■市民生活の視点から見た市民社会の展望

数年前に市民社会研究会というよう名前の研究会をやっていました。
メンバーは大学教授や研究者でしたが、そこになぜか私が紛れ込んでしまいました。
いつも議事録をつくるために傍聴していた私の友人は、「佐藤さんは浮いていますよ」と言っていました。
でも楽しい研究会でした。
そのまとめとして、みんなで原稿を書きました。
残念ながら報告書にはまとまりませんでしたが、そこに書いた小論を読んでもらえればと思います。
その当時のままの原稿です。含意されていることをお読み取りいただければとてもうれしいです。

■市民および市民社会の言葉の魔力

 「市民」という言葉は「危うい言葉」である。時には権力の中枢にあり、時にはその対極にある。歴史的に見ても、かつては「特権」を意味したが、19世紀には「平等」の象徴となり、20世紀の後半には「反権力」をも包括する言葉に変質した。

 行政が「市民本意」を看板にする一方で、行政への反対運動も「市民運動」と称される。「市民」を唱えれば、なんとなく「正義の味方」と受け止められる風潮もある。だが、市民の実体はなかなか見えてこない。「都市在住者」という価値中立的な意味合いもある。まことにもって不可思議な言葉と言っていい。

 そして、多分それゆえにこそ、誰もが使いたがる言葉になっている。 そして「市民社会」。これも多義的な言葉である。社会のセクター論として語られることもあれば、市民が主役の社会という意味での社会構造論として語られることもある。規範的な運動概念として使われることも多い。しかも、「市民」が多義的であるがゆえに、社会構造論としても、「資本家の社会」という見方もあれば、「革命家の社会」という捉え方もある。市民を社会の客体として捉えるか、社会の主体として捉えるか、でも全く異なる意味合いになる。正反対のベクトルを内包した、これまた不思議な言葉である。

  多義的な言葉はこの二つにかぎったものではないが、問題はこの言葉が「思考停止」を引き起こすことである。市民といわれた途端に反論できなくなる。

 ちなみに、最近はこうした言葉が増えている。「環境」や「福祉」もそのひとつだろう。「環境にやさしい」という名目で、環境負荷を高めている事例は事欠かない。「市民」にもそうした危険性が内在している。 市民権の広がりは、市民の思考停止を通して大きな政府(肥大化した行政)を生み出す一方、土地からの解放(地域エゴを唱える住民から啓発された市民へ!)という大義によって、個性ある地域社会を壊してきた。

 市民社会の広がりが、市民の主体性を削ぎ、市民みんなのものだったコミュニティを壊してきたという事実を踏まえて、最近の市民社会論の高まりを捉えていく必要がある。 「市民社会」の定義は、ここでの課題ではないが、こうした「言葉としての危うさ」による罠に陥らないために、現代的文脈で考えた時の市民社会論の意義を確認しておきたい。

 それは一言でいえば、「全体からではなく、個人から考えること」、つまり、発想の起点を名前をもった生身の個人に置くということではないか。社会があって個人があるのではなく、個人があって社会があるというように、個と全体とのベクトルを反転させるとともに、その関係性が階層構造からホロニックな再帰的循環構造へと変質した、というところに「市民社会論」の現代的意味がある。そう捉えれば、「市民」という言葉のもつ、ベクトルや意味の多様性も納得できる。多様な個人が主役になろうとしているのである。

■社会の捉え方

 ここではとりあえず「市民社会」を、自立した個人が自律的につくりあげていく社会としておこう。「自己責任」に基づく社会と言ってもいい。「自立」ということは「完結した個人」ということではない。生命は完結しては存在しえないから、自然や他人との関係のなかでの自立、つまり「自立共生」という意味である。市民にとって、社会や組織は、イヴァン・イリイチのいう「コンヴィヴィアル」な(自立のための)ツールである。自然と通底していることは言うまでもない。

  社会は「公」と「私」の二つのセクターで捉えられることが多い。第1のセクターは「公」のセクター、いわゆる国家で、主役は政府である。第2のセクターは「私」のセクター、いわゆる市場で、企業が主役である。そして、公と私の役割分担論のなかで、政府と企業の領域拡大のせめぎあいが行われてきた。「公」はもちろん、「私」の世界も主役は企業組織であり、個人の視点は稀薄だった。

 しかし、実は「公」にも「私」にも属さない、もうひとつのセクターが社会にはある。入会地や入会山のように、当該地域の住民みんなが個人で使える、「コモンズ」(「共」)ともよぶべきセクターである。そのセクターに所属するものは、特定のだれかのものではなく、みんなのものであり、そこでの行動原理は個人の自律性である。主役はNPOやボランタリー組織に所属する市民である。

 「公共」という言葉のせいもあって、「共」は「公」に内包されるイメージが持たれがちだが、「公」と「共」とは発想が違っている。前者には「私」と同じく「所有」や「排除」といった閉鎖的な姿勢が含まれるが、「共」には「活用」や「共同」というような支援的姿勢がある。特に日本の場合、欧米とは異なり、当初から「公」は「官」(国家)につながっており、「みんなのもの」というよりも、その対極にある「お上のもの」(公とはそもそもそういう意味)というイメージが強い。事実、市町村はもちろんのこと、その先にある自治会や町内会まで(建前は別にして)、国家の統治体制のヒエラルキーに組み込まれてきたのが、これまでの日本の社会だった。しかし、「公」と「共」はわけて考えなければならない。ちなみに「パブリック」は日本では「公」に当てられがちだが、むしろ「共」と言っていい。日欧における社会の成り立ちの違いに留意しておく必要がある。

  「公」と「私」の権益拡大競争の余波を受けて、第3のセクターであるコモンズ(共)がどんどん縮小されてきたのが、近年のわが国の傾向である。住民たちが生活の糧を得たり憩う場だった入会山や入会海が、「だれか」のものになってしまい、次第に自由に使えなくなってきていることが、そのことを示している。

 浸食されているのは第3のセクターだけではない。その根底にある自然の世界も枯渇してしまうほどに浸食されている。その結果、かつては安定していた社会が、非常に不安定になってしまっている。ここに、現在の最大の問題があるように思われる。20世紀が「公」と「私」の時代だったとすれば、21世紀は「共」の時代、つまり共の世界の主役である「市民の時代」である。

■自治体行政の位置づけ

 自治体行政やまちづくりの枠組みが大きく変わりつつあることは、こうしたことと深くつながっている。そこで起こっているのは、「市民によるコモンズの回復」と言っていい。

  地方分権について考えてみよう。もしこれが、単に中央の権限を地方に「分権」するだけなのであれば、国家政府の外延的拡大にすぎず、事態は全く変わらない。しかし、地方分権を地域主権への転換と捉えれば事態は全く違って見えてくる。事実、分権を超えた主権の動きは各地に広がりつつある。

  基礎自治体である市町村は、これまでは公(国家政府)の下部組織だった。そこでの自治は「囲われた自治」だったと言っていい。従って、自治体の首長の目は住民ではなく中央に向いており、わずかにアリバイ工作的な「市民」参加(住民参加ではない)が行なわれていたにすぎない。住民は統治される存在であり、自律的に行動する市民とは扱われなかったのである。1960年代から始まった市町村での「市民参加」の動きも「住民≠市民」という構図が感じられる。こうした枠組みが、いま問い直されだしている。

 そして、まちづくりの枠組みも大きく変わりはじめている。まず、横並び志向から個性づくりへと姿勢が変化してきた。また、ハコモノ中心のモノづくり志向からソフト中心のものがたりづくりへと住民の関心が移りつつある。まちづくりの課題も変わり、福祉や環境に積極的に取り組むことこそがまちづくりだという意識が急速に高まっている。

 そうなってくると、当然、まちづくりの主役は行政ではなく地域に生活している住民だということになってくる。 これは、住民たちが自分たちのまちをみんなでもう一度つくりあげていこうということである。「もう一度」というのは、以前、まちはみんなのものだったからである。

 下町の路地が象徴的だが、そこはみんなの場所だった。だからそこに植木鉢を出し、縁台を置き、井戸端会議もしていたのである。しかし、そこはいつのまにか「公共空間」という「誰かのもの」になってしまい、植木鉢も縁台も置けなくなってしまった。それでは「自分たちのまち」という実感がもてなくなるのは当然である。もう一度、コモンズとしてのまちを回復していくことが望まれる。

  社会の第3セクターとしてコモンズを位置づけるならば、基礎自治体はコモンズの事務局になりうる存在である。というよりも、基礎自治体はそういう存在として、コモンズの論理で国家や企業と緊張関係を維持しながら共生していくという構図が健全な社会を形成していくはずである。

 これはなにも新しいことではない。明治以前の村落や都市は、まさに生活共同体としてのコモンズだったのではなかったか。今でも、イギリスのパリッシュやアメリカのカウンティといった基礎自治体はコモンズと言っていい。むしろ基礎自治体(時には地域の自治会や町内会)まで国家の末端機関化していることこそ異常というべきである。そろそろ日本の基礎自治体も「地方行政体」から「地域市民政府」へと変わっていく時期である。

 地方分権はそうした動きの契機になっていくだろう。 もし市町村がコモンズの事務局、言い換えれば市民生活の事務局になるならば、役所の建物は「お上の城」から「市民のコモンズ財産」になっていく。田村明は著書の中で、ドイツのハノーバー市役所を次のように紹介している。

  古典的な風貌をした大きな建物に入ると、入口の高い吹き抜けのあるホールには、市の各時代ごとの大きな模型がある。小さな城郭に囲まれていた時代もあるし、第2次大戦で瓦礫になった姿もある。回りには説明のパネルがあって、小学校や中学校の先生が生徒を引率して説明している。2階には立派な議場があり、子供たちが覗きにくる。屋上のドームの塔に上がると、先に模型でみた全市の姿がそのまま見渡せる。まさしくここは市民の城であり、市民は自治体の歴史と実態を学び、自分たちのものだと実感できるだろう。 (田村明「自  治体学入門」 2000年 13〜14頁)

 敷居の高い日本の市役所とは全く違っているが、日本でも市役所を市民のものと考える動きは強まっている。たとえば東久留米市の市役所は市民に親しまれているもののひとつである。1階のロビーには喫茶店やちょっとしたテーブルがあり、午前中はお年寄りや主婦が憩い、昼過ぎになると学生たちが集まってくる。入口前の広場には夕方からスケートボードを持った若者が集まりだす。休日の朝は近隣の農家の人たちが朝市を出す。まさにコモンズとしてのシティホールになっている。公共施設を市民が自主管理する動きも広がっている。日本の自治体も少しずつ変質してきている。

■市民が主役になりだしている事例

 コモンズ感覚で市民が動き出している事例をいくつか見ておこう。

 伊勢市に伊勢倶楽部という市民組織の集まりがある。自分たちのまちである伊勢を「もっとええとこに」(設立趣意書)したいという思いから、市民活動をしているさまざまな組織が大同団結して平成11年に発足した自発的な集まりである。発起人たちは1年にわたり毎週集まり、「侃侃諤諤」(伊勢倶楽部の機関誌の名称)議論した上で構想をつくりあげ、市民に広く呼びかけた結果、40を超える市民グループが参加した。各世代から構成される常任幹事会で方向を議論しながら、毎月、各グループが参加する定例会を開催しているが、まず「伊勢のまちづくりのためのものさし」(指針)を共有するための活動に取り組んでいる。

 参加者の活動は実に多様である。これまであまり接点のなかったグループがほとんどだが、伊勢をいい町にしたいという思いでは見事に一致している。まちづくりのものさしを組み立てていくのと並行して、お互いの得意技を出し合って、伊勢のまちづくりをさらに進める動きもある。

 伊勢倶楽部は、まちづくりの主役は市民であるという考えのもとに、行政とは独立した立場を堅持しているが、行政に対立しているわけではない。市民として、行政を方向づけるだけの見識を持つために、伊勢のことをもっとよく知り、まちづくりについての見識を高めようとしているのである。「地域を愛し、誇りと責任をもって努力をする『市民』が育たなければ、よい地域をつくってゆくことはできない」(田村明前掲書)が、まさに伊勢倶楽部は市民社会におけるまちづくりのモデルと言っていい。

 行政と市民との共創によるまちづくりも広がっている。山形市では市民が5人以上集まってテーマを設定すると「まちづくり市民会議」として市に登録できる。登録しても資金的な支援はないが、情報面では積極的な支援が得られ、活動の成果を公開の場で発表することが保証される。今は20近い市民会議が活動をしているが、そうした活動の過程で市民相互の交流も深まり、そこから自然発生的に市街地活性化に取り組むグループなども生まれている。たまたま今年、市長選挙が行われたが、誰が市長になろうとこの制度を継続するように市に申し入れようと、市民会議の代表者たちが自発的に集まって決定するほどに、市民の意識は高まってきている。

  茨城県の美野里町(人口24000人)では文化センターの建設を住民主役で構想し、実際の建設にも住民が深くかかわりながら推進しているが、その勢いにのって町の基本計画を住民と行政が一緒になって取り組もうとしている。相変わらず形式的な「市民参加」スタイルも少なくないが、こうした実質的な共創型のまちづくりも急速に増えてきている。その根底にあるのは、自分たちのまちを回復したいというコモンズ意識の高まりである。

■コモンズからの社会の再編集/市民社会の可能性

 こうした動きは当然に社会全体の枠組みにも大きな影響を与えていく。企業と行政と市民とが一体となってトラストをつくり、まちづくりに取り組むグラウンドワークも最近広がっているが、ここで起こっている現象はこれからの市民社会のあり方を考える上で示唆に富んでいる。

 たとえば、わが国における最初のグラウンドワークである「グラウンドワーク三島」が、三島市内の環境改善のための公園づくりに取り組んだ事例がよく引き合いに出されるが、行政がやれば3000万円くらいかかるミニ公園づくりを、企業からの機材提供と市民の役務提供などのおかげで、なんとたったの5万円で完成させたと言う。ここでは公と私と共の、3つのセクターがパートナーシップを組んで相互支援しあったわけだが、そこでの基本原理はコモンズ発想である。自分たちのまちの環境のために、それぞれが応分の汗と知恵とお金を出したのである。費用の少なさもさることながら、出来上がった公園はまさに「自分たちのもの」と大切にされることだろう。

 企業、行政、NPOが、境界を超えてお互いに連携を組むケースも生まれてきている。つなぎ役は言うまでもなく個人である。考えてみれば当然のことなのだが、企業も行政も人間が使い込む仕組みである。これまではともすると企業や政府が個人を使っていたが、「個人から考える」という市民社会の文脈で考えれば、企業も行政も市民が使い込む仕組みである。そして、最近、企業や政府を使い込める市民が増えてきたと言ってもいい。そうした市民が軸になって、社会の再編集が始まっていけば、企業も行政も大きく変わっていく。

 自治体行政については既に述べてきたように、コモンズ起点へとベクトルを反転させることでこれまで実効があがらなかった行政改革が進み、その影響を受けて、中央行政も変化していくことになるだろう。

 企業も大きく変わりつつある。起業環境が大きく変わり、個人起業が容易になってきているし、ワーカーズ・コレクティブのような新しい協同組合方式も広がってきている。そこでは当然、企業は個人が使い込むツールである。ワークスタイルもこれまでとは全くといっていいほど違っていくだろう。

 在来型の企業においても、徹底的な情報共有をベースにしたOBM(Open Book Management)などの広がりの中で、自分たちの会社(コモンズ組織としての会社)という意識が強まり、自律的な社員が会社を変質させていく動きがある。企業内での「市民革命」が進みつつあると言ってもいい。

  NPOや行政がこれまで企業が独占してきた市場の世界に入ってくることも見落としてはならない。TMO(Town Management Organization)やコミュニティ・ビジネスなどが、これまでのセクターを超えて新しい経済の地平を開いていくことになるだろう。そこでの主役は個人としての市民である。すでに市民管理による地域通貨システムへの取り組みも始まっている。

 こうした多様な展開は、市民のワークスタイルの選択肢を多様化させ、それがライフスタイルの自由さを飛躍的に高めることになっていく。そしてそれがまた社会全体の自律性と多様性を向上させていくという好循環につながっていけば、市民社会が新しい局面に入っていく可能性は十分ある。メンバー全員が自分たちの社会と実感している社会は、安定と進化を調和させることができるだろう。企業(経済システム)も行政(政治システム)も、コモンズの理念で再編集され、3つのセクターも改めて脱構築されていく。セクターとしての市民社会ではなく、社会そのものが市民社会化していくことになる。

■市民社会の可能性と限界

  地域で起こっている小さな動きから、市民社会をやや楽観的に展望しすぎたかもしれない。しかし、そうした方向に行く可能性は大きいように思われる。

 その理由はふたつある。環境問題の深刻化と高齢社会への移行である。 環境問題はこれまでの産業パラダイムの見直しを迫っているが、それは同時にその産業パラダイムにのっていた行政の見直し、さらには私たち一人ひとりの生き方の見直しにもつながっている。高齢社会への移行もまた、これまでの産業社会や市場主義社会を変質させていく契機になっていく。もちろん私たちの生活も見直さざるをえないだろう。

 これまで述べてきた市民社会のビジョンは、そうした見直しのひとつの答である。それを実感しているのは、動き出した市民たちである。IT革命がそうした市民たちをネットワークし、エンパワーしていくことは間違いない。

  もちろん落とし穴がないわけではない。気になることがふたつある。ひとつは情報共有の問題である。市民社会や公共圏にとっては、コミュニケーションの質、つまり情報共有が本質的な要素である。情報共有が不十分な状況において住民投票が行なわれることの危険性は言うまでもないが、それはそのまま市民社会の信頼性の問題になっていく。市民社会化の進展の早さに比べて、情報共有化への取り組みが遅れていることが危惧される。注意しないと、瑣末な事象で市民衆愚論が出てこないとも限らない。

 もうひとつの懸念はもっと本質的な問題である。市民と土の関係である。人の生は大地に支えられている。生活とは地域に根ざした文化でなければならない。市民論には、しかし、地域(あるいは現場)からの解放のニュアンスがこめられている。「住民から市民へ」というのが、今でも地域における市民活動のスローガンになっている。だが市民の強さは現場との接点にある。大地は自立を支える基盤である。そこから遊離して市民は生活していけない。

 しかし、現場から離れようとする意識は、実は市民そのものの意識の中にも内在している。そうした意識を克服して、土の匂いのする市民を目指すことが果たして可能かどうか。

  さらに余計なことを追加すれば、市民社会への動きとは正反対の動きも強まっている。たとえば地方分権の動きと並行して、広域行政の視点から自治体合併の動きもあるが、コモンズ発想からすれば自治体はむしろ細分化すべきだろう。環境問題に絡んでの静脈産業論も注意しないとこれまでの産業パラダイムの延命に加担しかねない。

 歴史の慣性はそう簡単には切り替えられない。 こうした動きに抗して、コモンズをよりどころにした新しい市民たちが、これからどう活動を深め、広げていけるか。それによって市民社会の在り様は大きく変わっていくだろう。

〔参考文献〕

・ 田村明[2000]『自治体学入門』岩波書店
・ 渡辺豊博「グラウンドワークに学ぶ」『地方行政』1998年1月12日号
・ 西部忠「〈地域〉LETS 貨幣・信用を超えるメディア」(『可能なるコミュニズム』柄谷行人[2000]太田出版所収)

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1998/佐藤修

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