1.行動論としての広報戦略から関係論としての広報戦略へ
1)社会と経営体*1の関係
・経営体の広報やコミュニケーションの問題を考える場合,経営体と社会とを水平的な対立関係で捉えることが少なくない。経営体の広報活動の出発点も「対社会」的発想が強く,経営体と社会とのパイプづくりが広報の課題という言い方もされる。
・しかし,正確には社会と経営体は同じ次元上で対立するものではない。社会は様々な経営体によって構成される「もうひとつの経営体」である。もちろん,こうしたことは誰でも認識していることであるが,実際に広報を議論する場合,ともすれば忘れられがちである。
2)社会と経営体のホロニック*2な関係
・個々の経営体は,独自の意図と機能をもって自主的に活動しているが,実際には社会を構成する他の様々な経営体や個人と情報交換しながら,社会全体の調和を組み込んだ形で活動し(時には一時的な逸脱行為はあるが),結果として社会全体の秩序を創出している。
・個々の経営体は自立した個性ある存在(全体:ホロス)ではあるが,自らが置かれた状況(社会)によって活動が規定される(部分:オン)とともに,その状況(社会全体)を規定していく存在(再帰的関係性:ホロニックな存在)である。つまり,社会が個々の経営体を規定し,個々の経営体が社会全体を規定している。経営体にとって,社会(環境)は所与のものとして存在しているわけではない。
・平たく言えば,経営体は社会の縮図であり,社会は経営体の縮図である。経営体が変われば社会が変わり,社会が変われば経営体が変わる。学校でのいじめ事件は学校だけの問題ではないし,企業の金銭的自己利益発想は企業だけの問題ではない。
3)関係論としての広報戦略
・広報とはPR(パブリック・リレーションズ)の訳語であり,本来「関係」を問題にしている。経営体と社会との関係をどう認識するかは広報活動の出発点であり,目的でもある。そこをあいまいにしていては的確な広報戦略は考えられない。社会における経営体の位置づけと社会との関係についての議論はもっと深められる必要がある。
・いうまでもなく,広報戦略に限らず,すべての経営戦略は「手段」である。目的が明確であれば,「何をすべきか」「どうすべきか」といった経営戦略論を考えればいい。しかし,時代が大きな変わり目にある現在,それだけでは充分ではない。重要なのは「目的」である。それぞれの経営体が「何のために存在するのか」が改めて問われている。存在意義のない経営体は経営戦略では救えない(もちろん,新しい存在意義を創出する経営戦略という言い方も可能ではあるが)。
・広報戦略が「行動論」として捉えられすぎているように思われる。どう行動するかは重要なことではあるが,それだけでは完結しない。社会をどう認識するのか,社会とどのような関係にあるのか,そしてどのような関係にしていくのかを,改めて具体的に(抽象的な言葉だけではなく)考えていく時期にある。そのためには,どのような社会を目指すのかという理念が不可欠になる。自らをホロニックな存在と考えれば,「社会に対して」ではなく「社会と共に」という視点も出てくるし,社会貢献活動という言葉の「目線の高さ」にも気がつく。企業の危機管理とは社会の危機管理だという視野も開けてくるだろう。情報の流れは当然,双方向かつ会話的*3になる。広報戦略の再構築が進むはずである。
2.存続論としての経営革新から存在論としての経営革新へ
1)社会の変化と経営体の変化
・社会が変化するということは,そのホロニックな構成要素である経営体の変質を意味する。同時にまた,経営体の変化は社会の変質を意味する。両者のダイナミズムは再帰的な関係にあり,どちらかがもし現状にとどまるとしたら,逆に大きな意思とエネルギーが必要になる。自らを変化させないことが関係*4を変化させることになる。言い換えれば,関係を変化させないためには自らが変化していかねばならない。生きている社会の中で経営体が生き続けていくためには(存在意義を持ち続けていくためには),自らの革新は必須要件と言える。
・変化のイニシエイター,あるいは震源地は,言うまでもなく社会の構成要素である経営体もしくは個人にある。社会そのものから変化が始まるわけではない。様々な構成要素のせめぎあい(相互干渉)のなかから変化が始まる。
2)経営とは変化を創出すること
・経営の目的は組織を生き続けさせることである。生きている社会のなかで生き続けるためには,常に自らを変化させていかねばならない。経営体のホロニックな性格を考えれば,「死んだ組織」は社会にとって無益ではなく有害である。そう考えると,経営とは自らの変化を創出し,結果として社会を変化させていくことであると言える。事実,経営体の創立動機はすべて「新しい事起こし」である。
・近年,「経営革新」が話題になり続けている。企業だけではなく,NPOの世界でも「経営」が話題にされ,「経営革新」が意識されだしている。目的や性格の異なる経営体が学び合うのは望ましいことだが,企業の経営戦略をNPOが安直に取り入れようとする風潮には疑問がある。経営体のホロニックな性格から考えれば,流れは逆であり,NPOから企業が学ぶ流れがもっと強まっていいだろう。これも,企業という経営体の変質が社会の発想を変化させているひとつの事例である。
・日常の経営活動における「変化の創出」は「関係の維持改善」に焦点がある。しかし,時代が大きく変わる状況では,そうした日常的な変化では対応しきれない。そこで非連続な変化を目指す「経営革新」が必要になる。経営革新は日常の経営とは異なり,「関係の位相的な変化」にポイントがある。
3)社会変革という発想を持った経営革新
・経営革新の対象は,自らの経営体の範囲を超えている。経営体は社会との関係ではホロニックな存在であるため,経営体の革新は社会の変革につながっていく。したがって,経営革新とは社会革新であると考えることができる。単に自らの経営体内部の「やり方」を変えることではありえない。
・つまり,経営革新とは社会のなかで自らを存続させるための方策を考えることだけではない。自らの経営体の問題としてだけ考えているかぎり(ほとんどの経営革新の事例がそうであるが)成功しない。重要なことは自らが目指すべき社会においてどのような存在意義を持ちえるのかということである。経営革新は経営論としてではなく,社会的視野を持った存在論(存在価値の創出)として捉える必要がある。
3.経営革新との関係における広報部門の使命
1)経営革新の目標を共創するための広報
・存在論としての経営革新にとっては,革新プロセスよりも革新の方向性もしくは目指すべき目標が重要である。経営革新が社会変革につながるという視点から考えれば,経営革新の目標は経営体の一存では決められない。ホロニックな構図のなかで,他の経営体や個人,まとめていえば社会そのものとの対話を通じて共創していく必要がある。その基本は情報公開を原則とする姿勢と広い視野での傾聴の姿勢であり,まさに広報部門の役割と言えよう。
2)新しいパワーの取り込みのための広報
・経営体は不断の革新によって生き続けるとはいえ,組織の持つホメオスタティックな本性を考えると,大きな革新を起こすためには,外部から新しい風を呼び込むことが効果的である。経営体が閉ざされた閉鎖系になると,エントロピーが増大し,日常的な革新すらできなくなってしまう。
・エントロピーを放出し,外部から新しい価値(ネゲントロピー)を取り込むことは,経営体が生き続けるための条件である。ここに広報部門のもうひとつの大きな役割がある。しかし,社会が経営体のエントロピーの捨て場になってはならない。社会もまた,経営体から新しい価値を受け取り,エントロピーの処理を期待している。経営体の広報活動は,経営体にも社会にも新しいパワーを与える双方向のものでなければならない。そのひとつの契機は異質の組み合わせにある。
3)経営体の外殻壊しのための広報
・経営体と社会とのホロニックな関係づくりのためには,なによりも両者の間にある壁や溝を壊さなければならない。言葉ひとつとっても,経営体の内部では特別の用語が使われがちである。それでは共創はもとより,共生すら不可能である。
・インターネットの発展はこうした動きを加速する。経営体を構成するメンバーが経営体とは無関係に他の経営体や個人と時空間を超えた接点を急速に増やすことで,経営体が閉鎖空間であり続けることは不可能になりつつある。外殻壊しの前に外殻壊れが進む可能性が強い。注意しないと一時期の混乱も起こりかねない。そうならないように,円滑な外殻壊しを進めていくことも広報の役割である。
4.補論:経営体内部のホロニック構造
ホロニックな関係は経営体の内部にも,たとえば経営体とその成員という形でフラクタルに存在する。対内広報を考える場合の重要なポイントである。しかし,もっと大切なことは,ホロニックな関係構図で考えると,もはや対内広報と対外広報という区分は意味がないということである。ホロニックな関係は立体構図ではあるが,上下のある階層ではないし,段階的につながるものでもない。関係論としての広報活動を考える上では,経営体内部の活動がむしろ中心になることが少なくない。
5.結語
経営体における広報について,経営革新および社会との関係という視点でいくつかの視点を整理してきた。広報活動は,単に経営活動の一部分ではなく,経営体の存在そのものにとっての本質的な役割を持ちはじめている。しかも,それは経営体だけではなく,社会そのものに大きな影響を持っている。経営体と社会とがホロニックな関係にあるとすれば,一方だけの成長や発展はあり得ない。ホロニックな関係を起点にした広報論の再構築により,経営体と社会とが相互支援しながら共に進化していく好関係を創出していかなければならない。
*1 ここで「経営体」とは企業に限らず広義の組織を指す。
*2 「ホロン」の概念はアーサー・ケストラーのそれではなく, 清水博(たとえば岩波講座宗教と科学第10巻所収「関係としての生と死」1993) に主にしたがった。私としては,部分と全体という二面性よりも,
部分の中に全体があり,全体の中に部分があるという側面を重視したい。
*3 対話が意図的であるのに比べて,会話はより広く無目的的な柔らかさがある。
*4 ここでの「関係」とは構造的な関係を指す。