活動記録 (2006年)

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(2006年12月第4週)
今年最後の週になりました。
いろいろな思いのこもる1年でした。
お付き合いいただいた皆さんに感謝します。
今週は極めて個人的な日記です。
■ささやかなクリスマス(2006年12月24日)
■日本テレビの24時間テレビも30年だそうです(2006年12月25日)
■鰍bWSをどうするか、外崎さんに相談しました(2006年12月25日)
■アンベードカルの生涯(2006年12月27日)
■今年最後のお客様(2006年12月28日)
■インドネシアでパートナーを探している方はいませんか(2006年12月29日)
■年賀状を書かなかった年末
(2006年12月31日)
■謝辞(2006年12月31日)

■ささやかなクリスマス(2006年12月24日)
我が家にはクリスチャンは一人もいません。
それに今年はいろいろありすぎて、楽しい気分にはなかなかなれません。
家族全員が、それぞれに疲れてもいますし。
しかし、そうであればこそ、せっかくのクリスマスを楽しもうということになり、
上の娘が手づくりケーキを作って、近くに住んでいる兄夫婦を招待することになりました。
娘のケーキは突然変異的な新種ケーキが少なくないので、いささかの危惧はあったのですが、
前日から準備をするという張り切りようです。
あいにく女房の体調が朝からあまりよくなかったのですが、女房もがんばって参加しました。
参加といっても、我が家でお茶を飲みながらケーキを味わうだけの話ですが。

今回のケーキは、なかなかの出来栄えで、好評でした。
兄夫婦もとても喜んでくれました。
3種類が用意されましたが、いずれも美味しく、久しぶりにたくさん食べてしまいました。
食がなかなか進まない女房も美味しいといって楽しんでいました。

まあ、それだけの話なのですが、最近はこうしたちょっとしたことを楽しめる幸せを感じています。
何万円もする高価な食事や贅沢なケーキがテレビで紹介されますが、
そんなお金があれば、困っている人への寄付に向けたほうが、もっと幸せな気分になれるだろうに、といつも思ってしまいます。
似たもの夫婦で、女房もそのタイプなのです。
ですから我が家には手づくりケーキが似合っているのです。

もう一つ意外なことがありました。
娘が、私に指輪をクリスマスプレゼントしてくれるというのです。
といっても、私の指輪ではなく、女房用の指輪です。
お父さんはお母さんに指輪などプレゼントしたことがないだろうから、これをお父さんからプレゼントしたらどうかというわけです。
娘は私にプレゼントし、私はそれを女房にプレゼントする。
同じ物で2回も喜びが生まれるというわけです。なかなかの妙案ですね。

しかしその提案は丁重に辞退しました。
娘からのプレゼントのほうが、きっと女房は喜ぶでしょう。
それに私がそんなことをするタイプではないことを女房は良く知っています。
私は指輪やアクセサリーの意味がほとんど理解できない人間なのです。
文化度が低いのでしょうか。困ったものです。

そんなわけで私はいつもながら何も用意していなかったのですが、女房からマフラーを贈られました。
いつ買いに行ったのでしょうか。最近は外にはあまり出られない状況のはずなのですが。
さて何をお返ししましょうか。こういうのが私には一番苦手なのです。困ったものです。
とまあ、今年はささやかですが、実に幸せなクリスマスでした。

■日本テレビの24時間テレビも30年だそうです(2006年12月25日)
日本テレビの24時間テレビの始まりの時は感動しました。
テレビの可能性に新しい展望を開くものでした。
自発的な募金の文化を広げた意義もとても大きいと思います。

その事務局長の神成尚亮さんが久しぶりにやってきました。
神成さんはコムケアの選考会にも参加してくれたことがあり、コムケア活動には共感してくださっているのです。
神成さんは、私のブログの辛らつなテレビ批判も読んでくれていますが
、テレビの持つ大きな可能性に深い思いをお持ちの方です。
最初に出会った時から、それが伝わってきました。
しかし、その思いや志を現在の企業社会やマスコミ社会で実現するのは至難のことかもしれません。

今日はいろいろと意見交換させてもらいました。
うれしかったのは、神成さんが、また元気が出ました、と言ってくれたことです。
自分の元気が最近はかなり低下していますが、まわりの人にはまだ元気をあげられるようです。うれしいことです。
神成さんは、コムケアともどこかで接点ができないだろうかとも言ってくれました。
来年に期待したいと思います。

■鰍bWSをどうするか、税理士の外崎さんに相談しました(2006年12月25日)
潟Rンセプトワークショップ(CWS)が存続の危機にあります。
まあ、今に始まったことではないので、たいしたことではないのですが。
18年、奇跡的に存続してきた私の会社も、いよいよ働く人がいなくなったのです。
つまり私があんまり働けなくなったわけです。
せっかく企業の仕事を再開した矢先だったのですが、
私にとってはかけがえのないパートナーの元気回復が最大の課題ですので、
彼女の元気が回復するまでは彼女に寄り添って、自宅中心の生活に切り替えているのです。
まあ、これまでもそう働いていたわけではありませんが、それなりに忙しくやってきました。
売上げにはつながらないことがほとんどでしたので、
経理をお願いしている税理士の外崎さんからは、もっとしっかり働けといつも言われていましたが、
まあ18年、よくやってきました。

しかしこの3年半、なかなか売上げになるような仕事をする暇はなく、厳しい状況だったのです。
昨年から私の月給を20万円に減額したおかげで、会社は辛うじて黒字になっていましたが、
外崎さんのアドバイスで、今年の夏以来は月給ゼロにすることにしました。
社長の月給がゼロなのはいかがなものかと外崎さんに抗議したのですが、
佐藤さんは会社に融資している金額が1000万円以上あるので、
もし会社に利益が出たら借金を返してもらうのがいいです、と言われてしまいました。
このままいって会社が倒産すると返してもらえなくなるわけです。
しばらくは会社の仕事を休もうかとも思っているので休業も考えましたが、
銀行からの借金が残っているからそれはだめだといわれました。
いやはや、物事はうまくいきません。

コンセプトワークショップを3億円で買収してくれる人はいないでしょうか。
あまり期待できないので、先日宝くじを買いました。
そこで驚いたのですが、私の前の人が、なんと宝くじを500枚も購入したのです。
つづいて10枚買うのがちょっと恥ずかしかったです。
10枚くらいでは3億円を手に入れるのは無理そうです。
やはり地道に働くのが一番ですね。
気づくのが少し遅すぎました。はい。

■アンベードカルの生涯(2006年12月27日)
五木寛之さんの「仏教への旅」を読んで、
インドの不可触民解放に取り組んだアンベードカルという人の存在を知りました。
早速、簡単に読める「アンベードカルの生涯」(光文社新書)を読んでみました。

私のガンジー理解はやはりかなり違っていたようです。
「やはり」という意味は、どこかに「何か違うもの」を感じていたのです。
ガンジーには、現場のにおいがしないような気がしてならなかったのです。
あれだけの現場を創りだし、乗り越えた人ですから、そんなはずはないのですが、
どこかに人間さを感じられずに、やはり聖者(マハトマ)は好きになれないと思っていたのです。

その理由が、この本を読んで納得できました。
ガンジーは、組織起点の人、全体起点の人だったのです。
それに対して、ライブな具体的な生に立脚しているのがアンベードカルのようです。
その生き方に共感しました。
死の断食を背景にしたガンジーとアンベードカルとの対決の場面は凄い迫力です。
映画「ガンジー」で見た時の状況とは全く違います。
あの映画ではよくわかりませんでしたが、
この本が正しければ、アンベードカルとガンジーでは人格の次元が違います。
アンベードカルの前ではガンジーも色あせて見える小賢しい人物でしかありません。

おそらく事実はそうだったのではないかと思えてなりません。
偉人は時の権力者によって、創りだされるものなのです。
しかし、偏った見方は危険でもあります。
この正月は少しガンジーの伝記も読んでみようと思います。
みなさんにはぜひアンベードカルを読んでもらいたいと思っています。
50年後の日本に、もしかしたら求められるような人物かもしれません。

■今年最後のお客様(2006年12月28日)
今年最後のオフィスへのお客様はビレッジハウスの山本ご夫妻でした。
ご夫妻との付き合いは長いのですが、2人とも実に個性的なアーティストなのです。
代官山にオフィスをお持ちで、空間設計に関するコンセプトデザイニングとプロジェクトマネジメントをお仕事にされています。
特にウェディングの分野では、これまでさまざまなヒット作を生み出しています。

一方は飛びぬけての心配性、一方は飛びぬけての楽観主義者という、
実に楽しい組み合わせの夫婦なのですが、
今日は年末の忙しい中を、お2人そろってきてくれました。
仕事でもささやかなお付き合いはあるのですが、私の環境変化のために、あまり深入りできずにいます。
面白い課題が山積みなのですが。
来年は少しはお役に立てるようにしたいと思っています。

ところで、今年も実に様々な人たちが湯島のオフィスに来てくれました。
秋以降は私があまりオフィスに行けませんでしたので、人数的には例年よりもずっと少ない人数でしたが、
今年も さまざまな出会いの場になりました。
来年もまたいろいろな人たちとの出会いの場になれればと思っています。

■インドネシアでパートナーを探している方はいませんか(2006年12月29日)
インドネシアで仕事に取り組んでいる、マレイシアのチョンさんからメールが来ました。
10年ほど前まで日本に留学していましたが、
その頃、私がやっていた留学生サロンによく来てくれていた一人がチョンさんです。
実に博識で、愛すべき若者でした。
日本で会社に入り、その関係でインドネシアに行ってしまったのですが、
今年に入り、会社を辞めてしまったのです。
人の良さにかけては人後に落ちない若者ですので、いささかの心配がありますが、
とても明るく元気なのがチョンさんなのです。

毎年、年末年始になると当時集まってきていた人たちからメールや電話があります。
何か応援したいと思い、何かできることはないかといつも考えるのですが、
彼らの要望は実に具体的過ぎて、なかなか役に立てません。とても残念です。
役 にたってもいないのに、時々連絡してきてくれます。
女房が元気になったら、一緒に彼らのところに行こうと話しているのですが、なかなかいけそうもありません。
留学生サロンには女房も一緒でしたし、我が家にも遊びに来てくれたりしていました。
わが夫婦にとっても、本当に愛すべき若者たちでした。

この留学生サロンは、ある人から日本に来たアジアの留学生は半分以上が日本を嫌いになって帰国するという話を聞いたのがきっかけでした。
3年くらい継続したでしょうか。
いろいろな人が来てくれましたが、
今でもよく連絡してくるのは3人です。

このサイトともリンクしている呉さんはチョンさんに輪をかけた好人物ですが、
台湾でピンバッジなどの製造をしています。
これも応援してやりたいのですが、私自身がその種の仕事をしていないので役立てません。
どなたかイベントなどを仕事にされている方がいたらぜひ応援してやってください。
人柄は私が保証します。
チョンさんも今、仕事を探しているそうです。
インドネシアかマレイシアで仕事を展開されている方がいたら、仕事の相談に乗ってやってくれませんか。

どなたか応援してくださったらとてもうれしいです。

■年賀状を書かなかった年末(2006年12月31日)
3年ほど前から、年賀状を原則として新年の挨拶は年賀メールにさせてもらいましたが、
メールをやっていない方には年賀状を書いていました。
それも年々少なくなってきていましたが、今年はどうも年賀状を書く気が起きずに、
年賀はがきはいまだに白紙のままになっています。
今日は最後のチャンスだったのですが、書くのをやめてしまいました。

年賀状を書き出してから55年くらいでしょうが、初めて年賀状を書かない年になりました。
そんなわけで、今年は年賀状はありません。
ご容赦ください。
年賀メールもいつもは除夜の鐘が鳴り出したら発信するのですが、
今年はこれも間に合いませんでした。
年が明けてからの発信になってしまいそうです。
しかもアドレス帳が混乱したままですので、届かない恐れがあります。
恐縮ですが、万一届かなかったらご連絡ください。
アドレスを復活させたいと思いますので。

■謝辞(2006年12月31日)
今年も残すところ1時間を切りました。
今年は私にとっては忘れられない年になりました。
たくさんの方たちに大きな励ましももらいました。
人のつながりのありがたさに、これほど感謝した年はありません。
この数年、私は「コモンズの回復」、つまり「つながり育て」に取り組んでいますが、
その姿勢が間違っていなかったことを実感させられました。

この退屈でわけのわからないホームページや、
感情的で唯我独尊のブログを愛読してくださった方々に深く感謝しなければいけません。
ありがとうございました。
感謝しています。

来年は、もう少し元気を取り戻していければと思っています。
元気が出てきたら、1月の下旬にでも、湯島で1回だけの湯島サロンを開催したいと思っています。
開催することになったら、できるだけ早く、このサイトのお知らせにご案内します。
お会いできることを願っています。
除夜の鐘が鳴り出しました。

(2006年12月第3週)
天気と女房の体調が見事といえるほどに同調しています。
人間も含めた、すべての生命が、自然の一部を構成している存在であることを実感しています。
週中は寒空と雨でしたが、週末は本当に穏やかな日和で、ゆっくりと時間を楽しむことができました。
■プロの農作業(2006年12月17日)
■黒岩比佐子さんから「仏教への旅」が贈られてきました(2006年12月18日)
■金田英一さんのライフワーク(2006年12月19日)
■NPOを支援する「ボランタリーライフjp」の友野健一さん(2006年12月19日)
■ミイラ展とエルミタージュ展(2006年12月20日)
■国家戦略の視点を持った教育再生提言(2006年12月20日)
■柏市市民交流サロン(2006年12月21日)

■プロの農作業(2006年12月17日)
体調を崩している女房の見舞いに敦賀から義姉夫婦がやってきてくれました。
おかげで今週の女房は元気でした。
義姉夫婦は敦賀で自家消費用に作物をつくっている、いわばプロなのです。
その姉夫妻が、我が家の「農園」の状況を見るに見かねて、ちょっと「てこいれ」をしてくれ、
冬場でも育つ野菜の種をまいてくれました。
3畝ほどなのですが、その畝が見事なのです。
遠目にも違いがわかります。
しばらくして通りがかった近くの青木さん(この人も自家消費用の作物をつくっていて、いろいろとアドバイスしてくれている人です)が、
その見事さに気づいてわざわざ「農園」まで入って見ていました。
わが「農園」は、我が家から見下ろせる場所にあるので、その様子もまた見えるのです。
やはりプロは違います。仕上がりの美しさが違うのです。

今年は農園主の女房の体調不良をいいことに、小作人である私が手抜きをしてしまったので、
わが農園は美しいとはいえない荒れた状況になっていたのですが、義姉夫妻のおかげできれいになりました。
女房は安堵したようです。

ところで、この農園は今でもブロッコリーや冬大根ができています。
その収穫は私がしていますが、今は何も手をかけないのに、ありがたいことです。
大地の恵みには感謝していますが、こうした大地の恵みを私たちは結構無駄にしています。
わずかばかりの収穫体験があるからかもしれませんが、
テレビで過豊作の野菜が破棄されているのを見ると涙が出そうになります。
許されることではありません。
金銭経済を守るために実体経済を犠牲にするような本末転倒の社会は、それこそ天罰を受けることになるはずです。
それに気づいていない経済学者に、一度、農作業をやらせてみたいものです。
彼らは本当の経済を何も知らないのでしょう。
そういう人を政府は重用するのです。
あれ、また話がそれそうなので、この話はここまでにします。はい。

■黒岩比佐子さんから「仏教への旅」が贈られてきました(2006年12月18日)
黒岩比佐子さんから、仕事で関わった、五木寛之さんの「仏教への旅 インド編」(講談社)上下巻が贈られてきました。
同書の「あとがきにかえて」で、著者の五木さんが書いていますが、
黒岩さんは五木さんに同行してインドを旅行され、
本書の資料整理から構成までの、いわばプロデューサー的役割を果たされたようです。
本シリーズの前の「百寺巡礼」も一部を除き、黒岩さんは構成者として活躍されています。
その関係で、本ができると必ず送ってきてくれるのです。

黒岩さんのテーマへののめり込み方を少しだけ知っている者としては、
いつも本の背後にある黒岩さんの尋常ならざる仕事ぶりを感じるのですが、
今回は特にそのことを実感しながら読ませてもらいました。
いつもながらの、黒岩さんのエネルギーには感服します。

本書は、全体の構成がとてもうまく流れていて、わかりやすく、心に入ってきます。
なによりも現場発の情報を、ライブ感覚でなぞらえるのがうれしいです。
それにしても70歳を超えている五木さんのエネルギーの凄さには驚かされます。

今回は「利他一利」という言葉に出会いました。
「自利利他円満」という言葉は、確かに小賢しいですね。
私は、「自利一利」の生活を目指していますが、
「コモンズの回復」をテーマにしていますので、
宮沢賢治がいうように(世界中すべてが幸せにならない限り、自分の幸せはない。つまり、利他円満が自利の手段)、
私にとっては、「自利一利」は同時に「利他一利」なのです。
しかし、素直に「利他一利」と言ったほうがわかりやすいです。
考え直してみようと思いました。

本書で、アンベードカルという人のことを知ったこともうれしかったです。
私がなぜガンジーのどこかに違和感を持っていた理由がわかりました。
人は本当に見たいことしか見ないものです。

まあ、それはそれとして、黒岩さんの活動は超人的なのです。
女房も私も、その活躍ぶりから元気をもらっています。
最近、本を読まなくなった女房がこの本を読み出しています。
とても良い本です。お勧めします。

■金田英一さんのライフワーク(2006年12月19日)
金田英一さんから朝、いま東京にいるので時間がないかという電話がありました。
それで急いでオフィスに出かけました。
金田さんは東京と新潟を往復する生活をしているのですが、
環境問題や社会教育関係など、さまざまな活動をされており、 元気なシニアのお一人なのです。
先日も、赤羽で金田さんの知人に会いましたが、元気なシニアはどこかでつながっているのです。

今回は、金田さんのライフワークである、環境問題、とりわけ「川や堀につながる環境問題」についてお話をお聞きしました。
金田さんは最近の東京都の「環境学習リーダーニュース」に韓国でのソウル清渓川復元事業の視察記を投稿していますが、
他にも信濃川のサケ遡上のプロジェクトなどにもかかわっています。
体力も気になりますが、案の定、いろいろとあるようです。
しかし、ご自身が取り組んでいるプロジェクトの話をされる時の金田さんの表情は実に楽しそうなのです。
無理をしても取り組んでしまう気持ちがよくわかります。
元気シニアは、そうやって人生を楽しんでいるのです。
いや、それこそが人生なのです。
自分の人生にたどりつくまでの時間が、最近では長すぎるような気もします。
金田さんの元気に触れて、私も元気を思い出しました。

■NPOを支援する「ボランタリーライフjp」の友野健一さん(2006年12月19日)
20日に行なわれた学生まちづくり学会に参加していた、友野健一さんがオフィスにきました。
友野さんは、ボランタリーライフとCSRプロモーション「コラボPro。」というポータルサイトに取り組んでおり、
私の取り組んでいるコムケアとの接点があるのではないかと訪ねてきてくれたのです。
いずれも面白いサイトで、ある意味では私がコムケアやCWSで取り組んでいる思いにかなり重なっています。
しかしどうも私の理解力に不足から、どういうコラボレーションができるのかが良く理解できないために、
いつもこういう話には乗り遅れてきました。
しかし今回は友野さんの生き方そのものに共感できるところがいくつかありました。
いろいろな接点が生まれそうな気がします。

ちなみに、友野さんは瀬谷重信さんとの接点もありました。
瀬谷さんには私の事情ですっかりご無沙汰してしまっていますが、年が明けたら3人で会ってみたいと思っています。
友野さんには一度、コムケアサロンで話してもらおうと思っています。

■ミイラ展とエルミタージュ展(2006年12月20日)
むすめと一緒に「ミイラと古代エジプト展」と「大エルミタージュ展」をはしごしました。

エジプトに観光旅行したのはもう15年以上前なのですが、
その時の印象は今でも強烈に残っています。
その時のガイドをしてくださったのが、エジプト便りでバレンボイムのコンサートを紹介してくれた中野正道さんなのです。
中野さんの説明は実に面白く、以来、私はすっかりのエジプトファンです。

「ミイラと古代エジプト展」は3D画面でのミイラの説明が面白かったです。
私はミイラには全く興味がないのですが、その私も引き込まれるように見てしまいました。
もちろん今もミイラには興味はありませんが。
エジプト展のほうも面白い作品がいくつかありました。
名前は忘れましたが、顔が左右対称ではない、ちょっとエジプトらしからぬ女性像が印象的でした。
左右対称でないと表情がとても生き生きしてくることに気づきました。

エルミタージュ展は物語性を持った展示になっていましたが、そこからのメッセージは私には重苦しさを感じるものでした。
最近、読んだ「ローマ世界の終焉」と「仏教への旅」のせいかもしれませんが、歴史観がますます暗くなってきています。
そういえば、1月3日の夜10時から1時間、NHKで塩野さんと五木さんの対談が放映されるそうです。
黒岩さんが教えてくれました。
エルミタージュ展は、ナポリの花火という絵が、異様に私の脳裏に焼きついてしまいましたが、
全体には社会の暗さを改めて印象付けさせられました。
この暗さの中で輝やいている明るさがきっとどこかにあると思うのですが、最近は確信できなくなってきています。

美術展などはいつもは女房と行くのですが、今回は上のむすめから誘われたのです。
私が少し元気がないので誘ってくれたのかもしれません。
最近はむすめたちの支えられています。

■国家戦略の視点を持った教育再生提言(2006年12月20日)
今日は次世代人材育成研究会でした。
テーマは「教育再生」で、民間教育臨調事務局長の勝岡寛次さんが、
最近まとめた「美しい国へ−教育再生への一提言」(案)を紹介してくれました。
この報告書の視点として、最初に書かれているのが
『教育改革を行うに当たっては「国家戦略」の視点を持つ』ということです。
この視点、さらにその題からして、私には拒否感が消せない提言ですが、
反対であるとしても内容はきちんと理解しておかねばいけません。
私の考えもかなり偏っていますので、相対化させる努力はいつもしているのです。

この提言はまだ正式には発表されていないそうですが、実に具体的で思い切って書いています。
コメントはやめます。
何を書き出すか我ながら不安ですので。
しかし、意外なことに研究会ではけっこう評判がいいのです。
もちろん異論も少なくないようですが、その明快さに共感したのかもしれません。
賛否はともかく、提言にはあいまいな言葉は使うべきではありません。
その点では、私もこの提言の明快さには拍手を送りたいと思います。
内容は蹴飛ばしたい気持ちもしないではないですが。

■柏市市民交流サロン(2006年12月21日)
私の住んでいる我孫子市の隣にあるのが柏市です。
そこに市民活動センターが10月に誕生しました。
千葉県では14番目の行政がつくった市民活動センターだそうです、
コムケア仲間の松清智洋さんがそのスタッフになりました。
そして、市民交流サロンを始めたいというので、
第1回目の集まりに柏市民でもないのに問題提起の話しをさせてもらうことにしました。
松清さんからは、市民公益活動に関する問題提起といわれたのですが、
市民公益活動というのはつまるところ「まちづくり」だと思うと松清さんに話したら、それをそのままチラシに書いてくれました。

テーマは「みんなが気持ちよく暮らせるまちづくり」です。
これまでの3つのまちづくりがいずれも壁にぶつかっていること、
そうしたなかで住民たちが企業や行政やNPOを活かしながら、
楽しい暮らしづくりをしていくことこそ、これからのまちづくりではないかというメッセージを出させてもらいました。

予定人員は20人だったのですが、何とその倍近くの人が集まりました。
しかもみんなしっかりした現場をお持ちです。
私の住んでいる我孫子市でもこういう人たちが集まるだろうかちょっと心配になりました。
実は我孫子市でもこうしたサロンを開催したいと思っていましたが、
私の生活状況の変化もあって無期延期になってしまっているのです。

参加者の一人ひとりからそれぞれの活動の紹介がありました。
実に豊かです。
それに柏市役所の人たちの対応も黒子に徹していてとても好感が持てました。

刺激的な話もありました。
NPO法人手賀沼協会の人からは、手賀沼がきれいになっているなどと思ってはいけないと怒られました。
そういえば、CWSプライベートにもコメントが寄せられていますが、いままた手賀沼は汚染度が高まっているようです。
浄化が進んでいるという政治的なメッセージを鵜呑みにしてはいけないというのです。
たしかに手賀沼浄化に関しては、基本的なことはあまり進んでいません。

もっと強烈だったのは、柏原住民と自称する方の話でした。
その人の活動の一つに、鉄道の駅のホームに柵を作ることを義務付ける法律を作ろうというホーム柵日本会議があります。
ぜひホームページをご覧ください。

このサロンがこれからどう育っていくか、楽しみです。
我孫子市でもぜひサロンを始めたいと思います。

(2006年12月第2週)
教育基本法が変えられたことに哀しさを感じています。
日本も曲がり角を曲がってしまいました。
北朝鮮化がどんどん進行しています。組織の宿命なのでしょうか。
■学生まちづくり学会2006(2006年12月10日)
■病院のおかしさ(2006年12月12日)
■IHの菅野さんとKADOの市川さん(2006年12月14日)
■日本が終わり始めた日(2006年12月15日)
■「ローマ世界の終焉」と日本国家の終焉(2006年12月16日)

■学生まちづくり学会2006(2006年12月10日)
学生まちづくり学会2006が豊洲の芝浦工業大学で開催されました。
今年の実行委員会にコムケア仲間も何人か参加している関係もあって、
私もパネルディスカッションのセッションに参加させてもらいました。
コーディネーター役は、わかものNPO−Voice Of Tsukuba代表の山浦彬仁さんです。
高校生の時からの知り合いですが、いまは筑波大学の学生です。

今回のテーマは、コラボレーションです。
そのテーマに沿って、様々な切り口からコラボレーション活動をしている4人のパネリストを山浦さんが集めてくれました。
みんなお互いに初対面ですが、気持ちが通じ合えるメンバーでした。
財団法人まちみらい千代田の阿部武志さんは千代田区のまちづくり活動への助成活動をしています。
きっと共通の友人知人がいるはずです。
NPO向島学会の曽我高明さんも何人かの友人知人が思い浮かびます。
曽我さんはご自分の会社の建物をリフォームして、
現代アートのオルタナティブスペース「現代美術製作所」も主宰されています。
ホームページを見せてもらうと実に魅力的な活動を展開されています。
関西学院大学からやってきたのは、ほんまちラボで活動している大崎圭太郎さんです。
さまざまな実践をしてきていることが発言ににじみ出ている若者です。
こうした学生が増えてきているのはとてもうれしいことです。

学生まちづくり学会は、まだ固定的な組織化はされておらず、
毎年、実行委員会方式でイベントを行なっているようです。
今年で6回目になるそうですが、今回の実行委員長は芝浦工大の横山夏来さんです。
この集まりの報告者はまた作成されるでしょうから、ここでは報告しませんが、
参加した学生たちが一生懸命にメモを取っているのに驚きました。

とても刺激的な活動です。
オープンプラットフォームを活かしながら、やわらかな組織化を進めていくと面白い展開になるような気がします。

■病院のおかしさ(2006年12月12日)
最近、週に1〜2回は病院に行っています。
今日も病院で4時間ほど過ごしました。
ほとんどは待ち時間です。

病院のことはなかなか書きにくいのですが、
そこにおける人間関係の特殊性に大きな課題があると以前から考えていました。
そこで今春、長年の課題だった、暮らしの視点から病院のあり方を考える「ヒポクラテスの会」をスタートさせたのですが、
その直後に私自身があまりにも当事者になってしまったために活動ができなくなってしまいました。
もう少し準備をしてから立ち上げればよかったのですが、急ぎすぎてしまいました。
参加したみなさんには、本当に申し訳ないことをしたと思っています。

この半年の、改めての当事者体験から、やはり大きな疑問がたくさん出てきました。
ヒポクラテスの会も応援してくれている栗橋病院の本田宏医師は
「医療制度」に問題があるということで活動を全国的に展開されていますが、
根はもっと深いような気がしてなりません。
その最大の課題は「医師の意識改革」です。
いまお世話になっている何人かの医師に不満があるわけではありません。
みんなとてもよくしてくれています。
しかしどこかに「超えられない壁」を感ずるのです。
その正体が最近だいぶわかってきた気がします。
そうしたことをいつかしっかりとまとめられればと思います。

9日に、日本構想学会の大会がありました。
そこでそうしたテーマのラウンドテーブルが開催されたのですが、
今年は私のミスでダブルブッキングをしてしまい、参加できませんでした。とても残念です。
イバン・イリイチではありませんが、やはり「病院」概念のパラダイムシフトが必要なのです。
言い換えれば、今の医療体制の解体です。医療制度ではなく、医療体制です。
学校も病院も、政府も自治体も、すべてがどうやら次の段階への進化を必要としているような気がします。

3時間の待ち時間に、そんなことをぼんやりと考えていました。

■IHの菅野さんとKADOの市川さん(2006年12月14日)
インキュベーションハウスの菅野弘達さんと日本経営道協会の市川覚峯さんは、20年ほどに少し接点がありました。
しかし、その後、接点がなくなり、最近は会う機会がなくなりました。
オフィスはすぐ近くですので、一度、2人を引き合わせようと思い立ちました。
そこで菅野さんと一緒に市川さんのオフィスを訪ねました。
隣で2人のやり取りを聞いていましたが、改めて2人の過去を知ることができました。
こんな表現は誤解を招きそうですが、人の評価や解釈は人によって異なってきます。
ですから、そうした2人のやり取りを聴いていると、改めて2人のことがよくわかるのです。

最近、女房の体調の関係でインキュベーションハウスにもあまり顔を出せないのですが、
今春から菅野さんがフルコミットしだしたので、助かっています。
菅野さんがいなかったら、インキュベーションハウスも挫折していたかもしれません。
日本経営道協会とインキュベーションハウス。
何かコラボレーションできることがあるといいのですが。
全く異質のようですが、きっとどこかに接点があるはずです。

■日本が終わり始めた日(2006年12月15日)
やや刺激的なタイトルですが、これだけは残しておきたいと思い、書くことにしました。
新教育基本法が今日の参院本会議で与党の賛成多数で可決され、成立しました。
一般には「改正教育基本法」と表現されていますが、
パラダイムが違いますので、改正ではなく「新」というべきでしょう。

日本は曲がり角を曲がってしまいました
みんなが、それぞれの現場で忙しくしていて、心を亡くしている間に、
社会のパラダイムが大きく変えられてしまいました。
1950年代から60年代に警告を発していたSF作家の直感はどうやら的中したようです。
しかし、終わることもまた価値のあることかもしれないと、最近は少し思い出しています。
もう価値がなくなったということですので。

教育しなければ植えつけられないような愛国心の対象になる国家は不要です。
愛社心が企業を崩壊させた体験を思い出してほしいものです。
北朝鮮の教育とどこが違うというのでしょうか。
個を基軸にしない教育は、洗脳でしかありません。
洗脳されそこなった私には、居心地の悪い社会が始まりました。
会社は離脱できましたが、社会からは離脱できないのが無念です。

■「ローマ世界の終焉」と日本国家の終焉(2006年12月16日)
塩野七生さんの「ローマ人の物語」もいよいよ最終巻になりました。
発刊以来、15年が過ぎたわけです。
今日、その最終巻「ローマ世界の終焉」が発売になりました。
早速、書店で購入しました。
いつもならすぐに読み出すのですが、どうも最近、本が読めないのです。
実は、友人知人から贈呈された本も何冊かたまっているのですが、読む気がでてきません。
本当はブックのコーナーで紹介すべきなのですが、さぼっています。
最近、自宅にいることが多いので、時間はあるのですが、本を読み出すとなにやら雑念が出てくるのです。
言葉やシーンで、思わぬ方向に思考が動き出すのです。
そんなわけで、せっかく購入した「ローマ世界の終焉」も読めずにいました。
最終巻だから今回は正月まで先送りしようかと思っていました。

ところが昨日の夜、ちょっと読み出したら、
いまの日本の社会と見事に重なっているような気がしてきて、ついつい読み出してしまいました。
恐ろしいほどに近似しています。
そう思うのは私だけではないはずです。
それにしても、このシリーズの各巻のメッセージは、実にその時々の日本社会の状況に即していたように思います。
私たちもローマの歴史から学ばなければいけません。
特に今回の最終巻の第1章は示唆に富んでいます。
いくつかの文章を引用させてもらいます。

人間社会とは、活力が劣化するにつれて閉鎖的になっていくものである。」63頁
「経済力の低下は人口の減少につながる。
まずは、やむをえず結婚できない人が増える。
それはイコール、出生率の低下につながる。
これに加えて、栄養が充分でなければ肉体の抵抗力は減退するから、病気にもかかりやすくなる。
」67頁
5世紀に入りつつあった時代のローマの元老院階級に、公共心が欠如してことならば確かだった。
(中略)(その理由は)国による安全の保証を、信じなくなっていた(からだった)。
」71頁

最初の文章は、近年の企業や行政組織の実態を思わせます。
次の2つの文章は、まさに昨今の日本社会に当てはまるものです。
他にも、今の日本社会のNPOの跋扈状況を思わせる指摘もあります。
4世紀から5世紀にかけてのローマは、まさに今の日本社会のような状況だったのかもしれません。
その時代を生きた、スティルコという人物に大きな関心を持ちました。
いつの時代にも、人物は現れてくるものなのです。

(2006年12月第1週)
寒くなりました。
我が家の庭にも電飾がつきだしました。私はあまり好きではないのですが、家族が好きなので仕方がありません。チャカチャカした電飾よりも、静かな月の明るさがつくる輝きのほうが私向きなのですが、ついてしまうと、それはそれなりに楽しいものです。
■鈴木菜佳子さんと木村芙紗子さん(2006年12月5日)
■家事の大変さ(2006年12月6日)
■SFの世界(2006年12月7日)
■60歳からの生き方(2006年12月9日)

■鈴木菜佳子さんと木村芙紗子さん(2006年12月5日)
今度の土曜日に北区の区民講座に参加させてもらうことになっていますが、
その下打ち合わせに北区教育委員会の鈴木菜佳子さんと区民会議の企画委員である住民の木村芙紗子さんがやってきました。
この区民会議は、住民が企画しているのだそうです。

木村さんはその企画委員ですが、他にも様々な活動をされています。
また北区感動コミュニティ機構の代表もされています。
数年前まで大学で女性学の教鞭もとられていました。
鈴木さんは「社会教育」に深い思いがあるようです。
お2人とも、しっかりと現場に立脚されています。
その期待に応えられるかどうか、いささか不安がありますが、
面白い講座になりそうです。

■家事の大変さ(2006年12月6日)
最近、ほんの少しですが、家事を分担するになりました。
そのひとつが食事の後片付けなのですが、たかだか2週間ほどやっただけでその大変さに気づきました。
手の指がカサカサになってしまったのです。
水を扱うと手が荒れるとは聞いていましたが、これほどとは思っていませんでした。
主婦の大変さを少しだけ実感しました。
家事労働の評価が話題になった時期がありましたが、
生活者の視点に立てば、そして家族に何か問題が発生すれば、家事労働の大切さはすぐにわかります。
私も頭ではわかっていたのですが、最近、その当事者になって初めて体感できるようになりました。
恥ずかしい話です。

もうひとつの気づきは、家事労働は雇用労働とは全く違う時間で動いているということです。
外食産業で作られる食事と家事労働で作られる食事とは異質のものなのです。
いや、労働という概念が異質というべきでしょうか。
まあちょっと家事を手伝ったくらいで偉そうなことを言うな、とまた家族からは怒られそうですが、
生き方を変えるといろいろなことが見えてくるものです。

■SFの世界(2006年12月7日)
書類を片付けていたら、昔書いた文章が出てきました。
ブログに書きましたが、シマッククラークの作品からの抜書きでした。
いずれも1950年代の、「良き時代」のSF(空想科学小説)の作品です。
昨今の映画の題材はすべて当時のSFに出ていたといってもいいような気がしますが、
その抜書きを読んでみると、今の社会の状況もそこに描かれていたことに気づきました。

思い返してみると、当時のSFの多くは暗い作品が多かったように思います。
私が好きだった日本の作家は光瀬龍ですが、その未来年代記ものは底なしの暗さでした。
私が育った時代は経済が高度成長した時代でしたが、その本質は暗い時代だったのかもしれません。
作家の感性は、時代の本質と時代の行き先をきちんと読み取っていることに驚きます。

最近の小説は読んだことがありませんが、昨今の作家は時代をどう感じ、未来をどう見ているのでしょうか。
今日は手元にあったSFのアンソロジーをいくつか読みました。
若い頃のような感動がないのが意外でした。

■60歳からの生き方(2006年12月9日)
赤羽文化センターで行なわれた北区区民公開講座「教えて!地域でビューのきっかけ」に参加しました。
この講座は住民たちが企画し運営しているのだそうですが、
企画委員の一人が読売新聞に出ていた私の記事を読んでくれて、声をかけてきてくれたのです。
住民からの推薦であれば断るわけにはいきません。
北区には何のつながりもないのですが、お引き受けしました。
5日にやってきた鈴木さんと木村さんは、その関係だったのです。

今回は寸劇とシンポジウムの2本立てです。
寸劇は北区の住民たちのグループ「イザコ座」の自作自演です。
先日やってきた木村さんもそのお一人で、寸劇にも登場しました。
寸劇のテーマは「思い立ったら適齢期! お父さんの地域デビュー」です。
なかなかのもので、実にリアリティがありました。
「イザコ座」は北区の女性リーダーを育てる女性大学修了生の有志で成り立っているようですが、
いくつかの演目をもっており、出前公演もしているそうです。楽しませてもらいました。

第2部は、その寸劇を受けて、すでに地域デビューしている3人のシニア男性の事例発表を軸に私がコーディネーター役でパネルディスカッションを行ないました。
パネリストは個性的な生き方をしている3人の男性ですが、
3人に共通しているのは時期の差はあれ、みんな定年前に企業を退職されているのです。

豊田頴彦さんは、トライネットの事務局長で長年、環境教育や地域活動の活動をされています。
55歳で突然に会社を辞めて、好きな生き方を選ばれたようですが、
しっかりした主義を持って主体的な地域活動を重ねてこられたことが発言の端々に伺えました。
東京都の環境学習リーダーの第1期生だそうですが、
お話していたら、同じく環境学習リーダーとして活躍されている金田英一さんをご存知でした。

チョウ一流CLUBのメンバーの鴛海勝美さんは定年2年前に退職して、趣味の世界での活動を中心に楽しまれているようです。
チョウ一流とは「嫌味な名前」と思うかもしれませんが、「チョウ」は「超」ではなくて、「蝶」なのです。
いまでも蝶の最終活動で全国を歩いているようで、うらやましい人です。
コレクションの一部も見せてもらいました。
蝶の展示を通して、世界を広げている方です。

松本秀紀さんも変わった人です。
定年1年前にやめて大阪で個人活動を開始したのだそうですが、
奥さんが突然、東京で暮らしたいと言い出したのだそうです。
そしてたまたま北区のマンションが目に入ったので、全く縁もゆかりもなかったのですが、転居してきたのだそうです。
そして、赤羽文化センターで開催されている各種の講座に参加し、
2年で見事に地域になじみ、友人も完全のゼロから今ではたくさんの知り合いができたようです。

あまり詳しくは書けませんが、それぞれに時代を象徴する物語も背負っています。
こうした魅力的な人たちに、定年前に愛想をつかされてしまう今の日本の企業には未来がないと思わざるを得ません。
とても考えさせられるシンポジウムでした。

(2006年11月第5週)
元気と天気が回復しだしています。
女房の体調が2ヶ月前からすぐれないのですが、そのおかげで新しいことを体験しています。今週はエプロン姿で、料理に参加しました。娘が写真を撮って、来年の年賀状にはこれを使ったらと勧めています。料理の先生は女房です。
女房は周りの人からたくさんのエールをもらっているおかげか、少し元気になりました。
私もそのエールのおすそ分けをもらっているのです。
悪いことの裏側には必ず良いことがあるものです。
■柏市民活動センターの松清智洋さん(2006年11月27日)
■女房の友人たちがやってきました(2006年11月28日)
■沢蟹もやってきました(2006年11月28日)

■帯津三敬塾クリニック(2006年11月29日)
■白紙の手帳(2006年11月30日)
■低農薬・無農薬のお米のほしい方への朗報です(2006年12月1日)
■久しぶりのオフィス(2006年12月1日)
■団塊世代よ大志を抱け!プロジェクト(2006年12月1日)
■KAE40期のスタート(2006年12月2日)
■日本構想学会の半田智久さんが我が家に11分滞在しました(2006年12月2日)

■柏市民活動センターの松清智洋さん(2006年11月27日)
コムケア仲間の松清さんが今年から柏市民活動支援センターのスタッフになりました。
12月から市民交流サロンを開催することになり、その相談に来てくれました。
柏は私が住んでいる我孫子の隣です。
松清さんは時々、我が家の近くを自転車で走っているそうです。

松清さんは面白いキャリアの人です。
本来は建築家ですが、設計事務所をやめて、福祉の世界に入りました。
今年はじめまでは介護老人保健施設で働いていましたが、今度は柏市民活動センターです。
転職の度に給与は減っているはずですが、生活の豊かさは高まっているのではないかと勝手に推測しています。
最近は、こうした人が増えてきました。
つまり自分の物語にそって仕事と生き方を変えていく人たちです。
こういう人たちが社会を変えていくのでしょう。

松清さんは環境問題にも関心が深く、かしわ環境ステーションの運営協議会のメンバーでもあり、
名戸ヶ谷ビオトープを育てる会など、実際の活動もいろいろとやっています。
手賀沼は、そうした視点からは魅力的なところです。

今日は、松清さんの思いや構想をお聞きして、とても共感できました。
私も20歳若かったら、あるいは今とちょっと状況が違っていたら、一緒にできるところがたくさんあります。
柏と我孫子は、手賀沼というかつては汚染ナンバー1の沼をはさんで隣接しています。
松清さんは行政単位ではなく、生活圏発想で活動を進めていくでしょうから(住民視点に立つと必ずそうなります)、
我孫子住民の私にもきっと役に立てる時が来るでしょう。
これからの松清さんの活動が楽しみです。
12月21日にスタートする、柏の市民交流サロンには参加させてもらうことにしました。
我孫子でやりたかったことが、柏で先にスタートするのはちょっと残念ですが、まあそんなことは瑣末な話です。
面白い展開になるように、私も協力していきたいと思います。

■女房の友人たちがやってきました(2006年11月28日)
今日は女房の友人たちが訪ねてきてくれました。
岡山と横浜の友人です。
私もわずかばかりの面識があるので、お付き合いさせてもらいました。
いまから四半世紀くらい昔の話ですが、ある企業の懸賞論文の入選者仲間です。
入選者で2週間ヨーロッパに贅沢な食ツアーに招待されたのです。
その時の仲間で、今もとても親しく付き合っています。
もう一人、北九州市にも仲間がいて、みんなかなり地域は離れているのですが、
誰かが近くに行くことがあると集まったりしているようです。

今回は岡山の友澤さんという方が東京に用事があって出てきたのですが、
いつもなら都内のどこかでお会いするようですが、
今回は女房が体調があまりよくないと伝えたら、わざわざ我が家まで横浜の野路さんと一緒に訪ねてきてくれたのです。
友だちというのは本当にありがたいものです。
友だちと話している時の女房はとても元気です。

女性の話し合いには私などはとても参加できませんが、
女房のおかげでこの数年、そういう現場に何回か居合わせています。
おかげで、女性なる生き物の実体への理解がかなり進みました。
明らかに男性とは違う生物です。はい。

人の幸せや元気は、人とのつながりで決まってくるというのが私の思いですが、最近特にそれを実感しています。
いつかも書きましたが、女房は友人たちに恵まれているなと思います。
私たちの元気は、すべて友人たちからもらっています。
感謝しなければいけません。

■沢蟹もやってきました(2006年11月28日)
女房ネタをもう一つ書きます。
今週は実は女房ネタがたくさんあるのですが、あまり書くと女房が怒るので、もう一つだけにします。

女房の滋賀の友人が夫婦で家庭農園をしています。
見事な野菜が時々送られてきますが、今回はちょっと変わったものを入れておくのでお楽しみにという予告がありました。
なんだろうと期待していたところ、なんと「カニ」でした。
といっても、沢蟹なのです。食用ではありません。飼育用です。
以前、我が家に来た時に沢蟹の話を私がしたのかもしれません。
彼女の自宅前の川に沢蟹がたくさんいるので、数匹を送ってくれたわけです。

私にとっては最高のプレゼントなのですが、ちょっと不幸なことが起こりました。
送り方があまり適切ではなかったのです。
あけてみると、無残にも片手のカニが多いのです。
輸送中に事故や不幸な争いがあったのかもしれません。

なぜそうなったのか。
砂などと一緒に送ってくれたのですが、
生きた沢蟹を輸送する場合は、おが屑や濡れた新聞紙や隙間のある植物などで柔らかな生活環境を作らなければいけないのです。
次回はぜひそうしてほしいと思ったのですが、次回はきちんと捕獲しに来てくださいといわれてしまいました。
はい、その通りですね。

はさみが2本ともとれたカニもいました。
えさが食べられないと心配した娘が顔の前に餌を置いたら直接口で食べたそうです。
元気を取り戻してくれるかもしれません。
ハンディキャップはみんなでケアしなければいけません。
しかし、仲間のカニたちにはあまり期待できないので、私が時々しなければいけないでしょうね。
この冬を越せるかどうか問題ですが。
彼らは春まで室内の水槽で飼育します。

ちなみに庭の池に放した沢蟹たちは相変わらず姿を見せません。
元気に冬を越してくれるといいのですが。

■帯津三敬塾クリニック(2006年11月29日)
女房と一緒に、池袋の帯津三敬塾クリニックに行きました。
このコーナーにも何回か登場した縄田理恵子さんが、そのクリニックで薬剤師をされているので、縄田さんに紹介してもらいました。

帯津さんは本などではいろいろ読ませてもらっていますが、お会いするのは初めてです。
ホリスティック医療の第一人者ですが、ご自身そのものがそれを象徴するように、温かなオーラを発しています。
思っていた通りの方でした。
縄田さんからはホメオパシーの話をお聞きしました。
女房にとっては久しぶりの遠出の外出でしたが、いろいろと元気をもらってきました。


■白紙の手帳(2006年11月30日)
最近、オフィスには週1回程度しか出ていないのですが、
そのせいか、曜日の感覚がなくなってしまいました。
それはともかく、今の私のスケジュールはほとんどゼロなのです。
手元の手帳には、毎週の病院行き以外は、土日だけに少し予定が入っていますが、ほかは白紙です。
数年前までは、手帳がほぼ真っ黒だったことを思えば、
よくまあこれほどの変化にうまく移行できたと我ながら感心しますが、
それでも今の状況に来るまでには3年以上かかっています。
ですからそれなりに対応できるのでしょう。

しかし、定年で企業を辞めた人はどうでしょうか。
突然にこういう状況に生活が変化したら、落ち着かないでしょうね。
この1か月、ほとんど自宅で過ごしましたが、定年退職気分をちょっと味わいました。
体験してみると様々なことに気づきます。
やはり体験こそが発想の原点です。

■低農薬・無農薬のお米がほしい方への朗報です(2006年12月1日)
大分の国見町の竹沢孝子さんからのメールが面白いので、
ブログを始めませんかと提案していたのですが、実はもうできていたことは前に書きました。
このサイトにリンクさせてもらおうとメールをしていましたが、今日、メールが来ました。
リンクの許可は書かれていませんでしたが、まあリンクしてしまいましょう。
まだ発展途上ですが、読んでください。
竹沢さんのスタイルですから、いささかよくわからないブログなのですが。

実は教えてもらっていたアドレスがわからなくなってしまい、その後、読んでいなかったのです。
今日、改めて竹沢さんに教えてもらい、開いてみました。
またまた私宛の手紙が掲載されていました。
しかも依頼事項まで書いてあるのです。
書かれたのは10月20日です。
気づかずに悪いことをしました。
竹沢さんのブログの使い方はちょっと間違っているような気もしますが、
何しろ相手が竹沢さんですから、仕方ありません。
ちょくちょく見なければいけません。困ったものです。

いささか遅いのですが、竹沢さんからの依頼事項です。
竹沢さんは次のように書いています。

それで、ひとつお願いがあります。
うちの新米、試しに食べてみようと言う人、募っています。
大分イレブンという米粒がしっかりしていておにぎりなんかに向くのと、九州の主力・ヒノヒカリがあります。
無農薬と共同防除を一回したものの2種類あります。
薬1回のは1キロ500円、無農薬のは600円で、送料は実費、20キロ以上は送料はこちらの負担です。

だいたい、お米の原産地は九州よりもっと暖かい地方のはず。
だとしたら九州は日本では、もっとも米作りに適した場所ではないか!
なのに新潟だとかなんとかいうのはいったいどういうことだ!と、ひとりむくれています。

件のシモンを作っている人はササニシキの本場の人で、毎年、互いに10キロずつお米を交換しています。
本人曰く「子どもたちは、米が変わっているの分からないみたいだよ、九州の米もなかなかじゃない」と、余裕のコメントです。

今年は、大豆がひさびさの大豊作です。
こちらもみんなで味噌を作っても余ること必定なので、売りたいと思っています。
雑草さえ取らない(?)完全放任栽培です。

というわけで、美味しい低農薬・無農薬のお米と大豆を竹沢さんは販売しています
竹沢さんのお米のうまさは私が保証します。
最近は、どこのお米も美味しくなりましたが、安全性に関しては竹沢米の優位性を保証できます。

詳しくは竹沢さんのブログ「田舎で暮らせば」をお読みください。
最初に、「佐藤さん」などという呼びかけが出てくるので、
これは何だと思うかも知れませんが 、実に面白い記事がところどころにあります。
大分にはまだ日本が残っているのです。

■久しぶりのオフィス(2006年12月1日)
久しぶりにオフィスに行きました。10日振りでしょうか。
最近、私が不在がちなので重病説もでていると柏の四元さんから聞きましたが、私はそれなりに元気なのです。
オフィスを長く空けると、昔は「夜逃げ説」が出回りましたが、最近は重病説に前進したわけです。
前進と言っていいかどうかは問題ですが。

留守電がいくつか入っていました。
一つは近くの印刷屋さんの奥さんからです。
高崎市在住のご夫婦でやっていた印刷屋さんで、とてもいい夫婦なのです。
いつも朝、高崎から一緒に出かけてきて、上野駅のカフェで夫婦そろって朝食をされ、
それから自分たちの印刷屋に出勤するのだそうです。
この話は私の女房が聞いた話です。

私たちが会社を始めた2年後に開業しました。
そのご夫婦のお人柄がとてもほのぼのとしているので、私が頼む印刷はすべてそこでお願いしていました。
川邊さんというのですが、川邊さんご夫妻も高齢のために引退することになったのです。
引退する前にもう一度お会いしたいと女房も言っていたのですが、
最近はオフィスに行けずにいるので川邊さんも心配して電話してくれていたのです。
それほど付き合いがあったわけではありませんが、
川邊さんたちも私の仕事をある程度知ってくれていますので、お互いにとても親近感があるのです。
こういうほのぼのとした街の印刷屋さんもだんだん存続できなくなってきました。
働きの場が、どんどん労働の場になっていくのが寂しい気もします。

川邊さんに会えなかったと自宅に電話したら、
奥さんから女房にプレゼントが届いたので電話で話をしたところだということでした。
感激屋の女房はとても喜んでいました。
仕事を通したちょっとした付き合いでも、心が通ずることはあるのです。

もう一人は18日にお会いした野尻博さんからの電話でした。
何回も電話をもらっていました。
やはりきちんとオフィスに来るか、電話転送をしないといけません。
しかししばらくは今のままになりそうなので、お急ぎの方は自宅に電話ください。

手紙もたくさん届いていました。
新松下村塾塾長の濤川栄太さんから著書も届いていました。
濤川さんとはちょっとした「論争事件」もあったのですが、名刺は残してもらっていたようです。
感謝しなければいけません。

オフィスに行ったついでにインキュベーションハウスにも寄りました。
本郷のオフィスは最近、賑やかになっているのです。
さらに足を延ばして、日本経営道協会のオフィスにも行きました。

久しぶりに何人かの人たちともお話ができて、良かったです。
というわけで、私は元気です。
このホームページの私の報告に元気がないために、いろいろな方にご心配をおかけしてしまっているようです。
反省しなければいけません。

■団塊世代よ大志を抱け!プロジェクト(2006年12月1日)
多摩大学総合研究所コミュニティビジネス研究センターの大川新人さんとも会いました。
いよいよ団塊世代インキュベーション・ネットワーク構想が動き出すのです。
年明けには、団塊世代向けの彼の本が出版されますが、
それに合わせる形で「団塊世代よ大志を抱け!プロジェクト」を、
コムケアセンターとの共催スタイルでスタートさせることになりました。
そのための意見交換をしました。
時間の許す限り、私もコミットする予定です。

構想の内容は私の思いとは必ずしも同じではないのですが、まあそのうちそろってくるでしょう。
読者の方で一緒に取り組んでもいいという方がいたら、ご一緒しませんか。
なにしろ大川さんと私では、いい加減過ぎるチームになりそうで、少し、いやかなり心配です。はい。
しかしいずれにしろ、来年の春にはプロジェクトを正式にスタートさせ、オフィスも開く予定です。
あくまでも「予定」ですが。はい。

■KAE40期のスタート(2006年12月2日)
KAE40期がスタートしました。
今回も経営理念や企業文化をテーマにした2つのチームを担当しますが、
今日の議論でそれぞれのチームのキーワードが決まりました。
「家族」と「笑顔」です。
まさにこれからの企業にとっての重要課題です。
どう展開するか楽しみです。

KAEも最近、ちょっと違和感を持ち出しています。
企業や経済の枠組みが変わろうとしていることを考えると、もっとパラダイム転換したほうがいいような気もします。
私独自の研修プログラムが実現できたら、きっと会社には役立つでしょうが、でもメンバーは集まりそうもありません。
何しろこのホームページはまだいいとして、
CWSプライベートの記事を読んだら、私に仕事を頼む気にはならないでしょうから。
困ったものです。

■日本構想学会の半田智久さんが我が家に11分滞在しました(2006年12月2日)
今日はKAE40期のスタートのため、森林公園のホテルに昼間でかけていたのですが、
たまたまその不在の時に我が家に突然の来客がありました。
半田さんです。
思わぬ来客でした。
女房の見舞いに来てくれたのです。

半田さんの行動は、いつも意表をつくものであり、
女房が以前入院した時にはやはり誰も知らないうちに病室に見舞いに来て、花だけを置いていったのです。
女房は眠っていたために気づかなかったそうで、花に気づいて知ったのです。
月光仮面のように、風のようにやってきて、風のように去るのです。

しかし今回は、幸いに我が家に11分滞在してもらうことに成功したのです。
どうやら娘と女房が無理やり自宅に上がらせたようで、私であれば成功しなかったかもしれません。
半田さんの突然の来訪は、女房に大きな元気を与えてくれました。
感激のサプライズだったのです。
不思議な人です。

そういえば、半田さんが中心になってやっている日本構想学会の大会が19日にあります。
今回は実に魅力的なプログラムです。
特に長野県看護大学の江藤裕之さんが主催する
「ケア概念を軸とした対話型授業プログラムの構想」のセッションは
教育やケアに関心をお持ちの方には、ぜひ参加してほしいセッションです。
日本構想学会のホームページに案内が出ています。

(2006年11月第4週)
少し生活が落ち着きだしました。
人間の適応力はやはりすごいものです。
しかし、それが崩れてしまうとどんどん悪循環に入ってしまうのでしょね。
もしかしたら、今の日本社会はその入り口にあるのかもしれません。
今週はほとんど自宅で過ごしました。
■インキュベーション型コムケアフォーラム「きき耳」2006(2006年11月19日)
■M&A資本主義(2006年11月22日)
■我孫子合唱祭(2006年11月23日)
■北海道の陰山京子さんもがんばっています(2006年11月23日)
■北九州市の高橋典子さんもがんばっています(2006年11月24日)

■インキュベーション型コムケアフォーラム「きき耳」2006(2006年11月19日)
台東デザイナーズビレッジを会場にして、インキュベーション型コムケアフォーラム「きき耳2006」が開催されました。
実行委員長はコミュニティアート・ふなばしの下山浩一さんです。
今回の私の役割はワークショップの進行役だけです。
コムケア仲間の心遣いに感謝しなければいけません。
冒頭に下山さんから、今回のフォーラムの裏目的は「佐藤修をコムケアから解放してやること」という話が突然ありました。
感激しました。
まあ、それは極めて個人的な話ですが、コムケアのつながりのありがたさを改めて実感しました。

フォーラムは、まず会場である台東デザイナーズビレッジの村長である鈴木淳さんとのランチミーティングから施設見学で始まりました。
鈴木さんもまた、私の状況を知って全面的に支援してくださったのですが、
鈴木さんのおかげが今回の成功の大きな鍵になりました。

ワークショップでは5つのプロジェクト提案がありました。
それぞれじっくり時間をかけて、コンフロンテーションをしたい内容ですが、今回は総論的なプレセッションになりました。
後はそれぞれのチームで消化発展させていくことになるでしょう。

下山さんが最後に、今回をゼロ回目として、このフォーラムを継続していきたいと話してくれました。
参加者によるメーリングリストも継続することになりました。

詳しい報告はコムケアセンターのサイトをご覧ください。
実行委員長の下山さんがご自分のブログでも報告してくださっています。 。
報告書も年内完成の予定です。
関心のある方はぜひメーリングリストにご参加いただき、次回のフォーラムにご参加ください。

ブログにも書きましたが、雇用労働中心の社会から協同労働中心の社会へと時代は移っていくのではないかと思います。
新しい時代は私たち一人ひとりで創り出していかねばなりません。

なお参加してくれたコムケアサポーターの長岡素彦さんがジャンジャンに掲載してくれた報告記事もぜひお読みください。

■M&A資本主義(2006年11月22日)
日本のIR(インベスター・リレーションズ)の草分けの一人が鶴野史朗さんです。
1984年にIRジャパンという会社を立ち上げています。
当時はIRなどということをほとんど誰も知らなかった時代です。
私は会社を辞めた後、鶴野さんの「実践インベスター・リレーションズ」という本に出会い、
初めてIRについて体系的な知識を得ました。
そして、その少し後に期せずして誰かの紹介でお会いし、食事をご一緒させてもらいました。
その時の鶴野さんの「情熱」や「思い」が印象的でした。

もっとも私にとっては、IRというのはあまり関心事ではありませんでした。
企業は誰のものかと聞かれたら、従業員のもの、地域社会のものと考えるのが私であり、
米国流の企業論やコーポレートガバナンス論にはほとんど関心がなかったのです。
しかし、何となく鶴野さんの思いは心に残るものでした。

その後、ほとんど交流が途絶えていました。
1997年、日本にも金融ビッグバンがやってきました。
その時に、私の若い友人から頼まれて、財務戦略のテキストづくりに協力したことがあります。
少し調べてみて、米国流のグローバライゼーションが日本の経済社会を壊すのではないかという危機感を持ちました。
まだ当時は日経新聞も愛読していましたが、紙面からそうした危機感は感じられませんでしたので、
知り合いの日経の2人の編集委員に会って問題提起したこともありました。
しかし、議論は別の方向で進んでしまうばかりでした。
私の経済観や企業観はどうやら時代にはあっていなかったのです。

アタッカーズ・ビジネススクールで実施した「ビッグバンに向けた財務戦略」講座は私もプロデュースに参加し、
初回にはスピーチまでしてしまいました。
当時はまだ日本の大企業に大きな期待を持っていた時期だったのです。
そのプログラムで、ビッグバンに向けたIR戦略の講義を鶴野さんにお願いしました。
改めて鶴野さんのIRへの思いの深さを感じました。
当時、鶴野さんは新しいステージへと活動を進めているところでした。
熱い志を感じました。

そしてまた、10年近くが経ちました。
その鶴野さんから先週、「M&A資本主義]という本が送られてきました。
鶴野さんの友人の小倉正男さんの最新作です。

M&A。
実はM&Aに関しても書き込みたい体験を今年前半にしていますが、
結構生々しい体験なので、これはもう少しほとりが冷めてから書こうと思います。
しかし最近のM&Aの動きには怒りを感じています。
いわゆるファンドともほんの少しだけ付き合いましたが、がっかりしました。
まあこれに関してはいつか書きたいと思いますが、今は少し差しさわりがありますのでやめます。

ただ、株主のための企業合併に対する嫌悪感は高まる一方でした。
ですから、この本も、その書名の故に、読む気が起きずに鶴野さんへの礼状も書けずにいました。
ところが今日、ちょっと時間ができたので、机の横に放置されていたこの本をめくってみました。
そしてついつい読み出してしまったのです。
面白いのです。そして私の思いと重なる記述も多いのです。
で、読んでしまいました。
よく見たら書名の下に「敵対的M&A・三角合併」防衛法という副題が付いていました。
ジャングル資本主義への警告の書なのです。
勘違いしていました。

感想はブックのコーナーに書きますが、小倉さんのM&A資本主義論にとても共感できました。
第7章に鶴野さんの思いや活動が紹介されています。
ちょっと感動しました。鶴野さんの思いをあまり理解していなかった自分にも気づきました。
ただ違うのは、小倉さんはその動きは避けがたいことだと考えており、私はまもなく流れは変わるだろうと思っていることです。
客観的に考えれば私の考えのほうが分は悪いでしょう。
しかしそう思いたいのです。

遅くなりましたが、鶴野さんにお礼のメールを送りました。
先入観は捨てなければいけません。
ちなみに本書には私の知人がもう一人登場しますが、そのところにはいささかの違和感を持ちました。

■我孫子合唱祭(2006年11月23日)
女房は「道」というコーラスグループに参加しています。
今日は我孫子市の合唱祭で、彼女も出場する予定だったのですが、体調がよくないのでお休みさせてもらいました。
しかし仲間の出番にはぜひ聴きにいきたいというので、私がエスコートすることになりました。
幸いに出番を待つ仲間に出会えて女房は元気をもらったようです。

「道」の先生は谷篤さんといいます。
いつか書いたことがありますが、とても魅力的な先生です。声が素晴らしくいいのです。
私も何回か谷さんのコンサートを聴かせてもらいましたが、
とりわけ印象が強いのが、「パイドロス」と「雨にもまけず」の朗誦です。
雨にもまけず。
最近、宮澤賢治のメッセージが心に深く響きます。
女房が参加しなかったコーラスもなかなかよかったです。

■北海道の陰山京子さんもがんばっています(2006年11月23日)
北海道の陰山さんから電話がありました。
私は別室にいたため、私に代わる前に、女房のほうが長く話していたようですが、
先日札幌でお会いした後、倒れてしまい、点滴生活を送っていたそうです。
札幌に出かけた時に声をかけてしまったために、無理して会いに来てくれたせいかもしれません。
申し訳ないことをしました。
漸く元気が回復し、電話がかけられるようになったのだそうです。

私自身、今は自分の周りのことでいっぱいですので、陰山さんのそうした実状に気が回りませんでした。
反省しなければいけません。
しかし自らが苦境を体験した人ほど、他の人への思いやりを深く持てることを最近つくづく実感させられます。
人の優しさの根源はやはり自らへの優しさから生まれ育つのかもしれません。
そういう意味では私の思いやりなどは自分勝手な思いやりなのかもしれないと、この頃、改めて反省しています。
昔から上の娘に厳しく言われていたことなのですが。
子どもは親の本質を見抜くものです。

陰山さんからたくさんの「元気の素」情報をもらいました。
陰山さんも女房から元気をもらったと喜んでくれました。
元気は他の人に差し上げるとその倍になって自分に返ってきます。
みんながそれに気づけば、世界から戦争はなくなるのですが。

■北九州市の高橋典子さんもがんばっています(2006年11月24日)
陰山さんの電話に続けて、今度は北九州市の高橋さんからのうれしいメールです。
高橋さんは私のホームページを読んでくださっていますが、

 佐藤さんも少々元気が無いように感じられ、はるか九州の空から心配しております。
 少しでも元気付けられたら・・・と思いメールしました。
 夏から佐藤さんつながりで良いことがあったのでお礼を兼ねた報告です。

というメールです。
こういうメールや手紙が時々届きます。
これが、私がこの18年間、さまざまな活動に取り組んできた報酬なのです。
高橋さんからのご褒美はこれが2回目です。

「良いこと」のひとつは山形の宮崎亙さんと久しぶりに会ったことでした。
宮崎さんは北九州市で商店街の空き店舗を活用したデイケアセンターを見学したいということで、
今は商業振興課にいる高橋さんを訪れたというのです。
お2人が知り合うきっかけは私なのですが、高橋さんはこう伝えてきてくれました。

 山形、北九州ともに佐藤さんに関わってもらった当時の話をするうちに、
 当時のエネルギーが復活してくるようでドキドキしました。
 元気をいただきました。
 人とのふれあい・つながりはエネルギーの源ですね。
 つながりはさらに膨らませ、もっともっと活力にしていきたいものです。
 アレやコレやと長くなりましたが、自分が得た元気をお分けできたら・・・と思います。

いま私は山形にも北九州市にもお付き合いはなくなりましたが、
こういう形でささやかな痕跡が残っていることを心からうれしく思います。

高橋さんに負けずに元気にならなければいけません。
今日も青空です。

(2006年11月第3週)
天気が良かったので、少し元気が出てきました。
■我孫子からも富士山が見えます(2006年11月12日)
■建物が活かされずに壊されるのが悲しい(2006年11月13日)
■至福のひなたぼっこ(2006年11月14日)
■日本は働き甲斐が最も低い国の一つ(2006年11月15日)
■KAE「経営道フォーラム」開講20周年記念シンポジウム(2006年11月17日)
■日本経営道協会10周年記念シンポジウム(2006年11月18日)
■インキュベーション型コムケアフォーラム「きき耳」2006(2006年11月19日)

■我孫子からも富士山が見えます(2006年11月12日)
今日は自治会の防犯パトロールでしたが、そこで話題になったのが「富士山」でした。
話題といっても、パトロール中の雑談なのですが。
今朝は富士山がとてもきれいに見えたとある人がいいました。
そうしたら別の人が、10時には見えなくなってしまいましたね、といいました。
夕方はシルエットがきれいでしたよ、と私もいいました。
まあ、それだけの話なのですが、我孫子からも富士山が見えるのです。
そして、みんな結構気にしているのです。

防犯パトロールは3つの自治会の有志が一緒に回ります。
富士山議論に参加したお一人は、私の自治会の人ではなく、初めてお会いした人でした。
しかし富士山の話から、いろいろと親しく話が広がったのです。
みんなが楽しく話題にできるものがあることはとても大切だということがわかります。
まちづくりとは、そういうみんなのテーマや話題を育てることかもしれません。

私たち夫婦は、富士山が見える神奈川県に転居したくて、1年以上、転居先を探していました。
しかし、ほぼ場所が決まりそうになった段階で、富士山よりも我孫子で培った友人知人を選びました。
富士山の見える生活を諦めたのです。
ただ気分転換したかったので、我孫子市内で転居しました。
転居してしばらくしてから、自宅の屋上から富士山が辛うじて見えることに気づきました。
感激しました。思ってもいなかった幸せとはこのことです。
思いは必ず通じるものです。

以来、市内各地で富士山が見えることに気づきました。
それまでは私は決して富士山を我孫子からは見たことはありませんでした。
「見える」ということがわかると、見えてくるものなのです。
情報や知識、あるいは意識は、風景を変化させるものです。

我が家の屋上からの小さな富士山シルエットを写真に撮りました。
気づくのが遅かったので、暗くなりすぎて、ちょっと鮮明ではないのですが。

■建物が活かされずに壊されるのが悲しい(2006年11月13日)
コムケア仲間の紹介で、本間昌宏さんが訪ねてきてくれました。
相談事があるというのです。
仙台に3階建ての建物があります。
今は使われていませんが、そこを買い取って、
障害を持つ人たちの暮らしと働きの場にできないだろうかという構想をお持ちなのです。

本間さんは、以前デベロッパー関係の仕事もされたことがあり、
バブル期に造られた建造物が、活かされずに取り壊されている現状に怒りを感じているようでした。
その思いに、とても共感できます。
馬鹿げた建造物を建築してきた設計者や建築関係者の良心の無さを悲しく思いますが、
それ以上に、使われないからといって無残に壊す時代の風潮がとても寂しいと私も思っているのです。

「不要なもの」をつくり、「不要だから」といって壊すのは、
昨今の企業の基本姿勢ですが(わたしはそれを「産業のジレンマ」と読んでいます)、
設計者やプランナーがそうしたことに加担していることは少なくありません。もちろん今なおです。
本間さんとはすっかりと共感しあってしまいました。

本間さんが持ってきた構想は魅力的なものです。
ただし、それを実現するには、とりあえずは500万円の資金が必要です。
どなたか私に供託してくださる方はいないでしょうか。
500万円で、社会的に大きな価値のあるプロジェクトを立ち上げさせられるのです。

2億円あれば、このプロジェクトそのものも実現できます。
500万円か2億円か、いずれでもいいですが、もしポンと出してくださる方がいたら、ご連絡ください。
本間さんをご紹介いたします。きっと後悔はさせないと思います。
いかがでしょうか。

■至福のひなたぼっこ(2006年11月14日)
今日は長いことひなたぼっこをしました。
最近、女房の体調がよくないので、できるだけ女房の生活リズムに合わせた生活に心がけています。
その関係で、立ち止まって周囲を見る時間が増えました。
というよりも、最近はそうした生き方をしてこなかったことに気づきました。
いつも自分が動いていたような気がします。

先月、ブログに書きましたが、女房と一緒に近くのお店に行って、
女房が花を探している間、何もせずに近くのベンチに座ってまわりを見ていたことがあります。
そこで気づいたことは少なくありませんでした。
そうした時間と体験を、この頃たくさんしています。
立ち止まっていると音の聞こえ方も違います。

女房に雇われて毎年ピーナツの殻剥きをします。
今年は女房の体調のおかげで、わが農園は不作でしたが、それでもピーナツは少しできました。
その殻を手で割る作業をしていると30分もするととても無心になれます。
最初はむしろ雑念が大きくなるのですが、次第にただ割ることのみに気が行き、達成感すら出てきます。

単純作業ですら面白いのですから、本来、働くことは面白いことなのです。
その面白いことを給与の対象にした途端に、たぶん働くことは退屈な苦役になってしまったのでしょう。

大きな粒のピーナツはいつも誰かに送られますので、我が家で食べるのはいつも小さなピーナツです。
しかしこれが実に美味しいのです。
いかに苦労して、そのピーナツが育ったかを知っているからかもしれません。
お店で買ってきたピーナツであれば、たぶん捨てられるような小粒のものまで大事にしています。
なぜか美味しいからです。
食べ物もきっと、お金で買うようになってから美味しくなくなったのではないかと思います。

ひなたぼっこの先に見えるのは、
それがたとえば病院の庭であっても、我が家の猫の額ほどの庭であっても、とても落ち着く空間です。
観光地の紅葉のほうがずっと素晴らしいですが、時間を気にせず無為に過ごせるひなたぼっこもいいものです。

というわけで、今日は女房と至福の時間をすごさせてもらいました。
これが「ほんとうのさいわい」なのかもしれません。
とても良い1日でした。

■日本は働き甲斐が最も低い国の一つ(2006年11月15日)
次世代人材育成研究会でした。
前回に引き続き、若手企業人の活性化がテーマでした。
前回はついついさぼってしまったのですが、今回は事例発表もあったので参加させてもらいました。

正直に言えば、企業の取り組みは相変わらずという感じでした。
たぶん成功はしないでしょう。
今回発表があった事例はいずれも日本の企業の取り組みとしては一番しっかりしたものに属するものでしょうが、パラダイムが従来型です。
発想を変えなければ改善策は事態を悪化させるだけです。
学校改革と同じです。

ではパラダイムを変えるとはどういうことか。
友人が先日、「奇跡の経営」という本を送ってきてくれました。
四半世紀前に話題になったブラジルのセムコ社の社長だったセムラーの著書です。
私が東レのCIで目指したパラダイムが見事に成功して展開されているのを知りました。
私の仮説はどうやら間違っていなかったようです。
セムコの経営げんりは「個人起点」です。
組織起点ではないのです。

ところで、この研究会で前から話題になっているのですが、
企業で働く人のモティベーションや働き甲斐が最も低い国の一つが日本だそうです。さまざまな調査結果がそれを示しています。
企業の人たちと付き合っていて、それはとても納得できることでもあります。
だからこそ、政府も若手企業人の活性化を政策課題にしているのでしょう。
しかし発想が間違っていれば、事態は悪化するだけです。
この会でもそんな議論を本当はしたいところですが、それが難しいです。

■KAE「経営道フォーラム」開講20周年記念シンポジウム(2006年11月17日)
山城経営研究所の経営道フォーラムも20年目です。
その記念シンポジウムが椿山荘で開催されました。
企業経営幹部が650人も集まる大イベントです。
その第1部は経営道フォーラム39期生の研究発表会でした。
私がコーディネートした2つのチームの発表会は私の担当です。
いつもは私の問題提起とまとめのメッセージができるのですが、
今回は時間が限られたので、発表を中心におきました。
メッセージできない仕事は私にはほとんど意味が無いのですが、最後に少しだけメッセージさせてもらいました。

発表後の意見交換で、会場の人(大企業の経営者だった人)から、健康こそが大切ではないかという指摘がありました。
全く同感です。
そこで、日本の企業人のモティベーションの低さを話して、
かつては人を育ててきた企業が今では人を壊す場になっていることを話させてもらいました。
これが今回の私からのメッセージですが、どのくらいの人に通じたか不安ですが。
先に厳しい質問をした企業経営者OBの方が、私に握手をしにきてくれました。その方には伝わったようです。

会場で久しぶりに荒田弘司さんにも会いました。
ブックでご紹介した「商いの原点」の著者です。
他にも懐かしい人たちにお会いしました。
途中で帰ってしまったので、会えなかった人たち数人からどうしたのかというメールをもらいました。
せっかくのチャンスを逃したのがちょっと残念な気がしましたが、
あえなくてもつながっている実感が持てるのがうれしいです。

■日本経営道協会10周年記念シンポジウム(2006年11月18日)
経営道のことが続いていますが、今日は日本経営道協会の10周年シンポジウムでした。
市川覚峯さんのところです。
市川さんの基調講演「日本の心の経営を蘇らす」に続いて、
「感動の経営」をテーマにしたパネルディスカッションが行なわれ、そのコーディネーターをさせてもらいました。

市川さんの基調講演は力強いメッセージがこもったもので、
とてもわかりやすくて、会場の人たちに感動を与えたと思います。
パネルディスカッションは、多彩な顔ぶれすぎて、私もいささか疲れましたが、面白い話がいろいろと出てきました。
パネラーは、
ホスピタリティバンク研究所の浦郷義郎さん、
常磐大学助教授の村山元理さん、
そして作芸人磨心事務所代表の野尻博さんです。
これだけ多彩だとわかっていたらコーディネーター役は辞退したのですが、
わかったのは案内チラシの印刷が終わってからでした。いやはや。

浦郷さんはホスピタリティ、村山さんはスピリチュアリティ、野尻さんはエンターテイメントがキーワードです。
それぞれの話は実に面白いのですが、問題はそれをどう編集するかです。
今回は冷や汗をかきました。
時間がもう少しあれば、実に面白い話に展開できたでしょうが、時間不足が残念でした。
でも面白かったです。

その後、1年間研究活動をしてきたリード力開発道場のメンバーから研究成果が発表されました。
みんな若手の企業経営者や経営幹部です。実に良い発表でした。

日本の大企業は「人を壊す場」になってしまいましたが
中堅企業、中小企業はまだまだ人を育てる場になっているようです。
発表内容は日本経営道協会で報告書にしています。良い報告書です。

それをまとめた19人の経営者や経営幹部の若者たちは見事に成長しているようです。
日本の経営道が少しだけ見えてきたような気がして、とてもうれしい発表会でした。

これ以前の記録