〔もうひとつの生き方/3〕
杉本泰治さんのこと
技術と法律をつなぐ新しい地平の開拓
佐藤修

 16年前、ハワイのキラウエア火山を見に行く機会に恵まれた。火山の権威である中村一明先生(故人)が同行され、山頂にあるボルケーノハウスでプレート・テクトニクス論や火山についての特別講義をして下さるという企画だった。参加者は10名、生物学者、デザイナー、エンジニア、化学者、企業経営者, 高校生など多彩な顔触れだったこともあって、短い期間だったが非常に印象的な旅になった。その後、それぞれにお付き合いが続いていたが、今年の夏、16年ぶりにみんなの集まりが実現した。
 16年は決して短い期間ではない。当時、高校生だった茂木健一郎さんもすでに33歳、最年長の久代さんは70歳間近。素晴らしい講義をして下さった中村先生は残念ながらもうお亡くなりになっている。しかしお会いして驚いたのは、みんなあまり変わっていないことだった。大阪から出かけてきた久代さんも70歳とは思えないお元気さである。
 その秘訣はどうやら好奇心の強さのようだった。好奇心は人生に元気を与え、新しい世界を切り開いてくれる。その見事な実例が今回ご紹介する杉本泰治さんである。

●経営者から学生へ
 キラウエア火山にご一緒した時、杉本泰治さんはベンチャー企業の経営者だった。起業したのはその5年前、杉本さんが45歳の時である。ケミカル・エンジニアの杉本さんには工業大学を創設したいという夢があった。45歳にして企業を設立したのも事業を成功させて大学設立の資金をつくるためだった。幸いにして事業は順調に進んでいた。
 
ところが、次にお会いした時の杉本さんは名古屋大学の法学部の学生だった。社長から学生へ、エンジニアからローヤーへ、それも50半ばを超えてからの転身である。
 発端は杉本さんの経営する会社の経営権に関する事件だった。会社は杉本さんの技術と某商社の資金とのパートナーシップで設立され、経営は杉本さんが担当するという形になっていた。事業は順調に発展していたのだが、パートナーの商社の状況が変化し会社を下請化する動きが出てきた。杉本さんと意見が対立したことは言うまでもない。しかし現行商法の枠組みの中ではパートナーシップよりも金銭出資の多寡がパワーを持つ。企業活動に必要な技術についても経営についても知識も能力も経験もあると自負していた杉本さんの前に法律という思わぬ伏兵が現れたのである。
 4年間にわたる争いから和解に至る過程で杉本さんは日本の会社法に対して疑問を抱くことになる。疑問を持つと同時に、技術、経営に加えて法律に通ずることで企業活動がもっと見えてくるだろうとも考えた。それが社長を辞して学生になった理由である。好奇心の強さと思い切りのいい行動力には感服するほかない。
 当時(1986)、社会人入学を認めている国立大学の法学部は名古屋大学だけだった。そこで名古屋のアパートを借りての学生生活が始まるのである。奥様はさぞ戸惑ったことだろう。単身赴任とはいうものの奥様も足しげく通わざるをえなかったのではないかと推察する。卒業時にご夫妻で出演された東海ラジオの番組で奥様は「言いだしたら引かない人ですから」と話されている。

●卒業論文を出版
 私が再びお会いしたのは、ちょうど名古屋での学生生活中だったが、お話ぶりから感じたのは、これほど真剣に法律を学んだ学生はこれまでいただろうかという驚きだった。私も法学部出身だが、次々と話題に出される文献や資料には驚くばかりで、自分の不勉強さを改めて痛感させられて食事が喉を通らなかった記憶がある。しかし、それに関しては杉本さんは優しい救いの手も差し延べてくれた。
 杉本さんには法律を学ぶ目標が明確にあり、しかも法律が対象とする現実の社会での豊富な体験があった。そのため真剣になれると共に、具体的なイメージを持てるから理解もはやい。社会体験がなく実践的な目標も持ちにくい一般学生とは条件が違うというのである。確かに具体的な目標は動機づけの要因になるし、法律などの社会科学は社会的経験の有無が大きな意味を持っている。これからの社会科学教育のあり方や高齢化社会におけるシニアライフの活かし方を考える上で、この杉本さんの指摘は重要である。
 杉本さんの目標は、社会に生きている株式会社の実態と法学者が説く会社法のズレがなぜ生ずるかを解明したいということだった。それは自分が経営していた企業の経営権に関わる争いを通して実感した生々しい疑問であり、それを解明することが企業活動をより良いものにしていくという確信があった。その目的があればこそ、的確に履修科目を選び効果的にエネルギーを集中できたし、好奇心も進化させていけたのだろう。
 杉本さんの卒業論文は『株式会社生態の法的考察』という力作である。卒業後、杉本さんはこれに手を加えて出版した。この本は大学の先生方を唸らせるものだったのではないかと思う。社会人学生制度は決して教養主義のためだけではない。そう感じさせる力作である。法学者にもっと会社の実態を知ってほしいという杉本さんの思いも伝わってくる。
 若い頃に専門の濾過技術に関して本を書いたことで社会との様々な出会いが始まった体験を持つ杉本さんは出版の効用を高く評価していた。そして今回もまた、出版が新しい展開につながっていくのである。

●自動翻訳システムへの挑戦
 卒業後、杉本さんの好奇心はさらに広がっていくが、入学の動機になった仮説を実証する必要もあった。技術、経営、法律のすべてを学ぶことで企業活動に関係する問題をよりよく処理できるようになるという仮説である。たまたま友人が経営しているソフトウェアの会社が株式公開をしようとしていた関係で、そこの常勤監査役に就任した。単なる監査役としてではなく、社内の法的問題に関するアドバイザーとしても活躍され、杉本仮説を自ら実証されたことは言うまでもない。しかも幸か不幸か、その任期中に同社で取締役による不祥事件が発生し、杉本さんは調停・訴訟と巻き込まれていくのだが、その過程で杉本さんの著作が思わぬ働きをするというおまけまでついたのである。
 この経験から杉本さんは、企業活動の経験と体系的な法律教育を組み合わせた「企業法務管理士」のような資格制度を提案している。法的側面での企業活動を円滑にしていくためには、弁護士とは別にそうした人材が必要ではないかという杉本さんの提案は、自分の体験に基づくものであるために説得力を持っている。
 常勤監査役と並行して取り組んでいたことがもうひとつあった。在学中から関心を持っていたアメリカ会社法の研究である。しかし卒業して困ったことは専門的な図書館が利用できなくなったことだった。文献を調べるためにも図書館は不可欠の存在である。そこで早稲田大学の図書館長に頼みに行ったところ、法律学者の館長は杉本さんの名刺を見るなり、「あの本を書いた杉本さんですか」と言ってくれ、よかったら自分のゼミにも遊びに来ないかと、思わぬ展開になったのである。まさに本の効用と言っていい。館長は現在の早稲田大学総長の奥島孝康教授である。奥島先生のゼミへの参加が杉本さんの好奇心をさらに広げていくことになる。
 ところで杉本さんがアメリカ会社法の研究に取り組んだ理由は「会社とは何か」という好奇心からなのだが、取り組んでみて気がついたことがある。アメリカの経済書や経営書は盛んに翻訳されるが、その経済活動をになう会社の法についてはあまり翻訳が見当たらないのだ。そこでまず定評のある「アメリカ会社法」("Corporate Law") の翻訳に取り組んだのだが, それまで読みなれた技術関係の文献と違ってなかなか読み進めない。その一因は法律専門用語の日英対比の整理が遅れているためだった。
 そこで杉本さんの好奇心は、会社法の分野で誰でもが利用でき知見が蓄積される自動翻訳システムづくりへと向かっていく。そして企業の協力も得て、5年がかりで「企業法辞書」をつくりあげるのである。今年末にはパソコンで使える形にして商品化することになっている。
 今でも杉本さんは毎朝4時半に起きて、2時間は自動翻訳の辞書づくりに取り組んでいる。技術と経営と法律に業際的に好奇心を広げてきた杉本さんならではの取り組みなのだが、ここまでくるともはや好奇心で語る領域を超えている。しかし出発点はいつも具体的な好奇心だからこそ、逆に実践的な対応でどんどん世界が広がっていくのだろう。
 これからグローバル化が進むにつれて、会社法の分野で自動翻訳システムが果たす役割は極めて大きいはずだが、それが杉本さんのような市井の個人によって推進されていることをどう考えればいいだろうか。現在の日本社会の歪みを感じさせられる。

●好奇心を卒業したら仏画の制作
 業際的な活動といえば製造物責任(PL法)の問題がある。杉本さんがこのテーマに関心を持たないはずがない。
 これこそ技術と法律と経営の接点であるはずなのに、現在の議論には科学技術に携わる者がほとんど巻き込まれていない。その結果、議論も訴訟に関連して行われがちで、製造物の欠陥を防ぐ技術的対策という視点はなかなか出てこない。大切なことは訴訟対策ではなく欠陥予防であり、そのためにはもっと技術者と法律家が話し合う場が必要である。そう考えている杉本さんは、学会などを通して技術者に盛んに呼びかけを行っている。
 杉本さんのすごさは、好奇心を契機にして、いつも社会的な活動を起こすことである。ここで紹介した活動もすべて社会システムの提案につながっている。しかもその実現に向かって常に一歩を踏み出す姿勢を忘れない。なかなか真似のできることではないが、杉本さんの生き方を見ていると、輝く人生とは好奇心を社会的な活動につなげていくことなのではないかと考えさせられる。
 業際的な視点を持つ杉本さんの活躍の場はまだまだいくらでもある。環境問題も交通事故問題も高齢者問題も、いや社会問題はすべて本来業際的な問題なのだ。とどまることのない好奇心の持ち主の杉本さんにとっては休む間もなく、さらに世界は広がることだろう。杉本さんの輝く人生はまだまだ続きそうなのだが、ひとつだけ問題がある。
 家庭におけるパートナーシップの問題である。今回ご紹介した物語の発端は会社のパートナーシップだった。それは重要な問題だが、家庭におけるパートナーシップも人生にとってはそれに劣らず重要なテーマである。パートナーシップに取り組むのであれば、それをおろそかにするわけにはいかない。杉本さんはそれをどう考えているのだろうか。
 杉本さんは好奇心旺盛な一方でまた、ビジョンの人でもある。したがってこの問いの答ももう決まっている。杉本夫妻はお二人とも福井県の出身なのだが、終の住処は福井県の宮崎村と決めている。そこで村上華岳の仏画のような作品をリトグラフィで制作し、近隣の人達や友人に頒布しながらパートナーとのゆったりした生活を楽しむことになっているという。問題はそれがいつ実現できるかだ。
 杉本さんの燃えるような好奇心を見ていると、まだまだ世界は広がる一方のように思われる。杉本さんの出番は多くなることはあっても少なくなることはないだろう。果して私も仏画をもらえる日が来るのだろうか。いささか心配なことではある。
 それにしても終の住処での生活が仏画の頒布というのは、いかにも杉本さんらしい。
   
月刊シニアプラン:1996年10月号