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企業進化の契機としての企業の社会貢献活動 「社会的起業家の現状と今後の展望」(2001年3月)寄稿 □ 社会へのお役立ちは企業の本来の役割 企業にとっての社会貢献活動の意味を、改めて考えてみよう。 企業は本来、社会に存在するさまざまな問題を解決する(新しい価値を創出することも含めて)ところに誕生の契機と存在意義があった。企業の活動が社会に役立つ見返りとして、応分の利益を獲得する。社会に役立つことができなくなった企業は、社会の支援を得られなくなって淘汰されていく。これが企業の世界のルールだった。 つまり、社会貢献こそが企業の存立基盤だったのである。あえて、過去形で書いたが、もちろんそれは今でも変わっていない。しかし、残念ながら、実際には経済至上主義の流れの中で、わが国では、社会貢献と言う本来の役割は後退し、「見返りとしての利益」観ではなく「目的としての利益」観が強まってしまった。そして、社会に役立たなくとも存続できる仕組みさえ生まれてきているように思われる。 企業の目的は何か、という問いに対して、おそらく多くの人は「社会へのお役立ち」とは答えずに、「利益をあげること」と答えるだろう。企業とは「営利目的の組織」と、国語辞典にも書かれている。 目的は単純であるほど、組織の結束力を高め、活力を育てやすい。「目的としての利益」観は、いつの間にか社会の常識になってしまった。だが、これがいつの時代でも常識だったわけではない。江戸時代の商人たちの常識の中心には「社会へのお役立ち」がしっかりと置かれていたし、わが国の資本主義の父と言われる渋沢栄一も、企業経営の要は「論語と算盤」と言っていた。いや、そこまでさかのぼる必要はない。日本が経済大国と言われだす少し前までは、企業経営の基本には「社会へのお役立ち」が置かれていたように思われる。 もちろん、今でも、企業の経営理念やスローガンを見れば、そこには「社会貢献」がうたわれている。しかし、実際の経営の場で、そうしたことを意思決定の基準にしている企業は、現在どのくらいあるのだろうか。企業が本業とは別の「社会貢献活動」に取り組んでいる現実は、むしろそうした発想がますますなくなっていることを感じさせる。本来、企業は本業を通して社会貢献してきたのだが、昨今では、本業は利益目的に徹し、その利益の一部還元として社会貢献活動をしていくように変わってきていると言ってもいい。ものごとを分けて考える、という近代合理主義の、まさに典型的な姿である。だが、そうした状況が長く続くのは難しい。その歪みの現れの一つが、バブル経済とその破綻であり、社会の荒廃と若者たちの企業離れである。
□ 社会は企業の存立基盤 社会に役立ってこそ企業は存続できる、と同時に、社会が元気でないと企業は存続できない。自然が枯渇すると文明が滅びる、ということと同じ関係が企業と社会の間にもある。企業もまた「社会の子」であり、社会は企業存立の基盤なのだ。だが、経済至上主義の視点からは、社会は企業にとっての市場としか捉えられずに、社会の質を損なうほどの「過剰な刈り取り」が企業によって行われることも少なくない。 この結果は、社会の荒廃である。一昔前の米国がそうだった。1980年代から米国企業がフィランソロピー活動に盛んに取り組みだしたことは、こうした事と無縁ではない。社会が荒廃していくと、企業にとっての市場が縮小するばかりでなく、人的資源さえも確保できなくなる。学校教育や地域福祉に企業が積極的に関わっていったのは、決して「博愛精神」から出た慈善行為ではなく、企業活動にとっての必然的帰結のひとつだったのである。 このことは、企業のフィランソロピー活動の価値を貶めることにはならない、むしろ逆である。富者の施しではなく、社会の一員としての意識(コーポレート・シチズンシップ)がそこにはしっかりと組み込まれている。日本では企業の社会貢献活動についてさえ「陰徳論」が議論されたが、個人ではなく社会制度である企業が主体である場合は陰徳などということはありえない。社会に公開され、企業活動と(短絡的にではなく)関連していることが大切である。 そういう意味で、米国のフィランソロピー活動は、ビジョンを持った、ある種のソーシャル・マーケティング(社会に新しい動きを起こす働きかけ)と言ってもいい。活動内容は社員や株主にはもちろん、広く社会に公開されるとともに(それは評価されることでもある)、社員を巻き込んだ社会的な活動として展開されることも多い。その根底には、自らの存立基盤である社会をよくすることが、「啓発された自己利益(enlightened self-interest)」になるという意識がある。 社会に役立つことは、自らの存続条件であるばかりでなく、まわりまわって自らにも役立ってくるということである。社会と企業とは対立した存在ではない。次元も違う。双方の得失はゼロサムではなく、お互いにメリットを享受できる好循環(WIN-WIN-SYNERGY)を生み出すことは可能である。本来は、本業で直接そうした循環に向けての取り組みをするのが望ましいのだが、最近のように社会が複雑になってくると、本業とは別の切り口で活動していくことも必要になってきている。それが、昨今の社会貢献活動の意味ではないかと思われる。 つまり、企業の社会貢献活動は篤志家の慈善活動とは違うのだ。ましてや、金持ちの道楽や儲けすぎの免罪符ではない。本業につながる、重要な戦略課題なのである。業績がふるわないから止めておこうというものではなく、むしろ、業績を良くしていくために取り組むべき活動というべきだろう。
□ 社会貢献活動の企業にとっての意味 それでは企業の社会貢献活動は、結局は企業の利得活動であり、売名行為ではないかといわれそうだが、もちろんそうではない。社会に役立つ企業が元気になれば、それは自ずとまた社会に戻ってくる。企業や社会とはそうした再帰的な相互関係の中で動いており、「啓発された自己利益」は社会にも当てはまる。社会に役立つ企業が育っていくことは、社会にとっても歓迎すべきことである。 米国では、社会的視点からの企業評価が盛んに行われているし、コーズ・マーケティング(商品を購入するとその価格の一部が公共的な活動に振り込まれるような仕組み)への消費者の関心も高い。企業の社会貢献活動が、企業の一方的な活動としてではなく、社会を巻き込んだかたちで展開されている。 日本でも少しずつではあるが、そうした動きが始まっている。そして、企業もまた社会貢献活動の意義を認めだしてきている。企業は決して、いやいやながら社会貢献しているわけではない。しかし、それが企業の戦略課題と位置づけられているかといえば、そうではない。本業や企業業績とのつながりへの認識も決して高いとはいえないだろう。 企業を取り巻く環境の変化や時代の方向性を考えると、企業の社会責任はますます高まり、社会貢献活動の位置づけや取り組み方も変わっていくことは間違いない。 もちろん、現在においても、社会貢献活動は企業にとって大きな戦略的意義を持っている。改めて整理してみよう。 @ 企業の存立基盤の強化 A 社会(市場)からの信頼性の確保 B 社員のモチベーション C 企業変革への契機 D 新しい事業の創発
□ 新しい経済における企業進化に向けて 環境問題の深刻化や情報技術の飛躍的進歩などにより、経済システムが大きく変わろうとしている。当然のことながら、それは企業システムの変化を要求している。企業のあり方は、これから大きく変わっていくだろう。 その予兆はすでにある。社会起業家の動きもそのひとつだし、NPOも企業とドメインを重ね合わせつつある。さらに働き手の意識も変わり、ワーカーズコレクティブや個人企業、ネットカンパニーなど、これまでとは違った企業スタイルも広がりだしている。 企業に所属している社員の意識も変わってきた。一言でいえば、働きがいや仕事(会社)の社会性が重視されだしている。金銭的報酬だけがモチベーションである時代は終わりつつある。社会性のない企業には、魅力的な人材は集まらない。 消費者の意識も変化してきた。米国では6割を超す人が、コーズ・マーケティングを標準的ビジネス慣行にしたい、と考えているという(「サンフランシスコ発:社会変革NPO」岡部一明 お茶の水書房 2000)。また、企業の社会性を意識して商品を購入することを勧めている「Shopping for a Better World」という本もベストセラーになっている。少し遅れてはいるものも、日本でも同じような動きが始まっている。 こうした時代の流れのなかで、企業の社会貢献活動の戦略的意義を改めて考えることが必要である。 新しい経済システムのなかで、企業が生き残り、発展していくためには、「事業の社会性」と「企業の社会性」を高めていかねばならない。企業は単なる経済的存在から、社会的存在、文化的存在へと進化していかねばならない。社会からの信頼やシンパシーを得られない企業は淘汰されていくだろう。改めて、企業の原点に立ち返って、「目的としての利益」観から「見返りとしての利益」観を回復する必要がある。それこそが新しい経済のなかでの発展の出発点ではないだろうか。 社会貢献活動は、そのための契機であり、経済主義に埋没している企業の発想を解きほぐし、新しい経済の地平に向けての刺激と情報を持ち込んでくれる効用を持っている。その効用を意識し、活かしていかねばならない。 新しい経済システムの主体に向けて企業が進化し、企業と社会の共進化という、WIN-WIN-SYNERGYを実現していくところにこそ、企業の社会貢献活動の本来の意義がある。企業も社会も、このことをもっと意識的に受け止めていくべきではないだろうか。
佐藤修:桓ンセプトワークショップ代表
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