茨城県美野里町の共創型まちづくり

美野里町では、住民主役の文化センターづくりから始まって、総合計画や都市計画マスタープランづくりに関わらせていただいています。これが実に面白い展開になりつつあります。

平成8年度までの概要は「共創型まちづくり」の小論および文化センター活動報告をお読み下さい。

事のはじまり
美野里町の人たち

■ 総合計画の動き

住民がやることも計画されている新しいスタイルです。なかなか動かないのが不満ですが。
文化センター物語の本づくり
住民たちの本つくり活動です。茨城新聞社から無事出版しました。
レストランができます。
新しい物語になるかもしれません。いまは、私の思いとは違っていますが。
都市計画マスタープランづくり
生活につながる都市計画づくりプロジェクトです。美野里町モデルが目標。

 

■美野里町まちづくり組織条例の悩ましさ(2004年7月28日)
美野里町のまちづくり組織条例プロジェクトをどう進めていく、について事務局検討会を開きました。
美野里町に限りませんが、自治体行政の実態を知れば知るほど、日本の自治制度が霞が関に翻弄されていることを感じます。
自治の実態を壊してきたのが、爾本の自治政策だったのかもしれません。

今回の条例づくりは、現場での実績をベースにして、それを支援する形での条例づくりを目指しています。
管理型の条例ではなく、支援型の条例です。
美野里町では「住民主役・行政支援」を標榜していますが、その行政姿勢の具現化のひとつとして、まちづくり組織条例をつくれればと思います。
しかし、さまざまな価値観と生活基盤を持つ住民の活動をまとめて行くのは至難なことです。
第一、「まちづくり」という言葉自体が、実体の分かりにくい言葉ですし。
考えれば考えるほど、難題であることがわかってきます。
題一歩が踏み出されれば、それで成功と考えたいですが、果たして行政や住民が満足するかどうかです。



■美野里町まちづくり会議全体会での驚き
(2004年7月15日)
美野里町のまちづくり会議の全体会が久しぶりに開かれました。
昨年作成した「美野里まちづくり計画」を、実現するために、ダイジェスト版を自分たちで作成し、
また先導プロジェクトに関しては、自分たちで一歩踏み出そうと言う取り組みを始めているのです。
その会議に参加しました。

司会は、まちづくり会議の幹事のみなさんです。
行政側は町長も出席しましたが、あくまでも主役は住民たちの自主運営です。
これまでの経過が幹事メンバーから報告され、これからの取り組み課題が提案されました。
行政計画でもある「まちづくり計画」の住民配布用ダイジェスト版を自分たちでつくろうという、画期的な取り組みも、
あっけないほど異論もなく、みんなに受け入れられました。
大丈夫かなと、部外者の私などは心配ですが、まあ私たち外部者よりはいいものをつくれることは間違いありません。
うれしいことです。
さらに驚きは、計画を効果的に実現して行くために、まちづくり組織条例を作ることになり、
その委員にもまちづくり会議から代表を出してほしいと行政から提案されたのですが、
なんとその代表が決まってしまったのです。
それも、アッという間に、です。

そういえば、住民たちでのダイジェスト版作成も、行政は最初意図していませんでした。
打ち合わせがあった訳でもありません。
まちづくり会議の場で、
委員長が「ここまでやったのだからダイジェスト版も自分たちで創ろう」と発言し、
それが通ってしまったのです。
これも「アッという間の決定」です。
行政の担当者からは、とても言い出せないことを、住民たちは気楽に言いだすのです。
そして決まってしまう。
しかし、決めてしまえば、やらざるを得ません。
慌てて行政は補正予算をとって、支援することになりました。
まさに、「住民主役・行政支援」のスタイルです。
そしてまた、今回はまちづくり組織条例への住民たちのコミットです。

正直に言えば、だれもあんまり深く考えていないのかもしれません。
今回の議論の司会はまちづくり会議メンバーの女性が担当しました。
ちょっと頼りなさがありました。
ところが、逆にそれが住民たちには頼れることだったのです。
そして、まちづくり会議からは委員は出さなくてもいいのではないかという意見から始まったにも関わらず、
代表4人が決まってしまったのです。驚愕しました。
市町村の議会は、こういうスタイルにするといいですね。
たくさんのことに気づかされた会でした。

私が市町村に関わりだした時に書いた小論を思い出しました。
このホームページに掲載されています。
読んでもらえるとうれしいです。



■美野里町湯島会議
(2004年7月5日)
美野里町で始まった、まちづくり組織条例づくりの作戦会議です。
湯島会議と言いながら、最近は東京理科大学で開催しています。
形にこだわらずに、実をとる。これが私たちの方針です。
しかし、それぞれ主張のあるメンバーなので、コラボレーションは結構難しいのです。
それぞれが単独で仕事を受託したほうがきっと仕事的には楽でしょう。
最初の頃は、それぞれに遠慮しあって、シナジーが生まれにくかったように思います。
それで、定期的な湯島会議で足並みを揃えたり、相互の理解を深めたりしてきたのです。
そこから得るものは大きかったですし、プロジェクト自体もいい発展をしたと思います。

いわば、異業種のコラボレーションだったのですが、
井出さんたちからは私の進め方はかなり違和感があったようです。
建築や都市計画をやっている人にとっては、
住民たちのために何かをやってやらなければという職業的な責任感があるために、
どうしても専門家的な視点から考えてしまうのだそうです。
ですから、私のように住民に責任を持たせる発想には違和感があったのでしょう。
私の視点は、住民や職員の目線に立って、もし彼らが自分の問題としてやるのであれば、
そしてそれが私にとっても面白いのであれば、あくまでも協力するという視点です。
あくまでも支援役です。
完成物にはあまり関心はなく、そのプロセスとアウトカムを重視します。
もちろん私も最後にはしっかりと「けじめ」はつけます。念のため。

今年の課題は、条例づくりです。
時間的にはかなり厳しいわけですが、その条件の中で、どう実をとっていくかは面白いテーマです。
仕事は難しくなければ楽しくありません。

実はある程度、行政サイドでは進め方が決まりつつあるのですが、
改めて、基本的なところから考え直してみるように提案しようということになりました。
基本は近隣社会である行政区に置こうという確認もできました。
まさに住民自治への発想の転換です。
15日に事務局との会議です。
うまく行くといいのですが。


■美野里町まちづくり会議企画運営委員会(2004年6月29日)
まちづくり計画の住民配布版を自分たちで作るとともに、
計画で決められたプロジェクトを自分たちで推進しようと言う意気込みで始まった、
美野里町の住民によるまちづくり会議の企画運営委員会がありました。
その進行役を仰せつかっています。しかし、そろそろ卒業できそうです。
卒業するとなると、ちょっと寂しい気もしますが、うれしいことです。

この活動は住民たちにとっては完全な手弁当集会です。
つきに数回の集まりに、よく住民の方々は参加してくれます。
ちなみに私は一応仕事の一環ですから、お金をもらっています。
議論はとても活発です。まあ、いろいろな意見が出ます。
若い世代がいないのが残念ですが、汗もかいてくれます。
もうじき私たち外部の者はお払い箱になるでしょう。
うれしいことです。

まちづくり組織条例の策定にも取り組むことになっています。
まちづくり組織のあり方を住民たちが中心になって決めていく、素晴らしいことです。
美野里町のこれからが楽しみです。

■市町村合併のほころび(2004年7月1日)
美野里町の市町合併の話が壊れそうになってきました。
これまで順調に展開されてきましたが、最後の詰めの段階になると、さまざまな問題が、それも「政治的」に出てきます。
最後に正常な感覚が、異常な形で出てくるのです。

今日の茨城新聞の記事です。

美野里町・玉里村・八郷町・石岡市合併協議会(会長・島田穣一美野里町長)の第
十三回会合が三十日、石岡市杉並の市保健センターで開かれ、新市名称を「常陸野
(ひたちの)」と決定した。しかし石岡側委員は前回の七人退席に続き、九委員のう
ち、横田凱夫市長を含めた八委員が欠席した中での審議だった。横田市長は「現時点
では四市町村枠組み堅持」とし、今後協議会"復帰"への打開策を探る意向を示した
が、順調に進んできた「合併協議」に、にわかに暗雲が漂い始めた。

私が関わっているもう一つの自治体である山形市も、どうやら合併時期が延びそうです。
今回の市町村合併には私は全く意義を感じませんし、歴史への犯罪行為だと思っていますが、
こうした動きが出てくるのは当然のことだと思います。
美野里町や山形市だけではなく、多くの所でこうした問題が起きているのではないかと思います。
しかし、そのお陰で一体どのくらいの税金が無駄になったのかと思うと本当に怒りを感じます。
イラクの政府と日本の政府と、どちらがしっかりしているか、私には判断できません。
ちょっと言いすぎですね。

■美野里町まちづくり組織条例(2004年6月18日)
美野里町のまちづくり組織条例プロジェクトをどう進めていくかの基本方針と枠組みを事務局と打ち合わせました。
大体の方向が見えてきました。問題は山積みですが。

行政区、つまり近隣生活圏を起点にして考えることが、ほぼ合意されました。
第1次生活圏が「行政区」と命名されているところに、すでに日本の自治行政の本質が見えていますが、
そこに新しいミッションを植えつけられれば、大成功です。
国土交通省も最近は町内会に興味を持っているようですし

これまでの流れから言えば、この条例も住民発議に出来ないかと思っています。
ところが意外な話が出てきました。
住民発議のイメージが悪いのだそうです。
つまり、住民発議は行政がしっかりしていない表れというイメージが、市町村合併などの中で生まれているそうです。
そうした発想自身に、実は旧来の行政発想があるわけですが、それはともかくマイナスイメージが強いというのには驚きました。
まあ、茨城県の特殊事情かもしれませんが。
そういえば、NPOとは儲けるための組織という声を聞いたのも、茨城県でした。
まさに保守王国ですね。

美野里町のまちづくり組織条例は、これまでのまちづくり計画プロジェクトの、いわば仕上げです。
市町村合併の前に、どこまで意味のある形にもっていけるか、挑戦的な仕事です。


■第7回美野里ブルーグラス・フェスティバル


10月18日、19日
会場・上野牧場(茨城県美野里町納場692)


美野里町で牧場をやっている上野雅彦さんは、毎月第3土曜日に牧場でカントリーパーティーを開いています。
私は美野里町の文化センターの構想作りに関わっていた関係で、知り合いました。
私は美野里町という地域に、開かれた牧歌的な文化拠点を創るのがいいと考えていました。
一時、そうした議論も出たように聴いていますが、結局、都市型の文化ホールができてしまいました。
構想段階では、もっと開かれたイメージを持っていましたが、結局はかなりコンクリートの塊になってしまいました。
しかし、その構想や設計づくりに住民が大きな役割を果たし、設計会社も思い切り住民と一緒に建設に取り組み、結果的にはたぶん他所とは違う地域に根付いた施設になったと思います。
私の趣味とは全く違いますが、そこが住民でもなく、ビジネス的にも関係ないものの限界です。

余計なことを書きましたが、その美野里町で上野さんはがんばっています。
以前も書きましたが、上野さんの奥さんはジミー時田の仲間です。
私の学生の頃はとても人気がありました。

この週末に、例月とは違ったブルーグラス・フェスティバルがあります。
全国から同好の士が集まり、演奏を楽しませてくれるほか、一般参加者とともに、カントリーダンスを楽しむ趣向です。
会場でキャンプのできます。
場所は常磐高速の岩間インターから約10分です。
詳しくは上野さんに電話してください。
佐藤からの紹介だと言うと、きっと詳しく話してくれます。
美野里町の秋は素晴らしいです。

電話:0299−48−4141
上野牧場 上野雅彦さん


美野里町の人たち

○美野里町の社会福祉協議会の石川さんに会いました(2002年5月15日)
石川さんはパワフルな女性です。
一昨年、美野里町で魅力発見隊という活動をやりましたが、その時に参加してくれました。
その時は魅力マップを作ったのですが、福祉マップをつくりたいとおっしゃっていたのが気になっていました。
そこで先週紹介した「住民流福祉研究会の支え合いマップ」の話をしに行きました。

美野里町ではいま、都市計画マスタープラン作りを進めています。
そこにぜひ福祉の視点を入れたいのです。
まちづくりも都市計画もつまるところは福祉につながっています。
しかし、今の都市計画の発想では両者はなかなかつながりません。
どうつなげていくかがこれからの課題です。
石川さんと話して、その接点が見つかりました。

都市計画とは離れますが、社会福祉協議会がこれからどう動くか、非常に興味を持っています。
その動きようによって、おそらく未来は大きく変わるからです。
社会福祉協議会の新しい動きについて、いろいろ知りたいと思っています。
情報をお持ちの方、ぜひ情報をお寄せください。

○美野里町の大塚佼巳さんの「ヴェルデ・モンターニャ」
美野里町で住民と行政で一緒になって、総合計画をつくったときに、住民委員として参加した大塚さんが美野里町にちょっとお洒落なお店を開きました。大塚さんは会社を辞めてから修業されて、ご自分の夢だったお店を開いたのです。今日はお休みの日だったのですが、声をかけたら、わざわざお店を開いてくれて、パスタを作ってくれて、おまけに美味しいコーヒーを煎れてくれました。

ちょっと甘いソースで、これが大塚味かと感心していたら(私にはとても美味しかったのですが)、急に作ったので塩を入れるのを忘れたというのです。いやはや。でもおいしかったです。

店内の雰囲気はとてもいい雰囲気でした。まさに大塚さんのお城という感じでした。懐かしいオープンリールのテープが、柔らかな音で、60年代の曲を流していましたが、それもあってか、何か学生時代を思い出しました。これからのまちづくりは「思いを語り合う場」がとても大切だと思いますが、ここが、美野里町の新しいまちづくり会議の場になればいいなあと思います。

パスタを作っている大塚さんは実にし合わせそうでした。
このお店は、JR常磐線の羽鳥駅の近くです。歩くとちょっと距離がありますが、大塚さんと機会があったら、訪ねてみてください。但し、パスタを頼む時は、塩を忘れないように注意してやって下さい。
美野里町には、こうした幸せな人がすくなくありません。

○鳳林院竹内さん(2002年5月27日)
美野里町文化センター本づくりの相談で、美野里町の鳳林院ご住職の竹内ご夫妻を訪問しました。
奥様は文化センター構想のときから参加されています。
ご夫妻で、ずっとお寺で「いい音楽を聴く会」を主催されてきました 。
こういう活動が地域文化を豊かにしていくのだろうと思います。
今度はご自分の敷地に音楽や美術に触れあう喫茶店をつくる計画をお持ちです。
そういえば、美野里町にはもうおひとり、喫茶店計画をお持ちの方がいます。
「みのり人」という住民情報紙の編集に参加している大塚さんです。
サロニストとしてはとても楽しみです。

○美野里町のいろいろな人(2002年6月14日)
美野里町の文化センター建設現場の前で、ぶらぶらしていたらいろいろな人に会いました。

これが地域社会の面白さです。
花を育てている農業者の山口さんに久しぶりにお会いしました。
山口さんは美野里町の文化センター構想の最初の住民委員の一人です。
総合計画作りにも参加してくれました。
今は、以前ご紹介した文化センターに隣接するレストランの経営にも関わっています。
たまたまそのレストランを利用していた美野里町議会の荒川議長にもお会いできました。
レストランの名称を決める委員会の時にご一緒でした。
ところで、このレストランは名称を「みのりの森のレストラン キャトル・セゾン」です。地産地消とお洒落さを組み合わせたレストランです。
夜の住民たちとの集まりの会場に向けて歩き出したら、社会福祉協議会の石川さんが通りがかりました。
彼女の車で会場まで送ってもらいましたが、その車中でもたくさんの情報がもらえました。
まちづくりに関わっていると、こうした個人的な交流が広がります。
町民や行政職員よりも、ある意味での情報通になれるかもしれません。
但し、そのおかげで休日の朝に直接に電話の相談が来ることもあります。
論理的相談ではなく、感情的カウンセリングです。つかれます。
実はこの記録を書き込んでいた15日もそうでした。
共創型のまちづくりに関わると土日がなくなってしまかねません。

ちなみに夜の集まりは、私も出資している美野里出版社の幹事会でした。
今回はそれほど重くなく、少し軽やかになりました。

倒産せずにすみそうです。

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■文化センター建設計画から始まった住民主導のまちづくりの風
(地域振興アドバイザー通信から転載)

茨城県のほぼ中央に位置する美野里町(人口2万5千人)は、畜産と農業の盛んな自然豊かな田園都市である。そこに今、新しい風が吹き始めている。まだ成果を評価するのは早いかもしれないが、地方分権時代に向けての新しいまちづくりのひとつのモデルであることは間違いない。

ことの発端は文化センターの建設計画である。美野里町では、長期構想に基き、町の中心部に「四季の里」という、福祉、文化、情報の施設を集積する地域整備を進めているが、その中心である文化センターの基本構想を住民と行政との協働で取り組むことになった。

そして、住民と町役場職員に対して、活動への参加を呼びかけたところ、10人の住民と5人の職員から応募があった。全員、ほぼ完全な自発的応募である。そして委員会が発足した。

これまでのように、行政の計画案に対して意見を出し合うだけの委員会ではなく、白紙の段階から構想を描き、実際の計画にまでつなげていくという、住民主導の進め方を行政は考えていた。そのため委員会に専門家を加えることが必要だった。そうして呼ばれたのが、地方振興アドバイザーの、世古一穂さん(参加のデザイン研究所)、藤本信義さん(宇都宮大学)、そして私である。

住民ニーズを踏まえた美野里町らしい文化センターをつくって、それを活かしたまちづくりをしたいというのが、美野里町の要望だった。3人のアドバイザーが異口同音に言ったのは、どうせやるなら思い切り住民主導で進めるべきだということだった.

おそらく最初は、参加した住民も行政がどのくらい本気なのか疑問だっただろう。行政もどこまで任せられるのか一抹の不安があったことだろう。しかし、アドバイザーも参加した何回かの委員会で、住民も行政も少しずつ意識が変化するとともに、相互の信頼関係も深まっていった。

1年間の活動結果としてまとめられた委員会の報告書では「まちづくりの主役は住民」「取り組み過程が大切」ということが強調され、その結果、予定されたスケジュールを固守するよりも、住民が納得できるまで時間をかけて議論していこうということになった。

その後の美野里町の活動は実に見事だった。もちろんすべてが順風万歩で進んだわけではない。箱物行政批判の中での反対論、文化センターよりも体育館や図書館を優先さすべきだという意見、行政がもっと主導性をもって効率的に進めるべきだという意見、実に様々な意見が住民から寄せられた。

委員会の構想を住民に発表した文化シンポジウムでも反対論がたくさん出された。しかし、そうした批判に対しても「住民主導を目指す」という行政の基本姿勢は変わることがなかった。

新しい活動に対しては風当たりが強い。それに耐える人がいるかどうかが大切だが、美野里町には幸いそうした職員とそれを支える住民が存在した。

住民からの批判は、まちづくりにとっては決して悪いことではない。批判が顕在化してきたことは、住民がまちづくりに関心を高め、真剣に考えるとともに、それぞれの意見を自由に出し合える状況を創っていったということでもある。

次第に、文化センター建設の是非から、美野里町にはどんな施設が必要なのかという主体的な議論に発展していったことも大きな成果だった。そして、ワークショップや子供たちの作文コンテストなど、活動は住民たちの手で次々と広げられていった。予定よりも数年遅れはしたが、住民の手で構想がまとまり、設計も住民参加によって完成し、来年度(平成13年度)には待望の文化センターが着工されることになっている。

現在は、センターのオープンを目指す会が住民によって組織され、文化イベントの開催をはじめとして、オープンに向けての活発な活動が展開されている。 こうした成果が評価されて、美野里町の文化センター建設事業は平成12年度からはじまった建設省の対話型行政推進賞にも選ばれた。新しいまちづくりのモデルとして高く評価されたのである。

文化センター建設でつくられた住民と行政との信頼関係は、さらに大きな動きへと発展し始めている。美野里町の総合計画づくりが、住民の積極的な参加のもとで取り組まれだしたのである。しかも、計画づくりだけではなく、実施に関しても住民が積極的に関わり、評価していく方法が模索されだしている。

計画には、住民自らが責任を持って実践していく課題や計画も取り込むことになっている。住民と行政が共催するまちづくりを考えるシンポジウムも行われた。

文化センター建設から始まった美野里町の新しい風は確実に育ちだしている。もちろん住民主役のまちづくりはそう簡単なことではなく、これからも様々な問題が起こるだろう。だが、住民と行政との信頼関係が育っていれば、大きな流れは変わることはない。

美野里町の新しい風が、さらに大きく育ち、それが全国に大きな風を起こしていくことを確信している。

2000年11月 佐藤修