〔もうひとつの生き方の発見/4〕

心をわくわくさせる夢未来のまちを開く建築模型

 

 毎月、最後の金曜日の夕方から、だれでも自由に出入りできる「オープンサロン」を私のオフィスで開いている。テーマもなければルールもない、全く「無駄」な単なるおしゃべり会である。最近ではこの日に合わせて地方から出張してくる人もおり、思わぬ人の訪問を受けることもある。

 メンバーは学生から大学教授、政治家から革命家、失業者から経営者といたって幅が広い。そこに時々顔を出しては、参加者に元気の素をばらまいているのが、今回の主役の紀陸幸子さんである。

 当年とって54歳、れっきとした熟女である。ちなみに女性の歳は禁句などというのは馬鹿な差別感覚でしかない。大切なのは歳ではなく、本人が本当に輝いているかどうかである。その点では紀陸さんは申し分なく輝いている。それは何故か。それが今回のお話である。

 

     専業主婦で本当にいいのだろうか

 紀陸さんがいま取り組んでいるのは建築模型である。ここに紀陸さんの夢がすべて凝縮されている。紀陸さんにとっては建築模型は世界を変える魔法の杖なのだ。建築模型のことを話す時の紀陸さんはまさに輝いている。

 専業主婦だった紀陸さんが建築模型に出会ったのは10年前だが、それに至る前史を語らなければならないだろう。今から思えば、その始まりは20代後半のパリでの生活だった。

 夫の仕事の関係でパリに転居した紀陸さんにとって、そこでの生活は様々な点で刺激的だった。新しいものを追い続ける日本とは違って、そこではものが大切に扱われている。パリの街並みに歴史が刻みこまれていることがその象徴と言っていいかもしれない。紀陸さんたちが借りた部屋は百年近くたった建物だったが、大理石のお風呂をはじめとして家具にも趣きがあった。まちが壊され、新しい家が次々とつくられ、しかも家の中は新しい家具で埋まりつつある日本とは大違いである。そこで展開されている豊かな生活はこうした住空間と無関係ではないはずだ。

 この体験が紀陸さんにどうやら「夢の種」を植えつけたらしい。海外生活はもうひとつの課題を紀陸さんに植えつけた。交流のあった外国人の夫人たちがみんな何らかの社会的な活動、つまり仕事やボランティア活動をしており、専業主婦の自分だけが何か別の存在のように思えたのである。結婚したら主婦として家事に専念することが当然と考えていた紀陸さんにとっては、生き方の問い直しを突きつけられたようなものである。人生の豊かさということからも、家事とは別の自分独自のもうひとつの世界が必要なのだろうか。これが紀陸さんのその後の大きな課題となっていく。

 ここでいささか脱線を許していただければ、紀陸さんが直面した「専業主婦への疑問」は、実は「専業サラリーマン」にも通ずる問題である。近年のシニアライフ問題の大本はもしかするとここにあるのかもしれない。そして、専業主婦と専業サラリーマンの行く末を見てみると、社会性や自立性という点ではどうやら専業主婦に軍配が上がりそうである。専業サラリーマンのみなさん、気を許してはいけません。

 

     建築模型との出会い

 閑話休題。紀陸さんの夢の話に戻ろう。住空間への関心はその後の国内外10数回の転居によって、ますます高められ磨き上げられていった。一方、紀陸さんの「もうひとつの世界」への思いは、多忙な家事の中ではなかなか実行には移せなかったが、その分、紀陸さんの内部では熟成へと向かっていたのである。

 そしてその二つをつなぐ契機となったのが義母と同居のための自宅の新築だった。それまでの転居体験や住空間に対する紀陸さんの思いが一気に噴出したことは言うまでもない。しかしそれはうまくいかなかった。理想の住まいづくりのために細部にまでこだわった図面を描いて業者に要望したのだが、素人だからということでなかなか要望が取り入れてもらえず、歯がゆい思いを重ねるのである。そして専業主婦だった義母との同居は、専業主婦としての自分の将来を改めて考える契機を与えてくれたのである。

 たまたまその頃読んだ東山千栄子のエッセイで、彼女が37歳から演劇の道に入った事を知る。まもなく37歳を迎えようとしていた紀陸さんにとっては、これはまさに啓示だった。そして住空間への情熱を形にするために建築士になろうと決意するのである。

 関心はあったとはいえ、全くその道に経験のなかった専業主婦が、それもかなり遅い出発点にありながら、専門性の高い建築分野に目を向けた勇気には感心するほかない。彼女の決意は中途半端ではなかったのである。それを支えたのは、生活の視点から住宅を考え、町並みを考えるのは生活者の責任ではないかという信念であり、10年間取り組めばどんな分野であろうと専門家になれるだろうという確信だった。

 信念もまた人を輝かせる。住まい関係のセミナーの受講を皮切りに、設計事務所の手伝い、住宅メーカーのリビング・アドバイザー、講座やセミナーへの手当たり次第の参加など、彼女の情熱は堰を切ったように行動となって現れた。そこで出会ったのが建築模型である。

 「たまたまある時ボール紙で自分のイメージを模型にしてみたんですが、それが自分の感性にピッタリだったんです。自分がやりたかったのはこれだ!と直観しました」と紀陸さんは語っている。パリ生活時代にふれた魅力的なドールハウスのことも思い出された。玩具のミニチュアハウスで遊ぶことにより、子どものころから住空間感覚を磨き上げる仕組みがヨーロッパにはある。もしかすると、ヨーロッパの街並みはそれと無縁ではないかもしれない。建築模型はそこにも通じていくではないか。紀陸さんの夢が大きく育ちはじめるのである。

 

     夢の実現のために自分の会社を設立

 建築模型とは、紙やスチレンボードなどを使って製作する建築物のミニチュア模型である。家具やインテリア小物なども本物を忠実に縮小再現していく。それは建築とはまた別の技術と知見が必要である。ところがなかなか模型づくりを教えてくれるところがない。試行錯誤を重ねるが一向にうまくいかない。紀陸さんの苦労の始まりである。

 しかし念ずれば通ずるで、知人がハウスキットの専門家を紹介してくれた。型の起こし方、素材の選び方、カッターの使い方、彼女は貪欲に吸収する。しかも某広告代理店が設立しようとしていた模型製作会社に参加する機会まで与えられるのである。

 紀陸さんの活動をみていくと、壁にぶつかるといつも誰かが登場して支援してくれる。輝いている人にはみんな何かをしてやりたくなるのだろう。

 模型製作会社での仕事は、住宅メーカーや設計事務所の求めに応じて建築模型をつくることだった。実物のイメージを模型で表現するには多くのノウハウが必要になる。ただ実物を小さくすればいいわけではない。凝り出したらきりがない。ビジネスとしてやる以上、採算性も無視できない。彼女の悩みが始まり、ついに仕事のストレスでダウン。さすがの彼女も断念して会社を辞めてしまうのである。

 意気消沈していた紀陸さんを救ったのは「夢はどうしたの」というむすめさんの一言だった。再び夢への挑戦が始まる。紀陸さんももう46歳。夢がますます大切になっていることに気づくのである。

 今度こそ自分が納得できることをやるために家族や友人の支援を受けて自分の会社を設立する。名前は「ユキ・建築アート・プロダクション株式会社」。社名の「建築アート」に紀陸さんの新しい思いが読み取れる。ビジネスとしての建築模型にとどまるのではなく、建築模型を通して新しい世界をつくりたいという思いである。

 事業よりも夢の実現と割り切ってしまえば、気分も変わってくる。どんなに辛くても元気でいられるし、なによりも年来の「大きな夢」とのつながりが見えてきたために、いまやるべき課題も確信がもてるようになった。再び紀陸さんの輝く人生が始まった。

 

     建築模型から始まる大きな夢

 会社を設立してから8年が経過した。この間、実に様々なことがあったが、紀陸さんの夢は着実に実現し広がってきている。

 建築模型を、専門家や職人だけの世界から、だれでもが楽しめる趣味の世界に広げたいという思いで始めたのが、建築模型製作の講座である。これまで培ってきたノウハウをできるだけ多くの人に伝えていくために、テキストやツールの開発も進めている。昨年からは「モデル・クリエーター養成講座」も開講した。この種のスクールは全国でも初めてであり、反響は大きい。

 「モデル・クリエーター」は紀陸さんの造語である。受講生は20代後半の女性が中心だが、仕事に役立てようという建築・住宅業界の関係者や将来、建築模型作家として独立を志す人なども参加している。最近は一級建築士の人まで受講している。建築模型を通して、これまでとは違ったものが見えてくるところに価値があるのだろう。自宅の新改築のために勉強にきている人もいる。受講生の多様さは建築模型の持つ幅広い可能性を示している。

 効用は趣味ばかりではない。図面と違って模型は一目瞭然だから、実用的な価値は極めて大きい。建築模型を活用することが、日本の家づくりの水準を高めることは間違いない。ひいてはそれが日本の街並みを美しくしていくことになると紀陸さんは確信している。

 「建築模型」を新しいアートとして確立することも紀陸さんの夢である。ヨーロッパのドールハウスのように水準の高いミニチュア建築を「クラフト・ハウス」(これも紀陸さんの造語)として日本にも根づかせたい。そのために建築アート作家を育てていかなければならないし、作品展も開かなければならない。昨年はそれまでに創作してきたものを中心に東京の青山で作品展を開催したが、来年からはモデル・クリエーターたちの発表の場を積極的につくり、建築模型の意味と価値を社会にもっと情報発信していく計画である。

そうした活動を支援する仲間も少しずつ増えている。日本のまちをもっともっと豊かで美しくしたい、みんなの暮らしをもっともっと豊かで平和なものにしたい、という紀陸さんの大きな夢は、建築模型を通して着実に形になりだしているのである。

 紀陸さんがなぜ輝いているのかおわかりいただけただろうか。「美しいまち、豊かな生活」という紀陸さんの夢は考えようによっては極めて平凡な夢である。しかしその「大きな夢」の実現に向けて、紀陸さんは常に自らの独自の役割を見つけて、その時々の「自分の夢」を創出しつづけている。そして「自分の夢」を少しずつ実現しながら、「大きな夢」も少しずつふくらませている。それはやさしいことではないが、その気になればだれにでもできることかもしれない。

 私たちも是非とも夢を持ちたいものだ。それが人生を輝かすことは間違いない。

 

月刊シニアプラン:1996年11月号