活動記録2009

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(2009年12月第5週)
2009年最後の週は風邪でダウンでした。
月曜日は約束が3件あったので、少しおかしかったのですが、出てしまいました。
3件ともかなり刺激的な話し合いでしたので、いささか過剰に心身を使ってしまったようで、帰宅してダウンしてしまいました。
まあ、よくあるパターンで、自己管理できない人間の典型です。
後半回復しましたが、まだ何となく違和感が残っています。
同居していた娘が一人、結婚で年末になって転居しました。
そんなこともあって、何やら落ち着かない大晦日を迎えています。

今年は、あまりにたくさんのことがありました。
来年がまだ見えてきませんが。

(2009年12月第4週)
今週は後半、娘たちと沖縄に行っていました。
娘が結婚するからです。
旅行に前に結婚相手のご両親の家を訪問しました。
とても気さく、妻がいたらとても気にいったことでしょう。

前半はいくつか刺激的な集まりはありましたが、年末の成果、みんな緊張感のない集まりでした。
緊張感のある集まりも一つだけありましたが、それはあまりにプライバシーに関わるので記録はやめます。
年末でみんな忙しそうです。

そういえば、今週はNPO法人ライフリンクの前の事務局長の藤澤さんにお会いしました。
湯島に開催した、自殺のない社会づくりネットワークの望年会に参加してくれたのです。
名刺交換したら、前にもここですれ違ったことがありますといわれました。
湯島はライフリンクが立ち上がった時に、事務所として提供していたのです。
藤澤さんは、そのことを覚えていてくれました。
何だかとてもうれしい気分です。
藤澤さんは「自殺対策に取り組む僧侶の会」の代表でもあります。
今週の活動記録はこれだけです。

(2009年12月第3週)
以前のように毎週また世界が広がりだしているような気がしています。
わくわくはするのですが、「危険」な兆候です。

■自殺という文字がつくる壁(2009年12月14日)
■住友生命社会福祉事業団の的場さんが来てくれました(2009年12月14日)
■自殺のない社会づくりネットワークの事務局(2009年12月14日)
■娘の結婚(2009年12月15日)
■パンぶとうと立派な花束(2009年12月16日)
■働きがいのある会社(2009年12月16日)
■半農ライフを考えるプチサロン(2009年12月16日)
■自殺対策にどう関わるか(2009年12月17日)
■地域包括支援センターとソーシャル・キャピタル(2009年12月17日)
■文化や芸術に親しむとどういう意味があるのか(2009年12月18日)
■Pax intrantibus, Salus exeuntibus(2009年12月18日)
■長期雇用をどう考えるか(2009年12月18日)
■地域振興アドバイザー忘年会(2009年12月18日)

■自殺という文字がつくる壁(2009年12月14日)
たまたまなのですが、2人の方から「自殺防止への取り組み」に関心があるという連絡をいただきました。
先週から数えると4人です。
みんな異口同音にいうのは、「自殺」という文字にはやはり大きな壁を感じて、なかなか関わろうと思う勇気が出なかったというのです。
4月に「自殺のない社会づくりネットワーク準備会」を立ち上げる時も、「自殺」という文字をどう扱うか何回も議論になりました。
悩ましい「文字」です。

しかしこれは「自殺」に限った話ではりません。
「介護」「家庭内暴力」「子育て」「難病」などなど、いずれも当事者ではない人にとっては、自分とは無縁のことだと思いたがっているように思います。
しかし、いずれも私たちの日常生活につながっている世界の話です。
そして、「自殺」も例外ではありません。

だとしたら、自殺の問題を特別視してはいけません。
注意しないと自殺を問題化することが、自殺を増やしかねないのです。

4人の人たちと話していて、改めてそう感じました。
いつかブログに書きたいと思います。

住友生命社会福祉事業団の的場さんが来てくれました(2009年12月14日)
住友生命社会福祉事業団は、私の生き方を変えた組織の一つです。
ここからの依頼で、コムケア活動が始まりました。
私のわがままな提案をすべて聞いてもらい、私としては100%納得できるNPO支援活動が実現できました。
しかし、そのおかげで私の生き方は一変してしまいました。
それが良いことか悪いことかはわかりませんが、私の生き方を大きく決めてしまったことは間違いありません。

その事業団の的場さんが湯島に来てくれました。
お話していたら、なんと的場さんは足代さんをよくご存知でした。
足代さんは娘のスペインタイル教室に来てくれている人ですが、今日も来ていたので、出掛けに少し話してきたのです。
的場さんは高校も一緒で、会社時代も足代さんとは接点がいろいろとあったようです。
足代さんは住友生命の副社長だったのです。
縁はいろいろとあるものです。

久しぶりにいろいろとお話をさせてもらいました。
コムケア活動に関しても、的場さんはいろいろと応援してくれています。
私自身がお役に立てられずにご迷惑ばかりかけていますが、来年はなにか役立つことをしたいと思っています。

■自殺のない社会づくりネットワークの事務局(2009年12月14日)
自殺のない社会づくりネットワーク事務局をコンセプトワークショップの事務所においているために、電話が共有されています。
そのため、時々、その関係の電話がかかってきます。
ついついブログに書いてしまいましたが、今日の電話はとても心残りの電話でした。

しかし、昨今の社会の状況がこうしたことからも垣間見えます。
毎日辛い話が多すぎます。

■娘の結婚(2009年12月15日)
娘のジュンが結婚することになり、相手と2人で正式に挨拶にくるということになりました。
といっても、もう何回も会っていますし、食事も一緒にしたこともあります。
ただいつも何となくだったのですが、今回はけじめのためです。
しかし、私も相手もカジュアルなタイプなので、まあ気楽な食事会になってしまいました。
これまであまり話していなかった、私の結婚当時の話もしました。

娘の結婚は、父親にはさびしいものだといわれますが、そういう気持ちは起こりません。
これからじわじわと来るのでしょうか。
入籍は来年1月元旦。
親と同じく、結婚式はしないそうです。
私の血をひいてしまいました。

■パンぶとうと立派な花束(2009年12月16日)
久しぶりに奥山さんが、藤本さんと一緒に湯島に来ました。
2年ぶりでしょうか。
私もいれて3人で、実は4年ほど前にあるプロジェクトに取り組んでいたのです。
私は女房のこともあって、その後、抜けていましたが、そのプロジェクトは当初の意図とは少し違いましたが、成功したのです。
まあそんなこともあって、久しぶりに訪ねてきてくれました。
私が伴侶を亡くしてもう意気消沈していると思っている人も少なくないのですが、私の元気そうな顔を見ると安心するようで、今回も以前と同じような雰囲気に戻ります。
そうなると肝心の用件が果たせなくなることも多いのですが。

今回、2人はそれぞれにお土産を持ってきてくれました。
奥山さんは天然酵母のぶどうぱんをどっさり持ってきました。
奥山さんお気に入りのぱんなのですが、ぱん生地よりもぶどうのほうが多いのではないかと思えるようなもので、奥山さんは「ぱんぶどう」だというのです。
これを一切れ食べるともう満腹になります。
藤本さんはこれまたどでかい花束を持ってきました。
奥さんにというのです。

ありがたく頂戴しましたが、自宅にもって帰るのが大変でした。
パンぶどうと花束が気になって、肝心の用件は忘れてしまいそうです。

■働きがいのある会社(2009年12月16日)
日本にGPTW(Grate Place to Work)、つまり働きがいのある会社プログラムを導入したのは斎藤智文さんです。

当時は日本能率協会コンサルティングに所属していましたが、現在は独立して、このプロジェクトに取り組んでいます。
GPTWに関しては斎藤さんの書いた本があります。
企業にとって、社員のモチベーションは重要なテーマですが、その問題を考える上で、GPTWはとても大きなヒントを与えてくれると思います。
関心のある方はお読みください。
ブックのコーナーで紹介した「横浜中華街の世界」をプロデュースした根本さんもそれに関わっています。
そのお2人がやってきました。
最近は久しぶりにといって、いろいろな人たちが湯島に来てくれるようになっています。
湯島は人を呼ぶ場なのです。

ところで、GPTWは従業員視点から企業文化を評価し分析するプログラムです。
現場にすべてのヒントがあるという考えの私にはとても興味あるプログラムですので、斎藤さんから話をお聞きした時から興味を持っています。
それで経営道フォーラムや日本経営道協会などでも講演をお願いしたことがあります。

しかし私には不満があります。
まず「社会とのつながり」の要素が弱いことです。
私は社会的視野や社会の常識をしっかり持った従業員が企業の元気を支えていくと考えています。
1990年代初めにバブルがはじけた頃、日経ビジネスが「会社のためが会社をつぶす」という特集を組みました。
従業員の社会性こそが、企業を元気にするというのが私の持論です。
問題はその「社会性」の中身ですが。
もうひとつは、日本の働く文化の伝統があまり取り込まれていない気がしています。

この2点を、このプログラムに加味すれば、さらに効果的なものになるように思います。
斎藤さんにはそうした視点での取り組みを期待しています。
どこかで協力することができるといいのですが。

■半農ライフを考えるプチサロン(2009年12月16日)
「半農生活を始めよう」の著者、増山さんが主催するプチサロンをコムケアサロンとの共催的な形で開催しました。
20人ほどの人が集まりました。
いつものコムケアメンバーも半数はいましたが、全く新しいメンバーも半分くらいをしめました。
そのため、自己紹介だけでもかなりかかりましたが、それがまた面白かったです。
意外だったのは霞ヶ関の現職の人が2人参加しました。
もちろん個人的な関心からです。
お一人は自分で最近半農ライフをはじめ、増山さん主宰の菜園クラブのメンバーです。
その方のテーマは「平和」です。
お仕事柄、世界各地の危険な地域での体験もあるようです。

久しぶりにつくばで農業関係の起業支援に取り組みだした森木さんが来てくれました。
今回の特色は、夫婦参加が2組いたことです。
これまた意外な夫婦でしたが、話を聞くととても納得できました。

地域史に最近取り組んでいるSさんも参加しました。
今回はゆっくり話せませんでしたが、3年ぶりくらいでしょうか。
また湯島にいろんな人が集まりだしました。

我孫子の宮内さんも参加しましたので、帰りは宮内さんと一緒でした。
我孫子に住んでいるのに、そしてお互いにLLPのメンバーなのに、ゆっくり話す時間がなく、久しぶりにいろいろと話ができました。

ちなみに、このサロンは2月にも開催され、4月にはフォーラムも予定されています。
詳しくは増山さんの菜園クラブのサイトをご覧下さい。

■自殺対策にどう関わるか(2009年12月17日)
自殺のない社会づくりネットワーク事務局長の福山さんとこれからの展開に関して少し意見交換させてもらいました。
それに事務局への電話にどう対応すればいいかも話しておかねばいけません。
福山さんはこの分野で長く活動されていますが、それでもやはり悩むことも少なくないようです。

福山さんの発想は、かなりエコロジカルです。
その点に私はとても共感しています。
今日話していて、それを改めて感じました。
そもそもケアとはエコロジカルな行為なのだろうと思います。
言い換えれば、自然の行為です。
人間の身体から出てくる行為や思いです。
決して頭からでてくるものではありません。
心からでさえないのかもしれません。
そんな気がこの頃しだしています。

■地域包括支援センターとソーシャル・キャピタル(2009年12月17日)
以前書きましたが、認知症介護研究・研修センターが「地域住民連携による認知症・介護予防サービス企画支援に関する研究」に取り組むことになり、その検討委員会の委員に委嘱されました。
何だか場違いな気もしましたが、以前も書いたように、ソーシャル・キャピタルが今回の切り口の一つなのです。
ソーシャル・キャピタルであれば、私の考えとつながります。
福祉行政制度の多くは福祉文化の蓄積を壊しかねないというのが、私の考えですが、ソーシャル・キャピタルを基本に置けば、今とは全く違ったものになるはずです。
お金もかかりませんし、ややこしい制度も不要です。
もちろん施設も今とは全く違うものになるでしょう。
第一、 認知症とか介護という言葉の意味合いが変わってきます。
そんな気がして、引き受けさせてもらいました。

ところが、いささかの勘違いがありました。
委員会というので、いろいろと議論できるかと思っていたのですが、どうもそうではなく、来年開催する講演会の講師役を務めるのがミッションのようです。
どうも官庁用語の委員会とか研究会とかいう言葉にはなじめません。

ただメンバーはみんな実践体験の深い方々ですので、少しだけの意見交換でしたが、刺激を受けました。
青森と山口の包括支援センター業務をやっている人、成人教育を提唱されている東北大学大学院教授の高橋さん、桜美林大学で高齢者福祉を専門にされている桜美林大学の久松さんです。
初回にもかかわらずいつものようにカジュアルにやってしまいました。
最初に引っかかったのは、「地域介入」という言葉でした。
高橋さんがインターベンションの訳ですよと教えてくれましたが、どうも抵抗があります。
そういう言葉には研究の基本姿勢が象徴されていますね、などと言わずもがなの発言をしてしまいました。
いつになっても人間が未熟で、困ったものです。

1月と2月に、全国の地域包括支援センターの人を対象に講演会を開催します。
何を話せばいいのでしょうか。
引き受けたことを後悔しています。

■文化や芸術に親しむとどういう意味があるのか(2009年12月18日)
文化や芸術にもっと多くの人たちが親しめて、それがまた日本の文化・芸術を育てていくような仕組みができないか。
そんなテーマで話し合いをしました。
最近、ソーシャル・アントレプレナーのチームと最近議論を始めているのです。
久しぶりに事業開発の議論ですが、以前なら自分が中心になって考え行動したのでしょうが、最近はどうも受身になっています。

ところで、文化や芸術に親しむ人が増えたらどうなるのでしょうか。
いやその前に、文化や芸術とは何なのでしょうか。
ゴッホのひまわりの画はなぜあんなに高価なのでしょうか。
あれは芸術作品なのでしょうか、単なる商品なのでしょうか。
島田伸介の弟子のたいぞうさんの絵が100万円で売れたらしいですが、あれは芸術なのでしょうか。
悩ましい問題です。

文化や芸術を親しむ人が増えたら、どうなるか。
40年ほど前に文化産業論が盛んになったことがあります。
その時、私はそうした動きに否定的でしたが、同じようなことをしないようにしなければいけません。
文化や芸術を親しむ人が増えたら、どうなるか。
難しい問題です。
まあこんなことで悩んでいたら、起業家にはなれませんが。

■Pax intrantibus, Salus exeuntibus(2009年12月18日)
20代の若者がやってきました。
これまで何回か会っていますが、一度話したいということで連絡があったのです。
湯島に来て私と会いたい人はすべて受け入れるのが私の方針です。
湯島のオフィスの入り口には、次の言葉が書かれています。
“Pax intrantibus, Salus exeuntibus”
「歩み入る人にやすらぎを、去り行く人にしあわせを」という意味です。
湯島のオフィスの基本精神はこの考えなのですが、私の話し方は時にポリミッシュなので、やすらぎのない時間になることもあります。
でも時間さえあれば、最後は幸せな気分で帰ってもらえます。
この考えは大切にしていますので、湯島のオフィスはそれなりに居心地のいい空間で、不思議と人の集まる空間になっているように思います。

今日来た若者、安藤さんは多くの関心領域での重なりを感じました。
それに彼の生き方にもとても興味を感じます。
また何か一緒にできることがありそうです。
今日はいろいろと若者の世界のことを教えてもらいました。

■長期雇用をどう考えるか(2009年12月18日)
今回は長期雇用が大きなテーマでした。
企業のインタビュー調査の報告もありましたが、みんな予想以上に長期雇用に賛成しています。
なんだかキツネにだまされているようです。
数年前までの動きはいったい何だったのか、その頃は長期雇用に関して否定的な意見が多かったように思います。
私の勘違いなのでしょうか。

この研究会でのみなさんの発言で、今の企業が置かれている実態が伝わってくるのですが、委員が多すぎることもあって、議論まで行かないのが残念です。
まあ地域包括支援センター支援の委員会よりはいいですが。

長期雇用に関しては、それが良いとか悪いとかという話でなくて、それをどう活かすかどうかの話だと思います。
そう思っていたら、日本能率協会コンサルティングの田口さんが、そういう主旨の発言をしてくれました。
すっきりしました。
しかし、どうも企業の人にはそういう発想は出てこないようです。
不思議な話です。

■地域振興アドバイザー忘年会(2009年12月18日)
国土交通省がやっている地域振興アドバイザーの交流会が4日連続で開催されています。
都合のいい日に参加するという方式で、私の大好きなスタイルです。
それで参加する気になりました。
今日の参加者は7人でした。
それぞれに実に個性的な人たちです。
今回は事務局の北川さん以外はすべて初対面でした。
私と同じ文化の人だと北川さんが紹介してくれたのが、小俣寛さんでした。
プロスキーヤーを目指していたのだそうですが、今は個人で地域コンセイエを名乗って、農業とまちおこしに取り組んでいるそうです。
ほかにも松江で鉄の歴史村に取り組んでいる藤原洋さん、ソーシャル・マーケティングの五十嵐宣子さん、ムラまち研究所の寺川重俊さん、鳥取大学の光田教授さんです。

地域振興アドバイザー制度は今年で終了するそうですが、これまでの蓄積を活かせば、自立できる組織になるのではないかと思います。
助成金依存の人たちではどうしようもありませんが、そうではない人も少なくないはずです。
少し考えてみようかと思い出しました。

それにしても、面白いことがどうしてこんなにたくさんあるのに、社会の元気が出てこないのでしょうか。

(2009年12月第2週)
■瓢湖と福島潟(2009年12月6日)
■新潟水俣病資料館(2009年12月6日)
■ゴールドマンサックス証券の社会貢献活動(2009年12月7日)
■NPOとソーシャルベンチャーの境界(2009年12月8日)
■どうも風邪を引いてしまったようです(2009年12月9日)
■経営道への取り組み(2009年12月11日)
■LLPコモンズ手賀沼定例会(2009年12月12日)

■瓢湖と福島潟(2009年12月6日)
新潟の金田さんに案内してもらい、瓢湖と福島潟を回らせてもらいました。
ブログにも書きましたが、瓢湖の白鳥と鴨を堪能させてもらいました。
寒い小雨の中、2時間以上も白鳥と鴨を見ていました。
途中、餌まきまで少しやらせてもらいました。

白鳥と鴨からは、それぞれいろんなことを感じさせてもらいました。
餌を投げると重なるように鴨が集まってくる情景は、お金しか頼るもののない現代人の生き方を思わせました。
家族単位で飛び立っていく白鳥とはまったく別の存在です。

いつもはここでガイドしている佐藤巌さんに金田さんが電話してくれました。
今日は日本野鳥の会の観察会があって、ここには来ていなかったのです。
電話でお礼を言うと、鴨がたくさんいるから白鳥も安心しているのです、と話されました。
とても意味深い言葉です。
私が安心して自分の生をわがままに生きられるのは、お金世界で生きている多くの人に支えられているのでしょうか。

福島潟も見せてもらいました。
ここはヒシクイが多いのだそうです。
ヒシクイは白鳥と違いとても警戒心が強いのだそうですが、幸いに、福島潟に行く途中の水田で群れをなして餌をついばんでいるヒシクイに出会いました。
金田さんによれば、今日は白鳥もヒシクイも、こんなに会えてラッキーだそうです。

福島潟を展望台から見ていて、日本は豊かだと実感しました。
環境問題など騒がずとも、この自然とともに暮らせばいいだけの話なのです。
それができない私たちの生き方がきっと問題なのでしょう。

■新潟水俣病資料館(2009年12月6日)
福島潟には「環境と人間のふれあい館」というのがあります。
いろいろないきさつから、そういう名前になっていますが、その看板にはサブタイトルとして、「新潟水俣病資料館」とあります。
実は金田さんには、ぜひそこに連れて行ってほしいとお願いしたのです。
幸い、館長の塚田さんがいました。
金田さんと面識があるおかげで、じっくりとお話を聞かせていただきました。

新潟水俣病については、昨年、エントロピー学会で講演した新潟水俣病訴訟の原告側弁護士の坂東さんの講演記録を読んでいたのですが、最近、金田さんが少し資料を送ってくれたので関心が高まっていました。
熊本でさえ、まだ水俣病への誤解はとけていませんが、新潟はそれ以上とお聞きしていました。
塚田さんのお話には感動しました。
その後、塚田さんはお昼休みだったにもかかわらず、ご自身で館内をていねいに案内してくれました。
先日、環境省の事務次官が来たそうですが、その数倍も時間をかけて解説してくれました。
私が感動したのは、新潟水俣病が発見された当初の迅速な対応でした。
対応したのは当時の県の衛生部長の北野さんという方で、厚生省からきていた人だそうです。
北野さんに関してはブログに少し書きました
昔は、厚生省にもこういう人は少なくなかったのです。

塚田さんは最後に書庫に案内してくれました。
塚田さんのお人柄が伝わってきました。
そしていまおかれている立場も。
新潟水俣病はまだ終わっていません。
いや日本の政治経済の枠組みは変わっていないのです。

今日は実にたくさんの思いを背負ってしまいました。
くたくたになって新幹線に乗りました。

■ゴールドマンサックス証券の社会貢献活動(2009年12月7日)
あまり体調がすぐれないのですが、「自殺のない社会づくりネットワーク・ささえあい」の立ち上げに資金提供してくれたゴールドマンサックス証券から相談があるので来てくれないかといわれていたので、事務局長の福山さんと同行しました。
私一人だったら断るところです。
相談があったら当然自分から出向くはずです。
それができないで社会活動を支援するなといいたいところですが、このネットワークは私だけのプロジェクトではないのでこらえました。

誤解されるといけませんが、ゴールドマンサックス証券の担当者の方は、10月24日のサミットにも参加してくださいました。
それに助成金の使途については制約も少なく、とても支援的なのです。
とてもいい取り組みであればこそ、残念に思うわけです。
今回も担当者の方は申しわけないと繰り返していました。

今回の提案も共感できるものでしたし、ネットワークの活動にはとてもありがたい提案でした。
しかし私が口を出すと、逆効果になるので、極力発言を抑えました。
後は事務局長に任せようと思います。

企業にはやはり社会が見えていないと思いました。
私もきっと昔はそうだったのでしょう。

■NPOとソーシャルベンチャーの境界(2009年12月8日)
最近、「ソーシャル・アントレプレナー」とか「社会企業」「ソーシャルベンチャー」などという言葉が盛んに使われますが、そのはしりの一つが、家庭環境で子育てを支援しようというエスクです。
その活動歴は、もう37年です。
しかし、すべての組織がそうであるように、時間の変化は制度疲労を起こします。
とりわけエスクの場合は、子育て支援というミッションに重心を置き、組織や事業のマネジメントに取り組む体制が弱かったために、いささか厳しい状況になっています。
そこで今年はじめから何回かお話を聞いていたのですが、ようやく私も時間ができてきたので、きちんと対応することにしました。
話を聞くにつけ、私がエスクと出合った15年程前とは状況は大きく変わっています。

もう一つの悩ましさは、「NPOとソーシャルベンチャーの境界」の問題です。
前者は社会性が、後者は事業性が主軸になりますが、いずれにおいてもそのバランスが重要です。
しかし実際に事業展開していくと、どちらかに偏ってしまうことが多いのです。
事業性に偏りすぎると、これまでの営利事業と変わらなくなり、その結果、持続可能性を損ないがちです。
社会性に偏りすぎると、事業の継続性や信頼性が損なわれ、独りよがりの慈善活動に陥って社会性はむしろ希薄になっていきます。
私のまわりでは、そのいずれもが発生しています。

私としては、「自殺のない社会づくりネットワーク・ささえあい」と同じように、「子どもの笑顔があふれる社会づくりネットワーク・ささえあい」を立ち上げたいと思っていましたが、まずはどうも現在のエスクの経営体制を確立することが必要です。
幸いに思いを持っている小平さんという人が関わりだしてきてくれましたので、小平さんを中心にして応援していこうと思います。
そんなわけで、「子どもの笑顔があふれる社会づくりネットワーク・ささえあい」は少し先延ばしです。

このプロジェクトは来年から始動します。

■どうも風邪を引いてしまったようです(2009年12月9日)
新潟で寒風にさらされたためか、あるいは最近寝不足がつづいていたせいか、どうも風邪を引いた恐れがあります。
かかりつけのクリニックに行ったら、あいにく定休日でした。
それで医師はやめて、自力で治すことにしました。
まずはにんにくをやいてもらい、食べました。
ビタミンCも良いというので、みかんをお腹いっぱいになるまで食べました。
リポビタンゴールドを飲みましや。
キムチスープを飲みました。
さてこれで治るでしょうか。

しかし一番は休養ですので、勝手ながらこの2日間の約束を延期させてもらいました。
さてこの2日で完治が目標です。
意志の力が試されます。

■経営道への取り組み(2009年12月11日)
日本経営道協会の市川覚峯さんたちがやってきました。
市川さんは今の全日本仏教会会長の松長有慶さん(高野山真言宗管長)のもとで1年間修行されてきています。
天台宗の大阿闍梨の光永覚道さんも、市川さんの師の一人です。
松長さんや光永さん、あるいは松原泰道さんにも参加してもらったシンポジウムも以前開いています。
同時に、市川さんは経営道普及活動を通じて経済界にも知り合いが何人かいます。
それでその両者をつなげて、いまこそ企業経営者は経営道の意識を再認識しなければいけないというメッセージを出したいというのです。

思いはわかりますが、これは難題です。
なぜなら経済界も仏教界も、いまや信じがたいほどに堕落しているからです。
「経」を忘れたのは、企業だけではなく仏教界も同じです。
誰も信じなくなっているといってもいいでしょう。
しかし、だからこそ必要なのかもしれません。

悩ましい宿題ですが、少し考えてみようと思っています。

■LLPコモンズ手賀沼定例会(2009年12月12日)
地元のLLPコモンズ手賀沼の定例会です。
今回は、それぞれがこれから何に取り組みたいかのプログラム提案会だったのですが、やはり前半は行政批判的なものになってしまいました。
あまりに不誠実で形だけの行政の動きに不満はあるのですが、そこにとどまっていては、所詮はこれまでのように、行政の手先的な住民運動に終わってしまいます。
そうしたことからは何も生まれないというのが、私の姿勢ですが、まあ不満はとことん吐き出しておかないと次に移れないのかもしれません。

幸いに後半は少し前向きに議論できました。
来年はいくつかの動きが始まるでしょう。

それに、前半の議論から、行政関係のプロジェクトに関しても、われわれとしてしっかりと問題を定式化して取り組んだらどうかと言うことになりました。
これは私が考えていたことですので、賛成です。
テーマは山ほどあります。
そういえば、今日も某市会議員から自殺関係のことで電話がありました。
市会議員もたぶん右往左往しているのでしょう。
しかし、時流に流されてしまっては、まちづくりなどはできません。
大切なのは自らの周りの生活を気持ちの良いものにすることです。
とてもうれしかったのは、ほぼ同じようなことを横田さんが話したことです。
一度、ゆっくり話したいと思います。

ゆっくりですが、そんなわけでLLPコモンズ手賀沼は前進しています。

(2009年12月第1週)
■これからの出版は面白くなるのではないか(2009年12月1日)
■「認知症予防ゲーム」をテーマにしたコムケアサロン(2009年12月2日)
■世直し大構想(2009年12月3日)
■伝統文化とのわくわくする付きあい方(2009年12月3日)
■松本さんの決断(2009年12月3日)
■信濃川の鮭(2009年12月5日)

■これからの出版は面白くなるのではないか(2009年12月1日)
かんき出版の藤原さんがめずらしく私の出版企画の話を聞いてくれました。
まあ「企画」とまではいかないのですが、私の周りに渦巻いているさまざまな「現場実践の知」を本にできないかと言う話なのですが。

私は雑誌も書籍も、情報環境の変化をあまりきちんと取り込んでいないのではないかと思っています。
依然として従来と同じような本作りをし、本を売っている。
そんな感じがしてなりません。
第一、本屋さんの意味が一変しています。
15年ほど前まで、私は週に2回は書店に行きました。
しかし最近は書店に行くのは月に1〜2回です。
必要な書籍の購入はほぼ全てがネットでの購入です。

本の購入量は確かに減りました。
昔は読まなくても、何となく手元におきたい本と言うのがありましたが、最近は滅多にありません。
しかし、書籍の持つ意味や効用は決して低下していないどころか大きくなってきているように思います。
そうした情報環境の変化に対応したら、これからの出版は面白くなるのではないかと思います。
まあ久しぶりにそんな話を藤原さんとしてしまいました。

■「認知症予防ゲーム」をテーマにしたコムケアサロン(2009年12月2日)
「スリーA」をベースにした「認知症予防ゲーム」の著者の高林さんをゲストにしてのコムケアサロンでした。
改めて、実践の知、現場の知の大切さを学ばせてもらいました。
認知症予防に関して、私にとっては初めて共感できる体験でした。
高林さんたちが広げようとしている「スリーA」の考え方を、ぜひもっと多くの人たちに触れてもらいたいと思いました。
幸いに、昨日は、実践の場にいる方も数名参加されましたので、これから首都圏でも広がっていくのではないかと思います。
高林さんのお話を聞くだけでも、たくさんのことに気づかせてもらえます。
もしお近くで、高林さんがお話をされる場があれば、参加してみてください。
高林さんたちの研修会や講演の予定は、認知症予防ネットのサイトに書かれています。

コムケア「大きな福祉」を理念にしています。
福祉の根底にあるのはひとつ、「つながりと支え合い」という発想で、個別問題から発想するのではなく、人の生き方から考えるという姿勢を、私は大事にしてきました。
実践や現場の場にいる人たちは、個別問題に取り組んでいるようで、実は問題の背景にある社会のあり方や人の生き方に取り組んでいることは、コムケア活動を始めて実感させられています。
高林さんが取り組んでいる認知症予防ゲームは、決して認知症予防だけのものではありません。
もっと広範囲な効果があります。
実際に高林さんもそのことを体験されています。
高林さんは、このゲームで本人や家族はもちろんですが、地域社会も日本も世界もよくなっていくと確信しています。
私もそう思います。
高林さんの元気の源もわかりました。

私がいま関わっている自殺のない社会づくりの活動にも、あるいは私の仕事でもある企業変革の仕事にも、活かせます。
関係者にどう納得してもらうかは、とても悩ましい課題ですが。
問題は、体験しないとその効用がわからないことです。

西日本では既にかなりの勢いで広がりだしていますが、東日本ではまだまだです。
広げていくことに汗と知恵を出してもいいという方がいたら、ご連絡ください。

■世直し大構想(2009年12月3日)
日本経営道協会の市川覚峯さんが新たに協会に入った村瀬さんと一緒にやってきました。
前回あった時に少しだけ話した、世直しイベント構想を前に進めるかどうかの話です。
ちょっと大きな話なので、取り組むと必ずまた後悔するでしょう。
疲れることは心身によくありませんので、原則は怠惰な人生を過ごすのが現在の私には一番合っています。
それに世直しなどというのは、私の性には合いません。
しかし市川さんの思いを知っているが故に、時々、余計なお世話もしたくなるのです。
困ったものです。
まあ、もう少し進めてみるつもりです。

■伝統文化とのわくわくする付きあい方(2009年12月3日)
シニア向けの新しい社会事業に取り組みたいと検討していた南野さんたちが、検討した結果をもってやってきました。
なんとこれまでとは全く違った切り口の提案でした。
前回、「わくわくしない」といったことに応えてくれたのですが、今回はわくわくしました。
私のアイデアではないので軽々しくは書けませんが、今度の切り口は伝統文化につながっているものです。
このテーマであれば、私にも関心があります。
問題はどう調理するかですが、次回からいよいよその検討が始まるようです。
したがって、しばらくはこの話題は書き込みの対象外になります。
今度報告できるのはいつでしょうか。
新しい物語が報告できればいいのですが。

■松本さんの決断(2009年12月3日)
突然メールが来ました。
以前、北村さんの五感塾の関係で、名刺交換だけさせてもらっていた松本さんから会いたいという連絡があったのです。
たまたま湯島にいたので、お会いすることにしました。
松本さんは30歳で起業し、見事に成功した経営者です。
60歳になったら、ビジネスを辞めて社会活動をしようと決めていたのだそうです。
そして今年60歳になったので、計画通り、企業を辞めていま社会活動の準備をしているのだそうです。
いろいろとお話させてもらいました。
初対面であるにもかかわらず、勝手な話をさせてもらいました。

成功した企業家が社会活動の世界に入る。
私とはまったく違います。
私の場合は、企業の世界から単に脱落しただけですから、あまりほめられたものではありません。
しかしきっと外部から見ると、私の生き方も社会活動に取り組んでいるように見えるのでしょう。
しかし、松本さんと話していて、そこに超えがたい深い溝があるのを感じました。
もちろん溝があっても、コラボレーションできないわけではありません。
きっとどこかでまた接点があるでしょう。
どんな物語が始まるか楽しみです。

■信濃川の鮭(2009年12月5日)
鮭(さけ)は魚編に土が二つ重なっています。
それは鮭が大地をつくっていることを意味しているのだそうです。
新潟水辺の会代表の大熊さんから今日教えてもらいました。
大熊さんも、最近それを知ったのだそうですが、それまではサケとかいていたが、それからは鮭と漢字を使うことにしたそうです。
私もそれを真似ることにしました。

今日は、その新潟水辺の会主催の「信濃川と鮭」をテーマにしたシンポジウムでした。
私も参加させてもらいました。
実は最近少し疲れ気味なので、あまり来たくはなかったのですが、来てとてもよかったです。
久しぶりに「わくわく」したのです。
信濃川と鮭を考えることは私たちの生き方を考え直すことです。
そんな気がして、「信濃川に鮭を遡上させる」プロジェクトに、ささやかに加担しているのですが、このプロジェクトの意味にますます確信を持ちました。
私たちの生き方を考えるとは、個人だけではありません。
企業もNPOも、行政も、一緒になって、これからの社会のあり方、企業のあり方を考えることでもあります。
大熊さんがシンポジウムの最後に私に発言の機会を与えてくれたので、そんな話をさせてもらいました。
会場には、実は信濃川の鮭の遡上には弊害になっているダム関係者の東京電力JR東日本の担当の方も参加していたのです。
これは画期的なことだろうと思います。

シンポジウムの内容は書き出したらきりがありませんのでやめます。

終了後、例によって水辺の会の懇親会です。
これほどオープンでカジュアルな懇親会はそうはありません。
NPO嫌いな私が水辺の会が好きなのは、このカジュアルさです。

そこで意外な人に会いました。
地域交流センターの田中栄治さんです。
25年ぶりくらいではないかと思います。
なぜ新潟で会うのかよくわかりませんが、なぜか会いました。
ほかにもいろんな人と会いました。
書き残したいですが、あまりにも大勢できりがありません。
何人かとはきっとまたどこか出会う機会があるでしょう。
やはり現場は刺激的で、生きています。

今朝からあまり体調が良くなかったのですが、おかげで元気になりました。
誘ってくれた金田さんや大熊さんに感謝しなければいけません。

(2009年11月第4週)
■出前コムケアサロンが始まりました(2009年11月22日)
■会計の大変さ(2009年11月24日)
■商工にっぽんの取材(2009年11月25日)
■若き矢辺さんの迷い(2009年11月25日)
■出前コムケアサロンの反響(2009年11月26日)
■佐久間さんの講演会(2009年11月26日)
■STRAMDという新しいビジネススクール(2009年11月26日)
■自殺のない社会づくりの交流会(2009年11月28日)

■出前コムケアサロンが始まりました(2009年11月22日)
出前コムケアサロンを、浦和で開店予定のコミュニティカフェ「ヘルシーのら」で開催しました。
開店直前に、ヘルシーカフェのらを体験させてもらったわけですが、とても気持ちのいい空間で、関係者の皆さんの思いも伝わってきました。

4時間にわたる長いサロンなので、最初から集まる人はいないのではないかと思っていましたが、時間前に会場に着いたら、もう半分以上の人たちが集まっていました。
4時間もあっという間で、結局少し時間を延ばすほどでした。

思いを持ったコミュニティカフェをやっている人も参加してくれました。
幸手市で、介護予防型コミュニケーション喫茶「元気スタンドぷリズム」をやっている小泉さんの取り組みは、感動しました。
まさにコムケアの理念を現実に展開しているような気もしました。
大宮で、アレルギーっ子のための「おひさまカフェ」をやっている久間さんからは、アレルギーを持つ子どもたちの親の大変さを気づかせてもらいました。
こうした活動はまだ全国的にもほとんどないようですが、少しずつ久間さんたちの活動も知られだしているようです。
アレルギーの問題には、現代社会の問題が象徴されているような気がします。
我孫子でムッターランドを主宰している藤田さんも参加しました。
藤田さんはいろいろと試行錯誤を重ねてきましたが、いまは音楽などをひとつの切り口にした新しい試みに取り組んでいます。
カフェやレストランが、地域の人たちの出会いやつながりの場になっていくと地域も変わっていくかもしれません。

食と農と言うテーマだったこともあり、「栄養と料理」の若い編集者も2人、参加されました。
力強い応援団です。

コミュニティカフェの取材をしているという石井さんも、わざわざ熊谷から手づくりのクッキー持参で参加してくれました。
前半だけでしたが、埼玉新聞の記者の方も、参加してくれました。
などなど、参加者は15人ほどでしたが、とても充実した集まりになりました。

こういう集まりが気楽にどんどん広がっていくといいなと思いました。
「大きな福祉」は、まずはいろんな人が気楽に立ち寄れるサロンづくりではないかという思いを、私はますます強くしました。
同時に、そうした場が、いろいろなところで生まれ育っていることも実感しました。

こういうサロンがどんどん広がると社会は変わっていくように思います。
私がささやかに関わっている自殺のない社会づくりにしても、子育て支援にしても、まちづくりにしても、本業の企業変革にしても、出発点はいろいろな意見の持ち主が、仲間として本音で語り合うことだろうと思います。

「ヘルシーのら」は11月24日に開店しました。
きっと賑わっていることでしょう。

■会計の大変さ(2009年11月24日)
自殺のない社会づくりネットワークの会計担当の方が転職のため忙しくなったので、サミットなどの清算を引き受けてしまいました。
これがもう大変なのです。
しかし、それを引き受けたおかげで、いろいろなことに気づきました。
やはり何事も汗を流さないと見えてこないものです。

しかしやはり資金助成などは受けないほうがいいです。
他人のお金は使いにくいものです。
どなたか自由に使えるお金をポンとくれないものでしょうか。
でもそうなったら、それはまたモチベーションが下がるかもしれません。
お金はやはり厄介なものです。

■商工にっぽんの取材(2009年11月25日)
「商工にっぽん」がモデルチェンジしました。
編集長も変わりました。
それで1月号の記事にするためということで、取材を受けました。
前回、いろいろと余計な話をしてしまったためでしょう。

取材といっても私の場合はいつも雑談ですので、話は多岐にわたり、最後は雑誌への提案にまでなってしまいました。
発行人の本間さんも、編集長の陽田さんも理解してくれました。
取材はともかく、これから何かが始まるとうれしいのですが。

■若き矢辺さんの迷い(2009年11月25日)
学生の頃、コムケア活動を手伝ってくれていた矢辺さんが訪ねてきました。
ちょっと思うところがあってのことです。
微妙な問題なので、書くのは差し控えますが、自らの信念をもっていることが生きやすいことなのか生きにくいことなのか、悩ましい時代です。
矢辺さんは、ノーマライゼーション社会を目指して、とくに障害を持つ人たちが働きやすい社会を実現するために働くことを自らのミッションにしています。
その思いは、卒業後5年経ちますが、全く変わっていません。
事実、いまもそうした会社で働いているのです。
こうした若者たちが社会を変えていくのでしょうが、いささかの危うさも感じます。
彼らの迷いを、私たち世代も共有しなければいけません。

矢辺さんの悩みは、いまなお大きな流れに身を任せていいのかどうかです。
もちろんいいはずがありません。
そうした流れをつくってきた私たち世代がまずは悩むべきですが、実際に悩んでいるのは若い世代です。
なんとまあ不条理のことでしょうか。

■出前コムケアサロンの反響(2009年11月26日)
出前サロンの反響がいろいろとあります。
やりたいと言う提案がすでに3件来ています。
私の答は、やりたければやったら、というそっけないものです。
しかしなかにはおもしろそうなものもあります。
それにはぜひとも参加したいものです。

出前サロン構想は、サロン主宰者からサロン参加者に転身するのが大きな狙いです。
もしかしたらうまくいくかもしれません。

■佐久間さんの講演会(2009年11月26日)
このホームページのブックのコーナーでよく紹介させてもらっている一条真也こと佐久間庸和さんが、東京国際ビジネスカレッジで講演するというので聴きにいきました。
山城経営研究所の社長の西田さんも一緒でした。
学生を対象にした「ドラッカー思考とは」と題した講演でした。

佐久間さんの講演を聴くのは初めてですが、とてもわかりやすく、想いがこもっていました。
最後にちょっとしたパフォーマンスがありましたが、これはとてもよかったです。
講演を聞いていた学生には大きなメッセージになったでしょう。

学生は1時間半の話を実によく聴いていました。
それにも驚きました。
最近の学生の真面目さはそれなりに知っているつもりですが(大学の教授たちからは違う話を聴いていますが)、いささか真面目すぎるのに、むしろ危惧を感じました。

講演嫌いの私としては、久しぶりに講演を聴きました。
10年ぶりくらいでしょうか。

■STRAMDという新しいビジネススクール(2009年11月26日)
パオスの中西さんから久しぶりに会いたいという連絡が会ったので、会いに行きました。
中西さんといえば、1980年代にブームになった企業のCIの元祖の一人です。
CIは、企業のアイデンティティの視点から企業や経営を見直す活動ですが、残念ながらほとんどのCIプランナーは表象的なイメージやデザインにしか関心がありませんでした。
そもそも「経営」や「経済」さえも、あまり学んでいない人がほとんどでした。
にもかかわらずブームになったのは、日本の経済が右肩上がりの状況にあり、しかもバブルに向かっていたからです。

中西さんは「価値」を基本において、右脳的なホリスティックな取り組みを志向していました。
日本型CIを確立したいという思いに共感して、私は東レ時代に、上司だった副社長の意向に反して、中西さんの主宰するパオスを仕事のパートナーに選びました。
そこでの経験は、私の人生を変えてしまったわけです。

その後、中西さんとは仕事ではご一緒していませんが、時々、お会いしていますので、中西さんの生き方の変遷もそれなりに理解しています。
だから中西さんとお会いすると、なぜかホッとするところがあるのです。
おそらく中西さんも、同じようなところが少しあるのではないかと思います。

中西さんは、来春からいよいよラストワークに取り組み出すのだといいます。
STRAMDという新しいビジネススクールの開講です。
簡単にいえば、経営をデザインするデザイニスト教育の場です。
中西さんが目指すデザイニストとこれまでのデザイナーとは似て非なるものです。
それに関してはいつかまた紹介できるでしょう。
12月1日に開講記念のシンポジウムを開催しますが、もう会場があふれるほどの参加申し込みがあり、第2会場まで要しなければならなくなったそうです。

中西さんのオフィスは国立新美術館の隣にあります。
窓から見える夕陽が実にきれいでした。

■自殺のない社会づくりの交流会(2009年11月28日)
10月24日に正式にスタートした「自殺のない社会づくりネットワーク・ささえあい」の最初の交流会を開催しました。
今回は突然の参加者もいて、なんと19人も集まりました。
今回は最初だったこともあり、自己紹介から始まりましたが、これだけで1時間かかりました。
みんな思いがあるのです。
いえ、思いだけではありません。
自己開示が次々と行なわれたのです。
おそらくこういう場はそうはないでしょう。
半年間、育ててきた成果かもしれません。
自己紹介だけ聞いていても、実にさまざまなことを教えられます。

自己紹介のあとの話し合いも、内容の濃いものでした。
重いテーマだからこそ明るくカジュアルに話し合いたいというのが、私の考えなのですが、やはりそう簡単ではありません。
結構重く、やはりすごく疲れます。
ちょっと報告を書くのも気が重いので、交流会の様子は、自殺のない社会づくりネットワークのサイトのほうで読んでください。
近いうちに掲載される予定です。

今日はちょっと疲れてしまいました。
そろそろ限界かもしれないと思いました。

(2009年11月第3週)
■日本構想学会は9年目です(2009年11月16日)
■日本CI会議体の事務局からのメール(2009年11月16日)
■ぽんゆうの里(2009年11月16日)
■久しぶりのみの〜れ(2009年11月18日)
■経営道フォーラム46期がスタートしました(2009年11月19〜20日)
■事業型NPOの悩ましさ(2009年11月20日)
■介護保険の自己作成の意味(2009年11月20日)

■日本構想学会は9年目です(2009年11月16日)
日本構想学会の代表の半田さんが久しぶりに湯島に来てくれました。
半田さんは、いまは御茶ノ水女子大学の教授ですので、同じ東京なのですが、なかなかお会いする機会がありません。
日本構想学会は、今から思えば夢のような学会でした。
いろいろと思い出すことが多いのですが、当時は私にもまだ余裕がなかったこともあって、半田さんの構想にしっかりと加担できずにいました。
いささかの反省をしなければいけません。

構想学会もいよいよ10年目です。
少しスタイルを変えて次のステージに入ったらというような話をさせてもらいました。
半田さんがその気になったかどうかはわかりませんが、構想学会はなくなってほしくないものです。
私も何ができるかを考えなければいけません。
少し考える気になってきました。
問題は今年の大会(12月5日です)に参加できないことです。
私にとってははじめての不参加ではないかと思いますが、残念です。

■日本CI会議体の事務局からのメール(2009年11月16日)
シンクロニシティの話です。
半田さんと会って、日本構想学会の話をした後、メールを開いたら、なんと日本CI会議体の事務局の奥山さんからメールが届いていました。
日本CI会議体のメンバーだった宮澤さんの事件の関係で、当時の資料がないかというメールです。
残念ながら当時の資料はすべて廃棄してしまっているので、お役には立てなかったのですが、日本CI会議体は半田さんにも参加してもらいながら、私が立ち上げた組織です。
立ち上げて軌道に乗ったら、退会というのが、私の基本的な姿勢なので、5年ほどやって、事務局長を引き継ぎ、しばらくして会から退会してしまっています。
この会も、思いは深かったのですが、会にすると自分の思いとは違うものになっていくのはしかたがありません。
そうやって、産んだ子を手放すように、退会した会はいくつかあります。
唯一の例外はコムケアですが、これはきちんとした組織にしなかったのが正解でした。

そういえば、その日本CI会議体の代表だった中西さんから今日、手紙が届きました。
これも微妙に半田さんとつながっている話のお誘いが書かれていました。

そんなわけで、今日は日本CI会議体を思い出させる3つの事件が期せずして起こりました。
半田さんが訪ねてきたのも、今朝、決まったことです。
これはただの偶然ではありません。
さてさて何がまた始まるのでしょうか。

■ぽんゆうの里(2009年11月16日)
先週、小学校の同級会がありました。
幸か不幸か(などというと怒られますが)、同じ日にどうしてもはずせない用事があって、私は不参加でした。
ところがその会場から私に電話がありました。
またまた幸いに、まだ用事が終わっていなかったので、その呼び出しにも応えないですみました。
行っていたらきっとひどい目にあっていたでしょう。

ところが、どうしても私に話したいことがあるというので、今日、呼び出されてしまいました。
と、こういう書き方をすると、何だか物騒な話のようにきこえますが、そうではないのです。
私たちは卒業後しばらくして「ぽんゆう」というグループ活動をしていたため、同級会のつながりはとても深いのです。
それに呼び出した幼馴染のモトユキは、世界にこれ以上ないくらい、あるいは「馬鹿」と敬称をつけてもいいくらいの、お人よしなのです。
その上、それに輪をかけたお人よしのコーチャンというのが一緒です。
指定のお寿司屋さんにいくと、もうひとりガチャさんが来ていました。
まあ今回は私を入れて4人でした。
とても美味しいおすしでした。

話は複雑すぎて書くわけにはいかないのですが、一つだけ書きます。
モトユキが「ぽんゆうの里」をつくろうと言い出したのです。
どこかに土地を買って、ロッジを作り、そこに行くと仲間に合える。
誰にでも公開し(ぽんゆうとは心開いた友人と言う意味です)、誰にでも居心地よく住んでもらう。
いかにもお人よしのモトユキの考えそうなことです。
資金はどうするか、といくと、オサムの周りにいる人に声をかけたら集まるだろうと言うのです。
念のため、同席した2人にお金を出すかと聞いたら、即座に出さないと断られました。
一人は会社社長の大金持ちですが、だめでした。
しかし、私の口癖ですが、「夢はかなえなければいけません」。

さてさてまた難問を抱え込んでしまいました。
やはり今日は来なければよかったと思いましたが、久しぶりにモトユキとコーチャンのあったかさを感じて幸せな気分でした。

コーチャンが、たまにはこういうのもいいだろうといいましたが、何が「こういうの」なのでしょうか。
やはり私の生き方は少しずれているのかもしれません。

■久しぶりのみの〜れ(2009年11月18日)
地域振興アドバイザーで関わらせていただいた美野里町(今は町村合併で小美玉市)を久しぶりに訪問しました。
その後の展開をお聞きするのが名目ですが、私はただ単に当時の担当だった沼田さんや中村さんにお会いしたいだけでした。
妻が亡くなった時に、わざわざ葬儀にまで来てくれましたが、その後、お伺いすることもなく、一度、お会いしたかったのです。
久しぶりの「みの〜れ」(文化ホール)は、今もなお生き生きしていました。
「みの〜れ」の話はこのサイトでも何回も書きましたし、その経緯は「文化がみの〜れ物語」として出版されています。

沼田さんや中村さん、そして現在の担当の藤枝さんの話をお聞きしながら、当時のことをいろいろと思い出しました。
美野里町は、私にとっても実に思い出の深いところなのです。

沼田さんが、「住民を信頼することが大切」という、私のアドバイスのことを何回も言及してくれました。
沼田さんにはおそらくものすごく迷惑をかけたはずですが、少しは役立ったことを少しだけ実感して、うれしく思いました。
書き出しといろいろありますが、住民主役のまちづくりの見事な事例が美野里町にはあるのです。
本気で住民主役のまちづくりをしたいと思っている方は、まずは沼田さんや中村さんの体験を聞いてほしいです。

今は館長になっている山口さんとも久しぶりにお会いしましたし、ちょうどイベントをやっていた福島さん(今は市会議員です)にも会いました。
どこにいってもいろんな人に会える。
この20年の活動の、それが私への褒美です。

美野里町の農村風景は相変わらずすばらしかったです。

■経営道フォーラム46期がスタートしました(2009年11月19〜20日)
経営道フォーラム46期のスタートの合宿です。
今回も2つのチームを担当させてもらいますが、また面白くなりそうです。
このフォーラムの参加者も次第に若くなってきているような気がしますが、それもまた最近の企業がおかれている状況を示しているのでしょう。

私のチームの12人から、それぞれの思いを聞かせてもらいました。
うれしいことに少しずつ感覚の正常化が進んでいるように思います。
しかし、それにしても、と思いました。
2日前に聞いた人事部長のみなさんと、どうしてこんなに意識が違うのでしょうか。
企業もまた現場に近いところから変化が生じていることがよくわかります。
いえ、「汚染」されていないというべきでしょうか。

テーマは「経営理念」と「企業文化」です。
今回はいずれのチームも、「価値観」にこだわる人が含まれています。
久しぶりに価値観議論が始まるかもしれません。
私は、このフォーラムでは、決して「研修」などと思わずに、人生の棚卸と世界を広げる契機にしてほしいと思っています。
しかし、なかなかそのメッセージは届きませんが、今回は届くかもしれないという気がします。

今回はまだゆっくり話す時間がありませんでしたが、どう展開していくか楽しみです。

■事業型NPOの悩ましさ(2009年11月20日)
この10年、さまざまな事業体が生まれてきています。
しかし「事業」とは何かということに関する概念整理ができていないため、混乱しているだけでなく、いずれもうまくいっていない気がします。
事業と何ですかと問われて、みなさんはどう答えるでしょうか。
企業の人は「事業とは金を儲けること」と答えるかもしれません。
行政の人は「事業とはお金を使うこと」と言うかもしれません。
NPOの人は、私たちがやっているのは事業なのだろうかと戸惑うかもしれません。

そんななかで「事業型NPO」という言葉が広がりました。
6〜7年前までは、私もそれに積極的な意味を与え、期待していました。
しかしそこで語られていた「事業」は、どうも金儲けの意味だったような気がしてきて、失望してしまい、そうした動きにはあまりコミットしにくくなりました。

事業は価値を創ること、というのが私の定義です。

今日は社会事業に取り組んでいるあるグループをこれからどう支援していくかの検討会をやりました。
議論になる前の段階で、みんなの意識をそろえることの難しさに気づきました。
自殺のない社会づくりネットワークの時もそうですが、どうも私に発想はみんなからずれているようです。
最近どうも走り出せない自分に気づくことが増えてきました。

■介護保険の自己作成の意味(2009年11月20日)
3回目の委員会でした。
私はノイズしか入れられない委員ですが、介護保険の問題がだいぶわかってきました。
関係者が、制度に従順に従う意識が強いことにも驚きました。
制度に合わせて生きるのが専門家ですが、もう専門家の時代は終わりました。
30年前に書いた商店建築の雑誌への寄稿文を思い出しました。
編集者らのインタビューに答えて、専門家の時代は終わったなどとえらそうに話していたはずです。
当時はまだ早すぎましたが、そろそろそんな時代が見えてきています。

介護保険の自己作成要素を増やせば、行政(保険者)にも利用者にも、サービス提供業者にも、ケアマネージャーにも、みんなメリットを与えることが可能なはずです。
実際にそうした事に気づきだした行政もあるようです。
残念ながら私の住んでいる我孫子市は全くだめですが、関心を持ち出している自治体もあります。
今回、1600の自治体の調査をしたのですが、その結果から見えてくる介護保険制度の実態は驚くような内容でした。
頭で推測していたことが裏づけられ、さらに新しい気づきがたくさんありました。
この会に参加させてもらったことを感謝しなければいけません。

(2009年11月第2週)
少しずつ生活のリズムが戻ってきています。
■経営道フォーラム発表会はとてもいい発表でした(2009年11月9日)
■農的生き方を考えるフォーラム(2009年11月10日)
■名木さんとの辛い話し合い(2009年11月10日)
■ジェンダー問題としての介護の、もう一つの視点(2009年11月10日)
■障害者スポーツをライフワークにする矢吹さんとの出会い(2009年11月13日)
■コモンズ手賀沼の憂鬱と期待(2009年11月14日)
■東尋坊の茂さんと東電北陸の刀根さん(2009年11月14日)

■経営道フォーラム発表会はとてもいい発表でした(2009年11月9日)
経営道フォーラム第45期の発表会でした。
今回は「ワーキングモチベーション」と「コミュニケーションスタイル」がテーマでした。
2つのチームともとてもよい発表になりました。
最後の合宿時にはあまりまとまっていなかったのですが、その後の集中的なメンバーのやりとりの成果です。
聴いていてとてもうれしく思いました。
発表内容もさることながら、チーム形成がうまくできて、とてもいい仲間に育ってきたのを感じました。

発表も、その後の話し合いも、楽しいものなりました。
もう1年続けてもいいかと、また思ってしまいました。

発表会の前に日本総研の寺島実郎さんが基調講演をしました。
彼と会うのも3年ぶりでした。
懐かしい話をしていました。
ソフトエネルギーパスの話です。
いろいろ思い出しました。
槌谷さんと寺島さんと3人で話し合ったことも思い出します。
あれからもう30年も経ってしまいました。
しかし、何も変わっていないというべきでしょうか。

■農的生き方を考えるフォーラム(2009年11月10日)
「半農生活をはじめよう」の著者、増山さんがやってきました。
以前から懸案の「農をテーマにしたフォーラム」の相談です。
私自身は、それがやりたくて、この本の出版に協力させてもらったのですが、どうもその方向に動いていないのが少し不満なのです。
この本の出版で、増山さんの菜園クラブは大賑わいのようです。
しかしそんなことで止まっていてはいけません。
社会のおかしさに、農でできることは少なくないのです。

いろいろと話し合って、少し先が見えてきました。
近いうちに何か始まることになるでしょう。

そういえば、茨城県の谷和原に同行した黒岩さんは、最近どうも谷和原に通いだしたようです。
農は本当に人をひきつけます。
どなたか一緒にやりませんか。
農的生き方を考えるフォーラムをやりたいのですが。
早くやらないと、また何も変わらないままにブームが終わりかねません。

■名木さんとの辛い話し合い(2009年11月10日)
エスク代表の名木さんと辛い話し合いをしました。
先日、名木さん抜きで関係者で話した結果を私から名木さんに話す役割を背負ってしまったのです。
名木さんは、根っからの善人であり、誠実で思いやりのある女性です。
その名木さんが、37年前から取り組んできたのが、子供と働く女性のための家庭保育の仕組む育てです。
その取り組みに関しては。名木さんは何冊かの本も出していますので、読んでください。
とても素晴らしい活動で、10数年前に新しい保育システムの開発に取り組んでいた時に、私が名木さんから受けた影響は少なくありません。

しかし、時代の大きな変化の中で、エスクも根本から見直すべき時期に来ているようです。
名木さんは、それを一人で背負っているのです。
背負っているものをみんなでシェアしようというメッセージを名木さんに出しているのですが、名木さんは重荷を自分でどうにかしたいと思っているのです。
これは思い入れの深いNPOの代表が共通に持ってしまう過剰な責任感です。
それは当該NPOにとって良い面もあれば悪い面もあります。
実に悩ましい問題です。

しかし、誰かが言わないと流れを変えられません。
これまでも毎回そうですが、今日は本当に疲れました。
名木さんにとっては、私に裏切られたような気分になってもおかしくないほどのやりとりでした。

なんで私はこんなに名木さんに嫌われるようなことを、余計なお世話として話しているのだろうと、名木さんが帰った後、反省しました。
そういえば最近、私は憎まれ役を果たすことが多くなってきました。
損な役割だなと思うのですが、誰かがその役割を果たさなければ、何も変わりません。
人の役割は、どうも自分で決めるのではなさそうです。
もう先がそうないのですから、平和に過ごしたいと思うのですが、なぜか許されないようです。
天罰でしょうか。

■ジェンダー問題としての介護の、もう一つの視点(2009年11月10日)
ブログに書きましたが、自殺のない社会づくりネットワークのことを知って、話を聞きたいと立教大学4年生の江袋さんという若者は湯島に来てくれました。
いろいろと話したのですが、彼はもう一つテーマを持っていました。
ジェンダー的視点からの介護問題です。
介護役を引き受けさせられている女性の問題ではなく、介護役から排除されがちな男性の問題と言うのが、彼の視点です。
私の視点と同じです。

いつか彼とはもう一度話したいと思います。
やはり次代を担うのは若者です。

■エスクのリノベーションへの取り組み(2009年11月13日)
さてさて先日の名木さんとの話し合いを無駄にさせないために、もう一度、関係者で話をすることにしました。
今度は名木さんにも入っていただいての話し合いです。

みんな本音で忌憚のないいい話し合いになりました。
話し合えば解決策は見えてくるものだと改めて思いました。
これからの展開が楽しみです。
が、私もかなりコミットしなくてはいけなくなりそうです。
自殺のない社会づくりネットワークの次は、子どもの笑顔のあふれる社会づくりネットワークだと思ってはいたのですが、最近、少し自信がなくなってきました。
なんでそんなややこしいことにばかり首を突っ込まなければいけないのか、
そういう思いが強くなっています。
しかしがんばっている名木さんをみているとコミットせざるを得ません。
東尋坊の茂さんもそうですが、なんでみんなそんなにがんばるのでしょうか。
がんばる人を見たら、放ってはおけません、
困ったものです。

また不安なスタートです。

■障害者スポーツをライフワークにする矢吹さんとの出会い(2009年11月13日)
先週、予告した矢吹さんがやってきました。
東北福祉大学の先生ですが、今は主に認知症介護研究・研修仙台センターを拠点に活動されています。
まだ30代の若い研究者です。
矢吹さんのお話をお聞きして、プロジェクトに協力させていただくことにしました。

矢吹さんは東北福祉大学の出身ではなく、大学時代の選考も全く福祉とは関係なかったようですが、ある時、障害者のスポーツ支援に関わったのが契機で福祉の世界に入ったようです。
障害者スポーツ支援の関係のNPOも立ち上げています。
私が矢吹さんに全面的に協力しようと思ったのは、それが理由です。

といっても、私に何が出来るかはまだ確信がありません。
福祉に対する私の考えには矢吹さんは共感してくれていますが、それはおそらく彼の感受性のおかげです。
果たして現在、地域包括支援センターで忙しくしている人たちに通ずるかどうかは、そう簡単な話ではないでしょう。
でも、矢吹さんがやろうというのであれば、加担しなければいけません。
がんばる人を見たら、放ってはおけないからです。

私には全く興味の無かった行政の福祉施策の現実を少し勉強しなければいけません。
それがちょっと重荷ではありますが。

■コモンズ手賀沼の憂鬱と期待(2009年11月14日)
LLPコモンズ手賀沼の集まりです。
実はちょっとした事件があったのです。
先日、突然、地元のあるお店の店主から電話があり、まあいろいろと話を聞かされました。
コモンズ手賀沼が取り組んだ10月はじめのイベントについての取り組みに対する問題提起です。
問題自体は、それこそ瑣末な話なのですが、こうした瑣末な問題こそが地域活動の場合は大きな問題になりかねないのです。
そんなこともあって、いささか憂鬱な気分で集りに参加しましたが、幸いにしてあまりに瑣末な話なので、大きな問題にはなりようもなく、無事解決しました。
しかし、思いのほか、時間がかかり、前に向いての活動の話はできませんでした。
地域での活動は、ともかく時間がかかるものなのです。

しかし少しずつLLPに関しても理解が進みだしました。
これからが本格的な活動になるでしょう。
ここでもまた「農」の話が出ました。
来年はきっと楽しくなるでしょう。

■東尋坊の茂さんと東電北陸の刀根さん(2009年11月14日)
東尋坊で自殺防止活動をしている茂さんから電話がかかってきました。
東電北陸社長の刀根さんと24日(自殺多発場所での活動者サミット)の反省会をやっているという電話です。
刀根さんの会社は敦賀なのです。
茂さんの反省会は大体において飲み会なのですが、話をしていて私のことが話題になったようです。
代わって出てきた刀根さんと話をしました。
刀根さんも茂さんのNPOのメンバーになったそうです。
茂さんはこうやって仲間を増やしているわけです。

刀根さんは自分の会社でいま、監視装置を集まっています。
自殺の危険性があるような場所には監視装置は効果的な装置です。
監視装置で見られているという状況は抑止効果があるからです。
刀根さんはぜひとも自社の監視装置がそうした活動に役だたないかと思っているのです。
24日にはわざわざその装置の紹介も兼ねてサミットに参加してくださったのですが、そこで自殺防止に取り組むさまざまな活動に触れて、きっといろいろと思うことがあったのでしょう。
交流会では私も刀根さんと少し話させてもらいましたが、地域での中小企業の経営者にはまだ「思い」があります。
「思い」のある人は必ずつながっていくものです。
思いもしない電話でしたが、何だかとても気持ちがあったかくなりました。

(2009年11月第1週)
新しい動きがまたいろいろと始まりそうです。
■社会起業家夫婦の誕生(2009年11月1日)
■ダンディな生き方(2009年11月1日)
■「ガンジーの危険な平和憲法案」(2009年11月2日)
■元気なシニア生活を目指したい(2009年11月4日)
■社会起業家への違和感(2009年11月4日)
■自殺のない社会づくりネットワークのこれからの展開(2009年11月5日)
■信濃川のさけの物語(2009年11月6日)
■ソーシャル・キャピタルと地域包括支援センター(2009年11月6日)

■社会起業家夫婦の誕生(2009年11月1日)
社会起業夫婦の結婚式に行きました。
手がたりの会の田辺大さんと高島平で活躍している井上温子さんの結婚式です。
式場に行ったら、以前コムケアフォーラムにも来てくださった東工大の渡辺孝教授と同じ席でした。
久しぶりにお話できました。
社会起業夫婦らしい結婚式でした。
これでもう田辺さんも大丈夫です。
しかし、誠実に社会起業家でいようとすると、首都圏での生活は大変かもしれません。

■ダンディな生き方(2009年11月1日)
九州から蔵田さんが出てきました。
もともとハンサムな蔵田さんは、ひげなど生やして、ますますダンディになってきました。
本人は、田舎のおじさんと自称していますが、その生き方もまたとてもダンディなのです。
なぜわざわざ福岡から東京に出てきたのか。
それは、病気になって会社を辞めた昔の同僚から、電話で会いたいね、といわれたからなのです。
電話の一言で、東京間で来てしまう、そういう生き方を見習わなければいけません。

佐藤さんも元気になってきてうれしいですと、とてもうれしそうに言ってくれました。
私とほぼ同世代ですが、大企業の経営幹部だった蔵田さんは、いまは百姓なのです。
うらやましい生き方です。

■「ガンジーの危険な平和憲法案」(2009年11月2日)
軽い気持ちで読み出した小さな新書「ガンジーの危険な平和憲法案」に圧倒されました。
ブログにも書きましたが、私の学生の頃から求めてきたこと、考えてきたこと、行動してきたことが、すべて書かれていました。
もしかしたら、私が書いた本ではないかと一瞬思ったりしましたが、もちろん私とは格段に違う説得力のある文章です。
それで見境なくいろんな人に薦めてしまっています。

どこがいいのか。
ガンジーは現実的理想主義者だったのだそうです。
会社に入社した同期会で、私が話した自己紹介の言葉です。
誰もおぼえてはいないでしょうが。

好きになれなかったガンジーが好きになりました。

■元気なシニア生活を目指したい(2009年11月4日)
2人の起業家がやってきました。
単なる起業家ではなく、社会起業家的な姿勢のある2人です。
一緒に、ある新事業の構想に取り組んでいます。
どうやら、その新事業開発プロジェクトには私も巻き込まれているようです。

一人は初対面でした。
その人に、ライフワークと言うか一番の関心事はなんですか、と質問しました。
「元気なシニア生活を実現すること」
という答が返ってきました。
ちょっと私自身混乱しました。
「元気なシニア生活を実現すること」が関心事?
その人は40代なのです。
しかしよくよく考えてみると、この答えは奥が深そうです。
もう一人は30代。
時々、そのプロジェクトのためのミーティングをやることになりました。
楽しみです。
もしかしたら、事業がうまくいって、私の借金が一挙に返せるようになるかもしれません。
そうなる可能性は、必ずしも高くなさそうではありますが、夢は大事です。

■社会起業家への違和感(2009年11月4日)
今週はなぜか社会起業家の話題が多いです。
田中弥生さんが、最近、社会起業家に関心を高めているが、ちょっと違和感があるといって話に来ました
彼女の問題意識は最近急速に進化しています。

とても面白い議論でした。
もっとも2時間以上も話したため、終わったら何を話したのかもう思い出せません。
なぜか今回、田中さんは録音していました。
まあ録音するほどの内容がある議論ではありませんでしたが、社会起業家論から市民社会論まで話題は広がりました。
でもまあ、今日、話し合った内容は、すべて「ガンジーの危険な平和憲法案」に示唆されています。
それに気づいて、田中さんにもこの本を読むように薦めました。
田中さんが読んでくれるといいのですが。

■自殺のない社会づくりネットワークのこれからの展開(2009年11月5日)
自殺多発現場での活動者サミットを開いてからもう10日以上経ちました。
早いものです。
今日はその反省会を兼ねて、これからネットワークをどう展開していくかを話し合う会を持ちました。
東尋坊から茂さんたちも参加してくれました。
とてもとてもゆるやかなネットワーク、それもたぶんこれまでのネットワーク組織とは一味違うネットワークが生まれそうです。
これで私も少し中心からはなれて、ゆるやかな参加を維持できそうです。

ネットワークとしては、まずは11月28日に交流会から活動をはじめます。
ご関心のある方はご参加ください。

■信濃川のさけの物語(2009年11月6日)
新潟水辺の会の大熊代表以下、役員がそろって上京しました。
というのは、先のJR東日本に続いて、東京電力の人たちとのミーティングを持つためです。
目的は「信濃川にサケを遡上させたい」という思いからの人間関係づくりです。
すべては「人のつながり」から始まるのです。

企業とNPOの付き合い方は、私が見る限り、お世辞にもうまいとは言いがたいです。
企業もNPOも、双方に責任があります。
いずれもが「タコツボ」に入っているのです。
もし企業とNPOがもっとうまく支え合う関係を育てられれば、社会的には大きなメリットがあるように思います。
そんなこともあって、余計なお世話をしているのです。

しかも、水辺の会が取り組んでいる「信濃川にサケを遡上させる」というプロジェクトは、象徴的な意味を持ち、かつ運動として広がりやすい可視性があります。
「ためにするCSR」ではない活動が出来るのではないか、と、今日も言わなくてもいい発言をしてしまいましたが、東電の常務も頷いてくれました。

とてもカジュアルな、人柄が見える人間的な場になりました。
必ず何かが始まるでしょう。
しかし、まだまだNPOと企業の付き合い方は改善の余地がありそうです。

■ソーシャル・キャピタルと地域包括支援センター(2009年11月6日)
とてもうれしい話なので、予告編を書きます。
東北福祉大学の矢吹さんという方から電話がありました。
地域包括支援センターの活動支援のプロジェクトに取り組んでいるのだが、協力してくれないかと言う連絡です。
キーワードは「ソーシャル・キャピタル」
この分野での発言もしている三井物産戦略研究所の新谷さんから私の名前を聞いたそうです。

地域包括支援センターのことは、先入観でしか考えていなかったのですが、
その支援活動をしている人が「ソーシャル・キャピタル」と言い出すことに正直ハッとさせられたのです。
そういう視点で考えている人がいるのです。
考えてみれば当然のことかもしれません。
これまで否定的にしかみていなかった地域包括支援センターのことを、これを機会に理解したいという思いもあって、矢吹さんに来週お会いすることにしました。
なにかまた始まりそうで、少しわくわくします。

(2009年10月第4週)
24日の「自殺多発現場での活動者サミット」が終わったので、延び延びにしていたことに取り組みだしました。
まずはいくつかのところを回りました。
■城山を考える会に久しぶりに行きました(2009年10月25日)
■農業は日本を救うか(2009年10月25日)
■人材をどうやって育てるか(2009年10月26日)
■介護保険でのケアプランの自己作成はなぜ広がらないのか(2009年10月26日)
■住民自治を妨げる住民活動への助成金(2009年10月27日)
■社会活動をどう持続するか(2009年10月30日)
■日本地域開発センターの北川さん(2009年10月30日)
■最先端のビジネスマンの目標(2009年10月30日)

■城山を考える会に久しぶりに行きました(2009年10月25日)
ブログにも書きましたが、茨城県の谷和原で里山活用に取り組んでいる「城山を考える会」のメンバーに会いに行きました。
みんなで整備した里山の空き地にテーブルを並べて外でのミーティングです。
久しぶりに皆さんにお会いしました。
つくばエクスプレスが開通したので、この地域の魅力は高まっています。
それを活かす支援をしてもらおうと、今日は「半農生活をはじめよう」の著者、増山さんにも同行してもらいました。
増山さんもいい場所だと興味を深めてくれました。
今日のお土産はみんなで育てたさつまいもでした。

■農業は日本を救うか(2009年10月25日)
谷和原にはもう一人同行した人がいます。
日本地域開発センターの黒岩さんです。
農村計画の専門家で、地域振興アドバイザーの事務局もやっています。

谷和原でみんなとの話し合いを終わった後、増山さんと黒岩さんと3人で、ちょっとだけ話しをしようと喫茶店に入ったのですが、ついつい話が盛り上がってしまいました。
みんなそれぞれの視点から「農業」と「地域の元気」に関心があるのです。

こうした議論が、たぶんいまいろんなところで起こっているのだろうと思います。
農業はこれからどうなっていくのでしょうか。
さらに産業化するのか、それとも生活化に向かうのか、大きな岐路にあるように思います。

■人材をどうやって育てるか(2009年10月26日)
人材育成研究会でした。
今日のテーマは、グローバル人材の育成と若い人材の育成でした。
メンバーの大学教授と2つの大企業の人事部長の報告に基づいて議論しました。
報告は面白かったのですが、残念ながらノーロングタームの話でした。
人材は、そんなに即製では育たないような気がします。
いや、即製に育てた人材が、今の日本の企業をダメにしているというべきかもしれません。
内容に関しては、ちょっと書きにくいので書くのをやめますが、
この会に出ていると日本の企業のおかれている状況がよくわかります。

今回も3点ほど、指摘させてもらいましたが、
どうも発想の基本が違うせいか、私の考えはなかなか伝わらないような気がして心配です。
しかし「人材」の意味が大きく変わってきているように思いますが、
そういう基本的な議論があまり行なわれないのが残念です。

■介護保険でのケアプランの自己作成はなぜ広がらないのか(2009年10月26日)
介護保険のケアプランの自己作成を進めようという研究調査プロジェクトに、
全国マイケアプランネットワークが取り組んでいますが、光栄なことにその委員会に私も参加させてもらっています。
私以外はみんな介護保険の世界のプロですので、
私の発言はまあ大人の話し合いに横から入り込む子供のように、原点や素朴な質問ばかりなのですが、みなさん丁寧に教えてくれます。
この委員会も2回目なのですが、介護保険に関して私が持っていた危惧が間違いではなく、どうやら図星だという確信を、話し合うごとに感じます。
同時に、自己作成に関する課題もかなり見えてきました。

それにしても、措置から契約へと、福祉の基本哲学が変わった後につくられた介護保険制度が、まさに措置発想でつくられ、さらに運営されていることには驚きを感じます。
官僚の怠惰さとずるさには、本当にあきれます。

■住民自治を妨げる住民活動への助成金(2009年10月27日)
私もそのメンバーだった地域振興アドバイザー制度は昨年で終了しました。
その制度の評価で、かつてアドバイザーを派遣した地域を再訪することになりました。
その関係で、3年前に関わった青森県の三沢にいきました。
もう一人のアドバイザーだった荻原さんも同行しました。
彼女は、小諸で住民たちと一緒にコミュニティカフェを立ち上げています。

1日目は市役所の関係者から最近の話を聞きました。
残念ながら3年前に盛り上がった住民パワーは、明らかに後退してしまっています。
どこでもよくある「協働のまちづくり」型になってしまっているのです。
その理由もなんとなくわかりました。
やはりこの地域振興アドバイザー制度の中に問題が内在していたのです。
その問題に関しては、以前、事務局には何度も話していましたが、
現場を知らない設計者が制度を作っているので、直らなかったのです。

市役所の関係者との話では、ともかく助成金が住民活動をダメにするという視点で私は話しましたが、荻原さんはどうやって助成金を確保するかの話をしました。
担当者は混乱したかもしれません。

2日目は住民グループとの話し合いです。
久しぶりに会う人も何人かいましたが、話をしていてがっかりしました。
相変わらず主体的な核がない作業集団だと感じたのです。
しかし話を聞いているうちに、今ようやくあたらいい自発的な動きが始まってきていることに気づきました。
来年から助成金が全くゼロになるのですが、それにどう対処するかの議論が始まっているようなのです。
ただしまだばらばらです。
それをつなげていくときっと新しい展開が始まるでしょう。
近くであればちょいちょい来られるのですが、三沢は遠いのでなかなか来られません。
ですが、今度こそきっと新しい動きが始まるでしょう。
期待しています。

■社会活動をどう持続するか(2009年10月30日)
37年前から、家庭保育の精神を基本において、子育て支援、働く女性支援の活動を続けてきたグループがあります。
エスクといいます。
日本のファミリーサポートセンターのモデルになったところです。
これまでも何回か書いてきましたが、そのシステムのリノベーションの相談を受けています。
これが営利目的の事業であれば、そう難しい話ではありません。
時代の流れに合っていますし、これまで蓄積してきた資源は大きいからです。
しかし、社会活動として捉えるといろいろな悩ましさが伴ってきます。
これまでそのあたりを中途半端に取り組んできたことも、問題を複雑にしている原因です。

今日は、エスクをある程度知っていて、そのポテンシャルと限界を知っている人で、このテーマにどう取り組むかの議論をしました。
これまでも何回か話し合っていますが、同床異夢のメンバーが取り組むテーマにしては、いささかお金が絡んでいるので、悩ましいのです。
私の好みではないのですが、エスクの名木さんとは20年近いお付き合いですし、
昔、新しい保育システムの開発研究会をやっていた時にお世話になっていますので、
このあたりでお返ししておかないといけません。

実は、「自殺のない社会づくりネットワーク・ささえあい」が軌道に乗ったら、
次は 「子どもの笑顔があふれる社会づくりネットワーク・ささえあい」を立ち上げたいと思っていたのです。
そうやって、次々と「ささえあい」の動きを起こしていくと、社会は気持ちのいいものになるのではないかと思っているのです。
まあ50年くらいはかかるでしょうから、私の今生には間に合いませんが、
次に地上に生まれてきた時にはその恩恵を受けることができます。
それが最近の私の仕事観なのです。

話がそれてしまいましたが、しかし37年の歴史を持つ社会活動を変えていくのは至難のことかもしれません。
今日はみんなで話し合いましたが、その結論はいささか口はばかるものでした。
しかし、それしかないのでしょう。
さて、憎まれ役を私が果たさなければいけません。
さてどうなるか。
いささか気が重い方向にこのプロジェクトは動き出しています。
社会活動を持続していくのは、本当に大変です。

■日本地域開発センターの北川さん(2009年10月30日)
私がまちづくりに関わりだしたきっかけの一つが、日本地域開発センターです。
そこの活動に興味を持ったのが今から30年ほど前でしょうか。
仕事はあまり関係なかったのですが、そこの主催の研究会などに参加しだしました。
会社を辞めてしばらくしてから、そこの研究員が、地方振興アドバイザーの仕事をしてみませんかと連絡がありました。
暇だったので参加しました。
いろんな刺激を受けました。
それがまちづくりに入っていった一つの理由です。

その日本地域開発センターの主任研究員の北川泰三さんが久しぶりにやってきました。
地域開発の現実は全く様変わっていますし、新しい制度が求められていることを伝えたかったのです。
地方分権などという馬鹿げた発想はもう捨てた方がいいと思っています。
念のために言えば、私は経済同友会の研究部会で、地方の時代の提言書を書いたことがあります。
1977年のことです。
当時、その研究会を企画した諸井虔さんに、「2つのベクトル」の話をしましたが、
中央からの発想と地方からの発想のコラボレーションが大切だという話に、諸井さんはとても共感し、後日、私が会社を辞めた後に湯島にまで来てくれたことがあります。
しかし、その後、時代は全く変わり、地方分権ではなく地域主権の時代になりました。
諸井さんはそのことを理解できずに、地方分権を進めたのです。

とまあ、こういう書き方をすると偉そうに聞こえますが、
地殻変動とか地方分権などと言うことは、現場にきちんと関わっていた人には20年前にわかっていたことです。
そして今は、また全く違った動きが出ていることにもたぶん気づいている人は多いでしょう。
北川さんが来るというので、そんな話をするつもりだったのですが、
久しぶりのために、そこまで行かないうちに次の来客が来てしまいました。
12月になったら、また話すことにしました。
面白い物語がここからも生まれるかもしれません。

■最先端のビジネスマンの目標(2009年10月30日)
ITベンチャーの経営者の小山さんが訪ねてきてくれました。
誠実な経営者であるばかりか、自分の生き方を問い直しだした若者です。
若いといっても、もう40歳だそうですが、私にとっては若者です。
小山さんとは、日本経営道協会のプロジェクトで出会って以来の付き合いです。
その活動の中で、小山さんの中に「社会的な活動」への関心が宿ったのです。

そういう人は決して少なくありません。
24日に開催した自殺防止関連のサミットにも、そうした人が一人、献身的に協力してくれました。
私の活動に協力すると、お金とは全く無縁などころか、かなりの持ち出しを余儀なくされます。
それでも自発的に関わってくれる若者は少なくありません。
私としては、どうやって彼らに報えればいいのかよくわかりませんが、まあいつかまたお返しできるでしょう。
来世になるかもしれませんが。

小山さんの目標を今日もまた聞かせてもらいました。
ぶれないどころか、着実に進んでいるようで、うれしいです。
こうしたビジネスマンがもっと増えていってほしいと思います。

(2009年10月第3週)
今週は「自殺多発場所での活動者サミット」とネットワークスタートのための準備に埋没していました。
その間、何かあったような気もしますが、思い出せません。
思い出せないのは、実は手帳を昨日、どこかに落としてきてしまったからです。
これはパニックです。
今日からいろいろと予定が入っていたのでとんでもなく困ります。
とりあえず今日から水曜日までの予定は覚えていますが、その先はいささか不安です。
というわけで、覚えている唯一のことだけを報告します。

■「自殺多発場所での活動者サミット」(2009年10月24日)
「自殺多発場所での活動者サミット」はたくさんの仲間のおかけでとてもいい集まりになりました。
前日に東尋坊の茂さんたちと最終打ち合わせをしましたが、それからまた資料づくりなどをして、なんとか間に合いました。
テーマの関係上、いつものような軽いノリでいくわけにもいきません。
3時間半の話し合いは、今回はすべて私がファシリテーター役をすることにしました。
中身があるものにしたかったからです。
そのため、発言者にかなり入念に個々に話をさせてもらいました。
自殺を思いとどまった人も2人、発言してもらうようにしましたが、気持ちを楽にして発現してもらうために、信頼関係をつくり、私の顔さえ見ていれば、心が開けて気楽に話せるような状況づくりをしました。
68年も素直に生きていると、一応、そういうことはすぐにできるようになっているのです。
但し、相手が素直に生きている人に限りますが。

前半は、東尋坊や白浜、青木が原で活動している人を中心に、自殺を思いとどまった人たち、そういう人に働く場を提供してくれている人たちにも発言してもらいました。
10台近いテレビカメラが回っている開かれた場で、しかも「重く」ではなく、「明るい状況で、笑いもいれながら」です。
自殺未遂者が発言するような集まりはとてもめずらしいと思います。
二次会で、自死遺族の会の人には、少し批判されましたが、
重いテーマであればこそ、明るく語らなければ広がりは出ません。
今の日本の自殺問題の取り組みに、私が違和感を持っているのは、その点です。
自殺者や自殺遺族だけが社会の辛さを背負っているのではありません。
甘えてはいけません。
私のそういう考えを出したら、たぶんこのネットワークはつぶれるでしょうから、まだ公言はしていませんが。

もちろん現実は厳しいのです。
思いとどまった一人の若者は、なぜ東尋坊に向かったのかという私の質問に答えているうちに声をつまらせ出しました。
もう一人の人は、緊張して何を話していいかわからないといっていましたが、話しているうちに口が軽くなりました。
対照的でしたが、2人ともとても良い話をしてくれました。
そこに人間を感じました。
二次会にも2人とも参加してくれました。
もう昔からの知己になれた感じです。

そうした人たちに働く場を提供している会社の人も2人、話してくれました。
企業の社会貢献などという言葉は、彼らは一切使いません。
そんな言葉を使う人を私は信用しませんが、彼らはただ、そこに困っている人がいるからやっているだけなのです。
二次会で、その人たちとゆっくり話しましたが、一人の人がいいました。
こういう生き方だととても楽しいのに、どうしてみんなこういう生き方をしないのでしょうかね。
全くそう思います。
支え合いの関係が広がれば、世界から戦争などなくなります。

今回の集まりは、内閣府が後援してくれましたが、結局、誰も参加しませんでした。
後援していて参加しないのは私には理解できませんが、毎回のことです。
内閣府が目指す自殺対策というのは制度づくりだけなのではないと思うのですが、私には「本気」は全く感じられません。
行政の多くもそうです。
本気で考えるのであれば、まずは現場で当事者たちと話し合うべきです。
現場が見えずに、何ができるというのでしょうか。

またいささか不穏なこと書き出していますので、止めましょう。

NHKがテレビの7時のニュースで報道してくれました。
内容を全く斟酌していないもので主催者の一人としては、とても残念ですが。
本気で考えているジャーナリストもとても少ないように思います。

ところで、今回のサミットとネットワークの正式発足をもって、私は事務局の中心から離れようと思っています。
ここまでが、私の役割と決めていました。
それは最初から茂さんや事務局長の福山さんに話していることなのです。
この問題は、いろいろと微妙なので、私の考えをストレートに打ち出すと、このネットワークの発展そのものに迷惑を与えかねないからです。
後は、茂さんと福山さんにお任せしようと考えています。
いささかの不安はないわけではないのですが。

(2009年10月第2週)
疲れています。
■「ささえあい」が自殺をなくすか(2009年10月11日)
■お墓参り(2009年10月12日)
■「自殺」、ちょっと腰が引けるなあ(2009年10月13日)
■井口哲夫さんにとっての「創造」(2009年10月14日)
■小山石さんとの戦略談義(2009年10月14日)
■農の持つ可能性(2009年10月14日)
■LLPの難しさ(2009年10月15日)
■市川覚峯さんの和魂経営(2009年10月15日)
■北村三郎さんの五感塾(2009年10月15日)
■ささえあいネットワーク構想(2009年10月16日)
■LLPコモンズ手賀沼の集まりに結局参加しました(2009年10月17日)

■「ささえあい」が自殺をなくすか(2009年10月11日)
最近、毎週、日曜日の「自殺のない社会づくりネットワーク準備会」の集まりをやっています。
24日に集まりを開催するのですが、なかなか準備が進みません。
責任者としてはいささかの不安がありますが、まあ自業自得です。

今日は主にこれから本格的に立ち上げるネットワーク構想の議論をする予定だったのですが、キーマンが体調不信で参加できず、違う話題になってしまいました。
サミット開催に少しずつ前進していますが、なんだかいつもと違って不安です。

■お墓参り(2009年10月12日)
最近少しさぼっていたお墓参りに行きました。
忙しくなるとお墓参りまでおろそかになりがちです。
どこかで生き方が間違っているなと思いながら、お参りしてきました。

■「自殺」、ちょっと腰が引けるなあ(2009年10月13日)
24日に開催予定の「自殺多発場所での活動者サミット」のお誘いをすると、半分の人の反応は、「自殺問題」はちょっと腰が引けるなと言うものです。
自殺は決して特別の問題ではなく、私たちの生活につながっている問題だと思うのですが、みんなそうは思わないようです。
どうも集まりのタイトルを間違えたようで、参加者が伸びずに、不安が益々高まっています。
それに会の内容もなかなか決められません。
お願いするパネリストやスピーカーがまだ決まっていないのです。

無謀な取り組みだったのでしょうか。
そんなはずはないのですが。

■井口哲夫さんにとっての「創造」(2009年10月14日)
クリエイティブマネジメント研究所の井口さんが久しぶりにやってきました。
井口さんほど、誠実で実直の人は少ないですが、その真面目さのゆえに、いろいろとストレスが溜まっているようです。
夏目漱石の「智に働けば角が立つ」というわけです。
いろいろと話して少しすっきりしたようです。

井口さんはいろいろな思いをお持ちですが、あまり肩に力を入れず、気楽なサロンからはじめたらと提案しました。
何か気楽な井口さんが始まるのを期待しています。
最近、またこうした「そそのかし」をやっている自分に気づくことが多くなってきました。
そうしたことが、結局は自分の時間を窮屈にすることになるのですが。

■小山石さんとの戦略談義(2009年10月14日)
久しく会っていなかった、ひげのマーケッター小山石さんが訪ねてきました。
彼と会えば、言うまでもなく、小難しい経営戦略論争になるのですが、今回は彼が今取り組んでいる事業開発戦略に関して議論しました。
何年振りでしょうか。
やはり企業の経営戦略論は刺激的です。
私の本職は経営コンサルティングですが、この世界はやはり魅力的ですね。

それにしてもおそらく最近のこの世界のレベルはかなり劣化しているでしょう。
日本の企業経営のレベルは1980年代が一番高かったような気がします。
その後、日本の経営者の質は急速に劣化しました。
御手洗さんや奥田さんが財界の理だーであることがそれを物語っています。
経営を知らない人が経済を引っ張ってきたのですから、日本の経済がだめになるのは当然です。
とまあ、そんなことをまた夢想してしまいました。

■農の持つ可能性(2009年10月14日)
以前、関わったことのある谷和原村で活動している横田さんの夢は、自分たちのグループでつくった野菜を都会から転居してきた新住民に販売しながら、一緒に農で汗をかく仲間をひろげていくことです。
そして、農のある社会をつくっていくことなのです。

最近、「半農生活を始めよう」を書いた増山さんやつくばで農の起業支援に取り組んでいる森木さんに電話したら、2人とも興味があるというので、再度、横田さんを応援しようかという気になってきました。
24日が終わったら、行ってみようと思います。
いまはともかく全てが24日が終わったらです。
さてそれもまた心配ではありますが、

■LLPの難しさ(2009年10月15日)
LLPコモンズ手賀沼の女子ゴルフプロジェクトは無事完了しました。
私は1日しか参加しませんでしたが、コアメンバーの3人は連日通い詰めていたようで、頭が下がります。
3人の努力でまあ無事終わったのですが、3人はかなり怒り心頭です。
行政の対応があまりにひどかったのが最大の理由です。
その総括も含めて、これからのLLPの展開を議論したいということになったのですが、24日以降にしてほしいと申し出たら、ともかくあなたに合わせるので時間を作れといわれてしまい、結局、7時半から集まることにしました。
いやはや、夜も朝もどんどん埋まっていきます。
困ったものです。
LLPの基本ルールを話させてもらいました。
さて本番はこれからです。

■市川覚峯さんの和魂経営(2009年10月15日)
日本経営道協会の市川さんが、これまた久しぶりにやってきました。
1年ぶりです。
いろいろと話しているうちに、20年ほど前に企画した「吉野会議」のようなものをやりたいということになりました。
市川さんは天台や真言のリーダーとお付き合いがあるので、彼らと経済界のサミットをやりたいというのです。
日本をだめにした人たちが集まって何をやるのかと、いつものように毒づいたのですが、話しているうちにそれもおもしろいかなと思いなおしました、
しかし全ては24日以降です。
11月になったら少し考えてみようと思います。

■北村三郎さんの五感塾(2009年10月15日)
先日やってきた北村さんが、五感塾のプロデューサーの石原さんを連れてやってきました。
五感塾は、北村さんのサイトを見てください。
とても良い活動です。
協力させてもらうことにしました。
但しこれもまた24日以降です。
こうして24日以降の宿題がどんどん増えていきます。
大丈夫でしょうか。

■ささえあいネットワーク構想(2009年10月16日)
その24日に発表する予定の「自殺のない社会づくりネットワーク・ささえあい」の内容がまだつまっていません。
私の頭の中にはすべてあるのですが、もう私が出る幕でもないでしょう。
そんなエネルギーもありません。
少し残念なのですが、徐々に身を引くためにも、コンセプトとグランドデザインは事務局長中心に進めなければいけません。
それでも話しているとどうも自分が出てしまいます。
困ったものです。
南野さんにまとめてもらうことにしましたが、根源的な質問をしてくるので、疲れますが、刺激になります。
こういう議論は私にはとても魅力的です。
やはり私はディベートが好きなのかもしれません。

■LLPコモンズ手賀沼の集まりに結局参加しました(2009年10月17日)
今日は用事があるので参加できないといって、先日の早朝会議が行われたのですが、結局、今日も8時頃電話がかかってきて、まだやっているので来いというのです。
ちょうど電車を降りる直前でした。
疲れていたので帰宅したかったのですが、電話がかかってきてしまっては仕方がありません。
でも参加してよかったです。いろいろと新しいことを知りました。
やはりどんなに時間がなくても、呼ばれた時にはいくのがいいですね。
でもまあ疲れました。
それに明日の準備ができていません。
東尋坊の茂さんから電話がありました。
向こうも死ぬほど疲れているようですが、最近は私もそんな状況です。
どこかで何かが間違っています。
困ったものです。

(2009年10月第1週)
伊勢湾台風以来の大きな台風が来ましたが、私の生活も台風襲来のように混乱してしまっています。
今週は、襲来から逃れて自殺多発場所の視察などしていましたが、現実に戻ると胃が痛くなるほどの状況です。
もうしばらくこの状況が続きそうです。
■自殺多発場所での活動者サミット実行委員会(2009年10月4日)
■ユニバーサルデザイン編集部(2009年10月5日)
■NHKほっとモーニング(2009年10月5日)
■宮ヶ瀬湖(2009年10月6日)
■青木が原樹海(2009年10月7日)
■錦ヶ浦(2009年10月7日)
■台風の影響(2009年10月8日)
■エスクのスタッフ会議(2009年10月10日)
■信濃川にサケが遡上しだしています(2009年10月10日)

■自殺多発場所での活動者サミット実行委員会(2009年10月4日)
いよいよ20日後に、自殺多発場所での活動者サミットが開催されます。
まだほとんど準備ができていません。
不安が高まりますが、実行委員会を開催してみんなと話していると少し安心します。
しかし、結局、作業する人が不足しているために、いろいろとやることが覆いかぶさってきて、つぶれそうです。
それに私自身がそう勤勉ではないので、結構、先延ばししてしまうわけです。
いつもはまわりにそれではいけないと尻をたたいてくれる人がいるのですが、今回は周りの人もみんな慣れていないこともあってあまり心配していないようなのです。

今日は、チラシの議論が一番盛り上がりました。
その議論の中で、みんなの思いがかなり可視化され、共有化されたように思います。
時間をかける効用は確かにあります。
完成したチラシを見てください。
そしてよかったら参加してください。
周りの人にも案内してください。
なにしろ参加者の申し込みがまだないので不安です。
考えてみれば、あまり告知していないので当然なのですが。

■ユニバーサルデザイン編集部(2009年10月5日)
「ユニバーサルデザイン」という機関誌があります。
そこにコムケア活動のことを書かせてもらいました。
カラーで2頁建てです。

この雑誌を出版しているUDCを主宰しているのは、梶本久夫さんです。
梶本さんとお会いしたのは、2002年の豊後大山でのまちづくりシンポジウムでした。
たまたま同室だったのですが、奇妙に話があってしまい2時まで話し合ったことを思い出します。
その後、お会いしたことはないのですが、親近感をいつも感じています。

雑誌の編集部の仲田裕紀子さんは、おそらく梶本さんの縁でしょうが、
バザール型コムケアフォーラムに来てくださったのです。
まあそんなこんなで、今回、原稿を頼まれたのですが、担当の中矢岳志さんと一緒に来てくれました。

雑誌はどこも同じですが、経営が大変です。
しかし、その一方で雑誌でできることは大きく広がってもいます。
先日の「商工にっぽん」もそうですが、雑誌をコアにしたプロジェクト構想が大事です。
そんな話をいろいろとさせてもらいました。
ユニバーサルデザインに関しては、私もそれなりの思いがあるので、何かがご一緒できればと思いました。

■NHKほっとモーニング(2009年10月5日)
NHKのディレクターの斎藤さんが、自殺のない社会づくりネットワークのことをホームページで読んでやってきてくれました。
ほっとモーニングも担当されているそうです。
ほっとモーニングといえば、柳原和子さんのことをどうしても思い出してしまいます。
そんな話をコーヒーを淹れながら話させてもらいました。

テレビでの「自殺問題」の取り上げ方は、私には違和感があるのですが、斎藤さんの思いをいろいろと聞かせていただき、とても共感しました。
協力させてもらうことにしました。
内容は勝手には書けませんが、こうした「素直な目」を持った人たちが増えてきてくれるとうれしいです。

■宮ヶ瀬湖(2009年10月6日)
自殺多発場所を回る活動をしていますが、やはり自分でも見ておかないと実感が出てこないので、私も参加することにしました。
今日は東尋坊の茂さんと石津谷さん、それにネットワーク準備会の太長根さんと4人で、神奈川県の宮ヶ瀬湖をまわりました。
広いためになかなか対策が難しそうです。
視察後、周辺の市町村および県の関係者の方とミーティングを持ちました。
会場は相模原市役所、久しぶりの相模原市です。
以前、相模原市の市政調査員をやっていたことがあるのです。

驚くべきことに、宮ヶ瀬湖の面している清川村では、年間40人くらいの自殺者があるのだそうです。
そのほとんどすべてが村外の人です。
最近は湖周辺の山に入っての自殺も多いようです。
こういう話を聞くと本当にやりきれません。
視察の報告書はまもなく自殺のない社会づくりネットワーク準備会のホームページに掲載します。
ブログにも書きましたが、宮ヶ瀬湖は魅力的な湖です。
人を元気にするエネルギーをうまく活かす方向で構想していくことが十分に可能だと思います。

■青木が原樹海(2009年10月7日)
昨日に引き続き、今日は青木が原樹海に行きました。
雨のなかを途中まで入ってみましたが、ちょっと道を外れるとおそらく迷って出てこられなくなりそうです。
茂さんが1年前に来た時には、「自殺」という言葉にさえ強い拒否反応があったそうですが、今回はいろいろと話を聞かせてもらうこともできました。
少しずつ状況が変わってきているのです。

視察後、富士河口湖町役場で、県の渡邉さんや役場のみなさんから最近の取り組み状況をお聞きしました。
渡邉さんは、4月25日の緊急集会にも参加していただいたのですが、そこでお話していたことをしっかりと実行しています。
ポイントは、青木が原樹海のイメージを「自殺の場所」から「いのちの元気をもらう場所」に変えていくことであり、住民たちを主役にした「声かけ活動」を広げていくということです。
私たちが考えていることと一緒です。
自殺のない社会は、隣の人に声をかけることから始まるのです。

■錦ヶ浦(2009年10月7日)
河口湖役場から石津谷さんの運転で熱海に行くことにしました。
今回は事務局長の福山さんも同行していましたので、彼女も予定を変えて箱根を越えて熱海に出ることにしました。
もう暗くなっていましたが、熱海の錦ヶ浦をみんなで見ました。
市役所とのミーティングは明日の予定です。

台風のため残念ながら富士山は全く見えませんでしたが、車中ゆっくりといろいろな話をする中で、相互理解が深まったような気がします。
そもそもこのチームの出会いは、2007年に開催したコムケアフォーラムです。
私がコムケア活動を卒業するために橋本さんが中心になって開催したコムケア最後の全国フォーラムのはずでした。
そこに、東尋坊の茂さんとライフリンクの福山さんが、全く別々に参加してくださったのです。
考えてみると、その場があればこそ、今のチームができたのですが、3人でゆっくりと話したことがなかったのに気づきました。
しかも今回は、石津谷さんという若い世代も参加してくれています。
錦ヶ浦を見た後、4人で熱海駅前の焼鳥屋で思いを語り合いました。
こうした集まりを春にやっておけばよかったと思いましたが、半年ほど、それぞれに活動して、いろんなことに気づいた今であればこそ、効果的な話ができたのかもしれません。

茂さんの思いの深さに改めて共感しました。
24日の会議の後、別のテーマにシフトしようと思っているのですが、少しその思いが揺らいでしまいそうです。

■台風の影響(2009年10月8日)
焼鳥屋の話が長引いたので、帰る気力がなくなり、湯河原でとまりました。
早朝、帰る予定でしたが、台風で電車がストップです。
それで強風にあおられている空をボーっと見ながら運転再開を待っていました。
新幹線は動き出しましたが、熱海までの電車が不通です。
お昼ごろになり、ようやく運転再開。
台風一過の富士山は素晴らしいだろうなと思いながらも、東京に戻りました。
戻ってくるとまあいろいろと山積みです。
やることが山積みだとやる気が萎えてしまいます。

それにしてもどうしてこうも社会は複雑なのでしょうか。

■エスクのスタッフ会議
(2009年10月10日)
エスクのスタッフ会議に参加させてもらうことにしていましたが、
その前にエスクに関わっている若い世代の人と名木さんと3人で話し合うことにしました。
名木さんの思いの深さと成功体験が、どうもコミュニケーションを邪魔しているのではないかと考えて、そういう場をつくってもらったのです。
こうしたことは、実はNPOではよく発生することです。
企業組織におけるコミュニケーションとNPOにおけるコミュニケーションのスタイルは違うのです。

午後からはスタッフのメンバーと話し合いをさせてもらいました。
スタッフ会議を傍聴させてもらう予定が、話しすぎてしまいました。
困ったものです。
話しすぎて疲れてしまったので、報告はやめますが、
自殺にしろ孤独死にしろ介護にしろ、結局は同じところに行き着きます。
「つながり」と「支え合い」
たくさんの支流の中でいまは疲れますが、きっといつか大きな流れに合流していくでしょう。
その時には私はもう彼岸にいるでしょうが。

■信濃川にサケが遡上しだしています(2009年10月10日)
流れの話が出たので、ついでに書いておきます。
新潟水辺の会の事務局長からメールが来ました。
西大滝ダムの魚道にサケの遡上した瞬間を長野信越放送が撮影し、放映したのだそうです。
その映像が送られてきました。
水辺の会の人たちが喜んでいる様子が目に浮かびます。
と思っていたら、案の定、金田さんから電話がありました。

このプロジェクトにも、私もささやかですが、少しずつ参加させてもらっています。
本当は自殺や保育ではなく、こういうプロジェクトが楽しいのですが。

来月になったら、また少し前進する予定です。
早く私も現場で参加したいと思っています。

(2009年9月第5週)
少し時間破産に陥っています。
■コモンズ手賀沼(2009年9月27日)
■天ヶ瀬ダム(2009年9月28日)
■女子ゴルフオープンの幕開け(2009年9月30日)
■北村さんの人育て支援活動(2009年9月30日)
■自殺多発現場での活動者サミットのチラシ(2009年10月1日)
■今年度の人材育成研究会が始まりました(2009年10月1日)
■経営道フォーラム45期の合宿(2009年10月2〜3日)

■コモンズ手賀沼
(2009年9月27日)
LLPコモンズ手賀沼がいよいよ始動です。
まあいろいろと問題はありますが、外に見える形での展開が始まります。
今月末から始まる我孫子カントリーでの日本女子ゴルフオープンで、地元産品の出店をプロデュースしたのです。
と言っても、今回は私はなにも協力できず、富樫さんや槙さんや太田さんががんばってくれました。
今日はその最後の詰めを行いました。

■天ヶ瀬ダム(2009年9月28日)
自殺のない社会づくりネットワーク準備会の活動の一つとして、各地の自殺多発場所の視察を行っています。
今日は、京都の宇治にある天ヶ瀬ダムに行きました。
ここは昨年自殺者が多かったこともあり、できる限りの対策を講じ、大きな成果を挙げているのです。
東尋坊の茂さんがぜひ見たいというので、私も同行させてもらいました。
一番感心したのは、ダム管理者の柔軟で迅速な行動でした。
ここでの視察記録は整理して、自殺のない社会づくりネットワーク準備会のホームページに順次掲載していく予定です。

■女子ゴルフオ-プンの幕開け(2009年9月30日)
我孫子カントリーで日本女子ゴルフオープンがスタートしました。
と言っても今日は練習日です。
練習日の方がゴルファーとの交流がしやすいので人も集まるというので、今日から地元産品の出品コーナーはスタートです。
そのマネージャー役のコモンズ手賀沼メンバーは早朝の6時に集合です。
ところが私は昨夜、別件の資料作りで夜遅かったので、遅らせてもらいました。
8時に現地に行きましたが、早い入場者は9時前から来はじめました。
宮園某とか横峯某とか、人気の女子ゴルファーもコースを回りながらの練習をしていましたが、私は全く興味がないので、出店していた和楽堂の社長と雑談したりしていました。
我孫子で商売をしている人たちと話していると、実にいろいろなことがわかります。
さすがの私も書くのをはばかるような情報も少なくないのですが。

■北村さんの人育て支援活動(2009年9月30日)
先週書くのを忘れていましたが、25日に人と情報の研究所の北村三郎さんが湯島を訪ねてきてくれました。
いろいろとまた刺激を与えてくれたのですが、北村さんの誠実な活動は以前続いています。
北村さんの関心は、人育てです。
いろいろと話して、私も3人ほどの友人知人をご紹介しました。
早速反応があり、どこかで少しお役に立てるかもしれません。
と言うよりも、北村さんとまたささやかな接点ができるかもしれません。

■自殺多発現場での活動者サミットのチラシ(2009年10月1日)
準備が大幅に遅れている10月24日の「自殺多発現場での活動者サミット」のチラシができました。
実のところ、まだプログラムの内容も決まっていないのですが、迫ってきたのでチラシを作成しました。
内閣府の後援もとれました。
チラシをぜひ見てください。
手伝ってくれる人募集しています。
もし汗をかいてくれる人がいたら連絡ください。

■今年度の人材育成研究会が始まりました(2009年10月1日)
ずっと続いている人材育成研究会が今年もスタートしました。
企業活力研究所の研究会ですが、最初から参加しているので、もう8年目くらいではないかと思います。
今年のテーマは「人材力強化」です。
まだテーマの絞込みが少ないような気がします。
最初だったので、委員全員がテーマに関する意見を述べました。
私が話したことを一つだけ書いておきます。

いま人が生きている組織といえば、NPOや中堅企業、そして財政破綻した自治体。
ひるがえって大企業を見ると、いずれも元気がない。
人を育てる場だったはずの企業が「人を壊す場」になり、しかもコミュニケーション軽視でチーム力も生まれなくなってきている。
個人とチームという2つの視点が大切であると共に、ポテンシャルとしての人材力と組織力として実現される人材力の二面から考えていくことが必要ではないか。
そのためにも、経営にとって人をどう位置づけるかという、人間観をしっかりと持たねばならない。

さて今年はどんな議論が展開されるでしょうか。
メンバーには企業の人事部長がかなりいますので、話しているといまの企業の実態がよくみえてくるので面白いです。
失礼を顧みずにいえば、企業の人事管理は20年前に比べればかなり劣化しています。
それに人事部長が勉強不足です。
企業の内部に閉じこもっていいすぎるのでしょう。

ところで、終了後の懇親会で、自殺防止活動のサミットの話をしたら、2人の人事部長が関心を持ちました。
一人はメーリングリストにまで参加してくれましたし、一人は「自殺」をテーマに研究会のようなものもやったのだそうで、その報告書を送るのでまた交流したいというのです。
来年は企業を巻き込んでいこうと思っていますが、すでに現実は動き出しているようです。
もう少し世界を飛び出してほしいとは思いますが。

■経営道フォーラム45期の合宿(2009年10月2〜3日)
今日も大企業の経営幹部の人たちとの付き合いです。
経営道フォーラム45期のまとめの合宿です。

前にも書いたように、私が担当しているチームは「コミュニケーションスタイル」と「ワーキングモチベーション」をそれぞれテーマにして議論を進めてきています。
報告書がまとまったようであれば顔を見てすぐ帰るのですが、今回は幸いにも、いずれのチームもあまりまとまっていませんでした。
私にとっては実にうれしい話です。
まとまった話を聞いても、私の出番はありませんし、第一退屈でしかありません。
まとめるのは最後の最後にして、とことん異論をぶつけたり迷ったりするのが、こうした会の価値なのです。
全くこれまで関係のなかった大企業の経営幹部が集まって議論するのですから、まとめるよりも異論をぶつけあい、違った文化に触れ合うのが一番だと私は思っています。
利害関係も上下構造もないフラットの場での話し合いやコミュニケーションを体験する場としても有効です。
そこでは「人間」がもろに出てきます。

結局、2日間にわたって2つのチームと議論をさせてもらいました。
久しぶりにかなり巻き込まれた感じがします。
それぞれの人柄もわかってきました。

この発表会は11月9日に行われます。
案内は山城経営研究所のホームページに掲載されています。
よかったら参加してください。
それぞれのテーマに関して、議論したい人がいたら、メンバーをご紹介します。
半年しっかりと話し合ってきていますので、報告書よりもきっと話しあうのが面白いです。

(2009年9月第4週)
今週もいろいろありましたが、先が見えないことばかりです。
そんなわけで「さてどうなるでしょうか」特集です。
■自殺のない社会づくりネットワーク構想(2009年9月22日)
■支え合いサロン「ゆいの家」(2009年9月24日)
■日本財団の山下さんの協力(2009年9月25日)
■エスクの未来を考えるチームM(2009年9月25日)
■手づくり散歩市2009の1日目(2009年9月26〜27日)
■1日目の来訪者(2009年9月26日)

■自殺のない社会づくりネットワーク構想(2009年9月22日)
ネットワークをどう構想するか。
内部だけでは議論が深まらないので、これまで関わっていなかった南野さんに助っ人をお願いしました。
それで、事務局長と私と南野さんとで議論をしました。
南野さんの鋭い質問に、なにやら「尋問」を受けているような緊張感を持ちました。
ネットワーク構想は一歩前進しそうです。
しかし疲れました。
先行きがちょっと不安です。
どう展開していくでしょうか。

■支え合いサロン「ゆいの家」(2009年9月24日)
今回は高崎市で「ゆいの家」を主宰している高石さんをゲストにお呼びしました。
高石さんのことはお知らせに載せましたが、共感できるのは、その活動を固定させずに常に変化させてきていることです。
もちろんその核にあるのは、変化しないミッションですが。

今回は共済研究会の佐々木さん、
ええげえしの須田さん、
マイケアプランネットワークの島村さん、
土と風の舎の中村さん、
ヘルシーカフェ「のら」の新井さん、
シニアライフアドバイザー協会の菊井さん、
「半農生活をはじめよう」の著者の増山さん、
コムケアの橋本さんとまあ、いつもながらの魅力的なメンバーです。

テーマの一つが、「社会活動の収益性」でした。
これは悩ましい問題ですが、答はかなり明確なような気もします。
お金を日銀券だけだと思わなければいいのかもしれません。
サロンですので、話は拡散的です。
本当は、「ゆいの心」を話し合いたかったのですが、時間が不足してしまいました。
約束の時間を30分も超えてしまいましたが、ようやく本論に入るところで終わってしまった感じです。
まあそれがサロンのいいところですが。
またいくつか新しいつながりが生まれたようで、うれしいです。

この支え合いサロンの先に、来春、支え合いをテーマにしたフォーラムを開催したいと思っています。
しかしこれもまた一緒にやる仲間が見つかりません。
どうなるでしょうか。
誰か一緒にやりませんか。
きっと楽しいですよ。

■日本財団の山下さんの協力(2009年9月25日)
10月24日に、自殺多発場所で自殺防止活動に取り組んでいる実践者の人たちのサミット会議を開催します。
会場は日本財団の大会議室をお借りすることにしました。
それで担当の山下さんのところに下打ち合わせにいきました。
全面的に協力してくるという姿勢ですので、非常にありがたいことです。
そもそもこのプロジェクトの立ち上げも、同じ日本財団の伊藤さんの応援が合って実現しました。
資金の助成よりも、こうした心のはいった支援のほうがありがたいです。

実はいまもあるところから資金助成をもらうべく、東尋坊の茂さんから依頼があり、申請書を出したのですが、とても後悔しています。
いろいろの組織とのコラボレーションはやはり自分のわがままだけでは通せませんので、これまで自由になってきた私としてはいささか疲れます。
やはり納得できないことは拒否する姿勢が大切です。
最近改めてそう感じています。

ところで、10月24日のサミット会議は、いよいよプログラムづくりに入りますが、まだスタッフ不足です。
どうなるでしょうか。

■エスクの未来を考えるチームM(2009年9月25日)
定期的に話し合いを重ねているエスクの名木さんとのミーティングです。
また新しいメンバーが参加し、5人のチームが発足しました。
熟年の女性たちですが、みんなやる気が高く、圧倒されます。
名木さんは次々といろいろな人を連れてきてくれますが、今回のメンバーは組織活動ができそうですので、このメンバーを勝手にチームMと命名し、プロジェクトMと称することにしたいと思います。
但し、もう少し若い世代や男性もチームにスカウトしたいと思います。
まあみんなの賛同が得られればですが。

今回はこれからの進め方の枠組みを確認しました。
最初のスタートをうまくきれれば、後はみんなが勝手にやってくれるでしょう。
しかしなにしろ歴史のあるエスクです。
さてさてどうなるでしょうか。

■手づくり散歩市2009の1日目(2009年9月26〜27日)
週末は恒例の我孫子手づくり散歩市です。
私は関わっていませんが、むすめのスペインタイル工房が参加しているので、わが家の工房も会場になっています。
場所がメインからはずれていますので、あまりお客様はないのですが、もし来たら私がコーヒーを出すことになっています。
ケーキは娘たちが昨日焼いていましたので、お出しする予定です。

妻がこういうことが大好きだったので、それを継いでいるのですが。
手づくり散歩市はとても良い活動だと思いますが、問題もないわけではありません。
中心でやっているのは、私も参加しているLLPコモンズ手賀沼のメンバーです。
こうした活動も含めて、我孫子のさまざまな活動の緩やかなネットワーキングができればとおもっていますが、これまた前途多難です。
さてどうなりますか。

■1日目の来訪者(2009年9月26日)
手づくり散歩市の初日に、私の友人が4人来ました。
まずは地元の安藤さん。
東レ時代の同期仲間です。
久しぶりに訪ねてきてくれました。

続いて、共済研究会の佐々木さん。
佐々木さんはお彼岸にということだったのですが、連休は出かけたいと思っていたので(結局出かけられなかったのですが)、手づくり散歩市に合わせてもらいました。
佐々木さんから教えてもらって気が付いたのですが、佐々木さんが最初にわが家に来てくださったのは、数年前の手づくり散歩市でした。
思い出すといろいろとあります。

佐々木さんと話していたら、なんとdaxがやってきました。
それだけではありません。
手づくり散歩市の時間など全く気にせずに、やってきたのが自殺のない社会づくりネットワーク準備会の福山さんです。
いやはや大変な1日になりました。
ブログに書きました

これだけ個性的でエネルギー量の多い人たちと立て続けに会うと疲れきりますね。
daxからは、佐藤さんは余裕がないね、と怒られましたが、
こういう人たちと付き合っていると余裕など生まれるはずもありません。
困ったものです。
さてさてこれからどう付き合えばいいでしょうか。

(2009年9月第3週)
■振られっぱなしの1日(2009年9月14日)
■オフィス復活(2009年9月15日)
■鳩山新政権が発足しました(2009年9月16日)
■天体写真家橋本武彦さんの来訪(2009年9月17日)
■自殺多発現場の活動者のサミットの概要が決まりました(2009年9月17日)
■自殺のない社会づくり交流会(2009年9月17日)
■LLPコモンズ手賀沼(2009年9月18日)
■ばばこうちさんのテレビ番組(2009年9月19日)

■振られっぱなしの1日(2009年9月14日)
今日は振られっぱなしの1日でした。
まずは1時から2時までにある人から電話がかかってくるはずでした。
自殺のない社会づくりの活動を知って、5月から時々メールが来ていました。
最初は「自殺する方の相談を受ける講座はありますか」などという不気味なメールでしたが、何回かやりとりをしているうちに、嫌がらせメールではないことがわかってきました。
その人から電話があるというので、いささか緊張して待っていましたが、指定された時間に電話はありませんでした

そうしたら次にお会いする方から体調が悪いのでとキャンセルが入りました。
さらにその後にやってくる人が来ないので、電話してみたら前の予定が大幅に遅れてしまっていてこれから戸塚を出るというのです。
今日はどうも見放された日だったようです。
湯島に出かけたのに、人を待ち続けて結局何もできない日になってしまいました。
どうもまた生活のリズムが狂いだしたのかもしれません。
時々こういうことがあるのです。

■オフィス復活(2009年9月15日)
気分転換にオフィスを変えることにしました。
流れは変えなければ行けません。
何を変えたかといえば、日本メダカをオフィスで育てることにしたのです。
毎日オフィスには行くわけではないので、少しリスクはあるのですが、これを契機に湯島に行く頻度も高まるでしょう。
オフィス機器もほぼ復活しました。
これで「自殺のない社会づくりネットワーク」の事務所としても機能するでしょう。
オフィスらしくなってきました。

■鳩山新政権が発足しました(2009年9月16日)
政権交代です。
今日は仕事を一切やめて、新しい総理大臣指名の瞬間をテレビで見ていました。
同時に、その後の組閣に関してもテレビを見続けていました
いろいろと思うことが多かったのですが、自らの生き方も見直す必要があるなと改めて感じました。
テレビで鳩山政権の動きを見ていると、それに全くついていけていない言論人の実態が見えてきますが、たぶん私自身もそうなのだろうなと反省したのです。
動いているものが近くにあると、動いていないものの実態が見えてくることを知りました。

鳩山政権はスピード感があるのが実にさわやかです。

■天体写真家橋本武彦さんの来訪(2009年9月17日)
最近メールが来ていたのですが、その橋本さんが突然やってきました。
もう6〜7年ぶりではないかと思いますが、雰囲気が変わっていました。
お元気そうでした。

橋本さんは静岡在住の写真家です。
私が彼の写真に惚れこんだのは、昔「アエラ」に掲載されたパルテノン神殿の夜景の写真でした。
素晴らしい写真で、今も脳裏から離れません。
星空とギリシア神話が彼のテーマなのですが、この3年ほどはギリシアに行っていないそうです。
橋本さんにも、実にいろんなことがあったのです。

橋本さんは写真だけではなく、ギリシア神話と天体に関しても独創的な推論を持っています。
既に10年ほど前に膨大な原稿ができており、私も読ませてもらいました。
ただ膨大すぎることもあって、なかなか出版にこげつけないのです。
もうじき出版されそうなのですが、まだいつかは決まっていないようです。
ギリシア神話などに関する新解釈です。
壮大な話なのです。

橋本さんは、最近は舞台写真でも活躍されています。
しかし生活的な自立は大変なようです。
そういいながらも、来月はギリシアに行き、さらに来年はイースター島に皆既日食を見に行きたいといっています。
生活ぶりは、どうも変わっていないようです。
久しぶりにゆっくり話せてよかったです。
東京で個展を計画していますので、決まったらまたご案内します。
その風景写真には魅了されるはずですので。

■自殺多発現場の活動者のサミットの概要が決まりました(2009年9月17日)
自殺のない社会づくりネットワークのスタートをかねた、自殺多発地点での現場活動者サミット大会の概略が決まりました。
10月24日に東京で開催します。
東尋坊の茂さん、三段壁の藤藪さんを中心に、現場中心の情報発信ができればと思っています。
またお知らせのコーナーでもご案内しますので、お時間があればぜひご参加ください。
推進に協力してくれるボランティアスタッフも募集中です。

■自殺のない社会づくり交流会(2009年9月17日)
自殺のない社会づくりネットワーク準備会の恒例の交流会です。
今回は、国立精神・神経センター精神保健研究所の赤澤正人さんに「群発自殺」をテーマにお話していただきました。
赤澤さんのお話の中に、自殺報道に関するマスメディアのガイドラインの話があったのと、たまたま報道関係者の方が参加していたこともあって、報道のあり方のような切り口からも意見交換できました。
私には実に刺激的な話でした。
報道の影響力はとても大きいのですが、その影響力をうまく活用すれば状況は大きく変わるはずです。
いささか自論を話しすぎてしまいましたが、とても重要なテーマです。
報道のガイドラインが折角あるのであれば、その視点から報道のあり方を(批判的にではなく、建設的に)評価していく活動も必要ではないかと思います。
ただそれを自分でやるかというと、ちょっと腰が引けます。

また自殺多発現場における施設的な対策に関しても、以前、自殺多発で話題になったことのある高島平にお住まいだった参加者から当時の防止策の話が紹介されました。
これに関しても、自殺多発場所での工夫に関する情報を集めていって、それを社会に発信していく活動がもっとあってもいいと思います。
何かのテーマで動き出すと、次々と課題が見えてきます。
心身が思うように動かないのが残念です。

■LLPコモンズ手賀沼(2009年9月18日)
コモンズ手賀沼では10月はじめに行われる我孫子での女子オープンゴルフ大会を地元の活動につなげるためにいくつかの事業計画を企画していましたが、なかなかうまくいかず、結果的には会場入り口で地元産品の紹介・販売と子どもを対象としたスナッグゴルフ大会が中心になってしまいました。
しかし今回の取り組みで、改めて我孫子が抱えている問題、および私たちLLPコモンズ手賀沼の問題が見えてきたように思います。

今日はそのコアメンバーの打ち合わせでした。
私はゴルフもやらないので、今回のプロジェクトには参加しない予定だったのですが、最初のプロジェクトでもあるので全員総動員で取り組むことになったので、参加することにしました。
いささか不本意なのですが、LLPとかオープンプラットフォームの考えは、なかなか理解されません。
来年は私も何か一つプロジェクトを起こそうと思っています。
実際のプロジェクトでモデルを作らないとわかってもらえないようです。

■ばばこうちさんのテレビ番組(2009年9月19日)
朝日ニュースターの番組「よみがえれニッポン」が最終回でした。
この番組は、ばばこうちさんの思いの入った番組で、私も以前は何回か出演しました。
最終回にはこれまでのコメンテーターや出演者が集まりましたので、まあ同窓会のようなスタイルになりました。
番組終了後、制作スタッフなども一緒にお別れ懇親会をばばさんがやるというので、出演させてもらいました。
テレビのコメンテーターに関しては、ブログでも批判していますので、もうやりたくないと思っていたのですが、ばばさんとの付き合いは長いので、最後はきちんと付き合わなければと思った次第です。

ばばさんとの付き合いは30年くらいになりますが、そのジャーナリストとしての姿勢には共感します。
それに姿勢をこの30年変えていないことも共感します。
たださまざまな事象に関する考え方は私とはかなり違います。
今回の番組でも、裁判員制度の話がでました。
それを推進してきた小林元弁護士も出演していたからです。
裁判員制度ができる前にもこの番組で少し話題になり、小林さんに対して私は反対論を延べたことがありますし、その後も小林さんに別の問題で批判的なメールをしましたので、小林さんは私の考えを知っているはずです。
ところが番組で、小林さんとばばさんの裁判員制度賛成のやりとりの後、急に私に問いかけがありました。
いささか不快な感じでやりとりを聞いていましたので、慌てました。
問いかけのないようは、しかし裁判員制度に関するものでなかったのでよかったです。

ばばさんが「お別れ懇親会」と名づけていたので、気になっていましたが、参加者のみんなからのエールを受けて、ばばさんはさらに新しい挑戦に取り組む意向を話してくれました。
とてもよかったです。

終わった後、久しぶりに夜の渋谷を歩きました。
遠い昔を思い出しました。
よくまあ昔はこうした喧騒の中にいられたものだと思います。
いまはもう全くの別世界です。
帰宅してパソコンを開いたら、北村さんからテレビを見たよというメールが来ていました。
私が元気になったのを喜んでくれていましたが、テレビの効用は大きいです。

(2009年9月第2週)
■元気な人が社会を元気にする(2009年9月8日)
■自殺と自死(2009年9月9日)
■新潟水辺の会の顧問になってしまいました(2009年9月11日)
■エスクの顧問にならないようにしないといけません(2009年9月11日)
■義母の7回忌(2009年9月12日)

■元気な人が社会を元気にする(2009年9月8日)
社会は元気な人たちが支えているのだなと今日は改めて実感しました。
このコーナーでも紹介した、埼玉でコミュニティカフェを開こうとしている新井さんがやってきて、思いを語ってくれました。
なぜそれに取り組みだしたかも、話してくれました。
新井さんの元気な人生が伝わってきました。
こうした人が社会を変えていくのだな、と思いました。

11月にオープン予定のヘルシーカフェのらで、コミュニティカフェについて語り合うコムケアミニフォーラムを開催することになりました。
11月22日です。
また案内を書きますが、よかったら来てください。
新井さんに会えます。

■自殺と自死(2009年9月9日)
自殺のない社会づくりネットワークをめざす準備会の関係で、3つの集まりをはしご的に開催しました。
つかれました。
この準備会は圧倒的に作業スタッフが不足です。
どなたか一緒にやってくれる人はいないでしょうか。

そういいながらも活動を広げてしまっています。
来年からはシェルター・ネットワークづくりに着手しますが、その相談をしました。
自殺防止ネットワーク風の竹下さんと白浜レスキューネットの藤藪さんが、それぞれ寺院関係と教会関係を調べてくれることで先が見えてきそうです。

今日はまた10月24日に開催予定の、自殺多発現場活動者のサミット会議の実行委員会をスタートさせました。
そこで「自殺」と「自死」という言葉が話題になりました。
私の生命観からは「自死」ではなく「自殺」なのですが、ふとアポトーシスのことを思い出してしまったら、頭が混乱してきてしまいました。
「自殺」という概念を何も考えずに受け容れてきていましたが、もう少し考える必要があるかもしれません。
このテーマに少し安直に入りすぎたことを少し反省しています。

■新潟水辺の会の顧問になってしまいました(2009年9月11日)
新潟水辺の会は、私にはこれからの市民活動のモデルの一つと思えるNPOです。
その集まりにも2回ほど参加させてもらいましたが、アクティブなアソシエーション・ネットワークだと思います。
実はそこの顧問にさせてもらいました。
数名の顧問のなかで、私はいささか相応しくないような気がしますが、代表の大熊さんのご好意をうれしく受け容れさせてもらいました。
いままで「顧問」というタイトルを受け容れたことはないのですが、ルールが一つ破れてしまいました。
顧問になった関係で、水辺の会の金田さんが最近の動きを詳しく報告に来てくれました。
その上、宿題ももらいました。
金田さんが顧問推薦者でしょうから、宿題は果たさなければいけません。
今でも昔のように宿題や依頼されたことはすぐに受けてしまうのですが、最近は行動力が低下しているのでいささかの心配はあります。
当面私が関わらせてもらうのは、信濃川にサケを遡上させるプロジェクトです。
しかし、金田さんと話していて、もっと大きな宿題まで引き寄せてしまいました。
さてさてどうなるのでしょうか。

■エスクの顧問にならないようにしないといけません(2009年9月11日)
金田さんに続いてやってきたのが、エスクの名木さんですが、お2人の熟年女性をお連れになりました。
その人たちと一緒に、エスクをもっと元気にしたいと言うのです。
名木さんとは月に1〜2回、話し合いをしてきましたが、これまで話してきたことがいよいよ動き出しそうです。

実は名木さんからも、エスクの顧問を以前から提案されています。
もちろんお断りしてきていますが、話し合いを重ねるうちに、いつの間にか実質的にはかなり内部に巻き込まれてしまっています。
名木さんは不思議な人で、あんまりコミュニカブルな人ではないのですが、それが故に、気がつくとなぜか内発的なコミットしてしまっているのです。
気がついたら顧問、などということにならないように注意しないといけません。

■義母の7回忌(2009年9月12日)
義母の7回忌で、滋賀の高月町に行きました。
いろんな人に会いました。
妻がいないのがとても不思議な感覚でした。
雨上がりの幻想的な風景に出会いました。

(2009年9月第1週)
■衆議院選挙投票日(2009年8月30日)
■株式会社コンセプトワークショップ創立20周年(2009年8月30日)
■シェルター・ネットワーク構想(2009年8月31日)
■ヘビの抜け殻(2009年8月31日)
■KAE中間発表会(2009年8月31日)
■子育て環境はよくなっていきているか(2009年9月2日)
■妻の3回忌への花が届きだしました(2009年9月2日)
■またパソコンが直ってしまいました(2009年9月2日)
■妻の3回忌(2009年9月3日)
■成田山の護摩(2009年9月4日)
■手賀沼船上交流会(2009年9月5日)

■衆議院選挙投票日(2009年8月30日)
今日は衆議院選挙の投票日です。
わが家では、選挙は家族全員で行くという習慣があります。
今回もみんながそれぞれに動き出す前に、娘たちと一緒に投票に出かけました。
子どもたちに選挙の大切さをきちんと習得させるのは親の務めの一つだと思っています。
わが家は、あまり子育てには成功しませんでしたが、これだけは一応、守り続けられています。

投票場はいつもよりも混んでいました。
顔見知りの市の職員が2人も出ていました。
いつもより多くの人が借り出されているようでした。

お昼すぎに、投票場の前で、最高裁判事の呼びかけ活動をしていた知人からメールが入っていました。
若者の投票者がやはりすくないということでした。
若者がその気にならなければ、おそらく政権は変わっても政治は変わらないでしょう。
さてどんな結果になるでしょうか。
結果についての感想を翌朝、ブログに書きました)

■株式会社コンセプトワークショップ創立20周年(2009年8月30日)
今日は、私の主宰する株式会社コンセプトワークショップの創立20周年記念日です。

25年間務めていた会社を辞めて、専業主婦だった妻と一緒に会社を創りました
会社といっても、仕事をするわけでもなく、単なる活動拠点としての位置づけで、どういう会社にするかを試行するためのものでした。
オフィスを開いたのは、会社設立の2か月前ですが、オフィスを開くと案内を出したら、最初の1週間に100人を超す人たちが来てくれました。
それが、その後の私たちの生き方を決めてしまったように思います。
仕事もせずに、人と会い続けているうちに、人に会うのが仕事になってしまったのです。
おかしな会社です。

仕事をすればするほどお金がかかり、かなりの借金を抱えた時期もありました。
資金不足で娘たちからお金を借りた時期もあります。
しかし、友人たちから「奇跡的」といわれるように、20年も持続してきたわけです。
会社といっても売り上げはあまりありません。
この4年ほどは私も無給ですが、私が最小限の活動ができる費用がなくなりそうになると不思議なことにどなたかが(一応仕事の対価として)銀行に振り込んでくれます。
だから倒産をまぬかれているわけです。
事務所維持には費用はかかりますが、それをなくすことはできません。
しかし今の会社のスタイルは、私自身はとても気にいっています。

ちなみに、オフィスのドアには次の言葉が書かれています。
Pax intrantibus. Salus exeuntibus
「歩み入る人にやすらぎを、去りゆく人に幸せを」という、ドイツ ローテンブルク城の壁に書かれている有名な言葉です。
最近は、かなり辛口のコメントが多いので、来た人に「やすらぎ」を与えられていないかもしれませんが、でもまたいろんな人が集まりだしてきました。
この会社は、人を呼びよせるのが役割なのかもしれません。

人が集まれば必ず何かが始まります。
それこそが「会社」の意味ではないかと、私は考えています。
この会社はもう少し続ける予定です。

■シェルター・ネットワーク構想(2009年8月31日)
自殺のない社会づくりネットワーク準備会では、自殺を思いとどまった人たちの自立を支えていくための「シェルター・ネットワーク」を育てていけないかと考えています。
しかし、考えただけで大変そうなプログラムなので、正直、私自身は腰が引けています。
しかし動き出さねばいけません。
それでまずは寺院や教会を中心に、シェルター活動をしている実態を調べるところから始めようと思っています。
10月24日に、東京で自殺のない社会づくりネットワーク(仮称)の発会式をやりますが、そこでできればそのプログラムも打ち出せないかと思っています。
今日は、その予備的な打ち合わせを行いました。
どなたか手伝ってもらえる人はいないでしょうか。
結構大変そうなので、気楽には声をかけられないのですが、自薦他薦で結構ですので、もしどなたかいたら教えてください。
メールをお待ちしています。

■ヘビの抜け殻(2009年8月31日)
庭の池の近くの草薮で1メートルくらいの長さのヘビの抜け殻を見つけました。
とてもきれいな抜け殻で、特に頭の部分の目が水晶のように輝いていました。
ブログに書きましたが、これでわが家は大金持ちになるかもしれません。

■KAE中間発表会(2009年8月31日)
台風が接近しています。
いつもならこういう日は早々と予定を変えて帰宅するのですが、その前の打ち合わせですっかり疲れてしまい、約束をキャンセルする気力もなく、結局、参加してしまったのが、KAE経営道フォーラムの中間発表会です。
5つのチームから発表がありましたが、いずれもよくまとまっていました。
しかしよくまとまっているものにはあまり価値を感じないのが私の悪癖です。
それぞれにコメントさせてもらいましたが、私の担当するチームにはいささかきついコメントをしてしまいました。
うまく伝わっていればいいのですが、たぶん伝わっていないでしょうね。
最近、自分のコミュニケーション能力に大きな不安を感じています。

今日はいくつかの面白いキーワードが出ていました。
コミュニケーションスタイル
モメンタム・デシジョン
ワーキングモチベーション
このキーワードがどう発展していくかが楽しみです。

■子育て環境はよくなっていきているか(2009年9月2日)
30年以上、子育て支援活動をしているエスクの名木さんと、最近定期的に意見交換しているのですが、私としてどう関わっていけばいいのか、なかなか見えてきません。
まあそれにも懲りずに、名木さんは来てくれますが、私の視点は2つです。

先ず、いまの社会が壊れてきている大きな原因は「家族関係」にあると思っています。
もう一度、社会の基本単位である家族のあり方、家庭のあり方を考え直すべきですが、子どもを育てるということは、まさにその問題につながります。
少子化や保育のシステムへの最近の取り組みは、肝心の基本を忘れています。

もう一つは、長年、エスクは家庭保育の支援を展開してきましたが、子どもたちの育つ環境は良くなっていません。
それはこれまでの活動に限界ないしは問題があるということです。
成果が出なければ、その活動は見直されなければいけません。
この2点を基本に名木さんと議論していますが、そろそろ私の関わり方を決めなければいけません。

民主党政権になると子育て支援施策が充実するかもしれませんが、
それが子どもにとって良いことかどうかはわかりません。
子育てと子育ちは明らかに違うことですから。

■妻の3回忌への花が届きだしました(2009年9月2日)
妻が彼岸に行ってから明日で2年目です。
3回忌は、その命日に行うことにしました。
昨年も命日にたくさんのお花をいただいたので、その花が一番きれいな時にこそ3回忌をしようと思ったのです。
しかし、2年目ともなると果たしてみんな思いだしてくれるだろうかといささかの心配はあったのですが、花が届きだし、献花にまで来てくださるので感激しました。
妻はとても幸せな人だなと思います。
皆さんに感謝しなければいけません・

■またパソコンが直ってしまいました(2009年9月2日)
献花に来た一人が坂谷さんです。
来たついでに、というと悪いのですが、故障していたパソコンを見てもらいました。
以前、一度、私のメインのパソコンを奇跡的に直してくれたのですが、もう一大、さらにおかしなパソコンがあったのです。
今度はさすがの坂谷さんも根をあげるだろうと「期待」していたのですが、これまた奇跡的に直してしまいました。
私はこれまで何台かのパソコンを廃棄処理してきましたが、
坂谷さんにかかるとパソコンは直るだけでなく、機能を進化させられるものだということがわかりました。

坂谷さんのおかげで、私は2台のパソコンを廃棄しないですみましたが、
こういう対応がみんなできるようになると経済成長は低下しますが、経済は豊かになりそうです。
修理進化できるパソコンを開発したら、社会は変わるかもしれません。
そんな思いを強める体験でした。

■妻の3回忌(2009年9月3日)
今日は妻の3回忌でした。
朝、横浜の野路さんが2時間かけてやってきてくれました。
妻のことをとてもとても気にしていてくださった方です。
続いて、花かご会の人たちが7人も来てくれました。
いつもは庭の献花台で喧嘩していただいていますが、今日は位牌の前で少しゆっくりとお話させてもらいました。
みんなとても節子を愛してくれているのです。

お寺での3回忌法要は親族だけでこじんまりと行いました。
法要後、ご住職が、3回忌からは阿弥陀仏がお守りするのですと教えてくれました。
また光明真言の意味も解説してくれました。
私は意味も知らずに唱えていたのですが、その真言にはたくさんの如来が登場していることがわかりました。
だからこれだけ唱えておけばいいとみんな行ってくれるのですね。

法要後、自宅で参加してくれた人たちと歓談していたのですが、そこにも献花に来てくださる方がいました。
そして話の輪の中にもはいってくれました。
私たちが望んでいたスタイルが、今回は少しだけ実現したのでとてもうれしいです。

■成田山の護摩(2009年9月4日)
敦賀から妻の姉夫婦が来ていたので、成田山新勝寺に一緒に行きました。
姉夫婦は四国も何回か回り終わっており、お寺が好きなのです。
ちょうど本堂に着いた時に、護摩法要が行われていましたので、本堂で護摩焚きに参列させてもらいました。
そういえば妻と一緒に来た時にも、こういうことがあったなと思い出しました。

新勝寺には平和の大塔というのがあります。
その内部には信徒の奉納した仏たちやお経がたくさん奉納されていますが、その最上階は5対の仏様が鎮座しています。
まさに光明真言の諸仏がいるわけで、一種のマンダラ構造になっています。
昨日教えてもらった光明真言を思い出しながら、お参りさせてもらいました。

帰りにそれとは全く正反対の空間である成田空港に寄りました。
久しぶりに成田空港は、私にはやはり疲れるだけの空間でした。

■手賀沼船上交流会(2009年9月5日)
今日は満月です。
SCALE Designの松清さんが世話役をしている手賀沼ガイドボランティアが手賀沼に船を出して船上鑑賞会をやるというので、便乗させてもらうことにしました。
私も関わっているコモンズ手賀沼のメンバーや友人知人にも少し声をかけさせてもらいましたが、総勢30人近くの賑やかな会でした。
写真技術が不足していて、あまり良い写真は撮れませんでしたが、満月も実にきれいでした。
さまざまな話題も飛び出し、古代の東海道が手賀沼にも延びていたこと、昭和30年代の手賀沼のこと、その汚染がなぜ始まったかということ、河川湖沼管理が霞が関の縦割り行政の影響を受けていることなど、多くの学びもありました。

久しぶりに柏の青山さんにもお会いしました。
柏での市民活動サロンでお会いした以来ですが、
その該博な知識と目が不自由にもかかわらずの行動力には感服しました。
久しく会っていなかった河田さんにも会えましたし、田中さんにも会えました。
手賀沼ガイドボランティアの人たちにたくさんお会いできたのも刺激的でした。
町を育てるのはやはりNPOではなくてボランティアではないかと思いました。

とてもいい集まりで、我孫子での活動では初めて「腑に落ちる」集まりでした。
すべてが本音でしたから。


(2009年8月第4週)
不幸な1週間でした。
■自殺のない社会作りの難しさ(2009年8月23日)
■またオフィスに電話が不通になりました(2009年8月25日)
■婦人公論編集部の川口さんが取材に来ました(2009年8月25日)
■南野さんとの定期ミーティング(2009年8月25日)
■支えあいサロンで「ええげえし」の須田さんの話を聞きました(2009年8月25日)
■エスクと音羽さん(2009年8月27日)
■チャドクガ(茶毒蛾)の幼虫に恐ろしさ(2009年8月28日)
■かっぱ祭りと花火(2009年8月29日)

■自殺のない社会づくりの難しさ(2009年8月23日)
さてさて、どうしましょうか。
自殺のない社会づくりネットワークに向けていろいろと取り組んでいますが、悩ましい話がいろいろと出てきます。
今日は和歌山県白浜の三段壁でネットワーク準備会の現地視察と交流が行われました。
11月か12月に交流会が実現できそうです。

■またオフィスに電話が不通になりました(2009年8月25日)
オフィスでパソコンを開いたら、電話が通じないというメールが届きました。
電話してみたら、たしかに「この電話はお客様の都合によりつながらないようになっています」というナレーションが入るのです。
私の都合ではつながってほしいので、なんと失礼なナレーションだと腹が立ちました。
どこかで設定ミスをやったのか、はたまた暑さのせいで機会がおかしくなったのか、いろいろといじってみましたが、状況は変わりません。
そこで自宅にいた娘に携帯で電話をして、NTTに電話してもらいました。
なんと電話料金が振り込まれていないために不通になっていたことがわかりました。
いやはや原因を誰かのせいにしている自分が恥ずかしいですね。
今回はお金がなくてのことではなくて、私の完全なミスでした。
手紙をあまり見ない習性が私にはありますので、こうしたことが起こるのです。
娘に頼んで振り込んでもらったら、すぐに電話は開通しました。
もしかしてご迷惑をおかけした人が他にもいなければいいのですが。
困ったものです。

■婦人公論編集部の川口さんが取材に来ました(2009年8月25日)
自殺のない社会づくりネットワークについて少し聞きたいと婦人公論の編集部の川口さんから電話がありました。
ネットワーク構想のことを少し聞ければ良いというのでお会いすることにしました。
まあ取材の話は雑談で終わってしまいましたが、驚いたことに川口さんは和歌山の三段壁のある白浜町のご出身なのです。
藤藪さんはどうも1〜2年上の先輩のようです。
いろいろと話していくと、いろんな意味でのつながりがあるようです。
これって、やはり意味を持っているのでしょうね。
しかも、川口さんは何と先週その白浜町に帰省していたというのです。
まあそれだけの話ですが、何だかうれしくなりました。
川口さんもこの活動に巻き込めると良いのですが。

■南野さんとの定期ミーティング(2009年8月25日)
SSDの南野さんと定期的なミーティングをもつようになりました。
南野構想を実現につなげていくためのミーティングです。
少しずつですが、前進しています。
こういうスタイルは久しぶりですが、昔を思い出します。

■支えあいサロンで「ええげえし」の須田さんの話を聞きました(2009年8月25日)
再開支え合いサロンの3回目は、坂戸市で「ええげえし(相返し)活動」に取り組んでいる須田さんが話題提供してくれました。
コムケアのメーリングリストに報告したものをここに転用します。

この活動は何回聞いても新しい気づきがあります。
まさに、コムケアが目指す「大きな福祉」のモデルのような気がします。

今回は、コムケアの集まりには多分初めての方も何人か参加されましたが、なぜか共通点がありました。
コミュニティカフェやコミュニティレストランに関心をお持ちの方です。
団塊世代の起業の実例として、昨日の朝日新聞でも取り上げられた、高齢社会の食と職を考えるチャンプルーの会」の紀平さん、シニア男性の居場所としてのコミュニティカフェを構想している南野さん、また生活協同組合のお仕事をされている松浦さんと高橋さんです。
私にとって、とても興味深かったのは、女性たちの事業観と男性たちの事業観のちがいです。
須田さんや紀平さんが事業を楽しんでいることに、南野さん(男性)が事業というのは成果目標があってその達成に向かうことで動機付けられると思うが、そういう成果目標が見えないというような指摘をされました。
成果(結果)に重点を置くのか、過程(活動そのもの)に重点を置くのかの違いのように思いますが、ITの分野で仕事をしてきた南野さんが「理解できない」と言い切ったのがとても面白かったです。
男性と女性とは捉え方が違うのではないかという指摘もありましたが、そうしたやりとりは、まさにこれまでのビジネスとは違ったビジネスモデルの可能性を示唆しているようにも思いました。
そういえば、全国マイケアプラン・ネットワークの島村さんも参加していましたが、この組織もこれまでの組織原理とは違ったやわらかなスタイルをとっています。

今回は、自殺のない社会づくりネットワーク準備会の福山さん.と竹下さんも参加しました。
同準備会でも交流会を毎月やっていますが、話しあいの内容がどんどん重なってきているような気がします。

関東シニアライフアドバイザー協会の菊井さんや共済研究会の佐々木さん、それに私も参加していましたが(竹下さんと南野さんも男性です)、今回は女性の参加者が多くて、男性たちが構築してきた世界とはちょっと違った世界の話で盛り上がっていたように思います。

いつもの事ながら、話の内容に関する報告にはなっていませんが、
サロンはやはり直接の会話に面白さがあります。
文字にしてしまうとうまく伝わらない可能性があるので、雰囲気だけの報告にさせてもらいました。

■エスクと音羽さん(2009年8月27日)
舞らいふという会社を主宰する音羽さんとは、エスクでお会いしました。
音羽さんは、仕事と家庭を両立させたいと思っている女性を支援したいと考えて、この会社を立ち上げたそうです。
そうなると、当然のことながら、エスクとつながってきます。
音羽さんたちの活動が、家庭保育活動を長年続けてきたエスクに新風を巻き込むことになるかも知れません。

私も子育て支援に関してはかなり外側からですが、ささやかに関わってきましたが、大切なのは社会のビジョンだと考えています。
それがない子育て支援は、たんなるビジネスでしかありません。
そういう考えがあるので、なかなかこの分野には関われないのですが、エスクに期待している音羽さんの考えには共感できるところがあります。
改めて、エスクの名木さんと音羽さんと3人で会ってみようと思います。

■チャドクガ(茶毒蛾)の幼虫に恐ろしさ(2009年8月28日)
とんでもない不幸に見舞われました。
夕方、金魚を買ってきたのですが、それを庭の池に放す時に池にかぶさっていたサザンカの葉っぱの後ろについていた茶毒蛾の幼虫に触れてしまいました。
途端に腕にかゆみがはしりだしました。
そして膨れだしたのです。
その勢いはすごいものです。
幸いにすぐ茶毒蛾だと気づいたので、水で流し、アイスノン出腕を冷やし続けました。
それで被害は最小限に抑えましたが、かゆくてもうどうしようもありません。

いろいろと宿題を抱えていて、それをやらなければいけなかったのですが、日中、いろいろとあって結局、夜に回していたのですが、それどころではなく、何もせずに気を紛らすためにテレビで映画を観ていました。
しかし、このかゆさは尋常ではありません。
みなさん、茶毒蛾には気をつけましょう。

■かっぱ祭りと花火(2009年8月29日)
今年は手賀沼の花火は中止でした。
そのわずかばかりの代わりに、今日のかっぱ祭りのフィナーレに500発の花火が上がりました。

(2009年8月第3週)
最近また意味のない個人日記になりだしていますが。
■送り火(2009年8月16日)
■ケアプランの何とか検討委員会(2009年8月16日)
■87歳の森谷さんの嘆き(2009年8月16日)
■自殺と子育ての接点(2009年8月18日)
■黒江けんじさんの立候補(2009年8月18日)
■今日は創年クラブとデイヘルプのお引き合わせです(2009年8月20日)
■接骨院に行きました(2009年8月21日)
■自殺のない社会づくりネットワーク交流会(2009年8月22日)

■送り火(2009年8月16日)
節子には目いっぱい在宅してもらい、夕方に送り火をたきました、
まあちょっとしたトラブルはありましたが、節子はゆっくり休んでくれたでしょう。

■ケアプランの何とか検討委員会(2009年8月16日)
全国マイケアプラン・ネットワークが、厚生労働省の支援を得て、ケアプランの事故調査についての実態調査とその普及に向けての課題を考えるプロジェクトをスタートさせました。
その検討委員会に参加させてもらうことにしました。
なぜ私が、と思わないこともないのですが、全国マイケアプラン・ネットワークの活動にはとても共感しているので、関わらせてもらう良い機会なのでお引き受けしたのです。
私以外はしっかりした専門家ですので、私の発言はノイズ以外のなにものでもありませんが、みなさんが親切に教えてくれるので、2時間の委員会で私はすでに介護保険の専門家になったような気分です。
これからいろいろと調査に入るのですが、とても楽しみです。

■87歳の森谷さんの嘆き(2009年8月16日)
我孫子のNPOデイヘルプの森谷さんが電話してきました。
森谷さんのパソコンが最近の私からのメールを迷惑メール扱いしてしまっていて、読めていなかったという連絡です。
実は私も同じようなことを先月体験したので、状況はよくわかります。
最近、パソコンが「賢く」なってきた成果、勝手に迷惑メール処理してしまうことがあるのです。
春に我孫子のNPOの集まりでかなり言いたい放題で話してしまったので、森谷さんのパソコンが私を嫌ってしまったのかもしれません。
機械も持ち主の気持ちに反応することがあってもおかしくありません。
話し出すときりがないのですが、どうも昨今の社会のあり方やNPOの動き方に納得できていないようです。
いろいろと話しているうちに、結局、近々会うことにしてしまいました。
森谷さんはもう87歳ですが、私よりはずっと元気です。
さてまた何か引き受けないようにしないといけません。

■自殺と子育ての接点(2009年8月18日)
午前中、自殺のない社会づくりネットワーク準備会の事務局長の福山さんとこれからの展開に関して相談していたのですが、長引いているうちに、午後の約束の子育て支援活動に取り組むエスクの代表の名木さんがやってきました。
まあ私の頭の中では、自殺も子育ても同じ話なのですので、結局、そのままサンドウィッチを食べながら3人の話し合いになってしまいました。
まさにこれが私の目指すコムケア的世界です。

いずれも話し出したらとまらない人なので、話はいろいろと展開しました。
そして、相互にお互いのつながりが見えてきたようです。
問題は、ここに、そのつながりを現実化する若者がいないことです。
さてどうするか。
悩ましい問題です。

■黒江けんじさんの立候補(2009年8月18日)
神戸の小児科の黒江さんが今回の衆議院選挙に立候補しました。
ブログにも書きましたが、応援しています。

■今日は創年クラブとデイヘルプのお引き合わせです(2009年8月20日)
今週はいろんな人を引き合わせる役回りが多いです。
今日は地元我孫子の2人の元気シニアを引き合わせました。
70代の水戸っ子と80代の江戸っ子です。
さてさて何が始まるでしょうか。
70代の水戸っ子の槙さんは創年クラブを立ち上げつつあります。
80代の江戸っ子は森谷さんです。
この2人が、話が合うはずはありませんが、だからこそ面白いコラボレーションが期待できます。
まあうまくいけばですが。
まあ2人とも行動の人なので、何かが始まるでしょう。

■接骨院に行きました(2009年8月21日)
首というか肩が異常に痛い状況が続いています。
娘が接骨院に行ったらと勧めてくれました。
昔はよく捻挫や接骨をしていましたから、接骨院にはかなり通ったことがありますが、最近はご無沙汰でした。
今日は在宅でしたので、行ってみました。
初診料を別にすると450円でした。
整体に行って揉み解してもらうと10分1000円ですから、かなり割安です。
問題は良くなったかどうかですが、まあよくなりました。
当分通ってみることにしました。
ただ、今の肩こりは、ただものではないような気がします。
どうも身体の老化は急速のような気がします。
アンチエージングなどと言うことは全く考えるつもりがないので、それを素直に受け容れようと思いますが、どうなっていくかちょっと興味があります。

■自殺のない社会づくりネットワーク交流会(2009年8月22日)
4回目の交流会でしたが、日程がよくなかったせいか、私も入れて5人のこじんまりした交流会になりました。
先月末に開催した、自殺を考えたことのある人たちを中心にした夏の集いの報告がテーマだったのですが、参加者が私も入れて3人だったので、何だか反省会のような感じになってしまいました。
しかし、参加していない人たちからの指摘で、いろいろと気づいたことも少なくありませんでした。
さてこのネットワーク準備会をこれからどう展開していくか、いささか最近気が重くなってきています。
暑さのせいだといいのですが。

(2009年8月第2週)
ちょっと夏バテでしょうか。
夏休みでしたので、私事中心ですがニュースフラッシュ風に。
■自殺のない社会づくりネットワークをどうするか(2009年8月9日)
■東野圭吾の探偵ガリレオ(2009年8月10日)
■コミュニティカフェ(2009年8月11日)
■宮内さんの野菜(2009年8月12日)
■すぎの梨園の杉野さん(2009年8月12日)
■迎え火(2009年8月13日)
■池の掃除(2009年8月14日)

■自殺のない社会づくりネットワークをどうするか(2009年8月9日)
先週の福井の合宿を踏まえて、これからどう展開していくかの方向を議論しました。
なかなか思いを重ねることは難しいです。

■東野圭吾の探偵ガリレオ(2009年8月10日)
娘に言われて、テレビで放映していた「容疑者Xの献身」と言う映画を見てしまいました。
東野圭吾の原作でした。
とても気に行ってしまい、娘から借りて、東野圭吾の作品を読み出してしまいました。
面白いですが、ややワンパターンです。

■コミュニティカフェ(2009年8月11日)
最近、なぜかコミュニティレストランやコミュニティカフェの話が多いのですが、今日はシニア向けのちょっと小洒落たカフェの話を持ってきた人がいます。
私が20年前に考えていたことにかなり重なります。
少し興味を持ってしまいました。
コミュニティカフェをテーマにしたサロンをやろうかと考えています。

■宮内さんの野菜(2009年8月12日)
夏休みだといって、我孫子のギタリストの宮内さんがやってきました。
そういえば、宮内さんとは時々お会いしますが、ゆっくり話す機会がありません。
今日は頭がかなりぼんやりしていましたが、宮内さんに会ったらいろんなことを話したくなってしまいました。
宮内さん自慢の野菜をもらいました。

■すぎの梨園の杉野さん(2009年8月12日)
すぎの梨園の杉野さんに会いました。
我孫子でもまた活動を始めることを考えているようです。
もちろん農業関係です。
できれば私も参加したいと思います。
楽しみです。

■迎え火(2009年8月13日)
お盆です。
朝早く、節子を迎えにいきました。
花は暑いので小さな花にしていたら、お隣の方から立派なお花をもらいました。
節子はやはり花を呼び込む人のようです。

■池の掃除(2009年8月14日)
庭の池が最近不気味です。
エビを10匹放したのに全滅です。
次はめだか、これも全滅。
少し大きめの金魚を買ってきましたが、これまた全滅。
挙句の果てに長い間元気だった、タナゴまで死んでしまいました。
どうも今年の春入れた、砂が原因のようです。
節約して川砂でなく、工業用の砂を買ってきて入れてしまったのです。
悪いことをしてしまいました。
それで池の砂利や水を入れ替えました。
蟹もみつかりませんでした。
みんなどこに行ったのでしょうか。

(2009年8月第1週)
前半は心身ともに疲れていましたが、それが回復した頃に湿度の高い日が続き、結局、疲労が回復できない1週間でした。
ただそれを心配してくれたこのサイトの読者の根本さんが、疲労回復策を教えてくれました。
ですから来週は元気回復するでしょう。
■久しぶりの小浜(2009年8月2日)
■自然と親しんだ1日(2009年8月3日)
■ホームページの更新(2009年8月4日)
■農業金融と農村金融(2009年8月5日)
■ネパールから戻った田中雅子さん(2009年8月6日)
■人生いろいろ(2009年8月8日)

■久しぶりの小浜(2009年8月2日)
先週末、福井にいたので、帰りに敦賀に立ち寄りました。
そして思い立って、小浜に行きました。
小浜のお寺はまだあまり観光化されておらず、気持ちが安らぐのです。
ブログに書きましたが、羽賀寺と妙楽寺の観音をお参りし、その足で鵜の瀬に行きました。
鵜の瀬は、二月堂のお水取りへのお水送りで有名なところです。
ここも誰もいませんでしたが。

羽賀寺では観音様をお守りしている在所の人と少し話しました。
最近、参詣客が少なくなっているようです。
新型インフルエンザと不況のせいかもしれないといっていましたが、観音様も最近では世俗の動きに勝てないようです。

敦賀から小浜への途中の農村風景は、心に平安な気持ちをもたらしてくれます。
こうした環境で過ごしている人たちと大都会のなかで過ごしている人たちとの意識がずれていくのは当然の結果でしょう。
そんなことを考えながらの小浜への小旅行でした。

■自然と親しんだ1日(2009年8月3日)
昨日も敦賀で一泊してしまいました。
滋賀の友人たちに会いに行こうと考えていましたが、やはり先週の合宿での寝不足の影響か、心身ともに疲れが出てきてしまいました。
それで、帰ることにしたのですが、せっかくなので沢蟹を探しに行くことにしました。
しかし先週の雨続きのため、川の流れの勢いがありすぎて、かにはなかなか見つかりません。
それで諦めて、ミズスマシなどで我慢することにしました。
また敦賀の生物の一部が、千葉のわが家に連行されることになりました。
こうした自然の生態系は乱されていくのです。
さわがにも2匹ほど連行することにしました。
今回は、帰宅してすぐにすべてをわが家のミニビオトープに話しました。
定住してくれるといいのですが。

わが家に帰るとカブトムシがいました。
毎年、不思議なことにわが家の中庭に1匹、カブトムシが現れるのです。
もちろん同じカブトムシではありませんが、出てくるところが同じなのです。
こんな感じで、福井の沢蟹が棲みついてくれるといいのですが。

そんなこんなで、今日はちょっと自然に触れた1日でした。

■ホームページの更新(2009年8月4日)
このホームページは毎週日曜日に更新してきました。
今週は週末から出かけていたために更新できませんでした。
記事は土曜日までのものにしました。
それ以上の記事を書く元気がなかったからです。

■農業金融と農村金融(2009年8月5日)
農林中金の田中文章さんを久しぶりに訪問しました。
前回お会いしたのは、田中さんがフランスに「農業金融」の調査に行く前でしたから、もう2年半前の話です。
6月の支え合いサロンで、農業の話がいろいろ出ましたが、その時、田中さんのことを思い出して、メールをしました。
田中さんから、こんなメールが届きました。

フランスでの、特に農村での生活は、小生にとって今後の人生が変わるのではないかと思えるほどの甚大な経験となりました....

これはもう会いに行くしかありません。
どうやら、田中さんは「フランスの農業金融」をライフワークの一つにしたようですし。

田中さんの話はとても刺激的で、一人で聴いているのがもったいないほどでした。
まだ公開の場での講演は少ないようですが、これからの日本の農業を考える上だけではなく、金融のあり方や国のかたちの問題を考える上でも、とてもたくさんのヒントがあるように思います。
田中さんは、日本とフランスの共通点をいろいろと感じたようです。
言語の関係もあって、フランスは私たちにはなじみにくいものがあります。
しかし、土とのつながりという点では、イギリスやアメリカとは全く違った文化を感じます。
それになによりも、フランスは私には農業の国に見えます。
農業は文化でもあり、コモンズ感覚にもつながります。
田中さんと話していて、改めてそれを感じました。

ところで、標題に書いた「農業金融」と「農村金融」ですが、田中さんと話していて、思いついたことです。
言い換えれば、「産業としての農業振興のための金融」と「農民たちの生活の場である農村を元気にするための金融」ということですが、そこには「金融」の持つ対極的な両面が象徴されているように思います。
フランスの農業金融は、産業だけではなく、生活を見ているという気がしました。
日本の農協金融とは違います。

ブログには書いたのですが、田中さんの話を聴きたいという人が5人以上集まったら、田中さんのミニ講演会を開催する予定です。
関心のある方は、私のメールくださいませんか。

■ネパールから戻った田中雅子さん(2009年8月6日)
このホームページに長らく「カトマンズ便り」を寄稿してくれていた田中雅子さんが、ネパールから帰国しました。
しばらくは夫婦ともども日本で暮らす予定のようです。
今回は、日本で暮らす自宅の表札をむすめのスペインタイルでつくることために、娘のところに来たのですが、その後、いろいろと話をさせてもらいました。

いまはまだ仕事は決めていないようですが、アジア女性資料センターの運営委員として、15年ほど留守にしていた日本社会を実感しなおしているようです。
しかしお話をお聞きすると、すでにさまざまな活動に関わっているようで、相変わらずのエネルギーを感じました。

田中さんにもいつか、久しぶりに日本の話をしてもらうような場がつくれればいいなと思いました。
そんな話を聴きたい人がいたら、これまた連絡ください。

日本で語られている海外の動きは、たぶんかなり偏っているでしょうから、実際に現場にいて、さまざまな風を受けている人の話は刺激的です。

■人生いろいろ(2009年8月8日)
この数日、芸能界が賑やかです。
テレビを一番にぎわせているのは、酒井法子さんでしょうが、ほかにもいろいろとあります。
芸能界もいろいろとあるようです。

いろいろあるのは、何も芸能界だけではありません。
平凡な生活者である私にもいろいろあります。
私にいろいろとあるというよりも、私の周りにといったほうがいいかもしれませんが、まあいろいろとあります。
昔はあまり躊躇なくこのサイトに書き込んでしまいましたが、最近は躊躇しています。
自分のことは書けますが、自分以外のことは気楽に書いてはいけないことを最近痛感させられています。
もったいぶった言い方ですが、そんなわけで、今週、後半の活動は書くのを控えます。
要するに、いずれもかなり個人的なことが多かったということなのですが。

来週の予定はほとんどありません。
なぜか土日だけは用事が入っていますが、他はあまり予定がないのです。
怠惰な1週間を楽しめるかもしれません。

(2009年7月第5週)
今週は後半福井の山奥にいました。
そのため更新日が遅れましたが、それ以上に疲労困憊して書く気力がありません。
最小限のことだけ書いておきます。
■LLPコモンズ手賀沼事業計画会議(2009年7月26日)
■手賀沼に二重の虹がかかりました(2009年7月27日)
■農をテーマにした支え合いサロン(2009年7月29日)
■ミスターdaxとの福井への道行(2009年7月30日)
■自殺のない社会づくりネットワーク夏の集い(2009年7月31日〜8月1日)

■LLPコモンズ手賀沼事業計画会議(2009年7月26日)
LLPコモンズ手賀沼が正式に発足しましたが、最初に取り組むプロジェクトがこの10月に我孫子で開催される女子ゴルフオープンを活かして、我孫子に新しいまちづくりの風を起こしていこうというものです。
かなり大きなプロジェクトですが、その中でもいくつかの目玉メニューがあり、すでに事業ユニット単位に動き出しています。
しかしまだ初めてのことでもあり、LLPとしての動き方に関して十分な合意が出来ていない危惧もあって、冒頭に少しその話をさせてもらいました。
企業とNPOの間にあって、まさにこれはコミュニティビジネスにつながるものですが、なかなかそのあたりを実感してもらえないのが気がかりです。
私はゴルフをやりませんので、このゴルフ関連プロジェクトには参加しないつもりでしたが、これをうまくこなすかどうかはLLPの試金石にもなりますので、関わらないとダメかなと思い出しました。
自殺のない社会づくりネットワークもそうですが、やはり起案してしまうと抜けられなくなるものです。
今のままで行くと、どうしても時間破産しそうですので心配ですが、とても悩ましい話です。

ゴルフ関連プロジェクトはともかく、LLP構想には私もいくつかのやりたいことがあります。
実はそれにつながるような話も相談を受けているのですが、これはこれでまた大きな話でリスクもありますので、準備が必要です。
私のコミュニティビジネスの考え方は、その基本に「人のつながり」と「プロセスそのもの」という外せない条件があります。
昨今のコミュニティビジネスは、そうしたことをあまりに軽視していますから、そうした流れへの問題提起にもしたいですし、それができれば「事業観」も変わるはずです。
行政も変わっていくかもしれません。
そうした視点で、新しいコミュニティビジネスモデルに取り組めればと思っていますが、私にそれだけのエネルギーが残っているかどうかが問題です。

■手賀沼に二重の虹がかかりました(2009年7月27日)
雨上がりの夕方、手賀沼に二重の虹がかかりました。

■農をテーマにした支え合いサロン(2009年7月29日)
今月の支え合いサロンのテーマは「農」でした。
予想以上にたくさんの参加者があって、時間を30分も延長しても話したりない状況でした。

今回の話題提供者は菜園クラブの増山さんです。
秋に「半農のすすめ」を出版しますが、7年前から増山さんは農業に引き込まれだしています。
自分の主宰する会社まで、「環境クラブ」から「菜園クラブ」へと改称してしまったのです。
私が、増山さんに共感しているのは、実に自分に素直で、頭で考えるではなく、心身で行動しながら考えているからです。
有機農業にこだわっているかという質問に、こだわっていないと応えています。
念のために言えば、もちろん農薬などは彼は基本的に使いません。
それが自然だからです。
私たち家族も小さな家庭農園をやっていますが、農薬という発想は基本的に頭に浮かんではこないのです。
頭で考えれば、農薬を使うかどうかで農薬の知識を得るようにするのですが、まあそこまでも行きません。
サロンでも、農業と農は違うという意見が出ましたが、業としての農業を考えれば、農薬や化学肥料の問題が出てきますが、暮らしとしての農の世界では、どうしてもというとき以外はそんなことなど思いもつかないのです。
それにしても、増山さんは、終始、実に楽しそうに話していました。
彼が農業にではなく、農的暮らしを楽しんでいることがよくわかります。

さいたま市でヘルシーカフェという名前の「コミュニティ・カフェ」を秋に開店しようとしている人たちも参加してくれました。
そのおかげで、食べる話もいろいろと出ました。
「農業」は「つくる」だけの話ですが、「農」は食べることも含めて、「暮らし方」の話だろうと思っている私には、とてもうれしいことでした。
そして、いずれにおいても、大切なのは「つながり」だという気がします。

今回は、直接的には「支え合い」は話題にはなりませんでしたが、語られていたことの根底には、支え合いのこころが通じていたと思います。

次回はまだ決めていませんが、8月下旬に開催できれば開催したいと思っています。

ちなみに、増山さんが主宰する菜園クラブでは9月5日にフォーラムを開催します。
その案内が次のサイトに出ています。
ご関心のある方はぜひご参加ください。

■ミスターdaxとの福井への道行(2009年7月30日)
事項で書きますが、自殺のない社会づくりネットワークの夏の集いを福井で開催することになりました。
それで、私も参加することにしていたのですが、福井までミスターdaxと夜行の自動車で行くことになったのです。

直前に、daxさんから電話があり、自分も参加するので自動車で一緒に行こうと誘われてしまったのです。
なにしろ元任侠の人(まあ、今もそうですが)ですので、一緒に行くのは疲れそうだと断りたかったのですが、反面、ちょっと面白いかもしれないと思ったのが運の尽きで、結局、彼との同道になってしまいました。
150キロでとばしたらすぐつくよ、とか、佐藤さんの知らない世界もあるしな、とdaxさんが話していたので、いささか不安もあったのですが、daxさんは誠実な常識人で信頼できることは数回の付き合いでよくわかっていました。

しかし、長い時間を彼の運転に任せるということは、自分の生命を託すことですから、一応、娘たちの了解は得てから決めました。
女房の運転以外では、私は自動車の遠出はしないことに決めていたのですが。

そんなわけで、前日の夜、東京を発ったのですが、高速に乗った途端に渋滞です。
それでも後は順調で、福井に着いたのは朝の4時前でした。
dax行きつけの温泉ホテルで宿泊し、一眠りしましたが、眠くて頭がもうろうとしています。

面白かったのは。途中でdaxの無線のやり取りでした。
真夜中のドライバー同士が無線で情報をやり取りする。
なかなかの文化です。
こうした世界の人たちの世界がとても生き生きと伝わってきます。
面白い体験でした。

会場に着いたら、まだ誰もきていませんでした。
さすがのdaxもダウンして、いま、車中で寝ています。
私は会場の片隅で、この記事を書いていますが、どうも山奥のためネットは通じないので。ホームページの更新は少し遅れそうです。
天気があまりよくないので残念です。

■第1回夏の集い in 東尋坊(2009年7月31日〜8月1日)
前項で書いたように、自殺のない社会づくりネットワークの夏の集いです。
参加者の中心は、一度ならず自殺を考えた人たちです。
そういう人たちと膝つき合わせて、合宿をしたのです。
こういう集まりは、前代未聞なのではないかと思います。

予想以上に、世界が見えてきました。
どこに問題があるのかも、含めてです。
人の心に巣食う、冷たさや身勝手さに改めて気づかされた2日間でした。
あまりに受け取ったものが多いので、いまは書く気力さえありません。

とてもおかしな話ですが、私は自殺を試みた人たちから多くのものをもらいましたが、それを支える人たちの中の問題も見えてきてしまいました。
それが今回の最大の疲労の原因です。
いまは死にそうなほど、疲れています。

これに関しては、追々また「自殺のない社会づくりネットワーク」のホームページなどに書いていきます。

(2009年7月第4週)
今週こそ、ダウンしてしまいそうになるほど精神的に疲れました。
■シニア・サービスプラットフォームデザイン・ラボの南野さん(2009年7月21日)
■玄米の昼食をゆっくりと楽しんでいる弁護士の森さん(2009年7月23日)
■SCALE Design原点回帰(2009年7月24日)
■第3回自殺のない社会づくり交流会(2009年7月25日)
■新潟水辺の会の関係が少し深まりそうです(2009年7月25日)

■シニア・サービスプラットフォームデザイン・ラボの南野さん(2009年7月21日)
社会企業を支援したいという人がやってきました。
南野さんといいます。

南野さんはこれまで主に、ITの世界で活動してきました。
そこで得たIT業界における先進的なマネジメント手法を介護業界に応用できないか、と考えたのです。
南野さんは、「高齢社会の問題は、持続的・継続的な取組みを行うべきテーマであり、行政に依存しないサステイナブルな組織を成立させる必要がある」と考えています。
そのために、このたび独立をいたしました。
創設したのが、シニア・サービスプラットフォームデザイン・ラボ(SSD)。
長いのが問題ですが、この名前に南野さんの思いが読み取れます。
それがそのまま、現在の南野さんの構想でもあります。

1時間半の約束が、話がおもしろくて、2時間になってしまいました。
もっとも、私が南野さんの構想に共感したからではありません。
南野さんの姿勢に共感したのです。
かなり辛らつな質問やコメントをさせてもらいましたが、いずれも消化してもらえました。
思いが、最近の言葉を使えば、「ぶれない」のです。
久しぶりに素直なやりとりを楽しませてもらいました。

南野さんの発想は、しかし私にはこれまでのITビジネスの延長に感じました。
もちろん南野さんは、それを超えようとしているのです。
しかしどこかでブレークスルーしなければ、よくあるサービスプラットフォームになりかねません。
南野さんと話して思い出したのは、ハーバマスの「対話型行為」発想です。
あるいは、プロセスを本体にしたソーシャルビジネス発想です。
そんな話をもう少ししてみたら、南野構想はさらに進化するような可能性を強く感じました。

昨今の社会起業家やコミュニティビジネスに胡散臭さには辟易していますが、もしかしたら南野さんには議論が通ずるかもしれません。
またきっと会うことになるでしょう。
けっこう疲れた2時間でした。

■玄米の昼食をゆっくりと楽しんでいる弁護士の森さん(2009年7月23日)
先週、不思議にも同じ日に古い知り合いの弁護士2人から連絡がありました。
そのお一人が、久しくお会いしていない森弁護士です。
仕事の関係で付き合ったことはなく、30年ほど前にあるグループの旅行でご一緒したのが唯一の共通体験のような気がします。
その1回だけの交流がお互いに心に残ったのでしょうか、なぜか交流が続いています。
といっても、久しく会ったこともなく、私がメール中心の付き合いに変わったために、森さんとの交流は実質的には途絶えてしまっていました。
ところが、思いもかけずに、先週、私のホームページを見ているのだが、一度会いたいというメールが届いたのです。
まさか森さんが私のサイトを読んでいるなどとは知りませんでした。
ブログでは、かなり辛らつに弁護士批判をしていますので、まあ誤解されていなければいいのですが、いささか気にはなります。

久しぶりの森さんは、相変わらず溌剌として元気でした。
いろいろと刺激的な話をさせてもらいました。
毎日、昼食は玄米の食事を1時間かけて楽しんでいるそうです。
時間を切り刻んでいる弁護士のイメージとは全く違います。
いかにも森弁護士らしい昼食風景です。
後半は、裁判や弁護士や死刑制度の話になりました。
ところが、その話になる前に、森さんが、佐藤さんが弁護士に批判的なのは、昔から良く知っていたというのです。
言われてみて我ながら驚きました。
人の思いは、自分が気づく前に周りの人には伝わっているものなのです。
それはともかく、死刑制度存続の是非以外は、比較的意見が一致しました。
私の司法時評もまんざらピントはずれではないのかもしれません。

今度一度、森さんのオフィスを訪ねてみようと思います。
いつお世話にならないとも限りませんし。

■SCALE Design原点回帰(2009年7月24日)
SCALE Designが少し動きが鈍っています。
事務局長の松清さんが忙しいこともありますが、やはりこの種の組織は立ち上げて軌道に乗るまではかなり積極的に誰かが引っ張っていかないとダメなのです。
そこで改めて原点に戻って、これからどうするかを考えることにしました。
というわけで、臨時総会でした。
結論を言えば、急がずにゆっくり進もうということになりました。
また活動の重点を手賀沼に移すことになりました。
これでLLPコモンズ手賀沼とのコラボレーションが実現しそうです。

■第3回自殺のない社会づくり交流会(2009年7月25日)
今週は実は、自殺のない社会づくりネットワーク準備会の関係で振り回されてしまいました。
ここでは書けないのですが、まあ動き出すといろいろとあるのです。
いささか疲労困憊で、げんなりしています。
しかし、この準備会の交流会の担当は私ですので、休んでもいられません。
今日は第3回の交流会でした。
今回はテーマなしで気楽なサロンを想定していましたが、結果的には私にはとても刺激的な会になりました。
新しい人も3人も参加してくれましたし、第一、若い世代が半分を占めました。
テレビなどでも最近よく取り上げられている、成田市の長寿院住職篠原鋭一さんが理事長を務めるNPO「自殺防止ネットワーク風」の竹下さんが、この交流会には最初から参加していますが、最近テレビで報道された、その活動を紹介してくれました。
そこから話し合いに入ったのですが、なんと始めて参加してくれた若い僧侶が、「なぜ死んではいけないのか」という問いかけをしてくれました。
ブログに書きましたが、そのおかげでとてもいい話い合いに展開したように思います。
この集まりは、毎回とても教えられることが多いです。
きちんと記録をとったらとてもおもしろいと思いますが、まあ記録にしたら多分退屈になるかもしれません。
次回は8月22日の予定です。
またお知らせのコーナーに掲載しますが、ご関心のある方はぜひご参加ください。
とてもいい集まりだと私は思っています。

■新潟水辺の会の関係が少し深まりそうです(2009年7月25日)
今週、うれしいニュースもなかったわけではありません。
そのひとつは、時々、ここでも紹介してきた新潟水辺の会に今度は新たに顧問制度を置くことになったのだそうです。
その顧問にならないかと代表の大熊さんから連絡がありました。
「顧問」という名前は何だかピンと来ないので、LLPコモンズ手賀沼の場合も辞退したのですが、新潟水辺の会からの申し出は受けることにしました。
というのは、このNPOはとても好きなのですが、活動拠点が新潟なので入会してもあまり参加できず、関係をどうとれば良いか迷っていたのです。
ですから、渡りに船という連絡でしたので、厚かましくも引き受けることにしました。
引き受けてしまうと何かやらなければいけない気分が高まってきます。
9月になったら少し動いてみようかと思っています。

(2009年7月第3週)
梅雨が明けて、夏が来ました。
相変わらずばたばたしてしまった週でした。
最近はなかなかあっけらかんと書けないような話が増えてきました。
私のライフスタイルとはちょっと違うのですが。
時間不足でもないのですが、今週は簡単にまとめて書きます。
■都議選は民主党が圧勝(2009年7月12日)
■NPO法人都市環境ネットワーク22(2009年7月14日)
■SCALE DesignとLLPコモンズ手賀沼(2009年7月16日)

■都議選は民主党が圧勝(2009年7月12日)
都議選の投票日でした。
民主党が圧勝しましたが、共産党は後退しました。
自民党か民主党かですから、何も変化はなかったともいえますが、まあ変化が起こることになるでしょう。
派遣村騒動がありながら、なおこの状況ですから、日本はなかなか変わらないわけです。
この結果を受けて、翌日、麻生首相は解散予告宣言という醜態を演じました。
こうした人が首相になれるほど、日本の政府は「民営化」されたのでしょう。
そういえば、日本郵政の西川社長はまだ居座っています。
経済もまた完全に民営化されてしまっています。
正確に言えば、営利民営化です。
イギリスなどの非営利民営化とは似て非なるものです。
まあ、またいささか言葉がすぎましたが、テレビの解説を観ていると腹が立って仕方がないので、八つ当たりです。
今週は週末にブログにかなり政治時評を書いてしまいました。

■NPO法人都市環境ネットワーク22(2009年7月14日)
共済研究会で時々お会いする小川さんが、同じく共済の分野で活躍されていた大杉さんと一緒にやってきました。
共済に関する話かと思っていたら、そうではなく、今度、お2人が中心になって立ち上げるNPOの話でした。
NPO法人都市環境ネットワーク22という名前で、「ビューティタウン」「エコタウン」「セーフティタウン」づくりに取り組むそうです。
かなり壮大な構想ですが、しっかりした切り口をお持ちです。
それは、河川護岸やビルや住宅の壁面の活用です。
大杉さんは、すでにご自宅の外壁を溶岩パネルで改装し、そこに植物をはわせ、そこに水を補給することで夏は涼しい生活を目指しています。
それ以外にもいろいろと構想をお持ちです。
さて問題は、その構想をどう実現するかです。
いろいろと意見交換をした後、最後に、共済のことを話しかけてみました。
そうしたら、いまの共済の状況に関して、いろいろと提言的な話が出てきました。
やはりお2人とも、共済の文化への思いを溜め込んでいるようです。
NPOもいいのですが、共済に関しても是非活動を持続していってくださいとお願いしました。
こうした「思い」を持っている人は、共済に限らず、さまざまな分野でたくさんいるはずですが、そうした思いや知恵が分散され消えていってしまうのがとても残念です。

■SCALE DesignとLLPコモンズ手賀沼(2009年7月16日)
地元で2つの組織の立ち上げに関わっているのですが、今週はその2つのこれからの基本的な展開について、それぞれの事務局長と少し話しました。
SCALE Designは、当初予定していた柏の葉キャンパスのベロタクシー事業への取り組みが少しトーンダウンしてしまっています。
それでむしろドメインを手賀沼に移していく方向に変えていこうと思います。
コモンズ手賀沼は、10月の女子ゴルフ大会に焦点を合わせて、事業ユニットを発足させましたが、事業計画面が弱いので、そこを少し補強しようと思います。
この2つは、それぞれ性格は違うのですが、どこかで接点ができそうです。
私自身は、いずれも今年はあまりコミットできないのですが、なかなか抜けられないような気がしてきました。
この2つに関しては、できるだけこのコーナーにも書きこんでいく予定です。

(2009年7月第2週)
いろいろあって、今週も疲れました。
キューピーゴールドとリポビタンゴールドを飲んでがんばっています。
■2つの仕事の結節点(2009年7月6日)
■技術と社会(2009年7月6日)
■自動車免許更新すべきかどうか(2009年7月7日)
■献花(2009年7月7日)
■技術と社会その2(2009年7月8日)
■アントレプレナーは孤独なのか(2009年7月8日)
■私のメインパソコンがパワーアップしました(2009年7月9日)
■企業の元気さは業績だけで評価すべきか(2009年7月10日)
■頼母子講(2009年7月10日)
■自殺のない社会づくりネットワーク準備会の集いの準備(2009年7月11日)

■2つの仕事の結節点(2009年7月6日)
先週書いた「2つの仕事」に早くも接点が生まれました。
それで今日は、そのお引き合わせをしました。
私にはあまり理解できないビジネスですが、理解できないままお引き合わせするのも無責任ですが、いすれも感度がよさそうなので、まあ引き合わせてしまいました。
こうして、少しずつまたビジネスの世界にもどりつつあります。

■技術と社会(2009年7月6日)
岡山に転勤になった鳥羽瀬さんが上京したと言って、湯島に立ち寄ってくれました。
鳥羽瀬さんとは、暮らしから技術を考えるサロンでご一緒でしたが、その思考スタイルが共感でき、久しぶりに一度ゆっくりと話してみたいと思っていたのです。
いろいろと刺激的なお話をお聞きできたのと、技術者倫理の学習プログラムに関してもいろいろと考える材料をもらいました。
技術と社会の接点はもっと広がっていくことが必要ですが、社会に関心を持っている鳥羽瀬さんのような技術者がもっと増えてきてほしいものです。

■自動車免許更新すべきかどうか(2009年7月7日)
自動車免許の更新の講習会でした。
私は運転にはどうも不向きで、10年近く前に自宅の塀にぶつけて以来、自動車の運転をやめてしまいました。
家族からも私の不注意さを知っている女房からは、運転はやめたほうがいいと言われていたのをいいことに、この10年近く運転をしていないのです。
いまさら運転を再開する気にもならないのですが、免許を無効にするのもしのびがたく、今回も更新講習を受けてしまいました。

■献花(2009年7月7日)
女房の友人たちが3人、突然献花に来てくれました、
もう2年近く経つのに、時々、こうして献花に来てくれるひとがいるのです。
献花台を作ってよかったと思っています。

■技術と社会その2(2009年7月8日)
久しぶりに技術者の佐藤国仁さんが湯島に話に来てくれました。
先日、技術者倫理の学習会で偶然再会したのがきっかけでした。
国仁さんのご専門は「安全」のようですが、最近、ベーシックインカムに関心をお持ちのようです。
今日は持続可能性論議をする予定だったのですが、全く違った議論になってしまいました。
しかし、お互いの関心は、やはり「技術と社会の接点」です。
月曜日の鳥羽瀬さんに続いて、今週は技術者との意見交換が続いています。
いろいろと刺激をもらいました。

■アントレプレナーは孤独なのか(2009年7月8日)
このホームページにも何回か登場したことのあるNさんが1年ぶりにやってきました。
Nさんはビジネスアントレプレナーです。
順調な立ち上げの後、ちょっと失速しましたが、見事に立ち直りつつあります。
Nさんは、良い時も悪い時も定期的にやってきます。
誠実なのです。
いまは良い時か悪い時か悩ましい時期ですが、ビジネスアントレプレナーは決断を一人でやらなければならないので、精神的にタフ出なければいけません。
この3週間、私はさまざまなアントレプレナーとお会いしていますが、タフを持続するのはそう簡単ではありません。
タフと言うことは、「感情に負けない」ということです。
私は、常に「感情に負けている」人なので、ビジネスアントレプレナーにはなれません。

しかし、私の勝手な定義では、孤独に耐えられない人もアントレプレナーになることができるのです。
それは、ソーシャルアントレプレナーです。
いえ、むしろソーシャルアントレプレナーは孤独になってはいけないのです。
みんなで一緒に起業を楽しむ姿勢がソーシャルアントレプレナーには大切なのです。

Nさんにソーシャルアントレプレナーシップの楽しさを少しだけ体験できるような提案をさせてもらいました。
もしかしたら、私もそのプロジェクトにジョインしようかと思い出しました。
このプロジェクトは、いつかまた報告させてもらいますが、しばらくは非公開プロジェクトにしたいと思います。
Nさんに迷惑をかけてはいけませんので。

■私のメインパソコンがパワーアップしました(2009年7月9日)
一度は壊れたと思って廃棄する予定だった、私のメインのパソコンがパワーアップして完全復帰しました。
前回、奇跡的な修理を完遂してくれた坂谷さんがまた出張してきてくれて、なんとメモリーを4倍にアップしてくれたのです。
最近、パソコンの処理速度が遅いのが気になっていたのですが、坂谷さんが前回、パワーアップできるとアドバイスしてくれたのを思い出して、お願いしたわけです。
なんと部材まで持参してくれて、無料で能力4倍増、さらに加えてパソコンから無駄なデータを消去するなど、いろいろとやってくれました。
なんだか私の心身まですっきりした気がしてきて、気分快調になりました。

ついでにもう1台、ノートパソコンも壊れていましたが、それまで直してもらいました。
事ほど左様に、知識があるかないかでは無駄の有る無しにもつながるのです。
私たちはもっと多くのことを学ばなければいけません。
今回の件で改めて、経済を発展させるということは、生産の無駄をなくし消費の無駄を増やすことなのだと痛感しました。
そんなことをブログにも書きました

私の人生もかなり無駄があって、経済発展と地球環境汚染に寄与しているのでしょうね。
今回は坂谷さんのおかげで、経済的にも精神的にもいい結果になりました。

■企業の元気さは業績だけで評価すべきか(2009年7月10日)
経営道フォーラム45期のEチームのメンバーがやってきました。
なかなか議論が前進しないというのです。
このチームのテーマは、「今どき元気な企業はなぜ元気なのか」です。
なにやらトートロジーで、私の好きな表現です。
もっとも、私なら「今どき元気な企業はなぜ元気でないのか」としますが。

企業業績のよい企業にはたぶん2種類あります。
当たり前だろうといわれそうですが、病気の企業と健康な企業です。
トヨタは明らかに不健全な会社です。
儲け方も不健全なら(あんなに利益が出るのは普通ではありません)、一挙に大幅赤字になるのは不健全です。
その一方で、景気の波に振り回されずに着実に業績を安定させている企業は健全です。
つまり、企業の元気には「一時的な派手な元気」と「体質的な静かな元気」があるわけです。
おそらく今回のチームの人たちが考えているのは、後者です。

さらにいえば、企業というものの本質につながっている「元気」(元気とは健全性です)を考えようというわけですから、議論はそう簡単には進まないのでしょう。
まだ問題の把握がしっかりとできていないようです。
でも今回の話し合いで少し先が見えてきたと思います。
いや、そうであればいいのですが。

■頼母子講(2009年7月10日)
頼母子講をしたいという人たちが現れました。
現実にいま問題を抱えている人がいるのでどうにかしたいというのです。
私も先行きいささかの危なさがあるので、私も入って頼母子講を考えても良いなと思い出したのですが、どうも私の頼母子講の感覚には肝心のお金が視野にあまりないのです。
それで思い出したのが、コモンズ通貨ジョンギなのですが、前回、入村料を私的に使い込んでしまったので、信用をなくしている惧れがあります。
インキュベーションハウスという有限会社も、一種の頼母子講として構想していたのですが、これもうまくいかずに、こちらは辞めたいという人には出資金を全額返してしまいました。
お金はなかなか付き合いにくいものです。
もう一工夫必要ですが、結局は基盤となる信頼関係の強さです。
いささか人生において遅すぎますが、もう一度やってみるかという気にちょっとなりました。
どうですか、参加しませんか。

自殺のない社会づくりネットワーク準備会の集いの準備(2009年7月11日)
最近は毎週、この準備会を開催しています。
何しろ初めての試みであり、考え出すと不安は大きいです。
正面から考えたら不安はいくらでも出てきます。
今取り組んでいるコアメンバーは、考えてみるとほとんどが能天気といってもいいほどの楽観主義者であることに気づきました。
まあそういうメンバーでなければ、こんなイベントには取り組まないでしょう。
集いの会は今月31日から翌日にかけて合宿形式です
まだ定員の余裕がありますので、ご関心のある方はご連絡ください。
あまりおおっぴらに公募するのも心配なので、一応、口コミ的にお誘いしていますので。

(2009年7月第1週)
今週はいろいろと滅入る話が多かったのですが、それはやめて、滅入らなかった話だけを書くことにします。
■仕事の相談(2009年6月29日)
■コモンズ手賀沼と市役所(2009年6月30日)
■BIG購入(2009年7月1日)
■Taller de JUN 工房オープン5周年(2009年7月2日)
■女子ゴルフトーナメント打ち合わせ(2009年7月3日)
■自殺体験者の夏の集い準備会(2009年7月4日)

■仕事の相談(2009年6月29日)
そろそろ「仕事」もしないと活動できなくなるなと思い始めていますが、なかなか仕事をやろうという気になりません。
魅力的なテーマがないのと昨今の金銭主義の風潮にうんざりしているからです。
お金儲けに関心のある人は、私のところには来なくなりましたので、その点はいいのですが、それが全くなくなると湯島のオフィスの維持も難しく、さらには自分がやりたい仕事もできなくなります。
私の場合、もう「老後期」に入っていますので、老後の貯えは不要ですが、借金だけは解消しておく必要があります。

そろそろお金を稼ぐ仕事もしないと、貧すれば鈍することにもなりかねません。
いや、すでにもうそうなってきているかもしれません。
最近は発想がいささか小さくなってきているような気もします。

そんなことを思っていたら、今日は、突然、2つの「仕事」の相談が来ました。
まあ、すぐにお金をもらえる仕事ではないのですが、その分、納得できる要素も持っています。

ひとつは、地域健康管理の分野で新しいサービスシステムのモデル開発をするプロジェクトです。
起業資金が霞が関の助成金というところと大学教授が絡んでいるというところが少し気になりますが、話を持ち込んできたお2人(一人は初対面ですが)と話していて、気持ちがかなり合致したので、少し関わろうかと思いました。

もうひとつは、まちづくり関係のプロジェクトです。
しばらくお会いしていなかった大井町で地道な活動を重ねてきている加藤さんが最近の報告も兼ねて訪ねてきてくれましたが、彼の活動の着実さにはいつも感心します。
おしむらくは、品川区が活動地域なので、我孫子住民の私としてはもうひとつモチベーションが働かないのです。
それでこれまではせいぜい私の友人を紹介する程度だったのですが、昨今のまちづくりに違和感を持っている私としては、一つのモデル開発になるような気がして、少し関わる方向に心が傾きました。

実は、この2つに「共通点」があるのです。
健康支援ということですが、具体的にも接点をつくれそうなのです。
同じ日に、この2つの仕事相談があったことは何らかの意味があるような気がします。
実際には、そんなにお金をもらえるとは思いませんが、いずれにも私のこれまでの活動体験やネットワーク資源が活用できるかもしれません。

これを皮切りに、少し、企業関係の仕事も再開しようと思います。

■コモンズ手賀沼と市役所(2009年6月30日)
LLPコモンズ手賀沼のコアメンバーで、市役所を訪問し、関係ありそうな人たちに挨拶しました。
市長や副市長にも、久しぶりに会いました。
できればいつか、市役所職員にもメンバーになってほしいと私は思っていますが、NPOと違ってそれは難しいかもしれません。
今日もみんなにそう呼びかけましたが。たぶん誰も本気には受け止めなかったでしょう。
しかし、それが無理でも、これまでとは違った柔らかな関係が育っていけばいいと思っています。
しかし、それもかなり難しいでしょうから、ともかくカジュアルさと「いい加減さ」を打ち出したいのですが、これがまた難しいかもしれません。

いずれにしろ、コモンズ手賀沼が外に向けてもスタートしました。

■BIG購入(2009年7月1日)
テレビを見ていたら、BIGという宝くじを買うと6億円当たるというので、それを狙うことにしました。
6億円あれば、いろんなことが出来ます。
まあそのうちの3億円くらいは自分のためにも使えるでしょうから、お金目当ての仕事は一切しないですみそうです。
しまも、BIGはネットで簡単に変えるのです。
それでネットで検索しているうちに、気づかないうちにどうも購入してしまったようです。
私は番号を選ぶのかなと思っていたら、ただ「購入」のボタンをクリックするだけで、契約が成立するようです。
やはりネットの世界は注意しないといけません。
でもまあ6億円があたったら、これからは悠々自適です。
さてどうなるでしょうか。
万一当たってもこの件は公開しないことにします。
当たらなくても公開しません。
そうしないと、つまりは当たったことを公開することになるからです。
さてどうなるでしょうか。

■Taller de JUN 工房オープン5周年(2009年7月2日)
気がついたら、むすめのジュンのスペインタイル工房Taller de JUN(タジェール・デ・ジュン)が、わが家の庭に工房をオープンして、今日が5年目です。
わが家には最近あまり良い話がないので、せめてみんなでお祝いをしようとケーキでパーティをしました。
まあそれだけのことなのですが。

■女子ゴルフトーナメント打ち合わせ(2009年7月3日)
コモンズ手賀沼の最初のプロジェクトは、10月に開催予定の我孫子ゴルフカントリーを会場にした日本女子オープンゴルフ選手権大会を我孫子のまちづくりにどう活かしていくかというプロジェクトです。
関係者の打ち合わせに、コモンズ手賀沼として参加させてもらえることになりました。
現地のレイアウトなどの打ち合わせもあり、私は途中までしか参加できませんでしたが、コモンズ手賀沼は順調に動き出しています。
もっともまだメンバーの認識が共有されるまでには至っていませんし、専任のスタッフもいませんので、いろいろと紆余曲折がありそうです。

このコモンズ手賀沼の最初のビッグプロジェクトは、残念ながら私は端役でしか関われません。
なぜなら私自身ゴルフをやらないからです。
それにおそらく大会が開催される10月は、自殺防止実践者のサミットや孤独死プロジェクトの立ち上げなど、いくつかのプロジェクトが山場を迎える時期なので、時間的にもそう割けそうもありません。
しかし、組織にとっての最初のプロジェクトですので、それがうまく行くように関わっていくつもりです。

■自殺体験者の夏の集い実行委員会(2009年7月4日)
今月末に、自殺を考えた人や自殺体験のある人たちの集まりをやることになりました。
主催は東尋坊の茂さんたちのNPOですか、4月に立ち上げた「自殺のない社会づくりネットワーク」準備会も共催で関わることにしました。
既に何回か打ち合わせをしていますが、今日はその実行委員会を開きました。
おそらくこうした集まりは、これまでどこにもなかったでしょうから、マスコミでも話題になるはずです。
参加者がお互いにエンパワーできるような場にし、できればそうした場を各地に広げていければと思っています。
しかし、かなりリスクもあります。
そう簡単ではありません。
集まりの全容は、東尋坊の茂さんたちのホームページに掲載されています。

私もスタッフとしてですが、参加しようと考えています。
会場は東尋坊の近くの福井です。
東尋坊には、あまり行く気力はないのですが。

(2009年6月第4週)
■両親の法事(2009年6月21日)
■技術者倫理とコンプライアンス(2009年6月22日)
■娘の友人がやってきました(2009年6月23日)
■コミュニティレストランの難しさ(2009年6月24日)
■朗報(2009年6月24日)
■ワーキングモチベーション(2009年6月25日)
■活字メディアの可能性(2009年6月25日)
■支え合いサロン(2009年6月25日)
■パソコンがまたおかしいです(2009年6月26日)
■自殺のない社会づくりネットワーク準備会交流会(2009年6月27日)
■強欲と怠惰の代償(2009年6月27日)

■両親の法事(2009年6月21日)
父の23回忌、母の13回忌でした。
早いものです。
雨でした。

■技術者倫理とコンプライアンス(2009年6月22日)
NPO科学技術倫理フォーラムの杉本さんと橋本さんが取り組んでいる、「技術者倫理とコンプライアンス」に関する新しい学習/教育方法に関するセミナーに参加しました。
先日、書いたように、この活動を広げていくために、一度体験してみてほしいと杉本さんに言われていたのです。
基本的な知識をまず杉本さんがレクチャーし、それを踏まえて橋本さんが「対話型ワークショップ」を行うというプログラムでした。
なかなかよくできていて、面白かったのですが、これだけだと企業ではよく行われる手法の一つとして埋没しかねないと思いました。
しかし、現状を考えると、こうした場が広がることは歓迎です。

終了後、橋本さんとお話し、お2人の熱い思いをお聞きしました。
その思いはとてもよくわかるのですが、どこかで躊躇している自分がいます。
昨今の企業のことを知りすぎてしまっているからかもしれません。
しかし、何ができるかを考えてみようと思っています。

■娘の友人がやってきました(2009年6月23日)
娘の友人がやってきたので、一緒に食事をしました。
彼はイタリアンレストランをやっているのです。
実に気さくな若者です。
楽しみながらレストランを経営しているようですが、いろいろと企画を考えているようです。
それにサッカー好きだそうで、サッカー好きな人たちが集まるようなお店にしたいと考えているようです。
しかし、レストランの経営はそう簡単ではないようです。

■コミュニティレストランの難しさ(2009年6月24日)
昨日、レストランの話をしていたのですが、
偶然にも今朝、我孫子でコミュニティレストランづくりに取り組んでいるFさんから電話がありました。
すでに出店しているのですが、経営がなかなか大変なようで、その相談です。

そのお店のコンセプトを検討している時に、Fさんは私のホームページを少しだけ参考にしたようです。
しかし、実際に動き出す時には、相談はありませんでした。
その後、お店は順調に展開しているものとばかり思っていました。
私の論理演算では、ありえない話だったのですが、うまくいけばうれしい話です。
しかし、どうやら問題を溜め込んできていたようです。
私の考えが間違っていなかったことを知ったのですが、お店がうまくいっていないことを知り残念になりました。

関係者の無責任さには改めて怒りを感じますが、事業計画そのものにも大きな問題があるはずです。
何をいまさらとも思ったのですが、相談に乗ることにしました。
そんなわけで、今日もまたのんびりできませんでした。
どうしてみんな、もっと自然に生きないのでしょうか。

■朗報(2009年6月24日)
Kさんから電話がありました。
大腸がんが発見され、手術の予定だったのですが、内視鏡で摘出できたという連絡でした。
Kさんは、私の妻、そして妻を見送った私のことをとても心配してくれていました。
そのKさんから話を聞いたのは2か月ほど前です。
健康そのもので、いつも元気溢れるKさんのお気持ちが伝わってきました。

こういう時、どう関わればいいのでしょうか。
これは極めて悩ましい問題です。
所詮は私にはなにもできないのです。
Kさんがそうしてくれたように、私も祈るのみでした。
今日は早朝からいろいろとややこしい電話が多かったのですが、この電話で救われました。
早速、女房に報告しました。

■ワーキングモチベーション(2009年6月25日)
KAE45期のひとつのチームの話し合いに参加しました。
このチームは、テーマを「ワーキングモチベーション」に設定しました。
しかしどう切り込んでいったらいいか、悩んでいるようです。

私の指導方針は、まずは問題を可視化せよ、です。
人が迷うのは、問題がしっかりと把握できていないからです。
日本の教育は、問題を解くことにしか関心がなかったために、問題を創る楽しさを子どもたちに教えなかったのです。
そのため、問題を解くのは得意でも問題を作るのが不意得手な人ばかりになってきました。
しかし、実際の社会においては、しっかりと問題が見定められたら、ほとんどの場合、問題は解決するのです。
私がタイトルに使っている「コンセプトデザイナー」は、それを役割にしています。
あんまり仕事を頼まれたことはありませんが、私のところに相談に来る人の課題はほとんどがそのことです。
残念ながら日本では、問題を解くことではお金をいただけますが、問題を創ることには予算はつきません。

話がそれましたが、今日の話し合いの結論です。
どうも最近は会社の中に「わくわくするようなこと」が少なくなった。
それをもう一度取り戻すことが大切ではないか。
企業が抱える問題は、大体においてこういうことなのだろうと思います。
さてこのチームは、これからどう展開していくでしょうか。

■活字メディアの可能性(2009年6月25日)
私が信頼する編集者の藤原さんが久しぶりにやってきました。
なぜ信頼するかといえば、私が提案する出版企画をことごとく受理してくれないからです。
私にとっては、いささか不快ですが、おそらくその評価は正しいです。

ところが、今回は開口一番、増山さんの「半農のすすめ」は出版に向けて進んでいますよと言うのです。
「半農のすすめ」は、以前ここでも書きましたが、菜園クラブの増山さんの本です。
9月頃に発売の予定だそうですが、また出版されたらご案内します.

久しぶりなので溜まっていた話を全部出してしまいました。
藤原さんからもたくさんの話が出てきました。
重なるところが少なくないはずですが、お互いに多すぎて、どれが重なりどうつなげていけばいいかわからなくなりました。
私が良いテーマだと思うものには、けっこう、冷たくて、どうぞ勝手にやってくださいと協力してくれようとしません。
そのくせ、あとでいろいろと情報など送ってくるのですから、藤原さんは良い人か悪い人かわかりません。
困ったものです。
善人か悪人か、はっきりしてくれないと、付き合いにくいです。

今回、少しだけ、私の意見に賛成してくれたことがあります。
正確には、賛成ではなく反対しなかったというべきでしょうか。
それは、手軽な新書をメディアにした、新しいプロジェクト支援事業です。

活字時代に育った私は、活字メディアの効用を高く評価しています。
そして、活字メディアを活用した、新しい業態開発ができると確信しています。
雑誌もそうですし、書籍もそうです。
どなたか一緒にやろうという人はいませんか。

■支え合いサロン(2009年6月25日)
このサイトでもご案内していましたが、「支え合いサロン」を再開しました。
参加者は私を入れて、全員で6人でしたが、密度の濃い議論ができました。

共済の心、支え合いの文化をテーマに、最近の共済事業の状況などを踏まえて、共済研究会の佐々木さんからお話いただき、それに基づいて、支え合うことに関して、いろいろと話し合いました。

佐々木さんは、「共動詞」で考え、行動することが大切だと話されました。
支え合い、助け合い、分かち合い、譲り合い、結び合い、等々、私たちはもっと「合い」言葉を使って、かつ実践していかなければならない、というのが、佐々木さんの主張です。
まさに、コムケアが目指していることに通じています。

しかし、現実には、そうした支え合いの文化は失われてきています。
今回は、共済の理念と共済事業(共済保険や協同組合)について、佐々木さんからいろいろとお話をお聞きしましたが、共済事業が「事業」の側面だけになってきてしまい、「共済」のこころが見失われてきているというのが、佐々木さんの危機感です。
理念と事業とを一致させるのが難しい社会状況になってきていますが、だからこそ、理念を再確認しなければいけないというわけです。
実はこれは、私が最近のNPOに強く感じていることでもあります。

サロンには、農業に強い関心をお持ちの方が2人参加しました。
農業の専門家でもある熊本の明篤館の宮田さんと埼玉県の行田市の市議会議員でもある園芸福祉コーディネーターの中村さんです。
農は、その基本に「支え合い」の要素を持っています。
その支え合いの仕組みを外すために、農が工業化され、農業になったのかもしれません。

そうした議論から、「支え合いがなくても暮らしていける社会」になってしまったというような話に展開し、さらには共同募金会にも関わっている清水さんが、今春、企画開催した「プライスレスなものを考えるワークショップ」の話にまでつながりました。
さらには、賀川豊彦とか農協とか、人間の本性とか、いろいろ話題が飛び交いました。

今回の話し合いで、取り上げたいテーマがいろいろと見えてきました。
いろいろと面白い展開ができそうです。
次回はまだ日程を決めていませんが、7月下旬を予定しています。
日程などが決まりましたら、このサイトの「お知らせ」でもご案内します。

■パソコンがまたおかしいです(2009年6月26日)
パソコン騒動が続いています。
今朝、突然にメールの最近1か月分が受信トレイから消えてしまいました。
そして新しいメールが受信した途端に消えてしまうようになってしまいました。
事態が発生してから10分ほど、状況が飲み込めずに、受信を繰り返してしまいましたが、その間、20通くらいのメールが受信されたはずなのに(何通のメール受信と言う表示は出るのです)、どこにも痕跡がないことに気づきました。
慌てて。プロバイダーのほうにメールを残すように設定を変えたのですが、本日の朝の9時頃から10時頃までに私にメールを送ってくださった方のメールは読めなかったようです。
そのうちの半分近くは別のアドレスからの転送などだったので修復しましたが、10通ほどは捕捉不能です。

そんな事件のため、今日も出足をくじかれてしまい、それを口実にさぼってしまいました。
とりあえず、設定をしなおしましたので、今は大丈夫なりましたが、このパソコンはどうも信頼できなくなってしまいました。
パソコンにまで嫌われるとは、いささか残念です。
歳のせいか、こうした事件が起きるとやる気が失われてしまうのです。
そういえば、最近、時評もあんまり書いていません。
元気が出てきたら、書くようにします。

今日は夏のように暑いです。
そのせいで、パソコンがちょっとうっぷんばらしをしたのであればいいのですが。

■自殺のない社会づくりネットワーク準備会交流会(2009年6月27日)
準備会の事務局会議と交流会を行いました。
今回は東尋坊の茂さんと川越さんも参加しました。

7月の31日から福井で「自殺を考えた人たちの集い」を計画しています。
事務局会議では、その大枠を議論しました。
いろいろな思いが込められすぎて、いささかの危惧もありますが、茂さんの大きなオーラがそれらを包み込んでくれるでしょう。
おそらくこんな集まりはこれまでなかったはずです。
これをモデルにして、全国に展開できればと思います。

交流会では、茂さんと川越さんにまずは語ってもらいました。
茂さんと川越さんの話は何回お聞きしても、その都度、いろいろな気づきがあります。
その後、参加者のみんなで意見交換をしました。
さまざまな立場の方が参加しているので、いろんな学びがあります。
今回は10人以上の参加がありました。
大学で教えている福山さんの教え子も3人、参加してくれました。
長野からわざわざ参加してくれた若い作業療法士もいました。

来月は7月25日に開催します。
開かれた交流会ですので、関心をお持ちの方は参加してください。
テーマは「自殺」と重いですが、交流会は気楽で楽しいです。
会の概要は、自殺のない社会づくり準備会のサイトに掲載します。

■強欲と怠惰の代償(2009年6月27日)
昨日発生したパソコンのトラブルの原因がわかりました。
受信トレイが溢れていたのです。
7000通を超える受信メールがたまっていたのです。
毎日、不要なメールは消去しているのですが、一応残しておこうと思い保存していた結果です。
私の強欲さのせいか、どうも捨てられないのです。
それに消去作業も面倒なので、さぼっていたわけです。
もしかしたらそのせいかと思って、古いものや不要なものを消去したら、正常に動き出しました。
要するの、パソコンのせいではなく、私の強欲と怠惰のせいだったわけです。

事件や問題の原因を他者に求めてはいけません。
すべての不幸の原因は自分にあるのだということを改めて実感しました。

(2009年6月第3週)
パソコン騒動で疲れてしまいました。
■3人のアントレプレナー(2009年6月15日)
■企業人が読む雑誌から企業人が書く雑誌へ(2009年6月15日)
■次世代共済事業(2009年6月17日)
■東尋坊のお2人は最近いささか疲れ気味のようです(2009年6月18日)
■パソコン騒動(2009年6月19日)
■コモンズ手賀沼最終調整(2009年6月20日)

■3人のアントレプレナー(2009年6月15日)
今日は、3人のアントレプレナー(事業家)と、別々にですが、会いました。

最初に会ったのは、ビジネス・アントレプレナーです。
某社の建て直しに大きな成果をあげた後、その会社と一緒に新しい会社を立ち上げたのですが、思ってもいなかった事件の続発で、その会社が苦境に陥ってしまいました。
必ずしも社長である彼の責任ではないのですが、かなりの借財を抱えることになり、大変のようです。
彼のことですから、おそらく今の逆境ははじき返すでしょうが、なぜそんな大きな借金を抱えてしまったのか、不思議です。
昨今のビジネス環境では、数億円の借金でもそう簡単には返せないでしょう。
しかし、めげずにいくつかのビジネスプランをもっているようで、安心しました。
彼の人生には、私も少なからず関わってきていますので、これからの展開になにか応援できることがないかを考えなければいけません。

次に会ったのは、ソーシャル・アントレプレナーです。
名前を出すのはやめますが、彼の取り組みはテレビなどでも紹介され、順調に事業展開しているとばかり思っていたのですが、ここにきて内部マネジメントの面から問題が発生してきているのだそうです。
「ソーシャル」とは「人のつながり」や「過程」を大切にすることであり、ともかく「仕事が楽しい」ことが基本だという、私の持論を話させてもらいました。
彼が考えていたことの原点に戻ればいいのではないかという話です。
彼はすぐさま理解しましたが、ソーシャル・アントレプレナーも時にビジネスの基本のところで引っかかってしまうことがあるのです。
まあ彼のことですから、禍転じて福と成すでしょうが、人を束ねていくアントレプレナーは、ビジネスであろうと、ソーシャルであろうと大変です。
だからこそ、アントレプレナーは楽しい仕事なのですが。

3人目は自転車社会の実現をライフワークにしている斎藤さんです。
アントレプレナーとしては未熟ですが、その思いは彼が学生の頃から知っています。
研究者の一面をもっているので、あんまりアントレプレナーには向いていないような気もしますが、彼の事業構想力は感心します。
ただ、体験からの実践知が不足しているのと、何よりもハングリーではないので、なかなか事業計画にまでいきません。
私自身の思いやビジョンととても重なるところがあるので、何か出来ることがあるのではと思いますが、昨今は私自身がエネルギーダウンしているのと他者の人生にコミットする気力が欠落しています。
私が今できることは、彼の構想を理解してやることだけかもしれません。
少しNPO関係のプロジェクトが落ち着いたら、何かコラボレーションできることを考えようと思います。

■企業人が読む雑誌から企業人が書く雑誌へ(2009年6月15日)
今日は湯島にいろんな人が来ましたが、もう一組は雑誌の編集者です。
「商工にっぽん」という雑誌があります。
もう20年近く前になりますが、時々小論を連載させてもらっていました。
その小論は今でも私にとってはかなり思いのあるもの事です。
「企業の社会学」は私の企業論の原点の一つですし、「企業の存続条件」はタイトルはあんまりよくないですが、経営者やリーダーの条件に関する小論です。
特に後者は、もう1年連載して本にしたかったのですが、途中で終わってしまいました。

その「商工にっぽん」が最近、リニューアルしたのですが、その感想を聞かれていました。
それで、いっそ、読者と一緒に創る雑誌にしたらどうかと提案したのです。
この構想は30年まえから思っていたもので、書籍では2回ほど実践しましたが、雑誌でもいろいろと編集者には呼びかけてきました。
しかし残念ながら反応はありませんでした。
ところが、今回は早速反応があり、編集長と役員がやってきたのです。

昨今の経済や企業経営に関してもかなり意見が同調しました。
雑誌をメディアにした新しい運動を提案させてもらいました。
一度、そうしたビジョンでグランドデザインを構想してみることになりました。
さてどうなりますか。
楽しみです。

■次世代共済事業(2009年6月17日)
共済研究会の佐々木さんが訪ねてきてくれました。
お知らせにも掲載しましたが、来週、佐々木さんを囲んでの支え合いサロンを開催させてもらいます。
共済の文化はこれからとても重要になってくるはずです。
ぜひご参加ください。
どなたでも歓迎です。

佐々木さんは、共済の理念に立ち返って、改めて新しい共済事業を考えなければいけないと考えています。
現状の共済事業から出発すると、大きな時代の変化には対応できないのではないかという認識ですが、私も全く同感です。
時代の変わり目には、制度変更ではなく、理念に戻って、ゼロからの制度づくりが必要です。

支え合いサロンだけではなく、そうした共済の文化を具現化した、新たな共済事業の開発設計に取り組む場もできないだろうかという話題も出ました。
まあこうやってはなしていると、いつか実現するものです。
ゆっくりですが、少しずつ話が進んでいるようで、うれしいです。

■東尋坊のお2人は最近いささか疲れ気味のようです(2009年6月18日)
東尋坊で自殺防止活動に取り組んでいる茂さんと川越さんが来てくれました。
最近の社会状況の中で、自殺を考える人たちが東尋坊での自殺を考える人が増えているようで、その防止活動に取り組んでいるお2人は大変そうです。
まあお2人ともタフですから、私とは違いますが、ちょっとお疲れのようです。

今回は、一緒に取り組んでいる、自殺のない社会づくりネットワーク設立に向け手の打ち合わせが主目的でしたが、せっかく出てきてくれたので、いろいろの用件を組み合わせてしまいました。

今回のプロジェクトには某証券会社が資金助成してくれることになりましたが、そことの打ち合わせも行いました。
私自身は助成金を受けることにはあまり積極的ではないのですが、その理由は手続きが煩雑だからです。
しかし、今回助成してくれる企業は信頼をベースに助成してくれていることがよくわかりました。
助成プログラムの内容も大きく変わってきているようです。
8年ほど前に始めたコムケア助成プログラムで実践していた枠組みが時代の方向になってきているようで、とてもうれしいです。

前に取材にきた古木さんにも茂さんたちをお引き合わせしました。
自殺のない社会づくりネットワーク準備会の事務局長の福山さんにも同席してもらいました。
私は横で聴いていただけですが、茂さんや川越さんの話は、実践している人ならではの含意に富む話でした。
多くの人に聴いてほしい話で、ここに再現できないのが残念です。

茂さんたちと話している時に、偶然にもこのコーナーでも時々登場するdaxさんから近くにいるが寄っていいかと電話がありました。
私とdaxさんとの付き合いは、茂さんが縁になっています。
ちょうどよかったので、daxさんにもきてもらいましたが、そのおかげで、完全にまたdax独演会になりました。
daxさんが来ると、場が本当に楽しくなるのです。
ちなみに、初めてdaxさんの名前に出会った人は、この人は外国人かと思うかもしれませんが、典型的な日本人です。
実名を出すなと言われている理由は、彼が昔は任侠の世界の人だったからです。

今回は、彼が津軽三味線を始めたという話でした。
daxさんの行動力には本当に感心します。

彼はいろんな人の相談に乗っていますが、オレにも悩みはあるという話をしたので、
いつでも相談に乗るよといったら、佐藤さんには人生の機微がわからないだろうからダメだと即座に切り捨てられました。
彼から人生の機微を学ばなければいけません。
いやはや難儀なことです。

■パソコン騒動(2009年6月19日)
実は、この数日、パソコンが壊れて大変だったのです。
一時はパソコンの情報データも諦めたほどです。

事の発端は、NHKの教育テレビでポッド対策の話があり、パソコン防御のために経済産業省のホームページからポッド対策のソフトをダウンロードすることを勧められたのです。
物事をあまり吟味せずに、勧められるとついついやってしまうのが私の習癖ですが、その夜、そのお勧めに従ったのです。
ところがその時からパソコンがおかしくなりだし、ついに水曜日の朝、フリーズして操作画面に入れなくなってしまったのです。
これはパニックです。
数年前にも同じようなことがありましたが、2回目とはいえ、やはり頭が白くなりかけました。

パソコンメーカーの相談窓口の人が実に親切に対応してくれたのですが、いろいろとやってもだめでした。
ところが、ブログに書きましたが、念ずれば通ずではないですが、諦めた直後になぜか突然動き出したのです。
パソコンが安定せずに、使うことはできませんでしたが。データはほぼ回収できました。

今日、時間が出来たので、またメーカーの相談窓口の人と電話で話しながら、パソコンの安定化に取り組みましたが、結局、CDドライブがおかしくて、それを取り替えないとダメだとわかりました。
その部品は4000円くらいですが、それを修理してもらうにはパソコンを送って直してもらうので、3万円くらいかかり、しかも2週間を要するというのです。
しかもそれで完全に直るとは限らないといわれました。

それでは自分で部品を買ってパソコンを直そうと思い、部品を買いに行きましたが、どこにも売っていません。
そんなこんなしているうちに、こうした事情をブログで知ってくれた坂谷さんが修理を申し出てくれたのです。
わらをつかむ思いで、修理を頼んだのですが、まあたぶんダメだろうなと思っていました。

ところがです。
坂谷さんは状況を見るなり、これはマウスにゴミがつまっているだけではないかと言うのです。
唖然としましたが、別のパソコンのマウスに変えてみたら、なんと状況は改善されたのです。
もちろんマウスだけの故障ではなく、マウスが故障していたために、パソコンへの指示系統が混乱してしまい、パソコンが不安定になり、不都合が生じていたのです。
それを一つずつ解きほぐしてくれて、パソコンは無事復旧したのです。

メーカーの人となにやら難しい議論をし、苦労しながらデータを救出し、部品を交換するためにパソコンを解体するなど、いろんなことをやっていたのは全く無意味だったわけです。
この間、いろんな人に迷惑をかけてしまいましたが、その原因がマウスのごみと言うのでは、いかにも格好がつきません。
内緒にしたかったのですが、なにしろ坂谷さんが知っているので、嘘はつけません。
いやはやお恥ずかしい話です。

もしかしたら今のパソコンは廃棄して買い換えるところでした。
こうして無駄にしている人も少なくないのでしょうね。
まあエコポイントのために、まだ使える家電製品などを廃棄するのを批判する資格は私にはないかもしれません。
坂谷さんが帰った後、パソコンのほこりを掃除しました。
これで当分はまた今のパソコンを使えそうです。

みなさん
パソコンがおかしくなったら、まずはマウスをチェックしましょう。
それとほこりには注意しましょう。
そんなのは当たり前だろう、ですって。
はい、面目ありません。

■コモンズ手賀沼最終調整(2009年6月20日)
有限責任事業組合コモンズ手賀沼の登記申請に向けての最終打ち合わせです。
あいにく用事がかぶったため今日の打ち合わせは参加できないのですが、代わりに昨日、事務局長と話をさせてもらいました。
事務局長にはいささか過大な負担をさせてしまいましたが、誠実そのものの槙さんにお願いしたので、順調に進んでいます。
これまでどこにもなかったような、「開かれた組合」を目指せればと思っています。

7月1日発足を目指しています。
手賀沼周辺にお住まいの方、もしご関心があればご連絡ください。

(2009年6月第2週)
■LLPコモンズ手賀沼への第一歩(2009年6月7日)
■リンカーンクラブの武田さんとの久しぶりの大論争?(2009年6月8日)
■福島での講演(2009年6月11日)

■LLPコモンズ手賀沼への第一歩(2009年6月7日)
これまで議論を重ねてきた、プロジェクトTの組織化についての合意ができました。
それなりの思いを込めたLLP(有限責任事業組合)構想をメンバーに提案させてもらっていたのですが、ほぼ合意ができました。
名称も私にとっては願ってもない名称になりました。
コモンズ手賀沼」です。

「手賀沼」に関してはマイナスイメージもあり、また「沼」という言葉のもつ泥臭さから異論も出されたのですが、
手賀沼という歴史のある固有名詞にこだわりたいという意見が強かったのです。
私は、時流に合わせて「帽子」をかぶりかえる生き方を好みません。
これに関しては、これまでも何回か書いてきましたし、実際の活動においても、タイトルや装いだけを時代に迎合して変えることにははっきりと拒否してきました。
ですから今回も、わずかばかりの不安を持っていたのですが、手賀沼に落ち着いてホッとしました。
「コモンズ」は私が提案したのではなく、ほか人が提案しました。
進行役としての私としては、もう少し議論を熟させるべきだったのですが、ついつい「コモンズ」という言葉に熱く反応してしまい、発言してしまいました。
どうも時々、そうした失敗をしてしまいます。
しかし、そのおかげで難航が予想された名称も決まってしまったのですから、まあ、怪我の功名でもあります。
ちなみに、方針のところに、念願の「7代先の掟」まで入れてしまいました。

7月には正式にスタートする予定です。
代表は富樫さん、事務局長は槙さん、ほかの役員も構想どおりに決まりました。
誤算は私自身の立場です。
組織の立ち上げまでいったら少し距離を置く予定でした。
それで、今回はすべての役員候補をしっかりと考えた上で会に参加したのですが、多勢に無勢で気がついたら、宮内さん一人にお願いするはずだった副代表を引き受けてしまっていました。
拒否するということのできない意志の弱さは、終生直りそうにもありません。
困ったものです。

■リンカーンクラブの武田さんとの久しぶりの大論争?(2009年6月8日)
このサイトに国家論を投稿しているリンカーンクラブの武田文彦さんが、久しぶりに議論したいといってやってきました。
まあ武田さんとの議論は、ほとんどお互いに内容は予想できるのですが、
今回は武田さんが「批判力」をテーマにした本を書くというので、そのことの消化も含めての雑談論議です。
武田さんと私は、発想や価値観はまるで違うのですが、
自分を素直に生きているという意味では共通しているために、現実問題に対する評価はほとんど重なっているのです。
素直な目で見れば、人間である以上、だいたいのものは共有できるものです。
もっとも、本質的なところに関しては、考えの違いが大きすぎて議論が噛みあわないことがわかっていますので、そこには議論がいかないように、しています。
だからまあ、あんまり話す意味もないのですが、久しぶりなのでなんと4時間も話し続けました。
実りはあったでしょうか。
あんまりなかったでしょうが、お互いにこれまでの人生の振り返りも含めて、何だか心が通ずるところがありました。

それに武田さんは、私の妻のこともよく知っていて、妻を見送った後の私のことも心配してくれているのです。
彼が先に逝くか、私が先に逝くかは、神のみぞ知るですが、まあいつどちらが逝っても悔いのないようにしようと武田さんは思っているのではないかという気もしました。

大論争のことを書こうと思っていたのに、訳の分からないことを書いてしまいました。
つまり、まあそんなことを思わせる非論争的な4時間だったといってもいいかもしれません。
お互いに歳をとったのです。

■福島での講演(2009年6月11日)
福島の自治研修センターで例年引き受けている講演をさせてもらいました。
地域経営の担い手としての、ソーシャルアントレプレナーの勧めです。
依然として「社会起業家」なる言葉は、自治体職員には広がっていないようです。
今ほど面白い時代はないと思うのですが、自治体職員はそれを自覚して、仕事を楽しんでいるでしょうか。
必ずしもそうではないようです。

この講演のパワーポイントの一部をこのサイトに掲載することにしました。
もう10年近く、こうしたメッセージを送っていますが、なかなか具体的な動きが出てきません。
私の話のメッセージ力が弱いのでしょうが、そろそろ私も疲れだしたので、講演録を創ろうかと思い出しています。
しかし、相変わらず「住民参加」とか「地方分権」などという言葉が横行しているのは残念至極です。

よかったらパワーポイント(PDFにしたため動きませんが)を見てください。

ちなみに、講演とは関係ないですが、研修所に行くために乗った福島のタクシー運転手の嘆きをブログに書きました。
地方に行くといろんなことが見えてきます。

(2009年6月第1週)
まだ不安定世界から抜け出せずにいます。
最近はここにどこまで書くべきか悩むことも増えました。
今週も差し付けない事の報告ですが、それでもそれなりにあります。
■潟Rンセプトワークショップの確定申告(2009年6月1日)
■農と福祉(2009年6月2日)
■認知症予防ゲーム(2009年6月2日)
■COM2プロジェクトと高齢者用住宅(2009年6月2日)
■住友生命社会福祉事業団のお2人にご馳走になりました(2009年6月2日)
■支え合いサロンを再開することにしました(2009年6月3日)
■パウサニアス・ジャパンとジャック・アタリ(2009年6月5日)
■根本さんの朝顔を蒔きました(2009年6月6日)

■潟Rンセプトワークショップの確定申告(2009年6月1日)
先日整理した会社の確定申告を本郷税務署に提出に行きました。
売上高はこの数年、もちろん1000万円に達していないので、納税は事業税だけです。
問題はその納税すべき税金をどうやって工面するかです。
税務署の窓口の人たちが優しそうだったので、相談しようかとも思いましたが、後に人が並んでいたのでやめました。

ところが、事務所に戻ったら自宅から電話があり、湯島のオフィスの管理費などが振り込まれていないので、管理会社から心配して電話がかかってきたそうです。
踏んだり蹴ったりですが、わずか2ヶ月くらいの滞納で倒産かなどと思ってほしくないですよね。
まあ昨今倒産して払えなくなる会社が増えているのだそうですが。

湯島のオフィスでの活動はまた再開します。
それにここは支えあいネットワークの事務局にしますので、先週、電話とインターネットも入れたところです。
電話機まで買ってしまいました。
考えてみるとその費用はどこから捻出すればいいでしょうか。
いやはや困ったものです。
そういえば、昔は電話料金を払えずに電話が不通になったこともあります。
まあ人生はいろいろあってこそ人生なのですが、また楽しくなりそうです。

取り合えず娘たちにどうにかしてほしいと電話しました。
女房がいたときは女房がツーカーで動いてくれたのですが、どうやら娘たちにもそれが通ずるようです。
どんな生き方でも、続けていると理解してもらえるようです。
喜ぶべきかどうか、迷いますが。

今年はビジネスを再開して、来年には税金を払えるようにしたいと思います。
そのために、不幸な年にならなければいいのですが。

■農と福祉(2009年6月2日)
コムケアのメーリングリストのやりとりの中から生まれつつあるプロジェクトの一つに「農と福祉を考える」プロジェクトがあります。
まだ5人だけの小さなグループですが、6月21日に滋賀で集まりをやる予定です。
ところが私が参加できなくなってしまったので、事業全に皆さんに会いたくなりました。
それで今回大阪に行く前に京都で何人かの人と会うことにしました。

この動きがこれからどう発展するか楽しみです。

■認知症予防ゲーム(2009年6月2日)
前項のプロジェクトのメンバーのお一人が、NPO法人認知症予防ネット理事長の高林実結樹さんです。
高林さんとは数年前に、大阪のコムケアフォーラムでお会いしましたが、その時に、認知症予防に関しての並々ならぬ思いを感じて、印象に残っていました。
まさか「農」のテーマで、高林さんと再会するとは思っていませんでした。

そんなわけで、実は今回は農の話よりも、認知症の話が中心になってしまいました。
高林さんの取り組みは、NPO法人認知症予防ネットのホームページをご覧いただきたいのですが、昨年、これまでの活動実績をもとにして、高林さんは「認知症予防ゲーム」というテキストブックを出版しました。
今回、このサイトのブックのコーナーでも紹介させていただきました。
このテキストを出版したことが契機になって、全国から高林さんのところに講演や研修の依頼が届きだしたのだそうです。
高林さんが実践しているのは、静岡県の高齢者リフレッシュセンタースリーA所長の増田未知子さんが主唱している「スリーA」を基本にして、高林さんが仲間の皆さんと一緒に6年間にわたって取り組んできた実践の中から育ててきた「認知症予防ゲーム」です。
世の中に広がっているさまざまな取り組みと比べると、楽しさを一番大切にしていることだそうです。
増田さんのスリーAの理念は、優しさをシャワーのように降り注ぐことなのだそうです。
まさに、心通った現場の人でこそ、出てくる言葉です。

しかし高林さんが、実践の中からその効果に確信を持っている、この方式はまだまだ広がっていないようで、高林さんは、その普及に取り組んでいるわけです。
人間性を持ち込んだ、手間暇かけた活動は効果は出ても、事業としては難しい面があります。
認知症の分野にも大手企業の参入や、厚生労働省の肩入れが進んでいますが、そうした時には「効果」よりも「効率」が優先されますから、こうした誠実な取り組みはなかなか取り上げられないのです。
福祉の世界では「悪貨が良貨を駆逐する」のは日常茶判事なのです。

私もコムケアに関わったおかげで、その体験をいくつかしています。
チャイルドマインダーなどもその一つです。
以前書いたかもしれませんが、日本チャイルドマインダー協会などは、ビジネス倫理にすら反していますが、その協会の理事たちはテレビでももてはやされ、霞が関の評価も高いのです。
いつか問題提起するつもりですが、認知症の世界にもそうした動きがあるのかもしれません。

今回、高林さんにお会いしたために、認知症問題にも無縁ではいられなくなってしまいました。
この問題に関心のある方は、ぜひ高林さんの活動を応援してください。
よろしくお願いします。

■COM2プロジェクトと高齢者用住宅(2009年6月2日)
大阪の交野市に本拠を移したデイコールサービス協会の松本さんのところに伺いました。
松本さんのライフワークである、孤独死防止活動にもつながるCOM2プロジェクトの事業展開の応援をするためです。
本格的に事業展開したいという人がいたら、大きな事業に発展する可能性を持っているプロジェクトですが、克服すべき問題がいくつかあります。
それは、前項の認知症と同じなのですが、さまざまな利権が絡み合っている「福祉世界の既得権」に寄生する人や行政の壁を破ることです。
私の住んでいる我孫子市でも、一度、市役所の担当部長や担当者に松本さんの話を聞いてもらいましたが、その意味を全く理解しようとしませんでした。
がっかりしました。今のやり方で満足しているのです。
しかし孤独死は減りません。
まさにアウトプット行政の典型です。

今回、そのシステムを導入しようとしている高齢者のマンションも見せてもらいました。
また今年になって、かなりの自治体からの照会も増えているそうです。
そのどこかをモデルにして、事業性をもったプロジェクトとして計画化しなければいけません。
しかし、どうもその体制が弱いのです。
大阪ですので、私もそうたびたび来るわけには行きません。
松本さんは構想もアイデアもあるのですが、事業感覚はあまり期待できません。
さてどうするか。
デイコールサービス協会のホームページをご覧になって、COM2プロジェクトの事業化に関心のある人がいたら、ぜひご連絡ください。
私一人ではいささか心もとないので、仲間を探したいと思っています。

今回は、お互いにいささか話が盛り上がりすぎて、事務局長の古田さんにも大変お世話になってしまいました。
ありがとうございました。

■住友生命社会福祉事業団のお2人にご馳走になりました(2009年6月2日)
せっかく大阪に来たのなら、食事でもどうかと住友生命社会福祉事業団の的場さんと中尾さんからお誘いを受けました。
うれしい話です。
今朝は朝の6時に自宅を出て、認知症だとか孤独死だとか、重いテーマの話が続いていたので、いささか疲労困憊してしまっていましたが、このお2人はなにか人をいやす雰囲気を持っています。
NPO関係の人たちと話すと、実はけっこう疲れます。

私も大学を卒業してから企業に入社し、そこでさまざまな社会人体験を積み重ねました。
東レという会社ですが、当時の東レはおそらく最高の企業文化を持っていた会社の一つでした。
自由闊達さを大切にするということがしばしば言われていました。
そして、私はそこでたくさんの素晴らしい先輩に出会いました。
そうした文化がだんだんとなくなってきたこともあって、私は東レで企業文化変革プロジェクトを社長に提案し、やらせてもらいました。
あまりにも自由にやったせいか、気がついたら会社から飛び出てしまうことになったわけです。
しかし、私の社会人のコア部分は、やはり企業人なのかもしれません。
大企業の人と話していると、心やすまるのです。
但し、今様の企業人はだめですが、こんな言い方をするのは大変失礼なのですが、住友生命社会福祉事業団の方たちは、いつもお話していて、安堵感を得られます。
昔の東レの人が、そうでしたが。

もっとも昨日はいささか疲れていて、何を話したか、あまり覚えていません。
久しぶりに、今日は、昼食を食べる時間もないほど、話し続けた1日でした。
そしてなにやらいろいろと宿題を背負い込んでしまった1日でした。

そういえば、住友の的場さんが、「こうやって活動している資金はどうしているのですか」と心配してくれました。
うっかり「お金がなくても暮らしていける生き方がだいぶ身につきました」と答えてしまったのですが、あれは活動費を支援しましょうかという提案だったのかもしれないと後で気がつきました。
残念なことをしました。
たしかに大阪に行くには新幹線料金がかかります。
最近はカード払いなので、お金など全くかからないような錯覚に陥ってしまい、銀行からお金は引き出されているのを忘れてしまいます。
また電話を止められないように注意しないといけません。
皆さんもご注意ください。
カードは決してただではないのです。

■支え合いサロンを再開することにしました(2009年6月3日)
しばらく中断していた「支え合いサロン」を再開します。
共済研究会の佐々木さんがしばらく東京に滞在するというので、佐々木さんを囲んでのサロンをやりたくなって、佐々木さんに頼んだのです。
いつものように思い立っての速断なので、どう展開するかわからないのですが、熊本の宮田さんが参加したいとメールをくれました。
まあノマド人間の宮田さんのことですから、確実性にはいささかの不安はありますが、もし参加してくれたら実に面白くなるでしょう。
それに共済研究会の岩川さんも参加したいといってくれました。
彼の場合は仕事が忙しいので、これも確実ではないのですが、このサロンはいつか岩川さんを巻き込みたいと言う思いを当初から持っていましたので、実にうれしい反応です。
そういえば、このホームページでもご案内している共済研究会に、環境クラブの増山さんが参加してくれるそうです。
これも、彼がどう反応するか楽しみです。

私の周りの動きが、また昔のように少しずつ重なりだしてきているのがとてもうれしいです。

■パウサニアス・ジャパンとジャック・アタリ(2009年6月5日)
大学時代の友人の庵さんと店網さんが湯島にやってきました。
庵さんと会うのは数年ぶりです。
実はこの2人は、古代ギリシア愛好者の会パウサニアス・ジャパンのメンバーです。

ブログにも書きましたが、パウサニアス・ジャパンもこの湯島のオフィスから生まれました。
私は事務局長だったのですが、妻の病気を機にやめました。
代わりに入会してくれたのが、この2人です。
久しぶりにパウサニアス・ジャパンの話をいろいろとお聞きしました。
懐かしいメンバーの名前がたくさんでました。
私もたくさんの会の設立に関わりましたが、パウサニアス・ジャパンにはかなり深い思いがあります。

久しぶりだったこともあり、実にいろんな話が出てきました。
と、突然に庵さんがなんとジャック・アタリの名前を出したのです。
一瞬、耳を疑いましたが、そこからパウサニアス・ジャパンとは全く違う話に転じました。
庵さんは東芝のヨーロッパの責任者をやっていた経験があるのですが、それもあってジャック・アタリのことはよく知っているのです。
2006年に出版された「21世紀の歴史」も読んでいました。
私が読んだのは翻訳された2008年ですが、彼は2006年に既にアタリに注目していたのです。
企業の経営者と、まさかアタリの話ができるとは思ってもいませんでした。
感激しました。
彼のような人物が、日本の企業の経営トップになれば日本の産業界も変わっていくのでしょうが、今の財界人たちには知性を感じられません。
30年前はそうではありませんでした。
経団連にも同友会にも、まだそれなりの人がいたように思います。
今は、皆無と言っていいでしょう。

私は21年前に、人生の路線を変えました。
以来、同窓会でも話は全く合わなくなってしまいました。
話しても、誰にも話は通じないと思っていたのです。
しかし久しぶりに庵さんと会って、アタリの話題が語れて、何だかとてもホッとしました。
私と違い、ずっと企業の、しかも要職にいた人が、会社経営に関して同じ思いをもっていたことに、とても安堵したのです。

パウサニアス・ジャパンとジャック・アタリ。
全く関係のない名前ですが、今日はいい1日になりました。
これからは同窓会にも参加しようかなと少しだけ思いました。

■根本さんの朝顔を蒔きました(2009年6月6日)
ブログの読者の根本さんから、朝顔の種が送られてきていました。
根本さんを元気にしてくれた朝顔の仲間の種です。
蒔くのをわすれてしまっていましたが、そのせいか、今朝、根本さんのことを急に思い出しました。
部屋の窓の下にプランターを置いて、種を蒔きました。
夏には日よけになってくれるでしょう。

(2009年5月第4週)
うまく書けないのですが、自分の世界がどうも現実から離れていっているような気がぬぐえなくなってきています。
この週間報告とブログ記事とを合わせると、おそらく私の生活のほぼすべては見えるのではないかと思いますが、そこに現われてくる自分の生活に対して、私自身が少なからず違和感を感ずるようになってきてしまっています。
それは一体何なのでしょうか。
生きることに、少し疲れだしてきたのでしょうか。
今週も10人を超える新たな出会いがありましたし、10人近い旧知の人とも会いましたし、最近知り合った数人の人とも交流がありましたが、どこかで自分が違う世界を生きているような気持ちがあるのです。
私はいつでも、わがままに自分を生きているのですが、どうもその自分に違和感を強めているのかもしれません。
70歳を超えたら、それこそ山里に隠居したい気分が強まっています。
そうは思いながら、今週もいろいろと現世との付き合いがありました。
■久しぶりに山本秀太郎さんが来ました(2009年5月27日)
■支え合いネットワーク準備会(2009年5月27日)
■技術者倫理の芽を育てる(2009年5月27日)
■JR東日本と新潟水辺の会(2009年5月28日)
■KAE経営道フォーラム第45期スタート(2009年5月28〜29日)
■ちょっと衝撃的な事件(2009年5月29日)
■支え合いネットワーク交流会(2009年5月30日)
■そして68歳(2009年5月30日)

■久しぶりに山本秀太郎さんが来ました(2009年5月28日)
空間デザイナーの山本さんが久しぶりにやってきました。
この1年は仕事も好調だったようで、顔を見せませんでしたが、
昨年末からの金融不況の影響が山本さんの世界にも出てきているようです。

山本さんとの付き合いも考えてみると20年を超えています。
山本さんも、少しずつ人生の行く末を考え出しているようですが、私もそろそろ考えなければいけないのかもしれません。
今回は仕事の話できてくれたのですが、私自身はそんなことを考えていました。
どうも従来型の仕事の世界にいる人たちとの価値観の違いが、最近、あまりに大きくなりだしてしまっているようで、話がかみ合わないのです。
困ったものです。

経済環境は大きく変わりだしてきていますが、どうしてみんな生き方を変えようとしないのでしょうか。
生き方を変えなければ、仕事もうまくいかないのではないかと私は思います。

最近、企業の人と話しているとどうも心が通じないようになってきてしまいました。
たぶん私がおかしいのでしょうが、この調子だと秋から再開しようと思っている企業関係の仕事は無理かもしれません。
いやはや困ったものです。

■支え合いネットワーク準備会(2009年5月27日)
自殺のない社会づくりネットワークの事務局体制が少しずつ整いだしています。
湯島のオフィスをその事務所として提供する予定なのですが、その使い方のルールを決めないといけません。
以前、自殺対策に取り組むNPOライフリンクに事務所を提供したのですが、
結局、私の居場所がなくなり、私は本郷のコムケアセンターで仕事をせざるを得なくなりました。
まあ事務所として使ってもらうということは、そのくらいの覚悟がないといけないのですが、
むしろ誰でも使えるオフィスにしたほうがいいかななどと思い出したりしています。
私の好きなコモンズオフィスです。
鍵さえかけないオープンスタイルが理想的ですが、これはまだ時期尚早でしょうね。

まあそれはそれとして、準備会も会計も決まり、また助成金も僅かばかりもらえることになりそうです。
助成金にはかなり否定的だった私ですが、何だかもらうとなると、まあ額は少ないとしても得をしたような気分になってきます。
人間はやはりお金にはだまされやすいものなのです。
いささか先行きが心配です。

■技術者倫理の芽を育てる(2009年5月27日)
NPO科学技術倫理フォーラムの杉本さんが来て下さいました。
杉本さんが取り組んでいる技術者倫理の意識付けプログラムのモデルが完成し、いくつかのところで実際にやってみたら、とても好評で広がりだしているのだそうです。
杉本さんとはもう25年近いお付き合いです。
基本的な考え方や認識にはかなり違いがあるのですが、杉本さんの熱意や行動力、そして生き方には敬服の念を持っています。
考え方の違いは、如何ともしがたく、時に反論もさせてもらうのですが、残念ながら中途半端な議論のできる人ではありませんので、いつも私の問題提起に終わっています。

私も、このNPOの理事なので、このプログラムを広げることに関わらなければならないのですが、どうもどこかで自分をセイブする何かが働くのです。
自分で開発したプログラムでないと、なかなか中心にはなれないのですが、杉本さんはここからはエンジニアではないあなたの仕事だとどうも思っているようなのです。
他の人の依頼であれば、軽く引き受けられるのですが(あるいは軽く断れるのですが)、なにせ相手が誠実この上ない杉本さんですので、いつも中途半端な引き受け方をして、逆に期待に応えられないでいるような気がします。
そこで今回は事情を話して、できる範囲でという形にしてもらいました。

私としても20年前から挫折し続けているテーマですので、やりたいのですが、一人では手に負えません。
信頼できるパートナー候補がいたのですが、どうやら岡山に転勤してしまったようです。
技術者倫理の問題に関する新しい動きを起こしていくプロジェクトに関心のある方はいないでしょうか。
もしいたら、ぜひメールをください。
一緒に考える相手になっていただけないでしょうか。

■JR東日本と新潟水辺の会(2009年5月28日)
新潟水辺の会では、信濃川にサケを遡上させるプロジェクトにこの数年取り組んでいます。
その取り組み方に関して、少しばかり口を出したことが契機になって、今日はJR東日本の富田さんと水辺の会の大熊さんたちとをお引き合わせすることにしました。
JRと信濃川のサケ遡上とどうつながるのか、と思う方もいるでしょうが、世界はすべてつながっているのです。
まあ、その話は今回は省略します。

企業とNPOのコミュニケーションは、なかなかうまくいっていないのが日本の現状です。
日本の組織活動は、ボンディング重視ですので、外部とのブリッジング型コミュニケーションの体験が少ないのです。
それに外部とコミュニケーションするには、自らの中に外部を理解できる要素がなければいけません。
アシュビーの最小多様度の法則です。

私は、企業、行政、NPOの3つのセクターにできるだけ均等に付き合うようにしています。
そのおかげで、それぞれの文化や言語をある程度理解できているつもりですので、そこをつなげることに関しては少しは役に立てるかもしれません。

ちなみに冨田さんはJR東日本の副社長であり、大熊さんは水辺の会の代表と言うよりも、土木工学や河川関係の専門家として幅広くご活躍されている方です。
私は、むかし本で大熊さんのお考えを知り、とても共感していたのですが、数年前にお会いする機会に恵まれたのです。
いつも書いているように、会いたい人には必ず会えるものです。

大熊さんと冨田さんのお人柄のおかげで、初対面にもかかわらずとても楽しい場になりました。
お引き合わせした甲斐がありました。
以前、ある人を冨田さんにお引き合わせして、ちょっと不本意な結果になったことがあるのですが、今回は気持ちのいい関係になりそうでよかったです。

■KAE経営道フォーラム第45期スタート(2009年5月28〜29日)
前項に出てきた冨田さんとは、経営道フォーラムで知り合ったのですが、今日はその経営道フォーラムの第45期の最初の合宿です。
久しぶりに軽井沢合宿です。
軽井沢は3年ぶりくらいでしょうか、雨のせいか、とてもさびしい雰囲気でした。

今回は2つのチームを引き受けることにしました。
楽しいチームになりそうです。
テーマは、企業理念と企業文化です。
まあそんなテーマはあってないようなものですが、ともかく自分の生き方を変えるような気づきを得てほしいと思っています。
今回はテーマ解題ではなく、何でこんなテーマを選んだのかをそれぞれに話してもらいました。
そうした話から、今の企業の置かれている状況が実によくわかるのです。

今回は直前にちょっと個人的な事件があったため、いつもよりも極端に話してしまいました。
まあわがままにそして結構感情的に触れるコーディネーターなので、初めての人はいささか戸惑うでしょうね。
1980年代を岐路にして、日本の企業は間違った選択をしてしまったという、私の独断的な仮説を話してしまいました。
いささか話しすぎたかもしれません。
でもまあ、今回のメンバーはうまく受け止めてくれたでしょう。

さて今回はどう展開していくか。
とても楽しみです。

■ちょっと衝撃的な事件(2009年5月29日)
前項で書いた「ちょっと個人的な事件」とは、ブログに書きましたが、妻の主治医だった医師からメールが届いたことです。
毎日書いている「妻への挽歌」を読んでくれたことのある人は、私のダメさ加減をよく知っているでしょうが、私は2年近く前の妻との別れからまだ立ち直れていないのです。
そのため、経営道フォーラムのチームメンバーに話をした時の私は、いささか頭が混乱しており、話し続けていないと涙が出てきそうな状況だったのです。
ですからいつも以上に話してしまいました。
皆さんはうっとうしかったかもしれません。

妻のことが思い出されて、今日はかなり精神的に動揺しています。
不思議なのですが、もう一人、これまた思わぬ人から、久しぶりに会いたいのだがというメールを昨日もらいました。
偶然なのでしょうが、私の心情が見透かされているような気がします。
もちろん「いい意味」なのです。
大学時代の友人ですが、学生時代はあまり付き合いがなかった人です。
彼から、「一昨年は貴兄にとり悲しい事が起こり心配しておりましたが、如何ですか?
一度ジックリお話したく」と言ってきたのです。
来週会うことにしましたが、これは偶然なのでしょうか。

■支え合いネットワーク交流会(2009年5月30日)
支え合いネットワーク交流会をスタートさせることにしました。
もしかしたら某所から助成金をもらえるかもしれないと思っていたのですが、申請をしないことにしました。
ですからとても気楽にできそうです。
交流会の前に、事務局会議をやりましたが、やっているうちに交流会参加者が着始めたので、ついでに交流会参加者も事務局になってもらうことにしました。
まあ、このあたりは私のすきなコモンズ発想なのです。

交流会には全部で8人が参加しました。
大学2年生の若者から多分70代の人まで幅広く、気楽な集まりが実現できました。
自殺のない社会づくりネットワークのサイトに報告を掲載する予定です。
よかったら読んでください。
そしてもしご関心をお持ちになったら、ネットワークに参加してください。
誰でも歓迎です。

ちなみに交流会は毎月やることにしました。
交流会と言っても、まあ支え合いサロンのようなものです。
ややこしいのですが、支え合いサロンもまた再開します。
いずれも「お知らせ」のコーナーでご案内して区予定です。

■そして68歳(2009年5月30日)
5月30日は私の誕生日です。
今日で68歳です。
予定の人生はあと余すところ3年です。
3年後にいなくなるということではありません。
その可能性は皆無ではありませんが、一応、今のフェーズを終わろうと思います。
本来は72歳を想定していましたが、伴侶がいなくなったので2年ほど繰り上げることにしたわけです。
次のフェーズは、これまた伴侶がいなくなったのでシナリオは一変してしまうでしょうが、まだイメージはできていません。

ブログに書きましたが、帰宅したら娘たちが祝膳を用意してくれていました。
手づくりケーキもありました。
最高の親孝行娘たちだと、今日だけは思いました。
「今日だけ」というところが問題なのですが。

(2009年5月第3週)
■手賀沼LLP構想(2009年5月17日)
■自殺のない社会づくりネットワークのホームページ(2009年5月18日)
■血圧が少し改善されてきました(2009年5月19日)
■市民社会フォーラム(2009年5月20日)
■株式会社コンセプトワークショップ決算(2009年5月21日)
■大分からの来訪者(2009年5月22日)

■手賀沼LLP構想(2009年5月17日)
我孫子の住民たちで取り組んできたプロジェクトTの活動を組織化していくために、
LLP(有限責任事業組合)を設立することになりました。
当面は、今年秋に開催される我孫子での女子ゴルフトーナメントへの対応を課題にしていますが、
それを目的にせずに、むしろそこから新しい風を起こしていこうと言うわけです。
大きな枠組みを構想してみましたが、みんなでこの案をもんで6月中には正式に立ち上げる予定です。
我孫子周辺にお住まいの方で、もし参加したいという方が居たら、私にご連絡ください。
具体的な構想などをお送りいたします。

■自殺のない社会づくりネットワークのホームページ(2009年5月18日)
自殺のない社会づくりネットワークのホームページを作成しました。
まだ完成版ではなく、走り出し版ですが、徐々に内容を充実させていきます。
そこに案内も載せていますが、交流会もスタートします。
湯島のオフィスも事務局機能を果たせるように、電話やインターネット回線も整備しました。
まだ予算が確保されていないのですが、まあともかく動き出すことにしました。
動き出せばどうにかなる、というのが私の生き方ですので、まあどうにかなるでしょう。

■血圧が少し改善されてきました(2009年5月19日)
最近、血圧が少し改善されました。
いつも90近かった下の血圧が80を切り出したのです。
医師からはこの状況が続けば、薬を半分にしてもいいかもしれないといわれました。
まあ半分にしようとしまいと、私にとっては毎日、薬を飲むことが苦痛なのですから、
あんまり意味はないのですが、血圧が正常化に向かっていることは歓迎です。
体調も少しはいいのですが、しかしその一方で、別の症状も出始めてきました。
人間の身体は老化するものだいうことを、最近はひしひしと実感します。

ところで降圧剤をもらいにいつものクリニックに行ったら、待合室に誰も居ませんでした。
ブログにも書きましたが、新型インフルエンザの流行で、
クリニックから患者が消えるという、不思議な現象が起こっているようです。

■市民社会フォーラム(2009年5月20日)
田中弥生さんのお誘いで、市民社会フォーラムに参加しました。
原論NPOの主催で、コメンテーターが田中さんなのです。
今回は、元総務大臣の増田寛也さんがスピーカーでした。
テーマは「地方自治と市民社会」です。
地方自治も市民社会も、私は世間的な意味とはかなり違った捉え方をしているので、話が合わないのですが、
やはり今回もパラダイムが違っていました

市民社会に関しては、近代の枠組みでしか捉えられていないような気がしますが、
たとえばアタリやネグリの議論を踏まえた、新しい市民社会論が生まれてきてほしいと思っています。
私があと20歳若かったら、とても魅力的なテーマですが、余命いくばくもない身にとっては、魅力的ですが、取り組めないテーマです。

ところで、このフォーラムには若い学生たちがかなり参加しており、彼らも積極的に質問していました。
思いも寄らなかったのは、私が住んでいる我孫子の隣にある柏市の若い職員が参加していたことです。
田中さんがわざわざ私に紹介してくれました。
柏市には元気な職員がいます。
我孫子市ももう少し外に出てきてほしいものですが。

■株式会社コンセプトワークショップ決算(2009年5月21日)
私がやっている会社は、この数年、実体がありません。
しかし潰すこともできずに存続していますが、売り上げもあまりないので、税理士に税務申告の仕事を頼むお金もなく、やむを得ず、昨年から私が税務申告しています。
まあ1〜2日もあればできることが昨年わかりました。
これまで毎月5万円も払っていましたが、これで年間60万円のコストダウンです。
その体験で、いろいろと考えさせられましたが、これはまたブログのほうで一度書こうと思います。

昨年度の会社の売り上げはなんと400万円にも達しませんでした。
事務所経費などを差っぴくとほとんど残らず、今回も私の収入はゼロでした。
何か、楽をしてお金のもらえる仕事はないでしょうか。
私の生活信条に反しますが、会社経営者としては、そんな気になってしまいます。
こうしてみんな会社に使われだすのかもしれません。

まあもう少し株式会社コンセプトワークショップは継続することにしました。
なにしろもう21年目なのですから。

■大分からの来訪者(2009年5月22日)
このホームページに出会って、読むようになり、それが縁で湯島にやってきた人がいます。
たまたま東京に来る機会があったので、立ち寄ったのです。

ホームページやブログを通して、いろんな人が湯島に来てくれます。
実にさまざまです。
私のサイトはかなり偏っていますのでそうした人ばかりが集まるのではないかと思われそうですが、実際にはそうではないのです。
まさに「社会の縮図」のように、多様な人がやってきます。
ですから、湯島にいると社会の実相が実感できるのです。
そしていろんな問題も見えてきます。
おそらく5年後、10年後に、こんな問題が起こるだろうなと言うことも、見えるような気がします。
ネットを通して情報を発信するということは、実は情報を引き寄せることなのかもしれません。

さて、今週はどんな人が来るでしょうか。

(2009年5月第2週)
今週はがんばってほぼ毎日オフィスに出かけました。
■古木杜恵さんが湯島に来てくれました(2009年5月11日)
■名木純子さんとのディベートが続いています(2009年5月12日)
■企業の文化、社会の文化(2009年5月13日)
■ルーヴル美術館展(2009年5月14日)
■自殺のない社会を考え出すと底がありません(2009年5月14日)
■民主党への怒りと安堵(2009年5月15日)
■農業と福祉(2009年5月15日)
■支え合いネットワーク(2009年5月16日)

■古木杜恵さんが湯島に来てくれました(2009年5月11日)
自殺防止緊急集会の関係で接点ができた古木杜恵さんが湯島に来てくれました。
ご存知の方もいるかと思いますが、古木はノンフィクションライターです。
お話していていろいろと思うことがありました。
ブログにちょっとだけ書きました

古木さんが言った、次の言葉がとても印象に残りました。
われわれの世代(古木さんはたぶん全共闘世代です)は、企業や行政から支援をもらうなどということは全く考えずにいたが、その結果、結局はなにもできなかった。
しかし最近の若い世代は、企業や行政からうまく資金を引き出して、成果をあげている。

少し不正確かもしれませんが、大筋そんなことだったと思います。
そう言われるとそうです。
古木さんが、そうした今の風潮を、是としているか否としているかは確認しませんでしたが、私の最近の複雑な心境は、もしかしたらこの点に立脚しているのかもしれません。
つまり企業や行政と無縁に自分たちだけで自己満足的に取り組んでいる活動に違和感を持つ一方で、事業型NPOや行政との協働で成果をあげているNPOの金銭基準的な発想がどうも好きになれないのです。
私もたぶん今の時代には似つかわしくない存在なのでしょう。
長年、現場と接してきたライターの方と話すと、いろいろと気づかされます。

■名木純子さんとのディベートが続いています(2009年5月12日)
今日も同世代の人といろいろと話させてもらいました。
最近接点の多いエスクの名木さんです。
勝手に「エスク・リノベーション構想」を提案してしまったので、しばらくはコミットしなければいけなくなってきました。
今日も激論でした。

私がエスクに出会ったのは、1990年頃だったと思います。
モデル保育システムの開発に取り組んでいた時です。
この時の研究会のメンバーは実に異色でした。
住居福祉で今なお健在の早川和男さんや財界の諸井虔さん、保育園の新沢誠治さんなど、おそらくそれまでは接点が全くなかったであろう人たちに集まってもらいました。
名木さんはある人から紹介されて、そこに参加してもらったのです。

私がエスクに共感した理由は3点でした。
まずエスクは子育ての問題をホリスティックに、つまり社会の問題として捉えていました。
名木さんの言葉を借りれば、「親がいなくても子どもは育つが、子どもがいなければ親は育たない」という考えには目を開かされました。
当時も、そして今も、子どもに関わる人たちに欠落しがちな視点です。
もう一つは、一方的な支援ではなく、双方向的な支援の循環を考えていたことです。
子育てを支えてもらった人が、子離れしたら今度は他者の子育てを支援する、という仕組みです。
3つ目は、関わった人たちが自分で育てていくという共創型だったことです。
いずれも私の考えにぴったりです。

問題はそれがうまく展開したかどうかです。
評価は人それぞれですが、私は十分の成果を挙げていないのではないかと思います。
なぜならば、昨今の子育ち環境は決してよくなっていないからです。
それでまあ、いま名木さんの厳しい総括をしているわけです。
若い人ならたぶん怒って帰ってしまうでしょうが、名木さんは繰り返し湯島まで来てくれるのです。
実績のある人(名木さん)が、実績のない人(私です)に、わざわざ勝手な批判をされにやってくる、40年近くも市民活動をしている人はやはり違います。

もうディベートは何回になるでしょうか。
でもようやく先が見え始めました。
自殺のない社会づくりネットワークの表のネットワークとしての、子どもの笑顔のあふれる社会づくりネットワークの芽が少し見えてきたように思います。

■企業の文化、社会の文化(2009年5月13日)
KAE経営道フォーラム44期の発表会でした。
私が担当したチームを含めて、3つのチームの発表を聴きました。
発表した人たちには大変失礼なのですが、やはり企業の世界の閉鎖性を感じます。
社会の動きについていっていないというよりも、世界がいかにも狭いのです。
もっともこれは企業に限りません。
行政の人と話していても、NPO関係の人と話していても、感ずることです。
こういう言い方をすると、私の世界は広いのかといわれそうですが、そうではなく、私が新しい生き方をはじめた頃と同じく、みんな小さなタコツボの中で暮らしている状況は変わっていないと思うわけです。
私は、そこから抜け出たいと思い20年をすごしてきましたが、この20年は、一体なんだったのでしょうか。

今回の発表では、私の担当チームはみんなとても楽しんでくれました。
活動を楽しめば、必ず成果は上がるものです。
なかなかいい発表でした。
しかし私にとっては発表の良し悪しなどは全く興味がなく、チームのメンバーがどれほど新しい気づきを得たかだけが関心事です。
その意味ではみんなそれぞれ新しい気づきを得たようで、とてもうれしいです。

そういえば、成果発表の直前にうれしい話が入りました。
メンバーの一人が、なんと社長になったのです。
卒業生が社長になることはめずらしくないのですが、活動期間中に社長になるのは初めてです。
それで、発表後、そのお祝いもあるというので一緒に祝杯を挙げました。
私にとってはたぶん3年ぶりに、こうした集まりに参加しました。
不思議に違和感がなくなっていました。

ちなみに今回のチームの結論は、「女性は企業の実態を写す鏡」であるということです。
まさにその通りだと思います。
今回のチームの報告書はよく読むととても含蓄があります。
関心のある人はご連絡ください。

■ルーヴル美術館展(2009年5月14日)
昨日の経営道フォーラムの発表会は、9割以上が男性でしたが、今日行ったところは9割近くが女性でした。
むすめに誘われて国立新美術館に「ルーヴル美術館展」を観に行きました。
妻がいなくなってから、こうした展示会には出かけられなくなっていましたが、今回は思い切って出かけたのです。
いつも思うのは、美術展に行くと圧倒的に女性が多いことです。
おそらく休日はそうでもないのでしょうが、平日の美術館は私の体験では女性がほぼ占拠しています。
女性に連れられた定年すぎの男性もいますが、若い世代はほとんどが女性です。

昨日の発表で、「女性の世界は広いが男性の世界は狭い」と言う報告がありましたが、同感です。

今回の作品は、「子ども」がテーマでした。
子どもたちの表情があまりにないのが気になりました。
同時に、人類の歴史はやはり女性中心だったと言う思いを強くしました。
古代エジプトから近世ヨーロッパまでの家族像や夫婦像が描かれた彫刻や絵画などを見ていると明らかに女性のほうがエネルギーを感じます。
歴史は女性が創り、歴史書は男性が作ったということがよくわかります。

美術館のアウトドアのカフェでランチをしましたが、高層ビルが周りに見えて、いかにも現代風でした。
六本木ヒルズも見えましたが、あそこで働いている人たちはこの美術館を楽しんでいるのだろうかと、ふと思いました。
今回、美術展の会場では、それらしき人はいませんでした。
代わりに、カフェの隣では高齢のご夫妻が缶ビールとペットボトルのお茶を飲んでいました。
その奇妙な風景が何だか安らぎをあたえてくれました。
むすめは、食後、近くのミッドタウンに行きましたが、私には全く興味もなく、別れました。
時代から私はどんどん置いていかれているようです。

でも企業に働く男性たちにも、美術展には時々遊びにきてほしいなと思いました。
国立新美術館は、私の好みではありませんが。

■自殺のない社会を考え出すと底がありません(2009年5月14日)
自殺のない社会ネットワークづくり設立準備会の事務局長の福山さんと基本的な枠組みの確認をしました。
名前がいかにも長いので、支え合いネットワーク準備会にしました。
今回は基本的にコムケア文化で取り組んでいきたいと思っていますが、これは常識的にはなかなかなじめないのではないかと思います。
そのせいか、理念には共感してもらっていますし、価値観や考え方も同じなのですが、やはり微妙な違いや混乱があるのです。
それでけっこう議論が起こるのですが、エスクの名木さんと同じく、福山さんは一向に動じません。
実践を踏んできた女性は実に強いです。
まさに、しなやかに、強かです。

支え合いネットワーク準備会ではこれから毎月交流会を開催することにしました。
まあ私の意識の中では、支え合いサロンなのですが、それでは肝心の「支え合いサロン構想」と混同されてしまいそうなので、ここはネットワーク交流会にしておこうと思います。
当面は、ネットワーク準備会に参加してくださったメンバーの集まりですが、徐々に開いていきたいと思います。
まあ、事務局長の許可があればですが。

しかし、福山さんと話していると、話題が尽きません。
自殺という切り口から考えていくと、多分社会すべての問題につながっていくのでしょう。
ネットワーク準備会のホームページもできました。
お時間があれば見てください。

■民主党への怒りと安堵(2009年5月15日)
このコーナーに書くほどのこともないことなのですが、今週は民主党への失望と期待の週でした。
ブログ(CWSプライベート)に何回か書いたのですが、11日に小沢さんが辞意表明し、それでもうがっかりしました。
小沢さんは、私の考えとは全く反対にいる人ですし、その政策はとても受け容れられるものではありませんが、しかし日本の政治を真剣に考えているように思える、私が信頼する数少ない政治家なのです。
お金の関係とか利権政治とか、強権政治とか言われますが、日本の政治文化の中では、小沢さんが突出しているわけではなく、むしろそれを見えるようにしているだけの話なのだと私は思っています。
それに多くの自民党の政治家のような「卑劣さ」が、私には感じられないのです。
私の誤認かもしれませんが。
ですから辞意表明し、マスコミで有識者と言われる人たちが、遅かったなどというコメントを聴くのが不快で、ニュースを見ないようにしていました。
娘たちもそれを知って、テレビで政治関係の報道があるとチャンネルを替えてくれるほどでした。

今日、岡田さんと鳩山さんの公開討論会の実況放送を観ました。
これもブログに書きましたが、観ていてとても心が休まりました。
岡田さんも鳩山さんも、小賢しさを感じられなかったからです。
彼らを育てた小沢さんに敬意を表したいです。

しつこいですが、私は小沢さんの政治理念や政策、国家観には全く共感できません。
そういう人にしか、政治を期待できないのがとても残念なのですが、鳩山さんと岡田さんは、もしかしたら政策にも可塑性があるのかもしれないと、2人の議論を聞きながら思いました。

今日はゆっくり眠れそうです。
この数日間、気分的に眠れないでいました。
政治の動きで眠れないなどと言うと笑われそうですが、怒りが充満していたのです。
いつになっても私は人間が熟してきません。
困ったものです。

■農業と福祉(2009年5月15日)
関西にいるコムケア仲間たちが、農業と福祉をつなげて考えようというテーマでやわらかなネットワーク活動を始めています。
言いだしっぺは、障がいのある人たちの就労支援をしている奈良の人です。
メンバーは多世代で、立場もさまざまです。
その人たちと小さなメーリングリストでやりとりを始めているのですが、
そこに次のような意見を書きました。

「農や食に対する私たちの生き方は、まさに福祉の考え方にもつながっているような気がします。いや、生き方そのものにつながっているかもしれません。」

そうしたら、メンバーの一人がこう返してくれました。

「まさにわが意を得たり、です。福祉(認知症対策)もまったく同じ考えだと思いました。
個人の暮らし・幸せを無視して、介護保険が財政面から論議されています。私は個人の幸せへの僅かな予算化が、介護保険財政にも貢献できると考えているのです。
ああ、農と福祉のみなさんとこんなお話ができたら、どれほど私は元気になれるか。
そう思うだけでも、涸れそうだった元気が湧いてきます。」

この方は認知症の問題に取り組んでいる方です。
日本の福祉行政には「個人の暮らし・幸せ」の視点が抜けているのでしょうか。
誠実に取り組めば取り組むほどに、元気が涸れてしまうような仕組みは、どこかが間違っています。
しかし、そうした仕組みが何と多いことか。

なにか新しいテーマに取り組むたびに出会う話です。
このネットワークがまもなく公開フォーラムを開催してくれる予定です。
また案内させてもらいます。

■支え合いネットワーク
(2009年5月16日)
久しぶりに朝日ニュースターの「よみがえれニッポン」の番組に出ました。
よほどのことがないとテレビには出たくないと思っていましたが、自殺のない社会づくりネットワークの広報活動になりますので、出演することにしました。
この番組はジャーナリストのばばこういちさんが長年取り組んでいる番組ですが、最近の経済環境のなかでスポンサーが激減し、維持が難しくなってきているということです。
地上デジタル化は、利権がらみのおかしな基準で動いているように私などは思っていますが、それはともかくテレビ局があまりにも多くなってしまっています。
しかもそれらが、結局は同じような姿勢で同じような内容を放映している状況には大きな危惧を感じます。
まさに非情報化社会が実現しつつあるのです。
市民ジャーナリズの体験をお持ちのばばさんには、ここでもう一度がんばってもらいたいと思っていましたが、どうも難しいようです。

番組では、冒頭にばばさんから「コムケア活動って何ですか」と突然質問されたので、用意していた内容をうまく話せずに終わってしまいました。
せっかく「支え合いネットワーク」のテーマにしてもらい、私の思いはメモで伝えていたのですが、残念でした。
でもまあいろいろといわせてもらいましたが、日頃私の言動を知っている人ならともかく、視聴者には伝わりにくかったことでしょう。
案の定、番組を見ていた友人から電話があり、わけのわからない番組だったといわれました。
その上、私が「先ずは隣の人に声をかけることから始めましょう」などといったことを、鳩山さんの「友愛」と同じでがっくりきたと言われてしまいました。
私の生活信条もまた「友愛」ですので、そういわれても困るのですが。

今回、番組でご一緒だったのは、国際政治学者の浜田和幸さんですが、これからはG2(アメリカと中国)が世界を変えていくことになるだろうというようなお話をしたので、G2に世界は変えてほしくないですね、市民一人ひとりのつながりで、それを阻止したいですね、などとこれまたわけのわからないこと(私はそう確信しているのですが、視聴者には分けがわからない話でしょう)を発言してしまいました。
もちろん私の頭の中には、アタリやネグリの「マルチチュード」論や「超民主主義論」があるわけですが、そんなことを知る由もないでしょうから。
やはり私はテレビ向きではありません。
今日はやはり引き受けるべきではありませんでした。
でもまあ、ばばさんの窮地は放ってはおけません。

(2009年5月第1週)
世間は大型連休ですが、その流れに乗れずに、1週間を過ごしました。
そのせいか、後半、リズムが狂ってしまいました。
時代の流れには同調しないといけません。はい。
■出前コンサート(2009年5月5日)
■支え合いネットワーク準備会幹事会(2009年5月6日)

■出前コンサート(2009年5月5日)
3人のミュージシャンがやってきました。
晴れていたら、わが家の庭で演奏してもらえたのですが、あいにくの雨のため、室内コンサートになりました。
聴き手は、私と娘の2人です。
なんとぜいたくなコンサートでしょうか。
ギターの宮内さん、二胡の中村さん、コカリナの鈴木さんです。
みなさん、手賀沼の湖畔で練習したり演奏したりしているうちにお知り合いになったのだそうです。

コカリナの鈴木さんは、それまで楽器などやっていなかったのに、ある日突然友人からコカリナを渡され、吹いてみたらすっかりその魅力に取り付かれたのだそうです。
今は仕事のお休みの日は、ほとんどコカリナの演奏だそうです。
我孫子で教室も2つ開いているといいます。
4つのコカリナを持ってきてくれましたが、材質や大きさや作り方で音色や音程が変わるのだそうです。
とても高い音も出ますし、ともかく音がよく通ります。
室内ではなく、やはり高原の緑の中での演奏が似合いそうです。

中村さんはテレビの「徹子の部屋」に出演した二胡奏者を見て興味を持ったのだそうです。
そして、たしか横浜かどこかで手に入れたのですが、演奏方法がわからずにいたところ、ある時、我孫子で二胡奏者の演奏会があったのだそうです。
それで最前列に陣取って、演奏の様子をしっかりと学んだのだそうです。
完全な独学で演奏をマスターしたといいます。
その音色は心に深く入ってきます。

ギタリストの宮内さんは、以前も一度、わが家に演奏にきてくれましたが、音楽を通じて、人とつないでいきたいという強い思いをお持ちです。
宮内さんのおかげで、こんなおしゃれな集まりが実現しました。
とても心和む人たちと知り合いになれました。
我孫子には、まだまだたくさんの人がいるのです。
写真をブログに載せました。

宮内さんは、私の好きなモカコーヒーまで持ってきてくれました。
最近たくさんの人からコーヒーが届きます。
今日は、元やくざの daxさんからもらったコーヒーをみんなで楽しませてもらいました。
みんなからのたくさんの親切をしみじみと実感しています。

■支え合いネットワーク準備会幹事会(2009年5月6日)
連休最後の日は、先日立ち上げた「自殺のない社会づくりネットワーク」設立準備会の事務局会議でした。
事務局長の福山さんの呼びかけで、6人の若者が集まりました。
私ともう一人を除いては、みんな医療関係者です。
ともかくコムケア的に参加した人たちがみんなで育て上げていく事務局にしたいと思います。
そして参加した人たちにとって、それぞれ意味のあるものにしていきたいのです。
事務局としての作業目的は果たさなければいけませんが、それ以上に、集まった人たちのつながりを育てていくことが、私の関心事です。
幸いに基本的な役割分担が少しずつでき始めました。
きっと面白いものになるでしょう。
もしこの記事を読んで関心をお持ちいただいた方がいたら、ご連絡ください。

準備会への参加者も30人を超えました。
これもうれしいことなのですが、いざ動き出すとなるとやるべき課題が多いのでいささか気が重くなります。
さてどうしたものでしょうか。
先ずは事務所に当てる予定の湯島のオフィスをもう一度、仕事のできる状況に回復しなければいけません。
今は電話も外してしまっていますし、複写機も故障中なのです。
インターネットも不通です。
さてどうなりますことか。

(2009年4月第5週)
いささか忙しすぎて、体調が心配でしたが、何とか乗り越えました。
人間の身体は、やはり年々劣化するものです。
■プロジェクトTが次のステップに移れそうです(2009年4月26日)
■あびこ市民活動ネットワーク総会シンポジウムの失態(2009年4月26日)
■我孫子駅の北側と南側の経済水準(2009年4月28日)
■自殺のない社会づくりネットワーク準備会メーリングリスト(2009年4月29日)
■コムケア活動8年間のささやかな成果(2009年4月29日)
■まだ世田谷一家殺人事件は解決していません(2009年4月30日)
■小学校時代の友人たちの集まりは社会の縮図です(2009年4月30日)
■子どもの笑顔があふれる社会づくりネットワーク(2009年5月1日)

■プロジェクトTが次のステップに移れそうです(2009年4月26日)
プロジェクトTの定例会でしたが、時間破産で途中からしか参加できませんでした。
でも3人のメンバーの方が現地をていねいに見てきてくれたので、先が少し見えてきました。
その上、このプロジェクトを通して実現したい夢が語られだしました。
5月には何らかの組織化に動き出すことになりました。
さてひとがんばりしなくてはいけません。
面白くなりそうです。

■あびこ市民活動ネットワーク総会シンポジウムでの失態(2009年4月26日)
あびこ市民活動ネットワークの総会に併せて、シンポジウムをやるので参加してほしいと会長の多田さんから依頼を受けていました。
千葉県と我孫子市から、それぞれ担当者が来て、それぞれの支援プログラムの話をするので、それを受けてコメントをしてくれないかといわれたのです。
現在の行政の支援スタイルには大きな違和感がありますし、行政依存のNPOや市民活動に否定的な意見を持っていますので、話が混乱するのでやめたほうがいいとお断りしたのですが、刺激を与えてほしいからというので、気がすすまないままに参加させてもらいました。

自重して話そうと思っていたのですが、はじまるまでにちょっと「やはりなあ」というひどさを見せつけられて、その影響で少し過激になってしまいました。
協働のまちづくりは、行政も住民も、それぞれに横の協働ができていないので形だけだとか、行政のミッションも曖昧なまま、行政事業を民間にコストダウン発想でアウトソーシングするのは無責任だ、第一、官民などいう言葉に違和感を持たないのはおかしいなどと、いってしまったのです。
すかさず、ある人から、私たちの組織は行政とうまく協働していますと反論が出ました。
私が一番問題ありと思っている協働の事例の代表からの意見でした。
古くからのNPO仲間は、あまりに私の意見が過激だったせいか、終わったら声もかけずに帰っていってしまいました。
私の本音がしっかりと伝わってよかったですが、友人を失うのはさびしいものです。

救いもありました。
佐藤さんの話をぜひきちんと聞く機会をつくって欲しいという発言もありました。
終わってからも何人かの方から声をかけられました。
きっとこのコーナーに登場することになるような人との縁もいただきました。
まあ、捨てる神あれば、救う神ありです。

市民活動の世界は大きく変わらなければいけないと改めて思います。
我孫子の市民活動はどうしてこんなに遅れてしまったのでしょうか。
他の市町村で感ずる活気を感じません。

■我孫子駅の北側と南側の経済水準(2009年4月28日)
夕食を食べた後、急に本日開店の東武ストアをのぞきたくなりました。
私も一応、経営コンサルタントであり、マーケッターを自認していますので、新しくできたショップなどは見に行きたくなるのです。
それで娘に頼んで一緒に行ってもらうことにしました。
そのショップは我孫子駅の北側です。
わが家は南側ですので、商圏はちょっと違います。

我孫子駅の南側は昔からの住宅地です。
北側は新しい街ですが、とりわけこの数年、駅の近くに大きなマンションがたくさんできて、
若い世代が多いのです。
そのため、そこの中心にある大型ショップはこの数年で商品も価格も一変しました。

行ってみて驚いたのは、価格帯があまりにも違うのです。
たとえばUCCのレギュラー珈琲が600円でしたが、全く同じものが我が家の近くのスーパーでは400円なのです。
私が評価基準にしている定番の商品は、いずれも2割ほど価格設定が高いのです。
これには驚きました。

我孫子駅南側の旧住民が利用しているスーパーに比べて、若い世代のマンション族の行くスーパーは同じものでも価格がかなり高いのです。
JRの線路をはさんで、北と南ではどうも経済感覚が違うようです。
どちらが豊かなのかはわかりませんが、いろいろと考えさせられました。

■自殺のない社会づくりネットワーク準備会メーリングリスト(2009年4月29日)
25日に発足した「自殺のない社会づくりネットワーク設立準備会」、長いので、「支え合いネットワーク準備会」と呼ぶことにしましたが、そのメーリングリストをつくりました。
26人の方が参加してくれました。
みなさんもよかったら参加してください。
いろんな人が参加してくれています。
案内はここをクリックしてください

ところで、そのメーリングリストに先立って、事務局のメールアドレスを公開したところ、メールが入りだしました。
自殺を考えた人、自殺した人の家族などからいろんなメールが来ます。
問題の深さに陥らないようにしなければいけません。
早く準備会の事務局体制を整えないと時間がパンクしそうです。
誰かやってくれる人はいませんか。

■コムケア活動8年間のささやかな成果(2009年4月29日)
コムケア活動ももう9年目になりますが、これまでやってきたことの成果が少しずつ生まれてきています。
いろいろな活動のつながりの中から、新しい物語が芽生えだしているということです。
私が関わっていないものもたくさんありますし、私の全く知らないところでの展開もあります。
本当にうれしいニュースが今週は3つも届きましたので、それを少し書こうかと思いましたが、何だか面倒くさくなったのでやめます。
でもいつか書きたいと思います。
やはり活動はしっかりした理念をもって継続することです。
今年もまたいくつかの物語が生まれていくことでしょう。
とても楽しみです。
思わせぶりな書き方ですみません。

■まだ世田谷一家殺人事件は解決していません(2009年4月30日)
朝、特捜本部の刑事と名乗る方から電話がありました。
9年前の世田谷一家殺害事件の関係で話を聞きたいというのです。
被害者の宮澤さんは私の知人で、当時、私が事務局長をやっていた日本CI会議体のメンバーでもあったことから、私も過去2回ほど刑事たちの質問を受けました。
遺留品も多かったので、事件はすぐに解決するだろうと思っていましたが、未だ解決していません。
まだ地道な捜査が続いているのです。

今日、やってきた2人の刑事はとても感じがよく、協力しようという気になりましたが、私の体験では、そういう気になるのはめずらしいです。
一番不愉快だったのは、この事件とは別ですが、私の友人が誘拐事件に加担したと疑われた時にやってきた公安警察のチームでした。
慇懃無礼に話し出し、少し時間をといいながら2時間も居座りました。
私はほぼ事情は知っていましたが、誘拐とは全く無縁の夫婦喧嘩が原因でした。
たまたま外国人の夫婦だったので話が大きくなったのかもしれませんが、それにしてもその捜査態度があまりにも横柄だったので不愉快な印象が今も残っています。
私が知っている事情を話しても、彼らの仮説に立って話すので、コミュニケーションなど成り立たないのです。

公安警察といえば、それに類した体験を何回かしています。
いずれも東レ社員時代ですが、会社の総務部の人から、公安に追われているから気をつけろといわれたことがあります。
ある研究会に参加していたのですが、そこにどうやら問題ある人が参加したため、参加者の一人である私も追跡されたようです。
なんとまあピント外れの調査かと思いました。
またある人から合わせたい人がいるというので会ったら、その人がいろいろと私の上司のことを質問するので、おかしいなと思っていたら、どうやらその人を調べていたようです。

こういうことを何回か経験しているので、諜報ものの映画もあながち絵空事ではないと思ってしまうわけです。
まあ67年も生きていると、いろんなことを体験します。
今朝の電話でドキッとしたのは、私が宮沢さんとメールしていた内容が警察に伝わっていたことです。
メールなどのやりとりはやはり警察に通じているのか、とついついボーン・アイデンティティの映画を思い出してしまったのですが、話を聞いてみたら、宮澤さんのパソコンに残っていたのだそうです。

まあしかし、自分の書いたものがどういう形で誰かの手にいくのかは今や予想もつきません。
だとしたら極力すべてを公開しておいたほうがいいような気もします。
もはや「私信」とか「秘密」とか守れない時代なのかもしれません。

ちなみに、今回は極力捜査に協力することにしました。
警察のパラダイム転換に関してはブログに書きました。

■小学校時代の友人たちの集まりは社会の縮図です(2009年4月30日)
もう3年前になるのですが、私の小学校時代の友人の家が全焼してしまいました。
その家が、やっと完成しました。
保険金がなかなか下りなかったのですが、これについても書き出すと過激になりそうなのでやめます。

新築を口実に、また悪ガキ仲間が集まっただけの話です。
その家からは、私たちが通っていた小学校の校舎が見えるのです。

私たちは、小学校の同級生で、20歳前後の時に「ぽんゆう」という活動をしていました。
夏に1週間くらい山でキャンプをしたり機関誌を出したりしていたのです。
ですから今でも結構、絆は深いのです。
私は、昔のことは全く興味がないばかりか、記憶さえなくなってしまうタイプの人間なので、あんまりみんなと付き合いたくはないのですが(昔の話には全く興味を感じないので退屈なのです)、呼ばれると行かないわけにはいきません。
それにその仲間といると全くの裸の心で話せるので、退屈ですが、居心地はいいのです。

それに、人生の多様性といえば、小学校時代の友人たちが一番多様かもしれません。
そこには社会の縮図があります。
だから刺激もたくさん受けるわけです。
こう考えると、退屈ではないのかもしれませんね。
幼馴染は、いつになっても幼馴染の関係を持続していて、まあいわば一種の「結い」がそこに実現しているように思います。
私が困ったら、きっと誰かが助けてくれるでしょう。
ですから、誰かが困っていたら助けないわけにはいきません。
どうも一人困っているのがいそうです。
いやはや困ったものです。
放ってはおけません。
それが「結い仲間」のルールですから。

■子どもの笑顔があふれる社会づくりネットワーク(2009年5月1日)
子育て支援に取り組みだして36年のエスクは、全国のファミリーサポートセンターのモデルになった活動です。
その代表の名木さんとこの数か月、定期的に話し合いをしているのですが、新しい展開に向けての活動に少しコミットさせてもらうことにしました。
名木さんとはもう古いお付き合いですが、運動的な展開と事業としての展開が混在しているところに一つの問題があるのかもしれません。
私もいくつかの子育て関連の活動に触れてきましたが、どうもぴったりとするものが見つかりません。
見つからなければつくればいいだけの話です。

「子どもの笑顔があふれる社会づくりネットワーク」というのはどうでしょうか。
なんだか「自殺のない社会づくりネットワーク」の二番煎じですが、名前はともかくこういうネットワークづくりに取り組めないかと思い出しました。
いつかきっと、自殺関係のネットワークにも繋がるでしょう。
実は、既に四国のある家族はいずれにも関心を持っていて、繋がりだしているのです。
コムケア活動を続けているおかげで、いろいろなものがつながリだしたのですが、50年もすればきっと住みよい社会になるでしょう。

このネットワーク構想に関心のある方はぜひご連絡ください。
早ければ8月にキックオフフォーラムを開催します。

(2009年4月第4週)
今週は2つのイベントがありました。
それを報告しておきます。
■第1回討議型コムケアフォーラム(2009年4月19日)
■自殺ストップ!自殺多発現場からの緊急集会(2009年4月25日)

■第1回討議型コムケアフォーラム(2009年4月19日)
コムケアフォーラムのニュースタイル、討議型フォーラムです。
テーマは「NPO活動が育む市民性を考える」。
「NPO新時代」の著者の田中弥生さんを中心にしたフォーラムです。
報告はコムケアセンターのホームページに掲載しました。
とても刺激的なフォーラムで、これから定期的に開こうかと思います。

21人の参加者がありました。
とてもうれしかったのは、コムケア仲間にはかなり田中さんのメッセージが素直に入っていったことです。
コムケア活動をやってきてよかったと思いました。

報告にも書きましたが、
NPOの集まりでは、どうしたら助成金をもらえるとか、参加者を増やせるとか、そんな議論が多いのですが、こういうテーマの議論がもっと行われれば、NPOの世界も変わっていくでしょう。
もう第1世代(慈善型)、第2世代(下請型)、第3世代(事業型)のNPOの役割は終わりました。
いずれも所詮は現体制のサブシステムでしかなく、社会を変えていく姿勢はありません。
これから必要なのは、体制依存型ではなく、社会変革型の住民活動ではないかと思います。

■自殺ストップ!自殺多発現場からの緊急集会(2009年4月25日)
3月に東尋坊の茂さんに会ったのを契機に開催を決めた緊急集会ですが、
予想以上の反響で、最初の予定とは違い、かなり大きな集まりになってしまいました。
テレビも3局からの取材があり、新聞社の取材の他、ライターの方も数人参加されました。
「自殺」と言うテーマの持つ、話題性にいささか驚きました。
しかし、私の関心は「自殺」というよりも、そうした事態を多発させている、今の社会のあり方やそれを構成している私たち、とりわけ私の生き方にあるのです。
そうした視点からも、とてもうれしい集まりになりました。

進め方もコムケア的にできたこともうれしかったですが、
集まりそのものもコムケア的、つまりカジュアルでさまざまな人が同じ目線で話し合えたことです。
某新聞社の論説委員の人が終わった後、このテーマへのイメージが変わった、新しい風を感じました、と言ってくれました。
実にうれしいコメントでした。

またみんなで話し合うフォーラムのセッションでは、実に多彩な方が発言され(自殺からの生還者や、重篤なうつの人、元やくざ、カウンセラー、行政関係者、町長など)、しかも議論を進めていくうちに、社会から「人のつながり」がなくなってきたことへと話題が進んだことです。
最後はまさにコムケアの理念のような話になってしまい、今回はあまりコムケアセンターの名前は出すまいと思っていたのですが、ついつい最後にコムケアの話をしてしまいました。

会は、最初に、東尋坊、白浜三段壁、青木が原樹海、天ヶ瀬ダムでの自殺防止活動の報告をしてもらい、その後、みんなで話し合い、最後に、自殺のない社会に向けてのネットワーク設立に向けての準備会の発足を確認しました。
取材陣も多かったので、簡単な記者会見も行いました。

話し合いは、いつものようなコムケア的なスタイルでしたが 、
たぶん自殺のテーマではこれまではなかったような気楽で、笑いのある場になったと思います。
しかし、そこで語られたのは本質的な問題ですし、時にはちょっと対立する場面もありました。
カウンセラーとうつ病の人の、たとえばカウンセリングや認知療法の評価を巡る対立ですが、そうした激しい議論もできるというのは、その場が本音を開ける場になっているということですので、私には理想的に感じられました。

話の内容などは、コムケアのホームページなどに掲載しようと思いますが、とりあえず自殺のない社会に向けてのネットワークの案内をこのサイトにも載せておきますので、よかったらご参加ください。
自殺を特殊な問題と考えずに、私たちの生き方に繋がる問題として、誰にも開かれたネットワークにしていけたらと思っています。

いまの社会にないのは、こうした本音で安心して話し合える場所です。
こうした場をもっともっと広げていきたいものです。

終了後の懇親会にも16人が参加してくれました。
また人のつながりが広がりました。
この調子で行けば、あと60年もすればきっと気持ちの良い社会になるでしょう。
そのことを改めて確信しました。

ちなみに60年とは林業のサイクルだそうです。
水俣市の元市長の吉井さんから教えてもらったことです。

(2009年4月第3週)
やりたいことが増える一方です。
■コムケアフォーラム in 熊本「NPO万華鏡」(2009年4月12日)
■コミュニティ再生プロジェクト(2009年4月13日)
■女性社員が企業を活かす鍵をにぎっている(2009年4月14日)
■相創の場のにぎわい(2009年4月16日)
■高血圧はおさまってきました(2009年4月16日)
■自殺ストップ!緊急集会の案内の反響(2009年4月17日)
■プロジェクトT定例会(2009年4月18日)

■コムケアフォーラム in 熊本「NPO万華鏡」(2009年4月12日)
久しぶりの熊本でした。
熊本の明篤館で、コムケアフォーラム in 熊本が開催されました。
福岡の西川さんの関わっているグループにちなんで、NPO万華鏡というスタイルのフォーラムです。
第一部は宮田さんとネットワークされているさまざまなミュージシャンの演奏でした。
ブログにも書きましたが、会場で初めて出会った、津軽三味線とパーカッションの即興の共演が見事でした。
西川さんも、心にしみるハーモニカで大喝采でした。

明篤館は宮田さんが主宰する小規模多機能施設です。
20組の人たちが、そこで生活をシェアしています。
とてもみんな楽しそうでした。
生活とは何か、家庭とは何か。
いろいろと考えさせられました。

■コミュニティ再生プロジェクト(2009年4月13日)
昨日のフォーラムにも参加していたコミュニティ再生プロジェクト協議会の吉本精樹さんと改めてゆっくりとお話しました。
すでにコムケアのメーリングリストを介して、いろいろとやりとりはあったのですが、お会いするのは初めてです。
吉本さんの思いがかなりわかりました。
私に何ができるかを考えてみようと思います。

吉本さんは、みんながもっと効果的なコミュニケーションができるようになっていったら、社会はもっと暮らしやすく明るくなるだろうと考えています。
同感です。
いまはいろんなプロジェクトが立ち上がりだしたところですので、それらが少し目処が見え出した6月くらいに、東京で「コミュニケーションとコミュニティを考えるフォーラム」でも開催できないかと思い出しました。
人に会うたびに、やりたいことが出てきてしまいます。
本当に仕事が溢れかえっている時代です。

■女性社員が企業を活かす鍵をにぎっている(2009年4月14日)
KAE経営道フォーラム44期生のテーマは「女性から企業文化を考える」というものです。
その報告書が完成したというので、最後の検討会に参加しました。
女性を切り口にして企業文化の問題を考えることによって、メンバーのみなさんはいろんなことに気づいたようです。
たしかに、女性が生き生きと働ける状況であれば、結局、だれもが生き生きと働けるようになるでしょう。
そういう意味では、女性社員にその企業の文化が現われているといってもいいでしょう。

経営道フォーラムの一番の意味は、メンバーが自分の生き方を見なおしていく機会になるということです。
女性に限らず、みんながちょっとだけ生き方を変えると、企業も社会も変わっていくでしょう。
発表会は5月13日です。

■相創の場のにぎわい(2009年4月16日)
久しぶりに相創の場日比谷オフィスに伊藤さんを訪ねました。
19日のコムケアフォーラムの打ち合わせだったはずですが、それは1分で終わり、人生論談義になってしまいました。
伊藤さんとの議論はいつも刺激的です。
昨今の企業人にはめずらしく、自分に素直に誠実に生きている人ですから。

それはそれとして、相創の場はとてもにぎわっていました。
ここは大企業を定年で辞めた人たちがメインの会員制の共同オフィスなのですが、やはりこういう場がこれから増えていくのでしょうか。
私が取り組んだインキュベーションハウスと違い、大企業の出身者が中心なので空間のしつらえも贅沢でお金もかかっていますが、こういう場を自分たちで立ち上げていくパワーがないと結局はうまくいかないでしょう。

伊藤さんと話しながら、そんなことを考えていました。

■高血圧はおさまってきました(2009年4月16日)
高血圧なので、降圧剤を飲みだしています。
最初はよく忘れましたが、いまは毎日ちゃんと飲んでいます。
こうやって人は飼いならされていくのだろうなと、時に思いながらですが。

月に1回、お医者さんに行きます。
その前の1週間、自宅で血圧を測っていますが、最近は安定しています。
医師は、血液検査などもきちんとやってくださいよ、といいますが、毎月、医師に会うと断れなくなってきます。
さてどうするか、です。

手足のしびれは少し収まりましたが、まだ続いています。
歳とともに身体がおかしくなっていくのは仕方がありません。
やはり降圧剤を飲みだしたのは、まずかったかもしれないなどと思い出しています。
しかし、降圧剤のおかげで、頭痛などはなくなりまあ好調です。

■自殺ストップ!緊急集会の案内の反響(2009年4月17日)
4月25日に、「自殺ストップ! 自殺多発現場からの緊急集会」を開催します。
その案内をお知らせのコーナーにも載せましたが、コムケアのホームページにも掲載したり、メーリングリストなどでの案内を少し行いました。
そうしたら、いろんな反響が私のところにまで届きだしました。

自殺防止活動に取り組んでいる方たち、取り組まないといけないと思っている方たち、なにか自分にできることはないかと思っている方たち、そして自殺一歩前までいった人たち、いろんな人からの連絡に対応していますが、自分の立ち位置がまだ見えてきません。
ネットワークづくりに向けての体制が整備するまで事務局を引き受けようと思っているのですが、どうも底がないような気もしてきました。
やはり一つのテーマにコミットするのはそれなりの覚悟が必要です。

もう一つ驚いたのは、身近に自殺を体験している人がこんなにも多いのかと言うことです。
私も何人かの友人知人を自殺で失っていますから、考えてみたら当然のことなのですが、これも動き出してから初めて見えてきたことです。

この数日はちょっとそうした電話やメールへの対応などで、いろいろとありました。

■プロジェクトT定例会(2009年4月18日)
我孫子で10月に開催される女子ゴルフトーナメントのイベントをまちづくりづくりにつなげていこうというプロジェクトTの集まりです。
今回は我孫子市役所の青木さんや我孫子カントリーの渡辺さんにも参加してもらい、私たちの思いや考えを知ってもらいました。
こんな感じで、プロジェクトTも少しずつ前に進んでいます。
しかし、私はゴルフなどやったこともないのです。
どうなりますことやら。

〈2009年4月第2週〉
なんだかせわしない週でした。
いろいろありすぎたような気もします。
複数のプロジェクトを並行して取り組みだしたためなのです。
以前は20くらいのプロジェクトが並行して展開していても何ともなかったのですが、最近は5つでも息が切れるようになってきました。
こうして最後はゼロになっていくのでしょうか。

今週もいろんな人との接点がありました。
エスクの名木さん
全国マイケアプラン・ネットワークの島村さんと須田さん
女性企業家の佐々木さんと中村さん
東尋坊の茂さん
元ヤクザの dax さん
ルポライターの武井さん
信濃川にサケを遡上させたい活動に取り組む金田さん
我孫子のプロジェクトTのみなさん
などなど、です。
日曜から熊本に出かけるために今週は内容は省略です。
その何人かはブログに少し書きました。

ちょっと人に会いすぎていますね。

(2009年4月第1週)
時間があるようでない週でした。
■千葉県知事選挙(2009年3月29日)
■支えあう文化と共済(2009年3月31日)
■自殺多発地域での防止活動している人たちのネットワークづくり(2009年3月31日)
■回送車に乗ってしまいました(2009年4月2日)
■経営道フォーラム合宿(2009年4月3日)

■千葉県知事選挙(2009年3月29日)
県知事選挙は、森田健作さんが当選しました。
私の世界と正反対の世界の人ですが、選挙前から彼の当選は明確でした。
思い入れが他の4人とは全く違っていましたから。
対抗馬の吉田さんは、私の友人知人も応援していますが、まず堂本現知事の後ろ盾を得たのが最悪でした。
それでは何も変わりませんから。
しかもブログで酷評しましたが、戦い方が拙劣でした。
まあ変化が起こることはいいことです。

ちなみに、森田健作さんに関しては、すでに自民党の県支部長であるにもかかわらず無所属といっていたことに対する告発の動きが起こっています。
対立の政治を自治体行政にまで持ち込むことの空しさを感じます。
新聞テレビは小沢事件が影響したなどといっていますが、全く関係ないと思います。
どう考えても今回は森田さんが当選しました。
この4年の彼の活動は、敵ながら評価しなければいけません。
選挙の前に出てきて、汗をかいても、現場の人は評価しません。
それが生活世界の政治だろうと思います。
もっとも私の周りは、森田当選でみんな嘆いています。

■支えあう文化と共済(2009年3月31日)
共済研究会の佐々木さんが来てくれました。
私たちの共通の関心事は「支え合う文化」の行方です。
佐々木さんは共済研究会の切り口から、私はコミュニティケアの切り口から、そういう文化の輪を広げていく活動に取り組んでいますが、もっと効果的な取り組みがあるだろうと2人とも思っています。
しかし、効果的な取り組みは、時に諸刃の剣になります。
たぶん2人ともそれを感じているので、なかなか効果的な取り組みが出来ないのでしょう。
そんな気がします。
しかし今日はちょっと前進しました。
切り口が少し見えた気がします。
次回はきっと佐々木さんが良い案を提案してくれるでしょう。
ですから、私も案を提案しようと思います。
これって、ハーバーマスのコミュニケーション的行為だなとわれながら気に入っています。

■自殺多発地域での防止活動している人たちのネットワークづくり(2009年3月31日)
長いプロジェクトですが、私は「支え合い元気ネットワーク」づくりプロジェクトと勝手に読んでいます。
最近テレビに良く出ますので、ご存知の方も多いでしょうが、東尋坊のような自殺多発地域で自殺予防活動をしている茂さんのような人たちの柔らかなネットワークとそれを応援するシェルターネットワークをつくろうというプロジェクトです。
またきちんと案内しますが、4月25日にキックオフフォーラムを開催します。
そのための実行委員会を立ち上げました。
今回はコムケア的な進め方をします。

事務局長を引き受けてくれた福山さんのほか、今回は2人の若者が参加してくれました。
なぜか理学療法士と作業療法士です。
実行委員会はどんどん仲間を増やしていく予定です。
やってもいいという方がいたら、ご連絡ください。
いろんな人に出会えます。

■回送車に乗ってしまいました(2009年4月2日)
今日は強風で電車のダイヤが乱れていました。
駅に着いたら電車が入ってきたので、いつものように乗り込みました。
我孫子駅は始発駅で、電車は折り返し運転をしているのです。
ところが乗った途端に電車の扉が閉まってしまいました。
周りを見たら、乗っているのは私一人。いやな予感がしました。
思ったとおり、進行方向と反対のほうに動き出しました。
回送車で、車庫に向かう電車だったのです。
さてどうするか。

緊急ストップの非常ボタンを押す勇気はありませでした。
外を見ると車掌がいました。
ガラス戸をどんどん叩いて気付いてもらうようにしました。
幸いに気付いてくれました。
しかしなかなか止まりません。

とまあ、こんな体験をしてしまったわけです。
それからどうなったか。
まあここに書くほどの事もないのですが、幸いにホームすれすれのところで電車は止まり、無事下りることが出来ました。

ホームの人たちはみんな降りる私を見ていました。
いやはや大失敗です。

■経営道フォーラム合宿(2009年4月3日)
恒例の経営道フォーラムの箱根合宿です。
今回の担当チームのテーマは「女性が生き生きする企業」です。
その研究活動のまとめだったのですが、半年のさまざまな活動の中から「男性と女性の違い」にいろいろと気づいたそうです。
職場で女性を生き生きさせるガイドラインのようなものができそうです。

テーマは「女性」ですが、実はこれは「企業のパラダイム転換」に通ずる話なのです。
奥の深い話です。
議論の内容を勝手に私が書いてしまうわけにはいきませんが、組織人としての男性と生活人としての女性の違いが見えてきて面白かったです。
ちなみに、みんながまとめた男女の違いの表に、「世界が広い」と「世界が狭い」というのがありました。
広いのは男性か女性か、みなさんはどう思われますか。

発表は5月13日、椿山荘で行なわれます。

(2009年3月第4週)
いくつかのプロジェクトがいよいよスタートです。
■低周波電磁波への懸念(2009年3月23日)
■コムケアフォーラムin 熊本(2009年3月24日)
■CWS基金への寄付(2009年3月24日)
■COM2プロジェクト(2009年3月25日)
■自殺多発地域の活動者のネットワーク(2009年3月25日)
■我孫子プロジェクトT(2009年3月25日)
■心強いサポーター集め(2009年3月26日)
■支え合う暮らしサロン(2009年3月26日)
■2つの報告書(2009年3月27日)

■低周波電磁波への懸念(2009年3月23日)
先週風邪を引いてしまいましたが、それを週末にかけて、こじらせてしまいました。
そんなにひどい状況にはならなかったのですが、自宅で3日間ぼんやりしていました。
寝込むほどではないのですが、なんとなく身体が重く、しかしテレビを見る気力も、ましてや本を読む気力もなく、無為に過ごしていたわけです。
そのおかげで久しぶりに「無意識的思索の3日間」を過ごし、いろんなことに気づいたのですが、電磁波障害を受けていることにも気づきました。
意識的に行動している時には気づかなかったのですが、どうもわが家は低周波電磁波に覆われているようです。
自らを放心させると、常時、どこかで低周波音を感じるのです。
頭の上のほうで、なにかジーンという共鳴音のようなものが聞こえるのです。
これを低周波電磁波だと断定していいのかどうかわかりませんが、気になりだすと気になります。
私が最近、頭の働きが悪いのは、もしかしたらこのせいかもしれません。
発信元はどこでしょうか。
まさか彼岸からではないでしょうね。

■コムケアフォーラムin 熊本(2009年3月24日)
九州のコムケア仲間の宮田さんと西川さんが中心になって、熊本でコムケアフォーラムを開催してくれることになりました。
題して、「NPO万華鏡をつくろう!」。
音楽芸術とNPO活動のつながりのいろいろな可能性を考えるという集りです。
さまざまなミュージシャンが集まります。
「万華鏡」という言葉を使っているのは意味があります。
前に一度書いたことがありますが、福岡の西川さんが実際の万華鏡づくり活動に関わっているのです。
宮田さんは、「万華鏡」のようにハーモニーが生まれるのではないかと期待しています。
西川さんも万華鏡をもって参加するそうです。
私は持っていくものがないのですが、参加させてもらおうと思います。
この集りはオープンです。
4月12日、熊本の明篤館で開催されます、
よかったら参加してください。

■CWS基金への寄付(2009年3月24日)
予想外のことが起こってしまいました。
イーバンク銀行から入金の連絡がありました。
どこからだろうと思っていたら、ミスターdaxから12000円振り込まれています。
CWS基金初めての入金です。
daxさんに関しては、以前、このコーナーでも紹介したことがありますが、任侠の人なのです。
まあ簡単に言えば、時代を間違って生まれてしまった人ですので、私と同じく、たぶん今の時代は生きにくいのではないかと思います。
早速、彼に電話しました。
気づいただろうけど、12000円は定額給付金だ、というのです。
私は気づいていませんでしたが、気づいていた振りをしてごまかしてしまいました。
最近どうも私の思考力は鈍っています。困ったものです。

私も定額給付金に反対ですので、どこかへの寄付を考えていたのですが、考えている人と行動する人の違いを知らされました。
しかし、実際にこうして誰かからお金をもらってしまうと使いたくなってしまいます。
寄付された金額を見て、買えずにいた8000円の本を買ってしまおうかなどと一瞬思ったのですが、よく考えてみたらCWS基金への寄付であって、私への贈与ではないことに気づきました。
人間はえらそうなことを言っていても、実際にお金をもらうと卑しくなりやすいものです。
困ったものです。

daxさんのおかげで、CWS基金を思い出しました。
自分で作っておいて忘れてしまうのですから、まあいい加減な話ですが、実際に寄付があるとあせってしまいます。
さてどうするか。
なにしろ相手がdaxさんですから、まじめに対応しないといけません。
なにしろ私のブログをよく読んでいて、誤植があると注意してくれる人なのです。
たしかに、彼のブログには誤植がないのですが。

話がずれてますね。
安直に基金などを作ってはいけないということです。
しかし私はまだ懲りずに、新しい基金づくりを今いくつか考えています。
人のサガは直らないものです。
daxさんも、任侠の世界にいられなくなったのがよくわかります。
ちなみに、daxさんのブログは面白いです。

■COM2プロジェクト(2009年3月25日)
daxさんも時代とずれていますが、今日はもう一人の時代にずれた人と会いました。
NPO法人デイコールサービス協会代表の松本さんです。
経済的にまだ貧しかった、しかし人間がたくさん生きていた「良き時代」に汗をかいて生きてきて、今もなおその文化を大事にしている人なのです。

松本さんも何回かここで書いていますが、いまは「孤独死防止」に取り組んでいます。
機械によらずに、人間を中心に置いた仕組みを開発し、すでに一部大阪で展開されていますが、なかなか普及しません。
政府からも時々取材があるのですが、とても高く評価されるのですが、結局は報告書に紹介されて終わってしまうのがほとんどでした。
松本さんの構想を大きく広げていくと、現在、「不当利得」を得ている人が利得を取れなくなるというような面があり、それが普及のネックになっていると松本さんは言うのです。
それはよくわかります。
それに行政が本当の意味での仕事をしなければいけなくなりますので、行政はあまり力にはなりません。
私も我孫子市の職員や前の市長にも話をしましたが、形式的に流れていることを仕事だと思っている行政職員はよく知ろうともしないのです。

以前も書きましたが、松本さんは松下幸之助さんの奥さんから全面的に信頼されていた人で、松下邸の警護を一任されていた人です。
発想の起点に、常に人間がいます。
だから信頼できます。
daxさんと同じタイプです。
2人とも私と違って、見るからに迫力があります。

余計な事を書いてしまいましたが、話のテーマはCOM2プロジェクトです。
いろいろと話をお聞きし、松本さんのCOM2プロジェクト構想を計画に落とし込むことを少しお手伝いすることにしました。
5月の連休明けに、大阪で再度ミーティングをすることにしました。
いよいよプロジェクトスタートです。

■自殺多発地域の活動者のネットワーク(2009年3月25日)
COM2プロジェクトに先立ってスタートするのが、自殺多発地域の活動者のネットワークプロジェクトです。
昨年から東尋坊の茂さんの相談に乗っていたのですが、いつのまにか、巻き込まれてしまい、この1か月、いろいろと取り組んできました。
私一人では心許ないので、精神看護分野のプロの福山なおみ教授にも協力をお願いしました。
プロジェクトの大枠が決まってきたので、4月25日にキックオフのイベントを開催することにしました。
今日は、福山さんと最終確認をし、まずは、キックオフイベントに向けて、アクションスタートです。
3月31日に第1回目の実行委員会を開催します。
協力してくれる人を募集しています。
もし関心を持ってもらえたらご参加ください。

■我孫子プロジェクトT(2009年3月25日)
今年の10月に我孫子で日本女子ゴルフトーナメントが開催されます。
4日間、NHKで放映されるそうです。
そのチャンスを活かして、我孫子に何か新しい風を起こそうというのがプロジェクトTです。
すでに何回かのミーティングを重ねてきていますが、そろそろ本格的な活動に入りつつあります。
今日は、新しいメンバーも含めて、大きな進め方の確認をしました。
役割分担も少しずつ見え出しました。

私の思いは、これを機会に、これまではばらばらだった我孫子の住民活動や市民活動のやわらかなネットワーク・プラットフォームの基盤をつくることです。
またできれば、この会期中に手賀沼にベロタクシーを走らせられないかとも思っています。

メンバーは多士済々ですが、できるだけ新しい感覚を持って、共創の姿勢を持っている人に集まってほしいと思っています。
我孫子にこだわらず、近隣の人たちも対象です。
すでに柏の人も参加してくれています。
この記事を読んでくださった、我孫子周辺の人で、興味を持ってくださる人がいたらぜひご連絡ください。
次回は4月11日に開催します。

■心強いサポーター集め(2009年3月26日)
プロジェクトの仲間集めという点では、自殺多発地域活動者ネットワークのプロジェクトもまた、参加者募集中です。
以前から交流があった日本財団の伊藤さんが心強いサポーターになってくれましたが、伊藤さんの紹介でもう一人、山下さんという心強いサポーターとも接点が出来ました。

私の基本的な生き方は、人のつながりです。
人のつながりができれば、どんな問題が起こってもどうにかなるものだというのが、私の人生訓なのです。
若い人と話していると、元気が出ます。

■支え合う暮らしサロン(2009年3月26日)
支え合いサロンは、いささか疲れてしまって少し停滞していましたが、少しスタイルを変えて再スタートしようと思います。
今日はそれに向けての準備会的なサロンでした。
意図的に思いをつなげている人たちでと思っていましたが、その主旨を汲んで橋本さんが全国マイケアプラン・ネットワークの島村さんと須田さんにも声をかけてくれました。
そのおかげで、お2人とも久しぶりにお話できました。
もっとも、その会話の中で、なにか介護関係のプロジェクトに巻き込まれそうな話もありましたが、まあそれはそれとして、彼女たちも「支え合いサロン」プロジェクトに巻き込んでしまいました。
まあコムケア的な、バーター方式、事々交換です。
事々交換は、不思議なことなのですが、交換することで価値が創出されるのです。

橋本さん(理学療法士)と清水さん(共同募金会)も参加してくれました。
いろいろと示唆に富む提案や意見が飛び交い、今回の話し合いをベースに「支え合う生き方を考えるサロン」プロジェクトを企画することにしました。
5月の連休明けにスタートします。
お知らせでご案内しますが、コアネットワークを発足させたいと思いますので、参加してもらえるとうれしいです。
参加してもいいという方はご連絡ください。

■2つの報告書(2009年3月27日)
人材活用育成研究会の報告書が届きました。
何回か書きましたが、今年のテーマは「女性の活用」でした。
報告書は事務局の企業活力研究所のホームページに紹介されています。
今回は、報告書に参加委員のメッセージを補論として掲載しています。
私も別項のような小論を寄稿しました。
企業進化の起爆剤としての「女性活用」問題

そういえば、今週の初めにもうひとつの報告書が届きました。
これも何回か書きましたが、機械振興協会経済研究所の長い名前の研究会の報告書です。
事務局の坪倉さんが獅子奮迅の活動でとてもいい報告書を完成させてくれました。
「変容する顧客の価値・ビジネスに対応したモノ作りの取り組みと今後の展開」が報告書のタイトルです。
私も少し書かせてもらいましたが、前に書いた久しぶりの企業関係の小論です。
報告書を余分にもらいました。
読んでくれる人がいたら贈呈しますのでご連絡ください。

〈2009年3月第3週〉
週末に向けて風邪を引いてしまい、予定が狂ってしまいました。
いろいろと動きだした矢先でしたので、ちょっと大変です。
簡単な記録にとどめます。
■プロジェクトTキックオフ(2009年3月15日)
■「NPO新時代〕の田中弥生さん(2009年3月17日)
■住友生命福祉事業団のお2人(2009年3月19日)
■我孫子創年倶楽部のオープニング(2009年3月21日)

■プロジェクトTキックオフ(2009年3月15日)
我孫子カントリーで、今年の10月に女子ゴルフトーナメントが開催されますが、それをテイクチャンスして、我孫子に新しい風を起こす、柔らかなオープンプラットフォーム・ネットワークを作ることになりました。
そのキックオフ・ミーティングを開きました。
7人が集まりました。
当面は、プロジェクトTと呼ぶことにします。

■「NPO新時代〕の田中弥生さん(2009年3月17日)
「NPO新時代」の著者の田中さんがやってきました。
4月に討議型フォーラムを開催しますが、その打ち合わせをしました。
田中さんの関心は「市民社会」にむき出しています。
日本の「市民社会」論は、近代の枠組みを超えられずに、サブシステムとしての市民セクター論に留まっていますが、私自身はもっと社会そのもののパラダイムシフトを議論すべきだと思っています。
学者にはそんな飛躍はできないでしょうから、それこそ実践がそれを志向すべきではないかと思っています。
いつかまた市民社会論を話し合いたいと思いますが、今回はもう少し眼前の問題の議論に終わりました。

■住友生命福祉事業団のお2人(2009年3月19日)
住友生命福祉事業団のおかげで、私は好き勝手なNPO支援活動をさせてもらってきました。
それがコムケア活動です。
もっともあまりに好き勝手にさせてもらったおかげで、本業ができなくなるほどにのめりこんでしまい、人生をかなり変えてしまったように思います。
もちろん後悔などはしていませんが、従来型の生き方だったらこんな苦労はしなかったろうなと時に思います。
しかし同時にこんなに面白い生き方も出来なかったろうと思います。
その意味で、住友生命には感謝しています。
その事業団のメンバーが変わることになりました。
本来であれば、私が挨拶に行かないといけないのですが、的場さんと中尾さんがわざわざ湯島まできてくれました。
来年度はコムケア活動も少しまた活性化させられればと思っています。

■我孫子創年倶楽部のオープニング(2009年3月21日)
ここでも何回か登場している我孫子の槙さんが、シニア男性のたまり場としての創年倶楽部を立ち上げました。
今日はそのオープニングパーティでした。
来月からは、ワンコインサロンが始まります。
我孫子に新しい風が起こりそうです。
ちなみに、創年のたまり場の看板は、スペインタイル工房のタジェール・デ・ジュンの作品です。

(2009年3月第2週)
漸く時間破産から抜け出しつつありますが、その反面、活動が拡散しだしています。
先行きの時間破産がいささか気にはなります。
人間嫌いが少しずつ高まっているからです。
困ったものです。
■ぐんまNPO協議会の集まりで話させてもらいました(2009年3月8日)
■白樺派カレー普及会会長の小野さんに久しぶりに会いました(2009年3月9日)
■マルチハビテーションしている飯沼さんが訪ねてきました(2009年3月10日)
■理学療法士の橋本さんの就職先が決まりました(2009年3月10日)
■現場で自殺防止活動をしている日立への応援活動に取り組みます(2009年3月11日)
■むすめたちといろいろと話しました(2009年3月12日)
■胡蝶蘭が届きました(2009年3月13日)
■エスクの名木さんのビジョンが少しずつ理解できてきました(2009年3月13日)
■佐々木さんからいろんな元気をもらいました(2009年3月13日)
■共済研究会で刺激と感動をもらいました(2009年3月14日)

■ぐんまNPO協議会の集まりで話させてもらいました(2009年3月8日)
ぐんまNPO協議会の集まりでお話をさせてもらいました。
打診があったときにばたばたしていて、タイトルをお任せしてしまったのですが、なんと「21世紀は真心の時代」という演題になりました。
いざ話す準備をする段階になって後悔したのですが、もう遅すぎました。
このタイトルは、実は27年前に私の書いた論文のタイトルです。
このホームページにも掲載されていますが、まさかその内容を話すわけにもいかずに、結局、人のつながりの大切さを話させてもらいました。
講演終了後、NPOの交流会がありました。
いろいろと刺激を受けました。

群馬には何人かのコムケア仲間がいますが、今回はその人たちが私を呼んでくれました。
おかげで、久しぶりに国際比較文化研究所の太田さんにもお会いできました。
新たな出会いもいくつかありました。

■白樺派カレー普及会会長の小野さんに久しぶりに会いました(2009年3月9日)
我孫子市には白樺派の文学者たちの別荘があった時代があります。
志賀直哉には我孫子が舞台になった小品もあります。
それで数年前に、白樺派カレーなるものが開発されました。
これに関しては以前書きました。
その普及活動に取り組むのが小野さんですが、彼が青年会議所の理事長だった時に、山形市で開催したまちづくり全国会議にパネリストとして参加してもらったことがあります。
その後、交流は途絶えていましたが、今度、取り組もうとしているプロジェクトTへの参加を呼びかけることにしました。
それで久しぶりに会いに行きました。
白樺派カレーはレトルトにもなっています。
プロジェクトTは、少しずつ輪を広げながら進めていく予定です。

■マルチハビテーションしている飯沼さんが訪ねてきました(2009年3月10日)
北海道の阿寒と東京の二重生活に入っている飯沼さんが相談に来ました。
飯沼さんは、いろいろなことに取り組みだしています。
居場所を変えると見える風景が違ってきますから、アイデアも広がるのでしょう。
今日はあるキャラクターの普及の話でした。
そのキャラクターを活用した物語を育てていきたいというのです。
そのキャラクターの名前は、タピラス。
ネットの世界にはすでに物語が紹介されています
ぜひ見てください。
これからいろいろと発展していくでしょう。
楽しみです。

■理学療法士の橋本さんの就職先が決まりました(2009年3月10日)
コムケアセンターのコアメンバーの橋本さんが理学療法士の資格をとり、いよいよ4月から病院で仕事を始めます。
一段落ついたので、やってきてくれました。
彼の人生構想チャートも見せてもらいました。
橋本さんが目指すのは、専門分野の埋没しない専門家です。
毎回会うたびに新しい気づきのはなしをしてくれます。
橋本さんがどんな地平を開いていくのかとても楽しみです。

幸いに首都圏での就職だったので、これからもコムケア活動に取り組んでくれることになりました。
早速、再来週にはサロンを開催することにしました。
よかったら参加してください。
支えあいサロンです。

■現場で自殺防止活動をしている日立への応援活動に取り組みます(2009年3月11日)
先週の関係者のミーティングを具体化するために、共立女子大学の福山教授と相談し、4月下旬に自殺多発地域で防止活動に取り組んでいる人たちの集まりを開催することにしました。
実際に開催するとなると、テーマがテーマだけに気楽には出来ません。
福山さんは、この分野の専門家ですが、私自身は全くの部外者です。
なかなか先が見えませんが、フットワークのいい仲間を探しています。
自殺防止のテーマに関心があり、協力してもらえる方がいたら、ぜひご連絡ください。

■むすめたちといろいろと話しました(2009年3月12日)
このコーナーにはなかなか書けませんが(私だけの話ではないためです)、わが家もいろいろと問題があるのです。
しかしなかなかゆっくりと話す場を創れずにいましたが、今日は、たまたま心を開いて話しあえる場がつくれました。
私にとっては妻を、娘たちにとっては母親を失うということは、それぞれの人生に大きな影響を与えました。
私はまだそのダメッジから立ち直れていませんが、程度の差こそあれ、娘たちも同じです。
一緒に暮らしていた家族を失いことは頭で考えられる以上に大きいです。
今日は、久しぶりに心を開けはなせてよかったです。

■胡蝶蘭が届きました(2009年3月13日)
オフィスに着いたら、福山さんが胡蝶蘭を抱えてドアの前に立っていました。
胡蝶蘭を持ってきてくれたのです。
最近、私のオフィスが殺風景だったので気にしてくださったのかもしれません。
湯島のオフィスをオープンした時には、たくさんの花が届きました。
しかし最近は、花を持っていってもすぐに枯れてしまいます。
あまりオフィスに行かないのと水をやるのを忘れるからですが、せっかくの胡蝶蘭をからせてはいけないので、しばらくしたら自宅に持ってこようと思っています。

それはともかく、福山さんは不思議な人です。
今日は花だけではなく、なぜかおいしいお茶と焼き栗を持ってきました。
誰かに何かを上げるのが好きな人がいますが、まさに福山さんはそのタイプのようです。
おかげで今日はとてもおいしいお茶を飲めました。

■エスクの名木さんのビジョンが少しずつ理解できてきました(2009年3月13日)
人にあげるのがすきといえば、エスクの名木さんもそうなのです。
今日はちょうど昼時だったので、サンドウィッチやジュースを抱えてやってきました。

名木さんは実にフットワークがいいのです。
先月、私のサイトを見て山村留学に興味をもって連絡して来てくれた人に会いにいったのだそうです。
驚いてはいけませんが、その人は関東圏ではなく、なんと四国の高知に住んでいるのです。
日帰りで行ってきたそうです。
このフットワークのよさは驚異的です。
見習わなければいけません。
彼女は私よりも年上のはずです。

しかしまあ、問題がないわけではありません。
せっかく高知まで行ったのに、実は会えなかったのだそうです。
どうもお互いに違うところで相手をずっと待っていたようです。
これもまたすごい話です。
ですから名木さんを応援することにしました。
本当はそろそろ退却したいと思っていたのですが。

■佐々木さんからいろんな元気をもらいました(2009年3月13日)
岐阜に転居した佐々木さんが来てくれました。
今年になって初めてですが、なんとなく佐々木さんとはいつも会っているような気がします。
私と同じく、先日、めまいと吐き気に襲われたとお聞きしていたので気になっていましたが、お元気そうなので安心しました。
佐々木さんもまた、私の元気を送ってくれるお一人なのです。

佐々木さんは、私に「本来無一物」を勧めてくださった方です。
掛け軸までもらっているのですが、私はまだなかなかそうなれずにいます。
佐々木さんと会うとやはり昨今の経済社会のあり方への不安が話題になります。
なぜ日本では、支えあう文化が消えてしまったのか、どうしたらそれを回復できるのか、それが佐々木さんのテーマです。
佐々木さんと話していると、とても元気が出てきます。

大学時代の仲間からみんなで会食しようという誘いが来ていますが、彼らに会うと元気が吸い取られます。
なぜでしょうか。
最近、私はかなり人間嫌いになってきています。
いろんな仲間からいろいろと誘いがあるのですが、参加してもどうも自分が違った世界にいるような気がして、居心地が悪いのです。
どうしてでしょうか。
困ったものです。

■共済研究会で刺激と感動をもらいました(2009年3月14日)
今年初めての共済研究会です。
私はいささか場違いのメンバーなのですが、この研究会の運営委員であるみなさんの思いに引きずり込まれてしまい、出来るだけ参加しています。
共創研究会は、日本の共済制度がアメリカの横槍での保険法改定によって、壊されようとしているのに対して、共済関係者が集まって、どう対抗していけばいいかを議論し情報発信しているのです。
正直なところ、私自身は金銭を手段にした共済保険にはあんまり興味はないのですが、佐々木さん初め、本間さんや岩川さん、相馬さんといった人たちの発言が心に響いてくるのです。
なぜ惹かれるのか。
今日、相馬さんのお話を聞きながら少し頭が整理できました。
広義の共済文化と協議の共済事業とのつながり方に、私の関心があるようです。
このあたりを少し整理してみたくなりました。

今日は他にも感動的な話を2つ聞かせてもらいました。
ひとつは、全商連理事の安部さんの共済規制反対への取り組みの報告です。
実践のすごさに改めて感激しました。
もうひとつは、賀川豊彦の小説「乳と蜜の流るる郷」の話です。
全中の田中さんからのお話でした。
いつかまたブログで報告したいと思いますが、その小説のエッセンスはネットで読めますので、よかった読んでみてください。

(2009年2月第4週〜3月第1週)
この2週間、久しぶりに時間破産を経験しました。
といっても物理的には以前のような破産状況ではなかったのですが、いろんなことが重なってしまい、うまく対応できなかったせいです。
いつも課題が心に残っている感じなのです。
しかも最近は夜目が覚めてしまい、寝不足もたまっています。
どこかでこの状況から抜け出ないといけませんが、残念ながらまだ先が見えません。
ひとつ課題をこなすと、次の課題が入ってきます。
別にそれほど強く頼まれているわけではないので、引き受けなければいいだけの話なのですが、なぜか心身がそう動いてしまうのです。
おそらく妻がいなくなったせいなのでしょう。
そうした状況に抗することなく、しばらくは身を任せようと思っています。
この2週間のことはなかなか書きにくいのですが、楽しい話題を中心に書いておきます。
■宮内さんのファミリーコンサート(2009年2月22日)
■インキュベーションハウス決算(2009年2月25日)
■古い友人杉山さんと新しい出会いの田中さん(2009年2月26日)
■SCALE Designのミーティング(2009年2月28日)
■雪が降りました(2009年3月3日)
■水際で活動されている人たちの思い(2009年3月4日)
■女性が企業でがんばれない理由(2009年3月4日)
■カタカムナの平十字(2009年3月5日)

■宮内さんのファミリーコンサート(2009年2月22日)
このコーナーでも何回か登場した我孫子在住の宮内さんが、
家族や音楽仲間と一緒になって開催したコンサートに出かけました。
宮内さんらしく、2月22日午後2時22分開演です。
それに「我孫子」にふさわしく、3歳から68歳までの「3世代構成」の企画でした。
残念ながら当日、インフルエンザの関係で、今回デビュー予定の3歳の円香ちゃんが出場できませんでしたが 、
国籍も含めて、とても楽しいコンサートでした。

ちなみに、宮内さん自身の最初の曲は、なんと「ルパン三世」の主題曲でした。
正直、聴いていて、ちょっとどきどきしました。
しかし、そこがまたファミリーコンサートの魅力ではあります。
後日、宮内さんから少し苦労話をお聞きしました。
とても親近感のもてる、楽しいコンサートでした。

■インキュベーションハウス決算(2009年2月25日)
インキュベーションハウスの活動もこの頃は宮部さんと平田さんにお任せの状況ですが、平田さんが決算をやってくれました。
何と黒字になったのです。
社長のせめてもの仕事として、税務署に届ける申告書を書いて届けるようにと平田さんから指示があったので、届けにいきました。
今年は少し給料をもらえるようにしたいものですが、会社をやるのも結構疲れます。

■古い友人杉山さんと新しい出会いの田中さん(2009年2月26日)
小学校時代の杉山が、一緒に仕事をしていた友人が我孫子在住だからといって、田中さんという方と一緒にやってきました。
何とわが家のすぐ近くにお住まいです。
我孫子での活動にぜひ巻き込みたいと思います。
初対面にもかかわらず、いや初対面だったからかもしれませんが、あっという間に3時間が過ぎました。
杉山の好意に感謝しなければいけません。

■SCALE Designのミーティング(2009年2月28日)
少し間があきましたが、SCALE Designのミーティングをもちました。
最近の様子を松清さんから聞くと同時に、これからのプロジェクトに関して少し話し合いました。
ベロタクシー事業を契機にスタートしましたが、残念ながらなかなくまくキックオフできません。
巻き込んだメンバーにはちょっと申し訳ない気もしていますが、
今年はぜひおもしろい展開につなげたいと思っています。

■雪が降りました(2009年3月3日)
雪が降りました。
雪が振ると心が弾んだものですが、それほどの雪ではなかったので、ただ寒いだけでした。

■水際で活動されている人たちの思い(2009年3月4日)
東尋坊で自殺防止活動をしている茂さんと川越さん、それに白浜の三段壁で同じような活動をしている藤藪さん、研究者として現場を大事にしている福山さんと5人で会いました。
現場で自殺防止活動をしている人たちの柔らかなネットワークをつくりたいという茂さんの前々から夢に引き込まれてしまったのです。
藤藪さんとは初対面でしたが、何と他にも接点があることがわかりました。
世界のつながりをまた感じました。
できれば4月か5月にミニサミットを開催しようと言うことになりました。
これまたコムケア的な無謀な企画ですが。

■女性が企業でがんばれない理由(2009年3月4日)
人材活用育成研究会の最終回でした。
報告書もほぼ完成しました。
最後にある大企業の人が本音ではなしてくれました。
一番の問題は忙しすぎることなのだ、と。
その一言を聞いて、安心しました。
いまの企業の働かせ方が女性の活躍を阻害している一番の問題なのです。
そこに気づいただけで、今回の研究会は成果があったと思いました。

■カタカムナの平十字(2009年3月5日)
濱口さんがわが家まで献花に来てくれました。
最近、私自身が時間破産でつかれきっていましたが、濱口さんの話はいつものように他の人との会話とは違うものですから、元気が出ます。
2つだけ書いておきます。

一つは濱口さんが行ってきた金鳥山の話です。
金鳥山は知る人ぞ知る山で、楢崎皐月が平十字なる人物からカタカムナの文献を見せられたところです。
近くに芦屋道満の墓もあるようなのですが、大雨で行けなかったため再度行ってきたそうです。
そこで、なんと平十字公園なる場所を発見、その近くの人から聞いてきた話を聞かせてもらいました。
まあ、興味のある人には興味のある話です。

もう一つは、和法本草学の話です。
これはむしろ濱口さんの本業に近い話ですが、この分野への濱口さんの知識はかなりのものです。
いつも教えられることがたくさんあります。
私からは「グリーンファーマシー」のような本が日本にも欲しいねという話をしました。
前回会った時には、安藤昌益の話になり、資料を少し読んでみましたが、どうも難解で挫折しました。
誰にでもわかるような気楽に読めるブログでも始めてくれないかと頼みました。
まあそんなこんなで、ちょっと非日常的な3時間を過ごしました。

(2009年2月第3週)
心身が重い割には、いろんなことに関わりだし、興味を拡げたために、今週もいささかせわしなく過ぎています。
新しい刺激もたくさんもらえました。
ホームページもなかなか更新する時間がなくなり、さらにブログ書きにも追われだしました。
これは正常化と言うべきでしょうか。
しかしテレビの報道番組を見るたびに、イライラが募りますので、ニュース番組はあまり見なくなってきました。
■地元の我孫子で新しい活動を始めます(2009年2月17〜19日)
■主夫業の魅力(2009年2月18日)
■副業でこの会社で働いています(2009年2月18日)
■いい加減に使われている協働って何でしょうか(2009年2月20日)
■あなたのためのディナーの日(2009年2月21日)

■地元の我孫子で新しい活動を始めます(2009年2月17〜19日)
地元のいろいろな方からいろんな相談があります。
それをみんなひとくくりにつなげることにしました。
準備も兼ねて、我孫子の市役所に行き、3つの部署のお話を少しだけ聞きました。
それを踏まえて、富樫さんと槙さんと打ち合わせ、いよいよ我孫子プロジェクトをスタートさせることにしました。
さてどうなりますことやら。
仮称プロジェクトTの始まりです。

■主夫業の魅力(2009年2月18日)
いささかプライバシーに関わりそうなので今回はミスターXとしておきましょう。
まあ何回かこのコーナーには登場していますので、わかる人にはわかってしまうかもしれませんが、
Xさんはいま「主夫業」への転身を考えています。
今日はあるテーマでの議論のために来たのですが、
その議論もさることながら、もっと大きなテーマの議論になってしまいました。
「主夫業」という言葉から考えると、さまざまな問題が見えてきます。
実は先週、ある人から転居の相談を受けたのですが、彼女の家族は主夫家族です。
ちょうど先週、女性活用に関する報告書のコラム原稿を書いたのですが、
それを書きながらやはりいまの産業社会は男性論理に従っているために壁にぶつかっているのだろうと思いました。
主夫が増えてくるとどうなるのでしょうか。
新しい地平が開けるような気もします。

■副業でこの会社で働いています(2009年2月18日)
これまた差しさわりがないとはいえないので、ミスターYとしましょう。
Xさんと違って、Yさんとは初対面です。
おそらくまたこのコーナーには登場するでしょうから、いずれ誰かはわかりますが、まあYさんにしておきます。
Yさんは、2枚の名刺をくれました。
1枚は副業だというのです。
その副業の名刺は、なんとおそらく誰でもが知っている有名な企業です。
その企業に入るのはかなり難しいはずですが、Yさんにとっては「副業」なのです。
おそらく今後私は副業ではなく本業の方のYさんと付き合うことになるでしょう。
昼間会ったXさんも主夫業を本業とし、これまでの活動は副業にすることになるでしょう。
社会は極めて正常化しだしているのがとてもうれしいです。

しかし、こうした働き方が増えてくると社会はどうなるのでしょうか。
新しい地平が開けるでしょう。
実に興味深いです。

■いい加減に使われている協働って何でしょうか(2009年2月20日)
ついでなので、今日お会いした人はミスターZとしましょう。
匿名にするとかなり自由に書けるものですね。
Zさんとは「協働」と「行政コミュニケーション」の話をしました。
「協働」の現状に関して、私は極めて否定的な意見を持っていますが、Zさんはそのことも良くご存知です。
今回の合意は、やはり「個人」が軸になることだというようなことでした。
Zさんは最近の企業のCSRに退屈しているようですが、情報学や意味の文明学の視点で、またゆっくりと議論したいと思いました。
いや匿名を使っても、なかなか書きにくいものです。
最近、私の意識がきっと萎縮しているのでしょうね。

■あなたのためのディナーの日(2009年2月21日)
妻の書棚を見たら、昔の雑誌の「ミセス」が目に付きました。
そこに妻の書いた原稿が掲載されていたことを思い出しました。
読んでみました。
タイトルは「あなたのためのディナーの日」です。
妻への挽歌に書きましたが、なぜ妻が元気だったころ、もっと話題にしなかったのか悔やまれます。
ちょっと元気をなくしてしまいました。

(2009年2月第2週)
今週は3人のエコロジー生活(志向)者に会いました。
その間に企業の経営幹部の皆さんの研究会の中間報告会にもでましたが、やはり世界が違うようです。
■自転車生活(2009年2月9日)
■農業生活(2009年2月10日)
■菜園生活(2009年2月12日)

■自転車生活(2009年2月9日)
自転車を活用したコミュニティが斎藤さんのライフワークです。
斎藤さんとはSCALE Designで一緒なのですが、久しぶりに斎藤さんの最近の構想を聞きました。
どこかで一緒に展開できたらと思います。
具体的な企画書を斎藤さんが近々まとめ、それをベースにした研究会を始めることを勧めました。
始まったら私も参加するつもりです。

■農業生活(2009年2月10日)
昨年のコムケアフォーラム2008の実行委員をやってくれた荒井さん(当時一橋大学学生)が久しぶりに来てくれました。
久しぶりなのは理由があります。
新井さんは大学を卒業して北海道新聞に就職、いまは札幌に住んでいるのです。
取材で東京に出てきたので、湯島に寄ってくれました。
荒井さんは北海道とは縁のなかった人ですが、なぜ北海道新聞に就職したかといえば、北海道で農業をやりたかったからだそうです。
いまはまだ記者ですが、荒井さんのことですから、初志貫徹するでしょう。
どう展開していくか、楽しみです。

■菜園生活(2009年2月12日)
環境クラブの増山さんも、この数年、農業にはまっています。
前にも書きましたが、リトルファーミング講座を企画運営しているのです。
増山さんは埼玉県の岩槻に農場を借りていますが、そこでリトルファーミングクラブ「ポテトサンド」という農業体験スクールをやっています。会員制の菜園生活クラブもあります。
まだ活動を始めたところですが、今年は本格的な展開を考えているようです。
興味のある方はぜひ増山さんに連絡してみてください。
私もどこかで活動の接点を持ちたいと思っています。
増山さんとは、しかし、今日はイスラム経済論で共感しあいました。
彼はクリスチャンですが、イスラムにも造詣が深いのです。

(2009年2月第1週)
今週は何人かの、私よりも年長の元気シニアから刺激を受けました。
■メディエーター(2009年2月2日)
■企業社会のこと(2009年2月4日)
■地域社会のこと(2009年2月5日)
■ボランティア社会のこと(2009年2月7日)

■メディエーター(2009年2月2日)
我孫子で「創年くらぶ」を立ち上げようとしている槙さんが娘のスペインタイル工房に来たので、ちょうど来訪している兄を引き合わせました。
槙さんは、行動的な元気シニアです。
私の周りにいる元気シニアを槙さんに紹介しだしていますが、

最近、私は地元でのメディエーターのような役割を果たしだしています。
そんなことをやっていると、なかなか自分の活動が出来ないのですが、これもまらめぐり合わせかもしれません。
めぐり合わせに抗うことなく従うようになってきました。
私もかなり変化してきているようです。

■企業社会のこと(2009年2月4日)
企業関係の仕事を長年してきている人と久しぶりにゆっくり話しました。
仕事の話ではなく、むしろ生活の話です。
企業の実態は、むしろそうしたところに本質がでてくるものです。
今日はまた人材育成研究会の日でもありました。
女性活用をテーマにした報告書の原案が完成したので、それへのコメントを言い合う会でした。
こうした議論の中にも、企業社会の実態が見えてきます。
企業社会の病理はかなり大きいような気がして、ちょっと気の重くなる1日でした。

■地域社会のこと(2009年2月5日)
今日は、地元である我孫子と柏のいろいろな人に会いました。
久しぶりに喫茶店をハシゴしました。
地元で活動している人たちに会うと、いろんな情報が入ってきます。
もちろん個人情報もです。
地元の活動は、論理情報だけでは動けません。
むしろそうした極めて主観的な情報や個人的なプライバシー情報が重要になってくるのです。
大切なのは、それらをどう編集し、構造化するかです。
さてどうしようか、迷っています。
もう10歳、若かったらと思わないでもありません。

■ボランティア社会のこと(2009年2月7日)
ボランティアフォーラムTOKYO 2009に参加しました。
ブログに書きましたが、私が参加したのは、「それぞれのプライスレス」。
お金も大切だけれど、もっと大切なものがあるのではないかというワークショップです。
そこでの議論などはブログを読んでください。
コーディネーターは枝見太郎さん。ゲストは私と姜咲知子さんです。
終わった後、何人かの方と話しました。
いつも感ずるのですが、NPO関係の集まりとちがって、人間と現場がすごく近くに感じられます。
しかし、この分野も何となく「重く」なってきているような気がします。
参加者の一人の発言が印象的でした。

「最近の不況の中でいまは失職しているが、それを契機に自分の生き方を考え直すきっかけを得られた」

最後に定額給付金の話が出てきました。
本当に困っている人やホームレスに届かないのに怒りを感ずるという発言が続きました。
問題は高所得者が辞退するとかしないとかいう話ではないのです。
失職している人でさえ怒っている、つまり政府よりも正常な良識を感じます。
ボランティア社会は、まだNPOの社会ほどには壊れていないようです。

私のブログの一部を参加者に配布しました。
よかったら読んでください。

(2009年1月第4週)
体調がいまひとつでした。
■人間の生き方(2009年1月28日)
■産業のあり方(2009年1月29日)
■社会教育のあり方(2009年1月29日)
■仕事のあり方(2009年1月30日)
■社会のあり方(2009年1月30日)

■人間の生き方(2009年1月28日)
ちょっと大げさなタイトルなのですが、私よりも年上の地元のシニアのお2人とお話して、そんなことを考えました。
ブログの方に書きましたが、お2人とは足代さんと富樫さんです。
お2人とも前にこのコーナーに登場していますが、ご自分をしっかりと生きている方たちです。

足代さんとはアッカド語の話題でしたが、
私自身は楔形文字とアッカド文字の違いさえもわからないのですが、アッカドなどというと何だかわくわくしてしまいます。
富樫さんとは2年ぶりくらいでしょうか。
いろいろとお誘いがあったのですが、妻の病気などでしばらくご無沙汰していました。
積もる話があるというのでお会いしたら、本当に積もる話でした。
富樫さんは、たぶん我孫子のまちづくりや市民活動に関して、私にとっては一番波長の合う方です。
話しているとすぐに心が繋がります。
その富樫さんが、あることを一緒にやらないかとのお誘いです。
断れないのが私のダメなところです。
さてどうしましょうか。
しかし、人生の生き方はいろいろです。

■産業のあり方(2009年1月29日)
坪倉研究会と私は勝手に呼んでいますが、機械振興協会経済研究所の研究委員会でした。
今日はいろいろと議論できて面白かったです。
ただ、議論しながら感じたのは、やはり私は社会から脱落しているなと言うことです。
どうもどこかで「ずれ」を感じます。
昔は、そのずれを何となく感じていただけですが、最近はかなり明確に感じるのです。

極めて傲慢に言えば、産業や企業の先行きに関して、世間の常識と私のそれは基本から違っているのです。
ですからどうも議論ができないのです。
もちろん私のそれは幻想であり、論理的でも実際的でもないのですが、奇妙に私の中ではリアリティがあるのです。
いささか危うい話ですが、気がふれる直前なのかもしれません。

しかし、いずれにしろ「産業」のあり方は、根本から変わるべき時期にきています。
今回の研究会で、そのことを20年ぶりに実感しました。
会社を辞めたころのことを思い出します。
しかし、その頃と今とではむしろ世間の動きは後退しているような気がします。

それはともかく、私の担当部分をどうまとめるか、かなり不安です。
これからの機械産業のあり方について、まとめなければいけません。
さて大丈夫でしょうか。
まあ楽しめるかもしれませんが。

■社会教育のあり方(2009年1月29日)
金田さんと近藤さん(「社会教育」編集長)が来ました。
金田さんは、信濃川の宮下ダムの資料を持参してくれました。
この話は実に面白いのですが(不謹慎な表現ですが)、これから話題になっていくかもしれません。
信濃川にサケを遡上させる話と関係しています。
またいずれきちんと書くことがあると思います。

「社会教育」編集長の近藤さんとは1年ぶりでしょうか。
これもあまり勝手には書けませんが、どうも曲がり角に来ているようです。
「社会教育」に関しては、3年ほど前まではいろいろと興味があり、大きな可能性を感じていましたが、
どうも新しい風はどこからも吹かないようです。
学習社会などという言葉が流行った時期が懐かしいです。
近藤さんがなにか面白い風を起こしてくれればいいのですが。
社会教育のあり方が変われば、社会は間違いなく変わっていくでしょうから。

■仕事のあり方(2009年1月30日)
ある研修会社のスタッフが相談に来ました。
なかなか会社の体質が変わらないことに不安を持っているようです。
その会社は、時代の変化の中で、企業や経営の変革を働きかけるような事業に取り組んでいるのです。
ブログに書きましたが、これまでのアメリカ型の新自由主義経済を指導してきた中谷巌教授が最近懺悔して話題になっていますが、懺悔ですめば楽な話です。
彼らのためにどれだけの人が死に追いやられ、家庭を壊されたことでしょうか。
しかし、現実の経済界は、そうした中谷さんたちの教えを組んだ人たちに今なお指導されています。
企業や経営の変革を呼びかけたりしているコンサルタントや研修機関、あるいはそうした勉強会の講師が、今なおそうした人で占められているのです。
学べば学ぶほど、企業も経営も悪くなるのが関の山です。

まあこれは企業に限らず、世の中の審議会や政策提言に取り組む組織のリーダーは、
すべてが事態を悪くした人たちで占められているというのが現実です。
ですから現実を変えようなどとは思わずに、小さくてもいいから何か新しいプロジェクトを起こしたらどうかと話しました。
変革は難しくても、新しいものを創出していくことは難しくありません。
仕事の取り組み姿勢を変えなければいけません。
今はそういう時代なのですから。

■社会のあり方(2009年1月30日)
53歳の方が、ある人の紹介でやってきました。
事務機器の営業をやっていましたが、いろいろとあって、昨年ラーメン屋さんに転職したそうです。
しかし条件が厳しすぎて続かないので、また転身したいと思っているという相談です。
ラーメン屋さんの仕事は夕方から翌朝6時までです。
深夜営業をしているお店なのです。
奥さんとお2人の暮らしですが、10年ほど前にマンションを購入したようですので、
もしかしたらローン返済が残っているかもしれません。
とても誠実そうな人で、事務機器販売の顧客だった会社の社員が、私を紹介したのです。
私はいろんな人を知っているからというのが紹介者の考えでしたが、
残念ながらビジネスの世界のパイプはあまりないので、お役には立てそうもありません。
私ができることと言えば、価値観を変えて新しい生き方を考えましょう、という、いわば即効性の無いアドバイスくらいです。

その方は熊本から若い頃出てきたのですが、
こうして真面目に働いて来た人が、景気が悪くなったといって会社から追い出される社会になってしまったのがとても寂しいです。
真面目に働いていれば、きちんと暮らしていける社会を壊してきた、政治家や財界人、あるいは官僚が、いまなお仕事もせずに贅沢をしているのがとても残念です。
最近は、何を考えても行きつくところは同じです、

まあそれはそれとして、どこか働き場があれば教えてください。
私にもいい仕事があれば教えてください。
そろそろ仕事をしないといけなくなってきました。
困ったものです。

(2009年1月第3週)
天気がよくないせいか、体調があんまりよくありません。
年賀状の返事も書こうと思いながら、全く書けていません。
どこかに違和感があるなと思っていたら、23日の朝、まためまいが襲ってきました。
今回は1日で克服しましたが、最近どうも心身の動きが軽くならずにいます。
したがって活動量も少ない1週間でした。
■インドネシアでいい仕事はないでしょうか(2009年1月18日)
■タンデム自転車の可能性は大きいです(2009年1月20日)
■隠岐維新ってわくわくします(2009年1月21日)
■世界が回ってどきどきでした(2009年1月23日)
■家族的な環境の中で子育て支援するエスク(2009年1月24日)

■インドネシアでいい仕事はないでしょうか(2009年1月18日)
インドネシアで働いているチョンさんに会いました。
久しぶりです。
インドネシアとマレーシアにネットワークを持っています。
何かいい仕事があったら教えてください。

■タンデム自転車の可能性は大きいです(2009年1月20日)
タンデム自転車といえば、二人乗り自転車ですが、その作り手の紀洋産業の岡田さんのところにいきました。
ある研究会の取材の一環なのですが、いろいろなタンデム自転車も見せてもらいました。
一番の気づきは、障害をもつ人や高齢者にも、大きな意味を持っているということです。
福祉の分野で、もっと自転車が見直されてもいいと思いました。
どうつなげていくか、これから少し考えてみたいと思います。

■隠岐維新ってわくわくします(2009年1月21日)
支え合いサロンだったのですが、案内をほとんどしなかったこともあって、結局来たのはわこう子育てネットワークの小林さんだけでした。
そのおかげで、久しぶりにゆっくり話しました。
隠岐の海士町の話をしたら、小林さんが隠岐騒動(隠岐維新)のことを教えてくれました。
明治維新の時に、隠岐に自治政府が生まれたのだそうです。
結局、明治政府によって自治政府は壊れてしまったのですが、とても魅力的な話です。
隠岐国ができていたら、日本の国のかたちもかなり違ったものになっていたでしょう。

■世界が回ってどきどきでした(2009年1月23日)
朝起きたら、めまいのために歩けなくなっていました。
一昨年の大晦日にも体験した状況ですが、今回は2回目だったので、ともかく安静にしていました。
午後になってからお医者さんのところに行きましたが、全身の違和感はまだおさまりません。
困ったものです。

■家族的な環境の中で子育て支援するエスク(2009年1月24日)
前から約束していたため、あんまり体調は良くなかったのですが、久しぶりにエスクに行きました。
エスクに関係のある人たちに集まってもらって、これからのエスクのあり方を考えようという目的です。
エスクの良さは、やはりまだあまり社会には知られていないようです。
その後、エスクのスタッフの皆さんとも話し合いました。
たくさんの気づきがありましたが、やはり最大の問題は、日本の福祉行政から「ケアマインド」が欠落していることだと思います。
改めて家族とか家庭ということが重要になってきているように思います。

(2009年1月第2週)
今週もいろいろな人が来てくれました。
しかしどうも最近は「受身的な自分」を感じます。
同時に、相手の生き方が気になるようになってきている自分も感じます。
以前はすべての人が同じように見えたのですが、最近はそうではないのです。

地元の住民活動家に誘われて市役所にも行きました。
これまでの住民と行政の関係にはどうしても違和感があるのですが、
どこかで折り合いを付けながら、今年は何かを始めようと思っています。

しかし、今週は年賀状の返事のことが気になって、金縛りにあったように、どうも心身が動かないのです。
そんなわけで、ホームページの更新も今週は手抜きです。

週末にコムケアの新年交流会を開きましたので、それについてだけ書いておきます。

■コムケア新年交流会2009(2009年1月17日)
コムケア新年交流会は、急な呼びかけにもかかわらず、27人(たぶん)の人が集まりました。
関西からも4人、群馬からも2人の人が参加してくれました。
久しぶりに湯島の部屋がいっぱいになりました。
最初の人は1時に来ましたので、7時間を超える長い交流会でしたが、さまざまな話題が飛び交いました。
人数が予想以上に多かったのですが、それぞれ話し合うスタイルではなくて、
全員で話し合うスタイルをとったため、あまり発言できなかった人も出てしまい、申し訳なく思っています。
すべての紹介は無理ですが、大きな話題だけ少し書いておきます。

○働く場としての介護
23歳の若者からの福祉現場での体験からの疑問の提出に始まり、話が広がりました。
少しだけ先輩の若者たち、行政の立場からの発言(地元の我孫子市役所の人が参加してくれました)、
そして医師や企業の人からの発言がありましたが、大きな意味ではみんなが感じていることは同じでした。
介護現場で働く人たちの条件が悪すぎること、制度が心を込めた活動の制約になっていること、など、
問題はいまやかなり明確になっています。
にもかかわらずそれが一向に改善されないわけです。

こんな条件ではこれしかできないと、介護現場の人たちが反旗をひるがえさないと事態は変わらないのでしゃないかという、刺激的な発言もありました。
その意図は、よくわかります。
制度の問題をみんながかばいあっているだけでは事態は変化しないでしょうから。
何だか誤解されそうな紹介ですが、とても面白かったです。

○孤独死予防のためのCOM2
このサイトでも何回か書いていますが、
COM2(おたっしゃコール)プロジェクトの松本さんと坂本さんが大阪から参加してくれました。
松本敏さんは長年の体験から「肉声の力」をよく知っています。
あまりに思いが深いため、ちょっと説明時間が長すぎた感はありますが、
冗長さを重視するコムケアとしてはそうしたところにこそ「事の本質」が見えてくると考えています。
でも、初めてコムケアに参加した方にはちょっと長すぎたかもしれません。

しかし、松本さんが話されたように、今もなお阪神大震災の仮設住宅では孤独死が続発しているのです。
松本さんの怒りはよくわかります。
松本さんはきっともっともっと話したかったでしょう。すみません。

松本さんがいうように、孤独死はコミュニティがなくなってきていることの現われの一つですが、
逆に言えば、孤独死を防ぐ活動がコミュニティを回復していく契機にもあるわけです。
そうした視点で、地域のさまざまな活動と組み合わせていくことが必要なのかもしれません。
松本さんの目指しているのは、コミュニティの回復です。

我孫子の健康福祉部長の鈴木さんに先日、松本さんの話をしたら、この集まりに参加してくれました。
うまく伝わったかどうかいささか心配です。フォローに行かねばいけません。

○新しい葬送文化
大阪の「寿衣を縫う会」の嶋本さんも最初から最後まで参加してくれました。
嶋本さんは昨年、友人の葬儀にかかわった体験から、日本の葬儀のあり方に改めて疑問を持ちだしたのです。
そして、葬儀はコミュニティの原点の一つだったことを思い出し、
葬儀とコミュニティ活動をつなげられないかと考え出しました。
「地域葬」の復活と言っていいかもしれません。

葬儀は、介護や孤独死にも繋がっていきますし、地域の福祉活動にもつながっていくはずです。
新しい葬送文化の検討に取り組めないかと、嶋本さんは呼びかけています。
関心を持った人たちでのプロジェクトが立ち上げられればうれしいです。

○小児科医の現状
神戸の小児科医の黒江兼司さんが参加してくれました。
小児科医の現状を少し話してくれましたが、日本の医療制度の矛盾は小児科医にも強く出ているようです。
産科医不足が大きな問題になっていますが、不足は産科医に限った話ではありません。
医療制度の基本に問題があるのだろうと思いますが、黒江さんはそれを直さない限り、事態は変わらないのではないかと最近考え出しています。
どうしたらそれに取り組めるか、政治しかないのかもしれないと黒江さんは思い出しているようです。

○次世代育成計画と子育ち支援
社会の一番大きな財産は「子ども」です。
その子どもが「少子化問題」などと言う形で「量的発想」で議論されているのが、私にはなんともやりきれませんが、
その子どもたちの育っていく環境づくりに向けての次世代育成計画の見直しが2年後に行われることを子育ち学ネットワークの深作さんが話してくれました。
深作さんたちは、「子育て」ではなく「子育ち」という視点で、子どもの問題に取り組んでいます。
各地で、そうしたテーマでのフォーラムなども開きだしています。
次世代育成計画に取り組んでいるグループがいたら、ぜひ深作さんたちに声をかけてやってください。

○ニートが行く「出張パソコン屋さん」
このサイトでもお知らせしましたが、
今月10日に、ひきこもりやニートと一緒に伴走する皇居一周マラソンを企画実施した「レンタル空手屋」の遠藤さんから、その報告がありました。
交流会に参加したデザイナーの宮内さんも、そのマラソンにも参加されました。
こうして少しずつつながりの輪が広がっていくことがとてもうれしいです。

そのマラソンに参加したパソコンが得意なニートの若者と一緒に、
遠藤さんは「出張パソコン屋さん」プロジェクトを起こすことになりました。
その取り組みに関して、みんなに意見を聞きましたが、
いろんなアイデアがたくさん出ましたし、シミュレーションや意見交換の場の提供のアドバイスもありました。
改めてコムケアのネットワークの意味を実感できました。
人間はみんな本当に支えあうのが好きなのだと、改めて実感しました。

○マイケアプラン活動
全国マイケアプラン・ネットワークの島村さんと須田さんが最後の頃にやってきました。
それでまた介護の話になりました。
時間がもう少しあったらよかったのですが、時間切れになってしまいました。
もう一度パート2をやりたい気分です。
ケアプランづくりの話と早々文化の話し、あるいは孤独死の話はみんなつながります。
「大きな福祉」の取り組みが、ますます大切ではないかと思いました。

○お金の話が出なくてとてもホッとします
話された話題ではないのですが、群馬からわざわざ参加してくれた竹澤さんが帰り際にこういいました。
NPOの集まりでは、どこから助成金をもらおうかとかいうお金の話がよくでるのに、
コムケアの集まりってそういう話が全く出ないのでホッとします、と話されました。

私は、お金につかりきった最近の社会から抜け出したいと思っています。
お金から発想している限り、事業型NPOとか社会起業家、コミュニティビジネスなどと言ってみたところで、
これまでの企業(企業が悪いというわけではありません)と何も代わらないと思っています。
住民活動や市民活動は、そうした金銭の呪縛から解放されないといけないと思っています。
もちろんNPOにしろボランティア活動にしろ、「お金」は大切ですが、
お金に振り回されてしまっては、何のための活動かと言うことになります。
お金がなくてもできることはたくさんありますし、お金があるためにできなくなることもたくさんあります。

この言葉を聞いて、今回の交流会はやってよかったと思いました。
参加してくださった皆様方、ありがとうございました。

7時間にわたるコムケアの新年交流会は、こうして終わりましたが、少し疲れました。

(2009年1月第1週)
「思いの深さ」が今週のテーマです。
週末はすごく寒くて、いささか風邪気味です。
■コムケア新年交流会のお誘い(2009年1月4日)
■ネオニコチノイドの脅威(2009年1月5日)
■バレンボイムの感動(2009年1月6日)
■チャイルドマインダーの不思議(2009年1月7日)
■らーめん大の思い切り良さ(2009年1月8日)
■西川さんのメッセージ(2009年1月8日)
■佐々木さんの提案(2009年1月9日)

■コムケア新年交流会のお誘い(2009年1月4日)
コムケア関係の新年交流会を開くことにしました。
会場を設定して準備するのも大変なので、17日の土曜日にオフィスを公開し、
参加したい人は三々五々集まるという、私好みののオープンサロンスタイルです。
コムケアに関心のある方も大歓迎ですので、よかったらのぞいて下さい。

お知らせ
に書きましたが、17日の2時から8時まで出入り自由です。
大阪や群馬からも何人か参加したいと連絡がありました。
孤独死の問題などの活動の話もあるようです。
コムケアには「思いの深い人」も多いので、どんな展開になるか、楽しみです。

■ネオニコチノイドの脅威(2009年1月5日)
たまたまネットでぶつかった「沈黙の夏」という言葉から、新しい農薬のネオニコチノイドと言うのを知りました。
ブログに書きましたが、その恐ろしさを告発している本「悪魔の新農薬」を読みました。
著者の船瀬さんという環境ジャーナリストの「深い思い」は伝わってくるのですが、
本の内容は焦点が分散してしまっており、あんまりよくわかりませんでした。
この種の本はどうしてこうも説得力がないのだろうかといつも不満ですが、
日本の食品行政や農業政策に大きな問題があるのは間違いなさそうです。
まだあまりマスコミは騒いでいないようですが、早晩きっと大きなニュースになるのではないかと思います。
しかし「自衛策」がないのが問題です。

食育や食の安全に取り組む前にやるべきことがたくさんなるのですが、
そこから目をそらさせるための食育や食の安全ではないかと私はいつも思ってしまいます。

■バレンボイムの感動(2009年1月6日)
これもブログに書いたのですが、
エジプトの中野さんからの手紙で、改めてバレンボイムのラマラコンサートのDVDを観ました。
バレンボイムの「深い思い」は何度観ても感動します。
こうした活動にもかかわらず、ガザは連日、攻撃されています。
中野さんの嘆きがよくわかります。

イスラエル建国までは、ユダヤもアラブも一緒に暮らしていたパレスチナがこんな状況になったのはなぜでしょうか。
昔観た「栄光への脱出(エクソダス)」の映画を思い出します。
イスラエル絶賛のあの映画ですら、イスラエル建国前にはユダヤとアラブがとても仲良く暮らしていたことを示唆する場面がありました。
ユダヤにもアラブにも、どこかに「深い思い」をもった指導者がいるのでしょうが、
その「思い」とそこで暮らしている人たちの「思い」とはかなり乖離しているようです。

■チャイルドマインダーの不思議(2009年1月7日)
次世代人材研究会でテンプスタッフの篠原社長のお話を聴きました。
そこに何と「チャイルドマインダー」という言葉が出てきたのには驚きました。
日本でも既に資格制度ができていることを知りました。

私がこの言葉を知ったのは、エスクの名木さんからですが、そのことを全く失念していました。
名木さんは15年ほど前に、チャイルドマインダーにかなり「強い思い」をお持ちでした。
にもかかわらず、なぜ名木さんとは切り離されたところで、チャイルドマインダーの資格制度ができたのか不思議です。
調べてみたら私の知っている人も協会の理事に名前を連ねていました。

とても複雑な気分です。

■らーめん大の思い切り良さ(2009年1月8日)
昨年末に近くにラーメン屋さんが開店しました。
いつも混んでいてなかなか行く機会がないのですが、先日、娘と一緒に行って、すっかりファンになりました。
ファンになった理由は実に単純で、ラーメンに野菜を無料で乗せてくれるのですが、
ブログにも書いたように、その乗せ方が中途半端ではないのです。
その勢いが元気の出る乗せ方だったので、今日またすいている頃合を見計らっていってきました。
ところが今回はどうも乗せ方に勢いがないのです。
そのせいかラーメン自体も前回ほど美味しく感じられずに、ちょっと冷めてしまいました。
らーめんの味も、思いによって大きく変わるもののようです。

■西川さんのメッセージ(2009年1月8日)
福岡でハーモニカのストリートライブをやっている西川義夫さんが寄稿された雑誌が届きました。
西川さんは、とても「思いの深い」人の知り合いの一人です。
しかも、思いだけではなく、実践が常に伴っているのです。
その西川さんが、福岡県人権研究所の雑誌「リベラシオン」の最新号に寄稿されています。
「人と人を結べたら」という文章です。

この文章で、西川さんは昨年11月の第7回アジア太平洋ハーモニカフェスティバルでの中国の子どもたちとの合奏の体験談を書いています。
その報告は西川さんのブログにもありますが、とても感動的なお話です。
この記事を皆さんに読んでもらえないのが、とても残念です。
読んで欲しい部分はたくさんあるのですが、一箇所だけ引用させてもらいます。

 私達は、往々にして、大きな勘違いをすることがあります。
 それは、じぶんが良かれと思って言ったりしたりすることが、
 必ずしも相手にとってプラスかどうかは、わからないということです。
 特に、優しい人が陥りやすいこの「勘違い」は、
  人と人が結ばれていく時の、場合によっては、大きな障壁になり得ます。

西川さんの言葉は、いつも確かな実践に支えられているので、教えられます。
今年はドイツにも行く計画のようです。

■佐々木さんの提案(2009年1月9日)
思いの深さでは岐阜の佐々木さんも忘れてはいけないのですが、その佐々木さんがメールをくれました。

 定額給付金を単に消費に回すという政府の馬鹿さにしたがっては、社会は救われません。
 佐藤さんが呼びかけて、ワーキングプア、解雇された非正規社員に役に立てる基金を作ったらどうでしょう。
 2兆円あれば、かなりのことができるはずですが、それだけ集まるとは思えません。
 でもどれくらいか集まれば、なにがしかの政治批判と社会への呼びかけになるのではないでしょうか。

「佐藤さんが呼びかけて」と言うところを別にすれば、大賛成です。
こういう動きは起こらないものでしょうか。
「お金」を集めてしまうととんでもない苦労がきっと発生しますから、私にはとてもできませんが、佐々木さんの思いはよくわかります。
どなたかやってみませんか。

(2009年1月三が日)
自宅からも富士山が見えるほど晴れ上がった年の始まりでした。
のんびり過ごしました。
■年の始まり(2009年1月1日)
■道元のことば(2009年1月2日)
■マックス・ホルクハイマー(2009年1月2日)
■アンジェイ・ワイダ(2009年1月3日)

■年の始まり(2009年1月1日)
世情の実状とは無縁に、今年の始まりは穏やかでした
私が住んでいる我孫子は、3日間快晴でした。
私も心穏やかに静かに過ごしました。
今年もまた「希望の年」と決めました。
私の心身の中にある「希望」にもっと気づきたいと思っています。

■道元のことば(2009年1月2日)
坂谷さんが昨年放映されたNHKの「こころの時代」の適すつとDVDを持ってきてくれました。
講師は角田泰隆さんで、材料は「正法眼蔵随聞記」です。
「正法眼蔵』に関する解説書は以前何回か読んだことがありますが、どうも消化できませんでした。
坂谷さんがなぜ私に届けてくれたのかわかりませんが、きっと意味があるのでしょう。
そう思って、今日からDVDを見ながらテキストを読むことにしました。

昨年末にジャイナ教の僧侶だったサティシュ・クマールの本を読んで心やすまりましたが、
今年は少し仏教関係の本も読み直してみようと思い出しています。
道元はいささか私にはハードルが高そうですが、
1回目の話はとても素直に心に響きましたので、この分だと大丈夫そうです。
やはり最近の仏教ものよりも経典に近いものの方が親しみを感じられます。

■マックス・ホルクハイマー(2009年1月2日)
昨年末から久しぶりに学術的な専門書を読んでいましたが、今日、読み終えました。
ブックのコーナーで紹介した「ホルクハイマーの社会研究と初期ドイツ社会学」です。
実はホルクハイマーに関してはほとんど知りませんでしたが、この本を読んで、その思想にとても共感しました。

昨年後半から20世紀の知を代表する人たちに関する本を読む機会が増えましたが、
昨今の問題のすべては、彼らによって指摘されているのに改めて驚いています。
いずれもとても新鮮です。
昔読んだ時には、そのメッセージや意味合いが私には理解できなかったのかもしれません。
まさに歴史は、彼らが予感したとおりに動いているのかもしれません。
古典の中には、もっと大きな人類の知が込められているのでしょうか。

■アンジェイ・ワイダ(2009年1月3日)
NHK教育テレビの「祖国ポーランドを撮り続けた男 アンジェイ・ワイダ」を見ました。
昨年6月に放映されたものの再放送でした。
学生の頃見た「地下水道」や「灰とダイヤモンド」の衝撃はいまでも忘れられません。
しかし、今回の番組で、ロングインタビューに答えているワイダの話を聴いて、
私自身の理解が不十分だったことを知ると共に、
映画を通して世界にメッセージを残すワイダの仕事に感動しました。

ワイダは昨年、彼が望んでいた「カティンの森事件」の映画を製作し、
しかもロシアで喪上映したという話題は聞いていましたが、その意味もこの番組で初めて知りました。
改めてアンジェイ・ワイダの凄さに感動しました。
運命を信ずる気もなりました。

その映画「カティン」は、私はまだ見ていません。
大学を卒業してから、その種の映画は観るのが重過ぎて、どちらかというと回避していました。
ともかく「地下水道」の衝撃が強すぎて、もう見たくないという気がしてしまっていたのです。
「カティンの森事件」は、1940年に旧ソ連で起こったポーランド軍将校の虐殺事件です。
社会主義政権下のポーランドでは50年の間、タブーとされて来た事件です。
ソ連が真相を認めたのは、1990年です。
ポーランドを撮り続けてきたワイダが、この事件を映画にするのは当然の流れですが、
そこにはもっと大きな意味が込められていました。

ワイダの父が、この事件でソ連軍に殺されていたのです。
番組で、ワイダはこう語っています。

「父はポーランドの将校としてカティンで殺された。
母は亡くなるまで父の死を信じなかった。
私は年老いた今、母が毎日何を思い、願っていたか、ようやく分かるようになった。
おそらく、それが運命として、人生の最後に『カティン』を撮る理由だ」


そこに、映画とは別の、もう一つのドラマが見えてきます。
気が重いですが、ワイダのこれまでの作品を見直そうと思います。