オープンサロンニュース
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■2006年7月28日
今日のオープンサロンは実にうれしいことが起こりました。
大村教授からのツキが早速に効果を出したのかもしれません。
ツキに見放された大村さんが交通事故にあっていなければ7いのですが。

早稲田大学の小林雅夫教授が奥様と一緒に来てくれたのです。
小林さんに関しては今年に入ってからも2回ほど書かせてもらいました。
オンデマンド授業の話アイモとの交流の話です。

その小林さんがまだ歩行もご不自由ななかを、奥様と一緒にわざわざオープンサロンに来てくださったのです。
病気をされる前にオープンサロンやパウサニアスサロンなどで、
湯島には何回か来て下さっているのですが、今回は突然の来訪です。
実にうれしいことです。

小林さんは前にお会いした時よりもずっとお元気そうで、昔のやさしい笑顔も完全に回復していました。
アイモでの発声学習成果も出ており、ゆっくりであれば、話も少しずつできるようになってきています。
今回はサロンですので、初めての方が多く、奥様が通訳支援役をしてくださいました。
オンデマンド授業の話や小林先生のご専門の古代史の話が話題になりましたが、
久しぶりに私も小林さんの古代史の話を聞かせてもらいました。

小林さんが最近翻訳された「碑文から見た古代ローマ生活誌」(原書房)を持ってきてくださったのですが、
小林さんは日本では極めて少ない古代の碑文の専門家でもあるのです。
今日、小林先生のお話を聞いて碑文の重要性や面白さを改めて認識しました。
ローマ世界を知る碑文は現在30万点以上あるそうですが、今でも毎年1000点以上が発見されるのだそうです。
そして碑文は当時のものですので、史書と違い断片的ではあるものの事実に近いものが多く、
それによって「勝者の歴史」とは違ったもうひとつの歴史が見えてくることもあるわけです。
碑文の研究で歴史が書き換えられる可能性があるわけです。

小林教授の頭の中にはたくさんの研究成果が詰まっているわけですが、
オンデマンド授業のおかげで、そうしたものが記録で残るようになったわけです。
ちなみに小林教授のオンデマンド授業はNHKのおはよう日本で2年ほど前に放映されたそうです。

小林ご夫妻のおかげでいつもとはちょっと違うサロンになりました。

サロンにはもう一人久しぶりの参加者がありました。柴崎さんです。
1年半ぶりでしょうか。残念ながら今回はあまり話せませんでしたが。
ほかに武田さん、乾さん、峰岸さん、奥山さんが参加してくれました。
小林夫妻が参加したのを理由に、それぞれから最近の活動などの自己紹介をしてもらいました。
おかげでまたみなさんのことを改めて知る機会になりました。

■2006年6月30日
CIプランナーの 平田英二さんが久しぶりに参加したせいか、CI関係つながりの奥山さんや藤原さんが参加しました。
シンクロニシティです。
直前にインナーブランディングを話題にしていたばかりですし、鍋山さんたちとも企業議論をしていました。
ここには書きませんが、その間に実はまさにブランドに関わる企業の仕事の打ち合わせもしていたのです。
不思議なつながりです。
もっとも今日のオープンサロンはブランド話題がにぎわったわけではありません。

紀陸さんが久しぶりにパリに行かれ、昔住んでいたところに行ってみたという話から、海外の話がまず始まりました。
そして同行者のパートナー(紀陸農園園主)のつながりから農業の話に行き、そこから建築模型の話といろいろと展開しました。

実は今日は朝からさまざまな人たちの訪問を受け、私自身がかなり疲れていたこともあって、
ボヤっとしていたので、例によってどんな話があったか記憶がないのです。

平田さんからドイツの話が出て、峰岸さんがそれを発展させて、何か面白い話があったはずなのですが、
それからなぜか大工の話になり、さらには百姓の生き方が理想などというような話になり、・・・・、
まあいろいろありました。
個人情報の話もあったような気がしますし、NPOの話もありました。
これはちょっと議論的な内容だったような気もします。
こうやって思い出そうとするといろいろと思い出しますね。まあ、それがサロンのいいところかもしれません。

そういえば、新潟の山古志村の映画「掘るまいか/手掘り中山隧道の記録」の話になり、
紀陸さんたちが山古志村にも建築模型で関わっていることを知りました。
峰岸さんが興味をもったようで、早速その映画を見たいということになりました。
峰岸さんの好奇心には感心します。

ちなみに、紀陸さんはユキ建築アートプロダクションを主催されていますが、活動はどんどん広がっています。
ぜひ最近のホームページを見てください。

8時頃から奥山さん、藤原さん、乾さん、木村さんと次々とやってきたので、
それに気をとられてしまい、どんな話が進んでいたか、さらに記憶がありません。困ったものです。
奥山さんが、自分が来るときはなぜか参加者が多いのでゆっくり話せないと嘆きましたが、
そういえば今回は奥山さんの話を聞きそびれてしまいました。
かんき出版の藤原さんが最近手がけた2冊の本を紹介してくれました。
1冊は「横浜・川崎計画地図」。藤原さんの当たりシリーズの久々の登場です。
これから京浜臨海部は大きく変わりますが、それに関する計画が網羅されているビジネスヒント集です。
ビジネスチャンスを探している人には絶対お勧めのヒント集です。
かんき出版のサイトを見て、ご関心のある方はぜひご購入ください。
藤原さんの本ですので、内容は確実です。

もう1冊はシャルレの社長の三屋裕子さんの「あなたが打ちやすいボールを送りたい」です。
ホスピタリティとビジネスをテーマにした読みやすい本です。
会社の元気に取り組んでいる人にお勧めします。

乾さんも先月に続いて来てくれました。
そういえば、先日取材して記事にしてくれた雑誌は「力の意志」という雑誌です。
こうした取材記事などもこれからはPDFでこのサイトに掲載しようと思います。
著作権上、問題はないでしょうかね。まあ、あったらすぐに削除しましょう。

最後に来たのが例によって木村勝隆さんです。
来年も目黒区の市議選に立候補するようです。
こういう純粋で見識を持った人に自治体の議員になってほしいものですが、
問題は彼は何が何でも当選したいと思わない性格であることです。
悪貨が良貨を駆逐する時代には、そうした本当の生き方は必ずしも報われないのですが、
報われたいなどと思わないのもまた木村さんなのです。
しかし、今度はきちんと当選してほしいものです。
目黒区のみなさん、ぜひ木村さんを応援してください。
常識を持った生活人であることを保証します。

ところで、今日、なぜか山形から立派なさくらんぼが事務所に届きました。
国会議員の加藤紘一事務所からでした。
昨年、山形の地域開発にほんの1回、相談に乗っただけですが、なんとまあ義理堅いことでしょう。
いろいろ思うことがあるのですが、いつかまた書くようにします。
今回はみんなで味わわせてもらうのとどめました。


■2006年5月26日

今回のオープンサロンは参加者が武田文彦さんと乾真人さんのお2人でした。
乾さんはちょっと遅れての参加だったので、それまで、久しぶりに武田さんとゆっくりお話できました。
もっとも、民主主義論議になるとお互いに主張を譲らないので、それは避けて周辺的な話にとどめましたが、いろいろと面白い話題が出ました。

武田さんは、以前も書いたように、民主主義の実現を目指すリンカーンクラブの代表です。
当初、私はその事務局長だったのですが、15年ほど前はいろいろと活動をしていました。
毎年の総会には鳩山由紀夫さんや武村正義さんをゲストで来てもらい、みんなでの話し合いに参加してもらったりしました。
そういえば、私の住んでいる我孫子市の福島市長にもパネルディスカッションに参加してもらったこともあります。
朝日ニュースターで3時間の討論番組を持ったこともあります。

武田さんが、あの頃は若かったね、としみじみと話したので、気づきましたが、
当時は社会もまだ若く、歴史の方向を切り替える柔らかさがあったように思います。
リンカーンクラブに集まった面々も、今よりは純粋でした。
その分、認識が甘かったのですが。
武田さんは4月から慶応大学の講師としてご活躍です。
まだ始まったばかりですが、なにか新しい風を起してほしいと思います。
もう「若くない」武田さんに期待するのは酷かもしれませんが。まあ期待しましょう。
そんなわけで、今回はゆっくりしたサロンでした。




■2006年4月28日

今週はまた新たな人が参加してくれました。
黒岩麗子さんです。
日本地域開発センターに今年から参加した研究者ですが、美野里町でご一緒した宇都宮大学の藤本教授の教え子だそうです。

地域振興アドバイザーの事務局を担当することになっていますが、
私も今年度は自治会関係のプロジェクトのアドバイザーを引き受けるつもりです。
その関係で先月お会いしたのが縁で参加してくれました。

久しぶりの参加は佐藤和美さんです。
ごみ焼却場のコンサルタントをされていますが、まあコミュニティの業界ではちょっと異質なコンサルタントです。
紀陸さんと江口さん、それに相変わらず忙しく活動している木村勝隆さんが参加してくれました。

デジカメを忘れたため、紀陸さんの携帯のカメラで撮影した写真です。
携帯サイズで撮影したために画質が悪いですが、お許しください。



和美さんが参加されたこともあって、ごみ問題や環境問題の話が多かったです。
紀陸さんが、環境問題を一覧できる立体のジオラマのようなものを模型で創りたいという話をしました。
まだイメージができないのですが、それに関していろいろと議論がでました。
紀陸さんが久しぶりに熱く語っていましたので、一度、関心を持ちそうな人に声をかけてブレストをやってもいいかもしれません。

黒岩さんから「夏イチゴ」の話が出ました。
長野や栃木でもまもなく「夏イチゴ」の栽培が始まるのだそうです。
最近は食材にも「旬」の考えがなくなったという話になりましたが、私たちはどうも自然との付き合い方を忘れてしまったようです。

今日はちょっと緊張感のない、のんびりサロンになりました。


■2006年3月31日

久しぶりにオープンサロンははなやかでした。
個性的な女性が4人も参加してくださったのです。
しかも2人は私には初対面の人です。人数も10人を超えました。
久しぶりに人数が多かったので、ホスト役の勘が戻らなかったのですが、話はとても面白く定刻を30分もオーバーしてしまいました。

初参加は奥山さん、峰岸さん、永谷さん、森田さんです。
奥山さんは日本CI会議体の仲間でした。
私が退会したため、最近は会う機会がなかったのですが、メールではいろいろと交流させてもらっていました。
コムケア活動にも関心を持ってもらっています。
まさかサロンに来てくれるとは思っていませんでしたが、おかげで久しぶりに再開できました。

奥山さんの紹介で峰岸さんと永谷さんも来てくれました。
峰岸さんは雅楽の横笛をやられているそうです。
永谷さんはプロジェクトマネジメントのプロフェッショナルです。
森田さんはオープンサロンを開催したいという思いをお持ちの方で、
ネットで「オープンサロン」を調べていて、このサイトに出会ったのだそうです。

今年初めからメールをいただいていたのですが、やっと日程があって来てくれました。
森田さんは大学院で学んでいるのですが、修士論文は読ませてもらっていました。
社会資源としての音楽家がテーマでした。
コムケア活動を通して、芸術のパワーを実感していましたので、その続きが楽しみだったのですが、
博士課程では一転してテーマが変わってしまうようです。
今度は史学です。1930年代の日本と現在の日本の類似性を考えると、現在の状況を放置して置けなくなったというのです。
同感です。どうしてみんなそれに気づかないのか不思議です。

かつての常連組みも久しぶりに顔を出してくれました。
政治家志望の木村さん、ライターにしてエディターの乾さん、建築アートの紀陸さん、日本語教師を目指している江口さん、
プロデューサー型エディターの藤原さん、そして先週お会いした國分さん、実に多彩な顔ぶれです。
先月はサロンを独占した藤本さんも参加してくれました。
久しぶりにサロンらしくなりました。
写真をご覧ください。
1枚目は乾さんが来ないうちに撮影したので、乾さんはいませんが。



森田さんは、さまざまな専門家が集う自由な公共空間としてのサロンの実現を目指しているようです。
今回はちょっとそんな雰囲気もないわけではありませんでしたが、
初対面の人も多かったので、自己紹介の時間もあり(それもとても面白かったのですが)、サロンの真髄には到達できませんでした。
しかし、また3年前のような活発なサロンが再現するかもしれないと思うサロンでした。
さて来月はどうなるでしょうか。

■2006年2月24日
今日はオープンサロンです。
東京は夜から雪になるという予報もあり、今日は参加者があるだろうかと思いながら女房と二人で待っていました。
7時半を過ぎても来客はありません。
2人でオリンピックのフィギュアをテレビで見ていましたが、何かわびしい気分です。

女房が、自家営業の人は毎日こんな気持なのかしらと言い出しました。
オープンサロンの場合は、参加者がなくても何の不都合も起きません。
しかし、それが生業のスナックであれば、収入がないどころか用意した食材が無駄になります。
客不足が続けば倒産してしまいます。きっと不安でしょうね。
そうした不安に毎日付き合うのはかなりの勇気が必要です。尊敬に値します。

我が家の近くにも家族経営のラーメン屋さんや小さな食堂がありますが、
仮にあんまり美味しくなくても時々は行かないといけないという気持になります。
わびしさを体験すると人はやさしくなれるのです。
我が家の近くにあるラーメン屋さんは我が家の好みの味ではないのですが、家族経営で、その人たちがとてもいい人たちなのです。
我が家では「いい人のラーメン屋さん」ということになっています。
ラーメンの味はもうひとつですが、雰囲気はとてもいいのです。
その前を通って、客が入っているとホッとします。入っていないと行かないといかないと思います。

さてオープンサロンです。
8時近くなっても誰も来ません。
女房が、用意した軽食を2人で食べようかと言い出しました。
とその時、チャイムがなりました。
待望のお客様です。
家族経営のスナックのママの気分がわかりますね。
料金などどうでもいいから何でも食べてよと言いたくなるでしょうね。

やってきたのはコンセプトメイクの藤本純一さんです。
前月に続いての常連さんです。
というわけで、わびしい夫婦の夕食という事態は回避されました。
藤本さんとはじっくりと仕事の話ができました。
藤本さんは昨年末に長年勤めていた会社を辞めて独立したのですが、最初は誰でも戸惑います。
家族経営のスナックではありませんが、個人企業というのもいろいろと大変なのです。
組織に所属している人にはなかなかわかってもらえないでしょうが、ともかく安定していないのです。
だからどこかのクライアントに依存する関係になりがちなのです。
しかし、それでは独立した意味がありません。
そんな話も含めて、藤本さんがこれから取り組もうとされているプロジェクトに関して、かなり立ち入った話ができました。
誰か他の人が来ていたらそんな話はできなかったでしょう。

こうした場面をつくってくれたのは天の配慮かもしれません。
藤本さんとじっくり話ができたことから、もしかしたら新しい物語が生まれるかもしれません。
それも実に刺激的な大きな物語です。半年以内には報告できるかもしれません。
藤本さんと2人だけだったおかげで、そのプロジェクトに私も参加することにしました。
そんなわけで、今月のオープンサロンは仕事の打ち合わせになってしまいました。

ちなみに雪は降りませんでした。

■2006年1月27日
今年最初のオープンサロンには懐かしい人が次々とやってきました。

一番乗りは藤本純一さんです。
今年最初にもお会いしましたが、藤本さんと会うとなにかホッとするのはなぜでしょうか。
続いてやってきたのが江口直明さん。
最近は日本語教師の仕事もされているそうです。
そして鈴木信雄さん。
鈴木さんはこのサイトのフォーラムやブログなどに時々投稿してくださっています。
なんとこの春には思い切った転身をされるようです。

そういえば、3人ともこの数年で生き方を変えつつある人ばかりです。
転進といえば、このサイトでもおなじみの岸田能和さんですが、来るなり今月初めにまた辞表を出したという刺激的な発言です。
誰かから、このサロンに来る人はなぜか会社を辞めてしまうという声があがりましたが、最近はみんな柔軟に仕事を変えることができる時代なのかもしれません。
仕事を変えずにしっかりと前進しているのが紀陸幸子さんです。
対照的に、仕事を変えずにしっかりと後退しているのが私ですが。
しかし、この2人も、そろそろ人生を変えようかという思いがどこかに生まれています。

続いてやってきたのが、経済同友会の太田篤さんです。
太田さんもどうやら最近はNPOにかなり加担しているようです。
常連の武田文彦さんは友人の塩尻さんと一緒にやってきました。
塩尻さんとお会いするのは10年ぶり以上です。実に懐かしい人です。
最後にやってきたのはキャノンの冨永さんです。
富永さんも再開サロンへの初めての参加です。
まあこんなわけで懐かしい顔ぶれのサロンになりました。

話はいろいろありましたが、中国やフィンランドの話が結構多かったです。
いずれも日本の社会とはかなり違いますが、最近、日本の社会に暮らしにくさを感じている私としては、いずれも魅力的でした。
特に中国では50円でビールつきの食事ができると話でした。
そのすぐ近くでめちゃくちゃに高価な月餅菓子がどんどん売れているという話です。
また試験をやると中国の学生は堂々と答案用紙の見せ合いをやるという話も出ました。
いずれもすごく納得できますね。
たとえ試験であろうとわからない人に答えを教えてやることは心和む話ですし、物の値段が人によって全く違うというのも人間的でいいですね。
そういう発言をしたのですが、話が続きませんでした。いやはや。
でもとても住みやすそうですよね。
カンニングはこそこそやるから良くないわけで、堂々とやればいいというのは納得できますね。
それに物やサービスの価格は一物一価ではなく、一人一価がいいですね。
そう思いませんか。
年収1億円の人と200万円の人が同じNHK料金を払うのはおかしいと思いませんか。
こんな中途半端な発言をするので、私はみんなから信頼されないのでしょうね。
でも真実はそこにあるという気がしてなりません。
今回はカメラを向いてのスナップまであります。




■2005年11月25日

今年最後のオープンサロンです。
サロンを再開しましたが、今年は少人数のじっくり話し合い型サロンになりました。
そして、なぜか3人のときが多かったのですが、今日も3人でした。
銀座の女帝、田村順子さんによれば、私の数字は「5」なのだそうですが、なぜか「3」なのです。
しかし、よく考えると、私たち夫婦を入れると見事に5人なのです。

参加者は川口さんと武田さんと新田さんです。



川口さんからは地元でのまちづくり活動に関する話がありました。
住民が主役になるまちづくりとは何なのかがポイントですが、川口さんの思いと私の思いはかなり重なっているようです。
その視点から考えると今の住民参加型のまちづくりはあまり評価できません。
理想は谷和原村の横田さんたちの活動ですが、こうした活動をどうして起こしたら言いかが課題です。
武田さんには面白い動きがこれから起きそうですが、これはまだ未公開のようなので書き込みはやめておきます。
2つありますが、近いうちに公表できるでしょう。
もちろんリンカーンクラブに関する活動です。
久しぶりに新田さんがきました。
新田さんは私のホームページで案内した、憲法の集まりに参加した人です。
今年最後のサロンだと言うのでやってきてくれました。

実はこの新田さんは「謎の人物」なのです。
今取り組みだしているのは、子どもたちの国語力強化プロジェクトです。
新しいビジネスモデルも考えているようです。
後半はその話に集中しました。
それに関して、川口さんが「知識の杭」と言う言葉を紹介してくれました。
世田谷にある静嘉堂文庫美術館のガイドの人の言葉だそうです。
そこから昭和のくらし博物館の話になり、
さらに 鮫島順子さんの本の話になりました。
川口さんはその2人の本をお持ちでした。
ちょうどいま、川口さんが読んでいるそうで、かばんの中から鮫島さんのサイン入りの本を出されました。
鮫島さんの本は以前ここでもご紹介しましたが、日本のかつての暮らしをご自分の生活風景として描いています。
その出版には少しだけ相談に乗りました。
鮫島さんもコムケアセンターにやってきてくれたことがあります。
最近はお会いしていませんが、鮫島さんは渋沢栄一の孫です。
そして、 鮫島さんの甥の澁澤寿一さんとはローカルジャンクション21でご一緒なのです。
世界は本当につながっています。
まだ謎の人物の新田さんともきっとどこかでつながっているのでしょう。

今年のサロンはこうした無事終わりました。

■2005年10月28日

オープンサロンは今回また3人でした。どうも3人が基本スタイルになりそうです。



今回、最初にやってきたのは八千代市でがんばっているはずの金居さんでした。
八千代市で、障害を持つ人たちの働き場をテーマにしたイベントを開催し、それを契機に市民の話し合いの場を創ろうとしたそうですが、
活動の継続が難しく、やめてしまったそうです。
住民はなかなか乗ってきてくれないとがっかりしていましたが、まあそんなものです。
自分のことを考えれば納得できるのですが。

次に来たのは常連の武田さんです。
武田さんは先日、私のブログを読んで、
「佐藤さんこそ独断的で自分の考えを押し付けみんなの意見を聴かない。唯我独尊だ」
とお叱りのメールをくれました。
御説ごもっともと共感の意向をお伝えしたのですが、それがまた不満で、厳しく批判したのだからきちんと反論しろ、といってきました。
今日は激論になる予定だったのですが、金居さんがいたため、「修羅場」は避けられました。はい。

さらにその後に、トヨタの北川尚人さんがやってきました。
久しぶりです。北川さんとは長い付き合いですが、当代めずらしい主体性を持った人です。
いまは話題のレクサスの企画部長です。
北川さんが手がけた車はたくさんありますが、みんなしっかりしたコンセプトが感じられます。
それだけではなく、その仕事への取り組み方も主体的で現場発想を感じます。
生活もしっかりとされている人です。
北川さんの仕事や生活の話を書き出すときりがないほど、たくさんありますので止めておきます

北川さんとの出会いは15年ほど前です。
トヨタの技術者たちが始めた社内運動に関ったのと、北川さんがそれとは別に取り組んでいた地域社会活動のフォーラムのコーディネータを引き受けたのです。
いずれも私にはとても印象的なプロジェクトでした。
トヨタという会社を見直す契機にもなりました。

北川さんが参加してくださったので、自動車論議で花が咲きました。
しかし、もっと面白い話題を北川さんが提起してくれました。
一つは林業。もうひとつは漆です。
いずれも最近、北川さんが関心を持ち、かかわりをはじめたテーマです。
自動車、林業、漆。この三大噺は書き出すとまた切りがありません。

翌朝、武田さんから少人数サロンは面白いとメールをくれました。
これで武田さんと仲直りできるでしょうか。
まあ、彼とは年中けんかしているので、仲直りする意味もないのですが。

■2005年9月30日



中村公平さんが最初の参加者です。
その中村さんが、生き方を変えたらすごく元気になったと言う話をしっかりとお聞きしました。
どう変えたかといえば、私流に言えば、素直に自分を生きるという生き方です。
まあ、中村さんはこれまでもそう見えましたが、仕事のために人と付き合うという面も会ったといいます。
しかし、今はともかく何かのためではなく、素直なつきあいをすることにしたそうです。
そうしたら、人がとても好きになったそうです。
もともと元気な中村さんですが、ますます元気がみなぎっていました。

柴崎さんはその逆で、しばらく止めていた整体を再開するそうです。
身体状況がいい時は、お酒やコーヒーなどを飲まないでいいのだそうですが、
最近はまた飲みたくなったというのです。
ストイックな彼は、身体に素直に生きている面がありますが、
身体は脳とは別に生きていますから、その調和はけっこう難しいです。

武田文彦さんは死と隣り合わせた手術をしたにもかかわらず、元気です。
武田さんの論理は常に「生」なのです。
死は自分では認識できないから、死という概念は当事者の概念ではないという考えの持ち主です。
つまり、死は存在しないのです。
これは私もかなり共感できる発想です。
こう考えると、人は死ぬことはないのです。

続いてやってきたのが、藤原雅夫さん。
この名編集者は、私のアドバイスを聞かない点で全く気に食わないのですが、
だからこそ私が信頼できる数少ない編集者なのです。
今回もせっかくベストセラー間違いなしの出版企画を提案したのに聞いてもらえませんでした。
いやはや困ったものです。

そして小林貴博さん。
小林さんは最近地元の活動を広げています。
来月は埼玉県の各地で焼き芋プロジェクトが展開されるそうですが、それにも関わっています。

最後にやってきたのが、乾真人さんです。
いまはフリーランサーですが、また新しいプロジェクトを起こそうとしているようです。

まあ、今回はこんなメンバーだったのですが、話の真ん中は、「つながり」でした。
私が、この前の話の余韻をもちこんでしまい、
つながり壊しの歴史概説?などをしてしまったせいで、議論になってしまいました。

後で女房から、また興奮して話をしすぎていた、と注意されました。
なにしろ大恐慌と今の小泉自民党をつなげる話をしてしまったのです。
伝わるはずがありません。
民営化がいかに時代の流れに反しているかを理解してもらえないように、
つながりこわしが今の経済の根底にあるなどと言っても、なかなかわかってくれないのかもしれません。

中村さんから、佐藤さんの話にはお金のことが出てこないといわれましたが、
お金などはこの100年のあだ花でしかないと思っている私には、瑣末な話なのです。
私たちはお金がないと生きていけないと思いがちですが、
その呪縛から抜けないと人生は取り戻せません。
もちろんお金が不要などといっているわけではありません。
呪縛から解放されると、中村さんのように元気が戻ります。

乾さんは性善説だからと言ってくれましたが、本心から性悪な人などいないはずです。
性悪にならざるを得ない社会があり、
そこでの生きる力を高めるために義務教育で徹底的に性悪化が進められるのです。
またセーフネットも、かつての「個人のつながりによるセーフネット」から、
統治者による管理のための「金銭的なセーフネット」へと変質してしまっています。
つまり、「セーフ」の意味が変質してしまったのです。

とまあ、こんなことを議論してしまったわけです。
どうですか。関心はありませんか。
関心のある方は、ぜひ次回、ご参加ください。

元気が出てきました。
来週からブログを再開します。
たぶん、ですが。

2005年8月26日

オープンサロンはまた3人に戻ってしまいました。柴崎さん、武田さん、紀陸さんです。

参加者の関係で、またテーマに沿ったじっくり議論をしましたが、ちょっと偏った議論だったかもしれません。
前半は、企業とNPOのコラボレーションやソーシャルベンチャーやNPOの経済的自立の話でした。
紀陸さんはご自分が取り組んでいる事業体験を踏まえて、最近の事業型NPOや社会起業家に関していくつかの疑問を呈しました。
私が不用意に発した「福祉の分野を企業(発想)が荒らしている」という言葉が、紀陸さんを混乱させたようです。
不用意な言葉は注意して使わなければいけません。

後半は昨今の政治状況に関するものでした。
残念ながら小泉首相の姿勢は首尾一貫していて、これまでの旧体質の日本の政治を壊している点で評価している人が多いようです。
私の考えはかなりマイナーなのかもしれません。
若い柴崎さんは今の若者はともかく敵をつくっていじめたいのだといいましたが、
自分よりも弱いものをみんなでいじめる文化が急速に広がっていることは私も感じます。
以上、いずれのテーマも、私の極めて関心の高いテーマですので、今回は少し話しすぎてしまいました。
困ったものです。



オープンサロンもそろそろ見直す必要がありそうです。
このままだとうちわの会になりそうです。あるいはテーマサロンにしてもいいかもしれません。テーマには事欠きませんし。
しかし、そ
れでは主旨にはずれます。
ともかく無目的な集まりをしたいというのがオープンサロンの主旨でした。
もう少し今のスタイルを続けたいと思います。

2005年7月29日

オープンサロンに久しぶりに中村公平さんがやってきました。
予定では八ヶ岳山麓で農業をやっているはずなのですが、
まだ企業の世界から解放されずに、今度は第一交通産業の東京支店の顧問に就任されました。
第一交通産業といえば、北九州市に本社がありますが、
ホスピタリティ運動の最初のフォーラムで、そこの浅野さんに参加してもらいました。
とてもしっかりしたホスピタリティマインドを持った会社だと思った記憶が今でもあります。
続いて紀陸さん、武田さん、小林貴博さん、柴崎さん、そして斎藤正俊さんとやってきました。
今月の予想は10人だったのですが、もしかしたらまた実現かと思ったのですが、そこでストップしてしまいました。
少しして、藤原さんがやってきましたが、結局は我々を入れても9人でした。
私の特殊能力は否定されてしまったわけです。
まあ、どうでもいい話ですが。

話題はいろいろと広がりましたが、斎藤さんや中村さんが来たこともあり、自転車や都市交通の問題もかなり話が出ました。
農業の問題やアスベスト問題、ビジネスフォンの話や都市構造の話など、私には面白い話でした。
今日はまさにサロン的な感じで、よかったです。
小林さんがやはり10人以内がサロン的で良いといいましたが、同感です。
しばらくはこんなテンポで静かに進めることにします。
今回はデジカメを忘れてしまったために写真はありません。


2005年6月24日

オープンサロンは再開したのはいいのですが、3人サロンが続いていました。そして、先月はこう書きました。

次回の目標人数は7人に設定します。
今の延長ではありえない人数です。
さて結果はどうでしょうか。もし的中したら、私には不思議なパワーがあることが証明されたことになります。さてさて。

結果は微妙でした。参加者は5人でした。
ところが私と女房を含めると7人になるのです。
さて、私の不思議なパワーは立証されたのでしょうか。いや無理ですかね。


まあ、それはともかく、初めて参加の岡田修さんから
学校で「君が代」斉唱を強制している東京都の姿勢をみんなどう考えているのかという刺激的な質問がありました。
彼は公務員なのですが、公務員ではない人たちの受け取り方を知りたいというのです。
ちなみに岡田さん以外の参加者は、金田英一さん、紀陸幸子さん、武田文彦さん、藤原雅夫さんです。
それぞれにしっかりした意見を持って行動している人たちです。まあ、いささかの偏りはありますが、はい。
意見は分かれました。それは健全なことです。
しかし問題は、こうした人たちにすら、いま東京都の学校で何が起こっているのかがあまり知られていないということです。
ニーメラーの教訓を思い出しました。
ちなみに君が代に関しては次の記事を思い出してもらえるとうれしいです。
○君が代が歌えない渡邊さんの話
○コスタリカの若者とコスタリカ政府の対応の話

岡田さんはまた、歌舞伎町の活かし方にも関心を持っています。
これに関しては以前も書きましたが、その発想に共感がもてます。歌舞伎町議論も面白かったです。
紀陸さんの建築模型の活動は順調に発展しているようです。
スクール事業は広がっていますし、新しいプロジェクトにも取り組みだそうとしているようです。お元気そうでした。
藤原さんとは久しぶりです。
最近手がけた本だといって「日本人の宗教『神と仏』を読む」(黒塚信一郎著)をお土産に持ってきてくれました。
ブックのコーナーで紹介させてもらいましたが、面白い本です。
靖国を考えるのであれば、国会議員もこのくらいのことを踏まえて議論してほしいものです。
武田さんは今回は少しおとなしかったです。
君が代論にはもちろん激しく反応しましたが。

まあそんなわけで、6月のオープンサロンは楽しく終わりました。
次回の目標はどうしましょうか。右肩上がりで、10人に設定しましょう。
みなさん、よろしければぜひご参加ください。
意味のない無駄な公共空間なのですが。

2005年5月27日

湯島のオープンサロンが再開されたことを知らない人が多いようです。
今回も2人の人から今日はあるのかと問い合わせがありました。
1月は例年のように参加者はそれなりでしたが、その後は2回とも3人です。
そこで、前回の報告では、しばらく3人サロンを続けようかと書きましたが、今回もなんと3人だったのです。
思いは通ずるものです。

高校のとき、こんな経験があります。
全校試験の順位発表が行われることになりました。
400人くらいの生徒数だったと思いますが、たしか50番まで発表することになりました。
私は発表されたくないと思いましたので、51位を目指すことにしました。
これは実に面白い挑戦です。
1番は、トップであろうとビリであろうと、目標にしやすいですが、51番は簡単ではありません。
ところが、結果は見事51位だったのです。
以来、その気になれば、そうなるのだという不遜な自信が身につきました。
その種の体験は、その後もいくつかありました。
まあ、総体的にははずれのほうが多いのかもしれませんが、的中だけが記憶に残り、そのせいかいささか性格がゆがんでしまったようにも思います。
いやはや。

まあ、そんなことはどうでもいいのですが、
今回の3人は岸田能和さんと小林貴博さんと武田文彦さんです。



岸田さんは、今、とても面白い仕事をされているようです。
最近はよく中国にいかれているそうです。
中国という国は、私たちが考えているような国家概念ではない、というようなお話をされました。
たしかにそうでしょうね。
今回は私の暴論(本当は正論なのですが)が糾弾され、女房までが「敵」に回ったので、孤軍奮闘でした。
しかし、最後に小林さんが理路整然と総括?したのですが、それは私が言いたかったことなのです。
私が言うと指弾され、小林さんが言うと説得力があるのはなぜでしょうか。
やはり人徳の違いなのでしょうか。困ったものです。

さて次回はどうしましょうか。
やはりサロン再開の案内を出したほうがいいでしょうか。
まあ、それも退屈ですので、次回の目標人数を決めることで、それが実現するかどうかを試すことにします。
次回の目標人数は7人に設定します。
今の延長ではありえない人数です。
さて結果はどうでしょうか。もし的中したら、私には不思議なパワーがあることが証明されたことになります。さてさて。

2005年3月25日

ホームページに書いていないがサロンはあるのか、というメールがきました。
少し不安になりました。
ホームページには案内は載せませんが、サロンはあるのです。
オープンサロンの特徴は、一度はお知らせするのですが、繰り返しはお知らせしないところです。
ホストがいささか「偏屈」なのです。困った性格です。

ホームページにはオープンサロンのコーナーもサロンニュースのコーナーもあるのですが、おそらく誰も見つけられないでしょう。
ためしに努力してみてください。
見つけられた人には次にお会いした時にコーヒーをご馳走します。
ちなみにそれぞれに発見コードを書いておきます。それをご連絡ください。

このホームページはリゾーミックなのです。
しかし、私の頭とは連動しており、私にはまだ構造が見えていますので、まだまだ中途半端ですが。
しかし、今週のパソコントラブル事件で、かなりリゾーミックのつながりが切れたかもしれません。
リンクもかなり壊れているはずです。
お気づきになった不具合が見つかったら教えてください。
まあ、そんなことはどうでもいいですね。すみません。

今回も前回と同じく3人でした。しかもまたメンバーが個性的です。
イージーライダー型リサーチャーの小林貴博さん、生活者政治家を目指すロマンティストの木村勝隆さん、怒れる思想家の柴崎さん。
共通するのは、いまの社会への強い問題意識に基づいた実践者であることです。
小林さんは地元でも住民として活動していますし、
木村さんは政治志望の若者たちを応援したり、時には自ら立候補したり、精力的に活動しています。
柴崎さんは、ちょっと思いがが深すぎて、今は袋小路にいますが、いつかきっと抜け出すでしょう。

前回の参加人数が少なかったことを知って、忙しい中をみなさん参加してくださったのですが、なんと今回も3人だったわけです。
小林さんからは、この方がゆっくり話せると言われましたが、そういえばそうで、このスタイルもなかなかいいです。
なにやら参加した人には悪い気がしますが、ホストとしてはゆっくり会話が出来て、このスタイルが気に入りだしました。
小林さんからはホームページでの案内を勧められましたが。

小林さんは、ご自身でも毎月第3金曜日に、虎ノ門でサロンを開催しています。
オープンサロンは小林さんに任せて、私のほうは3人サロンをしばらく続けてみようかと思い出しています。
うまくいくでしょうか。毎回3人。実に難しい課題です。

今回は写真を少し大きく載せます。前回はまったく見えなかったので不評でした。
話の内容は内緒です。というか、なかなか思い出せないのです。
まあ、それがサロンのよさなのですが。

4月のサロンはお休みです。
5月から再開です。目標参加者数は3人です。
さてどうなりますことやら。

2005年2月25日

再開2回目のオープンサロンです。
今朝起きたら、外が雪景色でした。
寒いので参加者は少ないだろうと思っていたのですが、やはり少なく、なんと3人でした。
しかも、金田英一さんは新潟に戻るために途中で帰りましたので、最後はわが夫婦を入れても4人でした。
しかもしかも、メンバーが問題です。
武田文彦さん大久保正雄さんです。つまり、革命家と哲学者です。
いやはや。これではサロンにならず、座談会になりました。

お2人は、いつものサロンは人数が多いので議論が掘り下げられないが、
今日、じっくりと掘り下げられた、それにお互いに同じ考えを持っていることがわかったと満足していたようですが、
まあ、たいして掘り下げられていないような気がしました。
しかし、リンカーンクラブの武田民主主義論がようやく哲学者に理解されたのは事実です。
みんな武田さんの民主主義論の内容がわかっていないですよと、哲学者は語っていましたが、
サロンではみんなお互いによく理解せずに、わかりあえた気分になっているのかもしれません。
まあ、それがサロンの面白さですが。
そういえば、武田さんとは長い付き合いですが、彼は私をほとんど理解していません。
誤解しているのです。困ったものです。

ところで話の内容です。
金田さんからは社会教育や新潟のお話をいくつかお聞きしました。
昨日はジョブカフェの講演会にも参加されたとのこと、相変わらず精力的に活動されています。
金田さんが抜けた後は、いろいろと過激な話も出ました。
何しろ革命家と哲学者ですから。しかし、なぜか記憶に残っていません。
脳の話や政治や憲法、いろいろ話し合ったはずなのですが、思い出せません。
きっと内容がなかったのでしょうね。
サロンって、いったい、どういう意味があるのでしょうか。
これは極めて哲学的なテーマです。はい。

最後に大久保さんが今回は写真を撮らないかといいます。
仕方なく写真を撮りました。
記念撮影のようになってしまったので掲載は見合わせたいのですが、
大久保さんを裏切るわけにはいかないので、見えないように掲載します。
時代の先端をいく革命家と哲学者と脱落者の3人の写真など見たくもないでしょうし。

コムケアサロンは会場があふれるばかりのコムケアサロンと違い、CWSサロンはだんだん寂しくなってきました。
来月はどうなるでしょうか。楽しみです。

■2005年1月28日

オープンサロンを1年半ぶりに再開しました。
今年からノンアルコールのシンプルスタイルサロンにしました。
いや、したはずだったのですが、みんながいろいろと持参されたので、にぎやかなテーブルになってしまいました。
物事はなかなか思ったようには進みません。
写真をご覧下さい。




久しぶりだったので、何かリズムにのれませんでしたが、参加した人にいろいろと話題提供してもらいました。
少しだけ紹介します。

大類善啓さん(日中科学芸術文化センター)は中国のハルピン市の方正県にある日本人公墓に関わる活動の話をしてくださいました。
日本人公墓の話は岡山県の高校の先生がネットで書かれているのがわかりやすいです。
http://ww32.tiki.ne.jp/~yamikato1952/higeki/higeki08.htm
また「寛容さ」に注目した論文としては次のものが面白かったです。
http://www.hmn.bun.kyoto-u.ac.jp/tolerance/tolerance_abstract11-2.html
大類さんが書かれている本もあります。
「風雪に耐えた『中国の日本人公墓』 ハルビン市方正県物語」(東洋医学舎 2004年)。
その本の冒頭に書かれている文章を引用させてもらいます。

遠い昔のことではない。
しかし、もう60
年も経ってしまった。
日本の敗戦を知らされて外地に居た日本人たちの多くは、身を守る術を知らなかった。
もちろん不敗を誇る日本帝国は降参することすら教えなかった。
そして誰もが祖国を目指して逃げ惑った。難民、流浪の民と化した。
とくにひどかったのは国策とはいえ中国東北(満州)の広野に入植した開拓民の人たちだった。
壮年男子は徴兵、残された老年・婦女子はさ迷い歩き、
自ら命を絶ち、ひもじさに負けて異国の人に身を託し、そして行き着いた場所は急ごしらえの収容所だ。
方正の収容所も同様だった。
そして冬が来た。
毎日増える亡骸もやがて始末できなくなり、山積みにされた。
春が来て生き残った同胞たちは帰国した。
残ったのは亡骸と帰りたくても帰れない人たちだけだった。
この人たちが骨を拾い集める。
拾っても拾ってもまだある。
泣きじやくりながら拾う。
見兼ねた中国人たちが力を貸す。
こうして集めた遺骨が五千体を数える。
それを祀る塞が「方正地区日本人公墓」である。
カを貸してくれた中国人たち、中国各級政府がこの墓標を建ててくれた。
遠い昔のことになるだろうが、この善意に満ちた行為は決して忘れてはならないことなのだ。

日中関係が悪化していますが、日本人公墓にまつわる話を多くの人に読んでもらいたいものです。
国家を前提とせずに、個人を前提に考えれば、世界は全く違ってきます。

私のブログを読んでコメントを書いてくださった茅根大嗣さんも急なお誘いにも関わらず参加してくださいました。
茅野さんの個人ホームページをぜひともご覧下さい。
さまざまな活動を展開しながら、社会へのメッセージも発信されています。
本人は「開発プロデューサ」で「マーケティング・プロデューサ」「プロジェクト・ディレクタ」と呼ばれるのが好きだそうです。
「前例の無い困難な分野で前例を作る」のが仕事とも言われています。
茅根さんは、また北海道の食材のマーケティング分野でも新しい開発を進めています。
とても魅力的な人です。

石橋さんは3年前にも来てくれましたが、下町の長屋に住み、大学に通いながらコミュニティアートの活動を続けています。
関口さんは富士通を退職され、現在、家事見習い中。見事なスケッチを見せてくれました。
地中海紀行を連載中の大久保さんは最高グレード(FTGFOP1)のファーストフラッシュ(春摘み)のダージリン紅茶を持参してくれました。
本物の味をみんなで少しずつ賞味させてもらいました。
金居さんと桑田さんのコンビもやってきました。会社に勤めながら自分たちのまちを良くする活動を始められています。八千代市です。
上坂旦さんは「どんびえ」の発明者です。いまは山口県の地場企業支援の活動などをされています。
リンカーンクラブの代表の武田文彦さんは今回は静かに聞き役でした。

黒岩比佐子さんはサントリー学芸賞をもらった村井弦斉の本を紹介してくれました。
受賞のおかげで増刷されたようですが、今の日本はなかなか本が売れないようです。
イーエルダーという事業型NPOを軌道に乗せた鈴木政孝さんはまた新しい取り組みを始めるようです。
障害を持った人たちの働き場づくりです。
今年からサロンはノンアルコールとホームページに書いておいたのですが、
鈴木さんはどうも読んでいないようで、鹿児島焼酎「神の河」を持参してくれました。
再開1回目なので、みんなで飲んでしまいました。次回からはノンアルコールです。

柴崎さんはいま、話題の甲野善紀さんの武術に関心を持っています。
彼から甲野さんの新著をもらいました。甲野さんは本で読んでもなかなかわかりませんが、直接会うと伝わってくるのでしょうね。
中谷哲郎さんとは東レ時代以来ですが、当時は中谷さんは興銀にいました。
長い付き合いですが、お会いするのは30年ぶりだと言います。
今は別の会社に移られていますが、オフィスが何と湯島ですぐ近くです。
木村勝隆さんがサロン終了後にやってきました。木村さんとも久しぶりでした。木村さんは政治家を目指しています。
建築模型に取り組んでいる紀陸幸子さんは仕事の関係で、差し入れだけしてくれました。いま、水道橋で模型展をやっています。

こんな感じで、オープンサロンは再開されました。 今年は4月と12月以外は開催する予定です。
ノンアルコールです。

■オープンサロン再開??(2004年11月26日)
1年半ぶりに湯島のオープンサロンの再会です。
と言っても、とりあえずの試行です。
このホームページにお知らせを掲載した以外は、呼びかけはしていませんので、
果たして参加者はいるのだろうかと思っていましたが、やはり誰も来ませんでした。
5人くらいは集まるかなと心密かに思っていたのですが、恥ずかしい限りです。

おかしいなと思って、ホームページを読み直したら予告だけできちんとした告知をしていませんでした。
正式告知を忘れていました。
別に案内はしていませんので、みんな知らなかったのかもしれません。
いやはや困ったものです。
私も出先から戻り、女房もわざわざ出かけてきたのに、完全に肩すかしです。
困ったものです。
女房には「案内もせずに参加者があるわけがないでしょう」と怒られてしまいました。
しかし、案内をしなくても来る人もいるだろうと、疑いもなく思ってしまうのが、私の「すごい」ところです。
つまり、どこか基本的な発想の回路がおかしく、平たく言えば、常識がないのです。
こう言う人って、時々いますよね。
私の場合、自覚症状はあるのですが、「やってしまう」までは気づかないのです。

試行は見事失敗です。
ホームページにこっそり書いて、誰が来るか楽しもうなどという、「陰湿な」発想はやはりだめですね。
性格の悪さも反省しなければいけません。
実は、書き込んだとたんに、黒岩さんと小林さんからメールが来たので、
サロン再開がばれてしまった、と思ったりしていたのですが、
この2人以外はお知らせにまで目がいかなかったのかもしれません。
いずれにしろ、ホームページのお知らせは、あまり効果がないことも判明しました。

さて、年明け後からの本格スタートはどうしましょうか。
今、8時半です。
誰も来ないので帰ることにします。

■オープンサロンについて(2004年4月28日)
ローカル・ジャンクション21の浦嶋さんに、サロンを始めたらと提案しました。
きっと始まるでしょう。

ところで、オープンサロンは休会してから、ちょうど1年たちました。
女房もかなり元気になりましたので、この分だと秋から再開できそうですが、
最近ちょっと迷っています。
サロンが増えてきているのです。

オープンサロンに代わって、小林貴博さんが開いてくれた虎ノ門サロンは毎週第3金曜日ですが、
同じ名前の虎ノ門サロンが「社会教育」編集長の近藤真司さん主催で第4木曜日に開かれています。
他にも毎週いくつかのサロンの案内が来ます。
自称サロニストとしては、うれしい限りですが、なかなか参加できません。
自分でもコムケアサロンとか平和サロンとか、
最近は休会していますが、OBMとか環境関係を主催していますから、とても対応できません。

いっそサロンを卒業しようかと思い出しています。

■2003年4月25日



10数年 続いたオープンサロンも今回が最後です。

たかがサロンですが、私にとっては実に思い出の詰まったサロンですから、終わるのはとてもさびしい思いです。
にもかかわらず、なぜ終わるのか。それはものごとにはすべて「終わり」があるからです。
人生にも節目が大切ですし。

サロンのメンバーもかなり変わりました。
最初からの参加者の武田文彦さんが、来てくれました。
武田さんは、私が会社を辞めて以来、多分、一番、私の事を気にしてくれた人の一人です。
私とはかなり意見は違いますし、生き方で重なるところは少ないのですが。
古い付き合いといえば、小林貴博さんもその一人です。
小林さんは今日は所用で休暇だったのですが、わざわざ来てくれました。
小林さんは自分の身体的体験を踏まえて、様々な情報をお持ちで、私もたくさんの事を学ばせてもらいました。

金居さんも会社を辞める前々からの知り合いですが、にぎやかな人で、最近は毎回参加でした。
そして、前回は西島さんを連れてきてくれましたが、今回は桑田隆さんを連れてきてくれました。
桑田さんからはゆっくりお話を聞けなかったのが残念です。
藤原さんも様々な人を連れてきてくれました。
今回は写真家の桑原史成さんが一緒でした。
桑原さんのこともいつか書き込めればと思います。
現場に生きている人の話は実に感動的です。
柴崎さんも個性的な人を紹介してくれた一人です。
1週間前に交通事故にあい、まだちょっと意識も完全ではなく、ちょっとふらつき気味なのに、
最後だというのでわざわざ最初だけ参加してくれました。
無事帰れたかどうか心配です。

今日、最初に来てくれたのは中村さんです。
奥さんと約束があったようですが、かなり長居してくれました。
今年になって毎回参加してくれたのが、富永さん、関口さん、大久保さんでした。
江口さんも久しぶりの参加です。
緑内障が進行し、パソコンを使えなくなったので大変です。
眼を使わない仕事があれば、ぜひご紹介ください。
最後ということで、藤代から宮崎さんがやってきてくれました。
宮崎さんは不器用な生き方をしている人ですが、自分の人生を生きています。
国土交通省の大島さんも来てくれました。
私のホームページを見て、今年からサロンに参加してくれるようになったのですが、
サロンがなくなると、こういう出会いもなくなります。
大島さんともゆっくりお話したことが、まだありません。

初めての参加者がもう一人います。
橋本典之さんです。コムケアを手伝ってもらうことにした若者です。
橋本さんとはまだ会ってから2週間もたっていませんが、今週4回も会いました。
コムケアに関心を持ってもらえたのがきっかけで、
わけのわからない私の世界に巻き込んでしまっています。
橋本さんには迷惑かもしれません。

もう一人、いつも場をにぎやかにしてくれる石本さんが参加してくれました。
石本さんも自由闊達に人生を楽しんでいます。

最終回なので、もう少したくさんの人が集まるかなと思っていたのですが、
いつもの人数で、いつもの雰囲気で進める事ができました。
数名の方から、最終回は何か特別のスタイルにしないのかと聞かれましたが、
まったく考えていないし、考えないと答えていました。
その意味では理想的でした。
しかし、終わってみたらちょっとさびしさが残りました。
心のどこかに、「何か」を期待していたのかもしれません。
人に期待するのではなく、自らが起こす生き方を志向する私も、
まだまだ期待する世界から抜け出ていないようです。

このオフィスのオープニングには、たくさんの花が届きました。
でも終わりはきっと静かなものなのでしょうね。

このサロンの参加者はこれまでに述べ2000人を超えます。
実に様々な出会いがあり、私にはとてもたくさんの物語が残りました。
武田さんが、このサロンは歴史に残ると言ってくれました。
かなりオーバーですが、少なくとも私の歴史には残りました。
小林さんが、サロンには2000人が参加したけれど、佐藤さんの葬式には何人集まりますかね、と言いました。
葬式も静かなほうがいいですね。

いずれにしろ、いつものようなサロンでした。
写真家の桑原さんが来てくださったので、面白い話も聞けました。
これでCWSコミュニティの重要な要素の一つである、オープンサロンは終了です。
これからどうするかは、これから考えます。
会社を辞めた時もそうでした。

石本さんが、サロンを支えてくれてきた女房にバラの花束を持ってきてくれました。
エンディングも、いつものように何もなかったのですが、
終わった後に、石本さんからの花束贈呈の場をつくればよかったなと後悔しました。
そういうことが私はとても不得手なのです。
石本さんのせっかくのご好意に応える事ができなかったことを反省しました。
そこで、女房に花束を持ってもらい、記念撮影をしました。
これがこのオープンサロンのエンディングです。

女房はこのホームページに初デビューです。
女房はこの数年、健康が優れず、サロンも少し負担でした。
今回も前日まで参加できるかどうか危うかったのです。
でも無事、最終回に参加できて、とてもよかったです。
女房に深く感謝しています。

そして参加してくださった皆様方にも感謝しています。
長いこと、本当にありがとうございました。

■ 最後のオープンサロン(2003年4月25日)
14年続いたオープンサロンもこれが最終回です。
最終回は最終回らしいイベントにしたらどうかと複数の人から言われましたが、
私にとっての最終回らしく,
いつもと全く同じにやりました。

一つだけ違ったことは、石本さんが女房に花束を持ってきてくれたことです。

サロンのことはサロンニュースに書きますので、
ここではこのサロンを支えてくれた女房のことを書かせてもらいます。

女房もずっとサロンに付き合ってくれました。
軽食や飲み物の用意や後片付けが彼女の役割でした。
私は、このサロンを仕事以上に優先していましたが、彼女にもまたこのサロンをほぼ最優先してもらっていました。
3回ほど、喘息で入院したり、風邪でダウンしたりして欠席でしたが、それ以外はいつも付き合ってくれました。
私の道楽につきあってくれたことを感謝しています。
彼女がいなかったら、このサロンは継続できませんでした。

最終回なので何かするの?と、女房からも聞かれていましたが、
まったく何もしないと答えていたのですが、彼女はそれがちょっと不満のようでもありました。
せめて場を花で飾り、ちょっと飲食もいつもよりにぎやかにという思いもあったようですが、
私はむしろいつもより地味にいきたいと考えました。

石本さんから花束をもらって、彼女はとても喜んでいます。
女房は地元では、花かご会というボランティアグループをつくっています。
花がとても好きなのです。
サロンが終わってから気付いたのですが、石本さんから女房に花束が手渡される写真を撮ればよかったです。
そうした配慮ができないのが、私の欠点の一つですが、石本さんにも申し訳なかったと反省しています。
石本さんへの感謝も込めて、女房が花束を持った写真をニュースに掲載しました。
女房には内緒です(まあ、その内見つかりますが)。

オープンサロンの事は、いつかまとめて書き込みたいと思っています。

ちなみに今回は、写真家の桑原史成さんが来てくださり、とても刺激的なお話を聞かせてもらいました。
水俣の写真集もいただきました。
サロンの最終回に桑原さんに出会えたことをとてもうれしく思っています

 

■2003年3月28日


いよいよサロンも後2回です。

今回は、前回のようなノイズメンバーがこないので、平和に進むかと思いきや、ちょっと論争っぽい局面もありました。
なんとそのきっかけは私がつくってしまいました。
イラク攻撃を支持しますか、というテーマを投げかけたのです。
それだけならサロンとしてもよかったのですが、なんと4人が支持すると手をあげたのです。
それで、やっぱりかと私が「切れかけて」しまいました。
いつになっても成長できません。反省。

イラク侵略攻撃と日本における小泉クーデター(法と国民の意思を否定しての暴走)に対する「ものわかりのいい良識者の対応」には辟易しています。
ですから、最近はいろいろな人に八つ当たりをしていますが、今回はがっかりして、いろいろメッセージを送る予定だったのですが、やめてしまいました。
そもそもサロンに、そうした期待を持つことが間違いですね。
私は、社会に開かれたサロンを目指してきましたが、やはりどんどん閉鎖的になってきているようです。

しかし、今回も新しい人が二人、参加してくれました。
西島江衣子さんととよた啓子さんです。
西島さんは介護活動の真っ只中にいます。その大変な中を参加してくださいました。
サロンに参加して、少し気分が変わったといってくださいました。
とよた啓子さんは、ライター活動をしていますが、モータースポーツがどうやら本籍地のようです。
今回は、中高年男性のどうしようもない側面をみてしまったかもしれません。

久しぶりに参加したのが、リンカーンクラブの武田さんふぁっとえばーの秋山さんです。
日経広告研究所の岡崎昌史さんが、公益法人改革の話をだしたために、NPO課税論やNPO自立論が話題になりました。公益法人改革となれば、私は言いたいことが山ほどあります。そこで少しだけ話をしてしまいました。
ちなみにNPO法の行方はまだまだわかりません。
それからNPO課税に関しては、NPO関係者(もちろん私がいう関係者は現場で実践している人のことです)にも様々な議論があり、 近いうちに意見交換会を計画しています。あの浜辺哲也さんにも参加してもらいます。

公益法人と言えば、近藤さんの所はまさに公益法人ですが、近藤さんからも面白い話が出ました。さらに介護活動にまで話は広がりました。
武田さんは相変わらずで、テーマが介護関係の話になったときに、義務教育の中に介護体験を入れたらどうかと提案しました。
即座に明確に反論したのが、厚生労働省の若い川口さんです。もちろん私も反対です。義務教育でやる前に、家庭や地域社会で引き受けるテーマです。
川口さんの発想は、いつも共感します。

ところで、ふぁっとえばーの秋山さんの活動は少しずつ前進しています。
まもなくビッグニュースもご報告できると思います。

建築模型の紀陸さんもちょっと久しぶりです。今度は通信教育も取り組みだすそうです。
グリーンプラスチックに取り組んでいるドクター野沢さんも久しぶりでした。
また企業関係ではキャノンの富永さん、富士通の関口さん、TOTOの中村豊さんが参加しました。
うるさい金居さんは相変わらずうるさかったですが、
いつもはうるさい、 中村公平さんは珍しく静かでした。
ほかにも詩人の大久保さん、 まだ誰かいたような気がしますが、すみません、思い出せません。

このサロンも、来月で終わります。
どうしようか迷っていますが、やはり病めるべき時期に来ているようです。
いずれまた新しい形で何かをはじめようとは思っていますが、今はむしろテーマを持ったサロンのほうが面白いです。
来月の最終回は決して切れずに、にこにこ終わりたいと思います。

■2003年2月28日

荒れたサロンです。
私の小学校の同窓生がやってきたのが一因です。それに人数が少し多かったために、ばらばらで話し合う局面が2回ほどありました。写真を見ておわかりいただけるように、20人近くになると、時に収拾がつかなくなります。

小学校の悪がきは、杉山孝一と鈴木基之です。彼らと会うと完全に童心に返ります。ついつい挑発に乗って、同窓会の乗りで、私もちょっと混乱の原因になってしまいました。いやはや。小浜さんからは、いつもの私ではなくて面白かったとほめられました。はい。

滋賀県の林業の職員、廣瀬さんが初参加してくれました。彼は里山保全団体「やまんばの会」の副会長です。以前、NPOと行政の事で登場した人です。廣瀬さんの発想と実践は共感できます。廣瀬さんからの林業の話は面白かったです。
東京都の職員だった遠山誠さんも、久しぶりの参加です。今は都庁を退職し、病院関係の社団法人にいます。遠山さんとの出会いは、東京都のCIプロジェクトです。私がまだ東レにいた頃ですが、私が民間からの委員で、遠山さんは事務局でした。このプロジェクトはとても面白かったです。みんな真剣に取り組んだからです。遠山さんは面白い職員でした。
幼馴染の杉山孝一さんも、実は都庁の職員です。環境問題一筋です。彼から初めて仕事の話を聞きました。三宅島の話です。火山対策の難しさを教えてもらいました。彼も仕事をしていたのです。
ビクターの石井潔さんも久しぶりにやって来ました。今は人事教育の仕事で、企業変革に取り組んでいるようです。OBMを導入すれば企業変革などいとも簡単ですが、その導入が難しいのでしょうね。TOTOの中村さんも久しぶりでした。そう言えば、今回は大企業の人が多かったです。

女性は3人でした。ライターの石本さん、デザイナーの占部さん、プランナーの小浜さんです。

幼馴染の二人のおかげで、サロンはいつになってもおわらないのです。困ったものです。
実はもう一人、悪童仲間がいるのですが、彼も来る予定だったのですが、これなくなって良かったです。

蛇足を書きます。
実は大学の頃、小学校の同級会仲間でサロンをしていました。毎週1回、曜日を決めて、喫茶店をジャックしていたのです。
私のサロン好きはその頃からです。
その頃の仲間が、この二人です。
子ども時代に創られた関係は壊れないものです。
お互いにひどい事をいいあっても、根底に不思議な信頼感があります。
こうした馬鹿な関係がきっと今はなくなってきているのでしょうね。

■2003年1月31日

今年最初のオープンサロンは、昔を思い出して、1時からはじめました。
やはり日中の参加者は少なかったですが、それでも1時半から9時半までの8時間サロンでした。
ちょっと疲れましたが、最後は終わりたくないほどいいお話が次々と出てきました。

今回は参加者のプロフィール紹介スタイルでの報告です。長いです。


○黒岩比佐子さん
最初にやってきたのが、ノンフィクション作家の黒岩比佐子さんです。
今、取り組んでいるのが「村井弦斎」です。
これについては黒岩さんが新聞に書いた関連記事がありますので、ぜひお読み下さい。
きっとそのうち、本格的な作品ができます。黒岩さんのことですから、読み応えがある作品になるでしょう。
黒岩さんから、その取材エピソードなどをいろいろお聞きしましたが、実に面白い体験をされているようです。
黒岩さんの取材や編集は、「そこまでやらなくても」と思うくらいすごいです。
まさに正統的な取組みだと思いますが、そういう形で取り組む事ができるだけでも、黒岩さんは幸せだと思います。

○ 川口秀人さん
最後にやってきたのが川口さんです。
終わり間近に飛び込んできました。
川口さんのおかげで、サロンの終了が30分も延びましたが、もっと延ばしたかったです。
もっと話をお聞きしたかったです。
国見町の使者、石本さんから、厚生労働省に安心院町にはまっている人がいると聞いていたのですが、川口さんが、まさにその人でした。
石本さんからのメールで、このサロンを知ってくれたそうです。
石本さんに「1000ジョンギ」を送らないといけません。
川口さんは、仕事の関係で大分県に1年いましたが、その間に、実に仕事を楽しんできたようです。
従って、実に成果をあげてきたと思います。
仕事を楽しんでいる人は、必ず成果をあげるはずです。
逆も、また真です。
サロン終了後、少し、立ち話をしましたが、仕事観やまちづくり観は、全く共感できるものでした。
詳しく報告したいところですが、省略します。

○大島英司さん
もう一人、偶然にも霞ヶ関の人がやってきました。
国土交通省で、国土計画絡みの調整業務に携わっている大島さんです。
6月に、私が住んでいる我孫子市に転居してくる予定ですが、その関係で我孫子市のまちづくり関係のグループや活動をネット検索しているうちに、私のホームページに出会ったのだそうです。
そこでサロンのことを知り、参加してくれたのです。
我孫子市は心強い仲間を得る事になりました。

もっとも国土交通省の人でも、権力志向の強い人もいまして、数年前に私が我孫子市の市民会議の顧問をさせてもらった時は、私と一緒に顧問になった建設省の人の発言が仰天するほど権力的で、こんな人と一緒なら顧問はできないと実質的には降りてしまった事もあります。
大島さんは、その対極にいそうな人です。

転居先のまちづくり活動を予め調べて動き出した大島さん、
自分の視点で納得できる仕事を現場のまちづくりにつなげながら実践している川口さん。
こうした人が霞ヶ関に増えていることを知ると、未来への確信がもてますね。
マスコミなどで報じられることとは別の、しっかりした地殻変動が間違いなく起こっています。
見識のないジャーナリストやマスコミに惑わされてはいけません。

ところで大島さんと話していたら、共通の友人がいることがわかりました。
まさに世界は狭いものです。今回はあまりゆっくり話せませんでしたが、
大島さんは建築専攻ですので、共通の知人友人がかなりいそうです。楽しみです。

○田代茂夫さん
私は東レという会社にいたのですが、その会社の先輩の田代茂夫さんが初めて参加してくれました。
東レは素晴らしい会社でした。
過去形で語るのが哀しいですが、間違いなく過去形です。
今はすばらしくありません。しかし、私の好きな会社ではあります。

東レを素晴らしい会社に育てたのは、田代茂樹さんという名経営者です。
今回サロンに来てくださった田代さんはその息子さんです。

田代茂樹さんとは私も2回だけ、直接お話をさせていただいたことがあります。
残念ながら会社ではなく、経団連に出向していた時です。
とても人間を感じさせる、温かな人でした。
幸いなことに、私は東レで、田代茂樹さんの薫陶を受けた人たちの下でかなり長いこと働かせてもらいました。
みんな素晴らしい人たちでした。それが「会社嫌い」だった私が25年も東レにいた理由かもしれません。

田代茂夫さんは、もう会社をリタイアーされて、地域活動などにも取り組まれているようです。
今回はサロンだったので、ゆっくりお話できませんでしたが、また今の東レに関してもお話をしたいと思っています。

私は会社を辞めて15年経ちますが、今でも東レへの愛着は強いです。
ポテンシャルのある会社なのに残念です。

○寺沢恒さん
もう一人、東レの人が参加してくれました。寺沢さんです。
寺沢さんは、私がいた東レの同僚です。13年振りの再会です。
この2月で定年退社し、故郷の名古屋に戻ります。
戻る前に一度、サロンに参加したいということでやってきました。
寺沢さんは私が東レ時代に取り組んだCI運動の同志でした。
私が辞めた事を知って、何故辞めたのか、CIでみんなに呼びかけていた思いはなんだったのか、と叱責されました。
当時のボスの副社長から怒られる以上に、グサッと来た言葉でした。

○佐藤和美さん
和美さんは男性です。念のため。
水の専門家だそうです。
私たちは殆どお互いを知らないままに、もう5年くらい付き合っています。
和美さんは最近、私のホームページを散策してくれており、時々、投稿してくれたり、メールをくれたりしています。
ナチュラリストの木村さんの事を今週の週間報告に書きましたが、和美さんは「もうひとつの」ナチュラリストです。
無防備で、清明で、無邪気で、幸せな、縄文人のような人です。
ごみ焼却場建設のお仕事をされていますが、子孫に自慢できるごみ焼却場を作りたい方はぜひ相談されるといいです。
真剣に考えてくれます。考える姿勢の確かさだけしか、私は保証できませんが。

○菊井正彦さん
菊井さんのことは昨年、紹介しましたが、サロンには初参加です。
シニアライフアドバイザーをやられており、今年は新しいNPOを立ち上げられるとのことです。
会社を定年退職で辞められた方たちが、新しい柔らかな組織をつくりだしていけば、大きな物語を始められるはずです。
各地のまちづくりが変わりだした理由の一つは、会社から地域社会に組織活動を体験した人たちが戻ってきたことです。
知恵もネットワークもお持ちの、中高年たちの役割はこれからとても大きくなっていくでしょう。
自治体行政の住民の見方も変えていかなければいけません。
同時に、感謝を定年退職された方々も、後は余生を楽しむなどと思わずに、社会活動を楽しんで欲しいですね。
菊井さんたちはそれをやっているわけです。
ぜひ楽しみながら社会を元気にしていって下さい。

○さん
柴崎さんも久しぶりにやってきました。
吉本隆明のホームページを主催している「革命家」です。
純粋であるが故に、今の時代に裏切られすぎて、かなり人間不信に陥っています。
最近は思想家ではなく、肉体労働者になっているようです。
そのせいか、沢山のビールを差し入れしてくれました。
まさか彼から差し入れがあるとは思っておらず、感激しました

○中村公平さん
中村さんも昨年、会社を定年で辞められました。
間もなく、八ヶ岳山麓でじゃがいもづくりに取り組む生活に入る予定です。
しかし、社会の様々な問題に関心がありすぎて、なかなか八ヶ岳に引っ込めません。
最近は年金問題にもかなりのめりこんでいるようです。

中村さんは、年金生活者とは程遠い元気ものですが、中村さんのような元気な人には年金は支給せずに、仕事を提供したほうがいいですね。
年金などもらわなくても経済的には豊かな生活をしている人は少なくない一方で、仕事もないのに保険料を払わないといけない若者がいることには、どうも納得できません。
私はまだ年金をもらいに行っていませんが、行くべきかどうか迷っています。
今のお年寄りに必要なのは、年金ではなく、快適な生活のはずです。
お金がなくとも快適な生活が出来る仕組みがつくれないものでしょうか。
お金は、お年寄りには「魔物」ではないかと思います。
ないほうがいいように思います。
お年寄りがお金がなければ困るような社会は、どこかがおかしいのだと思いますが、
どうでしょうか。

○佐藤泰弘さん
海洋生物や環境問題に関心を持っている若者です。
コムケア活動を手伝ってもらっていますが、彼のホームグラウンドはやはり海のようで、今年はその分野で何か新しい活動をはじめたいと意気込みだしています。
ブルーツーリズムや環境教育に関する新しいプログラムを開発中です。
そういえば、泰弘さんもナチュラリストの資格をもっています。
海関係ではかなりのネットワークも持っています。
海に関する地域おこしや環境教育プログラムなどに取り組みたい人がいたら、ぜひ彼に相談して下さい。

○大久保正雄さん
地中海紀行の企画者の大久保さんは、詩人にして哲学者です。
残念ながら3月の地中海紀行ツアーは人が集まらずに不催行になったそうです。
しかし、また近いうちに企画するそうです。
大久保さんのサイトもぜひご覧下さい。

○木村勝隆さん
4月の目黒区区議選に立候補します。
別項をご覧下さい。
生活者の視点をしっかりと持った生活者です。
こういう人にこそ、地域社会の政治を任せたいです。
木村さんは「区民が関われるような政治を実現したい」と考えています。
月に2回程度、暮らしを考える研究会も自由が丘で開催します。
皆さん、ぜひ応援して下さい。

○占部真由子さん
鹿児島大学の梅田先生の教え子の占部さんは、いま、会社に勤めていますが、久しぶりにやってきました。
今回はゆっくりお話を聞けなかったのが残念でした。

○富永秀明さん
キャノンの富永さんも久しぶりでした。
今は社史編集室にいますが、巨樹の会やコミュニティカレッジでも活動しています。
日本の企業は歴史を残すことが不得手です。
常日頃からしっかりと歴史を残す姿勢を持っているキャノンは、やはりいい会社です。

○小濱朋子さん
松下通信で商品開発の仕事に取り組まれている小濱さんは携帯電話の新しい活用方法や地域社会を支えるコミュニケーションシステムに関心があるようです。
日本ではCATVがまだあまり効果的に活用されていませんし、自治体行政やNPOのコミュニケーション戦略は極めてお粗末です。
企業もひどいものですが、企業の場合はそれほどもんだいになりません。
しかし、コミュニティの場合はとても重要です。

私もついに携帯電話を持つようになりそうですが、組織基軸の社会から個人基軸の社会になると、コミュニケーションの仕組みや発想が全く変わってきそうです。

○関口明さん
富士通の関口さんは、会社ではデザイン関係の仕事ですが、個人的にはデッサンをやられています。
今日は時間がなくて、お話を聞けませんでしたが、関口さんとの出会いは自治体の未来を考える研究会でした。

今日のサロンは、なんと8時間を超えましたが、実にうれしいサロンでした。
参加してくださった方に感謝します。

■2002年11月29日

今年最後のサロンでした。写真で見ると、何か難しそうな議論をしている雰囲気ですが、全くそんなことはありません。いろいろ盛り上がりました。

初参加が2人います。まず佐藤和美さん。廃棄物処理関係の専門家ですが、それ以上に、自然体で世界と関わっている旅人です。ほとんど東京にいないようですが、今日はめずしくネクタイ姿の和美さんに会いました。もう一人は、田中あけみさん。私の義妹です。先月のコムケアの選考会にボランティア支援してくれました。その勢いで、今日も参加してくれました。キップのいい姉御肌の人です。

今日、最初に登場したのは燦葉出版者の白井さんです。ブックコーナーで紹介した「YOSHI」を出版した人です。白井さんは身体不自由にもかかわらず、自分でつくった本を持って全国を行脚しているのです。いい本を沢山出しています、ぜひ応援してやってください。
白井さんからは、フレンズのチャリティコンサート(12月8日)の話がありました。フレンズは障害児支援の団体です。代表の田中ご夫妻はコムケアの仲間でもありますが、今年は残念ながら資金助成はできませんでした。このチャリティコンサートも私は先約があって参加できませんが、とても気持ちのいいコンサートになるはずです。よろしければご参加下さい。内容をお知りになりたい方はご連絡下さい。


鹿児島大学の梅田さんも、わざわざ鹿児島から来てくれました。梅田さんは「しあわせ」を運んでくる人です。梅田さんに会うとなぜかホッとします。なぜでしょうか。鹿児島の空気なのでしょうか。梅田さんは最近上海に仲間と一緒に行ってきた話をしてくれました。上海の元気さはすごいようです。
梅田さんと一緒に上海に行った岸田さんもやってきました。岸田さんは最近、ますます活動範囲を広げています。メーリングリストで書き続けている毎週1本のエッセイも200回に近づいています。
岸田さんのエッセイを本にして世に出した編集者の藤原さんは、ブックコーナーで紹介した「古事の森」を持ってきて、その経緯を説明してくれました。藤原さんはいつ寝ているのか分からないほど、エネルギッシュな活動をしています。その藤原さんの奥様の話が話題になりました。話を出したのが建築模型の紀陸さんです。紀陸さんはまた活動を広げていますが、今度は通信教育も始める事になりました。その関係で、なんと藤原さんのパートナーがてつだってくれることになったそうです。つながりはつながりをどんどん生み出していきます。

中村公平さんは、最近、年金問題に取り組んでいますが、その関係で互助ということにも向き合いだしているようです。中村さんは間もなく八ヶ岳山麓の住民になるののですが、そこではきっと都会人感覚とは全く違う人間関係に出会うでしょう。互助と共助。生命の世界は、助け合うようにできていることを私たちは忘れすぎています。
大久保さんは、来年3月にちょっと贅沢なイタリアツアーを企画しています。関心のある方はお問い合わせ下さい。
関口さんは今回唯一の大企業人でした。そういえば、最近、企業の人がめっきり減りました。みんな忙しいのでしょうか。企業人も、もっとこうした場に出てきて欲しいですね。社会の変化は企業野中にいては見えてきません。
先月、突然に会社を辞めて目黒区の区議の補選に出馬した木村さんからは、来年度の方針をお聞きする予定だったのですが、時間切れで残念でした。木村さん主宰の政治サロン13日に拉致問題をテーマに行われます。ぜひ皆さんご参加ください。きっと盛り上がります。
現場重視のアクションリサーチャーの小林さんもやってきました。小林さんは実に博識ですが、今年は家族で北海道をバイクでツーリングしたそうです。

本人は参加しませんでしたが、環境クラブの増山さんが、自分たちで収穫した柿をたくさん差し入れしてくれました。そういえば、増山さんは環境クラブで発行している「環境クラブニュース」に、このサロンのことを写真入りで紹介してくれました。ありがとうございます。

まあこんなメンバーが今年最後の参加者でした。
サロンは15年続きました。良く続いたものです。しかし、今年はこれまでの中では一番参加者が少なかったように思います。また今年は企業の人や行政の人の参加が少なかったのも特徴的です。
誰でもが無目的に集まる場をつくりたいという思いからはじめたサロンですが、あまりの面白さに、その目的を忘れてサロンを楽しむ事だけに落ち込んでいました。みんなで気楽に集まれる、コモンズ型の喫茶店のような場を東京に開設しようと思っていたのですが、それを忘れていました。
来年はどうしようか迷っています。
どなたかサロンを引き継ぐ方はいませんか。

それはともかく、来年は少なくとも5月まではサロンを継続します。次回は1月25日です。
また皆さんとお会いできますように。

■2002年10月25日
今日のオープンサロンでは拉致問題や竹中構想が話題になりました。拉致問題では、私は横田夫妻と蓮池さんに感動しています。すごい人がいるものです。
大久保正雄さんが3月に地中海ツアーを企画しています。ご関心のある方はご連絡下さい。一味違ったツアーです。紀陸幸子さんの建築模型コーナーが新橋の亜吐夢館に常設されました。機会を見つけてぜひ一度見て下さい。紀陸さんは、私と違い、本当に一途にビジョン実現に取り組んでいます。男どもにはできないことかもしれません。
会社を卒業した中村公平さんは、今頃、八ヶ岳山麓でジャガイモづくりにとりくんでいるはずなのに、まだ参加しています。まだまだ今の世情が心配で隠居できないのでしょう。
八ヶ岳といえば、今日参加された産経の大串さんも近くに土地があるようで、なぜかみんな老後は自然信仰がありそうです。
自然信仰といえば、農業に一家言ある高須英樹さんがきました。またイタリアの新しいキャベツの種子が手に入ったそうです。高須さんも巻き込んで、安心の食べ物おすそ分けネットワークを年内には始めます。遅れていてすみません。
やはり自然食品に確か取り組んでいたエディターの乾真人さんも参加してくれました。いつも時間が遅くて湯島に来る前に9時になってしまうらしいのですが。乾さんは、いろいろ世情についての事情通なので、彼のコーナーも作りたいものです。
今日は大企業の人は富士通の関口明さんだけでした。関口さんはデッサンをやっています。

サロンの準備はいつも女房に頼んでいます。今日も頼んでいたのですが、準備をしにやってくる途中で気管支喘息の症状が悪化し、ダウンしてしまいました。支度をしてもらい、少し落ち着いてから帰ったのですが、症状が治まらず、翌朝、緊急で病院に行って、今、点滴をしています。
大人になっての気管支喘息は治らないといいますが、どなたかいい方法や医師などをご存知であれば教えてくれませんか。3年位前から周期的に発作が起こります。突然ではなく、徐々にですが。

■2002年9月27日
サロン始まって依頼の参加者の少ないサロンでした。私たちを入れて6人です。
初めての参加者は三木さん。そぞろ工房という会社を今年起こしました。そぞろ歩きの会社です。三木さんはダイヤモンド社の役員をされていましたが、早期退職です。三木さんとは10年ぶりでしょうか。久しぶりの対面でした。そぞろ工房は、編集や制作活動をする会社です。ホームページが出来次第ご紹介します。ご注文もどうぞ。
後は作家の黒岩さんリンカーンクラブの武田さん、CWSコモンズ村の金居さんが参加しました。人数が少なかったので、いつもとは違って議論的でした。ついつい挑発に乗って、また話しすぎました。今回は内容紹介はなしです。言葉もきつかったですから。

■2002年8月30日

週間記録で書いたように、初対面OBM人が二人来てくれました。最近は私の知らない人の参加が増えています。うれしいことです。
今回のサロンの話題はいろいろでしたが、私がひっかかったこともあって、知的所有権の議論がわりとしつこくありました。初めての方、すみませんでした。私は知的所有権の発想が理解できないのです。この制度はなくしていくべきです。知は社会全体のものです。経済の論理で考えてはいけません。こんなことをいうといつもみんなから馬鹿にされるのですが、私たちはいつも言葉でしか考えていない、それも誰かの概念の受け売りでしか発想していないように思います。知的所有権なんて、なんとおかしな言葉でしょうか。そんなわけのわからない言葉を使うのはやめたいものです。知は分けてやらなければなりません。決して減るわけではありません。
NPOの世界でさえ、自らのノウハウを公開したくないという組織があります。そういうNPOはこれまでの社会の枠組みのサブシステムでしかないように思います。ミッションを改めて考え直してほしいものです。

余計なことを書いてしまいました。ゴミ問題も話題になりました。ここでも基本的な疑問を出させてもらいました。分別収集の意味です。あるいはリサイクル産業の価値です。どこかで発想が間違っているように思います。ゴミをどう処理するかが問題なのではなく、ゴミが出ることが問題なのです。分別するためにゴミ箱を増やすのではなく、ゴミ箱をなくせばいいのです。リサイクルのためにどれだけの環境負荷があるかを考えれば、リサイクルは決して価値があるとはいえません。リサイクルする前に捨てなければいいのです。こんなことを言うとまた馬鹿にされるわけですが、そうした基本に立ち戻って問題を考えなければいけない時代です。ドイツが環境問題の先進国だという話もありますが、日本の100年前に比べれればどうってことはありません。第一、最大の問題は近代産業の発想なのです。それをそのままで何が環境産業だ、です。

ちょっと今日は荒れてますね。反省。
サロンが終わろうとしていたら、9時になって木村さんが飛び込んできました。このホームページでも紹介しているふじみ湖の話をみんなに伝えたいといって来てくれたのです。茨城県の職員は恥ずかしくないのでしょうか。子どもたちのどう説明するのでしょうか。本当に腹立たしいことばかりです。こんな状況を作ってしまった私たちの生き方、いや、私自身の生き方が実に腹立たしいですね。
どうしたらいいのか。
翌日、映画「ペイフォワード」を観ました。山形市の共創塾の参加者の一人が、これしかないと思います、と言っていたのを思い出したのです。そうです、これしかないのですね。めげてはいけません。腹を立ててもいけないのです。

ちょっと私的すぎる報告になりました。 意味内容不明です。反省。

■2002年7月26日

サロンに私の兄が参加しました。私と違い、典型的な組織人でした。
先月、退職しましたので、コムケア活動への参加を勧めています。
その一環でサロンにも参加してもらいました。
この1か月、様々な集まりや活動に参加してもらっていますが、大きなカルチャーショックが続いているようです。
私が5年かかったことを急速に追体験してもらっています。
これはもしかしたら、どこかの会社がやっているライフデザイン研修よりいいですね。
事業になるかもしれません。いやこれは冗談。

さらに新しい人が2人来ました。
ライターの黒岩比佐子さんが甲南大学の中島俊郎教授を連れてきて下さいました。
黒岩さんは先週の産経新聞の文化欄に、村井弦斎の記事をお書きになっていますが、どうやらまたこの村井弦斎にほれ込み始めたようです。
最近「食育」という言葉が広がっていますが、弦斎は明治時代にすでに「小児には徳育よりも智育よりも体育よりも食育が先」というスローガンを作ってたそうです。私にもとても関心のある話です。

*村井弦斎にご関心のある方はぜひここをクリックして記事をお読み下さい


もう一人、不思議な人が来ました。石橋恵子さん、仙台育ちの若き女性です。
今、大学生ですが、つい最近まで門限6時、終身10時の生活をしていた人です。
雲の流れや花との会話など、俗事に汚染されている大人どもはみんな声もなく聞き入っていました。
東京に出てきて3年ですが、この先がとても興味ありますね。ちょっと悪趣味ですが。

そういえば、もう一人、社会に毒されていない山本正俊さんがきました。美野里町のプロジェクトの仲間です。
今春卒業し、JR東日本に入社しました。
サロン初参加です。
就職しての感想をきいたら、会社では夢が語られていませんね、という言葉が返ってきました。
JR東日本はいま元気な会社のひとつですが、大学時代を生き生きとすごした若者にとってはそう感ずるのでしょうね。
その感覚を大切にしていってほしいなと思いました。


創志塾の三浦さんから、9月に内観を含む、体験学習の案内がありました。これについてはお知らせでご紹介しますが、2泊3日の学集会です。自己を見つめたい方のご参加をお勧めします。
小林貴博さんはいつも様々な情報を提供してくれますが、今回は宮崎の綾町の話をしてくれました。私も数年前に訪問し、郷田元町長にもお会いしましたが、近くの照葉樹林には圧倒されました。生きている森ということを実感しました。日本の財産はやはり森ですね。
森林の大切さなどの議論を受けて、中島さん(英文学の教授です)から、「チャタレー夫人の恋人」の含意するものの話がありました。私にとってはすごく刺激的な話でした。そういえば、文学を読むのをやめてからどのくらいたつでしょうか。文学の意味をあんまり考えてこなかった自分にも気づきました。昔は私も詩人になりたかった時期もあるのですが。
中島さんの発言はたくさんの示唆を含意していましたが、時間が不足していました。前半、また私が話しすぎたためです。女房から注意されましたが、疲れているとついつい勝手に話し出してしまう性癖があるのです。反省。

江口さんからは、シニア社会学会の活動として、地下鉄大江戸線のユニバーサルデザイン的チェックに取り組んでいる話がありました。東京の地下問題については本も出版されたかんき出版の藤原さんから大江戸線の建設に関して面白い話も提供されました。他にも、革命家の柴崎さん、哲学者の大久保さん、デッサンの名手の関口さん、 建築模型の紀陸さん、初参加の深窓の令嬢石橋さんも参加してくれました。

■2002年6月28日

今回のサロンはまたまた食べ物論議で盛り上がりました。
お知らせで呼びかけている「生命に優しい食べ物情報ネットワーク」のメーリングリスト幹事が決まりました。高須英明さんです。彼は実の農業や食材に詳しいのです。高須さんからとても面白い話がありました。
オープンサロン記録は今日は書く気力がありません。追って記入します。

*書かないうちに1か月たちました。忘れてしまったので、追って記入はなしにさせてもらいます。

■2002年5月31日

今回も女房が欠席です。翌日のコンサートのリハーサルのためです。10年以上、皆勤だった女房が今年は、病気、法事、行事と3回も欠席です。夫婦仲が悪化したのではないかと思われそうですが、まあ今のところは大丈夫です。

今回は参加者の紹介です。
鹿児島大学の梅田教授が来てくれました。会う度に幸せそうになっていきます。
久しぶりにリンカーンクラブの武田文彦さんがやってきました。ここ1年くらい、また著作活動に埋没していましたが、活動を再開するそうです。まもなくホームページも更新されますし、集まりの呼びかけもあると思います。またこのホームページでもご案内いたします。
私の東レ時代の仲間のひとり、高坂さんもやってきました。東レのCIを一緒に進めた一人です。彼からは多くのことを教えられました。さまざまな活動をしている幅広い人物ですが、最近、ちょっと太りすぎで楽をしている気がします。困ったものです。
産能大学の石橋さんもよくきてくれます。そういえば最近ゆっくりはなしたことがありません。
前回に引き続き、佐久市から安江夫妻が参加しました。 最近、米国にサステイナブル・コミュニティの視察に行って生きました。お話を聴きたかったのですが、聞き損ねました。安江さんたちがやっている信州まちづくり研究会で6月8日に報告会があるそうです。作詞なのでちょっと遠いですが、いまはとてもいいシーズンですので、ご関心のある方は安江さんに連絡して参加されるといいです。
安江夫妻は最近、農業と食に関心を深めていますが、食といえば、 郡山から日本食文化交流協会を構想されている東山さんが参加され、皆さんへの呼掛けをしました。まだ構想自体が確立しているわけではなく、準備中ですが、毎月第3土曜日に東京で交流会を始めています。今回は、私と高坂さんがかなり失礼な質問や意見を東山さんにぶつけました。サロンが時々、こうした議論の場になることもあります。東レ時代、高坂さんとはかなり激烈にやりあいましたが、ついついそれを思い出しました。東山さん、すみません。反省反省。
ブックで紹介した燦葉出版社の白井さんもやってきました。出版社を創立して30年、 不自由な身体で全国に本を売り歩いています。
久しぶりに日本リサーチ総合研究所の小林さんがやってきました。現場情報をしっかりと背景に持った博識家です。何か知りたいことがあると彼に聴くと教えてもらえます。
ユキ・建築アート・ プロダクションの紀陸幸子さんも参加しました。今、建築模型(3月のサロンニュース参照)の教室が大人気で、お忙しそうです。紀陸さんのことを書いた昔の紹介記事を載せました。またネットワークのコーナーでもリンクさせてもらいました。
かんき出版の藤原さんが、浜離宮恩賜庭園の管理所長、荒井恵子さんを連れてきてくださいました。浜離宮は、皆さん、行かれたことはありますか。いまはショウブがきれいだそうです。 ホームページもありますので、ぜひご覧になってください。
私は6月中に必ず行くつもりです。

 

■2002年4月26日

今回は女房が不在だったので、おもてなしがおろそかでしたが、にぎやかな集まりになりました。

今回は参加者の皆さんからそれぞれ話題提供をしてもらいました。
名古屋から参加された大沢さんは銀行合併にまつわる話。館山から参加した稲村さんは館山は人を元気にするという話とシルバー協業センター構想。紀陸さんは建築模型の広がりの話。佐久市から来た安江夫妻はサステイナブル・コミュニティやコウハウジング。江口さんはシニア社会学会やユニバーサルデザイン。 大久保さんからは地中海紀行の話。小濱さんからはものづくりの話。三浦さんからは横浜市長選の話。ちなみに三浦さんは横浜市長に当選した中田宏さんの昔からの応援団です。占部さんは新入社員になった話。 初参加の溝井さんもいろいろと話題をだしてくれました。溝井さんは日本CI会議体のメンバーです。岸田さんと藤原さんは今回は時間がなくてお話してもらえませんでした。時間がなくなった責任は私にあります。

今回の話題は、しかし、長野から来た安江夫妻がつい2週間前に結婚したことでした。女房が出かける前にケーキを用意していたので、それでささやかなお祝いをやりました。ワインを用意していたのですが、出すのを忘れちゃいました。すみません。安江さん。なにしろ私がアルコールがだめなため、全く失念していました。

今回は他のサロンを詳しく書き込んだので、もう書くのが疲れました。今回は写真でお許し下さい。

■2002年3月29日

今回は少し対立的な議論が多いサロンでした。その原因の多くは私ですが、議論好きな武田文彦さん(リンカーンクラブ代表)や岡崎昌史さん(日経)が久しぶりに参加してくれたせいでもあります。テーマもポレミックなものが多かったです。季節のせいでしょうか。

○建築模型

建築模型に取り組んでいる紀陸さんは最近、いくつかの新聞や雑誌で取り上げられていますが、建築模型のスクールやセミナーの人気が高まっているようです。
紀陸さんの思いや活動は別のところで追々紹介していきますが、現在の活動はホームページをご覧下さい。
最近体験された面白いお話をしてもらいました。
建築模型教室を受講する熟年の男性たちが増えているらしいのですが、実に見事に住宅は製作できるのに、庭園模型になると作業が止まってしまうというのです。
つまりモデルがないと男性は動けなくなるという話です。
日常的な生活においても、たしかに創造的な活動は女性の方が圧倒的に多いですから、納得できます。
この話が、今回のサロンの基調になったような気がします。展開は様々でしたが。

○政治状況

武田さんから問題提起がありました
武田さんは民主主義を進化させたいと30年来、活動している人です。
その拠点がリンカーンクラブです。
最近は活動が内向していますが、数年前までは毎年11月19日(リンカー大統領がゲティスバーグで「住民の、住民による、住民のための政治」と演説した日です)に総会をやっていました。
鳩山由紀夫さんや武村正義さんなどにも参加してもらいました。
私の住んでいる我孫子市の福島市長にも参加してもらったこともあります。
今の広島市長の秋葉さんも当初の設立メンバーの一人です。
武田さんは今、大著に取り組んでいます。
余りに大著で難航しています。また出版されたらご案内します。
武田さんのおかげで久しぶりの、結構重い政治談議がありました。
紀陸さんからは、主婦でもわかる政治の本を書いてほしいという要望が出されましたが、まさにそうした活動に取り組むのが研究会でお知らせしている政治サロンです。
3月は思わぬ事故で延期されましたが、4月23日から再スタートします。ぜひご参加下さい。

■ 緑内障

参加者のお一人(ご本人の許可を得なかったので匿名です)が緑内障になりました。
そこで少しだけ医療の話がありました。
緑内障に関してなにかアドバイスできる方がいたら、ぜひ私にご連絡下さい。
お願いいたします。

そこから発展して、医学と看護のどちらがイニシアティブをとるべきかという話になりました。
私は昨年の構想学会のセッションに参加して、看護イニシアティブ医療への回帰の必要性を確信しましたが、これについてはぜひ構想学会のホームページでそのセッションの記録をお読み下さい。
ちなみに私の取り組んでいるコムケア活動の理念にもつながっています。
そのセッションに続く。ケアをテーマにした私の発題のセッションもぜひお読み下さい。
まだホームページに掲載されていないかもしれませんが、記録は機関誌にも出る予定です。
構想学会にもぜひご入会下さい。政治セッションもありました。

○教育や学校のあり方

このテーマは盛り上がりました。
鹿児島大学の梅田教授が参加していたせいもありますが、総合学習やホリスティック教育などが話題になりました。
私にとっての一番の論点は、学力と生きる知恵とのどちらが大切かという議論です。
私は、まずは子どもの本来持っている「いきる力」を削ぐことなく育てることが教育だと思っていますので、今の学校制度は根本から見直されるべきだと思っています。
そうした動きは各地でどんどん広がっています。
子どもを学校に合わせるのではなく、子どもに学校を合わせていくというニールの教育理念をベースに基づいて創設された「きのくに子どもの村学園」や、ホリスティック教育の広がり。あるいは前にもどこかでご紹介した、 習志野市の秋津小学校から始まった、学校と地域の融合教育研究会など、すばらしい活動はたくさんあります。
最近、友人から薦められて、遅まきながら「森をつくった校長」(春秋社)を読みました。
教育や学校に関心のある方はぜひお読み下さい。
未来が明るくなるはずです。
子どもたちのすばらしさを(つまりかつての自分のすばらしさを)、私たちは改めて確信すべきです。

○書籍出版

編集者の藤原さんのお話から、日本の出版事情の話が広がりました。
本があまり売れていないのはなぜかという話から図書館の話、さらには私が関わっている美野里町での新しい本作りの話など、いろいろ飛び火しました。
私は出版業界が本の作り方や売り方を間違っているのが原因だと思いますが、余り賛同は得られませんでした。
また活字離れについても、私は否定的ですが、これも全く賛同は得られませんでした。
今回のサロンは、私が全くの少数者でした。
時代からますます脱落しているのかもしれません。

他にもユニバーサルデザインやものづくりなどの話がありました。
しかし、今回は私が少し話しすぎてしまいました。
サロンのホストとしては大いに反省しなければいけません。
来月はおとなしくしていたいと思います。

 

■ 2002年2月22日

今月は参加者が少なく、10人くらいの静かなサロンでした。わざわざ長野からサロンに出てきたのに、急用で呼び返されて、お土産だけを届けてくれた池田さん、残念ですた。名古屋から参加を予定していた石田さんも、急用で欠席でした。

話題になったことのいくつかをご紹介します。

○日本食文化交流協会がいよいよ発足します

先月に続き、郡山から東山さんと一緒に事務局の二瓶さんがやってきました。二瓶さんはフードスタイリストです。手作りのケーキとクッキーをご持参いただきました。食に関しては誰にとっても関心のあることですので、いろいろ話題が広がりました。3月17日に東京で開設準備委員会が行われるとのことです。ご関心のある方は東山さん(日本食文化交流協会事務局)または私にご連絡下さい。

○ユニバーサルデザインと商品開発

企業で商品開発に取り組んでいる小濱さんが最近、ユニバーサルデザイン関係の会でお話したことを簡単に紹介してくれました。そこからユニバーサルデザインの話や点字の話に広がっていきました。ユニバーサルデザインはこのサロンでよく話題になります。ユニバーサルデザインもそうですが、そうした時代潮流と企業利益との関係も少し話題になりました。

私自身は、これまでトレードオフ関係にあったものがシナジー関係へと変質していく、新しい経済の枠組みが生まれだしていると確信しています。その移行過程にある現在の、対応の仕方が企業の将来を決めていくのではないかと思います。ほとんどの企業は旧パラダイムで対応しているようなので、きっと新しい企業に大きなチャンスが生まれていくはずです。

これに関連して、私からもふぁっとえばーが普及に取り組んでいる名刺点字セットの紹介をしました。簡単に自分で名刺に点字を印刷できるセットです。ご関心のある方はぜひふぁっとえばーまたは私にご連絡下さい。

○シニア社会学会での地下鉄チェックの話

シニア学会メンバーの江口さんが、シニア社会学会でいま、地下鉄のユニバーサルデザイン面からのチェックをしていると言うお話をされました。地下鉄チェックは数年前に大阪のボランティアグループの三好さんたちがきっちりした実践的調査をしたことがあります。当局とも数回にわたる意見交換をし、成果をあげています。こうした活動の積み重ねが、ユニバーサルデザインの広がりには一番大切なのかもしれません。

○大森蒲田の元気工場

かんき出版の藤原さんが出来立ての「大森蒲田の元気工場」の本を紹介してくれました。この本を記念して、3月5日に講演会+シンポジウムが開催されます。別のところに案内を掲載していますので、ご関心のある方はぜひご参加下さい。さらに3月16日には、著者によるライブコンサートも予定されているようです。モノづくりに関しては、藤原さんはこれからもいろいろな構想をお持ちのようなので、楽しみです。

ほかにも、これからの通信教育の話や、日本のサンカの話などもありました。サンカの話は、五木寛之さんの「日本人のこころ」シリーズ(今回も参加された黒岩さんが関わっています)の最新刊のテーマです。

■ 2002年1月25日

今年はじめてのサロンだったので、例年のように混乱が予想されたのですが、20人くらいのちょうどいい集まりになりました。郡山市から参加して下さった東山さんが「雪ほたる」という美味なにごり酒を持ってきて下さったこともあってか、人数の割には議論はかなり混乱しましたが、まあ、それもサロンです。

話題になったことのいくつかをご紹介します。

○ アフガンに何ができるか

「元気に百歳」クラブ代表の鈴木さんが、緊急避難的にアフガンの生活困窮者を10万人日本に受け入れる呼びかけを小泉さんに提出した、という話が契機になって、反論異論を含めて議論が盛り上がり、分散会?が行われる状況になりました。

どちらかというと、賛成者が少なかったような気がしますが、鈴木さんのことですから、めげずに活動を仕掛けていくと思います。私自身は、みんなが自分の考えをどんどん社会に呼びかけていくことに賛成ですので、この案の良し悪しはともかく応援したいと考えています。

ご関心のある方は小泉さんあての手紙をご覧下さい。

この議論で印象的だったのは、創志塾塾長の三浦さんの感想でした。

みんなが関心を持っているにも関わらず、アフガン問題のような大切な問題を、きちんと話し合う場がないので、こういう場でこんなに話題になるんですよね」。

私もそう思います。そこで、でもないのですが、春から、こうした問題を気楽に話し合う「政治を考えるサロン」をはじめたらどうかなと友人と相談しています。若者たちは政治に関心がない、などという、マスコミの報道を信じてはいけないと思っています。政治に関心がないのは、むしろマスコミやジャーナリストだと、私は思っています。

○ 日本食文化交流協会の呼びかけ

雪ほたるを持ってきてくれた東山さんは、食生活で元気を回復したご自身の体験から、いのちにやさしい食材や食品を広げたいと考えて、そうした活動の核になる「日本食文化交流協会」を立ち上げる仲間を集めています。また、このホームページでもご紹介したいと思いますが、ご関心のある方はぜひ仲間になってください。

自然米のおにぎりも試食してみました。私は、日本人はもっと「お米」に対する関心とこだわりを持つべきだと思っています。山梨県で農業もやっている友人がいます(学校の先生でもあり、今は山梨学に取り組んでいます)。横森さんといいますが、横森さんがとても美味しいお米を送ってくれます。今年はこんな言葉がついていました。

モミのままでの保存や精米も我が家で行っているので、わらゴミなどが入ってしまいますが、良く洗っていただければと思います。私は、本格的な農業からはお恥ずかしいような半農ですが、それでも「食と農」には関心を持っています」。

私は、農業にはもちろん部外者ですが、横森さんのような方こそ、本格的な農業者だと確信しています。このテーマも私には20年来の関心事ですので、今年当から研究会をはじめたいと考えています。どうでしょうか、ご一緒しませんか。

話が脱線しましたが、日本食文化交流協会への参加の仕方は近日中に、このホームページからもアクセスできるようにします。

東山さんの話から、身土不二や四里四方、スローフードの話にもなりました。地元学に取り組んでいる浦嶋さんから地元学の話も少しだけ紹介してもらいましたが、今回は時間がなくて残念でした。

いずれにしろ、私たちの生き方を問いなおす時期にきているようです。

○ 日本構想学会

日本構想学会の構想者、宮城大学の半田教授と二人の学生が参加してくれました。学生は大村さんと佐々木さんです。この二人もそれぞれにNPO活動をしていますので、いつかネットワークのコーナーで紹介させてもらえると思います。

彼らとは1年生の頃から付き合っていますが、私の若者への信頼感を確信させるように彼らの発想と行動はどんどん広がってきています。何時の時代も人生の師は若者です。いや、これは常識に反しますかね。でも私の昔からの信条です。誤解のないようにいえば、高齢者は社会の師です。

構想学会の大会に参加した加藤誠也さんもサロンに久しぶりに来てくれましたが、彼にはめずらしく、発言を控えられていました。彼が話し出すと、アフガン論争はさらに複雑になっただろうことを思えば、これは奇跡としかいえません。

○ CWSコモンズ村

CWSコモンズ村の住民が数名参加していました。ついでなので、村への転入のよびかけパンフレットも配布しました。アフガンで大変な時期に、何がコモンズ村だと鈴木さんに怒られそうですが、コモンズ村での引受けはまだ無理です。ただ、すでに台湾の高雄の若者がコモンズ村の住民登録を終えています。5年後には、もしかしたら、難民受け入れも夢ではありません。

コモンズ村に入村するためには、他の村民に対して、こんなことでお役に立てるということを公開しなければいけません。それが見つからず困っていると言う方もいますが、そんなことはありません。人には必ず誰かの役に立つことがあります。それをもっと自覚的に意識することがとても大切なのではないかと思います。

○雪印食品の事件から何を感じるか

今回の雪印食品の不正事件は、とても哀しい事件です。これは全体の話し合いではなく、分散会状況になった時の話題ですが、へそ曲がりデザイナーの岸田さんが「同じ状況だったら、私も会社のために不正行為に加担したかもしれない、それが人間の弱さ」だと言いました。ニューヨークのビルに飛行機を激突させたアフガンの若者たちも同じだったのではないか、それが組織の怖さだ、と岸田さんはいいます。

私はこの論理には与しません。人間は本来強いと思っているからです。人間は弱い存在、という暗示はいったい誰が仕掛けたのでしょうか。その呪縛から解放されなければなりません。

サロンの前に市民セクターよこはま主催の市民活動のあつまりに参加していました。長年、企業とNPOの両方の世界で活動してきた加藤哲夫さん(せんだい・みやぎNPOセンター)がスピーチの中でこの事件に触れほとんどの人が不正行為に従ったが、おかしいと思い告発した人がいた、そこに注目したい、と言っていました。全く同感です。

おかしいことをおかしいと感ずる能力とそれを実行に移す勇気を、私たち誰もが持っているのです。それを押さえ込んできたのが、これまでの歴史であるとすれば、歴史は今、反転しようとしているように思います。

それを可能にしたのがITだと思います。なんだか大きな話になってしまいましたが、いつかきちんとメッセージします。

ところで、横浜の市民活動の集まりですが、企業の人が何人か参加していました。とてもうれしいことです。その一人がこういう質問をしました。

企業には厳しい競争の中で社会には公開できない企業秘密もある。市民活動やNPOと付き合う場合、そうした問題はどうすればいいのか。

私も東レという会社に25年いました。しかし、本当に機密にすべき情報が企業にあるのだろうかといつも不思議に思っていました。朝日新聞に「企業を開くとき」という小論を書いたのはそうした気分からでした。それが私の取り組んだ東レのCI活動の原点でした。見事に挫折しましたが。

組織には秘密がある。私たちはそう思い込んでいるだけではないか。まずはそこから考え直していく必要があります。私は企業の経営幹部の方たちの研究会のアドバイザーなどもさせてもらっていますが、そうした意識はこの5年で急速に変わってきているのを実感しています。

○ その他の話題

ジェーン・マコさんは建築家です。米国で活躍してきましたが、今は日本に戻ってきています。彼女がゴルフ場の再活用計画に関心を持ち、数年前から新しいコンセプトでの地域開発プロジェクトを検討しています。今回はそのさわりの話がありました。彼女のプロジェクトも、このホームページにアップしていきたいと思います。今年は、ともかくみんなホームページで情報発信してしまおうという気分です。

アフガンの問題提起者の鈴木さんは、現在取り組まれている「元気で百歳」クラブの紹介もしてくれました。

それぞれが取り組んでいる活動や関心事を紹介しあうのも、このサロンの一つの効用です。人は話しながら、考えを育てていくのではないかと私は考えていますが、今の日本には寄り合いの文化がなくなってきています。そんな文化を回復したいという意味も含めて、今年もサロンを楽しみたいと思います。

ではまた2月に。ちなみにサロンへの参加の事前連絡は全く不要です。コモンズ村住民以外も大いに歓迎します。