from Meiko In USA
伊藤めいこさんのライブな対米日記

トップへ

旧姓清水めいこさん、いまは伊藤めいこさんは、10月にアメリカに転居しました。めいこさんといえば、山形市の共創プロジェクトの中心メンバーの一人であり、またフラメンコダンサーでもあります。昨年秋、結婚されて、渡米されました。そのめいこさんから、これから不定期で、アメリカ便りをもらうことになりました。
ライブな生活情報を、気楽に投稿してもらう予定です。



[第16回〕2005年11月8日

修さん、

ご無沙汰しておりますが、お元気ですか?
私は、無事、9月4日にこちらで女の子を出産し、
新米母生活を楽しんでいます。
体の成長はもちろんのこと、日々、できることが増えていく娘に驚いてばかりです。
子供の成長する力って本当にすごいですね。

アメリカで出産を経験し、日本の事情と明らかに違う点が3つありました。
それは、
(1)妊娠・出産にも医療保険が適用される
(2)かかりつけの産婦人科には分娩施設がない
(3)夫が検診・分娩に立ち会うのは当たりまえ
ということです。

医療保険が適用された結果、私が支払った医療費は280ドルです。
内訳は以下のとおりです。
 診察に関する費用    15ドル
 精密検査に関する費用 15ドル
 入院に関する費用   250ドル

ただ、この保険が曲者で、保険が適用されないという理由で、
・妊娠8週を超えないと診察をしてもらえない。
・超音波検査は2〜3回しかしてもらえない。
・産後の入院は、普通分娩の場合は2日、帝王切開の場合は4日のみ。

また、かかりつけの医院には分娩施設がないので、分娩は総合病院で行います。
しかし、とりあげてくれるのは、かかりつけの医師です。
簡単に言うと、
総合病院の分娩施設と分娩用スタッフ(看護士・助産婦・麻酔科医など)を、
クリニックを開業している産婦人科医が借りるというような感じです。

私がアメリカで出産できて一番幸せだと感じたことは、
定期検診・出産の全ての時間を夫と共有できたことです。
超音波にうつった我が子が手を動かしたとき、
思わず二人で画面に向かって手を振ってしまったことや、
出産時、いきむ私の体を支えながら夫が励まし続けてくれたこと、
そして、一緒に娘の産声を聞けたこと、
すべて私達のかけがえのない思い出です。

一生のうちで、自分たちが何人の子供の親になれるか分かりません。
その貴重な時間と感動を、
夫婦で共有することが当たり前という社会に、
日本もなればいいのにな…とつくづく感じました。

実は、私のアメリカ生活も残すところあと2ヶ月です。
この2年間、たくさんの人々に支えられ、
英語の得意でない私も、何とか無事に生活し、
かつ、子供まで産んでしまいました。

それにしても、
自分がアメリカ人(娘は今のところ二重国籍なので)の親になるとは、
思ってもみませんでした。
人生って本当にわからないものですね。
日本に帰ってからも、きっと自分が思っても見なかったことが次々とおこることでしょう。
でも、どこにいても、どんなことでも、きっと何とかやっていけると信じて、
楽しんでいきたいと思います。

育児&引越し作業でバタバタしているため、
もしかしたらこれが最後のアメリカ便りになってしまうかも知れません。
気ままの時の、つたない文章をHPに載せていただき、
本当にありがとうございました。

[第15回〕2005年3月24日

修さん、
ご無沙汰しておりますが、お元気ですか?

私は、元気に「妊婦生活」を楽しんでいます。
間もなく5ヶ月目に入るところですが、
幸い悪阻もまったくなく、
信頼できる産婦人科医にも恵まれ、
今のところ、順調に経過しています。

先日、いずれ日本に帰ったときのためにと、
日本語とそして英語の「母子健康手帳」を、
母に頼んで送ってもらいました。
次回の検診から、先生に頼んで記入してもらうつもりです。

ところで、
母子手帳と一緒に配布された冊子の中に、
「海外子育てハンドブック」というものがあったのですが、
そこに、とても気になる文章が書いてあるのです。

「日本の常識は海外での非常識と言われるように、
日本で身につけたマナーが海外で通用するとは限りません。」
とはっきり書かれていました。
私は、正直、ムッとしました。

確かに、「日本の常識は世界の非常識」と明言する評論家もいますが、
これって、本当なのでしょうか?
では、「世界の常識」って何ですか?
どこの国の常識は「世界の常識」なのでしょうか?

私は日本で学んだマナーしか知りません。
こちらに来てからも、
日本で身につけた私なりの価値観を基準に行動してきましたが、
非常識だと言われたことはありません。
逆に、「日本人の誠実さ、謙虚さ、礼儀正しさを、世界の人々は見習うべきだ」
と言ってくれた外国人の友人が何人かいました。
この言葉を聞いていらい、
私は、日本人であることに益々誇りを感じるようになりました。
日本で、そして日本のやり方できちんと育てられていれば、
どこに国でも通用するマナーを身につけることができると、
私は信じています。
私は、自分の子供にも、
祖父母や、両親から教えてもらった、
日本の価値観を伝えていきたいと思っています。

愛国心を持つということは、
決して武力で解決できる問題ではなく、
自分の国が大切に守り続けてきた価値観を、
後世へと伝えていくことから始まるのではないでしょうか?
自分達の常識は非常識だと、自ら言っているようでは、
決して、真の愛国心など生まれないのでは???

「日本の常識は、世界で通用します。
だから、安心して海外生活・海外子育てを楽しんでください!」

それでは、また。

[第14回〕2005年1月1日

修さん、あけましておめでとうございます。
アメリカで2度目のお正月を迎えました。
今年は、日本人の友人達と一緒に、それぞれの地元の御節料理を持ち寄って、
新年会をしながら元旦を過ごしました。
今年も賑やかな一年になりそうな、そんな予感のする年明けでした。

そういえば、アメリカに来てから、我が家以外の家庭の味を楽しむ機会が増えました。
アメリカのカジュアルなパーティーは、それぞれが1〜2品ほど手料理を持ち寄って行う、
POTLUCKスタイルが主流だからです。

私は、このスタイルが大好きです。
なぜかというと、

まず第一に、ホスト側ばかりに負担がかからず、皆が同じように楽しめること。第二に、
一回のパーティーで、色々な料理、様々な味を楽しめること。
第三に、「こんなものも手づくりできるんだ〜」という新発見があり、
かつ、「どうやってつくるんだろう」という好奇心が生まれること。
第四に、その好奇心が、パーティーを学びの場に変えてくれること。
パーティーでは、あちらこちらで「作り方教えて!」という台詞が飛び交います。

そして最後に、
料理を披露し、かつ他人と比べられる場が与えられることで、
いい意味での競争心が生まれ、料理の腕を上げるべく皆が努力し始めること。

お陰で、結婚するまで料理などというものに全く縁がなく、
「料理は嫌い」と言ってはばからなかった私でさえ、
「ちょっと試してみようかな〜」と、料理の本を見ては新しい料理にチャレンジするようになりました。
夫の誕生日には、ケーキ作り名人の友人から、
デコレーションケーキの作り方まで教えてもらった程です。
「好奇心」と「負けず嫌い」が私の学びの原点です。
アメリカ流のPOT LUCKパーティーは、こんな私の気持ちをうまく刺激してくれたのだと思います。

最近は、日本の子供達の成績が低迷していて、文部科学省はこれまでの方針を変更するとか。
どのように変わっていくのかわかりませんが、
私の他愛もない日常経験のように、楽しみながら学んでいける環境が、
日本の子供達に与えられることを願ってやみません。
変更の結果、学ぶこと、新しく何かを身につけることは、
決して苦痛なことではなく、とても楽しいことだということを、
たくさんの子供達が気づいてくれるようになったらいいですね。

それでは、また。
今年もどうぞ宜しくお願いします。


〔第13回〕2004年11月23日

こんにちは。お元気ですか?
私は、無事に渡米2年目を向かえました。
感謝祭(Thanksgiving Day)を目前に控え、こちらは、もう冬間近といった感じです。

前回のアメリカ便りを送った後、ご存知のとおり、アメリカは大統領選挙一色でした。
こちらもご承知のことと思いますが、私が住んでいるオハイオ州は「激戦州」のひとつでした。
多くの人々が、家や車に応援する側のステッカーやポスターを貼っていましたが、
それぞれの数はほぼ半々といった感じで、両党が拮抗している様子が手に取るようにわかりました。
隣同士で支持している人が違っていても、気にせずに別々のポスターを貼っているのには、
正直、とても驚きました。

もしも日本が二大政党制に移行したしたら、
こんな風に堂々とどちらを支持しているか表明できるものかな〜と、考えてしまいました。
あっけらかんと自分の意思を表明できる雰囲気のない国が、二大政党制になってしまったら、
陰湿な雰囲気になったりしないものでしょうか?

選挙後、まわりのアメリカ人の反応もとても好対照でした。
ブッシュ側についていた友人は、
「大喜びよ!」と笑顔で答え、
ケリー側の友人は、
「その話はしたくない…」と落胆を隠せない様子。

それにしても、二人ともイラクの戦争には反対という点で共通していたのに、
支持している人が違っていたことは、私にはとても意外でした。
日本人同様、アメリカ人にとっても、イラクの戦争は「外」の出来事としてとらえられているのかも知れません。
なんだか、少し怖いです。

また、もう一つ気になったのは「中傷合戦」の過激さです。
中傷CMはオリンピックが開催される頃から始まり、選挙日が近づくほどにどんどん激しくなっていきました。
「政策」ではなく「人柄」を批判するものが多数をしめており、
どちらのCMを見ても居心地の悪さを感じずにはいられませんでした。
もしも日本であれば、中傷された側だけでなく、
した側も批判されるであろうことを家庭教師に伝えると、
「日本人の考え方の方がNICEね」と理解を示し、
自分も中傷合戦は好きでないと答えてくれました。
アメリカ人全てがこれらののCMに賛成しているのではないことが分かり、ホッとしました。

それでは、またお便りします。

〔第12回〕2004年7月31日

こんにちは。お元気でお過ごしですか?

アメリカの夏は、独立記念日(7月4日)から、
レイバーデー(9月第一月曜日)までと言われていますが、
まさにそのとおりで、最近、朝晩冷え込むようになり、夜に虫の音が聞こえ始めました。
もう、こちらは秋が始まっています。

レイバーデーの休暇を利用し、私は夫と一緒にコロラドに行ってきました。
コロラドは、私の故郷山形とゆかりの場所です。
コロラド州は山形県の姉妹県で、コロラド北部にあるボルダー市は山形市の姉妹都市なのです。

コロラド州にいたのは5日間、ボルダー市にいたのは2日間だけでしたが、
ボルダー市は、私達夫婦のお気に入りCityになってしまいました。

ボルダー市は、けっして大きな街ではありません。
人口が10万人を切っているとのことでしたが、
その人口規模が信じられないほど、コンパクトに、そして機能的に作られている街でした。
ほんの短い滞在でしたが、ポリシーを感じることができたような気がしました。

都市の周りは、不必要な拡大を防ぐため、
市が購入し管理しているオープンスペースで囲まれています。
そのオープンスペース内は、トレッキングコースや、貯水池として整備されているところもあり、
市民の憩いの場として提供されています。

私が一番感激したのは、
それらのスペースが、まさに「市民」の場所になっていることです。
観光客を相手にしてる訳ではないので、過度な広告もありませんし、お土産屋さんもありません。
でも、たくさんの人がいました。
家族連れ、ペット連れで、休日を楽しんでいるのです。

貯水池も、ただの貯水池ではありません。
海の無いコロラドで、マリンスポーツを楽しめるように作られているのです。
まさかコロラドで、海水浴(淡水浴とでもいうのでしょうか?)を楽しんでいる人を目にするとは思わず、
本当に驚きました。
こんな楽しい目的外使用が認められているところは、日本にもあるのでしょうか?

そして、ダウンタウン。
一番の目抜き通りは、常時歩行者天国になっていました。
決して大きなデパートがあるわけではないのですが、
人口70万人のコロンバスのダウンタウンよりも、街には人があふれていました。

それもそのはず。
街にいると、楽しいのです。
大道芸人がいたり、花壇があったり、オープンカフェがあったり、
思わず足をとめたくなる地元アーティストのギャラリーがあったり、
とにかく飽きないのです。
ここも、決して観光客向けに作られているわけではありません。
若者だけを対象にしているわけでもありません。
なのに、とても楽しいのです。

そこに住んでいる人、
地元で商売をしている人を大切にし、
その人たちが快適に生活できる街をつくろうとする強い意志を、
ボルダーからは感じることができました。

ちなみに、ボルダーは、
アメリカでは珍しく、大資本を嫌う街として有名だそうで、
アメリカの都市ならばどこにでもあるような大規模郊外店を、
ここでは一軒も見つけることができませんでした。

自分の故郷が、
こんなに素敵な姉妹都市を持っているとは知らず、
とても嬉しい気持ちになりましたが、
その反面、一体、姉妹都市って何なんだろうとも考えさせられました。
時々、市民が行ったり来たりするだけで、
本当に「友好的な姉妹都市関係」と言えるのでしょうか?
もっと実質的な、仕事に関わる場面で、
職員同士がお互いに学びあうことは必要ないのでしょうか?

こんなことを考えた、
今年の夏、最後のVacation記録でした。

それでは、また。

〔第12回〕2004年7月31日

こんにちは。
日本では猛暑だと聞きましたが、
お元気でお過ごしですか?
私の住むオハイオ州コロンバスも、
思っていた以上に暑く、かつ蒸し蒸ししていて、
暑さに弱い私はまいってしまっています。
こちらの夏は「カラッ」としていると思っていたので、
ちょっとだまされた気分です。
(単に、私が知らなかっただけなのですが…)

ところで、
突然ですが、
修さんはお嬢さん達が何歳になるまで、
一緒にお風呂に入っていましたか?
奥様はいかがでしょうか?

私は、
父とは小学校の3年生くらいまで一緒に入っていましたし、
母とは今でも時々一緒にお風呂に入ることがあります。

なぜ、このようなことをお伺いしたかというと、
最近、アメリカのお風呂に関わる事件について耳にしたからです。

ある日本人の小学生が、
お父さんと遊ぶのが大好きで、
特に、一緒にお風呂に入るのが楽しいと作文に書きました。
しかし、これが大問題になり、
「性的虐待」の疑いで、
ご両親は学校に呼び出されてしまったのです。

アメリカでは、
子供への性的虐待を防ぐという観点から、
子供が3歳くらいになったら、
両親は子供と一緒にお風呂に入るのは控えるべき、
と言われています。

特に父親に対しては厳しくて、
子供が女の子の場合は、
たとえ乳幼児であっても、
父親とはできるだけお風呂に入らないほうがいいと言われていて、
もしも必要な場合は、
子供用のお風呂に子供だけを入れて、
父親は洋服を着たまま体を洗ってあげる程度ですませるのだそうです。

最初にお伝えしたご両親は、
文化の違いを説明したそうですが、
結局、学校側からわかってはもらえず、
お父さんとお子さんとの楽しいお風呂タイムは、
アメリカにいる間はオアズケになってしまったそうです。

この話を初めて聞いたとき、
すぐには信じられなかったので、
真偽の程を家庭教師のアメリカ人に確認したところ、
母親が一緒にお風呂に入るのも、
せいぜい5歳が限度で、
父親は、やはり2歳くらいまでと言っていました。

日本の事情を話すと、
驚いてはいましたが、
決して否定はしませんでした。
この先生が小学校の先生だったら、
日本人親子の楽しいお風呂タイムも理解してくれたかもしれませんね。

それにしても、
子供と一緒にお風呂に入らないアメリカ人は、
いったいどこで数の数え方を教えているんでしょう…
また、家庭教師の先生に聞いてみたいと思います。

それでは、また。

〔第11回〕2004年6月30日

こんにちは。
奥様の検査結果の書き込みを拝見しました。
良かったですね。私も、とても嬉しいです。

最近、アメリカと日本が流すニュースは、
何だかとてもやり切れないものが多く、気が滅入ってしまいます。

私の毎日はとても幸せで、
家族にも友達にも恵まれ、衣食住を心配することもなく、
穏やかに過ぎていきます。
しかし、今までは思ったこともなかったのですが、
「この幸せは明日もあるのだろうか」と感じるようになりました。

先日、私の住んでいるコロンバスをターゲットにした
テロ計画を目論んでいた犯人が逮捕されました。
「たとえ米国内でテロが起きるとしても、コロンバスのような田舎は狙われないよね〜」
などと軽口を叩いていた私は、正直、とても驚きました。
このような発言をしていたこと自体、とても反省しています。

今ある幸せは、明日も確実に約束されているものと思って、
私はこれまで生きてきました。
明日はないかもしれない…などと、一度も思ったことはありませんでした。
ですから、
幸せを守るためには、自分も何かしなくてはならないなどと、
真剣に考えたことなどなかったのです。

世の中は行ってはならない方向に動いているような気がするのに、
自分は一体何をしたらいいのかと、
最近、答えの出ない問いを繰り返しています。

話は、コロッと変わりますが、
修さんの書き込みの中に「さくらんぼ」の話がありましたね。
とても、羨ましく拝見しました。
コロンバスは恵まれていて、
日本のものは不自由なく手に入るのですが、
さすがに、おいしい「さくらんぼ」や「山形牛」などはなかなか…
こちらに来て8ヶ月が過ぎ、
故郷の味が恋しくなってきて、
夫と話していると、
つい、日本に帰ったら食べたいものの話題になってしまいます。

あ〜、羨ましい。
私も「さくらんぼ」が食べたいです


〔第10回〕2004年5月20日

ご無沙汰してしまい申し訳ありません。
体調はいかがですか?
私は、相変わらず「英語以外」は順調で、
楽しい毎日を送っています。

ベランダの前の木々は日に日に緑を増し、
その下の池にすむコガモはすくすく成長しています。
こちらは今、とてもいい季節です。

先日、韓国人の友人の「Baby Shower Party」がありました。
日本では子供が産まれる前にお祝いを贈ることはありませんが、
アメリカでは産まれる前に、
パーティー形式で妊婦さんを祝福します。
子供が産まれて忙しくなる前に、
妊婦さんにも楽しんでもらおうという、
アメリカ流の優しさなのだと思います。

パーティーを主催してくださったのは、
教会でバイブルクラスを担当しているアメリカ人の先生。
集まったのは、その生徒の日本人と韓国人です。

国籍も違うし、年齢もばらばら。
皆、たどたどしい英語しか話せません。
同じ日本人どうしでさえ、
こちらに来るまでは赤の他人。
アメリカに住んでいる理由も様々で、
日本企業の駐在員家族もいれば、
地元企業の社長さん家族もいれば、
私のような研究留学生の家族もいます。
それでも、
お互いに情報を交換しあい、
助け合い、
そして、たまにパーティーをして楽しみながら、
皆で慣れない海外生活を乗り切っています。

誰も知らなかった半年前のことを考えると、
今は、本当に幸せです。
慣れない土地で人々の温かい思いやりにふれたり、
色々な国の友人達との楽しい時間を持つたびに、
人と人との結びつきがいかに大切であるかを感じずにはいられません。
人が付き合う際には、国籍、宗教、民族などは全く無関係です。
ただ、ちょっと生活スタイルが違う時もあるということさえ、
忘れずにいればいいのかなと、
最近、考えるようになりました。

例えば、私の英会話の家庭教師はアメリカ人でクリスチャン、
一緒に習っているトルコ人はムスリム、
私と夫は仏教&神教徒です。
でも、私たちはとても仲良しです。
人としての違いを見つけることはできません。
違うのは、習慣だけ。
その違いを紹介し合って楽しんでいます。

それにしても、
個々人ではうまくやっていけるものが、
どうして「公」がからむと話がややこしくなるのでしょう?
国など、「公」と言われるものたちは、
もともと人から成り立っているものなのではないのでしょうか?
公の仕事に携わっている、
大きなことについて考えている人は、
大きなことがすごいことで、
小さな個々人の幸せなどとるに足りないものだと思っているのでしょうか?
でも、小さな幸せを軽視して、
大きな幸せはつかめるものなのでしょうか?

自分がしていることを、
自分がされたらどう感じるか、
自分の家族がされたらどう感じるか、
自分の家の前でされたらどう感じるか、
その程度の想像力で、
自分の周りの環境は驚くほど、
楽しく、明るいものになるのではないかと思うのですが…

いつもながら、とりとめもない文章で申し訳ありません。
ただ、最近アメリカのニュースは暗く、冷たいものが多いので、
私から明るい、優しいニュースをお伝えしたいと思い、
このお便りを書いた次第です。

それでは、またお便りします。

〔第9回〕2004年3月30日

こんにちは。体調はいかがですか?
先日の君が代についての書き込み
興味深く拝見しました。

私は、日の丸も君が代も大好きです。
私たち世代にとって、
日の丸や君が代に代表されるイメージは、
オリンピックなど、
様々な国が集まった中で日本を象徴するものであって、
戦争ではなく、逆に平和をイメージさせるものです。
日本人であることを誇りに思いながら、
日の丸を眺め、君が代を歌っています。

小学生の頃、
日本には国旗も国歌もないことを教えられ、
驚きと共に、
それでは、日の丸や君が代つて何?と、
とても中途半端な気持ちにさせられました。
ですから、
国旗・国歌法案が成立した時には、
安堵感を持ったのを覚えています。

ただ、どの国にも、
幸せな歴史もあれば、
不幸せな歴史もあるものです。
渡辺さんのような思いをなさる方は、
恐らく、どこの国にもいらっしゃるはずです。
そのことを考えた時、
私は、
「歌いたい」と思う思いを無視して欲しくないと同時に、
「歌いたくない」と思う人の思いを無視するようなことはしたくないなと、
思いました。

アメリカに来てから、
私は、自分も含め、
日本のことをよく知らない日本人に愕然としています。
日常の中で「感じて」はいる日本を、
「言葉」にするための教育をうけていないため、
うまく説明ができないのです。
特に、「宗教観」「歴史観」「国家観」などの曖昧なものについての、
日本人の日本への理解度は低く、
自分自身の考え・立場を持てずにいる人が多いような気がしています。

そのため、
他者に対する理解度も低いのではないかと思うのです。
理解できないとあきらめるか、
あるいは逆に、相手と同化しなければ理解しあえないと思い同化を図るか、
その二つに一つを取っている日本人が、
周りには多いような気がしています。

私は、この姿にとても危険を感じています。
世界にはいろいろな考えがあり、
理解することをあきらめるのはもちろんのこと、
全てに同化することなどできません。
こういうスタンスが、
いつか戦争に結びついてしまうのではないかとさえ思っています。
「あきらめるのは他者に対してとても失礼であること」
そして、それ以上に、
「同化しなくても共感することができる」ということを、
早く日本人は気がつくべきです。
そのためには、
自分自身、そのバックボーンである自分の国を知ることが必要なのではないかと、
最近、強く感じていたところでした。

先ほど述べましたが、
国にはいろいろな顔があるので、
教えるのは難しいことかも知れませんが、
それでも、
日本はどういう歴史を経て作られたのか、
どういう宗教観を持って日常を過ごしているのか、
そういうことを、タブー視せず、
きちんと教育するべきだと私は感じています。
その上で、
個々人が、
自分自身の考え、立場を、
明確にできるように教育する必要があるのではないでしょうか。

最近、アメリカの生活で考えていたことと、
渡辺さんの記事にだぶることがあるような気がして、
書いてみました。


〔第8回〕2004年3月26日

こんにちは。
東京で桜の花が咲いたというニュースを耳にしました。
そちらは、もう、春ですね。
今の日本は、異動の季節。
何かとお忙しい毎日を過ごされているのではないでしょうか?

こちらの春は、間もなく到着というところです。
先週の新聞に、
「Spring lies just around the corner−or down the road」
というタイトルで、
ニューヨークやワシントンの桜の開花予想、
テキサスの野草の見所紹介など、
日本でもよくある「お花見情報」のような記事が載っていました。
長くて寒い冬の後、
春を待ち、そして花を見にでかけたくなるのは、
日本人だけではないようですね。

ちょうど今、
こちらは「Spring Break」という春休み期間です。
異動の時期でもないため、
家族で旅行にでかける人が多く、
のんびりした1週間が流れています。

このように書いてしまうと、
「アメリカ人は休み好き」と思われてしまうかも知れませんが、
意外とそうでもありません。
デパートやスーパーなどの営業時間は、
日本より長いのが一般的です。
ただ、ThanksGivingDayや、ChristmasDayなど、
大切な祝日は休みですし、
長期のバカンスも交代で取っているようです。
私は、このメリハリが気に入っています。
最近、元旦も営業する店が日本では増えてきていますが、
「大切な日は家族と過ごしたい」という明確な意思を持っているこのスタイルの方が、
私は人間的なのではないかと感じています。

ところで、
矢野さん、お返事ありがとうございます。
ヨーロッパとアメリカは、基本的には同じシステムのようですが、
医療の質はどうですか?
料金はどうでしょうか?

私は、先日、やっと耳鼻科の専門医に診察してもらうことができました。
その際、
診察室があまりに簡素なので驚きました。
日本では機械式になっているようなものも、
こちらではほとんど手仕事です。

ただ、日本の先生よりも高圧的な印象はありません。
さわやかな笑顔で診察室に入ってきて、
「Nice to meet you」と握手を求めてきたのには、
とても驚きました。
また、お会いしたどちらの先生も、
白衣は着ておらず、
私は、看護士さんの方を医師だと勘違いしたくらいです。

しかし、料金は倍以上。
アメリカでは「Co−Pay」という、
1回の診療につき、必ず払わなければならない料金が定められていて、
家庭医で$15、専門医で$25です。
この中には、薬代は含まれていません。
今回の私の場合、2回の診察で、
私自身が支払った金額は以下のとおりです。
家庭医 → 診療代:$15 薬代:$39
専門医 → 診療代:$25 薬代:$37

通訳の方の話によると、
専門医については保険が適用される額に幅があり、
特別な診療がして欲しい場合には、
例え保険の適用額が低くても、
腕のいい医師にかかるのが一般的で、
特に「歯科」では顕著だと言っていました。

私は、
「お金が健康を左右している」このシステムに、
どうも違和感を感じてなりません。
私が支払った2回の診療代を、
苦にせずに払えるアメリカ人は、一体、何%くらいいるのだろうか…
と考えてしまっています。

差し支えなければ、
また、矢野さんのお話も聞かせてください。
そして、アメリカでは、どうなってるの?
という質問がありましたら、
ぜひ、私にも聞いてください。
まだ住み始めて半年なので、わかることは多くありませんが…

それでは、またお便りします。


〔第7回〕2004年3月2日

こんにちは。
ご無沙汰してしまい申し訳ありませんでした。
実は、こちらに来て初めて体調を崩してしまったのです。
そのため、初めて病院にも行ってきました。
しかし、日本の仕組みに慣れている私には、
どうもアメリカのシステムにはなじめません。

私はアレルギー性鼻炎がひどくなってきたので病院に行きました。
しかし、アメリカでは、
最初から「耳鼻咽喉科」にかかることが出来ないのです。
まずホームドクターと呼ばれる医者に診察してもらい、
その医者が必要であると認めてくれなければ、
専門医にかかれない仕組みになっています。

また、ホームドクターであれ、専門医であれ、
必ず予約をとらなければいけません。
私のように「緊急性を感じられない」症状であると判断された場合、
予約が取れるのは、
ホームドクターの場合で1〜2週間後。
専門医になると、2〜3週間も待たされしまうのです。

私はまだ専門医に診てもらうことができずにいます。
2月20日に予約を依頼したのですが、
診察してもらえるのは3月10日と言われてしまいました。
いくら病院で待たされたとしても、
病院に行けば、
その日のうちに診察してもらえる日本が恋しいです。
既に、具合が悪くなり始めてから1ヶ月が過ぎようとしています。

また、それぞれの会社が提供する医療保険の仕組みも複雑で、
英語のわからない、
かつ、アメリカの仕組みがわからない外国人にとっては、
とてもわかりにくいものになっています。
医療費の自己負担分も、決して安くはありません。

ただ、一つ。とてもいい制度があることも聞きました。
私は、前回のメールでお伝えしたとおり英語が得意ではありません。
そのため、今回は通訳サービスをしている方に、
病院の予約と、付き添いをお願いしました。
その方からお聞きしたのですが、
オハイオ州コロンバスでは、
妊娠した外国人が英語が苦手な場合、
必ず病院が無料で通訳をつけなければならないことになっているのだそうです。
病気については、
外国人や、お金に余裕の無い人には厳しい制度ですが、
妊娠・出産については例外のようです。
出産にかかる費用も、日本に比べると安いそうです。

矢野さんにお伺いしたいのですが、
ヨーロッパの医療制度はどのようになっているのですか?
使いやすい点、使いにくい点などはありますか?
また、日本と比べてみてどのようにお感じですか?
お時間のある時に、ぜひお教えください。

それでは、また。
季節の変わり目です。
お体には十分お気をつけください。


〔第6回〕2004年1月23日

お元気ですか?
こちらは、毎日氷点下以下の厳しい寒さが続いています。
コロンバスを流れる Sciot River も凍り付いています。
雪国育ちの私ですが、流れる川が凍りついたのを見るのは初めてです。
しかし、雪はほとんど降りません。
そのためか、こちらの人は冬用タイヤを使わずに車を運転しています。
雪かきもしなくていいし、タイヤ交換もしなくていい。
こんなに楽な冬は、初めてです。

ジュネーブからのお便りコーナーも開設されたのですね。
実は、アメリカで生活するのと、ヨーロッパで生活するのとでは、
おなじ「西洋」とはいうものの、
まったく違うものなのではないかな〜と考えていたところでした。
矢野さんの気が向いて、
ジュネーブでの生活についていろいろと教えていただけるのを、
楽しみにしています。

矢野さんのお便りに「フランス語」という話がありましたが、
私も未だに英語がよく分かりません。
ただこちらに来て3ヶ月が過ぎて、
「英語が通じないこと」に慣れてきてしまいました。
通じない時には、
Body Languageを使ったり、
紙に書いたりすればいいのだと、
すっかり開き直っています。
つたない英語を話す外国人を邪険に扱うのは、
その人が心が狭いのだから、
その時は別の人にお願いすればいいとさえ思うようになりました。
幸い、私は心の狭いアメリカ人に会ったことはありません。
「大丈夫。ゆっくり話して。」
と、私のつたない英語に耳を傾けてくれます。
「少しずつ上達するから心配ないわ。」
と励ましてくれることもあります。

日本の英語教育は間違っているとよく言われますが、
「話す」ためには、意外と役に立っているというのが私の感想です。
学生時代、英語を苦手としていた私でさえ、
文法を理解しているお陰で、
単語を入れ替えるだけで、
ある程度のことを伝えることは可能です。

しかし、「聞くこと」はできません。
相手が何を言っているのかは、ほとんどわかりません。
発音、リズム、スピード、
何一つとっても、教室で学んでいた英語とは別ものです。
何を言っているのか分からないので、反応できません。
聞くことができないので、
日常生活の中で言葉を覚えていくことがとても難しく、
なかなか語彙が増えなくて困っています。

以前も書きましたが、
私はこちらの高校の日本語ボランティア教師をしています。
それは、アメリカ人の日本語教師が、
「自分の発音は日本人と違うため、
自分が教えているだけでは、
日本人とのコミュニケーションはうまく成立しない。」
ということを理解し、かつ、
日本人の生の発音を、何度も、生徒に聞いて欲しい。」
と望んだからです。
この授業は、
「頭で覚える日本語」だけでなく、
「耳と口を使う日本語」も習得するための訓練の一つなのです。

日本の英語教育は決して間違っているわけではありません。
役に立っているところはたくさんあります。
自分が思っている以上に、
日本人は英語を知っています。
もう少し「耳と口を使う」訓練を積みさえすれば、
「日本人は英語が下手だから」などと、
卑屈になる必要はなくなるような気がしています。
私は、言語学や教育学の専門家ではないので、
これは、あくまでも一海外生活者の独り言です。
長い独り言ですみません。

開き直りついでに、
こちらでもフラメンコ教室に通い始めました。
トンチンカンな英語しか話せない私ですが、
何とか申し込みも完了しました。
今は、毎週火曜日が楽しみです。

それでは、また。

〔第5回〕2004年1月1日

修さん、あけましておめでとうございます。
結婚して、かつ外国で初めてのお正月を迎えました。
でも、こちらのお正月はあっさりしていて、
日本人の私からすると、少し寂しい感じがしています。
やはり、お正月は日本が一番です。

でも、こちらのクリスマスは素敵です。
12月に入った頃から、町中がクリスマスムードに包まれます。
個人のお宅とは思えないほど、
凝ったイルミネーションやクリスマスツリーを飾っているところもあり、
歩いているだけで、こちらまで楽しくなりました。
キリスト教徒にとっては、やはりクリスマスが一年で最も大切な日なのだそうです。

私と夫は、クリスマス休暇(12月25日〜28日)を利用して、
ニューヨークに行ってきました。
アメリカでは、クリスマスを前にテロの警戒度が1段階上がりました。
オハイオ州に住んでいると、日本に住んでいる頃と同様、
厳しいセキュリティーチェックを受けることもなく、テロを気にして生活することはありません。
しかし、ニューヨークは違いました。

私達が利用したのは国際空港ではなかったので、
空港でのチェックはさほどでもありませんでしたが、
自由の女神、エンパイアステートビル、国連本部など、主要な観光スポットでは、
ベルトやアクセサリーまではずさなければならないほどの、
厳しいチェックを受けなければなりませんでした。
年末のカウントダウンで有名なタイムズスクエア付近には、
機関銃を持った警察官が警備をしていました。

今のアメリカの安全は、人を疑うことで維持されています。
疑いを解いて欲しい場合には、
厳しい、そして時には屈辱的なチェックを受けなければなりません。
この環境を受け入れなければ安全に暮らせない国民は、
本当に幸せなのかと疑問を感じずにはいられませんでした。

グラウンドゼロにも行って来ました。
思っていたよりも狭く、街の中であることに驚きました。
どこの国でも、
犠牲になるのは、
普通の生活をしている、
普通の人々であるということを、
改めて感じました。

知り合いのアメリカ人が、
「ブッシュには、自分なりの考えがあるのだろう。でも、彼は世界を知らなすぎる。」
と言っていました。
私は、その言葉に、
「普通の人々の生活も知らなすぎる。」と加えたいと思っています。
それは、ブッシュだけでなく、
どこの国の政治家も同じかも知れませんね。

そのうち、日本もアメリカと同じように「疑心暗鬼の国」になってしまうのでしょうか。
変な話ですが、
警備している警察官が笑顔を見せていたり、
チェックの担当官がジョークを言ってくれたりと、
アメリカ人のセキュリティーチェックは、少しいい加減です。
でも、このいい加減さが、窮屈な環境をやわらげているような気がしました。
もしも、同じことが日本で行われれば、
まじめな日本人は、
もっと厳しい、網の目も通さないほど細かいチェックをするでしょう。
考えただけで、恐ろしいです。

新年早々、ちょっとシリアスな話になってしまいました。
申し訳ありません。

母国を離れて、母国だけが平和であることなどありえないということ知りました。
また、様々な国の友人ができた時、
その友人の国も平和であって欲しいと心から願うようになりました。

初詣にはいけませんでしたが、
今年の私の願いは「PEACE ON EARTH」です。

それでは、また。
今年もよろしくお願いいたします。



〔第4回〕2003年12月5日

修さん、
こんにちは。お元気ですか?
こちらは、時々、雪が降るようになりました。
Thanksgiving Holidayを境に、いよいよ本格的な冬のスタートです。
厳冬期には氷点下10度以下まで下がると聞いており、
東北出身の私でさえ、
寒さに耐えられるかどうか心配しているところです。

11月末(今年11月27日)にあるThanksgiving Day & Holidayは、
アメリカ人にとって、日本のお正月のような感じでした。
仕事も学校も木曜日から日曜日までが休みになり、
各地から家族が集まり、
日本の御節料理のようにパターン化した料理、
例えば、七面鳥、マッシュポテト、パンプキンパイなどを各家庭で調理して、
日ごろは使わない高級食器を使って、
皆で食事をするのが慣わしなのだそうです。

私達もその雰囲気を味わってみたいと思いましたが、
自分で七面鳥を焼くことなどできるはずもなく、
英会話の先生に紹介していただき、
ホテルのThanksgiving Dinnerを食べに行ってきました。
「アメリカ人も捨てたもんじゃないね」などと、
日本語が通じないのをいいことに、
とても失礼なことをいいながら、
おいしくいただいてきました。
親戚一同で一つのテーブルを囲んでいるご家族が多く、
お孫さんに囲まれて楽しそうにしている老夫婦を見ていて、
どこの国の人も同じ事で喜ぶのだな〜と、しみじみ感じてしまいました。

こちらに来て痛感するのは、
どこの国の人も、
どんな宗教を信じている人も、
どんな言葉を話す人も、
みんな同じ人間だということです。
嬉しいことも、悲しいことも、
その理由に違いはありません。
こんな当たり前のことを、日々、「実感」しています。

いい人たちばかりが住んでいる訳ではないところも日本と同じで、
ここコロンバスでは、最近、ハイウェイを走る車を狙った狙撃事件が起きています。
5月から始まり、既に11件。先日は死者も出ました。
模倣犯による事件も起き始めています。
「銃社会」アメリカでは、時々、同様の事件が起きているようです。
やはり、道具を持つと使いたくなるのが人の性なのでしょうか…。

ところで、12月と言えばクリスマス。またHolidayです。
このHoliday中、私は夫と一緒にニューヨークに行くことにしました。
二人とも、ニューヨークに行くのは初めてです。
初日には、この目で「グラウンド・ゼロ」を見てくる予定です。
こちらの感想も、またお送りしたいと思います。

それでは、また。
何かと気ぜわしい季節ですが、お体にはお気をつけください。


〔第3回〕2003年11月22日


修さん、
ご無沙汰してしまい申し訳ありません。
お元気ですが?

こちらに来て間もなく2ヶ月。
Set Upは、ほぼ完了です。
アパートを決め、生活用品を購入し、車を買い、日本から送った荷物を整理し、
そして、仕上げは自分の居場所を見つけること、と思っていましたが、
お陰さまで、この短期間に、私は3つの学校を見つけることが出来ました。

1つ目は、オハイオ州立大学が開講している、
「American Language Program」の、「General English Course」です。
これは、大学生の授業が終わった後、社会人向けに開かれている週3回、全15回のコースです。
生徒は、日本人2人(私と夫)、中国人、韓国人、メキシコ人、ボリビア人、イタリア人、トルコ人2人、
の合わせて9人です。とても国際的です。
が、初級コースなので、お互いの会話がうまく通じません。
最初は、先生が生徒達の訳のわからない英語を、正しい英語に翻訳してくれないと、
何を言っているのか全くわかりませんでした。
しかし、人は慣れるもので、
最近は、先生を介さなくてもコミュニケーションがとれるようになってきました。
「習うより慣れろ」とは名言だと痛感しています。

クラスでは、文法を学ぶだけでなく、お互いの文化についても紹介しあいます。
私が日本の結婚式の写真を持っていったり、
中国人がチマキを持ってきてくれて、皆で食べたり。

喜ばしい話題だけならよいのですが、
先日のクラスでは、トルコで起きたテロ事件についても話し合いました。
トルコ人の2人は「I don’t know why, at Turky!」と、何度も何度も訴えていました。
アメリカやイギリスが対象であると言いながら、
亡くなっているのはトルコ人であることに、憤りを隠せない様子でした。
彼女達の不安は計り知れず、誰もうまく声をかけてあけることが出来ず、ただ頷くだけでした。

2つ目の学校は、近くの教会で行われている無料の英会話教室です。
日中はほとんど一人で家にいるという状態の私を心配し、夫の職場の友人が紹介しれてくれました。
こちらには、午前中、週2回、通っています。
生徒は、ほとんど日本人です。
というのも、この教会は日本語チャペルも併設しており、日本人が多く集まる教会で有名なのだそうです。
そんなこともあって、友人はここを私に勧めてくれたのです。
1つ目の学校と比べ、
同じぐらいの歳の、同じ境遇の人たちが集まっているので、
気楽に、のんびりとした雰囲気で英語を学んでいます。
そして、この教会に通い始めた日に、
私は3つめの学校をクラスメートの日本人から紹介してもらいました。

3つ目の学校では、何と、私は「先生」と呼ばれています。
地元の公立High Schooに、日本語を教えるボランティアとして通っているのです。
その学校では、毎週金曜日、日本語クラスに日本人を呼び、
日本人から生の日本語を聞く時間を作っています。
月曜日から木曜日までの授業で習った内容について、一緒に会話を楽しみます。
生徒達同士で寝ている生徒を起こしてくれたり、私の変な英語を通訳してくれたりと、
とても素直でかわいい生徒達で、こちらの方が楽しませてもらっている感じです。
アメリカに来て、英語を習うだけでなく、
日本語を教える(?)ことが出来るなんて思ってもみず、
本当に良い機会に恵まれたと喜んでいます。

今回のお便りは、タイプの違う3つの学校に通いながら、
私は、毎日、アメリカライフを楽しんでいるというお知らせでした。

それでは、またお便りします。

〔第2回〕2003年10月25日

私にとって、この海外生活体験は、
めったにないチャンスだと感じています。
生活に慣れて、感じたことを忘れてしまわないうちに、
どんどん言葉にして記憶&記録していきたいと考えていたので、
その機会を、こういう形で与えていただいたことを、
本当に喜んでいます。

前にご紹介したアパートには10月1日から住み始めたのですが、
最初は本当に何にもなくて、
夜は教授からお借りしたマットレスを敷いて眠り、
プラスチックの皿とコップで立って食事をしていました。
到着して10日目に、
やっと電話が通じた時の感動は忘れることができません。
アメリカ生活のSet Upを一つ一つ思い出すと、
これは、あの方が手を貸してくださった、
この時の担当者の方は、とても親切にしてくださった、
と、手伝ってくださった方々の顔が思い出されます。

皆さんが、
「あなたたちはどうしたいの?」と必ず聞いてくださることに、
驚きと喜びを感じました。
「思いやり」とはどういうものかを改めて考え直している毎日です。

英語がよくわからない私たちの言葉を気長に聞き、
私たちが何をしたいと思っているのかを汲み取り、
その思いを叶えるために力を貸してくださった方々に、
本当に感謝しています。

来週から、いよいよ英会話教室に通学です。
その様子も、ぜひ、投稿させていただきます。

それでは、また。

追伸(ちょっとおまけの記事です)
このホームページにもある山形市の共創プロジェクトにつながる話なので、
本編とは無関係ですが、勝手に掲載します。
めいこさんは、渡米前は、山形市の職員として、
共創プロジェクトの良き担い手でした。


私は、政策塾に参加させてもらったことで、
「役所が関わらなくてもできることはたくさんある」
ということを学びました。
「まずは、市民としてやってみる」という楽しさを、
まちづくラーの皆さんと味わってきました。
*まちづくラーは、政策塾から生まれた活動のひとつです。
いろいろな立場の人と一つのことを創っていく、
この楽しみを覚えたからこそ、
私は迷わずに退職できたのだと思っています。

春に関わった「蔵プロジェクト」が、
「ドキュメンタリー映画際」とつながり、
蔵で映画上映がなされたことを荒井さんから聞きました。
荒井さんは、
「市民が作る、市民が楽しむ」イベントが増えてきていて嬉しい」と、
報告してくれました。

自分も一市民であるということを実感すること。
今の山形市職員にとって大切なのは、
これなのではないかと、最近つくづく感じています。

〔第1回〕2003年10月15日

こんにちは。お元気ですか?
今日のコロンバスは、快晴。さわやかな秋空が広がっています。

アメリカに来て10日、やっと電話がつながりました。
思っていた以上に言葉の壁は高く、悪戦苦闘の毎日です。
でも、助けてくださる方々も多く、何とかやっています。
私は、どこにいても、周りの方々に恵まれるみたいです。

夫の教授のご紹介で、環境のいいアパートを借りることができました。
郊外にあるアパートコンプレックスで、
日本で言えば、一つの業者が、まとまった一定の土地を、地区計画で整備した・・・という感じです。
でも、日本とは比べものにならないくらい、よく整備されています。

ショッピングモールも併せて整備されていますが、住宅街は、その喧騒から、しっかり遮断されています。
大通りから入ったところに広がる住宅街の道路は、真四角にきられているところは一本もなく、
ゆるやかなカーブがつけられていて、車のスピードが出せないように作られています。

また、アパート自体は公園の中に点在していて、
私の部屋の窓からは、たくさんの緑と、池、噴水、リスや水鳥の姿も見ることもできます。
公園の中には、歩行者専用の散歩道もあって、朝晩は、犬を散歩させている人をよく見かけます。

車社会アメリカでも、「車」という便利な道具は使いこなすけれども、
「人の生活環境は侵害させない」という意識は、かなり浸透しているような気がします。
運転マナーもしっかりしていて、歩行者がいる場合には、必ず、歩行者を優先させます。

これは、アパート内だけでなく、どこでも同じ。
意外にに、アメリカも悪いところではないみたいです。

ちなみに、このアパートコンプレックスは、決して超高級住宅地ではありません。
たぶん、中の上くらい。
それでも、こんなにいい環境なんですよ。
ちょっと、アメリカを見直しました。

ついつい長くなってしまいました。
ごめんない。
寒くなってきているようですが、お体には気をつけて!

それでは、また。