中島興世さんの恵庭市市長選立候補の決意表明

夜分、急なお呼びかけにもかかわりませず、多数お集まりいただき、心から感謝申し上げます。
本日、恵庭市議会は総合運動自然公園の賛否について住民の意思を問う住民投票条例案を否決しました。市民の願いは、総合運動自然公園ではなく、子どもや福祉のためにこそ、お金を使って欲しいというものです。その民意を住民投票を通して市政に反映したいという私たちの提案は、その道を断たれました。
11月13日に恵庭市長選挙が実施されます。住民投票条例が否決された以上、市長選挙を回避することは、総合運動自然公園をも黙認することになります。民意を市政に反映する道は市長選挙を戦い抜くほかありません。私はあらゆるためらいを断ち、まなじりを決して恵庭市長選挙に立候補することを、ここに表明します。

総合運動自然公園は西島松北地区開発のために必要ないものです。市民に支持されない事業で、地域の発展はありはしないのです。
私は昨年の3月議会以来、優良田園住宅促進法を活用して、ガーデニングをテーマにした300坪の住宅地を提案し続けてきました。恵庭市としては経費もかからず、花のまちづくりを進めることができるプロジェクトです。恵庭市は次期総合計画に花の田園住宅を組み込みました。これは私の提案が実現可能であることを認めたものです。
私の提案を、あるコンサルタント会社が事業の将来性を高く評価して、西島松北地区での計画を立てて、私のところへ持ってきています。これによると、300坪の宅地を900万円から1000万円で分譲して、利益も充分に出るというものです。
このプロジェクトを実施すれば西島松北地区の開発はできるのです。
花の好きな人だけが集まり、300坪、1000uの広い敷地で、思いっきりガーデニングできるのです。世界中にそんなところはどこにもありません。世界一美しい住宅地に、西島松北地区がなる可能性があるのです。

総合運動自然公園は必要性がないばかりか、恵庭市にとって有害な計画です。
いま、地方自治体はとても大きな危機に見舞われています。最大の原因は財政危機ということです。
地方財政の危機はこれから本格化します。先般、札幌で開催された地方自治土曜講座で、総務省大臣官房総務課長岡本全勝(まさかつ)氏は次のように指摘されています。
" 地方交付税は来年度まではあまり減額されない。しかしその後は、歳出の3分の2を地方が支出している以上、財政再建のためには交付税を削減せざるを得ない。これからドンドン削るしかない。
" 景気回復ほど財務省にとって怖いものはない。1%の経済成長があると、現在の税収は80兆円といったところですので、税収は8000億円上昇します。しかし1%金利が上がると770兆円の長期債務残高がありますから、7兆7千億円の利払いが発生します。国債は60年償還ですが、10年毎に書き換えます。1%金利が上がるとすぐに7兆円の利払いが発生するのではありませんが、後年度負担は恐ろしいほど上がり、そのつけは私たちの子や孫の世代に回さざるを得ない、というのです。
財政危機の本番はこれからです。この厳しい状況をどのようにして突破していくのか、その理念、戦略が問われています。その戦略はCore Strategy(核心戦略)ということです。核心戦略とは何か。それは組織の目的、役割、進むべき方向を明確にすることです。
自治体の果たすべき課題を明らかにすることは、必ずしも容易なことではありません。私は、人は何のために生きるのかということから、自治体の課題を考えてみたいと思います。人は何のために生きるのか、次の世代の幸せを願う、命がつながることを願う、これこそ私たちの生きる最も大きな目的、意義です。
子どもの問題です。皆さんどのように感じられているでしょう。生まれて間もない赤ちゃんが泣き止まないからと熱湯をかけられなぶり殺しにされるとか、信じられないような子どもに対する虐待事件は後を絶ちません。そして学校に入ったら、不登校、引きこもり、いじめ、校内暴力、学級崩壊と問題は深刻になるばかりです。
この問題にこそ、率先して取り組まなければなりません。子どもの問題こそ最重要の国家課題、地域課題なのです。
新潟の長岡藩は明治維新で官軍との戦いに敗れ、困窮のどん底にあった。見るに見かねた他藩から米百俵が救援米として届けられた。長岡藩大参事小林虎三郎は藩民の困窮を知りながら、この米百俵を売り払い、子どもたちの教育のために、学校を作ることに使ったのです。
危機に対する戦略とは、この様な理念・戦略をいうのです。
一方で様々な市民サービスを切り下げながら、他方で使われるかどうかもさっぱり分からない総合運動自然公園を作る。それで果たして危機を乗り越えるために市民が心をひとつに合わせていくことができるのでしょうか。

私は、子どもたちのことをしっかりやる。そのために市長選挙に挑戦するのです。
総合運動自然公園を作る、子育て支援もしっかりやるなどというのは空論に過ぎません。そんなことを言うのは、これからの厳しさに対する認識がないと言わざるを得ません。

また子どもたちの問題は若い親の責任であるより、私たちの世代の責任なのだという自覚がないのではないかと思うのです。
幼児虐待は20代の若い母親の責任であるというより、幼児虐待などという社会問題を発生させる社会を作ってきた私たちの世代の責任です。ですから私たちが、子どもたちの問題を次の時代に引き継ぐことなく、私たちで解決するのだという強い決意と行動が、いま求められているのです。
戦後60年間、私たちは近代的自我や個人の確立が大切だとして、日本型家族制度や農村共同体を時代遅れの封建的な制度であると考えてきたといってよいでしょう。私たちは、これらの「封建的な制度」を克服した後には輝かしい未来が開けるものと信じて疑わなかった。確かにそこで得たものはとても大きいのです。しかし簡単なことですが、物事には表、裏があって、よいことばかりということはないのです。失ったもののなんと大きいことでしょう。母が我が子を虐待死させるなどといった、人間そのものが崩壊してゆく恐怖に、私たちは直面しているのです。
子育ては密室の中で母ひとり、子ひとりといった環境の中で行われています。人類史上、初めての経験ではないでしょうか。赤ちゃんは多くの視線の中で育ってきたはずです。ここに問題があるのです。そうした社会を作ってきたのは私たちです。なんとしても、子どもが伸びやかに育っていく地域社会を再生しなければなりません。
子どもたちの問題に真剣に取り組む、今なすべきことは、そこに尽きるのです。そのためになら何でも我慢できるのだと思うのです。そこに心をつなぐことで地域社会の未来は切り開かれるのです。

私は、これまで日本で始めての赤ちゃんに絵本をプレゼントするブックスタートに取り組みました。ボランティアやスタッフの皆さんの献身的な努力で、恵庭のブックスタートは日本一のブックスタートとして評価されています。学校図書館に専任の司書を配置する運動に取り組んできました。そして読書のまちの姿がおぼろげながら見えてきています。これを更に前進させたいのです。

子どもの問題を予防するために重要なのが読書です。校内暴力やいじめ、キレルということと、活字離れ、読書離れの問題は、別々の問題として扱われることが多かったと思います。しかし突き詰めるとこの二つの問題は同じ根を持つものです。このことが理論的にも、実践的にも明らかになってきています。
日本一の学校図書館は沖縄です。私は2度、視察させていただきました。私たちの視察した沖縄の小学校の1人あたりの年間平均貸出冊数は120冊から130冊です。そこでは不登校はありません。引きこもりはありません。中学校に行きますと、これも立派な図書館があり、専任の図書館司書がいるのですが、トイレも含めて落書きはありません、教師が生徒を怒鳴ることはありません、というのです。
恵庭に専任の司書が入って大きな変化がおきています。物置のようであった学校図書館が見事に変わりつつあります。1人あたりの貸出冊数は12冊あまりまで増えてきました。しかし、まだまだです。沖縄のように1人当たり貸出冊数が100冊になるように、学校図書館を支えていこうではありませんか。

また、恵庭の子どもたちの食事の実態も大きな問題です。
" 朝食を食べないは4%
" 朝食を時々食べないは14%
" 1人で食事を取る孤食は朝食では小学生21%、中学生30%です。
そこで、どうしても期待せざるを得ないのが、学校給食です。家庭での食生活ができていない現状では、学校給食に期待するしかないといっても過言でない状況にあります。しかし、恵庭市の学校給食の残飯は1日で300kg、年間60tです。期待に応える給食とはいえません。
高知県南国市では、学級ごとに家庭用炊飯器を2台おき、給食には炊き立てのご飯を食べています。炊き立てのご飯ほどおいしいものはありませんから、ご飯はもちろん残しません。ご飯がおいしいとおかずもおいしい。そして自然に食が進みます。南国市立国府小学校の調査では、1週間で、ご飯の残りはなんと全校で0.5人分であったといいます。その他の残り物も、とても少ない。
恵庭は北海道の寒冷地稲作発祥の地です。その灯を大切にして、炊き立てのご飯のおいしさを小学校の6年間で恵庭の子どもたちの身体に染み込ませる。味覚は子どものうちに決まります。日本型の食生活の基本は、主食を大事にすることです。子どもたちの健康のために自校炊飯方式の学校給食を実現したいのです。
やればできるのです。
人口5万人あまりの南国市で、この炊飯方式のためにかけた経費は5000万円です。

学校図書館の充実や炊き立てのご飯を食べてもらうのに、お金が必要になります。財政が厳しいから10年でやるということになりがちです。そんなことではいつまでたっても問題は解決しません。時間をかけている間に、次々と問題は新たに発生してくるのです。子どもの問題は深刻です。
すぐにやるのです。
お金が足りないときは、市民の皆さんお金を貸してください。公募債という制度があります。市の債権を買っていただいて、資金を調達するのです。利子は、無利子でいかがでしょう。銀行に預けていても付く利子は知れたものです。ところが市の公募債を買っていただくと利子は付きませんが、子どもの笑顔が返ってきます。銀行に預けたお金は、どこに使われているのか分かりませんが、公募債を買っていただくと、恵庭の子どもたちのために、お金が生きるのです。
10年かけてやるのではなく、すぐやって10年でお金を返すのです。

私はプレーセンターという子育て支援にも取り組んでみたいと思っています。
日本では「子どもを産む母親は、当然子育ての適性も備えているはずだ」とする母性観が根強くあります。これに対して、ニュージーランドでは「初めから親は立派に子育てができなくても当たり前。父親も母親も学習しながら親になっていく」という考え方が、合意となって行き渡っています。
子育て能力は学習するものであるという理念を具体化した機関がプレーセンターです。一週間を午前と午後に分けてローテーションを組み、交互に保育に当たっています。非番の日は子どもを預けて、自分の時間を持ったり、他の活動もできます。
プレーセンターに集う親は、自分の子、よその子の区別を持たず子どもたちと遊び、互いに他の親の子育てを学びあう。子育ての技術を伝授しあい、親としての自信を育んでいく。一方、子どもたちはそうした親たちに見守られながら、異年齢の子どもたちと遊び、社会性を身につけていく。親も子も共に育ちあう拠点を地域の中にもつ。子育ての孤独や閉塞感から解放される有効な方法です。
親、とくに母親の育児力に過大な幻想を持つことなく、子育てを親育てと考える理想を高く掲げている点は、私たちが学ぶべき点であると考えます。親が「親として育つ可能性」を信じ、支援することこそ、今の日本社会が最も力を注ぐべき子育て支援です。

子どもを生むことに不安を感じていると思います。それが出生率低下の大きな原因です。赤ちゃんに手を上げてしまわないだろうか、学校に入ったらいじめられないだろうか、いやいじめるほうに回らないだろうか。それどころか長崎や佐世保の事件のように10歳かそこらで自分の子どもが殺人者になってしまうケースすらあるのです。
しかし、恵庭に来るとブックスタートがあり、赤ちゃんの読み聞かせが盛んで、プレーセンターもある、小学校に入ったら年間100冊も学校図書館から借りてきて読む。そのようになったら、子どもを生むのなら恵庭でということになるのです。

先にお話したガーデニングの住宅地も同じことです。こんなきれいなところに住んでみたいと思わせるのです。
人が住んでみたいと思うところに、企業もきます。日生バイオという素晴らしい企業が恵庭に来ましたが、これは恵庭の花のまちづくりへの共感があったということです。子どもたちの職場もできます。経済が活性化して、商業も栄える道が開かれます。

財政危機が深刻になるこれから、厳しい選択をしなければなりません。総合運動公園を作るか、子どもを大切にするか、両方を求めることはできないのです。二者択一です。
総合運動自然公園を作るか、子どもを大切にするか、これが市長選挙の争点です。
私は子どもを大切にする施策を徹底して行うことで、地域の未来を、市民の幸せを開きたいのです。

選挙に勝つためには地盤、看板、かばんが必要だとされていました。私には組織もなければ、お金もありません。従来の常識では、ホーマツ候補でしょう。しかし私には志と政策があります。誰にも負けません。不退転の決意で、志と政策を訴えることで戦います。選挙は政策でこそ戦うべきものです。
恵庭の未来と子どもたちのために、ともに立ち上がっていただきたく、心から、心からお願い申し上げ、私の市長選挙の立候補表明とさせていただきます。
ありがとうございました。