シルバー世代が社会を輝かす時代が始まった

  ―高齢社会の到来が待ちきれない。
19981月「高齢社会の到来が待ちきれない」殻一部修正して引用)

 

●高齢社会は本当に「暗い社会」なのだろうか。

高齢社会の到来が語られている。それも、なにか「暗いイメージ」で語られている。年金制度がもたないとか、介護する人が足りないとか、社会の活力が低下するとか、ともかく高齢者が増えることは良くないことらしい。その暗い高齢社会への対策として、「高齢福祉政策」と称するゴールドプランも出来たし、介護保険制度も整えられつつある。

だが、果して高齢社会というのはそんなに「暗い社会」なのだろうか。高齢者とは「助けてもらわないと生きていけない存在」なのだろうか。そして、人間が「歳をとること」はそんなに否定的なことなのだろうか。50代も後半に入り、高齢者に近づきつつある私としては、大いに疑問がある。

私のまわりのシルバー世代のほとんどは、最近の若い世代よりも、よほど元気であり、活動的であるし、私自身も社会の「お世話」になるような高齢者生活を迎えたいなどとは微塵も思っていない。

「女性は社会によってつくられる」と言ったのは、ボーボワールだが、高齢者もまた社会によってつくられるのではないだろうか。確かに年齢とともに生理的機能は低下し、まわりの人のお世話になることが増えるかもしれない。

しかし、だからといって、高齢化することが「社会のお客様」になるわけではない。暗い高齢生活が常識になっている社会では、高齢者介護が一般化するかもしれないが、加齢が評価され高齢者が社会的にもしっかりした役割(むりやりしがみついているような「老害的役割」ではない)があるような社会では、高齢者も元気でいられるのではないだろうか。

「高齢者問題」というものが、もしあるとするならば、それは「文化の問題」であり、その解決の第一歩は「明るい高齢者イメージ」を確立することではないかと思われる。

 事実、高齢社会の到来は決して「暗い」ものではない。社会の高齢化とは社会の成熟化でもある。若者たちのようなまぶしいほどの輝きはないが、高齢者にはそれこそシルバーのような深みのある輝きがある。幸いなことに、高齢者のハンディキャップをカバーするためのさまざまな技術や仕組みが用意されだしていることも忘れてはならない。

 高齢社会は決して「暗い」わけではない。「暗い」側面もないわけではないが、基調はむしろ「明るい」と言うべきだろう。ただ、その「明るさ」が今とはちょっと違うだけなのである。そこを見間違うと、シルバービジネスには成功しないだろう。

 以下、ビジネスの視点から、高齢者の増加の「明るい意味」を考えてみよう。

 

●質の高い第3の労働力の誕生

 シルバー世代が増えていくということは、年金受給者が増えていくだけのことではない。「高齢者=年金受給者」という図式が広がっているが、この図式はかなり昔の高齢者像を前提としている。最近の65歳は決して「隠居生活」が相応しい存在ではない。そのことは、近年の老年学の成果からも裏付けられている。「高齢者」という言葉のせいもあって、私たちはついつい「隠居生活」をイメージしてしまうが、それは決して、本人にとっても社会にとっても好ましいことではない。

 女性の社会進出は、社会にとっての第2の労働力の出現だった。それが労働需給を変え、産業構造を変え、男性たちの働き方にも影響を与えたことは記憶に新しい。もはや女性労働力を抜きにしては社会は語れなくなっている。

 高齢社会においては、女性の社会進出に次ぐ第3の労働力として、高齢者が労働需給を変え、産業を変え、働き方を変えることになるだろう。そうした捉え方がまだほとんどなされていないことは、非常に不思議なことである。つまり、年金受給者が増えるのではなく、働き手が増えるのだ。しかも、その働き手は、女性の社会進出の時とは全く異なり、組織で仕事をした体験があり、それぞれにノウハウやネットワークを持った働き手である。しかも、生活面での負担は、一般に壮年者よりも軽いために、報酬に対しても多様なインセンティブが考えられるという柔軟な働き手である。マイナス面もあるだろうが、女性の社会進出の時よりももっと大きな積極的な意味があることは間違いない。

 働き手が増えるということは、納税者が増えると言うことでもある。いまは「税金消費者としての高齢者像」が定着しているが、それは人為的な「定年制度」とか「年金制度」のためであって、必然的なことではない。思考の呪縛から解放されるならば、「納税者としての高齢者像」が見えてくるはずである。

 納税者としての高齢者とは、決して高齢者にとって不幸なことではない。年金のお世話になるよりも、自らが自立し税金を納められるほうが、誇りや生きがいを持ち出すまでもなく、幸せな行き方なのではないか(もっとも日本の場合、税金の納め甲斐がないという問題があるが)。もちろん、近年のような「心身を犠牲にする」ような働き方は見直さなければならない。第3の労働力としてのシルバー世代が、新しい働き方への糸口を与えてくれるかもしれないし、多様な働き方が一般化していくかもしれない。

 高齢化を第3の労働力の誕生と捉えると、高齢社会のイメージは一変する。

 

●質の高い新しい市場の出現

 シルバー世代の増加は労働市場を変えるだけではなく、商品市場、サービス市場も変えていく。量的にも大きな新しい市場の誕生である。高齢化が進むということは、市場構造も、現在の若者世代よりも高齢者の比率が多くなるということである。市場の主役は次第に高齢者へと変わっていくだろう。そのことは、当然のことながら、市場全体が縮小することではない。市場の変質が市場の拡大をもたらすはずである。

 高齢者を年金生活者と捉えると、その財布にはあまり期待できないだろうが、現実は全く違っている。確かにフローとしては高齢者の収入は縮小するだろう。しかし問題はストックである。かつてのように「児孫に美田を残す」という文化がなくなりつつある上に、肝心の児孫の数も少なくなっていることもあって、高齢者のストック財布はかなり大きくなっているし、ますます大きくなるだろう。

高齢者の購買姿勢は若い世代とは全く違っているから、市場の質はかなり変わっていく。しかし、それはすべてが高齢者向けになるということではない。高齢者向けを意識しすぎた商品が高齢者には嫌われるという、マーケティングの現実に目を向けるべきである。

ではどう変わっていくのか。市場におけるユニバーサル・デザインが広がっていくということである。そのことが市場の拡大を促進させるはずである。市場の変質の意味を取り違えてはならない。

 高齢社会への移行は、市場そのものが、いい意味で成熟していくということなのである。さまざまな体験をしてきた高齢者の商品やサービスを見る眼は厳しいものになるだろう(ちなみに、現在の高齢者の商品やサービスを見る眼は厳しいどころか概して甘いが、これは生産中心に生きてきたためだろう。この状況は今後急速に変わっていくものと思われる)。その眼が日本の市場を成熟させ、気まぐれで短命な資源浪費型の市場を変えていく。それが日本企業をいい方向に育てていくだろう。グローバルな視点から考えるならば、間違いなく市場は拡大する。