コムケア活動に関する私の思いです
コムケアセンターのホームページから転載

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■ 「大きな福祉」と「コミュニティケア」について、一緒に考えていきませんか。
このプログラムで私たちが目指しているのは、「大きな福祉」を実現していくために 「コミュニティケア活動」の共創型相互支援の関係を育てていこうということです。

キーワードは「大きな福祉」と「コミュニティケア」(さらにいえば「コミュニ ティ」と「ケア」)です。
いずれも漠然とした言葉であり、多義的に使われています。
私たち事務局でも、この言葉について、これまで何回か議論してきました。
しかし、正直なところ、まだ確信を持って、定義づけることができていません。
理念の定義もなくて、募集し選考するのかとお叱りをもらうかもしれませんが、私た ちはむしろ、そうした概念を、このプログラムに参加してくださったみなさんと一緒に考えていきたいのです。募集の時点で、私たちの考えを打ち出すことで、私たちの考えに合ったもの、さらには合わせたものが多くなってくることは避けたかったのです。
もちろん、わたしたちに仮説がないわけではありません。

その方向性は、募集要項の中で、次のように書かせてもらいました。
「大きな福祉」とは「誰でもが安心して快適な生活ができるような社会づくりを目指す活動」をさす。
「コミュニティケア」とは、「将来的な問題も含めて、すべての人が安心して快適に暮らせる社会を目指した、人間同士の温かな相互支援関係づくり」を意味する。
この方向性をもう少し具体的に、このコーナーで発信していきます。
ご意見をお寄せいただければ幸いです。
議論しあう機会もつくっていきたいと思います。
最近、私たちはこうした基本的な概念についての議論をおろそかにしているのではないか。前に進むことに急ぐあまり、立ち止まって青臭い議論をすることを忘れているのではないか。そんな気がします。
大きな福祉やコミュニティケアについて考えることを通して、これまでとは違った新しい風が起こることを期待しています。
明日は、「大きな福祉」と「コミュニティケア」に関する、私たちの考えをもう少し具体的にメッセージしていきたいと思います。
こうした概念構築や理念構築も、みなさんと共創していければ、とてもうれしいです。

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■ 私たちが考える「大きな福祉」は、こんなイメージです
今回は、「大きな福祉」を私たちがどう考えているかをお話しします。
まだ確信が持てているわけではありませんし、方向性だけのお話です。
お読みなって、異論反論をお寄せください。大歓迎です。
同感共感のご意見も期待していますが、まあ、世の中、そう甘くはないでしょうし、私たちもまだまだ検討途上です。
私の個人的な話から始めさせてください。

私は14年前まで、企業人でした。25年間という節目を契機に会社を離脱し、以来、様々な活動に関わらせてもらってきました。会社の中からは見えなかった風景にたくさん出会えました。実に刺激の多い、発見の連続でした。
しかし、様々な活動に関わって、感じたことがあります。
みんな、自分たちの「小さな世界」のなかに閉じこもりすぎではないか、もっと活動を外に開いていったら、別の解決策や効果的な問題解決ができるのではないか、ということです。それに、それぞれが自分たちだけの小さな最適解を探しすぎているのではないか、とも感じました。「合成の誤謬」という言葉があります。それぞれは正しいのに、それらをあわせるとおかしな結果になる。そんな感じを持つこともありました。、

福祉も例外ではありません。
確かに、みんな一所懸命に問題解決に取り組んでいます。
でも、もっと大きなところで、もっと基本的なところで、それぞれが知恵と汗を出し合っていくことも大切ではないのか。各論的で問題解決的な福祉活動と同時に、すべての人たちを包み込むような福祉活動があってもいいのではないか、そう思ったのです。
同時に、福祉というのは、何も特別の人たちのものではなく、すべての人の生活につながっているということにも気づきました。宮沢賢治は「世界すべてが幸福にならなければ自分の幸福はない」と言っていますが、私もそう思います。
今回は活動の対象は別にして、活動の姿勢について考えてみたいと思います。

二つの軸を置いてみました。
ひとつは対象とする問題の広がりです。「個別問題への取り組み」対「普遍的な広いがりのある問題への取り組み」という軸です。「問題解決型」と「価値創造型」といってもいいでしょう。
いずれも大切なことです。問題に直面している人にとっては、問題解決型のほうが緊急かつ実践的な取り組みであることもいうまでもありません。
しかし、そうであればこそ、注意しないと目前の具体的問題に埋没し、結局は問題の解決から遠ざかってしまうこともないとはいえません。
個別具体的な問題であろうとも、そこに込められている問題は普遍的な意味を持っているはずです。たとえば難病支援という個別問題も、いのちの平等さや社会の多様性などの大切さへの気づきにつなげていけば、問題を共有する人は一挙に広がり、解決への新しい地平が開けるかもしれません。

もうひとつの軸は、「援助型活動」対「共創型活動」です。言い換えれば、自分たちのポジショニングをどこに置くかです。
問題を抱えている人を外部から支援するか、問題を抱えている人と一緒に問題解決に取り組むか、です。これもどちらがいいかは一概に言えませんし、明確に分けられない事も多いでしょう。しかし、意識(姿勢)としては、非常に大切です。

この二つの軸を座標にすれば、私たちが考える「大きな福祉」の方向性は、価値創造型で共創型です。これまでの福祉行政の「措置」という発想は、これと対極にある、問題解決型・援助型の典型でした。
問題をみんなが自分の問題として共有化し(つまり当事者になって)、それぞれが知恵と汗を出し合いながら、みんなにとっての新しい価値(積極的な解決策)を創出していく。これが私たちの考える「大きな福祉」の方向性です。
対象については、また改めてメッセージさせていただきます。

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■ コミュニティケアの輪を広げていきたいと思っています。

 今回は、このプログラムの名称になっている「コミュニティケア」について考えてみます。
コミュニティは何と訳したらいいでしょうか。悩ましい言葉です。地域共同体と訳してしまうと、わずらわしい「つきあい」を思い出してしまうかもしれません。しかし、あえていえば、そうした、ちょっと「わずらわしい」関係こそ、私たちが考え直さなくてはいけないテーマなのではないかなと思っています。
 コミュニティとは「お互いに重荷を背負いあう人間のあつまり」という考え方に、私は共感しています(このことは私たち事務局でもまだあまり議論はしていませんが)。
 ケアは、気にかけること、世話をすること、というような意味です。中学校の時の英語で習った"take care of ・・・"を思い出せばいいと、千葉大学の広井良典さん(助教授)が本(『ケアを問いなおす』ちくま新書)で書かれています。「ケアという言葉は、最も広くは「配慮」「関心」「気遣い」というきわめて広範な意味をもつ」(同書)のです。
 こうした考えをつなげると、コミュニティケアとは「地域住民たちや仲間同士で、お互いを気づかいあいながら、放っておけないことに対して、それぞれが可能な範囲で、汗と知恵をだしあうこと」ということになります。
 ケアというと、私たちはすぐ「介護」を思い出しますが、ケアとは特殊な問題解決ではなく、すべての人にとっての問題なのです。
ミルトン・メイヤロフという米国の哲学者が「ケアの本質」という本で、ケアとは「最も深い意味で、その人が成長すること、自己実現することをたすけること」とあります。含蓄のある言葉です。「たすける」とありますので、「援助ではないか」と思われるかもしれませんが、ケアすることが実は自らがケアされることであるという、ケアの言葉の持つ双方向性というか関係性が、この言葉には含意されています。

 ところで、コミュニティケアという言葉は、英国から始まったようです。その意味は辞書によれば、「さまざまなハンディをもつ人々を、隔離された施設でではなく、地域社会の中で、ほかの市民と同様に自立した生活が遅れるように支援しようとする考え方」と書かれています。
 私にはちょっとなじめません。なぜならば、ハンディがある人とない人とを分けているところに、すでに問題解決志向が感じられるからです。人はみな、ハンディをもっています。自らのハンディを自覚することが、もしかしたらケアの出発点です。
 それはともかく、この定義にあるコミュニティケアの視点は、行政による政策が中心です。私たちが目指すのは、コミュニティのメンバーが自ら取り組む「もうひとつのコミュニティケア」です。お互いのハンディを支援しながら、自ら成長していく。そんなコミュニティケアの輪を、ぜひみなさんと一緒に広げていきたいと考えています。

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■ケアという言葉について
 前回のメッセージを読んで下さった方から次のようなメールをいただきました。
「法律の領域で、duty of careといえば「注意義務」です。ところが、環境倫理の関係の本を読みますと、careは「思いやり」という日本語がぴったりです。そういえば、 法律でも、duty of careも「思いやりの義務」としたほうが適切だと思います。翻訳による日本文化の問題点ではないでしょうか。」
言葉の問題はとても大切です。
 実は事務局でも、「福祉」とか「ケア」とかという言葉ではない、新しい言葉を使えないか、という議論がありました。たしかに、これらの言葉は、さまざまなイメージを背負いすぎているかもしれません。福祉といえば介護を思い出してしまう方も多いでしょう。福祉はどうも好きになれないという人も決して少なくないでしょう。ケアやコミュニティも、同じです。新しい概念は新しい言葉に盛り込むのがいいのかもしれません。
 しかし、その一方で、言葉を大切にしていくことも重要です。日本人は流行的に言葉を使い捨てているような気もしますので、今回はたくさんの「負債」も背負っている「福祉」や「コミュニティケア」の言葉を大事にしていきたいと考えています。
 そして、その上で「福祉」や「ケア」という概念のノーマライゼーションを実現したいのです。福祉やケアということが、すべての人にとって、大切で身近なことであることの認識を広げていきたいのです。
 「人間は生まれそして死が訪れるまで、いかなるときにもケアし、ケアされる存在である。ケアが生命の保持にとって不可欠の要素であることは、個人はもとより共同体にとって太古も現在も変わることのない事実である。」
 これは長年、実践者として、また研究者として、看護に関わられてきた池川清子さん(日本赤十字看護大学教授)の言葉です。
コミュニティケアに関わるものにとって、とても含蓄に富むメッセージではないかと思います。
 今回は読者のメールに刺激されて、少し寄り道をしてしまいました。


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■ コムケア活動の理念は「つなぐ」です
 先日(2002年8月17日)の首都圏のコムケア活動交流会で、昨年度の資金助成を受けた6団体から、活動報告が行われました。6つの団体の話に共通しているのは「つなぐ」というキーワードでした。私たちが目指しているコムケア活動の理念も「つなぐ」です。

 福祉の基本は、人と人の触れ合いであり、人と人とのつながりを深め広げることではないかと私は思っています。そして、そのことがまた、社会の安定や豊かさにもつながっていく。それが私たちの考える「大きな福祉」です。
 市民活動は多くの場合、生活の視点から始まりますから、まさに人と人とのつながりが根底にあります。心温まる触れ合いやつながり、支え合いが、そこではとても大切にされています。
 しかし問題がないわけではありません。個人の具体的な問題からスタートするために、活動が「仲間」主義に陥ってしまい、外部との関係では、逆に「たこつぼ」にはまってしまうおそれがあります。それではせっかくの触れ合いやつながりが、いつの間にか狭い範囲に閉じられてしまいかねません。外に向けても積極的に触れ合い、つながりを求めていくことが、これからの市民活動には必要です。
さらに活動の効果の面でも「つなぐ」ことが大切です。
 福祉の問題は生活全体につながっていますから、個々の問題解決では限度があります。介護の問題と芸術は一見無縁かもしれませんが、個人の生活の視点に立てば無縁ではありません。高齢者支援と子育て、難病問題とジェンダーの問題、地域の祭りと環境問題。それらはすべてつながっています。個々ばらばらに取り組むよりも、それらを効果的に編集し相乗効果を引き出していくことが望まれます。
 さまざまな市民活動がもっと交流して、お互いに刺激を受けあえば、それぞれの活動がもっともっと効果的になっていくように思います。そして、なにか新しい切り口が見えてくるかもしれません。しかし、実際に市民活動に取り組んでいると、なかなか外部に目を向ける余裕はありませんし、その方法も見えてきません。仕組みが必要です。
 私たちはコムケアサロンや交流会で、様々な団体がつながる場を少しずつ創り出していますが、参加者からは好評です。そして、そうしたつながりの中から生まれだした動きもあります。
コムケア活動が目指しているのは、「共創型相互支援の輪」のひろがりです。
 ぜひみなさんもこの輪につながっていただき、輪をどんどん広げていってほしいと思います。私たちができるのは、そのきっかけ作りに過ぎません。

■メッセージ26 【コムケアでは個人と個人のつながりを大切にしています】
予備選考参加の呼びかけに、早速6人の方から申込みをいただきました。
ありがとうございました。
目標は20人以上ですので、まだの方はぜひご参加下さい。

選考への参加は団体としてか個人としてか、のお問い合わせがありました。
個人での参加を原則としています。
今回は、それに関して、少し書きます。

コムケアのキーワードの一つは「つなぐ」です。
さまざまな活動がばらばらで行われるのではなく、
お互いにつながっていったら、もっと効果的に活動でき、新しい発想や解決策も生まれるはずです。
目先の問題解決に追われて、ついつい自分たちの世界に埋没してしまいがちなのが、これまでの市民活動でした。そうした状況を打破したいのです。

どうやって「つないでいくか」。
組織と組織がつながるのではなく、そこに関わる「人」と「人」が、表情を持ちながらつながっていく。これがコムケアの理念です。

組織は、人がつくった仕組みですから、組織の主役はそこに参加している個人です。
しかし、実際には主客が逆転してしまうことが多いのです。
会社に使われてしまったり、行政の中で個人の表情を無くしてしまったりしている人は、決して少なくありません。
それこそが、企業や行政が元気を失っている原因かもしれません。

NPOの中でも、自分たちで創った仕組みなのに、その組織に逆に縛られてしまったり、手段だったはずの組織の維持が目的になったりしている事例は少なくありません。
それでは、これまでの社会のあり方と同じになってしまいます。
NPOは個人が主役で、そのメンバーがみんなそれぞれの表情と意志を持っているところに価値があるのです。
メンバーが組織に囲い込まれることなく、生活の次元で広く社会と関わりながら、組織を活かしていく。個人を介して組織が社会に開かれていれば、組織の常識と社会の常識のずれは起こりにくいはずです。
表情を持った個人が主役の組織だからこそ、壁にぶつかっている社会を変革していくフロントランナーになれるのです。
これまでの組織原理とは違うのです。

組織の主役が人であるならば、当然、つながっていくのも個人です。
銀行の合併や市町村合併のように、組織と組織がつながるスタイルでは、もう問題は解決できない時代になっていると私は思っています。
組織を基軸にして発想する時代は終わろうとしています。
そこにこそ、市民活動の意味があるように思います。
NPOは、これまでの組織とは違うのです。

話が広がってしまいましたが、
そんなわけで、コムケアでは、表情をもった個人が主役です。
ですから「つながる」のも、個人であって、組織ではありません。
つながりあった個人が、それぞれの組織を活かして、新しい物語を育てていく。
これがコムケアの考えです。

今年は個人同士が触れ合える場づくりに力を入れていきたいと考えています。
選考への参加は、その一歩です。
どうですか。参加されませんか。

■コムケア報告書2005からの抜粋
コムケア活動5年目の報告書からの抜粋です。

「つながりこわし」から「つながりづくり」の時代へ

■「つながり」を壊してきた社会
全国のNPOや市民活動をささやかに支援しながら、誰でもが気持ちよく暮らせる社会に向けて、さまざまな活動をつないでいく。これがコムケア活動*の目指していることです。

この数十年、私たちはさまざまななつながりを壊してきました。
人とのつながり、自然とのつながり、地域社会とのつながり、歴史とのつながり、さまざまなつながりを壊すことで、経済を発展させ、生活の利便性を高めてきたと言えるかもしれません。
たとえば、企業はつながりを切ることで、生産効率を上げ(その象徴が分業です)、労働力を確保し、市場を拡大してきました。行政も効率を高めるために縦割り行政を展開してきました。私たち自身も、近所付き合いのしがらみから自由になるとか、家族のつながりを弱めるとか、お互いの問題に踏み込まないとか、つながり壊しに加担してきたように思います。
その結果、経済は発展し、私たちの生活も便利になりました。
でも何かが欠けている、と私たちは気づき始めました。
そればかりではありません。経済も壁にぶつかり、社会もたくさんの問題を顕在化し始めました。
そして、みんな気づきだしたのです。「つながり」が大事ではないかと。
最近のNPOや市民活動の広がりの背景には、そうした状況があると思います。

■「つながり」は社会の一番大切な資源
人のつながりこそが社会にとっての一番大事な資本(ソーシャルキャピタル)だという認識が広がりだしました。
時代のキーワードが「つながり」になったのです。
そして、これまではばらばらに活動していた人や組織がつながりだしました。関心を同じくする人たちがつながって、NPOをつくりだしました。そのNPOが企業や行政と協働しはじめました。異質な課題に取り組んでいるNPOのつながりも急速に広がりだしています。
しかし、注意しないといけないのは、そうした市民活動もまた、それぞれが自分たちのテーマや世界に埋没してしまいがちなことです。それでは結局、何も変わらないのではないか、そういう思いがコムケア活動の出発点でした。
ですから私たちはさまざまな問題をつないでいくことによって実現できる「大きな福祉」を理念に掲げました。そして、「つながりづくり」にこだわっているわけです。それも表情のある個人のつながりに。

■個々の問題をつなげていくことで実現する「大きな福祉」
私たちが活動の名称に使っている「コミュニティケア」も、最近ではよく使われるようになりました。私たちは、この言葉に関しても、専門的な定義などにとらわれることなく、誰でもが気持ちよく暮らせる社会に向けてのすべての活動をコミュニティケア活動と呼んでいます。
ケアとか福祉というと、どうしても高齢者介護だったり子育て支援だったり、あるいは難病や障害の問題だったり、個別の問題解決をイメージしがちですが、私たちの生活は、そうしたさまざまな問題が絡み合って成り立っています。ですから個別問題だけを見ていてもなかなか問題は解決しないように思います。
そこで、私たちは、コミュニティケアという言葉の中心は、やはり「つながり」だと考えました。人のつながりがなければ、どんな立派な制度も施設も十分な効果はあげられないのではないか、と考えているのです。
コムケア活動の仲間は、実にさまざまな活動に取り組んでいます。環境問題も文化活動もありますし、平和活動や防災活動もある。コムケアのメーリングリストに登場するテーマはあまりに多様なために、少し整理してほしいという要望があるくらいです。
しかし、私たちはあえて、テーマを絞り込もうとは思っていません。テーマが多様であればあるほど、世界は豊かになり、そこから生まれる物語も魅力的だと思うからです。それに社会における問題はすべて、必ず「つながっている」からです。

■世代や障害を超えた交流から生まれる新しい物語
問題をつなぐことは、同時に世代や地域をつなぐことでもあります。
特に重要なのは、世代間交流、世代を超えたつながりです。
たとえば介護問題というとある一定の世代の人しか関心を持たない傾向がありますが、実は介護保険制度をどう育てていくかは、すべての世代の問題ですし、ニートや引きこもりの増加を社会の仕組みに対する問題提起と捉えれば、まさにこの社会をつくってきた大人たちの問題です。
大きな福祉は、世代を超えたつながりの中から生まれてくるはずです。世代を超えた交流が育てば、おのずとそれぞれの新しい役割も見えてきます。そこからきっと、「支援する人」「支援される人」という一方的な関係ではなく、お互いが「支援しあう関係」が生まれてくるはずです。それぞれの違いを認め合いながら、一人ひとりが主役の社会への第一歩は、まずは心を開いたつながりから始まります。
世代だけではありません。さまざまな障害もまた、つながりの大切な要素です。お互いの障害を共有できれば、お互いに支えあう関係が育ち、私たちの生活はもっと気持ちよくなっていくはずです。さまざまな人がいればこそ、社会は豊かになっていきます。
世代や障害を超えたつながり、世代や障害の違いを活かしたつながりから生まれる新しい物語は、きっと楽しい物語になるでしょう。

■大きな福祉を目指した、新しい「結い」への道
 「つながりこわしの時代」から、「つながりづくりの時代」へ。
そのビジョンに基づいて、コムケア活動は、今年もさまざまな「つながり」を深め、そこから「新しい物語」を育ててきました。
コムケア活動が目指している、大きな福祉を目指した、新しい「結い」への道も、少しずつ見えてきたような気がします。

2005年5月20日
コムケアセンター事務局長佐藤修