コモンズ回復の主役としての社会的企業

 近年の経済はあらゆるものの私的所有化を進めてきた。公的な世界も決して例外ではなく、国家もまた、大きな企業とそう変わらない存在になってきている。みんなで創り上げ、育て、守るものが、もし社会であるとしたら、そうしたものはどんどん少なくなってきている。社会の実体が空疎になってきていると言ってもいい。いま必要なのは「みんなのものを取り戻すこと」つまり「コモンズの回復」である。

そうした動きは各地で強まっている。欧州ではモンドラゴンをはじめとした社会的経済の動きが再び広がっているし、米国でもワーカーズ・コレクティブやNPOの形で新しい企業がどんどんドメインを広げている。グローバルスタンダードだけが世界を席巻しているわけではない。従来型の経済や企業に焦点を合わせすぎると世界も時代も見えてこない。

経済のパラダイムが変わりつつあるのだ。マーケットインからソ−シャルインへ、そして稼ぐ仕事(事業)から働く仕事(事業)へと事業観も仕事観も移りつつある。企業も雇用の場から自己実現の場へと変わろうとしている。

 社会が解決すべき問題も変質してきている。これからは環境や福祉が中心になっていくだろう。それを「環境や福祉が新しい成長市場」などと勘違いしている人も少なくないが、その含意するところは、経済のパラダイムが変わることである。事業観を変えずにただ新しい成長産業と捉えるような発想は、旧体質の企業の延命策としては少しは効果があるかもしれないが、時代には逆行しかねない。企業が変わらなければならないのだ。

 時代の変わり目なのだ。そういう時は歴史から学べばいい。

 事業家はもともと社会的起業家だった。閉塞した社会に新しい風を起こし、大きな波を創りだしてきた。ただ市場を創造したのではなく、文化を創造してきたのだ。そして今また、閉塞感の高まる中で新しい文化が求められている。市場創造が求められているのではない。

 NPO、つまり非営利組織という言葉が災いしていると思うが、NPOと企業とは隣り合わせの兄弟である。そしていずれも、本来は社会的起業の拠点なのである。そうした原点に改めて回帰することで、新しい経済の方向が見えてくる。そして、その地平を開くのが「社会的起業家」なのではないか。社会的起業家とはコモンズの回復、つまりみんなの社会を取り戻すための先導者なのだ。事業目的も働き方も利益の活かし方も、個人と組織の関係も、これまでの資本制企業とは大きく違っているはずだ。

 おそらく21世紀は社会的起業家が主役になっていくだろう。私のまわりにも、そうした意識で起業に取り組む若者や女性、高齢者が増えている。いや、会社を辞めてまで社会的事業を起こそうとしている壮年男性も出始めている。

 そうした背景には、これまでの経済が軽視、というよりも無視してきた「価値観」や「公共性」への人々の気づきがある。社会の荒廃の原因を考えるよりも、それを新たな市場にしていこうという、これまでの経済の発想の限界をみんなうすうす気づきだしたのだ。いったいだれが歴史の主役なのか、というわけだ。

 社会的起業家を概念化する場合、従来の経済観や企業観は捨てる必要がある。そうすれば、新しい事業の動きが多彩に見えてくる。肩に力をいれずに、起業することもできる。そうした小さな活動が、いつか大きな波になっていくのだろう。だれもが社会的起業家の素質があり、だれもが起業できる時代になったのだ。

 さあ、あなたは何に取り組みますか。どこかでご一緒できるといいですね。

 

佐藤修:桓ンセプトワークショップ代表

2000.12