学校と地域のかろやかな融合
―地域の人に学校開放して見えてきたこと―


学校と地域の融合教育研究会 
会長 宮崎 稔 先生

 

山形政策塾で行われた宮崎さんの講演の記録を掲載させてもらいました。ぜひお読み下さい。

 
 今日の話は,本当に小さなきっかけでやったことなんです。それがいつのまにか,「君
たちのやったことはとてもすばらしいことじゃないか。」ということで,マスコミが本当に
よく取り上げてくれました。
 そんなわけで,山形でも私たちの実践を一部ご覧になった方もいらっしゃるかもしれま
せん。それから,文部科学省の名物審議官で,寺脇研という方がいらっしゃいます。テレ
ビに良く出るのですけど。その方は「秋津に俺は住みたい」と言うくらい,いつも秋津の
ことを取り上げて,「教育改革は『できないできない』とみんな言うけれど,現実にやって
いるところがあるじゃないか。」ということで,寺脇さんはよく秋津をとりあげてくれます。
 それから今佐藤修さんからもお話がありましたけれど,そういう秋津の事例を真似てく
ださるというか,参考にしたいというところがありまして,全国学校と地域の融合教育研
究会というものが広がっています。北海道から九州まで,学校は地域といっしょにやって
いこうよ,今そういう動きがすごいうねりになって,まだ,一部面までひろがるまではな
ってないのですが,線で結びくぐらいまでは,あちこちで行われています。
 実は習志野の秋津小学校は,10年ほど前に,まだこういった時代,つまり文部科学省
が「学校は地域と一緒にやりなさい。」と言う前に,参考事例もない中で突拍子もないこと
を始めていった。だから,失敗がすごくたくさんありました。その失敗を通して,「こうし
たらいいんじゃないの」というキーワードが,実は「軽やかに」ってことなんですね。
 学校と地域の重苦しい連携と言うのがけっこうあるんですね。見せ掛けの連携。先生た
ちがいかにも地域に協力して地域の行事に出ているようなフリをしていますけど,先生た
ちには自分の生活があるから,「日曜日は休みたいんだよなぁ,夜の地域の会議,また誘わ
れたんだけど,俺寝たきりの親がいるんで,ほんとはいきたくないんだよなぁ。」というこ
とがありながら,それを校長が知っていても,「先生悪いけどよぉ,先生評判悪いんだよ。
あまりでてこないからよぉ。だからたまには先生でてよ。」という形でやったり,それから
要請人数の多いときなんかは気の弱そうな先生誘って,強い先生にはそうはいかないんで,
「先生頼むよ。」なんてなるべく断ってくれそうもないような先生に頼んで出席してもらっ
たりして,実に重苦しい連携をやったりなんかしてるところなんかあるんです。
 しかし10年もやってますと,それじゃ駄目なんだってことに気が付いてきたので,秋
津では「軽やか」がキーワードだねってところにいきました。
 そういうようなことを含めて,ほんとに全国の人たちがまねをしてくれたりしてくれる
事例がたくさんあります。3日のことですが,私は普通の校長だったくせに,なんと千葉
県知事の堂本暁子さんという人,今年統一地方選で新しく知事になられたんですが,その
方と7〜8人で夕食を共にする機会に恵まれまして,堂本知事さんがいうには,「千葉県の
まちづくりは,金をかけないで秋津を見習えば本当にいい町ができるはずなんだ。なのに
千葉県に一番身近なところに手本があるのに,なかなかやろうとしない。これはいったい
どうしたことなんだろうね。」っていうことをいっていました。
 わたし自身も秋津の事例がマスコミで紹介されるたびに,「これからどんどん増えてい
くのかなぁ。」と思うんですが,実はなかなか,全国に波は広がってはいるんだけど,なか
なか大きなうねりになってこない。今日お話させていただいても,山形でもすぐにバーっ
と火がつくまではいかないだろうと思うんです。これにはやっぱりなにかわけがあるんだ
ろう,今日後半30分ほど質疑の時間がありますので,このへんが秋津でやれたのに,普
通のところでなかなか出来ないとこなのかなってところを洗い出していきながら,少しで
も山形に参考になればいいな,そんな風に思います。
 千葉県でさえなかなか広がらない。まして山形だって,そんな簡単にはいかないよ。秋
津は特例だよ。そんなふうにしてしまったら意味がない。秋津にも,山形だったらこうい
うことはとれるぞってものが絶対必ずあるはずなんで,その辺のところを今日は少しでも
勉強して,私自身ももちかえって勉強していきたいと思いますので,お互いに考え合って
いきたいなって思います。
 秋津の様子は,言葉だけじゃなくて,今日はビデオを2本ほど持ってきました。ビデオ
を見たら,「本当にこれが学校なの,こんなこと学校でやっちゃっていいの?」という姿が
でてきます。そういうビデオを見ていただいて,それで山形での可能性を探っていきたい
なって思います。ここまでくるのに,秋津でどういう課題があり,どうそれを乗り越えた
かっていうこと,同時に,今もまだ100%ではありませんので,今も秋津にある課題,
そういうことも,ビデオのあとに話ができればと思います。具体例を見ていただいて,こ
こまでくるのにどんなことを乗り越えたか,そしてしかし,今もどんな課題があるのか,
そんな骨組みで持ってお話したいと思います。それでは最初に,5分程度のさわりのビデ
オをご覧いただきたいと思います。
(ビデオ上映)
 朝の9時から夜の9時まで学校に自由に入ってきている,しかも365日学校に来てい
る。そのほんの一端を5分程度にまとめたもので,ほんのさわりですけれども,ちょっと
感じていただくことができたかなと思います。
 今日はお手元に3枚程度のレジュメを作ってきました。これにそって話していきたいと
思います。私は本当に校長という立場,実はその前に教頭もやったんですけども,子ども
のためという気持で本当に始めました。
 ビデオで,秋津は19年前に東京湾を埋め立ててできたというふうにいっていました。
実は3年前のビデオ,私が校長だった時代の3年前のものですので,もう22年目になっ
ているんですけれども,東京湾を埋め立てたってことでですね,千葉県には千葉都民とい
う言葉があります。千葉県民ではなくて。寝に帰るだけは千葉県。実質的には東京都とい
うことで,地域にはなんのかかわりももっていないようなサラリーマンがたくさんいる。
お母さん方は教育ママさんが非常に盛んで,学校には年中要望だとか,あるいはどなりこ
んでくるということがしょっちゅうあるような,非常に教育熱心な地域なんです。
 そういう地域ですと,いじめだとか不登校なんかの波は全国に先駆けて真っ先に受けて
いるんですね。そういう学校だったものですから,不登校なんかも本当に少なくなかった。
そういう学校でなんとかしたいなと思ったけれども,当時も先生方は忙しかった。先生方
が忙しいから休んだり不登校気味の子の家に電話をしたり迎えに行ったりという事は,や
ってはいたけれどものめりこんでもいなかった,それほどまでできなかった。
 といっても,地域の方に助けてもらうとか保護者に助けてもらうといった風潮じゃござ
いませんでしたので,地域にも頼めない。じゃ,困っている,悩んでいる子どもをそのま
ま不登校のまま放っておくわけにもいかないんで,先生方に「やっぱりやろうよ。」「いや
いや大変だこれ以上仕事が増えたら。」。ある先生は過労死しちゃうなんてことも言ってい
ましたけど,そんなことはできない。「それじゃ地域に頼もうか。」「いや,地域の人を頼め
ば突き上げなんかがあるからやめようか。」「じゃこどもを放っておくのか。」「いやいやそ
れも困る。」そういうなかで,でもとにかく,「地域の人となんとかやってくれ。」というこ
とで,職員会議などで説得していって,少し始めたんですね。
 そうしましたら,もう5年目に入ったんですが,400人程度の学校で一人も不登校が
いなくなりました。今不登校の問題がいろいろでている,全国で問題になっているんです
が,秋津では,他よりも多かった学校が一気にバーっとゼロになってしまった。もちろん
不登校がなくなるっていうのにはいろいろないい条件が重なっていったんだとは思います
が,5年間もゼロでいられるというというのには,学校を開いたっていうことが大きな理
由だったんじゃないかなって私は分析しています。
 おととしの2年生が4月の始業式から9月まで,誰一人として休みませんでした。半年
間欠席ゼロの学年です。学級じゃないですよ。学年ですよ。半年もゼロ。それで子どもに
聞いたら,「あのーおなか痛かったりしたことなかったの?」「んーん,おなか痛くても学
校行くと治っちゃう。だって学校楽しいんだもん。」。普通は逆ですよね。おなかが痛い子
は,それを理由におなかが痛いから学校いきたくないとか,熱がある,気持悪いなんて学
校休んじゃう。
 さっきビデオで,地域の方たちといっしょに笛をやったり大正琴いっしょにやったり,
休み時間にきたりしている映像がありました。そんなことがあるものですから学校が楽し
いらしくって,とにかく子どもたちは休まなくなった。
 それで私はよかったなって思って喜んでいましたら,実はビデオにありましたように,
大人のほうが実は大喜びしてたんですね。これには気がつきませんでした。サラリーマン
家庭が多かったせいもあるのですが,会社にはたくさん同僚がいますが,地域にはなかな
か仲間がいない。
 みなさんのなかに勤め人になってしまっていて,「老後,俺はゆっくりと地域の仲間と
楽しく過ごせるぜ。」という方何人いらっしゃるでしょうか。山形ですから,秋津なんかよ
りよほど多いと思います。しかし,女性の方もみえてますけど,ご主人は将来濡れ落ち葉
になって,皆さんのあとをくっついてくるような亭主になりそうな人,あるいは家の中に
引きこもって,なかなか地域で仲間づくりできないおやじになりそうだという,「いやーな
んか足手まといになりそうだよ」というご主人を抱えている,いや抱えているなんて言い
方はおかしいですね。とにかくそういう方もいらっしゃるかもしれません。
 ビデオで見て分かるように,現役でまだ身体が動くうちから学校というところで子ども
と触れ合っていたら,地域の中でたくさん仲間ができちゃったた。アー良かった良かった。
大人が喜んだんですね。
 だから本当に365日,大体1万3千人ぐらいの人が学校にきています。これにはPT
Aの役員会だとか授業参観だとかいうことはカウントしていません。自分の足で学校に遊
びにきた大人,いわば生涯学習をしに来た大人,それが1万3千人ぐらいなんです。仕事
の帰りに夜ぶらりと学校に来る。学校の先生はいないけれども,住民がカギを持っていま
すから,シャッターの閉まっているところの別の入り口から入って住民同士がそこで語ら
い,それが終わってから家へ帰る。そんなような人もいます。土日が一番多いですけどね。
 住民相互に仲間ができたという大人の喜びになりました。今のところ一番目だってよろ
こんでいるのは高齢者です。高齢者社会といわれますけれど,子どもたちから,「おばあち
ゃん,一緒に大正琴やろうよ。」とか,ピンポーンと呼び鈴ならして,「昨日の続きの将棋
教えて。」,そんな風に住民の中に子どもが遊びにいくわけです。この話はもう少しあとに
詳しくしようと思いますが,「俺はなんか今日薬飲まなくても大丈夫そうだよ。」なんて冗
談半分で言っている人がいるんです。薬よりもなによりの薬は,若い子どもと一緒に触れ
合うこと,そういう場が生まれるということです。
 秋津には,行政主導のあいさつ通りなんてものはありません。「この道はあいさつ通り
です。ここですれ違うときには皆さんあいさつをしましょう。」見ず知らずの人ともあいさ
つをする。そんなのを行政の施策でやる。政策塾がそういうことを考えるかどうかは別と
してですが。
 秋津では,あいさつ通りでもなんでもないんだけれど,「むこうから来た人は大正琴の
おばちゃんだ。また休み時間に遊びにいくからね。僕これから塾にいってくる。」「あ,向
こうから来たのは,この前ソフトボールに来たおじちゃんだ。またソフトボール来てよ。」
そんなようなあいさつが自然に交わされる。あいさつっていうのは本来心の動きですから,
強制的にあいさつ通りだからやりなさいっていう命令でできるものではないんで,そうい
う意味では,あいさつ通りとかをつくらなくても,自然にそういうことが,もちろん全部
ではありませんけど,行われています。
 今子どもたちは,核家族です。兄弟があまりいません。群れてじゃれあったりけんかを
したりして育つ環境にないんですね,なかなか。そして核家族ですから高齢者と一緒に触
れ合える機会のない子どももたくさんいるんです。そういうなかで,小学校の場合には,
担任という一人の先生がほとんど一日面倒を見るんです。身体の健康のために30品目の
食べ物を食べましょうといいますけど,心の健康のためにはもしかしたら30人と触れ合
う位が必要なんじゃないでしょうか。
 ところが今,30人なんて人と触れ合う人がほとんどいなくて,本当に気のあった数人
とだけ触れ合っている。だから,ちょっと変わった子がいたりすると,むかついたり,キ
レたり,いじめたり。そういうことが起こりうるんです。
 今,引きこもりというのが,大人になっても相当の社会問題になっています。もう5年
も10年もそういう社会が続いていますから,20歳過ぎたって家から一歩も出られない
引きこもりがいる。小中学生だけが不登校なんじゃなくて,20歳過ぎた大人だってコミ
ュニケーションができない引きこもりがいる。会社に行ってもなかなかお得意さん回りが
出来ない。ちょっと注意されると会社辞めちゃう。他の人とのふれあいの体験が少ないの
で,育ちがそういう育ちだったから,なかなかうまくいかない。
 私は勝手に人間体験と言っているんですけど,人間の体験,その数が少ない。だから免
疫が少ない。人間免疫が少ない。いろんな人のワクチン,ワクチンという言い方はおかし
いかも知れないですけど,怒りんぼうの人のワクチン,ちょっと文句言ってもニコニコし
てくれているワクチン,そういういろんな人たちとのふれあいの,人間の免疫が少ない。
そういう中で社会に出なきゃなんなかったりすれば,引きこもりも仕方ないのかなと思う
んです。
 秋津の場合には,日常的に,自分の親以外の大人との触れ合いがあります。学年を超え
た中での異学年の触れ合いも日常的に行われています。30人,50人との触れ合い,そ
ういう免疫があるので,もしかしたらよその地域よりもコミュニケーションがとりやすい
子どもになっているのかなと思います。
 中学生高校生になっても,小学校によく遊びに来ます。その話もあとでちょっとしたい
と思いますが,小学校へ来て,中学生や高校生が遊ぶ,そこで,「おじさん,俺のことを覚
えている?」という言葉が出ます。小学校の先生はとっくに転勤してしまって学校にはい
ません。地域の人には転勤はないわけですから,「おまえのこと覚えているよ。オムツのこ
ろから知っているよ。」というおじさんたちと,中学生や高校生がしゃべったりする。
 学校の先生は転勤してしまっています。ある意味では無責任です。そのまちの子どもが
どうなろうと,先生の勤務期間中だけはがんばりますが,その子が包丁を持って振り回す
ような子どもになってしまっているかどうかというのも,転勤したあとも最後まで責任を
持つということまで,先生はなかなかできません。新しい任地がありますから。しかし地
域の住民はずーっとそこにいるわけですから,そういう中で,中学高校生になっても,触
れ合える場所を確保しているというのはとても大事なことかなって思います。
 子どもが喜び,現役のお父さん,お母さんが喜び,高齢者が喜び,いいなぁって思って
いたら,なんと学校の教員が一番変わりました。あれだけ地域の人を学校に入れるのを大
反対していた先生方が,今は「校長さん,もっとやりましょうよ。私のクラス,ああいう
ことも計画します。こういうことも計画します。」そういうふうに言って,いろんなアイデ
ィアを出してくれます。
 このキーワードはですね,私は「金と時間と噂話」というのをキーワードにしているん
ですけど,特に先生方の時間を秋津では確保したんです。どういうことかと申しますと,
現役の地域の大人が秋津という場所で,仲間作りがたくさん出来た。いつ老後を迎えても
秋津で仲間作りが出来ていますから,楽しい生涯をおくれそうだよっていう秋津の大人が
出来たわけです。その大人たちが,今度は先生にも言ってくれたんです。「学校の先生たち,
夜だとかねぇ,日曜だとかねぇ,なにも学校の仕事やることないよ。先生は自分の住んで
いる地域で仲間作りしな。大体学校の先生というのはねぇ,定年後住民の中に入っていき
にくいらしいよ。箸にも棒にもかからないのは,会社の重役とか肩書き持っている人とか,
先生らしいよ。秋津の先生は,自分の住んでいる場所で先生も仲間作りしなさいよ。」こう
いってくれるようになったんです。
 これが,学校の先生方が変わっていった大きなきっかけなんです。実際私が校長をやっ
ているときに,寝たきりの親を抱えている先生もいました。せめて土日はしっかり面倒み
たいなと思っている先生もいたんです。小さなお子さんを抱えている,共働きの先生もた
くさんいました。土日に一週間分の買い物をし,たまった洗濯物をやり,そして,普段忙
しいから子どもと触れ合えないから,子どもとたっぷり触れ合いたい。あるいは若い独身
の先生は,土日はルンルン気分でデートもしたかった。でも,「地域の行事に先生も出てく
ださいね。」と,かつて秋津は,「私たちも学校のために自分たちの土日を子どもたちのた
めにやってあげてたんだから,先生方だって土日ボランティアで来て下さいよね。」そうい
う要求が当然のごとく来てたんです。そして,「Aという先生は結構来てくれてるよね。」
「Bという先生はこのまえも来てくれたよ。」「Cという先生はほとんど来ないよ,あの人
は。」と,いい授業をして子どもに慕われている先生にもかかわらず,地域行事に自分の休
日をつぶしサービス残業をしないがために,悪い先生という評判がたってしまう。
 これでなにが起こったかというと,地域の人を学校に入れると,地域の人は見返りを期
待するようになる。見返りを期待されたんじゃたまったもんじゃない。だから,地域の人
を入れないほうがいいよ。という警戒感から,秋津の先生方はできるだけ地域の人を入れ
ないように入れないようにしていたわけです。
 私は教頭のころから「子どもが不登校だから入れようよ」と言っていて,そこそこは入
れたんですけれども,のめりこむほどまでには入れてくれかった。だから不登校もそんな
にまで減らなかった。少しは減りはじめましたけど。
 だけれども,本当に加速度的にやり始めたのは地域の人が「先生も自分も住んでいる場
所で仲間作りするんだよ。いいよいいよ秋津は先生のことを土日頼らないから。先生の老
後が秋津のためにつぶれちゃった,寂しい老後になったのは秋津のためだなんてことには
なりたくないから。」と言ってくれて,「どうぞ先生も自由に自分の地域で活動しなさいよ」
と言ってくれてからです。
 さあ,自分の休日は確保される,しかもやれ音楽の得意な人,やれパソコンの得意な人,
やれ図工の得意な人,戦争体験を持っている人,学校に来るたびに授業に関わっているん
です。単純な例ですと,5年生になると家庭科の授業が始まるんですよ。皆さんご存知か
も知れません。針仕事をやるんです。一人の先生がボタンつけとか玉止めとか教えるんで
す。「先生ちょっとわかんなくなっちゃった,これ,どうすんだっけ」という子どもが,大
体日本中,5年生の初期のクラスではどこでもあるんです。「じゃちょっと待ってね,今A
君に教えているからね。」「僕も。」「私も。」という感じで3・4人手が挙がってしまうと,
「はいあんた4番目よ,待っててね,あんた5番目よ。」となるわけです。
 秋津では「あらこんなにわかんないの,じゃ,お母さんかおばあちゃんがいると思うか
らさぁ,学校中捜して呼んできて。」公民館の活動とうんと違うところは,学校で活動する
サークルは,学校から依頼があったときは断ってはいけないという暗黙の了解があります。
学校に来ている大人たちは合唱の練習をしています。文化祭も近い,発表会も近い,とこ
ろがトントン,「おばちゃん,僕たちのクラスに来てボタンつけ教えてください。」「あら,
じゃ20分ぐらいよ。」なんていいながら,おばちゃんたちが5年1組とかに来るんです。
「どれどれおばちゃんがこの子教えてあげる。あんたはあの子に教えて,あなたはこの子
よ」おばちゃんに教えてもらうと,「あんたわかったの」「うんわかったわかった」「ほんと
にわかったの,それじゃもう一回やってみなさいよ,あら本当にできてるわね,あら結構
うまいじゃないの」なんていわれて,20分するとおばちゃんたちが帰っていく。
 こんなことを,先ほどビデオでも言いましたけど,人材バンクなんかに登録しなくても
いいわけですよ。そうして学校を開放しているから,子どもたちの授業も充実してくるわ
けです。そして,道で会ったら,「あ,玉止めのおばちゃんだ。」玉止めのおばちゃんじゃ
普通はわからないですよね。「ボタン付けのおばちゃんだ。」なんて「こんにちは。」とか「お
はようございます。」というあいさつが出てくるんです。
 そういうごく自然の関係で,先生たちも助かります。男の先生のクラスはもちろんです
が,女の先生だって,玉止め指導はもちろんできます。出来ますけど,人数の手が足りな
いからおばちゃんたちに頼むんです。男の先生はなおのこと助かるわけですよね。そんな
気楽な関係でやるもんだから,先生はもうどんどん「あれも地域とやろうよ。」「これも地
域の人から助けてもらおう。」とか,助けてもらうっていうことを平気でどんどん言えるよ
うにしていきました。
 大人は学校の先生には全てを要求してきました。先生だって家へ帰ればろくでもない父
親・母親やってる先生いっぱいいますね。私だって校長だったですけど,実は家の息子は
中学2年生のときに不登校になりかかりました。いっぱしの顔をしていたって,人間とし
ては未熟なものがいっぱいあります。家庭のお父さんやお母さんだってそうだと思うんで
す。子育てが完璧な人なんて,一人もいないんです。
 ところが完璧であるフリをしないと生きていかれないんです。「家の子ちょっと学校渋
ってるの」わからないようにそーっと大きな声出さないようにして,その子が家庭内で暴
れそうなときは窓閉めたり,あるいは近所のおばさんに「あれ,さっきチラッと見かけた
けどどうしたの?」「うん,ちょっと熱があるの。」と言ったりする。隣近所に,うちは完
璧ですよ,悪くないですよというフリをしなければならない母親や父親がいっぱいいる。
 学校の先生だってそうなんです。ピアノのへたくそな先生だって音楽やらなきゃならな
いんです。字が上手じゃなくたって習字教えなきゃいけなかったりするんです。そういう
のを隠していたのが今までの学校だったんです。
 ところが,住民の人に見せちゃったら,「あの先生は字へたくそだね。」はっきり言いま
す。だけどもそれは校長にだけに言うようにしてるんですが,「でもあの先生は子どもに好
かれてるんだね,休み時間もあんなふうにして遊んでいるもんね」大人だったらどんな組
織でも隠さなきゃならないような不満足なところがあるってことはみんな分かっているん
です。
 会社だって,どこかの原子力発電所だって,バケツでなにかしていたことを隠さなきゃ
ならないような,いろんな組織がみんな心配なものをもっているんです。だけれども,そ
こそこ努力しているその姿を学校が見せた,先生が「いやー字がうまくない先生もいるけ
れども,でも見せてもらっていいよ。」というように言ってくれた。その学校の姿勢を信用
してくれて,「先生。あの先生にさぁ,ちょっと子ども叱る声がでかすぎるって言っておい
てよ。」なんて,直接その先生に言わないで伝えてくれたりして。だけれども,その先生の
少しでも勉強に役立てばというんで地域の人が入ってくれるようになったんです。
 組織で完璧なところなんかありっこない。見せたくないものがあるのはみんなわかって
いる。だけども,見せて,「子どもの教育のために一緒に手伝ってくれ。」そういうふうに
言った学校の姿勢を評価してくれたんですね。だから,先生が変わり,結果的には学校が
変わっていく,それが子どもの不登校がなくなることにつながっていったのではないかな
と思うんです。
 もうちょっと具体例を,ビデオで出なかったところも含めて,レジュメの2ページで紹
介したいと思います。『嘘のような秋津小学校と秋津地域の融合実践』。本当に嘘っぽいと
思うかもしれません。2本目のビデオでそれを証明してくれると思うんですが。学校から
地域へという部分の一つ目は,さっきのビデオで,授業の合間の休憩時間,あるいは放課
後地域の子どもや大人の触れ合いのビデオが少しありました。
 二つ目はですね,いろいろな公共施設を6年生が見学して歩く授業を特別活動の中でや
ったんです。福祉センターにたまたま行ったら,お年寄りがお風呂に入る時間だったんで
す。そしたらお年寄りが,「学生さん,君たちもおじいちゃんたちと一緒にお風呂入んない
か。」「いやー,僕たちはノートと鉛筆しかありませんから入れません。」「いいよ,タオル
なんか貸してやるよ。」普通の学校は,まさか授業中にそうは言ったって入らないと思うん
です。
 でも,そのクラスは「先生入っちゃっていい?」先生も偉いんですね,「いいよ。」男子
は全員が入りました。女子は6人が入りました。そして,お年よりの背中を流してあげた
りしたら,今,内風呂が多いですので,お年寄りが,「あー,背中流してもらうなんて何十
年ぶりかなぁ。末っ子が小学生のとき以来かなぁ。気持いいなぁ」と言ったんです。
 今,そのときの子どもが中学3年生になっています。ある子はサッカー部に中学で入っ
ているんですが,部活の合間に家から風呂桶とタオルを持って,中学生になってもその福
祉センターに行ってお風呂に入る。「今日は昼間テスト早く終わったから」といってお風呂
に一緒に入って背中を流す。
 普通の学校だったらまさか「先生入っていい?」なんて言わないかもしれない。年中お
年寄りと触れているから,授業中であっても「先生いい?」という言葉があんまり垣根が
高くなく,言うことができる心の動きがありました。
 三つ目の独居老人に鈴虫というのはもっとすごいんです。山形でもやっていると思うん
ですが,ボランティアの方が給食サービスというので,暖かい給食を独居老人に届けてあ
げてるんですね。週一回とか月一回の割合で。そのボランティアの話を福祉教育の一環と
して学級で話をしようと思って,先生が話しを始めたんです。そしたら2年生の子が「ど
うしてお年よりなのに一人で住んでるの?」「僕のおじいちゃん北海道なんだけどね,いと
この何とか君と何とかちゃんと,何とかおじちゃんなんとかおばちゃんたちといっしょに
住んでるよ。」「私のおばあちゃんも山形にいるけどねぇ」山形はいま言ってみただけです
けどね「山形にいるいとこの誰ちゃんと誰ちゃんと,おじちゃんたちと住んでるよ。」とい
うんです。
 そのクラスにたまたま自分のおじいちゃんおばあちゃんが一人住まいしている子ども
がいなかっただけかもしれないですけど,「年取っているのに一人暮らしってかわいそう
だよね。」「そうだよ寂しいと思うよね。」暖かい給食サービスの話だったのが,子どもは独
居老人の話をポンポンポンポン始める。
 今日は学校の先生がたくさんいらっしゃっているようなのでお分かりと思いますが,そ
ういうことは授業でよくあります。「そうだ,私たちさぁ,生活科で虫も飼っているじゃな
い。その虫の中に鈴虫がいるから,なくようになったら鈴虫をさぁ,一人暮らしのおじい
ちゃんおばあちゃんに届けてあげない?」そんなような話がポンっと出てくるんです。自
分たちが教室の中だけで授業しているんじゃない,先生と子どもたちだけで授業している
んじゃなくて,年中地域の人と一緒なものですから,「鈴虫届けようよ」「そうだそうだ」
そんな話になっていく。
 ところが,一学期が終わるまで,まだ鈴虫は鳴いてくれませんでした。「先生夏休みに
なっちゃうよ,この鈴虫どうする?」「じゃ,みんなで手分けして家へもって帰って飼いま
しょう」8月に入ってから担任のところに電話が来て,「先生,私の鈴虫鳴くようになった」
「僕のも鳴くようになった」っていうころを見計らって,住所を頼りに独居老人のうちへ
届けに行く。
 校長として私が気をつけたことは,「年寄りだから,生き物は死ぬということがある。
死ぬということに敏感なお年よりもいるから,絶対に全ての人に強要するようなことはす
るな,いらない人には無理にあげないようにしなさい。」そういうところは確認するように
担任に念を押しました。
 子どもたちは,仮にも自分たちが1週間から2週間育ててますから,「私たちの育てた
鈴虫です」と言って,「鰹節はこうしてください,霧吹きでこうしてください」とかいうこ
とをおじいちゃんとかおばあちゃんとかに言って,届けてきたんですね。
 子どもの良いところというのは,自分が育てたということもあるので,3日もしないう
ちにピンポーンって行くんですよね。学校の先生ならわかると思いますけど。「おじいちゃ
ん,僕があげた鈴虫,ちゃんと鳴いてますか?」「教えたとおりお世話をしてますか?」言
いそうですよね。すると「先生,鈴虫の先生。よくきてくれました。」なんていう人もいる
んですよ。「あがってお菓子でも食べていってください。」とか「よく見ていってください」
とか。すると「どれどれ,ナスは新しいのと取り替えてますね。煮干しも取り替えたばっ
かりでいいですね。」なんて子どもは言いながら,知ったかぶって先生面するんですね。そ
してお菓子食べたりなんかして,「じゃ,またきます」とか言って30分か1時間すると帰
る。そしてまた二日か三日たつと,また行くんですね。2回目3回目になると,今度は菓
子やジュースが目当てかもしれません。子どものことですから。でもいいと思うんです。
そうすると,学校に電話とかお手紙が来るんです。「私には,孫のような友達が秋津にでき
ました。これこれこんなわけです。何年何組の誰々君です。」そんなことが書いてあります。
 そういうことをですね,町内会の会議,どこでもありますけれど,町内会の会議にたま
に校長とか教頭は参加しますね。来賓で行ったりするんです。私は町内会の会議だけはき
ちんとまじめに出ることにしていました。どうしても行けないときは教頭に行ってもらっ
たりして。そして「学校からなにかありましたらお願いします。」と振られます。そういう
ときに,「独居老人の方からこんなお手紙が来ています,子ども達とお年寄りのあたたかい
ふれあいができるようになりました。」ということを紹介するんですね。
 そうしましたら,町内会の役員さんですから,普通は偉い人ですよね。そういう人が,
「俺達は独居老人のことを町内会の会議で話題にしたことがあったか?」いけなかったな
という感じで話題になったんですね。話題になったけれどもそのときにだから何をすると
いうのは生まれなかったのですが,2週間もしないうちに回覧板が町内に回ったんです。
「今度トンボサービスを始めました」という回覧板です。
 秋津地域のアキツというのは,トンボの別名なんですね。『このトンボサービスは,高
齢者専用のボランティアサークルです。ご高齢の方でお困りのことがありましたらなんな
りとご相談ください。お電話ください。』と書いてあったんです。
 このトンボサービスは高齢者専用のサービス受け付け電話番号があって,お年寄りから
電話がいきます。「すみません。私のところは年寄り世帯なんですけれども,蛍光灯が切れ
ちゃったんですよ。爺さんが踏み台にのっかって一生懸命取り替えようとしてるんですけ
ど,足腰がおぼつかなくて危なくて。蛍光灯取り替えに着てくれる,それだけでもやって
もらえますか?」「はいわかりました。何丁目の誰さんですね。ちょっと待っててください
ね。今連絡網回しますから。」一時間ぐらいすると,「私の主人ゆうべ夜勤だったから,今
うちにいるから,主人行かせるわよ。」若いお父さんが蛍光灯を取り替えるのには1分もか
からない。山形では,それは市役所に頼むことなんでしょうか。それとも,誰かやってく
れる人がいるんでしょうか。それとも足腰立たないご老人に任せるんでしょうか。そんな
ことが出来たんです。
 あるとき,「すみません。私は慢性のリウマチなんです。今日は医者に行く日なんです
が,風邪をひいちゃって医者にいかれません。誰か私の家に診察券を取りに来て,代わり
に薬だけでももらってきてもらえませんでしょうか。病院には私から電話を入れておきま
す。」今は診察をしないと薬を出さないようになっているらしいんですが,そのころは受け
取れたようです。とにかくそのときは,診察券を代わりに出して,薬をもらって帰ってく
る。元気な人からみれば大したことじゃない。でも元気じゃない人からみればすごくあり
がたいことです。
 ある長距離トラックの運転手さんが喜んで「それは俺にやらせてくれよ」と言ったのは,
やはりリウマチで,あるおばあちゃんからきたんですけど,「私は冬を迎えて,こたつに入
りながらテレビを見るのが大好きなんですが,足が曲がらなくなっちゃいました。こたつ
に入っているのが辛いんです。イスに座ったままテレビが見られる,しかもこたつに入っ
ていられるように,テーブルのような高さまでこたつの足を継ぎ足してもらえませんか。」
という要望がきたんです。
 それを聞いた長距離トラックの運転手さんが,「それは俺がやってやるよ。俺のお袋も
田舎にいるんだけど,なかなか面倒見られないんだ,離れちゃってっから。そういう年寄
りの人のためにはおれもやりたいから。」そしてそのうちへ行ってこたつの足をたしてやっ
た,そして喜ばれた。
 そんな程度のことだけど,地域の住民は行政にいきなり頼む前におれたち同士で助け合
う。そういうさわやかなまちになっていこうよ,そういうのが子どもの鈴虫の話から,福
祉センターのお風呂の話から,そんなことから地域の人が支え合っていくまちになってい
こうじゃないか。そんなまちに少しずつなっていく事例なんですね。
 まだまだいろいろありますけど,行政に任せる,厚い壁をつくってこれはあの人に任せ
ようとか,あるいは税金払ってんだから市役所の何課に頼もうとか,そういうのに行くの
は最後の最後で,住んでいる人間同士でちょっとずつでも支え合っていったらいいんじゃ
ないか。そういうまちにしていこうということは学校のちっちゃな発信から,まちにも響
いてくるようになっていきました。
 次にレジュメ太字の地域から学校へというところに入ります。
 学校には飼育小屋があってニワトリとかウサギの小屋がありますが,行政から一切,一
円も出してもらわない,市役所から出してもらわないで飼育小屋ができました。地域のお
父さんやお母さんがトンカントンカンやってくれてこれができました。
 材木は,今でも重油じゃなくて薪を焚いているお風呂屋さん,秋津ではないちがうまち
にありますが,そのお風呂屋さんが,「そういういいことだったら,燃しちゃうのもったい
ないようないい材料が出たら地域にあげるよ。」と言ってくれて,そういう廃材でつくりま
した。
 釘をうつのも出来ない若いお父さんは,自慢げにいつも言います。「私はねぇ,釘を打
つのは下手なんですよ。でもねぇ,板をギュッと押さえているのは私が最高にうまいんで
すよ。」と言います。釘を打てない人は,普通に言えば人材じゃありません。でも,なにか
やれるんです。釘を打つ人のために板をギュッと押さえている,それだけだって人材なん
です。そのおじさんが堂々と,「俺は板を押さえることには最高の能力があるんだぞ」とい
うことが言える,そのくらいの軽やかさを大事にしています。
 それから,レジュメから少し離れますけど,先ほどクラブの話をしました。将棋のピン
ポーンの話(将棋を一緒にした地域の人の自宅を子どもが訪ねていく話)もありました。
料理クラブには普通のお母さんが来ています。
 それからソフトボールクラブの話をしますが,私が校長最後の年は13人しかソフトボ
ールクラブに子どもが希望しませんでした。普通の学校では子どもが13人だと,「13人
しかいないから試合が出来ないね。じゃぁ君たち第二希望とか第三希望の違うクラブにう
つりなさい」ってなってしまうことがよくあるんです。
 だけど秋津では13人の子どもでも,毎回試合が出来るんです。見れば外野にはグロー
ブを手にしたお父さんやお母さんがいるんです。この人たちは,人材でも何でもないんで
す。「校長さん。俺最近仕事が忙しくてねぇ,運動不足なんだよ。子供さんと一緒にソフト
やらせて。」「ああ,どうぞどうぞ」「私ちょっと太り気味なの。ダイエットをかねて子供さ
ん達と一緒にバレーボールやソフトボールしたいの。」「じゃぁママさんバレーのチームに
入ったらどう?」「あんまりきつくはやりたくないのよ。軽くそこそこちょっとした運動し
たいのよ。」そういう人が気楽に来られます。「私パソコンが出来ないから子供さんといっ
しょにコンピュータ習っていい?」「ああいいですよどうぞ。」「私も陶芸やりたいんだ。陶
芸クラブ入っていい?」「いいですよ。」そういうふうにして,誰でもが人材だっていうふ
うにしていますので,誰が来てもいいんです。
 昔,秋津小では人材バンクを作りました。人材登録をし,そしてなんと思い上がったこ
とか人材活用をしました。人間を活用するなんていう言葉,今はだいぶ減ってきましたけ
れど,上の人間が下の人間を活用するみたいな上下関係ですよね。市民は活用されるんで
す。学校によって活用されるんです。人材活用をしますということで,一部の人しか学校
に来られなくなるんです。ところが,そうしていったら,地域の人が学校に来られない人,
普通の人なんだけれど来られない,何かが出来ないと学校に来られない,そういう壁をつ
くってきたということに気づきました。
 もっとひどかったのは子どもです。子ども達が「同級生のA君のお父さんはパソコンで
きるから学校に呼ばれてんだよな。B君のお父さんはソフトボールの指導者だから,ソフ
トボールで呼ばれてんだよなぁ。うちの父さんはなんにもないから呼ばれないんだよなぁ」
これは子どもにとって本当に寂しいことなんです。
 実は会社でもってかなりの技術を持っていたって,あるいは引っ込み思案であるがため
に人材登録しなかったお父さんお母さんかもしれません。でもあなたは来ちゃいけません
ってルールになっちゃってたんです。うちに帰ったら酒を飲んでナイターを見ている姿し
か見たことのないお父さん。でも,「誰でも来ていいんですよ。」といったら,お父さんは
だれでも来られるようになった。
 そして,「あれうちのお父さんだぜ。」照れくさいんだけどうちのお父さんが他の子ども
達に何かを教えたり,くぎを打つのを教えたり,陶芸で粘土を一緒にこねたり,そういう
姿を見ていると,子ども達はわざと自分のお父さんのところに近づいていって,「お父さん,
僕家の鍵忘れちゃったから」っていったりして「うちのお父さんだぜ」「うちのお母さんだ
ぜ」といって,「酒飲んで横になっているだけじゃないんだぜ」「こういうことできるんだ
ぜ」ってことが,子ども達が感じられるようになった。
 子どもは,我が親を自慢したいんです。ところが「あなたの親は,自慢できるようなも
のがないから来ちゃだめですよ。」というように門前払いを食っていた,その時代と違って
今は誰でも来ていいんですよというようになっている。
 ソフトボールの話に戻しますと,誰が来たって,人材じゃない運動不足を解消したい,
ただそれだけで来たお父さんが,「あっ,そこにあるバット,そこにおいてあると危ないぞ,
下げておきなさい。」と言ってくれます。「A君さっきの三塁ゴロ,いい当たりだったよな
ぁ。でもアウトになっちゃって惜しかったね。」「一塁まで走るとき,ずいぶん足早かった
じゃない。君かけっこ早いんだね。」と。
 ソフトのグラブさばきはこうだ,スナップスローはこうやってするんだ,そんなもの指
導できなくったっていいんです。子どもと会話をしてくれたり,なにかいいところを見つ
けてふれあってくれたり。バットは危ないよっていうだけで立派な人材なんです。
 あるいはパソコン教わりに来ているおばちゃんなんて,子どものほうがよっぽど上手。
「なんとかちゃん,ちょっと教えてよ。おばちゃんちょっと忘れちゃったんだよ。」ってい
う,それだけだって人材になるんです。教える人だけが人材じゃなくて,教えてもらうこ
とが出来る大人,これはやっぱり学校にとっても人材なんです。
 そういうふうにして誰でも来るようになる。そういうおじちゃんと,さっきの話の続き
ですけれども,道であったら「ソフトのおじちゃん,また来週も来てね」という会話にな
るわけですね。この辺が,1万3千人の大人が学校に気楽に来られる,そして,玉止めや
なんだかんだで来られるようになっていったんじゃないかと思います。
 ある時,はさみとのりとセロハンテープを持ったお母さんが「校長先生,私今から図書
室に行って来ます。」と来たんです。「なあに?」「いや私はね,紙芝居とか本を読んであげ
る読み聞かせのお母さんたちみたいに,そういう能力ないんだよ。でもね,昨日娘が借り
てきた図書室の本破れてたんだ。水曜日は私パートが休みだからさぁ,図書室の本修理に
来たの。」秋津小では,全部のクラスに読み聞かせのサークルがあって,全部のクラスの子
どもに,読み物だとか,パネルシアターだとか,ブックトークとか,お話し会とかでお話
ししてくれるんです。そういう能力のないお母さんでさえ図書室に来られます。修理に来
てるんです。
 休み時間に本を借りに来た子どもたちも,「おばちゃんなにしてるの?」「みんなの本
直してるの」「ありがとう」「僕も手伝おうかなぁ」なんて一年生の子がテープをビーッな
んて引っ張って,修理を手伝ったりして。ある子は家へかえって,「今日ねぇ,図書室に本
を直しにおばちゃんが来てくれたんだよ。」「あ,それなら私もできるわ。」というような会
話があって,私がいたときには3人が水曜日というと必ず来てくれていました。
 そんなに破れた本はたくさんはありませんので,本の修理がだいたい終わったときに,
ポスターをかいてくれました。そして「私も子どもと一緒に読みたい本があるから,何か
ないかしら。あ,これが今話題の本ね。」なんて言いながら,大人が図書室で子どもの本を
読んでいる。そして,家に帰ったらその本の話をしたりとか出来たんですね。今はそうい
うお母さんの10人ぐらいのサークルが出来ているそうです。読み聞かせができる能力の
ある人のサークルと,ただ単に本を修理したりポスターを書いたりするだけのサークルで
す。
 さっきのビデオで見ていただいたように,365日来られるのは,住民が11個の合鍵
を持っているからです。教員の勤務時間が終わると,シャッターを下ろして先生たちは学
校から帰っちゃう。そうしたら,別の入り口から住民が入ってくるんです。先生たちは,
ここから先は教員がいませんからシャッターをしめます。「管理棟で書類があったりしま
すから,夜の9時までは別の入り口から入ってください。」そういうシャッターです。
 土曜日や日曜日になると,先生はぜんぜん来ません。そういうなかで朝になると,ブラ
ブラブラブラ何人も人が来て,陶芸をやったり,さっきのビデオのように笛をやったりし
てくれています。
 今みたいな夏休み,とってもありがたいことがあります。シャッターを下ろす外側に,
つまり,別の入り口から地域の人が自由に入れる側に,ウサギやニワトリのえさを置いち
ゃうんです。私がいたときには,そのえさ箱の上にノートを置いていました。なにをやる
つもりかというと,「明日からウサギやニワトリのえさを,先生はやらないから,地域の人
頼むね。」というつもりです。
 私が教頭だったときには,まだシャッターがなかったんです。私は巨人の長島監督が生
まれ育った千葉県の佐倉市というところに住んでいましたので,高速をつかっても30分
ぐらいかかって秋津小にいってたんです。土日とか夏休みは,当番の先生はいても,心配
だから3日に1回ぐらいは学校へ行って,ニワトリのえさをやる,そういうことをしてい
ました。
 今秋津小の教頭はそんなことしません。私が校長のときは,えさとノートをシャッター
の外側に置いています。8月8日の欄には,「なになにさん」と,ノートに書いてあります。
「あ,今日はなになにさんが,もうやっているな。」。8月9日の欄は空白。「誰もまだやっ
ていないんだ。じゃあ私がやってくるかな。」そして,ウサギやニワトリのえさをやったり,
小屋の掃除をしたりします。もし子どもがいっしょに学校に遊びに来たりするときは,「お
父さん,このウサギは何とかという名前なんだよ。このウサギかわいいんだよ。これはね
ぇ,ちょっと凶暴なんだよ。」といったりしながらえさやりをしてくれています。
 佐倉市から,車でえさやりに来てた時代とぜんぜん違うんです。今は,地域の人たちが
コミュニティ活動の合間にやってくれるんです。山形も暑いですけれども,千葉県も相当
暑い,去年おととしなんかは,えさをやるだけじゃなくて,ヒマワリやヘチマの花壇にジ
ャージャーと水をやってくれるんです。先生だってそうそう水やりに来てくれません。子
どもの当番だってチョコチョコっと水をやると終わりにしちゃうんです。猛暑だったりす
ると干上がっちゃったりする。千葉県でもいくつもの学校が,ヒマワリやヘチマの勉強が
できなかった,テレビやなんかでみるしかなかったというそういうことがいくつもあった
んですが,秋津では地域の人がそういう合間にやってくれたんです。とっても助かりまし
た。
 学校を開いたら,地域の人が学校に好きなように入ってきた。そして,平気で活動をし,
ついでに学校から見れば本当にありがたいことをやってくれたわけです。「だって俺んち
すぐそこだもん。5分もすれば学校に来れるんだもん。別にたいしたことじゃないよ。」そ
の軽やかな言葉とともに。
 今中学生と高校生が,実は秋津小によく来ています。町内会の大人が,町内会費39,
800円で,バスケットの折りたたみのゴールを買ってくれました。中学生,高校生は居
場所がない。コンビニの前でへたりこんでる。胡散臭い目でみている。「あの子達のエネル
ギーの発散の場をつくってあげようよ。」というので,町内会の誰も反対することなく,バ
スケットの折りたたみのゴールを買った。
 それを,小学校の余裕教室の管理できる場所に置いてある。「おーい君たち。期末テス
トや中間テストが終わったときとか,あるいは3年生は夏の大会終わったら部活なくなっ
ちゃうけども,たまには身体動かしたいだろうから,小学校へ来てバスケットのゴール組
み立てて,好きなようにストリートバスケットみたいなことやんなさい。ただし,壊した
りしても買ってやんないからな,大事に使えよ。」ということで,中学生や高校生が今のよ
うな長期の休みのときとか,中間テストが終わったときとか,11人の人の誰かからカギ
を借り,小学校に来てカギを開け,バスケットのゴールを出して組み立てて,スリーオン
スリーをやっている。そこに小学生も来たりして,いっしょに混ざってしているんです。
 そういうのが,夜なんかにもあります。それから,バンドのサークルもあります。なん
で高校生ぐらいになるとロックバンドみたいなのが好きなのかなっと思うぐらい高校生は
ロックが好きですね。ところが,ドラムだとかエレキギターをやると,「うるせぇなぁ,近
所迷惑だ」と言われるに決まっています。ところが,小学校のリアカーを借りて,ドラム
やエレキギターを積み,そして小学校に来てドカドカドカドカ大きな音を出す。校庭もあ
ります。少し離れていますから,近所からうるさいなんていわれません。
 バスケの子やバンドの子たちが,休憩の合間に「おじさん,俺のこと覚えてる?」「う
んおまえがオムツの頃から知ってるよ。」というさっき話したような会話になって,「実は
俺,専門学校に行こうと思っているんだ。車の整備工になりたいと思ってよぉ。でもうち
のおやじは車の免許も持ってなくて,車のこと全然相談相手にならないんだよ。誰かおじ
さんたちの中で車のこと詳しい人いない?」「じゃ,あそこにいる縞のシャツ着て陶芸やっ
ているおじさん,あの人車関係だから聞いてごらん。」大事な進路で親に相談したいけれど,
親は子どもの進路の全てに適切な回答を与えられるとは限りません。
 そういうときに地域の誰かが「ああ,専門学校いいなぁ,これから車社会だからなぁ。
でもなぁ,整備工になるために専門学校行くだけじゃなくてなぁ,通信教育でなぁ,例え
ば危険物取り扱いとか,こういう免許とるといいぞ。こういうような免許もとるといいぞ,
少し難しいけど。」現場の大人が,生の声で自分の親に代わって相談相手になってあげるん
です。
 そういうことができてきたら,これは,まるで学校を核にして,町じゅうが大家族みた
いになっているのではないかと思うんです。そういうようなことが,日常的に行われてい
ます。もちろん,学校に来る人は,中学生高校生の一握りです。一握りだけども来てもい
いんだぞっていう,そういった場を用意してやる。それから,大人だって1万3千人とは
いえ,『のべ』ですから一度も来た事のない大人だっています。でも,いつでも来られるん
だっているそういう場があることが大切なんです。
 その場作りのために校長はどんなことをやってきたかっていうと,さっき,「先生方は
土日は秋津に来ないで自分の地域でやっていいんだぞ」ということを地域の人から言われ
たといいましたが,そういうコミュニケーションのパイプ役に徹したんですね。そういう
わけで,パイプ役に徹したので,先生方にも風通しよく地域の情報が入りました。
 さっきのビデオで岸さんという人は,地域側にいて学校とのパイプ役,校長は,学校側
にいて地域の様子を学校にどんどんどんどん伝えた。そして,「子どもがこんなこと言って
よろこんでいますよ。」というようなパイプ役を,お互いにやったわけです。
 パイプ役と言うのは一本のパイプだけではなくて,双方向のパイプが必要なんだなって
思いまして,私もパイプ役に徹しました。そんなことから,先生たちが無理をしない程度
に学校でやってくれる,できる人ができるときに,無理なくやれればいいんだよ,しかも
やる以上,学校に頼まれたから無理無理頑張るんじゃなくて,楽しくやるようにしましょ
うね,そんなふうになっていったわけです。そのへんがレジュメの三枚目に書いてあるこ
とで,先ほどからいろいろ言ったことでございます。それではここで,二本目のビデオを
ご覧いただきます。
(ビデオ上映)
 時間があと10分程度になってきましたので,最後に三つ四つ大事なところを話したい
と思うんですが,まず学校の余裕教室を学校開放するときの大事なことで,やってみて気
が付いたことは,普通『開放』というと,校舎の隅っこ,子どもの使わない時間,そうい
うときに普通は学校教育に支障のない範囲でという社会教育法にのっとって貸しているん
です。そしていかにも学校は,地域に貸しているような顔をしているんですけど,あれは
まったく意味がないと私は断言していいと思います。なにも学校でなくていいんです。そ
れだったら。子どもが関わらないような場所に,いい建物つくるなり,どこかの公民館使
うなり,集会場作ったりしてもいいんです。
 大事なことは,子どもと大人が触れ合える場所に貸し出しをすることが,学校を貸す意
味だと思います。私は「動く線」とかいて動線(どうせん)とよんでいるのですが,子ど
もが年中とおる場所,地域の方もそこをとおらない限りいけない,その場所しかない,年
中触れ合える場所,後姿で大人がやっている姿を子どもが知ることができる,あいさつが
できる,あるいは気軽に入ってきて一緒に活動ができる。そういうところじゃない限り,
学校は開放したって意味がないだろうと思います。大人のためだけに,いつ誰が来たのか
分からないような場所を貸したって,いわゆるソフトの面での開放としては意味がないと
思います。
 実は習志野市には,学校開放に三つのタイプがあります。一つは教員の勤務時間だけ余
裕教室を貸すというAタイプがあります。先生が学校にいるときなら貸します。5時にな
ったら「そろそろ先生方退勤しますから,出て行ってください。」。これはいかにも貸して
いるフリしていますけれど,ほとんど使っていません。住民から見れば使い勝手が悪いん
です。
 二番目は,土日も夜も貸してくれるんですが,シルバー人材センターというご高齢の方
に管理を委託して「一つよろしくお願いします」ということで,その人がカギを開けたり
閉めたりする,そういうやり方があります。ただしこれはまあまあ活動はしているんです
が,行政としては金がかかってしょうがないんですね。人件費が二百何十万,一つの学校
につきかかるわけですから。今現在モデルケースとして一つの学校でやっているんですが,
この調子で二百何十万,毎年全部の学校でかかるのはとんでもないというので,できたら
続けたくないものですから,一向に広がろうとしていません。
 三つ目が秋津小方式で,住民が自分たちで管理するということです。管理を住民に任せ
たら,さっきのビデオのように自主的に「うちのまち,おらがまちの学校なんだよな」と
いうように,自主的に掃除をしたり,なにかをしたりする,借りることによって大人が大
人らしさに目覚めていってくれることができました。しかも秋津の方式でやることで,付
加価値としていいことがいいことがいっぱい出てきたんじゃないかなと思います。
 二つ目の大事なこととして,実は「軽やか」に関係するのですが,教頭時代は本当に地
域の方たちに遠慮しいしい,ねじ込まれたり無理難題であっても地域と気まずい思いをし
たくないがために,ついいい顔を時にはしたりして地域の人の言いなりになる部分があり
ました。そんなことをやって,無理やり活動を地域といっしょにやっていった部分があり
ました。
 先ほど何度もいいましたけれど,教員には勤務時間のサービス残業というしわ寄せがき
たり,あるいは教育委員会に予算面でなんとかしてくれよと裏から手を回したりとかして,
なんとか住民にそっぽを向かれないようにいい顔をしなきゃならない。とくに,「あの人は
まちのボスだから,あの人から言われちゃった,ちょっと困る。敵に回したらおっかない
からちょっということ聞いてやろうか。」というようなことでやってきました。
 でもこれは結局子どもが犠牲になりまして,これはまずいんだということに気が付きま
した。「俺の町内会で今度,こんなことやるんだけれども先生,子どもにひとつポスターか
いてもらってくれよ。俺の顔,立ててやってくれよ。」そういうことを平気で住民が言って
きます。そういうようなことを断れなかったのがその頃だったのです。そして,カリキュ
ラムを捻じ曲げて,工作を楽しみにしていた子どもたちにポスターを書かせてみたりとか,
無理矢理宿題でその課題を出したりとかして,地域の顔にあわせようとしたんです。
 でもそれはいけないことだと気がついて,会議の場ではなんでも言い合えるようにしま
した。さっきビデオの中で,「それはとんでもない誤解で」という言葉があったかと思いま
すが,廊下に出てから話が盛り上がる,あるいは授業参観のときは下駄箱に来て,下駄箱
のところで一時間も二時間もお母さん方は話題になっていることがあるんですが,教室の
中とか会議の場では何を言ってもいいんだ,そこのところをシビアに徹底するようにしま
した。
 転勤をしてきた先生が,会議が終わったあとに,校長室にとんできて,「校長先生,地
域の人が学校に対してあんなことまで言っていいんですか?いいんですか,あんなところ
までいわれていて。」なんてびっくりしてきました。だけどそういうところは「あそこでは
何でも言い合おう。本当は無理だなと思っているのにしぶしぶ聞いちゃって,あとでいや
な思いをするのは絶対やめようね。」というのが,学校も地域もお互いに嫌な思いを繰り返
してきましたので,そこのところを徹底するようにしました。
 そうは言っても遠慮しがちに言う人だとか,逆にすごく徹底的に,言い方まできつく言
う人がいて,あんな言い方までやらなくてもという人もいるのですが,でもその場ではと
にかく言った。噂話のほうがもっともらしいことがよくあります。あとで噂で入ってきた
言葉の中に,そのほうが本論かも,正論かも知れないなと思うことがあるのですが,会議
の場で出なかったことには一応取り合わないようなことにする,そういうことに努めるよ
うにしていきました。そんなところが,とっても大事なことかなと思います。
 秋津でやってきた中で,今逆に問題と言ってもいいかなと思うのは,善意の人,これか
ら総合的学習というのが来年から完全施行になるのですけれども,よかれと思って地域の
人がやりすぎることがよくあります。
 子どもの学年の発達に合わない,もっと難しいことまで,「これもやってあげるよ。」と
か,カリキュラムの計画をちょっと逸脱して「これも先生どうだろう。」先生方にとっては
「それ以上はもういいんですよね。」と思っていてもなかなか断れないことがあったりしま
す。
 だけど,やってくれるという善意に対してなかなか一担任が「いやー,それ以上は結構
です。」なんて断りにくいところがあったりするんで,そういう方たちを呼んだときにはま
ず最初に校長からオリエンテーションみたいな場面で,「こういうことがありますので,担
任が『ここまで』と言った以上についてはやらないで下さいね。」とかいうことを言います。
そういうことがひとつあります。
 また同じように善意で,子どもが授業する,子どもの勉強のお手伝いであるにも関わら
ず,見ていられなくて子どものお手伝い以上のことをやってあげてしまう。作品を作って
あげたりとかというのを地域の人が,「いやいや見ていられないから,じゃあおばちゃんが
やってあげますよ。」なんて。
 そうじゃなくて,子どもが失敗しながら下手でもいいから子どもが作ることがねらいで,
それをサポートするだけでいいのに,自分が前に出て行って,せっかく学校から頼まれた
んだからというので一生懸命やってあげちゃう。そういう善意でやってくれる方も時々い
たりします。そんなあたりをどう「それ以上は結構ですよ。」というようにやるのかという
ことが大事なことだと思います。
 秋津でやってきたようなこと,ここが最後なんですけれども,PTAの役割というとこ
ろなんですが,ここがPTAの役割だったんだなと思うのは,PTAはちゃんとした組織
になっています。ある程度定期的に学校にも来てくれます。「学校も地域も軽やかに行きま
しょうよね。こういうことがとっても大事ですよね。」ということを私が感じていても,た
まにしか来ない地域の人もいれば,しょっちゅう来るけど,活動してすぐ帰っちゃう人が
いたりなんかします。
 そういうなかでPTAの人には「理念はこういう理念なんですよ。子どもが人間体験を
し,人間的な免疫をつけたいんだよね。それを大きな目的としながら,そしてまちのみん
なが支えあっていくような地域をつくろう。」ということを語れる場はやはりPTAなんで
すね。一番たくさん作れる場は。PTAでそういうことをなんべんもなんべんも言って,
そしてPTAの人が中核となって,PTAでない地域の方たちに関わってもらったり,そ
ういうことをしてもらったので,PTAの役割はとても大事だったなぁと思います。
 それでは時間になりました。とりあえず具体例とか,こんなことをしてしまうとちょっ
と問題が起こってしまうので,秋津の場合にはそれを乗り越えた事例を申し上げました。
そして,情報公開をとか含めながら,情報公開するときは,自分のまずいところ,見せた
くないところがあるんだけれども,見せることが逆にいうと,信頼につながってくる。見
られちゃまずいことを全員が持っているんだから,完璧なフリをしないようにしていく気
楽さがとっても大事なんじゃないかなぁということを申し上げて,最後のまとめにしたい
と思います。長い間,ご静聴ありがとうございました。


〔山形政策塾講演録:2001年7月〕