アントレプレナーシップを育てる企業文化
戦略経営資源としての企業文化をどう設計するか
(東レ経営研究所「経営センサー」2005年10月号掲載原稿)

■これからの企業にとっての鍵は社員の元気
 企業経営幹部の研究会のアドバイザーを15年続けているが、参加者の関心の変化から、その時々の企業の状況や問題点が見えてくる。私が関わっているチームに関していえば、半年ごとにメンバーが変わるのだが、この2年、いずれも同じテーマに落ち着いてしまっている。そのテーマは「社員が元気に働く会社」だ。
「社員の元気」には両極端の2つの問題が内在している。メンタルヘルスとアントレプレナーシップだ。競争戦略のなかでの社員の精神的ストレスの増加が問題になっている一方で、成長戦略のためには社員の意欲的な挑戦が求められている。安定のためにも、発展のためにも、「社員の元気」が企業経営のポイントになってきている。
 企業は戦略や組織で成り立つわけではなく、生身の人によって実体がつくられるから、これは当然のことである。企業と付き合っていて最近感ずることは、目先の競争戦略のために、長期的な成長戦略から考えると、大切なことが失われているのではないかという懸念である。そのひとつが「社員の元気」、あるいは「社員を元気にする企業文化」なのかもしれない。
ではどうすれば社員は元気になるのか。社員を元気にする方法はいろいろある。企業の人事制度や組織制度は、いずれも社員を元気にし、仕事への動機づけを高めていくためのものだし、企業イメージを高めることも、経営目標を明確にすることも、社員の元気に深くつながっている。企業には社員を元気にするノウハウが山積みになっている。そうしたものの集大成が「企業文化」として、企業の実体を支えてきた。
しかし、かつては社員を元気にしたはずの、そうしたノウハウや仕組みが最近はどうも効果を発揮しなくなったばかりか、逆に社員の元気を抑えてしまっていることも少なくない。その極端な例が、企業文化(企業内常識)と社会の常識の乖離から発生する企業不祥事である。
ヒト、モノ、カネ、情報に次ぐ第5の経営資源といわれた企業文化が、社員の元気を阻害し、企業の活力を損ねているとしたら、問題である。企業を元気にする企業文化とは何なのかを改めて考えてみよう。

■経営の本質は企業文化づくり
経営戦略の実行や企業の仕組みの運営を支えているのが企業文化である。どんな立派な戦略や仕組みをつくっても、社員がそれを活かそうとしなければ効果は発揮できない。企業の実体は社員の意識と行動から成り立っている。そして、その社員の意識や行動を左右するのが企業文化である。
企業文化が語られる時によく引き合いに出されるのが農業の「土づくり」だ。日本農業の理念は「土づくり」であると言われてきた。作物をつくるのではない。作物は土がつくる。人間の役割は豊かな土の田畑をつくることだった。豊作を目指すためには、種子、肥料、農機具、農作法の改良も大事だが、土の改良はもっと大事なことだった。しかもそれは時間のかかる仕事だった。化学肥料の投入は、一時的な増収をもたらしても、長い目で見れば逆に土壌を殺してしまう。土づくりには決してならない。
そこから企業が学ぶことはたくさんある。どんなに素晴らしい戦略や仕組みをつくっても、社員の意識変革を進めても、土壌である企業文化がしっかりしていなければ、絵に描いた餅になりかねない。人材育成も企業文化との連携がなければ効果を発揮しない。
逆に企業文化がしっかりしていれば、人も事業もおのずと育っていく。いや、人や事業がしっかりと育っていく企業文化を育てていくことが必要なのだ。どこの企業にもその企業特有の風土や常識があるが、それがそのまま経営に役に立つわけではない。むしろ経営を阻害しかねない風土や慣行もある。その風土を耕して、初めて経営資源としての企業文化が育ってくる。
長期的な業績を維持し、発展している企業には、主体性と社会性のあるしっかりした企業文化があるといわれるが、そうした会社では戦略的な企業文化づくりが行われている。
「経営は人づくり」と言われるが、むしろ「経営とは企業文化づくり」というべきだろう。企業文化は、組織変革や戦略転換と違い、一朝一夕にできるものではない。大きなビジョンに基づいて、しっかりと育てていかなければならない。

■社員をエンパワーする企業文化
企業に関わっているさまざまなステークホルダーが時間をかけて創りあげてきたのが企業文化である。そこには企業を発展させるたくさんの知恵がこめられているはずだ。企業文化は、仕事がしやすい環境を整え、仕事の判断の拠り所を与えてくれる。
しかし、目に見えるものではなく、即効性もないため、時に軽視されがちである。そしてそれを壊すのはそう難しいことではない。事実、バブル景気とその崩壊の中で、企業文化を軽視して、破綻してしまった老舗企業や大企業も少なくない。しかし、その一方では、企業文化を堅持することでバブルに翻弄されることなく、バブル崩壊後も増収増益を続けた金融会社もある。企業文化をどう守り、育てていくかは、まさに経営にとっての戦略課題である。
企業文化と社員意識は相互規定的な関係にある。つまり、個々の社員の意識や行動は、企業文化を形成する一方で、企業文化から影響される。問題は、企業文化が社員の言動に対してどういう役割を果たすかである。これは時代によって変わってくる。
高度成長経済の時代は、企業が目指す方向は明確であり、社会全体も同じ方向を目指していた。したがって、企業文化はむしろ社員を方向づけ管理する存在だった。社員の意識をそろえる企業文化を守り育てていくことが大切だったと言っていい。
しかし、社会の成熟化につれて、企業そのものが自己変革を求められているなかでは、企業文化の役割や意味合いも変わってくる。その方向は、管理する企業文化から個々人をエンパワーする企業文化へ、社員を型にはめる企業文化から社員の個性をエンカレッジする企業文化へと言っていい。まさに社員を元気にする企業文化だ。
社員をエンパワーする企業文化の先鞭をつけたのはスカンジナビア航空である。同社は企業経営にとって最も大切な「真実の瞬間」を、第一線の社員が顧客と接する仕事と考えた。そこで社員が最高の仕事ができるように仕組みを変え、管理者や経営者の役割は、その真実の瞬間での社員を支援することだと意識を変えていった。これがその後のCS(顧客満足)経営の始まりだった。サービス経営の原点となったノードストロームの企業文化は社員の良識を信頼することだった。すべての社員は自らの良識に基づいて行動することを奨励されたが、それが社員と会社と顧客の好循環関係を生み出した。
いずれにも共通しているのは、「支援」と「信頼」である。しかも、それが会社の外部(顧客)とつながっている。ここにこれからの企業文化を考えるヒントがある。

■企業文化にとっての2つのコミュニケーション課題
 最近、「ソーシャル・キャピタル」という言葉が広がりだしている。日本語に訳すと「社会資本」、つまり社会にとって一番大切な資源という意味だが、社会資本といえば、道路やダムなどの公共施設を思い出す人が多いだろう。しかし、最近、広がっているソーシャル・キャピタルは、「人と人のつながり」「信頼関係」という意味である。つまり、これからの社会にとっては信頼関係こそが最も重要になってくるということである。
 信頼関係が崩れたために発生した社会問題は少なくないし、信頼性の低下により、社会経済の生産性も低下し、社会コストが急増していることも事実である。そうしたことを考えると、これからの経済成熟社会にとって、こうした意味でのソーシャル・キャピタルはますます重要になっていくことは間違いない。
 このことは企業においても当てはまる。企業内での経営者と社員、あるいは社員同士の信頼関係はもとより、取引企業や顧客、さらには地域社会との信頼関係は重要な問題である。しかし、残念ながら最近の日本企業は、こうした信頼関係を犠牲にしながら、目先の生き残り戦略を展開してきた。その結果が、社員の元気への関心が高まっている現状なのかもしれない。
企業文化は企業活動の基盤である。したがってまさに企業にとってのソーシャル・キャピタルと言っていい。ナレッジマネジメントやMOT(技術経営)、あるいはマーケティングやモノづくりにおいても、ケアマインドとか信頼性とかが重視されだしているが、いずれも企業文化に深く関わっている。
ソーシャル・キャピタル、あるいは企業文化を高めていくためには2つのコミュニケーション課題がある。ボンディングとブリッジングだ。ボンディングとは組織内のつながりを深め、信頼関係を高めていくこと、ブリッジングは組織の外とのつながりや信頼関係を広げていくこと、である。
これまでの企業文化の議論は、どちらかと言えば、社員の情報共有化や一体感の醸成を高めることに主眼があり、組織内部のコミュニケーションに目が向きがちだった。しかしそれが行き過ぎると、社会の価値観から遊離した企業文化になってしまう。ともすれば自閉化しがちな企業文化を社会に同期させていくためには、これからはブリッジングが大切になってくる。
ブリッジング・コミュニケーションを通して、社会に開かれた企業文化を育てていくことは、企業文化の資源性を高めていくための出発点である。

■多様性を安定させる開かれた企業文化を支えるホメオカオス
ブリッジングによって、企業内に多様な価値観や情報が入ってくると、組織そのものが不安定になるという心配があるかもしれない。しかし、ボンディングだけで自閉的な仲間主義になってしまうと組織力は低下するし、内部の人間関係が硬直化し、元気が出てこなくなる。むしろ意図的な不安定状況を創出することで、企業文化は活性化していく。
 組織には生命体と同じように、変化の力が働くとそれを打ち消すような負のフィードバックが働くホメオスタシス機能(恒常性維持機能)がある。これまでの企業文化は、そうした機能を高めるものだった。しかし、社会状況が変化し続ける昨今のような状況の中では、むしろ多様性を内在させていたほうが組織の安定に寄与すると考えられる。
生体の環境適応に関しても最近見直しが進められている。かつては環境変化に対して安定状態を維持するホメオスタシス機能によって生命を維持していると考えられていたが、最近はむしろ健康な時の生体はカオス的にゆらいでいるということがわかってきた。動的変動状態(ホメオカオス)を創出することで、生体は健康を維持しているのであり、不健康になると「規則的」になると言われる。このことは前例主義の行政体質を想起すれば、組織にも当てはまることが納得できる。ホメオカオスこそが健康の素という事実は、企業経営に対しても多くの示唆を含んでいる。
こうした背景には、ITによる情報環境の激変がある。かつての企業には情報の壁があったが、いまや情報は企業の内外を自由に行き交うようになってきている。外部の異質な情報は放っておいても企業に流入してくる。そうであれば、それを活かして好ましい揺らぎや緊張感を生み出すことが望ましい。侵入されたノイズには混乱させられるが、意図的に取り込んだノイズは刺激的な新風を起こしていく。
 時代の変わり目の中では、企業はホメオカオス的なノイズをどんどん取り入れていく必要がある。それによってこそ、時代の変化に呼応して自己変革し、内発的に発展する企業文化が育っていく。今の時代は、変化を促進することこそが安定に通ずる。
 しかし、多様な価値観を常に取り込みながら、動的安定を維持していくためには、異質を束ね編集していく求心力と方向性が不可欠である。言葉だけではない、生きた理念とビジョンが重要になってくる。さらにはそれを体現するリーダーの存在も不可欠だろう。経営者や管理職の役割はますます大きくなっている。

■アントレプレナーシップを生み育てる企業文化
 さまざまな価値観が内在し流入する企業文化は、常に新しい価値や発想を創発する。そして、アントレプレナーシップ(起業家精神)を育てていく。
右肩上がりの時代には社員の意識をそろえ一体感を高めることが組織力を高めることだった。しかし、多様な価値が求められる成熟した経済社会では、社員の多彩な能力を引き出し、それをエンパワーし、異質な組み合わせから新しい価値を創発することが重要になってくる。
安定した企業文化に合わせて判断し行動する受動的なサラリーマンではなく、多様な情報を主体的に編集し、事業を創発していくアントレプレナーが、これからの企業には必要である。エンプロイアビリティ(雇用されうる能力)が話題になった時期があるが、これから必要なのは、アントレプレナー(起業家)としてのプロデューサビリティ(企画し実現する能力)である。
アントレプレナーを支援するのが、これからの企業文化の役割である。最近注目されている言葉に、アフォーダンスという言葉がある。「環境がそこにいるものたちに提供する価値」というような意味だが、これからの企業に必要なことは、企業文化のアフォーダビリティを高めていくことだろう。そのためには、発想の柔軟性を支援する多様な価値観と事業展開に使える多様な情報が共存していることが必要だ。組織外との幅広い信頼性のネットワークも大切である。事業戦略や仕組みや制度とのつながりも、もちろんなければならない。そうした企業文化が社員を元気にし、企業を発展させていく。
時代の変わり目は、実はビジネスチャンスが山積みの時代である。組織の内部にいて、安定的な企業文化に守られていると、そうしたものにはなかなか気づかない。生き生きした時代の息吹がどんどん入り込んで、社員に刺激を与えていくことは、事業戦略にも大きな影響を与えるはずだ。
 時代の息吹とライブに同期しながら、内発的に現状を変革させていくホメオカオティックな企業文化。アントレプレナーを育て、新しい事業を生み出していく、アフォーダビリティの高い企業文化。それこそが社員を元気にさせ、企業を発展させる企業文化である。そして、そうした自由闊達な開かれた企業文化は、同時に社員のメンタルヘルスにも大きな効果があるはずである。
もはやお飾りの企業文化論と決別しなければいけない。

コンセプトワークショップ/佐藤修(2005年9月)