北九州市のまちづくりの動き
■北九州市めかり山荘からの眺めは函館を超えます(2004年11月16日)
ホスピタリティフォーラムに参加するため、前日に北九州市に到着しました。
事務局の古野さんが、前日に来るのであれば、といって、
翌日のフォーラムのパネリストの方々との会食の場をつくってくれました。
北九州市観光協会が管理しているめかり山荘でふぐをご馳走になりました。
パネリストは、市役所の大川博己さん以外は、みんな初めてです。
タクシー会社を経営されている末松祥典さん、北九州プリンスホテルの中島紀子さん、スペースワールドの秀一生さん、環境ボランティアの境悦子さんです。
境さんとは10年前にこの活動が始まった時にお会いしているはずですが。
みんな、北九州市に思いの深い人ばかりです。
めかり山荘は門司のとてもいい場所に立地しています。
そこから見下ろす夜の光景は函館の夜景に決して負けていないと、函館の人に言われたと環境ボランティアの境さんが話してくれました。
ちょっとひいき目かなという気もしますが、なかなかのものです。
それに関門橋を見下ろすのはとてもきれいですし、ライトアップされた対岸の下関の海峡メッセも見えます。
海峡メッセには私も少し関わりましたので、親しみも感じます。
食事のあと、小倉のホテルまで送ってもらいましたが、その間、環境ボランティアの境さんが案内をしてくれました。
めかり山荘利用者には、いま、環境ボランティアがナイトツアーのサービスをしているのだそうです。
北九州市の環境ボランティアは160人以上いるのですが、とてもがんばっています。
■ホスピタリティフォーラムは次に向けて発進です(2004年11月17日)
平成7年に始まった、北九州市の百万にこにこホスピタリティ運動が10年目を迎え、その記念フォーラムが開催されました。
スタート時点のフォーラムに参加させてもらったご縁で、今回も呼んでもらえました。
同じ名前での活動を10年も継続してきたのは、観光協会に古野利幸さんという頑固者がいるからです。
古野さんとの出会いは、まさにこの運動がスタートする時でした。
古野さんは、そのキーワードを大事に育ててきました。
私などは、もっと急いでもいいのではないかと思うのですが、古野さんは着実にゆっくり実体を構築するタイプなのです。
そして10年、浮気もせずに着実に前進です。
これだけの根性のある人が、もし市役所にいたら、北九州市はもっと観光都市として発展していたでしょう。
フォーラムでは、湯布院の観光協会事務局長の米田誠司さんが基調講演されました。
大昔に中谷健太郎さんのお話をお聞きして以来、関心は持っているのですが、なぜか湯布院には違和感があるのです。
つくられた観光地と言うイメージが強く、理念と進め方にどうもピンと来るものがなく、まだ訪問した事がありません。
しかし、今回、米田さんのお話を聞いて、少し感じが変わりました。
来年には女房と行ってみようと思います。
米田さんが配布してくれた資料に、大正13年に現地で行われた林学博士の本多静六さんの「由布院温泉発展策」の講演抄録がありました。
素晴らしい内容です。この講演がどうも今の湯布院の根底にあるようです。
一人の人間の講演が、地域の未来を開いていく。感動的です。
私の地域との関わり方は、それとは全く別に、できるだけ痕跡を残さないようにというものですが、
果たしてそれでいいのかという気がしてきました。
本多さんのような地域との関わり方もあります。いろいろと考えさせられました。
本題から外れてしまいました。
フォーラムはとても楽しかったです。
その記録はきっとその内、なにかの形で出るでしょう。
ちなみに、最初のフォーラムで私が話したことの一部を、このホームページに掲載しています。
ホスピタリティとサービスとの違いや、これからの観光のあり方を少しだけ示唆しています。
ぜひお読みください。
フォーラム終了後、交流会がありました。
このホームページを読んでくれている中嶋重利さんと高橋典子さんが来てくれました。
中嶋さんは研修中なのに、わざわざ休んで参加してくれたとのことです。
高橋さんも仕事が忙しいでしょうに、うれしいことです。
地域にかかわる喜びは、こうした人との出会いです。
私は本当に友人知人に恵まれています。
どこに行っても、とてもいい出会いがあり、それがまた継続させてもらえるのです。
そういえば、同じ国際会議場で日本とスウェーデンの環境関係の会議をやっていましたが、
なんとその受付に北九州市役所の青柳祐治さんがいました。
数年ぶりの偶然の再会です。
青柳さんは今は環境問題の専門家になってしまいましたが、課長研修時の2番目の事務局で、とてもお世話になった人です。
一度、北九州市のエコタウンを2日間、じっくりと案内してもらったことがあります。
こういう出会いもとてもうれしいものです。
交流会でもまた新しい出会いがありました。
一人だけ記録しておきます。きっとまた近々登場するでしょうから。
市役所の吉武聡さんです。
現在、北九州市立大学大学院の博士課程で、コミュニティビジネスやソーシャル・キャピタルに取り組んでいるとのことです。
自治体職員で、ソーシャル・キャピタルにしっかりと取り組んでいる人に出会えるととてもうれしいです。
いつか、きっとなにかでご一緒できるでしょう。
フォーラムの最後で、次の10年は、ぜひ市民を巻き込んだ活動にしましょう、と呼びかけました。
そうしたら、交流会の乾杯の時に、これからは市民版ホスピタリティ運動だと銕尾悦治さん(北九州第一ホテル社長)が話されました。
北九州市のホスピタリティ運動はいよいよ第2段階に進化です。とても楽しみです。
■北九州市百万にこにこホスピタリティ運動(2004年8月26日)
北九州市観光協会の古野利幸さんが久しぶりにやってきました。
古野さんとはもう10年のお付き合いです。
なぜ10年だとわかるかというと、10年前に古野さんと一緒に、
北九州市で「百万にこにこホスピタリティ運動」のフォーラムをやったのです。
この運動は古野さんの企画です。
最近でこそ、ホスピタリティという言葉は広がっていますが、当時はまだあまり一般的ではありませんでした。
古野さんは苦労したと思いますが、それからずっと活動を継続し、ついに今年で10年目なのです。
古野さんは、私が知りうる中で、もっとも誠実で言い訳をしない人の一人です。
いつ会っても気が満ちています。
ホスピタリティ運動も10年目なので、今年は集まりをすることになったそうです。
そこへのお誘いを受けました。うれしい話です。
もちろんお引き受けしました。何をするかは、これから一緒に考えることにしました。
北九州市百万にこにこホスピタリティ運動は、主に観光関係の企業や観光ボランティアの人を中心に、
北九州市にきた人たちへのホスピタリティマインドを広げていこうという運動です。
一般市民へも広げていきたい意向はあるようですが、100万都市になると、それはそう簡単なことではありません。
それに古野さんは、形だけの展開では満足せずに、実体を重視する人なのです。
ところで、北九州市と観光は、皆さんの頭の中ではつながるでしょうか。
古野さんがこの仕事に取り組み出した20数年前には、
まだ北九州市には「観光」という発想は行政にはありませんでしたが、最近は、観光に力を入れているのです。
そうした観光行政の変遷を体験してきた古野さんには、たくさんの情報がつまっているはずです。
私は、観光とはまちづくりだと思っています。
北九州市はハード重視のまちづくりからソフト重視のまちづくりへと大きく変わりはじめていますが、
古野さんの役割はこれからますます大きくなっていくでしょう。
行政がきちんと活かせるかどうか、それが問題ですが。
10年前のホスピタリティのフォーラムの冒頭で、少しだけお話させてもらった記録が出てきました。
その部分だけを採録しました。古い話ですが、お読みください。
■ 小倉北区馬借のビストロいしだ(2004年1月30日)
久しぶりに北九州市にやってきました。
今年もトークライブをやるというので、何をおいてもとやってきました。
前夜に北九州市に入ったので、事務局の森本さんと高橋さんと食事をしました。
2人がごひいきの「ビストロいしだ」です。オーナーは32歳です。
馬借という地区にあるのですが、そのあたりに少しずつお洒落な店が出来てきたのだそうです。
森本さんは、そうしたお店がもっと増えていってほしいと思っているのです。
店は顧客が創るものです。
とても雰囲気のいいお店で、何よりも料理が美味しかったです。
店オリジナルのトマトパンもおいしかったです。
今回のコーディネータ役の金丸勝利さんも一緒でした。
金丸さんはまちづくりプランナーとしてがんばっています。
とても共感できる話がたくさんでてきました。
38歳。こういう人がまちを変えていくのです。
■ 北九州市観光協会の川口事務局長と古野総務部長(2004年1月31日)
北九州市出張中に、モバイルで連絡をとりながら、処理しなければいけない仕事案件があったために、
今回はホテルで仕事をする羽目になり、せっかく福岡に来たのに友人知人に会えなかったのですが、
うれしいことに川口さんと古野さんにお会いできました。
今回のイベントに昨年、私を巻き込んだのは、川口正信さんです。
当時は小倉北区のまちづくり推進課長でした。
そして、北九州市の行政以外の活動に私を巻き込んだのが古野利幸さんです。
とても元気づけられる話をもらいました。
お2人のやさしさに感謝しなければいけません。
実は昨夜までかなり疲れきっており、元気が出なかったのですが、
お2人に会って元気が戻ってきました。
川口さんに感心する事があります。
昨年もそうだったのですが、今回もそれとなく私に見せるべき場所を自然と見せて、
私が考える材料を提供してくださるのです。
小倉駅北口の商店街の問題点が、川口さんと10分歩くと伝わってきます。
実に見事です。
川口さんは以前も書きましたが、発想が実に住民的、コモンズ的です。
その背景には、きっと北九州市の町の事が見えているからでしょう。
古野さんとの接点は、北九州市100万にこにこホスピタリティ運動です。
ホスピタリティという言葉を広げたいと相談に来たのがはじまりです。
その活動も今年で10年を迎えるそうです。
しっかりと継続するのが古野さんのすごさです。
10年の節目に何をやるかで、3人で雑談をしました。
とても面白いものが生まれてきそうです。
いや、すでにもう実に面白いものがうまれているので、それを見えるかたちにすればいいのかもしれません。
もう少ししたらきっと形になっていくと思います。
■ まちづくり市民フォーラム in
小倉北(2004年1月31日)
昨年のトークライブの第2弾です。
今回は少し趣向を変えて、新しい住民活動と従来からの自治会活動のコラボレーションです。
この辺りに行政の苦労を感じます。
住民参加のまちづくりは複雑なのです。
今回の会場を昨年夏にできた芸術劇場の小ホールです。
この劇場は市が中心になってつくったリバーウォーク北九州の中にあります。
この建物は福岡のキャナルシティをつくったのと同じチームが中心になって作ったそうですが、
こうしたところに残念ながら北九州市の衰えを感じます。
建物も私の趣味ではまったくありません。
外装に黄色と赤を使っていますが、これにはとても違和感があります。
北九州市の目指している方向に、疑問を感じます。
すみません。
フォーラムの内容は報告書が出ますから省略しますが、
とても面白かったです。
いろいろな意味で、です。
最後に私もコメンテーターとして、発言させてもらいました。
ちょっと辛らつなコメントをしてしまいました。
以前、辛らつすぎて北九州市から疎遠にされてしまった経験がありますが、
懲りずにまたやってしまいました。
またまたすみません。
しかし、小倉北区の若者たちの行動力はすごいです。
今回のパネリストの行動力も感心しました。
自治会関係のシニアの方も2人参加しましたが、このお2人にも感心しました。
小倉北区はおもしろくなりますね。
内容ではなく、パネリスト以外の、会場であった人を記録しておきます。
○まちに出て行く中島重利さん
このホームページに時々、メールをくれる中嶋重利さんも参加してくれました。
中嶋さんは市の職員ですが、まちなかに出ていくタイプです。
職員であることも活かしながら、とても幅広い活動をしています。
行政と住民の協働ではなく、職員と住民の共創こそが、これからの課題です、
ちょっとした言葉の違いですが、意味合いは全く違います。
○動物園を守った原賀いずみさん
北九州市の動物園、到津遊園の存続運動で、
見事な住民活動を展開されてきた原賀さんも、昨年に引き続き参加してくれました。
今回は出番がなくて残念でした。
原賀さんたちのまとめた活まとめた活動記録「到津の森の詩」(向陽舎)を、
昨年、私のホームページで紹介したことを感謝してくれて、また1冊、同書をくれました。
自分たちでまとめた本なので、活動の経緯Iがよくわかりますし、
テーマの明確な住民活動をする人にとっては、とても参考になります。
詳しくはブックのコーナーをお読みください。
ぜひ読みたい方がいたら、湯島に来てくだされば差し上げます。
ただし、先着1人です。
後の方は、ご購入下さい。原賀さんに紹介することも可能です。
○父親ネットワークの清水恵弘さん
パネリストの一人ですが、お互いに少し早めに会場に着いたのでゆっくりお話できました。
お仕事は太陽エネルギーシステムの営業ですが、仕事が楽しくて楽しくて仕方がないようです。
価値のある仕事はそういうものです。
仕事もさることながら、ボランティア活動も実に感動的です。
地に足つけた生き方とは、こういう生き方なのだと大いに反省させられました。
小倉には小学校区に父親委員会という、PTAとは別の組織があるそうです。
それをつなげた父親ネットワーク代表でもあります。
清水さんに1時間語らせるだけで、もしかしたら社会は変わるかもしれないと思いました。
○久しぶりにお会いした北九州市の職員のみなさん
北九州市の課長研修を一昨年までさせてもらっていた関係で、
北九州市に来るといろいろな方にお会いできます。
それがとてもうれしいです。
今回のイベントの主催者のまちづくり推進課長の佐々木正明さんも、そのお一人です。
今回の意見は北九州市の都市計画マスタープランにも活かしていくそうですが、
その担当の原口紳一さんとも久しぶりにお会いしました。
北九州市ではとても丁寧に都市計画マスタープランをつくっています。
地区計画は順次創っていくそうです。
そうした柔軟性と実質主義には感心します。
直接の担当の清水俊光さんにも初めてお会いしました。
市民部の地域振興課長の松原英治さんとも久しぶりでした。
松原さんがまちづくり関係の部署で仕事をされているとは知りませんでしたが、とても嬉しい限りです。
課長研修では、よく消防本部の人と話ました。
企業の消防はまちづくりの視点をしっかりもっています。
ニューヨークの消防士もすごいですが、決してそれに負けていません。
いつも感動的な話をおききしていました。
そのなかでも、ビジョンと理念を感じさせたのが山家桂一さんです。
デイコール協会の松本さんから24時間在宅医療の相談を受けた時に、まず思い出したのが山家さんでした。
今は小倉北消防署長です。
昨年も確か参加してくださいましたが、今回も参加してくれました。
終了後、なにやらあわただしく、他にもおみえになっていたかもしれませんが、お会いできませんでした。
■今回のまちづくり市民フォーラムで気づいたこと(2004年1月31日)
今回、小倉北区のフォーラムニサンカして、みなさんの話を聞いていて、あることに気づきました。
最後にその話をしましたが、うまく伝わったかどうか心配です。
気づいたのは、暴走族もトイレに落書きする若者たちも、みんなまちづくりをしているのだということです。
行政や活動家は、まちづくりにもっと住民に参加してほしいというのですが、
もしかしたら彼らが考えているまちづくりとは、自分の活動に協力しろといっているだけのことかもしれません。
実は私がそう考えたのは、伏線があります。
フォーラムの前に古野さんからこんないい話を聞いたのです。
門司の公衆便所に若者たちがちょっとはしゃぎすぎて落書きをしてしまったそうです。
グループが特定できたので、その若者を集めて、古野さんがいさめたところ、
彼らからボランティア活動をしたいという声が出てきたそうです。
若者たちはまちとのつき会い方がまだ見えていないのです。
というよりも、町が付き会おうとしていないのかもしれません。
今回のフォーラムでも、町内会に杯いてほしい、まちづくり活動に参加してほしいと、高齢者が熱く語っていましたが、
そういう発想が間違いなのかもしれません。
参加すべきは、若者ではなく、高齢者かもしれません。
発想を変えると議論は全く違ったものになります。
今回のフォーラムはまさにそのことに気づかせてくれたのです。
ホームレスに講演を管理してもらえばいいのです。
暴走族に交通指導をしてもらえばいいのです。
まちは彼らためにもあるのですから。
昨年のフォーラムでは、「まちづくり」ではなく「まち育ち」が大切だといいましたが、
今回は、「まち活かし」(まちの使い込み)が大切だとお話しました。
あんまり伝わらなかったかもしれません。
この話に共感してくれた人がいます。
終わった後に、川端耕一さんがやってきてくれました。
34歳の若者です。
次の市議選に立候補するために活動を開始しています。
現場にしっかりと足をつけた活動を川端さんには期待したいです。
若者の思いを我々世代はしっかりと受け止めなければいけません。
今回はもうひとつ、まち衆で溜まり場を創りませんかとも提案しました。
今回の参加者は200人ですが、200人が500円ずる出したら、10万円集まります。
10万円あれば、溜まり場を1か月借りられます。
溜まり場は維持できるはずです。
新しい「まち衆」が生まれるかもしれません。
これはコムケア活動でも実現したいことなのですが。
■ 北九州市小倉北区の元気もの(2003年11月29日)
昨年、小倉北区でトークライブをやりました。
盛況でした。そして、新しい物語がいろいろと生まれました。
私の提案もしっかりと受け止めてもらいました。うれしい限りです 。
これを契機に発刊された、まちづくりニュースはすでに3号まで発行されています。
小倉北区役所のホームページを見てください。
その仕掛け人の2人の若者がやってきました。
そのおかげで、土曜日だというのに私もわざわざオフィスに出かけました。
平日に来て欲しいものですが、彼らも休日を使って、元気な吉祥寺商店街を見に来たのです。
これだけでも元気さが伝わってきます。
ですから、付き合わざるを得ません。迷惑な話です。いやはや。
まあ、しかしこういう話が多くて、私はなかなかゆっくりできないのです。
やってきたのは、小倉北区役所の高橋典子さんと森本康成さんです。
話をしていて、2人がしっかりと現場を歩きながら考えているのが伝わってきました。
行政が考える「まちづくり」と住民感覚の「まちづくり」とは位相が違います。
それを踏まえておかないと行政の「住民支援」は「阻害効果」を持ちかねません。
2人ともそれに気づいてきています。
悩みはますます高まることでしょう。
しかし、その悩みこそが、まちづくり活動のエトスです。
いくつかアドバイスしたつもりだったのですが、
すべて彼らはそれを超えていました。
やはり現場で考えている人には勝てません。
小倉北区はきっと面白くなりますね。
来年1月31日に第2回トークライブが開催される予定です。
■ 北九州市の小倉北区でサロンとネット会議が実現しました(2003年8月13日)
小倉北区の高橋さんからうれしい連絡です。
2月に開催した小倉北区まちづくりトークライブで提案した二つのことが実現したのです。
「まちづくりサロン」と「まちづくり電子ネット」です。うれしい限りです。
これに関しては、7年前から美野里町と山形市で提案し続けてきましたが、実現しませんでした。
それが実現したのです。
あわせて、活字媒体の「まちづくりニュースも送られてきました。
ニュースレター、ネット、サロン。
これが私の理想とするまちづくりのトリオメディアです。
問題は継続できるかどうかですが、小倉北区のこれからの期待したいです。
しかもうれしいのは、それが北九州市の都市計画マスタープランにつながっていることです。
これはちょっと不安材料でもあるのですが、まあこの際はいい方向に受け止めておきましょう。
小倉北区のホームページもぜひご覧下さい。
■ 北九州市の高橋典子さんからのメール(2003年7月9日)
北九州市小倉北区役所まちづくり推進課の橋さんも「社会教育」を読んでくれました。
その欄外に、先日開催した小倉北区の「まちづくりトークライブ」も紹介していますが、
高橋さんはそのトークライブの推進役だった一人です。
まちづくりトークライブで私が提案させてもらった、「メーリングリストによる電子ネット会議」や「まちづくりサロン」の実現に取り組んでいるとのことで、次のような報告がありました。
「6月には、地元フリーペーパーの編集部員が集まり、サロンを開催しました。本人が思う小倉のまち、そして、仕事上の取材等で聞くまちの声など活発な意見交換会となり、刺激的でした。また、同業者ということから、お互い、なかなか話をするということもなかったらしく、「新しい出会いの場」を満喫していて、こちらもうれしくなりました」
私はサロンが大好きですし、サロンの効用を確信しているのですが、
こうした「新しい出会いの場」がどんどん増えていくことをうれしく思っています。
メールにはこんなことが書かれていました。
「ホームページの近況報告をみまして、当課職員だけでなく、北九州市役所内で、佐藤さんを知る人からも心配の声が聞かれます」
ホームページに極めて個人的な心情を書いてしまったことで、いろいろメールもいただきましたが、
見えないところでいろいろご心配くださっている人がいることを知って、感謝しています。
人はいつも一人ではなく、みんなに支えられているのですね。
元気を出さなくてはいけません。
高橋さん、そして北九州市のみなさん、ありがとうございます。
■ 小倉北区共創まちづくりトークライブ(2003年2月27日)
北九州市の小倉北区で、住民主役のまちづくりトークライブを開催しました。
事務局は小倉北区のまちづくり推進課ですが、とても面白いフォーラムになりました。
パネリストは地元で活動している実践者たちです。
前半は5人のパネリストを中心に議論し、後半は会場とのフォーラムです。私の大好きなスタイルです。
パネリストが真ん中に小さなテーブルを囲んで座り、その周りを参加者が取り巻いて見下ろすという設定です。
200人の予定が240人もの参加がありました。
もちろん「動員」などは全くなしです。実に刺激的で面白かったです。
座長をさせていただきましたが、皆さん、リズミカルに発言してもらい、20人以上の方が限られた時間に発言してくれました。
これは私の経験でも珍しいことです。北九州市市民の民度の高さを感じました。
時間が短かったこともあり、まだまだ本音の議論には行かずに、やや婉曲的な言い回しで、世代論争の兆しがあった程度ですが、新しい動きが始まる予兆を感じました。
最後に、これをイベントで終わらせないために、参加者のメーリングリストや定例的なトークライブサロンにつなげていったらどうかと提案しました。
反応がありました。きっと実現するでしょう。
しなければ、北九州市の民度もその程度だということです。
住民サロンの提案はいろいろやっていますが、まだ継続的に成功したことはありません。北九州市に期待したいです。
会の内容もとても面白かったですが、残念ながら書き込みだしたらきりがありません。
フォーラム終了後、交流会がありました。
きっといつかこのホームページで紹介させていただくことになるだろう、いくつかの出会いもありました。
意外な人との出会いもありました。戸畑に住む松尾夫妻です。
会場の井筒屋に来た時に、このフォーラムのポスターを見て、私が参加するのを知って参加してくれたのです。
松尾さんの奥様が私の女房の友人です。
パートナーの松尾樹明さんは、第9回自分史文学賞の大賞に選ばれた、「黒獅子旗に燃えた男たち」を書いた、折世凡樹さんです。
この作品に対して、佐木隆三さんが、たしか「新しい自分史の地平を開いた」と絶賛されていたように覚えています。
学研から1999年に出版され、テレビ化されて全国放映されました。
北九州市の収入役だった山下建治さんにも久しぶりにお会いしました。
以前、アルピニストとして紹介した人です。
私が北九州市に関わりだしたのは山下さんのおかげです。
この人は驚異的な行政マンでした。今も全く変わっていません。生き方が素晴らしいです。
さらに交流会の後、二次会がありましたが、そこでの話を書き出したら、1冊の本ができそうなくらい情報満載でした。
最近、北九州市に退屈していましたが、やはり面白いです。
福岡市とはまた違った面白さですね。
■ 北九州市の川口正信さん(2002年6月13日)
川口さんは北九州市役所の小倉北区のまちづくり推進課長です。
風のまちの住民でもあります。
理念を持って実践に取り組んでいます。
自治体職員はいま、実に面白い時代を生きていると思いますが、ほとんどの人が退屈しているような気がします。
しかし、川口さんは違います。
その川口さんから、小倉北区の自治会・町内会のアンケート調査の報告書が届きました。
その調査結果をもとに、全町内会長と一緒に今後のまちづくりを考えていくということです。
川口さんの手紙の一部を、ご紹介します。
(この調査を実施したのは)どのような課題に取り組むにせよ、自分たちが立っている場所を明らかにしないと前に進んで行くことはできないと思ったからです。
さらにこうも書いています。
町内会や神社の問題など地域の根幹にあるものを考えた場合、私たちの思考の深部にあるアメリカの占領政策の影響から抜け出さないと日本における民主主義についての真の議論ははじまらないような気がします。
全く同感です。美野里町でいま、町内会起点のまちづくりにかなり躊躇しながら取り組みだそうとしていますが、すごく勇気付けられました。
神社におけるコモンズ回復も、この視点がなければだめだと気がつきました。
町内会と神社。これからのまちづくりを考える上で最も重要なテーマかもしれません。
■ 北九州市新任課長研修で80人近い人に会いました(2002年7月9日〜12日)
北九州市では毎年100人近い人が課長に昇任します。その人たちの研修と称して、2日間の合宿を毎年楽しませてもらっています。もうかなり前からやっていますので、北九州市の課長のほとんどの人に一度はお会いしたことがあるわけです。
研修では、私が問題提起し、参加者が話し合いながら、2日間を楽しむというプログラムです。
参加予定者には内緒ですが、目玉はコーヒーを飲みながらのミニコンサートです。これがすばらしいのです。毎回テーマと物語があるのです。例年はオーボエとピアノですが、今年はオーボエ奏者の緒方さんが出張で参加できずに、ピアノの榎本さんが独奏してくれました。テーマは「癒しと医やし」です。解説しながらの独奏ですから、大変です。まあ。この研修が長年続いているのは、このコンサートのおかげです。
緒方さんは最初引き受けてくださった時は市役所のほたる係長でした。ほたる係というのはなんとうらやましい仕事でしょうか。今回独奏して下さった榎本なぎささんは緒方さんたちとミュゼというグループで活動しています。
40人くらいで、コーヒーを飲みながら室内楽を聴く。自治体の研修としてはちょっとおしゃれでしょう。私の自慢の一つです。
企業や行政が文化活動をいろいろ展開していますが、私はまず最初にやるべきは、オフィスや役場庁舎での気楽な定期的なコンサートだと思っています。それこそが企業メセナ活動の出発点であり、また役場を住民たちのものにする第一歩です。費用もそれほどかかりません。なぜみんなそのことに気が付かないのでしょうか。北九州市でまず初めてほしいと思っていますが。
ところでこの研修は2日間、参加者とかなり話しあう時間があります。そこで実に多くの刺激をもらいます。なにしろ北九州市は自治体のエンサイクロぺディアなのです。
2日間ずつを連続で行うわけですが、短いとはいえ、かなり密着した時間をすごすので、ほとんど全員の名前と個性をある程度理解できます。そしてそれぞれから実に多彩なことを学ばせてもらえるのです。それが醍醐味なのです。最後に私からささやかなメッセージをさせてもらうのですが、いつも何かジーンとしてしまいます。人間の付き合いは時間の長さではないですね。
いつも、今年こそ最後にしようと思いながらついつい受けてしまうのは、この最後のジーンという思いなのです。3年の約束で引き受けたのに、もう8年にもなっています。反省。継続は力ですが、同時に継続は陳腐化でもあります。そろそろ辞退すべきですね。
参加者の名前を挙げだすときりがないので辞めますが、おもしろい話がたくさんありました。医療の話やコモンズの話、農業や消防や都市計画や福祉や廃棄物。エコタウン、図書館や研究所のあり方。テーマだけでも切りがありません。北九州市は実に自治体エンサイクロぺディアです。
そういえば、美野里町の文化センターに関わっている能祖さんもかなり深く関わっている北九州芸術劇場(来秋オープン予定)を担当している市山さんも参加してくれていました、世界はやはりつながっています。
■ 北九州市政策科学セミナー(2002年8月21日)
北九州市では8年前から市長の肝いりで、政策科学セミナーというかなりハードな自主研究活動をやっています。市役所の係長層のグループ研究です。そこに出かけていって、若い職員と議論してきました。私は今の政治や行政には失望していますが、若い職員の皆さんと話し合うと元気付けられます。彼らは間違いなく、時代を変えていくでしょう。
私は基礎自治体である市町村は住民たちの事務局だと位置づけています。霞ヶ関の末端組織でも、住民を統治する組織でもなく、まさに地域コモンズの幹事役です。NPOと同じ立場といってもいいでしょう。
いつかメッセージで書く予定ですが、NPOは現在の社会システムのサブシステムではありません。むしろ現在の社会システムを組みかえる震源地だと思っていますが、市町村がそれに一番早く反応できるのだろうと思っています。その動きはすでに出始めています。ちょうど今日の新聞に志木市が行政パートナーという制度を作り、職員を半減していくという話が出ていました。これは市役所のNPO化です。NPOを下請けにしようとしている市町村は主客を履き違えています。霞ヶ関の二の舞をやってはいけません。
また余計なことを書いてしまいましたが、自治体の熱い職員たちが市町村の枠を超えて交流しだしら社会は変わって行きます。風のまちはそうした震源地にならないものかという夢をもっています。みなさんもぜひご参加下さい。
■ 北九州市のまちづくりチームが訪ねてきてくれました(2002年12月10日)
北九州市小倉北区役所のまちづくり推進課の3人が訪ねてきてくれました。課長は、以前、このコーナーでもご紹介した川口正信さんです(2002年9月10日)。川口さんはいつも刺激的なプロジェクトに取り組んでいます。今回は、同じ職場の若手の森本康成さんと高橋典子さんがご一緒でした。市民フォーラムを来年開催したいという事で、その相談です。
まちづくりはもう疲れたなとちょっと思い出していたのですが、北九州市には借りがあるのです。5年ほど前に山形市で「全国まちづくり先進事例会議」をやったのですが、その時にわざわざ山形市まで来てくださったのです。借りは返さないとすっきりしません。
今日、山形市の先進事例会議の事務局だった高倉さんに電話したら、一昨日の集まりで、その時のメンバーと先進事例会議の話が出たそうなのです。このコーナーで何回も書いていますが、縁は不思議なもので、こうした偶然が本当によく起こります。
3人の関心は、どうしたら住民たちの自発的な活動を継続発展させられるかです。一時は盛り上がるが、なかなか持続できず、主体的な展開になりにくいというのです。まさにこの事がこれまでのまちづくりの問題でした。
川口さんは、都市計画と各地区の住民主役のまちづくりをつなげたいとも考えています。これはまさに私たちが美野里町で取り組んでいることです。
もう一つ、共感できる話がありました。まちづくりにとって、祭りと掃除が大切だと思うと川口さんは言うのです。最近、祭りの話がよく出ます。まちづくりと祭りのシンポジウムをやったら面白そうですね。
掃除も面白いテーマです。各地のまちづくりの集まりにいくと、日本を美しくする会のメンバーに時々会います。鍵山秀三郎さんを中心とした活動です。私も一度、実践の場の山内さんや創志塾の三浦さんたちのおかげで、鍵山さんと一緒に箱根湯本の公衆便所の掃除を経験させてもらいました。鍵山さんのお人柄にも触れて、実に多くの事を学ばせてもらいましたが、掃除はたしかにまちづくりの重要な要素です。
これを契機に、少し北九州市のまちづくり活動を学ばせてもらう気になりました。引き続き各地のまちづくりに関わるとなるとちょっと気は重いのですが。