コミュニケーションからコラボレーションへ
行政コミュニケーションにおける新しい動き

■行政コミュニケーション活動のふたつの捉え方
 時代環境の変化のなかで,近年,各自治体は対住民はもちろん自治体外部に対するコミュニケーション活動に力を入れだしている。あわせて庁内コミュニケーション活動についてもさまざまな工夫をこらしだしている。インターネットを踏まえた新しいメディアの活用への取り組みも盛んである。
 しかし,残念ながら,そうしたコミュニケーション活動が所期の目的を十分に果たしているケースは少ないように思われる。市役所の熱心な活動にもかかわらず,市民意識調査をすると「もっと行政の活動を知らせてほしい」「もっと私たちの意見を聴いてほしい」という声が多い。市役所の担当者が,こんなに熱心にやっているのに市民の関心が低いからではないか,と考えたくなる気分もわからないわけではないが,方法が間違っていれば「熱心さ」は何の意味も持たない。逆に過剰すぎるパンフレット(つくることが目的化しているものが多い),中途半端な情報発信(たとえば言葉の羅列による各種計画),とりあえずの広聴システム(たとえば各種審議会や形式的なモニター制度)などが実態を見えなくしてしまっていることも少なくない。
 なぜそうなっているのか。その理由を考えることも大切だが,コミュニケーションの技法や仕組みを超えた行政の枠組みそのものが問われていることに気がつかなければならない。行政の枠組みを変えずに,とってつけたような広聴システムをつくっても,市民*1との「対話」を行っても,市民参加システムを整備しても,効果はあがらないだろう。「行政のやり方」ではなく「行政のあり方」が問題になってきているのである。行政の使命や社会的な位置づけが整理されれば,自ずと必要なコミュニケーション活動の方向は見えてくる。それがないまま,従来の延長でいくらコミュニケーションの活動量を増やしても効果は上がらない。
 行政革命という言葉が使われるほど,行政環境は大きな変わり目にある。まさに行政にも「パラダイム・シフト」が求められている。そうしたなかで,行政におけるコミュニケーション活動には二つの視点を分けて考えることが必要になってきている。「与えられた行政の枠組みのなかでのコミュニケーション活動」と「行政の枠組みを変革するためのコミュニケーション活動」である。このいずれを目指すかで,コミュニケーションの目的も方法も違ってくる。もちろんいずれも必要だが,いま特に必要なのは後者である。変革はいつも情報やコミュニケーションから始まることを忘れてはならない。

■変革のためのコミュニケーション活動の動き
 コミュニケーション活動を変革のためのものと捉えると,これまでの発想を大きく変えていく必要がある。同時にこれからの行政のあり方についてのビジョンも必要になる。本論はそれを語る場ではないので,国家統治のための行政から住民生活のための行政へという大きな方向性だけを確認しておくにとどめたい。この流れからいえば, 情報公開も地方分権も, そして最近の行財政改革の取り組み方も従来の枠組みのなかでの発想であることは言うまでもない*2。それらは過渡的な役割という意義はあるが,これからの自治体のコミュニケーション活動を考える場合は, その枠をも超えて発想していく必要がある。
 変革のためのコミュニケーション活動という視点で,最近私の周辺で始まった新しい動きについて少し紹介してみよう。
 茨城県の美野里町では文化ホールづくりのための町民委員会を公募した。文化ホールの基本構想に町民の意見を反映させるために, こうした委員会をつくることはめずらしいことではない。しかし美野里町の場合は, 町民にとって本当に意味のある文化ホールとは何かという原点から委員会で自由に議論してもらうことにした。行政の案に対して意見を言うだけでいいと思っていた委員は最初は戸惑いながらも,単に施設としての文化ホールを考えればいいのではないことに気づいていく。そして町の財政状況や住民の責任にまで議論が広がり, 結局,もっと町民を広く巻き込んで, 美野里町の文化そのもの, 行政のあり方そのものを考えていこうという方向に進んでいった。町役場も委員に対しては行政の実態をありのままに見せ,委員と一緒に悩みながら,自らを変えていった。そして,委員会に参加した県や国土庁の担当者が感激するほどの, 行政と住民のパートナーシップが生まれてきたのである。相互理解が深まり, 信頼関係ができてくれば,その後のコミュニケーションは難しいことではない。しかも, その結果としての新しい動き(それこそがコミュニケーションの目的である)が始まることも間違いないだろう。
 山形市では新たな総合計画を住民参加で策定したが,その実現もまた住民と行政とが力を合わせて取り組もうという「共創プロジェクト」を展開している。その中心のひとつが「まちづくり市民会議」である。あるテーマに関心を持った住民が5人以上集まると「市民会議」が組織できる。それを市役所に登録すれば,情報面や運営面での行政からの支援が得られると共に,議論した内容や提案を行政や住民に発表する場を行政が用意してくれるというものである。テーマは特に制限はなく,総合計画につながるものであれば,仮に行政の考えと違っていてもいい。個々の市民会議の運営は参加者の責任において行う。費用も住民持ちである。但し要請があれば行政も参加する。本格的なスタートは来年からだが,すでに3つの市民会議がスタートしている。顔の見えない住民一般とのコミュニケーションではなく,テーマに関心のある住民たち(しかし誰でも参加できる)との密度の高い対話が公開スタイルで行われることになる。さらに対話から一歩進んで,行政と住民とが役割分担しての地域づくりが始まることになるだろう。こうした動きに刺激されて,山形市の青年会議所は電子ネットを使ったバーチャル市民会議づくりに動きだした。
 山形市の共創プロジェクトは住民と行政とのコミュニケーションだけではなく,市役所内部にも「職員ワークショップ」という新しいコミュニケーションの仕組みをつくりだした。あるテーマについて職場を超えて職員が自由に話し合い,具体的な活動を起こしていこうという仕組みである。すでにそこでの議論から昨年はカジュアルディが実現した。カジュアルディといっても単なる服装の問題だけではなく,市役所そのもののカジュアル化,つまり住民に親しみやすい市役所づくりを目指した活動である。そこから発展して,仕事を考えるワークショップが生まれ,さらに行革ワークショップへと発展しつつある。職員ならだれでもワークショップに参加できるし,自分でワークショップの呼びかけを行うこともできる。縦割行政を超えて,庁内のコミュニケーションをよくしていくとともに,若い職員や現場の実態を踏まえた新しい風が市役所のなかに吹き始めたのである。
 行政と住民とのコミュニケーションを深めていくためには,それをただつなぐだけではなく,双方が自らを変えていかなければならない。山形市ではそうした認識から住民による市民会議と職員によるワークショップを基本において,共創プロジェクトを展開している。美野里町のケースは逆に住民と行政とを直接つなぐことによって,それぞれの変革の契機を創りだしている。いずれにしろ,コミュニケーションは変革と切り離せない。双方が変わらないまま,情報をやりとりしても何の効果もないだろう。
 住民と行政とをつなぐ仕組みとして,最近,注目されているのが「出前講座」である。住民の要請に応じて,職員が住民のところに出ていって,担当分野についての情報を提供するという仕組みである。CI活動の一環として北九州市で始めた流れと社会教育活動の一環として八潮市で始めた流れとふたつあるが, いずれも結果的には地域づくりに向けて住民と行政とが力を合わせる新しいコミュニケーション・システムへと向かっている。7月には出前講座研究会という全国組織もスタートすることになっている。
 行政と企業との新しいコミュニケーションの動きもある。北九州市では,企業と行政の課長クラスの交流を目的とした研修会を毎年行っているが,今年は「行政と企業のパートナーシップ」というテーマで合宿を行った。参加前はそれぞれに不信と不満を持っていた参加者も合宿によって相互理解が深まり,抱えているテーマの共通性が認識され,それを契機に企業人と行政人との研究会がスタートした。対立や癒着ではない,新しい関係の始まりになるかもしれない。

■これからの行政コミュニケーションの方向性
 以上,いくつかの事例を紹介してきたが,これらを踏まえてこれからの行政コミュニケーションの方向性を考えてみよう。
 一言で言えば,「広報・広聴」(コミュニケーション)から「共創」(コラボレーショ
ン)へという動きである。つまり,行政のコミュニケーション活動は行政と住民の情報のやりとりや情報共有化にとどまるのではなく,そこから新しい価値を創造していくということに向かいつつある。情報のやりとりは行動にまでつながってはじめて意味を持ってくることを考えれば,これは当然の流れと言っていい。しかも,共創を通して情報の共有は深化するから,共創こそが効果的なコミュニケーション活動とも言えるだろう。
 こうした流れは,行政パラダイム,とりわけ行政と住民との関係の変化と密接につながっている。そうした枠組みの変化を伴わなければ,これからの行政コミュニケーションは進まない。いかにコミュニケーションの仕組みや活動を増やしても,その発想の転換がない限り効果はあげにくい。問題は広報広聴予算の多寡ではないし,難しい仕組みや戦術でもない。情報システムをいかに整備しても,コミュニケーション計画づくりにいかに知恵をしぼっても,基本的なところで発想を転換できなければ,すべては全くの逆効果になりかねない。コミュニケーションの問題を考えるということは,行政のあり方を考えることにほかならないのである。新しいコミュニケーション活動の震源地や担い手の多くが,いわゆる広報部門ではないということがそれを物語っている。従来の「広報広聴発想」はそろそろ根本から問い直す時期にきている。
 コミュニケーション・メディアが人に移りつつあるということも見落としてはならない。しかもそれは行政職員だけではない。美野里町では委員会のメンバーがまさに行政と町民をつなぐ役割を果たそうとしているし,山形市の共創プロジェクトも出前講座も参加した人が重要な役割を果していくことになるだろう。
 こうした動きは行政からだけではなく,住民側からも出始めている。オンブズマンは行政との対立関係をベースにしているが,行政と住民との共創を目的とした「アンテナ市民活動」が小田原などで始まっている。共創という視点でコミュニケーションの問題を考えると,視界は一挙に広くなっていく。
 情報公開もこれからの行政コミュニケーションにとって重要なテーマだが,これも共創という視点で考えると,全く違った捉え方ができる。行政は現在,情報公開を受け身で捉えているが,共創という視点からは「情報公開することで,つまり情報を行政と住民とが共有することで,行政の仕事は飛躍的にやりやすくなる」ということができるだろう。そこにこそ,これからの行政コミュニケーションの本質があると言ってもいい。
 行政コミュニケーションを語るということはまさにこれからの行政のあり方を考えるということである。地方行政のパラダイム・シフトが求められている現在,大きな視界のなかで行政コミュニケーションの問題を考えていかなければならない。
 
 *1 「住民」と「市民」という言葉が区別されて使われているが, 地方行政において必要なのは「住民の視点」である。1960年代以後, 市民発想が重視されているように思われるが, そこに「ボタンのかけちがい」があったように思われる。
 *2 情報公開も地方分権も行財政改革も, 「価値論」の議論なしで, 対処療法的に進められているのが現実である。それではこれまでの行政の延命策にしかならない。