NPOや市民活動との接点

■組織化の光と影(2004年12月1日)
コムケアに応募してくださったNPOミトヤの磯辺さんから手紙が届きました。
鉛筆書きのたどたどしい文面です。

身体障害者の仲間作りを考えています。
障害者にも光をあててやれる仕事場が必要だと思います。
会社、個人で一人で、10年間がんばってみましたが、
あるていど団結して行動しないと市町村役場や国、県庁は相手にしてくれません。
コムケアの輪はだれにも開かれていますね。
ぜひ仲間に加えてください。みなさんの協力が必要です。

これは一例です。
各地でがんばっている人たちを支える仕組みは、まだまだ弱いです。
組織化しているところはまだいいほうで、それ以前の活動はたくさんあります。
私はNPO法人化されたところよりも、むしろ個人やわずかの仲間で活動している人たちにこそ支えが必要だと思っており、
コムケア活動でもそういう姿勢をできるだけ意識するようにしています。
しかし、4年間の体験でわかったのは、それは勇気とエネルギーがとてもたくさん必要だということです。
私にはまだできません。
組織と付き合うほうが、間違いなく楽なのです。

組織化をどう考えるかは難しいです。
法人化の話があると、私は基本的に、なぜ法人化しなければいけないかを聞きます。
そして、よほどのことがない限り、法人化は勧めません。
しかし、組織化は勧めます。

コムケア仲間のパクパクサロンの金子さんが、自分たちの活動を組織化することに躊躇しているとメールをくれました。
私は、ばらばらの個人のつながりを見えるようにするために、組織化は効果的だとコメントしました。
問題は組織のあり方です。

「環」という雑誌の最近号、で柳原和子さんの『カンボジアから「がん患者学」へ』という論文を読みました。
とても共感できました。
「援助の組織化は加速をつけてゆく」
「個人としての援助の時期は過ぎていた」
そして、「代弁者の時代」がやってきた。

と、柳原さんはカンボジアでの活動体験を書いています。
そして、それはまた、がん患者の世界でも同じです。
医療や福祉の世界でも、そうした動きが進んでいます。

組織化には光と影があります。
同時に組織化のパラダイムもまた、2種類あります。
個人を殺すチームワークと個人を活かすチームワークをイメージすればいいでしょう。

金子さんが躊躇する組織はどのような組織なのでしょうか。
磯辺さんが目指している組織はどのような組織なのでしょうか。

磯辺さんは栃木県の那須郡馬頭町に住んでいます。
金子さんのパクパクサロンは古河市です。
一度訪問してみようかと思っています



■NPOの資金調達に関する調査に取り組んでいる大西たまきさん
(2004年11月30日)
大西さんは、現在、米国のインディアナ大学で研究活動に取り組む傍ら、
全米公共テレビ放送の資金調達部で、仕事をされています。
いま、「日本における市民活動の資金調達の状況とその発展ストラテジー」の調査に取り組んでおり、
日本に一時帰国していますが、コムケアの仕組みに関心を持ってくれて、取材に来てくれました。
私のところに取材にこられた方は、逆取材を受けることが多いのですが、今回も実に刺激的な2時間でした。

アメリカのNPOの様子やマスコミの役割などの話で盛り上がってしまいました。
ソーシャル・キャピタルも、大西さんの口からごくごく自然な言葉として出てきました。
すっかり消化されています。日本とは大違いです。
ユナイテッドウェイやフォスターピアレントを例に、米国も問題が多いのではないかと指摘しましたが、
その一方で、米国の資金調達の社会的仕組みから学ぶことは多いです。

税制がNPO活動の制約になるという事に関しては、大西さんも否定的でした。
その発想だけで、大西さんのNPOへの思いが伝わってきます。
税制が制約になると言う人たちは、NPOをこれまでの仕組みのサブシステムと考えている人ですから、私は信頼しないのです。
NPOは社会をリフレームする起爆剤になるべきだと思っている私にとっては、
今の日本のNPOリーダーたちには大きな違和感があるのです。
NPOはもっとラディカルでなければいけません。

話があまりに面白かったので、思い出せないのですが、共感できる話がたくさんありました。
一つ思い出せるのは、NPOのファンドレーザーたちによる社会的な資金活動の仕組みを構築することの重要性であり、
そのための実践者の研究会をつくる話です。
研究者による研究会はどれもこれも退屈ですし、何の役にも立ちませんので、実践者を主役にしなければいけません。
しかし、実践者はみんな忙しいから難しいのです。困ったものです。
大西さんにぜひ取り組んでほしいテーマです。
いや、いま、取り組んでいるのが、そのテーマでした。
ということに気づいて、後半は少し取材に応えました。

久しぶりにテンポの良い、NPO論議をしました。
大西さんは、「社会起業家」の著者、斉藤槙さんとも知り合いのようです。
世界はつながっています。



■ノーマライゼーションに取り組む矢辺卓哉さん
(2004年10月20日)
ノーマライゼーションネットの矢辺さんは、大学を卒業するまでに自分の会社を立ち上げるのが目標です。
半年前の出会いから考えると、急速に視野を広げています。
ただ相変わらずつめが甘いのと、オリジナルアイデアを創出するための材料が不足しています。
しかし、いい根性と明るさを持っています。

新しいアイデアについて意見交換したいということで、議論しました。
企業とNPOのコラボレーションにつながる新しい事業モデルの開発です。
今回は今までの中では一番リアリティがあります。
内容は彼の許可を得ていないのでかけませんが、発展性があります。
来週またコンフロンテーションをやることにしました。

新しい事業を考えることは実に楽しいです。
時代の大きな変わり目の中で、新しい事業機会は山積みです。
それに気づかないのは、企業人が現場に出てきていないからだと私には思えてなりません。

■ 熊本で明篤館を開いた宮田喜代志さん(2004年10月20日)
熊本の宮田さんは、コムケアの大きな福祉に共感し、その理念を実際に実現しようと取り組んでいる方です。
私にはとても心強い同志です。

東京に来るたびに会いに寄ってくれるのですが、今回は来年から開所する明篤館のことを教えてくれました。
明篤館は要介護高齢者対応型の小規模多機能ホームです。
1階にデイサービスや通所介護事業所があり、2〜4階がバリアフリーの居住空間です。
そこに約20世帯が居住し、「みんなの家」として育てていく計画です。
もちろん宮田さん家族もここに居住します。
宮田さんはここの館長であり、住民であり、相談役であり、住民たちの生活をつなぐ存在です。
宮田さんのこれまでの生活ぶりを知って、入居された必要とも少なくないようです。

宮田さんは、論理と感性とが見事にバランスしている人です。
また研究者の側面と実践者の側面を併せ持つ人でもあります。
宮田さんの書く文章に、それが読み取れます。
今度の明篤館は、そうした宮田さんの生活の場でもあり、研究の場でもあり、実践の場でもあるのです。
つまり集大成の場です。
言い換えれば、宮田ワールドですね。
一度訪ねたいと思っています。

これからの展開が楽しみです。


■ 自殺対策支援センターライフリンクの清水康之さん
(2004年10月13日)
大人たちの集団自殺というショッキングな事件が起こりました。
日本では相変わらず毎年3万人の自殺者が出ています。
これは社会が病んでいる証拠です。
いつ自らの問題になるかわかりません。

清水さんはこの春までNHKの「クローズアップ現代」のディレクターでした。
3年ほど前に「自死遺児=親が自殺し遺された子どもたち」についての番組を作ったことがきっかけで、
ひとりの大人として日本の自殺問題についてしっかりと考えていかないといけないと強く感じるようになり、
同じように考えている人たちと一緒に、創設しようとしているのが、自殺対策支援センターライフリンクです。

私が清水さんを知ったのはコムケアのおかげです。
そのメーリングリストに清水さんが投稿されたのです。
そこでお会いしました。
感激しました。テーマに出会えると人はこんなにも魅力的になれるのかと思いました。

清水さんの活動に心から共感しました。
私もなにかお役に立ちたいと思っています。
自殺予防の仕組みとしてはフィンランドが一番進んでいるとのことでした。
フィンランドといえば、参議院議員のツルネン・マルティさんがフィンランド出身です。
最近はご無沙汰ですが、議員になる前に、ツルネンさんと一緒にアンテナ市民の会の活動をやっていた事があります。
彼が関心を持ってくれるかもしれません。
時間ができたら、一度、会いに行こうかと思ったりしています。

自殺と犯罪被害者と交通事故は、私にとってもとても関心のあるテーマなのです。
大きな福祉の、まさに中心課題だからです。


■子育てランドあ〜べ
(2004年9月15日)
あ〜べはNPOやまがた育児サークルランドが運営する、公設民営の子育て支援ステーションです。
山形市のど真ん中にあります。
これが生まれるまでには、やまがた育児サークルランド代表の野口比呂美さんのがんばりがありました。

私が野口さんに出会ったのは、山形市で共創プロジェクトをスタートさせ、
まちづくり市民会議(私はすばらしい仕組みだったと思っていますが、挫折しました)をはじめた時です。
野口さんたちが、まちづくり市民会議に登録してくれたのです。
私も当時は保育の世界にささやかに関わっていましたので、応援していましたが、
野口さんたちの提案は最初はなかなか行政に聞いてもらえませんでした。
今では行政との関係もいいですが、
NPOと行政の最初の出会いは、いつもぎこちなさが双方にあるためにうまく行かないことが多いのです。
その時に苦労を知っているだけに、いま、こうして行政から運営を委託されて、
活動を発展させていることがとてもうれしく、いつも気になっていました。

訪問したいと思いながら、山形市に行くと目いっぱい時間を使い込むため、なかなか行けずにいました。
それになぜか時間ができて行ってみるといつもお休みなのです。
相性が悪かったのです。
今日は、野口さんを商店街サミットの分科会にゲスト出演してもらったので、その合間にあ〜べを見学させてもらいました。
なかなか活気があって良い空間です。
子どもだけではなく、母親たちにとってのいい空間だなという感じも受けました。
まだまだ活動は広がりそうです。
あ〜べは、商店街の真中に立地しており、年間の利用者は4万人近くもいます。
にもかかわらず、残念ながら、商店街との接点はあまりないようです。
商店街にとっては、ものすごい価値のある空間のはずですが、どうもまだ気づいていないようです。
今回のサミットを契機に、つながりが広がることをぜひ期待したいものです。

野口さんは今では全国的に活躍されています。
現場での苦労を積み上げてきた人は理屈だけの人とは違います。迫力があるのです。
子育て関係の仲間はコムケアにもたくさんいます。
彼らは必ずエネルギーをもてあます時がやってきます。
実はそこからが面白い展開になるのです。
野口さんたちの活動も、まさにそういう意味で、間もなく子育てを超えて広がっていくはずです。
楽しみです。

 


■カイロプラクティックコンシェルジェ
(2004年9月2日)
コムケアの資金助成プログラムへの応募を考えている若者がやってきました。
堂垣翔平さん。大学生で、なんと私と同じ我孫子市の市民です。
テーマは、カイロプラクティックコンシェルジェ。
最近、安直に広がりだしているカイロプラクティックに、堂垣さんは危惧の念を持っています。
そして、正しいカイロプラクティックの情報を広めていくと共に、
信頼と安心のおけるカイロプラクターを「コンシェルジェ機能」により生活者に提供していく活動をしたいと言うのです。
堂垣さんのお兄さんがカイロプラクティックを学んでいるのが、この発想の背景にあります。

統合医療への関心は私もありますし、情報のコンシェルジェは必要だとつい最近の会場探しで実感していたので、応援する事にしました。
資金助成プログラムでえこひいきすると言う意味ではありません。
その当落に関係なく応援すると言う意味です。
考えて見ると、この1か月、コムケアの関係で、そういう安直な約束をたくさんしてしまったような気がします。
困ったものです。
しかし、まあ、人間はできることしかできないから、どうにかなるでしょう。

カイロプラクティック、統合医療、コンシェルジェサービス。いずれもこれからのテーマだろうと思っています。
彼はまだ一人で取り組んでいます。
応援してくれる人はいませんか。紹介します。

ちなみに、私も上部頚椎カイロプラクティックを受けていますが、不思議な体験です、ここしばらくはちょっと行っていませんが、



■環境ケア基金
(2004年8月26日)
環境クラブの増山康博さんは、ビジョンをもった社会運動家です。
片岡勝さんのところで活動をスタートしたためか、片岡さん的なところがあって、興味深いです。
しかし、最近の増山さんの活動を見ていると、突進しすぎて整理できていないのではないかという危惧を感じます。
それに、増山さんが盛んにいう、社会契約思想がどうもまだ見えにくいのです。
たぶん誰もわかっていないのではないかという気がします。もちろん私も含めてです。
まあ、余計なお世話なのですが、一度、雑談でもしようよと声をかけました。
久しぶりにゆっくり2人で話しました。
よくわからない話が、私は大好きなのです。

増山さんは、つい最近、環境ケア基金なるものを始めました。
これが、彼の持論の社会契約思想の具現化の一つだというのです。
環境ケア基金のことは、環境クラブのホームページをぜひお読みください。
そして、よかったら募金してください。

といっても、実はそのホームページを読んでもよくわからないのです。
増山さんの思考回路はちょっと普通ではないので、彼とコミュニケーションするのは難しいのです。
もしかしたら私もそうなのでしょうが。
彼が配っている環境ケア基金のチラシの冒頭の文章を引用します。

エネルギーや水を節約したり、ゴミを減らしたりして、「浮いた」経費を森や海のために募金しませんか? 
水やエネルギー、ゴミには、社会全体としても個人としても、膨大なお金をつぎこんでいます。
その生活を見直し、環境保全型の社会を、都市の人も田舎の人も一緒に作っていく第一歩が「環境ケア基金」です。
明日から、あなたひとりでも始められ、各地の人達ともつながることができる「環境ケア基金」にご協力下さい。

わかりますか?
これに参加することが、社会契約発想の第一歩なのだそうです。
10月のコムケアサロンで、増山さんにこのあたりの話をしてもらうことになっています。ちょっと不安ではありますが。

ところで、私もコムケア基金なるものをはじめています。
あまり呼びかけてはいないためか、まだ3万円弱しか集まっていませんが、環境ケア基金はもう10万円を超えたようです。
コムケア基金では、1億円以内であれば、募金可能です。はい。

■NPOイーパーツ(2004年8月27日)
コムケアの資金助成プログラムに応募したいので相談にのってほしいとNPOイーパーツの生尾尚子さんがやってきました。
このNPOの中心人物は会田和弘さんです。
コムケアの関係で知り合ったのですが、この2年ほどご無沙汰でした。
会田さんは今回はこられませんでしたが、会田さんの構想が着実に進んでいるのがわかりました。
うれしいことです。

イーパーツは、リユースPCの寄贈活動を行いながら、そのPCを活用した活動支援をしています。
詳しい内容はホームページをご覧下さい。

次の課題は、これまでのつながりを活かしたコミュニティづくりのようです。
独自の強みを持つNPOが創りだすコミュニティには関心があります。

どんなプロジェクトが申請されてくるか楽しみです。



■山形創造NPO支援ネットワークの須藤路子さん
(2004年8月19日)
山形に来たついでに、何人かの人に会いました。
その一人、須藤さんのことを書きます。

須藤さんは山形県が中心になって設立した山形創造NPO支援ネットワークの理事です。
山形市が市民活動(NPO)を支援するプログラムを検討していますが、
どうもこのネットワークとは相性が悪く、コラボレーションが実現していません。
共創を標榜している私としては、とても残念ですが、
実は私もこのNPOネットワークには設立当初から違和感があったため、これまで接点はとってきませんでした。
創設当初はニューズレターなども送ってくれており、動きは少しわかっていましたが、
1年もたたずに情報がこなくなってしまったのです。

行政が主導し、資金を注ぎ込み続ける市民支援組織はうまくいくはずがありません。
他人頼みの団体やステータス欲しさの有識者が集まるだけで、効果的な実践は広がりにくいからです。
NPOの良さは、ボランティアシップと透明性ですが、行政は基本的に透明性を嫌います。
不思議なことですが。

私が嫌いなのが、依存型のNPOです。
それを助長する行政主導のNPO支援組織はどうも苦手なのです。
ですから、山形市がNPO支援をすると言い出した時にも、この組織のことはほとんど念頭にはありませんでした。
しかし、それでは、「共創」の理念に反するではないかと、最近気づいたのです。
それに「現場に直接当たる」という、私の姿勢にも反します。
大いに反省して、須藤さんに会うことにしたのです。
やはり情報は直接自分で確認しないといけません。

私の思い込みは、半分は正しく、半分は間違っていました。
いま、山形創造NPOネットワークは、自己変革の途上にあります。
そのやり方は、私が一番嫌いなやり方ですので、おそらく成功しないでしょうが、
しかし、その中でがんばっている人がいることは評価しなければいけません。
それは山形市の財産にもなるはずですから。

須藤さんは「ただのおばさん」ということで、結構、厳しい目で見られているようですが、
ただのおばさんがいまや大事なことなのです。

短い時間でしたので、ネットワークの全体像や現況がわかったわけではありません。
しかし、たくさんの発見がありました。



■子育てコンビニ
(2004年8月2日)
NPO法人子育てコンビニの新堀仁登李さんと北山さんが相談に来ました。
子育てコンビニは、孤独な育児からの開放、育児を楽しめる環境作りを目指して、
育児サークルの交流促進、育児情報の提供等 総合的な子育て支援を行っている事業型NPOです。
お話を聞いていると、
ミッションは、主婦の経済的自立を目指し 再就職支援、起業支援を行うことのようです。
詳しくはホームページをご覧下さい。

このグループがいま取り組もうとしていることのひとつが、
子育て団体を支援するネットワーク「あつまろ!ねっと」の構築です。
9月4日に、その発足記念フォーラムを開催する予定です。

「子育て」と「子育ち」ということへのこだわりが私にはありますし、
コンビニという名称に違和感をもちますが、
主旨には共感できますし、活動は見事に展開されているように思いました。
企業とのコラボレーション活動にも取り組んでいます。
行政との関係も、共創的です。
こうしたNPOが、これからはどんどん増えていくのだろうと思います。

しかし、そこからが問題です。
これまでの産業社会や集権的な管理国家体制を「深化」させるのか「変革」するか、
のふたつのシナリオが描けるのですが、
いまはまさにその岐路にあるように思います。
私はもちろん後者を望んでいますが、なかなか確信が持てません。
この点に関しては、ぜひ前に書いた小論をお読みください。

ちなみに今週はなぜか子育て関係の話が多かったです。
にこにこキッズの畑山さんからは子供企業塾の話がありました、これも面白い活動です。
子育ち学リサーチネットも悩みながら前進しているようです。
代表の立柳さんから今週もお電話をいただきました。
先々週に登場したほうや幼稚園の鈴木さんの読売新聞の記事も届きましたし、育て上げネットの安田さんにも会えました。

■ローカル・ジャンクション21戦略会議(2004年8月2日)
ローカル・ジャンクション21が経済産業省の支援を受けて、
日本各地の自然を守ることを目指した「むらとまち」モノづくり共創事業に取り組みだします。
コアメンバーが集まっての「戦略会議」(名前がよくないですが)が行われました。

集まったのは、事務局の2人と
ローカル・ジャンクション21理事の澁澤寿一さん(樹木・環境ネットワーク協会)、
結城登美雄さん(民俗研究家)、
そして私。私もいつの間にか理事になってしまいました。困ったものです。
さらにウォーターサテライトの山本哲さんと増刊現代農業編集長の甲斐良治さんです。
今回、取り組むプロジェクトのコンセプトと具体的切り口に関して、意見交換しました。
内容はローカル・ジャンクション21のホームページにお任せするとして、
私にはとても興味深かったことを一つだけ紹介します。

結城さんからお聞きした、町の豆腐屋の話です。
昔は1000人に一軒、豆腐屋があったそうですが、最近はどんどん無くなっているそうです。
結城さんは豆腐屋がなくなると、その町はおかしくなっていくという感覚をお持ちのようです。
とても納得できる話です。
コムケア仲間の町田市のもやいの会は、作業所での豆腐づくりに取り組み成功していますが、
代表の五十嵐さんが学んだのが、蔵王のはらから豆腐です。
このはらから豆腐にも結城さんはつながっているようです。
とてもうれしい発見でした。
本物はみんなどこかでつながっていることを改めて感じました。
つながりを壊して発展した工業と、つながりを育てて持続する農業との、原理の違いが見えてきます。
農業的なモノづくりをもっと真剣に考えたいものです。

豆腐屋が減る一方で、町のパン屋さんが増えています。
これに関しては、私はちょっと複雑な気分です。

ところで、この集まりのことを聞いた山形の長井市の人が、大きなスイカを送ってくれました。
ローカル・ジャンクション21の応援団は全国にいるようです。
ローカル・ジャンクション21のホームページもぜひ見てください。



■ほうや幼稚園との因縁
(2004年7月25日)
鈴木夫妻が訪ねてきてくれました。
鈴木(坂谷)信雄さんは、このホームページやブログに時々投稿してくれています。
最近の投稿はなかなか面白いものでした。
私が書いた「花の水やり」を「子育て」に置き換えた文章を投稿してくれました
結婚されて、いまは練馬区にお住みです。

結婚された相手は鈴木朋子さん。彼女は祖父が開いた幼稚園の副園長です。
最近、読売教育賞に応募され、幼児教育保育部門で見事に最優秀賞に選ばれました。
読売新聞の記事をお読みください

幼稚園のことを話しているうちに、
なんと私の下の娘が通っていたのが、朋子さんの「ほうや幼稚園」だとわかったのです。
私は気がつかなかったのですが、女房が気づいたのです。
この一事をもってしても、私の子育て態度は問題がありますね、反省。
話がとても弾んでしまいました。
女房によれば、当時からしっかりした方針を感じさせる幼稚園だったそうです。

ほうや幼稚園の活動は、ぜひ、ホームページを見てください
朋子さんは、この幼稚園で様々な活動に取り組んでいます。
園児の家族によびかけて、「子育てを考える会」もやっているそうです。
「子どもの成長には母親の影響が一番大きい」というのが、朋子さんの基本姿勢です。
メンバーは延べ200人を超えており、そこから始まった活動もいろいろあるようです。
幼稚園でも、こうした取り組みをしているところがあることは、とてもうれしいです。

保育園もそうですが、幼稚園で仕事をしているときっと社会の実相が見えているはずです。
子どもは家族や社会の鏡です。
いいかえれば、子どもこそが、実は社会の先生なのです。
その考え方が、以前少し書いたソーシャル・フォスターリズムです。

今回はすっかり子育て論や家族論になってしまいました。
朋子さんが書いた論文は、秋には本になるそうです。
もし出版されることになったらご案内します。
こうした活動がもっと広がっていってほしいと思っています。

 



■「水ヨシ・葦ヨシ・農ヨシ」の三方ヨシビジネス
(2004年7月25日)
今日は、もうひとつのつながりのメールが届きました。
ローカルジャンクション21の浦嶋さんと朝田さんが、
滋賀県でヨシの保全に取り組んでいるNPO東近江水環境自治協議会を訪問したのですが、
別れ際にそこの代表が私の会社時代の先輩だったことを知ったそうです。
この人は丹波道明さんといい、私が東レに入社した時の最初の上司でした。
会社時代はいろいろとお世話になりました。

早速、双方からメールが届きました。
さまざまなところで、人のつながりが見えてくることはうれしいことです。
世界は本当につながっています。
前にも書きましたが、世界中の人は、6〜7人を介して、みんな知り合いです。
それが実感できれば、戦争などは起きませんが、なかなかそれが実感できません。
しかし、少し話してみると同じ知人がいることは意外と多いものです。

ちなみに、いま、丹波さんたちが取り組んでいるプロジェクトの一つは、
ヨシの二期作で「水ヨシ・葦ヨシ・農ヨシ」の三方ヨシ環境コミュニティ・ビジネスの構築というものです。
展開が楽しみです。



■Art Agentのビジョン
(2004年7月21日)
Art Agentは「心のサプリメント運動」に取り組んでいる若者グループです。
そのグループのお2人がやってきました。
東大大学院総合文化研究環境の博士課程の山野泰子さんと
愛知県でキャリアコンサルタントをしている伊藤麗子さんです。
コミュニティアート・ふなばしの下山さんの紹介です。

心のサプリメント運動とは、アートを通じて人々の心の種の成長を応援していく活動です。
Art Agentのホームページから引用させてもらいます。
詳しくはホームページを見てください。

私達の考えるアートとは、感動を表現すること。
そして私達は「感動の連鎖」を引き起こすアートの触媒力に信頼しています。
アートがまた新たなアート、つまり、感動とそれに続く表現を呼び起こし、
自分と他者との間に新たな関わりが生まれること、それによって全く異なるタイプの
人、分野、世代が一つになる世界を、私達は目指しています。

感動を通して、すべての人がつながっている社会。
素晴らしいビジョンです。共感します。

現在、20人くらいの仲間で活動しているそうです。
既にかなりの場で活動を展開しているようですが、
来年の愛知万博での市民参加の分野でも活動していくそうです。
若者たちのエネルギーと思いのすごさには本当に圧倒されます。
政治家や財界人に、少しは知って欲しいです。
もっとも、彼らはちょっと触れ合うと「感激」してしまって、とんでもない予算を大判振る舞いしかねません。
普段接していませんから、本物と偽者を見分けられないのです。
そして、資金のために駄目になって行くプロジェクトもあります。
また余計な話をしてしまいました。
なにしろNPOバブルの不安がぬぐえないものですから。

いろいろとお話をお聞きしました。
この活動と私のテーマである「コモンズの回復」やコムケア活動は、かなり重なりそうです。
アートは、人間の本性につながっています。
技術に偏った産業社会パラダイムを変えていくには、やはりアートの視点を回復しなければいけません。
福祉も教育も、環境問題も、すべてアート的視点を基本に置くことが大切です。
Art Agent風にいえば、「感動」です。

これからの発展がとても楽しみな活動です。
私も何か役に立てられればいいのですが。

ちなみに、Art Agentは、NPOを目指さずに、中間団体を申請中でそうです。
その姿勢にも共感が持てました。

Art Agentによるアーティストサロンも始まっています。
関心のある方は、ぜひホームページをご覧下さい
そして応援してやってください。

■下山さんのアート系NPO構想(2004年7月21日)
Art Agentの2人と一緒に、下山さんも来てくれました。
下山さんは不思議な人です。
今日、ささやかな接点が見つかりました。
山形の高畠町の星寛治さんです。
10数年前に高畠町で農業体験されたようです。
具体的にどうというわけではありませんが、うれしくなりました。
農民詩人の星さんは尊敬すべき生活者であり、アーティストです。

下山さんがパネリストになった、企業メセナ協議会のシンポジウムに山野さんは参加したそうです。
そして、下山さんの本物さを直感して、シンポジウムの後、まっしぐらに下山さんのところに行ったそうです。
現場で活動している人は、直感で分かりあえるものです。

私は企業メセナ協議会には、少しばかり違和感があります。
メディチ家のパトロネージのにおいを感ずるからです。
やや「被害妄想」かもしれませんが、
昔書いた小論がありますので、お暇の方はお読みください

下山さんは、コムケアセンターと一緒に、
アート系のNPOに関わる人と企業でメセナ活動に関わる人とのサロンのようなものをやりたいと提案してくださいました。
サロン好きな私にはうれしい提案です。
ぜひとも具体化したいと思います。
問題は私の時間です。
しかし、どうしてこうも毎日、面白い話が飛び込んでくるのでしょうか。
疲れたなどとは言っていられませんね。

■江戸っ子まちづくりのプロをめざす広瀬眞之介さん(2004年7月22日)
ノーマライゼーションねっとの矢辺さんの紹介で、また元気な若者に会えました。
東洋大学4年生の広瀬さんです。
地元の小石川を元気にする事業を起こしたいというのです。
すでに構想はできています。

この構想の実現に取り組むために、親から2年間の猶予をもらい、大学院に入るそうです。
こういう行動スタイルの若者が増えていますね、うれしいです。
目標が明確で、生活スタイルも主張があります。
コムケアセンターに関わってくれている橋本さんも矢辺さんもそうですが、
しっかりしたライフスタイルとビジョンがあるのです。
これについては、またいつかご紹介したいです。

ところで、なぜ広瀬さんが小石川のまちづくりに取り組むことになったかです。
実は会社に就職しようと考え、受験したのです。
ところが、そこの会社の専務面接で、
「君には他にやりたいことがありそうだ」と言われたのだそうです。
「そうだ、やりたいことをやろう!!」
それが広瀬さんの決断でした。
これがとても気に入りました。
そうです、人間はやりたいことをやらなければいけません。

なにをやるか。
「このままでは私の故郷が全く別物になってしまう。
何もできないし、何ももっていない。
だけど小石川をよくしたい。
この町のよさを伝え、創り、育み、教わり、楽しみ、遊び、分かち合いたい!」

ということになったのです。
こう書くと、なにか軽いなあ、と思われそうですが、
決してそうではありません。
この結論のためには、さまざまな生活体験や大学での野外調査などの蓄積があるのです。

まあ、詳しくは、広瀬さんのホームページを見てください。
また一度、彼とお会い下さい。
こういう若者を支援するのは、社会を壊してきた私たち世代の責任です。

広瀬さんと小石川のことは、また報告できると思います。


■科学技術倫理フォーラム総会
(2004年6月24日)
NPO法人科学技術倫理フォーラムの総会に初めて参加しました。
やはりちょっと場違いかなと感じましたが、面白い議論に参加させてもらいました。
初めてだったので、ちょっと遠慮しましたが、もっと突っ込みたいテーマもありました。
メンバーはほとんどが技術士やエンジニアとお見受けしました。
私は、やはりちょっと場違いでした。
この頃、どこに行っても場違いだらけで、私がいかに社会から脱落しだしているかがわかります。

北海道大学の佐伯昇教授が、
技術者視点からの技術者倫理と哲学科倫理研究者視点からの技術者倫理の違いを話題にしてくれました。
そこから面白い議論が広がりました。
じっくり話したら、実に面白い議論になりそうです。
刺激的な会でした。

突っ込みたかったテーマを一つだけ紹介します。
倫理と和、もしくは葛藤の話です。
佐伯教授が、
倫理に従って問題を公表(内部告発)すべきか、組織の和を重視して自分の中にとどめておくべきか、
という問題があると発言しました。
この答は私には明確です。CWSプライベートに最近書いたところです

しかし、このテーマは面白いです。
和とは何かですが、問題は和を考える世界の広さです。
つまりソーシャルキャピタル論の「ボンディング」と「ブリッジング」につながる話です。
組織の和を大事にするか、もっと広い日本社会の和を大事にするか、さらには地球市民の世界の和を大事にするか。
世界が広がるにつれて、倫理の意味も変わっていきます。
そして、世界は人間を超えて、命あるものすべてにまで広がり、最後にはいのちまでをも超えていくでしょう。

つまりは、私たちがどういう世界に住んでいるかによって、和も倫理も変わっていくのです。
アメリカ大陸にわたったスペイン人やアングロサクソン人にとっては、
ネイティブを殺害することは倫理に反する行為ではなかったのです。
そこでの倫理や和は、アングロサクソンの内部の問題でした。
日本にもそうした時代がありました。
いや今もあるのかもしれませんが。

大切なことはみっずからの立脚点をどこに置くかです。
会社の和を大事にすることが、社会の和を壊し、
現在の和を大事にすることが、次の世代との和を壊すこともあるのです。

わくわくするほど面白い問題です。
しかし、こんなことを面白がっているのは私だけでしょうか。
ちょっと不安になってきたので、ここでやめます。

この科学技術倫理フォーラムは面白いNPOです。
年内にはホームページもできます。
沈黙の春プロジェクトも、ここを発表の場にしていくかもしれません。
関心のある人はご連絡下さい。

■CS21とピポ精神(2004年6月10日)
すごい人がやってきました。
叶内路子さんです。
CS21(コミュニケーション・スクエア21)の理事長です。
村上敬子さんと川副雅子さんもご一緒です。
それぞれにはお会いしていますが、こうやってみなさんとゆっくりお話するのは初めてです。
「社会教育」編集長の近藤眞司さんから、同じ思いで同じような活動をしている人がいるから会うといいと言われていたそうですが、
それが私だったのです。
しかし、実際に自分で活動しているとなかなか同じ思いの人には会いに行きたくないものです。
どうせ人に会うのであれば、違う考えや行動をしている人に会いたいものです。
それに、同じ考えの人とは会えば楽しいですが、実は微妙に違うもので、
他の人が同じと思っていても、当事者同士はそれぞれ自己主張があるものです。
私もそうですが、たぶん叶内さんもそうだったと思います。
それにもかかわらず、思い切って会いに来てくださいました。
うれしいことです。

私がCS21を知ったのはコムケアに応募してくれたからです。
ユニバーサルデザイン発想での混成チームによる駅伝のプロジェクトでした。
事務局長として押したのですが、予備選考委員の評価はだめでした。
2回目は事務局長権限を少し強め、何とか最終選考に乗せられましたが、一部支援にとどまってしまいました。
イベントの価値はなかなかまだわかってもらえないのです。
しかし、このプロジェクトはコムケアの支援などとは無縁に大きく育ってきています。
ピポ・ユニバーサルミニ駅伝です。
これについてはぜひCS21のホームページを見てください。今年も予定されています。

ところで、この名前にある「ピポ」とは何かですが、これもホームページにでています。
共生しあっている小鳥のピーちゃんとカバのヒポポタムスの「ポ」を組み合わせた言葉で、
支え合いや違いを活かしあうことを象徴しています。
理屈ではわかりにくいので、ぜひCS21のホームページで、ピポマークを見てください。
叶内さんは、このマークを見ればユニバーサルデザインやノーマライゼーション社会の本質が一瞬にして理解できるといいます。
いささか思いが強すぎますが、確かに直感的に伝わるマークです。

叶内さんたちは、このピポマークを世界に広げたいと思っています。
それを通して、ノーマライゼーション社会を実現したいというのがビジョンです。
こう書いてしまうと、退屈ですね。
それにユニバーサルデザインノーマライゼーションに批判的な私とは違うじゃないかと思われそうです。
しかし、そうではないのです。

叶内さんはご自身もいくつかの障害を体験されています。
ですから他人事で語ったり行動したりしているのではありません。
私同様に、昨今のいささか商業主義的な動きにも少しうんざりしているようです。
いやはや、書ききれませんね。

近い内に、コムケアサロンで話してもらいましょう。
ぜひご参加下さい。
それに叶内さんたちもまた、UD生活者ネットワークと同じく、
ユニバーサルデザインの分野で企業とのコラボレーションを実践しはじめ、また事業型NPOを実践されているのです。
「どこが普通の企業やそのビジネスと違うのですか」という、私の質問にも真剣に答えてくれました。
叶内さんたちも新しいビジネスモデルやワークスタイルを創出し始めているのです。

四谷駅の近くに、ピポハウスというスペースをお持ちです。
一度覗かれると人生が変わるかもしれません。

長く書いたのにほとんど話の内容を紹介できていません。
ともかく2時間、叶内さんは私の意地悪な質問にも怒らずに、ものすごい熱意で思いのたけを語ってくれました。
書きたいことが多すぎるのです。
いつかきっとどこかでコラボレーションできるでしょう。
重なる部分がたくさんあります。

しかし、どうしてこうした活動をしている女性たちは、こんなに熱いのでしょうか。
それに比べて、私はコムケア理念やそのビジョンをほとんど語ったことがありません。
今回、資金支援を受けるために企業をまわりましたが、熱く語っていない自分に気づきました。
だから寄付金が集まらないのでしょうか。
やっとそのことに気づきました。
昨日のコムケアのミーティングでも、若い仲間から、本当に伝える気があるのかというような指摘を受けたばかりです。
叶内さんたちが帰った後、少し落ち込んでしまいました。
自らの傲慢さを反省しました。

CS21のみなさん、ありがとうございました。



■NPOと企業のコラボレーション実践報告会
(2004年6月4日)
UD生活者ネットワークの創立3周年シンポジウムがありました。
テーマは「NPOと企業の対等なコラボレーション」です。
これに関しては、このホームページでも案内をしましたし、簡単な紹介記事も書きました。ご参照ください。
今回の記録も間もなくUD生活者ネットワークのホームページに掲載されるでしょう。

当事者である、UD生活者ネットワークとトステム株式会社から、実践活動の報告がありました。
残念ながら、きっとそのエトスは伝わらなかったように思います。
サラッと聞いてしまうと、これまでの商品手法とそう違いません。
それを補う意味で、ディスカッションのセッションを持ちました。
そのスピーカー兼ファシリテーターとして、参加しました。
UD生活者ネットワークは、コムケア仲間のひとつなのです。

わずか45分の時間でしたので、実にせわしないセッションだったため、
私のコメントも中途半端になってしまいましたが、
活動の中心になった大矢野さん(UD生活者ネットワーク)と亀下隆さん(トステム)が本音で簡潔に反応してくれたので、面白かったです。
この事例はもっときっちり整理して、出版されるといいと思います。

私の感想は、UD(ユニバーサルデザイン)とコラボレーションの関係、
そして今回の取り組みから見えてきたNPOと企業の新しいミッションに関するものでした。
30分くらいの内容を10分でまとめたため、うまく話せなかったのが残念でした。

これに関しては、近い内にまとめて見たいと思っています。
しかし、いつもそうなのですが、そう思っていて、まとめたことはこれまで一度もありません。
できもしない約束をしてはいけませんね。反省。

終了後、懇親会がありました。様々な人に出会えました。
コムケアのメーリングリストに参加してくださっている阪東美智子さんという方から、声をかけられました。
コムケア活動をしていると、時々こういうことがあります。メーリングリストの効用は大きいです。

大日本印刷の小宮康豊さんは10年前に病気で車いす生活になりました。
そうなって初めて障害の意味がわかったとおっしゃっていました。共感できます。
体験こそが最良の教師です。
これはUDにも通じる話です。UDに取り組む人は、わかったつもりになってはいけません。

シニアライフアドバイザーの吉田貴美子さんはご高齢にもかかわらず様々な活動をされています。
NPOやUD、NPOと企業のコラボレーションに関心を持ちながら、さまざまな疑問をお持ちです。
私の話にとても共感してくれました。私も実は、NPOにもUDにも大きな疑問を持っているのです。
少なくとも、いまのNPOやUDは、これまでの産業社会の残渣でしかありません。
発想を変えなければいけません。
これに関しては、月曜日からのブログで少し書いてみようと思っています。
*ユニバーサルデザインへの違和感をブログに書きました(6月7日)。

■若者たちとシニア世代のコラボレーション(2004年6月4日)
UD生活者ネットワークのシンポジウムの会場で、2人の若い友人に会いました。
木村亮介さんと矢辺卓哉さんです。2人とも学生です。
会場で会うまで参加することを知りませんでした。
参加費2000円、懇親会費2000円と合計4000円です。
彼らには結構高い参加費と半日の時間を負担しての参加です。
木村さんは茨城県の水戸からの参加です。

大学の外に出て学び出した若者たちが増えています。
そこに共通するのは、思いをこめた実践の場を持っていることです。
木村さんのぐっぴー矢辺さんのノーマライゼーションねっとは、いずれも動いています。
その行動力にも見習うべきことがたくさんあります。

彼らの行動を見ていると、自分の世界だけに埋没するのはまだ早いかなと思ったりします。
定年退社したシニア世代がやれることはまだまだたくさんありそうです。
若者たちとのコラボレーションが広がりだすと、社会は大きく変わるはずなのですが。



■科学技術倫理フォーラム
(2004年5月14日)
NPO法人科学技術倫理フォーラムの杉本泰治さんと鳥羽瀬孝臣さんが来てくれました。
杉本さんとゆっくりお話できるのは久しぶりです。

科学技術倫理フォーラムについてはこれまであまり書いていないかもしれませんが、
杉本さんのご尽力で始まった活動です。
杉本さんらしく、極めて地道な実質を大切にする取り組みです。
ホームページがないのがとても残念ですが、隔月の会報はとても示唆に富んでいます。
定款によれば、会の目的は次の通りです(一部抜粋)。

「企業倫理」を「科学技術に携わる者の倫理」として再構成し、研究し、教育方法を開発して、
それらの成果を広く一般市民、技術者、及び企業その他の機関に対して普及し、
「専門職の技術者」制度を広く社会に知らせることとあわせて、
企業に多知る信頼あるいは科学技術に携わるものに対する信頼を高めることを目的とする。

「専門職の技術者」制度とは「技術士」制度のことです。
これに関してもいつか書きたいですが、杉本さんも鳥羽瀬さんも技術士です。

私は、科学技術の「倫理」よりも、科学技術の「論理」に関心がありますが、
科学技術者の生き方には関心があります。
それに杉本さんの生き方には、大いに関心があります。

杉本さんに関しては、以前書いたものがありますので、お読みください。
杉本さんとの出会いは、ハワイのキラウェア火山旅行です。
日経サイエンスの懸賞論文で入選した10人の、とても豊かなツアーでした。
多彩なメンバーが参加しました。
その時の最年少者が、いま、活躍されている茂木健一郎さんです。
杉本さんも、茂木さんと同じく、学際的な世界で活動されている方です。

科学技術倫理に関しては、杉本さんたちが訳された「科学技術者の倫理」(丸善)が、とてもいい本です。
推薦します。
杉本さんは、いくつかの大学でも講義をされていますが、
大学にしっかりした「講座」を確立し、この分野での人材育成を図りたいと考えています。
そして実際に着実に実現に向けて動かれています。

今回は鳥羽瀬さんもご一緒でした。
お会いするのは初めてですが、会社に所属しながら、この問題に取り組まれています。
それも理屈ではなく、実際の仕事を通して、関心を高め、仕事にもしっかりと生かされているご様子です。
こうした人が増えてきているのは、うれしいことです。

たくさんの示唆に富むお話をいただきました。
ご紹介できないのが残念です。

ところで、13日に書いたフィブリノゲン納入先公表問題ですが、
この話は倫理の問題なのか論理の問題なのかどちらでしょうか。
あるいは、組織の問題なのか個人の問題なのか、
さらに技術者の問題なのか管理者の問題なのか。
いずれにしろ大切なのは、結果なのですが。

ちなみに、私は経営倫理だとか企業倫理には違和感があります。
それに昨今流行のCSRの議論も興味がありません。
この問題はこれまでも何回か語られてきましたし、私自身も15年ほど前に研究会を主催したこともあります。
しかし、それで何かが変わったかと言えば、ノーとしか言えません。
問題設定に間違いがあったように思います。
組織の場合は、倫理ではなく論理が問題なのではないかと思います。
大昔の小論をお読みください。日経産業新聞に昔書いていたコラムの一つです。



■UD生活者ネットワークの共創型商品開発
(2004年5月13日)
ユニバーサルデザイン生活者ネットワークというNPOがあります。
そこの大矢野由美子さんと吉田早百合さんがやってきました。
ユニバーサルデザイン生活者ネットワークが創立3周年記念シンポジウムを開催するのですが、
そこにちょっとだけ私も話させてもらうのです。

このNPOは事業型NPOを目指しています。
そして見事な事例を実現しました。
トステム株式会社との共創型商品開発を実現したのです。
共創型商品開発。懐かしい名前です。
しかし、ようやく実体をもった共創型商品開発が実現し出したようです。
うれしいことです。

シンポジウムでは、この事例が発表されます。
テーマは「NPOと企業の対等なコラボレーションの実践とユニバーサルデザイン社会の今後」です。

大矢野さんたちは、ユニバーサルデザイン原則を自分たちの言葉で書き直す作業もやったようです。
最初、私はまた形式だけのコラボレーションかと思っていました。
ユニバーサルデザインという言葉を使う人をあまり信じていないのです。
しかし、大矢野さんたちからお話を聞いているうちに、自分の不見識を反省しました。
この取り組みは、NPOにとっても企業にとっても、中途半端ではなかったようです。
ユニバーサルデザインなどという言葉でごまかすこともしていないことがわかりました。脱帽です。
事例も面白いですが、このNPOのこれからの展開に興味を持ちました。
大矢野さんたちは、この活動を通して、企業のCSRの問題にも行きついたようです。
共感できます。
いまの企業のCSR論は実体がありませんが、こうした活動の中からこそ、実体が見えてくるのだろうと思います。
企業の戦略スタッフには、それがわかっていないのです。
彼らは「言葉」でしか、物事を考えていないからです。

シンポジウムは6月4日の3時から、港区の女性と仕事の未来館で行われます。
詳しくはユニバーサルデザイン生活者ネットワークのホームページをご覧下さい。
企業の方にもNPOの方にも、多くの発見があると思います。
お勧めのシンポジウムです。



■遷延性意識障害支援の活動
(2004年5月11日)
遷延性意識障害という言葉を聞いたことがあるでしょうか。
脳を患部とする疾病等を原因として、自分の意思表示や他人との意思疎通が充分に図れない障害を総称しています。
そうした患者家族を支援する活動に取り組みたいと思っている川井喜代美さんが相談に来ました。

川井さんは、肉親がその病に見舞われた時に、あるNPOの支えを受けました。
病気に直面したとき、同じ問題に直面した人たちの体験談や応援は大きな支えになります。
私も女房の件で、そのことが痛いほどわかります。専門家のアドバイスよりも大きな元気を与えてくれます。
専門家の親切なアドバイスは、時に冷酷でもあります。
しかし、同病者やその家族の話は、間違っていてもあたたかく元気を得られます。
そういう体験から、川井さんは、今度は同じ状況にある人たちを応援する活動をしたいと考えたのです。
何ができるか相談にやってきました。

私のまわりでも、遷延性意識障害は決して無縁ではなく、何人か体験しています。
現在、全国に2万人くらいに患者がいるそうです。
私自身も、いつそうなるかわかりません。
他人事ではありません。
もし私が自己表現できなくなったら、家族はどうするでしょうか。

川井さんの活動に何か役立てることがないか、考えてみるつもりです。
まずは全国の家族会をつなげる活動がもっとあっていいのかもしれませんが、
それがむしろ一番難しいかもしれません。
みなさんからの情報やアドバイスもお願いしたいです。



■ 子育ち学リサーチネット
(2004年3月18日)
子育ち学に実践的に取り組んでこられた立柳聡さんと深作拓郎さん、それに星野一人さんがやってきました。
子育ち学リサーチネットというNPOを立ち上げる相談です。

立柳聡さんはコムケアサロンにも参加してくださったことがありますが、
学童保育の分野での実践的な情報はすごいです。
私も参加させてもらっている子育ち学仲間のメーリングリストへの投稿は、常に刺激的ですし、
そうした分野で何かを質問するとたくさんの情報がもらえます。
活動ぶりが、そうしたことから伺えます。
その立柳さんから頼まれては断るわけにはいかず、またまた理事を引き受けてしまいました。
シジフォスのように、辞めても辞めても、新しい組織への関わりができてしまいます。

NPO立ち上げ後の活動のために、オフィスをどうするかが話題になりました。
場所の確保はみんなの課題です。
NPOのコラボレーションオフィスの計画をいよいよスタートさせようかと思います。
これも本気でやると、きっと面白い活動に発展します。
本当に面白いことが山積している時代です。
まさにアントレプレナーの時代です。
会社などに雇われている暇はないですよ。
どなたか一緒にやりませんか。



■ ノーマライゼーションねっとの矢辺卓哉さん
(2004年3月12日)
下山浩一さんが、コムケアサロンに連れてきてくれた矢辺さんが早速にやってきてくれました。
いろいろと話を聞きました。

矢辺さんは明治大学経営学部の3年生です。
会社の社長になろうと思って、経営学部を選んだそうです。
すでに会社の構想はあります。
ノーマライゼーション社会に向けてのソーシャルベンチャーです。

そのビジョンを踏まえて、まずは「ノーマライゼーションねっと」というNPOをたちあげました。
そのホームページとリンクさせてもらいましたので、ぜひご覧下さい。

コムケアセンターにも関わってもらうことにしました。
今年のコムケアセンターは、橋本さんと矢辺さんという、若者の挑戦場になればと思っています。

また、社会起業家の集まりもやろうかと考えています。
若者に出会うと、その影響で私もどんどんやりたいことが出てきます。
志をもった若者たちに対して、少しはお役に立てるはずです。
定年退職された同志のみなさん、是非ともそうした活動に取り組んでください。
私たち世代の役割はとても大きいです。


■ 高崎市のゆいの家
(2004年3月5日)
ついでにもうひとつ紹介します。
大きな福祉につながる話です。
先週行われた高崎市のひだまり交流会でお会いした、ゆいの家の高石友江さんから手紙が届きました。
手紙にはこう書いてありました。

私自身、今の社会、何でもお金に換算されてしまい、本当にこれでいいのか?と思っています。
仕事はもちろんのこと、介護や親切までが、そして心の問題まで、時間○○円となっています。
もちろん何でも無償というわけではいきにくいとは思いますが・・・・
また仕事も高収入がいい仕事という見方が強いです。
高収入を得られない人たちは、低い人とみられがちです。
人の値打ちさえやっぱりお金で換算されてしまいます。
お金で換算されない場、知的しょうがいや能力の低い人だって、
ちゃんと人の役に立って生きていけるんだという場をつくりたいと思っています。

どうお金から自由になるかは難しい問題です。

高崎では高石さんに地域通貨の提案をしました。
もっとも多くの地域通貨は、その設計の根底に高石さんが感ずる危惧を未解決のままに残したままのような気がします。
我田引水ですが、ジョンギはそれを克服しています。

高石さんは、いま、「エンデの遺言」を読み始めたそうです。
この本は素晴らしいメッセージをちりばめた本です。
まだお読みでない方はぜひお読みになることをお勧めします。

高石さんと電話で話しました。
各地で、こうした活動を起こした時、もっと気楽な相談相手がいるといいです。
先週のひだまり交流会は、その一歩です。
各地にそうした交流会が生まれ、
それがやわらかに、つまりリゾーミックにつながっていけば、きっと社会は変わります。
お金は人をつなげます。
しかし、「金の切れ目が縁の切れ目」になるという面も持っています。
お金とは別の、人をつなげるツールをぜひ見つけたいものです。

ちなみに高石さんは、富山方式と言われる、多様な人たちにとっての気持ちのいい居場所を創りたいと思っています。
富山方式は大きな福祉の理念にぴったりあっています。
コムケア仲間の山口県の東さんたちも、そうした場づくりに向けて活動をしています。
名前も「コムケアの里」です。
コムケアセンターのホームページに、少し報告がありますので、お読みください。
5月にここでコムケアフォーラムが実現できそうです。
お近くの方、ご参加下さい。
私も参加します。



■ 宅老所からの贈り物
(2004年3月2日)
高知の中村市の宅老所「えびす」から、
多分、そこに集まるお年寄りたちがつくった、こんにゃくやお持ちが届きました。
うれしいことです。
その上、そこのスタッフの豊永美恵さんからも電話がありました。
豊永さんは東京に来ていたのですが、残念ながら私が東京にいなかったためにお会いできませんでした。

「えびす」については以前ご紹介しましたが、
ともかく元気なお年寄りの溜まり場なのです。

コムケア活動やまちづくり活動に関わっているおかげで、
こうした贈り物が時々届きます。
私にとっては、最高のご褒美です。


■ 全国マイケアプラン・ネットワーク
(2004年2月25日)
ケアプランを自分たちでつくろうという活動に取り組んでいる、
全国マイケアプラン・ネットワークは、コムケア活動の力強い応援団です。
活動の中心にいる3人組がやってきました。相談があるというのです。
やって来たのは、島村さん、須田さん、そして初対面の井出さんです。
井出さんは会計担当です。

予め相談事を連絡してもらっていましたが、どうやら、来る前にほとんどが解決したようです。
問題を整理すれば答はほとんど見えてくるものなのです。
このグループの最大の悩みは、
もう少し大きく前進するか(つまり社会活動にしていくか)、
それとも今まで通り、自分たちのやれることにとどまっているか(つまり自分の活動にとどめておくか)、
そのどちらにしようかということです。
それに関連して、組織のあり方や事業収支の考え方が出てきます。

NPOの多くには、その気になれば、会社が作れるくらい、さまざまなノウハウやネットワークが集まってきます。
多くのNPOにとって必然的に出会う分起点です。
大切なのは、中心になるメンバーがどう考えるかです。
そこでみんなで悩むことが大切です。
悩むことはいいことです。

6月に第2回のシンポジウムを開催する計画ですが、
きっと今回のシンポジウムで、このグループは大きく変身するでしょう。
とても楽しみです。

ところで、ケアプランに関わっている方、ぜひ全国マイケアプラン・ネットワークのホームページをみてください。
出前講座もやってくれます。ぜひお呼びになるといいです。
体験を通してのノウハウが集積されていますから、必ず満足してもらえると思います。

■ 富士山ナショナル・トラスト創立者の渡辺健二さん(2004年2月26日)
富士山の植物研究で有名な渡辺さんは86歳です。
渡辺さんは富士山ナショナル・トラストの創立者です。
お電話とお手紙をいただきました。
緑の輪の活動がストップしていることを知らせてくださったのです。
この活動については、このホームページでも渡辺さんの年賀状を紹介したのですが、それを気にしてくださったのです。

私の周りには、社会としっかりとつながりながら活躍されている、とてもお元気な先輩が数人います。
その人たちの生き方をみていると、私もなかなか楽ができないのです。
本当は青空をみながら、のんびりしたいのですが、そういうわけにはいきません。

渡辺さんはそのお一人です。
なかなかお会いできませんが、
久しぶりに渡辺さんの情熱に、刺激を受けました。

■ 科学技術倫理フォーラム(2004年2月26日)
私が尊敬するもう一人の先輩が杉本泰治さんです。
杉本さんにはお世話になってばかりで、何も返せずにいます。
一度、返すチャンスがあったのですが、私の不手際でお返しできませんでした。
そもそも先輩にお返ししようなどと思うのが間違いだったのかもしれませ。
しかし、それ以来、何か杉本さんには顔向けが出来ずに、
うまくお付き合いができなくなっています。

昨年2月、杉本さんたちが立ちあげたNPOが科学技術倫理フォーラムです。
このNPOの立ちあげにはぜひ参加したかったのですが、
そんなわけで参加できずにいました。
機関紙を毎回送ってくださるのですが、
最近号2回にわたり、レイチェル・カーソンに関する議論が行われています。
杉本さんが翻訳された「科学技術者の倫理」(丸善)を思い出しました。
この本は、とても示唆に富む本です。
企業や行政のエンジニアに是非とも読んでほしい本です。

思い切って入会させてもらうことにしました。
昨年から今年にかけて、18の団体から脱会させてもらったばかりですが、
また参加団体が増えだしそうで心配なのですが。

■ 第1回ひだまり交流会(2004年2月28日)
コムケア活動のおかげで、とてもいい集まりに参加させてもらいました。
高崎で開催された「ひだまり交流会」です。
15の市民活動団体からの活動紹介と交流会です。
主催は太田敬雄さんが代表をされている国際比較文化研究所です。
太田さんの思いを、案内から引用します。

企業の枠、行政の枠、NPOの枠、活動分野の枠、価値観の枠、それらすべての枠を超えた交流の場を、
群馬県自治ネット高崎地区グループの中で生まれた「ひとネット『ひだまり』」と共に立ち上げました。
縦割り社会の構造を縦糸として、そこに横糸となって紡いでゆく活動です。
この活動から新しい人のつながりが生まれ、次の時代を担う人が育つ事を願って、「ひだまり交流会」をスタートさせます。
皆さまのご参加を願っています。


太田さんは、このホームページでも何回か登場していますが、
静かな革命家です。
教育者と言ってもいいかもしれません。
今回は、その行動力の、たぶん源泉であるだろう、奥様にもお会いしました。

朝から夕方までのロングランでしたが、実に充実した集まりでした。
太田さんのお人柄を感じさせる、まさに「陽だまり」空間でした。
私もコムケアセンターの活動を紹介させてもらいました。


発表した15団体は、NPOだけではありません。
行政や自治会、大学教授など、実に多彩です。
しかも、みんなしっかりと地に足つけた活動をしています。
コムケア仲間につなげさせてほしい団体もありました。
ひとつずつ詳しくご紹介したいですが、書きだしたらキリがありません。
参加団体を
別掲します。
もしご関心を持ってもらえたら、ホームページなどをご覧下さい。

福祉関係の二人の大学教授にもお会いしました。
高崎健康福祉大学の平野和弘教授と
大阪健康福祉短期大学の古川利通教授です。
こういう集まりで、大学教授にお会いできるのはとてもうれしいです。

古川さんは奈良から、朝5時に起きてやってきたそうです。
どうも太田さんの榛名山麓みどりの大学構想に惚れ込んでいるようです。
帰りの新幹線のなかで、この構想について、いろいろとお話をお聞きしました。
みなさんも改めてこの構想を読み直してください。

カドリーベア・デンの竹澤泰子さんにもお会いしました。
カドリーベア・デン・イン・ジャパンでは、いま、
癒し系テディベアコンテストの作品を募集しています。
その発表会を3月26日〜28日と、前橋で開催します。
お近くの方はぜひ見てください。
きっと癒されます。

日本の社会は大きく変わりだしています。
企業や行政にいては、その変化があまり見えてこないでしょう。
こうした集まりに参加すると、そうした実感を強く持ちます。
変化に一番遅れをとっているのは、東京かもしれません。


高知県西部NPO支援ネットワークの八木雅昭さん(2004年2月19日)
高知県の窪川町の八木さんがコムケアセンターに訪ねてきてくれました。
八木さんは窪川町ボランティア連絡協議会の会長で、さまざまな活動をつないでいく要のようなところにいる人です。
今度、高知県西部ボランティア・NPOネットワークを発足するとのことです。
お話をお聞きすると、住民活動を核にして、行政や企業と効果的に連携している状況が伝わってきます。
実体のあるネットワークに育っていきそうです。
いつか、コムケアフォーラムを共催したいと思います。
八木さんのホームページも、このホームページにリンクしています。
http://www4.inforyoma.or.jp/~meemee8/

■ NPO地域づくり工房の傘木宏夫さん(2004年2月20日)
長野県大町市にはコムケア仲間が2グループいます。千年の森地域づくり工房です。
地域づくり工房の代表の傘木さんが相談を兼ねてやってきました。
相談内容は結構深刻です。

傘木さんたちは、商店街の一角の提供を受けて、まちかど図書館を作り出そうと考えていました。
そこをチャレンジドの働く場にするとともに、
廃棄される図書の活用と世代を超えた触れあいの場づくり、
さらには商店街の活性化をはかろうと、大きなビジョンをお持ちです。
ところがその場所を提供して下さる予定だった方が急逝されてしまい、
場所が確保できなくなってしまったのです。
計画の見直しが必要になりました。
まあ、こうしたことは市民活動で時々あることです。
残念ですが、めげることはありません。

商店街の空き家活用の活動は難しいです。
コムケアでも1回目に大阪でコリアボランティア協会が取り組んでくれましたが、
やはり場所の確保で挫折したことがあります。
日本の商店街は、今やわけのわからない空間になっているのです。
先日歩いた巣鴨のような文化をみんなで壊してしまったのです。

しかし、サステイナブル・コミュニティの視点で考えると、商店街ほど面白い空間はそうはありません。
そこは決して経済空間ではないのです。
9月に山形市で、サステイナブル・コミュニティと商店街をテーマにフォーラムを開催しますが、
これから少しその点を商店街の若者たちと考えてみようと思っています。
できれば、私の地元の我孫子市の商店街にも声をかける予定です。
乗ってくれるといいのですが。

傘木サンたちの活動は素晴らしいです。
残念ながら、私の予定の関係で、今回はゆっくり話せませんでした。
一度、ゆっくりと意見交換をしたいと思っています。
またこのコーナーでも報告できると思います。



■NPOの広告活動
(2004年2月10日)
日経広告研究所の岡崎昌史さんと、NPOの広告宣伝活動について意見交換しました。

NPOや市民活動にとって、これから大切なことが3つあります。
ファイナンス、マネジメント、そしてコミュニケーションです。
最後のコミュニケーションに関しては、
NPOのコミュニケーション活動から新しいコミュニケーションの考え方が出てくると思っています。

以前、日本広報学会で、広報学の可能性を考える研究会を2年にわたって主宰しました。
その報告書は別に出ていますが、その活動を踏まえて学会機関誌に論文を掲載しました。
それを今回、このホームページにも一部掲載しました。
「広報学確立に向けての一試論」
そこでの基調は、広報活動のミッションは取引コストの縮減だという発想です。
これは学会では評判はよく無かったです。
しかし私は社会的な取引コストの視点で考えないといけないと今でも思っています。
企業のための広報活動という発想を超えなければ、企業のためにもならないからです。

NPOに関わるようになって、発想はさらに進化しました。
広報は価値の創造までいくべきだという想いです。
これも広報学会での行政コミュニケーション研究会で書いた小論ですが、
「コミュニケーションからコラボレーションへ」というのが、私の考えです。
この小論も、このホームページに掲載しています。

NPOの広告活動についてはこう考えています。
これまでの企業の広告宣伝は、企業の費用負担で行なわれました。
広告代理店も、したがって企業の利益のために知恵をだして、広告活動を展開します。
しかし、NPOの場合は、幸か不幸か資金もありませんので、広告代理店に支払う資金がありません。
しかし、自分たちの活動を社会に発信していくことの価値は、企業同様に強いはずです。
ではそのための活動はどうするか。
ふたつ方法があります。
一つは広告代理店に頼まずに、自分たちで活動していくことです。
資金が無くても出来ることはたくさんあります。
自分たちの活動を社会に見えるようにしていけばいいのです。
実体で語る姿勢です。
これでは広告代理店の出番はありません。
メディアが変わります。
メディアを自分たちで創っていくことになります。
市民によるメディアの奪還です。

もう一つの方法は、社会システムとして、情報発信そのものが価値を生み出す仕組みを創出していくことです。
平たく言えば、NPOではなく、社会が取引コスト削減の効果を負担してくれる仕組み作りです。
取引コストと言う発想が、そこで重要になってきます。
これまでの広告活動費はクライアントが費用負担しましたが、
これからは社会が費用負担するわけです。

この分野では、広告代理店の出番が十分にあります。
但し、発想を変えてもらわないといけませんが。
今の電通は社会的にはマイナスが多いと私は思っています。

こうした発想は、企業のコミュニケーション戦略にも大きな示唆を与えるのではないかと思っています。
日本広報学会では、そうした議論をしたかったのですが、同志が見つかりませんでした。
日本CI会議体でもそこまで発展させられませんでした。
私の内部で、きっとまだ熟していないのでしょう。


■ リハビリ介護研究所の宮田喜代志さん
(2004年1月29日)
宮田さんは熊本のコムケア仲間です。
福祉と農業と地域社会がメインテーマです。
そして実践者にして研究者です。
宮田さんは、コムケア理念や大きな福祉仮説に、最初から共感して、実践してくれています。
各地にこうした仲間が少しずつですが、増えているのがうれしいです。
宮田さんは東京に来ると、必ず寄ってくれます。

今回は熊本で展開している、いくつかの面白い事例を教えてもらいました。
農事組合の面白い活動もお聞きしました。
この話は面白いので、また報告したいと思っています。
宮田さんの実践的研究成果は、2年以内にまとまりそうです。
楽しみです。

農業と福祉のつながりは、私にとっても実に興味深いテーマです。
また、ライファイゼンの話も出ました。
考えてみたら、宮田さんはその専門家なのです。
このテーマもぜひ取り組みたいです。
それにしても、こんなに面白い、そして重要なテーマがあるのに、
どうしてみんな取り組まないのでしょうか。不思議です。

■新潟水辺シンポジウム
(2003年12月6日)
新潟水辺の会シンポジウムに参加させてもらいました。
基調講演を頼まれたのです。
講演は嫌いなので普通はお断りなのですが、パウサニアスの金田さんから頼まれたので断れなかったのです。

主催は新潟水辺の会というNPOです。
実践グループなので、何を話そうか一昨日まで迷っていました。
なにしろもらったテーマが「みんなが楽しく汗をかき笑い、語り合うコモンズのあるままちづくり」というものです。
難しいですね。
悩みに悩んで、結局、私の持論を話してしまいました。
つまり、人と人とのつながりの回復の大切さです。
そして私が関っている3つのコモンズ物語を紹介しました。
今回は美野里町のみの〜れ物語コムケア物語小倉北区から始まりそうな共創物語です。

シンポジウムでは新潟水辺の会が取り組んでいる3つの物語も紹介されました。
これはいずれも面白かったです。
みんなとてもまちづくりを楽しんでいるのです。

新潟市長も参加されました。
ちょっとそれを意識して、NPOも基礎自治体もこれからは同じ立脚点に立つべきではないかという話もさせてもらいました。
地方分権の理念を実現するためには、それが不可欠だと私は思っています。
幸いに市長も水辺の会の代表の大熊さんも、そのメッセージをしっかりと受け止めてくださいました。
うれしいことです。

講演の後、市長と水辺の会代表の大熊孝さん(新潟大学教授)と新潟市会議員の進直一郎さんと話し合いをしました。
とても面白かったです。
今回のテーマは、実は「新潟掘割再生」だったのですが、その話もありましたが、
とても基本的な問題も含めての話し合いでした。
みんなとても柔軟でざっくばらんで、すごくいい雰囲気でした。
私の住んでいる我孫子市ではこうした雰囲気を創出できるでしょうか。
うらやましく思いました。

終了後、水辺の会の望年会(忘年会)に参加させてもらいました。
そこで参加者が30秒スピーチをしました。
実に多彩な人が参加しているのがよくわかります。
そしてみんなそれぞれに楽しんでいるのです。
しかも世代がとても分散しています。
なかなかこうはなりません。

また住民パワーのすごさを実感できた、とてもいい1日でした。
日本の未来はきっと明るいです。
中央を見ていると暗くなりますが。


■ 子育ち学全国フォーラム2003
(2003年11月16日)
昨年に続く、子育ち学の2回目のフォーラムです。
岡山から宮城まで全国で子育ち実践に取り組んでいる仲間たちの集まりです。
今回はコムケアフォーラム2003のスタイルをモデルにして、バザール型フォーラムをうたっての展開です。
各NPOの展示販売とミニワークショップなどのイベント、そしてシンポジウムと交流会と盛りだくさんの内容です。

私はシンポジウム(正確にはフォーラムです)のコーディネーターとして参加しました。
私のスタイルですから、会場と溶け込んでの気楽な話し合いです。
但し、4人の問題提起者の活動を紹介してもらいました。

テーマはは「子育ち支援の最前線」で、遊・食・読・聴の4つの切り口です。
仙台での児童館で食育に取り組んでいる平本福子さん、
岡山の中学校の図書室で司書として子どもたちの新しい学びの仕組みに取り組んでいる加藤容子さん、
クラシック音楽の子供たちへの出前公演を支援しているトリトンアーツネットワークの児玉貢さん、
そして障害を背負った中高生の放課後生活支援に取り組むアフタースクールの楢原裕子さんが問題提起者です。
いずれも興味ある取り組みです。

その後、参加者全員で話し合いを持ちました。
とても面白かったのですが、その記録は主催者の子育ち学リサーチネット(この名前が好きになれませんが)でまとめると思いますので、また報告します。

最後に話させてもらった私の感想を書きます。
子育ち支援とは、実は私たち大人の生き方を正すことではないかと思います。
それができれば子どもたちはしっかりと育ちます。
今や子育ちを阻害しているのは学校や家庭です。
そこを正さずして、子どもたちは健やかになど育ちません。

そして、子育ちとは、実は親育ちを支援してくれることなのだと思います。
主客は完全に転換しています。
親が子どもを育てる時代は、終わったのです。
いや、私たちの世代がきっと壊したのです。
その反省からスターとしないと、子どもたちとは付き合えません。

3つ目は、食も音楽も本も遊びもすべてつながっているということです。
個別の切り口は必要ですが、その領域にとどまっていたら、問題は解決しません。
まさに「大きな福祉」の発想が大切だと思います。
とまあ、こんなことを少し話ました。


■ 我孫子のYULANの藤田幸子さん
(2003年11月14日)
我孫子にエネルギッシュな女性がいます。
藤田幸子さんといいます。
手づくり散歩市でご一緒しました。
自宅がすぐ近くです。

藤田さんは5年ほど前から、さまざまなボランティア活動を開始しました。
そしてさまざまな学びの場にも参加してきました。
話していたら、私の友人たちともかなり接点がありそうです。
片岡勝さんや澤登信子さんなど、ちょっと話しただけで数名が出てきました。
世間は狭いです。

彼女が自宅はオープンガーデンになっています。
そこにインターネット&パソコン工房もあり、サロンも開催してます。

初めて訪問しました。
そして、藤田さんの思いやビジョンをお聞きしました。
ゆっくり話したのは初めてですが、話し出したらとまらないくらい、思いや情報がつまっています。
藤田さんと話していると、失礼ながら、日本の市民活動のパワーと限界と問題点がよくわかります。
市民活動はどこも問題山積です。
だから面白いのですが。

いつか藤田さんと何かご一緒できることがあるかもしれません。
定年で退職した男性たちが、こうした生活感覚にあふれた女性たちとパートナーシップが組めたら、社会は変わりだすでしょう。


■ 市民共同発電の中川修治さん
(2003年11月2日)
市民共同発電。
ずっと気になっていたコンセプトです。

以前に日本能率協会の環境経営の提言をまとめたことがありますが、
その過程で出会ったのが、アーヘンモデルです。
ドイツのアーヘン市が1995年に開始した、
「市民全体で個人住宅の太陽光発電費用を応援して行く制度」です。
個人発想のエネルギー問題解決のひとつとして、気になっていました。
提言には盛り込めませんでしたが。

最近、あるメーリングリストで、市民共同発電に関するメッセージに出会いました。
その書き手が九州にいる中川修治さんという方でした。
とても魅力的な、ワクワクするようなメッセージでした。
いつかお会いしたいと思っていました。

それに前後して、町田市でさまざまな活動に取り組んでいるおかざきさゆり
さんが、
コムケア活動プログラムに応募したいといって、市民共同発電を組み込んだプロジェクトの相談にやってきました。
実に面白いプロジェクトでした。
残念ながら、最終選考会では参加者には理解してもらえませんでしたが、
まさにコムケア活動の理念を凝縮したプロジェクトです。
おかざきさんが中川さんにお願いして、フォーラムを開催する事になったのですが、
そのおかげで、私も中川さんにお会いすることができました。
中川さんは、会社で仕事をしながらの活動です。
感激しました。
組織にいて、市民活動をする。
それこそが本来の姿だと、最近思い出しています。
私はいち早く、組織から離脱してしまいましたが、その罪悪感が今でもどこかに残っています。

市民の、市民による、市民のための、共同発電所設置プロジェクトについては、
中川さんたちの太陽光・風力発電トラストのホームページをぜひお読みください。
目からうろこがとれますよ。
ビジョンもあれば、リアリティもあります。
中川さんは、町田のプロジェクトにもとても共感してくれています。
これからの岡崎さんたちのプロジェクトが楽しみです。
私もどこかで荷担していきたいと思っています。

■ 環境・福祉・平和に取り組む人たちの交流会(2003年11月2日)
中川さんにお会いしたのは、岡崎さんが主催した、町田の集まりです。
町田の社会福祉法人コメットが運営しているトマトハウスで開催されました。
この空間はすばらしくいいです。
入り口にさまざまな市民活動のチラシが置いてあります。
こうした場であれば、人のつながりはどんどん深まります。

「エネルギーを考える」という集まりだったので、
中川さんの話があるのかなと思っていましたが、
参加者同士の話が盛んで、全体の話が実現しませんでした。
しかし、そのおかげで、さまざまな人と出会いました。

コムケア仲間の野田さん(GOWA)も参加されました。
そこで市民福祉サポートセンターの小竹雅子さんを紹介してもらいました。
「市民による、市民のための、市民の福祉を市民発で創っていきたい」というのが、小竹さんたちの思いです。
アースキッズの小澤祥司さんにも出会いました。
「メダカがいなくなった」と話題になったことがありますが、その火付け役です。
まさかこんなところでお会いできるとは思っていませんでした。
小澤さんは、「環境も福祉も平和も、すべて同じだ」と言いました。全く同感です。

それにしても、奇妙な集まりです。
紹介もなく、それぞれが勝手に料理を食べながら話しています。
それもトマトハウスという空間のおかげでしょうね。
こんな空間がほしいです。

■ ソフトエネルギーパス(2003年11月2日)
町田の集まりで、
自然エネルギー事業共同組合レクスタの角田和仁さんと
NPOソフトエネルギープロジェクトの坂本勇夫さんとも出会いました。

私も東レ時代に、エネルギー問題にはかなりの関心がありました。
エイモリー・ロビンスの「ソフトエネルギーパス」という本に出会った時は感激しました。
エネルギーは産業の話ではなく、生活の話なのだと気がついたからです。
農業もそうですが、エネルギーも、いわゆる産業とは別の論理で考える必要があると感じました。
しかし、そこから先は手が出ませんでした。
一応、会社ではそれなりの事業提案はしましたが、提案で終わってしまいました。
そのソフトエネルギーの分野で活動されているお二人にお会いできたのはうれしかったです。
私が頭だけでアレコレしている間に、みんなきちんと行動しているのです。
自宅建設時に太陽発電を取り入れなかったのは不覚でした。

食とエネルギーの自立ができれば、人の生活は安定しますね。
そして、エネルギーはあまねく天から授かっているのです。個人が、です。

翌日の夜、ネットでソフトエネルギーをいろいろと調べてみました。
実にさまざまな実践が進められています。驚きました。
エネルギー問題にも、また好奇心が動きだしました。
電力会社も、そろそろ役割を終えつつありますね。
小澤さんの新著「コミュニティエネルギーの時代へ」(岩波書店)は、面白そうです。

■ ローカル・ジャンクション21(2003年11月4日)
久しぶりのローカル・ジャンクション21です。
といっても、私が最近、なかなか参加できずにいるだけで、
中心者の浦嶋さんと朝田さんは、全国とびまわっています。
なんと私が行けなかった山口県の日置町まで行っています。
ここはコムケアの里の舞台になるところです。
日置族ゆかりの地でもあります。

いよいよローカル・ジャンクション21も本格的に動き出します。
その具体的プログラムとして、風土倶楽部なるものがスタートします。
そのビジョンとスタイルについて意見交換しました。
キャッチフレーズは「風になって土を知ろう」です。
内容はホームページをみてください。
どこかに似たようなのがあると、もしかしたら思うかもしれません。
しかし、全く違うのです。
私が保証します。
入会してみたら、必ず納得してもらえるはずです。
なにしろこの仕組みを構築するために、2人は本気で取り組んできたのです。
子どもたちにいい社会を残したい人、
豊かな老後を過ごしたい人、
おいしい食材が食べたい人、
ともかく皆さん、入会しましょう。
きっと人生が変わります。


■ LIFE−ITS MY STYLE−
(2003年11月4日)
コムケアのイベント支援プログラムに応募してきた多摩大学の学生たちがやってきました。
若手アーティストの発表の場をつくりたいと活動している学生たちです。
企画内容について相談に乗りました。
なぜこうした活動に取り組んでいるのか、と質問したら、
アーティストやNPOなど、知らない事に出会えることが魅力だというような答が返ってきました。
大学は学びの場として、たぶん、機能不全に陥っているのです。
それを変えていくのは学生たちです。
一度、学ぶ事の面白さに触れれば、人生は変わります。

ところで、なぜかこういう活動は私の周りにもいろいろとあります。
たとえば、昨日もある若者からメールで、同じような相談を受けています。
彼には仲間で事業型NPOを作ったらどうかと提案しています。
若手アーティストは、その活かし方を真剣に考えるべきです。
発表は目的ではなく、発表を通して何かを実現するビジョンが必要です。
そこに気づけば展望は開けるはずです。

アーティストにとって、実に面白い時代になってきているはずなのですが。

■ 日本理化教育振興協会会長の倉持行良さん
(2003年10月31日)
その道の達人プロジェクト」の件で、倉持さんにお会いしました。
文部科学省が、その事業を日本理化教育振興協会に相談しているためです。
先週も書きましたが、「理科教育を楽しくする」というテーマには興味があります。
「学ぶこと」は本来、ワクワクする楽しいことです。
それが何時の頃からか、退屈なことになってしまったのです。

学ぶことの楽しさを回復する一番の早道は、私は「理科教育」だと思っています。
発見することの醍醐味は学びを好きにさせると思うからです。
私は学校嫌いでしたが、勉強は大好きでした。
その原点は、小学4年の4月のはじめに、近くの池に自然観察にいったことです。
そこでのさまざまないのちとの出会いが私を勉強好きにしました。
あの興奮を子どもたちに味あわせたいです。

倉持さんは、日本理化教育振興協会の会長です。
この協会は、学校の理科教育の振興を目的にした公益法人です。
公益法人ですから、正直に言えばまあ退屈だろうなと思って行きました。
しかし、倉持さんは熱い思いを語ってくれました。
荷担せざるを得ないですね。
協力することにしました。
どなたか関心のある方がいたら、ご連絡下さい。
若い方であれば、ライフワークにしてもいい魅力的なテーマです。
私はちょっと歳をとりすぎているので、無理ですが。


■子育ちフォーラム打ち合わせ
(2003年10月31日)
子育ちといえば、深作拓郎さんです。
昨年に引き続き、第2回のフォーラムをやることになっていますが、その相談にきました。
このフォーラムは、コムケアフォーラム2003 in 東京をモデルにしてくれて、
バザール型フォーラムを標榜しています。
NPO関連のフォーラムは、最近、盛んですが、まあ、私には退屈です。
実態はフォーラムなどとはいえない、形式的なものが多いからです。
こんなことをいうと反発されそうですが、主催者に思いがありません。
はい、言いすぎですね。反省。

子育ちは子育てではありません。
一文字の違いですが、全く違った発想です。
これについては昨年も書きました。
私の発想にまさにぴったりなのです。

お知らせのコーナーに案内を出していますが、このフォーラムも育ちだしています。
コムケアセンターも後援しています。
私は、そのフォーラムのシンポジウムを担当します。
テーマは「子育ち支援の最前線――遊・食・読・聴」です。
皆さんもぜひご参加下さい。


■ 高知県の八木雅昭さん
(2003年10月27日)
今年、2月に高知県の幡多昔むかし祭に行きましたが、
そこでお世話になった、窪川町ボランティア連絡協議会の八木さんからメールが来ました。
手作りでホームページをつくったというのです。
リンクしましたので、皆さんも見てください。
各地でのボランティア活動がどういう形で広がっているのかがよくわかります。

八木さんは長く郵便局に勤務されていましたが、
今年4月、郵政公社発足の日に退職され、
これまでも続けてきたボランティア活動に専念することにしたそうです。
来年4月には、過疎地を抱える高知県西部の12市町村を対象に、
NPO法人「高知県西部NPO支援ネットワーク」を発足させようと、健闘されています。
私自身はこうした地域に足つけた素朴な活動が見直されるべきだと思っています。
それこそが「家庭力」「地域力」を回復する原点ですから。

なお、11月11日〜19日の間、隅田公園リバーサイドギャラリーで、
八木さんの町、窪川町をテーマにした「四万十くぼかわ展」が開催されるそうです。
よかったら見に行ってください。


■ その道の達人プロジェクト
(2003年10月22日)
島津理研器械の前沢進さんがやってきました。
10年以上前にお会いしたことがあるのですが、今回は意外な相談です。
理科教育の復活です。実にワクワクしそうなテーマです。

島津と言えば、ノーベル賞の田中さんを思いだしますが、全く関係はありません。
文部科学省が「その道の達人」を全国の学校に派遣するプロジェクトを始めるようです。
そのプロジェクトの進め方に関しての相談です。
時間があれば、そのコーディネーターを引き受けてもいいのですが、いまはちょっと精神的な余裕がありません。

こうした動きは、いろいろと動いています。
コムケア仲間のキーパーソン21もそうです。
こういう仕組みは、現場感覚を持った市民が始めて、ほどほどの成果をあげだすと、なぜか行政が出てくることが多いのです。
そして、仕組みを表層的に制度化してしまうのです。
最初はうまくいくのですが、心の入っていないものは変質します。
このプロジェクトもそうならないようにしなければいけません。
そのためにも、ちょっと関わろうかなとも思います。
迷っています。少し考えさせてもらうことにしました。

■ エスクの名木純子さん(2003年10月23日)
市民が苦労して創出したノウハウや構想を行政が取り込んでしまった典型的な仕組みがエスクの子育て支援の仕組みです。
子育て支援センターのモデルになったものです。
30年前からこの活動に取り組んでいる名木さんは、実にすごい人です。
どうすごいかは簡単には書けませんが、思いとビジョン、実行力と持続力、信念と創造性をもった方です。私と同世代です。
名木さんから久しぶりにお会いしたいと連絡がありました。
10年以上の久しぶりに、エスクを訪ねました。

話が弾みすぎて、あっという間の3時間でした。
エスクも今、曲がり角のようです。
これまで蓄積されたノウハウを集大成して、社会の財産にしていきたいと考え出しています。
それをもっと行政にも社会にも活用してほしいからです。
現場の活動をしっかりとやっているエスクに蓄積されているノウハウはすごい資源です。
しかし、それをデータベース化し、生きたシステムにしていくためには、1000万円を超える資金が必要です。
厚生労働省が保育関係に垂れ流している予算の一部をここに投じてくれれば、実効性の高い仕組みができるでしょうが、
残念ながら、行政はそういうことには資金を出しません。

子育てに関心のある資産家で、お金を出してくれる人はいないでしょうか。
たかだか2000万円あればいいのです。
このプロジェクトにも関わりたくなりましたが、今回はグッとこらえました。
お金がなくても、名木さんの思いが実現できる仕組みを考える応援をしようと思います。
何か名案はないでしょうか。
関心のある人、ぜひ参加してください。


■ 館山のふぁっとえばー秋山岩生さん
(2003年10月11日)
近くまで来たので館山まで足を伸ばし、ふぁっとえばーの秋山さんを訪問しました。
秋山さんは、館山でチャレンジドショップを開いています。

秋山さんは、以前、報告したように、この夏、千葉で開催された、
第9回チャレンジド・ジャパン・フォーラム国際会議の実行委員長という大役をつとめました。
そこから秋山さんの人生が変わっていくと期待していましたが、
残念ながら大きな変化は起きませんでした。残念でした。

この国際会議は、プロップ・ステーションの竹中ナミさんが始めたものですが、
今年は千葉県知事の堂本さんの働きかけもあって、千葉県で開かれました。
しかし、以前も書きましたが、プログラムを見てがっかりしました。
有名人を中心においたプログラムになってしまったので、私には全く興味がなくなってしまいました。
こうしたイベントは、私はむしろマイナスだと思っています。
有名人を集めて、人集めをしても意味がないのです。
当事者に変化を起こさない、教養主義や形だけの国際会議やイベントは、予算の無駄遣いです。
私たちであれば、10分の1で、10倍の効果をあげられます。
第一、その案内書の何と豪華のことか。
その費用の一部をふぁっとえばーに寄付すれば、現実に動きを出せるのに、これでは税金の無駄遣いです。
「堂本さん、あなたもか!」です。
現場感覚というものが全く分かっていません。
改めて失望しました。

最近のこうした風潮には悲しい思いがします。
コムケアもそうならないようにしなければいけません。
そういう思いから、私が主催する会には、いわゆる有名人は呼んだことはありません。
内容のある人(有体人)を呼ぶのですが、多くの人は残念ながら、名前で集まってきます。
実体のない人は、実体のない人にあこがれるのです。

秋山さんは、来年3月26日に館山で地に足つけたフォーラムを開催します。
何かできることがないか考えているのですが、なかなかみつかりません。
できるのは南房総地区にいる、障害のある行動者を紹介することです。
みなさん、どなたか知り合いはいませんか。
南房総では、まだ障害のある人は社会に出てきにくい環境があるようです。
その風土の中でがんばっている秋山さんに応援したい人はご連絡ください。


■ 日本エリクソン・クラブ代表の北村雅子さん
(2003年10月2日)
私の出身高校は都立西校です。
その卒業生のメーリングリストがあります。
私は同窓会が好きではありません。昔話が嫌いだからです。
新しい創造的な話にしか、私には興味がないからです。困った性格です。
ですから、同窓会やメーリングリストには、あまり参加しません。
しかし、時にはメーリングリストに書き込むこともあります。
そのメールを見て、同期生から連絡がありました。思い出せない名前でした。

北村雅子さん。
日本エリクソン・クラブの代表です。
高校では同級担ったことはないそうです。思いだせないはずです。

エリクソンといえば、私の人生を変えた、アイデンティティ論者のエリクソンか、
とちょっと早とちりしましたが、ミルトン.H.エリクソンでした。
米国の独創的な心理療法家だそうです。
不勉強で知りませんでした。調べて見たら、実に興味深い人です。

日本にも1980年代から催眠を中心とするエリクソンの治療法が紹介され始めれたそうですが、
エリクソンの魅力に取り付かれた人たちが、日本におけるエリクソン催眠・心理療法の普及、促進を図る目的で創設したのが、
日本エリクソン・クラブです。
北村さんは、現在その会長です。

北村さんの相談は、この活動を発展させるために、組織をNPO法人にしたほうがいいか、どうしたら法人化できるのかという相談でした。
よくこういう相談を受けますが、私の答はいつも決まっています。
本当に活動がしっかりしているのであれば、法人化の必要はない、ということです。
今の体系では、これまでの社会の枠組みにからめとられるだけかもしれません。
むしろ大切なことは、活動の実質的展開のプログラムです。
法人信仰や体制依存精神は捨てなければいけません。

北村さんに、そろそろ専門家中心の活動ではなく、
広く社会にメッセージを送り出すような、公開フォーラムを開催することを勧めました。
きっと来年には、開催されるでしょう。また案内させてもらいます。
心理療法の世界もどんどん変わっています。面白いです。


■ NPOカウンセリング
(2003年9月26日)
ビジネスカウンセリングについて書いたので、ついでにNPOについても書きます。
この3週間、さまざまなNPO(市民団体)から、いろいろと相談を受けたり、活動に関わったりしている中で、
昨今のNPOの組織としての危うさと魅力をいろいろと感じています。
おしなべて言えるのは、組織活動の体をなしていないものが多すぎるということです。
昨今のマスコミによるNPOブームのせいではないかと私は思っていますが、組織活動をする時に基本姿勢が不足しています。

私の好きな言葉に、「コンヴィヴィアリティ」というのがあります。
「自立共生」もしくは「一緒に楽しもう」というような意味です。後者は私の勝手な解釈ですが。
イバン・イリイチの言葉です。
私の組織活動のすべてにおいてある思想です。
あんまりうまくはいっていませんが。

市民活動は参加する個人が平等な関係で自発的に動く場合が多いですが、
そうした場合にも組織活動としてのマナーやシステムが必要です。
これまでの組織論は階層構造によって組織活動を律してきましたが、市民組織はそうではありません。
ですから非効率であり、漠然としているのですが、そうした「個人から発想した組織論」はまだ確立されていません。
複雑系の議論の中には、そうしたヒントがたくさんありますが、まだ組織論としてはまとめられていません。
多くのNPOとお付き合いして感ずるのは、組織発想の未熟さです。
相談のほとんどがそれに関わっています。
資金調達の難しさも良く言われますが、そんなことは瑣末な話です。
これに関してはメッセージで書くようにします。
フランス市民革命やソビエト革命が、恐怖の独裁制を生んだのも、きっと新しい組織論が創出できなかったからではないかと思っています。
NPOの動きには、個人の時代の組織のあり方を考えるたくさんのヒントがあります。
企業の人も関心を持つといいと思います。


■ ゆめコープの湊岳美さん
(2003年9月17日)
湊さんからも元気をもらいました。
湊さんは昨年のコムケアの選考会に参加し、私の話を聞いてくれたそうです。
その時の話に、「愛」を感じてくれたそうです。
とてもうれしいことです。
その時の話に関しては数人の人から共感をいただいていますが、こんなにうれしいことはありません。

コムケア活動の基本は「愛」です。
私は参加してくださったほとんどすべての団体や担当者の方に、「愛」を感じています。
それがなければ、やっていけませんし、それがあるからこそ、ここまでのめり込めるのです。
しかし、いままで「愛」と言う言葉を使ってくれた方はいません。

湊さんはともかく私と話したくなってやってきたといいます。
今、ある悩みがあるらしいのですが、そんなことはきっと瑣末なことです。
誰かと無性に話したという事はだれにもあります。
最近はそうした仲間や場が少なくなってきているのです。
そうした場、コモンズを回復しなければいけません。
大人にも子どもにも、コモンズがなくなったのです。
社会の悲惨の事件のほとんどが、それに起因していると、私は考えています。
心を通わせる友がいれば、人は素直に生きられます。

湊さんは生活協同組合神奈川ゆめコープで、
コムケアと同じ理念の市民活動資金助成プログラムを開発し、展開してきました。
わくわく創造パートナーズです。
手づくりを感じさせる素晴らしいプログラムです。
今年は手を離してしまったようです。
魔がさしたのでしょう。新しい仕組みはきちんと育つまで手離ししてはいけません。
そう彼女に言ったのですが、そこでハタと気がつきました。
コムケアももう少しきちんと育てなければいけないことを。
実は疲れきって、手離しを考えていたのです。愛を忘れていました。
湊さん、ありがとうございました。

■ ホスピタルアート
の始まり(2003年8月12日)
アートの効用を活かして病院を元気がもらえる場にしていこうという思いを持ったコムケア仲間が集まりました。
ホスピタルアートの新しい一歩になる(かもしれない)画期的な集まりでした。

ホスピタルアートについては、以前も書きましたが、
アートセラピーとアートを活かした空間設計を組み合わせて病院を気持ちのいい場にしていこうという動きです。
日本ではまだ余り広がりを見せていません。

その一つの理由は日本の医療制度にあるのかもしれません。
理念に乏しい国民皆保険の中で、病院が経済原則で経営されすぎているところに問題がありそうです。
本来は福祉と経済は対立する概念ではなく、相乗効果を期待できるはずですが、
「環境と経済」と同じように、今の社会では別々の論理で考えられているために、
おかしな「医療経済学」が跋扈しているのです。
経済学者も医療専門家も、ビジョンから発想してもらいたいものです。

それはともかく、新しい物語が始まりそうです。
ヘルスウォッチの田中園美さん(旧姓石井)
花音の吉田高子さん
WAPの高橋雅子さんと西村佳子さん

それに葛飾CATVの安藤千賀さん、
コムケアセンター
の橋本典之さんと私です。

話の内容はコムケアセンターのホームページに西村さんが報告してくれますので、それに譲りますが、
要は「気を吸い取られるような今の病院」から「行くだけで元気になってしまうような病院」に変えていきたいということです。
もしそれができれば、イバン・イリイチの脱病院化社会が実現できます。

医療制度を学ぶ会の発足を考えていましたが、
もっと楽しく、「病院をもっと楽しい場にする会」(仮称)を発足させようかと考え直しだしました。
ご関心のある方はぜひご連絡ください。今度こそ、何らかの形で動き出します。


■ 知的障害者授産施設どんぐりパンの岩森小百合さん
(2003年8月7日)
今日は大忙しの日でした。3つのNPOの方にお会いしました。

まずは東京の多摩市で授産施設に取り組んでいる、どんぐりパン
岩森さんです。
現在は手作りパン作りに取り組んでいますが、新しい事業の柱として、さをり織りへの挑戦を考えています。
その相談にお見えになりました。

先日、ここで紹介した多摩大学コミュニティビジネス研究センターの大川新人さんの紹介です。
彼もこの活動を応援しはじめました。

「さをり織り」は、簡単な機織り機を手足で操って、作り手の思いのままに平織りにするもので、特別な織り方をするものではありません。
自分で好きな糸を選び、好きなように織るのが特徴で、その自由さから全国の養護施設や障害者施設で行われています。

岩森さんは知的障害者の人たちに、このさをり織りを楽しんでもらうと共に、
それをファッション関係の専門学校の生徒たちに応援してもらって製品にしていこうというのです。
とても楽しみなプロジェクトです。

各地の授産施設は経済的には極めて厳しい状況ですが、
ちょっと仕組みを変えて行く事でさまざまな可能性がひらけていくはずです。
これが私の考える「大きな福祉」です。
どんぐりパンの今後に期待したいと思っています。

■ 大蓮寺・エンディングを考える市民の会の田中いずみさん(2003年8月7日)
ホームページでコムケア活動を知ってもらい、連絡してきたのが田中さんです。
大蓮寺・エンディングを考える市民の会の事務局長です。
大阪でエンディングサポートに関わる活動を展開しはじたところだそうです。
コムケア資金助成プログラムに応募したいので相談にのってほしいと、
私が名古屋に行くのを知って、わざわざ名古屋まで来てくださいました。
フットワークのよさは思いの深さです。

「エンディング」。人生の終わり方。
皆さんはどういう受けとめをしますか。
正直に言えば、私は「ドキッ」としました。
そうした問題を今、自分で抱えているからです。
半年前であれば、頭だけで考えられたでしょうが、今は厳しすぎて素直には受け入れられません。
しかし、言うまでもありませんが、とても大切なテーマです。
3か月前までであれば、私もかなり入り込みたくなるテーマです。

田中さんたちの活動はまたいつか紹介できると思います。
とてもいい活動ですし、大阪とはいえ、きっと何か接点ができるでしょう。
もしご関心のある方は同会のホームページをご覧下さい。

さて、エンディングです。
女房が胃がん宣告を受けた時に、私は友人にアドバイスをもらいました。
一番衝撃的だったのは、「生き方ではなく、死に方を考えることです」といわれたことです。
理屈ではよくわかりますが、この言葉は私の気持ちを萎えさせました。
もちろん、善意からのアドバイスなのですが、立場によっては残酷な言葉です。
この体験から、私もこれまで言葉の間違いをたくさんしてきたことに気づきました。
以来、エンディングという言葉が私の中では禁句になっていたのです。
そのために、ついつい田中さんには余計なコメントをしてしまったかもしれません。
すみません。

私は輪廻転生を確信する人間です。
ですから今生のエンディングは次の物語の始まりです。
そして、ある人のエンディングは実は様々な始まりを引き起こしてくれることも確信しています。
田中さんたちは「エンディングの社会化」といっています。とても共感できます。
そうした発想で、エンディングに代わるいい言葉はないでしょうか。

卒業式は英語で卒業式はcommencementといいますが、
これは始まり(beginning)と言う意味でもあります。
そんな言葉がみつかるといいですね。

言葉にはこだわりを持てと言った林川さんを思い出しました。

■ DVとCAPの河合容子さん(2003年8月7日)
名古屋の河合さんと知り合えたのもコムケア活動でした。
河合さんはフェミニストサポートセンター・東海の事務局長でした。
河合さんたちが取り組んだ、ドメスティックバイオレンスに関わるプロジェクトをささやかに支援させてもらったのです。

河合さんの関心事は「暴力」のようです。
河合さんはフェミニストサポートセンター・東海のほかにも、
CAPかざぐるまの代表として、
CAP (虐待や暴力から子どもを守る運動)の活動にも取り組まれています。
つい最近、愛知県知事との懇談会での呼びかけ(河合さんが原稿を書きました)が知事を動かし、この活動も新たな展開がありそうです。
思いは、いつの時代も人を動かす力を持っています。

河合さんは、私が「ただのおじさん」であるように、「ただのおばさん」です。
しかし、どこかに深い思いを感じさせる人です。
名古屋のコムケアフォーラムの会場までわざわざ会いに来てくれました。
とてもうれしいことです。
どこに行っても、私にはコムケア仲間がいるのです。
コムケアにのめりこんだおかげです。

「暴力というものが日本ではなかなか理解されない」と河合さんはいいます。
同感です。
私も一応は若い頃に、ガンジーの非暴力主義やヨハン・ガルトゥングの構造的暴力論に感動した一人です。
暴力の日常化をむしろ加速させている現在の政治や行政、さらには司法や経済の動きに何も出来ずにいる自分が残念です。

「平和のためにできること」をよびかけだしたところですが、河合さんとお話して、もっと何かできるだろうと思い出しました。
探してみます。


■ コーポレートシチズンシップと田中弥生さん
(2003年7月29日)
田中弥生さんが東大の助教授になるそうです。
今日はその報告に来てくれました。

彼女との出会いは、もう14年くらい前になりますが、私にとってはその出会いから始まった物語がたくさんあります。
最初の出会いは「コーポレートシチズンシップ」です。
当時、彼女は笹川平和財団で、コーポレートシチズンシップ、今で言えばフィランソロピーとかメセナ、あるいは企業の社会貢献活動の考え方を日本に定着させたいと考えていました。

私も会社時代から、そうした事に関心を持っていました。
コーポレートシチズンシップは1960年代に米国で話題になり、当時、日本でもわずかに紹介されました。
しかし、その時はほとんど話題にはなりませんでした。
概念だけだったからではないかと思います。
とても残念に思っていました。
田中さんは欧米の実例を丁寧に調べて、報告書を作成していました。
それを本にしたいと相談に来たのです。
私の関心事だったのですぐ応援する事にしました。

その本は講談社から出版されました。
「コーポレートシチズンシップ」です。
とてもいい本だったと思いますが、あんまり話題にはなりませんでした。
しかし、コーポレートシチズンシップ概念と田中弥生さんは広く知られるようになりました。
彼女の功績は大きいです。
最初の一歩を踏み出す勇気と苦労を評価します。

ところで、概念だけでは退屈なので、何か実践的な提案をしようということになりました。
そこで選ばれたテーマが保育園です。
今でいうソーシャルベンチャーですが、チームを組んで構想を練りました。
駅型保育園です。今でこそ広がっていますが、当時は誰も評価しませんでした。

そのプロジェクトでたくさんの保育関係者に出会いましたが、それ以外にもいろいろな出会いがありました。
そこから始まった物語も大きく広がっています。
まあ書き出すときりがありません。

田中さんの大学での活躍が楽しみです。
彼女のNPOに関する本は以前、ブックのコーナーで紹介しました。よかったらお読みください。

そういえば彼女はドラッカーの愛弟子でもあります。私はドラッカーは好きではありませんが。

■ 非営利・協同法人制度
(2003年7月23日)
公益法人改革に伴うNPO問題に真摯にして果敢に取り組んでいる浜辺哲也さんから、「非営利・協同法人制度」(草案)なるものが送られてきました。
浜辺さんの研究と実践のエネルギーにはあっけにとられるばかりです。
浜辺さんがメールで次のように書いてきました。

「佐藤さんのコムケア、コモンズの考え方は、NPOよりもむしろ協同組合型の活動で、自分も持ち出すけど貢献度に応じて分配も受けるということに主眼があるのではないでしょうか。ですから、人の善意に一方的に頼るのもよくないし、寄付金の出し手と受け手に別れるNPO的な世界はしっくりこないのかなと思ったりします」

まさにそうなのです。
ここま
ではうれしいだけの話ですが、つづけて、

「NPO法人も協同組合も同じ池の中を泳いでいる魚なので、どちらか一方だけをクローズアップするのはおかしいと思います」

と書かれています。
最近、公益法人改革オンブズマンのメーリングリストに反応していないので気が引けます。

浜辺さんはそこで、「非営利・協同法人制度」を検討しだしたのです。
その草案が送られてきました。
これについてはまもなく
公益法人改革オンブズマンのホームページに掲載されるでしょう。
またご案内します。

もっとも私はいろいろ異論があります。
それについては浜辺さんに送りましたが、まずは「非営利」という言葉がキーワードになることへの気持ちの悪さです。
大切なのは「利益」とは何かですね。それを一括して否定するのは気に食いません。
草案が発表されたら、浜辺さんへの返信も掲載します。

浜辺さんたちの精力的な活動を、ぜひホームページで見てください。
公益法人改革オンブズマンのホームページ



■ ホスピタルアートに取り組む高橋雅子さん
(2003年7月16日)
ホスピタルアートは、日本でも少しずつ広がってきている概念です。
私も関心を持っていましたが、具体的に考えたことはありませんでした。
最近の3か月の病院通いで、病院の空間の設計が間違っているのではないかと改めて痛感しました。
今の病院は「気をとられる空間」になっています。
しかし、病院こそ「気を育てる空間」でなければいけません。
医療の世界がパラダイムを変えなければいけないように(医学オリエンテッドから看護オリエンテッドへ)、
医療空間もまた、その設計パラダイムを変えるべきではないかと思います。
それに向けてのひとつのアプローチがホスピタルアートかもしれません。

時々、登場するワンダーアートプロダクションの代表の高橋さんが、いま、ホスピタルアートを広げていきたいと情熱を燃やしています。
相談にやってきました。
高橋さんはとても広い視野で、病院をもっと人間的な豊かな空間にしたいと考えています。
高橋さんたちが進めているホスピタルアートの企画書には次のように書かれています。

「私たちは、医療施設が患者の身体と共に心も癒す場となり、
地域社会にさらに親しまれる環境となるために、
アートを通じたさまざまな支援活動を展開しています。」

高橋さんたちはアートや環境教育などに焦点を当てた、ワークショップなどでは多くの実績を持っています。
先週もジャック・モイヤーさんと一緒にすばらしいイベントを開催されました。
アーティストたちとのネットワークも広いですし、ハードとソフトの空間デザインもお得意とするところです。
そのノウハウを病院に展開していきたいと考え出しているのです。
コムケア仲間にも、関心を持ってくれる人たちがかなりいそうです。少しずつ私も声をかけて以降と思っています。
ご関心のある医療関係者の方はぜひご連絡ください。高橋さんをご紹介します。

また動きをご報告できればと思っています。

■ 都市型ボランティア活動に関する研究会(2003年7月16日)
明治学院大学社会学部付属研究所が主催する研究会です。
コムケア仲間のみなとネット21の高橋佳代さんからお誘いがあり、よくわからずに参加しました。
参加する前に前回の議事録を読ませてもらいましたが、
議論のやりとりに現場感覚が感じられなかったので、また頭だけで考えている人たちの知識交換会だと勝手に思っていました。
たとえば「力のない市民は行政と対等に協働することはできない」などという発言があるのです。
まちづくり活動や市民活動を全くしたことのない人の発想です。
目線が高く、市民社会とは全く違うところに視座があります。
こうした発想の人がNPO業界やまちづくりを駄目にしていると実感している私としては、これはちょっとでかけていって、現場活動をしなさいと言おうと思ったのです。
参加してみて、私が間違っていたのに気づきました。
20人くらいの参加者がありましたが、ほぼ全員が港区在住の実践者たちです。
みんな実にいい活動をしています。
感動しました。先入観で議事録を読んではいけません。
研究会という名前に惑わされたのかもしれません。

しかしここでもまた、物議をかもす発言をしてしまいました。
ボランティアは奉仕だという発言に私がひっかかってしまったのです。
社会貢献とか奉仕とか、自分で言う人がいますが、私はそうした人や会社の誠意を信じません。
もちろん活動自身は評価しますが、人間としては信頼できません。
なんという目線の高さか!と思ってしまうのです。
私の性格が悪いのかもしれません。

ところがです。
赤十字奉仕団の岩間貞子さんから、私は奉仕という精神で30年間、取り組んでいると指摘されました。
30年以上、地元で民生委員もされているそうです。
とても素直に「奉仕」という言葉を使われています。
こうした活動をされている方から「奉仕」という言葉を聞かされると、もしかしたら「奉仕」という言葉でいいのではないかと思ってしまいます。
やはり現場で汗をかいている人は「言葉」を超えているのです。
というよりも、私自身が頭で考えて「奉仕」に拒否反応しているのかもしれない、などと思ってしまいます。
私はともかく、現場の人にはいつも頭が上がらないのです。

日本語ボランティアネットワークの林川玲子さんは、私の発言にエールを送ってくださいました。
林川さんは日本大学総合科学研究所の日本語教育の助教授でもあります。
日本語の専門家から「言葉は大切です」といわれると、そう簡単に宗旨変えしてはいけないとも思います。
どうも主体性がなくて困ったものです。

いずれにしろ、こうした基本的な議論が、実践者であればこそ、本当は必要なのだろうと思います。

奉仕論ではあんまり賛成してもらえなかったですが、生活福祉ネットワーク代表の柳川素美代さんの姿勢には感動しました。
循環型福祉のまちづくりに向けて、地に足つけた活動をしています。
自らの生活に立脚した、しっかりした活動をされているのが発言の端々から伝わってきました。
議事録とは全く違った印象の、とてもいい研究会でした。

しかし、私にはかなり場違いでした。
なぜなら、みんな港区在住の方々がまさに生活につながるボランティア活動をしており、その実績を踏まえて発言しているからです。
よそ者の私には本当の意味で議論に入れないところがあります。
よその地域での まちづくりの仕事でいつも感じる寂しさを、ここでも感じました。

面白かったのは、同じ港区でも三田と芝は違うという話です。
この話は実に興味深かったです。

やはり生活のにおいがする活動は感動的です。
港区で時間を費やす暇があるのなら、やはり私は地元の我孫子市で時間を使うべきです。
都市型ボランティアというテーマにはとても興味があり、引き続き参加したいのですが、
私自身が観察者的にならないために、これからの参加は辞退すべきかと思っています。
かなり残念ですが。

ちなみに、次回は8月28日の夜です。
テーマは「都市における地域コミュニティ復活を考える〜今どうなっていて何が必要か〜」です。
魅力的なテーマなのでまた足がむきそうです。いやはや。
ご関心のある方は事務局に伝えますので、ご連絡ください。

■ ふぁっとえばーの秋山岩生さん
(2003年7月3日)
秋山さんのことは何回か書きこんでいますが、障害を持った人たちが働く会社づくりに取り組んでいるチャレンジドです。
ご自身も障害をお持ちです。
今年の8月、千葉で第9回チャレンジド・ジャパン・フォーラム2003国際会議が開催されます。
秋山さんは、その実行委員長に選ばれました。
うれしいことです。
このフォーラムは、言わずと知れた竹中ナミさんのフォーラムです。
堂本知事も積極的に取り組んでいます。
フォーラムの概要は、プロップステーションのホームページをご覧下さい。

私は現場から離れた行事にはあまり関心がありませんが、
秋山さんがこのフォーラムの実現にかなりご尽力されていますので、応援しています。
ただ、そのプログラムには正直あまり興味はありません。
私の興味は、こうした大きなイベントを県はどう活かしていくかです。
イベントとして取り組むだけではほとんど意味はありません。
イベントは手段です。

とてもうれしかったのは、秋山さんがこのイベントを契機に、ふぁっとえばー活動をまた一歩前進させようと考えていることです。
来年3月に、現場に繋がる人たちでのフォーラムを開きたいというのです。
これは協力せざるをえません。
具体的に動き出したら、またご案内します。

それにしても秋山さんはいつも精力的です。見習わなければいけません。
逆境はプラスに転ずる。
それが私の生き方だったことを忘れていました。

■ 銀色応援団の吉田高子さん
(2003年6月4日)
「介護」の概念も、どこから考えるかで全く風景は変わってきます。

銀色応援団については以前書きましたが、コムケアフォーラムへの出展の相談で、吉田さんがやってきました。
銀色応援団は事業型NPOを目指しています。
私が考えている、現場起点の「福祉活動の再編集」に実践的に取り組んでいるグループです。
順調に育っているようでうれしいです。

吉田さんたちは、今、福祉に関わる人たちの「教育」の問題に取り組もうとしています。
来週のコムケアフォーラムでその構想を発表するそうです。
ご関心のある方はぜひフォーラムに来てください。吉田さんたちをご紹介します。

私はすべて「人が実体を作り育てる」という認識の持ち主です。
関わる人たちの意識と行動が実体を決めていきます。
企業も福祉もまちづくりも、そうです。
人を育てる事の大切さはみんないいますが、実際にそこにエネルギーや資源を投入する組織は少ないです。

日本は「人を育てる文化」を強く持っていたと思いますが、この40年、その文化を壊してきました。
そして、ソーシャル・キャピタルである「絆」や「信頼関係」もまた失われてきたのです。
その流れを反転させなければいけません。

銀色応援団はメルマガも出しています。
ホームページをぜひご覧下さい。
そして、ぜひみなさんも応援してやってください。
社会を変える新しい動きはみんなで応援しないと、育ちません。

■ ユニバーサル・ファッション協会の鈴木淳さん(2003年6月6日)
鈴木淳さんは、ユニバーサル・ファッションへの思いが募って、会社を辞めてしまった社会派プランナーです。
フリーランスとして、さまざまな活動をされる一方で、ユニバーサル・ファッション協会を立ち上げました。
協会は見事に成功し、一時は新聞などでかなり紹介された方です。
ユニバーサル・ファッション協会についてはホームページをご覧下さい。

ユニバーサルデザインが話題になりかけた頃、通産省の五十嵐重雄さんから相談を受けたことがあります。
その時、鈴木淳さんも交えて、ユニバーサルデザインについての意見交換をしました。
鈴木さんと私とはほぼ同じ意見でした。

ユニバーサルデザインにとって欠落している視点は、「楽しさ」とか「表情」ではないかということです。
それから7〜8年たちますが、あまり変わっていないような気がします。
メイスのユニバーサルデザイン原則は、いかにも米国的で私には退屈です。
そんなことは当然の事で、何をいまさらと、私などは思いますし、
まるでマグドナルドの素人店員の接客マニュアルのようで、寂しい気もします。
もっと刺激的で人を元気にするデザインがほしいです。

ユニバーサル・ファッション活動は鈴木さんたちの尽力で成果をあげましたが、
さらにもう一段進化させていくために、鈴木さんはある構想をお持ちです。
今日はその相談にやってきました。
とても面白そうな話です。
但し、これまでの発想の延長で捉えると退屈なものになりかねません。
大切なのは、ビジョンとコンセプトです。

そこで久しぶりにまた、ユニバーサルデザイン論になりました。
介護支援からバリアフリーへ、そしてユニバーサルデザインへという「言葉の変遷」がありますが、
そのベクトルで考えていると、ユニバーサル・ファッションもおもしろくはありません。
それは目線の高い作り手の発想であり、機能価値を提供するだけに終わりかねません。

問題解決からではなく、社会のあり方(私の言葉では「大きな福祉」)から考えていくと、たぶん、ユニバーサルデザインやユニバーサル・ファッションの概念が変わってきます。
そもそも「ユニバーサル」という言葉が適切ではなかったのかもしれません。

何か、難しい話になってきました。すみません。
要は、「ものを作る人」と「社会に生きる人」との視点の違いを書きたかったのですが、
そこまで書くにはこのコーナーは短すぎますね。機会を改めます。

■ 若者たちのエネルギー(2003年5月22日)
来月14日に開催するコムケアフォーラムの手伝いをしたいと
サンシャイン福祉保育専門学校に通っている学生たちが大挙してやってきました。
コムケア仲間のアフタースクールの楢原裕子さん(増山さんのCWSフォーラム投稿に登場しています)が紹介してくれたのです。
うれしいことです。
手伝いを得たことももちろんですが、楢原さんの心遣いに感謝します。
コムケア活動は、そうした支えあいの輪を広げようとしています。

アフタースクールの楢原さんと斎藤さんに引きつられて、5人の人がやってきました。
河野さん、吉原さん、小林さん、志村さん、久保崎さんです。
みんな社会福祉士を目指しているようです。

みんな意欲的です。
こうした若者が増えていることが、いまのマスコミからはなかなか見えてきません。
感度の悪い記者が取材しているからかもしれません。
人は自分の世界でしか、世界を見られないのです。
若者たちと話していると、元気が出てきます。

ちなみに、河野和子さんは「劇団暁座」(ぎょうざ)という、
障害を持つ人たちと一緒に、ノーマライゼーションを理念に掲げた劇団のメンバーです。
この劇団も応援を求めています。
ホームページをぜひ見てください。

企業の世界に限らず、若者たちは時代をしっかりと見据えて、社会をよくしようとがんばっています。
大人たちの生き方は、それに比べると哀しいほどに貧しいように思います。
みなさん、新しい一歩を踏み出しませんか。
ちょっと生活を変えるだけで、風景は変わります。

■ NPO人材アカデミーの大森淑子さん(2003年5月7日)
教育問題を考える活動で知り合った大森さんは、大学生たちの就職活動を支援するために、学生と企業の「就職のミスマッチ」を解消する活動に取り組んでいます。
一昨年、大森さんの主催する学生と企業人とのワークショップに参加させていただき、大森さんの思いの深さと行動力に触れさせていただいたことがあります。

大森さんは、昨年、体調を崩されたのですが、自宅療養しながら活動を継続、今年は「人材ネットラーニング」という新しいプログラムをはじめました。
ここでは、昨今の状況を踏まえて、リストラによる求職者のキャリアップや、企業内教育ではカバーしにくいビジネスの基礎教育分野での社員教育も対象にしています。
詳しくは、NPO人材アカデミーのホームページをご覧ください。

企業は人なり、と良く言われますが、日本の企業からは人を育てる姿勢が年々弱まり、今はその極にあるように思います。
財界の学校教育への関心も、相変わらず短視眼的で、浪費的です。
これは自滅の道としかいいようがありません。
いまや日本には見識のある財界リーダーはいないのでしょうか。
学ぶ喜び、働く喜びを創れない中からは、人はなかなか育ちません。

■ 福祉施設で働く橋本典之さん(2003年4月22日)
ソシオ・ビジネス研究会で出会った橋本典之さんがやってきました。
福祉の世界で体験を積みながら、ソシオ・ビジネスに取り組みたいと考えているようです。
こうした若者が少しずつでしょうが、増えています。
筑紫野市の梅川さんや針さんもそうでした。

橋本さんには、しばらくコムケア活動にも関わってもらうことにしました。
コムケアの場は、見方によっては宝の宝庫です。
すばらしいネットワークが育ちつつありますし、さまざまな情報が集まっています。
問題はそれをどうやって活かすかです。
橋本さんの目で、その活かし方が見つかることを期待しています。

■ 市民活動助成担当者交流会
(2003年4月11日)
日本NPOセンターが中心になって、財団や企業やNPOの助成プログラム関係者の交流会が開催されました。
10を超すプログラムの関係者やプログラム・オフィサーが集まっての、クローズド・コンファレンスです。
朝の10時から午後6時までの長い会議で、公式の会議が不得手な私としてはかなり疲れました。

私もコムケアプログラムの紹介をするために参加しました。
コムケアは、これまでの助成プログラムへのアンチテーゼのメッセージをこめて取り組んでいますので、他のプログラムとはまったく違うという自負がありましたが、他のプログラムのお話を聞いていて、プログラム・オフィサーの思いはそう変わらないことにホッとしました。
と同時に、もう私の役割は終わったかなとも思い出しました。

会議では「社会貢献」という、私の嫌いな言葉が何回も出てくるのには辟易しました。
もっとも私自身も、このテーマで論文を頼まれて書いてしまっていますから、あまりえらそうなことは言えません。
しかし、こうした高い目線からの発想では、健全な市民社会が生まれるはずがないと私は思っています。
社会に貢献すると考えるのではなく、活動や組織の社会性を自覚するというところから発想することが大切です。
つまり、当事者意識(社会を構成しているという意識)を持たずに、社会を対象物として捉えている限り、実態は見えてこないでしょう。

経団連が企業の社会貢献活動の担当者の集まりを開始した頃、そこで、「みなさんは事業では社会貢献していないのですか」と質問をして、場をしらけさせたことがあります。
しかし、何も考えずに「社会貢献」という言葉を使っている企業の担当者は、いまでも決して少なくありません。
そういう人は「社会貢献」作業として捉えているのですが、まさにその考えを見直すことが問われているのです。
これに関しては、以前、何回も書いたり、話したりしてきましたが、なかなか伝わりません。
たとえば、こんなことを1990年に書きました。どう思われますか

交流会の様子はきっと日本NPOセンターのホームページで紹介されるでしょうから、それを見てください。
こうした会がもっともっと開催されるようになるといいと思います。まだまだ「たこつぼ」化しています。

それにしても、公益法人改革騒動を契機になぜか制度議論に巻き込まれだしています。
そろそろまた現場に戻らないといけません。
身体的思考を失うと、私のようにバランス観のない人間は危険ですから。

■ これからのNPOの課題の取材(2003年3月28日)
「社会教育」編集長の近藤眞司さんとライターのとよた啓子さんがやってきました。
雑談だと思っていたら、取材でした。
しかも、テーマは「これからのNPOの課題」です。
コムケアセンター事務局長の私に会いに来たらしいです。
結局、現在のNPOの実態を嘆きあい、しかし可能性を期待する話し合いの場になってしまいました。
記事になるかどうか心配です。

NPOの課題はかなり明確です。
自らを社会のサブシステムと位置づけるか、社会の枠組みを変革するイノベーターと位置づけるかの決断です。
今は前者で動いています。しかも、結局は行政か企業の下位概念として。
また、NPOの定義が「非営利」という、否定的かつ手段的なかたちで行われていますから、
雑多な者が混在しています。これも問題です。
サブシステムで甘んずるのでないとしたら、もっとポジティブな定義をし、理念を与えなければなりません。
今はサブシステムですから、この世界にも利権構造が生まれています。
そうしたことは、今回の公益法人改革に絡めてのNPO論議で顕在化してきたようにも思います。
近藤さんとは、こうした認識で意見が一致し、取材に来たとよたさんにはあんまり適切な回答をしないまま、盛り上がってしまいました。

近藤さんは、社会教育や生涯学習の各地の現場情報を日本で多分一番たくさん集めている人です。
社会編集と言う雑誌の編集部は膨大な情報バンクです。
残念ながらそれが生きていません。
それを活かす仕組みを創ることを前から彼に勧めていますが、これまた人と金が確保できません。
ここにも大きなビジネスチャンスとビジネス資源が眠っています。

■ 企業とNPOの協働に関する議論(2003年3月27日)
住友生命の調査広報部の渡辺さんと岩野さんと、NPOと企業の協働について意見交換をしました。
この二人はコムケア活動のよき理解者であり応援団です。
岩野さんは東京都からの出向ですが、この3月で東京に復職します。
この1年の体験を踏まえて、いわば卒業論文として「企業とNPOの協働」についてレポートをまとめました。
そのレポートも、もし彼女からの許可が出たら、ぜひ皆さんにも読んでほしいと思います。

コムケア活動は住友生命のパトロネ−ジのもとで展開させてもらっています。
この二人のボスが井上小太郎さんという人ですが、井上さんは企業の社会活動に長く関わっている方です。
実に不思議な人です。
NPO学会でも活躍している人ですが、
この人がいたおかげでコムケア活動は自由に、私の思いを展開させてもらっています。

今回は、話がとても大きく広がりました。
私は組織間の協働ではなく、個人の共創関係を基軸にコムケアセンターを自立させていきたいと思っています。
企業とNPOの協働、つまり組織間の関係では、なかなか対等な関係にはなりにくいからです。
ですから、個人の関係を基軸に考えていきたいと思っています。
この考えは、メッセージも含めて、このホームページでの私の基本的な論調です。
ですから、このホームページは冗長で、みんなから付き合いきれないといわれているのですが、個人の付き合いは冗長なものです。
いずれにしろ、これまでの体験を踏まえて、そろそろコムケア活動のコア組織の制度設計に入る必要がありそうです。
どなたかパートナーのなってくれませんか。
ご関心のある方はぜひご連絡ください。

■ 企業とNPOの対話ワークショップ(2003年3月18日)
これもこのホームページで紹介した三井業際研究所の新谷大輔さんの企画したワークショップです。
企業関係者とNPO関係者、総勢40人くらいが集まりました。
テーマ別に4つのテーブルにわかれ、NPOからそれぞれ活動紹介を行い、それを材料にみんなが自由に対話しあうという試みです。
私は「まちづくり」のテーマのファシリテーター役で参加しました。
実際に鎌ヶ谷市で活動しているKAOの会の下田祥裕さん、新宿CANの矢部信明さん、コミュニティネットワーク協会の事務局の山口明子さん、それにホームタウン・ドナー・クラブの渡辺清さん交通バリアフリー協議会の事務局長日田信博さんなどのNPO側参加者と企業関係者がメンバーでした。

1時間くらいの意見交換でしたが、いつものことながら、こうした話し合いの場の大切さを痛感しました。
1時間では、ほんの入り口議論ですが、とてもいい議論が各テーブルで行われていたように思います。

対話ワークショップの後、懇親会が行われました。新しい出会いがいくつかありました。
新しいコムケア仲間にも出会えました。NPO佐倉こどもステーションです。子供たちを中心にみんなでミュージカルをつくって演じようというプロジェクトに取り組んでいます。
ミュージカルでは美野里町の事例もありますが、まちづくりにとってもコミュニティケアにとっても、とても効果的なテーマです。ささやかながらの応援団になることにしました。
大学生の中西則文さんにも会いました。まだ1年生ですが、土曜学校プロジェクトに取り組んでいるそうです。
興味のあるテーマです。
名古屋からパートナーシップ・サポートセンターの岸田眞代さんも参加しました。
まさに企業とNPO、さらには行政のつなぎ役に取り組んでいるNPOです。
同文館から最近、「NPOと企業 協働へのチャレンジ」も出版しています。
コミュニティネットワーク協会の山口さんは、美野里町でチームを組んでいる大月さんの教え子でした。
美野里町のことも知っていました。こういう出会いはとてもうれしいです。

ピースウィンズ・ジャパンの広報担当の佐々木庸子さんにもお会いしました。

このワークショップは、日経の原田さんが取材も兼ねて参加されていました。
原田さんは、コムケアの集まりにも参加してくださっています。
昨今のNPOの動きに関しては、いささかの疑問を持っている私としては、表層的にではない、しっかりした取材に取り組んでいる原田さんのような方に是非とも応援してほしいと思っています。

■ NPOは儲けの仕組み?(2003年3月14日)
美野里町の社会福祉協議会の石川美恵子さんコモンズの横田さんたちを引き合わせました。
石川さんの事は、昨年、紹介しました。
石川さんは茨城県の地域ケア研究会の代表世話人です。

そこで驚くべきことを教えてもらいました。
「NPOは儲けるための仕組み」と考えている人が少なくないということです。
石川さんも横田さんも、そういうのです。私は始めて知りました。
やはり私は現場をまだまだ知らない事を思い知らされました。

そういえば、ボランティア活動している人にエコマネーの話をしたら、
私たちはなにかをもらうために活動しているのではないと怒られたという話も
美野里町の中本さんから聞きました。つながっている話です。

NPOは行政の下請けになったり、企業の逃げ場になっていることは、私も感じていますが、
まさかNPOは儲けの仕組みとは考えられていないと思っていました。
そういえば、最近の公益法人改革でのNPO原則課税に賛成する人も少なくないのですが
、こうした見方が根底にあるのかもしれません。

私は日本のNPOづくりは異状だと思っています。
NPO法策定の時も賛同せず、その後の活動にも全く参加しなかったのは、そのためです。
NPOは市民社会の成熟度にあわせて自然と育ってくるものです。
行政が作るものではありません。
ましてや雇用対策にしてほしくありません。
NPOに雇用の概念を持ち込むことも、私は反対です。
「雇用の場」ではなく「働きの場」でなければいけないと、私は思っています。
社会の構造や発想が変わらなければ、NPOも所詮はレベルの低い企業でしかないからです。

また、誤解されそうですね。
NPO法嫌いの私も、最近はNPOとの付き合いが増えているので、発言には気を付けなければいけません。

■ NPOと企業の対話ワークショップ(2003年3月7日)
三井業際研究所というのがあります。
三井系の企業がグループのシンクタンクを意識して創った組織です。
私はいまから20年位前に(三井系の東レにいました)、この研究所でいろいろな活動をさせてもらいました。

ひょんなことから、そことの接点が出来ました。
新谷大輔さんが、そこでNPOと企業の対話ワークショップを企画したのです。
彼からのメールで、どうやら私たちがコムケアで考えていることと同じ志向であることを感じましたので、協力することにしました。
NPOとの血の通ったつながりという点では、私たちコムケアセンターは日本1だと自負しています。
NPOと企業の打算的なワークショップには興味はありませんが、しっかりした信頼関係を育てる場になれば、私の目指す「コモンズの回復」につながります。

その企画ミーティングがあるというので、突然に参加しました。
まず実験的に3月18日にワークショップを開催するとのことです。
お知らせにご案内
しましたので、ご関心のある方は新谷さんに連絡してください。私にでも結構です。

こうした動きはブーム的に広がっていますが、私には不安があります。
安直な出会いの危険性もあるように思います。
この試みは、新谷さんがかなり入れ込んでいるようです。
若者が入れ込んでいる活動に出会うと、どうも荷担しなければいけないような気になります。
このワークショップに私も参加する予定です。
ちなみに新谷さんは、昨年の福島でのNPOと行政のパートナーシップのフォーラムに参加してくれた人です。
また、生活者の目で政治を考えるサロンの仲間でもあります。

■ NPOやNGOの動きに詳しい田中弥生さん(2003年2月25日)
田中弥生さんは、企業の社会活動やNPO評価などの分野で、様々な新しい風を起こしてきた人です。
NPOに関する著書も何冊かあり、国際協力の分野でも多くの実績があります。
これまでも名前は何回か出てきています。
現在は笹川平和財団から国際協力銀行に出向されています。
私の嫌いなODAの世界です。

久しぶりにオフィスにやってきました。
彼女とゆっくり話すのは年に1回くらいですが、今回は今、話題の公益法人改革をめぐる状況に関して、レクチャーを受けました。
私はNPOに関してもメインストリームから外れたところで活動していますので、彼女からの話はとても参考になるのです。

NPOの世界も、瑣末な人間関係で複雑な構図になっている面もあります。
そうしたことが嫌いなために、私は外れものになっているわけですが、たぶん立脚点が違うのでしょうね。
今回、公益法人改革に少しだけ接点が持てたのは、何人かの友人知人のおかげですが、正直に言えば、やはり少し居心地が悪いです。

田中さんからフィリピンの「NGOによるNGOの免税認証」の話を聞きました。
昨今の市民示威行動やこうした市民主役の仕組みを知るにつけ、日本の社会の不思議さを感じます。
やはり体制依存文化なのですね。
個人基軸の社会にはなかなか変われないのでしょうか。
メッセージ6をぜひお読み下さい。しつこいですが。

そういえば、先日のコムケア交流会で竹永さんが、このことを話してくれました。
メッセージを書いていて、結構むなしいのですが(みなさん、ペイ・フォワードしてくれていますか)、
時折、読んでいて感じていて、行動してくれている人にあうと元気付けられます。

■ 視覚障害者との同行映画鑑賞会(2003年2月2日)
バリアフリー映画鑑賞推進団体 City Lightsは、視覚障害者に映画を楽しんでもらおうという思いで、様々な活動を展開しているボランティアグループです。
 その同行映画鑑賞会に参加させていただき、私も映画を楽しむと同時に、視覚障害者のみなさんとの交流会にも出させてもらいました。
 会場は舞浜イクスピアリで、映画は「ハリーポッターと秘密の部屋」です。

あいにく、とても寒い日でしたが、集合場所の舞浜駅に到着したら、もうたくさんの方が集まっていました。
  私は、初めて参加された飯田清一さんの誘導係という役割までもらえて、楽しい1日になりました。視覚障害者の誘導は、初めての経験です。
 視覚障害者の方に映画を楽しんでもらうために、ていねいな音声ガイドをCity Lightsのメンバーが作成し、それをイヤホンで聴きながら映画の音声を楽しむのです。私も、みんなと一緒にイヤホンを使って体験してみました。なかなか良く出来ていて、画面だけで観るのとは、またちょっと違った楽しみ方ができました。
 音声ガイドを作成する苦労も伝わってきました。この映画はまだDVDでも発売されていないために、みんなで映画館に何回も通ってガイドを作成したのだろうと思います。
 私の隣で、飯田さんが、時々笑い声をあげたりしながら、楽しそうに鑑賞していました。飯田さんは、視覚障害が強まって以来、初めての映画だそうですが、また参加したいと喜んでいました。
 飯田さんにとっては、映画の鑑賞ももちろんですが、こうして様々な人に会うのがもっと大きな喜びのようです。ここでも「人と人をつなげていくこと」の大切さを、改めて実感しました。

City Lightsでは、月に数回の同行鑑賞会や予定していますが、それだけではなく、さまざまなノウハウの開発にも取り組んでいます。
 同会の活動や鑑賞会などの案内は、同会のホームページをご覧下さい。
 そして、ぜひまわりの視覚障害のある方にも案内してやってください。 きっと喜ばれますよ。

■ ワンダーアートプロダクション(2003年1月28日)
以前一度ご紹介したワンダーアートプロダクション(WAP)の高橋雅子さんと西村佳子さんがやってきました。
WAPはまだ任意組織ですが、2年前から各地で子どもたちを対象にしたアート体験活動を展開しています。
その活動の進め方について意見交換しました。

コムケア活動の関係で、さまざまなNPOや市民グループから相談を受けるのですが、本当に素晴らしい活動なのに、なかなか支援者が見つからない事が少なくありません。
私の価値観が間違っているのかもしれませんが、どうも今の世の中はお金の使い方が間違っているような気がします。
簡単に言えば、お金をいくら使っても本質は何も解決しない、目先の問題解決にしかお金を使っていないようです。
それこそが「市場主義」の経済システムなのかもしれませんが。
問題解決の場合は、予防型に比べて費用が大幅に高いだけでなく(産業と権力者やその周辺は潤いますが)、現場での仕事は楽しくなりません。

WAPは今年も、子どもとアートと環境教育という切り口で、面白いプログラムを企画中です。
パトロン募集中です。
応援して下さる方はいないでしょうか。心当りのある方はご連絡下さい。

しかし、これからの市民活動はパトロン依存型ではなく、自立した事業型になっていくのがいいでしょうね。
価値のある活動には資金はついていくものです。
そして、価値のある活動には対価を払って行くべきです。
そうしたコンヴィヴィアルな社会が、私の目指す社会です。

幡多昔むかし祭り(2003年1月25日)
コムケア活動の関係で全国のNPOや住民活動と接点を持たせていただいていますが、今週は高知県介護の会の活動に参加させてもらいました。
この会は、子どもからお年寄りまで、障害のある人もない人も、みんなが仲良く住み慣れた所で安心して暮らせる社会づくりを目指して活動しているNPOです。四万十川に面した中村市にあります。「集いの場 えびす」という、みんなが集まれる場所を拠点に、地域に根ざした広がりのある活動に取り組んでいます。

昔は、地域ぐるみの運動会や学芸会、映画の上映会や季節の祭りなど、みんなが集まって交流できる場がたくさんありましたが、最近は地域を通した交流が少なくなり、それと関連して伝統芸能も忘れられがちだという思いから、この会ではこの祭りを企画したのです。
この活動は住友生命社会福祉事業団の助成を受けて実現した関係で、その助成金の事務局であるコムケアセンターの事務局長として、今回、参加させてもらいました。
ちょうどこの日は私の地元の住民活動の日だったのですが、熱心なお誘いに抗しきれずに出かけました。正直なところ、あまり気乗りではなかったのですが、参加してとてもよかったです。すばらしい活動でした。

幡多地区というのは中村市を含む、この地方の名前だそうですが、今回は介護の会が中心になって、伝統食を再現し、みんなでそれを楽しむ第1部と伝統芸能を楽しむ第2部からなっています。その企画や運営を、地域の人たちがみんなで実現したのです。高齢者が主役といってもいいでしょう。その雰囲気の素晴らしさは感激的でした。高齢者の方々のホスピタリティは素晴らしいものがあります。まさにこれこそが地域の資源です。

伝統食を楽しむ会では、地域のお年寄りたちが中心になって昔ながらの豆腐作りやこんにゃく作りをしました。餅つきやサワチ料理、あるいはポン菓子など、昔懐かしい風景がにぎやかに再現されました。天気にも恵まれ、100人を超す人たちが参加し、会場は盛況でした。会場の集いの場は自動車道に面しているため、車で通りがかった人が、これは何ですかと立ち寄る姿もありました。料理ができた後は、屋外の駐車場にテーブルを出して、みんなでパーティです。実に和やかで、生き生きした場でした。こうした事を、お年寄りたちが中心になって実現したのです。

豆腐は昔の作り方の再現です。大豆を臼で挽いて、それを加熱し、豆乳とおからとに分け、豆乳に太平洋の海水を入れて、固めるのです。まだ形になっていないものを試食しましたが、いつも食べている豆腐とは似て非なるものでした。
こんにゃくも手作りです。固めるのは、昔ながらの灰什です。灰と言えば、籾殻の焼いた中での焼き芋もありました。この芋は、コムケア仲間のさわやか徳島の麻野信子さんから送られてきたものでした。こういう現場で、そうしたつながりに触れさせていただくことは本当にうれしいです。

他にも様々な伝統食が用意されました。お年寄りですら、こんな作り方は久しぶりだと懐かしんでいました。この中村市ですら、伝統食は過去のものとなってきています。食は文化の基本です。ここにこそ、もしかしたら全ての問題の根っこがあるのかもしれません。

その素晴らしさをうまく表現できないのが残念です。改めて、大きな福祉に関する、私の仮説に確信がもてたような気がします。中心になって動いてくれた豊永美恵さんに感謝しなければいけません。ありがとうございました。

この集いでたくさんの人に会いました。
高知県介護の会の理事長の荒地平さん、事務局長の渡辺稔さん、高知県庁の橋田寿人さん、豆腐作りの名人、上田さん。大道芸の間六口さん。そのほか、名前はお聞きしませんでしたが、たくさんのお年寄りたち。そして高校生や中村市の住民の皆さん。本当にありがとうございました。伝統芸能の部には出られませんでしたが、たくさんの刺激をいただきました。

■ 二つの出会い
幡多昔むかし祭りでは沢山の出会いがありましたが、不思議なことに、その往路でも帰路でも、嬉しい出会いがありました。不思議な縁を感じます。

まず往路の出会い。高知空港に到着するのが遅い時間だったので、空港まで迎えに来てもらいました。空港から中村市まで130キロ以上あるのです。途中にある窪川在住の八木雅昭さんが、準備で忙しい豊永さんに代わって、やってきてくれました。もちろん私たちはお互いに面識は皆無です。
八木さんとの偶然の出会いは、私にとっては偶然とは思えない嬉しい出会いでした。

八木さんは郵便局の職員ですが、窪川町ボランティア連絡協議会の会長です。協議会の誕生から発展の経緯をお聞きしました。とても感激しました。まさに自然な育ち方をしているからです。八木さんは他にもさまざまな活動をされています。高知県の各地のボランティアのネットワーカーのお一人なのでしょう。豊永さんたちの活動のサポーターでもあるようです。八木さんとは1時間半くらい自動車で一緒でしたが、すっかり話が合ってしまいました。八木さんは、コモンズの回復を実践されている方です。霞ヶ関の人たちにこうした動きをもっと知ってほしいものです。現場は常に理論より選考しています。
ちなみに窪川からは、豊永さんと渡辺さんの自動車に乗り継いで、また1時間半でした。ホテルに着いたのは真夜中の12時です。ホテルは四万十川のほとりですが、真っ暗で見えませんでした。

帰路でも出会いがありました。時間の関係で帰路は電車で帰りました。偶然に隣り合わせた人が、今日の集いを新聞で読んで、職場の人に参加を勧めていてくれました。
同じ中村市にある高知県知的障害者育成会の福祉工場の施設長をされている、山沖美枝子さんです。社会福祉士の受験のために高松まで行くところでした。小規模作業所や授産施設と違い、福祉工場では労働関係法規が適用されるため、なかなか運営は難しいでしょうが、これからますます重要な役割を果たしていくだろうと思います。
山沖さんには、ぜひ豊永さんとお会いするように勧めました。人のつながりこそが、世界を変えて行くと、私は思っています。もちろん「ペイ・フォワード」も、大切ですが。

■ リンク(NPOせたがや福祉サポートセンター)との意見交換(2002年11月28日)
コムケアセンターの調査研究支援プログラムのひとつが、「痴呆予防プログラムの実践的検証とその普及方法に関する研究」ですが、それに取り組んでいるのがリンクです。
リンクについては以前、このコーナーでも紹介しましたが、コムケアの理念と非常に重なった活動をずっと前から取り組んでいる、いわば私たちの大先輩です。
その代表の光岡明子さんと、この研究活動の進め方について意見交換しました。
具体的な進め方に関しては近日中にコムケアのホームページに掲載しますが、リンクが展開しているいくつかのフィールドを活用して、実践的なプログラム開発が進められる予定です。
その成果は、ぜひともひろく全国に発信していきたいと光岡さんたちは考えています。
「痴呆予防」という言葉を使っているため、問題解決型の取組みと受け取られるかもしれませんが、そうではありません。
むしろ、「生活を健やかに楽しくしていくための支援」というような意味で、生活者視点での取り組みガ光岡さんたちの基本姿勢です。
私もそこに大きな共感をもっています。
観察者的な関わり方は、コムケア活動としては避けたいところです。
この活動には、ささやかに関わっていこうと考えていますので、また報告して行きますが、このテーマに関心のある方はぜひご連絡下さい。

光岡さんとは、このプログラム以外でも少しお話しましたが、企業の人たちに少し分けてやって欲しいほどの元気を持っています。
時代の息吹を実感しているからでしょうか。私たち、男性ももっと元気に活動しなければいけませんね。

■ボランティア活動をしたいという企業の人がやってきました(2002年2月2日)
今日はちょっと変わった情報です。ある大企業に勤めている若い女性がボランティアをしたいと相談にやってきました。ある人の紹介です。最近、こうしたことが増えています。ボランティアだけではなく、行動を起こしたがっている若者が多いように思います。マスコミで報道される若者像と私が体験する若者像とが時々食い違います。

私は若者たちに絶大な信頼を置いています。私たちの世代よりも間違いなく、行動的でしっかりしています。皆さんはどうお考えでしょうか。

■自立応援団の宮田さんと初対面(2002年2月2日)
コムケア活動のおかげで、実にさまざまな実践者にお会いできますが、この日は熊本で知的障害者の自立支援のための小規模作業所を創設した宮田さんに会えました。

私も友人の秋山さんたちのふぁっとえばー活動に参加していますが、「仕事」というものの意味が、立場によっては全く違うことを痛感しています。宮田さんは、仲間たちと実に様々な社会活動に関わっています。コミュニティである活動をはじめると世界がどんどん広がってしまうことはよくあることです。生活という立場から考えると、世界はすべてつながっているからです。宮田さんもそうした生活者の一人でした。

「自立」という言葉は難しい言葉です。私は「自立」とは「人の輪作り」だと思っていますが、まさに宮田さんはそうした活動家で、着実にまわりの世界を元気にしているのでしょう。私もとても元気づけられました。実践者に会うといつも、社会は間違いなく前に進んでいることを実感します。そして元気になれます。人は前に進むことで元気になれるのでしょう。

宮田さんの本職?は、くまもと農業経営情報研究所の所長です。農業の話でもすっかり意気投合しました。農業は私の長年の関心事のひとつで、これから様々な形で情報発信していきたいと思っているテーマです。いつかまた、私の小論も読んでほしいと思っています。

宮田さんからメールが来ました。

人生の醍醐味は、やはり出会いだと思います。 そして、一期一会でなくするところがまた妙味です。

まさに同感です。

○ コリアボランティア協会訪問2002年2月18日)
コムケア活動の一環として、大阪生野区のコリアボランティア協会を訪問しました。すごい刺激を受けてきました。コムケア活動の支援プロジェクトは、コムケアのホームページを見ていただきたいですが、今回はコリアボランティア協会の活動をご紹介したいです。そして是非皆さんにも応援団に入っていただきたいです。カンパも歓迎です。  

コリアボランティア協会は、民族や国籍の壁を超えて、障害者と健常者の共生に取り組むボランティア団体です。1994年に設立されました。在日韓国・朝鮮人のメンバーが多いことが特徴ですが、日本ではまだ民族の壁は高く、差別意識は根強く、苦労しているメンバーも多いのではないかと思います。しかし、その分だけ逆に、人の痛みへの思いは深く、それが善意の輪を広く世界に広げたいという様々な活動を支えているように思います。  

代表の康秀峰さんは「日本は経済を輸出しているけれど、その分、愛を輸入しなければならない」と言っています。全く同感です。協会の詳しい内容や康秀峰さんの発言などをぜひ読んでください。また応援カンパもぜひお願いします。  

■ボランティア活動をしている方が3人やってきました2002年2月25日)
今日は各地でNPO活動をしている人が、別々に3人やってきました。疲れました。いつも思うのですが、社会活動をしている人ほど社会との付き合い方の常識がないと言うことです。もちろん悪意があるわけではないのですが、すごく損をしているだろうなと思うことが少なくありません。それはとりも直さず、日本の市民活動の課題でもあります。今年はそんなテーマにも取り組んでみたいと思っています。

ここで紹介するのは、今日、来てくれた一人ですが、彼はそういう人とは全く違って、実に気持ちのいいコミュニケーションをする人でした、それもそのはず、心理カウンセラーなのです。作曲家でもあります。石川さんといいます。

カウンセラーの仕事の合間に、不登校児やひこもりの若者たちの支援をしています。私は閉じられた時空間での活動を開いていくことに関心がありますが、石川さんも活動の場にノイズを引き込むことの大切さを強調されていました。全く同感です。

このホームページにもどんどんノイズを入れたいです。みなさん、よろしくお願いします。 石川さんはかならずまた、このホームページに登場するはずです。お楽しみに。

■地域通貨に取り組んでいるゲゼル研究会の森野栄一さんにお会いしました
地域通貨、もしくはエコマネーについてはNHKの「エンデの遺言」以来、とても大きな関心を持っていますが、何かまだわりきれないものがあります。私が気になっているのは「証券化」という点です。昨今の不動産証券化やサービスの証券化には積極的な意味を感じると同時に、なにか実体と経済の乖離を感じています。

そこで、私自身もCWSコモンズ村では、ささやかな実験を始めようと思っていますが、まだきっちりした枠組みが構想できずにいます。コモンズ村村民のみなさん、すみません。

森野さんとお話して、ますます頭が混乱してきましたが、同時にますます実験してみる価値を確信しました。 これについては、CWSコモンズの動きも含めて、また報告させていただくことができそうです。

■日本食文化交流協会発起人の東山さんと意見交換しました2002年2月26日)
東山さんと、先日のサロンで話題になった食文化交流協会について改めて意見交換しました。協会のホームページの内容も大きくバージョンアップするそうです。ぜひまたご覧ください。食はいのちと文化の基本です。

なお3月17日に東京でこの活動に関心を持つ人たちの集まりがあります。ご関心のある方は、私もしくは東山さんにご連絡下さい。

2002年3月21日

■ 全国マイケアプラン・ネットワークの島村さんに会いました2002年3月21日)
全国マイケアプラン・ネットワークは昨年9月に創設された、ケアプランを自分たちで作成しようという人たちの集まりです。
その活動をコムケアセンターでささやかに支援しています。

このネットワークは新聞などでも時々紹介されていますので、ご存知の方も多いでしょうが、代表の島村さんは「せっかく出来た介護保険制度をより良いものにしていくために、利用者が主体的に関わり、発言していくことが必要だ。
そのためにも利用者が自分でケアプランを作成していく活動を広げていきたい」と考えています。
全く同感です。

日本の社会福祉は一昨年大きな構造改革があり、長く続いていた「措置制度」が見直されました。
だが実態はまだまだ変わっていないような気がしてなりません。

マイケア・ネットワークは、有名な割にはまだ組織は未整備ですし、仲間もそれほど多いわけではありません 。
しかし、これは全ての人にとって無縁ではない話です。もしケアプランを創ろうという方がいたら、このネットワークを教えてやってください。

私がこの活動に関心を持っている理由のひとつは、それが個人の生き方や家族のあり方を見直す契機になると思うからです。
それに私が目指す「ケアのノーマライゼーション」にもつながっていくからです。
島村さんたちの活動は、このホームページでもぜひまたご紹介していきたいと思います。

もしかしたら、4月6日に集まりがあるそうなので、それもご案内させてもらいたいと思っています。
ご関心のある方はご連絡下さい。

■ 住まいやまちづくりにおけるユニバーサルデザインの意見交換をしました2002年3月27日)
ユニバーサルファッション協会はご存知でしょうか。
それを立ち上げた鈴木淳さんから誘われて、住まいとユニバーサルデザインの関連で話を聞きたいという人がいるというので出かけていきました。
都市公団関係のプロジェクトの専門家ヒアリングでした。
あまりいい加減に話を引き受けてはいけません。反省しました。
しかしこのテーマであれば、いくらでも話すことがあります。

大体最近のユニバーサルデザインの動きには不満がたくさんあるのです。
これについてはいつかまたメッセージします。

住まいに関してもそうです。
昨年自宅を新築しましたが、日本の家作りはどこかで大きく間違っているような気がします。
どこかのハウジングメーカーをコンサルティングしたいのですが、どこか希望するところはないでしょうか。
私のコンサルティングを受ければ必ず業績はよくなります。
ややコンサルティング費用が高いのが問題ですが。

ヒアリングはユニバーサルファッション協会の鈴木さんと一緒に受けました。
鈴木さんは、人生を踏み外しながら(いい意味ですよ)、この協会を立ち上げてきた、思いの深い人物です。
ユニバーサルデザインに関する鈴木さんの考えには、私はほとんど共感しています。
ユニバーサルデファッション協会のホームページも是非ご覧下さい。
会員になってもらえれば鈴木さんも喜びます。

○ ふぁっとえばーの秋山さんがやってきました

秋山さんは42歳の厄年に健康を害し、身体に障害が残ってしまいました。
以来、人生設計が変わってしまい、いろいろ不愉快な思いもされました。
しかし、それを梃子にして、障害のある人たちの働く場をつくりたい、そして納税者に戻りたいと考えて、一人で活動をはじめました。
2年前に知り合って、以来、ささやかな応援活動をしています。
このホームページのネットワークのところに、ふぁっとえばーの紹介がありますので、ぜひお読み下さい。

秋山さんはいま、点字名刺の普及に取り組んでいます。
点字名刺を製作したい方はぜひお知らせ下さい 。
また、自分で手作りで点字を名刺に打ち込む用具も販売しています。1350円です。
ご希望の方は秋山さんでも私でもいいですから、ご連絡下さい。

点字を名刺に入れることで、視覚障害の方への思いを広げたいというのが秋山さんの思いです。
ちなみに千葉県の堂本知事は秋山さんに頼んで点字名刺を作られました。
秋山さんは思いを同じくする障害者の方の輪を創ろうとしていますが、なかなか難しいです。
千葉に在住のチャレンジドの方がいたら、ふぁっとえばーのことを教えてください。

■創造支援工房フェイスの池本修悟さん(2002年6月10日)
池本さんはコムケア活動で知り合った人です。
大学院に在学していますが、創造支援工房フェイスを立ち上げ、メディアプロデューサースクールづくりに取り組んでいます。
フェイスのホームページもご覧下さい。
池本さんの問題意識をはじめてゆっくり聞くことができました。
私の考えているコムケア活動と非常につながっています。
池本さんもNPOの立ち上げを通して、たくさんの発見があったようです。
そうした知見が、社会的な資源として共有されていくことが、コムケア活動の目標の一つです。
池本さんからは、コムケア活動の理念はわかるが具体的な仕組みが見えないと指摘されました。
大いに反省しました。今年のコムケア活動では改善していきます。

ところで、コムケア活動を研究のフィールドにしてくれる学生や先生を探しています。
とてもいいフィールドやネットワークがあります。インターンシップも受け入れたいと考えています。
どなたかいい先生を知らないでしょうか。現場の大切を知っている実践志向の先生です。

■ 京都府神社庁での講演(2002年6月12日)
京都府神社庁の研修会で講演させていただきました。
「時代が動き出した、かもしれない」という曖昧な演題の講演です。
講演は嫌いなのですが、神社の人たちとの接点に興味がありました。

私のテーマはコモンズの回復ですが、まさに神社はコモンズの中心でした。
欧米では人が集まりだすと、まず真ん中に教会を作るという話がありますが、日本でも神社が人を集める求心力だったのだろうと思います。
今でも、初詣にあれだけの人が集まることの意味を、私たちはもっと真剣に考えるべきでしょうね。
神社が地域社会のために何かしようと思っても、宗教からの中立性という視点から行政はなかなか応援してくれないそうです。
首相の靖国参拝には私は否定的ですが、鎮守の森に象徴されるような地域社会の神社の活動には自治体行政はもっと共創すべきだと思っています。
国家神道とふるさとの神社、統治主体としての国家行政と住民自治の拠点としての市町村行政、そうした全く違うものが同じ言葉で一括して捉えられ、同一線上で議論されているのが残念です。

■ 岩屋神社禰宜の室田一樹さん(2002年6月12日)
神社庁に私を巻き込んだのは室田さんです。
このコーナーでも前に登場していますが、室田さんは岩屋保育園の園長でもあります。
全国神社保育団体連合会というのがありますが、そこが昨年「鎮守の森を保育の庭に」という本を出しました(学研から出版されています)。
とてもいい本です。残念ながら、こういう本は「うちわの関係者」にしか読まれないのです。
もっと外に向けて情報発信していけばいいのにと思うのですが、日本は内輪向けのパフォーマンスが優勢の社会です。
もったいない話です。

話がそれましたが、室田さんの保育園を見せてもらいました。
感動的でした。
何が感動かは説明が難しいですが、ゼロ歳児も含めて、園児を主役としたデザインがなされているのです。
3歳までは個人に合わせたグループ保育、それ以後は逆に異年齢保育です。
基本にあるのは、年齢という枠から自由になるということかもしれません。
園児たちの動きに、自己組織化された、まさにコモンズを感じました。
子どもたちが素朴に土と触れているのも印象的でした。
園庭に小さな小川が流れていました。稲田までありました。
昔、仲間と設計した保育園のモデルを思い出しました。
それはおそらく日本で最初の駅型保育園の提案でしたが、実現できませんでした。
鎮守の森に隣接した岩屋保育園はとても気分のいい空間でした。
こうした空間がもっと社会に開かれていくと地域社会は変わって行くだろうと思います。

岩屋保育園のホームページがあります。
室田さんの保育観、子供観もていねいに書かれています。ぜひご覧下さい。
http://www.iwayanomori.org

○ オルタナティブ・メディスン研究会2002年4月6日

今回は「医療問題」がテーマでした。
「日本の医療を問いなおす」(ちくま新書)の著者の鈴木厚さんの講演のあと、済生会栗橋病院の本田宏(副院長)の司会でフリートークが行われました。
鈴木さんの本を読んだ時にもかなりの憤りを感じたのですが、今回の本田さんのお話は実に感動的で、なにか始めないといけないと痛感しました。
こうやって、次々と新しいテーマに取り組み、全てが中途半端というのが私の生き方なのですが、「中途半端の美学」というのもあるかなと最近思い出しています。

まあ、それはそれとして、本田さんの憤りは一度聞くに値します。
本田さんは日本の医療制度のおかしさを変えていかねばならないと奮闘されています。
それも単なる感情論ではなく、ホリスティックな視点からの取り組みです。
本田さんの話を聞きたいと思われる方はご連絡下さい。
本田さんがどこかで話される情報を提供します。

彼が過労死しない前に聞いておく必要があります。

会場で構想学会の半田さんと荒川さんに会いましたが、
残念ながら、わがホームページでの案内に反応した方はいませんでした。
ホームページの発信力を高める必要がありそうです。

○ 医療制度研究会2002年4月7日

本田さんが紹介してくださった医療制度研究会に連絡したら、早速、連絡が取れました。
医師たちが中心の研究会のようですが、こうした集まりこそ、様々な人が入るべきです。
医師だけでの活動では限界がありますし、発想も偏り内容も深化しないはずです。
医療問題は誰もが無縁ではありません。
自らの生死に関わるものです。
みなさん、ぜひ入会しませんか。

私の生活信条は、小さくともいいから行動に移すことです。
理屈や知識は、行動があって初めて意味があるからです。
行動の第一歩は、その世界と直接関わることです。
医師の方々も、極度の時間破産の中で健闘されています。
皆さん、少しだけでも時間を投入してみませんか。
ご関心のある方、ぜひ医療制度研究会のホームページ
http://www14.u-page.so-net.ne.jp/ka2/tilin/i/top2.html
をみてください。

■ 全国私立保育園連盟経営強化委員会(2002年4月24日)

これはサロンではないのですが、是非紹介したいと思います。
前述の通り、私は会社を辞めた直後、保育に少し関わりました。実に多くの示唆を受けましたが、そんな関係でなぜか全国私立保育園連盟経営強化委員会の特別委員をさせてもらっています。
最近はなかなか参加できませんが、今日は時間が調整できたので参加させてもらいました。

今、この委員会ではこれからの保育園のあり方をテーマに提言を作成中です。
委員自らが書いていますが、この委員のメンバーが実に素晴らしいのです。
基本的にはみんな保育園の園長です。
私ともう一人、前田正子さんという人が園長ではない委員です。
前田さんは、これまた実践者ですので、いつかまた登場してもらいますが、今回は他の委員の一部を紹介します。

委員長は藤森平司さんです。多摩ニュータウンで「せいがの森保育園」を経営されています。
この保育園が話題なのです。
藤森さんが書かれた「21世紀型保育のススメ」(世界文化社)を是非お読みください。保育園のイメージが変わりますよ。
副委員長は京都の岩屋保育園園長の室田一樹さんです。
室田さんは神社の禰宜でもあるのですが、その神社を拠点に里山づくりの活動を展開したり、総合学習に取り組んだりしています。
きりがないのですが、後のメンバーも実に多彩な活動をされており、お一人ずつ紹介したいところです。
いつかそれぞれの方とリンクしていきたいと思っていますので、そうなったらぜひアクセスしてください。
佐世保の桑戸さん(副委員長)、倉敷の中野さん、栃木の白河さん、山形の佐々木さん、それに多摩市のバオバブ保育園のとーまや園長(遠山さん)が今回は出席されました。
遠山さんは哲学者です。
それぞれ書きたいことがたくさんありますが、機会を改めましょう。

メンバー紹介していたら、内容が書けなくなりました。 提言が完成したら、またご紹介します。

■ 区画整理・再開発対策全国連絡会議 (2002年4月23日)

サロンから脱線したついでに、もう一人、是非紹介した人がいます。
めざせ!住民主権のまちづくり 区画整理・再開発対策全国連絡会議」という大仰で長々しいNPOの事務局長の遠藤さんがやってきました。
そこの機関誌に寄稿させていただいた縁で知り合ったのです。
こんな名前のNPOはいまどき流行らないと思いますが、何と1000人の会員がいる歴史の長い会です。
都市計画や開発関係のノウハウや知見が山ほど蓄積されている組織です。
またそれだけの会員がいるのであれば、活動を編集したらすごい風がおこせるだろうなと思いました。

遠藤さんは柏の住民ですが、そこでとても面白い活動をしています。
牧場跡地の緑と環境を考える会」です。

是非そのホームページを訪ねてみてください。
こういう地道な、しかし楽しい活動が各地にどんどん広がっています。

日本の未来を決めるのは、土に触れ合っている住民なのです。
みなさんも土に触れていますか。

■シニア・インキュベーション

住民流福祉を標榜して、実に個性的な福祉活動を展開している「わかるふくしネットワーク」代表の木原さんから電話がありました。大企業を定年で辞めた人が企業生活の中で長年培ってきたノウハウなどを社会的に活用する仕組みが必要ではないかというのです。私も全く同感です。会社を辞めた頃から、高齢者のネットワーキングなどに少し関わったのは私もそういう思いがあったからです。当時取り組んだものは、今も続いている活動もありますが、ほとんどが不成功でした。原因は私のパワー不足です。いい加減に取り組んでいて、何かを大きく育てることはできるはずがありません。私は育てるタイプではなさそうです。

木原さんの今回のテーマにそっくりな提案を数年前にある企業にしたことがあります。シニア・インキュベーション・システム、略してSISです。とてもいい提案だったと思いますが、実現できませんでした。企業ではライフプラン研修などをやっていますが、そんなことよりも一生の仕事を発見させることが大切です。仕事を与えられるものなどと考える時代は終わりました。どこかでも書いていますが、仕事は自分で創る時代です。

私は高齢社会に大きな期待をしています。今の高齢者福祉行政は前提が間違っていると思いますが、それはそれとして、高齢者のできることはとても大きいのです。社会のお客様などではないのです。これについても、数年前にある研究所の機関誌に小論を書きました。読んでもらえるとうれしいです。内容は「はやくこいこい高齢社会」です。

またなかなか本論に入りませんが、新しい事業起こしの主役はシニアではないかと思います。そうした活動の支援システムはすでにたくさんありますが、もうひとつくらい、ちょっと違ったものを創りたいなという思いを持っています。どなたか一緒にやりませんか。

ところで、木原さんですが、わかるふくしネットワークのホームページをぜひご覧下さい。それから彼が発行している「月刊「元気予報」」はとても示唆に富んでいます。実費程度で購読できます。福祉に関わっている方々には購読をお勧めします。

■薬剤師の社会的活動

日本の薬事行政にはかなりの違和感があります。製薬会社の関係者には申し訳ありませんが、製薬メーカーは自らのミッションを全く履き違えており、 時代の変化に対応していない業界だと思います。そういう偏見がありましたから、薬剤師に対してもあまりいいイメージは持っていませんでした。しかし、そうしたことを反省させられる出会いがありました。

東和町にお住まいの薬剤師の武政文彦さんからメールで送られてきた「アフガン難民対策薬剤師団調査報告書」を読ませてもらったのです。その内容もさることながら、その提言の部分の結語に共感したのです。そしてこういう活動を、それぞれの地域で、しっかりと取り組んでいる薬剤師の方がいるということに感動しました。生活の場に自らを置き、しかも世界の痛みを分かち合っている専門家に出会うとホッとします。武政さんの許可を得て、結語を下記し、別項にその報告書の提言部分を掲載します。全文をお読みなりたい方はご連絡下さい。ちなみに、武政さんは「風のまち」の住民でもあります。

2002年。いわゆる医薬分業率が5割近くになり、日本の薬剤師はその存在意義が国民から問われている 。
厳しい批判の目は日ごとに強まってきた。
過去の実績を守ることに心を奪われ、自己防衛的な態度のみに終始するならば日本の薬剤師の将来は暗澹たるものとなるであろう。
またそのような薬剤師しか持てなかった日本の薬事供給体制は先進国としては不安定かつ不適切な状態に陥ることを大いに懸念するものである。

今般、難民支援という視点からパキスタン国内に点在するアフガン難民キャンプ等を調査することにより、日本の薬剤師が貢献できると思われるさまざまな提言が視界に入ってきた。
しかもそれは世界の薬剤師との共同作業という意義も併せ持つ。

国際貢献という視点から述べてはいるが、実はここで提言した内容は日本の薬事制度にとっても大きな変革を求めるものであり、21世紀における薬剤師の新たな役割を広く国民に周知するものとなろう。  
上記提言と考察を、日本の薬剤師はもちろんのこと、広く医療関係者、行政担当者が関心を示し、建設的な議論に発展するならば、今回の先遣隊の目的は十分果たされたと思う。
さらに今回の提言をもとに何らかの週間報告プログラムが成立することこそ、危険を覚悟で調査にあたったわれわれが大いに望むところである。

新しい風が起こることを期待しています。

■ホリスティック・コミュニケーション

私のホームページを見た新潟県の佐藤裕さんが、ホリスティック発想ですね、とメールをくれました。まさにそうなのです。私がまちづくりに関心をもちだしたのは、そのホリスティックな発想が基本だからです。当時はまだ還元主義の世界の企業にいましたが、地域主義という動きに大きな刺激を受けました。
次にホリスティックという言葉に出会ったのが、中村桂子さんからお聞きした「ホリスティック医療」でした。中村さんがまだ三菱化成の生命科学研究所にいらした頃です。あることで共感して訪ねていったのですが、「靴下の繕いをしている」という話とホリスティック医療の話が今でも強く頭に残っています。
会社を離脱した頃は、複雑系の発想に関心を持ちました。ダイヤモンド社の岩崎さんのアジテーションにのって、「複雑系の経済学」という本に1章書かせてもらいましたが、そこでのキーワードはホロニックでした。ホーリズムと要素還元主義とが二元論になってしまっては元の木阿弥だと思ったからです。当時、イントラネットなる言葉が流行していましたが、私はインドラネットなる言葉を創りましたが、残念ながら、全くはやりませんでした。インドラの網というのは、宮沢賢治の小品の題ですが、華厳経に出てくる話です。とても示唆的な話です。

余計なことを書いていますが、先の佐藤裕さんが「ホリスティック教育」の本を薦めてくれました。早速、何冊かを購入し読みました。とても共感できます。その延長で、「ホリスティック・コミュニケーション」という本も読みました。コミュニケーションの意味を問い直さなければならないと感じました。

私のコミュニケーション論は「自らを変えることがコミュニケーション」というものです。相手を変えることでも、相手に情報を伝えることでもありません。詳しくは私の小論を読んでいただけるとうれしいです。そこには私の生き方に影響を与えたオズグッドの「まずは自分から」発想も紹介しています。この小論は雑誌に連載したものを「広報・コミュニケーション戦略」(都市文化社)に収録したものです。コミュニケーションや広報は、一応、私の活動ドメインでもあるのです。もう10年ほど前のものですが、ますます確信しています。

インドラネットが出たついでに、アカシックレコードや虚空蔵のことにも触れたいです。先週も宮部さんとドーマン教育や日木流奈(ひきるな)チャンの話をしたのですが、人間は本当につながっているように思います。日木流奈(ひきるな)チャンのテレビはご覧になったでしょうか。本も最近出ましたが、私はまさにホリスティック・コミュニケーションのモデルを感じました。というか、コミュニケーションなどということは余計なことなのかもしれません。もともとはつながっている。それを切り離したがゆえにコミュニケーションなどということが必要になっているのかもしれません。以心伝心ではないですが、それこそが本当の姿かもしれません。いつから私たちのいのちと心は切り刻まれだしたのでしょうか。連休の合間に書籍を整理していたら、忍者武芸帳が出てきましたので、ついつい読んでしまいました。そこに「くされ」という人物が登場します。彼は動物とつながっているのです。言葉を介さずに、です。
また話がそれていますが、私たちはすべての叡智や情報が蓄えられているアカシックレコードや虚空蔵とつながっているような気がします。そのパイプを素直に開けばいいのかもしれません。それこそがナッレジ・マネジメントの本質のような気がします。こんなことを考えているために、なかなか企業経営のコンサルティングの仕事はやってこないのでしょうか。いやはや、困ったものです。

この項目は意味不明ですね。私の親愛なる友人、鈴木章弘さんへの個人的メッセージになってしまいました。
鈴木さん、投稿する出番ですよ。

■第1回住民流福祉研究会

わかるふくしネットワークの木原さんが始めた研究会です。私は木原さんの福祉の捉え方にかなり共感できます。目線と発想の視座が好きです。もちろん違うところもありますが、福祉に取り組んでいる専門家の中では、飛びぬけて共感できる一人です。

木原さんは別にして、多くの福祉の専門家や福祉行政が、大きな福祉環境を壊しているようにさえ感じることがあります。そのため、コミュニティケア活動支援センターを立ち上げたのですが、そこの理念は「共創型相互支援の輪づくり」です。その応援団を募集しています。ご支援いただける方はご連絡下さい。あれ、話がそれました。反省。

第1回の研究会は、長野県駒ヶ根市社会福祉協議会の「住民の支え合いマップづくり」の事例報告を中心に、「住民流でふくしのまちづくりをすすめるとは?」というテーマで行われました。全国の社会福祉協議会の人たちが多かったですが、これまでの取組みとはかなり違う駒ヶ根市の事例は刺激を与えたと思います。

今日の話は基本的にはまちづくりの話です。社会福祉協議会だけではなく、もっと広く行政の人に聞いてほしいかったと思いました。木原さんは各地でも講演もしていますので、お聴きになった方もいるでしょうが、まだの方はぜひ一度聴かれるといいです。この研究会は継続されますので、次回はこのホームページでも案内させてもらいます。

駒ヶ根市の事例は、木原さんの月刊「元気予報」で報告されていますし、わかるふくしネットワークでも概要は調べられると思います。また、詳しい内容の報告書を駒ヶ根市社会福祉協議会でまもなく出版するそうです。

■ サービス&アドボカシー森の番人(2002年5月24日)

埼玉県北本市で、地域福祉のネットワークづくりに取り組んでいる市民グループです。コムケア仲間です。代表の高橋さんは日本社会福祉事業大学の先生ですが、これからの福祉活動は専門家のみで進めるのではなく、常に介護者などのサービス利用者と一緒にとりくんでいくのがいいというお考えです。共感します、
私が取り組んでいるコムケア活動はまさにそうした視点なのですが、なかなかそうした気持ちで取り組んでいる専門家にはお目にかかれません。 今回は森の番人の事務所で社会福祉士、ホームヘルパー、民生委員の方々と意見交換させてもらいました。

このグループには他にも様々な専門家が参画していますが、行政職員だけが参加していません。
それは北本市に限らない状況です。
なぜか行政職員は、ただの住民にはなりにくいようです。そこに、日本の自治体行政の大きな問題があるようです

森の番人の活動はまもなく、コムケアのホームページにアップしていく予定です。

■創造支援工房フェイスの池本修悟さん(2002年6月10日)
池本さんはコムケア活動で知り合った人です。
大学院に在学していますが、創造支援工房フェイスを立ち上げ、メディアプロデューサースクールづくりに取り組んでいます。
フェイスのホームページもご覧下さい。
池本さんの問題意識をはじめてゆっくり聞くことができました。
私の考えているコムケア活動と非常につながっています。
池本さんもNPOの立ち上げを通して、たくさんの発見があったようです。
そうした知見が、社会的な資源として共有されていくことが、コムケア活動の目標の一つです。
池本さんからは、コムケア活動の理念はわかるが具体的な仕組みが見えないと指摘されました。
大いに反省しました。今年のコムケア活動では改善していきます。

ところで、コムケア活動を研究のフィールドにしてくれる学生や先生を探しています。
とてもいいフィールドやネットワークがあります。インターンシップも受け入れたいと考えています。
どなたかいい先生を知らないでしょうか。現場の大切を知っている実践志向の先生です。

■ 京都府神社庁での講演(2002年6月12日)
京都府神社庁の研修会で講演させていただきました。
「時代が動き出した、かもしれない」という曖昧な演題の講演です。
講演は嫌いなのですが、神社の人たちとの接点に興味がありました。

私のテーマはコモンズの回復ですが、まさに神社はコモンズの中心でした。
欧米では人が集まりだすと、まず真ん中に教会を作るという話がありますが、日本でも神社が人を集める求心力だったのだろうと思います。
今でも、初詣にあれだけの人が集まることの意味を、私たちはもっと真剣に考えるべきでしょうね。
神社が地域社会のために何かしようと思っても、宗教からの中立性という視点から行政はなかなか応援してくれないそうです。
首相の靖国参拝には私は否定的ですが、鎮守の森に象徴されるような地域社会の神社の活動には自治体行政はもっと共創すべきだと思っています。
国家神道とふるさとの神社、統治主体としての国家行政と住民自治の拠点としての市町村行政、そうした全く違うものが同じ言葉で一括して捉えられ、同一線上で議論されているのが残念です。

■ 岩屋神社禰宜の室田一樹さん(2002年6月12日)
神社庁に私を巻き込んだのは室田さんです。
このコーナーでも前に登場していますが、室田さんは岩屋保育園の園長でもあります。
全国神社保育団体連合会というのがありますが、そこが昨年「鎮守の森を保育の庭に」という本を出しました(学研から出版されています)。
とてもいい本です。残念ながら、こういう本は「うちわの関係者」にしか読まれないのです。
もっと外に向けて情報発信していけばいいのにと思うのですが、日本は内輪向けのパフォーマンスが優勢の社会です。
もったいない話です。

話がそれましたが、室田さんの保育園を見せてもらいました。
感動的でした。
何が感動かは説明が難しいですが、ゼロ歳児も含めて、園児を主役としたデザインがなされているのです。
3歳までは個人に合わせたグループ保育、それ以後は逆に異年齢保育です。
基本にあるのは、年齢という枠から自由になるということかもしれません。
園児たちの動きに、自己組織化された、まさにコモンズを感じました。
子どもたちが素朴に土と触れているのも印象的でした。
園庭に小さな小川が流れていました。稲田までありました。
昔、仲間と設計した保育園のモデルを思い出しました。
それはおそらく日本で最初の駅型保育園の提案でしたが、実現できませんでした。
鎮守の森に隣接した岩屋保育園はとても気分のいい空間でした。
こうした空間がもっと社会に開かれていくと地域社会は変わって行くだろうと思います。

岩屋保育園のホームページがあります。
室田さんの保育観、子供観もていねいに書かれています。ぜひご覧下さい。
http://www.iwayanomori.org

■ 自立応援団宮田喜代志さん(2002年6月19日)
 宮田さんは以前も登場しましたが、熊本でくまもと農業経営情報研究所を主宰する傍ら、自立応援団というNPOの理事長をされています。コムケア仲間です。来月7日に宮田さんに頼んで熊本でNPO交流会を開く予定ですが、その相談に来てくれました。
 コムケア活動に取り組みだして、各地のNPO関係の人にかなりお会いしましたが、宮田さんほど明るい人はめずらしいです。自立応援団は知的障害のある人の自立を支援する活動なのですが、実に明るくお会いしていて楽しいのです。その秘密を学ばなければいけないと思っています。
 宮田さんはきっとまた時々このホームページに登場するはずです。

■ 日本NPOセンター事務局長田尻佳史さん(2002年6月19日)
 コムケア活動についての助言や支援のお願いに田尻さんを訪問しました。この活動をはじめる時にもいろいろアドバイスをもらいましたし、実際にご支援もいただきました。私はこの分野では全くの新参者ですので、かなり非常識な取り組みをしていますが、それもまわりにこうした専門家の方がいるので安心して冒険ができるのです。
 今回は企業の社会貢献活動と市民活動とをつなげる仕組みについてのアドバイスをもらいました。今年の活動の一つの課題にしようと思っています。

■ 日本食文化交流協会東山雅之さん(2002年6月20日)
 食文化に取り組んでいる東山さんが来てくれました。別コーナーで書いていますが、「生命にやさしい食べものに関する情報交換ネットワーク準備会」という長い名前の集まりの呼掛けをはじめたのですが、それについて意見交換させてもらいました。
 東山さんは、こうした活動にずっと取り組んでいます。ネットワークのところでも紹介していますが、日本食文化交流協会を立ち上げ中です。毎月東京で交流会も開いています。ご関心のある方は、日本食文化交流協会のホームページをご覧下さい。

■ 東北芸術工科大学での講義(2002年6月26日
毎年、1〜2回、友人に誘われて大学でお話をさせていただくことがあります。
今回は山形市にある東北芸術工科大学の大宅憲一教授の講座にでかけました。
コモンズの回復に向けての話と私の最近の取り組みをちょっと話させていただきました。
若者の特権は時代を楽しむことです。今週も、時代を使いこんでいる学生に2人会いましたが(いずれ間違いなくこのコーナーに登場するでしょう)、最近の若者たちから教えられることがたくさんあります。そうした若者と疲れきった壮年男性とのふれあいの場がもっとほしいですね。

ところで大宅さんですが、この人物は実に楽しい人物です。私は大昔、「21世紀は真心の時代」という論文を書いたことがあります。その論文に「デディケーテッド・テクノロジー」という言葉をだしたのですが、それを読んで「デディケーテッド・マーケティング」ということを言ってくれた人です。この論文をちゃんと読んでくれた数少ない一人です。

以前、彼が構想した評判システムというのがありました。私もささやかに関わりましたが、時期尚早で挫折しました。この構想は10年遅れて動き出したらきっと成功したはずです。また、大宅さんは永代信用組合事件(ご存知でしょうか。市民バンクを支援した最初の銀行ですが、最近、挫折させられました)の応援団でもあります。他にもたくさんあります。大宅さんのことを書き出したら、きりがありません。機会を見て、少しずつ紹介します。大宅さん、早くホームページをつくりましょう。

■ NPOリンクとの出会い(2002年7月17日)
NPO法人せたがや福祉サポートセンター、愛称リンクの代表の光岡明子さんと理事の北村登喜子さんがコムケアセンターにやってきました。リンクの理念が私たちのコムケア活動の理念と全く同じ視点であることに感激しました。それだけではありません。私のまちづくりの考え方とも同じなのです。いつも思うのですが、やはり現実は常に理論に先行しています。光岡さんたちはこの活動を20年以上前から進めているようです。私は20年前は、まだ「社会人」ならぬ「会社人」でしたが。

リンクという名前には、「人と人とが、思いと思いがつながり重なり合って暮らしを形作る、そこを担う役割を果たしたい」という願いが込められています。また、「お世話する人される人ではない地域の助け合い活動」を標榜し、支え合いの輪の活動を支える仕組みを育てたいといっています。「まちを私たちのものに」ともメッセージしています。まさにコムケア活動であり、共創型まちづくり活動です。

すでに世田谷地域に約30の支え合い拠点を開設し、ふれあい・いきいきサロンや支えあいミニデイ、会食サービスを展開しています。すばらしい活動です。ホームページがないのが残念ですが、ご関心のある方はリンクが出している情報誌「支えあいの輪 世田谷区内「支えあい活動」ガイド」を購入してみてください。参考になります。会員募集もされています。リンクのメールアドレスは
mlink@mva.biglobe.ne.jp
です。
どなたかここのホームページ作成を無償でやってみませんか。余計なお世話ですが、すごく学ぶことが多いと思います。

■ シニアライフアドバイザーの菊井正彦さん(2002年7月19日)
多摩地区でボランティア活動に取り組まれている菊井正彦さんが訪ねてきてくれました。菊井さんはシニアライフアドバイザーですが、いのちの電話の活動にも関わっています。数年前に会社を定年で退職し、その後、さまざまな活動に関わっているとのことです。お話していると何人かの共通の知人がいました。最近、そういうケースが非常に多く、先週も熊本や北九州市で初めて会った人と話していたら共通の知人友人がいました。世界は本当につながっています。

保育関係のメーリングリストに参加していますが、そこでも今週、覚えのある人の名前が出てきたので、もしかしたらと思って聴いてみたらまさに私の知っている人でした。18日、山形市でも市役所で偶然、知人に会ったのですが、その知人が市長に紹介すべく同行した人(青森の人ですが)がどうやら私も参加している、あるメーリングリスト仲間のようでした。そんなことが頻発するようになっています。これもおそらくIT革命が生み出した新しい状況のような気がします。世界はつながりながら、大きく変わりつつあるように思います。

菊井さんの話からずれてしまいました。戻します。菊井さんは、コムケア活動の応募の相談に来たのですが、とてもうれしいコメントをもらいました。ボランティア活動をしていると、ともすると目先に活動に埋没し、新しい企画やプロジェクト起こしに目が行かなくなる。今回のコムケアの呼びかけを契機に、ぜひ今の活動を見直し、視野をさらに広げて何か新しい活動を考えていきたい、とおっしゃるのです。これはまさに私が望んでいたことなのです。
一昨日のリンクといい、今日の菊井さんといい、何か同志に会ったようで、大きく元気づけられました。

■ リンカーンクラブの武田文彦さん(2002年7月20日)
ネットワークでもお知らせしている直接民主主義の進化をライフワークにしている武田さんから、リンカーンクラブ活動の再開の連絡がありました。この数年、ちょっと活動を抑えてきましたが、スタイルを変えての再開です。武田さんは「民主主義進化論」という大著を出版しています。いつかまた紹介しますが、ご関心のある方はご連絡ください。これは生活者の視点で政治を考える「わくわく政治談議」とは少し次元の違う活動です。

日本フィランソロピー協会の佐々木理代さん(2002年7月24日)
6月30日に行ったコムケアフォーラムを月刊フィランソロピーに掲載してくれることになりました。その追加取材を受けました。
佐々木さんの最初の質問は、「なぜ公開を大切にしているのか」でした。うれしい質問です。コムケア活動の基本理念は「ひらく」と「つなぐ」です。佐々木さんは、こうしたコムケア活動の考え方にとても共感してくださり、早速、応援団になってくれました。

今から13年程前に、企業の人に呼びかけて「フィランソロピー研究会」を2年ほどやっていました。当時はまだ、社会貢献活動は利益の社会還元という発想が根強く、おそらく私の考え(本業こそが社会貢献の基軸)は誰にも伝わらなかったような気がします。それで2年でやめてしまいました。当時のメンバーで今も活動している人は本当に少ないです。理念の大切さを感じます。

日本ドナー家族クラブの間澤容子さん(2002年7月24日)
間澤さんは、私の「楽しい福祉」発言に異を唱えた人です。昨年のコムケア最終選考会の後の交流会で、です。異を唱えることから始まるコミュニケーションもあります。以来のお付き合いですが、多くのことを教えていただきました。ドナー家族のことも、臓器移植のことも、本当に知らなかった自分に気づきました。
間澤さんたちは今年もコムケアの資金助成に応募してくださいます。その相談にやってきました。私たちは応募段階でも相談に応じています。その相談の過程で、さまざまな気づきがお互いにあるのです。こうした活動をやっていると、資金助成などは本当に入り口でしかない、と思います。そういえば、このプログラムを支援してくださっている住友生命社会福祉事業団の高原茂さんが、6月のコムケアフォーラムの挨拶で、まさにそうお話してくださいました。私がこの活動に思い切りのめりこめるのは、住友生命のそうした理解があるからです。

■ WAP( wonder Art Production)の西村佳子さん(2002年7月30日)
 昔、ニューエスデザインという学生たちの会社がありました。ひょんなことから彼らとの出会いがあり、付き合いが始まりました。そのとき出会った一人が建築家の大月敏雄さんです。今、美野里町でご一緒しています。一度書きましたが、このメンバーと一緒に、日本初の駅型保育園構想をつくりました。その設計を模型に仕上げてくれたのが紀陸幸子さんです。私が保育の世界に関わらせていただくことになったきっかけです。
 その頃のメンバーの紹介で、WAP( wonder Art Production)の西村佳子さんが訪ねてきました。6月30日のコムケアフォーラムに参加してくれ、コムケアの資金助成プログラムへの応募を考えてくれているのです。
 西村さんたちが取り組んでいるのは、子どもたちを自然環境とアートに触れさせる活動です。すでに「海と森のげいじゅつ」という素晴らしいイベントを何回か開催しています。
 西村さんたちの取り組みと思いを聞かせてもらいました。企業もメセナ活動をいろいろ展開していますが、こうした地道な活動を育てていくという視点をもっと強くしてほしいものです。昔書いた小論を思い出しましたので、添付します。

■ 工芸技能研究所(2002年8月5日)

コムケア活動の関係で、10年くらい前にお会いして以来の菅谷隆一さんがやってきました。菅谷さんが東商にいらしたころにささやかな接点がありました。その後、菅谷さんは東商をお辞めになり家業を継がれましたが、今日は、菅谷さんが最近関わっているNPO工芸技能研究所の相談でした。

この研究所は発達障害者を対象に工芸技能の養成と工房活動を支援しているNPOです。まだ生まれたてです。今取り組んでいる工芸は漆と織のふたつです。今は10人の方が養成所と工房に参加しているとのことですが、創作された作品をどう販売していくかなど、課題は山積みのようです。

工芸技能研究所で漆技能の指導を担当されている和田さんが同行されました。和田さんは非常に真摯に、発達障害者の自立の仕組みを考えています。こうした活動が、もっと広がっていくといいと思いますが、なかなか存在自体をアピールできずにいるようです。昨年の選考でも思ったのですが、コミュニティケアに関する実に様々な取組みがあるわけですが、それらがもっと見えるような形になれば、問題の半分は解決するかもしれません。

ちなみに最近、事業型NPOが増えてきていますが、企業とどこが違うのか、をしっかりと考えておかねばなりません。NPOとしての優位性をどう活かしていくかが大切です。これはNPOとは何かという本質的な問題につながります。私は昨今のNPOブームにいささかの違和感を持っていますが、安直な事業型NPO論に陥ることなく、もっとNPOについての本質的な議論が行われるべきだと思います。
もうひとつは、価値論のない経営発想です。最近の企業は経営不在だと私は思いますが、その企業から学ぶような経営発想は危険です。安直に経営発想などと言ってはいけません。悪い経営コンサルタントにだまされるのが関の山です。

■ 渡辺清さんに会いました(2002年8月9日)

とんでもないミスをしてしまいました。コムケア活動を支援してくださっている住友生命の調査広報部の井上小太郎さんが、甲府で新しいNPO支援の仕組み作りをしている渡辺清さんを紹介してくださり、お二人でコムケアセンターを訪問してくれる日でした。私もとても楽しみにしていました。
ところが、なんとその肝心の約束日を私が全く勘違いして、お約束の時間に違うところに行ってしまっていたのです。私は携帯電話を持っていないため、連絡がつかず、結局、お二人を1時間半も待たせてしまいました。せっかく甲府から休暇をとってでてきてくれたのに、どうお詫びしたらいいでしょうか。井上さんの顔もつぶしてしまったわけです。かなりの失策もそうは気にしないのですが。今回はこたえました。大いに反省。

渡辺さんはNPOと寄付者をつなげる寄付市場システムを構築しようと考えています。すでに構想はまとまっています。理屈だけではだめなので実際に動き出そうというのです。その姿勢が素晴らしいです。共感し、全面的に協力することにしました。この仕組みを講評してもいいというお許しが出たらまたご紹介します。

渡辺さんはマスコミ関係の会社の社員ですが、同時に大学のマスターコースに通う社会人大学院生です。そこでのテーマはNPOです。こういう社会人が増え始めました。とてもうれしいことです。
渡辺さんとは長いお付き合いが始まりそうです。最初の1時間半のミスがずっと付きまとうかと思うとちょっと不安ですが。

■ イー・エルダーの鈴木政孝さん(2002年8月16日)
 鈴木さんは長いことIBMで社会貢献活動のお仕事を担当されていました。そのテーマを自らのライフワークにされ、会社をお辞めになってからも、会社とNPOとをつなぐ仕事に取り組んでいます。NPO法人イー・エルダーを設立し、リユースパソコンのNPOへの寄贈やIT分野でのNPO活動支援を行っています。
 私が会社を辞めた直後にフィランソロピー研究会というのを2年ほどやりましたが、その時に鈴木さんと出会いました。当時のメンバーで、いまもその分野で活躍されている方はほとんどいなくなりました。とても残念です。
 鈴木さんが考えている構想を聴かせてもらいました。NPO活動で大切なのは、ビジョンとミッションと、現場に立脚した実践だと思います。鈴木さんはそうしたことをしっかりと踏まえて活動を組み立てています。まだ私自身、理解できていないところはありますが、私たちのコムケア活動との接点もたくさんありそうです。

■ 国際交流に取り組む太田敬雄さんと出会えました(2002年8月16日)
 太田さんは群馬の渋川でNPO法人国際比較文化研究所を主宰されています。わざわざ渋川からコムケアの相談でやってきてくれました。
 太田さんは今夏、日中韓の学生たちが日本語で交流する「多文化交流inぐんま2002」を企画推進されたそうです。その活動内容を聴かせていただきました。現場からの発想を踏まえた内容であり、しかも小さなところにまで心配りが感じられる、とても共感できる活動です。この内容は同研究所のホームページ(まだ未完のようですが)に少し掲載されています。
 私も以前、ささやかながら日本への留学生の支援活動をさせてもらっていました。今でもメーリングリストなどでつながっています。そのとき多くの留学生から異口同音に指摘されたのが、日本人の心の閉鎖性でした。日本社会は一見開かれているようだが、個人の生活は閉ざされているといわれました。「ひらく」は私の生活信条の一つですが、自分では開いているつもりでも、たぶん相手には開かれていないことも多いのでしょうね。
 多文化交流は家庭や近隣社会で育まれた「人と人とのあたたかい交流」を基盤におかなくてはいけないと太田さんはいいます。研究所の名前も国際比較文化ですが、「調査対象や研究対象」として比較するのではなく、人と人との交流を通して会得していくのが大田さんの姿勢です。心から共感できます。
 ちなみに日中韓の学生たちの交流活動はこれから毎年実施していく計画のようです。ご関心のある方は、ぜひ応援してやって下さい。

■ 竜ヶ崎市の宇野良明さん(2002年8月22日)
 宇野さんが相談にやってきました。彼とはリンカーンクラブのフォーラムで知り合いました。昨年、会社を辞めて、地元でさまざまな活動を取り組んでいます。最近、仲間と一緒に、稲敷ケンコー農場を開設し、ヤ―コンやキクイモなどの自然食品づくりに取り組んでいます。いよいよ今秋から製品の販売を開始する計画です。ホームページも開設されだしています。みなさん、ぜひ応援してやって下さい。
彼の活動はいつかまたご紹介できるでしょう。
 ついでながら、生命に優しい食情報ネットワークはメーリングリストが動き出し始めています。まだ受け付け中です。ご関心のある方はどうぞご連絡下さい。

■ メリーポピンズの会(2002年8月22日)
 宝塚市で園芸を通じたまちづくり活動に取り組んでいる、メリーポピンズの会の大日向郁夫さんが、コムケア活動の関係で訪ねてきてくださいました。シニアの方を中心にして、公共施設の花壇整備や園芸を通しての人の輪づくりに取り組まれています。自ら育苗場を持って、本格的に展開しています。
 大日向さんはずっと企業でお仕事をされていました。そこで得たさまざまな体験を今はこうした活動に活かされているようです。組織で活躍された方が、高齢社会の中で、これからどんどん地域社会に戻ってきます。そうした方々が、草の根的な住民活動に新しい風を吹き込むことになると、私は思っています。さらに、行政や企業と住民活動を相乗的につないでいくことも期待されます。
 コムケア活動を通じて、そういう動きを予感しています。

■ 広岡守穂さんとの再会(2002年8月26日)
福島の自治研修センターで偶然にも中央大学の広岡さんにお会いしました。もう10年以上お会いしていないのに声をかけてもらいました。思わぬところで旧知の方に会うのはうれしいことです。
広岡さんは実に幅広く活動されている方ですが、私が最初にお会いした時は中国の長春のお話だったと記憶しています。また、当時、岩波新書などで子育て関係の本を出されており、私も保育関係にのめっていたこともあって、いろいろ刺激を与えてもらいました。しかし、その後、お会いする機会がなく、今日、久しぶりの再開でした。最近はNPO推進ネットの理事長もされているようで、いろいろ世界がまた重なってきているようです。
ところで、福島の自治研修センターは人つなぎの名所です。ここに話に来て昼食をいただくのですが、その時に同じく講師役で来られた方とご一緒することがあります。食事時の短い交流ですが、そこからつながりが生まれることが多いのです。
野村みどりさんからは「病院のこども憲章」のことを教えてもらいましたが、お会いした数日後、なんと私が大宮の新幹線ホームを歩いていたのを新幹線から見つけたというメールをいただきました。出会いの数日後にまた偶然に出会う、いつか書きたいと思いますが、こうした経験が実に多いのです。皆さんも経験されていませんか。
次にお会いした今西さんは区画整理の関係の長い名前のNPO活動をされていますが(以前紹介させてもらいました)、その機関誌に投稿を勧められ、その関係で遠藤さんという知己を得ることができました。先週お会いした横道さんは、北九州市の政策科学セミナーでつながっていることがわかりました。そして、今日は広岡さん。人は本当につながっているのです。見えていないだけですね。
長々とすみません。

■ 社会教育NPOセンター(2002年9月11日)
 社会教育という言葉が昔は大嫌いでした。生涯学習なら、まだいいとしても。
 しかし、歳のせいか、あるいはまちづくりに関わってきたせいか、この頃はすんなり受け入れることが出来るようになりました。
 「社会教育」という雑誌の編集長の近藤真司さんがやってきました。昔からの付き合いです。彼が立ち上げた出前講座研究会にも当初参加していましたが、その研究会はどんどん広がっています。私はあまりに安直な生涯学習型の出前講座が広がりすぎたのにちょっと違和感をもって、参加はやめましたが、最初の頃の研究会の成果が本になっています。近藤さんのところでまだ販売しています。ご関心のある方はどうぞご連絡下さい。
 近藤さんはまた新しい企画を考えています。私の問題意識とかなり重なることが多く、まもなく一緒に新しい活動が始まりそうです。コムケア活動ともつながる活動です。またお知らせします。

■ 経済産業研究所浜辺哲也さん(2002年9月18日)
 浜辺さんとの出会いはつい最近です。コムケアの交流会に参加してくれたのです。
 浜辺さんは今春発表されたNPOの中間報告書の事務局を勤められました。この報告書は、それなりに新しさが感じられます。霞ヶ関のNPO理解はきわめて目線が高く、実態とは無縁なものが多いように思いますが、この中間報告書は一応最後まで読ませてもらいました。
 浜辺さんは交流会で私が話した「NPOはサブシステムの主役ではなく、全体の社会システムを変革する論理の震源地」ということに賛意を示してくれました。それで、浜辺さんに関心を持ちました。視点が従来型では内容に思ったからです。従来発想のNPO論者には辟易しています。
 今度、福島県で「社会のリフレーミング」をテーマにしたフォーラムを開催しようという話があるのですが、そこにゲストとしてきてもらおうかと声をかけて、来てもらったのです。のっけから、面白い話になりました。諸悪の根源は国家制度であるという私の持論にきちんと対応してくれたのです。まさに社会のリフレームを考えるゲストには最適です。

■ 三井物産戦略研究所新谷大輔さん(2002年9月18日)
 この浜辺さんと一緒に声をかけたのが新谷さんです。新谷さんとの出会いは、昨年の構想学会の大会です。新谷さんの関心事も、社会のリフレームだと私は考えていましたので、声をかけたのです。彼は企業の社会化に取り組んでいます。
新谷さんは、わくわく政治談議サロンのメンバーでもあります。社会のリフレームと政治とは深くつながっています。
 この二人をゲストにフォーラムを企画したいと考えていますが、あと二人ほどに声をかけています。きっと面白いものになりそうです。

皆さん、10月7日に福島に来ませんか。対象は自治体職員ですが、ゲストになれば誰でも参加できます。たぶん。交通費は各自負担ですが、参加費は無料です。但し、発言をしてもらうことになりますが。ともかく面白い人を集めた公開フォーラムにしたいです。また報告します。
 
■ 青森大学助教授柴田郁夫さん(2002年9月19日) 
 福島のフォーラムに、もう一人声をかけているのが志木市で長年、コミュニティ活動をしている柴田さんです。
柴田さんとの出会いは20年近く前になります。私がまだ東レにいたころです。PI(パーソナル・アイデンティティ)研究会というのを柴田さんたちがやっていました。そこに話しに行ったのです。そこで私が話したのが「社員の元気が会社を元気に」でした。柴田さんたちはそれを表題にした本を出版されました。その後、この言葉は広がっていきましたが、当時はまだ「組織からの発想」が主流でした。それから15年、やっと本当の意味での「個人から発想する時代」がやってきました。個人の元気が会社の元気だと考え出す経営者が生まれだしたように思います。それに失敗したのが企業不祥事で悩んでいる大企業です。
 柴田さんは、実に面白活動をしています。最近、話題のコミュニティビジネスに20年前から取り組んでいた社会的起業家です。彼のホームページをぜひご覧下さい。
http://www.telework.to

■ 東邦学園大学教授山極完治さん(2002年9月19日)
起業家といえば、最近の米国の雇用拡大の三分の二は女性による起業だそうです。この話は山極さんからお聞きしました。山極さんとは、以前ここでも紹介した、多様な働きの場の創出研究会という集まりでお会いしたのですが、最近、私のホームページを見てくださって「CWSコミュニティに関心あり」というメールを下さったのです。今日はわざわざ、オフィスにやってきてくれました。ゆっくりお話しするのは初めてですが、関心といえ、考え方といえ、活動領域といえ、かなり重なっていることがわかりました。
いろいろ意見交換しましたが、一番共感できたのは山極さんが家事分担をしっかりしているということです。ごみを出しに行ったり、食事を作ったりです。経営学者は、そうしたことをしっかりとしなければなりません。それが経営の原点だからです。ごみを毎日出しに行くと、環境問題やいまの産業のあり方への疑問が実感できます。私自身も会社を辞めてから、そういうことにやっと気がつきました。生活のない人が経営をやってはいけません。もちろん政治も、ですが。

■ 伝統の知恵のフォーラム(2002年10月11日)
伝統の手仕事や祭りの中にこそ、これからの暮らし方や地域社会づくりの知恵がある、という考えから、伝統の知恵のネットワークのメンバーが沖縄や京都を中心とした知恵集めに取り組んでいます。そのメンバーが、公開シンポジウム「伝統の知恵を拓く」を東大の駒場キャンパスで開催しました。私もささやかな登場人物です。
駒場に40年ぶりに行きました。懐かしい思い出というよりも、全く雰囲気が違っていました。しかし、あいかわらずゴミが多く、汚いのが気になりました。
シンポジウムは実に豪華です。ゲストは京菓子の老松の当主である大田達さん、西表島の染色家の石松昭子さんです。お二人のホスピタリティこもった実演、その上、太田さんの手づくり京菓子もいただきました。裏千家の木下さんからお茶も立てていただきました。しかもそれを会場の前に太田さんがつくった臨時の壁のない茶室で、みんなの前でいただきました。お茶の嗜みの皆無の私を木下さんはとても気持ちよくくつろがせてくれました。
茶器や掛け軸なども、滅多にないものとのことでした。掛け軸はまさに、今日、偶然に借りることが出来た沖縄のすごいものだそうです。太田さんが説明してくれましたが、なにしろ壇上でみんなに見られてのお茶席でしたので、それどころでなく、覚えていませんが、確かに何か伝わってくるものがありました。
お二人のお話はすごく示唆に富むものでした。コミュニティケアと伝統が深くつながっていることを改めて実感しました。いずれのキーワードも「つなぐ」です。この場が参加者をもっとつなげられるとよかったです。
お二人のお話の後、私が引き出し役の鼎談をやりました。実に面白く、このテーマで10時間くらいやりたい気分でした。
伝統の知恵のネットワークの中心は、東大大学院の沖本幸子さんと濱崎加奈子さんです。この二人の身体の中に蓄積された知恵の情報をいつかまとめてもらいたいと思っています。日本社会をよくするヒントが彼女たちの頭の中に充満しています。期待しましょう。
伝統の知恵のネットワークのコムケア活動の簡単な報告を添付します。ご関心のある方は読んでください。

■ 子育ち学に取り組む深作拓郎さんのシンポジウム(2002年10月19日)
東京は過密都市ではありますが、歩いているといろいろな知人友人に会います。これだけの混雑の中で、よくまあという気もしますが、そこには一つの法則があります。必ずといっていいほど、会うべくして会うのです。必然的な偶然ということが一時期言われましたが、まさにそれを感じます。何かが出会いを用意してくれるのです。
今日は二人の知人に山形出張途中で出会いました。太田さん(我孫子まちづくり交流会)と深作さんです。深作さんは法政大学の講師で、子育ち学とまちづくりに関わっています。11月17日に深作さんたちが主宰する「子育ちと地域支援」をテーマにした公開シンポジウムがあります。案内をお知らせに掲載しています。ご関心のある方のご参加をお待ちします。私もパネリストになるようです。

■ 日本フェアトレード委員会(2002年10月29日)
熊本の自立応援団の宮田さんが訪ねてきてくれました。お二人の方とご一緒に、です。
お一人は潟iチュラルコーヒー代表の清田和之さん。清田さんは様々な社会活動を展開されています。そして、奥様のわくわく保育園理事長の清田明子さん。
清田和之さんとは熊本でも以前お会いしましたが、ゆっくりお話しするのは初めてです。

清田ご夫妻と宮田さんが、今取り組みだしているのが、日本フェアトレード委員会の設立です。
出発点はナチュラルコーヒーです。
いま、世界のコーヒー豆は大暴落しています。しかも農家の手取りは消費者価格の2%以下だそうです。
この辺の情報は別コーナーで近々書き込みます。
こうした状況の中で、清田さんたちはフェアトレードに取り組むことにしました。
コーヒーは旧植民地体制の象徴であり、現在はグローバリゼーションの悪しき影響の典型。フェアトレードは、これら南北問題を解決するための一つの現実的なやり方ではないかと3人は考えています。共感します。

清田さんたちのパートナーは、ブラジル有機コーヒー栽培者協会会長のイヴァンさんです。
イヴァンさんと清田さんの出会いが、この活動を加速させることになりました。
今年、7月、イヴァンさんに来日してもらい、熊本で講演会を開催しました。

私も今から25年近く前に、ブラジルのコーヒー園に行った事があります。
朝日新聞社の懸賞論文で入選し、南米各地を回ったのです。
実に広大な豆畑を見て感動しましたが、そこで成功した「勝組み三世」の生活ぶりのも驚きました。
同時に移住された人たちのご苦労の様子も実感できましたが。

日本フェアトレード委員会は今、設立準備中ですが、並行して会員も募集しています。
またコーヒーもすでに輸入し(言うまでもありませんが、生豆で輸入し、日本で焙煎します)、販売を開始しています。
コーヒーを飲むたびに、その一部が現地農家の支えになり、また一部は日本での社会活動に向けられます。
そのあたりの仕組みはこれからもっと見える形にしていく必要があります。
そうした活動に私も荷担しようと思っています。

いずれこのホームページでもリンクもしくはコーナーを作りますが、まずはコーヒーを試飲してみませんか。
基本は200グラム3パックを3000円で購入できます。購入すると自動的に日本フェアトレード委員会に入会となります。
ご関心のある方はぜひご連絡下さい。東京にも小さな支部をつくれればと思っています。


もっともフェアトレードとかナチュラルコーヒーは、すでに様々なコマーシャリズムにものっていますので、「またか」とお思いの方も多いでしょう。
しかし、清田さんたちの活動は、人の顔が見える活動です。
是非ご支援ください。またご報告します。

■ 「つなぐ」をキーワードにしている縄田理恵子さんとつながりました(2002年10月30日)
縄田さんが訪ねてきました。不思議な縁です
。縄田さんと私は以前、ここで紹介した「統合医療研究会」に同席していたのです。
この研究会は、東京女子医科大学の川嶋さんが主催されていますが、私もそこに参加し、質問させてもらいました。
同じ日に、 もう一人質問した人がいました。とても興味を持った質問でした。名刺交換しようと思っていたのですが、会終了後、ゲストの方と話しているうちにその方を見失ったのです。

先日、その人からメールが来ました。それが縄田さんです。
彼女はもちろん私のことをしりません。
彼女が事務局をしているホメオパシー研究会で川嶋さんに話をしてもらおうと川嶋さんのことをネットで検索していて、私のホームページに出会ったのです。
そして、どこかの記事に共感してくださり、メールをくれたのです。
私は全く名前も知りませんでしたが、なぜかすぐに直感しました。
そこでその会に参加していたでしょうと連絡したら、まさにそうでした。
人は出会うべくして出会うものです。

長くなりましたが、まあそんな経緯で、彼女は訪ねてきました。
名刺に「人と人、人と物をつなぐ」リンケージシステム代表とありました。
長年、外資系の製薬会社でお仕事をされていましたが、ある思いから最近、会社を辞め、リンケージシステムと言う会社を立ち上げたのだそうです。
薬剤師にして食品保健指導士。健康食品や健康器具の販売活動や健康関連事業のコンサルティングをしながら、統合医学分野の活動に取り組んでいます。
アーユルベーダにも関わられています。

縄田さんから、たくさんの思いをお聞きしました。私も、やや特殊な「病気観」を持っていますが、共感できることが多く、彼女の応援団にならなければいけなくなりそうです。
統合医療やホメオパシーに関心のある方、彼女に是非お会いください。
ホメオパシー研究会に興味のある方は縄田さんにメールしてみて下さい。
参加されたい方はぜひどうぞ。

■ 銀色応援団(2002年10月30日)
今日お会いした応援団は銀色応援団です。
銀色はシニアの発想のようです。名前がやや安直ですが、まあそれはそれとして、この団体は11月に正式に発足するNPOです。
吉田さんが20日のコムケアの選考会に参加してくれたのを契機に訪ねてきてくれました。

ここでも主役は企業人です。主に企業に属している40〜30代の人たちが13人がコアメンバーです。
高齢者や障害を持つ人を介護している人たちを応援していこうという、それも事業型NPOとして、事業展開していこうというものです。
私が理想とするNPOです。NPOは自立しなければいけません。
社会のサブシステムのNPOではなく、社会を変えていくフロントランナーだと、私はNPOを位置づけています。いつかNPO論を書きたいのですが、何時になったら書けるでしょうか。

高齢者を含む障害のある人や、そうした人を人を支援している人たちをつなげながら、そこをさらに企業や行政とつなげていこうという構想です。
コムケアの構想とかなり重なるところがあります。コムケア仲間もいろいろ紹介できそうです。
関心のある方、是非銀色応援団の応援団になってください。
ホームページをご紹介しておきます。

それはまたそれとして、ここでいいたいことは企業に所属する若い世代が目を社会に向けて動き出したことです。
経営コンサルタントなど頼まなくとも、会社は社員から変わり始めているのです。
それに気づかない経営者の感度に鈍さが、もしかしたら会社の元気をだめにしているのかもしれません。

■ NPOと行政(2002年11月15日)
コムケアの選考会に参加してくださった廣瀬正明さんが来てくれました。
浦嶋さんのご紹介です。浦嶋さんは今、農的暮らしを考える研究会を立ち上げ中ですが、これはまたご報告させていただくとして、今日は廣瀬さんです。

廣瀬さんは滋賀県庁の職員ですが、今は、東京の自治大学校に研究に来ています。
取り組んでいるテーマは「行政とNPOの協働」です。そんな関係で、コムケアの選考会にも参加してくださったのです。
風邪菌に身体を預けていたせいで、何を話したかあまり覚えていないのですが、なにやら面白かったです。

廣瀬さんは林業に関わっています。里山保全の活動にも取り組んでいます。
林業に関わっている人は、みんななぜか魅力的です。
現代人の、いかにも貧相な生活リズムとは違うものを感じさせます。

以前も書いたように、私は「協働」という言葉は嫌いなのですが、いまは企業や行政とNPOの協働への取組みが盛んです。
しかし、なかには下請け的な関係や制約はずしのための協働もないわけではありません。
福祉分野では行政との協働の結果、本来の自分たちの活動がおろそかになってきているNPOもあります。
安直にNPOや協働を考える風潮にはいささかの不信がありますが、しかし、どう役割分担をしながら新しい社会の枠組みを構築していくかは大きな課題です。
異質なものが一緒に取り組んでいく場合、大切なのは、何を目指すかというビジョンです。
そしてそれを共有するためには共通の情報基盤を持つことです。
私はそれを「共創」という言葉で捉えています。
一緒に知恵と汗を出し合って、新しい価値を創るという意味です。
私が関わらせていただくプロジェクトは、すべて共創が基本にあります。

■ アーユルヴェーダ(2002年11月15日)
10月30日のこのコーナーに登場した縄田さんのご紹介で、アーユルヴェーダの知恵の普及活動に取り組んでいる佐藤真紀子さんが来てくれました。縄田さんはホメオパシーに取り組んでいる方です。先週、ホームページを書き落としましたので、改めて縄田さんの会社のホームページを紹介します。元気な生活を目指す方は、ぜひご覧下さい。

さて、佐藤真紀子さんです。
真紀子さんがアーユルヴェーダの普及活動に取り組みだしたきっかけは、インド人医師サダナンダ博士に脈診してもらったことのようです。サダナンダ博士は、世界的に活躍しているアーユルヴェーダ医師コンサルタントで、日本にも毎年、来てくれているそうです。
真紀子さんは、ご自身の体験からアーユルヴェーダの知恵を広げていきたいと思い立ち、早速、パルスリーディング研究会を発足させ、昨年まで活動して来ました。今は新しい段階へ進んでいます。
彼女の当面の夢は、日本にアーユルヴェーダ普及のためのセンターを建設することです。
この数年、アーユルヴェーダに関しては一種のブームのような動きもありますが、学生時代から関心を持ちながら、何もしてこなかった私としては、とても興味深い話です。
まだ何が出来るかわかりませんが、応援させていただくことにしました。
とりあえず、 真紀子さんからアーユルヴェーダの話を聴く会を一度開きたいなと思っています。

それにしても女性たちのエネルギーはすごいものがあります。そういえば以前、ここでも紹介した黛まどかさんのサンチャゴ巡礼の映画づくりは着実に進んでおり、様々な方のサンチャゴ巡礼も広がっています。思いを持てば、必ず実現するものです。
真紀子さんのアーユルヴェーダ・センターも間違いなく実現するでしょう。
ご関心のある方、ぜひ応援団になって下さい。
まだホームページが出来ていないようですので、ご関心のある方はとりあえず私にご連絡下さい。
集まりを企画したら、連絡します。

■ 第1回「子育ち学」全国セミナー(2002年11月17日)
 このホームページでもご案内していた、子育ちと地域支援をテーマにした全国セミナーがあり、そこでのトークライブに参加しました。プログラムなどはお知らせの記録のコーナーにありますが、全国各地で子育ちの支援活動をしている実践者の交流会です。
 この分野では先駆者の日本福祉大学の小木美代子さんや与論島で実に楽しい活動をされている赤崎隆三郎さんなど、実に多彩なメンバーです。みんな、子育ち学をテーマにした本を書いた人たちです。私だけが読者でした。一番新しい本である「子どもの豊かな育ちと地域支援」をホームページで最初に紹介させてもらったことのごほうびです。この本は面白いです。ブックのコーナーで紹介していますので、ぜひお読み下さい。
 パネリストの一人、岡山県の御南公民館の田中純子さんは岡山の高島町に住んでいるそうです。私はそこで保育園をされている流王濃さんとささやかな接点があるのですが、田中さんもその保育園をご存知でした。流王さんはとてもしっかりした理念に基づいて保育に取り組まれています。また、もう一人のパネリスト松浦利明さんは葛巻町の人でした。葛巻といえば、このホームページとつながっている「森と風のがっこう」の吉成さんの活躍の場です。松浦さんもご存知でした。なんとまあ、世界はつながっていることでしょうか。
 司会は民主教育研究所の廣田健さんでしたが、今回はあまりお話できませんでしたが、きっと共通の友人がいるはずです。
 参加してくれた方にもつながりがありました。
アフタースクールの楢原さんは、このホームページのCWSフォーラムでも書き込みましたが、コムケアサロンに参加してくれた方ですし、キーパースン21の近藤さんはまさにコムケアで接点が出来たばかりの方です。こういう場でお会いできると本当に嬉しいです。それに加えて、なんと美野里町の本づくり(「文化がみの〜れ物語」)に参加した法政大学の学生も参加してくれていたり、色々な方に出会いました。住友生命の渡辺さん(コムケア活動の支援元)もわざわざ参加してくれました。
 活動をはじめると、どんどん輪が広がりだします。そして、しばらくするとそれらがつながりだすのです。それが実に面白く、楽しいのです。
 トークライブはとても面白かったですが、その内容はいつか、主催者の深作拓郎さんがまとめてくれるかもしれません。
 私は、「子育ちを地域が支援するということも大事だが、子育ちが、つまり子どもたちの育ちが地域の成長を支援している事の認識も大切にすべきではないか」とメッセージしました。こう書いてしまうと、私の思いは伝わりませんが、いつかまたメッセージコーナーで書くようにします。子どもたちこそまちづくりの最高の財産です。

■ リンク(NPOせたがや福祉サポートセンター)との意見交換(2002年11月28日)
コムケアセンターの調査研究支援プログラムのひとつが、「痴呆予防プログラムの実践的検証とその普及方法に関する研究」ですが、それに取り組んでいるのがリンクです。
リンクについては以前、このコーナーでも紹介しましたが、コムケアの理念と非常に重なった活動をずっと前から取り組んでいる、いわば私たちの大先輩です。
その代表の光岡明子さんと、この研究活動の進め方について意見交換しました。
具体的な進め方に関しては近日中にコムケアのホームページに掲載しますが、リンクが展開しているいくつかのフィールドを活用して、実践的なプログラム開発が進められる予定です。
その成果は、ぜひともひろく全国に発信していきたいと光岡さんたちは考えています。
「痴呆予防」という言葉を使っているため、問題解決型の取組みと受け取られるかもしれませんが、そうではありません。
むしろ、「生活を健やかに楽しくしていくための支援」というような意味で、生活者視点での取り組みガ光岡さんたちの基本姿勢です。
私もそこに大きな共感をもっています。
観察者的な関わり方は、コムケア活動としては避けたいところです。
この活動には、ささやかに関わっていこうと考えていますので、また報告して行きますが、このテーマに関心のある方はぜひご連絡下さい。

光岡さんとは、このプログラム以外でも少しお話しましたが、企業の人たちに少し分けてやって欲しいほどの元気を持っています。
時代の息吹を実感しているからでしょうか。私たち、男性ももっと元気に活動しなければいけませんね。

■ 「開発援助か社会運動か」の著者の定松栄一さん(2002年11月29日)
定松さんは「ボルガタンガ便り」を書いてくださっている田中雅子さんのパートナーです。
ガーナ在住ですが、一時帰国されていたのです。
定松さんとは、以前一度電話でお話した事がありますが(当時は確かシャプラニ―ルのメンバーでした)、お会いするのは初めてです。

定松さんの新著、「開発援助か社会運動か」は、ブックコーナーでも紹介していますが、実に示唆に富む本です。
国際開発関係者だけではなく、国内でまちづくりに関わっている人にもぜひ読んで欲しい本です。
定松さんと田中さんのご夫妻は、以前は二人ともシャプラニールにいましたが、定松さんがネパール駐在になったため、田中さんは仕事をやめてネパールに同行しました。
そして、今度は田中さんがガーナに行く事になったため、今度は定松さんが主夫としてガーナに同行する事にしたのだそうです。
お二人とも、イギリスで生活視点を重視した開発学を学んでいますが、まさにその生き方に、お二人の開発やまちづくりへの基本理念が現れています。

定松さんは、今回の本を英訳して、ネパールの現地の人たちに読んでもらおうと考えています。
彼らからもらった知恵を、彼らに戻さなければフェアでない、と定松さんは考えています。
その姿勢にも共感します。
観察者や研究者には知恵は不要です。
知恵を活かせるのは現場の人だけです。

■ 良薬は決してにがくはありません
イヴァン・イリイチが亡くなりました。彼の「脱病院化社会」や「脱学校社会」は。私の考え方に大きな影響を与えた本です。そこから発想の転換の意味を知ったといってもいいでしょう。

昨夜、女房が喘息の発作を起こしました。いや、発作というよりもちょっと違う症状でした。そこで、夜中の12時近くだったのですが、かかりつけの近くの慈恵医大病院に行きました。午前3時まで娘と一緒に付き添っていました。

こうした経験は何回かあるのですが、その時の電話の応対や受付の人の対応、もちろん看護婦や医師の対応で、実は病状の変化は全く変わってしまうなといつも思います。
ちなみに、慈恵医大のその病院は、私の母を見送った病院ですが、その時の医師や看護婦の対応は実に献身的で、私は特に看護婦という職業に感動しました。あれだけの使命感は、私にはもてそうもないと思ったのです。
その慈恵医大ですら、毎回対応は大きく変わります。まず緊急病棟に電話します。その対応で、症状が一変に悪化してしまうこともあります。まあそれはそれとして、今回は結果的には無事回復したのですが、今夜のクルーは言葉数が少なかったのが印象的でした。言葉が少ないのは不安を与えます。挨拶の声も明るいかどうかで変わります。

以前も書きましたが、生命に影響を与えるのは医師ではなく看護婦ではないかと私は思っています。近代医学は医術を基本に構築されています。ここに間違いがあったような気がします。中心におかれるのは看護であって医術ではないのではないか、ましてや医学などではないはずです。どんな薬よりも、思いを込めた明るい一言や温もりのあるスキンシップが、生命を輝かすのではないかと思います。

皆さん、良薬は決してにがくはないのです。温もりのあるもの、それこそが最高の良薬です。そして良薬は自分で飲むのではなく、周りの人に飲んでもらうのがいいのです。これが私がコムケア活動にのめりこみだした理由です。

■マリア様気分(2002年12月12日)
アーユルヴェーダの佐藤真紀子さんのことは以前ご紹介しました(2002年11月15日)

 女房が喘息だと知って、いろいろアドバイスをしてくれました。そのひとつが乳香(フランキンセンス)です。樹液の一種です。皆さん、ご存知ですか。もちろん私は知る由もなく、手元のデューク版「グリーンファーマシー」で調べました。
 ところで、「グリーンファーマシー」はご存知ですか。薬用植物のエンサイクロペディアです。米国ではベストセラーだそうです。私の知人が翻訳しました。家庭の常備書としていかがですか。この本は高価なので売れないのです。本の紹介はブックのコーナーにありますが、私はこういう本の日本版をつくりたいなと思っています。
 話がそれました。乳香の話です。残念ながら出ていませんでした(食用が中心だったからです)。そこで、世界宗教大事典やイメージシンボル事典などで調べたらいろいろのことがわかりました。非常に古くからの知恵なのです。真知子さんの解説によれば、「乳香は聖母マリアがキリストを産んだ時に東方の3博士が持参した宝物のひとつ」で、「神経をやわらげる効果」があるとのことです。
 真紀子さんが、ぜひ「マリア様の気分をお試し下さい」と乳香を送ってきてくれました。さっそく、女房が焚いてみました。聖母マリアよりもインドを想起させる香でした。事典によれば、サンチャゴのコンポステラの聖ヤコブ大聖堂でも年に1回、大きな吊り香炉で焚かれるとのことです。そう言えば、最近は、サンチャゴ巡礼のことを書いていませんが、黛まどかさんの映画構想は順調に進んでいるそうです。
 話が飛び飛びですね。私が興味を持ったのは、乳香がインドやペルシアはもちろん、エジプトやメソポタミアにもつながっていることです。そして、その産地がアラビア地方だということです。興味を持ちませんか? 

■日本構想学会年次大会(2002年12月14日〜15日)
日本構想学会は、これまでの学会とは違います。
新しい公共空間を目指した試みです。まさにこのホームページと目指す方向は同じです。
主宰者は半田智久さんです。
半田さんと私とは、価値観において正反対のところと全く同じところを奇妙に共有しています。
半田さんと話していると、コミュニケーションの断絶を感ずることが多いのですが、その底でつながりも感じるのです。
半田さんは構想学会を「響創の公共空間」にしたいと考えています。
私は「響創」というような着飾った言葉が嫌いなのですが、私が以前から使っていた「共創」と、なぜか発音は同じです。
人との付き合い方も、私とは全く違うようで同じなのです。
説明できませんが、そう思います。

まあ、そんなことはともかく、2日間にわたる日本構想学会の大会に参加しました。
1日目はフルに、2日目は用事とトラブルで、少しだけでしたが。
私はご案内していた通り、初日の夜、ラウンドテーブルセッションを主宰しました。
テーマは「コモンズ社会に向けての新無尽講構想」です。
話題提供者として、小倉美恵子(農的暮らしを考える研究会)、佐藤和美(環境コンサルタント)、西村美和(産業能率大学・CWSコモンズ村民)、渡辺清(大阪大学大学院社会人学生)の4人の友人に参加してもらいました。

内容の報告は学会のホームページでご覧下さい。ここでは極めて主観的な感想を書きます。

長くなったので、項目だけを書きます。内容は次をクリックしてください。
構想学会大会2002で気づいた事

○新しい学びの場への構想
新しい学びの場の構想が二つ発表されました。
○構想日本のラウンドテーブル
構想日本は官の立場でしたが、田中康夫さんは民の立場でした。
○コモンズ社会に向けての新無尽講構想
私が主催したラウンドテーブルではマネーと寄付が話題になりました。
○NPOの位置づけ
NPOを行政や企業の下部システムと捉えている目線の高さが気になりました。
○北関東統合医療研究会報告からの思い付
医療制度のパラダイムシフトの3つの方向を素人なりに考えて見ました。
○学び合いの大切さ
学び合う事の難しさを痛感しました。私も反省です。
○質問の仕方の大切さ
教育で一番大切なのは、質問の仕方を学ばせることだなと思いました。

■ 「山谷」ふるさとまちづくりの会の大崎元さん(2002年12月26日)
東京の山谷でホームレスの人たちを支援する活動に取り組んでいる大崎さんが来てくれました。
大崎さんは建築工房匠屋に拠点を置いて活動している建築家です。
都市計画にもいろいろ関わっていらっしゃいます。

山谷との付き合いは4年くらいだそうです。
お話をお聞きして、私の山谷のイメージとは大きく違っていました。
やはり現場に行かずに、頭で考えることは危険です。

印象的だった話をふたつだけご紹介します。
まず山谷は犯罪が少ない町だそうです。
その理由は、ホームレスの人たちの目が四六時中あるためではないかということです。
街から人の目がなくなっていく中で、これはとても示唆に富んでいます。
もうひとつは、ホームレスと住宅居住者とは、隣接しながらも、それぞれがそれぞれを見ないような関係があるそうです。
人間の目は、見たくないものを見えなくするという特質があります。
その構造が実際に実現しているようです。
これもまた、示唆に富んでいます。

私は最近、自分の住んでいる町を見ていなかったことを反省しています。
いや、いまもたぶんそうだと思います。
それがまさに見える形で山谷にはあるようです。
これからのまちづくりのヒントが山谷には充満しているようです。

大崎さんは東京理科大学の大月さんとも交流があるそうです。
大月さんは東南アジアのスラムの研究にも取り組んでいます。
スラムこそ、まちづくりの原点だと大月さんは言います。
たしかにそうかもしれません。
そうした視点がどうも忘れられているのかもしれません。
まちは創るものではなく、育つものかもしれません。

大崎さんは米国のCDC(コミュニティ・デベロプメント・カンパニー)に関心をお持ちです。
NPOが中心になって、空洞化し荒廃した市街地を再開発していく動きです。
日本でもTMO(まちづくり会社)がありますが、これは言ってみれば行政主導ですからほとんど成功事例はありません。
現場の住民を主役にしたCDCは、出発点が違います。
山谷では、すでにCDC的展開が進んでいるようです。

そうしたことも含めて、来年には大崎さんに山谷のまちづくりのお話をお聞きする機会をつくりたいと思っています。
大崎さん、よろしくお願いします。

■ ソーシャルベンチャーの井上英之さん(2002年12月26日)
井上さんは、今年、コムケアの資金助成プログラムに応募してくれた、若き社会起業家です。
最終選考会で支援先に選ばれたソーシャル・ベンチャー・パートナーズ東京ベイの代表です。
井上さんは、コムケアの理念に共感してくれて応募してくれました。うれしいことです。
選考会のリハーサルで、彼の姿勢と人柄が伝わってきました。
一度ゆっくりと話したいと思っていたのですが、やっと会えました。
最近の若者のパワーには圧倒されます。

面白い話を聞きました。
米国では、コミュニティ活動に汗や資金を身の丈に合わせて出すgiving circleというのがあるのだそうです。
以前、聞いた事があるような気がします。
私が理想とする仕組みです。日本にもあったはずなのですが。

井上さんとの話し合いは刺激的でした。地殻変動は確実に進んでいますね。