活動記録2011

活動記録インデックス
2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014  2015 2016
活動記録本文
2002
 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013  2014 2015 2016
トップ

(2011年12月第4週)
最近、「養生論」に関する雑誌記事を読んで、いたく共感してしまいました。
影響を受けやすい私ですので、すぐ養生生活に入ることにしました。
それで今年最後の今週は、のんびりと過ごすことにしました。
精神的なゆとりはかなり回復しました。
平安な年越しができそうです。
今年はいろいろと心やすまらない年でしたが、最後を平安に過ごせたことを感謝しています。
■企業のとっての基本軸(2011年12月26日)
■ぽんゆうとの忘年会(2011年12月26日)
■大掃除がなかなか進みません(2011年12月27日)
■野菜と干物(2011年12月28日)
■湯島の最後の掃除(2011年12月29日)
■年賀状(2011年12月30日)
■正月の準備(2011年12月31日)

■企業のとっての基本軸(2011年12月26日)
経営道フォーラム50期のCチームのメンバーが湯島に来ました。
チームメンバーの関心事は、企業の経営に効果的な企業軸はどうやって育てていけばいいのかということのようです。
「企業の内にも外にも、共感共鳴される企業軸」がこれからの経営には大切ではないかというのです。
いくつかの論点があります。
「企業の内と外」とはなんなのか。
「共感共鳴」とは何なのか。
その捉え方によって、実は内容が全く変わってくるのです。
そんなことをみなさんとお話しました。
そして、できるだけ具体的な問題を「一人称・自動詞」で語り合うことを勧めました。
企業の経営幹部のみなさんは、たくさんの体験知をそれぞれお持ちなのに、
語る時にはなぜか三人称・他動詞で語りたがります。
その壁をやぶるととてもいい議論が始まるのですが、そこまで行くのが難しいのです。
最近、手遅れになるケースが多いので、今期はできるだけ早く湯島に来てもらうようにしたのです。

■ぽんゆうとの忘年会(2011年12月26日)
小学校時代のぽんゆう(朋友)がやってきました。
押しかけ忘年会なのです。
あんまり会いたくないメンバーですが、押しかけられたら仕方ありません。
困ったものです。

小学校時代の仲間は、いつになっても当時のままで、どうしようもありません。
なにしろお互いにほぼすべてを知り合っていますから、いい格好などできるはずもありません。
蹴飛ばしたいほどに知り合っているのです。

小学校時代の仲間のつながりが深いのは、それだけではありません。
20歳前後の頃、私たちは毎年夏に同窓生全員でキャンプ生活をしていたのです。
暇な大学生たちは1週間ほどキャンプ場にいて、就職したりして忙しい同級生は、暇をつくって1〜2日だけやってくるわけです。
全員が参加したわけではありませんが、かなりの参加率でした。
それに機関誌や新聞まで出していたのです。
そのおかげで今もつながりは深いのです。

私は同窓会も忘年会も好きではないのですが、なかには会っておかないと年を越せないなどと言うのもいるわけです。
それにこの歳になると、いつ彼岸に行ってしまうかわかりませんし、まあ会っておくに越したことはありません。
幸いに今年は同窓生の訃報はありませんでした。

■大掃除がなかなか進みません(2011年12月27日)
湯島のオフィスと自宅の大掃除を計画していますが、どちらもなかなか進みません。
今日は思い切って、妻を見送った後、そのままにしていた寝室を掃除しました。
妻の遺品がいろいろと出てきました。
そのおかげで、やはりなかなか進みませんでした。

掃除というのは、単に空間をきれいにするということではないようです。
自らの心の世界を掃除しておかないと、なかなか進みません。
まあ大掃除は止めて、少しずつやれるところをやっていくことにしました。
そうやって最近は毎年大掃除をしていないのかもしれません。
でもまあいいでしょう。

■野菜と干物(2011年12月28日)
九州の蔵田さんからまた自作の野菜がどっさり送られてきました。
定年後はじめた野菜作りですが、毎年、実に立派な野菜を大きな段ボール箱一杯に送ってくださるのです。
今回はなんとお漬物まで入っていました。
これはたぶん「奥様の作品」でしょうが。

同じ福岡の加野さんからは干物が届きました。
そういえば、茨城と福井からお餅が届きました。
これでわが家も無事新年を迎えられそうです。
私の暮らしは、こうして、たくさんの人たちから支えられています。
お金がなくても豊かな新年が迎えられるのがうれしいです。
昔はみんなこういう生活だったのでしょうね。

■湯島の最後の掃除(2011年12月29日)
今年最後の湯島です。
掃除をする予定でしたが、見えるところだけ何となく片付けて終わることにしました。
小学生の頃、観た「ターザン」の映画で、チンパンジーが掃除をする場面がありましたが、
なぜかその場面が記憶に残っていて、掃除をするたびに思い出します。
チンパンジー方式は部屋の真ん中だけをきれいにするものです。
合理的といえば合理的です。
誰かが来れば掃除はやめられるのにと思っていたら、阿部さんが来ました。
これで今年の湯島の掃除は終わりです。
1年間、ありがとうございました。

今年最後の湯島のお客様が阿部さんでした。

■年賀状(2011年12月30日)
今年も年賀状を書くのをやめました。
妻の訃報を送った年から年賀状はやめたのです。
いただいた方には、メールかハガキで返信させてもらうようにしています。
一時は、1000枚を越す年賀状を毎年書いていましたが、もうその気力はありません。
以前はほぼ1週間、費やしていましたが、年賀メールも最近は返信だけです。
メールによる返信方式は中身のある会話ができることです。
書くのは大変ですが、なかなかいいものです。
おそらく次第にフェイスブックに主軸が移るかもしれません。
フェイスブックは実に面白いです。

■正月の準備(2011年12月31日)
年末の数日の我孫子はおだやかでした。
温度は低かったですが、からっと晴れて、陽射しを楽しめました。
ゆっくりと過ごしたせいか、大晦日の気分がしません。

午後から娘夫婦と同居の娘と4人で妻の墓参りをし、ゆっくりと過ごしました。
年越しそばは娘夫婦が毎年美味しいそばを持ってきます。
除夜の鐘が聞こえ出しました。

今年はいささか辛いことの多い年でしたが、新しい物語の兆しも感じた年でした。
ありがとうございました。

(2011年12月第3週)
今年の冬は本当に寒いです。
■みの〜れ物語第2弾制作委員会(2011年12月18日)
■ブレイクダンスの菊池さん(2011年12月18日)
■はじめてのアピオス(2011年12月18日)
■働くことの意味(2011年12月19日)
■LLP始動(2011年12月19日)
■大掃除が始まりました(2011年12月20日)
■山城経営研究所の堀越さんの研究活動(2011年12月21日)
■宮部さんとの不思議な付き合い(2011年12月21日)
■寒波襲来(2011年12月22日)
■エヴィーバでのランチ(2011年12月23日)

■みの〜れ物語第2弾制作委員会(2011年12月18日)
小美玉市の文化センター「みの〜れ」の10周年を祈念した本づくりプロジェクトの編集委員会が正式にスタートしました。
担当者も変わり、メンバーも10数人が集まりました。
10年ぶりにお会いした人もいますが、若いメンバーも少なくありません。

前回と同じく、どんな本を創りたいのかを改めて問いました。
単なる記録集であれば、私が関わる必要はありません。
結果的にはメッセージ性を持った、次の物語へのプロローグになるような本がいいということになりました。
それであれば私も関わるモチベーションが出てきます。
面白くなりそうです。

10年前の知り合いは、福島さんと野出さん、それに市村さんです。
それぞれ文化の分野では実績のある方です。
それぞえに一家言お持ちの方たちですから、議論はそう簡単にはまとまりません。
若い世代は、茨城大学の学生たちです。
新鮮な感覚で、しかもきちんと意見を述べてくれます。
新しい風を起こしてくれるかもしれません。

その中間に、保育所や学校の元先生だったり、ダンス活動をしている人だったら、隣の笠間市から興味を持ってやってきた人だったり、写真家だったり、いろんな人が参加してくれました。
今日は参加できなかったけれども、ほかにもまだ数名の委員がいるそうです。

返り際に、福田智子さんが自分たちの地域の文化遺産をまとめた「古の扉」という小冊子をくれました。
地域にはそれぞれ文化があります。
そうしたものがしっかりと生活の中で意識されていくことが大事だと思っていますが、学校がもう少しこういうことに関心を持ってくれるといいのですが。

■ブレイクダンスの菊池さん(2011年12月18日)
「みの〜れ物語」編集委員会の事務局は、今春、小美玉市役所に入った菊地さんが担当することになりました。
彼が石岡駅まで迎えに来てくれたのですが、車の中で話していて、すっかり波長が合ってしまいました。
そのため、急遽、今日の委員会の進め方も変えてしまったのですが、久しぶりに「ノリのいい」自治体職員に出会えました。
訊いてみると、彼はブレイクダンスのプロでした。
今春まで、ダンサーとして活動していたそうです。
その話をいろいろと聞きたかったのですが、まあこれから付き合いが始まるでしょうから、急ぐこともありません。

菊地さんが今回のプロジェクトをブレイクしてくれるでしょう。
問題はどちらの方向に向かってブレイクするかです。
しかし、どちらに向かおうとブレイクすれば面白くなることは間違いありません。
楽しみな若者です。

■はじめてのアピオス(2011年12月18日)
みの〜れ館長の山口さんが、ついでなので隣の小川町の文化センターの舞台を覗かないかと誘ってくれました。
小川町は美野里町と合併して小美玉市になったのですが、そこにも文化センターがあります。
アピオスといいます。
そこにみの〜れ建設時から付き合っている中本さんがいるのです。
山口さんの車でアピオスに行きました。
ちょうど住民たちで育ててきたグループが公演していましたので、見せてもらいました。
大ホールの舞台を劇場にして、とても面白い空間での公演です。
出演者と観客がつながっているのです。
だしものは「おやこでジャズ」。
終了後、中本さんが出演者を紹介してくれました。
みんな「みの〜れ」で育った人たちです。
住民主役・行政支援の精神がしっかりと育っています。
実にうれしい話です。

アピオスの事務所でスタッフと話していたら、なんとここに来る途中の電車でフェイスブックに書き込んだ私の記事を読んでいた人がいました。
初対面なのに何となく親しさが高まりました。
フェイスブックの効用です。

■働くことの意味(2011年12月19日)
今年最後の人材研究会でした。
テーマは「シニアの活性化」ですが、新日鉄と日立の事例の発表がありました。
いろんな意味で面白かったです。
従業員をどう扱うかで、その企業の本質が見えてくるからです。

そこで気づいたことの一部をブログで書きましたが、
「働きたい個人」「働かせたい会社」「働かざるをえない社会状況」といった3つの要請が高齢者問題にはあるわけですが、
それぞれの「働き」の意味合いが全く違うことに改めて気づきました。
発想の基準も違います。
稼ぐ仕事、役立つ仕事、自己実現の仕事など、仕事といってもいろいろあるのです。
そこを一括りで話していると混乱してしまいます。

■LLP始動(2011年12月19日)
12月3〜4日のスリーA方式認知症予防ゲームのフォーラムと実践講座の手応えのよさから、新たな組織づくりも熱が入ってきました。
今日はその最初の準備会です。
基本的にはLLP(有限責任事業組合)を立ち上げることにしました。
来年の1月には正式発足です。

問題は組織の名称です。
コアメンバーのニックネームを使った「ぶーふーうー」、湯島に事務所を置くので「ユシマーズ」など、いささか安直なネーミング案もでましたが、今度はきちんと仕事をする方針なので慎重にしないといけません。
私はちょっと距離をおきたかったのですが、その組織でがんばって利益を上げ、ビルを作って私を管理人にしてくれるという話も出たので、最初は関わることにしようかと思います。
本当に利益が上がるでしょうか。
私が関わらないほうが、利益は出やすいような気もしますが。
しかし漸く私の「イヤシベーションハス構想」が実現するかもしれません。

■大掃除が始まりました(2011年12月20日)
わが家の大掃除が始まりました。
娘との2人住まいなのですが、娘の計画に従って、年末の大掃除です。
一挙にやると疲れるので、少しずつなのですが、毎年遅れ気味で2人とも自分の部屋の掃除がいつもできません。
困ったものです。
しかし家の掃除はそこに住まわせてもらっているものの義務ですので、頑張らないといけません。
昔は4人でやっていたのに、最近は2人なので大変です。

■山城経営研究所の堀越さんの研究活動(2011年12月21日)
山城経営研究所の堀越さんと久しぶりに食事をしました。
堀越さんは山城章さんの弟子なのです、
山城経営研究所としてきちんとした研究活動をしていないのがいささか気になっていましたが、それが進んでいるようです。
「経営の本質研究会」なるグループがすでに立ち上がって活動をしていました。
うっかり気づきませんでした。
11月には「実践経営研究」なる機関誌も発行されていました。
また堀越さんが、山城経営学の要旨をまとめた小冊子も作成していました。
遅まきながら、読ませてもらおうと思います。
山城さんのメッセージは、ほかの経営学者とは一味違ったものを含んでいますので、まさにいまは学び時かもしれません。

■宮部さんとの不思議な付き合い(2011年12月21日)
しばらくインキュベーションハウス仲間の宮部さんと話していないので本郷に行こうと思ったら、逆に湯島に来てくれました。
最近は高齢者としてみんなからいたわってもらえるようです。

何をというわけではないのですが、宮部さんとはいろいろと話すこともあります。
最近始まった「みの〜れ物語」プロジェクトも宮部さんはきっと巻き込まれるでしょう。
宮部さんとの付き合いも20年近くなりましたが、不思議な付き合いです。

■寒波襲来(2011年12月22日)
寒波が来ました。
クリスマス寒波というのだそうです。
本当に寒いです。
その上に、自宅の仕事場の暖房機が壊れてしまいました。
ほとんど使ったことがないのですが、使わなかったから壊れたのかもしれません。
寒いと何もやる気がおきません。
わが家の各自の居室にはクーラーも暖房機もないのです。
困ったものです。

しかし私などは仕事ができない程度で済ませられますが、被災地のみなさんは大変でしょう。
今年は暖冬になってほしかったです。

■エヴィーバでのランチ(2011年12月23日)
群馬医療福祉大学の福山さんと八ヶ岳山麓で自然生活を送っている中村さんとエヴィーバで食事をしました。
奇妙な組み合わせですが、昨年も同じ組み合わせで、やはりエヴィーバで食事でした。
中村さんは、その食事のために、4時間半かけて出てきたのです。
往復9時間です。いやはや申し訳ない話です。

福山さんがエヴィーバを気にいっているのです。
ちなみにエヴィーバは、私の娘のパートナーがやっているイタリアンレストランです。
柏の駅の近くですので、機会があったらぜひ食べてみてください。
私好みのイタリアンです。美味しいです。

福山さんは大学のほうが大変そうですが、学外の活動も盛んにやっています。
自殺のない社会づくりネットワークの事務局長でもありますが、最近はなんと「ラダック」にも興味を持っているようです。
中村さんは私と同い年ですが、現役時代はバリバリのビジネスマンでした。
それも金融の世界でしたので、私とは本来、意見など合うはずもないのですが、なぜか湯島によく来てくれていました。
あることを契機に、いまは八ヶ岳山麓で自然生活を楽しまれています。
会うたびに元気になっています。
いや元気というよりも、野生的で知性的になっています。
自然は人を変えるようです。
今回はひげまで生やしていました。
きっと楽しい暮らしをしているのでしょう。

それにしても奇妙な組み合わせですが、アレンジは福山さんなのです。
一番忙しい人が声をかけてくるのでみんな断れないというわけです。

話しが弾んでしまい、中村さんが帰りの電車に危うく間に合わなくなるところでした。

(2011年12月第2週)
■スーパーマリオが戻ってきました(2011年12月11日)
■ワックスがけ(2011年12月12日)
■ビデオ映像のダビング(2011年12月13日)
■クリエ・ジャパン(2011年12月14日)
■第4回技術サロン(2011年12月14日)
■大学のあり方を考える気楽な研究会(2011年12月15日)
■交流ファシリテーション研究会の発展(2011年12月16日)

■スーパーマリオが戻ってきました(2011年12月11日)
20年ほど前に流行していたスーパーマリオ〈スーパーファミコンのゲーム〉がWiiでできるようになりました。
娘がそれを買ってくれました。
私がまたやりたいと言ったからです。

早速やってみました。
ところが昔ほどうまく行きません。
反射神経が大幅に機能低下しているようで、失敗の繰り返しです。
しかし失敗すればするほど、やめられなくなります。困ったものです。

最近のゲームは難しさが格段に増しているそうですが、以前のものもできない状況なので、もうついてはいけないようです。
それにしてもよくできたゲームです。
しばらくはまたはまってしまいそうです。

■ワックスがけ(2011年12月12日)
年末恒例の自宅の床のワックスがけです。
ブログにも書きましたが、わが家は家族全員でワックスがけをすることになっています。
それが住まわせてもらっている家への、住人の責務だからです。
1年の汚れを丁寧にふき取り、ワックスをかけました。
これで年を越せそうです。

■ビデオ映像のダビング(2011年12月13日)
先週開催した認知症予防のフォーラムやファシリテーションの実践講座のビデオ映像のダビングで苦労しています。
あまりにも長時間録画だったのでうまく取り込めません。
最近の機器は難しいなと思いながら、さじを投げたくなっていたら、なんと録画モードが間違っていたことに気づきました。
私が録画したのではないのですが、てっきりハイビジョンだと思いこんでいたのですが、標準モードでの録画でした。
そんなことは最初に確認すべきだったのですが、思い込みは恐ろしいものです。
おかげで不要の機材をいろいろと買い込んでしまいました。

しかしなんとか目処がつき、ホッとしました。

■クリエ・ジャパン(2011年12月14日)
クリエ・ジャパンは、アートフルな社会を目指してアーティストを支援し、アートファンを支援する活動に取り組み、若手のアーティストが集まるネット・コミュニティを育ててきています。
しかしなかなかそれを事業化するのは難しく、起業した南野さんや渡邊さんは苦労しているようです。
動き出してから1年ほど経ちますが、その報告に来てくれました。
いろいろと工夫はしているようですが、アートと収益事業をつなげるのは、そう簡単ではないようです。
しかし簡単ではないので面白いともいえます。
いくつかの提案をさせてもらいましたが、どうもアート関係の世界にはまり込んでいるような気もします。
同質な人たちがいくら議論しても、イノベーションは起こりません。
思い切った異質なメンバーを巻き込んだほうが効果的ではないかとお話しました。

日本では、この異質な人たちによる「創発」の発想があまりありません。
起業を目指して相談にくる人は多いですが、みんな完結的に発想しています。
それでは新しい事業は生まれにくいのではないかと思います。
今日もそんな話をさせてもらいました。
私がもう20歳若かったら、仲間になってもいいのですが、今は多分足手まといになるだけでしょう。
実際に起業するのと、起業の相談に乗るのとは、まったく別の話なのです。
うまく展開するといいのですが。

■第4回技術サロン(2011年12月14日)
第4回技術サロンは湯島で開催しました。
これまでのメンバー9人に加えて、新たに、指田さん(キャノン電子)、小島さん(アルバック)が参加しました。
国際箸学会の小宮山さんが参加していますので、例によって、箸ぴーゲームから始まりましたが、小島さんがこれはいいと楽しんでいました。

今回は今年最後ということもあり、テーマなしにしましたが、いろんな話題が出ました。
フェイスブック、「なぜだ」と問う大切さ、カスタマーサティスファクションとユーザーサティスファクション、伝統技術、異質を入れる事の大切さ、「原発事故と技術者、技術者のコミュニケーション、スモールトーク、箸、現場と触れる事の大切さ、挨拶をしない若者、アラブ人の発想などなど、まあいろいろでした。
私の反省点は、原発事故と技術者のところで、ちょっとホットになってしまったことです。
この問題になるとどうもホットになってしまいます。

来年は、こうしたまとまりのない話し合いをベースにしながら(サロンですので)、テーマを設定した話し合い、現場に出かけての出前サロン、メンバーが抱えている課題や関心事を投げ込んでの解決策の模索などを組み合わせて、いつかは共通のテーマを共有したメンバーによるプロジェクト起こしなどもできればと思います。
あまり急いで目的的に動くと疲れますので、ゆっくりと進みたいと思いますが、少しずつメンバーの「つながり」も育ってきているように思います。

次回は1月18日(水曜日)です。
開かれたサロンですので、ご関心のある方はどうぞ。
案内は年が明けたら、お知らせコーナーに書くようにします。

■大学のあり方を考える気楽な研究会(2011年12月15日)
井口さんと渡邊さんと3人で始めた研究会も2回目です。
研究会というと疲れるので、もっと気楽な、開かれた集まりを数回やってから、研究会的なものに持っていくことを提案させてもらいました。
それなら私も継続できそうです。
幸いに合意ができました。

大学の先生の渡邊さんから、最近の大学生の就職状況の話を訊きました。
中小企業などを含めて、学生が選り好みしなければ、決して就職難ではないようです。
そういえば、1か月ほど前に会った早稲田の教授も同じことを話してくれました。
仕事がなくなっているというのは、私の認識間違いかもしれません。
私は、若者たちに魅力的な働き場を提供できない社会になってしまっていることに危機感を持っていますが。働き場がないのではなく、働き場が荒れてきているのかもしれません。
しっかりと考え直す必要がありそうです。

■交流ファシリテーション研究会の発展(2011年12月16日)
12月3〜4日のフォーラムと実践講座は好評でしたが、それを契機にメンバーで新しい組織を立ち上げようということになりました。
LLPです。
まずはその前に、フォーラムと実践講座の反省をしましたが、いろいろと出てきました。
私自身反省点がたくさんありますが、オートポエティックな組織活動には、それだからこそ面白いのです。
その準備会をまたやることになりました。
みんなとても熱心なので、きっとおもしろい展開になっていくだろうと思います。

(2011年12月上旬)
寒くなりました。
先週はついに時間破産に陥ってしまい、このホームページの更新もできませんでした。
2週間分の記録です。
■KAE50期スタート(2011年11月30日〜12月1日)
■スリーA体験フォーラム最後の実行委員会(2011年12月1日)
■第3回スリーA方式認知症予防ゲーム体験フォーラム(2011年12月3日)
■交流ファシリテーション実践講座(2011年12月4日)
■ただ笑うだけのラフターヨガ(2011年12月4日)
■久しぶりの清水公園(2011年12月5日)
■映画「チャイナシンドローム」(2011年12月6日)
■訃報(2011年12月7日)
■共済研究会シンポジウム実行委員会(2011年12月8日)
■山城経営研究所(2011年12月8日)
■放射線量測定(2011年12月8日)
■洪福丸と小林重吉
(2011年12月10日)
■久しぶりの鈴木若老師(2011年12月10日)
■来年3月にフォワードフォーラムを開催します(2011年12月10日)
■不思議な日(2011年12月10
日)

■KAE50期スタート(2011年11月30日〜12月1日)
山城経営研究所の経営道フォーラムの50期がスタートしました。
軽井沢での合宿です。
今回も2つのチームを担当することになりました。
テーマはいずれも「企業文化」ですが、このテーマへの希望者が今回も多かったようです。
これも現在の企業が置かれている状況を示唆しています。
今回はぜひ面白い展開にしたいと思っています。

■スリーA体験フォーラム最後の実行委員会(2011年12月1日)
スリーA方式の認知症予防ゲームの体験フォーラムがいよいよ近づきました。
今回は完全なボランタリーな実行委員会方式で取り組んだのですが、毎週のように開催してきているうちに、オートポエティックな組織に成長してきました。
つまり自己組織的であるばかりでなく、自己増殖的な組織です。
もはや私のコントロールの範囲を超えだしましたが、長年目指していたことが漸く実現しそうです。
それにしてもみんな実に熱心で、湯島のオフィスは熱気で汗が出る状況でした。

■第3回スリーA方式認知症予防ゲーム体験フォーラム(2011年12月3日)
いよいよフォーラム当日になりました。
申し込みは定員の50人を超すほどの盛況でした。
広島からの参加者もありました。
一度、このゲームを体験すると、これまでとは全く違うことを実感してファンになってしまうようです。
それも現場実践者が多かったのがとてもうれしいことです。
私の体験では、中途半端な専門家ほど話をしても否定的なのですが、きちんと認知症予防に取り組んでいる人の反応は違います。
そうした実践の現場の人たちから評価してもらえたことがとてもうれしく、勇気づけられました。

■交流ファシリテーション実践講座(2011年12月4日)
昨日のフォーラムに続いて、ゲームを広げていきたいという人たちを対象にしたファシリテーション実践講座を開催しました。
われわれの仲間である吉本さんをメイン講師にし、それと認知症予防ネットの高林さんとのコラボレーションです。
朝の9時半から5時までという長い時間でしたが、密度も高く、笑いの絶えない一日でした。
私の役割は今日も最初と最後の挨拶だけでしたので、私は退屈でしたが。
昨日のフォーラムは実行委員会主催でしたが、今日は、そこから生まれた交流ファシリテーション交流会が主催でした。
この交流会を核にして新しい組織をワーカーズコレクティブかLLP方式で立ち上げる予定です。
そこを拠点に、スリーA精神を広げていく構想です。

■ただ笑うだけのラフターヨガ(2011年12月4日)
2日間にわたるフォーラムと講座の打ち上げを兼ねて、交流懇親会を開催しました。
盛り上がったのですが、そこにラフターヨガに取り組んでいる方が偶然にもお2人参加しました。
そこでラフターヨガのことを紹介してくれました。
ブログにも書きましたが、ラフターヨガは、笑い(ラフター)とヨガの呼吸法を組み合わせたものです。
笑うことで多くの酸素を自然に体に取り入れ、心身共にすっきりし元気になることができるのだそうです。
「ただ笑うだけ」ですので、だれでもできます。
やり方も自分で開発してもいいのだそうです。
http://laughteryoga.jp/about

懇親会に参加してくださった2人の方が、みんなに少しだけ手ほどきをしてくれました。
と言っても、ただ笑うだけです。
一人の方はライオンの笑いを教えてくれました。
これはただ目を大きく開き、舌を出して、手を頭の両側で開いて、誰かと向き合って大笑いするのです。
ただそれだけのことなのです。
その方のお母さんが認知症で顔の表情がなくなりました。
それである時、思い立って、お母さんに向き合って、このライオン笑いをしたのだそうです。
そうしたら表情のなかったお母さんが笑ったのだそうです。
笑いにはそれだけの効用があるのです。

■久しぶりの清水公園(2011年12月5日)
娘夫婦から野田の清水公園に紅葉を見に行こうと誘われました。
今年もまたきちんと紅葉を見ていなかったこともあり、付き合うことにしました。
清水公園はもう30年ほど来たことがありません。
桜の名所なのですが、効用もいまが見所だというので来たのですが、紅葉している樹はあまりなくいささか肩透かしでした。
今年もまた紅葉を見逃してしまいました。

■映画「チャイナシンドローム」(2011年12月6日)
一昨日の清水公園は薄着で出かけてしまったためか、少し風気味かもしれません。
大事をとって今日は休みました。
やることがないので、DVDで映画「チャイナシンドローム」を見ました。
30年以上前の映画です。
これまで私も2回ほど見ていますが、福島原発事故後は初めてです。
観ていて、あまりに状況がいまの現実に似ていて、30年以上経っているのに、事態は何も変わっていないことに恐ろしさを感じました。
この映画のメッセージは、社会の動きに影響を与えなかったのでしょう。
残念な話です。
野田首相にこの映画を見せたいものです。
原発輸出などもってのほかです。
彼らが犯罪者と思えてなりません。

■訃報(2011年12月7日)
新聞にホーユーの水野社長の訃報が載っていました。
55歳でした。
水野さんとはささやかな付き合いがあり、1年ほど前も湯島に一人でやってきました。
その時にはお元気そうでしたが、今夏、弟さんから体調が悪いことをお聞きしていました。
しかし、まさかの訃報です。
命のはかなさを感じます。
冥福をお祈りいたします。

■共済研究会シンポジウム実行委員会(2011年12月8日)
3月に共済研究会の恒例の年次シンポジウが開催されますが、その実行委員会がありました。
私は「改めて共済の理念を考える」をテーマとして提案しましたが、TPPと共済をテーマにしたいという人も2人いました。
TPPは重要ですが、急にここに来て安直にTPPに振り回されたら保険法改正の時と同じ繰り返しになりかねません。
TPP以前の問題として、自らの理念を問うべきだと思いますが、なかなかそれが伝わりません。
話しているうちに、TPPは副題にしようと言う妥協案で合意できました。
私が出した妥協案なのですが、全体の構想がどうも描けません。
いささか気が重いです。

しかしやはり「共済事業」関係者と無責任な私のような「コモンズ」論者とは発想の基本が違うようです。
どちらが良いか悪いかではありません。
パラダイムが違うと議論が難しいということです。
おそらく実際に効果があるのは、私の視点ではなく、共済事業者の視点だろうと思いますが、どうも間違った迷路に入り込みすぎたようです。
妥協はやはりよくありません。
最近、いろいろなところでそれを感じています。

■山城経営研究所(2011年12月8日)
久しぶりに山城経営研究所を訪問しました。
ここで主催している経営道フォーラムのコーディネーター役を長年やっていますが、ここでもパラダイムの違いを最近よく感じます。
そんなこともあっていろいろと問題提起させてもらっていますが、実際にプログラムを運営している事務局の立場からは、問題提起の意味は理解できても、ではどうすればいいのかで止まってしまうのでしょう。
現実を変えるのはそう簡単な話でありません。
さてどうすればいいのか。
このプログラムには第1回目から関わらせていただいていますので、実は他人事ではないのです。
企業経営幹部の自己研鑽プログラムはますます求められているように思います。
何か具体的な提案をしたいと思い出しました。

■放射線量測定(2011年12月8日)
私が住んでいる我孫子市は、いわゆる放射線汚染の「ホットスポット」と言われるほど、今回の原発事故後、放射線量が高いといわれています。
今日は自宅周辺の放射線量を測定してもらいました。
私自身は、測定値の評価能力はないのですが、測定してくださった人によれば、さほど高くはないそうです。
それでもテレビなどで報道されている数値の10倍以上です。
しかし、だからどうすればいいかわかりません。
畑で栽培していた野菜は娘たちが食べないと決めたので破棄しなければいけません。
これは残念ながら補償の対象にはなりませんが、それはともかく、手づくり野菜が食べられないのが残念です。
こうしたことはいろんなところで起こっているのでしょうね。
たくさんのものが、原発事故で廃棄されていると思うと心痛みます。

■洪福丸と小林重吉(2011年12月10日)
NPO新潟水辺の会の事務局長の加藤さんが湯島に来ました。
午後からある会があるということで、立ち寄ってくれたのです。
新潟水辺の会は会員約200人の、しかも活発な活動をしているNPOです。
その事務局長ですから大変なのですが、加藤さんはとても精力的にさまざまな活動をこなしています。
今回は信濃川に鮭を遡上させるプロジェクトの件で少し相談を受けたのですが、それはそれとして、加藤さんのもう一つのテーマに話が行きました。
それは、江戸から明示にかけてのある「船」の話です。
「洪福丸」です。
といっても知らない人が多いでしょう。
私も知りませんでした。
しかしお聞きするととても面白い話なのです。
坂本龍馬も絡んでくる話です。
興味のある方は次のサイトをお読み下さい。
http://www5b.biglobe.ne.jp/~ecoline/oozuhan.htm
加藤さんはこのテーマを20年来、関心を持ちつづけていて、そろそろそのテーマに本格的に取り組みたいと思っているというのです。
目移りしやすい私としては、とても興味を持ちました。
土佐と新潟と函館、昔のほうがいまよりもダイナミックに動いていたことがよくわかります。
そんな話になってしまったので、肝心のNPOの話が中途半端になってしまったかもしれませんが、その関係の話も面白い話をいろいろと伺いました。
各地で鮭を遡上させるための活動が広がっているようですが、そうした活動をつなげられないかと思います。
3月17日に新潟の活動と千葉の活動が交流するフォーラムがあるそうですが、この日は共済研究会のシンポジウムなので私は参加できません。
とても残念です。
あまりいろいろとやっているとどれもこれも中途半端になりそうです。
困ったものです。

■久しぶりの鈴木若老師(2011年12月10日)
インドで修行し、スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラを踏破した鈴木さんが久しぶりに湯島に来ました。
若老師と勝手に書きましたが、私よりもずっと若いのですが、ある意味、俗世間を卒業したところがある人です。
最近は、毎朝、スターバックスで珈琲を飲みながら読書し、それから出社しているそうです。
以前はドストエフスキーなどを読んでいましたが、古典文学はほぼ読みつくし、最近は仏教書だそうです。
鈴木さんは家には100冊くらいしか収納できない書棚があり、そこに入るだけの書籍しか保有していないのだそうですが(つまり1冊買うと1冊を捨てるわけです)、いまや仏教書が9割を占めてしまっているようです。
一番のお気に入りは「正法眼蔵随聞記」だそうです。
以前、坂谷さんから勧められて少し読みましたが、もう一度チャレンジしてみようかと思います。

■来年3月にフォワードフォーラムを開催します(2011年12月10日)
自殺のない社会づくりネットワークではこれまで2回、公開フォーラムを開催してきました。
最初は自殺を防止する活動をしているゲートキーパーを中心に、2回目は自殺を思いとどまった人を支援する活動をしているシェルターを中心に、そして今回は自殺を考えた人、自殺行為から生還した人(これを「フォワード」と命名しました)を中心にしたフォーラムです。
なかなかその内容のイメージがつかめずにいたのですが、今日の実行委員会でイメージが見えてきました。
自分の物語として自殺を語れる人を中心にして、その語りを聞きながら、自殺の問題をみんなで考えていくというフォーラムです。

イメージがはっきりしてきたのは、今日の実行委員会に参加してくれた橋本さんと桐山さんのおかげです。
桐山さんはプロセスワークに関して独自のプログラムを開発し、活動している方ですが、高校生の頃のお話を披瀝してくれました。
橋本さんは企業の経営者ですが、経営者としての体験を語ってくれました。
自分の物語として自殺の問題を語る人は私の周りにもほかにも何人かいますが、そのそれぞれに表情があります。
同時にそこには通底するものもあります。
そこから考えていかないと自殺は少なくならないでしょう。
現在の政府や行政の自殺対策は私には大きな違和感があります。
少しずつですが、コムケア的自殺問題へのアプローチも共感者を増やしだしていますが、50年もすればきっと解決するでしょう。

ちなみにフォーラムは3月23日に開催です。
実行委員会のメンバーになりたいという方がいたらご連絡ください。
その会自体が極めて刺激的な気づき合いの会でもあります。

■不思議な日(2011年12月10日)
今日は不思議な日でした。
4組の方々と湯島で会いましたが、共通のお名前が全く無関係に何人か話題になったのです。
そのお一人が小宮山量平さん。理論者の社長です。
私はお会いしたことはありませんが、その娘さんが我孫子にお住まいだったのでささやかな付き合いがあり、量平さんのお話をお聞きしていました。
新潟水辺の会の加藤さんとの話で、先ず出てきたのですが、プロセスワークをやっている桐山さんからも出てきました。
桐山さんからは、竹内敏晴さんのお名前が出てきたのでぞくっとしました。
なんと桐山さんは、竹内さんのお弟子さんだったのです。
竹内さんといえば、以前このホームページのどこかにも書いたはずですが、「ことばが劈かれるとき」の本は刺激的でした。
まさかそのお名前に今日、出くわすとは思っていませんでした。

ほかにもいろんな人の名前が今日は出ました。
忘れていたお名前が少なくありません。
年末年始に少し読み直そうかと思います。
その前に、書籍を整理しなければいけませんが。
書籍の整理法は、今日、鈴木さんから教えてもらいました。

(2011年11月第4週)
いやあ、今週もまたばたばたしてしまいました。
■シニアと若者の働く場のトレードオフ(2011年11月21日)
■ささえあい交流会(2011年11月21日)
■「懐かしい未来 ラダックから学ぶ」(2011年11月24日)
■認知症予防フォーラム実行委員会はみんな熱いです(2011年11月24日)
■オープンサロンもそろそろ止めどきかもしれません(2011年11月25日)

■シニアと若者の働く場のトレードオフ(2011年11月21日)
今年の人材研究会は「シニア人材の活用」です。
たしかに重要なテーマではあるのですが、どうしても若者たちが働く場を見つけられずにいる社会の視点で考えると思考が停止するのです。
各論的最適解が全体の最適解にならない好例かもしれません。
若者が若い時期にきちんとした働く場をもてないことの意味は大きいです。
個別企業の人材確保への悪影響という以上に、社会全体の働く文化が損なわれる恐れがあります。
その視点がないと「社会の子」ともいうべき企業も大きな影響を受けるでしょう。
そうした問題提起をさせてもらいましたが、この研究会は企業の人事部長の任にあるメンバーが多いので、なかなか伝えるのは難しいです。

今日はトヨタの人事関係者が同社の事例などを少し話してくれました。
事例はともかく、その報告者が実に魅力的でした。
しっかりした自らの価値観と社会的な視野が伝わってきました。
ついうれしくなってメールしてしまいました。

しかし、シニアと若者の働く場のトレードオフの問題はもっと真剣に考える必要がありそうです。

■ささえあい交流会(2011年11月21日)
自殺のない社会づくりネットワークのささえあい交流会でしたが、最近はメンバーが固定され、いささか退屈です。
抜本的に見直したほうがいいような気がしますが、いまさら私が出て行くのもなんなので、躊躇しています。
このネットワークも徐々に手離していかないといけませんし。
しかしどうしても立ち上げに関わったネットワークや組織には、愛着を感じてしまい、離れがたいものもあるのです。
人間は勝手なものです。

今日は自殺防止ネットワーク風の竹下さんが仲間の萩原さんを連れてきてくれました。
先日のシンポジウムにも参加されていた方ですが、竹下さんの大学の同窓生でした。
先日のシンポジウムの話を改めて竹下さんがしてくれました。
いま報告書をまとめているそうです。

常連の吉田銀一郎さんは、全国行脚のやり方を「竹馬」から「足高の下駄」に変えたそうです。
その下駄を持ってきてくれました。
着々と進んでいるようですが、まだ資金が集まりません。
10万円程度でもいいのですが、どなたか寄付してくれる方はいないでしょうか。
もしいたら私にご連絡下さい。
責任を持って彼にキチンと活用させますので。

■「懐かしい未来 ラダックから学ぶ」(2011年11月24日)
10年ほど前に読んだ「懐かしい未来 ラダックから学ぶ」を読み直しました。
前回はかなりさらっと読めたのですが、そしてあまりに当たり前すぎて、あまり面白くなかったのですが、今回はなぜかとても面白く読めました。
そういえば、先日も「チベット 死者の書」でも同じ体験をしました。
明らかに本は、読み手の状況によって、面白くもなり退屈にもなるものです。

しかし、面白かったのですが、どこが面白かったと考えるとそれが浮かんでこないのです。
全体から伝わってくるメッセージが面白かったとしかいえません。

それで思いついたのですが、来年から読書会をやってみようかと思います。
読書会といっても読みあうのではなく、読み終わった人たちが、そこからの気づきを中心にして話し合う会です。
候補としたい本は、「懐かしい未来」「この最後の者にも」「君あり、ゆえに我あり」です。
参加したいという方がいたらご連絡ください。

■認知症予防フォーラム実行委員会はみんな熱いです(2011年11月24日)
スリーA方式認知症予防ゲーム体験フォーラムの実行委員会を毎週のようにやっています。
フォーラムをやるのにこんなにみんなが燃えたことはめずらしいです。
何しろ毎週やっているのですから。
それに自発的に資料作りやチラシ作りを買って出てくるのです。
資料作りなどは興味ももった人たちが繰り返し議論しあっています。
それにしてもすごいです。
今日もまた9時半になっても終わらないほどです。
それに当日の役割分担の話をしたら、これもすんなりと決まり、気がついたら私はほぼ何もしないでもいいようになりそうです。
すばらしいです。
ようやく私の目指すスタイルが実現したようです。

12月3日のフォーラムは間もなく定員に達します。
12月4日も目標人数には達しました。
後はみんなが楽しみながら当日を過ごしてくれることです。
来年はきっと首都圏でもスリーA方式認知症予防ゲームが広がりだすでしょう。
そうなれば、私は次のテーマに移れます。
さて今度は何にしましょうか。
少しビジネス的なものにしようかと思っています。
面白いテーマがあったらお誘い下さい。

■オープンサロンもそろそろ止めどきかもしれません(2011年11月25日)
オープンサロンですが、3人しか集まりませんでした。
最近はテーマがあるほうが人が集まります。
残念ですが、これもまた時代の風潮でしょうか。

今回は鷹取さんが話を盛り上げてくれました。
最近、政府の事業仕分けをオブザーブしてきたそうです。
かなり怒っていましたが、さもありなん、と思いながら聞いていました。
ユーストリームで実況中継してほしいですが、オブザーバーは形態まで取り上げられてしまうそうです。
まったく形だけの税金の無駄遣いになってしまいました。
そこで語られる言葉は、最近は無益有害のものになってきています。
したたかな官僚組織に、志のない政治家が勝てるはずがありません。
知れば知るほどがっかりします。

サロンにも最近、急に興味を失ってきました。
この気移りな性分には困ったものです。

(2011年11月第3週)
今週は時間破産でした。
「忙しい」と言うのは実に恥ずべき生き方だと思いますが、今週はちょっと忙しい感じでした。
暇と忙しいは同じ意味だと思っていますので、周りの人には暇で暇で仕方がないと言っていますが、心が安定しない週でした。
■我孫子市議選(2011年11月13日)
■臨床美術(2011年11月14日)
■交流ファシリテーション研究会(2011年11月14日)
■脳外科は何事もありませんでした(2011年11月15日)
■チビ太介護のつかれ(2011年11月16日)
■コミーでの出前技術サロン(2011年11月17日)
■KAE記念シンポジウム(2011年11月18日)
■リード力開発道場フォーラム2011(2011年11月19日)

■我孫子市議選(2011年11月13日)
地元我孫子市の市議選でした。
あまり変化のない結果になりましたが、それでも大きな流れにそって、旧世代から新世代への交替が少しだけ見られました。
議会議長だった長年の議員が落選、20代の新人女性が高位当選でした。
しかし純粋な意味での新人は彼女だけでした。
トップは2月の市長選に出た坂巻さんでした。
私のところに電話をかけてきた人は落選でした。

■臨床美術(2011年11月14日)
アートセラピストの中村さんが臨床美術で認知症予防に取り組んでいる窪田朋典さんを湯島に連れてきてくれました。
臨床美術は、アート創作活動を行うことを通して脳を活性化させる特別なカリキュラムを持った活動だそうです。
臨床美術士は、たとえば認知症予防に効果を出したり、心に問題を抱えた子どもたちや多忙なビジネスマンを元気にしたりしていく活動に取り組んでいるそうです。
窪田さんの作品を見せてもらいました。
実に心を感じさせる作品です。

お話を聴いていて、すぐに感じたのは、障害予防ではなく、むしろ子どもたちの教育に大きな効果を与えるのではないかと思いました。
すでに日本臨床美術協会では、そうした取り組みも始めているそうです。
ぜひホームページをご覧ください

これからはアートとスポーツが大きな役割を果たす時代になっていくと思いますが、臨床美術の活動はとても面白いです。
コムケア活動の中でも一度サロンを企画したいと思っています。

■交流ファシリテーション研究会(2011年11月14日)
交流ファシリテーション研究会がなんとなくスタートしました。
毎週のように、スリーA方式認知症予防ゲームの体験フォーラムの実行委員会をやっているうちに、そのコアメンバーが組織化を意識しだしたのです。
12月4日にはコムケア主催で「交流のファシリテーション実践講座」を開催しますが、実際にはその主催をこの交流ファシリテーション研究会が行うことになりました。
と言ってもまだ準備会的な段階です。
4日の講座を終了した後に正式にスタートします。
ご関心のある方はご連絡ください。

■脳外科は何事もありませんでした(2011年11月15日)
いろんな障害が出てきたので、脳外科でMRIや超音波診断をしてもらっていたのに、その診断を聞きに行くのを忘れていました。
そこで今日、病院に行ってきました。
結論は特に原因は見つからないということでした。
ここでホッとすべきかどうか。
人によっては更なる原因探しに向かうでしょう。
症状はあるのですから。
しかし「健全なる老化」(これは私の造語で、医師がそういっているわけではありません)であれば現状を素直に受け容れなければいけません。
そういえば、最近、無理がききません。
それになにやら脳が疲れやすくなっています。
パソコンに向かって何かを書こうという気がかなり低下しています。
脳機能も健全に老化しているようです。
いよいよ老境に入れるかもしれません。

■チビ太介護のつかれ(2011年11月16日)
チビ太が最近ますます大変です。
ついに夜はおしめをすることにしましたが、突然噛み付くことがあるので大変です。
呆けてきたのでいつ咬むか知れないとお医者さんからも言われています。
しかも咬む力は衰えていませんから咬まれたら大変です。
わが家の家族は私以外はみんな縫うほどの咬み傷を持っています。
その上、また夜眠らなくなりました。
薬が効かなくなってきたようです。
私も娘も寝不足が続いています。
娘はやさしいですが、私は時々、チビ太を蹴飛ばしたくなります。
介護疲れで暴力行為ということも理解できるほどです。
しかし一番辛いのはチビ太ですし、明日はわが身ですので、複雑な心境です。

■コミーでの出前技術サロン(2011年11月17日)
今月の技術サロンはコミー社長の小宮山さんの要望で、西川口のコミーで開催しました。
まずは工場を見学させていただき、それから小宮山さんからのお題をもらっての議論でした。
いつもとは趣向も違いましたし、また参加者もかなり違いました。

参加者は常連メンバー以外に、たまたまコミーの工場見学に来ていた方たちやコミーの顧問の方など、新しいメンバーのほうが多くなりました。
開かれたプラットフォームとしては望ましいスタイルです。

お題は100円ショップにある長めの箸と摩擦抵抗の大きいマットを使って新しいものが開発されないかでした。
といっても話は多岐にわたり、櫻井さんのリンバージャック(以前ここでも紹介した楽器です)の話や大学生と企業のマッチングの話などさまざまに広がりました。

次回はまた恒例のスタイルで、12月14日に湯島で開催です。
メーリングリストがありますので、ご関心のある方はご連絡ください。
登録させていただきます。

■KAE記念シンポジウム(2011年11月18日)
山城経営研究所が経営堂フォーラムを始めて25周年です。
それを記念して、今回の経営道フォーラムの発表会はいつもとは違うスタイルでした。
最初に49期の研究成果の発表です。
時間がいつもより少ないので、私の話は冒頭の10分だけにしました。
オリンパスショックの話から始めました。
私の担当チームは2つですが、今回はあまり関わりませんでしたので、私も始めてきちんと聴く内容でした。
発表と話し合いの後、最後にまた少し話しましたが、オリンパスグラスルーツ・コムの話をしました。
オリンパスの現状に、かつての同社の専務取締役だった人が立ち上げたサイトでス。
一人でも事を起こせることを伝えたかったのですが、伝わったかどうかいささか疑問です。
最近は自ら立ち上がるほどの胎を持った企業経営者は少なくなりました。

25周年だったため懇親会などもあり、そのため昔の受講生と何人か久しぶりに会いました。
社長になっている人も多く、また経営道フォーラムでの学びがとても役に立っているといってくれた人もいました。
少しは報われた気がしました。
しかし昨今の企業不祥事の話を聞くたびに、いささか暗澹な気分になります。

■リード力開発道場フォーラム2011(2011年11月19日)
昨日に続いて、今日は日本経営道協会のリード力開発道場フォーラム2011でした。
東北大震災で被災された企業の経営者をお呼びしてのパネルディスカッションのコーディネーターを引き受けました。
大変な状況の中をわざわざ来てくださったのは、新聞やテレビなどでも紹介されている木の屋石巻水産の木村社長、阿部長商店の阿部社長、ケネシメイチの小山社長です。
始まる前に一緒に食事をして簡単な打ち合わせをしましたが、凄い体験をされているだけに、言葉の一つ一つに哲学を感じます。
企業とは何か、経営とは何か、の真髄を感じさせてもらいました。
パネルディスカッションも、私には実に示唆に富むものでした。
3人とも素晴らしい経営者です。
大企業の経営者とは全く違います。
そこに「いのち」と「愛」を感じます。

リード力開発道場11期の成果発表会もありました。
なかなかよかったです。
しかしその一方で、私とはますます違う世界だなと感じました。

大きな岐路にあるいま、私の関心事はどんどん現実とは違うところに向いています。
パラダイム転換しなければいけないように思います。

(2011年11月第2週)
■交流のファシリテーション(2011年11月7日)
■企業家魂復興の日本経営(2011年11月7日)
■田中弥生さんの「市民社会政策論」(2011年11月8日)
■生き方を考える契機を与えていきたい矢辺さん(2011年11月9日)
■金田さんとの付き合いも20年くらいでしょうか(2011年11月9日)
■改めてラスキン(2011年11月10日)
■共済研究会(2011年11月12日)
■インターンの申し入れ〈2011年11月12日〉

■交流のファシリテーション(2011年11月7日)
12月3日にスリーA方式の認知症予防ゲームの体験フォーラムを開催しますが、
その翌日に、そのゲームを素材にしての「交流のファシリテーション」の実践講座を開催することにしました。
これはコムケアセンターとして独立採算方式です。
さてさてどうなりますか。
案内を「お知らせ」のコーナーに掲載しました。
よかったらご参加ください。
一過性の講座ではなく、アフタープログラムも考えて行こうと思っています。

■企業家魂復興の日本経営(2011年11月7日)
日本経営道協会の市川覚峯さんが湯島に来ました。
11月19日に公開フォーラムを開催するのですが、
そのパネルディスカッションのコーディネーターを私がやることになっているのです。
以前は時々参加していましたが、この2年、さぼってしまい、ご無沙汰してしまっていたので、
最近の様子や市川さんの思いを改めてお聞きしました。
テーマは「企業家魂復興の日本経営」です。

市川さんとはもう20年以上のお付き合いですが、基本はぶれていないのがいいです。
私とはかなり考え方も生き方も違いますが、そんなことは瑣末な話です。
ぶれずに20年取り組んでいるのに、市川さんの思いはなかなか大きなうねりにならない。
にもかかわらずに、ぶれずに邁進している。
そういう生き方が、私は好きです。

ちなみに19日の公開フォーラムはまだ席が余っているそうです。
有料でちょっと高いのですが、交流パーティの参加費も入っています。
案内は日本経営道協会のサイトにあります。
よかったら参加してください。
パネリストにお呼びするのは、東北で今回被災された会社の社長の皆さんですが、みんなすばらしい経営者です。
経営とは何か、企業とは何か、を改めて考え直すヒントが得られると思います。

■田中弥生さんの「市民社会政策論」(2011年11月8日)
20年以上の付き合いといえば、田中弥生さんもそうです。
その田中弥生さんが「市民社会政策論」を送ってきてくれていたのですが、やっと読めました。
最近どうも抗した本に興味を感じなくなってしまっているのです。
しかし読み出したら一気に読み終えました。
田中さんの、いささか「怒り」を込めた「思い」がかなりストレートに書いてあったからです。
感想はブックのコーナーに書きましたが、共感できる部分が増えてきました。
この本を読みながら、やはりラスキンを思い出しました。
早速、田中さんにラスキンを勧めました。

人に勧めている以上、改めてもう一度、私もラスキンを読み直すことにしました。

■生き方を考える契機を与えていきたい矢辺さん(2011年11月9日)
若い起業家の矢辺さんが来ました。
今春、会社を起こし、順調に発展していると思っていたのですが、現実はそう甘くはなく、ちょっとだけ苦戦しているようです。
いろいろと話しましたが、矢辺さんは自分のやりたい事がさらに明確になってきたようです。
それは、若者たちにもっと「生き方」を考えるきっかけを与えたいということのようです。
彼の非営利株式会社よりよく生きるプロジェクトのサイトをご覧ください。
応援してやろうという人がいたらご連絡ください。
彼は純真な、そして、しっかりとした信条をもった若者です。

■金田さんとの付き合いも20年くらいでしょうか(2011年11月9日)
20年近い付き合いの金田さんがやってきました。
金田さんとは古代ギリシアの縁で20年ほど前に出会いがあり、以来のお付き合いです。
金田さんは新潟在住ですので、なかなかお会いする機会も減ったのですが、東京に来ると湯島に寄ってくれるのです。
金田さんとの共通話題は、信濃川に鮭を遡上させるプロジェクトと社会教育と自殺防止活動です。
いろいろと情報交換や意見交換をさせてもらいました。
しかしお互いにいささか歳をとりすぎました。

■改めてラスキン(2011年11月10日)
最近、なにかとラスキンの経済論を思い出すことが多く、久しぶりにまたラスキンの「この最後の者にも」を読み直しました。
最後に読んだのは10年ほど前ですが、やはり印象がかなり違います。
その時は、モリスのついでに読んだからだったかもしれません。
読み直してみると、現在直面している問題に通ずるところがとても多いです。
年が明けたら、ラスキンの読書会でもやってみようかという気になってきました。
もしお時間が会ったら、みなさんもぜひラスキンの「この最後の者にも」と「ごまとゆり」をお読みください。

■共済研究会(2011年11月12日)
3月に共済研究会のシンポジウムを開催するのですが、その実行委員になっています。
青学の本間教授から頼まれてしまい、あまり乗り気ではないのですが、引き受けています。しかし引き受けたからには、納得できるものにしたいと思っていますが、私はそもそも共済研究会のコアメンバーではないので、あまりわがままはできません。
それで結構辛いものがあります。

私は日本の協同組合運動も共済事業もすでに日本に合った「支え合い文化」から遠く離れているという気がしています。
それを元に戻すのは容易ではありません。
むしろ新しい仕組みを創るほうがいいと思いますが、共済事業に関わっている人はそうは思わないようです。
だから法規制に反対し。公共政策に提言していこうとします。
まあそれは大切なことでしょうが、私はそうした生き方にはあまり興味がありません。
困ったものです。
さてどうしたものか。
しかしどうせやるならいいものにしたと思います。

■インターンの申し入れ〈2011年11月12日〉
最近会った大学生からメールが来ました。

佐藤さんのもとでインターンをさせてはいただけないでしょうか。
(中略)
仕事内容については、雑務、お茶くみ、カバン持ちなんでもやらせていただきます。
無茶なお願いではありますがどうかよろしくお願いいたします。

まさに「無茶なお願い」です。
以前のように仕事をきちんとしていたら、この若者にも場を創れたのですが、
いまの私には残念ながら彼の思いに沿うことはできません。
(中略)としたところに、彼が何を学びたいかが書かれていましたが、
おそらく若者にはある意味での「学ぶ場」がないのかもしれません。
だからちょっと異質な湯島の場が、彼には学ぶ場に感じたのかもしれません。

さてどうするか。
もちろんインターンには向いていないので、お断りしましたが、彼の思いは受けてやらなければいけません。
頭が痛い宿題をまた一つもらってしまいました。

(2011年11月第1週)
■「チベット死者の書」(2011年10月30日)
■ハリー・ポッター(2011年10月31日)
■健全な老化(2011年11月1日)
■スリーA方式認知症予防ゲーム委員会(2011年11月1日)
■大学のあり方を考える研究会(2011年11月2日)
■最後のナラティブサロン(2011年11月2日)
■コピ・ルアク(2011年11月3日)
■社会教育(2011年11月4日)
■もう一度検査(2011年11月5日)

■「チベット死者の書」(2011年10月30日)
30年ほど前にタイに出張した時に、空からベトナムの焦土を写真に撮りました。
その写真を探しているのですが、まだ見つかりません。
しかし思わぬものが見つかりました。
20年ほど前にNHKテレビで放映された「チベット死者の書」の録画テープです。
これに関してはブログに書きましたが、最近なぜか「死」にまつわる話に触れることが増えています。
同時に、死について考えることも増えているということです。
先日出会った奈良の仏たちのおかげでしょうか。

改めて録画テープを見ました。
いろいろと考えさせられましたが、ダライ・ラマの言葉が印象的でした。
「心の安らぎを得られる主なる源は、善き心です」
同感です。

■ハリー・ポッター(2011年10月31日)
風邪がどうもすっきりしません。
あんまり思考力がないので、最近テレビで放映されたハリー・ポッターの映画をみることにしました。
ポッターの映画は全8作です。
この映画は長いので、前のものを忘れてしまっていますので、最新の映画を観に行こうと思ったらその前編を見ておかねばいけません。
しかし、前編を見出して、その前が思い出せず、結局、5作以降を見る羽目になりました。
風邪がよくなるどころか悪化しかねません。
最後に、いま劇場でやっている映画の前編を観ました。
これは今までの中で最も愚作のような気がしました。
劇場に行く気が萎えてしまいました。
それと風邪の中を、3作も見てしまったのが悔やまれます。
どうせなら、「ボーン・アイデンティティ」3部作を観たほうがよかったです。
これはもう10回以上観ていますが、何回観てもあきません。
このシリーズの4作目ができることを期待しています。

■健全な老化(2011年11月1日)
先日、突如、物が二重に見えたり、手足の軽いシビレが出たりしたので、少しだけ気になっていましたが、娘から病院に行かなくてはいけないと言われて、今日、思いついて近くの病院に電話しました。
幸運にも今日は脳外科の医師が来ているというので、すぐに行きました。
そしてMRIを撮ってもらいました。
結果は、「健全な老化」でした。
血圧がかなり高かったのは別にしての話ですが。
ただ頚部の血管に問題があることもあるというので、日を改めて検査することにしました。

しかしまだ何となく調子が悪い状況は治りません。
困ったものです。

■スリーA方式認知症予防ゲーム委員会(2011年11月1日)
最近はこの実行委員会を毎週のようにやっているような気がしてきました。
今日はかなり「熱い議論」になりました。
スリーA思想がかなり共有されだしてきたように思います。
それにしても、12月3日と4日と連日でフォーラムと講座をやることになってしまい、大変です。
みんな盛り上がっていますが、いささか心配になってきました。
どうして2日も連続してやることにしたのでしょうか。
誰が言い出したのかと投げかけたら、どうも私が言いだしっぺのようです。
いやはや困ったものです。

しかしみんな自発的に役割分担して動き出しています。
ある人はこんなメールをくれました。

いつもこの会合の夜は興奮状態なのか緊張状態なのか なかなか眠れません
私にとっては とても心地よい刺激です。

私は心配でなかなか眠れないのですが。

■大学のあり方を考える研究会(2011年11月2日)
井口さん(クリエイティブマネジメント研究所)と渡辺さん(城西大学)が、
大学のあり方をテーマにした研究会を始めたいというので、その準備会的な集まりをやりました。
井口さんは準備会のために資料を集めてくれてきました。
井口さんは、思うことあって、大学を数年前に辞めてしまいましたが、このテーマには深い思いがあるのです。
渡辺さんはある研究所から5年ほど前に大学に転籍しましたが、いまはどうも忙殺されているようです。
理論からの問題提起と現場からの問題意識を強くお持ちの2人が核になれば、面白い議論が展開できるかもしれません。
当面は月に1回程度の話し合いの場を持ちながら、テーマを絞り込んでいく予定です。
今の大学のあり方や教育政策に関心のある方はご連絡下さい。
一度遊びに来てもらってもいいです。

追記ですが、この話をフェイスブックに書いたら、すぐに数名の方から参加したいという申し入れがありました。
テレビで活躍している著名な人も含まれています。
あまりの反応のよさに驚きました。
まだ形が決まっていない段階なのでどうするか悩ましい話です。
まずは例によって、気楽なサロンを開いてもいいかもしれません。

■最後のナラティブサロン(2011年11月2日)
アジアを出歩いているグランマの本村さんが、たまたま帰国している時期があったので、
最後のナラティブサロンを本村さんセッションとして開催しました。
9人の人が集まりました。
私にとっては久しぶりにワクワクするようなテーマでしたが、
サロンと言うこともあって、あまり議論を独占できないので、ちょっと残念でした。
それでも例によって、少ししゃべりすぎたかもしれません。
しかし実に面白かったです。

テーマは、グラスルーツ・イノベーションと途上国支援でした。
BOP(世界の貧困層)の自立支援と世界を変えるデザインを切り口に、本村さんの実践活動の紹介をベースに話し合いました。
本村さんの思いのこもった話の内容をお伝えするのは私には無理ですが、本村さんの発想はとても共感できます。
大きな市場経済の流れに抗いながらの活動ですが、一歩間違うと流れに巻き込まれてしまいます。
私は、スターウォーズやハリー・ポッターを思い出しました。
正義と闇の力は紙一重なのです。
スターウォーズのアナキンは「愛」がわざわいして闇の世界へと落ちてしまいます。
ハリー・ポッターもまた、ぎりぎりのところにいます。
現在劇場上映中の最終作品はまだ見ていませんが、たぶんポッターも、あるいはドラコ・マルフォイも、アナキンとは違う道を選ぶでしょう。
しかし紙一重なのです。
本村さんの話を聴いていて、そんなことを感じました。

しかし、それでも本村さんの活動を私は全面的に支援したいと思います。
行動しなければ何も始まりませんから。

■コピ・ルアク(2011年11月3日)
私はお金の世界からかなり自由であるという自負があったのですが、そんな自信が吹っ飛んでしまうことが起きました。
先日、ある人がインドネシアの珈琲を持ってきてくれました。
エスプレッソ用の粉のようにとても細かく挽いてあるものでした。
そう香ばしく感じませんでした。
インドネシアの珈琲があるんだけど飲んでみると言っても、誰も関心を示しませんでしたので、結局、ほかの珈琲とのブレンドで飲んでしまいました。

ところがほぼなくなった段階で、その説明書を見つけた娘が、
これは有名なジャコウネコの糞からとった珈琲だと教えてくれたのです。
コピ・ルアクというのだそうです。
たしかに豪華な容器に「Kopi Luwak」と書いてあります。
しかもその上に、Authentic とまで書いてありました。
贋物も横行しているのだそうです。

ウィキペディアで調べました。
コピ・ルアクはジャコウネコの糞から採られる未消化のコーヒー豆で、産出量が少なく、高価である、と書いてあります。
「ルアク」はマレージャコウネコの現地での呼び名だそうです。
お店によっては一杯8000円もするそうです。
そういえば、もって来てくれた人は某社の副社長で、インドネシアの関係会社の社長からのお土産だったそうです。
安い珈琲であるはずがありません。
私はそういう常識が普通は作動しないのです。

無知とは恐ろしいものです。
ありがたみが全くわからずに、安い珈琲にブレンドして飲んでしまったわけです。
7月から8月にかけて、湯島に来た人は飲んでいるかもしれません。

冷蔵庫を見たらまだ少し残っていました。
ほんの2杯分くらいです。
それまではなんでもない珈琲がなにやら輝いて見えてきました。
高価だとわかっただけで、価値あるものに見えてきてしまったわけです。
結局、私の価値観もお金につながっていたことが露呈してしまいました。
反省、いや、恥じなければいけません。

ところで、残った2杯分のコピ・ルアクをどうするか。
1杯は私が飲むことにしました。
もう1杯はどうするか。
入札制度で高いお金を負担した人にというのがいいかなと一瞬思ったのですが、それではあまりにも情けないので、これまでに一番美味しい珈琲を湯島にもって来てくれた人がいいかなと思い、まあそれも似たようなことだなと思い、いま悩んでいます。
さて名案はあるでしょうか。
私が2杯とも飲むのが正解なような気がしだしました。
しかし高価なものを飲食するのは、私の好みではありません。
となると、これはもう誰にも飲まさずに、やはり普通の珈琲にブレンドしてしまうのがいいかもしれません。

ちなみに、いまはイタリアのお土産の珈琲豆が湯島にあります。
これも苦くてそれだけでは私の好みではありません。
それで挽いたものはいつものように、ブレンドしてしまいました。
しかしこれももしかしたら高価なのかもしれません。
使いにくくなりました。

貧しい人がたまに高価なものを手に入れると人生が狂うことがよくわかります。
私もその例外ではないようです。
宝くじが当たったら間違いなく不幸になるタイプのようです。
さてさて困ったものです。

この記事はブログにも載せました。

■社会教育(2011年11月4日)
雑誌「社会教育」編集長の近藤さんと生涯学習研究会メンバーの豊村さんが湯島に来ました。
社会教育はいま大きな変わり目にあると思いますが、雑誌「社会教育」も岐路にあるようです。
社会教育への取り組みに関しては、10年以上、近藤さんとはいろいろ話しあっていますが、なかなか私との接点は生まれません。
大きな方向性では一致しているのですが、立場の違いもあって、なかなかコラボレーションには至っていないのです。
今回はかなり踏み込んでお話したつもりですので、新しい動きが起こるといいのですが。
場合によっては、私自身で「社会教育を考えるサロン」をやってみようかとも思い出しました。
それにしても誰かに会うと新しいサロンや仕組みをつくりたくなる性癖がまた戻りだしました。
これでは20年前に舞い戻りそうです。
もっと禁欲的にならなければいけません。
それはわかってはいるのですが。

■もう一度検査(2011年11月5日)
火曜日にMRIを撮ったのですが、今日は頚部の血管の状況を超音波診断してもらいました。
幸いに大きな異常はなかったようです。
診断は来週の火曜日ですが、まあ今回も「適度な老化」ということでした。

私はなんでもフェイスブックに書いてしまうのですが、そのせいで何人かの人からまた大事にしろと忠告されました。
しかしこうやってあっけらかんと公開しているのは、たいしたことではない証拠ですので、ご心配は無用です。

ただ最近は適度の老化のせいか、どうも動きが鈍いのです。
それにすっきりしないのです。
そのくせ以前と同じように、いろんなことをしたくなります。
「足るを知る」とは、どうも物や金だけの話ではなさそうです。
生き方をきちんと考え直す必要がありそうです。

(2011年10月第4週)
■日本経営道協会が15年目です(2011年10月26日)
■労働人口の大幅減少をどう考えるか(2011年10月26日)
■震災地移動喫茶店 CAFE de Monk(2011年10月27日)
■クロネコヤマトの震災被災地支援(2011年10月28日)
■「人と人のつながり」を大事にしたい市村泰敏さん(2011年10月28日)
■オープンサロン(2011年10月28日)
■TPP論議(2011年10月29日)

■日本経営道協会が15年目です(2011年10月26日)
日本経営道協会が15年目を迎えます。
それを記念して、リード力開発道場フォーラム011が開催されます。
テーマは「企業家魂復興の日本経営」です。
今回の大震災で被災した3つの会社の社長をお呼びしてのパネルディスカッションが行われますが、その進行役をつとめさせてもらうことになりました。
その相談に協会の得能さんと企画メンバーの荻原さんがやってきました。

フォーラムは11月19日に如水会館で開催されます。
日本経営道協会のホームページに案内がありますから、よかったらご参加下さい
3つの会社のお話は必ず感動するはずです。
経営とは何なのか、事業とは何なのか、経済とは何なのか。
今回の震災は改めてそうした原点を私たちに教えてくれたように思います。

■労働人口の大幅減少をどう考えるか(2011年10月26日)
今年2回目の人材育成研究会でした。
慶応大学教授の樋口さんのお話が実に面白かったです。
樋口さんが教えてくれた人口見通しによれば、2050年の日本の労働人口は現在よりも4000人近く減少するそうです。
そのデータを見て、ドイツの人から日本の経済はもう維持できないのではないかといわれたそうです。
たしかにそういわれてもおかしくないデータです。
しかし、事態はたぶんまったく違うでしょう。
労働人口が減少するということは消費人口が減少することでもあります。
また労働生産性が急速に高まっていると同時に、労働の大洋が大きく変わっていますから、これまでのようなスキームで考えてはいけません。
言い換えれば、こうしたことを見越しての経済のパラダイムシフトが必要であり、可能だということです。
早く来い来い高齢者社会と思っている私には、問題の立て方が間違っているとしか思えません。
しかし、この委員会では、シニアの労働力化がテーマです。
そのため今回はいささかの混乱がありそうです。
だからこそ、今年は面白い議論展開になるような気もします。
ちなみに樋口さんの話はいろいろと示唆に富むものでした。

■震災地移動喫茶店 CAFE de Monk(2011年10月27日)
自殺防止ネットワーク風が主催する公開シンポジウムにスタッフとして参加しました。
風の副理事長の竹下さんは、自殺のない社会づくりネットワークのコアメンバーですので、私も今回協力させてもらうことにしました。
シンポジウムのテーマは「東日本大震災の被災者、自殺者の現状と今後」でした。
基調講演は、震災後、いち早く被災地で移動喫茶店CAFE de Monkに取り組んだ通大寺住職の金田さんのお話でしたが、実に考えさせられる内容でした。
金田さんは「あの時のことを忘れないでいてほしい」とメッセージされました。
つづいて名取市で活動してきた医療法人の岡部さんと風の理事長の篠原さんの鼎談でした。
岡部さんの、合理的なものに囲まれすぎて自然が見えなくなっていたというお話が印象的でした。
もっと多くの人に聴いてほしい内容のシンポジウムでした。

終わった後に、お二人と立ち話をしましたが、絆などと気安く言ってほしくないという言葉に共感しました。
絆を壊してきたくせに、何をいまさら絆なんだというわけです。
その言葉に親近感が増しました。
風邪の具合があまりよろしくなく、打ち上げには参加せずに帰りましたが、
金田さんたちともう少しお話したかった気がします。

■クロネコヤマトの震災被災地支援(2011年10月28日)
経営道フォーラム49期のクロネコヤマトの大谷さんが報告書を持参してくれました。
ついでに、今回の大震災後の同社の対応のDVDを見せてくれました。
感動的な内容です。
同社は宅急便一つにつき10円を被災地支援に寄付することを打ち出していますが、130億円程度と見込まれています。
すごい金額ですが、それだけでなくみんなが参加できるところにも意味があります。
10円の寄付は知っていましたが、130億円とは知りませんでした。

最近の同社の話もいろいろとお聞きしました。
うらやましいほど魅力的な仕事のある会社です。
大谷さんが生き生きとして話されるのが印象的でした。
多くの大企業の部長層がいささか疲弊しているのとは大違いです。

ついでにお昼までご馳走になってしまいました。

■「人と人のつながり」を大事にしたい市村泰敏さん(2011年10月28日)
市村泰敏さんが湯島に立ち寄ってくれました。
神崎さんが紹介してくれたのです。
市村さんは昨年、急に思い立って文京区の区会議員に立候補しました。
準備不足で残念ながら惜しくも落選しましたが、多くのことを学ばれたようです。
市村さんはどうも父上の血を引いているようで、地域社会のためになにかしたいという思いが強いようです。
こういう人が基礎自治体の議員になるといいのですが、今の基礎自治体の議員は職業化していますから、そう簡単にはなれません。

今回は時間があまりなかったのですが、たぶん心は通じ合いました。
人のつながりは時間とは無縁です。
通ずる人とは瞬時に通じます。
これからきっといろいろと私もお世話になりそうです。
神崎さん
ありがとうございました。

■オープンサロン(2011年10月28日)
風邪で調子がよくないので今日は早く終わって帰ろうと思っていたのですが、なんと定刻よりも1時間早く来る人がいて、しかも終わりも予定よりも1時間遅くなってしまいました。
と言っても参加者は私を入れて5人でした。
しかし、何でこんなに時間がかかったのでしょうか。
TPPの話もあれば、我孫子市会議員選挙の話もあれば、被災地の話もあれば、まあいろいろあったようです。
私はあんまり調子よくなく、話していましたがあんまり記憶に残っていません。
まあいつものことですが。
どうも昔のようにメンバーが広がりません。
私の「やる気」がやはり影響しているのでしょう。

しかしまた風邪をこじらせてしまったようです。
やっと帰宅し、今日こそと思いすぐ寝ましたが、あまり体調はすっきりしません。

■TPP論議(2011年10月29日)
昨日のサロンでもTPPは話題になりましたが、フェイスブックにもちょっと触れただけで賛否両論が届きました。
今朝、娘が若者たちの間で昨日のフジテレビの番組での中野剛志さんの発言が話題になっていると教えてもらいました。
早速、ユーチューブを見ました。
笑ってしまいました。
実に面白いです。
笑ってしまったのは、中野さんが素直に感情を出しているからです。
それが私には実に好感が持てるのです。
多くの人からは反発を受けるかもしれませんが。
もしまだアップされていたら、ぜひご覧ください。
前半は退屈ですが、後半が面白いです。
中野さんが好きになりました。
ちなみに私は中野さんのTPP論は春に読んでいますが、とても共感しています。
中野さんの本を読まなくても、少しTPPのことを自分で調べたら、マスコミや政府の言っていることがいかに嘘かということがわかるはずです。
ちなみに上記のユーチューブだけだと反感を持つ人もいるでしょうから、NHKの論点・視点での中野さんの話のユーチューブも念のため紹介しておきます。

ブログにも関連記事をまた書きました。

(2011年10月第3週)
久しぶりの奈良旅行でした。
■久しぶりの「みの〜れ」(2011年10月16日)
■「沈黙の春を生きて」(2011年10月17日)
■ささえあい交流会(2011年10月17日)
■NPO認知症予防ネットのお2人(2011年10月18日)
■松下むめのさんで人生を変えた松本さん(2011年10月18日)
■住友生命社会福祉事業団のみなさんとの会食(2011年10月18日)
■東寺の立体曼荼羅(2011年10月19日)
■奈良公園(2011年10月19日)
■奈良の仏たち(2011年10月20日)
■初めての父娘旅(2011年10月20日)
■フェイスブックの効用(2011年10月20日)
■寒くて風邪をひいてしまいました(2011年10月22日)
■フォワードフォーラム実行委員会スタート(2011年10月22日)
■スリーAを超えたコミュニケーション支援プログラム(2011年10月22日)

■久しぶりの「みの〜れ」(2011年10月16日)
10年ほど前に、その建設に関わった美野里町(現在は小美玉市)の文化センター「みの〜れ」に久しぶりに行きました。
「みの〜れ」は、住民主役で企画から建設までを行い、その運営も住民主役です。
その延長として、私は美野里町の総合計画や都市計画まで住民主役で関わらせてもらいましたが、私が取り組んだ「共創プロジェクト」としては思いの深い活動でした。
その「みの〜れ」も開館10周年です。
開館時に住民に呼びかけてマイナス原稿料方式で本を出版しましたが、10年記念にもう一度、本づくりをしようということになりました。
今日はその準備会的な集まりでした。
当時、中心になった一人の福島さんや総合計画の時に頑張ってくれた職員の酒井さんが参加しました。

こうした本作りの場合、大きくはドキュメント型とメッセージ型がありますが、私は単なるドキュメントには興味がありません。
内輪だけの活動には、なんであれ私は興味がないのです。
今回は文化センターのスタッフも住民もメッセージ型を志向していますし、ともかく楽しくやろうという考えに共感してくれましたので、私も関わらせてもらうことにしました。
年内には正式にスタートします。

準備会終了後、これまた久しぶりに文化センターに併設してつくったレストランで、館長といろいろと話しました。
話が盛り上がって列車に乗り遅れてしまい、館長の車で土浦まで送ってもらいました。
さてこのプロジェクトはどうなりますか。
ともかく面白いものにしていきたいと思います。
今回は少しだけ仕事の要素をいれてもらい、お金ももらえることになりそうです。
前回はほぼ1か月かけて編集を引き受け、その上、私もマイナス原稿料を払ったのですが。

■「沈黙の春を生きて」(2011年10月17日)
岩波ホールで上映されていた「沈黙の春を生きて」を観ました。
感想などはブログに書きました。
観客の多くは女性でした。
男性は私のように高齢者が、それも夫婦ずれの人が多かったです。
美術館や文化展示会、あるいは講演会などもそうですが、圧倒的に女性が多いです。
これは今に始まったことではありません。
20数年前に会社を辞めて、文化セミナーやフリースクールに行った時に気づいたことです。
日本ではおそらく、文化の分野では圧倒的に女性の水準が高いでしょう。
経済的な格差は男性が優位かもしれませんが、文化的な格差は明らかに女性優位です。
にもかかわらず、この国の政治や経済は男性主導です。
水準が低くなるのは当然かもしれません。

この映画は、やはり衝撃的です。
機会があったらぜひ観てください。
原発事故とのつながりも感じられるはずです。
科学技術者を呪いたくなります。

■ささえあい交流会(2011年10月17日)
ささえあい交流会は、最近、どうも「自殺」テーマにまた偏ってきました。
参加してもあまり楽しくありません。
これでは私の趣旨に反します。
コムケアの支え合いサロンと合体させたのは失敗でした。
自殺のない社会づくりといっても、やはりどうしても「自殺」の文字に引っ張られます。
そうすると参加者も限られてきてしまうわけです。
少し考えてみようと思います。
サロンをいろいろと始めすぎたので、いまさら支え合いサロンは再開できませんが。

■NPO認知症予防ネットのお2人(2011年10月18日)
京都で、絵法人認知症予防ネットの高林さんと福井さんにお会いしました。
お会いしたばかりではなく、お昼をご馳走になってしまいました。
12月3日に開催する認知症予防ゲーム体験型フォーラムの打ち合わせが目的でしたが、話題は別の方向に行ってしまいました。
高林さんは宇治にお住まいですが、お近くの万福寺の宝蔵院がすばらしいようです。
お経の版木が山積みになっているのだそうです。
あやうくそこに行こうかという話にまでなりましたが、思いとどまりました。

話し合いの成果の一つは、関西でも公開フォーラムをやろうということになったことです。
福井さんが中心で動き出してくれそうです。
高林さんの夢は、着々と形になりだしました。

■松下むめのさんで人生を変えた松本さん(2011年10月18日)
大阪で、デイコールセンターの松本さんに会いました。
松本さんはこの4月から龍谷大学大学院の政策学研究科で、これまでの活動を成果を踏まえた研究活動に取り組んでいます。
論文をまとめだしている時期なので、たぶん疲れているだろうなと思っていたら、今まで以上に元気で、その論文の内容について、いつものように「熱く」語ってくれました。
テーマは「無縁社会から人と人のつながる社会へ」です。

しかし、それ以上に盛り上がった話は、松下幸之助の奥さんのむめのさんの話です。
ちょうど今月、NHKで「経営の神様の女房」が3週にわたり放映されましたが、松本さんはむめのさんから直接の薫陶を受けた人です。
前からお話を聴いていて、その凄さに触れていましたが、残念ながらその話をだれかにしても伝わりませんでした。
しかしこの番組が放映されてから、反応は違ってきました。
松本さんは、それ以上にそのことを実感されていました。

私がむめのさんに感心したのは、リスクマネジメントに関する哲学です。
そしてその思想を基本にして、松本さんはコミュニティやメディカルセキュリティの問題に取り組まれているのです。
今までは孤軍奮闘の松本さんの活動にも順風が吹き出しそうです。
論文は来春には発表されます。
発表されたら、東京で一度、松本さんを囲む会を開催したいと思います。
孤独死も、孤立生も、なくなってほしいというのが松本さんの願いです。

■住友生命社会福祉事業団のみなさんとの会食(2011年10月18日)
久しぶりに住友生命社会福祉事業団も訪問する予定だったのですが、どうせなら一緒に食事でもしようということになりました。
最初に接点をつくってくれた井上小太郎さんも来ていました。
中尾さん、的場さん、原さんと5人で食事をしました。
私が福祉の世界にこれほどまでに関われるようになったのは、住友生命社会福祉事業団がコムケア活動を支援してくれたからです。
そのきっかけをつくったのが井上小太郎さんです。
私が好き勝手に設計したコムケア活動を無条件に応援し、途中で資金助成プログラムを勝手に止めた時もそれを認めてくれました。
そして、また何かやりたくなって、相談するとこれまたほぼ無条件に応援してくれます。
ありがたい話です。

今回も、今度やる2つのフォーラムの支援をお願いしに行ったのですが、久しぶりだったこともあり、的場さんが関係者を呼んで食事会にしてくれたのです。
そのため、支援の話は全くしなかったのですが、最後に佐藤さんの思うようにやってもらっていいと言ってくれました。
これほど恵まれた支援者をもてたことに感謝しなければいけません。
大切なのは「お金」ではなく「共感」だということを痛感します。

生命保険の話も少しお聞きしました。
お金だけでなく、関係性を育む生活保険のようなものが考えられないかと言うのが、コムケアを始めた時の私の問題意識だったのですが、中尾さんからその問題点も教えてもらいました。
保険と共済は、もっときっちりと考えなければ行かないと思いなおしました。

■東寺の立体曼荼羅(2011年10月19日)
翌日、会う予定の人との約束がキャンセルになったので、時間が空きました。
それで東寺の立体曼荼羅堂で瞑想しようと思い、東寺に行きました。
先日、国立博物館の空海展で体験した立体曼荼羅とは雰囲気が全く違います。
しかし、しずかに瞑想しようと思ったら、次々と修学旅行生やツアー団体がやってきて、説明の声がひびきます。
また通路が狭いので、そこで瞑想していると通行の邪魔にもなります。
それで残念ながら瞑想はでませんでした。

空海展の曼荼羅空間と違うのは、やわらかいあたたかさがあることです。
この空間で16年間、番をしている人と少し話しました。
76歳の方でしたが、お元気そうで、なによりも表情がやさしいのです。
いつもここにいると心が洗われるのでしょうか。

五重塔は残念ながら堂内には入れなくなっていました。
最近は寺院も次第に鑑賞対象になってきています。

■奈良公園(2011年10月19日)
お昼に娘と京都で合流して、奈良に向かいました。
はじめての父娘旅行です。
西の京を歩くつもりだったのですが、電車に乗ってから急遽、予定を変えました。
奈良公園を歩くことにしました。
奈良公園は亡き妻と最初に歩いたところです。
そのコースを歩こうと思ったわけです。

まずは興福寺に行きましたが、以前に比べれば様々な建物が建立されてきています。
阿修羅像も国宝館に安置されていました。
そこから春日大社、東大寺と歩きました。
春日大社も入れる場所が限定されており、東大寺は肝心の三月堂も二月堂も改修中でした。
大仏殿は修学旅行生であふれていました。
幸いなことに、三月堂の月光菩薩は、今月開館された東大寺ミュージアムに展示されていました。
しかし、やはり「展示」ですから、雰囲気は全く違います。
かつてのようなオーラはなく、興ざめでした。

夜、ホテルから散歩に出たら、小学生の修学旅行の団体が並んで奈良公園のほうに歩いていくのに出会いました。
五重塔がライトアップされているのではないかと思い、ついていったら、なんと道沿いでお土産を売っている露店にお土産を買いに行く行列でした。
グループに別れ、時間制限しながら、その露天商で買物をしています。
夜の8時頃です。
その風景はいささか異常でした。
添乗員が、そろそろ時間なので早く買ってくださいと叫んでいました。
携帯電話の写真なので雰囲気は伝わりにくいですが、ご覧ください。

この様子をフェイスブックに書いたら、いろんな人からコメントがありました。
私にはゾッとする風景でした。

■奈良の仏たち(2011年10月20日)
奈良の2日目は斑鳩と西の京です。
法隆寺はもう10年以上来たことがありませんでしたが、全体の雰囲気は残っていてホッとしました。
しかし中に入ったらやはりいろいろ変化していました。
一番がっかりしたのは百済観音が展示品になっていたことです。
中宮寺にも寄りましたが、ここは完全に弥勒展示室でした。
ゆっくりと法隆寺を楽しみたいと思いましたが、以前の空間とは違っていて、いそいそと西の京に向かってしまいました。
しかし、薬師寺にはもっとがっかりしました。
白鳳伽藍はみごとに再現されたのでしょうが、どうもすっきりしません。
あれほど美しかった東塔も惨めなほど、枯れていました。
玄奘三蔵院という建物が出来ており、平山郁夫画伯の壁画が公開されていました。
私は平山さんの絵は苦手ですが、最後に1枚、気になる絵がありました。
ナーランダの月です。
これに関してはブログに少し書きました。
最後に唐招提寺に行きましたが、うれしいことにここは昔の雰囲気が残っていました。
見事な千手観音にも再会できました。

この2日間、たくさんの仏たちに会いましたが、みんなとても小さくなっていました。
生命を絶たれた展示品のようになっていて、私にはさびしく感じました。
久しぶりに奈良を歩きましたが、あまり幸せな気分にはなれませんでした。
どうしてでしょうか。

■初めての父娘旅(2011年10月20日)
この2日間は、初めての父娘旅行でした。
東京からの往復は、それぞれ別々で日程も少しずれていましたが、なかの2日間は一緒でした。
19日には初めて娘と同じホテルで泊まりました。
ホテル日航奈良でしたが、食事は夕飯も朝も外で食べました。娘のアレンジです。
観光スポットは、基本的に私の選択でしたが、娘に付き合って少しだけ「ならまち」も歩きました。
私と別れた後の娘の歩き方は、私とは全く違います。
観光地などはあまり行かず、気にいったお店で食事をし、街を歩き、その合間に観光スポットを訪ねるというスタイルです。
私とは対照的です。

妻を見送ってから、一度だけ家族旅行をしましたが、今回が私にとっては2度目の旅行です。
妻と歩いた道を娘と歩くのは、まあ感慨深いものがありました。

■フェイスブックの効用(2011年10月20日)
今回の奈良旅行にはアイパッドを持参し、途中途中でフェイスブックに書き込みました。
そうするといろんな反応があります。
京都のえんつうじがいいという円通寺がいいとか、どこそこのタタンタルトが美味しいとか、具体的なアドバイスもあります。
これもフェイスブックの効用です。
フェイスブックがますます好きになりました。

■寒くて風邪をひいてしまいました(2011年10月22日)
娘とわかれて一足先に帰宅しました。
奈良は初夏のようでしたが、千葉は寒いです。
それで風邪をひいてしまいました。
のどがいたいです。

■フォワードフォーラム実行委員会スタート(2011年10月22日)
自殺のない社会づくりネットワークでは来春、フォワードフォーラムを開催することにしました。
そろそろ動かないといけないので、事務局長の福山さんに話して、まずは実行委員会を立ち上げることにしました。
これまでの2回のフォーラムは、コムケア的に私が事務局としてやってきましたが、それではいつになってもネットワークが自立していかないので、今回は中心にはならない決意なのですが、動き出さないとついつい余計なお世話をやいてしまいます。
今回を最後に手を引こうと思いますが、今回は関わることにしました。

事務局長の福山さんと対話法の浅野さん、森本さんのほか、先日お会いした橋本さんにも参加してもらいました。
3月の下旬に開催することになりました。
まだ実行委員は募集しています。

■スリーAを超えたコミュニケーション支援プログラム(2011年10月22日)
スリーA方式の認知症予防ゲーム体験フォーラムを12月3日に開催しますが、翌日、ゲームのファシリテーターを養成する講座を行うことにしました。
しかし単に認知症予防ゲームのリーダー研修では広がりが出ないので、基本的なファシリテーションの力を高めるようなものにしたいと思い、独自にプログラムの開発を行うことにしました。
中心は熊本の吉本さんですが、テキストづくりから取り組みます。
コーチングやファシリテーションを仕事にしている鈴木さんに加えて、ワークショップやボードゲームに取り組んでいる武藤さん、それに阿部さんが今回は参加しましたが、構想としては新しいプログラム開発に取り組み事業化していくための新しい組織を立ち上げる予定です。
そうした組織の体制まで議論が及びました。
面白くなりそうです。
風邪はさらに悪化しましたが。

(2011年10月第2週)
■古希世代フェイスブック学び合い会(2011年10月9日)
■お墓参り(2011年10月10日)
■体力の衰え(2011年10月11日)
■自転車の空気漏れの原因(2011年10月12日)
■インキュベーションハウスが動き出しそうです(2011年10月12日)
■スリーAフォーラム実行委員会が自発的に動き出しました(2011年10月12日)
■共済研究会シンポジウム実行委員会(2011年10月13日)
■クリエイティブマネジメント研究所井口さんの研究会(2011年10月13日)
■第2回技術者交流カフェ(2011年10月13日)
■初対面の藤永さん(2011年10月13日)
■エジプトの中野さん(2011年10月13日)
■そうだ 奈良に行こう(2011年10月14日)
■我孫子市の市議選(2011年10月15日)

■古希世代フェイスブック学び合い会(2011年10月9日)
フェイスブックで知り合った寺田さんから、古希世代フェイスブックの学び合いの会をやりませんかというお誘いに乗って、やってしまったのが古希世代フェイスブックカフェです。
寺田さんとは同じ高校の同期生だのですが、学生時代は同じクラスになったこともなく、面識はないのですが、なぜかフェイスブックで知り合ったのです。
私の大学時代の同期生にも声をかけたところ、2人が参加しました。
古希世代ではないのですが、還暦世代も一人参加し、結局、集まったのは4人でした。
でもそのぶん、ゆっくりと学び合えました。
大学時代の友人は教養学部時代に同じクラスだった高橋と店網です。
還暦世代は乾さんです。

まずは私が感じているフェイスブックの効用を話しましたが、たぶんこれはやってみないとわからないでしょう。
参考までにその時に配布したメモ「フェイスブックの効用」を掲載します。
一番の効用は「ゆるやかなつながりの世界」を広げてくれることです。
この効用は、意識すればとても大きいものです。
しかしたぶん多くの人は、この「ゆるやかなつながり」をなかなか理解できないかもしれません。
私はコミュニケーションの20年、その世界に生きているのですが。

フェイスブックは若者にも効用の大きいメディアですが、シニア世代にもとても効用は大きいです。
もしやられていないシニア世代がいたら、お薦めします。
世界が変わります。そして人生も変わります。
もしや労と言う方がいたら、そして湯島にパソコンを持って来てくださったら1時間でできるように応援させてもらいます。
フェイスブックは実に面白いです。

■お墓参り(2011年10月10日)
お墓参りに行きました。
最近どうも精神的に、と言うか、気分的に、不調なのです。
困った時の墓頼み、などという言葉はありませんが、まちづくり青墓参りはそれなりの効用があるのです。
涼しくなってきたので、生花を供えても大丈夫な季節にもなりましたし。

彼岸の時にはあれほど賑わっていた墓地も、今日は誰もいませんでした。
墓地は賑わっていると明るい世界になりますが、誰もいないと少し淋しいです。

■体力の衰え(2011年10月11日)
最近、体力の衰えを実感します。
なにを今頃と言われそうですが、62歳の時に節目を感じましたが、古希を迎えると実際にまた一段と持続力がなくなります。
しかし衰えてきているのは体力と言うよりも、脳力かもしれません。
考える力の衰えが自分でも良くわかります。
それと昔は頭を休める時間など不要でしたが、最近は1日に3つか4つのことくらいしか頭が回らないのです。
さらに2日も遅い日が続くと、もういけません。
思考力が出てこないのです。
体力の衰えと脳力の衰えは連動していると思いますが、無理がきかなくなりました。

■自転車の空気漏れの原因(2011年10月12日)
パンクしない自転車のタイヤが空気漏れを起こしました。
その修理に取り組んでいますが、なかなかうまくいきません。
チューブのないタイヤですから、タイヤと車輪のフレームを接着剤でくっつけるわけですが、いくらやっても空気が抜けます。
それでタイヤ中が接着剤で汚くなってしまいました。
それでも空気が抜けるのです。
どこから抜けるのだろうと車輪に耳をつけて空気の漏れを探すのですが、見つかりません。
この様子はフェイスブックでも書いたのですが、感性を研ぎ澄ませて、空気のわずかな漏れを探す作業をしているとなにかとても高級な作業をしているような気になってきました。
仕事は、脳や身体を使ってやるのではなく、感性を使ってやるのが基本だったのではないかなどと思えるようになりました。
ともかく何の取り得もない弱い人間が、荒々しい自然の中で生き延びてきたのは、その研ぎ澄まされた感性ではなかったのか、そんな気さえしてきます。

ところがいくら感性を研ぎ澄ませても空気の漏れを感知できないのです。
おかしいなと思っているうちに、ハッと気づきました。
空気入れのところのゴムパイプ(いわゆるムシといわれるもの)が劣化しているのではないかと。
ムシを調べてみたら案の定劣化していました。
ダメな部分を切って、上下を逆にして応急措置して空気を入れなおしたら、やはりムシでした。
いくら接着剤を塗りたくっても意味がなかったわけです。
思い込みの恐さを知りました。
問題の建て方を間違うと事態はなんら解決しないことを身をもって知らされました。
しかしおかげで自転車は直りました。

■インキュベーションハウスが動き出しそうです(2011年10月12日)
自転車が直ったので乗りたくなって、本郷にあるインキュベーションハウスに行くことにしました。
インキュベーションハウスには宮部さん、小山石さん、五島さんがいました。
私が行くとみんなの仕事を邪魔することが多いので、最近は行かないようにしているのですが、やはり今回もみんなと2時間も話してしまいました。
しかし、そのおかげで、2つほど新しいプロジェクトが生まれだしそうです。
しかしちょっと話しすぎて、疲れてしまいました。
やはり体力も脳力も劣化しているようです。
ムシのように、新品に交換できるといいのですが。

■スリーAフォーラム実行委員会が自発的に動き出しました(2011年10月12日)
今日はスリーA方式認知症予防ゲームの体験型フォーラムの実行委員会です。
新たに阿部さんと早坂さんが参加してくれました。
今回は12月3日のフォーラムの内容について議論しましたが、内容がかなり変化しました。
しかも資料なども見直すことになりましたが、感動的なのは、メンバーがそれぞれ自発的に手を挙げて取り組みだしたのです。
私花にもやる事がなく、せいぜいが全体の信仰管理と参加者受付業務です。
久しぶりにコムケア的になってきました。

チラシも加納さんが作成してくれました。
一般参加者用と認知症予防の取り組んでいる人たち用です。
一般参加者用のチラシをこのサイトにも掲載します。

次回は10月22日、さらにその次まで決まりました。

■共済研究会シンポジウム実行委員会(2011年10月13日)
共済研究会では来週また公開シンポジウムを開催する予定ですが、その実行委員会が開催されました。
今回は青山学院大学の本間さんが委員長で、全国保険医団体連合会の橋本さんがまとめ役、そこに、生活クラブ共済連合会の伊藤さんとアビリティクラブたすけあいの清田さんと私が参加しました。
昨年の委員会とは全く違った雰囲気です。
共済研究会においては、いささか傍流的なメンバーかもしれませんが、そのおかげで私にはとても刺激的な議論ができました。
面白くなりそうです。

それに書き込んでいいかどうかはいささか微妙ですが、本間教授は実にラディカルです。
いや、本来的には「普通」と言うべきでしょうが、「御用学者」のあふれる昨今のアカデミズムの中ではめずらしいです。
今回も本間さんの主張に共感できました。
進め方やシンポジウムの持ち方への意見には異論はありますが、まあそんなことは瑣末な話です。

■クリエイティブマネジメント研究所井口さんの研究会(2011年10月13日)
クリエイティブマネジメント研究所の井口哲夫さんがやってきましたが、久しぶりにプロジェクトを立ち上げたいというのです。
これはともかく協力しなければいけません。
なにしろ井口さんは毎年私の亡妻の命日を覚えていてくださる方ですから。

まあそれはともかくまだスタートしていないので内容は書きませんが、どうせやるなら面白いものにしたいと思います。

■第2回技術者交流カフェ(2011年10月13日)
第2回技術者交流カフェ(「技術フォーラム」と改名したいです)を開催しました。
前回のメンバーは事故や急用で6人も欠席の連絡が来ました。
そのうちの3人は直前にです。
みんな活躍している証拠ですが、さびしい集まりになるかなと心配していたら、新たに3人の人が参加してくれました。
一人は井口さん、以前、R&Dの研究会を10何NPO以上やっていましたからぴったりです。
そして藤永さん。藤永さんは私のホームページを毎週見てくださっているそうで、お知らせを見て参加してくださいました。
もう一人はアワープラネットテレビの青木さんです。
青木さんには最近会っていなかったので、ありがとうございました。いたいナラティブと思っていましたが、実にうれしい参加です。

欠席者は多かったのですが、なぜか今回は6時に5人も集まったので、小宮山さんの紹介で、箸ピーゲームをやりました。
そしてまあそれぞれにいろんな話をしながら7時頃から自己紹介しあいました。
新たな3人の人からは少し詳しくお話をお聞きしましたが、それだけでも私には刺激的でした。

話はいろいろと出ましたが、最近の大企業の技術者は外部の人との接点がなかなかできないような管理体制下に置かれているというような話題になりました。
活動の世界を封鎖してしまえば、イノベーションは起こらないでしょうから、そうした最近の風潮はちょっと気になります。
まあそうした動きをマイナスにとるかプラスにとるかは立場によって違ってきます。
わたしは、だからこそいま面白い事ができると受け取りたいと思っています。
それがこうしたサロンが始められた理由でもあるのですから。

小宮山さんから、どうせなら元気が出るような話し合いの場にしたいし、抽象論ではなく具体論で話したいという提案がありました。
そろそろ具体的な話のセッションに移っていければと思います。
それで、次回はちょっと「遊び」の感覚もいれて、小宮山さんの会社のコミーを会場にして、少し具体的な創造型のサロンにすることになりました。
会社の所在地は、西川口です。
工場も見せてもらいます。
興味のある方は参加歓迎です。
またお知らせのコーナーに来週掲載しますが、11月17日(木曜日)午後6時〜8時半の予定です。

■初対面の藤永さん(2011年10月13日)
このホームページを読んで技術者交流カフェに来てくれた藤永さんのお話を少しゆっくり聴きたかったのですが、今回はサロンの集まりのため、あまりお話できませんでした。
またお話しする機会があると思いますが、最近、私のホームページを読んで私に関心を持ってくださる方が時々やってきてくれます。
時代の気分が変わってきたのでしょうか。

ホームページやブログのおかげで新しい縁を結んだ人が増えています。
うれしいことです。

■エジプトの中野さん(2011年10月13日)
エジプトが騒然としているので、カイロの中野ご夫妻が心配だったのですが、フェイスブックで大丈夫だという連絡がありました。
そうしたら今日は、奥さんのほうから定期的に出ているNHKのラジオ深夜便で、今日の深夜、レポートするとメールが来ました。
寝ないで聴きました。
お元気そうな声でした。
カイロの騒動の実状も、テレビ報道とは違った感じを受けました。
中野ご夫妻ともながくお会いしていませんが、エジプトを楽しまれているようです。

■そうだ 奈良に行こう(2011年10月14日)
奈良に行こうと突然思いました。
来週、大阪と京都のコムケア仲間に会いに行くことにしましたが、日帰りが難しくなりました。
どうせなら翌日は奈良に行こうと思って、娘を誘ったら、めずらしく誘いに乗りました。
それで久しぶりに奈良を歩くことにしました。

佐保路を最初考えたのですが、きっと以前とは様変わりの退屈な路になってしまっているでしょう。
むしろ東大寺と西の京を歩くことにしました。
西の京も、たぶん私好みではなくなっているでしょうが、伽藍が完成してからは行ったことがないので、少しだけ興味があります。

初夏になった時にも、一度、奈良に行こうと思い立ったことがありますが、結局、行けませんでした。
今回は娘を誘ったので、勝手にはやめられませんから、まあ行くことになるでしょう。
奈良はどう変っているでしょうか。
15年ぶりくらいかもしれません。

■我孫子市の市議選(2011年10月15日)
11月に我孫子市の市議選があります。
現在定員は28人ですが、今度は24人になるはずです。
どうなるでしょうか。
私の知り合いもかなりいますし、落選して議員を離れていた知人もまた2人ほど立候補すそうです。
そのせいか、最近、いろんな立候補予定者がわが家にまで来ますし、ポストにはチラシがよく入っています。
しかし今年の初めに市長選を応援してみて、市議の実態が見えてしまったせいか、どうも興味がわきません。
それにチラシを見ても、いかにもみんな安直です。
真面目に考えているようにはみえず、ただただ言葉を並べているだけのように感じます。
チラシよりも、内容のあるイベント、たとえば我孫子市を考える公開フォーラムのようなものを毎月でもやっていれば、選挙が近づいたからといって慌てることもないでしょう。
それにいろんなイベントの案内を出しても、みんなこの時期は忙しいから参加できないといいます。
この時期でなくても参加しないのが実態なのですが、この時期だからこそ外の世界の動きを知ってほしいです。

悩ましいのは、選挙では誰に投票するかです。
情実には一切影響されないことには自信がありますが、なかなか難しい選択です。
私でもそうですので、上関町では大変だったでしょう。
改めてそう思います。
今の選挙の仕組みは見直す必要があると思います。

(2011年10月第1週)
今週は元気な若者たちに出会えました。
■手づくり散歩市2日目(2011年10月2日)
■沢蟹さがし(2011年10月3日)
■「ピコラエヴィッチ紙幣」(2011年10月4日)
■チビ太くんの医療費(2011年10月4日)
■認知症予防フォーラム決定(2011年10月4日)
■小沢一郎さんの記者会見(2011年10月6日)
■韓国からの留学生の金さん(2011年10月7日)
■井上大地さんと由洛菲さん(2011年10月7日)
■BBM城南藩の出村さんと橋本さん(2011年10月7日)
■几帳面な若者(2011年10月8日)

■手づくり散歩市2日目(2011年10月2日)
昨日に続いて我孫子の手づくり散歩市です。
今日も肌寒い曇り空で「散歩」には向きません。
散歩市関係ではない人が3人来てくれました。
散歩市関係では、主催者代表の太田さんがやってきました。
久しぶりだったので、散歩市のやり方も含めて、いろいろと話しました。
最後のお客様は近くの塚越さんのお孫さんと小野寺さんでした。
お孫さんと言っても、すでにご結婚されていて、アメリカに住んでいる人です。
私は寒いので早々に引き上げましたが、娘たちと寒い庭で話していました。

今年のカフェは2日間で、結局、11人でした。
珈琲の半分は私が飲んだような気がします。

■沢蟹さがし(2011年10月3日)
昨日と違って暖かな日になりました。
急に沢蟹を探しに行きたくなって、娘に付き合ってもらいました。
沢蟹は見つかりませんでした。
この周辺では、いまや沢蟹がいそうなところはなくなってきました。
残念です。
わが家の庭の池に沢蟹が出てくるといいのですが。

■「ピコラエヴィッチ紙幣」(2011年10月4日)
横手さんから紹介された「ピコラエヴィッチ紙幣」を読みました。
実はてっきりコモンズ紙幣のノンフィクションだと思っていたのですが、史実に基づいたフィクションでした。
読むのをやめようかと思ったのですが、読み始めたらついつい引きずり込まれて、一気に読んでしまいました。
最後が衝撃的でした。
ピコラエヴィッチ紙幣は、1910年代にシベリアのニコラエフスクにあった島田商会が発行した小切手のような紙幣です。
しかし、ソ連革命の余波で、その町は赤軍過激派によって破壊されます。
著者は自分の家にあった1枚のピコラエヴィッチ紙幣の歴史を調べだして、この小説にたどりついたのです。
万一読む人がいると悪いので、小説の内容は描きませんが、いろいろと考えさせられる作品でした。
第2回城山三郎経済小説大賞の受賞作です。

■チビ太くんの医療費(2011年10月4日)
チビ太くんの医療費がわが家のつつましやかな家計を逼迫させています。
私の医療費とは桁が2つも違うのです。
改めて健康保険のありがたさがわかります。
しかし、家族同様とはいえ、犬にこれだけの費用を払っていいものだろうかと思わないわけでもありません。
健康保険に入れずに医者にもかかれない人がいるご時勢です。
いささか気がひけないわけでもありません。
そもそもペットとはなんだろうとも思います。

しかし治療のおかげで、皮膚病はだいぶよくなってきました。
ただ歩行や呆けはよくはなりません。
眠っている時間も多くなりました。
夜中に置きだすのもなかなかなおらず、寝付かせるのが大変です。
さらに私も娘も夜中に時々起こされます。
呆けてきているのに、なぜか粗相をすると吠えて教えるからです。

まあ少し先の私自身かもしれません。
娘には予行練習だと言っていますが。

■認知症予防フォーラム決定(2011年10月4日)
第2回のスリーA方式認知症予防ゲーム体験型フォーラムを12月3日に開催することにしました。
少しずつですが、スリーA方式認知症予防ゲームも首都圏で知られてきました。
4月に開催した公開フォーラムに参加してくださった人たちが、それぞれの地域で取り組みだしましたし、4月下旬には横浜で開催された認知症ケア学会で高林さんがワークショップを開催して評判になりました。
高林さんとの約束が少しずつですが現実化しています。

12月3日のフォーラムのチラシをご覧ください。
ご関心在ればぜひご参加ください。
私たちが目指しているのは、単に認知症予防だけではなく、私たちの生き方をも変えていくということです。
スリーA方式認知症予防ゲームとありますが、そのスリーAとは「あかるく、あたまを使ってまきらめない」ということですが、その「スリーA」精神に立脚したコミュニケーションゲームの開発や展開も視野に入れています。
そうしたことに関心のある人がいたら、ぜひ仲間になってもらえればと思います。
その研究会も近々スタートしますので。

■ついついコタツをだしてしまいました(2011年10月5日)
急に寒くなりました。
それでコタツをだしてしまいました、
おそらくこれまでで一番早いでしょう。
もっとも出したのはいいですが、入っている間がありません。
翌日からまた暖かくなり、コタツは不要になりました。
天候に振り回されるような人生を送ってはいけないと反省しました。

■小沢一郎さんの記者会見(2011年10月6日)
小沢さんの公判が始まりました。
会社などに行ってはいられません。
公判が終わった後に小沢さんの記者会見があるでしょうから、在宅してテレビを観なければいけません。
編集された報道ニュースは事実を伝えませんから。
と思っていたのに、なかなか記者会見が始まりません。
夕方になってやっと始まりました。
まず小沢さんは後半での罪状認否で読み上げた8分間の発言を、立ったまま読み上げました。
私には共感できることが多かったですが、完全に検察への宣戦布告です。
やり方がいかにも稚拙だと思いますが、私の好きなやり方です。
最近はだんだん小沢さんが好きになって来ました。

しかし8分間読み終わった後の小沢さんは老いを感じさせました。
ホッとしたのでしょうか、最初の質問にはうまく対応できませんでした。
それに質疑の間には、気のせいか目が少し潤んでいました。
体調が余りよさそうにも見えませんでした。

小沢さんの記者会見翌日の報道に関しては、それぞれブログに私見をかきました。
元検察の有名人がコメントを発していますが、堀田さんのコメントだけは許しがたいもののように私には思いました。
ロッキード事件の真実にも、私は最近疑惑を感じています。

■韓国からの留学生の金さん(2011年10月7日)
韓国にお住まいの佐々木さんの紹介で、金さんがやってきました。
大分の大学で3年間学び、この10月から東大の大学院で公共政策を学ぶのだそうです。
住まい探しから自分でやったというのですが、別府と東京では全く違うと驚いていました。
それはそうでしょう。

金さんの関心は「コモンズ」でした。
それもかなりしっかりしたイメージをお持ちです。
韓国の文化も含めていろいろと意見交換させてもらいました。
近くですので、またきっと遊びに来る機会があるでしょう。

ちなみに、韓国には「Gaei」という仕組みがあるそうです。
日本の「講」に似ているかもしれないと金さんは教えてくれました。
少し調べてみようと思います。

■井上大地さんと由洛菲さん(2011年10月7日)
先日やってきた井上さんはすぐに行動を起こしました。
それは驚くほどの見事さです。
行動を起こしてから3週間目、かなりの成果を挙げているようです。
今日はその活動の仲間と一緒にやってきました。
中国の遼東省から留学してきている由さんです。

井上さんは先日会った後に、仲間に呼びかけてグループ活動を始めたそうです。
まずは緩やかなネットワークからと話していたのですが、若者らしく緩やかどころかかなりリズミカルでハードなグループ活動のようです。
話を聞いていて、感心しました。
ここまでやるとは思いませんでしたが、参加した学生たちはそれぞれに変わってきているようです。
井上さんがあまりに生き生きと話しているので、ついつい引き込まれてしまいます。
これまでやってきた学生たちとは違います。
一人称で語っているのです。
これからの展開が楽しみです。

しかしこうして留学生が続けてやってくると、ついつい昔やっていた留学生サロンを思い出します。
いまこそ必要なのかもしれません。

■BBM城南藩の出村さんと橋本さん(2011年10月7日)
阿部さんが仲間と始めようとしている朝食会の場所として湯島を使わせてくれないかと頼まれました。
湯島のオフィスは「コモンズ空間」と位置づけていますから、使ってもらうのはいいのですが、自殺のない社会づくりネットワークやFOSグループなどのオフィスにも提供していますので、資料などもあり、そう勝手には貸せません。
「コモンズ空間」の難しさは、そのフェアな管理です。
そこでその朝食会なるものはどんなものか、コアメンバーに引き合わせてもらうことにしました。
BBMとは「ビジネスリーダーのためのビジネス朝食会」のようです。
基盤は「メキキの会」です・
ネットで調べた感じでは、私の世界とはかなり違います。
いささか気が重かったのですが、やってきたのは、一度湯島のサロンにも来てくれたことのある出村さんともう一人橋本さんと言う印刷会社を経営されている方です。
お話をお聴きして、お2人の思いに私の世界とつながるものを感じました。
メキキの会にはかなり違和感がありますが、出村さんや橋本さんは信頼しました。
場所を提供することにしました。
11月から毎月1回の朝食会を開催するそうです。
出村さんが、自分たち(BBM城南藩)の特徴を出したいといっていましたので、それに期待したいと思います。

しかしこういう活動が多いのに、どうして社会はよくならないのか。
そこをこそ考えないといけません。

■几帳面な若者(2011年10月8日)
ナラティブサロンに一度参加してくれたグランマの本村さんからメールが来ました。
彼は海外を飛び回っているので、超多忙なのですが、ナラティブサロンで一度話すという約束をしたことを気にしていて、11月に時間が取れると連絡してきてくれます。
これほど責任感のある若者は、そう多くはありません。
ナラティブサロンは、私自身はちょっと退屈になってきていたのですが、本村さんの会を最後にモデルチェンジしようと思っています。
ナラティブカフェです。
ナラティブとは何かをもう少ししっかりと共有しないとどんどん議論がぼやけていくのです。
私のナラティブへの思いは、「知のパラダイムシフト」なのです。
近代の発想の終焉と言ってもいいかもしれません。
そんな議論をするカフェを来年にはスタートさせたいと思っています。

本村さんのセッションは間違いなく面白いです。
来週あたりに案内をお知らせに掲載します。
今回はナラティブサロンメンバーだけでなく、公開で行いますので、興味のある方はご連絡ください。
本村さんは実にエネルギッシュな若者です。

(2011年9月第4週)
■ささえあい高崎交流会(2011年9月25日)
■庭の手入れ(2011年9月26日)
■スリーA方式認知症予防ゲームへの関心の高まり(2011年9月27日)
■パオッコとインキュベーションハウスとのミーティング(2011年9月28日)
■ゆいの家の高石さん(2011年9月28日)
■人材育成研究会(2011年9月28日)
■経営道フォーラム合宿(2011年9月28〜29日)
■「一枚のハガキ」(2011年9月30日)
■オープンサロン(2011年9月30日)
■我孫子手づくり散歩市1日目(2011年10月1〜2日)

■ささえあい高崎交流会(2011年9月25日)
自殺のない社会づくりネットワークとコムケアとで開催してきた「ささえあい交流会」を各地に展開していくことになり、その最初の集まりを群馬県の高崎の「ゆいの家」で開催しました。
今回は自殺のない社会づくりネットワークの事務局長の福山さんが基本的なアレンジをしてくださいました。

高崎では、コムケアの関係で2004年に「ひだまり交流会」を開催したのですが、その時にお会いして以来のコムケア仲間の高石さんが主宰しているのが「ゆいの家」です。
今回はそれに対話法研究会の浅野さんが協力してくださり、交流会が実現しました。
会場に着いたら、すでに長野や埼玉からコムケアの仲間が参加してくれていました。
現場の人たちのこうしたつながりが、実にうれしいです。

今回は高石さんの提案で「食」を話題の主軸にしました。
今年から、ゆいの家は、「食から人をむすぶ場」として活動を重点化してきているのです。
高石さんの手づくり伝統食が参加者に振る舞われました。
ご飯は小豆の酵素を活用した玄米ご飯。それに自然調味料しか使わないさまざまなお惣菜です。

「ゆいの家」は高石さんのご自宅を改造して開放しているのですが、実に気持ちの良い空間です。
それもあってついついみんな長居してしまいました。
参加者の話も面白かったです。
途中からパニック症候群の渦中にある藤井さんも参加してくれました。
そのおかげで、実に生々しい話になると共に、ささえあいの意味が深く議論されたように思います。

参加してくださったみなさんが、とても喜んでくださり、おかげで長野や埼玉でも交流会が広がりそうです。
もちろん群馬ではこれから展開していくだろうと思います。
10年以上取り組んできたコムケア活動も少しずつですが、現場の活動になってきました。

■庭の手入れ(2011年9月26日)
先週の台風で庭の花木がひどい状況になってしまいました。
今週末は、我孫子の手づくり散歩市の会場にもなるので、それまでにきれいにしておければと娘たちが整備に取り組んでいるので、私もささやかな手伝いをしました。
わが家は、風の道に当たる高台なので、風がすごいのです。
そのため花木のつぼみも飛ばされてしまい、色目のない庭になってしまっています。
バラのフェンスも倒れてしまいましたし、悲惨な状況です。
しかしなんとか荒れた感じだけはなくなりました。
色目のない地味な雰囲気ですが、週末までには少しは花が元気になるかもしれません。

■スリーA方式認知症予防ゲームへの関心の高まり(2011年9月27日)
スリーA方式の認知症予防ゲームへの首都圏での展開が少しずつ出てきました。
うれしいことです。
コムケアの仲間でもある小田原の時田さんのご尽力で、先週末、横浜で開催された認知症ケア学会でNPO法人認知症予防ネットの高林さんがワークショップを主催しました。
参加した友人によれば、立見席まで出るほどの人気で、これからの展開に大きな期待が持てます。
高林さんもとても喜んでいます。
4月に立ち上げた認知症予防ネットワークのメンバーも動き出しています。
10月には市川でワークショップがあり、その先には20回という長丁場のリーダー研修講座も始まります。
常盤平でも動きがあります。
そんな中で、12月3日に公開フォーラムとゲームリーダー研修講座をネットワークでも開催することになりました。
私たちの方針は、認知症という限定的な視点ではなく、人と人とのコミュニケーションゲームとして、もっと大きな可能性を掘り起こしたいと思っています。
そのための研究会や推進組織も立ち上げる話もあります。
関心のある方はぜひご連絡下さい。

■パオッコとインキュベーションハウスとのミーティング(2011年9月28日)
遠隔地介護に取り組む太田差恵子さんはもう10年以上、パオッコというNPOを拠点に活動をしています。
遠隔地にいる老親の介護に苦労している人は増えています。
これに関して、いち早くその重要性に着目したのが、太田さんです。
しかしNPOを運営していくことはなかなか難しく、太田さんの悩みも耐えません。
パオッコは、私たちがやっているインキュベーションハウスのオフィスに事務局をおいています。
それでその悩みが伝わってくるのです。
インキュベーションハウスとのコラボレーションができるのではないかということで、今日はその1回目のミーティングです。
パオッコの体験知とネットワークは貴重なものです。
それを活かしたソーシャルビジネスを実現させたいと思い出しました。
インキュベーションハウスのメンバーは阿部さんと宮部さんです。
楽しいプロジェクトになるか、辛いプロジェクトになるかは、まだ全く見えてきませんが。

■ゆいの家の高石さん(2011年9月28日)
25日に「ささえあい交流会」を主催してくれた、高崎の「ゆいの家」の高石さんが湯島に来てくれました。
25日の交流会で、「仕事とお金とは分けて考えたほうがいい」という私の話を聞いて、これまでのもやもやが解消したので、そのことをもう少し話したかったというのです。
高石さんは、これまで様々な取り組みをしてきています。
横からそれを見させてもらっていますが、とても柔軟に幅広く発想しているところに共感してきました。
しかし、その取り込みの意味が、今日、高橋さんと話していて少し理解できました。
一人で地道な活動を持続させていくことは、とても大変なことです。
改めて高橋さんのエネルギーに感服しました。
しかし逆に言えば、こういう生き方ができるのが日本なのかもしれないとも思いました。
仕事やお金にかかわる呪縛から自由になると、様々な生き方ができるものです。

■人材育成研究会(2011年9月28日)
今年も企業活力研究所の人材育成委員会の委員を引き受けることにしました。
私はあまり適格者ではないと思うのですが、私にとっては大企業の状況が垣間見える場なので、頼まれたら引き受けることにしています。

今年のテーマは「シニア人材の活性化」です。
シニア世代は活性化よりも若い世代に働き場を提供するために引退すべきだと思っていますが、よく聞いてみると50代以上をシニア世代と定義しているというのです。
50代であれば、活性化は大事なテーマです。

しかし、企業内だけではシニア世代の活躍の場の拡大は限界があるでしょう。
シニア世代の活性化のためには2つの要因が考えられます。
働きやすさと働きがいです。
働きやすさでは両親の介護や家庭問題の支援が不可欠です。
働きがいでは彼ら自身の価値を活かすことです。
後者に関しては、企業内価値だけではなく、社会的価値の視点が重要です。
いずれにしろ企業の内部だけで考えていては限界があります。
いいかえれば、企業と社会の関係までを視野に入れていく事が必要です。
そんなことを発言させてもらいました。

■経営道フォーラム合宿(2011年9月28〜29日)
旧軽井沢ホテルで、経営道フォーラム49期の最終合宿がありました。
私は2つのチームを担当していますが、今期はあまり事前の話し合いをしていません。
いずれのチームにも、一般論としてではなく、自分の問題として考えるように話していますが、その取り組み方はかなり違います。

今回は夕食から参加しましたが、翌朝から議論しようと思っていたら、午後10時過ぎに部屋に呼び出しがかかりました。
みんなが飲んでいるので、顔だけでも見たいというのです。
20分だけという条件で、宴会の二次会に参加しましたが、ついつい挑発に乗ってしまい、12時過ぎまで議論してしまいました。
久しぶりです。
昔の合宿はいつもこうだったのですが。
かつてのKAEの活動を思い出しました。

翌日はお酒を飲まずに議論し、各チームの発表を聴いてコメントしました。
チームによって、かなり取り組み方が違います。
その違いがどこから出てくるのか、これも面白いテーマです。

軽井沢は季節はずれのはずなのに、賑わっていました。
10月の軽井沢駅で、こんなに混んでいた記憶はありません。

■「一枚のハガキ」(2011年9月30日)
挽歌の読者が。「一枚のハガキ」のチケットを送ってきてくれました。
新藤兼人監督最後の作品と言われている映画です。
ブログに2日にわたって感想などを書きました。
大竹しのぶが熱演でした。

■オープンサロン(2011年9月30日)
今月のオープンサロンは、思ってもいない鷹取さんが参加してくれました。
鷹取さんとは以前2回ほどお会いしていますが、今回始めてお人柄や生き方を知りました。
とても魅力的です。
鷹取さんも私のフェイスブックの書き込みを読んで、同じ志向を私に感じてくださったそうです。
それで来てくださったのです。
いつかまたゆっくりとお話しする機会があるでしょう。

八ヶ岳住民になった中村公平さんもますますお元気になって参加してくれました。
乾さん、宮部さん、阿部さん、横手さん、そして8時過ぎに福山さんが参加しました。

サロンの後、久しぶりなので、中村さんと福山さんと食事をしました。
中村さんにご馳走になってしまいました。

中村さんは最近、空海に興味を持っているそうです。
山で暮らしていると関心事も大きく変わるようです。
中村さんは、いまはテレビも新聞もない生活をされているそうです。
その潔さに感心します。
でもまあ中村さんは中村さんでした。

■我孫子手づくり散歩市1日目(2011年10月1〜2日)
今日から恒例の我孫子手づくり散歩市です。
わが家の庭にある娘のジュンのスペインタイル工房も、会場になっています。
メイン会場から離れている飛び地なので、やってくる人は少ないです。
それでわざわざ立ち寄ってくださった方には私が庭で珈琲サービスをするのが恒例なのです。

今日は肌寒く、散歩日和でなかったせいか、飛び地会場のわが家に顔を出してくださった人は多くはありませんでした。
ジュンが最近忙しくて、あまり案内なども出していなかったのも一因のようです。
私は今はこのイベントの運営には全く関わっていませんが、年々廃れてきているようで、とても残念です。
このままだと他の行事に吸い込まれて消えてしまいそうです。

それはともかく、今回は私のフェイスブックの書き込みを見てやってきた人たちがいました。
その一人が櫻井さんです。
初めて櫻井さんとゆっくり話しました。
櫻井さんの考え方と夢にとても共感しました。
なにか私でも役に立てることがあればと思います。

櫻井さんは、珈琲のお礼だといって、ご自身が最近、築地本願寺の朝市で販売しているという「リンバージャック」という打楽器をくれました。
アメリカ・アパラチア山脈に伝わる伝統的な打楽器だそうです。
かわいいタップダンス人形と板をぶつける打楽器なのです。
高い珈琲になってしまいましたが、遠慮なく貰いました。
櫻井さんは、またこのコーナーに登場するでしょう。

最後に来たのはアコバの飯野さんと桐山さんです。
我孫子の市民活動に関して、お2人の構想をお聴きしました。
いくつかの意見も述べさせてもらいました。
話が弾んですっかり遅くまで話してしまいましたが、おかげで身体が冷え込んでしまいました。
今日は野外カフェには向かない日でした。
寒くなって、皆さんが帰った後、急いでお風呂に入りました。
風邪をひかないといいのですが。

明日も手づくり散歩市は行われます。
昨年も来てくれた和紙が大好きなローレルさんが来てくれるそうです。

(2011年9月第3週)
■寄付の相談(2011年9月18日)
■「経済学の船出」(2011年9月19日)
■経営道フォーラム49期Eチーム(2011年9月20日)
■インキュベーションハウス復活計画(2011年9月20日)
■台風15号(2011年9月21日)
■経営道フォーラム49期Dチーム(2011年9月22日)
■認知症予防フォーラム実行委員会(2011年9月22日)
■お金のない生活(2011年9月22日)
■お彼岸の墓参り(2011年9月23日)
■悩ましい問題(2011年9月24日)

■寄付の相談(2011年9月18日)
会社を経営している友人から電話がありました。
今期は利益が予想より少し多く出そうなので、東北を支援しているNPOに寄付したい。
社員がみんなで汗して実現した利益なので、社員が納得できるところを探しているというのです。
20人弱のとても良い会社です。
実は少し前から頼まれていたので、いろいろと当たってみましたが、社会活動の評価は人それぞれですから、私としては社員みんなでサバしてみんなから提案させるのがいいと話していました。
そして、それなりの進め方も提案していました。
私は、お金だけを寄付するということにはあまり賛成ではないのです。
そのマイナス面を感じてしまうからです。
しかし残念ながら、社員はみんな忙しいのでそれは難しいというのです。
難しければやる価値があるというのが、私の考えなのですが、まあ現場の人が言うのですから反論はできません。
それで私がここは絶対に大丈夫というところを推薦しました。

こうした動きがたぶんいろんなところで起きているのでしょう。
それが経済の流れを変えてくれるといいのですが。

■「経済学の船出」(2011年9月19日)
経済の流れに関して、面白い本を読みました。
安冨歩さんの「経済学の船出」です。
安冨さんは東大の教授ですが、こういう人が東大にも現れたのは時代を感じさせます。
実に痛快です。
本音で、しかも自分の心で語っているからです。
私には痛快でしたが、人によっては「トンデモ学者」と思う人もいるらしいです。
そんな話も本書には登場します。

安冨さんは自らの立場をドラッカーに倣って社会生態学と位置づけています。
ドラッカーをとても評価しています。
私はドラッカー嫌いですが、安冨さんが評価するのであれば、考え直そうかと思い出しました。
それほど説得力と面白みのある本です。
たぶん好き好きはあるでしょうが。

■経営道フォーラム49期Eチーム(2011年9月20日)
経営道フォーラム49期のEチームのメンバーがやってきました。
いろんな議論をしました。
すでに大きな報告書のアジェンダもできているので、残念ながら枠組みの転換はできませんが、そこに込めるメッセージはこれからのようです。
問題を解くことよりも問題を創ること、まとめるよりも発想を広げて遠くまでみることが大切な時代なのですが、やはりみんなまとめようという意識が働くようです。
もう少し早い時期に議論したかったですが、それでも面白い議論ができました。
テーマのポイントは「良い会社」です。
これはかなり難解なテーマです。
来週の合宿で、続きをやることになっています。
大企業の置かれている状況が、手に取るようにわかるのが面白いです。

■インキュベーションハウス復活計画(2011年9月20日)
インキュベーションハウスで新事業に取り組もうということになりました。
プロジェクトメンバーは、阿部さんと宮部さん。
テーマは福祉です。
今日はメンバーで情報を共有化しました。
来週、パートナー候補とのディスカッションです。
久々のソーシャルビジネスへの挑戦です。

■台風15号(2011年9月20日)
台風15号が来ました。
午前中歯医者だったため今日はオフィスでの約束をいれずにいたおかげで、在宅でした。
オフィスに行っていたら、帰宅難民になっていたでしょうが、今回もまた回避できました。
しかし、すごい雨風でした。
今回はうっかり何の対策もせずに、気がついたらすでにすごい風が襲来していました。
あわてて庭のテーブルや植木鉢の整理を始めましたが、すべって転倒してしまいました。
もう少しで脳震盪でしたが、幸いに頭をぶつけずに、腕に内出血のこぶができただけでした。
しかしびっしょりで、そのままお風呂に入りましたが、夜になってまた大きな音がしました。
出てみたら壁に沿わせていたバラのフェンスがはずれて飛びそうになっていました。
外に飛んでいったら大変なのであわてて外そうとしたら、大きなバラだったのでトゲが全身に刺さり、動けなくなりました。
何とか助けだされましたが、また全身びっしょりです。

その後もいろんな音がしましたが、もう諦めました。
翌朝、屋根のかわらが割れていました。
上の高台のお宅のベランダから飛んできた容器で割れたようです。
いやはや大変な台風でした。

■経営道フォーラム49期Dチーム(2011年9月22日)
一昨日に続き、経営道フォーラム49期Dチームの2人がやってきました。
内容の議論と言うよりも、何となく来たようなので、私も何となく対応しました。
もっとも話の内容はかなり強烈な言い合いだったようにも思います。
そろそろ私も経営道フォーラムからの引き時かなと思い出しました。
最近、言葉が通ずるようになってきたと思っていましたが、どうも私の勘違いだったようです。
企業はどうも本気で自らを変えるつもりがないようです。
経営道フォーラムに参加している企業だけで判断しているわけではないですが、最近また無力感に襲われています。

■認知症予防フォーラム実行委員会(2011年9月22日)
スリーA方式の認知症予防ゲームが、首都圏でもじわじわと広がりだす気配があります。
NPO法人認知症予防ネットの高林さんも最近は首都圏でお話しする機会も増えてきました。
今週末も横浜で行われる日本認知症ケア学会でワークショップを開催します。
間違いなく参加者は魅了されるでしょう。

11月下旬に、コムケアでも東京で2回目のフォーラムを開催します。
その実行委員会も今日が3回目です。
毎回熊本から吉本さんが参加してくれるのは感激ですが、吉本さんと何か一緒に発展計画を構想できないかと思っています。
今回はそのヒントが見えてきました。
認知症予防に限らない、広義のコミュニケーションゲームの開発です。
吉本さんはその分野の実践者です。
一応、私もファシリテーションを仕事の基本にして20年やってきました。
今時の技法だけの資格者とは違うという自負もあります。
しかし今時の技法も否定はできません。
それも含めて、心の入った高林さんのノウハウや知恵を踏まえたコミュニケーションゲームができればと思います。
もちろんここでいう「コミュニケーションゲーム」は形だけのゲームではなく、実践も含めた生きたゲームを意味しています。
そのプロジェクトチームができると思います。
関心のある人は参加してください。

■お金のない生活(2011年9月22日)
先日読んだ「経済学の船出」に、ハイデマリーの実験の話が紹介されていました。
ブログに書いたのですが、ハイデマリー・シュヴェルマーというドイツ人女性が4年間実践した「お金なしの生活の実験」です。
彼女は1996年に、ほとんどすべての所有物を手放し、アパートを引き払い、健康保険さえも解約し、仕事も辞めて、「お金なしの生活の実験」を開始したのです。
もしそれが本当であれば、私が理想として実現できていない暮らし方をすでにやっている人がいるわけです。その記録を書いた本がるというので早速読みました。
「食費はただ、家賃も0円!お金なしで生きるなんてホントは簡単」(角川書店)です。
考え方は私とほぼ同じです。
違いは、頭で考え少しずつその暮らしに向かっているか、実際に一挙でやってしまうかです。
彼女の潔さはすごいです。
私にはできそうもありません。
しかし読んでいて、彼女が結局はお金の呪縛から離れられていないようにも感じました。
もちろんお金を否定する必要はありません。
しかしちょっと割り切れない気持ちが残りました。
私は無理をせずにゆっくり進むことにします。
生きているうちにはあまり先には行けないと思いますが、まあ来世もありますし。

■お彼岸の墓参り(2011年9月23日)
お彼岸でした。
3週間近くお墓参りをさぼっていました。
先週、娘たちが行ってくれたら、花かご会の人たちが駅前の花壇の花を供えてくれていたそうです。
今日はお彼岸なので、私も行きました。
あれほどすごい風だった台風だったので、花はみんな飛んでしまっただろうと思っていたら、花は元気に残っていました。

■悩ましい問題(2011年9月24日)
先週からかなり「重い」相談が増えています。
3.11以降、そういう話が増えています。
メールやら面会やら、電話やら、いろいろです。
同時になぜかみんな忙しそうです。
忙しくしていて、いいことはないはずですが、忙しそうです。
この私さえ、時々、忙しいかなと感ずる事があるほどですから。
忙しいと何も考えないで済むから、楽なのです。

生き方の呪縛を捨てると人生は違う展開をしていきます。
一挙に今の人生を捨てる必要はありませんが、
たとえば、できるだけ早い時期に「原発」は止めると考えるかどうかなのです。
その最後の決断をする事がビジョンです。
それがない限り、実はなにも解決しないのですが、みんなそこに思いを馳せません。

生き方といえば、仕事への取り組み方でも最近、あまり気分がよくありません。
みんな余裕がないのかもしれませんが、仕事に取り組む姿勢が崩れてきているような気がしてなりません。
気が削がれることが増えています。
時代が変わってきたのでしょうか。

(2011年9月第2週)
すごい残暑が襲ってきました。
■原発の安全性(2011年9月13日)
■牡牛信仰(2011年9月13日)
■未来新聞(2011年9月13日)
■平日のささえあい交流会(2011年9月13日)
■宮古のさんま(2011年9月13日)
■FOSミーティング(2011年9月14日)
■ソーシャルビジネスサロン(2011年9月14日)
■あゆみあいネットワーク(2011年9月15日)
■ベンチャー企業の悩み(2011年9月16日)
■古希世代フェイスブックカフェ(2011年9月17日)

■原発の安全性(2011年9月13日)
佐藤R&Dの佐藤国仁さんが久しぶりに湯島に来ました。
佐藤さんは、教育、安全、倫理の3つの要素を有機的に関連させることで技術および技術者の価値を高めることを目指した活動に取り組んでいます。
国仁さんとはNPO法人科学技術倫理フォーラムで知り合いましたが、
先日、そのNPOの総会で原発事故問題が話題になりました。
原発事故およびその後の対応に関する意見は、多分私とかなり重なっているように思います。それもあって、一度、お話しようと言うことになっていたのです。

日本には日本技術士会という組織があります。
今回の原発事故とその後の対応を通して、「技術者への信頼」は大きく揺らいでいます。
テレビで盛んにチェルノブイリのようにはならない、大丈夫だといっていた多くの学者たちが嘘をついていたことは明らかになりました。
もし嘘をついていなかったのであれば、不勉強な似非専門家としか言いようがなく、学位を返却すべきだと私は思いますが、そういう人が出てこないところを見ると、みんな嘘つきだったわけです。
私は、この場に及んでなお、動きを起こさない日本技術士会という組織を信頼しませんが、国仁さんも、その技術士会のメンバーなのです。
国仁さんはいろいろと努力はされているのですが、組織を相手に活動することの大変さは、私もよくわかります。
しかし、だからそれでいいわけではありません。

まあ、そんな話ばかりしていたわけではないのですが、いろいろと刺激を受けました。
挙句の果てに、いささか公言をはばかれる難しい宿題までもらってしまいました。
さてさてこの問題はどう動けばいいのでしょうか。
悩ましいです。

■牡牛信仰(2011年9月13日)
ギリシア神話に造詣の深い天体写真家の橋本さんはトルコに転居することになりました。
出発前に湯島に来てくれました。
橋本さんは写真家ですが、同時にギリシア神話やオリエント神話に造詣が深く、古代の謎解きにも取り組んでいます。
実はすでに大著の原稿も出来ています。
私も一部、読ませてもらったことがあります。
そこに出てくるのは牡牛信仰に込められた真実です。
いつかその著作は出版されるだろうと確信していますが、もうしばらくかかりそうです。
テレビのドキュメンタリーにしてもおもしろいものができると思うのですが、関心を持ってくれるところがまだ出てこないようです。

今回は、橋本さんが私に紹介したいと友人を連れてきました。
そのため、橋本さんとの話はあまりできませんでしたが、パワーが溜まってきているのを感じました。

橋本さんの写真はともかく素晴らしいです。
彼のホームページをぜひご覧ください

■未来新聞(2011年9月13日)
橋本さんが紹介してくれたのが、森内真也さんです。
未来新聞を主宰しています。
未来新聞については、そのサイトをご覧ください。
簡単に言えば、未来の時点にたって報道するというものです。
その開かれた仕組みを森内さんが構築して、最近公開したのだそうです。

その話から入って、実に刺激的な話に広がりました。
森内さんとの共通点もいくつか見つかりました。
マトリックスからアカシックレコードまで、さまざまな話も面白かったですが、時空間を超えて森内さんが発想しているところが、とても共感できました。
昨日の次に今日があり、今日の次に明日があるなどと考えていたら、未来新聞は退屈になるでしょう。
いろんな話があまりに飛び交ったので、記録する気にはなりませんが、面白い2時間半でした。

森内さんはまた、トラウマ克服法も開発しているそうです。
この話はいつかまた。

■平日のささえあい交流会(2011年9月13日)
ささえあい交流会を久しぶりに平日の夜開催しました。
自殺のない社会づくりネットワークの交流会と一緒にしたために、最近はずっと休日の午後だったのです。
しかし平日の夜のほうが参加しやすい人もいます。
コムケア関係の人たちはむしろそれに慣れていますので、いちど、それでトライしてもらいました。
おかげで、いつものメンバーでない人が2人参加してくれました。

今回は自殺防止ネットワーク風が10月に主催するシンポジウムの話題になりました。
その案内をお知らせに掲載しますので、関心のある方はご参加ください。
私も事務方で参加します。

■宮古のさんま(2011年9月13日)
ささえあい交流会の始まる前に、宮古のさんまが振る舞われました。
東北で活動している、自殺のない社会づくりネットワークのメンバーの太長根さんが送ってくれたのです。
事務局長の福山さんが、それを自ら塩焼きにして持ってきてくれました。
おいしいさんまでした。
みなさん、宮古のさんまを応援しましょう。

■FOSミーティング(2011年9月14日)
恒例のFOSミーティングです。
話し合いのテーマは、難しくて重いテーマですが、なぜかこのメンバーで話していると軽い話になってしまいます。
このプロジェクトはなかなか公表しにくいのですが、面白い要素をたくさん含んでいます。
いつか公開したいですが、まだしばらくはダメなようです。
関係者がいるものですから。

■ソーシャルビジネスサロン(2011年9月14日)
「改めてソーシャルビジネスを考えるコムケアサロン」がスタートしました。
いわき市でソーシャルビジネスの講演をする予定の大川新人さんが、その前にコムケアのサロンで話して、参加者からのアドバイスをもらいたいというので、大川さんの話題提供での話し合いをやりました。
最近、大川さんもソーシャルビジネスに関して問題意識を持ち始めているようです。
それでコムケアサロンでしばらく「ソーシャルビジネス」シリーズをやることにしました。
今日はその第1回でした。
10人を超える参加申し込みがあったのですが、前日から当日にかけて、急に参加できなくなったという連絡が入りだしました。
なんと7人の方が参加できなくなったのです。
こんなこともあるのです。
それで5人のミニサロンになりましたが、おかげで深く議論できる場にもなりました。

さて次回はどうしましょうか。

■あゆみあいネットワーク(2011年9月15日)
自殺のない社会づくりネットワークのメンバーでもある大阪の岡崎さんが、いま大阪を中心に「あゆみあいネットワーク」を育てようと取り組んでいます。
そのきっかけは昨年4月に開催した大阪でのささえあい交流会です。
そこに私も参加しましたが、それを契機に岡崎さんが活動を始めたのです。
そして行き着いたのが「あゆみあいネットワーク」です。
ゆっくりと、しかし着実に動き出しています。
一度、私も応援しに行こうと思っています。
何しろこの半年、東海道新幹線に乗っていないものですから。
3.11以来、動けなくなっていました。

■ベンチャー企業の悩み(2011年9月16日)
マーケティング関係のベンチャー企業をやっていた小山石さんは、いまちょっと苦労しています。
小山石さんだけではありません。
私の周辺の個人企業の多くは仕事が激減しているのです。
その一方で、個人でクリエイティブな仕事をしている人には仕事がきているようです。
ただしその場合も仕事の金額は低下しているようです。
つまりクリエイティブ産業も構造変化しているといっていいかもしれません。
その良い面もありますが、心配な面もあります。

その一方で、地道に開発や営業をしてきたものづくりの中小企業は好調のようです。
利益があがったので、東北支援のためにどこかに寄付したいが相応しいところはないかといった相談も来ています。
そうした面からも、いろんなことを感じます。
中途半端なクリエイターではなく、心身に汗をかいてがんばっているものづくりの現場の人たちがもっともっと報われる社会になってほしいです。

■古希世代フェイスブックカフェ(2011年9月17日)
最近フェイスブックをはじめるシニア世代も多いですが、フェイスブックである人が古希世代のフェイスブックの勉強会をしてくれないかと言ってきました。
私もフェイスブックをよく知っているわけではありませんが、楽しんでいるのが伝わったのかもしれません。
それで、勉強会ではなく、みんなで学び会う場であればやってもいいと思い、古希世代フェイスブック相互学び合い会を開催することにしました。
「FBカフェ」と呼ぶことにしました。
10月9日に開催します
定員は10人以内ですので、すぐ埋まるかもしれませんが、そうであれば2回目も開催します。
興味ある方はご連絡ください。

フェイスブックはシニア世代にとっても面白いメディアだと思います。

(2011年9月第1週)
夏ばてかもしれません。
■オフィスの資料整理(2011年9月5日)
■台風12号(2011年9月6日)
■夏ばて(2011年9月7日)
■福祉と農業(2011年9月8日)
■技術者交流サロンがスタートしました(2011年9月8日)
■STRAMDチームとのディスカッション(2011年9月10日)
■共済研究会(2011年9月10日)

■オフィスの資料整理(2011年9月5日)
湯島のオフィスで時間があったので、書類の整理をしました。
徐々に書類をなくしているのですが、なかなか整理は進みません。
どうしてもまだ未練があるのです。
それに書類は捨てた途端に必要になることが、これまで何回もありましたので、慎重になってしまうのです。
しかし書類などないほうが仕事はやりやすいのかもしれません。
この歳になって、資料や書類に依存するようでは、なんのために歳をとったのかわかりません。
思い切って捨てないといけないとは思うのですが、難しいものです。

■台風12号(2011年9月6日)
台風12号の被害が甚大です。
ゆっくりとした足取りだったので、大雨での水害が続出しています。
悪夢の再来を思わせます。
私が住んでいる我孫子は被害はありませんでしたが、和歌山県の被害はこれまでになかったすごさです。
自然の威力をまた実感させられました。

■夏ばて(2011年9月7日)
どうも夏の疲れが出てきたようで、どうも動きが悪いです。
最近はチビ太荷真夜中起こされることは少なくなったのですが、眠くて仕方がありません。
かといって、眠れるわけではありません。
ただ疲労感があるのです。
歳には勝てないのかもしれません。

■福祉と農業(2011年9月8日)
熊本の明篤館の宮田さんが久しぶりにやってきました。
1年半ぶりだそうです。
この間、いろいろとありました。
宮田さんは障害を持っている人たちのための居住型施設やケア施設をやる一方、スリランカの農業支援をやっています。
農業の専門家でもあるのです。
福祉と農業、まさにこれからの時代を考えていく上での鍵を握っている2つの世界に通じている人です。
彼と話していると次々と話が広がります。

最近は福島の被災地にある作業所の支援活動もやっているようです。
実にエネルギッシュです。
彼と会った最初の言葉は、チビ太くんはその後どうですか、でした。
チビ太の努力を見てくれたのです。
彼の息子が、チビ太のその後を心配してくれているそうです。
残念ながら私の心配はしてくれていないようですが。

福祉と農業を重ねたところでの、新しい風を宮田さんは起こしてくれると思いますが、まだもう少し時間がかかりそうです。

■技術者交流サロンがスタートしました(2011年9月8日)
技術者交流サロンの準備会を呼びかけたら、いろいろと反応がありました。
今日は10人の人が集まりました。
多彩です。
久しぶりに写真を掲載します。

初回だったので、自己紹介をした後、気楽な話し合いをしました。
何しろサロンですので、話し合いを楽しむのが目的です。
集まったのは、TDK、富士ゼロックス、東レなどの大企業の技術者。
コミーや知財務株式会社などの中小企業やベンチャーの経営者。
技術関係の仕事にも関わっている会計士。
フェイスブックで知り合った人などです。
たくさんの面白話がありましたが、私は記録を全くとらないタイプなので、報告はうまくできません。
ただただ面白かったです。

印象に残った話はいくつかありますが、
明治23年創業の会社を整理したという人がいました。
ちょうど今日が会社資産の競売日だそうです。
明治23年です。
気になります。
いつかじっくりと聴きたい話です。

下駄の話や畳の話も出ました。
ともかく面白かったです。
それで毎月やることになりました。
ゆるやかなネットワーク組織も生まれそうです。
関心のある人は声をかけてください。
次回は10月13日です。

■STRAMDチームとのディスカッション(2011年9月10日)
STRAMD第2期生の5人が湯島に来ました。
取り組んでいる問題が、コモンズの要素を持っているので、私と意見交換したらどうかと、中西さんと金子さんから勧められたそうです。
STRAMDはいま、チームごとに課題研究に取り組んでいるのです。
大きなテーマは、東京のタクシー」です。
前に中西さんからもお聞きしていましたが、面白いテーマです。
最初はとまどったことでしょう。
このチームは、問題を大きく捉えているようです。
競い合いのようなので、議論の内容は書くのはやめます。

いろいろと意見交換しましたが、感ずることはいつも同じです。
こうした自由な話し合いの場が、最近は少なくなってきているのではないか、という思いです。
湯島ではさまざまな集まりをしていますが、私には日常的な場を新鮮に感ずる人が少なくありません。
世の中のほとんどの問題は、当事者の話し合いで解決すると考える私にとっては、もっともっとこういう話し合いの文化が広がればいいと思っているのですが。

しかし休日の、それも午前中に、わざわざ湯島までやってくる若い世代の人たちの情熱には感心します。
私たち世代にできることは、彼らをエンカレッジすることくらいです。
このチームがどういう提案を出すか、ちょっと楽しみです。

■共済研究会(2011年9月10日)
なかなか日程が合わずに参加できないでいる共済研究会の定例会に参加しました。
2つの講演があった後、話し合いでした。
最初の講演は、富沢賢治さんの「国際協同組合年と協同組合憲章の意義」でした。
国連は来年を国際協同組合年と定めていますが、日本ではまだあまり話題にはなりません。
おそらく「協同組合」という言葉がよくないのかもしれません。
あまり前向きのイメージを持つ人は少ないかもしれません。
しかし、その理念や組織原理は、これからの主役になってもおかしくないと思っています。
富沢さんはまたCBO(community based organization)がこれからは基本になるのではないかとも話されました。
これは組織原理のパラダイムシフトにもつながりますが、同時にサブシステンス経済への転換も含意しているように思います。
2つ目の講演は日本共済協会の佐野孝裕さんの「漁村地域の復興について」でした。
これも実に刺激的でした。
特に宮古の重茂漁協の漁船シェアリングによる復興への取り組みに感激しました。
そこにまさに「共済の文化」を見たからです。
この発想をベースにすれば、東北の復興は日本経済を新しいものに進化させられるでしょう。
しかし現実はさらなる金銭経済へと向かう形で復興は進められています。
不謹慎ですが、復興バブル、原発事故バブルで、大きな利益を上げている企業は少なくないでしょう。

終了後、共済研究会のコアメンバーで懇親会でしたが、これも久しぶりに参加しました。
残念ながらメンバーはどうも常連のようです。
私には全く肌は合いませんが(私はかなりこうしたビジネス関係者の世界から脱落してしまっています)、面白かったです。
青山学院大学の本間さんに、共済の文化をしっかりと考える研究会を別途立ち上げて欲しいと勝手な提案をさせてもらいました。
本間さんも超多忙な人ですが、きっと新しい動きを始めてくれるでしょう。

(2011年8月第5週)
夏の疲れが出てきたのでしょうか。
いささかダウン気味が続いています。
■ミニ花火大会(2011年8月28日)
■民主党代表選(2011年8月29日)
■「五弦琵琶」(2011年8月30日)
■日本経営道協会の市川さん(2011年8月30日)
■日立グループのお2人(2011年8月30日)
■KAE中間発表会(2011年8月31日)
■陸山会事件に関する石川さん講演会(2011年8月31日)
■タグラボ開発者の西さん(2011年9月1日)
■最近の大学生事情(2011年9月1日)
■スリーA方式認知症予防フォーラム実行委員会(2011年9月1日)
■4回目の命日(2011年9月3日)

■ミニ花火大会(2011年8月28日)
今年は手賀沼の花火大会は中止でしたが、代わりの手賀沼のかっぱ祭のフィナーレに30分ほどのミーティングに花火大会がありました。
やはり花火大会は規模によって印象は全く違います。
会場はいつもの通りだったので、今回も屋上から見せてもらいました。

■民主党代表選(2011年8月29日)
民主党代表選なので在宅して、ずっとテレビの中継を見ていました。
3時間は持ちましたが、そこで飽きてしまいました。
5人の候補のスピーチは、むすめが「僕が政治家になったわけ」という、青年スピーチ大会だと評したように、一国の首相の座を書けたスピーチにしてはいかにもお粗末でした。
たとえ嘘でもオバマ大統領のスピーチは人を鼓舞しましたが。

予想通り、野田さんになりました。
5人の候補の中では一番まともな対応をしていたように思います。
しかし日本の政治は相変わらずの路線をとり続けることになりそうです。

■「五弦琵琶」(2011年8月30日)
東レコーテックスの会長だった塚谷誠さんが句集を送ってきてくれました。
「五弦琵琶」が、その句集の書名です。
その名前に惹かれて、ついついすべてを読ませてもらいました。
塚谷さんのお人柄や会社を引退した後の生活がライブに伝わってくる感じです。
ブックのコーナーに紹介させてもらいましたが、俳句のよさが始めて少しわかりました。

■日本経営道協会の市川さん(2011年8月30日)
先日、市川さんから電話があったのですが、しばらく会っていなかったので、日本経営道協会に行きました。
たまたま奥様もいました。
お2人ともいたってお元気そうでした。

市川さんは8月に2週間ほど荒船山に行でこもっていたのです。
その写真も見せてもらいました。

市川さんは経営哲学堂をつくりたいと構想しています。
その構想の概要はすでにできており、その準備室までもうつくっているのです。
その部屋も見せてもらいました。
私の趣味ではないですが、講荘その喪には共感するところがあります。
どなたか遺産の使い道に困っている方がいたら、市川さんに10億円ほど寄付してやってもらえないでしょうか。
10億円くらいあれば、この構想は動き出せそうです。
どなたかいないでしょうか。
ご連絡いただければ、すぐに市川さんに行ってもらいます。
これは冗談ではなく、真面目な話です。
念のため。

■日立グループのお2人(2011年8月30日)
経営道フォーラム49期生のお2人が、明日の中間発表会を前にやってきました。
お2人ともなぜか日立グループの関係の方でした。
49期生の方が湯島に来るのは初めてです。
最近はみんな形にならないと相談に来ない傾向が強いです。
形になったものには、私はほとんど興味を持てませんから、どうもやりずらいです。
お2人はたぶん混乱しただろうと思います。
でも少しは、もやもやが解けたかもしれません。
納得できないことをやってはいけないというのが、私のアドバイスですので。

■KAE中間発表会(2011年8月31日)
経営道フォーラム49期の中間発表会でした。
毎回書きますが、こうした発表会に参加すると、企業の現状がよくわかります。
おそらく日本の企業は経済のパラダイムシフトはおろか、グローバリゼーションの動きにもうまく対応できないのではないかと危惧します。
もっとアントレプレナーシップを育てなければ、この状況は乗り越えにくいでしょう。
日本は政治も経済も、すっかりアメリカに骨抜きされたように思います。
であればこそ、経営道をもう一度しっかりと考える事が大切です。

■陸山会事件に関する石川さん講演会(2011年8月31日)
小沢一郎議員の秘書の石川さんの講演会を聞きに行きました。
市民連帯の会の主催です。
講演のあとは、市民連帯の会の代表の三井環さんと石川さんの対談でした。
三井さんは、検察の裏金問題を告発して、検察にたたかれている元検事です。
2人に刑事被告人の対談は面白かったです。

石川さんは、テレビで見るとひ弱な童顔で、頼りない感じですが、
今日お話を聴いた感じでは、かなりの人です。
小沢さんを尊敬しているのもよくわかります。
マスコミや検事のひどさを、改めて感じました。
もちろん石川さんの言っていることがすべて正しいと思っているわではないのですが。

■タグラボ開発者の西さん(2011年9月1日)
久しぶりにタグラボの西さんです。
しかし今日は西さんはお2人できました。
息子さんとご一緒です。
そして息子さんの西さんが、実はタグラボの開発者なのです。
いろいろと意見交換させてもらいました。
いよいよタグラボ研究会が始まりそうです。
タグラボは、フェイスブックを補強する効果的な機能を持っているように思います。
面白い展開が期待できます。
ご関心のある方はご連絡ください。

■最近の大学生事情(2011年9月1日)
城西大学の渡辺さんが、自分の教え子に会ってやってほしいといってきました。
渡辺さんは実に誠実な人ですから、可の情報からの頼みであれば、理由がわからなくても、会わないわけにはいきません。
やってきたのは大学3年生の井上大地さんです。
今は、インテリアとイタリアにはまっているようです。
いろいろと話しましたが、最近の大学生が置かれている状況をまた垣間見せていただきました。
ブログにも書きましたが、大学生たちが将来への不安を強めているということを、改めて実感しました。

器用な学生も多く、そうした若者もよく湯島に来ます。
要領のよい学生が生まれるのは、多くの場合、大人たちが甘やかせるからです。
しかしそうした若者は少し話せばすぐ分かります。
湯島では調子を合わせていますが、その後はほとんど連絡もありません。
真実のない若者の将来はおおよそ決まっています。
経済的には成功するかもしれませんが、そんなことは瑣末な話です。
若者に接する大人は、もっと真面目に対応してほしいものです。
私も、注意しなければいけませんが。

■スリーA方式認知症予防フォーラム実行委員会(2011年9月1日)
標題実行委員会の第2回目です。
熊本からわざわざ参加してくれた吉本さんはじめ、7人の人が集まりました。
とても充実した内容の話ができました。
年内に第2回フォーラムを開催できそうです。

しかし、それよりもうれしかったのは、始めて参加してくれた人も含めて、とても気持ちの良い時間を過ごせたといってくれたことです。
その言葉だけで、私は報われた気分です。
次回の実行委員会は9月22日です。
よかったら参加してください。

■4回目の命日(2011年9月3日)
妻の4回目の命日です。
台風のせいもあって、今日はだれも来ませんでした。
例年のように、それなりの準備はしていましたが、ちょっと気が抜けました。
しかし、そのおかげで、娘たちと私だけの静かな命日になりました。
節子の思い出話もでましたし、たまにはこういう命日もいいものです。

(2011年8月第4週)
■支え合い交流会(2011年8月21日)
■チビ太くんの憂鬱(2011年8月22日)
■空海と密教美術展(2011年8月23日)
■技術者交流サロンが始まります(2011年8月23日)
■茨城空港ががんばってます(2011年8月23日)
■施餓鬼供養(2011年8月24日)
■チビ太16歳(2011年8月24日)
■シャーロック(2011年8月24日)
■挽歌を読む人(2011年8月25日)
■認知症ケア施設見学(2011年8月26日)
■ゲリラ豪雨(2011年8月26日)
■オープンサロン(2011年8月26日)
■民主党代表候補共同記者会見(2011年8月27日)

■支え合い交流会(2011年8月21日)
自殺のない社会づくりネットワーク主催の恒例の交流会です。
今回からホストが杉原さんに代わりました。
今回は暑さのせいか、参加者は4人でした。
杉原さんと私と、自殺未遂体験者の吉田さんと自殺防止ネットワーク風の竹下さんです。
お2人は、まさに自殺防止活動のど真ん中にいる人ですから、久しぶりにゆっくりと話ができました。
このささえあい交流会は一時期、コムケアの支え合いサロンと合流させたのですが、
やはりちょっと雰囲気が違うため、最近はコムケアはあまり呼びかけていません。
しかし、自殺のテーマで固まってしまうと広がりが出てきません。
悩ましい問題です。

■チビ太くんの憂鬱(2011年8月22日)
チビ太の夜鳴きが止まりません。
これでは私や娘がダウンしかねませんので、お医者さんと相談して、睡眠導入薬を少し飲ませるようにしました。
栄養剤とか薬とか、いろいろと大変です。
歳をとると薬のお世話になるというのは、どうも違和感があるのですが、相手が犬では話し合いができないので仕方がありません。
しかしこれでわが家の家計はますます苦しくなるようです。
それにしても薬は高いです。
人間の薬もそうなのでしょうが、保険のおかげでそれが見えなくなっているわけです。
それがいいことかどうか。
考えなければいけない問題かもしれません。

■空海と密教美術展(2011年8月23日)
上野の国立博物館で開催されている「空海と密教美術展」に行きました。
なかなか見応えがありました。
東寺の仏像を8体ほど使った、ミニ空間曼荼羅もありました。
そこで少し過ごしましたが、寺院とはまた違った雰囲気でした。
残念ながら東寺の不動明王は来ていませんでしたが、怒りの仏像も多く、空海の気持ちに少しだけ触れたような気もしました。
それについてはブログにも少し書きましたが。

今回の展示で、しかし、私が一番気にいったのは、醍醐寺の大威徳明王が乗っていた牛の眼差しでした。
怒りの雰囲気の中で、すがすがしい眼差しが実に印象的でした。
フェイスブックで全国に発信しておきました。
もし行かれる方はお見落としありませんように。

■技術者交流サロンが始まります(2011年8月23日)
知財務株式会社の古庄さんがやってきました。
9月の8日に、技術者交流サロンを開催しますが、それもあっての雑談です。
しかし、まあ、サロンはサロンですから、打ち合わせることもありません。
話はいろいろと広がりました。
古庄さんは最近、大学生のグループで講演をしたのですが、好評だったようです。
私もユーストリームで見せてもらいました。

学生は企業や産業界のことをほとんど知りません。
ですから就職の時にミスマッチを起こすわけです。
企業にいる人たちが、もっと大学生たちに話をするような仕組みがあるといいです。
古庄さんに大学生と一緒になって、そうした仕組みを創ったらどうかと、また余計な提案をしてしまいました。

■茨城空港ががんばってます(2011年8月23日)
茨城空港を何とか茨城の元気スポットにしたいと、そこで頑張っている小美玉市の中村さんと高田さんが湯島に立ち寄ってくれました。
あるプロジェクトも進んでいるようで、それに関わっている佐藤総合計画の小宮さんと鉾岩さんもやってきました。
懐かしいメンバーです。

私は茨城空港反対論者でしたが、できちゃったものは活かさなければいけません。
そして活かしようはいくらでもあります。
方法は簡単です。
その施設を活用して面白いことをやろうと思う人を3人集めればいいのです。
これが私の、全てに関する考え方ですが、その3人が見つかるかどうかです。
すべての問題の解決策は現場と当事者の頭の中にあると言う発想です。
一度、ワークショップをやったらどうかとお薦めしました。

■施餓鬼供養(2011年8月24日)
宝藏寺の施餓鬼供養でした。
ここは毎年、8月24日なのですが、毎年暑いので大変です。
兄が最初から参加してくれるというので、今年はちょっとズルをして、終わる頃に行きました。
お寺に着いたら、例年になくにぎわっています。
3.11の影響でしょうか。
気のせいか、例年よりも若い世代が多いのです。

日本の社会は最近壊れてきていますが、それは生きる時間軸をみんなが失いだしたからではないかと思います。
お墓参りは、これまでは基本軸だったと思います。
それが少しずつ見直されているとしたら、これほどうれしいことはありません。

■チビ太16歳(2011年8月24日)
チビ太くんが16歳です。
小型犬ですので、13歳くらいが天寿のようです。
しかしわが家のチビ太は、そんなことな気にせずに元気です。
ただ最近の呆け現象は困りものです。
何しろ寝るのを忘れてしまうのですから
でもまあ16歳を元気に迎えられたのは喜ばしいことです。

■シャーロック(2011年8月24日)
イギリスで人気のテレビドラマ「シャーロック」が3話連続放映されました。
私も以前は、シャーロック・ホームズのファンでしたので、すべてを見ました。
フェイスブックにはいささか反語的に書いたのですが、これまでつくられた映画とはまったく違います。
変人もののホームズが見事に、というよりも過剰にわかりやすく出ています。
かれがいかに「バカ」で「賢い」かもよくわかります。
ホームズを描いた漫画に、いしいひさいちの4コマ漫画があります。
このホームズはボロボロですが、このドラマのホームズはそこまではいきません。
ワトソンは私のイメージとはちょっと違いましたが、まあ許容範囲です。
このドラマは、時代を現代に設定していますので、IT機器も登場します。

しかし、あまりに見事に描かれているので、ホームズファンとしては、いささか不満です。
もう少し彼への愛を持ってほしいと思いたいところです。

■挽歌を読む人(2011年8月25日)
私が毎日書いている「妻への挽歌」に、とんでもない読者が現れました。
偶然に私の挽歌に出会ったのですが、すべてを読むことにしたようです。
1450回を超えていますので、文字数では150万寺前後に達しています。
よほどの思いがなければ、そんな「暴挙」には挑まないでしょう。
しかし、その人は挑んでしまい、すでにもうほとんどを読んでしまったようです。
コメントを投稿してくれたり、メールをくれたりしていますので、ソーシャル・キャピタルの人の状況は私もわかっています。
まだ面識はありませんが、きっとそう遠くない時期にお会いすることになるでしょう。

しかし私の挽歌を短期間にすべて読んでしまうと、私のことをおそらく私以上に知ってしまうでしょう。
お会いするのが、いささか恐くもあります。

挽歌を書いていると、いろんなことが起こります。

■認知症ケア施設見学(2011年8月26日)
群馬医療福祉大学の福山教授に同行して、亀有にある成仁医院にいきました。
認知症および精神障害のデイケアもやっています。
その現場も見せてもらいました。
認知症は重度の方50人と軽度の方20人を預かっています。
いずれもあるプログラムをやっているところでしたが、雰囲気がやはり全く違います。
精神障害のデイケアは、またさらに違います。
私がイメージしていたよりは、いずれも明るかったのでホッとしました。

認知症予防ゲームの体験フォーラムをもう一度開催する予定ですが、たんなるフォーラムではむなしいので、実際に取り組んでくれる施設を探しています。
ここは全面的に協力してくれることになりました。
少しずつですが、前に進んでいます。
ただ応援してくれる人がもう少し欲しいです。
一緒に取り組んでくださる方がいたらぜひご連絡ください。

■ゲリラ豪雨(2011年8月26日)
成仁医院から湯島のオフィスに地下鉄で移動しましたが、湯島の駅で地上に出るとものすごい雨です。
30分ほど何もない駅で待ちましたが、一向に止まないので、近くのコンビニで傘を買ってオフィスに向かいました。
幸いに歩き出したら、雨が少し穏やかになりました。

今日は都心でも各地でゲリラ豪雨が起こったようです。
同行していた福山さんは、温暖化のせいだと盛んに行っていましたが、温暖化論議に疑惑を持っている私としては素直にうなづけなくて、困りました。
しかし最近の豪雨には、天の意志を感じます。

■オープンサロン(2011年8月26日)
オープンサロンでしたが、8月はいつも参加者が少ないのと雨のために誰も来ないだろうと思っていたら、乾さんがわざわざ出かけてきてくれました。
それに横手さんと宮部さん、福山さん。
最近のサロンは、参加者が少ないので、ゆっくり話せますが、どうも私自身が話しすぎる傾向が出てきました。
困ったものです。
宮部さんは最近参加した魚沼の12年ごとの兎年のお祭りの話をしてくれました。
実に示唆に富む話でした。
横手さんは先日テレビで見た「黎明」という福島原発建設の記録映画の話を一部映像を見せてくれながら説明してくれました。
それによるとなんと原発建設時に地盤を20メートル掘り下げたのだそうです。
地震対策ですが、津波には逆に襲われやすくなったわけです。
乾さんは情報通ですが、今回はもっぱらコメント役でした。
私はいつものように、知らないくせに知ったかぶりの話をしました。
福山さんは、男どもの話に退屈していたかもしれません。
私の配慮不足でした。すみません。

■民主党代表候補共同記者会見(2011年8月27日)
民主党代表選に5人が立候補しました。
私がなじめるのは馬渕さんだけですが、流れは前原さんと海江田さんのどちらかでしょう。
いずれも私のは「がっかりの人」です。

今日、2時間を超える共同記者会見がありました。
あまり見たくもなかったのですが、見ておかないと発言することもできないのでしぶしぶ見ました。
やはりまったく面白くありませんでした。
ビジョンや国家像、理念やミッションが、ほとんど語られません。
その多くの理由は、質問者の側にあるのかもしれません。
意味のある質問はほとんどなく、瑣末な方法論やこれまで語られつくされていることばかりを聞いていました。
野田さんがそれに少し苛立ちを見せていたのが印象的でした。
マスコミの政治関係の論説委員はどこもかしこもどうしようもありません。
その点、その前の番組で語っていた、もうろくした田原総一郎さんのほうが面白かったです。

理念のない政治は未来を創りだしません。
改めてそう思いました。
しかし、日本を壊しているのは、マスコミであり、私たちなのです。
悔い改めなければいけません。
さてどうすればよいか。

(2011年8月第2〜3週)
いささか暑さに負けてしまい、社会との接点のあまりない2週間でした。
■みの〜れ物語2に取り組みます(2011年8月11日)
■経営道フォーラムの課題(2011年8月11日)
■迎え火(2011年8月13日)
■認知症予防フォーラム実行委員会(2011年8月14日)
■両親へのお参り(2011年8月15日)
■送り火(2011年8月16日)
■暑さと老犬介護の疲れ(2011年8月16日)

■みの〜れ物語2に取り組みます(2011年8月11日)
小美玉市の文化センターみの〜れの山口館長と沼田さん、井坂さんがまた湯島に来てくれました。
前回、提案した大きな枠組みに沿って、取り組みだすことにしました。
しかしただ本を出版するだけでは退屈なので、もう少し広い取り組みができないものかと思います。
ともかく一度、小美玉市に行くことにしました。

■経営道フォーラムの課題(2011年8月11日)
山城経営研究所の西田社長が湯島に立ち寄ってくれました。
最近、私が経営道フォーラムに関して、「批判的な発言」をしているために、どうやら迷惑をかけているようなのです。
経営道フォーラムには、当初から関わらせてもらっているが故に、思い入れが深く、また時代的な意義の高まりを感じているので、さらに良いものにしたいという、勝手な思いが私にはあるのです。
西田さんと思いはほぼ同じなのですが、どうも私の場合、表現が粗雑過ぎるようです。
困ったものです。
西田さんとはとてもいい話し合いができました。

■迎え火(2011年8月13日)
今日はお盆の入り。
お墓のある宝藏寺に迎え火に行きました。
朝だったのに賑わっていました。
家の精霊棚には、妻の好きだったユリを中心に飾りました。
お隣の方が節子好みの花のアレンジメントを届けてくれました。
わが家は菩提寺から離れたところにあるので、ご住職の手が回らないため、私が代わって、般若心経をあげました。

■認知症予防フォーラム実行委員会(2011年8月14日)
お盆の日なのに、うっかり認知症予防フォーラムの実行委員会を設定してしまいました。
にもかかわらず、3人の人が参加してくれました。
しかもお一人は茨城県の水戸からわざわざ来てくださいました。
私も初対面の方ですが、あおぞらニュータウンひまわり館の岩下馨歌里さんです。
小美玉市の中本さんから紹介され、フェイスブックではすでにつながっていますが、お会いするのはこれが初めてです。
その活動にも興味を感じました。
もう一人は千葉の常盤平で活動している中山慶子さんです。
何回かお会いしていますが、ゆっくりと話すのは今回が初めてです。
そして群馬医療福祉大学の福山さんも参加してくれました。
年内に公開フォーラムを開催することになりました。
私自身は、最近いささか疲れ気味でしたが、皆さんから元気をいただきました。

■両親へのお参り(2011年8月15日)
両親の位牌壇は兄夫婦がまもってくれていますが、お盆で両親も戻ってきているので、娘と一緒に兄夫婦宅にお参りに行きました。
同じ我孫子市に住んでいるのですが、普段はなかなか行く機会もありません。
お互いに、いつなにがあってもおかしくない歳になりました。
もう少し交流しなければと思ってはいるのですが。

■送り火(2011年8月16日)
あっという間にお盆も終わり、送り火の日になりました。
4人で妻をお寺に送ってきました。
今年は、送り火の人でも例年よりかなり多かったような気がします。

■暑さと老犬介護の疲れ(2011年8月16日)
老犬が夜なかなか眠りません。
薬を飲ませていますが、あまり効きません。
それでどうしても誰かがついていないといけません。
ひどいときは明け方まで寝ないのです。
それに加えて、厳しい暑さです。
そのため、最近疲労が積もって、どうも調子がよくありません。
身体的だけではなく、頭のほうもかなり疲れ気味です。
そのせいか、パソコンに向かう気がなかなか起きません。
フェイスブックもしばらく休みました。
本もあまり読めません。
それで最近、テレビばかり見ています。
録画していた「テンペスト」をまとめてみました。
あんまり面白くないですので、こういう状況の時にはちょうどいいです。

というわけで、結果的に今週は私の夏休みになってしまいました。

(2011年8月第1週)
■サロン再開(2011年8月1日)
■スリーA方式認知症予防ゲームの第2回フォーラムを開催します(2011年8月1日)
■ナラティブサロン(2011年8月3日)
■技術者交流サロン(2011年8月4日)
■FOSミーティング(2011年8月4日)
■共済文化サロン(2011年8月4日)
■モチベーション議論(2011年8月5日)
■広島平和式典をテレビで見ました(2011年8月6日)
■ハンマーカンマー異変の再来(2011年8月6日)

■サロン再開(2011年8月1日)
しばらく中断していたいろんなサロンを再開することにしました。
ついでに新しいサロンもスターとさせます。
そう思って、いろいろと書き出してみたら、毎週2回ほどやらないとダメになりそうです。
そうなるとまた途中で息切れしかねません。

それでまずは、手軽なものから再開しようと思い、関係者に打診しました。
そうしたら予想以外に反応がありました。
やはり動くと動かざるを得ないようになるものです。
さてさて、先行きがまた心配です。

■スリーA方式認知症予防ゲームの第2回フォーラムを開催します(2011年8月1日)
サロンではないのですが、4月に開催したスリーA方式認知症予防ゲーム体験型フォーラムが好評だったので、もう一度開催しようと思います。
また前回参加してくださった人たちを中心に新しい動きも出てきていますので、その応援の意味もあります。
今回もコムケアスタイルでの実行委員会形式をとることにし、まずはメーリングリストでお誘いすることにしました。
反応があるかどうか心配でしたが、早速、5人の方から参加したいという連絡がありました。
これも8月中に動き出そうと思います。
サロンではない、この種のもでは大阪での自殺遺児の知人が取り組んでいる集まりも応援することにし、できれば今月、大阪に行こうと思っています。

認知症予防ゲーム第2回フォーラムの実行委員会は8月14日に開催します
誰でも歓迎ですので、よかったら参加してください。
実行委員会と言っても情報交換会なものでもあります。

■ナラティブサロン(2011年8月3日)
3.11で中断していたナラティブサロンは、大きく枠組みを変えたいと思っていますが、
とりあえず区切りをつけるために、一度集まりを持つことにしました。
その呼びかけをしたところ、早速、本村さんから電話がありました。
3.11後のサロンは、本村さんが問題提起する予定だったのです。
しかし彼は世界を飛び回っている若者なので、当分は無理だろうと思っていたのですが、几帳面な彼は責任を感じて電話してくれたのです。
今度はユニセフの活動にも関わるようで、ますます舞台は広がっているようです。
こういう若者が世界を変えて行くのでしょう。
秋にはまた彼にお願いすることにし、とりあえず今回は第2期の締めと位置づけてのサロンをやることにしました。

私としては、第3期はもう少しきちんとした「ナラティブ」コンセプトで展開できればと思っています。
関心のある方はご連絡下さい。

■技術者交流サロン(2011年8月4日)
技術者関係では、以前、技術者倫理をテーマにしたサロンをやっていたことがありますが、
マンネリになったために中断してしまい、そのままになっています。
最近の原発事故を踏まえて、本来は技術者の倫理を考える絶好のチャンスなのでしょうが、それを語るにはちょっと荷が重過ぎます。
そんな時、以前、このコーナーに書きましたが知財務株式会社の古庄さんが技術交流を目的とした技術者サロンの構想をお持ちだったので、彼の構想にもつながる形で動き出そうと思います。
近いうちに、このホームページの「お知らせ」に案内を出しますが。ご関心のある方はご連絡ください。
企業を超えた技術者の交流会を考えています。

■FOSミーティング(2011年8月4日)
前に書いたことがあるかもしれませんが、FOSグループというのがあります。
それぞれの名前の頭文字をとって「FOS」なのですが、Sは私です。
あるプロジェクトのために組織されスタートしましたが、ビジネスがらみのために、そのミッションは私の一存では公開できません。
すべてを公開していきたいと思っている私には、いささか不満ですが、関係者に迷惑をかけてはいけません。

そのFOSのミーティングは時々開催していますが、極めてビジネス志向のグループなのに、そこでの話はいつもオフビジネスなのです。
そのせいかなかなか成果があがりません。
しかし、こういうかたちでビジネスを考える場があることは悪いことではありません。
様々な場があればこそ、人生は退屈しないからでもありますが、
そもそも私には「ビジネス」と「オフビジネス」を区別する発想がないからかもしれません。

今日は久しぶりに、そのFOSミーティングでした。
少しは前に進んだような気もしますが。

■共済文化サロン(2011年8月4日)
共済研究会の長谷川さんと大植さんとお会いする予定だったのですが、
せっかくの機会なので、本間さんと相馬さんにも声をかけました。
本間さんは青山学院大学の社会保障の教授ですが、共済の文化への思い入れもお持ちの方です。
相馬さんは全労済で長年共済事業に取り組まれ、その後もずっと研究されている方です。
このお2人が、実は共済研究会の起案者なのです。
「賃金と社会保障」編集部の浦松さんにも声をかけましたが、
あいにく校正時にぶつかってしまい、残念ながら参加されませんでした。

共済研究会では4月にシンポジウムを開催しましたが、
また来年もシンポジウムを開催する予定で、それをどうするかの議論になってしまいました。
まあ予想されたことではあるのですが、正式な運営委員会で議論していてもなかなかお互いに心を開かないので、
まあコムケア的にカジュアルな場を設定したのですが、予想以上に深い議論ができたように思います。
みんなの思いは同じなのですから、当然といえば当然ですが。

それはそれとして、広義の共済文化を考える気楽なサロンをスタートさせようと思います。
前から考えているのですが、なかなか踏み出せずにいましたが、そろそろ頃合です。
「支え合い」や「相互扶助」、これからの生き方を考える、面白いサロンになるのではないかと思っています。

■モチベーション議論(2011年8月5日)
先日、山城経営研究所のエグゼクティブコースで話をさせてもらいましたが、
それを受講したチームの一つが、湯島にディスカッションに来ました。
テーマは「心の人事」ですが、どうやら「個の力を引き出すためのモチベーションをどう仕組んでいくか」に関心が収斂しつつあるようです。
いろいろと話させてもらいましたが、やはりまだみんな当事者としての発想が弱い気がしました。

それに、そもそも「モチベーション」などという発想は、管理用語です。
私はいまのモチベーション議論の根底にある人間観が間違っていると思いますから、なかなか議論は通じません。
ともかくこれまでの経営学はもう捨てるべき時期です。
人事コンサルタントや人材開発プログラムの限界と弊害を考えてもいい時期でしょう。
しかし、あまり過激にこういう話をすると、自己否定にもなりますし、そういう仕事に取り組んでいる友人知人から怒られそうですので、ほどほどにしないといけません、

しかしなぜみんな「管理発想」から抜け出せないのでしょうか。
不思議です。

■広島平和式典をテレビで見ました(2011年8月6日)
原爆投下から66年目の夏です。
広島の平和式典をテレビで見ていましたが、管首相の話で祈りの気分が消えてしまいました。
私には、実に不快なスピーチでした。
これについてはブログで書きましたが、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」のたとえのように、
最近は管首相の顔を見ただけで気分が落ち込みます。
困ったものです。

■ハンマーカンマー異変の再来(2011年8月6日)
私のブログへのアクセスが急増しています。
4日、5日とアクセスが3000を超えています。
原因はテレビで「ハンマーカンマー」が話題になったのだそうです。
テレビの影響は大きいです。
この顛末もブログに書きました
本来的な記事へのアクセスが増えて欲しいですが、
いつもアクセスが急増するのは、私のブログで言えば、「無駄話」のカテゴリーなのです。
いささか不満です。はい。

(2011年7月第4週)
■また気が萎えてしまいました(2011年7月27日)
■八ヶ岳の自然人になった中村さん(2011年7月28日)
■インキュベーションハウスの新事業(2011年7月29日)
■武心道の話を村瀬さんから教えてもらいました(2011年7月29日)
■オープンサロン(2011年7月29日)

■また気が萎えてしまいました(2011年7月27日)
今回はかなり重症でした。
気分がどんよりとしてしまい、どこに向けていいのかわからない怒りを感じていました。
隠遁したらすべては解決するだろうと思ったりしましたが、そうも行きません。
2日間、自然に身を任せ、漸く反転しました。
それにしても最近は私には住みにくい時代です。
なぜ急にこんなにも時代の空気が変わったのでしょうか。
たぶん変わったのは「時代の空気」ではなく、時代を感ずる「私の意識」なのでしょうが。

■八ヶ岳の自然人になった中村さん(2011年7月28日)
今年から家族で八ヶ岳山麓住民になった中村さんが久しぶりに湯島に来ました。
転居して間もなく、3.11が起こりました。
中村さんは私と同年齢ですが、つい最近までばりばりの企業人でした。
かなり一般の企業人からは発想がはみ出していたとはいえ、金融業界に身を置いていたこともあって、その発想は経済人だったように思います。
しかし180度転換して、自然人の道を選びました。
中村さんはまた「記録魔」ですので、今回も、自然人生活から得たさまざまな気づきを書いて持ってきてくれました。
何枚かのメモのうち、私は最後の1行がとても納得できました。
自分を律する信条として、「にっこり、ゆっくり」と書いてあったのです。

半年振りに中村さんは、ヘアスタイルも変え、とても元気そうでした。
その暮らしぶりが伝わってきます。

その中村さんが、返り際に、
佐藤さんは、前のような生き方に戻るのがいい
と言いました。
まさにこれからの時代、そういう生き方がもっと求められるだろうというのです。
前のような生き方が、今の私にできるかどうか、いささかの不安もありますが、まあその方向にまた少し生き方を変えようかと思い出しています。

■インキュベーションハウスの新事業(2011年7月29日)
インキュベーションハウス仲間の阿部さんと宮部さんとめずらしく実務的な話し合いをしました。
あんまりビジネス志向のない3人ですが、なんとかしないとインキュベーションハウスの社長をいつになっても辞めさせてもらえません。
それぞれがもっているものを組み合わせれば、いろんな可能性があります。
まずはともかく動き出すことにしました。
しかしみんなあんまり緊張感がないのが心配です。

■武心道の話を村瀬さんから教えてもらいました(2011年7月29日)
日本経営道協会の村瀬さんが湯島に来てくれました。
先週開催された日本経営道協会の15周年の集まりに、私が急に参加できなくなったので、その話もお聞きしたかったのです。
集まりでは高野山真言宗管長の松長有慶さんがお話されたので、私もぜひお聴きしたかったのです。

村瀬さんのお祖父さんは政治家でした。
村瀬さんは、そのお祖父さんから大きな影響を受けているようです。
当時はまだしっかりした政治家がいた時代だったのでしょう。
すこしだけエピソードもお聴きしました。

風間健さんの武心道の話が出てきました。
フェイスブックで、村瀬さんが風間さんにお会いしたことは知っていましたが、武心道の話までは知りませんでした。
村瀬さんの思いは、なかなかのものだと感心しました。

■オープンサロン(2011年7月29日)
久しぶりに橋本さんが参加してくれました。
勤務している病院とつながっている女川の病院にしばらく応援に行っていた話をしてくれました。
橋本さんらしく、状況に溶け込みながら、生活の時間軸での体験談なので説得力があります。
彼の話を聴いていると、やはり現地に行かなければいけないという気にさせられます。

しかし3.11以来、どんな集まりであろうと、大震災や原発事故の話題から自由にはなれません。
当然といえば当然なのです、最近は思考の偏りへの危惧を感じます。
思考がモノカラーになっているような気もしてきています。
注意しなければいけません。

(2011年7月第3週)
なにやら急に涼しくなってしまいましたが。
■佐々木さんとの風発論議(2011年7月20日)
■共済の岐路(2011年7月20日)
■社会教育も岐路(2011年7月21日)
■新潟の金田さんもまもなく喜寿(2011年7月21日)
■映画「インセプション」(2011年7月21日)
■すぎの農園の梨(2011年7月22日)

■佐々木さんとの風発論議(2011年7月20日)
韓国の佐々木さんの再訪です。
先々週もお会いしましたが、ちょっと話したりなかったこともあったのです。
話しているとお互いにやりたいことが意識化されます。
私も佐々木さんも、誰かと話し合うことで実行に踏み切れるタイプなのかもしれません。
今日は少なくとも2つのプロジェクトが姿を現わしてきました。
動き出せばたぶん楽しいプロジェクトになるのでしょうが。
さてさてどうなりますか。
なにしろ私と佐々木さんのことですから。

■共済の岐路(2011年7月20日)
佐々木さんが時間が取れるとのことだったので、青山学院大学の本間さんとワーカーズコープちばの菊地さんに声をかけて会食することにしました。
本間さんと佐々木さんは共済研究会を立ち上げたコアメンバーですが、
佐々木さんが韓国に転居したので、会う機会も少なくなったようです。
佐々木さんと菊池さんとのつながりは、希望製作所です。
佐々木さんが希望製作所の創立者でもある朴元淳弁護士に会ったことをフェイスブックに書いたら、菊地さんから自分もNPO日本希望製作所に関わっているという書き込みがあり、それでお2人をつなげたのですが、今回は実際にお引き合わせしたかったのです。
話はいろいろとでましたが、菊地さんの思いをいろいろと知ることができ、私にもとてもいい会になりました。
いま日本の共済の文化が岐路にあるというのが、全体の話の基底だったような気がします。

■社会教育も岐路(2011年7月21日)
「社会教育」編集長の近藤さんが久しぶりに湯島に来ました。
この雑誌には私も以前は何回か登場していますが、最近は編集方針が変わってしまい、私には縁のない雑誌になっていました。
近藤さんも危機感を持っているのですが、なかなか変えられずにいるようです。
変えたければ変えればいいだけの話だと私は思いますが、そう簡単ではないようです。

しかし雑誌を取り巻く環境も、社会教育の分野の状況も、この数年で様変わりです。
社会教育も岐路にあります。
新しい風を起こしてほしいと思っているのですが。

■新潟の金田さんもまもなく喜寿(2011年7月21日)
新潟水辺の会の金田さんが湯島に来ました。
金田さんもまもなく喜寿だそうですが、相変わらず活動的です。
そのモチベーションはどこから生まれてくるのか不思議です。

水辺の会では今年の夏にも。信濃川と千曲川をまわる大河塾ツアーを開催します。
今年は私は参加しないつもりですが、お知らせに案内を載せていますので、関心のある方は申し込みください。
参加したら得るものがとてもたくさんあるツアーです。

今日はNPOのマネジメントの話もいろいろとさせてもらいました。
日本のNPOはまだまだ課題が多すぎるように思います。

■映画「インセプション」(2011年7月21日)
娘に進められて映画「インセプション」を観ました。
他者の夢の中に入り込んで、記憶を奪ったり埋め込んだりするという話です。
挽歌にも書きましたが、ストーリーは粗雑ですが、面白かったです。
この構想のもとになったのはボルヘスの「伝奇集」だそうですが、夢の階層の話は私も関心のあるところでした。
昔は、夢の中で夢を観る夢(3階層のゆめ)をよく見ましたが、最近は夢もフラットになってしまいました。
しかし最近の映画はどうしてこうも「テーマの消化不足」が多いのでしょうか。
観た人への問題提起に終わっているような、肩透かしの映画が多すぎます。
その背景には、何か大きな枠組みが変わろうとしている流れも感じます。
「その先」を見れるかどうか、面白い時代です。

■すぎの農園の梨(2011年7月22日)
原発事故による放射線汚染がこの周辺をおそっていますが、杉野さんのすぎのファームはどうしているか、ずっと気になっていました。
時々ホームページは見ているのですが、状況が見えてきません。
杉野さんとは先週の柏市民大学実行委員会でお会いできるかと思っていましたが、やはり欠席でしたので、なおのこと気になっていました。
今日、最新の「ののやま通信」が届きました。

「原発事故による放射能汚染に対するわが家の考え方および対応」という文書が入っていました。
杉野さんのように、心をこめて安全な野菜やお米、果物を育てている人たちの苦悩が伝わってきます。
しかし今年もすぎの梨園の梨が味わえるようで、ホッとしました。

原発事故は、見えないところでたくさんの人たちの生活を脅かしています。
私たちも反省しなければいけません。

(2011年7月第2週)
■エンプロイーからアントレプレナーへ(2011年7月11日)
■みの〜れ物語パート2(2011年7月12日)
■柏市民大学構想(2011年7月12日)
■チビ太のボケ(2011年7月12日)
■パウル・クレー展(2011年7月13日)
■松戸の病院(2011年7月15日)
■インキュベーションハウス2(2011年7月15日)
■経営道フォーラム48期発表会(2011年7月15日)
■自殺のない社会づくりネットワーク交流会(2011年7月16日)
■八坂神社のお祭り(2011年7月16日)

■エンプロイーからアントレプレナーへ(2011年7月11日)
STRAMDでの私の話を聴いた佐久間さんが田口さんと一緒に湯島に来てくれました。
お2人とも Future Innovation Cafe という活動をされています。
田口さんは企業の現役の社員ですが、個々の企業を超えた活動に取り組んでいます。
そうした活動は1980年代にはかなり広がりましたが、その後、停滞しているように思います。
いまお2人が取り組んでいる中心的な手法はワールドカフェだそうですが、すでに400人の仲間が集まっているそうです。
この数年、ワールドカフェばやりですが、お2人と話していて、多くの取り組みとちょっと違うものを感じました。
それとともに、お2人の思いにも共感しました。
佐久間さんもつい最近まで企業に属していたそうです。
なんと私と共通の知人もいました。
佐久間さんもある思いをもってスピンアウトされたようです。

企業に属している人たちが、エンプロイーからこうしてアントレプレナーに返信していく動きが広まれば(会社を辞めなくてもいいのですが)、日本の産業界もきっと大きく変わるでしょう。
その胎動を、また最近、ちょっとだけ感じています。

■みの〜れ物語パート2(2011年7月12日)
小美玉市の文化センター「みの〜れ」の館長の山口さんから先日電話があったことは書きましたが、
今日はスタッフと一緒に湯島に来てくれました。
みの〜れも開館してもう10年です。
その記念事業に取り組んでいるそうですが、その一つとして、開館時に出版した「文化がみの〜れ物語」のパート2を制作したいという相談でした。
みの〜れは、その企画の段階から関わらせてもらい、それが面白かったので、住民たちで本を出そうという提案をさせてもらったこともあって、それはうれしい相談ではあるのですが、同時に大変な苦労もあって、それを思い出すといささかの躊躇があります。
しかし、話しているうちに、何となく引き受けることになってしまいました。
それに小美玉市の担当職員の一人は、私が最も信頼できる行政職員だった沼田さんの娘婿なのです。
そうした人間的なつながりが、私は一番弱いのです。

前回はほぼずっと関わってきたことの物語化でしたが、今回はそうではありません。
少し構想をまとめなければ行けません。
みなさんが帰った後、引き受けたことをちょっと後悔しました。
でもまあ、仕方ありません。

■柏市民大学構想(2011年7月12日)
柏市民大学構想が進んでいます。
私は第1回目の実行委員会に参加してから、なかなか参加できませんでした。
それに私だけが柏市民でも柏で仕事をしているわけでもないので、スタンスをどうとればいいのか微妙です。
しかもどうも行政主導の感じがして、私の好みでもないのです。
しかし、ど真ん中に友人の松清さんがいますので、そうさぼってばかりはいられません。
そこで久しぶりに参加しました。
先ず参加者が減っていたのが意外でした。
普通は次第に増えてくるものなのですが。
話しているうちに、思いの強い、しかもバランス感覚を持った人たちが残っているのだという事がよくわかりました。
久しぶりなので状況が必ずしもわからなかったのですが、勝手なことを話させてもらいました。
行政的な進め方に大きな違和感を持ったからです。
しかし柔軟に受け止めてもらえました。

柏でできるなら、我孫子でも取り組めないかと思いますが、だれかパートナーが欲しいです。

■チビ太のボケ(2011年7月12日)
わが家の老犬、チビ太が最近夜吠え続けます。
近所迷惑なので吠えないようにつきそっていないといけません。
ひどい時には明け方まで眠れないこともあります。
家族はみんなへとへとです。
さすがに最近ひどいので、お医者さんに行ってもらいました。
診断は「ボケのはじまり」でした。
昼と夜の取り違い、方向、宙を見ての瞑想、夜鳴き、意味なくほえる、などがその兆候なのだそうですが、すべて当てはまります。

処方はサプリメントを飲ませてみることでした。
それで処方どおり2種類のサプリメントを飲ませた途端、夜も熟睡してくれるようになりました。
恐ろしいほどの高価です。

その処方を受ける前日は、私は1時から5時までチビ太と一緒に、うつらうつらしていましたが、5時過ぎにチビ太が立ったまま眠っているのをデジカメで撮ってフェイスブックで流しました。
そうしたら反響がたくさんきました。
なんとなく癒される動画なので、ユーチューブに流しました。
よかったら見てください。
4分もあるのですが、1分過ぎくらいが面白いです。
http://www.youtube.com/watch?v=6nQdat-cFu0

■パウル・クレー展(2011年7月13日)
東京近代美術館で開催されているパウル・クレー展を見にいきました。
クレーは昔は好きな作家の一人でした。
久しぶりに美術展でした。
女房がいた頃は、よくつき合わされましたが、それもあってどうも一人で行く気が起きないのです。
今回は娘たちが行くというので、便乗させてもらいました。

これまであまり見たことのない作品が多く、面白かったです。
しかしクレーの時代の画家たちは、たぶん見えない世界が見えていたのでしょうね。
今回は異界の風景が多かったような気がします。

■松戸の病院(2011年7月15日)
親知らず歯を抜いてからもう1か月半ですが、まだ抜いた穴にガーゼをつめているので、その交換に通っています。
処置は10分程度、しかも自己負担の治療費は70円です。
しかし病院に行くまでが大変です。
松戸駅からバスで普通は15分くらいなのですが、渋滞が多く、30分以上かかることもあります。
早く卒業したいです。

■インキュベーションハウス2(2011年7月15日)
インキュベーションハウスに新たに参加してくれた阿部さんが、いろいろと積極的に動き出しています。
そこでインキュベーションハウスで仕事をしているメンバーで事業開発の話をすることになりました。
しかし私にちょっとトラブルがあって参加が遅れてしまいました。
そのうえ、次の集まりがあって、途中で抜けるということになってしまいました。
またパート2をやらなければいけません。
新しいメンバーも増えたので、いよいよインキュベーションハウス2の始まりです。

■経営道フォーラム48期発表会(2011年7月15日)
大震災で遅れていた経営道フォーラム48期の発表会が椿山荘でありました。
今回も2つのチームに発表してもらいましたが、いずれのチームにも共通のキーワードは「絆」でした。
人は、その時代の気分からは抜けられないことがよくわかります。

私は問題提起と発表後のまとめの話をさせてもらいましたが、このままだと「失われた20年」が「失われた30年」になるのではないかという話をしました。
そろそろ社会を市場と考えて底から限りなく収奪しようと言う発想をすてないといけない、顧客創造などというドラッカー経営から抜けださないといけないという話もしました。
これまでは抗した話をするとかなりの反発がありましたが、今回は聴いていた某社の社長があとでわざわざ私のところに来て、共感しましたといってくれました。
これもたぶん3.11現象なのかもしれません。

今回のチームの共通点はまた「一人称で語る」ということでした。
これもこの20年言い続けていることですが、今回は盛んにみんながそれを意識するようになりました。
これも3.11現象かもしれません。

もちろん私はそんなに楽観的に考えているわけではありません。
流行に乗ったものがどうなるかはよくわかっていますので。

■自殺のない社会づくりネットワーク交流会(2011年7月16日)
自殺のない社会づくりネットワークの交流会でした。
今回は東尋坊で自殺防止活動をしている茂さんがわざわざ参加してくれました。
茂さんは5月に福井で相談所を開設しましたが、そこにかける思いを語ってくれました。
とても共感できるものでした。

対話法の浅野さんも参加しました。
浅野さんの対話法は着実に広がっています。

日本財団の伊藤さんが、法務省保護局の幸島さんを連れてきてくれました。
幸島さんの話は実に共感できることが多く、いつか彼の話を中心にしたサロンを開きたいと思うほどでした。
自殺未遂フォワードの吉田さんも全国行脚の旗を持って参加しました。
杉原さんも久しぶりに参加ですが、事務局長の福山さんが最近超多忙なので、交流会の担当はこれから杉原さんがやってくれることになりました。
またちょっと雰囲気が変わるかもしれません。

暑い日でしたが、議論も熱かったです。

■八坂神社のお祭り(2011年7月16日)
今日と明日は近くの八坂神社の夏祭りです。
今年は暑いので大変です。
今日は湯島に行っていたので、日中の雰囲気はわかりませんが、帰ってからの雰囲気ではちょっと昨年よりも寂しいかもしれません。
夏祭りは大変です。

(2011年7月第1週)
■寺山修司(2011年7月3日)
■池の掃除(2011年7月3日)
■アーティチョーク(2011年7月4日)
■畳の表替え(2011年7月6日)
■佐々木さんと希望製作所(2011年7月6日)
■第2回信濃川・環境大河塾(2011年7月6日)
■セルジュ・ラトゥーシュ(2011年7月8日)

■阿部さんが連れてくる人たち(2011年7月8日)
■職人サロン計画(2011年7月8日)
■上原さんと宮田さんは大学時代に仲間でした(2011年7月8日)

■寺山修司(2011年7月3日)
最近どうも厭世観が強くなってしまっています。
急に寺山修司を読み直したくなりました。
私が若いころに影響受けた本の一つが、寺山修司の「青春論」でした。
偶然に、彼の作詞した「孤独よ おまえは」を久しぶりに聴いてしまったのですが、それで思い出したのです。
残念ながら、書棚には寺山修司の本は見つかりませんでしたので、図書館から何冊か借りてきました。
読み出したのですが、どうも違います。
時代の変化か、読み手である私自身の変化か、選んだ書籍が間違っていたのか、理由はわかりませんが、やはり若いころに読んだ本は読み直さないほうがいいのかもしれません。
数年前にカミユを読み直したときにもそう思ったのですが。

■池の掃除(2011年7月3日)
庭の池を掃除することにしました。
1か月ほど前から、池にいるはずの金魚が1匹も見当たらなくなっているのに気づいたのです。
意図的に荒れ放題のしていた池なので、どこかに隠れているだろうと思いながらも、あまりに出てこないので思い切って水を入れ替えることにしました。
ところがなんと金魚の姿が全くないのです。
大きな金魚だったので跡形もないのが不思議です。
その上、タナゴも沼えびも見当たりません。
考えられるのは、何者かによって食べられてしまったことです。
がまがえる、蛇、ハクビシン、ネコ、などが考えられますが、それにしてもタナゴや沼えびまでもとは考えにくいです。

ともかく池を掃除して、近くの金魚屋さんから新たに買ってきました。
それにしても不思議です。

■アーティチョーク(2011年7月4日)
畑からアーティチョークの花を摘んできました。
食用に娘が植えていたのですが、今年は手入れ不足で大きくなりすぎてしまいました。
それで花を活けさせてもらいました。
その写真をフェイスブックに掲載したら好評で、アーティチョークにまつわる話がいろいろと寄せられました。
そこで、このサイトにも写真を掲載しておくことにしました。



■畳の表替え
(2011年7月6日)
まあここに書くほどもないことですが、和室の畳を表替えさせてもらいました。
近くに畳屋さんがあるのですが、そこを通るたびに職人仕事を見ていました。
しかし正直、あまり忙しそうではありません。
その畳屋さんの支援もかねて、頼むことにしました。
畳屋さんはどんどん姿を消しているようです。

■佐々木さんと希望製作所(2011年7月6日)
韓国通信糸の佐々木憲文さんが湯島に寄ってくれました。
佐々木さんと話していると、不思議な安心感があります。
生き方においてつながるところがあるせいかもしれません。

今回は韓国の希望製作所の話が少し出ました。
とても面白そうです。
佐々木さんにお願いして、希望製作所ツアーを計画したくなりました。
日本の企業はもう退屈ですが、韓国の動きのほうが面白そうです。
興味のある方はご連絡ください。

■第2回信濃川・環境大河塾(2011年7月6日)
新潟水辺の会の金田さんから、今年も信濃川・環境大河塾に参加しませんかとお誘いの電話がありました。
そろそろ電話があるのではないかなと思っていた矢先です。
今年は8月23〜24日です。
私は昨年参加しましたが、とても刺激的なイベントです。
詳しい案内は水辺の会のホームページにありますのでご覧ください。
よかったらぜひご参加ください。

■セルジュ・ラトゥーシュ(2011年7月8日)
先週、「脱成長の道」という本を読みました。
いろんな人の論文集でしたが、その基本的な骨格は、どうやらフランスの経済哲学者セルジュ・ラトゥーシュの考えのようです。
そこでラトゥーシュの「経済成長なき社会発展は可能か?」を読み出しました。
300頁の厚い本なので、読み出すまでに少し時間がかかりましたが、読み出したら実に共感できることが多く、ついついのめりこんで3日で読み終えました。
とても共感できるないようです。
それで元気が出ました。
どうも世間の動きに違和感があって、最近はますますついていけなくなっているのですが、こういう動きもあるのだと思い、少し安堵しました。
ここで書かれていることを理念にして、東北復興に取り組んだら、未来はきっと大きく開けてくるでしょう。
そうならないのが残念ですが、ラトゥーシュたちの脱成長論が少しずつ広がっていることには元気づけられます。

いささか我田引水ですが、私がこの40年やってきたこと、言ってきたことが、見事に体系化されている気がしました。

■阿部さんが連れてくる人たち(2011年7月8日)
インキュベーションハウスでカウンセリング事業をはじめた阿部さんがやってきました。
まあ私は、カウンセラーのカウンセラーです。
阿部さんは今、大きな岐路にいます。
それに私もまた巻き込まれているわけです。

阿部さんは、いろんな人を連れてきます。
実にいろんな人をです。
今日は社会的事業に取り組みだした企業経営者を手伝っているという松本さんが一緒でした。
彼女もいろいろと「思い」と「問題」を抱えています。
まさに阿部さんと同じです。
いや、私と同じなのでしょうか。

誰とでも対等に付き合うのが私の主義なのですが、最近はちょっと疲れ気味です。

■職人サロン計画(2011年7月8日)
畳替えのことに関連して、職人のことを少しフェイスブックに書きました。
そしたらいろんな意見が寄せられ、ついに「職人サロン」をやることになってしまいました。
事の発端は熊本の宮田さんです。
忘れていましたが、宮田さんは畳屋の息子です。
最近の畳表事情も、昔宮田さんに聞いたことがありました。
宮田さんが親父さんのことを書き込みました。
最近フェイスブックで知り合った篠崎さんが、何と職人だったのです。
いまは画家ですが、

そして、吉本さんがさらに反応しました。
これだけの反応があれば、もう職人サロンを開くしかありません。

■上原さんと宮田さんは大学時代に仲間でした(2011年7月8日)
フェイスブックの面白さがまた一つ顕在化しました。
職人の話のやりとりを読んだ上原さんから、宮田さんは大学時代に同じ寮にいた同窓生だという書き込みがありました。
大学は北海道大学です。
宮田さんと上原さんがお知り合いだとは思ってもいませんでした。
フェイスブックはこういうことを時に起こしてくれます。
これもまたフェイスブックの社会的効用です。

(2011年6月第5週)
■自殺のない社会づくりネットワーク交流会(2011年6月26日)
■みの〜れ館長の山口さん(2011年6月27日)
■山形のさくらんぼ(2011年6月27日)
■全労連共済の長谷川さん(2011年6月28日)
■STRAMD第2期(2011年6月30日)
■畑仕事の再開(2011年7月1日)
■チビ太のこと(2011年7月2日)

■自殺のない社会づくりネットワーク交流会(2011年6月26日)
恒例の自殺のない社会づくりネットワークの交流会です。
最近は参加者が減っていますが、今回は伊藤さんが初参加です。
伊藤さんは、このネットワークの公開フォーラムを支援してくれた若者です。
自殺未遂の体験のある吉田さんは、今年の秋から全国行脚の計画を持っていますが、その道具を持参して構想を話してくれました。
フィールドでのワークショップに取り組んでいる内田さんも元気そうな顔を見せてくれました。
自殺防止ネットワーク風の竹下さんは、3.11でいろんな事が変わってしまったとお話になりました。
事務局長の福山さんも、最近は大学が忙しくて大変そうです。
3.11以来、この交流会ももう一つ元気が出ないように思います。
来月は16日の予定です。
東尋坊で自殺防止活動をしている茂さんが参加する予定です。

■みの〜れ館長の山口さん(2011年6月27日)
美野里(小美玉市)の文化センターみの〜れの山口館長から電話がありました。
みの〜れは、私も関わらせてもらった、住民主役で建設し運営している文化センターです。
その建設物語は、住民と一緒になって「文化がみの〜れ物語」〈茨城新聞社〉として出版しました。
この本づくり自体が私にはとても面白かったのですが、実はもう2度とやりたくないと思うほど大変な作業でした。
1か月、仕事を断って、かかりきりました。

そのみの〜れが開館して10周年を迎えます。
そこで「文化がみの〜れ物語」の続編を出版したいというのです。
来週、お会いすることにしました。
さてさてどうするか。
悩ましい問題です。

■山形のさくらんぼ(2011年6月27日)
山形市の佐藤一大さんから今年も見事なさくらんぼがどっさりと送られてきました。
彼とは最近は会うこともなくなり、ましてや仕事の関係もありません。
にもかかわらず毎年さくらんぼを送ってきてくれます。
いつか彼の役に立てることが出てくるといいのですが、いささか心配です。

一大さんと一緒に仕事をしたのはたぶん2回だけです。
人のつながりは実に不思議で、わずかな縁が続くかと思うと、続くかと思う縁がぷつんと切れてしまうこともあります。
私は、一度できた縁は切れることはないと思っていますが、縁は意識していないと見えなくなってしまいます。
一度また山形にも行きたいと思います。

■全労連共済の長谷川さん(2011年6月28日)
暑い日でしたが、オフィスの植物が枯れてはいけないと思い、用事はなかったのですが、湯島に出かけました。
そのおかげで、全労連共済の長谷川さんとお話しすることができました。

長谷川さんとは共済研究会のシンポジウムの実行委員会でご一緒しました。
それまでほとんど話したこともなかったのですが、なぜか気持ちが合いました。
お互いのオフィスが近いので、一度会おうと話していた矢先に東日本大震災が起こり、うやむやになってしまっていました。
長谷川さんがそれを思い出して、湯島に電話をかけ続けてくれたそうですが、最近私は湯島にあまりいっていなかったので電話が通じませんでした。
長谷川さんは諦めずに今日も電話をしてきてくれたので、花に水をやりに行っていたおかげで、久しぶりにお会いすることができたのです。

今日の話題は、障害児教育の先駆者セガンの話でした。
長谷川さんは教育学を選考されたのだそうです。
障害児教育には教育の本質がこもっているはずです。
暑い中を湯島に出かけておかげで、また世界が広がりそうです。

■STRAMD第2期(2011年6月30日)
中西さんが思いをこめたSTRAMDも2期目です。
STRAMDとは、Strategic Management Design の略で、デザインを基軸にした新しいビジネススクールです。
桑沢デザイン研究所のプログラムです。
そこで私は「社会性企業」という不思議なテーマでお話させてもらっています。
今年は昨年よりも受講生は若く、30代が中心のようです。
みんな実に意欲的です。
2時間半もらいましたが、あっという間でした。
さて今年はここからどんな物語を生まれるでしょうか。
ちょっと楽しみです。

■畑仕事の再開(2011年7月1日)
しばらくさぼっていた家庭農園に久しぶりに行きました。
雑草が半端ではなく戻っていました。
自然の復元力、自然の生命力のすごさには勝てません。
30分ほどやってもうくたくたです。
これから毎日、朝来ようと思います。
キュウリとトマトを収穫して、朝食に食べました。

■チビ太のこと(2011年7月2日)
わが家の嫡男、チビ太は今年15歳です。
人間でいえば、90歳の高齢だそうです。
そのため昨年から時々病院か良いです。
昨夏は、暑さのために緊急入院し、もうダメかといわれましたが、奇跡的に復活し、最近は歳を忘れたのではないかと思うくらい元気になりました。
ところが先週くらいから夜になると吠え続けるという状況になってきました。
暑いからかもしれないと、人間は使わないクーラーや扇風機を使ってみましたが、あまり効果はありません。
毎晩、私か娘が付き合わされています。
ひどいときは明け方まで付き合わされます。
もうくたくたで、チビ太の前に私たちが倒れそうです。

ところが今日は、そのチビ太がちょっとおかしいのです。
昼間、立ったまま眠りそうになっているのです。
夜眠るために、昼間は寝ないように我慢しているのだと娘は言いますが、たしかにそんな気もします。
そのせいか、2日の夜は熟睡してくれて、私たちも夜中に起こされませんでした。
朝、むしろ心配になって早く起きてきたら、まだ爆睡です。
呼吸をしているので、安堵しましたが、今年の夏を乗り切れるかどうか、ちょっと心配です。

(2011年6月第4週)
記録のために要点のみですが。
■ようやく薬疹はおさまりました(2011年6月20日)
■井口夫妻(2011年6月21日)
■ブッダ(2011年6月21日)
■薬疹の次は軽い熱中症(2011年6月23日)
■抜歯の術後は順調です(2011年6月24日)
■矢辺さんが「よりよく生きるプロジェクト」を立ち上げました(2011年6月24日)
■オープンサロン(2011年6月24日)

■ようやく薬疹はおさまりました(2011年6月20日)
薬疹が漸く消えだしました。
これまで体験したことのない薬疹が出てくるとは、やはり心身が弱まっているからでしょう。
歳相応に心身を扱わなければいけません。
心身も、生命も、自分のものではないのですから・
身体を通して届いてくるメッセージをしっかりと受け止めなければいけません。

■井口夫妻(2011年6月21日)
井口さん夫婦が湯島に来てくれました。
奥さんもとても元気そうでした。
お二人とゆっくりお話しするのははじめてです。
妻が元気だったら、どんなに喜んだことでしょう。
そんなことを思いながら、ついついお互いに長話になってしまいました。

■ブッダ(2011年6月21日)
娘と映画「ブッダ」を観ました。
一人で映画を観に行くのは、あまり得手ではないので、無理やり娘に頼んで同行してもらいました。
手塚治虫の「ブッダ」の映画化です。
3部作だそうですが、いささか残念な出来上がりでした。
フェイスブックやブログに書いたので、繰り返しませんが、第2部には期待したいです。
やはりアニメは苦手です。

■薬疹の次は軽い熱中症(2011年6月23日)
急に熱くなりました。
暑い中をちょっと出歩いていたら、軽い熱中症の症状に教われました。
先日の全身麻酔以来、やはりどこかリズムが狂っているのかもしれません。
最近は歳を意識させられることが多いです。

■抜歯の術後は順調です(2011年6月24日)
抜歯の跡にいれているガーゼの交換に病院に行きました。
術後も順調のようですが、もうしばらく通院しなければいけません。
最近漸く病院への抵抗がなくなりました。

■矢辺さんが「よりよく生きるプロジェクト」を立ち上げました(2011年6月24日)
コムケア活動を手伝ってくれていた矢辺さんが今年会社を辞めて、起業に取り組みだしました。
久しぶりに湯島に報告も兼ねてきてくれました。
矢辺さんのライフワークは、「ノーマライゼーション」です。
彼が学生の時からの付き合いですが、大きな思いはぶれていません。
それどころか、今回話を聞いたところでは、ビジョンと理念がかなり明確になってきました。
しかも地に足のついたアクション展開になっています。
実にうれしいことです。
彼はまさに明日から、「よりよく生きるプロジェクト」をスタートさせます。
期待できるプロジェクトです。
ホームページをぜひ見てやってください。
そして応援してやってください。
今時めずらしい純粋な若者です。

■オープンサロン(2011年6月24日)
オープンサロンに熊本の吉本さんが参加しました。
水俣の吉本さんではなく、コミュニケーションの吉本さんです。
吉本さんは最近、「友活」なるプロジェクトにも取り組んでいます。
私と同じ我孫子にお住まいの横手さんが、我孫子の市議会で放射線量測定の話題が出たことを紹介してくれました。
そこからまた東北の話や原発事故の話、さらには自然エネルギーの話に広がりました。
吉本さんが、空中から海水を落とした映像を見て、ゼネコン業界にいた人なら、最初から象の鼻のようなクレーン車を思いつくだろうという話をしました。
そこから面白い話がいろいろとでてきました。
原発の安全性に関しては、ハイテク分野の原子炉管理技術が問題にされますが、安全問題でいえばそんなところに問題があるのではなく、もっとローテクの溶接作業とか地盤沈下にあわせる建築技術が重要なのではないかという話も出ました。
まったくもって同感です。
サロンでは、いつもいろいろな気づきをもらいます。

(2011年6月第3週)
術後の不摂生で薬疹に見舞われました。困ったものです。
■全身に薬疹(2011年6月13日)
■松戸の病院に通院(2011年6月14日)
■ライターの倉西さん(2011年6月14日)
■日本経営道協会の2人(2011年6月14日)
■神崎さんの番組(2011年6月15日)
■阿部さんのカウンセリング事業スタート(2011年6月16日)
■コミーの小宮山さん(2011年6月16日)
■これからの働き方を考えよう(2011年6月16日)
■経営道フォーラム49期スタート(2011年6月17〜18日)
■地域自治に取り組む時田芳文さん(2011年6月18日)

■全身に薬疹(2011年6月13日)
退院してから5日目ですが、突然、上半身に湿疹が出てきました。
たぶん薬疹でしょう。
即座に薬の服用をやめ、イオン水をたくさん飲みましたが、発疹は広がる一方です。
さてさてどうするか。
薬疹のすごさは、かつて女房が体験しているのでよくわかっています。
娘は医者に行ったほうがいいと勧めますが、医者に行くとまたややこしくなりかねません。
ここはまあ、お得意の「医師」ならぬ「意志」で治すことにしました。
これは、私の基本的な流儀です。
まあ大体において失敗するのですが。

今日はお風呂はやめて、早めに寝ることにしました。
急速が一番ですので。

■松戸の病院に通院(2011年6月14日)
湿疹はむしろ広がりだしています。
たまたま今日は、抜歯したところに詰めているガーゼの交換日なので、松戸の病院に行く日です。
ガーゼ交換は何事もなく終わりました。
武田医師に発疹の話をすると、たぶん抗生物質の薬疹だろうが、ともかく皮膚科にきちんと診てもらったほうがいいといわれました。
意志もいいが、何かあると大変ですから、と3回ほど念を押されました。
あんまり信頼されていません。

処置後、ちょっと気になっていた同室者の様子を知りたくて、入院病棟に立ち寄りました。
タトゥの若者のNさんとぱったり会いました。
昨日手術が無事終わったそうです。
とてもうれしく思いました。
後の人はもう退院していました。

■ライターの倉西さん(2011年6月14日)
ライターの倉西さんが、私の大好きな鳩サブレを持って、遊びに来てくれました。
倉西さんは先日取材に来てくれた人ですが、おそらく取材目的はあんまり果たせなかったでしょう。
でもまあ「つながり」が生まれました。
こうやって遊びに来てくれるとは、実にうれしいことです。
いろいろと話しました。
何をといわれると困るのですが、意味のない話を重ねることが、人のつながりを深めます。
それでも1時間半何を話していたのでしょうか。
思い出せませんが、楽しい時間でした。

■日本経営道協会の2人(2011年6月14日)
日本経営道協会も今年で創立15周年だそうです。
この1年半、私はほとんど交流がありませんでしたが、新しいスタッフも入ったのでということで、村瀬さんがその人を連れてやってきました。
今回は、市川さんは同行しませんでした。
ちょっとスタイルが変わったのでしょうか。

新しい人は坂野さんという若い女性で、絵本に興味があるのだそうです。
でまあ、日本経営道協会の話よりも、話が広がってしまいました。

ちなみに、日本経営道強化の15周年記念のシンポジウムには、日本仏教界のトップでもある、松長有慶さんと明治天皇の玄孫の竹田恒泰さんが講演するそうです。
会費が18000円なので、少し違和感はありますが、話はきっと面白いはずです。
よかったら参加してください。
案内は、日本経営道協会のホームページにあります。
私は、松長さんと久しくお会いしていないので、もしかしたら参加するかもしれません。

■神崎さんの番組(2011年6月15日)
元やくざの「三国の神崎」さんを主人公にしたテレビドキュメンタリーが先日放映されました。
福井テレビなのでこちらでは見られませんが、神崎さんがDVDにして送ってきてくれました。
一応、わが家のみんなも神崎さんとは面識があるので、みんなで観ました。
なかなかよくできたドキュメンタリーですが、本当の神崎さんのよさが出ていません。
もっと彼のメッセージを込めた番組、もしくは本が出来るといいと思いました。

■阿部さんのカウンセリング事業スタート(2011年6月16日)
阿部さんがいよいよ活動を開始します。
長年の不動産業の経験を活かして、福祉とまちづくりをつなげていく構想です。
まずは相談事業をスタートさせました。
オフィスは本郷のインキュベーションハウス内に置き、徐々に体制を固めていく計画です。
インキュベーションハウスとしても全面的に協力していくつもりです。

まもなくブログサイトもできますので、改めてご案内します。

■コミーの小宮山さん(2011年6月16日)
コミーの小宮山さんからたまにはゆっくり話をしたいと電話がありました。
そういえば、最近、ゆっくり話す機会がありませんでした。
国際箸学会の話、コミーの経営スタイルの話、人を育てる話、小宮山さんが以前やっていた物理教室活動の話、いろいろと刺激的な話を、あまり目的もなく話し合いました。
中小企業の経営の大変さも話題になりましたが、大変なのは中小企業に限らないだろうと思います。
それにしても小宮山さんは魅力的です。
不思議なパーソナリティです。
中小企業の経営者と小宮山さんが、私の頭の中では、なかなかつながらないのです。

小宮山さんは私より1歳年上です。
私よりはフットワークも活動力も抜群に高いのです。
それに哲学度も高いですね。

話が盛り上がってしまい、次の予定に遅れそうになりました。

■これからの働き方を考えよう(2011年6月16日)
山城経営研究所のエグゼクティブフォーラムで話をする日でした。
会場の椿山荘に到着したのが午後6時3分前、講園は6時からでした。
みんな心配していました。
昔はよくこういうことがありましたが、最近は久しぶりです。

テーマは「時代の要請と企業の役割」でしたが、それを当事者的に考えていくために、「これからの働き方を考えよう」という形で、参加者に問題を投げかけながらすすめるスタイルにしました。
ハーバードの白熱教室スタイルです。
ところが、サンデルの白熱教室を知っている人が少ないのに、先ず驚きました。
参加者は大企業の管理者です。
話をしていた、やはり企業の世界以外の動きには、あまり通じていないような気がしました。
もっともっと企業と社会はつながっていく必要があるように思います。

話し終わった後、企業では聞けない話でしたと2人の人が感想を述べてくれました。

実は、これまではこのプログラムではもっとメッセージ型の話をさせてもらっていたのですが(アントレプレナーになれ)、どうも反感を持つ人がいたようです。
そうはいっても、というわけです。
「そうはいっても」と言う人は、まさにエンプロイー(雇われ人)ですから、私にはほとんど興味のない人ですが、あまり過激でもと思い、今回はかなり丸くした話をしました。
ところが今回は、多くの人がすんなりはらに入ったというのです。
最後に辛らつな意見を出してほしいといったのですが、あまり辛らつな話は出てきませんでした。
すんなり共感してもらえる話をしすぎたかもしれません。
話をするのは難しいです。

■経営道フォーラム49期スタート(2011年6月17〜18日)
経営道フォーラムの49期がスタートし、その最初の合宿に参加しました。
今期から早稲田大学の藤田教授もコーディネーターとして参加することになりました。
今期は、私が担当する「経営理念」と「企業文化」への希望者が多かったようですが、これも今の社会状況を反映させています。
いずれのチームも熱心で、私が参加した時には既に白熱議論が始まっていました。
いつもとは違い、今回はテーマ解題では「3.11」の話をさせてもらいました。
今回の体験から企業が学ぶことは山のようにあるからです。

どんな展開になっていくのか、楽しみです。

■地域自治に取り組む時田芳文さん(2011年6月18日)
今回合宿したのは熊谷市にあるホテル・ヘリテージです。
熊谷市には、時田芳文さんという、ちょっと気になる友人がいます。
友人といっても、滅多に会うこともなく、普段は交流もないのですが、時折、このサイトにも登場します。
建築関係の会社を経営していますが、幅広い活動をされていて、しかも俳人でもあります。
なによりも、構想と理念を持っている人です。
20年来のお付き合いですが、実際に会ったのは、そう多くはありません。
その時田さんに急に会いたくなって、メールをしました。

時田さんは、ホテル・ヘリテージまで来てくれました。
実はヘリテージのオーナーや社長と懇意にされているというのです。
たまたまオーナーは不在だったのですが、社長の杉田さんを紹介してもらいました。
杉田さんも、熊谷の地域活動に取り組まれているのです。
そういえば、このホテルでも福島からの避難者に部屋を提供していて、私も何人かに会いました。

時田さんや杉田さんが取り組んでいる「東日本大震災オール熊谷自律支援ネットワーク」の話をお聞きしました。
これまでの活動の実績を活かして創りあげた、行政と企業と市民の共創ネットワークです。
お話をお聞きして、3つのセクターをリフレームしていくという、私が考えるこれからの方向のモデルになるような取り組みです。
詳しくはホームページをご覧ください。
NHKなどでも取り上げられているそうなので、ご覧になった方もいるかもしれません。

時田さんは、さらに「埼玉県北部地域エネルギー・セキュリティ研究会」を立ち上げつつあります。
地域自治にとって、エネルギー問題は必須の課題です。
時田さんの構想には感服します。

3.11は、流れを変えるための契機を与えてくれた、という認識に立って、時田さんは精力的に動いているようです。
しばらくお会いしていなかったのに、なぜか思い立ったように時田さんに会いたくなったのには、やはり理由があったのだと思いました。

時田さんと杉田さんから、たくさんの刺激をもらいました。

(2011年5月末から6月上旬)
この2週間分をまとめて書いておきます。
■日本生まれの正義論を考えるサロン(2011年5月29日)
■なにもなかった普段通りの誕生日(2011年5月30日)
■古希(2011年5月31日)
■初めての入院(2011年6月1日)
■完全手術(2011年6月2日)
■Ipadが届きました(2011年6月4日)
■退院(2011年6月8日)
■箱根合宿(2011年6月10〜11日)
■湯河原への立ち寄り(2011年6月11日)

■日本生まれの正義論を考えるサロン(2011年5月29日)
「日本生まれの正義論」を書いた川本兼さんをお招きした、久しぶりの平和サロンでした。
メンバーは前回とは全く違って、しかもかなり個性的な人たちになりました。
たしかに川本さんの主張は、オリジナルなものであり、最近の流行のロールズやサンデルとは違います。
「日本生まれ」にこだわっているのです。
参加者は、私のブログを読んでくれているという五十嵐さんという若者
勤めながらのミュージシャン活動をしている娘の義兄
ギリシア神話にほれ込んでいる天体写真家の橋本さん
企業体験後、大学院生活に入った杉原さん
最近サロンの常連になった横手さん
おそらく各自話し出したらとまらないメンバーなのですが、今回は意外なほど控え目で、いささか心配していた展開にはなりませんでした。
全員が初対面同士だったのが、その理由だろうと思います。

議論はけっこう難しかったのですが、私自身は改めてまた、正義と善、平和と不幸の問題を考えようかと思い出しました。

■なにもなかった普段通りの誕生日(2011年5月30日)
私もついに古希を迎えました。
ブログにも書きましたが、私自身は誕生日にも年齢もあまり思いはありません。
しかし、最近はじめたフェイスブックのおかげで、私の誕生日が公開され。いろんな人から「古希」ですね、というお祝いメッセージが届きました。
娘に、これだけたくさんの人が祝ってくれるのだから、娘としてもちゃんと祝わないといけない、プレゼントは用意しているのだろうね、と確認したら、言下に「お祝いはなにもなく、食事は塩鮭です」と言われてしまいました。
というわけで、古希の誕生日の夕食は塩鮭でした。
何もない普段通りの誕生日が、実は私の一番お気に入りの過ごし方なのです。

■古希(2011年5月31日)
明日から入院ということもあり、また70歳になったということもあり、みんなで手巻き寿司パーティを開催しました。
妻がいた時には、なにかあると手巻き寿司パーティだったのです。

それにしても、自分が70歳になったとは驚きです。
しかもライフスタイルがほとんど変わっていないのです。
古希を機会に、変えようとも思いません。
このまま続くのでしょうか。
困ったものです。

■初めての入院(2011年6月1日)
親知らず歯とそこにできている含歯性のう胞の除去のため、日大歯学部松戸付属病院に入院しました。
私にとっては初めての入院です。
準備はすべて娘がしてくれたので、私はただ病院に行けばよかったのですが、10時に病院に着き、そのまま入院でした。
病院はやることもないので、パソコンを持ち込み、ブログやフェイスブックに書き込んでいましたので、入院後の生活はここには書きませんが、いろいろとありました。

■完全手術(2011年6月2日)
8時に娘と兄が来てくれました。
全身麻酔なので、付き添いが必要なのです。
9時前に肩に注射を打った途端に意識がなくなり、気がついたら手術は終わっていました。
手術にはいろんなリスクがあると説明を受けていましたが、そのリスクはすべて回避され、痛みもありませんでした。
しかし病室に戻ったのは5時くらいだったような気がします。

■Ipadが届きました(2011年6月4日)
入院中の状況はフェイスブックで流していましたが、そのおかげでいろんな人からの反応も少なくありませんでした。
パソコンではちょっと不便だったので、Ipadを持ってきてもらいました。
娘に簡単なやり方を教わりましたが、実に使いやすいです。
ベッドでずっとやっていました。

■退院(2011年6月8日)
術後の経過も順調で、入院しなくてもよかったのではないかと思うほどでしたが、結局、予定よりも2日しか退院は早めてもらえませんでした。
しかし、毎食はおかゆで、この食生活を続けるとたぶん心身的にはよくないでしょう。
その限界の、ぎりぎりのところで、退院できました。
病院食は発想を変えるべきです。

退院前に食事指導を受けましたが、それと反対のことをやるのがいいと思いました。
ブログに書きましたが、娘が用意してくれていたおかゆ献立を急遽、変えてもらい、かためのご飯と塩鮭を中心に食事を用意してもらいました。
詳しくはブログの入院生活報告に書きました。

■箱根合宿(2011年6月10〜11日)
経営道フォーラムの48期生のまとめの合宿が箱根であり、参加しました。
今回は小涌園の箱根ホテルだったのですが、予想以上に宿泊客が多く、安心しました。
箱根観光もかなり回復してきているようです。


48期生の発表会は7月15日、東京の椿山荘で開催します。

■湯河原への立ち寄り(2011年6月11日)
経営道フォーラムで私が担当しているチームは2つありますが、昨日でほぼ私の役割は終わったので、今日はそこを抜けて、湯河原に行くことにしました。
湯河原の仕事場ですが、もう8年ほど、仕事場の機能は失い、訪ねることもありません。
妻がとても気にいっていたところで、私たちの終の棲家になる予定だったのですが、その計画はなくなりました。
いまとなっては、ないほうがいいのですが、処分する気にもなれません。
仕事場として復活することもないでしょう。

(2011年5月第4週)
項目だけに近いですが。
■15000分の1のリスク(2011年5月23日)
■企業の善行(2011年5月23日)
■阿部さんとインキュベーションハウス(2011年5月23日)
■まさかのipad(2011年5月24日)
■決算(2011年5月26日)
■新潟水辺の会の金田さん(2011年5月27日)
■オープンサロン(2011年5月27日)
■フェイスブックの連鎖(2011年5月28日)

■15000分の1のリスク(2011年5月23日)
6月から親知らず歯を抜くため入院ですが、その説明を受けました。
全身麻酔なのですが、麻酔担当医が、15000人の一人の割合でトラブルがありますと言いました。
さてさてなんのトラブルでしょうか。
当病院で対応できない場合は他院に転院させますから安心してくださいとも言いました。
聞き流しましたが、意味深長ですね。
いずれにしろ10日もかかるそうです。
歯を抜くだけなのに、大変なことです。

■企業の善行(2011年5月23日)
経営道フォーラム48期のDチームと会食しました。
研究活動の話ではなく、話題はもっぱら大震災の話になりました。
お一人は家族を亡くされていました。
みんな自分の被災地にボランティア活動に行きたいという思いが強いようです。
しかし行けばいいという話ではありません。

企業で働く人たちにとって、被災者のためにできることはたくさんあります。
寄付も良いでしょうが、大切なのはお金ではありません。
企業の仕組みや仕事を通して、できることがたくさんなる。
まじめな社会活動をしていた企業はすぐにでもできるでしょう。
しかし、形だけのCSR活動をしてきた企業には難しいかもしれません。
企業の本体が見えてきます。

実際には、企業やそこで働く人たちがたくさんの「善行」をしているはずです。
そうした事例を集めて社会に見えるようにしたら、企業の信頼感は高まるかもしれません。
そういう活動をこそ、すべき時期です。
昨今の経団連や経済同友会には望めないかもしれませんが。
彼らの頭にはお金しかないのかもしれません。
これまでと同じ枠組みで復興しては、折角の今回の犠牲が浮かばれません。

■阿部さんとインキュベーションハウス(2011年5月23日)
阿部さんがいよいよ起業しようとしています。
しかしどうしてみんな起業と言うと自分一人で考えるのでしょうか。
あるいは仲間で考えるのでしょうか。
その中間があるように思います。
阿部さんの起業に付き合いながら、そのあたりを少し考えてみようという気になっています。

■まさかのipad(2011年5月24日)
入院している間、やることもなく退屈だろうと思いますので、タブロイド端末を購入しようと思って、ヤマダ電機に行きました。
ところがいろいろと説明を聞いたら、やはりipadに行き着いてしまいました。
ソフトバックの扱う商品は金輪際買わないと行っていた手前、躊躇しましたが、前言を撤回し購入してしまいました。
信念のない人間は困ったものです。
大いに反省しなければいけません。
できもしないことを宣言してはいけませんね。はい。

ipadは在庫がなく、早くて入手は1日。入院に間に合いませんが。

■決算(2011年5月26日)
株式会社コンセプトワークショップの決算です。
ほとんど売上がないのに、事務所経費などがあるので完全赤字です。
実は昨年度は何とか黒字にしたくて、むりやり収入の前倒しをやったのですが、それもあって今期は壊滅的な状況です。
この数年、私は会社から給料は全くもらっておらず、逆に費用支払のために貸し付けしています。
早く状況を変えないといけません。
大震災のために予定していた企業関係の仕事もご破算にしてしまいました。
さてさて今年はこの会社は持続させられるでしょうか。
毎年の借金がまた増えだしています。
困ったものです。

決算は最近は税理士に頼まず、自分でやっています。
それくらい簡単な構造になってきてしまいました。
今年はわずかでも給料をもらいたいと思います。
そうしないといつになっても借金が返せません。

■新潟水辺の会の金田さん(2011年5月27日)
新潟水辺の会の金田さんが湯島に立ち寄ってくれました。
水辺の会も、そろそろ第3ステップに入る時期のようで、金田さんたちが新たに広報活動に注力していくことになったそうです。

ちなみに金田さんは、コーポレート・コミュニケーション概念を日本に紹介した草分け的人物です。
全国のメディアともネットワークは広く、まさにうってつけの役割です。
それにしてもお元気です。

■オープンサロン(2011年5月27日)
先週はサロンづかれしてしまいましたが、今週は恒例のオープンサロンです。
最近の新しい常連は横手さん、昔からの常連は梅田さんです。
やはり今回も原発事故の話が多かったです。
中国から日本に来て7年目のNさんの話も面白かったです。

■フェイスブックの連鎖(2011年5月28日)
最近、毎日のようにフェイスブックを通じて、新しい友達ができています。
またこれもほぼ毎日、旧友からの連絡があります。
フェイスブックの広がりが加速されているように思います。
もう個々のメールは次第にフェイスブックに代わっていきそうです。
最近は会う人ごとに、フェイスブックを勧めています。
みなさんもぜひ始めませんか。

ちなみに私のフェイスブックはこんな感じです。

(2011年5月第3週)
相変わらず疲れています。
■科学技術倫理フォーラム交流会(2011年5月16日)
■人の生き方はさまざまです(2011年5月17日)
■テクノロジートランスファーの古庄さん(2011年5月17日)
■第2回東北応援コムケアサロン(2011年5月18日)
■阿部さんの悩み(2011年5月20日)
■スリーA認知症予防フォーラム最初の集まり(2011年5月21日)
■自殺のない社会づくりネットワーク交流会(2011年5月21日)

■科学技術倫理フォーラム交流会(2011年5月16日)
NPO法人科学倫理フォーラムの総会と交流会でした。
このNPOは私が尊敬する杉本泰治さんが立ち上げたNPOで、私も理事をさせてもらっています。
杉本さんを中心にして、日本の技術者に倫理の発想を訴求すべき、出版活動や講演会、大学での講座づくりなど素晴らしい活動を展開してきています。
私は何もお役に立てずにいますが、むかし杉本さんと一緒のチームで、ハワイのキラウェア火山を見にいったよしみで加えさせていただいています。

交流会には10人の人が参加しました。
さまざまなキャリアを持つ人立ちなので、議論は面白いです。
時期が時期だけに、やはり原発事故の話題になりました。
原発を議論するとどうしても感情面が出てきてしまい、なかなか難しいですが、今回はそれぞれの立場や考え方を理解しているメンバーでしたので、議論できたように思います。

私は杉本さんは尊敬していますが、杉本さんの原子力発電の考えには反対です。
ブログにも書いていますが、私は原発は辞めるべきだとずっと思っています。
杉本さんは安全対策をしっかりできるはずだと思っているようです。
原発の安全性は、ほかの安全問題とは異質なものであると私は思っています。

鉄道の分野の安全問題では大きな仕事と研究をされてきている佐藤国仁さんも、同じ発想だと思いますが、国仁さんとは以前技術者倫理サロンをやっていた仲間です。
久しぶりにお会いできました。
もうひとり、これも生活者の視点で安全問題などで積極的な活動をされている市民派の権生薫さんも参加されました。
このお2人の発言は、私には素直に心に入りました。

原子力発電会社の役員をされていた前川さんの考えは私とは全く違う世界でしたが、そのお人柄もあって、違う意味で素直に耳に入ってきました。
前に東芝の役員だった友人と話したときにも感じましたが、どうも私とは違う世界で生きているうちに、基本認識までが違ってくるのかもしれません。
前川さんとは帰路の方向が一緒だったのでお話していたら、私が敬愛する東レ時代の先輩の友人でした。
早速、その先輩にメールしましたら、大学時代、ノーベル賞をもらった野依さんなども一緒の遊び仲間だったようです。

交流会で、私は次のことを発言させてもらいました。
今回の原発事故で技術者の信頼は大きく損なわれた。技術者は自らを総括して、これからの「技術者としてのミッション」を確認すべきである。
まさにいま、技術者は改めて自らのミッションを問い質すべき時期です。

■人の生き方はさまざまです(2011年5月17日)
久しぶりにクリエイティブマネジメント研究所の井口哲夫さんが湯島に寄ってくれました。
井口さんの生き方は半端ではありません。
実に潔さがあります。
大学院大学の教授になったのに、まったく私的な理由でスパッと辞職してしまいました。
まだ若いのにです。
その潔さに、実はいささか驚いていたのですが、今日、井口さんと話していて、その謎が解けました。
たぶん私にはできないことだと思いますが、改めて井口さんの人間性を知りました。

ブログにも書きましたが、湯島にはいろんな人が来ます。
そういう人たちと話していると、自分の生き方がいかに小さな特別のものであるかがわかります。
そして、さまざまな生き方があることで、人生観は楽観的になっていきます。
たくさんの人に出会ってきたことが、いまの私を支えているように思います。

■テクノロジートランスファーの古庄さん(2011年5月17日)
井口さんと入れ違いに、大阪ガスを辞めて起業した古庄さんがやってきました。
古庄さんの生き方もまた、まさに今様。自らのミッションに気づいて人生を変えたのです。
しかしこの時期、小さな企業の多くは厳しい環境に置かれています。
多分古庄さんも、そう楽な経営ではないでしょう。
しかしミッションが明確なので、それが支えになっているように思います。

前にも書きましたが、近代の発想で起業しビジネスをするのは難しい時代のような気がします。
もっともっとみなが「ゆるやかなつながり」を育て、一人ではなくさまざまな人たちとシェアしあうような起業やビジネスを求めたほうがいいともいますが、それがなかなか難しいのかもしれません。

古庄さんはそうしたゆるやかなつながりの仕組みに動き出すようです。

■第2回東北応援コムケアサロン(2011年5月18日)
4月に続いて、東北応援コムケアサロンです。
今回は、被災地に行って着た数名の人が参加してくれたので、まずは石巻市に2回行っていた宮部さんから現地の体験を映像を使いながら話してもらいました。
やはり実際の体験談は刺激的でした。
被災された人たちの、心の奥を感じさせられて、軽々に「支援」などという言葉は使えないなと、私は改めて思いました。
そういえば、前回も酒田市の佐藤丈晴さんが、自分は「支援」や「頑張れ」という言葉は使わないようにしているとお話していました。

コムケアの仲間でもある水戸のコモンズ21の応援に行っていた大川さんからは、その関係で福島にも行ってきたことも含めて、価値観が大きく変わったという話をしてくれました。
その延長で、福島で被爆のリスクを負っている子どもたちや子育て世代の人たちの、生々しい話をもっと多くの人に聞いてもらいたいという具体的な提案もされました。

仙台を中心に連休中に上野と仙台で活動されていた阿部さんも参加しましたが、
いささか疲労していたせいか、今回はあまり話したがらなかったようでした。
あの話好きの阿部さんが話さない状況を見ていて、やはり現地での体験は鮮烈なのだろうと思いました。

自殺防止ネットワーク副理事長の竹下さんからは、東北での「被災者傾聴活動」のお話がありましたが、ちょうどいま現地で準備を進めている渦中だそうで、また決まったらご紹介や協力要請があると思います。
風とは別に、竹下さんから東日本大震災・子供応援プロジェクトの紹介やご自身の「新しい日本の絆づくり」構想(平時から自治体単位での支え合いのネットワークを育てていく)のアイデアの紹介がありました。
そこから、防災ツーリズムや姉妹都市ネットワークなどに話題は広がりました。

大川さんの話ともつながりますが、やはり最後は話題は原発事故でした。
地震・津波の被災と原発事故の問題は全くと言って良いほど異質な面を持っています。
そこを整理しながら、長い目で被災地への関心を維持していきたいと思います。

今回は、コムケアにはまだ参加したことのないお2人が参加されました。
アートセラピーの仕事をされている方と雫石の支援をされている農と食に取り組んでいる中西京子さんです。
お2人のお話も面白かったのですが、いつかまた書く機会もあるでしょう。

阿部さんの悩み(2011年5月20日)
阿部オフィスの阿部さんがやってきました。
もしかしたら3.11症候群かもしれないと思うようなお話でした。
話しているうちに、どんどんプライバシーに関わる話に進んでいきました。
そこでハッと気づいたのですが、最近、そういうことが多いのです。
なぜでしょうか。
時代の空気でしょうか。
被災者は全国似ると誰かが言っていたのを思い出しました。

駆け込み寺としての湯島が、最近戻ってきたようです。

■スリーA認知症予防フォーラム最初の集まり(2011年5月21日)
4月9日に開催した「スリーA方式認知症予防ゲーム体験型フォーラム」で呼びかけたネットワークの最初の集まりを開催しました。
京都のNPO認知症予防ネットの高林さんも参加してくださったので、ゲームの体験もしてもらうことにしました。
そのため、ネットワークの展開そのものの運営と言う本来の集まりの主旨は十分時間が取れませんでしたが、新たに参加してくれた人も多く、結果的にはいい集まりになりました。

このゲームは一つひとつはよくあるゲームとそう差別化はできないのですが、体験してみると考案者の高林さんによって、とても効果的に編集されていることがわかります。
どうにかしてこのゲームの体験の場を広げていければと思います。

秋にはまた公開フォーラムを開催しようと思います。
あまりにも内容がたくさんあるので、報告し切れません。
関心のある方はネットワークにぜひご参加ください。

■自殺のない社会づくりネットワーク交流会(2011年5月21日)
毎月の交流会でした。
今回はほとんどが新しい参加者でした。
報告は自殺のない社会づくりネットワークのホームページにゆだねます。

終了後、事務局長とこれからの展開に関して話し合いました。
ともかく事務局体制が弱いのです。
どなたかやってくださる人はいないでしょうか。

(2011年5月第2週)
まだ調子が戻ってきません。3.11症候群かもしれません。
■畑仕事(2011年5月8日)
■明洞(2011年5月9日)
■風邪が治っていませんでした(2011年5月11日)
■Wikivox構想(2011年5月11日)
■福島大仏構想(2011年5月13日)

■畑仕事(2011年5月8日)
1週間ぶりにまた家庭農園の雑草とりです。
前回は娘たちの手も借りて、ナスやキュウリやトマトなどを植えましたが、道路に面した傾斜地が笹や雑草に覆われているのです。
農園を始めた妻は、そこに花畑を作っていたのですが、そこが放置されていたのです。
業者の方を頼んだほうがいいと思うくらいに荒れ放題になってしまっています。
いよいよそこの整備に取り掛かることにしました。
今年は花畑を復活させたいと思っています。

■明洞(2011年5月9日)
近くに韓国料理のお店が開店しました。
これまで駅前にあった「明洞」というお店ですが、場所を変えたのです。
駅前時代には行ったことがありません。
めずらしく娘たちが行こうと言うので一緒に出かけました。
夕食時でしたが、だれもお客さんがいません。
お店をやっている夫婦が客席に座って話していました。
開店9日目で、新聞折込のチラシまで配っていたのに最後まで客は私たち4人だけでした。

場所が悪いのです。
これでは早々に店じまいになってしまいそうです。
夫婦も何となく元気がありません。
話してみると、日本に来てまだあまり長くないようです。
ご主人は日本語がまだ十分ではないようです。
今は夕食だけなのだそうですが、人どおりのない場所なので心配です。

味はまあ美味しかったのですが、活気がありません。
このままだと経営が難しそうなので、早速、フェイスブックでPRしました。
すぐ反応がありました。
フェイスブックの効用がこの頃少しずつわかってきました。

■風邪が治っていませんでした(2011年5月11日)
どうも連休にひいた風邪が治っていないようです。
なんとなく違和感があるのですが、まあ気のせいだろうと思っていたのですが、やはり熱っぽくなってしまいました。
体温は測定していないのですが、熱がありそうです。
わが家の体温計は、そうした私の感覚に合わないことが多いので計るのはやめました。
体温計のメモリが高くなれば熱があるというわけでもなく、やはり自分の感覚を信ずるのが一番に正確です。
それで、風邪が治っていないということに決めました。
ところが決めた途端に調子が悪くなりました。
意思が強いというべきか、弱いというべきか。

まあそんなことはどうでもいいのですが、最近、どうも気力が出てこなかったのは、世間のせいではなく、単に風邪がなおっていなかったせいかもしれません。
もしかしたら、最近流行の「3.11症候群」かもしれません。
風邪だと決めたのは昨日ですが、今朝も最悪です。
今日は約束があるので、湯島に行かねばいけません。
大正製薬のゼナを飲んで出かけます。
あいにくの雨です。

■Wikivox構想(2011年5月11日)
久しぶりに音羽さんが訪ねてきました。
新しい構想に取り組んでいるそうです。
その構想はWikivoxです。
音羽さんの説明では、「分散する国民の声を一か所に集め、一人一人の情報やアイデアによって作られた構想を精度高く、スピード感を持って社会に反映される仕組みを構築すること」が目的です。
すでにフェイスブック上にこのコーナーができています。

この構想のきっかけは、今回の原発事故のようです。
音羽さんはこういいます。
「僕たち一個人が普段から関心を持っていればこれほどまでに酷い事態にはならなかったのではないか」

そして、「色んな場所で色んな人が分散して取り組んでいるが、それらの情報を一か所に集めて国民の誰もが意見を言えるインフラを作れるのであれば、関心を持たない人の方に問題があるような認識になるのではないか」と考えたのです。
それがこのWikivox構想です。

私はこれまでも書いているように、制度発想ではありませんから、この種の構想は苦手です。
こうした知のプラットフォームは誰かが創るのではなく、自然と生まれるものだと思っています。
しかし、最初からゼロでは生まれるものも生まれないのも事実です。
いろいろと議論しましたが、もう少し多様な意見をぶつけあう、ネットではないリアルな場と実際に問題に取り組む実践が必要ではないかと話しました。
私自身まだクラウド社会のイメージをつかみかねていますので、評価能力が不足しています。
ご関心のある方はネットでWikivoxにアクセスしてみてください。
まだ試作段階のようですが。

■福島大仏構想(2011年5月13日)
しばらく関西に行っていた杉原さんが湯島に来ました。
いろいろと話しているに、杉原さんの原発事故への反応の強さがわかりました。
いまはギリシアにいる橋本さんと一緒かもしれません。
原発事故の報道で、見えてくるものは、人によって全く違います。
改めてそれを感じました。

いろんな話をしているうちに、地域社会の記憶のような話から、福島大仏構想の話が出てきました。
杉原さんが言うには、東大寺を建立する時も国家的に大変な状況だった、なぜ大仏建立と言う国家事業がつくられ実現されたのか、そこに今回の危機状況克服のヒントがあるのではないかと言うのです。
大仏といっても宗教的な意味合いを込めているのではありません。
仏ですから、まったく仏教から無縁と言うことにはなりませんが、杉原さんが「大仏」にこめているのは象徴的な、しかしスピリチュアリティが込められたものなのです。

いろいろと考えさせられる要素を感じます。
それでフェイスブックに書いたら、早速数人の人が反応してくれました
総じて評判はよくありません。
そこにもまたヒントがあります。

フェイスブックは面白いです。
「近代人」の本質が見えてきます。

(2011年5月第1週)
今週は内容の全くない項目的な記事だけです。
いろんなことがありすぎて、きちんと書く気力がありません。
それにちょっと風邪気味なのか、体調が良くありません。
■東北被災地からの便り(2011年5月3日)
■久しぶりのFOSミーティング(2011年5月4日)
■DSTとまちづくり(2011年5月4日)
■スリーA方式認知症予防ネットワーク(2011年5月5日)
■親知らず歯の抜歯(2011年5月6日)
■フェイスブックで旧知に会えます(2011年5月7日)

■東北被災地からの便り(2011年5月3日)
連休で東北の被災地に応援にいっている友人・知人たちから次々と現地の情報が入ってきます。
思っていた以上に大変ですというのが共通した声です。
写真ではなかなかそれが伝わってきません。
それにしても多くの人が現地にいっているようです。
なんとなく罪悪感もでてきますが、動けずにいます。

■久しぶりのFOSミーティング(2011年5月4日)
ビジネス関係なのであまりこのサイトには出てきませんが、FOSグループというのがあります。
毎月何回かあってはいるのですが、公開する性格のものではないのであまり書いてはいません。
しかしたまには書いておかないと、痕跡が残せません。
私の全生活はこのサイトに残しておきたいと思っていますが、時折、スポット抜けているものがあるのです。

FOSは、藤本、奥山、佐藤の略です。
数年前にその3人であるビジネスプロジェクトに取り組みました。
しばらく中断していましたが、その取り組みがある成果を生み出したのです。
それでまた再開したのですが、いつかその内容もまた公開したいと思います。

■DSTとまちづくり(2011年5月4日)
ラーニングビジョンの小澤さんが、DSTを活用したまちづくりのプロジェクトの相談に来ました。
一昔前なら私自身も一緒になって企画し、行動するのですが、最近どうも動けなくなっています。
それで新潟水辺の会とのコラボレーションを協力することにしました。
今回の原発事故で信濃川に鮭を遡上させるプロジェクトでの東電などとのコラボレーションが大きく後退してしまったので、
私もこのNPOの顧問を辞めさせてもらおうと思っていたのですが、
このプロジェクトが動き出したら、少しはまた存在価値が出てくるかもしれません。

■スリーA方式認知症予防ネットワーク(2011年5月5日)
4月9日に開催したスリーA方式認知症予防ゲームの体験フォーラムで呼びかけた
ネットワークの最初の集まりを開催することにしました。
5月21日です。
これを契機に、やわらかなネットワークを立ち上げます。
認知症予防ゲームと言っていますが、認知症にあまりこだわらずに、みんなが心を開いて元気になれるようなゲームなのです。
もしよかったら参加してください。
集まりの案内はお知らせのコーナーに掲載しました。

■親知らず歯の抜歯(2011年5月6日)
いよいよ親知らず歯を抜くことにしました。
手術日は6月2日です。
今日はその打ち合わせだったのですが、よく聞いたらやはり9日くらいの入院が必要のようです。
たかが抜歯で9日間、いささか長過ぎて、退屈しそうです。
しかしまあそれは原則なのだそうです。

ところで、このことをフェイスブックに書いたら、いろんな人からコメントが来ました。
フェイスブックでの交流のポイントは反応しやすい記事や写真だと聞いていましたが、身を持ってそれを体験しました。

■フェイスブックで旧知に会えます(2011年5月7日)
フェイスブックは少し飽きてきましたが、それでも時間の合間にのぞいています。
旧友との出会いは時々起こります。
今日、フェイスブックの友達を探すと言う頁を開いたら、その最初に懐かしい名前が出て来ました。
しばらく会ったことのない人ですが、その活動が気になっていた人です。
早速つながりました。
友人の友人を見ていたら、これまた4年前に一度会っただけですが、記憶に残っている人と出会いました。
今世界を自転車で回っているようで、現在はシリアの近くにいるようです。
フェイスブックをやっていると、こんなことがよく起こるのです。

みなさんもやってみませんか。

(2011年4月第4週)
今週もパフォーマンスが低下していました。
ばたばたしているのに、一体何をやっているのだろうかと思うほどです。
■人材育成研究会の提言のまとめ(2011年4月25日)
■成田山新勝寺(2011年4月26日)
■フェイスブックの罠(2011年4月27日)
■オフィスに届いた1冊の本(2011年4月29日)
■東北応援コムケアサロン(2011年4月29日)
■オープンサロン(2011年4月29日)
■自殺のない社会に向けての交流会(2011年4月30日)

■人材育成研究会の提言のまとめ(2011年4月25日)
大震災のため延期されていた委員会が開催されました。
最終会で提言を議論しました。
こういう時期に提言を出すのは、たとえテーマが何であろうと大震災を意識しないわけにはいきません。
それほど世界は変わったのだろうと思います。

今回のテーマは、大学と企業の関係が大きな議論のひとつでした。
単発的な仕組みづくりではなく、関係性の見直しが求められているように思います。

提言は5月には発表されます。
発表されたらまた報告します。

■成田山新勝寺(2011年4月26日)
前から行こうと思っていた成田山新勝寺に娘夫婦たちと行きました。
本当の目的はうなぎを食べることでした。
しかし、時世柄、一応、安全祈願が目的です。

残念ながら地震でいろいろなところに被害を受けており、庭は封鎖されていました。
古いお堂も入れないようになっていました。

うなぎはいつも「豊川」なのですが、参道には鰻屋さんがいくつかあるのに、いつもここだけが混んでいます。
今回もそうでした。
しかし気のせいか、ちょっと味が落ちていいました。

帰路、房総風土記の丘に立ち寄りましたが、ほとんど人はいませんでした。

■フェイスブックの罠(2011年4月27日)
フェイスブックにますます引きずり込まれそうです。
時間的にはそうたいした時間は割いていませんが、パソコンを開くとまずはフェイスブックを開く習慣ができてしまいました。
友だち探しはちょっと進化し、友だちの友だちというルートではなく、友だちではない人の友だちのなかに、知り合いを探すことをはじめました。
なかなか知り合いに巡り会いませんが、その途中で、昔会ったことのある人に出会ったりします。
リンクのシェアというのもやってみました。
これも面白いですね。

フェイスブックを使って、何ができるかを、そろそろ考える段階になって来ました。
いろいろと使い方がありそうです。

ちなみにフェイスブックにある私の頁にはここからいけるはずです。
こんな雰囲気だというのを見てください。

■オフィスに届いた1冊の本(2011年4月29日)
久しぶりに湯島のオフィスに行ったら、玄関のポストに1冊の本が入った封筒が差し込まれていました。
封筒に書かれた名前は、私の知らない人でした。
本は安田好弘弁護士が書いた「死刑弁護人」です。
安田弁護士は、光市母子殺害事件の弁護士です。
私は彼をブログで批判しています

メモが入っていました。

原発事故でいろいろNETをみていて「CWSコモンズ」に出会いました。
小沢さんや鈴木宗男さんに対する見解や自殺のない社会、マスコミに対するスタンス、いずれも同じではないでしょうが、かなり近い考え方だと思います。
しかし、一つ「司法時評」での「光市母子殺害事件・・・・」に対する見解は異なります。
(中略)
なぜなのかは、たぶんマスコミ、ネット情報しか得られていないからだと思います。本当は光市事件の冊子があるので、それをさがしましたが見当たりません。代わりに少し言及している本をさしあげますので読んで下さい。

名前とメールアドレスが書かれていたので、本を受け取った旨のメールはさしあげました。
残念ながらアドレスが正しくないようで、戻ってきてしまいました。

本も読もうと思います。
かなり気は重いですが、わざわざ本まで届けてくれたことに感謝しなければいけません。

ちなみに、その方が参加していると思われるフォーラム90の機関紙も同封されていました。
フォーラム90は、ご存知の方もあると思いますが、1990年に発足した、死刑廃止国際条約の批准を求める個人のグループです。
私も死刑制度を考えた時にネットで調べて知ったのですが、サイトが更新されていなかったので、活動は休止しているのかと思っていましたが、しっかりと活動されていることを知りました。

■東北応援コムケアサロン(2011年4月29日)
東北応援プロジェクトに取り組んでいるコムケア仲間も少なくないので、今月は「東北応援コムケアサロン」と称して、実際に活動を展開している人たちを中心にしたサロンを開催しました。
14人の人が集まりました。
参加者のお一人の長岡さんがブログデ報告記事を書いてくれたので、内容はそれに任せます。
それ以外にも書きたいことはたくさんあるのですが、面倒なので、コムケアのメーリングリストに流した記事を再録します。
コムケアセンターの佐藤修です。

アーツ・フォー・ホープに取り組んでいるWAPのみなさん、HEART for Japanの事務局の南野さん、東北仲間プロジェクトの阿部さんたちから、それぞれのお話をしてもらいました。
福島の被災地の応援活動をされている。酒田市の佐藤丈晴さんもわざわざ来てくださり、被災地の状況や問題などもお話くださいました。
また翌日から釜石に行く浦山さんも、直前の忙しい中を参加してくださいました。
全員で14人が集まりましたが、さまざまな立場の人の集まりの意義を改めて感じました。
一昨日まで東北に行っていた阿部さんの、声をつまらせての報告も印象的でした。
コムケアサロンは、しばらく東北応援をテーマにして、ゆるやかな情報交換を続けていければと思います。

さまざまな取り組みのお話をお聞きしながら、これは「支援」とか「応援」とかという話ではなく、私たち一人ひとりの生き方を見直す活動であり、そのなかから生まれる「支え合うつながり」が社会を変えて行くのではないかと思いました。
5月の日程はまだ決めていませんが、決まり次第、ご案内させてもらいます。

参加した長岡さんもブログで報告記事を書いてくれています

■オープンサロン(2011年4月29日)
今月は最後の金曜日が祝日でしたが、恒例のオープンサロンを開催しました。
自殺未遂サバイバーの吉田銀一郎さんが参加したので、前半は「自殺問題」が中心になりました。また中国から日本にきて7年目のNさんが参加されていたので真ん中はその話になりましたが、結局は自身や原発の話になってしまいました。
長岡さんが水俣病の教訓まで紹介してくれましたが、長岡さんも紹介途中で胸がいっぱいになったようで声を詰まらせました。
今の日本は、みんな感情を高ぶらせているようです。

私は2つのサロンでかなり疲れてしまいました。
実は加えて、一昨日から風邪気味で、今日も出てくる前に、大正製薬のゼナを飲んできたのです。
帰宅したらどっと疲れが出て、ダウンしてしまいました。

■自殺のない社会に向けての交流会(2011年4月30日)
連日のサロンで疲れていますが、今日は自殺のない社会づくりネットワークの恒例の交流会でした。
ゼナを飲みながら、参加しました。
久しぶりに内田さんや三瓶さんも参加されました。

福山さんが11月にフォワードのフォーラムを開催したいという提案がありました。
これまでのフォーラムと違い、目的を明確にしなければいけないのでそう簡単ではない気がします。
フォワードとは、自殺企図者や自殺未遂者を呼び変えたくて、このネットワークを立ち上げる時に私が提案して命名させてもらったのですが、あんまり広がってはいません。

そのフォワードでもある吉田銀一郎さんも参加しましたが、彼はなかなかみんながフォワードの声に耳を貸さないので、全国を竹馬で行脚しようというような少し目立つ活動をしようと計画しています。
これに関してもいろいろと話し合いがありました。

自殺予防ネットワーク風の副理事長の竹下さんからは今回の大震災以後、相談が急増しているというお話がありました。
被災者の自殺の問題に関しても話をしてくれました、
ますます何ができるかを考えなければいけません。

今回はコムケア仲間になっただんらんの中川さんも参加しました、
突然の自殺問題の話し合いだったので、少し戸惑ったかもしれません。
最近、だんだん交流会が検討会のようになってきたのが残念です。
合体していたコムケアのささえあいサロンをやはり復活させようと思います。
やはり「自殺問題」に関わる人たちの意識は「自殺」なのは仕方ありません。
「大きな福祉」の理念はなかなか体現されないことを痛感しています。

(2011年4月第3週)
■我孫子に若者たちのネットワークはないのか(2011年4月17日)
■東北を元気にしたい(2011年4月18日)
■フェイスブックの効果(2011年4月21日)
■久しぶりの荒川創さん(2011年4月23日)

■我孫子に若者たちのネットワークはないのか(2011年4月17日)
我孫子で音楽活動もしている宮内さんが、「手賀沼のほとりの小さな料理教室」を主宰している泉さんとわが家に来てくれました。
泉さんが仲間の若者たちと一緒に、東北被災地を応援しようと取り組んでいるチャリティ販売市の関係で、私も泉さんを知ったのです。

宮内さんから例によってまた ipad の魅力を聞かされました。
最近、フェイスブックをやりだしたので、私もタブレット型の端末がほしくなっています。

泉さんはいろんな活動をされています。
私が知る限り、我孫子市の若者たちのネットワークがなかなか見えて来ないのですが、泉さんに訊いてみました。
泉さんも同じような思いを持っていました。
であれば、やはり自分たちでつくるしかありません。
一度、考えて見ようと思います。

■東北を元気にしたい(2011年4月18日)
先週末に久しぶりに阿部達明さんから電話がありました。
東北を元気にしたいのだと言うのです。
そしてあるプロジェクトを構想している若者が要るので会ってほしいといいます。
その熱意に押されて、今日、お会いしました。
クリスタルライフコーポレーション株式会社を立ち上げたばかりの森住恵美子さんです。
お話をお聞きして、感心しました。
当面の取り組みは、まあよくある事業なのですが、大きな構想の中で考えていることにです。
そして、大きな構想にもかかわらず、現実感をしっかりもって、事業性と社会性を一体として考えているのです。
なによりもそのスピード感です。
何ができるかわかりませんが、応援することにしました。

第1弾の事業は、今月28日に上野駅から始まります。
5月5日には仙台でイベントも開催するそうです。
長期的な発想で取り組むようですので、どこかでまたきちんと案内するようにします。

■フェイスブックの効果(2011年4月21日)
最近、ようやくフェイスブックの効用がわかりだして来ました。
まだ私自身のネットワークは100人にも達しておらず小さいのですが、それでもいろいろと刺激を受けられます。
またプロジェクト同士のリンクもできそうです。

もう一つの効果は、WEB3.0ということで、データの外部蓄積化です。
自分のパソコンがなくてもメールもできますし、それに相手のアドレスの変更で連絡がつかなくなると言うことが発生しなくなります。
この効用は大きいでしょう。

クラウドシステムが少しわかってきました。
フェイスブックがいいかどうかはともかく、間違いなく情報環境は変質しつつあるようです。

■久しぶりの荒川創さん(2011年4月23日)
東北元気プロジェクトの阿部さんがこれから仙台に向かうと羽田空港から電話してきました。
フットワークがいいのはわかりますが、阿部さんはいつも突然です。
いそいで仙台にいる若い友人たちに連絡を取りました。
こういう時にはフェイスブックは便利です。

連絡が取れた一人が、日本構想学会で一緒だった荒川創さんです。
石巻市で活動していると聞いていたので心配していましたが、最近は仙台で活動しているようです。
AFHプロジェクトなどの話を伝えていたら関心をもってもらえたので、阿部さんのことを伝えました。
彼も忙しくやっているようです。
しかしみんながいろいろと動いてくれると思うと希望が出てくるといってくれました。

久しぶりに話しましたが、元気そうでした。
近いうちにまた会えるかもしれません。

(2011年4月第2週)
今週もまた、忙しいのか暇なのかわからないまま終わってしまいました。
それにしても、最近は時間が早く過ぎます。
原発事故の性で、時間速度が変わってしまったような気さえします。
今週は特に書くこともないのですが、久しぶりに小学校から大学まで、旧友と話しました。
一番ホットになってしまったのは、大学の同窓生です。
話題が原発の話になってしまったため、過剰反応してしまいました。
相手はいずれも大企業の経営陣だったのですが、そしてその内の1人は、もう退社していますが、原発関係の会社にいました。
だから私よりも事情に通じていますので、私もついついホットになってしまいました。
久しぶりに大学時代に戻った気分ですが、戻ったのは私だけだったかもしれません。
困ったものです。

一時期、ダウンしていた小学校時代のぽんゆうの1人は少し元気を回復していました。
その一方で、今回の大震災や原発事故で少しダウンしている人もいます。
人に会うと元気になるような元気を削がれるような、そんな気がして、しばらく人と会うのをやめようかという気に、私もなってきました。
しかし、人に会うのを止めたら、たぶん私はますますダウンするでしょう。
それに突然会いたいという電話も時々あります。
すべてに応えていたら身が持ちませんが、応えていないとなにか後まで残ります。

週の始めと終わりに、農作業をしました。
近くの人が手伝ってくれて、農園も農園らしくなってきました。

一つだけ報告しておきたいことを思い出しました。
先週報告したATKTプロジェクトですが、名前がAFH、ARTS FOR HOPE と変わりました。
詳しくは、プロジェクトをたち上げた高橋さんのWAPのサイトをご覧下さい。
高橋さんのエネルギーにはいつも感心しています。
何か役立てないかと思い、当方にいる友人たちに連絡をとりました。
何人かから連絡がありました。みんなそれぞれで大変なようです。

今週はもう一つ、変化がありました。
フェイスブックが少しずつわかってきたことです。
発想を変えれば、使えることがようやくわかりました。
私の生き方の原点に戻ればなんでもなかったのです。

時間がある時に、少しずつフェイスブックを活用していきたいと思います。
そのためにタブレット端末が必要ですが、残念ながらいまは買うお金がありません。
やはり仕事をしなければいけません。
困ったものです。

(2011年4月第1週)
■スリーA方式認知症予防ゲーム体験フォーラム(2011年4月9日)
■福島原発事故の深刻さがようやく見え出しました(2011年4月10日)
■千葉県県議選(2011年4月10日)

■スリーA方式認知症予防ゲーム体験フォーラム(2011年4月9日)
地震が起こった関係で、一時は延期しようかと思ったフォーラムですが、
こういう時期だからこそという声に押されて予定通り開催しました。
残念ながら予定よりも参加者は少なかったのですが、40人を越える人たちが参加してくれ、
4時間の密度の濃いフォーラムになりました。
スリーAとは、「あかるく、あたまをつかって、あきらめない」の3つの特徴の頭文字の「あ」に由来します。
詳しくは、この精神とゲームの普及に取り組んでいるNPO認知症予防ネットのホームページをご覧下さい。

その代表の高林さんが、東日本ではなかなか広がらないと嘆いていたので、その広がりの契機にしたいと思い、開催したのです。

講演あり、体験談あり、ゲームあり、話し合いのワークショップあり、の盛りだくさんのフォーラムでしたが、あっという間の4時間でした。
参加した人にはとても好評で、認知症予防だけではなく、もっと大きな効用があるのではないかという気づきをたくさんの人が得たように思います。
このフォーラムを契機に、やわらかなネットワーク組織をスタートさせることにしました。
発展できるかどうかは、これからの半年でわかるでしょうが、ゆっくりと育てられればと思います。
ご関心のある方はぜひご連絡下さい。
5月には最初の集まりを開催する予定です。

■福島原発事故の深刻さがようやく見え出しました(2011年4月10日)
福島原発事故はようやく少しずつ事実が語られ出しました。
もしかしたら東京までが廃墟になりかねませんが、そんなことがみんな受け入れられないのでしょう。
そうした危険性を見ようともせずに、みんな生きている、そんな様子は、まさにソドムとゴモラを想起させます。

見えてきたのは原発の真実だけではありません。
日本のジャーナリスト、とりわけマスコミの実体も見えてきました。
さらにそこからいろんなことが見えてきます。

しかし、見えてきてほしくなかったものも少なくありません。
最近は奇妙な疲労感が全身を覆っています。

■千葉県県議選(2011年4月10日)
県議選です。
こんな時期に選挙でもないと浦安市はボイコットしたようですが、とても共感できる。
そもそも県会議員は何をしているのでしょうか。
その存在意義はあるのでしょうか。
私にはあまりあるとは思えませんが、そもそも「政治体制」そのものの目的が露呈しつつある今、誠実な人であれば県会議員などにはなろうとしないと思いますが、何故かまだ立候補する人がいるわけです。
とはいいながらも、棄権するわけにはいきません。
消去法で残った人に投票する最近の選挙は、どうもモチベーションが高まりません。
投票率が低いことの意味を、もっと真剣に考えなければいけないと思います。

(2011年3月第5週)
生活リズムが完全に壊れてしまっています。
■ささえあい交流会(2011年3月27日)
■原発事故の深刻さ(2011年3月28日)
■ARTS for Tohoku Kanto Tsunami(ATKT)の呼びかけ(2011年3月29日)
■茨城産の野菜を買いに行きました(2011年3月30日)
■スリーA方式認知症予防ゲーム体験フォーラム実行委員会(2011年3月31日)
■フェイスブック開始(2011年4月1日)

■ささえあい交流会(2011年3月27日)
自殺のない社会づくりネットワークの交流会でした。
参加者は6人でしたが、いつもとちょっと顔ぶれが違いました。
対話法の浅野さんも久しぶりに参加してくれました。
こういう時期ですので、当然ながらいまの被災者たちに対して何ができるか、いろんな話が出ました。

それにしてもいつも感ずるのですが、こういうさりげない場がもっともっとあったらいいと思います。
私自身は、こうしたサロン活動を20年以上続けていますが、そのおかげでたくさんの人たちに支えられるようになってきています。
ありがたいことです。

■原発事故の深刻さ(2011年3月28日)
福島原発事故の深刻さがかなり明確になってきました。
しかしテレビではまだ現実の一部しか報道されていません。
誰も原発事故に関しては知識がありませんから、仕方がないことです。
テレビで事故の解説をしている学者や専門家は、原発推進に加担してきた人たちですから、ほとんど例外なしに弁解的かつ正当化思考で、その発言には信頼性がありません。
言葉も無意味な曖昧表現ばかりです。
その言語構造は、安全だが注意しろといった矛盾的なものです。
外国語はできても、生活用語の国語を学んでこなかったのでしょう。
一方、原発に批判的、懐疑的だった人たちは、現場に近づけさせてもらっていませんから、本当の意味での実態を知りません。
だからだれもわかっていないのです。

それに現場と意思決定者や広報担当がまったく別です。
実体から遊離した情報によって判断や情報発信がされているのです。
企業広報、政府広報に関わっている知人は多かったのですが、私の知るかぎり誠実な専門家や研究者は日本にはあまりいません。
日本広報学会を立ち上げて数年、理事もやらせてもらいましたが、少なくともその時には信頼できる学者や実践者には出会えませんでした。
もちろん私自身も含めてですが。

今回の事件はどう結末するのか、いささかの不安を持ちながら、動きを見守るしかありません。

■ARTS for Tohoku Kanto Tsunami(ATKT)の呼びかけ(2011年3月29日)
ワンダーアートプロダクションの高橋さんが新しいプロジェクトを立ち上げるので協力してほしいと言ってきました。
新しいプロジェクトはATKT、ARTS for Tohoku Kanto Tsunamiです。
今回の東北関東大震災の被災者の人たちに、何ができるかを考えた高橋さんの結論は、
震災孤児を中心に、こども、高齢者、病気の方々を対象にしたアートによる心のケアに取り組む長期的なプロジェクトです。

まだ途中の企画書を見せてもらいましたが、アドバイザーは数々の震災地域での実績を持つアメリカのアートセラピーの専門家たちです。
これまでの高橋さんの活動を活かしたプロジェクトです。
中長期的な視点で発想しているようです。

早速、協力することにしました。
さて私に何ができるでしょうか。

■茨城産の野菜を買いに行きました(2011年3月30日)
福島や茨城の野菜が風評被害で大変のようです。
そこで進んで茨城や福祉間の野菜を食べることにしました。
それで娘と一緒にスーパーに行って購入してきました。
結構売れているので安心しました。

テレビで野菜が廃棄されている状況を見てやりきれない気分でしたが、少しずつ流れ出しているようです。
不安をあおって対策を出さない行政は最悪です。

フェイスブックで、茨城産の野菜を買いに行ったと書いたら、拍手をもらいました。

■スリーA方式認知症予防ゲーム体験フォーラム実行委員会(2011年3月31日)
4月9日開催のフォーラム実行委員会を開催しました。
これまで2回開催しましたが、いずれも雪に見舞われました。
しかし今回は暖かな日でした。

5人のメンバーが集まり、内容を確定し、準備の役割分担もできました。
みんなで取り組むと本当にいいものになります。
自分の思い込みの強さに気づかされます。

後は当日を待つのみです。
参加者も40人を超えました。
まだ余裕があります。
関心のある方はお申込み下さい。

■フェイスブック開始(2011年4月1日)
フェイスブックをもう少しやってみようと思い出しました。
解説書を買ったのですが、あまりにも簡単すぎてわかりません。
やはり自分でやりながら覚えないといけなさそうです。

しかしやっているとなかなか面白いです。
構造がまだよくわかっているので、自分の発信がだれにどう伝わっているのかわかっていないのですが、書き込むとすぐに反応があることもあります。

私は携帯メールをやっていませんが、もしやっていたら確かにやみつきになりそうです。
そしてたぶん意識や行動が大きく変わっていくでしょう。
これからどう展開していくのか、ちょっと楽しみです。

(2011年3月第4週)
少しずつ活動も戻ってきていますが、生活リズムが変わってしまいました。
同時に価値観まで変わりそうです。
■信濃川・千曲川での鮭の稚魚放流イベントの中止(2011年3月19〜20日)
■認知症予防ゲームフォーラムを予定通り開催します(2011年3月21日)
■久しぶりにオフィス(2011年3月23日)
■LLPコモンズ手賀沼臨時総会(2011年3月23日)
■我孫子の水汚染(2011年3月25日)
■オープンサロン・コムケアサロン(2011年3月25日)
■原発事故の動向(2011年3月26日)

■信濃川・千曲川での鮭の稚魚放流イベントの中止(2011年3月19〜20日)
予定されていた表題のイベントは地震のために中止になりました。
実に残念です。
しかも福島原発事故のため、水力発電への要請が高まり、営々と積み重ねてきたこれまでの新潟水辺の会の活動は、一時、交替せざるを得なくなりました。
残念で残念でなりません。

■認知症予防ゲームフォーラムを予定通り開催します(2011年3月21日)
このサイトでもお知らせいしていますが、4月9日にスリーA方式の認知法予防ゲームの体験型フォーラムを開催しようと準備を進めてきましたが、東北関東大震災およびそれによる福島原発事故のため、延期しようかどうか迷いました。
そこで講師や実行委員の皆さんに相談したところ、「こういう時期だからこそ開催すべきだ」とみんなから言われました。
「こういう時期だからこそ」という言葉に目が覚めました。
予定通り結構です。
その案内を出したら、ありがとうございますと言う声が届きました。
また新たに2人の方がすぐに申し込んで来ました。
そして出来れば被災地にも出かけていけないかという声まで出てきました。

フォーラムは予定通り開催です

■久しぶりにオフィス(2011年3月23日)
1週間ほどオフィスに行かずに我孫子界隈で過ごしていました。
しかも被災地や原発事故の報道ばかりみていたせいか、精神的に少し落ち込んでしまいました。
それで久しぶりに湯島に出かけました。
机の上の黒めだかは元気でした。

電車の駅構内は照明が減らしてありましたが、むしろいい感じでした。
電車はすいていました。
しかしいろんなことに気づきます。
私たち、そして私の生き方には、まだまだたくさんの意味のない無駄がありそうです。

■LLPコモンズ手賀沼臨時総会(2011年3月23日)
事務局長の槙さんの体調の問題もあって、コモンズ手賀沼の体制を変えることになり、そのための臨時総会を開催しました。
といってもやはり地震の話題が中心になりました。
我孫子もいろいろと被災しているのです。

LLPの事務局長は太田さんが引き受けてくれることになりました。
いそがずに、ゆっくりと進めればと思います。

■我孫子の水汚染(2011年3月25日)
我孫子の水道水の汚染が全国ニュースでも流れたようです。
先週は、お米がないそうだねと2か所の人から電話をもらいましたが、今日はまた福井と福岡から水を送ろうかと電話がありました。
たしかにお店からはペットボトルの水は姿を消しましたが、水道水は出ていますので、わが家的にはまったく問題はないのです。
それに我孫子と言っても、被災した所とそうでない所の差は大きいのですが、テレビなどで一番ひどい被災地をみるとついつい心配になるのでしょう。

それにほうれん草が汚染されたとか水からも放射能が検出されたなどという、マイにとのデータを気にしていたら生きてはいけません。
データと言うものが、いかに意味のないものであるかを企業で仕事をしていた時の体験からよく知っていますので、私自身はデータはほとんど気にはしていません。

わざわざ茨城産のほうれん草を探して買ってきてもらい食べています。
ブログに書きましたが、こうした事態は、原発を認めた時に覚悟して行くべきことだったのです。
いまさら慌てるようなことはしたくありません。

■オープンサロン・コムケアサロン(2011年3月25日)
認知症関係のフォーラムの延期の相談をしたら、「こういう時だからこそ延期するな」と言われたことに元気づけられ、オープンサロンも予定通り開催しました。
それに加えて、地震直後だったため中止していたコムケアサロンも一緒に開催することにしました。
しかし、参加する人はあまりいないだろうと思っていたのですが、予想を超えて10人近い人が集まりました。
話題はもちろん地震と原発事故でした。
いろんな話題が出ました。
いつもより早目に始め、早目に終わる予定でしたが、なかなか終われませんでした。

地震の影響はいろんな所に出てきているようです。
目先はかなり大変なようですが、いい方向に舵が切れればと念じています。

■原発事故の動向(2011年3月26日)
原発は考えられるほぼ最悪のシナリオを進んでいるように思います。
言うまでもありませんが、これは完全に対応の失敗です。

ところで、この事故の関係で、昔話題になった平井憲夫さんの「原発がどんなものか知ってほしい(全)」がまた広がりだしています。
この論文に関しては、以前ブログでも紹介していますが、もしまだ読まれて以内方はぜひお読みください。
次の記事からリンクしています。

(2011年3月第3週)
11日に発生した東北関東大震災は死者行方不明が2万人に迫る大惨事になりました。
その上、福島原発が深刻な事態になりました。
これを書き出すときりがありません。
ブログにも何回か書きましたが、日本は変わっていくでしょう。

地震発生後の日曜日に湯島に行きましたが、オフィスは書類で散々でした。
しかし、その後、事態の深刻さがだんだん明らかになってきました。
当面の予定はすべてキャンセルされました。
その上、交通機関が不安定だったり、余震が続いたりしていたため、我孫子から出ませんでした。
我孫子もかなりの被災がありました。

しかし福島原発は深刻です。
おそらくこれは「人災」であるばかりでなく、対応策の完全な間違いだろうと思います。
政府の対応も東電の対応も、リスクマネジメントの基本を全く無視しています。

テレビは1週間ほど、ほぼ地震情報だけを流していました。
その影響は大きく、日本全体がメンタルダウンしているような気もします。
どこかおかしい、そんな気がしてなりません。

もちろん、そうした中から新しい動きも出てきています。
若者ががんばっています。
私は完全に脱落している気がしてきています。
社会から落ちこぼれつつあることを実感しています。

(2011年3月第2週)
今週はちょっと疲労気味です。
どうも書く気力が萎えています。
■日本の正義論(2011年3月8日)
■ナラティブと教育(2011年3月10日)
■国内最大の大地震(2011年3月11日)

■日本の正義論(2011年3月8日)
平和をライフワークにしている川本兼さんが、また本を書きました。
「日本生まれの正義論」です。
最近、ハーバードのサンデル教授の「正義論」が話題ですが、川本さんはそれに批判的です。
もちろんロールズの正義論も、です。
戦争を体験し、平和憲法を守ってきた日本人の「正義」の感覚は、
ロールズよりも、サンデルよりも、もっと先に進んでいると言うのです。

問題は、その感覚をどう「ロゴス」にしていくかです。
その課題に取り組んでいるのが、本書です。
川本さんの、これまでの数多い著作の集大成といってもいいでしょう。

実は本書を受け取ったのは先週です。
読み出しましたが、中途半端には読めないことに気づきました。
川本さんの思いがこもっているからです。
まだ読み終えていないのです。

しかし本書の意図はよくわかります。
そこで、川本さんを中心にした、「私たちの正義を考えよう」と言うサロンを開くことにしました。
数年前に一度、平和サロンを開いたことがありますが、継続できませんでした。
懲りずにもう一度やってみようと思います。
関心のある人はご連絡ください。
川本さんには私が頼んでみますので。

■ナラティブと教育(2011年3月10日)
今月のナラティブサロンは、富士ゼロックスの仙石さんが、「ナラティブと教育」を問題提起してくれました。
参加者も12人とにぎやかで、刺激的なサロンになりました。

私は、これまでの教育は、産業人を育成することが目的だったが、これからは人間を育てることが目的だと考えていますが、
その際に、ナラティブという視点が、そうした教育のパラダイム転換を支援すると思っています。
一人称で、しかも自動詞で語ることを、私は周りの人には勧めていますが、それはこれまでの学校教育とは正反対です。

話の内容は多岐にわたり、ここで紹介するのは難しいですが、
私が気づいたのは、ナラティブのメディアは言葉ではないかもしれないということです。

最近の認知科学の知見では、人の行動は必ずしも意志によって起こされるのではないということです。
むしろ身体が動くことで意志が生まれるというような理解もできます。
もしそうであれば、物語は言葉で物語り出されるのではなく、物語が言葉を生みだすということになります。

実は次回は、言葉を使わないナラティブがテーマなのです。
ナラティブサロンは面白くなってきました。

■国内最大の大地震(2011年3月11日)
東北地方太平洋沖地震が発生しました。
M8.8という、国内観測以来の最大規模だそうです。
運良く今日は在宅でしたので、発生後、ずっとテレビを見ています。
津波の様子もまるで映画のような風景です。
なかには早く逃げればいいのにと思っているのに逃げずに水に巻き込まれるような場面もあります。
それにしても、すぐそこに危険が迫っているのに、そこにいる人はなかなかそれに気づかないのかもしれません。

わが家も少し被害がありました。
娘のコレクションのヴェネチアンもかなり破損しました。
私のふくろうのコレクションにもヴェネチアンガラスがありますが、それも耳が欠けてしまいました。
書庫の書籍はもうめちゃくちゃです。
しかし、大きく、長い地震でした。

首都圏の交通機関はほとんどすべて止まっているようです。
死者もすでに40人を超えています。

自然が怒っているようです。

(2011年3月第1週)
■スリーA認知症予防の真髄は優しさのシャワー(2011年2月28日)
■経営道フォーラム中間発表会(2011年3月1日)
■久しぶりの農作業(2011年3月2日)
■我孫子市の市議会議員の久野さんの元気さ(2011年3月4日)
■経営における論理と情(2011年3月4日)
■共済事業の現代的意義(2011年3月5日)

■スリーA認知症予防の真髄は優しさのシャワー(2011年2月28日)
4月9日に「スリーA方式認知症予防ゲームの体験フォーラム」を開催することを決めましたが、その正式の実行委員会を行いました。
全国マイケアプラン・ネットワークの島村さんと全国育児介護福祉協議会の加納さんが新たに参加してくれました。
他にも実行委員会のメーリングリストには12人が参加し、メーリングリストでもいろいろと意見が行きかうようになりました。
韓国にお住いの佐々木典子さんまで参加してくれました。

案内もほぼできましたので、このサイトにもアップしました。
定員が50人ですが、このフォーラムから新しい風が起こしていければと思っています。
フォーラムを契機に新しいネットワークを断ち上げますので、ぜひ関心のある方はご参加ください。
私に連絡いただければ、メーリングリストに登録させてもらいます。

ちなみに、スリーA方式の認知症予防ゲームの真髄は「優しさのシャワー」です。
認知症という言葉がついていますが、誰にでも効果的なゲームですので、若い人も含めてこのネットワークに参加していただければと思っています。
お知らせのコーナーに案内を載せました。

■経営道フォーラム中間発表会(2011年3月1日)
経営道フォーラム48期生の中間報告会でした。
私は「報告」ということにほとんど関心のない人間ですので、いつも気乗りのしない会なのですが、それもあってやや八つ当たり的なコメントをすることがあります。
今回の被害者は私の担当するDチームです。
こうして私は人に嫌われていくわけで、困ったものです。

5つのチームの発表を聞いていていつも思うのは、議論と実践のギャップです。
果たしてこうした議論は意味があるのか、悩ましく思います。
もっと身を入れてコミットすればいいのですが、なかなかそうもいきません。
経営をテーマにしたサロンを開催しようと思うこともあるのですが、それも気が重いので踏み出せません。
しかし今年は一歩踏み出してみようかとも思っています。

■久しぶりの農作業(2011年3月2日)
ブログに書きましたが、久しぶりにわが家の農園で農作業をしました。
と言っても、自発的ではなくやむを得ずにです。
農園の近くのお宅の人がやってきて、荒れているので整備しますよと申し出てくれたのです。
そこまで言われると放っては置けませんので、やらねばいけないことが山積みだったもですが、農作業を優先しました。
そのおかげで予定の流れが一変してしまいました。
人生、何が起こるかわかりません。
まあ、そんな大げさな話ではないのですが。
腰が痛くなりました。

■我孫子市の市議会議員の久野さんの元気さ(2011年3月4日)
我孫子市の市会議員の久野さんに会いました。
先ほどの市長選の時にはじめてお会いしたのですが、その勢いのよさにちょっと関心を持ったのです。
何かを起こそうとしている人には、勢いがなければいけません。
それと敵を持たねばいけません。
久野さんにその2つを感じたからです。

先の我孫子市の市長選では、20代で投票に行った人は4人に一人だったそうです。
彼はそれを憂いています。
たしかにそうですが、選挙には関心を持てと言っても無理でしょう。
それをどうするか。
若者世代のネットワークがつくれないかと相談しましたが、簡単ではなさそうです。
彼にできなければ、他の市会議員には無理かもしれません。
ポピュリズムではない「みんなの選挙」をどう実現するかは大きな課題です。
ちなみに、「みんなの党」はみんなの政治とは全く正反対の政党だろうと思います。

久野さんは先の選挙では、坂巻さんと一緒に活動しました。
その結果は残念でしたが、そこから得たものは多かったはずです。
それを活かすためにも、次への行動をしっかりと計画して動き出さねばいけません。
時々また話し合おうと思います。

■経営における論理と情(2011年3月4日)
久しぶりにホーユーの水野社長が湯島に立ち寄ってくれました。
水野さんとはあるプロジェクトに関して数年前に少し接点があったのですが、その時にわが社には4代続いての従業員がいるという話をお聞きして、強い関心を持ったのです。
会社が人間の集まりである以上、論理よりも情が基本になければ組織は持続できないはずです。
論理と情は決して、二律背反ではありません。
情を組みこんだ論理は、近代ではあまり好まれませんが、情のない論理は私には考えられません。
人間ですから。

湯島にはいろんな会社の社長がやってきました。
その会社の社長室で会う時と湯島で会うときとは、不思議と雰囲気が違うのです。
湯島で会うと、その人柄が見えてきます。

■共済事業の現代的意義(2011年3月5日)
このサイトでもお知らせしていた共済研究会の公開シンポジウムでした。
私は共済研究会では味噌っかすメンバーですが、今回はコーディネーター役を引き受けてしまいました。
共済研究会の運営委員の佐々木さんと相馬さんに引きずり込まれたのですが、共済事業の専門家のシンポジウムで、共済事業のど素人の私がコーディネーターをやるのですから、頼むほうも頼むほうですが、引き受けるほうも引き受けるほうです。
しかし、幸いなことに、運営委員の皆さんが極めて支援的で、ほとんどいつものコムケアフォーラムの乗りで進行させてもらいました。

私が担当したのは話し合いのセッションですが、その前に坂井幸二郎さんという、保険と共済の世界での大長老に基調講演をしてもらいました。
93歳の坂井さんの話には、形にも言葉にならないものが共済の本質だというメッセージがあり、とても共感しました。
しかし93歳の人を呼ぶほど、この世界には人がいないのかとも思いました。
その後、話し合いのテーマの「共済事業の現代的意義」について、明大の押尾教授(今回のシンポジウムの実行委員長でもあります)にテーマ解題をしてもらいました。
実に内容のしっかりしたお話であると共に、押尾さんの志を感じました。

その後、4人のパネリストを中心にしたパート1と会場からの発言を中心としたパート2に分けて話し合いを行いましたが、時間がもっとあればと思いました。
パネリストには共済事業関係者以外に、最近、反貧困たすけあいネットワークを立ち上げた河添さんにも参加してもらいました。
実にいい話をしてくれました。
時にあまりに強引な私の問いかけに、「無茶振り」だと言いながらも、誠実に応えてくれました。
開場からの発言ももっとあったらいいなと思いましたが、一人称で語ってくれる人が多かったので、とてもうれしく思いました。

実は準備ができていなかったので、上手く行くかどうか不安だったのです。
しかしなんとか私の思いも7割くらい果たせたかなと思います。
運営委員でもある本間さんは早速佐々木さんに「共済研究が、今後歴史的、社会的視野で考えていく方向に舵がとられたと思う」というようなことを伝えてくれたようですが、もしそうであれば実に嬉しいことです。

私が最後に話したことは次の3つです。
・保険と共済の関係の逆転が必要
・共済のブランディングが必要
・事業発想ではなく文化発想への転換が必要
詳しくは、このシンポジウムの記録が「賃金と社会保障」に掲載されますので、またご案内します。

(2011年2月第4週)
■河津桜が開花(2011年2月20日)
■「社会的共通資本としての川」(2011年2月20日)
■市民と住民(2011年2月21日)
■矢祭町の真実(2011年2月22日)
■一人称で物語りだそう(2011年2月22日)
■LLPコモンズ手賀沼の存在価値(2011年2月23日)
■タグラボ研究会への期待(2011年2月24日)
■タグラボとコーチのコラボレーション(2011年2月24日)
■企業にとっての若者の育成確保(2011年2月25日)
■中東の反政府運動と日本の企業の実態をつなぐもの(2011年2月25日)
■みんなが安心して暮らせるシェルターを考えるフォーラム報告書(2011年2月26日)

■河津桜が開花(2011年2月20日)
庭の河津桜が咲きました。
例年よりも1週間ほど早い開花です。
今年も春到来です。

■「社会的共通資本としての川」(2011年2月20日)
しばらく積んでおいた本があります。
大熊孝さんと宇沢弘文さんによる共編の「社会的共通資本としての川」です。
内容がハードな上に400頁を超える大著なので、開くのを躊躇していました。
3月に千曲川で鮭の稚魚を放流するイベントで大熊さんに会うので、それまでには読んでおこうと思い、はじめて頁を開きました。
目次を見ると懐かしい岡田幹治さんの名前が出てきたり、ぱらぱらめくると空海の名前さえ出てきたりしています。
それで急に親しみが出てきて読み出したら、とても読みやすく面白いのです。
かなりじっくりと読ませてもらいました。
ブックのコーナーに書きましたが、私のテーマとあまりにも重なっているので驚きました
これからの社会のビジョンに関心のある人にはぜひお薦めします。

■市民と住民(2011年2月21日)
平凡社新書の「市民社会とは何か」を読みました。
日本における「市民社会」の意味内容が大きく変わってきていることを丁寧に整理してくれています。
私の違和感が整理できました。
やはり私の感覚は、「市民」ではなく「住民」が起点であることを、改めて確認できました。
人は大地に足をつけて活動しなければいけません。
そうした視点から自分の生き方を振り返ると、反省することばかりです。
これからの生き方を少し考え直さなければいけませんが、いささか気が重いです。

■矢祭町の真実(2011年2月22日)
「もったいない図書館」で有名な福島県矢祭町の噂が最近別の意味で入ってきます。
全国に呼びかけて、本を集めてお金をかけずにつくった「もったいない図書館」には、本の収蔵庫的な施設として6億円が使われたと言うのです。
もしそれが事実だとしたら、悪質なハコモノ行政です。
施設づくりのお金を増やすために、内容となるべき書籍代をゼロにしただけの話ですから。
これは本当のことでしょうか。
どなたかご存知であれば教えてくれませんか。

■一人称で物語りだそう(2011年2月22日)
経営道フォーラムのDチームのメンバーがやって来ました。
前回、一人称で語ることの大切さをお話したら、メンバーは即座にそれを理解し、そこから議論を深めてきていました。
三方良し経営に関しても、自分たちの問題としてしっかりと消化していました。
もう私の出る幕ではありません。

今回もいろいろと脱線しましたが、銀行の話になりました。
私はこの20年の金融会社が嫌いですが、どうもその金融会社が変わりだそうとしているようです。
日本の経済のこれからを大きく左右する金融業界にしっかりした経営者が出始めているのかもしれません。
まだ気は許せませんが、期待したくなりました。

ところで、今期のDチームの目標の一つは、参加した一人ひとりが新たな物語を物語りだすことです。
それぞれがどんな物語を語りだすか、とても楽しみです。

■LLPコモンズ手賀沼の存在価値(2011年2月23日)
地元のLLPコモンズ手賀沼の事務局長の槙さんと会いました。
先週の総会に参加できなかったので、その時のお話も聞きながら、これからのことを少し意見交換したかったのです。
槙さんは体調の関係もあり、ご自身の活動をこれからどうするかもいろいろと考えられているようです。
そういう活動にとって、LLPコモンズ手賀沼が意味があればいいのですが、なかなかそのつながりが見えてこないようです。
組織や仕組みは手段でしかないのですが、一度動き出すと、ともすると主客転倒してしまい、組織維持が目的になってしまうことがあるのです。
注意しないといけません。
組織が元気になるためには、その成員にとって、その組織の存在価値が明確なことです。
どうもその点の意識が、弱かったような気がします。

来月、もう一度、LLPコモンズ手賀沼の総会を3月に開催することになりました。

■タグラボ研究会への期待(2011年2月24日)
久しぶりにナチュラシステムズの西高弘さんが湯島に来てくれました。
西さんは極めて正統的なアントレプレナーです。
昨今のいい加減なソーシャルアントレプレナーでも金銭至上主義のマネタリーアントレプレナーでもなく、私にはオーセンティックなアントレプレナーに思える人です。
しかし、私が西さんとお付き合いさせてもらっているのは、それが理由ではありません。
西さんのスピリチュアリティが、いつも私の心を揺さぶるからです。
それは最初の出会いからでした。
なぜ私がそう思ったのかはもう10年以上前ですから、思い出せませんが、そう思ったのです。
今回もまた、突然に阿蘇の草千里の上を魂が飛んだ話が出ました。

まあそれはそれとして、タグラボはいろいろと活用が始まっているようです。
それを可視化し加速させ、そこから創発を引き起こさなければいけません。
今度こそ本格的な、しかしカジュアルなタグラボ研究会をスタートさせられればと思います。

■タグラボとコーチのコラボレーション(2011年2月24日)
タグラボの実践的展開のために、コーチングとの組み合わせも効果的です。
そこで最近湯島によくくる鈴木輝子さんをお引き合わせしました。
西さんと関係で、何かが創発されないかと思ったからです。

最近、私の周りにはまたコーチング関係の人が増えています。
ちょうど5年前くらいもそうでしたが、また流行しているようです。
私の感じでは、時代と共に技術的には向上しているのかもしれませんが、志が劣化してしてきているように感じます。
10年前のカウンセリングブームと同じです。

私は昨今のテクニカルなコーチングには批判的です。
コーチングのプロと称する人は、狭い世界で自己満足に陥っている気がしてなりません。
それでは自らさえもコーチできないだろうと思うのです。
まずは自らの生き方を変えなければ、人をカウンセリングしたりコーチしたりできないように思います。
しかし、そう思うのは私があまりにコーチングを知らなすぎるからかもしれません。
知らないくせに、知ったかぶりをするのが、私の短所です。
反省しなければいけません。

西さんと鈴木さんの会話を横で聴いていて、いろんなことに気づきました。
もしかしたら、観察型コーチングというのがあるかもしれません。
といろいろと雑念を膨らませるのも、私の短所です。
でもこの出会いから何かが始まるといいのですが。

■企業にとっての若者の育成確保(2011年2月25日)
今年度の人材育成研究会のテーマは「グローバル競争下において必要な若者の育成確保のあり方」なのですが、これまでの議論を踏まえての提言のたたき台が事務局から提案されました。
その説明を聞いていて、どうも違和感があるのです。
私が知っている企業の現場や学生たちの思いとつながらないのです。
しかしメンバーの各社の人事部長たちは、そうは思っていないようです。

話を聞いていて、感じたのは「コモンズの悲劇」です。
有名な「コモンズの悲劇」は、共有地は結果的には私欲によって荒廃されるという話ですが、私はコモンズ発想の不在がそうした悲劇をもたらすと考えています。
この発想を企業の人材戦略につなげて考えるといろんなことがよく見えてきます。

この数年、日本の大企業は社員を人間とは考えなくなってきました。
その結果、有能な(労働力として戦力になる)人材を確保しようという企業間の競争が激化してきたのです。
そしてその競争の結果、優秀な人材を育てる仕組みを壊してしまい、人材市場から人材がいなくなってきてしまったのです。
ところがややこしいのが、競争は激化しているのに、学卒者は買い手市場なのです。
ですから学生は勉強する時間を就職活動に費やすことになります。
その結果、人材の質はどんどん劣化しています。

粗雑な書き方ですが、要は企業も若者も、いずれも無駄な消耗戦に陥り、日本から企業を目指す人材はどんどんいなくなってきているのです。
大企業の存在価値が変わってしまったのです。
にもかかわらず大企業の人たちはプライドだけは高いのです。
今時優秀な人材が大企業などに行くはずもないし、第一、大企業に10年もいたらどんなに優秀だった人でも・・・というようなことはいうのはやめましょう。
大企業の人との付き合いは、私も決して少なくないから、みんなに嫌われてかねませんから。
まあもうすでに嫌われているかもしれないのですが。

先日、せっかく仕事が決まりかねていたのに、私のサイトを見たせいか、「宇宙人のような人はお断り」といわれて、仕事がキャンセルされてしまったこともありますし。
いやはや、企業の仕事はなかなか見つかりません。
自業自得ですね。

■中東の反政府運動と日本の企業の実態をつなぐもの(2011年2月25日)
今月のオープンサロンには、初めての人が2人、参加されました。
中国から日本に来ている若い女性と私のブログの読者の加藤さんです。
お2人とも私は初対面です。
今回は最初からかなりハードなテーマで議論が走り出しました。
そもそものきっかけは、中東の騒ぎは日本にも飛び火するかという柴崎さんの問いかけでしたが、そこから大企業の現状と非正規社員の原状の話になりました。
このつながりがポイントなのですが、それは私には本が一冊かけるくらいの面白い話なのです。

最近までアラビアで仕事をされていた石井さんが、アラビアの話をしてくれました。
それを横手さんがフォローしてくれました。
実は私は常々思っているのですが、古代のギリシアやローマの社会と石油で豊かなイスラム国家はどうも似ているのではないかと思います。
しかも、それはもしかしたら、アメリカや日本が陥ろうとしてる未来社会なのではないかという気もしているのです。
一言でいうと、汗して労働する人と不労所得者で構成されている社会です。
前者が経済を、後者が政治を担うというイメージです。
ギリシア・ローマはそういう社会であり、イスラム産油国はその変形です。
まあかなり極端な独断ではあるのですが。

そこで話が、日本の大企業の正社員は汗をする働きをしなくなったという方向に向いたのです。
たまたま派遣社員として大企業で働いている人が、実態を話してくれました。
大企業で働いていた人がかなりいましたが、その人たちはそれは例外的な事例ではないか、また大企業とか中小企業ということではないのではないかと強く反論しました。
少なくとも4人はそういう意見でした。
一人だけその事例は決して特殊例ではないと発言しました。
私ももちろん派遣社員の人の話は決して特殊な事例ではなく、大企業が今陥っているかなり一般的な状況だと思っています。
最近の大企業の人たちとの付き合いの中で、まさにそれを最近確信してきているからです。
参加した大企業出身者の人たちが勤務していた頃は、たしかに大企業にはまだ「人間の要素」がありましたが、今はそんな余裕は経営者も含めてすっ飛んでしまっているのです。
この数年の大企業の変容はすさまじいです。
しかしみんな自らの経験から抜け出せないのです。
まあいろいろと話題は広がりましたが、いつになく議論型サロンになりました。

最後に中国からきている女性に感想を話してもらいました。
彼女も大企業に勤めている正社員のようですが、派遣社員の人の話が自分のところにも当てはまるといいました。
その後の言葉がショックでした。
日本に期待して7年前に留学し会社に入った。
しかし、日本の会社は元気もないし(たぶん会社の雰囲気が淀んでいるのでしょう)、楽しくない、もう中国に戻ろうと思っている。
実に残念な話です。
日本の大企業も、日本の社会も、魅力を失ってきているばかりか、病理的になっているのではないかと思います。

いろんなことを考えさせられました。

■みんなが安心して暮らせるシェルターを考えるフォーラム報告書(2011年2月26日)
昨年11月に開催した「みんなが安心して暮らせるシェルターを考えるフォーラム」の報告書がやっと完成しました。
つくる過程でみなさんの発言を改めてじっくりと受け止めさせてもらいました。
会場ではバタバタしていて、消化不良でしたが、なかなか示唆に富んでいます。
このサイトにもPDFでアップしました。
よかったらお読みください。
印刷製本するつもりです。

(2011年2月第3週)
■靴屋の鈴木さん(2011年2月13日)
■コーチの鈴木さん(2011年2月14日)
■FACEBOOK(2011年2月15日)
■会場どりの大変さ(2011年2月16日)
■企業経営と福祉(2011年2月16日)
■スポーツとアートでつながりを育てる(2011年2月16日)
■柏市民大学ブレーンストーミング(2011年2月18日)
■LLPコモンズ手賀沼例会は欠席でした(2011年2月19日)
■支え合い交流会(2011年2月19日)
■シェルターフォーラム報告書ができました(2011年2月19日)

■靴屋の鈴木さん(2011年2月13日)
小学校時代の同級生に靴屋さんがいます。
大田区で別品屋靴店をやっている鈴木さんです。
このサイトでも書きましたが、そのお店が数年前に全焼したのです。
お店は昨年再開できたのですが、どうせならこの際、なにか新しいことを始めようということになりました。
彼は靴職人なので、靴の手作りが切り口です。
小学校時代の仲間が無い知恵を絞りあっています。
自分の靴を自分で作りたいという人がいたらご連絡ください。

■コーチの鈴木さん(2011年2月14日)
もう一人の鈴木さんが湯島に来ました。
コーチングの仕事をされている鈴木さんです。
昨年の自殺のない社会づくりネットワークのフォーラムでいろいろと協力してもらって以来のお付き合いです。
鈴木さんはヨーロッパでの仕事経験が長いようですが、学生時代はマーケティングを学ばれたようで、話のなかで懐かしいお名前も出て来ました。

ちなみに最近はコーチングがよく話題になり、私の周りにも専門家も少なくありません。
私自身は、しかし、そうした動きにはあまり関心はありません。
特に、自ら「コーチ」と盛んに口に出す人には違和感があります。
それはカンセラーやファシリテーターにも言えることですが、わざわざそんな言葉を使わなくても、それは人に関わる仕事する上での基本だろうと思うからです。

しかし、鈴木さんと話していて、少し考え方が変わりました。
せっかくであれば、コーチングと何かを組み合わせて、新しいことができないかという気がして来ました。
そんなわけで、またちょっと新しい物語づくりに取り組もうかと思い出しました。

■FACEBOOK(2011年2月15日)
昨日、湯島に来た鈴木さんが、またFACEBOOKの効用を盛んに言うので、やってみようかという気になりました。
そういえば、何人かの人から友だちリクエストも届いているのですが、あまりきちんと対応していなかったのです。
で、やってみました。
やはりよくわかりません。
それでもいろいろと面白いのです。
2時間もパソコンとにらめっこでした。

友だちリクエストにハングル文字の人がいました。
ハングルなので読めません。
韓国にいる佐々木さんに頼んで読んでもらったら、私がよく知っている人でした。
宮城大学で学んでいた女性です。
早速、リクエストに反応したら、すぐにメールが来ました。
いまはソウルで環境問題に関する機関で働いているようです。
なるほど、FACEBOOKの効用が少しわかりました。

山形市と新潟県の職員の名前も見つかりました。
早速、リクエストに反応しました。
いずれも久しぶりの出会いです。
そうこうしながら、久しぶりの人たち10人近くとやり取りができました。

ためしに何か動きが出るようなことを今度流してみようと思います。
はまってしまうかもしれませんね。

■会場どりの大変さ(2011年2月16日)
先週も書きましたが、4月9日に認知症予防の公開フォーラムを開催しますが、その会場どりでちょっと苦労していました。
何しろいつも決めるのが直前だからです。
これは性分だから仕方ありません。

それで今日は早起きをして、飯田橋の会場事務局に予約を取るために並びに行きました。
今日からが受付だったのです。
電話で確認したら、8時から並ぶ人もいるというので、8時過ぎに着くように出かけましたが、結局、直接申し込みに行ったのは私だけでした。
そんなわけで会場は無事取れました。
4月9日で決行です。
ところがその直後に、仕事で合宿の約束が私にはいっていることに気づきました。
いやはや、私自身がかなり認知症気味なのです。
しかしこれだけ苦労して確保した日程なので、合宿よりもフォーラムを選ぶことにしました。
まあよくあることなのですが。

久しぶりに朝早く出て電車に乗ったおかげで、いろんな刺激を受けました。
たまには生活のリズムを変えるのはいいことです。

ちなみに、会場がなかなか取れないとメールしたら、早速何人かの人が動いてくれました、
コムケアの仲間は本当に心強いです。

■企業経営と福祉(2011年2月16日)
会場の予約に来たついでに、その近くの山城経営研究所に顔を出しました。
社長の西田さんがいらっしゃったので、いろいろとはなさせてもらいました。
予約のために早く出てきて、いろいろと考えているうちに、企業と福祉の関係に関していろんなことを思いついたので、それを一気に話してしまいました。
さぞかしみんな迷惑だったことでしょう。
しかし関心も持ってもらいました。
認知症予防の件も、なにかコラボレーションできるかもしれません。

山城経営研究所とはもう20年以上の付き合いです。
最初の頃は、その基本設計にも関わらせてもらいましたが、経営道をテーマにした活動がメインです。
山城経営研究所では「経営道フォーラム」という企業経営幹部の研修プログラムを20年以上展開していますが、昨今の企業はとても「経営道」を歩んでいるとは思えません。
どこかに取り組み方の間違いがあるのではないかと思っています。
それでかなり辛らつに事務局には話をしていますが、どうもみんな免疫ができてしまったようで、なかなか変わりません。
そうであれば、福祉から刺激を与えるのもいいかもしれません。
接点づくりをいろいろと考えようと思います。

■スポーツとアートでつながりを育てる(2011年2月16日)
コムケアサロンでした。
今回のテーマは「スポーツとアートでつながりを育てる」です。
先月、スロバキア国立オペラ公演をプロデュースした高橋雅子さんたちのグループとこれからチームスポーツでまちづくりに取り組みたいという若い石井さんに話題提供してもらいました。
ブラインドサッカーの日本代表選手でもある「かとけん」こと加藤健人さんも、サイクルリンクの北岡さんと一緒に参加してくれました。

せっかくこうした活動をしている人たちが参加してくれたのに、アートとスポーツというテーマを意識しすぎたせいか、逆に議論的になってしまった気もします。
やはりテーマは、あまり決めないほうがいいかもしれません。
しかししばらくはテーマ型でやってみようと思います。
3月は16日の予定です。
こんなテーマで議論したいと言う人がいたらご連絡ください。
コムケアのメンバーでなくても、もちろん歓迎です。

■柏市民大学ブレーンストーミング(2011年2月18日)
柏市の市民活動センターの松清さんに誘われて、柏市民大学のブレーンストーミングに参加しました。
驚いたことに若い世代も多く、20人ほどのメンバーが集まりました。
仕事場や住まいが柏でない人は私だけでした。
私の知った顔も3人ほどいましたが、私の地元の我孫子との違いに、うらやましい気がしました。
私が我孫子でやりたかった考え方を少し話させてもらいました。
しかし、できれば成功して欲しくないと冗談を言いましたが、みなさんの勢いだときっと面白い展開になるでしょう。
実行委員会を発足させることになりました。
やはり松清さんのような人がいることが大切です。
我孫子には残念ながらそう言う人がいません。
いなければ探さなければいけません。

動き出さねばいけません。

■支え合い交流会(2011年2月19日)
恒例の支え合い交流会です。
主役はささえあい・ネットワーク事務局長の福山さんなのですが、どうもついつい話したくなって話してしまいます。
もっと自重しなければいけません。

今日は反貧困ネットの山本さんと大西さんが久しぶりに参加しました。
また新聞で見たと三鷹から小原さんという方も参加しました。
忙しい中を、コミーの小宮山さんも参加してくれました、
自殺サバイバーの吉田さん、コーチの鈴木さん、教育に取り組もうとしている石井さんと、メンバーはさまざまです。

事務局長の福山さんは大学の方が相変わらず忙しいようですが、今年はさらに地方交流会やフォワードフォーラムを開催しようとがんばっています。

山本さんから反貧困活動へのアドバイスを求められましたが、問題はいつも簡単です。
活動を開いて行けばいいのです。
そしてできるのは、先ずは身の回りからだと思えばいいのです。
5月に公開フォーラムをやったらと薦めました。
今年は、私はフォーラムづけになりそうです。

■LLPコモンズ手賀沼例会は欠席でした(2011年2月19日)
今日はコモンズ手賀沼の今後の方針を決める総会でした。
ところが自殺のない社会づくりネットワークの例会と重なったので、今回は予め意見書と提案を提出し、LLPのほうは欠席させてもらいました。
そうしたら、太田さんから電話がかかってきました。
どうやら結論が出なかったようです。
代表と事務局長とで決めてもらえればいいのですが、なかなか在来型の組織原理に縛られている人には難しいようです。
これからの組織は、オートポエティックな自己組織化型にならなければいけません。
私は20年前からそう思って、そういう組織観を持っていますが、なかなかそうした考えは広がりません。
何回も失敗を繰り返しています。

いま、植村邦彦さんの「市民社会とは何か」という新書を読んでいます。
市民社会、あるいは市民という言葉に込められた歴史的意味合いが整理されています。
実に面白かったのは、ルソーの次の言葉です。
「諸君のような近代人は奴隷を全くもたないけれども、諸君自身が奴隷なのだ」
私たちは、まさに奴隷なのです。
それを前提とした組織論でなければいけないのかもしれません。
サムソンが成功しているわけです。

■シェルターフォーラム報告書ができました(2011年2月19日)
昨年の11月に開催した「みんなが安心して暮らせる「シェルター」を考える公開フォーラム」の報告書を作成しました。
最初は簡単な報告書にしようと思っていたのですが、自分でテープお越しなどもしていると、次第に愛着を感じだし、残しておきたくなってしまうものです。
テープ起こしの一部をやってくれた内田さんもきっとそういう思いになったと思いますので、きちんと印刷もすることにしました。
印刷物は湯島に来てもらえればお渡しできるようになるかもしれませんが、とりあえずPDF版をこのサイトにもアップします。
お時間のある方はお読み下さい。
無縁社会の本よりもいい内容だと思います。
社会は決して「無縁」などではないのです。

(2011年2月第2週)

■我孫子市長選の勝手な反省会(2011年2月8日)
■親知らず歯は大事(おおごと)になりそうです(2011年2月9日)
■自殺未遂からの脱却(2011年2月9日)
■ジュンたちの帰国(2011年2月9日)
■言葉と対話(2011年2月9日)
■認知症予防に関する公開フォーラムを開催します(2011年2月11日)
■認知症予防に関する公開フォーラム企画への反応(2011年2月12日)

■我孫子市長選の勝手な反省会(2011年2月8日)
我孫子市の市長選挙は残念ながら私の思っていた結果にはなりませんでしたが、そ
れを踏まえて、3年間、我孫子の市議会を傍聴していた横手さんと2人で、勝手な反省会を行いました。
横手さんと私とで結果を予想していて、当たったほうが珈琲をご馳走することにしていましたが、なぜか引き分けになりました。
実は私が負けたのですが、票差は私が近かったので横手さんが引き分けにしてくれたのです。

結果はしかし、私にはとても納得できるものがあります。
理由はかなり明確なのです。
もちろん私なりの評価ですが。

問題は、これを受けて、どうするかです。
横手さんと一緒に、我孫子市のことをきちんと考えるようなオープンプラットフォームがつくれないかを少し考えることにしました。
さてさて今度こそうまく取り組まねばいけません。

我孫子市長選挙のコーナーは「我孫子市コーナー」に衣替えして続けることにしました。

■親知らず歯は大事(おおごと)になりそうです(2011年2月9日)
親知らず歯の件で、また日大の松戸病院に行きました。
全身麻酔で1週間は入院しないと駄目だと言われました。
含歯性のう胞なのだそうです。
さてさて困ったものです。
入院したことのない私としては、このまま放置したいところですが、いろいろとリスクを聞かされました。
何とか手術せずにすます方法はないものでしょうか。
憂鬱です。

■自殺未遂からの脱却(2011年2月9日)
自殺未遂サバイバーの吉田銀一郎さんとプロセスワークに取り組む菅野さんと3人でミーティングを持ちました。
自殺を体験された人たちのゆるやかなネットワーク、しかも単なるセルフヘルプグループではなく、
社会に発信していけるようなフォワードネットワークができないかと思っているのですが、
そのためにはコアメンバーが自らをしっかりと克服していなければいけません。
しかし、自殺という強烈な体験を持った人は、なかなかそこから抜け出られないのは当然です。
そこに難しさがあります。
自殺体験という「過去」から解放されないかぎり運動にはなりません。
しかし、同時に、その過去を踏まえなければ意味がありません。
実に悩ましく難しい話なのです。」

今回、菅野さんに参加してもらってとてもよかったです。
やはり話し合いは2人手はなく3人が効果的です。
つくづくそう思いました。

プロセスワークにちょっと関心を持ちました。
一度、きちんと学ばせてもらおうかと思い出しました。
結局、誰かに関わるということは、自分に関わることなのだということがよくわかりました。
吉田銀一郎プロジェクトに菅野さんの参加が得られたのは大前進です。

■ジュンたちの帰国(2011年2月9日)
イタリアとスペインに仕事もかねて出かけていた、娘夫婦が帰国しました。
2人とも風邪で大変だったようで、やっとのことでの帰国でした。
しかしこれでエヴィーバ!には新メニューが、スペインタイル工房には新デザインが生まれるでしょう。

一緒にいっていた小節子も帰って来ました。
ちょっとダイエットしてスリムになってようですが。

■言葉と対話(2011年2月9日)
ナラティブサロンでしたが、今回は11人の大賑わいでした。
小澤さんの「言葉と対話」も問題提起を踏まえて、いろんな議論が出ました。
小澤さんが、今日は「一人称で語りましょう」と言ってくれたので、みんな自分の言葉で語れたと思います。
一人称で語るうちに二人称になり、そしてみんなが主語になっていくのが、私の考えるコモンズ発想です。
コモンズ発想は[みんな]とも言え得ますが、無人称でもあります。
そこでは人称が消えていくのです。
「I」から「WE」に、そして無人称へ、これが私の考える「コミュニケーション的転回」です。
今日はまだそこまでは行きませんでしたが、おもしろかったです。
とても抽象的な議論でしたが、ヒューマンな感じもしました。

今回から新たに3人の方が参加されました。
そのお一人の本村さんは昨年、東京のミッドタウンで話題になった「世界を変えるデザイン展」を仕掛けて人です。
4月には彼の問題提起のサロンをやることにしました。
間違いなく面白いです。

■認知症予防に関する公開フォーラムを開催します(2011年2月11日)
スリーA方式の認知症予防ゲームに取り組んでいる高林さんと、首都圏での公開フォーラムを開催することを約束して2年目です。
昨年は私がサボってしまい、約束を果たせませんでした。
考えているとなかなか動き出せません。
それでともかく動き出すことにしました。
このサイトでもお知らせしていましたが、4月のはじめに公開フォーラムを開催することにし、
それを目標にゆるやかなネットワークをつくることにしました。
私のいつもの方法ですが、今回はコアメンバーが必ずしも私を知っている人ではないので、果たしてうまくいくかどうか不安があります。
そう思いながら、8人ほどの方に3日前に予備ミーティングを呼びかけました。
あまりに急なので無理かなと思ったのですが、それに加えて、雪になってしまいました。
前途多難です。

その雪の中を浜田さんと菊井さんが来てくれました。
菊井さんは体調もよくない中を「義を見てせざるは勇無きなり」とばかりやってきてくれました。
これはもうやらざるを得ません。
浜田さんも私とは面識がなく、ネットで私のサイトに出会って、私の取り組みを知ってくれたのです。
慣れていない人にはコムケア方式は理解できないかもしれませんが、菊井さんが間に入って、私の話を咀嚼してくれました。
そのおかげもあって、ともかく動き出そうということになりました。
早速メーリングリストを立ち上げて、動き出します。
楽しくやりますので、関心のある人はぜひ仲間に入ってください。
4月9日の開催を予定しています。
またお知らせでご案内します。

■認知症予防に関する公開フォーラム企画への反応(2011年2月12日)
昨日の集まりの報告を何人かの方にしました。
そうしたら早速動きが出始めました。
スズメの学校を主宰されている原悦子さんや京都で高林さんと一緒に活動されている方たちからの協力の申し出です。
動き出すと何かが始まることを、また体験しつつあります。
来週中にこれからの活動のやわらかなネットワークのメーリングリストを立ち上げます。
ご連絡をいただけたら登録させてもらいます、
また今月の下旬には実行委員会も開催しますが、その案内はお知らせに掲載します。
いつものように、開かれた形での取り組みをしますので、気楽にご参加ください。

(2011年2月第1週)
■韓国通信糸スタート(2011年1月31日)
■市民による市民のための知のセンター構想(2011年2月1日)
■三位一体の結婚式事業(2011年2月2日)
■「看取りの教科書」(2011年2月2日)
■創業者の家庭で生まれた経営者の悩み(2011年2月4日)
■認知症予防プロジェクトに取り組み出します(2011年2月4日)

■韓国通信糸スタート(2011年1月31日)
韓国在住の佐々木さんから来るメールには、時々、多くの人たちにも読んでもらいたいと思うような内容のものが少なくありません。
それで佐々木さんにお願いして、このホームページに一部公開させてもらうことにしました。
そのコーナーが「憲文さんの韓国通信糸ファイル」です。
佐々木さんの関心に引っかかった情報は、おそらくこのホームページに関心を持ってもらえる人の関心事にも重なるはずです。
どうぞご愛読ください。

■市民による市民のための知のセンター構想(2011年2月1日)
久しぶりに柏の市民活動支援センターの松清さんがやってきました。
松清さんもいろんな活動に関わっているので、たぶん時間破算し続けているのでしょう。
なかなか最近は会う機会がありませんでした。

いろいろとお話をお聞きしましたが、いま取り組んでいる一つが、仮称「柏市民大学」構想です。
こう書いてしまうと、よくある生涯学習センターのように思われるかもしれませんが、
松清さんが構想しているのはもっと広がりも深みもあるものです。
市民による市民のための知のセンター構想と言ってもいいかもしれません。
とても共感できます。

スケールデザイン構想はちょっと頓挫してしまいましたが、今回はかなり自律的に取り組めそうです。
それにいつか、我孫子分校も実現できるかもしれません。
協力させてもらうことにしました。

■三位一体の結婚式事業(2011年2月2日)
ヴィレッジハウスの山本さんと結婚式の企画運営マネジメントのプロの藤本さんが久しぶりに湯島に来てくれました。
藤本さんとお会いするのは久しぶりです。
昨年末まで超多忙だったようですが、いまはちょっとお休みされているようです。
お2人とも、これまで結婚式場や結婚式にさまざまな新しい風を起こしてきた人ですが、
どうもまだこれまでのスタイルに飽きたらないようで、今度は一緒にまた新しいスタイルを起こせないかと思っているようです。
山本さんは施設のハード面で次々とヒットを飛ばしてきた人ですし、藤本さんは営業的に常にトップを走ってきた人です。
この2人のハードとソフトを組み合わせ、さらにそれをつなぐ空間演出のプロの山本さんのパートナーが、
三位一体となって取り組めば、新風を起こすことは確実でしょう。
問題はそれを実現する資金です。

どなたか20億円程度を、この3人に投資してくれないでしょうか。
かつて彼らが起こしたような、新しい結婚式市場が生まれることになるでしょう。
もし関心のある人がいたら、ご連絡ください。
資金調達できたら、私も参加させてもらおうと思います。
ただ私が入ると、さらに先に飛んでしまいそうなので、リスクが高まるので、入れてもらえないかもしれませんが。

■「看取りの教科書」(2011年2月2日)
「看取りの教科書」を執筆中の小畑さんが、ライターの倉西さんを同行して、湯島にやって来ました。
私が原稿が書けないと言ったら、取材して原稿を書いてもらうことになったのです。
関連した記事をブログに書きました
実は、気分的にはあまりのらなかったのですが、お会いしてとても良かったです。
何かがはじけたような気もして、なんだか元気をもらえたようです。

さてどんな教科書ができるのでしょうか。
楽しみでもあり不安でもあります。

■創業者の家庭で生まれた経営者の悩み(2011年2月4日)
某社の副社長が湯島にやってきました。
その方の名前はとりあえずXさんとしておきます。
その人は大企業の副社長ですが、創業者の家に生まれたが故に、その企業の経営者としての道を歩んできたのです。
それは必ずしも幸せだったわけではありません。
Xさんとは最近知りあったのですが、その人柄からそうしたことがよくわかります。

今日はこれといった用事があったわけではなく、ただ何となくお会いしたのです。
3時間以上、湯島で雑談をしたでしょうか。
昨今の企業の経営者の心境を垣間見る時間でした。

実は昨年もある大企業の創業家の方に会いました。
会社は上手くいっているのだが、どうも閉塞感があるというのです。
アメリカのMBAも持っている明晰な経営者と感じましたが、なぜか私の、どちらかといえば昨今の企業経営に批判的な話に共感を寄せてくれたのです。

Xさんとの話は、企業の話よりも社会の話が多かったような気がします。
こうした人が日本の経済界を主導していってくれたら日本も変わるかもしれません。

返り際に、その副社長は、自分が飲んだ珈琲カップを洗って帰りました。
こんな副社長がいるとは驚きです。
売上高1000億を越える大企業の副社長なのですが。

■認知症予防プロジェクトに取り組み出します(2011年2月4日)
1年遅れになっていた、認知症予防の公開フォーラムを春に開くことにしました。
これは京都の認知症予防ネットの高林さんとデイコールサービス協会の松本さんに約束していたことです。
昨年開催の約束だったのですが、どうしても私の心身が動き出せなかったのです。
思いきって春に開催を決めました。
といっても、まだまったく準備をしていません。
会場もとっていません。
すべてはこれからです。
関心のある人は私にご連絡ください

(2011年1月第4週)
■我孫子市長選の敗北(2011年1月23日)
■スポーツでまちおこし(2011年1月24日)
■福岡市を元気にしたい(2011年1月24日)
■地元の歯医者さん(2011年1月25日)
■松戸の大きな歯医者さん(2011年1月26日)
■クリエジャパンとインキュベーションハウス(2011年1月26日)
■今年最初のコムケアサロン(2011年1月26日)
■東電と新潟水辺の会(2011年1月27日)
■我孫子市の市長選の成果をどう活かすか(2011年1月27日)
■デジタル・ストーリーテリング研究所(2011年1月27日)
■神崎さんの職場を訪問したのですが(2011年1月28日)
■「労働観」「仕事観」の不在にどう取り組むか(2011年1月28日)
■今年最初のオープンサロン(2011年1月28日)

■我孫子市長選の敗北(2011年1月26日)
我孫子市市長選挙の投票日でした。
好転に恵まれたので、投票率はアップしそうだと思いましたが、前回よりも僅かに高かった程度にとどまりました。
結果は、ホームページの「我孫子市長選挙コーナー」に書いたように、私が応援していた坂巻さんは惜しくも敗れました。
私の応援は役に立たなかったわけで、坂巻さんには申し訳ないことをしました。
しかし、いろんなことを学びました。

当初の予想に反して、55対45と坂巻さんは善戦しました。
しかし、負けは負けです。
我孫子の行政はまた4年間、これまでの慣性で動くことになるでしょう。
4年後は間違いなく主役は若い世代に移るでしょうが。
 
■スポーツでまちおこし(2011年1月24日)
つくばの学生NPOぐっぴーの2代目のリーダーだった石井さんが久しぶりにやってきました。
卒業後、会社に入っていたのですが、20代のうちに自分のやりたいことに挑戦したいといって、昨年末、会社を辞めたのだそうです。
そして、長年の手間―でもある、チームスポーツを通したまちづくりや社会活性化の仕事に取り組みたいというのです。
大まかな構想はできていて、その話を聞かせてもらいました。
面白いと思いましたが、まだ構想が整理されていません。

最近、よく社会的企業の起業の相談にいろんな人が来ますが、ビジョンやミッションがあいまいなのと逆に利益を獲得する仕組み(コンピテンス)がつめられていないものが多いです。
最近はフワーッと取り組んでいるうちにビジネスが成立するということが少なくないせいかもしれません。
しかし、起業の醍醐味は、ビジョンとミッションと編集です。

いろいろと応援することにしましたが、まずは実際の舞台が必要です。
自治体でも企業でも、あるいはNPOでもいいのですが、関心のある人がいたらご連絡下さい。
キーワードは「チームスポーツ」です。

■福岡市を元気にしたい(2011年1月24日)
福岡県出身の宮川さんがやってきました。
福岡市を元気にしたいと思っている人がいるのだそうです。
私も以前、ささやかに福岡市に関わりましたので、その話を聞きに来てくれました。

福岡市は33歳の市長が当選したのだそうです。
我孫子市ではだめでしたが、33歳ともなれば、きっと思い切り飛べたのでしょう。
飛ばない限り大きな変革はおきないということを、私は今回体験しましたが、福岡市はみんなで飛んだようです。
問題はこれからです。

面白い展開になるといいのですが。
それにしても33歳とは若いです。

■地元の歯医者さん(2011年1月25日)
親知らず歯を抜くようにとアドバイスしてくれた地元の歯医者さんに行きました。
私の歯磨きは適当なので、いつも注意されています。
今回は、硬い餅に挑戦し、奥歯を欠いてしまいました。
しかしそこは治してもらえませんでした。
親知らず歯の上の歯だからです。

歯医者で治療を受けていて感ずるのですが、最近は痛みはほとんど体験しないですむようになりました。
しかし、あの機械の音はどうにかならないものでしょうか。

それと治療を受けながら考えていたのですが、歯磨きなどしなくてもよくなるのはいつのことでしょうか。
どう考えても、歯磨きは楽しい仕事ではありません。
ですので私はついつい忘れてしまうのです。
なんで歯磨きなどという習慣は生まれたのでしょうか。

■松戸の大きな歯医者さん(2011年1月26日)
昨日に続いて今日は松戸の日大の歯学部病院です。
親知らず歯作戦を検討するために、CTを撮ったのです。
わずか1分で終わりました。
技士の方に訊いたら、その間に500枚を撮影したというのです。
しかもあごから上全部だそうです。
歯の部分だけではないのです。
なんだかだんだん話が大きくなっていくようで心配ですが、1分で500枚というのに感動しました。

それにしてもこの病院は実に流れがいいです。
いつもほとんど待ち時間がないのです。
印象がとてもいいです。
スタッフも若いのがいいです。
みんな学生さんでしょうか。

■クリエジャパンとインキュベーションハウス(2011年1月26日)
クリエジャパンのCJキューブを活用しテ、何か事業が起こせないかというテーマで、インキュベーションハウスの小山石さん、宮部さんとクリエジャパンの南野さんをお引き合わせしました。
私も同席しろというので同席しました。
どうもまだみんな「これまでの事業パラダイム」に呪縛されています。
そう思って余計な発言をしたら、小山石さんから、「佐藤さんはさざなみも立っていないところに大きな波を起こそうとする」と指摘されました。
たしかに、私はそれこそがインキュベーションだと思っているのです。
だからきっとビジネス的には成功しないのでしょう。
困ったものです。

私はともかく、クリエジャパンとインキュベーションハウスとのコラボレーションで何か事業が起こるといいのですが。
何しろインキュベーションハウスはもう倒産寸前ですので。

■今年最初のコムケアサロン(2011年1月26日)
コムケアサロンを再開しました。
まあ最近はサロンが多いので、疲れますが、今年は毎月開催する予定です。

最初に来たのは菊井さんです。
なんとと始まる1時間前にやってきました。
菊井さんは大のサロンファンなのです。
シニアライフアドバイザー協会の事務局長を昨年末で後進に譲ったそうです。
何か一緒にできることがないか、サロンの始まる前に話していました。

続いてきたのが菊井さんの紹介で初参加の斎藤さんです。
実に多彩な活動をされている人です。
あまりに多く、話しきれないので、また後日会うことにしました。

3番目が山口県岩国のエルマーの会の佐原さんです。
私が、これぞコムケア活動と思っている活動のひとつです。
発達障害の人たちの働き場を自分たちでつくり上げ、いまは自立しているすばらしい会です。
久しぶりに参加したのが、大田区の風雷舎の中村さん。
外出支援などをしているNPOを主宰していますが、今回お話を聞いて、これまたコムケア的なことがわかりました。
コムケア的な活動はなかなか地味なので見えにくいですが、しっかりと広がりだしているようです。
先日お会いした松戸市の石井さんもやってきました。
教育、ひとのつながり、次世代支援がテーマです。
そして我孫子市のミュージシャンの宮内さん。
音楽で人と人をつなげ、まちを育てていこうというビジョンをお持ちです。
最後は、時々風のようにやってくる片野さんです。
最近は農業にかなり関わっています。
再開コムケアサロンはこんなメンバーで、実に刺激的な集まりになりました。

来月の日程はまだ決めていませんが、予定は第3水曜日の夜を原則にしようと思っています。

菊井さんが、コムケアはいろんな人がいるので、世界が広がるといってくれましたが、こうした「ゆるやかなつながり」の効用をもっと広げていきたいと思います。

■東電と新潟水辺の会(2011年1月27日)
NPO新潟水辺の会と東京電力のミーティングに参加させてもらいました。
信濃川に鮭を遡上させるプロジェクトの関係で、お互いの心を開きながら、話し合いを積み重ねているのです。
ともかく「信頼関係」が大事ですので、ゆっくり進めなければいけません。

3月19日に、長野県上田で鮭の稚魚の放流会があります。
お知らせのコーナーに案内を掲載します。
よかったらご参加下さい。
きっと感動的な体験ができるはずです。

■我孫子市の市長選の成果をどう活かすか(2011年1月27日)
市長選で一緒に応援活動をした宮内さんから、その成果をきちんと活かさないといけないと指摘されました。
たしかにそうです。
そう思っていたら、今日、留守にしていたわが家の坂巻さんが挨拶に来てくださったようです。
不在にして悪いことをしました。

選挙は残念な結果になってしまったのですが、その後、いろんな人からいろんな話が入ってきます。
やはり今の我孫子市政におかしさを感じている人は少なくないようです。
私自身もあまり見えてきていませんでしたが、見える人には見えているようです。
もっとコミットすべきでした。
自らの不見識と中途半端な応援市政を反省しました。

しかし、今からでも遅くありません。
このまま終わりにすべきではありません。
何か始めようと思います。

■デジタル・ストーリーテリング研究所(2011年1月27日)
ナラティブサロンの仲間の小澤さんが、デジタル・ストーリーテリング研究所を立ち上げました。
その前後にお互いにいろいろなシンクロニシティが発生し、これは一度話さなければということになり、お話しました。
これまで小澤さんと企業経営に関してはあまりお話しなかったのですが、小澤さんは経済や経営関係の番組も制作してきたことがわかりました。
そして話しているうちに、共通の知人がいろいろ出てきたのです。
小澤さんと私の共通点は、ナラティブ発想が人を育て、組織を育てる有効なメソッドにつながるだろうというものです。
20年前に小澤さんに会っていたら、私の人生は間違いなく変わったと思います。
遅すぎる出会いというものもあるものです。
東レ時代に考えていたことを瞬時にして小澤さんは理解してくれたのです。

何か一緒に動き出すプロジェクトを考えたいと思います。

■神崎さんの職場を訪問したのですが(2011年1月28日)
ダックス、こと神崎さんの仕事場に伺うことにしました。
神崎さんが新しい仕事を始めることもあって、何か役に立てることがないだろうかと思ったからです。

ところが、です。
まず最寄り駅に降りて、神崎さんの仕事場に電話して誘導してもらおうとしたのですが、携帯電話を忘れてしまいました。
住所も名前も知らないので、どうにもなりません。
公衆電話もないし、それに小銭をもっていないことにも気づきました。
とんだトラブルです。
それでも何とか神崎さんの電話番号を調べて電話しました。

ところがところが。
神崎さんもトラブルの最中でした。
1時間ほど前に会社の駐車場に置いていた自動車が盗難にあったのだそうです。
幸いに神崎さんがすぐに気づき、迅速に対応したことで、奇跡的に犯人は逮捕され、いま警察にいるというのです。
さてさてよりによって、とんだ日に来てしまいました。

さらにところがですが、
普通であれば、神崎さんは日を改めてと言い、私はまた出直すよと言うのでしょうが、そうはならなかったのです。
神崎さんのごひいきの喫茶店で待っていると、彼はすぐやってきて、警察には警察の都合もあるだろうが俺には俺の都合があるといって、警察も犯人も待たせて、喫茶店にやってきました。
そして20分ほど、雑談をして、なんでもなかったように、今日はこれでと別れました。
いかにも神崎さんらしいのですが、私としては最初事情がよくわからずに、そんな込み入ったなか神崎さんを煩わしてしまったことを反省しました。
任侠の神崎さんと非常識な私の組み合わせならでは、成り行きでした。

ちなみに、宮本珈琲のコーヒーは神崎さんが自慢しているように、とても美味しかったです。
しかしまた出向かねばいけません。

■「労働観」「仕事観」の不在にどう取り組むか(2011年1月28日)
人材育成研究会でした。
今日のテーマは主に「就職と採用」。
東大の木田教授の問題的は面白かったです。
「柔軟な専門性」という概念を提起してくれたのですが、ようやくそういう発想が出てきたかと思い、その育て方と評価に着いて質問させてもらいましたが、まだ概念段階でした。
しかし、その実現策はそう難しいことではないでしょう。
概念は現実を創出していくからです。
もう一つ面白かったのは、大学でのビジネス教育の基本に、「労働観」「仕事観」が必要ではないかと某社の人事部長の指摘に対して、木田さんがそうしたことは本人が決めること教えるものではないと明言したことです。
その厳しい『物言い』に、私は共感してしまい、ついつい「同感です」と発言してしまいました。
私も、価値観は言葉で教えるのではなく、当事者が気づかせるものだと思っています。
いまの企業の経営幹部の人たちが誇りを持ってい働いているかどうか、そこにこそ問題があることを当事者は気づかねばいけません。
その主の話も少ししましたが、たぶん伝わらなかったでしょう。
この委員会はいつも私はノイズでしかありません。
あまりにパラダイムが違うので、ノイズにしかなりません。

話を聴いていて気づいたのは、就職とか採用の問題として切り取ることの限界です。
どうやらアプローチを間違えているようです。
しかしそのことをどう伝えたらいいのか。
難しい問題です。

■今年最初のオープンサロン(2011年1月28日)
昨年末のサロンは賑やかでしたが、今年最初のサロンは5人のこじんまりした集まりになりました。
最初にやってきたのが梅田さんです。
そう言えば、確か昨年も梅田さんが最初の参加者でした。
中村幸平さんも元気な顔を見せてくれました。
そして高須さんと最近知り合った松戸の石井さん。
この2人は会社を辞めて、いま起業中です。

人数が少ない分だけ、内容の濃い話になりました。
しかし、出てくる話はあまり明るい話ではなく、社会の壊れを思わせる話が多いのです。
それをどう打ち破るか。
石井さんと高須さんの目指すのはそれなのです。
これからの展開が楽しみです。

(2011年1月第3週)
■オペラの好きな人はたくさんいるようです(2011年1月18日)
■品のないブログへのお叱り(2011年1月18日)
■社会的企業の会計制度(2011年1月19日)
■ナラティブマネジメント(2011年1月19日)
■元気なNPOにも悩みはあります(2011年1月20日)
■古事記に戻って企業経営を考える(2011年1月20日)
■若い世代の育ちを支援したい石井さん(2011年1月21日)
■オペラ嫌いのオペラ鑑賞(2011年1月21日)
■我孫子市の市長選挙は明日が投票日です(2011年1月22日)

■オペラの好きな人はたくさんいるようです(2011年1月18日)
ブログでも書きましたが、「市民の市民による市民のためのオペラ」の案内を関心を持ちそうな友人に出したら、たくさんの反応がありました。
その反響ぶりに、オペラを知らない私としては驚きました。
友人自身の参加はもちろんですが、友人がさらにその周辺に告知してくれて、その人たちがまた広げてくれて、という感じです。
公演を直前に控えての、そのすごさに少したじろぎました。
もっと早く、もっと広範囲に案内を出せばよかったです。

ところで、アクティブな反応をしたのは圧倒的に女性が多いのです。
但し子育て最中の女性は、関心を持ちながらも、残念ながら無理だとの連絡が数名からありました。
男性も数名参加してくれましたし、仲間にも声をかけてくれましたが、企業に勤めている人や組織に属している人は、ほとんど関心を持ちませんでした。
オペラは別の世界の話と考えているようです。
これも面白い体験でした。
いまの日本で誰が豊かさを楽しんでいるかがよくわかります。

主催者側の高橋さんも喜んでくれました。
少しだけ私も役に立てたかもしれません。
高橋さんに感謝しなければいけません。

■品のないブログへのお叱り(2011年1月18日)
我孫子市の市長選の公開討論会の映像記録が公開されないことになりました。
それに少し怒りを感じて、いつも感情のままに書いているブログに、かなり品格のない記事を書いてしまいました。
このホームページはそれなりに時間を置いて掲載しますが、ブログ(CWSプライベート)は書いたらすぐアップしますので、時に失敗することもあります。
今回はかなり書きすぎてしまいました。

案の定、翌日、当日の討論会のコーディネーターをした人からお叱りのメールが入りました。
なぜ映像が公開されなかったのかの理由も書かれていました。
私には納得できるものではありませんでしたが、それ以上に私のブログの表現の品格のなさのほうがひどかったので、ご指摘を受けて修正しました。
まだ修正が不十分かとも思いますが、その方も一応了解してもらえたようです。

品格のない表現はよくありません。
ちなみにこのブログの記事はかなりのアクセスでしたので、私の品の悪さは多くの人の知るところになりました。
人品は隠そうとしても隠せないものです。
いやはや困ったものです。

■社会的企業の会計制度(2011年1月19日)
韓国在住の佐々木憲文さんが湯島に来てくれました。
久しぶりにいろいろとお話しました。
話題は尽きることがありませんが、ひとつ面白い話が出てきました。
社会的企業の経営を支える、金銭以外の要素を組み込んだ会計制度が作れないかという話です。
佐々木さんは韓国で、福祉経営に適したマネジメントゲームの開発に取り組んでいます。
私も昨年、そのワークショップを傍聴させてもらいましたが、いろいろと刺激を受けました。
佐々木さんはそれを活かして、高齢者の社会的事業の支援ができないかと考えているようです。
ちょうど先週、STRAMDの神里さんともそんな話しをしていたところです。

しかし、社会的企業を育てるのであれば、会計制度そのものを考え直す必要があるのではないかという、佐々木さんの発想には気づきませんでした。
そういえば、まさにそのとおりです。
昔、OBM研究会でそうしたことを考えようと思ったこともありますが、思っただけで何もしませんでした。
佐々木さんが動き出してくれたら、ぜひともそれに便乗しようと思います。
さてどうなりますか。

■ナラティブマネジメント(2011年1月19日)
経営道フォーラム48期のEチームのメンバーとディスカッションをしました。
正月休みの推薦書籍にピーター・センゲの「出現する未来」を紹介していたのですが、なんと読んだ人がいたのです。
それで重ねて、「ナラティヴ・マネジメント」も勧めてしまったら、それも読んでしまいました。
もちろん全員ではないのですが、誰かが読めばチーム全員のものになるというのがチーム活動の良いところです。
それで「一人称で語る」が48期のキーワードになってきました。
私がいくら話してもなかなか浸透しませんが、書籍の効用は大きいです。
これはこの30年の私の体験知でもあります。

それに「ナラティヴ」という発想が、実に企業の人に親和性があることにも気づきました。
10年前にはだれも見向きもしなかったのに、企業の文化が変わりだしているようです。
やはり外部から見ている企業の状況は、表層的なのかもしれません。
ちょっと反省しました。

まだチーム研究の焦点は絞れていませんが、悩んでいるのはいいことです。
問題づくりこそが最も大切なことなのですから。
面白い展開になるのを楽しみにしたいと思います。

■元気なNPOにも悩みはあります(2011年1月20日)
新潟水辺の会の世話人で渉外担当の金田さんが湯島によってくれました。
金田さんの活動力は私の比ではありません。
それに私と違って、金田さんは誠実で几帳面、加えて正義の人ですから、大変なのではないかと思いますが、いろんなことにフットワークよく関わっています。

新潟水辺の会は、金田さんのおかげで私も関わらせてもらいだしたのですが、最近の水辺の会の活動はどんどん広がっているような気がします。
しかし広がってくるといろいろと新しい問題も発生します。
たとえばホームページです。
最近はどこかから資金助成をしてもらうと、ホームページをもう少し整備してほしいといわれることが少なくないようです。
NPOの広報担当として、ホームページも金田さんの担当なのです。
しかしそもそもホームページは私たちの世代には不向きです。
残念ながら新潟水辺の会にはITが得意な若い世代がまだ少ないようです。
それで金田さんがホームページまで頭を悩まさないといけないようなのです。

日本のNPOは多世代構成になっているところは意外に少ないように思います。
私が知る限り、新潟水辺の会はかなり多世代型ですが、それでもこういう問題があるようです。
まだまだNPOが抱える問題はたくさんあるようです。
しかし多くの専門家の見解とは違って、問題の本質はお金ではないことだけは間違いありません。
お金に毒された専門家の意見に惑わされてはいけません。
従来発想の専門家には、新しい世界は見えてこないのです。

■古事記に戻って企業経営を考える(2011年1月20日)
昨日につづいて、経営道フォーラム48期のDチームのメンバーとのディスカッションをしました。
チームのテーマは企業理念・経営理念です。

議論を通して「三方良し」経営の理念に辿りついたようです。
三方良しは近江商人の原点ですが、Dチームが気づいたのは江戸時代どころではありません。
メンバーの一人が古事記を持ち出したのです。
古事記の「産霊(むすび)」発想です。

古事記の産霊、三方良し、経営理念。
この三題噺をどうつないでいくか、これからが楽しみです。

このチームもナラティブや一人称の話が出ています。
私は一人称で語ることを基本にしていない人はあまり信頼しません。
みんなが一人称で語り出せば、社会も企業もよくなります。
しかし日本の学校教育は、一人称で語る文化を育てていません。
せめて私の周りでは、そうした人を増やしたいと思っています。
そうしないと私自身が生きやすくならないからです。

■若い世代の育ちを支援したい石井さん(2011年1月21日)
松戸市の中田京さんからの紹介で石井さんという人がやってきました。
彼の思いを聴いた中田さんが、ともかく私に会うといいと言ったのだそうです。
石井さんはピクシーファミリーというLLC(合同会社)を友人と昨年立ちあげました。
その思いは「人と人をつなぐ 人とものをつなぐ」です。
これではよくわかりませんが、石井さんを動かしているのは、いまの若い人たちにやらなければいけないこと、そしてできることがあるはずだという思いのようです。

石井さんのキャリアをお聞きしました。
開発教育も含めて、教育に関わってきているようです。
同時に、さまざまな人的ネットワーク資源をお持ちのようです。
それを活かした社会活動をしていきたいというのです。
共通する関心事がたくさんありそうです。
話していて、ともかく重点プロジェクトを2つほど決めて具体的な一歩を踏み出しましょうとお話しました。
もしかしたら、どこかで私も接点ができるかもしれません。

■オペラ嫌いのオペラ鑑賞(2011年1月21日)
このサイトでも案内していた「スロバキア国立オペラ公演」に行きました。
高橋さんに共感して行くことにしたのですが、正直、行く前まで気が重かったのです。
気が重い理由は実はオペラが苦手というだけではなかったのですが(それはいつか挽歌に書きます)、いろんな人にお誘いしたこともあって、出かけました。
会場ではたくさんの知り合いに出会えました、
知り合いの知り合いにもお引き合わせしてもらいました。
観劇は一種の社交の場だと私は思っていますが、休憩時間が短かったのが少し残念でした。

公演はすばらしかったです。
オペラ嫌いの私のために工夫してくれたのではないかと思うほどでした。
始まる前に、高橋雅子さんが公演に至る経緯などを話してくれました。
真っ赤な上下のスーツで、お元気そうでした。
この公演を実現するために尽力された長谷川さんのお話も印象的でした。
10万円もするオペラ公演は論外だと長谷川さんは言いましたが、その口調に長谷川さんの思いを感じました。
しかし同時に、本場のオペラをそのまま日本に持ってくるのではなく、日本人に合ったような形でまずはプロデュースしたというお話も共感できました。

公演は2部にわかれていて、1部はプッチーニの「ラ ポエーム」をアレンジしたもの、2部はさまざまなオペレッタやミュージカルからの歌を13曲も聴かせてくれました。
1部はシーンごとに予め日本語であらすじを説明してくれましたので、私のように初めての観客でも理解できました。
2部は、これまた私でも聴き覚えのある曲が数曲ありましたので、退屈するどころではありませんでした。
それに、小ホールでしたから、舞台との距離感がなく、ついつい引き込まれて口ずさみたくなるような一体感も持てました。
唯一の不満は(私の耳の悪さかもしれませんが)音響効果の悪さでした。
出演者の声はいずれもすばらしかったですが、できれば広い野外で聴きたかったです。

私の初めてのオペラ観劇はさまざまな感動を残してくれました。
アンコールでは2曲歌ってくれましたが、1曲は日本語で「遠くへ行きたい」、そして最後は「time to say goodbye」でした。
その選曲が心に少し響き過ぎました。

とてもいい時間を過ごし、元気をもらいました。
高橋さんに、来てよかったと言ったら、とても喜んでくれました。

ただ、私はまだオペラが好きになったわけではありません。
誤解のありませんように。

■我孫子市の市長選挙は明日が投票日です(2011年1月22日)
いよいよ明日が我孫子市長選の投票日です。
しかし明日が市長選の投票日だと知っている人がどれだけいるか、いささか不安です。
朝、坂巻さんの事務所に行きました。
手応えは次第に高まっているようです。

近くをみんなで回ろうということになり、『23日は投票に行きましょう』というプラカードを持って、近くの交差点や手賀沼公園をデモしました。
あまり人がいなかったのが残念ですが、それでも反応はよかったような気がします。

自動車での呼びかけは夜の8時までです。
選挙事務所の看板も下ろさなければいけません。
活動を終えた運動員が8時過ぎに事務所に戻ってきます。
8時半頃には事務所は人であふれるほどでした。
選挙活動の打ち上げ式のようなものが行われ、中心になって活動していた人達がそれぞれ挨拶をしました。
坂巻さんの応援団が、とても良い活動をしてきたことが伝わってくるようないい集まりでした。
この集まりを聞いていたら、みんな坂槙さんに投ずるでしょう。
そんな気さえしました。
それにしても坂巻さんはよくがんばりました。

いよいよ明日は投票日です。
投票が終わってからでは意味がないので、私の現在(2011年1月22日午後11時)の見通しを書いておきます。
55対45で、坂巻候補が当選です。
両候補の活動をかなりしっかりと見ている我孫子の知人も予想を送ってきてくれました。
彼の予想は70対30で現職当選です。
全く違います。実際の結果に近い方が、次回会った時に珈琲をご馳走してもらえることになっています。
さてさて。

(2011年1月第2週)
寒くなりました。ようやく我孫子にも冬が来ました。
■我孫子市市長選公開討論会(2011年1月10日)
■企業経営者とワンコインカレーを割り勘で食べました(2011年1月11日)
■神崎さんからぶりが送られてきました(2011年1月12日)
■これからの企業経営にとって重要なのは「知と美意識」(2011年1月13日)
■高齢社会はなかなか若者には実感できないようです(2011年1月13日)
■CJのアーティストコミュニティは順調に育ち出しています(2011年1月13日)
■親知らず歯問題(2011年1月14日)
■第二次菅内閣発足:政府が瓦解しつつあります(2011年1月14日)
■今年最初のささえあい交流会(2011年1月15日)
■COM2の松本さんは大学に行きます(2011年1月15日)
■マイケアプランからコムケアプランへ(2011年1月15日)

■我孫子市市長選公開討論会(2011年1月10日)
1月23日に我孫子市の市長選挙が行われますが、2期目の現職市長に対して、40歳の市議の坂巻さんが立候補する予定です。
このサイトやブログで書いているように、私は坂巻さんを応援することにしました。
現職の市長とは、市長就任後、すぐにお会いし、このサイトでも書いたと思いますが、大きな期待を感じましたが、残念ながらその後の展開は私の期待とは全く違うものでした。
行政とも連動することを意図したLLPコモンズ手賀沼も立ち上げましたが、これとの連携も全くの期待はずれでした。
まあこれはLLP側にも問題があったのですが。

今日はリンカーンフォーラムが進めている公開討論会を我孫子市民が主役になって開催しました。
300人を超える人が集まりました。
2時間近い討論会は両者の人柄や姿勢をはっきりと示す、とてもいい集まりになったような気がします。
ただし両者の主張は残念ながら満足には程遠いものでした。

私の整理では、両者の違いは2つあります。
政策理念が「企業誘致開発路線」か「地元資源活用路線」か
行政のスタイルが「行政主導」か「住民主役」か
前者に関しては、今回、かなり論点として見えてきましたが、しかしなかなかその意味あいはわかりにくいかもしれません。
残念ながら後者はあまり論点にはなりませんでした。
私自身は後者の法が大きな争点ではないかと思いますが、結局は2人とも、この点に関してはそう違わないのかもしれません。
それが私にはかなり残念でした。

会場には知っている人がたくさんいましたが、現職派もいれば坂巻派もいます。
まもなく選挙に突入しますが、坂巻さんがたぶん当選するでしょう。
多くの人はたぶんそう思ってはいないでしょうが、時代の流れはすでに動き出していますから。
ちなみに坂巻さんの方向は、住民主役の地元資源活用路線、つまり定住人口増加を基本としています。

■企業経営者とワンコインカレーを割り勘で食べました(2011年1月11日)
今年は企業関係の仕事を再開しようと思います。
それで企業の関係者とも積極的に会おうと思っていますが、今日は名古屋のH社の役員とお会いしました。
といっても特に仕事の話ではありません。
企業の仕事を再開するには、企業の現況をライブに実感しなければいけません。
それで現場に通じている経営者のお一人であるMさんにお会いしたのです。
企業の役員と話すと、だいたいその企業の実態は感じられます。
同時に企業界全体の雰囲気も垣間見えます。
もちろん企業の具体的な話を聞くわけではありません。
たわいない話題の中にこそ真実は見えてきます。

今日お話したのは、インドネシアのコーヒーは美味しいという話でした。
もしかしたら今度飲めるかもしれません。
終わった後、他の人もいれて、ワンコイン(500円)のカレーを割り勘で食べました。
これもとても好感が持てました。

■神崎さんからぶりが送られてきました(2011年1月12日)
先週電話の会った神崎さんがブリを送ってくれました。
富山県氷見の寒ブリだそうです。
娘が器用なので、そのブリをさばいてくれました。
神崎さんに電話したら、いろいろと食べ方を教えてくれましたが、さすが神崎さんは詳しいです。
ブログに少しこのことを書きました

刺身とブリしゃぶとぶり大根と、今日はブリ三昧でした。
脂の乗った、とても美味しいブリでした。

■これからの企業経営にとって重要なのは「知と美意識」(2011年1月13日)
知識創造経営の提唱者でもある紺野登さん(多摩大学大学院教授)が湯島に来ました。
先日、経営道フォーラムの基調講演をお願いしたのですが、その挨拶といってわざわざやってきてくれたのですが、その律儀さに感激しました。
こういう文化はだんだんなくなってきました。

紺野さんは野中さんと一緒に、ずっと知識創造経営を提唱し続けています。
そのぶれのなさとオリジナリティに私はとても共感しています。
いつか会う機会があるだろうと思いながら、大企業への関心をどんどん低下させていたこともあって、お会いする機会がありませんでしたが、漸く実現しました。
いろいろとお話しましたが、共感できることがたくさんありました。
私はアメリカの経営学者がどうも好きにはなれませんし、コトラーにしてもポーターにしても、最初はそれなりに新鮮でしたが、どうも退屈で仕方がなかったのですが、その理由が紺野さんとお話していて、少しわかりました。

刺激的な1時間でした。
これからの企業経営にとって重要なのは「知と美意識」だということ、それをどう広げて行くかが課題、そうした展開の核になるのは大企業ではないかもしれない、という点が合意点でした。
経営道への関心も持ってもらえたようです。
またきっとお話しする機会があるでしょう。
今年は私も少し企業の世界に重点を移そうと思っていますので。

■高齢社会はなかなか若者には実感できないようです(2011年1月13日)
STRAMDで会った神里さんが相談に来ました。
STRAMDのチームメンバーで「高齢社会に向けてのイノベーション」を検討しているようです。
ところが神里さんのような若い世代には高齢者の生活のイメージがどうもつかみにくいようです。
それでシナリオライティングのようなことを試みるためにアンケートをしたのですが、そもそも高齢者のことがよくわからないのでそのアンケートもいささかピント外れになっていた感があります。
そこで一度話そうかということになったのです。

そこで感じたのは、高齢社会のイメージがマスコミなどで語られているものに大きく影響されていることです。
神里さんは沖縄出身ですが、そこでの高齢者の生活ぶりを訊いてみました。
そうするとマスコミでイメージされている高齢者像とはかなり違うことがわかります。
どうもみんな自らが直接接している第一次情報よりも文字や映像になった第二次情報のほうを基本に考えていく癖がついているようです。
つまり自らの体験知は個別的なものであるのに対して、マスコミや調査報告書に書かれている情報は客観的で普遍性があると思う習性があるようです。
とんでもない、普遍性や客観性などというものは存在しないのです。
社会は個別の集まりなのです。
神里さんと話していて、改めて昨今の情報や知識のあり方に大きな不安を感じました。

■CJのアーティストコミュニティは順調に育ち出しています(2011年1月13日)
CJ(クリエジャパン)の南野さんが最近の報告にやってきました。
ネット上のアーティストコミュニティは順調に育っているようです。
すでに5000人を超えるアーティストたちがネットワークされてきているようです。
ぜひCJのホームページをご覧ください

そのネットワークのパワーを活かして、世界を元気にしようというのが南野さんたちの思いです。
しかし活動資金も無限にあるわけではありませんので、そろそろ活動資金を自前で稼ぎ出さないといけません。
そのための新しい事業モデルを開発しなければいけないのです。
いろいろと意見交換しました。

もし読者の皆さんに面白いアイデアがあればご連絡ください。
新しい事業をコラボレートできればうれしいです。

■親知らず歯問題(2011年1月14日)
親知らず歯が少し問題を起こしそうなので相談に行ってくださいとかかりつけの歯医者さんから日大歯学部の病院を紹介されたのが昨年の5月なのですが、どうせもう余生も長くないのだからと思い、延ばし延ばしにしていたら、また歯医者さんから早く行くように促されました。
それで今日、しぶしぶ行ってきました。

予想以上に大変そうです。
今日はレントゲンを撮ったのですが、さらにCTを撮ることになり、それを踏まえて先生と作戦会議?をもつことになりました。
なんと抜歯までもう2回病院に行かなくてはいけません。
かなり大きな、そして深いところにある親知らず歯のようです。
しかも抜歯後の大変さまで聞かされました。
いやはや憂鬱なことになりました。

■第二次菅内閣発足:政府が瓦解しつつあります(2011年1月14日)
このコーナーに書くような話ではないのですが、第二次菅内閣が発足しました。
与謝野さんという狡猾な老人が仲間を裏切って大臣になりました。
与謝野さんは多くの人が政策通といいますが、以前ブログにも書きましたが、私には全く知性も見識も感じませんが、まさにその本質が今回の動きで見えてきたようです。
こういう政治屋が政府を壊してきたのだろうなと思うような人です。
さらに江田さんにも驚きました。
この人の見識のなさにも驚きました。
議長職がまともにできなかった理由がわかった気もします。
まだ未練がましく民主党にわずかばかりにきたいを捨てられずにいましたが、これで完完全に見切れそうです。
ただ小沢民主党になったら、また評価は変わるかもしれません。
小沢さんは嫌いですが、政府を瓦解させることはないでしょう。

大方の人は政治を私物化しているのは小沢さんと考えているようですが、私はそう思ってはいないのです。
政策やスタイルには反対ですが、しかしどこかに志を感ずるのです。
なぜでしょうか。
単に検察に毅然と対峙しているからだけでしょうか。
それだけではないような気がします。

それにしても政府は奈落に向かって転げ落ちているような気がします。
どうしたらいいか、悩ましい問題です。

■今年最初のささえあい交流会(2011年1月15日)
自殺のない社会づくりネットワークの交流会でした。
最近若い世代の参加が少なくなりました。
この交流会のスタイルも見直す必要がありそうです。

参加者が6人と少なかったこともあり、それぞれからいつも以上に詳しくその活動状況や思いを話してもらいました。
自殺未遂者、自殺防止活動者、孤独死や認知症予防に取り組む人、そうした弱い立場の人をエンパワーしたいと思っているコーチ、医療関係者など、立場はそれぞれですが、話していると共通点が見つかってきます。

ただ、いつも気になるのは、現在の状況の「責任転嫁発想」が垣間見えることです。
問題解決型の市民運動の限界だろうと思いますが、行政に育てられてきたサブシステムとしてのNPOの多くが陥りやすい落とし穴です。
ブックのコーナーで「エクセレントNPOの評価基準」という本を紹介しましたが、その本を読んでいてもそうしたことを感じます。

事務局長の福山さんが、今年は地方でも交流会を開催したいこと、それぞれの支え合い活動を呼びかけたいこと、を表明しました。
このネットワークもどんどんコムケア活動に似てきました。
福山さんのもう一つの目標は、フォワードフォーラムの開催です。
フォワードとは自殺未遂者をさしていますが、これは私の今年のテーマにもつながりますので、私も別の視点から協力しようと思います。
ただし、そろそろ自殺のない社会づくりネットワークからは離れようと思います。
どこかにやはりパラダイムの違いを感ずるからです。

自殺を掲げていることで、無縁社会論者と同じ落とし穴に陥るおそれを最近何となく感じだしているのです。

■COM2の松本さんは大学に行きます(2011年1月15日)
自殺のない社会づくりネットワークの交流会に、わざわざ大阪から参加してくださったのが、このコーナーでも何回か紹介したCOM2プロジェクトに取り組んでいる松本さんです。
孤独死防止や認知症予防に取り組む松本さんの活動はなかなか広がりませんが、東京でその紹介を目的にしたフォーラムを開催したいと思っています。
電話回線を活用した松本さんのシステムはデジタル化の流れには合っていませんが、時代の流れには沿っているからです。
COM2構想が実現できれば、医療費の削減もできれば、人のつながりも育てば、新しい仕事の場も増えるなど、さまざまなメリットがありますし、もし自治体が取り組むのであれば費用もさほどかけずに取り組めるでしょう。
但し既存の利権関係には変化が起こりますから、いまらくらく利益を得ている既得権者の反発が起こります。
今回、地元の市長選挙にささやかに関わって、自治体の首長や議員は、所詮は利益代表者であることを改めて実感していますが、多くの自治体の首長や職員は利益で動いていますから、新しい仕組みには反対します。
そこに松本さんの悩みがあるのです。

もっとも松本さんは、かつて松下幸之助さんの奥様に絶大なる信頼を得ていた人ですので、そんなことでへこたれる人ではありません。
4月から大学院に通い直し、そこで学生たちと一緒に新しい視点でこのプロジェクトに取り組む予定です。
60歳を超えて大学に通い出す。
松本さんの生き方にとても共感します。
今度こそ状況が変わりだすでしょう。
私もささやかに役立つ方策を考えようと思っています。
それで3月に、東京で公開フォーラムを開催することにしました。
誰か一緒にやってくれる人はいないでしょうか。
いまのところ私だけしかいないのですが。

■マイケアプランからコムケアプランへ(2011年1月15日)
全国マイケアプラン・ネットワークの定例のミーティングだったのですが、その終了後に、代表の島村さんと橋本さんに湯島に来てもらって、そろそろマイケア発想からコムケア発想へとフェーズを変えませんかと呼びかけました。
全国マイケアプラン・ネットワークでは昨年、全国の介護保険事業者を対象にしたケアプランの自己作成実態調査を行いましたが、自己作成の意味をしっかりと体験的に知っているのが島村さんたちです。
以前も書きましたが、介護の社会化という題目とは裏腹に、介護の市場化と介護文化の破壊が進んでいるように思っていますが、島村さんたちが提唱しているケアプランの自己作成こそが本来的な介護の社会化の契機になるのではないかと私は思っているのです。

ですから、そろそろ「マイケア」発想ではなく、「コムケア発想」に移ろうと提案させてもらったわけです。
ケアとはそもそもが「関係づくり概念」ですから、コムケア発想にならないと本当のケアプランはできないはずなのです。

ところで話していてわかったのですが、実際には島村さんも橋本さんも、すでにコムケア発想での活動になっているようです。
にもかかわらず外部からはそれが見えないのが気にはなります。
今年のシンポジウムはぜひとも見える形で情報発信してほしいと思います。

島村さんの言葉が印象的でした。
マイケアプランにしっかりと取り組んだ人は、必ずみんな次のテーマで社会につながる活動に移っていきます。

とてもうれしい言葉でした。
マイケアプラン活動はコムケア活動の核なのかもしれません。

(2011年1月第1週)
天候的にも社会的にもおだやかな年の始まりでした。
わが家は必ずしもそうではありませんでしたが、穏やかではないが故にのんびりと過ごした年明けでした。
■初日と新年の挨拶(2011年1月1日)
■引きこもりの3が日(2011年1月3日)
■年賀状と年賀メール(2011年1月3日)
■初出勤(2011年1月4日)
■台湾の呉夫妻と久しぶりに会いました(2011年1月5日)
■メーリングリストへの投稿ができません(2011年1月6日)
■共済研究会シンポジウムは3月5日です(2011年1月7日)
■神崎さんからの電話(2011年1月8日)
■ようやく年賀状を書きました(2011年1月8日)
■スロバキア国立オペラの公演へのお誘い(2011年1月8日)
■我孫子市挑戦に立候補した坂巻さんはがんばっています(2011年1月8日)

■初日と新年の挨拶(2011年1月1日)
例年のように、初日の出を見ました。
いつもよりあったかな感じがしました。
新年の挨拶のところに写真を載せました。

■引きこもりの3が日(2011年1月3日)
昨年末に一緒に暮らしている娘が肺炎になってしまい、年末から年始にかけて、点滴通院です。
そのおかげで、今年の正月は初詣でにも出かけず、来客も辞退させてもらいました。
父子家庭の上に、料理能力のない父親なので、まあそれなりに大変です。
最低限のおせち料理は年末に、下の娘に買ってきてもらいましたが、いつもとは全く雰囲気の違うお正月でした、
3日間とも結婚した娘夫婦が来てくれたのですが、まあのんびりと過ごしました。

そんなわけで、今年の元日は、お雑煮ではなく、イタリアンチャウダー料理でした。
下の娘のパートナーがイタリアンレストランをやっているのです。

それでもお墓参りだけは行きました。
しかしそれもお賽銭を忘れてしまい、本堂へのお参りは省略です。
こんなことでは今年はあまり幸運には恵まれないでしょう。
案の定、絶対当たると思っていた宝くじは当たりませんでした。
これで今年の計画は基本から見直さないといけません。

3日でやったことは箱根駅伝をずっと見ていたことです。
箱根にも長いこと行っていません。

あっという間の3日間でした。

■年賀状と年賀メール(2011年1月3日)
最近、何松に年賀状を書くのを辞めています。
妻がいた頃は、それでも年賀メールを出していましたが、最近はそれもやめました。

代わりに、年賀状や年賀メールをもらった人に、返事を出すことにしています。
一人ひとりを思い出しながら、書くようにしています。
それがけっこう時間がかかります。
それでも、そのおかげで「対話」が成り立つことが多いのです。

メールをやっていない人には週末にまとめて年賀状を出す予定です。
これは残念ながら対話型にはなりにくいのが残念です。

■初出勤(2011年1月4日)
湯島への初出勤です。
年明け以来、どうも気が締まりません。
何かをやろうという気が起きないのです。
それを払拭するために湯島に行くことにしました。

突然の出勤でしたが、幸いに湯島に来てくれる人がいました。
潟wレンの奥山さんと藤本さんです。
このお2人とはとても不思議な付き合いをしています。
2人とも長年大企業にいましたが、エンプロイー(雇われ人)意識はなく、アントレプレナー(事業家)感覚があるのです。
いまは2人が中心になってヘレンという会社を立ち上げており、その発展の基盤づくりにご苦労されていますが、私と会う時にはそういう大変さを微塵も見せません。
おそらく私たちが話していることを横から聞いていたら、これがほんとうにアントレプレナーの会話と思うかもしれません。
時に話の内容は深刻なのですが、基底に流れている雰囲気はとてもカジュアルで、漫談のようなのです。
私もこの2人と話していると、なぜか心がゆったりします。
ともかく不思議な雰囲気なのです。

今年の最初の湯島が、この2人との話から始まったことはうれしいことです。
早目に切り上げて、4年ぶりに湯島天神をお参りしようと考えていましたが、あまりに話しこみすぎて行けなくなってしまいました。
これは少し残念なことでした。
しかしいずれもそれぞれに意味のあることでしょう。

■台湾の呉夫妻と久しぶりに会いました(2011年1月5日)
ブログにも書きましたが、 昨年末に電話があった呉さんが自宅に来てくれました。
呉さん夫妻は以前やっていた留学生サロンでの縁以来です。
妻もよく知っています。

呉さんが台湾に帰ってから結婚した相手は梁秀美さんです。
彼女もサロンに参加していましたが、サロン終了後は久しく会っていません。
15年ぶりくらいかもしれません。
奇遇なのですが、彼女は私が住んでいる我孫子に高校の頃、ホームステイに来ていたのです。
そのお宅が渋谷さんでした。
呉さんたちの縁で、渋谷さんともお会いしました。

呉さんは台湾の高尾で記念品などの制作販売をしています。
日本がマーケットだそうです。
柔軟に対応してくれるそうですので、もしご記念品やノベルティなどでバッジやストラップなど作る場合はぜひご用命ください。
ホームページもリンクしていますし、私にご連絡いただいても責任を持ってつなげるようにします。
ちなみに呉さんは、私が知っている中でもとびきりの善人です。
善人だから良いわけではないのですが。

■メーリングリストへの投稿ができません(2011年1月6日)
実は年末年始に仕上げる約束をしていた仕事がありました。
娘が肺炎になったりしたこともありますが、そうしたことがまったくできていません。
娘の病状も落ち着いたので、時間はできたのですが、今度はやる気がでてきません。
最低限の義務はとりあえず果たしましたが、ほとんど手付かずにいます。

しかももっと困ったことがあります。
私が管理しているメーリングリストなどに新年の挨拶の投稿ができないのです。
なんでできないのか、と笑われそうですが、なぜかできません。
不思議なのですが、5分もあればできるはずなのに、それが駄目なのです。
心の金縛りでしょうか。
困ったものですが、まあ無理はしないでしようと思っています。

■共済研究会シンポジウムは3月5日です(2011年1月7日)
共済研究会主催の公開シンポジウムの実行委員会でした。
シンポジウムは3月5日で、テーマは「共済事業の現代的意味を考える」です。
私は共済事業には疎いのですが、共済分化にはとても興味があります。
それでいささか勘違いして、この研究会に入れてもらったのですが、それがどう間違ったか、このシンポジウムのコーディネーター役になってしまったのでス。
どこかに間違いがあるのでしょうが、まあ人生は間違いの連続ですから仕方ありません。

しかし私がコーディネーターだとこれまでの流れとはかなり違ってしまい、正統派のメンバーからは不評になる可能性が高いのです。
以前、子育ち学ネットワークのフォーラムでコーディネーターを任された時、それまでいかにも退屈だったので、思い切りカジュアルにやったのですが、私は楽しいフォーラムになったと満足したのに以前からの会員は騒がしすぎると不評でした。
今回はそうならなければいいのですが。

今日はパネリストの人たちの思いを少し聞かせてもらいました。
それをベースに当日の進め方を考えてみようと思います。
これまでと違って、ちょっと広がりのある議論に持っていけるかもしれません。
もしよかったら参加してください。
来週にでもお知らせのコーナーに案内を載せます。

■神崎さんからの電話(2011年1月8日)
神崎さんから電話がありました。
魚をさばけるか、と新年早々おかしな電話です。
聞いてみると友人が寒サバを送ってくれるというのだが、自分一人では食べられないので佐藤さんに送るようにしたい、というのです。
それにサバをさばくのは面倒だというのです。
サバをさばくくらい、指を詰めるより簡単だろうと言うと、大きいサバなので一人では食べきれなし、さばいた後の片づけがいやだと言うのです。
サバ一匹くらい食べられなくて、何が元やくざだと思いましたが、後片づけの話はとても納得できます。

まあそんなことはどうでもいいのですが、神崎さんも今年は新しい事業に取り組むことになりそうです。
一度会いにいかないといけません。
彼も単細胞だから少し心配なところもあります。
まあ神崎さんに言わせると、単細胞のお前に単細胞などといわれたくないと怒っていましたが。
いずれにしろ神崎さんの今年は楽しみです。

■ようやく年賀状を書きました(2011年1月8日)
数年前から年賀状をやめて年賀メールにしました。
年賀メールはライブで双方向なのが魅力です。
人によってはグリーティングカードを送ってきますが、大変申し訳ないのですが、私はそういうものは送られてきても一切見ません。
見ないのでだんだん届く数も少なくなりました。

年賀状は届いた年賀状に返信するように変えました。
それもメールをやっている人には、すぐにメールで返信します。
そこから会話が始まることも少なくありません。
年賀状はとてもいい風習だと思いますが、そのスタイルは見直す時期かもしれません。

メールをやっていない方からいただいた年賀状に、ようやく今日、返事を書けました。
今年は50通くらいになりました。
毎年減少していますので、数年後にはなくなりそうです。

■スロバキア国立オペラの公演へのお誘い(2011年1月8日)
WAPの高橋さんがスロバキア国立オペラの東京公演を支援することにしたそうです。
昨年、その案内をもらったのですが、私はオペラが好きではないので、行く気はまったくありませんでした。
ですから友人知人に紹介するにとどめていました。
ところが、なぜこの公演が実現したかの話を高橋さんからお聞きして、心変わりしました。
オペラ嫌いの私が新年早々オペラを観に行くとは信じられない話です。
でも行かなければいけません。
その理由をブログに書きました。
ぜひ読んでください。

公演の案内もお知らせに書きました。
ぜひ皆さんも応援してください。

■我孫子市挑戦に立候補した坂巻さんはがんばっています(2011年1月8日)
スロバキアオペラの公演を引き受けた高橋さんたちも無謀なら、得に大きな問題がまだ顕在化してきていない現職2期目の市長に対抗して市長選に立候補した40歳の坂巻さんも無謀です。
その潔さに共感して応援する事を決めましたが、年末年始にもかかわらず、坂巻さんは寝食を忘れてがんばっています。
その「市民への約束集」もできました。
もし良かったら皆さんも見てください。
私自身は、もっと「想像してみてください、みんなが手賀沼で泳げる日を」というコピーを前面に出してほしかったですが、まあこれは好き好きですから仕方がありません。
しかし坂巻さんはそれを本気で考えています。

今日は、この3年間、我孫子市の市議会を傍聴し続けてきた横手さんと坂巻さんと3人で政策とその伝え方に関して話し合いました。
10日に、市長選に立候補した人たち、と言っても、現職と坂巻さんだけですが、その公開討論会があるのです。
そこがかなり決め手にはなるので、その前に、ちょっといつもとは違った人との話し合いをしておくのがいいと考えたのです。
人は誰かと話しながら、自らの考えを整理させ、発展させられるというのが、私の考えです。

現職と坂巻さんの政策の違いは大きくは2つあります。
まずは「外部からの企業誘致などで工業化型の経済成長を目指す」(現職)と「地域資源を生かして、住民を増やし、地域の経済を元気にさせる」(坂巻)です。
坂巻さんの発想には、経済と環境の対立はなく、シナジーを意識しています。
私の発想と同じです。
というよりも、世界の流れは間違いなくそちらに向かっています。

もうひとつは、お上目線の行政から住民主役の当事者中心の行政です。
この点はまだ坂巻さんは必ずしも、その意味を強く認識していませんが、それこそがこれからの行財政改革の最も効果的な実践につながっていくはずです。
坂巻さんはそのあたりをきっと急速に気づいていくでしょう。

投票日は1月23日です。
我孫子に知り合いがいる人は、ぜひ坂巻さんを応援してください。
なぜ坂巻さんが良いかは、私に連絡していただければきちんと説明させてもらいます。
よろしくお願いいたします。