●企業のパラダイム転換
時代はいま,大きな変わり目にある。変化の渦中にいると,その大きさは実感しにくいが,おそらく歴史の転機と言ってよいだろう。最近の国際政治の激変も,そのひとつのあらわれにすぎない。国と国との関係が変化してきているだけではない。「国」という概念が問い直されているのである。まさに発想のパラダイム転換が求められている。
企業もまた,そうした時代の変化のただ中にある。企業を取り巻く環境はもとより,企業を構成している社員の意識も,これまでの延長線を逸脱しつつある。企業経営において「アンラーニング」ということが言われ出しているが,その意味はもっと真剣に考えられなければならない。企業が迫られているのは,技法的な経営革新ではなく,企業そのものの役割やあり方の問い直しなのである。
リストラクチャリングに取り組む企業が増えているが,それは単に事業ドメインや組織の見直しにとどまるものではない。再構築すべきは,自らの役割とそれを果たすべき経営のあり方であり,さらには社会との関係である。CIや企業文化が話題にされる理由はここにある。
もちろん,アイデンティティや企業文化を変革することは,そう簡単なことではない。むしろ至難のことと言ってよい。しかし,もしそれに成功しなければ,その企業の21世紀は苦しいものとなろう。逆にそれに成功した企業は,新しい時代の旗手として大きな飛躍と発展が可能となる。
●企業を変えていくのは社員
それでは一体だれが企業を変革していくのであろうか。
企業変革は職務改善とは異なる。改善の確実性に比べて変革はリスクの大きな課題である。毎日の日常活動の中で,成否が不確実な変革に取り組むには企業という組織は必ずしも適切ではない。組織がしっかりしていればいるほど,ホメオスタティックな保守志向が働くからである。したがって,企業変革の成否は経営者の力量と決断に大きくかかっている。激変期がいつもそうであるように,現在はリーダーの時代である。
しかし,同時にまた,その企業に関わるすべての社員の意識や情熱が重要になってきている時代でもある。パラダイム転換を目指す企業変革は,いかに強力なリーダーでもひとりで出来るものではない。多くの社員の主体的な呼応が必要となる。社会の成熟化や産業のソフト化の潮流が,そうした傾向を強めている。企業活動は所詮は社員一人ひとりの活動の集積であり,企業を変えていくのは社員である。
組織の活性化や社員意識の変革は,こうした状況の中でとらえられなければならない。重要なことは企業の役割やあり方の見直しであり,これまでの延長で活性化策を講じたり,社員教育を強化したりすることではない。それらは一時的には効果をあげるかもしれないが,長期的にはむしろ企業変革を阻害することにもなりかねない。企業のグランドデザインがないままに,組織活性化や意識変革があまりにも安直に語られすぎている。
●社員の意識は既に変化しつつある
特に留意しなければならないことは,意識変革の対象とされる社員の意識は既に変化してきているということである。時代の転機が人々の意識の変化に支えられているのであれば,時代の意識としては社員の意識のほうが先行していると考えるべきであろう。ただ,社員自身その変化を明確に認識しているとは限らないし,「企業人」であるという自覚からこれまでの意識に拘束されていることも事実である。したがって,個人意識の変化は必ずしも行動に具現化されているわけではない。そのズレが,ある時には「大企業病」となり,ある時にはストレスや過労死となって発現する。
これまで,多くの企業は個人の意識よりも組織人の意識を優先させるように仕向けてきたし,それが組織の活性化にもつながっていた。だが状況は変わりつつある。先行している社員の個人意識を遅れている企業の従前の組織意識に合わせることは,組織にとって決していいことではない。もちろん,個人の意識に企業が合わせればいいということでもない。社員の意識の変化と企業変革の意思とが絡み合って,ある方向を創造していくことが望ましい。変わらなければいけないのは「社員意識」ではなく,むしろ「企業意識」であり,それを所管する部署(たとえば人事部)の意識かもしれない。企業が変われば,社員意識の変化が顕在化し,それがまた企業を変えていくことにつながっていく。
変化した意識が組織のしがらみから解放され,組織の方向と整合するならば,社員はイキイキしてくるだろう。人は自分の考えで行動する時が一番元気になれる。自分の考えを認めてもらえた時,おそらく最大の能力を発揮するようになる。社員がイキイキすれば,組織は活性化する。組織活性化のために社員の意識を変革するのではない。
●社員意識変化と企業変革との共振
社員は既に意識を変えつつある。そして,ほとんど例外なく社員は自分の会社がイキイキと活性化し元気になることを望んでいる。だが,組織の慣性の中で,どうやってそれを実行していいのか分からない。「企業は論理とネットワークの世界だからそこでの行動は慎重でなければならない」と多くの企業人は考えている。だから変化しつつある意識を抑えつつ,矛盾を感じながらも組織に合わせているケースは少なくない。一方,企業はそうした社員にあきたらず,もっと元気を出せと激励したり,様々な仕組みや制度をつくって社員の行動を変えさせようとしている。しかし,よほどの勇気とパワーがなければ,個人としての社員は変革の先駆者にはなりにくい。変化した意識を組織内で発現し確認する場がないからである。それに企業がすべてその方向を向いているわけでもない。
たとえば新入社員教育を考えてみよう。新入社員はもっとも意識が先行しており,アンラーニングする必要がないほどラーニングしていない存在である。もし企業が自らの変革を考えるのであれば,彼らほどいい「教師」はいない。彼らの新鮮な目で企業文化や組織制度を評価してもらえば,多くの示唆を得ることができるだろう。しかし,実際には彼らは「新入社員教育」の中で組織の論理をたたきこまれる。企業が大きく変革していかなければならないのであれば,そこで必要なのは「学び合い」であり,彼らの意識の尊重と既存社員教育への活用である。ベクトルを逆転しなければならない。
意識は外部から一方的に変えられるものではない。きっかけは外部から与えられるとしても内発的に変わるものである。「人を変えていく」という発想を捨てることから企業変革は始めなければならない。社員一人ひとりが変化しつつある自分の意識に気づき,行動が変えられるような状況をつくっていくこと,そして社員個々人の変化の方向を全体としての企業変革の方向と整合させ相互にシナジーを与えるようにしていくことが必要である。
現在のように企業がパラダイム転換を迫られているような状況では,社員意識の変革
と企業の変革とは共振的であることが望ましい。一方的な社員教育や個人々々の体験学習,あるいは社員からの提案や意識調査による制度変革も大切だが,どちらか一方が他方を変えていく方法だけでは,どこかに無理が生ずるおそれが強い。社員と企業が同時に変化していく仕掛けはないだろうか。そこで考えられるのが,イベントの活用である。
●イベントの効用
現代はイベント時代と言われるほど至るところでイベントが花盛りである。とりわけ目立つのが地域イベントで,地域のイメージアップや活性化のために地方博覧会をはじめとした様々なイベントが開催されている。イベント行政という言葉すら出現している。
イベントとは「日常生活にリズムを与える催し物」であり,特定の時間と空間にエネルギーを結集し,それに触れ合う人々に感動や喜びを与えてくれる一種のおまつりである。刺激的な情報空間の創造と言ってもよい。
時代の変化の中で,地域もまた変革を迫られているが,多様な住人を抱え込む地域の活性化や変革のためにイベントが実効を上げているのであれば,そのノウハウは企業として大いに学ぶべきであろう。管理と強制ではなく自発的な変革のモデルが,そこにあるはずである。
もっとも,企業もイベントとの付き合いは少なくない。特に最近ふたつの面でイベントが重要な役割を果たしている。ひとつは企業の社会活動やイメージアップ戦略としてのイベント展開である。冠大会や文化イベントの主催や後援がそれに当たる。イベントを支援し,場合によっては主催することが,社会や市場とのコミュニケーションを深め,自社のイメージを向上させることになる。地域住民も参加できる盆踊りや夏祭りも,そうした施策のひとつである。コーポレート・シチズンシップや企業の公益性が重視されるようになってきているため,この種のイベントはますます増えていくであろう。
もうひとつはマーケティング活動としてのイベントである。新商品発表や販売促進にとってイベントは大きな効果を発揮する。それが逸脱して,熱狂的な雰囲気の中で不当に高い商品を買わせてしまう悪質な「催眠商法」すら出ているほどであるが,イベントにはそれだけの効果がある。「商品づくりよりも話題づくり」といった時代の風潮はまだまだ続くであろうから,マーケティング戦略としてのイベント活用はさらに盛んになるであろう。このひとつの変形として,最近急増している学生を対象としたリクルート活動のためのイベントも増加していくに違いない。
●イベントによるマネジメント
これらはいずれも企業と外部(社会や市場)との関係の中でのイベント展開であるが,これらに続いて企業内部でのイベントが今後重要になっていくものと思われる。日本の企業文化論議に火をつけた,ディールとケネディの『シンボリック・マネジャー』(原題"Corporate
Cultures")には,企業文化の重要な要素として「儀式」があげられており,企業変革のためのイベント戦略が示唆されている。
もちろん日本の企業でも,これまでいろいろな社内イベントを行ってきているが,どちらかと言えば福利厚生活動だったり周年行事だったりで,企業戦略との関連は薄かった。しかし,これからはむしろ企業変革という極めて戦略的なところで社内イベントが活用されていくことになるだろう。社内イベントの新しい意味の発見が始まっている。
社会との接点で効用のあったイベントが,なぜ社内マネジメントにおいても重要な役割を持つようになってきたのか。それは物的経済の成熟化やソフト化という時代の流れの中で,企業内部の状況が変わったからである。
企業が経済機関として効率性を追求する組織であった時には,企業は「論理と管理の世界」であった。定型的な商品を大量生産大量販売する組織の成員は必ずしも個性は必要なく,効率的な行動が期待されるだけであった。しかし,商品やサービスに個性や人間性が入り込んでくると,それに関わる人たちにも人間的な個性が求められるようになる。当然多様な価値観を持った社員が混在してくる。そして,論理だけではなく感性や感情が重要になってくる。感性や感情を束ねていくのは「管理」では限界があり,共感が大切になってくる。企業は論理や管理の「理の世界」から感性や共感の「感の世界」へと変化しつつある。組織を動かす原理も「理」から「感」へと動いていく。「理」ではなく「感」を重視するイベントがマネジメントのために重要になってきたのである。
言うまでもなくイベントへの参加は感動の共有であり,共通体験を持つことである。私たち自身のイベント参加の体験を思い起こしてみればよい。もちろんすべてのイベントが感動を与えてくれるわけではない。だが,日常とは違った異質な体験がその後の行動や意識になにがしかの影響を与えることは否定できない。それを多くの社員が共有することの意味は決して小さくないだろう。ましてや感動的なイベントであれば,そこに込められた意味やメッセージは必ず何らかの実態を生むことになるはずである。知識や強制では人はなかなか変わらないが,感動は人を一挙に変革する。
企業の変革にとって,社内イベントの効用は極めて大きい。
●企業変革のためのイベント
具体的に企業変革の視点から社内イベントをいくつか考えてみよう。
1)社内問題点の発見と共有
企業変革の基本は現在の企業実態の確認である。しかし,実態をきちんと認識することは問題が多ければ多いほど難しい。実態批判は経営者批判や同僚批判になるからである。それを克服するために,トップのお墨付きを得た全社員参加による「ディスカバー運動」が考えられる。一人では言えないことを全員で言い合うのである。場合によってはお客様まで対象を広げてしまうことも可能であろう。それをまとめて発表していけば問題点の共有化も実現できる。
2)企業理念や企業のあり方についての語り合い
企業変革の方向性を社員参加で語り合うイベントである。シンポジウムのスタイルもあるし,期間を決めて全社員がグループをつくって議論してもいい。その結果を集めて発表会をするのも効果的である。イベントの成果は企業変革に反映させていかなければならないことは言うまでもない。
3)外との触れ合いによる自分発見
企業の中だけではどうしても井の中の蛙になりかねない。そこで,企業として外部との触れ合いの場をイベント的に創出していくことは効果がある。社員の視野を広げると共に,社員が自分自身の意識の変化に気づく機会になるであろう。それが,企業変革につながっていく。
4)一体感づくりの社員ジャンボリー
企業変革を進めるためには全社的なベクトルの確認とトップを含む全員の一体感が必