活動記録2010

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(2010年12月第5週)
今年も最後の週になってしまいました。
■マニフェストへの住民の関心(2010年12月26日)
■横手さんからのアドバイス(2010年12月27日)
■むたゆうじさんを応援したい(2010年12月28日)
■台湾の呉さんからの電話(2010年12月28日)
■住友生命社会福祉事業団への感謝(2010年12月28日)
■来年もまた自殺問題に関わることにしました(2010年12月28日)
■今年最後のオープンサロン(2010年12月28日)
■東尋坊のお餅(2010年12月29日)
■娘が肺炎になってしまいました(2010年12月30日)
■年越し蕎麦は娘夫婦と食べました(2010年12月31日)

■マニフェストへの住民の関心(2010年12月26日)
坂巻さんを支援する人たちで、市長選に打ち出す公約の話し合いをしました。
いつの頃から、公約のことを「マニフェスト」と言う言葉で表現するようになりましたが、それまでライフスタイル分析などで信条や価値観というような意味で長年使ってきた私としては、その内容が政策レベルではなく施策レベルで書かれていることにとても違和感を持っていました。
当時出演していたテレビでも、その違和感を述べてことがありますが、それに賛成したのが、マニフェストの言いだしっぺの一人である三重県知事の北川さんの参謀だった村尾さんでした。
村尾さんは現在テレビのキャスターとして活躍されていますが、いまはどう思っているでしょうか。

政治家の公約などは何の意味もありません。
政治家への信頼感が損なわれているからです。
しかし市長選挙ともなると、一応のマニフェストが求められるのです。
そういう物知り顔の市民が多いからです。
しかし真面目に働いている住民が求めているのは、そんな言葉だけの公約ではありません。
ですから、生活用語で語るべきなのですが、政治ボケしている人たちにはそれが理解できません。
私の案を使ってくれれば市長当選は間違いないのですが、私の案はどうも人気がないのです。
困ったものです。

私はかなり社会から脱落しているから、私の考えも危ういものですが、それなりに何人かの政治ボケしていない人たちに聞いた結果なのです。
しかし、類は類を呼びますから、それもまた危ういものです。
こうして話しあいはいつも薬にも毒にもならない結論になりやいわけです。

選挙は難しいです。

■横手さんからのアドバイス(2010年12月27日)
我孫子住民の一人である横手さんと出会ったのは昨年です。
LLPコモンズ手賀沼の仲間ですが、みんなで出資したこのLLPもなかなかうまく動き出しません。
むりやり誘われてきた横手さんには悪いことをしたなと思っていたら、佐藤さんと会えたからそれだけで価値があったと褒められました。
例によって、私はその言葉を真に受けるわけです。
それが私の性格の良さなのです、はい。

それはともかく2時間近く話しました。
横手さんは鹿児島の出身で、阿久根に親戚や友人が多いようです。
最近ちょっと長い帰省をしていたようで、阿久根の話を聞かせてくれました。
ブログにも書いていますが、私は阿久根の竹原市長に共感しています。
横手さんもそのようです。
マイナスの話も含めていろいろ聞かせてもらいました。

当然、我孫子の話もしました。
何しろ横手さんは、この3年間、市議会を傍聴し続けているのです。
おそらくすべての市議の言動を知っているはずです。
その成果をやはり市民に伝えていくことが大切ではないかと思います。
来年はぜひそういう仕組みをつくってほしいと横手さんに提案しました。
横手さんも考えているようです。

本来、市議はそういうことをもっとやるべきですが、政治家はなぜか住民を見ずに権力の中心にばかり目を向けています。
そういう政治家は信頼するに値しません。
そういうことに住民はそろそろ気づきだしました。
残念ながら、我孫子市の市議も県議も、それに気づいていません。
地殻変動が起こるといいのですが。

■むたゆうじさんを応援したい(2010年12月28日)
浜松の埋田さんからメールが来ました。
そして今日、埋田は湯島にやってきたのです。
なんというフットワークのよさでしょう。

熊本でシンガーソングライターとして活躍している「むたゆうじ」さんという人がいます。
むたさんは、コンサート活動のかたわら、グループホームを経営されています。
むたさんは、音楽でみんなを元気にしたいと長年活動してきました。
しかし今、壁にぶつかっているようです。
埋田さんは、むたさんの活動を何とかして応援したいと思って、私のところに相談に来たのです。

普通に考えたら、わかりにくい話です。
私のところに相談に来たところで、あまり役には立たないでしょうし、第一、熊本と浜松と東京で、場所も離れています。
しかし、そう考えないのが埋田さんなのです。
そしてそれを理解してしまうのが私なのです。

結論はどうだったか。
埋田さんは満足して帰りました。
きっと新しい動きが始まるでしょう。
また報告しますが、とりあえず、むたさんのホームページをリンクさせてもらったので、見てください。
応援してくださる方がいたら、ご連絡ください。
埋田さんにつなげます。

■台湾の呉さんからの電話(2010年12月28日)
久しぶりに台湾の呉さんから電話がありました。
年末から夫婦で日本に来るそうです。
それで電話してきたのですが、夫婦での来日は久しぶりだそうです。
わが家にも来てもらうようにしました。

呉さんは「元気そうな声でうれしい」といっていました。
そういえば妻を見送ってからの最初の電話の時には私の声はきっと沈んでいたのでしょう。
再開が楽しみです。
呉さんを好きだった妻がいないのが残念です。

■住友生命社会福祉事業団への感謝(2010年12月28日)
コムケア活動をずっと支援してくれている住友生命社会福祉事業団の的場さんが、私用で東京に来たついでに湯島に寄ってくれました。
コムケア活動は住友生命社会福祉事業団の支援がなければ成り立たなかったプロジェクトです。
ともかく私の好きなようにさせてくれました。
今で何かやろうとすれな、応援してくれます。
今年の11月5日の支えあうシェルターを考えるフォーラムも同事業団の資金提供で実現したのです。
しかも的場さんたちは、細かなことは一切言いません。
私のやりたいようにさせてくれます。
最近のコムケア活動は私の関心の流れるままに気ままに展開していますが、それでも的場さんは応援しようとしてくれています。
私自身があまりやる気がないので迷惑をされている可能性もあります。
最近は、私自身がNPO嫌いになってきて、関わらないですむならNPOには関わりたくないと、心の隅で考えているのです。

しかし的場さんと話しているうちに、やはり何かをしなければという気になってしまいました。
的場さんは何も要望もせずに、何かやるなら応援したいと言ってくれます。
私のような行動を何の条件もつけずに応援することの、社内的な難しさは、以前会社にいた私としては知っているつもりです。
だからこそ心苦しく、同事業団のみなさんには感謝しています。

■来年もまた自殺問題に関わることにしました(2010年12月28日)
自殺のない社会づくりネットワークの活動には、今年は私もそれなりにコミットしました。
しかし来年は少し離れたところから、関わっていこうと思っています。
そうはいっても、事務局長の福山さんの忙しさを知るにつけ、なかなかそれも難しいので、これはこれで悩ましい問題なのです。
それで今日は、今年最後の打ち合わせを行いました。
結論は出ませんでしたが、まあ今年と同じような状況を続けざるを得ないかもしれません。

世間の自殺対策は、私には間違った方向に向かっていると思いますが、だからといってそれを否定するほどの確信は持てません。
ですからどうしてもこの問題には態度を明確にできずにいるのです。

どなたか、自殺のない社会づくりネットワークの事務局業務を引き受けてくれる人はいないでしょうか。
そういう人がいたら、私は私なりの活動に復帰できるのですが。

■今年最後のオープンサロン(2010年12月28日)
今年最後のオープンサロンをいつもとはちがって、火曜日の4時から8時まで開催しました。
いつもの日程と違うので、このサイトのお知らせでの案内のほか、これまでオープンサロンに参加された方や今年湯島に何回か来た人の何人かにメールでの案内も出しました。
いつもよりちょっと賑やかにしたかったからです。
そのおかげで、20人を超す人が参加してくれました。
年末の忙しい時期に、来てくださった方たちに感謝しなければいけません。

しかも、驚いたことに、最初に来たのがなんと福岡の西川さんなのです。
なんだか夢のようで、そのせいか、西川さんと話は何もしなかったような気がします。
しかしみなさんの要望もあって、無理を言って、西川さんには2曲のハーモニカ演奏を披露してもらえました。

もうひとり思ってもいなかった人が久しぶりにやって来ました。
コミーの社長の小宮山さんです。
当然のことながら、箸ピーゲームの話になりました。
一番若いところでは、市川智博さんが来てくれました。
20代の若き僧侶です。
最近まで主夫をしながら子育てを楽しんでいた坪倉さんも久しぶりに来ました。
もっと久しぶりに突然やってきたのは、「社会教育」編集長の近藤さんです。
近藤さんのおかげで、「社会教育」論が少しありましたが、「社会教育」という言葉がみんなのなじみでないことを知って、私は驚きました。

こうやって紹介していくときりがありませんが、書き出したのですべて書いてしまいましょう。
我孫子の市長選に巻き込んでしまったデザイナーの宮部さんは最初から最後まで付き合ってくれました。
最近は農業やまちづくりに興味を持っていますが、その宮部さんと一緒に何か楽しいプロジェクトを起こそうとしているジャズ好きのデザイナー五島さん、自称「歌って踊れるコンサルタント」の小山石さんも来ました。
実は私も一緒になって、みんなでなにかプロジェクトを起こそうと話していますが、みんな発散型なのでなかなかまとまりません。
小山石さんつながりでは、最近知り合った税理士の樋口さんも来てくれました、
組織を離れて自立したところですので、もしお仕事があればご連絡ください。
人柄は保証します。
研修やメンタルヘルスに関わるコーチングに取り組んでいる鈴木さんも来ましたが、彼女もかなり乗りのいい人です。
先日もテレビで彼女の活動が紹介されていました。
もうひとりの女性は、沖縄出身の神里さん、私はその名前に惚れて、彼女を誘ってしまいましたが、彼女はいま少子高齢社会に向けての「和のイノベーション」なる、難しいテーマに取り組んでいます。
そういえば、自殺のない社会づくりネットワークの事務局長の福山さんも女性でした。
すみません。

株式会社ヘレンのトップの奥山さんと藤本さんも来てくれました。
この会社は極めてイノベーティブな会社なので将来は爆発的に成長する可能性があります。
何しろ私はその会社の顧問なのです。
ただしイノベーティブすぎて、社会に理解されないおそれがないわけではありません。
私と同じ我孫子に住む横手さんもサロンには初参加でした。
我孫子の隣の取手市のエディターの乾さんも参加してくれました。

これまた久しぶりに参加してくれたのが日本政策投資銀行の調査部長の鍋山さんです。
昨日までテレビのWBSにコメンテーターで出ていましたが、幸いに今日は出演しない日なのでこちらに出てくれました。
同僚の小畑さんも連れてきてくれました。
排出権の問題に取り組んでいる環境問題のプロフェッションです。
その人に、ついつい地球温暖化ってほんとですか、などとタブーともいうべき質問をしてしまいました。
本当であるはずなどないのは誰もがわかっているでしょうし、まあ裸の王様の話の子どものような、バカな発言は本来は慎むべきでしょうが、私はよくやってしまうのです。

かつてのサロンの常連だった、デザイナーの梅田さんと岸田さん、それにかんき出版の藤原さんも来てくれました。
梅田さんは最近、書店コレド室町のデザインに関わったそうですが、とても面白そうな書店です。
日本橋室町に行ったら、ぜひお立ち寄りください。

4時から始まって、8時には終わる予定が、なかなか終わると言い出せないほどでした。
久しぶりに昔のオープンサロンの雰囲気を楽しみましたが、また少し私自身が話しすぎたことを後で反省しました。
節子がいたら注意されていたことでしょう。

来年からはまたオープンサロンをきちんと再開しようと思います。
毎月最後の金曜日の6時半から9時です。
よかったらお越しください。
だれでも歓迎の、まったく無駄な井戸端会議です。

■東尋坊のお餅(2010年12月29日)
東尋坊で自殺予防活動に取り組んでいる茂さんと川越さんから、お持ちが届きました。
お2人は、東尋坊のお土産店のある場所の並びに、おろしもち屋のお店を開いていて、自殺の気配がある人にそれを振舞って元気になってもらっているのです。
私も数年前に東尋坊を訪れお餅をいただきましたが、とても美味しいお餅でした。

ちなみに、茂さんたちが、今年、自殺を思いとどまらせるために声をかけた人は12月28日現在で74人だそうです。
30代が最も多く、次が40代です。
ここに世相が読み取れます。
悲しい時代です。

茂さんたちに電話したら、今日もみんなでお餅をついていました。
自殺防止活動に取り組んでいる仲間や自殺を思いとどまった人たちが心を合わせて餅つきをしている様子が目に浮かびます。
茂さんも川越さんも、とても元気な声だったのが、とてもうれしかったです。

■娘が肺炎になってしまいました(2010年12月30日)
この数年、年末には誰かが病気になります。
昨年は私が風邪をひいた程度でしたが、その前の2年は、私が突然めまいを起こして救急病院にいく羽目になっていました。
大晦日にCTを撮ったり、娘たちには迷惑をかけてばかりいました。
1年の疲れが年末にどっと出てしまうのです。

今年は私は元気なのですが、ユカがダウンしてしまいました。
そして今日、病院で検査してもらったら、肺炎でした。
年末年始なので入院よりも自宅でと言われました。
年末年始の毎日を通院で点滴を受けなければいけません。

年末に張り切って掃除と料理をする予定が、それどころではなくなりました。
今日は結婚したジュンに来てもらって、最小限のおせちやお花の用意をしてもらいましたが、どこにも出られない正月になりそうです。
そんなわけで大掃除も手が回りません。
最後まで思わぬことが起こる年になってしまいました。

■年越し蕎麦は娘夫婦と食べました(2010年12月31日)
主婦代わりの娘が肺炎で安静を維持しなければいけないので、年越し蕎麦をどうしようかと思っていたら、ジュン夫婦が近くの美味しいお蕎麦屋さんからお蕎麦を買ってきてくれました。
今年最後は久しぶりに4人の年越し蕎麦になりました。

それにしても今年はいろいろありました。
私はもちろんですが、2人の娘たちも、ようやく節子のいない人生を受け止められてきたように思います。
来年はもっとそれぞれがそれぞれらしくなれる年になるでしょう。
私としては、もう少し現世に滞在しようと思っています。
彼岸の節子が待ちくたびれない程度にですが。

除夜の鐘がなりだしました。
残念ながら付きにはいけませんが。

今年もそろそろ終わりです。

(2010年12月第4週)
■坂巻宗男さんを我孫子市の市長にしたい人たちの集まり(2010年12月19日)
■坂巻さん事務所での意見交換会(2010年12月19日)
■弘前が面白くなりそうです(2010年12月20日)
■手帳が発見されました(2010年12月20日)
■我孫子の魅力(2010年12月23日)
■我孫子市「景観サロン」(2010年12月23日)
■児童館の新しいミッション(2010年12月24日)
■自殺防止ネットワーク風の活動(2010年12月24日)
■突然の来客(2010年12月24日)
■ハッピードール(2010年12月24日)
■エヴィーバでの会食(2010年12月25日)
■どっさり野菜が届きました(2010年12月25日)

■坂巻宗男さんを我孫子市の市長にしたい人たちの集まり(2010年12月19日)
今日は坂巻さんを我孫子市の市長にしようという人たちのキックオフ集会でした。
幸いに天気に恵まれたので、手賀沼公園で開催することにしました。
坂巻さんは、開始直前にカヌーで仲間と一緒に手賀沼にやってきて上陸するスタイルです。
これは大変受けました。

集会には150人前後の人たちが集まりました。
とてもいい雰囲気でした。
始まる前から宮内さんがギターで演奏したり、子どもたちの遊び場が会ったりで、楽しい雰囲気を作りました。
いろんな人が集まってくれました。

私自身も思わぬ人にもお会いしました。
先ずは足代さんと松田さん。
網代さんが集会に参加しているとお聞きしていましたが、何と日経の論説委員だった松田さんと一緒にかなりコミットしているようです。
足代さんとは久しぶりですが、足代さんも私が関わっていることを知って驚いたようです。
妻が参加していたコーラスグループ「道」の浜田さんにもお会いしました。
ほかにもいろんな人に会いました。
まあプライバシーもあるので、あまり書くのはやめましょう。

県会議員の花崎さんにも会いました。
花崎さんが民主党に入党したので、私としてはその後、全くのご無沙汰でした。
花崎さんはまだどちらを応援するか決めていないようです。
民主党という政党を背負ってしまうといろいろと動きにくくなるのでしょう。
それでは、しかし、地域のためには動けません。

坂巻さんの話はとてもよかったです。
順調なスタートです。
坂巻さんの話を多くの人が聴いてくれれば、流れは逆転するのですが。
これからが勝負です。

■坂巻さん事務所での意見交換会(2010年12月19日)
坂巻さんの事務所で市民の意見を聴く集まりがありました。
坂巻さんはすでに市内12か所でこうした会を開催してきました。
私は初めて参加させてもらいました。
予想以上にシニア中心でした。
シニアの「市民」の発言は大体においてわかります。
もっと新しい世代との交流を期待しましたが、残念ながら若い世代はいませんでした。
昼間の集会に続いてやればよかったと思いました。
昼間はけっこう若い人もいたからです。

しかしみなさんの意見は政策づくりには参考になります。
私が言っていたことを、改めて市民の方が言ってくださると説得力が出てきます。

ところでその集まりに、農学博士の遠藤織太郎さんが参加されて、いいまちには「品格」があると話されました。
とても共感しました。
私としては最近、明確に意識したことがなかったことに気づきました。
まちづくりに関わったと古希には、それを強く意識していたはずなのに、実際の活動に入り込んでいくと忘れてしまうものです。
また遠藤さんは地域で支える農業(CAS)につながるような話もしてくれました。

我孫子にはたくさんの人材がいるという意見が多かったですが、たくさんの人材がいても、なにもしなければ所詮は人材でしかありません。
いま必要なのは「人材」ではなく「思いを持った人間」です。
聞きながらそう思っていました。

■弘前が面白くなりそうです(2010年12月20日)
弘前大学の深作さんが久しぶりに湯島に来ました。
弘前はもう雪が20センチも積もっているそうです。

深作さんは子育ちネットワークの活動をしていますが、2年ほど前に青森県の弘前大学の生涯学習教育研究センターに移りました。
おそらくそれ以来初めてではないかと思います。

最近の活動をお聞きしました。
子育てをテーマにさまざまな活動をやっていますが、それぞれがとても面白いです。
特に興味を持ったのが弘前市にある大学の学生を中心としたコンソーシアムです。
まだ動き出したばかりのようですが、上からつくる予算ありきのコンソーシアムではないようで、興味がもてます。
子育てをテーマにしたプチゼミ活動も面白そうです。
地域にとってのプラットフォームになるはずです。
これまでのNPOのような自閉的なものではない、新しい動きが起こるかもしれません。
深作さんの活動については、彼の新しいホームページをごらんください。

また出版活動も順調に進んでいるようです。
私も寄稿させてもらった「なぜいま「子育ち支援」なのか」もじわじわと売れているようです。
来年は私も弘前に行けるかもしれません。

■手帳が発見されました(2010年12月20日)
我孫子警察から電話がありました。
選挙違反かなとちょっと「期待」したのですが(まあそんなはずはないのですが)、私がなくした手帳が警察に届いているというのです。
といっても、手帳には名前が書いていなかったのですが、名刺が1枚入っていたようです。
道に落ちていたそうです。

わが家のもしかしたら私の知らない「空間のひずみ」があるのではないかなどと妄想したりしていましたが、やはり現実はあくまでも論理的です。
出てきてうれしいような、残念なような、複雑な心境です
人間は勝手な動物です。

ところで、これまで3回手帳をなくしましたが、いつも出てきます。
この社会はまだ壊れていないのかもしれません。
まだまだ気楽に物を落としたり忘れたりしても大丈夫のようです。
本当に私の周りにはいい人ばかりで、新聞報道の事件がどうしても信じられません。
どこに溝があるのでしょうか。

■我孫子の魅力(2010年12月23日)
我孫子の魅力は何でしょうか。
最近、我孫子の人口が増えています。
我孫子駅近くにあった大きな工場が大きなマンション群に変わったのです。
そこに新しい住民が転入してきました。
常磐線はおそらく多くの人にはなじみがないでしょうが、転居してきた人はおそらく満足しているはずです。
駅まで歩いていけて、電車は始発が多いので座れますし、上野まで35分なのです。
買物も便利ですし、空気もきれいです。
駅から10分も歩くと手賀沼がありますが、ボートやヨットやカヌーを楽しめます。
ちょっとあるくと谷津もあれば里山もありますし、反対側には利根川の河川敷が開けています。
しかしそうした魅力は住んでみなければわかりません。

今度、市長選に立候補した坂巻さんは、そうした我孫子の姿を残したいと考えています。
彼はナチュラリストなのです。
その我孫子の良さを残すにはどうしたらいいか。
そんな話を坂巻さんとしました。
公約集の検討が進んでいます。

■我孫子市「景観サロン」(2010年12月23日)
我孫子には景観形成市民会議というのがあります。
その契機になったのはハケの道の調査活動です。
このホームページでも書きましたが、私もそれに参加していました。
その後、景観形成市民会議が立ち上がりましたが、私はちょっと興味を失い入会しなかったのですが、なぜか登録されていて、景観サロンが始まってからも毎回案内が来ました。
会長には退会を申し込んだのですが、今もって案内は届きます。
一度だけ参加させてもらいましたが、やはり私に波長が合いませんでした。

先日、そのコアメンバーである太田さんと会った時に、今度はコモンズ論について話すのでと言われていましたので、太田さんがこれからはじめることともつながっているかと思い、出かけました。
知った顔も何人かいました。

太田さんの話は共感できるものでした。
ただメンバーはどうやら有閑シニア層が多く、交流サロンといいながら、話し合いはあまりなされませんでした。
有閑層が悪いわけではありませんが、私にはどうも波長が合いません。

■児童館の新しいミッション(2010年12月24日)
話題は重なるものです。
先週、青森からやってきた深作さんといわて児童館のテキストについて話していたのですが、偶然にも乾さんが児童館のテキストづくりの企画を検討したいといって相談に来ました。
児童館も時代の変化の中で、ミッションを見失いつつあるように思います。
ということは、逆にミッションを見直したら可能性が大きく開けるということです。
面白いテーマですが、彼のプロジェクトが立ち上がったら関わらせてもらいたいと思っています。

乾さんはもともとはライター兼エディターです。
最近そうした人たちがみんなエネルギーを持て余しているように思います。
活字媒体がどんどんと減ってきているのです。
とても残念な気がします。

■自殺防止ネットワーク風の活動(2010年12月24日)
全国の寺院をネットワークしようとしている自殺防止ネットワーク風の竹下さんが、11月に開催した風の集まりの報告書を届けてくれました。
竹下さんはカチッとした人ですから、しっかりとまとまった報告書です。
お寺の活動の現場が実感できるいい報告書です。

ところで、竹下さんがくる直前に、自殺のない社会づくりネットワークの事務局の電話(といってもコンセプトワークショップと同じですが)に、中年の女性から電話がありました。
いのちの電話や東京自殺防止センターにいくら電話してもつながらないというのです。
それで風の相談窓口の電話を教えました。
これもまたあまりにも偶然の一致です。
抗したことが頻繁に起こります。

ちなみに、自殺のない社会づくりネットワークの事務局はもうしばらく湯島のコンセプトワークショップにおく予定です。
電話を共有しているので、時々、電話がかかってきます。
切羽詰った電話もあれば、不愉快な電話もあります。
最近は少し緊張して、電話に出るようにしています。
電話相談を受けている人たちの精神力には敬意を感じます。

■突然の来客(2010年12月24日)
突然に知らない人から電話がありました。
知識創造経営を基軸にしているコンサルティングファームの代表の仙石さんという方からでした。
お話を聞いたら、知識創造経営で活躍されている多摩大の紺野さんからの紹介で一度会いたいというのです。
時間が1時間あいていたので、湯島に来てもらうことにしました。
講演の依頼でした。
講演は好きではないので躊躇したいところですが、紺野さんからの紹介の言葉が私好みだったのでうっかりと受けてしまいました。
紺野さんとは私は直接の面識はないのですが、先日あることで縁ができたのです。
誰から何を植え込まれたかわからないのですが、私のことを「大変な(危険な)人物」と私を紹介したのだそうです。
それで仙石さんは、私のホームページやブログにアクセスし、10年以上前に書いたいくつかの雑文を読んでくれたようです。
そして評価してくれました。
私にとってはうれしいことです。
なにしろ多くの場合、私の書いたものはあまり評価されないからです。
評価されないのは仕方がないのですが、理解もしてもらえないことが多いのです。

そのため、仙石さんの話にすっかり乗せられてしまいました。
しかし久しぶりに企業相手にきちんとした講演ができそうでうれしいです。
もっとも仙石さんの期待に合うかどうかはいささかの不安があります。
何しろ私は昨今の大企業の世界からはあまりに脱落してしまっていますから。

■ハッピードール(2010年12月24日)
京橋のヘレンで打ち合わせをおこなった後、ヘレンの奥山さん、藤本さんも誘って、銀座和光のショーウィンドウに展示されているHappy Dollたちを見にいきました。
挽歌にも書きましたが、ホスピタルアートに取り組む高橋雅子さんたちのHappy Doll Projectから生まれた、子どもたち手作りの人形点です。
挽歌に写真も載せましたので、見てください。

今年は、全国7病院を巡回後、そこで生まれたHappy Dollたちをニューヨークで病気と闘う子どもたちに届けるために、2つの病院と会場にて初の海外プログラムを実現させたそうです。

高橋さんとは久しくお会いしていませんが、ちょうど出かける直前に高橋さんからHappy Dollの写真集とお手紙が届きました。
これまたあまりのタイミングの良さに驚きました。

久しぶりの夜の銀座は、いまの私とは全く違った世界のように感じました。

■エヴィーバでの会食(2010年12月25日)
福山なおみさんと中村公平さんが柏のエヴィーバまで来てくれて、3人で忘年会をやりました。
問題はみんなそれぞれに疲れていて、あんまり忘年会という雰囲気でもなかったのですが、3人には共通の話題がいくつかあるのです。
それに、お2人ともこのエヴィーバをとても気に入ってくれているのです。
ちなみに、エヴィーバは私の娘のパートナーがやっているイタリアンレストランなのです。

■どっさり野菜が届きました(2010年12月25日)
福岡の蔵田正章さんから、手づくり野菜がどっさり送られてきました。
素人農業なのですが、その立派さにいつも驚いています。
私も来年は少しがんばって野菜をつくろうと思います。
今年は雑草に負けて敗退してしまいましたが。

(2010年12月第3週)
時間破産を続けています。
■ささえあい交流会(2010年12月12日)
■MPI(2010年12月13日)
■賀川豊彦の研究者の本間さん(2010年12月13日)
■坂巻さんの引き回し(2010年12月15日)
■久しぶりの栃木の星さん(2010年12月15日)
■人材育成研究会(2010年12月15日)
■血縁や地縁と代わる縁に期待できるか(2010年12月16日)
■坂巻さんの政策検討会(2010年12月17日)
■手帳の紛失(2010年12月17日)
■靴作りの道具を持っている人はいないでしょうか(2010年12月18日)

■ささえあい交流会(2010年12月12日)
今年最後のささえあい交流会は年末でみんな忙しいのか、いつもとは違った顔ぶれの、人味違った集まりになりました。
自殺未遂サバイバーを自称する吉田銀一郎さん、コミーの社長で国際箸学会の小宮山さん、行田市市会議員の中村さん、地域医療に関心の高いもう一人の中村さん、自殺のない社会づくりネットワーク事務局長の福山さん、そして私です。
このメンバーだと当然のことですが、まずは箸ピーゲームから始まりました。
そこでまずは気楽な雰囲気ができました。

そこからの話題は、吉田さんからの重い話でしたが、最初の関係作りと和気あいあいの雰囲気のなかで、みんな本音で気持ちよく話し合えたと思います。

今回の集まりを契機に、吉田さんはもしかしたら自称タイトルを変えるかもしれません。
自殺未遂サバイバーはいかにもきつすぎます。
新しいタイトルは「魂の語り部」です。
語り部銀ちゃんの語りの会が、たぶん来年から始まります。

■MPI(2010年12月13日)
本郷のインキュベーションハウスのシェアードオフィスに参加していたMPIの山崎さんが昼休みを利用して話に来ました。
山崎さんは会社に勤めながら、MPIというNPOを主宰しています。
MPIは、management & policy institute の略です。
ホームページをご覧ください。

MPIでは政策提言活動も行っていますが、最近は国政よりも自治体行政に焦点を移しているようです。
それで私がいま関わっている我孫子市の市長選にも関心を持っているようです。

私もいくつかの自治体に関わってきましたが、自治体行政には政策などはほとんど不要でした。
霞が関を向いていたらよかったからです。
私も一度、県会議員の選挙を応援し、その人は当選しましたが、当選後、彼が民主党に入ったため(政党には入らないというので応援したのですが)、応援をやめました。
その人は地域など全くみておらず、国政に出て行く今年か関心がないようなのでがっかりしました。
つまり地方政治は、日本においてはまだ不在なのです。
阿久根市や名古屋市、大阪府での動きに期待したいところです。

MPIのようなNPOは増えてきていますが、まだまだ蓄積が足りないような気がします。
これからも緩やかに付き合っていこうと思います。

■賀川豊彦の研究者の本間さん(2010年12月13日)
共済研究会の運営委員のお一人である、青山学院大学教授の本間照光さんが湯島に来ました。
研究会では時々お会いしますが、ゆっくりお話しするのは初めてです。
本間さんは、賀川豊彦の研究者でもあります。
賀川豊彦のように、社会から落ちこぼれた活動をしている人には私も興味がありますが、同時に、そうした人を研究のテーマにしている人にも関心があります。
おそらくアカデミズムの世界では主流にはなりえないでしょうから。

本間さんは20年ほど前に団体定期保険に関心を持ち、その成果を「団体定期保険と企業社会」という本にまとめて出版されたようです。
団体定期保険は、以前話題になったことがありますが、私も企業の象徴的な問題の一つだと感じていました。
つまり、人が組織の道具にされているというように考えられるからです。
これはアメリカの学者の考えたものではないかと思っていたのですが、どうもそうではないようです。
戦時中の日本ではじまり、
戦後の高度成長期に確立したようです。
日本的経営を逸脱したものだと思いますが、おそらく当時の保険業界が主導したのでしょう。
怒りを感じます。
企業は自らの首を自らの手で絞めている事例の一つではないかと思います。
しかし、そんなテーマに取り組めば、本間さんもかなりの嫌がらせを受けたはずです。

そんな話をしていたら、あっという間に2時間半もたってしまっていました。

■坂巻さんの引き回し(2010年12月15日)
我孫子市長選挙に立候補した坂巻さんを自治会のみなさんや花かご会のみなさんにお引き回ししました。
ほかにもメールでいろんな人に私が応援していることを伝えたのですが、その仲の何人かはすでに坂巻さんを応援しているという返信がきました。
やはり現職の市政に満足していない人は少なくないのです。
問題は、そういう人たちが選挙に行くかどうかです。
そもそもこれまで繰り返し裏切られていますから、誰が市長になっても変わらないとおもっている人が少なくないのです。
たしかに、市長は多くの場合傀儡的な存在です。
市民を代表するということは、そういうことなのです。
政策ではなく、人格で選ぶ方式であればそうはなりませんが、政策で選ぶとなるとそうなりがちなのです。
政策にはたくさんの利害が絡んでくるからです。
その象徴は、今の民主党政権でしょう。

それはともかく、特定の候補をお引き合わせすることは結構微妙な話ではあるのです。
もしかしたら現職を応援している人がいるかもしれません。
事実、私も一般的にはそう思われているかもしれません。
現市長の後援会からは、その決起集会の案内が3通も送られてきているのです。
きっと誰かが後援会に紹介しているはずです。
地域社会では、自らの立場を旗幟鮮明にすることは「住みにくさ」にもつながりかねないのです。
私のように、すべてを公開する生き方をしていれば、それはたいした問題ではないのですが、そこにこそ国政と地域政治の違いがあるのかもしれません。
いろいろなことを考えさせてもらえる体験をしています。

花かご会の皆さんは、今日が最後の活動日だったので、ほぼ全員がいたようです。
坂巻さんは園芸学部の出身なので、こうした活動に関心があるようです。
とてもみなさんがあたたかく対応してくれたので、坂巻さんも喜んでくれました。

■久しぶりの栃木の星さん(2010年12月15日)
ブログに書いてしまいましたが、星さんが10年ぶりに那須塩原から湯島に来てくれました。
オープンサロンに時々来ていましたが、この10年前後は全く交流が途絶えていました。
オフィスを変えていないおかげで、こうした10年以上音信不通でも連絡してもらえるというのは、とてもうれしいことです。

リーマンショックは那須塩原にも影響を与えているようで、星さんはいま、働き方を問い直しているようです。
いろいろな話をしました。
時折ですが、こうしてずっと音信不通だった人がやってきます。
久しぶりに会うと、その間の社会の変質に気づかされることが少なくありません。

人は故郷を捨ててしまうと、そうした基準点を失うのかもしれません。
この頃、そんなことを考えるようになってきました。

星さんは那須塩原で新しい社会事業を起こすかもしれません。
とても楽しみです。

■人材育成研究会(2010年12月15日)
今日のテーマは「グローバル人材の採用と育成」でした。
株式会社JASの小平さんの報告に続いて、2つの企業の現状の報告がありました。
私にはかなり違和感のある報告でした。

小平さんは、グローバル人材を育成するための取り組みを話してくれましたが、まだまだ日本の取り組みはドメスティックです。
大学と産業界での連携の話もありましたが、たぶんあまり意味のない取り組みのように思いました。
発想が変わっていないからです。

企業の話は、外国人を日本企業の文化に適応させるか、日本人を外国の企業文化に適応させるかの、適応戦略のように聞こえました。
日本にはやはりダイバーシティの発想はないようです。
人材がグローバル化するのではなく、もしかしたら人材がマネー化する方向に動いているのかもしれません。
今日は私にはとても違和感のある話し合いでした。

■血縁や地縁と代わる縁に期待できるか(2010年12月16日)
横浜で世代間でささえあうシェアハウスを抗争している小畑万子さんが、その後の報告と言って湯島に来ました。
小畑さんたちのNPOもいろいろとあって、プロジェクトは必ずしも順調に進んでいないようですが、いろいろとあったおかげで、逆に整理されたこともあるようです。
構想を具体化する材料も少しずつ出てきているようで、今日はかなり具体的な話ができました。
実際の一歩が踏み出せそうです。

小畑さんは福祉の専門家ですが、これまでの発想には批判的で、新しいスタイルを構想しています。
しかしなまじ専門家であるが故に、発想を変えたようでなかなかその呪縛から抜けられない面があるようです。
第三者の私からはそれがよく見えるのです。
ですから私と話す意義があるのかもしれません。

話しているうちに、血縁と地縁の話が出てきました。
血縁と地縁はもうこわれだしているので、それに代わる新しい縁が必要だというようなことを小畑さんがいいました。
それで実はかなりの論争になってしまいました。
私は血縁と地縁がすべての基本だと思っている人間です。
しかし血縁重視の中で、いかに女性たちが福祉の重荷を背負わされてきたかと小畑さんは言います。
確かにそうですが、だからと言って、血縁を否定してはいけません。
見識もなく無責任なNHKの関係者や世に言う「有識者」は、無縁社会などと破廉恥な言葉を口にしますが、人は血縁と地縁の中で生きているのです。
それがなければ自立型でない人間は大人にさえなれないでしょう。
それを忘れてはいけません。

とまあ、こんな議論をまたやってしまったのです。
無縁社会という言葉を聴くと、私はどうも感情的になってしまいます。
困ったものです。

小畑さんは今日は近くの明石書店に出版の相談できたのですが、ソーシャル・キャピタルの話も話題になりました。
その話を書き出すとさらに長くなるのでやめますが、テーマは「死」です。
いつかまた書くことになるかもしれません。

■坂巻さんの政策検討会(2010年12月17日)
市長選挙に立候補した坂巻さんは、これまで我孫子市内の13か所で住民との話し合いの場を開いてきました。
そこで出た意見を編集し、意見の鳥瞰図を作りました。
我孫子の民度がかなりわかります。
一言でいえば、我孫子は可もなし不可もなしの住みやすいところなのだろうなという感じです。

行政に対する不満や注文は多いです。
それもまた民度を象徴しています。
まだまだ行政依存が強いのでしょう。

それを踏まえて、坂巻さんの政策内容をコアメンバーで検討しました。
だんだん形ができてきましたが、やはりみんなで議論するといささか退屈なものになりかねません。
それをどう克服するかがポイントですが、こればかりは私のようないい加減な応援者にはどうにもなりません。
それでもいろいろと意見を言わせてもらいました。

それにしても、こうした活動に関わらせてもらったおかげで、いまの市政の実態が少し見えてきました。
福島前市長時代も含めて、やはり住民と市役所を踏み台にしているような気がしてなりません。
若者が政治に出てくるのは、そうした現状への怒りからかもしれません。
やはりしっかりと応援しなければいけないと思いなおしました。
実はちょっと気が削がれていたのですが。

■手帳の紛失(2010年12月17日)
大事件です。
といっても、私にとってだけの大事件なのですが。
久しぶりに手帳を紛失しました。
明日からの予定が書いてあるのですが、それがわからなくなってしまったのです。

心当たりを探しましたが見つかりません。
手帳は今月はじめに来年度用のものに代えたところですが、手帳のなかに誰かの名刺をはさんでいた可能性があります。
私の名前はまだ書いていないので、拾った人から連絡を受ける可能性はあまりありません。
手帳がなくなると本当に困ります。

さて当分は不安な毎日を過ごさなければいけません。
何か約束していた人がありましたら、お手数ですが、私にメールください。
よろしくお願いします。

■靴作りの道具を持っている人はいないでしょうか(2010年12月18日)
私の生まれは東京の大田区です。
疎開していたので、小学校の4年から中学1年までをそこで過ごしました。
中学の時に武蔵野市に転居したのです。

学生時代、小学校の同級生で、「ぽんゆう」というグループをつくり、いろいろと活動していました。
そのおかげで、小学校時代の友人たちとは今もなお、つながりがあります。
あまりつながりたくない気もしますが、なかでもよく付き合っている4人組がいます。
私以外は性格が悪いので(彼らは私だけが性格が悪いと思っています)、付き合いたくはないのですが、忘年会をやるから出てこいというのです。
それで、実に忙しく、時間破産をしているなかを、出て行きました。
昔の連とか講のように、幼馴染のつながりは、好き嫌いと関係なく、すべてに優先させなければいけないのです。

まずは一人の病気の話から始まりました。
私はそういう話が好きではありませんので、素直にムッとしていました。
そこが性格が悪いといわれるところです。
次は孫の話です。
これも好きになれない話ですが、なんと三つ子の孫ができたために夫婦で育児応援に行っているという話です。
そうなるとちょっとなじめてきます。
いい話です。
3人目は靴屋をやっているのですが、なかなか維持が難しいという話です。
それでどうしたらいいかと勝手にみんなで考えることにしました。
4人の中で一番気のいい人物ですが、心配でもある人物なのです。
妙案が浮かびました。
「自分の靴を自分で創るための靴作りスクール」をやることになりました。
彼はもともとは靴職人なのです。
みんなで靴作り学校で成功して、イタリアに行こうということになりました。
一つだけ問題があります。
実は彼の家が火事になってしまい、名人といわれた彼の親父さんの靴作り道具の一式が燃えてしまったことです。
そこで靴作り道具を探さなければいけないのです。
新品ではダメなので、実際にかつて使われていた靴作り道具を探すことになりました。

そこでお願いです。
みなさんのまわりに、むかし靴作りをやっていて、今は止めたので、道具をあげてもいいという人はいないでしょうか。

それが見つからないと彼はやりだしません。
となると私はイタリアにいけません。
ですからぜひとも靴作り道具一式が欲しいのです。
どなたか探してくれませんか。
お金はないのですが。
なにしろ私の仲間はみんな貧乏なのです。
困ったものです。

(2010年12月第2週)
完全に時間破産です。
そんななかで企業の経営者によくお会いした週でした。
■自殺未遂サバイバーの銀ちゃん(2010年12月6日)
■アートで我孫子のまちづくり(2010年12月6日)
■株式会社ヘレンのオフィスに蛍光灯が直っていません(2010年12月7日)
■ホーユーの水野常務(2010年12月7日)
■坂巻さんの選挙事務所はにぎわってきています(2010年12月8日)
■共済研究会シンポジウム実行委員会(2010年12月9日)
■久しぶりの山本秀太郎さん(2010年12月9日)
■福山さんの珈琲(2010年12月9日)
■餓死しそうなので歯医者に行きました(2010年12月10日)
■我孫子にとって大切なこと(2010年12月10日)
■LLPコモンズ手賀沼をどうするか(2010年12月11日)

■自殺未遂サバイバーの銀ちゃん(2010年12月6日)
自殺未遂サバイバーの吉田銀一郎さんが湯島にやってきました。
いろいろと話しました。
実にいろいろと、です。

吉田さんの不満は、自殺問題に関して問題を一番しっかりと認識しているのは当事者、つまり自殺未遂者であるはずなのに、自殺対策に関して、その未遂者の声をしっかりと聴く姿勢が関係者にないのではないかということです。
実際に吉田さんがいろいろな自殺関連のイベントなどでそういう主旨の発言をしても、なかなか聴いてもらえないでいるというのです。
そのせいか、次第に吉田さんは「クレイマー」的なイメージさえ生まれてしまっている可能性があるのです。
私も吉田さんに直接会う前に、そういう噂を何となく聞いていましたので、11月に開催したフォーラムで吉田さんが手をあげて話し出した時には一瞬緊張しました。
しかし、その発言を聞いているととても共感できるものでしたし、むりやり自説をただ主張する姿勢でもありませんでした。
それでフォーラムが終わった後、吉田さんと話したのですが、改めてきちんと彼の思いを聞こうと考えて、湯島に来てもらったのです。

お互いに涙が出るような場面も含めて、2時間以上話しました。
吉田さんにも問題がないわけではありませんが(それは当然です)、吉田さんの考えている事はとても共感できます。
それに、自殺未遂者抜きで自殺対策など立てられるはずがないのです。

自殺対策関係の活動は来年は止める予定ですが、吉田さんの活動には少し関わろうかと思い出しています。
私に何が出来るか、もう少し考えなければいけませんが、できることがあるはずです。

さてさてまた銀ちゃんなどという、ややこしい人と付き合う羽目になってしまいました。
困ったものですが、銀ちゃんはやさしいひとです。
ちなみに、吉田さんは以前は会社の経営者だったのです。

■アートで我孫子のまちづくり(2010年12月6日)
我孫子で手づくり散歩市をやっている太田さんから話したいことがあるのでと誘われました。
土曜日に会う予定なので、改まってなんだろうかと思って指定の場所に行くと、高須さんがいました。
高須さんのお名前は何人かの人からお聴きしていましたが、音楽で我孫子のまちづくりに取り組んでいる方とお聴きしていました。
お会いしてみるとわが家のすぐ近くにお住まいです。
しかし、今回はその話ではありません。

太田さんが新しいまちづくりの活動に取り組みたいので、同志を募っているようです。
資料も用意していましたが、私自身は最近、我孫子での活動にいささか辟易しているのです。
それでかなり批判的な対応をしてしまいました。
先日の海津さんへの対応と同じだったかもしれません。
ところが太田さんは、まさにそういう批判的な意見が聞きたいので、これからもよろしくと言うのです。
そこまで言われると反論はできません。

それにしても地域での活動は重層的に絡み合っているので、注意しないと動きづらくなります。
今回は私が市長選挙に関わろうとしていることを言い出しかねてしまいました。

初対面の高須さんとは残念ながらゆっくりお話できませんでした。
私の論争的な話しぶりに嫌われてしまったかもしれません。
改めてまたお話しする機会をつくりたいと思っています。
高須さんは我孫子でご自身の会社も経営されています。

■株式会社ヘレンのオフィスに蛍光灯が直っていません(2010年12月7日)
私の毛髪事件を起こした張本人は、株式会社ヘレンの経営陣です。
そこで開発したヘアカラーを使ったおかげで、椿事が発生したのです。
前にも書いたように、黒くなるはずがなかなかならなかったのです。
それで社長自ら心配してくれて、湯島にまで来てくれたのですが、要は私がきちっとやっていなかっただけで、最近は私の毛髪もおさまってきています。
評判も良いのです。

その株式会社へレンを訪問しました。
会議室の蛍光灯がチカチカしています。
前に来た時もそうだったのですが、まだ直していないのですか、と質問したら、そのうち、慣れるからと前回と同じ答が返ってきました。
私ならすぐに直すでしょうが、この会社の社長も副社長も、そのチカチカを意に介していないのです。
困ったものだといささか不満でしたが、30分もしたらチカチカが感じられなくなってしまいました。
私が慣れたのか、蛍光灯が直ったのか、よくわかりません。
しかし、なるほどと感心しました。
私と違って、この会社の経営陣は大物ですね。
もしかしたらこの会社は急成長するかもしれません。

ちなみにみなさんは、こういう会社とお付き合いしたいと思いますか。
迷うところですね。
もっとも、蛍光灯はチカチカしだしたら直すべきかどうかは迷うような問題ではないのですが、視点を少し変えると極めて哲学的な問題にもなるのです。
はい。

■ホーユーの水野常務(2010年12月7日)
株式会社ホーユーの水野専務にお会いしました。
お名前はかねがねお聞きしていましたが、お会いするのは初めてです。
ホーユーとは以前ささやかな接点があったのですが、このところ、縁が切れていました。
その水野さんとある縁でお会いすることができました。

これからまたお付き合いが始まるかもしれません。
水野さんは農業に関心があるそうです。
今は会社の仕事が忙しくて、それどころではないようですが。
会社を経営している人は、なぜみんな忙しいのでしょうか。
それにみんな甘んじているのが不思議です。

■坂巻さんの選挙事務所はにぎわってきています(2010年12月8日)
市長選に立候補する坂巻さんの事務所はにぎわっています。
いろんな人の出入りが増えてきました。
しかしまだまだ人手不足です。
応援してくださる方がいたら、ぜひご連絡ください。
事務所に直接行ってくださっても結構です。

今朝は坂巻さんと基本的な政策の方向性とイベントの進め方などを話しました。
話していると、さまざまな人が立ち寄ってきます。
それへの対応を見ていると、やはり選挙に立つということの大変さがよくわかります。
私にはとてもできないことです。
選挙活動の大変さを感じますが、同時に、今の選挙のあり方には基本的に疑問も感じます。
抜本的に変わっていくような気がします。

内容的なことをあまりかけないのが辛いです。
何しろ選挙は微妙な要素を含んでいるようですので。

■共済研究会シンポジウム実行委員会(2010年12月9日)
共済研究会で3月に開催する公開シンポジウムの実行委員会です。
共済事業には関わっていないにも関わらず、委員になってしまいました。
ノイズばかり入れて、皆さんには迷惑だろうなと思いながらも、委員会の場になると、ついつい余計なことを話してしまいます。
そのせいか、なんとシンポジウムでのキャストに加えられてしまいました。
しかも話し合いのコーディネーター役なのです。
これはかなり気の重い話です。
というのは、私自身は共済研究会の例外的なメンバーで、共済事業に関してほとんど知識もなく、体験もないのです。
研究会でもいつも孤独な存在を実感しています。
そんな私にコーディネーター役など務まるでしょうか。
ままだ先のことなので、悩むのは年が明けてからにしましょう。
最近は時間破産で、悩んでいる余裕はありません。
会社の経営者のことを不思議がる前に、まず自分の生き方を正すべきですね。
はい。

■久しぶりの山本秀太郎さん(2010年12月9日)
ビレッジハウス会長の山本秀太郎さんが久しぶりにやってきました。
1年ぶりでしょうか。
きっとまた何か問題が発生したのだろうと思っていたのですが(会社が好調の時は来ません)、案の定、そうでした。
いやはや困ったものです。
それでもお土産に小川軒のレーズンサンドを持ってきてくれたため、すぐに懐柔されてしまいました。
止せばいいのに相談に乗ってしまったのです。
しかも自分からある提案までしてしまったのです。
今回は絶対に乗らないつもりだったのですが、性分は直りません。

もしかしたら年が明けたらまた関わらせてもらうかもしれません。
本当に魔がさしたとしか思えません。
しかし一度口から出た言葉は、消せません。
これからは無口を貫かねばいけません。
そうしないと身が持たないのです。

■福山さんの珈琲(2010年12月9日)
山本さんと入れ替えにネットワーク・ささえあいの事務局長の福山さんが湯島に寄ってくれました。
美味しい珈琲を持ってきてくれたのです。
マンデリンの豆です。
ごていねいに、手で挽くミルとゆっくりと淹れるカリタのカップも一緒に持ってきてくれたのです。
そして淹れてくれたのです。
今日は朝から珈琲を5杯も飲んで胃がむかついていたので、本当はあまり飲みたくなかったのですが、飲ませてもらいました。
幸いに福山さんが豆を異常に粗挽きにしてしまったので、ほどよい濃さで美味しかったです。

福山さんが湯島に来た時には、これからいつもこのマンデリンを飲ませてくれることになりました。
20年前の構想が一歩実現です。
私は、お客様が私に珈琲を淹れてくれる喫茶店をつくりたかったのです。

■餓死しそうなので歯医者に行きました(2010年12月10日)
この10日ほど、歯が痛くて食事ができませんでした
餓死しそうなので、歯医者さんに行きました。
歯痛の理由がわかりました。
人間の歯は本当に微妙なのですね。
なぜか左右の歯の高さが違ってしまったのだそうです。
ブログに書きましたが、もっときちんと手入れをするようにと起こられました。
ていねいにチェックしてくれた結果、私の歯野手入れは40点の赤点でした。
困ったものです。

■我孫子にとって大切なこと(2010年12月10日)
市長選に立候補する坂巻さんが我孫子の各地で住民集会を開催し、いろいろな意見を聴いてきています。
それを集計整理してみたのですが、集会で出された意見は在来型の意見のように感じました。
住民のある程度の意識を知ることはできましたが、訊き方を変えないと本当の意見は聞き出せないなと改めて感じました。
それをベースに、いまの我孫子に何が大切なのかを坂巻さんと話し合いました。
大枠では合意ができたように思います。

後はこれを効果的に住民に伝えていくことだろうと思います。

■LLPコモンズ手賀沼をどうするか(2010年12月11日)
LLPコモンズ手賀沼の今年最後の定例会でした。
私が市長選に加担することをお話しました。
このLLPには現職の市長の後援会の人も参加しています。
しかもその人は私が巻き込んだ人なのです。
いささか微妙です。
それにLLP仲間の尽力で実現した熱気球イベントは、すでに現職市長のチラシに写真が大きく取り上げられています。

しかし幸いに私の立場にはみんな共感してくれました。
協力を申し出てくれた方もいます。
少しホッとしました。
LLPやNPOの活動は政治からは中立であることを重視する人が多いですが、私は逆に中立は実際には現体制側であり、それゆえに極めて政治的だと考えるタイプなのです。
私の発想は、いつも世間的な常識と大きくずれているので理解されないことが多いのですが、今回はおそらくみんな現体制に批判的なので受け容れてくれたのかもしれません。
多くの人はみんな旗幟鮮明にはしていません。
その生き方は、私には不思議でならないのですが。

ところでLLPコモンズ手賀沼はなかなか活性化しません。
どこかに問題があるからです。
それで来年の1月の総会で、これからどうするかを抜本的に考えることにしました。
さてさてどうなるでしょうか。
来年は私も本格的に関わろうかと思ってはいるのですが。

(2010年12月第1週)
■1・23で我孫子を創る会(2010年11月28日)
■メンタルダウン(2010年11月30日)
■懐かしい人たち(2010年11月30日)
■信義に反するのは許せない(2010年12月1日)
■阿久根市に縁のある横手さん(2010年12月2日)
■経営道フォーラム48期のスタート(2010年12月2〜3日)
■地域で動き出すと世界はどんどん広がります(2010年12月3日)
■日本構想学会が終わります(2010年12月4日)
■3億円が手に入りそうです(2010年12月4日)

■1・23で我孫子を創る会(2010年11月28日)
坂巻さんを市長候補にして、新しい我孫子を創っていこうという思いの有志が立ち上げたのが「1・23で我孫子を創る会」です。
なんともネーミングが旧来発想ですが、私も入会しました。
その集まりに参加しました。
私の面識のある人はあまりいませんが、正直に言えば、いささか心もとない気がしました。
我孫子の市民活動は外部ではそれなりに評価されていますが、実態を知れば知るほど、驚きます。
まああまり書くと差し支えも出てきますが、ある意味では、だからこそ、自分の問題として取り組まなければいけませんし、取り組めばそれなりに現実に影響を与えられるでしょう。

宮内さんも参加してくれました。
議論百出で、なんと4時間近くも話し合いました。

■メンタルダウン(2010年11月30日)
最近少し精神的に不安定です。
先週は、そのために私と会った人にもしかしたら不快感を与えたかもしれません。
原因はいろいろありますが、一番は、世界が見えてきてしまったからかもしれません。
私はやはりかなり社会から脱落しているのでしょう。
基本的に何かが違うのです。
まあ、そもそもこんなことを考えること自体、おかしいのですが、どうも現世に違和感があるのです。
その違和感が時々大きく実感できることがありますが、そうなるとスランプというか、自らの生き方への嫌悪感が高まるのです。
そうしたときは静かにしているのがいいです。
抗ってもいいことはありません。
予定通りの2日間をすごしましたが、それを書く気になれません。

■懐かしい人たち(2010年11月30日)
私の意識が沈んでいるのを知っているかのように、昔の知人からの連絡があります。
これも私にはよくある体験です。

栃木県の星さんから電話がありました。
最初は思い出せませんでしたが、話しているうちに思い出しました。
栃木からオープンサロンに通ってきてくれていた人です。

横浜の中村さんという人からメールが来ました。
コムケアサロンに参加していたことがあるというのです。
まだ続いていたら参加したいというのです。

とても不思議なのですが、周期的にかなり前にお会いした人たちからの連絡が集中することがあります。
この1週間くらいの間に、ほかにも転職した人、思い出してネットで調べてくれた人など、4人の型から連絡をもらいました。
1年ぶりに人まで加えると5人です。
私の気が落ちるとこうやって声をかけてくれる人がいる。
とても偶然とは思えません。

■信義に反するのは許せない(2010年12月1日)
ある会社の仕事を仲間と一緒に応援したことがあります。
ところがその仕事は、私には裏切られたような結末になっていました。
まあ企業相手だとそういうことは少なくありませんので、さほど私は気にしませんが、一緒にやった仲間の2人がこのままにしたくないと言い出しました。
基本的な信義則に反しているし、零細企業を軽んじていることに怒りを感ずるというのです。
それで、異議申し立てをしようということになりました。
最初はあまり乗り気ではなかったのですが、いろいろと話しているうちに、私もやはりそうかなと思い出しました。
私も以前、企業相手に仕事をしていたときに、企業から企画提案を頼まれて、企画書を持っていくと「ありがとう」で終わってしまうこともありました。
そんな企業が、社会性のある企業だなどと新聞で書かれていると時に腹が立つこともありますが、まあ世間はそんなものだと思っています。
企業に限らず、個人でも同じですし。

しかし今回はちょっときちんとやろうということになりました。
私は「強い人とのけんか」は大好きなのです。
さて企業相手のこの「けんか」はどうなりますか。
なかなか内容をかけないのが残念ですが、いつか公開できるかもしれません。
面白い話です。

■阿久根市に縁のある横手さん(2010年12月2日)
我孫子市民で、LLPコモンズ手賀沼のメンバーでもある横手さんが話したいというのでお会いすることにしました。
話題は我孫子市の姿勢に関連したことです。
私が次の市長選で坂巻さんという新人立候補者を応援することを知って、一度話し合いたいといってきたのです。
話はとても共感できる話でした。

ところで、横手さんは最近話題になっている鹿児島県阿久根市に関わりがあるのだそうです。
親戚の方が阿久根にいるようです。
その関係で、阿久根の市長の話になりました。
私は竹原市長にかなり共感できるのですが、横手さんも共感している面があるようです。
我孫子の話も面白かったですが、私には阿久根のほうが興味ありました。
横手さんは週末からしばらく阿久根に行ってくるそうです。
またぜひ話を聞かせてもらおうと思います。

■経営道フォーラム48期のスタート(2010年12月2〜3日)
経営道フォーラムの48期がスタートです。
軽井沢の合宿に参加しました。
今回も2つのチームに関わることになりました。

最初に私がテーマ解題をやるのですが、簡単なブリーフィングの後、みなさんから問題意識をお聴きしました。
今回はいつもよりも実践的、現実的な問題意識が多いように感じました。
面白くなりそうです。
好調なスタートと言って良いでしょう。

相談に来るなら、まとまる前に来てほしいと伝えました。
問題を設定するところこそが大事なのですから。

またいつも本など読まずに現場から学んでほしいというのですが、今回は折角の機会なので本も読んでほしいと言いました。
先日、ハーバード・ビジネス。レビューの編集長と話していて、昨今の企業人は読書をしないと聞いていたことを思い出しました。
私が企業にいた頃は、少なくとも月に10冊の本は読んだものですが、最近は本当に本を読む人が少ないようです。

■地域で動き出すと世界はどんどん広がります(2010年12月3日)
創る会としての方針を決めるというので、軽井沢から早目に帰宅して参加させてもらいました。
私自身はこういう会に参加するのは初めてですが、この会の魅力はいろんな人が集まっていることです。
その一人が俳優の川本じゅんいちさんです。
彼は東葛映画祭の活動にも関わっているので、会の活動を撮影してネットで流したらどうかと考えています。
10年ほど前に山形市でやりたかったことです。
その時はあるイベントのインターネット放送にとどまってしまいましたが、いまは技術が普及しているのでさまざまなことができそうです。

ところで、地元で音楽活動をしている宮内さんも仲間に参加していますが、坂巻さんのお母さんはかれの息子さんのピアノが好きなのだそうです。
と思っていたら、私の妻がメンバーだった花かご会の東田さんは、坂巻さんのお母さんと同じボランティア活動もしているのだそうです。

つまり地域で活動を始めると、次々につながりが見えてくるという話です。
いやいや面白いです。

■日本構想学会が終わります(2010年12月4日)
日本構想学会も10年目を迎えました。
代表の半田さんが、10年を節目にしてこの学会を終わらせたいと提案してきました。
今日の総会でそれが了承されました。
始まりのあるものは必ず終わりもありますから、そのこと自体は決して悪いことではありません。
問題は、終わらせるだけかどうかです。
半田さんのことだから必ず次の展開を考えていると思っていたのですが、CLASという組織がスタートし、日本構想学会のこれまでの活動を継承するというのです。
CLASというのは、コンテンポラリー・リベラルアーティスト・ソサエティの略です。
これはこれまでの日本構想学会のメインテーマの一つでもあります。
その組織のコアメンバーは、先日湯島に来た御茶ノ水女子大学の学生たちでした。

そういうわけで、今日は日本構想学会の最後の年次大会でした。
久しぶりに高杉さんや猪岡さん、佐伯さんたちに会いました。
横浜で名著セミナーを主催しているという村上さんにもお会いしました。

今回のラウンドテーブルの発題者は学生が中心でした。
テーマも面白く、偶然だったようですが、発表を聞いているとつながっています。
たとえば、今日の午後は、プラトンの「クリトン」、ドストエフスキーの「罪と罰」、そしてロールズの「正義論」が続いたのですが、そこでの問題提起はみんなつながっているように思いました。
私の整理では「秩序」に生きるか「生命」に生きるかです。
もっと我田引水的に言えば、私の基本認識である「個人起点」か「組織起点」かです。
議論も面白かったのですが、書き出すときりがないのでやめます。

久しぶりに若い知性と話し合ったので、いささか疲れましたが、こうした話し合いの場を持てる学生は幸せだなと思いました。

■3億円が手に入りそうです(2010年12月4日)
日本構想学会の年次大会は、有楽町の国際フォーラムで行っていたので、それに参加したついでに、有楽町駅の宝くじ売り場で宝くじを買いました。
その売り場は、3億円の当たりくじがよく出るので有名なところなのです。
先日テレビでやっていたのです。
売り場が5つあるのですが、テレビではたしか1番窓口が当たるといっていたような気がしますが、行ってみたらなぜか5番窓口だけに人が並んでいました。
それで私も5番窓口で買うことにしました。
そんなわけで、今回は多分3億円があたるはずです。
すでに1億8000万円は使途が決まっているのですが、1億円強は私のものになります。
現在の借金を返しても、1億円は残ります。
1億円あれば、いろんなことが出来そうです。
そんなわけで来年はまた新しい活動をスタートさせます。

しかし当たらなかったらどうするか。
まあそんなことはないと思いますが、万一当たらなかったら新しいことができません。
それは社会にとっても決して望ましいことではありません。
ですから皆さんもぜひ私の宝くじが当たるように祈ってください。
でもまあ、当たると信じましょう。

来年はまた忙しくなりそうです。

(2010年11月第4週)
■坂巻宗男事務所開き(2010年11月21日)
■「1・23で我孫子を創る会」(2010年11月24日)
■ドラッカーのメッセージ(2010年11月24日)
■大学のミッション(2010年11月25日)
■中村さんの壮大な構想(2010年11月25日)
■第2回ナラティブサロンはDST(2010年11月25日)
■保育への新しい挑戦(2010年11月26日)
■我孫子市議の海津さん(2010年11月26日)
■メッセージプロジェクトの宮崎さん(2010年11月26日)
■オープンサロン(2010年11月26日)

■坂巻宗男事務所開き(2010年11月21日)
我孫子市長選に立候補した坂巻宗男さんの事務所開きでした。
会場にあふれて、入りきれないほどの人たちが集まりました。
若い人も多く活気もあります。
司会は坂巻さんの同級生の男女コンビです。
若々しくてなかなかいいです。

来賓と称して、国会議員と県会議員が参加していましたが、古い文化を引きずっているのはそのくらいでした。
来賓挨拶も一人にとどめたのも良かったです。
市民代表であいさつしたのが、坂巻さんの隣人でした。
これは実に良かったです。

前々日に話し合った通り、川本さんが選挙活動を映像にとって映画にすることを公表しました。
これもなかかなかいいです。

坂巻さんの決意発表もとても良かったと思います。
ともかくまずは人柄を丁寧に伝えていくことでしょう。
とてもいいスタートだったと思います。

来年の1月には間違いなく坂巻市長が実現しているでしょう。
我孫子市に知り合いのいる方は、ぜひ坂巻さんを応援して下さい。
地方自治に新しい風を起こすはずですので。

■「1・23で我孫子を創る会」(2010年11月24日)
坂巻さんを支援する「1・23で我孫子を創る会」というのがあります。
その会のメンバーと話し合いをさせてもらいました。
市長選に出るという坂巻さんを応援するとしても、あまりに私自身、選挙のことを知りません。
それにこれまでのような選挙活動であれば、私の性には合いませんし、そもそも役には立たないでしょう。

私の発想は、いうまでもなく、選挙活動そのものがみんなの意識を変える目的的活動であるべきだというものです。
国政においてもそうですが、いまの日本では「選挙は代表を選ぶ手段的活動」と位置づけられています。
しかしこれは社会が成熟する前までの発想です。
いや、そもそも代議制民主主義そのものが、その意味あいを変化させてきているのだろうと思いますが、まだまだそういう発想はマイノリティです。
リンカーンクラブでの活動は、いささか早すぎたために、内部でも理解されなかったように思います。

選挙活動は微妙な問題を含んでいるので、話し合いの内容は書けませんが、ともかく従来の選挙概念にとらわれることなく、自由に発想していきたいと思っています。
その余地があるのであれば、私にも少しできることがあるかもしれません。
私のような世代がやれることといえば、若い世代の発想を引き出し支援することぐらいでしょうか。
しかし、まずは選挙の勉強をしなければいけません。
心配なのは、時間がどれだけ割けるかどうかです。
でもきっと面白い体験になるでしょう。

■ドラッカーのメッセージ(2010年11月24日)
ダイヤモンド社の「ハーバード・ビジネス・レビュー」の編集長の岩崎さんが、わざわざ我孫子の自宅までやってきました。
2ヶ月ほど前に脳梗塞を患ったのですが、奇跡的に早い回復です。
その体験のせいか、私の妻にご焼香したいとわが家まで来てくれたのです。

脳梗塞を患ったにもかかわらず、岩崎さんは相変わらずでした。
いつものようにひとわたり最近の企業経営観を話し合いました。
そしてそのあと、なぜか医療問題に話が行きました。
岩崎さんがいま関心をお持ちなのです。

企業経営も医療問題も私のパラダイムは世間からは逸脱しています。
いまの経済学や経営学は無力ですし、その枠内で発想されている医療には極めて批判的です。
ですからふつうはそうした議論はあまり成り立ちませんが、岩崎さんとは古い付き合いなので、なぜか成り立つのです。
医療分野がこれからの成長分野だというので世の中の経営コンサルタントも関心を持ちはじめているようですが、そうした動きには反発を感じます。
「金が集まるところ」に人が集まるのは、今に始まったことではないかもしれません。

経営に関しては、やはりいつものようにドラッカーに行き着きました。
私はドラッカー嫌いですが、岩崎さんはドラッカーの深い理解者です。
雑誌でも何回も特集を組んでいます。

岩崎さんは、ドラッカーの本質は、24歳の時に書いた「フリードリヒ・ユリウス・シュタール」という論文に読み取れるというのです、
その論文は以前見過ごしていましたので、改めて読んでみることにしました。
なにしろ岩崎さんはドラッカーに関しては日本でも一番よく知っている人の一人ですから、彼の指摘は謙虚に聴かねばいけません。
ドラッカーの「顧客の創造」という発想が私のドラッカー嫌いの出発点ですが、岩崎さんは「顧客」ではなく「ファン」なのだといいます。
それだと少し救いはありますが、アメリカ型資本主義経済を主導する企業経営者に大きな武器を与えたことは否定できません。
非営利組織経営論を書くのであれば、営利事業の社会性をこそ説くべきでした。
そんなわけで、やはり私のドラッカー嫌いは変わりません。

医療に関してもいろいろと話しました。
いまの医療は病気を対象にした産業でしかありませんから、これもそこから抜け出なければいけません。
このテーマは改めて議論することになりました。
お互いにすっかり話し込んでしまい、気がついたら4時間も経っていました。

■大学のミッション(2010年11月25日)
大学に関わるプロジェクトに関して、宮川さんと長谷さんと話しました。
その中で図書館の話題が出てきました。
話しながらふと学校と図書館とはどう違うのだろうかと思いつきました。
図書館はいま大きくその機能を変えつつあると思いますが、新しい時代の図書館づくりというのは面白いテーマだと気づきました。
どこかで図書館づくりのプロジェクトはないでしょうか。
もしあったら関わらせてもらえないでしょうか。

大学関係のプロジェクトはまだ形が見えてきません。
何か接点が生まれるといいのですが。

■中村さんの壮大な構想(2010年11月25日)
中村公平さんにお寿司をご馳走になってしまいました。
これで2回目です。
困ったものです。
みんな私が経済的には貧しいとだろうと思って支援してくれるのです。
困ってはおらず、とても豊かなのですが、みんなそうは思わないのです。
おそらく評価基準が違うのでしょう。

お寿司の弱みもあって、今日は中村さんの難しい宿題を受けてしまいました。
「人生の目的は幸せになること」
佐藤さんはこの文章をどう思うか、これが宿題の一部です。
皆さんはどう思いますか。
私は「生きていることがそもそも幸せなのだ」と思うと答えましたが、中村さんはさらに追い詰めてきます。
ちなみに、この言葉はダライ・ラマの言葉だそうです。
いかにも宗教教団指導者の言いそうな、無意味の言葉だなと思いました。

中村さんは、医療と教育に関心をお持ちです。
関心だけではなく実際のプロジェクトに取り組もうとしているのです。
とても大きな構想なのです。
ですから中村さんの質問に答えるのは大変なのです。
お寿司をご馳走になったのは失策でした。
次回は何とか私がご馳走しなければ関係を逆転できません。
お寿司は高いので稲庭うどんにしようと思っていますが。
実は近くに醍醐という稲庭うどんのお店があり、先日テレビで紹介されたのです。
以前はとても美味しい懐石料理屋さんだったのですが、最近は稲庭うどん屋さんに変わっています。
テレビ放映後、1時を過ぎても外まで長い行列ができていましたが、最近はおさまったようなので、次回は醍醐に行こうと思います。
あれ、何の話でしたっけ。

■第2回ナラティブサロンはDST(2010年11月25日)
第2回ナラティブサロンは、多彩な分野で活動されているデザイナーの高村哲さんをゲストにして、小澤さんの解説も入れながら、DST、デジタル・ストーリー・テリングをテーマに話し合いました。
高村さんの発想や活動に、私は魅了されましたが、それはともかくサロンも実に刺激的でした。
高村さんはすでにいくつかのDST体験をお持ちで、今回はバングラデシュの事例などを紹介してくれました。
小澤さんも鶴ヶ島市での最近の作品を紹介しながら、DSTの効用を話してくれました。
さらにおまけがあって、お2人で誰でもできるDST講座もしてくれました。
私も今や教えられる知見を持てたかもしれません。
それはともかく小澤さんのお話のように、DSTの効用がよくわかり、展開したら面白いだろう分野が山のように思いつきました。
小澤さんがDSTにはまってしまっている理由が少しわかったような気がします。

我孫子から宮内さんが参加してくれましたが、一度、我孫子でもワークショップをやってみたと思います。

次回のナラティブサロンは、1月19日です。
テーマはまだ決まっていませんが、決まったらホームページのお知らせのコーナーでご案内させてもらいます。

■保育への新しい挑戦(2010年11月26日)
保育支援活動をしているグループの人たちと意見交換をしました。
子育て支援がとても好きな人たちです。
私が保育の問題に関わりだしてから20年近くになりますが、子どもの視点に立つと、状況は本当に良くなっているのだろうかという気がします。
子育てはしやすくなったかもしれませんが、子育ち環境はどうだろうと思うわけです。
大切なのは、子どもがどう育つかです。

ブログで「少子化対策発想」は何回か批判しましたが、経済の視点、親の視点で、子どもの問題が語られがちなのがとても気になります。
いまの大きな流れとは別の流れが必要ではないかと思っていますが、そんな思いにつながるような活動ができればうれしいことです。

今日はそのプロローグでした。

■我孫子市議の海津さん(2010年11月26日)
我孫子市の市議の海津さんが湯島に来てくれました。
どうも私が疲れていたせいか、対応がうまくできずに、2時間近く話したにもかかわらず、肝心の話ではない周辺的な話で終始してしまいました。
せっかく来てくれた海津さんには悪いことをしてしまいました。
反省しなければいけません。

海津さんは平和が最大のテーマなのだそうです。
地域レベルで平和を考えるのは難しいです。
私も以前、山形市で開催された世界平和都市会議の企画運営に少し関わりましたが、その取り組みから何を生み出していくかはそう簡単ではありません。
山形市の会議の時に、全国の市町村にアンケートをしました。
我孫子市も平和都市宣言をしていましたが、住民の生活にどうつながっているかが見えませんでした。
その思いがあるので、平和に取り組む意味がなかなか素直に受け入れられないのです。
がんばって条例を創りあげ、我孫子在住の被爆者の方の語りの場を創りだしている海津さんにはかなり失礼な発言をしたかもしれません。

我孫子市をどういう方向に持っていきたいとのかもお聞きしましたが、残念ながら次の来客が来てしまい、聞けませんでした。
私ももう少し謙虚に人の話を聴くようにしなければいけません。
困ったものです。

■メッセージプロジェクトの宮崎さん(2010年11月26日)
前にこのコーナーでも書いた学生たちのメッセージプロジェクトのメンバーの宮崎さんがやってきました。
本の出版はほぼ目処がついたようですが、それを活かしたイベントを企画していて、その相談に来たのです。
それにもかなり辛らつなコメントをしてしまいました。
実はそこで気づいたのですが、今日はまた歯が痛いのです。
おさまっていたのに、奥歯が痛くて、たぶん炎症を起こしているのでしょう。
歯の痛さが、せっかく来てくれた人への八つ当たりを起こしているのかもしれません。

それはそれとして、メッセージプロジェクトでは2月か3月にメッセージをもらった人たちのメッセージボードの展示と話し合いのイベントを考えています。
会場を提供してくれるところはないだろうかというのが、宮崎さんの相談でした。
魅力的なプロジェクトには応援してくれる人は出てきます。
まずはこの企画をもっと練って、お金を出したくなるような魅力的なものにするようにすればいいと話しました。
でもまあ、どなたか100人ほど入る会場を土日に貸してもいいよという方がいたら、ご連絡下さい。
彼らが喜ぶと思います。

■オープンサロン(2010年11月26日)
サロンが始まる前に電話がありました。
栃木県の星さんといいます。
すぐには思い出せませんでしたが、昔サロンに参加させてもらっていたといわれて思い出しました。
星さんという名前の知人は3人いますが、起業家の星さんでした。
仕事が忙しくなって参加できないまま10年以上が経過したが、昨今の不況で、最近仕事が少なくなって時間ができてきた。
これからの生き方も考えたいので、もしサロンをやっていたらまた参加したい、というのです。
星さんは栃木ですからそう簡単には参加できませんが、昔は遠方から参加してくれる人もけっこういたのです。

ところが最近は近くからも参加する人が減ってしまいました。
私の魅力の低下と口の悪さがその原因です。
反省しなければいけません。

今日は中村さん、柴崎さん、藤本さん、宮部さんに加えて、小山石さんが奥山さんというデザイナーの人を連れてきてくれました。
奥山さんはデザイナーでありながら、イタリアン・ワインにほれ込んでしまい、ワインの輸入販売を始めたのだそうです。
ワインとデザイナー、面白い組み合わせですが、お話を聴くととても納得できました。
「イタリアの小さな村」というとてもいいテレビ番組がありますが、まさに奥山さんもそうした番組に出てくるような、家庭的なワインを輸入しているようです。
話を聴いていると、販売するよりも自分で飲みたいという動機から輸入販売を始めたようでもありますが。
今日はトスカーナ地方の赤ワインを持ってきてくれました。
私でも抵抗なく飲めるエレガントな(酸味を押さえたと言う意味だそうです)味でした。
ワインのおかげで、いつもとは違った話題展開になりました。

奥山さんは「言語」にも関心があるようです。
この話はさらに面白いのですが、また別途ブログで書きたいと思います。

12月の最終金曜日は31日です。
約束なのだから31日であろうとサロンをやれと言われましたが、さすがに大晦日は辛いです。
12月のサロンのことは別途お知らせのコーナーでまたご案内します。

(2010年11月第3週)
冬になったと思うほど寒い1週間でした。
■ネットワークささえあい交流会(2010年11月14日)
■アート・クリエイティブをテーマにしたSNS(2010年11月14日)
■企業経営にとっての「活かし合い」(2010年11月16日)
■我孫子市長選は坂巻さんを応援です(2010年11月17日)
■山城経営研究所が来年40周年です(2010年11月17日)
■黒岩比佐子さんが旅立ちました(2010年11月17日)
■就職活動と採用活動のギャップ(2010年11月17日)
■若者の葬儀(2010年11月18日)
■黒岩比佐子さんの見送り(2010年11月19日)
■久しぶりの山下建治さん(2010年11月19日)
■我孫子市長選に出馬する坂巻宗男さんとの打ち合わせ(2010年11月19日)
■歯医者(2010年11月20日)

■ネットワークささえあい交流会(2010年11月14日)
11月5日のフォーラムでも案内したので、今日の交流会はもしかしたら湯島のオフィスがあふれるほどの参加者があるかもしれないと思っていましたが、結果的にはいつよりもむしろ参加者は少なかったです。
しかし、フォーラムで知ってくださった3人の人が新たに参加してくれました。
我孫子の横手さんと自殺未遂サバイバーの吉田さん、それに朝日新聞社の伊佐さんです。

交流会に参加した自殺未遂サバイバーの吉田銀一郎さんは、自称「銀ちゃん」です。
銀ちゃんといっても、72歳です。
今回の交流会は、やはり吉田さんの話が中心になりました。
お聴きするところ、極めて吉田さんの主張は納得できます。
にもかかわらず、なぜこれまで吉田さんに耳を傾ける人が少なかったのでしょうか。
おそらくそこに問題があるのです。

お話を聴いて、私は吉田さんに荷担したくなりました。
今回のフォーラムで、自殺問題からは身を引くつもりだったのですが、人生はなかなかうまくいきません。
近々、また銀ちゃんには会うつもりです。

交流会終了後、参加してくださった実行委員の皆さんでフォーラムの振り返りを行いました。
後は報告書づくりです。

■アート・クリエイティブをテーマにしたSNS(2010年11月14日)
前に何回か書いたクリエ・ジャパンのアート特化型Webプラットフォームがスタートしました。
アート・クリエイティブなテーマに特化した新しいタイプのイベントSNSをめざしています、
「感性」「センス」でつながろう!がスローガンです。
まだ本格展開の前の段階ですが、11月6日にリリースし、参加作品が連日増えています。
ぜひご覧ください。

アートソムリエとして有名な山本冬彦さんもブログで紹介してくれています。
最初に相談に乗っていた一人としてはとてもうれしい話です。
この事業がうまくいって、将来、クリエ・ジャパンビルができると私はそのビルの管理人にしてもらえるのです。
私が元気なうちにビルを建ててほしいと思っていますので、みなさんもぜひ応援してください。
会員登録は無料です。

■企業経営にとっての「活かし合い」(2010年11月16日)
経営道フォーラムの発表会でした。
今回は3つのチームの発表を担当しましたが、3チームに共通するのは「活かしあい」です。
いつもその時々の状況を象徴させるキーコンセプトが浮かび上がってくるのですが、今回は「さまざまなもの(多様性)を活かしあう」ということになりました。

発表内容はここでは書ききれませんが、「創発」「わくわく感」「衆賢型組織」が、それぞれの具体的なメッセージでした。
半年の発表を30分でしなければいけないのですが、どうもみんな欲張って発表してしまうため、その内容を知っているコーディネータの私にとっては、いつも歯がゆい思いがあります。
効果的な発表にするためには「言いたいことを極力削除すること」なのですが、それは至難なことです。
私もいつも失敗しますから、他者のことはいえませんが。

発表後、それを材料にグループディスカッションをしてもらい、最後に発表してもらいます。
その発表を聞いていると企業の状況が感じとれます。
企業から「人間」が消えている様子がよくわかります。
だからこそ、発表では「人間の話」が多く出ます。
みんなわかっているのに、なぜ状況を打破できないのか。
まだ機が熟していないのかもしれません。

終了後、私の担当チームのメンバーと打ち上げをしました。

■我孫子市長選は坂巻さんを応援です(2010年11月17日)
我孫子市長選挙に立候補を決断した坂巻さんのオフィスに行ったことが伝わったらしく、早速、川崎さんから電話がありました。
マニフェストを検討しているので参加してほしいといわれたのです。
事務所に行くと坂巻さんの後援会長の寺田さんと坂巻さんの仲間の市会議員の早川さんと川崎さんがいました。
いろいろと話をしました。

坂巻さんはいくつかのマニフェストのサンプルを用意していましたが、そこに中島こうせいさんのものもありました。
まだ中島さんのマニフェストを超えるものはないのかもしれません。

マニフェストには面白みや物語がなければいけません。
宮部さんを巻き込むことにしました。
100票ほど集めようと思っていただけなのにこうやってどんどん深入りしてしまうのは、いつになっても直らない私の性格のようです。

■山城経営研究所が来年40周年です(2010年11月17日)
山城経営研究所が来年40周年です。
記念行事として何をやるかの相談を受けました。
社会に向けてのプログラムを軸に発想することを勧めました。
35周年の行事の企画には私は参加しませんでしたが、座談会などの司会を頼まれました。
しかし全くと言っていいほど意味のない座談会でした。
内輪の行事などやる必要はありません。
やるのであれば社会性がなければ意味がないというのが、私の考えです。
お手盛りの行事など馬鹿げています。
しかしこういう辛口の非難をしている私に相談してくるとは、山城経営研究所も大したものです。
だとしたら相談に乗らなければなりません。

■黒岩比佐子さんが旅立ちました(2010年11月17日)
黒岩さんの訃報が飛び込んできました。
覚悟していたとはいえ、あまりに早すぎました。
無念でなりません。
しかし「パンとペン」を完成できたので、黒岩さんも達成感を持てていたでしょう。
「パンとペン」は読めば読むほどいい本です。
出版間もなく、この本は重版が決まりましたが、黒岩さんへの最後の朗報だったと思います。

■就職活動と採用活動のギャップ(2010年11月17日)
人材育成研究会でしたが、今回のテーマは就職活動と採用活動でした。
5人の方から報告がありましたが、私にはこの研究会始まって以来と言っていいほど興味のある報告でした。
特に、法政大学の上西充子准教授の企業への要望の話は実に示唆に富んでいました。
企業からのメッセージがいかに大学生の学びの姿勢に影響を与えているかという話なのですが、詳しくは上西さんが書かれているものをネットで読んでみてください。
いわれて見るととても納得できます。
私のところにも学生がよく来ますが、もう少し慎重に話さないといけないと反省しました。

いろいろと面白い話ではあったのですが、最近の学生が企業にあまり魅力を感じていないこと、さらに企業のことをあまりにも死らなすぎることが、むしろ問題の本質ではないかと思う私にはどこかでやはり大切なものが抜けているように思いました。
大企業の人事関係者は世界を全く理解していないように思います。

一番の問題は「学ぶことの面白さ」を壊した大学と「働くことの面白さ」を壊した大企業ではないかと思うのですが、その認識から問題を解いていかないと何も変わらないような気がしますが、そんな話をしても誰も理解してもらえないでしょう。
あんまりこの委員会に参加している意味はないかもしれないとこの頃思い出しています。

■若者の葬儀(2010年11月18日)
従兄の長男が急逝しました。
42歳、脳出血でした。
お通夜に参列させてもらいましたが、若者の死はつらいものです。
祭壇の花がとてもあったかい感じでした。

■黒岩比佐子さんの見送り(2010年11月19日)
黒岩さんの告別式に参列させてもらいました。
ブログに書きましたが、友人の宮崎さんの弔辞の「じゃあ、またあした」という言葉には思わず涙が出ました。
最後の講演を聴きに行ったのが10月16日。
まさかという思いです。

鍋山さん、藤原さん、藤本さん、岸田さん、石本さんなど、何人かに会いました。
みんなまだ信じられないような感じでした。
私もまだ実感が持てません。

■久しぶりの山下建治さん(2010年11月19日)
北九州市の収入役だった山下さんが久しぶりに湯島に来てくれました。
お元気そうです。
山下さんもがんを宣告されましたが、いまはもうすっかり克服し、お元気に活躍しています。
今回もらった名刺は、「森野由みを支援する会」の会長という肩書きでした。
ようやく山下さんも、自分がやりたいことがやれるようになったようです。
森野由みさんは、北九州市出身のオペラ歌手です。
いまはウィーン在住ですが、日本に戻ってきた時に、支援する会が中心になってコンサートを開いているのだそうです。
とてもいい活動です。

山下さんとのお付き合いはもう25年近くになると思いますが、山下さんのおかげでいろんな人と出会いさせてもらいました。
今回も、また一人改めて紹介していただきました。
20年以上前に、湯島にやってきたことのある人です。
人の縁は不思議です。

■我孫子市長選に出馬する坂巻宗男さんとの打ち合わせ(2010年11月19日)
坂巻さんを応援することに決めましたが、選挙戦の基本戦略の検討会を開催しました。
インキュベーションハウスの宮部さんにも参加してもらいました。
いろいろなアイデアが出され、選挙戦は面白くなりそうです。
選挙に関することはいろいろと制約もあるでしょうから、あまり書けませんが、徐々に見えてくると思います。
地方政治に関する私の思いも、だいぶ受け容れてもらえました。
内容を書けないのがとても残念です。

■歯医者(2010年11月20日)
ついに半年振りに歯医者に行きました。
親知らず歯はいつ爆発かもしれないと抗生物質を持参するように言われました。
かなり問題らしいです。
まああと3年持てばいいのですが、と言ったのですが、だめでした。
そんなわけで、やはり親知らず歯は抜かないとダメのようです。

どうも歯医者は苦手です。

(2010年11月第2週)
■「うつし世の静寂に」(2010年11月7日)
■ヘアカラー(2010年11月9日)
■パソコンレスキューサービスの稲岡さん(2010年11月10日)
■プロジェクトMSH(2010年11月10日)
■経営道フォーラム47期の報告書(2010年11月11日)
■1月の我孫子市長選は40歳の坂巻さんを応援します(2010年11月12日)
■江戸時代の農民は白米を食べていたか(2010年11月12日)
■新潟水辺の会の大熊さんのおかげで日本酒を飲んで大変でした(2010年11月12日)
■保険技術の国家独占(2010年11月13日)

■「うつし世の静寂に」(2010年11月7日)
立教大学の公開講座に出席しました。
「講」がテーマだったのと、なによりもその中心が、小倉美恵子さんのプロデュースした映画「うつし世の静寂に」上映だったからです。
小倉さんとは久しく会っていませんでした。

映画の上映の前に小倉さんが話をしましたが、その話は2つの点で驚かされました。
最初の驚きは、衝撃的な話です。
小倉さんの住んでいる川崎市の土橋という地域の集落は小倉さんが子どもの頃は50戸だったそうです。
その頃、小倉さんの祖父は、50戸になったのでそろそろこの地域では分家が難しいと言っていたそうです。
つまりその地域で人が生きていくための自然の容量は50世帯ということです。
その土橋地区にいまは7000戸が住んでいるそうです。

もう一つは、この映画が扱っているテーマは、そこで続いている「講」の話なのですが、最近の世代はそんな煩わしいことはしたくなくて、もう止めたいとおもっているのだそうです。
ところがその話を長老たちに話すと、「やめたいならあっちに行って聴いてこい」と言われるのだそうです。
「あっち」とはいうまでもなく、ご先祖様たちのいる「あっち」です。
そこに行く術もなく、止められないというのです。

肝心の映画やそれにつづく座談の話を書くつもりが、全く違うことを書いてしまいました。
内容に関してはブログに何回か書きましたので、それを読んでください。
ブログを読んで早速、北九州市の佐久間さんがわざわざ渋谷に映画を観にいってくれました。

■ヘアカラー(2010年11月9日)
私の白髪を染める作業は今もって続いています。
途中ではやめられないのです。
いまはかなり落ち着いた黒褐色になっていますが、どうも後ろから見るとうまく染まっておらずにまだら状態のようです。
先日お会いした藤本さんが、シマウマみたいだと開発者の奥山さんに伝えたようで、奥山さんが心配してやってきました。
もし問題があれば、黒く染めるようにと、これも新しい白髪染めを持参してくれたのです。
じつはこれもまた奥山さんたちの会社の新商品で、もしかしたら白髪染め業界を大きく変える秘密兵器なのです。

しかしとりあえずは、私はいまの方法を持続することにしました。
但し、もう少しきちんとやらないといけません。
いい加減に使用して、この新商品の評判を落としてはいけません。
正しい使い方を改めて電磁してもらいましたが、要はこれまでのように適当にだらしなくやるなということのようです。

そんなわけで、私の白髪はしばらくの間、黒褐色です。
気分が変わって白髪に戻したくなったらどうしたらいいのか、とお2人に聞いたら、坊主にすることです、と言われてしまいました。
なるほど、と納得しましたが、これもまた少し抵抗がありますね。
さてさて困ったものです。
思いつきで毛を染めたりしてはいけません。

■パソコンレスキューサービスの稲岡さん(2010年11月10日)
神崎さんから紹介を受けたということで、稲岡さんという人がやってきました。
パソコンの修理や指導などをやっている方ですが、その関係で神崎さんにあって、ほれ込んだようです。
神崎さんは元やくざと公言している人ですが、いまは福祉活動を支援しています。
裏表がない素直な生き方をしていますから、好きな人は好きになりますが、嫌いな人は嫌いになります。
当然といえば当然ですが、まんなかがないのです。

稲岡さんもまた不思議な人です。
いまは個人で、パソコンレスキューサービスを仕事にしています。
ホームページをご覧ください。
車で首都圏を飛び回っているようです。

稲岡さんは「お金が嫌い」だったそうです。
正確に言えば、お金が支配する社会や生き方が嫌いという意味です。
話しているといろいろと共通点があります。
もしかしたらオルテガを信奉しているのかとさえ思いましたが、オルテガは知りませんでした。
つまり自らの素直な生き方の結果が、いまの稲岡さんの言動を生んでいるようです。
だからこそ神崎さんと波長があったのかもしれません。

神崎さんと稲岡さん、面白い組み合わせです。
何か始まるかもしれません。
少しだけアドバイスさせてもらいました。
面白いことが始まったら、私も参加したいと思っています。
しかし相手が神崎さんだと、まあちょっと疲れるかもしれませんが。
まあ何しろ素直なので、マイペースなのです。
困ったものです。

■プロジェクトMSH(2010年11月10日)
新しいプロジェクトチームが発足しました。
プロジェクトMSHといいます。
私の命名ではありません。
意味は、“Make Special History”です。
わくわくする名前ですね。
問題は何をやるかですが、それはまだ内緒です。
なぜなら久しぶりに「お金をもらう仕事」だからです。
3人で取り組む計画でいま準備中です。
さてどうなりますか。
動き出したら公表します。

■経営道フォーラム47期の報告書(2010年11月11日)
経営道フォーラム47期の3つのチームの報告書原稿が届きました。
今回は発表会で3つのチームを担当しますので、3チームの共通点を知りたかったのです。
不思議なもので、毎回、意図していないにもかかわらず共通のキーワードが出てきます。
ところが、今回はそれが見つかりません。
「創発」「ワクワク」「衆賢」がそれぞれのキーワードですが、どうも一つに絞り込めません。
もう一度読み直してみました。
そこで行き着いたのが「活かしあい」です。

いまの企業経営に必要なのは、たしかに「活かしあい」です。
この成果の発表会は11月16日の午後、目白の椿山荘で行います。
話し合いの場もあります。
よかったら聴きに来てください。
もしご関心があればわたしにご連絡いただければ先着お一人は無料ご招待します。

■1月の我孫子市長選は40歳の坂巻さんを応援します(2010年11月12日)
我孫子の市長選が来年1月にあります。
今の市長には就任直後、お話しする機会があり、それなりの期待はしたのですが、その後、見事に何もしませんでした。

今回、40歳の市会議員の坂巻さんが立候補することになりました。
それで彼の事務所に会いに行きました。
私自身は直接面識はありませんが、すぎのファームの杉野さんから前に一緒に農業法人をつくる検討をしていると聞いたので、一度会いたいと思っていました。
よい機会だと思い、会いに行きました。
突然訪ねていって、突然に市長になって何をしたいのかと質問しました。
市民は常に不躾ですが、坂巻さんも驚いたでしょう。
でも誠実に答えてくれました。
それで応援させてもらいますと自己紹介しました。
話しているうちに、坂巻さんはわたしが15年ほど前に綜合計画策定の市民会議をつくった時に基調講演したのを思い出してくれました。
私も実は忘れていたのですが、坂巻さんがその時に話を聴いていてくださったとは思いもしませんでした。

私が市長選に貢献できるのはさほど多くはありません。
しかし友人知人に働きかけて坂巻さんを応援しようと思います。
我孫子在住で、もし坂巻さんを応援してもいいよという方がいたらぜひご連絡ください。
もっともまだ市長選は始まってはいませんし、坂巻さんの事務所開きも1週間後なのですが。

■江戸時代の農民は白米を食べていたか(2010年11月12日)
なぜかまた小山石さんと議論をしました。
そこでの論点を一つだけ書いておきます。

江戸時代の農民は白米を食べていたかどうかです。
つまらない議論だなどと思わないでください。
まあ小山石さんはつまらないと思っていた感じもありますが。

私は白米をふんだんに食べていたと思っています。
いまの都市住民よりも豊かな生活を過ごしていたと思います。
農民の生活はひどかったというのは、明治維新後の政府の洗脳教育の成果だろうと思います。
みなさんはどうお考えでしょうか。

実はこれはとても大きなテーマにつながっていく話なのです。
書くのは面倒くさいので止めますが、私たちはもっと先入観を捨てていかねばいけません。

■新潟水辺の会の大熊さんのおかげで日本酒を飲んで大変でした(2010年11月12日)
先入観の話です。
日本酒は翌日まで残るので焼酎の方が良い、という俗説があります。
私もそう固く信じていました。
そんなことはないと、新潟水辺の会の会長の大熊さんは言います。
大熊さんは有名な久保田の朝日酒造のファンクラブの会長でもあるのです。

大熊さんが東京に来たので、朝日酒造がやっている日本橋の「越州」で、金田さん、東京電力の高野さんと夕食をご一緒したのですが、大熊さんはともかく最初の乾杯は日本酒でないとダメだというのです。
それで「越州」で乾杯しました。
とても飲みやすく、久しぶりに私も日本酒を飲んでしまいました。
不思議と大丈夫でした。
これまであまりいい酒を飲んでいなかったのかもしれません。
私も「日本酒は翌日まで残る」と思っていたというと、大熊さんから「佐藤さんでも先入観をもつことがあるのですか」と言われてしまいました。
いやはやどういう意味でしょうか。
まああまり詮索はしないことにしますが、
大熊さんはNHKの「ためしてがってん」で、ぜひそういう俗説を否定して欲しいといっていました。
日本酒の需要は大幅に落ちているそうですが、日本酒業界は真剣に考えていいことではないかと思いました。

ところで今日の会食ですが、主なる話題は信濃川に鮭を遡上させる話です。
いま次々と上がり始めていますが、ダム用の取水量を減っていることも影響してくるでしょう。
時代は大きく変わりそうです。
いつかきちんと報告できることがあるでしょう。
企業とNPOの会話が少しずつ育ってきています。
実にうれしい話です。


ところで、日本酒を飲んだ翌日はむしろ気分はすっきりしていましたので、翌日に残るというのはやはり間違いです。
但し、帰りの電車でかなり苦しくなりました。
私にはやはり日本酒はダメのようです。
やっとの思いで家に着きました。

■保険技術の国家独占(2010年11月13日)
共済研究会でした。
いつも別のイベントなどとぶつかってなかなか参加できません。
今日の基調報告は、明治大学教授の押尾直志さんの「共済理論研究の現状と課題」でした。
その報告のなかに、「保険技術は誰も利用できるはずなのに、保険業法などの動きに見るように、最近は国家が独占しようとしている」というような話がありました(私の聞き違いでなければいいのですが)。
ハッとしました。
保険技術の国家独占、まさに生政治の要なのかもしれません。
共済事業が保険業法にからめとられようとしていたのは、もしかしたら意図的だったのかもしれません。
統治のためには極めて重要な技術ですから、地域通貨が潰されるのと同じ話なのかもしれないと思いました。

報告の後、質疑応答がありましたが、どうもやはり私の感覚には合いません。
それを象徴する質疑応答がありました。
ヨーロッパの社会的経済の専門家である富沢さんが、その担い手の「ミューチュアルな組織」を共済組織と訳してはいけないのかという質問をしました。
共済は運動なので組織ではないというのが共済研究会の答なのですが、そのやり取りを聴いていて、私は「講」を思い出していました。
日本の共済文化を基本にした学問にしなければ、いつになっても現実は見えてこないような気がします。
講や共済文化に関する研究会を早く立ち上げようと思います。

(2010年11月第1週)
今週は、ほぼ完全に11月5日のフォーラムの準備に明け暮れました。
今回は全体のプロデュースをしたのですが、いつものコムケアと違い、かなり疲れました。
その関係の報告は差し控えます。
そろそろ私も、こうしたことから引退の時期のようです。
■みんなが安心して暮らせるシェルターを考える公開フォーラム(2010年11月5日)
■高野山大学の森崎さんと自殺サバイバーの銀ちゃん(2010年11月5日)
■LLPコモンズ手賀沼の例会(2010年11月6日)

■みんなが安心して暮らせるシェルターを考える公開フォーラム(2010年11月5日)
お知らせで案内していたフォーラムを開催しました。
平日にもかかわらず90人を超す人が参加してくれました。
残念ながら全体のテレビ取材はありませんでした。
前回は会場にテレビカメラがずらりと並んだのですが、取材関係者からも会費を取ったのがまずかったかもしれません(?)。
評判がよくなかったです。
しかし昨今の取材陣の姿勢には疑問を感じます。
今回は全体の取材ではなかったのですが、茂さんの活動に関連して、中東のアルジャジーラがテレビ取材に来てくれました。

フォーラムの様子は「自殺のない社会づくりネットワーク」のサイトで報告しますが、第1部では6人の方から報告をいただきました。
全員がそれぞれ独立して講演会などを開催している人たちですが、それを短い時間で凝縮しました。
コーディネーター役の福山さんに時間管理を厳しくお願いしていたら、短い予定時間がさらに圧縮されてしまい、報告者の皆さんには申し訳ないことをしてしまいました。
これはひとえにプロデューサーの私の責任です、
ちなみに、報告の資料を当日配布しましたが、そのPDFをこのサイトにも掲載しておきます

後半のワークショップは7つのグループに分かれて行いました。
これはかなりコムケア的なカジュアルなものになったと思います。
つまり最近の「小賢しいワークショップ」ではないということです。
終わった後、それぞれのグループから発表してもらいましたが、みんなとてもいい時間を過ごしてくれたようです。

今回のフォーラムの狙いは、シェルター概念の拡張です。
閉じた守りのシェルターではなく、開いたアクティブなシェルターです。
閉じたシェルターが必要なのは、みんなが安心して暮らせない社会だからです。
みんなが安心して暮らせる社会であれば、社会そのものがシェルターですから、閉じたシェルターは要らないのです。
私の発想はいつも時間軸が長いので、目先の問題で悩んでいる人には反発されることもあるのですが、時間軸は空間軸と関連していますので、実は一番の早道なのです。
そのことが、この40年間、理解されずにいますが、今回はどうだったでしょうか。

ただがっかりしたのは、みんなで支え合っていこうと話した後、会場の整理を参加者に呼びかけましたが、多くの人はフォーラムの余韻もあってか、それぞれに名刺交換したり話しあったりしたりで、なかなか動いてくれません。
理屈よりも行動ですが、小賢しい現代人は行動よりも理屈なのです。
地方で開催するフォーラムの時とは全く違います。
参加者の数が多すぎたからかもしれませんが、なにかとてもがっかりしました。
しかし、こんなことでがっかりしていては都市では生きていけないのです。
フォーラムそのものはみんな喜んでくれたのですから、満足しなければいけません。

ただこの問題に関する私の最後のイベントとしては、ちょっと残念な気分が残りました。
今回は少し無理があったかもしれません。

■高野山大学の森崎さんと自殺サバイバーの銀ちゃん(2010年11月5日)
シェルターを考えるフォーラムの問題提起者として、高野山大学の森崎さんが来てくれました。
森崎さんは30代ですが、実家はお寺ではないのに、若くして出家されたのです。
雰囲気としては生まれながらのお坊さんですが、お寺を預かると共に、福祉心理士として相談所を主催し、和歌山県白浜で自殺防止活動に取り組む白浜レスキューネットワークにも関わっています。
もちろん高野山大学で教鞭もとっています。
今回は学生の中濱さんも連れて来てくれましたが、フォーラム終了後の懇親会ではこのお2人といろいろお話しました。
改めて森崎さんとはゆっくり話したいと思います。
仏教や寺院ができることがたくさんあるという点できっと話が通じ合えると思います。

懇親会でもう一人話が会った人がいます。
吉田銀二郎、自称「銀ちゃん」です。
自殺のサバイバーですが、これがまた実にいいのです。
たぶん私と同世代でしょう。
自殺問題を考える時に、遺族だけではなく、自殺体験者の意見もよく聞いてほしい、そういう場がないではないかといろんな集まりで発言してきており、まあそれなりに有名な人のようですが、私は銀ちゃんに心から共感します。
自殺のサバイバー(銀ちゃんの表現です)のことを私は「フォワード」と命名させていただき、自殺のない社会づくりネットワークの3つのサブシステムの一つに位置づけてきましたが、ゲートキーパー、シェルターとフォーラムを開催して来て、残るのはフォワードです。
私はこの活動から少し距離を置くつもりですので、そのフォーラムはプロデュースしませんが、銀ちゃんに人に言うのでなくて自分でやらないと駄目だ、銀ちゃんが次の実行委員長になれと言っておきました。
さてやってくれるでしょうか。

ほかにもいろんな人との出会いがありましたが、まあこのくらいで。

■LLPコモンズ手賀沼の例会(2010年11月6日)
最近ちょっと参加できなかったのですが、LLPコモンズ手賀沼の例会に参加しました。
前の用事が遅れてしまい、1時間近くも遅れたのですが、久しぶりだと言うのでみんな待っていてくれました。
いろんな話が出ましたが、どうもみんなまだ本気でコミットしようという動きにはなりません。
そこがコモンズ手賀沼の弱みです。

我孫子の市長選が来年あります。
一時、無投票で現職継続かという話も聞こえてきましたが、40歳の市会議員が立候補を表明したので、選挙になりました。
前の市長の福島さん(現在は消費者庁の長官になっています)が40代で立候補したとき、応援しましたが、全く私の思いとは違う市政を展開しました。
最初は総合計画の審議委員にも頼まれましたが、3期目には大喧嘩をしてしまい、修復できないままになってしまいました。
後任の現市長にも就任後、市役所の人が会う場をつくってくれたのですが、最初は期待したものの、動きが全く出てきませんでした。
そんなわけで、私は新たに立候補した人を支援することにしました。
まあ私が支援するといっても何の役にも立たないのですが。

話がずれましたが、LLPコモンズ手賀沼そのもののあり方を考え直す必要があるかもしれません。

(2010年10月第4週)
急に寒くなってきました。
■シェルターを考えるワークショップをどう進めるか(2010年10月24日)
■ナラティブセラピーとマイケアプラン(2010年10月27日)
■オープンサロン(2010年10月30日)

■シェルターを考えるワークショップをどう進めるか(2010年10月24日)
11月5日に開催するフォーラムの実行委員会です。
今回の主なテーマは、ワークショップをどう進めるかです。
8つほどのグループに分かれてのワークショップを考えていますが、ファ知りテーター役が集まるか心配していたのですが、内田さんがコーチ仲間に声を掛けてくれた結果、5人もの人が自発的に引き受けてくれました。
その早さと自発性には、さすがの私も驚きました。
後はその人たちに思い切り任せようと思います。
面白くなりそうです。

前半のミニ報告も実は結構大変です。
半分は断られるだろうと思って声をかけた人がみんな引き受けてくれたのです。
それで6人の人が報告してくれます。
それぞれが1時間の基調講演をしてもいいような人たちが、たった7分前後の話を引き受けてくれたのです。
感謝しなければいけませんが、それをどうまとめるかは難しいです。
今回は、それを福山さんに任せることにしました。

と言うわけで、結局私は今回のフォーラムでは全体の司会進行役になろうと思います。
これで内容はもう大丈夫ですが、後は準備作業です。
私の最も不得手なことですが、まあ今回は私がやらなければいけません。
ちょっと気が重いですが。

■ナラティブセラピーとマイケアプラン(2010年10月27日)
お知らせのコーナーで案内していたナラティブサロンがスタートしました。
第1回目は全国マイケアプラン・ネットワークの橋本さんが問題提起してくれました。
代表の島村さんもわざわざ参加してくれました。

今回の参加者は橋本さんたちも含めて14人でした。
湯島の会場が満員でした。
橋本さんは、直接ナラティブセラピーを解説するのではなく、マイケアプランの活動を紹介しながら、ナラティブセラピーの本質的なことを示唆する話をしてくれました。
具体的な話なので、とてもわかりやすく、またナラティブセラピーを離れても介護保険の仕組みなども初めて知る人もいて、とてもいいサロンになりました。
しかしこの調子で参加者が増えていくと会場を変えなければいけません。

第2回目のナラティブサロンは、11月25日の夜です。
テーマはまだ決まっていませんが、決まり次第、お知らせのコーナーでご案内します。
興味のある人はご参加ください。
発表者も募集中です。

■オープンサロン(2010年10月30日)
今月はうっかり私自身がオープンサロンのことを忘れてしまいそうでした。
前日に気が付いてよかったのですが、なぜか今月は人が来ないような気がしていました。
そんな気になることが時々ありますが、大体当たります。

今日は2人の人がやってきました。
乾さんと柴崎さんです。
2人とも現在の日本に厳しい目を持っている人です。
でまあ、そんな話も含めて、しかしめずらしく事業的な話も含めて、いろいろな話が出ました。

今回はわざわざ地元の「くりくりたいやき」と甘酒を持参したのですが、こういう日に限って人は集まりません。
困ったものです。

(2010年10月第3週)
■内田さんのワークスタイルに思うこと(2010年10月18日)
■接点があるのにつながれない栗田さん(2010年10月18日)
■新しい仕事のひとつになるかもしれない話(2010年10月18日)
■三川内焼きの大好きな人たち(2010年10月20日)
■半田教授と学生たち(2010年10月20日)
■マーケティングのパラダイム転換(2010年10月21日)

■内田さんのワークスタイルに思うこと(2010年10月18日)
コーチャーの内田優子さんと、11月5日開催のシェルターを考えるフォーラムのワークショップの進め方を話し合いました。
今回は実行委員会のメンバーが少ないので準備活動がともすれば事務的になりがちですが、せめてワークショップは楽しくやりたいといろいろと脱線しながら話し合いました。
みんなで話し合いながら進めると必ず私の最初の案からはずれていきます。
最初のうちは、自分の案に自信を持っていますから、仕方なく妥協していくような感じなのですが、結果的には必ずといっていいほどいいものになります。
個人の考えることの限界をいつも感じます。
ただ最後は、誰か一人がさまざまな意見を踏まえて、大きな流れに沿って決める必要があります。

内田さんは、以前は会社に属していたようですが、いまは一人で仕事をしています。
あまり書くとプライバシー領域に引っかかりますが、「組織の一員」として仕事をするか、「個人」として仕事をするかに、多くの人は別れがちです。
もうひとつ、仲間と一緒に自分たちの組織をつくっていくという選択肢があるはずですが、それがどうも忘れられています。
というよりも、それが実際には難しいのでしょう。
私も何度か試みて失敗しています。
しかし、最近改めてそうしたワークスタイルをもっとしっかりと考えなければいけないと思い出しています。

■接点があるのにつながれない栗田さん(2010年10月18日)
先週あったフェイスインターナショナルの栗田さんと改めて話し合いました。
いろいろと話していると、お互いの接点はいろいろとあるようなのですが、どうも少しずつ世界が違うようです。
接点はあるのですが、問題の捉え方がどうも違うのです。
それで仕事の話はやめることにしました。
仕事を一緒にやるためには、大きなところで価値観を共有していなければいけません。
ただ単にお金が入ってくればいいというわけではありません。
仕事の報酬はお金だけではないのです。

栗田さんともう少し付き合いたい気分はありますが、どうも仕事でのつながりは難しそうです。
仕事をするのは難しいです。

■新しい仕事のひとつになるかもしれない話(2010年10月18日)
仕事といえば、宮川さんと長谷さんが取り組んでいる仕事にささやかながら関わらせてもらおうと思います。
仕事になると、あまりここには軽々に書けなくなりますが、テーマがとても興味のあることなのと、私の役割があるようです。
20日に相談することにしました。

■三川内焼きの大好きな人たち(2010年10月20日)
朝、メールを開いたら、長崎県の吉末さんという方からメールが届いていました。
先週、このコーナーに書いたテレビの「三川内焼き」の番組のきっかけになった投稿をされた方です。
番組中にも吉末さんの名前も出ていましたから、見覚えもありました。
末吉さんは、三川内焼きにはまっているようです。
たしかに、あの独特の味にはまってしまうとどんどん引き込まれるかもしれません。
吉末さんのブログも読ませてもらいました。
もしよかったら、みなさんも呼んでください。
三川内焼きの写真もたくさん出てきます。
吉末さんは三川内焼きをもっと多くの人たちに知ってもらい、ずっと残していってほしいと思っているのです。
そのために個人的な提案まで考えています。
こうした人がいる限り、三川内焼きは大丈夫かもしれませんが、こうした人たちと三川内焼きの窯元たちが力を合わせれば、かなりのことができるはずです。
しかし職人を内発的に束ねていくのは至難のことです。

テレビを見て懐かしくなって、私も20年ほど前に三川内焼きに関わっていた頃の佐世保市役所の友人たちにメールをしました。
いまはみんな三川内焼きから離れたところにいます。
話を総合してみると、どうもいまの三川内焼きは必ずしも元気があるわけではないようです。
さて何か私にできることはないか。
もう少し若かったら勝手に私も何かを提案したくなるのですが、最近は腰が重くなりました。

■半田教授と学生たち(2010年10月20日)
お茶の水女子大学の半田さんが久しぶりに学生たちと一緒の湯島に来ました。
最近の大学生は3年生から就職活動に取り組まなければいけないそうです。
大学は企業への人材提供機関になっているのでしょうか。
企業は、こうして社会をだめにしていくのでしょう。

それにしても、こういうことはずっと問題にされ続けてきました。
なぜ社会的な仕組みとして、もう少しまともな仕組みがつくれなかったのでしょうか。
文部科学省もまた、産業起点の発想で教育行政を行っていることがよくわかります。

最近、さまざまな学生が湯島に来ます。
学生を見ていると、最近の大学の様子もなんとなく実感できます。
企業の経営幹部の人たちと話していると、企業の状況が分かるのと同じです。
どうもみんな間違った方向に向かっているような気がしてなりませんが、私が間違った方向にますます進んでいるのかもしれません。
時代に棹差すことは面白いですが、疲れます。

■マーケティングのパラダイム転換(2010年10月21日)
最近、小山石さんと話し合う機会が増えています。
小山石さんは私の認識ではマーケティングのプロなのです。
私は20年以上前に企業にいましたが、そこでの自己認識の一つはマーケッターでした。
但し、当時のマーケティング手法には限界を感じていました。
ニーズを調査することの虚しさやコンサルタントと現場とのギャップも感じていました。
その頃から私の頭の中にあったのは、「共創」と「物語」でした。
共創マーケティングなどという言葉を、雑誌への連載記事で書いたこともあります。
しかし、「共創」という言葉が広がりだしたのは、最近です。

コトラーが「マーケティング3.0」という本を出しました。
小山石さんは、それを読んで、コトラーはただ名前を貸しただけだろうと言いましたが、私も同感です。
その本はコトラーがもう終わったということを宣言した本ではないかとさえ思います。

それはそれとして、マーケティングはいまこそ新しい局面に入るべき時期だろうと思います。
しかし残念ながら小山石さんはあまりいま仕事に出会っていないようです。
マーケティングに限界を感じている方がいたら、ぜひ一度、小山石さんと会ってみませんか。
そんな余裕は今の企業にはないかもしれませんが。

(2010年10月第2週)
■三川内焼(2010年10月12日)
■古庄さんと西さんがつながると何が起こるか(2010年10月13日)
■北九州市の山下さんからの電話(2010年10月14日)
■日本財団会場見学(2010年10月15日)
■栗田さんのおかげでブレイクスルーできそうです(2010年10月15日)
■共済研究会シンポジウム実行委員会(2010年10月15日)
■樋口さんと村松さんの研修会(2010年10月15日)
■ささえあい交流会(2010年10月16日)
■黒岩さんの講演(2010年10月16日)

■三川内焼(2010年10月12日)
NHKのテレビ「こんなステキなにっぽん」という番組で、長崎県の三川内町を取り上げていました。
三川内は白磁で有名な三川内焼の町ですが、20年近く前にそこの若い窯元たちと一緒に、陶芸の里構想づくりに取り組んだことがあり、ついつい懐かしくて見てしまいました。
当時、一緒に話し合った中里勝歳さんや里見晴敏さんが登場していました。

このプロジェクトは私にとっては、まちづくりへの最初の取り組みのプロジェクトでした。
そしてとても人間的な、楽しいプロジェクトでもありました。
何回か通っているうちに、窯元たちとも心が少しつながり、窯元たちだけが年の初めに神様を祭っている山に登る行事にまで参加させてもらいました。
活動の報告書は「土を耕し 文化を耕し 心を耕す」という報告書にまとめました。
私にとっての最初のまちづくり関係の報告書ですが、読み返しても当時の風景が蘇るような報告書です。

この報告書作りに協力してくれたのが佐世保の風変わりのデザイナーの小林攻政さんです。
小林さんとは、その後も佐世保デザイン村構想などでもご一緒しましたが、何と言っても楽しかったのは三川内焼プロジェクトでした。
そのきっかけを作ってくれたのが、親和銀行の佐藤秀人さんと佐世保市役所の蓮田さんでした。
そしてそれを契機に、佐世保のいろんな人たちとの接点が生まれました。
考えてみると、私はほんとうに人との出会いに恵まれています。
そこで出合った市役所の廣山さんは、オープンサロンにまで何回か参加してくれました。

テレビを見て思い出して、廣山さんたちにメールしました。
廣山さんはいまも私のサイトやサロンで知り合った黒岩さんのブログも見てくださっているそうです。
会わなくともつながっている人が全国にいる。
そう思うだけで、これまで生きてきたことの幸せを感じられます。
いつかまた三川内を訪ねられればと思います。

■古庄さんと西さんがつながると何が起こるか(2010年10月13日)
志を持った人を引き合わせるとどうなるか。
今日はこのコーナーでも何回か書いたことのあるタグラボの西さん技術イノベーションを目指す古庄さんをお引き合わせしました。
まったく面識のなかったお2人ですが、話し出した途端に、いろいろな接点があることがわかりました。
思いをもって動いている人の世界は、いつも広いのです。

いずれにしろ新しい物語が始まりそうです。
楽しみです。

■北九州市の山下さんからの電話(2010年10月14日)
夜、突然、北九州市の山下さんから電話がかかってきました。
長谷さんと宮川さんとご一緒のようで、少しお酒もまわっていました。
いま佐藤さんの悪口を2人に話しているところだというのです。
いやはや困ったものです。
ちなみに山下さんのいう「悪口」は「褒め口」なのですが。

現世でもう一度、佐藤さんには会っておかなくてはといわれました。
ちょっとうれしい言葉でした。
私もそろそろ全国をまわる時期がきたのかもしれません。

■日本財団会場見学(2010年10月15日)
11月5日のフォーラムを日本財団の会議室で開催するため、大西さん(シェルター探しプロジェクトリーダー)とふたりで会場を見に行きました。
今回も財団の伊藤さんにお世話になります。
私はいろんなイベントをやるときに一番大変なのは会場探しと会場とのやり取りなのですが、伊藤さんが協力してくれるというので、今回のフォーラムも開催を決定したのです。
いろいろとイベントを開催してきましたが、私が取り組んでいるような柔らかなネットワーク組織でやる場合は、意見は山ほど出ますが、やる人は結局、少人数に絞られます。
もちろんいろんな人が支えてくれていますが、実行の実質的な責任者になると、それはもう大変なのです。
私のような老人にも、それができるのは、若者たちが支えてくれるからです。
伊藤さんも、忙しい業務にもかかわらず、いろいろと応援してくれます。

でもまあ不安がぬぐえません。
どなたか手伝ってくれる人はいませんか。
お礼はコーヒー一杯だけなのですが。

■栗田さんのおかげでブレイクスルーできそうです(2010年10月15日)
一昨日、某ネットワークの再建に関わってくれていた小平さんから電話がありました。
どうも再建は難しそうだというのです。
私もそう思っていたところですが、これからの展開に関してぜひ引き合わせたい人がいるというのです。
それで今日、お会いしました。
栗田さんといいます。
会った途端に、この人なら大丈夫だと思いました。
すぐに私自身が無防備になれたからです。

そしていろいろと話し出したら、栗田さんと私の接点がいろいろと出てきたのです。
そのため、本題よりもそれ以外の話であっという間に1時間たってしまいました。
話題のいくつかを言葉だけ並べれば、豆大豆しょうゆ、とうふ、山形、宇部、医療制度などです。
これでは私たちの話した内容は全くわからないと思いますが、ともかくもりあがってしまいました。
で、来週またきちんと本題を話そうということになりました。
次回も本題以外の話が中心にならなければいいのですが。

私の世界とは少し違うようで、全く同じような、不思議な人です。
小平さんはいつも不思議な人を紹介してくれます。

■共済研究会シンポジウム実行委員会(2010年10月15日)
共済研究会の相馬さんが、今度のシンポジウムの実行委員会に参加してほしいと言われ、引き受けさせてもらいました。
相馬さんは、誠実すぎるほど誠実な人ですから、断れません。

委員は6人でした。
みんなささやかながら面識のある人ですが、共済研究会の新参者にして、あんまり当事者ではない私がどう関わっていいのかちょっと迷いがありました。
しかし始まってしまうと、いつものように、迷いなどなくなり、ついつい話してしまいました。
もしかしたら、相馬さんは私のそうした単純さを読み取っていたのかもしれません。

委員長は押尾さんが引き受けてくれました。
共済研究会のシンポジウムは4回目ですが、少しこれまでとは違うものになりそうです。
それに、この実行委員会のメンバーがみんな面白いです。
いつもの例会は、正直、少し退屈でしたが、今回の議論はとても面白く、共済研究会にこれまでもよりもぐっと共感を持てるようになりました。

また経過を報告しますが、開催が決まったら、みなさんもぜひ参加してください。
とてもいい集まりになるはずです。

■樋口さんと村松さんの研修会(2010年10月15日)
先日のオープンサロンに参加してくれた税理士の樋口さんが湯島に立ち寄ってくれました。
その生き方と仕事観に共感するところがあり、私ももう一度合いたいと思っていたところです。
仕事観が共通していれば、一緒に仕事をすることも出来るでしょう。

樋口さんは友人と一緒に企業人向けにマーケティングとファイナンスの研修会を企画したそうです。
そこで私もその研修会の呼びかけに協力することにしました。
関心のある方は樋口さんのサイトをご覧ください。

ところで、あとでその案内をよく見たら、樋口さんと一緒に講師を務める村松さんも、以前、オープンサロンに参加した人でした。
まさかのつながりでした。

いろんなところで、今週もつながりをいくつも体験しています。
私の周りで、世界がまた急速につながりだしたようです。
私の最期が近いのかもしれません。
はい。

■ささえあい交流会(2010年10月16日)
ささえあい交流会は、それぞれのシェルターを話し合おうという企画だったのですが、日取りが悪かったのか、参加者が6人のちょっとこじんまりした集まりになってしまいました。
今日はいろんな集まりが重なっていたこともあり、幹事役の大西さんも、反貧困ネットワークのイベントの途中で参加してくれたほどです。

最近は、土日の行事が多くなりました。
高齢社会、あるいは成熟社会の特徴でしょうか。
あるいは社会が変わろうとしている過渡期だからでしょうか。

今回は大西さんが取り仕切ってくれましたが、見事な仕切りでした。
24歳の若者に60代、70代の大人がうまく仕切られたわけですが、既成社会の呪縛から解き放たれた若者の素直なパワーには期待できます。

大西さんは最初に、一人ひとりに「秋の夜長」の過ごし方を話させました。
私にとっては、秋も夏も夜は短いのですが、みんなに話させた後の大西さんの進行振りには感心しました。
彼は実は一時期、引きこもっていたことがあります。
こうした若者を引きこもらせてしまうような社会は、間違いなくおかしいです。

■黒岩さんの講演(2010年10月16日)
お知らせのコーナーでもご案内していた黒岩比佐子さんの講演会に参加させてもらいました。
最近出版された「パンとペン」の出版記念講演会です。
黒岩さんはすい臓がんのなかで、阿修羅のように本を書いています。
今回も直前まで本当に講演会などできるのかと思わせるような状況だったことが彼女のブログから読み取れます。
しかし、講演は、そんなことを微塵に感じさせることなく、見事に2時間をいつものように語りきりました。
とてもいい講演でした。
さいごについ涙が出てしまいました。
黒岩さんもですが、私もです。

会場は立ち見まで出る盛況でしたが、今回はすぐ近くでお話を聴いていたので、会場写真の真ん中に私が写ってしまいました。
しかし髪の毛が茶色なので、私が見ても私ではないようですが。

黒岩さんは疲れたでしょうが、講演後も多くの人に囲まれていました。
私はジュンの創ってくれたマリア像を渡してきました。
マリアが阿修羅を守るというのも、なかなか面白い構図です。

(2010年10月第1週)
■手づくり散歩市2日目(2010年10月3日)
■シェルター探しプロジェクト(2010年10月4日)
■親の悩み(2010年10月4日)
■企業にとっての若者、若者にとっての企業(2010年10月4日)
■2人からの長電話(2010年10月5日)
■日本経営道協会の市川さんが久しぶりに来ました(2010年10月6日)
■JTの平井さんも久しぶりです(2010年10月6日)
■「シェルター」を考える公開フォーラム実行委員会(2010年10月9日)
■黒岩さんの「パンとペン」(2010年10月9日)

■手づくり散歩市2日目(2010年10月3日)
続くリ散歩市は2日目です。
昨年に比べると人が来ません。
会場が離れていることもあるでしょうが、いかにも少ないのが気になります。
たぶん「手づくり散歩市」のやり方に問題があるのでしょう。

午前、先週、わが家に来た杉田ローレンさんがご夫妻でやってきました。
ローレンさんたちはスペインタイル作りを体験したかったようですが、あいにく、すでに2人の人が工房でやっていたので珈琲を飲みだしているうちに話が盛り上がってしまい、気がついたら、なんと2時過ぎでした。
ローレンさんも言っていましたが、夫の杉田精司さんは話し出したら止まらないのだそうです。
杉田精司さんは東大の新領域創成科学研究科の教授で、惑星がご専門のようです。
実にうらやましいお仕事で、宇宙人について質問したかったのですが、初対面で宇宙人ではちょっと怪しい人と思われそうなのでぐっと押さえました。
話はしかし実に面白く、ローレンさんはあまり口を出す暇もなかったほどでした。

話しているところに、東レで一緒だった安藤さんがやってきて、会話に参加しました。
ローレンさんはアメリカのロードアイランド州のプロビデンスの出身ですが、そこに東レの工場があり、安藤さんはそこに行ったことがあるというので、今度はその話になりました。
プロビデンスでは東レは有名なのだそうです。
縁はいろいろなところであるものです。

今年はしかし、思ったほど人が来なかったので、毎日、珈琲があまって、私が飲みすぎてしまいました。
年々、さびしくなっていくのが残念です。
いままさに時代の流れにそったイベントなのですが。

■シェルター探しプロジェクト(2010年10月4日)
今年の11月5日に、「みんなが安心して暮らせるシェルター」をテーマにした公開フォーラムを開催します。
そのフォーラムで、みんながホッとできるような「シェルター」を映像で集めてみようということになりました。
ここでいうシェルターはとても広い意味で考えています。
このプロジェクトをどう進めるかの相談をしました。
自殺のない社会づくりネットワークの交流会で知り合った大西さんが、そのプロジェクトのリーダーになりました。
私と宮部さんが、そのスタッフです。
大西さんは24歳の若者ですが、いまもホームレス問題や難病問題に取り組んでいる若者です。
24歳の若者の発想は、私よりも軽やかです。
そこにデザイナーの宮部さんが参加したので、どうしても発想は軽く広がってしまいます。
USTREAMなどという、私には知らなかったインターネット映像配信の話まででてしまい、それをやったらどうかということになりました。
なにやら昔のコムケアを思い出します。
このノリでなければやはりいけません。
自殺のない社会づくりネットワークには、いまこうしたノリがないので、疲れるのかもしれません。

シェルター探しプロジェクトはこのサイトのお知らせにも載せました。
誰でも歓迎ですので、ぜひご参加ください。

■親の悩み(2010年10月4日)
中村公平さんがお寿司をご馳走してくれました。
中村さんは、私と同年です。
お寿司を食べながら、親の悩みの話になりました。
親はいくつになっても、子どもに関する悩みを持つものです。
私のように、親子関係ではなく友だち関係で子どもと付き合ってきた人間でも、やはり親の悩みから自由ではありません。
悩みの内容に関しては、子どもたちのプライバシーに関わるので、書けませんが、話してみるといろいろと共通点はあるものです。

中村さんと話していると、自分の考えや行動を相対化できます。
中村さんもきっとそうでしょう。
今回は、私自身多くのことに気づきました。
中村さんに感謝しなければいけません。
しかしちょっと中村さんにきついことを言いすぎたかもしれません。
お寿司をご馳走になったので、そのお返しに厳しいコメントをしなければと思いすぎました。
困ったものです。

■企業にとっての若者、若者にとっての企業(2010年10月4日)
企業活力研究所が主催する人材育成研究会も8年目です。
ずっと参加させてもらっていますが、メンバーもまただいぶ変わりました。
今回のテーマは、企業にとっての若者、若者にとっての企業でした。
入社まもない若者社員が2人、それぞれ10分ずつ話してくれましたが、とても共感できました。

日本は学校を卒業する若者を中心にした採用政策がとられています。
これが日本の企業の強みでもあったのでしょうが、社会環境の変化の中で、その仕組みを見直さなければいけなかったにもかかわらず、相変わらずの仕組みに乗ってしまっていたために、時代の変わり目の人材採用戦略としては問題が出てきているように思います。
その上、各社、採用コストを大幅に減らしていますから、企業と新入社員人材のミスマッチが広がっています。
大卒では3割が定着せずに会社を辞めると言います。

しかも企業の内部には、人を育てる仕組みがありませんし、最近の企業は「マネジメント」としての人を育てる発想が不在です。
そもそも「マネジメント」機能をなくしてきたのが、日本の企業ですが、これは日本の企業が「マネジメント」と「管理」を履き違えていた当然の結果です。

学生には企業の実態などわかるはずもありませんから、新卒者に会社を選ばせる仕組みは、今のような成熟社会では無理があるのです。
個別企業の問題でもありません。
人材のミスマッチを解決するためには、大学と企業が一緒になって、新しい採用の仕組みをつくらなければいけません。
これは実に面白いテーマですが、まだ誰も取り組もうとは思っていないような気がします。
どこかの大学で、取り組もうという人はいないでしょうか。
もしいたらぜひ一緒に取り組みたいです。
人のミスマッチは社会の損失です。

■2人からの長電話(2010年10月5日)
私は電話が嫌いなのですが、人によって長電話になってしまうことがあります。
今日は、かかると必ず「長電話」の2人から電話がありました。

まずは新潟の金田さん。
ご丁寧に朝と夜に2回の電話です。
金田さんは誠実すぎるほど誠実なので、電話がいつも長くなるのです。
そのうちに私が退屈してしまうために、言わずもがなのことを発言してしまい、それがまた電話を長くしてしまうのです。
少しややこしい話は電話で話すとますますややこしくなります。

もう一人は決してややこしい話をしない元やくざの神崎さんです。
神崎さんの話はいつも極めて理に適っており、シンプルなのですが、彼の電話も長いのです。
いつも暇しているね、というと、そうや、俺は暇なんだといいます。
もちろん彼は仕事をしているのですが(いまはやくざをやめて福祉関係の仕事をしています)、決して忙しいなどとは言いません。
何しろやくざの生き方をいまも守っていますから。

私はどうも電話が苦手です。
とりわけこの二人からの電話が苦手なのです。
いずれもこの上なく善意の人だからです。
しかし1日に3回も、そうした人と電話したので、とても疲れてしまいました。

それでメールでもして寝ようと思って、メールを開いたら、いやいやまた疲れるメールがいくつか入っていました。
ノー電話、ノーメールデイが必要ですね。

■日本経営道協会の市川さんが久しぶりに来ました(2010年10月6日)
久しぶりに市川覚峯さんが来ました。
松葉杖をしています。
わけを聴いたら、山の行で骨折したのだそうです。
千日回峰行では骨折したら死ぬこともありますが、幸いに回峰行中ではなかったようです。

市川さんは最近このコーナーに登場しませんが、異色の人です。
経営コンサルタントでしたが、日本企業の経営者の道をはずすことの多さに、志を立てて。経営道という活動を始めたのです。
そしていまも年に何回かは自ら山にこもって行をしています。

いよいよ念願のKじゃ大に取り組みたいという話をきりだしました。
日本経営道のセンターを都心に作りたいというのです。
市川さんは3年間、比叡山、高野山、大峰山で行を重ねてきました。
同時に、山城経営研究所や日本経営道協会で経営者の指導にも当たっています。
その活動の集大成にそろそろ取り組もうというわけです。

市川さんとは私はかなり考えが違うので、協力しようもないのですが、なぜか彼の思いには共感できるところがあります。
しかし私も人生はあまり先がありません。
巻き込まれないようにしなければいけません。
いささか不安ではありますが。
 
■JTの平井さんも久しぶりです(2010年10月6日)
JT(日本たばこ)の平井浩人さんが夜湯島に来ました。
これまたかなりの久しぶりさです。

平井さんはJTの第二次CIのプロジェクトリーダーでした。
私も少しだけ関わらせてもらいましたが、そのプロジェクトはかなりのものでした。
その経緯を、ダイヤモンド社の編集者と平井さんと私の3人で本にまとめました。
「全図解JTの企業変革プログラム」です。
この作業は実に刺激的でした。

しかしその後のJTの動きは、残念ながら当時私が予想した方向には向かいませんでした。
この数年で大きく方向転換しているようです。
そのこともあって、私には縁のない会社になってしまいましたが、先日あることで平井さんに電話したら、今日会いに来てくれたのです。
旧友に会うのは楽しいことです。

お会いしたのは共通の友人の加瀬さんの葬儀の時以来かもしれません。
その後、お互いにいろいろありました。
最初に会った時には30歳前後だった平井さんももう50歳だそうです。
なかなか実感できませんが。

■「シェルター」を考える公開フォーラム実行委員会(2010年10月9日)
みんなが安心して暮らせる「シェルター」を考える公開フォーラムを11月5日に開催しますが、その2回目の実行委員会でした。
ようやくプログラムは決定しましたが、スタッフが不足です。
フォーラムの概要はお知らせのコーナーに書きました。
当日の参加もですが、スタッフ作業を手伝ってもいいという方がいたらご連絡ください。
よろしくお願いします。

■黒岩さんの「パンとペン」(2010年10月9日)
黒岩さんが長年かけて取り組んできた堺利彦の本が送られてきました。
「パンとペン」です。
ブックのコーナーで紹介しましたが、黒岩さんならではの力作です。
この国の方向を分けた、明治大正期の世相がイキイキと伝わってきます。
面白ばかりでなく、実の多くのメッセージが込められています。
お薦めの1冊です。

この本の出版記念講演会も16日の予定されています。
私も参加させてもらう予定です。
よかったらぜひご参加ください。

(2010年9月第5週)
■第1回タグラボ研究会(2010年9月28日)
■ワクワクするとイキイキする(2010年9月28日)
■和紙に魅了された杉田ローレンさん(2010年9月29日)
■技術をつなげて起こすイノベーション(2010年9月30日)
■経営道フォーラム合宿(2010年10月1日)
■ジャズ好きだった五島さん(2010年10月1日)
■デジタルストーリーテリングと信濃川(2010年10月1日)
■JR東日本と新潟水辺の会(2010年10月1日)
■20数年ぶりの再開(2010年10月1日)
■我孫子手づくり散歩市(2010年10月2日)

■第1回タグラボ研究会(2010年9月28日)
このサイトでも案内していたタグラボ研究会を開催しました。
今回はタグラボをつかって事業展開しようという目的の集まりでしたが、企業人研修プログラム事務局、大学変革に取り組もうとしているチーム、インキュベーションハウスメンバー、沖縄出身の神里さんなど、立場の違う人たちが集まってくれました。
タグラボをどう展開していくかのヒントもたくさん得られたような気がします。

今回の話を聴いて、3つくらいの実践が始まりそうです。
ほかにもいろいろと展開分野がありそうです。

もう一度、また参加者を変えて開催してみようかと考えています。
関心のある方はご連絡ください。
3組以上集まったら企画しますので。

ちなみにタグラボに関してはすでにフリーウェアとして公開されていますので、使ってみてください。

■ワクワクするとイキイキする(2010年9月28日)
経営道フォーラム47期のEチームのメンバーが来ました。
社員をワクワクさせられる企業は業績も上がりイキイキとしてくる、というのが、このチームの仮説です。
しかしどうも概念だけで議論しているようで、生の言葉が感じられません。
もう少し自分の言葉と体験をぶつけあって、それを前面に出すと、それこそワクワクしイキイキした報告書になるはずですが、あまりそうはなっていないのが残念です。

人をワクワクさせるためにはやはり自分の言葉で語らなければいけません。
メンバーはそれぞれイキイキした情報や知恵を持っているのですが、そうしたものを出しやすいチームと出しにくいチームがあるようです。
ちょっとしたきっかけでブレイクスルーするのですが、今回はあまりに接点を持つのが遅すぎました。
これからどのくらい挽回できるかが課題です。

■和紙に魅了された杉田ローレンさん(2010年9月29日)
小宮山理子さんが杉田ローレンさんを連れてわが家に来てくれました。
小宮山さんとは、以前取材を受けて以来のお付き合いですが、コンセプトワークショップとコムケアセンターをうまく重ねながら私の紹介記事を書いてくれたことがあります。
その記事はこのサイトにも載せさせてもらっています。

小宮山さんには信濃川の鮭プロジェクトの関係で、長野県にキーマンがいないか少し当たってもらっていたので、その件で来てくれたのですが、わが家の近くにアート好きの人がいるといってローレンさんを連れてきてくれたのです。
ローレンさんは和紙に魅了されて、ボストンで和紙を扱う会社をやっているのだそうですが、日本人と結婚したため、日本とアメリカを往復しているのだそうです。
とても好奇心旺盛の人で、話はつきませんでした。

2人ともスペインタイルにも関心があるとのことで、工房も見てもらいました。

■技術をつなげて起こすイノベーション(2010年9月30日)
各社に孤立している技術をつなげてイノベーションを起こしたいという思いで大阪ガスを退職して知財務株式会社を起業した古庄さんがやってきました。
2週間ほど前にチームでやってきたのですが、もう少しゆっくりと話し合いたいと私も思っていました。
とても話が合いました。
最近、経済界のトップもイノベーションという言葉を盛んに使いますが、内容があまりに陳腐なのと現場を知らない人たちの言葉遊びだけのような気がしています。
そう思っていたので、古庄さんの志に共感したのです。

イノベーションとは、非連続の現象であり、最近の言葉で言えば、創発です。
創発は異質の出会いから始まります。
要素技術をとことん掘り下げてのイノベーションも、もちろんあるでしょうが、技術の成熟した今こそ、創発が重要です。
しかし現実はどうも逆で、技術者は内向的になっているような気がします。
成熟時代のイノベーションは、成長期のイノベーションとは違うはずです。

古庄さんは30前後のエンジニアの交流の場をつくりたいと考えています。
協力することにしました。
湯島で、技術創発サロンのようなものが始まるとうれしいです。
関心のある人はご連絡ください。

■経営道フォーラム合宿(2010年10月1日)
経営道フォーラム47期のまとめの合宿です。
私の担当チームは2つですが、ワクワクと衆賢組織というのが、それぞれのテーマです。
ワクワクチームがまだちょっとオリジナリティに欠けていますが、衆賢組織チームはいろいろな気づきが始まっています。
自分たちの概念が生まれると世界を見る目も変わってくるのがよくわかります。

発表会は11月16日です。
関心のある人は聴きに来てください。
東京の椿山荘で開催します。

■ジャズ好きだった五島さん(2010年10月1日)
久しぶりに本郷のインキュベーションハウスに寄りました。
最近しばらくご無沙汰だったのです。
インキュベーションハウスの打ち合わせも湯島で開催することが多くなりました。
名実共に本郷はシェアドオフィスになってきたからです。

今日はインプレスの五島謙一さんしかいませんでした。
五島さんは今年からシェアしてくれていますが、ゆっくり話す機会がありませんでした。
今日もあまり時間はなかったのですが、ほかの人もいなかったので、いろいろと五島さんのお話を聞かせてもらいました。
ジャズが大好きな若者だったようです。
今は音楽関係の仕事やデザインの仕事をされています。
どこかで何か接点がないかなと思います。
なにかご一緒できると楽しそうです。

■デジタルストーリーテリングと信濃川(2010年10月1日)
新潟水辺の会の相楽さんと金田さんをラーニングビジョンの小澤さんに引き合わせました。
エコミュージアムの嵯峨さんもお引き合わせする予定でしたが、嵯峨さんに急用ができてしまい、残念でした。
小澤さんのデジタルストーリーテリングと水辺の会の取り組みは、思っていた通り、かなり重なりそうです。
お互いに興味を深めてもらえました。
きっと何かが動き出すでしょう。

私の思いは、信濃川を舞台にした大きな物語が生まれることです。
住民が主役になって、企業や行政やNPOが一緒になって、私たちの生き方を見直すプロジェクトです。
これが実現すれば、CSRも住民参加まちづくりも新しい次元に進化するはずです。
それを目指して少しずつ進められればと思っています。

■JR東日本と新潟水辺の会(2010年10月1日)
JR東日本と新潟水辺の会、企業とNPOのコアメンバーの交流会でした。
JRは冨田副社長以下7人、水辺の会も大熊代表以下7人です。
実は信濃川にある宮中ダムで発電した電力が、JRの山手線を走らせています。
ところがその宮中ダムで昨年、契約以上の水をJRが取水していたことが問題になり、地元との関係が悪化したのです。
水辺の会は中立的なNPOですし、大熊さんは極めて見識のある専門家ですので、JRと水辺の会をつなぐ役割を私は少しだけさせてもらったのです。
その関係で、私も参加させてもらいました。

冨田副社長は、実は経営道フォーラムの私のチームに参加していました。
それで昨年、お会いしたところから関係が少しずつ深まっているのです。
企業とNPOの付き合い方は、双方慣れていませんので、私もささやかに役に立ったのかもしれません。
うれしいことです。

しかし企業とNPOの人たちがこんなに心を許して話し合っている場はそう多くはないでしょう。
しかもそれぞれがしっかりした主張をぶつけ合う関係が育ちだしています。
信濃川に鮭の稚魚を放流する活動も、今では一緒にやっています。
この物語はきちんとドキュメントしておきたい気がします。
冨田さんにもお願いしましたが、企業にとって必ず大きな財産になるはずです。

久しぶりに気持ちのいい時間を過ごさせてもらいました。

■20数年ぶりの再開(2010年10月1日)
JR東日本と新潟水辺の会には、実は私の知っている人がもう2人参加しました。
一人は林常務です。
林さんも経営道フォーラムの受講生だったのです。
もう一人が、実は20年以上会っていなかった人、それも一度だけしかあったことがないのにお互いに心に残っていた人です。
前に書きましたが、その人と20数年の時を置いて、出会うことになったわけです
その人は執行役員の中井さんです。

中井さんに出会ったのは、25年ほど前の御殿場の経団連の研修センターでした。
CIをテーマにした合宿研修会で、私は講師、中井さんは受講者でした。
その合宿は私の好きなプログラムの一つで、夜はその施設にあるバーでとことん語り合うスタイルでした。
私は数回参加していますので、かなりの数の企業人に会っていますが、なぜか中井さんの印象が強く残っています。
中井さんの課題は国鉄民営化をどう進めるかだったのです。
中井さんは、その時の私の話がとても参考になったといってくれました。
私は当時まだ東レにいました。
そしてまさにCIに取り組んでいましたので、体験知から話させてもらったのだと思います。
当時、私は企業のあり方に大きな危惧の念をもっており、企業のパラダイムを変えなければいけないと思い込んでいました。
ですから東レのCIには性根込めて取り組んでいましたので、その思いが中井さんにも伝わったのかもしれません。
中井さんは「目からうろこだった」と言ってくれました。
私は、東レでのCIの仕事にのめりこみすぎて、人生を変える羽目になったのですが。
中井さんとお会いできたのは、私にとっては実にうれしいことでした。

■我孫子手づくり散歩市(2010年10月2日)
毎年やっている手づくり散歩市は、残念ながらだんだんさびれてきてしまっている感じがあります。
理由はかなり明らかなのですが、残念なことです。
今日はわが家のスペインタイル工房にきた人は2人しかいませんでした。
しかもそのお2人も、昨年も来てくれた、飯野さんと桐山さんです。
お2人は最近、直島に行ってきたそうです。
直島に行く話は飯野さんから以前お聴きしていましたが、とても良かったそうです。
私もベネッセーのCIの仕事に関わらせてもらった時に直島に行き、福武さんご自慢のホテルで泊まりました。
個人用のケーブルカーで部屋まで行くスタイルは、映画で見た風景でした。

これも偶然なのですが、昨日、JRの人と話していて、直島の話題が出ました。
中井さんも訪問したらしいですが、そのホテルの宿泊費が9万円なので高くて泊まれなかったと話してくれました。
9万円!
私にはとても泊まれませんが、仕事で行ったおかげで福武さんが無料で泊めてくれたようです。
その時の私の福武さんへの提案はかなり厳しいものだった記憶がありますが、もう少し褒めておけばもう一度くらい泊めてもらえたかもしれません。
残念なことをしました。

それにしても、2日続けて直島の話が出るとは、これまた不思議です。

手づくり散歩市とは無関係の話になってしまいました。
明日は何人来てくれるでしょうか。

(2010年9月第4週)
今週は久しぶりの人たちからの連絡が4つも重なりました。
これもなにかの予兆でしょうか。
■茶髪騒動の再発(2010年9月21日)
■北九州市の山下さんからの電話(2010年9月21日)
■ナラティブサロンがスタートしました(2010年9月22日)
■山口のふたり(2010年9月23日)
■本の出版を企画している学生たち(2010年9月24日)
■冠婚葬祭の佐久間さん(2010年9月24日)
■女性と健康(2010年9月24日)
■オープンサロン(2010年9月24日)
■戦略人事論(2010年9月25日)

■茶髪騒動の再発(2010年9月21日)
また事件です。
先週、白髪染めのことを書きました。
その成果が出てきて、私の白髪は茶髪になってしまいました。
もう少し続けると黒くなるのかもしれませんが、いかにもという茶髪なので、娘たちが笑い転げているのです。
それでとりあえず黒く染めることにしました。
そうしたら今度はよく染まりすぎて、真っ黒になってしまいました。
昔、同じ経験をしたことを思い出しました。
以前、ここにも書いたことがある茶髪事件です。

人はどうしてこうも同じことを繰り返すのでしょうか。
私だけなのでしょうか。

早速、いただいた人に話したら、対処の仕方を教えてくれました。
私がちゃんと聞いていなかっただけのようです。
人の話はきちんと聴かなければいけません。
はい。

■北九州市の山下さんからの電話(2010年9月21日)
思わぬ人から電話がありました。
北九州市の山下建治さんです。
私が北九州市に縁を持てたのは、山下さんのおかげなのです。
私が会社を辞める前でしたが、北九州市でCIに取り組むのでアドバイスがほしいといってきたのです。
それが縁で、その後、10年近く北九州市に関わらせてもらいました。
山下さんは収入役を最後に引退されましたが、その後も東京に来るたびに、いつも湯島に立ち寄ってくれました。

山下さんは北九州市立大学の卒業生です。
その関係で、私が北九州私立大学のプロジェクトに関心を持っていることを職員の方から聞いて、電話をしてくれたのです。
山下さんのネットワークは広いですが、まだ私がささやかにそのプロジェクトに接点を持ち出したばかりなのに、いかにも早いで驚きました。

山下さんはお元気そうでした。
声が弾んでいました。
もしかしたら、近々会えるかもしれません。
そういえば、先日は北九州市の近くに引退された蔵田さんからも電話をもらいました。
なにかが私を北九州市に呼んでいるのかも知れません。
とてもうれしい電話でした。
この5年ほど、北九州市には行っていませんし。

■ナラティブサロンがスタートしました(2010年9月22日)
このホームページでもお知らせしていたナラティブサロンがスタートしました。
今回は準備会でしたが、8人の方が集まってくれました。
しかも久しぶりに加藤誠也さんも参加してくれました。
何年振りでしょうか。

今回は、「ナラティブ」とは何かについて、きっかけを作ってくれた小澤さんから少しお話してもらい、私も少しだけ話させてもらいました。
私は、言葉が現実をつくり、ナラティブが現実を変えていく、と考えています。

それから、参加者みんなで「ナラティブ」について気楽に話し合い、最後にどう進めていくかを話し合いました。
次回は「ナラティブセラピー」をテーマに、コムケアやマイケアプラン・ネットワークで活動している理学療法士の橋本さんに問題提起してもらうことにしました。
10月27日の夜に開催する予定です。
関心のある方はご連絡下さい。
お知らせのコーナーにも案内を書いておきます

■山口のふたり(2010年9月23日)
一昨日は北九州市の山下さんから電話がありましたが、今日は山口県の旧友2人からそれぞれ手紙と荷物が届きました。
2人とも県の職員でしたが、いずれもはみ出した行政マンでした。

河野哲男さんからは、今月宇部市に開館する「ヒストリア宇部」(旧宇部銀行館)の指定管理者を引き受けるために「タグボート」問い組織を立ち上げたという案内でした。
河野さんは下関にある海峡ゆめタワーの建設と企画運営にも関わったことがあり、その時、私もささやかに関わらせてもらいましたが、彼の構想は行政の枠を超えているので、きっと面白い展開になるでしょう。

もう一人はやはり県の職員だった東孝次さんからの荷物でした。
東さんは、私を山口県につなげてくれた人ですが、いまは県庁を辞めて、大学の先生になっています。
荷物をあけたら、お米とミソと豆腐とかぼちゃが入っていました。
東さんは、いま柔らかな意味での地産地消を意識した「やまぐち顔の見える住まいづくり」プロジェクトを起こそうとしていますが、どうもその仲間たちの作品のようです。
いつかまたきちんと紹介する機会があるでしょう。
ちなみに、お豆腐は、山口県阿武町にある「埋もれ木の里」でおばぁちゃんが採算度外視でつくっているお豆腐でした。
とてもおいしく、存在感もある見事なお豆腐でした。

河野さんと東さんは宇部高校の先輩後輩で、お互いよく知っている関係です。
しかし、今回の私への手紙と荷物はまったく別々に送ってくれ、それが偶然重なったのです。
私を呼んでいるのは、北九州だけではないのかもしれません。
とてもうれしい気持ちになりました。

■本の出版を企画している学生たち(2010年9月24日)
かんき出版の編集部長の藤原さんから、本を出版したいという学生グループがいるのでアドバイスしてやってくれと言われて、会うことにしました。
3人の学生がやってきました。
3人とも4年生、来春からの就職先はもう決まっています。
大学を卒業する前に何か形に残したいと思い立ち、先輩100人から20代の自分たちを元気にしてくれるようなメッセージをもらって、出版しようと言うことになったのだそうです。
それでメッセージを頼む人を紹介してほしいというのです。

そういう話であれば、100人でも200人でも紹介できますが、問題は単なるメッセージ集をつくるのでなく、そこから何か新しい物語をつくることではないかと話させてもらいました。
つまり出版してからのプログラムが大切なのです。
それに大きなメッセージの方向性は定めた方がいいのではないかなどという気もしたのですが、そんな小賢しさは若者には不要だなと思い直しました。
思いつくままに30人ほどの名前を挙げましたが、彼らが一番興味を示したのが、元やくざでいまは福祉の仕事をしているダックスです。
早速紹介することにしました。
ダックスは、どんなメッセージを出すでしょうか。

北九州市には佐久間さんという面白い人もいるよ、と話していたら、なんとその佐久間さんから突然電話がありました。
今東京に来ているのだそうです。
なんという偶然でしょうか。
佐久間さんに湯島に来てもらって学生たちにお引き合わせしました。
佐久間さんは即座に引き受けてくれました。

学生たちにはとてもいい時間だったと思います。

■冠婚葬祭の佐久間さん(2010年9月24日)
サンレーの佐久間さんと会うのは4年ぶりかもしれません。
まさか突然に訪問を受けるとは思ってもいませんでした。
ちょうど先週、佐久間さん(一条真也はペンネーム)の「ご先祖さまとのつきあい方」をブックのコーナーで紹介したところです。
お互い話したいことが山のようにあります。
あっという間の2時間でしたが、いろんな話ができました。
それにお互いに深いところで通ずるところがあるのです。
書き出すときりがないですが、今日、会ったことは佐久間さんが自分のブログでも書いていますので、それに任せます。

佐久間さんは冠婚葬祭がライフワークです。
それも本質的なところから実践的なところまでを包括的に取り組んでいるのが佐久間さんです。
あまりにも壮大なので、なかなか見えてきませんが、その根っこだけでも佐久間さんには創りあげてほしいと思います。

もう一つの大きな話題は賀川豊彦でした。
その評価に関しても共感できました。
賀川豊彦をもう一度しっかりと見直さなければ時代の先は見えてきません。
そんな気がしますが、佐久間さんも同じ思いを持っているようです。

佐久間さんの次の本は「隣人論」だそうです。
実に楽しみです。

■女性と健康(2010年9月24日)
今日は、次々と論客が来ます。
佐久間さんの次に来たのは小林貴博さんです。
同じ研究所の高山さんも同行されました。
一応、テーマはあったのですが、まあそれにかこつけながらいろいろと話し合いました。

テーマは、10月12日に「女性と健康」というテーマでシンポジウムを開催するのですが、そこで各地で活動している女性たちのキーパネルをつくれないかという相談でした。
これもまた面白そうなテーマです。
協力することにしました。
ただ、すぐに浮かんでくる顔が少ししかないのが残念です。
やはりこの数年の活動の空白のせいでしょうか。

■オープンサロン(2010年9月24日)
9月の最終金曜日でしたので、今日はサロンでした。
気づかない人が多かったのか、参加者は少なく、小林さん、高山さんをいれて、5人でした。
高須さん、中村公平さん、藤本さんです。
昼間にいろんな話をたくさんしてしまったので、私は疲労して何を話したか思い出せません。
でも何だか結構密度の濃い会話が続いていたように思います。

それで最後は私の茶髪談義で話を軽くしてお開きにしました。
しかし、その後も残る人がいて、結局、10時過ぎまで湯島にいました。

帰宅してテレビをつけたら、尖閣諸島で問題を起こした中国人船長が釈放されたと流れていました。
とんでもないことが起こってしまいました。
またドッと疲れと怒りが高まり、夜更かししてしまいました。

■戦略人事論(2010年9月25日)
寒い土曜日でした。
読みかけの「戦略人事論」を読み上げました。
須田敏子さんが送ってきてくれたのですが、とても取り組み姿勢が共感できます。
視野狭窄の経営書煮へ消え息している私としては。久しぶりに面白く読ませてもらいました。
ブックのコーナーに紹介しています。
企業の人事部長だったらこれくらいはしっかりと読んでほしいです。
いまの企業は人を殺しています。

(2010年9月第3週)
ようやく涼しくなりました。
しかし今週は数名の人たちからいろんな相談を受けました。
それもかなり「重い課題」が多かったので、心理的にかなり疲れました。
その上、ちょっと元気が出なくなる話も飛び込んできました。
季節と共に、心が冷えてこないといいのですが。
■大山が見えるラボ(2010年9月15日)
■貧困ビジネスと福祉事業の境界線(2010年9月16日)
■ISO26000(2010年9月16日)
■衆愚経営から衆賢経営へ(2010年9月16日)
■日本の金融システムはどこから曲がってしまったのか(2010年9月16日)
■菅改造内閣発足への感想(2010年9月17日)
■シェルターネットワークフォーラム実行委員会(2010年9月18日)

■大山が見えるラボ(2010年9月15日)
久しぶりに2つの企業を訪問しました。
一つは株式会社ヘレンのラボです。
神奈川県の渋沢市にあります。
ヘレンは主にヘアカラー関係商品の開発会社ですが、サムシングニューを目指しています。
そこで開発状況の話をお聴きしました。
いずれも魅力的です。
白髪染めの試作品をもらいました。
私はほぼ完全な白髪なのですが、時折、黒くしようと思うことがあります。
ところが市販のヘアカラーを使用すると明らかに人体への悪影響を感じます。
ヘアカラーでシャンプーした後、頭部がなんとなくフアーとしてくるのです。
実は、安全性という点で、今のへアカラーはあまり信頼できないために、すぐにやめてしまうわけです。
おそらく早晩これは社会問題になるでしょう。
そう思っていましたので、まったく無害のヘアカラーがあると知って、ぜひ試作品をとお願いしたのです。
使用したら、とりあえずはなんの違和感もありませんでした。
もしこれが安全性が保障されるのであれば、爆発的に売れるでしょう。
今の段階で投資しておけば巨額な利益を得るかもしれません。
手元に資金がないのが残念ですが、まあこの会社を経営しているのは私の友人ですので、絶対とは言いきれません。
しかし、この会社の将来は期待できます。

投資資金のない私にとって野のこの会社の魅力は、会社の屋上から丹沢山塊が見えることです。
真正面に大山も見えます。
こういう場所で仕事をしていたら、お金などもらわなくても幸せになれるでしょう。

このラボに伺ったのは、実はもう一つの会社の工場を見せてもらうためです。
久しぶりに工場見学をしました。
やはり工場に行くとなにかわくわくします。
ものづくりの現場が、私はとても好きなのです。
ちょっと疲れた1日でした。

■貧困ビジネスと福祉事業の境界線(2010年9月16日)
昨日は身体的に疲れた1日でしたが、今日は気分的に疲れた1日でした。
まずは3組の人たちが相談に来ました。
いずれもかなり重いテーマ、あるいは私の関心に合わないテーマだったのです。
内容は書きづらいですが、たとえば一つは福祉活動をしているグループの相談でした。
そのグループは昔から良く知っているグループなのですが、昔はとても共感できる活動だったのが、久しぶりに最近相談に乗ってみたら、まさかの実態になっていました。
いささか極端に聞えるかもしれませんが、どうも最近の福祉活動は貧困ビジネス化しているようにさえ思えてきます。
つまりかつての措置発想に基づく福祉事業は、つまるところ貧困ビジネスだったのかもしれません。
最近いろんな相談を受けていますが、だんだんそんな気がしてきてしまっています。

そろそろNPOの世界から足を抜く時期になってきたのかもしれません。

■ISO26000(2010年9月16日)
淑徳大学の清水教授が、しばらく開催していたコミュニケーションサロンをどうするかの相談に来ました。
数回続けましたが、清水さんと私の関心事はかなり違っていたのです。
それで別々に発展させようと言うことになり、私のほうはナラティブサロンとしてスタートすることにしました。
清水さんのほうは、企業広報をドメインにすることになるでしょう。
清水さんもいまの企業広報には飽き足らなく思っていますので、そこにどういう新しい視点を入れ込み、しかも具体的な形にしていきたいと思っているのです。
そのアイデアをいろいろと話してくれました。

その一つがISO26000です。
これは清水さんの得意分野の一つです。
ところが私は、ISO(国際標準化機構)にはまったく興味がないのです。
困ったものです。
そもそも「標準化」発想に興味がないのです。

ISO26000は、ご存知の方も多いでしょうが、CSR(正確にはSR)に関するガイドラインです。
清水さんはCSRにも通じていて、本も何冊か書いています。
しかし、困ったことに、私はそもそもCSRと言う発想に異論があるのです。
SR、つまり社会的責任などは当然の話で、何を大げさに語っているのかと思うわけです。
大の大人が使う言葉ではありません。
それは果たすべきことなのであって、自慢気に語ることではないのです。
ガイドラインがないと行動できないようなだらしない組織とは私は付き合いたくないわけです。
まあこれは言いすぎですが、こんなことを清水さんに話したら実も蓋もないでしょう。
そんなわけで少し疲れてしまったわけです。
でもまあ、それなりに刺激をもらったのですが。
こう言いながらも、清水さんが研究会を立ち上げたら参加することになるのでしょう。
いやはや疲れない研究会になるといいのですが。

■衆愚経営から衆賢経営へ(2010年9月16日)
今日はたくさんの人たちが来ましたが、最後のグループは逆に元気をくれました。
経営道フォーラム47期のFチームのメンバーです。
テーマは企業文化ですが、いま行き着いた仮説は、「衆愚経営から衆賢経営へ」です。
そして衆賢経営のポイントは「信頼」だというのです。
実は、最初はそうした話を聴いて、ドッと疲れが高まりました。
いかにも陳腐だからです。
信頼が最近、流行ですが、、信頼って何なのでしょうか。

とまあそう思って話し出したのですが、話し出したら面白い話がどんどん出てきたのです。
いずれも個人的な体験です。
どこかの本で読んだような端は私には全く興味はありません。
個人的体験という第一次情報以外は、私はあまり関心がないのです。
創発は第一次情報から生まれやすいと私は信じているのです。

衆賢経営とは何か、それとのつながりで大切な信頼とは何か。
そう問題設定すると面白そうです。
組織原理にまでつながっているからです。

まあその話は11月の発表会のお楽しみです。椿山荘で公開発表会がありますので、関心を持たれた方はご参加ください。

■日本の金融システムはどこから曲がってしまったのか(2010年9月16日)
経営道フォーラムのメンバーとのみの後、近くの居酒屋で食事をしました。
その席での話は、実に面白かったです。
今日は疲れていたので、うまく対応できなかった面はありますが、その面白さでかなり元気が回復しました。

まずは銀行員の人から、日本の金融システムがどこからおかしくなってきたかの話をお聴きしました。
私の金融会社嫌いを知った上で、その人は私のチームに入ってきてくれたので、いつか意見交換したいと思っていたのです。
彼の話を聴いていて、15年ほど前に大前研一さんのアタッカーズ・ビジネススクールでお話させてもらったことを思い出しました。
その時の記録の一部を掲載しましたので、よほど暇な方はご覧ください。
金融ビッグバンが金融業会だけではなく、事業会社を大きく変えていくだろうという懸念を、当時、私は強く持っていました。
それで、こうしたプログラムへの取り組みと並行して、日経の信頼できる論説委員と編集委員とにお会いして意見交換しましたが、いずれにも失望しました。
彼らには展望も使命感も感じられなかったからです。
そのあたりからマスコミ嫌いになってしまったのかもしれません。
そうやって私はどんどん自分の世界を狭めてきたのかもしれません。

長くなったので止めますが、もう一つ興味ある話がありました。
イノベーションの話です。
大阪にある知財務株式会社社長の古庄さんの取り組んでいる活動です。
これはまたいつか書く機会があるでしょう。
古庄さんと機会を改めてゆっくりと話したいと思っています。

■菅改造内閣発足への感想(2010年9月17日)
菅改造内閣が発足しました。
ブログでも少しは書きましたが、それなりに自重しました。
それでこちらのほうではもう少し独善的な鬱憤を晴らしておきたいと思います。

実にアメリカよりの、自民党以上に自民党よりの内閣です。
政局より政策と、メディアで「有識者」たちが盛んに騒いでいましたが、彼らが結局は政局の選挙に持ち込み、小泉さんと同じくアメリカと財界に擦り寄った感じの内閣です。
もちろん官僚にはとても優しいでしょう。
国民は政策論議などできるわけがありませんから(情報がないという意味です)、所詮は谷亮子さんを選んでしまうような勘違いをしてしまうわけです。

それにしても地味で埋没してしまいそうな内閣です。
すべては仙石さんに乗せられてのことでしょうか。
仙石さんにはこれまでも「戦略」を感じたことはありませんが、今回の布陣もメッセージが感じられません。
それにしても「有言実行内閣」などと小学生のようなことを恥じらいもなく言ってしまう菅さんには驚きです。
菅さんの頭の中にはこうそうがあるのでしょうか。

村山さんが自民党に取り込まれて社会党を終わらせました。
いままた仙石さんが民主党を終わらせるような気がします。
この数日、とても気分が沈んでいます。
菅さんでよかったと7割を超える人が喜んでいるのが信じられません。

フレイレの教育学が必要なのは南米ではなく日本のようです。
かなり言いすぎましたが、少しすっきりしました。

■シェルターネットワークフォーラム実行委員会(2010年9月18日)
自殺のない社会づくりネットワークで、11月5日に「シェルターネットワークフォーラム」を開催することになったことはお知らせのコーナーで案内させてもらっていますが、その最初の実行委員会を開催しました。
昨年のサミットは半年かけましたが、今回は2か月足らずの時間しかありません。
いささかの不安はありますが、私の決断が遅れてしまったためです。
開催まで1か月半。また精神が擦り切れることになりそうです。

今回は6人の人が集まってくれました。
しかもとてもいい議論ができました。
とても意義のあるフォーラムになりそうです。
でも、まだ実行委員やスタッフが足りません。
ぜひ手伝ってもいいよという人がいたらご連絡ください。

今日は、NHK山梨支局のディレクターの佐川さんも参加してくれました。
10月に番組を企画していて、その取材に来たのですが、どうせなら実行委員になりませんかと、誘ってしまいました。
まあ立場上、難しいでしょうから、準実行委員として考えることにしました。
ご本人がそう認識しているかどうかはわかりませんが、これが私流、コムケア流のやり方なのです。

フォーラムそれ自体もかなりコムケア流に向いてきました。
私自身は特に誘導はしませんでしたが、そうなっていきました。
ということは、たぶん時代はその方向を向いているのです。

フォーラムは11月5日に開催します。
参加者をどう集めるかも、頭の痛い課題です。
皆さんもぜひ参加してください。
内容は追ってお知らせに書いていきますが、みんながお互いに支え合うつながりを育てる社会に向けて、何ができるかを考えようというフォーラムです。
シェルターというとハード的な施設をイメージしがちですが、人のつながりこそが最高のシェルターという「見えないシェルター」「開かれたシェルター」をイメージしています。
さらにいえば、社会全体がシェルターになるべきだという、私のビジョンに少し近づいてきたようでうれしいです。

(2010年9月第2週)
今週はとても不調でした。
あってもなくてもいい1週間でした。
それを反省して、来週からは動き出します。
■チビ太へのメール(2010年9月6日)
■北九州市への思い(2010年9月6日)
■川口のあいうえお(2010年9月6日)
■チビ太の退院(2010年9月6日)
■不調な1日(2010年9月7日)
■なにかインキュベート(2010年9月8日)
■お金で苦労している人が多いです(2010年9月10日)
■ナラティブ研究会(サロン)をはじめます(2010年9月11日)

■チビ太へのメール(2010年9月6日)
チビ太に関して、メールや電話をもらいました。
ご心配かけてすみません。
チビ太はおかげさまでとりあえず復活しました。

■北九州市への思い(2010年9月6日)
北九州市でのプロジェクトに関わっている人と話す機会が最近あります。
今日もそうでした。
北九州市には10年ほど通ったこともあり、友人知人も少なくありません。
そのせいか話しているうちに、いろいろなことがよみがえってきました。
もう一度、北九州市に行きたくなりました。
行こうと思っているとたぶん行く機会がやってくるでしょう。
これまでの私の体験からの確信です。
さていつ行けるでしょうか

■川口のあいうえお(2010年9月6日)
川口の「あいうえお」というのをご存知でしょうか。
これはコミーの小宮山社長が言い出していることですが、川口市ではこれを基本にした川口市案内パンフレットを作成しました。

ところで、その「あいうえお」をみなさんは当てられますか。
まあ小宮山さんらしい「落ち」までついているのですが、その落ちの面白さ、あるいは大切さがこのパンフレットには残念ながら活かされていません。
それでということでもないのですが、それを活かしたプロジェクトに取り組めないかと、ラーニングビジョンの小澤さんと小宮山さんと3人で会いました。
まあ私は添えもの程度ですが、面白くなったら参加させてもらおうと思います。
面白くなかったらどうするか。
まあそんなことはないでしょう。
プロジェクトの軸は、DST、デジタルストーリーテリングによるまち育てです。
DSTによるまちづくりに関心のある人がいたらご連絡下さい、

■チビ太の退院(2010年9月6日)
チビ太が退院しました。まだ歩けません。
当分は通院です。
それにしても話せないとコミュニケーションは難しいです。
言葉を使える人間のありがたさを改めて実感しています。

いつもならお客様があるとうるさくて仕方がないほど吠えるのに、その元気もないようです。
でも少しずつ元気が戻ってきており、歩くほどではないですが、立ち上がれるようになってきました。
呼吸も正常化してきました。
あと一息です。たぶん。

■不調な1日(2010年9月7日)
なにやらとても不調な1日でした。
自宅で過ごしましたが、元気が出ずに不調でした。
なぜでしょうか。
不調だったのでテレビばかり観ていましたが、テレビ三昧も悪いものではありません。
世界が広がります。
まあ地上波テレビは観ないほうがいいと思いますが。
地上波テレビとBSはかなり違う世界です。

■なにかインキュベート(2010年9月8日)
インキュベーションハウスでなにか事業を起こせないかということなり、久しぶりに話し合いを持ちました。
いろいろとシーズはありそうなのですが、気迫が欠けているのです。
一番の問題は、お金に対する感覚がみんな今様でないことでしょう。
お金を稼ぐことへのモチベーションが低いのです。
そのくせもう少しお金があるといいのになという思いはあるのです。

必要な人にはお金は回ってくるものだという、私の昔からの固い確信は最近少し揺らいでいます。
やはり昨今の金融システムはおかしいのです。
いや金融システムの問題ではないかもしれませんね。

しかし困っている人のところにお金が回らない仕組みはおかしいです。
まあこんな発想だとなかなか事業は構想できません。
でもなにかインキュベートしないとインキュベーションハウスは倒産し、メンバーは路頭に迷いかねません。
さてさて、どうしたものでしょうか。
いい仕事はないでしょうか。

■お金で苦労している人が多いです(2010年9月10日)
お金で苦労している人が増えているようです。
私のところにまで相談があります。
もちろん私にお金の工面を頼んでくるわけではありません。
それがいかに場違いであることかは、かなり知れ渡ってしまったようです。
それはそれでいささか気分のよいことではないのですが。

私は、この20年、お金から自由になりたいという思いで、そういう方向での生活を目指してきました。
質素な生活のおかげで、お金はけっこうたまりましたが、数年前にそれを全部使い切って、自宅を建てました。
自宅さえあれば、それも精神的に安堵できる家であれば、お金がなくても生きていけるだろうと思っていたからです。
実際にいまでは年金だけでどうにかなります。
もっとも仕事をしようとすると、それでは足りませんが、ただ生きていくだけであればどうにかなります。

ところがです。
最近は、私の周りで金銭的に苦労している人が少なくありません。
私から見れば、かなりの無駄遣い的生活にも見えますが、ライフステージの点から考えれば、それも無理かならぬところがあります。
私にもしお金があれば金銭的に救えるのですが、それができないばかりに、余計なことをしなければいけないこともあります。
やはり1億円程度のファンドがほしいです。
どなたかポンと出してくれる人はいないでしょうか。

今日も2件の相談を受けました。
さてさてどうしたものでしょうか。

■ナラティブ研究会(サロン)をはじめます(2010年9月11日)
怠惰な8月は終わりにして、いくつかの新しい活動を開始することにしました。
動き出すと一気にいろんなことをやりたくなるのが私の性癖です。

まず「ナラティブ研究会(サロン)」をスタートさせます。
「ナラティブ」とは、平たく言えば、「物語」とか「語る」とかいう意味合いですが、最近さまざまな分野で使われだしました。
人が生きていることは、つまりは自らの物語を物語ることであり、社会とは複数の人たちの物語をつないで大きな物語を創ることですから、それは当然といえば、当然です。
しかも、最高の語り手は当事者であるという、当然のことに気づけば、観察者による語りが中心だった近代が終わろうとしているいま、当事者の語りを中心にした、新しいナラティブアプローチが求められていることもよくわかります。
医療の世界では、すでにかなりの展開を見せていますが、たとえば、企業経営においても、コミュニケーションやマネジメント、さらにはマーケティングといった面でも、ナラティブ発想は大きな示唆を与えてくれます。
そんな思いからのナラティブ研究会です。
もしご関心とお時間の余裕があれば、ご参加ください。
お知らせのコーナーに準備会の案内を載せました。

また何回かここでもご紹介した「タグラボ」の研究会も開催します。
興味のある方はご参加ください。

次に準備を始めたのが、シェルターネットワークフォーラムです。
この主催は「自殺のない社会づくりネットワーク・ささえあい」ですが、実行委員会の事務局をやることにしました。

いずれも「お知らせ」のコーナーに載せました。
他にもいくつかの集まりを考えています。
さてさてどうなりますか。

(2010年9月第1週)
暑さが続いています。
■クリエ・ジャパン始動(2010年9月1日)
■ナラティブのこだわる小澤さん(2010年9月1日)
■へレンの2人(2010年9月2日)
■チビ太の異変(2010年9月2日)
■妻の命日(2010年9月3日)
■生活保護の話(2010年9月4日)
■チビ太の入院(2010年9月4日)

■クリエ・ジャパン始動(2010年9月1日)
株式会社クリエ・ジャパンの南野さんがその後の報告も兼ねて、やってきました。
事業の方向性もかなり明確になってきており、順調に進んでいるようです。
会社も6人体制になったようで、若い人たちのエネルギーを感じます。
まだまだ大変な状況がしばらくは続くでしょうが、先が見えてきた感じがします。
11月6,7日と、東京ビッグサイトで デザインフェスタ32が開催されますが、それにあわせて本格始動するそうです。
クリエ・ジャパンのホームページは10月に公開ですが、まだ事業内容をお知らせできないのが残念です。
これまでも何回か書いているように、クリエ・ジャパンのミッションはクリエイティブなアート活動を支援し、それを暮らしの中につなげていくことです。
南野さんと話していて、バウハウスを思い出しました。
もしかしたら世界を変える起爆力がそこから生まれてくるかもしれません。
まあそれがわかるのは20年ほど先でしょうが。

事業展開のためにまだ資金調達が必要のようです。
こればかりは私は何の役にも立てません。
新しいアート活動のパトロンになってもいいと言う方がいたらご連絡ください。
南野さんをご紹介します。

■ナラティブのこだわる小澤さん(2010年9月1日)
ラーニングビジョンの小澤さんとは一度ゆっくりお話したいと思っていたのですが、小澤さんが構想しているデジタル・ストーリテリングによる地域活性化の話題を材料にお話しする場を持ちました。
小澤さんは映像制作のプロですが、私が知っている人とはちょっと違った視点で「ナラティブ」にこだわっています。
なによりも、パウロ・フレイレに傾倒しているようで、そこに不思議な魅力を感じます。
話していて、どこか通ずるところを感じますが、なにかプロジェクトをご一緒できればと思い出しています。

最近、湯島に新しい事業やプロジェクトを構想している人たちがよく来ます。
テーマや分野はそれぞれまったく違うのですが、必ずといっていいほど、それらはつながっていきます。
「つながり」と「ナラティブ」は切り離せないものですが、私の役割はやはり編集なのかもしれません。
もう少し若かったらいくらでも物語を創りだせそうです。

小澤さんとはまずは川口市に舞台を設定しようかということになりました。
川口といえば、コミーの小宮山さんです。
近々3人で会うことにしました。
面白いミーティングになることでしょう。
それと読者の一人から参加希望がありましたので、ナラティブを柱にしたサロンも始めようと思います。
もし関心をお持ちの方がいたら私にメールください。

■へレンの2人(2010年9月2日)
新しい事業に挑戦しているのは若者だけではありません。
アメリカではシニアインキュベーターが比率的には多いのだと言う話を聞いたこともありますが、私の周りにもその種の人は多いです。
ただシニアと若者とでは取り組みの姿勢が違います。
違いのポイントは「未知数の夢」の有無です。
もう一つ言えば、取り組みの姿勢に余裕があるかどうかです。

実に余裕を感じさせるのは株式会社ヘレンのお2人です。
藤本さんと奥山さんですが、お会いしていると何か心が和みます。
念のために言えば、ヘレンの会社経営に余裕があるとかという話ではありません。
それは私はよく知りませんし、企業機密に関わることでもあるでしょうから、私がとやかく言う筋のものではありません。
私が言いたいのは、お2人の生き方なのです。
いや、余裕を持って楽しくやっていると言ってしまうと、お2人には怒られるかもしれません。
私と同じような問題をそれぞれに抱えていることも知っていますし。
しかし、どうも私と同じ雰囲気を感じてしまい、お2人といると安堵するのです。
この人たちが「インキュベーター」と思うこともあります。
そういう人って、皆さんの周りにもいませんか。

今日はお2人がたくさんの花を持ってきてくれました。
それも大きな花束と2つの鉢ものです。
明日が私の妻の命日なのを知ってのことです。
そこで言わずもがなのことを言ってしまいました。
こんなにたくさんの花をもらうと困るのですが、と。
いやはや、これほど不躾の行為はないでしょう。
発言した後、深く反省しましたが、一度出た言葉は消せません。
困ったものです。

でもまあがんばってその大きな花束を電車で持って帰りました。
車内がユリのにおいで充満されるほどでした。
帰宅して早速妻に供えました。
お2人の心遣いに感謝しました。
それにしても折角の好意に冷や水をかけるとは、私の性格はかなり曲がっているようです。

でもまあ、花をもらうのはとてもうれしいのですが、できれば小さなのがうれしいです。
いやこれも余計な一言ですね。
曲がった性格はなかなか直りません。
困ったものです。

■チビ太の異変(2010年9月2日)
この数日、わが家のチビ太くんに異変が起きていますが、今日はあまりにも異常なので、娘がお医者さんに連れて行きました。
もしかしたら熱中症かもしれませんが、老衰かもしれません。
昨夜は娘が添い寝していましたが、大変だったようです。

実は、チビ太の様子が3年前の妻の様子にとても似ているのです。
呼吸が苦しくて身体を丸めてしまっているのです。
それはとても辛い風景で、私は冷たいようですが、見ていられません。
書くのも辛いのでやめますが、今年の夏の暑さも影響しているのかもしれません。

■妻の命日(2010年9月3日)
妻の3回目の命日です。
今日はある委員会の初回だったのですが、欠席させてもらいました。
幸いにチビ太も少し元気がでてきたようです。
妻の後追いといった最悪の事態は避けられました。
それに昨日巣立ったヒヨドリがチビ太の寝ているガラス戸のすぐそこでチビ太に寄り添うようにいました。
不思議な光景でした。

花かご会の皆さんをはじめ何人かの方が来てくれました。
電話をいただいた方もいます。
なにもしない1日でしたが、いつものように疲れました。

■生活保護の話(2010年9月4日)
自殺のない社会づくりネットワーク・ささえあいの交流会でした。
暑い中を20人近い人たちが集まってくれました。
東尋坊で活動をされている茂さんも参加されました。
今回のテーマは「生活保護」。
制度および実際の運営状況を当事者の立場からも含めて紹介してもらい、話し合いになりました。

日本の生活保護法はその第1条に、生活保障に合わせて自立助長を明記しています。
当時、厚生省の担当課長だった小山進次郎さんは私の遠戚で、そのお人柄は母からいろいろと聴いていますが、その後の政治の方向は小山さんの考えとはずれて行ったようです。
その後の日本の生活保護制度は経済発想一色になっていったような気がします。
当時、私はそうしたことにほとんど興味がなく、小山さんとも数回しか会ったことがありませんが、母からの話がずっと頭に残っています。

それはともかく、2005年以降、生活保護制度をその原点に戻し、単なる経済的な自立支援ではなく、人としての自立支援にしていこうという動きがでてきました。
しかし現場を含めて、社会自体がそういう文化に変わっていくにはまだまだ時間がかかるのでしょう。

みんなの話を聴いていて、15年ほど前に北九州市の生活保護担当の市役所職員から、涙ながら実態を聴かされたことを思い出しました。
その時も、どこかで問題がずれていると感じましたが、今回もそんな気がしました。

今回の交流会にはプロセスファシリテーションプロジェクトというプロセスワークに取り組んでいるグループのメンバーが数名参加してくれました。
このグループは今月の12日に、杉並区で『自殺を予防するにはどうしたらよいだろうか』というテーマでオープンフォーラムを開催するそうです。
面白そうです。
ご関心のある方はサイトをご覧ください

■チビ太の入院(2010年9月4日)
交流会の途中に自宅からメールが入ってきました。
午後になって、チビ太の状況が悪化したので、また病院に行ったそうですが、意識がなくなり緊急処置室に入院したというのです。
レントゲンなどの検査の結果は、回復の可能性はあるそうですが、内臓がだいぶやられているようです。
ともかく様子を見て、これからどうするかを考えることになりました。
悪夢の再来です。

(2010年8月第4週)
まだまだ暑さが続いています。
今週のテーマは「運命的な出会い」です。
■30代が直面している問題(2010年8月24日)
■「運命的な出会い」(2010年8月24日)
■もう一つの「運命的な出会い」(2010年8月25日)
■参加したくない会に参加してしまいました(2010年8月25日)
■庭の木に鳥の巣がありました(2010年8月26日)
■中学校の同窓会の写真(2010年8月26日)
■東レ時代の同僚の増山さん(2010年8月27日)
■お金のない人ばかり集まるサロン(2010年8月27日)
■ホメオパシー騒動(2010年8月28日)

■30代が直面している問題(2010年8月24日)
NHKが「30代の生き方」をテーマに番組を企画しています。
自殺もまた、最近の30代が抱える大きなテーマです。
その関係で、30代の記者の方が、自殺のない社会づくりネットワークに取材に来ました。
福山さんとふたりでお話をお聞きしました。
私自身は、自殺に関するマスコミの報道へは大きな違和感があるのですが、今回、やってきた記者の方は「観察的」にではなく、当事者として問題を考えていることにとても好感をもちました。

たしかに最近の30代は過剰に問題を抱えているような気がします。
いや40代前半もそうだと思いますが、その影響は次第に出てくるでしょう。
どう考えても最近の社会はおかしいのです。
若者にだけ問題を押付けているのは、実は私たち高齢者の世代なのです。
私たちが生き方を変えなければいけないのです。
若い記者と話していて、改めてそう思いました。

■「運命的な出会い」(2010年8月24日)
北九州市立大学の中嶋さんが、何を思ったのか、2人の人に私を紹介してくれました。
そのお2人がやってきました。
もちろん私には初対面です。
中嶋さんは紹介した理由をこう書いてきました。
「直感で、佐藤さんにお会いしていただきたいと思いました。佐藤さんを紹介した理由は、思いつきません。」
なんとまあ無責任な話でしょうか。
まるで私がやるようなことを、あの誠実な中嶋さんがやってくれたのです。
困ったものです。

お2人は大学の新しいミッションに関心をお持ちです。
お話をお聴きして、とても共感しました。
初対面にもかかわらず、なにか心がつながった気がしました。
お2人は、それぞれご自身の会社を主宰されているアントレプレナーです。
もう20歳若かったら、私も身を投じたいようなテーマです。
しかし高齢者には高齢者の役割があるかもしれません。
そんな気にさせるお話でした。

夜、お2人から、それぞれメールが届きました。
その中に「運命的な出会い」という表現がありました。
私もこれまでそうした出会いが何回かありました。
しかし久しぶりにこの言葉を思い出しました。
中嶋さんの「直感」に感謝しなければいけません。

もしかしたら、この出会いから何かが始まるかもしれません。楽しみです。

■もう一つの「運命的な出会い」(2010年8月25日)
「運命的な出会い」と感じた出会いが10年ほど前にもありました。
それが西高弘さんです。
なぜ西さんが湯島にやってきたのか、今となってはまったく思い出せませんが、話した内容は覚えています。
一つは西さんが開発したナレッジ・サーバーのこと、もう一つが土とのつながりです。
土とのつながりの話の内容はまったく覚えていませんが、土というキーワードが私の頭の中には深く埋め込まれています。
その西さんから先月メールが来ました。
私はメールアドレスを20年近く変更していません。
そのおかげで久しく音信普通だった西さんと再開できました。
なぜ西さんが私に連絡する気になったのか。
これもまた「運命的」というべきかもしれません。

しかし、それについては書き残すのは止めます。
私の頭の中にも、西さんの頭の中にも、深く刻まれたと思うからです。

今回の一つの話題は、7月に西さんが発表したフリーウェアのタグラボの話でした。
いろいろな可能性があることを感じます、
しかしこれを広げていき、社会的なツールとしての効用を高めるためにはきちんと計画的に取り組む必要があるように感じます。
そのためのグランドデザインが大切だと思うのですが、そういう発想をみんななかなか持ちません。
まあ私もそうですから大きなことは言えませんが、もし広げていきたいのであれば、それなりのグランドデザインとチームが必要です。
今回は私も少し関わらせてもらおうかという気になりました。
西さんとの話は、実にスピリチュアルだったのです。

■参加したくない会に参加してしまいました(2010年8月25日)
経営道フォーラムのことは時々書いていますが、経営幹部が半年間、テーマを設定して話し合い提案をまとめるという活動です。
私はそのアドバイザー的な役割を引き受けています。
これも実は「運命的な出会い」から始まったといっていいでしょう。
このプログラムを開発した市川覚峯さんとの出会いです。
その関係で、このプログラムが始まった頃からずっと関わっています。
このプログラムは、経営に道と心を育てていきたいと考えた市川さんが始めたのですが、どうも最近は退屈な研修プログラムになってしまっています。
最初から関わっているものとしては、実に残念なことなのです。

当初は自由闊達に議論し、主体的に取り組んでいましたが、20年以上経つとプログラムも「整備」されて事務局の役割が大きくなってきます。
そうなると「事務局のためのプログラム」の傾向が強まってくるのです。
私はかなり辛らつに事務局にその危惧を話していますが、なかなか聞き入れてもらえません。
もっとも私が正しいとは断定できません。
そういう楽な研修を無事済まそうという優等生が大企業では出世するのも事実ですから。
本気で研修させようとか、自己変革しようという気は、そもそもないのかもしれません。

今日はその活動の中間報告会でした。
私にはまったく意義を感じられない会なので欠席と伝えていたですが、前日に事務局からどうしても参加してほしいと電話がありました。
行きたくない場には行かないのも私の生き方なら、頼まれたら断れないのも私の生き方です。
人生には矛盾が付き物です。

参加しましたが、やはり無意味さを感じました。
こんな会に出てくる暇があったらもっとしっかり議論しろといいたいほどです。
どうも形だけの無意味な集まりが多すぎます。
それに参加する自分にもいささか腹が立つのですが。

■庭の木に鳥の巣がありました(2010年8月26日)
挽歌に書きましたが、我が家の庭木に鳥の巣を見つけました。
4匹のヒナが口をあけて親鳥から餌をもらっているのが見えます。
何とかしわが家にも自然の住処を生き物たちに見つけてもらいたいという長年の夢がかないました。
此れも運命的出会いでしょうか。
しかし細い木なので。強風に耐えられるかどうかいささか心配です。

■中学校の同窓会の写真(2010年8月26日)
中学校の同窓会の写真が送られてきました。
私は新潟に行っていたために参加できなかったのですが、実は今年だけではなく、もうずっと参加していません。

私が卒業した中学校は武蔵野市立一中です。
最近実際に会って付き合っている人はいませんが、懐かしい名前がでています。
ところがです。
写真を見て唖然としました。
顔と名前がつながる人がほとんどいないのです。
ということは、たぶんみんなも私を見てもわからないということかもしれません。

高校の同窓会も参加したことがありません。
同窓会という発想に私はどうも違和感があるからです。
さらに記憶力があまりよくないので、過去のことを忘れていくという性癖があります。
未来の記憶、というとおかしいのですが、私自身は未来の記憶のために頭の記憶装置を活用するという習癖が強いのです。

しかし写真やみんなのメッセージを読んでいたら、次回は参加しようという気になりました。
スケジュールが合えばいいのですが。

■東レ時代の同僚の増山さん(2010年8月27日)
東レ時代にお付き合いいただいていた増山さんが湯島に訪ねてきてくれました。
増山さんはいまは大阪に住んでいます。
増山さんとは仕事をご一緒したことはないのですが、なぜか会社を辞めた後もお付き合いがあります。
人の縁とは不思議なものです。
これも運命的なものかもしれません。

増山さんは私より年上ですが、会社を辞めた後、地元の活動をいろいろとされています。
いまは環境学習関係のNPOに参加され、さまざまな活動に汗をかいているようです。

増山さんは今回4日間の予定で東京に来て、いろいろな人に会ってまわっているのだそうです。
光栄にも私もその一人に選ばれたわけですが、お聞きするところ、会社に入る前にお世話になったような方も含めて、いろいろな方にお会いしているようです。
私のところには増山さんの一人でしたが、相手によっては奥様も同行されているようです。
とても素晴らしい旅だなと思いました。

増山さんは湯島に来ると、いつもいま取り組んでいる活動を熱心に話してくれます。
なぜそんなに奏した活動に夢中になるのか、と野暮な質問をさせてもらいました。
暮らしの周りから緑がなくなるのがいやなのかもしれないと答えてくれました。
こういう思いからの活動が一番大切なのでしょうね。

増山さんはもう70を超えているのに、お元気そうでした。
見習わなくてはいけません。

■お金のない人ばかり集まるサロン(2010年8月27日)
小山石さんが税理士の樋口さんを連れてきてくれました。
久しぶりに福山さんや中村さんも参加してくれました。

今回は会社を辞めて企業に取り組んでいる高須さんが、その構想を紹介してくれたのですが、その分野に詳しい藤本さんが参加されていたので、かなり具体的な話に進みました。
やはりいろんな人がいるといろいろな話が出てきます。
新しいことを始める時には、「強いつながり」よりも「弱いつながり」、目的的な議論よりも曖昧な議論が大切だといわれますが、まったくその通りです。
ちなみに、この高須さんも、藤本さんも、いずれも運命的な出会いを感じさせる経緯で知り合いました。

小山石さんは、樋口さんにこのサロンを次のように紹介しました。
「ここにはお金のない人ばかり集まる」
いささか不正確な紹介ですが、実にうれしい紹介でもあります。
それこそが私の目指すところでもあるのです。
こういう紹介だと誤解されそうですが、「お金にこだわっていない人」というべきかもしれません。
お金を第一の基準に生きている人は、次第に私からは遠ざかります。
この20年、見事にそれを体験しています。
お金ができると湯島には来なくなるのです。
お金に囚われてしまって来なくなった人もいます。

中村さんが、「ここでの議論はのんびりしているが、社会は壊れている」というような発言をされました。
福山さんは「だからこそこうしたホッとする場が必要なのよ」と言いました。
このお2人も、考えてみると不思議な付き合いです。
初めて参加した樋口さんは、軽いカルチャーショックだったかもしれません。
終わっても一向に帰る気配がなく、後片付けまで残っていました。
樋口さんは税理士事務所として独立して1年です。
あまりお金は儲からないようですが、楽しそうでした。

価値観をほんの少しだけ変えるだけで世界は変わってきます。
樋口さんとは初対面ですが、なにか一緒に活動したくなりました。
まあお金にはつながらないでしょうが、ゆるやかな世界は広がりそうです。

■ホメオパシー騒動(2010年8月28日)
日本学術会議が8月24日に、民間療法ホメオパシーについて、「科学的な根拠は明確に否定され、荒唐無稽」という談話を発表しました。
それに関してブログ(CWSプライベート)に批判的な内容の記事を書きました
そうしたら、驚くことにいろんな反響がありました。
コメント欄にいくつかを掲載しましたが、いずれも学術会議の談話を肯定するものです。

私のブログの書き方もかなりきついですから、きつい反発を受けることには慣れていますが、しかしあんまりよい気分はしないものです。
まあ、それを懲りずにブログでは挑発的な書き方をしているのですが。

権力や権威、あるいは組織に対する批判と個人への批判を、別のものだというのが私の考えです。
個人に見えても、組織の笠をかぶっている場合は、組織と同じですが。
それが私の批判のルールなのですが、私自身が厳しく批判されるとやはり滅入ります。
引き受けるのが私だけだからです。
滅入るようならやめればいいし、滅入るほど批判されるようなことは書かなければいいではないかと思いたくもなります。
しかしそれでは生きている意味がない。
生きるということは、自分の意見を言うということですから。
いささか大仰な言い方ですが。

しかし「科学的な根拠は明確に否定」「荒唐無稽」と決め付けるのはまさに暴力的です。
異論狩り、異見狩りが広がりだしているのが気になります。

(2010年8月第3週)
凄い暑さが続いています。
■送り火(2010年8月16日)
■根本さんからの電話(2010年8月17日)
■未解決のままの解決(2010年8月18日)
■第1回信濃川大河塾ツアー1日目(2010年8月19日)
■第1回信濃川大河塾ツアー2日目(2010年8月20日)

■送り火(2010年8月16日)
お盆の送り火です。
みんなでお墓に節子を送ってきました。
お墓はにぎわっていましたが、わが家は少し寂しくなりました。

■根本さんからの電話(2010年8月17日)
久しぶりに根本賢二さんから電話がありました。
最近、根本さんのブログは更新されていませんし、先日、メールを入れておいたのですが、その返信もありません。
気になっていたので、うれしい電話でした。

ブログが更新されず、メールの返信がなかったのは、単にパソコンが壊れただけのことのようでした。
これまた根本さんらしくて、実にいいです。
根本さんはいろいろと苦労はあるのでしょうが、元気そうでした。
なによりもよかったのは、窓の外に植えていた朝顔を、ゴウヤとミニトマトに替えたことです。
収穫がたくさんあるそうです。
根本さんは以前外食チェーン店の会社の経営幹部だった人ですので、料理も得意のはずです。
体調面ではいろいろとあるようですが、声に張りがあり、いつものジョークも感じられました。
とてもうれしい電話でした。

■未解決のままの解決(2010年8月18日)
夜、新潟に入る予定だったのですが、昨日、新潟にいる友人の佐藤裕さんから連絡があり、少し早目に入って食事を一緒にしようということになりました。
そんなことで、夕食は裕さんにご馳走になってしまいました。
彼もその開発に関わったという魚醤油でお寿司をいただきました。

佐藤裕さんとはもう20年近いお付き合いです。
不思議な人ですが、理論家であり実践者であり、世を捨てた人であり、世に取り込まれた人なのです。
修さんは嫌いでしょうが、株で利益を得てしまいました、と言いながらも、一方ではお金とは無縁の活動をしたり、お金を持っていても仕方がないと消費に務めたりしているのです。

裕さんからはもう15年以上前にある個人的な話を聞いていました。
そのことがずっと気になっていました。
思い切って今回はそのことのその後を質問してしまいました。
表現は違いますが、未解決のまま解決した、というのが、裕さんの回答でした。
納得しました。
そして長年、私の心の中にあったもやもやがひとつ消えました。
内容を書かないので訳のわからない話でしょうが、友人に関する気になる心配事はみなさんもそれぞれお持ちでしょう。
それが一つ解決したということです。

裕さんは言いました。
わがままな人生を過ごしてきたが、今もまだわがままに生きています、と。
その言葉の中に、裕さんの思いを深く感じました。
そして裕さんの思いを少しだけ背負い合えた気がしました。

■第1回信濃川大河塾ツアー1日目(2010年8月19日)
お知らせのコーナーでご案内した第1回信濃川大河塾ツアーに参加させてもらいました。
実に贅沢な、しかしハードなツアーでした。
参加者はスタッフも入れて28人。
新潟を朝7時に出発し、今日は信濃川上流の犀川にある5つのダムとその途中の川の様子を見学しました。
犀川は有名な大正池につながる梓川の下流に位置しますが、5つのダムのために途中まったく水が流れていない地域が何か所かあります。
その実態を今回は体験させてもらいました。
ツアーを主催したのは、私も顧問をさせてもらっているNPO新潟水辺の会ですが、私たちは川の流れが維持できるように、一定量の川水を放流して欲しいと考えています。
今回見た5つのダムは、いずれも東京電力のダムですが、いまはほとんど川の水の全量を発電のための取水する権利を持ち、それを行使しています。
そのため犀川は季節的には死の川になってしまうのです。

書きたいことはたくさんありますが、それは新潟水辺の会のホームページでいずれ報告されるでしょう。
ここでは内容は省略します。
ただ私たちは東京電力と対立しようとしているのではありません。
むしろ一緒になって、お互いに支え合える関係を模索しようとしています。
今回のツアーも、各所で東電の皆さんに説明してもらったり応対してもらったりしました。
協力してもらっている以上は、むしろ問題点ははっきりと伝えなければいけません。

昼食時には水内ダムのある信濃新町の武田武さんからお話を聞きました。
これが実に面白かったです。
地域の人の話は実に生き生きして新しい気づきがあります。
そこでダム災害の実態も教えてもらいました。
治水のためのダムは、一方では水を反乱させることがあるのです。
私ははじめて廃ダムということの意味がわかりました。
このあたりは、「ダム災害との闘い」(川辺書林)などの書籍に詳しく書かれています。

夜は野沢温泉に泊まりました。

■第1回信濃川大河塾ツアー2日目(2010年8月20日)
ツアーの2日目の午前中はワークショップでした。
犀川をどうするかがテーマでした。
私自身は昨日の見学で、とても大きな無力感を背負ってしまいました。
そのあたりの事は、少しブログに書きました

午後は千曲川と信濃川の2つのダムを見ました。
西大滝ダムと宮中ダムです。
いずれのダムからの一定の水が放出されていましたが、いろいろと思うことが少なくありませんでした。

ダムには上流から流れてくる生活ゴミがかなり溜まります。
これは昨年、自殺対策の関係で2つのダムを見学した時にも強く感じたことでしたが、今回は2つのダムで、それをリサイクル処理している現場も見せてもらいました。
そのゴミの多さに同行した人たちはみんな驚いていました。
そして同時に、汗をかきながら処理している東電の従業員の人たちに感激していたように思います。
こういう場面も多くの人は知らないのが現実でしょう。

実に刺激的で学ぶことの多い2日間でした。
きちんと報告書を書いたら1冊の本になるほどの密度の高いツアーでした。
来年もぜひ開催しようという思いが強まったと思います。
来年はぜひみなさんも参加してください。
自分たちの生きる基盤を考える大きな示唆が得られるはずです。

しかし凄い暑さで疲れきってしまい、これを書くのがやっとでした。
もっと書き残したいことはたくさんあるのですが。

(2010年8月第2週)
■シェルターネットワークをテーマにしたフォーラム(2010年8月9日)
■クラウド(2010年8月10日)
■「taglabo」(2010年8月11日)
■小山石さんの場合(2010年8月11日)
■デジタル・ストーリーテリング(2010年8月11日)
■台風の余波(2010年8月12日)
■盆入りの迎え火(2010年8月13日)
■環境を破壊し、自己まで破壊する人間(2010年8月13日)
■降圧剤がもう1週間も切れています(2010年8月14日)

■シェルターネットワークをテーマにしたフォーラム(2010年8月9日)
自殺防止活動をしている東尋坊の茂さんが久しぶりに上京したので、
事務局長の福山さんと3人で、これからのささえあいネットワークをどう展開していくかなどについての話し合いをしました。
東尋坊での活動はますます大変そうです。
自殺企図者の保護は昨年よりもかなり増えているようです。
和歌山の三段壁で活動している藤藪さんのところも同じようです。
自殺者は減っているという報道もありますが、その一方ではこうした動きもあるのです。
結果だけに焦点を合わせてしまうと、見えなくなってしまうこともあるのです。

11月5日にシェルターネットワークをテーマにしたフォーラムを開催することにしました。
スタッフが今のところいません。
茂さんは福井、福山さんは群馬なので、私が事務局作業をやらなければいけません。
どなたか手伝っていただける人はいないでしょうが。
もしいたら私にメールを下さい。

■クラウド(2010年8月10日)
以前、朝日ニュースターの番組でご一緒したことのある日立ソフトエンジアリングの中村輝雄さんから「クラウドで会社をよくした13社」(リックテレコム出版)という本が送られてきました。
中村さんが実際に関わってきた事例をもとに、クラウド・コンピューティングの可能性を紹介しています。
「クラウド」という概念には以前から興味を持っていましたが、
それがどういう世界を展開するかに関してはまだあまりピンときていません。
これはクラウドに限りません。
昨今のIT技術の凄さはそれなりに実感しているのですが、具体的にそれがどういう新しい世界を創りだしていくのかという点では、まだ映画「マトリックス」的な概念でしか捉えることができずにいるのです。
つまりどちらかというと概念的で、しかも防衛的といっていいかもしれません。
やはり実際に自分で渦中に飛び込まないとわからないのでしょうね。
この本は私にはいささか難解でしたが、関心のある方はお読みください。
具体的な事例なので、わかる人はきっとわかると思います。
ブックのコーナーに紹介しておきます

■「taglabo」(2010年8月11日)
久しぶりに「ナレッジサーバー」開発者の西高弘さんから電話がありました。
もう10年以上お会いしていないかもしれません。
いやそれ以上でしょうか。
西さんはNTTの社内アントレプレナーで、15年ほど前に自らが開発したナレッジサーバーの事業化のために起業したのです。
創業時はNTTデータナレッジでしたが、いまはナチュラシステムズです。

「メモ」をベースにしたコミュニティ支援ツールを開発し、今月からフリーで公開しているのだそうです。
いろいろと話していると私の問題意識や考えにぴったりです。
そういえば、15年前のナレッジサーバーの時もそうでした。
ただ残念ながら、その時は私自身実践するフィールドを持っていませんでした。
しかし今度のtaglaboは個人で使い込めそうです。
早速登録し、使ってみることにしました。

なかなか面白そうです。
ネットで公開されていますので、よかったら使ってみてください。
友だちの欄で私につなげてもらえるとさらにうれしいです。

■小山石さんの場合(2010年8月11日)
20年以上前からの友人、小山石さんが話したいというので湯島に出かけていきました。
湯島は基本的に誰かと会うために行く場所なのです。

小山石さんは私の理解では、プランナーなのです。
最初の出会いが、たぶん小山石さんが創りだした構想でした。
その構想を貫く思想と具体化したかたちに共感したのです。
残念ながらその構想は実現しませんでしたが、その構想のおかげで私の小山石観は決まってしまいました。
まあ人間の関係はそんなものかもしれません。

プランナーは、ある意味では「山師」です。
だから私は好きなのですが、まじめなプランナーは大体において世間には受け容れられませんので、それなりに貧乏なのです。
しかしそんなことは瑣末な話で、プランナーは夢を主食にしていますので、食べていければいいのです。
ところが不幸にも自らのプランが当たってしまうことがあります。
そうなると、夢よりもお金が好きになることがあるのです。
幸いに小山石さんはそうはならなかったので、今も私と付き合っているわけです。

その小山石さんが新しい活動をはじめることになりました。
それがなんと「呑み屋」なのです。
来週から六本木の『ラブラドール』というお店で働くのだそうです・
但し夜だけだそうですが。
もし関心のある人は『ラブラドール』に行ってみてください。
そこにひげを生やした小山石さんがいるはずです。
ビジネスマンの仕事上の考え事や悩み事の気軽な相談相手にもなってくれるかもしれません。
私の名前を出しても何の役にも立ちませんが、喜んでもらえるかもしれません。
ちなみに、この仕事は小山石さんの長年の念願につながっているのです。

■デジタル・ストーリーテリング(2010年8月11日)
コミュニケーションサロンもそろそろ方向性を決めていこうと言うことになっていましたが、もう一度だけナラティブにこだわりたいということで、小澤眞人さんの話題提供で「デジタル・ストーリーテリング」をテーマにしました。
最近いささかナラティブが拡張的に使われているのが私には不満ですが、まあそれもありかと思います。
暑さにもかかわらず8人の人が集まりました。
予定では9人でしたが、お一人が熱中症で湯島に来たにもかかわらず参加できませんでした。

いつもながら実に刺激的なサロンです。
掘り下げたらいろいろと展開ができそうです。
なによりも現場を持っている人がいるのがいいです。
しかし現場を持っていればこそ、議論は拡散しがちです。
抽象的な関心は各論的ですが、現場はいつもホリスティックだからです。

それでもまあ今回で準備段階は一応終わり、
9月からは実践的なプロジェクト起こしを意識した話し合いをしようということになりました。
さてさてどうなりますか。
多分面白くなっていくでしょう。
関心のある方はご連絡ください。
9月から新しいステップに入りますので、参加のチャンスです。

■台風の余波(2010年8月12日)
台風の余波で昨夜から風が強いです。
台風は日本海を西に東に向かって進んでいるのですが、その影響が千葉にまで及んでいます。
自然のつながりはやはり凄いと思います。

■盆入りの迎え火(2010年8月13日)
お盆の入りなのでお墓に妻を迎えに行きました。
近くのお寺からも迎え火の提灯を持った家族連れが帰っていきます。
こういう風景は、とても心が和みます。
こういう風景は次第になくなっていくのでしょうか。
そうならないことを祈ります。

■環境を破壊し、自己まで破壊する人間(2010年8月13日)
私が自殺の問題に関わるネットワークを立ち上げたことを知って、感染症の専門家である益田昭吾さんが、一度話を聞いてほしいといってきました。
彼が詳しい病原体の知見から、自殺問題を解くヒントがあるかもしれないと言うのです。
以前は慈恵医大の教授でしたが、定年で辞めた後、今は東都医療大学に移っています。

慈恵医大にいたころ、私の友人たちにも声をかけて、細菌学から企業経営を考えるという研究会をやっていたことがあります。
とても面白かったのですが、これは残念ながら成果をつくれずに終わってしまいました。

益田さんはこういいます。

生命は本来の環境に対しては実に忠実に「本来の環境には破壊を行わない」という原則をまもっています。
しかし人間は、環境破壊、糖尿病、自殺に、それぞれ代表されるという3つの破壊を行っています。
この3つは実は次元が違うことであるにもかかわらず同じ構造を持っていることがわかってきました。

この視点から今日は2人で2時間を超える議論をしました。
私と彼の共通点は、価値評価から現実を見るのではなく、現実をそのまま受け容れてからかつ評価するという姿勢です。
しかし、それ以外は、言葉もその前提になる事実認識もかなり違います。
ですから議論はなかなか難しいので、時にきびしくなります。
お互いに、何でこんなことがわからないのかということになりかねないのです。
しかしまあ2時間の激論も無事終わりました。
一度、少人数の話し合いの場を持つ予定です。
このテーマに関心のある人がいたらご連絡ください。

■降圧剤がもう1週間も切れています(2010年8月14日)
実は先週、高血圧対策として飲んでいる降圧剤がなくなってしまいました。
まあ数日はいいだろうと飲まずにいましたが、今週の月曜日に薬をもらいにいつものクリニックに行きました。
ところがなんと今週は夏休みなのです。
そのため、さらに1週間、降圧剤なしの生活をする羽目になりました。
降圧剤は一度飲みだしたら途中で止めてはいけないといわれていましたから、少しは気になっていたのですが、まあ大丈夫だろうと他の薬局にいくことなく過ごしてしまいました。

しかし、1週間以上も薬を飲まないとなると少し気になりだしました。
降圧効果のあるという豆乳を買ってきてもらい、飲んでみましたが、やはり私の嗜好ではありません。
それでまあ、自宅にある血圧計ではかってみることにしました。
高いといえば高い、正常といえば正常の数値です。
そもそも血圧などは意識で動かせるものだという思いが、やはり私にはあります。
薬は不要ではないかという気がしてきていました。

しかし、昨日の激論(友人とかなりの激論をしてしまいました)がよくなかったのか、帰宅後、疲れが極度に出てしまい、頭痛までしだしたのです。
パソコンをやろうと思ったら、手までしびれてくる感じです。
これはよくないと昨夜は少し心配になりました。
でもまあ今朝起きたら調子がいいのです。
血圧を測ったら、それなりに高いのですが、何回も測っているうちに低い数値が出たので、その記録を正式データとすることにしました。
世の中のデータと同じで、数値というものほど現実を説明しないものはないのです。
データ、数値が説明するのは現実ではなく、仮説、つまり使う人の主観的な世界です。
それに、人間の身体は、その程度にいい加減な、柔軟なものなのです。

さて、今日はまた来客です。
人に会うう時は、低血圧よりも少し高血圧のほうがいいかもしれません。
でもまあ今日は激論はしないように、心静かに対応しようと思います。

(2010年8月第1週)
相変わらず暑さが続いています。
4人の若者と会いました。
今週はその4人の若者とのことを書くことにします。
■庭の整理(2010年8月1日)
■みんなが強みを出せる社会を目指す若者(2010年8月2日)
■若者が決意する時(2010年8月4日)
■若者は組織に安住してはいけません(2010年8月6日)
■手賀沼花火(2010年8月7日)

■庭の整理(2010年8月1日)
庭の整理をしました。
狭い庭なのですが、7月に外壁の補修などで水やりも難しく、荒れ放題になっていたのです。
暑さもあって、わが家の植物にとっては今年は受難の年でした。
なんとか大きなところは片付けました。

■みんなが強みを出せる社会を目指す若者(2010年8月2日)
以前コムケアを手伝ってくれていた矢辺卓哉さんがやってきました。
やってくるなりベーシックインカムの話をしだしました。
それから持参した I padで、自分が目指す社会のビジョンを説明してくれました。
久しぶりにとてもうれしい話を聴きました。
ビジョンとミッション、そして具体的な活動計画。
それを3点セットで話してくれる人はめずらしいのです。
彼の話もこれまではせいぜい我2点セットでしたが、今回は筋が通っています。
もっとも彼自身は、ベーシックインカムの話と自分の考えている事業構想とは別のものだと説明しましたが、私から見ればしっかりとつながっています。

矢辺さんが目指す社会は、「誰もが自分の強みを発揮できる社会」です。
今はその反対の状況かもしれません。
強みの発揮も、格差社会になっているのです。
なぜ強みが発揮できないのか。
それは目先の生活を維持するために、金を稼ぐ仕事をしなければいけないからです。
そこでベーシックインカムの話が出てくるわけです。

とてもいい話ができました。
こういう若者が増えているとしたら、住みやすい社会が実現するのもそう遠くはないでしょう。

■若者が決意する時(2010年8月4日)
今日は暑いので在宅の予定でしたが、子育て支援活動に関わっている組織の関係者から相談したいというので湯島に出かけました。
ここでも中心にいるのは若者です。

若者には夢や思いがあります。
現実の社会の問題もかなり見えています。
しかし、そうはいっても思いを実現するための力は不足しています。
そういう若者を支援する仕組みも増えてきていますが、私は仕組みでは限界があると思っています。
大きなことは出来ませんが、もし周りに何か思いを実現したいという若者がいれば、私たちの世代は応援しなければいけません。
お金のある人はお金で、知恵のある人は知恵で、汗がかける人は汗で、です。
それらがなくても鼓舞するだけでもいいのでしょう。

そうした周辺の人たちとのつながりが、若者を決断させることもあるのです。
しかし逆に若者たちの決断を邪魔する大人たちは少なくありません。
利用する大人も少なくないかもしれません。

今日は、ある若者と9時間も付き合いました。
その若者のまわりにいる大人たちの思いも見えてきます。
もちろん私も含めてですが、大人のできることの限界を今日はかなり強く感じました。

■若者は組織に安住してはいけません(2010年8月6日)
山城経営研究所の若手コアメンバーが湯島に来ました。
山城経営研究所との付き合いはもう20年以上になりますが、最近どうも時代の変化に対応していないのではないかと言う気がしてなりません。
当研究所が主催している経営道フォーラムからは次々と大企業のトップ経営者を育っていますが、最近は少し内容が平板化しているような気がしています。
私はそのプログラムには最初から関わっているのですが、その関係もあって、現状にいささかの無念さがあるのです。
それで合うたびにいろいろと問題提起させてもらっていますが、今回は一度話に来ないかと若手メンバーに声をかけたのです。
堀越さんと市川さんがやってきました。
ふたりともかなり前からの付き合いなのです。

いろいろと話し合いましたが、2人もいろいろと問題意識を持っているようです。
行動も起こしているようです。
しかし、私から見るとまだまだ組織に安住しています。

組織に安住するのはほとんどの人間が陥ることです。
組織に5年もいるとそうなるのが、人の常かもしれません。
そういえば、先週、上場企業の役員の方からも、いろいろ思うことはあるが、目先の緊急の課題に対応していると楽なので、そうなりがちなのだ、というようなメールをもらいました。
組織とはまことにもって魔力的な力を持っているのです。
25年間組織にいた後、そこから離脱した私としては、それがよくわかります。
組織人は、本当に楽なのです。

しかし、若者は組織に安住してはいけません。
今日は少しそんな視点から話をしました。
もし彼らが何か動きを出すようであれば、加担するつもりです。
もちろん責任は取らないのですが。
若者はリスクもおかさねばなりません。

■手賀沼花火
(2010年8月7日)
昨年は中止になっていた手賀沼花火大会が復活しました。
私自身は誰にも声をかけませんでしたが、今年も10人近きお客様が来てくれました。
初めての方がほとんどだったのですが、目の前で展開される1時間半の花火にとても喜んでもらいました。
音響と火薬の臭いと煙が、迫力を高めてくれるのです。

この花火を一番楽しみにしていた妻がいないせいか、私自身は最近花火がさほど好きではなくなりましたが、みんなまた来年も来たいと言ってくれていました。

屋上から見ていたのですが、松戸や佐倉など、4か所の花火も遠くに見えていました。
花火が終わるともう秋です。

(2010年7月第4週)
■わが家もようやくジタル化しました(2010年7月25日)
■不思議な組み合わせの会食(2010年7月26日)
■新しい福祉施設の発想(2010年7月27日)
■「核家族」から「拡家族」へ(2010年7月27日)
■共感できるコミュニケーション論に出会いました(2010年7月28日)
■わくわくする企業理念(2010年7月30日)
■人間の使命は地球を壊すことである、と考えると・・・(2010年7月30日)
■「もしもし、生きてていいですか?」(2010年7月30日)
■宮内さんが久しぶりに来てくれました(2010年7月31日)

■わが家もようやくジタル化しました(2010年7月25日)
遅まきながら、わが家もデジタル化しました。
各部屋に回線をつなぐ工事をしてもらいましたが、デジタル放送対応テレビは1台しかないので、まだインフラができただけの話です。
それでもデジタル放送の意味が少し実感できました。
ネットワークの威力というよりも、怖さを感じます。
テレビにインターネットもつなげて操作してみましたが、40年前に読んだSFの世界に入りそうな感じです。
良いか悪いかはともかく、この環境で育った子どもたちの情報感覚や世界感覚は私たち世代とは明らかに違ったものになるでしょう。
教育の枠組みも大きく変わることになるでしょうが、いささかの心配はあります。

■不思議な組み合わせの会食(2010年7月26日)
6月19日に、オランダ日系2世の地と家捜しをテーマにしたシンポジウムを企画主催した武井さんから食事のお誘いがありました。
実はこのシンポジウム開催に協力するといいながら、何もできず、その上、当日は韓国に行っていたため、参加もできなかったのです。
その借りがありますので、お誘いを断ることはできません。

ところが、私が応援できなかったそのシンポジウムを応援し、さらにその後もいろいろと支援しているのが、かんき出版の藤原さんだったのです。
それで、今日は、武井、藤原、佐藤という、いささか不思議な組み合わせの会食になりました。
シンポジウムの話になるのかと思っていたら、その話はほとんどでませんでした。
にもかかわらず実に長い会食になりました。
久しぶりに帰宅したのが深夜になりました。

武井さんはどうやらもう次のテーマを決めているようです。

■新しい福祉施設の発想(2010年7月27日)
先週相談に来た小畑さんを不動産会社で活躍している信頼できる友人に紹介しました。
紹介した関係で私も同行しました。
その人とは、前にもこのコーナーに登場したことのある伊藤さんです。
伊藤さんは、物事の本質からアドバイスをしてくれる人ですから、大体においてカルチャーショックを受けます。
それを期待しての、今回も、お引き合わせでした。
ところが今回は、どうもそうならないのです。
テーマがあまりにリアルだったからかもしれません。

話の途中にこう訊ねられました。
佐藤さんはどう最後を迎えるのですか?
まあそんな会話に象徴されているように(?)、今回のテーマは「福祉施設のパラダイムシフト」なのです。
施設から考える福祉施設発想ではなく、人のつながりから考える福祉施設発想なのです。
そのパラダイムからは、今のような福祉施設構想は出てきません。
まさに「大きな福祉」施設、つまり普通の住まい方、生き方を根底に置いた、脱福祉施設型福祉施設なのです。
そういう発想がようやく出てきたことをうれしく思います。

■「核家族」から「拡家族」へ(2010年7月28日)
家庭保育を理念にして子育て支援をしてきたエスクがいま壁にぶつかっています。
新しい段階への飛躍の壁といってもいいでしょう。
ここでも子育て支援のパラダイムシフトが求められています。
実はエスクは37年前には、そうしたイノベーティブな発想を持ってスタートしたのです。
私の言葉を使えば、「核家族」ならぬ「拡家族」です。

もう20年ほど前になりますが、新しい住まい方をテーマにしたプロジェクトで提案したパラダイムが「拡家族」でした。
残念ながら当時は理解してもらえずに、発展させられませんでしたが、その頃、出会ったのがエスクだったこともあり、私には気になる活動だったのです。
しかし、そのエスクも理念に合わせての自己進化という面では不十分でした。
そのため、思い切った見直しが課題になってきています。

この1年、いろいろと相談に乗ってきましたが、少しずつ方向が見えてきています。
問題は、それをだれが、どう実現するかです。
個別の問題に関わっていると、総論ではないライブな福祉問題が体感できます。
私にたくさんの学びのある1年でしたが、これからはいよいよ行動です。
いささか気が重いですが、歩き出さなければいけません。

■共感できるコミュニケーション論に出会いました(2010年7月28日)
新しい企業コミュニケーションのあり方を考えようという、コミュニケーションサロンも「ナラティブ」を切り口に数回開催してきました。
これまでは、できるだけ間口を広げて開催してきましたが、そろそろ第1フェイズを終えて、焦点を絞っていこうということもあって、今回は改めて原点に返って、企業コミュニケーションをテーマにすることにしました。
まずは、ゲストのクロスメディア・コミュニケーションズ株式会社の雨宮和弘さんのお話を聞きました。
失礼ながら、企業のコミュニケーション活動に関わっている人の話は、私にはまったく退屈で、そんな話は30年前に終わったでしょうと言いたいことばかりなので、今日もあまり期待していなかったのですが、自らの不明を恥じる結果になりました。
実に面白く、実に刺激的でした。
日本広報学会や日本CI会議体を立ち上げたころのことを思い出しました。
その頃に、もし雨宮さんにあっていたら、私の人生は少し変わったかもしれません。
いささか大げさに言えば、私が始めて出会った共感できるコミュニケーション論に取り組んでいる実務家でした。
久しぶりにわくわくしました。

コミュニケーションとは自らが変わることというのが、私の出発点です。
それに関しては昔小論を書きました
しかも、それはホロニックな構造の中で、個人と組織と社会のそれぞれの次元でフラクタルに出現しますから、社会を変えるのはそう難しい話ではないのです。
これに関しては日本広報学会の最初の大会の基調講演で話させてもらいました。
残念ながら私のプレゼンテーションのまずさで誰にも伝わらなかったように思います。
講演の予稿集の簡単なメモがありますので、関心のある人はお読みください。

今日の雨宮さんの話は、インターネット活用のコミュニケーションの日米の相違点からかなり本質的な話題へと展開しました。
雨宮さんはTIやインテルで仕事をしてきたこともありますので、体験的なお話なので迫力が違います。
実に面白く、実に示唆的で、もっと多くの人に聞いてもらい、ワークショップをやりたい気分です。
私にとっては、昔を思い出して、少しうずうずしてしまう3時間でした。

何かが始まりそうな気分です。

■わくわくする企業理念(2010年7月30日)
経営道フォーラムの47期Eチームの白川さんから、元気な社会起業家を紹介してほしいというメールがあったので、その背景を知りたくて、一度来てもらいました。
背景をしらないと紹介などはできません。
経営道フォーラムはもう20年以上関わっている活動ですが、今期はなぜかチームメンバーからのコンタクトがなかったので、いささか気になっていましたが、やはり議論はなかなか進んでいないようです。
Eチームのテーマは「わくわくする企業理念」だそうです。
であれば、まずは議論するメンバーがわくわくしなければいけません。
そうなっているといいのですが。

白川さんは大企業からスピンアウトして、いまは小さな会社で企業対象の教育・研修事業を手がけているようです。
その立場から見ていると、大企業の昨今の状況はよく見えているでしょう。

「わくわくする企業理念」
ありふれたテーマですが、そこにも今の企業の置かれている閉塞状況が感じられます。
日本の大企業はもう終わっているようです。

■人間の使命は地球を壊すことである、と考えると・・・(2010年7月30日)
今月のオープンサロンはいささか変わった展開になりました。
一応サロンは6時半からなのですが、5時半に最初の来客があったのです。
編集者の乾さんが酒向さんという友人を連れてきたのです。
酒向さんの名刺には人間研究会と書いてあります。
この13年、人間の研究をしているのです。
そしてこう高らかに宣言するのです。
人間の使命は地球を壊すことである。
まあ、これだけ聞くと驚くでしょうが、詳しく説明してもきっと驚くでしょうから、やめておきます。
酒向さんは、そう考えるとすべてが納得できるのだというのです。
そんな議論を1時間していたのですが、定刻になってやってきたのが、これまたこの種の議論に乗りやすい坪倉さんと小山石さんです。
今回はこの5人のメンバーでしたが、何と4時間にわたる熱気のこもった議論でした。
女性がいなかったためもあって、何やらめちゃくちゃで、しかし男的には筋の通った議論でした。

まあこう書くと荒唐無稽の議論のように聞えるかもしれませんが、実は奥深い議論だったのです。
何しろ人間研究会で13年間研究してきた酒向さんの薀蓄がありますから。
酒向さんはまた、戦争を無くす方法も提案してくれました。
私にはあんまり賛成できない方策ですが、13年の研究の成果ですから、まんざら無碍にもできません。

さて問題は「人間の使命」です。
この点において、私と酒向さんは立場をことにしますので、いつか戦わなければいけないと心配でしたが、結局、地球を壊すのも守るのも同じことで折り合いがつきました。
まあこのあたりが男のいいところです。
最後は握手できました。

しかし4時間も何を話していたのでしょうか。

■「もしもし、生きてていいですか?」(2010年7月30日)
自殺防止ネットワーク風の篠原さんが本を送ってきてくれました。
ブックのコーナーで紹介しましたが、「もしもし、生きてていいですか?」です。
とても共感できます。

篠原さんは、成田にある曹洞宗のお寺の住職です。
世間では今のお寺は葬式しかしていないといわれていますが、そんなことはありません。
私が知っているだけでも、真剣に社会の問題に取り組んでいる人は少なくありません。
お寺を批判する人のほとんどは、自らの生き方をそこに反映させているだけかもしれません。
人は自分の世界でしか世界を見ることができないからです。
最近、そのことがよくわかってきました。

ところで、この本はとてもいい本です。

■宮内さんが久しぶりに来てくれました(2010年7月31日)
同じ我孫子に住んでいる宮内さんは、娘のスペインタイルが縁で交流が始まりました。
妻の献花台の前でギターを演奏してくれたり、仲間と一緒にわが家に出前コンサートに来てくれたりしてくれました。
地元で性質が得たLLPコモンズ手賀沼の仲間でもあるのですが、普段はなかなかゆっくりお話しする機会がありません。
宮内さんも私も、なかなか土日に時間が重なることもなかったのですが、今日はお互いに時間の都合がついたので、久しぶりにゆっくりお話できました。

いくつかのところで関心が重なるところもあるのです。
関心だけではありません。
活動の面でも、たぶん奥の方でつながっています。
ですから共通話題もあるのです。
違いは、私が収斂方向、宮内さんが発展方向だということです。
宮内さんの地域での活動はどんどん広がっているようです。

(2010年7月第3週)
連日の猛暑でした。
■共済と福祉経営マネジメントゲーム(2010年7月19日)
■小畑万理さんの福祉論(2010年7月20日)
■外壁工事が終わりました(2010年7月21日)
■デジタルテレビが来ました(2010年7月21日)
■公共哲学ってなんでしょうか(2010年7月21日)
■新潟水辺の会と東京電力との話し合い(2010年7月22日)
■信濃川の物語の語り手(2010年7月22日)
■お金をもらう仕事の感覚が戻ってきません(2010年7月23日)

■共済と福祉経営マネジメントゲーム(2010年7月19日)
韓国から一時帰国された佐々木さんが我孫子まで来てくれました。
お昼をエヴィーバ!でしましたが、とても気にいってくれました。
エヴィーバは娘のジュンのパートナーのお店です。

佐々木さんとは久しぶりにゆっくりとお話できました。
話を重ねるほどに、佐々木さんの思いが伝わってきます。
共済に関しても、また福祉経営マネジメントゲームに関しても、何かご一緒できることがあればと思います。

佐々木さんと別れた後、共済と福祉経営マネジメントゲームとつなげて考えると面白いのではないかと思いつきました。
まだ佐々木さんには話していませんが、テーマから発想するのではなく、人から発想すると、新しい枠組みが見えてくるのかもしれません。
私は様々なことに関心を持っていますが、私の中では決してばらばらではなく、みんなつながっているのです。
何でこんな簡単なことに今まで気づかなかったのだろうかと思います。

個人の世界からみていくと新しい世界像が見えてくるはずです。
それは専門家とは違った、ホリスティックな世界です。
なんだかわくわくします。

■小畑万理さんの福祉論(2010年7月20日)
小畑さんの福祉に対する発想も、個人の視点からのホリスティックなものです。

小畑万理さんとの付き合いはどのくらいになるでしょうか。
実践的に福祉の問題を考えている人だとは思っていましたが、先日、社会起業家を考えるコムケアサロンで小畑さんの取り組みをお聴きして、ようやくこれまでお聴きしていた全貌が少し見えてきました。
今日は、そのプロジェクトについての相談に来てくれたのです。
私は、人の出会いは単発的には考えていない人間ですので、続けて相談に来てくれるのがとてもうれしいのです。
しかし、相談といいながら、何を話しても私の意見を受け容れない人もいます。
何で来るのかなと不思議に思いますが、相談とは「関わりを創る」ことでもあるのです。
その気がなければ、相談は継続しません。

小畑さんはすでにハーモニー虹というNPOを主宰されていますが、同時に大学でも教鞭をとられています。
その小畑さんの構想は私にも関心を持てるものでした。
何ができるかわかりませんが、応援することにしました。

取り組みの背景にある「福祉観」についてもお話をお聴きしました。
とても通ずるところがあることがわかりました。
小畑さんもまた、いまのような「福祉行政」は不要と考えているようです。
一度、小畑福祉論のサロンを開催しようと思います。
福祉が社会を壊しているというテーマはどうでしょうか。
興味を持ってくださる方がいたら、ご連絡ください。

■外壁工事が終わりました(2010年7月21日)
わが家の10年補修工事が完了し、家の周りを囲っていたネットや足場が取り外されました。
解放された感じで、気分が良いです。

檻の中で過ごしている動物園の動物たちのような生活は、いささか気分を憂鬱にしていましたが、もう大丈夫です。

■デジタルテレビが来ました(2010年7月21日)
ブログには書きましたが、突然、デジタルテレビを購入してしまいました。
最初は勝手がわからなかったのですが、使ってみると実に面白いです。
それにしばらくは有料テレビも無料で観られます。
1950〜60年代の外国映画がいろいろと放映されています。
ついつい観たくなってしまいます。
それにデータ情報も面白いです。
しばらくはテレビっ子になりそうです。

やはり使ってみないと、その良さはわからないものです。
デジタル化によって、テレビはまったく違うものになったというのが感想です。

■公共哲学ってなんでしょうか(2010年7月21日)
あるメーリングリストが炎上し、その結果、新しいメーリングリストに切り替えられたのですが、そこでもまた炎上しかけてしまいました。
とてもいいメーリングリストなのですが、そのやりとりにいささか憂鬱になり、やめることにしました。
最後に、なぜ退会するかの説明を投稿してやめるつもりだったのですが、多くの人の意見で、問題発言を繰り返していた人を登録解除することになりました。
これもこれでちょっと割り切れない気もします。
そのメーリングリストの主宰者からは、その措置をとるので思いとどまるようにと慰留されたのですが、一度退会を発言した手前、居続けるのは潔くなく、悩ましい状況になってしまいました。
ちなみに、そのメーリングリストのテーマは、公共哲学なのです。
実に皮肉です。

翌日、私の投稿を読んだ、私の知らない人から、公共哲学の新しいメーリングリストを創るので呼びかけ人になってくれないかと声がかかりました。
その人は、私の次の文章に共感してくれたのです。

「私が大事にしているのは、まずは隣の人と気持ちよく付き合っていくことです。
まずは2人から、そして3人へ、いつかすべての人へ、が私の生き方です。
意見の違いは当然ありますし、議論をすることもあります。
しかし、個性や考えは尊重し、相手を不快にさせることがないようには注意します。
しかし勢い余って時に相手を不快にすることもあります。
その時は、もちろん素直に謝ります」

これは私の生き方ですが、決して公共哲学とは思っていません。
人として気持ちよく生きていくための知恵でしかありません。

新しい公共哲学のメーリングリストへの参加は辞退させてもらいました。
理由は、その人が掲げていた「民の公共」という言葉がまったく理解できなかったからです。
私のテーマは、「コモンズの回復」です。
最近よく使われる「新しい公共」などという概念とはまったく対極にあるのですが、みんな同じものだと思っているようです。
公共って、何でしょうか。
公共を語る人の目線の高さが気になります。

■新潟水辺の会と東京電力との話し合い(2010年7月22日)
私はNPO法人新潟水辺の会の顧問なのです。
と言っても、何もしていないので、心苦しいのですが、そのNPOが取り組んでいる信濃川に鮭を遡上させるプロジェクトにはとても関心があります。
新しい物語の舞台と題材として、とても魅力的だからです。

信濃川に鮭が遡上できなくなった理由の一つは、水力発電用のダムができたからです。
そのダムは私たちの暮らしを豊かにしてくれました。
しかし、その一方で、人と川(自然)との暮らしのつながりを変えてきました。
その象徴の一つが、鮭が遡上しなくなったことです。

時代の要請が大きく変わりつつある今、改めてそうしたことも含めて私たちの生き方を考え直してみる必要があります。
その思いは、信濃川に水力発電用のダムを持っている東京電力とJR東日本にももちろんあります。
信濃川を舞台に、私たちの生き方を考え直そうとしている新潟水辺の会のみんなが思っていることと、それはそう違わないのです。

そんなことから、昨年から東京電力とJR東日本との付き合いが少し深まりました。
たまたま私が経営道フォーラムで関わっている企業経営幹部の研究会で知り合った人を通して、話し合いも始まったのです。
今日は、東京電力の実務責任者を中心に、私たちNPO関係者との忌憚のない意見交換が行われました。
私の好きなカジュアルさから言えば、まだまだ硬いですが、信頼関係が少しずつ育っているように思います。

今日は、東電からも問題的がありました。
ダムにはごみがたまりますが、その対策費として信濃川水系だけでも年間2億円の費用がかかるそうです。
昨年、私も自殺防止関係の活動でいくつかのダムを回りましたが、たしかのダムに溜まるごみの量には驚きました。

割れた窓の理論ではないですが、このごみをきれいにできないようでは、鮭を遡上する資格はないなと思いました。
問題の本質は、些細なところに現れるものです。

ちなみに、水辺の会では8月19〜20日に、第1回信濃川・環境大河塾ツアーを開催します。
学生を中心にできれば若い人に参加して欲しいです。
お知らせのコーナーに掲載しましたので、ぜひご参加ください。

■信濃川の物語の語り手(2010年7月22日)
新潟水辺の会との接点は、世話人の金田英一さんですが、東電とのミーティングの前に、金田さんと副代表の相楽治さんが湯島に来てくれました。
相楽さんはいろいろなプロジェクトを起こし、実に多彩な活動をされています。
それだけではありません。
不思議なほどの思いの深さを感ずるのです。

信濃川は大きすぎて相手にしたくなかったのに関わることになってしまったといいながら、今回も大きな物語づくりの企画を持ってきました。
私も信濃川を舞台にして、企業と行政とNPOとで大きな物語をつくれないかと思っています。
昨今は環境経営やCSRがブームですが、形だけで退屈なCSRなどはやめて、もっと大きな構想に取り組むべき時期です。
残念ながら最近の企業にはそういう大きな発想をできる人が少なくなりました。

相楽さんや金田さんの構想をもう少し前に進められると面白いのですが。

■お金をもらう仕事の感覚が戻ってきません(2010年7月23日)
人身事故で常磐線が止まりました。
暑い上にダイヤが乱れているとなるとオフィスには行きたくなくなりますが、お金をもらう企業関係の仕事も始めたため、そうは勝手に休めなくなりました。
それで久しぶりに混雑した電車に乗りました。
しかしオフィスに着いた途端に疲れがドッと出てきてしまいました。

参加者のお一人も、私と同じ事故の余波で私よりも遅れて到着しました。
そんなわけで、今日のミーティングは大半が世間話でした。
今日、お会いした人たちはまだ起業間もない会社なので、経営が大変のようです。
しかし、私のところに来ると、そういう緊迫感は無くなってしまうのか、いつも笑いが絶えません。
楽しいミーティングのわけです。

しかし、その会社とは顧問契約を締結し、毎月顧問料をもらうことになりました。
関係はこれまでとなんら変らないのですが、お金をもらうようになってしまうと、何かしないといけません。
気分を変えなくてはいけません。

この数年、あまりお金をもらう仕事をしていなかったので、まだ感覚がつかめません。
それに、一応、機密保持契約も締結しているため、こういう場に社名も内容も書けなくなったのが残念です。
これからは書いてもいいという条件で仕事を受けた方が良いかもしれません。
書きたいことを書けないのは、精神的によくありません。

(2010年7月第2週)
たぶん梅雨は明けて、夏です。
■メダカの悲劇(2010年7月14日)
■仕事と人生(2010年7月14日)
■地域再生と記憶・物語(2010年7月15日)
■各地の水害(2010年7月17日)
■賀川豊彦がいま問いかけるもの(2010年7月17日)
■前に読んだ本の方が学ぶことが多いです(2010年7月17日)

■メダカの悲劇(2010年7月14日)
人生には不幸はつき物ですが、メダカもまたその例外ではありません。
オフィスに行ったら、2疋いたはずのポットの「メダカが一人しかいません。
どうしたと思って周りを見たら、近くに乾した小女子のようなものがひとつありました。
つまり、元気よく泳ぎ回っているうちに、ついついポットから飛び出してしまったのです。
一応、飛び出しにくくはなっているのですが、よほど飛び跳ねたのでしょう。

買ってきた小女子は私の大好物ですが、
飼っていためだかの干乾しは、なんだか触るのも恐ろしいほどです。
同じような「物体」も、その背景を知っていると全く違ったものになることがよくわかります。

翌日、自宅から生まれたばかりの極小のめだかを4匹連れてきました。
大きなめだかに食べられるといけないので、当面はポットを分けておくことにしました。

ところで、私も干乾しにならないように飛び跳ねるのをやめなければいけません。

■仕事と人生(2010年7月14日)
クリエイティブマネジメント研究所の井口さんが久しぶりに湯島に来てくれました。
井口さんとの付き合いも、もう20年近くなるでしょうか。
私が歳をとるのも当然です。

今回は仕事の話は一切せずに、お互いのいき方についての話になりました。
話していると、お互いに同じような体験をしていることがわかります。
気がついたら3時間も経っていました。

そういえば、先週もある人と、仕事は全く関係ない話を2時間以上してしまいました。
都会ではこういう話をする場が少ないのかもしれません。
いうまえもなく、私は「仕事」よりも「人生」を大事にしています。
こんなことをいうと誤解されそうですが、たとえ仕事を頼みに来た人であろうと、私はその「仕事」よりも、その人の「人生」に興味があるということです。
仕事は人生の手段でしかないからです。
いい仕事をするためにも、人生から考えていかなければいけません。
ところがどうもこうしたことはなかなか理解されないようです。

仕事だけで付き合っていた人は、最近ぱったり来なくなりました。
それがとても残念でなりません。

■地域再生と記憶・物語(2010年7月15日)
清水さんと小澤さんと3人で始めたコミュニケーションサロンのナラティブシリーズも4回目になりました。
今回は嵯峨創平さん(NPO・IDEC代表)をゲストに迎えて「地域再生と記憶・物語」の話でした。
嵯峨さんは長年エコミュージアム活動に取り組まれています。
先日のSTRAMDで知り合った神里さんと志水さんも参加してくれました。
それぞれ、沖縄と青森で、何かしたいと思っているアントレプレナーです。

嵯峨さんとは本当に久しぶりです。
私が関わった美野里町や山形市で関わってくれましたが、ここ10年ほどはご無沙汰でした。
久しぶりに嵯峨さんの最近の活動をしりました。
思っていた以上に接点がありそうなのにも驚きましたが、嵯峨さんの生き方に共感をもてました。

話はとても面白くて、ついつい私も話しすぎてしまいました。
今回のサロンのホスト役は小澤さんでしたので、まあ私も発現しやすい立場だったのですが、それにしてもいささか話しすぎました。
サロンは、みんなができるだけ話し合うようにしないといけないといつも自覚はしているのですが。

次回は28日です。
改めて原点に帰って、企業のコミュニケーションのテーマでのサロンになります。
お知らせのコーナーに掲載します。
ご関心のある方はご連絡ください。

■各地の水害(2010年7月17日)
各地で集中豪雨による水害が起こっています。
死者も少なくありません。
自然の荒々しさにはわくわくするなどという発言をしてしまったことを恥じなければいけません。
幸をもたらすはずの雨が、集中してしまうと不幸をもたらすことは、とても示唆に富んでいます。
たぶんお金も運もそうなのでしょう。

■賀川豊彦がいま問いかけるもの(2010年7月17日)
「賃金と社会保障」の7月下旬号が送られてきました。
特集が「共済の灯を消してはならない」で、3月20日に開催された共済研究会主催のシンポジウムの記録です。
このシンポジウムに関しては以前も書きましたが、基調講演が本間照光さんの「賀川豊彦がいま問いかけるもの」でした。
とても示唆に富むお話でした。
多くの人に聴いてほしかったですが、幸いに全記録が掲載されています。
もしよかったらお読みください。
賀川豊彦は、もっと見直されるべき存在だろうと思います。

■前に読んだ本の方が学ぶことが多いです(2010年7月17日)
最近、無性に本が読みたくなっています。
新しく出た本を何冊か読んだのですが、どうもいい本に出会えません。
それで、以前読んで気になっていた本を読み直しています。
以前読んだ時以上に心身にすっと入ってくることが多いです。
本を読んで、それなりに咀嚼するには10年くらいかかる、のかもしれません。
以前気づかなかったことにも気がつきます。
こんなに内容があったのかと思うことも少なくありません。
今週読んだ本では、「アンペイド・ワークとは何か』がとても面白かったです。
ブログで一部紹介しましたが、良かったらお読みください。
コモンズ書店

今日はジャック・モノーの「偶然と必然」を読みはじめました。
これは40年近く前に読みましたが、ともかくわくわくしたのを覚えています。
たしか読んだ後、感想をきちんと書いて、どこかに送ったような気もしますが、それは手元にはありません。
でももしかしたら、昔の世界を思い出すかもしれません。
この連休で読むつもりです。

(2010年7月第1週)
今週もまたいろんなことがありましたが、最近はいささか公開できないようなことが増えています。
私だけのことであればいいのですが、相手がある話の場合は、そうもいきません。
ただ言えることは、時代はますます病んできており、社会は壊れてきているということです。
それに向かって立ち向かう元気は萎える一方です。
まあさしさわりのないことだけを書いておきます。
■「社史で読む長崎原爆」(2010年7月6日)
■「自殺防止はやめましょう」(2010年7月8日)
■グランドデザインの不在(2010年7月9日)
■コモンズ手賀沼定例会(2010年7月10日)
■わが家が密封されました(2010年7月10日)

■「社史で読む長崎原爆」(2010年7月6日)
長崎にいる森草一郎さんが、「社史で読む長崎原爆」を送ってきてくれました。
今年の初め、「長崎に戦前からあり原爆被害を受けた会社のうち社史を刊行している会社17社の社史から、原爆の記事を中心に太平洋戦争のはじめから、敗戦直後までの記事を引用し、纏めてコメントもつけるという作業に追われています」というメールをもらっていたのですが、それが完成したのです。
森さんは長崎県庁でお仕事をされていた方ですが、とても世界が広く、発想がやわらかく、もう10年以上、お会いしていませんが、印象に深く残っている方です。
森さんはまた、長崎路上観察学会・アルキメデスの会長でもあります。
そのブログやサイトもありますので、よかったら訪ねてみてください。
森さんらしい、ちょっとおしゃれな活動です。

「社史で読む長崎原爆」は、ちょっと報告書的なスタイルだったので、最初は拾い読みを始めたのですが、面白くなって、結局、最初から最後まで一気に読んでしまいました。
森さんも書いていますが、社史にはその会社の姿勢が現れてきますが、同時にその時代の空気も感じられます。
企業は、時代の空気に過剰に反応するのです。但し、少し「遅れて」です。

社史に掲載された社員たちの体験記は、とても生き生きしています。
2回も読み直してしまったものもあります。
当時の人たちが、どうだったのかがとてもよく伝わってきます。
ともかく心にスッと入ってくるのです。

そこには、個人よりも会社、そして国、というような発想が時に感じられますが、それがとても素直に感じます。
あれほどの惨事でありながら、被爆日も含めて、それ以後も社会の秩序がしっかりと維持されていることに改めて驚かされました。
言い悪いはともかくとして、しっかりした社会があったのです。
しかも、そこでは各人がしっかりと「自立」し、「主体的」に動いているのです。
今の日本では果たしてどうでしょうか。
最近、社会が壊れだしていると思っている私としては、いささか複雑な気持ちです。

この本はもしかしたら、始まりかもしれません。
社史とまではいわなくとも、体験を様々な形で書き残した人は少なくないと思います。
この本を契機にして、もっとさまざまな記録が掘り起こせるかもしれません。

もし関心を持っていただけたら、ぜひ「社史で読む長崎原爆編集委員会」に注文してください。
定価は630円(消費税込)、郵送料も含めて、たぶん1000円程度で送ってもらえると思います。

■「自殺防止はやめましょう」(2010年7月8日)
ブログに「自殺問題への取り組みへの違和感」を書いたら、それを読んだ人からコメントをもらいました。
その人も最近、「自殺防止はやめましょう」というブログを始めたそうです。
それを読ませてもらいました。
とても共感できました。

それでそのブログのことを、自殺のない社会づくりネットワークのメーリングリストに流しました。
自殺防止活動をしている人たち方は、否定的なコメントが寄せられました。
それを読みながら、「当事者」とは一体何なのだろうかと改めて考えました。
自殺問題に限らず、あらゆる問題に関していえることです。

「自殺防止はやめましょう」のブログの書き手は、もしかしたら自殺者もしくは自殺未遂者、あるいはそれに極めて近い人かもしれません。
ですから「自殺の当事者」といえるかもしれません。
一方、自殺防止に取り組んでいる人たちは、「自殺の当事者」であることもありますが、正確には「自殺防止活動の当事者」です。
やはり両者は歩み寄り難いのかもしれません。

いろいろと考えさせられました。
「自殺防止はやめましょう」のブログを読んで、ご意見を聞かせていただければうれしいです。

■グランドデザインの不在(2010年7月9日)
いろいろな相談に乗っていて、いつも感ずるのは「グランドデザインの不在」です。
みんな各論的にしか対応していないので、良い時にはそれに乗りすぎてしまい、問題が発生すると目先の対応に追われすぎて、いずれにしろ結局は崩れていくのです。
そういうNPOや市民活動をいくつか見てきました。
とりわけ社会問題に取り組もうとしているプロジェクトの推進者には、グランドデザインが必要だと思いますが、なかなか共感してもらえません。
私が一応、肩書きにしている「コンセプトデザイナー」は、そうしたことに取り組もうというのですが、それで仕事になったことはありません。
以前は仕事の相談があると、そうした全体像を提案させてもらいましたが、その提案料をもらえたことはありません。
そこから発生する個別案件に対して契約が成り立って、対価をもらえます。
しかし、私にとっては、そんな個別論は他にもやる人がいるので、その人にやってもらって欲しいと思うわけです。
私は、全体像としてのグランドデザインに対して対価を払ってもらいたいのですが、おそらく現在の常識ではそうしたことには対価は払われないのです。
対価はともかく、そうしたことの価値が理解されないのかもしれません。

グランドデザインをしっかりと描き、解くべき問題を明確にしたら、実行の段階でのコストはたぶん大幅に縮減できるでしょう。
しかし、そんな全体像を考える発想は今の社会にはあまりありません。
これは、私の僻みかもしれませんが、そんな気がします。

今週は、様々な人たちに会ったり、電話やメールや手紙などで意見交換したりしましたが、いずれの場合もグランドデザインの不在が気になりました。
そういえば、私自身、最近。プロジェクトに取り組む時のグランドデザインをおろそかにしてきたことに気づきました。
反省しなければいけません。

■コモンズ手賀沼定例会(2010年7月10日)
LLPコモンズ手賀沼の定例会でした。
今回は太田さんが取り組んでいるサステイナブルコミュニティのシンポジウムと奥山さんの熱気球が話題でした。
いずれも9月に実現しそうです。

しかし、LLPとしての事業はなかなか見つかりません。
まだLLPの価値をみんなが実感していないからかもしれません。
もう少し活動を重ねていかないといけなさそうです。

■わが家が密封されました(2010年7月10日)
補修工事のため、今日、ありがとうございました。わが家が完全に包み込まれ、この1週間、窓が開けられなくなりました。
暑いので大変です。

(2010年6月第5週)
■社会起業家ってなんだろうサロン(2010年6月27日)
■ナラティブ・マネジメントのコミー(2010年6月28日)
■わが家が包まれてしまいました(2010年6月29日)
■近くのカスミに買物に行きました(2010年6月29日)
■「責任に時効なし」(2010年6月30日)
■生活保護の問題をどう捉えるか(2010年7月1日)
■阿賀に生きる(2010年7月2日)

■社会起業家ってなんだろうサロン(2010年6月27日)
コムケア活動を始めて10年経ちますが、サロンやフォーラムで私がきちんと話をしたことが一度もないことに気づきました。
もちろん公開選考会やフォーラムで話をさせてもらったことはありますが、いつも、事務局長としての話でした。
それで急に思い立って、私の社会起業家論を話すことを中心としたコムケアサロンを開催することにしました。
拡大版の3時間サロンです。

めずらしい人が参加してくれました。
国鉄の労働争議に関わって、労働運動一筋だった岩崎さんです。
おそらく労働運動というと、固定的なイメージを持つ人もいるでしょうが、そしてたしかにそういう人もいるかもしれませんが、現場を大事にしている運動家はみんなとても優しく柔軟なのです。
私は初対面でしたが、発言の一つひとつに感ずるものがありました。

私の社会企業論は、たぶん一般的ではありません。
簡単に要約すれば、「社会的とは支えあう人のつながりのこと」、事業とは「そうした社会を育てていくこと」という考えなのです。
まああまりに簡単な要約なので伝わりにくいでしょうが、いつかブログにでも書く気が出てくるかもしれません。

久しぶりに小畑さんが参加してくれました。
小畑
さんのプロジェクトは少しずつ前進しているようで、うれしく思いました。
杉原さんが友人の宮寺産を連れてきてくれました。
上嶋さん、中村さんというシニア世代も参加してくれました。
この一連のサロンは、事業仕上げ支援の流れで進めていますが、そのコアメンバーの武藤さんも参加してくれました。
それに加えて、なんとコミーの小宮山さんまでやってきました。
調子に乗って、今回は私は90分も話し続けてしまいました。
困ったものです。

■ナラティブ・マネジメントのコミー(2010年6月28日)
昨日に続き、また小宮山さんに会いました。
新しいコミュニケーション論を模索するコミュニケーションサロンの例会は、
清水さんと小澤さんの強い要望で、コミーの本社でやることになりました。
それで西川口のコミーを訪問しました。

小宮山さんのお話は何回か聞いていますが、その都度、新しい「言葉」が登場します。
今回は「登場人物」という言葉に出会いました。
最近、使い出した言葉だそうですが、頻繁に出てきます。
まさに物語経営に取り組んでいる小宮山さんらしいです。
しかし、小宮山さんの経営から学ぶべきことはたくさんあります。
なにしろ「内村鑑三」まで出てくるのです。

知れば知るほど、小宮山さんの魅力が見えてきます。
これからもまたどうもコミーに来そうな気がしますが、駅から遠いので少し疲れます。

次回のコミュニケーションサロンは、まちづくりワークショップの草分けの一人でもあり、
地域学にも取り組んでいる嵯峨さんをゲストにする予定です。
30年まえからきちんと取り組んでいたワークショップのファシリテーター仲間が
今どんなことを考えているかを知るだけでも興味があります。
私は昨今のワークショップにはいささかの違和感を持っています。
ちなみに、小澤さんは演劇ワークショップにも関心を持っていますので、これもいつか話題になりそうです。

次世代のコミュニケーション論に興味ある方はご連絡ください。
清水さんさえ口説けば、参加可能ですので。

■わが家が包まれてしまいました(2010年6月29日)
わが家の外壁工事をすることになりました。
女房がいなくなってから、全ての家事は同居している娘に任せています。
今日は足場が我が家を取り囲み、まもなくビニールで包まれるそうです。
熱くなってきたのに、7月はわが家は蒸し風呂になりそうです。
私の仕事場や寝室にはクーラーはありません。
娘たちの部屋もそうです。
わが家は自然の中ですごすのが基本のライフスタイルなのです。
それがこの1か月、自然と断絶した空間で過ごさなければいけません。
さてさてどうなりますか。

■近くのカスミに買物に行きました(2010年6月29日)
家事は今、娘にお任せなのですが、時々、食材などの買物に付き合います。
近くのカスミというスーパーです。
そのスーパーは毎週木曜日や日曜日の朝は全品10%引きなのです。
他にも割引の日がありますが、そういう日に合わせて買物をすると家計費は10%削減できるのです。
今日は、その日ではなかったのですが、混んでいました。
このスーパーは半年ほど前に開店したのですが、いつも混んでいます。
最初は慣れないせいか、店舗が広すぎて買物しにくかったのですが、最近は慣れてきました。

ところで10%引きの日でも、普段の日でも混み具合はそう変わりません。
それがちょっと不思議です。
私は、お金はできるだけ使わない生き方を目指していますので、できれば10%引きの日に買おうと思うわけですが、
それは果たして正しい判断かどうかまだ自分の結論が出ていません。
たしかに10%安く買うとそのことだけでは出費は少なくなります。
では10%引き出ない日に買う場合はどうなのか。
もしかしたら10%高く買っていることになるのではないか。

この話は面白そうなので、続きはブログに書くことにします

■「責任に時効なし」(2010年6月30日)
思うことあって、小説「責任に時効なし」を読みました。
カネボウの粉飾決算と再生機構による実質的な企業解体のことを取り上げた小説です。
著者は、カネボウの財務担当重役として、まさにそうした動きの渦中にいた人です。
名前を変えていますが、実態を知っている人はおそらく登場人物を特定できるでしょう。
かなり事実に忠実な小説のようです。
ちなみに、冒頭に出てくる副社長は、私の知人です。

この小説は小説としては面白いとはいえませんが、事実に基づいているが故に、いろいろと考えさせられます。
読んでいて、いろいろな怒りも感じます。
それでブログに書いてしまいましたが、改めて企業とは何かをもう一度考えてみたくなりました。
これも以前ブログに書きましたが、企業はどうも人を壊す存在になってしまっているようです。

私が辛うじて今も自分を保持できているのは、会社のおかげでしょうか、あるいは会社を早く辞めたからでしょうか。

■生活保護の問題をどう捉えるか(2010年7月1日)
以前、ブログに書いたことがありますが、ある会で「生活保護費」に関する話題が出たときの違和感を書きましたが、同じような思いを持った参加者の一人からメールが来ました。
それで関係者で少し話しあうことにしました。
反貧困問題にかかわっている山本さんと大河内さんがやってきました。
ネットワークささえあいの事務局長の福山さんも参加しました。

私は、生活保護に関わる人たちがなぜもっと声をあげないのか、前から不思議でなりませんでした。
おそらく「生活保護」という言葉にも象徴されるような「負い目」があるのではないかと思います。
昨年、名刺に「生活保護者」を明記している人に会いました。
おかしな言い方ですが、そういう人もいることを知って実にうれしかったのですが、やはりそういう人は例外のようです。

社会を構成している一員であるということから、「生活保護費」をもらうことは堂々として言いと思いますが、もらう人にはどうしても負い目が生まれるのでしょう。
その仕組みがどう考えてもおかしいのですが、しかし一方で、全てをお金で解決しようと言う発想もまた、私にはおかしいように思います。
生活保護制度は、存在することによって貧困者を生み出すという、「近代のジレンマ」がここでも作動するのです。
福祉の世界に私が辟易しているのは、上から目線の福祉発想ですが、生活保護はその最たるものかもしれません。

まあ、それはともかく、生活保護とは何なのかを一度しっかりと考える必要がありそうです。
今日、現場で実際に活動している人たちと話し合って、ネットワークささえあいの方向性にもつながる問題だなと感じました。
なかなかこの問題から抜けられそうもありません。

■阿賀に生きる(2010年7月2日)
先週、新潟で阿賀野川哲学塾が開催され、そこで映画「阿賀に生きる」の徹底鑑賞会が開催されました。
私はソウルに行っていたため参加できませんでしたが、参加した中村さんと福山さんから当日の資料などをいただきました。
新潟の金田さんからも電話で、当日の様子なども聞かせてもらいました。
福山さんから、その映画のDVDをもらいましたので、早速、観てみました。
これは1992年制作の阿賀の人たちの暮らしぶりです。
底流にはもちろん、阿賀野川流域で起こった新潟水俣病に関わる深いメッセージが込められています。
詳しくはネットで検索するといろいろと出てきますので、それをご覧ください。

そこであがかれている世界は、今から20年ほどの現実の世界です。
あまりに時間感覚が違うのと表情の豊かさに圧倒されます。
はじめのほうで風の名前の話が出てきますが、吹いてくる方向などによって、それぞれ細かく名前がついているのです。
しかも、それが暮らしに深くつながっていることを感じさせます。
時間の流れは、幸いに40年以上前に私も滋賀の高月という、女房の実家の法事などで何回か経験したので、何となくわかります。
さらにいえば、人と人のコミュニケーションのあり方が、高月で経験したものと同じなのです。
個人同士の会話のようでも、私には「神」が間に入っているような気がします。
みんな個人としての人に話しているのではなく、自らに語りながら世界に語っている。
損漢字で、対話さえが進むのです。

この豊かな暮らしが、この数十年で失われてしまったわけです。
代わりにつくりだされた暮らしは、どんなものでしょうか。
なぜそれが見えてこないのか。
もしかしたら、暮らしが失われたのかもしれません。
そんなことを思いながら、2時間のDVDを見せてもらいました。

(2010年6月第4週)
■参加できなかった集まり(2010年6月21日)
■自殺問題への取り組みへの違和感(2010年6月23日)
■我孫子の文化センター(2010年6月23日)
■開きの鯛焼き(2010年6月25日)
■ちょっとさびしいオープンサロン(2010年6月25日)
■黒岩比佐子さんのトークショー(2010年6月26日)
■久しぶりに編集者藤原さん(2010年6月26日)

■参加できなかった集まり(2010年6月21日)
先週はいろんな集まりがありました。
ところが久しぶりの韓国だったので、そのいくつかには参加できませんでした。
少し心苦しく思っていたら、関係者から電話がありました。

新潟で開催された阿賀野川哲学塾は、大熊さんと内山さんと鬼頭さんがコアになって続けている哲学塾の活動の一つです。
今回は新潟水俣病資料館で開催されることもあって、また館長の塚田さんにお会いできるなと楽しみにしていたのです。
新潟水辺の会の金田さんから会の様子をお聞きしました。
感動的な2日間だったようです。

もうひとつは、このサイトでも案内した、オランダ日系2世の父親捜しをテーマにしたファムケーションです。
企画主催者の武井さんから電話がありましたが、声がかすれていました。
それでこちらも感動的な盛り上がりを見せたのだろうなと思いました。
こちらは藤原さんがとてもサポートしてくれたようですが、武井さんもとても喜んでいました。
これからいろいろとまた発展しそうですが、武井さんはもう次のテーマに気が向いているような感じでした。
ところで、実にうれしかったのは、武井さんが電話で「金の切れ目が縁の始まりだね」と嬉しそうに話してくれたことです。
体験するとわかってくれる人にはわかってもらえるのです。

両方とも私が参加しないことは伝えていましたが、ていねいに報告をしてきてくれたのです。
参加しなかった負い目を少し感じていたのですが、それを知っての思いやりなのでしょう。
本当にみんなやさしいです。

■自殺問題への取り組みへの違和感(2010年6月23日)
最近、自分がこの1年取り組んできた「自殺防止活動への支援」に違和感が高まりだしています。
これまでも繰り返されたことですが、企業変革、まちづくり、環境保全、福祉活動支援など、取り組んでいるうちに、どうもこの取り組みは間違っているのではないかと思い出すのです。
そしていつも途中で路線変更してしまうわけです。
そこで「ジレンマ」に陥るわけです。
環境保全活動に協力すればするほど、環境を壊していくのではないかと思うのです。
他の分野も同じです。

自殺関連もそうではないかという気は最初からしていました。
ですから茂さんや福山さんにはネットワーク立ち上げまで協力させてもらうと約束していたのです。
しかしどうもまだネットワークがしっかりしないので離れられないのですが、やはりどうも「居心地が悪い」のです。

いくつかの「違和感を高める出来事」が重なったこともあるのですが、最近、読んだ小俣和一郎さんの「異常とは何か」(講談社現代新書)で、こんな文章に出合ったのです。

日本国家が「自殺対策基本法」という法律まで作ったのは、OECD諸国の中でハンガリーに次いで第2位(2002年)という高い自殺率が「先進国の恥」であるという、いわば国家主義的な動機があったであろう。あるいは、自殺者が年間3万人を超えるという事態が10年近くも続いたことで、日本は人権という先進国に共通の基本的価値をおろそかにしているのか、という国際社会からの批判をかわす狙いがあっただろう(事実、この法律には自殺率の具体的な低減目標さえ盛り込まれている)。

私はこの認識には必ずしも賛成ではありませんが、まったく否定することもできません。
そう思うのは、最後に言及している「自殺率の低減目標」です。
これには、私も驚きました。
問題の設定が完全に間違っていると思ったのです。
自殺率までも政策対象にするという、生政治の人間観の本質が垣間見えるからです。

しかし、だからといって、最近の自殺問題への取り組みを否定するつもりはありません。
それはそれで一定の成果を挙げてきています。
ただ私が考える方向ではないだけの話です。
これは環境やまちづくりに関してもいえることです。
私には間違っているとしか思えませんが、それぞれの活動によってよくなってきていることは認めないわけには行きませんし、私の考えが成果を挙げていないことも事実ですから。

悩ましい問題ですが、やはり自殺問題へのかかわりは、できるだけ早く身を引こうと思います。
小俣さんは、こうも書いています。

2006年には「自殺対策基本法」が国会で成立し、国家予算がつけられたことから、今では自治体や大企業でも自殺予防活動に取り組みはじめるところが出てきた。まさに世を挙げての自殺予防ブームといったら言い過ぎであろうか。

ブームの持つ危険な要素を、私も感じています。
(この記事はブログにも掲載してしまいました)

■我孫子の文化センター(2010年6月23日)
我孫子の手づくり散歩市などをやっている大田さんから声をかけられていたのですが、我孫子で文化センターをつくろうという動きがあるのだそうです。
きちんとした動きであればいいのですが、行政の流れの中で出てきたもののようです。
どうせつくるのならばきちんと考えようと言うことで、ある市議が呼びかけて話し合いの場をもつので私にも参加して欲しいというのです。
あまりというか、まったく気が乗らず、曖昧に返事をしながらサボっていたのですが、
ともかく一度出てほしいというので、出向きました。
呼びかけたのは市議の海津さん、集まっていたのは太田さんと元市役所職員の川崎さん、そして建築家の藤田さんです。
美野里町の「みの〜れ」の話を聴きたいというので、少しお話させてもらいました。
話していたら、どうも私の早とちりで、ともかくきちんと考える場をつくりたいということのようです。
結論ありきの会でなければ、反対することもありません。
一度だけ出て後は辞退しようと思って参加したのですが、どうも断れなくなりそうです。
と思って帰宅したら、案の定、海津さんから電話があり、これからのことを訊かれてしまいました。

私はどうしてこうも断ることが不得手なのでしょうか。
困ったものです。
しかし断れなくなった理由が一つだけあるのです。
美野里町の文化センター建設プロジェクトに一緒に取り組んだ沼田さんが今度、教育長に就任したという連絡が、まさにその会に出かける直前に入ってきたのです。
これは何かの啓示えないはずがありません。
それでまあ断れなかったのです。

■開きの鯛焼き(2010年6月25日)
奥山さんと藤本さんがやってきました。
この2人は実に面白いコンビです。
2人の会社の、実は私は顧問なのです。
役に立たない顧問ですが。

その2人が、「ひらき鯛焼き」(奥山さんの勝手な命名です)をもってきたのです。
なぜかいうと、その箱を藤本さんが見つけて、そういえば先日、湯島の集まりでみたことがあると、ついつい買ってしまったのだそうです。
この2人は、どこでもお店の人と仲良くなってしまうという不思議な人たちです。
案の定、そのお店の人とも仲良くなったようです。

箱を見ると、いかにも雑に10個の鯛焼きが入っています。
しかも、鯛焼きの両側がきちんとついておらず、それで「開き鯛焼き」と命名されてしまったのですが、早速戴きました。
ところが、買った当人である藤本さんは食べないのです。
そして、「鯛焼きを作っているお店の汚さを見たらたべられない」と言うのです。
いやはや、それってどういうことでしょうか。
一度、そのお店に行きたくなりました。
湯島のすぐ近くのようです。
でもまあ鯛焼きはお腹が減っていたせいか美味しかったです。
幸い、腹痛も下痢も起こりませんでした。
湯島の冷蔵庫に閉まってあるので、食べたい人は来週来てください。
先着5名様に提供します。

■ちょっとさびしいオープンサロン(2010年6月25日)
今日のオープンサロンは藤本さんと中村さんの2人でした。
そのためか、いつもとは違った話が展開されました。
雰囲気の中で、私も東レ時代の話をしてしまいました。
考えてみると、今の私をつくったのは「東レの企業文化」だったかもしれません。
東レは私にとっては最高の会社でした。

ところで、年に1回程度、こうしたさびしいサロンになることがあります。
その時は、何となく事前にわかるのです。
一言で言うと、私の気が萎えている時です。
今日も最初から頭がボーっとしていていました。
人はやはり「気のあるところ」に集まるものなのです。

■黒岩比佐子さんのトークショー(2010年6月26日)
お知らせのコーナーでもご案内していた、黒岩さんのトークショーでした。
黒岩さんは自分のブログですべてを書いていますが、抗がん治療を受けながら執筆活動をしています。
今年は、3冊の本を出すとがんばっています。
その1冊が「古書の森 逍遥」です。
黒岩さんのブログをベースにした本ですが、久しぶりにずっと手元に置いておきたいと思わせるような本です。
ブックのコーナーに紹介しています。
その合間をぬってのトークショーです。

トークショーは岡崎武志さん(古本ライター)との対談形式でしたが、2時間があっという間だったほど面白い内容でした。
これまで知らなかった黒岩さんのことも知りました。
黒岩さんとは、「音のない記憶」を書く前からのお付き合いなのですが、
トークショーを聴きながらこれまでのことが思い出されて、感無量でした。
節子がいたらどんなに喜んだことでしょう。

トークショーが始まる前に、楽屋に勝手に入ってしまいました。
病気が発見されて以来、初めてでしたが、まったく変わらずに笑みを満面に浮かべていました。

藤本さんや藤原さんも一緒でした。
会場では田中雅子さんご夫妻にも会いました。
パートナーの定松さんとも久しぶりに会いました。
石本さんには花まで買ってきてもらいましたが、石本さんがいたので少し心強かったです。

このトークショーのことは、きっとだれかがブログで書くでしょう。
それを読んでください。
とてもいい集まりでしたが、書きたいことが多すぎてかけそうもありません。

■久しぶりに編集者藤原さん(2010年6月26日)
黒岩さんと別れた後、藤本さんと藤原さんと久しぶりに喫茶店で珈琲を飲みました。
この2人はスモーカーなので、きちんと喫茶店に入りました。

最近、なぜか藤本さんとはよく会っています。
しかし藤原さんとは久しぶりです。
藤原さんはかんき出版の編集者ですが、実に行動的で様々な活動に取り組んでいます。
話をしていたら、いろいろと接点がありそうです。
しかし藤原さんをその気にさせるのは大変なのです。
それに藤原さんは、私が真面目に仕事をしていないと思い込んでいるのです。
今回も、佐藤さん、ちゃんとお金になる仕事をしてくださいというのです。
自分こそそうしろと言いたいほど、彼も様々な活動をしています。
人は自分と同じことをしている人のことを批判するものです。
そのことを藤原さんに教えてやらなければいけません。

ちなみに、藤原さんが連れて行った喫茶店は、その昔、講談社の編集者と待ち合わせた喫茶店でした。
編集者が好きな喫茶店は、どうも決まっているようです。

(2010年6月第3週)
■ささえあい交流会(2010年6月13日)
■エスク応援団(2010年6月14日)
■ゆいの家の高石さん(2010年6月14日)
■久しぶりの韓国(2010年6月16日)
■福祉経営マネジメントゲームのワークショップ(2010年6月17〜18日)
■プラスケア(2010年6月17日)
■韓屋保存活動に取り組む朴さんの家に宿泊させてもらいました(2010年6月17日)
■韓国に来てワールドカップの応援に行くとは思っていませんでしたが(2010年6月17日)
■ユジンの家(2010年6月18日
■WMGへの期待(2010年6月18日)
■ハンシン大学呉教授(2010年6月18日)
■朴さんの悩みと思い(2010年6月19日)
■景福宮は広いです(2010年6月19日)
■とまっていずに飛べ(2010年6月19日)

■ささえあい交流会(2010年6月13日)
今月のささえあいネットワークの交流会は、対話法の浅野さんをゲストに開催しました。
久しぶりに東尋坊の茂さんと川越さんも参加してくれました。
相変わらずお忙しそうで、今年になってもう既に40人近い人に遭遇しているそうです。
統計的には自殺者は減少してきているとも言われていますが、現実の厳しさはなかなか変わらないようです。

先日、まったく別件でお会いした司法書士の相葉さんも参加してくれました。
そしてとてもいいお話をしてくれました。
まったく事務的な出会いから始まったのですが、相葉さんとこういう形で交流が始まるのがとてもうれしいです。
こうした形で人のつながりが広がっていけば、みんな気持ちよく暮らせるようになり、自殺などなくなるでしょう。

交流会終了後、茂さん、川越さん、福山さんと、これからの展開について少し意見交換しました。

■エスク応援団(2010年6月14日)
家庭保育のモデルを構築したエスクを新しいステップに展開しようと、事務局長の小平さんががんばっています。
その小平さんの応援団チームが広がってきました。
今日は、わざわざ長野から片岡さんが参加してくれました。
私は初対面ですが、そのあっけらかんとしたいさぎよさに感心しました。
小平さんの周りに集まる人たちは、どこかみんな小平さんに似ています。
友人知人をみると、その人の生き方が見えてきます。

最近どうもこのプロジェクトに入れなくなってきていたのですが、今回集まった人たちの話を聴いていて、改めて引き続き私も応援団に参加することにしました。
一度関わってしまうと、なかなか抜けられなくなるのが、人の世です。
困ったものです。

■ゆいの家の高石さん(2010年6月14日)
群馬の高崎で「ゆいの家」の活動をしている高石さんが湯島に寄りました。
高石さんの活動は以前から関心を持っていますが、お一人でやっているのでなかなか大変です。
そろそろ新しいステップに入ろうとされているようです。
コムケアやささえあいネットワークのことを例にあげて、いろいろと話させてもらいました。

しかし、地域に根ざして、生活に重ねながら活動できることの強みは大きいです。
それを活かさない手はありません。
一度、ゆいの家で、コムケアフォーラムをやるのもおもしろいかもしれないと思います。
少し考えようと思います。

■久しぶりの韓国(2010年6月16日)
ソウルに来ました。
10年ぶりでしょうか。
海外にはもう行くまいと決めていたのですが、韓国にいる佐々木さんが声をかけてくれたので、思い切って出かけてきました。
飛行機に乗り遅れないように、朝、韓国の佐々木さんから電話がかかってきました。
とんでもなく、佐々木さんには迷惑をかけているようです。

久しぶりの海外でしたが、何とか仁川空港に着きました。
佐々木さんが迎えに来てくれていました。
韓国は日本よりも寒いかと思っていましたが、逆でした。
しかし湿気が少ないのか、さわやかさがありました。

ホテルでチェックインした後、佐々木さんにチョンゲチョンを案内してもらいました。
新潟水辺の会の金田さんからお話を聞いていたので、一度見ておきたいと思ったのです。
暗渠されていた川を地上に戻し、その両側に遊歩道を整備したのです。
東京の日本橋の惨めさとは比較になりません。

私は韓国に関する知識がほとんどありません。
知っていたのはチョンゲチョンだけなのです。
その後、インサドン(仁寺洞)を案内してもらいました。
女房がいたらさぞ喜ぶだろう雰囲気の通りです。

夜は佐々木さんご夫妻が家庭料理のお店に連れて行ってくれました。
たくさんの料理がテーブルにあふれるほどでしたが、ほとんどすべてが私には新しいものでした。
お酒の好きな佐々木さんにお酒を付き合えないのが申し訳なかったのですが、古い民家を改装したカフェで飲んだジュースもめずらしい味でした。

こうして久しぶりの海外での1日は、佐々木さんのおかげで、快適に過ごせました。

■福祉経営マネジメントゲームのワークショップ(2010年6月17〜18日)
今回、訪韓したのは、韓国にお住まいの佐々木さんが開発した福祉経営のマネジメントゲームのワークショップを見せてもらいたかったからです。
佐々木憲文さんは、日本でのマネジメントゲームの開発普及の草分けで、30年来この分野に関わっている専門家です。
しかし、佐々木さんの経営観は市場的なそれではなく、きわめてヒューマンなものですから、最初、佐々木さんとマネジメントゲームがつながりませんでした。
ですから、佐々木さん型のマネジメントゲームを一度学びたいと思っていたのですが、その機会が訪れたのです。
佐々木さんのパートナーの典子さんは、韓国の大学で福祉を教えています。
昨年、福祉経営向けのマネジメントゲームを大学で講義をされたのだそうです。
その手応えを踏まえて、今回は経営と福祉、それぞれの専門家を集めての15時間のワークショップを2日かけてやることになったのです。
それを見せてもらうのが、今回の訪韓の、「一応の」目的です。

ワークショップは典子さんが行ないましたが、見事なワークショップでした。
私は言葉がまったくわからないのですが、参加者の表情と姿勢で、その手応えがとてもよく伝わってきました。
場が伝えるものというのはあるものです。
参加者も一人ずつ感想を発表しましたが、佐々木さんに通訳してもらいました。
とても感動的でしたし、ワークショップの狙いと意図をみんな体得されているようでした。
佐々木さんたちには迷惑をおかけしましたが、参加させてもらって、とてもよかったです。
日本でもこうしたものを開発し広げていけたらと思いました。
しかし佐々木さんは当分韓国から戻らないでしょう。
ともかく2人とも韓国が好きなようですから。

■プラスケア(2010年6月17日)
ワークショップでは日本に留学したこともある2人の人にお会いしました。
一人は、このワークショップの開催のきっかけをつくった呉教授です。
もう一人は、このワークショップの会場を提供してくれたプラスケアという組織のメンバーの金さんです。
金さんは東北大学に留学されていたそうです。
昨年と今年、地域包括支援センター関係のプロジェクトでご一緒した高橋満教授のことも良く知っていました。
高橋さんはスモールワールド理論のお話をされていましたが、まさにそのつながりに遭遇したわけです。

ちなみに、今回のワークショップはプラスケアの代表でもある福祉の分野の李教授のご尽力でメンバー我集まったようです。
プラスケア。私のケア観と一致します。
ケアはマイナスを支援することではなく、プラスをエンパワーすることだと私は思っています。

■韓屋保存活動に取り組む朴さんの家に宿泊させてもらいました(2010年6月17日)
韓国での初日はホテルに宿泊しましたが、2日目と3日目は佐々木さんの友人でもある朴さんのお住まいに宿泊させてもらいました。
ブログに書きましたが、朴さんは「ハノク(韓国家屋)を愛する市民の会」代表として、韓国の伝統家屋を体験宿泊させてくれる活動に取り組んでいるのです。
私は、「事前学習」が不得手な人間で、佐々木さんにお任せしたいたのですが、とても素晴らしい体験になりました。
帰国後、ネットで調べてみました。
今とても話題になっている有名なところであることがわかりました。
すごいところに2日間いたのだと帰国して気がついたのです。
まあいつものことですが、知識がなかった分、「現場」そのものを体験できました。
知識は、時に現場をよく知る力になりますが、時に邪魔もするものです。

この地域は北村(ブッチョン)韓屋村といって、いま、話題のスポットなのです。
朴さんや佐々木さんも関わりながら作成したガイドブックももらいましたが、企業国語ネットで調べたらたくさんの記事が見つかりました。
北村(ブッチョン)は世界遺産チャンドックン(昌徳宮)とギョンボックン(景福宮)の間にあり、朝鮮時代の高級官僚がたくさん住んでいたところです。
伝統家屋がまだたくさん残っています。
興味のある方はぜひ次のサイトをご覧ください。
北村韓屋村散策

私が泊まったのは、ブッチョン文化センターの隣にあるウリチプハノクですが、ここは昔はひとつの家で、男性が住んでいたところがセンターになり、女性が住んでいたところがウリチプハノクになったそうです。
ウリチブとは。みんなの家という意味です。
実に新鮮な体験でした。
さらに幸運だったのは、あいにく客室に予約が入っていたこともあって、私は朴さんの息子さんの部屋をお借りできたのです。
息子さんは今学生で、不在なのです。

ウリチプについて書きたいことはたくさんありますが、長くなりそうなので、今回はやめておきます。
たとえば、次のサイトなどをご参照ください

■韓国に来てワールドカップの応援に行くとは思っていませんでしたが(2010年6月17日)
たまたま今夜はワールドカップの韓国・アルゼンチン戦でした。
佐々木ご夫妻はサッカーファンです。
そこでソウル広場までみんなで応援に行くことになりました。
佐々木さんはルール通り赤シャツ、奥さんは赤のマフラーです。
私は朴さんからもらった赤いスカーフをつけての、にわか応援団です。
ブログに書きましたが、韓国では自宅のテレビで観戦ではなく、みんな集まっての応援なのだそうです。
この日ばかりはテレビのないレストランやカフェはお客がいません。
いやお客ばかりではなく、お店も閉店なのです。
途中、昨夜歩いたイサンドンも通りましたが、昨日とはうってかわってお店もほとんどやっておらず人もいません。
みんなどこかに集まっているようです。
ソウル広場に近づくほどに、赤いシャツを着た人たちがどんどん集まってきます。
雰囲気が高揚してきます。
私はこういうのが不得手なのですが、佐々木さんはもうのっていて、頭につける赤いランプのついた物を買って、私にもくれました。
まあ郷に入れば郷に従えです。

会場はもう数万の人たちで埋まっていて、私たちは大型スクリーンが何とか見えるところからのぞくようにしてみていました。
韓国が優勢になると熱気を帯びた応援の合唱です。
いや劣勢になっても応援の声が起こり、会場が一体化します。
人の熱気で会場はもやがかかったような状況です。
私には初めての体験でしたが、これも佐々木さんたちのおかげです。
ちなみに、佐々木ご夫妻は翌日も重要なワークショップを開催するのですが、サッカーの応援は日常を超えているようです。

結果は残念ながらのアルゼンチンの価値でした。
日本でもサッカーを応援しない私が、まさか韓国の応援に行くとは思ってもいませんでした。

■ユジンの家(2010年6月18日)
朝、早く目が覚めてしまいました。
それで近くに散歩に出かけました。
この地域(北村韓屋村)には朝鮮王朝600年の歴史を残した家屋が多く散在しているのです。
私が宿泊させてもらった朴さんの家は、そのなかでもたぶん原型をきっちりと残している韓屋なのです。

近くの商店街を通り抜けたら高校がありました。
立派な高校です。
その近くで大きな民家を建て直していました。
大工さんが2人で材木を打ちつけているのが面白く少し見ていました。
そこから見ると昨夜見た古い家並みが一望できました。
ついふらふらとそちらに向かって坂を下り、後は気の向くままに小さな小道を入り込んでいきました。
ともかく急坂の多い小道が多いのです。
しかし趣のある民家や石塀が見事です。
細い道端にはプランターに入った花がきれいに並んでいます。
感心していたら、女性たち3人組が手入れをしながら歩いています。
だんだん人通りも多くなってきました。
そのうちに道に迷ってしまいました。
まあ地球は丸いですからいつかはつくだろうと適当に歩いていたら、先ほどの高校の前に出ました。
高校前のお店の女性が、日本の人ですかと声をかけてきました。
そして彼女から、この高校は「冬のソナタ」の最初のシーンの撮影場所であり、近くの建て替え中の家は、主役のユジンの家であることを教えてもらいました。
いろいろと話しているうちに、珈琲でも飲んでいかないかと誘われましたが、そこで気がついたら佐々木さんが迎えに来るかもしれない時間になっていました。
それで慌てて帰りました。
朴さんが待っていてくれて、近くに美味しいパン屋さんがあるので食べに行こうといってくれました。
ところがその時に佐々木さんが迎えに来ました。
私が時間を勘違いしていたのです。
あぶないところでした。
まあそんなわけで、今朝は朝食を食べ損ないました。
知らない町で勝手に散歩に出てはいけません。朝食を食べられなくなる恐れがあります。

■WMGへの期待(2010年6月18日)
ワークショップの2日目です。
昨日、最後に参加者がそれぞれの感想を発表しました。
佐々木さんが通訳してくれましたが、それを聞いていて、日本人の反応とは全く違うように感じました、
主体的な主張と物語があるのです。

2日目も好調なスタートでした。
佐々木典子さんは参加者の発言を軸にしながら、考える材料を提供したり、相互の話し合いを促したりしています。
プレゼンテーションも身体全体を活用しているので説得力があります。
見事な展開でした。
ワークショップの内容はここでは書きませんが、韓国語がわからない私でも強い手応えを感ずるほどでしたから、参加者はそれぞれ大きな刺激を受けたことでしょう。
おそらく今回のワークショップを契機に新しい動きが始まるでしょう。
そう確信しました。
最後に佐々木さんのお心遣いで、私も話をさせてもらいました。
「経営」と「福祉」は、本質的なところでは同じものだということを話させてもらいました。
終了後、参加者との交流会でしたが、参加者の思いの深さと理解に深さに改めて驚きました。
韓国語がわからないことをこんなに残念に思ったことはありません。
しかし、佐々木さんたちが生み出した喜びのおすそ分けをもらえて、韓国に来てよかったとつくづく思いました。

■ハンシン大学呉教授(2010年6月18日)
夕方、佐々木さんの自宅近くのサンチョンドン(三清洞)を案内してもらいました。
東京でいえば青山のイメージだそうで、たしかにそんな感じがします。
ここを通って、大統領府から宮城が佐々木さんの愛犬の散歩道なのだそうです。
佐々木さんにとって、2人の愛犬、ミホとパルはむすめなので、佐々木さんの生活の最優先事項はミホとパルなのです。
とても穏やかな性格で、ちび太とちがって撫でることができます。うらやましいです。

夕食は、テレビなどでも有名な料理人がやっている「宗家」に案内してくれました。
今回のワークショップの企画者の一人でもある韓国ハンシン大学の呉昌昊教授も一緒する予定だったのですが、金曜日のため道路が混んでいたため、呉さんが宗家に着いたのは10時近くでした。
少し話して、近くのカフェに行きました。
韓国のカフェの多さには驚きましたが、どこもお客がいないので心配していたのですが、夜遅くなると混んでくるようです。
韓国は夜が遅いのだそうです。
呉さんは日本にも2度ほど住んでいたそうです。
とても気持ちのよい人でした。
今回会った人たちはみんなそうでしたが。

日本も昔はきっとこうだったのでしょうね。

■朴さんの悩みと思い(2010年6月19日)
2日間のワークショップで、佐々木さんたちは疲れていたはずですが、私が帰国を1日延ばしたために、今日も私に付き合う羽目になってしまいました。
申し訳ない気分です。

今日は朝の散歩をせずに、朴さんと話をしながら佐々木さんを待つことにしました。
朴さんのお母さんが近くに市場から買ってきたというラズベリーを食べながら、話していたら思いもかけない話が飛び出してきました。
いささかプライバシーに関わる話なのと、言葉の関係できちんと私が理解しているかどうか判らないため、内容は書けませんが、その話のおかげで、朴さんの思いや活動がよく理解できた気がします。
朴さんは、まさに「コモンズの共創」に取り組んでいるのです。
その姿勢がとても共感できました。

ところがあるトラブルで、昨日まではどうも問題を背負っていたようです。
それが解決されてので、今日は気分が開いていたようです。

今日は佐々木さんが景福宮を案内してくれる予定だと話したら、朴さんの行きたいと言い出しました。
その前に、昨日行けなかったおいしいパン屋さんに行こうと言うことになりました。
それで、佐々木憲文さんが来たので3人でパンと珈琲を飲みに行きました。
そのお店も、地域のみんなで応援しているカフェだそうです。
ともかくパンがおいしかったです。
佐々木さんは韓国の珈琲は日本と違うといっていましたが、ここの珈琲はおいしいといっていました。
小さなお店ですが、混んでいました。

そこで朴さんからいろいろと話の続きを聞きました。
山のようにいろんなことがわかりました。
書けないのが残念ですが。

■景福宮は広いです(2010年6月19日)
カフェのあと、佐々木ご夫妻と朴さんとで景福宮に行きました。
朴さんの池からも佐々木さんの家からも近いのです。
ということは、みんなとてもいいところにお住まいです。
ところが朴さんは景福宮にはほとんど来たことがないと言います。
一方の佐々木典子さんは景福宮のガイドの勉強までしたそうです。
これは最高の組み合わせです。

景福宮の感想は、とにかく広いということでした。
2時間以上、歩きっぱなしで足にまめができるほどでした。
いろんな発見がありましたが、私が一番興味を持ったのは、建物の屋根に乗っている数体の置物でした。
景福宮の感想はこれも書き出すと長くなります。

博物館は今回はパスしました。
展示室に飾られた展示物を見るのは私はとても不得手なのです。
それに今回は歩き疲れました。
最後の食事は、これぞビビンバというのがいいということになりました。
相変わらず量が多かったのですが、がんばって食べました。
これまで食べた中で一番おいしいビビンバでした。
大きなお店でしたが、いつもは行列なのだそうです。
食事をしていたら、佐々木典子さんがお土産を買いに行こうと言い出しました。
私の一番不得手なことです。
私一人の場合は、先ずお土産は買いません。
ですから娘たちも期待はしていないのです。
しかし、佐々木さんが私を引っ張ってロッテデパートに連れて行ってくれました。
朴さんの一緒です。
混んでいましたが、典子さんの手際のよさに圧倒されました。

そんなこんなで、今日は佐々木ご夫妻だけでなく、朴さんまでつき合わせてしまったわけです。
こんなことをしていていいのかと心配になりましたが、朴さんにとって「今日は自分のための日」なのだそうです。
朝の話をお聞きしていたので、何となくわかりましたが、朴さんは不思議な人でした。
帰宅の荷造りまで佐々木典子さんにしてもらいました。
自分の頼りなさがみんなにも見えているのだろうなと思う一方、人にはケアする本性があるという思いに素直に身を任せることにしました。
歳のせいもあってか、この頃、遠慮しない生き方を素直に受け容れることにしていますが、こんなにまでしていいのかと思うほど、みんなよくしてくれます。
いい時代に生まれたものです。はい。

■とまっていずに飛べ(2010年6月19日)
成田に夜の9時過ぎに着きました。
今回の韓国行きは、自分では何も考えずに、佐々木さんご夫妻にすべて依存してしまった感があります。
しかし、これまでどこかにあった呪縛のようなものを吹っ切れた気がします。

とまっていずに飛べ。
節子がそういっているようです。
いや立場が逆で私が先に逝っていたら、残された節子にきっとそういうだろうなと気づきました。

(2010年6月第2週)
■マイケアプランフォーラム2010(2010年6月6日)
■「自由への問い」(2010年6月8日)
■海外コンプレックス(2010年6月9日)
■大学4年生の憂鬱(2010年6月10日)
■コミュニケーションサロンは面白くなってきました(2010年6月10日)
■零細企業経営者の憂鬱(2010年6月10日)
■農作業の大変さ(2010年6月11日)
■「ロスト・シンボル」(2010年6月12日)

■マイケアプランフォーラム2010(2010年6月6日)
全国マイケアプラン・ネットワークのフォーラムに少し場違いながら、パネリストの一人とした参加しました。
このグループとの付き合いは長いのです。
このグループはケアプランの自己作成についての調査研究プロジェクトに取り組んだのですが、
それに参加させてもらった関係で、パネリストになってしまいました。
とても学ぶことの多いプロジェクトでした。
その報告書は完成しており、たぶん全国マイケアプラン・ネットワークに頼めば入手できると思います。
どうしてもほしい方はご連絡ください。
私から頼んでみます。
とてもいい報告書です。
私も参加さてもらって感じたことを寄稿させてもらいました。
その原稿を、このサイトにも載せましたので読んでください

そのフォーラムの報告はきっとまもなくマイケアプラン・ネットワークのホームページに掲載されるでしょう。
私がそこで感じたことの一部は、ブログ(CWSプライベート)に2回に分けて書きました。

終了後、懇親会がありました。
私だけがたぶん会員ではないのですが、顔見知りの人も何人かいました。
こうした立場で、私は様々なグループに参加させてもらうことがあるのですが、いつもどこかで違和感を持ちます。
ひとつは、それぞれに素晴らしい活動なのですが、どうもそれぞれの世界に浸っているのではないかという違和感。もう一つは、私の思いとは違って、社会は良い方向に向かっているのではない、日本の市民活動も成果をあげているではないか、という自己反省。
この矛盾した2つの思いを、いつも抱くのです。

私はやはり社会から脱落しているようです。
どこもかしこも、中途半端な居心地の良さと居心地の悪さを感じるのです。
やはりおかしいのは私なのかもしれません。

■「自由への問い」(2010年6月8日)
岩波書店の「自由への問い」のシリーズを読み出しました。
おもしろいのですが、いささか難解です。
いつものように読み飛ばせずに、時間がかかります。
それに眠くなります。

こんな本はもっと若い時に読むべきではなかったかと思うこともあります。
でも何だか読みたい気分もあります。
若い世代の学者の論説はとても魅力的なものが多いからです。

岩波書店の叢書は何種類か書棚にあるのですが、きちんと読んだものは皆無です。
一つくらい完読したいものです。
今回もダメかもしれません。
最近は読書力が急速に落ちていますので。

■海外コンプレックス(2010年6月9日)
韓国の佐々木さんからのお誘いに乗って、韓国に行くことにしました。
13年ぶりの海外です。
そのせいかどうも億劫です。
まずチケットをとることにしました。
ネットで簡単に取れるだろうと思ったのですが、どうも不安があります。
国内であれば、飛行機に乗り遅れてもたいしたことはないですが(これまで2回乗り遅れました)、海外だとそう簡単には行きません。
どうも私には海外コンプレックスがあるようです。
困ったものです。
それで結局、旅行店に行ってチケットを購入することにしました。

出発が迫っていたので、都合のいい時間の空席は少なかったのですが、何とか確保できました。
宿は佐々木さんが、とても楽しみなところを予約してくださったようです。
しかし何だか不安になって佐々木さんに電話してしまいました。
電話で話したら少し落ち着きました。
我ながら頼りない話です。

私が韓国に行くことを知って、都合がつけば韓国で会うのも楽しいと福岡の西川さんが時間調整してくれました。
西川さんの気楽さには感心します。
残念ながら時間調整はできずに、今回はダメでしたが、そういってくれる友人がいることの幸せをうれしく思います。

少し動き出そうと思います。
引きこもりはもう終わりにできるかもしれません。
でも、まだ億劫です。
娘に一緒に行かないかと誘いましたが、断られました。
自分が自立して生きてこなかったことがよくわかります。

■大学4年生の憂鬱(2010年6月10日)
先週、私のホームページに掲載されている20年前の雑文(「会社を辞めて社会に入る」)を読んだ学生から電話がありました。
その話の続きを聴きたいというのです。
その学生がやってきました。
誠実な好青年です。
いささかプライバシーに関わるかもしれませんが、彼はいま大学4年で就職活動をしていますが、まだ就職先が決まっていません。
話を聞くと、非常にしっかりした考えで、就職活動に取り組んでいます。
しかしなかなか厳しい状況のようです。
彼の周りには、就職を諦めて、フォトジャーナリストになることを決意した友人もいるそうです。
やはりどこかおかしいです。
こうした若者に希望も「仕事」も与えられない社会はどう考えてもおかしいです。
若者たちの就職活動の大変さを知らなければいけません。
若者たちの仕事の報酬の実態もを知らなければいけません。
1億円もらう経営者がいてもいいですが、それほどの高給をもらうのであれば、働く場を創る努力をもっとすべきです。
タレントやスポーツ選手の報酬は、私には違和感があります。

しかし、そうはいっても、仕事はどんどん減っていくでしょう。
労働需給は明らかに供給過剰であり続けます。
ジョブレス社会の到来は30年前にもうしっかりと予告されていました。
それに対応してこなかった経済学者も経営学者も政治家も、その見識のなさを認識すべきです。
もちろん経団連のトップの人たちなどは、そうしたことを加速して自分たちだけが甘い汁を吸っているのですから、許せません。
御手洗さんや奥田さんは、こうした若者にどういう顔で接するでしょうか。
厚顔無恥な彼らには、こうした若者の存在さえも理解できないのかもしれません。
それに、少子化対策などと馬鹿なことをいっている連中にも蹴飛ばしたいほど怒りを感じます。
希望のない社会にしておいて、子どもを増やせという発想は間違っています。
まあ、私も10年前には少子化は問題だといっていたのですから、恥ずかしいのですが。

彼と話していて、私たちの世代の罪深さを改めて感じました。
若者に希望を与えられない私たちは恥を知るべきです。
そう思いました。
彼に何ができるか、考えてみようと思いますが、こうした若者が多すぎます。
本当は、私のような生き方を勧めたいのですが、そうもいきません。

若者を浪費する社会になってきているのが恐ろしいです。

■コミュニケーションサロンは面白くなってきました(2010年6月10日)
コミュニケーションサロンは面白くなってきました。
今回からメンバーも増えました。

今回は前回話題になったPLA、住民参加型開発教育がテーマです。
長年、海外で開発支援に取り組んでいた田中雅子さんに問題提起してもらいました。
実に共感できるお話をしてくれました。
「参加」「援助」「開発」に込められた意味に関して、田中さんが体験的に意識変化してきた話が私にはとても興味深かったです。
そしてとてもうれしく思いました。

私は「参加」や「協働」という言葉の持つ欺瞞性が嫌いでした。
有名な「参加の梯子」もとても嫌いです。
主客を間違ってはいけません。
そうした発想にはこれまでも与しては来なかったつもりです。
「参加型まちづくりから共創型まちづくりへ」が私の基本姿勢でした。
東レ時代に取り組んだ企業文化変革活動も、参加や協働ではなく、共創でした。
だから、社長から「お前は企業で共産革命をするのか」と怒られたわけです。
ともかく当事者が素直に本音で話しえる場をつくれば、ホメオカオティックな創発の場が生まれるというのが私の体験です。
そう思っていたら、田中さんがまさにそういう話をしてくれました。

その後の話し合いも面白かったです。
ソーシャル・キャピタルの話まで出てきました。
もちろん「ナラティブ」も話題の中心にありました。

今回はいつもメンバーの他に、新たに上原さん、杉原さん、小山石さん、福山さんが参加してくれました。
次回は、ナラティブマネジメントに取り組む、コミーを訪問します。
ご関心のある方がいたらご連絡ください。

■零細企業経営者の憂鬱(2010年6月10日)
昨今、憂鬱に感じているのは大学4年生だけではありません。
たとえば、産業界でいえば、中小企業の経営者もまた、いろいろと大変なのです。
さほど実感はないですが、私もその一人ですから、それなりにわかります。

ゼロサム社会の中では、これまでの発想をそのまま延長させると、お金の取り合い合戦になります。
これに関して、いま読んでいる「自由の問い」の第3巻にこんな文章がありました。

ゼロサム・ゲームの下で経済成長を達成するには、奪い合いしかない。
これが新自由主義の中核をなす市場主義の思考である。
しかし、よく考えてみると、これは必ずしも論理的ではない。
ものが足りない時に、どのように分けるか。
幼稚園では、「みんなでなかよくおなじだけ」と教わるはずである。

まったくその通りなのです。
私たちは今や、幼稚園レベルの知恵まで失っているのです。
大企業が、「みんなでなかよくおなじだけ」と考えてくれるといいのですが。
しかし現実はそうではありません。
だからこそ憂鬱が中小企業にも広がっています。

今日はそんな相談を受けているうちに、私もだんだん怒りがこみ上げてきてしまい、その問題に少し身を入れて取り組むことにしました。
やはり戦いとか競争は人の血を沸かせます。
自分の中にある好戦性を認めるのはいささか恥ずかしいですが、闘う時には闘わないときっと後で後悔するでしょう。
具体的にはなかなか書きづらいですが、面白くなりそうです。

実は私は、喧嘩も好きなのです。
結果よりも始まりが、ですが。

■農作業の大変さ(2010年6月11日)
先週耕して野菜を植えたのですが、その後、また放置していたので元気がありません。
それで今日また農園に行ってきました。
そこで気づいたのですが、隣の家の人が境界の雑草を刈ってくれていました。
小野寺さんです。
もう70過ぎなのですが、とても元気です。

それに負けじと私も少し雑草刈りをしました。
やはり続きません。
へとへとになってしまい、刈り散らしただけで終わってしまいました。
また明日も挑戦することにしました。
農作業は大変です。

■「ロスト・シンボル」(2010年6月12日)
遅まきながら、ダン・ブラウンの「ロスト・シンボル」を読みました。
最近は小説はほとんど読まないのですが、娘がこのシリーズをいつも読んでいるので、本を借りて読みました。
面白かったです。
純粋知性科学と言うものを知りました。
なにやらもっと知りたくなってしまいました。

(2010年6月第1週)
鳩山さんが首相を辞任し、管さんが新しい首相に就任しました。
その動きの中で、私自身はどうも元気が出ない週でした。
どうしてみんな「見えなくなってしまう」のでしょうか。
■69歳の誕生日(2010年5月30日)
■CWS決算(2010年5月31日)
■自殺問題とソーシャル・キャピタル(2010年5月31日)
■読書三昧(2010年6月2日)
■鳩山さんの辞任(2010年6月2日)
■「正義」(2010年6月3日)
■企業での講演(2010年6月4日)
■野良仕事(2010年6月5日)
■活動を広げようと思います(2010年6月5日)

■69歳の誕生日(2010年5月30日)
ついに69歳になってしまいました。
予定では今頃は女房とゆったりと生活を楽しむ人生だったのですが、そうはなりませんでした。
嘆いていても始まりません。
受けいれなければいけません。
しかしどうしてもまだ「未練」が残っているのです。
伴侶がいないなかで、歳を重ねる意味はあるのでしょうか。
たぶんないでしょう。
そんな思いで迎えた誕生日でした。

■CWS決算(2010年5月31日)
株式会社コンセプトワークショップの確定申告をしました。
今年もまたほぼ売り上げがなかったのですが、出費もなくバランスしました。
来年は少し売り上げをつくり、活動費も得たいと思っています。

■自殺問題とソーシャル・キャピタル(2010年5月31日)
大学院で自殺問題をテーマにしている杉原さんが湯島に来てくれました。
ソーシャル・キャピタルや地域コミュニティとの関係で自殺問題を考えています。
とても共感できます。
待ち望んでいたアプローチです。
また意見交換できればと思います。

■読書三昧(2010年6月2日)
この2日間、自宅で読書三昧でした。
岩波の「自由への問い」のシリーズを読み出しました。
今頃になって「自由」を考えるのもどうかと思いますが、
やはりネオリベラリズムに抗していくためには、改めて「自由」をどう捉えておくかが大切だからです。
最近いろいろと本を読み出しているのですが、私自身の選好のせいかもしれませんが、
私の生き方を支援してくれる内容が増えているように思います。
私自身の生き方は大学生の頃からほとんど変わっていませんが、最近はかなり生きやすくなってきた気がします。

しかし、同時に社会が壊れてきていることも実感しています。
ということは、私の生き方は、壊れている社会になじむということになります。
これはいささか納得しかねますが、この問題はブログで少し書きたいと思います。

■鳩山さんの辞任(2010年6月2日)
鳩山さんが首相を辞任しました。
私たちがみんなで鳩山さんと小沢さんが起こした新しい風を葬り去ったわけです。
彼らにも責任はあるでしょうが、大方の責任は国民にあります。
とても気落ちしてしまい、元気が出ません。
だめだったら投げ出せばよい、いつの間にかそんな時代になってしまったのが、とても悲しいです。
民主主義などクソ食らえ、と言いたい気分です。

■「正義」(2010年6月3日)
あるテーマで議論をしていたら、そのお一人から最近話題のサンデルの「正義」は読みましたかといわれました。
名前さえ知りませんでしたが、いま話題になっているそうです。

私は「正義」が好きではありますが、「正義」と口に出されると腰が引けます。
「正義」という言葉は、それに反する人たちが好んで使う言葉だからです。
しかし、テレビでも話題だというので、読んでみようと思います。
読まれた方はいるでしょうか。

■企業での講演(2010年6月4日)
日本ハムのグループ会社の人たちを対象とした場でお話をさせてもらいました。
個別の企業対象の講演は辞めていましたので、久しぶりです。
私の言葉が通じたかどうかいささか心配ですが、人数も少なかったので「対話」スタイルもいれながら話させてもらいました。
私もいろいろな学びをもらいました。

久しぶりでしたが、NPOや行政相手とはやはり違ったものを感じました。
これからは積極的に受けていこうと思います。
やはり企業は面白いです。
問題がいろいろと見えていますので、解決策はそう難しいことではありませんし。

■野良仕事(2010年6月5日)
近くの空地で野菜を作っていますが、主役の女房がいなくなって以来、やる気力もなく放置していました。
今年から復活させることにしました。
一人では心もとないので、娘たちにも応援してもらい、少しずつまた再開したいと思います。
すでに一部は、下の娘夫婦がハーブを植えていますが、のこりの雑草を今日は上の娘と一緒に耕しなおしました。
やはり重労働で、立ちくらみが何回かおきましたが、何とかトマトやキュウリ、ナスなどを植えました。
一挙にやると倒れかねないので、次はまた来週です。

■活動を広げようと思います(2010年6月5日)
昨春から活動を再開していますが、今年はもう少し加速しようと思います。
そんなわけで、これからは呼びかけを積極的に受けるようにしようと思います。
今月は韓国に行くことにしました。
佐々木さんご夫妻が「福祉経営」の講座プログラムを実践するというので、それを見せてもらおうと思います。
また新潟水辺の会で開催する信濃川・環境大河塾ツアーにも参加させてもらうことにしました。
いずれも若い人たち向けのプログラムです。
コムケアでは、私が一度話させてもらう「社会起業家を考えるサロン」を開催しようと思います。
「やる気」が出てきたわけではありません。
「やる気」が出てくるのは、きっとこれからです。
その前に倒れなければいいのですが。
最近、やはりいろいろと「老い」を感じます。

(2010年5月第4週)
■日本に笑顔を増やしたい(2010年5月23日)
■対話法コムケアサロン(2010年5月23日)
■エコソシオの野原さん(2010年5月25日)
■ナラティブ・コミュニケーション(2010年5月26日)
■軽井沢合宿(2010年5月27〜28日)
■右脳と左脳の一致(2010年5月28日)
■オープンサロンに10年ぶりに石松さんがやってきました(2010年5月28日)

■日本に笑顔を増やしたい(2010年5月23日)
先週、STRAMDで私の話を聴いてくれた岸さんが会いに来てくれました。
いろいろと思うことがあったようです。
岸さんはまだ20代、それもいま誰もが知っている大企業に勤めています。
学生の頃、アメリカであるNPO活動に触れたのが契機になって、社会的な活動に関心を高めたようです。
岸さんのこれまでの活動や生き方をお聞きして、とてもうれしくなりました。
いまもなお企業にもこうした若者がいて、実践活動に取り組んでいるのです。
もちろんこうした人に今まで出会わなかったわけではありません。
言葉だけではなく実践している人にも出会うことは決して少なくありません。

しかし今回、岸さんと話していて、なにかとてもうれしい気がしました。
もしかしたらこうした動きは、今深く広がっているのかもしれません。
私が知らないだけかもしれません。
しかしなにやらとてもワクワクしてしまいました。

きっとまた接点があるでしょう。
今日は久しぶりに社会への希望を少し回復した気がします。

■対話法コムケアサロン(2010年5月23日)
4月に行った事業仕上げ型コムケアフォーラムのアフタープログラムとして、
事業仕上げ支援サロンを連続で開催していますが、今日はその第2回目でした。
今回のテーマは「対話法」です。
「対話法」は対話法研究所の浅野さんに話題提供してもらいました。
対話法は浅野さんが独自に開発したものですが、
浅野さんらしく地道に普及活動に取り組んできた成果が今いろいろなところで広がりだしています。
そのポイントは「確認型対話」と「反応型対話」を意識しながら使い分けていくことですが、
その基本にあるのは「人との付き合い方のマナー」のような気がします。

今回は新たに関東シニアライフアドバイザー協会の吉原さんが、理事長の菊井さんの紹介で参加してくださいました。
そしてとても示唆に富むお話もしてくださいました。
長野の佐久からも斎藤さんがわざわざ参加してくれました。
いろいろと広がりが育ってきてうれしいです。

サロンではいろいろな話が出ましたが、浅野さんが「2つの共感」の話をしました。
シンパシーとエンパシーの話です。
その2つを同じ「共感」という言葉で曖昧に使用していることに、浅野さんは危惧の念をお持ちのようです。
これは面白いテーマです。
少し考えてみようかと思います。

■エコソシオの野原さん(2010年5月25日)
久しぶりに野原さんが湯島にやってきました。
しばらくお会いしていませんでしたが、私はエコソシオの設立時に少し参加し、今も一応そこの役員なのだそうです。
いささか無責任な話ですが、エコソシオは野原さんの思いを込めたプロジェクトなのです。
最初は志を同じくした人たちでの共同出資で始めたのですが、結局は違憲の違いもあって、
最後は野原さんが引き受けてしまったのです。
私もインキュベーションハウスで同じ体験をしたのでわかりますが、
組織の中で働いてきた人にはアントレプレナーシップはなかなか理解されませんし、リスクをとる姿勢がほぼ皆無です。
そうした人たちと仕事を一緒にやるのは大変です。

会社はわがコンセプトワークショップとは違って順調のようですが、
野原さんは相変わらず関心を飛ばしていますので、
各地の地域整備に関わったり環境問題に関わったりしているようです。
野原さんとは関心事はかなり重なっていますが、たぶんリズムが違うので、
なかなか一緒に仕事をする機会はありません。
でもまあ、時々思いついたように湯島に来てくれます。

この時期、きちんと会社を維持していこうとするのはかなり大変なことなのです。
私のように割り切ってしまえば別ですが。
お昼をご馳走になってしまいました。

■ナラティブ・コミュニケーション(2010年5月26日)
久しぶりに刺激的なコミュニケーション論をやりました。
先日から始まった「ネクスト・コミュニケーション論サロン」(私の勝手な命名です)です。
今回はラーニングビジョンの小澤眞人さんの話題提供で、ナラティブがテーマです。
メンバーは小澤さんと淑徳大学の清水正道さん、それと私です。
少しずつメンバーを広げていく方針ですが、ホリスティックな発想のできる人でないとあまり面白くはないでしょう。

今回は、「物語」にこだわっているコミーの小宮山さんの紹介をしていたのですが、
まさに小宮山さんの取り組みがナラティブだと小澤さんが切り出したのです。
小澤さんから教えてもらったのですが、P・フレイレの発想とつながっているというのです。
清水さんも小宮山さんの取り組みにとても興味を持ちました。
それで次回はコミーに行くことにしました。

ところがです。
さらに話は思わぬ展開をしだしたのです。
小澤さんが演劇ワークショップや開発教育の話をしだしたのです。
なにやらどこかで出会った話ばかりだなと思い出していたのですが、
それで何となく開発教育に取り組む田中雅子さんの話を思い出して、ネパールでやっていた人がいると話しました。
そこから今度はPLA(Participatory Learning and Action)の話になりました。
PLAに関しては、以前、田中さんたちが書いた本「新入門社会開発」をこのサイトでも紹介しましたが、
田中さんの姿勢はまさにナラティブだったのです。
そこで小澤さんがぜひ田中さんにも会いたいと言い出しました。
いやはや思わぬ展開です。

今まで私が取り組んできたさまざまなことが、実はナラティブという捉え方をするとスッとつながっていくのです。
私の発想もやはり悪しき近代の要素還元発想に汚染されていることを痛感させられました。

そういえば、今回、小澤さんが最初に言ったのは「言葉が意識化させる」という言葉でした。
私は言葉にかなりこだわりますので、とても納得できるのですが、
いつの間にか私自身、その意識化の呪縛に陥っていたのかもしれません。

というわけで今回は久しぶりに刺激的な議論を楽しみました。
興味のある方はこのサロンに参加しませんか。

■軽井沢合宿(2010年5月27〜28日)
経営道フォーラム47期のスタートの合宿がありました。
若葉がまぶしいほどの軽井沢に来て、ホテルに缶詰めの合宿とはいかにももったいないのですが、まあ仕方がありません。
それに今回は議論も面白かったです。
最初に私の担当チームの12人に、いま何が問題かを質問しました。
全員の意識がかなり同じ方向を向いています。
閉塞感、バラバラ、信頼するよりどころがない、希望が見えない、誰も真剣に考えていないような不安など、表現は違いますが、みんな共通しています。
いままさに企業は壊れだしているのです。
私の見通しよりは10年遅れましたが、まさに脱構築が求められているように思います。

しかし、どうしていいかわからないという無力感もまたみんなに共通しています。
問題がわかれば答えはおのずと出てくるものだというのが私の考えですが、どこかでそうしたダイナミズムが途切れているようです。
今回は金融機関の人が参加してくれています。
これは実に楽しみです。
私の金融機関嫌いを直してくれるかもしれません。

さてさて今回はどう展開しますか。
楽しめるといいのですが。

■右脳と左脳の一致(2010年5月28日)
合宿のプログラムのなかに、 KAEリラックス体操というのが前回から組み込まれました。
前回は寝過ごして参加できませんでしたが、今回は参加させてもらいました。
何しろ始まりが朝の6時からです。
軽井沢を散策しようか体操に参加しようか迷ったのですが、
その講師の方に前回お会いしたのを思い出して少し遅れて参加しました。
講師 は株式会社エイアイティーを主宰されている田中栄一さんです。
田中さんは中学時代からハングライダーをはじめ、世界チャンピオンになった方です。
その体験を踏まえて開発した体操を実践的に講義してくれました。

たとえばこうです。
中指を伸びるように念じると伸びてしまうのです。
私は1センチ伸びました。
もちろん一時的なものですが、イメージの身体と物理的な身体があると田中さんはいいます。
前者は右脳が後者は左脳が、それを管理しているのだと田中さんは言います。
そしてその2つの身体が一体化することが望ましいというのです。
とても納得できます。

あるいは、ハングライダーの生徒に、「バランスを取るようににしろ」というか「バランスを崩さないようにしろ」というかで、成功率が全く違うのだそうです。
もちろん前者が成功率は高いのです。
そうした体験を話しながら、いくつかの実践をやっていきます。
宇宙からエネルギーを入れて身体を活性化するのもやりました。
それを田中さんから手ほどきされ、田中さんから気を送ってもらうと、命尽きるまで大丈夫なのだそうです。
私もその実践で、身体がぽかぽかしてきました。

その後、田中さんと話しました。
説明が不正確でしたが、田中さんは左脳と右脳の融合が大事だというのです。
私も全くそう思います。
その発想は個人の生にとっても大事ですが、組織経営にとっても大事です。

石岡にお住まいのようです。
知り合いがいるかもしれません。

■オープンサロンに10年ぶりに石松さんがやってきました(2010年5月28日)
今日は恒例のサロンなので、軽井沢から早めに戻りました。
今回は実に久しぶりに北九州市の石松さんがやってきました。
もう10年以上お会いしていなかったと思いますが、それが突然やってきたので驚きました。
実は2年前にも出張の時に立ち寄ってくれたそうですが、その時はサロンを休会していたのでドアがしまっていたようです。
今回はよかったです。

石松さんとは長い付き合いですが、ある日、突然飛び込んできて、研修の講師を頼まれたのです。
研修嫌い、講演嫌いなので、1年だけだったら引き受けると、私はえらそうなことを話したようです。
ところがそれから5年以上、その仕事をしてしまいました。
あるとき、石松さんにあったら佐藤さん、まだやっているのですかと言われてしまいました。

その仕事は市役所の新任課長研修でした。
合宿形式で、中にはコーヒーを飲みながら室内楽を、もちらん生で聴くというプログラムまで組み入れました。
難しいと思っていましたが、石松さんは実現してくれました。
毎年100人近い新任課長と寝食を共にして話し合うのは刺激的でした。
そこで得た刺激は、私にとっては大きな財産でした。
実に刺激的で、気がついたら5年以上も続いていたのです。
いろいろな人との出会いもありました。
そこから発展した物語もあります。

石松さんはまったく変わっていませんでした。
そして彼もまた、佐藤さんもまったく変わっていないので安心したと帰り際に言ってくれました。
もちろん彼は私が変わっていることを知った上での発言なのでしょうが。

初参加は杉並区地域包括支援センターの平野さんです。
在宅で安心して最後を迎えることができる社会を作りたいという話をしてくれました。
まさに「大きな福祉」につながる話です。

最近常連の乾さんから、お父上の話を初めて聞きました。
南方の戦線に従軍し生還したそうですが、遺骨収集に残された人生を捧げていたようです。
30年ほど前ですが、東レに勤めていた頃出会った、ある財団の高齢の方のことを思い出しました。
なぜその人と出会ったのか思いだせませんし、何を話したのかも忘れましたが、
なぜかその人は私の思いをきいてくれ、何回かお会いしたことがあります。
その人が、やはり南方の戦没者の遺骨収集に通っており、次がきっと体力的に最後になるよと言っていたことを思い出しました。
たしか猿渡さんといいました。
一度お話をゆっくり聞きたいと思いながら、仕事に忙殺され(当時はそれなりに仕事人間でした)その機会を失してしまいました。
とても後悔しましたが、そのことを強烈に思い出しました。

乾さんとは長い付き合いですが、父上の話を聞いて、いろいろなことがわかった気がします。
人が付き合っているのは、必ず意味があることを改めて実感しました。

他にも小山石さん、中村さん、福山さん、藤本さんが参加してくれましたが、やはりなかなか終えられずに9時を超えてしまいました。
疲れてしまい、駅まで娘に迎えにきてもらって、何とか帰宅しましたが、今週も疲れてました。

(2010年5月第3週)
■支え合いと箸ピーゲーム(2010年5月16日)
■エスクの今後について話し合いました(2010年5月17日)
■小平さんが和田さんを連れてきてくれました(2010年5月18日)
■ニュービジネススクールを目指すSTRAMD(2010年5月18日)
■映画「UNエージェント」(2010年5月20日)
■さまざまな来訪者(2010年5月21日)

■支え合いと箸ピーゲーム(2010年5月16日)
自殺のない社会づくりネットワークの定例の交流会でした。
ところがメンバーでもある国際箸学会理事長の小宮山さんが早々とやってきたので、案の定、箸ピーゲームになってしまいました。
それで本論に入る前に1時間が経ってしまいました。
まあこうやって展開するのが、自殺のない社会づくりネットワークやコムケアネットワークの姿勢なのです。

箸ピーゲームのおかげもあって、今回もまたとてもいい話し合いができました。
そのなかで、うつを抱えながら、仕事や子育てをしている人たちを中心に、自分たちの体験を言語化することができないかという発言がありました。
とても共感できます。
早速、そのプロジェクトを起こすことになりました。
と言ってもゆっくりと楽しみながらですが。
7月の交流会でスタートする予定です。
ご関心のある方はご連絡ください。
ナラティブセラピーの新しいモデルをつくれるかもしれません。

■エスクの今後について話し合いました(2010年5月17日)
家庭保育支援のネットワークのエスクの今後の展開について、今年の初めからいろいろと話しあっていますが、なかなか舵を切れずにいます。
そのうえ、いろいろと話していて、福祉ビジネスの怖さを痛感しだしました。
中途半端に関わることのリスクは大きいです。
そろそろどう関わっていくかを決めなければいけません。
これはかなり難しい問題です。
家庭保育システムに強い関心があり、汗をかいてもいいという人はいないでしょうか。
もしいたら至急私に連絡をください。

■小平さんが和田さんを連れてきてくれました(2010年5月18日)
エスクの事務局長の小平さんが和田さんを連れてきてくれました。
昨日の打ち合わせを受けて、早速動いてくれたのです。
動き出すかもしれません。

ところで、話が終わった後、思わぬ展開になりました。
和田さんは2年ほど前に奥さんを亡くされました。
私と同じ状況だったのです。
そのおかげで急に心が開けました。

和田さんは私よりもまだ若いです。
私とはまたちがった辛さを背負ったことでしょう。
でもなにやら心通ずるものがあります。

小平さんのおかげで、また一人、心通ずる友人を得た気持ちです。
何か一緒に活動ができればと思います。
私は怠惰になってしまっているので、もうついていけないかもしれませんが。

■ニュービジネススクールを目指すSTRAMD(2010年5月18日)
以前も少し書きましたが、パオスの中西さんがこれまでの活動の仕上げの思いも込めて、始めたのがSTRAMDです。
「企業経営をデザイン思考する」がスローガンで、経営戦略とデザインの創造的融合を目指しています。
その思いにはとても共感できます。
私の以前、その種のことを書いたことがあります。
「企業変革に向けてのコーポレート・デザインー企業の閉塞状況を打破するデザイン発想への期待」です。

中西さんからそこで話をしてほしいといわれ、話して来ました。
聴き手の受講生は20代から60代までに多様です。
週2回の講義ですが、なかには毎回、北海道から通っている人もいます。
中西さんからみんなそれぞれに強い思いがあるとお聞きしていました。
私に与えられたテーマは「社会性企業」です。
これは中西さんの造語です。

3時間の時間があっという間でした。
終わった後も質問が相次ぎ、なかなか帰れませんでしたが、実感したのは多くの人が実践者であることです。
上場企業の役員もいましたが、その人も今の閉塞感を打破したいと思っているようです。

私の話はたぶんとても耳新しく、違和感もあったと思いますが、真剣に聞いてもらえたと思います。
ビジネススクールで、今の経済学も経営学も役には立たないと断言してしまうような講義でよかったかいささかの心配はありましたが、中西さんは喜んでくれました。

あまり乗り気はしていなかったのですが、お話させてもらったおかげでいろいろな出会いがありました。
きっと新しい物語が始まります。
今の世の中の人には何を言っても通じないといじけがちだったことを反省しなければいけません。
中西さんに感謝しなければいけません。

ちなみに、私の話を聴いてくださった受講生の一人が、その感想をSTRAMDのブログで書いてくださっています

よかったらお読みください。

■映画「UNエージェント」(2010年5月20日)
録画していた映画「UNエージェント」を観ました。
その恐ろしさに身震いすると共に、自らの身勝手な生き方に嫌悪を感じました。

ご覧になった方はいるでしょうか。
1995年にボスニア・ヘルツェゴビナ紛争の中で起きた「スレブレニツァの虐殺」を題材に、戦犯を追いつめるスペシャリストたちの執念を描いたドキュメンタリタッチの映画です。

途中で観るのを何回もやめたくなりましたが、努力して最後まで観ました。
やはり世界の構成原理を変えなければいけません。
普天間問題への取り組みがいかにナンセンスかがよくわかります。
唯一の解決策は「友愛」しかありません。
抑止力ではありません。

やはりもう一度、ネグリを読もうと思いました。
私の生き方への確信は高まりましたが、そこに閉じこもっている生き方にはいささかの罪の意識も芽生えました。
また心の平安が揺さぶられてしまった気がします。

■さまざまな来訪者(2010年5月21日)
今日はさまざまな来客がありました。
すべて企業関係者でした。
こういうこともめずらしいです。

私は、この20年、企業、行政、NPO(ボランティアグループ)の3つの分野の人たちとできるだけ等分に付き合おうと考えてきました。
時期によってかなり偏りはありますが、おしなべて見ればだいたいそうなっています。
さらに世代的にも立場的にもできるだけ偏らないようにしてきました。
そのおかげで、世界がよく見えるような気がしています。
それと同時に、さまざまな世界と関わることで自分の存在の意味も見えやすくなりますし、そのおかげで私を支えてくれる人にもめぐまれてきました。
支えられるということは支えると同義であることも、そうした生き方の中で知りました。
それと同時に、気づかされたのが「リスペクト」ということの意味です。

まあそれはともかく、今日は某会社の経営者、KAEの卒業生、それに加えてなんと企業での講演依頼といろんな人がやってきました。
最近のNPOやその世界で活動している人たちに、ますますの違和感を強めている私としては、また企業の世界に引きずり込まれかねませんが、企業の世界の古さにはNPOの世界よりも退屈さを感じます。
なぜもっと時代を見据えないのか。
とても不思議です。
昨日テレビで観た映画の余韻が残っているせいか、何だか瑣末な世界に生きている自分にいささかの嫌悪感を拭えずにいます。

(2010年5月第2週)
今週は若い友人の訃報から始まりました。
いくつかの約束はこなしましたが、無気力な1週間でした。
若者の生命をうばう神さまは許せません。
神を殺したヨーロッパの人たちの気持ちがよくわかります。
殺せるものなら殺したいです。
■若い友人の葬儀(2010年5月11日)
■企業にとっての支えあい(2010年5月12日)
■コムサロン“Cafe LOHAS”スタート(2010年5月15日)

■若い友人の葬儀(2010年5月11日)
コムケアを一緒に立ちあげた佐藤泰弘さんが虫垂ガンで急逝しました。
1か月前に会う約束をしていたのに連絡がなかったので気になっていたのですが 、
いつも超多忙だったので楽しく仕事に取り組んでいるとばかり思っていました。
あまりに突然の訃報だったので、気が動転してしまいました。
あまりにも急でした。
ご冥福を祈ります。
これ以上ないというほど「気のいい真面目な若者」でした。
残念でなりません。

■企業にとっての支えあい(2010年5月12日)
経営道フォーラム46期生の発表会でした。
私の担当チームは、企業理念と企業文化がテーマでしたが、
偶然なのですが、2つのチームに共通したのが「支え合い」でした。
企業の経営幹部のみなさんが半年間議論してきたたどりついた結論です。
時代の雰囲気を感じます。

いずれもそれぞれにしっかりした内容の発表でしたが、スタイルはまったく違っていました。
一方のチームは几帳面にまとめました。
私が途中でアドバイスしたことにも出典を訊かれたほどでした。
一方は寸劇などのパフォーマンスをいれながら発表しました。
欲張りすぎて聴き手にはメッセージがやや伝わりにくかったかと思いますが、
内容を知っている私には感動が伝わってきました。
発表の後にテーブル後に議論してもらい、最後にそれぞれから発表してもらいましたが、
この活動を20年近くやっていて、この1年、少し企業の人たちの意識が変わってきているように思います。
もしかしたらまだ日本の大企業は立ち直れるかもしれません。
しかし基本的にはもう終わっています。
15年ほど前に雑誌に「大企業解体の予兆」を書きましたが、その時に思った以上に壊れてしまった気がしますが。

発表会には東京経済大学の教授だった梅澤正さんが傍聴に来ました。
大学を離れた後、人材育成のNPOに関わっていたようですが、
やはり現実のひどさにまた「企業文化」に取り組みたいと、先日、新著のはしがきを送ってきてくれたのです。
そこに梅澤さんの怒りと失意と思いを感じました。
梅澤さんとは不幸なすれ違いが多かったですが、その思いだけはそれなりに知っているつもりです。

基調講演の高橋さんはいつもの調子で話を楽しんでいました。
彼とも長い付き合いですが、みんなどんどん終わっていくのがわかります。
私もきっともう終わっているのでしょう。
しかしいまだ私が好きだった企業には未練があります。
寄ってたかってダメにしている経営者と経営学者がにくいです。

■コムサロン“Cafe LOHAS”スタート(2010年5月15日)
我孫子で活動をしている槙さんがいよいよコムサロン“Cafe LOHAS”をスタートさせました。
先日のコムケアの事業仕上げフォーラムでの発表事業の第1号です。
30人近い人が集まりました。
槙さんがこれまでじっくりと準備をしてきた成果が実ったようです。
これから毎週何回か、いろいろと工夫しながらサロンを継続していくそうです。

私はでかけていたため遅れて参加したのですが、みんな楽しそうで盛り上がっていました。
私の顔見知りはあまりいませんでしたが、何人かは見知った人もいました。
槙さんはこれからいろいろと企画をお持ちのようです。
これからの展開が楽しみです。

(2010年5月第1週)
■先週の記事への不評(2010年5月3日)
■エヴィーバ!(2010年5月3日)
■daxの突然の来訪(2010年5月4日)
■モンドラゴンと支え合うつながり(2010年5月6日)
■インキュベーションハウスの未来はまだ見えません(2010年5月6日)
■個人が主役の時代におけるビジネスマンのあり方(2010年5月7日)

■先週の記事への不評(2010年5月3日)
先週のオープンサロンの記事は不評で、2人の人から厳しいお叱りを受けました。
口は禍のもとです。
気をつけなければいけません。
重なることはあるもので、その直後にメールでもまた顰蹙を買うような事件を起こしてしまいました。
困ったものです。

しかしこうしたことはかなり慣れっこなのです。
私はホームページと並行してブログを書いていますが、これが極めて独善的かつ独白的なもので、いろいろと物議をかもすこともありました。
たしかに公開のところで書くべきではないことも少なくないのですが、まあ私には公開も非公開もあまり区別がありません。
それと「書くこと」と「読むこと」とはかなり切り離して考えていますので、私の場合はあまり読み手を意識しないのです。
これもまあ批判されることかもしれません。

しかし書いたもので誰かに不快な感じを与えてしまうことはよくありません。
反省しなければいけません。
ブログやホームページの文章も少し注意して書こうかと思います。
できるかどうか確信はありませんが。

■エヴィーバ!(2010年5月3日)
福山さんと中村さんから、柏のエヴィーバ!のイタリアンを食べに行こうと誘われました。
エヴィーバ!は私の娘のパートナーがやっているイタリアンのお店で、福山さんがすっかり気に行ってよく行っているのです。
ですから義父の私よりもよくしっています。
中村さんは杉並に住んでいますので、1時間半もかかってわざわざ来てくれました。
福山さんのお薦めで、フルコースとイカ墨のリゾットです。

このサイトではまだあまりエヴィーバ!のお店のことは書いていませんが、
サッカー好きでイタリアに行っているうちにイタリアンシェフになってしまったのが、エヴィーバ!のシェフの峰行さんです。
これ以上の善人はいないというほどの気の良い若者です。
まだホームページが修正されていないので、このサイトへのリンクは了解を得られずにいますが、エヴィーバ!で検索すると出てきます。
お近くの方がいたらご贔屓にお願いします。

さてそれはともかく、福山、中村、私の3人をつなぐのは地域医療というテーマです。
私はコムケアから、福山さんは自殺の問題から、中村さんは近くにある病院に関わっていることから、それぞれが行き着いたのが、このテーマです。
ですから同じ「地域医療」という言葉を使っていても、そこへの思いはかなり違います。
特に私の場合は、「大きな医療」というのが関心事で、ある意味では現在の病院の否定も含めて考えています。

■daxの突然の来訪(2010年5月4日)
昨日、エヴィーバ!で食事をしていたら、daxから電話がありました。
そのdaxが、突然、やってきました。
オートバイで1時間飛ばしてきたそうです。
daxはいつも突然やってきます。
まあなにしろdaxなのですから仕方がありません。

天気が良かったので、家の庭でコーヒーを飲みながら3時間近く話してしまいました。
わが家の庭はちょっと高台で、開けているので、話している声はかなりまわりに聞えます。
そこでdaxは刑務所に入っていた話をしたので、もし聞こえていたら面白い話だったでしょう。
しかし、話が結構合いましたので、私も刑務所に入っていたと思われたかもしれません。
daxからは、佐藤さんにはつとまらないよとバカにされそうですが。
ところでdaxの人生も少し変わるかもしれません。
彼のために何か役に立つことが出てくるかもしれません。
そうなればいいのですが。

■モンドラゴンと支え合うつながり(2010年5月6日)
民医連厚生事業協同組合の専務理事の渡邉さんが湯島に来てくれました。
私がモンドラゴンの医療関連のことを調べていることを知って、わざわざ資料を持参してくださったのです。
人のつながりのすごさをまた感じさせてもらいました。
ある人にメールで質問したら、すぐに渡邉さんから電話があったのです。
支え合うつながりのおかげです。

渡邉さんとは3年前にもお会いしています。
その時は「共済」に関する話でした。
3人の方が一緒にお見えになったことも会って、渡邊さんとはゆっくりお話できなかったかもしれません。
今回は渡邊さんの活動などについてお話をお聞きしました。
かなり関心事やテーマがつながっているようです。

ところでモンドラゴンですが、モンドラゴンはスペインのバスク地方にある町の名前です。
スペイン戦争の後、そこから新しい協同組合の運動が起こったのです。
私が会社を辞めてから、これからの企業のあり方について考えてきた時期がありますが(その時のノートが雑誌に連載した「脱構築する企業経営」です)、結論は協同組合でした。
その出発点がモンドラゴンなのです。
ネットで調べたら、「モンドラゴン中野の郷」というのが2002年にできていました。
日本でもさまざまな試みがあるのです。
もう少し調べてみたいと思っています。

■インキュベーションハウスの未来はまだ見えません(2010年5月6日)
インキュベーションハウスを復活しようと小山石さんと宮部さんがやってきました。
いずれのライフスタイルも違うようでどこか似ているところがあるので、なかなか議論は収斂しませんが、3時間を超える大議論?を行いました。
あまり事業のネタは出てきませんでしたが、ヒントはいろいろありました。
構想家にして実践的プランナーの小山石さんが次のステップに持っていってくれるでしょう。
しかし3人とも、まあほどほどに生活できればいいという怠惰な輩なので、インキュベーションハウスの未来はまだ見えてきません。

しかしまあ、急ぐことはないでしょう。
時代は間違いなく私の描く方向に動いているような気がします。

■個人が主役の時代におけるビジネスマンのあり方(2010年5月7日)
山城経営研究所エグゼクティブフォーラムの21期がスタートしました。
その開講式の基調講演をさせてもらいました。
そのタイトルが「個人が主役の時代におけるビジネスマンのあり方」です。
私の伝えたいメッセージは、もう雇われ人(エンプロイー)根性を捨てて、企業という仕組みを活かすアントレプレナー(起業家)になろうということです。
いまの社会が壊れてきているのは経済システムが破綻しているからだろうと私は思っています。
今私たちは、お金のために働いているわけです。
その意味は、お金をもらいためと言う意味ではありません。
お金が要求する利子のためという意味です。

金利負担しているのはお金を持っている資産家だと私たちは思いがちですが、むしろ貧しい人ほど相対的には金利負担をしているのが最近の金融資本主義の実態です。
しかし「お金が取り込む利子」は現実には見えない形になっています。
スーパーで200円のキャベツを買うとします。
キャベツの原価を調べていくと、そこに「金利」の項目が隠されていることに気づきます。
農家は生産のために施設や機械に投資しますが、その投資のために融資を受けます。
その金利負担が農家の生産費にはしっかりと含まれています。
スーパーは店舗建設のために融資を受けていますが、その金利もまた原価に反映されています。
そんなことは当然だと思うかもしれませんが、もし金利がゼロであれば、つまりお金がお金を生み出す構造をなくせば、金利分だけ価格は安くなります。
言い換えれば、金利分は消費者が負担しているわけです。
もっとわかりやすいのはガソリンです。
ガソリンにかかっている税金のかなりの部分が、国家が借金している分の金利に取られています。
もし国家の借金の金利がゼロであれば、税金はもっと安くなるのです。
こうした金利がどこに行っているかといえば、お金を持っている人に行きます。
ですからお金をたくさん持っている人は働かなくてもお金はどんどん入ってきます。
これが今の経済の構造です。

なんだかブログの時評編になってきてしまいました。
そこに書くことにします。

本論に戻せば、講演の後、皆さんからの感想と質問をもらいました。
かなりコミュニケーションが成り立っていたようで、よかったです。
もっとも今回は時間を勘違いしてしまい、肝心のアジテーションの部分を話せませんでした。
大失敗です。
いろんな質問をもらいました。
それぞれ実に面白いテーマで詳しく話したかったのですが、時間がなかったのが残念です。
いつもこうやって話していると、企業はかわるかもしれないという期待を持ちます。
みんながアントレプレナーシップを持てばですが。
でも今のままのエンプロイーを続けるのが楽でしょうから、期待はこれまではいつも裏切られてきました。
今回はどうでしょうか。
一人でも動いてくれる人がいたら、それでもう幸せなのですが。

(2010年4月第4週)
春が来たと思ったのに、また後半は寒い週でした。
■支え合いつながり交流会(2010年4月25日)
■支え合う本能(2010年4月26日)
■自殺のない社会に向けて何ができるか(2010年4月26日)
■コミュニケーションサロンが始まります(2010年4月26日)
■箸ピーゲーム(2010年4月27日)
■親知らず歯(2010年4月28日)
■オープンサロンは賑やかでしたが退屈でした(2010年4月30日)
■コモンズ手賀沼定も事業検討会に移りました(2010年5月1日)

■支え合いつながり交流会(2010年4月25日)
昨日は大阪で、「ささえあいつながり交流会」をやってきました。
コムケア活動と自殺のない社会づくりネットワークとを重ねる形で、大阪で「ささえあいつながり交流会」を開催しました。
いずれものメンバーである、大阪の岡崎さんが中心で企画開催してくれました。
25人の人が集まり、3時間という長い時間があっという間に過ぎました。
とても良かったのは、まさに今回も関係者の「支え合い」で実現したことと多彩な人たちが集まってくれたことです。
ブログにも書きましたが、コムケア的な、とてもいい集まりでした。

こうした集まりが各地に広がっていったら、すみやすい世の中になるでしょう。
世の中には善良な人たちばかりなのに、なぜマスコミはこうした人たちのことを報道しないのか。
マスコミ情報だけで生きている人たちは、たぶんこんな「幸せな世界」など知る由もないでしょう。

生活者はみんな「支え合って」生きているのです。
いえ、支え合うことが生きることなのだといってもいいでしょう。

■支え合う本能(2010年4月26日)
支え合いは生きること、と前項に書きましたが、それを裏付ける事件に遭遇しました。

これもブログに書きましたが、オフィスに出向く途中での事件です。
交差点で待っていた高齢の男性が、青信号になって歩き出した途端に倒れたのです。
交差点から20メートルくらいのところに私はいたのですが、それを見て考える前に走り出していました。
交差点の反対側から渡りだした同じ世代のご夫婦も走ってきました。
交差点のところにいた自動車からもふたりの人が、どこからともなく若い男性が、集まってきて、声をかけましたが、反応がありません。
道路の端っこだったので、ともかく危なかったのですが、誰からともなくむやみに動かしたらいけない、ともかく救急車を呼ぼうということになりました。
自動車から降りた人が携帯電話で消防車に連絡しました。
その間に、その人は何とか意識が少し戻ったようなので、若い男性たちが歩道に運んで横に寝かせました。
若い男性は自分が着ている上着を脱いで枕にしてやりました。
そのうちに、意識が戻ってきて、救急車が到着した時に話ができるようになっていましたが、倒れた時に時計が肌に食い込んだのか手首から出血していました。
その間、10分か20分ですが、自動車から降りた人は仕事の途中だったようで、会社に遅れてしまうがよろしくと謝っていました。
まあ、それだけの話です。

人には「支えあう心」が埋め込まれているのです。

■自殺のない社会に向けて何ができるか(2010年4月26日)
自殺のない社会づくりネットワーク事務局長の福山さんと、これからのネットワークの展開について話し合いました。
私の発想は「大きな福祉」ですから個別課題には深くコミットしないのが方針ですが、このテーマにはついに1年以上も深くコミットしてしまいました。
そろそろ引き際なのですが、このネットワークそのものが次第に「大きな福祉」発想に近づいているのです。
これは福山さんのナーシングマインドに寄るところが大きいです。
ネットワークの名前も、そろそろささえあいネットワークに変えてもいいかもしれません。

昨日大阪で開催した「ささえあいつながり交流会」こそシェルターだという認識でも福山さんと一致しました。
気楽に本音で話し合える場こそが、すべての人を元気にし、犯罪や不幸をなくすことなのです。
そんな場を広げていこうということで合意できましたので、コムケアとささあいネットワークの路線はかなり重なりそうです。

ブックのコーナーで紹介しましたが、東尋坊の茂さんが本を出しました。
その中に、私も福山さんも寄稿していますが、全体の流れの中ではかなり浮いています。
それは本に限りません。
実はこの1年の活動は基本的に茂さんの活動の支援だったのです。
今年から少しずつ独自の活動に掛けていこうと思います。
そうすればコムケアと矛盾なくゆるやかな連携がとれていくはずです。

ちなみに私は最近の自殺対策にはあまり共感していないのです。
にもかかわらずそうした活動にコミットしているのがとても落ち着きません。
なんで関わっているのと友人からも違和感を持たれていますが、これで整理できそうです。

■コミュニケーションサロンが始まります(2010年4月26日)
淑徳大学の清水さんの「環境コミュニケーション」で予告されている企業コミュニケーション論のパラダイムシフトをテーマにコミュニケーションサロンをやりませんかと誘っていたのですが、清水さんもその気になってくれて、今日はそのプレミーティングでした。
ラーニングビジョンの小澤さんと3人で基本的な確認をしました。

私は行為論としてのコミュニケーション論にはほとんど興味がありません。
コミュニケーションは関係論であると共に、組織論だと思っているのです。
ですから経済広報センターに日本広報学会の設立を提案した時も、また日本CI会議体を立ちあげた時も、すべてその視点で考えていましたが、それに共感してくれる人はいずれにおいても皆無でした。
それで結局、いずれからも降りたのですが、今でも未練がましくそのテーマに関心があるのです。
そのことを小澤さんはすぐに共感してくれたような気がします。
小澤さんとは初対面なのですが、ナラティブアプローチに取り組んでいるようです。
そこに現在のコミュニケーション活動に通じている清水さんが加わると面白い議論ができるでしょう。
あまり急がずに、遊ぶ感覚で、新しいコーヒーハウスサロンを開催しようという合意ができました。
さてまたひとつサロンが始まります、

今年は週1回はサロンをやろうと思っています。
サロン活動の再開です。

■箸ピーゲーム(2010年4月27日)
17日に紹介した箸ピーゲームのセットを自宅と湯島に用意しました。
それでやってきた人はみんなそれをやってもらうことにしました。
これまでの体験でいうと、左脳派よりも右脳派のほうが得点が高いです。
私はいつも中間的なところに位置していますが、これは私がバランスのいい常識人であることの証明です。はい。
まあそれはともかく、たしかにこのゲームにはさまざまな効用がありそうです。

箸ピーゲームは、オリンピック、パラリンピックに次ぐ、箸リンピックの最大のシンボルゲームです。
いまやイヌイットの世界でもパリでも流行っているという噂もあります。
と言っても、箸リンピックなんて聞いたことがないという人が多いでしょう。
まもなく世界的に有名になりますので、その前にぜひ皆さんもご体験ください。
箸リンピックにトライしたい方は湯島にお越しください。
挑戦してもらい、きちんと記録書に残しますので。

今日、わが家に来た来客は若者でしたが、87と74でした。
私の正式記録は80ですが、今日はちょっと寒いのと配置を間違えてしまい、70に終わりました、
手がかじかむくらい、今日も寒かったです。

■親知らず歯(2010年4月28日)
さてさて大変なことになりました。
いよいよ親知らず歯を抜かなければいけなくなりました。
先の人生もそう長いことないのですから、このままにしておきたいのですが、いつも行っている歯医者さんが大学病院で相談した方がいいというのです。
痛みも何もないのですが、危険な予兆があるのだそうです。
紹介状を書いてくれるというのです。
有無を言わせません。困ったものです。

30年ほど前に反対側の親知らずを抜きましたが、半日かかりました。
悪夢の再来です。
さてどうしたものか。憂鬱です。

■オープンサロンは賑やかでしたが退屈でした(2010年4月30日)
オープンサロンでした。
12人の人がやってきました。
連休だというのにみんな暇です。
というような憎まれ口をたたいていたら、今回は実にハードな話題になってしまいました。
宗教と政治です。
私のイメージのサロンにはまったくふさわしくありませんが、いずれも昨今の議論の風潮に異論のあるテーマなので、また話しすぎてしまいました。
反省しなければいけません。

しかしなんでみんな「宗教」などを論ずることができるのでしょうか。
それぞれの持っている概念定義があまりにも違うので、議論など出来ようはずもありません。
企業の人たちが経営戦略といって内容のない言葉の遊びをしているのとまったく同じです。
困ったものです。
今日のサロンはとても賑やかでしたが、退屈でした。

はじめてきた人も数名いましたし、久しぶりの人もいました。
それに今日はいろんな人が食べ物をたくさん持ってきてしまいました。
これも私の趣味ではありません。
今日はやはりサロンは止めようかと思うほど退屈でした。
サロンに過剰な食べ物や飲み物は不要だと改めて思いました。
サロンは、やはり珈琲とわずかばかりのクッキーです。
できれば参加者の方は「物」は持たずに「話」だけを持ってきてください。

■コモンズ手賀沼定も事業検討会に移りました(2010年5月1日)
LLPコモンズ手賀沼の例会でしたが、今月からメンバーが順番に自分の持っている事業構想を話題提供し、みんなで議論することにしました。
1回目の今日は福祉関係でした。
話を聞いていると私の知っている人たちとの接点がいろいろありそうです。
改めてみんな同じようなことを考えることを実感しました。
だからこそ情報は発信していくのが効果的です。
惜しむらくは私の消化能力が絶対的に不足していることです。
これはどうしようもありません。

しかしやはり一番大事なのは、信頼関係です。
ソーシャルキャピタルの大切さは、何かをやろうと思って動き出すと本当によくわかります。
と言うわけで、コモンズ手賀沼も少しずつ前に進んでいます。

(2010年4月第3週)
今週はいろんな組織のトップに会いました。
■河北総合病院の河北理事長の「Vitα構想」(2010年4月19日)
■株式会社ヘレンの奥山社長と藤本副社長(2010年4月21日)
■ホーユーの水野社長とも久しぶりにお会いしました(2010年4月21日)

■河北総合病院の河北理事長の「Vitα構想」(2010年4月19日)
中村さんの紹介で河北さんとお会いすることになりました。
中村さんのお誘いでは断れません。
御茶ノ水の山の上ホテルのてんぷらやさんでご馳走してくれるというので出かけました。
山の上ホテルは10数年ぶりでしょうか。
期待して行ったのですが、正直美味しくありませんでした。
それに対応が昔とは全く違って、基本的なマナーができていないように思いました。
山の上ホテルも落ちてしまったと思いましたが、社会一般が劣化しているのかもしれません。

余分なことを書いてしまいました。
河北さんは杉並区で地域医療のモデルの構築を構想されています。
それで「Vitαプロジェクト」を立ち上げつつあるそうです。
その思いにはとても共感しましたし、その取り組みにも大きな関心を持ちました。
医療と介護と福祉と文化、それが一緒に脱構築されていくことが必要ではないかと思っていますが、
その基本は地域医療(正確にはケアコミュニティ)にあると私も思っているからです。
中村さんが、そのプロジェクトに関わるそうなので、また動きは教えてもらえるでしょう。
これからどう展開するか期待したいと思います。

■株式会社ヘレンの奥山社長と藤本副社長(2010年4月21日)
社長、副社長といっても、以前からのお付き合いなので、どうもそういう気がしません。
しかしこれから少し仕事関係のお付き合いが始まりそうなので、本社にお伺いしました。
東京駅近くの京橋にあります。
いつもは湯島で会っていますが、湯島と京橋とでは全く雰囲気が違います。
ビジネス感覚が戻ってきてしまいます。
そうなるとどこからともなくウズウズした気分が起こりそうです。
やはり私はまだビジネスが好きなのかもしれません。

久しぶりに銀座の美々卯のお店でご馳走になりました。
ここも20数年ぶりです。
会社時代に来て以来です。
てんぷらも食べましたが、やはりもうひとつです。
山の上ホテルとどっこいどっこいです。
でもマナーはかなり違いました。とてもよかったです。

またてんぷらの話になってしまいましたが、ビジネスの世界と社会活動の世界では、
もしかしたら「食べるもの」が違うのかもしれません。
代金もかなり違います。
これが問題なのかもしれません。
私の味覚が「劣化」したのかもしれません。
わが家で娘がつくるてんぷらの方がおいしい気がしました。

てんぷらをご馳走になったのはいいのですが、肝心のビジネスの話はお互いに忘れてしまいました。
日を改めてもう一度こなくてはいけません。
困ったものです。

■ホーユーの水野社長とも久しぶりにお会いしました(2010年4月21日)
名古屋に本社があるホーユーの水野社長と久しぶりにお会いしました。
以前ちょっと関わったことがあるのですが、水野さんが人を介して会いたいと言ってきたのです。
ホーユーは昨年カネボウの3つの事業を買収しました。
その件で少し相談に乗ったりしたことがあったのですが、
私はこの5年、ビジネスから離れていたこともあって、肝心の買収には関わりませんでした。
その買収の話を報告してくれたのです。

会社の経営者も結構大変のようです。
先週会ったコミーの小宮山さんのような社長はいまや稀有の存在のようです。
しかしみんなもっと小宮山ライクに生きたら、本人も社会も楽しくなるのではないかと勝手に思いました。

てんぷらをご馳走になれなかったのが残念です。
もうひとつくらい食べ比べてみたかったです。

(2010年4月第2週)
また冬のように寒くなってしまいました。
■福祉経営向けマネジメントゲーム(2010年4月11日)
■ばばこういちさんとのお別れ(2010年4月12日)
■物語を創りだすということ(2010年4月14日)
■日本の田園景観保全と菜園クラブ展開(2010年4月15日)
■ささえあい箸ピー交流(2010年4月17日)

■福祉経営向けマネジメントゲーム(2010年4月11日)
先週の事業仕上げフォーラムに続く企業支援セミナー型コムケアサロンが始まりました。
その第1回は、福祉経営向けマネジメントゲームです。
講師はこのマネジメントゲームを開発中の佐々木憲文さんです。
佐々木さんの奥さんと共済研究会の高月さんまで応援に参加してくれました。
参加申込者が多かったため、会場を急遽、山城経営研究所に変更し、研究所の堀越さん、市川さんにも参加してもらいました。
15人の参加者があり、とても楽しく、意義あるものになりました。

企業を対象としたマネジメントゲームはいろいろなところで取り組んでいますが、
NPOや福祉施設対象のマネジメントゲームは、おそらく本邦初ではなかったかと思います。
佐々木さんが工夫されて、「ケア」という言葉も織り込んでいたため、
ゲームでは「ケア」という言葉も頻発されていたのがとても印象的でした。

ワークショップでは、参加者がそれぞれ事業経営者になり、
ゲームを通して2年間の経営に取り組み、その結果を損益計算図や貸借対照表の作成を通して、経営活動の重要なポイントを実感するというものです。
資金調達をあまり考えていない人が多かったように思いましたが、
たぶん2年目の決算をしめたら(時間の関係でその報告はありませんでしたが)、
倒産した人もいたのではないかと思います。

4時間という長丁場でしたが、あっという間の短さで、やはりもう少し時間がほしかったのが正直なところですが、今回のワークショップをベースに、佐々木さんにもご協力いただいて、福祉施設やNPO向けの、マネジメントゲーム研修プログラムが開発できないだろうかと思いました。

コムケアの集まりは、いつも新しいメンバーが参加してくださるのも嬉しさの一つですが、今回はわざわざ長野から、地域の3世代交流の場を立ち上げようという斎藤さんが参加してくださいました。
ほかにも3人の新しい参加者がありました。

できれば今回の集まりからまた新しいプロジェクトが生まれればと思っています。

■ばばこういちさんとのお別れ(2010年4月12日)
ばばこうちさんの葬儀に行きました。
内輪だけの葬儀ということでしたが、ばばさんと親交のあった人たちで会場はいっぱいでした。
友人がお2人お話され、つづいてばばさんが好きだったモーツアルトの曲を背景に参列者が献花しました。
とてもいい雰囲気でした。
献花した後、奥さんと目が会いました。
あの元気で快活な奥さんの涙を初めて見ました。
なんと声をかけていいかわからず、大変でしたねとしかいえませんでした。

テレビ番組で知り合った人たちにも何人か会いましたが、その中に島根の小松さんがいました。
久しぶりにお会いしましたので、少しお話しました。
小松さんは島根の中海の埋立地を世界の平和の拠点にしたいと取り組んでいます。
着実に基盤は固まっているようです。
小松さんが最近書いた小冊子をもらいました。
小松さんとの出会いもばばさんのおかげです。
ばばさんが一度紹介したいと言って、どこかのホテルで会いました。
構想は共感できましたが、私の役割が見つけられずに、何回かのやりとりのうちに交流が途絶えてしまいました。
久しぶりにお会いした小松さんはお元気そうでした。

ばばさんの友人の矢崎さんが、誰かが思い出している間は、その人は生きている、と話されました。
今日、集まった人たちにとって、ばばさんはどういう存在だったのでしょうか。
妻を見送った後、初めて参列した葬儀でした。
これまでとは全く違う思いで、参列させてもらいました。

■物語を創りだすということ(2010年4月14日)
アートクリエの若い2人のインキュベーターが、やってきました。
会社も正式に発足し、事業計画も固まり、パートナーもできてきました。
彼らの夢は、「人々の自分らしく心豊かな生活の実現」です。
そのために、新しい事業モデルを構想しているのです。
これまでも何回か、話を聞いていますが、来るたびにリアリティが高まっていますが、同時にそれは課題が具体化し、次第にわずらわしさが増えてくることでもあります。
ビジネスとしての将来性はありますが、立ち上げには労力と資金が必要です。
この事業構想に3000万円くらいポンと出してくれるパトロンはいないでしょうか。
お金以外のことならそれなりに役立てますが、お金の問題になると私は全く役に立てないのです。
誰かいたら連絡してください。
おそらく投資に見合った収益は得られるはずです。

アートクリエに続いてやってきたのは、シニアのインキュベーターです。
と言っても、事業を起こそうというのではありません。
ある地域をよくしたいという思いで、悠々自適の暮らしができる立場でありながら、あるプロジェクトに身を入れだしているのです。
私と同世代の元企業人ですが、生き方を大きく変えだしているのです。
その人が取り組もうとしているプロジェクトに巻き込まれそうなのですが、それはその人が私のブログを丁寧に読んでくれていて、私の考えに共感してくれてのことなので、断るわけにはいかないのです。

さて、この2種類の新しいプロジェクト。
取り組む人の世代も思いも、またその事業の人生における位置づけも大きく違っています。
それに事業の内容が、全くと言っていいほど違うのです。
しかし、どこかに通ずるところがあるのです。

最近、どんな話もつながっているような気がしてきて、どんな話も面白く、協力したくなってしまいます。
困ったものです。

■日本の田園景観保全と菜園クラブ展開(2010年4月15日)
つづいて菜園クラブの増山さんがやってきました。
「半農生活をはじめよう」の出版以来、仲間が増えているようです。
問題はそれをどう事業化していくかです。
私にはいたって簡単なように思いますが、どうもみんな自分一人で考えてしまう傾向があります。
関心を持ってくれた人と一緒に構想を考え、活動の組織化を進めて、一緒に汗と知恵を出しあうしくみをつくればいいのです。
そしてそのプロセスを大事にすればきっといつか事業が生まれてきます。
まあそれが私の基本的な姿勢なのですが、この方式の最大のメリットはプロセスを目的にしますから失敗はしないのです。
つまりどういう結果になろうと成功なのです。
最大の問題は、事業収益は全く別の問題だということです。
ですから収益を目的にする場愛はお勧めできません。
でも結果的には必ず収益につながるはずです。
私はそう硬く信じているわけです。

私は農業には2種類あると考えています。
業に重点のある農業と農に重点のある農業です。
工業化された農業と生活と重なっている農業と言い換えてもいいのですが、私の関心は後者です。
産業化の呪縛から抜け出せば、新しい農業事業のあり方が見えてくるはずです。

増山さんはどうもまだその狭間で悩んでいます。
そんなことで、増山さんには今回もアジテートしてしまいました。
さてどうなりますか。

■ささえあい箸ピー交流(2010年4月17日)
自殺のない社会づくりネットワーク・ささえあい(長いのでそろそろ「ささえあいネット」に略称したほうがよさそうですが)の今月の交流会は、場所を変えて、国際箸学会の小宮山さんの会社で箸ピーゲームを話題にしての開催でした。
この日は41年ぶりの春の降雪で、我孫子にはうっすら雪が積もるほどの寒さで、参加者はいないのではないかと心配しましたが、6人の参加がありました。
やはり会場を変えると参加者は少なくなるようです。
それに「自殺」と「箸ピーゲーム」はミスマッチのイメージがあるのかもしれません。
しかし、そうした発想を変えていくことこそが、自殺問題や福祉問題の状況を打破していくためには不可欠だろうと思います。

コミーという会社は、先月もテレビの夢の扉で取り上げられましたが、実に面白い会社です。
会社も面白いのですが、社長が始めた国際箸学会は、それに負けずに面白いのです。
しかし一番面白いのは小宮山さんです。
お付き合いは20年近くになりますが、不思議な人です。

箸ピーゲームもやりましたが、私は1分間で80個でした。
参加者の中では真ん中でした。
このゲームは、福祉施設では効果的でしょう。
認知症予防にも効果的だろうと思います。

さまざまな話題が飛び交い、実に面白い会になり、時間を大幅に超えてしました。
それにしても小宮山さんは不思議な人です。
ちなみに、箸ピーゲームを体験されたい方は湯島にお越しください。
体験できます。

(2010年4月第1週)
花冷えの1週間でした。
■支え合いを形にする事業仕上げフォーラム(2010年4月4日)
■スローレポート『S−Report』(2010年4月5日)
■オランダ日系2世の父親捜し(2010年4月5日)
■恒例の経営道フォーラム合宿(2010年4月6〜7日)
■NPO人材アカデミーの解散(2010年4月8日)
■高須さんのチャレンジ(2010年4月9日)
■大阪でコムケアとささえあいの共催サロンをやります(2010年4月9日)
■LLPコモンズ手賀沼総会(2010年4月10日)

■支え合いを形にする事業仕上げフォーラム(2010年4月4日)
われながら無謀かなと思った、事業仕上げ型フォーラムは、27人の人が参加して、予想以上の面白いフォーラムになりました。
1か月前に急遽開催を決定し、7人の仲間とやってきたことが報われた感じです。
今回のフォーラムの実行委員は、今までとはかなり違っていました。
武藤さん、宮部さん、矢辺さんは、これまでもコムケアのいろいろな集まりの実行委員サイドで一緒にやってきたことはありますが、今回は福山さん、杉原さんという、自殺のない社会づくりネットワークで知り合った人、そして地元の活動で知り合った槙さんという、私にとっては3つの流れでの友人と一緒に取り組めたノーマライゼーションが最高でした。
しかもそれをさまざまな人たちが応援してくれました。
今回のフォーラムのテーマは、「支え合いを形にする」でしたが、まさにこのフォーラムの開催がそのテーマの実現だったと言ってもいいでしょう。

フォーラムの運営そのものは武藤さんがプロデュースしてくれましたので、私はそれに乗っていただけです。
私が話させてもらったのは、最初と最後の10分だけです。
後はすべて参加者と同じ立場でワークショップに参加しました。
武藤さんには申し訳ないことをしましたが、まあコムケアですからすべてが許されるのです。

冒頭で、「支え合い」には2つのことを話させてもらいました。
一つは、「支え合い」には、「補い合う支え合い」と「高め合う支え合い」の2種類があるということです。
普通、支え合いというと、相手の弱いところを補い合うというイメージをもつ人が多いと思いますが、むしろ「相手の強いところを活かす」ことが、支え合いのポイントだろうと、私は思っています。
今回のフォーラムでは、さまざまな立場の人が集まり、それぞれの「できること」「持っていること」を出しあって、新しい物語を「創発」させることを目指しました。

もうひとつは、「つながりから支え合いが生まれる」のではなく、「支え合いからつながりが生まれる」ということです。
これは、私の10年間のコムケア活動から得たことです。
一緒に、汗を出し合うことがとても大切なのです。

今回は、酒田市(山形県)と大阪からも、それぞれお一人ずつ参加してくれました。
こんな小さなフォーラムに、高い交通費と時間をかけて参加してくださったことに感謝しなければいけませんが、お2人ともきっとそれぞれにたくさんのものを得てくださったと思います。
たぶん酒田と大阪で、新しい動きが始まるはずです。
始まったら、私も行きたいと思います。
それこそが支え合いなのです。

ワークショップに先立ち、4人の方から次のプロジェクトの呼びかけがありました。
・支えあいのための事業LLPジョイントベンチャー
・創年のたまり場とワンコイン・カフェ
・清水なめこ興し(過疎地特産品応援プロジェクト)
・地域商店街元気プロジェクト

それぞれに付いて、武藤さんのプロデュースで、リズミカルなワークショップが展開されました。
今回は、武藤さんとも少し話して、今様のワールドカフェスタイルも少し取り込みました。
武藤さんが、とても的確な進行をしてくれたので、たくさんの個性的な人たち(なかにはワークショップのプロのような人もいましたが)がいたにもかかわらず、参加者みんあにとって、とても気持ちのよいワークショップになったと思います。
4時間があっという間でした。

長くなってしまいました。
書き残したいことが山のようにありますが、これくらいにしておきます。

来週から、このアフタープログラムとして、事業仕上げ支援セミナー型サロンが始まります。
次回はもう定員を超えてしまいましたが、引き続き案内をお知らせに書きますので、よかったら参加してください。
それに、7月には今回の発表もかねて、第2弾の事業仕上げフォーラムも考えたいと思っています。

■スローレポート『S−Report』(2010年4月5日)
ブログに書きましたが、インターネット新聞.JANJANなど)が休刊になってしまいました。
その市民記者をされていた長岡さんが昨日のフ事業仕上げフォーラムに参加していてくださったのですが、JANJANに提供していた記事を今月からSlowtimes.netの週刊「S−Report」に公開していくそうです。
いい機会なので、このサイトにリンクさせてもらいました。
昨日のフォーラムの記事も早速アップしてくれました、

長岡さんによれば、
Slowtimes.netは、誰もが生きやすい生活や仕事のありかた(スローライフ・スローワーク)について考えたい、何かしてみたいという人に情報を提供する市民メディア、オルタナティブメディアで、ネットワークトジャーナリズム
を目指しています。
メールニュースの週刊「S−Report」を1999年より発行しているそうです。

市民メディアには私も興味はありますが、長岡さんの活動にも興味があります。
長岡さんは不思議な人なのです。

■オランダ日系2世の父親捜し(2010年4月5日)
しばらく連絡が途絶えていた武井優さんから電話がありました。
昨年の今頃、武井さんと話していたことが動き出しているのです。
ファムケーション・フォーラムの再開です。
今回のテーマは、オランダ日系2世の父親捜しです。
詳細はまたご案内しますが、とりあえずここをクリックしてください。

6月19日に日本青年館で開催します。

ファムケーションは、ファミリーとコミュニケーションをくっつけた、武井さんの造語です。
武井さんは、子どもの社会問題をテーマに、社会(企業)の賛同のもとに、
1990年から1994年にかけて、6回にわたる公開フォーラムを開催するなど、さまざまな活動を展開してきました。
私は最初からささやかな協力をしているうちに、フォーラムにまで出させられてしまったのですが、
昨年、武井さんから再開の話を聞き、ついつい背中を押してしまったのです。
ですからなにがしかの協力をしないとならないのですが、2つのことを応援することにしました。

一つは、開催のための資金集めです。
今回は小口の寄付で開催日を賄いたいと武井さんは考えています。
10万円前後の寄付をしてくれる企業もしくは資産家はいないでしょうか。
もし教えてもらったら、武井さんに説明にいってもらいます。
もう一つは当日の参加者集めです。
そのためには、このフォーラムのことを広く知ってもらわなければいけません。
もしよかったら皆さんもご協力してください。
よろしくお願いいたします。

■恒例の経営道フォーラム合宿(2010年4月6〜7日)
箱根で経営道フォーラムの合宿でした。
私の担当のチームは、いずれも事務局の意に反して、報告書のまとめをせずに参加してくれました。
まあサボっただけかもしれませんが、私にとってはとてもうれしいことです。
事務局に合わせて器用にまとめるほど退屈なことはありません。
まあ、コーディネーターの私の意見に合わせるのも同じかもしれませんが、
しかしともかく議論が大切であって、報告書のまとめは二の次でいいのです。
限られた人生の時間の配分を間違ってはいけません。
報告書をまとめるのは、みんなで議論するような場でなくてもいいのです。

とここまで書いてきて、この記事を、そのチームの人が読んでいることを思い出しました。
注意しなければいけませんが、まあ限られた人生ですから、
読者のことなど気にしていては書く速度が落ちてしまいますので、気にするのは忘れましょう。
それにその日とは、文字ではなく、その奥の意味をわかってくれる人ですので、安心です(と褒めておけば安心です、はい)。

今日は久しぶりにいろんな議論をさせてもらいました。
企業の経営はやはり面白いです。
仕事を再開しようと、改めて思いました。

ところで時間があったので、事務局とも話しました。
最近、あまりゆっくり話していなかったので、かなり辛らつに問題提起しました。
早速変化が起こりそうです。
いくつかの新しいプログラムも提案することになりました。

今回の成果の発表会は5月12日です。
今回の基調講演は、元日本郵船の高橋宏さんです。
人材育成研究会でいつもご一緒ですが、
高橋さんはいま日本を憂いていますから、この時期、あの高橋節もいいかもしれません。
関心のある方はご連絡ください。
事務局に頼んで招待券を手にいれるようにしますので。

■NPO人材アカデミーの解散(2010年4月8日)
高橋さんの名前が出ましたが、高橋さんも応援しているNPO人材アカデミーというのがあります。
その理事長の大森淑子さんから久しぶりにメールが来ました。
この3月で、そのNPOを解散したという連絡です。

大森さんは、ともかく「一途な人」でした。
若者の教育に情熱を燃やして、47年間、そのテーマに取り組んできたのです。

日本の教育を考え直そうという有識者フォーラムの活動がありました。
あまりに多彩異彩な人を集めたために、なかなか話し合いがうまくいかず、
それに関わった市川覚峯さんから毎回のフォーラムのコーディネートを頼まれたことがあります。
この活動は私はあまり乗り気ではなかったのですが、実にいろいろな思い出があります。
まあそれはともかく、大森さんもそのメンバーの一人でした。

私の進行役ぶりをみて、ある日、突然に湯島にやってきました。
そして今やっている大学生と企業の人事部長とのワークショップに協力してほしいといわれたのです。
その頼み方が、あまりに有無を言わさないものでしたので、とりあえず1回だけ引き受けさせてもらいました。
それ以来のお付き合いです。
2007年には、大森さんの主催するフォーラムに久しぶりに参加させてもらいました。

大森さんは私よりも年上です。
そうした世代の人たちが市民活動を開いてきたのでしょうが、時代の変化の中でうまく継承できずに、組織として解散したり収束したりしている活動が私の周りでも増えています。
がんばってきた人たちが、十分に報われていないような気がして、それが少し残念です。

大森さんは対象を崩されているようです。
あの元気な大森さんが、と思うと、やはり大変だったのだろうなと思います。
彼女から、万一快復したらまた会いましょうというメールが来ました。
いささか気になります。

■高須さんのチャレンジ(2010年4月9日)
久しぶりに高須さんがやってきました。
年初に、ワインの輸入事業を始めたいのでその調査に来ているとポルトガルから連絡があったのです。
その後、プラハに行くとのことでした。
プラハとワイン? ちょっと結びつかなかったのですが、プラハはどうも観光のようです。
プラハは、いまも人気が高いようで、私の周りでも時々話題になります。
私は行ったことはないのですが、やはり現代史の現場として、行ってみたかったところです。

その後、しばらく連絡がなかったのですが、少し方向が決まりだしたというので、その相談にやってきたのです。
ワインの輸入から方向は少し変わっていました。
いろいろの構想の中で、私がとても興味を持ったのが、ハーブ関係の事業構想です。
まだアイデアの段階ですので、勝手に書くわけにはいきませんが、ハーブ関係で相談に乗ってもらえる方はいないでしょうか。
ちなみに、高須さんは以前から農と食の分野で事業起こしをしたいと考えていた人です。
一度、高須さんの事業構想をテーマにサロンをやってみようと思います。
先週行った、事業仕上げフォーラムのサロン版を継続的にやるのもいいなと思い出したのです。
参加ご希望の方がいたらご連絡ください。

■大阪でコムケアとささえあいの共催サロンをやります(2010年4月9日)
大阪の岡崎さんが中心になって、大阪で自殺のない社会づくりネットワークコムケアネットワークの共催で、気楽な交流会を開催することになりました、
4月25日、テーマは「支え合い」を考えるです。
詳しくはお知らせのコーナーに掲載しました。
関西の方で、もしコミュニケーションの主の話題に関心のある方がいたらぜひご参加ください。

これを契機に、関西でのサロンやフォーラムを継続的に開催しようと思います。
なぜそういう気になったか、自分でもよくわからないのですが、
気楽な話し合いの場を求めている人の多さに気づいたかもしれません。
まあ、私がそんなにがんばらなくてもいいのですが。

■LLPコモンズ手賀沼総会(2010年4月10日)
LLPコモンズ手賀沼の活動になかなか参加できません。
私は暇なのですが、なぜか土日がいつも用事が入ってしまうのです。
例会にも欠席がちのため、私の日程にあわせて総会日を決めてくれました。

LLPの基本方針に関しても少し議論をしました。
私の考えとして、先ずは組織単位の行動ではなく、メンバーの個人単位の行動が基本になること、行政は意識せずに自分たちで矢って行くこと、収益性だけではなく運動性も加味してあまり請求に急がないこと、を話させてもらいました。
その上で、ともかく公開型で何かイベントをやることを提案しました。
イベントというとやはりみんな少し構えてしまうようです。
でも事務局長の槙さんは、コムケアスタイルを体験してくれたので、一緒にやれば大丈夫でしょう。
だれもが気楽に主催でき、参加できる、それがコムケアスタイルのイベントなのです。

さて何をはじめるか、楽しみでもあり、面倒でもあります。

(2010年3月第5週)
今週はいろんな人が湯島に来ましたが、やや個人的な話が多かったので、書くことができません」。
なぜか最近はそう言うことが多くなりました。
そんなわけで、いろいろとあったのですが、あんまり意味のない記録になりました。
しっかりした活動が増えていくと、ここに書けないことが増えていくことに気づきました。
このコーナーの記事が長い時には、むしろ何もしていないと言うことかもしれません。
■悩み事相談日(2010年3月29日)
■環境コミュニケーション論(2010年3月31日)
■エスクの経営会議(2010年4月1日)
■事業仕上げ型フォーラムの無謀さ(2010年4月2日)
■都市型地域医療モデル(2010年4月3日)

■悩み事相談日(2010年3月29日)
今日はまさに「悩み事相談日」でした。
午前中、午後、夜と、3組の相談を受けました。
いずれも実にメッセージ性をもつ相談内容なので、その概要と私のコメントを書きたいのですが、
あまりにプライバシーに関わるので、さすがの私もそれはしませんが、最近、こうしたことが増えています。

しかし、私のような、世を捨てたようなわがまま勝手な生き方をしている者に相談がくることに、いささかの不安があります。
要するに、最近は多くの人が他者の相談に乗る余裕がなくなってきているのです。

人生にとって最高の喜びはなんでしょうか。
東尋坊で自殺防止活動をしている茂さんは、自殺を止められるなんて、実に幸せなことですと言いますが、
相談に乗ることができることもまた、最高の幸せなのかもしれません。
まあ疲れますし、時に後悔しますが、相談に来る人がいる限り、私の人生には意味があるわけです。
感謝しなければいけません。

■環境コミュニケーション論(2010年3月31日)
淑徳大学の清水さんが「環境コミュニケーション」を送ってきてくれました。
清水さんとは昨年以来、何回かコミュニケーション論を交わしていますので、楽しみにしていたのですが、
時間がとれずになかなか読めずにいました。
今日、ちょっと時間ができたので、読み出してみました。
軽く読んで週末にホームページのブックに紹介しようと思ったのです。
ところが読み出してみて、これまでのものと違うのを感じました。

そういえば、清水さんとは昨年、ルーマンだとかハーバーマスだとか、少し広範囲の議論をしてきましたし、
行為論ではないない関係論としてのコミュニケーションなどの話もしてきました。
そうした議論がしっかりと書きこまれていました。

私が一番共感したのは、次のくだりです。

(企業システムの)組織構造を規定している「多様性」と「反応性」が、生産システムの線形的な膨張の原因であるならば、環境問題の真の解決のためには、人工生態系の生産・消費システムの構造的転換を「企業というシステム」の構造的特性を活用して進めるべきことは明らかであろう。

これまでの企業広報論や環境コミュニケーション論に飽き足らない人にお勧めします。
来週、このサイトのブックのコーナーで紹介させてもらいます。

■エスクの経営会議(2010年4月1日)
エスクは、これまでも何回かこのコーナーに出てきていますが、

全国のファミリーサポートセンターのモデルになった家庭保育ネットワークです。
今その活動にささやかに関わっているのですが、今週はその関係で2つの集まりに参加させてもらいました。
この組織は発足から37年が経過している、いわば「老舗」のグループです。
私自身は特定のグループにあまり深くコミットするのは避けていますので、
今回もあくまでも外部からのアドバイザー役と自己規定していますが、そのおかげでみえてくることがたくさんあります。

日本のボランティアグループの多くは、1970年代に霞が関によって管理的に育てられ、
NPO法ができてからも管理発想で「育てられて」いると私は思っていますが、
それがいったいどういう意味を持っているのかがとてもよくわかります。

しかし、この活動にも徐々に引きずり込まれそうです。
自殺のない社会づくりネットワークの時と同じくなりかねませんので、注意しなければいけません。

■事業仕上げ型フォーラムの無謀さ(2010年4月2日)
4日に、支え合いを形にする事業仕上げ型フォーラムを開催することにしましたが、やはりいささか無謀すぎた気がします。
もう開催直前なのに、参加申込みが少なく、定員の半数しか集まっていません。
さすがの私も、心配になって、ブログにまで書いてしまいました。
参加者数もさることながら、運営に関しても、ほぼぶっつけ本番になりそうです。

まあ、フォーラムで終わりではなく、そこからさまざまなプログラムが展開されるのですが、
むしろそのアフタープログラムの方の申込みは順調です。
アフタープログラムは、「学びのセミナー型」なのです。
4日に参加せずに、セミナー的な集まりには参加する人の価値観は、私とは正反対なのですが、そういう人が最近は多いように思います。

それはそれとして、無謀な計画を立ててしまったので、今週はいささか気が重い週になってしまいました。
しかし一緒にやろうと言ってくれた人たちが、いろいろとやってくれていますので、4日は間違いなく面白くなるでしょう。
それに酒田市や大阪からも、わざわざ参加してくれる人もいるのです。

その人たちのためには、私もまた何かできることを考えなければいけません。
それが「支え合い」という関係ですから。

■都市型地域医療モデル(2010年4月3日)
中村さんと都市型地域医療の話をしました。
僻地の地域医療はよく問題になりますが、
むしろ人のつながりが切れてしまっている都市部こそ、地域に根ざした地域医療モデルが必要なのではないかと思います。
それも、狭義の医療ではなく、健やかな生を支える医療です。
そう考えていくと、まさにコムケア活動が取り組んでいる「ケアコミュニティ」発想が必要です。
地域医療の問題は実に面白いです。
中村さんと話していて、コムケア活動を始めたころのことを思い出しました。
そういえば、ヒポクラテスの会もありました。
いま休眠中です。
中村さんが、この分野で何か新しいプロジェクトを起こしてくれるといいのですが、

(2010年3月第4週)
■聴くということ(2010年3月21日)
■信頼と距離(2010年3月23日)
■古代ローマのヒューマニズム(2010年3月24日)
■企業文化ってなんだろう(2010年3月25日)
■農業と福祉の世界をつなぐもの(2010年3月26日)
■今月のオープンサロンはにぎわいました(2010年3月26日)
■事業仕上げコムケアフォーラムまであと1週間(2010年3月27日)

■聴くということ(2010年3月21日)
定例の自殺のない社会づくりネットワークの交流会でした。
今回のテーマは「聴くということ」でした。
一応、このテーマは私の取り組んでいる中心テーマです。
みなさんの話を聞いているうちに、やはり話しだしてしまいました。
困ったものです。

「きく」には2つのベクトルがあります。
先ずは「自動詞」の「きく」です。
これは、「聞く」と「聴く」と表現されるように、耳で情報を掴まえることです。
次に「他動詞」。これは「訊く」と書きます。
今回の集まりでもそうですが、「きく」と聞いて、このいずれを中心に考えるかでその人の状況がかなりわかります。
3つ目は「利く」「効く」と表現されるものです。
主客の関係性に関わる意味を持っています。

今回も最初に口火を切った22歳の若者は、「きく」にはさまざまな文字があるといい出しましたが、
表現文字の多さは概念の多様性を表しています。
この交流会は20代から70代まで、そして立場も考えもかなり違う人たちが自由に話し合う場です。
私はこういう場をたくさんもっていますが、社会全体としてはいまやこういう場は少なくなっています。
こういう場が増えていけば、自殺も認知症も激減するはずです。

ところで今回は、早稲田大学の放送研究会のメンバーがドキュメンタリー映画を作るために取材に来ました。
6人の大学生たちにとって、今日の交流会はどう映ったでしょうか。
交流会終了後、福山事務局長が丁寧に取材に応じましたが、その後、少し彼らと話してみました。
若者の素直さは、いつの時代も変わっていないようです。

■信頼と距離(2010年3月23日)
認知症介護研究・研修センターの長い名前のプロジェクトの委員会でした。
東京と大阪で地域包括支援センターの職員への研修会も開催し、講演もさせてもらいましたが、
並行して別の委員のチームが地域包括支援センターの実態調査をしています。
そのアンケート調査がまとまったので、それに関する意見交換を行いました。
最近の研究会は、深い議論をし会うというよりも、それぞれ意見を出しあうくらいのものが多くて、
私のような議論好きな人間にはいつも退屈です。
日本では議論をする文化がないようです。

アンケート調査を因子分析した結果として3つの因子が出てきたそうです。
「信頼される」「信頼する」「協働の機会」
このプロジェクトの視座はソーシャル・キャピタルですので、当然過ぎるほどの結果ですが、
問題はそれに対するパースペクティブです。
私の仮説は、当事者間の距離感が信頼関係を質量共に規定するというものですが、
残念ながらそうした意識は他の皆さんにはないようです。
私の数少ない現場体験からは、当然過ぎるほど当然のダイナミズムなのですが。
もっともそれが正しいとは限りませんから、研究チームの解析を楽しみにしたいと思います。

■古代ローマのヒューマニズム(2010年3月24日)
早稲田大学の小林雅夫さんが、「古代ローマのヒューマニズム」を贈ってきてくれました。
このテーマは、以前から小林さんから少しずつお話をお聞きしたり、論文や本を読ませてもらっていましたが、
一冊の本として改めて読み直してみるといろいろなことに気づかされます。
本書では、古代ローマの医師と教師のことがていねいに語られていますが、それがとても面白かったです。
ブックのコーナーで紹介させてもらったので、ご関心のある方はお読みください。
最近の本の作りが私はあまり好きではないのですが、
小林さんの出す本は、装丁も製本のつくりも、いつも私にはホッとするものがあります。

あまり体調がよくないにもかかわらず、こうして本をお出しになる小林さんの姿勢を私も少し学ばなければいけません。

■企業文化ってなんだろう(2010年3月25日)
経営道フォーラムのEチームのメンバーが湯島にやってきました。
これまで全くコンタクトがなかったので、いささか機になっていましたが、その理由を聞いて安心しました。
自分たちの考えがある程度まとまってから出ないと私に振り回される恐れがあると考えていたようです。
私の姿勢は「振り回す」のと正反対のはずですが、堂もそう言う印象を持たれてしまっていたようで、少し反省しました。
おそらくそれだけ企業の文化が劣化しているということかもしれません。

とここで「企業の文化」という言葉を使いましたが、
今回のミーティングで最初にみなさんから出てきたのは、
「企業文化」に関していろいろと文献を読んで議論してきたが、
結局は個人の価値観や関係ではないかということになった、ということでした。
やはり「文化」という言葉に、みんな構えてしまうようです。
文化とは、個々人が日々の生活の中で形成していくものですが、
なにか経営者がつくりだすものと何となく受け止めていたようです。
経営者が創るのは文化ではなく、制度や戦略です。
文化を創るのは成員です。
このあたりに、まさに日本の文化を感じました。

しかし、皆さんと話していて、実践も含めて、とてもいい議論をしていると感じました。
再来週、合宿なのですが、面白くなりそうです。

話が終わった後、私が取り組んでいるNPO活動の話になりました。
企業の世界の調査よりも、NPOやソーシャルベンチャーの世界に目をやると刺激を受けるはずですが、
最近はどうもまたみんな企業の世界しか見なくなってきているように思います。

■農業と福祉の世界をつなぐもの(2010年3月26日)
熊本の宮田喜代司さんが湯島に来ました。
宮田さんは何回もコミュニケーションのコーナーに登場していますが、自分の視点で世界を生きている人です。
とりあえずわかりやすくいえば、農業と福祉が活動分野です。
さらに実践者で研究者とも言えるでしょう。
大きな福祉を提唱するコムケア活動の共感者でもあります。

今回は農水省の関係の集まりに出てきたついでに立ち寄ってくれましたが、
その研究会でブリーフィングしたパワーポイントを再現してくれました。
実に刺激的で、共通の関心事がやまのようにでてきてしまったため、話し合いは時間切れになってしまいました。
テーマは、多岐にわたりましたが、中心は生活の視点から農業と福祉をどうつなげていくか、言い方を変えると新しい経済システム議論でした。
農業と福祉の融合と新しい経済システムとのつながりは見えにくいかもしれませんが、いずれもサブシステンス経済の視点からは同じ話なのです。

4月か5月に、そんな小tも踏まえての話し合いの場を再度もちたいと思いますが、
できればその時に延ばし延ばしになっている協同組合論やフランス農業の話もしたいと思います。
関心のある人はご連絡ください。

■今月のオープンサロンはにぎわいました(2010年3月26日)
昨日はオープンサロンでしたが、うれしいことに少しずつですが、またサロンも活気を取り戻しだしています。
今日は久しぶりの人や初対面の人も参加してくれ、賑やかな展開になりました。

最初に来たのは浜松からの人です。
私のブログを読んでくれている人ですが、東京に来る機会があったので、参加してくれたのです。
次にやってきたのが、5年ぶり(本人がそう言っています)の中村公平さんです。
そして、常連の武田さん、さらにコミュニケーションの研究者の清水さん、自分をしっかりと生きている小山石さん、それに自殺のない社会づくりネットワークの福山さんも大学に来たのでと立ち寄ってくれました。
前回来られなかったコンセプトメイクの藤本さんも忙しいなかを参加してくれました。
今回は参加者層がかなりシニアでしたので、初めての人はきっと戸惑ったでしょうが、議論はなかなか面白く、予定の時間をかなり過ぎてしまいました。
福山さんが参加されたので、「生命」にかかわる話も盛り上がりました。

それにしても、自分でやっていていつも思うのですが、奇妙な空間です。
まったく無駄で非生産的な時空間です。
今回、中村さんから「佐藤さんは社会の横の人」と言われてしまいましたが、個々に集まる人たちは中村さんも含めて、みんな社会の横の人かもしれません。
しかし社会の軸をちょっと変えれば、こちらが中心になります。
あと50年ほどしたら、きっとそうなるでしょう。
そこまで生きつづけられないのが残念ですが、まあちょうどその頃、私の来世に当たるかもしれません。
その時にこの湯島がどうなっているか楽しみです。

来月は4月30日です。連休の真っ只中なのでまた武田さんくらいしか来ないかもしれませんが、
お時間のある方はお立ち寄りください。

■事業仕上げコムケアフォーラムまであと1週間(2010年3月27日)
今週も何かとバタバタしているうちに終わってしまったのですが、
気になっているのが、4月4日に開催するコムケアフォーラムです。
社会事業を構想している人から、それぞれの構想を発表してもらい、
それをチームに分かれて、事業に「仕上げて」いこうというのが今回のフォーラムの目的なのですが、
発表する事業構想集めに目が行ってしまい、フォーラムそのものの開催案内をあまりしていないことに、今日、気づきました。

今のところ参加者はほぼゼロなのですが、開催日まで1週間もありません。
この数日で30人を集めなければいけません。
なぜ集まっていないのか、といえば、きちんと募集していないからかもしれません。
困ったものです。

みなさん、参加してくれませんか。
きっと面白いフォーラムになるはずです。
お知らせのコーナーに案内を掲載していますので、ぜひ周辺の人にお誘いください。
参加してもいいよという方はご連絡ください。
月曜からお誘いのメールをいろんな人に出そうと思っていますが、少し心配になってきました。
集客にぜひご協力ください。
3人の人の集客をしてくださった方には、次回お会いした時にランチをご馳走します。
とまあ、そんな気分になります。はい。
もちろんほんとにご馳走しますので、よろしくお願いします。
いやはや、困ったものです。

(2010年3月第3週)
■金田さんとの会食はセルフサービスでした(2010年3月17日)
■藤本さんと奥山さんも元気そうでした(2010年3月17日)
■ハウジングプアに取り組む菊地さん(2010年3月17日)
■事業仕上げフォーラムの内容が決まりました(2010年3月17日)
■広報かPRか(2010年3月19日)
■賀川豊彦と共済制度(2010年3月20日)

■金田さんとの会食はセルフサービスでした(2010年3月17日)
新潟の水辺の会の金田さんと久しぶりに食事をしました。
金田さんは、今もなお、新潟と東京を往復する生活を続けています。
私よりも年上ですが、お元気です。
来週、長野県で信濃川に鮭の稚魚を放流するお誘いを受けていたのですが、用事が重なっていけなくなってしまったのです。
それもあって、東京に来る機会に湯島に立ち寄ってくれました。

新潟に行くといつもご馳走になっているので、せめて東京ではと思い、いつものお店にいったのですが、なんと経営者が変わったようで、ランチメニューになっており、しかもセルフサービス方式を導入していました。
レストランの経営は大変なのでしょうが、たぶんこの選択は間違いだろうと思います。
しかし、湯島界隈からも美味しい料理のお店が少しずつ消えていっています。
いささか残念ではあります。

■藤本さんと奥山さんも元気そうでした(2010年3月17日)
藤本さんと奥山さんがやってきました。
お2人ともお元気そうで安心しました。
他人のことは言えませんが、前項の金田さんも含めて、みんなそれぞれに大きな家庭的な重荷を背負っています。
かくいう私もそうなのですが、みんなとても「明るい」のは歳のせいでしょうか。
私もたぶん外から見たら元気なのでしょうね。

でも人生はいろいろあります。
重荷も、時には放り出したくなります。
でも重荷があればこその人生ともいえます。
歳を重ねてくると、そんな心境になってきます。

このお2人とは、もしかしたら久しぶりにまた仕事をすることになるかもしれません。

■ハウジングプアに取り組む菊地さん(2010年3月17日)
今日、5人目のお客様は、他者の重荷を積極的に背負い込んで、豊かな人生に取り組んでいる協同総合研究所の菊地謙さんです。
久しぶりです。
菊池さんは研究所の仕事の傍ら、ハウジングプアの問題に取り組んでいます。
その活動のサイトをぜひご覧下さい。
カンパもお願いできればうれしいですが、私が取り組んでいるコムケア活動と理念も方法論も重なっています。
社会はこうした人たちのよって支えられているのです。
自殺のない社会づくりネットワーク活動ともつながっている活動です。

今回は菊池さんからメールがきたので、今夜予定している「支えあいサロン」にお誘いしたのです。
できれば少し早めに来てもらいお話しようと思っていましたが、やはりたくさんの「重荷」を背負っている菊池さんは定刻ぎりぎりになってしまいました。
それでも菊池さんはそのまま支えあいサロンにも参加してくださり、取り組みの内容を話してくれました。

■事業仕上げフォーラムの内容が決まりました(2010年3月17日)
コムケアの支えあいサロンでしたが、上記の菊池さんに加えて、デザイナーの宮部さんもさんかしました。
宮部さんは、最近、食と農と地域にかなりはまっているのです。
参加型ワークショップを活用した社会活動にも取り組んでいる武藤さんが、この会のスピード感がいいと(たぶん)褒めてくれたように、議論するよりともかくやってしまおうという行動様式に則って、4月4日に公開フォーラムを開催することを前回決めたのですが、その内容がほぼ決まりました。
といっても、普通の感覚からいえば、何も決まっていないともいえる段階です。
しかしまあ、やろうと言うことが再確認されました。
詳しくはお知らせのコーナーをご覧下さい。

「支えあいを形にする新しい物語(事業)づくりに向けて「事業仕上げ」をしていこうということですが
、今のところ、次のテーマが候補として上がっています。
関心のあるテーマがあったら、ぜひご参加ください。
あるいは、新たにこんなテーマを呼びかけたいということがあれば、それも歓迎です。
・ みんなが気楽に集まれる共同の場を都内に実現したい
・ 3世代交流できる場を地域に創り、高齢者男性を元気にさせたい
・ 農と食をテーマにした新しい事業を起こしたい
・ 体育系の若者を企業や福祉施設にアウトリーチさせる仕組みを創りたい
・ 一人住まいの高齢者の社会との接点を創りだし孤独死をなくしたい
・ 元気のない商店街を元気にしたい
・ みんなの思いを束ね実践に向かわせるための仕組みを生み出したい

ちなみに以上のテーマのまとめは、私のかなり勝手な解釈によるものです。念のため。

■広報かPRか(2010年3月19日)
そう言えば、最近、淑徳大学の清水さんから連絡がないなと思っていたら、先日電話があり、今日、湯島にやってきました。
書籍の執筆に埋没していたようです。

清水さんとは以前からのお付き合いですが、共通したテーマの一つが、「コーポレート・コミュニケーション」です。
この世界は私の感じでは、この20年完全に停滞しています。
私が20年ほど前に、日本CI会議体と日本広報学会の設立を提案し、それに取り組んだり悠は、企業をとりまく大きな構造変化の中で、企業のコミュニケーション戦略をパラダイムシフトしなければいけないと思ったからです。
当時、その機運はいろいろなところで動き出していたように思います。
ところが、いつのまにかそうした動きも消えてしまいました。
背景に「理論」がなかったからです。

そのいずれの組織からも私は離脱しましたが、交替振りは目を見張るばかりでした。
その一方で、社会学や政治学の分野で組織論やコミュニケーション論はどんどん進化しました。
複雑系の議論はとても魅力的でした。
私のような素人にもわかる議論が飛び出したのです。
しかし、大きな流れには乗りませんでした。
企業関係者は社会よりもお金に目を向けたからです。
お金の流れや論理は線形モデルであって、決して生きてはいません。
生活の論理からはほとんど無意味です。
しかし、ブログの最近の自評(時評ではありません)に書いているように、人間は守銭奴の根性を叩きこまれているようなので、社会は残念ながらその方向に動き出してしまったのです。

なにやらまた小難しいことを書いてしまいましたが、まあそんな議論ができるのは最近は清水さんくらいでしょうか。
清水さんには、コミュニケーション論を議論する研究会の発足をそそのかしてはいますが、正直、素人論議でそんなことが継続できるかどうかは自信がありません。

ところで、今回は、「広報かPRか」で清水さんと意見が一致しました。
これから大切なのは、リレーション、関係論です。
広報と言う言葉の目戦の高さはもう役割を終えたように思います。
まあ、これも20年前に議論していたことですが。

■賀川豊彦と共済制度(2010年3月20日)
共済研究会の3回目のシンポジウムが開催されました。
テーマは、「現段階の法規制問題と問われる共済のあり方」です。
その基調講演として、青山学院大学の本間さんが「賀川豊彦がいま問いかけるもの」と題してお話をされました。
今回、私が別のイベントや地元の集会との重なりがありながら、このシンポジウムに参加したのは、この「賀川豊彦」に惹かれたからです。
福祉活動に取り組む人たちでさえ、いまや賀川豊彦の名前さえ知らない人が多いときいて愕然としたからです。

本間さんのお話は感動的でした。
本間さんの思いが伝わってきました。
100年前の賀川豊彦の時代と同じように、今また「貧困」が大きな時代のテーマだと本間さんは捉えています。
残念ながら、お話は1時間だけだったので、あっという間でした。
しかし、賀川豊彦から学ぶべきことはたくさんなります。
なぜ共済に取り組んでいる人がさほどの関心を示さないのか不思議です。
今の問題を解く鍵はすべて賀川豊彦の言動にあるようにさえ思いました。

シンポジウムの後半は、残念ながらほとんど制度論でしたが、それを聞いていて、「闘う運動」の時代は終わったなと痛感しました。
賀川豊彦は闘うと同時に創りだしていきましたが、その姿勢がない限り、運動は広がらないだろうと改めて思いました。

シンポジウムで発表された共済関係者の話はいずれも共感できましたが(特に全国保険医団体連合会の森明彦さんの話は心に響きました)、横の話し合いがなかったのが残念でした。
それはそれとして、本間さんの話はぜひ多くの人に聴いて欲しかったと思いました。
とても心に響くお話でした。

今回、本間さんから高野房太郎のことを教えてもらいました。
これも読まなくてはいけません。
そんなわけでとても刺激的なシンポジウムでした。

(2010年3月第2週)
■インキュベーションハウス再スタートか(2010年3月8日)
■企業に必要なのは論理か感性か(2010年3月8日)
■主夫の楽しみ(2010年3月10日)
■介護保険制度の実態(2010年3月11日)
■人材育成研究会の提言がほぼまとまりました(2010年3月12日)
■自殺のない社会に向けてのシェルター活動実践者シンポジウム(2010年3月13日)

■インキュベーションハウス再スタートか(2010年3月8日)
インキュベーションハウスの本郷オフィスに新しいメンバーが2人参加しました。
ここをNPOやソーシャルベンチャーの溜まり場にしたかったのですが、
最初のボタンのかけ違いから、なかなか経済的に維持が難しく、これからはSOHOを志向することになりそうです。
そう言う始点からはとても楽しみなメンバーが参加してくれました。
これを契機に改めてインキュベーションハウスそのものの活性化を考えたいと思っています。

その一方で、先日の支えあいサロンから、NPO実践者を中心にした場所づくりの提案も出ています。
これは4月4日の「事業仕上げフォーラム」で取り上げられる予定です。
今度はボタンを掛け違わないようにしないといけません。

■企業に必要なのは論理か感性か(2010年3月8日)
経営道フォーラムの46期の人たちがやってきました。
これからの企業理念を考えているメンバーです。
以前の経営道フォーラムと違い、最近はまとめようとする志向が強く、
さらに企業の世界から外を見ようとする姿勢が極めて乏しくなっているのが残念ですが(これは現在の企業に共通して言えるように思います)、私の役割はノイズ役です。
これまでの発想では、ノイズは排除されるべき存在ですが、
ホメオカオティックな状況で意味ある活動をしようとしたら、ノイズこそが創造的な情報です。
しかしそれはなかなかわかってもらえません。
長年の学校教育と企業内教育の中で、ともかく効率的に発想し、横道に入らない訓練が行き届いていますから、そもそもノイズは心に入らないのです。
最近、そういうことでがっかりする事が少なくありません、

話が余計なところに行ってしまいましたが、今回は「論理」か「感性」かと言う話題になりました。
この答はもう20年前に解決しただろうと思っていた私には意外でしたが、現実の企業はまだそこにとどまっているようです。
日本の企業はどんどん退化しているようです。

しかし、だからこそ今企業は面白くなってきているはずです。
さてこれからどんな方向に議論が展開していくでしょうか。

■主夫の楽しみ(2010年3月10日)
某研究所で研究活動をしていたのに、主夫をしたくて、スパッと退職してしまい、いまは子どもと遊ぶことをメインにしている坪倉さんがやってきました。
10ヶ月ぶりでしょうか。
お互いに話が発散するタイプなので、さまざまなテーマに話が富んでしまい、1年前までよくやっていた話し合いの再現になりました。
話の一つひとつが刺激的です。
坪倉さんは私とは全く違ったワールドワイドなネットワークを持ち、活動もしています。
私の世界と違うのは、ワールドワイドな点だけではありません。
どこが違うのか、それは文字にはなかなかしがたいですが、はQ成していていろんな意味で違うのです。
にもかかわらずどこかに通ずるところがあるのは不思議です。

それにしても、育児や主夫を堪能しているようです。
女性たちの子育て発想とは全く違います。
いつか坪倉子育てサロンを企画しなければと思いますが、先日、どこかに書いた子育てサロンプロジェクトの事務局募集に反応してくれました。
もしかしたら面白いプログラムが始まるかもしれません。

少子化視点や助成の子育て論には、最近、退屈してきています。
それらは、どこかで間違っているように思えてなりません。

■介護保険制度の実態(2010年3月11日)
全国マイケアプラン・ネットワークのプロジェクトに参加させてもらったり、地域包括支援センターの研修に関わらせてもらったりから、少し介護保険制度の実態に関して勉強しようと思っていたのですが、岩波新書で手ごろな入門書が出ました。
沖藤典子さんの「介護保険は老いを守るか」です。
とても面白かったです。
私がいろいろと見聞していることがとても整理されていたばかりではなく、制度導入時の期待の大きさも知りました。
この制度が導入されたとき、私はいくつかの自治体に関わっており、その計画づくりの相談も受けましたが、その時に少し勉強して、これは「形だけの制度」で背後に経済界があると直感しました。
計画づくりもめちゃくちゃなスケジュールでしたから、私には関わろうという意欲は全くでませんでした。
もっとも出たからと言って関われたかどうかはわかりませんが。

ところで、沖藤さんの本を読んで、私の考え(介護は社会化ではなく市場化されてしまった)に確信を持つ一方で、反省したこともあります。
それは介護保険制度がもたらした「良い成果」を見ていなかったことです。
沖藤さんは、「介護保険は、年寄りの表情や生活を変え、町の風景も変えた」と書いていますが、たしかにそうした変化はありました。
その動きを変えたのが小泉内閣だったわけですが、私は最初のボタンのかけ違い二、その原因を大きく起きすぎていたのかもしれないと反省しました。

介護問題や子育て問題にこそ、私たちの社会の本質が出てきます。
介護制度に関してはもう少し勉強を深めたいと思っています。

この岩波新書の本は良い本です。
高齢者の人たちに読んでもらいたいと思います。

■人材育成研究会の提言がほぼまとまりました(2010年3月12日)
今年度最後の研究会でした。
今年のテーマは「企業の次の発展に向けた人材力強化のあり方」でした。
いろいろな議論を重ねての報告書のあて、どうしても内容は角が取れてしまいますし、パラダイムシフトも難しいです。
この種の提言をまとめる事務局はけっこう大変でしょう。

私もいくつかの意見を出させてもらいましたが、パラダイムが違っていることもあって、なかなか伝わりません。
違うパラダイムの間のコミュニケーションはなかなか難しいです。
その場合、コミュニケーションというよりはコラボレーションというべきでしょうが、
20年前にも同じような議論をしたことを思い出します。
この20年はいったいなんだったのだろうかと思います。

企業は大きく飛躍すべき時期だと思うのですが、組織はなかなか飛べないものなのでしょう。

■自殺のない社会に向けてのシェルター活動実践者シンポジウム(2010年3月13日)
自殺のない社会づくりネットワークでは、今年は自殺を思いとどまったひとたちを支援する活動を広げていくために、そうした活動をしている人たち(シェルター)のゆるやかなネットワークを育てていくことを、今年の重点テーマにしようと考えています。
昨年10月24日の自殺多発場所での活動者サミットでの議論で、シェルター活動の大切さが大きなテーマになったのです。
そこで、まずはその皮切りにシェルター活動をしている人たちを中心としたシンポジウムを開催しました。
今回は名古屋で開催しました。

実際に住まいの場や働く場を提供している人たちが20人ほど集まり、他にも関心を持ってくれた方や報道関係の人が集まってくれました。
当初は話し合いを中心としたスタイルを考えていたのですが、東尋坊の茂さんが今回は講演も入れたいというので、シンポジウムのスタイルにしました。
福井県立大学の真野教授が「死に向かおうとしている人への接し方」というテーマで、とてもわかりやすい話をしてくれました。
真野さんは大学で教鞭をとる傍ら、実際にヒューマンサポートネストという活動もされていて、そこの所長をやっています。
昨年の夏に行なった、自殺を考えて、思いとどまった人たちの合宿にも参加してくださいました。

おそらくこうした集まりもまた、これまでなかったものではないかと思います。
茂さんの挨拶に続いて、実際にシェルター活動をしている3人の人から、活動の概要や課題などを話してもらいました。
きれい事の話ではなく、人間的ななまなましい話です。
多くの人に聞いてほしい話ですが、テレビではなかなか取り上げてはもらえませんし、取り上げ方が難しいのでしょう。
続いて真野さんの講演。
最後は参加した人たちにそれぞれの活動や思いを語ってもらいました。
私の悪い癖で、今回も報道関係者にも話してもらいましたが、テレビと新聞の関係者がそれぞれとてもいい話しをしてくれました。

前日に思いついて、愛知淑徳大学の石田教授にも声をかけたのですが、運よく時間が空いていたので参加してくれました。
石田さんともなかなかゆっくりお話しする機会を持てないでいるのですが、お会いできてとてもよかったです。

今年の秋には、東京で少し大きめの公開フォーラムを開催したいと思っています。
まあ私は黒子で、実際には東尋坊の茂さんやネットワークの事務局長の福山さんがやってくれるのですが、
人のつながりが広がって、私もなかなか抜けられなくなってしまっています。
人生はなかなかうまくいきません。

(2010年3月4日第1週)
冬から春への変わり目の週でした。
■ジュンの結婚披露パーティ(2010年2月28日)
■エスクの経営会議(2010年3月1日)
■子どもが産みやすい社会をテーマにしたコムケアサロン(2010年3月2日)
■支えあいを形にする支えあいサロン(2010年3月3日)
■助成金の経理処理の大変さ(2010年3月4日)

■ネットバンキング(2010年3月5日)
■箸ピーゲーム(2010年3月5日)

■ジュンの結婚披露パーティ(2010年2月28日)
娘のジュンが今年の元日に入籍しました。
結婚相手は柏でイタリアン・レストランをやっています。
エヴィーバといいます。
それでそのお店で結婚披露パーティをやることになりました。
そうしたら出席したいという人がたくさん出てきて、賑やかなパーティになったようです。
私は最初の親戚中心の部分だけ参加しましたが、それでも3時間半くらいいたでしょうか。
私好みのスタイルでした。
そうした賑やかで、カジュアルなパーティだったので、娘を嫁にやる父親の気持ちは体験せずにすみました。

エヴィーバは根強いファンもいるお店です。
お近くに行く機会があったら、ぜひお立ち寄りください。
とても気楽なシェフですので、気楽に話してみてください。
イタリアとサッカーが大好きです。

■エスクの経営会議(2010年3月1日)
長年、子育て支援に関わっているエスクの活動にささやかに関わらせてもらうことにしました。
エスクは、全国に展開されているファミリー・サポートセンターのモデルになったところです。
また英国のチャイルドマインダーの概念を日本に紹介したのも、エスクです。
もっとも今は「チャイルドマインダー」の名称は日本チャイルドマインダー協会でも使っていますが、この商標権はエスクがもっているようです。
もしそうなら日本チャイルドマインダー協会は不正使用しているわけですが。

エスクのリノベーションのための経営会議に私も定期的に参加させてもらうことにしました。
今日はその1回目でしたが、これから先が心配でもあり楽しみでもあります。

■子どもが産みやすい社会をテーマにしたコムケアサロン(2010年3月2日)
以前このコーナーで紹介した第3次ベビーブームプロジェクトの浅野さんを問題提起者にしたコムケアサロンを開催しました。
急に寒くなったせいか、参加予定の人から直前に3人も行けなくなったという連絡があったので心配していましたが、代わりに感声アイモの木村さんと菅原さんが久しぶりに突然やってきました。
このテーマにつながるかなと少し不安に思っていたら、最初からつながりました。
今回は奇妙なことにシニア世代と子育て予備軍の両極端の世代が参加し、肝心の子育て世代がいなかったのですが、そのおかげで逆にいつもとは違った議論ができたように思います。

ところで、子どもをテーマにしたコムケアサロンのシリーズを企画しようと思っています。
その事務局のパートナーを募集中です。
関心のある人がいたらご連絡ください。

昨今の少子化論議には大きな不満があります。

■支えあいを形にする支えあいサロン(2010年3月3日)
連日ですが、今日もコムケアサロンでした。
「支えあいサロン」です。
自殺のない社会づくりネットワークの交流会も、支えあいサロンのようなものですが、こちらのほうが「元祖支えあいサロン」なのです。
こちらもまた新しいメンバーが参加されました。
私と同じ我孫子で活動している槙さん、久しぶりにコムケアの集まりに来てくれた武藤さんです。
武藤さんは最近連絡がないのでずっと気になっていたのですが、お会いできてよかったです。

いろいろと話していて、結局、4月4日にフォーラムを開催することにしてしまいました。
「支えあいを形にする」をテーマにした「事業仕上げフォーラム」です。
もちろん「事業仕分け」をもじったネーミングですが、みんなこれが気にいったので、それでいくことにしました。
スタイルも今また流行し出しているワールドカフェ方式にしようかなどという話も出てきました。
武藤さんが慣れているというので、今回はもしかしたら武藤さんプロデュースになるかもしれません。
久しぶりにまた、コムケアスタイルになりそうで、なんだか楽しいです。
それにしても会場は見つかるのでしょうか。
それに人も集まるのでしょうか。
何しろ1か月先なのです。
みなさん是非参加してください。
お知らせに案内を掲載します。
まだ内容は決まっていないのですが、まあこんな感じという程度の案内ですが。

■助成金の経理処理の大変さ(2010年3月4日)
自殺のない社会づくりネットワークで昨年開催したサミットは某社から資金助成を受けて開催しましたが、その報告書を提出するために資金の使用内訳を整理しなければいけません。
お金をもらったのですから当然なのですが、これがまた大変です。
最初は会計担当を決めていたのですが、途中でその人が忙しくなってしまい、代わりが見つからなかったので私がなんとなく引き受けてしまいました。
全く向いていないことはわかっていましたが、コムケアセンターという資金助成プログラムの事務局長だったこともあり、まあ気楽に受けてしまったわけです。
ところがこれが大変でした。
領収書をきちんと整理していなかったこともあり、何回計算してもうまく合いません。
こういうNPOが多いので、資金支援側も不信感をもつのでしょうね。

今週はこの集計作業や整理作業に3日もかかってしまいました。
そんなわけで、やはり資金助成を受けるのは止めたほうがいいというのが私の結論です。
同時に資金助成するのであれば、決算書などは不要にしてほしいものです。
コムケアの資金助成プログラムはそうでしたが、何も不都合は起きませんでした。
いえ、不都合が起きたかどうかさえわからなかったのですが、しかしそうした中からとてもすばらしい活動がいくつか生まれてきています。
助成するなら相手を全面的に信頼すべきです。
そうすればお互いに無駄な作業をしなくてもよくなります。
でもこれって、怠惰な人間の単なる勝手な理屈でしかないかもしれませんね。

お金はやはりあまり関わらないほうがいいようです。

■ネットバンキング(2010年3月5日)
先週、ネットにはまってしまいましたが、今週はいくつかのネットバンクに口座をもつことにしました。
ネット口座などはセキュリティが大丈夫なのかなと当初思っていたのですが、その見事なセキュリティの仕組みに感動しています。
口座を開くだけでも面白いです。

私はまだ携帯でのメールやネット利用はできていませんが、やはりネット社会は自分で体験してみないとなかなかわかりません。
さてさてどこまでついていけるでしょうか。

■箸ピーゲーム(2010年3月5日)
一昨日(3月3日)、コミーの社長の小宮山さんが湯島に来ました。
先週、テレビの「夢の扉」で取り上げられていたので、そのことが話題になったのですが、いつものことながら結局は、小宮山さんが楽しんでいる国際箸学会の話になりました。
この話になると小宮山さんは止まらなくなるのです。

そんなことがったからでしょうが、今日、自宅に「箸ピーゲームセット」が届きました。
箸ピーゲームには、小宮山さんの壮大な夢が込められているのです。
その当たりは、国際箸学会のホームページをぜひご覧下さい。
近い内に湯島で箸ピーゲーム大会を計画したいと思います。

(2010年2月第4週)
今週はちょっと読書とインターネットにはまってしまいました。
並行して原稿も書いていましたが、これは私の本ではなく、他の人の本のための原稿です。
自分のものは勝手にやめられますが、他の人のための仕事はやめられません。
引き受けなければいいだけの話ですが、気がつくと引き受けてしまっているのです。
この性分はなかなか治りません。
■ちょっとネットの世界にはまってしまいました(2010年2月23日)
■なぜ大人は「問題づくり」をしないのか(2010年2月24日)
■生政治というものが少し見えてきたような気がします(2010年2月25日)
■歯医者さんによると私の免疫力は高いのだそうです(2010年2月26日)
■オープンサロン(2010年2月26日)

■ちょっとネットの世界にはまってしまいました(2010年2月25日)
寒かったのでコタツにもぐりながら、パソコンをやっていたのですが、
インターネットのゲームやショッピングにかなりはまってしまいました。
娘たちから馬鹿にされながらも、めげずにいろいろとチャアレンジしてみました。
実に面白いというか、危険な世界です。
子どもたちや若者がこういう世界で洗脳されているとしたら、あまり先行きには期待できません。
いや、他人事ではなく、私自身の先行きも危ういです。

もう一つ驚いたのは、ポイントです。
いろいろとやっていると、ポイントをもらえるのです。
ネットで何かを購入すると、これまたポイントをもらえます。
ポイントで何かに応募すると商品や賞金がもらえます。
私の場合は、偶然出会ったおみくじをやったら350万円が当たりましたとメールが届きました。
私の最近の年収よりも多いので驚きましたが、まあいうまでもなく、一種の詐欺で、それをもらうためには5万円のお金を払うのです。

いろんなサイトに登録してしまいました。
娘は危険だから止めろと言いますが、まあどこまで危険なのかやってみるのもいいと思い、次から次へと登録したら、いろんなところからメールがきだしました。
それもいささか危ういところからのメールもあります。

そんなわけで、登録はもうやめることにしましたが、いまはまってしまっているのが、楽天のスロットです。
1000からはじめて、いま5000です。
ためたらどういう意味があるのかわかりませんが、全く何も考えずに、ただ単調な作業をするというのがとても気に入りました。
毎日、30分ほど無意味にやっています。
こんなことをやっているので、私の生活は暇で忙しいのです。
困ったものです。

今週は極めて非生産的な時間が多かったです。

■なぜ大人は「問題づくり」をしないのか(2010年2月24日)
経営道フォーラムの中間発表会です。
中間発表会などと馬鹿なプログラムを組むとは信じ難い話です
が、まあ今回も付き合いました。
しかし事務局に再考を促そうと思います。
経営道フォーラムも昔のような輝きはありません。
退屈な研修プログラムになってしまっています。
企業の人たちも退屈な雇われ人になってきていますから、ちょうどいいのかもしれません。
とまあ、こんなことを書いて、事務局の人や受講生が読んだら問題になるでしょうから、これ以上はやめましょう。

今回、発表を聴いていて、相変わらず日本人は「問題設定能力」と言うか「問題設定姿勢」が弱いことを痛感しました。
問題を解くことにばかり焦点を合わせてきた学校教育の結果かもしれません。

時代の変わり目の中で、あるいは世界の広がりの中で、大切なのは問題を解くことではなく、問題を見つけることです。
その面白さになんでみんな気がつかないのでしょうか。

■生政治というものが少し見えてきたような気がします(2010年2月25日)
今週、一番難解だったのはブログに何回か書いた「近代政治の脱構築」です。
何かワクワクさせるものを感じさせながらも、どうも難解で苦労しました。
しかし、この本でナチスが時代を先取りしていたという指摘を読んで、フーコーの生政治学の理解が深まったような気がします。

最近、なにやら世界のことがスーッと見えてきたような気がします。
同時に、その見えた世界をだれにも説明できないという思いも強まってきました。
もう少し若い頃にきちんと本を読んでおけば、今頃きっと自分でも本を書けたかもしれません。
私の頭の中に育ってきた世界像が、私とともになくなるのかと思うとちょっと残念ではあります。
人が何のために学ぶのでしょうか。
そんなことを思いながら、次から次へと読みたい本が出てきました。
しかも、本を読んで何の意味があるのだろうかと思いながら、です。

■歯医者さんによると私の免疫力は高いのだそうです(2010年2月26日)
真っ二つに割れた歯の治療に行っていますが、そこの歯医者さんはとても丁寧に治療をしてくれます。
歯の掃除だけで毎年3回はかかり、私のようにいい加減でいいと思っている者にはいささかかったるいのですが、丁寧にやってくれるのでそれに従わなければいけません。
今回は割れた歯の神経が露出したので抜いてもらい、その突端まで掃除をし、薬剤を入れてもらったのですが、私の歯は普通の人よりも数ミリ長いのだそうです。
ですから奥まで入れるのが大変で、レントゲンを撮るのも時間がかかりました。
たいした歯ではないし、まあこれからさほど長くは使わないでしょうから適当でいいのにと思っていたら、先生がレントゲンで説明してくれました。
神経を取った後にきっちりと詰めて空間を作らないようにしないと、そこからまた炎症などが起こりやすいのだそうです。
ところがこれまで治療した歯は神経の突端まできちんと処理されていません。
確かにこれまでの歯医者さんは、かなり簡単にやっていました。
先生は、佐藤さんは免疫力が強いので、炎症が起きないんですよと説明してくれました。
確かに歯の治療後、痛み止めの薬も飲んだことはありませんし、丈夫なのです。

免疫力が強い。
いい事を聞きました。

■オープンサロン(2010年2月26日)
オープンサロンです。
今回は事前に2組の人から参加申し込みがあったのですが、雨のせいか、いずれも来ませんでした。
で、結局、やってきたのは、武田文彦さんだけでした。
普天間問題について議論しました。
武田さんの考えは今週更新した「武田さんの国家論」に掲載されていますので、お読みください。
私は今回の武田さんの議論にはほぼ全面的に賛成です。

武田さんと話していても誰も来ません。
それで武田さんが私に寿司をご馳走することになり、結局、近くの寿司屋に行ってしまいました。

サロンを毎月ではなく、毎週やろうかと思い出していたのですが、最近は私のホストの魅力も大幅に低下してしまったようです。
しかし以前はなんであんなにいろんな人たちがやってきていたのでしょうか。

(2010年2月第3週)
今週はいろいろな意味で、時間が少し逆行した週でした。
その始まりは突然に虫歯でもない歯が真っ二つに割れたことでした。
今週の後半の記事は、たぶん意味不明です。すみません。
■突然の不幸(2010年2月14日)
■小さな幸せ(2010年2月14日)
■共創プロジェクトの終わり(2010年2月15日)
■善意の恐ろしさ(2010年2月18日)
■旧友からの電話(2010年2月19日)
■クラインの壺(2010年2月20日)

■突然の不幸(2010年2月14日)
虫歯でもないのに、歯が真っ二つに割れてしまいました。
硬いものを噛んだためです。
最初は何が起こったのかわからなかったのですが、しばらくして気づくほどに、きれいな割れ方でした。
歯医者さんに行ったら、年に2〜3人、同じような人がいるそうです。
不幸は突然にやってきます。
まあ、たいした不幸ではないのですが、私にはいろいろと教訓になりました。

歳をとると、何からでも多くのことが学べます。

■小さな幸せ(2010年2月14日)
自殺のない社会づくりネットワークの交流会でした。
毎回、新しいメンバーが参加してくれます。
今回のテーマは「小さな幸せ」でした。
私は歯医者にいっていた関係で、遅れて参加して、今日、初めての食べ物にありつけました。
それが「幸せ」でしたが、でも「小さな幸せ」って言葉には少し抵抗を感じだしました。
幸せには大きさはなくて、みんな同じように感じます。
私の今日の学びはそのことでした。

このネットワークも順調に育っています。
事務局長の福山さんの理念がしっかりと見えてきた気がします。
課題はいろいろとあるのですが、もう大丈夫でしょう。
来年度の計画もほぼ見えてきましたし。

■共創プロジェクトの終わり(2010年2月15日)
またシンクロニシティです。
美野里町の沼田さん山形市の舟山さんからメールが来ました。
お2人とも、私が一番コミットさせてもらった共創プロジェクトの中心人物です。
メールが来るには、それぞれに理由がありました。
もちろん全く別々なのですが。

沼田さんはこの3月で定年退職です。
昨日はそのお祝いを兼ねた集まりがあり、私も参加する予定でした。
まさに美野里町での共創プロジェクトの関係者が集まったからです。
ですが、参加できなくなってしまいました。
その関係で、沼田さんからメールをもらったのです。
沼田さんは、私が会った最高の自治体職員でした。
なによりも、住民を信頼していました。

舟山さんはすでに定年で辞めていますが、もう一人の仲間が今度辞めることになり、当初の共創プロジェクトのメンバーが久しぶりに集まったのだそうです。
懐かしい面々です。
その報告でした。

この2つの事例は私にとっては実に思いのあるプロジェクトです。
協働のまちづくりが広がっていますが、このプロジェクトほどのものは決して多くないはずです。
私は協働のまちづくりといわずに、共創のまちづくりと呼んでいますが、その違いをお2人ともわかってくれていました。
協働のまちづくりは「たてのつながり」が基本ですが、共創のまちづくりは「よこのつながり」が基本です。
また協働は行為概念ですが、共創は目的概念なのです。
まあこれは私の勝手な解釈ですが。

いずれにしろお2人が現場から離れていくということは、私の中で共創プロジェクトが終わったということかもしれません。
その価値をもっと広げられなかったのが少し残念ですが、私には思いがたくさん残っています。

■善意の恐ろしさ(2010年2月18日)
今日は期せずにして2種類の相談を受けました。
いずれもかなり前からお付き合いのある人に関連した案件です。
そこで感じたのは、「善意の恐ろしさ」です。
ブログに少し書きましたが、社会の善悪を評価する基準はあいまいです。
悪魔と天使の違いも曖昧です。

善意の人と話すことの難しさを最近痛感しています。
善意と誠実さはもしかしたら対極の概念かもしれません。
いずれもかなりプライバシーに関わることなので明記できませんが、世の中はやはりおかしいような気がします。

■旧友からの電話(2010年2月19日)
20年近く前に一度会ったことのある人から電話がありました。
なぜでしょうか。
新潟の人です。
と思っていたら、10年以上会っていない、しかし思い出すことの多い友人から突然メールが来ました。

今週は時計の針が逆転しているような、そんな気がしてなりません。
考えすぎでしょうか。

2か月ほど前に作成したある報告書を読み直しました。
その文章があまりに誤植だらけなのと、おかしな文章が多いのです。
本当に私がこれを作成したのでしょうか。
ともかくひどい内容です。
最終稿と途中のドラフトとを間違えてしまっているような気がしてなりません。
しかし間違いなく読み直したのは最終稿です。
最後の最後に、誰かが入れ替えたとしか思えません。
もちろん誰かと言うのは人間ではありません。
もしかしたら時間軸が歪んでいたのかもしれません。
何だか嫌な気分です。

300部も印刷してしまいましたが、読むに堪えません。
私が造ったものとは思いたくないほどのできの悪さです。
どこか、なにかがおかしいです。

■クラインの壺(2010年2月20日)
クラインの壺は、位相幾何学でよく語られる、中と外の区別のない壺です。
その壺に一度入ってしまうと2度とでられません。
なぜなら外と中がないからです。
外と中がないのになぜ入れるのか、などと言ってはいけません。
人の存在はいずれにしろ外と中にしかないのですから。

まあこんなややこしいクラインの壺を引き合いに出すこともないのです、今週はなぜかクラインの壺にはまり込んだような気がしてなりません。
この状況はなかなか伝えにくいのですが、ある世界とある世界の境界の中での亜空間にいるような1週間でした。
山積みの課題を前にして、何かをするでもなくしないでもなく、時間を過ごしたような気もします。
失敗もとても多かったです。

壺から抜け出せたのは、土曜日の夕方です。
さて明日はどうでしょうか。
ちょっと出かけてみるつもりです。

(2010年2月第2週)
寒くなりました。
■伝統文化プロデューサー濱崎さんのビジョン(2010年2月7日)
■介護保険におけるケアプランの自己作成の意義(2010年2月7日)
■アントレプレナー久留さん(2010年2月10日)
■事業型NPOの落とし穴(2010年2月10日)
■人材育成研究会の報告書がほぼできました(2010年2月10日)
■支えあいサロンと隣人祭り(2010年2月10日)
■コムケアのネットワークの威力(2010年2月11日)
■エスク・リノベーション(2010年2月13日)

■伝統文化プロデューサー濱崎さんのビジョン(2010年2月7日)
京都で、伝統文化の世界に新しい風を起こそうと活動している、伝統文化プロデューサー連の濱崎さんがやってきました。
彼女の取り組んでいるテーマと活動にはとても共感するところがあります。
久しぶりだったこともあり、会った途端に濱崎さんは熱く語りだしました。
思いがかなりたまっているようです。
あまりにもさまざまな話を一挙に浴びせられたため、いささかの混乱は起きましたが、大きな流れにはますます共感が高まりました。

中途半端に書くのは差し控えますが、とても先駆的な物語がもしかしたら始まるかもしれません。
どこかで接点が持てればうれしいのですが。

■介護保険におけるケアプランの自己作成の意義(2010年2月7日)
全国マイケアプラン・ネットワークが取り組んでいる、介護保険のケアプランの自己作成の実態調査プロジェクトに関わらせてもらっています。
一応、その検討委員会の委員なのです。
私以外はみんな当事者や専門家なのですが、コムケア活動をさせてもらっている関係で、委員にしてもらったのです。
今日はその4回目の委員会でしたが、この委員会のおかげで、介護保険の現場の人間的なニュアンスをたくさん学ばせてもらいました。
報告書は大枠がまとまりましたが、とても示唆に富むものになりそうです。
完成したら全国マイケアプラン・ネットワークのホームページに公開するほか、関係部署にも配布する予定だそうです。
私も何部かもらおうと思っていますので、関心のある方はご連絡ください。

しかし今回、こうした活動に関わらせていただいたおかげで、「介護の社会化」の実態が「介護の市場化」であること、そして日本の地域行政はやはり色濃く分権体制(つまり主権体制でないということです)であることがよくわかりました。
もしかしたら、そうした現状を変えていくためには、この「ケアプランを当事者が作成する」という動きは革命的な動きかもしれません。

ところで、全国マイケアプラン・ネットワークの島村さんと橋本さんが本を書きました。
ブックのコーナーに紹介させてもらいました。
多くの人に読んでほしい本です。

■アントレプレナー久留さん(2010年2月10日)
久留さんはアントレプレナーシップをもった人です。
某大企業から飛び出して、零細企業の助っ人に飛び込みました。
ところがその企業は大きな流れの中で方向を変えました。
そして私の友人が経営している会社に転職、その会社の再建に活躍し、新しい会社も立ち上げました。
と、こう書くと、順調に進んでいるようですが、実際には波乱万丈の人生なのです。

私の周りには、久留さんと同じ世代の人が少なくないのですが、人生をしっかりと生きている上では久留さんは信頼できます。
日和らないのです。
これは、私が一番大事にしていることです。
彼は、それに良い時も悪い時も、湯島に来てくれます。
感謝しなければいけません。

もっとも寡黙な久留さんの実際に抱えている問題は、なかなか私にはわかりません。
でも今回は、その問題も先が見えてきたという、嬉しい話だったような気がします。
何も役立てない自分がいささか残念ですが、金銭的な面では私にはやれることがありません。
もう少しきちんとお金をためて、CWS基金をつくっておけば良かったのですが、その基金は未だ10万円に達しません。
困ったものです。

でも何も役立てないのに、報告に来てくれる人がいる。
私には、これに勝る喜びはありません。

■事業型NPOの落とし穴(2010年2月10日)
とても皮肉な話なのですが、久留さんから「事業再生」の話をお聞きした直後に、湯島に相談に来たのは、まさに「事業再生」に直面している事業型NPOです。
もう何回も相談は受けていますが、実態を知れば知るほど奥が深く、このままだと立ち行かなくなりかねません。
久留さんのような、金融の世界にも詳しい人に相談に乗ってもらったほうがいいのですが、あまりに両者の距離は大きいので、先ずは私が可能な範囲で方策を考えようと思っています。
しかし、抱えている借金の額がいささか巨額すぎて、私の手には負えません。
税理士がついていたのに、どうしてこんなになってしまったのか信じがたいですが、やはりこれも「お金の魔力」の成せるところです。

私には一番不得手な世界ですが、どうにかしなければいけません。
やはり宝くじを当てて、CWS基金を作らないといけません。
次のジャンボ宝くじが早く発売されるといいのですが。

■人材育成研究会の報告書がほぼできました(2010年2月10日)
人材育成委員会の報告書がほぼできて、今日はその検討でした。
いろいろと思うことはあるのですが、やはり企業にも企業に関わる研究所にも企業観、組織論の「パラダイムシフト」ができていないような気がします。
ケアリング・マネジメントは、まだまだマイナーな存在なのかもしれません。

今週、2つ目の報告書ですが、私も関わりながらこんなことをいうのは問題ですが、報告書って面白くないですね。
なぜでしょうか。
読者を意識していないからかもしれません。

今回の委員会でも、首都圏大学理事長の高橋さんが、櫻井よしこか渡部昇一にでも書いてもらうと面白いものになるといつもながらの高橋節を語っていましたが、きっとそうなのでしょう。
報告書はあくまでも報告書なのです。

もう一度の委員会で報告書は完成します。
完成したら、またご紹介します。

■支えあいサロンと隣人祭り(2010年2月10日)
コムケアの「支えあいサロン」を開催しました。
この「支えあいサロン」は継続が難しく、大体半年単位で中断し、また再開ということを繰り返しています。
理由はわかっています。
「支えあい」というテーマが頼りないのと主催者の私の腰が据わっていないからです。
今回は少し心を入れ替えて、また新しい方針でサロンを打ち出しました。
新しい方針とは、若い人を中心に何か新しい物語が始まるようなものにしたいと言うことです。
しかし、それもまたあまり自信がもてず、おっかなびっくりの呼びかけでした。

当日になって風邪や急用で来られなかった人もいましたが、それでも小人数ながら、次の展開につながる話になりました。
いつもとは違ったメンバーでした。

支えあいに関する話が皆さんから出されました。
昨年、渋谷で「隣人祭り」を開催した杉原さんの話をお聞きするのは、私は3回目ですが、毎回、新しい気付きがあります。
「隣人祭り」については、サンレーの佐久間さん(一条真也の名前でたくさんの著書を出していて、このサイトのブックのコーナーでの紹介書籍ナンバー1の人です)も以前から応援していますが、タイミングよく、それに関する小冊子を作成しましたので、皆さんにはそれを配布させてもらいました。
杉原さんの活動は、「出前隣人祭り」ともいえる活動ですが、そういう活動を広げていくことも面白いような気がします。
ちなみに、「祭り」は「つながり」や「支えあい」の仕組みそのものです。

「つながり」や「支えあい」の仕組みといえば、「農」もその一つです。
菜園クラブの増山さんも参加してくれましたので、農にまつわる話も出ました。
増山さんの活動は順調に広がっています。
2月16日にはサロンもありますので、よかったら参加してください。

ノーマライゼーションをライフワークにしている矢辺さんも参加しました。
彼の話を聞いて、まさに知行合一の言動に感心しました。
日本の職場から失われてしまったのは「支えあい」なのです。
昼間の委員会で「言葉」だけのやりとりではない現場での実践がそこにはあります。
若者の感性は信頼していいと改めて思いましたが、しかし残念ながら彼もまた現実の会社ではマイノリティなのです。

自殺のない社会づくりネットワーク事務局長の福山さんも参加してくれました。
福山さんの思いとも、いろいろと重なることがあったようで、よかったです。
できれば、そのネットワークとコムケアの共催で、少し新しいスタイルのフォーラムが開けないかと思っています。

次回は3月3日です。
関心のある方、ご参加ください。

■コムケアのネットワークの威力(2010年2月11日)
大阪で3月に2回ほど集まりをやろうと決めたのですが、会場を探さなくてはいけません。
それで関西のコムケアの仲間にメールで相談してみました。
そうしたら早速、お2人の方から返事が来ました。
いずれもほぼ無料で場所を提供してくれるというのです。
感激しました。

やはり「支えあう」関係ができていれば、お金がなくてもできることがいろいろとあるという私の考えは間違っていないようです。

ちなみに、私も東京に小さなオフィスを持っています。
10数人は集まれます。
もし東京で小さな集まりをやりたくて、会場探しで困っている人がいたら、相談に乗りたいと思います。
気楽にご連絡ください。

■エスク・リノベーション(2010年2月13日)
家庭保育に取り組んでいるエスクのスタッフ会議に参加させてもらいました。
この1年、エスクの状況を少し見させてもらっていたのですが、思い切ったリノベーションが必要にようです。
エスクは、ファミリーサポートセンターのモデルになったところです。
もう37年前からの活動ですが、時代と共に変化して行くことをちょっと怠っていたのかもしれません。
せっかくの理念や仕組みが十分に活きていないような気がします。
そこで、この1年のお付きあいから感じたことをざっくばらんに話させてもらいました。

エスクの持っているものを活かして、できることはたくさんあるように思います。
何しろ名木さんは構想者なのです。
実務は後進に任せて、名木さんには思い切りまた構想を描いてもらうのがいいと思います。
その相手であれば私にもできるでしょう。

エスクの件もあって、私も今年は少し「子ども」に関わります。
3月2日には子どもをテーマにしたサロンも開催します。
お知らせに掲載しましたので、関心のある方はぜひご参加ください。

(2010年2月5日第1週)
まだ難問の相談が続いています。
しかし並行してビジネスの話も来始めました。
いずれも少し書きにくい話ですので、
今週は大阪で出会った人のことだけ書いておきます。
いずれもきっと発展していくでしょうから。
■「人のつながりを基軸にしたコミュニティづくり」(2010年2月3日)
■世界はまさにスモールワールド(2010年2月3日)
■与えられた仕事をするので精一杯(2010年2月4日)
■スリーA方式の認知症予防ゲームの応援(2010年2月4日)

■「人のつながりを基軸にしたコミュニティづくり」(2010年2月3日)
阪神大震災は決して過去の話ではありません。
そこで生活している独り住まいの高齢者の孤独死がいまなお続いているのです。
そうしたことをなくそうと孤独死対策に取り組んでいる、NPO法人デイコールサービス協会の松本さんの声はなかなか実現に至りません。
その理由はいろいろとあるのですが、既存の利益権者の利益を奪うからではないかと松本さんは考えています。
それだけではないでしょうが、そういうこともないわけではありません。

そうした活動を続ける中で、松本さんの構想は社会における「人のつながり」へと向ってきています。
孤独死からCOM2(コミュニティ&コミュニケーション)への進化です。
問題が広がってきたのです。
並行して、理解者も増えてきました。
もう一歩かもしれません。

今回、大阪でお会いして最近の動きをお聞きしました。
さらに具体的な事業へと向かい出しています。
3月に大阪で松本構想を基本にして、「人のつながりを基軸にしたコミュニティづくり」を話し合うような場をつくろうと思っています。
大阪にお住いの方がもし読者の中にいたら、手伝ってもらえないでしょうか。

■世界はまさにスモールワールド(2010年2月3日)
自殺多発場所での活動者サミットに、自費でわざわざ大阪から参加してくれた人から、大阪でも交流会が開けないかとメールをもらいました。
それがずっと気になっていたので、大阪に来る機会があったので、お会いすることにしました。

もちろん初対面ですが、私の知人の友人だということがわかりました。
世界はまさにスモールワールドなのです。
いろいろとお話して、3月に大阪で交流会を開催する方向で計画することになりました。
人と会うと何かが始まる。
これは私の長年の体験則ですが、あまり目標を先に延ばすと立ち消えかねないので、3月に大阪で集まりを2つもやる約束をしてしまいました。
さてさて大丈夫でしょうか。

■与えられた仕事をするので精一杯(2010年2月4日)
東京に続いて大阪でも地域包括支援センターの職員向けの研修会があり、そこでまたお話させてもらいました。
テーマは「ソーシャル・キャピタル」です。
またアジテーションをしてしまいましたが、行政の職員たちがもう少しソーシャル・アントレプレナーシップを持ってくれると状況は一変するはずです。
しかし多くの職員は(企業の従業員も同じですが)、与えられた仕事をするので精一杯なのです。
いえ、精一杯にしておく文化が広がっていると言うべきかもしれません。

これに関して、最近、感動的な本を読みました。
中公新書の「社会とは何か」です。
社会をシステムではなくプロセスとして捉えようと言うメッセージの本です。

ちなみに、この研修で私が最後に出すメッセージの一つは、
もう問題を解決しようなどと思うのはやめましょう。
問題を活かして新しい物語を創りましょう。
ということです。
システムに生きるのではなく、プロセスを育てていくことこそが、これからの私たちの生き方でなくてはいけません。
私のアジテーションは届いたでしょうか。
いささか疑問です。

■スリーA方式の認知症予防ゲームの応援(2010年2月4日)
大阪に来たついでに、もう一人お会いしました。
認知症予防ネットの高林さんです。
今年は高林さんの活動を応援することに決めたのです。
スリーA方式の予防ゲームをもっと広げたいと言うのが私の夢だというメールを受けた以上は、応援しないわけにはいきません。
6月に東京で公開セミナーを開催する予定です。
これで今回、3つも約束をしてしまいました。

それとは別に5月に高林さんは京都でも講演会を開催する計画です。
これももしかしたら、スリーA方式が改めて広がる契機になるかもしれません。
現場の知恵こそ本物だと考えている私にとっては、とても嬉しい動きです。
何かが、もしかしたら変わりだそうとしている気がします。

(2010年1月第4週)
週の途中で私の周りの流れが反転したような気がします。
良い方向にですが、そのためか時間はますます窮屈になってきました。
しかし少し暇でなくなるかもしれません。
これまでは「暇なのに時間がない」という状況だったのですが、これからは「時間はないが暇ではない」という状況に移れそうです。
わかりにくいですが、これについては近々ブログで書こうと思います。
■地域に立脚してこその社会起業家(2010年1月25日)
■ホームページには書かないでください(2010年1月26日)
■美野里の若者たち(2010年1月28日)
■東尋坊の茂さんの疲労(2010年1月28日)
■NPOと社会企業の狭間(2010年1月28日)
■仕事への復帰(2010年1月29日)
■20年以上前の記憶(2010年1月29日)
■社会事業を目指すクリエ・ジャパン(2010年1月29日)
■オープンサロンの再開(2010年1月29日)
■シンクロニシティ(2010年1月30日)

■地域に立脚してこその社会起業家(2010年1月25日)
社会起業家を志向している田辺さんは昨年、高島平で地域活動に取り組んでいる井上さんと結婚しました。
「社会」と「地域」が一緒になるとどうなるか。
おそらくイニシアティブを取るのは「地域」だと思っていました。
20世紀後半に経済がおかしくなってきたのは、地域、つまり「土」から離れすぎたからだと私は思っています。
それに「社会」などという多様な概念で発想していたら、実体は創れません。
ですからどんどんと経済は虚構化してきたわけです。
いささかの飛躍はありますが、これが私の発想の基本です。

今日は田辺ご夫妻が、これからの活動に関して意見交換しにやってきました。
いろいろと話し合いましたが、実に魅力的な事業展開構想が見えてきました。
私が強調したのは、「地域に立脚してこその社会起業家」ということです。
田辺さんの社会起業家論がフェーズアップしていくのが楽しみです。

■ホームページには書かないでください(2010年1月26日)
私のところに来ると、このホームページに書かれてしまうので、来たくないという人がいます。
会っても、ホームページには書くなよという人がいます。
そんなことも会って、最近はこのコーナーにはすべてを書けなくなっているのですが、最近はそういう話が多くなってきています。
社会が壊れてきているのです。
最近少し滅入っています。
今日も思い切り滅入りました。
理由は書けませんが。
さてそういう時はどうするか。
妙案がありません。困ったものです。

■美野里の若者たち(2010年1月28日)
私のまちづくりで楽しかった事例が3つあります。
佐世保の三川内焼の若い窯元たちとのまちづくり活動と山形市の共創プロジェクト、そそて茨城県美野里町(現在は小美玉市)の文化センターみの〜れづくりのプロジェクトです。
その美野里の若い職員たちがわざわざ休みを取って湯島まで会いに来てくれました。
久しぶりにゆっくりと話しました。
一緒に育ててきた「みの〜れ精神」は健在です。
3人とも仕事を楽しんでいるようでとてもうれしい気がしました。
美野里町の文化センターづくりプロジェクトは本になっています
住民たちがみんなで創った本です。
文化センターを作ろうという思いの人はぜひ読んでください。
おそらくみの〜れは、日本で一番稼働率の高い文化センターだと思います。

■東尋坊の茂さんの疲労(2010年1月28日)
東尋坊の茂さんと川越さんが来てくれました。
自殺のない社会づくりネットワークをこれからどう展開していくかの相談です。
茂さんたちに会うとなぜか仕事を引き受けてしまうので、本当は会いたくないのですが、この2人に会うと、なぜかホッとしてしまうのです。
現場で汗している人の持っているオーラに勝るものはないのです。

社会の壊れの中で、お2人は休みも取れないほどのようです。
今年になってから既に5人の人を思いとどまらせているそうです。
ただ思いとどまらせるだけではありません。
その後、その人たちが自立できるような段取りまでしてやるのが、茂さんや川越さんの姿勢なのです。
その活動振りを知ってしまうと、なかなかこのプロジェクトは抜けられません。
困ったものです。

■NPOと社会企業の狭間(2010年1月28日)
あまり具体的には書けませんが、あまりにも今週はこのようなテーマの相談が多かったので少しだけ書いておきます。
それはNPOのマネジメントのアマチュアリズムが起こす「借金」の問題です。
私のところにお金の相談に来る人はめったにいませんが、それでもいろいろ話を聞いていくとつまるところ資金的な問題に行きつくことがあります。
中には数千万円の私財を投入してしまい、動きがとれなくなっている例さえあるのです。
もしかしたらNPO、つまり非営利組織という名前がよくないのかもしれません。
非営利であるがゆえに、資金管理が甘くなるのです。
しかし本来は非営利であるがゆえにファイナンスが重要なのです。
それがわかっていないのです。
その上、組織論もわかっていない人が多いのです。
NPOにはそういう人が多すぎるので、私は嫌いなのです。
ところがそう言いう私自身もそうなので、困ったものなのですが。

■仕事への復帰(2010年1月29日)
収益事業に取り組むと言いながら先延ばしにしてきていますが、今日、本当に取り組むことを決意しました。
理由は思っても見なかったことです。
これに関してはブログに書きましたので読んでください。
やる以上はしっかりと取り組むつもりですが、問題は時間がどれほどとれるかどうかです。
しかしこれでコンセプトワークショップの借金も返せるかもしれません。

■20年以上前の記憶(2010年1月29日)
JR東日本のある人から電話がかかってきました。
あるプロジェクトの関係で、その上司の人たちからその人の名前は聞いていました。
今日、その上司からあることを頼まれたのですが、直接の責任者から電話させるということになって、その人と電話で話しました。
用事が終わった後、その人から、昔東レにいた佐藤さんですかと訊かれました。
その瞬間に、私の記憶も蘇ってきたのです。
そうか、あの人だ、と。

ある合宿セミナーの講師をさせてもらった時にお会いした人でした。
そのセミナーは何回か講師で行きましたので、100人以上の人に会っていますが、その人のことはなぜか印象に残っていました。
まだ国鉄時代で、セミナーの直接の話題ではない、民営化の話をしたのがとても印象的だったからです。
不思議なものですが、その人から言われるまで全く思いもしていなかったのです。
彼もなぜ私を覚えていてくれたのでしょうか。
その人から民営化に際して佐藤さんの話は役に立ちましたと言われてすっかり嬉しくなってしまいました。
JTの民営化には少しは役立っているかと思っていましたが、まさかJRの民営化でそんなことを言われるとは思ってもいませんでした。
やはり企業の仕事は魅力があります。
企業の仕事をすると決めた、まさにその日に、こんなことが起こるのは決して偶然ではないと思います。
がんばらなくてはいけません。

■社会事業を目指すクリエ・ジャパン(2010年1月29日)
さてさて嬉しいことと残念な衝撃とがやってきたため、午後はやや放念状態に合ったのですが、突然オフィスに南野さんがやってきました。
彼はいつも突然にドアを開けるのです。
急に何の用事?と訊いたら、約束をしたミーティングですと言われました。
すっかり失念していました。
いやはや困ったものです。

今日は南野さんたちが構想している社会事業の話し合いの日でした。
会社名がアートクリエからクリエ・ジャパンに変わりました。
つまりドメインが変わったのです。
2月1日に会社が正式スタートする予定です。

■オープンサロンの再開(2010年1月29日)
オープンサロンが再開しました。
懐かしい人たちが来てくれました。
またその日と他たちが友人も連れてきてくれました。
参加者は9人、丁度話し合うにはよい規模でした。
今年から会費ももらうことにしました。
それなのにそれぞれが差し入れまで持ってきてくれました。

最初に来たのが江口さんです。
むかし経済広報センターと一緒に「シニアネット」を立ちあげたことがありますが、その時にお会いしてイライの付き合いです。
続いて、リンカーンクラブの武田さんが友人の片野さんを同行してきてくれました。
片野さんとは初対面ですが、自然環境との共生をテーマに会社を経営する傍ら、社会的な活動にも取り組まれているようです。
今回は初対面にもかかわらず、ちょっとホットな議論をしてしまいましたが、私と違い大きな包容力をお持ちの方です。
かんき出版の藤原さんは若いベンチャー経営者を連れてきてくれました。
ミスター・エムという、ちょっと興味を引く会社を起業された村松さんです。
村松さんも初対面なのにご自身の関係のことをとても率直に話されました。
こういう人たちが次の世代を開いていくのだなとちょっと思いました。
キャノンにいた富永さんもホームページで再開を知ってきてくれました。
続いてこれまた常連だった岸田さん。
妻の葬儀の時以来でしょうか。
そしてブログに書いた石本さん。
少し遅れて小山石さんまでやってきました。

気がついたら、シニアネット関係で知り合った人が3人いました。
江口さん、富永さん、石本さんです。
その関係の集まりで私が話をさせてもらったことがあったのだそうですが、その記録を機関紙に書いてくれたのが石本さん、その気管支を制作した会社の人が江口さん、その講演会に聴きに来てくれたのが富永さんだったのです。
もう一つ偶然の出会いがありました。
小山石さんと江口さんは旧知の友人だったのです。
何でこんなところにいるのとお互いに言っていましたが。

話題はいつものようにいろいろでした。
ブログに書きましたが、貧困問題も出ましたし、まあいろいろでした。
来月から毎月最後の金曜日の夕方開催されます。
よかったら遊びに来てください。
時に面白いはずですから。

■シンクロニシティ(2010年1月30日)
オープンサロンでもいくつかのシンクロニシティがありましたが、今週はまたシンクロニシティを多く体験しました。
オフィスで書類を整理していたら、FさんからもらったCDが出てきたので、それを久しぶりに聴きながらパソコンを開きました。
そうしたらそこにFさんから会いたいというメールが届いていました。
美野里町の若者たちが来た時に昔仕事に巻き込んだ大月さんの話題が出ました。
その日、帰宅したら大月さんから著書が届いていました。
といった具合です。
こうしたシンクロニシティの連発は数年ぶりです。
また何かが始まりそうな気配です。

(2010年1月第3週)
今週はちょっと心身が動きませんでした。
どうも人間嫌いになりそうです。
社会の壊れと自分の無力さ、不甲斐なさを感じます。
■欲しいのは承認と生活できる収入(2010年1月18日)
■真心の時代(2010年1月19日)
■花かご会(2010年1月20日)
■自殺多発場所での活動者サミット報告書(2010年1月21日)
■エスクのリノベーション(2010年1月22日)
■第3次ベビーブームプロジェクト(2010年1月22日)
■「支え合う」ってなんだろう(2010年1月23日)
■ ゲット・ゼネレーション(2010年1月23日)

■欲しいのは承認と生活できる収入(2010年1月18日)
久しぶりにマーケターのKさんがやってきました。
これから取り組むプロジェクトに関して意見交換にやってきたのです。
しかし、それはともかく、人生談義になりました。
Kさんもこの数年はドラマティックな生き方をしていたらからです。
話しの中で、彼が言いました。
他者の承認と日々金策に気をとられないですむ程度の固定収入だけあればいい。
まあかなり贅沢な要望だと私は思いますが、言い方を変えればそれさえあればみんな幸せになるでしょう。
それもそう大した承認でも固定収入でなくても良いのです。
それが保証されないからこそ、みんな逆に大金を求めるのかもしれません。
彼と会うと、なぜかいつも「人生談義」です。

■真心の時代(2010年1月19日)
ブログにも書きましたが、「ゼロから考える経済学」を読みました
原題はcaring economics です。
そこで提唱されているのは、「支配の時代」から「パートナーシップの時代」へというのが大きな流れです。

読みながら思い出したのが、昔書いた「21世紀は真心の時代」です。
その小論では、「管理の時代」から「真心の時代」というパラダイム転換を書いたのですが、それと重なっています。
そういえば、一時期、環境問題にもはまったことがありましたが、私の意識は「自然の管理」から「自然との共創」でした。
作成にかかった日本能率協会の環境経営提言では「自然と人間の共進化」を基本にしたかったのですが、まだ「共進化」ということばになじみが少なかった時代だったため、協会には受け入れてもらえませんでした。

経済のパラダイム転換がようやく現実的になってきたことがとてもうれしいです。
私の生き方も間違っていなかったようです。

■花かご会(2010年1月20日)
我孫子駅前の花壇は花かご会というグループが手入れをしています。
妻がこのグループの仲間だったこともあって、時々、わが家にも来てくれます。
妻が活動していた時には、私も水やりを手伝ったこともありますが、今はただ花壇の恩恵を受けているだけです。
経は今年最初の手入れ日だと聞いていたので、挨拶をかねて、ささやかな差し入れに行きました。
みんな楽しそうに仕事をしていました。
金銭的には全くの無償の活動ですが、楽しそうな笑顔は決して「無償の活動」ではないことを示しています。
caring economicsの事例は、私たちの生活の周りにはたくさんあるのです。
皆さんのまわりはいかがですか。

■自殺多発場所での活動者サミット報告書(2010年1月21日)
昨年の10月24日に開催した自殺多発場所の活動者サミットの記録を作成しました。
もう3か月近くたってしまいました。
昨年にはほとんどできていたのですが、私自身が途中からなぜかやれなくなってしまったのです。
私は、その気にならないと何もできないタイプなのです。
そういう生き方を最近はしているために、それが身についてしまいました。
困ったものです。

この記録の編集のために、いったい何回読み直したでしょうか。
今ではほとんどすべて記憶してしまっています。
しかしとても良い内容です。
自殺のない社会づくりネットワークのホームページに掲載しますので、よかったら読んでください。
自殺多発場所での活動者サミット報告書

■エスクのリノベーション(2010年1月22日)
エスクに関しては昨年何回も書きましたが、37年も経過している家庭保育支援活動のグループです。
全国のファミリーサポートセンターのモデルになったところです。
20年近く前に、私は幼児教育や保育問題に関心がありましたが、当時、ソーシャル・フォスターリズムという理念の元に新しい保育システムを構想しました。
その時に出会ったグループの一つが、エスクです。

そのエスクも37年目です。
37年ともなれば、いろいろと制度設計も見直して行く必要があります。
できればこのエスクを核にして、「子どもの笑顔があふれる社会づくりネットワーク」の構築に取り組みたかったのですが、その前にエスクの基盤強化が必要なようです。
エスクの代表と話して、新たに事務局長を置き、エスクの活動のリノベーションに取り組むことになりました。
それが進んでいったら、私もまたエスクの理念の普及に関わらせてもらおうと思っています。

エスクの事務局長は小平さんが引き受けてくれました。
私ができることは協力しようと思っています。
小平さんは、江戸っ子のような人なので、これからが楽しみです。

■第3次ベビーブームプロジェクト(2010年1月22日)
エスクとの関係で縁ができたマイライフの音羽さんが、第3次ベビーブームプロジェクトというNPOを立ち上げた浅野さんを連れて来てくれました。
浅野さんは私がすんでいる我孫子市の手賀沼の近くで育ったそうで、いまでもよく我孫子には行くそうです。
それですっかり親近感が生まれました。
もっとも「第3次ベビーブームプロジェクト」という表現は、私の好みでは全くないのですが、浅野さんの思いは、みんなが子どもを産みやすい社会にしていきたいというものです。
それにはとても共感できます。
少子化の最大の問題は、人工が減ることなどではなく、暮らしやすい社会でないということです。
安心して子どもを産めない社会は、誰にとっても住みにくい社会だろうと思います。

私としてどう関われるかはまだ見え的マ線が、どこかに接点があるかもしれません。
先ずはコムケアの集まりで、浅野さんに話をしてもらうことから始めようかと思っています。
関心のある方がいたらぜひご連絡ください。

■「支え合う」ってなんだろう(2010年1月23日)
自殺のない社会づくりネットワークの交流会でした。
この交流会も、いまは事務局長の福山さんが主催してくれるスタイルになったので、私はただ気楽に参加すればいいだけです。
しかし、コムケアの支え合いサロンと話し合いの内容は限りなく近いのです。
違いは、問題を体験したり抱えたりしている人が多いため、話にリアリティがあることです。
12人ほどの人が参加しました。
今回は「支え合う」ってなんだろうかがテーマでした。
とても言い話し合いの場になりました。
来月は13日に開催です。
よかったら参加してください。
とても気楽安心できる空間ですから。

■ゲット・ゼネレーション(2010年1月23日)
自殺のない社会づくりネットワークの交流会の参加者の一人が、私たち30代は世間からロスト・ゼネレーションといわれているが、新しい時代を先取りしているという意味で、ゲット・ゼネレーションと捉えられると発言しました。
全く同感です。
日本も世界も今は不況だといわれていますが、私は今の姿は決して不況ではなく、常況と捉えるべきだと思っています。
今の「生産―消費」環境をベースにして経済を再構築すべきです。
つまり、caring economicsへとシフトして行くべき時期なのです。
ゲット・ゼネレーション世代に期待したいと思います。

(2010年1月第2週)
暇なのか忙しいのか、よく分からない1週間でした。
■ケアリング・マネジメント(2010年1月12日)
■アートクリエ(2010年1月13日)
■組織力の2つの側面(2010年1月13日)
■コミュニティケアからケアコミュニティへ(2010年1月14日)
■エスクのリノベーションに向けて(2010年1月15日)
■民主党小沢幹事長 vs 検察との対決(2010年1月16日)

■ケアリング・マネジメント(2010年1月12日)
共済研究会の佐々木さんが、久しぶりに奥さんと一緒に湯島に来てくれました。
奥さんは韓国の大学で教えているのですが、最近、コムケアの仲間といろいろ接点が生まれ出したのです。
昨年は韓国の人たちと一緒に福岡の西川さんにお会いになったり、また西川さんが大学でお話しする機会をつくったりされていました。
また認知症予防ゲームの高林さんとも接点が生まれ出しています。
いろいろと話題が出ましたが、最後に出たのが「福祉経営」の話です。
佐々木憲文さんはマネジメントゲームの草分けのお一人だということがわかりました。
私はその人のことをしらずに付き合っていることが多いのですが、今日初めてそれを知ったのです。
そのマネジメントゲームを福祉やNPO活動の世界に活かす活動に、いまご夫妻は取り組まれています。
実に興味があります。
「福祉経営」という言葉はよく聞きます。
もう15年ほど昔ですが、保育の世界に関わっていた頃に、「福祉経営研究会」を立ち上げた人がやってきました。
お話を聞いていて、これまでの経営とどこが違うのかよく分かりませんでした。
その頃は今以上に私は背件から脱落していましたので、ちょっとでも既存のパラダイムに乗っている動きには加担できなかったので、一度お会いしただけで縁が切れました。
相手にもそれがわかるわけです。

さて今回の佐々木さんたちの「福祉経営」概念は私が思っているものと同じようです。
最近、ケアリング・エコノミクスという発想が広がり出していますが、まさにそれに通ずる経営概念です。
佐々木さんたちの活動にぜひいつか関わらせてもらいたいと思います。

■アートクリエ(2010年1月13日)
南野さんと渡邉さんが、いよいよ新しい会社を立ち上げて新事業に取り組むことになりました。
社名は「アートクリエ」。
アートを切り口に社会を豊かにしていこうというミッションの会社です。
だいぶ事業計画も具体化してきました。
いよいよスタートです。
私も応援していこうと思います。
その会社のミッションの一つは、若いアーティストの育ちを支援していくことです。
若いアーティストのネットワークをお持ちの方、応援してくれませんか。
もし応援したいアーティストがいたらご紹介ください。

■組織力の2つの側面(2010年1月13日)
人材育成研究会の今年度の報告書の骨子がまとまってきました。
テーマは組織力強化です。
組織力といってもなかなか分かりにくいので、競争戦略と成長戦略に分けて考えたらどうかと思い、事務局に提案させてもらいました。
つまり組織の体力と変革力です。
報告書はそういう枠組みで構成されましたが、改めて考えて見ると、重要なのは「関係性」ではないかという気がしてきました。
閉じられた組織論ではなく、開かれた組織論が必要になってきているのかもしれません。
これはとても面白そうなテーマです。
ゆっくり考えたいと思います。

■コミュニティケアからケアコミュニティへ(2010年1月14日)
認知症介護研究研修仙台センター主催の地域包括支援センター職員への研修会に参加しました。
私がもらったテーマは、「コミュニティケアからケアコミュニティへ」です。
一応、「ケアコミュニティ」は私の造語なのですが、コムケア活動が目指すビジョンです。
私の前に東北大学教授の高橋満さんが「ソーシャル・キャピタル」についての話をされました。
とてもわかりやすい講演でした。
それを受けて私は、実践の面から「ソーシャル・キャピタル」の大切さを話しましたが、それを聴いていた高橋さんが「扇動者ですね」と笑いながら言いました。
私の講演の基本姿勢は「扇動」なのです。
午後はセンターの矢吹さんがワークショップ的な演習を行いましたが、なかなか良いワークショップでした。
メッセージもとてもよかったです。
参加者は予想以上に若い人たちで、私が持っていた地域包括支援センターのイメージは一変しました。

ちなみに高橋さんの専攻は「成人教育」です。
これも私が違和感を持っていた「社会教育」や「生涯学習」とは違っています。
よかったら高橋さんのインタビュー記事をお読みください。
私には、とても共感できます。

■エスクのリノベーションに向けて(2010年1月15日)
エスクのプロジェクトがいよいよ動き出します。
小平さんが事務局長になってくれることになったのです。
これで動き出すでしょう。

自殺のない社会づくりネットワークの次は、子どもの笑顔のあふれる社会づくりネットワークだと考えていたのですが、これはしかしあまりに置くが深くて、自殺問題どころではありません。
それに最近は自分自身の活動力にいささかの不安も生じてきました。
ですから今年は直接ではなく、少し間接的に関わりながら方策を思案していきたいと思っています。

■民主党小沢幹事長 vs 検察との対決(2010年1月16日)
昨年からの、というか、年来のというべきか、小沢一郎と検察との対立がショー化してきました。
マスコミには格好のテーマでしょう。
いまのところ検察が圧倒的に有利で、マスコミはほぼすべて検察よりです。
そうした動きを見ていて、私は小沢一郎がすっかり好きになりました。
もちろん彼の政策には賛同はできませんが、いまの無防備な生き方は実に良いです。
民主党は小沢の恐怖政治化にあるといわれていますが、もしそうであれば変革期の、それは当然の事象です。
それを克服できるのはおそらく次元を異にして生きている鳩山さんです。
おそらくこのコンビは敗退するでしょうが、まあ細川さんの失敗に次ぐ2回目の失敗を私たちは体験しなければいけないのかもしれません。
しかし、小沢さんはいかにも悪人然としていて良いです。

この数日、ブログに小沢さんへのエールを書きましたが、いろんな人から怒られています。
でもまあ、私は小沢さんが好きになっています。
彼が成し遂げたことは、やはりきちんと評価すべきです。
もちろん悪いことも山ほどやっているでしょうが、尺度を変えれば善悪の評価は変わります。
大切なのは、自民党独裁政治を壊したことです。

この対決はおそらく小沢さんの敗北で終わるでしょうが、それも私の好きな筋立てです。
歴史の真実は、常に敗者にあると私は思っていますから。
なんだかブログの政治時評みたいになってしまいました。


(2010年1月第1週)
なかなか調子が出てきません。
年末から年始にかけて、いろいろなことがありすぎました。
自然は穏やかな年明けでしたが、社会の実相を少しだけお裾分けされてしまったような年末年始でした。
中にはとても嬉しいこともありましたが。
今年は少し口数を少なくしようと思いますが、このコーナーも少し自重しようと思っています。
■オープンサロンを再開します(2010年1月5日)
■東尋坊の茂さんが湯島に来ました(2010年1月7日)
■まちづくり応援団構想(2010年1月8日)
■LLPコモンズ手賀沼新年最初の集まり(2010年1月9日)

■オープンサロンを再開します(2010年1月5日)
久しぶりにオープンサロンを開催しました。
思い立ったのは大晦日の日です。
いつも私は直前に思いついては節子に迷惑をかけていましたが、今回もそうです。
31日のブログに5日の午後に湯島に在室するのでと書いたのです。
誰が来るでしょうか。
今日はだれが来るかしら、と節子と話していたのを思い出します。

12時過ぎから待っていますが、誰も来ません。
誰かに声をかけたくなりますね。
今日から仕事始めの人も多いでしょうから、日中から来る人はそういないでしょうが、
できるだけみんなが来にくい日を選ぶのが私の悪癖です。
あまりにも暇なので、デスクの上のめだかの水を変えて、ちょっと南国風にしました。
といっても、まあ沖縄の海岸から拾ってきた珊瑚を入れただけですが。
黒めだかと珊瑚ではあいませんが、まあいいでしょう。

と退屈していたら最初のお客様が現れました。
(ここまでは同日に3時に書きました)

最初にやってきたのは梅田さんです。
久しぶりにカーデザインの話をお聞きしたりしているうちに、
福山さんが湯島天神に教え子たちの合格祈願に来たついでに寄ってくれました。
ところがまたまた今回の参加者はこのお2人だけでした。

後で、3人の人から開くなら開くで前もって連絡してほしいとお叱りを受けました。
このサイトでは一応予告したのですが、発信力はあまりないようです。
その人たちと話していて、今年からオープンサロンを再開することにしました。
毎月最後の金曜日の午後6時半から8時半、今度は会費制にしました。
次回は1月29日です。
よかったら来てください。
いつもながら全く意味のない集まりですが、どなたでも歓迎です。

■東尋坊の茂さんが湯島に来ました(2010年1月7日)
自殺のない社会づくりネットワーク・ささえあいは正式にスタートしましたので、私の役割は終わりました。
ですから徐々に事務局から外れていくつもりですが、なかなかうまくいきません。
代表の東尋坊の茂さんが講演で東京に来るというので、正式に提案するよいチャンスだと思い、事務局長の福山さんも一緒に話し合うことにしました。
ところが物事はうまくいきません。
これからはコムケアの事務局長として、外部から関わらせてもらうようにしたいと言い出したのですが、3人で話しているうちに、なぜかまた名古屋でシェルーネットワークの集まりをやることになり、その企画を引き受けてしまいました。
「断りに行ってそれ以上のことを引き受けてくる」というのが、これまでの私の性分なのですが、それがまた出た感じです。
後で考えてみると、余計なことまで引き受けてしまっていました。
本当に困ったものです。

でもまあ、この1年近く、3人で何回も話し合っているうちに、いささか我田引水なのですが、みんなコムケアの「大きな福祉」の理念をしっかりと共有してきたように思います。
もうしばらくは一緒にやらなければいけなさそうです。

■まちづくり応援団構想(2010年1月8日)
国土交通省の地域振興アドバイザー制度がなくなるようです。
たしかにこの制度は、環境変化に対応できておらず、いろいろと改善点が多かったと思います。
しかしせっかく積み重ねてきたネットワーク資源をこのまま消滅させるのはもったいないです。
今一番大事なのは、ネットワーク資源なのですから。
それで余計なお世話ながら「まちづくり応援団構想」を立案しました。
もちろんまだ思いつきレベルの構想でしかありませんが、我ながら面白そうです。
しかしそこではたと気づいたのですが、これは20年前に私の友人が構想していたものと同じです。
その時も誘われて参加しましたが、あまり面白くなく、義理で付き合った気がします。
それが今はなぜ面白いと思うのか。
私のまわりに刺激的なプロジェクトが少なくなっているからかもしれません。
これは由々しき問題です。

さてこの構想はどうしましょうか。
一人ではとてもできませんし。

■LLPコモンズ手賀沼新年最初の集まり(2010年1月9日)
LLPコモンズ手賀沼の集まりです。
今日はそれぞれがこれから取り組みたいことを披瀝しあう前向きの話し合いでした。
いろいろと出てきましたが、やはりまだみんな行政を意識し過ぎています。
私の基本姿勢とは全く違います。
さてさてどうしたらいいでしょうか。

出てきたテーマは、いずれも私の関心事なのですが、もうひとつわくわくしません。
わくわくしないプロジェクトは、うまく行きません。
やはり自分で組み立てないといけません。
春に向けて少し新しいプロジェクトを構想してみようと思いますが、やはりもっと若い世代がいなければ難しいです。
だれかスカウトしなければいけません。

(2010年1月三が日)
■新しい年の始まり(2010年1月1日)
■年賀状(2010年1月1日)
■初詣(2010年1月2日)

■湯島の掃除に行きましたが、できませんでした(2010年1月3日)

■新しい年の始まり(2010年1月1日)
いつものように、とてものどかな暖かな年明けです。
節子と一緒に家族みんなでゆっくりと子の神神社に初詣した3年前を思い出します。
屋上でユカと2人で初日の出を見ましたが、雲のためにあまりきれいな日の出にはなりませんでした。

ユカがお雑煮をつくってくれました。
お煮しめやおなますもつくりました。
節子のよりもちょっとモダンですが、とてもよくできていました。
節子の手づくり文化はしっかりと残っています。

昼前にジュン夫婦がやってきました。
朝、市役所に婚姻届を出してきたそうです。
ジュンには私の文化がしっかりと伝わっています。
いささか付き合いづらいですが、私の両親が私とは付き合いにくかっただろうことが改めてよくわかります。

おせちを食べてからみんなでお墓に行きました。
ジュンのパートナーは峰行さんといいます。
無邪気な青年です。
いつかまた彼のことを書くこともあるでしょうが、間違いなく私たちの世界の人です。

■年賀状(2010年1月1日)
年賀状が届きました。
それで気づいたのですが、私は年賀状を1枚も書いていません。
いつもなら文章くらいは考えているのですが、今年はその準備もしていませんでした。
最近はメールでの年始の挨拶にしていましたが、それもやっていません。
やったのはいつものように、このサイトに「新年の挨拶」らしきものを書いただけです。

戴いた年賀状をいつもよりも少しゆっくりと読みました。
じっくりと読むとたとえ手書きの文字が書かれていなくとも、相手の気持ちが感じられることがわかりました。
年賀状文化は考え直す必要がありそうです。

■初詣(2010年1月2日)
ユカと2人で布施弁天に初詣に行きました。
例年にない人の出で驚きました。
山門の前に長い行列です。
日本人が悔い改め出したのでしょうか。
いや多分その反対なのでしょう。
すべてが市場化されてきているのかもしれません。

■湯島の掃除に行きましたが、できませんでした(2010年1月3日)
恒例なのですが、湯島のオフィスは年があけてから家族と一緒に掃除に行っていました。
今年はユカがつきあってくれました。
荷物の入れ替えなどもあるので、いつも自動車で行くのですが、いつもより少し出遅れたら、湯島天神の初詣客で交通規制されていました。
事情を話し入れてもらいましたが、そのおかげで掃除をする時間がありませんでした。
湯島天神も初詣客が多いように思いました。
私たちは詣でずに帰りましたが。

毎日、ジュン夫婦が来ているので、なんだか奇妙な正月です。