企業を変えるのは簡単です。変えるつもりがあればですが。

――内発的変革(成長)を仕組むCI戦略序論――

佐藤修 「21世紀CI展望」(自分流文庫 2000年)から抜粋

■ なぜ企業変革は成功しないのか

 「変革」が企業の戦略課題になってきている。厳しい競争の場にある企業にとって、時代の変化に合わせて常に自らを変化させておくことは日常的な経営課題だが、昨今の社会の変質は、これまでとは全く違う変革を企業に求めだしている。

  社会の変質については本論のテーマではないが、たとえば情報化という使い古された言葉をとってみても、5年前と今とでは、その意味合いは全く異なっている。「言葉」ではなく、「実態(現場)」をしっかりと踏まえて、社会の変質を見極める必要がある。そこをどう見るかで、企業が取り組む「変革戦略」は変わってくる。

  企業変革に取り組む企業は多い。しかし、成功している企業は決して多くない。『会社はなぜ変われないか』という類の本がよく売れていることが、そのことを物語っている。もちろん、10年前と今とでは、どの企業も同じではない。制度も戦略も変化してきているだろう。時代が変わっていくなかで、そうしなければ企業は存続できない。しかし、そのことと「企業変革」とは別物である。「日常的な変化」と「社会の変質に合わせた変革」とを混同してはならない。

  企業力は、かつては「戦略」と「組織」で決まるとされていた。戦略や組織の「かたち」を変えるのはさほど難しいことではない。しかし、実態を変えるためには、戦略や組織を実際に動かしている社員一人ひとりの意識やそれに影響を与える企業文化(社風や企業イメージ)を変えなければならない。かたちを変えるだけで効果があがった時代は終わっている。重要なのは、現場で仕事に取り組む社員一人ひとりである。したがって、企業変革とは社員の意識変化であり、企業文化変革でなければならない。

  社員意識や企業文化の変革はなぜ成功しないのか。その理由は簡単である。変革を呼びかける経営者や変革活動の事務局が、変革の意味合い(理由や効果)をきちんと認識しておらず、何を目指すのかという変革の到達点があいまいだからである。つまり、本気で変革を考えていないからである。

  「意識変革が必要」と経営者が呼びかけることほどむなしいことはない。「変革」という言葉には方向性も価値観も含まれていない。大切なことは、「何を目指して何を変革するか」ということである。変革を口にするのであれば、目指すべきビジョンを明確にし、変革に取り組む本人にとってのメリットを語らなければならない。それがなければ、変革主体であるはずの社員を動機づけることはできず、変革が進むはずがない。

  ビジョンが明確であれば、変革などという抽象的な言葉は不要である。「みんなにとって価値のある◯◯◯を実現しよう」「お客様と喜びを分かち合おう」「誇りのもてる仕事をしよう」というように、具体的に方向を示すことができる。「利益を倍増しよう」「仕事の効率を高めよう」「顧客満足度を高めよう」などということばでは、社員は動機づけられない。ましてや「意識を変えよう」などという言葉は何もメッセージしていない。言葉遊びは百害あって一利なし、である。

  意識や文化は、戦略や組織のように「変える」ものではなく「変わる」ものである。変革主体の社員が、本気で変革しようと思えるようなものでなければ、実効のあがる変革は起こらない。変革を成功させるためには、社会の変質を踏まえて(残念ながら昨今の日本企業の多くはその意味を十分に認識していないが)、「変革の到達点」と「変革の意思」を明確にし、社員一人ひとりに変革の内発的動機づけをしなければならない。それをせずにいくら声高に変革を叫んでも、実態は変わらない。それは変革ごっこでしかない。逆に、それをしておけば、声高に叫ばずとも、変革はおのずから動き出す。外部から仕掛けられた変革は持続が難しいが、内部から育つ変革は止まることがない。

■ 企業変革の契機は社内にある

 組織には生命体と類似のホメオスタシス機能(恒常性維持機能)がある。外的な変化が組織の状況を変えようとすると、それを打ち消すような負のフィードバックが働く。組織の歴史が古くなればなるだけ、この機能は強まるように思われる。これはイノベーションの担い手を期待されている企業にも当てはまる。

  企業は、それぞれ独自の目的と機能をもって主体的に活動している。しかし勝手に行動しているわけではない。実際には社会全体の秩序に制約されながら行動している。しかも同時に、その活動が社会全体の秩序をつくりだすという能動的な役割も果している。つまり、企業と社会とは双方向的に働きかけあうホロニックな関係にあり、決して別々の対立的存在ではない。社会の変化は企業に影響を与え、個々の企業の変化は社会の変質につながる。両者のダイナミズムは(結局また自分に戻ってくるという意味で)再帰的な関係にある。

  社会は常に変化しているから、もし企業が現状にとどまろうとしたら、社会との関係や他の企業との関係を変化させることになる。変わらないことが関係性を変えていく。社会との関係を変化させないためには、企業自らが変化していかなければならない。つまり企業(企業に限らずすべての組織)は、主体自身の変革か関係性の変革かはともかくとして、変革の契機を内在しているのである。その変革のエネルギーをどう編集していくかは、時代によって変化する。これまでの管理中心の経営はどちらかといえば、変革のエネルギーを押さえ込んできた。そのために「外部」との接触を極小化したのである。少し前までの「広報部門」の役割は、その建前上のミッションとは裏腹に、経営と社会との壁を築くことだった。そして「管理された変革」がトップダウンもしくはスタッフ主導(時には外部コンサルタント主導)で行われてきた。それでも右肩上がりの時代はなんとかやってこれた。だが、これからはどうだろうか。

  ところで、生体のホメオスタシス機能については最近見直しが進められている。かつては環境変化に対して一定の安定状態を維持するホメオスタシス機能によって生命を維持していると考えられていたが、最近はむしろ健康な時の生体はカオス的にゆらいでいるということがわかってきた。動的変動状態(ホメオカオス)を創出することで、生体は健康を維持しているのであり、不健康になると「規則的」になると言われる。このことは前例主義の行政体質を想起すれば、組織にも当てはまることが納得できる。ホメオカオスこそが健康のもとという事実は、企業経営に対しても多くの示唆を含んでいる。

  いずれにしろ、「変革の契機」は企業に内在している。そのエネルギーを解放すれば、企業変革は起こるべくして起こるのである。難しい話ではない。

  しかし危険がないわけではない。変革の契機を解き放つことはいわば諸刃の剣であり、企業のなかに危うさを持ち込むことでもある。変革の契機を解放するとは、社員の個性を尊重し、その生活を重視し、世界を広げることを支援することである。何でもないことのようだが、これまでの日本経営の発想にはなかったことである。最近、「個性尊重」や「生活優先」という言葉だけは広がっているが、実態は必ずしもその方向を向いてはいない。とりわけ「企業変革」を標榜している企業においては、むしろ管理志向が強まっているとも言える。「意識変革」まで「管理」しようとしているのだから。

  そうした経営パラダイムの中で、突然、社員の世界を広げるとどうなるか。ゆらぎが生ずることは確かだが、それがいい意味での変革につながる保証はない。むしろ旧パラダイムの経営の枠組みや企業文化のなかで、組織を破壊しかねない。あるいは「目覚めた社員」が会社を辞めてしまう結果にもつながっていく。事実、最近、私のまわりでは自社の外の広い世界に触れた結果、会社を辞める社員が増えている。世界を広げた人を引き止められない企業に未来が期待されるだろうか。

■企業観や社員観を変えれば企業は簡単に変わっていく

 企業内に生まれたゆらぎを「創造的破壊」つまり「イノベーション」につなげていくためには、それなりの仕組みとマネジメントが必要である。日常的な経営としての変革はそれで事足りる。しかし、いま求められている変革は企業そのもののパラダイムである。関係性や経営(メソドロジー)の変革ではなく、企業のガバナンスや企業の組織原理(フィロソフィー)を変えていく必要がある。簡単にいえば、「企業は誰のために、何をなすべきか」ということの見直しである。これまでの延長で、コーポレート・ガバナンスを考えていていいのかどうかは大変疑問である。

 こんなことを言うと、そんな理屈っぽい議論は業績につながらない、そんなことのために企業変革をするわけではないという批判がとんできそうである。確かに企業変革の動機は業績向上であり、企業の発展である。しかし社会の変質が意味することは、企業の発展、企業業績の向上のためにこそ、企業パラダイムを変えていくことが効果的であるということである。目先のことばかり考えるのではなく、根本から考えることが大切な時期である。そこまで踏み込まない小手先の変革では実効はあがらない。

  有名なフォード社の「5ドルの日給」政策を思い出してみよう。当時の平均日給の倍額を労働者に支払うことで、フォード社は労働者を自動車の購買者に変え市場を拡大し、フォーディズムという新しい企業モデルを確立した。高賃金はコストアップの要素だが、高収益の契機にもなったのである。同じように労働者の福祉環境の改善が生産性を高めた教訓もある。福祉と経済の関係も示唆的である。かつて福祉は経済にとって負担だったが、近年では福祉と経済の相乗効果が一般化し、両者はトレードオフの関係から共進化というダイナミックな関係へと変質している。環境問題も同様である。いずれも目先の対症療法からは出てこない発想である。発想を変えれば事態は変わっていく。

  こうした歴史的事実が示唆していることは、発想の転換の大切さである。そしてそれこそがイノベーションであり、いま求められている企業変革である。生き残りのための変革ではなく、新たなる発展のための変革が目指されるべきであろう。その出発点は「社員の意識変革」ではなく、「経営者の意識変革」であることは言うまでもない。そのためには、狭い「企業社会」を超えた広い世界の動きに直接触れることである。役員室でいくら情報を集めても時代の実相は見えてこない。

 視野を広げれば、ワーカーズ・コレクティブ、市民企業、コミュニティビジネス、社会的経済、Eネット企業など、さまざまな新しい企業モデルが生まれ育っていることが見えてくる。NPOや行政も企業の世界に入り込んでくるだろう。個人のワークスタイルも変化してきている。まさに社会構造の再構築が進みだしているのである。デジタルの世界がビジネスを変えているのは、そのプロローグにすぎない。ビジネス環境の枠組みが変わりだしたのだ。既存の枠組みで考えていると、逆方向への変革になりかねない。

  方向さえしっかりと確認されていれば、あとは社内にある変革のエネルギーを解き放せばいい。組織の持つ自己組織性が働き出して、内発的な変革が始まっていく。自己組織性とは、組織が「環境と相互作用するなかで、みずからの構造を変化させ新たな秩序を形成する性質」(今田高俊『自己組織性』)である。そうした「健全な自己組織性」(時代適合性)が発揮される仕組みをつくれるかどうかがポイントである。

 元気な企業を考えてみよう。そこの社員はおそらく仕事に誇りを持ち、仕事を楽しんでいる。自社の業績や評判を自分のこととして受けとめている。企業に社員を合わせるのではなく、社員に企業が合わせていく。つまり企業が社員を使っているのではなく、社員が企業という仕組みを使っている。そんな企業だろう。こうした姿は、しかしこれまでの企業論からは出てこない。企業は「社員を管理する」という呪縛から自由になれずにいる。それでは健全な自己組織化は作動しない。

 企業の中で一番真剣に仕事に取り組み、時代に適合した変革(発展)を考えているのは、おそらくオーナー企業のオーナー経営者だろう。自分の企業をよくすることが、まさに自分の人生に直結しているからである。彼(彼女)は常時、自社をよくしようと考えているはずである。もし、社員みんながそういう意識を持つならば、企業の発展は保証され、企業変革を自分たちの問題として考えられる土壌も生まれてくる。

 重要なことは、自分たちの企業という意識を閉鎖的なものにしてはならないということである。かつては(そして今も)そうした企業(自分たちだけの会社)も見られたが、幸か不幸か、最近の情報環境はそうした閉鎖空間の存在を難しくしている。しかも、企業のホロニックな性格を考えれば、社会から切り離された企業はどこかで破綻する。

 社員が社会の中でいきいきと息吹きながら、しかも自分たちの会社と実感できるような状況を創出するための基本的な条件は、情報の共有化である。情報が共有されていれば、的確な選択がなされ、ムダや無理やムラも起こりにくい。これまでの企業の組織原理では情報格差が重要な意味を持っていたが、これからは情報共有化が基本になる。

 情報共有で効果をあげている事例として、米国のベンチャー企業ではじまったOBM(Open Book Management)があげられる。これは企業の財務諸表(Book)を社員に公開した上で、成果目標を全員で設定し、それを上回る成果は貢献した社員で配分していくという経営スタイルである。これによって、自分たちの会社という意識が社員に育ち、自然とムダがなくなり、効率や仕事の品質が向上したことから、OBMは大企業にも広がっていると言う。日本でも同様な発想で成功している企業もある。

■ 内発的変革の仕組みとしてのCI戦略

  途上国開発の理論に「内発的発展」という概念がある。外部の手による開発ではなく、当該地域の実態に合わせて、特性を活かしながら地域を豊かに発展させていこうという考え方である。外部主導の開発の場合は、外部からの支援がなくなれば元に戻ってしまいがちだが、内発的な発展であれば、プロジェクト終了後も自己成長していくことになる。この考え方は国内の地域開発でも重視されだしているが、企業にとっても、これから必要なのは「内発的企業変革」である。

  内発的変革はどう進めればいいだろうか。その出発点は、企業観と社員観の見直しである。企業を社会と個人をつなぐホロニックな存在と捉え、個人の意思と活動の総体を企業の実体と考える。企業をこう捉えれば、社員は単なる労働力ではなく、表情も個性も意思もある、つまりアイデンティティを確立している個人ということになる。

  企業は働く社員の舞台であり、人はみんな「いい仕事」をしたいと思っている。自分の会社という思いがあれば、社員は自然と企業をよくする方向に動き出す。社員を客体ではなく、主体として位置づけることで、企業の風景は全く変わってくる。最近の新しい企業モデルはそのパラダイムに立脚している。

 個々人のアイデンティティ(PI)と企業のアイデンティティ(CI)とはまさにホロニックな関係であり、社員はコンヴィヴィアル(自立共生的)に企業全体のアイデンティティを象徴し共創していく主体である。社会の多様なダイナミズムは、社員を通して企業に入り込んでくる。その多様性が企業の独自のアイデンティティを創発していくことになる。個人の小さな変化は企業全体に波及し、企業変革につながっていく。企業を変えるのではなく、企業が変わっていく仕組みを体質化すれば、あとは活性化された社員が企業を変えていく。個人のアイデンティティが企業を変革するパワーの源泉だから、そのアイデンティティをどう支援(管理ではない)するかを考えればいい。

  企業変革と社会変革とは連動しているが、その変革連鎖も積極的に取り込んでいくのが効果的である。社会との共進化の連鎖ができていれば、社会の変質がCIを成長させていく。外部のノイズも企業変革のトリガーになっていく。いずれにしろ、企業変革は企業内部だけでは進まない。社会の変化に鋭敏に反応する仕組みが大切である。その視点から広報機能の役割も見直したほうがいい。

 重要なことは、情報共有(体験共有も含めて)の場をたくさん創出し、同時に情報共有のためのリテラシー教育を行い、情報を活かしあう仕組みを広げていくことである。そのツールに関する知見はすでに社会にたくさん蓄積されている。それらを自社の状況に合わせて効果的に編集していけばいい。

  個人の生活の広がりを支援することも重要である。内発的な変革力を高め、健全な自己組織力を育てるためには、多様な個性をどのくらい包摂し、統合できるかが大切である。社員のリアルな生活感覚を磨くことは、社会との会話力(コミュニカビリティ)や感受性を高め、企業変革を促進することになる。

  変化する社員のPIをホロニックに統合するようなかたちで構築される企業のCI(メタアイデンティティという認識が必要)は、これまでのCIとは違ったものになる。CIが個々人のPIを支援し、個々人のPIが会社のCIを育てていくというホロニックな共創関係をつくりあげれば、それは自然と社会との共創関係につながっていく。個々の社員は生活を通して、広く社会とつながっているからである。社会と企業をつなげているのは個々の社員である。その個人を輝かせるようなCIは、社会も輝かせていく。当然、その要にいる企業は輝くことになる。

 内発的変革のためのCIについての実践的な方法は述べなかったが、それは個々の企業によって違っており、それぞれが工夫しなければならないことである。しかし、すべての企業に共通していえることがひとつだけある。それは、もし内発的な企業変革に取り組みたいのであれば、まずあなた自身が自らのアイデンティティを輝かせることである。あなたが変わることで企業は変わっていく。あなたの小さな最初の一歩が必ず企業を変えていく。そういう時代になったのである。

 さあ、何から始めますか。企業を変えることは簡単なのです。

□筆者プロフィール

佐藤修(さとうおさむ): 潟Rンセプトワークショップ代表。コンセプト・デザイナー。「コモンズの回復」をテーマに、企業、行政、NPOにおける「共創型変革プロジェクト」に関わっている。CI関係では、東レ鰍フ第一次CIを社内事務局として推進(その途中で自らのアイデンティティの問題に行き当たり退社)、第二次CIに社外スタッフとして参加。日本CI会議体事務局長。著書「全図解JTの企業変革プログラム」(ダイヤモンド社)「企業文化と広報」(日本経済新聞社)など。