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佐藤修からのメッセージです。ご意見はぜひフォーラム欄に投稿してください。
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メッセージ一覧リスト
メッセージ総集編


メッセージ29:「現実的ではない」という言葉は捨てましょう。
〔2004年10月9日〕

意識変革や発想の転換ということがよくいわれます。
しかし、それはそう簡単なことではありません。

時代の変化の中で、新しい視点を主張するとします。
まず返ってくるのは、「理想はそうだが、現実的ではない」という反応です。
これからの企業のあり方とか自治体行政の方向性というテーマで話をさせてもらうと、そういう感想が多いのです。
そんな感想を持つのであれば、最初から話を聞かなければいいのです。
「現実的ではない」というのは意味のない言葉です。
現実はいくらでも変えられるのです。
現実の呪縛から脱却できれば、ですが。

ビジョンを持つことの意味は、発想の起点を現実から脱却させることです。
ビジョンがなければ、変革とか発想の転換など、ありえないのです。
つまり基準がないわけですから。

にもかかわらず、みんな「変革」や「改革」という言葉を声高に唱え、それを肯定します。
意味のない話です。
構造改革、行政改革、民営化、意識変革、大学改革。
変革に価値があるはずがありません。

現実の呪縛から抜け出ることが、出発点です。
「現実的ではない」という、たったそれだけの言葉で、
せっかくの問題提起を否定するのはやめましょう。
現実の呪縛の中にいては、新しい時代は開けません。
「現実的ではない」という言葉を捨てるだけでも、人生は変わっていきます。


■メッセージ28:弱いものいじめはそろそろやめませんか。
〔2004年4月17日〕

イラクでの日本人拘束事件は、とりあえずは3人の解放によって、一段落しました。

この事件は、実にさまざまなものを顕在化してくれました。
私にはショックでしたが、現在の日本人の本性を見た気持ちがします。
もちろん、希望につながるものもないわけではありませんが、とても寂しく哀しい思いを深くしました。

今回の事件は、3人の思いや行為が事の本質ではないように思います。
瑣末なところに目を向けさせるのは、支配者の常套手段です。
そして今の見識の無いマスコミは、それに利用されるどころか、それを助長しています。

今の不幸なイラクの状況はだれが起こしたか。
歴史に不案内なために間違っているかもしれませんが、
欧米の、あるいはソ連の、いわゆる政治大国の専横のためではないかと思います。
フセインもビンラディンも、彼らが育てたといえるでしょう。
平和なアフガンが踏みにじられたように、イラクもまた、踏みにじられました。
3人の拘束事件は、そうした状況の中で、起こるべくして起きた事件です。

9月11日の事件やイラク攻撃、自衛隊派遣に関しては、思いはたくさんあります。
書き出したら、きりがなくなりそうです。
一つだけ書くことにします。
それは、この一連の事件に通底している私たちの心根です。
それは一言で言えば、「弱いものいじめ」です。
この事件を通じて、そうしたことがよく見えてきたように思います。

弱いイラク住民をやっつける米軍の行動を、イラク復興と置き換え、
弱い人たちの、いわば「窮鼠猫を咬む」行動をテロと称し、
3人の若者の家族の悲しみと困惑を、自分勝手といじめあげる。
自分がその立場に置かれることもありえるという想像力は一切ありません。
これが、今の私たちの精神状況ではないかと思います。

いまでも、3人の言動を批判するメールが回っています。
哀しいです。
みんなきっと不安なのでしょうね。
きっと自分もいじめられているのでしょうね。
だから、自分よりももっと弱い立場の人を見つけたら、牙を向くのでしょうね。

自分よりも、一見、弱くて不幸そうな人を見つけたら、寄ってたかっていじめるのです。
この文化が日本に蔓延していることを、
今回の拘束事件は鮮やかに見せてくれました。

今回の事件にしても、何回か書いてきたように、
組織発想から個人発想に切り替えたら、全く違った地平が見えてきますが、
自分に自信や余裕がないために、そんなことはできずに、
ともかく大きな組織や制度の枠に乗って、みんな弱いものをいじめているように思います。

弱いものいじめはそろそろやめたいものです。
自分をいじめるのも、そろそろやめませんか。
昔のように、みんなが気持ちよく暮らせる社会をめざしませんか。
牙をむくのであれば、むしろ、自分たちをいじめている悪代官に反旗を翻しませんか。
イラク復興などという多義的な無意味な言葉からではなく、イラクの子どもたちの笑顔から考え出しませんか。

弱いものいじめになっている、現在の世界の構図から抜け出る、いい機会です。
弱いものの立場で、事実を見直していきませんか。
きっと違った世界が見えてきます。
3人の事件は、その契機を与えてくれたのかもしれません。

私は少なくとも、弱いものいじめに荷担しないように、注意したいと思います。
どなたか1人でも、そうした生き方を少しでも意識してくださるとうれしいです。

■ メッセージ27:サマーワ効果や産業のジレンマを超える方法はないでしょうか。
〔2004年3月20日〕

お知恵拝借第2弾です。

1月のピースウォークの集まりの時に、イラクに取材に行っていた人が話していたことですが、
サマーワはイラクにもこんなに静かで安全なところがあるかと思わせるようないいところだったそうです。
しかし、そこにオランダ軍や日本の自衛隊が来ると、
そうした状況は一変するだろうと話していました。
(主観的に聴いていましたので、不正確かもしれません)
そして、まさにそうなりつつあります。
これを私はサマーワ効果と呼びたいと思います。
平和のために出かけて行くことが、逆に非平和の状況を出現させるという、ジレンマです。
これをどう考えますか。

環境問題を解決しようとして、リサイクル産業を育てようとすると、
廃棄物が増えてくるという、産業のジレンマにどこか似ています。
従って、私はそれらを含めて、近代のジレンマと呼んでいます。
病院を創ると病人が発生し、
学校制度が整うにつれて劣等生が生まれるという、
イリイチの指摘もこれらの一例です。

こうしたジレンマは私たちのまわりにたくさんあります。
腹立たしいのは、それらが正義の名前で行われることです。
なかには「痛みに耐えろ」などととんでもない呼びかけをする松本や小泉といった「選民」もいますが、
それは論外としても、多くは善意で行われるのです。

このジレンマから抜け出るのはどうしたらいいのでしょうか。
つまり、善意が引き出す弊害をどう克服するかです。

これは難問です。
新しい経済システムや社会システムは、この問題を克服しなければいけないと思っています。

コンセプトワークショップで目指している「コモンズの回復」。
コムケア活動が目指している「大きな福祉」と「結いこむ」
CWSコモンズ村が目指している「脱貨幣関係」
これらは、そうした課題への取り組みです。
エコロジーや農業、ホリスティックアプローチ、愛。
いくつかの視点はあります。

しかし、まだ解決の具体的な鍵が見えません。
いい知恵はないでしょうか。
お知恵をいただければうれしいです。


■ メッセージ26:怒りを内部蓄積せずに蓄積する方法はないでしょうか。
〔2004年2月29日〕

今回から3回は、メッセージというよりも、お知恵拝借のメッセージです。
ぜひ知恵をお貸しください。

厚生省とミドリ十字によって引き起こされた犯罪は、いつの間にかうやむやに終わった感じがしますが、
厚生労働省と医療業界は全く何も変わっていないことが、今回のフィブリノゲン納入先公表問題で明らかになりました。
C型肝炎の感染源になったとされる血液製剤を納入した医療機関は7000を超えているといいます。
それを使用された可能性のある患者が検査を受けるようにしていくためには、
そうした医療機関をできるだけ早く公表していくべきですが、
厚生労働省と医療業界は、またしても結託して、事務局分たちの利益を守るために公表を500に絞ろうとしていたのです。
犯罪は繰り返し行われます。
しかも、フィブリノゲンの製造元は旧ミドリ十字の三菱ウェルファーマ社なのです。
信じられない話です。まだ利権のつながりは存続しているとしか思えません。
なぜ彼らには恥の概念がないのでしょうか。

そういえば、長銀と新生銀行の話も納得できません。
哀しい話です。

こうした話はあまりに多すぎて、最近は新聞も大きくは取り上げません。
いや多すぎるからではないでしょう。
最近の日経新聞の役員人事に見るように、
新聞社もまた、そうした利権構造に絡めとられているように思えてなりません。
広告媒体になりさがった大手新聞社には、もはや良識はないのでしょうか。

いささか過激に書いてしまいましたが、
こうした怒りをどこにもっていったらいいかわからずに、
いつの間にか私たちは、そうしたことに免疫ができてしまったのかもしれません。
それでは社会は変わりません。

そこで考えたのですが、
そうした「怒り」を貯金する「怒りの銀行」をつくるのはどうでしょうか。
怒りのエネルギーを外部にためていくわけです。
そしてそれがある水準を超えると行動に転化するというわけです。
ここまでは考えたのですが、
さて、ではその怒りをどうためるか、です。
イーバンクを活用して、怒り貯金をつくろうかと思ったのですが、
お金がたまってしまうとその管理が大変です。それに使うのも大変です。
怒りのメールを集めるのもいいですが、たぶん集まらないでしょう。
このホームページへの投稿も集まらないのですから。

しかし、怒りを自分の内部にためておくのは精神衛生上もよくありません。
なんとかして、どこかに何らかの形でためる仕組みがほしいですね。
ためる仕組みだけではなく、使う仕組みも一緒に考えなければいけません。

どなたかいい知恵を出してくれませんか。
私も考えて、ここで発表したいと思っています。


■メッセージ25:平和に向けて、何かできることをやりましょう
〔2004年1月10日〕

私のささやかな税金が,
イラクへの自衛隊派遣のために使われると思うと、納税意欲がまったくなくなります。
せめてイラク派兵費用は賛成者の寄付で負担してほしいものです。
イランの地震災害の救援であれば、納税額が増えてもがんばれますが。

それにしても、
国民の過半数が反対していることを断行してしまう、首相というのはどういう人なのでしょうか。
フセインや金正日とどこが違うというのでしょうか。
しかも、かなり憲法違反の可能性も高いといわれています。
狂気の首相を持った我々は、
ナチスドイツの始まりとそう変わらない状況におかれていると言ってもいいでしょう。
ナチスも北朝鮮も、おそらく始まりはこんな一歩だったのでしょう。

バタフライ効果というのがあります。
複雑系の世界で、よく語られる話です。
上海で蝶々が羽ばたいて起こした風が、アメリカのハリケーンを起こすという話です。
初期値の僅かな違いが、結果に大きな違いを引き起こすことは、よくある話です。
どんな大きな歴史的事件も、最初はだれかの個人的な活動から始まるのです。
首相の暴走を誰かが止めないと、平和日本の歴史は幕を閉じます。
忌まわしい歴史の現場に、自らがいることを哀しく思います。

しかし、嘆いてばかりいてもはじまりません。
昨年の11月9日の選挙前には、もう戻れません。
二大政党などという、見事な罠に、ジャーナリストもマスコミも欺かれました。
新聞社の論説委員の見識の無さが露呈したといってもいいでしょう。
かつての小選挙区制度への移行の時も、そうでした。
日本の新聞の論説委員や編集委員は、歴史の逆行が大好きです。
テレビにいたっては、論外ですが、テレビは事実を伝えてくれる効用があります。

ところで、バタフライ効果を逆に考えれば、
歴史の逆転は、まだまだ可能なのかもしれません。
平和に向けてできることは、きっといろいろとあるはずです。
私たち一人ひとりが、それを行うことで、
歴史はまた変わるかもしれません。

明日は日本各地で、
平和への思いを、音を出すことで意思表示しようという活動が展開されます。
1月11日の午後1時11分です。
意思表示する。それも平和への有効な行動です。
なにしろこうなったのは、私たちが意思表示しなかった結果なのですから。

平和に向けてできることはたくさんあります。
それぞれが、できることに向けて一歩踏み出せればと思います。
さて何をしましょうか。

2003年のメッセージ
12:ペイ・フォワードの実行をしてみませんか〔2003年1月1日〕
13:
地域に住むみんながまちづくりの主役になりましょう〔2003年1月29日〕
14:
産業のジレンマに気づきましょう〔2003年2月1日〕
15:なぜ日本では対イラク戦争反対のデモが広がらないのでしょうか〔2003年3月1日〕
16:横にも目をもちましょう〔2003年3月8日〕
17:新しい歴史の予感〔2003年
3月22日〕
18:もっと意思表示しませんか〔2003年4月12日〕
19:地元の水を飲みましょう〔2003年4月12日〕
20:
カタカナが多すぎる、などというのはやめましょう(2003年4月19日)
21:
平和のために1冊の本を購入しませんか〔2003年5月3日〕
22:国家って本当に必要なのでしょうか(2003年8月16日)
23:ノーマライゼーションしていますか(2003年8月30日)
番外:
こうなってほしいという社会の姿がありますか〔2003年9月6日〕
24:
資金がないなどというのはやめましょう〔2003年9月27日〕

2002年のメッセージ
0:はじめに
1:コモンズ型ホームページへの参加の呼びかけ
2: 嘘の上に成り立つ社会のありように疑問を持ちましょう(2002/2/7)
3:今が不況だ、などと考えることをそろそろやめましょう(2002/2/10)
4:生活者の素直な感想を大切にしましょう(2002/02/17)
5:最近の裁判には違和感はありませんか〔2002/2/16〕
6:発想の起点を変えてみましょう〔2002/04/05〕
7:間違いを犯すことよりも、間違いを隠そうとすることを恥じましょう〔2002/04/06〕
8:私たちはみんな自分で生きる力を与えられています〔2002/08/24〕
9:素朴な疑問〔2002/09/21〕
10:お金で規制する発想を捨てましょう〔2002/11/02〕
11:他人事の事件などないのです〔2002/12/21〕

番外編:ちょっと休憩〔2003/01/01〕