山形市の共創プロジェクト

山形市では平成8年から共創プロジェクトに取り組んでいます。今でこそ、「共創」という言葉はまちづくりの世界でも広がっていますが、その先駆けだったと思います。私自身は「協働」よりも「共創」という言葉に一歩進んだ意味合いを感じていますが、山形市では「地域主権」「行政参加」という従来型の発想とは全くベクトルを転換した理念で、このプロジェクトに取り組んでいます。近年、ちょっと退屈だったのですが、最近また新しい動きが出始めています。

以下にこのホームページで紹介された記事をまとめています。

(2004年)
■ サステイナブル・コミュニティと商店街(2004年2月23日)

(2003年度)
山形市共創プロジェクト2003(2003年4月10日)
山形市行政評価研究会(2003年6月12日)

(2002年)
山形市の共創プロジェクト再スタート!(2002年4月10日)
山形市共創塾が始まりました(2002年7月18日)
■ 山形市の郷倉を案内してもらいました(2002年7月18日)
■ 山形市役所の高橋清真さん(2002年7月30日)
山形市共創塾(2002年8月8日)
共創塾公開講座(2002年8月29日)
山形市共創プロジェクトの高倉正則さん(2002年9月20日)
山形市政策塾エコマネー公開フォーラム(2002年10月18日
山形市の政策塾(2002年11月8日)
山形市共創塾(2002年12月20日)
山形市ブレインネットワーク行政部会(2003年1月9日)
山形市共創塾発表会(2003年2月13日)

(2001年以前)
山形市政策塾2002年2月20日)
山形政策塾の発表会に参加しました。(2002年3月15日)
■開始から平成9年度までの概要

〔詳細記事〕

■山形市の共創プロジェクト再開(2004年12月7日)
山形市ではNPO支援のプログラムを、共創プロジェクトの一つとして取り組みだしています。
NPO立ち上げのための資金助成も行いだしました。
来年1月には、市内のNPOの交流会を開催することになりました。
それを契機に、新しい市民活動支援プロジェクトに取りかかります。
今日は、その基本方向について、市役所の共創係と意見交換しました。
基本的な合意が出来ました。うれしい限りです。

私の仕事に対する姿勢は、当然と言えば当然ですが、自らが納得できることです。
仕事だから自分の考えよりも発注者の意向を大事にすべきだという考えもありますが、私はその考えをとりません。
もちろん発注者の事情は大事にしますが。
ですから相手にとってはあんまりいいコンサルタントではないのです。
嫌われることも少なくありませんし、契約停止になることも少なくありません。
ですからコンセプトワークショップはいつも税理士の外崎さんに怒られているのです。
困ったものです。

1月11日に山形市でNPO交流会を開催することになりました。
山形市ではたぶん初めてです。
希望する団体に活動報告してもらった後、NPOと行政のコラボレーションなどをテーマにフリートークをやることにしました。
どうですか、お近くの方、ぜひ参加してください。
この交流会を契機に、新しい展開に入る予定です。楽しみです。

山形市では、もう一つ面白いプロジェクトが始まるかもしれません。
ごみ焼却場です。
ごみ問題にはまった職員と出会えました。
仕事を面白がる人は信頼できます。
面白くなければ仕事ではありませんから。
これに関しては1月に報告できます。
私は脇役にも入れないかもしれませんが、何とか潜り込みたいと思います 。
ゴミ問題は私も25年前にはまったことがあるからです。
1月下旬に書き込めると思います。


■山形市の共創仲間との食事
(2004年11月11日)
私が山形市に来ることを知った市役所の杉本肇さんから突然メールが入りました。
やたら漬け屋で仲間と食事をしているので、時間があったら来て下さいというのです。
大宅さんも東京に帰る用事ができたというので、大学で別れて、食事場所に行きました。
やたら漬けはとてもおいしい漬物屋さんです
主人の新関さんも山形市のまちづくりでがんばっている方です。久しぶりにお会いできました。

共創プロジェクト仲間の若者たちとも久しぶりです。
中には3年ぶりの人もいました。
みんな元気そうで何よりです。
長い付き合いのおかげで、こうした人が山形市にはたくさんいます。

食事ではご一緒できませんでしたが、途中で佐藤一大さんに会いました。
胃腸が悪くて帰宅する途中だったようです。
実はタクシーを間違った場所で降りたおかげで、運良く会えたわけです。
偶然とは思えない、なにかの力を感じます。
一大さんは、私の考えにとても共感してくれて、一番長く共創プロジェクトの事務局をやってくれた人です。
最も信頼できる若者の一人です。
最近、なかなか接点がもてなかったのですが、今日偶然に会えたのはきっと何かの意味があるはずです。
人は会うべき人に出会うものです。

若者たちからの雑談の中から、組織が置かれている状況は良く見えてきます。

■山形市長との久しぶりの話し合い(2004年11月11日)
若者たちとの食事の後、市川市長を訪問しました。
久しぶりにゆっくりお話しました。
近隣市町との合併話が問題になっていることもあり、心労と過労で一時、入院されていましたが、
もう回復され、お元気そうなので安心しました。

市川さんは問題を生真面目に正面から取り組んでいますので、大変です。
今回はちょっと我孫子市の話を紹介しました。
市民活動支援の体制の話です。
いい接点が出来ればいいのですが。

ちなみに市川市長は共創プロジェクトに共感してくれています。
私が山形市から離れられない理由です。

■山形市役所の共創プロジェクト(2004年11月11日)
共創仲間、市長の後は、共創係の斉藤さんと小田さんとのミーティングです。
実はこれが今回、山形に来た用事なのですが、
仕事以外のことばかりしていて、肝心の仕事が最後になってしまいました。
しかし、その前の3つの活動が実はとても重要な意味を持っているのです。
まあ、我田引水かもしれませんが、これが私の仕事の進め方なのです。
なお、この間にタクシーの運転手からの情報入手もきちんとしています。

共創係はNPO支援のプログラムを開発中ですが、とてもうれしい提案がありました。
山形市でのNPO支援をコムケア方式でやりたいというのです。
場合によっては、それをコンセプトワークショップで受託できないかという相談です。
願ってもないことですが、コンセプトワークショップで受託するのがいいかどうかは慎重に考える必要があります。
これ以上、時間を割くのは私の体力の限界を超えています。
でも、コムケアモデルを山形市で育てると言うのは魅力的な話です。
ついつい引き受けてしまいました。はてさて。

斉藤さんたちと話して、かなり具体的な展望が開けてきました。
モチベーションが高まりました。
これからはまた山形市にまた通いだす予定です。
今度こそいい仕組みを実現したいです。

■全国リサイクル商店街サミット山形大会(2004年9月15日)
お知らせでもご案内していた第7回全国リサイクル商店街サミットが15〜16日と、山形で開催されました。
全国の商店街関係者を中心に、毎年やっているサミットです。
起点は、いうまでもなく、有名な早稲田商店街のエコステーションです。
これに関してもこれまで何回か書きましたが、その活動がどんどん広がり進化しています。

今回のテーマは「サステイナブル・コミュニティ」です。
500人を超える参加者がありました。
山形市の七日町の商店街の若手ががんばったのです。
1999年に開催した全国地域づくり先進事例会議と同じく、共創型で展開しました。
今回は、商店街の事務局の下田さんと若手メンバー、
そして山形市役所の石川一幸さんが、感激的ながんばりで、見事に会を成功させました。
会の報告はまもなく七日町商店街のホームページで報告されるでしょう。

基調講演はサステイナブル・コミュニティ研究所の川村健一さんに頼みました。
川村さんは既に一度、話に来てもらっているのですが、それをさらに深化させてくれました。
サステイナブルであるためには、つねに手を入れつづけておくことが大切だという川村さんの指摘に共感しました。
サステイナブルとは生きつづけることであり、そうであれば、常に新しいエネルギーが必要なのです。
エントロピーを意識した自立です。
もちろんこんなややこしい議論をしたわけではありません。
私の気づきです。

引き続き5つの分科会に分かれてのテーマ別の事例紹介と議論です。
テーマは「商店街の元気」「公共交通」「商店街ネットワーク」「エネルギー」「こども」です。
新鮮な切り口がたくさんあると思いますが、それぞれを若手が分担してプロデュースしたのです。
それを受けて、さまざまな切り口から商店街の新しい役割のようなものを考える全体会を開催しました。
そして、最後に主催した七日町商店街が「山形宣言」として、自分たちのアクションプランを発表しました。
イベントは終わったところから本当の始まりがあると言うのが、私の考えです。
この宣言で、少なくとも5つの物語が動き出すはずです。
私はほとんど何もせずに、横から見ていたのですが、大成功だったと思います。
早稲田商店街の安井会長もいいサミットだったと講評してくれました。

内容的なことはまた報告書ができるでしょうから、それにゆだねます。関心のある人はご連絡ください。
ここでは、とてもうれしい事件を1つと出会った人のことを簡単に書いておきます。

うれしい事件は、山形宣言の取りまとめのときに起きました。
各分科会を担当した若者たちが、議論し出したのです。
すでに前日までにコアメンバーでたたき台をまとめていたので、その確認作業の予定だったのですが、
真夜中の
0時近くまでかなり真剣な議論が行われました。
若い世代とその上の世代の本音の議論でした。
納得できないことを見過ごさない文化は、とてもうれしい文化です。

出会いもいろいろありました。
青森市の商店街活動で有名な加藤博さんにお会いできたのはうれしかったです。
お話にとても共感しました。青森の商店街が元気なのはよくわかります。

埼玉県の小川町で自然エネルギーに取り組むNPOふうどの高橋優子さんもゲストで参加してくれました。
小川町といえば、有機農業の霜里農場が有名ですが、
その農場をやっている金子美登さんのパートナーの金子友子さんは私の小学校の同級生です。
オープンサロンに立派な野菜を届けてもらったこともあります。
高橋さんは、その友子さんとも知りあいです。高橋さんの霜里農場レポート記事もぜひお読みください。

千葉県の佐倉市で、ミニさくらという魅力的な活動をやっている、
NPOこどものまち代表の中村桃子さんは、コムケア仲間なのですが、今回はゆっくり話すことができました。
この活動は実に面白いです。ホームページをぜひご覧下さい。

鶴岡市で「だがしや楽校」をやっている阿部等さんにもお会いしました。
阿部さんは書店を経営されています。
ネット販売の発展で町の本屋さんはこれから大変でしょうが、阿部さんはいろいろと新しい展開をお考えのようです。
きりがないですね。このくらいにします。


■全国リサイクル商店街サミット山形会議幹事会
(2004年8月19日)
9月に山形市で面白い集まりがあります。
リサイクル商店街サミット山形会議幹事会です。
ホームページがありますので、ぜひご覧ください。
そして興味をもたれたらぜひ参加してください。
山形市は遠いですが、いろいろとホスピタリティあふれるプログラムもあります。

今日はその幹事会です。
このサミットは、早稲田商店街から始まりました。
有名なエコステーション活動を始めたところです。
その関係で、その言いだしっぺの一人、藤村さんも参加しました。

今日は会議のコンテンツの確認です。
5つの分科会をつくったのですが、それぞれを山形市の七日町商店会の若手が分担して担当し、
コーディネーターとの折衝や中身を詰めていくという方式をとりました。
最初は、みんなどうやっていいかわかりませんから、
時間がかかりますし、相談に乗っていた私としては一向に動かないので心配でした。
それに私の構想とはどんどん違った方向に行きますので、心配でした。
しかし、その方式をとってよかったと、今日は改めて思いました。
みんなそれぞれにいい取り組みになってきているのです。
おこがましい言い方をすれば、育ってきています。

5つの分科会の中身は、次のとおりです。
○元気が出るまちづくり(元気商店会の名物リーダーの激論対談です)
○バリアフリーな商店街(都市交通問題も扱います)
○外とのつながりのいり具との商店街(震災パックも出てきます)
○エネルギー自立の商店街(農業問題まで含まれています)
○子供の遊び場、学び場として商店街(ミニさくらも登場します)


どうですか。おもしろそうでしょう。
商店街の世界を大きく超えているでしょう。
詳しくはホームページをご覧ください。
私は全体会のコーディネートをさせてもらいます。
山形でお会いできるとうれしいです。

■山形創造NPO支援ネットワークの須藤路子さん(2004年8月19日)
山形に来たついでに、何人かの人に会いました。
その一人、須藤さんのことを書きます。

須藤さんは山形県が中心になって設立した山形創造NPO支援ネットワークの理事です。
山形市が市民活動(NPO)を支援するプログラムを検討していますが、
どうもこのネットワークとは相性が悪く、コラボレーションが実現していません。
共創を標榜している私としては、とても残念ですが、
実は私もこのNPOネットワークには設立当初から違和感があったため、これまで接点はとってきませんでした。
創設当初はニューズレターなども送ってくれており、動きは少しわかっていましたが、
1年もたたずに情報がこなくなってしまったのです。

行政が主導し、資金を注ぎ込み続ける市民支援組織はうまくいくはずがありません。
他人頼みの団体やステータス欲しさの有識者が集まるだけで、効果的な実践は広がりにくいからです。
NPOの良さは、ボランティアシップと透明性ですが、行政は基本的に透明性を嫌います。
不思議なことですが。

私が嫌いなのが、依存型のNPOです。
それを助長する行政主導のNPO支援組織はどうも苦手なのです。
ですから、山形市がNPO支援をすると言い出した時にも、この組織のことはほとんど念頭にはありませんでした。
しかし、それでは、「共創」の理念に反するではないかと、最近気づいたのです。
それに「現場に直接当たる」という、私の姿勢にも反します。
大いに反省して、須藤さんに会うことにしたのです。
やはり情報は直接自分で確認しないといけません。

私の思い込みは、半分は正しく、半分は間違っていました。
いま、山形創造NPOネットワークは、自己変革の途上にあります。
そのやり方は、私が一番嫌いなやり方ですので、おそらく成功しないでしょうが、
しかし、その中でがんばっている人がいることは評価しなければいけません。
それは山形市の財産にもなるはずですから。

須藤さんは「ただのおばさん」ということで、結構、厳しい目で見られているようですが、
ただのおばさんがいまや大事なことなのです。

短い時間でしたので、ネットワークの全体像や現況がわかったわけではありません。
しかし、たくさんの発見がありました。


■リサイクル商店街サミット幹事会
(2004年7月20日)
9月15日と16日、山形市でリサイクル商店街サミットを開催します。
テーマはサステイナブル・コミュニティ。
環境先進都市を標榜している山形市の行政もかなり力を入れています。
私は、そのコーディネーター役です。

幹事会に初めて参加しました。
これまでは主催発起人の山形市七日町商店会青年部会のメンバーが企画してきました。
私は企画段階こそが面白いと思うので、ほとんど口を出さずに、ノイズだけを入れてきました。
しかし、そろそろまとめていく時期です。

多彩なメンバーで、まさに共創型の幹事会。
数年前にやった全国地域づくり先進事例会議を思い出しました。
この時の体験が、今回のサミットの根底にあります。
5つの部会に分かれて準備を進めていますが、その報告を聞かせてもらいました。
広報部会や交流部会など、みんながんばっています。面白いイベントになりそうです。
今回は、初めてみなさんとお目見えしましたので、私の考えを少し話させてもらいました。

イベントを成功させるよりも、プロセスを楽しもう、プロセスから新しい学びを得よう。
これが私のスタンスです。
与えられた役割をこなすのではなく、
与えられた役割の中に、自らのやりたいことをしのび込ませて、
自分の世界を広げようと提案させてもらいました。
大切なのは2日間のイベントではなく、それを契機に始まる物語です。
これが私のすべてのスタンスです。

今回は、会議そのものの内容に関しても議論しました。
なにしろテーマが「サステイナブル・コミュニティ」なのです。
どうやって商店街と結びつけるか、結構難しいですね。
5つの分科会に分かれて展開します。
詳しくはサミットのホームページをみてください。
それぞれの担当責任者がこれから知恵を絞ることになります。
みんな七日町商店街を支えていく若者たちです。
「自分のやりたいことをやろう」というのが、私のアドバイスですので、
仕事と思っていた人には、戸惑いがあるかもしれません。
思い切り楽しんでくれるといいのですが。

■山形市の2人の共創仲間(2004年7月20日)
山形に来たついでに、市役所の秘書課の高倉さんと会いました。
高倉さんは、私が山形市と関わりだした当時の担当者で、共創への思いがとても強いのです。
今は、新市長の下、秘書課で共創精神の定着に取り組んでいます。
私はかなり辛口のコメントをする性癖がありますが、
一緒に共創プロジェクトを起こしてきた同志としての信頼感がお互いにありますので、
本音ベースでの付き合いが実現できています。
今回もかなり辛口のコメントをしましたが、全くめげません。
見上げたものです。

山形市の共創プロジェクトでは、もう一人、仲間がいます。
佐藤一大さんです。
久しぶりに彼の職場も訪ねました。今は高齢福祉課で仕事をしています。
福祉の仕事は、まさに「共創型」でないといい仕事が出来ません。
一大さんにとっては、共創を実際に仕事において実現していることになります。
しかし、視点を住民において仕事をすることは結構大変なことです。
これまでのように、上からの福祉を仕事と思っている限り、いい仕事はできません。
共創型の仕事の先端職場が福祉の分野なのです。
一度、彼から現場からの共創観を改めて聴こうと思っています。

こういう仕事をしてきたので、
いくつかの自治体に私の共創思想を知ってくれている職員がいますが、
なかなか仕事で継続できるところはありません。
それが少し残念ですが、それを補うために、
共創感覚を持った自治体職員を中心とした「風のまち」というメーリングリストがあります。
発起人の一人が、一大さんです。
まちづくりでは、土の人と風の人と、よくいわれますが、その「風」を集めたまちです。
なかでも一番外にいる風が自治体職員ではない私です。
ちなみに私はCWSコモンズ村の村長という資格で参加していますが。
その私がさぼっていたのですが、これから少しがんばって活性化したいと思っています。

もしこのホームページを読んでいる中に、自治体職員の方がいたら、ぜひご参加下さい。
転入者大歓迎です。住民税は不要です。
私にメールいただければ、手続きします。


■山形市共創プロジェクトの再スタート
(2004年6月25日)
山形市の共創プロジェクトをどう進めていくかの3回目の打ち合わせです。
継続していくことに決めました。
私のイメージとは全くといっていいほど違うのですが、
長年付き合ってきた山形市ですから、まあもう少しやってみます。
それに昨日、サクランボをもらいましたし。
もちろんサクランボは仕事とは無縁ですが、あまりにもタイミングがいいですので、何かの意味があるのでしょう。

今年は、市民活動支援の指針づくりがテーマになりました。
目的は指針ではなく、指針づくりを通して、共創の精神を広げていくことと、
市民活動のつながりを育てていくことだという共通の認識が合意されたので、安心しました。
山形県には山形創造NPO支援ネットワークという県主導でつくったNPO支援の仕組みがあります。
創設する直前に県を訪問し、事務局の人と話たことがありますが、
形式だけのものでしたから、たぶん育たないと思っていました。
案の定、いろいろ問題にぶつかっているようです。
それにしても、自治体はどうしてこうも無駄なお金ばかり使うのでしょうか。不思議です。
最初からこの結果はわかっていたはずです。
今でも、私に頼めば、1年で元気な仕組みにしてやるのですが。はい。

山形市で、できればコムケアネットワークのようなものもできないかと思っています。
そうした仕組みづくりを働きかけようと思っています。

■リサイクル商店街サミット山形大会(2004年6月25日)
9月15日〜16日、山形市でリサイクル商店街サミットが開催されます。
早稲田商店街から始まったサミットですが、
今年の山形大会は、ぜひ新機軸を出したいと関係者はがんばっています。
今まではちょっと横からの怠惰なアドバイザー役立ったのですが、
今日、コアメンバーと会い、総合プロデューサー的な役割を引き受けることにしました。
推進主体の中心は山形市七日町商店会の青年部会です。
そこに、山形市と山形県のメンバーや山形県中小企業団体中央会などが参加しています。
できれば国土交通省やNPOも巻き込みたいと思います。
以前やった全国先進事例会議の再現です。

行政と話し合うのとは違い、実践的なのがいいです。
行政には企画力と実行力がほとんどなくなっていますが、NPOや民間企業に学んでほしいものです。
このメンバーは若く、20代も2人もいます。
納得すれば彼らは自発的に動きます。組織人ではないからです。
組織人は動かされても動かないのです。チームワークはしにくいのです。

このサミットのテーマはサステイナブル・コミュニティ。
私の表現では、7代先に誇れるまちづくりです。
そのために、商店街はなにができるかがテーマです。
会の最後には具体的なアクションプランの発表もやりたいです。

そう言えば、とてもうれしいことがあります。
小倉北区のライブトークの事務局をやった高橋典子さんが職場を変えて、
今商店街活性化に取り組んでいますが、
彼女からこのサミットへの関心が寄せられました。
ぜひ彼女にも参加してほしいものです。
その意味でも、面白いものにしたいと思います。

みなさんも参加されませんか。
夜の交流会にも、さまざまなプログラムが用意できそうです。
まもなくこのイベントのホームページが開設されます。
またご案内します。



■山形市共創プロジェクト新スタート
(2004年4月27日)
共創プロジェクトの相談に山形市を訪問しました。
市長がとても熱心なのです。
今朝も朝食時にお邪魔して、いろいろとお話しました。
ちなみに山形市の市川市長は、精力的にさまざまな人とお会いしています。
飛び回る市長です。
その様子は山形市のホームページに掲載されています。
今回ではないですが、私も登場しています。

山形市は以前から、環境先進都市を標榜しています。
この言葉に「いのち」を与えたいと、市川市長は考えています。
市川さんは、
「出された食べ物を残さない。食べられないほどの食べ物は出さない」
というのが、信条ですが、
誰でも取り組める、こうした活動をみんながそれぞれに広げていければとお考えです。
共感します。
私の平和観と同じです。

山形市には共創プロジェクト推進のために「共創係」というのがあります。
共創プロジェクトは最近、ちょっと活動が停滞していますが、
今年は進め方を見直して、再スタートすることになりました。
市民活動やNPOとの共創も課題になりそうです。
楽しみです。

■七日町商店会のリサイクル商店街サミットへの取り組み(2004年4月27日)
9月に山形市でリサイクル商店街サミットが開催されます。
主催者は七日町商店会青年部会です。
幹事長の菊地健太郎さんと会いました。
忙しい中をがんばっています。
テーマはサステイナブル・コミュニティです。
商店会のイベントにしては少し大仰ですが、
どうせやるなら商店街に新しい風を吹き込みたいというのが、青年部会の思いです。
枠組みが少しずつ見えてきました。
ご関心のある方は、ぜひご参加ください。

これも共創型で進めていくことになると思います。


■山形市の共創プロジェクト
(2004年4月7日)
山形市に出かけました。
もう長く通っているのですが、その割に役にたっていません。
そろそろ身を引いたほうがいいと思っているのですが、なかなかそうはなりません。
今日はまた市長を交えて2時間以上話をしました。

NPO談義になりました。
山形市には「共創係」というのがあるのですが、
その係長に斉藤政美さんが就任しました。
斉藤さんは、職員であると同時に、地道な市民活動に取り組まれています。
NPOの実体をよくご存知です。
言葉が通じそうで、うれしいです。
私でも役に立てることがあるかもしれません。
そこで私の役割があれば、もうしばらくお付き合いが続きそうです。

山形市は、美野里町と並んで、私には思い入れがあるところです。
最近でこそ、「共創」という言葉が盛んに使われますが、
山形市の共創プロジェクトをスタートさせた時は、まだ珍しい言葉でした。
元祖共創プロジェクトが、もう一度元気になれば、うれしいことです。

帰り際に合併事務局長の舟山さんのところに寄りました。
苦労しています。
政治家と霞が関の、税金を使っての勝手な短視眼的統治が地域をだめにしていっていますが(どこかでイラク復興と似ています)、
流れができた以上は、住民のためになるような価値づくりをしなければいけません。
難題ですが、それだけに面白いテーマだろうと思います。

 

■ サステイナブル・コミュニティと商店街(2004年2月23日)
山形市の七日町商店会の宮崎さんに頼まれて、
サステイナブル・コミュニティの勉強会に川村健一さんをご紹介したのですが、
そのおかげで、私も山形にいくことになってしまいました。

川村さんは、日本に「サステイナブル・コミュニティ」概念を紹介した草分けの一人です。
サステイナブル・コミュニティ研究所の所長です。
とてもわかりやすく、本質的な話をしてくれました。
川村さんは、自分の言葉で語るのでとてもいいです。
冒頭にこんな話がありました。
私も初めて聞きました。

川村さんは、以前、仕事でクウェートの砂漠の緑化プロジェクトに関わっていましたが、
見事な技術とシステムの導入に成功しました。
ところが数年後、そこはまた砂漠に戻ってしまったそうです.
その体験を踏まえて、
次はエリトリアで、そこの住民の生活につながる形でのシステムを構想し、
現地の住民たちと一緒にシステムを作り上げてきたそうです。
その結果、そこに生活と文化が育ち、見事に成功したそうです。
この体験もあって、川村さんはサステイナブル・コミュニティの世界に入ってしまったようです.
あんまり正確な紹介ではありませんが、自分の体験で人生を変えた人を、私は無条件に信ずるのです。

サステイナブル・コミュニティを考えているところがあれば、ぜひ一度、川村さんのお話をお聞きになることをお勧めいたします。

帰路の新幹線で、川村さんといろいろお話をしました。
考えが私と非常に共通していることもわかりました。
しかも行動志向も、どうやら似ています。
私よりはずっと行動的で、世界は広いですが。
うれしいことです。
いつか何かをご一緒できそうです。

■山形行政評価ワーキング検討会(2004年1月27日)
山形市では、行政評価システムの導入のために、
今年度、いくつかの事業を選んで試行的に評価作業を進めてきましたが、
この段階で、市民や学識者も参加し、実際の評価も行ってきました。
それを踏まえての、評価システムの検討会がありました。
ちなみに、山形市では「行政評価」とはいわずに、「仕事の検証」と称しています。

行政評価に、どういう形で市民を巻き込むかが、今回のテーマのひとつでした。
これは悩ましい問題です。
よく市民参加が語られますが、
「市民」とは誰だ、「参加」とはどういうことだ、と言う点が極めてあいまいです。
「市民」などという概念は、抽象的過ぎて、つかみ所がありません。
私は「市民」よりも「住民」という言葉が好きですが、
最近、ようやく、NPOなどの形で市民が実体を持ち出してきたので、
少し考えを変えなくてはいけないかもしれません。
もっとも、まだ、NPO概念もあいまいですから、その曖昧さはそう変わっていませんが。
「参加」に関しても「参画」だとか「協働」とかいう言葉もありますが、これも難しい言葉です。
私自身は、前にも書きましたが、
「協働」という言葉が好きにはなれませんし、「市民参加」もよくわかりません。

しかし、時代は「市民参加」「市民との協働」の時代です。
たとえば、地域福祉計画にしても都市計画にしても、住民参加が強調されています。
でも実際に作られている計画は、単なるアリバイ工作としての参加にとどまりがちです。
行政に悪意があるからではありません。
方法がわからないからではないかと思います。

市民を巻き込むのは簡単です。
実態を見えるようにし、意見を聴く姿勢をみせればいいのです。
そうすれば、住民は意見を言い出します。
意見にしっかりと応えていけば、さらに考え出します。
そして、自分たちも汗をかきだします。


■山形市行政評価システム開発会議
(2003年12月24日)
山形市の共創プロジェクトは、ちょっとお休みですが、
私は行政評価のプロジェクトに関らせてもらっています。
ただし、ちょっと「お客様」です。
なぜなら、私はこれまでの行政評価には賛成していないからです。
以前も書きましたが、上山信一さんの呼びかけにもかかわらず、
行政評価フォーラムを途中で離脱したのは、どうも私の価値観に合わなかったからです。

しかし、その一方で、もうひとつの行政評価のあり方には大きな関心があります。
それは私が「共創型行政評価」と呼んでいるものです。
評価を手段として、しっかりと位置づけ、関係者が相互に評価し合う仕組みです。
残念ながら、まだ実践の場を得られていませんが、いつか取り組みたい課題です。
時間ができたらこのホームページで、考え方やメソドロジーを紹介したいと思っていますが、いつになりますことやら。

いずれにしろ、行政評価は、職員と住民に喜ばれるものでなければいけません。
当事者にとってメリットのない仕組みは、広がりません。

山形の行政評価システムの大枠ができました。
今回はその吟味の会でした。
基本的なところで、私の発想とは少しずれがあるため、コメントしにくいのですが、
ともかく関係者をエンパワーするような仕組みにしてほしいと提案させてもらいました。

山形市では、ご多分に漏れず、財政が逼迫していますので、行財政改革が緊急の課題です。
行政評価がそのために使われることになりますが、
実はそこにこそ大きな問題があるのかもしれません。
これからどう展開していくか、少し心配です。

■山形市長の市川昭男さん(2003年12月24日)
このホームページには思わぬ読者がいることがわかり、時々、冷汗をかきます。
今日、山形市長にお会いしたのですが、
ホームページに自分のことが「自然人」と書かれていたが、あれはどういうことか、
と訊かれました。
まさか市川市長が読んでいるとは思わなかったのです。

実は先週も、まさかの人が読んでいることがわかり、冷汗をかきました。
女房の主治医の先生です。これもあせりました。
まあ、いまさら遅いですが。

ちなみに、山形市長が自然人であるとは、私にとってはすごいほめ言葉です。
市川さんから「野蛮人」ということかと言われましたが、決してそうではなく、
嘘をつかず素直に生きている人という意味です。
これからのリーダーに不可欠な資質です。
それだけではだめですが。

それはそれとして、市川さんから自由に書いていいというお墨付けをもらいましたので、
今回も書くことにします。

山形市では「環境先進都市」を標榜しています。
これは前の市長が掲げた政策です。
市川さんは、それを継承しました。
しかし、その内容をさらに進化し、実体をしっかりと構築したいと思っています。
ビジョンを「言葉」としてではなく、
「実体」として考えようと真摯に取り組んで
いる市川さんに敬服します。
言葉だけでごまかしている人が多い時代に、貴重な存在です。
しかも、それをさまざまな人と話しながら構想を広げている姿勢にも共感します。

1時間弱の時間でしたが、いい議論ができました。
話した内容は、きっといつか形になるでしょう。
何しろ相手は素直な自然人の市川さんですから。
楽しみに待つことにします。

このホームページでも、いつか私の「環境先進都市」のイメージを紹介したいと思います。
私のイメージはかなり明快です。
10年前から変わってはいません。
さまざまなところで、話をしていますが、まだピンときた人は少ないです。

最近はみんな、言葉で話すだけではなく、言葉で聞いていますので、
なかなかわかってはもらえません。
時に理解してくれる人がいると、とても嬉しくなります。


■ 山形市七日町商店街青年会
(2003年11月17日)
宮崎亙さんががんばっている商店会です。
宮崎さんについては何回か書きました。
早稲田商店街のエコステーションは有名ですが、
そこから波及して、元気な商店街作りに取り組んでいる人たちが毎年集まって、
全国リサイクル商店街サミットを開催しています。
来年は山形市で開催します。
七日町商店街青年会が中心になって推進しますが、その中心メンバーがやってきました。

宮崎さんはメッセージ型の集まりにしたいと考えています。
そこでテーマに「サステイナブル・コミュニティ」を取り込むことを考えています。
リサイクルの捉え方を広げ高めようというわけです。
以前、宮崎さんが中心になって実現した全国先進事例会議でも「サステイナブル・コミュニティ」を一つ分科会にしたのです。
昨日の子育ち学フォーラムでも、実はサステイナビリティという概念が出ていました。
子育ちはまさにサステイナブル・コミュニティにおいてこそ、可能なのかもしれません。
青年会の次期会長の菊池健太郎さんは、仙台のコムケアフォーラムに参加してくださいました。
こんなかたちでご一緒することになるとは思いませんでした。
新しい風を起こすようなサミットが実現するでしょう。楽しみです。



■ 山形市の新市長
(2003年10月15日)
山形市の新市長に会いました。
前市長の急死により、市長が代わりました。
新市長は前の助役です。以前から、共創プロジェクトを理解している人です。

山形市も難題を抱えています。
改革が必要だとみんないいます。
だが本気で取り組もうとしている人はほとんどいません。
私がそう思うのは、問題を直視するためには事実を把握し、目指すべき到達点を明示しなければならないのに、それをやらないからです。
本気は感じられません。
言葉だけです。小泉さんとそう違いません。

もっとも、これは山形市に限りません。
ほとんどすべての行政や企業も同じです。

新市長は市川昭男さんです。
信頼できる人で、嘘のない自然人です。
きっといい市長になるでしょう。
自治体はトップによって大きく変わります。

山形市の共創プロジェクトは、画期的な構想だったと思いますが、無残にも失敗しました。
これから山形市とどう関わるか、試案中です。

 



■ 山形市共創型行政評価WG
(2003年9月11日)
久しぶりの山形市です。
共創型行政評価に取り組もうとしています。
若手職員のWGで、何のための行政評価かについて議論しました。
行政評価が目的ではなく、それを使って、何をするかがポイントです。
目的のない仕事が多すぎますが、行政評価もまたそうなっているように思います。
山形市ではそうならないようにしないといけません。
ちょっとアジテーションしすぎたかなとの反省もありますが、今、やらずしていつやるかです。


■ 山形市行政評価研究会
(2003年6月12日)
山形市の共創プロジェクトは、今年から共創型行政評価モデルの開発に取り組むことになりました。
今日は、その第1回全体会議でした。

今、流行の行政評価には3つのタイプがあります。
行革型行政評価、NPM型行政評価、そして共創型行政評価です。

日本で話題にされている行政評価は、ほとんどすべて、前の二つです。
時代の変わり目には、それらは全く役に立ちません。
いや、役にたつこともありますが、弊害のほうが多いでしょう。
金の無駄遣いです。
ISOブームと同じです。
現場を知らない、スタッフの保身的対応が多いように思います。
マスコミにも大きな責任がありますが。

まあ、「暴言」といわれそうですが、私はそう確信しています。
従って、行政評価の仕事は私には無縁だと思っていましたが、
なんと山形市は「共創型行政評価」に取り組むと言ってきたのです。
それでとりあえず、協力することにしました。

そのキックオフ・ミーティングがありました。
ゲストは私の他に、東北公益文科大学の和田明子さんです。
和田さんはニュージーランドの行政にお詳しい方です。

ちょっと肩に力をいれすぎた傾向はありますが、私見を述べさせてもらいました。
ちなみに、私が以前、まとめた「福祉行政に関する評価」をテーマにした報告書の一部を掲載します。
古いものなので、お含みおきください。
当時はまだ、各地の行政評価の動きに少しだけ期待を持っていました。

会議終了後、メンバーと交流会をしました。
そこで「市民の成熟度」の話がでました。
市民の成熟度が低いから、なかなか地域はよくならないというのです。
行政の職員に限りませんが、そういう指摘はよくあります。

しかし、大切なのは、「市民(より正しくは住民)の成熟度」ではなくて、「行政の成熟度」なのです。
あるいは「そう主張する人の成熟度」でしょう。
視点を間違ってはいけません。
常に現場が一番先行しているのです。
そこに基準をおくことで、世界の風景は変わってきます。

会議で説明したレジメを掲載します。
最近、なかなか文章を書く時間がありません。
含意するところを読み込んでくださる人がいるかもしれないと思い、そのまま掲載します。
伝わるでしょうか。

■ 山形市共創プロジェクト2003(2003年4月10日)
山形市の共創プロジェクトは、そろそろ卒業したいのですが、今年もささやかに付き合うことになりました。
事務局体制は大きく変わりました。
部長以下係長まで変わり、担当の大泉さんだけが残りました。
うれしいことに、今度の担当係長は小野田さんです。
以前、共創塾で「かんがえる君」を提案して実現したメンバーの一人です。

今年は行政評価に取り組むことになりました。
具体的な活動が久しぶりにできます。それでまた関わらせてもらうことにしました。

今、全国に広がりつつある行政評価の動きには、私はきわめて否定的です。
現場や住民の視点が全くないからです。
新しい視点から行政評価に取り組みたいと考えています。
またご報告できると思います。

都市計画は美野里町、行政評価は山形市。これがこれからのモデルです。
ご期待ください。

■ 山形市共創塾発表会(2003年2月13日)
山形市の共創塾の発表会でした。市民も参加しての、開かれた会になりました。
テレビ取材もあり、発表者はそれなりの緊張感があったと思いますが、パフォーマンスを楽しみながら、とてもいい会になりました。
市長が体調を崩されて参加できなかったのが残念ですが、その分、助役がとてもいい発言をしてくれました。
市民からの発言もあり、少しずつですが、山形市の共創は進んでいます。
意見交換での論争も面白かったです。内容をご紹介できないのが残念です。

発表は6チームから行われました。今年の共創塾の特徴は、検討段階から実行も始めていることです。
若者たちの行動力には敬服します。

ピンク・バスターズという提案がありました。もう実行をしていますので、必ず広がるであろう提案です。
ピンク・バスターズというのは、町中のピンクのビラをはがしていこうという活動です。これは簡単なようで難しいのです。以前も書きましたが、市民が勝手にはがしてはいけないのです。ここにこれまでの自治体行政の本質を感じますが、それを行政と連携しながら、はがしていく活動をしていこうというのです。
ガーディアン・エンジェルズという活動がありますが(近いうちに紹介できると思います)、ピンク・バスターズも、有名になるかもしれません。ピンクビラには困っているところが多いと思いますが、行政と住民が一緒になって、取り組むべき問題です。
皆さんのところでも、ぜひピンク・バスターズをはじめませんか。ノウハウは山形市にありますので、いつでも関係者を紹介します。
まじゃる計画という、面白い提案もありました。このチームは職員と市民との混成チーム(まじゅラー)です。「まじゃる」は「交じる」です。市民も行政職員も交じっていこうという発想です。まさに山形市の共創プロジェクトの原点ですが、久しぶりに市民会議も面白くなってきました。行政主導で制度を作るのではなく、職員と住民がじっくりと話し合って出してきた提案です。これは楽しみです。

ネットを活用したモニタリングシステムの提案や役場の中での財産の効果的な活用に関する提案、市街地活性化の提案もありました。みんな実践的なのがとてもいいです。

出前の職人というのもありました。出前講座は全国的に広がっていますが、出前職人というのはいいですね。関心のある方は、もう少ししたら山形市のホームページを見てください。出前講座と並んで、きっと呼びかけが出るはずです。出ていなかったら、山形市の共創プロジェクトもその程度のものです。大泉さん、雅俊さん、がんばって下さい。

6つのチームの提案は、いずれも他愛のないものともいえます。しかし、今はそういうことをしっかりと実行して行くことが大切なのです。掛け声だけの構想よりも、地道な一歩です。小さな一歩を自分の問題として踏み出し、それを大きく育てていく。そこから組織は変わっていきます。
これからの山形市が楽しみです

■ まじゃラーのお二人のこと(2003年2月13日)
山形市の共創塾に参加した市民会議のなかから、きっといつかこのホームページに登場するだろうお二人を紹介します。

やまがた育児サークルランドの代表の野口比呂美さんは、最初のまちづくり市民会議から参加しています。子育てを切り口にして、様々な活動を展開しています。最初は行政との関係もいろいろ問題があり、ご苦労されましたが、いまや行政との関係はたぶん逆転しているでしょう。現場に近い人が主導して行く時代になってきましたから、当然のことですが。
野口さんは、子育てを切り口に、様々な活動や人を「つないでいく」活動をされていますが、最近は全国を飛び回っているようです。まもなくその活動の報告が本に収録される予定です。原稿を読ませてもらいました。面白いです。また紹介しますが、野口さんたちの活動はこれからのNPOと行政の位置づけを示唆しています。
野口さんたちの活動は、子育てランドあ〜べのホームページをご覧下さい。

もう一人は土井忠夫さんです。まちづくり市民会議の企画段階から中心的な役割を果たして来てくれた方です。実に多彩な趣味人で、山形市で有名な「そばりえ」のリーダーです。
土井さんがいたおかげで、山形市のまちづくり市民会議は健全さを維持してきました。最近、ちょっと動きが少ないのが不満ですが、まちづくりは急いでできるものでもありません。土地にあったリズムがあるのでしょう。
そばりえの説明は、土井さんの直弟子の高倉さんが別コーナーで、やけにまじめな解説をしていますので、読んで下さい。

■ 山形市ブレインネットワーク行政部会(2003年1月9日)
山形市にはブレインネットワークという組織があります。市民から構成された市長の諮問機関です。その一つである行政評価部会に参加しました。ノイズ役です。
 この部会のメンバーは全員、市民です。法律事務所の内藤いづみさん、山形創造NPO支援ネットワークの須藤路子さん、そしてNTT東日本の坂口隆彦さんです。
 行政評価に関しては,かつて大きな期待を持っていた時期があります。上山信一さんが行政評価フォーラムというのを立ち上げたときも参加しました。公開フォーラムの最初の会ではコメンテーター役を務めましたが、あまりにも過激なコメントで、顰蹙を買ったような記憶があります。そのときの事例が皮肉にも山形県です。
 福祉NPOの評価の研究会にも参加しました。これは田中弥生さんのお誘いです。そこでも退屈すぎて、途中で脱落してしまいました。
 行政評価はブームのように広がりましたが、企業経営の世界で新しい技法(思想ではありません)がブームのように広がるのと同じように危惧を感じていました。事実そうなったような気がします。ですから、「行政評価」と言う言葉には過敏に反応してしまいます。
 私は管理指向の行政評価ではなく価値創造型の評価システムが必要だと思っています。共創型行政評価です。その具体例の一つが、北九州市の福祉の分野で行われています。
 いずれにしろ、評価は手段でしかありませんから、それを通して何を実現するのかという目的が大切です。そんなことを議論させてもらいました。

ここでもコモンズ発想の取組みが必要だと、私は思っています。面白いテーマです。

■ 山形市の個性的な人たち(2003年1月9日)
山形市に通いだしてから8年目です。ひっぱりこんだのは市役所の企画調整部長の舟山さんです。今や山形市の命運を背負う要職にあります。その分、悩みも大きくなっているようです。
 市役所以外にもいろいろな顔見知りが増えています。久しぶりに五十嵐信さんと宮崎亙さんに会いました。この2人は、数年前の先進事例会議で一緒に苦労した仲間です。一緒に汗を流した体験があると、なぜか心のつながりを感じます。
 五十嵐さんは国際JCで活躍した個性的な人物です、山形市の共創プロジェクトで始めた、まちづくり市民会議のネット版をつくりたいと言うのが彼との最初に接点でした。今から7年前です。少し早すぎました。その後、彼と二人でスタートさせて実現したのが、先進事例会議でした。全国から600人の人が集まり、面白かったです。最近は静かです。
 宮崎さんは実践者です。私や五十嵐さんと違って、しっかりと考え、着実に行動する人物です。その先進事例会議を実際に企画運営した実質的な総合プロデューサーです。今は、ご自身が関わっている二つの商店街で、着実に新しい物語づくりを進めています。
 こうした世代が社会の中心になってくれば、社会は全く変わって行くでしょうね。早く変われた都市が時代を先導していくのでしょうね、山形市は、その点ではかなり遅れをとっているような気がします。10年前までの輝きを感じません。

■山形市政策塾2002年2月20日)

山形市の共創プロジェクトの活動として、市役所職員の有志による政策塾というのが行なわれていますが、それに参加してきました。実にうれしい展開になっています。山形市には私はもう6年も通っています。多くのことを学ばせていただきましたし、素晴らしい仲間も得られました。

最近、この政策塾が素晴らしい動きになっているのでうれしくて仕方ありません。どう素晴らしいかは長くなりますので止めますが、一言で言えば、みんな楽しがりだしたのです。仕事は楽しくなければいい成果は上がりません。楽しければ、どんな苦労もできるのです。それに参加者がどんどん人間的な会話をするようになってきたのもうれしいです。それぞれの違いを受け入れる関係も育っています。毎回、すごく教えられることが多いのです。

新しい活動も次々と始まりそうです。この内容は是非近いうちに山形市の政策塾の当事者から投稿してもらいたいと思っています。これを読んだ関係者の方、それぞれの活動について、動き出したら是非投稿してください。知恵はみんなのものですから、どんどん広く公開しましょう。

山形政策塾の発表会に参加しました。(2002年3月15日)

今日は山形市の政策塾の発表会でした。塾生がいくつかのテーマを選び、それぞれに新しい風を起こす具体的な提案を、公開の場で市長に行いました。事務局は「CWSフォーラム」投稿者第1号の佐藤一大さんです。

6つの提案がありました。提案を聞いて参加者が賛成か反対をカードであげるのです。そして最後に市長も同じく明確な意思表示をするのです。これは画期的な試みです。塾生が自分たちで考えたのです。 提案は具体的かつ理念的です。メンバーが苦労して、しかし楽しみながら検討してきた成果です。

うれしいことに全ての提案がおおかた賛成されました。もちろん反対者もありましたが。市長は2つにはちょっと条件をつけましたが、ゴーのサインがでたのです。 しかもすごいことに、市長がぐずぐずせずにいいことなのだからすぐやれと言ったのです。そこでそのうちの提案の一つは即日実行です。私の体験では、企業でもこんなことは初めてです。

その提案は市役所のロビーに「かんガエルくん」という投書ポストを置くことです。試作品がそのまま置かれることになりました。職員の提案がすぐ日の目を見るということの意味は大きいです。私は最近の山形市長にはいささか不満がありましたが、今回は改めて彼の人柄に感心しました。

なお、この提案は単なる投書ポストを置くだけではありません。はじまりのプログラムです。市役所1階のロビーにまもなく「オープンサロン」まで開設されるのです。これは私が10年前から望んでいたことですが、どこでも実現しませんでした、山形市でいよいよ実現するのです。店長は管理職が持ち回り、スタッフは職員のボランティアです。

皆さん、コーヒーを飲みにぜひ山形市役所に行きませんか。市長もブラッとやってこないともかぎりません。新幹線を使えば、山形は2時間半で行けます。連絡していただければ、感激屋の一大さんが対応してくれるでしょう。

市役所もまちがいなく変わりだしています。
山形市の共創プロジェクトは面白くなりそうです。他にも面白い提案がありました。

■山形市の共創プロジェクト再スタート!(2002年4月10日)

山形市の共創プロジェクトが、少しモデルチェンジして動き出します。
事務局との打ち合わせをしました。かなり面白くなりそうです。
事務局は企画調整部企画室ですが、部長の舟山さんは共創プロジェクトの生みの親です。
8年前、舟山さんが訪ねてきて、このプロジェクトが始まりました。
プロジェクトの趣旨や概要はまちづくりのコーナーをご覧ください。
時間もかなりたったので、このあたりでリモデルしようということになったのです。
企画室長の斉藤さんはコミュニティの回復に関心が深く、さまざまな活動に取り組んできた人です。
今年は2年目ですが、昨年の体験を踏まえての再スタートです。ご期待下さい。
なお、このホームページのCWSフォーラムの第1号投稿者の佐藤一大さんが、共創プロジェクトの事務局でしたが、今度、高齢福祉課に異動になりました。
高齢福祉は私の大きな関心事のひとつですので、いずれまたこのホームページでも登場するでしょう。
一大さん、ぜひ新しい風を起こしてください。

■ 山形市共創塾が始まりました(2002年7月18日)
山形市の共創プロジェクトで取り組んでいた政策塾が「共創塾」へと発展しました。その開講式でした。塾生の自己紹介に市長が一人ひとり丁寧にコメントしたのには感激しました。今年度の塾生はかなり若返りました。今年は何が始まるでしょうか。楽しみです。
これはまた毎回報告していきます。

■ 山形市の郷倉を案内してもらいました(2002年7月18日)
最近、近隣社会からのまちづくりに関心を高めています。共創塾で市長が郷倉の話をされました。昔、集落(郷村)ごとにあった年貢米などの共同貯蔵庫で、そこに集会所があったようです。コモンズのセンターですね。
企画室長にお願いして早速その一つを見に行きました。市内の上町の郷倉跡です。いまは200年ほど前に立った籾堂だけが残っていました。上町の郷倉は明治に入り、近くの陣屋後の建物と合わせて尋常小学校の分教場になりました。学校の整備が終わった後は、町の事務所となり、また集落の共有倶楽部になったようです。公民館の原型です。
現存する籾堂の歴史も面白いです。単に年貢米の貯蔵庫ではなく、義倉の性質を持っていたようです。建物の改修なども頼母子講などで行っていたようです。こうした文化こそが内発的なまちづくりの原型です。私たちの身近にある、こうした文化や知恵をもっと学ばなければなりません。地方の現場には、こうした知恵がまだまだたくさんあるようです。

■ 山形市役所の高橋清真さん(2002年7月30日)
 高橋さんは山形市役所から現在、山形県東京事務所に出向中です。山形市の共創プロジェクトの仲間です。オフィスに訪ねてきてくれました。
 自治体行政のベクトルを逆転しなければいけないと、私は思っています。地方分権ではなく地域主権です。しかし、まだまだ現実は統治型行政から抜け出られずにいます。昨今の住基ネットにしても市町村合併の進め方にしても、完全に統治志向です。霞ヶ関に新しい風が吹き出してほしいと思いますが、まだ無理なのでしょうか。
  テレビで見る片山総務大臣の話し振りには怒りを超えて哀れさを感じます。組織に隷属した人間への哀れさですが、それが私たちには悲劇になって降りかかってくるのですから、不条理な話です。

話がそれました。すみません。
 高橋さんは、風のまちの住民でもあります。時代状況のなかで、共創志向の自治の大切さを実感している一人です。しかし、現実は複雑で、悩み多い毎日だろうと思います。霞ヶ関とも、いい意味での人のつながりをできるだけつくってほしいですが、そう簡単ではないでしょう。霞ヶ関の人がもし読まれていたら、ぜひ彼を支援してやって下さい。彼の担当は厚生労働省と環境省です。

■ 山形市共創塾(2002年8月8日)

ご存知、山形市の共創塾の実質的な第1回目です。「コモンズ発想への転換」をテーマに問題提起させてもらいました。その後、塾生からそれぞれ何に取り組みたいかを話してもらいました。
今回は比較的若い世代が多いのですが、実に具体的でしかも本質的な問題意識を披瀝してくれました。一昨日の美野里町のまちづくり会議でも、まだ入職したばかりの新人職員がいい問題提起をしてくれました。時代は間違いなく、世代代わりへと動いています。50代以上の方々、そろそろ引き時かもしれません。後生信ずるべし、です。

■ 共創塾公開講座(2002年8月29日)
山形市の共創塾が公開講座の形で行われました。
ゲストはわかるふくしネットワークの木原孝久さんです。以前も紹介しましたが、住民の視点で福祉を問い続けている本物のプロフェッショナルです。話を聞くたびに、共感度が深まります。
木原さんは、人を思いやって普通の生活をしていれば、福祉などと大げさに言わなくとも、みんなが気持ちよく暮らせるまちになっていく、といいます(かなり不正確なまとめです)。そして、最高の福祉施策は、福祉の受益者を増やすことではなく、福祉のお客様とされていた人を福祉の提供者にすることだというのです(ますます不正確?)。
木原さんのお話の概要はいつかこのホームページにも掲載させてもらいますが、とりあえずは6月30日にコムケアの公開フォーラムで講演してもらった内容を木原さんの了解を得て、掲載します。ぜひお読みください。世界が開けます。

ところで、今日の木原さんのお話で「市民」と「住民」の違いが話題になりました。木原さんは「市民」ではなく「住民」の視点を大切にしています。私も全く同感です。
「市民」という言葉は、何か胡散臭さを感じます。今の社会がおかしくなったのは、住民感覚をおろそかにしたからではないでしょうか。これに関しては、以前まとめた自治体解体新書や行政コミュニケーション研究会の報告書で、私も言及していますが、ほとんど理解されず、後者ではメンバーからむしろ批判されたのを記憶しています。ですから今日の木原さんの話は、我が意を得たり、でした。私が昔書いた小論も時間が余ったときにでも読んでください。
 →○自治体解体新書の抜粋(私のまちづくりへの基本姿勢です)

■ 山形市共創プロジェクトの高倉正則さん(2002年9月20日)
 山形市の共創塾に行ってきました。そのついでに、共創プロジェクトの始まりの時のメンバーに会いました。当初のメンバーは、それぞれ要職についています。そして、それぞれが共創の理念を信念として持っています。しかし、残念ながら、個人の信念と組織の信念とは一致しませんから、担当者が変わることで、事務局のりえんは変質します。そこが難しいところです。私のような外部のものに出来ることは限界があります。
 15年前に北九州市のCIにかかわりましたが、このプロジェクトのすごいところは担当者を変えなかったことです。但し、ここでは担当者が変質しました。それで北九州市のCIは成功しませんでした。失敗でもないですが。
 美野里町は、その中間です。プロジェクトが広がり、担当者が増えていくというスタイルです。密度は希薄化しますが、広がります。
 私は三つのタイプに付き合っていますが、最近はいずれにも退屈しています。やはり相手に、燃えるような情熱を持った人がいないと仕事は持続できません。エーと、この部分は関係者の方は読みながして下さい。関係が悪化しそうですから。反省。でもまあ、隠すことでもないですね。

 話がそれましたが、山形市で一番燃えているのが高倉正則さんです。ラウンジで、ソバリエのことを紹介してくれた人です。彼もソバリエです。今は事務局から離れていますが、応援団です。組織の中ではなかなか理解されにくいタイプですが、自分軸と社会軸をしっかり持った人物です。組織を変えていくのはこうした人なのでしょうね。今ほど、自分軸が大切な時代はないと思います。狭い組織軸だけで生きている人が多いのが残念です。

■ 山形市政策塾エコマネー公開フォーラム(2002年10月18日
山形市の共創塾の今年2回目の公開フォーラムは、加藤敏春さんをゲストにお願いしました。加藤さんとは久しぶりです。以前、EPI(環境業績指標)研究会を日本能率協会の清水さんと一緒に発足させた時に参加していただいたことがあります。とても研究熱心で、エコマネーの創造主にして、伝道師でもあります。
今回は、市民と職員を対象に、エコマネーの紹介をわかりやすくしてもらいました。山形市で何か動きが出てくるといいのですが。
私もエコマネー的なコモンズ通貨を展開していますが、まだ仲間は20人くらいです。とても面白い「取引」が成立しています。皆さん、参加しませんか、豊かになりますよ。関心のある人はジョンギ辞典を見てください。

■ 山形市の政策塾(2002年11月8日)
最近は美野里町関連の記事が多く、もう一つの私のまちづくりのフィールドである山形市の影が薄いですね。決して忘れているわけではなく、今週も行ってきました。
山形は寒かったです。今年の暑さもすごかったですが、寒さもまたすごいですね。とてもいい年です。
山形市の共創塾は盛り上がりつつあります。今日は5つのテーマについての中間発表がありました。若い職員たちのエネルギーと才能はやはりすごいですね。それが発揮できないようになっている組織の仕組みを変えてやれば、それだけでも組織は元気を回復するはずです。みなさんの組織はどうですか。
面白い話を聞きました。一つのグループが「電柱の違法広告物を一掃したい」という活動をはじめようとしたところ、違反広告物の除去は県知事に権限があるため、勝手にはがしてはいけないと指摘されたそうです。気がついた個人がはがせるようにするには、条例を作らないと駄目だそうです。馬鹿な話ですが、これがこれまでの行政なのです。財政赤字になるのは当然ですし、業者と癒着するのは必然的結果なのです。
こうした無駄の創出のために私たちの税金が使われていると思うと税金を負担したくなくなります。こうしたことは、無駄の創出のほんの一部でしかありません。財政赤字などと言われていますが、自治体行政はもちろんですが、行政にはお金は有り余っています。自分の家計の感覚で対処したら、歳出は半減どころか10分の1くらいになるかもしれません。
発想が逆転しているのです。統治のための行政から自治のための行政に変わっていかなければなりません。

■ 山形市共創塾(2002年12月20日)
今年最後の山形出張です。寒かったです。
山形市の共創プロジェクトをどうするかの議論をしてきました。
このプロジェクトは私にとってはとても愛着のあるプロジェクトですが、この数年、納得できる形にはなっていません。
私の責任がかなりあるのですが、私は相手が主役のコンサルタントですから、相手が動かないと何もしないのです。
こんなコンサルタントに仕事を頼むと苦労しますね。
しかし、何もしない苦労というのもあるのです。まあ、勝手な論理ですが。

来年は行政評価の問題に少し取り組もうかと話し合いました。
と言っても、最近ブームのように広がっている行政評価ではありません。
あれは全く価値のないものだと、私は思っています。
時代の変わり目で求められるべきは、手法ではなく価値だからです。
それに「評価」ということばが管理発想であるところが問題だと思っています。

新しい取り組み方を見つけられればと思います。

その後、共創塾にも参加しました。
5つのチームで、具体的な仕組みづくりが検討されています。
いずれも極めて実践的なものです。