まちづくり活動
私の基本的な姿勢は「住民主役のまちづくり」「地域主権の自治体行政」への支援です。最近は住民参加型まちづくりが盛んに叫ばれていますが、私は「共創型まちづくり」こそが基本になるべきだと考えています。言い換えれば、町が育っていく仕組みを育てていくことです。
■共創型まちづくりの考え方
「参加型まちづくりから共創型まちづくりへ」
「自治体解体新書の抜粋」(私のまちづくりへの基本姿勢です)
■谷和原村の住民主役の活動
東京近郊の谷和原村で始まった住民主役のまちづくり活動のライブ報告です。
■茨城県美野里町の共創型まちづくり
住民主役・行政支援のまちづくりがどんどん進化しています。
○文化センター建設から始まった物語
○みのりの森のレストラン
○美野里出版社
○共創型の都市計画マスタープランづくり
■山形市の共創プロジェクト
住民と行政がともに汗と知恵をながす息の長いプロジェクトです。
■千葉県我孫子市のまちづくり
■北九州市のまちづくり
■神奈川県開成町
■大分県国見町
■風のまち
共創型まちづくりを通して知り合った自治体職員の方々を中心にして、「風のまち」というバーチャルタウンも発足しています。
ご関心のある方はご連絡下さい。呼びかけ書を別掲しています。
■関連項目
○ ソーシャル・キャピタル
○
自治体の新しいデザインを考えるフォーラム(2002年10月7日)
○ 行政とNPOの共創
○ 地域通貨とまちづくり
○
コミュニティビジネス
○ 大分県大山町「デザインとまちづくり」シンポジウム
■その他のトピック(活動記録から抜粋)
○ 大井町商店街の活性化に取り組むNPOアグリの加藤雅之さん(2002年6月6日)
○ 比良山麓の里山づくりに取り組む三浦美香さん(2002年6月12日)
○ 「地方都市における「まちなか」再構築に向けて」
大西さん報告書(2002年8月2日)
○ 福岡市で3人の異才に会いました(2002年7月8日)
○ 福島での夜学(2002年8月19日)
○
たべもの通貨研究会(2002年9月24日)
○ 福祉のまちづくり工学研究所(2002年9月24日)
○
自治体の新しいデザインを考えるフォーラム(2002年10月7日)
○ 東上まちづくりフォーラムの理事長の柴田郁夫さん(2002年10月11日)
○ 交通問題からまちづくりを考えている田中克明さん
○ 伊南だより
○
谷和原村の「城山ふれあいの里」構想(2003年5月28日)
○恵庭市市議の中島興世さん
〔関連記事〕
■谷和原村の住民の意欲(2004年11月12日)
谷和原村のプロジェクトは以前も書いたように、魅力的な話ですが、相手のパートナーが良く見えません。
テーマは城山地区の谷津田や雑木林、農地を保全しながら活用しようというものです。
その近くに、実は来年、常磐新線の駅ができるのです。
都心からの移住者が増えて行くはずです。
放置していたら、きっと大変なことになるでしょう。
そこに3年ほど前に、立派な農業公園を建設しようと言う大構想がまとまりました。
まとめたのは住民委員会と行政ですが、実際には外部のコンサルタントです。
幸いなことに財政的な問題で実現に向かって進みださなかったのです。
これが進んでいたら、もっと大変なことになっていたでしょう。
商業主義的な地域コンサルタントは本当に困ったものです。
しかし、行政としてはなにか動き出さなければいけないというわけです。
それで私にアドバイザー役のお鉢が回ってきたのです。
ともかく住民と話したいという要望に、谷和原村役場の担当者が応えてくれました。
その大構想を作成した住民委員の中から公募に応じた6人の委員とその地区周辺の行政区の3人の区長、
そして谷和原村唯一のNPO法人古瀬の自然と文化を守る会のメンバーに声がかけられました。
みんな真剣に考えている人たちばかりです。
とてもいい議論ができました。
特にうれしかったのは、ともかく現場に行って、自分たちができると今年から活動を始めようということになったことです。
谷和原村は動き出しそうです。
わざわざ出かけて行った甲斐がありました。
来年も少し行くつもりです。
余計な情報ですが、耳よりな情報です。
谷和原村にできる常磐新線の駅は「みらい平」ですが、
その駅から歩いて10分以内のところに、60坪くらいの敷地の個建て住宅が4000万円代で売り出されるそうです。
お勧めです。地価も割安です。それに、田園風景がとてもいいです。
■全国リサイクル商店街サミット山形大会(2004年9月15日)
お知らせでもご案内していた第7回全国リサイクル商店街サミットが15〜16日と、山形で開催されました。
全国の商店街関係者を中心に、毎年やっているサミットです。
起点は、いうまでもなく、有名な早稲田商店街のエコステーションです。
これに関してもこれまで何回か書きましたが、その活動がどんどん広がり進化しています。
今回のテーマは「サステイナブル・コミュニティ」です。
500人を超える参加者がありました。
山形市の七日町の商店街の若手ががんばったのです。
1999年に開催した全国地域づくり先進事例会議と同じく、共創型で展開しました。
今回は、商店街の事務局の下田さんと若手メンバー、
そして山形市役所の石川一幸さんが、感激的ながんばりで、見事に会を成功させました。
会の報告はまもなく七日町商店街のホームページで報告されるでしょう。
基調講演はサステイナブル・コミュニティ研究所の川村健一さんに頼みました。
川村さんは既に一度、話に来てもらっているのですが、それをさらに深化させてくれました。
サステイナブルであるためには、つねに手を入れつづけておくことが大切だという川村さんの指摘に共感しました。
サステイナブルとは生きつづけることであり、そうであれば、常に新しいエネルギーが必要なのです。
エントロピーを意識した自立です。
もちろんこんなややこしい議論をしたわけではありません。
私の気づきです。
引き続き5つの分科会に分かれてのテーマ別の事例紹介と議論です。
テーマは「商店街の元気」「公共交通」「商店街ネットワーク」「エネルギー」「こども」です。
新鮮な切り口がたくさんあると思いますが、それぞれを若手が分担してプロデュースしたのです。
それを受けて、さまざまな切り口から商店街の新しい役割のようなものを考える全体会を開催しました。
そして、最後に主催した七日町商店街が「山形宣言」として、自分たちのアクションプランを発表しました。
イベントは終わったところから本当の始まりがあると言うのが、私の考えです。
この宣言で、少なくとも5つの物語が動き出すはずです。
私はほとんど何もせずに、横から見ていたのですが、大成功だったと思います。
早稲田商店街の安井会長もいいサミットだったと講評してくれました。
内容的なことはまた報告書ができるでしょうから、それにゆだねます。関心のある人はご連絡ください。
ここでは、とてもうれしい事件を1つと出会った人のことを簡単に書いておきます。
うれしい事件は、山形宣言の取りまとめのときに起きました。
各分科会を担当した若者たちが、議論し出したのです。
すでに前日までにコアメンバーでたたき台をまとめていたので、その確認作業の予定だったのですが、
真夜中の0時近くまでかなり真剣な議論が行われました。
若い世代とその上の世代の本音の議論でした。
納得できないことを見過ごさない文化は、とてもうれしい文化です。
出会いもいろいろありました。
青森市の商店街活動で有名な加藤博さんにお会いできたのはうれしかったです。
お話にとても共感しました。青森の商店街が元気なのはよくわかります。
埼玉県の小川町で自然エネルギーに取り組むNPOふうどの高橋優子さんもゲストで参加してくれました。
小川町といえば、有機農業の霜里農場が有名ですが、
その農場をやっている金子美登さんのパートナーの金子友子さんは私の小学校の同級生です。
オープンサロンに立派な野菜を届けてもらったこともあります。
高橋さんは、その友子さんとも知りあいです。高橋さんの霜里農場レポート記事もぜひお読みください。
千葉県の佐倉市で、ミニさくらという魅力的な活動をやっている、
NPOこどものまち代表の中村桃子さんは、コムケア仲間なのですが、今回はゆっくり話すことができました。
この活動は実に面白いです。ホームページをぜひご覧下さい。
鶴岡市で「だがしや楽校」をやっている阿部等さんにもお会いしました。
阿部さんは書店を経営されています。
ネット販売の発展で町の本屋さんはこれから大変でしょうが、阿部さんはいろいろと新しい展開をお考えのようです。
きりがないですね。このくらいにします。
■子育てランドあ〜べ(2004年9月15日)
あ〜べはNPOやまがた育児サークルランドが運営する、公設民営の子育て支援ステーションです。
山形市のど真ん中にあります。
これが生まれるまでには、やまがた育児サークルランド代表の野口比呂美さんのがんばりがありました。
私が野口さんに出会ったのは、山形市で共創プロジェクトをスタートさせ、
まちづくり市民会議(私はすばらしい仕組みだったと思っていますが、挫折しました)をはじめた時です。
野口さんたちが、まちづくり市民会議に登録してくれたのです。
私も当時は保育の世界にささやかに関わっていましたので、応援していましたが、
野口さんたちの提案は最初はなかなか行政に聞いてもらえませんでした。
今では行政との関係もいいですが、
NPOと行政の最初の出会いは、いつもぎこちなさが双方にあるためにうまく行かないことが多いのです。
その時に苦労を知っているだけに、いま、こうして行政から運営を委託されて、
活動を発展させていることがとてもうれしく、いつも気になっていました。
訪問したいと思いながら、山形市に行くと目いっぱい時間を使い込むため、なかなか行けずにいました。
それになぜか時間ができて行ってみるといつもお休みなのです。
相性が悪かったのです。
今日は、野口さんを商店街サミットの分科会にゲスト出演してもらったので、その合間にあ〜べを見学させてもらいました。
なかなか活気があって良い空間です。
子どもだけではなく、母親たちにとってのいい空間だなという感じも受けました。
まだまだ活動は広がりそうです。
あ〜べは、商店街の真中に立地しており、年間の利用者は4万人近くもいます。
にもかかわらず、残念ながら、商店街との接点はあまりないようです。
商店街にとっては、ものすごい価値のある空間のはずですが、どうもまだ気づいていないようです。
今回のサミットを契機に、つながりが広がることをぜひ期待したいものです。
野口さんは今では全国的に活躍されています。
現場での苦労を積み上げてきた人は理屈だけの人とは違います。迫力があるのです。
子育て関係の仲間はコムケアにもたくさんいます。
彼らは必ずエネルギーをもてあます時がやってきます。
実はそこからが面白い展開になるのです。
野口さんたちの活動も、まさにそういう意味で、間もなく子育てを超えて広がっていくはずです。
楽しみです。
■子どもたちと商店街(2004年9月16日)
今回のサミットで、議論になったことの一つが「子どもたちと商店街」です。
私も、分科会ではここに出ましたが、商店街の人たちの反応にむしろ興味を持ちました。
私はいまの商店街の人たちは、子どもたちをどう見ているのでしょうか。
実は、その点を問い直すだけで、商店街のあり方は変わるはずです。
昔は、子どもたちにとって商店街は魅力的な場所でした。
今は郊外の大型ショッピングセンターがその役割を担っているように思います。
しかし、その両者は似て非なるものです。
顔の見える人の触れ合いがあるかどうかです。
ここに商店街やまちづくりのポイントがあるような気がします。
■福島自治研修センターでの夜学(2004年8月18日)
今年4回目の管理者研修で福島にやってきました。
残念ながら天気が悪くて安達太良山が見えませんでしたが、翌日は快晴で、素晴らしい姿を見せてくれました。
毎日、こうした風景に接しているかどうかは、きっと意識に大きな影響を与えるはずです。
空のない東京は、そこに住む人間を変えていきます。
研修終了後、会費制の自由参加の夜学をひらきました。
これが実に面白いのです。
地域で何が起こっているかがよくわかります。
現場情報ではないのですが、土木関係の技術者の石田さんから面白い話を聞きました。
土木工事のコンクリート構造物の多くがそろそろ耐用年数の限界を迎え始めているそうです。
確かにさまざまなところで、剥落問題が起きていますが、そうした予兆かもしれません。
米国では公共投資の4割がメンテナンスに向けられているのに対して、日本では15%程度とのことです。
日本ももっとメンテナンスに資金を向けるべきだが、そういうことを大きな声で言う人がいないと石田さんはなげいていました。
正確な数字は別にして、日本では新しい施設づくりにはお金がまわるが、維持管理には予算が付きにくいそうです。
その理由は、企業が儲からないことと仕事が目立たないからではないこということです。
納得できますね。
現場情報ではこんな話がありました。
高等学校の授業料の未納や兼営住宅の家賃の未納が倍増しているそうです。
どうしたらいいかの相談です。私の処方箋はいつでも簡単です。
情報を公開していけばいいのです。プライバシーなどは理由にはなりません。
もちろん払えない正当の理由がある場合には、別の解決策を見つけることとセットです。
年金もそうですが、未納を放置する文化は変えなければいけません。
未納が恥であることを社会の中で確立すべきです。
罪ではなく、恥なのです。
恥を知らない人たちが、国会を制していますが、彼らは真っ当な日本人ではありません。
模範にしてはいけません。反面教師なのです。
これほど恥ずべき首相はいないはずなのに、なぜか小泉首相は人気があります。
私たちもまた、恥ずべき人間になってしまってきているのでしょう。
産廃の場所を設定するのに住民が反対するのにどう対処すべきか、という問題も出されました。
これも簡単です。
行政が知りえるべき情報を住民言葉で公開すれば、解決策は見えてきます。
豊島のような事例を繰り返してきた行政が、この分野で信頼関係を回復するには、自らをさらけ出すしかありません。
しかし、これはまさに命がけの仕事です。
そこまでやれるかどうか、それは難しい問題ですが、住民が一丸になって取り組むべき課題です。
廃棄物の世界は、行政の責任逃れの中で、おかしな世界とのつながりがあまりにも深まってしまったのです。
まあ、これも恥を忘れた人たちにのっとられた、もう一つの世界です。
もう一つのヒントとして、ウィーン郊外にあるフンデルトバッサーのごみ焼却場の話をしました。
ごみ施設は観光施設にもなりえるのです。
これについては、佐藤和美さんや宮部浩司さんたちが構想している「大きな囲炉裏場構想」がまもなくお目見えしそうです。
これは面白いです。まだ私の口からは公表できませんが。
和美さんの許可が下りたら、報告します。
まあ、こんな話やら、そのほか、さまざまな話で盛り上がりました。
地方はまだ健全です。
しかし、これがまだどんどんと壊れているのが日本の現実です。残念ですが。
■大井町プロジェクト(2004年5月17日)
大井町の駅前商店街を面白く楽しくするためのプロジェクト起こしに取り組んでいるJOBAの加藤雅之さんが最近の動きを報告に来てくれました。
私はこのプロジェクトに特に関っているわけではありません。
ほんの少しだけコメントしたり、あるいは子育て活動に取り組むエスクの名木さんを紹介したりしているだけですが、
加藤さんはとても生真面目に報告に来てくださり、何かビジネスの接点がないかをいつも考えてくれているのです。
誠実な人です。
いろいろな人が湯島には相談に来ますが、
大体においてうまくいきだすと連絡がなくなります。
まあ、それが普通でしょうが、時にそうでない人もいるのです。
加藤さんは誠実なだけではありません。
行動的でビジョンを感じます。
地道にさまざまな活動をつなげ育ててきています。
今回の報告もみんなとても面白い話ばかりです。
まもなくこの大井町プロジェクトも、中間報告書が出来るようですが、
机上論や構想だけではない、実践を通しての構想ですので、示唆に富む報告書になるだろうと思います。
大井町での実績が評価されて、加藤さんのところには、
ほかに地域からの相談もあるようです。
これからいろいろな物語が生まれてきそうな気配で、とても楽しみです。
■ふくしま自治研修センターでの管理者研修(2004年4月26日)
この数年、福島県の自治研修センターで管理者研修を引き受けています。
管理も研修も講演も嫌いな私としてはめずらしいのですが、
研修後に参加者と話し合うのが魅力なのです。
今日は今年度最初の日でした。
管理者の役割がテーマですが、
「それはみなさん一人ひとりで創り出すものです」というのが、私の結論です。
無責任な、と怒られそうですね。
私が考えているのは参加者の頭のリシャッフルです。
頭をリシャッフルして、現実を謙虚に見据えれば、自らの役割は見えてきます。
それは教えられることではありません。
話の基調は、組織の時代から個人の時代への変化です。
地方分権などと相変わらず馬鹿なことを言っている人が多いですが、
これからは地域主権であり、住民自治です。
地方分権の枠組みでの市町村合併の意味を、おそらく現場の職員は知っているでしょうが、
現場も生活も知らない、善意であるとしても無知な霞ヶ関のテクノクラートに反論できずにいるのです。
この両者が結びつけば、日本はいい社会になります。
地域には人材がたくさんいます。
明治維新を思い出せばいいのですが、
そうした人が活躍できる場を創りさえすればいいのです。
しかし、それをやろうとする人がなかなか出てきません。
草創の志士のように、抹殺されるかもしれないですから、あんまりお勧めもできませんが。
余計なことを書きました。
夜は「佐藤修さんと話しませんか」という「夜学」をやりました。
いろいろな人と話しました。
いつも思うのですが、
福島にはしっかりと生活現場感覚を持って、発言する人が多いです。
退屈な公式論議はあまり出てきません。
風土のせいでしょうか。
勝手な私のアジテーションをうまく受け止めてくれるのです。
今年は後、4回通う予定です。
■自治体経営に向けての新しい風(2004年4月26日)
私を福島に巻き込んだのは相馬市の遠藤哲哉さんです。
遠藤さんは新しい自治体経営の啓発者です。
数年前にこの研修所に出向されましたが、その延長でついに相馬市を退職して、研修所に移籍してしまいました。
その遠藤さんから管理者研修を誘われて、軽い気持ちで1回引き受けたのが運のつきで、もう4年目です。
遠藤さんは新しい活動を始めていました。
自治体経営の新しい潮流起こしのために、ビデオマガジンを発行する活動です。
最初の号は、ニセコ町の事例です。
これについては、ブックのコーナーでご紹介します。
遠藤さんは、自治体を「学習する組織」にしなければならないと、この数年、活動しています。
その活動に共感してくれた会社と一緒に、このプロジェクトを起こしたのです。
事業として成立するかどうか心配ですが、応援したいと思います。
自治体関係者の方、ぜひご購入下さい。
ちょっと高いので個人では買いにくいですが。
詳しくは次のホームページをご覧下さい。
http://www.respect-con.co.jp
その活動にも巻き込まれている坂口正治さんに会いました。
坂口さんは、研修所の教授で、今回の研修の担当もしてくださったのですが、
経歴が興味ありです。
福島県の職員からいわき市の職員に転じ、さらに大学院で学んでいるうちに、職員をやめてしまったというのです。
大学院での研究がよほど魅力的だったのでしょう。
このあたりは遠藤さんと同じです。
ある縁で、この4月からこの研修所に参加したそうです。
こうして坂口さんに出会えたのにはきっと理由があるのでしょう。
天の配慮は大切にしなければいけません。
坂口さんの大学での専攻は哲学です。
それだけで私は興味を覚えます。
いまは自治組織をテーマにしているそうです。
まさに私が取り組みたいテーマでもあります。
美野里町での取り組みの心強い応援団になってくれるかもしれません。
坂口さんのことはまたご紹介する機会があるでしょう。
■ 取手市で市民活動に取り組んでいる仲津真治さん(2004年4月14日)
北九州市ファンクラブのメーリングリストでつい最近知り合ったのが、仲津さんです。
文化ホールづくりに取り組んでいるというので、美野里町の事例を紹介したのです。
近くなので一度会おうと言うことになりました。
仲津さんは、某大企業の常務です。まだ現役なのです。
その傍ら、地元で以前から、第九「合唱」を歌う活動をしています。
その活動がどんどん広がって、「素晴らしいホールをめざす会」が生まれたのです。
詳しくは、仲津さんのホームページをご覧下さい。
さまざまな活動に取り組まれています。
取手市は、県は違いますが、私が住んでいる我孫子市と隣接しています。
いつかきっと接点ができるでしょう。
お会いして話して見ると、共通の知人も見つかりました。
世界はつながっています。
つながっている、ということですが、
4月15日の朝日新聞の声の欄に、
千葉市のブルースキース信子さんという28歳の女性が、
自分の実践的な体験から「NGOの活動 みんなに恩恵」という投書をしていました。
一部、引用させてもらいます。
危険を伴う活動は安易なヒューマニズムや正義感だけではできません。
日本に限らずそこで起きている危機的問題、法律の改正、環境や日常生活を安全に過ごせるということも、
ほとんどがNGOや個人の方たちが瀬戸際で問題を阻止し改善していることも知りました。
NGOなどに関わりのない人も何らかの形でこの恩恵を受け、安全な食べ物やきれいな空気を吸い生活しています。
みんながつながっているのです。
NGO活動をする人を「好きで個人でやっていること」と切り捨てるのはできないはず。
人質になった人たちに「自己責任」と言う前に、彼らのような人たちのお陰でどれだけ世の中が救われているか知るべきです。
どなたか、この方(ブルースキース信子さん)を知りませんか。
ぜひお会いしたいと思っています。
お知りあいの方がいたらぜひ教えてください。
■ 我孫子市で市民活動に取り組んでいる富樫道廣さん(2004年4月15日)
我孫子市でもがんばっている人がいます。
富樫さんです。富樫さんは私たちよりもかなり上の世代です。
名刺には「我孫子市民」と大きく書いてあり、裏に活動団体が書かれています。
一番最初に書かれているのが、「我孫子の景観を育てる会顧問」です。
富樫さんとはいろんな縁があります。
最初にお会いしたのは我孫子まちづくり研究会という小さな集まりです。
もう10年以上前になります。
話していたら、なんと私を山形市に引きこんだ舟山紘一さん(現在、合併協議会事務局長)の知り合いでした。
景観形成市民会議でもご一緒しました。
このホームページで以前紹介した、日立経営研修所の公開も、富樫さんたちの我孫子の景観を育てる会のご尽力のおかげです。
その会場で、お会いした話も以前紹介しました。
今回は偶然に電車の中でお会いしました。
いろいろ話が弾みました。
一度またゆっくりと話し合うことにしました。
昨日の仲津さんにしろ、富樫さんにしろ、
生活している地元での活動をしっかりと展開されています。
そこが私と違うところです。
私はどうも長く続きません。
それに関心事が広すぎて、地道な活動が続かないのです。
しかし、そろそろしっかりした地域活動に軸足を移すべき時期かもしれません。
自衛隊派遣などで一喜一憂する生き方は、そろそろ卒業してもいいかもしれません。
最近は、そういう心境になってきました。
■豊かな生活(2004年4月1日)
女房の親元に泊まりました。
両親はもう亡くなっています。
母は昨年9月に亡くなりましたが、女房も手術後だったので、みんなにゆっくりお礼も言えず、
またその後の法事にも(このあたりは四十九日まで毎週続くのです)出られませんでした。
ようやく元気になったので、墓参りに来たのです。
午前中、女房と二人で墓参りをし、お世話になった人のところにお礼に行くというので、私も少しだけ一緒にまわりました。
女房の郷里は滋賀県高月町西物部です。
40世帯弱の小さな集落です。
集落を歩くと人に会いますが、みんな知り合いです。
たとえば、こんな風です。
一緒に歩いていたら、私も会ったことのある玄瑞さんが庭を掃除していました。
女房が声をかけたら、庭に盆梅があるからと呼び込まれました。
盆梅は長浜市が有名ですが、湖北にも広がりだしているのだそうです。
大きな梅の古木を盆栽仕立てにするのです。
玄瑞さんは中学のころから、これが趣味だったそうです。
見事な盆梅がたくさん並んでいました。
その横に離れ家があり、そこにも案内されました。
そこは油絵のアトリエでした。
玄瑞さんは昨年、町役場を定年退職したのですが、
その時から油絵を始めたのだそうです。
もう10点近い作品が飾られていました。
ここで毎日、制作に取り組んでいるそうです。
ゆったりした豊かな時間の中に生活されているのがよくわかります。
玄瑞さんの家を出たら、隣で花に水をやっている人がいます。
女房の姉の同級生だそうです。
そこでまた立ち話。
お茶でも飲んでいかないかと誘われるのです。
なかなか目的地につけないのです。
まあこんな感じで、村を歩くわけですが、
女房によれば、2〜3日中には村中に、私たち夫婦が帰省したことが伝わっているそうです。
悪いことなどできないわけです。
村はずれに太子堂という立派な建物があります。
これは10年ほどまえに近隣の村の人たちが自分たちのお金で建て替えたのです。
義母も毎日のように行っていました(まあ一種のサロン会場です)。
女房も寄付させてもらったので、名前が堂内に書かれています。
近隣の7集落の人たち200人以上の寄付でつくった、まさにコモンズ施設です。
いまはそこに塀をつくっています。
またみんなの寄付で作られるのです。
ちなみにその塀作りだけでも、女房の実家は10万円を寄付したそうです。
どうも都会の感覚と違います。
これこそがまちづくりなのでしょう。
太子堂にも女房と一緒にお参りに行きました。
足の悪いおばあさんが電動の車椅子でお参りにきていました。
一生懸命、お経をあげながら拝んでいました。
女房が話しかけたら、唐川というところの人でした。
女房の母の出身地です。
女房の母親を知っていました。似てますね、と言われていました。
近隣まで人のつながりがしっかりとあるのです。
唐川には赤後寺という寺があり、そこには毀損された千手観音がまつられています。
とてもいい観音です。
その寺は無住職です。
集落の人たちが守っているのです。
高月は「かんのんの里」で有名ですが、
周辺にはとてもいい観音がたくさんいます。
井上靖が絶賛した十一面観音がいる渡岸寺もここにあります。
この寺もつい最近までは無住職で、集落の人が交代でお守りしていました。
これが私たちの文化だったのです。
地方が豊かなのは自然だけではありません。
生活も文化も、歴史も人間も、間違いなく豊かです。
それがどうして見えなくなってしまったのか。
女房の郷里の風景もだいぶ変わってきましたが、
まだまだ原風景が残っています。
村民の生活も含めた原風景です。
いま必要なのは、都市計画ではなく、
そうした生活環境計画なのです。
霞ヶ関の縦割り計画行政が、まだまだそうした生活環境を壊し続けています。
イラク復興の名前で、イラクの人々の生活を壊しているように。
■熊川宿と敦賀の沓見(2004年4月3日)
琵琶湖の東側は「観音の道」と言われています。
小浜から奈良の二月堂までつながっています。
途中、さまざまなとても素晴らしい観音に、出会えます。
それに対して、琵琶湖の西側は鯖街道と言われる若狭街道でつながっています。
若狭から三千院のある大原までの道です。
今回は、その鯖街道を下ったのですが、途中に鯖寿司で有名な朽木があります。
その少し前に熊川宿という昔の町並みを再現したところがあります。
三千院に行く途中に立ち寄りました。
いかにも観光用という造りです。
こうした「創られた町並み」に時々出会いますが、どうも好きになれません。
なぜでしょうか。
それはそこが切り取られている空間になってしまっているからだと思います。
きれい過ぎるのです。
義姉の家は敦賀市のはずれにある沓見にあります。
家のすぐうしろが山です。
家の前には水田があります。
今朝はそこの水田に花蓮を植えました。
最近、猪の被害があるので水をはる蓮にしたそうです。
足手まといになりながら、その作業を見ていました。
さまざまな仕事の知恵が見えて、面白かったです。
沓見は昔どこにでもあった集落です。
田畑があり、小川が流れ、山が見え、のどかな風景です。
ちょっと山に入れば豊富な山菜がとれます。
入会だった山もありますが、そこは地区の人はだれでも入れます。
豊かな生活が、そこにはあります。
週に何回かは寄りあいもあるようです。
さまざまな活動が行われています。
人のつながりはまだしっかりとあります。
こういうところで豊かな生活をしている人たちにとっては、
大切なのはまさに自然です。
山々に支えられて生きていることを実感できることでしょう。
政治の世界などは、瑣末なことかもしれません。
自然との接点である祭事こそが大切なのだろうなと、わずか2時間の付き合いでも実感できました。
昔、祭事が政治に優先したことがとても納得できます。
いつの頃から、それが逆転してしまったわけですが。
4日間、いつもとはちょっと違った時間を過ごしました。
考えることがたくさんありました。
■ 国土交通省の勉強会(2004年3月23日)
久しぶりに国土交通省に行きました。
「今後の地方振興のあり方に関する勉強会」と言うのに呼ばれたようです。
事情をわからずに、好きなことを話していいというので、出かけていったのですが、
しっかりした勉強会で、いささか気楽に話しすぎたことを後で反省しました。
出だしは、
「霞ヶ関が地方を振り回している」
結論が
「地方を振興するなどという発想を捨てたほうがいい」
(地方は霞ヶ関が余計なことをしなければ十分元気)
という話をさせてもらいました。
霞ヶ関の人は、今や現場からますます遠のいています。
現場を知るには、現場に出ていかなくてはいけません。
ゲストを呼んで話をきくことの限界をしっかり認識しているかどうかです。
それに大体において、話をしに行くような人は(私も含めて)現場をゆがめて伝えます。
第二次情報は鮮度がよくないのです。感受性の無い人には危険です。
工藤洋一さんに久しぶりにお会いしました。
いまは都市・地域整備局の企画課長です。
工藤さんとは、建設省時代に一度お会いしました。
コミュニケーション型行政への文化変革運動に私が荷担していた頃です。
国土交通省になって、その活動は立ち消えました。
とても残念でした。
工藤さんは、これからの自治体の行政のパートナーはどうなっていくのかに関心があるようです。
町内会にも関心がありそうです。
とてもうれしい話です。
もう一つ意外なことがありました。
参加者の多くが、どうも農業に関心がおありのようでした。
なんとゲストの一人に、日本不耕起栽培普及会の岩澤さんが入っているようです。
農業と国土交通省。
とても興味があります。
■
谷和原村のその後(2004年3月23日)
日本地域開発センターの北川さんから谷和原村のアドバイザーを継続して引き受けないかと誘われました。
昨年書きましたが、試験的に昨年1度だけうかがって、住民と行政との集まりに参加したのです。
とても素晴らしい谷津田があります。
常磐新線の開通で、放置しておいたら、間違いなくだめになるでしょう。
そこをしっかりと活かしていきたいと住民は思っています。
極めて難しいでしょうが、そのプログラムのアドバイザーです。
昨年はかなり厳しいコメントをしてしまったので、
その後、連絡が途絶えていました。
ちょっと厳しすぎたかなと思っていました。
ところが事実はどうも逆で、
私の発言が、行政と住民に少しだけでしょうが、火をつけたようです。
動きが始まったようです。
それで正式なアドバイザーを頼めないかと言ってきたようです。
どういう関係が生まれるか分かりませんが、
1年つきあうことにしました。
谷和原村は、秋葉原から40分です。
きっとこの10年で様がわります。
少しでもそれを食い止められればと思います。
■新潟水辺シンポジウム(2003年12月6日)
新潟水辺の会シンポジウムに参加させてもらいました。
基調講演を頼まれたのです。
講演は嫌いなので普通はお断りなのですが、パウサニアスの金田さんから頼まれたので断れなかったのです。
主催は新潟水辺の会というNPOです。
実践グループなので、何を話そうか一昨日まで迷っていました。
なにしろもらったテーマが「みんなが楽しく汗をかき笑い、語り合うコモンズのあるままちづくり」というものです。
難しいですね。
悩みに悩んで、結局、私の持論を話してしまいました。
つまり、人と人とのつながりの回復の大切さです。
そして私が関っている3つのコモンズ物語を紹介しました。
今回は美野里町のみの〜れ物語とコムケア物語と小倉北区から始まりそうな共創物語です。
シンポジウムでは新潟水辺の会が取り組んでいる3つの物語も紹介されました。
これはいずれも面白かったです。
みんなとてもまちづくりを楽しんでいるのです。
新潟市長も参加されました。
ちょっとそれを意識して、NPOも基礎自治体もこれからは同じ立脚点に立つべきではないかという話もさせてもらいました。
地方分権の理念を実現するためには、それが不可欠だと私は思っています。
幸いに市長も水辺の会の代表の大熊さんも、そのメッセージをしっかりと受け止めてくださいました。
うれしいことです。
講演の後、市長と水辺の会代表の大熊孝さん(新潟大学教授)と新潟市会議員の進直一郎さんと話し合いをしました。
とても面白かったです。
今回のテーマは、実は「新潟掘割再生」だったのですが、その話もありましたが、
とても基本的な問題も含めての話し合いでした。
みんなとても柔軟でざっくばらんで、すごくいい雰囲気でした。
私の住んでいる我孫子市ではこうした雰囲気を創出できるでしょうか。
うらやましく思いました。
終了後、水辺の会の望年会(忘年会)に参加させてもらいました。
そこで参加者が30秒スピーチをしました。
実に多彩な人が参加しているのがよくわかります。
そしてみんなそれぞれに楽しんでいるのです。
しかも世代がとても分散しています。
なかなかこうはなりません。
また住民パワーのすごさを実感できた、とてもいい1日でした。
日本の未来はきっと明るいです。
中央を見ていると暗くなりますが。
■ 北九州市小倉北区の元気もの(2003年11月29日)
昨年、小倉北区でトークライブをやりました。
盛況でした。そして、新しい物語がいろいろと生まれました。
私の提案もしっかりと受け止めてもらいました。うれしい限りです 。
これを契機に発刊された、まちづくりニュースはすでに3号まで発行されています。
小倉北区役所のホームページを見てください。
その仕掛け人の2人の若者がやってきました。
そのおかげで、土曜日だというのに私もわざわざオフィスに出かけました。
平日に来て欲しいものですが、彼らも休日を使って、元気な吉祥寺商店街を見に来たのです。
これだけでも元気さが伝わってきます。
ですから、付き合わざるを得ません。迷惑な話です。いやはや。
まあ、しかしこういう話が多くて、私はなかなかゆっくりできないのです。
やってきたのは、小倉北区役所の高橋典子さんと森本康成さんです。
話をしていて、2人がしっかりと現場を歩きながら考えているのが伝わってきました。
行政が考える「まちづくり」と住民感覚の「まちづくり」とは位相が違います。
それを踏まえておかないと行政の「住民支援」は「阻害効果」を持ちかねません。
2人ともそれに気づいてきています。
悩みはますます高まることでしょう。
しかし、その悩みこそが、まちづくり活動のエトスです。
いくつかアドバイスしたつもりだったのですが、
すべて彼らはそれを超えていました。
やはり現場で考えている人には勝てません。
小倉北区はきっと面白くなりますね。
来年1月31日に第2回トークライブが開催される予定です。
■ 谷和原村での物語のはじまり(2003年11月15日)
茨城県谷和原村はこれから大きく変貌します。
2年後に常磐新鮮の駅ができて、都心まで40分で行けるようになるからです。
新しい田園都市が生まれるか、とてもいい古来の文化と景観が壊れるかの、いずれかになるでしょう。
そんななかで、谷和原でも唯一残った20haの城山運動公園周辺の地域をどうするかで、住民と行政で構想づくりをしてきたのです。
ところが構想はできたのですが、動き出せずにいます。
それもそのはず、構想は外部のコンサルタントにまとめてもらったのだそうです。
もちろん住民が参加はしましたが、構想で終わってしまいました。
そこで私のところに相談が回ってきたのです。
さてどうするか。解決はいとも簡単です。
難しく考えずに、やりたい人が動き出せばいいのです。
構想よりもビジョンが共有されればいいのです。
まあ、そんなことで、今日は朝から谷和原村に行っていました。
午前中は村を案内してもらいました。
城山運動公園周辺の地域も見せてもらいました。
すばらしいところです。谷津田の形がとてもいいですし、台地と水田の組み合わせもいいです。
今でもカブトムシや鬼やんまがいるそうです。
そう言えば、この3年、鬼やんまを見ていません。
そして常磐新鮮の「みらい平」駅の近くなのです。
午後は村長や職員、そして住民委員30人くらいが集まっての話し合いをしました。
実はアドバイザーに2回くらい行けばいいと思って、気楽に引き受けたのですが、
ちょっと面白そうです。
注意しないと巻き込まれそうです。
困ったものです。
何人かの魅力的な住民にも会いましたが、
役場の総務課長の猪瀬秀三さんにちょっと魅力を感じました。
美野里町の沼田課長と最初であった時のような新鮮な驚きです。
住民主役のまちづくりが、谷和原で始まるかもしれません。
来年、もう一度、行くことだけは約束してきました。
また報告します。
ところで居住地を東京から脱出したい方、 谷和原町はお勧めです。
今ならまだ土地もそう上がっていないようです。
■ 福島夜学パート2(2003年10月20日)
今週も福島に来ました。そして夜学です。
今回は前回と違い、なんと20人を越える参加者です。
そしてまた、実に示唆に富む話をお聞きしました。
地域は元気です。
福島市の障がい福祉課で精神保健福祉に取り組んでいる加藤とよさんからは、すばらしい取り組みの話を聞かせてもらいました。
精神保健福祉は4年ほど前に県から市町村に移管されました。
そのために新たに作られたのが加藤さんの担当した精神保健福祉係です。
この移管にある意味での地方分権の本質が見えているように思いますが、
おそらくどこの市町村にとっても対応は大変だったと思います。
加藤さんも大変だったと思います。
加藤さんは、現場をこまめにまわって新しい体制作りをしたそうです。
自治体行政の原点は現場まわりです。
加藤さんは私の話で、これまでの自分の活動が集大成された気がして、自信がもてたといってくれました。
これほど喜んでくれる人はめずらしく、うれしい話です。
講演も時には役に立つこともあるのですね。はい。認識を変えなくてはいけません。
加藤さんは、ご自身の体験をある会で発表されたというので、その記録を読ませてもらうことにしました。
こうした地道な活動がもっと社会の財産として蓄積されていくことが大切です。
この話に関心のある方は、ぜひ加藤さんに連絡をとるといいと思います。
加藤さんはご迷惑でしょうが、いいことは広げていかねばいけません。
そうですよね、加藤さん。
地域振興に取り組んでいた鈴木一夫さんの話も面白かったです。
地域振興とは何かを考えてきた結果、行き着いた答は、
地域の人たちの誇りを高めていくことだったといいます(私の聞き違いかもしれませんが、まあそんな話でした)。
行政の人たちが、そうした生活用語で語りだすことがうれしいです。
ちなみに鈴木さんは今、県の文書管財領域の副主幹です。
「領域」、なじめない言葉ですね。
福島県は課をなくし、組織を30強の「領域」にしたそうです。
市民にとっては、なじみにくい名前ですね。
生活用語で組織の名前も考えていけば、それだけで役場は身近になると思うのですが。
県の大阪事務所の菅野和彦さんにも会いました。
大阪で企業誘致や福島県の地産地消の売込みをやっています。
県の勿来土木事務所所長の安孫子辰夫さんは、これからの自治体行政のあり方をしっかりと考えていることを感じました。
NPO論議もありました。
私は現在のNPOブームには危惧を感じていますが、NPOへの意識も皆さんかなり高いのに驚きました。
行政の下請けになってきていることへの危惧も出てきました。
福島市の消防本部の3人の人たちにも会いました。
私はこれからの自治体行政の要のひとつは消防だと思っています。
きりがないですね。
新地町の斎藤充明さん、会津若松の小池さん、まだまだいろいろな人とお話しましたが、
霞ヶ関の人たちに、この現場の勢いや思いをしっかりと聞いてほしいものです。
常に最高の知恵は現場にあるのですから。
■ 福島での夜学(2003年10月14日)
福島の自治研修センターに毎年5回通っています。
これについては8月に書きました。
8月は時間がなくて、いずれも日帰りでしたが、今回は宿泊しました。
夜学をやるためです。
夜学といっても、単なる懇談会です。自由参加です。
研修の最大の効用は、新しい人との気楽な意見交換です。
人は話すことで学びます。
聴くことでの学びは、なかなか血肉にはなりません。
私にとっては、夜学は実に刺激的です。
現場の動きがわかるからです。それに新しいことを教えてもらえます。
今回は参加者が少なく、その分、ゆっくり話せました。
会津坂下町の佐瀬昌弘さんからは一貫塾の話を聞きました。
宮城大学の小泉一貫さんを塾長にした塾です。これについてはまた報告します。
会津坂下町では2年ほど前に総合計画を住民主役でつくったそうです。
これも驚きです。一度、詳しく知りたいと思います。
外部コンサルタントなどを入れなかったというのがいいです。
美野里町はまだまだです。
福島県で林業に取り組む渡邊祐樹さんの話も面白かったです。
林業に取り組んでいる人は、工業の人とは違う発想のリズムを持っています。学ぶことがたくさんあります。
同じく県の建設事務所の佐々木孝男さん、須賀川市の古川広さん、大玉村の遠藤勇雄さん、
それに岩代町、郡山市、東和町、など、いろいろな人から刺激をもらいました。
地方は実に面白いです。そしてみんな元気です。
こうした人たちが横につながっていけば、日本は変わります。
そうならないようにしてきたのが、これまでの統治システムですが、これもすべて全体からの発想の帰結です。
日本のこれまでの行政は、つながりを壊し、地域社会を壊してきたのです。
それに便乗して来た自治体も最近、やっとそれに気づきだしました。
多くの管理職はまだ理解できていませんが。
日本の自治体は、早く自らのミッションに気づかなければいけません。
ベクトルを反転させる時代です。
個人の時代なのですから。
■ 手づくり散歩市地域通貨部会(2003年10月2日)
先週、我孫子市の手づくり散歩市のことを、このホームページに書いたら、
早速問い合わせがあり、参加したいと言ってきた人がいます。
厚生労働省の川口さんです。
この人ほど、フットワークのいい人はそうはいません。
経済産業省の浜辺哲也さんにも決してまけません。
まあ、それはそれとして、その手づくり市で地域通貨を使うことにしました。
そのワーキングチームができました。
地元の中央学院高校の卒業生です。
呼びかけてくれたのは鈴木英俊先生です。4人ですが、強力なチームです。
これでうまく行くでしょう。
仕組みの大枠を決めました。画期的です。
何しろ2日しか通用しない通貨なのです。
思い切った仕組みに実験的に取り組むことにしました。
大枠はこうです。
100円で散歩市の地図を買ってもらうと200円相当の地域通貨がおまけについてきます。
まあ、100円で200円がもらえるわけです。
実際に、その通貨は散歩市に出展しているお店や協賛店で200円相当で使えます。
たぶん、価格の2割が限度になるでしょうが。
散歩市が終わった時点で、その通貨は無効になります。
しかし、実行委員会でその通貨を額面の1/4で引き取ります。
価値が大幅に減価するので、みんな2日間で急いで使うようになります。回転率は高くなるでしょう。
おわかりいただけたでしょうか。実に面白いでしょう。
こういうことです。
最後の引取金額を10万円とします。
そうすると、その4倍の40万円を発行していいことになります。
しかも回転率が高いですから、2日間で2回転するとすれば、80万円の流通量になります。
それが2割相当で使われるわけですから、その4倍の法定通貨が動きます。
併せれば、400万円の経済活動が創出されることになります。
ご理解いただけるでしょうか。
しかし、狭い散歩市での流通ですから、なにやら「花見酒の経済」を思い出させますね。
どこかに論理的な破綻があるのかもしれません。
森野栄一さんだったら、即座に問題点を見抜くでしょうが、まあ、まだマイナーなので森野さんには内緒です。
さて、どうなりますことやら。
みなさん、25〜26日は我孫子に来ましょう。100円で200円がもらえる日です。
■ 八千代市の新しい風(2003年8月21日)
八千代市の住人がやってきました。
金居宗隆さんです。
現在は出版社勤務ですが、地元でも活動を始めたいと動き出したのです。
地域には課題山積です。
ビジネスチャンスもあふれています。
しかし、それを見つけられないのが現在の企業です。
NPOも違う意味で見つける能力がありません。
行政はこれまただめです。
コミュニティビジネスや起業家支援に取り組む自治体は多いですが、いい加減なものが多いような気がします。
概念整理もせずに、経営とは何かの勉強もしていません。
それでは外部のコンサルタントに手玉にとられるだけです。
それはともかく、八千代市では金居さんはじめ、しっかりした住民が繋がり始めているようです。
話を聞くと、ほとんどのお膳立てがそろっています。
あとは編集するだけです。
私も我孫子市で少しがんばらないといけません。
そしていつか、八千代市と交流したいと思っています。
■ 都市型ボランティア活動に関する研究会(2003年7月16日)
明治学院大学社会学部付属研究所が主催する研究会です。
コムケア仲間のみなとネット21の高橋佳代さんからお誘いがあり、よくわからずに参加しました。
参加する前に前回の議事録を読ませてもらいましたが、
議論のやりとりに現場感覚が感じられなかったので、また頭だけで考えている人たちの知識交換会だと勝手に思っていました。
たとえば「力のない市民は行政と対等に協働することはできない」などという発言があるのです。
まちづくり活動や市民活動を全くしたことのない人の発想です。
目線が高く、市民社会とは全く違うところに視座があります。
こうした発想の人がNPO業界やまちづくりを駄目にしていると実感している私としては、これはちょっとでかけていって、現場活動をしなさいと言おうと思ったのです。
参加してみて、私が間違っていたのに気づきました。
20人くらいの参加者がありましたが、ほぼ全員が港区在住の実践者たちです。
みんな実にいい活動をしています。
感動しました。先入観で議事録を読んではいけません。
研究会という名前に惑わされたのかもしれません。
しかしここでもまた、物議をかもす発言をしてしまいました。
ボランティアは奉仕だという発言に私がひっかかってしまったのです。
社会貢献とか奉仕とか、自分で言う人がいますが、私はそうした人や会社の誠意を信じません。
もちろん活動自身は評価しますが、人間としては信頼できません。
なんという目線の高さか!と思ってしまうのです。
私の性格が悪いのかもしれません。
ところがです。
赤十字奉仕団の岩間貞子さんから、私は奉仕という精神で30年間、取り組んでいると指摘されました。
30年以上、地元で民生委員もされているそうです。
とても素直に「奉仕」という言葉を使われています。
こうした活動をされている方から「奉仕」という言葉を聞かされると、もしかしたら「奉仕」という言葉でいいのではないかと思ってしまいます。
やはり現場で汗をかいている人は「言葉」を超えているのです。
というよりも、私自身が頭で考えて「奉仕」に拒否反応しているのかもしれない、などと思ってしまいます。
私はともかく、現場の人にはいつも頭が上がらないのです。
日本語ボランティアネットワークの林川玲子さんは、私の発言にエールを送ってくださいました。
林川さんは日本大学総合科学研究所の日本語教育の助教授でもあります。
日本語の専門家から「言葉は大切です」といわれると、そう簡単に宗旨変えしてはいけないとも思います。
どうも主体性がなくて困ったものです。
いずれにしろ、こうした基本的な議論が、実践者であればこそ、本当は必要なのだろうと思います。
奉仕論ではあんまり賛成してもらえなかったですが、生活福祉ネットワーク代表の柳川素美代さんの姿勢には感動しました。
循環型福祉のまちづくりに向けて、地に足つけた活動をしています。
自らの生活に立脚した、しっかりした活動をされているのが発言の端々から伝わってきました。
議事録とは全く違った印象の、とてもいい研究会でした。
しかし、私にはかなり場違いでした。
なぜなら、みんな港区在住の方々がまさに生活につながるボランティア活動をしており、その実績を踏まえて発言しているからです。
よそ者の私には本当の意味で議論に入れないところがあります。
よその地域での まちづくりの仕事でいつも感じる寂しさを、ここでも感じました。
面白かったのは、同じ港区でも三田と芝は違うという話です。
この話は実に興味深かったです。
やはり生活のにおいがする活動は感動的です。
港区で時間を費やす暇があるのなら、やはり私は地元の我孫子市で時間を使うべきです。
都市型ボランティアというテーマにはとても興味があり、引き続き参加したいのですが、
私自身が観察者的にならないために、これからの参加は辞退すべきかと思っています。
かなり残念ですが。
ちなみに、次回は8月28日の夜です。
テーマは「都市における地域コミュニティ復活を考える〜今どうなっていて何が必要か〜」です。
魅力的なテーマなのでまた足がむきそうです。いやはや。
ご関心のある方は事務局に伝えますので、ご連絡ください。
■市民か住民か(2003年6月18日)
コムケア仲間のよこすかパートナーシップサポーターズの代表の藤澤浩子さんがやってきました。
藤沢さんは地域活動から、行政へ、そしてNPO、その流れの中で、大学院に通いだすという、行動の人です。
社会を良くしたいという強い思いも感じます。
今月の自治体学会関東フォーラムで発表される関係で、意見交換にやってきました。
私のまちづくり論と「市民・住民観」をホームページで読んでくださったのです。
私は「市民」よりも「住民」という視点を大切にしています。
とても面白い議論ができました。
藤澤さんのような、生活現場をしっかりともった研究者や活動家が増えてきています。
とてもうれしいことです。
いつか藤澤さんには、このホームページでその発表内容を紹介してもらえればと思っています。
■ 大分県国見町の使者(2003年1月28日)
CWSコモンズ村の村民のジャーナリストの石本君代さんがやってきました。
彼女は以前、このホームページでも紹介した、ペシャワール会の中村哲さんの本「平和の井戸を掘る/アフガニスタンからの報告」の広報部長です。
いい本があるとともかくみんなに広めたくなるようです。
私もその影響を受け、中村哲さんの本をコモンズ書店で販売していますが、一時期、話題になりましたが、ぱったり注文がなくなりました。
まだの方は、ぜひ支援するつもりで購入しましょう。
ご関心のある方はコモンズ書店にどうぞ。在庫がまだあります。
石本さんは今日もまた、面白い話を持ってきました。
大分県国見町の大光寺の文化講演会の話です。
地域起こしの話をしに行かないかというのです。
石本さんはコモンズ村の住民で、私はコモンズ村の村長なのです。
従って、私の立場はとても弱いのです。
それにコモンズ通貨『ジョンギ』で何かを頼まれると断れません。
しかし、講演に行ってもあんまり意味はないので、もっと面白いことを考えようということになりました。
きっと面白いことが始まるでしょう。
大分の国東半島は私の憧れの地の一つです。
国東の寺社は奈良の寺社と違って、生活者と同じ目線で語りかけてくるような気がします。
仏像の表情も柔らかな気がします。いや、哀しさも感じます。
地図を見ていたら地名がとても豊かですね。
久しぶりに国東半島に行きたくなりました。
野原さんが目指しているのも、ある意味で社会的起業ですが、もう一人、これまた社会的起業家のお一人である加藤雅之さんがやってきました。
加藤さんはいま、大井町商店街の活性化に関わっていますが、時々その報告に来てくれます。
毎回、構想を広げながら、実に着実に、思いを形にしていっています。
加藤さんが取り組んでいる構想をどこまで公開していいのかわかりませんが、個別課題解決型の取組みではなく、多様な関係当事者を活かしながら、編集による相乗効果を高める、まさに社会的事業家発想をしていることです。
おそらく年内には加藤さんたちの取り組みは外にも見えてくるでしょう。
またご報告しますが、新しい商店街活性化、まちづくりなどのモデルになっていくのではないかと思います。
■
夢の実現に取り組む三浦美香さん(2002年6月12日)
比良山麓の里山にだれもが気持ちよく生活できる世界を創りたいと念願している三浦さんにお会いしました。
これも室田さんのおかげです。
比良山は琵琶湖の湖西にある山です。
ファンも多く、比良山の表情を毎日ネットで紹介している人もいます。
その山麓にある里山に、三浦さんは思いを込めています。
そこは立地がいいため商業主義的な開発が進む恐れがあるのですが、三浦さんはそこを活かしながら残したいと考えています。
子どもたちにも誇れる活用策を考え、その里山の持ち主に提案したいと考えています。
一人では解決できないテーマです。
どなたかいいアドバイスがないでしょうか。
そうした活動の事例などあれば、ぜひ教えていただけないでしょうか。
■
福岡市で3人の異才に会いました(2002年7月8日)
福岡は夏のようでした。そこで3人の方を訪ねました。暑くなければ後二人お会いする予定でしたが、さすがに疲れました。
まずは玉井輝大さん。
福岡市VIプロジェクトで何回かご紹介した人です。玉井さんは大きな構想を描く仕事の一方で、本当に身近なコミュニティづくりに取り組んでいる方ですが、福岡市内の本当に便利なところにオフィスをお持ちだったのに、実際にコミュニティ活動したい地域に移転させたという人です。そして、地域のための弁当配達や地域の生活支援に関わるコミュニティビジネス(コミュニティ・デポ活動)に取り組んでいます。玉井さんは真の実践家です。しかも、理論家にして構想家なのです。福岡市はなぜ彼をもっと大きな構想に関わらせないのか残念です。
次にあった異才は日本政策投資銀行九州支店の鍋山徹さんです。
コモンズやケアについての話が弾みましたが、鍋山さんは経済のための社会から社会のための経済に変えていかねばならないと考えています。まったく同感です。鍋山さんたちが最近まとめた「日本経済と信頼の経済学」をもらいました。ブックのコーナーで紹介させていただきます。
3人目は市役所の吉村慎一さんです。
私が福岡市に関心を持つようになったのは吉村さんのおかげです。吉村さんは山形市にも行ってくださり、政策塾のメンバーに多大な影響を与えました。福岡市役所では有名なDNA活動の首謀者です。
どこの町にも異才がいます。各地で異才が動き出しています。大きな変化がまもなく見えてくるでしょう。
■
大西さん報告書(2002年8月2日)
日本政策投資銀行九州支店の大西達也さんから「地方都市における「まちなか」再構築に向けて」という報告書が送られてきました。大西さんは先々週くらいに登場した鍋山さんのチームメンバーです。九州・沖縄の中心市街地の現状と課題をまとめた報告書です。
地方都市の実態がよく見えてきます。私は、これまでの都市政策はすでに破綻していると思いますが、新しい発想へも転換はなかなか進んでいないようです。各地の市街地活性化の動きを見ると、みんな滅びに向かっての最後のあがきのように見えてなりません。新しい発想で取り組んだら、全く新しい都市政策が生まれるだろうと思います。多くのビジネスチャンスを目前にしながら、停滞している産業界と同じ構図がそこにあります。
その報告書に、こんな文章があります。
今回、調査対象とした九州地域の主要都市では、まちづくり関係者からのヒアリングを通じて、都市により程度の差はあるものの、人の移動が激しい大都市には見られない独自の歴史・文化に裏打ちされた「わがまち意識」を感じることができた。
私もそう感じています。ここにこれからのまちづくりのヒントがあるように思います。この報告書を読んで、私は新しい都市連合の時代というイメージを感じました。市町村合併などはやめて、新しい都市や地域のつなぎ方を考えていくべき時代かもしれません。
大西さんは、この調査結果の報告会を九州各地で行うことを考えているようです。ぜひ新しい物語の創出につながってほしいと思っています。ご関心のアル型は大西さんにコンタクトされるといいです。
日本政策投資銀行のホームページは
http://www.dbj.go.jp
です。
■
福島での夜学(2002年8月19日)
福島県の自治研修センターに毎年5回通っています。管理職の研修なのです。研修嫌いの私が毎年5回も行くのは、夜学ができるからです。研修の正規のプログラムではないのですが、私が宿泊できるときには泊まらせていただいて、自治体職員のみなさんと気楽な意見交換をさせてもらうのです。佐藤修さんを囲んでの夜学です。もちろん学ぶのは私です。
今回は20人くらいの人が参加してくれました。福島県と県内の市や町の管理職になったばかりの人たちです。実に真剣に社会の行く末を考えています。霞ヶ関の人たちに彼らの真剣さを知ってほしいですね。そして、彼らと同じくらい現場に立脚して未来を構想してほしい。そうしたら、今のような馬鹿げた政策や事業は出てこないでしょう。
ちなみに昼間は私も講義をします。まあ、それはどうでもいいのですが、かなり刺激的な話をします。以前は反発を持つ人も多かったですが、最近は共感する人のほうが増えています。こんなところにも時代の変化を感じます。
来週もまた夜学ができそうです。
■
福島の夜学(2002年8月26日)
先週に続いて福島夜学を開きました。様々な面白い話をお聞きしました。
福島市の尾形さんはアイガモ農法で米を作っていますが、スズメはアイガモ農法の稲と普通の農法の稲とを見分けるそうです。つまり、アイガモ米の落穂はスズメがよくついばむのに、そうでない米の落穂はスズメにも人気がないそうです。とても示唆に富むお話です。
現場に近い人たちと話していると、こういう話がどんどん出てきます。やはり情報は現場にあることをいつも実感させられます。
■
たべもの通貨研究会(2002年9月24日)
JA兵庫六甲の地域通貨制度研究会の最後に委員会がありました。提案がまとまったのです。
提案内容に関心のある方はご連絡下さい。
以前もここでかなり否定的なコメントをしましたが、今回もやはりせざるを得ません。みんな何故、既存の枠から自由になれないのでしょうか。既存の経済システムをひきづったままの地域通貨は意味がないと私は思っています。それと重要なのは、ビジョンです。
まあ、それを言い出すと、お前も委員ではないかと言われそうですし、熱心に企画立案してきた溝内さんに申し訳ないのですが、ぜひ今回の議論を踏み台にして、いいものにしていってほしいと思います。
研究会といわれたので、想像的な議論が出来ると思ったのですが、説明会で終わったのが残念です。
■
福祉のまちづくり工学研究所(2002年9月24日)
小山美代さんを訪ねました。メールでは2年前からの交流がありましたが、お会いするのは初めてです。
コムケア活動をはじめようか迷っていたときに、何人かの方に相談したことがありますが、そのお一人が確か小山さんです。なぜそうなったかは思い出せませんが。
福祉のまちづくり工学研究所は神戸市の総合リハビリテーションセンターのなかにあります。このセンターはとても立派で、海外からの視察も多いそうです。ただ、ちょっとあったかくありません。日本の建築家は、なぜ「あたたかさ」をもっと大切にしないのでしょうか。建物を作るのではなく、場を創るという姿勢を持った建築家はまだ少ないのでしょうか。
小山さんは、福祉と文化に関心を深めているようです。お洒落やお化粧と福祉は、とても深くつながっていますが、その当りが最近のテーマのようです。とても共感できます。私は「福祉のノーマライゼーション」と呼んでいますが、福祉は楽しさや喜びが基本になければいけません。
福祉のまちづくり工学研究所のホームページは面白いです。
■
自治体の新しいデザインを考えるフォーラム(2002年10月7日)
福島県の自治研修センターで、自治体職員を対象にした公開フォーラムを開催しました。NPOの視点からみる社会のリフレーミングがテーマです。とても刺激的なフォーラムでした。1か月前にセンターの遠藤哲哉さんから相談があり、二人で構成した企画でした。
社会のリフレーミングは、8年ほど前に北九州市で開催した全国まちづくり先進事例会議でもテーマにさせてもらったことがありますが、その時はまだピンと来なかったようです。しかし、今は違います。まさに枠組みが大きく変わろうとしているのが見えてきました。
ちなみに、その北九州市の会議のキーワードは「共創の時代」でした。この言葉も、あまり使われていませんでした。「協働」がはやりだしていましたが、私は「協働」という言葉が嫌いです。目線の高い操作用語を感じます。大切なのは「創る」ということです。
その会議では、山形市の共創プロジェクトと美野里町の文化センターづくりを、それぞれから発表してもらいました。二つのプロジェクトは、その後、紆余曲折はありますが、続いています。私のまちづくりの原型は、この二つのプロジェクトにあります。
今回は、「組織発想の時代」から「個人発想の時代」へのパラダイムシフトの視点で問題提起をしました。
それを受けて、午後は3人のゲストとパネルトークしました。ゲストは、浜辺哲也さん(経済産業研究所)、新谷大輔さん(三井物産戦略研究所)、浦嶋裕子さん(農的暮らしを考える研究会)の3人です。みんなは現場重視主義者です。そして私を除き、次の社会を担う若者たちです。私たちの世代よりは、素直な感性を持っています。
NPOについてもだいぶ話題になりました。私は最近のNPOの動きには違和感を持っています。社会のサブシステムに位置づけられているからです。むしろ、NPO(住民活動)は社会の構造を変えていくのではないかと思います。これからの企業や行政の組織モデルはNPOだと思っています。もっとも今のNPO法人は、そのモデルにはならないでしょうが。
■
東上まちづくりフォーラムの理事長の柴田郁夫さん(2002年10月11日)
柴田さんは最近流行のSOHOやマイクロビジネスの草分けです。以前、このコーナーでも紹介しましたが、20年くらい前に出会いました。なかなか一緒に仕事をする機会がありませんが、かなり同じ領域で活動しています。
柴田さんの紹介はいずれまたしますが、今日は柴田さんが同行された富士通の熊野健志さんと平野篤さんの話です。お二人は電子行政や住民と行政とのコラボレーションに関心があるようです。最近広がりつつある電子行政には大きな期待がありますが、今の取り組みはこれまでの枠組みで発想していますからうまくいくはずがありません。しかし、このお二人はかなり柔軟に考えているようです。
熊野さんは地元でNPO支援もしているようです。コムケア仲間の団体とも接点があることがわかりました。今週はNPOに縁があります。
NPOにご関心のある企業の方は、ぜひ20日の集まりに参加して下さい。目から鱗です。
■ 福島県自治研修センター(2002年10月15日)
福島県の自治体職員を対象にした研修の講師を今年も引き受けました。今年4回目の講義をさせてもらいました。講義というよりもアジテーションかもしれません。
今は、自治体が社会を変えていく時代です。この数年、自治体職員の皆さんの意識と行動が変わってきているように思います。しかし、まだそれぞれが自らの自治体の中で仕事をしている感じがあります。もっと横のつながりが必要です。それも市町村合併や広域行政発想ではなく、地域を越えた連携や学びあいが大切です。
そんな思いで「風のまち」をつくりましたが、来年はそこから何かを起こしたいと思っています。何かいい知恵はないでしょうか。
■交通問題からまちづくりを考えている田中克明さん
長年、自動車関係のジャーナリズムの世界に身を置いている田中克明さんが訪ねてきました。といっても、取材ではありません。私は自動車には全くの音痴なのです。自動車問題には関心がありますが。
田中さんは、交通問題からまちづくりに取り組みたいと考えています。田中さんの出身地は千葉県松戸市です。そこで新しい都市交通体系を考えたいと言うのです。この分野は私が一時期のめり込んでいた分野です。もう25年くらい前のことですが。
私の提案は「自転車都市」と「マイクロビークル構想」です。いずれも日の目をみていませんが、前者は懸賞論文で入選しました。100万円もらいました。後者は一度、某シンクタンクから照会がありましたが、忙しさにかまけて連絡をとらずにいたら、そのままになりました。まあ、その程度の提案です。懐かしいので、その二つの小論を探して近く掲載します。その小論を書いた頃は、毎週のように小論を書いていました。いい論文もありますが、社会的には全く評価されなかったのが残念です。発表の場がなかったのです。
田中さんのプロジェクトには、荷担したいと思っています。いつか報告できるでしょう。
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伊南だより
定松さんの話との関係で、もう一人、若き友人をご紹介します。
丸山冨美さんという、元気の塊の友人がいます。
なぜ元気かというと、青豆を毎日食べているからです。
私が元気がなかった時に、青豆を一袋もって来てくれて、毎日食べるように言われたのですが、3日しか続きませんでした。
そのため、私は今でも元気ではありません。
四国の四万十川近くで生まれ育った彼女は、大学卒業後、オーストラリアに渡ったり、NGOで野外活動に関わったり、元気そのものの生活をしていましたが、1999年、福島県の伊南村に移住し、そこで大きな新しい風を起こしました。
そして、今は栃木県の茂木町で活躍しています。
私のオフィスにも、時々、風のように現れて元気を置いていってくれます。
その丸山冨美さんから「伊南便り」が届きました。
3年間の伊南村での活動を小冊子にまとめたのです。
実に面白い小冊子です。
まちづくりに取り組んでいる人たちにも読んで欲しい内容です。
観察者が書いた本は退屈ですが、当事者の本は面白いです。
そして、含蓄があります。
この本は非売品ですが、いつか彼女には本を書いてもらいましょう。
元気の塊かと思っていたら、知恵の塊でもあることがわかりました。
各地で活躍している人たちが、もっともっと触れ合える状況をつくって行くと、それだけで新しい大きな物語が生まれる時代です。
今、まさに時代は変わり目。みなさん、そんな予感を感じていませんか。
10年後はきっと、今とは全く違った社会になっているような気がします。
もちろん、本質を背負い込んでいる現場は、何も変わらずに、歴史を育てて行くだけでしょうが。
何が変わり、何が変わらないか。それを見極めることが大切な時代です。