言いたい事を書いてしまうコーナー

■ イラクへの自衛隊派遣に関して思うこと(2004年4月17日)
イラクで米国のイラク住民への仕打ちに対して活動を起こしている人たちが、
日本の3人の若者たちを拘束し、日本国に対して、自衛隊撤退を要求してきた事件は、
さまざまなことを露呈しました。
しかし、多くの日本の人たちは、米国のイラク攻撃は世界の平和のためであり、
イラクに駐在することもまたイラク復興のためであるという前提で考えています。
しかも、それに同調した日本の自衛隊派遣もまた、イラクの人びとの生活を復興させるためであり、
人道支援(私には理解不能な言葉ですが)のためだという前提で考えています。

この前提は、私には全く現実感がありません。
人道支援とは何かなどと尋ねる気にもならない人たち(つまり多くの人の生活を犠牲にして不埒な生活をしている人たち)に限って、
そういうことを言っているような気がしてなりません。
今朝の朝日新聞では、今回の事件で自衛隊撤退拒否を支援する人が4人に1人だという調査結果を出しています。
この見出しを見て、私は瞬時にこんな国には住みたくないという気分になりました。

まあ国外移住は無理として(私はいま住んでいる日本が好きなのです)、
これまでやってきたさまざまな私の活動がとても虚しくなりました。
もちろんこれまでやってきたことは、社会のためではなく、ましてや誰かのためではなく、
自分のため、自分の家族のための活動です。
しかし、だからこそイラクの事件が気になり、環境問題や福祉の問題が気になるのです。
でもまあ、そんなことはきっと瑣末なことなのでしょう。
弱いものいじめが、みんなよほど好きなのですね。
私もまた、そうした仲間の一員なのでしょうか。
アウシュビッツを思い出します。
「パサジェルカ」という映画を覚えている方はいるでしょうか。

ユダヤ人収容所に勤める真面目な市民の話です。
朝、出勤してユダヤ人を詰め込んだガス室のスウィッチを入れる仕事をし、
定刻になったら家族との団欒を楽しみにしながら帰路のつく平和で善良な市民の話です。

拘束された3人やその家族に関する誹謗中傷のメールや活動もありました。
私のところにも、そうしたメールが届いています。
哀しい話です。
解放後の3人のテレビでの応対や、その後の行動に関する賛否両論もすごいです。
テレビでの彼らの対応には、私もかなり大きな違和感を持ちました。
しかし、そんなことは瑣末なことだと私は思います。
問題は、そこではないだろう、と私は思います。
なぜみんなそれに気づかないのでしょうか。
哀しいです。
いや、私だけが異常なのかもしれませんね。

その異常かもしれない私としては、
今のような状況をつくりだしたマスコミやオピニオンリーダの無定見さや無責任さに怒りを感じます。

このホームページのフォーラムに、先週、意思表示の勧めを書き込みました。
このことは前にもメッセージさせてもらいましたが、
意思表示される方は決して多くはありません。

昨日までは、実はこのコーナーに小泉政権とその支援者たちへの弾劾文を書き込むつもりでしたが、やめました。
もしかしたら、小泉首相は国民のまさに代表だと思い出したからです。
日本の首相は国民を代表しなくなっています。
密室で選ばれた森首相の時に、日本の首相の性格は変わったと私は思っています。
私的機関になってしまったのです。
しかし小泉首相は、国民を代表しているのかもしれません。
小泉のためなら死地に送られても文句を言わない人がこれほど多いのですから。
国民を危険な状況に陥れてもみんな喜々として従っているのですから。
自らの痛みはさておき、痛みを強要しても、それが通ってしまうのですから。

テロを起こしているのはだれなのでしょうか。
多くの無垢の住民を虐殺している米軍はなぜテロとはいわれないのでしょうか。
生活支援になぜ武器を持っていかねばいけないのでしょうか。
自衛隊ではなく、その道の専門家が仕事にいけば、同じ税金で数十倍の効果が果たせるのではないでしょうか。
まあ政治家や企業の利益にはならないでしょうが。

そもそも今回のイラク派遣が、「自衛」活動かどうかなどは、自明なことです。
憲法違反であることは明白なことです。
憲法を破った人と刑法を破った人、道路交通法を破った人、それらのどれが重罪に当たるか、
私には自明なのですが、みなさんはどうでしょうか。

最近の大政翼賛会的な日本の新聞やテレビをみていても、
最近のイラクの状況は決して「一部のテロリストの仕業」とは思えないような気がします。
それなのに、どうしてみんなテロの脅迫に屈するな、などと馬鹿な発言をするのでしょうか。
私がイラクの国民であれば、かなりの確率で、3人を拘束する立場になったのではないかと思います。
テロなどという言葉は、安直に使うべきではありません。

ベトナムの教訓も、アウシュビッツの教訓も、歴史に埋もれてしまっているのでしょうか。

イラクへの自衛隊派遣は日本の歴史を変えました。
人類の未来に向けての歴史も変えたように思います。
それに私もまた同時代人として荷担した。
それがとても哀しいです。

私も間もなく、63歳です。
こんなふうに考えるのは、痴呆が始まったからかもしれません。
もしそうであればとてもうれしいです。

長々と情緒的な感想を書いてしまいました。
最後に一つだけきちんとした問題提起をします。

今回の拘束事件は、イラクへの自衛隊派遣を正義と考えるか犯罪と考えるかによって、全く違った評価になります。
自己責任論などは議論にも値しません。
そんなことは当然のことであり、彼らもそのくらいは自覚していたでしょう。
今回の事件の意味は、
イラクで起こっていることをかなり顕在化したことだと思います。

あなたは、それでもイラクへの自衛隊派遣を肯定しますか。
そして、あなた自身が、あるいはあなたの子どもが、
自発的にではなく、イラクに軍事的な仕組みの中で派遣されても、拒否しませんか。

自分だけ安全なところに身を置いている小泉やブッシュと、
私たちは基本的に立場が違うことをどう考えていますか。

すみません。
思いばかりが先走って、なかなかまとまった文章にはなりませんでした。

運良く、テレビが壊れました。
購入して2年半しかたっていませんが、画面がおかしくなりました。
おかげで腹立たしいテレビを見なくてすみます。
これも偶然とはとても思えないのですが。

イラク事件の関連のホームページを書いておきます。
私の発言より示唆に富みます。
時々チェックしてもらえるとうれしいです。

http://www.houjin-ombudsman.org/iraq/main.html

http://homepage2.nifty.com/ToYamamoto/homepage2/tkwarergent2.htm


■ 不安と怒り
(また近況報告)
私の「不安状態」を告白した先週のホームページを見て、何人かの人からメッセージが届きました。
私自身は素直に自分の気持ちを書いているだけですが、読む人には重い雰囲気を与えてしまったようです。
すみません。
しかし、そのおかげで、意外な人が読んでいることがわかったりしました。
このホームページのようにあまり公開していないホームページは、読者が見えないのが残念です。

北九州市役所の中嶋重利さんから、五木寛之の「不安の力」(集英社)を紹介していただきました。
「不安」を肯定している内容だそうです。

近況の続きです。
確かに今は「不安」が身体中に充満しています。
しかし、不安で意識が後退しているだけではありません。
「怒り」もまた、高まっています。
不安は内向的で気力を萎えさせますが、怒りは社会に向けて行動力を喚起します。
人間の精神はきちんとバランスがとられるようになっているのかもしれません。

唐突に聞こえるかもしれませんが、9月11日の事件を改めて考えるようになりました。
あの事件を肯定するわけではありませんが、犯行グループの心情がますます理解できるようになってきています。
当時も直感的にシンパシーを感じてしまい、メールで書いて顰蹙をかいましたが。

私の場合、個人的な不安と社会的な怒りは、つながっていません。
全く別の次元での不安と怒りです。
しかし、これが同根だったらどうなるのか。
体験しないとわからないですが、彼らの行動が少しわかるような気がします。
ちょっと危険な話ですが。

怒りを高めた契機は2冊の本です。
ブックで紹介した「犬と鬼」、そして岩波新書の「豊かさの条件」です。
2冊ともみなさんにぜひ読んでほしい本です。
いずれのの本にも出てきますが、『豊かさの条件』から引用します。

「いわゆる消費者金融といわれるサラ金は、この低金利時代に、年25%から29.2%の高利で貸し付けられる。」
「サラ金は、年利2%前後で銀行から資金を借り、それを高利で貸し付け、テレビのゴールデンタイムに頻繁にコマーシャルを流して(サラ金大手5社合計で2001年には774億円の宣伝広告費が使われた)莫大な利益をあげている。」

こうした悪質な金融システム(都市銀行も同罪だと思います)に対して、
私たちの税金が(間接的とはいえ)投入されているのですから、
私たち自身がこういう動きに荷担しているわけです。
その結果、ホームレスが増え、自殺者が増えている。
怒りを感じますが、それに対して何もできない自分にも怒りを感じます。
何かができる立場にいる人たちの「不作為」が残念ですが、
それはきっと彼らもまた、そこから恩恵をうけているからでしょうから、それは「不作為」ではなく、「作為」というべきでしょう。
銀行への投入部分の納税拒否はできないものでしょうか。

アイフルのテレビCMが話題になっていますが、あのCMは許せません。
タレントの清水さんにも仕事を選んでほしいものです。
マスコミも無責任な報道をせずに、もっと意味を考えてほしいです。
今のマスコミにはコンプライアンスは期待できないですが、
少なくとも個人的に影響力のあるジャーナリストには「作為」してほしいものです。
最近の金融業界は本当にまともなビジネスといえるのでしょうか。
もっとまじめに社会のことを考えてほしいと思います。
結局は自分たちの身にふりかかってくることなのですから。

まあ、こんな怒りがたくさんあるのです。
皆さんには怒りはないですか。

ますます重いホームページになってしまいました。すみません。



2002年12月7日
道路関係4公団民営化推進委員会の最終報告提出にまつわる顛末に関する、極めて感情的な感想です。
今回の顛末で、様々な問題が見えました。それについて、書き残したいと思いました。

■今井委員長辞任
週間記録にも書き込みましたが、こうした人が日本の経済界のリーダーだったわけです。日本の経済界がいかにいい加減で不真面目なものであったかが良くわかります。自分の定見もなく、意味ある議論をすることもできない人が日本では頂点に立つことが多いのですが、それでもやってこれたのはなぜかといえば、現場の人が彼らを信頼していたからです。つまり見えなかったのです。それが変わりだしました。実体と実態が見えてきたのです
それにしても今井さんの対応はひどいものです。誠意もビジョンも全く感じられません。小泉さんとそう変わらないような気がしました。

■松田さんの対応
その一方で、松田さんの対応には感動しました。JR東日本はこれから政治家たちにいじめられるでしょね。しかし間もなくそうした不見識な政治家やそれに便乗する卑しい官僚や財界人はパワーを失っていうくでしょうから、そう被害はないかもしれません。そうあってほしいものです。松田さんにはとても感謝したい気分です。未来への光が見えます。

■マスコミの対応
もう論外ですね。定見がないのと挙げ足取りばかり。ますますひどくなってきています。最近の週刊金曜日もそうでしたが、使命感より商業主義や利己主義を感じます。
こうしたマスコミしか育てられなかった私たちの生き方を反省すべきですね。

■高速道路建設推進議連会長村岡さんの発言
朝日新聞に「われわれはあの方々とは哲学も思想も考え方も違う」と言ったと書いてありました。そうでしょうね。村岡さんのような議員の、哲学や思想や考え方が、日本をある段階から壊してきたために、こうした委員会が必要になったわけです。村岡さんたちの出番は終わったのです。まずは反省すべきです。そういう反省がありません。村岡さんのような見識のない人には早く引退していただきたいものです。こう言う人たちが居座っているから、政治への関心が育たないのかもしれません。

■石原大臣と小泉首相の対応
彼らはかっこよく演技することしか考えていないような気がしますが、自分たちの演じている無様さに気づいていないのでしょうね。


■私を含めた国民の対応
そうした政治家たちの対応に私たちはもう感覚を麻痺させているようです。
すべての議論をテレビ放映していたら、私たちの受け取り方も変わっていたかもしれません。

以上、極めて感情的な感想です。
明日になると書いたことを後悔しそうですが、書いておきました。
昨夜ならもっと過激に書き込めたノですが、人間は時とともに「怠惰」になります。「冷静」といってもいいですが、冷静と怠惰は紙一重の差です。