
コールアンドレスポンスで、いきましょう。
1つだけお願いがあります。
創造性という言葉を定義しないでほしいのです。
このお話に正解なんてありません。
いろんな創造性があるはずで、それを話し合って、人間の創造性の可能性を広げましょう、言葉は小鳥です。厳密に定義しようとして、ぎゅーっと握りしめたら死んでしまう。
創造性と言う小鳥には翼があります。
手を開いて、羽ばたかせてあげて欲しい。
ジャムセッション。
言葉の翼。
象徴的なメッセージです。
さらにこんな話もされました。
かっこよく(トランペットを)吹こうとするのではなく、こんなのでいいと思うと、うまく吹けます。
自分のもともと持っているものを、素直に出せば、よいものが生まれるのです。
「魂の交換」とか「大地の思考」という言葉も出てきました。
ここまでの話で、小林さんの音楽に対する姿勢や生き方が伝わってきますが、その後、レジメに沿って、コールアンドレスポンスで、話し合いが進みました。
話し合いの内容を報告するのは、私の能力をはるかに超えてしまいますので、いつものように(いつも以上に)極めて偏った報告をさせてもらいます。
小林さんは、最初に人工知能が作曲した音楽の一部を3曲、iPhoneで聴かせてくれました。
http://qz.com/488701/humans-are-confusing-music-composed-by-a-computer-for-j-s-bach/
それを聴いて、音楽には3つの「創造」(作曲)があると思いました。
データ(譜面の創造)、演奏(音の創造)、鑑賞(魂の創造)。
人工知能の作曲した1曲は人が演奏し、2曲はシンセサイザーの自動演奏でした。
私にはまったく違うものに感じました。
もう一つ感じたことがあります。
それは、人や人工知能が音楽を創るのではなく、音楽が人や人工知能を創るのではないかということです。
小林さんの言葉を使えば、「音楽」の代わりに「大地の思考」といってもいいでしょう。
いまでは、人工知能を使って、音楽の基礎知識がなくても作曲ができます。
しかし、人工知能が作曲するというのと、人工知能を使って作曲するというのは、まったく違います。
いつか突然に、人工知能が作曲をしだす時が来るでしょうか。
これも考えると、とても興味深いことです。
デジタルな音楽とアナログの音楽との違いも少し話題になりました。
なぜ日本の長唄は西洋音楽的な譜面にできないのかという指摘もありました。
自然の音と音楽との違いの話もありました。
ヨーロッパ人には雑音でしかない鈴虫の鳴き声がなぜ日本人には快く聴こえるのか。
人工知能に関して言えば、ディープラーニングやシンギュラリティの話も出ました。
ディープラーニングは、人工知能が人間の制約を受けずに独自に世界を読み解いていくということで、これによって、人工知能が自分自身よりも賢い人工知能をつくれるようになる「シンギュラリティ」(自己成長を始める特異点)に達するかもしれないと言われています。
もしシンギュラリティが実現すれば、人工知能は人間を超えるかもしれず、それが人工知能脅威論につながっています。
こんな感じで、音楽論と人工知能論が、いろいろと混じり合った、刺激的なサロンになりました。
最後は、神の話にまでなりました。
小林さんは、霊の世界ともつながっている人ですから。
そこで、最後の最後に、私は、ジュリアン・ジェインズの二分心の考えを紹介させてもらいました。
私は、独自の創造力を持つ人工知能の誕生を確信していますが、それはジェインズの「神々の沈黙」を読んで、「二分心」仮説を知ってからです。
ジェインズは、3500年前まで、人は右脳で神々の声を聞き、それを左脳で消化して行動していたというのです。
つまり、神の声に従って生きていたということです。
その頃の人間の生き方は、ホメロスの『イーリアス』に読み取れると書いています。
たしかに、そういう視点でホメロスを受け止めるととても納得できます。
しかし、3500年前頃に、人は神から独立して、右脳軸から左脳軸の生き方へと変わったのです。
神から独立したわけです。
そして、神を殺してしまった。
ジェインズに怒られそうな要約ですが、私は神が人に施したように、いま人が人工知能の自立の契機になっているのではないかと思います。
言い方を変えれば、私たち人間は、人工知能ならぬ「神工知能」ではないかというのが、私のいささか荒唐無稽と思われかねない考えなのです。
今回は、音楽論を期待して参加してくださった方には少し肩すかしだったかもしれません。
それで、小林さんによる音楽論サロンは、また改めて企画します。
また小林さんが納得できる、自らの音楽に到達したら、小林さんの音楽を聴く会も企画したいと思います。
いかにも自分勝手な報告なので、最後に、サロン終了後も話し合っていた人から届いたメールを引用させてもらいます。
Oさんが、AIでの作曲は権力者側の誘導に利用されるのでは、と懸念していました。
もうひとりのOさんは、AIは創造性より、Hさんが言ったデータマイニングに基づく楽曲づくりとなり、販売促進や映画の効果音など、実用的な面で活用される旨のことを指摘していました。
今回のテーマは「AIと創造性」でしたが、むしろ、このお二方の懸念(指摘?)するように「計算された効果をもたらすための音楽」づくりに当面は向かうのかもしれませんね。
音楽はいつも権力に深くつながっていますから、否定はできません。
期待と不安は尽きません。
(2016年4月第3週)
■ストーリーテリング協会公開講座(2016年4月17日)
■心トリート講座体験(2016年4月17日)
■みんカフェ・我孫子の相談(2016年4月18日)
■全国ひきこもり家族会連合会の池田さん(2016年4月19日)
■weasone 国連プロジェクト(2016年4月19日)
■熊本はまだ大きな地震が続いています(2016年4月20日)
■スーパーへの買い出し(2016年4月21日)
■地域のチェンジエージェントのネットワーキング(2016年4月21日)
■コミーの小宮山さん(2016年4月21日)
■熊本地震に関して思ったことをFBに書きました(2016年4月22日)
■野菜の苗木市(2016年4月23日)
■ストーリーテリング協会公開講座(2016年4月17日)
ストーリーテリング協会の第1回入門講座を開催しました。
参加者は4人でしたが、「話すこと」を職業にしているプロのみなさんでした。
ストーリーテリング協会のホームページも公開しました。
講座の様子はそこで報告しています。
http://www.storytelling.tokyo/
■心トリート講座体験(2016年4月17日)
ストーリーテリング協会のメニューの検討をやっていますが、そのひとつにメンバーの内藤さんがやっている「心トリート講座」があります。
既に展開しているのですが、それを体験受講しました。
着飾っている鎧を脱いで、素直な自分になって、生き生きと生きようというセミナーです。
私があんまり鎧を着ていないことが判明してしまい、私は被験者としては適していないことがわかってしまいましたが、逆にそういう視点からセミナーへのアドバイスをさせてもらいました。
協会の一つのメニューになればと思っています。
関心のある人は次のサイトをご覧ください。
http://www.cocoro-treat.info/
■みんカフェ・我孫子の相談(2016年4月18日)
「みんなのゆる〜いカフェサロン」、略して「みんカフェ」の話をしたら、我孫子や印西で傾聴活動をしている土佐さんが話したいというので、我孫子でお会いしました。
土佐さんは、地に足つけた地道な活動をされています。
その結果、活動分野もゆっくりと広がっています。
まさに理想的なスタイルです。
最近は認知症予防ゲームもやりだしています。
「みんカフェ」の考え方をお話し、共感してもらいました。
ゆるくつながりながら、どこかでご一緒したいと思っています。
何かが生まれそうな気がします。
■全国ひきこもり家族会連合会の池田さん(2016年4月19日)
突然、友人から電話があり、全国ひきこもり家族会連合会代表の池田さんと一緒に湯島に来たが、いまどこにいるのかと電話がかかってきました。
そんな話は聞いていなかったので、自宅でのんびりしていたのですが、仕方がないので急いで湯島に行きました。
こんな時のことも考えて、鍵は開けられるようになっているのです。
しかし1時間ほど待たせてしまいました。
池田さんは私の友人と一緒に国会議員に会いに行った帰りに、急に私に会おうと言い出したのだそうです。
全国ひきこもり家族会連合会の実態のお話を聞きました。
いろいろと問題はありそうですが、もっと効果的な展開も可能です。
大きな方向性に関するアドバイスをさせてもらいました。
どこもかしこも、NPOのマネジメントには問題がありそうです。
日本のNPOは安直につくられ、安直に運営され過ぎています。
中途半端な企業コンサルタントが関わっているのも問題です。
日本のNPOへの取り組みは、政府主導で下から、その歪みがいまでてきているように思います。
気をつけないとナチスドイツの二の舞です。
■weasone 国連プロジェクト(2016年4月19日)
先週書いたガーナ人のアナボナ・ユウジンが一緒に活動している渡辺さんと一緒に、今取り組んでいるプロジェクトの説明に来ました。
先週、私がアドバイスしたことを受けて、資料も作成してきましたが、まだまだ甘い感じがします。
そこを厳しく指摘しましたが、今取り組んでいる国連プロジェクトは、時間的余裕がないので、そうした基本姿勢の整理と並行して、具体的な取り組みをしなければいけません。
後半は、その方法について、私ができることを議論しました
彼が考えているのは、国連のニューズレターをつかった、グローバルな企業と社会起業家やNPOとのマッチング活動です。
興味を持ってくださる企業はいないでしょうか。
■熊本はまだ大きな地震が続いています(2016年4月20日)
熊本はまだ余震、というか、地震が続発しています。
報道は、熊本地震一色です。
こういう時にはいつも悩みます。
幸いに、少しずつ現地の知人友人と連絡がつき始めています。
友人知人に何か送ろうかと思いながらも、そう簡単に送れない気もしています。
少し時間をおいて送ろうと思います。
■スーパーへの買い出し(2016年4月21日)
わが家の近くのスーパーのカスミは、毎週木曜日が全品1割引きの特売日です。
経済的な収入があんまりないわが家は、できるだけその日に買い物に行きます。
しかし、今日は娘が行けなかったので、私が自転車で買いに行きました。
私は数年前に、自動車の免許証を返納したので、運転できないのです。
妻がいなくなってから、一人での買い物も少しずつ始めましたが、最近はだいぶ慣れました。
しかし、お金もないのにカードのせいで、いつも買いすぎる傾向があります。
しかも自転車で来ていることを忘れて買ってしまって、持てなくなってしまうこともあります。
今回は何とかぎりぎり大丈夫でしたが、やはり帰宅してみたら無駄な買い物が多かったです。
1割引きセールは、実は無駄なものを買うことになるのかもしれません。
頭で考えていることと実際の高度づはなかなかうまく一致しないものです。
困ったものです。
■地域のチェンジエージェントのネットワーキング(2016年4月21日)
「みんなの社会教育ネットワーク」は、残念ながらコアメンバーの考えがどうも共有できないようで、理由はよくわからないのですが、挫折しそうです。
その一方で、地域におけるチェンジエージェントのネットワーキングに関心のある根本さんが、個人的な試案をまとめて相談に来ました。
いささか新鮮味に欠けるので、改めて根本さんの持っている独自の資源は何かということを起点にして、話し合いました。
2人では話が広がらないので、関心を持ちそうな友人に声尾をかけて、5月4日の湯島で花井氏をすることにしました。
興味のある方がいたら、歓迎です。
ご参加ください。
■コミーの小宮山さん(2016年4月21日)
久しぶりにコミー社長の小宮山さんに会いました。
久しぶりといっても、1カ月ぶりくらいなのですが。会っていないと会いたくなるのが小宮山さんです。
しかし、会うと意見の違いで論争になりがちです。
なにしろ小宮山さんは頑固ですから。
しかし小宮山さんに言わせれば、私も頑固なのだそうです。
今回もまた、人間と道具の議論になりました。
小宮山さんは、佐藤さんは小宮山定義を理解していないというのですが、私からすれば、小宮山さんが私の反論を理解していないのです。
というわけで、毎回議論は堂々巡りです。
困ったものです。
今回は、ストーリーテリング協会やweasoneプロジェクトへの応援を頼む予定でしたが、論争が激しすぎて、たぶん小宮山さんの記憶に残っていないかもしれません。
もっと関係がいい時に頼まなければいけません。
でもまあ、その後、小宮山さんに夕食をご馳走になってしまいました。
久しぶりにいろんな話ができました。
■熊本地震に関して思ったことをFBに書きました(2016年4月22日)
熊本地震に関して、ちょっと思ったことをブログに書いたのですが、それを恐る恐るフェイスブックにもアップしました。
予想に反しておおかたは共感を得たという反応でした。
個別にメールなどももらいました。
主なものをブログに載せました。
よかったら最初の文章とそれへの意見をお読みください。
見える困窮と見えない困窮
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2016/04/post-f820.html
いただいたご意見など
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2016/04/post-fe6b.html
■野菜の苗木市(2016年4月23日)
昨日からまた畑を再開しましたが、先週植えた野菜の半分が、その後の強風で折れてしまいました。
私が畑をしているところは、宅地のど真ん中の空き地であり、両側は住宅が建っています。
しかも手賀沼に向けて空き地になっているので、ちょうど風の道になっているのです。
そのため見事に枯れてしまったわけです。
ちょうど近くの農産物直売所で、我孫子の地産地消の買いが、野菜の苗を販売すると言うので、朝、買いに行きました。
コムと割るので始まる時刻に合わせて出かけたのですが、到着したらすでに50人以上の人が並んでいました。
しかも混雑を避けるために入場制限です。
家庭菜園はすごい人気のようです。
20分並びましたが、まだかかりそうだったので、諦めて帰宅しました。
私は並ぶのがとても苦手でm途中でもう我慢できなくなるタイプなのです。
午後、出直していってみたら、あまりいい苗は残っていませんでした。
強風でだめになった、トマトときゅうりだけを買ってきましたが、たしかにしっかりした苗です。
畑は今日もかなり頑張って農地を広げました。
もっと苗を購入しないといけません。
午後は畑で汗をかきましたが、かきすぎて帰宅してダウンしていました。
困ったものですが。
(2016年4月第2週)
■金田さんが実現したい構想(2016年4月11日)
■ユージンが実現したい構想(2016年4月11日)
■小宮さんたちが実現したい構想(2016年4月11日)
■農作業デイ(2016年4月12日)
■高須さんの実現した構想(2016年4月13日)
■熊本で大地震発生(2016年4月14日)
■阿部さんが実現したい構想(2016年4月16日)
■高等遊民会議(2016年4月16日)
■金田さんが実現したい構想(2016年4月11日)
新潟の金田さんが湯島に来ました。
金田さんが立ち上げた「ささえあい・新潟」の活動として、みんカフェ新潟(みんなのゆる〜いカフェサロン新潟)をスタートさせる相談に来てくれたのです。
金田さんが立ち上げるというのであれば、新潟に行かないわけにはいきません。
5月の下旬に開催することにしました。
金田さんの構想が、いよいよ再稼働です。
近づいたらまたご案内しますので、新潟の方がもし読者にいたら、ぜひご参加ください。
ご連絡いただけたら、決まり次第ご案内します。
■ユージンが実現したい構想(2016年4月11日)
ガーナ人のユージンが久しぶりにやってきました。
彼が代表を務める Weasoneのプロジェクトで、新しい構想を考えているようで、その相談に来たのです。
いささかのアマチュアリズムなのですが、まあこの種のプロジェクトでも、時にうまく展開してしまうのが、現代の面白さです。
しかし、きちんとした社会活動として取り組むのであれば、しっかりしたグランドデザインが必要です。
久しぶりに少し講義するように、彼の頭を整理しました。
彼はようやくしっかりしたコンセプトワークが必要だと思ったようで、改めてもう一度、ディスカッションしたいと言い出しました。
受けないわけにはいきません。
彼の構想は、NPOと企業を超えた、しかも国家を超えた、支え合うつながりを育てて、社会事業を起こしたり支援したりする仕組みづくりなのです。
国連も絡んでします。
彼が6月に国連で話す機会があるのだそうです。
しかしこのレベルだと世の中にたくさん同じような仕組みはあります。
新しく作るとしたら、新しい価値を持たねばいけません。
そこを改めて議論することにしました。
■小宮さんたちが実現したい構想(2016年4月11日)
佐藤総合設計の小宮さんたちが湯島に来ました。
小宮さんと知り合ったのは、小美玉市の文化センター「みの〜れ」の建設の時です。
私はそこの住民アドバイザーで、小宮さんの会社が設計と建設を請けおってくれたのです。
以来、時々何かあると相談に来てくれるのですが、今期もちょっとした相談に来てくれたのです。
もっとも仕事でつながったことはありません。
なにしろ私は、狭義のビジネス的な仕事をする気はそもそもあまりないからです。
しかし、いつも小宮さんの構想には共感できるものがあります。
「みの〜れ」の時のような面白い展開にするには、それなりの体力も必要なので、いまはもう無理でしょうが、今回はその話に少し乗ってみようと思います。
久しぶりに住民主役のまちづくり活動に関われるかもしれません。
一度、その町に行ってみることにしました。
私にとっては、ちょっと関心のあるまちです。
■農作業デイ(2016年4月12日)
気になっていたのですが、時間ができたので、畑に行って、購入していた野菜の苗を植えてきました。
道沿いの花壇はチューリップが咲いていました。
少しずつ、花壇らしくなり畑らしくなってきました。
しかし畝づくりにしても体力仕事です。
一人では大変ですので、今日は娘に頼んで手伝ってもらいました。
去年よりも畑の面積は倍になりましたが、もう少し頑張って4倍にしようと思います。
畑作業は疲れますが、気分的には良いものです。
■高須さんの実現した構想(2016年4月13日)
中国の企業に転身し、この数年、海外で頑張ってきている高須さんが2年ぶりくらいに湯島に来てくれました。
活動もだいぶ軌道に乗ってきたようで、次のステップの構想もできるようになってきたようです。
その構想に関して少し話し合いました。
構想の内容は、高須さんのものなので、ここでは書けませんが、それに関連して、海外から見た日本の産業界の話をいろいろと聞かせてもらいました。
とても納得できる話が多かったですが、意外な話もありました。
高須さんの構想の実現には全面協力しようと思います。
なにしろ彼は私が仲人させてもらった人ですから。
■熊本で大地震発生(2016年4月14日)
熊本でM6.5・最大震度7の大地震が発生しました。
さらに2日後の16日にはM7.3・最大震度7の地震が発生した。
その後、余震が続発しています。
■阿部さんが実現したい構想(2016年4月16日)
引きこもりの若者などを対象とした自立支援活動に取り組んでいる阿部さんたちとの「みんカフェ湯島」でしたが、当日になるとなかなか参加できなくなってしまう人が多く、また半分以上は事務局側の集まりになってしまいました。
それに今は季節の変わり目なので、調子を崩す人も少なくないのです。
それで要するに阿部さんとしての構想をもう少し具体化しようという話になりました。
構想は実行計画や目標設定しないと、いつまでも構想で終わりますから。
最初の一歩を踏み出すように阿部さんには働きかけていますが、なかなか踏み出せないのは、いまの仕事が忙しすぎるからかもしれません。
阿部さんに限りませんが、そういう人が多すぎます。
そこから抜けないと、構想は構想で終わりかねません。
さてどこまで私自身コミットするかという問題でもあります。
ちなみに今日のみんカフェは、小学6年生と20代の若者が参加してくれました。
事務局メンバーが多かったとはいえ、少しずつサロンのかたちも育ち始めそうです。
■高等遊民会議(2016年4月16日)
杉原さんたちがやっている高等遊民会議というのがあるのですが、今回はそれを湯島でやろうということになりました。
残念ながら、メンバーが遊民であることから、なかなか集まるのが難しく、今回は杉原さんと小林さんの2人だけでした。
そのおかげで、かなりゆっくりと話せました。
小林さんは都内にあるお寺の僧侶です。
お寺を活用した活動を企画中だそうです。
いつか接点が持てるかもしれません。
高等遊民会議構想は面白そうですが、なにせメンバーが遊民なので、まあ構想にまとめて何か形にすることはないでしょう。
しかし湯島は、遊民たちにはできるだけ開放したいと思っています。
(2016年4月第1週)
■オープンサロンは今回もお一人でした(2016年4月3日)
■ウォーゲーム論争(2016年4月4日)
■子どもシリーズをどう続けるかの横道(2016年4月4日)
■ホモ・ナランス宣言(2016年4月5日)
■地域のチェンジ・エージェントに役立てることはないだろうか(2016年4月5日)
■小林音楽サロンのためのレジメ(2016年4月6日)
■若者の涙(2016年4月6日)
■経営道フォーラム最後の合宿(2016年4月7日)
■大涌谷には行けませんでした(2016年4月8日)
■みんなの認知症予防ゲーム大体験会(2016年4月9日)
■オープンサロンは今回もお一人でした(2016年4月3日)
オープンサロンは、まだ定着していないため、案内を出さないといけないのですが、案内を書く習慣がありません。
今回は1週間前にホームページに案内を書いたつもりが、よく見たら、3月3日になっていました。
慌てて、当日の朝、書き直しましたが、それ以外は案内を書かなかったので、今日はさすがに誰も来ないだろうと思っていました。
ところが、お一人やって来たのです。
湯島カフェサロン皆勤を目指している太田さんです。
大田さんは、たまたま今日は近くの岩崎邸に来ていたのですが、思い出して寄ってくれたのです。
サロンではゆっくり話せないことが多いので、久しぶりにいろんな話をしました。
大田さんは、経済同友会時代にいろんな体験をしていますので、いろんな秘話をお持ちなのです。
オープンサロンはこれからどうしようか、迷うところですが、もう少し続けようと思います。
毎月最初の日曜日の2〜4時です。
ただたぶん5月は臨時休業になるかもしれません。
■ウォーゲーム論争(2016年4月4日)
ウォーゲーム研究者の蔵原さんがやってきました。
かなりの激論になりましたが、実に刺激的でした。
考えの違いもかなり明確になってきました。
ところで、本論に入る前に、蔵原さんとは何者かの話をしました。
熊本の蔵原一族の出なのです。
道理で、というか、にもかかわらずというか、まあ少し背景がわかってきました。
人は背景からは抜け出せないものです。
蔵原さんは、ウォーゲーム以外もさまざまな活動をしています。
そうした話にまで広がりました。
あるプロジェクトの提案も受けましたが、まあ考えが違うので、仲間になることにしました。
途中で喧嘩別れになるか、何かが創発するか、楽しみです。
長時間、激論のしすぎで、喉がやられそうになったので、最後は平和な話に変えました。
肝心のウォーゲームについて、5月に、軍事問題のプロと3人でゲームをやることにしました。
さてさてどうなるでしょうか。
■子どもシリーズをどう続けるかの横道(2016年4月4日)
日本子どもNPOセンターのメンバーである上野さんと話しました。
直接の用件は全く違う話だったのですが、ついでに少し日本子どもNPOセンターの状況についてお聞きしました。
せっかく再スタートしたのに、どうもうまく動いていないような気がしているからです。
できれば、子どもたちの育ちの現場をテーマにした公開フォーラムを、コムケアと共催できないかと思っています。
そういうこともあって、お会いしたのですが、そこまで行く前に、いろんな話がありすぎて、時間オーバーになってしまいました。
それでも、コムケアサロンの子どもシリーズをどう展開していくかのヒントももらいました。
■ホモ・ナランス宣言(2016年4月5日)
ストーリーテリング協会の準備委員会を開催しました。
九州の権藤さんにも参加してもらいました。
権藤さんには監事になってもらえるので、管理面は心配ないでしょう。
発起人理事は全員集まり、覚悟を決めました。
それぞれが基金に出資することにしました。
私が代表理事になることになりました。
それで、代表挨拶を書かなければいけなくなったので、ちょっと肩に力を入れて、「ホモ・ナランス宣言」を書きました。
これを読んでもらえると、この協会に入会したくなるのではないかと思います。
もしご関心があれば、お読みください。
下記ページにとりあえず掲載しました。
narrative.htm
ストーリーテリング協会のホームページが完成したら、もう少しブラッシュアップしたものをそちらに掲載する予定です。
■地域のチェンジ・エージェントに役立てることはないだろうか(2016年4月5日)
「みんなの社会教育」研究会を立ち上げる予定だったのですが、そのコアメンバーの一人の根本さんの思いと少しずれだしているので、どうしようかと根本さんと雑談をしました。
根本さんが目指しているのは、地域社会を変えていくチェンジ・エージェントのネットワークなのです。
私の考えている「みんなの社会教育」運動は、まさにそれだったのですが、前回、公開フォーラムを開催して感じたのは、多くの人が望んでいるのは、やはり「従来型の社会教育」の枠の中での改善のようです。
たしかにその方が現実的です。
無理に、とんがることもないわけで、それはそれでいいのではないかと私も考えを変えたのですが、根本さんはやはりチェンジ・エージェントにこだわりたいようなので、それにも加担していこうと思います。
つまり流れが分岐したということです。
連休明けに、関心を持ちそうな人に声をかけて予備会をやろうと思います。
動き出すと忙しくなってしまうものです。
困ったものですが。
■小林音楽サロンのためのレジメ(2016年4月6日)
音楽のために生きている小林さんのサロンを4月30日に開催しますが、そのやりとりを通して、小林さんのレジメがどんどん膨れてきてしまい、ついに本にしようという方向になってきました。
更新されたレジメが定期的に届くのですが、私には難解でついていけません。
サロンとレジメとは、どうも別のものになりそうです。
音楽のために生きているだけあって、小林さんのパトスは半端ではありません。
たとえば、小林さんが考えているのはこんなことです。
行き詰まった調性と機能和声理論の認識を一度忘れよう。
そして新しい耳で音を深く聴くことで音の新たな関係性を見つけよう。
そこから、『音楽工学』ではない、人間の真の創造性を発揮できる新たな音楽の道が見つかるはずだ。
なんかすごいことを構想しているのはわかるのですが、ロゴスとしては未消化のきらいがあり、私にはまだちんぷんかんぷんです。
しかし、いまはA4にして45頁ですが、そのうち、100頁になるでしょう。
書籍にしたら300頁ほどにはなりそうです。
いやはや先行きが心配です。
しかし、サロンは面白くなりそうです。
小林さんの「音楽への情念」は、レジメづくりに向かったので、カフェサロンでは、音楽論よりも人間の創造力の話になるでしょう。
■若者の涙(2016年4月6日)
ブログに書きましたが、またバトミントンのオリンピック候補選手が、裏カジノに手を出したことで、問題になってしまいました。
その謝罪会見がありましたが、謝罪する若者たちの涙を見ていて、こんな純情な若者たちを利用して、スポーツ産業で私腹を肥やしている大人たちが許せない気分です。
いかにも腹が立つので、フェイスブックにもアップしていました。
批判されるかと思ったら、むしろ共感されてしまいました。
でもオリンピックは中止にはならないでしょう。
おりんピックほど、毒々しい悪はないと私は思っています。
■経営道フォーラム最後の合宿(2016年4月7日)
永年関わってきた経営道フォーラムのアドバイザーを今期で降りることにしました。
考えが事務局と合わなくなってきたからです。
私がいると、事務局もやりづらいでしょうから。
しかし、第1期から関わってきたのと、その基本スキーム作りにもささやかに関わったので、寂しさもあります。
そんなわけで、今回は最後の箱根合宿に参加しました。
最後に私が担当するチームは、とてもやさしいチームで、湯島にもちょこちょこ来てくれましたので、みんなそれぞれに気づきをすでに得てくれているので、私としてはもう大満足です。
報告書もなかなかいいものになりそうです。
発表会は5月16日、椿山荘です。
よかったら危機に来てください。
■大涌谷には行けませんでした(2016年4月8日)
箱根で経営道フォーラムの合宿を行っていた箱根は、1日目はすごい雨風だったのに、2日目は晴れていい天気になりました。
報告書作りも先が見えてきたので、ホテルを抜け出して、大涌谷にでも行くのはどうかと、いつものように声をかけました。
これまでまともに受け止められたことはなかったので、今回もまあ、軽い気分でそそのかしたのですが、何と今回のチームはのりがよくて、昼食後、事務局に内緒で、こっそりと出かけてしまいました。
噴火している大涌谷を覗きたかったのですが、危険のため道路が封鎖されていました。
ところがチームメンバーは、どうせ来たのだからと芦ノ湖の箱根神社まで行くことになってしまいました。
実にいい。
で結局、ホテルに戻るのは1時間も遅れてしまったわけですが、私にとっては、合宿の合間を抜けて外に出ようという年来の夢がかないました。
人は、閉じ込められたら、そこから抜けることを目指さねばいけません。
経営道フォーラムも今回を持って辞める予定ですが、よい合宿になりました。
大涌谷の道路封鎖のところで、写真を撮りました。
そういえば、こんな風景を5年前も福島で観ました。
大涌谷の噴煙は、途中でちょっとだけ見ました。
■みんなの認知症予防ゲーム大体験会(2016年4月9日)
みんなの認知症予防ネットの大体験会が開催されました。
いよいよゲーム実践者の組織がキックオフしだしました。
どこまで関わるか、いま迷っています。
ここまでの責任上、組織が軌道に乗るまでは関わらないといけないかもしれません。
5月の連休明けに、湯島で説明会を開催する予定です。
(2016年3月第5週)
■ストーリテリング協会準備会(2016年3月27日)
■「日本的霊性」を読み直しました(2016年3月28日)
■みんなの認知症予防ゲームの実践者の組織化(2016年3月29日)
■我孫子をさらに暮らしやすいまちにするには(2016年3月29日)
■「日本の企業・行政に適する倫理を見つける」連続講座の企画(2016年3月30日)
■新潟での「みんカフェ」構想(2016年3月31日)
■みんカフェ構想を広げるには(2016年4月1日)
■山本秀太郎さんの余生計画(2016年4月1日)
■ストーリテリング協会準備会(2016年3月27日)
ストーリテリング協会準備会の第2回発起人会を開催しました。
同時に、基本プログラムの検討会をも行いました。
少しずつ形が見えてきていますが、結構大変です。
役員は決まりました。
2年間は、代表理事を引き受けることにしました。
組織へのコミットは基本的にはしない方針できましたが、ちょっと心変わりがあり、新しく発足する組織へのコミットは2年を限度に引き受けることにしました。
4月には登記をして、組織発足になりそうです。
ロゴも決まりました。
会員募集はすでに始めています。
4月17日と21日に、オープン講座も開催予定です。
ご関心のある方はご連絡ください。
■「日本的霊性」を読み直しました(2016年3月28日)
テレビの「こころの時代」で華厳経のシリーズをみていたのですが、それで思い立って、久しぶりに鈴木大拙の「日本的霊性」を読み直しました。
複雑系の経済やホロニック発想がわたしにはとても腑に落ちるのですが、その根源はやはり華厳の思想や鈴木大拙の「超個己」の捉え方にあるように思います。
それと大拙の「霊性は土との関係性から生まれる」と言う考え方が、とても好きなのです。
改めて読み直してみると、私の生き方が改めて肯定されているような気がしてきました。
本は記憶に残っていなくても、心身には埋め込まれていくものだと、改めて思いました。
ついでに、以前挫折したままだった井筒俊彦さんの「意志企業の形而上学」も読み直そうかと言う気になってきました。
いまなら少しは理解できるかもしれません。
■みんなの認知症予防ゲームの実践者の組織化(2016年3月29日)
みんなの認知症予防ゲームの実践者の組織化は、いささか迷い道をしています。
最初から私がもっとコミットすればよかったのですが、あくまでも第三者的に関わってきたのがむしろ良くなかったことを、前回、気づいたのですが、ともかく組織を立ち上げたいと言う加藤さんの熱意を正面から受けることにしました。
前回までの組織は一度白紙に戻しての再スタートですが、また議論して空中分解してはいけないので、今回はかなり具体的な話をさせてもらうとともに、私のビジョンも少しだけ話させてもらいました。
さてさて今回はどう展開していくでしょうか。
4月9日には、組織化を呼びかける集まりも計画されています。
ご関心のある方はご参加ください。
案内はフェイスブックに載せています。
■我孫子をさらに暮らしやすいまちにするには(2016年3月29日)
前々から私に地元でもきちんと活動しなければいけないと諌めてくれていた原田さんが、数名の我孫子住民に声をかけて、集まりを主催してくれました。
小田さん、古川さん、大和さん、西廣さん、そして私と原田さんです。
原田さんは、我孫子を「みんなが気持ちよく暮らせる街」にしたいと考えているのです。
そのために何をするか。
行政に要請するのではなく、自分たちで何かをする組織を構想しているのです。
大きな方針は合意されましたが、問題はどう進めていくかです。
まずはゆるやかな組織を立ち上げるのがいいと思いますが、組織を立ち上げることはそう簡単ではありません。
これからが知恵の出しどころです。
■「日本の企業・行政に適する倫理を見つける」連続講座の企画(2016年3月30日)
NPO法人科学技術倫理フォーラムの杉本さんを講師にした「日本の企業・行政に適する倫理を見つける」連続講座を企画しています。
プログラムなどはもう決まっているのですが、私が最近、あまりにも暇で時間破産しているために、杉本さんとの約束を守れずに遅れてしまっています。
それに少し関係者にも打診してみたのですが、どうも反応があまり良くありません。
倫理問題への関心は、企業も行政も低いようです。
困ったものですが、だからこそ開催する意味はあります。
5月にスタートできるように、改めての検討を開始しました。
ブックのコーナーに紹介しましたが、杉本さんが中心になって版を重ねてきている「技術者の倫理入門」はとてもいいテキストです。
ぜひ多くの人に読んでいただきたいのと、このテキストをつかった技術者倫理サロンを継続的に開催できないかと考えています。
これは年来の計画なのですが、実現できていません。
やりたいことが多すぎて、困ったものですが。
■新潟での「みんカフェ」構想(2016年3月31日)
新潟の金田さんから、「みんカフェ・新潟」を立ち上げたいと電話がありました。
私が構想している「みんなのゆる〜いカフェサロン・ネットワーク」構想に賛同してくださったのです。
「みんカフェ」とは、「みんなのゆる〜いカフェサロン」の略称です。
誰でも、そこに行くと自分の居場所がみつかるような、みんなの「ゆる〜いカフェ」を、ゆる〜くつないでいく。そして、そこを拠点に「人の支え合うつながり」を育てていく。
これが「みんカフェ」構想です。
最近は、ゆるカフェとかコミュニティカフェなどが広がっていますが、もっともっとカジュアルで不定型なカフェサロン構想なのです。
金田さんは5月にはスタートしたいと言っています。
馳せ参じなければいけません。
■みんカフェ構想を広げるには(2016年4月1日)
新潟でも始まる「みんカフェ」ネットワーク構想について、阿部さんと話し合いました。
ただカフェサロンをやるだけではなく、できればそれを阿部さんが取り組んでいる就労支援にもつなげていきたいのです。
さらには自殺対策や認知症予防にもつなげていければと思っています。
実は、そもそも湯島のコンセプトワークショップ空間はまさにそれを目指してきているのですが、昨年からは「みんカフェ」としてのサロンも開催しています。
公開型のサロンではないのですが、少しずつ公開し始めています。
いまはまだ告知はほとんどしていませんが、4月の開催日は16日の午後です。
ご関心のある方は、個人的にご連絡いただければご案内します。
居場所のない方大歓迎です。
必ず居場所を見つけられると思います。
■山本秀太郎さんの余生計画(2016年4月1日)
ビレッジハウスの山本さんが2年ぶりに湯島に来ました。
最近来ないところを見ると、ビジネスがうまく展開しているのだろうと思っていました。
湯島は駆け込み寺ですので、ビジネスにしてもNPOにしても、うまくいっている人は基本的には来ないのです。
時に、新しい発見があったり、うれしい結果が出たりした時に、その報告に来てくれる方はいますが、基本的には問題を抱えると思いだしてやってくるのが湯島なのです。
さて今回の山本さんの来訪は、何なのだろうかと思っていたら、思ってもいなかった言葉が出てきました。
出身地の京都に帰ろうと思うというのです。
山本さんは夫婦そろって京都ご出身なのです。
南禅寺界隈に住んで、ビジネスの傍ら、神社仏閣まわりしながら、大学で学びの時間も持とうと言う、ぜいたくな計画です。
久しぶりに、長話をしてしまいました。
残念ながら私にはそうした豊かな老後生活は期待できそうもありません。
(2016年3月第4週)
■住友生命福祉文化財団の原さんの来訪(2016年3月22日)
■認知症予防ゲームに取り組む3人(2016年3月23日)
■社会教育のコペルニクス転回(2016年3月23日)
■ワンダーアートプロダクションの高橋雅子さん(2016年3月24日)
■経営道フォーラム最後のチーム(2016年3月24日)
■緊急カフェサロン「責任者はだれなのか?」(2016年3月26日)
■住友生命福祉文化財団の原さんの来訪(2016年3月22日)
住友生命福祉文化財団の原さんが湯島に立ち寄ってくれました。
この3月で定年退社される僧です。
原さんにはいろんな意味でお世話になってきました。
退職後の計画をお訊ねしたら、イスラムの歴史を学ぶ計画があるようです。
大学に通うこともお考えのようです。
原さんは大学時代は、経済や法律を学んだようですが、まったく違った分野への関心をいろいろと話してくださいました。
話している時の原さんの目の輝きが印象的でした。
奥様はすでに大学で美術などを学んでいるそうです。
時代が大きく変わりつつあることを実感しました。
いつか湯島でイスラムをテーマにしたサロンをお願いしたいと思っています。
■認知症予防ゲームに取り組む3人(2016年3月23日)
認知症予防ゲームの活動のおかげでお知り合いになった3人の女性たちが来てくれました。
3人とも、ラフターヨガという活動もやっている方です。
今回は相談ではなく、いろんな話に来てくれたのですが、女性たちの元気さにはやはり圧倒されます。
お一人は宝塚ファンで、いまも忙しい合間をファン活動もしているようです。
湯島のサロンで一度、宝塚の話をしませんかと冗談のつもりで行ったのですが、宝塚の話なら何時間でもさせてもらいますと言われてしまいました。
3人は、それぞれ年齢もお仕事も別ですが、認知症予防活動やラフターヨガ活動でつながったようです。
社会活動をしていると、こうしたつながりがどんどん広がっていきます。
そうなると、組織と個人の関係が逆転します。
組織に使われる生き方ではなく、組織を使い込む生き方に代わっていくのです。
女性たちの元気は、そういう生き方にあるように思います。
■社会教育のコペルニクス転回(2016年3月23日)
2月に開催した「みんなの社会教育ってなんだろう」のミニフォーラムは、とても面白かったのですが、私の思いとは少しずれてしまったような気がします。
参加者の多くは、社会教育の視座を転回させようというよりも、情報交換や活動の広がりに関心があるのです。
そうであれば、新しい組織を立ち上げることもなく、これまでの活動の延長でいいと思い出しました。
それで、そもそものコアメンバーとこれからの展開方針を原点に返って話し合いました。
結果的には、「改善型活動」と「改革型活動」を並行させることにしました。
恐らく外見上は、そう変わらないのですが、理念は違うのです。
しかし、コアメンバーが同じなので、またどこかで挫折するかもしれません。
でもまあ、まずは組織化を考えることになりました。
いろいろと迷うことはあるのですが、ともかく2本だてで動き出します。
■ワンダーアートプロダクションの高橋雅子さん(2016年3月24日)
ワンダーアートプロダクションの高橋雅子さんが、お弁当を持って湯島に来てくれました。
高橋さんは3.11の後、すぐに東北被災地で子どもたちを対象に、アートで元気づけようと飛び出すようにして活動を始めて、いまも精力的に活動しています。
しかし、本業のホスピタルアートや難病の子どもたちの支援活動なども超多忙でしょうし、何よりも資金的に大変なはずです。
しかし高橋さんはいつもニコニコと元気なのです。
どこかで倒れることがないのか心配ですが、たぶん子どもたちからエネルギーをもらっているのでしょう。
今回は久しぶりにいろんなお話ができました。
遺跡に関して、共通点も見つかりました。
高橋さんが遺跡好きとはまったく知らなかったのです。
あっという間の2時間半で、肝心の高橋さんの相談にあまり乗れなかったような気がします。
何ができるかを、少し考えなければいけません。
いろいろとできそうなことがありますし、いくつかの接点もあることに気づきました。
ちなみに高橋さんが、持ってきてくれたお弁当は、とてもおいしかったです。
有機野菜を中心にしたお弁当で、苦労して探してくださったようです。
■経営道フォーラム最後のチーム(2016年3月24日)
経営道フォーラムの58期生の私の担当チームが報告書のまとめ方の相談に来ました。
28年前に経営道フォーラムでお話させてもらって以来、ずっと関わらせてもらって来ていましたが、どうも私の思いとはずれてきているので、今期を最後に経営道フォーラムのコーディネーターを辞めさせてもらうことにしました。
考えてみれば、ちょっと長すぎたかもしれません。
それで今回のチームが私の最後のチームになります。
今回のチーム研究のテーマは「イヤイヤ・マネジメントからイキイキ・マネジメントへ」です。
目指すのは「定常経済下で持続的成長できる企業」ですが、チームメンバーの発見は、「定常経済であればこそ、企業は新しい芽を育て事業を変革していかねばいけない」ということです。
これはとても示唆に富んだ指摘です。
どんな報告書ができるか楽しみです。
来月初めには箱根で合宿するのですが、それにも参加する予定です。
■緊急カフェサロン「責任者はだれなのか?」(2016年3月26日)
広島の中3生徒の自殺という痛ましい事件を題材に、社会のあり方や私たちの生き方を問い直す緊急カフェサロン「責任者はだれなのか? −子どもたちの育ちの場を事例にして」は、14人の参加で、4時間の過去最長のサロンになりました。
20代から70代、男女比もほぼ半分という、にぎやかな構成でした。
最初に、問題提起者の吉田裕美子さん(NPO法人教育のためのTOC日本支部理事)から、ご自身が体験した、学級崩壊のクラスを生徒たちが中心になって解決した話があり、つづいて、広島の事件がなぜ起こってしまったかについて、「先生」「生徒」「親」という3つのアクターごとに参加者が問題点を出し合いながら話すというスタイルで話し合いが行われました。
いろいろな意見が出てきて、話が途切れず、気がついたら4時間の長いサロンになりました。
吉田さんの予定では、それに続き、他にも責任者はいるのではないか、そしてこうした事件の背景にある私たちの生き方や社会のあり方はどうなのか、という展開になるようでしたが、話し合いが盛り上がりすぎて、そこまで行けませんでした。
しかし、その途中で、「責任」とは何かが問題になりました。
「責任」という言葉をどう捉えるかということ自身が、もしかしたら、今回のテーマの答えなのかもしれないと思いました。
責任という言葉に代わる言葉を見つけるべきではないか、あるいは「責任」という言葉の意味転回をする必要があるのではないかという話にまでなりました。
言葉は、本質につながっています。
吉田さんは、後半の話し合いのポイントを話しながらまとめてくださいました。
これに関しては、もしご関心がある人がいたら、ご連絡ください。
吉田さんの了解を得られれば、提供させてもらいます。
話し合いの内容は、まとめようもないので諦めますが、吉田さんからのメッセージの一つは、「話し合いが不足している社会」のなかで、どうしたらもっとみんな話し合いができるだろうかということだろうと思います。
前半の学級崩壊を立ち直らせた事例で、吉田さんは子どもたちから得た気づきを話してくれました。
子どもたちは話を聞いてほしいと思っている。
子どもたち同志も、もっと話したいと思っている。
でも校内では、なぜか素直に話し合えない。
そして、子どもたちが話し合いをした結果、子どもたちは次の気づきを得たようです。
みんなで話し合えば大丈夫だ。
親切とは仲良くすること(話し合えることと言ってもいいと私は思いました)。
実に示唆に富んでいます。
私たち大人も、もっと子どもたちから学ばないといけません。
先生たちにも、教えるということは学ぶことだと気づいてほしいと思いました。
4時間のサロンでしたが、これを踏まえて、4番目のアクターである「自分自身」に焦点を置いてのパート2を開催したい気分です。
もし3人以上の賛成者がいたら、企画したいと思います。
広島の事件に関して言えば、先生も親も、おそらく人生を大きく変えてしまうことになったでしょう。
しかし、私自身もいつそうしたことの当事者になるかもしれません。
いやすでにもう「当事者」になっているかもしれません。
私には、改めて自らの生き方を問い質すサロンになりました。
(2016年3月第3週)
■カフェサロン「スワンベーカリーの目指していること」(2016年3月13日)
■ピラールプレスのおふたりに出会えました(2016年3月13日)
■農カフェOMOしろいに行きました(2016年3月15日)
■今川さんの人生(2016年3月17日)
■柳田さんの朝行事(2016年3月17日)
■企業人の寂しさと怒り(2016年3月17日)
■久しぶりの墓参り(2016年3月18日)
■若い女性の訪問(2016年3月19日)
■「みなカフェ」が始まりました(2016年3月19日)
■JSTAスタート(2016年3月19日)
■カフェサロン「スワンベーカリーの目指していること」(2016年3月13日)
今回は、2年ほど前に、スワンベーカリーを経営している株式会社スワンの社長になった岡村さんが話題提供をしてくださいました。
予想を超えて、17人もの参加になり、いささかあわててしまいました。
しかし、スワンベーカリーへの関心がこれほど大きいことはうれしいことです。
スワンベーカリーは、「障がいのある人もない人も、共に働き、共に生きていく社会の実現」というノーマライゼーション理念のもとに、障がい者の経済的自立支援を目的に、『クロネコヤマトの宅急便』の生みの親の小倉昌男さんが始めた、パン製造販売を行うフランチャイズチェーンです。軽食も提供する喫茶店も展開しています。
岡村さんは、ヤマト運輸で長年バリバリのビジネスマンとして働いてきました。
私が出会った当初は、まさに同社の戦略参謀スタッフでした。
それが思いもしなかったスワンの社長を引き受けることになったのです。
岡村さんは、まずその時の思いを、とても素直に話してくださいました。
それまでは他人事だったスワンの世界が、入ってみるととても生き生きした世界で、経営に関する考え方も、企業そのものの捉え方も、(たぶん自らの人生観も)変わってきたようです。
岡村さんが語るスワンのお話には、あたたかさを感じましたが、話したいことが山のようにあるようで、次から次へと話が飛び出してきました。
それだけ岡村さんは、この2年間、充実した時間を過ごしてきているのでしょう。
それだけで、私はスワンという会社の素晴らしさを感じました。
お話の内容を中途半端に紹介するのはやめますが、岡村さんが話してくれた4人のスワンの社員(岡村さんは「スワンの仲間」と表現しました)の話はとても示唆に富んでいると思いました。
障がいがあるために働く場が得にくい人たちにとって、いま何が一番大切なのかが、そこに表れていますし、障がいとは関係なく、そこにいまの時代の働き方や働く場の問題と解決のヒントが象徴されているように思いました。
話し合いではさまざまな話題がでましたが、私の勝手な感想を述べれば、やはり私たちはまだ金銭経済や工業経済の発想から抜け出せていないということです。
スワンで働くことで、授産施設などに比べると10倍ほどの給与を得ることができ、障害者手当を含めれば、経済的には生活が自立できるかもしれません。
しかし、スワンの意味はそれだけなのだろうか。
それにまだ、そうした人はとても少ないでしょう。
企業の障害者法定雇用率をもっと高めるべきではないかという話も出ました。
障がいの子どもを持つ親にとっては、自分の死後、子どもが働けなくなった後のことも心配ではないかという話が出ました。
障がいを持つ子どもの母親からも、なかなか雇用してもらえないという悩みも出ました。
もちろんいずれも大事なことです。
しかし、私には、そもそもそういう発想を問い質すべきではないかと思っています。
そういう発想が、いまの生きづらい社会をつくりだしてきたのではないか。
スワンで働いている人たちにとって、一番の喜びはなんなのか、をしっかりと考えてみたいと思います。
そして、実は「障がいをもつ人たち」の働き方を考えることは、働き方そのものを考え直すきっかけになるのではないかと思います。
障がい者雇用を進めているアイエスエフネットの社長の渡邉幸義さんは「障がい者が入社してくれたおかげで社員みんながやさしくなった」と言っています。
だとしたら、障がい者(高齢者や認知症の人も含めたいです)がいるだけで社会はやさしくなるのではないか。
ちょっとテーマは違いますが、スワンベーカリーのお店による味の違いの話も出ました。
スワンベーカリーは、いまは全国に29店舗(直営店は4つ)展開しています。
そのため、お店(地域)によって味も少し違うようで、それをそろえてほしいという声が出ました。
これもとても重要な問題だと思います。
私はスワンベーカリーにはマグドナルドのような均一の味になってほしくはありません。
と同時に、むしろ地域の人たちも一緒になって、スワンベーカリーのお店を良くしていくという関係が生まれていけばいいなと思っています。
ここにも、いまの社会のあり方や私たちの消費活動のあり方を考える重要な視点があります。
岡村さんは、本社時代に社風刷新に取り組みましたが、その時、「社風は勝手には悪くならない、(もし悪くなるとしたら)そこにいる人が悪くしている」と考えたそうです。
そして、経営には人柄が出ると言います。
とても共感できます。
「社風」を「社会」に替えても成り立つでしょう。
岡村さんはまた、障がいを持つ人の働き場づくりだけではなく、「生きにくさ」の解決にも取り組みたいと話しました。
スワンで得た気づきやノウハウが、いつか日本の会社や社会を変えていく動きにつながっていくと私は信じています。
岡村さんは、参加者のためにスワンのマドレーヌを持ってきてくれました。
お話をしてもらうのに、逆にお土産まで持ってきてもらう、これが湯島のみんなが育てるサロンの特徴の一つです。
何とか頑張って、この場をつづけていこうと改めて思いました。
■ピラールプレスのおふたりに出会えました(2016年3月13日)
福岡の権藤さんからの紹介で、ピラールプレスの高橋さんと中村さんにお会いしました。
「ピラール」。
どこかで聞いたような名前ですが、思い出せません。
名刺をよく見たら、おふたりとも名刺に、ヘミングウェイの箴言が書かれていました。
書籍ほど、信頼できる友はいない。
優れた作品はひとつのことで共通している。本当に会ったこと以上に真実だということだ。
ピラールはヘミングウェイのヨットの名前でした。
そういえば、最近読んだばかりの伊藤千尋さんの「キューバ」に、その船長だったグレゴリオさんの話が出ていました。
ピラールプレスは、医療関係の専門書などを出版している会社です。
でもなぜ、ピラールなのか。
どうも編集者の中村さんが、ヘミングウェイのファンのようです。
今回は、実はちょっと悩ましい相談でみえられたので、そんな話をする余裕はありませんでした。
でもまあ、いつかまたお話を聞けるでしょう。
おふたりから、「日本病院史」という厚い本と放射線被ばくに関する本をもらいました。
読むのが大変そうですが、もらった本は読むと決めているので、読まなければいけません。
ところで、何のためにおふたりは来たのか。
それはちょっと今は書けませんが、いつかまた書ける時が来るでしょう。
相談事があったのですが、友人の阿部さんに同席してもらいました。
たぶん解決できるでしょう。
いずれにしろおふたりとはこれからお付き合いが始まるでしょう。
仕事は全くと言っていいほど関係はありませんが、どこか通ずるところがありました。
いい人に出会えるとうれしくなるものです。
■農カフェOMOしろいに行きました(2016年3月15日)
久しぶりに、白井市にある農カフェ「OMOしろい」に行きました。
「OMOしろい」は、ニッポン食堂の宇賀さんご夫妻が中心になって取り組んでいる「農福商工連携」活動の拠点です。
宇賀さんたちが目指しているのは、誰もが気持ちよく働ける場づくりであり、誰もが安心して気持ちよく暮らせる社会づくりです。
千葉ニュータウンに残る自然環境を生かし、障がい者たちと一緒になって、野菜の栽培から加工、販売まで一貫した事業を展開しています。
お店のすぐ横には、自然豊かな谷津田もあります。
それも含めて、宇賀さんたちには、とんでもなく大きな夢があるのです。
宇賀夫妻が取り組んでいる活動は、昨年、千葉県初の起業家応援イベント「超域クラウド交流会」で最優秀賞を獲得、新聞などでも取り上げられました。
それについては、以前、ここで紹介させてもらいましたが、久しくお店に行っていなかったのです。
「OMOしろい」という名前も、一度聞いたら忘れられません。
そこに込めた宇賀さんたちの思いを聞いたら、誰でも荷担したくなるでしょう。
それについては、ぜひお店に行って、宇賀さんにお訊ねしてみてください。
久しぶりに行ったら、「OMOしろい」の雰囲気はさらに進化していました。
私が着いたのは2時半でしたが、お店は若い女性を中心ににぎわっていました。
どんどん動いているのが伝わってきます。
しかし、広がりが急速に出てきているために、宇賀さんたちが納得できる野菜や果物の確保と、一緒に仕事をしていく人の確保に苦労しているようです。
農業や福祉に関心のある人が、もしいたら、ぜひ宇賀さんにコンタクトしてみてください。
おふたりは、一緒にいるだけで元気がもらえるような人です。
農カフェ「OMOしろい」は、楽しく美味しいお店です。
地図は次のサイトにありますので、お近くの人はぜひ一度、立ち寄ってみてください。
宇賀さんたちが選んだ「こだわりの野菜」も直売しています。
宅配もやっています。
「http://www.nipponshokudou.com/cafe-shop/
私は宇賀さんたちとどこで出会ったのか、思い出せないのですが、なぜか会うたびに、引き込まれてしまうような不思議なご夫妻なのです。
今日は、久しぶりに、そこで働いている穴澤さんにも、宇賀さんの娘さんにも、会いました。
みんな忙しくて大変だと聞いていましたが、おふたりの顔は明るく輝いていました。
「OMOしろい」はこれからますます面白くなる、そう確信しました。
みなさんもぜひ応援してください。
お店にも、ぜひ。
■今川さんの人生(2016年3月17日)
IRコンサルタントでスタイリストの今川あつこさんが湯島に来ました。
先日のスワンベーカリーのサロンに来てくださったのが、私との縁の始まりです。
これまでは外資系の会社でクリエイティブなお仕事をされてきたそうですが、いま生き方がちょっと変わり目にあるようで、最近会社も辞めたそうです。
ビジネスの先端の世界からさらに先端を目指しながらも、どこかに路線を替えようとされている感じも伝わってきます。
私は物欲が強いのでと言いながら、しかしその世界には満足していないような思いがなんとなく伝わってきました。
おそらく価値観やいまの生き方は、私の対極になるでしょう。
住んでいるのも都心のど真ん中です。
私のような田舎者とは違う生活をし、私とは全く違うお店で食事をし、ファッションに気遣いながら、海外旅行も楽しみながら、人生を謳歌している。
そんな今様な生き方を楽しんでいるようです。
しかし、どことなく通ずるところがあるような気がして、気がついてみたら2時間も話し合っていました。
時代はまさに今、大きな変わり目にあると感じます。
今川さんが構想している新しい事業には興味を感じました。
ただちょっと取り組み姿勢を変えるだけで、まったく別の価値観の世界へと進むことになるでしょう。
さてどちらに向かって触れていくか、楽しみです。
■柳田さんの朝行事(2016年3月17日)
経営道フォーラム58期の柳田さんが、報告書のまとめ方などに関する雑談に来てくれました。
それはそれとして、その用件の後、奈良の話になりました。
柳田さんは奈良が大好きで、奈良に転居したのだそうです。
皮肉なことに、いまは東京に単身赴任ですが。
柳田さんが住んでいるのは、奈良の西大寺の近くです。
西大寺と言えば、私が大好きだった佐保路の(私にとっての)終着点でした。
一昨年、奈良に行った時にも西大寺に寄ろうと思っていたのですが、疲れ切ってしまい、西大寺の駅のカフェでコーヒーを飲むだけで終わってしまいましたが。
話が弾むうちに、柳田さんが、単身赴任している東京の家で、毎朝、大日如来に般若心経をあげていることを知りました。
そこからわが家の大日如来の話にもなり、話が広がりました。
私は華厳の思想のなかに、企業経営の真髄が込められているような気がします。
といっても、華厳経も読んだことがないのですが。
まさか柳田さんとこんな会話ができるとは思ってもいませんでした。
いつか柳田さんに奈良を案内してもらいたいです。
でもその奈良も、どんどん私にはなじみにくいものに変わってきているようで、さびしいです。
■企業人の寂しさと怒り(2016年3月17日)
あんまり詳しくは書けませんが、この1年、ある事件に巻き込まれてしまった大企業の役員の方がやってきました。
私が知る限り、限りなく素直で人間的な人です。
最近はこういう企業人が少なくなりました。
幸いなことに、その事件には無縁であることが確定し、起訴を免れました。
しかし、たとえ事実無根であっても、一度、事件に巻き込まれると、組織人としては致命的なダメッジを受けるものです。
この1年、その人は大変だったはずです。
湯島にも時々来てくれていましたが、そんな大変さはあまり見せていませんでした。
しかし、今回お話を聞くとやはり夜は眠られなかったようです。
私も少し軽く考えすぎていたようで、反省しました。
私は彼が起訴されるはずはないと確信していたからです。
でもそれは、当事者の気持ちとはかけ離れていたのです。
大きく反省しました。
その人には、別の会社の友人が大きな支えになっていたと思いますが、今回もその人も一緒でした。
というよりも、その別の会社の人が私に不起訴が確定したことを教えてくれて、ふたりで来てくれたのです。
その人も実に不思議な人です。
いろいろと書けないのが残念ですが、ふたりは利害関係は皆無でしょうが、とても信頼関係ができていて、私の活動もいろいろと支援してくれています。
そうした人のつながりが、もっと広がってほしいものです。
不起訴になったとはいえ、彼が失ったものはとても大きいでしょう。
しかし、湯島に来るなり、彼が元気に話し出したのはうれしかったです。
いろいろと気持ちを吐き出して、少し落ち着いたようだと、一緒に来た人が後で教えてくれました。
この体験を彼がどう活かすか、これまた楽しみです。
順風満帆ではなく、波乱万丈の方が、豊かな人生なのではないかと思います。
■久しぶりの墓参り(2016年3月18日)
お彼岸なので、久しぶりにお墓参りに行きました。
いろいろと事情があって、今年はなかなかお寺に行けなかったのです。
現世に生き残っていると、いろいろとありますので、妻も両親も許してくれるでしょう。
今回は墓前できちんと般若心経を唱えました。
■若い女性の訪問(2016年3月19日)
1か月ほど前に、電話がかかってきました。
若い女性の元気な声で、「自殺防止活動に取り組みたい」というのです。
声の様子から、少し不安を感じました。
なぜ私に電話してきたかというと、私の友人から私の名前を知ったそうです。
それで私を探し出して電話してきたようです。
いまの時代は、その気になれば、人は探し出せるのです。
私が不安に感じたのは、若い女性が「自殺防止活動に取り組みたい」というのは尋常ではないからです。
しかも元気がいい。
すぐにでも会わないといけないと思いましたが、彼女のことはまったく知りません。
それで私を紹介してくれたという阿部さんに電話して、気が無医たら湯島に来るように伝えました。
そして今日、やってきたのです。
案の定、この3か月、いろんな講演会などに参加し、自分ができることを探していたようですが、でもちょっと違うかなと気づいて、改めて考え直すことにしたそうです。
ホッとしました。
それで私のこれまでの体験からの話を少しさせてもらいました。
そして、社会のためなどと考えずに、真持続可能は自分を含めて、自分のまわりを幸せにしようというような話をしました。
ちょっと住んでいる場所が遠いのですが、少し付き合おうと思っています。
■「みなカフェ」が始まりました(2016年3月19日)
「みんカフェ」が始まりました。
だれでもが、そこに行くと、自分の居場所が実感できるような、そんなカフェサロンが始まりました。
これまでは未公開で、ゆるやかにやってきましたが、少しずつ公開していく予定です。
「みんカフェ」、正式には「みんなのゆる〜いカフェサロン」の略称です。
できれば、参加した人がいつか、それぞれの「みんカフェ」をやってもらい、そうしたものをゆる〜く繋いでいければと思っています。
私の友人知人もそうした場をつくっていますが、いつかそれらが(制度的にではなく)ゆる〜くつながっていけばうれしいです。
とりあえずは、「みんカフェ・湯島」は毎月やる予定ですが、誰かが気にいったお店があれば、そこで「みんカフェ・○○」というスタイルで「開店」することも考えています。
昨日は、セミ公開でしたが、参加者の声かけで、8人が参加しました。
初対面の人も多かったにもかかわらず、とてもあったかい場になりました。
次回は4月16日の午後です。
ご関心のある方は、ご連絡ください。
しばらくは、特に案内はしない予定ですので、個別にご連絡いたします。
ともかく「ゆる〜いカフェ」ですので、話もせずに横で本を読んでいるのでもいいです。
話し合える場や自分の居場所をたくさん持っている人はわざわざここに来ることはありませんが、居場所があんまり思いつかない人は歓迎です。
いまはまだ犬とか猫は参加対象にしていませんが、素直な人間であれば、誰でも歓迎です。
素直な人たちの居場所を広げていきたいです。
■JSTAスタート(2016年3月19日)
継続してきて検討してきたストーリテリング協会(JSTA)が実質的にスタートしました。
福岡の税理士の権藤さんが、構想に共感してくれ、参加し、立ち上げ資金を提供してくれることになったのです。
監事も引き受けてくれました。
5月の連休明けには何らかの形で公開していく予定です。
詳しく決まったらまたご案内します。
(2016年3月第2週)
■ARTS for HOPEの「今、ここで生きている」展(2016年3月6日)
■巡礼者との2時間(2016年3月6日)
■原田さんの呼びかけに応ずることにしました(2016年3月9日)
■竹内さんとの社会教育と文化政策論議(2016年3月10日)
■日本ストーリーテリング協会の発足に向けて(2016年3月10日)
■5年目の3.11(2016年3月11日)
■ARTS for HOPEの「今、ここで生きている」展(2016年3月6日)
ホスピタル・アートに取り組んでいる高橋雅子さんは、3.11の東日本大震災が起こるやいなや、アートで被災地の子どもたちを元気づけようと、ARTS for
HOPEという活動を始めました。
それ以来の高橋さんの活動ぶりには、圧倒されるものがあります。
そのARTS for HOPEの「今、ここで生きている」展が上野駅の中央コンコースで開催されていました。
昨日は最終日だったのですが、やっと会場に行けました。
この展示会は、高橋さんたちの活動を広く知ってもらおうと、今年の1月13日に、南相馬から始まり、各地で開催、その最終地が上野だったのです。
高橋さんはあいにく不在でしたが、スタッフの鈴木さんがいました。
もう5年ぶりでしょうか。
この活動が始まったあと、一度、湯島でも話をしてもらったことがありますが、小埜時に高橋さんと一緒に来てくれた鈴木さんです。
覚えていてくれて、声をかけてくれたのです。
展示はたくさんの表情豊かな顔と同時に、たくさんの言葉が書かれていました。
その一つひとつが、心に響きました。
高橋さんたちが取り組んでいる、難病の子どもたちがつくったはっぴードールも飾ってありました。
高橋さんのものすごいエネルギーには圧倒されます。
最初にお会いした時を思い出します。
後から高橋さんからメールをもらいました。
■巡礼者との2時間(2016年3月6日)
昨年、スペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラを2か月半かけて歩いてきた鈴木章弘さんがやってきました。
足を痛め、帰国後すぐを予定していた四国巡礼に出かけられずにいたのですが、いよいよ出かけるようで、その前にということで会いに来てくれたのです。
巡礼の話になると、鈴木さんは次々と話し出し、きりがないほどです。
今回もまたいろいろと面白い話を聞きました。
鈴木さんが四国のお遍路から戻ってきたら、湯島で巡礼体験サロンを開催する予定です。
■原田さんの呼びかけに応ずることにしました(2016年3月9日)
我孫子の原田さんとお会いしました。
原田さんは、私が以前書いた「我孫子市民活動プラットフォーム構想」をネットで見つけて私に会いに来てくれた人ですが、いろいろ活動していて、やはりその構想に戻ってきたと言って、その構想図を持ってきてくれました。
http://homepage2.nifty.com/CWS/abiko-p.pdf
もう10年前に書いたものです。
当時の市長の福島さんに提案し、話し合うつもりが会った途端に論争になり、十分に話し合うことができませんでした。
当時はお互いに少し感情的な行き違いがあったのです。
もう少し地道に、少しでも反映されるように取り組めばよかったのかもしれませんが、私にはやはりそういうアプローチは向いていないでしょう。
原田さんは、私とは違い、リアリストですので、原田さんが動き出すのであれば、協力したいと思います。
まずは興味を持った人たちのゆるいミーティングを開催することになりました。
問題はメンバーですが、少し考えなければいけません。
■竹内さんとの社会教育と文化政策論議(2016年3月10日)
政策研究大学院大学の博士課程の竹内潔さんが湯島に来ました。
先日、社会教育のフォーラムでお会いしたのが契機です。
竹内さんは茨城県庁を早々と退職し、大学院に入学したのだそうです。
ご関心は、文化政策です。
ですから社会教育にも関心が深いのです。
そして今は小美玉市の文化センター「みの~れ」に通い詰めているようです。
さらに竹内さんは認知症フレンドシップクラブの活動にも参加しているそうです。
2つの点で関心事が重なっているので、話は弾みました。
私はいまの「臣民教育的」な「社会教育」にはきわめて批判的です。
しかし、同時にそうであればこそ、その社会教育をこわすのではなく、活用できないかと考えていますが、いまの社会教育の世界のなかにいる人たちとはコミュニケーションは難しい体験をずっとしてきています。
しかし、竹内さんとはコミュニケーションができそうです。
それに文化政策の意味に関しても、たぶん共有できそうです。
どこかで竹内さんとなにかをご一緒できればと思っています。
■日本ストーリーテリング協会の発足に向けて(2016年3月10日)
日本ストーリーテリング協会の発足に無K手の話をもう2年ほど散発的にしてきています。
そしてこの1か月、吉本さんや小澤さんと何回かお会いしています。
しかしどうもすっきりしません。
それで今日は、吉本さんと加納さんと内藤さんとで、具体的な実現策を整理しました。
私もしっかりとコミットすることにしました。
いささか気が重いですが、いま抱えている借金を返済するためには、気が進まなくても収入も得なければいけなくなってきました。
そんなわけで、今回は収益も得る形で、事業収支計画まで立てる枠組みを整理しました。
昔やっていた事業コンサルティングを思い出しますが、自分が関わるとなるとどうしても甘さが出てきます。
しかし、今回は私もきちんと利益配分を受けることを考えるつもりです。
果たしてうまくいくかどうか。
いささか心配ですが、考えだすとやはりおもしろいです。
お金が絡んでくると実にわかりやすくなります。
その結果、みんな壊れていくのかもしれません。
注意しなければいけません。
来週は、資金サポーターの権藤さんとのミーティングを行う予定です。
いよいよスタート間近です。
■5年目の3.11(2016年3月11日)
東日本大震災も今日でもう5年たちます。
テレビは、3.11関連の特集番組だらけですが、どうもそのとりあげ方に違和感があります。
それに5年たっても現地の生活はほとんどよくなっていないようです。
巨額な資金も、どれほど実際の被災者に役立っているのか、もしかしたら、逆に被災者の生活をこわしているのではないかと、時に不安に感ずることさえあります。
報道のすべてが嘘だとは思いませんが、事実を隠す効果は大きいように思います。
福島原発事故にいたっては何の解決もできていません。
正直に私の本音を言えば、福島県民にもきわめて批判的ですし、日本人すべてが無知で恥知らずのようにしか思えません。
福島の被災地に首相が行くと、みんな歓迎するような映像を見ているとそうした住民たちに吐き気がします。
そうやってたぶらかされて、原発を受け入れ、世界や未来の人たちに害悪を振りまく手助けをしたのでしょう。
しかも、その生き方を変えようとしていないのです。実に情けない。
持って行き場のない憤りがこみ上げてきます。
しかし、実は私自身もその一員なのです。
だから彼らを、本当は非難することもできません。
その憤りは吐き気は、自らに対する者でもあるわけです。
自らを恥じなければいけません。
福島の事故に関しては、たくさんのことが露見されだしています。
それでも東電も政府も、対処もせずに、原発再稼働を進め、原発輸出をつづけようとしています。
政治家や経済関係者は犯罪者としか思えませんが、政権を変えることさえできません。
3.11は、そういうことを思い知らされるので、私には実にいやな日なのです。
被災者のみなさんには誠に申し訳ないのですが、それが偽らざる気持ちです。
この日は、実にいやな日で、今日は1日、重い気分で過ごしました。
(2016年3月第1週)
■琵琶湖の小鮎(2016年2月28日)
■ゆる〜いカフェを始めましょうか(2016年3月2日)
■ウォーゲーム研究者の蔵原大さんは珈琲にうるさいです(2016年3月5日)
■カフェサロン「アーユルヴェーダってなんですか」の報告(2016年3月5日)
■琵琶湖の小鮎(2016年2月28日)
塩津で鮒ずしなどを製造販売している魚介の松井さんから、琵琶湖の「氷魚」の山椒煮が送られてきました。
これがもう少し成長すると小鮎になるそうです。
妻が好きだったので、早速、仏前に供えさせてもらいました。
琵琶湖の春を思い出します。
■ゆる〜いカフェを始めましょうか(2016年3月2日)
だれもその居場所を確保できるような、そんな「みんなのゆる〜いカフェ」を育てていきたいと思っている人が4人集まりました。
湯島の新しいプログラムにできないかと思っています。
当面は、あまり公開せずに、人づてで参加者を増やしていく。
参加者は誰でもいい。もちろん子供も、です。
やって来ても別に話もしなくてもいい。
実は、そんなカフェサロンや茶話会が、コムケアの仲間たちによって少しずつ広がっています。
この湯島でも、時々試みますが、私一人ではどうも持続できません。
それで、これも少しずつ時間をかけて、そんなことに共感してくれる仲間をゆる〜く集めだしているのです。
そろそろスタートしようと思います。
しかし、それにしても集まった4人は、不思議なメンバーです。
居場所があるようでない4人が集まったのかもしれません。
要は自分の居場所づくりも含められればと思っています。
■ウォーゲーム研究者の蔵原大さんは珈琲にうるさいです(2016年3月5日)
フランクフルト学派の研究者の楠さんの友人が湯島にやってきました。
蔵原大さん。
シリアスゲームの研究者です。
楠さんの友人ですから、これまた「ただモノ」ではあるまいと思っていたら、案の定、ただ者ではありませんでした。
「珈琲は飲みますか?」と聞いたら、「何の珈琲ですか」と訊かれました。
そして、モカがいいというのです。
初対面でこれほどわがままな人はめったにいません。
すっかり好きになりました。
名刺交換しようとしたら名刺を忘れてきたが、自分の研究内容を説明したいと言って、パソコンを取り出し、パワーポイントで説明しだしました。
なんと「ウォーゲーム研究」です。
この分野では最近、蔵原さんは世界大会で高く評価されたことは聞いていました。
そしてカバンから、クラウゼヴィッツの「戦争論」を取り出しました。
ちなみに私もクラウゼヴィッツの「戦争論」くらいは大昔に呼んでいます。
それに、私はそもそもウォーゲームには否定的なのです。
それを知ってか知らずか、蔵原さんのプレゼンが始まりました。
その強引さも、気にいりました。
こういう場合、私もムッとして蹴とばしてしまうこともあるのですが、蔵原さんの場合、まったくそういう気が起きませんでした。
人柄でしょうか。
実に楽しいプレゼンでしたが、残念ながらあまりに私が突っかかったため、時間切れになってしまいました。
もう一度会うことにしました。
さてウォーゲームと聞いて、みなさんはどういうイメージをもつでしょうか。
蔵原さんの活躍を報ずるこんな記事もあります。
http://prologuewave.com/archives/5114
しかし、ウォーゲームは戦争に勝つためのゲームにとどまりません。
もっと深い意味、あるいは大きな目的があります。
それに関しては、次回、蔵原さんと会った時に、また書くようにします。
ちなみに蔵原さんと私は、戦争に対する捉え方が違います。
ですから議論が面白くなるでしょう。
蔵原さんも、そう思っています。
次回は、ずたずたに蔵原さんをやっつけたい気分ですが、逆に私がずたずたにやられる公算が強いです。
まあこれもまたウォーゲームの一種です。
翌日、蔵原さんからこんなメールが来ました。
あれから思ったのですが、ご指摘されたように「ウォーゲーム研究」では戦争賛成と捉えられがちですので、たとえば「紛争検証学」または「問題検証学」と言い換えれば他の方々に受容されやすいのかもしれません。いかがでしょうか?
さてどうしましょうか。
忙しい人なので、次回会えるのは4月になりそうなのが残念です。
■カフェサロン「アーユルヴェーダってなんですか」の報告(2016年3月5日)
カフェサロン「アーユルヴェーダってなんですか」は13人が参加しました。
参加者の関心もいろいろでしたが、それを踏まえて、サトヴィックの佐藤真紀子さんは、ていねいにお話をしてくださいました。
なんとなく知っていたアーユルヴェーダでしたが、全体像のお話を聞いて、改めてその深い意味を感じられました。
佐藤真紀子さんは、もともとジャーナリストでしたが、ご自身の治療体験から、アーユルヴェーダの世界に入っていき、脈診を専門とする家系(このお話も興味深かったです)のサダナンダ・サラディシュムク医師に師事。
いまはインドと往復しながら、アーユルヴェーダを広げていきたいと精力的な活動をしています。
真紀子さんご自身の、子どもの頃からのぜんそくや腰痛がアーユルヴェーダのパンチャカルマ(浄化両方)で完治した体験も、実に生々しく話してくださいました。
アーユルヴェーダは「生命を果たす/使い尽くすこと」だと真紀子さんは言います。
昨日は、歴史から理念、療法、食事法から精神や鬼神の世界まで、幅広く話題になりました。
ユマニチュードやマクロビオテックの話題も出ました。
アーユルヴェーダは、「病気を治す」「より健康にする」そして「幸福にする」という3つの段階がありますが、どうもその基本は「食」にあるようです。
といっても、たぶん狭義の「食」ではなく、私が昨日感じたのは、「自然との付き合い方」のようです。
とても興味を感じたのは、調理をする時の心のあり方も影響するという話です。
「森のイスキア」の佐藤初女さんも、たしかそんな話をしていたのを思い出しました。
あまりにいろんなことを聞いたので、紹介しだすときりがないのですが、ご関心のある方は、ぜひ佐藤真紀子さんの主宰しているサトヴィックのサイトをご覧ください。
真紀子さんの体験談も含めて、アーユルヴェーダに関するたくさんの情報に触れられます。
http://satvik.jp/aboutus/
今度の5月の連休には、表参道のサトヴィックで、アーユルヴェーダ博物館を開くそうです。
また毎年行っているサダナンダ・サラディシュムク医師の来日診察会も予定されています。
報告になったでしょうか。
なお私はほぼすべてに納得しましたが、アーユルヴェーダは「解脱を目指す」という点だけは共感できませんでした。
なぜなら私は解脱よりも、永遠に輪廻を繰り返したいからです。
困ったものですが。
(2016年2月第4週)
■カフェサロン「人間と道具、あるいは人間とはなんだろう」(2016年2月21日)
■みんなの認知症予防ゲームの展開構想(2016年2月24日)
■篠崎正喜さんの「父は空 母は大地」原画展(2016年2月24日)
■コミー交流会で柿内さんと知り合いました(2016年2月26日)
■フォーラム「みんなの社会教育ってなんだろう」(2016年2月27日)
■カフェサロン「人間と道具、あるいは人間とはなんだろう」(2016年2月21日)
昨日のカフェサロン「人間と道具、あるいは人間とはなんだろう」は、参加者6人のゆったりした集まりになりました。
話題提供者の小宮山さんは、国際箸学会の理事長でもありますが、箸のことを考え抜いているうちに、人間と道具とは切り離せないものだということにたどりついたのです。
小宮山さんは、人間とは道具がないと生きていけないものと考えているようです。
では、そういう意味での道具とは何なのか。
そして、なぜ道具は人間にとって不可欠なのか。
道具の効用はいったい何なのか。
そういうことを考えると、いろんな問題が見えてくるはずです。
とまあ、そんなサロンを想定していましたが、そういう話になったようでならなかったような気もしますが、しかしとても知的なサロンになったことは間違いありません。
参加者の深津さんが、ウィキペディアの「道具」の定義の最初にあるのが、「仏道修行の用具」だと教えてくれました。
今まで気づかなかったのですが、「道具」に「道」という文字がつかわれていることの意味が少しわかりました。
これには深い意味がありそうです。
人間の指が道具になる「咫(あた)」とか大工さんの常備道具だった「スコヤ」という話も出ました。
私は、その言葉自体を知りませんでしたが、道具を考える大切な視点がありそうです。
本来、道具は人間の手段だったのに、いまや人間が道具の手段になってしまったのではないかという話も出ました。
実は私が小宮山さんの話に関心を持ったのは、道具作りの好きな小宮山さんでさえ、そう思っているのだと感じたからです。
「人間とは道具がないと生きていけない」と考えるということはそういうことを含意しています。
私は、全くそうは思っていないのです。
小宮山さんはぶんぶんゴマの話も、実演付きでやってくれました。
ぶんぶんゴマから学ぶことも大きいです。
以上は話のほんの一部ですが、サロンらしいサロンでした。
ところで、このサロンの案内の時に、人間だけがやっている行動の話を書きました。
それについて補足しておきます。
ある本で読んだのですが、チンパンジーの認知に関する世界的な権威の一人、マイケル・トマセロは、「2頭のチンパンジーが丸太を一緒に運ぶところを見ることなどないだろう」と言ったそうです。
その話を紹介している道徳心理学者のジョナサン・ハイトは、その話を聞いて、人間がほかの生物と違うのは、そういう「意図の共有」ができることだと言っています。
私は、それを読んで、道具の本質は「意図の共有」にあると思いました。
昨日のサロンでも最後にその周辺の話になりましたが、残念ながら時間切れでした。
この話は、コミュニケーションの問題につながります。
このあたりはいつかまたサロンをしたいと思います。
■みんなの認知症予防ゲームの展開構想(2016年2月24日)
みんなの認知症予防ゲームの普及の取り組む加藤良江さんたちのグループと、これからの活動に関して意見交換しました。
基本的には、一般社団法人を立ち上げる方向で、京都のNPO法人認知症予防ネットとも相談しながら進めていますが、それぞれに活動している女性たちのチームなので、なかなか前に進みません。
毎回堂々めぐりしているようで、いささか疲れてきたのですが、今回はようやく少し前に動きました。
ここまで来たら、もう少し付き合おうかという気になってきていますが、そもそも私は「認知症」にはマイナス価値だけでなく、プラス価値もあるという発想なので、微妙なずれがあるのです。
しかしそのあたりも繰り返し話しているうちに、かなり共有化できてきたような気がします。
しかし、元気のいい女性たちと話すのは、疲れます。
気が付くと、どうも余計なことまで引き受けてしまっているのです。
困ったものです。
■篠崎正喜さんの「父は空 母は大地」原画展(2016年2月24日)
篠崎正喜さんが、いま銀座のギャラリー・オカベで「父は空 母は大地」の原画展を開いています。
「父は空 母は大地」はすでに出版されている篠崎さんの作品で、教科書にも採用されたことがありますが、それを新たにまた描き起こしされたのです。
しばらくお会いしていないので、作品もさることながら、ともかく篠崎さんに会いたくて、画廊をお訪ねしました。
お会いしていない間に、篠崎さんにもいろいろとあったので、ずっと気になっていたのです。
ところが、篠崎さんは数年前にお会いした時よりもずっと若返っていました。
そして、集中的に描いたという今回の作品も、以前よりもさらに精神性を深め、篠崎さんの心境の透明性を象徴しているような気がしました。
大地(自然)と人が、生き生きとつながっている。
絵から、音や風や振動が伝わってくる。
それも時々、パタッと止まった静寂まで伝わってくる。
そして、その作品の前に立っているだけで、気持ちが明るく軽くなるのです。
久しぶりにいろいろとお話をしました。
今回のキーワードは、なんと「荘子」でした。
荘子の思想は私も好きですが、篠崎さんにぴったりです。
篠崎さんは、近々「荘子」の本も出すようです。
原画展に来ていた、篠崎さんの(たぶん)ファンの若い画家の小島さんから篠崎さんと一緒の写真を撮ってほしいと頼まれたので、ついでに私も一緒に撮ってもらいました。
篠崎さんとの写真ははじめです。
■コミー交流会で柿内さんと知り合いました(2016年2月26日)
コミー主催の恒例の交流会が、今年はお台場のヒルトンホテルで開催されました。
様々な人が集まります。
私はビジネス的にはほぼ無縁なのですが、小宮山さんとの付き合いで毎回参加させてもらっています。
それに、コミーの会社では、小宮山さんが私のことをいろいろ話しているようで、「しゅう(修)さん」で通っているのです。
今回も受付役の2人は顔なじみですし、もう一人の朴さんも、会ったことはないのですが私を知っていてくれました。
まあ不思議な関係です。
交流会はまさにいろんな人が来ていて、私の知り合いも何人かいました。
テーブル方式なのですが、偶然にも隣り合わせた柿内さんと知り合いになりました。
とても話が合い、改めてお会いすることを約束しました。
人の縁とは不思議なものです。
■フォーラム「みんなの社会教育ってなんだろう」(2016年2月27日)
仲間たちと一緒に「みんなの社会教育ってなんだろう」というミニフォーラムを開催しました。
昨年1年間、議論してきたことを踏まえての、「みんなの社会教育ネットワーク準備委員会」立ち上げのキックオフイベントです。
私は、「コモンズの共創」をテーマにしていますが、コモンズという言葉の持つダイナミズムと寛容性がなかなか伝わらないので、「みんなの○○」という表現をこの数年使い出しています。
今回は、その「社会教育版」です。
30人ほどの人が集まりました。
スピーカーに、私が敬愛している2人の人をお願いしました。
2人とも遠くから手弁当で駆けつけてくれました。
女川で活動している宮崎さんと茨城の小美玉市の中本さんです。
とても刺激的な話をしてくれました。
ところで「社会教育」というとなじみのない方もいるかもしれません。
私も以前は、統治支援型の社会教育には批判的でした。
ある研究会でご一緒した、その分野の高名な専門家からは、佐藤さんは社会教育のことをわかっていないと叱られました。
しかし、最近は改めて「社会教育」の必要性を感じています。
明治期の社会教育でも戦後のGHQ指導の民主化社会教育でもない、第3の社会教育です。
同時に、それは「教育」のパラダイム転回を含意しています。
昨日は、1時間ほど、宮崎さんと中本さんとの話し合いのセッションを持ちましたが、その冒頭に私が話したことを少し補足して、ブログに書きました。
私の社会教育への思いを感じてもらえるとうれしいです。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2016/02/post-04b2.html
もし関心を持ってもらえたら、ぜひ仲間になってください。
昨日のフォーラムの様子などは、フェイスブックグループ「みんなの社会教育ネットワーク準備委員会」で紹介されていますので、それをご覧ください。
(2016年2月第3週)
■湯島は東京文化資源のど真ん中(2016年2月15日)
■新潟のチューリップ(2016年2月16日)
■住友生命福祉文化財団訪問(2016年2月17日)
■弁護士の大川さん訪問(2016年2月17日)
■コムケア関西交流会(2016年2月17日)
■久しぶりの四天王寺(2016年2月18日)
■大阪の人たちのあったかさ(2016年2月18日)
■「翁長沖縄と共に闘おう!」東京大集会(2016年2月18日)
■阿部さんと岡野さん(2016年2月19日)
■みんなの社会教育ってなんだろう(2016年2月19日)
■湯島は東京文化資源のど真ん中(2016年2月15日)
「社会教育」編集長の近藤さんが、東京文化資源会議で配布された「東京文化資源構想」の地図を送ってきてくれました。
なんとその地図のど真ん中に位置するのが、いつもサロンなどを開催している、湯島コンセプトワークショップなのです。
近藤さんは、そこに赤い二重丸を入れてきてくれました。
ますますサロンに精出さないといけません。
カフェサロンは文化の発祥地であり、熟成地ですから。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10201278233993761&set=a.1319286038109.34919.1709527228&type=3&theater
■新潟のチューリップ(2016年2月16日)
新潟の金田さんから今年もチューリップがどっさりと届きました。
早速、女房に供えました。
しばらくわが家はチューリップの里になります。
近所におすそ分けしたくらいだと金田さんに電話で話したら、せっかく奥さんあてに送ったのだからと言われてしまいました。
それで今年はわが家で満喫させてもらうことにしました。
電話でお話しした金田さんは、お元気そうでした。
来月新潟に行こうと思ったら、4月のほうがあったかいから、と言われました。
金田さんがお元気になった証拠です。
■住友生命福祉文化財団訪問(2016年2月17日)
大阪で時間ができたので、久しぶりに住友生命福祉文化財団の原さんのところに寄らせてもらいました。
住友生命福祉文化財団は、私の人生を変えることになったコムケア活動の基盤をつくってくれたところです。
ですから大阪に行くたびに、顔を出そうと思うのですが、最近なかなかお伺いすることができませんでした。
1年ぶりの訪問でしたが、原さんもこの3月で退社されるそうです。
業務を引き継ぐ吉田さんを紹介してくださいました。
久しぶりのため、コムケア活動の話を一方的にしてしまいました。
吉田さんは、たぶん何のことかよくわからなかったことでしょう。
また改めてお伺いして、少しコムケア活動のことをお話ししたいと思いました。
何かあれば、住友生命福祉文化財団は、私の大きな支えになってくれるからです。
そして何よりも、コムケアの生みの親でもあるのです。
■弁護士の大川さん訪問(2016年2月17日)
大学時代の同級生の大川さんオフィスを訪問しました。
大川さんは弁護士です。
先日、湯島のサロンで話をしてもらったのですが、その話しぶりがとても心に残ったのです。
大川さんは本も何冊も出版しています。
毎回送ってくださるので、読ませてもらっていますが、私の弁護士不信感は、そのおかげでかなり変わりました。
と同時に、改めて、弁護士という職業にも関心を持ち出しました。
今回、大川さんと話していて、検事や裁判官と違い、弁護士の生活保障はかなり危ういものであることに気づきました。
日弁連の事務総長もやったことのある大川さんなので、経済的には悠々自適なのかとの勘違いがありましたが、年金はなんと年額80万円弱のようです。
それに弁護士は、病気でもしてしまえば、生活保障はありません。
司法界でも、裁判官と検事とは全く違うのです。
それさえ気づかなかったことを反省しました。
大川さんの新著「裁判に尊厳を懸ける」はぜひ多くの人に読んでほしい本です。
http://homepage2.nifty.com/CWS/books.htm#150719
大川さんは、人権の視点に立って、弁護士の仕事をされています。
大川さんは、マクロでみれば、日本の裁判の質はよくなってきていると言います。
私は、それには異論があります。
相変わらず「司法」が専門家に任されすぎていて、私たち生活者が関心を持ちにくい状況は変わっていません。
裁判員制度は、私にはまやかしでしかありません。
社会にとって、あるいは私たち一人ひとりの生活にとって、裁判とは何かを、私たち一人ひとりが考えなければいけません。
同時に、弁護士と検事とは、全く違った存在であり、いまの裁判は、非対称の構造になっていることのおかしさも考え直さなければいけません。
そのことをブログに書きました。
http://cws-osamu.cocolog-nifty.com/cws_private/2016/02/post-611d.html
大川さんには、2つのことを提案させてもらいました。
大川さんが東京在住ならば、ぜひとも一緒に取り組みたいことです。
■コムケア関西交流会(2016年2月17日)
コムケア関西交流会に久しぶりに参加しました。
ほとんどの人が自分の問題と重ねながら活動している人たちです。
だからとても共感できるお話ばかりでした。
やはり実際の生活現場は、いつも時代の最先端です。
フェイスブックで知り合った城井さんがわざわざ明石から参加してきてくれました。
思っていた通りの人でした。
城井さんの夢に、心惹かれました。
お仕事とは別に、ゆる〜い集まりに取り組み出しているお二人のアロマセラピストにもお会いしました。
これもまた、とても心惹かれる活動です。
実は大阪に来る直前に、やはりゆる〜い茶話会を始めている人とメールしあっていたのですが、そうしたゆる〜い場をみんなで育てて行けば、社会は豊かになるだろうなと思いました。
久しぶりにお会いした原口さんと澤井さんの、介護と家族のお話は、改めて家族とは何かという示唆を与えてくれました。
頭ではわかっていることでしたが、原口さんのはっきりした物言いいで、
私の考えにはまだ甘えがあることに気づかされました。
東京から見ているとわからなかったのですが、関西交流会がしっかりと育ってきているのが、とてもうれしかったです。
この交流会が事務局になって、みんなの認知症予防ゲームの講座を5回連続でやったのですが、20人の参加者があったそうです。
水野さんと高林さんから、参加者による自発的な動きなどのお話もお聞きしました。
やはり東京とは、どこか違うような気がしました。
今回参加してくださった3人の方も、その受講者の方でした。
会場近くにホテルをとっていたはずが、実は少し離れところだったのですが、井上さんがこの辺りはわかりにくいと心配してわざわざホテルまで連れて行ってくれました。
井上さんは、 私の人生を変えた人の一人です。
関西の人は、みんなあったかいです。
見習わなくてはいけません。
■久しぶりの四天王寺(2016年2月18日)
大阪の天満に宿泊したので、朝、四天王寺に行ってみました。
30年ぶりくらいでしょうか。
ところが、記憶の中にある四天王寺とどうも一致しないのです。
ちょうど五重塔の回収中で、一直線に伽藍が並ぶ四天王寺スタイルが見えないのも一因ですが、それはともかく、金堂の須弥壇の四天王像の配置が違うのです。
どうしても気になって、受付の人に、変わっていないかどうか訊いてみました。
昭和の中頃の再建以来、変わっていないというのです。
それはそうでしょう。
教えを象徴する須弥壇の配置を変えるはずはありません。
私の記憶に残っている四天王寺は、一体なんだったのだろうかと思います。
四天王寺は、とても生活になじんだお寺です。
以前、来た時、たしかニワトリの鳴き声が聞こえていました。
夕方でしたが、子どもたちも境内で遊んでいた気がします。
今回はなにやら観光寺院的になっていましたが、先祖のご供養が、私が拝観している間にさえ,3件もありました。
地域の檀家の供養ですかと,また受付の人に訊ねたら、檀家以外の人も多いのだそうです。
しかも、金堂だけではなく、他のところでも受け付けているということでした。
大阪のお寺は、生活の中に溶け込んでいるようです。
■大阪の人たちのあったかさ(2016年2月18日)
四天王寺に寄り道したために、道に迷ったりして、いろんな人と話す機会を得ました。
なぜか大阪の人は話しかけやすいのです。
東京とは、どこか雰囲気が違います。
少なくとも今日は、2人の方がずっと私の記憶には残るでしょう。
もうお会いすることはないでしょうが。
■「翁長沖縄と共に闘おう!」東京大集会(2016年2月18日)
小沢一郎議員を支援する会が主催する「翁長沖縄と共に闘おう!」東京大集会が豊島公会堂で開催されました。
それに間に合うように、大阪を出発したのですが、途中で急用ができてしまい、参加できなくなってしまいました。
幸い、柴崎さんがその様子を流しているユーチューブを教えてくれましたので、それを見ました。
https://www.youtube.com/watch?v=FrJk6EL6clw&feature=youtu.be
残念ながら翁長さんも、裁判の関係もあるのでしょうが、参加できなくなってしまったようです。
しかし、さまざまな方が、さまざまな視点から、いま、沖縄で、そして日本で起きていることを語ってきています。
普天間問題も辺野古問題も、沖縄以外ではほとんど正確には報じられていないことが、よくわかります。
別のコーナーの「無意識の植民地主義」の紹介記事にも書きましたが、私たちはあまりに沖縄のことを勘違いしているように思います。
http://homepage2.nifty.com/CWS/book2.htm#007
しかし、沖縄問題は、まさに日本の民主主義の問題です。
それを守れなかったら、日本の社会は一挙に奈落へと向かうでしょう。
いささか過剰悲観論ではないかと思われそうですが、むしろ私は控え目に考えているという気さえしています。
奴隷支配の最終段階は、奴隷であることに本人が気づかなくなることだそうです。
身につまされる話です。
3時間にも及ぶ長いユーチューブですが、ぜひご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=FrJk6EL6clw&feature=youtu.be
■阿部さんと岡野さん(2016年2月19日)
若者たちの就労支援に取り組んでいる阿部さんが同志の岡野さんと一緒に湯島に来てくれました。
これから取り組もうというプロジェクトの相談です。
私として何ができるかを考えたいと思っていますが、それ以前に、そのプロジェクトの目的を明確にしないといけません。
そこで、3人でいろいろと話しました。
初めての岡野さんは戸惑ったことでしょう。
人によっては、ここで帰ってしまうほど、不躾な質問を私はするからです。
しかし、岡野さんはポジティブに受けとめたようです。
面白いプロジェクトが、私の存命中に始まるといいのですが。
■みんなの社会教育ってなんだろう(2016年2月19日)
お知らせのコーナーに書いたように、2月27日にミニ公開フォーラム「みんなの社会教育ってなんだろう」を開催します。
その最終打ち合わせを会場で行いました。
ところが残念ながら参加者は3人だけでした。
しかしまあどうにかなるでしょう。
もしよかったらご参加ください。
新しい物語が始まるはずですので。
(2016年2月第2週)
■オープンサロンは遠藤さん(2016年2月7日)
■久しぶりの小澤さんとのナラティブ論議(2016年2月9日)
■「仕事における居場所感」報告サロンの報告(2016年2月9日)
■軽井沢ツルヤの丸山珈琲(2016年2月10日)
■歯茎が腫れてきました(2016年2月10日)
■カフェサロン「フランクフルト学派と市民性」(2016年2月13日)
■オープンサロンは遠藤さん(2016年2月7日)
今年から毎月最初の日曜日の午後に、オープンサロンを開催することにしました。
特にあまり案内もせずに、誰かが来たら対応するサロンです。
まだあまり意識されていないので、3日ほど前にフェイスブックに書き込みました。
それをみて、久しぶりに柏で農と食に取り組んでいる遠藤さんが来てくれました
1年ぶりくらいでしょうか。
いやそれ以上かもしれません。
遠藤さんとは以前アグリケアサロンをやっていました。
2日だけだったので、ゆっくりと話せました。
この数年の遠藤さんの活動をお聞きしました。
少し方向が変わっていましたが、遠藤さんの思いは同じようです。
遠藤さんから、昨年は企業活動に時間をとられ、社会の問題へのかかわりが弱かった。
それではまずいので、今年は少しまたいろんな関わりを持ちたいという話がありました。
いまは「ミナちば」の活動に関わっているようです。
ミナちばの活動はいろんな人から聞いていましたが、最近起こっている新しい市民政治活動の一つです。
フェイスブックによれば、「市民の意思を担ってくれそうな選挙立候補者 たちを応援し、党間のつながりを築くための、市民による勝手連」とあります。
なぜか私もメンバーになっていましたが、遠藤さんの招待だったのです。
フェイスブックでは、いろんなグループに私は所属しています。
自分から参加したのはあまりないのですが、気づかないうちにさまざまなグループのメンバーになっています。
これもいささか危うい気がしますが、まああえて断ることもしていません。
あんまり気分のいいものではありませんが。
ミナちばのリーフレットを見ました。
最後に「私たち市民は、ひとつになりますーあなたは?」と書かれていました。
それを読んで、これは私の考え方ではないと感じました。
ファシズムに向かう危うさがあるからです。
「多数から一へ」というE Pluribus Unumのスローガンは、アメリカの文化ですが、そこに私は違和感があります。
多数は多数のまま、ひとつにならずに、ゆるやかに支え合おうというのが最近の私の考えです。
大切なのは多数性、多様性の尊重です。
最近の市民連合に対する危惧も、そこから来ています。
遠藤さんとの話はいろいろと面白かったです。
遠藤さんは後で、面接みたいだったと冗談を書いてきましたが、それは同時に私への面接でもあったかもしれません。
遠藤さんとは、何かまたご一緒できることがあればいいなと思っています。
ちなみに3月のオープンサロンは6日の2〜4時です。
■久しぶりの小澤さんとのナラティブ論議(2016年2月9日)
日本ストーリテリング協会構想のコアメンバーにラーニングビジョンの小澤さんが参加してくることになりました。
小澤さんは、デジタルストーリテリングを日本に広げたいと活動している人ですが、以前、一緒に湯島でナラティブ研究会をやっていました。
最近は、あまりお会いする機会がなかったので、久しぶりにいろいろと話しました。
小澤さんは4月から岐阜に転居するそうですが、活動はこれまで通り継続するということです。
日本ストーリテリング協会構想についても、吉本さんと内藤さんを加えて、これからの展開シナリオを確認しました。
3月中にはコアになる要素を固められそうです。
協会設立に興味のある方はご連絡ください。
■「仕事における居場所感」報告サロンの報告(2016年2月9日)
昨日の「仕事における居場所感」の報告サロンは、意図に反して、企業関係者は少なく、多彩なメンバーの集まりになりました。
今回の話題提供者は、慶応大学湘南キャンパスの4年生の氏家さんです。
昨年彼が行った、主に企業の人を対象にした居場所概念の構築のための調査報告をしてもらい、それに基づいて参加者が話し合うサロンでした。
氏家さんの調査には私もささやかに協力しましたが、今回、改めてさまざまな人が、若者の報告を誠実に聞き、いろいろと意見を出してくれたのがとてもうれしかったです。
若者であるが故の未熟さは多々ありますが、だからこそ、それを誠実に聴き、真摯に話し合いを重ねていくことこそが、私のように歳を重ねたものの責任だろうと私は考えています。
氏家さんは、居場所感の構成要素として、「当事者意識」「関係性」「自己効力感」を抽出し、またソーシャルサポートの影響なども解析しています。
詳しい内容に関して関心のある方は、ご連絡いただければ、氏家さんにつなげますので、ご連絡ください。
この分野のプロでもある斎藤さんや本間さんも参加してくれましたし、わざわざ長野から参加してくれたNPOの江村さんもいます。
社会活動でお忙しい折原さんも、元日経記者だった坪田さんも参加し、いろいろとコメントしてくださいました。
この調査にやはり最初から協力してくれた大坪さんも参加してくれました。
そうした多彩な立場からの話し合いも行われました。
話しは多岐にわたりました。
そもそも「仕事がある」ということが、居場所を創りだしているのではないか、そもそも仕事もない人は、居場所感以前の状況にあるのではないかという話もありました。
「居場所がない」という言葉は、よく聞かれますが、そこにはさまざまな意味が込められているようです。
「仕事」とは何なのかという話もありました。
氏家さんの報告を聞いていて、私が感じたのは次の点です。
・居場所は「与えられるもの」なのか「創りだすもの」なのか。
・仕事場での居場所と社会との居場所はどう関係するのか。
・閉じられた居場所感と開かれた居場所感があること。
こうしたことを考えていくと、いろいろな面白テーマにたどり着きそうです。
氏家さんの調査研究活動は、まだ入り口に立ったところです。
これからが楽しみですが、体験豊かな多くの人にいろんなコメントをもらって、これからさらに豊かなものになっていくでしょう。
参加してくださったみなさま方には、とても感謝しています。
■軽井沢ツルヤの丸山珈琲(2016年2月10日)
昨夜のサロンに参加してくださった江村さんが、軽井沢のツルヤの丸山珈琲を持ってきてくれました。
早速、そのモカブレンドを飲ませてもらいました。
おいしかったです。
最近いろんな人がコーヒーを持ってきてくれます。
おかげでいろんなコーヒーを飲ませてもらっています。
その結論ですが、やはり珈琲はその時の気分でおいしさが変わるような気がします。
今回は、江村さんの心遣いがうれしくて、ともかく美味しかったです。
要するに私は珈琲通にはなれないということです。
もしかしたら、これは珈琲だけではないのかもしれません。
そのものが持つ固有の価値よりも、そのものを取り巻く環境が、そのものの価値を決めていく。
最近、そう思うことが少なくありません。
豊かな暮らしをしている人は、すべてのものが豊かに感じられるのです。
その意味では、私の最近の生活は、いささか「貧相」になっている気がします。
心が貧しくなってきているのは、なぜでしょうか。
反省しなければいけません。
■歯茎が腫れてきました(2016年2月10日)
先々週、のどの炎症から歯茎の炎症に移っていたのですが、なぜかまた歯茎が炎症を起こしてしまいました。
そのため食事がしにくくなり、しかも気のせいか発熱して全体がけだるくなってしまいました。
医者に行こうかどうか迷いましたが、以前お医者さんからもらっていたロキソニンが残っていたので、それを飲むことにしました。
そのおかげで何とか食事が可能になり、翌日には回復しました。
しかし2日間ほど顔が腫れるほどでした。
最近はいろいろと不摂生・不養生でもあり、ストレスの多い状況です。
すべてが悪循環のサイクルに入ってしまっているようです。
■カフェサロン「フランクフルト学派と市民性」(2016年2月13日)
今回の「ちょっとハードなカフェサロン」の話題提供者は、楠秀樹さんでした。
楠さんはいつも詳しいレジメをつくってきてくださいますが、今回も「フランクフルト学派と市民」と題した、ドイツにおける歴史研究(歴史認識)の動きをわかりやすく整理してきてくれました。
そして、それを踏まえて、現代にもつながる「優生学の問題」や公共圏の変質や生活世界の植民地化、道具的理性の意味、メディアの問題、さらにはナチドイツが特殊だったわけではないことなどにも言及され、そこから現代の日本社会を解く、さまざまなヒントを提起してくれました。
レジメを読み直してみると、楠さんの問題意識が改めて浮かび上がってきます。
レジメの最後に、いわば要約ともいえることが書かれているので、その一部を引用させてもらいます。
・ヒトラーの試みたことは市民を国民=民族にすることであり、それはより広く言えば遺伝の管理であったものとして今や反省され始めている。
・生殖や遺伝の管理という事態は、「家庭」を空洞化して国家に一人一人を帰属させ、生殖や妊娠の自己決定権をはく奪した。
・遺伝や健康、公共の福祉の下に「生きるに値しない生命」を排除する効率という発想を医師などの専門家や国民も支持し、協力した。
どこかいまの日本社会を思わせるところがあります。
ナチスが抹消しようとしたのは、ユダヤ人だけではないのです。
それにドイツ人が荷担し、つまるところはドイツ人自らもまた抹消の対象になっていった。
そこが実におぞましいところです。
そして、そうした意味においては、当時の日本人もさほど大きく変わっていなかったのかもしれません。
しかも、それはいまも変わっていないかもしれません。
ドイツ人はナチス時代のドイツを(不十分かもしれないとしても)総括しようとしたのに、なぜ日本人は戦前から戦時にかけての日本を総括できないのかという議論もいろいろとありました。
そこからいまの日本の社会状況や沖縄の問題などにも話は及びました。
フランクフルト学派が生み出した「価値」は何かという議論もありましたが、学ぶことはたくさんあるように思います。
私にとっては、湯島でのサロン活動も、ある意味では、その学びから得た一つなのです。
今回も、キーワードとして出てきましたが、私たち一人ひとりが「公共的市民性」を高めていくことが大切であり、現実的なのだろうと思います。
ところで、今回、楠さんは優生学の動きにかなり時間を割いて話してくれました。
そして、優生学の歴史はどうしても(そして時には意図的に)忘れられがちになると指摘されました。
楠さんが大学で接している学生たちの優生学への反応の話も、私には衝撃的でした。
これに関しては、改めてサロンを開きたいと思いました。
優生学への志向がナチスを生み出したとも言えるかもしれませんが、それに関しても日本はいま、かなり危うい状況にあるような気がします。
いまテレビで、カズオ・イシグロ原作の小説「私を離さないで」がドラマ化されて放映されています。
テレビのドラマはどうもなじめませんが、原作を読んだ時の衝撃は今も忘れられません。
ナチスドイツは決して、遠い世界の「悪夢」ではなく、私の隣にあるような思いが、最近強くなってきています。
そうしたことを改めて実感させてもらったサロンでした。
(2016年2月第1週)
一向に調子がよくなりません。
■「無意識の植民地主義者」であることを知って意気消沈(2016年2月1日)
■日本ストリーテリング協会(2016年2月3日)
■寄居プロジェクト(2016年2月3日)
■アメリカ在住の方からの問い合わせ(2016年2月3日)
■琵琶を聴く会(2016年2月4日)
■林檎ジュース(2016年2月5日)
■学童保育の子どもたち(2016年2月6日)
■「無意識の植民地主義者」であることを知って意気消沈(2016年2月1日)
衝撃的な本を読んでしまいました。
野村浩也さんの「無意識の植民地主義 日本人の米軍基地と沖縄人」(御茶の水書房)です。
2005年に出版された本ですが、最近、読んだ辺見庸と高橋哲哉の対談集「流砂のなかで」の高橋さんの発言から、この本を知りました。
その対談では、辺見さんには少し失望しましたが、逆に高橋さんに刺激を受けました。
そして、その高橋さんに刺激を与えたという野村さんの本を読みました。
読み始めてすぐ、打ちのめされた感じでした。
要するに、私も含めて日本人は、植民者であることを思い知らされたのです。
野村さんは、この本でしつこいほどに繰り返し、日本人は例外なく植民者だと指摘するのです。
かなり不愉快なことですが、自らの立ち位置がよくわかりました。
野村さんの指摘には、全くの異論もなく、自らを反省するしかありません。
しかし、問題は、だとしたらどうしたらいいか、です。
それがわからないままに、何やらまた元気をなくしてしまいました。
自分が、悪の張本人であると思い知らされることは、つらいことです。
この本を読んで以来、元気が出ません。
でも多くの人に読んでほしくて、推薦図書のコーナーで紹介させてもらいました。
よかったらお読みください。
楽しい本では、まったくありません。
野村さんに言いたいこともありますが、まずは自己反省です。
■日本ストリーテリング協会(2016年2月3日)
日本ストリーテリング協会の予備検討会を開催しました。
課題が少し見えてきました。
課題は3つ。
いずれも難問です。
■寄居プロジェクト(2016年2月3日)
埼玉県の寄居に、ある施設があります。
50人ほどが宿泊可能ですが、しばらく使われていなかったため、修理が必要です。
そこを活用したアセットマネジメントプロジェクトが起こせないかと思っています。
どなたか興味のある方はいませんか。
■アメリカ在住の方からの問い合わせ(2016年2月3日)
突然にアメリカ在住の見知らぬ人からメールが来ました。
都立西高の卒業生のある人を探しているが、情報がないだろうかというメールです。
なぜ私のところにメールが来たかというと、西高の同窓会のホームページに、私のホームページがリンクされているのだそうです。
私は全く知らないことでした。
念のために調べてみたら、たしかに「佐藤修」のタイトルでリンクされていました。
誰がリンクしてくれたのでしょうか。
私には心当たりがありません。
しかし、それを通して、私に依頼があったとしたら、なんとか応えなければいけません。
同窓会にもかかわっている友人にメールしました。
最近はいろいろと危ういことがあるから、無視したほうがいいし、もし調べるなら同窓会の事務局に正式な手続きで相談した方がいいとアドバイスされました。
全くその通りなのですが、これが私の気持ちを変えさせました。
「正式な手続き」というのが、私は好きではないのです。
困った人がいたら、力を貸してやるのが大切だと思うのです。
そこで、私よりもっと若い、やはり同窓生の友人に調べてもらうことにしました。
彼女が同窓会誌にも寄稿していたことがあるのを思い出したからです。
ちなみに私は同窓会にも入っていません。
彼女はすぐに探し当ててくれました。
もちろん、だからと言って、その人の連絡先を先方に伝えたわけではありません。
一応、アメリカ在住の見知らぬ人には、その人の所在の探し方をお伝えしました。
さてこの先どうなるでしょうか。
今回のことで、人が人を信じない時代になっていることを改めて実感しました。
それに、ルールは破ってはいけないという常識が広がっていることも知りました。
とても悲しいことです。
■琵琶を聴く会(2016年2月4日)
小学校時代の友人たちが集まって、琵琶を聴く会をひらきました。
同級生の一人が60歳を過ぎてから筑前琵琶を始めていたのですが、昨年、もう一人が全く別の流れで薩摩琵琶を始めたので、それを口実に集まったと言ってもいいかもしれません。
一度は、湯島の集まりに参加したことのある男女それぞれ3人に声をかけました。
立場は実にさまざまですが、それが小学校時代の同級生の魅力です。
筑前琵琶の芳賀さんは、いまはオリジナルの民話琵琶語りを始めていますが、琵琶の使い方も実に新鮮で、イメージが変わりました。
今回は、彼女の創作「耳なし芳一」に加えて、その前後に古典琵琶歌と現代琵琶曲を演じてもらいました。
薩摩琵琶の升田さんは、まだ始めたばかりですが、1曲、古典琵琶歌を披露してくれました。
筑前と薩摩の琵琶の違いも少しわかりました。
まあそれはそれとして、驚いたことがあります。
同窓会的な要素もあったので、なんと6時間を超える集まりになったのですが、最後の1時間は昨今の政治状況の話題になりました。
そして驚いたことに、女性の怒りと危機感がすごいのです。
このままだと戦争になるだろうというのです。
まさかそんな話になるとは思ってもいませんでしたが、自然とそういう成り行きになってしまったのです。
高校生の孫が、辺野古にまで行ったという話まで出ました。
若者たちもしっかりしているのです。
男どもだけで会うと、そこまでの話にはなりません。
しかし女性たちは生活感覚での危機感を感じているようです。
60年代の安保闘争代を過ごしてきたことが、どこかに残っているのかもしれません。
小学校時代の同窓生ですので、みんな74歳前後です。
見事に分かれたのは、女性たちは課題をしっかり持って前に進んでいるのに対して、私も含めて男性たちは、いまを何とか生きているという感じで、男性たちは圧倒されてしまっていました。
有機農業の中心になっている埼玉県小川町の霜里農場の金子友子さんも、同級生の一人ですが、彼女がしぼりたての牛乳と取り立てのイチゴなど持ってきてくれました。
琵琶のほかにも、面白い話がたくさんありました。
もしかしたら、さらに新しいプロジェクトが生まれるかもしれません。
まあ私などはあんまりついてはいけないのですが。
■林檎ジュース(2016年2月5日)
シンガーソングも含めてのオールラウンドライターの杉原さんが、100%林檎の生ジュースを送ってきてくれました。
私が風邪で元気がないというのをフェイスブックで読んで、送ってきてくれたのです。
これはやはり感激ですね。
今度誰かが元気がないことを知ったら送ることで、恩送りさせてもらうことにしました。
とてもおいしく、少し元気が出ました。
■学童保育の子どもたち(2016年2月6日)
コムケアサロン子どもシリーズの3回目は、学童保育に長年かかわっている上野陽子さん(日本子どもNPOセンター)に話題提供してもらいました。
学童保育についてほとんど知らない人も含めて、10人の人が集まりました。
上野さんから、学童保育はどんな場所なのか、そこで今どういうことが起こっているのか、そこに関わるものとしてどんな悩みを抱えているのかを、話してもらった後、いつものように自由な話になりました。
上野さんは、これまでの活動からていねいなレジメをつくってくださっていますので、もしご関心のある方がいたら、ご連絡ください。
上野さんの了解が得られたらお届けいたします。
話を聴いていると、まさに大人の世界と同じようなことが展開されているように思いました。
と同時に、学童保育もだんだん窮屈になってきているのだなとも思いました。
そして、学童保育の世界もどんどん「市場化」が進んでいるようです。
そのため、子どもの都合よりも、大人たちの都合が、支配しているのかもしれません。
「福祉」の世界の大きな潮流と同じです。
そこでは「保育」とは何か、といった大きな目的は忘れられがちです。
上野さんは、そうしたなかで、たぶん子どもたちと正面から付き合い、両親には見えない子どもの姿を両親に伝えようとしているのでしょう。
だから、悩みが山のように出てくるわけです。
たとえば、上野さんはこんな悩みを話してくれました。
・子ども目線ってなんだろうか。
・どうしたら、一人の「人」として、子どもと関わることができるのか。
・モノ(景品)をもらえる行事が多いのではないか。
・学童保育の世界で子どもたちを大切にすることが、学童保育の外での子どもたちの生活を危うくすることはないのか。
・日常からつながるイベントをつくりたい。
・保護者や地域や社会に、何をどう発信していけばいいのか。
私が面白かったのは、最近はボール遊びができなくなっている公園が多いそうですが、学童保育の場合はルールを破ることができないのに、学童保育以外の子どもたちはボール遊びをやっている(もちろんルール違反)という話でした。
不都合なルールは変えればいいだけの話ですが、ルールが一度できてしまうと、なぜかみんなそれに従わないといけないと思う社会になってしまったようです。
それに関連して、子どもたちがちょっと工夫してルールを変えてゲームをしていると、「このゲームはこうやって遊ぶんだよ」と注意する子どもがいるそうです。
こうして「ルール重視」になっていくと、大きなルールが壊れて、学級崩壊や学校への不適合が起こるのかもしれません。
母親と子供の関係も話題になりました。
母親にとって、子どもは自らの存在証明なのかもしれません。
2人の母親の、少し違いのあるご意見には興味を感じました。
これはいつかまたテーマにしたいと思います。
ほかにもたくさん考えさせられることがありました。
所詮は、子どもたちの都合ではなく、大人たちの都合が優先されていると最後に誰かが言っていましたが、私もまったく同感です。
学童保育を否定しているわけではありません。
しかし、かつて保育所が「託児所」と言われたようなことを繰り返してほしくはありません。
学童保育を利用している人は、家族や本人が、どこかで学童保育の運営にも参画する仕組みが必要だろうと思います。
小学生の子どもでも、スタッフとしてやれることはたくさんあるはずですし、それが無理なら10年後にお返しする仕組みも考えられます。
市場化とは違う展開があるのになあ、と思いながら、私は話を聞かせてもらっていました。
主観的な中途半端な報告ですみません。
まあ、いつものことですが。
社会に向けて「学童保育」の現場からの声を発信していく場を、日本子どもNPOセンターで検討してほしいと思いました。
みんなあまりにも知らないのです。
みなさん、もっと子ども世界に関心を持ちましょう。
子どもが豊かに育たなければ、社会が豊かになるはずがありません。
(2016年1月第4週)
久しぶりに長い風邪をひいてしまいました。
症状はたいしたものではなかったのですが、1週間以上にわたり、のどの痛みとけだるさを感じただけでしたが、気力が全く出てこない1週間を過ごしました。
予定はほぼすべてやめさせてもらい、引きこもりがちでした。
湯島に出かけたのは、29日だけでした。
経営道フォーラムの担当チームのみなさんとのディスカッションでした。
在宅の割には、ネットや電話でいろんな話が飛び込んだりしましたが、気が萎えていたので、あんまりきちんと反応できなかったかもしれません。
ブログもほとんど書けませんでした。
風邪をひく前には、書きたかったことが山のようにありました。
coco壱番屋への批判も改めて書きたかったのですが、途中まで書いていたのですが、これもやめました。
みんながいとも簡単に、coco壱番屋に騙されているような気がしてなりません。
驚いたのは、STAP細胞の小保方さんが自著を出版されたことです。
私は、いまでも小保方さんの体験を信じていますが、これに関してもあんまり書く気がしなくなっています。
しかし、アメリカ政府(アメリカ資本)が安倍政権を切り捨てだした動きを少し感じて、ちょっと元気が出てきました。
私の希望的観測では、今年は金政権と安倍政権が捨てられる年ではないかと思うのですが、沖縄の動きがあんまりいい方向に行っているようには思えないのが気になります。
とまあ、いささか熱のせいもあって、こんなことを考えた1週間でした。
(2016年1月第3週)
■ソーシャルビジネスに取り組む我孫子のお2人(2016年1月19日)
■副市長とぱったり会いました(2016年1月19日)
■エグゼクティブフォーラムのアドバイザーの会食(2016年1月22日)
■時間を持て余しました(2016年1月22日)
■ニッポン食堂ミーティング(2016年1月22日)
■やはり風邪かな?(2016年1月23日)
■カフェサロン「支え合い社会を考えるパート2」の報告(2016年1月23日)
■日本ストーリーテリング協会(2016年1月23日)
■完全に風邪だ!!(2016年1月23日)
■10年ぶりに日本力士の優勝(2016年1月24日)
■ソーシャルビジネスに取り組む我孫子のお2人(2016年1月19日)
昨年の平和のコンサートで知り合った古川さんから小田さんと3人で会わないかとお誘いを受けました。
小田さんはヌック・コミュニケーションを主宰するかたわら、テラス21の代表でもあります。
昨年か一昨年、なぜか突然連絡をもらったことがありますが、私はまだお会いしたことがありませんでした。
我孫子での住民活動などについて、いろいろと意見交換をしました。
共通の友人知人もたくさんいることがわかってきました。
一番の驚きは、小田さんがすぎのファームの杉野幸子さんと高校でご一緒だったことです。
私自身は、現在の日本で展開されているソーシャルビジネスに違和感があるため、すんなりとは古川さんや小田さんの話には入れないのですが、かなりの突っ込んだ話し合いをしたおかげで、相互にかなり理解しあえたと思います。
どこかで接点が生まれるかもしれません。
■副市長とぱったり会いました(2016年1月19日)
今日は街でいろんな人に会いました。
一番驚いたのは、歩いていたら、突然横に車が止まり、中から声を掛けられたことです。
見ると市役所の青木さんでした。
驚いた理由は、まさにその時、青木さんのことを考えていたからです。
そろそろ一度、青木さんのところに話に行こうかと思っていたのです。
しかし会ってしまうと責任が発生しますので、いささかの躊躇もあります。
そんなことを考えていたら、隣に車が止まり、その青木さんが窓越しに声をかけてきたのです。
もしかしたら、またシンクロニシティが始まりだしたのかもしれません。
それがいいことかどうかは、これまでの経験から迷うところです。
■エグゼクティブフォーラムのアドバイザーの会食(2016年1月22日)
長らく続けてきた山城経営研究所の経営道フォーラムのアドバイザーは辞めることにしましたが、なぜか同研究所でやっているもう一つのプログラムである、エグゼクティブフォーラムに関わることになりました。
前にも書きましたが、その事務局の花輪さんがやってきて、次期のプログラムの最初の合宿は奈良ホテルだと言うので、ついつい私も行きたいねといったのが始まりです。
気が付いてみたら、その期のコーディネーター陣の一人になっていました。
どうせやるのであれば、他のコーディネーターとの会食会でもやりたいと話したら、これもまた花輪さんが早速その場をつくってくれたのです。
昔の経営道フォーラムのような柔軟さがあります。
それで3人のコーディネーターと花輪さんで会食しました。
一人は宅間克さん。もう15年ぶりくらいになるかもしれませんが、私が知っている数少ないコンセプターのお一人です。
企業美学や日本思想にも造詣の深い方です。
お互いに再会を喜び合いました。
お話していた、以前と全く変わっていません。
自分を持っている人は、変わらないものです。
もうひとりは、静岡大学教授の舘岡さんです。
支援をキーワードにした著書も多いですが、日産から大学教授に移った人で、前から一度お会いしたいと思っていた一人です。
舘岡さんも、私が思っていた通りの人でした。
舘岡さんが、3人は通底しているところがあると後でメールしてきましたが、通底したところがあるということは、表層部分ではかなり違うところがあるということでしょう。
私も同じことを感じました。
同じようで、微妙に違う。
奈良ホテルもいいですが。この3人で議論し合うのも魅力的です。
次回は違いをぶつけ合うミーティングを持ちたいと花輪さんに要望しておきました。
久しぶりに、楽しいランチでした。
食事もおいしかったです。
食材もさることながら、話がおいしさを高めてくれたのだろうと思います。
私は、やはり根っから議論が大好きのようです。
■時間を持て余しました(2016年1月22日)
楽しいランチの後、湯島に行きました。
次の約束は6時過ぎです。
3時間はたっぷりとあります。
さて何をやるか。
最近少し寝不足気味で、あんまり思考力がありません。
一応、「戦後入門」という加藤典洋さんの600頁の本を持ってきたので、読み始めたのですが、気がついたら寝ていました。
寒くなって目が覚めたのです。
今日は読書は無理そうです。
そこで考えたのが、ある人が湯島においていった、空の金庫を開けることです。
番号方式ですが、番号がわかりません。
まあその謎解きです。
フェイスブックに開け方のアドバイスを募集しましたが、キータッチの番号方式は難しいようです。
見事に失敗しました。
■ニッポン食堂ミーティング(2016年1月22日)
夕刻予定のミーティングはニッポン食堂とのミーティングでした。
宇賀さんたちが来たころには、ちょっと寒気がしたりして、体調のおかしさが出てきていましたが、話を聞いて、ホワイトボードを使って、いろいろと話しました。
1時間話したら、疲れがどっと出てきました。
もうひとりの参加者が2時間遅れてやってきました。
あとはその人に任せて、おとなしくしていましたが、急に悪寒が襲ってきました。
これ以上このままだと帰宅できなくなりそうな気がしてきました。
まあ話はだいたい理解できたので、ミーティングを切り上げて、帰ることにしました。
しかしまた重い宿題を背負ってしまいました。
困ったものです。
■やはり風邪かな?(2016年1月23日)
昨夜は何とか無事帰宅し、すぐに寝ました。
今朝起きたら、やはり喉が痛くて、あんまり調子もよくありません。
やはり風邪のようです。
しかし今日は湯島のサロンですので、出かけなければいけません。
ひどくならなければいいのですが。
■カフェサロン「支え合い社会を考えるパート2」の報告(2016年1月23日)
カフェサロン「支え合い社会を考えるパート2」は9人の参加でした。
予想に反して、女性は一人だけでした。
そのせいか、具体的な仕組みを話し合うつもりが、考え方や制度の方に話が行きがちでした。
具体的な仕組みを考える場合は、自分の生活を起点として、こんな仕組みや場がほしいというところから一人称で話し出さないといけないのですが、やはり時期尚早だったのかもしれません。
みんなあんまり困っていないのです。
まあそれが困ったことなのですが。
坪倉さんが自分の考えをまとめたペーパーをつくってくれたので、まずはそこから話をはじめました。
坪倉さんは、支え合いの基本単位として「家族」を核においています。
私も同じ考えですが、前回、坪倉さんがその話をしたら女性陣から厳しい批判の意見が出ました。
「家族」の意味が、男性と女性とではまったく違うのかもしれません。
これは大きなテーマですが、家族を支え合いの基本にしないとしたら、何が基本になるのかを、一度、女性に問題提起してカフェサロンしたいと思います。
問題提起してくださる女性を募集します。
しかし、やはり基本は家族でしかないのではないかと私は思います。
そうでないと未来を生み出す子どもたちの居場所がなくなるからです。
そもそも「支え合い」という言葉がこれほど話題になること自体に、社会のおかしさを感ずるのですが、そもそも「生きる」とは「支え合う」ことです。
もし「支え合い」が必要でないとしたら、その人は生きていないとしか言いようがありません。
それが私の基本的な考えで、要は、みんなもっと「生きましょう」と言うのが、パート1での私のメッセージでした。
どうもうまく伝わっていないようなので、今回また少しややこしい話をしました。
人間(生物はすべてそうですが)は、生産しながら消費している存在です。
生きるとは、「生産」と「消費」の組み合わせですが、一人では自給できないので(必要なすべてを生産できない)、他者とのやり取りが大切になってきます。
自分が生産した余剰なものを他者に使ってもらい、他者が生産した余剰なものを使わせてもらって、生きることが成り立っています。
ここで、生産するとは必ずしも、「モノの生産」だけではありません。
その最小単位が家族であり、近隣社会であり、親族社会でした。
つまりそこでは、「支え合う」ことが生きることだったわけです。
ところが、近代になってから、生産と消費は切り離されました。
生産機能を集中させ、産業が成立しました。
人は、自らの生産機能をそこに買ってもらうことになりました。
しかし、生産したらそれを売らなければいけません。
そこで「消費者」がつくりだされました。
そして「市場」が生まれ、市場社会と言われるほどに、社会は汎市場化してしまったわけです。
そして、人は自らの消費機能を、その市場に吸い取られてきているのです。
しかも、近代の産業社会は、「生産の場」と「消費の場」が切り離されました。
ですから、生産と消費を統合していた、「家族」「近隣社会」などは不要になってしまいました。
逆に、そうしたものを壊すことで、市場は拡大し、産業は発展してきたわけです。
生産と消費が絡み合う「人の暮らし」はなくなり、人は、生活者から「生産者」と「消費者」へという特殊な存在になってしまった。
この調子で書きだすときりがないのですが、まあそんなことを話させてもらいました。
でもまあ、そんな私の話とはあんまり関係なく、話し合いはいろいろと広がりました。
若衆宿や頼母子講の話も出ましたし、持てる者が持てない者を助ける関係が自分の親の代にはあったという話、プ―タローでも生きる場所があったという話、農福連携の話、支え合いの前に人をつなぐ共通の話題になるものが大切だ、という指摘もありました。
就労支援活動などに取り組んでいる阿部さんが、社会的弱者とされる人たちは、誰かに役立ちたいと思っている人が多い、いう話をされました。
彼らは、不足を嘆いているのではなく、過剰を嘆いているのです。
もしかしたら、そこに「支え合い」社会を考える重要なヒントがあるかもしれません。
少なくとも私のまわりのほとんどの人は、それとは真逆な考えをしています。
誰かの世話をするのが福祉だとかケアだと思っている人が多いですが、大切なのは、誰かの世話になるということかもしれません。
つまり、「支える」ことを起点として考えるのではなく、「支えられること」を起点として考えることが大切かもしれません。
とすれば、支え合う仕組みを作る早道は、私がまず、支えられないと生きていけない存在になるのがいいかもしれません。
しかし、よく考えてみると、いま既にそうなっているような気もしますが。
昨年、スペインのサンチアゴ巡礼をしてきた鈴木さんが、支え合う場ってスピリチュアリティにつながっているようだと言って、巡礼路にある宿泊所の話をしてくれました。
ビジネスでやっているのとボランティアでやっているのとでは、雰囲気が大きく違うようです。
後者はとっても「あったかい」のだそうです。
ちなみに、実質的には料金はそう変わらないようです。
最後に、阿部さんが、湯島を活かして自分の世界に閉じこもりがちな若者たちのための話し合いの場を湯島でやろうとしていることを話してくれました。
私も参加させてもらう予定です。
そうした具体的な仕組みが少しずつ生まれてくれば、うれしいです。
■日本ストーリーテリング協会(2016年1月23日)
サロン終了後、吉本さんから「日本ストーリーテリング協会」の枠組みの相談をすることになっていましたが、サロンが長引いたのと、私の思考能力が欠落してしまっていたので、概略をお聞きして、それでいいんじゃないのと言う返答で、ミーティングは終わりました。
昨日のミーティングとは大違いでした。
こういうミーティングなら毎日やっていても疲れません。
それはともかく、いよいよ日本ストーリーテリング協会が立ち上がります。
■完全に風邪だ!!(2016年1月23日)
簡単なミーティングを追えて、帰宅したのですが、帰路の電車の中で、またすごく悪寒に襲われました。
しかも我孫子の駅を降りたら雨が降っていました。
傘はなく、あいにく今日は迎えにも来てもらえない日でした。
タクシーで帰るか傘を買うかという方法はあったのですが、たいした雨ではなかったので、節約家の私としては歩いて帰ることにしました。
途中でへこたれそうになりましたが、家に着いた時にはもう倒れそうでした。
これで完全に風邪をひいたでしょう。
明日はひどい日になりそうです。
■10年ぶりに日本力士の優勝(2016年1月24日)
予想通り、ひどい日になりました。
完全に風邪のようです。
でもインフルエンザではなさそうですので、薬を飲んで安静にしていれば、治るでしょう。
リビングの床暖房を入れて、1日中、寝ていることにしました。
ひどい1日でしたが、夕方、大相撲で琴奨菊が優勝しました。
日本人の優勝は10年ぶりだそうです。
最後はいい日になりました。
これなら明日で風邪は治るだろうと脈絡なく確信したのですが、
しかし、その後、沖縄の宜野湾市長選挙の結果が辺野古基地賛成派の現職が当選したというニュースが入ってきました。
一挙に気分が反転し、風邪は当分治らないような気がしてきました。
日本は最後の歯止めを超えて、手段としての、つまり主体性なく、軍事国家になっていくような気がします。
宜野湾市の人も、多くの日本人と同じく、お金の奴隷になっているのでしょうか。
私は反対派が勝つとばかり思っていたのですが、実に残念です。
いろいろ考えてしまい、昨夜は眠れませんでした。
風邪は治るどころではなく、悪化してしまいました。
困ったものです。
(2016年1月第2週)
■人間の定義ができたというので小宮山さんと会いました(2016年1月11日)
■みんなの社会教育を考えるミニフォーラム企画(2016年1月11日)
■悲報つづき(2016年1月13日)
■年賀状を出しました(2016年1月14日)
■今度こそのストリーテリング協会構想(2016年1月14日)
■超人ワンダーランドをつくりたいという魔法使い(2016年1月14日)
■エリアス・カネッティ「群衆と権力」を読み出しましたが(2016年1月15日)
■カフェサロン「サービス文明論を語ろう」の報告(2016年1月16日)
■人間の定義ができたというので小宮山さんと会いました(2016年1月11日)
国際箸学会の小宮山さんからメールが来ました。
人間とは何か。修さん知っていますか。
パスカルも参りましたという定義が出来ましたよ。
箸を考え抜いたら出来ました。
これは会わないわけにはいきません。
小宮山さんと私との中間点である、西日暮里で会いました。
西日暮里の駅に降りたのはお互いにはじめてでした。
話す場所が見つからず、居酒屋のさくら水産に入りました。
そこで、長々と哲学論争をしたのです。
小宮山さんの定義には納得できませんでしたが、その奥にある考え方には共感できました。
そして行き着いたのが、ぶんぶんゴマです。
あまり脈絡がつながらないと思いますが、2月に小宮山さんのサロンをやることにしました。
テーマは「人間と道具、もしくは遊びについて」です。
案内は来週、「お知らせ」に載せますのでよかったら参加してください。
■みんなの社会教育を考えるミニフォーラム企画(2016年1月11日)
昨年の春から続けてきた「社会教育のパラダイム転回」の話し合い仲間で、2月27日にミニ公開フォーラムを開催することになりました。
その実行委員会を開催しました。
それぞれの役割分担が決まりました。
これもまもなく案内ができそうです。
このミニフォーラムを契機にして、新しい組織を立ち上げる予定です。
考え方は、「啓蒙主義の社会主義」「お上による統治のための社会教育」から「生活者による豊かな暮らしのための社会教育」への転回です。
話しに来たい人がいたら実行委員になってください。
ぜひご連絡ください。
■悲報つづき(2016年1月13日)
年初からどうも「悲報」続きです。
それでちょっと滅入りがちです。
滅入った時には動かないといけません。
ますます滅入っていくからです。
でも動けないこともあります。
今年は良い年になると思っていましたが、前途多難な年明けです。
でも逆に、元気づけられることも起こっています。
2日間ほど外出する気になれずに在宅していました。
気持に任せると気持ちは回復するものです。
不思議な2日間でした。
■年賀状を出しました(2016年1月14日)
思い切って年賀状を出しました。
と言っても、いただいた年賀状のほとんどはメールで返信しましたので、残っているのは40人ほどでした。
メールをやっていない人です。
最近はパソコンに依存して文字を手書きすることが減ってきました。
頭での思考速度と文字を書く速度が違うため、私は文字を書くのが不得手です。
私の書く文字は、ますます読みにくくなってきました。
自分の書いた文字を見て、嫌になりました。
■今度こそのストリーテリング協会構想(2016年1月14日)
昨年、吉本さんから提案のあったストリーテリング協会構想が途中で止まっていましたが、いよいよ動き出すそうです。
それで、一度、きちんとしたビジョンとミッションとスキームを話し合おうということでミーティングを持ちましたが、2人とも準備をしていませんでした。
なにかプロジェクトを起こす時には、きちんとした実務家が必要ですが、どうも私も吉本さんもそういうことには向いていません。
でもまあ、今回はもう一人実務面でうるさそうなメンバーが加わることになったので、今度は動き出すでしょう。
ご関心のある方はぜひご連絡ください。
一般社団にする予定です。
■超人ワンダーランドをつくりたいという魔法使い(2016年1月14日)
魔法使いのカシュカシュさんが構想している「超人ワンダーランド」について少し話し合いました。
カシュカシュさんがつくりたがっているのは、「ユーサイキア」です。
「ユーサイキア」は、存在しない理想郷であるユートピアと違って、実現可能な理想郷のことで、心理学者のマズローが言いだした言葉です。
そういえば、カシュカシュさんは、すべての人の自己実現を支援したいと考えているのです。
意識が変われば、生きる次元が「上昇」し、自己実現が可能となり、その人たちが「ユーサイキア」を生み出していくだろうと、どうもこの魔法使いは考えているようです。
これもまた一度、話し合わねばいけません。
今年はどうも話し合うことが多くなりそうです。
ちなみに超人ワンダーランドはすでに動き出しています。
ホームページもできていますので、ぜひご覧ください。
http://www.chojin-wl.com/
超人ワンダーランドに関心のある方はご連絡ください。
魔法使いを囲むサロンもやりたいと思います。
あたたかくなったら、ここで合宿フォーラムを開催するのも面白いかもしれません。
■エリアス・カネッティ「群衆と権力」を読み出しましたが(2016年1月15日)
以前から気になっていて読めずにいる本の中に、エリアス・カネッティの「群衆と権力」があります。
上下巻で1万円近くする本なので購入できていないのですが、いつか読みたいとずっと思っていました。
その思いがふと出てきてしまい、ある人にこの本を紹介してしまいました。
そうしたらその人が読んでみると言いだしたのです。
それで紹介した責任上、やはり読まないといけないと思い、図書館に予約を頼んでいました。
それが届きました。
なんと上下巻合わせて700頁です。
それに文字も小さいです。
紹介したことを後悔しましたが、もう後には引けません。
読むことにしました。
ところがなかなか読み進めません。
いつもなら1日に100頁は読むのですが、なんと20頁で止まってしまいました。
面白くないからではありません。
考えさせられることが多いからです。
さてさて700頁。
へこたれなければいいのですが。
■カフェサロン「サービス文明論を語ろう」の報告(2016年1月16日)
今日のカフェサロン「サービス文明論を語ろう」はまたまた超満員になってしまいました。
いつもと違って、今回は企業にお勤めの方にも少し声をかけさせていただいた結果、半数は企業の人でした。
しかし、ホームレス支援や障がいのある人の就労支援などに関わるNPOの人など、いつものように様々な人も参加してくれました。
若者の参加がなかったのが残念でした。
話題提供者は、元日経記者の坪田知己さん。
坪田さんはずっと前からメディア革命による社会や企業のあり方についての本も出されていますが、多様性を支えるサービス文明社会が到来したという「サービス文明論」も電子出版しています。
今回は、今や私たちは「機械の奴隷」になってしまったという話から始まり、つづいて、サービス文明社会の特質やそこでの生き方、働き方について、さまざまな問題提起がありました。
いろいろと突っ込みたい論点はたくさんありましたが、要はみんながもっと自分らしく生きられる社会が来そうだ、あるいはそういう社会を目指すべきだという話だったように思います。
そして、そのためのキーワードは、「個人の尊厳」と「信頼」「自律」という話でした。
あまりにも簡単なまとめですみません。
実際には、利己主義から利他主義へ、匿名社会から顕名社会へ、オープンエンドからオープンスタートへ、などといった話もありました。
「健常者」と「障がい者」の区別も解消されるのではないかという議論もありました。
アマゾンが過去の購入履歴を分析して、個人あてに推薦してくる書籍はなかなか的を得ているというような話もありました。
しかし、まさにそこにこそ、私は「管理された人間」を感じます。
自分では気づかないままに、得体のしれないものに操作され、「自分らしく生きている」ようで実は、その「自分らしさ」も「与えられた自分らしさ」になっているのではないかと思うわけです。
言い換えれば、「自律的」に生きているようで、実は「他律」されているのではないかと言う話です。
今回は、何しろ参加者も多かったので、そこまでの議論にはなりませんでしたが、いつか議論したいテーマではあります。
さらにいえば、そもそも「サービス」という言葉が問題かもしれません。
サービスの語源は「スレーブ slave」、まさに奴隷です。
私自身は、サービス社会は「奴隷社会」とほぼ同義と考えています。
坪田さんは、一方で「おもてなし」という言葉も使っていましたが、おもてなしには「尊厳」と「信頼」が含意されていますので、むしろ「おもてなし」とか「ホスピタリティ」という言葉のほうがいいような気もします。
しかし最近は、「おもてなし」も品格を失ってしまった言葉に成り果ててしまったかもしれませんが。
坪田さんは、インターネットと仏教の話にも少し言及しました。
常々、インターネットは華厳経に出てくる「インドラの網」、つまりインドラネットと同じだと思っている私にとっては、この議論もしたかったのですが、これまた始めるとさらに時間が延びるので我慢しました。
しかし、インターネットの意味は、もっとしっかりと考えるべきだろうと思います。
というわけで、1時間延長したにもかかわらず、話したりなかったことがみなさんそれぞれに多かったのではないかと思います。
そして、いかにも勝手な報告になってしまいました。
サロンは、異論反論が出るところに意味があります。
坪田さん、ありがとうございました。
坪田さんの問題提起は、さまざまな刺激を与えてくれましたので、どなたか、このパート2をやってくれませんか。
(2016年1月第1週)
今年も穏やかな年明けでした。
人の世界の混乱を、自然はどう見ているのでしょうか。
怠惰で無為の年末につづけて、新年ものんびりと過ごしていました。
■いつものように初日に出会いました(2016年1月1日)
■初詣は子の神様(2016年1月1日)
■宝くじは見事に外れました(2016年1月1日)
■「映像の記録」(2016年1月2日)
■新年臨時開店カフェには10人の方が来てくれました(2016年1月3日)
■民主主義とリンカーンクラブ(2016年1月3日)
■年賀状を読みました(2016年1月4日)
■両親への新年のあいさつ(2016年1月5日)
■経営道フォーラム新年会(2016年1月8日)
■いつものように初日に出会いました(2016年1月1日)
今年は初日の出を定刻に見られるのではないかと思っていましたが、雲がかかっていて、少しだけ遅れて初日を拝めました。
初日の陽光は、不思議なほどに霊的です。
今年は昨年よりも良い年になるでしょう。
■初詣は子の神様(2016年1月1日)
最近、初詣は近くの子の神様と決まっています。
娘夫婦とそこで落ち合うことになっています。
ここからは富士山も見えるのですが、残念ながら最近は樹木が生い茂り、見えにくくなっています。
手賀沼も見えるのですが、一望というわけにはいきません。
気のせいか、今年は参詣客が少なかったように思いますが、それでもにぎわっていました。
帰宅してみんなでおせち料理を囲みました。
その後、みんなでお寺に行きました。
ちょっとさみしいお正月ですが、みんなそれぞれに元気で年を超せたのがよかったです。
■宝くじは見事に外れました(2016年1月1日)
いささかお金が必要になって、昨年末に宝くじを40枚も買ってしまいました。
あるところでお話させてもらったら予想もしていなかった謝金をもらったので、それを投入したのです。
たぶん当たるだろうなと思い、使途を一応考えておいたのですが、無残にも1枚も当たりませんでした。
やはりお金を欲するという邪念が行けなかったのでしょう。
それに3000万円でよかったのに、10億円を望んだのがよくなかったのでしょう。
強欲な思いは、かなえられないものです。
しかしちょっと残念で、もし10億円当たったら、今年はかなりの仕事ができたはずです。
でもまあ、当たらなかったおかげで、今年も怠惰さを維持できると思えば、喜ぶべきかもしれません。
■「映像の記録」(2016年1月2日)
今日は予定を変えて、在宅することにしました。
昨年末からの怠惰さになじむと、怠惰であることの幸せに負けてしまいます。
怠惰にしていると、どこかに「罪の意識」が生まれるのですが、最近ようやくそれがなくなってきました。
もう一息で、悪しき呪縛から抜け出せるかもしれません。
午前中は箱根駅伝をずっと見ていましたが、今年はちょっとドラマ性に欠けていました。
青学が強すぎました。
私はどうもどんぐりの背比べ競争が好きなので、後半は駅伝をやめて、録画していた「映像の記録」のいくつかを観ました。
この番組はもう何回か観ていますが、観ていて気分のいいものではありません。
ですから、どうしても都合のいい観方しかしていないのではないかと思い、時々、繰り返し観ているわけです。
友人の柴崎さんが、この番組について、内容が浅いし、ここでの批判的メッセージは連合国側にも当てはまるのではないかとメールをくれ、昨年ドラマ化された「高い城の男」のことを書いてきました。
「高い城の男」は、第二次世界大戦が枢軸国側の勝利に終わった世界を描いた作品です。
いまから50年近く前に私も読みましたが、面白くなかったという記憶しかありません。
しかし最近また話題にもなっているというので、もう一度読むことにしました。
しかし、むかしの本なので文字が小さくて、読みづらく、今回もまた途中でダウンしそうでしたが、何とか読み終えました。
やはりまったく面白くなかったです。
最近、フィクション作品を読む気力がなくなってきたのかもしれません。
現世が、あまりにフィクション的になってきているからでしょうか。
若いころ読んだSFの世界は、今や完全と言っていいほど実現されています。
こうして新年2日目も無為に近い1日でした。
■新年臨時開店カフェには10人の方が来てくれました(2016年1月3日)
年末に思い立って、3日に今年最初の新年臨時開店カフェを開店することにし、年が明けてからフェイスブックとブログと湯島サロンのメーリングリストで、その旨流しました。
あまりに急なので、参加する人は少ないだろうと思っていましたが、10人のお客様が来てくれました。
それも10代から80代までの幅広さです。
それぞれのみなさんから、ご自分のことを話してもらっているうちに3時間が経ちました。
改めてそれぞれの方のお話を聞いていると、それぞれに関わりたくなってしまう気がしてきます。
やはり人はみんなそれぞれにたくさんの物語を背負っています。
そしてそれは、いずれも実に魅力的なのです。
それを聞き合うだけで、世界は広がります。
こういうテーマのない話し合いの場の大切さを改めて感じました。
時間はあっという間に過ぎてしまいました。
湯島のサロンに参加した最年少者はこれまで高校生でしたが、今日は15歳の若者が参加してくれました。
しかも京都の大原にお住まいで、春にはオーストラリアの高校に留学するそうです。
彼は、昨年、友だちと沖縄の辺野古にも行ってきたそうです。
こういう若者が、たぶん世界を変えていくのでしょう。
もうひとり、湯島サロンには初めての人が来ました。
なんと魔法使いです。
湯島にはいろんな人が来ますが、魔法使いはたぶん初めてです。
彼女は異星の人たちとも交流しているそうですが、湯島サロンもいよいよ宇宙的になってきました。
いつか宇宙の人をゲストにしたサロンができるかもしれません。
最後の方で、いささか過激な論争になり一瞬、場の空気が冷えそうになりましたが、それも含めて、湯島のサロンらしいものになりました。
ところで、湯島天神のお詣りのついでにでも、とお誘いに書きましたが、湯島天神の参詣客は年々増えてきていて、今日もオフィスの前の道は若い人たちで長蛇の列でした。
そのため、私もお詣りしそこなってしまいました。
夕方になっても行列は少なくなるどころか、ますます混んでいました。
■民主主義とリンカーンクラブ(2016年1月3日)
サロンにリンカーンクラブの武田さんが参加されたので、終わった後、リンカーンクラブをどうするかの相談をしました。
結局、実践的な活動はしないことになりました。
それで、リンカーンクラブとは別に、民主主義をテーマにした学び合いの場を私がはじめ、時々、武田さんに個別テーマで問題提起してもらうスタイルをとることにしました。
本当は、リンカーンクラブとしての「安倍内閣打倒活動」をしたかったのですが、武田さんにその気がなくなったようなのでどうしようもありません。
私も、100年計画に戻って、サロン活動を続けようと思います。
■年賀状を読みました(2016年1月4日)
私は数年前から年賀状をやめました。
いただいた年賀状には原則としてメールで返信していますが、それもしばらくしてからです。
それでもこれまでは届いた年賀状を読んでいました。
しかし今年は、どうも読む気がしません。
読み出して気づいたのですが、ほとんどの年賀状が「記号」でしかないからです。
もちろん手書きを添えてくださっているものも多いのですが、何やらみんな平和というか日常というか、リアリティがないので、読むのをやめました。
しかし、山になっている年賀状を見ると気になります。
それで今日は、これまで届いていた年賀状に目を通しました。
そして返信しようと思ったのですが、やはり返信する元気が出てきません。
私も一時は年賀状を積極的に評価していました。
仕事や社会活動をしっかりとやっていたころには毎年1000枚をかなり超える枚数の年賀状を、毎年4〜5日ほどかかって書いていました。
しかし、妻がなくなってから、社会との付き合いが煩わしくなってしまい、翌年に亡き妻と連名の年賀状を出状したのを最後に、年賀状をやめてしまったのです。
いまも年賀状をくださる方には感謝していますが、そんなわけで、年賀状はやめてしまってもう8年目になります。
■両親への新年のあいさつ(2016年1月5日)
元旦に一応お墓には行きましたが、私の両親の仏壇は兄夫婦が守ってくれています。
それで毎年、兄の家の両親に会いに行くのですが、今年は5日になってしまいました。
すでに昨日、兄とは会っているのですが、両親へのあいさつもあるので、兄宅に行きました。
両親が健在だったころは、家族がみんな集まっていたのですが、最近は集まることもほとんどなくなりました。
私の友人には、正月にたくさんの親戚が集まるという人も少なくありませんが、それを聞くと羨ましいのですが、私の場合は、最近は法事でもなければ、みんな集まりません。
さびしい話ですが、まあこれも私の生き方の結果なので仕方がありません。
兄夫婦とゆっくり話すのも、最近は年に数回しかありません。
しかしお互い何時人生が終わってもおかしくない年齢になってきました。
今年はもう少し会おうかなと思いますが、何しろ価値観がかなり違うので会うとついつい論争になってしまうのです。
困ったものです。
■経営道フォーラム新年会(2016年1月8日)
山城経営研究所の経営道フォーラムのコーディネーター役を今年の春で辞めることになりました。
今期が最後なのですが、そのコーディネーター会議があり、終了後、新年会でした。
経営道フォーラムは、その最初から私は関わっているので、たぶんいまの事務局よりも、その活動を一番よく知っています。
その立場からだと、いろいろと気づくことが多く、ついつい余計なことを言ってしまうのですが、そういう自分にも少し嫌気を感じていました。
それで辞めることにさせてもらったのですが、最後なのでいろいろと勝手な意見を言ってしまいました。
最後の発表会は今年の5月です。
なんでもそうですが、いざ辞めるとなるとなんだか少しさびしい気はします。
しかしまもなく人生も辞めるのですから、そんなことも言っていられません。