谷和原村の物語

谷和原村は茨城県の南部に位置する豊かな農村です。
そこが今、大きく変わろうとしています。
つくばエクスプレスが開通し、都心まで1時間足らずの便利な地域になったのです。
町村合併で「つくばみらい平市」に名前も変わります。
それは住民にとっては「期待」と「不安」が入り交じった変化の到来です。
行政にとっても思いは同じでしょう。
さてどうするか。
そんな中で始まったひとつの活動にささやかに関わることになりました。

その動きをライブに報告していく予定です。
今回はつながりの接点が住民の皆さんですので、
そう簡単には「クビ」にはならないでしょう。

まずはこれまでの関わり記事を集めましたが、
時間ができたら一度、まとめの記事を書き込みます。

<前史>
谷和原村の「城山ふれあいの里」構想(2003年5月28日)
谷和原村での物語のはじまり(2003年11月15日)
■谷和原村の農業公園構想(2004年7月14日)
■ 谷和原村のその後(2004年3月23日)
■谷和原村の住民の意欲(2004年11月12日)

■谷和原村の住民集会(2004年12月25日)

<住民主役の活動の始まり>
■谷和原の住民組織は激しい議論の応酬で順調にスタート(2005年2月10日)
■谷和原村城山の里まつり(2005年11月20日)
■谷和原村「城山を考える会」の集まり(2006年2月12日)


<活動記録>

〔第1期〕

■ 谷和原村の「城山ふれあいの里」構想(2003年5月28日)
国土交通省の地域振興アドバイザー制度というのがあります。
私もアドバイザーの一人ですが、なかなか時間がなくてお引き受けできません。
しかし、今年は一度だけでいいし、近くだからと口説かれて、引き受けてしまいました。
そのオリエンテーション会議がありました。

お引き受けしたのは茨城県の谷和原村です。
谷和原村の片見和男さん、大澤勝彦さん、それに茨城県の地域振興課の鈴木賢嗣さんがお見えになりました。
谷和原村は建設中の常磐新線の沿線で、人口も増加している農村都市です。
村のビジョンは「いきいき田園都市」です。
美野里町と競合しそうです。

ビジョンに向けて、村では現在の城山運動公園(この名前で場所のイメージができますが)周辺を、
自然環境を活かした、魅力的な村民の触れあい空間にしようと計画しています。
すでに構想や計画に関する報告書は完成しています。

構想や計画を作る事は簡単です。
問題はそれをどう実現するかです。
すでにその計画には反対も多く、構想自体の認知もまだ十分ではないようです。
そこで、時間をかけて、「住民参画」で、このビジョンを実現に向けて進めていきたいというのが、今回の課題です。

こういうテーマはアドバイスというよりも、5年かけて一緒にやるべきテーマですが、
谷和原村の片見さんは、いろいろ思いが深そうです。テーマにも興味を持ちました。
面白い展開が期待できそうです。

翌日、同席していた県の鈴木さんから、次のようなメールがきました。
「佐藤さんの経験に裏打ちされたお話しに圧倒されました。谷和原村の担当さんもちょっとびっくりしたかもしれませんね」
私は現場主義者ですが、どこかに「頭でっかち」のところがありますので、こういうコメントはとてもうれしいです。
まだまだ経験不足ではありますが、またひとつ経験を積む事ができそうです。


■ 谷和原村での物語のはじまり(2003年11月15日)
茨城県谷和原村はこれから大きく変貌します。
2年後に常磐新鮮の駅ができて、都心まで40分で行けるようになるからです。

新しい田園都市が生まれるか、とてもいい古来の文化と景観が壊れるかの、いずれかになるでしょう。

そんななかで、谷和原でも唯一残った20haの城山運動公園周辺の地域をどうするかで、住民と行政で構想づくりをしてきたのです。
ところが構想はできたのですが、動き出せずにいます。
それもそのはず、構想は外部のコンサルタントにまとめてもらったのだそうです。
もちろん住民が参加はしましたが、構想で終わってしまいました。

そこで私のところに相談が回ってきたのです。
さてどうするか。解決はいとも簡単です。
難しく考えずに、やりたい人が動き出せばいいのです。
構想よりもビジョンが共有されればいいのです。

まあ、そんなことで、今日は朝から谷和原村に行っていました。
午前中は村を案内してもらいました。
城山運動公園周辺の地域も見せてもらいました。
すばらしいところです。谷津田の形がとてもいいですし、台地と水田の組み合わせもいいです。
今でもカブトムシや鬼やんまがいるそうです。
そう言えば、この3年、鬼やんまを見ていません。
そして常磐新鮮の「みらい平」駅の近くなのです。

午後は村長や職員、そして住民委員30人くらいが集まっての話し合いをしました。
実はアドバイザーに2回くらい行けばいいと思って、気楽に引き受けたのですが、
ちょっと面白そうです。
注意しないと巻き込まれそうです。
困ったものです。

何人かの魅力的な住民にも会いましたが、
役場の総務課長の猪瀬秀三さんにちょっと魅力を感じました。
美野里町の沼田課長と最初であった時のような新鮮な驚きです。
住民主役のまちづくりが、谷和原で始まるかもしれません。
来年、もう一度、行くことだけは約束してきました。
また報告します。

ところで居住地を東京から脱出したい方、 谷和原町はお勧めです。
今ならまだ土地もそう上がっていないようです。

■ 谷和原村のその後(2004年3月23日)
日本地域開発センターの北川さんから谷和原村のアドバイザーを継続して引き受けないかと誘われました。
昨年書きましたが、試験的に昨年1度だけうかがって、住民と行政との集まりに参加したのです
とても素晴らしい谷津田があります。
常磐新線の開通で、放置しておいたら、間違いなくだめになるでしょう。
そこをしっかりと活かしていきたいと住民は思っています。
極めて難しいでしょうが、そのプログラムのアドバイザーです。

昨年はかなり厳しいコメントをしてしまったので、
その後、連絡が途絶えていました。
ちょっと厳しすぎたかなと思っていました。
ところが事実はどうも逆で、
私の発言が、行政と住民に少しだけでしょうが、火をつけたようです。
動きが始まったようです。
それで正式なアドバイザーを頼めないかと言ってきたようです。

どういう関係が生まれるか分かりませんが、
1年つきあうことにしました。

谷和原村は、秋葉原から40分です。
きっとこの10年で様がわります。
少しでもそれを食い止められればと思います。


■谷和原村の住民の意欲(2004年11月12日)
谷和原村のプロジェクトは以前も書いたように、魅力的な話ですが、相手のパートナーが良く見えません。
テーマは城山地区の谷津田や雑木林、農地を保全しながら活用しようというものです。
その近くに、実は来年、常磐新線の駅ができるのです。
都心からの移住者が増えて行くはずです。
放置していたら、きっと大変なことになるでしょう。

そこに3年ほど前に、立派な農業公園を建設しようと言う大構想がまとまりました。
まとめたのは住民委員会と行政ですが、実際には外部のコンサルタントです。
幸いなことに財政的な問題で実現に向かって進みださなかったのです。
これが進んでいたら、もっと大変なことになっていたでしょう。
商業主義的な地域コンサルタントは本当に困ったものです。

しかし、行政としてはなにか動き出さなければいけないというわけです。
それで私にアドバイザー役のお鉢が回ってきたのです。
ともかく住民と話したいという要望に、谷和原村役場の担当者が応えてくれました。

その大構想を作成した住民委員の中から公募に応じた6人の委員とその地区周辺の行政区の3人の区長、
そして谷和原村唯一のNPO法人古瀬の自然と文化を守る会のメンバーに声がかけられました。
みんな真剣に考えている人たちばかりです。
とてもいい議論ができました。
特にうれしかったのは、ともかく現場に行って、自分たちができると今年から活動を始めようということになったことです。
谷和原村は動き出しそうです。
わざわざ出かけて行った甲斐がありました。
来年も少し行くつもりです。

余計な情報ですが、耳よりな情報です。
谷和原村にできる常磐新線の駅は「みらい平」ですが、
その駅から歩いて10分以内のところに、60坪くらいの敷地の個建て住宅が4000万円代で売り出されるそうです。
お勧めです。地価も割安です。それに、田園風景がとてもいいです。


■谷和原村の農業公園構想(2004年7月14日)
昨年、一度だけ訪問した茨城県の谷和原村の職員の皆さんがやってきました。
常磐新線が来年開通するのですが、谷和原はその沿線の村です。
昨年書きましたが、そこにとてもいい谷津田と雑木林があります。
そこに、農業公園をつくろうという構想を数年前に「住民参加」でつくってしまったのです。
しかし、それが動き出せないでいるのです。
そのプロジェクトへのアドバイスを要請されているのです。
ところが、例によって、市町村合併の動きの中で、どうも行政は動けずにいるのです。

私からすれば、解決はいとも簡単な問題ですが、行政職員にとっては難問らしく、頭を痛めています。
それで大挙して相談に来たのです。
いろいろとアドバイスしましたが、私のアドバイスはあまりにこれまでの発想と違うので、伝わったかどうか心配です。

私にとっても、魅力的なテーマなので、関わりたいのですが、
相手が本気でないと本気になれないタイプのコンサルタントなので、少し様子見をすることにしました。
発展していくといいのですが。

■谷和原村の城山を考える会(2004年12月25日)
クリスマスなのに、谷和原村からお声がかかりました。
断りたかったのですが、相手が住民では断るに断れません。
風邪が完治せずに、疲れた身体で出かけました。
まあ、病院に行くよりはいいですから。
家にいると女房が病院に検査に行けとうるさいのです。

谷和原村は来年8月に常磐新線が開通し、都心と直結します。
秋葉原まで45分です。
10年後にはきっと様変わるでしょう。
その新線駅の近くにまだ自然が残っている台地と谷津田があります。
ここはおそらく大きな地域資源になっていくでしょう。
どう活かしていくかで谷和原村の未来が変わるかもしれない重要な地域です。

そこをどう活かしていくか。
住民も参加して3年前に立派な構想や計画はできました。
しかし、その後の状況変化で、計画は全く動き出しませんでした。
このままだと構想は絵に描いた餅になりかねません。
そこで住民有志に働きかけて、自分たちの問題として主体的に活動していく住民組織を育てたいと村役場が考えたのです。
そして、国土交通省の地域振興アドバイザーを引き受けている私に依頼が来ました。
昨年、試験的に私が参加しました。
2回ほど参加した様子を見て、国土交通省も地域振興アドバイザーの事務局も、
まだ基盤ができていないので無理ではないかと考えたようです。
私もそう思いました。
なにしろアドバイザー役の私が会議の進行もしなければいけない状況でしたので。
事務局からどうするかと相談がありました。
しかし、失敗の可能性が多いとなるとやりたくなるのが私の悪いくせです。
引き続き私が一人で対応することにさせてもらいました。少し異例のケースなのですが。
そして今日、3回目の集まりに参加しました。

ところがです。
今日は話が盛り上がって、会が発足してしまったのです。
会長も副会長も会計も決まり、参加した人は全員幹事になることになりました。
その上、入会金まで決定したのです。
そのすべてが住民たち自身で言いだし、自分たちで決めたのです。
私はちょっとしたたたき台を説明し議論の整理をしただけです。
私のたたき台は、むしろ否定されました。
当事者以外の人の提案を否定して、自分たちで納得できる計画をつくるのはとてもいいことです。
うまくいくかもしれません。
あまりの展開に役場の担当者が驚くほどです。
しかも2月には公開フォーラムまでやるのです。

前回までの議論は何だったのでしょうか。
みんな意見も違い、自発的に手を上げる勢いを感じなかったのですが、
そして、今日も会議の始まりは否定的な反応もあったのですが、
一挙に急展開です。
前回まではかみ合わなかった議論が一挙にかみ合い出したのです。
機が熟すとはこういうことなのですね。

行政に依存せずに、自分たちでやろうという雰囲気がすごく強く感じられたのがうれしいです。
しかも、行政側もまた住民として参加するというのです。
谷和原村の新しい歴史が始まりだすかもしれません。
無理して出かけて、本当によかったです。


〔第2期〕


■谷和原の住民組織は激しい議論の応酬で順調にスタート(2005年2月10日)
谷和原村の城山運動公園周辺整備事業検討会は順調に大波乱でした。
予定の時間では終わらずに、延長となりましたが、10分の休憩を挟んで一服したらあっという間に収束しました。
なにやら宮本常一の世界を少し味わいました。

実は前回の住民集会で、予想以上の速さで住民組織が出来てしまったのですが
その後、いろいろとあったのです。
それで関係者にまた集まってもらおうと、
これまで城山運動公園整備に関わった行政と委員会と公募住民とが一堂に会して、
基本路線の再確認をすることになったのです。
そしてまた私が呼ばれたわけです。
「風の人」は呼ばれたら行かないわけにはいきません。
それに私は一応アドバイザーを引き受けてしまったのです。

今回は私と茨城県庁の鈴木賢嗣さんがアドバイザー役です。
まあ理屈では通じませんから、事例を話そうと言うことにし、
鈴木さんには玉里村と真壁町の話をしてもらいました。
いずれもとても面白い話です。

議論の内容は省略しますが、やる気のある住民が動き出すと必ず横槍が入るものです。
しかし、その多くは誤解に基づきます。
今回もそうです。混乱した議論を重ねた結果、最後はかなり分かり合えたように思います。
商工会の会長と村議会議員のみなさんが、議論を盛り上げてくれました。
そして、見事にまとめてくれました。
谷和原には古瀬の自然と文化を守る会というNPOがあります。
理念を持った自立したNPOです。
そこの小菅さんがいつも実に見事なアドバイスをしてくれます。
今回も小菅さんが節目節目で方向づけてくれました。

そんなわけで、無事、住民組織はスタートです。
一応、期間内に私の役割を果たせました。
発足した住民組織のコアは横田明さんです。
会が始まる前に、私のところに来て、前回、その気になってはしごを上ったのに、
その後、はしごを外されて、木に登ったブタになってしまったと話してくれました。
よくある話ですが、それでへこむ横田さんではないところがすごいところです。
横田さんがコアにいるかぎり、この組織はうまくいくでしょう。
古瀬の会に次ぐ本物のNPOのスタートです。

休憩に入った時に、県の鈴木さんが、
佐藤さんはこの混乱を楽しんでいませんか、どうもそう思えて仕方がないと、いうのです。
はい、そうなのです。
私がアドバイスすると混乱が起こる事が多いのです。
困ったものです。しかし、雨降って地固まる、です。


■谷和原村城山の里まつり(2005年11月20日)
谷和原村の横田明さんからのお誘いの「城山の里まつり」に女房と一緒に出かけました。
谷和原村は車で我孫子から30分くらいかかります。
谷和原は10月のつくばエクスプレスの開通で都心に40分になりました。
これから発展が期待されますが、そこに残っている里山と谷津田を活かして、
住民たちの触れ合いの場にできないかというプロジェクトに関連して、2年前にアドバイザーとして訪問させていただいたのです。
昨年度も3回ほど通ったのですが、そこで住民側の中心になってくれたのが横田さんです。
横田さんは会社に勤める傍ら、城山を考える会の代表としてこの1年がんばってきたのです。
横田さんの真面目な取り組みに、少しずつ輪が広がっているようです。
里山整備と並んで、畑を借りてさつま芋、大根、蕎麦を育ててきたのですが、今日はその収穫祭もかねてのイベントです。
初めてのことでもあり、最初は内輪でやろうと考えていたようですが、
参加したおばさんグループが盛り上がって、結局は役場の応援も得て、住民みんなに呼びかけるイベントになりました。
私は現場を何回か見ていますので、いささかの不安がありました。
里山整備も大変ですし、会場に華やかさがないと次の発展にもつながりにくくなります。
どのくらいの住民の方が横田さんに賛同して動いてくれたかに少し不安があったのです。
それにこれまでの経緯の中では女性を巻き込むのに失敗していましたので、それも気になっていました。

会場の駐車場に着くと見慣れた顔に出会いました。役場の菊地さんと荒井さんです。
会場に行こうとしたら村長が下りてきました。行政との関係がきちんとできているなと少し安心しました。

会場はちょっと小高いところなのですが、そこに行く途中はきちんと整理され、以前来た時とは全く違います。
広さも感じられますし、途中に手づくりのベンチまでありました。そしていかにも住民の手づくりの看板もありました。
木立を越えると会場です。
見えてきた途端にうれしくなりました。

華やかににぎわっているのです。
遠くにカラフルなインディアンテントまであります。
何よりいいのは子どもたちと若者が多いのです。
周りが雑木林なのでこの一帯は無風地帯です。
幸い天候にも恵まれて、 とてもあったかな空気が会場をつつんでいます。

入り口でとん汁をふるまっていました。
早速いただいていると、遠くから横田さんが見つけてくれて声をかけてきました。
とてもいい笑顔です。
その笑顔がこのイベントの成功を実感させてくれました。

会場では、自分たちでつくった食材をつかっての蕎麦打ちや焼き芋など、参加者との楽しそうな交流が展開されていました。
立派な大根なども格安で販売されていました。
これまでの活動の写真も展示されていました。
横田さんたちのご苦労の一端を感じるとともに、とてもいい展開になっていることを実感しました。
焼きイモの番をしていたのは、大久保さんです。
最初の頃はたしか体育館がほしいと言っていた人が、、焼きイモ担当とは実にうれしい話です。
野外での焼き芋づくりは久しぶりだと楽しんでいる様子でした。
農家の方も何人かいました。
最初はなかなか協力してもらえなかったようですが、こうした場を一度体験すると意識は変わるでしょう。
2人の農業者と話していたら畑は余るほどあるのだが、人手がいないというのです。
ちょっと工夫すれば、きっと様々なコミュニティビジネスが生まれるはずです。
蕎麦打ちに女房ははまっていました。
私と違い行動派の彼女はそば切りの手ほどきを受けていましたが、これでまた我が家のメニューが増えそうです。
とてもおいしい蕎麦でした。これもきっと発展の可能性があります。

まちづくりとは施設をつくることでも仕組みをつくることでもありません。
住民のつながりを育てることです。
それも防犯のためとか福祉のためとかではありません。楽しみのためです。
資金が最初にあるのではありません。予算消化のためのまちづくりは、実はまちこわしです。
企業経営の世界にデシの法則と言うのがありますが、同じことはまちづくりに当てはまります。
資金がどこかから提供されるまちづくりは役には立ちません。
地方交付税は根本から見直されるべきでしょう。
横田さんやいろいろな人と話していて、これこそがまちづくりの原点だと改めて思いました。
ともかく参加していた人たちの顔が良かったです。

アドバイザーとして4回通ったことが報われました。
横田さんに感謝しなければいけません。
たくさんの野菜のお土産までもらって、とてもうれしい1日でした。

■谷和原村「城山を考える会」の集まり
(2006年2月12日)
CWSプライベートに書きましたが、茨城県谷和原村の住民の集まりに誘われました。
里山と谷津田を活かしながら、新しい地域社会づくりに取り組みたいというグループが立ち上がりつつあるのです。
詳しくはCWSプライベートをお読みください。

まちづくりグループの原型の誕生に立ちあっている感じです。
住民たち7人に、行政の若手職員2人、それに私ともう一人の部外者2人、という11人が集まって、
この会をどう発展させていくかなども話しながら、「たぬき汁」をみんなでつつく会でした。
場所は里山の空き地に、みんなで建てたインディアンテントの中です。
すべて手作りです。

城山はとてもいい立地であり、自然環境資源も豊かです。
その気になれば、持続可能なコミュニティビジネスも成功するでしょう。
ただ立地が良すぎて、商業主義に絡めとられる恐れがあることです。
行政がこの一画を買い上げ、あるいは地権者たちが資金を出し合って、
住民主導で環境調和型の開発をすれば、経済的にも十分成り立つ展開ができるはずです。
しかし、それが難しいのです。
近隣の住民の多くは農業を営んでいますが、これまでの農業発想に慣れていますから、新しい発想での取り組みには関心を示さないでしょう。
それに持続可能なコミュニティビジネスは、今のビジネスと違って、そうは儲からないのです。
しかし、仕事の喜びは全く違うはずです。一度、経験したらきっと半数の方はのめり込むのではないかと思います。

それをどう経験させるか。
そのノウハウと情熱が今の行政にはないのです。
谷和原村の行政という意味ではありません。
私が関わらせてもらった、どこの行政も、です。
もちろん主役は住民です。
谷和原村のこの集まりが、どう育っていくか、実に楽しみです。
何しろ今のメンバーが素晴らしいですから。
今回飛び入りしたもう一人の部外者もきっと仲間になるでしょう。
唐崎さんといいますが、きっとまたこのコーナーに登場すると思います。
私もゆるやかに関わり続けていくつもりです。