[もうひとつの生き方/5]
市民の責任としての政治への関心
究極的民主主義を構想するリンカーンクラブ
先程行われた衆議院議員選挙(1996年)の投票率はついに60%を割ってしまった。これに対して、国民の政治意識が低くなったことを嘆く人もいるが、嘆くべき対象は「政治のあり方」なのではないかと思う。国民の政治意識が、若い人も含めて、むしろ高まっているからこそ、今のような「政治」に対しては投票に行く気にならないのではないか。
問題は投票率の低さにあるのではない。私自身も今回はどう投票していいか非常に困ってしまった。しかし、だからといって政治をこのままにしていていいわけではない。政治意識の高まりをきちんと現実の政治につなげていく仕組みを作り上げ、「政治のあり方」を変えていかなければならない。これこそ、人生経験豊かな高齢者の恰好なテーマではないだろうか。そして、これはまた高齢者が自らを輝かすことができるテーマでもある。
政治はだれでもが参加できる。いや参加しなければ、国民主権国家は絵に描いた餅になりかねない。政治を変えるために熟年世代や高齢者のできることは少なくない。私も会社を辞めて以来、住民活動への参加、行政と共創できるような市民の学校づくり(アンテナ市民アカデミー)、新しい行政に関する研究会など、いろいろな形で政治や行政に関わってきた。
いずれの場にもいきいきと社会に関わる人たちがいた。自分たちの社会づくりに取り組む人たちはみんな輝いている。
今回はそのひとつであるリンカーンクラブについて紹介したい。
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私たちは本当に主権者なのか
日本は国民主権の国と言われているが、本当に民主主義は実現しているのか。こうした問題意識から日本の現実をもっと民主主義に近づけていこうという活動に取り組んでいるのがリンカーンクラブである。アメリカ大統領リンカーンの「人民の、人民による、人民のための政治」という言葉を理念にしている。
その代表を勤める武田文彦さんは、このテーマに20年以上前から取り組んでいる。近年、代議制への不信から直接民主主義論議が盛んだが、リンカーンクラブはそうした流行のなかで生まれたものではない。年季が入っている。
私が武田さんにあったのも20年ほど前である。たまたま知り合った武田さんから民主主義の研究会を開くので、とのお誘いがあり参加させていただいた。武田さんは本業の情報サービス会社を経営するかたわら、自らの民主主義論を深められ、昭和50年には『代議士不要の政治』を、さらに平成5年には『民主主義進化論』を出版した。特に後者は二分冊の大著で、武田さんの積年の思いが熱く語られている。そこでの問いかけは「議会制民主主義って本当の民主主義なんだろうか?」という刺激的なものである。
残念ながらいずれの著書も出版の時期が少しだけ早すぎたせいもあってベストセラーにはなりそこなったが、かなりの反響があり、それまでの研究会を母体にしてリンカーンクラブがスタートすることになった。平成6年のことである。
単なる政治団体ではなく、ジャーナリスト、公認会計士、企業人、商店経営者、政治学者、主婦、政治家など、非常に幅広い立場の人が参加し、政治のパラダイム(枠組み)を変えていくための運動を起こそうという大志に支えられてのスタートだった。その年の11月19日(リンカーンがゲティスバーグで「人民の,人民による・・・」の演説を行った日である)には通信衛星放送枠を3時間買い取り、メンバーの手作りで生放送のテレビ番組を制作し、議会制民主主義に大きな疑問を提起した。その後も毎年11月19日には民主主義をテーマにした公開フォーラムを手作りで開いている。
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間接民主主義と直接民主主義の融合
武田さんは政治家を志望しているわけではない。その武田さんがなぜこれほど民主主義にこだわるのか。それは、多くの国民の意思とは離れたところにあるにもかかわらず、政治が「国民の名」で行われていることに怒りを感じているからである。
国民と離れてしまった政治はもはや民主主義ではない。だが批判だけしていればいいわけではない。そうした事態を変えていくのは、ほかならぬ主権者である私たち自身なのだ。それはリンカーンクラブに集まる人たちの共通の思いでもある。
当初からのメンバーのひとり亀川秀男さんは吉祥寺で寝具店を経営している。20年ほど前に「納税者の反乱」と騒がれた武蔵野市の固定資産税見直し運動のリーダーである。行政への異議申立ては決して「反乱」などではない。社会をよくしたいという市民としての責任感からのやむにやまれぬ行動だった。
主権者には責任がある。民主主義は与えられるものではなく、自分たちで実現していくことだと確信している亀川さんが、武田さんの民主主義実現活動に共鳴したのは当然である。
民間企業に勤める久光芳彦さんは私のところのオープンサロンで武田さんからリンカーンクラブの話を聞き早速入会した。五十路を超えて自らの生き方を改めて考えだした久光さんにとって、民主主義実現に取り組むことは自分の生き方を考えることでもある。
リンカーンクラブには高校生や大学生を含む若い世代も参加している。政治家志望の若者もいるし、熟年世代の女性もいる。政治学者もいれば企業人もいる。そうした人たちと一緒になって、定年退職したシニアたちも情熱的な議論に加わり、世代を超えた意見交換が毎月行われている。
最近では国会議員や自治体の首長も参加するようになった。リンカーンクラブの目的は「究極的民主主義の実現」にある。「究極的民主主義」(武田さんの造語)とは「電子投票で可能になってきた直接民主主義とこれまでの代議制間接民主主義を融合した、国民主権を最大限可能にする政治システム」である。かつてベストセラーになった『第三の波』で、米国の未来学者アルビン・トフラーは間接民主主義と直接民主主義をミックスした半直接民主主義が必要と説いたが,実はその本が出版される以前に武田さんはトフラーと会って、究極的民主主義の構想を話している。
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究極的民主主義を実現したい
リンカーンクラブがいま取り組んでいるのは国民投票制度の実現である。電子技術の飛躍的な発展と社会の成熟化が直接民主主義の実現可能性を大きく広げているが、現実の政治は旧態依然の仕組みから一歩も出ていない。すべてを国民投票に託すことは現実的ではないが、重要な課題について国民の意向をきちんと確認するための仕組みを実現する技術的条件は整っている。
問題はおそらく「情報の共有化」をどう進めるかということであろう。これもリンカーンクラブの重要な課題になっている。
国民投票や直接民主主義を語ると必ず出てくるのが「衆愚政治の危険性」である。確かに歴史のなかには直接民主主義の失敗が多々語られている。しかしだからといって直接民主主義を取り込む価値がないわけではない。ある意味では政治は失敗の連続であり、失敗を通して私たちは学んできた。そのことを忘れては未来はない。
究極的民主主義を実現するためには、まだまだ解決しなければならない課題は多い。リンカーンクラブでは研究会も開きながら、理論面や実践計画を深めているが、さらに大志の実現に向けて二つのことに取り組みだしている。
ひとつは「次世代型民主主義制度学会(仮称)」の設立である。究極的民主主義への移行プログラムも含めて、究極的民主主義の実体研究を深めていくためには、政治学者や情報技術者をはじめとしたさまざまな人たちの知恵と知識を結集していかなければならない。学会といっても全く新しいスタイルの学会で、できれば米国のサンタフェ研究所(複雑性の科学に取り組んでいる開かれた業際的な研究所)のようなものを構想している。
もうひとつは実践的な広がりをつくりだしていくことである。究極的民主主義に賛同する自治体の首長に呼びかけて、リンカーンクラブが考えている民主主義スタンダードを実践的に展開していくという計画である。すでに何人かの市長が関心を持ってきてくれているが、将来はリンカーンクラブ宣言都市ネットワークを実現したいと考えている。
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高齢者にとっての最高の余暇活動としての政治
リンカーンクラブは日本の政治に革命的な変化を起こす運動拠点を志向しているわけだが、好んで波風を立てようという短視眼な革命集団ではない。むしろさまざまな立場の人を包摂する「やわらかな組織」である。リンカーンクラブという命名に象徴されているように、「人民の、人民による、人民のための政治」という民主主義の原点をみんなで確認し、現実をそれに近づけていこうということが目標である。
私たちから遠いところにある政治をもっと身近なものにしようという活動と言ってもいい。それはとりもなおさず、私たちの市民としての政治意識を問い直すことでもある。
だがそう言ってしまうと事は難しくなる。武田さんの考えはもっと柔らかい。やや不謹慎に聞こえるかもしれないが、こうした政治運動を娯楽産業、生き甲斐産業にしていったらどうかと彼は考えている。政治が私たち一人ひとりの生活を豊かなものにするためのものであれば、それは誰でも参加でき、自分の生活につなげていける魅力的なテーマである。しかも自分だけではなく、社会全体、さらには子孫代々にも影響を与えられるテーマだから、達成感のある充実した活動になるはずだ。それを「事業」として実現できないか、それが武田さんの夢である。
もちろんここでいう「事業」はこれまでの「営利事業」とは違うし、最近はやりの「市民事業」とも違っている。新しいタイプの「公益事業」「協同事業」と言っていいかもしれない。
同時にまた、これまでの「政治運動」とも全く異なっている。政治運動というと「重く暗い」イメージがつきまとうが、もっと明るく楽しく、余暇活動として政治に関わっていけばいい。つまり「政治を楽しむ」わけである。楽しいところには人が集まる。専業化してしまった政治活動を国民が取り戻し、政治をガラス 張りにする契機になるはずだ。そうなれば投票率は間違いなく回復する。これが武田さんの考えである。
決して奇をてらった考えではない。欧米の地方議会議員の多くは名誉職として、本業ではない社会活動として位置づけられている。そしてそれこそが政治の基本だったのではなかったか。政治に参加できることは、名誉であり喜びだったはずである。決してビジネスではなかった。
武田さんが期待するのは、定年退職者と子育ての終わった主婦たちである。そうした熟年世代や高齢世代にとって、これほど人生を輝かせるテーマはないのではないか。特に生産活動の第一線から退いた数多くの高齢者の方々が、自分の余生を新しい「政治革命」に投ずることによって、是非ともそれぞれの生き甲斐を創りだしていってほしいと武田さんは願っている。それは高齢化社会のあり方にとっても大きな意味をもっている。
リンカーンクラブ活動は武田さんにとって「社会活動」でもあるが、「余暇活動」でもある。誇りと道楽と言ってもいい。それはリンカーンクラブに参加している人たちに共通していることだが、その現れ方はさまざまである。ある人は議員に立候補し、ある人は研究論文をまとめ、ある人は政治談義を楽しむ。住民投票実現に向けて運動に取り組む人もいれば、政治の産業化を考えている人もいる。その多様さ、多彩さが、リンカーンクラブをいきいきした人間の集まりにしているのだろう。
シニアの人たちにとっても接点はたくさんある。みなさんも参加してみませんか。
月刊シニアプラン:1996年12月号
佐藤修