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(2008年12月第4週)
せわしい1週間でした。
今週は「産業のジレンマ」に関する記事だけを書きます。
■「ローマ亡き後の地中海世界」(2008年12月24日)
■問題の循環から価値の循環へ(2008年12月25日)
■従業員解雇と社会貢献(2008年12月25日)

■「ローマ亡き後の地中海世界」(2008年12月24日)
先週、書店で塩野七生さんの「ローマ亡き後の地中海世界(上)」を見つけました。
一昨年までは、年末に塩野さんの「ローマ人の物語」を読むのが恒例行事になっていました。
年末の大掃除の合間の読書なので家族の評判はあまりよくありませんでしたが、
年内に読まないと気分的にすっきりしなくなってしまっていたのです。
この15巻ものは一昨年で終わりました。
ですから昨年は出版されなかったわけです。
昨年はそれどころではありませんでしたから、そんなことにも気づきませんでした。
そして先日、その続巻でもある「ローマ亡き後の地中海世界(上)」を書店で見つけたわけです。
「ローマ人の物語」と同じで、読み出すと面白くて、一気に読んでしまいます。

今回はまたいろいろなことに気づきましたが、「イスラムの寛容」や「暗黒の中世」などのイメージが変わってしまいました。
イスラムは寛容ではなく、中世はやはり暗黒だったという気が今はしています。
逆に言えば、私は先週までは、イスラムはキリスト教よりも寛容で、中世は近代よりも明るかったと思っていたのです。
平和と経済の関係を考えさせられたのも、大きな刺激でした。

ちなみに上巻の一番大きなテーマは「海賊」です。
最近また「海賊」と言う言葉をニュースでも耳にしますが、海賊と経済とのつながりも面白いテーマです。
最近の経済を見ていると、海賊行為とどこが違うのかなどとさえ思えてしまいます。
キリスト教徒がイスラムに拉致された人たちを金銭を支払って取り戻す救出活動についての話が、本書の第3章なのですが、その最後にこんな文章が出てきます。

「修道会」や「騎士団」の活動についてまわっていた不満が、一気に表面化した年でもあった。
それは、次の2つにつきる。
(「修道会」や「騎士団」による、拉致されたキリスト教徒の救出活動によって)北アフリカの海賊も、身代金稼ぎという業種の効用に目覚め、守りの薄い地を選んでの海賊業に精を出すようになっていたこと。
なにしろ、拉致してくればよいのだ。身代金など払えない人でも、「修道会」や「騎士団」が払ってくれるのだから。
第二は、身代金を払って買いもどすということは、キリスト教世界にとっては敵である、イスラム世界を豊かにすることにつながるということ。

この2つによって、「修道会」や「騎士団」の活動への不満が高まったというのです。
とても考えさせられる話です。
近代産業や近代経済が内在されている本質的な問題が示唆されているように思えてなりません。
問題解決を中心にした産業のジレンマが、そこにあります。
ブログの方で、いつか書いてみたいと思っています。

本書は厚いですが、面白いです。
お時間のある人にはお薦めです。
コモンズ書店からも購入できます

■問題の循環から価値の循環へ(2008年12月25日)
機械産業関係の研究委員会でした。
先日、行ってきた隠岐の海士町の話題が盛り上がりました。
ほかにも興味ある事例も報告されました。
少しずつ何かが見えてきたような気がします。

私の関心事は、「産業のジレンマ」の克服です。
産業のジレンマとは、前にも書きましたが、
問題を解決することを事業の基本に置くと、市場化のために問題をつくるベクトルが作動しだし、
「無限地獄」に落ちかねないということです。
そこから抜け出るためには、問題が発生しない状況を作り出していく必要があります。
今の経済システムは、いわば「問題解決が新たな問題を生み出す」という、負の循環構造になっていますが、
それを「価値の創出が新たな価値を生み出す」という正の循環に変えていくということです。
それを実現するためのビジネスモデルをどう考えればいいか。

イノベーション・エコシステムという概念があります。
イノベーションは要素技術の革新から生まれるのではなく、
価値を実現するためのダイナミックなエコシステムが技術革新をリアルなものにするという発想です。
そのエコシステムの範囲が大きく広がっているのが現代です。
価値の創出は、したがって支援とか共創ということに支えられだしているように思います。
改めて「支援学」が大事になっているのかもしれません。

久しぶりに産業論を考える機会を、この研究会で与えてもらっています。

■従業員解雇と社会貢献(2008年12月25日)
日本経営道協会のリード力開発道場の受講者が2人、話に来ました。
一人はITベンチャーの経営者、一人はオーナー企業の二代目です。
それぞれに個性的で、これからが楽しみな若者です。

一人がこう質問しました。
企業活動として社会貢献をしたいが、そのためには利益を上げなくてはならない。
たとえば、雇用削減も必要になることがある。
その場合、雇用削減してあげた利益を社会貢献していくのはどんなものだろうか。

私は社会貢献という概念にあまり価値を見出していません。
そこには会社と社会という二元論的な発想があるからです。
しかし問題を簡単にすれば、ここには「稼ぎ方」と「使い方」の2つの問題が混在しています。
社会にプラスにならない稼ぎ方で稼いだお金を、
社会にプラスになる使い方に向けていくということの適否は、そう簡単には判断できません。
しかし問題は、そのいずれに重点を置くのかです。
そうすればこの問題は比較的簡単に解けます。

稼ぐことに重点のある人にとっては、使い方において社会性を考えるのは、
いわゆる「免罪符」でしかなく、私は全く評価しません。
使うことに重点のある人にとっては、稼ぎ方が非社会的であっても(それが犯罪や不正であれば別ですが)、
そのバランスで評価すべきだと思います。
しかし、それ以前の問題として、社会にとってプラスになる使い方を目指すような人は、
その稼ぎ方においても非社会的なことはやらないでしょう。
つまり、コミュニケーションの問題は成立しないのです。

しかし、これは前項における「産業のジレンマの克服」を目指す事業モデルの話にも繋がります。
最近、いろいろな問題がこうやって繋がりだしているのです。
産業も経済も、企業も、大きな曲がり角に来ているようです。

(2008年12月第3週)
今週は、私がお会いした人を中心に書いてみました。
以前なら、年末にはかなりの数の人に会いましたが、
最近は忘年会もやめていますので、会う人といってもさほどいません。
しかし、いずれも個性の強い人たちです。
■熊本の宮田喜代志さん(2008年12月14日)
■全国の独立中立型介護支援専門員の方々(2008年12月14日)
■新潟の佐藤裕さん(2008年12月14日)
■久しぶりの久留一郎さん(2008年12月17日)
■シニア男性の居場所づくりを目指す槙慎吾さん(2008年12月17日)
■今の社会に満足していない清水和良さん(2008年12月17日)
■理学療法士を目指す橋本典之さん(2008年12月17日)
■看護学の教授福山なおみさん(2008年12月18日)
■ライフリンクの南部節子さん(2008年12月18日)
■遠隔地介護に取り組むパオッコの太田さんと西村さん(2008年12月18日)
■エスクの名木純子さん(2008年12月19日)
■正統派やくざのdaxさんからの誘い(2008年12月19日)
■「生命」や「死」に大きな関心をお持ちの高見之孝さん(2008年12月19日)
■「信頼」がとても気になっている鳥羽瀬孝臣さん(2008年12月19日)
■COM2プロジェクトに関心を持ってくれた森谷良三さん(2008年12月20日)

■熊本の宮田喜代志さん(2008年12月14日)
熊本の宮田さんの活動範囲はとても広いです。
私との最初の接点はコムケア活動ですので、福祉の分野でしたが、
その後、農業の専門家であることを知り、いろいろとお話を聞かせてもらいました。

また、自ら小規模多機能施設を開設し、見事なモデルを構築しました。
最近はスリランカのコーヒー栽培支援やオペラにのめりこんでいます。
今回はゆっくりと話をする予定でしたが、2時間程度の枠には収まりませんでした。
彼は、コムケアの理念にいち早く共感してくれた人です。
来春、できれば熊本でコムケアフォーラムを実現したいと思っています。

■全国の独立中立型介護支援専門員の方々(2008年12月14日)
宮田さんの要請に応じて、
独立中立型介護支援専門員全国協議会の理事会の会場に湯島のオフィスを提供しました。
そのおかげで、ケアマネージャーの方々に会いました。
奈良の松尾常美さん、群馬の後藤美祐紀さん、東京の高橋勉さんなどです。
私はメンバーではないので、参加はしませんでしたが、場所を提供させてもらったおかげで、いろいろと出会いがあります。
場所を提供するプロジェクトを企画してもよさそうです。
場所の持つ力は、やはり大きいです。

■新潟の佐藤裕さん(2008年12月14日)
新潟の佐藤裕さんともお会いしました。
もう長い付き合いです。
といっても、仕事を一緒にしたわけでもありません。
お住まいが新潟なので、そう頻繁に会うこともありません。
しかし、たとえば私が滅多に行かない新潟に行くと、なぜか裕さんに会うのです。
どこかに縁があるのでしょうか。

裕さんは好奇心の強い人で、さまざまな新しい挑戦もしています。
協同組合の専務理事なのですが、いち早く経営品質賞に挑戦したり、
かと思えば、編集工学にのめりこんだり、まあ挑戦型の人なのです。
彼はまた、インキュベーションハウスの仲間でもあります。
来年は、インキュベーションハウスを舞台に行動を起こそうかと少し話し合いました。
何かが始まるかもしれません。

■久しぶりの久留一郎さん(2008年12月17日)
久留さんのことは、このコーナーにはあまり出てこなかったかもしれませんが、
これまた古い付き合いですし、いろいろと面白い共通体験もあるのです。
あまり勝手に書けませんが、久留さんの異色ぶりを少しだけ紹介します。

もともとは誰もが知っている有名な会社の戦略参謀スタッフだったのですが、
ポンとやめてしまい、全くの異業種に関わりだしました。
私はその前後から彼と知り合っています。
しかし、その異色の会社からも転身することになり、たまたま私の知り合いの会社を紹介したのです。
これまた面白い会社なのですが、その会社がバブル期を乗り越え損なって経営危機に瀕してしまいました。
彼は、その会社の財務を一手に引き受け、見事に危機を乗り越えたのです。

その後、新しい会社を設立し、社長になりました。
こう書いてしまうと、単なる事業家みたいですが、実はそれは彼のほんの一面でしかありません。
私はそういうところにはあまり関心がないのです。
そうした活動に付随する久留さんの生き方に興味があります。

いま彼の会社はかなりの苦境のようです。
仕事がないのです。
でもソニーやトヨタと違って、社員を辞めさせられずにいるわけです。
一人で背負わないで、みんなに実状を話して、みんなで考えたほうがいいよとしか言えませんでしたが、
話はそう簡単ではないのです。
中小企業の現場は、本当に大変です。
彼の周りでも自殺や破産があるようですが、こうした実態を果たして政治家や大企業の経営者は知っているのでしょうか。

この数年の経験をベースに、経営やリーダーシップに関する本を来春には出版する予定だそうです。
久留さんの、この数年の苦労がきっとそれでわかるでしょう。
いつの間にか、彼も、私が会社を辞めて人生を変えてしまった歳に近づいてきました。
私自身も歳をとってしまっているわけです。
その自覚があんまりないのが問題ですが。

■シニア男性の居場所づくりを目指す槙慎吾さん(2008年12月17日)
我孫子の槙さんが、支え合いサロンに参加してくれました。
槙さんは私より年上ですが、元気です。
現役時代は駅ビルやショッピングモールなどの開発をされていたそうですが、
当時、そうしたところに「ゆっくりできる場所」づくりを提案し、実現したところ、
なんと朝からシニアの男性たちが居座ってしまい、お客様から苦情までもらった経験があるそうです。
それでやはり高齢者の男性の居場所を作らなければと思ったそうですが、今それに向けて着々と準備されています。

槙さんはともかく楽しい場を創っていきたいと考えているようです。
できればそこに子どもたちを巻き込もうという計画です。
私も応援したいと考えています。
きっとまたその後の報告を近いうちにできるでしょう。

■今の社会に満足していない清水和良さん(2008年12月17日)
清水さんは共同募金会のスタッフですが、幅広くさまざまな活動に関わっています。
昨今の状況にも大きな危機感や問題意識をお持ちのようで、いつかゆっくりと話をしてみたいと思っていますが、
ともかくいろんなところに顔を出しながら、いろんなことに関わっているようです。
こうした人たちのエネルギーがつながっていくと、きっと社会は変わっていくでしょう。

清水さんは、来年2月に開催されるボランタリーフォーラムTOKYO2009の企画にも関わっています。
このフォーラムは私も参加したことがありますが、いつも「熱い議論」が飛び交います。
私自身は「話し合い」よりもその後のアクションに興味があるのですが、なかなかそのアクションが見えてこないのが残念です。
今回は清水さんは枝見太郎さんと一緒に「プライスレス」に取り組んでいるそうです。
お金には換算できないような価値を考えたいようです。
お金にはマイナスの価値しか感じられない私にはぴったりのテーマですので、
私も参加させてもらうことにしました。
よかったら皆さんも参加してください。
正式に決まったら、このサイトでも案内させてもらいます。

清水さんには、共同募金会のホンの一部を、若手職員たちで自由に使えるような仕組みができないかと以前話したことがありますが、社会の現場にいろいろと関わっている若者たちに、お金を使えるようにしたら、お金は生きてくるかもしれません。
お金は、使い方によって、プラスにもマイナスにもなりますから。

■理学療法士を目指す橋本典之さん(2008年12月17日)
コムケアの事務局として活躍していた橋本さんは、この数年、理学療法士を目指して学校に行っていますが、来春で卒業です。
橋本さんに会うと、いつも学校や実習などでの気づきの話を聞かせてもらいます。
若い人の感受性からは学ぶことが少なくありません。
今回も実に感動的な話を聞かせてもらいました。

彼の体験は実に示唆に富んでいることが多いのですが、
私の言葉で紹介してしまうとどうも肝心の本質が抜けてしまいそうなので、やめておきますが、
いつかきちんと文字にしてほしいと思っています。

上記の3人は、自治は今日開催した第2回支えあいサロンに参加してくれたのです。
こじんまりしたサロンでしたが、その分、ゆっくり話せました。
橋本さんからぜひ継続してほしいというメールが入ったので、継続していく元気が出てきました。
次回は1月21日です。
またお知らせに案内を書きますので、よかったら参加してください。

■看護学の教授福山なおみさん(2008年12月18日)
福山さんは精神看護学の大学教授ですが、
看護師でもあり、自殺対策支援センターであるNPOライフリンクにも関わっている実践者でもあります。
私は、ライフリンクの立ち上げの時にささやかな応援をしたので、
その関係で昨年福山さんとお会いしたのですが、以来、ご無沙汰していました。

その福山さんが、年内に一度会いましょうと声をかけてくれました。
ちょうど東尋坊の茂さんとのことがあったので、お会いすることにしたのですが、
よく聞いてみたら、なんと私への謝意と妻を失った私への慰めが目的だったのです。
最初に井戸を掘った人への謝意を忘れない人なのです。
もっとも私は、井戸など掘ってはいないのですが、
でも、こういう律儀な人は少なくなりましたので、とてもうれしいです。

看護の思想は、私がコムケア活動を始めた頃に学んだことの一つです。
当時、宮城大学にいた池川清子教授の本から学んだこともありますが、
日本構想学会のセッションで、池川さんにも参加してもらって議論したことを思い出します。
中断しているヒポクラテスの会の基本思想も、実は看護オリエンテッドな医療制度なのです。
看護から学ぶことはたくさんあります。
最も今回は話はそこには行かず(ちょっと話は出ましたが)、自殺の問題でした。
福山さんはかなり早い時期から、自殺の問題に取り組まれています。
東尋坊の茂さんとも親しいですので、来年からきっと何かでご一緒できそうです。

今日は、福山さんにご馳走になってしまいました。
久しぶりに贅沢な昼食だったの、いささか心が痛みました。

■ライフリンクの南部節子さん(2008年12月18日)
福山さんがライフリンクの南部さんを一緒に誘ってくれていましたので、
南部さんともゆっくりお話しすることができました。
南部さんのお名前は以前からお聞きしていましたし、コムケアのフォーラムでもお会いしています。
ライフリンクの立ち上げ当時、私の湯島のオフィスを提供していたことがありますので、
もしかしたらそこでもお会いしたことがあるかもしれません。
南部さんもオフィスの提供を感謝してくれていました。
ライフリンクにオフィスを提供したことが漸く報われた気がしました。

南部さんは、ご主人を亡くしています。
それでライフリンクに入り積極的に活動されています。
遺族のアンケート調査もしっかり読まれています。
ブログで書いたルボックスの話も、南部さんは即座に反応してくれました。
現場にはやはりたくさんの情報があるのです。
ライフリンクの活躍で、自殺の問題が社会問題として語られるやすくなり、
しかも基本法も成立し、行政の取り組みもかなり動き出しました。
そろそろ次のフェーズに動き出す時期かもしれません。
コムケア的発想が役に立つかもしれません。
来年はこの問題に少し関わろうという思いがますます強くなりました。

■遠隔地介護に取り組むパオッコの太田さんと西村さん(2008年12月18日)
久しぶりに本郷のコムケアセンターに寄りました。
パオッコのお2人がいました。
久しぶりにお会いした気がします。
パオッコの活動は順調に進んでいるようです。
大阪の松本さんのCOM2プロジェクトの話をしましたら、関心はお持ちのようです。
それで来週にでも東京でCOM2プロジェクトの説明会とワークショップをやろうと思いました。
孤独死問題に取り組んでいる人がいたらぜひご連絡ください。

■エスクの名木純子さん(2008年12月19日)
名木さんの異色ぶりは、とても一口ではいえません。
今年は何回お会いしたでしょうか。
何回もお会いしたにもかかわらず、どうも全く役に立っていないような気がして心苦しいです。
名木さんは何回か紹介しましたが、ファミリーサポートセンターのモデルとなった活動を全国的に構築してきた人です。
もし自分たちのメッセージと活動がしゃかいにきっちりと伝えられ、広がっていれば、
今のような子ども受難状況は起こらないだろうと名木さんは思っているでしょう。

エスクもNPO法人格をとらずに実体でがんばってきたところです。
しかし、行政はそうした活動の本当の文化ではなく表層的な制度や仕組みを借用して、広げてしまうわけです。
介護保険制度による介護の社会化が、介護の市場化になってしまい、介護の文化を消してしまったように、子育ての文化もいまや制度になってしまいました。
そこに違和感を持っている名木さんは、いても立ってもいられないのでしょう。
その問題意識を私はどうもうまくつかめずに、話を聞くだけにとどまっています。
これではいけないので、来年になったら、エスクの若い世代にワークショップをやることにしました。
エスクの実態と展望が見えてくるかもしれません。

■正統派やくざのdaxさんからの誘い(2008年12月19日)
お会いしたのではないのですが、正統派やくざのdaxさんから電話がありました。
東尋坊に一緒に行かないかというお誘いです。
後ろから突き落とすんじゃないでしょうね、といったら、逆に飛び降り方を教えてくれました。
まあこれは冗談ですが、暇ができたので、東尋坊の茂さんを応援に行くというのです。

それはいいことです。
なにしろdaxさんとのつながりは、茂さんのおかげです。
それに元とはいえ、正統やくざと一緒に彼の運転で東尋坊まで行くというのは、ちょっと魅力的な旅になりそうです。
でも年内だというのです。
年内はいささか辛いので多分行けそうもありません。
年明けはだめかといったら、休みの関係でだめそうです。

しかし、何だか急にまた東尋坊をめぐるシンクロニシティが高まっています。
年末には行けなくても、春までには行きたいと思っています。

■「生命」や「死」に大きな関心をお持ちの高見之孝さん(2008年12月19日)
科学技術倫理フォーラムでご一緒の鳥羽瀬さんが「つながり」に関心を持っている方がいるといって 、
高見之孝さんを連れてきてくれました。
高見さんは、もともとは霞ヶ関の官僚の方ですが、ご病気をされてから生き方が大きく変わったようです。
いまは、「生命」や「死」に大きな関心をお持ちのようです。
「生命の学校」の活動にも関わっていらっしゃいます。
そのホームページを見ていただければ、高見さんの笑顔に出会えます。

高見さんの考えはこうです。

私は今、自己の生命(私の言葉ですと魂に目覚める、悟りといいますか、覚醒といいますか難しい言葉がありますが、つまり本当の自己に気づくと自分が何であり、何の目的に生きているのかが次第に鮮明になる)に気づくことが大切な時代だと思っています。 
その気づきは、自己が生かされていることに気づくことであり、生きている間に出世やお金持ちに成ることが最終目的でなく、自分の周りの人たちと調和(世界の人たちと調和し)しながら自己の魂を磨き(人格を磨き)、自己の生命は魂を磨いて、私たちがこの地球に来たところに戻ると信じています。 
肉体は死んで灰になりますが、魂は永遠に生き続けると信じています。
だからこそ生命に気づくことが大切だと信じています。 

お話をお聞きしていて、共感できるところが多々あります。

高見さんは私以上に楽観主義者のようです。
社会がきっといい方向に大激変すると確信されているようです。
確信しているだけではありません。
ご自身でも、それに向けての活動に取り組まれているのです。
私とほぼ同世代ですが、精神がとても安定されていることが伝わってきました。

高見さんにお会いする直前に、友人から、いまジャイナ教にはまっているというメールが来ました。
ジャイナ教の「5戒」を来年度の生活信条にするのだそうです。
社会が壊れだしている一方で、こうした動きが周りで起こりだしています。
社会はどういう方向に動き出すのか、楽しみです。

紹介してくれた鳥羽瀬さんからの提案で、時々、話し合う場をつくろうということになりました。
またお知らせなどでもご案内させてもらうかもしれませんが、ご関心のある方はご連絡ください。

■「信頼」がとても気になっている鳥羽瀬孝臣さん(2008年12月19日)
高見さんを紹介してくれた鳥羽瀬さんについても少し書いておきたくなりました。
鳥羽瀬さんはエネルギー関係の企業にお勤めのエンジニアですが、
社会の問題に大きな関心を持っており、さまざまな分野に関わりながら、自らの仕事に誠実に取り組まれている方です。
最近、そうした方にあまりお目にかかる機会がないのですが、
科学技術倫理フォーラムというNPOでお会いして以来、私にはとても気になる存在の方です。
鳥羽瀬さんのテーマの一つは、「技術者の倫理」ですが、鳥羽瀬さんはそれを自らの問題として実践的に考えているのです。

鳥羽瀬さんの最近の関心事は「信頼」です。
当然ながら、技術や安全安心などとの関係において、信頼の問題を考えています。
どなたか鳥羽瀬さんと議論したい人はいないでしょうか。
もしいたらご連絡ください。

■COM2プロジェクトに関心を持ってくれた森谷良三さん(2008年12月20日)
近くの森谷さんから電話があり、大阪の松本さんのCOM2プロジェクトに関心があるというのです。
電話では埒が明かないので、まずはお会いすることにしました。
森谷さんはもう85歳で、しかも我孫子市のNPO第1号のデイヘルプを立ち上げた大先輩ですが、
なぜか奇妙に心が通じ合えるので、会っていて元気が出ます。
今週はいろいろと気の滅入る話題が多かったのですが(ここではあまり書けませんでしたが)
、べらんめえ調の森谷さんと話しているとすっきりします。

森谷さんの関心事は、高齢者が気楽に相談に乗ってもらえるような仕組みづくりですが、
お話していると、要は支え合い社会の再構築なのです。
ともかく動き出さないといけません。
年が明けたら一緒に少しずつ動き出すことにしました。
どうも話してしまうとコミットせざるをえないのです。

今週はたくさんのことを引き受けてしまい、いささか気が重いです。
どうしてこんなに世の中には問題が山積しているのでしょうか。
それなのに仕事がないということは、どういうことでしょうか。
「生きるための仕事」から「稼ぐための仕事」になってしまったのがとても寂しいです。

(2008年12月第2週)
隠岐に行ってきました。
やはり遠かったです。
■自律社会ってなんだろうか(2008年12月9日)
■抑うつ剤ルボックス事件への怒り(2008年12月9日)
■3人の女性たち+1の集まり(2008年12月10日)
■海士町の2日間、もしくは坪倉さんとの2日間(2008年12月11〜12日)

■自律社会ってなんだろうか(2008年12月9日)
久しぶりにヒューマンルネッサンス研究所を訪問しました。
先週、所長の中松さんに会って、もう少し話したくなったのが再訪してみたくなった理由です。
中松さんとは以前、新しい企業論に取り組んだことがありますが、その頃のことを少し思い出しました。
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先日の研究会で話題になった、自律社会に関して意見交換させてもらいました。
「自律」概念は人によってかなり違いますから、よほどきちんと定義しておかないと議論はなりたちません。
ですからかなり基本的な議論になってしまいましたが、いろいろと気づきがありました。
こうした議論はなかなかする相手がいませんが、久しぶりに刺激的でした。

こうしたテーマがいままさに重要になってきていると思いますが、
そうしたことを考える人が少なくなってきているように思います。
ヒューマンルネッサンス研究所の姿勢に経緯を表します。

■抑うつ剤ルボックス事件への怒り(2008年12月9日)
不思議な集まりがありました。
このブログに国家論を投稿してくれているリンカーンクラブの武田文彦さんと、
その弟さんと従兄弟と3人と私の集まりです。
なぜ武田ファミリーの集まりに私が入らなければならないのかですが、
そもそも当初は武田さんが私にお寿司をご馳走してくれることだったのです。
それが、いつの間にか武田グループとの会食になってしまいました。
それぞれ私は面識があるのですが、最近はゆっくり話したことがなかったのです。
それで、いつの間にか3人対私になってしまったわけです。

弟の和哉さんは、ばばさんのテレビ番組にも関わっており、
私も出演していた頃はお世話になっていましたが、最近はご無沙汰してしまっていました。
従兄弟の久保田浩也さんは、少し前にこのサイトのブックのコーナーで紹介したメンタルヘルスの本の著者です。
日本のメンタルヘルス検診を導入した人で、これまたこの数年、ご無沙汰です。

実にめちゃくちゃな展開でしたが、最初盛り上がった話題だけを書いておきます。
後はあんまり覚えていないからです。
最初の話題は「自殺」問題でした。
うっかりと東尋坊の茂さんの話をだしてしまったのです。
そのため、メンタルヘルスの権威の久保田さんの餌食になってしまったわけです。

久保田さんは、自殺も含めて薬によるうつ療法に大きな異論を持っているのです。
コロンバイン大学での銃乱射事件の加害者は、抑うつ剤のSSRIの一つである、ルボックスを飲んでいたそうですが、
この事件の被害者が起こした訴訟の結果、ルボックスを製造販売しているソルベイ社は、
なんとアメリカ国内でのみ、ルボックスの販売を止めたのだそうです。
ルボックスは、日本ではアステラル製薬から販売されているそうです。
実に驚くべき話だと思いませんか。
詳しくは、久保田さんの主催するメンタルヘルス総合研究所のホームページを読んでくださいといいたいのですが、
私のホームページよりも複雑そうなので諦めました。
PHP新書の「心の病は食事で治す」(生田哲)さんが書いている記事を引用させてもらいます。
ここをクリックすると出てきます。

久保田さんの怒りはかなりのもので、かばんから関連資料を取り出しました。
その中に今年の12月4日付け日経新聞の全面2頁にわたる、「仕事とメンタルヘルス2008シンポジウム」の広告特集がありました。
タイトルは「正しい知識と適切な体制を構築 うつ病の理解促進」。
パネリストには医師や研究者、企業のメンタル担当者、厚生労働省の課長などが参加しています。
その広告主は、ソルベイ製薬、アステラス製薬、損保ジャパンです。
つまり、日本では禁止どころか、むしろ医師や厚労省によって推奨されているわけです。
驚くべきことにはアメリカのソルベイ製薬までがスポンサーです。
久保田さんの怒りが少しわかります。
正しい知識を持つべきは、このパネルディスカッションのパネリストたちなのかもしれません。

専門的なことはわかりませんが、生田さんの問題提起にしっかりと答えていくことが出発点のような気がします。
これは政治の問題ではなく、経済原理の問題だと私は考えています。
「産業のジレンマ」「市場(顧客創造)戦略」の一例かもしれません。

いずれにしろ、メンタルダウンの問題は無視できないほど大きく広がっています。
メンタルヘルス予防活動としての「心の体操」の普及が久保田さんのライフワークです。
ぜひ久保田さんのホームページ、または最新作の「間違いだらけのメンタルヘルス」を読んでみてください。
いずれもあんまり読みやすくないのが欠点ですが、久保田さんの思いは伝わってきます。

久保田さんが以前に書いた、「よくわかる『うつ』」(PHP)も最近再版になったそうですが、あんまり嬉しそうではなかったです。
久保田さんは、心の体操が広がらないと喜べないようです。

■3人の女性たち+1の集まり(2008年12月10日)
昨日に続いて、今日もまた不思議な集まりです。
3人のいささか跳んでいる女性たち3人と私です。
まあ、今回もまた私は添えものなのですが。

高崎で多彩な活動をしているNPO法人カドリーベア・デン日本の竹澤さんが友人と一緒に訪ねてきてくれました。
友人というのはやはり高崎市で、障害をもつ人たちの芸術活動をサポートするNPO法人(工房あかね)を主催している小柏さんです。
なぜ2人がやってきたかは、理由があるのですが、
それはそれとして、偶然のきっかけでもう一人の女性にも声をかけさせてもらいました。
スタンピング平和展という活動をしている、跳びすぎるほど跳んでしまっている画家の松本れいこさんです。
書き出すとこれまた長くなる話があるのですが、前項で書き疲れたので、簡単に書きます。
要は、子育てにきっちりと立ち向かうことの意味に関する話でした。
この3人がパネリストになって、話をしたら、きっと凄く面白くなりそうです。
企業の中で、女性活用のテーマに取り組んでいる人たちに聞いてほしい内容でした。

いずれにしろ、今回の出会いからきっと新しい物語が始まるでしょう。
人が繋がると必ず何かが始まるものです。
特に女性の場合は。

■海士町の2日間、もしくは坪倉さんとの2日間(2008年12月11〜12日)
隠岐の海士町に引きずり込まれるように行ってきました。
機械産業振興協会経済研究所の坪倉さんとご一緒でした。
彼がすべてを手配してくれたので、私は何も手配せずに、ただ彼の指示に従っただけですが。

しかし、その指示はかなり過酷で、朝、5時前に自宅を出なければならなかったのです。
寝坊したら一人で行ってね、と坪倉さんには話していたのですが、幸か不幸か寝坊はしませんでした。
それで、2日間、坪倉さんとの議論の旅になりました。
海士町は、予想以上に面白かったのですが、まあそれ以上に、坪倉さんとの会話が面白く、しかし疲れきりました。
なにしろ場所を変え、状況を変えながら、食事しながら歩きながら、
ずっと坪倉さんと話していたのですから、疲れないはずがありません。
しかし、その会話の内容はとても面白く、かなり刺激的なものでした。

海士町に関するシンクロニシティの話はブログに書きました。
直前にさらに海士町に行った人が見つかり、ますますその関係性が見つかったのですが、
現地でもいろいろとシンクロニシティ体験をしました。
まあこれまた書き出すと大変ですので、すべて省略します。
後で思い出せるようにメモしていけば、
現地で乗ったタクシーの運転手は沼田さんといいますが、この人との話も面白かったです。
まあこう書いてわかるのは同行者の坪倉さんだけでしょうが。

この2日間の疲れはかなりのものでした。
そのため記録をこれ以上書く気力がありません。
でもそこでの気づきなどは追々ブログなどで書くことにしたいと思います。

一言だけいえば、私の自治論への確信が高まったことです。
昔みんなと書いた、「自治体解体新書」の最初と最後の小論を思い出しました。
まさに地域には古来の自治の文化と伝統があるのです。
地方分権論の無意味さを認識すべきです。

(2008年12月第1週)
今週は趣向を変えて、いろんな場で行った議論を少し紹介します。
■京都のコンビニ規制と24時間ライフスタイル変化(2008年12月1日)
■ソリューションからクリエーションへ(2008年12月1日)
■女性活用という名の罠(2008年12月3日)
■なぜ市民活動まで法人格にこだわるのか(2008年12月3日)
■空海の戦略(2008年12月6日)
■戦略という用語の使われ方(2008年12月6日)
■新次元の経営(2008年12月6日)

■京都のコンビニ規制と24時間ライフスタイル変化(2008年12月1日)
機械産業振興協会経済研究所の坪倉さんとの議論です。
今朝のテレビで、京都市が市内のコンビニの深夜営業を規制する方針を打ち出したということを報道していたそうですが、
こうした動きには、サステナブルビジネスをどう捉えるかに関する本質的な話が含まれていると坪倉さんは言います。
全く同感です。
この動きには賛成する人も含めて、しかし、深夜に働かなければいけない人たちのことを考えると問題は多いと言う人は少なくありません。
まさに「鶏と卵」の問題ですが、だからこそ方向性を定めて時間を書けて社会のあり方を段階的に修正していく必要があると思います。

坪倉さんによれば、彼が暮らしていた欧米に比べても日本の都会の夜は明るいそうです。
私はもちろん24時間営業には反対ですが、問題の所在の設定がされないままに臨床療法的に個別問題を解決していくことの限界を思うと、やはりロングタームのプログラムが議論されるべきでしょう。
ちなみに私はコンビニがなくても影響されないライフスタイルです。

この切り口から、かなり面白い議論へと発展しましたが、それが書けないのが残念です。
書けない理由は、単に私が忘れてしまっただけなのですが。

■ソリューションからクリエーションへ(2008年12月1日)
坪倉さんの議論で話したことをもう一つだけ書いておきます。
産業論に関する議論もしたのですが、私はもはや「ソリューションの時代」は終わったと思っています。
なぜならソリューションは問題の存在を前提にしているからです。
つまりネガティブアプローチであり、そこから「産業のジレンマ」を発生させるからです。
これからは「クリエーションの時代」です。
言葉だけの問題ではなく、たぶんこれはまさにパラダイム転換を求めているように思います。
ソリューション発想では、たぶん持続可能性など実現できません。

■女性活用という名の罠(2008年12月3日)
ブログにも書いたのでここでは簡単に触れておきます。
人材育成研究会の今年のテーマは「女性活用」ですが、
この言葉は「女性の社会進出」と同じで、女性を対象化しているために実際には極めて従来型の発想でしかありません。
しかし大企業にいる人たちはどうもそれに全く気づいていないようです。
大企業の時代はいよいよ最終期に入ってきているように思います。
私が予想したよりも20年遅れになってしまいましたが。

■なぜ市民活動まで法人格にこだわるのか(2008年12月3日)
先週書いた日経の取材の記事が日経夕刊に少しだけ出ました。
私の言葉に紹介されているのが、全国マイケアプラン・ネットワークの島村さんの言葉です。
彼女は「NPO法人になる必要を感じたことがない」と明言しています。
彼女たちの活動には日頃敬服していますが、NPOには法人化は似つかわしくないと、私も思っています。

ちなみに、その記事によると「大事なのは法人格ではない。自立的に運営できる価値ある事業を生み出すことが問われ始めている」とコムケアセンター事務局長の佐藤さんも語っています。
全くそう思います。
それはそうですね、この佐藤さんは私ですから。

法人化は本質的な話ではありません。
ましてや優遇税制など瑣末な話です。
この記事をまとめた記者との議論は面白かったです。

■空海の戦略(2008年12月6日)
日本構想学会の年次大会で、早稲田大学の松原智美さんから、「東寺講堂諸像と空海の戦略」の話を聞きました。
空海の戦略は驚異的ですが、東寺講堂諸像は空海の直接の設計だそうです。
そこに空海の描く真言密教のすべてが3次元的なマンダラとして示されているのだそうです。
空海が死後の真言宗の発展を構造化しておくために創った、もう一つの仕掛けが、宮中に真言院を創設し、そこでの後七日御修法を恒例化したことのようです。

「理念の具体的な視覚化」と「施設と行事」。
まさに長期的な運動展開にとっての基本要素です。
松原さんの論文は日本構想学会のホームページに掲載されています。

■戦略という用語の使われ方(2008年12月6日)
構想学会では、戦略研究会を設置し、1年間活動してきました。
あいにくその研究会の日が、いつも別件と重なっていて、私は参加できなかったのですが、
そこでの成果が各コアメンバーから発表されました。
実に面白い内容ですが、これも日本構想学会のホームページに間もなく掲載されるでしょう。
早く読みたい方は、どうぞ構想学会に入会してください。
いわゆる「学会」とは違い、刺激を受ける事のできる、まさに「知の交流の場」です。
受動的な姿勢では何も得られない場でもありますが。

戦略に関して興味深かったのは、「戦略」という言葉の使用状況です。
世界的に見て、1980年代と2000年前後に、使用頻度が急増しているようです。
それを訊いて、私は実に腑に落ちました。
1980年代はレーガンやサッチャーにより、自由主義経済が息を吹き返した時代です。
つまり、経済における「競争」が首座を占めるようになったのです。
そして2000年前後は、金融資本に経済が完全に乗っ取られた時期です。
「競争」至上主義の時代の始まりです。
その時期に、まさにおぞましい「戦略」概念が経済に入ってきたわけです。

私は、その前に「開発の時代」において、「戦略」が使われだしたのではないかと思っていますが、
こうした視点から考えると世界経済の大きな動きも見えてくるような気がします。

ラテン世界の辞書には、strategyが “story to tragety”と説明されているそうです。
実に面白い話です。

もっと興味深かったのが、オバマのスピーチにはstrategyと言う言葉はほとんどでてこないそうです。
代わりに出てくるのが、context(脈絡)だそうです。
以上は半田さんと加藤誠也さんからお聞きした話です。

「戦略」って一体、誰がどんな目的で使う言葉なのだろうか、と私は問題提起しました。
面白い議論がありましたが、私はいまや「戦略」という言葉は、思考停止と権威付け、
言い換えれば、自己正当化のためのマジックワードになっていると思っています。

■新次元の経営(2008年12月6日)
戦略研究会を発展させて、新次元の経営を考える研究会を発足させようと言う提案が半田さんから出されました。
そこで、また「新次元」とはなにか、「経営」とは何かの議論が展開されました。
退屈しながらも、面白かったです。

実に面白い論を展開されたのが、國學院大學の宮下誠さんです。
専門は、パウロ・クレーだそうです。
意見は違いますが、魅力的な人です。
きっとまた会う機会があるでしょう。
書きたいことはたくさんありますが、疲れたので省略します。
日本構想学会では、いつも元気をもらえます。

(2008年11月第4週)
寒いです。とても。
■私のホームページは読みにくいと怒られました(2008年11月25日)
■最適化社会から自律社会へ(2008年11月25日)
■柏崎の友人からの手紙(2008年11月25日)
■花かご会への差し入れ(2008年11月26日)
■支え合う生き方を考える気楽なサロン(2008年11月26日)
■山上さんに励まされました(2008年11月27日)
■com2ってご存知ですか(2008年11月27日)

■私のホームページは読みにくいと怒られました(2008年11月25日)
日経の記者の方がやってきました。
面白い2時間を過ごしました。
彼女が取材の目的を達したかどうかは、いつものことながら私の関心事ではありません。
面白い時間を過ごせたかどうかが、私の関心事なのです。

取材の最後に感想とアドバイスをもらいました。
まず感想ですが、彼女の義父さんと私の風貌が同じようなのだそうです。
どういう意味でしょうか。

もう一つは、私のホームページが読みにくくて、迷子になる。
読む人のことを考えていないと怒られました。
それはそうでしょう。
書き手の私でさえ、迷子になるほどですし、こんな記事もあるのと改めて自分で驚くほどなのですから。
たしか書いたことがあると思いながら、その記事が見つからないことなどよくある話です。
しかし、それがリゾーミックなホームページの特徴なのです。
それに、読んでくれる人が増えるのも歓迎ですが、努力してまで読者を増やすつもりはない、これは私が書くのを楽しむサイトなのですから、と見栄を切ってしまいました。

しかし、正直なところ、見やすくなればそれに越したことはありませんが、いまさらもう手に負えないのです。
なにしろ友人から2時間のレクチャーを受けて自分で手づくりしたホームページなのです。
それにつぎはぎしてきたのですから、もはや私の手に負えるような存在ではないのです。
いやはや困ったものです。

それはともかく、何の取材だったのかといわれそうですが、
帰り際にその人が言いました。
取材したことを記事になる前にあんまり書かれると困るんですよね。
私には異論がありますが、今日来た記者の方はとても誠実な人だったので、それに従うことにしました。
ですから名前と取材内容は内緒です。

久しぶりに刺激的な時間でしたし、私自身の間違いにも気づかせてもらいました。
こういわれたのです。
乳幼児の世話をしたことがないでしょう。大変なのですよ。
子育ての大変さも体験せずに偉そうなことを言うなといわんばかりの、迫力のある、実に「きつい」言い方でした。
ターミネーター2の主人公の母親を思い出しました。
いやはや、女性は怖いです。なにしろ自分を生きていますから。
ちなみに取材は子育てとは全く無関係です。念のため。

■最適化社会から自律社会へ(2008年11月25日)
例の機械産業振興協会のなにやら長い名前の研究委員会でした。
今日はゲストにオムロンのヒューマンルネッサンス研究所の社長の中松さんに来てもらいました。
研究会のメンバーが、オムロンの企業経営の骨格ともいえる、SINIC理論に興味を持ったからです。
久しぶりにお会いしましたが、まったく「ぶれていません」。
中松さんらしいです。

SINIC理論は、オムロンの創業者の立石一真さんが1970年に発表した、未来予測理論で、
いまなお、オムロンの経営の羅針盤になっているようです。

詳しくはオムロンのサイトをご覧いただきたいですが、
大きな流れとして、「最適化社会」から「自律社会」「自然社会」へと定義しています。
その基本にあるのは、ソーシャル・ニーズ論のようです。
私には違和感がありますが、オムロンがいうソーシャル・ニーズはかなり広義のようです。
私は、このサイトでは何回も書いていますが、
社会のパラダイムが、全体起点から個人起点へ、と変わるという認識を持っていますが、
そうした視点から考えても、この図式は納得できるものです。
ただ、そうした動きを全体論で考えるのか主体論で考えるのかは重要な問題です。
私の発想では、組織もまた自律化し、自然に組み込まれるということになりますので、
改めて「企業」の意味とか「経営」の概念のパラダイムシフトが必要です。
その点に関しては、少しだけ違和感がありました。

こうした大きな社会変化論議は最近あまり流行りませんが、いまこそそうしたマクロの議論をすべき時だと思います。
大きな展望をもっていればこそ、現時点での手の打ち方も見えてきますし、なによりも効果的に布石できます。
中松さんは、しっかりとそうした取り組みをしていますが、最近の大企業はあまりそういう動きをしていないように思います。

中松さんとは2002年ごろに一緒に研究会をさせてもらって以来かもしれません。
また一度、中松さんを訪問して、少し刺激をもらおうかと思っています。
オムロンは、やはり面白そうです。

■柏崎の友人からの手紙(2008年11月25日)
私の両親は新潟県柏崎市の出身です。
戦争の時、その柏崎に「疎開」していました。
東京大空襲で家は燃えましたが、家族は全員無事でした。
東京に戻ってきたのは、昭和26年の春、私が小学4年になった時です。

私は記憶力があまりいいほうではないので、その頃の話はほとんど記憶にありません。
覚えているのは海水浴で溺れたことくらいでしょうか。
しかし、いまなお、年賀状のやりとりをしている友人がいます。
おそらく50年以上、会ったことはないのですが。

ブログにも書きましたが、その友人から手紙が届きました。
今年、年賀状をもらったので、妻を見送ったことを知らせた返事でした。

そして1年前の中越沖大地震のことや家族のことを書いてきてくれました。
年賀状では全く知らなかったことが書かれていました。
私はほとんど過去に興味をもてない人間ですので、その柏崎にも自分からは行ったことがありません。
思い出すことさえなかったのですが、友人からの長い手紙で、少し意識が変わりました。
いつか柏崎に行ってみるのもいいかもしれないと思い出したのです。
実は兄から、一度一緒に行ってみようといわれているのですが、ずっと断り続けているのです。
娘たちからも勧められているのです。
さてどうしましょうか。

■花かご会への差し入れ(2008年11月26日)
我孫子駅南口前の花壇は、花かご会というグループが整備しています。
花かご会は、私の妻の節子も参加していました。
そのおかげで、いまも花かご会のメンバーが時々、わが家に献花にきてくれます。
その花壇には、節子が育てていた我が家の花も植えてもらっています。

今日は花壇の整備の日だったことを思い出して、ささやかな差し入れに行きました。
今日はメンバー全員が参加していました。
花壇はとてもきれいになっていました。

■支え合う生き方を考える気楽なサロン(2008年11月26日)
今日はお知らせなどで案内した「支えあう生き方を考える気楽なサロン」でした。
事前申し込みは9人だったのですが、直前になって3人の方が急用で来られないと連絡が入りました。
忙しい時代ですから、サロンなどという悠長な話はなかなかはやらないのです。
案内を出したメーリングリストでは、ある人から「サロンではなく行動したほうがいい」というお叱りの投稿もありました。
それに対して、2人の人から、めげずにサロンを継続しろと応援のメールもありました。
それぞれありがたいメールです。

ところで今回のサロンに集まったのは、異色の人たちでした。
最初はコムケア活動のサロンとして考えたのですが、一味違うサロンにしようとブログでも案内したのです。
そのおかげで、予期せぬ参加者がやってきました。
ブログ、それも挽歌編のほうに登場した4人です。
元ヤクザのdaxさん若き僧侶の市川さんギタリストの宮内さんクリシュナムのコメントをくれた渡邉さんです。
コムケアのど真ん中にいる橋本さんと浅野さんも参加してくれました。
きっさろんでお会いした片野さんもやってきました。
話が盛り上がって、9時半過ぎても終わりませんでした。

今回の気づきは、かつてのやくざの世界は結いの世界、最近の暴力団の世界は近代企業ということでした。
dax さんが「不思議な集まりだ」といいました。
宮内さんは「なんだかみんな以前あったような気がする」といいました。
ほとんどが初対面なのに、不思議なつながりを感ずる場になりました。
支えあいの始まりは、つながりなのです。
daxさんが、しみじみと、支える時の距離感が大事だといいました。
浅野さんが、支えあうの「あう」が大事だといいました。
同感です。

さてこのサロンはこれからどう発展していくのでしょうか。

■山上さんに励まされました(2008年11月27日)
2年近くご無沙汰していた住友生命社会福祉事業団の山上さんと的場さんをお訪ねしました。
住友生命社会福祉事業団は、コムケア活動を全面的に支援してくれています。
資金的にはもちろんですが、精神的な支援もとても大きいのです。
自分の活動を理解してくれている人がいるということの意味の大きさは、当事者になって初めてわかるものです。
ですから私もNPOに取り組んでいる人の思いを全身で受け止めるようにしています。
しかし、それはそう簡単なことではありません。
無制限にやりすぎると心身がボロボロになりかねないのです。
昨日のサロンで、daxさんが支える場合の距離感が大事だといった意味がよくわかります。
これもまた実際にやった人でないとわからないことでしょう。

この2年間、期待に添えていないことの謝罪のつもりでしたが、
お二人にお会いしたら、いろいろと話したくなってしまい、謝罪どころか雑談に終始してしまいました。
お2人ともなぜかそうさせてしまうオーラを感じさせてしまうのです。
1時間半も、雑談をしてしまい、別れた後、反省しています。
しかしなんとなく吹っ切れた気もします。
最後に山上さんが「ともかくまた元気に活動してください」といってくれたのです。

こうした人たちのおかげで、私のかなり「跳ね上がった活動」(多くのNPO中間組織の支援活動にはどうしても違和感があって、私はそれとほぼ反対の姿勢で活動しています)は可能になっていることを改めて自覚しました。
まだいささかの重荷にはなっていますが、前に進もうと思いました。

■COM2ってご存知ですか(2008年11月27日)
大阪に来たもう一つの目的は、先週、書いた「おたっしゃコール」の松本さんにお会いすることです。
松本さんは、わざわざ新大阪まで出てきてくれました。
しかも松本さんは、最近、目を悪くされたため、奥さまも同行してくれたのです。
恐縮至極ですが、松本さんの好意に甘えることにしました。
そのおかげで、松本さんご夫妻の、そもそもの馴れ初めの話を聞かせてもらいました。
場所はなんと大阪万博でした。
私も何回か通いましたが、そこで松本ご夫妻も、それぞれ違うところで参加していたそうです。

孤独死防止に取り組む松本さんの思いは大きいです。
さまざまなところに提案し、賛同を得るのですが、なかなか大きく動き出しません。
もういいかと少し思い出し、活動を後退させたら、逆にいろいろなところからアプローチがあり、今度こそ大きく動き出しそうなのです。
もう私が応援するまでもないのですが、
その価値を理解しているものがいることを知ってもらうことの意味はありますし、
もしかしたら何かできることがあるかもしれません。
何ができるかを少し相談しようと思っていたのですが、松本さんはいつものように機関銃のように思いを話してきます。
全体像がなかなかつかめないのです。
そこでハッと気づきました。
たぶん私のこれまでのプロジェクトも、外部の人の受け止めはこうだったのだろうなということです。

ところで、松本さんの構想は進化しました。
名称も COM2(Communication & Community)再生モデル事業と変えました。
松本さんは実践の中で、コミュニケーションとコミュニティの重なりに気づいたのです。
単なるコミュニケーションではなく、コミュニティを育てていくこと、
形だけのコミュニティではなく、生きたコミュニケーションが行き交っているコミュニティ。
それが松本さんのビジョンです。
まさに、これはコムケアの理念であり、支え合い社会のことなのです。

幸いに、強力な共感者が現われたようですので、きっと間もなく大阪で動きが出てくるでしょう。
それを見ながら私も何ができるか考えてきるつもりです。

この仕組みは デイコールサービス協会のサイトに出ていますので、興味を持った方はぜひご連絡ください。
高齢者生活支援としてはかなりの優れものですし、コミュニティ再構築のツールとしても有効だと思います。
アクティブシニアの活躍の場にもなります。

実は、それはそれとして、今回、奥様も一緒だったことも会って、話がさらに広がりました。
その話は、たぶん本にしたら面白いです。
友人の編集者に提案しようと思いますが、どなたか出版のネタ探しをしている方がいたらご一報ください。
警備関係の話です。技術論ではありません。

(2008年11月第3週)
寒くなりましたが、青空がきれいな週でした。
■気配りするミラーの小宮山さん(2008年11月17日)
■企業OBは地域社会を変えていくでしょうか(2008年11月18日)
■相創の場の伊藤さんのアドバイス(2008年11月19日)
■女性活用問題のジレンマ(2008年11月19日)
■エスクモデルをそろそろ変えませんかという余計なお世話(2008年11月20日)
■経営道フォーラム44期が始まりました(2008年11月20日)
■いろんな人たちからのメール(2008年11月22日)

■気配りするミラーの小宮山さん(2008年11月17日)
機械産業振興協会の研究委員会の活動の一環として、コミー株式会社の小宮山栄さんを訪問しました。
コミーはとても面白い会社で、テレビや雑誌などで時々取り上げられますが、その創業者の小宮山さんは実に魅力的な人です。
このホームページでは何回か出てきていますが、最近は国際箸学会を立ち上げて、その活動も実に面白くなってきています。
面白い人には面白ことがどんどんと集まるのです。
それに小宮山さんは、生き方がしっかりしています。
納得できる生き方しかしないという人なのです。
いやできないというべきでしょうか。
こういう経営者はめずらしいでしょう。

私は初めて小宮山さんから会社の話を正式に聞きましたが、思っていた以上に面白いです。
新しい産業パラダイムや企業モデルを考えるヒントがたくさんありました。
私がずっと思っている、組織発想から個人起点へという流れにも、サービスからホスピタリティ、提供から共創へという流れにも、つながるように感じました、
まあ、それは報告書にまとめられて発表されるでしょう。

しかし小宮山さんが一番楽しそうに話してくれたのは、箸の話でした。
ぜひホームページをご覧下さい。
この学会の活動はきっと広がっていくでしょう。
すでにイヌイットの世界にまで広がっているようですので、そのうち、世界を変えていくかもしれません。

箸に関して話してほしい人がいたらご連絡ください。
きっと小宮山さんが喜んで話に行くでしょう。
箸の話は奥が深いです。
でも小宮山さんの人間性のほうがもっと深いかもしれません。

■企業OBは地域社会を変えていくでしょうか(2008年11月18日)
東レ時代の同僚の増山武彦さんが久しぶりに来てくれました。
今は大阪で、地域活動に取り組んでいるそうですが、もともと増山さんはマーケティングや人材教育のプロです。
私と違って、とても几帳面な方なので、
地域の活動もきっと頼まれて断れないままに、どんどん引きずり込まれてしまっているのでしょう。
今は地域公民館の館長まで引き受けてしまっているようです。

増山さんがお住まいになっているのは、千里ニュータウンです。
かつての大型ニュータウンは、今はどこも大きな問題を抱えていますが、千里も同じようです。
いろいろと面白い課題がありそうです。
それに増山さんは、環境関係のボランティア活動にも取り組もうとNPOすいた環境学習協会の監事もされています。

こうした人たちが増えてくると、地域社会は大きく変化し、結果的に社会は変わっていくはずなのですが、なかなかそう簡単にはいかないようです。
そのあたりの問題を考えるのも興味あるテーマです。

■相創の場の伊藤さんのアドバイス(2008年11月19日)
3月にコムケアフォーラムをさせてもらった、相創の場の伊藤さんにSCALE Designの松清さんと会いに行きました。
いろいろと刺激をもらい、これからのSCALE Designの展開に関して知恵をつけてもらいに行ったのです。
私も実は企業にいたのですが、この20年の生活ぶりをみて、
とてもビジネスの世界にいたとは思っていない人が多く、企業に関しては私の発言にはどうも説得力がないようです。
しかし、現に企業の在籍している人の話だと、大きな刺激になるようです。
伊藤さんは、企業に在籍しながらもきちんと主体的に生きている人ですから、世界が見えています。
ですから松清さんにとっては、たぶん衝撃的だったでしょう。

SCALE Designは前に書いたようにNPOですが、本来的な意味での事業に取り組めればと思っています。
企業が最近展開している事業とは一線画したいものです。
まだそれがどうやればできるのかわかりませんが、松清さんがきっと新しい地平を開いていくでしょう。
私も一緒に取り組もうと思っています。

それにしても伊藤さんは不思議な人です。

■女性活用問題のジレンマ(2008年11月19日)
今年2回目の人材育成活用研究会でした。
今年のテーマは、「女性の活用」ですが、私には基本的に違和感のあるテーマ設定です。
目線が高く、そこにすでに女性を見下した意識を感じます。
でもまあ、そうやって一々言葉尻にこだわっているとなんにでも関われなくなってしまいますので、
まあそれはこだわらないようにしようと思っています。

今回はイーウーマンの佐々木かをりさんが問題的をしてくださいました。
実に刺激的でした。
国際女性ビジネス会議の話は、最近ビジネス誌を読まないこともあって、知らなかったのですが、
男性の世界の動きとは見事に違っています。
とても面白かったのは、ビジネスで活躍している女性の半分以上が、子どもを持つことに仕事上でもプラスのイメージを持っているということでした。
日本でのライフワークバランスへの取り組み方の小賢しさにいささかの懸念をもっていましたが、改めて時代の変わり目を実感しました。
日本の産業界は、ワークシェアリングも、小賢しい取り組みでだめにしましたが、そうならないことを祈ります。

イーウーマンの活動に全く共感できるわけでもありません。
大きな視点から考えれば、まだ旧体制の枠組みの中での活動のようにも見えます。
私の間違いかもしれませんが。
しかし、女性の活用への取り組みは、大きなジレンマを包含しています。

研究会では女性活用に関するアンケート調査をすることになりました。
それに関しては、「女性を活用する」という視点を超えて、女性に活用され、企業そのものが変革していくような視点を入れるように提案しました。
どうなるでしょうか。

■エスクモデルをそろそろ変えませんかという余計なお世話(2008年11月20日)
エスクの名木さんがやってきました。
宮部さんと一緒に話し合いました。
エスクも次の段階に進化する時期に来ているようです。
これまで山村留学を初めとして、いろいろと個別課題の相談に応じていましたが、どうも問題はもっと根本のところにありそうです。
子どもの問題から社会の実態や時代の方向が見えてきます。
ですから名木さんは急いでいるのです。
私に何ができるか、悩ましい問題です。

しかし、なぜかこの1週間、子ども関係の話がいろいろと入ってきています。
たとえば、ブックのコーナーに紹介した「毎朝15分間の音読」の著者の百瀬さんに会いましたし、
身近なところから歴史を学ぶ授業をやっている齋藤武夫さんの著書をいただきました。
さらにコムケアで接点ができた小児科医の黒江けんじさんからは政党立ち上げの応援を呼びかけられました。
12月10日には、コムケア活動の一つとして、子育て関係のサロンをスタートさせます。
これだけいろんなことが集まると、何かやらなければいけない気分になってしまいます。
さて、どうしたらいいでしょうか。

■経営道フォーラム44期が始まりました(2008年11月20日)
経営道フォーラム44期のスタート合宿に参加しました。
最近の金融不況のあおりで、このプログラムへの参加者が急減し、今回はチーム数がひとつ減りました。
金融不況はさまざまなところに影響を与えているようです。

今回はスターとの合宿ですので、少しだけ問題提起をさせてもらいました。
いまの企業にとって、経営理念と企業文化というテーマはいささか悠長すぎるかもしれませんが、
逆に今こそそうした問題を真剣に考えなければいけないでしょう。

経営理念でいえば、金銭主軸の経営からもう一度人間主軸の経営に戻らなければいけません。
また金融重視のなかで忘れられていたイノベーションに注力しなければいけません。
本業ではなく金融の運用で利益を上げていることを見直すべきでしょう。
経営とは何なのかを考えている経営者が、もう少しいてもよさそうですが、
経団連などで活躍している財界人には見当たりそうもありません。
企業文化に関しては、これも問題は簡単です。
みんなが安心して働けるような文化の回復です。
それと正反対のことをやってきたのがこれまでの多くの企業ですが、まだその延長で動いているような気がします。

参加者の関心事は、やはり「人が生き生きした会社」のようです。
今回はどんな展開になるでしょうか。

■いろんな人たちからのメール(2008年11月22日)
今週もまたいろんなメールが来ました。
いくつかを書いておきます。

神戸徳洲会病院副院長の黒江けんじ医師から思ってもいなかったメールです。

 小児の医療や海外での医療活動を中心に、地域の在宅まで手を広げ医療活動を行ってきました。しかし、そこに存在する問題点を  解決するには、現場を知る人間が、どうしても政治というものに立ち向かわなければならないと考え、その道に進む事を検討していま す。無所属という、まったく個人的出馬になりますが、橋本大二郎さん(前高知県知事)が協力してくれそうなので、次期衆院選に地元 (須磨・垂水)から出ることを検討しています。

黒江さんとはコムケアでつながりができ、一昨年開催したヒポクラテスの会にも参加してくれました。
医療分野は妻のこともあって、しばらく封印していましたが、黒江さんの決断には応援していくことにしました。
また近々このサイトできちんと呼びかけもさせてもらうつもりです。
黒江さんのサイトを読んで、もしご支援してくださる方がいたら、ご連絡ください。
よろしくお願いします。

高齢者の孤独死をなくす活動に取り組んでいる大阪のデイコールサービス協会理事長の松本敏さんからもメールが来ました。
白内障の手術で入院されていたそうですが、
ともかく元気なうちに松本さんが開発された「おたっしゃコール」システムを普及させようとがんばっています。
視力がまだご不自由のなかをメールくださいました。
なんとか協力しなければいけません。
幸いにある人が協力の声をあげてくれましたが、
私も改めて何ができるかを考えるために、来週、大阪で松本さんに会うことにしました。
「おたっしゃコール」のサイトもぜひ見てください。
応援してくださる方はご連絡ください。

異色のメールも来ました。
実は小生は5年ほど前までは、現役のヤクザでした。
今の「ヤクザもどき」や「ヤクザまがい」のはびこりについて行けず、
見知らぬ東京に出てきて、今は知的障害者施設の送迎バス部門を持つ会社で、その部門の管理を任されています。
その方のブログを読ませてもらいました。
涙と笑いといささかの嘔吐感をもって全部読みました。
感動しました。
お願いして、このサイトにリンクさせてもらいました。
私とこの人をつなげてくれたのは、17日に放映された東尋坊の茂さんの番組です。

ちなみに、茂さんからもメールをいただきましたが、
11月24日の午後4時半から、TV朝日系の別の番組で30分ほど、また茂さんの活動が放送される予定です。
この番組では、「自殺防止に取組むべき者は誰」について訴えたつもりです、と茂さんは書いてきました。
もしお時間があえば、ぜひ見てください。

挽歌を読んでメールを送ってきてくれた方もいます。
ブログで書いたSBさんです。
何回かメールをやり取りしましたが、愛する人を見送ったショックから、まだ立ち直れていないようです。
立ち直ろうなどと思わずに、今の状況に慣れるしかないのですが。

個人的に私を心配してメールしてくださった人もいます。
私が高血圧なのに、降圧剤の飲んでいないことを知ってメールしてくださったのです。

 実は、私も一生飲み続けなければならなくなるし、薬そのものが嫌いでしたから、一度医者に勧められたのですが、先延ばしにしてい ました。脳出血してしまった今思うのですが、結局は薬を飲まなければならなくなるのであれば、病気で倒れる前に飲んでおくべきだっ たと。この経験から、医者にそろそろ薬を飲んではと言われたことのある人には飲まれるよう勧めています。

全くその通りですね。
私も先週から薬を飲みだしました。
調子がよくなりました。
ご心配をかけてすみませんでした。
こうしていろんな人から心配してもらえる幸せを大事にしなければいけません。

広島の折口さんからも最近メールがよく来ます。
また「折口日記」が復活できそうです。

もう一人だけ書きます。
不思議な友人の濱口さんからの、いささか思わせぶりのメールです。
「山中を彷徨う事4回、金鳥山ネタで際立った進展がありました。
またお目にかかった折にお話致します。」
さてどんな進展だったのでしょうか。

私のブログへの応援メールも今週はいくつかもらいました。
ありがとうございました。
世界はまだまだ広いです。

(2008年11月第2週)
一挙に冬になりました。何だか騒々しい1週間でした。
■開かれた頼母子講(2008年11月4日)
■これからの企業経営の鍵は「人と人との関係」(2008年11月10日)
■田母神論文事件のブログへの波紋(2008年11月11日)
■高血圧に要注意です(2008年11月12日)
■「共生とは何か」(2008年11月14日)
■永続的企業繁栄の条件(2008年11月15日)

■開かれた頼母子講(2008年11月4日)
先週は書き込みをしませんでしたが、一つだけ書いておきたいことがあるので、補足しておきます。
大学教授の滝沢さんが訪ねてきてくれました。
このホームページを読んで、コモンズ応援団の名乗りを上げてくださったのです。
滝沢さんは応用化学の研究者ですが、
これまでさまざまなところから資金助成を得ながら研究活動をしてきたそうです。
しかしそろそろ今度は自分が社会に向けて何かできないかを考え始めたいというのです。
そこで興味を持ったのが、このホームページにあるCWS基金です。
みんなが少しずつ資金を出し合って、それをどこかに寄付し支援していくという仕組みです。
「開かれた頼母子講」といってもいいかもしれません。
滝沢さんの場合は技術者ですから、技術の目利き役を果たすことができるでしょう。

寄付行為の大きな課題は、目利き役の存在です。
私もいくつかの寄付プログラムに関わりましたが、
もし私に資金を預けてくれたら効果的な活用ができるのにと思うことがあります。
おそらく半分の予算で数倍の効果をあげられるでしょう。
思い上がりもはなはだしいと思われそうですが、いろいろな活動に関わっていると、ついついそう思ってしまいます。
おそらくそう思っている人も少なくないはずです。
私財があればそれが実現できますが、私財があればそんなことは思わないのかもしれません。

技術の分野でそういう仕組みができたら、きっと自立的な仕組みが出来上がります。
つまり支援した技術や事業が成功すれば、寄付基金の原資を内部的に調達できるようになるからです。
実は私もコムケア基金というので、そうした仕組みを考えたことがありますが、着手するまでにいたりませんでした。
お金の持つ力には勝てそうもなかったからです。
ですから「仕組み」ではなく、私の思いで寄付金を勝手に使うCWS基金にしたのですが、残念ながらお金は集まりません。
もっとも、いまだと私の生活資金と借金返済原資に流用されそうなので、集まらないほうが気が楽ですが。
まあ、それはともかく、滝沢構想には興味があります。
いつか何かをコラボレーションできればうれしいと思っています。

■これからの企業経営の鍵は「人と人との関係」(2008年11月10日)
経営道フォーラム43期の発表会でした。
何回か書きましたが、私の担当チームの大きなテーマは、企業理念と企業文化です。
毎回2つのチームを担当しますが、なぜか内容がそろうことが多いのです。
時代の気分がそうさせるのだろうと思います。
私のオリエンテーションはいつもほぼ同じなのですから。

一つのチームは、老舗の研究から「信と和」に、
もう一つのチームは「利他」の視点から「相互支援」というキーワードにたどりつきました。
いずれも「人と人との関係」です。
最近の言葉を使えば、ソーシャル・キャピタルです。

成熟社会の深化のなかで、企業を取り巻く環境は激変しています。
最近の金融不安はその象徴的な事件です。
経済はパラダイム転換しなければいけない時期に来ています。
その時期に、改めて「人と人の関係」に目が行くのは当然ですが、
その視点を現実のものにしていく主体は、まさに「企業に属する人」なのです。
そのことの難しさは、最近話題になっている田母神前空幕長の論文事件が示してくれています。
元自衛官の方がブログにコメントしてくれていますが、
しっかりした組織であればあるほど、人が主役になるのは難しいのです。
組織原理を変えなければいけません。
それが難題です。
ヒントは組織の原点である「家族組織」の中にあるような気がします。

■田母神論文事件のブログへの波紋(2008年11月11日)
ブログのCWSプライベートへのアクセスが急増し、毎日1000件程度になっています。
ところがそのほとんどが田母神前空幕長関係、それも4月に書いた「違憲判決など関係ねえ」の記事へのアクセスです。
それに関連してコメントやメールも届いており、いささかうんざりです。

一応、送り主と連絡が取れる実在のアドレスで送ってきたコメントはブログに掲載していますが、私はぼろくそに言われています。
教養のある人は朝日新聞など読まないといわれたり、発想の貧困さに同情されたり、いやはや散々です。
私も反省しなければいけません。

しかし、そのおかげで、ブログなど書いて何の意味があるのかという自問自答する機会を得られました。
さらに、自分自身の「いじましさ」や「偏狭さ」も思い知らされました。
不愉快なメールが届くと、実は内心穏やかでなくなるのです。
かなりそうしたことは克服したつもりでしたが、だめでした。

しかし、悪いことばかりではありません。
辛らつにコメントしてきたひとりの人から、

 お返事感謝します(^-^) 先に謝ります。
 私は佐藤さんを朝日新聞や左翼政治家の論理に影響受けた人なのかなと思っていました。
 申し訳ありません。

というコメントをもらいました。
書きっぱなしで2度とアクセスしてこない人がほとんどですが、こういう人もいます。
この人は元自衛官だそうですが、いろんな考えがフェアにぶつけ合える場があるといいですが、
なかなかそういう場はむつかしいです。

ブログをやっていると怖くなることもあります。
前にも大麻で有罪になった人がやってきましたが、実名であっているといろいろとあります。
ネットは正直なところ、とても怖いことが時々起こります。
しかし、人生とは、もともとそういうものなのでしょう。
この2週間、胃が痛くなることが多いです。

■高血圧に要注意です(2008年11月12日)
今年は秋を味わわないうちに冬を迎えたような気がします。
ともかく寒い日が続いています。
寒いとどうなるか。
じつは高血圧気味の私の血圧が、ついに120〜200へと急上昇しました.
危険領域です。
さすがに医者に行って降圧剤を飲みだそうかと思いましたが、もう少し様子を見ることにしました。
もしかしたら、もしかするかもしれませんが、それも人生です。
根本さんから勧められたように毎朝ラジオ体操をすることにしました。
Wii Fitで、ジョギングもすることにしました。
にんにくを毎日食べることにしました。
塩分を控え目にしろと節子に言われたのを思い出して、
中和のために糖分をたくさんとることにしましたが、どうもそれは間違いのようです。はい。
今日は、下が105まで下がりました。
しかしどうも体調がよくないので、そろそろ年貢の納め時かなと思い出しています。
医者に行くことにしました。

■「共生とは何か」(2008年11月14日)
「共生とは何か」をテーマにした、ミツカン水の文化交流フォーラム2008を聴きにいきました。
知人から紹介されたフォーラムですが、とても面白かったです。
フォーラムの記録は、ミツカン水の文化センターのホームページに後日掲載されるそうです。
会場で、新潟水辺の会の金田さんと藤代市の宮崎さんに会いました。
お2人とも以前から参加されているそうです。

私がおもしろいと思ったことは、2つあります。
まず発表者のうち3人が、かつては行政の職員だったことです。
いまはいずれも大学の教授ですが、国土交通省、環境省、国連などの出身です。
これは否定的に感じたのではなく、肯定的に感じました。
セクターを超える生き方は発想を豊かにします。
発想がいずれも柔軟で、現場感覚があるのにも共感できました。

もうひとつは、なぜ共生しなければいけないのか、そもそも共生とは何なのかという、 基本的な問題提起が含まれていたことです。
特に基調講演での沖大幹さん(東京大学教授)はラディカルに問題提起されました。
私自身、共生や持続可能性が何の疑いもなく前提にされていることと概念のあいまいさがいつも気になっていましたので、とても共感できました。

ミツカンのこの活動にとても共感できます。
食品企業にもこうした地道な取り組みをしている企業があることを知ってホッとします。

■永続的企業繁栄の条件(2008年11月15日)
日本経営道協会のリード力開発同情の8期生の発表会でした。
今回の基調講演は、テレビドラマのモデルにもなった林文子さんです。
人材育成研究会でもご一緒していますが、いまは自動車のディーラーの社長です。
生活感覚を踏まえた人間性を持ちながら、ダイエーの企業再生に取り組んだりしてきた人です。
パネルディスカッションには丸和機関運輸の和佐見社長とイオングループで長年、社会活動関係の仕事に取り組んできた上山さんに来てもらいました。
いずれも現場感覚のあるお話で共感できました。

今回のフォーラムのメインプログラムは、若手企業人による研究成果発表でしたが、
大きなテーマは「利他」、そして共感、感動に繋がる内容でした。
先日の経営道フォーラムでの発表と繋がっているのが興味深いです。

問題は、こうした研究成果が、果たして企業に帰った時に実践できるかどうかです。
いろいろとコメントさせてもらいましたが、彼らの純粋性は伝わってきました。
個人の思いと社会の状況が、どうしてこうも違うのか、いつも本当に不思議に思います。

(2008年11月第1週)
やっと心身が少し動き出しました。
パソコンの前においてある「課題リスト」が30項目を超えそうだったのですが、一挙に半減させました。
気持ちを押してくれたのは、いろんな方たちからのメールでした。
うれしいニュースもたくさん届きました。
ブログの挽歌に書きましたが、このサイトのおかげでうれしい出会いもありました。
もっとも、ブログ関係では田母神記事へのアクセスが急増し、心が沈むようなメールも来ました。
今週は個別報告は省略します。
いろいろと書きたい気もしますが、実は久しぶりに時間がなくなってしまいました。

(2008年10月第5週)
日本の政治も経済も、緊張感がなくなってしまいました。
社会が壊れだしているのがよくわかります。
新しい社会に向けての前奏曲なのか、それともある時代の終わりなのか、とても不思議な気がします。
■機械産業の方向性(2008年10月27日)
■子育て活動に「子ども観」はあるのか(2008年10月29日)
■CAS凍結ってご存知ですか(2008年10月30日)
■ハーモニカの西川さんはいま中国です(2008年10月30日)
■コムケアサロンの新シリーズを始めようと思います(2008年10月31日)
■「社徳が社格を作る」(2008年10月31日)

■LOHAS ABIKO YES(2008年11月1日)

■機械産業の方向性(2008年10月27日)
これからの機械産業の方向性を考える研究委員会の2回目でした。
研究の視座と仮設を議論しましたが、根本的なところからの議論になりました。
経済社会がその枠組みを変えようとしている中で、
果たしてこれまでの枠組みで考えていていいのかという意識が、それぞれのメンバーにあるためです。
製造業もサービス産業だといわれて久しいですが、
そのサービスの意味合いが変わってきているという認識がまだ弱いために、
結局は新しいビジネスモデルを作りそこなっているような気もしますが、
そのあたりを今回は少し議論できれば面白くなるでしょう。
いくつかの事例を取材する予定です。
久しぶりの企業論や産業論に、なんだかわくわくするものを感じます。
30年前に議論していたことの蒸し返しなのが、いささか気になりますが。

■子育て活動に「子ども観」はあるのか(2008年10月29日)
子育ち学ネットワークの深作さんと我孫子で長年子ども関係の活動に関わっている栗原さんをお引き合わせしました。
深作さんは、研究と実践のバランスを取りながら、子育ち支援に取り組んでいますので、
各地の活動とのネットワークを拡げていくことを大事にしています。
お2人の出会いから何かが生まれるとうれしいです。

その後、深作さんと子育ち支援サロンのことを話しました。
彼は、子育ち理念を議論する前に、まずは「子ども観」を議論すべきだというのです。
たしかにそうです。
様々なグループが子育て・子育ちに取り組んでいますが、
子ども観があいまいなので、そのネットワーク化が難しいわけです。
とても納得できました。

そこで先ず年内に、コムケアサロンで「子ども観」議論をしようということになりました。
できれば、きっさろん第2弾として行いたいです。
また案内をしますので、どうぞ参加してください。
子どもが私たちのこれからの社会をつくってくれるのですから、みんなの問題です。

■CAS凍結ってご存知ですか(2008年10月30日)
「CAS凍結」ってご存知ですか。
私はつい最近知りました。
最近、テレビなどで話題になのだそうです。
ちなみに、明日(2008年11月3日)もNHKのBSの「COOL JAPAN」でも紹介される予定です。

CAS凍結は、いわゆる食品などの凍結システムですが、
従来の「冷凍」システムとは異なる理論体系から開発された全く新しい「凍結」技術なのだそうです。
CASは、Cells Alive System (細胞が生きている)という意味で、
凍結しても細胞が破壊されず、解凍後に鮮度が生き生きとよみがえることから名づけられたのだそうです。
隠岐の海士町は、この技術を活用して、地場産業お越しに大成功しているようです。
この話もテレビなどで話題になっているそうですので、見た方もいるでしょう。
隠岐の新鮮な海産物を通販で入手できます。
株式会社ふるさと海士のサイトをぜひご覧ください。

今日、機械産業の方向性を考える研究委員会の活動の一環で、
CAS凍結技術を開発した株式会社アビーの研究所を訪問させてもらいました。
実はその会社は、私の住んでいる我孫子市に本社があります。
しかも、その社長は我孫子市のまちづくり専門委員でもあるのです。
私はこれまで全く知らなかったのですが、CAS凍結技術が生み出しつつある物語は、実に魅力的です。
最初、コミュニケーションの話を研究会の事務局から聞いた時には、よくある話の一つではないかと思っていました。
しかしどうも違うようです。
実に面白いのです。
ネットなどで調べてみただけでも、その革新性はわかりますが、
今日、いろいろとお話をお聞きして、その意味が確信できました。
まだ途中段階ですので、あまり書けませんが、産業パラダイムの転換が示唆されているような気がします。
この研究会を企画した事務局の坪倉さんの展望がやっと見えました。
どうも最近は、私の思考力はかなり低下しているようです。

いつかまたブログの時評編で書けるかもしれませんが、とても大きな刺激を受けました。
もったいぶった書き方ですみません。

■ハーモニカの西川さんはいま中国です(2008年10月30日)
ハーモニカの西川義夫さんからメールが来ました。
前からお聞きしていましたが、いま中国の杭州にいます。
「アジア太平洋ハーモニカフェスティバル」に参加しているのです。

とても大規模な、しかし手作り感にあふれたもののようです。
会場は小学校で、組織委員会も先生が中心のようです。
西川さんのメールが、その雰囲気を少し伝えてくれています。

昨日は、子ども達が全校一斉清掃にとりくんでいました。
かなり規模が大きいので、近くの学校や、公園・劇場なども会場に充てられます。
会場が複線になるというだけでも、気が遠くなるような業務量のはずですが、
若い女性の先生方が、笑顔を絶やさずに準備を続けています。
こういう会場設定の裏にどういう事情があったかはわかりませんが、
少なくとも、日本の小学校では想像することすらできません。

感心している西川さんは、ご自身も手作りを楽しまれる方です。
西川さんは、ハーモニカ教室の高齢の生徒さんたちと一緒に参加しているのですが、
中国の子どもたちとの共演を予定しているようです。
西川さんのブログに毎日、中国からの投稿がありますので、見てください。
写真が多いので楽しいです。

西川さんは、こう書いてきました。

 日本の爺ちゃんばあちゃん達と、中国の子ども達が共に国際舞台を作り上げます。
 曲は「北国の春」「夜来香」「ジャスミン(もうりほあ)」の3曲。
 何と、日本の「北国の春」と、中国の「もうりほあ」には、
 共に、「ファ」の音と「シ」の音がありません。
 日本の民謡音階と同じなのです。

 「音はつながっているのだ」と、昨日、子供たちに話しました。

この話は面白そうですね。
もう少し詳しく西川さんから教えてもらおうと思っています。

それにしても西川さんの行動力には感心します。
私も行動を再開しなければいけません。

■コムケアサロンの新シリーズを始めようと思います(2008年10月31日)
コムケアの橋本さんが来てくれました。
橋本さんは理学療法士を目指して学校に行っていますが、2回目の実習を終えたところで、その話もしに来てくれました。
今回は箱根の近くの病院に2か月間行っていたようです。

橋本さんは、そういう現場に行くといつもたくさんの体験をして帰ってきます。
その話がいつも実に示唆に富んでいるのです。
たくさんのことを見てくるだけではなく、そこから自分のビジョンを少しずつ形にしているのです。
彼と話すと現場のことが、実に生き生きと伝わってきます。

橋本構想は勝手には紹介できませんが、とても共感できます。
彼と話していると、気持ちが明るくなりますが、その分、現状の問題への怒りが出てきてしまいます。
こういう感覚や構想を育てるような福祉の世界であってほしいものです。

ところで、橋本さんと話して、コムケアサロンの新シリーズをスタートさせることにしました。
仮称ですが、「支え合う生き方を気楽に話し合うサロン」です。
案内をお知らせに載せました。
よかったら参加してください。
とてもとても気楽な会です。

■「社徳が社格を作る」(2008年10月31日)
日本経営道協会のリード力開発講座の発表会が11月15日に開催されます。
この日は、共済研究会の公開シンポジウムもありますので、そちらの方に参加したかったのですが、
協会の代表の市川覚峯さんから発表会のコーディネーターを頼まれてしまったので、意に反してこちらに出ることにしました。
それで当日に進め方を打ち合わせました。
といっても、市川さんと私の話し合いですから、あんまり打ち合わせにはなりませんが。

今回のテーマは「永続的繁栄の条件」、サブタイトルが「社徳が社格を作る」です。
いささか「くさい」感じがしますが、市川さんは真剣なのです。
私自身は言うまでもなく、こういう発想を20年前から否定しています。
大切なのは、社徳でも社格でもなく、それを支えている表情のある個人の生き方です。
徳や格は結果であって、意識して議論するものではありません。
徳や格が具わっている人は、そんな言葉など絶対に使いませんし、使わせないでしょう。
「社徳が社格を作る」という発想を克服しなければいけません。
しかし、にもかかわらず、この発表会ではいつも市川さんの流れで従うようにしています。
20年来の付き合いで、市川さんの思いがわかっているからです。

しかしそろそろ経営道活動のパラダイムも変えなければいけないように思います。
本物が残る時代です。
その意味では、まもなくいい時代になるでしょう。
「社徳が社格を作る」という発想を克服しなければいけません。

11月15日の発表会は日本経営道協会のホームページに案内がありますが、前にも書いたように参加したい人がいたら招待券を差し上げます。
先着2名までですが。

■LOHAS ABIKO YES(2008年11月1日)
我孫子のインキュベーションオフィスを訪問しました。
先日の手づくり散歩市でお会いした槙さんが、このインキュベーションオフィス(ABIKO's)の管理もされています。
槙さんが、我孫子を中心に「創年クラブ」を立ち上げる準備をしているというので、それに関して私の周りにある情報をお持ちして、意見交換をしました。
槙さんの取り組みや構想について、いろいろとお聞きしました。
いろいろと重なるところもありそうです。

槙さんは、このインキュベーションオフィスを、我孫子の人たちの3世代交流とロハスな生き方を志す個人やグループを支援する場にしたいと考えています。
1階のスペースは貸し会議室として提供しており、すでにそこでさまざまな活動が始まっているようです。
ちなみに、槙さんはここをSpace LAYと名づけています。
LAYは、LOHAS ABIKO YESの略ですが、それ自体「卵を産む」という意味があるそうです。
槙さんの思いがたくさん込められているようです。
またなにか一緒に活動が出来ることがあるかもしれません。

(2008年10月第4週)
■佐々木さんと話していると自分が見えてきます(2008年10月19日)
■宮内さんの歌を聴かせてもらいました(2008年10月19日)
■コミュニケーションで何ができるか(2008年10月23日)
■SCALE Designの人力タクシー事業検討会(2008年10月23日)

■佐々木さんと話していると自分が見えてきます(2008年10月19日)
共済研究会の佐々木憲文さんが、節子に献花に来てくれました。
今回はお住まいの岐阜から2人の娘さんを同行したため、自動車でやってきたのだそうです。
すっかりお元気そうなのでとてもうれしい気持ちになりました。
ちなみに、佐々木さんの娘さんは、パルとミホといいます。
2人の紹介ページがありますが、愛犬です。
ソフトバンクのコマーシャルにかなり先行して、佐々木さん家族は人間と犬で構成されています。

佐々木さんの、共済文化に対する思い、あるいは社会のあり方に関する考えは、私とほとんど一致しています。
思いは同じなのですが、いささか「怠惰」なところも似ているため、
がんばって本を書こうとか、社会に働きかけしようなどとか、思いもしないのです。
困ったものです。
しかし私よりも佐々木さんの方がアクティブです。
共済研究会の運営委員でもありますし、11月15日には共済に関する公開シンポジウムも開催します。
このシンポジウムはぜひ多くの人にも参加してほしいと思います。
残念ながら、私は別のフォーラムのコーディネーターを頼まれてしまっていたので、シンポジウムには参加できないのですが、共済文化に関心のある方はぜひご参加ください。
ご連絡いただければご案内します。

支え合い文化をテーマにした研究会を、共済研究会とは別に始めてもいいかなとちょっと思いつきましたが、
佐々木さんに話すとやらなければいけなくなりそうなので差し控えました。
でも始めようかなと思い出しています。
コムケアの第2ステップと考えてもいいような気がしてきました。

■宮内さんの歌を聴かせてもらいました(2008年10月19日)
先日、手づくり散歩市でお会いした宮内さんがギターを持ってやってきてくれました。
先日、庭にある献花台を見て、追悼に来てくれたのです。
ブログに書きましたが、「涙そうそう」と「木蓮のなみだ」の2曲を歌ってくれました。
いずれの曲も心に染み入りました。
宮内さんは、翌日、こんなメールをくれました。

昨日 佐藤さんのご家族の何十年の愛 歴史に対し
わずか出会って1週間のわたしが 押し付けがましく
追悼の歌を歌うという暴挙 
はたして 良いことなのだろうか と直前まで
逡巡しました 

単純に、歌が好きだった節子さんに 精一杯歌を届けたい 
下手だけど もし 皆さんが嬉しく思ってくれるのならば
それこそ「生きた歌」を歌えることは 幸せだ と思い
演奏させていただきました。

その気持ちがとてもうれしいです。
宮内さんとは、我孫子のまちづくりに関して、いろいろと話をしました。
いろいろと接点もできそうです。
節子がつくってくれた「つながり」ですので、大事にしたいと思います。

■企業は広報活動で何ができるか(2008年10月23日)
淑徳大学の清水教授との企業広報論議も3回目です。
私からは、守りの広報ではなく、価値創造型の広報論を提起しました。
私自身のコミュニケーション論は、前にも書きましたが、
連続的なコミュニケーション展開で新しい価値を創発することに関心があります。
その意味で、オートポイエーシス的な組織論をベースに、
アフォーダンスとかホメオカオスのような切り口で考えていくのが必要ではないかと思っています。
以前書いた、「企業進化の契機としての企業の社会貢献活動」はその一例です。
また日本広報学会の最初の大会で講演させてもらった「企業進化の契機としての企業の社会貢献活動」は、まさにそれに向けての試論でしたが、それを発展させていく仲間は見つけられませんでした。
10年以上経ったいま、こうした議論をできることが少しうれしいです。

企業広報は企業経営の一つの機能と捉えられていますが、
企業活動とは社会とのコミュニケーション活動だという捉え方もできます。
そういう視点で、企業経営のあり方を見直していくと新しい地平が開けていくように思います。
そんなことを議論したくて、日本広報学会や日本CI会議体を提案して立ち上げに協力してきましたが、
いずれも経営論から抜け出る議論はできませんでした。
私の脳年齢からはいささか遅いのですが、そうしたことを議論する場ができると楽しそうです。
清水さんにそういう会の発足を頼みました。
どうなりますことか。

■SCALE Designの人力タクシー事業検討会(2008年10月23日)
SCALE Designのプロジェクトの一つの柏の葉キャンパス地区でのベロタクシーを軸にしたまちづくり構想を検討していますが、
それに関するプロジェクトチームが発足し、最初のミーティングが行われました。
松清さんと斎藤さんが中心で取り組んでいきますが、今日は事業コンセプトについての議論をしました。

斎藤さんから、エコロジカル・ソーシャルワーカーの発想を取り込んだらどうかと言う提案がありました。
その時には少し否定的に反応してしまいましたが、終わった後、面白いかもしれないと思い出しました。
この数年、安直にエコロジーという言葉が使われるのが気になっていて、
どうも無意識のうちに、「エコロジカル」という言葉に拒否感覚があったようです。
どうも安易に反応してしまう性癖は直りません。
困ったものです。

それはともかく、11月15日と16日には柏市の柏の葉キャンパスでベロタクシーが走ります。
よかったら乗りにきてください。

(2008年10月第3週)
今週はメール関係のことを少し書いてしまいました。
バーチャルな世界もまたCWSコモンズの世界ですので。
■手づくり散歩市2日目の賑わい(2008年10月12日)
■昨日、出会わなかった人(2008年10月13日)
■意外な人からのブログへの投稿(2008年10月13日)
■うれしいメール(2008年10月15日)
■インキュベーションハウス寄り合い(2008年10月15日)
■自殺水際相談所プロジェクト(2008年10月17日)
■グループ90の同窓会(2008年10月17日)
■声をかけることが最大のモチベーション支援(2008年10月17日)
■沢蟹の生育環境整備の愚挙?(2008年10月18日)

■手づくり散歩市2日目の賑わい(2008年10月12日)
ブログにも書きましたが、2日目の手づくり散歩市はにぎわいました。
近くの青木さんやジュンの工房に通っている網代さんも、コーラスグループ「道」のみなさんも来てくださいました。
近所の青木さんは定年退職したので、地域活動をしたいと思っています。
以前、NHKのテレビで、お年寄りの生活支援の活動を見たが、そうした活動をしたいと考えているようです。
テレビで紹介されたのは、この近くに住むデイヘルプの森谷さんですよと、一度、会ってみたらどうですかと話しました。
農業福祉のテーマにも関心があるようですが、これも少し話をさせてもっていました。

そうしたら、その森谷さんがやってきました。
残念ながら時間が合いませんでしたが、森谷さんが出かけてくるとはめずしいことです。
森谷さんは我孫子のお年寄りの生活支援に飛びまわっていますから、
我孫子のお年寄りに関する現場情報はたくさんお持ちです。
最近、しかし、どうも壁にぶつかっているようです。
森谷さんのような純粋の方には、最近のNPO活動の動きは少し違和感があるかもしれません。

次に来たのが関谷さんです。
我孫子の市会議員ですが、この手づくり散歩市の実行委員会の中心人物の一人でもあります。
関谷さんと農業関係の話をしました。
前の我孫子市総合計画を策定した時、私は我孫子型農業モデルづくりを提案しました。
残念ながらその時は具体的なところまで入れませんでしたが、今でも興味あるテーマです。

まちづくり関係で、次に来たのは宮内さんです。
私には面識のない人ですが、話していたら、いくつかのつながりが見つかりました。
改めてまたやってくるとのことでした。
最後は、我孫子のコミュニティビジネス起業家集団のNPOアコバのメンバーの槙さんです。
槙さんは柏の駅前のまちづくりにも関わってきたようですが、今は我孫子で活動を開始しています。
いろいろと私の本音の話をしました。
私のコミュニティビジネスの定義はちょっと普通とは違いますので、
これからどうなるかはわかりませんが、きっとまた接点があるでしょう。

今回は娘のジュンのイベントへのコーヒー係だったのですが、私にとってもいろんな出会いがありました。
だから地域の活動は面白いのです。
しかし私のようにかなり社会から脱落していると、価値観がかなり違うので、
コミュニケーションができたようでできていないという問題があります。
いやできていないことさえ、みんな理解していないのです。
だから疲れるのです。
困ったものです。

■昨日、出会わなかった人(2008年10月13日)
SCALE Designの集まりで先日お会いした中に、アートラインかしわの事務局長の佐藤和裕さんがいました。
その和裕さんからメールが来ました。

昨日の手づくり散歩市はいかがだったでしょうか?
実は、ぼくの妻と次男もお邪魔したそうです。
うちの次男は「潤一」というのですが、「さとうじゅん」さんと会ったと喜んでいました。
話を聞いているうちに、修さん宅に違いないと思い頂いた名刺を見せたら住所が一緒だと判明。さらに花が咲きました。
妻はスペインタイルに興味を惹かれたようですので、時々遊びにいくかもしれません。

実は、わが家でも「佐藤潤一くん」のことが話題になっていました。
似た名前なので気になって来たといってくれた「佐藤潤一くん」という子がいたのに、
ほかのお客さんと重なってしまい、連絡先を訊くのを忘れてしまった。
サンタクロースのイヤーズプレートが気にいってくれたようなので、
そのカードを送ろうと思っていたのに、とジュンが嘆いていたのです。
その「佐藤潤一くん」が、なんと佐藤和裕さんの息子さんだったわけです。

私は別の人とコーヒーを飲んでいましたので、お会いしていませんが、
出会わなかった人とのつながりもいろいろとあるのです。
なんだかほのぼのとした、楽しくなる話です。

■意外な人からのブログへの投稿(2008年10月13日)
「佐藤潤一くん」事件に続いて、ちょっと楽しい話がありました。
私のブログに、先日、「橋下大阪府知事の教育観」という簡単な記事を書きました。
そこに投稿とメールが届いたのです。
投稿は大阪府民からです。
とても共感できたので、その人に了解をもらってブログに再録させてもらいました。
よかったら読んでください。

もうひとつは、岡田眞善さんという人からのコメントでした。
顎が激痛している中を、なぜか私のブログに出会って、読みいってくれ、コメントまで投稿してくれたのです。
とてもていねいな投稿なので、うれしくなりました。
ブログへのコメントは、匿名や偽アドレスを使った誹謗が少なくありません。
あるいはおかしな内容や宣伝なども多いのです。
しつこく何回も嫌がらせのコメントもあります。
ですからポジティブなコメントにはとても元気づけられるのです。

うれしくなって投稿者のホームページを開いてみました。
そうしたらどうやらテレビやラジオに出ている人のようなのです。
岡田という姓なのでもしかしたらと思ったのですが、その世界には私は疎いのです。
それで娘たちに知っているかと訊いてみました。
そうしたら岡田真澄の息子だというのです。
だからどうしたという話なのですが、でも私のブログのような奇妙なブログを、私とは世界が全く違う人が読んでくれたということは、とてもうれしい気がしました。
ミーハーの節子が知ったらきっと喜ぶでしょう。

私のブログは、テーマはバラバラだし、何よりも長いので、読みにくいブログです。
読んでいるよ、という友人知人が多いですが、ほとんど読んでいないのが事実でしょう。
佐藤さんのブログは小難しくて面白くない。
佐藤さんのブログは長いので、読むのがたいへんだ。
挽歌は、佐藤さんの私生活を覗き見するようで、読んではいけないような気がする。
などなど、あまり評判はよくないのです。

毎日読んでいないとたまって読めなくなるので、ほぼ毎日読んでいる、という人もいました。
それは真実味があります。
なかには1時間以上、読み込んでくれている人もいますし、毎日読んでくれている人もいます。
個人名は特定できませんが、その種のアクセス記録はわかるのです。

でもまあ、そのブログを読んでくれる人がなぜか少しずつですが、増えているのはうれしいことです。
以前やってきた学生がこういっていたのを思い出します。
卒論でいろいろとキーワード検索していたら、頻繁にCWSというのが出てくるので、気になって会いに来ました。

■うれしいメール(2008年10月15日)
メールのことを書いたので、今回はもう少しメールのことを書きます。
今日もうれしいメールがいくつか届いたのです。

まずは黒岩比佐子さんから、昨年出版した『編集者国木田独歩の時代』が、今年度の角川財団学芸賞に決定した、という連絡でした。
ブログでも書きましたが、とてもうれしいニュースです。
もう一つは東尋坊で自殺予防に取り組んでいる茂幸雄さんからです。
昨日、NHKのテレビで最近の茂さんの姿を見たので、うれしくなってメールしたのですが、その返信でした。
和歌山県の三段壁に行ってきたと書いてありました。
ここもやはり自殺の名所といわれたところです。
茂さんたちの活動は広がっているようです。
茂さんからのメールを読んで、やはりコムケア活動は続けようと思いました。
これもブログに書きましたが、何か私にも出来ることがあるかもしれません。

他にもうれしいメールはありました。
不思議なことですが、重なる時は重なるのです。
広島の折口さんからはネット検索していて出会った町田のもやいの会に共感したとメールがありましたが、
もやいの会を創った五十嵐さんはコムケアが応援したグループです。
早速お2人を引き合わせたいと思います。
学校と地域の融合研究会を立ち上げて見事な活動を展開していた宮崎稔さんからは
隠岐に移住して学校を核にしたまちづくりに取り組むというメールが来ました。
ところがその隠岐の海士町に、こんど、ある研究会で行こうという計画があるのです。
なんというシンクロニシティでしょうか。

少しずつ私の周りにまた、さまざまなシンクロニシティが集まりだしたような気がします。
それを活かせるかどうか、私の気の大きさに関わっているのですが。

■インキュベーションハウス寄り合い(2008年10月15日)
久しぶりのインキュベーションハウスの寄り合いです。
平田さんと泰弘さん、それに宮部さんと私です。
最近それぞれが取り組んでいることの紹介をしていたら、農業がかなり共通のテーマであることがわ分かりました。
平田さんは練馬区でいろいろと取り組んでいるようで、野菜ソムリエの資格までとったようです。
宮部さんは「栄養と料理」でこの数年、「食の仕事人」の連載をしていますが、前回は岩手の焼畑農法に取材に行ってきました。

泰弘さんは相変わらずハードに仕事をこなしているようですが、来週からまたカナダだそうです。
専門学校の生徒を連れて、毎年、自然学習に行っているのです。

インキュベーションハウスは、ますますイヤシベーションハウスになってきていますが、
人のつながりの場としての会社というのがあってもいいと思っています。
ちなみにインキュベーションハウスのオフィスはシェアドオフィスです。
まだ場所が2つあいています。
関心のある方がいたらご連絡ください。

■自殺水際相談所プロジェクト
(2008年10月17日)
東尋坊で活動している茂さんからのメールに刺激されて、私にできることがないか考えてみました。
そこで思いついたのが、自殺の名所といわれるところの自殺予防活動に取り組む人たちにネットワークがつくれないかということです。
今日はたまたまコムケア活動を全面的に応援してくれている住友生命の井上さんに会う約束をしていましたので、話してみました。
佐藤さんがやるなら協力してもいいという感触を得ました。

実は、コムケア活動はちょっと続けられそうもないと謝りに言ったのですが、
何だか井上さんにまた乗せられた感じで、別れた後、考えてみたら、何かをすることを約束してきてしまったような気もします。
勝手に自分一人でやったほうが気が楽なのですが、それではあまり意味もありません。
コムケアは、みんなを巻き込んで行うのがポイントなのです。
問題は予算をどこから持ってくるかです。
まあしかし、やる気になればお金はどうにかなるでしょう。
少し真剣に考えてみようと思います。
一緒にやってくれる人はいませんか。

■グループ90の同窓会(2008年10月17日)
1980年頃、私はまだ東レにいたのですが、その頃、いろんな会に参加していました。
その一つがグループ90です。
先日、そのグループの新聞記事が出てきました。
と思っていたら、当時のメンバーの一人、武田さん(リンカーンクラブ)から西村さんと会うので参加しないかという連絡がありました。
3人で会うのは久しぶりです。

西村さんは徳島大学の教授を定年で退職し、いまは首都圏に戻ってきました。
「現代を読む」をテーマに、「観察者」として旺盛な好奇心で様々な問題を読み解いているようです。
後進のための研究会なども行っているようです。
観察者といえば、武田さんも毎日、多くの新聞を読んでいますので、新聞に載っている情報はほぼすべて頭に入っている人です。
この3人では、一番、非論理的で不勉強なのは私ですが、久しぶりに2時間たっぷりと現代社会論議をやりました。

西村さんが最後に言いました。
2人ともグループ90の当時と全く同じだね。
30年近く前から、私は「連帯」とか「つながり」と語っていたようです。
武田さんは当時からずっと直接民主主義です。
どうも進歩がないようです。困ったものです。

■声をかけることが最大のモチベーション支援(2008年10月17日)
日本経営道協会の研究チームが、報告書がほぼできたといって意見を聞きにきました。
報告書はきれいにまとまっていました。
ということは、面白くないということです。
しかし話しているうちに、メンバーそれぞれに変化が出てきていることを感じました。
ちなみにこのチームの課題は、「社員と社会に敬愛される企業とは」というものです。
その秘訣がわかったようです。
それを知りたい人は11月15日に発表会がありますので、聴きにきてください。
発表会の案内は日本経営道協会のホームページに出ています。
有料だそうですが、私は2枚招待券をもらっていますので、もし参加したい方がいたら、先着順で差し上げます。
ご連絡ください。
今日の議論の内容は詳しくは書けませんが、
この記事のタイトルに書いた、「声をかけることが最大のモチベーション支援」がヒントです。
私も共感できました。

若い起業家と話していると実にビビッドな反応があり、楽しいです。
このメンバーのこれからが楽しみです。

■沢蟹の生育環境整備の愚挙?(2008年10月18日)
先日、沢蟹の生態にも詳しい佐藤泰弘さんに、沢蟹が定着したよと報告したら、冬を越したのですか、と言われてしまいました。
残念ながら冬はまだ越せていません。
冬には土に潜り、うまく越せたら春に子どもがたくさん出てきますというのです。
それが私の夢なのです。
たくさんの蟹の子どもたちが、親蟹のおなかの中から溢れ出てきているのを、滋賀の里山で見て以来の夢です。

沢蟹は移動性なので定着は難しいとも言われました。
やはり本格的な彼らのコミューンを整備しなければいけません。
それで今日は近くのお店から、砂と砂利を30kgも買ってきて(といっても全部で500円ですが)、沢蟹の棲家を整備しました。
池が砂で埋まってしまいました。
果たして、それが整備といえるのかどうか。
国土交通省の国土整備を思い出しました。

沢蟹との付き合い方は難しいです。
来世は沢蟹に生まれてみるのがいいかもしれません。

(2008年10月第1週)
風邪を引きそうなほど急に季節が晩秋になりました。
金融不安、政治不安、至るところで寒々とした風が吹き出しています。
しかしうれしいことに、たくさんの人たちと会えましたし、いくつかのワクワクするテーマも
に出会えました。
■オートポイエーシス、そしてルーマン(2008年10月6日)
■女性の元気が会社の元気(2008年10月6日)
■池の中に沢蟹発見(2008年10月7日)
■我孫子市役所でいろんな人に会いました(2008年10月8日)
■山村留学から若者自立支援へ(2008年10月9 日)
■不思議な濱口さんが寄ってくれました(2008年10月9 日)
■SCALE Designに魅力的なメンバーが加わりました(2008年10月9日)
■エンプロイーからアントレプレナーへ(2008年10月10日
■あびこ手づくり散歩市が始まりました(2008年10月11〜12日)

■オートポイエーシス、そしてルーマン(2008年10月6日)
淑徳大学の清水正道さんが、環境コミュニケーション論に取り組んでいますが、
これまでの考え方の限界を打破しようとされています。
先日少し話をしましたが、その時出てきたオートポイエーシスの話題を契機にもう一度話をしようと言うことになりました。
どうも清水さんは、ルーマンの社会システム論とオートポイエーシスに関心を持っているようです。

日本広報学会の最初の大会で、私は論題報告をさせてもらったのですが、
その時話したのが「社会と経営体の共進化に向けての広報戦略」でした。
まだその時はオートポイエーシスには論を展開せずに、
行動論としての広報戦略から関係論としての広報戦略へという話をさせてもらったのですが、
まさにそれはオートポイエーシス段階での組織論への展開を期待したからです。
しかし残念ながら、そこへの進展は起こりませんでした。
ですから、このテーマには思いが深いのです。

私のコミュニケーションの定義は、当時書いた小論「企業変革のためのコミュニケーション戦略」にありますが、
コミュニケーションを通して「意味内容」が共有化されるのではなく、
そこから新しい意味内容が創出されるという方向に考えが変わってきました。
その論を展開するためには、まさにオートポイエーシス論はぴったりでした。
そして同時に、それは新しい組織論にもつながると思っていました。

そんなこともあったので、久しぶりに今日は清水さんとコミュニケーション論を話し合いました。
もう10年早く清水さんとこういう議論ができたら、私の「広報」への関心は持続できたかもしれません。

清水さんがこれから書こうとされている本のスケルトンにコメントする約束をしてしまいました。
久しぶりにちょっと勉強できる気分です。
清水さんはルーマンにも興味持っているようです。
ルーマンは複雑系の小論を書いた時、複雑性の縮減という視点で興味を持ったことはありますが、
本を読んだこともありませんので、少し勉強してみようと思います。
久しぶりにわくわくするテーマです。

■女性の元気が会社の元気(2008年10月6日)
昨年度まで、次世代人材研究会と言っていた活動が、今年から人材育成活用研究会に名前が変わりました。
企業活力研究所が研究会をつくって提言までまとめる活動です。
今年のテーマは「女性が活躍できる職場のあり方」です。
30年前からいわれ続け、成果を挙げていないテーマですし、私にはあまり委員になる資格も無いのですが、
昨年に引き続き林文子さんが委員長になったので、継続して引き受けてしまいました。
今日はその最初の集まりです。

男性論理で創りあげてきた企業や社会が壁にぶつかっているという状況を踏まえて、
女性の変革力に焦点を当てて、企業パラダイムを変えるくらいの思いで取り組むのが効果的ではないか、
というような話をさせてもらいました。
その視点でない取り組みだったが故に、この30年、空回ってきたというのが私の考えです。

しかし、これは女性の活性化だけに限った話ではありません。
企業の社会性も環境経営も、みんな同じです。
企業、とりわけ企業組織原理のパラダイムを変えない限り、事態は好転しないだろうと思っています。
男女共同参画などのロジックで、事態が変えられるわけがないのです。
時代は大きな変換点に来ています。

■池の中に沢蟹発見(2008年10月7日)
朝、部屋で仕事をしていたら、庭にいた娘が「カニが見つかった」というのです。
急いで出てみると、池の中に沢蟹がいました。
考えてみると、ペットショップでもカニは水中にいますから、最初から池の中に放せばよかったのです。
それを苦労して池の周辺に水路をつくり、ウロや隠れ場所を作ったのですが、
結局、そこには定着せずに、みんなどこかにいってしまいました。
その1匹が池の中にいたのです。

早速、池のなかに、砂利を入れ、隠れ家を作り、島までつくりました。
池に定着してくれるでしょうか。
もしかしたらいろいろと住みやすくしてしまったので、それを嫌ってまた池から出て行ってしまうかもしれません。
さてどうなるか、まだまだ試行錯誤の連続ですが、1週間ぶりに沢蟹に会えて、今日は実に幸せです。

■我孫子市役所でいろんな人に会いました(2008年10月8日)
我孫子市役所に行きました。
実は我孫子での県のNPOタウンミーティングの相談をしようと思っていたのですが、
その件はあびこNPO法人ネットワーク連絡会が主催することになりました。
私には全くイメージに合わないスタイルになってしまったので、少し残念です。
むしろ声をかけずに、SCALE Design主催で企画すればよかったと思わないでもないですが、
せっかく多田さんや森谷さんが開催を決定したのですから、可能な範囲で協力しようとは思います。

そんなわけで、今日は別の話をさせてもらいました。
午前と午後、それぞれ部長と嘱託職員という立場の全く違うお2人にお会いしたのですが、
気持ちがスーッとつながるのがホッとします。
それに、話している間にいろんな人が声をかけてくれました。
思わぬ人にもお会いしました。
それもとてもうれしいです。

しかし、いつも感ずるのは、市役所の職員と住民たちとの微妙な関係です。
私も住民なのですが、20年近くいろんな行政の人たちと付き合っているとその文化なり思いがある程度理解できます。
一方、コムケア活動などでNPOともかなり付き合っていますので、その文化もよくわかります。
そういう「両生類」のような立場から双方を見ると、とても不幸なすれ違いを感ずることがよくあります。
そうした微妙な誤解を相互に解くことに少しでも役立てればと思います。
もう少しお互いに気楽な本音の付き合いができれば、まちはよくなっていくでしょうね。
いつもそう思います。

■山村留学から若者自立支援へ(2008年10月9日)
山村留学の相談を受けていた名木さんの課題がさらに広がりだしています。
今度は18歳以上の人たちの居場所づくりです。
また遠いのが問題なのですが、金沢の建物を活用して、
18歳以上の人たちの自立支援モデルをつくれないかという問題が持ち込まれました。
たしかに18歳までは、いろいろと支援する仕組みが増えてきています.
しかし、いずれも個別問題の対処療法にエネルギーを注いでいるために、
肝心なミッションを狭く設定しがちで、結局は新たな問題を生み出しているようにも思えます。

私が、大きな福祉を目指すコムケア活動に取り組みだしたのも、そうした問題意識からですが、
口で言うのは簡単ですが、現実には大きな福祉を実現するには、
社会の枠組みを変えるか、私たちの意識を変えるかしかないような気がしてきています。
いずれも、やろうと思ってやれる話ではなく、まず自分の生き方を変えて、
100年後を期待するしかないというのが、最近の私の考えです。

しかし、自分の生き方を変えることさえも、実際にはかなり難しいです。
今回はかなり具体的な相談なので、何ができるかを考えてみることにしましたが、名木さんの課題は広がる一方です。
現場を動いていると、次々に新たな問題にぶつかるにでしょう。
ある問題に収斂する人と問題に応じて拡散する人がいますが、名木さんも私と同じく拡散型なのです。
その広がりは留まるところがありません。
何か役立てることがあればいいのですが。

■不思議な濱口さんが寄ってくれました(2008年10月9日)
このホームページが縁で知り合えた大阪の濱口さんが、亡き妻、節子に花を持って、オフィスに急に寄ってくれました。
濱口さんと節子とは会ったことはありませんが、濱口さんのアドバイスで、節子はサイモントン療法による瞑想を始めました。
ですから、濱口さんに会うとどうしても節子を思い出してしまいます。
濱口さんも、会ったこともない節子に、献花に行きたいといってくれていました。
不思議な若者です。

不思議なのは、それだけではありません。
濱口さんが関わっている世界もまた、不思議な世界が少なくないのです。
もちろん本業は、極めて真面目な仕事をしています。
今日は、アスベスト処理に関する話を聞かせてもらいました。
とても興味深いものでしたが、それよりもおもしろかったのは、金鳥山に登った話と安藤昌益の五行説の話です。

金鳥山は、楢崎皐月が平十字なる人から「カタカムナの文献」を見せられたという山です。
「カタカムナ」は知る人ぞ知る日本にあったという超古代文明の名残です。
そこからなぜか話は安藤昌益に移り、その独特な五行説のことを教えてもらいました。
昌益の五行説で世界を見ると、いろいろなことが見えてくるというのです。
久しぶりにいささか「危うい話」を楽しませてもらいました。

ところで濱口さんはいま、何冊かの本の制作に関わっていますが、その関係で桑田欣児の著作を探しています。
どなたか情報をお持ちの方はご連絡ください。

■SCALE Designに魅力的なメンバーが加わりました(2008年10月9日)
SCALE Designが少しずつ動き出しましたが、今日は柏メンバーも加わってのミーティングを持ちました。
具体的なプロジェクトもあり、おもしろい展開になりそうです。
柏では中心市街地活性化のためのグランドデザインづくりを10年かけて進めていこうという動きがあります。

水俣市の元市長の吉井さんからは、まちづくりは60年発想で行わないといけないといわれましたが、
そのためにはしっかりしたグランドデザインがなければいけません。
25年ほど前に、東京都のCIの委員をさせてもらったことがあります。
その時、必要なのはグランドデザインではないかと提起しましたが、
都市のグランドデザインとは何かということがメンバーにはなかなか伝わらなかった記憶があります。
着地点(目標)のグランドデザインではなく、進め方のグランドデザインが大切だと私は思いますが、
実はまちづくりの場合は、進め方こそが目標でなければならないのではないかと思っています。
生きている存在は、常にオートポイエティック(自己創出的)なのです。

若い世代の都市プランナーの皆さんと話していて、とてもわくわくするものを感じました。
柏の葉でのベロタクシーの運行プロジェクトも、松清さんが進めてくれています。
11月15日から実験的な運行が予定されています。
乗りに来ませんか。

■エンプロイーからアントレプレナーへ(2008年10月10日)
山城経営研究所の第19期のエグゼクティブフォーラムが始まりました。
ここ数年、その開講式の基調講演を引き受けています。
企業はまさに面白い岐路にありますが、そのチャンスを活かして、
ぜひ新しい風を起こしてほしいというメッセージをいつもさせてもらっています。
今回はかなり手応えを感じました。

私の話はたぶん企業の人にとっては耳障りでなじみにくい話が多いと思います。
それに独断的な面もあります。
顧客満足などという訳のわからないことよりも顧客との信頼関係が大切、とか
作業管理はできても人事管理などできるはずがない、とか
金融資本支配の中で、お金を基準に発想するのをやめたほうがいい、とか
まあ、そんな話をするわけですから、なかにはムッとする人もいるはずです。

しかし企業はいま発想の根本を考え直す時期に来ているように思います。
そうした新しい企業パラダイムや経営パラダイムを考える塾のようなものをやりたいと思っていますが、
やっても意味がないかなとも思っています。
ただ今回の反応からはそろそろやる時期ではないかとも思いました。

成熟社会の中で、これまでの経済や経営のパラダイムが破綻してきていることは確実です。
金融不況はその現われだろうと思います。
そうした危機感は、20年前の金融関係の経営者が感じていたことのはずです。
私の知っているだけでも当時の経済同友会の会員の経営者が取り組んでいたはずです。
しかしオリックスの宮内さんのような人がイニシアティブを取ったのか、
事態は金融システムの破綻に向かって進んできたように思います。
それを見越して、金融工学に通じた聡い人たちは、見えないところでたくさんの利益を手に入れ、
仕組み全体の破綻をむしろ加速させたのではないかという幻想を持ってしまいます。

それはともかく、この30年で、会社の性格も株主の性格も、さらには金融や通貨の意味も、全く変質してしまったような気がします。
日本版金融ビッグバンの始まった頃に感じていた危惧がまさに現実のものとなりました。
当時、日経の編集委員の知人2人に働きかけましたが、結局彼らも流れに身を任せたような気がします。
流れに抗することはやはり大変なことなのです。

第19期のエグゼクティブフォーラムの参加者が、これからどんな活動を始めるか楽しみです。

■あびこ手づくり散歩市が始まりました(2008年10月11〜12日)
第9回あびこ手づくり散歩市が始まりました、と言っても、今日と明日ですが。。
娘のジュンのスペインタイル工房が参加していますので、わが家も会場になりました。
残念ながら初日は雨天のためにあまり人は来ませんでしたが、2日目は晴れました。
案内に書いたように、私の役割はコーヒーを出すことです。
よかったらコーヒーを飲みに来てください。
2日目の今日は快晴のようですので、今日はにぎわうかもしれません。
手づくり散歩市は節子が好きなイベントでした。

(2008年10月第1週)
急に寒くなりました。
今週も質素に暮らしました。
■沢蟹の脱出(2008年9月28日)
■仏壇の置き場所の改装(2008年9月28日)
■麻生首相の所信表明演説(2008年9月29日)
■和室の縁側の張替え(2008年9月30日)
■大西さんの優雅な生活(2008年9月30日)
■仕事場の模様替え(2008年10月1日)
■節子の習字仲間が来てくれました(2008年10月1日)
■7年ぶりの岸田弘さん(2008年10月2日)
■新潟水辺の会の金田さん(2008年10月2日)
■これからの企業に必要なのは「信と和」「相互支援」(2008年10月3日)
■湯河原の朝(2008年10月4日)

■沢蟹の脱出(2008年9月28日)
また水槽の蟹がいなくなりました。
水槽を室内においていた時に脱出したか、外においていた時に脱出したか、不明ですが、水槽のふたもあいていないのになぜ脱出できたか不思議です。
蟹が自分でふたを開ける可能性はないわけではありませんが。

急いで室内を探しましたが、みつかりません。
困ったものです。
結局、8匹の蟹はすべて水槽からいなくなりました。
わが家のどこかに生息しているのでしょうか。

以来、池の周辺を時々見回っていますが、姿は見えません。
しかし、もしかしたら蟹に出会えるかもしれないと思うと、わが家の庭がとても豊かな庭に見えます。
蟹が見えなくても、どこかに蟹がいると思うだけで、こんなにもイメージが変わるものなのです。
社会にも、こうした「夢」や「可能性」がたくさんあると、今とは全く違う社会になるでしょう。
たかが沢蟹といわれそうですが、人生はそうした「たかが」のものに左右されるものです。
沢蟹のおかげで、だいぶ哲学の本質が見えてきました。はい。

■仏壇の置き場所の改装(2008年9月28日)
ブログにも書きましたが、わが家の仏壇を収めている壁の空間を少しだけ改造しました。
仏壇の上にあった空間を外から見えなくしたのです。
そこに神棚を収納しました。
さらに空間を覆った壁には、トルコから節子が買ってきた、生命の樹の大皿を飾りました。
節子の位牌壇がとてもすっきり見えるようになりました。
これを家族3人でやったのですが、おかげで工事費6万円は節約できました。
しかし、これは同時に日本の経済成長にとっては、マイナス6万円の効果ということになります。
経済指標と生活指標は全く別の次元のものですが、今の社会はそれを混同しています。
わが家ではこの数年、生活指標で考えるようにしてきていますが、それで考えると世界は違って見えてきます。
自分たちのことは出来るだけ自分たちでする。
市場化とは正反対の生き方がもっと拡がるといいのにといつも思います。

■麻生首相の所信表明演説(2008年9月29日)
オフィスに行く予定だったのですが、出際に今日は麻生新首相が所信演説をすることに気づきましたので、でかけるのをやめて国会中継を観ることにしました。
そして観ました。
唖然としました。
未来が全く語られませんでした。
庭で蟹と出会えるほどの「夢」や「可能性」も皆無でした。
ただただ憎しみの吐露でした。
オフィスに行けばよかったと悔やみました。
自民党政治はとりあえず終わりました。
まあ民主党も自民党の兄弟ですから、終わったとはいえないかもしれませんが、少なくとも時代は少し変わり出しそうです。

■和室の縁側の張替え(2008年9月30日)
今日は和室の縁側の床板を張り替えてもらいました。
さすがにこれは家族ではできません。
工務店に頼んでしまいました。
さすがに手際がいいです。
プロはやはりプロです。
家族仕事とプロの仕事をどう役割分担させるか。
そこにこそ社会のかたちのポイントがありそうです。

■大西さんの優雅な生活(2008年9月30日)
SCALE Designの副理事長は、近くの大西さんです。
ついしばらく前までは六本木で会社を経営していましたが、もう働くのはやめたと言って、会社を辞めて、いまは犬の散歩とヨットなどを楽しむ暮らしをしています。
ここまで鮮やかにライフスタイルを変える人はめずらしいでしょう。
しかしどこの地域にも、こうした人たちが増えているような気がします。
その人たちが、地域社会をどう変えていくか、実に興味ある問題です。

今日はコーヒーをご馳走になりました。

■仕事場の模様替え(2008年10月1日)
植木置きにつかっていた棚が不要になりました。
普通なら廃棄するのですが、私はどうも廃棄するのが抵抗があり、再活用を考えてしまいます。
本来無一物なることを意識しながら、捨てることが難しいのは問題ですが、なかなか割り切れません。
その物の生命を考えてしまうのです。
そこで私の狭い仕事場で活用できないかと引き取ってしまいました。
そのかげで、山積みになって仕事場の整理を再開する羽目になってしまいました。
それで半日つぶれてしまいましたが、整理しながら、「必要なものの整理」と「不要なものの廃棄」はまったく違うことに気づきました。
廃棄は、不要であろうと必要であろうと捨てることです。
後期高齢者医療制度を見直すのと廃止するのと同じ話なのです。
人は何のために資料や書籍を残しておくのだろうと思いながらも、今回も麻生政権のように意味のない「整理」に終わりました。
まだ本来無一物には遠い世界にいるようです。
困ったものです。
ちなみに狭い仕事場は、ますます狭くなりました。

■節子の習字仲間が来てくれました(2008年10月1日)
生前、節子は習字を習っていましたが、それをとても楽しみにしていました。
病気が再発した後も、身体がちょっと不自由になってからも、できるだけ出かけていました。
皆さんにはちょっと迷惑だったのではないかと言う気もしますが、みんなとても優しい人たちで、節子を明るく受け入れてくれていました。
その習字の先生と仲間が、節子に会いにきてくれました。
節子さんは病気になってからも、勢いのある字をかいていましたね、と先生の東さんが言ってくれました。
どんな時も元気だった節子を思い出して、ちょっとさびしくなりました。
もう1年以上経つのに、いろんな人が節子に会いに来てくれます。

■7年ぶりの岸田弘さん
(2008年10月2日)
ご無沙汰している岸田弘さんから電話があり、急に会うことになりました。
最後に会ったのが、2001年だったそうです。
岸田さんは実に誠実で几帳面な方ですので、間違いはありません。
メールなどでは時々交流はあるのですが、まさか2001年以来とは思ってもいませんでした。

今日は難しい相談事でした。
しかし、まあよくある話かもしれません。
ある資産家の方が、財産を社会に役立てたいのだが、どうもうまくいかない、どうしたらいいか、という話です。
お金があるところには、有象無象が集まりますから、問題は難しくなるのがほとんどです。
見るに見かねて岸田さんがアドバイスし始めたのです。
岸田さんの考えや構想は、共感できるものでした。
しかし資産を社会のために活用するということは、そう簡単な話ではありません。
3億円以内なら、私でも引き受けられるのですが、それ以上だと私の手には負えません。
というよりも、一人の手には負えません。
しかもお金が最初からあるプロジェクトには、どうしても不順な動機が紛れ込みやすいですから、そう簡単にチームはつくれません。
そんなこんなで、岸田さんは悩んでいるわけです。

7年ぶりでしたが、岸田さんは全く変わっていませんでした。
今回の相談事に関しては、社会のためなどと考えずに、
ご本人が「良い人生」だったと思えるようなことを目指すのがいいのではないかと、アドバイスさせてもらいました。

■新潟水辺の会の金田さん(2008年10月2日)
金田さんからも昨日電話があり、お会いすることにしました。
新潟水辺の会のことは何回か書いていますが、信濃川にサケを遡上させるプロジェクトにも取り組んでいます。
このプロジェクトは、大きな物語に発展するポテンシャルを持っています。
私自身は昨今の環境保全活動になかなかなじめないのですが、
河川行政を見直し、河川との付き合い方を考え直す物語の始まりにできればおもしろいと思いますので、ささやかに関わりを持ちたいと思い、その接点を考えているところです。

■これからの企業に必要なのは「信と和」「相互支援」
(2008年10月3日)
経営道フォーラムの合宿でした。
今回はまとめの合宿でしたので、それぞれのチームがこれからの企業にとってのキーワードに行き着いていました。
それが、「信と和」と「相互支援」です。
いずれも通ずるものがあります。
最近の企業の経営幹部のみなさんの気分がよくわかります。
「信と和」は、老舗を切り口にして議論してきたチームの結論です。
最近の企業で軽々しく言われている「信と和」とは違うものに行き着いたのであれば、とてもおもしろいです。
「相互支援」はこれも新しい視点が出てくるかもしれません。
内部だけの相互支援ではなく、広い視野で考えているからです。
議論していて、10年ほど前に企業論を考える切り口として少し勉強したオートポイエーシスを思い出しました。
相互支援というよりも、支援サイクルと捉えた方がいいかもしれません。

いずれもおもしろいものになりそうです。
発表は11月10日、椿山荘です。
関心のある方はご連絡ください。

■湯河原の朝(2008年10月4日)
昨日の合宿は、思っていた以上に順調に進んでいたので、私は宿泊しなくてもすみました。
それで湯河原の仕事場に立ち寄り2年ぶりに1泊しました。
いつもは妻と一緒でしたが、初めての一人での宿泊です。
うっかり朝食を用意するのを忘れてしまい、朝はコーヒーだけでした。
部屋から十国峠がはっきりと見えます。
天気がとてもよく、箱根に登ったら富士山が見えるかもしれないと思いましたが、
その気力が無く、コーヒーを飲んだだけで帰宅しました。
まだ自宅が一番落ち着きます。

(2008年9月第4週)
秋になったせいか、また寂しさが募ります。
■過酷な農作業から思いついた応援価格(2008年9月21日)
■社会の変化と機械産業の課題(2008年9月22日)
■沢蟹を池に放しました(2008年9月23日)
■久しぶりのコムケアセンター(2008年9月25日)
■子育ち環境づくりに向けてのサロン展開(2008年9月25日)
■その後のSCALE Design(2008年9月26日)
■(瑣末な)事件続発の日(2008年9月26日)

■過酷な農作業から思いついた応援価格(2008年9月21日)
雑草に占拠されてしまっていた家庭農園の雑草狩りを娘とやりました。
ブログに書きましたが。その途中で倒れてしまいました。
軽い脳震盪です。

雑草を刈る仕事はかなりの重労働ですが、
農作業においては序の口です。
こんな重労働しても、農家は生計を立てられずにいます。
これはやはりおかしい話です。
ともかく日本のお米は安すぎます。
そこで、「応援価格」なる発想を思いつきました。
よかったらブログを読んでください

■社会の変化と機械産業の課題(2008年9月22日)
先日やってきた坪倉さんの企画した研究委員会に参加することになりました。
委員長は井口哲夫さんですので、安心して気楽に参加できます。
他の委員の方もほとんど面識がありますので、気楽です。
初対面はサンデン株式会社の技術本部参事の大島義典さんです。
委員会のテーマは壮大ですが、そこに向けた坪倉さんの思いには共感できるところがあります。
もっともまだ必ずしも、その壮大な思いは共有化されていないので、私の勘違いかもしれませんが。

経済同友会で1977年、企業の中堅幹部の研究会が生まれました。
私は当時まだ東レ株式会社にいましたが、その研究会に参加しました。
そのプロジェクトのリーダーは、今は亡き諸井虔さんでした。
諸井さんとはいろいろな思い出がありますが、その最初の集まりで、テーマを何にするか意見を出し合いました。
私は、産業構造区分の再編成、つまり産業概念の再構築を提案しましたが、賛成者はゼロでした。
しかし、あの頃に産業構造の捉え方の見直しに取り組んでいれば、今頃はこんな産業の混乱は起きていなかったように思います。
概念を変えなければ実態は見えてきません。

今回のテーマですが、機械産業とは何かを脱構築することが必要なのかもしれませんが、そこまではとても踏み込めないでしょう。
しかし、そろそろ産業概念をパラダイム転換すべきです。

誤解の無いようにいえば、今日、そんな話をしたわけではありません。
ただ30年ほど前のことを思い出しました。
今回の委員会の目的を坪倉さんがまとめてくれたのですが、それがまさに30年前を思い出すような文章だったのです。
企業経営は間違いなくそうですが、産業もまた30年前に戻っているようです。

■沢蟹を池に放しました(2008年9月23日)
先週、滋賀から連れてきた沢蟹の5匹を庭の池に放しました。
逃げると近所迷惑なので、池の周りに波板で壁を作りました。
完全には包囲していませんので、その気になれば、蟹は迂回して脱出するでしょう。
これまで何回かやってみましたが、いつも蟹はいなくなります。
最近の池の状況はかなりいいのですが、沢蟹が満足するかどうかは自信がありません。

ちなみに、以前、ブログに沢蟹のことを何回か書いたのですが、最近、毎日のように沢蟹で検索してアクセスしてくる人がいます。
沢蟹飼育は流行っているのかもしれません。
私の場合は、わが家の池に沢蟹が隠れているというのでほぼ満足できますので、放し飼いにしたいわけですが、残念ながら自然定着するまでにはまだ時間がかかりそうです。

残りはまだ水槽にいます。
沢蟹は何時間見ていても飽きません。

■久しぶりのコムケアセンター(2008年9月25日)
久しぶりに本郷のコムケアセンターに寄りました。
週2〜3回はオフィスに出ようと思いながら、なかなかいけません。
しかも自転車がパンクしてしまったので、コムケアセンターには足が遠のいてしまっていました。

久しぶりに寄ったら、宮部さんのほか、手がたりの田辺さんと菊地さん、遠隔地介護の親の会パオッコの太田さんがいました。
パオッコは、10月に東京と大阪でイベントを開催します。
まだ余裕があるそうです。
このテーマに関心のある方は、ぜひ参加してみてください。
詳細はパオッコのホームページをご覧下さい。
遠隔地介護のテーマは、個人の生き方のみならず、社会のあり方に深くつながっています。
もっともっと真剣に取り組むべきテーマだろうと思います。

■子育ち環境づくりに向けてのサロン展開(2008年9月25日)
ブックのコーナーで紹介しましたが、子育ち学ネットワークで本を出しました。
とてもいい本ですが、なかなか売れません。
子育ちに関心のある方はぜひ買ってください。
その本の企画編集の中心になったのが、子育ち学ネットワーク代表の深作拓郎さんです。
彼がやってきました。

毎回、本を出版した後、それを材料に公開フォーラムを行っていますが、今回は各地で小さなサロンをやりたいと相談に来たのです。
サロンであれば、協力しないわけにはいきません。
私自身は「子育て支援の広がり」が子育ち環境を壊しているとさえ思っている人間です。
今週、福岡で母親が子どもを殺害する事件が起こりましたが、それもそうした大きな動きのひずみの一つかもしれません。
ですから子育ち支援をテーマに、各地で新しい動きを起こしてほしいものです。
それに2年後には、また次世代育成計画の見直し時期がきます。
今度こそ子どもの立場できちんと考えていく方向に持っていってほしいです。
そうしたことにつながるのであれば、私も加担しようと思います。
子育て関係のグループの方で、もし子育ちサロンをやってもいいという方がいたらご連絡ください。
でもその前に、この本を読んでもらえるとうれしいです。

■その後のSCALE Design(2008年9月26日)
SCALE Designの活動は、事務局長の松清さんに任せっぱなしで、この1か月何も関われずにいました。
お互いに少し落ち着いたので、打ち合わせをしました。
いろいろと材料が集まりだしましたので、いよいよ具体的な活動に入ります。
柏地区は松清さんが動き出していますので、我孫子地区は私が動こうと思います。
まだ人手不足ですので、参加してくれる人を募集中です。
我孫子の住民で参加してくれる人はいないでしょうか。
ちなみに、10月13日にはSCALE Design主催で、手賀沼サイクリングを予定しています。

■(瑣末な)事件続発の日(2008年9月26日)
今日はいろんな事件が起きました。
いささか私的すぎるので紹介は差し控えますが、2つだけ書いておきます。
一つはブログに書いた鍵放置事件です。
1時間近く翻弄されたため、相撲の好取組を見損ないました。
しかし無事落着しましたので、よかったです。

もう一つは、深夜におきました。
娘が寝る前にリビングに行ったら、何かごそごそと音がするのだそうです。
調べてみたら、何と水槽に入れておいた沢蟹が2匹、テレビの下を徘徊していたそうです。
不思議なことに水槽はふたが閉まっていました。
なぜ彼らが外を歩いていたのかは全く理解できません。
幸いにこれも無事、水槽に戻してもらい落着しました。
わが家で沢蟹がすきなのは私だけですので、みんなは迷惑しています。
以前も家で飼っていて、部屋をうろうろしていたことがあります。
庭の池には5匹、放し飼いにしたのですが、やはりその後、行方知れずなので、3匹は水槽で飼おうかと思っていましたが、彼らは水槽がきらいなようなのです。
困ったものです。
もう少し池の環境を整えて、やはり放し飼いにしようと思います。

(2008年9月第3週)
気持ちのいい秋の始まりです。
■長浜の田楽料理屋4代目の店主の悩み(2008年9月14日)
■安楽寺の住職夫妻のこだわり(2008年9月14日)
■かんのんの里の観音たちの憂鬱さ(2008年9月14日)
■石道寺の沢蟹たちの旅立ち(2008年9月14日)
■ローカルジャンクション21と風土倶楽部の朝田さん(2008年9月16日)
■共済のこころ、支え合いの仕組み(2008年9月20日)

■長浜の田楽料理屋4代目の店主の悩み(2008年9月14日)
久しぶりに長浜の黒壁に立ち寄りました。
甥が「田楽料理」をご馳走してくれました。
実は私は田楽が苦手なのですが、今は少なくなってきた田楽を食べさせたいという甥の好意に田楽がだめだとはいえませんでした。
ところがです。とてもおいしい田楽でした。
今は亡き妻に食べさせたかったです。
私でもおいしかったのですから、田楽好きの妻は、その味を楽しめたでしょう。

でんがくの「魚しげ」という小さなお店でした。
ご夫婦でやっていました。
最初、脱サラした人が奥さんとはじめたのかと思いました。
それで、昔からやっているのですか、と質問しました。
もう4代目なのですと奥さんが答えてくれました。
明治20年代の創業のようです。
どうも違和感があると思いながら、いろいろと話していたら、やはりご主人はお勤めしていたのだそうです。
田楽は昔はこの地域の法事の定番でした。
ですから会社勤めに比べて収入は何倍もだったそうです。
しかし3代目の父は息子には継がせたくなかったのだそうです。
父の見通しとおり、時代は変わり、田楽の需要は激減しました。
長浜に数件あった田楽屋は店を閉じ、代わりに豆腐屋さんが田楽を始めました。
そこで、本来の田楽文化をなくしてはと思い、長浜に戻ってきて店をついだのだそうです。
いろいろと考えさせられる話です。
現場にはたくさんのドラマがあり、それこそが文化を豊かにしているのです。

田楽を刺す串は、昔はお年寄りが丹精込めて作っていたそうですが、最近は機械生産でつくっています。
しかしそのままでは柔らかな豆腐を傷めることがあるので、
その串先を1本ずつチェックして修正する必要があるのですが、それが大変のようです。
一つの文化を守っていくためには、その周辺にたくさんの要素があります。
つまり伝統文化や食文化は、社会全体で支えていますから、肝心のコア文化を守るだけではだめなのです。
文化は生活そのものなのです。
いろいろと考えさせられた田楽でした。

■安楽寺の住職夫妻のこだわり(2008年9月14日)
長浜からの帰り、自動車を運転していた義兄が、
落ち着く庭のある寺があるから寄ってみようと立ち寄ってくれたのが安楽寺です。
田畑に取り囲まれた小さなお寺です。
参拝をお願いしたら、ご住職が出てきて、庭に面した本堂の障子を開けてくれました。
庭には琵琶湖の形をした池がありました。
眺めていたら、ご住職の奥さんがお茶と菓子を持ってきてくれました。
野良仕事のかっこうです。
義姉が畑をしているのですかと訊いたら、寺仕事より畑が好きなのでと話し出しました。
この寺の周りの6000坪が寺の農地なのだそうです。

お寺の宝蔵を見ていたら、またご住職が来て、本堂改築の話をしだしました。
姉夫婦が前回来たときには、ちょうど改修の寄進中だったのだそうです。
本堂は住職と大工さんのコラボレーションのようです、
確かに見事な工夫がされていました。
昨今の状況では、良い木材を調達しようと思えば、かなりの費用がかかります。
田楽の話と同じで、やはり社会の仕組みそのものが変わってきているので、伝統のよさにこだわると大変なようです。
しかし、宝蔵にある「お宝」を売却すれば、改修費用がでそうです。
お寺はある意味では大きな銀行なのかもしれません。

説明を終わった住職が、枝豆がたくさん取れたので持っていかないかというのです。
商業主義のお寺が増えた昨今、なんだかとてもうれしい話です。
気のよい姉夫婦ですから、今度来る時にはお米を持ってくるかもしれません。
こうやって育っていく人のつながりの仕組みこそが、本当のセーフティネットです。

本堂を出てまで住職は送ってきてくれたのですが、ある場所に来たら、ここから山門のところの松を見ろというのです。
そこから見ると松の一部が枯れていますが、なんとそれが見事な龍の形に見えるのです。
ある日、改修仕事に来ていた棟梁が気づいたのだそうです。
龍の出現は3年前だそうです。本堂改修と同時期です。
感心しすぎて、写真に撮るのを忘れました。
もし近くを通ることがあれば、ぜひ安楽寺をお訪ねください。
ご住職夫妻がいるかどうかはわかりませんが。

滋賀のお寺を回っていると、こういう楽しいことが時に起こります。
日本のこうした文化は、これからも守っていかなければなりません。

■かんのんの里の観音たちの憂鬱さ(2008年9月14日)
3年ぶりに渡岸寺と石道寺の十一面観音に会いに行きました。
いずれも高月町にあります。
渡岸寺の十一面観音は私たちの大好きな観音でした。
節子の実家の近くにあります。
ここを訪れるのは3年ぶりですが、私にはこの観音が節子との絆を深めてくれたような気がしています。
もっとも実は会うたびに、ちょっとずつ小さくなっているような気がしています。
今回は特にさびそうな気配を感じました。

私が最初に会ったのは節子と付き合いだした頃です。
節子の実家を訪問し、憧れの十一面観音に会いに行きました。
無住寺で、お寺近くの世話人の人に頼んで本堂をあけてもらいました。
感動しました。実に輝くような聡明さと優しさを感じました。
節子とは比べようもありませんでした。
できるならば、十一面観音と結婚したいと思いました。

その後、本道の近くにコンクリート造りの収蔵庫ができました。
何だか味気がなく、観音菩薩も寂しそうでした。
ところが今回、その収蔵庫がさらに大きくなり、見やすくなりました。
観光客も多くなり、これまでの大きさでは対応できなくなったのでしょう。
音声テープによる説明も行われるようになっていました。
以前より広くて快適な空間なのですが、私には小さな観音像としか見えなくなりました。
特徴的な頭上の十一面も心なしか退屈に見えました。
なによりもオーラが失われているのです。
いまは節子の輝きの方が勝っていますね。
節子と結婚してよかったです。
ちなみにかつて十一面観音が座していた本堂には別の阿弥陀如来像がありましたが、
失礼ながら少し退屈な仏でした。県の重要文化財でしたが。

知人から石道の観音堂がきれいになったと聞いていたので,石道寺にも行きました。
前に来た時と同じでしたが、拝観をお願いしたら若い女性が案内してくれました。
観音堂に入ったら、説明テープを押して、後は携帯電話のとりこになっていました。
昔はこんなことは絶対にありませんでした。
なんだか十一面観音もさびそうでした。
それに気のせいか、この観音もさびしそうでした。

高月の観音の多くは、在所の住民たちが守ってきました。
住民たちとともに生きていたのです。
その時代はどうもそろそろ終わりだしたようです。

■石道寺の沢蟹たちの旅立ち(2008年9月14日)
石道寺の下の小川に沢蟹がいました。
実は今回の旅行の目的の一つは敦賀の姉の家の近くにいる沢蟹採集でした。
わが家の池に放し飼いしようと思っています。
これまで何回やっても成功しないのですが、池の周辺の生活環境がだいぶ沢蟹的になってきたのです。
石道寺の沢蟹がわが家に転居してくれば、もっとうれしいと思いました。
それで同行していた姉夫婦にも協力を要請して、沢蟹採集をしました。
大の大人が3人、沢蟹どりに夢中になっているのは、いささか人には見せたくない風景ではありますが、背に腹は替えられません。
8匹の沢蟹をつかまえました。
ちなみに沢蟹を取る際には、やさしくやらないとはさみにはさまれます。
わが家に転居してこないかと心に念じながら手を出すと手に乗ってくるのです。

さて今回は移住に満足してくれるでしょうか。
帰宅後、10日ほどして池に放す予定です。

■ローカルジャンクション21と風土倶楽部の朝田さん(2008年9月16日)
先日のきっさろんで久しぶりに会った朝田さんが最近の報告にやってきました。
3年ぶりでしょうか。
この間、風土倶楽部やローカルジャンクション21は大きく変化してきました。
特に風土倶楽部は事業に本格的に取り組みだしています。
私はローカルジャンクション21の理事なのですが、その関係で風土倶楽部に関しても時々相談にのっていました。

風土倶楽部が変わりだしたのは、自分のリスクで商品を開発し販売しだしたからだそうです。
独自の商品を持つことの意味を、朝田さんは語ってくれました。
そこから次々と話が広がり、思わぬ反響があるようです。
その独自の商品に関しては、風土倶楽部のホームページをごらんください。
じわじわとひろがっているようです。

最近また汚染米で食の世界は荒れていますが、食の捉え方を根本から見なそう必要があります。
しかし事業として考えると、一人だけ理念で突っ走ることはできません。
昨今の食産業の論理に合わせながらやっているうちに、理念が見えなくなってしまうことも少なくないでしょう。
食を産業化するという発想自体に、大きな危険性もあるわけです。
風土倶楽部の事業展開は、その落とし穴に陥らないようにしなければいけません。
これから朝田さんは、ますます苦労するでしょうが、ぜひ新しい風を広げていってほしいです。

■共済のこころ、支え合いの仕組み(2008年9月20日)
共済研究会の運営委員の相馬さんから、研究会でショートスピーチをするように言われました。
与えられたテーマは「共済のこころ」です。
前回の例会で一言発言したのが契機なのですが、相馬さんから頼まれては断るわけにはいきません。
しかし、このテーマなら、相馬さんのほうが適任なのですが、少し違った視点から話させてもらいました。
共済文化が壊されようとしていることは何回か書きました。
問題の意味がもっと多くの人たちに知られるといいのですが、
「共済」と言う言葉そのものがかなり経済用語、ビジネス用語になってしまっているので、なかなか真意は伝わりません。

保険業法の改正によりすでに実際に様々な弊害も起きているようなのですが、なぜか問題が顕在化しません。
たぶん、みんな「経済のシステム」として捉えているからでしょう。
経済合理性からいえば、一般の人はあまり問題視しないでしょうから。
しかし、「支え合いの関係」は経済の話ではありません。
すべてが経済的な視点、さらにいえば金銭的視点で考えられるのが現在の日本です。
本当に不思議な時代です。
私たち自身がやはり生き方を間違ってしまい、そこから抜け出せないのかもしれません。
今日はそんなことを考えてしまいました。

共済を「契約」や「金銭活動」として考えるのではなく、人間のつながりや関係性と考え、その一つの機能として金銭を活用すればいいのですが、どうも問題が本末転倒してしまうのです。
そうしたことがあまりにも多すぎます。
やはり生き方を変えないと事態は変転しないのかもしれません。
幸いに私自身は最近かなり生き方を変えられてきているように思います。

ちなみにブログに書きましたが、人のつながりを切ることが「支配」の常套手段ですね。

(2008年9月第2週)
今週はいつもとスタイルを変えて、会った人のことを書きます。
■外食産業にこだわりを持ち続けている河原庸仁さん(2008年9月8日)
■映画「おとうふ」をプロデュースした今成宗和さん(2008年9月9日)
■CC戦略の本を書き続ける清水正道さん(2008年9月9日)
■我孫子にも下町の人情社会をつくりたいと願っている森谷良三さん(2008年9月10日)
■40年ぶりの元祖スローライフ吉田俊樹さん(2008年9月12日)
■紫蘇ジュースづくりに取り組む三浦みかさん(2008年9月12日)
■安土で大きな夢に取り組んでいる丹波道明さん(2008年9月12日)
■偶然にお会いした淡海ネットワークセンター事務局長の浅野令子さん(2008年9月12日)
■近江塩津で鮒寿司に夢をかける松井俊和さん(2008年9月13日)

■外食産業にこだわりを持ち続けている河原庸仁さん(2008年9月8日)
ドラマに満ちた1年を過ごした河原さんと3年ぶりに会いました。
河原さんは自分が中心になって創業したリンクワンの社長を辞めて、今、新しい活動に取り組みだしています。
河原さんは、日本の外食産業で「働いている人」が
もっと誇りを持って楽しく働けるような状況を育てたいという、大きな夢を持っています。
自らが上場させたリンクワンの社長を辞めたので、
その夢がどうなったか、気になっていたのですが、
その夢は決して諦めていないことがわかりました。
いや、むしろこれまでの経験を踏まえて、さらに夢が大きく広がっているのかもしれません。
会社を辞めた事情や、辞めてからの活動について、
お話を聞きましたが、いかにも河原さんらしい話でした。

外食産業に限りませんが、最近の企業は働く人をなんと考えているのでしょうか。
給料や労働環境の問題もありますが、一番大切なのは、人間として考えているかどうかです。
経営資源、人材(人財などといういやな表現もありますが)、労働力、コスト要因などとしてしか、考えていないのではないかとさえ思うことが多すぎます。
河原さんは、そうした状況を変えていきたいと思っています。
とても共感できます。
何か応援できることがあるといいのですが。

■映画「おとうふ」をプロデュースした今成宗和さん(2008年9月9日)
会わなければいけないと思いながら、どうしても会えなかった今成さんに、ようやくお会いできました。
今成さんは、私より1年前に奥さんを亡くされたのです。
女房と同じ病気だったこともあり、声をかけられずにいました。
今成さんは、私の女房の葬儀に来てくれましたが、どう話していいかわからず、その後も会いに行けずにいました。
ずっと気になっていたのですが、心身が動かなかったのです。

先週、今成さんから映画のDVDが送られてきました、
そのおかげで、やっと会おうということができました。
DVDは今成さんが制作した映画「おとうふ」です。
この作品については紹介サイトをお読みください。

久しぶりにいろいろと話しました。
過去と現在と未来。
今成さんの人生にはたくさんのドラマがあります。

これまでの人生は終わったのです、と今成さんは会うなりに言いました。
そして別れ際には、悲しさは消えないですね、ともいいました。
いずれも私には実感できる言葉です。
いつか今成さんと何かでご一緒できるといいのですが。

今成さんに修験道行者の血が流れていることを、今回初めて知りました。
今成さんが発している呪力の理由と彼の生き方が少しわかりました。

今成さんが制作した映画「おとうふ」の上映会をしてくれる人はいないでしょうか。
大型テレビ画面があれば上映会が開けます。
約1時間です。
やってもいいという方がいたらご連絡ください。
ちなみに、今成さんは次の作品の企画もいくつかあります。
映画制作を支援してくれるパトロンはいないでしょうか。
これもしいたらご連絡ください。

■CC戦略の本を書き続ける清水正道さん(2008年9月9日)
今週のブックのコーナーで紹介したCC戦略の本の著者の一人でもある清水さんがやってきました。
清水さんは現在は淑徳大学の教授ですが、もう20年来の付き合いです。
私はこの20年、社会からどんどん離脱する生き方を目指していますが、清水さんは着実に社会的成果をあげてきており、最近はご専門のコミュニケーション論や環境論で本を次々と出版しています。
そういえば、昔は清水さんと一緒に企業広報に関する本も書いたことがありました。
私にも、そんな時期がありました。
その後の怠惰な生き方と誠実な生き方の違いが、今の私たちの違いになって現れています。

清水さんが最近取り組んでいるテーマについて、お話を聞くつもりだったのですが、s水さんの思わぬ言葉が私の琴線に引っかかりました。
清水さんには20年ほど前にお会いしましたが、その時のことが話題に出ました。
そして、その時に行き当たっていた問題に戻りたいというのです。
当時を思い出しました。
その問題は「広報とは一体何なのか」「広報で会社や社会を変えられるのではないか」です。
そういわれると、私も心が揺れてしまいます。
また私の課題が増えてしまいそうです。
広報のテーマをプロセスとしてダイナミックに考えて行くと、企業経営そのものに重なっていくのがわかるはずです。そしてそうなると、広報の視点は企業組織ではなく、社会に置かなければ有効でないことがわかります。
たとえば、CSRにしても、組織として何をやるかではなく、外部から見て何ができるかの発想が効果的になります。
そんな議論がまたできれば、おもしろいです。
みんなで日本広報学会をつくった当時のことを思い出します。
私の思いは見事に挫折しましたが。

■我孫子にも下町の人情社会をつくりたいと願っている森谷良三さん(2008年9月10日)
先週、久しぶりにお会いした森谷さんはわが家のすぐ近くです。
森谷さんから、こんなメールをもらいました。

私は、東京の下町で育ちましたが、人情味豊かな地域の姿を忘れることが出来ません。 私は今終わりの場所として決めたこの我孫子の町が、美しい人の情けと、市民が協力しあって作る住みよい町の姿を見たいと願っております。

それで早速またお会いすることになりました。
今度は、あびこ市民活動ネットワーク代表の多田正志さんもご一緒です。
多田さんとは初対面ですが、今年からあびこ市民活動ネットワークの代表と我孫子市民活動サポートセンター会長を引き受けられたのです。
多田さんと話していて、共感できるところが多々ありました。
このお2人とであれば、新しい風を起こせそうです。
一度、やわらかな集まりを開こうということになりました。

最近はなんだか毎日一つずつ新しいプロジェクトが生まれそうです。
これは、私が会社を辞めて活動を始めた20年前の状況に似ています。
当時は若くて無理がききましたし、何よりもいざとなったら助けてくれる女房がいました。
しかし、その条件はもうありません。
いささか心配ではあります。

■40年ぶりの元祖スローライフ吉田俊樹さん(2008年9月12日)
京都で吉田俊樹さんに会いました。
節子の花基金を作ってくれた人です。
もう40年近く会っていませんでした。
会社の同期生ですが、吉田さんは私より少し年上です。
そのため、私の面倒もよくみてくれました。
吉田さんと何か一緒にやった記憶は、実のところあまり思い出せないのですが、
なぜかきわめて印象強く私の心の中に残っている人です。

今様の言葉を使えば、吉田さんは「スローライフ」の人でした。
自分の生活リズムをしっかりと守り、自分を生きていました。
組織に入りながら、自分のリズムを大切にしていました。
時代を先取りしていたのです。

久しぶりの吉田さんは、やはりあの吉田さんでした。
40年前に戻ったようです。
いろんなことが突然に思い出されました。
そして今なお、私の記憶のなかにある吉田さんと同じく、
吉田さんは相変わらず自分のペースで、社会的な活動をしています。
そのやり方は全く今様ではなく、中途半端ではないのです。
近くの空き地の雑草を刈ったり、公園の整備をしたり、自分の専門性を活かした中小企業支援をしたり、
しかもそれを自分ひとりでシコシコと肩に力を入れることなくやっているようです。
定年で辞めた人たちが、みんな吉田さんのような生き方をしたら、日本は一変します。
念のために言えば、吉田さんはNPOとかボランティアなどという意識は皆無です。
ただ自分が気になることをやっているだけなのです。

吉田さんから元気をもらいました。
吉田さんにも私の元気を実感してもらえたと思います。

■紫蘇ジュースづくりに取り組む三浦みかさん(2008年9月12日)
比良里山クラブの三浦さんに会いました。
三浦さんと会ったのももう10年ほど前でしょう。
当時、私は全国私立保育園連盟にささやかに関わっていました。
日本の社会福祉の基本構造が変わりだしたころで、保育園にも経営の概念が入りだしたころです。
当時、私にもとても興味のある保育園が2つありました。
その一つが京都の山科の岩屋保育園ですが、園長の室田さんがぜひ会わせたい人がいるといって紹介してくれたのが三浦さんです。
三浦さんは比良の里山を守りたいという思いを持っていました。

それから少しして、三浦さんは比良里山クラブを立ち上げました。
コムケア活動にも参加してくれて、コムケアフォーラムをやってくれたこともあります。
その三浦さんが最近取り組みだしたのが、紫蘇ジュースです。
全く自然の紫蘇ジュースを開発し、比良ブランドで販売していくことを考えています。
ブランドも決まっています。Hira Perilla。
今年は組織の立ち上がりと紫蘇づくりです。
試作品も作りました。
かなり手応えがあったようです。

試作品を飲ませてもらいました。
とてもおいしいです。
来年は商品化に取り組みます。
楽しみです。
いろいろとお話しましたが、三浦さんの夢がだいぶ見えてきました。
紫蘇ジュースはその最初の一歩のようです。

■安土で大きな夢に取り組んでいる丹波道明さん(2008年9月12日)
三浦さんとの話し合いに丹波道明さんが参加してくれました。
三浦さんが声をかけてくれたのです。
丹波さんは東レ時代の最初の上司です。
ですから私は今も頭が上がりません。
丹波さんは今も私のことを「修ちゃん」と呼ぶのです。
前々項にも書いたように、頼りない新入社員だったので、丹波さんはその後もいろいろと応援してくれました。
東レでの私の最後にやった仕事は企業文化革命的なプロジェクトでしたが、これが無謀なプロジェクトでした。
社長や副社長からは辞表を書けと何回か言われました。
丹波さんは、馬鹿弟子がまたとんでもないことを始めたものだと思っていたでしょうが、いろいろと応援してくれました。
その頃は私はまだ若気の至りで論理で走っていましたので、丹波さんもまた私には変革の対象でした。
経営陣はすべて変革の対象でした。
そして見事に挫折し、変革の対象は自分だと気づいたわけです。
そして人生を変えました。

その後、なぜかまた丹波さんと接点が生まれました。
NPOのつながりづくりのコムケア活動です。
コムケアでも丹波さんは応援してくれました。
丹波さんは地元でさまざまな活動に取り組んでいます。
実に着実で、楽しそうです。
それに触れてから、丹波さんから学ぶべきことがたくさんあったのに気づいたのです。
いささか遅すぎました。
しかし人生はそんなものかもしれません。
丹波さんの地元に関わる構想は魅力的です。
吉田さんとは違う、もうひとつのシニア世代の生き方に感動します。
滋賀県の「安土」のこれからの動きは、きっと面白いです。

丹波さんは、私の妻の節子のことも「せっちゃん」と呼んで心配してくれていました。
別れ際に節子への供物をもらいました。

■偶然にお会いした淡海ネットワークセンター事務局長の浅野令子さん(2008年9月12日)
三浦さんたちと話をしていたホテルのロビーの近くに淡海ネットワークセンターがありました。
そこから事務局長が出てきました。
三浦さんも丹波さんも良く知っているはずですので、彼らに挨拶にきたのですが、
なんとその人が私に向かってコムケアの佐藤さんではないですかというのです。
驚きました。
淡海ネットワークセンターとはできた当時にわずかな接点があっただけで、以後、全く無縁です。
コムケアセンターはマイナーの組織ですし、私はNPO中間組織の集まりには出ませんから、知っている人はほとんどいないでしょう。
驚いて顔をよく見たら、浅野さんでした。
新谷大輔さんの結婚式で同席したことがあるのです。
浅野さんはいま、ここの事務局長をされているのです。

滋賀はNPO活動や住民活動、ネットワーク活動の先進地です。
しかし先進地であるが故の問題も少なくないはずです。
いつかそのあたりを聞きにきたいと思っていましたが、まさかそこの事務局長が浅野さんとは知りませんでした。
世間は本当に狭いです。

それにしても、この頃、どうしてこうもシンクロニシティが起こるのでしょうか。
誰にあっても、どこに行っても、何かがつながっているのです。
私の感受性が高まっているのかもしれません。

■近江塩津で鮒寿司に夢をかける松井俊和さん(2008年9月13日)
鮒寿司づくりの松井さんの話は前にも書きました。
最近、「栄養と料理」の「食の仕事人」シリーズで、松井さんのことが紹介されました。
機会があったら読んでみてください。
著作権の関係で、ここには掲載できませんが。
昨日、丹波さんと話していて、鮒寿司の材料のニゴロ鮒の水田での養殖が安土で始まっているなど、いくつかの話も聞きました。
松井さんの夢は以前書きましたが、その夢は時代の流れにつながっているようです。

今日、近江神宮で姪の結婚式があったのですが、その終了後、近江塩津の鮒寿し魚助に立ち寄ることにしました。
松井さんのお店はもう閉まっていたのですが、わざわざ料理を作ってくれました。
鮒寿しや鯖寿司もいただきました。
昔の鮒寿しとはちがって、臭いはあまり気になりません。
それに不思議なのですが、松井さんと話していると鮒寿しも食べられるのです。
鮒寿しのスープも美味しかったです。

それから鮒寿しをつくっているところを見せてもらいました。
松井さんは全くの自然に任せているのですが、それは放置しているということではありません。
自然としっかりと付き合っているということです。

夜遅くまでこれからの展開についてお聞きしました。
課題は多いですが、その広がりには夢があります。
いろいろと宿題を引き受けてしまいました。

(2008年9月第1週)
先週に続き、節子を偲ぶ1週間でした。
■妻の一周忌(2008年8月31日)
■何かの縁(2008年8月31日)
■コーラスグループ「道」のみなさんの献花(2008年9月1日)
■同士杉本泰治さん(2008年9月1日)
■節子の大日如来がにぎわいました(2008年9月3日)
■我孫子住民活動を担う人たち(2008年9月4日)
■機械産業のパラダイム転換(2008年9月5日)

■妻の一周忌(2008年8月31日)
妻の一周忌を菩提寺の宝蔵寺で身内だけで行いました。
併せて、家族でつくった大日如来にも入魂してもらいました。
いろいろ失敗の多い一周忌供養でしたが、無事終わりました。

■何かの縁(2008年8月31日)
近くに転居予定の坪田さんが大きな花束を持って、節子に会いに来てくれました。
生前の節子には3〜4回しか会っておらず、それもきっと立ち話だけだあったのではないかと思います。
転居予定に家が近くなのですが、まだ転居はしてきていないのです。
そんな関係なのに、節子の訃報を聴いて、夫婦で来てくれたのです。
訃報を聞いたときの人の対応はさまざまです。

その時に、坪田ご夫妻が滋賀の出身であることをお聞きしました。
そして、節子と友だちになれたのにととても残念がってくれたのです。
人の波長というのは見えますが、節子が元気だったらとてもいい友達になれたと私も思います。
その坪田さんが突然やってきたのです。
そして話していたら、何と節子の姉の嫁いでいる敦賀がご実家だそうです。
ちょうどわが家に来ていた姉夫婦と話していたら、どうやら共通の知人もいそうです。
不思議なご縁です。
こういう経験を、この頃よくします。

■コーラスグループ「道」のみなさんの献花(2008年9月1日)
妻が参加していた女声合唱団「道」のみなさんが、献花にきてくれました。
12人も大挙してくると対応ができずに、節子にお参りしてもらうのがやっとでした。
いささか慌ててしまいましたが、後で考えるとみなさんに献花台の前で最近の練習曲をご披露してもらえればよかったと思いました。
ブログに書きましたが、夜来香の花が呼び寄せてくれたのかもしれません。
改めて節子はみんなにとてもよくしてもらっていたのだなと思いました。

■同士杉本泰治さん(2008年9月1日)
思いがけずに杉本さんが献花に来てくれました。
杉本さんとはハワイ旅行でご一緒したのです。
前にも書きましたが、「サイエンス」の懸賞論文で入賞した人が、
ハワイのキラウエア火山に招待されたのですが、
その時、私たちは夫婦で入選させてもらったのです。
一番の長老が杉本さんでした。
以来、お付き合いさせてもらっていますが、
杉本さんは節子のことを「同士」と呼んでくれ、節子の訃報をきいてすぐに自宅までとんできてくれた人です。
節子は杉本さんを尊敬していましたので、うれしかったはずです。

その杉本さんも、もう「後期高齢者」になって数年立ちますが、活躍ぶりは一向に落ちません。
科学技術倫理フォーラムというNPOを拠点に、精力的に活動されています。
しかも今度は新しいプロジェクトも開発したようです。
来年はじめに東商ホールで「技術者倫理」をテーマにシンポジウムを開催し、
それを契機に新たな活動を展開していくのだそうです。
このプログラムはまた確定したらこのサイトでもご案内させてもらいます。

■節子の大日如来がにぎわいました(2008年9月3日)
節子の命日でした。
13人の人が献花に来てくださいました。
書き出したらきりがありませんが、私にはつかれきった1日でした。
なにしろ節子の友だちですから、何を話していいのか、不慣れなのです。
それでも、花かご会のみなさんとは久しぶりに少しゆっくりお話できました。
北九州市の松尾さん、倉敷市の友澤さん、そして横浜の野路さんも、はるばると来てくれました。
節子は喜んでいることでしょう。
木村さん、長沼さんも含めて、12人の節子の友人を通して、12の節子と会ったような気がします。

倉敷市の友澤さんからは、こんな話も聞きました。
先日、倉敷市で前の我孫子市長の福嶋佐藤修案の講演会があったそうです。
講演が終わった後、友澤さんが挨拶に行き、そこで節子の話をしたのだそうです。
そうしたら前の市長が環境青色を変えて、あの節子さんがなくなったのですか、と驚いたのだそうです。
友澤さんは、節子さんは我孫子でよい活動をしているので市長にまで知られているのかとうれしかったそうです。

最後に来たのは坂谷さんでした。

花もたくさん届きました。
こんなに届いてどうするのかというほどです。
節子は幸せです。

■我孫子住民活動を担う人たち(2008年9月4日)
久しぶりに会おうと、関谷さんと森谷さんから連絡がありました。
昨年の葬儀の時に来てくださって以来、会う機会がなかなかありませんでした。
ちょうど一周忌も過ぎたので、駅前の喫茶店で会いました。
不思議なもので、入り口で藤田さんに会いました。
話していたら市議の内田さんと前市議に宇野さんがやってきました。
久しぶりに一挙にいろんな人とお会いしました。
森谷さんも最近の我孫子の市民活動に危機感を抱いているようです。

新しいネットワーク組織を創りたいというのが、森谷さんの意向でしたが、
それよりも気楽なサロンをやりましょうと提案しました。
ゆっくりと動き出すのがいいでしょう。
森谷さんは我孫子市で最初のNPOを立ち上げた人です。
もう85歳。お元気です。
守屋さんの人柄が私はとても好きなので、守屋さんがやることには全面的に協力しようと思っています。

それにしても動き出すとどんどん拡がって、いささか不安はありますが。

■機械産業のパラダイム転換(2008年9月5日)
機械産業振興協会経済研究所の坪倉さんが久しぶりに来ました。
坪倉さんと会うと話がどうも広がってしまいます。
案の定拡がりすぎて、予定の時間が終わってからようやく本論に入りました。
その本論は、機械産業論に関するものです。
久しぶりに産業論を議論しました。
東レにいた25年前、正月休みに川下産業論のレポートを書いて、
休み明けに社長以下のトップにレポートを出したことがあります。
当時、私は自分の責任において、トップにレポートを出せるポジションにいましたが、
そのレポートはワープロで書いた最初のレポートでした。
まだ会社でもワープロが採用されていなかったのですが、懸賞論文で富士通からワープロをもらい、それで書いたのです。
それまでは手書きだったのですが、ワープロだったので読者の反応はいつもと違いました。
役員層で話題になったのです。
今から考えるとそれが私の人生を変える最初の契機だったかも知れません。

その頃、考えていたのは、サプライサイド発想の産業論ではなく、生活シーン発想の産業論でした。
坪倉さんが、今日、話に来たのは、まさにその話でした。
そういう視点での調査研究プロジェクトへのお誘いです。
参加することにしました。
少しご無沙汰している人にも会えそうですし、何よりも坪倉さんがこういうことに思い至った経緯に共感できたからです。

どうなるかまだわかりませんが、おもしろいプロジェクトになりそうです。
パラダイム転換したら、産業も企業も面白くなるはずですが、そんなことを久しぶりに考えてみようと思います。
今日は久しぶりに、産業論や社会論を話し合えました。
やはり世界はまだまだおもしろいです。

(2008年8月第4週)
秋が始まりました。
■施餓鬼会(2008年8月24日)
■山村留学から始まる物語へ(2008年8月26日)
■働きがいのある会社研究所の斎藤智文さん(2008年8月26日)
■感声アイモの活躍(2008年8月26日)
■きっさろん(喫茶店サロン)の始まり(2008年8月26日)
■利便性をどこまで追求すべきか(2008年8月28日)
■中国の環境問題(2008年8月28日)
■15年ぶりの中田京さんと関さんの森(2008年8月28日)
■我孫子市がテレビで話題になった日(2008年8月30日)
■「関さんの森」第4報(2008年8月30日)

■施餓鬼会(2008年8月24日)
菩提寺の施餓鬼会でした。
節子の新盆供養もしてもらいました。
家族みんなでお参りさせてもらいました。
ブログにも少し書きました
初めての施餓鬼会で、ちょっといろいろと失敗してしまいましたが、それもまた私らしくていいでしょう。
節子はもしかしたら怒っているかもしれませんが。
失敗の内容は、今回に限り内緒です。

■山村留学から始まる物語へ(2008年8月26日)
前に書いた山村留学の件で、具体的な動きが出てきました。
私だけでは対応できそうもないので、宮部さんを巻き込むことにしました。
宮部さんは、こうした活動に関心が高く、自分たちも自然体験会などに家族で参加しています。
今日はまた名木さんと穴沢さんがやってきたのですが、穴沢さんが預かっている子どもたちも2人やってきました。
きちんと育てられている素直なやんちゃ坊主でした。
ともかく一度、現地に行かないと話が進みません。
高野山のふもとの、とてもいい山村のようです。
都会で疲弊している若者たちにも関心をもってもらえるようなプロジェクトに育てていければ、
お互いにウィンウィンの構造が作られるかもしれません。
山村留学というよりも、新しい村づくりと位置づけたほうがよさそうです。
場所が和歌山で遠いのですが、どなたか関心を持って参加してくれる人はいないでしょうか。

■働きがいのある会社研究所の斎藤智文さん(2008年8月26日)
Great Place to Workというのをご存知でしょうか。
従業員の働きがいの視点から、会社を評価し、会社をもっともっと魅力的にしていこうという活動です。
本部はアメリカにありますが、この数年世界中に広がりだしています。
この活動を日本に紹介し、日本での活動を推進してきたのが、斎藤さんです。
斎藤さんはこれまで日本能率協会コンサルティングで、この活動に取り組んできましたが、
今度、同社からスピンアウトし、働きがいのある会社研究所を設立しました。
Great Place to Workの思想をさらに広げていきたいというのが斎藤さんの思いではないかと思います。

斎藤さんとであったのはもう20年近く前になるでしょうか。
当時、私はまだ企業に関わる仕事に大きな魅力を感じており、日本能率協会ともいろいろと接点がありました。
その後、私自身はまちづくりだとかNPOの世界にのめりこんでいましたが、
斎藤さんの名前は雑誌などで時々拝見していました。
一昨年でしょうか、次世代育成研究会で斎藤さんに久しぶりに会いました。
そしてGreat Place to Workに取り組んでいることを知りました。
25年前に東レで実現したかったことの一つです。

その斎藤さんが、最近出版した「働きがいの会社 日本におけるベスト25」を持って、話に来てくれました。
考えてみると、斎藤さんと経営論に関して意見交換するのは初めてです。
話してみて、驚くほど私の考えと重なっているのを知りました。
いつか何かご一緒できそうです。
最近ともすれば失いがちの企業経営への関心が少しまた高まりました。

Great Place to Workに関しては、
斎藤さんが最近出版した「働きがいの会社 日本におけるベスト25」をぜひお読みください。
ブックコーナーで紹介させてもらいましたので、ぜひお読みください。

■感声アイモの活躍(2008年8月26日)
独自の発声法を開発し、言語障害を持つ人たちを中心に、元気を与え続けている感声アイモの、木村さんと菅原さんから呼び出され、最近の活動の様子をお聞きしました。
アイモの発声法の効用がかなり広く認知されだし、最近は各地各分野で活動を展開しています。
そればかりではなく、地震などの被災地などにも足繁く通い、元気を振りまいているようです。
その様子は、感声アイモのサイトをご覧ください。

来年、2月のそうした全国での活動の発表会を東京で開催しますが、
単なる発表会ではなく、そこから次のステップに広がっていくようなものにしたいと2人は考えています。
さてそれをどうしたらいいか。
それが今日の相談事項でした。

NPOと付き合っている関係で、こうした局面によく出会います。
いくつかのパターンがありますが、そこで活動の性格を変えてしまうことも少なくありません。
個人的な活動から組織的な活動にしていくために、体制整備と事業収支管理が重要になってきますが、
それにどう取り組むかで、その先が変わります。
さてアイモの場合は、どこに向いたらいいでしょうか。
一度、改めて議論しようと思っています。

■きっさろん(喫茶店サロン)の始まり(2008年8月26日)
コムケア活動の新しいプログラムとして、4月から予告していた「きっさろん」がようやくスタートしました。
「きっさろん」は、喫茶店でのサロンをもじったものです。
4月のコムケアフォーラムで、呼びかけを行った宮部さんと北岡さんが世話人です。
神保町に残っていた「きっさこ」が会場でした。
静かなジャズ喫茶と言っていいでしょうが、ともかく私のような世代にはわくわくするような魅力的な空間です。
こうした空間で、学生の頃は何時間も過ごしたものです。
しかも、その喫茶店の2階に、4畳半の茶室のような部屋があり、そこを借りたのです。
茶室での喫茶、しかも背景には静かな、しかしホットなジャズ。

11人が集まりました。
コムケアのなかで少しずつ育っている「心のつながり」を少し実感しました。
園芸福祉に取り組む中村さんや風土倶楽部の朝田さんとは久しぶりでしたし、
この会場を教えてくれた若いプランナーの片野さんにも出会えました。
話は実に広がり、刺激的でしたが、今日は朝から大忙しだったので、後半は少し疲れてしまいました。
しかし久しぶりにとても刺激的なサロンでした。

継続的に行われる予定です。
今回はどこにも案内せずに、コムケアのメーリングリストで流しただけですが、
次回からはこのホームページでもお知らせに書くようにします。

それにしても気分のいい喫茶店です。
ネットでちょっと見てください。
神保町の駅からすぐのところです。

■利便性をどこまで追求すべきか(2008年8月28日)
IT系ベンチャー企業の若い経営者と将来、起業しようと考えている若者と3人で、
これからの企業のあり方のようなテーマの話をしました。
とても刺激的な議論をしているうちに、事業とは何かという話になりました。
生活の利便性を高めれば、それが価値なのかという話です。
具体的な社名などは出すのをやめますが、最近話題の社会起業家が、その話のきっかけになりました。
顧客がいれば事業を起こしていいのか。
ドラッカーは、顧客は創造すべきものといいました。
私は顧客は消滅させるものと考えています。

利便性はどうでしょうか。
顧客に提供すべき価値は、利便性でしょうか、
私はそうは思いません。
豊かな暮らしの支援ではないかと思います。
豊かな暮らしと利便性は同じではないか、と思いがちですが、
利便性の中身がある段階を超えるとマイナスに働きだすことがあります。
最近のメタボ症候群や家庭の崩壊はもしかしたら過剰な利便性のおかげかもしれません。
昔、小さな顧客満足、大きな顧客満足の話を書いたことがあります。

人口が東京に集中しすぎなのでもっと分散したらどうかと経営者の人が言いました。
なぜみんな地方にいかないのだろうと質問したら、仕事がないからと答えました。
仕事とは何なのか。
過疎地域に行ったら、多分仕事は山ほどあるはずです。
但しお金は稼げないかもしれません。
そういう議論から、今の社会の本質的な問題に少し議論がいきました。
この問題は、いま、話を進めている山村留学プロジェクトにも繋がっています。

IT系ベンチャー企業の若い経営者とこんな議論ができるとは思ってもいませんでした。
今日は時間切れでしたが、久しぶりに少しホットになってしまいました。
これからの企業を背負う若者たちにも、新しいタイプの経営者が育ちつつあるのかもしれません。
なにかとてもうれしい気がしました。

■中国の環境問題(2008年8月28日)
久しぶりに本郷に行ったら、GLIの松江さんがいました。
中国の話を少しお聞きしていたら、阿賀野川水俣病の話が出てきました。
阿賀野川水俣病といえば、先日、新潟水辺の会の金田さんから話を聞いたばかりでした。
なにやら縁を感じました。

中国の環境問題は、私にはあまり関心がありませんでした。
というよりも、大きすぎてつかめなかったのです。
阿賀野川水俣病患者と中国の水俣病患者がつながっている話を聞いて、急に中国の環境問題が具体的に実感できるようになりました。
松江さんから、入門書を教えてもらいました。
少し勉強してみるつもりです。

最近また、昔の拡散的生き方に戻りそうな不安があります。
歯止め手くれる節子も、今はいません。
しかし、最近、環境関係の話がよく飛び込んでくるのは、それなりに意味があるのでしょう。
しばらくは素直に従おうと思います。

■15年ぶりの中田京さんと関さんの森(2008年8月28日)
関さんの森に関しては、その後も、いろいろと情報が届きます。
関さんの森の近くには、以前からお付き合いのある中田京さんがお住まいになっています。
中田さんは、いまは松戸市議会議員ですが、議員に立候補した経緯も、なってからの活動も、ドラマがあります。
と言っても、もう長らくお会いしていないのです。
会わなくとも、何となくつながるものを感ずる人と言うものはあるものですが、中田さんはまさにそういう人です。
中田さんに会う前に、関さんの森を見ておこうと思ったのですが、今週は何かとばたばたしてしまい、行けませんでした。
それを知って、中田さんが関さんの森の周辺を案内してくれました。

中田さんと知り合ったのは、もう20年以上前です。
30歳前後の頃に読んだ「デモクラシーの論理」という中公新書が、
私にとって「民主主義」というものに関心を持たせてくれた契機になりました。
その著者が、中田さんのご主人の阿部斉さんでした。
その後、武田文彦さんの呼びかけで、リンカーンクラブが発足しましたが、その集まりに阿部さんが参加してくれました。
そして、その奥さんだった中田さんともその後出会えたのです。
話せば長い歴史がありますが、それはいつか書くことがあるかもしれません。
中田さんは、松戸市の市議会に足しげく傍聴に通ううちに、市議に立候補してしまったのです。

中田さんは、実にさっぱりした、邪気のない人で、事実を正面から見る人です。
ですから、その感覚はとても信頼できます。
彼女の人柄や考え方、活動の内容は、ぜひ中田さんのホームページを見てください。
このホームページともリンクされています。

中田さんは議会前で超多忙だったと思いますが、30分の約束が3時間近くも話し込んでしまいました。
15年ぶりなのだそうです。
中田さんが市会議員になった時に、私のオフィスに訪ねてきて以来なのだそうです。
そんなに前なのかと驚きましたが、15年前が昨日のような感じで、お話できました。

関さんの森に関しては、私が思っていた通りの状況のようです。
このまま「不幸なすれ違い」に流されていいのかというのが、私の思いですが、
中田さんはあまりに渦中にいるが故に、まわりが見えすぎるほど見えているのでしょう。
見えすぎると動けなくなるのは人の常ですが、見えても動くのが中田さんでした。
その中田さんがさほど動いていないのは、事がそう簡単ではないからかもしれません。
しかし、住民視点で考えれば、こういう問題の解決は極めて簡単なのです。

関さん側は、きっと住民視点を見失っているのではないかと思います。
住民を置き忘れた環境活動はありえませんし、住民は多様な価値観と利害の中で極めて実際的に環境を保全しています。
ベンヤミンの言葉を思い出します。

まあ、それはそれとして、久しぶりの中田さんとの話は実に刺激的でした。
関さんの森の話もさることながら、中田さんが生き生きと活動されているのがよくわかりました。
中田さんのことですから、きっといい方向に動き出してくれるでしょう。
環境問題も、福祉の世界と同じく、その実態は利害が渦巻く世界です。

■我孫子市がテレビで話題になった日(2008年8月30日)
NHKテレビのニュースで我孫子市の名前が2回も出ました。
これは私の記憶では、初めてのことです。
テレビで自分の住んでいる町の名前が2回も出るとなんだか奇妙な気持ちです。
もっともいずれもたいした事件ではありません。
一つは我孫子市で起こった傷害致死事件、もう一つは大雨です。

その大雨の中を自動車でレストランに向かっていました。
それほどの雨ではないと思って自宅を出たのですが、急に突然の雨。
テレビでも映像が流れていましたが、瞬く間に道路が冠水です。
ちょうど朝、ブログにその関係の記事を書いたところですが、
途中で自動車が止まるのではないかと思うほどに道路が冠水していました。
急激な雨のすごさを身をもって体験させられました。
食事をして変える途中で、レッカー車のお世話になっている自動車に出会いました。

明日は妻の一周忌です。
晴れてくれるといいのですが。

■「関さんの森」第4報(2008年8月30日)
夜、松戸市の中田さんからメールが来ました。
早速動いてくれたようで、10月上旬に住民を中心にした集まりを開くことになったそうです。
見事な動きです。
また決定したらお知らせしますが、この「関さんの森」を通して、実にいろいろな発見がありました。
いつかそれについて、ブログの方で書いてみたいと思いますが、
一言であえてややこしい言い方をすると、近代的な発想が環境問題にさえ浸透してしまっているということです。
環境はホリスティックに、しかも暮らしの視点で取り組まないと持続できないと私は考えています。
熊本の水俣病問題に取り組んでいる、地元学の吉本さんの教えてもらったことです。
しかしどうもそういう方向にはあまり動いていないようです。

(2008年8月第3週)
急に秋になったように涼しくなりました。
今週はかなり精力的にいろんなことをしましたが、どうも充実感が出てきません。
何だか社会全体が弛緩しているようで、虚しい感じです。
夏のせいでしょうか。
■関さんの森続報(2008年8月18日)
■オフィスの花は元気を回復しそうです(2008年8月19日)
■支援を育む企業文化(2008年8月19日)
■新しい平和主義(2008年8月20日)
■アマチュア農民運動(2008年8月20日)

■関さんの森続報(2008年8月18日)
先週書いた「関さんの森」ですが、水俣病センター相思社から、
松戸市市長に土地収用への抗議文を送ろうという呼びかけのメールが届きました。
いささか驚きました。
水俣病センター相思社はとてもしっかりした活動をしているところですから、かなりの人がこのメールを受け取ったはずです。
こうして、地域の問題はどんどんと広がり、主役が住民から市民へと変わっていくのだろうなと思いました。
とても気になったのでメールしました。
とても誠実な返事が戻ってきました。

しかし、これまで私が知りえた情報では、どうも関さんの森側に問題がありそうです。
現地にもまだ行っていないので、なんともいえませんが、体験的直感では住民とのつながりが弱いように思います。
もう少し調べてみたいと思います。
ちなみに、松戸市市議の中田京さんのホームページに出ている、昨年9月の市議会リポートをぜひお読みください。
この件は、また報告します。

■オフィスの花は元気を回復しそうです(2008年8月19日)
10日ぶりに湯島のオフィスに行きました。
エキザカムが心配でしたが、かなりのダメッジは受けていたものの大丈夫そうです。
節子がやっていたように、水をやり無駄な枝葉をきりとり、声をかけ、回復を祈念しました。
夕刻には少し元気を戻したようです。
自然の生命力はやはりすばらしいです。

■支援を育む企業文化(2008年8月19日)
経営道フォーラム43期Fチームメンバーとの意見交換を持ちました。
このチームのキーワードは「支援」です。
まだ議論が十分ではないように思いますが、いろいろと話し合って、議論の方向性が整理されたように思います。
競争重視の中で、支援意識が社内から消えていることへの危機感が皆さんにはかなりあるようです。

支援が効果を持つためには、まずはそれぞれの「自立」が重要ですが、
同時に「支援」が評価される文化がなければいけません。
企業経営において、支援は30年前のスカンジナビア航空の再建以来、
大きなテーマになってはいますが、それを効果的に組み込んだ日本企業はあまり見当たりません。

もともとは日本は「支援文化」の社会だったはずですし、日本的経営の真髄は「支援」だったはずです。
しかし、昨今は競争原理が企業を覆いだし、支援文化を壊しているような気配があります。
さらにその動きが社会全体に広がっているようです。
言葉だけではなく、お互いに幸せになる「支援の文化」に関して、企業の人たちがどんな提言を打ち出してくるか楽しみです。

■新しい平和主義(2008年8月20日)
ブックのコーナーで紹介した「新平和主義の論理」の著者の川本兼さんが久しぶりにやってきました。
川本さんのことはこれまでも何回か書いてきていますが、そろそろ実践に向けての活動を開始しようとしています。
そんなことも含めて、久しぶりにいろいろと意見交換しました。

川本さんは、「民衆の戦争の苦しみからの解放は、民衆自らが基本的人権という形にして獲得していかなくてはならない」と考えていますが、これが川本さんのいう「新」平和主義です。
つまり獲得すべき人権だと考えているのです。
私自身は、「平和」と言う言葉自体があまりに多義的な言葉なので、自分で使うことはあまりないのですが、
川本さんの考え方には共感しています。
平和は与えられるものではなく、自分たちで創りだしていくことです。
政治家や経済人が創りだす「平和」は、むしろ生活の視点から考えると「反平和」かもしれません。

川本さんは、自らの新平和主義を拡げ、実現していくために、政党をつくろうと考えていますが、
政党などと言う名称は捨てた方がいいと提案しました。
政党といった途端に、平和は生活から離れていきそうです。

川本さんはいま、定時制高校の先生をしていますが、定時制高校の現場の話を少し聞かせてもらいました。
唖然としましたが、やはり問題は私たち大人の問題だとつくづく思いました。
子どもたちは生きにくい時代なのです。
だから少子化は一向にとまらないのかも知れません。

■アマチュア農民運動(2008年8月20日)
平和に続いて相談にやってきたのは、リトルファーミング講座に取り組んでいる増山さんです。
3年ぶり、いや4年ぶりでしょうか。
リトルファーミングに関しては、ホームページを見てください。
時代の流れに即しているので、さぞや忙しく活動は広がっていると思いきや、必ずしもそうではないようです。
まあ、それで相談に来たわけですが。

増山さんは、「アマチュア農民」をどんどん増やせばいいと考えています。
私は全く同感ですし、そもそも農業にアマチュアも専門もないだろうと思っています。
百姓はみんなアマチュアです。
百の、つまりたくさんの姓、つまり仕事を、生活につなげながらやっていたのが百姓ですから、百姓こそ理想的な人間の生き方だろうと思います。
すべての仕事において専門化になることなどできませんし、なることは百害あって一利なしではないかと私は思います。
ですから百姓的生き方を拡げたいという増山さんの思いには、昔から共感しているのですが、
しばらく会っていなかったこの間、ちょっと進み方が遅いのではないかと増山さんに不満を伝えました。
進まなかったのには理由がありました。
納得しました。

これから加速させるためには、事業主体をもう少ししっかりとつくる必要がありそうです。
新たな会社をつくることも含めて、グランドデザインを考えなければいけません。
みんなが生活の一部に農業を組み込むことができれば、食料自給率は改善されます。
そもそも食料自給率は国家の問題ではなくて、個人の問題なのです。
食育問題も賑わしいですが、食育の基本は「食材づくり」にあるように思います。
いや、教育の基本は農にあるという気さえします。

まあそんなことを久しぶりにゆっくり話しましたが、
お互いに合わなかったこの数年、お互いにいろいろなことがありました。
人生は、それぞれにドラマチックです。

(2008年8月第2週)
すごい暑さでした。
新盆だったので、自宅で1週間すごしました。
軽い感じで、ちょいちょいと書きます。
メッセージ性はありません。
■家庭農園の悲劇(2008年8月10日)
■小仏開眼(2008年8月11日)
■関さんの森(2008年8月11日)
■新平和主義の実現に向けて(2008年8月12日)
■高須家族の来訪(2008年8月12日)
■すぎの農園(2008年8月13日)
■新盆(2008年8月13日)
■あまりの暑さにダウンです(2008年8月14日)
■肩こりと足のだるさ(2008年8月15日)
■みんな前に進んでいます(2008年8月16日)
■黒岩さんがまた本をだしました(2008年8月16日)
■送り火(2008年8月16日)
■この1週間の成果は夏風邪
(2008年8月16日)

■家庭農園の悲劇(2008年8月10日)
しばらくわが家の家庭農園の手入れに行かずにいたら、
雑草が生い茂って大変な状況になってしまいました。
植物の成長力にはいつも驚かされます。
むすめが忙しかったので、この1か月ほどいけなかったのです。
私が行けばよかったのですが、怠惰にもさぼってしまったのです。
あるところまでだとやりようがあるのですが、
雑草が勢いづいてしまうとこちらの負けなのです。
手の施しようもなく、よほどの覚悟がないとダメなのです。
とはいうものの放置しておくわけにも行きません。
今週は娘ががんばるというので、私もやらないわけにはいきません。
毎朝、30分ずつがんばって雑草との戦いを始めました。
続くといいのですが。

■小仏開眼(2008年8月11日)
わが家の仏壇の大日如来をむすめがつくってくれました。
今日は家族みんなで目を入れました。
大仏開眼です。
ブログにも書きましたが、ここにも紹介しておきます。
飛鳥仏や白鳳仏、天平仏。いずれとも違いますが、やさしそうな仏さまです。
妻の一周忌に魂を入れてもらおうと思います。
秘仏ではありませんので、いつも開帳しています。
拝観料なしで拝めますので、よろしければお越しください。

■関さんの森(2008年8月11日)
先週のサロンで話題になった「関さんの森」に関して、
数名の人にメールして動きを聞いて見ました。
どうも松戸市はよくやっているようです。
どうも新聞情報では見えてこないものがありそうです。
安直に動いてはいけない気がしてきました。
これに関して情報をお持ちの方はお知らせください。
少し事実把握をしてみようと思います。

■新平和主義の実現に向けて(2008年8月12日)
平和をライフワークにしている川本兼さんから新著「新平和主義の論理」が送られてきましたので、久しぶりに電話してみました。
これまでの本と少し雰囲気が違っていたからです。

いよいよ動き出そうと思うと、川本さんはいうのです。
どういう活動になるか、まだわかりませんが、協力しようと思います。
この本のことは、ブログで少し紹介しました。
ぜひ読んでください。
がんばっている人はがんばっています。
政治家も、少しはがんばってほしいものです。

■高須家族の来訪(2008年8月12日)
ブログにも書きましたが、仲人をさせてもらった高須家族がやってきました。
高須さんがちょっと体調を崩していたこともあって、久しぶりの来訪でしたので、最近の高須さんの話を聞かせてもらいました。
高須さんは今、勤めている会社の仕事で中国によく出かけているようです。
久しぶりにライブで生々しい企業前線の話を聞かせてもらいました。
私は会社を辞めてからもう21年ですが、やはり会社の前線の話はわくわくしますね。
刺激をもらいました。
高須さんとはなかなか何かを一緒できる機会がないのですが、関心事はいろいろと重なっています。
いつか何かできるといいなと思っています。
子どもたちは、ジュンのスペインタイルでタイル作りを楽しんでくれたようです。

■新盆(2008年8月13日)
朝、みんなで節子を迎えに行きました。
いろいろと椿事もありましたが、一応、無事帰還です。
盆の時は位牌壇を閉めて、その前に節子の席をつくっていますが、
いろんな人からのいろんなものがごちゃごちゃ置かれています。
花もたくさんあって、節子らしい位牌壇です。

節子が来てホッとしていたら、お寺からこれから棚経に行くと電話がかかってきました。
ブログに書きましたが、あわてて準備し何とか乗り切りました。
若住職に完成したての大日如来を見てもらい、一周忌に魂を入れてもらうことにしました。
今日から週末まで、節子と一緒です。

■すぎの農園(2008年8月13日)
節子が大好きだった梨を供えようと、すぎの農園に行きました。
今年はちょっと収穫が遅れているようです。
杉野さんと少し話しましたが、すでにSCALE Designの話は伝わっていました。
どこかで接点があれば、うれしいのですが。
杉野さんから、とてもいい話を聴きましたので、ブログに書きました

■あまりの暑さにダウンです(2008年8月14日)
ともかく暑いのです。
何もやる気が出ません。
節子がせっかく戻ってきたのだから、オフィスに一緒に行こうかと思いましたが、あまりの暑さにやめました。
せっかく元気になってきた花が全滅かもしれません。
暑さ以上に湿気がすごいです。
花は空気中から水分を吸収してくれないものでしょうか。

■肩こりと足のだるさ(2008年8月15日)
肩こりがひどかったので、娘のお薦めで近くの「ハート&ボディ セラピー」というところに行きました。
要するにマッサージなのですが、こんなに力を入れて揉んでも痛くない人はめずらしいといわれました。
懲りすぎか鈍すぎかのどちらかですが、揉み返しがあるかもしれないといわれました。
さてどうなりますか。
ブルドーザーで足を引いてほしいほど、足はだるいです。
困ったものです。

■みんな前に進んでいます(2008年8月16日)
夏休みのせいか、メールが少なかったのですが、
久しぶりの人たちからのメールがいくつかありました。
リトルファーミング活動に取り組む増山さんからは、本当に久しぶりのメールです。
なんだか相談があるそうですので、近々会えるでしょう。
ローカルジャンクション21の浦嶋さんからは転身の連絡が来ました。
NICCの金子さんは後進に会社を譲り、JMACの斎藤さんは独立しました。
世界はどんどん変わっているようです。
私も前に進まなくてはいけません。

■黒岩さんがまた本をだしました(2008年8月16日)
黒岩さんからまた本が送られてきました。
新著「歴史のかげにグルメあり」(文春新書)です。
先日の講演で予告していた本です、
なかなか面白そうですが、紹介すべき本がたまっているので、ブックのコーナーで紹介できるのは2週間後になりそうです。
それにしても黒岩さんのエネルギーには驚きます。

■送り火(2008年8月16日)
送り火で節子を送りました。
なんだか家がまたさびしくなりました。
不思議です。
長いようで短い1週間でした。

■この1週間の成果は夏風邪(2008年8月16日)
一昨日からのどの調子が良くありません。
以前から少し気になってはいたのですが、この数日、とてもよくないのです。
喉頭がんかなと思いましたが、どうも単なる風邪のようです。
緊張感のない、怠惰な1週間の生活の結果は、夏風邪かもしれません。
神様はやはりしっかりと見ているのです。

(2008年8月第1週)
前に進まないといけません。
そう思いながら、暑さに負けながら元気にやっています。
■自らの内にある仏性への気づき(2008年8月4日)
■生徒を愛せずに教育ができるのか(2008年8月4日)
■金魚が死んだ(2008年8月5日)
■なぜ信濃川にサケは遡上しないのか(2008年8月6日)
■悩ましい問題(2008年8月7日)
■山城経営学を知っていますか(2008年8月7日)
■NPOも悩ましい(2008年8月8日)
■NPOって、違和感がありますね(2008年8月8日)
■ブログ読者とのサロン(2008年8月9日)

■自らの内にある仏性への気づき(2008年8月4日)
日本経営道協会のメンバーと意見交換しました。
この協会に関しては、何度も書いてきていますが、その中心になるプログラムが、霊場を活かし魂の道場です。
代表の市川さんが、実際に心身込めて重ねてきた行体験をベースに、
主に経営者を対象にしたプログラムだけに、参加者は「真我」に気づき、大きな元気を得ることができます。
最近、スタッフとして参加した中村さんも、驚くほどの場面に何回か出会っているようです。
このプログラムをもっと広げていくにはどうしたらいいか、それが課題です。

今日、話していて、市川さんの目指しているのは、
自らの内にある仏性への気づきを広げたいことだということだとかなり納得できました。
どうしたら、このプログラムを広げていけるか。
市川さんも中村さんも、ともかく参加してもらえれば、その良さがわかってもらえるというのですが、
そういう発想をしている限り、広がらないでしょう。

山川草木悉皆仏性、すべてのものに仏性がある、というのが如来の教えです。
私もそう思っています。
それに気づくととても生きやすくなります。
仏教界がなぜそういう活動に動き出さないのかは不思議ですが、
末世に近づいているような昨今、まさにそれが求められているはずです。
私自身が「経営道」という言葉に呪縛されていたことに気づきました。
自らの内にある仏性への気づきこそが、いま求められているのです。

市川さんのプログラムは日本経営道協会に案内されていますが、
もしご関心があれば、ぜひ参加してみてください。

■生徒を愛せずに教育ができるのか(2008年8月4日)
東レ時代に、一緒に仕事をしていた渕野康一さんがやってきました。
先月から、東洋学園大学に転身されたのです。
東洋学園大学は、私のオフィスからすぐのところです。

渕野さんと、たぶん初めて「大学教育」について話しました。
私の教育観は極めてシンプルです。
経営観と同じなのですが、「愛」なのです。

私には大学の先生をしている友人がたくさんいます。
みんなとても好きな友人知人なのですが、先生としては信頼していない人のほうが多いです。
その理由は、自分の生徒を愛しているのが感じられないからです。
生徒を愛さずに教育などできるはずがない、というのが、私の考えです。

無限の可能性を秘めていたはずの若者たちが、やせ細ってしまったのは、
学校や家庭、そして社会の「教育」のせいではないかと、私は思っているのです。
とりわけ大きな責任は教師にあります。
学校も社会も、人を育てずに、人を壊している、と思うことさえあります。
もちろんそうしたことに私自身も加担してきてしまったのです。
いまはそれを悔いていますが、悔やんでも悔やみきれません。
それで、それなりの罪滅ぼしの活動を10年ほど前から始めました。

いま必要なのは、「大きな教育」だろうと思います。
前項で、内なる仏性のことを書きましたが、それも含めて、
内なる「いのち」に出会えるような「学びの場」があるといいと思います。
大学はいま変革期にありますが、そうした方向に向かう大学はないのでしょうか。
教育産業などという発想を捨てる人はいないのでしょうか。
渕野さんと話していて、そんなことを思いました。
大学はこれからとても面白くなる場でしょう。
そうでなければいけません。

■金魚が死んだ(2008年8月5日)
暑さのせいでしょうか、庭や室内の金魚が次々と死んでしまいます。
長年元気だったタナゴも、一昨日もらってきたメダカもほぼ全滅です。
沈黙の夏が始まったのでしょうか。
まあ、単に暑いのと手入れ不足でしょう。
あまりの暑さに、まわりへの配慮が不足しがちです。
困ったものです。

金魚が死んだらどうなるか
ブログに書いてしまいました。

■なぜ信濃川にサケは遡上しないのか(2008年8月6日)
昔は信濃川にはたくさんのサケが遡上していましたが、最近はほとんどあがってこなくなりました。
その理由はかなり明らかです。
途中に水力発電用のダムができてしまったからです。
ちなみに東京の山手線を走らせている電力の多くは、信濃川にあるJRの宮中ダムで発電されています。

この信濃川にサケを遡上させたいと稚魚の放流をはじめとしたさまざまな活動に取り組んでいるのが、
新潟水辺の会というNPOです。
この水辺の会については何回かここでも書きました。
とても元気なオープンプラットフォーム型のNPOです。
代表はこの春まで新潟大学の教授だった大熊孝さんです。
私も以前、水辺の会に参加させてもらいましたが、その魅力的なお人柄に惹かれました。
このNPOが大事にしているのは「あそびのこころ」です。
そして目指しているのは「大きなビジョン」です。
最近のNPOが失いがちな、そうした原点をしっかりと中心においています。

活動内容はホームページを見てほしいのですが、
残念ながらホームページはあまり出来が良くなく、その良さは伝わってこないかもしれません。
しかしホームページは間もなくリニューアルされるようです。

水辺の会との話し合いは4時間以上にわたりましたが、実に刺激的でした。
内容が豊富で、ここにはとても書ききれません。
しかし改めて水辺の会のメンバーの多士済々ぶりに感心しました。

話し合いの前に、金田さんに3つの場所を案内してもらいました。
一つはラムサール条約登録湿地の佐潟です。
時間がなかったのが残念でしたが、そこの中心人物の佐藤安男さんに会いました。
自然としっかりと付き合っている方とお見受けしました。

もう一つは大熊さんの研究室です。
といっても大学内の研究室ではなく、まあ男の隠れ場のような楽しい研究室です。
水辺の会の事務局にもなっていますが、
大熊さんの社会的な活動拠点として一戸建ての家を大工さんに頼んでつくったのだそうです。
とても魅力的な空間で、水辺の会の精神のようなものを垣間見た気分がしました。

3つめはカーブドッチです。
日本で数少ない本格的なワイナリーです。
ここの話だけでも紹介したいことがたくさんありますが、今回はやめておきます。

まあ、金田さんのアレンジメントなので、濃密で盛りだくさんの1日でした。
しかし、今日、お会いした8人の水辺の会の皆さんは、みんな魅力的な人でした。
しっかりと自分の人生を楽しんでいる人は、みんな輝いています。

■悩ましい問題(2008年8月7日)
若者はいつも悩みに直面しています。
思いが強ければ強いほど、悩みは深まります。
しかし、最近の若者たちは悩み方を知りません。
ですからおかしな事件を起こしたりすることもあるわけです。
あるいはメンタルダウンしてしまうケースもあります。

そうした状況の広がりに関して、私のような「悩まないタイプ」の人間は鈍感です。
鈍感であるがゆえに、なかなか気づかないことも多いのですが、
最近の若者たちの悩み方は、私たちの世代とはだいぶ違うということを、この頃、痛切に感じます。

若者たちがよく来ます。
時には私が呼び込むのですが、私たち世代はもっと若い世代に声をかけるべきだと私は思っています。
それが若者塾をやろうと思っている動機でもあるのですが、今日も悩める若者に会いました。

悩みの多くは、他者との関係の中で生まれます。
先日、やってきた若者は、コミュニケーションは相手を変えることだと明言しました。
今日の若者は、自分を変えなければと心理主義の罠に陥っていました。

私は、コミュニケーションとは自分が変わることと思っている人間ですが、
最近、私の考えには大きな落とし穴があることに気づきました。
「自分が変わる」とは「相手に合わせる」ことなのかと誤解されてしまうということに。

今日、やってきた「悩める若者」は、どうやら合わせすぎてしまい、アイデンティティクライシスに陥った感があります。
「自分が変わる」と「相手に合わせる」。
悩ましい問題です。
幸いに今日の問題は解決しましたが、私自身が少し混乱に陥ってしまいました。
暑さのせいで、悩ましい問題が頻発しています。

<追記(2008年8月8日)>
これを書いた翌日、埼玉で起こった父親殺害事件を起こした高校生が、「人に合わせて生きることに疲れた」と話していることを新聞で知りました。
相手に合わせずに、自らの生き方を変えていくことこそが大切なのですが、ソーシャル・キャピタルの違いはなかなか難しいです。
ブログで少し関連したことを書こうと思います

■山城経営学を知っていますか(2008年8月7日)
山城章さんがもしご健在であれば、今年は100歳です。
そんなわけで、山城章生誕100年記念のイベントをやったらどうかという話が山城経営研究所で出ており、
どんなスタイルが良いか、研究所の堀越さんが意見を聞きに来ました。

皆さんは山城章さんをご存知でしょうか。
日本には経営学者は多いですが、昔はほとんどが米国経営学の紹介者でした。
しかし、私にとって唯一違って見えたのが山城経営学でした。
その著書はそう簡単ではありませんでしたが、何か魅かれるものがありました。
友人が、山城経営研究所と一緒に「経営道フォーラム」を始めたのが縁で、私も山城さんには何回かお会いしました。
その時はもう好々爺で、山城経営学の真髄を直接お聞きすることはできませんでしたが、そのお人柄は実感しました。
山城さんの著書には、たとえば企業の社会性に関する指摘や日本文化を踏まえた経営のあり方などに関する思いが書き込まれています。
それを現代の目で、改めて読み直していくことで、これからの企業経営に関する示唆を得ることができるような気がします。
昨今のような手法論ばかりの経営書は、経営学とは似て非なるもののように思います。

中途半端なイベントをやるのではなく、若い世代に向けて、山城経営学をみんなに読んでもらい、これからの企業経営への提言をもらったらどうかと提案しました。
山城経営学賞の設定です。
すでに日本経営教育学会では「山城賞」を創設しているようですが、もっと開かれた呼びかけが必要ではないかと思います。

でもまあ、昨今では、山城章さんといってもほとんどの人が知らないでしょうね。

■NPOも悩ましい(2008年8月8日)
最近のNPOにいろいろと問題を感じ出している田中弥生さんが、暑い中をやってきました。
最近、NPOに関する本の原稿を書き上げたそうなのですが、考えれば考えるほど問題が出てくるというのです。
私には至って当然のことですが、どうもそれが気になるようです。

田中さんの関心は、NPOから市民社会の問題へと移っているようなのですが、それもまた当然のことです。
というか、もともと田中さんの関心は、市民社会だったのだと、長年付き合っている私としては感じていました。
但し、それもまた途中段階で、たぶん5年後には次のステップへと関心を移しているでしょう。

NPOは手段でしかありませんが、多くの学者はNPOを目的だと勘違いしています。
ですから彼らには全体の展望が見えてきません。
そうした人たちが寄り集まってNPO法とかNPOの仕組みを作ってきたような気がします。
しかし、それでは現状を変えることにはなりません。
昨今のNPOが金銭主義に汚れてしまっているのは、当然の帰結です。
新しい価値観を基軸にしていないからです。

いま社会起業家とか事業型NPOとかが騒がれていますが(私も主張していますが)、
発想の基本を変えなければ、所詮は名前だけを変えたものでしかありません。
「社会」とはなにか、「事業」とは何か、働き方はどうあるべきか、
などといった基本を見直さない社会起業論は、早晩壁にぶつかるでしょう。

まあ、そんな議論をしてしまいました。
田中さんは、日本にコーポレート・シチズンシップの概念を定着させるために活躍した人です。
NPOを批判的に見る目も持ち出しています。
ぜひとも新しい風を起こして、退屈な日本の市民社会論に刺激を与えてほしいものです。

■NPOって、違和感がありますね(2008年8月8日)
これまた暑い中を、エスク代表の名木さんが小栗さんと一緒に来てくれました。
こちらも「ある相談」でやってきたのですが、名木さんの行動力にはいつも感心します。
今回は福祉施設の改修がテーマです。
その関係で、資金助成を申請する相談です。
あまりにもタイミング良く(悪く)、その前に田中さんにNPOの助成金依存を毒づいていたために、
その余韻が少し残ってしまいました。

小栗さんは、私と同年齢でした。
そして企業の世界で活動していたようです。
定年で辞めて、近くで苦闘しているエスクを見かねて応援しだしたようです。
企業で活動してきた人から見れば、日本のNPOのアマチュアリズムは大きな違和感があることでしょう。
企業の世界とNPOの世界の中間にたぶんこれからのヒントがあるのでしょうが、

こうやって2つの世界を体験する人が増えていくのはいいことです。

小栗さんは、ある空き家を活用したコモンズ空間を創ろうとしています。
何ができるかを考えてみようと思いますが、どうもまたいろんな重荷をどんどん背負い込んでいるようで、いささか心配です。
しかし、頼まれたら引き受けるより仕方がないのです。
それ以外の生き方を知らないからですが、また仕事をする時間がなくならなければいいのですが。

■ブログ読者とのサロン
(2008年8月9日)
先月末に、急にブログの読者に会いたくなりました。
ブログの読者は私の知らない人が多いはずです。
そういう人たちに無性に会いたくなったのです。
参加者がいるかいないか、全くわかりませんが、それもまた面白いです。
3時少し前にスタンバイしていたら、コムケアの橋本さんがやってきました。
今日はたくさん集まるだろうから、準備を手伝おうと思って早く来てくれたのです。
しかし、結局は橋本さんを入れて、やってきたのは4人でした。
しかも、みんな私の知っている人でした。

人数は少なかったのですが、私が出会いたかったテーマと人が来てくれました。
CWSコモンズに国家論を書いている武田さんは、竹島の話をしたいと前から言っていました。
私と二人だけだと、いつものような堂々巡りになったでしょうが、今回は橋本さんがいてくれたので良かったです。

相模女子大学の宮田准教授は、行政コミュニケーションと関さんの森の話をしてくれました。
「関さんの森」は、いま松戸市で話題になっている事件なのです。
エコミュージアムにして残そうとしている関さんの森に行政が道路をつくろうとしている話なのですが、
「関さんの森を育む会」のホームページをぜひお読みください。
8月7日に、強制収用のための立ち入り検査が始まって、いま話題になっているのです。
それを知って、私も今朝、松戸市の人に連絡しようと思っていた話なのです。
不思議なほどに、いいタイミングです。
関さんは一橋大学の先生ですが、宮田さんはその教え子なのだそうです。
これはきっと何かの意味があるのでしょう。
行政コミュニケーションに関しても、何か出来ることがありそうです。

最後に来たのが、日本財団の伊藤さんです。
伊藤さんには相談したいことがあったのですが、まさか今日、来てくれるとは思ってもいませんでした。
ついでにサケの遡上プロジェクトの話をしたら、それにもアドバイスをくれました。

宮田さんと伊藤さん
まるで、私が今週抱え込んだ仕事を知って、わざわざ2人がやってきたような気がします。

実は今回のサロンは、面識のないブログ読者との出会いを期待していました。
ブログのオフ会は難しいです。
特に私のブログは、時評あり挽歌ありですから、お互いに引いてしまう可能性はあります。
しかし、これに懲りずに、次回は「挽歌編読者」だけのサロンを開こうと思います。

(2008年7月第5週)
相変わらず暑い1週間でした。
いろんな人に励まされた1週間でもありました。
■オープンプラットフォーム(2008年7月28日)
■夏の文学教室での黒岩さんの講演(2008年7月30日)
■久しぶりの我孫子市役所(2008年8月1日)
■手賀沼花火大会(2008年8月2日)

■オープンプラットフォーム(2008年7月28日)
慶応大学の岡さんがやってきました。
新しい組織づくりに取り組もうとしており、それについての意見交換にやってきたのです。
彼が目指しているのは、まさにオープンプラットフォームのようです。
ただ組織をつくるのではなく、イベントやプロジェクトを展開しながら、
やわらかなオープンプラットフォームを育てていくという方針です。
なぜ彼がそうした取り組みをしようと決意したかについても、話しているうちにわかりました。
とても共感できる話です。

岡さんを引き合わしてくれたのは、昨年のコムケアフォーラムを手伝ってくれたつくば大学の高橋さんです。
彼女もこのプロジェクトのコアメンバーだそうです。

オープンプラットフォームは、私もこれまで何回か取り組んできましたが、なかなかうまくいきません。
しかし岡さんの真剣な思いを聞いて、きっと面白い場ができそうだなと感じました。
彼らの目指しているのは、そうしたプラットフォームから、さまざまなプラットフォームが次々と育っていくことのようです。
うまくいけば社会が変わるかもしれません。
これからも経過を聞きながら、私として何ができるかを考えていこうと思います。

最近の若者のパワーにはいつも驚かされます。
それを育てられない社会は、どこかおかしいのです。

■夏の文学教室での黒岩さんの講演(2008年7月30日)
日本近代文学館主催の「夏の文学教室:東京をめぐる物語」の1セッションで、
黒岩比佐子さんがお話をするというので、聴きに行きました。
演題は、「1905年 戒厳令下の東京」。
日露戦争後の、有名な日比谷焼きうち事件の話です。

少し早めに着いたので、会場のよみうりホールの階下にあるショップをのぞいてみようと階段を降りかけたのですが、かなりの人ごみなので途中でやめて会場に向かいました。
そうしたら何と会場入り口で、目の前を黒岩さんが通り過ぎたのです。
あまりにも咄嗟のことだったので、一言挨拶するだけでしたが、あまりのタイミングのよさに驚きました。
ちょっと寄り道しようかと思わなければ会うこともなく、本当に寄り道したら、これまた会うこともなかったわけです。

ブログにも書きましたが、若い参加者が多いのに驚きました。
しかもみんな熱心にメモなど取りながら聴いているのです。

話はとても面白かったです。
黒岩さんの著書「日露戦争 勝利のあとの誤算」(文春新書)で話はだいたい知っていましたが、読むと聴くとではやはり違います。

黒岩さんの話は、そのままテープ起こししたらエッセーになる感じでした。
私と違って、話がとてもお上手です。

夕方、黒岩さんから電話がありました。
次の出版も決まり、仕事は順調のようです。
黒岩さんの活動の舞台はどんどん広がっていますが、それに応じてどんどんオーバーワークになっていくのかもしれません。
でも走れる時には、思い切り走ったほうがいいでしょう。
「日露戦争 勝利のあとの誤算」は面白いです。
夏休みに読む本を探している方は、ぜひどうぞ。

■久しぶりの我孫子市役所(2008年8月1日)
我孫子市では数年前に、古利根沼の保全のための土地取得のために市民債を発行しました。
2億円の目標でしたが、何と申し込みはその5倍になりました。
私は、どうせ発行するなら、その基金を効果的に使って、
収益を生み出す仕組みや住民参加の仕組みによって
環境保全活動の深化を組み込むべきではないかと思っていましたので、
主旨には共感しながらも、少し物足りなさを感じていました。

最近、あるNPOから資金調達の相談を受けていますが、それもあって久しぶりに我孫子市役所に行きました。
以前、総合計画の委員をさせてもらった時にお世話になった渡辺さん(今は市民生活部長)に連絡したら、
いろんな人に声をかけてくださり、久しぶりに数名の職員のみなさんとお会いできました。
みんなと話していて、やはりもっときちんと地元の活動をしなければいけないなと反省させられました。

市民債の話をお聞きしましたが、やはり法的制約の下で収益を出すことは無理のようです。
しかし実際にこうした形で資金調達していくことで、行政職員の意識は間違いなく変わるでしょう。
担当の渡辺さん(同性ですが別の人です)の話し方を聴いているととても柔軟で、とても会話が順調に進んだのが印象的でした。

市民債の話の後は、SCALE Designに関連した話をさせてもらいました。
いろいろと刺激をもらいました。
SCALE Designを通して、何か行政にも役立つようなことができればと思います。

渡辺さんは私のブログまで読んでいて、私のダウン状況を気遣ってくれていますが、今日は久しぶりに皆さんに会えて元気が出ました。
そういえば、渡辺さんは我孫子市役所のサッカー部の創設者のようで、いつも夏には新潟で合宿しているようです。
実は相談を受けているNPOは新潟のNPOです。
どこかで何か接点ができるかもしれません。
そうなれば実にうれしいです。

■手賀沼花火大会(2008年8月2日)
恒例の花火大会です。
ブログにも書きましたが、今年の花火大会は私にはちょっと辛い日でした。
娘の友人たちや兄夫婦などがきて、それなりに賑やかだったのですが、どうももう一つ気が向きません。
それでも朝からがんばって屋上の掃除をしたり、おもてなしの準備をする娘たちの手伝いをしたりしました。
汗もかきました。
来年はきっと花火をまた楽しめるようになるでしょう。

(2008年7月第4週)
何をしたか忘れてしまうほど、暑い1週間でした。
何もしなかったような気もしますし、何やらいろんな人に会って、八つ当たりしていたような気もします。
今週、お会いした人にはいろいろと失礼があったかもしれません。
お許しください。
そんなわけで、今週の個別報告はすべてやめます。

(2008年7月第3週)
相変わらず暑い毎日でした。
そのなかをほぼ毎日、出かけていました。
■抜苦与楽(2008年7月14日)
■スケールデザイン設立総会(2008年7月15日)
■福島での「いささかの暴論」講演(2008年7月17日)
■「良き先輩」の不在(2008年7月18日)
■山村留学(2008年7月18日)

■抜苦与楽(2008年7月14日)
日本経営道協会の市川さんと久しぶりにゆっくりと意見交換しました。
市川さんは、この20年、日本企業の経営者に「心と道」の必要性を説き続けてきましたが、
どうやら金融権力の勢いには勝てず、日本の企業の劣化はますますひどくなっているようです。
であればこそ、「経営道」の思想が大切です。
市川さんは、リード力開発道場というプログラムも主催していますが、
そうした場にもっと若い企業家が参加してほしいと思います。

今日、話題になったのは、しかしその話ではなく、
市川さんの主催しているもうひとつのプログラム、スピリット道場です。
市川さんが行を重ねてきた、比叡山、高野山、大峰山などでの想魂練磨の体験プログラムです。
頭で学ぶだけではなかなか深い気づきは得られにくいですが、
心身すべてでの体験行は参加者に大きな気づきをもたらします。
経済界を預かる人たちには、ぜひ体験してほしいプログラムです。

市川さんがこうした活動に取り組んでいるのは、市川さんが3年間の山の行で得た天からの使命を果たすためです。
その使命を一言でいえば、「抜苦与楽」。
私とは基本的なところで考えが違うのですが、20年来の付き合いのため、
市川さんの真意がある程度理解できているで、その展開が気になっています。

■スケールデザイン設立総会(2008年7月15日)
千葉県の東葛地域を中心に活動するNPOのSCALE Designの発起人会を開催しました。
定款をはじめとした基本方針などが確認され、いよいよスタートです。
すでに今年初めからいろいろなプログラムに取り組みだしていますので、それを中心に活動を展開していく予定です。
生活環境に関心のある人たちの開かれたプラットフォームになればと思います。

間もなくホームページもつくられますが、
SCALE Designの簡単なパンフレットがありますので、リンクしておきます。
関心のある方はぜひご連絡ください。
参加歓迎です。

■福島での「いささかの暴論」講演(2008年7月17日)
今日は福島で講演をしてきました。
入職後26年目の自治体職員が対象です。
ブログに書きましたが、
みなさんはその気になれば、いろいろなことができるんです、というメッセージをはなしてきました。
かなりの暴論も含まれていたかもしれません。

しかし、いま多くの人たちが「正論」だと思っていることもまた、
ある時代には「暴論」だったことを考えれば、研修とは「暴論」と出会う場かもしれません。
今回の「暴論」がなにか新しい動きにつながれば、うれしいのですが。

■「良き先輩」の不在(2008年7月18日)
若い企業人たちと意見交換しました、
このメンバーでは2回目の意見交換会ですが、
企業の人たちと話していると、まさに今の企業の実態が感じられます。
残念ながら、それは必ずしも良いものではありません。
同時に、そこにこれまでの学校教育の本質も感じます。
これもまた残念ながら、必ずしも良いものではありません。

今回、意見交換した人たちがどうのと言う話ではありません。
彼らの育ちや活動の場である企業や学校の話です。
誤解のありませんように。
そして、そのいずれにもたぶん欠落しているのは「良き先輩」なのではないかと思います。
だからこそ先週、若者塾をやろうかと思ったのですが、
やるべきは私と同世代の人たちの生き方を問う塾なのかもしれません。
今日は、そんな気にさせられました。
ほんものがいなくなってきたような気がします。
大分県の教員汚職の問題は、そのことを警告しているのかもしれません。
ちょっと憂鬱な気分になりました。
繰り返しますが、今日、意見交換した企業人たちの問題ではなく、その背後、もしくは彼らを利用している存在の問題です。
誤解のありませんように。

■山村留学(2008年7月18日)
エスクの名木さんが、穴澤さんという若者(といっても30代ですが)を連れてやってきました。
相談があるというのです。
相談は「山村留学」でした。

日本の山村留学の始まりは長野県ですが、
西日本では和歌山県かつらぎ町の新城小学校から始まったそうです(1982年)。
穴澤さんは、そこで住民の方の家に住みながら、小学校時代の1年を過ごしたそうです。
山村留学には、山村留学センター方式や里親方式など、いろいろなスタイルがありますが、
新城小学校の場合は里親方式だったのです。
今春、穴澤さんは、久しぶりに里親になってくれていたお宅と小学校を再訪したのだそうですが、そこで知ったのは、里親の高齢化や山村留学制度の広がりなどの影響で、山村留学の持続が難しくなっているという現実でした。

新城小学校の里親方式による山村留学は、
一時は30人近い留学生を受け入れるなど、活気ある山里の学校として話題になり、映画まで作られました
しかし、いまは里親方式ではなくセンター方式で3人の留学生を受け入れているだけのようです。
穴澤さんの里親だった方はもうご高齢ですが、
この制度を持続したいと思っており、穴澤さんに協力を要請してきたようです。
それを知った名木さんが、私のところに連れてきたというわけです。
さてどうするか。

大きな宿題をもらってしまいました。
山村留学のプロジェクト支援というような取り組みは、私には興味はありませんが、
このテーマにはもっと大きな問題が含まれています。
家族と生活圏、あるいはまちづくり、仕事の捉え方、さまざまなテーマがこの問題を通して見えてくるような気がします。
同時に、これまでの地域づくりやボランティア活動の問題点も見えてくるでしょう。
どなたか一緒に取り組んでもいいという方はいませんか。

(2008年7月第2週)
どう見ても性格破綻的な、波のはげしい1週間でした。
ウィトゲンシュタイン「論理哲学論考」の解説書を読んでいますが、一向に進みません。
読み出すとすぐに眠くなります。
おかげで珈琲を飲みすぎて、胃がムカムカしています。
最近、400g500円の珈琲を買ってしまったため、早く使い切らないと次の珈琲が買えないので、ガブガブ飲まないといけないのです。
困ったものです。
■メーリングリストへの投稿がなぜかできません(2008年7月6日)
■日本経営道協会でのミーティング(2008年7月8日)
■コモンズ書店新装開店(2008年7月9日)
■ハンマーカンマー事件(2008年7月9日)
■魚助プロジェクトが勝手にスタート(2008年7月9日)
■住みよい社会の実現のために挑戦している若者たち(2008年7月10日)

■メーリングリストへの投稿がなぜかできません(2008年7月6日)
もう1か月くらいにありますが、メーリングリストに投稿できない状況に陥っています。
前にも書いたような気がしますが、それがまだ続いているのです。
とりわけコムケアのメーリングリストは私が事務局でもあり、
投稿に対する反応もしなければいけないのですが、どうしても投稿できないのです。
なぜでしょうか。
来週は投稿しようと思い続けて、もう1か月以上たってしまいました。
ブログやホームページは書けるのですが、不思議な現象です。

■日本経営道協会でのミーティング(2008年7月8日)
先週、日本経営道協会の新しいスタッフに会ったのですが、
ついつい興味を感じてしまって、いろいろと話をしてしまった結果、
気がついたら内部ミーティングにまで参加してしまう羽目になってしまいました。
私の仕事の基本姿勢は、「面白ければ参加、面白くなければ不参加」です。
問題は、その「面白さ」の定義ですが、
「問題が明確なのは面白くなく問題が曖昧なのが面白い」という傾向が強いのです。
困ったものです。

問題が明確でない状況を可視化するのが、私の肩書きの「コンセプト・デザイナー」の仕事だと考えています。
かなり不遜な言い方ですが、世の中のほとんどの混乱は、問題設定の間違いだと思います。
企業も行政もNPOも、問題解決にばかり目を向けており、問題そのものの妥当性などを気にしません。
ですから事態は繰り返されるばかりです。

日本経営道協会
の代表の市川覚峯さんは、実に面白い人物です。
だから彼から頼まれると断れないのです。
私とは仕事観も経営観も全く違うのですが、
市川さんが解こうとしている問題が、いかにも曖昧なのです。
だから面白くて、参加する羽目になるわけです。
困ったものです。

■コモンズ書店新装開店(2008年7月9日)
先週、このサイトにコモンズ書店を新装開店しました。
アマゾンのアソシエイツプログラムに参加しただけですが、ストアの作り方がわかりません。
ですからまだ「仮設的開店」なのですが。

私のパソコン操作やネット操作は、すべて我流です。
このホームページも2時間、友人から基礎を教えてもらい、後は全くの我流です。
参考書を読むこともありますが、読んでもよくわかりません。
ともかく実験的にやっているうちに何とかできるようになってしまったのです。
私は習い事が苦手のタイプなので、これがこれまでのすべての生き方です。
ですからいい加減なコモンズ書店しか開店できずにいます。

その一角に、一条真也さんのコーナーを開設したかったのですが、これもやり方がわかりません。
とりあえず別店舗?で開設しました。
ぜひご活用ください。
試しに私もそれぞれのコーナーからアマゾンに発注しましたら、無事届きました。

この開店を祝って、一条真也さんがお祝いにハートフル3部作を寄贈してくれました。
効果的に活用してくださる方がいたら差し上げたいと思いますので、ご連絡ください。
また一条さんの書籍をまとめて購入されることがあれば(テキストとしてもいい本だと思います)、
一条さんをご紹介しますので、ご連絡ください。

■ハンマーカンマー事件(2008年7月9日)
時々私はブログに全く無意味な記事を書くことがあります。
ところが、そういう記事に限って反響があるのです。
以前、「アフリカではよくあること」という、これもまた無意味な記事を書いたときのアクセスも多かったのですが、
これなどはいまも毎日数件のアクセスが必ずあります。
本当に不思議でなりません。

今回、またまた全く意味不明の「ハンマーカンマー」の記事を書きました。
今回はアクセスが増えただけではなく、個別のメールまでもらいました。
そしてアクセスも毎日かなりあるのです。
それで私も調子に乗って、後日談までブログに書いてしまいました。
きっとこの記事へのアクセスは、またずっと続くでしょう。

しかし、こうしたことからいろんな思いが出てきます。
情報社会というのは非情報社会であることを改めて確信しました。
「ハンマーカンマー」で盛り上がる一方で、
何だか気持ちが重くなってしまうような、矛盾した「ハンマーカンマー」事件でした。
まだ終わってはいませんが。

■魚助プロジェクトが勝手にスタート(2008年7月9日)
インキュベーションハウス仲間の宮部さんが先週、雑誌の取材で滋賀の魚助の取材に行ってきました。
私も同行しようかと思っていたのですが、先週はいろいろあって行けませんでした。
私が紹介したこともあって、いささか気になっていたのですが、
今日、久しぶりに宮部さんに会いましたので、「取材秘話」を聞きました。
まあ「秘話」というほどのことはありません。
何しろ宮部さんにしても魚助の松井さんにしても、私と同様、いたってシンプルですから、秘話などできるはずがないのです。

宮部さんは現地が気に入ったようです。
魚助の場所は滋賀の塩津というところ、私の女房の出身地の近くなのです。
松井さんは、女房がいろいろと気にしていましたので、
私も何とか応援しようと思っていますが、
困ったことに松井さんの自信作の鮒寿司も、まだ私には若干のバリアがあるのです。
しかし、鮒寿司はともかく、松井さんが構想していることは、私には関心のあることです。
伝統食の見直しと食育、琵琶湖の自然保全、新しい観光モデル。
松井さんの構想のキーワードです。
昨今の食品偽装戦略とは正反対の構想です。

今回の取材旅行で、宮部さんは魚助プロジェクトのメンバーになることになりました。
これで3人。そろそろ動き出してもいいかもしれません。
いささか不安なメンバーですが。
節子がいたら、きっとやめるようにアドバイスしてくれるでしょうが、今は歯止めがありません。
いよいよ魚助プロジェクトが勝手にスタートします。

魚助の松井さんはまだそんなことは知りません。
でもまあ動き出せばどうにかなるでしょう。

■住みよい社会の実現のために挑戦している若者たち(2008年7月10日)
最近の若者たちは、社会のために何かをやりたいという指向が強まっているような気がします。
そういう若者がよく来ます。
そしてそういう若者に、よく出会います。
私は「社会のために」という発想を理解できない人間ですが(「社会」の多義性の故にその意味が理解し難いのです)、
彼らが社会との誠実なつながりを求めていることはよくわかります。

友人に頼まれて、日本財団の事業評価のプロジェクトに少し関わりました。
その関係で知り合った日本財団の伊藤広毅さんがやってきました。
いろいろと意見交換させてもらいました。
直接的にはNPOや福祉の話をしたわけではありませんが、
久しぶりNPOや福祉の世界に関わっている第三者の人と議論ができました。
しかも若い人の素直な目はたしかですから、とても素直な気持ちになれました。

最近、幸いなことにさまざまな分野の若者たちと話しあう機会があります。
彼らがネットワークを組んで動き出したら、きっと新しい風を起こせるでしょう。
彼らと話していると、自分の役割が見えてきます。
いまの社会の姿をもたらしてしまった私たち世代にできることは、
次世代の若者たちを元気づけ、支援することではないかと改めて痛感します。
若者たちはいつの時代も、新しいものを目指して挑戦していきます。
その挑戦の芽を潰すような状況が広がっていますが、
少しでもそれに抗して、若者たちをエンパワーできれば、きっと私の人生も豊かになるでしょう。
そんな気持ちで、最近またできるだけさまざまな分野の若者たちと付き合うようにしていますが、
ブログに書いたように、秋から若者塾のようなサロンを始めようかと思い出しています。
節子がいたら、いつになっても懲りないわねと言われそうです。

(2008年7月第1週)
今週は「再」に関することを中心にまとめてみました。
■ケーキづくりに再挑戦(2008年6月29日)
■日本経営道協会の再飛躍への期待(2008年6月30日)
■般若心経再読(2008年7月1日)
■地域に貢献するホスピタリティ企業再論(2008年7月2日)
■10回目の月命日(2008年7月3日)
■エスクの名木純子さんとの久しぶりの再会(2008年7月4日)
■SCALE Design再スタート(2008年7月5日 )
■ブログを読んだ方が献花に来てくださいました(2008年7月5日)

■ケーキづくりに再挑戦
(2008年6月29日)
先週末は思わぬ「事件」でしたが、また家族にささやかな「平和」が訪れました。
今週のはじまりは「ロールケーキ」づくりです。
亡くなった妻が残してくれた文化の一つです。
娘の指導でケーキを作りました。
卵を3つ使いましたが、こうやって生活のための作業をしていると
最近の食材の値上げの意味が少し実感できます。

■日本経営道協会の再飛躍への期待(2008年6月30日)
日本経営道協会の市川覚峯さんが新しいメンバーと一緒にやってきました。
市川さんがとてもお元気そうなので安心しました。
新体制が完成し、いよいよ市川さんの本格的な活動が再開されだすようです。
昨今の日本企業の状況をみていると
市川さんの「経営道」の思想がもっと広がってほしいと思います。

■般若心経再読(2008年7月1日)
ブログに書きましたが、ある人に勧められて、
日本テーラワーダ仏教協会のアルボムッレ・スマナサーラ師の「偉大なる人の思考」を読み出しました。
「偉大なる人」とは仏陀のことです。
ところがどうも違和感があるのです。
そこで改めて、大昔に読んだ高神覚昇さんの「般若心経講義」を読み直してみました。
私の読み方違いかもしれませんが、大きな違いがあります。

般若心経は、毎朝、亡き妻の前で読経していますが、
毎日声に出しているせいか、少しずつ身体にしみついてきているような気もします。
読経の効果です。

■地域に貢献するホスピタリティ企業再論(2008年7月2日)
日本経営道協会のリード力開発道場第8期生のAチームのメンバーがやってきました。
どうやら日本経営道協会の市川さんが私を紹介したようです。
これからのあるべき企業像を考えたいというのですが、
そのモデルのキーワードとして、地域貢献とホスピタリティをコアバリューに考えていきたいというのです。

流行の言葉を使って議論することの無意味さを少しだけ話しました。
自分の会社にとって、本当に意味があると原に落とし込んでおかないと、
地域貢献などは白々しい言葉になりかねません。
環境経営やらCSRやらを盛んに主張している大企業が、
実際にはそんなことを本気では考えていないことは、私は自身を持って断言できます。
最近は経営者に会う機会はほとんどありませんが、信頼できる経営者など、本当に数えるほどしかいません。
立派なことを言っている経営者ほど信頼できません。

彼らは現場も知らなければ、実態にも触れていないからです。
しかし中堅・中小企業の経営者はそうはいきません。
毎日が現場との勝負だからです。
このチームのメンバーがどう変っていくか、楽しみです。
それにしても、「地域貢献」とか「ホスピタリティ」とか、10年ほど前に戻ったような言葉です。
でもまあ、少し付き合ってみようと思います。
むかしまとめた「コーポレート・シチズンシップ」の本を引っ張り出してきて、提供しました。
1週間で書き上げた本ですが(研究会の名前で書きました)、書きなぐっただけで、一度も読んだことがありません。
私もちょっと読んでみようかと思っています。
20年前を思い出すかもしれません。

■10回目の月命日(2008年7月3日)
節子を送ってから10回目の月命日です。
昨日、節子の姉からハスの花が届きました。
それが今朝、見事に咲きました。

ブログにも書きましたが、
お墓に持って行こうと思って、花を持ち上げたら、とたんに花びらがワッと散りました。
節子の位牌から離れたくなかったのかもしれません。
替わりに庭の花を今日は持っていきました。

節子がいないのがまだ信じられずにいます。
信じられないおかげで、節子のいない世界でも元気に生きているわけです。
しかし、節子に本当に会いたいです。
いまもなお、ブログで毎日、挽歌を書き続けています。
もう300回を超えていますが、その挽歌のおかげで、少し世界も広がっています。

■エスクの名木純子さんとの久しぶりの再会
(2008年7月4日)
エスクが始まったのは1973年、いまから25年前です。
日本の子育て支援の草分けですし、
また最近各地に広がっているファミリーサポートセンターのモデルでもあります。
そして何よりも私がその活動に関心を持っているのは、日本の文化になじむ市民活動という点です。

私が取り組んだコムケア活動と通底している理念に支えられています。
エスクのホームページにはこう書かれています。

困った時に助けて欲しいと思うのは、みな同じ。
助けられて嬉しいと思うのも、みな同じ。
ささやかでも人の役に立って良かったと思うのも、みな同じ。

そんなみんなの同じ気持ちがひとつになって出来たのがエスク・・・
あけぼのの女神「エオス」(ローマ神話では「オーロラ」)が人間界を暖かく照らし、
その子ども達「四方の風」達が自由に元気に吹き交じって、
人間の子ども達が健やかに人間らしく育つのを見守って欲しい・・・
そんな願いを込めてエスク(ESSC)は活動しています。

名木さんとの出会いは、新しい保育システムの研究会をやっていた時です。
保育園の方向に少なからず違和感を持っていたのですが、エスクのシステムはとても安堵できる仕組みでした。
保育園とエスクの仕組みをつなげられないか、などと思いましたが、当時はまだ私自身に迷いがありました。

久しぶりに湯島に訪ねてきてくれました。
いろいろと共通する話題が多く、気が付いたら4時間近くも話していました。
お互いにその次の予定に遅れてしまいました。

現場で活動していると世間の実相が見えてくるだけでなく、
行政の対応や制度法律の意味もわかってきます。
エスクもまた、長年の活動にもかかわらずNPO法人にはなっていません。
その点も共感できます。
NPO法が日本の住民活動を壊したとは言いませんが、明らかに日本の文化を壊しました。
介護保険制度が日本の文化を壊したように、です。
だからといって、それらを否定するつもりは全くありません。
物事には必ず表と裏がありますから。

今回行き着いたところは、家族の大切さです。
あるいは支え合いの関係の大切さです。
エスクではいまいくつかのプロジェクトに取り組みだしています。
面白い空間も生まれだしているようです。
一度訪問することを約束しました。

エスクのホームページにはこうも書いています。

保育園が増えると同時に、「地域での子育て力」を失ってきたのです。
子どもの姿が消えた公園に、ゲートボールを楽しむお年寄達が増えました。
しかし、ゲートボールが始まると最後、子どもの遊びと共存しないといわれています。
もっと共存共栄する道を探さなくては・・・
子ども達のためにも、お年寄達のためにも・・・

全く同感です。
「つながり」をベースにしていない、昨今の福祉行政やNPO活動には大きな違和感があります。
事業効率をあげるためには、「つながり」は邪魔になるのかもしれません。

■SCALE Design再スタート(2008年7月5日)
今年初めから活動していたSCALE Designがメンバーを広げていよいよ本格的にスタートすることになりました。
その準備会が開かれました。
年齢も活動分野もいろいろですが、今回は男性だけになりました。
すでにこれまでの活動の中からいくつかのプロジェクトは動き出しています。
当面は柏と我孫子、特に柏地区での活動から着手しますが、
メンバーはむしろ我孫子地区が多いので、我孫子立脚のプロジェクトを企画していく必要がありそうです。
いささか事務局主導のスタイルになってしまっていますが、
そのあたりをこれから少し考えていくことが必要かもしれません。
オープンプラットフォームをみんなでコラボレーションしていくということは結構難しいものですが、だから面白さもあります。

7月15日に設立総会をやる予定です。
まだ参加者募集中ですので、ご関心のある方はご連絡ください。

■ブログを読んだ方が献花に来てくださいました(2008年7月5日)
外出していたら、娘から「埼玉の米田さんという人が献花に来る」という電話が入りました。
埼玉の米田さん。
心当たりがありません。
間に合うように帰宅しました。

初めての方でした。
昨日、偶然に私のブログの挽歌に出会ったのだそうです。
米田さんも、昨年10月にご主人を亡くされたのです。
私の挽歌を読んで、娘さんと一緒に献花に来てくださいました。
いても立ってもいられなくなったのだそうです。
どう表現していいかわからなかった自分の気持ちが書かれていると言ってくださいました。

帰り際に『今日はすっきりしました」と言ってくれました。
挽歌も少しは誰かの役になっていることを知って、うれしく思いました。
ブログに少し書かせてもらいました

(2008年6月第4週)
梅雨らしい週明けでしたが、月曜になったとたんに雨は降らずに初夏になりました。
今週もいろいろな人に会いましたが、言葉で生きている人たちと行動で生きている人たちとの対照的な生き方を改めて実感させてもらえた1週間でもありました。
どちらが豊かな生活でしょうか。
なかなか書き込めないこともあるのですが、格差は「経済面」だけではないようです。
■雨の中の2人の来訪者(2008年6月22日)
■ Wii Fit とBowling alone(2008年6月23日)
■税金の二重振込み(2008年6月24日)
■首相官邸前の混雑(2008年6月25日)
■井の中の蛙と茹で蛙現象(2008年6月25日)
■松戸市協働のまちづくり講演会(2008年6月26日)
■初めて救急車に乗りました(2008年6月27日)
■鹿嶋市の住民は元気そのものです(2008年6月28日)

■雨の中の2人の来訪者(2008年6月22日)
雨の中を2人の来訪者がありました。
まずは我孫子市民の長沼さんです。
高校生の時、湯島のオープンサロンに参加してくれた人です。
サロン参加者の最年少者でした。
それでずっと気になっていたのです。
妻の葬儀の時、来てくれました。
サロンのことを覚えてくれたのです。
とてもうれしかったです。
このコーナーで何回か書いているSCALE Designへの参加を誘ってみました。
今日はその話を聴きに来てくれたのです。
お互いの関心の共通点も見つかりました。
参加してくれることになりました。
SCALE Designのメンバーは着々と集まっています。

長沼さんが帰った直後に、社会起業家の田辺さんから電話がありました。
これから献花に行きたいというのです。
ブログに書いてしまいましたが、雨の中を遠方からやってきてくれました。
超多忙な毎日にもかかわらず時間をつくってくれたのです。
久しぶりにゆっくり話しました。

■ Wii Fit とBowling alone(2008年6月23日)
Wii Fit で毎日測定をしていますが、そこにバランス年齢というのが出てきます。
私の場合、いままでの一番の若い記録は26歳ですが、
まあそれはちょっと異常値としても、大体において私の場合は50代です。
実年齢よりも10歳は若いと評価されるわけですが、
その評価がいかにいい加減なものだと知りつつも、まあ悪い気はしないのです。
人間はやはり基本的に、嘘でも褒められるとうれしくなる存在のようです。
私だけはないでしょうね。

トレーニングのプログラムもいろいろありますが、やっているうちにそのプログラムが増えていきます。
たとえばジョギングは、最初は短いコースしかないのですが、
それをこなしているうちに、長期コースがで走れるようになり、
島一周コースが増え、ながらジョギングなどというコースまでができるようになります。
今日は、それで15分もジョギングをしました。

最初の頃は、家族みんなでやっていましたが、最近はそれぞれが時間の合間にやっています。
たとえば、今日は1人でテレビ画像を見ながら部屋の中で走っていたわけです。
結局、Bowling aloneではないかといささか不安になりました。
Bowling aloneはソーシャル・キャピタル議論のきっかけになったロバート・パットナムの論文のタイトルです。
パットナムは、かつてはグループでわいわい言いながら楽しんでいたボウリングを、
最近は一人でやる人が増えてきたということから、
アメリカのコミュニティが壊れだしていることを指摘したのです。
注意しないと、Wii Fitもまたコミュニティ、家族を壊しかねません。

そこでわが家では一工夫しました。
Wii Fitのなかに、亡くなった女房を蘇らせたのです。
Wii Fitでは最初に「からだ測定」があるので、実在しない人は勝手にエントリーさせられないのですが、
みんなで工夫して女房もゲーム仲間にしたのです。
ですから、わが家のWii Fitの世界には元気な女房が活躍しているのです。
たとえば私が走っていると、時々、女房が向こうから走ってきたりします。
息を切らせて私がゴールすると飛び上がって喜んで拍手してくれるのも女房なのです。
それがどうしたと言われそうですが、まあ、そんなわけで、わが家族はWii Fit内でのコミュニティを維持しています。
これって、あんまり健全ではないですね。
やはりBowling alone現象は進行していくのでしょうか。

■税金の二重振込み(2008年6月24日)
妻がいなくなったので、お金関係の仕事を自分でやらなければいけなくなりました。
この時期、いろいろな振込みがあります。
税金や保険料がこんなにいろいろとあることを知りませんでした。
すべて妻に任せていましたし、私自身、何かをどこかで買っても注文も支払も妻任せでした。
私とお金の相性はあまりよくありません。
それらを自分でやりだしたら、実に面倒なのです。

それに銀行にいっても郵便局にいっても、なぜか待たされます。
みんななぜおとなしく待っているのでしょうか。
困ったことに私は「待つこと」が大嫌いなのです。
そのため、待ち時間が長くなると途中で帰ってきてしまうわけですが、
その関係でどれが支払ったのか未払いなのかわからなくなってしまいました。
今日、いろいろあったものを銀行に持っていて振り込んできました。
なんでこんなに税金は高いのだろうと思いながら、100万円を切ってしまった私の預金を下ろして振り込んで帰ってきました。

ところがです。
帰宅して整理していたら、今月初めに娘に振り込んでもらった分まで振り込んでしまったのに気づきました。
お金の振込みなどは本当に面倒くさいですね。
まだ痴呆化していない私でもこれほど混乱しているのですから、後期高齢者はもっと大変でしょうね。
70歳をすぎたら、お金の煩わしさから解放してくれるような社会にはならないものでしょうか。

ところで、税金の二重振込みは返却してくれるでしょうか。
いささか不安です。
これは振り込み詐欺被害者とどちらが「アホ」というべきでしょうか。
困ったものです。

■首相官邸前の混雑(2008年6月25日)
仕事の関係で、久しぶりに国会議事堂前駅で下車しました。
サミットの関係か警備がすごく、トイレまで警備の人が巡回していました。
首相官邸前では、20人くらいの警備官に一人の人が抗議していました。
勇気ある人です。
あれだけ大勢の警備官の中で、独りでがんばっている勇気には拍手を送りたいですが、道が通りにくいのでムッとしました。
もちろん道をふさいでいるのは大勢の警官たちです。
たった一人の抗議者のために、何でこんなに大勢の警官が入るのかと思いました。
大勢いるんなら、1人くらいは交通整理をしろと思いました。
横にそれるのも意に反するので、言い合っている真ん中を無理に通り抜けました。

それがどうしたということですが、こうした雰囲気はテレビなどでは全く伝わってきません。
霞ヶ関や虎ノ門では、けっこういろいろな抗議活動が行われていますが、時にはその雰囲気を味わうのもいいことです。
日本社会の「健全さ」を実感できるかもしれません。

■井の中の蛙と茹で蛙現象(2008年6月25日)
平和な時代です。
この1か月仕事を再開しようと思っていろいろと人に会いました。
今日も仕事関係ではありませんでしたが、若干その関係もある人たちとの意見交換の場に参加しました。
そうした場に参加して思うのは、日本は相変わらずのタコツボ社会だということです。

私のこの20年は、どちらかというとノマド的な生き方でした。
「ノマド」とは遊牧民を意味するフランス語ですが、一時期、日本でも流行した言葉です。
ちょうど私が会社を辞めた頃でしたが、同じところに安住せず、
つねに新しい場所に移動して、新しい発見を目指し、発想を凝固させない生き方で使われていました。
会社を辞めてから、私はマルチ・ハビテーションを志向しましたが、
空間的にもテーマ的にも異質な「居場所」を創り続けてきました。
「タコツボ」的な生き方は超えなければいけないという思いが強く、
それが私のテーマである「コモンズの回復」に至った理由でもあります。

そうしたノマド的な生き方のおかげで、さまざまな世界を垣間見ることができました。
その立場で見ると、多くの世界があまりに井の中の蛙の世界になっており、
しかもそのなかで「茹で蛙」現象を起こしているのです。
ちょっと世界を広げたら、もっと効果的な解決策があるのにと思うことが少なくありませんし、
低い目標達成で満足している人が多いようにも思います。
なんだか偉そうなことを書いてしまいましたが
、昨今のビジネスや行政、あるいはNPOの世界、すべてに当てはまることです。

日本は平和な社会だと、最近改めて感じます。
もちろん私もその社会の恩恵を受けていますが、退屈です。
わくわくするような仕事には出会えずにいます。
本当に退屈な毎日です。

■松戸市協働のまちづくり講演会(2008年6月26日)
松戸市でも「協働のまちづくり条例」ができ、住民活動を支援する仕組みができました。
私が興味を持ったのは、その資金源に市民からの寄付を当てることと
行政と住民との共同事業がしっかりと組み込まれていることです。
「協働のまちづくり」という発想が好きになれない私が講演を引き受けたのは、それもあってのことでした。

今回は、「まちづくり、はじめの一歩」というタイトルで話をさせてもらいました。
その後、松戸市内で活動している3人の方でパネルディスカッションを行いました。
いずれも地に足つけたいい活動です。
3人が取り組んでいるのは、環境保全、里山整備、子育て支援です。
お話を聞いていて、その3つをつなげたら面白いだろうなと言うことでした。
やはり「大きな福祉」の理念は間違っていなかったと確信しました。

しかしやはり講演は退屈ですね。
やはり実際に活動につながっていくような形でないと関わる意味がありません。
現場がやはり一番面白いですが、なかなかその現場に到達できずにいます。
その理由は、特定のテーマには呪縛されたくないという、私の身勝手さがあるためですが。
困ったものです。

■初めて救急車に乗りました(2008年6月27日)
今日は自宅にいたのですが、いろいろなことがありました。
午前と午後と、それぞれ来客がありましたし、
その合間に近くに住む兄と久しぶりに会食していたら、
広島の折口さんから電話がありました。
このサイトの「折口日記」の折口さんですが、最近は投稿がとまっていますが、たぶん私の状況を気遣ってのことでしょう。
今日はちょっと相談事だと電話をくれましたが、それもたぶん私の状況を気遣ってのことでしょう。
意外な人からのメールも2件入ってきました。
意外でない人からの意外なメールも入ってきました。

とまあ、それなりに刺激的な1日になっていましたが、
夕方事件が起こりました。
がんばりやの次女が突然倒れてしまったのです。
半端な倒れ方ではなく、それなりの倒れ方です。
だらしない話ですが、慌ててしまいました。
幸い長女も在宅でしたので、彼女がてきぱきと対応してくれ、救急車がすぐに来てくれました。
長女を見直しました。
病院にも電話しましたが、いかにも事務的な対応でイライラしましたが、
救急隊の人たちは実に誠実で患者や家族を安心させてくれました。
最近、娘たちも無理をしているので、いささか不安に思っていたのですが、
あまりにも思っていた通りのことが起こってしまったので、今回は悪い方向に考えすぎてしまいました。

近くの救急病院で対応してくれたのですが、救急患者の多さに驚きました。
私たち家族は4時間ほど待合室にいましたが、次々と救急車などでやってきます。
それもみんなかなり深刻そうなのです。
幸いに娘は大きな問題はなさそうで、深夜に帰宅できました。
今日は疲れきった1日でした。
人生はいろいろあります。それも突然にやってくるのです。

■鹿嶋市の住民は元気そのものです(2008年6月28日)
昨日はいろいろあって、夜あまり眠れなかったのですが、
以前からの約束で、鹿嶋市のまちづくり連絡協議会が主催する、まちづくり研修会に話に行きました。
一昨日に続く、「協働のまちづくり」での講演です。
講演嫌いな私が続けて引き受けてしまったのは、いずれも「人の縁」なのです。
顔の見える人から紹介されると断れなくなるものです。

会場に入った途端に、参加者たちの熱い思いや楽しんでまちづくりに取り組んでいる雰囲気が伝わってきました。
100人くらいの参加者なのに、とても明るく生き生きした雰囲気です。
今回は「仲間を見つける、地域とつながる」です。
とても手応えがあり、頷きながら聴いていてくださるのでとても話しやすかったです。

終了後、市長もやってきて、大きな交流会が行われました。
いろんな人が話に来てくれました。
みんな楽しみながらまちづくりに取り組んでいるようです。
話していてとても気持ちがよかったです。
みんなしっかりと現場を楽しんでいるのがよくわかるからです。
いろんな人から握手を求められたのはいささか意外でした。
日本に握手をする文化などないはずですのに。
市長ともいろいろとお話しましたが、鹿嶋市のまちづくりは住民主役でしっかりと進んでいるようです。

ともすれば形だけになりがちな「協働のまちづくり」には、私はどうしても違和感があるのですが、
一昨日の松戸市にしろ、今日の鹿嶋市にしろ、みんな楽しそうにやっています。
財政問題でお金がなくなってきたおかげで、各地のまちづくりは良い方向に向かいだしているのかもしれません。
お金がなくなることはいいことです。
私も主旨替えしなければいけないかもしれません。

でも「協働」ってどうも好きになれない言葉です。
私が好きなのは「共創」です。

(2008年6月第3週)
今週のテーマは「流れを変えよう」です。
■流れを変えよう(2008年6月16日)
■生命に関わる大事件が起きました(2008年6月16日)
■SCALE Designの仲間が7人になりました(2008年6月17日)
■KAE山城経営研究所スタッフとの意見交換(2008年6月19日)
■久しぶりの共済研究会(2008年6月21日)
■共済研究会のおまけ(2008年6月21日)

■流れを変えよう(2008年6月16日)
時間を持て余しています。
やるべき課題はいくつもあるのですが、気分が乗りません。
その気にさせてくれる節子がいないので、怠惰に浸っています。
おかげで、久しぶりに戦争映画を3本もDVDで観てしまいました。
どうも私は、平和を頭で志向しながら、戦争にもわくわくする本性があるようです。

小説まで読んでしまいました。
しかもその小説は、アン・タイラーの作品です。
私には全くふさわしくない作家の作品です。
名前も知らなかったのですが、私のブログを「真っ当なブログ」と紹介している人のブログに偶然出合ったためです。
その人が、アン・タイラーのファンなのです。
別に読まなくてもいいのですが、久しぶりに小説をと思って、その気になってしまいました。
しかし、その小説はやはり私向きではありませんでした。
装丁からして若い女性向きの小説です。
でも2冊も読んでしまいました。
面白かったからではありません。何となく、です。
なぜか大学生の頃、読んで魅了された、カミユとサガンを思い出したのです。
カミユとサガンは全く違うのですが、いずれも私の人生に影響を与えた作品なのです。
これに、小説ではカフカ、映画ではベルイマンとミケランジェロ・アントニオーニが私を方向付けました。
そのせいで、たぶん社会から脱落しがちな人生を送ることになったのかもしれません。
アン・タイラーは、作風としてはサガンに似ています。
が、どこかでカミユを思い出させます。なぜでしょうか。

今週は事務所にも時々、出かけましたが、一人でボーっとしていることが多かったです。
人間、怠惰になるとどんどん怠惰を深めていきます。
これでは借金も返済できないので、どこかで流れを変えないといけません。
友人が、ちゃんと稼いでいるかと心配して電話してきました。
稼がなくても誠実に生きていれば、何とか生きていけます。
しかし私は極めて幸運なようです。
誠実に生きているのに、苦労している人が少なくありません。
西成の暴動や秋葉原事件はそれを示唆しています。

社会はどこかでおかしくなっているように思います。
社会の流れも変えないといけません。

■生命に関わる大事件が起きました(2008年6月16日)
最近、湯島のオフィスに時々しか行きません。
ベランダの植物が悲惨な状況です。
節子に怒られそうなので、水をやりました。
そうしたら鉢の陰にハトの卵が2つもあるのです。
最近、よくベランダにハトがきていた理由がわかりました。
さて、どうするか。
悩みましたが、ここで孵化されると近隣にも迷惑をかけますので、排除することにしました。
しかし、さてどうするか。
スーパーで購入した鶏卵は、何の抵抗もなくゆで卵にして食べられますが、ハトはそうはいきません。
なぜでしょうか。
ゴミと一緒に廃棄するのも、なにか後ろめたさがあります。

まず、ハトが二度と卵を産まないように、ベランダを掃除しないといけません。
掃除しないところには問題が起こるのです。
まずは、大掃除を始めることにしました。
しかし、卵はどうしたらいいか。
大きな問題を抱え込んでしまいました。
さてどうしたらいいでしょうか。
それほど今週は退屈です。

タイトルに「生命に関わる」と書きましたが、これは「ハトの生命」です。
誤解を与えたとしたらすみません。はい。

■SCALE Designの仲間が7人になりました(2008年6月17日)
環境、福祉、まちづくりを融合させた活動、これがこの20年の私の基本姿勢でした。
その一つの到達点が「コムケア活動」でしたが、どうも実際の手応えが弱いので年齢とともに「息が切れて」きました。
そこで自分の生活圏に立脚した活動に取り組もうと思っていたのですが、
ちょうど出会ったのが「ベロタクシーとまちづくり」のテーマです。
柏で活躍している松清さんと自転車をライフワークにする斎藤さんとで年初から議論してきましたが、法人化することになりました。
名前は、松清さんの命名で、SCALE Designです。
先週書きましたが、ついに参加者は7人になりました。
柏・我孫子、あるいはお近くにお住まいの方、いまならまだ間にあいます。
参加されませんか。

SCALE Designのサイトは間もなくできると思いますが、
どんな活動をしているか、あるいは始めるか、ご関心のある方がいたらご連絡ください。
具体的なイベントも少しずつ始まっていますので。

これは私の怠惰な生活の流れを変える契機になるでしょうか。

■KAE山城経営研究所スタッフとの意見交換(2008年6月19日)
最近、私自身は少し時間を持て余しているので、久しぶりに意見交換でもしようと、
KAE山城経営研究所の堀越さんと市川さんの声をかけました。
最近の私自身の堕落した生活の流れを変えたかったのです。
久しぶりにゆっくりと話し合いをしました。

2人とも、それぞれに独自の強みを持っています。
堀越さんは、山城章さんの最後の教え子ですし、
市川さんは若い頃から行になじんでおり高野山でも学んできています。僧籍も持っています。
そしていま、2人とも企業のリーダーを育てる経営道フォーラムの事務局を担っているのです。
社会の変わり目、企業の変わり目、であれば、人を育てるプログラムも変わり目です。
しかしあまり新しいプログラムは出てきていないように思います。
ぜひともそれに取り組んでほしいと思い、意見交換させてもらったわけです。
いろいろとあたらいい取り組みのテーマが見つかりました。

さて動き出すでしょうか。
面白いプロジェクトが始まったら巻き込んでほしいと頼みました。
この歳になると誰かの動きに乗るのがせいぜいです。
これでは流れを変えるのは無理ですね。
いやはや困ったものです。

■久しぶりの共済研究会(2008年6月21日)
1年以上、参加できずにいた共済研究会に参加しました。
今回は青山学院大学の関英昭教授が、最近の法制度の動向を「共済」の視点で話してくれました。
ショックを受けました。
思っていた通りの方向ですが、あまりに進んでいることと、
そうした動きに対するホメオスタシスが全く作動していないことに、です。
それは社会が崩壊してしまっていることの証左のように感じました。
まさに「資本が好き勝手をやれる状況」が法的に完成してしまったということです。
人間の魂を売った財界人たちや専門家たちを呪いたくなります。

ささやかな私の実体験や見聞、「金融権力」などの書籍からの間接情報などから、
金融資本への不快感を強めていましたが、
まさか法の世界がそれを加速している張本人とは思ってもいませんでした。
しかし考えてみれば、当然のことです。
イラクやアフガンの事件は、所詮は「陽動作戦」の一つでしかないのです。
関さんの話はぜひ多くの人に聴いてほしい内容ですが、それを紹介する能力は私にはありません。
どこかで関英昭教授の講演会があれば、ぜひ参加してください。

不正確さと誤解されることを覚悟で、3つほどメッセージを紹介します。
念のためですが、文責は私にあります。

日本の経済は、企業中心の経済に向けてどんどんグローバル化されてきている。
事業主体も簡単に作られるようになり、
金融商品化の仕組みにより事業対象もどんどんつくられるようになっている。
会社は社団法人としての性格よりも、金融商品発行機関になっていく。

この話と先日KAEの合宿で聞いたIBMの組織構造の話が見事に一致します。
最近の「格差社会」は結果ではなく手段なのかもしれません。
表現はきついですが、「奴隷経済」を感じさせます。
これ以上書きつづけると自分をコントロールできなくなりそうなのでやめますが、
ともかく「関ショック」の衝撃は大きかったです。
ほかにもいろいろ刺激はあったのですが、それらが影をなくすほどでした。

最後にちょっとだけ発言させてもらいました。
今の流れに抗するだけでは限界があるのではないか。
相手の土俵で戦っても勝ち目はない。
むしろそれとは別に、日本の文化の中にある「共済のこころ」の原点に戻って、
新しい支えあいのモデルを創出し広げていくことが必要ではないか。


実は、この発言は研究会代表の本間教授に唆されてのものなのですが、
本間さんが私のことを「共済のこころを発信している」と紹介してくれたのです。
冷や汗をかきましたが、どうも私は「乗せられてしまう」タイプなのです。
それでついつい発言させてもらったのですが、関さんが正面でうなずいてくれていたのと、
日本勤労者山岳連名理事長の斉藤義孝さんが共感してくださったのでホッとしました。

妻を亡くして以来、こういう研究会にもほとんど参加しなくなっていたのですが、
これを契機にまた参加しようと思います。
いつも誘ってくださる佐々木さんに感謝します。

■共済研究会のおまけ(2008年6月21日)
共済研究会の後の懇親会でお会いした人を書いておきます。

久しぶりに岩川修さんに会いました。
私が共済問題に関心を持ち出したのは岩川さんのおかげです。

日本勤労者山岳連名の斉藤義孝さんと川嶋高志さんにもお会いできました。
斉藤さんは社会的企業や労働者協同組合法にも関心を持ちです。
よこのつながりがもっと活発になればいいのですが、
それぞれの活動のど真ん中にいる人たちは、意外とつながりに関心がありません。
斉藤さんのような発想がもっと広がればきっと新しい地平が開けます。

川嶋さんとは全く違う話をしました。
日本にはなぜ山岳救助隊がいないのかという話です。
海難救助と山岳救助とは全く違う状況にありますが、それは同時に、
日本の社会や政府が山に対して関心を失っているということの象徴かもしれません。
私自身は社会を支えているのは、山と川だと思っています。
社会の目を山に向けさせるのは、これからの山男の使命ではないか
などとわけのわからないことを川嶋さんに話してしまいました。
川嶋さんはK2の登頂に成功された人でもあります。
その話も刺激的でした。

神奈川県経営者福祉振興財団の大植さんと中嶋さんにもお会いしましたが、
中小・中堅企業の人不足の問題のお話を少しお聞きしました。
社会のいたるところ、こうした奇妙なミスマッチが起こっているようです。
日大の生物資源科学部の高橋巌准教授が新たに研究会に参加されました。

「生物資源科学部」、不思議な名称ですが、以前は農獣医学部と言っていたそうです。
農獣医学部のほうが私にはなじみやすいです。
こうした名称の変化に、社会の方向性が見えてきます。

自由法曹団の渡部照子弁護士ともお会いしました。
司法改革の話をしていて、裁判員制度に話題を持っていったところで、
残念ながら別の人に話しかけられ、肝心の話ができませんでした。
しかし、裁判員制度に対する弁護士の評価は二分されているという話を聴いてホッとしました。
裁判員制度が採用された経緯は、もっときちんと法曹界、とりわけ弁護士はきちんと説明するべきだと思います。
私自身は司法の崩壊を加速させるひどい制度だと思っていますが、
情報不足でそう思っているだけかもしれません。

帰りは関さんとご一緒でした。
その1時間の話は、実に痛快な話でした。
公開できないのが残念です。

今日は実に刺激的な1日でした。
以前は、毎日がこんなだったと思い出しました。
もうたぶんそこには戻れないでしょうが、流れは変わりそうです。

(2008年6月第2週)
梅雨入りしました。
私にとっては1年前のことを思い出すことが多く、辛いシーズンになりました。
■わが家にWii Fitがやってきました(2008年6月8日)
■税務署からの呼び出し(2008年6月10日)
■新潟水辺の会の金田英一さん(2008年6月10日)
■近所の大西家に勧誘訪問しました(2008年6月11日)
■たぶん17年ぶりの石田米和さん(2008年6月13日)
■節子への挽歌の読者から本が送られてきました(2008年6月13日)

■わが家にWii Fitがやってきました(2008年6月8日)
ブログに書いてしまいましたが、わが家に Wii Fit がやってきました。
はじめた途端に、家族全員はまってしまいました。

体力測定やトレーニングのプログラムがあります。
最初にやってみたら、身体年齢が55歳でした。
何と実年齢よりも12歳も若いのです。
すっかり気に入って、次のプログラムをやってみたら、今度は何と75歳になってしまいました。
まあ、その程度のものなのですが、やり出したら結構はまりだしそうです。
それにいろいろと工夫されていますので、持続も出来そうです。
感心しました。

しかし、その一方で、ロバート・パットナムの“Bowling Alone”を思い出しました。
そのこともブログで書きました

■税務署からの呼び出し(2008年6月10日)
先々週書いたように、会社の税務申告をこれまでの税理士が作成してくれていたものを参考に自分で作成し、申告しました。
ほとんど収入がないのに、消費税も昨年度の申告書を見よう見まねで計算しました。
売り上げも少ないし、利益もないので、本当に消費税を払う必要があるのかどうか不明でしたが、
まあ昨年度も払っているので払いました。
お金がなかったので娘から借りてしまいました。
もしかしたら消費税は不要だったのではないかと思ったりしていたのですが、
そんな時、税務署から電話があり、申告書が間違っているので修正に来てほしいというのです。
一瞬、もしかした消費税が返ってくるのではないかと期待しました。
そして今日、税務署に行きました。
何のことはない私の転記ミスだったのです。

そういえば、私は昔から転記ミスの多い人間でした。
個人の確定申告でも、足すのと引くのを間違えてしまい、呼び出されたことがあります。
そのときは確か税金が戻ってきました。
しかし今回は戻ってきませんでした。追加払いもありませんでしたが。

しかし最近の税務署の職員は親切です。
私の計算能力や管理能力はそれほど低いとは思いませんが、
まあ私のような人が税務申告したものをチェックするのは大変でしょうね。
何だか申し訳ない気がしました。
今年度からは電子申告する予定ですので、もうこういう初歩的なミスは起こらないでしょうが、
お金のやり取りがなければ会社経営はもっと簡単になるだろうにとつくづく思いました。
税金もお金がある人が自発的に納入するような仕組みにはならないものでしょうか。
税金が効果的に使われるようになれば、それも夢ではないような気もしますが、どうでしょうか。
今の状況では、税金を払うモチベーションは高まりませんね。
今年は法人税を払えるようにがんばろうと思ってはいるのですが。

■新潟水辺の会の金田英一さん(2008年6月10日)
金田さんが湯島に来てくれました。
新潟で参加している水辺の会の活動をいろいろとお聞きしました。
どれもこれもとても魅力的で、楽しそうです。
最近金田さんは新潟のほうが生活の拠点になってきていますが、その理由がよくわかります。
一番魅力的なプロジェクトは、やはり「サケの遡上プロジェクト」です。
これに関しては、水辺の会の会報の最新号に紹介されていますので、ぜひお読みください。
もっともこれだけではなかなかわかりにくいのですが、
このプロジェクトの背景にある事実が、実はとても重要な問題提起をしているのです。
今の私たちの生き方や社会のあり方への本質的な問いかけが示唆されているということです。
このプロジェクトに、私としても何か役立てることはないか考えてみようと思います。

金田さんは、それにしても精力的です。
いつもながら今日もまたたくさんの刺激を受けました。

■近所の大西家に勧誘訪問しました(2008年6月11日)
千葉県の東葛地域を主な活動舞台にするNPOを立ち上げる方向で仲間集めを始めました。
中心になっているのは松清さんと斎藤さんです。
キーワードは、環境、福祉、まちづくり、そして自転車です。

さて誰かいないかと思って思い出したのが、近くに住む大西さんです。
手賀沼のヨットをやっていますし、サイクリングも確かやっていましたし、何よりも人柄が好きなのです。
それで今日、お誘いに行きました。
いままでともかく真剣に働いてきたので、
もう仕事はせずに、社会のための活動など考えずに、ずぼらに生きることを楽しんでいるというのです。
私の体験では、「ずぼら」を自称する人にはずぼらな人はいません。
それに「社会のため」などと自分でいう人は、例外なく社会など考えていません。
いやまた言いすぎですね。
しかし、ともかく参加を了解してもらいました。
これで4人。
もう一人はほぼ決まっていますので、5人です。

「人集め」は実にわくわくします。
「荒野の7人」を思い出します。
再来週、このNPOの概要を紹介しますが、
興味のある方はご連絡ください。

そしてぜひ発起人になってください。
お願いします。

■たぶん17年ぶりの石田米和さん(2008年6月13日)
私のなかでいくつかの未決着の問題があります。
いずれもたいした問題ではないのですが、その一つが石田問題です。

石田さんは15年以上前に愛知淑徳大学に転身しました。
いまは現代社会学部の教授です。
その石田さんからたぶん10年ほど前からでしょうが、
東京に出てくる予定の時に湯島に行くという連絡を毎年のように受けました。
ところが当日になるとどうしても時間が取れなくなってこれなくなるのです。
石田さんはとても真面目な人ですから、本人も不本意なはずですが、なぜかそれが続いていました。
石田さんに会うために、正月休みの時もわざわざ湯島に出かけてことがありますが、
オフィスに着くとやはり今回も行けなくなったという留守電が入っているのです。
いささかムッとしていましたが、これはやはり意味のあることなのだと思うようになりました。
ですから先週、石田さんから連絡があった時に、今回も会えないだろうと思いつつ、約束しました。
ダメになったら早めに電話をしてほしいと言っておいたのですが、
電話がありませんでしたので、少し早めにオフィスに出かけました。
どうして今年は会えることになったのだろうと、少し怪訝に思いながら、
まあ暇でしたし、今週はオフィスにほとんど行っていないので出かけたわけです。

ところがです。
なんと電車の中で携帯に電話がかかってきました。
午前中の会議が長引いて間に会いそうもないというのです。
いつもなら運命に身を任せるのですが、今回は決着をつけたくなりました。
それで石田さんに、今年こそ決着をつけたいので待っているので、遅れてもいいから来ないかと返事をしました。
大げさですが、気になっていることは自分で切り替えなければいけません。
「決着」などと大げさですが、私と石田さんの間に「決着」すべき問題があるわけではありません。
「決着」すべき相手は「運命」です。
石田さんも、きっとわかってくれたと思います。

そして、わずか5分ほど遅れただけで石田さんは現れました。
何しろ石田さんは真面目な人ですから、汗をかきながらの登場です。

考えてみると、石田さんが名古屋に転身して以来の再会かもしれません。
石田さんとの話を内容を書くつもりが、前段だけで長くなりました。
石田さんの関心事とこれから取り組もうとしているテーマが、私とかなり重なっていますので、
またきっとコラボレーションの機会があるでしょう。
今回は一つだけ書いておこうと思います。
石田さんは学生時代、沖縄のゆいまーるの現地調査をしたのだそうです。
今から40年近く前でしょうから、まだきっと面白い実態が残っていたはずです。
出来ればそのあたりを軸に、石田さんと何かコラボレーションできればと思っています。

久しぶりにゆっくりお話しましたが、あまりに話すことが多く、あっという間に2時間がたってしまいました。

■節子への挽歌の読者から本が送られてきました(2008年6月13日)
CWSプライベート(ブログ)に毎日書いている「節子への挽歌」の読者から本が送られてきました。
「あなたにあえてよかった」
私と同世代の女性からでした。
3年前に娘さんを、私の妻の節子と同じ病気で亡くしたのです。
その娘さん、大浦郁代さんの追悼集です。
またブログのほうに書かせてもらうつもりですが、お手紙を読んで涙がこらえられませんでした。
痛いほどお気持ちが伝わってきます。
愛する人が真剣に生きていたことを一人でも多くの人に知ってほしい。
愛する人のことを思い出してくれる人が一人でもいてほしい。
愛する人を亡くした人はみんなそう思うのですね。

大浦郁代さんは、いつも枕元に飯田史彦さんの「いきがいの創造」を置いていたそうです。
それで飯田さんってどういう人かを調べていて、私のブログ「節子への挽歌」に行き着いたそうです。
それでお手紙と本を送ってくださったのです。

今はその本を読む気力はありませんが、いつか必ず読ませてもらうつもりです。
少し気持ちが落ち着いたら節子の挽歌に書かせてもらうつもりです。
郁代さんは34歳で亡くなりました。
私の娘たちと同世代です。

世間で話題になっている事件が腹立たしいです。
「生きること」をもっと大事にする社会に戻したいです。

(2008年6月第1週)
今週は趣向を変えて、人を中心にした記録です。
毎週、日記をつけているような気分で書いていますが、今週は週末に一括して書いたためなのですが。
■久しぶりにお会いした人たち
■会わなくとも交流が会った人たち
■暮らしと技術を考えるサロンのテーマは食でした(2008年6月6日)
■とても幸せな週末(2008年6月7日)

■久しぶりにお会いした人たち
久しぶりにビレッジハウスの山本夫妻がやってきました。
最近、私があまりに沈んでいたので会いに来られなかったのかもしれません。
決して沈んではいなかったのですが。
久しぶりに一緒の食事をしましたが、会社のほうも順調のようでよかったです。
とても忙しいようです。
忙しいといえば、キャロルフランクの成瀬さんも超多忙のようです。
心を失わないようにしないと、と自戒されていました。
久しぶりに近況をお聞きしました。
ちいさな企業の経営者は大変な時代です。

理学療法士を目指して学んでいるコムケア仲間の橋本さんが2回目の実習を終えたといって、湯島に来てくれました。
今回は2か月の実習だったそうですが、実にたくさんのものを得てきたようです。
私も教えられることがたくさんありました。
ぜひ多くの人に聞いてほしいような話がたくさんありました。
現場にはたくさんの物語や感動のタネがあるようです。
その現場でがんばっているのが自転車をライフワークにする斎藤さんです。
新しいプロジェクトを起こそうとしています。
私も巻き込まれそうで、いささか心配です。
そのプロジェクトの関係もあって、柏の市民活動支援センターの松清さんにも会いました。
彼が企画している手賀沼関係でのプロジェクトに参加したくなりました。
NPOを立ち上げる計画も少しずつ前進しています。

NPOといえば、しばらくあっていなかったNPO研究者の大川新人さんに偶然に会いました。
パソコン作業をしようと本郷のインキュベーションハウスに行ったら先客がパソコンの前にいました。
それが大川さんでした。
時間がなくて、あまり話せませんでしたが、順調に人生しているようです。
自宅のパソコンが壊れたので、パソコンを使いに来たのだそうです。
私もそれを使って作業したかったのですが、彼が使っていたのでできませんでした。
私のパソコンも、いまやみんなのパソコンになってしまいました。
私的所有権をできるだけ制限し、コモンズ所有を大切にしようという私としてはうれしいのですが、何だか困った気分もしました。
宮部さんにも久しぶりに会いました。1か月ぶりでしょうか。
やっと忙しさの山を超えたようですが、この1年大変だったようです。
私は全く理解できていませんでした。
成瀬さんにしろ宮部さんにしろ、他人のことは見えないものです。
デザイナーの古村さんにもまたお会いしました。
お互いに昔話をちょっとして、相互理解を少し深めました。

他に会った人はいないでしょうか。
そういえば、我孫子のNPO第1号のデイヘルプの森谷さんにも会いました。
数日前の朝日新聞にも登場していましたが、森谷さんは85歳だそうです。
お元気です。なにせ江戸っ子ですから。
近所の中村さんにも会いました。
疲れて元気なく帰宅する途中でしたが、遠くに中村さんの姿が見えたので、背筋を伸ばして元気そうにしました。
元気がないとみんな心配するので、元気よく見せないといけません。
近所づきあいは結構大変なのです。はい。
週末には近くに住んでいる兄がやってきました。
とまあ今週、お会いしたのはこんなところでしょうか。
私の生活も徐々に正常化しているわけです。

ちなみに、金曜日の夜には、暮らしと技術のサロンがありました。
そこでも新しい出会いがありました。
面白い話なので、これだけ項目を立てることにしました。

■会わなくとも交流が会った人たち
福岡の西川さんが五島列島最北の宇久島でハーモニカのコンサートをやった時に撮影した写真を送ってきてくれました。
野あざみです。
見ているとホッとしますので、著作権を無視して掲載します。

同じ日に、山口の東さんがメールをくれました。
東さんと私との思考の方向性が似ていることに改めて驚きました。
20年付き合っていても、なかなか気がつかないものです。

不思議なのですが、
今週はしばらくご無沙汰だった人たちから5人もメールや電話が届きました。
これは単なる偶然でしょうか。
なかには5年ぶりの人もいます。
名古屋の石田さんは時々、会いたいといってきますが、いつも直前になると会えなくなります。
たぶんそう決められているのでしょう。
2年ぶりにメールが来ました。
会いたいといってきましたが、今年もきっ日程が合わずに会えないでしょう。
会えそうで会えない人というのもあるようです。
ナレッジワーカーの西さんとは10年近く会っていないでしょう。
このサイトで調べましたが、会った痕跡がありません。
ずっと気になっていたのですが、もしかしたら近々会えそうです。
お元気そうで、今も東京と福岡の往復の生活をされているようです。

子育ち学の深作さんとも最近交流がなくなっていましたので、とても気になっていました。
しかし、届いたメールでは新しい学びの場づくりにも取り組んでいるようです。
うれしいことです。
キャロルフランクの成瀬さんからも久しぶりに電話がありました。
前項に書きましたが、成瀬さんとは会ってしまいました。
お会いしていなかった2年間、実にいろいろなことがあったようです。
高崎の高石さんから「ゆいの家」の活動を原点に戻したという手紙が来ました。
活動が広がりすぎたので、一度、原点に返って考えたいということのようです。
市民活動の難しさがそこにあるような気がします。
メールではないですが、ブログに四元さんが投稿してくれました。
私が心療内科に行くことを勧められたと書いたら、心配してくれたのですが、
私も実は四元さんがどうしているか気になっていたところです。
よくわかりませんが、元気なようなのでホッとしました。

ブログといえば、いつも読んでくれている武田さんが挽歌の277はよかったとわざわざお褒めの電話をくれました。
私としてはなにやら中途半端な小難しい文章ですっきりしていなかったのですが、褒めてもらえるとは光栄です。
先週、突然献花に来てくれた宮崎さんに電話しました。
全く変わっていない宮崎さんがそこにいました。
サロンを再開してほしいと言われました。
サロン待望論が相変わらずあります。
そういえば、コムケアフォーラムを応援してくれた「協創の場」の伊藤さんが、
喫茶店をやるプロジェクトをやるなら応援するといってきてくれました。
何かをやろうとすると必ず応援してくれる人が出てくるものです。
今資金が27000円たまっているので、それを活かすためにもやはりはじめないとだめかなと少し思い出しました。
27000円(現実)と2700万円(目標)とは、ちょっと格差がありますが、まあ、克服可能な差でしょう。

まだあったでしょうか。
ありました。
NPOに関心を深めている田中さんは最近どうもホームレス支援に目が向いているようです。
これは想定外でした。
先週何回か連絡があった根本さんは連絡が途絶えましたが、どうしたのでしょうか。
魚助の松井さんからも電話がありました。
難問を抱えているようですが、まあ人生には難問は付き物です。
新潟の金田さんからも電話をいただきました。

そんなこんなで、今週もいろいろな人と電話やメールで交流がありました。
人生とはまさに「人との交流」です。
いろんな交流があればこそ、人生は豊かになります。
ふれあった人たちに感謝しています。

■暮らしと技術を考えるサロンのテーマは食でした(2008年6月6日)
今回の幹事役は政策投資銀行の鍋山さんです。
先の餃子事件を切り口にして、日本の食のあり方を考えようというテーマです。
ゲストに最近、「中国食品動乱」(東洋経済新報社)を出版した日本政策投資銀行の小森正彦さんをお呼びしました。
実に刺激的なお話をお聞きした後、いろいろと議論しましたが、中国への思いは、私たち以上の世代には少し深すぎるのかもしれません。
中国人が持つ反日感情と同じ、日本人の反中感情こそが問題ではないかとさえ思いました。
人は自分の思いで相手を理解します。
相手に自分を見てしまうわけです。
今回は、食問題もさることながら、そんなことを感じました。

大森さんからはフードシステムの基本構造が逆ピラミッドになっていることに問題意識をお持ちです。
昔は、農水畜産の上に、食品加工があり外食があったのに、いまは外食・中食の下に農水畜産が置かれている。
つまり価格設定のベクトルが反転しているわけです。
農水畜産が業とした成り立ちにくくなっているわけです。
まさに2つの価格方程式の問題です。
こうした大きな経済や社会の構造変化が日本の社会の不安定化をもたらしているのだと思います。
その問題を考えずに、食の自立などあろうはずがありません。
またブログで書いてみたいテーマです。

■とても幸せな週末(2008年6月7日)
近くの家電量販店コジマにいま話題のWiiを購入に行きました。
入り口でコジマのカードチェックをしたら「大当たり」です。
ガソリン代還元と言うのです。
もっともよくみたら1リットル分、つまり170円割引券でした。
それでも何だか気分が良かったのですが、肝心のお目当てのWii Fit がありませんでした。
仕方がないので隣のヤマダ電機で購入しましたので、せっかくの大当たり券は使えませんでした。
得をしたのでしょうか、損をしたのでしょうか。
喜ぶべきでしょうか残念がるべきでしょうか。

今週の週末も、極めて平凡な暮らしでした。
それに、娘たちが私の大好物のたけのこ料理をしてくれたので、満足な1週間でした。
庶民の幸せは、170円の割引や300円の筍でもたらされるのです。
それでも中国やミャンマーの人たちにとっては望外な幸せなのでしょう。
それを自覚しなければいけないとしみじみ思いました。

国内の状況は相変わらずで、私憤をブログに書いたら案の定読者から手厳しく批判れました
どうも私自身が、自堕落になっているようです。
反省しなければいけません。

(2008年5月第4週)
時間の経過がすごく早いです。
あっという間にもう5月。
最近は本当に何もしていないのに時間だけがどんどん経過します。
10年前に比べて、活動密度は半減どころか、1/5くらいでしょうか。
しかし反対側からみれば、つまり余裕密度からみれば、5倍かもしれません。
■福島でCWSコモンズの読者に会いました(2008年5月26日)
■久しぶりに山口県の東さんとゆっくり話しました(2008年5月27日)
■パウサニアス・ジャパンをご存知ですか(2008年5月27日)
■会社の税務申告を自分でやってみました(2008年5月28日)
■悪ガキが突然やってきて珈琲だけ飲んでいきました(2008年5月28日)
■KAE経営道フォーラム43期がスタートしました(2008年5月30日)
■1日遅れの誕生日(2008年5月31日)

■福島でCWSコモンズの読者に会いました(2008年5月26日)
今週も福島の自治研修センターに「ソーシャル・アントレプレナーシップの勧め」の話をしに行きました。
先週は雲で見えなかった安達太良山がきれいに見えました。
空はきれいではありませんでしたが、安達太良山を見るとどうしても感傷的になってしまいます。

私の次に講演されるのが坂口さんなのですが、坂口さんのセッションでは先進的な事例の発表が行われます。
それ毎回、その人を私に引き合わせてくれるのですが、今回の事例発表者は南会津町の遠藤さんでした。
南会津といえば、伊南村もその一角です。
南会津には知人が嫁いでいますが、ともかくいいところだと聞いています。

ところで、翌日、遠藤さんからメールが届きました。

実は、まちづくりの関係でHPの検索をしていたところ、CWSコモンズのHPを見つけ、以前から拝見させていただいておりました。
頭の中にCWSコモンズというキーワードで入っていたので、坂口先生にご紹介いただいた際には思い出せなかったのです。
あとで気がついて驚いてしまいました。

私のことを無意識に知っていてくれる人と、偶然にお会いできるのは、奇妙にうれしいです。
もっとも最近のこのサイトは、週間記録も生活日記的になってきており、あまりインフォーマティブではありませんし、
ブログにいたっては、相手かまわずに無礼な発言をしていますので、いささか心配ではあります。
夏になったら少しホームページの内容の充実化を図ろうかと思いますが、
・・・になったらと仮定を置くような決意は、ほぼ間違いなく実行されません。
困ったものですが、まあもうしばらくはこんな状況を続けることになりそうです。

■久しぶりに山口県の東さんとゆっくり話しました(2008年5月27日)
東孝次さんが我孫子まで来てくれました。

東さんは、私の人生に大きな影響を与えてくれた一人なのです。
出会いは私がまだ東レにいた頃です。
会社を辞めて、まちづくりか技術の解読のテーマのいずれかに取り組みたいと思っていました。
技術の分野では何人かの人と研究会を立ち上げました。
まちづくりはまずは自治体の長期構想を把握しようと全国の都道府県に総合計画を送ってもらいました。
確か福井県以外はすべて集まりましたが、読み出したら全く面白くないのです。
それにどこもかしこも似ているのです。
その中で山口県からは総合計画だけではなく、担当の方が調べた全国の総合計画の調査報告書が送られてきました。
そこに手紙がついていました。
担当者は東さんでした。

実は今回東さんに会うまで全く忘れていましたが、東さんが帰った後、突然にそのことを思い出しました。

技術の研究会は、主要メンバーの一人の工技院の人がEUに転勤になり、
また技術関係の雑誌の編集をやっていた人が会社を辞めてしまったため、やめてしまいました。
その一方で、東さんとはつながりは発展しました。
そんなわけで、私のその後は、技術ではなくまちづくりに主軸が置かれ、そこから際限のない広がりがはじまったのです。
東さんにはいろいろとお世話になってきました。
そのことは、今回再会するまで全く失念していたのです。

東さんもいろいろとあって、最近はなかなかお会いできなかったのですが、
今回はわざわざ女房の献花にきてくれたのです。

東さんもそろそろ定年だそうです。
どうもピンと来ませんが、みんなどんどん歳をとるのですね。
それになかなか気付かずに、いろいろなことがまだできるように考えてしまいますが、
私たちは主役の時代を降りたことを自覚しなければいけません。
その自覚があれば、さらにやれることがたくさんありそうです。
東さんは次の夢があるようですが、私も見つけないといけません。

そんなことをいろいろと考えさせられました。

■パウサニアス・ジャパンをご存知ですか(2008年5月27日)
パウサニアス・ジャパンをご存知ですか。
古代ギリシアを愛する人たちの会で、若手研究者がギリシアに調査に行く活動のパトロネージをしています。
今月の15日の日経新聞で少し紹介されました。
そのおかげで、私のところに3人の方から問い合わせがありました。
なぜ私かといえば、このホームページに実はパウサニアス・ジャパンの記事があり、
ネット検索するとこのサイトが出てきてしまうのです。
私はいまは退会してしまっていますので、私のところへの紹介は新しい事務局に転送しています。

この会はとても楽しい会です。
私の同窓生も2人も参加しています。
古代ギリシアに関心のある人、あるいはささやかなパトロネージに関心のある方は、
パウサニアス・ジャパンの窓口にご連絡ください
私の大学時代の友人が担当しています。
パウサニアス・ジャパンのホームページを創ってくれる人も募集しているようです。
創ってやってもいいよと言う人もきっと大歓迎にはずです。
ご照会は次のところをクリックしてください。
余計なお世話でした。はい。
パウサニアス・ジャパン窓口

■会社の税務申告を自分でやってみました(2008年5月28日)
この数年、仕事をあまりやっていないので、私の会社は倒産直前状況が続いています。
最近は誰も給与をもらっていませんので、なんとか倒産は免れていますが、
そんな状況のため、経理関係をやってもらっていた税理士事務所にも費用を払えなくなってしまいました。
会社を辞めることも考えましたが、せっかく、亡き女房と20年近く続けてきた会社ですので、なくすのは忍びがたいものがあります。
それで思い切って、私が自分で経理をまとめ税務申告することにしました。

といっても、特に昨年度は収支ともにあまりなく、たいした作業ではありません。
でも1年分を整理し、確定申告書を作成するのにまる3日かかりました。
業績は4万円程度の黒字でしたが、累積損失が1000万円以上あるので、法人税はゼロでした。
果たしてこれでいいかどうかわからずに心配はあったのですが、今日、本郷税務署に申告に行きました。
混んでいるかと思っていましたがすいていて、ていねいに話も聞いてくれました。

それで今度は電子申告・納税に取り組むことにしました。
連絡調整官なる人が出てきてくれて、説明してくれましたが、一番経済的なのはこの方法ですととても親切です。
それに、もしわからないことがあったら電話してくれればできるだけのことはお手伝いしますといって名刺をくれました。
個人名を出すのを嫌がるのがこれまでの行政でしたので、驚きました。
税務署に行く前は面倒だなと思っていましたが、何だか毎日でも来たくなる感じです。

都税事務所にも行きました。
ここは印鑑を押すのを忘れていた上に、印鑑も持参しませんでしたが、担当者が今回はこれで受理しますといってくれました。
また感激しました。

最近の国政を見ていて、税金を払うことに大きな抵抗を持ち出していたのですが、意見が一変しました。
やはり税金はきちんと納めなければいけません。
まあ、庶民などというのは、私のようにみんな単純なのでしょうね。
窓口の対応一つで、意見がすぐに変ってしまうわけです。
改めて自分の庶民度に自信をもちました。
私も大政翼賛会にいち早く参加するタイプかもしれません。困ったものです。

ところで納税に言ったのですが、お金を持っていくのを忘れてしまいました。
利益がなくても事業税と消費税を払う必要があるのです。
さてどうやって工面するか。
また娘からお金を借りなければいけません。
困ったものです。

しかし、零細企業の経営者は実に面白いです。
今年はしっかりと仕事をして、娘を見返してやるつもりです。
私の考えにあって、時間をかけずに3億円くらい稼げる仕事はないでしょうか。
あったら教えてください。
検討させてもらいます。はい。

■悪ガキが突然やってきて珈琲だけ飲んでいきました(2008年5月28日)
少しずつ仕事を再開しようと思っていますが、そうそう簡単に仕事に出会えるわけではありません。
この歳になると、なによりも納得できる仕事でないと貴重な時間を割く意味がありません。
それでもいろいろな人が仕事の相談に来るようになりました。
いや仕事の相談と言うよりも、その一歩手前かもしれません。
何しろ、基本的には仕事をしたくないと思っていますので、相手もそれを察知してしまうのでしょう。
仕事になる一歩前でお互いに引いてしまうことも少なくありません。

今日はブランディングやコンセプトデザインに関する件で、ある人が相談に来ました。
以前私自身も少し興味を持った種類のプロジェクトなのと、
日本発のコンセプトを大切にしたいということなので少し関わろうかと思っています。
仕事までコミットするかどうかはもう少し様子をみたいと思っています。
コミットしてしまうと後に引けなくなる恐れもありますから。

ところが、その打ち合わせをしていたら、突然、チャイムがなって来客がありました。
小学校時代の同級生の元悪ガキです。
湯島で講演をしてきたのだが、珈琲を飲みに来たというのです。
「珈琲を飲みに来た」
今の私には一番響きの良い言葉なのです。
仕事関係の来客がいるのに、ついついその人と話をしながらも、珈琲をいれてしまいました。
仕事よりも珈琲を飲みに来たお客様のほうが大事であることは言うまでもありません。
困ったものです。

そんなわけで、今回の仕事はうまく行かないかもしれませんが、珈琲は美味しかったといって彼は帰っていきました。
彼の名前は杉山幸一。
本当は私を慰めに来たのです。
幼馴染は本当にありがたいものです。

■KAE経営道フォーラム43期がスタートしました(2008年5月30日)
企業の経営幹部の研究活動である経営道フォーラムの43期の始まりの合宿に参加しました。
メンバー一人ひとりから関心事を聞きました。
この数回とはちょっとまた変化を感じました。
個人よりも組織の文化や理念のほうに議論が行きそうです。
今回も2チームを担当しますが、それぞれがどういうテーマを選ぶか楽しみです。

この活動を20年ほどしていますが、企業の経営幹部の言動を通して、企業の変化や現実がかなり見えてきます。
それに関しても、今回は微妙な変化を感じました。
良い意味でも悪い意味でも流れが少し反転しつつあるという印象です。
たまたまそう感じただけかもしれませんが、第一印象は正しいことが少なくありません。
大企業はようやく解体の時代に入りだしたような気がします。
私が予感してから20年経ってしまいましたが。

懇親会で最近のIBMの組織構造の話が出ました。
思っていた以上に「進化」しているのに驚きました。
まさに近代組織原理の延長での「進化」です。
これでは日本文化に基づく企業は勝てないはずです。

また最近報じられている、ファンド株主によるアデランスの役員拒否に関する質問を受けました。
ファンドの勢いは弱まり、M&Aブームは終焉しつつあるという意見もありますが、その手口はますます巧妙になるような気もします。
未上場の日本の老舗企業も、これからはファンドの餌食のターゲットになっていくのではないかと答えました。
日本の経営陣は、あまりに無防備で主体性がありません。
金銭に勝つには、文化しかありません。
その秘訣の一つは、日本の老舗企業の経営の中に秘められているように思います。
それに気づくのはいつでしょうか。

■1日遅れの誕生日
(2008年5月31日)
ブログには書いたのですが、昨日、私も67歳になりました。
今日は出張で立ち寄った湯河原に宿泊するつもりでしたが、外の景色を見ているうちに気が変わって、帰宅してしまいました。
そうしたら娘たちが、それなりの用意をしてくれていました。
たぶん宿泊せずに帰宅するだろうと思っていたらしいです。
娘たちにはすべて見透かされているようです。
自分を一番知っているのは自分だと思ってはいけないことをいつも思い知らされます。
娘たちとケーキを食べながらの、1日遅れの誕生日でした。
もっともっと素直にならなければいけません。

63歳までに本を1冊だけ書きたいと思っていました。
実現しないまま67歳。
70歳まで時間を延ばすか、来世に持ち越すか、迷っています。

(2008年5月第3週)
血圧のせいか、あんまり体調が良くありません。
降圧剤を飲もうかと思いますが、どうもクリニックに行けずにいます。
困ったものです。
■地域経営の担い手(2008年5月19日)
■「金融権力」を読みました(2008年5月20日)
■同じ風景からも見えるものは違います(2008年5月21日)
■ソーシャル・キャピタルの大守隆さんと久しぶりにお会いしました(2008年5月22日)
■共済と保険の違い(2008年5月23日)

■地域経営の担い手(2008年5月19日)
福島の自治研修センターに恒例の職員研修の講演に行きました。
「地域経営の担い手を目指して ソーシャルアントレプレナーシップの勧め」です。
県と市町村の職員の皆さんが対象ですが、
私の話を毎年、プログラムに組み込んでくれる福島の研修センターの人に感謝しなければいけません。
現状の行政のあり方にはかなり批判的ですし、
演題からわかるとおり「研修」というよりも「アジテーション」なのですから。

しかし、もし自治体職員の人が社会起業家になろうと思ったら、そう難しいことでは在りませんし、
もしなったらかなりのことが出来るはずなのです。
各自治体で、市民活動支援課的なものが増えてきていますが、
住民を支援する前に、先ず自分が住民として活動したほうがいいと私は思っています。
「支援」と発想している限り、どうしても目線が高くなるのです。

自治体職員こそ、地域経営の担い手になれるのです。
自治体は執行機関や運営機関から、経営機関に変っていかねばなりません。
同時に住民との関係を根本から変えていくべきでしょう。
そうした視点をぜひ持ってもらいたいと思い、この数年、福島に通っていますが、
なかなか受講生との直接的、継続的な関係が構築できず残念です。
でもきっと誰かが動き出してくれているだろうと確信しています。
来週もまた行く予定です。

■「金融権力」を読みました(2008年5月20日)
昨日の福島の往復で、岩波新書の「金融権力」を読みました。
ブログでも書きましたが、実に納得できる本でした。

私のこの20年の疑問や憤りに、真正面から応えてくれる本でした。
金融関係者が跋扈する現在の日本社会に嫌気をさしているのですが、
ノーベル経済学賞にまで切り込んでくれているのでとてもすっきりしました。
金融工学がのさばっている現在の経済は、かつての「経世済民」の理念など、これっぽっちもありません。
しかも企業(財界)も政治も、傘下に組み込み、その担い手を金銭で隷属させています。
それに立ち向かえば、圧殺されてしまうわけです。
まさに「金融という構造的暴力」が社会を覆いだしました。
国家さえも、今やそのサブシステムになってしまったのかもしれません。
となると、私の国家間も変えなければいけません。

それにしても、政治家や日本経団連の人たちに本書を読んでほしいものです。
わずかでも知性があれば、いまのような言動は恥ずかしくなるでしょう。
もっとも、実はこう考える私のほうが、知性が全くなくて、考えが間違っていることもありえます。
もしそうならば、言動を恥ずべきはわたしのほうということになります。
しかし、にもかかわらず、この本を皆さんにお薦めしたいです。

珈琲2杯分で買えますので、ぜひ読んでください。
なぜ郵政は民営化されたのか、後期高齢者医療制度がでてきたのかもよくわかります。
格差社会の持つ意味も、です。
人間はもはや不要な存在になってきたのかもしれません。

■同じ風景からも見えるものは違います(2008年5月21日)
エスクの名木純子さんから久しぶりのメールです。
私よりもわずかばかり先輩ですが、その活躍ぶりは見事で、おそらく日本の社会起業家の先駆者の一人です。
メールには四川省の地震の話が書かれていました。
その報道に接して、名木さんのアクション・モチベーションが動き出したようです。
その話はまたいつか書くことになると思いますが、今日はそのメールから受けた大きなインパクトです。

同じ風景や報道に接していても、人はそれぞれに違う情報を受け取っているということを痛感させられました。
そして、行動の人と観察の人とはこんなにも発想が違うのかということも思い知らされました。
所詮は私は観察者でしかないではないかという自責の念もあります。
人はそれぞれ得手不得手がありますから、時に観察者や批判者、共感者になることを否定はしませんが、
地震があったといってすぐに飛び出せる人には頭がさがります。
もちろん「すぐ飛び出す」というには、なにも現地に行くということではありません。
行動を起こすということです。

最近、女房がいなくなったことを口実に怠惰に甘んじている自分に気付くことがあります。
そんなに急ぐことはない、ということで自己納得していますが、平たく言えば、ただ怠惰になっただけかもしれません。
かつてのフットワークを回復しなければいけません。
近いうちに、名木さんにお会いしようと思います。

■ソーシャル・キャピタルの大守隆さんと久しぶりにお会いしました(2008年5月22日)
久しぶりに大守さんが訪ねてきてくれました。
3年ぶりくらいでしょうか。
大守さんといえば、ソーシャル・キャピタルを思い出します。
大守さんのおかげで、私も専門家による会議に参加させてもらったことがありますが、
残念ながら2年ほど前に大守さんは金融の世界に転進しました。
きっとそこでさまざまな気づきを得たことだと思いますが、
いつかそのあたりをじっくりとお聞きしたいと思っていました。
それに2日前に「金融権力」を読んだばかりなので、いかにも絶好のタイミングでした。
しかし、今回は久しぶりのことでもあり、
また私の発想はあまりにも現在の標準から外れてしまっているようなので、深い質問は控えました。

ソーシャル・キャピタル論は、相変わらず現在の経済パラダイムの中で語られがちです。
それはソーシャル・アントレプレナー論についても同様です。
そうではない、新しい枠組みでの議論をいつかしたいと思っていますが、なかなかそういう場がないのが残念です。

大守さんは、またいろいろ新しいことを考えているようです。
これからの活躍が楽しみです。

■共済と保険の違い(2008年5月23日)
後期高齢者保険制度への批判の根底には、人間観の違いがあります。
制度をどう設計するかの話ではなく、共産党の小池さんたちが言うように、哲学の問題なのです。
そこを理解しない限り、話し合いなどできるはずが無いように思います。

同じような問題は他にもたくさんあります。
郵政民営化もそうでしたし、市町村合併もそうです。
議論すべき次元が違うために、議論が成りたたないことは少なくありません。
もしかしたら、共済と保険もそうしたことの一つかもしれません。
NPOバンクと貸金業も同じかもしれませんが、最近の日本の制度議論は、手続き論だけで理念論が不在です。
時代の変わり目に大切なのは理念だと思いますが、多くの人はそこには関心はありません。
いや理解できないのかもしれません。
日本の都会人の知的方向は、全く違った方向に向いているからです。
まともな議論が出来る人は首都圏にはほとんどいなくなりました。
地方にはたくさんいると思いますが。

共済研究会の佐々木さんが訪ねてきてくれました。
佐々木さんは、昨今の状況に危機感を持ち、根本的なところから議論していかねばいけないという姿勢を持ち続けています。
以前、何回か書いたように、いま、日本では自主共済の仕組みの継続が難しくなっています。
保険法の改正で、かつての「結い」の理念に立っている支え合いの仕組みまでが壊されそうになっています。
これに関しては、ぜひ、「共済の今日と未来を考える懇話会」のサイトを読んでください。

最近、「金融権力」を読んでから、保険法の改正の意味が以前よりはっきりと理解できたのですが、
まさに日本の文化が危機に瀕しているのかもしれません。
関心を持ちながらも、この1年、何もしていませんでした。
佐々木さんと話していて、やはり動かないとだめだと反省しました。

しかし、取り組むべきことが、どうしてこうも多いのでしょうか。
それを思うと動き出す前からつぶれそうな気がしてきます。
あるいは、それを口実に、どれもこれも中途半端に対応してしまう悪い癖が出てきそうで心配です。

佐々木さんがお元気そうだったので、とてもうれしかったです。

(2008年5月第2週)
怠惰な1週間でした。
テレビで映画ばかり観ていました。
それも既に観た映画ばかりです。
気分がなぜか内向しだしています。
困ったものです。
外部との接点のあった活動を2つだけ書きます。
■今回の経営道フォーラムの発表テーマは「本気」と「愛」(2008年5月13日)
■日本財団の助成事業をどう評価するか(2008年5月16日)

■今回の経営道フォーラムの発表テーマは「本気」と「愛」(2008年5月13日)
何回かご紹介した経営道フォーラム42期生の発表会が椿山荘で開催されました。
今回のキーワードは「本気」と「愛」でしたが、とても刺激的な発表になりました。
実践論としての本気と企業論としての愛は、私にとってもとても共感できることです。
四半世紀前に東レで取り組んだ企業文化変革プロジェクトは、まさにその2つがテーマでしたから。
残念ながら当時は挫折してしまいましたが、今ならもう少しうまく展開できたはずです。
時代がそういう文化を広げてきてくれていますので。

最後にこの2つのテーマをつなぐ話を少しさせてもらいました。
キーワードは「心理主義の罠」と「アフォーダンス」です。
企業文化のアフォーダビリティについて、10年ほど前に「保育園の未来経営」で書いた時には、
この考え方は経営の世界で広がっていくだろうと思っていたのですが、
その後全くといっていいほど使われることはありませんでした。
しかし、今でもこの視点を入れれば、企業は元気になるはずだと思っています。
最近、会社の経営コンサルティングの仕事(これが一応は本業なのですが)に出会えないのが残念です。
どこか本気でとりくむ会社はないでしょうか。
企業は、そこで働く人たちに何がアフォード(提供)できるかという意味でのアフォーダビリティを豊かにしていけば、おのずと業績は上がるはずです。
それは福祉の世界でもいえることです。
福祉施設の設計で大切なことは、その施設空間が持っているアフォーダビリティを高めることです。
そうした視点で考えると、いろいろな気づきがあるはずです。

そういえば、2年半前に、東レ経営研究所の「経営センサー」に頼まれて、「戦略経営資源としての企業文化をどう設計するか」という小論を書いたことがあります。
そこでも言及しましたが、その小論はカタカナ言葉が多すぎると不評でした。

やはり「アフォーダビリティ」という言葉は広がりませんかね。
よかったら小論も読んでみてください。

ちなみに今回の発表はいずれも発展性がありますので、ぜひそれぞれのチームでの議論を継続していってほしいと思っています。

■日本財団の助成事業をどう評価するか(2008年5月16日)
この半年、日本財団の助成事業評価のプロジェクトにちょっと関わってきました。
私がイニシアティブをとれるプロジェクトではなかったので、これまで一切、ここでは言及しませんでしたが、
評価結果もまとまり報告会も行われましたので、少しだけ書いておきたいと思います。

今回、日本財団のことを少し勉強させてもらい、認識を新たにしたことが少なくありませんでした。
笹川良一さんという人への見方は全く変りましたし、
現在の会長である笹川陽平さんのお人柄にも少しだけ触れさせてもらいました。
日本財団は毎年300億円以上の資金助成を行っています。
日本では最大規模の助成予算だと思いますが、法的な制約やこれまでの経緯の中で、
助成先に関しては必ずしもフリーハンドではありませんが、時代の動きに合わせて、柔軟に、そして誠実に取り組んでいます。
その助成の実態は、ほぼ完全にホームページでも公開しています。
そのミッションは、「民の公」を育てていきたいというところに置いているようです。
しかし、残念ながらそうした日本財団の基本姿勢や思い、
さらには助成制度そのものが必ずしも社会に広く伝わっているわけではありません。
それが残念だとかねがね思っていたので、今回は自分の仕事でもないのに協力させてもらったわけです。
たくさんの気づきや刺激をもらいました。

私も数年、コムケア活動の中で資金助成プログラムの事務局をやってきました。
ですからその価値も問題もある程度わかっているつもりですが、口で言うほど、その展開は簡単ではありません。
私にはせいぜい3億円程度の資金が限度ですが、その100倍以上の資金を扱うことの難しさを改めて思い知らされた気もします。
しかし、日本財団の活動はもっと周知されてもいいように思います。
広く知られれば知られるほど、助成資金は効果的に活用されるようになるはずです。
日本財団の目指すべき社会像(ビジョン)は「誰もが誇りを持ち暮らすことができる社会」です。
そこに込められた意味も深いのですが、
それも含めて、そういうビジョンに向けての活動に取り組まれている方は、
ぜひ日本財団のホームページをご覧になって、資金の効果的な活用に協力してやってください。

私がこんなことをいうのもなんですが、制度やお金は社会が効果的に活用しない限り、
逆に作用することのほうが多いことを、この頃、痛感しているものですから。

(2008年5月第1週)
今週は言語に問題とよく出会いました。
そのことを中心に書きました。
■つぼみとふふむ(2008年5月5日)
■若者たちの幸せ度(2008年5月6日)
■サヌキとアワ(2008年5月7日)
■大人たちの不幸度(2008年5月8日)
■音と意味との縁起(2008年5月9日)
■地震の頻発(2008年5月9日)

■つぼみとふふむ(2008年5月5日)
ブログにも書きましたが、昭和女子大で上代文学を教えている升田さんが節子の献花に来てくれました。
彼女は、私の小学校時代のクラスメイトで、湯島のサロンで節子も会っています。
節子の好きな真紅のバラを持ってきてくれました。

升田さんとの会話で、いろいろな話が出ましたが、刺激を受けた話の中から一つだけ紹介しておきます。
上代日本語とそれ以後の日本語には断層があると升田さんはいいます。
たとえば、花のつぼみですが、上代日本語には「つぼみ」という文字は出てこずに「ふふむ」という言葉が使われるのだそうです。
「つぼむ」は求心的で完結的な言語ですが、「ふふむ」は包摂的で動きを感じさせる言語です、
「ふふむ」は「含む」で、「きざしを示す」意があるようです。
岩波の古語辞典によれば、花がまだ開ききらない様子をさすようですが、未来に向けての可能性を含意しており、時間のベクトルはまさに前向きです。
一方「つぼむ」は、開いていた花がしぼむ意味もあり、時間の流れは双方向ですが、求心的な閉鎖性を感じます。
いずれにしろ、古代日本人の時空間の捉え方が象徴されているように思います。

何かを言葉にする際に、時間軸のどちらから見るかで全く違う世界が現れます。
言葉と時間軸の問題は面白そうです。
と思って、ヴィトゲンシュタインを専門にされている同じ昭和女子大の井原さんにメールしたら、さらに面白い話が届きました。
言葉の持つサブリミナリー効果のような話です。
面白い話は世の中には山ほどあることがわかります。

言葉と時間軸の話は、いつかブログで書きたいと思います。
連休の最後になって、大きな刺激をもらいました。

■若者たちの幸せ度(2008年5月6日)
淑徳大学の清水教授に頼まれて、学生に話をすることになりました。
与えられた演題は、
「なぜ大企業の社長も、役所の人も福祉団体の人も、佐藤さんの所に相談に来るのですか?」。

ちょっと大仰なテーマです。
最近はオフィスにもそう行っていないし、それに大会社の社長は最近来ていないから話にくいなと思っていたら、
なんと頼まれた直後に突然、テレビなどでもCMをしている大会社の社長が湯島のオフィスに相談にやってきました。
そして次の週には行政職員もやってきました。
なにやら不思議な気がして、これは偶然ではないなと思ってしまい、連休最後の日だというのに出かけていきました。
200人の会場で、出席者は実に多様です。
手ぶらでやってくる学生が多いのに少し驚きましたが、その服装にも感心しました。
どこかの公園でヒップホップを踊っているような若者も少なくありません。
帰り際に、どこで踊ってるのと訊いたら、ダンスはしていませんといわれました。
シャーロック・ホームズの真似をしてはいけません。

話の中で、学生たちにみんな今の生活に満足している、と質問したら、1割くらいの学生が手を挙げました。
驚きました。少なさにではなく、多さに、です。
たしかにみんな幸せそうです。
今は学生が一番幸せな時代なのかもしれません。

1時間の話を終えたら、後ろの男性グループから拍手と口笛の挨拶がありました。
しかし質問は出ませんでした。
教室で講演するのではなく、こういう若者たちと座を組んで話をしたいものです。
大学の教室の仕組みは、学びの空間ではなく教え込みの空間でしかありません。
しかし、こうした若者たちと毎日触れ合える大学の先生はうらやましいですね。

ずれ落ちそうなズボンと奇妙な頭髪の学生たちは、出て行く時に、ありがとうございました、と声をかけてくれました。
まじめなのでしょうね。
しかしその服装や歩き方は、とてもまじめさや素直さは感じられません。
退屈な話をせずに、みんなを刺激して、湯島のオフィスに誘えばよかったと反省しました。
学生への礼儀だと考えて、背広を着ていったのも間違いだったかもしれません。
背広とネクタイの老人など、若者が信頼するはずがありません。
そうした人たちが、社会を壊してきたのですから。

しかし200人近い学生を見ていて思ったのは、まだみんな幸せそうだなということでした。
問題は大学を出てからです。

■サヌキとアワ(2008年5月7日)
椎原正昭さんといえば、知る人ぞ知る人で、ネットで調べても面白い記事がいろいろと出てきます。
椎原さんのプロジェクトはいつも大構想で、ついていくのが大変でしたが、いつも実に魅力的でした。
そのパートナーが、椎原澄さんです。
正昭さんは、一昨年、彼岸に旅立ちましたが、此岸にいる時からかなりの部分は彼岸に入っていた人でした。
それができたのは、私の考えでは、澄さんの存在でした。

2人ともカタカムナ文明に通じていました。
その話をしたことは一度もありませんが、2人がそこに通じていることは付き合っているとすぐわかりました。
椎原さん夫妻との話は、不思議な話も危うい話もいろいろありますが、
それはともかくお互いにかけがえのないパートナーを見送ってしまったことを知ったのは今年になってからです。
時々、メールでは交流していましたが、今日、久しぶりに再会しました。

澄さんは、いま、コーチングの仕事に取り組んでいます。
念のために言えば、昨今の技法的なコーチングではありません。
もっとスピリチュアルな、コーチングです。
メールを活用しての澄さんならではの実績もあげはじめているようです。
関心のある方は、まだ出来つつある段階の、ホームページをご覧ください。
このホームページともリンクしています。

私自身は最近のコーチングとかカウンセリングにどうも違和感があります。
日本の文化の中で培われてきたもののほうに、もっと深いものがあるはずだと思っています。
そんな話をしていたら、話が一挙に、カタカムナの「サヌキ」と「アワ」にとんでしまいました。
これはブログに書きましたが、澄さんは、これを切り口にしたら社会は変わるのではないかと考えているようです。

カタカムナのことなど、もう10年以上、全く忘れていたのですが、今年になってこれが話題になったのは2度目です。
最初は前に書いた濱口昭宏さんです。
この時もまさかの話題でした。
深入りは避け、イヤシロチどまりでしたが、今回は「サヌキ」と「アワ」です。
そういえば、5日に書いた升田さんとの上代文学も、もしかしたら繋がっています。
また危うい世界に呼び込まれそうです。
言葉には魔力があります。
さてどうなりますか。

■大人たちの不幸度(2008年5月8日)
このサイトに国家論を掲載してくれている武田さんが、私のブログの時評には辺見さんの主張と似ているものがあるというのです。
前にも書きましたが、私も一度、辺見さんの本を読んで感動したことがあります。
しかし、それで終わってしまっていました。
私は書くのは好きなのですが、他の人の評論を読むのは好きではないのです。
武田さんからは、以前も辺見さんの本を勧められました。
その時は、読むといいながら読まなかったのですが、
今回は武田さんが全く同じだよと言うので、いささかムッとして読む気になりました。
連休に出かける予定を直前にやめてしまい、怠惰に過ごしていたので、せめて本くらい読もうと思ったこともあります。

読み出したのは、実は5日です。
読み出した途端に、背筋が伸びました。
辺見庸さんというのは、すごい人ですね。
読んでいて、ため息が出ました。
主張は全くと言っていいほど、共感できます。
こういう人が書いているのであれば、中途半端な私の時評などやめたほうがいいなと思うほどでした。
でもまあ、私のは書くために書いているのですから、やめはしませんが。

今日、5冊目を読みおえました。
最初は私と同じだと思って快く読んでいましたが、読み進めていくうちに違うことがわかってきました。
辺見さんは大きなビジョンを持って本気で書いているのに対して、私のは日和見的に気楽に書いている違いです。
一見似たようなものもありますが、読み込んでいくと全く違います。
本物と偽物の違いのような気がしてきて、いささかしょげてしまいました。
と同時に、扇動された気分にもなっています。
この不幸な時代に、やはり大切なことは「撃つこと」です。
「撃つこと」は若者には幸せでも、大人には不幸なことです。
しかし、幸せを偽装していてはいけないことを思い出しました。
問題は誰を撃つかです。
もしかしたら相手を間違えていたかもしれません。
辺見さんのように、もっと自らを撃たねばいけません。

そう思って、これまでブログに書いたことをいろいろと思い出すと冷や汗が出てきます。
武田さんが指摘したことは、もしかしたらそういうことだったのでしょうか。

■音と意味との縁起(2008年5月9日)
つぼみとふふむのところで、昭和女子大の井原さんのことに言及しました。
井原さんが送ってくれた小論がずっと気になっています。
その小論は未発表のものですので、ここで紹介は出来ませんが、勝手に一つだけ「思わせぶり」に紹介します。
井原さんも許してくれるでしょう。

ひさかたの 光のどけき 春の日に 静心なく 花の散るらむ 

古今集に出てくる紀友則の歌です。
この歌には、「深層心理における音と意味との縁起」が込められている、と井原さんは言うのです。
この歌を口に出して5回程度読んでみてください。
この歌に込められた、サブリミナルなメッセージを感じられるかもしれません。
特に最初の3句のところです。
なにか具体的な映像が浮かんできませんか。
ちなみに私は何回も試しましたが、ダメでした。
というか、井原さんの小論を読んでしまっていたので、逆に反作用してしまったのかもしれません。
不自然に浮かびすぎるのです。

なにか感じた人はぜひ私にメールくれませんか。
サヌキとアワもそうですが、言語の持つメッセージは私たちの思考を規定しているのかもしれません。
辺見庸さんの評論を読んでいても、言語の大きな力を感じます。
自らに続いて撃つべきは、現代の言語かもしれません。

■地震の頻発(2008年5月9日)
地元の我孫子周辺で、昨日から地震が頻発しています。
震源地は茨城県や千葉県北西部ですが、我孫子もかなり揺れます。
地震は地球の怒りでしょうか。
もしそうならばいっそソドムとゴムラのように、この醜悪な世界を一掃してほしいという気分もないわけではありません。
その醜悪さに、自分もまた加担しているかと思うと気が沈みます。
辺見さんの作品を読んだせいかもしれませんが、どうも厭世的な気分が強まっています。
困ったものです。
最近、メールがあまり書けなくなってきているのです。
特にメーリングリストへの投稿ができなくなっています。
困ったものです。

(2008年4月第5週)
今週は身辺整理に終わりました。
仕事関係の資料類は思い切って処分しました。
寂しいようなすっきりしたような、奇妙な気分です。

残しておくべき記録は皆無です。

(2008年4月第4週)
2週間、書き込みを休んでしまいました。
先週は、箱根での経営道フォーラムの合宿などいろいろ書いたのですが、書いたものを紛失してしまいました。
記録を再現しようかと思ったのですが、今週はいろいろあったので、再現はやめました。
今週の舞台の大半は、福岡です。
■インキュベーションハウスの再出発(2008年4月21日)
■松戸市の市民活動(2008年4月21日)
■西川さんに福岡を案内してもらいました(2008年4月22日)
■2人の女性インキュベーター(2008年4月22日)
■観世音寺の宝蔵での30分(2008年4月23日)
■久留米絣の伝統文化を守っている加野而青堂もめんや(2008年4月23日)
■篠栗大日寺での祈祷体験(2008年4月23日)
■西日本新聞社の杉尾さんは健在でした(2008年4月23日)
■住民みんなで育てる新しい地域公共交通交流システム構想(2008年4月25日)

■インキュベーションハウスの再出発(2008年4月21日)
インキュベーションハウスの総寄り合いです。
6年もやっていますが、動きが出てきません。
そんな状況の中で考えが分かれだし、結局、3人のメンバーが辞めることになりました。
ビジネスだけの企業ではなく、いざとなった時の拠り所としての企業を目指しているのですが、なかなか理念の共有は難しいです。
体制を立て直しての再出発ですが、主旨に共感してくれる人がいたらぜひ仲間になってください。
参加しても経済的なメリットはほぼ皆無ですが。

■松戸市の市民活動(2008年4月21日)
松戸市が協働のまちづくり条例をつくりました。
市民活動支援の助成制度なども展開しているのですが、
なかなか住民には周知されないようで、その周知もかねてフォーラムをやることになりました。
そこで話をしてくれないかと、市役所のお2人が相談に来ました。
講演はうまくないし嫌いですと言ったのですが、知人の紹介でしたのでともかく会うことにしました。
会えば引き受けかねないなという心配はあったのですが、まさにそうなってしまいました。
やはり私には、断る能力が欠けています。
しかし、いろいろと聞いてみると、松戸市の構想はなかなかのものなのです。
「協働」という言葉を使っているのが気になりますが、広がりを感じます。
やはり直接会ってしまうと、どうも「良い点」ばかりを見てしまう私の習癖がでてしまい、その気になってしまいました。
また講演日が近づくと後悔するのはわかりきっているのですが。

■西川さんに福岡を案内してもらいました(2008年4月22日)
久しぶりに福岡に行きました。
目的の一つはハーモニカの西川さんに会うことです。
西川さんは空港まで迎えにきてくれていました。
メールなどで西川さんの体調をちょっと心配していたのですが、いつもの「あの西川さん」でした。

食事の後、西川さんが二日町温泉にある武蔵寺に行こうと言い出しました。
1300年の歴史を持つ、九州最古の寺だそうです。
寺の入り口の立て札によると、藤原鎌足の子孫、藤原虎麿の創建だそうですが、
虎麿は初代の大宰帥蘇我日向と同一人物ではないかともいわれているそうです。
蘇我日向といえば、蘇我石川麻呂の弟で、天智天皇に取り入って石川麻呂を自害させた人物です。
その後、大宰帥になったという話は聞いていましたが、九州最古の寺もまた蘇我氏の建立なのかと知って驚きました。

筑紫野市なども西川さんからいろいろと案内してもらいましたが、
子どもたちやお母さんたちでにぎわっている公園がありました。
こんな風景は昔はなかったと西川さんがつぶやきました。
私は西川さんがこれまで取り組んできたことをきちんと聞いたことがないのですが、今回、かなり理解できました。
西川さんは言葉ではあまり説明しませんでしたが、実物で体感させてくれたのです。
西川さんの強さの拠り所もわかったような気がします。

最後に寄ったのが九州大学芸術工学部(たぶん)の学食でした。
面白いエピソードをいろいろと聞きましたが、あんまり正確に覚えていないので、書くのはやめます。
学食のたぶんオーナーご夫妻から果物までご馳走になりました。
そこでお会いしたのが、UAPふくろうの会代表の園田高明さんです。
たしかケミストと聞いたような気もしますが、話は不思議アートのぞき箱と観世音寺でした。
これまた書き出すときりがないのでサイトだけを紹介しておきます。
いつかまた会うことがあるでしょう。

それにしても、西川さんは不思議な人です。

■2人の女性インキュベーター(2008年4月22日)
権藤説子さんから会わせたい人がいると電話をもらいました。
夕食は西川さんの手づくり料理コースが予定されていたのですが、無理をいってこちらにコース変更してしまいました。
何しろ相談にはめっぽう弱く、断れないタイプですので。
それに権藤さんのことがずっと気になっていました。

権藤さんは20年ほど前に突然湯島の私のオフィスに来た方です。
以来、いろいろあって、福岡に来た時にお会いしたりしていました。
最初の相談がなんだったか全く忘れていましたが、今回、お話を聞いて思い出しました。
権藤さんにとっては大事件だったようです。
私も少しは人の役にたっているようです。
権藤さんは今では20人のスタッフをかかえる大きな税理会計事務所を主宰し、さまざまな活動を展開しています。

権藤さんが引き合わせてくれたのが、松山ちあきさんです。
「有限会社かたらんね」を主宰し、北部九州の歴史財産を活かした情報発信事業にとりくもうとしているのです。
一番のテーマは、前原市の「伊都国」です。邪馬台国論議に出てくる伊都国です。
こういう話になるとまた関心がわきあがってしまいます。
その話題ですっかり遅くまで話してしまいました。

ちなみに、権藤さんとの話もかなり衝撃的な話でしたが、その話はもう少し消化するのに時間がかかりそうです。
松山さんとの共通の知人もいることがわかりました。
世間はいつものように狭いです。

■観世音寺の宝蔵での30分(2008年4月23日)
朝、一番で観世音寺に行きました。
最初にこの周辺を歩いた時に、ものすごく懐かしさを感じて以来、福岡に来たらできるだけ寄るようにしています。
時々は団体に邪魔されますが、今回は朝早かったので、30分独占しました。
この宝蔵には5mの巨体の仏像3体を含めて10数体の個性的な仏たちがいるのです。
彼らに取り囲まれて座っていると「どろろ」の最初のシーンを思い出します。
何しろ真ん中にいるのが5mの馬頭観音です。
ブログにも書きましたが、今回は奇妙に静かでした。
みんな反省しているようでした。

■久留米絣の伝統文化を守っている加野而青堂もめんや(2008年4月23日)
今日の目的は大宰府の加野さんにお会いすることです。
そのことはブログで詳しく書きましたので省略し、ここでは加野さんのお店のことを少し書きます。
加野さんは太宰府天満宮の前に、加野而青堂もめんやを開いています。
今年、これまでのお店とは別に重要無形文化財の久留米絣(かすり)とその作り手の職人たちを守るために、新たにその専門店を開きました。
俳優の中尾ご夫妻もファンのようです。
お店の奥に明治時代の絣が掲げられています。
当時は布団カバーだったそうです。
その絣に赤目が入っているのです。

娘の寿恵さんとの出会いが、私たちと加野さんとの縁の始まりですが、
寿恵さんがいつも、職人を守らなければと言っていたのを思い出しました。
彼女が元気だったら、と思うと残念でなりません

加野而青堂のお店は天満宮の参道に面して、3つあります。
もし天満宮をお参りする機会があれば立ち寄ってみてください。
加野さんは、あまりお店にはいないでしょうが。
何しろいろいろな活動をされているようですので。

■篠栗大日寺での祈祷体験(2008年4月23日)
加野さんが節子の話を聞けるからと篠栗にある大日寺に連れて行ってくれました。
加野さんは、そこで時々、娘さんたちと交流しているのです。
大日寺には霊能祈祷で有名な庄崎良清師がいるのです。
テレビで活躍しているような祈祷師は祈祷師などとはいえないタレントでしかありませんが、
そうした世界とは全く違う世界もまだ残っているわけです。

そうした世界に私自身は極力距離を置いてきました。
信じないからではなく、信ずればこそです。
しかし今回は加野さんが相手ですので、断れません。
今週はやけに「断れない話」がでてきますが、大日寺も断れずに同行しました。
しかし連れて行ってもらってよかったです。
その経緯はブログに書きました
雨がはげしく降ったのと、ランの花がたくさんあったのと、蝋燭が大揺れしたのと、そんなことが頭には残っていますが、あんまり深く考える気にはまだなれません。
少し時間がかかりそうです。

ちなみに祈祷師の言葉は録音してきました。
録音してもいいかお訊ねしようと思ったら、加野さんがもしダメなら録音していても録音されないから、録音してもいいですよ、といいました。
なるほどと思いました。
録音はしておきましたが、音が入っているかどうかはわかりません。
まだ確認はしていません。
目の前にレコーダーはありますが、その気になれないのです。
昔から神仏を試すことに大きな抵抗があるのです。
そのくせ試したいといつも思っているのですが。

■西日本新聞社の杉尾さんは健在でした(2008年4月23日)
大日寺から福岡に戻り、少し時間が出来たので、西日本新聞社の論説主幹だった杉尾さんに電話しました。
幸いに連絡がつき、急遽、お会いできました。
いまはいろいろな活動をする傍ら、西日本新聞旅行社の社長をしています。
いや、言い方が反対かもしれませんね。
しかし私も杉尾さんも、そういう思考スタイルという点で共通しています。
杉尾さんに会ったのは、昨日の松山さんの話があったからです。
杉尾さんなら、松山さんの力になれるでしょう。
もっともその話は、「わかった」の一言で終わり、あとはこの数年のお互いの生活の話でした。

大日寺の話をしたら、「科学的な佐藤君が信ずるとはな」といいながら、自分の体験談を話し始めました。
私は昨今の「小さな科学」などにはあんまり信を置いていませんし、論理的な思考の持ち主でもないのですが、杉尾さんからみれば、まだまだ科学的論理的なのでしょう。
杉尾さんのようなジャーナリストは今では少なくなりました。

しかし、どうしてこうも福岡には魅力的な人が多いのでしょうか。
ところで、杉尾さんと別れてから、奇妙な疲労感に襲われダウンしてしまいました。
これもまた不思議な体験でした。
翌日もダウンしていました。

■住民みんなで育てる新しい地域公共交通交流システム構想(2008年4月25日)
今日からまた首都圏生活です。
以前書いたことがある柏の葉ベロタクシー事業構想ですが、少し事情が変わってきました。
その結果、時間が出来たのです。
それにコアメンバーの斎藤さんが本気になりだしました。
それでこれからどうするかの打ち合わせをやりました。

大きな構想という点では少なくとも斎藤さんと私とは合意できました。
住民が共創していく地域公共交通交流システム構想です。
30年ほど前、まだ東レにいた頃、私は地域内の新公共交通システムに興味を持っていましたが、
最近の興味は新公共交流システムです。
新潟のはまなす地域交通研究会の南さんが、交通って移動手段だけではないのですよね、と言ったのが、私の目覚めの契機でした。
ずっとそう思っていたのを、南さんが言葉にしてくれたのです。
以来、地域交通システムとまちづくりとは、私にとっては同義語になりました。
もっといえば、地域福祉もまた同義語です。

斎藤さんがまずは構想のスケッチを書くことになりました。
いよいよこのプロジェクトもスタートです。
千葉県の東葛地域で、こうしたテーマに関心のある方、いないでしょうか。
経済的には3年は引き合いそうもありませんが、苦労はできるかもしれません。

(2008年4月第3週)
週末に合宿で箱根に行った際に持参したメモリーに書いていた原稿をいれていたのですが、
そのメモリーをどこかに忘れてきてしまいました。
悪夢のような話ですが、このホームページの更新記事やブログの原稿、
来週の講演のパワーポイントなど、すべて紛失です。

幸いに私の作成したもの以外は記録されていなかったので、
誰かに迷惑をかけることは無かったのですが、
再現する気力もなく、本の紹介だけは書き直しましたが、
それ以外は今回はパスします。
そんなわけで今週も記録なしです。

(2008年4月第2週)
今週はほとんど自宅で過ごしました。
それでも急に会いたいという人がいたりして、湯島に1度だけ出かけましたが、
ここに書くにはちょっと問題もありますので、書くのを止めます。
そんなわけで、今週の記録はありません。
空白の1週間です。
たまには記録のない週もあっていいでしょう。


(2008年4月第1週)
今週は「このままでいいのか」シリーズです。
■日本のNPOはこのままでいいのか(2008年3月31日)
■日本の裁判はこのままでいいのか(2008年4月2日)
■日本の警察はこのままでいいのか(2008年4月2日)
■日本の企業はこのままでいいのか(2008年4月4日)
■日本の福祉はこのままでいいのか(2008年4月4日)
■日本の原発はこのままでいいのか(2008年4月4日)
■日本の市民セクターはこのままでいいのか:関西コムケアフォーラム(2008年4月5日)

■日本のNPOはこのままでいいのか(2008年3月31日)
日本NPO学会副会長の田中弥生さんがいま、「非営利組織の持続性とイノベーション力」のテーマに取り組んでいます。
田中さんは、最近、日本のNPOセクターに少し違和感を持ち出しているのです。
そして彼女らしく、膨大なデータ解析に取り組み、ますますその危惧の念を強めているようです。

そんなわけで話にやってきました。
私自身は、そもそも日本のNPO法議論の段階から違和感を持っています。
あまりにも現体制にサブシステムとしてしか発想されていない上に、
日本文化として育ってきた「コモンズの発想」から逸脱した、アメリカ経営発想の延長にあると感じていました。
案の定、日本のNPOは金銭至上主義の文化のサブシシテム、もしくは隠れ蓑になってしまいました。
NPO有識者なる人の言説には、この頃、信を置けずにいます。
ですから、田中さんの問題意識とそれへの評価には共感できることが少なくありません。
意見の違いもかなりありますが。

社会起業家論に関しても、意見がかなり一致しました。
私は昨今の社会起業家やコミュニティビジネスには大きな不信感をもっています。
これまでの企業とどこが違うのかです。
関わる人たちの働き方も、これまでと変わっているとは思えません。

ではどうするか。
田中さんはその答の仮説を見つけつつあるようです。
私は25年前に私なりの答を見つけています。
そしてその方向で行動してきたつもりです。
社会的な成果はありませんが、生き方も変えましたし、個人としてはかなり満足した結果になっています。

田中さんは、私が好きにはなれないドラッカーの弟子でもあります。
そしてドラッカーの「非営利組織の評価手法」を翻訳した人ですが、
それがどうもきちんと理解されていないのが不満のようです。
田中さんの研究成果は年内には出版されるでしょうが、どんな提案が出てくるか楽しみです。

気が付いたら2時間半もたっていました。
久しぶりに真剣にNPO論議をしました。
NPO議論は、実は企業論でもあり社会論でもあるのです。
そしていま、大きな岐路にあるように思います。
私にはやっと、という思いですが。

■日本の裁判はこのままでいいのか
(2008年4月2日)
私のブログを見てアプローチしてきたのが山崎一夫さんです。
どこまで書いていいかわかりませんが、山崎さんは大きな問題を抱えています。
どんな問題かは、山崎さんのブログを読んでください。
私が書くと不正確になりますので。
ただそのブログは刺激が多すぎますので、多くの人は引いてしまうでしょう。
犯罪事件にまでつながっているからです。

私のブログには匿名で、しかもアドレスも虚偽のものを使った投稿が時々あります。
自分の連絡先を隠している人には連絡しようがありませんので、最近は受け取り拒否にしていますが、
山崎さんは実名でメールして来ました。
彼のブログに、「とおりがかり」というハンドルネームの人がコメントし、そこに私のブログが紹介されてあったのだそうです。
「とおりがかり」が一体だれなのかわかりませんが、
たぶん私が日本の法曹界を批判しているから、山崎さんに教えたのかもしれません。
山崎さんが抱えている問題は、日本の裁判制度であり、裁判官、検察官、さらには検査審査会なのです。
そうした権威に対して、山崎さんは訴訟を起こし続けているのですが、最近は訴訟すら受理されなくなったのだそうです。
このあたりのことはぜひ山崎さんのブログを読んでください。

日本の裁判は本当に不条理だと思います。
明治時代の司法の思想や枠組みを引きずっていますから、
山崎さんのように司法への期待と信頼が強かった人には、たぶんショックだったのでしょう。
彼はそれに正面から立ち向かおうとしているのですが、私は山崎さんが自分の人生をかけるほどのものではないと思っています。
腐ったものは治りません。新たに創るしかないのです。

お互いに心を開いて本音で話し合えたと思いますが、結論はもちろん出ません。
帰り際の彼の姿は、ちょっと寂しそうでした。
山崎さんに、今の状況をブログではなく、もっと公開の場で話し合える場を創ったらどうかと提案しました。
山崎さんはあまり乗り気ではありませんでした。

山崎さんはとても純粋で素直な誠実な人のように感じました。
そういう人が、今、一番生きにくい社会になっているのかもしれません。
山崎さんの力になれないのが少し残念ですが、
最近は私自身も心身が少し病んできていますので、今回は深入りできそうもありません。
ですから詳しい実態をあまり聞かないようにしています。
でも聞かなくとも事の本質は見えるような気がします。
日本の裁判制度は、このままでいいはずがないと思っています。

山崎さんが犯罪を起こすことのないことを祈っています。
問題提起のために罪を犯すほどの正義感も、この国の法曹界には通じないでしょうから。

今日は、どんな出会いになるか、少し心配でした。
事件に巻き込まれる覚悟までしていましたが、山崎さんは誠実でした。
本名を出している人は、みんな誠実ですね。

■日本の警察はこのままでいいのか(2008年4月2日)
山崎さんに会う前に、私自身が警察官から被疑者扱いをされる事件に遭遇しました。
これに関しては、ブログに書きましたが、そのことと山崎さんの体験を重ねて考えてしまいました。
事件は全く違っていますが、どこかで通じているような気がします。
警察官の無礼な対応には少し腹が立ちましたが、長年、飼いならされた結果、それは直しようがないのでしょう。
彼らもまた被害者なのです。
それはたとえば政治的な異議申し立てのデモに対する警察官たちの姿勢によく現れてきます。
最近、日本ではあまり見られない風景ですが、チベットやミャンマーのデモ鎮圧風景に明確に見えています。
彼らは自らの仲間に向かって牙を向いているのです。

ストーカーや暴力などで相談にはなかなか相談に乗ってくれないことは、今や日常化しているようで、警察は何もしてくれないというのは何となく常識になってしまっています。
これは不幸な話です。
とてもまじめに治安に取り組んでいる警察官もいます。
私にも知りあいがいますし、強い志を持って警察官になった若者も3人知っています。
残念ながら一人は数年にしてやめてしまいましたが。

ブログに書きましたが、人を疑うことを基本にした警察行政は止めるべきだと私は思っています。
拳銃などは持つべきではありません。
このままで、日本の警察は大丈夫でしょうか。
このままだと私たち生活者にとっては、無益有害な存在になるのではないかと不安です。

■日本の企業はこのままでいいのか(2008年4月4日)
今日はKAEの42期生と意見交換しました。
以前も書きましたが、このチームのテーマは「愛」です。
キリスト教の愛、仏教の縁起と無常。
このテーマでの議論をかなり深めているようです。

メンバーの思いの中には、金銭的な利益志向があまりに企業を支配してしまっているのではないかという懸念があるようです。
日本の企業はこのままでいいのかというわけです。
今回の活動の中で、さまざまな概念や言葉に出会い、刺激を受けたようです。
「これからの企業のあり方」などという、月並みな捉え方ではなく、
愛から議論を始めたおかげで、新しい地平が開けたような気がします。
愛について大企業の経営幹部たちがこんなに真剣に議論してきたことには感激しました。
論語や華厳経まで読んだそうです。

発表は5月13日、東京の椿山荘で行いますが、きっと面白い発表になるでしょう。
いや、めちゃめちゃの発表になるかもしれませんが、メンバーはきっと大きな収穫があったと思います。
これからの企業のあり方を決めていくのは、企業の経営に関わるみなさんですから、企業にもきっと大きな影響を与えることになるでしょう。
実に楽しみです。
ちなみに、私は経営とは愛と慈しみであると考えています。
愛を排除した経営など、あろうはずがありません。

■日本の福祉はこのままでいいのか(2008年4月4日)
企業の経営幹部のみなさんと入れ替わりにやってきたのが、
先日、ブックで紹介した「神さまがいっぱい」の著者、武原敢さんです。
カナダの知的障害者の施設で、しばらく暮らしていた若者です。
いまは日本で「つなぐ」というサイトを拠点にして、新しい福祉を模索しています。
すれ違ったのは企業の経営幹部の人たちだと話したら、
そういう人たちはどんなふうに議論しているのか全く想像もできないといいました。
そうでしょうね、想像もつかないでしょう。
逆にいえば、企業のみなさんには福祉の分野で誠実に取り組んでいる人たちの会話は想像もつかないでしょう。

武原さんがなぜこの世界に入りだしたのかをお聞きしました。
そして、ギフトの考え方に関しても話しました。
どんな人も、その存在において、まわりに「ギフト」を与えているわけですが、
カナダのある施設で、顔面の一部だけしか動かせない、寝たきりの人がいたそうです。
その人も周りの人にギフトを贈っていると施設のスタッフから聞かされたが、それが自分には実感できなかたと話してくれました。

これに関しては、面白い本があります。
大阪大学准教授の西村ゆみさんの「交流する身体」です。
いつかブログで紹介したいと思っていますが、武原さんと話していて、それを思い出しました。
人は「あること」で意味を持っているのです。

現在の日本の福祉は、そうした関係性の福祉発想よりも個別問題解決型の福祉発想です。
私が考えている「大きな福祉」は、それへの問題提起です。

武原さんはまた、日本の福祉施設の状況にも少し違和感を持っているようです。
突き詰めて言えば、福祉が「作業」になっているのではないかという印象をうけているようです。
日本の福祉はこのままでいいのだろうか。
それぞれに少しずつ前に進もうと元気付けあいました。
武原さんのサイトは、このホームページにリンクしていますので、よかったら見てください。

■日本の原発はこのままでいいのか(2008年4月4日)
隔月で開催している技術と暮らしを考えるサロンは、
今回は「原発をめぐる合意形成」をテーマに、鳥羽瀬さんが問題提起してくれました。
とても魅力的なテーマなので、
コミュニケーションを専門にされている淑徳大学の清水正道教授と相模女子大学の宮田穣准教授にも参加してもらいました。
科学技術倫理フォーラムの杉本代表にも久しぶりに参加してもらいました。
鳥羽瀬さんが用意してくれた資料はとてもよくできており、問題点がわかりやすく整理されていました。
しかし、議論になるとやはり話題が拡散しがちでした。

原発に関しては、いろいろ考え方がありますから、その多くは考える前提の違いにあるように思います。
そこさえ整理できれば、もう少し建設的な話し合いができると思います。
問題は、事実が明らかにされないままに、なんとなくあいまいな合意ができているような今の状況はどこかで破綻しかねません。
今回の話し合いの中で、ある人から、センシティブな問題を議論しないのが日本人の特質だというデータが紹介されましたが、
その風潮は最近さらに高まっているように思います。
原発議論がこのままあいまいなままに進んでいくことに危惧を感じます。

ところで、最近届いた、日本エントロピー学会の機関誌に、
横浜セミナーを長らく主催していた藤田祐幸さんの講演記録が載っています。
藤田さんは原発を含む、最近の社会のあり方になじめずに、長崎に転居されました。
講演記録は説得力があります。
原発への賛否はともかく、多くの人に読んでほしいと思います。

■日本の市民セクターはこのままでいいのか:関西コムケアフォーラム(2008年4月5日)
大坂で開催された関西コムケアフォーラムに参加しました。
実は妻がなくなってから初めて新幹線に乗りました。
ずっと遠出する気になれずにいたのですが、今日は思い切って出かけました。

今回はコムケア仲間の大坂の高齢者外出介助の会の永井佳子さんが中心になって開催してくれました。
東京で行ったコムケアフォーラムは、テーマもゲストも、準備さえもないフォーラムでしたが、
大坂のフォーラムはそのすべてを永井さんやほかのコムケア仲間がやってくれました。
東京とは全く雰囲気の違うフォーラムです。

フォーラムの最初に少しだけコムケア活動の紹介をさせてもらいました。
今回のテーマは「ひらく、つながる、ネットワーク」ですので、まさにコムケア理念そのものです。
前半は3つのNPOの事例報告をベースに話が進みました。
いずれも特徴を持ったNPOで見事な展開をしています。
それをコーディネーターの山本さんが見事にまとめてくれていました。
会場とのやりとりも面白かったです。

後半はそれを受けてのこれからのNPOのあり方のような議論でした。
高齢者外出介助の会の理事長の太田昌也さんと言葉工房の吐山継彦さんの対談をコアに会場も巻き込んだセッションでしたが、これがまた実に見事でした。

その中で、吐山さんが、NPOはもっと市民セクターとしての意識を持つべきだとメッセージしました。
全く同感です。
ほかのセクターに依存して、お金がない人がいないなどといっている限り、NPOセクターはサブシステムでしかありません。
お金がなくて大変だ、助成金がほしいというNPOが多いですが、
私はそういう発言をするNPOはそろそろ役割を終えたのではないかと思っています。
実は最近の事業型NPOのほとんどは、その延長にあるように思います。
私が思っていた事業型NPOとは全く異質のものです。
NPOを詐称している事業型NPOが多いように思います。
市民セクターを壊す存在になるでしょう。
吐山さんがいうように、これからの市民セクターのあり方を真剣に考えるべき時期だと思います。

話の中で、これまでコムケアが関わってきた団体の話がいろいろと出てきました。
関係はその後あまり続いていませんが、改めてコムケアが支援させてもらった活動が着実に活動を続けているのに、いつも元気付けられます。
今回はおんなの目で大阪の街を創る会の小山さんや水野さん、酒井さんがスタッフ作業を引き受けてくださっていました。
久しぶりにお会いできました。
コムケア活動のおかげで、どこに行っても知り合いに会えるのはうれしいものです。

(2008年3月第4週)
東京は桜がもう満開です。
■テーマもゲストもないフォーラムの賑わい(2008年3月23日)
■喫茶店ルネッサンスプロジェクト(2008年3月24日)
■スイッチの入れ方(2008年3月25日)
■NPOユースビジョンの赤澤清孝さん(2008年3月26日)
■量子水ドットコム(2008年3月28日)

■テーマもゲストもないフォーラムの賑わい(2008年3月23日)
このサイトでも案内させていただいたコムケアフォーラム2008は、参加者が一緒につくりあげる新機軸でしたが、
70人を越える参加者があり、実に刺激的なコモンズ空間が実現しました。
参加者が一緒につくりあげるわけですから、準備はほとんど不要です。
ですから決めた2週間後に開催しました。
開催まで時間をかければ、結局は事務局が準備することになりかねないからです。
集客はどうするかですが、なにしろテーマもゲストスピーチもないので、なにをやるか分からないため参加の決断は難しいでしょう。
しかし逆にそういう目的的なフォーラムはいくらやっても意味がないことを私は長年の体験で実感しています。
なにか面白そうだと思っている人だけ集まればいいのです。

当日、開会前1時間前に企画に参加していた人たちが集まりました。
会場で準備開始、面倒な打ち合わせはなしで、それぞれがコンヴィヴィアルに動いて準備OKです。
フォーラムでは8つのセッションがありました。
それぞれの内容はコムケアセンターのホームページに掲載されていますが、
たとえば活動紹介のセッションでは、

元引きこもりのレンタル空手家の遠藤さん
4月に世界に向けて自転車で飛び出して行くポストマンの四宮さん
盲人のテニスに取り組む武井さん
国際箸学会の小宮山さん
が思いを込めて発表してくれました。

CSRやSNSのセッションでは、これもまた企業サイドとNPOサイドの感覚の違いが出て面白かったです。
学生が主催した「悩み自慢大会」や「きっさろん(喫茶店を語り合う)」はなにやら実に楽しそうでした。
介護保険とマイケアプランスタンピング平和展、サンフランシスコのミッション地区のアートとまちづくりなどのセッションもイスが足りないほどの盛況ぶりでした。
私は何となく全体進行の役回りがあり、また参加者との個人的な対応もあり、
いずれのセッションにもきちんとは参加できませんでしたが、どれもこれも面白そうでした。

今回は日比谷にある「相創の場」を提供してもらったのですが、実に使いやすい空間でした。
それに単に場所を提供してくれただけではなく、そこのボスも参加してくれて、全体の進行にまで目配りしてくれました。
今回のフォーラムが成功した要因の一つは、そうしたコンシェルジェ的なマネージャーも含めた場所のおかげです。
こうしたことを私は空間のアフォーダビリティと呼んでいますが(余り一般的な用語法ではありませんが)、
まさに今回はアフォーダブルな会場でした。
提供してくれたのは、三井不動産販売です。
こういうソフトも含めた場所の提供にこそ企業の社会活動は向けられるべきだと私は20年前から提案していますが、
お金しか頭にない企業はNPOの支援はお金を提供することだと思いがちです。
資金助成は両刃の剣です。
それに輪を掛けて、NPO中間組織の人たちは、NPOの資金依存体質を扇動しています。
私がNPO中間組織やNPOの有識者が嫌いなのは、そういう風潮にのっているからです。

余計なことを書いてしまいました。
ともかく面白いフォーラムでした。
内容はコムケアセンターのホームページをご覧下さい。

■喫茶店ルネッサンスプロジェクト(2008年3月24日)
昨日のコムケアフォーラムの参加費が27000円、集まりました。
それを基に、コムケアフォーラム2008の実行委員会に喫茶店ルネッサンスプロジェクトを提案しました。
3年後にコムケア直営の喫茶店を開店する構想です。

近代の市民経済はロンドンのコーヒーハウスから始まり、
市民社会はパリのコーヒーハウスから始まったといわれています。
科学や芸術もバウハウスの語りの中から生まれてきました。
私が学生の頃には、喫茶店で政治や経済や芸術が、熱く語られていました。
自由に語り合う場だった喫茶店の効用は大きなものがあります。
スターバックスでコーヒーを飲みながら、パソコンに向かうのとは違う、
語り合いの場としての喫茶店は、いまの時代にとって価値のある存在になるはずです。

ハーバーマスの公共空間論に刺激を受けた一人として、
いままた改めて、新しい公共空間としての喫茶店文化が広がらないかと夢見ています。
一時期、サロンブームがありましたが、形だけのサロンが多かったような気がします。
サロンは、そこに集まる人と空間としてのアフォーダビリティによって実体が形成されます。

喫茶店ルネッサンスに向けて、今回のフォーラムから「きっさろん」ネットワークが生まれました。
まずはメーリングリストができましたが、これから定期的にみんなが好きな喫茶店でサロンを開催することになりそうです。
ご関心のある方のご連絡をお待ちします。

■スイッチの入れ方(2008年3月25日)
経営道フォーラム42期生の研究活動が進んでいますが、私が担当しているEチームとの意見交換会をやりました。
このチームのテーマは、「組織力を高めるにはどうしたらいいか」です。
これまでの議論の中で、まだ必ずしも明示的ではありませんが、
みんなはどうも、リーダーもしくはトップが、その気になる「スイッチ」をどうしたら入れられるのか、
ということが鍵ではないかという気がしてきているような感じでした。

その鍵も少しずつみんな気付き始めているようです。
そして、結局は自分のスイッチを入れられるかどうか、の問題につながっていることへの気づきです。
ここまでくればもうこの間の議論の価値は十分あったといっていいでしょう。
観察的にではなく、自分の問題として考えることをお勧めしている私としては、うれしいことです。

さらに付け加えれば、本当に組織(自分)を「活性化」することがいいことなのかどうか、まで視野に入りだしています。
その議論があって初めてこうした議論は実践的なものになるでしょう。
活性化すべしを出発点にした議論は、コンサルタントや管理者の発想でしかありませんから。

■NPOユースビジョンの赤澤清孝さん(2008年3月26日)
赤澤さんと会うのは5年ぶりくらいでしょうか。
京都でコムケアフォーラムを開催した時に、赤澤さんに主催してもらったのです。
最近の活動の様子をお聞きしました。
見事にご自分の構想を前進させています。
特に私が感心したのは、大学生とNPOをつなぎながら、次世代のソーシャルアントレプレナーを育てる仕組みです。
またNPO関係者の気楽な交流の場も見事に育てています。
コムケアで私がやりたいことを着実に進めている感じです。
その内容はホームページをご覧下さい
大きなグランドデザインにしたがって、NPOのリズムで進めているのにも感心しました。

こうした社会起業家が着実に社会を変えているのでしょう。
私のやることはだんだんなくなってきているのでしょう。
行動力がある人はどんどん前進できる時代だと改めて思いました。

■量子水ドットコム(2008年3月28日)
ホームページやブログで、自分をさらけ出していると、いろいろなことを体験します。
ささやかな情報発信から得られる情報はたくさんあります。
社会が何に関心を持っているかも垣間見えますし、社会の変化の予兆も実感できます。
不快なこともないわけではありませんが、うれしいこともあります。
量子水ドットコムを主催する濱口昭宏さんとの出会いは、うれしい出会いの一つです。

昨年の6月に、濱口さんは内水理論を検索している中で、私のホームページに辿りつきました。
それが契機になって交流が始まりました
その濱口さんがやってきました。
ネット付き合いで想像していたのとは、年齢も雰囲気も、全く違っていました。
これもまたネット交流の面白さです。

話題はいろいろでしたが、初対面にもかかわらず、心がいっぺんに開けてしまう感じでした、
主なる話題は、土と水に関する話なのですが、
人によっては全く受け入れがたく、人によっては引きずりこまれてしまうような話題でした。
大げさに言えば、天地がひっくり返る話に繋がっています。
中途半端に書くと誤解されそうなのですが、イヤシロチや楢崎皐月にまで広がる話です。
一般的な表現にすれば、環境保全やアメニティ、健康維持につながる実際的な話です。

私にとっても、この世界は久しぶりなのですが、なにか応援できればと思いました。
そろそろ「小さな科学技術」から「大きな科学技術」へと、進化する時期ではないかと思っています。
20年以上前にある雑誌に書いた「パラテクノロジーの探求」を思い出しました。
最近はその世界から離れてしまっています。

(2008年3月第3週)
活動を再開しだしたのですが、一度にいろいろとはじめてしまったので、大変です。
その上、いろいろめげる事もあり、元気になったり沈んだりのいささか振幅の激しい週になりました。
以前ならほとんどすべてを書いてしまうのですが、最近は少し書くのを自重しています。
自分をさらけ出すのはかなりエネルギーのいることですが、最近そのエネルギーが枯渇しているからです。
しかし今週もいろいろありました。
みなさんもそうでしょうが、人生は本当にいろいろあります。
どうしてこれまでそんなことなど気にせず脳天気に生きていられたのでしょうか。
不思議です。
そんなわけで今週の記事は2つだけです。
■雨のお彼岸(2008年3月20日)

■空の美しさ(2008年3月21日)

■雨のお彼岸(2008年3月20日)
お彼岸の中日です。
朝、雨の中をむすめたちと3人でお墓参りをしました。
私も最近は墓前で般若心経をあげるようにしています。
いつもはあまり本堂にはお参りしないのですが、今日はお参りさせてもらいました。

遠くのさいたま市から節子の友人の伊東さんもお墓参りに来てくれました。
茨城の谷和原からは城山を考える会の2人が来てくれました。

2日前までは春のような暖かさだったのに、昨日から寒くなり、今日は雨でした。
節子が雨を降らしているような気がして、ちょっと心配です。
節子は楽しくやっているのでしょうか。

今日は節子が逝ってから200日目です。
妻への挽歌も200回になったわけです。
まだ半身が削がれたような生活を続けています。

(2008年3月第3週)
活動を再開しだしたのですが、一度にいろいろとはじめてしまったので、大変です。
その上、いろいろめげる事もあり、元気になったり沈んだりのいささか振幅の激しい週になりました。
以前ならほとんどすべてを書いてしまうのですが、最近は少し書くのを自重しています。
自分をさらけ出すのはかなりエネルギーのいることですが、最近そのエネルギーが枯渇しているからです。
しかし今週もいろいろありました。
みなさんもそうでしょうが、人生は本当にいろいろあります。
どうしてこれまでそんなことなど気にせず脳天気に生きていられたのでしょうか。
不思議です。

■空の美しさ(2008年3月21日)
最近、少しめげていたのですが、週末に古い友人からこんなメールが来ました。
空の美しさについて書いていたところを読んでメールをくれたのです。
どこに書いてあるのか私にもわかりませんが。
昔のことを思い出しました。
元気が出てきたわけではないのですが、うれしいメールだったので、記録の意味もかねて掲載させてもらいます。
私にはずっと気になっていた若者でした。
もちろん今はもう若者ではないですが、長く会うこともなかったのに、私の心の中にもなぜかずっと気になっていた若者です。

佐藤さんのホームページを覗いてみました。
激動の一年だったのですね。
いろいろ拾い読みを始めて、空の美しさについて、しみじみと素直に書いておられた言葉が印象的でした。
僕も、そう感じるひとときが何度もあるので。
それは、自然や社会とのつながりをもって生きる実存の証のひとときだからです。
オフィスから空を眺めることができるうちに、湯島へ一度訪ねることができたらと思っています。
議論すべきことは、とくになく、そこに在って空を眺めるだけなのですが。

私の心の中に生きていた彼が、そのまま現れているように思いました。
東京の空は、いやどこでもそうでしょうが、空の美しさこそ、私たちの元気の源なのです。
みんなもっと空を見上げるといいのですが。
さらに彼は書き続けていますが、それに関してはまたブログで書いてみたいと思っています。

(2008年3月第2週)
鶯が鳴き出しました。
春です。
■魚助の松井さんのビジョン(2008年3月10日)
■コムケアフォーラム2008決行(2008年3月10日)
■宝くじが当たりました(2008年3月13日)
■護憲と改憲(2008年3月13日)
■山下さんの熱意(2008年3月14日)
■城山を考える会の横田さんからの電話(2008年3月15日)

■魚助の松井さんのビジョン(2008年3月10日)
実演販売で東京に来ていた、滋賀県の魚助の松井さんと会いました。
滋賀の伝統食の鮒寿司は、その匂いが強いためになかなか食べられない珍味ですが、
松井さんは、その良さを残しながら、匂いの改良や新しい食べ方に挑戦し、
もっとたくさんの人に食べてもらおうとがんばっています。
その成果が出てきて、最近はファンが全国に増えてきています。
東京にも根強いファンがいるそうです。
食わず嫌いだった友人も、とても美味しいと喜んでいました。
通信販売もしていますので、良かったら挑戦してみてください。
さば寿司も実に美味しいです。

それはともかく、久しぶりにゆっくり、松井さんからその夢をお聞きしました。
とてもロマンがある夢です、
信念を持って事業に取り組んでいる人の、強さが伝わってきます。
商売は小手先の技術ではなく、思いの強さだといつも痛感します。
こういう人を応援していきたいと思っています。

食育が話題になっていますが、最初、私は良いことだと考えていました。
このサイトでも食育通信教育の紹介までしました。
しかし、食育基本法ができた後の動きにはいささかの違和感があります。
栄養管理や食事マナーの話が多いように思うのです。
しかし、生産の問題も含めて食のあり方を考えなければ、単なる健康管理の話や食産業支援の話にしかなりません。
それは私にとっては、食育の正反対の話です。
食の基本は、農の問題です。
農業基本法の見直しの時にもそういう議論は出ましたが、結局は中途半端でした。
今回もなんらつながりを感じられないのが問題だと思います。

伝統食の回復への取り組みが重要です。
伝統食や農業や家庭料理のあり方の見直しこそが、食育の基本ではないかと思います。
そうなっていないのが、とても残念です。

■コムケアフォーラム2008決行(2008年3月10日)
コムケアフォーラム2008は、構想はまとまったのですが、会場が見つかりません。
延期も含めて実行委員会を開いたのですが、議論の結果、スタイルを変えて3月23日に決行することになりました。
何と開催まで2週間。
さすがの私も信じられないほどの話です。
メンバーは今からでは、せいぜい30人くらいしか集まらないのではないかというのですが、50人は集めたいものです。
しかし、2週間。プログラムさえ決まっていないのです。
しかし、会場を用意して、参加者がみんなで創りあげるフォーラムというのは魅力的な構想です。
その魅力には勝てません。

かくして、テーマもないフォーラムが開催されることになってしまいました。
お知らせのコーナーで告知しました
ぜひ参加してください。
何が起こるか分かりません。
起こらないかもしれません。

そのフォーラムで新しいプロジェクトが発表されます。
「きっさろん」プロジェクトです。
それも魅力的です。
参加すると、その内容がわかります。はい。

■宝くじが当たりました(2008年3月13日)
ビッグニュースです。
グリーンジャンボの宝くじが当たったのです。
3億円もあれば、いろいろなことができるなという思いで、最近、時々宝くじを買うのですが、当たったことがありません。
ところが、今回、見事に当たったのです。
今年はいいことがあるだろうという期待があったのですが、見事的中です。
テレビのちりとてちんの中でも、働かずに宝くじを買い続けてきた小次郎さんが、
今週、ついに宝くじを当てるのですが、それと同じです。

もっとも今回当たったのは3億円ではなく、3000円でした。
せめて3000万円にしてほしかったのですが、まあ当たったということには変わりはありません。
これが契機になって、きっといつか3億円が入ってくるでしょう。

問題は、この3000円をどう使うかです。
3000円を、どう3億円につなげていくか、これは実に面白い課題です。
いいアイデアがあれば教えてください。
もし3億円につながっていったら、また報告します。はい。

■護憲と改憲(2008年3月13日)
リンカーンクラブの武田さんと久しぶりにじっくりと議論しました。
2週間ほど前にも会ったのですが、その時はまだ私が気分がのっていませんでした。

今日のテーマは、「護憲と改憲」でした。
武田さんが今度の月間ヴェルダに掲載するテーマです。
完成したら、このサイトの「武田さんの理想国家論」に紹介しますので、ぜひ読んでください。

私自身は、護憲論者も改憲論者も、ろくろく憲法を読んでもいないのが気になりますが、
それ以前の問題として、護憲とか改憲とかという曖昧な言葉、価値論的に無意味な言葉を使う議論が理解できません。
護憲といった場合、護る「憲法」とは何なのかです。
改憲といった場合、改める「憲法」とは何なのかです。
「住民参加」と同じような言葉です。
この種の言葉は、頭で生きている人の言葉です。

今日は久しぶりに、武田さんと意見が一致したことの多い話し合いでした。

■山下さんの熱意(2008年3月14日)
ブログにも書きましたが、北九州市の山下さんが訪ねてきてくれました。
久しぶりです。
私が自治体の仕事に入っていく契機を作ってくれた人です。
もう20年以上のお付き合いですが、この数年、お会いする機会がなかったのです。
女房のことを知って、わざわざ来てくださったのです。
女房も山下さんとは何回か会っており、いろいろと思い出があります。

山下さんは行政でずっとお仕事をされていましたが、
退職後、民間から請われて、断りきれずに民間のお仕事をお引き受けになりました。
天下りではない、こういう人もいるのです。

久しぶりに山下さんとゆっくりお話しましたが、山下さんの仕事に対する熱い情熱は変わっていません。
本当は好きな山登りやボランティア活動をしたいのでしょうが、なかなかそうはさせてもらえないようです。
人には、それぞれ決められた生き方があるのかもしれません。
最近、そんな気がしてなりません。
私の生き方はどう決められているのでしょうか。

■城山を考える会の横田さんからの電話(2008年3月15日)
横田さんから電話がありました。
谷和原の「城山を考える会」の横田さんです。
まだ残っている数少ない信頼できる日本人の一人です。
こんな言い方はとても失礼なのですが、
昨日、お会いした山下さんも月曜日に会った松井さんもそうですが、日本人の原質を残している人に会うとホッとします。
そうした人も組織で働きビジネスに関わることで、少しずつ変質してきていますが、変質しない人もいます。
横田さんは、その一人です。

横田さんに先日、妻の訃報をお伝えしたのですが、それで仲間と明日、お伺いしたいという電話でした。
うれしい話です。
残念ながらどうしても明日は出かけなければいけない日だったので、延ばしてもらいましたが、
久しぶりに横田さんの声を聴けて、元気が出ました。
そういえば、これもブログに書きましたが、今日は鶯の鳴き声も聞きました
やっと春がきた感じです。
少し心身が軽くなりそうです。

(2008年3月第1週)
久しぶりにすごく落ち込んでしまう事件に出会いました。
その一方で、とても嬉しいことにも出会えた週でした。
■笹川良一さんのこと(2008年3月4日)
■コミュニティとベンチャーファンド(2008年3月5日)
■ミドルこそ企業活力の発生源(2008年3月5日)
■「さぼうる」はタイムマシンかもしれません(2008年3月6日)
■「相創の場」に初めて行きました(2008年3月6日)
■上野松坂屋で魚助の鮒寿司が実演販売していました(2008年3月6日)
■東葛地域コムケアフォーラムのための集まり(2008年3月6日)

■笹川良一さんのこと(2008年3月4日)
先週、日本財団の会長の笹川陽平さんにインタビューさせてもらう機会がありました。
私とは全く違う世界の人だと思っていましたので、まさかお会いすることなどないと思っていましたが、
お会いしてこれまでもっていた私の先入観が間違っていたことを思い知らされました。
そこで、笹川良一さんに興味を持ち、その評伝を購入して読んでみました。
書き手は高名な政治学者、佐藤誠三郎さんです。
なんで政治学者の彼が、笹川良一伝を書いているのかも、実は興味の一つでした。

評伝としてはいささか退屈でしたが、読んでみて、笹川良一さんのイメージが大きく変わりました。
世間の風評で人のイメージを形成してはいけないことを改めて実感しました。

笹川さんは、意見が違った人でも、自分を批判している人でも、困っている人は助けなければいけないという人だったようです。
それに私財は執着なく使う一方で、公費は極めて厳格に節約したようです。
社会からの評価はあまりよくなかったのですが、そんなことは気にせずに、信ずる道を進んでいく人だったようです。
私にはとても出来そうも無いことですが、そういう生き方を目指したいと思います。

■コミュニティとベンチャーファンド(2008年3月5日)
一橋大学学生の井上さんがやってきました。
先日来訪した荒井さんたちから紹介されていたのですが、
お会いしてみたら、実は以前からコムケアのメーリングリストに参加してくれていたのだそうで、私とのメール交換もあったようです。
ネット社会の奇妙さを改めて実感しました。
知らない人から意識的に見られているということはあまり気分のいいことではないですが、
そうしたことが私のような無名人にも起こるということです。

私が井上さんに興味を持ったのが、彼が卒論で「消費される日本の住宅」に関心を持ち、空き家を活用したコミュニティの問題に取り組んだと聞いたからです。
井上さんはコミュニティが好きだそうですが、そのコミュニティは自分の身近にある、面白い人と出会える場というような意味から考えているようです。
実に納得できます。
コミュニティというと、ともすれば観察者的に自らと関係のない対象と考える人が多い中で、
こうした当事者的に考える姿勢はとても重要だと思います。

その話もとても面白かったのですが、もう一つ面白かったのが、
彼がベンチャー支援のファンド関係の会社に入社するという話です。
ファンド、と私は首を傾げましたが、井上さんにとって、ベンチャー支援のファンドは、まさにコミュニティにもつながる話なのです。
面白い人と出会えるはずだと確信しているのです。
30年前のベンチャーの動きを思い出しました。
たしかにベンチャーは、新しいコミュニティにつながっていきます。
コミュニティを元気にしようとしている人と、ベンチャービジネスを起こそうとしている人とは、
新しい物語を目指している意味で同じなのかもしれません。
ファンドといってもさまざまです。
一区切りで切り捨ててはいけません。反省しました。

井上さんに、ソーシャルアントレプレナーの話をするのを忘れました。
今度会ったら、その話をしようと思います。
若者たちは、どんどんと動き出しているようです。

■ミドルこそ企業活力の発生源(2008年3月5日)
今年度最後の次世代育成研究会でした。
今年度の提言書は分かりやすく、メッセージもあります。
まもなく企業活力研究所のホームページで公開されるでしょうから、関心のある方はぜひお読みください。
今回の結論は(私の勝手なまとめですが)、
「企業の活力の要はミドルマネジメント。経営者はミドルを信頼し、ミドルはもっと自信と気概をもって仕事を楽しめ」
ということです。

終わった後、アメリカで長いことデミング博士の下で経営品質の問題に取り組んできた吉田耕作さんが、みんなに問いかけました。
アメリカ企業が元気を回復した理由は何だと思うか。
ITという答と従業員参加という答が出ました。
まさに正解だと思いますが、あえて異を唱えて「ビジョンやミッションの次元から企業や経営のあり方を問い直したこと」と発言してしまいました。
かなり浮いている発言でした。
今様にいうと、KY発言です。またやってしまいました。

しかし、ITも従業員参加も手段でしかありません。
その背後に価値観がなければ、手段は活かされません。
そのことを指摘したつもりでしたが、伝わりませんでした。
この研究会では、やはり私はかなり浮いてしまっていました。
困ったものです。
しかし、委員長のダイエーの林さんのおかげで、今年の研究会は面白かったです。

■「さぼうる」はタイムマシンかもしれません(2008年3月6日)
今年のコムケアフォーラムは喫茶店で開こうと考えて、
その第一候補になった神保町の「さぼうる」の店長鈴木文雄さんにサイクルリンクの北岡さんと一緒に会いに行きました。
北岡さんの知りあいから紹介してもらったのです。

店に入った途端に感動しました。
あの頃の喫茶店だったからです。
しかも満席でした。
店長の鈴木さんは入り口で、立って店内に目配りされていました。
その目配りは尋常ではありません。
すごいのです。
1時間ほどお話をお聞きしましたが、鈴木さんのことを書き出したら,
その1時間だけのことでもきっと1冊の本が出来そうなほどの内容でした。

鈴木さんは75歳、喫茶店の歴史がずっしりと心身にうまっているのです。
「さぼうる」は開店して53年目です。
テレビや映画でも何回も舞台になっているそうです。
いろいろな人と一緒に写した写真まで見せてもらいました。
美味しいイチゴジュースをご馳走になり、実にさまざまなお話をお聞きできましたが、
コムケアフォーラム会場として日曜日を貸してくれないかというのはだめでした。
理由が、その日はお墓参りに行くからというのです。
この理由には交渉の余地は皆無ですので、すぐ諦めました。
でもここでコムケアサロンをやりたいと思いました。
鈴木さんと話しているうちに、なんだか胸がわくわくしてきてしまい、
コムケアフォーラムとは別のプロジェクトが頭に浮かびました。
そんなわけで「さぼうる」での喫茶店ケアップ構想は失敗に終わりました。
困ったものです。

ところで、この「さぼうる」はもしかしたらタイムマシンかもしれません。
そして鈴木さんはタイムパトロールかもしれません。
昔、京都の三千院の極楽堂で同じような気分になったことがありますが、そう思って見るとどこかで両者は似ています。
それに鈴木さんの目配りぶりは人間業を超えています。ヒューマロイドかもしれません。
みなさん、ぜひ確かめに行ってみませんか。

■「相創の場」に初めて行きました(2008年3月6日)
「さぼうる」が借りられなかったので、もう一つ対照的な場所を見に行きました。
以前、このコーナーでも紹介した「相創の場」です。
ボスの伊藤さんから相談に乗るから一度来てくださいと連絡があったのです。
日比谷のビルの中にある、企業OBたちのネットワークのコモンスペースです。

実に快適な贅沢な空間です。
しかも4つある部屋の名前がビートルズの4人の名前です。
伊藤さんのアイデアでしょうが、私はそれだけでここが好きになりました。
気にいらないのは「相創の場」という名前ですが、これも伊藤さんのネーミングです。
同じ人間の発想とは思えませんが、それが伊藤さんの見事なところです。
現実との折り合いをわきまえているのです。

伊藤さんとはKAEで知り合ったのですが、私が現実との折り合いが嫌いなことを見透かしていますので、
私の喫茶店構想には危惧の念を持ちながら、どうにかして応援してやろうと考えているのです。
困ったものです。いえ、有難いことです。はい。
今回はここでやりたいという気分が高まったのですが、
喫茶店論であれだけ盛り上がった先週のミーティングを思い出すといささか気が重いです。

帰り際に伊藤さんが、
佐藤さんは人には自立しろと言っているのに、自分は奥さんに100%依存で自立してないじゃないですか、といいました。
伊藤さんの優しさがとてもうれしかったです。
伊藤さんは妻の告別式にまで来てくれましたが、その時の伊藤さんの顔は今もはっきりと思い出せます。
伊藤さんも毒舌家を自称しているくせに、その時は私に話しかける術を見つけられなかったように思います。
まあ、お互い様なのです。

伊藤さんの構想が着実に前進しているようでうれしいです。

■上野松坂屋で魚助の鮒寿司が実演販売していました(2008年3月6日)
携帯電話に自宅から電話がありました。
滋賀の魚助の松井さんが上野の松坂屋で実演販売しているという電話があったと言うのです。
地方の人は突然連絡してくるのです。
都会であくせく生きている私たちとは時間に対する考え方が全く違うのです。
困ったものです。
いつも事前に連絡してよと言っていますが、いつも突然に連絡があるのです。
しかしよく考えて見ると、それが正常なのかもしれません。

しかしまあ上野にいるならと時間の合間をぬって会いに行きました。
元気そうな松井さんがいました。
今回は立ち話でおわり、10日にまた会うことにしました。
魚助の鮒寿司、さば寿司はとても美味しいです、
生臭さが不得手な私にもとても美味しいのです。
人気が高くて、いろいろ有名人の奥さんがいつも買いに来てくれるのだそうです。
佐藤さん、**さんをご存知ですか、その奥さんが買いに来てくれたのですが、といわれることがたびたびあるのですが、
その**さんが結構有名なことが多いのです。
有名な人は美味しい物をよく知っているのですね。いつも感心します。

私もさば寿司をいただきましたが、実に美味しいのです。

■東葛地域コムケアフォーラムのための集まり(2008年3月6日)
この集まりも2回目です。
前回、呼びかけ人の私が場所を間違えるというとんでもない間違いをしたにもかかわらず、今回もいろんな人が集まってくれました。
新たに参加してくれたのは、感声アイモの菅原さん、コムケアセンターの橋本さん、それに今はフリーになっているコムケアサポーターの四元さんです。
私が「ともかく目的も意味も無い、でも人が集まるフォーラム」をやりたいと、わけのわからない無理難題を出しているのに、みんなよく付き合ってくれます。
しかし、仏の顔も三度までですから、そろそろ着地していかねばなりません。

ところで今回、みんなと話していて、宮本常一の「忘れられた日本人」に出てくる隠岐の寄り合いの話を思い出しました。
そこでハッと気づいたのですが、私がコムケアでやってきている集まりは、どこかで隠岐の寄り合いに共感している私の思いが影響しているなということです。
それは近代人には合うはずもなく、だから持続できないのかもしれないという気がしてきました。
私が主催する会は、本当に無駄な会が多いのです。
わが娘は、一度出ただけで、お父さんの会には付き合えないよ、みんな我慢しているんだよ、と叱られました。
性格が正反対の2人に娘の両方ともからです。
その意味がやっと今日わかりました。
このやり方をもっと意識的に心がけようと思いました。
困ったものですね。はい。

(2008年2月第4週)
あたたかくなってきました。
■地域内交通のポイントはまちづくり(2008年2月25日)
■愛の経営:KAE中間発表会(2008年2月28日)
■新しい公共空間を目指した喫茶ケアップ構想(2008年2月29日)

■地域内交通のポイントはまちづくり(2008年2月25日)
先々週紹介した地域内交通システムプロジェクトは少しずつ前進しています。
地域内交通システムは、まさにまちづくりの要ですから、むしろまちづくりプロジェクトでもあります。
しかしそこまで広げると事業性を生み出すのが難しくなります。
そのあたりでいま難航しています。
しかし、生みの苦しみがあればあるほど、プロジェクトは面白くなるでしょう。

■愛の経営:KAE中間発表会(2008年2月28日)
経営道フォーラム42期の中間発表会でした。
今期もまた、なかなか面白そうな議論が進んでいます。
少しずつですが、大企業の部長層にも余裕が出てきているのかもしれません。
今回、一番刺激的だったのは、先人の名経営者たちの発言を、
キリスト教的な愛の要素(エロス・フィリア・アガペ)で評価したチームがあったことです。
私は、経営とは愛と慈しみという発想の持ち主ですが、
大企業の部長たちが、こういう発想で考え出したことに感慨深いものがあります。
この研究のこれからが楽しみです。
経営幹部たちにそうした余裕がでてきたことは大いに評価すべきではないかと思います。

■新しい公共空間を目指した喫茶ケアップ構想(2008年2月29日)
わくわくするようなプロジェクトを始めました。
前に少し予告した、コムケアフォーラム2008「喫茶店構想」です。
来週にはお知らせでご案内できると思いますが、今日、大枠が決まりました。
検討会には、新たに北岡さん、鎌田さん、それに松田さんが加わり、
ともかく楽しくやろうと言うことで、非常識なプランが決まったのです。

開催日は3月23日、もう3週間しかありません。
にもかかわらず場所もプログラムも決まっていないのです。
思いつきを大切にしてきた私にとっても、これほどの短期間的取り組みは初めてです。
さてどうなるでしょうか。

企画の背景は、実は私がずっと思ってきたことです。
もし節子がいたら、2人で我孫子で取り組みたかったことなのです。
話は大きくなりますが、近代の始まりはコーヒーハウスです。
そこに集まった人たちのつながりの中から新しい社会が生まれました。
しかし、気がついてみると、そこから始まったはずの市民社会は、
つながりを欠いた個人の群れを生み出し、「お上の公」に依存する「公共感覚」を蔓延させてしまいました。
それに抗するように育っていた住民活動、市民活動は、NPO法体制の中で、刈り取られ、
「たこつぼ」化されてしまったと、私は感じています。

その状況を変えていくには、もう一度、みんなが自由闊達に語りあい、
新しい物語を紡ぎ育てていった喫茶店の見直しです。
スターバックス的カフェではありません。
想いがぶつかり合う公共空間としてのコーヒーハウスです。

私の会社であるコンセプトワークショップの定款には、
実はそのことを予定して「喫茶店の経営」が事業目的に入っていますが、
あまりに横道に入り込んでいるうちに、それを成し遂げるには不可欠な伴侶を失ってしまいました。
ですから会社も止めようとも思ったりしたのですが、
コムケアのみんなが、それをまるで見越したように、やってくれるというのです。

久しぶりにちょっとわくわくしていますが、
実際には本当にできるのかどうか、いつものように不安にさいなまれているのが本音です。
どこか会場を提供してくれる、喫茶店のオーナーはいないでしょうか。
来週から動き出します。
さてさて何と無謀なことでしょうか。

(2008年2月第3週)
良い天気が続いています。
青空を見ていると元気がでてきます。
■城山を考える会の活動は着実に広がっています(2008年2月17日)
■ナイト・スタディ・ハウス(2008年2月19日)
■立体交差の縁(2008年2月19日)
■若者たちのしなやかさ(2008年2月20日)
■コムケアサロン再開「スタンピング平和展」(2008年2月20日)
■リンカーンクラブの武田文彦さんが慰めてくれました(2008年2月22日)
■多田さんから元気をもらいました(2008年2月22日)

■城山を考える会の活動は着実に広がっています(2008年2月17日)
谷和原の「城山を考える会」の横田さんからビデオが送られてきました。
昨年の活動の記録です。
横田さんのことは、たまたま先週の茨城NPOフォーラムでお会いした小菅さんと話題にしていたところですが、
これも以心伝心、シンクロニシティです。

谷和原も合併により、いまはつくばみらい市になりました。
つくばエクスプレスも開通し、大きな影響を受け始めているはずで、
横田さんたちの活動もこれからきっと広がっていくでしょう。
そうした時代に合わせて活動を変質させてしまうと逆に活動の意味が変わりかねませんが、
横田さんは時流に流されず、しかし、時代の方向を見据えて活動を地道に進めているのが、ビデオや手紙からよくわかります。
いかにも横田さんらしいです。

まだ作成途上のようですが、「城山を考える会」のホームページもできています。
よかったら見てください。

■ナイト・スタディ・ハウス(2008年2月19日)
ナイト・スタディ・ハウスは、菅野さんと塩野さんが企画し、育ててきた活動です。
空間デザイナーがデザインした場所で、そのデザイナーとひざ突き合わせて交流する活動を行ってきています。
私自身は最初の回だけに参加させてもらいましたが、なかなか参加できずにいます。
すでにもう15回も開催してきましたが、これを軸にもっと活動を広げていけないだろうかというのが菅野さんの思いです。
それで今日は少し意見交換をしました。

展開策はいくつか考えられますが、問題は活動を継続する資金です。
プロジェクト自体からその資金を創出していくようにしないと長続きはしません。
これまで5年間も継続できたのは、菅野さんたちの思いの強さですが、今の展開は菅野さんたちもやや不満のようです。
もっと広げていきたいと思っているのです。

実は、こうした「面白いプロジェクト」は世の中にたくさんあります。
その多くが「資金面」で挫折していることは残念です。
しかし、その「資金面」の壁を越えないと、プロジェクトそのものが本物にならないのも事実です。
ナイト・スタディ・ハウスに関心のある方は、ぜひそのホームページをご覧下さい。
次回は3月6日に開催されます。

こうした活動を広げていくことに関心のある方は、ぜひ私にご連絡ください。
菅野さんをご紹介します。

■立体交差の縁(2008年2月19日)
1年半前に取材に来た一橋大学の学生のAさんとMさんがやってきました。
今年卒業して、それぞれ就職するのですが、その前に活動報告もかねてやってきたのです。
彼らが作成した新宿をテーマにした研究報告書「立体交差」はなかなか面白かったですが、これに関しては前に書きました。
今日はそれぞれの卒業論文の話を聞きましたが、それぞれに興味あるテーマです。
こうした学生の成果がそのまま埋もれていくのはいかにももったいない話です。
できればどこかで発表の場が創れないか、考えてみたいと思います。

それはそれとして、最近の学生は実に多様です。
Aさんは北海道新聞社に入社のため、北海道に移るのだそうです。
北海道はいま経済的には苦しそうですが、だからこそきっと面白いでしょう。
経済的に苦しいということは、新しい物語を生み出す基本条件ですから。
Mさんは大手建設会社に入社するそうです。
卒論のテーマが「アートとまちづくり」なのですが、彼女のそうした問題意識が活かせるといいのですが。
彼女たちに就職前にコムケアフォーラムに参加しないかと誘ったら、
実行委員のメンバーになってくれました。心強い仲間ができました。
今時の若者は実に軽やかです。

ところで、Aさんの「アートとまちづくり」の論文をぱらぱらと見せてもらってすぐ頭に浮かんだ人がいます。
曽我さん下山さんです。
その話をしたらAさんは2人のことを知っていて、曽我さんにはお話もきいたようです。
やはり世間はつながっています。
「アートとまちづくり」の論文はカリフォルニアのヒスパニック系の住民の多いミッション地区での壁画を活用したまちづくりの事例が題材になっています。
写真もたくさんありますが、日本のものとは勢いの違いを感じます。

アートはまちづくりにとっては両刃の剣のような気がします。
とりわけ最近のように、アートがスノッブ化している状況では、地域のジェントリフィケーションの具にされてしまい、生き生きしたアーティストの野生の感性や生命力を後退させかねなません。
そうならないためには、アートと地域の記憶がつながりながら、過剰な経済主義から開放されることが大切だと思います。

いつかそんなテーマでのワークショップでも出来れば面白いと思いますが、まあ私にはいささか場違いなテーマです。
でもちょっと魅力がありますね。
誰かやりませんか。

■若者たちのしなやかさ(2008年2月20日)
久しぶりに大川陽子さんと友野さんがやってきました。
来月から新しい会社に転身するのだそうです。
大川さんが転身するので私の所に行くと連絡したら、友野さんも自分も転身するので一緒に行こうということになったのです。
いやはや若者の身軽さは感服します。
もっとも話を聞いて見ると「軽い」どころか実にしっかりしたライフデザインに基づいているのです。
今時の若者(彼らはそう若くはないのですが)は「しなやかにしてしたたか」です。

友野さんのことは以前書きましたが、向島で見事な活動をしています。
前項に書いた曽我さんの自宅の近くにお住いです。
そして今度はちょっとアートにつながるまちづくりに取り組む仕事のようです。
またシンクロにシティが起こりだしました。

大川さんは環境がライフワークですが、その切り口でコミュニケーションの仕事に本格的に取り組んで見ることにしたようです。
企業コミュニケーションといえば、今様な表現をすればCSRになりますが、
環境コミュニケーションやCSRにぜひ新しい視点を持ち込んでほしいと思います。

それぞれが、これからどんな事を始めるのかとても楽しみです。

■コムケアサロン再開「スタンピング平和展」(2008年2月20日)
コムケアサロンを再開しました。
今日は再開最初のサロンで、テーマは「スタンピング平和展」です。
スタンピング平和展は、コムケア仲間の松本さんが9.11時件の衝撃を契機に名古屋で始めた活動です。
平和をテーマにしたスタンプをつくり、平和な時間を共有しながら、さまざまな人をつないでいこうというのです。
人がつながることが平和の基本というのが私の考え方なので、とても共感できます。

松本さんは昨年、東京に転居してきたので、今度は東京で活動を始めたいと考えています。
今日はそのキックオフでもあったのですが、生憎、風邪やら急用やらで参加者が少なくとても残念でした。
私にとっても松本さんの話をきちんと聞くのは今回が初めてなのですが、
思っていた以上にコムケア的なので出来ればもう一度サロンをやりたいと思いました。

松本さんのスタンピング平和展に関してはホームページをぜひご覧下さい。
何かのイベントなどに呼んでもらえれば、松本さんは喜んで出ていくと思います。
子供たちがとても喜ぶプログラムだそうです。
関心のある方はぜひご連絡ください。

■リンカーンクラブの武田文彦さんが慰めてくれました(2008年2月22日)
元気がでない私を心配してくれている人がいます。
武田さんです。
武田さんは、なぜか私のことを気にしてくれて電話などをかけてきてくれるのです。
それで久しぶりに会いに行きました。

会ったとたんに「佐藤さん、気が消えて存在感がなくなったね」というのです。
わかる人にはわかるのでしょうか。
武田さんのとの付き合いはもうかなり長いのです。
よくまあ続いているものですが、武田さんは私欲が全くないのです。
本人はそんなことは全く気づいていないでしょうが、私と接している限りでは欲というものを全く感じさせない人です。
いや「欲とは何か」さえ理解していないのかもしれません。
私の周りにはそういう人は少なくないのですが、
武田さんの場合は、私欲がないくせに、自分ではあると勘違いしているのです。困ったものです。

武田さんと会うと必ず民主主義論争になるのですが、今回もまたなってしまいました。
民意が半々の場合、どちらに決しようと問題は起きないという「武田の定理」というのがあります。
武田さんは、民主主義とは多数決だと考えている人です。
その点において、私とは議論は成り立たないのですが、この「武田の定理」はこれまで何となく私は共感していました。
しかし、先日の岩国市長選を考えると、この「武田の定理」は問題があります。
そこで、「民意が半々の場合は決定を延期する」という修正案を提案したのですが、受け入れてもらえませんでした。
まあ、こんな議論をしてしまったのですが、やはり以前とどうも気分が違うのです。
半身を削がれてしまったためか、どうも調子が出ないのです。
武田さんにはきっと気取られてしまったことでしょう。
なかなか本調子にはなれません。

■多田さんから元気をもらいました(2008年2月22日)
武田さんと同じく、私を心配してくれている多田さんが湯島に来てくれました。
先日、突然に花束を持ってきてくれたのですが、その時はあいにくの来客だったため、お話できなかったのです。
湯島に来るのは6年ぶりだそうです。
多田さんは構想力の優れた、しかも思索的なプランナーです。
今の時代には、しかし彼の才能を活かしきれる場はあまりないかもしれません。
私がもう少しアクティブであれば、なにか一緒にやりたい人だったのですが、
私自身が10年ほど前から社会からどんどん脱落してきているので残念ながら仕事でご一緒したことはありません。
しかし、気になる人でした。

多田さんは先日、久しぶりに私のサイトにアクセスして、妻の訃報を知ったのです。
そしてともかく私を元気づけようとやってきたわけです。
私が会社を辞めて、実にわがままな生活を送れたのは、妻のみならず、こうした人たちに支えられてきたからだと改めて感じました。
感謝しなければいけません。
多田さんは、私にホノルルマラソンに奥さんと一緒に参加したらと勧めてくれました。
節子がいなくなったので、もう海外には行くまいと決めているのですが、少し心が揺らぎました。

帰り際に、もう会社を閉じようかと思っていると話してしまったのですが、後で多田さんからメールが来ました。

私もいろいろな人と会社やビジネスを見てきましたが、
CWSのようなコンセプトやミッションを持ったユニークな会社はどこにもありません。
絶対にやめないで続けてください。

でまあ、CWSをもう3年、続けることにしました。
褒められるとすぐその気になるのが、私の長所なのです。

今日は、人のつながりのありがたさに感激させてもらった1日でした。

(2008年2月第2週)
寒い中にも春を感ずるようになりました。
■ミドルマネジメントの復権の可能性(2008年2月12日)
■茨城NPOフォーラム2008(2008年2月13日)
■新しい地域内交通システムの可能性(2008年2月14日)
■3月23日はコムケアフォーラム2008です(2008年2月15日)

■ミドルマネジメントの復権の可能性(2008年2月12日)
次世代育成研究会でした、
これまでの議論を踏まえて報告書の原案ができました。
それに関する意見交換会でしたが、どうも報告書の基調になじめないものがあります。
一言で言えば、「組織基点の発想」に基づいているからです。

このコーナーでも何回か書いてきているように、
私の生き方は学生時代以来、「個人基点の発想」によっています。
そして時代は漸く、その「個人基点の発想」へと実際にも動き出したと思っています。
しかし誰もなかなか賛成してくれません。
まあ、そんなかったるいことを、「有識者」ぞろいのこの種の委員会で話せるはずもありませんが、
発想の基点が違いますから議論が成り立たないのです。
自分の無力さを恥じなければいけません。

しかし今回は少しだけ伝わったようです。
私とは意見の対極にあると思っていた委員の方が、めずらしく共感してくれたのです。

私は今の時代、まさに「ミドルマネジメントの復権」が大事だと思っています。
正確には、新しいミドルマネジメント機能の重視ということです。
単にピラミッド構造を支えるための中間層ではなく、マネジメント機能を果たす新しい職能です。
「マネジメント」が初めて問われる時代になったといっていいかもしれません。

今回の議論を踏まえて報告書はブラッシュアップされることになりました。
今年は、この委員会は座長がダイエーの林会長だったこともあって、刺激的でした。
次回の議論も楽しみです。
私の意見はいささか理念的過ぎるので、あまり採用はされないと思いますが、
これまでの中で一番示唆に富む報告書になりそうです。
それにしても、企業の疲弊状況は予想以上です。

■茨城NPOフォーラム2008(2008年2月13日)
茨城県のNPOフォーラムへの参加は初めてです。
なぜか平日に開催されましたが、このあたりが茨城県らしいところです。

今回は基調講演の役割でしたが、
「働く場としての社会活動を考える」というのが与えられたテーマでした。
このテーマは、まさに社会起業家の話であり、
働くことの意味の問い直しにつながる話ですので、かなり欲張って話をしてしまいました。

最後に、次の3つの「発想の転換」の大事さを話させてもらいました。
まず、「稼ぐ」から「働く」への転換です。
稼ぐことも大事ですが、もっと大切なのは「傍を楽にする」にすることです。
それが稼ぎにつながりますが、その稼ぎもお金だけではないという話です。
今回は話しませんでしたが、
お金だけで収支を考えるのとお金以外のさまざまな要素をいれて収支を考えるのとでは、
事業や労働の評価は全く変わってきます。
最近、金銭的には黒字でも、人間的な全体の収支では赤字になっている「働く人」が増えているような気がします。

2つ目は、「集める」から「集まる」への発想転換です。
お金やお客様を「集めよう」とするのではなく、「集まる」ようなことを考えればいいのです。
どうすればいいかは簡単で、楽しくすればいいのです。
楽しいところには人もお金も情報も集まります。

最後は「社会のため」ではなく「自分たちのため」へと発想を変えることです。
社会のためなどという言葉はむなしい言葉です。
そもそも「社会」とは何なのか具体的に説明できる人はいないでしょう。
社会のために活動しているという人の活動で、私が感心したためしはありません。
むしろ自分も含めた自分たちみんなのためという発想が大切です。
そういう発想があれば、フィブリノゲンなど販売するはずもなく、偽装などもするはずがないのです。

講演の後、分科会に分かれて事例発表やワークショップがありました。
私は「地域活性化」の分科会で事例を聞かせてもらいましたが、
いずれの事例も上記の3つの発想転換が見事に行われていたのでうれしくなりました。
事例の一つは、谷和原村で行われていた古瀬の自然と文化を守る会の事例でした。

事務局長の小菅さんに久しぶりにお会いしました。
その活動が順調に広がっているようです。
稲敷市の住民によるコミュニティバスの運行の話もすごい話でした。
やはり現場の活動は、頭で考えるよりもずっと先を行っています。
とてもうれしいフォーラムでした。

■新しい地域内交通システムの可能性(2008年2月14日)
ベロタクシーを活用した地域活性化のプロジェクトの可能性を何人かの仲間と話し出しています。
ベロタクシーは、観光地ではそれなりに成り立っていますが、
それを普通の生活地域で活かせないかというプロジェクトです。
自転車とまちづくりをライフワークの一つにしている斎藤さんもコアメンバーの一人ですが、
事業性を確立するのが難しく、なかなかスタートにこぎつけません。
たしかによほどの発想の転換をしないと持続は難しそうなのです。

久しぶりのインキュベーションプロジェクトなので、私もちょっとかかわり続けようと思っています。
現在のところ、資金が500万円ほど不足しています。
どなたか見返りなしに、ぽんと贈与してくれる方はいないでしょうか。
2年ほど、500万円を提供してもらえると事業化できるかもしれません。
成功したらきっと新しい地域づくりモデルになるでしょう。
どうでしょうか。どなたかいかがですか。
このプロジェクトの行方はまた報告します。
仲間になりたい方はご連絡ください。

■3月23日はコムケアフォーラム2008です(2008年2月15日)
コムケアフォーラムを3月にやりたいと思いながら、ほとんど準備をしてきていませんでしたが、
そろそろ動き出さないといけないので、急遽ミーティングを持つことにしました。
橋本さんと宮部さんと私に加えて、今回は山下さんという有力なメンバーが参加してくれました。
コムケアにはこれまで関わったことはないのですが、
お誘いしたら「わくわくします」といって参加してくれたのです。
まさにコムケア的な反応です。

そしてちょっと無理かなと思っていたのですが、結論は3月23日に開催しようと言うことになりました。
しかも丸1日かけての開催です。
コムケアは他にはない新しいスタイルをいつも志向していますが、
今回もまさに聞いたこともないような新機軸です。
内容は橋本さんからまだ公開するなと言われているので書けませんが、3月はじめには公開します。

ちなみに、今回のフォーラムの出発点は
「介護が必要になった時、大切なものは)何でしょうか?」
という橋本さんの問題提起です。
橋本さんのブログをぜひお読みください。
これはコムケア活動の本質でもあるのです。

もし共感されたら、ぜひ3月23日のコムケアフォーラムにお立ち寄りください。
日程だけおさえていただければうれしいです。
また企画運営に参加したい方はぜひ私にご連絡ください。
参加する人次第で、きっと内容は変わっていきます。
それがコムケアですので。

(2008年2月第1週)
今週は雪で始まり、雪で終わりました。
■犬の散歩の効用(2008年2月5日)
■聖人にして狂人のバタイユ(2008年2月6日)
■元気な矢辺さんは健在でした(2008年2月7日)
■東葛ミニミニコムケアフォーラム(2008年2月7日)
■平和哲学の役割(2008年2月8日)
■署名運動が最近たくさんまわってきます(2008年2月8日)

■犬の散歩の効用(2008年2月5日)
残雪の中を犬の散歩に出かけました。
なぜ犬の散歩などしなければいけないのかと、いつも疑問に思いながら、
私は犬の散歩に付き合っています。
私があんまりやる気がないのを知っているのか、犬はなかなか思うように歩きません。
自己主張するのです。困ったものです。

しかし、犬の散歩はいろいろと面白い問題を内包しています。
やや大げさに言えば、私たち現代人の身勝手な生き方の象徴かもしれません。
それに犬を連れて散歩しているようで、実は犬に連れられて散歩しているのかもしれません。
犬のリズムで歩いていると、町の様子がよくわかります。

出会いもあります。
今日も近くのOさんに会いました。
ちょっと立ち話をしましたが、かなり衝撃的な話でした。
犬の散歩をしていなかったら、その話を知るのはだいぶ先になったかもしれません。
まちにはたくさんの物語があります。
犬の散歩に行くだけでも、そうした物語が見えてくるような気がします。

■聖人にして狂人のバタイユ(2008年2月6日)
12月の日本構想学会の集まりで、私がフーコーやネグリが面白いといったら、
バタイユはどうですか、と半田智久さんから言われました。
バタイユは全く難解で、本も読んだことはありませんし、
私とは全く肌合いが違うと思っていましたので、その時は聞き流していたのですが、
数日前にブログでポトラッチのことを言及した時に、半田さんの言葉を思い出しました。
ポトラッチといえばバタイユ、くらいの知識しかないのですが、なぜか奇妙にバタイユが気になりだしました。
なぜ半田さんが私にバタイユを勧めたのか、気になり出すととまりません。

それでバタイユの入門書を読み出したのですが、相変わらず難しくてよくわかりません。
新書の入門書ですから、普通は2時間もあれば読み終えられるはずですが、
10分も読むと眠くなってしまい、進まないのです。
やめようと思ったのですが、半田さんの顔がちらついて、もう少し読もうと読みすすめました。
半分くらい読み終えた時に、相変わらず内容はあまり理解できていないのですが、
ネグリのマルチチュードと通じているではないかという気がしてきました。

そればかりではなく、私が考えていることと、あるいは生き方ともつながっているような気がしてきたのです。
バタイユのことを知っている人もいるでしょうから、
念のために言えば、私は彼のような聖なる、あるいは狂的な生き方とは対極にある
常識的な生き方をしていると自覚していますが、奇妙につながっている気がするのです。

うれしくなって、その本で知った言葉を早速ブログで使ってしまいました。
まあ、それはどうでもいいのですが、私が考えていた生き方をバタイユは見事に実践しているのです。
ルサンチマンに陥らずに、ゾーエを軸にした社会変革を構想するという矛盾した発想に感動しました。

何事もよく知らずに拒否してはいけないことを改めて学びました。
バタイユの本を読もうという気にはなっていませんが、いろいろと刺激を受けました。
今度、半田さんに会ったら、なぜ薦めたのか訊ねてみたいと思います。

■元気な矢辺さんは健在でした(2008年2月7日)
障害を持つ人たちの就労支援に取り組んでいる会社に入社した矢辺さんが訪ねてきました。
3年ぶりでしょうか。元気でがんばっているようです。
彼のことは以前何回か書きましたが、卒業後、あまり会う機会がありませんでした。
会いに来ないのはうれしいことです。うまくいっている証拠ですから。
しかし会いに来るのもうれしいことです。それもまたうまくいっている証拠です。
人に会うのはいつでもうれしいものです。

過労死が心配なほど働いているようですが、楽しくやっているようです。
それに自分の思いもしっかりと保持しているようです。
10年後が楽しみです。
その頃、私はもういないかもしれませんが。

■東葛ミニミニコムケアフォーラム(2008年2月7日)
コムケア活動を再開し出しましたが、
地元の千葉県東葛地区でコムケアフォーラムを開催したいと思いつき、
メーリングリストで告知し、関心を持ってもらえる人に集まってもらいました。
メールで゙の案内ですし、急だったので、集まるだろうかと心配していましたが
、なんと7人の人が集まってくれました。
参加したかったけれど、都合が付かなく手と言う人も2人いました。
なにかやろうと思いつくと、こうしてすぐに何人かの人があつまってくれる。
とても嬉しい話です。
中には遠くから参加してくれた人もいますし、コムケアとこれまで全く接点の無かった人も一人参加してくれました。

本郷でやっているときとは違い、コムケア的な進め方に慣れていない人が多かったのと、
何をやるかについての考えも中途半端だったため、
たぶん集まった方には期待はずれになってしまったような気もしますが、
ともかく今無いようなスタイルの継続的なフォーラムや仕組みを作れればと思っています。

次回は3月の6日です。
案内をお知らせに掲載しますので、周辺の方はご参加いただけると嬉しいです。

■平和哲学の役割(2008年2月8日)
長年、平和問題に取り組んでいる川本兼さんが、
上智人間学会の学会誌に発表した「平和哲学の役割」を送ってきてくれました。
川本さんの平和に関する著書に関しては、出版の度に紹介してきましたが、
いままた新しい著作に取り組まれています。
その本への思いを先日、川本さんはこう伝えてきてくれました。

私は、戦争体験を通じて習得した日本国民の戦争直後の感覚は、
多くの点で既に西欧型民主主義やソ連型社会主義の考え方を超えていたと考えています。
しかし、わが国民はそれを表すロゴス(言葉や論理や普遍原理)を持ってはおらず、
そこでわが国は、その日本国民の感覚とは異なる方向へと歩むことになってしまった!
出来ることなら私は、日本国民のこの戦争直後の感覚に「言葉」を与えたいと考えており、
その「言葉」によって「戦後日本の再構築」を行えたらと思っています。
そして、もしそのことが可能であれば、
日本国民は、本当の意味での国際貢献を行えるようになるのではとも期待しています。

今回送られてきた論文は、新しい著作に向けての立脚点や考えを簡潔にまとめたものですが、とても示唆に富む小論です。
もし読みたいという方がいたら、ご連絡ください。
まもなく川本さんの新著も出るでしょうから、またご紹介します。

平和や国際貢献に関しては、地道な形での取り組みもいろいろなところで展開していますし、
その考え方の整理も進んでいるように思います。
川本さんの平和への思いの強さには、頭が下がります。
川本さんのこれまでの著作を多くの人たちに読んでほしいと思っています。

平和といえば、コムケアサロンを20日に開催しますが、そのテーマが「平和」です。
お知らせのコーナーでご案内していますので、よかったらご参加ください。
私もこの1年半、平和に関する活動をやめていましたが、また再開しようと考えています。

■署名運動が最近たくさんまわってきます(2008年2月8日)
最近、署名運動がよく回ってきます。
むかし豊島の産業廃棄物問題に取り組んでいた弁護士の大川さんからの
「ハンセン病問題基本法制定」などに関する国会請願署名運動が回ってきましたので、これは協力することにしました。

最近はどうも署名を頼むのが難しいです。
いろいろな人に頼んで見ましたが、若い女性は住所を公開することに抵抗がある人もいるようです。
集まりなどで話をすると半分くらいの人が署名してくれます。
不謹慎に聞こえるかもしれませんが、その反応がとても面白いです。

メールで署名の誘いも多いです。
たとえば最近でいえば、つくばみらい市でのDV問題の講演中止への意義申し立てとか 、
平和の問題とか、日教組大会を拒否したホテルへの抗議とか、多い時は毎週のように回ってきます。

私はネットでの署名運動にはかなり違和感があるので、
よほど信頼する人からの依頼でないと協力しません。
日教組大会の件はブログでも書きましたので迷ったのですが、やはり参加はやめました。
メール署名はあまりに簡単なので、どうもなじめないのです。

遠慮しながら署名用紙を出して、出来ればお願いできないでしょうかとお願いする、
そのところにこそ、価値があるような気がしているのです。
自治体の首長による道路建設請願署名運動の件が、国会で話題になりましたが、
そんなに簡単に署名は集まる社会はむしろ恐ろしい気がします。
署名運動も実際にやってみるといろいろ考えさせられます。

ちなみに、ハンセン病の件は、ネットでも署名運動への協力は可能です。

(2008年1月第5週)
世間はいろいろと動いていますが、どうも私の方は寒さに負けてしまっています。
新しいプロジェクトもいくつか動き出そうとしていますし、
地方でのコムケアフォーラムの検討も進んでいますが、
まだ書き込む段階ではないので、今週は書き込みをパスします。

以前は何でもかんでも書きこんだのですが、
仕事関係はもちろん、個人的なことも書きずらくなりました。
すべてを公開しながら生きようとしているのですが、
ホームページを見る人が増えてきたので、あまり勝手には書き込めなくなりました。
人の目を気にするようになったのかもしれません。
主体的に生きる私の姿勢とパワーが弱まっているようです。
個人的なことをさらけ出して行くのは、結構、エネルギーが必要なのかもしれません。
こんな状況が少し続きそうです。

ブログは、むしろ記事が増えています。
このサイトに変わって読んでいただければうれしいです。

(2008年1月第4週)
本格的な寒さの到来です。
地球はもっともっと温暖化してもいいと思うほどの寒さでした。
それにしても地球温暖化の危機って、本当なのでしょうか。
活動を再開したら、いろいろとメールが入りだしました。
私の動きを心配して見守っていてくれた人が少なからずいたことがわかりました。
これまでのさまざまな活動のおかげです。
みなさんに感謝しています。
■起業するということ(2008年1月21日)
■研究者大川新人さん(2008年1月25日)
■暮らしと技術を考えるサロン、次のテーマは原発です(2008年1月25日)

■起業するということ(2008年1月21日)
社会起業家という言葉が広く使われだしました。
しかし、「起業」と言うのはそう簡単ではありません。
私は「やりたいことを実現すること」が「起業」だと考えていますの、
その方法論にはあまり関心はありません。
もし本気でその気になれば、方法はいくらでも見つかりますし、
それを見つけ実現していくことが起業の醍醐味なのです。

問題は、「やりたいこと」を具体的な形にしていくのが難しいのでしょう。
私が自称している「コンセプトデザイナー」は、まさにその道筋を整理することなのですが、
これは当事者との共創関係があって初めて可能になります。
最近は、その当事者に出会えないのです。
これほど面白ことが山積みになっているの、なぜみんな、「やりたいこと」が見つからないのでしょうか。
もしかしたら、やりたいことなどなくてもいいという時代なのでしょうか。

何だか時評ブログの記事みたいになってしまいましたが、
今日はインキュベーションハウスのミーティングをやったのですが、
どうも構想は出てきますが、計画に辿りつきません。
メンバーの高齢化のせいでしょうか。
私自身は間違いなく、自分で責任をとるほどのコミットはしたくないという逃げ腰気分が強まっています。
困ったものです。

インキュベーションハウスの仕事も少しずつ再開です。

■研究者大川新人さん(2008年1月25日)
久しぶりにNPOカウンセラーの大川新人さんと昼食をご一緒しました。
彼が指定してきたのが、上野の「大地の贈り物」です。
有機野菜食材を中心としたバイキングです。
彼らしい指定なので、そこで会いました。
もっとも、有機野菜を売り物にしている割には、野菜の美味しさを活かしたものはほとんどありませんでした。
まぁ、私にとってはですが。
そもそも野菜ジュースがなくて、野菜スープもありません。

大川さんは4月からまた大学院生活に入ろうとしています。
テーマはソーシャル・アントレプレナーや社会的企業です。
10年ごとに学びたくなるのだそうです。
それはいいことです。

彼が、事業型NPOは企業経験者でないと難しいですね、と言いました。
私は逆な意見を持っていますが、
昨今の日本の社会的企業の概念があいまいすぎると言う点では意見が一致しました。
いまそこを整理するプロジェクトにも関わっているようです。

大川さんのライフスタイルは現代人らしからぬところがあります。
私とはかなり異質なのですが、それゆえにか彼の生き方には興味があります。

活動を再開しましたが、併せて、気になっている人たちに会いだしました。
私の周りには、いささか心配な人たちが少なくないのですが、
そういう人たちに会って気がついたのは、今や一番「心配な人」は私自身のようです。
他の人の心配よりも、自分の心配をしたほうがよさそうです。

■暮らしと技術を考えるサロン、次のテーマは原発です(2008年1月25日)
再開して3回目のサロンです。
今回は日本政策投資銀行の調査部長鍋山さんが幹事です。
今回はうっかり他の人を誘うのを忘れてしまいました。
最近、どうも「視野狭窄」になってきています。
並行思考ができなくなってきているのかもしれません。
ハッと気がつくと、間に合わなくなっていることが多いのです。
今までは、つまり妻がいた頃は、彼女が私に気付かせてくれましたので、いつもぎりぎりセーフだったのです。

ところでサロンですが、鍋山さんらしい問題提起で面白かったのです。
鍋山さんは、視野拡大を心がけている人ですので、
提供してくれた話題はカラーの問題、生き方の問題など多岐にわたっています。
今回は本論にはいる前にもいろいろと最近の世間の話題がでました。
とりわけ最近の再生紙偽装問題、いわゆるエコ偽装では賛否が別れました。
実害は無いのではないか、いや営々と積み重ねてきたエコ意識が大きなダメッジを受けたという議論が行われましたが、
やはりどこかで議論がずれていました。
その前にガソリン税の問題もでましたが、これは思い切り議論がずれて、かみ合いませんでした。
私の責任もかなりあります。困ったものです。

それにしても、議論することの難しさをいつも感じます。
ところがです。
この会の次回のテーマはなんと「原子力発電問題」になったのです。
このテーマで、きちんとした議論をすることの難しさは私も何回か経験していますし、
テレビでもまともな議論は見たことがありません。
しかし、だからこそ議論したいということになりました。
4月5日に開催する予定です。
だいぶ先ですが、きっと面白い展開になるでしょう。
ご関心のある方はぜひ私にご連絡ください。
賛否対立の議論ではなく、論点整理の議論になればと思っています。
「無縁」の立場で、共創的なサロンができればと思います。
なにやらわくわくします。

またお知らせで案内します。

(2008年1月第3週)
寒さが厳しくなってきました。
■日本のミドルマネジメントは忙しそうです(2008年1月15日)
■どうしたら組織力は向上するか(2008年1月16日)
■久しぶりのKAE事務局(2008年1月17日)
■スペインからの来客(2008年1月18日)
■年賀欠礼の返信の結果(2008年1月19日)

■日本のミドルマネジメントは忙しそうです(2008年1月15日)
今年最初の次世代育成研究会です。
ミドルマネジメント層1000人へのアンケート調査の結果報告がありました。
みなさん忙しそうです。
しかし問題は社会状況の大きな変化の中で、
新しい組織原理が求められているにもかかわらず、
相変わらず従来発想で組織編制をしていることなのではないかと思います。

1980年代に、世界的には、SASやノードストローム、
あるいはセムコで新しい組織原理が生まれ出したにもかかわらず、
それがまた競争志向のなかで軍隊型に戻って閉まったのは残念でした。
あの当時、新しい企業パラダイムへの予兆を感じていましたが、
その後の20年はむしろ後退の歴史だったように思います。

新しいミドルマネジメントのミッションを根本から考え直さなければいけませんが、
それはむしろトップも含めた「マネジメント」概念の再構築なのかもしれません。

企業は、まさに面白い時代に向かっています。
しかし、今の状況では日本の大起業はすべて破綻しかねないように思います。
30年前の「大企業解体の予兆」が、やっと現実化しそうです。

■どうしたら組織力は向上するか(2008年1月16日)
KAE42期のEチームのメンバーとフリーディスカッションをしました。
昨日、話題のミドルマネジメント層の渦中にいる人たちです。
今回のテーマは、「組織力の向上」です。
ここでも問題は、「組織力」とは何かです。
キャノンやトヨタがいくら業績を上げても、従業員が疲弊してしまうような状況の中で、
改めて「組織力」とは何かを具体的に考えていかねばいけません。

しかし、そんなことを考えていたら、目先の競争に負け、
あるいは社内の競争原理の中で脱落しかねないのが、最近の企業かもしれません。
まだ今回は具体的な議論にはいる前でしたので、あまり実体論議はできませんでしたが、
正直にいえば、どうも最近の大企業には「考える」という行為の価値付けが低下しているような気がしました。
「考えること」は、今の時代にはあまりはやらないのでしょうね。
政治も経済も、考えずに、ただ走るだけ。
疲れる時代になりました。

■久しぶりのKAE事務局(2008年1月17日)
飯田橋で仕事の関係のミーティングがあったので、
久しぶりに飯田橋の経営道フォーラムの事務局である、山城経営研究所を訪問しました。
オフィスのスペースが拡大され、会議室もできていました。
今度何かやる時に貸してもらえそうです。

経営道フォーラムもいまそのミッションや方向を見定めている時期なのですが、
最初の頃に少しだけ関わらせてもらった者としては、その幸先にいささかの興味があります。
興味があればもっとコミットすべきなのですが、
それもなかなか気が重く、無責任な外部コメンテーターになっています。
今回の訪問を契機に、私もまた少しだけ当事者意識を回復しようかなと思いました。

■スペインからの来客(2008年1月18日)
スペインタイル(Taller de JUN )をやっている娘のところに、
スペインに行っていた時にお世話になっていたカヨさん・ラモさん夫妻がやってきました。
節子の葬儀の時も早々と花を送ってくれたのですが、今回もまた花を持ってきてくれました。
節子はこの2人がとても好きでしたので、とても喜んでいることでしょう。
スペインでは位牌はないけれども、写真を貼って思い出しているそうです。

■年賀欠礼の返信の結果(2008年1月19日)
先週、年賀状をもらった私の友人知人に、節子の訃報を知らせました。
そのため何人の方から電話や手紙、メールが届き出しました。

ブログ「妻への挽歌」
に少し紹介していますが、
いろいろとまた、節子のことを思い出してしまっています。
「愛」とは何か、「生きる」とはなにか、
まぁ、そんな青臭いことを年甲斐もなく考え出しています。

(2008年1月第2週)
今週は今年取り組むいくつかのテーマにつながる何人かの人とお会いしました。
問題は頭が動き出したのに肝心の身体の動きが鈍いのです。
運動不足で体力が大幅に減退しているのかもしれません。
■経営道と公共哲学(2008年1月8日)
■社会教育と「みんなの学び」(2008年1月8日)
■新しい福利厚生プログラムとLLP(2008年1月10日)
■東葛地区でのNPOブリッジング(2008年1月11日)

■経営道と公共哲学(2008年1月8日)
日本経営道協会の事務局のみなさんにお会いしました。
新しいメンバーも参加し、今年は新しい展開が始まりそうです。

代表の市川覚峯さんは、日本文化に根づいた「経営道」を提唱して、
その普及の仕組みを創り、活動を展開しだして、もう20年以上たちますが、
最近の企業の動きを見ていると、その成果はなかなか現れてきていません。
市川さんは諦めずに取り組んでいますが、最近は少し疲れも出てきているのではないかと思います。

経営道については、これまでも何回か書いてきましたが、
これまでのようなアプローチではどうも限界があるような気がします。
協会のメンバーと話していて思いついたのが、公共哲学との接点です。

公共哲学もまた、昨今の日本、あるいは世界から失われてきているものですが、その回復を目指す活動があります。
これも書いたことがあるような気がしますが、公共哲学ネットワークです。
そこでは近代の限界を見据えて、かなり具体的な提案も始まっています。
その成果が経営道の展開に役立つかもしれないと思いつきました。

さらに、アニミズムへの動きもあります。
こうした新しい動きも踏まえて、新たな経営道活動が始まらないものかと思います。
ただ、最近、私自身はどうもがんばりが出ませんので、どう関わろうか悩むところです。

■社会教育と「みんなの学び」(2008年1月8日)
社会教育に関わるお2人の方がオフィスに来てくれました。
「社会教育」と言ってしまうとなにやら古めかしいイメージですが、
視点を変えて「みんなの学び」と考えれば、これからの社会形成にとって、極めて重要なテーマになります。
新しいメディア開発も含めて、真剣に取り組んだら、面白いプロジェクトが組めるような気がします。

最近、またオフィスに少しずつ出始めましたので、少しずついろいろな人が訪ねてきてくれます。
人は必ずテーマを運んで来てくれますから、面白いプロジェクトにも出会えます。
問題は、私自身にどのくらい「やる気」があるかなのです。
しかし、これほど「面白いテーマ」が山積みになっている時代なのに、
どうしてそれに取り組もうという人が少ないのでしょうか。
社会起業家の時代が来たと、私もいろいろなところで話させてもらってきましたが、
まだまだ社会起業家は少ないのかもしれません。
それはもしかしたら、経済システムのせいかもしれなと最近思うようになってきました。
社会教育も、私の今年のテーマ候補の一つです。

■新しい福利厚生プログラムとLLP(2008年1月10日)
企業にとって最大の課題は「従業員のモチベーション」をどう持続的に高められるかではないかと思います。
その点での日本企業の体験的ノウハウはかなりのものだったと思いますが、
「経営の近代化」の中でそうしたことが捨てられてきてしまったのは、とても残念な気がします。

会社に入った頃、人事管理におけるフィリンジベネフィットと福利厚生は、同じものだと思っていました。
その違いに気づいたのは、東レ時代にCIという「企業文化変革運動」に取り組んでいたときでした。
福利厚生は決して、フィリンジな問題ではなかったのです。
その問題は、会社を辞めて以来、関心から外れてしまっていましたが、
コムケア活動に取り組んでいるうちに、まさにNPOが取り組んでいることの多くは、
企業にとっての福利厚生プログラムにつながって行くのではないかと感ずるようになりました。
さらに、NPOで活動すること、つまり働くこと自体も、福利厚生活動なのだと気づいたわけです。

これに関しては、きちんと論理立てて書かないと伝わらないと思いますが、それは私には苦手のことです。
このホームページやブログでおわかりのように、私は書くのが好きですが、
正確に言えば、思いつきを書きなぐるのが好きなのです。
筋道立てて、読者に理解してもらうように書くのは不得手なのです。
そうしたことにはモチベーションが働かないのです。
ですから本も書けないし、論文も書けないわけです。

まあ、それはともかく、企業にとっての新しい福利厚生プログラムを実践的に企画提案していくことは面白いかもしれません。
それに、私が取り組んできたコムケア活動のひとつの物語になるかもしれません。

そんなこともあって、今日は、遠隔地介護のNPOのパオッコの太田さんや西村さんとお会いしました。
もしかしたら、インキュベーションハウスとの接点もできるかもしれません。

インキュベーションハウスも今は普通の会社になりそうですが、もう一度、やりなおせるかもしれません。
協同総合研究所の秋の集会での事例発表の報告を読んで、
新しい事業主体モデルとしてのLLPにも再挑戦してみたくなりました。
新しいインキュベーションハウスを創るのもいいかもしれません。

■東葛地区でのNPOブリッジング(2008年1月11日)
東葛地区とは千葉県の北西部の柏・我孫子・松戸などを指しますが、
そこでコムケアフォーラムが開催できないかと考えています。
先月、コムケア仲間に声をかけて賛同を得たのですが、そろそろ動き出そうと思います。

そんなこともあって、久しぶりに我孫子市役所の市民活動支援課の杉山さんを訪問しました。
市長が代わったので、動きも変化するのかと思っていましたが、どうもまだ変化はないようです。
我孫子市のNPOやボランティアグループはなかなか市外に出てきません。
市外のいろいろな集まりで、会ったことがほとんどありません。
市民活動は地域に根づいていることが最重要ではありますが、同時に外に開かれていることもまた重要です。
いわゆるボンディングとブリッジングということですが、
後者の点を重視している人を探していますが、なかなか出会えずにいます。

2年ほど前、新しいネットワークづくりを始めていたのですが、
途中で頓挫していましたので、それも含めて今年は少し地元関係の活動にも取り組もうと考えています。
そのためにも、東葛地区でのコムケアフォーラムを実現したいと思っています。
もし読者の中に東葛地区の方がいたら、仲間になってくれませんか。
人のつながりを中心にしたカジュアルな取り組みをしたいと思っていますので、きっと楽しんでもらえると思います。

市役所では青木さんにもお会いできました。
我孫子での活動をどう再開するか、少し考えてみようと思います。

(2008年1月第1週)

私自身は体調を崩してのスタートでしたが、天気は絶好調でした。
しかし、日の出は一度も見ませんでした。
ほとんど自宅で何もせずに、無意味に無為な時間を過ごしてしまいました。
人は退嬰的になるとどんどん堕ちていきそうです。
来週からは反転させる予定です。
■新年の挨拶 (2008年1月1日)
■不調な年明け(2008年1月1日)
■小林教授夫妻の来訪(2008年1月4日)
■椎原正昭さんと弥勒のこと(2008年1月5日)

■不調な年明け(2008年1月1日)
とても気持ちの良い年明けでした。
しかし、私自身の年明けはあまり良くありませんでした。
昨日、そのために1日寝ていた、めまいと吐き気がまだ治っていないことに、目が覚めたら気が付きました。
そのため初日の出も見にいく気力がなくなってしまいました。
ここに転居してきてから、初めて初日を見ませんでした。
妻がいなくなると生活は一変するものなのですね。

朝は娘が雑煮をつくってくれました。
喪に服しているため、初詣にも行かないことにしていましたが、私の体調が相変わらず不安的なのです。
めまいはかなり軽くなりましたが、嘔吐感が残っています。
風邪かもしれない感じですので、今日はゆっくり自宅で過ごすことにしました。

それにしても良い天気です。
空も真っ青です。
おだやかで平安な年明けですが、心身の調子がよくないので、何もやる気がしません。
ちょっと動くと軽いめまいがします。困ったものです。
それに、伴侶がいないとこんなにもやることがないものなのでしょうか。

今年は年賀メールも一切止めました。
友人知人には年賀欠礼の手紙を出していないため、年賀状も届きました。
奥様もお元気ですか、という文面に出会うと複雑な気持ちになります。
ホームページを時々見ていますという年賀状も何通かありましたが、これもさらに複雑な気持ちです。

夕方になっても、軽いめまいが止まりません。
いささか不安な年の始まりです。

■小林教授夫妻の来訪(2008年1月4日)
湯島のオフィスに初出社です。
例年はいつもパートナーの妻と一緒に来て、近くの湯島天神にお参りしていたのですが、今年は一人です。
今日の午後は2時間ほど、オフィスにいることをホームページで告知していたので、
誰も多分来ないだろうと思いながらも、私が好きな東京の空を眺めていました。
東京の空はとてもきれいなのです。
湯島にオフィスを開いてから、いつもそう思っています。
夕日もきれいなのですが、残念ながら今はあまりよく見えません。
高層ビルが建ってしまったからです。

ぼんやりとしていたら、思いがけない人がやってきてくれました。
早稲田大学教授の小林ご夫妻です。
ブログに書きましたが、節子のことを知って、身体ご不自由にもかかわらず、奥様と一緒に来てくれたのです。
節子がいたら、どんなに喜ぶことでしょうか。
ブログにも書いたので、ここでは小林ご夫妻と話したことのなかから2つの話題を書いておきます。

最初は碑文の話です。
今年の年明けのテレビはなぜかローマばやりですが、
古代史の教授である小林さんは日本では数少ない碑文の専門家でもあります。
古代史の史料は文献だけではなく、膨大な碑文がありますが、
この分野は本家のヨーロッパでもまだまだ明らかにされていないものも多いようです。
まして日本ではまだその分野の情報は少なく、
一昨年、小林さんが翻訳された「碑文に見る古代ローマ生活誌」がその先鞭をつけたところです。

塩野七生さんの「ローマ人の物語」も、基本的に文献が基本ですが 、
碑文史料がもっと解明されれば、また違った物語になるかもしれません。
碑文の世界はまだまだ未開の世界なのです。
小林さんは、その分野では日本の一人者で、海外とのネットワークも広くお持ちですので、
それを駆使して碑文の面白さを日本に広げられないかという構想を小林さんはお持ちです。
どこかのテレビ局が取り上げてくれないものでしょうか。
実に興味ある話です。

もう一つは、言語障害などを持つ人が大学などで教えられる仕組みの話です。
小林さんは、かなり早い時期からパソコンを駆使した授業に取り組まれていました。
その後、病気の後遺症で言語障害が残ってしまいましたが、
パソコンを駆使した授業をやっていたおかげで、引き続き授業を継続しています。
そのことはNHKでも取り上げられたことがあります。
小林さんの教え子の、言語障害を持つ優秀な学生が、就職の関係で教職を諦めたことがあるようなのですが、
小林さんは、ITを駆使すれば、身体的な障害は克服できるので、
ご自身が体験されてきたことを踏まえて、そうしたシステムがもっと普及できないかと考えています。
それができれば、障害を持つ人たちの選択肢が増えるばかりでなく、
知の世界にも大きな貢献ができるはずだと言うのです。
IBMや富士通など、どこかの企業で関心を持ってくれるところはないでしょうか。
私も少し応援したくなって来ました。

どなたかいい知恵があったらぜひ教えてくださいませんか。

それにしても、小林さんのアクティブな生き方には刺激を受けます。
今日は大きな元気をもらいました。

■椎原正昭さんと弥勒のこと(2008年1月5日)
これもいつかブログに書くつもりですが、今朝、椎原澄さんから久しぶりのメールが来ました。
もう10年以上、お会いしていないかもしれません。
椎原澄さんは、椎原正昭さんのパートナーです

椎原正昭さんとの出会いのきっかけは忘れましたが、とても不思議な人でした。
私がコンセプトワークショップの会社を発足させたのが1989年の8月30日ですが、
椎原さんは良い日に発足させましたね。その日は弥勒が降りて来ていた日ですよ、と言いました。
私の再出発は、弥勒に祝福されていたわけです。
私は、その種の発言はすべて素直に信ずるタイプなのです。
後で考えて本当かなと思うこともあるのですが、言われた時にはすべて信じます。
人は嘘をつくことはないし、万一嘘をつくとしてもそれにはそれなりの理由があると考えていたからです。
もっとも最近はそうではありません。
嘘が見えてしまうことが多くなりました。
私の性格が悪くなったのでしょうか。嘘が見えてしまうのは哀しいことです。

まぁ、それはどうでもいいのですが、問題は椎原さんです。
澄さんのメールはこう書かれていました。

彼は奥様より1年ほど前、 2006年11月17日に永眠いたしました。
8日に誕生日を迎え68歳になって間もなくでした。

椎原正昭さんから時々来るメールで、そうしたことは予想できていましたが、
実はその結末を知るのが怖くて、状況を訊く勇気がありませんでした。
節子の闘病中は、元気な人以外とは極力、触れ合わないようにしていたのです。
自分勝手な生き方でした。でもそれが素直な私の気持ちでした。

椎原さんはドラマティックな人でした。
ベトナム戦争にも従軍した戦場カメラマンで、
米国NBCのアジア総局運営マネージャーなどもされていましたが、
私が知りあった時には、総合メディア会社を主宰しており、さまざまなプロジェクトを手がけていました。
最近、スピリチュアリティがブームになっていますが、
椎原さんはもう20年近く前からスピリチュアリティをテーマにしていました。
私もいくつかのプロジェクトにささやかに関わりましたが、壮大すぎて、全貌がなかなかつかめないほどでした。
澄さんからのメールによれば、旅立ちの仕方もまさに椎原風だったようです。

澄さんも、椎原正昭さん以上にスピリチュアルな人です。
たぶん彼岸とつながっているのです。ご自身もそれを認識しています。
もしかしたら彼岸と此岸を往来して、今なお正昭さんにも会い続けているかもしれません。
節子もお2人には面識がありますので、節子にも報告しました。
ご冥福を祈ります。

訃報は、できればもう聞きたくありません。
今の私には耐える元気が少し欠如しています。