折口さんのつれづれ日記2005〜2006
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広島の庄原市で、NPO法人かすたねっとを拠点に、地域福祉活動に取り組んでいる折口智朗さんからの私的なメールを、ご本人の了解を得て、掲載させてもらっています。ご愛読下さい。こころが癒されます。そして、たぶん、日本の地域文化の豊かさや現状も実感できます。

折口さんのつれづれ日記2004

〔第97回〕
■胡散臭いもの。
(2006年11月28日)

佐藤さん おはようございます 
本日はお日様も覗いて気持ちよい朝を迎えています。

さて、「裁判員制度はいらない」高山俊吉 著 講談社 発行 を読んでいて、思わず昨年の義姉が施設における事故後の経過途中でお世話になった『福祉サービス運営適正委員会』なるものが、なんとよく似たモノだと感心してしまいました。

次は運営適正委員会のHPよりの抜粋です。

「苦情解決を担当するのは、運営適正化委員会の苦情解決合議体で、弁護士、医師、学識経験者、行政や相談機関等の専門委員により構成されています。委員の選任にあたっては、中立公正な立場を守るために、公示等の手続きを経て設置された選考委員会の同意を得ることとされており、運営適正化委員会事務局は独立して設置・運営されています。 」と書かれています。

Q 名前を言わなくても相談できますか?
A 匿名のままでも、相談に応じたり必要な情報提供や助言等を行います。
  当委員会は相談者の秘密を厳守いたします。
  ただし、事業所に事情を聴いたり、必要な調査や改善の申し入れを行う場合には、匿名のままでは十分な解決が図れないことがあります

Q どんなことでも解決できますか?
A 次のような問題は当委員会では解決が難しいと思われます。
 ・既に調停や訴訟が行われている事案やこれから予定している事案
 ・過失や損害賠償責任の有無などを求める事案
 ・契約の法的有効性に関する事案
 ・医療の過誤や医師の診断に関する事案
 ・福祉サービス提供に直接関連しない施設や法人運営上の事案

Q どのような方法で解決しますか?
A 相談や苦情をお聴きして、お悩みのこと等について情報提供や助言等を行います。必要によって事務局や担当委員が調査を行います。委員会では専門的見地から申出者や事業所に対して助言や申し入れを行うとともに、双方の同意があれば和解を目的としたあっせんを行います。
  ただし、虐待や法令違反など重大な不当行為等に関する内容については、速やかに広島県知事へ通知します。


本来は弱者の権利擁護を行うべき組織でなければならぬものが、どうしたことか苦情解決とは名ばかりで堂々と強者である医療関係者・施設関係者などの福祉サービス事業者を擁護するための組織となっている実態は、今日の「障害者」と「健常者」との目に見えない大きな壁をも物語っているようにも感じています。

先日紹介したパラリンピックの金メダリストの大日方 邦子(おおびなた くにこ)さんが、著書『壁なんて破れる』NHK出版 発行 の中で次のように書かれています。

誰が、「障害者」で誰が「健常者」なのか。両者は、決定的な壁とか溝で仕切られているわけではない。どちらかといえば、地面にチョークで線を引いている程度のもので、分類が必要な時だけ線を引けばいいし、時には引き直したっていい。その程度の区別でしかないと思っている。

だから自分達を「健常者」だと思っている人たちは、「障害者」を自分とはまったく関係ない集団だとは思わないでほしい。
でもやっぱり、メガネユーザーや妊婦さん、骨折している人たちが「障害者」と呼ばれたら抵抗を感じないだろうか。たぶん、「怪我をしているだけで、すぐ治りますから」とか「たまたまメガネを忘れただけなんです。」と、「障害者」に分類されることを拒絶するだろう。好んで「障害者」と呼ばれたがる人に、私は出会ったことがない。

実は私自身も、自分のことを「障害者」と呼ばれることが嫌いな一人だ。「障害者」という言葉にはどうも、ネガティブなイメージがついてしまっている気がするのだ。

だから私は、なるべく「障害者」と言わず「障害のある・・・」「障害を持っている・・・」と表現することにしている。ちなみに「障害」があることをポジティブにとらえる時には「持っている」、ありのままの事実として使う時には「ある」、という使い分けをしている。

「障害」の「害」という言葉の響きがよくない、という主張もある。「損害」「被害」「害虫」「公害」「危害」・・・、たしかに「害」がつく言葉にはイメージの悪いものが多い。

最近では、「障害者」を「障がい者」とひらがなで表記することもあるようだ。もともとの日本語では「障碍者」と表記されていたようだが、戦後に制定された当用漢字から「碍」という字が外されたため。「障害者」と置き換えられたという歴史的な経緯がある。

「障害者スポーツ」という言い方も、「スポーツ」とは別の種類のようなイメージを与えかねないので、あまり使いたい表現ではない。英語では最近「障害者スポーツ」に相当する言葉を disabled sports ではなく adapted sports と表現する人も増えてきた。Adapted は「適応する」という意味で、用具やルールを工夫してスポーツを楽しむという「障害者スポーツ」の特性をよく表しているし、ポジティブな響きがある言葉なので、私は気に入っている。


時折、「障害者のために」を連呼する人を見かけることがありますが、どうも胡散臭く感じる今日この頃です。

〔第96回〕
■いじめられた側にも非がある?
(2006年11月15日)

佐藤さん おはようございます 
今朝は爽やかな朝を迎えています。

さて、パラリンピックのスキーで金メダルを取られた大日方 邦子(おおびなた くにこ)さんをご存知でしょうか!?その方が書かれた本から・・・
可愛い女の子が交通事故に遭ったばかりにある日突然!周囲から『障害者』に認定されてしまい、病院や保育所や学校に入る度にさまざまな無理難題を福祉事務所や教育委員会から突きつけられます。

1972年生まれだというのに横浜でこれほどまでに行政や教育界のハンディをもつものへの理解がない暗黒の時代であったことが見事に立証されています。
ところが、国際障害者年が始まるのを境にバリアフリーやノーマライゼーションなるものが押し寄せてきて、あれほど異端視・疑問視されていたことが普通になってきて誰もが利用しやすいトイレや段差解消が整備され始めてきます。

その中に、現在問題となっている『いじめ』についても書かれています。  

いじめは、入学してまもなく始まった。教室を掃除中に、一人の男生徒からバケツの水をかけられて、さらに雑巾をなげつけられたのだ。私はびしょぬれ。周囲は大笑いするばかりで水をかけた生徒を非難する生徒はいなかった。

クラスで孤立してしまった私は、仕方なく、担任教師にいじめの事実を伝えたところ、問題解決のために、水をかけた生徒を私、そして双方の親が呼び出され、話し合いがもたれた、なぜ水をかけたのか、という教師の問いに対して、その男子生徒の言い分は「むかついたから」の一点ばり。「むかつく」という言葉をその時に初めて聞いた私は、とても戸惑った。自分のどんなところが相手をむかつかせるのか、問いただしたけれど、「むかつく」のに理由などないらしい。
簡単に言ってしまえば、私が存在すること自体がむかつく、ということだ。そして、むかつく理由を聞く奴にもむかつく。道理も何もない、むちゃくちゃな言い分だった。

けれど、もっと驚かされたのが、その生徒の親の言葉だった。曰く、「うちの子に限って、いじめなんてするわけがありません。」さらには「この子の父親は○○社(大手商社の名前を出して)に勤めるエリートで、海外経験も豊富です。父親からレディファーストを教え込まれていますし、ボランティア教育だってしています!」とまくしたてたのだ。まるで。ギャグマンガに出てくる、過保護でヒステリックなママそのものだが、現実の世界で面と向かって言われた時には、相当に驚かされた。
開いた口がふさがらない、とはまさにこのことだ。

そして話し合いに立ち会った教師の結論はさらにひどいものだった。「いじめられた側にも非があったはず。」というのだ。彼曰く「いじめには、必ず理由があるわけだから、いじめた側だけではなく、いじめられる側にも改善すべき点がある」というわけだ。「存在がむかつく」と言われた私は、何を改善すればいいのだろうか。もしかして、「存在を消す」のが一番確実だとでも!?
今考えれば、ばからしい・・・の一言に尽きるけれど、言われた当時はとてもショックだった。どうすれば目立たなくなれるのか。真剣に考えたりもしたものだ。

この話し合いは、何の問題解決にもならなかった。それどころか、「いじめられる側も悪い」と教師が認めたことによって、私に対するいじめは加速し、かつ巧妙になっていってしまった。
あからさまに暴力的なものはなくなり、代わって基本メニューとなったのが、言葉の暴力・無視・そして仲間はずれ・・・・・。それらに加えて、廊下ですれ違いざまに足をひっかける、モノがなくなる、画鋲を靴の中に入れておく、などという誰がやったのかわかりにくいものも数多く経験した。

積極的に「いじめ」という行動に出た生徒は、実はそれほど多くない。けれども、いじめの様子をおもしろがったり、あるいは黙って見ているだけだったり、という人が大半だったことが一番やっかいだった。「面倒なことには巻き込まれたくない」、そんな雰囲気が充満していたことで、私は余計に孤独を感じてしまった。

中学校生活でまっさきに思い出すのは、休み時間に一人、廊下の隅にある窓から、はるか遠くの富士山をボーッと眺めている自分だ。私が不登校にならずに、三年間通い続けたのは、「いじめになんか負けたくない」という意地があったからだと思う。

結局、私はどうしていじめられたのだろうか。小学校時代の友達だって約半数は同じ学校に進学していたわけだし、環境に大きな変化があったわけではない。
《中略》
過度な競争社会に置かれていると、人はいつしか理不尽なことを考えるようになるものだ。私はしばしば、「足が悪いのだから、おとなしくしていればかわいがってあげるのに・・・・。むかつくんだよ!」という言葉を投げつけられた。恐ろしいことに、子供同士だけではなく、他の生徒の親が私に面と向かって言うことさえあった。
さすがに大人は「むかつく」とは言わなかったけれど、「生意気だ」という声をしばしば聞いた。

おそらく「障害者=弱者」というステレオタイプな思い込みが強かったのだろう。弱いはずの者が、自分よりも成績が良かったり、自分よりも速く泳げたりすることに対して、行き場のない怒りを感じたようだ。親の気持ちもまた、似たようなものだったのだろう。

当たり前なことだけれど、足に障害がある、ということと、学力テストの成績には何のつながりもない。障害があるから弱者と勝手に決め付けられて、弱者として振舞うように求められ、障害者である私は途方にくれた。
 
(以上 『壁なんて破れる!』大日方 邦子 著 NHK出版 \1,400)

その後、3年間の屈辱のいじめにも耐え卒業して、初めてひねくれかかった心を解きほぐしてくれた高校の担任や同じクラスの仲間達との出会いも描かれており、素晴らしい人との出会いが今日の金メダルにつながったことを誇りとされているようです。

片足がないというだけのことで人間ではなく、すぐに『障害者』扱いをすることにも大きな疑問を投げかけておられます。
ハンディキャップという意味合いや『障害者』という呼称自体を我が国ではこれまで大きな勘違いしてきたことにもあるのかもしれませんし、私自身も眼鏡がなければ時代によっては視力障害者と扱われたのかもしれませんが、補助器具や周囲の人達の協力があれば『障害』の壁を突き破ることも可能ではないでしょうか?

■17歳は2回くる!(2006年11月21日)
佐藤さん おはようございます 
本日も霧の漂う朝を迎えました。

いつものように図書館で思わず手に取った本で「17歳は2回くる」山田ズーニ−著 河出書房新社発行という面白いものを見つけました。

以前「ほぼ日刊イトイ新聞」というHPおとなの小論文教室として連載されていることは知ってはいたのですが、なんだか小難しいそうな感じがしてこれまでは通り過ぎていたものです。

その中から『2001航海時代』というものを少しばかり

最近は、大きな船から、飛び降りてくる人も多く
独り泳いでいる人も少なくない。

そういう人同士が、時折でくわすと、「やあ!」と瞬間通じ合う。
そして、またそれぞれの方向を目指して泳いでいく。

ときどき、自然に泳ぐ方向が同じ人と会い、しばらく一緒に進むこともある。
それでもやっぱり岐路がきて、また、それぞれの道に別れていく。

自然に方向がかさなる仲間と、一緒に船を作っていく人もいる。

自分で造った船に、「やあ、それはいいねえ」と賛同者が乗り込み、助け合って航海をはじめる人もいる。

一生そのまま独り、泳ぎつづける人もいる。

そういう独りや、小船や、大船が、時々、ある目標のために集まって協力し、何かをつくって、また散っていく。

〔第95回〕
■母親の責任?
(2006年11月10日)
佐藤さん こんばんは 
寒くなりましたがいかがお過ごしでしょうか。
さて、先般広島県内で次のような事件があり、今朝の朝刊に次のような社説が載っていました。

福山の2児殺害 発達障害 追い詰めるな
'06/11/9

 福山市で三十四歳の母親が長男(5)と二男(3)を殺害した。発達障害の二男の子育てに悩んだのが動機とみられる。「私だってこの子を殺して死のうと何度思ったことか。みんなも同じ」と広島県東部子どもの療育を守る親の会のメンバーは言う。障害の子を持つ親が追い詰められない社会はどうしたらつくれるのか。

 暴れる。奇声をあげる。一つのことに執着したらほかが見えなくなる。道を歩き始めたら夜中になっても止まらない…。

 発達障害の子の行動は常識からは理解しがたい。外からは「しつけのできていないわがままな子」と映る。親は必死で常識の枠内に引き戻そうとするが、子からの思わぬ抵抗を受け、疲れ果てる。あげく殺意さえわいてしまう。多くの親がたどる道筋だ。

 とりわけ幼児期はつらい。専門家のアドバイスに従いつつも、一方で「診断は本当だろうか。治るのでは」と現実を受け入れられない。果てしない葛藤(かっとう)が続く。

 先の母親も、おそらくこうした渦の中にあったのだろう。心の危機を脱することができず最悪の結末を迎えた。

 母親を知る人たちは「もっと話を聞いていたら」という苦い思いを抱いている。落ち込んだ時に救いになるのは、同じ境遇の人とのおしゃべりだ。それで解決はしないがもやもやを吐き出して楽になる。悲劇を防ぐ安全網としての「しゃべり場」づくりが工夫できないだろうか。

 社会システムがうまく働かなかった点にも悔いが残る。県福山こども家庭センターは、夫の相談を受けて母親と接触しようとしたが拒まれた。「せめて母と子だけにしないようにできなかったか」との反省が漏れる。どうすれば防げたか当局の検証を待ちたい。

 しかし問題の根にあるのは、発達障害を「親のしつけのせい」とみる無知と偏見だ。専門家は「彼らは独特の認知パターンを持つ宇宙人」という。とすれば発現率6%の異文化がこの社会に存在することを知るのが先決だろう。

 細長い物が大好きな発達障害の子が、ジュースを飲んでいた女性に駆け寄ってストローを奪おうとした。女性は「ああこれが好きなのね」と渡してくれた。母親は泣くほどうれしかったという。

 異文化を知れば、それを尊重する文化も生まれる。ストロー女性のような対応も可能になろう。母親も追い詰められずに済む。

4人の知的障害児を産んだ87歳になる義母が、時々「お腹に居る時から何度一緒に死のうとしたことか。あんたの奥さんがお腹にいる時には冷たい氷の張った池に浸かったり、高いところから飛び降りたりして流産しようとしたが、残念ながらそれができなかった。まさか、殺そうとしたその子に親子共々今日世話になろうとは考えてもみなかった。」と話します。

「どうしたことか次々と女の子ばかりが産まれ、どの子も未熟児ばかりで障害を持っているとわかっていながらも姑が男の子を産むまで許してくれなかった、最後に生まれた男の子もやはり未熟児で障害を持って生まれてきてしまった、本当に業な女よの〜。」

義母や義兄弟達が社会の中で、これまで味わってきた辛酸を舐めるような思いや、素肌に焼き鏝を当てられるような痛みを、これから先生まれてくる子供達や母親達が二度と味わうことのないように、残り10年間を私達夫婦なりにコツコツ努力していこうと考えています。

〔第94回〕

■秋雨。(2006年10月23日)


佐藤さん こんにちは 
昨夜から久しぶりに雨が降って今日は突風が吹いています。

さて、奥様のお具合ご心配ですね、なにも手助けできないことが残念です。
私からの佐藤さんへの一方的なメール送信についてはご迷惑でしょうが、
どうか今後も引き続いて送らせて頂ければ幸いです。

本日は、隣県より新たな情報が飛び込んできました。
前回お伝えした特養における『虐待』問題のその後です、
事件の起こった特養の施設長が県のOBであったり事務長が社協のOBであることなどから行政側としては、
なんとかして事無きこととして葬りたいとやっきになっているようです。

せっかく特養の顧問医が勇気をふりしぼられて今回の利用者21名にも及ぶ虐待問題について公開したにも関わらず、
その後近所の小児科医が入所者を診たところ異常なしとの判断により施設側は決着を計ろうともくろんだらしいのですが、
本年6月時点でのアザや傷跡が数ヶ月経過した後では証拠は残らないのは誰が考えても当たり前の事ですし、
顧問医による証拠写真の効力について論じるよりも、本来は施設側が積極的に事実の公表を行うべきですし、
スタッフの介護技術が本当に未熟であったとしたならばそれについても
「何故、事故は起こったのか!」についてきちんとまとめる必要があるのではないかと感じています。

また、医師以外にも良心的なスタッフがこのたび事件をオープンにしたことで退職されたとのことですが、
どうやら一番問題があるのは理事長らしく中小企業の社長を兼務されていて福祉には殆ど理解がないという体質が、
今回の虐待問題の一番の大きなポイントかもしれません。

本日午後から県の担当課よりマスコミ向けとして記者会見が行われるとのことですが、
相変わらず問題を闇に葬る繰り返しでは高齢者虐待法もまさに絵に描いた餅です。

■あきらめない。(2006年10月26日)
佐藤さん こんばんは 
奥様のご体調はいかがでしょうか?

原博巳さんの土鈴の紹介をしていただき有難うございました。

本日は朝から時折偏頭痛があり、どうもいつもの風邪とは違うような気もして、
夕方からストレス対策として久しぶりに電気屋さんに出かけ、
PC用でUSB4口分配器とミニ・ヘッドホンとマウス・パット1枚を購入しました。
明日は、イーエルダーさんよりリユースPCが2台寄贈される予定なのでせめてPC周辺機器をと奮発してみました、
これで頭痛が治ればめっけものですが・・

先程、NHKの番組で「たまごっち」の企画をされた代表者を取り上げたものがありましたが、
成功の秘訣はと聞かれて「原点を貫け!」「企画の命はトゲ!」「自分からあきらめない事。」等々。

なるほど、自立支援法が始まり自分が描いていた理想とは全くかけ離れたお粗末な代物を行政側が提示する事に対して、
いつのまにか自分の夢を殺しどこかで少しづつ夢を萎ませて妥協しつつあることが、
もしかすると本日の頭痛の原因なのではなかろうかと。

さる方が、メールで次のように励ましてくれました。

折口さん、私には残念ながら私には「智恵」などないのですが、残余主義の先輩国?アメリカの人には、こんなことを言われました。
 「閉まりかけたドアには、何度でもつま先をさしいれ、こじ開けろ!」
                  (ナンシー・フィッツシモンズ・コバ)
 「あきらめない、あきらめない、あきらめない」
                  (トーマス・ギルフォール)
市役所での、静かな、しかし粘り強い1人の訴えは、厚労省の前での100人の抗議集会よりも効果があるでしょう。
そして、やはり、当事者とともに(笠に着たり、利用するのではなく!)
(社協とか)退ける人は退けばよいでしょう。
しかし、私たちは退けない。
それが静かな(しかし抗することのできない)力になります。
がんばりましょう。
名取市でのできごとも、参考になるのではないでしょうか。

結局、ひとりひとりの闘いです。
でも、それは、みんなの力になる闘いなのです。

おかげさまで、少し偏頭痛が取れてきました。


〔第93回〕

■豊かな時間。(2006年10月21日)
佐藤さん こんばんは 今夜は外気温10度です。
さて、本日は知人のピアノ調律士さんからの招待で、
夜道を高速道路を使って30分先にある千代田町でのミニ・コンサートにお邪魔してきました。

古い商店街の一角にあるお饅頭屋さんが会場となっていて、玄関先におられた若旦那らしき人が駐車場を案内してくれました。
入り口を入ろうとすると、すでに会場に入場されたたくさんのお客様がなぜか全員こちらを向いておられるので、思わず引いてしまいそうになりましたが、勇気を出して建物の中に入るとその訳がわかりました。

入り口の右手に知人が調律したピアノが置いてあり、どうやらそこが舞台となるようです、建物全体を見回すと旧家らしい太い梁が沢山使ってあり、最近改装されたのか畳の青さが際立ちます。
丁度隣に座られたおばさんが聞きもしないのに「この家はね昔羊羹を作っておられてね、おばあさんが隣の今駐車場になっているところへ旅館があって賑わっていた時代もあったのだけれど、今は郊外大型店へ皆いくからね〜商店街も殆どシャッターが降りたままなんだけど、この家の娘さんがおと年帰られて饅頭屋さんを引き継がれることになってね、その時にこの家もやりかえられて見違う位綺麗になって、それからこうして毎年『くらしの色どり展』を陶芸・染色友達と一緒にここで数日間開催されるようになってね、ほ〜ら中庭の向こうに竹垣で囲まれているのが露天風呂だそうよ!いいよね〜こんな立派な家に住めたらね〜〜。」と次々と個人情報を報告して下さいました。

お客様は70名余り小学生からかなり年配の方までおられまさに老若男女です、その上幼児を抱かれた若いお母さん方もその中に混ざっておられ、高齢化の進む庄原市とは一味違う豊かさを感じました。

しばらくしていよいよコンサート開始です、知人が司会役として登場し続いて演奏者のバイオリン 上野眞樹(まさき)さんと、ピアノ伴奏 吉野妙さんのお二人が二階の階段から登場です。

クラシックが殆どとなりましたが、時折ジョークも交えられて、若くして外国の地で亡くなられた邦人作曲家が作られたという『竹取物語』を外国でピアノ演奏の吉野さんが「バンブー カット ストーリー」と訳して紹介されたという話にはおもわず会場全体がドッ!と沸きました。

1時間半の演奏時間があっというまに過ぎて最後に「里の秋」「赤とんぼ」の音色に会場全体がうっとり、演奏後バイオリン演奏者の上野さんが知人に「この豊かな音色のピアノはかなり古そうですが、どの位経過したものですか?」との問いに「名バイオリン程の年数や値段には負けますが、昭和18年製造のものですよ。」と答えると「そうですか、このバイオリンは200歳です。今夜の素晴らしい音色を響かせてくれたこの古い建物同様に、古いものの良さをお互いに大切にしたいものですね。」と締めくくられました。

午前中の尺八演奏会での不出来や一月先に迫った准師範検定試験も少しの時間ですが忘れることができ、おかげで命の洗濯もできたようです。

〔第92回〕
■良いものを壊すのは容易い。(2006年10月9日)

佐藤さん おはようございます 
こちらでは爽やかな秋晴れの朝を迎えていますが、いかがお過ごしでしょうか。

さて、先般NHKのETV特集という番組を見ていましたら、
小さな町の診療所が『平成の大合併』により周辺の町との統合により市民病院に組み入れられたそうですが、
そのことでそれまで地域医療の中心となって動かれていた医師が
行政側からの経営効率化だけを求める姿勢との軋轢のなかでやむなく退職されて、
それまで培われてきた全国からその医師を慕って集まってきた若い医師や、
海外からの研修医などもいなくなり市民病院の中は閑古鳥が鳴いているという『地域医療の崩壊』の様子を映し出していました。

詳しくは、城西大学助教授の伊関友伸さんのブログを読んでみて下さい。
そのブログの中に次のようなものがありました。

医師はどこに行ったのか?
ブログで連日紹介しているように、自治体立病院から医師がどんどんいなくなっている。
それでは、どこに医師はどこに行ってしまったのか?

おそらく、他の機関や専門家が、きちんとした分析をなされると思うが、その一部は、経営力があり、医師を大切にする民間の有力な病院に移っているようだ。
当初予定した以上の医師が確保できて、驚いている民間病院もあるようだ。

自治体立病院は、これまで医局の派遣制度に頼っており、給料を含めて医師を大切にする制度になっていない。
医局の縛りがなくなり、医師が勤務先を自由に選択できる時代に、自治体立病院の体制はついていっていない。
逆に、医師の気持ちを逆撫でしたり、やる気をなくすようなことを次々起こしている。
これでは、自治体立病院から医師はいなくなる。

自治体立病院の運営者は、状況の変化に早く気づき、対応を図る必要がある。
もっとも、こういう状況の変化への対応が弱いのが、行政の持つ官僚主義のDNAである。
私自身は絶望をしている。

残念な事に福祉や介護の世界も同様で、心有る現場職員の居場所が失われつつあり、
お客様相手の総パート職員時代の幕開けが近づこうとしています。

■尖った眼差し!(2006年10月13日)

佐藤さん おはようございます 
こちらでは山々も紅葉が始まっています。

昨夜は、沿岸部で開催された介護セミナーのお手伝いに出かけ急遽ビデオ・カメラマンとして参加しました。

講師は3年前に私が大阪まで出かけて介護について教えていただいた方で、こちらのことも良く覚えておられました。

その講師は、先般庄原で開催した介護セミナーの講師とは親しい間柄でもあり、
介護セミナーの内容も殆ど似かよったものでしたが、
参加者の200名余殆どが病院や介護施設関係者にもかかわらず、
介護技術については「へぇー!そうだったんだ。」とか「わーっ!!」などと
再三驚きの歓声が上がっていました。
しかしながら、日頃現場ではいったいどのような介護がなされているのかが少々不安にもなりました。

講師によると、介護保険が始まるというので、急遽病院の建物をそっくり真似た介護施設が全国に乱立したり、
当初はプライドの高い医師がケアマネージャーの資格試験を不合格になってはいけないとの配慮から資格のハードルが下げられたりしたことなど。

また、そもそも介護のプロという概念がないまま国が俄かに家庭の主婦が行ってきた世話の延長上として
近所のおばさんを介護職として雇用したり、専門学校を雨後のタケノコのように急増させたものの、
きちんと指導できる介護技術指導講師の不足によりいいかげんな介護もどきが伝わってしまったこと
など数々の問題点を挙げておられました。

これまでは仕方がなかったことと諦めて、ぜひ新たにそれぞれの職場が一丸となって意識改革をして
きちんとした安全な介護技術をお互いに学んで欲しいと結ばれました。

それにしても、毎回介護セミナーで気になるのは現場職員の荒んだ尖った眼差しです。
介護に対する管理職や職場の無理解、早期退職者が多い、職場内のイジメなど
問題をあげればきりがないようですが、
岡山県内の特養における多数の入所者に対する虐待の疑いの問題』も何か根深いものがあるのではないかと感じています。

〔第91回〕
■プライバシー。(2006年9月21日)
佐藤さん おはようございます 
こちらでは夏から秋の気配へと移行していますが、いかがお過ごしでしょうか。

それと裏腹なんです。実は日本人は「個人」っていう観念がないんですよ。
日本の「個人」は、明治時代に西洋近代思想が入ってきて、「わたくし」は本来は「公とわたくし」公私なんです。
「公」の一番古い意味は天皇家で、そうじゃないものは「わたくし」と言っていた。
だから、結局公私の別というのは天皇家と家。家の中は「わたくし」なんです。
よく児童虐待を発見するのがなんで手遅れになるのかって、問題になるでしょう。
それは当たり前で、人の家の中のことは口を出さないっていうのが日本の世間なわけ。
塀から中はプライバシーだと。

ところが明治になって、西洋の「個」が入ってきた。家族の定義だって全く違うところから。
欧米では「家族」は最小の公的単位です。
で、一人一人が私的な単位。だから、イギリス人が死んだら、奥さんに遺産をやるとはかぎらない。
明治になって西洋の「個」が入ってきて、プライベートとかインディビジュアル、アイデンティティ、セルフというのが重要な概念になって、
「個人」を言うときに「わたくし」という字句を応用したんだと思うんです。
それで、非常に奇妙なことになって、靖国参拝でモメるんだよ。「公人としていったんですか?私人としてですか。」って。

日本では「公の個」、個を公に認めたものがないんです。
だって、「個」は家なんだから。その「個」はプライベートの単位です。それを保障したのが人権です。
でも日本人は人権がそういうものだと思っていませんよ。
憲法が大前提だから人権を入れて、西洋式にプライベートの単位は個人だって決めたんだけど、
日本の世間の強制力は変わらなかったんです。
それで、家族がどんどん縮小して核家族になった。プライベートの建前は一番小さい個人だから。
日本人の妥協の仕方って見事なもんなんです。
それを皆さん方は「近代化したから核家族になった」ってわけのわからんことを言ってる。
憲法改正なんて騒いでいるけど、僕は「憲法改正する前に民法改正しろよ」と言っている。
  
 『男女の怪』 養老孟司・阿川佐和子 著よりの一部抜粋

近年お上からのお達しで、高齢者・障害者・児童等の虐待防止策が叫ばれるようになってきましたが、
ある面では国が社会保障費を削ったツケが虐待という構造を生んでいることを本当に理解しているのでしょうか?

2005年2月に起きた高齢者グループ・ホームでの虐待致死事件をもとに考えた「あれは自分ではなかったか」(ブリコラージュ発行)というものがありますが、夜勤者ひとりで入所されている数多くの認知症の高齢者による問題行動に対して果たしてきちんと対処できるものかどうか。

というのも、昨夜奥さんが年に一度の親友と泊りがけで出かけたところ、認知症の入り口+老人性うつ病と診断を受けた今年米寿となった義母が、夜が深まるにつれて異常な行動が顕著になりはじめ、「どこへ行ったのか、私に黙って夜出かけたことはない」とイライラしはじめて私の傍を離れなくなり、しまいには「親戚に行ってどこに行ったのか尋ねてくる」と普段は遠歩きしない義母が夜道を懐中電灯を持って出かけて行きました。

しばらくして親戚とともに帰ってきましたが、異常な剣幕に驚かれた様子でした。
「わしは、親だから娘が夜事故でも起こしはしないかと心配しているのにだれも解ってくれない」を繰り返し、「誰でも成人したら自分の責任で行動するんだから、親だといって束縛できるものではない」と何度言い聞かせても聞く耳は持ちません。

その後、私が寝ている部屋を何度も往復しては懐中電灯で照らし「どこへいったのか、心配で寝られない」を繰り返します、本人は昼間寝ているのですから寝られるはずもないのですが、「今夜は帰らないから、明日の朝には帰ってくるから心配はいらない」と話すと、やっと自分の部屋に引き上げました、その後も家の中をうろうろしている様子なので、まるでこちらが犯罪者にでもなって逃げ隠れしているような気分でまさにお手上げ状態となってしまいます。

今朝になり昨夜の話を本人にすると「わしが、そんなことをするわけはない」と知らん振りを決め込んでいます。
平素一緒に生活していてもあまり今回のような行動を私自身見る事はあまりなかったのですが、
どうやら私が尺八で家を留守にしているときなどにじっと傍に引っ付いて奥さんに対していろんな無理難題をふっかけているようです。

どうにも耐え切られなくなって認知症となった親を連れて出かけた家族が神経科の受付で「こんな年寄りをなぜ連れてきた!ここはあんたが来るところではない!!」などと平気で発言するDr.がいるという話や、ストレスを抱え込んだ精神科医がそのはけ口を患者やスタッフにぶつけて逆上している姿を垣間見ると、とても我が親や自分が安心して任せられる医療は存在していないのではないかという不安にも襲われます。

親友と共にお互いのさまざまな悩みや鬱憤を打ち明けたせいか、今朝はとても爽やかな横顔をしている奥さんがせめてもの救いです。


〔第90回〕

■物言えば唇寒し秋の風。(2006年9月4日)
佐藤さん こんばんは 
こちらは朝夕涼しくなってきましたが、いかがお過ごしでしょうか?

先日尺八の集まりで、「今後、市内の各小中学校において邦楽の普及をしたいので、是非とも皆さんの協力をお願いしたい」とのお達しがありました。
このことについては、以前から「学習指導要領の改訂により各学校が邦楽の授業を積極的に取り入れている」という話を伺っていましたし、これまでも地元の小学校や保育所との音楽交流はあるので特に気にはなりませんでした。

しかし、いつも拝見している「てんとう虫の背に乗って。」というHPを読んでいて思わず背中がゾクッ!としてしまいました。

NHK朝の連ドラで「純情きらり」が放映されている。脚本は浅野妙子さん。
彼女の新聞コメントの中に気になる一言があった。
「作品を書いているときに”正面切って反戦をうたうと、たたかれるぞ”という雰囲気を感じる時があった」と。
また「世の中の空気が、”戦争になるかも”、というだけでなく、”なってもやむおえない”という方向へ流されている気がする」と。
浅野さんは決して左翼でも自由主義者でも反戦主義者でもない。
過去の作品からはそのような雰囲気はかけらもない。
そんな作家にまで、このような気持ちを抱かせる
「雰囲気」とはなんだろうか。

「純情きらり」ではここ1ヶ月ぐらいは
戦場でない場所での戦争・女、子ども老人、銃後の庶民に降りかかる戦争がことこまかに描かれている。
ここのあたりはボクも
「ボクはいじめられっ子」で書いているので、
バックの思想も事象もすべて納得できる。

戦争は戦っている者だけのものではなくて
戦っていない庶民にも戦争は降りかかるものだということが
如実に描かれている。

このドラマの主人公となる女性はジャズが大好きで、ピアノを一生懸命練習するのですが、戦争が始まると同時にジャズもピアノも芸術までもが否定されてくる様子がうまく描かれていて、私もささやかな日々の楽しみにしています。

邦楽愛好家のお仲間達が益々高齢化し減少しているので、邦楽への理解者や愛好家予備軍の育成には大賛成ですが、どうも邦楽推進派の意図は別のところにあるように思えてなりません。


〔第89回〕
■遭遇。
(2006年8月24日)
佐藤さん おはようございます 
暑い毎日ですが、いかがお過ごしでしょうか?
栗原貞子さんの本が届いたようですね、押し付けになったかもしれませんが、どうかお許し下さい。

先日、次男が遅い盆休みを取って彼女を連れて帰省してきました。
彼女の母親が知的障害児施設に永年勤務されているという話は伺ってはいたのですが、滋賀県にある近江学園だと聞いて驚きました。
「この子らを世の光に。」という著書でも有名な、福祉関係者であるならば一度は聞いたことのある故 糸賀一雄氏の施設です。

次は、近江学園のHPからの抜粋です。

近江学園の表坂を上ってくると正面に母子像が立っています。
森大造先生の手になる、箒を手にした母子像です。
散歩から帰ってくる子どもたちや、また遠来のお客様を第一番に迎えてくれます。
糸賀先生はこの母子像に「世の光」と名付けられました。
糸賀先生はこの言葉の中に、「知的障害といわれる人たちを世の光たらしめることが学園の仕事である。知的障害を持つ人たち自身の真実な生き方が世の光となるのであって、それを助ける私たち自身や世の中の人々が、かえって人間の生命の真実に目覚め救われていくのだ」という願いと思いをこめられました。


福祉を志す団塊の世代が、当時の理想として憧れた施設でもあり彼女の母親も夢を求めてわざわざ埼玉県から就職したその一人であったようです。
その娘さんが、現在とある児童養護施設に勤められているのですが、なんと今の時代に施設内に住み込みをしているとの話で、これまた驚いてしまいました。

児童養護施設への入門案内として「施設選びのポイント」というHPもあります。
その中で、気にかかるものがありました。

労働条件
 乳児院や児童養護施設で働きたいと思っても、交代制勤務や住み込みなどがあるようなので…と戸惑うのは当然のことです。
 勤務は、どの施設も1日8時間、週40時間勤務となっていますが、休日出勤もありますし、交代制の勤務が基本です。
早番勤務
 朝の6時30分〜午後の3時半ぐらいまでのところが多いようです。

遅番勤務
 午後1時ぐらいから始まり、午後9時や10時に終わります。

宿直勤務
 労働基準法では「週1回まで」となっていますが、今の職員配置基準で守ることは困難です

 正月やお盆なども施設の子どもたち全員が実家に帰るということはありませんので、365日の交代勤務ということになります。
 しかし、交代制勤務は慣れてくると平日に休みがとれるなど、重宝することもあります。


たいていの児童養護施設が職員の住み込みが当たり前となっているようですが、
当然のことにプライバシーは守られず若い職員の回転率が高いことは言うまでもありません。

こんな事件もありました。

<女性保育士>入所少年と性的関係 埼玉の民間児童養護施設 [ 08月21日 11時51分 ]

埼玉県西部の民間児童養護施設で、女性保育士(29)が入所少年と性的関係を持ったなどとして、管理運営する社会福祉法人に対して県が、児童福祉法に基づく改善勧告をしていたことが分かった。施設では男性指導員(26)が入所少女と性的関係を持ったことも発覚。施設は既に、この2人を含む職員計4人を懲戒解雇している。

県などによると、女性保育士は04年春ごろ、休みの日に少年を自宅に呼び出して2、3回性的関係を持った。その後も昨年4月ごろまで自宅で会っていた。この間、別の職員に施設の車で少年を自宅まで送り届けさせたこともあった。少年が指示に従わないと施設などでけったり、体にかみついたこともあったという。今年6月、少年が施設職員に相談し発覚した。

男性指導員は04年2月から少女を自宅に呼んで相談に乗るうちに同4月に性的関係を持ったという。昨年4月、少女が職員に相談し発覚した。

別の職員も侮辱発言 東京・東大和の特養ホーム

2006年 8月10日 (木) 17:21

認知症の女性入居者(90)に対する男性職員の性的な虐待発言があった東京都東大和市の特別養護老人ホーム「さくら苑(えん)」で、女性職員2人が、この寝たきりの女性の体つきを侮辱するような発言をしていたことが10日、明らかになった。人目のない夜勤中に、言葉の暴力が繰り返されていた疑いが強まった。

男性職員の発言と同じく、介護内容に不信感を抱いた家族が録音したテープに記録されていた。今年3月中旬、夜勤でオムツ交換の介助をしていると思われる2人の女性ヘルパーが「この年になってさー、寝たきりでさ、太ってんだからー」「これだけ太ってんだもん」などと、入居者の体つきを侮辱するような会話をしていた。続けて「タチが悪いんだよ」との発言もあった。

入居者の長女(58)は「ばかにしたような発言は処分された男性職員だけでなく日常的にある。再発防止のため徹底的に調べてほしい」と話す。

9日付で就任した足利正哲苑長は同日の記者会見で、性的暴言以外の虐待行為について「推測だが、まだあるのではないかと思う」と認め、近く設置する第三者の人権侵害調査委員会で究明する考えを明らかにした。家族は複数ある録音テープをこの調査委に提出する意向だ。

また家族によると、5月には、ベッド近くに隠していた小型レコーダーを施設に発見され、録音済みテープ2本を没収されたという。内容は聞けず現在も返却されていないが、同苑は「このテープには虐待が疑われる発言はなく、(同室の)入居者のプライバシー保護のため預かっている」と説明している。

近年施設利用者の権利擁護が声高に叫ばれていることとは裏腹に、益々施設は閉鎖的になり問題が潜在化していて、問題が公になるやトカゲの尻尾切りで事をうやむやにしてしまうお粗末な実態を故 糸賀一雄氏が見られたならばなんと言われるのでしょうか。

先日、トイレの窓から外を覗くと目の前の物干し台に翡翠が止まっていて、しばらく美しい姿を堪能させてもらいましたが、30年ぶりに我家の隣を流れる谷川に突然現れた翡翠は、いったい何を啓示しようとしたのでしょうか?

〔第88回〕

■風化。(2006年8月7日)
佐藤さん おはようございます 
暑い日が続きますが いかがお過ごしでしょうか?
昨日は、恒例の広島市内の平和公園に出かけて県内の尺八仲間とともに献曲を行いました。

例年よりも日差しは強く感じ、慰霊碑の周囲の石畳は靴を履いていても焼け付くような暑さでした。
尺八を吹くお仲間約50名余りも殆どが高齢者ですが、
黒い蝶ネクタイに黒ズボンといういでたちで海外から来られたお客様達には奇異に映ったかもしれません。
この日は、尺八の腕自慢をするものもなくひたすら無心で演奏をしながら、
周囲の観客の反応をそれぞれが楽しみにしておられるようです。

平和公園に何かを求めて国内外から毎年たくさんの訪問者がありますが、
整然と管理された平和公園や検閲済みの平和資料館の中には答えとなるものは残念ながら捜しようもありません。

演奏が終わり帰ろうとしているところへ、懐かしいシュプレヒコールらしきものが聞こえてきました。
色とりどりのプラカードを持った団体が周囲を一応警備車に誘導されて平和資料館に近づいてくると
「核持込を許すな!」「○○帰れ!」という声が拡声器から聞こえてきます。
しかし、昔とは何かが違いどこか切迫感がなくサンバのリズムに乗って入場してくるデモ隊らしきものはまるでお祭り騒ぎの様相です。

式典が終わり被爆された方々が帰られたあとであったことが、せめてもの救いです。

■密室。
(2006年8月9日)

佐藤さん おはようございます 
今日もこちらはすこぶる上天気ですが、そちらでは台風の影響はいかがでしょうか?

さて、「東大和市の特養において入居者に性的暴言!」という見出しでマスコミが取り上げていますが、
入居者の長女の相談を受けたNPO法人「特養ホームを良くする市民の会」が7月に都に対して通報したことで、
行政がやっと重い腰を上げたようです。

これまで家族の立場からは、
たとえ虐待らしき様相が垣間見られたとしても家族が人質に取られているのですから、
決して口外することができませんでした。
家庭における高齢者虐待や児童虐待においても第三者が立ち入るということは大変困難なことですが、
あえて英断をされたNPO法人には拍手を送りたいと思います。

昨年の義姉の通所している施設で最近再び転倒事故が起きたとのことですが、
そのことを家族が問題視していないということから、
施設から病院への通院介助を施設側が行うという事で了解しているという話を聞くと、
利用者本人への権利擁護の視点は無いのかと本当に情けなくなってきます。

介護サービスを受けていて事故が起こった場合の相談機関として、
国保連や市町村窓口が紹介されていますが、つまるところはタライ回しをされて
「施設側とよく話し合って示談して欲しい。」ということで家族は泣き寝入りするのが一般的ですが、
今回のように弱者の代理人としてサポートできる第三者としてのNPOが育ってきたことは大変喜ばしいことだと思います。

このNPOのHPを拝見してみるとコムケア仲間である「マイケアプラン・ネットワーク」ともつながりがあるようですね、
このようなネットワークがどんどん広がるよう努力していきたいものです。




〔第87回〕
■退職勧奨。
(2006年8月2日)
佐藤さん 暑い日が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか?
豪雨の時期も過ぎて、やっと庭の小さな池に谷川の水を引き入れることができ、
一番喜んでいるのはこの池で生まれ育ったトノサマガエルの家族達です。
天敵がいないせいか、近づいても逃げようとせず逆に近づいてきてこちらの様子をじっと伺っているので、
ときには踏みつけそうになることも度々です。
 
さて、のどかな自然界とは違ってどうやらリストラの波が田舎の社会福祉現場にも押し寄せて来たようです。
社会保障費の圧縮がもたらす悪影響については、これまで他人事としては聞いてはいたのですが、
実際に身の回りで起こってみるとつくづく構造改革の恐ろしさを感じます。

度々佐藤さんが指摘されている経営者の姿勢にも問題はありそうです。
「私達理事会はボランティアでやっているので・・。」という言葉で責任逃れをしているようですが、
責任のない者が平気で人の職を奪うということ事態が法律違反にならないという、誠に嫌な時代になったものです。

「施設は一体誰のためにあるの?」
 

〔第86回〕
■風化。
(2006年7月17日)
佐藤さん おはようございます 
こちらでは早朝の豪雨がやっとおさまり、続いて蝉の大合唱が始まっていますが、いかがお過ごしでしょうか?

昨日あるテレビ番組の中で、タレント弁護士と称する人が
「我が国は核武装すべきである、被爆国だからという幻想に囚われていたのでは・・・・」
という発言がありとても情けなく思いました。
たまたま番組の台本にそう書いてあったのかもしれませんし、
彼の育った環境がそう言わせたのかもしれません。

原爆の恐ろしさを知ってか知らぬままか
カメラマンの本能として被爆直後に入市して写真を撮り続けたカメラマン達の
訃報が今年も相次いで報じられていますが、
後世に戦争の愚かさを伝えようとした人達の思いは
年月の経過とともにいつのまにか厚いオブラートにくるまれてしまい、
過去のこととしてお蔵入りしていくような気がしています。

30数年前の原爆資料館前で繰り広げられた、デモ隊と機動隊との怒号と喧騒の傍らで、
おごそかに繰り広げられた式典はいったい何だったのだろうか、もしかすると夢ではなかったのかと!

「ホーホケキョ  ホーホケキョ。」のどか過ぎる平和が果たしていつまで続くものか。
ことしも暑い夏がヒロシマにやって来ます。

■想定外!
(2006年7月20日)
佐藤さん こんにちは
こちらでは豪雨の被害が一番の話題となっていますが、いかがお過ごしでしょうか?

昨日、早朝4時頃からの集中豪雨により谷川を流れ出る濁流や転げる岩の音で寝ているわけにもいかず、
起きて気象情報とのニラメッコが朝まで続きました。
市内でも避難勧告が出た場所もあったり、土砂崩れも彼方此方起こっていて床下浸水も何軒かあったようです。

今朝になり川沿いを車で通ってみると、土手の上まであとわずかというところまで水が押し寄せた形跡があったり、
土手を越えて道路や田圃にまで押し寄せた泥流の跡が残っていました。

今回の豪雨は平年の倍ぐらいの雨量があったとのことですが、
地元でも昭和47年の水害以来の豪雨であったと話しておられます。
「風水害が比較的少ないところだから災害対策の必要はない!」と言い張っていた市の幹部達が
「今回の教訓を今後どう生かすのか。」また「災害弱者支援対策をどうするのか。」について
今後問題を投げかけていく良い機会となりそうです

〔第85回〕

お客様は神様!?(2006年7月3日)

佐藤さん こんにちは 
こちらではあじさいの花が満開となっていますが、いかがお過ごしでしょうか?
「安全な介護って何?」というリスク・マネジメントセミナーを秋口に開催する予定です。

何の因果か?講師の一人は義姉の事故の補償ではいいかげんな対応をしてくれたA損保会社の本社より市場開発部次長という肩書きのYさんにお願いをしています。
全国の介護施設に出向いてリスクマネジメントの講師をされたり、介護雑誌に毎月「介護事故Q&A」なるものを書かれていて施設に対しいつも苦言を呈しておられますが、その中で大変面白いものがありました。

Q.マニュアルの手順を守らない職員への対応
 当施設では事務長の意向で、マニュアル化が進んでおり、利用者の安全のために守るべき事が詳細に書いてあります。ところが、このマニュアルの手順を守らない職員を時々見かけます、決まりをまもらない職員に決まりを守らせるにはどうしたら良いでしょうか?

A.マニュアルの手順を守らない理由はつぎのどれかだと思います。
@手順を知らなかったA手順を知っていて故意に破ったB手順を知っていたがつい忘れたC手順が形骸化し、守れるような手順ではなかった

というものですが、施設を保険会社に利用者をお客に置き換えてみてはどうかと思うのです。
次々とこれだけ保険会社の不正が指摘されているにもかかわらず、肝心な自分の会社の足元が危ういことに気付かれていないのではないかと、義姉の後遺症について自賠責B社へ被害者請求をする中から次第に感じてきました。

そもそも今回の事故後の対応についてA代理店の担当者の判断が一番大きな問題を抱えているように思ってはいるのですが、その代理店担当者が「私は保険代理店をする前に自動車販売会社にいたのですが、自動車の営業の時には会社からいつもお客様に頭を下げるよう指導を受けていたのに、25年前の保険会社はお客に対して逆にのけぞっていたので大変驚きました!今では考えられない事ですが、残念なことに今も保険会社にはその名残があることは否めません。」と雑談の中で話してくれました。

会社の信用は一朝一夕で出来たものではないはずですが、その信用を些細な事で崩壊させてしまう人為ミスの恐ろしさをまったく感じることのできない『茹で蛙』の組織となっているのでしょうか?

理不尽。(2006年7月10日)
佐藤さん おはようございます 
今朝のお目覚めはいかがでしょうか?

テレビのある番組で取り上げた事件に対してコメンテーターの一人が「昔は理不尽なものに対しては、家族全体でそのことに対して立ち向かっていたものだ。」いう威勢の良い発言がありました。

果たして本当にそうだったのかどうか少々疑問ですが、この世の中にはありとあらゆる理不尽なことばかりが当たり前のごとくまかり通っていて、身の回りでも弱肉強食の関係がはっきりとしてきたように感じています。

昨日は義姉が入所している知的障害者更生施設において保護者会が中心となって施設内の環境整備があるというので、草刈機を持参しました。
幸いなことに台風の影響もあってか曇天であまり暑い思いをしなくても良かったので助かりましたが、参加している保護者を見回すと半数以上が70歳以上で、残りは兄弟達のようでした。

草刈作業とあって殆どが普段施設には顔をあまり見せない父親が多くどこか居心地の悪い様子でした。
これまで、父親は草刈作業を行い母親は布団作りが恒例となっていたようですが、高齢化の波はどこも同じで施設利用者の平均年齢が50歳以上となると、当然保護者も片親となったり保護者自身が施設へ入所している状況となります。

この施設には保護者会規約というものがあり「環境整備に参加しない保護者はその代償をお金で支払う。」というおかしなものが通用していて、参加できない保護者は「我が子がお世話になっているのだから」と黙ってこれまで支払ってきました。

今年4月の障害者自立支援法制定により施設利用が措置から契約となり、すでに利用者負担金を施設側に支払っているので、まさかこれまでのような保護者や施設利用者への冷遇はないだろうとの思いで参加したのですが、目の前で繰り広げられる光景は残念な事にこれまでと同じ対応でした。

厚生労働省がホテルコストと称して施設利用者の少ない年金から施設利用自己負担金を無理矢理に徴収したにもかかわらず、現場や運営者の認識は全く変わっていませんし、もしかすると変わりようがないのかもしれません。

前日、島根県の松江市で開催された「安全な介護って何?」というセミナーでは、参加された介護施設の職員さんから「久しぶりに初心に戻ったような気がします、利用者との関係で一番大切な事を思い出させていただきました。」という謙虚な発言があり救われる思いがしましたが、もの云わぬもの云えぬ知的ハンディを持った人達の行く末は今後どうなるものか不安です。

〔第84回〕

流転。(2006年6月12日)

佐藤さん おはようございます。
早朝に嫌な夢を見て目が覚め、しばらくして地震が起こりました、震度3とはいえ古い建物のグラつきはどうもいただけません。

さて、毎日これでもかこれでもかと報道される事件の中で、『鬼母』とまで書かれている女性の学童期における周囲の「いじめ」がどうにも気にかかります。
臭い・汚い・不潔だ!ということで学校からも周囲からもいじめを受けていたようで、なぜそのようにならざるを得なかったのか家庭の事情まではわかりませんが、同じような「いじめ」を我が娘も同じように受けていたにもかかわらず、教師や児童相談所がなぜ放置していたのかが疑問です。
事件が起こったあとで、毎度のように平気で釈明会見がひらかれるのですが、所詮他人事としてしか物事を捉えていないからかもしれません。

つぎは『みの・もんた』ならぬ『みのた』さんといわれる方のブログの中から「いじめの構造」の抜粋です。

 しかし、中にはその成長が遅れ、滞る子供もいます。
 特に今の時代、何でも与えてもらえる、
 自分のテリトリーの中に、
 放っておいてもいろいろなものが入ってくるという状況。
 自分で得る努力というものが発達しにくいように思われます。
 世界を広げなくても、外から入ってくるのですから…。
 そういう「未発達」の子供は、当然いつまでたっても自分を動かさず、
 「蹴落とし」のランクづけに縛られた自分中心の世界に生き続けています。
 自分の気に入らないもの、自分を脅かすものを
 力でねじ伏せ、中傷し、追い詰める「蹴落とし」でしか
 自分の他者との位置関係(優位性)を保てないのです。
 そして、その手段としての道具も、苦労もなく簡単に
 手元に揃えることのできる時代…。

 自分を育てることのできない、未発達な子供が生み出す「いじめ」

 更に問題なのは、この未発達な子供がそのまま大人になっているという
 手遅れともいえる現状です。
 現在の社会を見ていても、競争意識がいい方面で発揮され、
 貢献できる「優れたもの」を残せる人々がいる一方、
 相手を蹴落とし、自分の弱点を隠蔽することでしか競争できない
 大人たちも多くいます。
 なぜそうなったか。
 そういう社会を望んだからです。
 自分で苦労しなくても、まわりからものがやってくる便利な社会、
 それを望み築き上げてきたのが今の社会だからです。
 便利になったぶん、更に上のランクで努力すればいいのですが、
 便利に甘んじてしまっているのが堕落の原因でしょう。

 「育自」という言葉があります。
 「育児」は家族や社会といった環境が子供を育てるということ。
 未発達な子供を自立させるために周りが努めること。
 しかし、「育自」は自分で自分自身を育てていくということ。
 「育児」によって成長・自立した大人がすること、
 その「育自」をできない大人がいる。
 彼らは自分を育てることのできない「未発達」な大人たちです。
 彼らを成人と呼んでいいのか、疑わしいばかり。

 「育児」をするには、環境が大切。
 しかし、環境をつくる大人たちが「未発達」ではどうしようもありません。
 大人たちを「育児」する施設というものは、果たしてあるのでしょうか?


〔第83回〕
豊かさ。(2006年5月15日)
佐藤さん おはようございます 体調はいかがでしょうか?
こちらは初夏を迎え、庭の草花も山々の木々もぐんぐんと成長しています。

さて、土・日曜日は尺八三昧を楽しみました。
土曜日は邦楽演奏会へと師匠とともに雨模様の中を県内の吉田町まで出かけました。
尺八の演奏をされていたのは吉田町出身の坂田誠山さん(現在千葉市にお住まい)、一緒に琴を演奏されていたのは樹本佳音里さんです、樹本さんは現在我孫子市にお住まいだそうで、もしかすると佐藤さんもよくご存知の方かもしれませんね。

日曜日は、広島市内において開催された尺八の准師範受験者の楽理講習会へと出かけました。
どちらにも共通するのは、邦楽に対しての危機感です。
これまでの『聞かしてやろう。』式では耳の肥えた聴衆はそうそう集まらなくなり、又演奏者も高齢化しているので、次世代を担う人材育成の必要性を痛切に感じておられるように思いました。

もしかすると、これまでのお金を積めば免状を貰えるというシステムにもどこか問題があったのかもしれません。
最近やっと流派を越えた学習会を彼方此方で催されるようになってきましたが、まだまだ隠れキリシタン的要素は否めません。

ここのところ、山野草の盆栽に目覚めて家の周囲や裏山を見回っていると意外なところに山瑠璃草を発見したり、身近なところに思わぬたくさんの山野草が生えていることに驚かされます。
今日は、お昼の時間に庭に植え戻していたアジサイとユキノシタを裏山で苔を取ってきて小鉢に植えてつけみました、ささやかな楽しみの時間です。


〔第82回〕

辻褄。(2006年4月27日)
佐藤さん こんにちは 
GWはいかがお過ごしでしたか?
こちらでは、家の周囲の草刈や庭木の剪定をしたり山野草をあちこちでいただき庭に植え付けました。
たいがい毎年ボ〜ッと過ごしてしまうので、長男夫婦が帰省するまでになんとか片付けようと毎日頑張りすぎたせいか、後半は少々バテ気味となりました。

さて、連休が終わると先送りしていた問題が目の前に山積していることに驚いていますが、その一つが義姉が通所する施設との利用契約の問題です。
4月までには利用契約書を送ってくるものとばかりに思っていたのですが、4月24日になりやっと施設側から家族に対しての契約内容の説明が行われました。
その後、契約書をよく見ると契約者欄に施設代表者氏名と利用者氏名しか書いてありません。

本来、利用者本人の判断能力が不十分で、契約締結能力がない場合においては成年後見制度の活用によりサービス利用を行うことが考えられますが、
介護保険が始まると同時に生まれた『成年後見制度』の利用について、
国の全国課長会議資料(H13/8/23)では「成年後見制度の十分な活用、普及が図られるまでの間は、 利用者本人の意思を踏まえることを前提に、
本人が信頼する者が本人に代わって契約を行う事も、サービスの円滑な利用を確保するためにやむを得ない場合があるものと考えている。」とされ、
柔軟な対応を行うようにとしています。

しかしながら、4月より施行された「障害者自立支援法」での所得少ない障害者への福祉サービス利用への応能負担は、
まさに柔軟な飴と鞭であり、その飴も塩飴よりももっと激辛の飴です。

にもかかわらず、市の担当者が施設との利用契約について
「今回は、国の事務手続きが遅れたのだから契約が遅れることは仕方がない。」などと平気な顔をして施設側に対して発言したとのことで、
直接市の担当者に「契約を締結しない期間に万一事故が起こった場合は、市はきちんとそのことに対して担保はできるのか!」と尋ねたところ、
数日してから「市としては担保できないので、施設側と話し合って欲しい。」と見事にたらい回しをされてしまいました。

契約書の内容を利用者の立場に立って検討していただくようGW前に施設側にお願いはしていますが、今後どのような契約書が帰ってくるのか楽しみです。

 

〔第81回〕
辻褄。(2006年4月27日)
佐藤さん こんばんは 
ご無沙汰しておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
こちらでは、桜も散って野山には山つつじや山桜が満開となっていて義姉のリハビリを兼ねた朝夕の散歩も苦痛になりません。

さて、今日の朝刊に『障害者年金不支給418件』というものがあり驚いて記事を読んでみると、
障害年金ではなく障害者の保護者が掛け金を支払って加入し、
保護者が亡くなったときに申請すれば障害者本人に支給されるという『障害者扶養共済制度』のことでした。

毎度のことですが、マスコミ業界の表現の強引さには本当に参りますね!
以前いくら「知的ハンディのある人達です。」と説明しても、
記事では『身体障害者』と平気で書く記者がいましたが、全く聞く耳持たずでどうしようもありません。

昨年、突然県の障害者担当課より扶養共済に関する通知が来て、
そういえば我家も加入していたのだな〜という位にしか感じていませんでした。
確かに義父が生前知的ハンディを持つ我が子達のために義母名で毎月掛け金をしていたらしい証明書は残ってはいたのですが、
20年以上継続加入している保護者に対しては掛け金を免除する規定があるので、
掛け金をした保護者が亡くなっていると周囲のものにはなかなかわからない不思議なシステムです。

また、扶養共済制度について保護者全員に衆知されていないという点でも、申請主義の悪幣を感じずにはいられません。
制度を管理するはずの福祉医療機構の担当課長が
「これまでは各自治体が加入者の状況を把握していると考えていた。」などと逃げ口上を話しているようですが、
これまで障害者本人が亡くなっていても充分把握できていない場合があるにもかかわらず、
ましてや保護者が亡くなった事をどうやって各自治体がキャッチできるのか矛盾だらけです。
 

〔第80回〕
音叉。(2006年4月8日)
佐藤さん おはようございます 
こちらは春の嵐です。

さて、先週出先で知人より「【隣家からの延焼によりかろうじて火事から免れた愛用のピアノを誰か譲り受けてはもらえまいか】、という相談を受けたのだが、なんとか協力して欲しい。」との連絡が入り、たまたま近くにいたので早速ピアノの持ち主宅まで出かけて行きました。

出火した隣家はすでに取り壊されていて、ピアノはビルの3階にあるとのことで古いビルの薄暗い階段を上がっていくと、他の部屋の天井は殆ど焼け焦げ落ちていて出火当時の大変さを物語っていました、かろうじてピアノの置いてある部屋は助かったとのことです、それでもピアノの蓋をあけてみると白い鍵盤が少し煤けていました。

ピアノの持ち主が小学生の頃に弾いておられたとのことで、嫁入りの時一緒に持参された思い出の品だそうです。
親しいピアノ調律士のOさんにそのピアノについて話をしたところ、「それはたぶん戦後に広島県内で作られたピアノだと思います、すでに会社は浜松に移転しているようですが、珍しいピアノですよ!県内のある公民館からピアノを欲しいという話を聞いているので、すぐに連絡を取ってみます。」とのことで、その日の内にピアノの引越し先がほぼ決まりました。

と、文章でかけばアッ!というまにもの事が決まったようになるのですが、実際は私の見知らぬ数多くの方々が間に入られていたとのことでした。
昨日午後からいよいよピアノの移動日となり、県内の各地からボランティアとして運搬していただくOさんやなんでも屋のFさんと携帯で連絡を取り合いながら、福山市内の本通りにあるビルの前に集合しました。

すでに、ピアノ運送業者が3階から人力でピアノを階下まで下ろされていた状況で、あの重たいピアノを体格の良い若者2人で首からバンドを引っ掛けてヨイショ!ヨイショ!と長い階段を無事降ろされたようです。

さて、それからが私たちの出番です!ピアノ調律士のOさんの愛車『明神丸』に乗せ換えます。
ピアノ運送業者の手伝いもあって、意外にも簡単に無事移動も完了し、ピアノの持ち主にお礼を言って帰ろうとすると「どうしてでしょう、まるで娘を嫁に出すような寂しい気持ちがします。」とのことで涙を流してお別れをされました。

OさんとFさんが午後4時からは地元のケーブルテレビで今週末のピアノコンサートの取材があるからとのことで、大急ぎで一路ピアノの受け入れ先の公民館へと3台の車を連ねて向かいました。

現地の公民館に到着したのですが、大きな建物に人影が見当たりません、グルッと一周していると管理人らしき方の姿をやっと発見できました。
「市役所の担当者が来られるので、しばらく待って欲しい。」とのことで、少しして2人の担当者が現れました。

早速、明神丸から建物への移動となりましたが、Oさんを除いてまったくの素人ばかりなので、Oさんがピアノの移動方法を事細かに体と口を使ってシュミレーションされます、その通りに6人がすばやく動き何度も方向転換をしながら、やっと定位置に移動できました。

ピアノを分解していくO氏のすぐ傍で、市職員がなにやらごちょごちょ話しています、よく聞いてみると「古そうなピアノだなぁ〜、もっと綺麗なものかと思っていたのだが・・。」などと御託を並べています。

『こら〜!楽器は見かけじゃないんだぞ〜、君達はこの時間も給料が貰えているのだろうが、今日の移動するまでの時間・電話代・交通費・食事代全部自腹でやってるんだぞ〜。』と言いたいところをグッっと我慢して「つまるところ、このピアノは公民館に置いていただけるのでしょうか、ピアノの持ち主もそのことを一番気にされていましたので。」と切り出すと、年上の上司らしい担当者が「これから市への寄贈の手続きを進めて、寄贈者ともぜひ連絡を取らせていただきたいと考えています。」と私の剣幕に驚かれたのか丁重に答えられました。

Oさんは大好きなピアノ調律の仕事が入ったのでルンルンです、そこで前から疑問に思っていた事を尋ねてみました。
「最近は邦楽楽器の調律も調律笛や音叉ではなくチューナーを使ってやるようになりましたが、どうしてOさんはいつも音叉を使って調律をしているのですか?」と聞くと「ピアノは、木と金属とでできているのでどれも同じだと考えてしまいやすいのですが、どのピアノも置いてある環境が違い室内の温度も湿度も違うわけです、最近のチューナーは誰でも使えて一見便利は良さそうなのですが、機械モノだからそういった融通性に欠けるところがあるわけで、結局音叉が一番それぞれの土地の環境に合うということなのですよ!」との回答をいただきました。

なるほど、最近やたらにディサービスの表示をしたワゴン車が高齢者や障害者を乗せて街中をたくさん駆け回るのが気になっていたのですが、本来一人一人違う個性や住居環境などを一切考慮せず、一同に集めて福祉もどきを一方的に押し付ようとする福祉政策の異常性が音叉のおかげで理解できました。
「チ〜ン!〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。」


〔第80回〕
今夜がヤマ!(2006年3月31日)
佐藤さん こんばんは 
今年はいつまでも雪が降り裏山の頂上付近は真っ白です。

さて、日曜日の朝、15歳となる老犬ガクと義姉を連れてリハビリ兼散歩をしようとしたところ、途中でガクが立ち止まり動かなくなりました。
その日は一日中殆ど眠っていて、夕方になり晩御飯を全く食べないとの奥さんの声で、すぐになじみの動物病院へと向かいました。

冬場はずっと家の中で寝ていたのに、前の晩にもう春だから大丈夫だろうと犬小屋に寝かせたので風邪でもひかせたのかと思っていたのですが、血液検査の結果フィラリアが原因と判明しました。

要するところ、血管の中で寄生虫が増殖したことと老化も伴い血流が悪くなって心臓への負担が大きくなりすぎて動けなくなったのだろうということでした。
また、以前農薬のかかった道端の草を食べて急性肝炎となった後遺症からか肝機能も異常値を示しているとのことで、突然死の恐れもありうるので、あまり心臓に負担がかかるような無理な散歩をしないようにと注意を受けました。

その後も体調は日に日に悪くなる一方で毎日通院していたのですが、本日は一日食欲もなく排泄もないために夕方通院して体温を測ると34度だとのことで、「犬の平均体温である38度からすると、心臓機能低下のためにかなり低温となっているので、そのために食欲も全身の動きも鈍ったのだろう。」とのことでした。

その後「残念ですが、今夜がヤマ場になるかもしれません、どうか体を冷やさないようにしっかり暖めて上げて下さい。」と宣告を受けました。
ということで、メールを打つ私のすぐ傍でガクが横たわり時折首を動かしながら眠っています。

ガクが畳の上で寝るのは、腕白だった子犬時代以来ですが、つくづく人間のワガママに長い間よくも付き合ってくれたものと感謝するばかりです。
できることならば、ガクを一番可愛がっていた千葉に住む長男に会える日まで元気でいて欲しいものです。

〔第79回〕
弱いものイジメ。(2006年3月12日)

佐藤さん おはようございます 
いかがお過ごしでしょうか。
ここ2日ぐらいの暖かい日差しで急にたくましい雑草達がぐんぐんと伸びてきました、人間もこうありたいものですが。

さて、「成年後見制度市民養成講座」も昨日2日目が無事終了しました。
司法書士・行政書士・社会福祉士などから後見制度について説明を受ける中から、制度の問題点が少しだけ見えてきました。

成年後見制度自体は大変よくできたものだと思うのですが、その制度を活用するためには、申立て費用が約15万円後見人に対する月々の報酬が2万5千円程度かかるというのですが、今年4月から施行される『障害者自立支援法』とともに大きな問題を含んでいるように感じています。

次は、あるHPからの抜粋です。
http://www.j-il.jp/jil.files/daikoudou/akinokoudou/siryou1-0508.doc

生活貧困者にさらなる打撃:定率(応益)負担
定率負担(応益負担)とは、その人の所得に関係なくサービスを利用した分だけ支払う仕組みです。現在議論されている支払い金額の上限は、次のとおりです。

生活保護世帯       負担なし
市町村民税非課税T  15,000円/月 (年収80万円未満)2級年金の人等
市町村民税非課税U  24,600円/月 (年収80〜300万円)1級年金の人等

一般         40,200円/月 (年収300万円以上くらい)

現在支給決定を受けている障害者は、18%が生活保護世帯、77%は収入が年金だけの世帯で、所得があって費用を払える人は5%しかいません。このように支援費を使っている障害者の95%は低所得者層です。月に8〜11万円程度の年金や手当だけで生活しているので、毎月2万5千円を払ったら生活していけないが、払わなければサービスが受けられないという明らかな矛盾がおきます。

精神障害者の通院公費負担についても、現在の5%負担から1割〜3割負担になるといわれています。これは、精神障害者で福祉サービス利用者の42%が生活保護受給者であり、多くの障害者が低所得者層にいるという実情をまったく踏まえていません。所得保障のための施策を実施せずに、負担のみを規定する改革を実施するならば、精神医療を安心して受けることができなくなり、症状を悪化させる危険性があります。12月の社保審・障害者部会では、生活保護への流入を避けるため、減免措置を講じるということが示されています。しかし、減免措置はこの問題に対する根本的な解決にはなりません。

先般、県からの『障害者自立支援法』に関する説明会の中で、担当者より「厚生労働省は、障害者基礎年金からさまざまな福祉サービス利用料を引いた残りが小遣い銭として2万5千円程度が残れば良いという試算をしているようである。」との話がありました。


しかし、本来の障害者基礎年金の目的は『障害者の生活の安定に資するために支給される。』はずですが、今後最低限の生活さえもままならぬということになると、成年後見制度を利用することなどまさに絵に書いた餅となります。

問題を抱えた社会福祉法人が、障害者施設に入所する障害者の保護者に対して「障害者基礎年金から施設へ寄付をして欲しい。」との要請をしたことに対して、これまで「脱法行為である。」として監督する立場にあった厚生労働省が、構造改革の名のもとに手のひらを返してこのような横暴な弱者イジメをすることをなぜ放っておくのか、社会の2極化に益々拍車をかけているようです。

力を抜く。(2006年3月15日)
佐藤さん こんばんは 
こちらは3月半ばというのに家の周囲は真っ白な雪が積もっていて、今夜も冷え込んでいます。

毎週火曜日、地元の公民館に尺八仲間が集まって練習をしています。
いくらストーブを焚いても暖かくならない部屋の中で2時間半あまり、一生懸命鳴らない尺八とそれぞれが格闘しています。

どうすれば、尺八がうまく鳴るのかをHPで検索していましたら、『尺八瞑想道場』というある坊さんが鳴らない剛竹と名づけた尺八との奮闘ぶりを見事に表現され、日々尺八で悩まされる人達の心を少しばかり癒してもらえるものがありました。
その一節です。

一つのものに善い物と悪いものが同居する特に人間の心がそうだろう。
楽器にだって良い音と良くない音がある。

それは奏でる者の技巧にもよる人間の心の善悪は悪を出さずにおれば善が表側にあり悪を仕舞っておける。
しかし尺八の場合は良い音を出そうと思っていても良い音が出ないものだ。
それどころか、どんどんと嫌な音が出て求める音は何処へ行ってしまったのやら
人間の求める心と欲望とは一個のボールのようなもの、一線を引くようなラインが無い。

常にコロコロと転がっているようなもの尺八を習い始めた初心の頃が懐かしい
微かな音にでも悦びを露わにした頃
月に影を投げかけながら吹いた頃
虫の声に焦がれて詠った頃。

尺八は不可思議な楽器だ。
そそげばそそぐほど弄ばれて
熱くなれば熱くなるほど翻弄されて
吹けば吹くほど機嫌を損ねる
法器と扱って居士の真意は其処に有った。

本人の了解!(2006年3月16日)
佐藤さん こんにちは こちらは今朝から雨模様です。
昨日は、障害者自立支援法と介護保険改正の県からの説明会があり広島市までオンボロ車で出かけてきたので、今日の春雨は丁度良い骨休みとなっています。

さて、お昼ご飯を食べていると自宅へひょっこりと顔見知りの在宅で知的ハンディを持つ人が訪ねてきました。
突然!「なんでも、今度は4月から食費も送迎費用も自分で払わないといけないんだと家族が施設から聞いてきたようだが、なんでこれまで支払わなくてもよかったものを急に払わなければいけないのか!!」と顔を紅潮させて興奮した口調です。

しばらく聞いていると、どうやら本人の勘違いもあるようですが、行政や施設側が保護者に対して『障害者自立支援法』の説明会を行ったようですが、昨日の現場の本職への県からの説明会でさえ未消化の内容ですから、ましてや福祉制度や関係法律に疎い保護者に対して説明を行ったとしてもかなり未消化ではなかったかと思います。

支援費が始まってからは『契約については、福祉サービス利用者本人の同意を得る。』と社会福祉法の運営基準には書いてあるのですが、残念なことに知的障害者施設の多くは、「本人はとうてい理解できないだろうから。」と勝手に解釈して、措置時代の名残からか保護者だけの同意で全てを決めている状況があります。

デンマークの知的障害者コロニー利用者の保護者から生まれた『ノーマライゼーション』の真の意味を、我が国で本当に理解できるようになるまでには、まだまだ時間がかかるのかもしれません。
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〔第78回〕
混迷。(2006年3月6日)
佐藤さん こんにちは 
こちらでは昨夜から土砂降りが続いています。

さて、佐藤さんの最近のブログに『議論』について書かれたものがありましたが、ふと以前買ったものの本棚にしまい込んでいた『議論に絶対負けない法』ゲーリー・スペンス著(副題/全米ナンバーワン弁護士が書いた人生勝ち抜きのセオリー)という本を思い出し、開けて見るとここにもよく似たようなものがありました。
この本は以前ベストセラーとなったようですが、この本の内容もさることながら巻末部に訳者である 国際弁護士 松尾 翼さんが次のように書いています。

「正直に言って、私は羨ましい。種々の批判はあるにせよ、アメリカの司法制度と比べ我が国の裁判制度を見ると、その実務の実態は、特に刑事事件では.職権主義的に、裁判官、検察官主導型になっている。弁護士の主張と立証が弁護士主導型になっていないわが国司法制度の実情のなかで、私は時として絶望的な思いにかられることがある。」

「それに対してアメリカでは、法律にまったく素人である12人の陪審員の面前で、、連日集中して証人尋問し、かつ尋問が全部終わるとすぐに、それまでの立証活動の結果を要約して最終弁論をすることができる。裁判官は厳正中立なアンパイアで、弁護士と弁護士、弁護士と検事が火花を散らして論証と説得の技術を駆使するのを監督し、要約する。このような司法制度と、アメリカの社会構造の要請もあって、本書は『議論』に必要欠くべからざる、知恵の宝庫となったのである。」

昨年重度の知的障害をもつ義姉が転落事故に遭い、そのことから門外漢であったはずの私が、、弱者の権利擁護法的支援のための「成年後見制度」や「高齢者虐待防止法」の中にまで足を踏み入れることになったわけですが、いくら法整備がされても実態には厳しいものがあるということをつくづく感じています。

このたびの転落事故で弱者救済の最後の砦ともいうべき、県福祉サービス運営適正委員会に対して苦情申立てを行い、適正且つ公平な判断を期待したものの、我が国の裁判制度のコーピー縮小版ともいえるようなお粗末な対応に、驚くやら呆れるやらでこれでは勇気を振り絞って苦情を申立てた人が、泣き寝入りするのも無理はないことがよくわかりました。

さまざまな分野での地方への権限委譲という一見誠にきらびやかな宝物ではありますが、うまく公的責任を放棄したツケが今後弱者に次々と回ってきそうです。
ご参考までに、隣県の「リーガル・サポート岡山」が作成された『高齢者虐待への提言』は本当によくまとめられていると思いますので、時間が許すようでしたら一度ご覧下さい。

〔第77回〕
亡国。(2006年2月23日)
佐藤さん おはようございます 
家の周囲の雪も消えて雑草たちがいよいよ芽吹き始めました。

さて、今週は介護講演会や権利擁護セミナーなどという無機質な集まりの中にいたので、
昨日は久しぶりに近所で失業中の若者に運転をまかせ
来月開催予定の『市民後見人養成講座』の案内も兼ねて助手席に座り中国山地の山道をドライブしました。

この若者は以前生協で宅配をしていたことがあるので、裏道小道も良く知っていて普段私が通ったことも無い道を走ります、
山間部に近くなるほど道路近くの家々の屋根が昨年の豪雪でたくさん壊れていて、空家の破損が特によく目立ちました、
また急斜面にある田圃や畑などの耕作放棄地も目立ちます。

山の中に突然!大きな道路やトンネルが現れて何度も驚きましたが、
しばらくするとまた細い道路となり計画性の無い土木行政がここでも相変わらず続いているようです。
人気の無い場所にある道の駅と称する大きな建物も閑散としていたり、
道路の左右に時折現れるさまざまな大型農業施設も活気がありません。
市町村の広域合併がいっそう拍車をかけているのかもしれません、
各町で似たような施設の建設になぜ国は無駄銭ともいえる税金を注ぎ込んだのかどうにも理解できません。

基地移転問題でも、岩国市議会は代替策での取引を考えているようですが、
このことは名曲「春の海」で世界に知られる鞆の景観を台無しにした芦田川河口堰問題ですでに実証済みにもかかわらず、
再び同じ暴挙の繰り返しを行おうとしています。
どうも人間の欲深さが取り返しのつかない方向に益々進んでいるような気がします。

〔第76回〕
カメムシの体感温度。(2006年2月16日)
佐藤さん おはようございます 
春が近づいているのでしょうか、カメムシが彼方此方に出没し始めました。

さて、いつもブログを拝見し似たようなことを日々感じております。
義姉の転落事故後の施設・損保会社・福祉サービス運営適正委員会それぞれの対応を見ていると、
それぞれが自分の立場や組織を守ることばかり執着していて、表向きでは弱者のためになどといくら奇麗ごとを並べたところで、
闘う術を持たぬ肝心の弱者の痛みはとうてい理解できないようです。

このような構図は強者と弱者という構図がある限りどこにでも起こりうることなのでしょうが、
判断能力が不十分な人を支えるための法律上の制度「成年後見制度」にも、どこか似たような冷たさを感じています。

確かに、弱者の権利擁護という建前は素晴らしいのですが、
弱者を取り巻く人達が果たしてどこまで弱者を理解しサポートできるのかが大きな疑問ですし、
どうもスタンスが強者側に傾いているように思うのです。

人間よりも経営を優先するある航空会社の報道を見ていると、
これまでの歴史のどこかで本来一番大事にしなければならないものをどこかで取り違えてしまったのではないかと思います。
もしかすると、人間よりもカメムシのほうが危機管理能力は優れているのかもしれません。

潤色。(2006年2月18日)
佐藤さん おはようございます 
風邪はいかがでしょうか!?
今朝は、昨夜降った雪と霜とで家の周囲は真っ白です。

さて、昨日滋賀県で起こった幼稚園児の殺害事件はさまざまなことを考えさせられますね。

田舎独特のなんでもかんでも集団で行動するという押し付けは地元で生まれた人にとっては当たり前のことかもしれませんが、
他県や今回の場合のように外国から来た人となると習慣や考え方も異なるモノがあるということを周囲も理解する必要があると思うのですが、
個人の意見を述べるとすぐさま圧倒的多数から村八分になるという厳しい現実があるのではないでしょうか。

また、幼稚園や学校でたまたま保護者会役員となった人が幅広い見識や心の豊かさを持っていれば良いのですが、
平素もの云わぬ住民が突如豹変して自分の価値観をここぞとばかりに普段のうっぷんをも含めて我が物顔で強行に押し付ける場面もあったり、
また行政職員や議会議員が本来教育現場や保育現場については門外漢であるにもかかわらず、
子供達の将来を見据えた考えも持たぬままその場の成り行きや多数決また自分の利害関係が目的で
強引に押し切り困った恐怖政治を行うことも度々あるようにも感じていますが、それに対するブレーキがないのは何故かがいつも疑問となっています。

今回は自家用車に他人を乗せることを、教育委員会や幼稚園側が奨励していたということですが、
万一事故が起こった場合の責任を明確にしていないと点ではいいかげんさも感じます、
本来の公的責任を個人の責任にされたのではたまりません。
学校行事以外の、スポーツクラブや塾通いでも保護者の当番制があるようですが、どこかが変です。

『悪い人から子供達を守るために』という関係者の過剰反応の裏側に、
そのことを上手く商売に結びつけてニンマリしている人達がいる不思議な国です。

〔第75回〕
お風邪の具合はいかがでしょうか!(2006年2月9日)
佐藤さん こんにちは 
こちらは連日雪が降り雪かきの毎日で体中が悲鳴を上げているところです!

家の周囲の雪は20cm程でたいした事はないのですが、
自宅から本道へ出るまでの道に除雪車が入ってくるのは深さ25cm以上という基準があるので、
100mあまりをスコップと除雪道具を使って汗をかきながら約1時間ほどかけて除雪しています。

昨日、庄原市内の中心部にある新聞屋さんにお邪魔しているところへやってきた重装備のおじさんが
「この辺は雪が無くていいですね、我が家の周囲は50cm程の雪が積もったままで
年末に降った雪が屋根の頂上部に積んである瓦を根こそぎ落としてしまったので瓦屋さんに電話をしたのですが、
大変な数の被害を受けた家が多いので修理がいつになるかわからないと言ってましたよ!」と笑っておられました。

さて、「弱いものイジメ」のお話しですが、
今回の義姉の事故による損害賠償について半年経過した今も相変わらず保険会社との交渉が続いていますが、
HPを検索してみると事故による被害者であるにもかかわらず保険会社の出し渋りにあって長期間賠償金が支払われず、
兵糧攻めの結果やむなく保険屋の言いなりとなって示談交渉をしているというものがたくさんありました。

全ての保険屋さんにそのような体質があるとは考えたくないのですが、あまりにも優しすぎるコマーシャルとの格差に驚いています。
あるHPに次のようなものがありました。

16万件67億円と説明されていた損保不払いは、増え続けています。
100億円を超えるのは時間の問題です。
「60kmのところを67、8kmで走っちゃった?」東横インの謝罪会見ですが、
損保はやはり大人ですから、大手5社の役員が頭を下げ、171名の処分を発表して謝罪しています。
しかし、金融庁の業務改善命令には、「システム障害」 の言い訳で乗り切りました。
右手で保険料を領収し、左手で保険金を払っていたとして、システム障害とは左手が悪かったと説明しているかの如くです。
これなら、「100億円払うとこ、知らん顔して払い渋ちゃった! だって、契約者が請求してこないんだもの?」
このように説明してくれれば叩き甲斐があったのですが?


〔第74回〕
ストレス解消!?(2006年1月30日)
佐藤さん こんにちは 
昨日は介護福祉士試験のために早朝広島市内のとある女子大まで出かけてきました。
この会場は始めてだったのですが、正月の神社参拝のようにぞろぞろと歩く人波に乗り無事目的地に辿り付くことができました。

高台の上にある試験会場に掲示してある貼り紙の受験番号を見るとどうやら2000人あまりの受験生が近県からも集まったようで、足の踏み場もないという状況です、
それぞれの受験番号を確認して自分の教室へと入ります。

周囲を見回すと女子高校生もいれば、介護現場のお局さまらしき方もおられ役60名位が一部屋の中で受験することになるようですが、
それぞれが緊張をなんとか解きほぐそうとしているのがよく伺えました。

さて、試験の内容よりも試験終了後に3階の教室から一階まで降り一歩足を踏み出そうとした時に、異様な光景を目にすることになりました。
50名位の現場職員らしき人達ばかりが一角に集まりたばこを吸っていてその煙がもうもうと立ち上がっているのです。

試験が終わりほっとされたのでしょうが、時折他の施設を訪問するときにも休憩時間に部屋の外に数人の職員が集まりプカプカたばこをくゆらしている姿をよく見かけます、
女性蔑視だと叱られるのかもしれませんが、どうも若い女性の喫煙する姿はいただけません。

「たばこ依存症」について、それぞれ充分な知識があるのはずだと思いたいですし、
今回の介護福祉士試験の課題でもあった医学一般・精神保健・介護概論等においても介護従業者の安全と健康管理についてはくどいほど書かれていたはずですから、
理屈ではわかっているのでしょうが、そこがニコチン中毒の怖いところかもしれません。

良きアドバイザー。(2006年2月3日)
佐藤さん おはようございます 数日前からノートパソコンの電源ボタンが正規の位置より奥に入り込み昨日にはとうとう電源が入らなくなってしまいました。
パソコンオタクの知人やパソコン・ショップにどうしたものか連絡をとってはみたのですが、「メーカーに修理に出す以外に手はない。」とのつれない返事ばかりで、思い切って寄贈先であるNPOに電話をして状況を説明しました。

しばらくすると、「現物を見ないことにはよくわからないのはっきりとしたことはいえないのですが、一度私が指示した通りに自分で分解して見られると原因がよくわかるのではないかと思います。」とのことで、元々機械オンチの私がエイヤッ!とばかりに恐る恐る指示どおりに分解してみました。

パソコンのキーボード部分は表面上なにやら精巧そうにできているように見えて、とても素人には手に負えないように感じていたのですが、バラしてひっくり返してみると、なんとその原因がわかりました!

要するところプラモデルの部品でいえば接着部分が外れていただけのことだったのです。
早速、瞬間接着剤308円也を買い求めて接着してしばらくすると、あ〜ら不思議見事にパソコンが蘇ったという次第です。

物事というものはこのようなものかもしれません、表側だけから見ていては複雑怪奇で理解できそうもないことが、舞台裏に回れば案外にも意外なことが原因だったりするということがよくありますが、それぞれの道に卓越した人達のアドバイスを大切にしていきたいものですね。


〔第73回〕
痛みのわかるひと。(2006年1月22日)
佐藤さん こんにちは 
先程千葉に住んでいる長男から15cm位雪が積もっているとの電話がありました。
本日は、昨日届いたメーリングリストに市川市の親の会のすばらしい活動がありましたので紹介したいと思います。

アメリカでは各州に知的障害者の権利擁護に取り組むPA(prtection&advocacy)という団体があります。
連邦法に基づいて設立されているもので、運営費には州からの補助金が充てられています。
各州によって活動はさまざまですが、イリノイ州では相談事業・法律相談・人権侵害に対する調査と勧告・制度改革訴訟・ロビイ活動と政策立案・マスコミ対策、など広範な活動をしています。
場合によっては補助金をもらっている州当局を相手に訴訟を起こすこともあります。
残念ながら日本では障害者の権利を定めた法律もなく、このような権利擁護機関もありません。
そこで、私たちは市民による権利擁護ネットワークを広げていくためにPA活動を始めました。
資金も権限もありませんが、イリノイ州のPAのような活動を目指して少しずつ取り組んでいます。
PA札幌、PA大阪、PA神奈川、PAちば…など各地でネットワークが広がっています。

昨年、11月26日に市川市医師会と親の会共催の第3回医療セミナーを開催したのですが、
その時、聞きに来てくれた埼玉大学3年生の松井さんという学生さんから、そのレポートが届きました。
実は、セミナー終了後、1週間あまりで届いていたのですが、私がさぼって、今頃の報告になりました。
とてもよいレポートで、学生さんの瑞々しい感性が溢れていて、こちらが伝えたいということをきちんとキャッチしていくれていて、それをやさしい言葉で書いてくれています。
ご当人の了解のもと、添付します。
このところ、こんな学生さんにあうチャンスが続き、これからの福祉に期待がもてる思いです。
彼女は、社会学部に所属しているのですが、知的障害者についての勉強は殆ど、していなかったそうです。

*松井さんのレポートをお読みになりたい方は折口さんにご相談ください。
とてもいいレポートです。(佐藤修)

ニュース性とは!〔第二弾〕(2006年1月24日)
佐藤さん こんばんは 
今日も寒い一日でしたが、いかがお過ごしでしょうか。

さて、先程地元の新聞社の支局長に「毎度資料を送るのだが、まったく掲載されないのは何故か!」と尋ねたところ
「ニュース性のないものは、新聞は回覧版ではないので公共性・社会性のあるものでないと掲載できない。」とうまくかわされてしまいました。

そこで「ニュース性とはなんぞや!」とばかりに意気込んでインターネットで検索していましたら、
なんと昨年のCWSコモンズのブログが出てきました。
『折口日記』を振り返って反省できるのも佐藤さんのおかげです。

今日は、銀行に出向きATMの前にお客さんがたくさんおられて最初から嫌な予感がしてはいたのですが、
午後3時となり振込みができないまま帰宅するという失態をしてしまい、銀行の対応の悪さについて奥さんに話したところ、
「いつも言っているでしょう、相手が悪いのではなくて自分が充分ゆとりを持って出かけなかったのがいけないのでしょう、
ヒトを責めるばかりではなく自分についてもっと考えたらどう!」と、またしてもたしなめられてしまいました。

まさに、天に唾すればナントカかもしれません。

〔第72回〕
蛸の足。(2006年1月16日)
佐藤さん おはようございます 
きょうは爽やかな朝を迎えています。
家の中の掃除を毎日続けていて、ふと外気が入り込む部屋と締め切った部屋との臭いの違いがなんとなくわかるようになりました。

どちらかといえば寒がりで毎年部屋の隙間という隙間を塞いで回ることに意識を集中していたのですが、
逆に部屋の窓を全開して掃除をしたほうが気分も良く、毎年鼻水に泣かされていたのがウソのように改善されています。

さて、今朝のテレビ番組で平成市町村大合併は住民サービスの低下になると拒否した小さな町を取材したものがありましたが、
日曜日や正月も窓口業務だけは受付けたり、人件費圧縮のために町長自らの給料を減らしたり、
非常勤雇用も無くする方向で現在いる職員を最大限活用して住民サービスに努める方向で頑張っているという内容でした。

それに引き換え、我が市では合併による弊害があちこちに現れ始めています。
例えば年末からの大雪による雪害で屋根や軒の被害がたくさん出ているのですが、
市が「100万円を限度に住民に融資をすることにした。」との広報に対して、早速知人が土曜日に早速庁舎に出向いたところ、
「本日は休館のために月曜日にお越し下さい。」と追い返されたとのことでした。

知人が「どうして公務員は土日に休むのが当たり前となっているのだろうか、
民間であれば土日であろうが夜間であろうがお客さんから電話があれば、すぐに飛んで行くのだが・・・。」
横から知人の奥さんが「そんなことを言っても、そこが公務員と民間の違いだから。」と、なんとなくスッキリとしないまま会話が途切れてしまいました。

今朝も、合併した同じ市内にある雪深い町でひとり暮らしの80代のお婆さんが軒先で雪の下敷きとなっているのが発見され死亡が確認されたと報道していますが、
この寒い外気とは別世界の庁舎の暖かい部屋のなかでワイシャツ一枚で仕事をする公務員を育成してきた責任はいったい誰にあるのでしょうか。

クライシスマネジメント。(2006年1月18日)
佐藤さん こんにちは 
いかがお過ごしでしょうか。
昨日は県の担当課から障害者支援費の説明会があるとのことで沿岸部まで出かけてきました。

支援費改正のポイントは社会福祉法人の入所・通所施設には相変わらず厚遇で、在宅支援
サービス事業者や利用者本人に対してはこれまで以上に冷遇をするという内容で、宮城県の
元浅野県知事が求めていた入所施設解体については全く無視したものとなっていました。

各圧力団体の言い分をよく取り入れて改正したことは一目瞭然ですが、肝心の利用者主体と
いう部分はどこにも見当たらず、やはり相変わらず施設側主体の構造は変わりそうもありません。

例えば利用者が施設を休んだ場合、これまでの施設に対する支払いが月払いから日払いに改正と
なるための防衛策として、「入所利用者定員枠を越えてもOK!」「職員の定数の増減についてその日
の利用者数に応じて変動可能!」などとする旨の説明をしていましたが、あくまでも施設経営安定?
を根本に据えて考えただけのものであり、利用者の安全についてはなんら考えたものではなく、今後
ますます施設内での事故が起こりうることは間違いないように思います。

先般の『長崎県でのグループホームの火災』についてあるHPに次のような投稿がありました。

2日前に、テレビで火事のニュースが放映されていた。
ショックだった。なんとグループホームで火事が起こり、7人が死亡したと言う。
原因ははっきりしていないが、利用者のタバコの火かということだ。
私も頭の中でシュミレーションをしてみた。
火事になったら、何人の利用者を助けられるか???
一人夜勤でみんなを助けろというのは、不可能である。
おまけに、グループホームは大型施設と異なり、スプリンクラーの設置は義務付けられていない。

グループホームの利用者はいろいろなレベルの人がおり、自立歩行が出来ない人ばかりのグループホームもある。
そうなると、火事や地震が起こると助かるはずがない。
火事は気をつければ起きない可能性はあるが、地震はそうはいかない。
小規模施設が今は注目されているが、多方面で課題も多い。
今回の事件は、年の初めからそれを強く認識させてくれた。
長崎県の長寿社会課は夜勤体制を見直すらしいが、どう見直すか楽しみである。
小規模施設の建築基準をもっときびしくする必要もあると思う。
小規模だと、誰でも運営しやすいのか、いろんな業者が参入してきている。
これは考え物である。
早く、国も危機感を持って規制すべきである。
介護の質はめちゃくちゃだし・・・
私の知っているグループホームがそうである。
いつも犠牲になるのは、世の中の弱者ばかりだ。

〔第71回〕
徒労。(2006年1月11日)
佐藤さん こんにちは 
きょうは朝から天気も良く雪がかなり融けてきました。

昨日、馴染みのお家へお邪魔したところ「実は昨夜『社会保険事務所からきたものですが、
娘さんに国民年金の未納があるので、至急この納付書で支払うように』という大変高圧的な態度をとられたのだが、
いったいどうしたものか!」という相談を受けました。

早速自宅に帰ってインターネットで検索してみると、そのままの『社会保険庁職員騙り詐欺』というものがありました。
あるときは社会保険庁また社会保険事務所の職員と名乗ったり、日本債権センター・日本債権調査組合等と名乗る場合もあるそうです。

大抵は電話で年金の未納保険料の支払いを求める手口が多いようですが、大胆にも直接訪問するという騙り詐欺の手口だったようです。
一週間前から、金投資や浄水器などの電話勧誘が何度もかかり個人情報を聞き出そうとするので、
おかしな電話があるものだと思っていた矢先に、とうとう知能犯が現れたのではないかとのことでした。

幸いにも被害がなかったから良かったものの、高齢者を狙う『振り込め詐欺』はますます悪質化してきているようです。
奥さんが「あとで考えてみれば、身分証明書も見せようとはしないし、
身なりで判断してはいけないのだけれども建設作業員が着ておられるような紺色のチョッキとズボンだったし、
わざわざ夜に集金に回る社会保険事務所の職員がいるなんてどう考えてもおかしいわね〜。」と話しておられました。

「これからはヒトを見たら詐欺師だと疑ってかからなくてはいけない時代なんでしょうね!」との奥さんの言葉に
「そうそう、コウノトリが来れば一番良いのだけれど、鷺には要注意ですよ!」と言って別れました。

開眼(2006年1月16日)
佐藤さん おはようございます
知り合いの原さん宅でご夫妻のお写真を拝見致しましたが、温和なお顔にホッとしました。

さて、年末から急に掃除に開眼し、毎日部屋の中や車をせっせと綺麗にしています。
奥さんに「掃除は毎日しても埃は溜まるし、汚れるしどうしてだろうね〜。」と話しましたら、
「そのことにやっと気付いてくれたのね!このまま塵に埋もれて生きていくのかと思っていたわ!」と冷たくあしらわれてしまいました。

無理もありません、
これまで目の前のハエを追うことに精一杯で掃除は奥さんがするものと思い込んでいたわけですから、
山積みとなった書類を奥さんが片付けようとするものなら「さわっちゃ駄目!何がどこへあるかわからなくなるから。」とオカシナ理屈をつけて永年拒否していたのですから、百叩きの刑でも水攻めの刑でも仕方がないことかもしれませんね。

話はかわりますが、介護関係者であれば知らぬものはいないという、敬愛する高口光子さんのブログ「こんにちは。高口光子です!」に次のようなものがありました。

ゆっくり ゆっくり ひとつ ひとつ 頑張りました。
今まで通りの 看護 介護で 何が 悪いの?と 最初は 思っていました。
先輩に すすめられてセミナーに行きました。
びっくりしました。私の 今まで していた 介護って なんなんだろう。
理事長の前で そのまんま 報告しました。 烈火のごとく 理事長は 怒りはじめました。
一人入浴を とにかく はじめなければ…。
いろんなセミナー行って施設見学行って 見よう見まねで 手作り一人浴槽 作りました。
知らない人は 知らないが故に 最初から 否定的でした。
みんなが ちっとも 協力してくれない気持ちが しんどくて
それより 言葉で きちんと 説明できない自分が はがゆくて
一番 支えあわなきゃいけない 『入浴委員会』 が バラバラに なる。
一人のばあちゃんが 入浴されたのは 紛れもない 事実なのに 事態は 動かない。
人が 風呂に 入るのに 報告書が いる。
人が 風呂に 入ることを 実験のように 繰り返す。
誰の 何の 為の 風呂なのか自分の いい加減が どんどん ハッキリ してきた。
問題は 私だ。
お年寄りは 確実に 応えてくれて いました。
何故 話し合わない。何故 わかり易く説明できない。何故 仲間が 増えない。何故…こんな 気持ちに なる。
できるだけ 文章 書き込み 発言 発表 …いろんな人に 自分の 今を 語ってみた。
自分の 一番 不得意な こと だった。
もう だめかなぁ…と 思った日も あったけど 諦めることは 何故か なかった。
話を 聞いてくれる みんなが いたから。 周囲が なんだか 動きはじめた。
思い上がりじゃない 自信が あった。自分で やってきたから。
一番 大変と 言われた 爺ちゃんが けりを つけてくれました。
結論は でました。あとは 体制作りです。


ある高齢者施設に勤務されている看護婦さんが投稿されたもののようですが、
施設における旧態依然とした実態を見事に表現されています。
人間としてあたりまえのことをしたいとの思いで何かを試みようとすると、
職場全体から猛反発を受けたり職場での陰湿なイジメを受けてやむなく退職に追い込まれてしまうという悲しい実態があります。

従来のやわらかであったはずの福祉がいつのまにか経営効率や管理の導入とともになにもかもが硬直化してしまい、
利用者をモノとしてまた全てをお金に換算するようになり、どこか心を失ってしまったのではないかと感じています。

「議会で決議されたから。」「理事会の決定事項だから。」ということだけで、住民へのサービスが低下したのでは何にもなりません。
「何故?そのことが行われてきたのか。」「なぜ、それを行おうとするのか。」を謙虚に耳を傾けることのできる人になりたいものですね!
ハハハ・・・もしかすると、少しだけ「お掃除に学ぶ」ことができたのかもしれません。


〔第70回〕

初日の出!(2006年1月1日)
佐藤 様 
新年あけまして おめでとうございます。

年末には息子達がいつもいて賑やかな正月を迎えていたのですが、本年は長男は嫁さんの実家で次男はアパートの中で男友達ばかりで正月を迎えたようです。
そのために我が家ではおせちも作ることもなく、雑煮を食べて静かな朝を迎えております。

さて、昨年末四国で農業を営んでおられる今関知良さんから次のようなメールが届きました。

同感です。関係している、遺伝子組み換え問題情報ネットワーク、町おこしネットワー
ク、その他、雑談の時におなじような話題がでます。

農村は保守的!!と言われますが、わが町もご多分にもれず同類項。

そんな時、ボクは「みんなが選んだ議員さんが国会で多数を占めているんだから、自
業自得じゃないの」なんて言ったりしています。

するとみんな黙ってしまい、話しが途切れてしまいますが・・・・・・・

こんな人がいました。遺伝子組み換え食品反対の人なんですが、県議、代議士選挙で
推進派でもある保守系に投票してる!!

○○県ではちょうど今、遺伝子組み換え問題についての議論がでていて、ボクたちが
県のガイドライン制定審議委員に選任されるようにと運動をはじめていて、2人(全
部で8人)は入れたのですが、ボクはすでに明確な反対派と見られているために、論
文応募でも落選してしまいました。

保守系議員が多数で、最終的にどうなるかわかりませんが、県当局の原案の段階でわ
れわれの意向を反映させるしかありませんので、・・・・・・
保守系はみんな、遺伝子組み換え食品賛成派なんですから。

先日ベストセラーにもなっている「下流社会」という本を買いました。下層ではあり
ません。

また、周囲の若いサラリーマン、ほとんどすべてが派遣!!!には驚きました。会社
の中で、「おつぼねさま」でいばっている40歳台のばりばりの女性が、あたし派遣
よ、と言ったときは・・・・・・・・もっと驚きました。

社会の二極化は身の回りから始まっているみたいです。

いつも今関さんのHP「てんとうむしの背に乗って」を拝見しては楽しませていただいているのですが、
時折内容が佐藤さんとよく似ておられることがあり思わず勘違いしそうになることがあります。

どちらも豊かな感性をお持ちだからかもしれませんね、
毎度ご迷惑ばかりおかけいたしますが、どうか本年もよろしくお願い申し上げます。

雪の重み!(2006年1月6日)
佐藤さん こんばんは 
新年いかがお過ごしでしょうか。
今日は、久しぶりに隣町の病院まで出かけました、北に向かうにつれて年末に降った雪の重みで軒が壊れたり倒壊した倉庫が彼方此方に目立つます。
我が家の屋根の雪は深さが50cm程度ですが、多いところでは1m近くあるように見えました。

途中で立ち寄った尺八の師匠宅でも、屋根の上に置いてある太陽風呂のガラスが落下してきた雪で粉々に割れたり、
二階の屋根から落ちた雪の塊の重みで一階の軒が壊れたりと被害は甚大のようです。

訪れた病院の待合室は過疎地らしく高齢者で一杯でした、どの患者さんもたいてい話題は雪の話です。
中国山地に近づくほどに雪による建物の被害は多いとのことで、特に除雪できにくい谷間の高齢者宅や空家が大変な被害を受けているという話をされていました。

国がやっと重い腰を上げて、豪雪地帯では災害救助法を摘要しはじめたとのことですが、毎度の事ながら対応が遅れます。
小さな町であればすぐにさまざまな情報が町役場に届いて対処していたことが、
市町村が合併したことで無駄な時間が経過したり予算がないからと思案ばかりする姿はどうもいただけません。

数年前に隣接する鳥取県内で地震が起きた際に、一番に救急班を立ち上げ出向いた町役場の有志に対して誉めるどころか、
「なぜ周囲の町村と足並みを揃えないのか。」と平気で批判を浴びせた人達は、今回の地元の雪の被害に対して果たしてどのように対処するのだろうかと気になるところです。

〔第69回〕

寒風!(2005年12月27日)
佐藤さん こんにちは 
こちらは昨夜から冷たい風が吹き荒れて道路はツルツルです。
千葉市から一足早い冬休みで5日間帰省していた長男夫婦が今朝帰って行きました、
帰った時にはアレコレしてやろうと毎度考えてはいるのですが、いつも最後には親の過干渉を指摘されてしまいます。

今回は、大雪が降っていたためにせっかくの休みを雪かきばかりさせてしまうことになりました。
ビュー〜という北風がよけい積もった雪を凍らせているようで、除雪もなかなか捗らない状況です。

知的障害を持つ義姉が車から転落した事故の件ですが、施設側からはその後なんの連絡もなく、どうやら次年度に持ち越しとなりそうです。

事故後5ヶ月経過して全体を眺めてみると、事故を起こした施設側に一番大きな責任はあるのですが、
それを擁護している福祉サービス苦情解決処理システム自体が問題を真摯に取り組んで解決するために作られたものではなく、
つまるところは関係機関内部で問題をウヤムヤにしてしまうためのものであることが見え隠れしています。

どこか、話題の偽造マンションの構造とよく似ています。
『弱者の権利擁護』と看板だけは素晴らしいのですが、中身はまことにお粗末です。
ハンディを持つ者のための権利擁護ではなく、どうしたことか福祉関係者のための権利擁護となってしまい、
残念なことに問題の隠蔽工作を行うためだけに作られたといっても過言ではないシステムではなかろうかと考えるようになってきました。

「私たちはあくまでも当事者と施設側との仲裁や調停役として機能しているだけであって、法律家としての立場ではないので。」
と逃げ道を用意しながら「施設側は無責である。」とまるで司法判断であるかのごとくバッサリと平気で弱者である被害者を切り捨ててきますが、
その矛盾していることさえ理解できぬ組織が守ろうとしているものが一体何なのか、本当に守らねばならぬものなのか、困ったものです

ええにょうぼ〜。(2005年12月28日)
佐藤さん こんばんは 
こちらでは雪が少しづつ融けてはいますが、屋根の上には相変わらず40cm位の雪が鎮座したままで、
山間部の雪深いところでは軒が雪の重みで壊れた家が沢山あるとの情報です。

さて、毎度お硬い話ばかりなので本日は今回の大雪について気象庁が予想できなかったにもかかわらず、
意外にも身近な生物がズバリ予想?していたことを紹介してみたいと思います。
そのことについてあるHPに次のようなものがありました。

< カメムシが多いよ>

最近、カメムシが多くてひじょーに困る。
色んな種類がいるけど、みなさんのお家でも同じカメムシが出てると思う。
あれですよ、あの六角形の形をした、こげ茶色のあれです。

 正式には、クサギカメムシというんだけど、島根の実家の地域では”はっとうじ”または”ええにょうぼ(すごく美人、いい奥さんの意)”と呼んで、
出くわした時は「ええ〜にょ〜ぼ〜、にょ〜ぼ〜」と”はっとうじ”に向かってはやし立て、触らないようにしてた。
おだてて、臭いにおいを出させない、ということなんです(ちなみに、これをやるのは子供のみ。大人はやりません、当たり前だけど)。
 地域によって、変わった風習ってあるもんですよね。

 今年は、去年よりずっと多いような気がする。
 これが出る年は、雪が多いと言われるだけに、今から不安・・・。
去年は一昨年より、雪が多かったのに、あれよりまだ降るの?毎日また雪かき?


確かに今年の秋は『はっとうじ』(庄原地方の呼び名)の姿を見かけることが多く、洗濯物を取り入れる度に奥さんが何度も悲鳴を上げていましたし、
捕捉するためのガムテープの出番も多かったように思います。

自宅の近くを走るJR芸備線は沿線の雪崩により昨日から停止しているとのことで、ラッセル車が何度も往復して除雪しています。
沿岸部まで出かけてみると陽はさんさんと輝きあくせくとした日常が繰り返し行われていますが、
ここでは車の運転も日常生活も全てスローにならざるをえず自然に従うしかありません。

普段見ることのないさまざまな動物の足跡を眺めることができるのも雪のお蔭かもしれません。

現場にでくわす!(2005年12月29日)
佐藤さん こんにちは 
先程市内にある郵便局へ出かけて、久しぶりに出会ったお寺の住職さんと昔次男が柔道でお世話になった話や、
奥さんが民生委員をされてたり以前住職が保護司もされていたこともあるのであれこれと世間話をしていたところ、
急に表の入り口付近で大きな怒鳴り声が聞こえ始め、郵便局の管理職らしい人をガラスに押し付けたり何度も足を蹴っている男の姿が目に入ってきました。

年末の仕事納めということもあって、局内には20人ほどのお客さんがおられましたが、
誰も驚きでじっと自分の順番を待つフリをしながら横目で状況を観察しています。

丁度窓口の担当者から呼ばれた住職が「放っておいていいんですか?」と郵便局員に尋ねられましたが、
「時々、お酒を飲んでは来られる常連さんなんですよ!」と知らん振りをきめこみ、
他の局員も見てみぬふりをしています、
力自慢の住職さんですから止めようと思えば止められるのですが、そのまま私に挨拶をされて局内から出て行かれました。

私の用事が済むまでに、その後5分間ほど暴行は続いていましたが、あいにくいつもポケットの中にある携帯電話がなく慌てて車まで駆けって行き110番しました。
「犯人の服装は?年齢は?単独か複数なのか?凶器は持っているのか?」と矢継ぎ早に尋ねられましたが、
なにしろ慌てているので不確かな情報しか伝えることができません。

「暴行されていて他の郵便局員は何もされないのですか?」と聞かれるので「はい。」としか云いようはありませんでした。
しばらくして、パトカーが次々と到着し暴行を受けていた管理職が建物の外へと警官に連れ出されていましたが、その後の状況はよくわかりません。

目の前で起きた問題にできるだけ関わらず、できれば見てみぬフリをしておきたいという心情はわからぬでもないのですが、
普段から強盗対策の訓練を積んでおられるはずの郵便局員の方々が何もせずただ手をこまねいている姿に何か特別の事情があったのかなと、なんだか後味の悪い出来事でした。

〔第68回〕

人間不信(2005年12月14日)
佐藤さん こんばんは 風邪の具合はいかがでしょうか?
今日は、一日中国会中継を食い入るように見てしまいました。

義姉の転落事故の件もおかげさまで昨日保険会社から支払い内容が届き「これで、やっと終わりが見えてきた!」とホッとしたのも束の間、お世話になっている弁護士に相談すると「やっぱりね〜、折口さん遠慮なんかせずに、付添い看護費も請求すれば貰えるんですよ、一度どこかできちんと計算してもらってはどうですか〜。」「訴訟のことを考えれば少しくらい支払っても保険屋さんは安く済むんだから。」とのことでした。
「えっ!そうなんだ。」

そこで、ある交通事故支援を得意とするNPO法人のHPを拝見していたら次のようなものがありました。
「加害者と保険屋さんに誠意を求めるのは、八百屋さんで魚を買求めるに等しい!」
これが議論の前提であり、被害者が誠意を求めて立ち止まることを一刀両断で斬り捨てています。
被害者は、加害者や保険屋さんに誠意を求めてはいけません。
警察官、医師、看護師、保険屋さん、保険調査員、修理工場、社会保険事務所、労働基準監督署、加害者、弁護士等、交通事故では、いろいろな立場の人が登場します。

皆さん、紳士的ですが、この中の誰一人として、被害者のことを第一に? 全く考えていません。
それぞれの立場で、自分の目の前に広がった仕事を淡々と処理しているに過ぎないのです。 
だったら、どうするの? 自分のことは自分で解決するのです。
保険屋さんを信用して、頼る? 自殺行為です。
誰彼、頼ってはいけません。

なんだか、この度の偽造建築物のストーリーとよく似ているような気がしてきました。

〔第67回〕

人として。(2005年12月5日)
佐藤さん おはようございます 今朝は昨夜からの雪が10cmほど積もってあたり一面銀世界となっていますがそちらではいかがお過ごしでしょうか。
老犬ガクちゃんは、餌を求めて雪の上を歩き回る猫や狸を見ては吠えています。

さて、12月3日のガイドヘルパー養成講座には沿岸部から私の兄貴分である大学教授が講師として参加してくれました。
『職業倫理』という講義の中で、「パートであろうが嘱託であろうが外部から見ると一応プロだと判断して周囲の人達がハンディを持つ人達を委ねているのですから、それ相応の対応が求められるのはごく当たり前のことなのですが、残念ながら現実の社会では知識・技術はあっても肝心のハート(利用者から学ぶ)という一番大事なことが疎かになってきているのではないかと最近つねづね感じています。」

「仕事だからどうこうというよりも、『ひとりの人間として、どうあるべきか。』ということが、未然に事故を防止したり目の前で起きた事故への対応に大きく影響するのではないかと考えています。」

「組織の持つ閉鎖性から組織内の問題をこれまでは隠蔽することが多かったのですが、近年は内部告発保護法ができて内部告発が容易になったこともあり、そのことが良い方向に向かえばと思う反面、お互いが信頼関係を持つという当たり前のことがなぜこうも難しい時代になってしまったのかという諦めにも似たような危惧も感じています。」というような話をしてくれました。

「できあがった福祉の上に勤めるものと、なにも無いところから作り上げてきた福祉現場で働くものとでは大きな認識の格差があり、今更それを若い人達に話したところで到底理解できないだろうけど、昔貧しい3K職場の時代に誰も就職しようなどとは考えもしなかった施設の中で、利用者と同じように寝泊りして同じ食事を摂ってきた現場の人達と、仕事として資格があるからということだけで採用され、その上施設利用者と比較して充分過ぎるほど生活が保障されて毎日ピカピカの自家用車で通勤し、自分の生活とはまったく切り離して考える若い人達にいったいどう伝えたらよいか、いつも迷っているんだよ。」と本音を少しだけ語ってくれました。

雪情報!(2005年12月6日)
佐藤さん おはようございます。
昨夜も一晩中雪が降ったようで、今朝起きて外に出ると25cm位積もっていました。

老犬ガクちゃんが、早く犬小屋の周りを除雪するようにとやかましく吠えるので、まずは犬小屋の周囲から雪かきの開始です。
昨夜の雪の量は知れたものですが、とても柔らかく重たくて夏に修繕した屋根の雨樋も見事に雪に押されて変形しています。
昨日も雪の重みで道路に倒れた竹を積もった雪を被りながら一生懸命切ったのですが、今朝はそれ以上にたくさんの竹が倒れておじぎをしています。

午前10時半頃になりやっと家の周囲の除雪が終わりかけた頃、除雪車がガタガタと大きな音を出しながらやってきて家の前の道路を除雪してくれました。
遠くでは、廃線まじかと噂されている芸備線をラッセル車がゆっくりと除雪をしています。

雪の中で一生懸命雪かきをしていると、小学生誘拐や手抜きマンションなどという物騒な話はまるで外国の話題のようにも感じてきます。

電気が点いた!(2005年12月7日)
佐藤さん こんばんは 
事務所に念願の電気が点りました!来年の11月7日は「点燈記念日!」です。

事務所の建物自体は平屋のプレハブなので敷地の造成から建築までたった3日で3年前に完成したのですが、水道と電気はなかなか引けずにいました。
ところが、ある団体より、「なにか欲しいものがあれば寄贈したい。」とのことで、「では、高齢者やハンディのある人達に福祉サービスをするためのお風呂を下さい!」と申請したところ、50万をいただける運びとなりました。

すぐに業者に見積もってもらったところ、「最近はユニットバスが多く、水周りは特に思ったよりもお金がかかるので少なくとも100万円近くかかるでしょうね。」とのことでした。
そこで建設会社に勤める知人に連絡し、「安くしてくれる個人業者を紹介して欲しい。」と無理をお願いし、給排水工事・左官工事・電気工事を個別にお願いして「できるだけ安くなる方法は?」と尋ねると、どの業者も「自分ですること!」との名案をいただき、さっそく自宅から事務所までの50mの給排水管の穴堀りにいどみました。

柔らかいところは50肩の痛みをこらえてスコップでひたすら掘り、硬いところは業者にユンボを借りて友人に掘ってもらったり、慣れぬ機械を自分で動かしたりしてなんとか掘ることができました、これも田舎ならではのことかもしれませんね!
壁の塗装は、これまでも自宅のお風呂を試みたことがあるので、知り合いの塗料屋さんの指導を受けながらマスキングをしローラーで塗りましたが、やはり素人はそれなりにですね、さすがどの本職さんもできばえは見事です。

結局工事に一月あまりかかりましたが、今週末には水道も開通するとのことです。
やればできるもんだと自慢したいところですが、奥さんから「もう、そろそろ同じ繰り返しは止めてね、これが最後よ!!」ととどめを刺されてしまいました。

どうか暖かくしてお休みください。(2005年12月9日)
佐藤さん こんばんは 
風邪の具合はいかがでしょうか!?

こちらは毎日雪に周囲を囲まれて寒い毎日ですが、お風呂工事の残工事に次々と業者が立ち寄られます。
初めから儲けにはならぬとわかっているはずですが、それぞれがプロとして恥ずかしくない仕事をしようという意気込みが感じられます。

ちょうどテレビで北海道の定時制高校生の実話を放送していますが、厳しい家庭状況や社会経験を積むことが子供達にとっては大きく育つことができるのかもしれません、温室育ちでは親のありがたみもお金の有難味も掴むことはできないのかもしれませんね。

さて、今夜はこの位にしておきます。
どうか、あまり無理をせずゆっくりとお休みください。
 


〔第66回〕

憤懣。(2005年11月16日)
佐藤さん おはようございます。
義姉が11月11日に無事退院し、おかげさまで平穏な生活へと戻りました。
とはいっても、退院してからの義姉への介助は大変なもので、片腕が動きにくいということは日常生活面で大きな障害となるのだということを実感しています。

損保会社がその後人身障害補償保険が出るようにと何度も我が家に足を運んでいますが、もともと施設側からの一方的な話だけで事故の原因究明をせずにおいて、損保会社の顧問弁護士なるものが「施設側の責任は無責というような主張はできる。」と発言したことから全国の多くの関係者にご迷惑をかけることとなりました。

今となって、類似の判例があることを伝えると「それを知らない弁護士なんてもってのほかだ!」などと責任を弁護士に転嫁しようとする姿勢はどうもいただけません。
また、当初から施設側に警察にきちんと事故届けをして事故証明を取るようにと言っていたにもかかわらず、損保会社が保険を出すために事故証明が必要だとのことで被害者側からの承諾書を持参するというのもおかしな話です。

いくら事故を起こした加害者が非常勤職員であったとはいえ、成人でありしかも運転免許を持った運転手の義務であるはずの警察や救急車への通報もせずにおいて、「被害者が勝手に車から飛び降りた。」ことばかりを未だに主張し、逆に事故後現場で加害者に立ち会ってもらい事故状況を説明する姿を私が無理やり写真撮影したと居直る姿勢には呆れてしまいます。

退院後、施設側から『退院祝い』なるものが届きましたが、これにも奥さんからすればカチン!とくるようで、「退院のお礼というのは聞いたことはあるけれど、退院祝いとはね、肝心の加害者である職員がきちんと本人に謝りに来るのが筋だと思うのよ、相変わらず陰でこそこそ言うのが廻り回って聞こえてくるからよけい腹が立つのよ。」「姉はね、知的障害というハンディがある上に、動きにくい曲がった腕で今後一生人の目を気にして過ごしていかねばならないのよ、その気持ちをどうして施設側はわからないのかと不思議でならないのよ。」と私に訴えます。

今回の事故のおかげで、全国の福祉オンブズマン・高齢者・障害者法的支援ネットワークの方々からのご協力により、障害者の権利擁護について多くを学ばせていただくことができました。
今後福祉サービスを受けるハンディを持つ利用者が事故や被害に巻き込まれたとき、すぐに支援のできる体制作りに取り組んで行こうと考えています。

〔第65回〕

筋肉痛〜。(2005年11月3日)

佐藤さん こんばんは 「結いこむ7号」届きました、いつも有難うございます。

『高齢者・障害者支援のためのお風呂作りをする』という名目で50万円の助成金をいただくことになったのですが、50m離れた場所まで水道・電気を引いたり温水器取付けや風呂工事を完成させるにはとても助成金だけでは足らないので、毎度のボランティア頼みとなります。

早速、近所の大工さんに話をすると「あなたはそう云って簡単にボランティアを頼むけど、なにをするにもお金がかかるんだよ、いつも協力してくれる電気屋さんに今回は無理を言っては駄目だよ!」と釘をさされました、しかし有難いことです、苦言を言ってくれる人が身近にいることで本当は助かっているのかもしれません。

水道工事を業者に見積もっていただくと25万円かかるとのこと、これではお風呂まで辿り付けそうもないので安くする方法はと尋ねると、給排水のための溝掘りを自分ですれば10万円安くなるとのことで、知り合いに重機のオペレーターをお願いし(有償です!)重機が入らないところは、わたしがスコップとクワで掘る事となり本日早朝から開始しました、さすがに重機の扱いはプロなのでどんどん捗り、それに負けじとわたしも肩の痛みを忘れて溝を掘っていると丁度お昼頃には完成し、午後から水道工事やさんが来られ、あっというまに配管作業を終えられて帰って行かれました。

オペレーターが「えっ!あれで10万円とろうとしてたの。」と驚かれていましたが、個人業者に頼むとそうなるのかもしれません。
明日からサッシを取り付けるための素人大工工事が始まりますが、このサッシも障害者のいるご家族から安く提供していただけます。

「お金のないものは知恵を使え」と昔からいいますが、知恵のないわたしは他人の知恵をいただくしかありません、困ったものです。

〔第64回〕

手弁当。(2005年10月9日)

佐藤さん おはようございます ブログの再開おめでとうございます。

昨日は、岡山県の岡山市内に完成してまもないピカピカの県の総合福祉センター「きらめきプラザ」へと山陽自動車道を使って出かけてきました。
この建物の2階の一室を「高齢者・障害者権利擁護ネットワーク懇談会」という民間団体が借用できたことから、関係者である岡山県内で活動されている弁護士・司法書士・行政書士・社会保険労務士・社会福祉士・相談員等が集まられて、岡山市内でははじめて「高齢者・障害者何でも相談会」という無料法律・福祉相談を開催するので、ぜひ協力して欲しいとのMLでの呼びかけがあり、これ幸いと義姉の事故の件について相談に伺いました。

見上げるような立派な会場に到着して、建物の中に入るとたくさんの最新情報機器や介護用具が展示してあり、以前の薄暗い陰気臭い建物の雰囲気とは大きく異なります、階段が見当たらないのでエレベターを使って相談会場の階に止まり受付まで行くと、突然!見知らぬ若い女性が「あの〜折口さんですよね!以前社会福祉士の講座に一緒に参加していたものです。」

「???」もともと記憶が悪いほうなのですが、相手の顔を覚えるのは特に苦手で3年前の記憶となると余計定かではありません。
首から下げておられるネームプレートには社会保険労務士とあり、そういえばグループ討議のときにそのような方もおられたような気もするのですが、よく覚えていません、これでは悪徳訪問販売業者に騙されても仕方がない状態ですね。

なんとか無事受付を済ませて、相談会場へと通されました。
午前中はたくさんの相談者が来訪されたとのことでしたが、午後からは少ないとのことで案内されたテーブルには、熊のような髭をはやした弁護士と特養に勤務しておられるという美人社会福祉士と肥満気味の若い司法書士の3人が固い表情で座っておられました。

しばらく資料を出して事故の経過説明をしていると、横から「先生、食事の用意ができました。」との声がすると熊のような弁護士は消え去り、入れ変わってメガネをかけた浅黒の女性弁護士が「食事を済ませた弁護士です!」と言いながら目の前に座られました。

ヤレヤレまた最初から説明の遣り直しです、対応はこれまで相談してきた弁護士の見解とほぼ似たようなものでしたが、MLの話が出た途端に!「折口さん、わたしのMLも見て、どう思いました!本当に腹が立つでしょう!!もう、許せないんだから。」と周囲におられる方々をまったく気にせず大声を張り上げられました。
次は、その熱血弁護士さんのMLからの抜粋です。

さて、私が一日の閉館ごときで怒ってしまった本当の理由は、国体および障害者ス
ポーツ大会が本当に障害児・者の福祉の観点を入れて開かれているのかどうか、疑問
をもち続けていたからなのです。国体等に反対しているわけではありません。

開会式典の演技に養護学校の生徒さんが多数動員されています。養護学校の生徒さん
が演技をすることになり、1学期から練習していることは聞いていました。地元の小
・中学校・幼稚園も1学期から週に何時間も授業中に踊りを練習していました。

そしてこの間山陽新聞にも報道されましたが、10月1日土曜いよいよ運動公園の補
助競技場で合同練習が始まりました。我が子が地元の学校なのでわかりますが、授業
扱いで全員事実上強制的に出ています。これから毎週土曜日に同じような練習が続き
ます。養護学校の生徒さんもそうなのではないでしょうか。車椅子の子供さんは親の
方が押しておられるようでした。
練習時間は昼食を含めると4時間以上でした。最初の30分くらいしか見ていないの
で、4時間の間にどれほどのことがあったのか具体的にはわかりませんが、我が子は
クタクタで帰りました。休息用のテントがあり、飲料が配られていましたけど、養護
学校のみなさんは、とても大変だったと思います。
参加者の中には自由意志で参加しておられるグループもあり、その方々は生き生きし
ていましたから、「学校の生徒たちも自由参加希望者を集めておればよかったの
に」、と思います。

一人一人の障害に応じた教育を受けていくはずの養護学校の生徒さんが、一斉演技と
いうのがにふさわしいのかなあと。地元の学校が授業で事実上強制的な参加であるの
と同じように授業扱いの事実上強制参加であれば、付添って参加される親の方の負担
もあまりに多いのではないかしらと。

そんなことで、開会式当日が全館閉館と聞いたときに、アタマに血が上ってしまいま
した。皆様、お騒がせしましたことお詫びします。全館閉館ではないけど、利用しな
いでね、というのもまた変な話ですけど・・・。これを機会に障害児・者関係の当事
者の皆様からも発言いただけたらうれしいです。以上です。

それからしばらくは国体の話で盛り上がってしまい、肝心の事故の相談から大きく脱線してしまいましたが、最後に「医療事故においても、被害者の言い分が正しいこととはわかっていても被害者に対して保険屋さんがきちんと支払わなかったり、おかしいことだと殆どの人が認めることでもまったく異なる判決が下されるというのが、悲しいかなこの国の実状です。被害者や支援者が諦めずに押したり引いたりしながら相手の隙を狙っていくしか手はないようですね。今後もできることは協力しますので、どうか引き続いて頑張って下さい。」と目に涙を浮かべて締めくくられました。

顔の見えないML上での出会いとは一味違う、素晴らしい相談会となりました。
相談会終了後に、再び受付のあるロビーに出てみると顔なじみの県社会福祉協議会のスタッフやNPOセンターのスタッフがおられ、「折口さん今日は遠方よりご苦労様です、次回は相談者としてだけではなく相談受付もお願いしますね!」との声に、久しぶりに温かいものを感じた次第です。

今回の相談会での受付をされた方々(弁護士・司法書士・その他)に対して、以前は昼食や交通費を出されていたそうですが、今回から全員手弁当にして遠方から来られる相談者と同じ条件で物事を考えられるようにされたとのことでした。

〔第63回〕

悪徳商法は続く(続編)(2005年10月5日)

佐藤さん おはようございます 今朝は先日悪徳訪問販売業者に騙された知人からうれしい知らせが届きましたので事の顛末を紹介致します。

久しぶりに悪徳訪問販売の被害に遭った知人宅を訪問すると、奥さんがおられたので「先日は余計なことを私がでしゃばったばっかりに出費多端の折申し訳ありませんでした。」と頭を下げると「とんでもないおかげさまで、全額ローン会社から返金されることになったんですよ!」とうれしそうに話を始められました。
「主人がこういったことに疎いもんですから、とんでもない迷惑をおかけしてすみませんでした。」と逆に深々と頭を下げられました。

部屋の奥におられた主人が出てこられて「もうお金は戻ってこないものと諦めていたのですが、紹介された行政書士さんのおかげで支払った金額が全額返済されると先日連絡が入ってきたんです。こういったこともあるんですね〜。」と先日の沈んだ顔とは打って変わって明るい顔をされその経過を話して下さいました。

帰宅後、知り合いの行政書士に「今回の勝因はなにでしょうか!」と尋ねると、「被害者が持っておられた商品のカタログの内容でしょうか。」「今回の健康器具は確かに厚生労働省から医療用具製造(家庭用健康治療器)の承認を受けているようですが、商品の値段が30万円と高額すぎることで、消費者に対して承認された効能効果以外のものを誇大宣伝しているのではないか?というところを突いて『厚生労働省へ告発してもよいか!』という内容証明を送ったところ、以外にあっさりとローン会社が全額返済すると連絡してきたわけです。」
「今回は業者から受け取った資料を訪問販売の被害に遭われた方が、きちんと保管されていたことが証拠となり、良い結果を生んだのだと思います。」とのことでした。

「医療用具」についてHPで検索してみると薬事法の中で

医療用具の定義 「人若しくは動物の疾病の診断、治療若しくは予防に使用されること又は人若しくは動物の身体の構造若しくは機能に影響を及ぼすことが目的とされている器具器械であつて、政令で定めるものをいう。」(薬事法第2条第4項抜粋)

・『安全性』については、適切な使用方法で使用した場合、安全であること(健康被害・電気による危険・構造による危険がないかどうか)
・『有効性』については、適切な使用方法で使用した場合、有効な効果があること  (効果がないのはダメ)
・『製造業許可』については、医療用具承認を得た医療用具を製造するには、ひとつの品目ごとにきちんと製造できるかどうかの確認を受け、都道府県の医療    用具製造業許可を受けなければなりません。 (製造業許可がないと製造できません)
・『品質管理』については、必ず承認を受けた通りに製造し続け、万が一問題があったときには速やかに原因の追究ができるように、製造の記録を必ず保管するなど、さまざまな品質管理基準があります。
・『表示義務』についは、製造された医療用具は、製品として販売されるときに、必ず医療用具承認番号・製造番号・製造業者名等を表示しなければなりません。


また、訪問販売業者が残したカタログには、中国の東洋医学博士という不思議な肩書きの方が今回の健康器具を推薦されていましたが、この方の経歴を拝見してもどうやら経歴詐欺の疑いもあるようで、今後ますます賢い消費者となることも求められてくるようです。

〔第62回〕

他人事でない孤独死への対策。(2005年9月27日)

佐藤さん こんにちは 
おかげさまで義姉のギブスがやっと明日外せるようです。

さて、昨日NHKの番組で松戸市の団地内での孤独死について取り上げた番組がありました。
原因としてはリストラ・病気・離婚などの結果生活に追い詰められたり、病気によるものが多いとのことでしたが、
50代〜60代の男性が殆どだと聞いてなんだか切なくなってきました。

幸い団地内にアパート利用者有志による「まつど孤独死予防センター」を作られて日夜団地内に住む一人暮らしの人に異常がないかを見回りされているとのことでしたが、
中には外国人も住んでいるために数ヶ月してはじめて死亡が確認されるという状況もあるとのことでした。

このことはどうやらある一部の特定の地域としてだけの問題ではなく、
全国的に潜在していて高齢化が進むに連れてますます肥大化していく問題ではないかと感じました。

この番組を観た視聴者の方が書かれたブログも読んでください。

セカンド・オピニオン!(2005年9月29日)

佐藤さん こんばんは 
本日も新たな展開です。

おかげさまで入院中の義姉のギブスが本日無事取れました、
これで一歩退院に近づいたように感じます。

その一回り年上の義姉も同じように糖尿病を持っているため、食事療法と服薬を永年続けているのですが、
2〜3日前から急に意識が無くなり倒れ込むことが続くため、たぶん低血糖のせいだろうとは思ったのですが、
他の兄弟がてんかん発作を持っているために思い切っていつもの主治医とは違う総合病院で診察してもらおうと病院に向かいました。

受付は無事済ませて、まずは内科からと窓口に行くと「これまでの糖尿病の経過がよくわからないので、
できれば通院されている主治医からの紹介状を貰ってきて欲しい。」とのことで
折り返して紹介状を貰い私の奥さんが義姉の付添いとして内科へ出かけました。

紹介状を見た看護士さんが「内科よりも、脳神経外科が先のほうが良いかも知れませんね!」
とのことで脳神経外科の受付へと移動したそうです。
しばらくして、突然看護士さんをDrが罵倒する大きな声が患者のたくさんいる待合室まで聞こえてきたそうです、
そして「どうして自分が診察しなくてはいけないのか、受けた内科の看護士を呼んでこい!」という声がして、
しばらくすると内科から看護士さんが慌てて診察室に入って行かれて10分間位壮絶なバトルが続いたそうです、
最後に内科の看護士さんが「わかりました、そういうことでしたら内科できちんと診てもらいます。」と言われて診察室から出て来られ、
「申し訳ありません、たぶん大きな声がしたので聞こえたとは思いますが、こんな医者もいるんです。
すみませんが内科のほうまでもう一度帰っていただけますでしょうか。」
と丁寧に案内されて、CT/MRIさまざまな検査をされたそうです。

検査が終わったころ、やっと私も病院に到着してみると、奥さんの顔がどうもすぐれません。
事の一部始終を聞いて、このたびの事故で義姉が入院している階における看護士さん達の対応の良さとの違いに驚きました。
しばらくして、呼ばれたので検査結果を一緒に聞きました。
内科のDrから「どこも異常は見当たりません、ただ申し訳ないのですが、
脳波については主治医のおられる病院でもう一度検査をしていただけませんでしょうか。」とのことでありました。

『えっ!これはもしかすると診療拒否というものなのかな?』と自宅に帰ってからHPで検索してみると、ありました。

日本医師会は04年2月、「医師の職業倫理指針」をまとめ、その中では、医師法19条「医師の応召義務」についてふれています。

医師法19条「診療に従事する医師は、診療治療の求めがあった場合には、正当な事由がなければ、これを拒んではならない」

ここで言う診療拒否の正当な事由とは、
@専門外診療(自分が専門とする病気ではないこと)
A時間外診療(クリニックの営業時間以外の診療など=ただし、救急病院の指定を受けた病院・医師はこの限りにあらず)
B過去の診療報酬不払い(治療代を払わない人)
という3項目です。従って、診察予約が順番待ちになることはあり得ますが、「予約が一杯」であることが診療拒否の理由とはならないのです。
私の取材経験でも、良い医者は大抵、自分を頼ってくれる患者に対して門戸を広く開けているものです。
だからこそ、彼らは「良い医者」として評判を呼び、多くの患者からの信頼と尊敬を得ているわけです。
このことも知っておかれるとよいでしょう。

> 行く病院が決まったら、近所のお医者さんに書いてもらえるか聞いてみます。

医師が書く紹介状は専門医への扉を開けるためのものです。

なるほど、またまた勉強になりました。
やはりハンディを持つものが遠慮することなくどんどん社会の中へ出て行かないと、社会の変革は起こらないようですね。
それにしても、私がもしもその場にいたならいったいどうなっていたことでしょうか。

〔第61回〕

なぜ、事故は起こったのか!(2005年9月20日)
佐藤さん おはようございます。

図書館で「なぜ福知山線脱線事故は起こったのか。」というオモシロイ本を見つけました。
著者は、事故後多くの報道番組にコメンテーターとして出演されていた川島令三さんとおっしゃる方で、お顔をご存知の方も多いのではないかと思います。

著書の中に
「事故を起こす前から、社外重役は別にして、幹部は全て元国鉄官僚が占めている現実をおかしいと思っていた。 JR東日本JR西日本は完全な民営化を達成した。そうであれば、元国鉄官僚でない経営幹部がいてもいいはずである。結局は本当の意味での民営にはなっていないと言えよう。これにJR東海を加えた本州JR3社は海外資本が3割近くを占めている。それら海外資本は公共交通機関として不採算路線でも廃止しないという分割民営化の意図についてはまったく意に介していない。利益を求めるだけである。」

「とくにJR西日本は高収益路線が少ない。そこで海外資本はもっと利潤を挙げろと要求する。そのために大赤字線区の可部線可部−三段峡間を廃止したし、ATSについても経済的で新型と同じ機能を持つ改良した旧型ATSを取り付けていった。改良した旧型ATSでも安全は充分に保てる。ただし直線区間との速度差が大きいカーブに速度チェック用のATS装置(地上子)をほとんど設置しなかったのは抜かりがあったと言わざるをえない。逆に言うと新型ATSであっても、速度チェック用の地上子を置かなければ事故は防げないということである。

国土交通省が新型ATSを設置しなければ復旧させないと述べたが、これは大きな間違いなのである。」
「過密ダイヤ・高速運転・収益第一のJR西日本といったことでも同様なミスリードが重ねられた。企業が収益をあげようとするのは当然であるし、スピードアップは鉄道にとって命である。安全対策に抜かりのあったことが問題なのである。」
「鉄道は経験工学によって成り立っている。経験工学とは括弧の失敗から学んで、それを繰り返さないようにするにはどうすべきかを考える工学である。嫌な言葉だが、これを人柱工学とも言う。重大事故が発生しない限り従来のシステムを見直そうとしないのである。つまり、今まで大丈夫だったのだから、そのままで良いというわけである。」というものがありました。

これとまったく同じように高齢者やハンディを持つ弱者の利用する施設においても、利益追求の強い風が吹いて日々施設の内外でさまざまな事故が起こっているにもかかわらず外部には出にくい構造があるのですが、今こそ福祉現場の安全対策としてのATS装置が本当に必要なのではないかと考えています。


悪徳商法は続く。(2005年9月23日)
佐藤さん おはようございます。

知人から「7月末に健康器具を買ったのだけれど、どうも効かないようなので返品したいのだがどうしたものだろうか。」という相談を受けました。
聞けば、十数年前から学校生協の指定業者でと言葉巧みに訪問販売業者が近づき、これまでも磁気布団や掃除機などを高額で購入していたとのこと。

以前学校の事務職として勤められていたこともあるので、すっかり「学校生協」という言葉を信じていたそうです。
今回は夜遅くまで働いておられる姿を見て、気の毒だろうからと座敷に上げられその上食事まで出されたとの話に知人の人の良さを感じると共に、それを平気で逆手に取る訪問販売業者に怒りを感じました。

早速、お馴染みの消費生活センターに問い合わせてみましたが、「一旦全額を振り込んでいるとなると、訪問販売の際の違法性があるかどうか、またどのように効き目が無いかを実証しなければならないでしょうが、今回はハンディがあるとか認知証がある方ではないのでローン会社もすぐには了解しないでしょうね。」とそっけない返事でした。

知り合いの行政書士にも来ていただいたのですが、「こんなものが30万もするわけないでしょう、せいぜい5万円すればよいのではないでしょうか!近くの電気屋さんにいって価格を比較するなり、誰かに相談すれば良いものをせずにおいて被害に遭う人が多いんですよね〜、本当に困ったものです。」と知人を目の前にして冷酷な発言をされました。

どうやら、ここでも「騙した人より騙された人が悪い」という論理がまかり通るようです。
従来は、お互いの信用の元に近所の顔見知りの店舗で必要なものを購入したり修理することができたのですが、郊外型の大型店舗の進出により元の小さな店舗の立ち並ぶ商店街は軒並みシャッターを閉じているので、車を持たぬ高齢者には選択の余地が無い状態となっています。
その上、経営効率のもとに過疎地の交通機関は年々縮小の一歩を辿り、グローバルとは無縁の情報ツールを持たぬ高齢者にとっては、わざわざ自宅まで商品を持ち込んでしかも懇切丁寧に説明してくれる訪問販売業者はもしかすると、ありがたい神様のように映ったのかもしれません。

今後は法的な手段を講じる以外に手はないようですが、義姉の事故後の保険屋の対応の中でも、どうも法律が強者に有利に働いているようにしか感じられません。
弱者は泣き寝入りするしかないのでしょうか。


誰にとっての利益なのか。(2005年9月18日)
佐藤さん おはようございます。 

毎日病院に出かけていると看護士さんの立場と、患者さんの立場の両面を垣間見ることができて日々の楽しみとなっています。
今朝も、看護士さんから「奥さまからお手紙をいただいたのですが、病院の対応の良さを誉めていただくと私達も励みになります。」と話しかけられて、ハテ?いったいなんのことやら!?と帰宅して奥さんに聞いてみると、「え〜っ!もしかすると有償ボランティアの方の付添が先日で終了なので、もしお会いできなかったらと思ってお礼の書き置きをしていたのが、看護士さんに渡ったのかも!。」どうやら、とんだ勘違いのようです。

ハンディを持つものが普段利用している通所施設ではまったく人間らしい扱いをされず、事故のおかげで入院し周囲の方々からはじめて人間として温かい扱いをされるという皮肉な出来事ですが、佐藤さんのおしゃるように「暮らしの視点から福祉をとらえるか」「福祉から暮らしを考えるか」の違いにあるのではないかと感じ始めています。

もしも同じ病院という建物の中に共に住んでいる、看護士と患者とがお互いの利益を共有できる環境となることが可能であるならば、もっと豊かなコミュニティを築くことができるのではないかと思いますが、都市部の一部の病院では実践されていることでも、田舎の病院では経営のみが優先されるという貧しいものとなっているのが実情です。

通りすがりの杖をついたお爺さんが、「わしゃ〜植木が好きで、家ではく草取りをしたり剪定をして楽しんでいる、夕日や月の光を浴びて七色に変化する築山を眺めるのが唯一の楽しみなんじゃが、入院しとるとそれもできず困ったもんじゃの〜。」と話し掛けられました。

病と闘っておられる方々への癒しとして、園芸療法や音楽療法を楽しめる場があれば良いのになと思いました。


〔第60回〕

■踏襲。
(2005年9月12日)
佐藤さん おはようございます。
選挙も終わりましたね、田舎政治はどこまでも続きます。

土・日は介護福祉士試験のための介護技術講習会に参加し、無事終了証書がいただけ
ました。
講師のお嬢さんが、私が昔勤めていた施設に現在お勤めとのことで、今回の事故につ
いても親身になって話をよく聞いて下さり、「介護というものは利用者に対して行う
介護中に、決して事故が起こらぬように・ハンディを持つ人にとってどこを守らなけ
ればならないか・どこが危険なのかよく自分の頭で考えて、最善の注意をしながら介
護を行うことが私達の務めなのだ。」という話を講義中も実技中も何度も口を酸っぱ
くして話されました。

講師と共に指導者として参加された県内の介護福祉士さんは、介護のあり方について
はそれぞれに一言を持たれていて、国の猫の目的な介護のあり方に対してもきちんと
批判されていました。
安全に対する厳しさには少々驚きましたが、少しでも良い介護を広めたいという思い
はどの参加者にもひしひしと伝わったようです。

今回病院内でストーカー的な動きをされる方も、現在介護福祉士ですが「信用失墜行
為の禁止や秘密保持義務」が課せられていることをどうやら忘れているようです、
困ったものです。

〔第59回〕

■束の間の休息。
(2005年8月28日)
佐藤さん こんばんは 
昨日、今日と地元では「よいとこ祭り」が開催されました。
本日は、病院の隣にある市民会館で芸能際があり、尺八と琴の合奏に参加出演しました。

夜になると、夏の最後を彩る「花火大会」がフィナーレを飾ります。
今年は、義姉が入院しているので諦めていましたが、どこからともなく病院の屋上が今夜は開放されて花火が見れるらしいよ!という話が流れてきました。

早速、屋上へと車椅子でエレベーターに乗り込みましたが、残念ながらエレベーターは6階までで屋上の7階までは階段を歩かねばならず、もう少し車椅子の方にも利用できるように改善されればよいのになと思いました。

屋上に上がると、もうすでに先客があり長椅子をよく見える位置に移動されていました。
四方は網状のフェンスに囲まれているので、なんだか少し刑務所のようにも感じますが、たまには庄原の夜景を見るのもオツなものであります。

屋上に上がれない入院されている方々もそれぞれに各階で花火が見える位置にたくさん集まっておられます。
それぞれに、怪我や病気を持って大変な毎日ですが、少しだけ心のメンテナンスができたようです。

■溝。(2005年8月30日)
佐藤さん おはようございます。
こちらは、稲も実り始めてすっかり秋の装いとなっています。

さて、先程天木直人さんのHPを拝見致しました。
『我々には被選挙権は無いに等しい。それがわかっただけでも良かった。』という言葉に秘められた我が国の構造への揶揄には同感です。

普通に社会の中で生活しているときにはほとんど気付かないのですが、ある日突然失業をしたり事故に遭ったりして本線のレールからはずれて社会的弱者となるや周囲の態度や状況が見事に一変してしまいます。
と同時に、あるべきはずと思い込んでいた様々な権利が奪われてしまい、そこではじめて自分が「裸の王様」であったことを思い知らされます。

どうも「国民主権」という空々しい言葉が、いつのまにか「国家主権」に擦りかえられてきているような気がします。

■(続)蒟蒻の裏表。(2005年9月1日)
佐藤さん こんばんは 
今日は久しぶりの夏日となり暑さのあまりに蝉が思わず「ぽとっ!」と、落ちるほどでした。

さて、事故の交渉は相変わらず継続しておりますが、社会通念としてまかり通らぬ、いや通してはならぬことを、保険屋さんの顧問弁護士の一言で覆すという不思議な現象が起こっています。
「ゾウ」を「蟻」だと平気で押し通そうとするのです、なるほどこれが祖父の話していた「蒟蒻の裏表」の正体なのかと。

一方では認知症や知的ハンディを持つ人達の権利擁護活動を行い、その裏では用心棒としての役割を平気で演じるという名役者ぶりです。
全ての弁護士さんが、そうではない事を祈るばかりですが、なんだか今回の選挙戦でも似たような人達をたくさん見かけます。

この種の人達には、どうにも正論は通じないようで、名誉欲とお金だけが通行手形との交換条件なのだそうです。
さて、追いはぎや雲助のたくさん出没するこの大井川をどうやって渡って見せましょうか。

〔第58回〕
■絵に描いた餅。(2005年8月24日)
佐藤さん こんばんは 
台風がそちらに向かっているようですが被害がないことを祈ります。

さて昨日、損保会社の担当者より電話があり、先般の施設における事故の内容について損保会社お抱えの弁護士に相談したところ
「施設側の責任は無責というような主張はできる」ということであったそうです。

その根拠として
□これまでも事故現場であるスーパーにはなんども納品について行ったことがあり普段と同じような状況であった。
□これまで、施設の内外で倒れやすいとか転びやすいという人ではなかった。
ということから、安全配慮義務については未然に配慮することは想定外であったと施設側から話を聞いている。
というものでした。
保険屋さんはできることならば保険金を払いたくないし、こちらとしては払って欲しいというもともと相反する利害関係があるのですから、
この状況は当然の成り行きなのかもしれませんが、もしこれが生命に関することであっても保険屋さんとしては同じ解答をするのかもしれないなと考えるとゾッ!としました。

介護保険制度はそれでも国保連があるから良いのですが、
障害者が事故の被害者となっても守ってくれるものは全くなく、逆に『事故を起こしたあなたが悪い!』と責め立てられてしまうというまったく不条理なお話です。


■社会通念。(2005年8月26日)
佐藤さん こんにちは 
台風はいかがでしたでしょうか!?

千葉市に住む長男からの報告ではなんとか無事にいるとのことでしたが、自然災害にはかないませんね。

さて、本日は今回の事故について毎度心強いアドバイスをして下さる、消費生活相談センターの担当者にアドバイスをお願いしてみました。

「事故について法的にどうこうできる立場ではないので、それは法律のプロにお任せするとして、私が事故の状況を聞いてまづ感じたことは、安全の確保について明らかに施設側の不手際だなと思います、車のドアについているチャイルド・ロックはそのために付いているわけですし、ドアが開いていれば当然に飛び出す可能性は充分考えられるわけですから。」

「保険屋さんの顧問弁護士さんが、開いている車のドアから施設利用者が飛び降りたことを根拠とされているようですが、飛び降りようが歩いて降りようがそれは手段であって問題は自動車のドアが開いているということが一番問題なわけですから、これまでは同じ状況でも事故がなかったからとか、飛び出た施設利用者本人が悪いなどということは、社会通念上いかがなものでしょうか。」

「このことは知的ハンディを持たれた方だからということではなく、判断能力のない幼児や高齢者においても充分事故の可能性が有り得ることとして事故を未然に防ぐ手立てを管理者が行うべきであったろうと考えます、考えようでは骨折だけで済んだからまだ良かったと謙虚に深く反省し、施設がこの事故の教訓をどのように今後二度と施設内での事故を起こさぬように生かしていくかということではないでしょうか。」

と、明快なお答えをいただきました。
強面の悪徳訪問販売会社に対して平然と立ち向かわれるだけあって、さすがです。


〔第57回〕
■蝉時雨(2005年8月20日)

佐藤さん おはようございます 
目の回るような時間をお過ごしのことと思います。

さて、義姉の事故が発端となり『障害者の権利擁護』について各地の福祉オンブズマンの方々とお話する中で、ぼやけていたレンズの焦点が少しづつ合うようになってきました。

わが国の福祉を『園芸』で例えるとするならば、土壌改良ができぬまま、また排水の悪い土壌へ新種の「介護保険」や「支援費」などの花を植えてしまったがために、根腐りや病害虫の被害がつぎつぎと現れてきたという状況ではないかと思うのです。

多くの大学や専門学校でソーシャルワークを学んだ人達が、高齢者やハンディも持った人達が利用している施設や福祉事務所などの現場にいるにもかかわらず組織の持つ閉鎖性や市場原理を重視するあまりにかなりゆがんだものとなっています。

もともとソーシャルワーカー本来の職責である「個人の自己実現、家族集団、地域社会の発展を目指すことや、社会福祉の発展を阻害する社会的条件や困難を解決するため、その知識や技術を駆使する責務がある。」はずですが、どこかで大きな勘違いをして専門職がエリートの団体として自らの団体の利益擁護にのみ走ってしまったといっても過言ではないのかもしれません。

これはもしかすると福祉の専門家だけのお話しではなく、政治家も弁護士も税理士も同じ穴の狢なのでしょうか。


〔第56回〕
■法のからくり。(2005年8月9日)
佐藤さん こんばんは 
こちらでは夕方になると毎日大きな落雷の音と共に土砂降りの雨が降りますが、雨上がりには七色の虹が現れ、まるで高原のような爽やかさです。

さて、義姉の施設での事故に関する救済措置や団体はないものかと彼方此方八方手を尽くしてはいるのですが、
どうやらハンディを持つ利用者の不利益を代弁するシステムはまだこの国では充分ではないということがわかってきました。

介護保険は介護保険法でかなり整備されたものとなっているようですが、それにひきかえ支援費制度はあくまで事業ということで、悪法と呼ばれている「自立支援法」が成立しなければ様々な不備の個所はあっても、措置から契約に移行しているので事業者責任は問えても行政責任はあまり問えないというオカシナ理屈がまかり通っているようです。

他県の福祉オンブズマンからの話によれば、施設で利用者の事故が起こった場合は3日〜4日以内に管轄の担当部署へ文書で届けるように決まっているそうで、「事故報告書」の内容についても、なぜ起こったか!事故後の再発防止のための対策!現在の事故被害者の状況!を詳しく書いて提出するようになっているそうです。

この話を聞いて、すぐに市の担当者に問い合わせましたが、「これまでにそのような事例は無く県に問い合わせてみます。」とのことで、しばらくして「県の担当者が話されるには、特別『事故報告書』の提出義務は当県ではなく、口頭でも電話でも事故が起きたことの報告があれば一応受け付けます。」というものであったそうです。

「今回の事故について、一応市から施設へ事故報告書を提出してもらうようお願いしたほうがよろしいですね!」と市の担当者が言われるので、どうも逆さまなようにも感じたのですがそのようにお願いしました。

これまで事故や事件があってもハンディを持つ利用者や家族が泣き寝入りすることが殆どでしたが、できることならばこれを機会に福祉オンブズマンの立ち上げを勉強してみようと思います。

これまではどちらかといえば問題を起こした当事者を責めることが多かったのですが、佐藤さんのおかげで大きな福祉を学び、社会全体の底上げについて少しは理解できつつあるのかもしれませんね。

夜間の付添からやっと開放されて、今夜は久しぶりに尺八仲間と共に演奏しました。


〔第55回〕
■介護力士。(2005年7月25日)
佐藤さん おはようございます 
きょうも暑い一日が始まりそうです。

さて、土・日は介護の実技講習会に参加しました。
講師は介護福祉士会の会長という肩書きで、さる老健施設の管理職をされているとのことでした。

『介護保険を潰したのはヘルパー達だ!』という暴言からはじまり、
ヘルパーが利用者に対して行う一方的な身体介護・家事援助サービスがいかにこれまで在宅の利用者の自立を阻害してきたかについて話をされました。

とはいっても、ヘルパーに向けてというものではなく国の計画性のないこれまでのその場しのぎに対する痛烈な批判を込めたものですが、
確かに介護保険が始まる時には大量のヘルパーやケアマネージャーを乱造しておきながら、
国が財政の破綻をきたしはじめた途端に今度は急に方向転換して、今後は海外からより優れた安価な介護者を導入するので、
これまでの国内のいいかげんなヘルパー資格ではなく国家試験を経た介護福祉士となるようにといなどという、
まったく辻褄の合わない指導をし始めた経過についても説明されました。

資格はあっても役にたたないという苦情の多い現場スタッフのそもそもの原因は、
個人の素質にもあるようですが、どうやら最大の原因は国の姿勢にもあるようです。
講義を○○時間、実技講習を○○時間、内容は○○でと明記してあり、
講師に対する事前研修会で実際にその通りにやってみると現場では殆ど役に立たないさまざまな問題点が浮かび上がってくるのだそうです。

わが国の高齢者に対する福祉行政の変遷のひとつとして、
戦後行き場のない人達の介護を一般の主婦であれば生活上のことであれば充分可能であるだろうからとはじめた養護老人ホームの発想のまま経過してしまい、
施設内で起こるさまざまな虐待や人権無視を国が見過ごしてきたことも大きな要因であることも指摘されていました。

これまでは介護のあり方をいくら学校で学んだところで、
直接現場の中で「こうしなさい、ああしなさい。」と先輩スタッフから伝授されると逆らうわけにはいかない状況があり、
しばらくするとオカシナことにもいつのまにか慣れてしまうという悪循環が続いていてそうです。

参加者はどの人も各施設では中堅となって介護をされている人達ばかりなのですが、
いつもの現場とは勝手が違い戸惑うことばかりで、いかに介護の現場が大きく歪んでいるかを思い知らされた研修会となりました。

〔第54回〕

■セカンド・オピニオン。(2005年7月16日)
佐藤さん こんにちは 昨日から お空の雷さんがご立腹です。

さて、昨夜NHKで九州中央病院の杉町圭蔵院長の「セカンドオピニオン」としての活躍を取り上げた番組を拝見しました。
直訳すれば「第二の意見」とでもいうのでしょうか、
ご承知のとおり診断や治療方針について主治医以外の医師の意見を聞くというもので、
インフォームド・コンセントという考え方からすれば治療法を決定するのは当然患者や家族であるはずなのでしょうが、
現実とのギャップは大きくこの番組を見たことで、共生支援センターの西川さんのお話もやっと理解できるようになりました。
また、私の見知らぬ医療の世界内におけるさまざまな問題点についても見識を深めることができました。

もしも、この考え方を福祉の世界にも導入できたら、
さまざまな福祉サービスを受ける人達の生活が、もっと大きく変化してくるのだろうにと思いました。
たまたまハンディを持ったがために、人間としての尊厳やあたりまえの生活を送ることができなくなるという不条理、
ハンディキャップという言葉自体がそもそも力量を平均化するために強者に課する負担であるものを
逆に国の財政が厳しいからと平気で弱者にしわ寄せを押し付ける国の姿勢には怒りを越え呆れてしまいます。

■オニユリの花。(2005年7月22日)
佐藤さん こんにちは 
とうとう夏バテとなり昨日から我が家にて冷たいものガブ飲み禁止令が発令されました、どうかご用心下さい。

さて、ことしも8月6日が近づいてきました、戦後60年記念事業とかでマスコミは早くから番組やニュースで再三取り上げているようです。
例年平和公園内にある慰霊塔前で各地から尺八仲間が集まって「平和の山河」〔原題 平和広島〕という曲を演奏していたのですが、
今年は残念なことに他で介護研修があるために当日参加できなくなってしまいました。

ニュースでは、「高齢化した参列者のために、大テントを増やして設営する予定だ!」とか
「戦後60年の節目にと、海外からも多数の参列者があるようだ!」などとまくしたてています。

その影響かどうか、尺八演奏者のための控室として国際会議場の一室を例年は使用させてもらっていたのが、
今年は使用できなくなったとの情報が入ってきました。

ご存知のとおり、尺八演奏者の殆どは高齢者です、
「暑い中を本人たちが好き好んで演奏するのですから控え室なんぞどうでもよい。」と言われれば、仕方ないのですが、
「お客さんがたくさん来られるから、坊や達はどこかに行って遊んでらっしゃい!」とでも言わんばかりの安直な対応には、情けなく思いました。

たしかに各国からの代表やこれまで同等に扱ってこなかった近隣の国に済んでおられる在宅被爆者の招聘も大事なことです。
しかし、演奏に参加される殆どの方が、原爆とは何らかの浅からぬ因縁があり、
そのために暑い炎天下にもかかわらずこれまでずっと慰霊への献曲に参加されてこられた方々ばかりです。

「参列者の挨拶が例年より増えるので、暑さに対する準備をしていてほしい!」とのニュースもありましたが、
どこか本末転倒した県や市の対応に首をかしげるばかりです。

〔第53回〕

■腫れ物にさわる!(2005年7月12日)
佐藤さん おはようございます。
今朝は雨も止んで、久しぶりに朝早くから蝉が「ミ〜ミ〜」と騒ぎ立てています。

さて、「社会福祉協議会と住民活動との関係をテーマに」とのことで、
米軍の基地問題ほどではないにしろ我が国の闇の部分をつついてみるのもオモシロイかもしれませんね。

昨夜は「ショーシャンクの空に」という古いビデオを見ました、
無実でありながらも妻殺しの汚名を着せられた銀行員が刑務所に永年服役し、
服役者や刑務官からの度重なる屈辱的な扱いを受けながらも、
銀行員時代に培った税務の知識を生かして刑務所全体の確定申告を行ったり、
刑務所の所長の裏金作りを手伝っているうちに、フトしたことで妻を殺した犯人がわかり所長に直訴したものの、
見事に裏切られて映画の最後にはドンデン返しが待っているという痛快なものです。

この映画の中で、何十年も服役していた老人が刑務所を出て形式的な社会復帰プランに沿ってはみたものの、
とても社会の中では生きていけないことを知り自殺します。
そのことを知った、やはり永年服役してる名脇役が
「俺たちは、あまりにも長く施設のなかに居すぎて、施設慣れしてしまっているから、社会の中で生きることができなくなっているんだよ。」
とつぶやく場面がありましたが、やはり施設の中にいるハンディを持った人達も同じ気持ちではなかろうかと思いました。

住民活動に熱心なあまりに問題を提議して、地域のボスである社会福祉協議会の会長の逆鱗に触れて職場内でのイジメや左遷に遭うようになったり、
そのことで自ら退職した多くの勇気ある社会福祉協議会の職員がいることをぜひ知っていただきたいものでありますし、
映画の中の刑務所の所長のように会長という立場を利用して私服を肥やすシロモノも彼方此方に存在しているという悲しい現実が、
社会福祉協議会職員の「みざる・きかざる・いわざる」を生んでいるのかもしれません。

■障害という溝。(2005年7月13日)
佐藤さん こんにちは 
きょうは朝からうっとうしい雨模様です。
さて、ML(注:コムケアのメーリングリストです)では医療の問題で盛り上がりそうになっていますが、
このたびの障害者自立支援法案なるものによって浮かび上がってきた、わが国の人間模様について少々気にかかることがあります。

障害者自立支援法案によって、身体・知的・精神と障害別にこれまで縦割り行政であったものを一本化して効率化を計るとのことですが、
これはあくまでも行政主導型を前提としたもので、
佐藤さんの想定されている民からの発想としての『大きな福祉』とは相容れない要素を持ったものではないかと考えます。

障害(者)を「障碍」また「障がい」と口先でいくら言い換えたところで、わが国でのハンディをもっている人達に対する権利はまだまだ充分とはいえません。
健常者と呼ばれ納税義務のある国民でさえ、郵政法案ではかくのごとく愚弄されているのですから無理からぬことのようにも思うのですが、
その根底にはハンディを持ったもの同士での悲しいかな優劣意識をうまく逆手に取られているようにも感じるのです。

それぞれの障害種別団体からの国に対する要望はしても、それを一本化できないわが国の障害者団体同士のエゴを解決するには、
もしかすると今後まだまだ小泉首相が得意とする「痛み!を伴う改革」が必要なのかもしれません。

また、介護保険制度同様に一部では利益を充分上げている人達が、支援費制度となってからもいるわけなのですが、
そこには一切手をつけず弱者に持っていくという卑劣なやり口が彼らの持つ本性なのかもしれません、
そろそろ「与えられる福祉」から「自分たちで作り上げる福祉」の時代に移り変わってきたのではないかとも感じています。


■生かされている。(2005年7月15日)
佐藤さん おはようございます。
深夜にBSの映画を面白さのあまりに最後まで観てしまい、今朝は頭がぼーっとしています。

大企業の65歳になる社長が、自分の体の不調を感じるとどこからか不思議な声が自分だけに聞こえてきて、
それが次第に自分をあの世から迎えにきた死神の声だということが解ってきます。
名声とお金などありとあらゆるものを手にした社長が、事故で亡くなった若者の体に入り込んだ死神と対面して、残りの時間がどのくらいあるのかと尋ねます。

残り時間が少ないということがわかると不思議なもので、
本当に自分に大事なものはなんであったかということが次第に社長の目にもはっきりと見え初めて、
自分の後継者と期待していた若者が他の企業からの乗っ取りのための手先だとわかっても動揺することなく定年退職の道を選び後進に道を譲ろうとします。

永年生きていると、あれも欲しいこれも欲しいと自分の周りにいらぬものまで身につけてしまい、
そのことでいつのまにか自分を見失い、よけいな心配をせねばならないというのがはかない人生なのかもしれません。

誰もがそれぞれの役割を持って生まれてきたはずです、
なかなかそれを見つけるということは日々の生活に追われる中では困難なことですが、
どこかでリセットして自分にとって一番大事な縁あって出会えた家族や奥さんついて再度有難みを感謝せねばならないのでしょうし、
他人との出会いをもっと大事にしていかなければいけないのだなということを痛切に感じました。


〔第52回〕

■思わぬ伏兵!(2005年7月3日)
佐藤さん おはようございます。
こちらは、連日の豪雨で家のすぐ隣を流れる谷川の水が増水していますが、そちらはいかがでしょうか?

「失語症ライブ」前夜、谷川の水は次第に増えて大きな石がゴロゴロと音を立てて流れていくので、あまり寝付かれぬまま朝を迎えました。
当日になり、講師の遠藤 尚志先生を迎えに広島空港まで向かう途中、高速道路のインターに入ると土砂崩れのために不通との表示があり、迂回して一般道に入りました。
いつもにない深い霧の立ち込める中を運転していくと、道路の脇を流れる川の水がいまにもあふれんばかりの濁流となっていて、あちこちに消防団員が心配そうに立って川を眺めておられます。

空港に近づくにつれて救急車や消防車やパトカー走り回っていて次第にものものしい雰囲気となってきました。
国道は高速道から迂回した車の列が並んでいるためかなかなか前に進まず、飛行機の到着時間に少し遅れそうになってきました、ひたすら時計とのにらめっこです。
なんとか空港に到着して、出口のゲートに急いで向かうと事前に本で拝見していた写真そのままの遠藤先生が出てこられました。

遠藤先生によると、「羽田空港を出発する時点で、悪天候のために広島空港の視界が悪く、もしかすると福岡空港に到着せざるをえないかもしれない。との機内アナウンスがあった。」とのことで、サテ?福岡で降ろされたらどうしたものかと思案されていたとのことでした。
15分程度の遅れで飛行機が無事着陸したため、ちょうど上手く間に合ったという次第です。

ヤレヤレと、折り返して再び高速のインターにトライしてみようと近づくにつれて車の大行列です。
どうやら高速道が動き始めたようです、
やっと入り口にたどり着いてみると係員の人から「下り線は通行可能ですが、上り線は残念ながら不通です!」とのことで再びノロノロ運転の迂回路を帰ることとなりました。

途中法定速度を無視して山の中を走ったので、なんとか講演時間の15分前には講演会会場に到着できました。
会場には、すでに参加者がたくさん室内にはおられ協力していただけるボランティアも待ち構えておられました、
全身から滝のように流れる冷や汗を拭きながらやっと「失語症ライブ」の始まりです。(つづく)

■真剣勝負(2005年7月5日)
佐藤さん こんにちは 
きょうは遠方まで出かけて新しい風を吸ってきました。

> この歳になると手ごたえのないものはどうも持続できません。
(注:これは佐藤修のメールからの引用です)

そうですね、まったくその通りです。
様々な助成団体への申請書(企画書)作りに長けたところが助成をものにすることは、確かにもっともなことではあるのですが、
果たしてその助成金がうまく活用いや実働しているかといえばいささか眉唾の団体が多く(私もそうかもしれませんが)、
お金に羽が生えてどこかに消えていくことが多いような気がします。

その一つには、頂いたお金(あぶく銭)はなかなかその場に居着いてくれない性格をもっているのではないかと思います。
例えば、私がいま考えているディサービスに対して、もしも助成としてではなく150万貸して(融資)いただけるならば、
当然返済できるようにきちんとした資金返済計画を立てるでしょうし、いいかげんなことはできません。

NPO事業サポートセンターのHPに「NPO支援融資サービス」について下記のような記載がありました。

『民間の企業経営と同様に、NPOにおいても事業開始時の立上げ資金や事業を継続す
るために必要な繋ぎ資金・運転資金、その他にも緊急時の引き当て資金など、活動を
営む上で様々な資金が必要となります。
 これからNPO法人化をする団体や既にNPO法人を運営している団体に潤沢な資金があ
れば、こうしたケースに資金対応することができるわけですが、まだまだNPO法人が
誕生して間もない我が国では、多くのNPOが十分な事業資金を持たず活動資金繰りに
苦労しているというのが実際のところです。
 NPOが活用できる資金調達方法には、寄附や会費、助成金・補助金、受託事業収入
や自主事業収入など様々な方法が考えられますが、特にNPOの行う社会問題の解決活
動や地域課題への取り組み活動などの事業活動を支える資金を融通する仕組みとし
て、金融機関の積極的な取り組みが期待されています。

 多くの金融機関が、従来的な担保主義や実績主義に基づき融資審査を行っているこ
とから、現在成長過程にあるNPOに対して資金融資を行う金融機関は非常に少ないの
が現状です。こうした状況にも関わらず、2003年には当センターの要請を受けて、
中央労働金庫がNPO向けの資金融資条件をより利用しやすいものにしたり、 さわやか
信用金庫がNPO向けの資金支援サービスを開始するなど、我が国におけるNPO向け支援
融資制度も一定の前進をしてきています。 』

また、今年度こちらが助成を受けた「白いリボン運動」の配分を受ける資格として
『配分を受けようとするものは、翌年度の白いリボン運動の募金活動に積極的に取り組む意志を持つものであることとする。』
などと、助成を受ける団体になんらかの担保をしておくことも少々厳しいのですが、あってもよいのではないかと考えます。

コムケアセンターが金融機関でないために貸金業は当然営めないのでありますが、
貴重なお金を使いきるのではなくもしも循環できるとすれば、もっとたくさんの活動を全国に展開していけるのではないかと浅はかな頭で考えました。

■カッコ-の巣の下で。(2005年7月7日)
佐藤さん こんばんは 
寝付かれぬ夜を迎えています。
永年関わっている知的障害を持つSさんが日曜日に入院したとのことで昨日様子を拝見に伺いました。

入院といってもどこかが怪我をしたとか、どこかが悪いとかというものではなく、自作自演による「死んでやる症候群?」に周囲が驚き、また名演技によって精神科病棟でしばらくお世話になっているというだけのことなのですが、殆どの精神科病棟が認知症の病棟に鞍替えしている中で、久しぶりに前近代的な病棟の中へと足を進めました。

普通病院にはお見舞いに行くというはずですが、なぜか精神科病棟へは「面会」という言葉が当たり前のように存在しています。
受付の事務所で「Sさんに面会したいのですが。」と申し出ると、なぜか受付の担当者が怪訝そうな顔で私の顔と胸につけた名札を何回も往復させて、「Sさんの入院の手続きがまだできていないのですが、月曜日に手続きをする人が来るからと聞いていたのですが、もしかするとあなたでしょうか!?」と切り出されたので、「いいえ、私ではありません、今日は面会にやってきただけです。」と話すと、どうやら人違いだということがわかったようで、安心したようにSさんの病室を教えてくれました。

最近では一日中鍵のかかった閉鎖病棟は社会的に問題視されたためか、どこの精神科病棟も一応開放病棟となっているようです。
二階にある病棟のドアの前には入院患者の男性が2人廊下に座って煙そうにタバコをくゆらせておられました。

ドアを開けると、久しぶりに味わう精神科病棟独特の雰囲気が押し寄せて部屋の中にいる入院患者の人達がいっせいにこちらを振り向きます。
その中に看護婦さんがおられ、「なにか御用でしょうか?」と足早に走り寄って来られて訊ねられるので、「Sさんに面会に来ました。」と話すと、「しばらくここでお待ちください。」と広い食堂のような場所にある椅子を勧められました。

しばらくするとSさんがニコニコ顔で奥の部屋から出てきました、「まぁ、よく来てくれましたね!うれしいです。」と普段は私に使わない余所行きの言葉で話しかけてきます。
周囲の入院されている人達が一見無関心を装っているように見えるのですが、けだるそうな動きの中にも突き刺さるような鋭い視線を感じました。

Sさんはとても上機嫌で、入院する前の不機嫌な切羽詰った表情とは段違いの明るい表情です。
一方的に饒舌にまくしたてるSさんとしばらく会話をして、「また、来るから。」と言って部屋を出ようとフト!看護婦詰所を見ると、看護婦や医師が食い入るようにこちらを向いていることに気づきましたが、すぐに視線を外されてまたそれぞれがいつものように業務をこなしておられました。

案内してくれた看護婦さんにお礼を言って部屋を出て行こうとすると、ちょうどドアを開けて入ってきた白衣を着た若い医師が「こいつはいったい何者だ!」というような目で私の頭からつま先まで眺めながら通り過ぎていきました。

部屋を出て階下に降り、外に出ようとするとドアに鍵がかかっていて他の部屋のドアを開けようとしても鍵がかかったままです。
ドアには「5時以降は鍵がかかります。」と張り紙がしてあります。
どうしたものか困っていると、向こうからドラマにでも出てきそうな当たり役の看護婦さんが現れて「5時以降はどこも鍵をかけるので、鍵がないと外へは出られないのですよ、今鍵を開けますからしばらく待って下さい。」と言われ白衣のポケットから取り出した鍵でガチャガチャと音を立てて開けてくれました。

これでやっと外の空気に触れることができました。
Sさんにとっては現実から逃れられる今は唯一の楽園かもしれませんが、とても私には耐えられそうもない息詰まる貴重な体験となりました。

■失語症ライブ。(続編)(2005年7月7日)
佐藤さん 
イベントは毎度のことながら準備がかかった時間だけ後片付けの時間がかかるといいますが、手間取っています。

さて、いよいよ「遠藤尚志さんの失語症ライブ」の始まりとなりました。
失語症をお持ちの方1名と介助役をされる2名の介助者との組み合わせを参加者の中から希望者で決められて、その方達を中心に円陣型に椅子を並べて参加者全員が座ります。

先ずは、お互いの挨拶から始まります。
遠藤講師が失語症をお持ちの方に向かって「こんにちは」と背中に手を当てられてゆっくりと話しかけられます。

Tさんは一生懸命口をモゴモゴさせてはおられますがなかなか言葉になって出てきません、すかさず遠藤先生:「いいですよ、ゆっくりと始めましょうね。」
「それでは、これから隣に座っているかわいい女子高校生さんに私が今から『こんにちは』と言いますので、大きな声でゆっくりとTさんに口の動きが見えるように挨拶して下さい。」

恥じらいの真っ最中の高校生は顔を真っ赤にしながら、ゆっくりと「こ・ん・に・ち・は」と口を動かします、すかさず遠藤先生:「どうですか、Tさんわかりましたか?」と訊ねられます。
Tさんが言葉にならない声を「ア・ううう・・・」と喉の奥から絞り出されます、遠藤先生:「そうですね、意味は充分わかっておられのですね、大丈夫ですよ!」と励まされます。

遠藤先生:「では実践です、介助役の方はもう一度ゆっくりとTさんに向かって相手の目を見ながら大きな声で口を動かしながら挨拶をして下さい、はいドウゾ!」介助役の高校生は少し慣れたのかTさんに「こ・ん・に・ち・は」と大きな声でゆっくりと話し掛けます。
Tさんが「こ・こ・こ・こ」と声を出されると、遠藤先生:「Tさんそうですよ、高校生の口元をよく見て口の形を真似してみてください、はいもう一度!」と何度も繰り返されます。
しかし、なかなかうまく言葉が出てきません。

すると、向かいに座られていたやはり失語症をお持ちのNさんに遠藤先生:「では、NさんTさんが挨拶をされていたのを見ましたね、隣に座っている若い素敵な女性から大きな声で挨拶をしてもらいますので、Nさんも大きな声で挨拶を返してあげて下さい。」

介助役の女性が「こ・ん・に・ち・は」とNさんの手をとって話しかけると、Nさんが「こ・こ・ん・ち・・・。」と発声されるので、遠藤先生:「あれ?もう少しですよ、介助役の方の口の形をよく見てもう一度やってみてください、ハイ!」Nさんが介助役の女性の口を見ながら「こ・こ・ん・に・ち・は」と上手く発音されて会場全体から大拍手です、Nさんもうれしそうです。

遠藤先生:「Nさんよくできました、でもTさん少しもあせることはないですよ、同じ失語症といっても脳にある言語中枢の損傷が人それぞれに違うのですから今すぐにできなくても良いのですよ、ゆっくりとやっていきましょうね!」と話されるとTさんも納得されたのか笑顔で頷かれています。

遠藤先生:「少し注意です!他のグループの人達が話す訓練をしているときでも、自分の担当である失語症をお持ちの方を絶えずじっと観察していて下さい、口元が動いたり体の表現があればしめたものですから。」

遠藤先生:「では、次に自己紹介へと進めます。」
遠藤先生:「Tさんと言われるのですね。」と背中に手を当てられてやさしく話しかけられます、しかし失語症という障害を持たれた本人は知らんぷりで、慌てて後ろに座っておられた奥様が「あなた!ちゃんとハイそうです!と言わないと!!」

遠藤先生:「毎日介護をされる奥さんの気持ちはわかります、でも申し訳ありませんが、今日の言語訓練は失語症をおもちのご主人が主役ですから、どうか奥さんが主役の座を奪わないようにご協力をお願いします。」と話されると、会場がどっ!と笑いの渦に包まれます。

遠藤先生:「では、隣に座っている高校生のお嬢さんに再び登場していただきましょうね!」「え〜と、お嬢さんのお名前はKさんと呼べば良いのでしょうか、はいわかりました、ではKさんTさんに向かって『Tさん、お元気ですか!』とゆっくりと大きな声で話しかけてみて下さい。」
高校生:「Tさん、お・げ・ん・き・で・す・か。」するとTさんが「ハ〜〜い!」と大きな声で受け答えをされました。
会場の参加者から大拍手です、呼びかけないのにTさんとてもうれしかったようで何度も「ハ〜〜〜い!」を繰り返されるので、後ろに座っておられた奥さんが静かにするように諭されます。

遠藤先生:「奥さん、どうか今日は遠慮なく主役のTさんに話をさせてあげてください、失語症者はなかなか自分の思うことを周囲に理解されないのでいつも孤独と闘っているのです、たまにはリラックスするのが言語を取り戻すには必要なことなのですよ!」と話されると、奥さんは黙って後ろの席に戻られました。

Nさんにも同じように介助役の方が挨拶をされると、Tさんの真似をされてNさんが「ハ〜〜い!」と言われると全員で大笑いです。
遠藤先生:「だいぶん、それぞれが打ち解けてきましたね、これが一番大事なことですよ!では、そろそろピアノの先生を教えるピアノの先生にご登場いただいて『365歩のマーチ』を全員で体を動かしながら一緒に歌ってみましょう。」「いまどきの高校生は知らない曲かもしれないな〜〜。」
       《中略》
遠藤先生:「それでは、そろそろ予定の1時間が経ちましたので最後に『ロンドン橋渡ろう』の曲で『頭・肩・ヒザ・ポン』をやってみましょうかね!」
「この曲は失語症友の会の皆さんと一緒に車椅子でドイツやアメリカまで旅行に出かけて行き、向こうでその国の失語症の会の方々との交流会をする時に、いつもその国の言葉で歌う曲なのですよ、これがなぜか結構受けるのです。」

ここまで来ると、会場全体が一体となっていてお互いがなごやかな雰囲気に包まれていて、体も自然に動いて、当初の失語症者と介助者という関係はなくなっています。
遠藤先生:「では、行きますよ〜!あたま・かた・ひざ・ポン!ひざ・ポン!ひざ・ポン!ですよ、皆さんいいですか〜、伴奏者の方よろしくお願いしま〜〜〜す。♪〜」

失語症を持つ方々とは初対面であり、しかも『失語症ライブ』なるものがいったいなにかもお互いに全く知らぬまま、日々現場で取り組まれているST(言語聴覚士)の方々から高校生までと幅広い参加者35名での摩訶不思議な出会いはこうして無事盛会に終了したのでありました。


〔第51回〕

■もぎたてトマト。(2005年6月29日)
佐藤さん おはようございます。
今朝は早く目が覚めたので、畑の周囲の草刈をしました。

以前は、チップソーという円盤型の金属の周囲にノコギリ刃がついたもので草刈をしていたのですが、
尺八の師匠がいつも愛用されているナイロンのひもがブンブン回って草を刈り取るものが軽くて石の周囲も綺麗に刈れるからと勧められて使ってみると、
ややコツはいりますが、なるほど石のたくさん露出した場所にはうってつけのものです。

草を刈っていると、蛙やトカゲが驚いて飛び出してきます、ときにはニョロリと私の苦手な蛇も這い出してきます。
人間にとっては邪魔者である雑草も、小動物や昆虫からすれば快適な住処なのでしょうから、もしかすると彼らにすればハタ迷惑なことかもしれません。

生き物の世界全てが弱肉強食の駆け引きでこれまでバランスが保たれてきたのでしょうが、
最近の人間界における自分さえ良かれとする駆け引きにはどうもついていけません。
家族のため社員のため会社のため地域のためと一見筋は通っているような理屈を並べ立ててはいるのですが、
そのためには少々の悪事には目をつむり強気を助け弱きをくじきということが、あたりまえのようにまかりとおるという不条理。

もの作りが身の回りから消えてきた頃から、おかしくなってきたのかもしれません、
お金さえ出せばなんでも手に入ると思い込ませた結果が今の摩訶不思議な社会を作り出したのかもしれません。

草刈を終えて汗をふいていると、スーパーのトマトではとうてい味わえない、
昔ながらの少し酸味のある露のついたトマトを奥さんが手渡してくれました。

■パイプライン(2005年7月1日)
佐藤さん こんにちは 奥様のお具合はいかがでしょうか。
連日のスコールのような突発的な雨のおかげで庭木や畑への水遣りからは逃れられるものの、
待ってました!とばかりにぐんぐん伸びていく雑草達には困りものです。

北陸地方では豪雨のために水害が起こり、その反面西日本の各地では渇水騒ぎというおかしな現象が起こっておりますが、
おらが国意識を捨てて国内にパイプラインをひけば良いのではないかと以前から考えているのですが、いかがなものでしょうか。

産油国での気の遠くなるようなパイプラインを作り上げた実績のある我が国の商社ですから朝飯前の簡単な仕事のように思うのですが、
奥さんからは「なにを馬鹿なことをいってるの!」といつも冷たい視線を浴びせられています。

ある日突然!山の中に誰が通るやらわかりもしない道路を作ったり、
タダ同然の破格値で売り飛ばす建物や施設を作るよりも国民は喜ぶと思うのですが・・・・

〔第50回〕

■身近な幸せ!(2005年6月12日)

佐藤さん こんにちは 
昨日の雨で畑の野菜や庭の木々も潤い、人間のこころまで和やかにしています。

今朝は、昨日友人の電気屋さんからいただいてきた赤レンガを使って、家に入る坂道のほとりに小さな花壇作りをしました。
舗装のほとりが40cmほど空いていて、いつかはなんとかしなくてはと思いながらこれまで放っておいた場所です。

掘ってみると殆どが瓦礫のため掘り取って移動させ、その後レンガを並べていきました、平地ではなく坂道に並べるというのは結構コツがいるもんだということがよくわかりました。
その後、和牛を飼っている知人から頂いた牛堆肥と石灰を撒いて土作りも無事終了し、あとは奥さんの出番として苗を移植するだけとなりました。

たったこれだけのことで、半日かかりました。
午後からウトウトしていると、奥さんが「たくさんできた豆を使って柏餅を作るから、カシワの葉をとってきてくれない!」というので、長靴をはいてすぐ裏の山沿いを歩くとすぐに目の前に
大きな葉が垂れ下がっているのを見つけることができました。

以前は日曜日になると、いつもどこかへ出て行くのが当たり前のような生活をしていて家の改修や園芸なんぞ見向きもしなかったのですが、土曜日までに材料をそろえておいて土・日を利用して体を動かすことが楽しみになっています。

昨日は、尺八仲間のダンプの運転手さんに砕石を11トンダンプで持ってきてもらったので、一輪車とスコップとであちこちの道普請を行いました。
しかし、残りはまだ山のようにあります、「スコップ何杯分か!」と考えれば頭痛がしそうですが、明日から気長に少しづつ片付けていこうと楽しみにしています。

■骨肉の争い(2005年6月16日)

佐藤さん こんにちは 
毎日暑い日が続いておりますがいかがお過ごしでしょうか。
テレビでは毎日若貴騒動を面白おかしく報道しておりますが、ある意味では現代の様々な現象を象徴しているのかもしれませんね。

本日は、以前お話したこともある、一人暮らしの96歳になるある男性Aさんが認知症となり、8人兄弟のうち生き残っている5人兄弟の壮絶なバトルの続編です。
ある日認知症となったAさんの相続を独り占めしたいと考えている一番末の妹(75歳)から、他の兄弟それぞれに「お兄さんは痴呆症となり今24時間ヘルパーがきているけど、私の住んでいるところに近い有料老人ホームに入れることにしたから、よろしくね!」というような電話をしてきたそうです。
本人の意向はどうなのかとある兄弟に聞いてみると、「本人は自宅で過ごしたいそうだ。」とのことでした。

最近、松岡洋子さんの書かれた『21世紀・デンマーク高齢者福祉レポート』を読んでいると、つくづく北欧やドイツで過去に失敗した二番煎じをしている我が国の介護保険のあり方に疑問を感じています。

デンマークでさえ高齢者を介護の対象としてみる「介護」(ケア)の時代から、「自立支援」(セルフ・ヘルプ)時代へ移行するまでに40年かかったようですが、いったい我が国では今後どのくらいの時間を要するのでしょうか。

高齢者の身の回りの世話や食事介助など、できないことを代わりにしてあげる「介護」(ケア)から介護予防に切り替えて少しでも財政負担を少なくしようとする強引な政策に切り替えようとしています、しかし本来は高齢者本人が「こう生きたい」「こうしたい」という「したい」に焦点をあてたケアに早くなって欲しいものですが、なぜそうならないのでしょうか。

ハンディを持つ人達の支援費の世界も同様で、相変わらず「できないことをできるようにしてあげよう」という時代錯誤的な段階で、介護よりは進化したとはいえ基本的には「できない」ことに焦点をあてるのですから、本人に自信や自尊心の喪失といった負の要素が残ることが今になってよく理解できます。

介護や福祉がかって国から甘い汁を吸っていたJAや土建屋さんの本業として定着しつつある現状の中で、ますます厳しい貧しい福祉の時代に突入しつつあるのかもしれません。

〔第49回〕

■分岐点(2005年6月6日)

佐藤さん こんにちは 
本日こちらは快晴ですので、9ヶ月ぶりに愛犬ガクちゃんの洗犬をしました。

さて、昨夜NHKのテレビ番組でトップ・アスリート同士の対談場面がありました。
これまで行ってきた方針を大きく変えて新たなやり方にどのように挑戦していくべきかどうかというものがテーマでしたが、
一方は慎重派でありもう一方は型破り派とでもいうのでしょうか両者のタイプはまったく違うのですが、
同じやり方では今は良いとしても次の試合では勝てないということは当然のように両者は一致しています。

これまでの優勝経験やプライドを持った過去の輝かしい自分を捨てて、あらたな自己を確立しようとするのですから大変です。
これは、トップ・アスリートに限らずこれまでにはない、またどこにもない新しいことに挑戦しようとする人達全てに共通する永遠のテーマなのかもしれません。

地縁血縁にしがみついて、休まず・サボらず・仕事せずでひたすらエスカレーターを上っていく人達にとってはまったく無縁のことなのでしょうが、
あらたな時代をこれから作ろうとする人達にとっては大変興味深い番組となったのではないでしょうか。

どちらの選手も40代となり次第に体力が衰えていく中で
今後あとどれだけスポーツ界で生き延びていくことができるか、
また40代にならなければ味わえなかった心のゆとり感を今後の試合にどのように生かせることができるのか、
どうやら両者にとって金メダルは通過点のようです。

■自己決定(2005年6月7日)

佐藤さん 
今朝は曇り空です、早く雨が欲しいと野菜や草花達が空を仰いでいます。

今朝の新聞に、アルツハイマーの母を永年介護をしている男性についての読者からの反応を載せていましたが、
ある介護老人施設に勤務する女性から介護の大変さを同情して「施設利用も考えられた方が良いのでは 。」というものがありました。

当人からすれば、きっと軽い気持ちで書かれたのであろうとは思うのですが、
介護をする家族からすれば、施設利用するのならば最初からこんな苦労はしないだろうとの声が聞こえてきそうです。

現在の貧しい我が国の福祉では、在宅or施設の二者選択の受け皿しかなくどちらにしても内容は充分とはいいがたい状況ですね。
大切な家族が現行の制度上では、ある日突然に「人」から「モノ」に変身して
関係者以外の判断により生命を委ねざるをえないというお粗末なものにすげ替えられつつあり、
とても『自己決定』などほど遠い状況です。

今朝は、先日結石の摘出手術をした知的ハンディを持つ義弟に対して奥さんが「どう?今日から通所施設に行って見る!」と訊ねると、
「いいや、行かん。」と自分の意見をこれまで50数年間ほとんど喋らなかった義弟が話しました。

4歳の時から入所施設に本人の承諾も得ぬまま家族の都合により入り、
当時の凄まじい施設体験の中ではとても自己決定などという状況はなかったでしょうし、
いつも周囲の判断で物事が決められてきたように思います。

近年になって、やっと医療や介護・福祉現場でも『自己決定』という言葉が定着しそうになってきましたが、
時代の流行としてではなくハンディを持って生まれた彼らや利用者にこそ一番必要なものだという認識を、
周囲で見守る人達が心にとめておかねばならぬのだと感じています。

「社会福祉法人」「介護」「福祉」「授産」「労働」「保育」すべて大切なことです、
しかしそれはあくまでもハンディを持って生まれてきた彼らに対して周囲の人たちが最高のもてなしをするための手段であることを忘れてしまったのでは、
これまでの悲しい歴史は再び繰り返されるばかりではないでしょうか。

■主導権(2005年6月9日)

佐藤さん おはようございます。
しばらく前から時折右上腕部が引きつるように痛み我慢していたのですが、
今朝起きがけに痛む腕を体の下にした途端に「ボギッ!」と音がして、
その瞬間から痛みが少し取れて腕が回せるようになりました、骨が少しずれていたのでしょうか。

さて、昨夜のテレビで太平洋戦争末期に沖縄の洞窟内で亡くなられた方々の遺骨収拾をされているご夫婦を取り上げた番組がありましたが、
戦後60年経ってもまだまだ戦争の尾を引いていることに気づかされました。

いまにも崩れそうな狭い洞窟に入って一生懸命クワとスコップだけで掘っておられる姿には頭が下がります。
本来もっと早く国が取り組むべきことだったのでしょうが、これはいったいどうしたことでしょうか。

今の政治を横から拝見していると、全てのことにおいてどうも裏で利権がらみで動いているようにしか見えてなりません。
選挙のとき以外は、どうやら国民不在がやりやすいようです。

「障害者自立支援法」なるものに対しても、各障害者団体から問題点を指摘されているようですが、
これもそれぞれの障害種別団体・施設の利権がらみに見えてきます。
コムケア・センターが目指す『大きな福祉』とは程遠いものだと感じています。

なぜ「同じ人間としてあたりまえの生活ができるように」と障害種別を乗り越えて歩み寄ることができないのでしょうか、
殆どの事務局は健常者であり元教育者であったり名誉職がいたりするせいかもしれません、
肌で感じる温度差があまりにも違いすぎるのではないかと思います。

ハンディをもつ人達が、自分の声で立ち上がり行政や代弁者から主導権を取り戻す日がやってくるのは、まだまだ程遠いのかもしれません。



〔第48回〕

■経営効率。(2005年5月27日)

佐藤さん おはようございます。
昨日、2004年度の活動報告書が無事届きました、ありがとうございます。

知的障害をもつ52歳になる義理の兄が、昨日すい臓に溜まった結石摘出手術を行いました。
若い担当のDrは当初、殆ど喋らず自己表現をしにくい兄に対して果たして手術をしてもよいものかどうか躊躇していたようでしたが、
院長の「こんなに大きくなった結石は早く出しましょう!」の一言で手術となりました。

なんとか無事手術も終わり、京都に嫁いでいる看護婦の義理の妹が昨夜から付き添ってくれているので、今朝は病室まで弁当と珈琲を持参しました。
義理の妹が勤めている病院では夜勤者が3人いるものの200mの通路を行ったり来たりと本当に仮眠する暇もなく、昨夜はよく眠れたと話してくれました。

昨夜は、県の主催で病院や介護関係者が集まり「緩和ケア」の講演会及び発会式があったのですが、
癌の末期患者に限らず認知症やさまざまなハンディを持つ人達そして支える家族にも、
誰もが気持ちよく一生を過ごすことのできる地域作りができたら良いなと感じました。

たくさんの顔見知りの介護関係者がおられましたが、どの顔もお疲れモードのようです、
これでは良いサービスも提供できないでしょうし、目の前のハエを追うのがやっとかもしれません。
経営効率も大事でしょうが、永い目で見ると病院や施設などの一角に、
先日私が体験したような癒される空間とサービスを提供できる人がいて、
家族もたまには利用できればもっと暮らしやすくなるのではないかと思いました。


〔第47回〕

■ぼかし肥!(2005年5月17日)

佐藤さん こんにちは 
こちらは朝夕は寒いくらいですが、日中は県下最高の気温が続いております。

ゴールデンウィークから園芸に目覚めて、永年放っておいた庭木を選定したり殺虫剤を撒いたり肥料を施したりと、
普段あまり使わぬ筋肉を使うせいか両肩の肩こりに毎夜悩まされています。

図書館で借りた、『30坪の時給菜園』中島庸甫 著 を読んでいてオモシロイ箇所がありました。

「いろいろな試行錯誤や失敗を繰り返すうちに、だんだん野菜の作り方も上手になってきた。
とはいっても、まだまだ農薬なしにはできなかった。農薬に頼らず野菜ができないものか・・・。」
「ところがあるとき、野菜の残さ(残りかす)などを放ってあった畑の隅に捨てておいた種が芽生え、
ちゃんと作ったホンチャンの作柄をしのいで素晴らしい生長をしているではないか。
十分耕していない、いわんや肥料もまともにやっていない場所で、無農薬である。これは何なのだ。
人が野菜のためによかれと手をかけたことが、必ずしも野菜のためになっていなかったのだ。」

「そのとき、山に自然に育つ野生の植物の営みが浮かんだ。
落ち葉をザックザックと踏みながら森の奥に押し入り、自然に堆積した落ち葉の下を観察する。
上部の枯葉を二、三枚取り除くと、小さな生物がうごめき、中には白い菌糸がまとわりついた堆積物が露出する。」
「この層を手でそっとどけると、その下には黒々とした葉の形跡をまったく残さない、少し水分を帯びた団粒構造の土が現れる。
これこそが植物を育む母なる大地である。
この大地は、落ち葉が何年にもわたって堆積し、
次から次へと小動物や微生物によって分解されて作られた腐食物質が、
地表を構成する母材の鉱物と混合してできた腐食土壌なのだ。」

<中略>

「ここでもう一度、化学肥料が日本で使い始められたときのことを考えてみたい。
それまで堆肥や堆きゅう肥、有機質肥料(ぼかし肥)などを主体にした肥料をコツコツ入れてきた田畑に、化学肥料を少量入れた。
高価だったからたくさん使うことができなかったわけであるが、目を見張るような育ちをしたと先人たちはいう。」
「これはいいと、銭の許す範囲で化学肥料の使用量を増やして飛躍的に収量を上げ、食糧難の克服に大いに貢献した。
そのうえ、高価な化学肥料だけで栽培した野菜は、人糞も畜糞も入らないので『清浄野菜』ともてはやされたのだ。」
「そして、しだいに化学肥料を腹一杯に施すようになった。
有機物の不足から知力がだんだん低下してくると『肥料をたくさん与えると栽培がうまくいく。』
との過去の成功体験から、地力を補うかのように、さらに量を増やしていった。」
「その結果、病害虫が多発して農薬なしには野菜ができなくなり、亜硝酸態のチッソ成分の多い病的な野菜が多くなっていった。」
「そのため『元凶は化学肥料だ』と、あたかも化学肥料が毒物のようにいう人が現れた。
清浄野菜を作る、作物増産になくてはならないという金バッジのイメージから、
一転して化学肥料は悪者だと囚人服を着せられるに至ったのである。」


我が国が食料の自立に至るまでに回復するには、とてつもない時間がかかりそうですが、
さまざまな○○信仰とおさらばして新たな発想に切り替えていく必要がありそうですね!
そろそろ日が傾き始めたので、これから草刈を始めます、
こころのケアにはもってこいの作業です。

■転機。(2005年5月21日)

佐藤さん こんばんは 
土曜日は園芸の日と自分で勝手に決めて、午前中は庭の草取りをし、
午後からは千葉市に住む長男夫婦へのプレゼントにと紅葉と楓の盆栽をを化粧鉢へ植え替えました。

以前は庭の草取りは腰や肩が痛くなるので苦手でしたが、好きこそもののナントカで自分でも不思議なくらい楽にできました。
土日がくれば外に出ることばかり考えていた時代もありましたが、内に目が向き始めたということは果たして良いことなのかかどうか・・・・。

先日、肩は凝るし頭痛はするしで、前々より妹から勧められていた「レイキ(霊気)」の体験をしました。
以前から長野県やハワイに出かけて研修を受けているとは聞いていたのですが、
やや怪しげな気がしながらもだまされたつもりで、指定された場所へと向かいました。

なんでも「トリートメント」という女性専用コースを試しにやってみるからと、
まずは靴下を脱いで足を風呂場で洗ってくるよう促されてそのとおりにすると、
足湯バスが用意されていて足をつけるとアロマをお湯の中に入れたり体のあちこちにもスプレーでふりかけてBGMはハワイアンから始まります、
普段良い香りとは無縁の私でも結構イケルような気がしました。

次第に気持ちよくなり少し眠くなってきました、
しばらくすると足湯から出した足をふきながらアロマをふりかけつつ足先から揉んでくれます、
医療関係者や介護関係者の常連がよくこられるとのことでしたが、
確かにいつも対人サービスをするばかりの職種の人は、たまには逆にこのようなサービスを受けるのもよいことかもしれません。

約90分コースで全身をアロマテラピーでしっかりとつつんでいただき、体中がなんだかけだるい状態となりました。
途中で各部所に『気』を注入しているというのが、少し理解に苦しみましたが、以前受けた手かざしに似たようなものを感じます。

全てのコースが終了したのち、好きなドリンクを注文できるので日本茶をお願いして、
その後できれば体験談を話して欲しいとのことでしばらく一緒に話をしました。
要するところ、心と体のバランスが崩れることにより様々な病気や体調不良が起こってくるということのようで、それはもっともなことだと思いました。

近年の癒しブームに対する反論もあるようですが、
たまには小汚いオジサンもアロマの香りに浸ってみるのも案外良いものかもしれません。
効能はすぐには出てこないとのことでしたが、折々紹介してみたいと思います。

〔第46回〕

■消費文化(2005年5月6日)

佐藤さん おはようございます 今朝は雨模様です。
この連休いかがお過ごしでしょうか!?

私は、屋根に積もった雪の重みで変形したり穴があいている自宅の雨樋の取り替えに挑戦しました。
親父が昔板金工をしていたので、子供の頃何度か手伝いをしたことがあるものの、
当時の雨樋は石油製品ではなくブリキを加工したものだったので、とても素人では手におえるものではありませんでしたが、
最近はプラモデル感覚でなんとかできそうな気がして取り組むことに。

まずは、修理箇所の長さを測ったり、必要な部品をメモして地元のDIYセンターへと出かけてみました。
園芸用品を求める人や、私と同じように雨樋の部品や家の修繕用品をを探している人たちがたくさんいてごったがえしています。

近くにいたアルバイトらしい若いお兄さんに、その場所にはない部品について聞くと案内しながら移動コンテナにいれて運んでくれ、
ついでに車の無料レンタルをお願いすると貸出し用のトラックに積んでくれました、最近はサービスが大変良くなったものです。

先日読んだ『古くて豊かなイギリスの家・便利で貧しい日本の家』(井川慶子 著)の中に、
「家でも何でも使い捨てるという感覚が危ない。家の補修はすべて自分達がやるのがイギリス流。」
という内容がありました。

「築年数のたった家を補修や手入れをしようと思ったとき、基本的な知識や技術がなければ対応することができない。
イギリス人は食器を洗ったり、花を手入れするのと同じ感覚でペンキを塗り、大工仕事をする。
母親は家具やファブリックにこだわり、父親は家の補修をプラモデルを組み立てるように楽しむ。
そんな親の姿を見て育った子ども達は、家は手を入れながら住み続けるものだと自然に思うのだ。」

「イギリスでは、住居サービスの分野への女性進出が目覚しい、
最近では地方自治体の住宅局で約4割、住宅協会で6割の女性が専門職についている。
また、、女性の建築家、都市計画化、レンガ工や大工、フェミニスト建築家グループまで、続々と誕生している。
こんな背景には、やはりイギリス人と家との深い関わり方があると思う。」

「日本では『ご主人』が『奥さん』に家を買い与えるという感覚が永年はびこってきた。
『ご主人』は家を買ったら最後、ローンを払うためにせっせと働き、残業もいとわない。
そして手に入れた家は『奥さん』と子どもの城になっていく。
『ご主人』は仕事に追われ、ペンキ塗りも補修もやらず、それはすべて『奥さん』から専門業者に依頼されていく、
だから子どもや孫は、家は故障したら専門業者を電話で呼びつけ、手早く修理してもらうものだという考えしか持てない。
その結果、家や建築に興味が持てず、家具から庭の草花までどうケアしていいかも分からないまま大人になっていくのだ。」

「いくら物を買っても、そこから作り出す、持ちつづける楽しみを知らない子ども達は、
『もっと買いたい』さらに『何か買うものはないか』と町をうろつく。
家にいてもするべきことが分からないのだ。」

「心から満足できる、充実する暮らし方のお手本が彼女達の家庭にはなかった。
家族のステージである家からさまざまな物が作り出され、生み出されていく過程を目の当たりにできずに育ってしまった若い世代は、
買っても買っても埋められない空虚さをどうすることもできずにいる。
インテリア・料理・衣類・そして人との付き合いや人間関係までも、金をかけずにいくらでも作り出せるという大切な気づきが持てないまま、大人になってしまったからだ。」

「だから若い日本人は料理もできず、棚一つ作れない。
人間としての基本的生活能力を持たないまま結婚し、子どもを育てる。
そして、これは確実に次世代に引き継がれ、さらに物欲にまみれた日本人を作り出していく。」

「家づくりはオン・ゴーイング・プロジェクトと考えるイギリスの家からは、目に見えないたくさんのものが生み出されている。
それは消費文化とは対極のスタイルだ。」

■村社会(2005年5月7日)

佐藤さん おはようございます。
昨夜は驚くほどの豪雨がありましたが、今朝は一転して快晴です。

> JR事故の報道も、最近はうんざりです。
> 最近は事件がいつもイジメにつながっているのがとてもいやな気分です。

私も同感です、「いじめ」についてHPを検索していたら次のようなものがありまし
た。

『いじめは何故起こるのか?――「集団」というキーワードで考える』  高橋直樹

 課題図書の「日本の村」(守田志郎著  朝日新聞社  1978年)では、日本
の社会は共同体社会であるとし、また、その共同体社会からはみ出されたものが「都
市人間」である、といった。そして、共同体社会はそういったはみだしものを出すこ
とによって共同体を継続的に維持している機能があるのだという。

 こういった「はみだしもの」のようなイメージは、日本の村の維持という場面に限
らず、あらゆるシチュエーションで見ることができるのではないだろうか。ひとつの
社会−コミュニティといっても良いかもしれないが−を、継続的に維持していくため
に、あるひとつの個を「はみ出させる」、このような機能があらゆる場面で見られる
と私は思う。そんな中でも、特に悪い方向にその機能が働いているもののひとつとし
て、「いじめ」問題を取り上げてみることにした。

 「いじめ」は、何も小・中学校のみに起こるものではない。企業などでの「新入社
員」いじめなどもよく聞かれる話である。また、「いじめ」の定義は明確ではない。
いじめられている人以外−いじめている人やそれを端から見ている人達−はそれを
「遊び」であるとか「ふざけ」であるとか思っている場合が少なくない。そこにいじ
めが発見されにくい理由のひとつがある。

スケープゴータビリティというのは、スケープゴート(犠牲のヒツジ)という言葉か
ら生まれたもので、「犠牲のヒツジにされやすい性質や傾向のこと」をいう。ある集
団が存在し、その集団内で暴力・嫌がらせ・つまはじきなどのいじめ行為があった
時、その対象となる人間には何らかのスケープゴータビリティがあり、それが原因の
一端となったのだという考えがある。しかし、そのスケープゴータビリティは、具体
的に見てみると特に原因となりそうなものでもなく、誰にでもあるような要素である
ことが多い。強いていえばほんの少し、他の人よりも目立っていたり、秀でていた
り、劣っていたりする。それは本当にわずかであり、強調して指摘するには至らない
ようなものばかりである。

不満を口にだして言ったに過ぎない。ただ口に出しただけで、疑われ、いじめられる
結果になってしまったのである。このことから分かることは、はっきり言ってしまえ
ば、いじめるのに特殊な理由など要らない、ということである。せっかく盛り上がっ
ていたのに、その可能性をつぶされてしまった、その鬱憤を、社会全体はどこかにぶ
つけて、晴らしたかったのだと考えることができる。逆にそう考えなければ、このよ
うな事件が何故起こったのか、説明がつかない。「タテマエ」的な理由、それがス
ケープゴータビリティであるということができる。

では何故、社会全体(集団)は(個)に対して、鬱憤をぶつけたのか。何故いじめよ
うということになってしまったのか。このことについて、今村仁司が取り上げる「第
3項排除」という理論を挙げよう。以下に「第3項排除」についての引用を述べる。

 3人の人間がいるとします。3人とも仲良くすることはしばしばむつかしい。しか
し2人だけを仲良くさせることはできる。2人を前より一層仲良くさせるためには、
3人のうちのどれか一人を仲間外れにするのが一番の早道です。一人を仲間外れにす
ることは、倫理的には不潔な行為ですが、今はそれを問うているのではない。倫理的
にどうあれ、わたしたちは日常的にこれに似たことをしょっちゅうやっているのでは
ないでしょうか。いずれにせよ、3人のうちの1人を排除すると、2人の関係は緊密
になり、団結しやすくなります。共同の秘密という秘儀みたいなものも素朴ではあ
れ、生まれるでしょう。これが第3項排除の最も単純な構図です。

 3人である必要はない。人間が非常に多くてもかまわない。ひとつの集団の中に、
堅固な秩序が生まれ、人々を統括する権力が生まれるためには、誰でも良いが、とに
かく1人を排除(犠牲)することで十分です。排除される一人を除く他のすべての人
間たちは、前の例で挙げた「2人」と同じふるまいをするでしょう。全員一致、団
結、結束などが生ずるでしょう。…(*2)

「いじめ」というと、中学生などが集団で弱いものいじめをしているというイメージ
が強いが、現代においていじめというのは子供達だけの問題ではない。大人社会、企
業社会でも多分にあるものなのである。企業内でのいじめは大抵が新入社員を対象に
したものであり、「いじめ」という認知がされにくい。いじめる側は大抵「指導」で
あると思いこんでおり、それをいじめとして認知はしない。いじめられる側にして
も、自分はまだ一人前ではないというコンプレックスがあるため「指導」と「いじ
め」を明確に分離することができない。また、企業内でのいじめは陰湿なものが多
い。中学生のいじめと違って、暴力を振るったり、金を脅し取ったりというような類
ではない。

(中略)

この例においても、第3項排除の考えが適用できることは明らかである。またこの場
合では、「ストレスの吐け口だったんですよ。」というとおり、中学生に見られる、
社会や勉強に対する不安感などよりも、仕事上などのストレスからくる鬱憤を晴らす
という色合いが強い。あるいは、社員全体を統合し、社として一致団結をするとい
う、目的を持ったいじめも存在する。いずれにせよ、大人のいじめは、中学生に見ら
れるいじめよりもその原因となるものがずっとわかりやすいということができるので
はなかろうか。


〔第45回〕

■風景。(2005年4月26日)

佐藤さん おはようございます。
電車の痛ましい事故が起こりましたね、どうか運転手個人だけの問題として摩り替えられぬことを祈るばかりです。

さて、昨日市内を運転中に精神障害を持つ顔見知りの女性が若いスタッフらしい女性と手をつないで歩道を歩いているのを見かけました。
もう一組も同じように手をつないで歩いていましたが、どこかへ出かけて作業所へ戻る途中のようでした。

彼女も50歳を過ぎているので、ひとりで歩けぬ状態ではありませんし、
実家のある町では病院や店へ一人で出かけている姿をよく拝見しています。
親しい関係でお互いが手をつなぐのならばともかく、どうも変です。

この人たちにはハンディがあるのだから『保護』してあげなければ、という遥か遠き昔の時代を彷彿させる場面に出くわした気分になりました。
当事者の立場で考えた場合に、なんでもかんでも手取り足取り籠の鳥が果たしてうれしいものかどうか、
そろそろ第三者のオンブズマンの点検が必要な時期なのかもしれません。

田舎に住んでいると、未だに化石のようなお涙頂戴のバザーやお節介ボランティアの姿に出くわすことがあります、
それはそれで古代の遺物、いや我が国の福祉の遺産として丁重に保存しておくのも後世にとって貴重な資料となるのかもしれませんが、困ったものです。


■朱に染まる。(2005年4月28日)

佐藤さん おはようございます。
今日も良いお天気です、庄原市は県内で一番寒暖の差が激しい場所で体がなかなかついていきません。

さて、「朝2時起きでなんでもできる」の著者 枝廣 淳子さんから届いたMLに面白い内容がありました。

1980年代から90年代にかけて、ニューヨーク市は犯罪が伝染病のように広がっていました。
平均して年に2000件以上の殺人事件と60万件以上の重罪事件が発生していたのです。
貧しい地区では特に、麻薬取引やギャングの抗争が日常茶飯事となっていたため、
夕暮れ時になるとだれも外を歩かず、街路がゴーストタウンのようになっていました。
そして地下鉄は特にひどく、無秩序としか言いようのない状況に陥っていました。

1992年、ニューヨーク市では2154件の殺人事件が起こり、62万6812件の重罪事件が起こりました。
ところがその5年後、殺人事件の発生件数は64.3%も減って770件に、重罪事件もほぼ半分の35万5893件に激減していたのでした。

何が起こったのでしょうか? 
大規模な人口移動があって、犯罪に走りやすい人々が出て行ったわけではありません。
急にみんなが善悪の区別を意識するようになったとも考えにくいでしょう。
犯罪を起こしやすい人々はまえと同じようにニューヨーク市に暮らしていたにもかかわらず、
何らかの理由で、それら数万、数十万の人々が突然犯罪を起こさなくなったのです。
どういうことなのでしょう?

犯罪の多発する地下鉄の再建計画を監督した新しい公団総裁のディビッド・ガンは、
数十億ドルの予算を費やして、まず地下鉄の落書き清掃作戦をはじめたのでした。
当時多くの人が、もっと大きな犯罪問題に対処すべきだ、地下鉄全体が崩壊寸前になっているときに、
落書きにかまけるなんて、タイタニック号の甲板をごしごしこするのと同じぐらい的はずれだ、と批判しました。

しかし、ガンは頑として(^^;)譲らず、路線ごと、車両ごとに計画を立てて清掃していきました。
折り返し駅では、清掃基地を設け、もし一台でも車両に落書きがあれば、その場で消すか、その車両を外すようにしました。
徹底的に清掃したのです。

この落書き清掃作戦は1984年から90年までつづけられました。次に地下鉄警察の指揮官ブラットンは、
地下鉄内で頻繁に起こる重罪事件への対処として、同じく、一見見当違いに思える作戦をとりました。
無賃乗車の撲滅に取り組んだのです。
それまでは見過ごされていた軽犯罪のたぐいで逮捕された人の数は、1990年から94年にかけて5倍に跳ね上がりました。
そして、重罪事件は減っていったのです。

この劇的な成功を支えたのは、犯罪学者のジェームズ・ウィルソンとジョージ・ケリングが発案した「割れた窓理論」でした。
−−割れたまま修理されていない窓のそばを通りかかった人は、誰も気にしていないし、誰も責任をとっていないと思うだろう。
まもなくほかの窓も割れる。
すると無法状態の雰囲気がたちまちそのビルから向かいの通りへと伝わり、ここでは何でも許されるという信号を発しはじめる。
都市においては、たとえば落書きや風紀の乱れ、あつかましい物乞いなど、
比較的些細な問題のすべてが“割れた窓”と等しく、より深刻な犯罪の呼び水になる。

興味深い実話だと思いませんか? 
私はずいぶんまえですが、最初にこの話を聞いたときに、面白いなあ!と感心しました。
(一見すると、大きな問題に対する常識的な解決策に反するような理論なのに、それを大きな組織できちんと実践したことにも感心しました)

同時に、ゲシュタルト心理学に似ているな、と思いました。
ゲシュタルトとは、部分部分、または要素要素をひとつの意味ある全体像にまとめたもので、
「全体は部分の総和以上のものである」という考え方がゲシュタルト心理学の基本です。
(たとえば、私たちが「二」という漢字を読めるのは、ただの2本の棒(部分)からゲシュタルトを構成しているからです)

つまり、「犯罪に走りやすい人」がいたとして、この要素だけでは犯罪は起こらない。
これに「犯罪を犯してもだいじょうぶそうだ」という背景(別の部分)があってはじめて、犯罪が起こる。

とすると、犯罪を減らしたいなら、「人」だけではなく、その「背景」に取り組むこともできる。
すべての人を「犯罪なんて考えたことがない」という善人に変えなくても、目的を達することができる、ということです。

このアプローチは、「部分」だけを見るのではなく「全体」を見なさい、その構造(=システム)を見なさい、というシステム思考にも重なります。

システム思考では、システムの構造を分析して理解したあと、
そのシステムを変えるのに最も有効な介入点(レバレッジ・ポイント:てこをぐいと押したら大きく動くような、小さな力で大きな効果を得られるところ)を探します。
ニューヨーク市の例では、地下鉄の落書きなどがまさにレバレッジ・ポイントだったのですね。

〔第44回〕

■おかしな国ですね(2005年4月22日)

佐藤さん おはようございます。
今朝は、晴れてはいるものの時折突風が冷たい風を運んでいます。

さて、先週地元で行われた市会議員選挙の後味がどうにも悪く、スッキリとしません。
誰がなっても同じといえばそれまでなのでしょうが、あまりにも我田引水のための議員選びという構造が見えすぎて、
これでは市民活動などはるか遠くのことだろうなと諦めにも似たような気持ちがしています。

また、広域合併による市職員から社会福祉協議会までの人事をみても、
相変わらず一部の影武者により縁故決定されたことがよくわかります。
「オイオイここは江戸時代がまだ続いているのかい!」とおもわず口をついて出そうになります。

さて、暗い話ばかりでもありません!
脱サラをされて、ご夫婦で埼玉県から徳島県の山川町に移られ、
しんどくない農業兼作家に取り組まれている「今関知良」さんという方がおられ、
『てんとうむしの背に乗って』という素敵なホームページを作られています。

まだ数回メールを交換した程度ですが、
いつもホームページの「日記」を読ませていただき、とても明るくユニークな方だと感じています。
例えば、自分の幼少時代の「戦時中体験」を基盤に、現在起こっている中国や韓国との摩擦についても取り上げられていますが、
空虚な豊かさの今の日本では当時の裸足でかけりまわっていた時代を想い起こそうとしてもとても無理なことかもしれません。

言論の自由があるはずの我が国で発言できず、
言論の統制がある国で抗議デモが行われるという格差はいったいどういうことなのか不思議です!

〔第43回〕

■高齢者を災害から守る。(2005年4月15日)

佐藤さん おはようございます。
こちらの騒々しい市会議員選挙もあと少しとなりそうです、
しかしながら毎度の立候補者の名前の連呼には参ります、
今朝の地元新聞に「なにをどうしたいのかが、市民にはわかりにくい」という記事がありましたが、
立候補者から言わせれば「言うだけならば言えるけれど、実際には全て多数会派でモノゴトは決まるのだし
、とても一人の力では・・・」とどの議員さんもどうやら逃げ腰のようです。

先日、「庄原市においても判断能力のない方のために是非『成年後見制度』の市町村申立の活用をして欲しい」と
わざわざリーガル・サポート広島より手弁当でおいでいただき市福祉担当者と話をしていただきました。
事前にアポをとっていなかったという初歩的なミスはあったものの、
まさに正論ばかりで、行政側としては「財政を納得させるだけの根拠が欲しい」という答弁に終わりました。

また昨夜のテレビを見ていると、
兵庫県での水害地での問題をとりあげた「高齢者を災害から守る」という番組がありました。
ここでも行政側の「三位一体改革のなかで財政的なものは難しい、どうもお金がかかるものは・・・・」と、やはり逃げ口上ばかりです、
地域作りには確かにお金もかかりますが、それよりももっと多くの時間がかかることを忘れているのではないかと感じました。

どうやら国民不在は確かなようです。

〔第42回〕

■体験と経験からくる判断。(2005年3月28日)

佐藤さん おはようございます。
昨夜の「情熱大陸」というテレビ番組で、やっと「福島 智」さんと出会えました、
ただし視聴者としてですが。

以前、全盲ろう者というハンディを持ちながら、東京大学先端科学技術研究センターの助教授となった人がいて、
おもしろい発想をしているから一度どこかで講演を聞いてみたらと薦められていた人です。

以下、朝日新聞の記事よりの抜粋です。

日本の社会には今なお障害者や高齢者にとって様々な「バリア」が存在する。
 エレベーターのない建物は「物理的バリア」であり、利用困難なITは「情報
のバリア」を生む。また、障害者との結婚やアパートの入居に反対するのは「
心のバリア」の表れだと言えるし、障害を理由に、資格や免許の取得を制限す
る「欠格条項」などの「法制度のバリア」も深刻だ。
 「心のバリア」とは、まさしく差別意識であり、そして、この差別意識を実
体化させるものが「法制度のバリア」だろう。したがって、たとえば「障害者
差別禁止法」などの制定を通して「法制度のバリア」の撤廃をめざすことが重
要だ。
 しかし、そもそもなぜこうしたバリアが生じるのかを考えると、やはり「心
のバリア」の存在に突き当たる。では「心のバリア」はどうすれば除去できる
のか。コミュニケーションが鍵を握っているように思う。
 私はコミュニケーションは「心の酸素」だと思う。つまり、コミュニケーシ
ョンが不足すれば、心は「窒息する」ということだ。
 18歳で視力に続き聴力をも失った私は、他者とのコミュニケーションが断絶
される日々を体験する。それは魂の凍るような孤独の日々だった。やがてコミ
ュニケーションを取り戻し、本当につらいのは「見えない、聞こえない」こと
ではなく、他者との心の交流が消えることだと確信した。
 もちろん、コミュニケーションを持ったからといって、それで「心のバリア
」がすぐに取り除かれるわけではない。しかし、多くの差別は対話の不足から
生じる。そして、今の社会は、情報の氾濫とは裏腹に、他者とのコミュニケー
ションに飢えている人が多いように思う。障害者や高齢者と豊かなコミュニケ
ーションを持つことは、「心のバリアフリー」につながるだけでなく、多くの
人々が抱えている「酸欠の心」にとって新鮮な風となるだろう。
 自然環境に生態系があるように、人間社会にも、人と人とが織りなす「共生
の生態系」が存在するのではないか。もしそうなら、ある属性やハンディを持
つものが社会の中で軽視され、無視されれば、この「生態系」にゆがみが生じ
、ひいては社会の崩壊につながるだろう。バリアフリーの取り組みとは、社会
を崩壊から守り、「共生の生態系」を活性化させることなのだと思う。


番組の終わりに、福島さんが『社会の多くの人たちは自分の「体験」と「経験」とでモノゴトを判断してしまいがちであるが、
そこからはみでた「いろんな人」「さまざまな人」がいることを知って欲しいし認めて欲しい』という意見には救われた思いがしました。


〔第41回〕

■目線の高さ(2005年3月24日)

佐藤さん こんにちは 
こちらはみぞれが降ったり春一番が吹いたりと荒れ模様の天気です。

さて、昨夜「成年後見制度」の4回に渡る研修会がやっと終了しました。

昨夜は病院や介護施設・事業所などの現場関係者が多く、よく暖房の効いた部屋の中で緊張の余り背中を冷や汗がたらりたらりと流れました。
当日の講師として、リーガル・サポートの支部長さんにわざわざ広島市内からおいでいただき盛り上げていただきました。

参加者の殆どは俗に言うそれぞれ業界のプロと呼ばれている方々です、
職務上は司法書士でありながら「成年後見制度」の啓蒙に各地を奔走されている当日の講師に対して、
ごく一部ですがとても横柄な態度をとられる方々がおられました。
これは研修会を開催するまでの打ち合わせの段階でもすでに感じていたことですが、
平素「患者様!」「利用者さま!」と声高く叫ぶ人たちが、人を身なりや職業で絶えず天秤にかけて自分の位置を確かめているのです。

もしかすると私の思い過ごしかもしれません、奥さんが言うには「人間、誰もが持っているもの!」と一言で片付けられてしまいます。
彼らからすれば、講師として司法書士よりも弁護士を招いた方が良かったのかもしれませんし、
家庭裁判所からおいでいただいたほうが尚気に入ったのかもしれません、
どうやら制度について学ぶ以前の問題があったようです。

看護婦が看護師となり保健婦が保健師となったいきさつはどうもその辺にあるのかもしれません。
「士」よりも「師」のほうが、より立派に見えるということが私にはどうにも理解できません、
もしかすると凡人にはわからぬ白い巨塔の謎の部分なのかもしれません。

質問される内容を聞いていて、「痴呆」とか「認知症」と呼ばれている人達は
「モノ」としてこの世には存在しているものの「人」ではないような捉え方をされているようにも感じました。
確かに突然人の体にブツッ!と注射をしたり、患者さんの体を切り刻む光景を目の当たりにしたこともある人達でしょうから
いちいち感情的になっていたのはできない仕事なのかもしれませんが、
普段私たちが患者としてまな板の上の鯉となりベッドに横たわっている時には優しい白衣の天使のように見える人たちです。

■岩魚(2005年4月2日)

佐藤さん こんばんは 
昨日より渓流魚釣りが解禁となり、谷川にはたくさんの釣り人がおられます。

本日は、明朝地域の農業用水路の掃除日なので、半年ぶりの予行練習にと草刈機を持ち出したものの、
ウンともスンとも言わず、さっそく農機具屋さんへと走りました。

ところが、どこも留守で十年ぶりにお邪魔した農機具屋さんで、やっと修理のできる方を見つけました。
若い修理担当者がアチコチを分解して異常なし、
サテは燃料では?とやおら指を燃料に入れ舐められて「大丈夫!異常なし!!」(体に異常が起きるのではないだろうか・・・)
結局、点火プラグを交換したところこんどは景気よくエンジンがかかりました。

ちょうどそばに修理に持参した草刈機とほぼ同年代とおぼしき古い草刈機を見つけ部品取りしてよいかと訊ねると、
「どうぞ!どうせ廃品ですから。」とのことでいくつか部品をつけかえてもらいました。

そばにいた社長らしき人は、お金になりそうにない私よりも他のお客さんに関わって欲しいそぶりを見せておられましたが、
若い修理担当者は機械いじりが本当に好きなようで、もくもくと古い草刈機にも関わらず全体を修理をしてくれました、
すると10年ぶりに草刈機が元気な音に蘇り、しかも修理代金は点火プラグだけ!でした。

きっとこの若者はすぐにお金になるお客はつかないかもしれませんが、信頼という大きな財産を築くことのできる人ではないかと思いました。
介護関係者もこのようにありたいものですね!

〔第40回〕

■先進地、我孫子市!(2005年3月14日)

佐藤さん こんにちわ

きょうは朝から雪が舞っていたので、午後から雪のない沿岸部まで出かけてストレス解消してきました。
帰宅してみると地元新聞の記者から次のようなメールが届いておりました。

>我孫子市の補助金改革については、全国でも先進例としての評価が高く、三次市も手法を参考にしたようです。
>ただし、我孫子市の特徴が「既存の補助金をいったん白紙化して審査する」ことだったのに対して、
>三次市は「既存の補助金を評価する」という性格のものでした。
>結果として三次市の場合、我孫子市の斬新さであった「既得権の排除と、新たなニーズへの対応」は不十分だったと言えるでしょう。
>取材した感想ですが、既存の補助金に対する削減の理由を付けることが第一の目標だったように感じます。

>県内の補助金をめぐる情勢ですが、合併を機に見直しをするところは他にもあるようです。
>安芸高田市は新年度予算案で一律10%カットという策を取りました。
>新・庄原市合併協議会も、最初は「旧市町村の水準に従い、新市で調整する」としていた方針を、
>今年の1月になって「予算の範囲内で調整する」に改めました。
>財政状況の悪化を理由に、大幅な削減をするための布石ではないか、という見方も出ているようです。

>三次市の審査委の構成は、委員長のほかは、合併協議会委員を務めた2人(肩書きはいずれも会社社長)。
>住民自治組織の代表者、商工会推薦、農協推薦各1人の計6人です。
>市側は「年齢層や性別、出身地域、所属団体に配慮した人選」としていますが、疑問もあります。
>委員のうち市長後援会関係者が2人(青年部長と布野支部長)いることや、審査対象の団体の長を務める人がいること、などです。
>我孫子市の場合は、市OBや利害関係者を排除しています。

>さらに、決定的に異なるのは、三次市の場合、敗者復活の公開ヒアリングがないことです。
>市遺族連合会などは削減反対の申し入れをしましたが、
>その結果として「激変緩和策」が出たならば、密室で調整した市民に印象を与えかねません。
>公開ヒアリングを採用すれば、無理な横車を押すことによる復活折衝もさらされることになり、
>市民団体側の成熟度も増すと思うのですが、市側>は今のところ、制度改善は考えていない様子です。

とのことで、せっかく我孫子市を真似るつもりが似ても似つかぬ改悪となったようです。
これまで田舎の支局には骨休めで来る記者が多く地域密着型(酒池肉林)しすぎて、
酒の席では本音を喋るものの記事では行政よりの権威ベッタリの内容でありましたが、
どうしたことか少しはマシな記者も来るようになりました、今後が楽しみです。

〔第39回〕

■温情主義のもろさ。(2005年3月8日)

佐藤さん おはようございます。

末永さまの問題提議でMLが大変盛り上がっていますね!
(佐藤注:コムケアのメーリングリストで、子育て論議が盛り上がってました)

以前、佐藤さんがMLのルールを提案されていましたが、
なるほど確かにある一線を越えないようにするためのルールは必要だと感じました。
浅野さんの「対話法」による「確認型応答」で進んでいけばよいのしょうが、
どうしても自分の意見や気持ちが本気になればなるほど前面に出てしまいがちとなります、
注意したいものだと深く反省しました。

昨日、精神医学の本を読んでいましたら「自他非分離の原則」というものがありました。
「自分の生活や価値観を相手のそれに照らし合わせ、
影響を与え、影響されながら、相手の立場に身を置きながらも、
自分の内的な視点に比重を置いて相手の意識や心の働きを見るというもの。」だそうですが、
対話法の原則と合わせて活用するとより相手を理解しやすくなるのかもしれないなと感じました。

というのも、長野県にいる次男へ昨日電話をかけて将来の仕事についての考え方を訊ねました。
私にすれば、「親が子のためを思ってその人に働きかけている。」つもりなのですが、
それはあくまでも親切・思いやりと称した日本ならではのパターナリズムではないかと、ハタと気づいた次第です。

欧米では、パターナリズムは基本的には自由の侵害であるとして、
警戒心をもって批判的な目で見られることが多いと聞いた事があります。
なんと20歳を過ぎた息子に対して、
「個人の独創的個性・人格及び個性に基づく自由かつ自律的な自己決定を妨げる」愚かな父親と
いつのまにか化しているではありませんか。

次男が「これまでの選択肢の検討が必要だった時期にあまりにも良く考えずに
物事を判断せずに来たような気がするので、今回はじっくりとよく考えてみたい。」と話していましたが、
本当によく自分を理解できているなと親ばかながら感心してしまいました。

長男は人生経験の少ない若い両親がみようみまねで育てたのですから数々の挫折の連続でした、
しかしその挫折のおかげなのか自己決定能力だけはきちんと育ったようで、
外国での生活もなんとかこなして結婚式・自宅の新築と周囲の協力もあって殆ど親の出る幕はありません。

先日のテレビ番組で、インドの虎の母親が大きくなった兄弟の中で息子だけを自分のテリトリーから追い出す場面がありましたが、
息子の成長のためにはあえて谷底へつき落とすのも親の務めなのかもしれません。

■まんさくの花。(2005年3月10日)

佐藤さん おはようございます。

今朝は、相変わらず精神的なバランスを崩している義母が、
娘の住む京都へ出かけてくると言い始め一悶着ありました。

テレビドラマなどでは、物分かりの良い健康で小奇麗な高齢者をモデルにすることが多いのですが、現実はそうもいきません。
老いは心にも体にもやってきますし、その周囲の家族も同時に老いてくるからです。
どうしても第三者の手助けがなくては、快適な老後を過ごすというわけにはいかないようです。

消費税の辻褄合わせから生まれた介護保険制度も社会保険方式が崩壊することで、
今後ますます混乱を深めていくように思いますが、
せめて肝腎の社会福祉の担い手作りはそろそろ民間の市民活動に手渡したほうが賢明な策といえるのではないかと考えています。

これまでのような予算ありきの官僚的な思考ではいくら税金を注ぎ込んで見たところが焼け石に水のような気がしますし、
官僚自身も老いていく自分の姿にハタと気づいたときには
いくらお金があろうとも今の制度では後の祭りという厳しい現実が待っているように思います。

介護保健制度を大きく見直せなどとはいいません、
これまでバラ撒かれてきた補助金を我孫子市のようにいったん白紙とし、
再度「市民の福祉の向上及び市民の利益につながり、公益上の必要性が認められる。」事業活動をしている市民活動団体に手渡せばすむという簡単なことで、
とりあえずのところは充分改善できるのではないでしょうか。

〔第38回〕

■社会的不利。(2005年2月27日)

佐藤さん こんばんは 
時折雪が舞い落ちています。

さて、「障害者」「障碍者」「障がい者」どれもおぞましい言葉ですね、
我が子や我が兄弟に投げかけられたとしたらどんな気持ちがするでしょうか、
もしも言葉狩りで小奇麗な言葉に挿げ替えられたとしても、絶えず優劣をつけたがる人たちにとっては同じことなのかもしれません。

「ハンディキャップ」という言葉が、
本来は周囲の理解不足や環境の不備など社会が作り出す要因による「社会的不利」を表現したものであったものを、
わざわざ「ハンディキャップ」=「機能障害のある人」と国民に勘違いさせてきた
我が国の福祉に携わる関係者と呼ばれる人達の歴史上における思惑があったのではないかと最近感じております。

1970年代における「市民活動」と現代における「市民活動」に対するマスコミや国の対応が大きく違うように、
「障害」を持って生まれた人達は、この世に存在してはならざる「モノ」として捉えられていた時代が、
ついごく最近までこの国にあったにもかかわらず、
いつのまにか時代の変遷により「ノーマライゼーション」が闊歩するようになり、
表向きいかにも周囲が理解し乗り越えたかのごとく捉えやすいのですが、
災害が起こったときなどの災害弱者と呼ばれる人達への対応をみると、
まだまだこの国が未熟なことに気づかされます。

在宅における介護者が介護疲れで行き場を失い家族を虐待をするならまだしも、
多額の公費を注ぎ込んだ立派な建物内で、しかも大勢の立派なスタッフがいるはずの施設の中で、
日々当たり前のように入所者への虐待や人としての権利を奪っている現状を
福祉関係者は皆知っているにもかかわらず鈍感になろうとしています。
また、そのことをそれぞれの思惑により公にせぬため、
施設を守るために「福祉サービス運営適正委員会」と称して施設内のガス抜きを行い、内部証拠隠滅工作を行おうとしています。
施設は何を守るためにあるのか、不思議でなりません。

それに対して「制度」として整備されているハズの「成年後見制度」の普及を
日夜努力されている弁護士会や司法書士会のリーガル・サポートには本当に頭が下がります。
また、ある地方のNPO法人では介護サービスに対する「市民オンブズマン」や「第三者評価委員」の育成に取り組まれているところもあり、
やっとこれまでのお上が与えるものから市民が考える時代に入ってきたのかなと感じています。

障害を持って生まれた我が子に対して「この子さえいなければ」と母に言わしめさせる社会こそ変えていかねばならぬものだと思います。

■兄弟の醜き争い。(2005年3月3日)

佐藤さん こんにちは 
近くの山々は真っ白な帽子を被っています。

さて、「成年後見制度」の実例が意外にも身近に転がっていました。
長男(93歳)を頭に兄弟が7人おられたそうですが、
亡くなったものもいるので法事などには現在は3名の兄弟が集まるだけとなりました。

この長男に相続する子供がいればなにごともなく平穏な老後を終えることができたのかもしれませんが、
長男の奥さんも数年前に他界されて現在は一人暮らしです。
昨年自宅で脳梗塞を起こしましたが、
たまたま来訪したヘルパーにより発見されて救急車で病院に運ばれて一命を取り留めました。

しかし、それから他の兄弟やその子供達が遺産相続をどのように分配するかの胸算用が始まり、
「わたしが面倒を見る!」「いやワシがみる!」と諍いが起こり始めました。
ある高齢者のディサービス施設の壁に『楽しい老後を過ごす唄!』というものが貼り付けてあり、
その中に「あの世へ行くときゃ よく考えて 裸のままで行きましょう あとに残すと厄介だ 子や孫達が 大喧嘩! 生まれた姿でいきましょう。」
というものがありましたが、どうも人間の悲しい性なのかもしれません。

最近長男に「認知障害」の症状が現れはじめて、ヘルパーさんが3交代で世話をされているそうですが、
そこへ彼岸も近いのでと墓参りに来た一人の兄弟と久しぶりに逢えて涙を流しあってとても喜んでいたそうです。

ところが、次のヘルパーが交代して部屋の中に入ってみると見知らぬ老人と2人座って話しているが、
普段見かけない人なので怪しんで、一番欲張りな兄弟に電話をかけてしまったそうです。

そこで慌てた欲張りな兄弟は、墓参りに来た兄弟の実家の娘に
「なんということをするんだ!ボケた爺さんのいるところへ、輪をかけてオカシクなっている兄弟をよこすとは何事か!」
とすごい剣幕で電話をかけたそうです。

すぐに車で迎えにいったそうですが、お互いに「せっかく兄弟が久しぶりに会えて、
一緒に墓参りをしようと思ったのになんということだろうかの〜。」
「欲張りな兄弟達にはお金を貸したままになっているが、返すどころかワシが死ぬのを待ってどうやら遺産を独り占めにするつもりのようだ、困ったもんだ。」
と話したそうです。

まだまだ「成年後見制度」が住民や行政にも浸透していないので、
どの時点で誰が申立をするかが問題ですが、
同じ腹から出たはずの兄弟の末路がこれでは情けないことです。

■はだかの王様の悲劇。(2005年3月4日)

佐藤さん おはようございます 
こちらは雨です。

今朝の、起きがけの夢の中で
「重度の人達への気配りはされているか!?」という声が聞こえてきました。

殆どの施設のことの起こりは
「重度障害で行き場のないこの子たちのためになんとか自分達の手で!!」
という親の願いを受けて出来上がったものが多いのではないかと
思います。

しかし小規模作業所で貧乏所帯の内にはなんとかそれも維持されるのですが、
小規模授産施設や授産施設に生まれる段階で、
またもや重度の障害を持つ人達は隅っこに追いやられてしまいます。

ひとつには、授産というものは本来重度の障害を持った人達の制度ではなく、
軽度の作業が可能な人たちを対象としたものという項目が未だに知的障害者福祉法の中にあり、
重度の障害を持つ人達は単なる添え物でしかないという認識が国のお役人達の中に現存しているということです。

強いものが生き残るという弱肉強食の社会を施設にまで持ち込んでしまう要因がそこにあるわけなのですが、
それはそこで働く人たちも同様で、国は公共事業を強引に福祉施設にまで持ち込んで、
昨日まで土木建築関係の職種であった人達をある日突然介
護職員に衣替えさせるという暴挙を行っています、
これは厚生省&労働省をくっつけた成果といってもよいのかもしれませんが、
今の緊急雇用促進事業と同じく目先の雇用しか考えてはおらず、
そこで生活する人たちの生活レベルの維持についてなんら考えようしないお粗末な発想には困ったものですね!

親の会だけで運営していると、
その中でボスが生まれ利用者主体と口ではいうものの
堂々と母親や父親のボスが君臨する西武王国のような施設もたくさん見受けることがありますが、これも悲しい人の性なのかもしれません。
また、養護学校という隠れ蓑に隠れて暗躍する職員やOBと称して
親や施設から甘い汁を吸う輩がたくさんいることも周知の事実ですから、困ったものです。

いったいどこに問題があるのでしょうか!?
「成年後見制度」を学んでいくうちに、
法の番人として現場から少し離れたところに
弁護士や司法書士がいるという良い緊張関係のバランスがそこにあるということがわかってきました、
とかく人間は誰もが弱さを持っていますから、
当初は明確な目標をもっていたとしてもどこかで脱線することはどうしてもあります、
これまでは脱線しても団体や施設の維持・または親のメンツばかりを優先させることのみを重視してきましたが、
利用者本人の権利を擁護する初めての画期的な制度であるということです。

施設内作業の主体は軽度の障害者を利用して行い、
支援費についての重度加算は重度の障害者からタップリといただくために利用するという授産施設の構造を
どこかで大きく改造しなければ、せっかくの社会福祉法人化が生かされないような気がしています。

〔第37回〕

■そのことに気が付くひと!(2005年2月21日)

佐藤さん 
今朝の地元でのスキーバスの転落事故は、なんと全国ニュースとなってしまいました!

本日は、一日中小雪が待っているので憂さ晴らしに、
型破りな宅老所として全国的にも有名な代表者に久しぶりに電話をすると、
なんだかどこかがいつもと違うように感じました。

しばらく、いろいろとお互いの近況を話すうちに
「じつは全国からぜひ見学をさせてほしいと殆ど毎日入れ替わり立ち代わり全国からお客さんが次々来られたり、
マスコミの取材を受け入れたりしているうちに、
永年利用されていた方が、新しい他の宅老所へ替わっていかれたことにハタと気づいた!」
のだそうです。

「よ〜く胸に手を当てて考えてみれば、新しくできたばかりの宅老所のスタッフは一人一人のお客さんを丁寧に、
しかも本気で扱うから誰もがそちらを選ぶのは当然なわけで、
それをいつのまにか怠って傲慢になっていた自分達が悪いわけでけっして利用者の責任ではないわけ!」

「さっそくスタッフ全員でどこが問題なのか話し合ったり、
利用者の方々にも宅老所は此処だけではないので他所の宅老所としっかりと見比べて、
もしここよりもっと良い場所があったなら遠慮なくそちらへ移って下さい!」と言われたのだそうです。

「幸いにもその後利用者は減らなくなったんだけど、かって新鮮であったはずのスタッフに、
いつのまにか驕りが出てきたということがお互いにわかってきて、本来は利用者の目を一番気にしなくてはいけないのに、
いつの頃からか周囲の目ばかり気にするスタッフになっていたことに気づいたんです!」
「あ〜〜、これじゃ駄目だ〜〜。」と、『初心に帰ろう!』モットーにして一生懸命に最初からスタッフ一同で取り組んでいるところです。」
といつもの豪快さから程遠くなった謙虚なお言葉でした。

さすがに気付く人は一味違いますね、見習わねばなりません。

■ニュース性とは!(2005年2月22日)

佐藤さん おはようございます 
今朝も薄っすらと雪が積もっていますが、箒ではくとパッと飛び散り朝日にきらきらと輝く雪の結晶です。

さて、昨日のスキーバスの転落事故の一因は、
これまでも毎年冬季の凍結時には毎度同じ場所で大型車の転落事故が度々起こっていたにも関わらず
永年放置してきた県道を管理する県側にも責任があるような気がして、
さてどうしたものかと思案していましたら、普段行政べったりの地元新聞が朝刊に珍しくそのことを載せていました。

今回はたまたま県外の熊本から来たスキーバスであったこと、
予想を反して報道が県内だけではなく全国に広まってしまったことで、
行政責任を問われそうな予感がしたのではないかと感じました。

しかし、事故が起きた直後での地元新聞のホームページでは、
「庄原署の調べでは、現場は片側一車線の直線。二十日夜からの雪で事故当時、現場付近は約五センチの雪が積もって、路面は圧雪状態だった。
バスは、二十メートル手前から幅約一メートルの路肩にはみ出し、そのまま約一・五メートル下の田に転落したらしい。 」
 「バスに乗っていたのは同大の学生サークル、広告研究部とスポーツ愛好会の三十三人、添乗員一人、運転手二人。
運転手の奥村さんは「対向車が道路の中央付近を走って来た。雪が積もっていたため、ブレーキをかけずにハンドル操作でかわそうとした。
センターラインは雪で見えなかった」と話している。バスは冬用タイヤを装着していた。」

と、いうものでありました。
ところが、朝刊には対向車については一切触れられておらず、
道路拡張を早急に行うよう県土木事務所で検討しているという内容となっていました。

この道路拡張計画については、すでに測量済みで今年度工事着工の予定であったそうですが、
実際のところ国の財政状況から基本的に道路拡張というお題目では予算獲得できないために
歩道改良という名目で行われるという裏話もあり、
また様々な政治的な駆け引きの結果同じ市内の他の道路整備を優先させたようだというようなきな臭い話も流れてきます。

幸い人命を奪われる事故につながらなかったから良かったようなものの、
寒風の吹きすさぶ中を事故現場の応急処置として
慌てて路側帯に土木測量用の紅白の棒を突き立てている作業員の姿を見つめる県土木事務所職員の冷たい視線が気にかかりました。

■グループ・ホームは家庭!?(2005年2月22日)

佐藤さん 
石川県内で起こったグループ・ホーム内での虐待事件も、
県内の特養で起こったノロ・ウィルス原因説で決着をつかせてしまった行政を擁護するマスコミの体質が気にかかります。

ある福祉関係者が
「グループ・ホーム内での事故は予想できたはず!それも一人の夜勤では危険だ!ということも最初から厚生労働省はわかっていたはずだ。」
という話をされていたので、
インターネットで「グループ・ホームの問題点」というお題で検索していたら、
ちょうど福祉関係者ならば大抵知っているという2世施設長Mさんが書かれている論文と出くわしました。

わたしの福祉の師匠とMさんとはウマが合わないと以前聞いていたので、
直接師匠に電話をかけて事情を聞いてみると
「ああ、あの人ね!良い人だよ、ただし福祉だけの世界や行政ベッタリの中ではね、
2代目だから世間を知らないのね、
なんでもかんでも社会福祉のプロで固めてしまうから面白みがないし、
食事も生活までもなにもかも全部管理したがるんだ!」

「社会福祉のプロって面白みがないし管理すること意外は何もできないんだから、
それよりも各種学校を卒業した人を雇った方が楽しいよ!
たとえば、ケーキ作りが上手い人がいたり洋服を縫える人がいてごらん楽しいじゃない!
花作りが上手い人がいてごらん嬉しくなっちゃうよ!
それをガチガチ頭の福祉のプロ達で固めてしまって、天気が良いのに部屋の中で暖房や照明までつけて、
「本日は室内バレーをやります!」とかなんとかいって面白くもない毎日を送ってしまってるんだ。」

「相手に貢献する技能を持っているからこそスタッフとして認められるんであって、
ケーキが美味しくなかったり美味しい食事が作れなかったら辞めさせられるのが世間の商売でしょう、
それが今の福祉にはないんだ!
食事にしても、なにも公平さを欠かないためにとかなんとか言わずに、
あっさりバイキングにすればそれぞれ好きなものが食べられるし 、
作る側にしても同じ物を大量に作らなくてもすむから工夫しながら作ることができると思うんだよ!」

「そこで働く人が一生懸命に本気になって仕事をする姿が、相手を幸せにするんじゃあないかと思うんだが!」
「残念だけど、こんなことを言ってるからいまの体制の中ではボイコットされてしまうんだよね!ハハハハ・・・・・・。」
と笑ってごまかしたお師匠さまです。

Mさんの記述からの一部抜粋です。 
「グループホームは小さな単位での事業であるため地域の事業であるといいながら、
一般的には外部から家庭の内部が覗けないように、
グループホームの内部で行われるケア等についても閉鎖的になる可能性があり、
いかにその品質や適性さを確保していくかということが大きな課題の一つだと考えられます。」

「グループホームのように小さい単位で家庭的な中で行われるケアについては、
外部の目にさらされることも機会としては少なくなり、
そこに運営にあたる者や処遇にあたる者の独善や思い込みでのケアが行われる可能性も高くなります。」

「また、小さな単位での事業の経営は経営的には大変困難が予想されるため
経営面についても消費者としての利用者がいかに守られているかということについてのチェック体制が
どのようにとられているかということが重要な点だといえます。」

「今後グループホームが制度として実施されるとすれば仕組みとして
グループホームのケアやサービスの品質についてのチェック、
また経営的な安定性、継続性等についてもなんらかの形で担保していかなければならないものだと考えます。」

〔第36回〕

■冬きたりなば。 (2005年2月14日)

佐藤さん おはようございます 
家の周りにはまだ大きな雪の塊がたくさん残っていますが、少しづつ春に向かっていくのがわかります。

昨日は、家の近くで突然銃声が山々にこだまし慌しく車の走り去る音が聞こえました。
たぶん猪狩りをしているのだろうと思います、
平素は畑の作物を食い荒らす憎き猪ではあるのですが、
猟期には逃げまどう猪が少し哀れに感じてしまうのですから不思議なものです。

最近の狩猟はスポーツ化しているので、
仲間同士で無線機を片手に獲物の位置を知るや一目散に山道を4輪駆動車で駆けつけ、
逃げたとわかるとすぐにまた次の谷へと車を発進させていくのですが、
雪融けでぬかるんだ山道にはタイヤの痕跡が深々と刻まれたままで残ってしまいます。

里山での生活が必要とされなくなった山道は、修復する人もなく益々猪の格好の遊び場となってしまいます。
猪とルール無用の人間とどちらが害獣なのか、少し見分けが難しくなってきた今日この頃です。

さて、先日開催した「成年後見制度」の勉強会が無事終了致しました。
これまで、高齢者や障害者の権利を守る砦だと思い込まされていた
各県の社協を実施主体とする「運営適正化委員会」や「地域福祉権利擁護事業」が、
実は行政や福祉サービス事業所を守るための隠れ蓑であることがよくわかってきました。

「成年後見制度」を誰もが気軽に利用し始めると、
これまで当たり前とされてきた高齢者や障害者に対する人権侵害が表にどんどん出てきて困るのは残念なことに行政や福祉サービス事業所です、
人間としてあたりまえのことをしてこなかっただけのことなのですが、
ハンセン氏病や公害問題とどこか似たような要素を含んでいるような気もします。

明治時代の「禁治産・準禁治産」制度を後生大事に今日まで抱えてきたのですから、無理もないことなのかもしれませんが、
同じ厚生労働省の中でも局が違うだけで発想も異なるようです。

■蟇蛙を育てる。(2005年2月19日)

佐藤さん おはようございます。
最近あまりにも人間界がおぞましすぎるので、本日は動物界のお話です。

茶花に関する本を読んでいたら、おもしろい記述がありました。

「庭に散った落ち葉は、一枚たりとも持ち出さないことです、取った草もそのまま乾かせて木の下などに敷きます。
こうするとダンゴ虫などが増えますが、ダンゴ虫が土を活性化することになり植物がよく育つようになります。」
「ナメクジやダンゴ虫はどうもという人はヒキ蛙を飼いましょう。
オタマジャクシをもらって庭で孵すのです。
連れてきたヒキ蛙は居着きません。
だからオタマジャクシから孵すのです。
毎年少しづつ続けます。三年目には探さなければ見つからなくなるでしょう。」
というものです。

以前、佐藤さんが買ってこられたり、もらってきた沢蟹が庭の池から逃亡する話をされていましたが、
鮭ならずとも生まれ故郷に戻る習性がどの生き物にも共通したものがあるのかもしれませんね!

それにしても、庭でヒキ蛙を飼うとは意外ですね!
30年前には自宅の周囲で子供用のグローブ大のヒキ蛙と出くわすことがよくありましたが、
最近はまったく見かけることがなくなりました。

山の中の田圃で錦鯉を飼っている知り合いが、
毎年春になると田圃から鯉を引き揚げるときに、大きな寒天状の固まりがたくさん網に引っかかり手を焼いていますが、
たぶんそれがヒキ蛙の卵だろうと思います、
驚くほどの量です。

佐藤さん、庭の守り神にひとついかがでしょうか、
猿飛サスケのようにガマの背に乗ってみるのもオツなものかもしれません。


〔第35回〕

■古きよき町並。(2005年2月7日)

佐藤さん おはようございます 
やっと融けかけた雪の上にまた雪が積もり始めました。

さて、昨日は岡山県のS市内で「S市民防災会議」の初会合が行われ本来は部外者なのですが、
先進地に学ぶという立場で参加させていただきました。

当日は「震災10周年 
神戸からの発信」推進委員会から「市民のかけはし 神戸から全国へ」というタイトルの事業の一環で、
10名の神戸市民も特別参加されました。

全体会議ではマスコミの取材人もたくさん詰め掛けられて盛りあがったように見えたのですが、
その後「障害のある人・高齢者・外国人をどう支えるか」という分科会に参加したところ状況が大きく変化してきました。

ひとつには、冒頭で神戸の地震を体験された被災者だと紹介されたにもかかわらず、
一人の男性が
「当時、私はあるラジオ局の営業マンで大震災が起きたことで突然コマーシャル収入がストップしたため、
急遽東京や大阪の企業を回りコマーシャルの契約を取ることに力を注ぎ込んでいたので
正直なところ3ヶ月間ぐらいは営業で飛び回っていましたし、
幸いかどうか垂水区に住んでいたため自宅の被害もなく他人事として感じていたのですが、
さすがに3ヶ月経ってラジオ局が落ち着いてくると周囲のことが気になり始めて
自分が少しづつボランティアとしてできることをしてきただけなので、
ここに自分が招かれているということが果たして適当かどうか苦慮しているところです。」
と話を切り出されました。

もう一人の6年前に中国の綿陽市から神戸の街に留学生として来訪された女性も
「わたしも阪神大震災はテレビなどの情報として知っているだけで、
日本に来てときどき起こる小さな地震に驚いていると
周囲の人から『こんなもの地震のうちに入らないよ!』と冷やかされますが、
平常時においても外国人が日本に来た時に地震が起きた時にどこへ逃げれば良いのか、
また私自身は6年間の日本における生活でなんとか日本語を理解したり話すことができるようになりましたが、
言葉の壁を持つ外国人にとってはどうすればよいのか全くわかりません。」
とのことでしたが、
大震災を身を持って体験された外国人や市民の方がたくさんおられるだろうに
どこか推進委員会の人選の意図的なものを感じてしまいました。

その後フリートークとなり 私が
「市社会福祉協議会における災害弱者への取り組みはどのように考えておられますか?」
という発言をした途端に、横からボランティアと称する中年の女性数人から、
「社会福祉協議会には何をお願いしても、できない!できない!の一点張りなのだから、
どうせできないと言われるのがオチでしょう。」
と強烈なカウンターパンチが飛んできました。

市社会福祉協議会の課長さんが
「私たちの仕事は、きちんと決められたものしかできませんし
何事をするにも決済が必要なので、突然にあれをしろこれをしろと言われてもできることとできないことがあります。」
と切り替えされました。

しばらく話を聞いていると、
どうやら昨年の台風の被害が起きた時の住民への対応の仕方に問題があるようでした。
これまでに、このような大きな災害がこの地域でなかったこともあるのでしょうが、
防災マニュアルやシステムは一応あるにはあっても日常的な訓練が行われていなかったり、
お役所的な発想の中でのマニュアルだけに災害が起きた時にお役所的な対応しかできず、
そのことが後々の不信感として燻っているようです。

市社会福祉協議会に勤務するという女性が、
「私たちも突然のことで、一体どうしたものかわからず
責任の所在も明らかにされないままに救援物資の受入や配布そしてボランティアの受入と手配を行いました、
そのことに対して批判をされているのだろうと思いますが、
ある日突然リーダー役をして下さいと言われたら、アナタ達は受けますか!
誰もが受けることは難しいのではないのではないかと思います。」
と興奮した口調で話をされていました。

どうも、市民防災会議の前に
浅野さんのコミュニケーション・ツールとしての<対話法>を皆様で学ばれたほうが良いのではないかと感じました。

 

〔第34回〕

■雪のなかで考えた!(2005年2月1日)

佐藤さん こんにちは 
昨夜からの吹雪で今朝は40cmほどの雪が積もっていました。
午前8時過ぎには雪かきをはじめたのですが、午前10時頃までかかってしまいました、
年々雪かきをする体力が衰えていることがよくわかります。

午前11時頃には、市の除雪車が生活道路確保のために大きな音を立てながら除雪してくれたので一安心です。
しかし、その後の猛吹雪ですでに10cm位積もっています。

さて、松本さんの「おたっしゃコール」は良いアイデアですね!
このアイデアをもっと大きな福祉や本来のコミュニティケアに広げていくことはできないものかと考えてみました。

NPO法人にはそれぞれに得意・専門とするものがあり、教育・環境・福祉・建築などさまざまな広範囲なものがそろっています。
それぞれが、ひとつのことを掘り下げていくことも必要なことでしょうし、
またそれぞれが連携してネットワークを形成することで大きな輪が地域を国を動かしていくうねりとなることが可能になるのではないかと思います。

阪神淡路大震災が起こったことで災害弱者対策という言葉を耳にすることが多くなってきましたが、
その後の水害地や新潟の中越地震においてもまだまだ高齢者・ハンディを持つ人・妊婦・幼児などの弱者と呼ばれる人達に対するバリアは数多く
経験を生かしたものとはまだまだ程遠い状況です。

しかし、全国各地におけるさまざまな災害弱者対策の情報を共有することで
防災ネットワークやまちづくりをもっと豊かに大きく広げていくこともできるのではないかと思います、
行政との連携により災害弱者の名簿作りや福祉防災地図作りも可能となるでしょうし、
これまでのお役所が作り上げ一方的に押し付けたネットワークやさまざまな施策の反省を踏まえて
あくまでも自主的な市民主体の自主防災組織を作っていきたいものです。

例えば、東京都荒川区における「おんぶ作戦」はユニークですね、
リヤカーやおんぶ帯によって健康な人がチームを組み、
あらかじめ特定した災害弱者をいざというときに協力しあって助けるというものだそうです。
この作戦には各地域の実情にあった体制が重要なことと、
対象者と防災市民組織の人達との信頼関係がなによりも重要なことで、
平常時から訓練などを通じて相互の意思疎通を図っておられるようです。
また、区では活動に必要となるレスキューカーや車椅子・担架等の資機材の提供をしているようです。

静岡県佐久間町の自主防災会による、災害弱者宅の家具の固定支援というのも意外な盲点だと感じました。
各地に合った防災福祉コミュニティを広げていくことで、
弱者だけではなく誰もが生活しやすいユニバーサル・デザインに一歩近づくのではなかろうかと思いました。

■綾でもよいかと!(2005年2月4日)

佐藤さん こんばんは 
やっと寒波の峠を越えたようですね、
これでやっと雪かきからしばらくは開放されそうです。
たかが70cmの雪でこの状態ですから、中越地震の被災者の心情は本当に踏んだり蹴ったりだと思います。

今夜は趣味の尺八仲間の方々と合同練習に集まる予定だったのですが、
あまりにも雪が深いので急遽中止となりました。
私の住んでいるところから更に30分ぐらい北にいけば3日間の積雪量はゆうに1mを越えるのですから無理もありません。

とはいえ、来月には邦楽の県大会の予選があるためにうかうかもしておれないので、
午後からの空いた時間に師匠の家にお邪魔して練習させていただくようお願いしました。
宮仕えであればこのようなことも許されないのでしょうが、
おかげさまで空き時間を利用して時折異次元へとワープさせてもらっています。

丁度住んでおられるアパートでは近所迷惑になるとのことで、
わざわざ師匠の実家に帰られて琴の練習をされていた娘さんと一緒に合奏をしてもらえることとなりました。
普段はにこやかな温厚を絵に描いたような師匠ですが、
尺八を吹き始められると娘であろうが他人であろうが容赦なく注意をされます、
この緊張感がなんとも言えません。

短いたった1時間程の練習でしたが、久しぶりに充実感を味わうことができました。
演奏が終わり窓の外を見ると普段あまり好感の持てない「雪」なのですが、
突然絵の世界に変わって素敵に見えるのですから人間というものは誠に不思議な生き物です。

雪の中をちょんちょんと餌を求めて飛び回る椋鳥でさえも可愛く見えてくるからおかしいものです。
現実に浸りきっているといつも隣近所や世間体を気にして縦糸横糸を織らねばならぬと思いこんでしまいがちですが、
どうせ「負け組」ならば思い切って「綾を織り成す」のも良いのではなかろうかと考えた次第です。

〔第33回〕

■窮春
(2005年1月26日)

佐藤さん こんばんは、
こちらは夕方から急に冷えはじめました。
お忙しそうですね、どうか体調に配慮されて心を失わないようにして下さいませ。

さて、昨年は、コミュニティケア活動支援センターのイベント支援助成金をいただき「冬篭り祭り」を開催させていただき有難うございました、
今年はどうしたものかと考えていたところ、 シニア・ルネサンス財団より
「よかったら高齢者やハンディを持つ人のためにある『成年後見制度』のセミナーを地元で開催しませんか。」
という有難い申し出をいただき、早速参加者募集のチラシを配布しています。

また先般、市の担当課へ「成年後見制度利用支援事業」に対する予算をなんとか確保して欲しいと申し出たものの、
あっさりと断られ道を閉ざされたかと思ったのですが、
(社団)成年後見センター・ リーガルサーポート広島の会員さんが本日わざわざ市役所に出向いて再度交渉して下さり、
「今年度中は無理ではあるが、次年度の広域合併目標項目に『成年後見制度』については揚げているので、待って欲しい。」
との返事をいただいて帰られました。
考えようによっては誤魔化されたような気もしますが、焦らず外堀から少しづつ埋めていくことができればと考えております。

継続中の悪徳訪問販売業者との契約キャンセルは辛抱強く消費生活センターの担当者が頑張って交渉されておられます。
殆どの契約はキャンセルとなりつつあるのですが、ミシンの契約については多少無理があるかもしれないと・・・・・

というのは、ある大きなスーパーの入り口付近でミシンの店頭販売をしているところに運悪く知的なハンディを持つA子さんが出くわし 、
「この安いミシンが欲しいが、今お金を持っていないので自宅まで来て欲しい。」
とわざわざ自宅に招かれたので訪問販売にはならないと業者が話すのだそうです。

事実はどうか誰もよくわからないのですが、A子さんが話すには
「安いミシンがあったので欲しいと思い買おうと思ったのだが、自宅に来た業者がそれよりもこの方がお買い得だからと高いミシンを勧められ契約した。」
と話しています。

どちらにしても、実際A子さんが使えないミシンなので、返却しなければせっかくのミシンが猫に小判となりそうです。

■安全を守る?警備保障!(2005年1月26日)

佐藤さん おはようございます。
昨日は、県の主催する「福祉講演会」へ参加してきました。

お題目は「福祉」なのですが内容はというと「介護保険」のお話です。
これまでは、県の職員が国からの通達を延々と下々に御ふれを出すという形式が多かったのですが、
介護保険制度や支援費制度に変わってからは下請けに出された国保連合会や大学の教授が解説をするという形となっています。

今後の介護保険の成り行きを要約すると、
これまで諸悪悪の根源とされていた入所型の施設の利用者から食事代などを個人負担とするそうですが、
これは高齢者だけではなくハンディを持った人達が利用する支援費においても厚生労働省が現在検討中とのことで、
単純に食事代一食を一律400円として一ヶ月分を積算してみると36,000円となります、
現在でもおこづかいと称して30,000円を散髪代・衣類・旅行積立金として個人負担している上に
なお個人負担が増大すれば年金生活者の入所施設利用は困難ということは明白となってきます。

また、フィリピンからの介護労働者流入をチラつかせたり、
国内のヘルパー資格では不適切なサービスであると言いがかりをつけて、
今後介護職に介護福祉士資格取得を半ば強制的に誘導していくようですが、
その裏側には国内の少子化により乱立した医療・福祉専門学校を救済するための策とも考えられますし、
企業や学校に怪しい人情報を流して、警備保障産業や携帯産業を豊かにさせていく方式とどこか似通ったものを感じています。

全体の話をまとめてみると、これまでの福祉施設や民間の業者が抱えてきたおいしい顧客を再び医療に移動させることが最終目的のように思います。
さすがに多額の政治献金を行ってきた医師会の成果ですね!
しかし、そのことで一部の人は懐具合が豊かになるのでしょうが、
ツケは全て国民に来るようになっています、
困ったものです。


■飼いならされた猪!
(2005年1月28日)

佐藤さん 蛇足です。
我が奥さんは福祉施設職員としての経験が長くいわば生き字引です、
新参者の私に知恵が浮かばぬ時には情報の宝庫となっています。

奥さんが知的障害児の施設に勤務した昭和40年代頃には、
まだ国からの措置費も少なくその施設とは名ばかりで木造の老朽化した小さな建物内で生活し、
毎日園生(当時は利用者ではなくそう呼ばれていました。)とともに、
毎日椎茸を栽培したり山畑を開墾して畑を作り給食の材料として利用し、
その残飯で豚を飼いその堆肥で作物を作って自給自足生活をしていたそうです。

その施設は県内でも一番重度の障害児ばかりを集めた所で、
勤務時間もその当時はとても8時間労働などではなく、
職員も施設内の寮生活のために限りない労働過重の生活を強いられていて若い職員ばかりとはいえ、
大抵が1年ほどで体を壊し辞めていくのが当たり前と言う時代であり、
その方が給料が安く済むので経営者にとっても便利だったそうです。

その后経済成長とともに、昭和50年代になると国の措置費も次第に増えてきて小奇麗な施設が次々と全国に増えてきたり、
生活や仮の教育の場所であった施設が養護学校が義務化されて設置されたことで、
生活施設としてだけの機能をもたされるようになってきました。

そうすると、児童は日中いないわけですから職員は洗濯以外はなにもすることがないので、
次第に施設の経営方針が障害児から障害者に転換していきました、
その頃には在宅生活の話をすると「トンデモナイ!」と猛反対を受ける時代だったのですが、
時代は変わるものです国が在宅を奨励するようになってきたのですから。

問題意識を持つ人達は、施設を辞めて社会福祉協議会や共同作業所作りに関わったりボランティアとして別の道を模索し始めました。
その後、フルイに残った団塊の世代の人件費増大に今施設経営者は頭を痛めています。

かって若者であった団塊の世代の職員も年とともに現場から楽な管理職へと移動をはじめて、
従来の体力勝負であった農作業を行う施設は殆ど見ることもなくなりせいぜい温室の中での作業か、空調設備の整った室内作業へと変化し、
なぜかいつの頃からか延々と続く職員会議が日々の日課となり、その間利用者は放っておかれています。

職員は帰宅すれば個人の生活があるからまだよいものの、
ずーっと永年施設生活を過ごしてきた利用者の人生はいったいなんだったのでしょうか、
外国人被爆者の方々が国家賠償を求めていますが、彼らにも国家賠償を求める権利があるのではないでしょうか。


〔第32回〕

■勇み足(2005年1月18日)

佐藤さん こんにちは こちらは雪は降らないもののかなり冷え込んでいます。
さて、悪徳訪問販売業者の騒動その後です。

地域全体での見守りが在宅で生活する一人暮らしの高齢者やハンディを持つ人達にとっては強い見方となります。
土日を利用して、民生委員さんや地域の社会福祉協議会の方々を回って、
訪問販売による被害の状況や痴呆・知的障害・精神障害者を保護するための「成年後見制度」について説明をさせていただき、
市から「成年後見制度」に対する財政的な支援をお願いするために議員さんにも協力をお願いしました。

しかし、翌日あっけなく担当課の所長さんより「市の広域合併を控えて、財政的な余裕はない!」との一言で突き返されてきました。
こうなることが予想はされていたのですが、次の手段まで考えていなかったので今回は完全にこちらの戦略不足です!

市の担当者と事前に「成年後見制度」について検討を重ねなかったことも反省点でもあり、
後ほど情報として入ってきた国庫補助による「成年後見制度利用支援事業」という市町村に対する補助金があるということを知らなかったことも失敗の元となりました。
しばらく交渉事から遠のいていたので感覚も鈍っているのかもしれません。

インターネットで「成年後見制度利用支援事業」について検索していたところ、
2001年に知人の弁護士が代表者となり奈良弁護士会から
奈良県知事並びに県下の市町村長宛てに提出した「成年後見制度利用支援事業」の事業化についての要望書というものにでくわしました。

先般も長野県で、以前鎌田實さんと一緒に働いておられたDrが、現在広島県内の大学で助教授として頑張っておられるのですが、
我が県の保守性を嘆いておられました。
奈良県の大学にいたときには、柿本県知事の手足として医療・福祉に関する必要な施策を次々と提案して作り上げることができたにもかかわらず、
広島県の閉鎖性はいったいどうしたことか、このままでは益々地域格差は広がるばかりではないかと危惧しておられました。
「サボらず・休まず・仕事せず。」をいったいどこまで続けていこうとしているのか、困ったものです。

それに引き換え、消費生活センターのスタッフは嘱託とはいえ、
法律を盾に果敢に悪徳業者に立ち向かう勇姿は女性ながら惚れ惚れします。
しかしながら、
「今後もし訪問販売業者から聞かれた時の参考のために、
特定商取引販売法のどこの条文に判断能力のない人と契約してはいけないと書かれているか調べてほしい。」
と尋ねたところ
「残念ながら、従来の訪問販売法にはなく、勝手な私の思い込みであり民法のみでした。」
と少しトーン・ダウンした回答でしたが、とても温かな人間味を感じることができました。

法の谷間はまだまだたくさんあるようですが、少しづつ協力者を増やしていきたいものです。

■瓢箪から駒 (2005年1月19日)

佐藤さん こんばんは 
「成年後見制度」物語続編です。

判断能力のない人が契約するための「成年後見制度利用支援事業」を行うことは財政的に難しいと市から断られ、
次の策を練っていたところ突然「こちらは東京に事務所を持つシニア・ルネッサンス財団のものですが!」と電話があり、
「もし関心があるならば資料も講師もすべて財団が負担するので、成年後見制度の学習会をやりませんか。」というものでした。

いつもさまざまな財団へ申請をすることはあっても、財団から直接電話があることは初めてです。
どうやら、昨日「さわやか福祉財団」のW氏へ、「成年後見制度についてできるだけ詳しく知りたいのですが・・・。」
と連絡した内容をそのままシニア・ルネッサンス財団の方へメールで問い合わせて下さり、
その後どうも気になって電話をかけてみたとのことでした。
有難い事です、佐藤さんが毎度言われているようにどこかで人はつながっているようですね!

もう一つ有難い出来事がありました、
各県の司法書士会で作られた成年後見制度を広げていくための全国組織であるリーガル・サポートという団体の下部組織であるリーガル・サポート広島の事務局へ
「残念ながら、今回は市の支援事業が受けられなくなりました。」
と伝えると
「硬い市だね〜〜、それではリーガル・サポートの基金制度があるのでそれを活用できるように司法書士の会員さんをご紹介しましょう。」
と教えていただき、明日早速打ち合わせすることとなりました。

先日、このメールに載せた「道」そのものではありませんか。
あまりにも不器用な生き方をする私の姿をみるにみかねて、どなたかが助け舟を出してくれたようです。


■報われぬ主婦業(2005年1月21日)

佐藤さん おはようございます 
今朝は雪かきに時間をとられてしまいやっと落ち着いたところです。

これまで外に向かうことばかりを考えて、内を守ることについては全く無頓着でした。

家族にハンディを持つ人また介護の必要な高齢者を抱えた主婦は子だくさんの家庭以上に
掃除・洗濯・買い物・炊事・入浴・排泄介助を毎日同じように繰り返しています。

子だくさんの家庭は、それでも数年すればお兄ちゃんお姉ちゃんが手足となって動いてくれるので、
お母さんも少しづつ楽になってくるのですが、
弱者を抱えた家庭は、年を負うごとに介護者も老いていくという問題があります。

「それならばしっかりと様々な公的サービス支援を受ければいいじゃないか!」と、普通考えると思うのですが、
例えば日中にディ・サービスを利用して通所する場合、確かに家族は昼食の準備をしなくてもよいので助かりますが、
通所する日はサービス利用者本人がなかなか身支度ができにくいので
髪を梳いたり・顔をふいたり・トイレ介助をしたり・こぎれいな服に着替えさせたりと普段より余計主婦の仕事は増え、
特に山間部の豪雪地帯ではその上に生活手段確保のための雪かきの仕事までが増えるのですからたまったものではありません。

また、介護を受ける人がディサービスに通所している時間に主婦はゆっくり自分の時間をとってもらえればと周囲は簡単に考えますが、
留守の間だからこそ蒲団を上げて掃除をしたり、繕い物をしたり、ポータブル・トイレを洗ったりと
普段できない雑用をこなして介護を受ける人が気持ちよく生活できるようにと準備をして帰りを待っているので
休む暇などないのが現状ではないかと思います。

さまざまな国の制度やサービスはあるもののどれをとっても申請主義であり、
地域の行政の懐具合により格差が生まれてきます、
一番の問題はどのサービスが家族や介護を受ける側にとって一番便利が良いのかということをあらかじめ住民に知らされていないということではないでしょうか。

せめての罪滅ぼしとして、私にできるのはコーヒーを沸かして手渡すことだけです。

■護送船団(2005年1月22日)

佐藤さん おはようございます。
昨夜は隣町まで出かけて琴と尺八との合奏練習があり、今朝は久しぶりに寝坊してしまいました。

さて、国内外を問わず権利擁護が叫ばれる割には、人権を無視した出来事が多くて情けないことですね。

高齢者やハンディを持つ人達が様々な福祉サービスを利用していて、
当初の契約と内容が違ったり権利侵害が行われたと感じた場合に、
「苦情」を各県の県社会福祉協議会内に設置されている「運営適正化委員会」に申し出ることができます。

しかし、その委員会では「第三者的な判断をしなくてもよい」と厚生省の実施要綱にあるため、
あくまでも福祉サービス事業者とそのサービスを受けた利用者との話し合いによる解決が望ましいとされています。
また、虐待や法令違反など改善を要する重大な不当行為に関する内容の苦情を受けた場合には、
都道府県知事に対し、速やかに通知することとなっていますが、これもどうやらサジ加減がありそうです。

問題は、その後直接福祉サービス事業者に対して 「苦情内容の通知」が届くために利用者の匿名性は守られず、
利用者と事業者とではまだまだ対等な関係とはいえない状況なので泣き寝入りとなったり、
事業所内でのイジメに遭いいたたまれなくなって施設を退所せざるを得ないのが現状です、
しかしこの状況が全国的なものかと調べてみると厚生省の実施要綱の理解の仕方によっては利用者の立場たった組織として運用されている県もあり、
ここでも地域格差が生まれています。

また、申出のあった苦情の内容や処理結果を年に1回公表を行うとあっても、
「プライバシーに配慮した適切な方法により」ということで、真実は外部には伝わりません。
「運営適正化委員会」の中にも、一応利用者代表ということで数名が参加されているのですが、
残念ながら補助金での利害関係がある団体ばかりで、本当の利用者の声は届きそうもありません。

騒動が下火となりつつある、さる特養での「ノロウィルス感染症」による死亡問題も同じようなものを感じています。
厚生省・保健所・医師の相関関係がある身内同士が助け合う姿はご立派ですが、
亡くなられた入所者はいったいどこへ泣きつけばよいのでしょうか。


〔第31回〕


■大きな福祉(2005年1月10日)

佐藤さん おはようございます 
今朝も雪が10cm位積もり大変冷え込んでいます。
さて、昨夜NHKのアーカイブという過去の番組を取り上げたもので、
昭和60年にメキシコ地震が起こりその後十数時間後には各国から国際支援レスキュー隊が送られて被災者を救出する場面がありました。

その当時、我が国には国際支援という法的なものが何もなくなんら支援することができなかったようですが、
フランスの徴兵制度のおける防衛隊員が平素から軍事訓練を行う中、かたわらでは災害レスキューを学び訓練する姿を見て、
今回のスマトラ沖地震への自衛隊の派遣の意図とはかなり違うものを感じました。

我が国では、災害が起こるや物資や義援金に関してはすぐに反応していますが、
災害が起こった被災地への民間レスキューボランティアや救出犬の育成ボランティア派遣などについては、
まだまだ諸外国に学ぶところが多いのではないかと思います。

アメリカでは民間の医師が自分で自家用飛行機を運転して、
被災地に向う「フライング・ドクター」と呼ばれている人達がおられることも紹介されていましたが、
携帯するカバンの中には被災地の子供のためにキャンデーと風船が忍ばせてあったのには感心しました、
こころの豊かさを感じますね。

それにひきかえ、我が広島県のさる特養で相次いで入所者が死亡!というニュースはすでにご存知だと思いますが、
理事長と言われている医師が白衣を着て首から聴診器をぶらさげ横柄な態度で記者会見にのぞむ有様は全く情けない限りです。

きっと、その理事長にも言い分はあるでしょう「好きで、こんな施設をやっているんじゃあない!」と大きな声で本音は言えないでしょうが、
福祉コンサルタントと称する詐欺師に上手く騙されて医療の世界から福祉経営にうっかり手を出してしまった、
もしかするとある面では一被害者なのかもしれません。

似たような施設が県内にはたくさんありますが、
影響を恐れてか他の施設からは何の反応もなくじっと暴風が通り過ぎるのを静観しているようにも見えます。
今回の事件は外部への通報により、やっと発覚したようですが、どうやら内部告発のようです。
それまでに入所者に対する生活面での対応の数々にも大きな問題を抱えていたようですが、
どうやら県も市もありきたりの監査のため見過ごしてきたようです。

たまたま死亡者がたくさん出たということで大問題とはなっているのですが、
日常的にもオカシナ死因が各施設内の常識により封印されてきた状況があると思います。
国民の血税を多く注ぎ込んでいる入所施設で今起こっている事実を厳粛に受け止めて、
アブノーマルな世界を容認しつつ管理のみで解決しようとしてきた国の姿勢を変えていかねば「命の尊厳」は絵に書いた餅でしかありません。

■小さな綻び(2005年1月14日)

佐藤さん こんばんは 
本日は前回に引き続き訪問販売の解約物語です。

前回の、在宅で知的なハンディを持つDさんの蒲団の訪問販売騒動がやっと解決したかと思っていたら、
「あの〜、相談があるんですけど〜。」「今月、支払いが多くて買い物をするお金がないんです、
なんとか訪問販売の引き落としを止めてもらえないでしょうか!」と相談を受けました。

通帳を見せていただくと、なんと3件のローン会社からの引き落としがあり、
今後引き落としの予想されるローンもあるとのこと、なんと焼け石に水とはこのことでしょうか!
早速、前回協力いただいた消費生活相談所へ事情を説明したところ、
「それぞれの訪問販売の業者が解約してくれるかどうかわからないけれど、とりあえず契約書の内容を見せていただいて、
本人にハンディがあり訪問販売契約の内容が全く理解できないということを証明していくしかないでしょうね!」とのことでした。

「本人が都合の良い日に一緒に消費生活相談所まで契約書を持参して欲しい。」とのことで、同行することになりました。
担当のSさんは、これまでに知的なハンディのある方との接点がなかったようで、
最初は戸惑っておられましたが、話をするうちに要領を得られて上手に訪問販売業者との契約をしたときの状況を聞き出されておられました、
さすがにプロです!
訪問販売業者のさまざまな問題点を拾い上げられていました。

「午後から、直接訪問販売業者に連絡をとりその結果をのちほど報告させていただきます。」
とのことで電話を待っていましたら、夕方になり「無事、3社ともキャンセルに同意していただきました。
ハンディがあるということを理解していただけたようです!」と有難い連絡を受けました。

とりあえずのところ解約できましたが、問題は契約書が見つからない部分の支払いがまだあるということです。
今後、市町村申立てによる「成年後見制度」へ持っていければ一番良いのかもしれませんが、
担当課の「法定後見制度」に対する理解が全くないようなので、まずパンフレットを持参して説明するところから始まりそうです。

さて、広島県内の特養で起こった入所者7名の死亡事件のその後ですが、
市の担当課もこれほどこの事件が全国規模に大きく問題視されるとは思っていなかったようで、連日の各方面への対応に寝る間もないようです。

まさか直々に厚生労働省からの立ち入り調査までに進展するとは考えていなかったようで、
ことの認識の甘さがこれだけ被害を拡大したことを施設側も行政も全く理解できていなかったようです。

大企業でさえも内部告発から倒産への道を歩む時代です、
「臭いものには蓋!」の時代は終わったことを少しでも早く理解できると良いのですが・・・・。

■神戸に学べ!
(2005年1月14日)

佐藤さん こんばんは 
今日は1日中珍しくお日様が照り雪が少し融けました。

さて、先日知り合いが土日を利用してスマトラ沖地震救援募金を呼びかけたところ
驚くほどのお金が集まりひとの温かみを久しぶりに感じることができたとメールを送ってきました。

かっては、私もさまざまな募金活動をして各地に送ったことがあります、
しかしその配分にまで気にかけたことがありませんでした。
新潟県の発表によると新潟中越大震災義援金の受付状況について1月13日現在で137億円余り集まっているとのこと、
しかしそれを被害状況別に各地域に配分すると全壊で200万
〜一部損壊で5万を個別に届けることになるようです。

阪神大震災のその後を取り上げたテレビ番組で、
震災住宅に住む多くの高齢者が仕事や生きがいを失い孤独死を迎える状況があるとのことでしたが、
せっかく集めた義援金をもっと有効に活用することはできないものかと思いました。

新潟県が「震災復興ビジョン」への意見を募集します!というものを県のホームページにのせていますが、簡単なことです
震災十年後の神戸に足を運べば、
そこで今何が起こっているのか、何が必要なのかよく見えてくるのではないでしょうか。


〔第30回〕

■祥福。(2005年1月3日)

佐藤さん おはようございます。
大晦日元旦と続いて降った雪が家の周囲にはたっぷりと残っていて肌寒い朝を迎えております。

さて、朝刊のなかに小さなこの町で新たに介護保険事業所をオープンするという広告があり、大きな失望感が起こりました。
元々運輸業をされていた事業所ですが、手始めに福祉タクシーと訪問介護から福祉産業に参入されるとのこと。

介護保険が生まれる前からすでに指摘されていた「市場原理下の競争社会」が、
過疎地である我が町でも現実に起こり始めたということです。
大手が参入しない場所だけにこれまで井の中の蛙であった事業者がこれで一斉に目を覚ますでしょうし、
4月から始まる市町村合併による社会福祉協議会が新たに参入することでますます戦国時代に突入することとなります。

このことがサービス利用者にとって有利に働けばなんら問題はないのでしょうが、
残念なことに従来の措置から契約に移行した結果、
利用者とサービス事業者との対等な関係というものはどうやら絵に描いた餅でしかなく、
本当に困ったものです。

そこで『福祉』とはいったいなにかを改めて調べたところ、
「さいはひ・仕合せ・幸福・みちたりた生活環境」とありました、
なるほどここには問題はないようです。
それでは『社会』をとっぱらってしまった、福祉サービスの問題点はどこにあるのでしょうか、
「社会の矛盾が生み出す社会問題・生活問題・精神的不安、
そこから生まれるニーズの解決や克服に、相対的独自的な役割をもって当たる、社会的歴史的実践。」
を必要としなくなってきたということでしょうか。

最近、ユニバーサル・デザインと称して、
一見「誰もが使いやすいもの利用しやすいもの」といかにもわが国の福祉が大きく前進したかのごとく宣伝していますが、
これも逆に全国民を対象とする福祉の拡大により、
かえって本来の限定的な福祉の対象を著しく見えにくくしているようにも感じるのです。

また、市町村合併という御旗の元に、
市営株式会社と称して保育所・調理施設・体育館管理など公共施設の切り崩しがどんどん進められています、
公的責任の放棄がどんどん進む過疎地に果たしていったいなにが残るのか!?

兄貴分の大学教授が
「市町村合併が落ち着く5年先には必要のないものは消えて本当に必要なものは残っていく、
その地域に必要なものを実践していくことだよ!」
と教えてくれました。

■新たなシステムの構築!
(2005年1月5日)

佐藤さん こんにちは 本日は小雪が舞い肌寒い一日です。
佐藤さんとの出会いのように不思議なご縁のある方と午前中久しぶりに長電話をしました。

その方は、小柄な体格からは想像できぬほど学生時代から闘士として活躍されていたとのことで、
福祉の現場に就職されてからもずっと閉鎖的な施設の中で労働運動や障害者運動のリーダーとして精魂を傾けてこられました。

そのおかげで今日の近隣の障害者施設で働く人たちの労働条件が向上したり、
入所している利用者の生活が向上したといっても過言ではありません。
管理職となられても、威張らず何時も謙虚に現場の中で的確に発言されて、
その施設に突然伺ってもいつも笑いの絶えない場所であり、
全国からユニークな若者が集まって来る場所でもありました。

その方も今春で定年されるとのことですが、
昨年末頃より持病のヘルニアが悪化されて現在は週の殆どを自宅療養に充てられているとのことです。
以前お宅にお邪魔した時にたくさんの仏像が部屋の中や庭に置かれていたので話を伺うと、
これまで過ごされた施設経験の中で不慮の事故で亡くなられた利用者の方々の供養に少しでもなればと、
週に一度あるお坊さんの手ほどきを受けながら陶土で仏像を作り焼いておられるとのことでした。

「どうもね、時代の流れだと思うんだよ!いくら「福祉のこころ」だと言ったところで通用しなくなってきたんだよ。
『温かみ』とか『思いやり』を国が全て否定してしまって
『市場の競争原理』とか『福祉産業』を持ち込んだもんだから太刀打ちできなくなってしまったような気がするんだ。」

「たぶん人間が古いんだろうな〜、新しい感覚の人達にバトンを渡すしかないんだろうと思うよ!」
「中古車にいくら新しいエンジンを積んだところで走るわけがないものな〜。」
と今日は珍しく弱気な言葉を吐いておられました。

次は、私が一昨年失意のどん底にあるときに、その方から送っていただいたおかげで立ち直ることができた詩です。

 『道』
道はあなたの近くにある 歩いて行きさえすれば開けてゆくものだ
「行きつまった」ということは立ちどまっていること
アリの行列を見るとよくわかるはずだ
行列の行くてに石を置くとアリは方向を変えて再び道をつくる
どんな邪魔をしても失望しない

人間もよく考えなくてはならぬ
たおれたら起きるがよい
道を見失ったと思えば工夫するがよい
窮して通ぜざる道はない 道は無窮につづいている
道はわが体験によってのみ開かれるのだ

■連れ合い(2005年1月8日)

佐藤さん こんばんは 

本日は旧知の知的障害者ディサービス施設の見学に立ち寄りました。
雪模様の県北とは違ってまるで春のように感じる瀬戸内海沿岸部の風景を横目に見ながらお邪魔しました。

これまで私が岐路に立った時にいつもお邪魔していた施設でしたが、
知人があいにく休暇とのことで5分間位いただけでそこそこに退散して知人の家に上がりこみました。
見学で一番気になるものは、スタッフが利用者に対する態度と利用者の表情です、
残念なことに私の目には不合格に映りました。

なぜ、あれほど明るさや躍動感のあった施設が、
こうも変わり果てたのか是非とも知人に聞いてみたかったのです。
20年ぶりに訪ねた知人のお宅の周囲は当時とすっかり変わってにぎやかな住宅地の一角となっていました。

しかし、一歩玄関の中に入ると何か昔と違う雰囲気を感じ取りました。
部屋の中に入り、正直に施設を見学して感じたことを話をすると
「よく、わかりましたね!実は昨年私が施設長を引退して
今の施設長や民間の企業から引っ張り出してきた理事長に変わったことで施設の方針が大きく変わり
「福祉の夢」を語るよりも「施設の基盤作り」に力を入れるということになって、
それに伴う人事も変わった結果なのです。」

「一年経過していないので、今どうこう言えないでしょうし、
どっちにしてもそろそろ次の人にバトンタッチしていかねばならないのですし、
いずれはこういう時期もくることはわかっていました。」
といつもとは違うずいぶん控えめな発言内容でした。

しばらく話をしていると、奥さんが茶菓子を持って来られました、
20年ぶりなのですが全く別人のように見えました。
20年前にお邪魔したときにはお子さんも両親も一緒に住んでおられとても明るいスポーツ・ウーマンの印象があったのですが、
話を伺うとお子さんはそれぞれに巣立たれて両親も現在は瀬戸内海の島に隠居部屋をこしらえて別居されているとのことでした。

奥さんは数年前に乳癌を摘出され、昨年転移していることがわかり現在は放射線治療を続けておられるとのことでした。
なんということでしょうか、どうも神様は不公平ないたずらをされるような気がしてなりません。

これですべてを話がわかりました、
知人は仕事よりも奥さんを選択されたようです、
大変な決断だったであろうと思いますが素晴らしい生き方です。
先日「どうも最近涙もろくなって・・・」と言い訳をしていたことも理解できました、
日々生と死の狭間を行き来する当事者や家族の気持ちを考えると涙が止まりませんでした。

永年夫婦をやっていると、ついお互いが空気のようになってしまい子育てが終わると余計話すこともなくなりがちですが、
奥さんあっての自分です、大事にしなくてはと・・・