社内報関係の小論集

社内報は企業経営にとって極めて重要な存在であり、企業変革への最大のツールかもしれません。しかし、残念ながら、そういう位置づけにはなっていません。その一方で、メール文化やネット文化が広がり、活字メディアはパワーダウンしているようにも思えます。これまで社内報に関して、いくつかの小論を書いてきましたが、今回、久しぶりに社内誌企画コンペティションの審査をさせてもらって、改めて社内報のことを考えさせられました。そこで昔の小論を少し拾ってみました。社内報を取り巻く状況はほとんど変わっていないように思います。
少しずつまた昔書いたものを再録し、このコーナーも充実させていく予定です。

1. 社内報が社内を超えだした(「宣伝会議」1993年頃)
2.企業変革こそ,社内誌の新しい役割(「編集者手帳」1993年5月号)
3.会社の元気は社内誌から(「編集者手帳」1995年3月号)
4.「社内誌をつくる」から「社内誌をつかう」へ(「編集者手帳」1996年)
5.楽しい会議づくりも社内誌活動の大切なテーマ(「編集者手帳」1997年6月号)
6、社内誌編集7つの視点(「編集者手帳」1998年3月号)
7.社内誌で企業の進化に荷担してみませんか(「編集者手帳」2002年3月号)


1. 社内報が社内を超えだした(「宣伝会議」1993年頃)

●会社を震撼させた社内報
 一冊の社内報が企業変革に火をつけた。西武百貨店の社内報「かたばみ」特別号『西武百貨店白書』である。そこには、同社の和田会長自身による痛烈な自社批判が展開されている。たとえば、「この会社には、経営のリーダーシップがない。会社で本当の意味でのマネジメントがない。全くの無為無策、勝手やりたい放題、論評と批判はすれど、実行力、行動力がないのです。これが西武百貨店の現状なのです」というようにである。中途半端ではない。
 もちろん和田会長に自虐趣味があるわけではない。その白書の最初の頁で、「今日の経営危機を招いたのはひとえに経営者の責任である。しかし、社員全員の協力なくしては企業再建はありえない」と呼びかけている。そして、社員にやる気がないのは真実が知らされていないからだとして、経営実態を数字で詳細に説明し、さらにこれから何をやるかについても説明している。しめくくりは「私に力を貸してください」。つまり、企業変革に向けての檄文なのである。
 白書は社員に配布されただけではない。同時に社外にも公表されている。そして、その後も引き続き社内報で問題を俎上にあげると共に、企業変革に向けての具体的な活動を起こしている。トップがこれほど効果的に社内報を活用したケースはめずらしい。
 企業変革に大きな影響を与えた社内報と言えば、日産自動車の「Beザイセルフ」も有名である。社員の投稿を中心とした有料社内報だが、会社経営に関しても社員によるホンネの議論が展開されており、時には経営層に対する厳しい問いかけになっている。西武百貨店白書のようなトップダウンではなく、民の声のボトムアップにより企業にゆらぎを起こしていったのである。
 いずれのケースも、社内報が企業変革にとって大きなパワーを持っていることを示している。これまで社内報は、どちらかといえば経営戦略とは遠い存在であり、若い女性社員や定年近くの高齢社員に一任されるケースが多かった。しかしどうやら事態は変わりつつある。社内報が企業経営にとって大きな戦略的意味を持ち始めたのである。

●社内コミュニケーションへの関心の高まり
 こうした背景には、企業の変わり目という時代状況がある。企業経営の潮流変化の中で、企業内のコミュニケーション活動が改めて注目され始めた。
 経済のソフト化や市場の成熟化は、単なる労働力から個性ある社員へと働き手のあり方を変えつつある。企業の事業内容も多様化している。画一的な発想をする社員だけではお客様に応えられないばかりでなく、時代の変化に取り残されかねない。経済同友会が「新しい個の育成」を提唱しているように、社員一人ひとりの個性的主体的な活動が企業経営の内容を高めていく。しかし、多彩な個性を束ねていくのは難しい。個々人の意思と活動のベクトルをそろえ、シナジーを高めるためには、社内のコミュニケーション活動が決め手となる。企業理念やビジョンを社員に共有させるのも大切である。
 最近話題のCS(顧客満足)経営も、社員による情報共有が基本である。単にマナーをよくすればいい話ではない。お客様の声がしっかりとトップに伝わること、商品や事業の意味、さらには企業としての目指す方向を社員が充分理解していること、社内のコミュニケーションがきちんとできていること、などが大切なのである。それをおろそかにした対応は効果をあげないだろう。
 社会に対して企業が開かれだしたことも社内コミュニケーションの重要性を高めている。企業と社会との壁は急速になくなりつつある。経済同友会は『オープンシステムへの企業革新』という報告書を出し、社会に対して企業を開いていくことがこれからの企業革新の方向だと位置づけた。閉鎖的な経営姿勢が、最近の企業不祥事の大きな一因だったことへの反省がそこにはある。これまでのように広報部門が企業と社会のパイプ役になるのではなく、社員一人ひとりが直接、社会と関わることが増えてくると、社員による情報共有ということが重要になってくる。
 さらに、単に開いていくだけではなく、経済活動以外の分野にも関わっていく姿勢も企業に強まっている。いわゆるコーポレート・シチズンシップ(企業も社会の一員)や共生経営である。その基本は言うまでもなく、社員一人ひとりの社会性を高めることでなければならない。そのためには情報共有が大切な課題になる。専門部署による社会貢献活動や利益の一部の社会還元は、共生経営にとって本質的な活動ではない。
 企業経営の新しい動きが一様に示していることは、社内における情報共有の大切さである。インターナル・コミュニケーションが改めて重要になってきている。そうした流れの中で、社内報の役割が変わりつつあることを認識しておかなければならない。

●社内報の新しい役割
 上意下達(経営姿勢の社員への徹底)と社内融和が、これまでの社内報の大きな目的だった。どちらかと言えば現状維持である。前者はなかなか読まれないために、後者への傾斜が進み、できるだけ多くの社員を登場させる「身近情報参画型社内報」が多くなっている。しかも、読みやすいようにビジュアル化が進んでいる。
 確かに読まれない社内報は意味がない。しかし、読まれることが目的ではないことも忘れてはならない。大切なのは社内報の目的である。社内報で何をしたいのかが明確であって初めて、読まれる社内報がつくられる。西武百貨店白書もBeザイセルフも、決して読みやすいものではないが、おそらくほとんどの社員が読んでいる。
 変革が求められている企業において、社内報の役割は何なのかを、改めて問い直す必要がある。情報共有化を進めるとしても、どういう視点で進めればいいのか。上意下達や社内融和だけでいいのか。もちろん、そうしたことはこれからも重要だろう。しかし、新しい役割も期待されてきている。企業文化変革と事業活動支援である。
 企業文化は、ヒト、モノ、カネ、情報に次ぐ第五の経営資源と言われている。企業の事業展開において企業文化の果たす役割は大きい。どんなに素晴らしい事業戦略を立案しても、それを推進する企業風土や社員意識がなければ成功するはずがない。
 社内報は従来から経営の意思や考え方を社員に伝えることによって企業文化づくりに大きな役割を果たしてきたが、その方向は「組織保守」だった。しかし、これからはむしろ「組織変革」が社内報の役割として重要になってくる。前出のふたつの社内報は、まさに企業変革を目指したゆらぎを社内に起こしたケースである。
 社外の風がゆらぎを引き起こすこともある。富士ゼロックスの管理者向け社内報「SASUGA」は、他社の「さすがの企業人」を紹介することで社内にゆらぎを引き起こそうとしている。主体的個性的に、しかも社会的視点をしっかり持って仕事をバリバリやっているビジネスマンの生き方や働き方をテーマに沿って紹介することで、社員の意識変革の方向づけをすることが発刊の目的だった。主役は自社の社員ではなく、他社の社員である。新しい社内報のスタイルである。
 ゆらぎを起こすだけで、企業文化の変革が実現するわけではない。新しい企業文化づくりのプロジェクト・メディアとしての社内報も増えている。昭和アルミニウムでは、社員運動を通して企業理念を構築したが、そこで活躍したのが『ときめき発信』である。運動の過程が公開され、社員と役員が一体となって新しい理念づくりと体質化に取り組む上で大きな役割を果たしている。CI活動に取り組んでいる山九では、実態調査の結果を編集することなく、そのままCIニュースで現場社員にまで公開し、それをベースに新しい企業文化づくりに着手している。いずれも正規の社内報と連動しながら、企業変革に向けての役割分担をしている。
 社内報のもうひとつの新しい役割は事業活動支援である。企業文化変革も事業活動支援につながるが、社内報はもっと積極的に事業活動を支援できるはずである。
 時代の新しい風を社内に吹き込むことで事業の視野を広げたり、現場の声をトップに伝えることによって事業戦略を確かなものにしていくことも可能である。社員に問題意識を与えて、事業情報のアンテナ機能を果してもらうこともできるし、新しい商品情報を提供して全社員に宣伝マンになってもらうことも考えられる。社員の生々しい生活情報が新しい事業のヒントになることもあるだろう。
 事業活動に対して社内報ができることは少なくない。単に記事素材探しという視点で事業トピックを追いかけるのではなく、事業活動に対して何ができるかという視点を、社内報はもっと持つべきである。

●企業を超えだした社内報
 社内報の役割の見直しは、スタイルの見直しにつながる。従来のような定期刊行雑誌だけが社内報ではない。ビデオ社内報や社内放送、あるいはパソコン通信やファックス通信など、様々な新しいスタイルが目的に合わせて創刊されている。
 活字メディアも、前出のようにプロジェクト・メディアとして期間を限って制作されるものが増えている。それらは、配布先も希望者だけだったり、特定の部門や層に限定したり、いろいろである。正規の社内報ではできないことを、役割分担して相乗効果をあげているケースもある。まさに社内報のマルチメディア化とと言っていい。
 スタイルは多様化しているが、共通した方向性は読み取れる。それは、社内報が企業を超えだしたということである。登場する人物も話題も、社内だけではなく広く社会に求められてきているし、社内情報も社会の目で評価されるようになってきた。社内報の新しい役割を企業文化変革と事業活動支援と考えれば、それは当然のことである。変革も事業も、社会との接点が起点になるからである。
 社内報は社内メディアではあるが、そこで語られることは社内情報だけであってはならない。社外の風を吹き込むことが大切な役割なのである。社内報担当者はどうしても社内に目を向けがちだが、むしろ社会にこそ目を向けなければならない。
 情報だけではない。そろそろ社内報を社外に公開していくことが必要かもしれない。リクルートのパソコン通信「あいしてるU」は、社外の人にもパスワードを与えてアクセスできるようにしている。西武百貨店白書は意図的に社会に公開した。その効果は大きなものがある。
 意図的に公開しなくとも、社内報は社外に流出していく。社員だけが読者であると考えてはならない。社内報がその企業のイメージに影響を与えているケースも少なくない。
 そろそろ「社内報」などという呼び方を変える時期にきているのかもしれない。社外報的なメディアを持つ企業も増えているが、社内社外などとこだわらずに、企業が抱える問題を解決するためのコミュニケーション・メディアの開発という視点で、全体を捉えなおす必要があるだろう。
 たとえば、CS経営という視点から言えば、お客様と社員とが一緒になってつくる共通メディアがあるべきだし、社会活動に関連して言えば、一社だけではなく数社が一緒になって制作するメディアがあってもいい。
 コーポレート・コミュニケーション活動が企業にとって重要な戦略課題となっている現在、社内報の位置づけをもう一度、企業経営の視点から考え直してみる必要がある。意外な活用策が見つかるのではないだろうか。

2.企業変革こそ,社内誌の新しい役割
   「編集者手帳」1993年5月号

●ふたつの変わり目に直面する企業
 企業は今ふたつの変わり目に直面している。
 ひとつはバブル崩壊後の景気後退である。ここ数年「浮ついた好況」の中にいた企業にとっては久しぶりの不況であり,自らを見直す良い機会とも言えるが,その反面,せっかく社会全体に目を向けだしてきた企業が,再び自分のことで頭がいっぱいという戻り現象も出てきている。1年前には愛(フィランソロピー)や文化(メセナ)を語っていた企業が,不条理な雇用調整を余儀なくされるほどに経済環境は激変している。
 しかし,そうした短期的な変わり目の根底では,企業の社会性や人間性に対する期待の高まりという,さらに大きな潮流変化が進んでいる。企業を見る社会の目は明らかに変わりつつある。企業の存在がここまで大きくなると,もはや企業は単に経済活動にのみ専念しているわけにはいかない。社会の一員としての様々な役割や責任が発生しつつあり,企業のあり方の見直しが求められている。
 これらふたつの変わり目の方向は必ずしも同じではない。むしろ表面的には逆を向いている。そこに問題の難しさがある。社会活動に目が行き過ぎてしまうと当面の危機は乗り切れないし,目先の不況対策ばかりでは長期的な企業力を弱めかねない。そのジレンマをどう乗り切るかが企業の未来を決めていく。
 変わり目を反映して企業では「経営革新」や「意識変革」がさけばれているが,社会に目を向ける方向での変革なのか,利益重視の経済主義の原点に戻る方向での変革なのか,注意しないと混乱してしまう。この1年で,その意味内容が逆転してしまった企業もあるだろう。それが悪いわけではない。企業は生き物である以上,環境の変化に応じた行動変化は必要である。だが,大切なのはその変化の方向と意味が社員に共有されているかどうかだ。変革の方向が社員によってバラバラに理解されていたり,短期と長期が混同されて場当たり的な印象を持たれていたりしては,この難局は乗り切れない。
 企業活動は社員一人ひとりの活動の集積である。どんなにすばらしい戦略や組織がつくられようと,そこで活動する社員の意識がバラバラでは良い成果が出るはずがない。大切なことは,経営の方向をしっかりと社員全員が共有していることである。戦略を実行するのも,組織を活かすのも社員である。ふたつの変わり目を乗り切っていけるかどうかは,まさに社員の意識と行動にかかっている。

●新しい大役を期待されだした社内誌
 経営者がいくら口先で変革を唱えても,あるいは戦略や組織を形だけ変えても,企業は変わらない。これまではそれでも良かったかもしれないが,いま企業が直面している「複合変わり目」はそれでは乗り切れない。経営の方向を社員がしっかりと共有した上で,目先の事態に的確に対応し,新しい企業文化を構築していくことが必要になっている。その
役割を果たせるのが社内誌である。
 最近,「社内誌は果して必要なのか」という刺激的な議論が行われているが,社内誌は存在するだけでは必要性は出てこない。その時代にあった役割を的確に果たしているかどうかが問題である。時代が変われば役割は当然変化する。十年一日のように社内誌を創っていては,無用の長物になることは確実である。市場論理が働かない社内誌は,そのこと
を常に自覚しておく必要がある。
 企業の変わり目は,社内誌に新しい役割を生み出した。企業変革である。情報を扱う社内誌は大きな力を持っている。事実,一冊の社内誌が企業を変えはじめた実例もある。歴史のはじまりはいつも小さな一歩からであり,その一歩を起こさせるには一本のペンで充分である。その自覚が多くの企業には欠落している。経営者も社内誌担当者も,たかが社
内誌と思っている節がある。しかし,繰り返すが,社内誌はいま出番を迎えている。それも企業変革という大役を期待されての出番なのである。
 企業革新や意識変革をとりあげている社内誌は少なくないが,ただトップのメッセージを載せたり,社内の変革事例を紹介するだけでは,企業変革の大役を果たしているとは言えない。ましてや,時代が社会貢献の時には社会意識を喚起し,不況になれば愛社精神と経費節減では,社員は意識変革どころか社内誌不信に陥るだけである。大切なのは,自らが企業変革を推進していこうという主体的な意識であり,それに基づく創造的な編集である。それがあれば,社内誌を変革の拠点にすることができるだろう。

 ●自由闊達に語り合う場の創造
 もちろん,社会貢献も経費節減も企業にとっては大切なことである。問題は,それらをどうつないでいくか,そしてそれをどう企業の変革に結びつけていくかだ。時流やトップの発言に迎合するのではなく,その真意を掘り下げて自らの信念で編集していくことがなければ,読者はついてこないし,自らの役割を確立することもできない。
 たとえば,トップが意識変革を呼びかけたとすれば,その背景や意味を具体的にしていくことが社内誌の役割である。「裸の王様の虚しい言葉」を着飾らせるのではない。社員の目でトップの発言を吟味し,社員が共感できるように調理し,トップの言葉にいのちを与えなければならない。トップの言う意識変革はどの方向を目指しているのか,それは長期的なのか当面の緊急避難のためなのか,もし社員が意識を変えたら企業はどうなるのか,いや社員自身にはどういうメリットがあるのか。そうしたことを,単に理屈ではなく実例を含めて解説することによって,トップの発言ははじめて変革の力を持ってくる。それがないから,トップは毎年同じような発言を繰り返さなければならない。
 トップの発言に対する社員の反応を本音で語ってもらう必要もある。社員が自由闊達に語り合う場が社内誌に用意されていれば,トップは手応えを得られ,発言も真剣になる。きれいごとではなく,時にはトップ批判があってもいい。それを受けてトップにインタビューするのもいい。変革に向けての問題提起は社員に対してだけではなく,トップにもどんどん行っていけばいい。裸の王様になりがちなトップに対して,社員やお客様の生々しい声を伝えることができれば,それだけでも企業変革は大いに進むに違いない。
 もちろんそれは簡単なことではない。かなりの緊張感と的確な情報収集がなければならないし,なによりもトップの理解が必要だ。だが,企業変革のツールとしての効用をトップに理解してもらえば,必ずトップは社内誌を使いこんでくるだろう。それだけのパワーを社内誌は持っている。企業革新を目指しているトップに,社内誌の効用を気づかせることは担当者の重要な責務である。
 しかし現実は,トップの茶坊主メディアや差し障りのない井戸端会議メディアになっている社内誌が少なくない。そうした存在が必要だった時代もあるだろうが,トップの発言を有り難く拝読する社員はもはやいないだろうし,今さら社員の結婚情報や趣味の紹介でもないだろう。もっと重要な大役が社内誌に期待されていることを忘れてはならない。

●新しい社内誌の出現
 では,社内誌にどのくらいのことができるのだろうか。
 トップが社内誌を有効に使い込んだケースとしては,西武百貨店の社内誌「かたばみ」特別号『西武百貨店白書』シリーズがある。第1号は同社和田会長自身による痛烈な自社批判である。冒頭で「今日の経営危機を招いたのはひとえに経営者の責任である。しかし,社員全員の協力なくしては企業再建はありえない」と檄をとばした上で,社員にやる気が出ないのは真実を知らされていないからだとして,経営実態を数字で説明し,これから何をやるかについても詳細に説明している。
 これまでの経営陣に対する批判も手厳しい。「この会社には,経営のリーダーシップがない。会社で本当の意味でのマネージメントがない。全くの無為無策,勝手やりたい放題,論評と批判はすれど,実行力,行動力がないのです。これが西武百貨店の現状なのです」と歯切れがいい。企業変革に対する経営者の並々ならぬ決意を感ずる。
 このシリーズはこれまで4冊出ている。和田会長の檄文を受けて,役員や労組,社員が次々と登場して企業変革への決意を具体的に語っている。しかも,これらの白書は社員に配布されただけではない。同時に社外にも巧みに発信されており,様々なところで順次話題になることを通して社内への影響を高めるという状況が創られている。それに合わせて具体的な企業変革活動(たとえば役員の大幅交代)が進められていることは言うまでもない。トップがこれほど効果的に社内報を活用したケースはめずらしい。
 社員の声を集めることによって,企業変革に大きな影響を与えたケースとしては,日産自動車開発部の『Beザイセルフ』がある。社員の投稿を中心とした有料社内報だが,会社経営に関する本音の議論が展開され,経営層や管理職には耳の痛い話も少なくなかった。社内誌の投稿というと,ともすると優等生の意見になりがちだが,それでは投稿の意味がない。耳の痛い情報こそ有益なのである。社員が本音で議論できる仕組みをどう用意できるかが,企業変革に直面する企業の課題であることを忘れてはならない。
 最近,企業変革を目指すプロジェクトへの取り組みが増えているが,その一環としてプロジェクト・メディアとしてのニュースレターを発行するケースが増えている。日本たばこ産業では企業文化変革を進めるメディアとして正規の社内誌とは別に,希望者に配布する投稿紙『TAKE OFF』を発刊していたし,毎日新聞社では『MAPニュース』で盛んな紙上討議をしていた。こうした動きを取り入れた社内誌も出始めている。本音で語り合う座談会や社員の生の声をデータで示す試みが少しずつ増えている。
 トヨタ自動車の『 TOYOTA MANAGEMENT 』は,中堅社員グループが交代で自主編集するスタイルをとっている。テーマも切り口もかなり自由であり,その気になればかなりのメ
ッセージができるだろう。新しい社内誌のひとつのいき方を示唆している。
 活字メディアではないが,リクルートのパソコン通信『あいしてる』は,トップも含めた社員全員が自由闊達に議論するメディアである。社内誌『かもめ』との連携もとられており,社員も経営者もそれを有効に活用している。こうした本音で語れる場をしっかりと
持っていることが,これからの企業にとっては重要である。現場の声が入らなくなった裸の王様と本音を語らない仮面の人の組み合わせでは,企業変革どころか企業維持すら難しくなっていくだろう。社内誌には,少なくともその状況を変革する力がある。
 社外の風をとりこんで,変革に向けてのゆらぎを社内に引き起こすケースもある。富士ゼロックスの管理者向け社内誌『SASUGA』は,社会的視点をしっかり持って,個性的に仕事をバリバリやっている他社の「さすがの企業人」の生き方や働き方を紹介することで,社員の意識変革を方向づけようとして発刊された。変革は異質との出会いによって引き起こされることを考えれば,他社の社員を主役にする発想は的を得ている。大切なのは人選である。
 いくつかの実例を見てきたが,いずれも企業変革に大きな役割を果たしている。これまで社内誌はどちらかといえば経営戦略とはほど遠い存在だったが,事態は変わりつつある。社内誌が企業経営にとって大きな戦略的意味を持ち始めたのである。その認識が果してトップや社内誌担当者にあるのだろうか。

●社内誌も自らの自己変革を
 社内誌を見れば,その会社の実態が見えてくる。会社案内やショールームのような化粧された顔ではない実態が,そこにはある。社内誌は会社の経営観や社員観,さらには社会観を写す鏡であり,社員の意識の凝縮である。企業文化を象徴していると言ってもいい。読まれようと読まれまいと,定期的に社員に配布されるだけで,社内誌はそうしたメッセージを社員に与えている。
 それほど重要なメディアであるにもかかわらず,社内誌の位置づけは決して高くはない。そのせいか,社内誌担当者の関心も,どうしたらもっと社員に読んでもらえるかにいきがちである。だが,そのためにビジュアル化したり,若者受けを狙う企画をしたりすることは本末転倒である。確かに読まれない社内誌は意味がないが,読まれることが目的ではないことも忘れてはならない。
 大切なのは社内誌の役割(目的)である。それは状況に応じて変化する。しかし,社内誌で何をしたいのかが明確であってはじめて,読まれる社内誌が実現する。『西武百貨店白書』も『Beザイセルフ』も,決して読みやすいものではないが,おそらくほとんどの社員が読んでいる。
 企業の変わり目は社内誌の変わり目でもある。社内誌は新しい役割を発見しなければならない。企業文化が,ヒト,モノ,カネ,情報に次ぐ第5の経営資源と言われる現在,それに深く関わっている社内誌の役割は明らかだろう。企業変革は戦略や組織の見直しだけでは実現しない。それを支える新しい企業文化が不可欠である。とすれば,企業変革こそ社内誌の新しい課題ではないだろうか。
 企業変革に向けて社内誌が果たす役割の大きさをトップも関係者も認識すべきである。その認識を持てば,改めて社内誌の活かし方が見えてくる。安直な仲良し情報誌やトップ発言の伝達板にとどめておくのはいかにももったいない。
 社内誌が企業変革に取り組む第一歩は自らの変革でなければならない。これまでの編集方針や取材方式を見直す必要もあるだろう。新しい役割には新しいスタイルが必要である。しかも,変革に関わる以上は常に自らの変革を心がけておく必要がある。どんな社内誌もいつか色あせてくる。企業変革に実績をあげた前述の社内誌もその例外ではなく,変革のパワーは次第に薄れている。
 企業変革を新しい課題とした社内誌は,自らを常に変革していくという新しい課題を内部に取り込むことになる。まさに社内誌にとって面白い時代が到来したのである。

3.会社の元気は社内誌から
「編集者手帳」1995年3月号

●社内誌は「企画」で勝負する時代
 この数年、環境激変のなかで企業は様々なことを体験してきた。まさに時代が大きく動いた数年だった。
 バブルとすら言われたほどの華やかな好況、そして一転して企業存立を揺るがすほどの不況。人手不足での異常な人集めがあったかと思えば、同じ企業が大量の雇用調整と採用中止。実体から遊離した異常な高値の数年後には、消費者さえ目を疑うほどの価格破壊の進行。「破壊」という言葉が、いとも簡単に使われるほどの変化の大きさである。
 情報を扱う社内誌は、そうした「破壊」的変化のなかで、時には状況に流され、時には情報を先取りしながら奮闘しているが、その位置づけは少しずつ高まっている。近年、事業や経営に密着した特集企画が増えているのは、そのなによりの証拠である。企業にとって、社内誌の役割は間違いなく高まっており、もはや単なるコミュニケーション誌とは言っていられなくなりつつある。
 もちろん、だからといって小難しい内容にすればいいということではない。社内誌は読まれなければ意味がないから、内容がハードになってくるほど、わかりやすさや面白さ、親しみやすさやお洒落な雰囲気は大切になってくる。これまでのような「社員親睦的な要素」や「遊び感覚」もますます重要になってくるだろう。編集者の問題意識とセンスが、これまで以上に求められる、面白い時代になってきたといっていい。
 社内誌は企業の顔であると同時に、企業の先導役でもある。読み手である社員にとって、社内誌は自分の会社で話題になっている事柄を知る重要なメディアだが、そこでの語られ方や扱われ方は、ボディブロー的にじわじわと社員に影響を与えていく。その意味で、社内誌には企業文化を育てる働きがある。
 社内誌が単なるコミュニケーション誌を超えて、企業経営により密着した新しい役割を果していくためには、編集者は企業経営に対しても、また時代環境に対しても、しっかり と目を向けておかねばならない。編集者としての視点も常に磨いておかなければならない。それを怠ると、時代に迎合した内容のないものやトップダウンのビジネス文書的なものになりかねない。それでは社内誌はだんだん読まれなくなってしまい、コミュニケーション誌としても役に立たなくなってしまう。
 なにしろ社内誌に競合する多くの活字メディアが世の中にはあふれている。仲間うちのコミュニケーション誌であれば,そうした競合は考えなくてよかったが、経営につながった編集が求められるようになると、商業誌とも競合していくことになる。なかには社内誌よりも詳しく社内事情を語っている雑誌もある。安穏としてはいられない。
 しかし、だからこそ今、社内誌が重要であり面白い。社内誌も「企画」で勝負する時代になったのだ。

●企画記事を通して社内誌の変革を推進
 ところで、社内誌の編集現場はいまどのようになっているのだろうか。厳しい経営状況のなかで、予算は削減され、内容的にも「トップダウン重視」「リストラ志向」などの制約が強まっているのが現実だろう。企画面でも以前のような自由な発想は難しくなっているだろう。「企画の時代」どころか「規格の時代」になってしまったという意見もあるかもしれない。
 しかし、繰り返すが、だからこそ「面白い時代」なのだ。制約が多いということは、見方を変えれば、視点を明確にしやすいということでもある。予算が少ないということは、それだけ知恵が必要だということである。トップダウンということは、それだけ企業経営に接近できるということである。今こそ編集者の腕の振るい時である。
 その出発点は、陳腐な言い方だが、「社内誌は何のために存在するのか」「社内誌で何ができるのか」という自問自答である。それも、時代の変化を踏まえて、これまでの経緯を一度アンラーニングしての自問自答が大切だ。先人が積み重ねてきた成果を無にすることは避けなければならないが、先人の発想から自由になることも必要である。「破壊」が進んでいる時代である。社内誌も自らを破壊してみるくらいの発想が必要である。
 自問自答の答は、会社によって、また編集者の価値観によって変わってくる。唯一の正解があるわけではない。答が見つからないかもしれない。しかし、そうしたことを一度真剣に考えてみることが大切なのだ。時代は変わっている。社員の価値観も情報環境も大きく変化している。これまでと同じやり方でいいのだろうか。今こそ、先人を超えるべき時期ではないのか。そのためにも、改めて社内誌の原点に立ち返ることである。
 そうした視点で各社の社内誌を見ていくと、これが意外と変化していない。リストラを特集し、変革を提唱するのであれば、まず社内誌自らが変わらなければならない。もちろん社内誌全体をモデルチェンジするのは簡単ではないだろう。だが方法はある。そのひとつが「企画」の組み方である。企画記事を通して、社内誌の新しい役割を創出していくという意識を持つことである。

●社内誌でできること、やりたいこと
 社内誌の企画のテーマやスタイルは時代環境によって変化している。それは当然だろう。大切なのは、そうした企画を通して、常に社内誌を生き生きしたものにしておくことである。社内誌の新しい役割に挑戦していくことである。その意識がなければ、単に目先を変えるだけになってしまう。「売れるテーマ」を探す商業誌なら、それでいいかもしれないが、社内誌はそれでは通用しない。
 社内誌の担当者にとって大切なことは、「社内誌をつくる」ことではなく、「社内誌で何をするか」である。「読まれること」は大切だが、もっと大切なのは「読まれた結果、何が起こるか」である。社内誌の企画に当たっては、そのことを忘れてはならない。
 「社内誌で何ができるか」という視点で、これからの社内誌企画の方向性を考えてみよう。実際にはこの答は会社によって違ってくるが、ごく一般的に考えると、たとえば次のようなことが言えるだろう。
 1)社員を元気にしたい。
最近の業績低迷のなかで、企業人は元気をなくしている。会社の元気の素は社員の元気である。暗い話も多いけれども、どうにかして社員の元気度を高めたい。
 2)仕事をもっと面白くしたい
仕事の全体像が見えなくなったこともあって、仕事の面白さが味わえなくなっている。与えられた仕事としてではなく、自分の仕事という意識を高めたい。
 3)社員に会社を愛してもらいたい
愛社心などはもう不要という意見もあるが、生活時間の大きな部分を割いている会社には、やはり自分たちの会社という意識を持てるほうが幸せではないか。
 4)時代に取り残されない会社にしたい
しかし、自分の会社しか知らない愛社心では困る。その姿勢が会社を衰退させた事例は少なくない。時代に取り残されないように、社会の動きや他の会社の動きを知ると同時に、社外の人たちとの触れ合いの場を増やしていきたい。
 5)企業力を高めたい
会社の成長進化のために、社員が元気になるとともに、事業も元気になってほしいし、会社のイメージも高まってほしい。そのための企業力を高めていきたい。

●読んで元気がでる社内誌
 これらの方向性は、別に今年のテーマではなく、いつも大切なテーマではないかと思われるかもしれない。その通りである。しかしあえていえば、今年はまさにそうした「基本のテーマ」に立ち返る年なのではないかと思う。「破壊」とは原点に戻ることでもある。
 それぞれについて少し具体的に考えてみよう。まず社員の元気。昨年は厳しい話が多かったが、厳しい状況を生き抜くには元気がなければならない。厳しさを乗り越えている社員や活動を支援的にとりあげることをもっと考えていいだろう。社員の元気をどう発見し,広めていくか。逆境は危機であると同時にチャンスでもある。今の時代ならばこそ、元気の材料はたくさんあるはずだ。「元気が出る社内誌」を是非目指してほしい。
 たとえば、元気の人や元気になりたい人を公募してもいい。社員が元気づけられる「ちょっといい話」を集めてもいい。最も厳しい現場を取材して、苦労を分かち合ってもいい。厳しさの中の明るさを見せてもいい。元気いっぱいのこどもたちに登場してもらってもいい。やり方はいくらでもある。
 仕事を面白くすることも重要なテーマだ。その出発点は、仕事の意味に気づくことである。自分の仕事のお客様(どんな仕事にも必ずお客様がいる)と触れ合うことである。仕事の合理化とは仕事量を減らすことではなく、仕事の効果を高めることでなければならない。仕事の本当のお客様に喜んでもらえるようにすることである。
 会社全体としての仕事を考えることも大切だろう。たとえばモノをつくることは文化をつくることでもある。自分たちの作っている商品がどのような文化を創出しているのかを考えると、仕事は面白くなっていく。事業展開にとって生活者の発想が大切だと言われているが、生活者である社員が知恵を出しあえば、商品の新しい側面が見えてくるかもしれない。サービスの新しい視点が見えてくるかもしれない。社員の知恵を引き出すことができれば、社員にとっても仕事が面白くなるし、会社の業績にもプラスである。
 方法はいろいろある。たとえば、自社の商品を生活者の目で社員がよってたかって見直す。自社商品がどれだけ社会に役立っているかを整理する。もし迷惑を与えていることがあれば、どうしたらいいかをみんなで考える。社内外のお客様との触れ合いや社員と自社商品(サービス)との付き合い事例を集めてみる。自分の仕事で困っていることを社員に投げかけてアドバイスしてもらう。地味な仕事がどれだけ多くの人たちに役立っているかをクローズアップする。仕事が面白くない人に登場してもらい、面白くなる知恵をみんなで考える。ともかく仕事が面白くなれば、社員は元気になり、会社はよくなっていく。
 愛社心は、結局は社員と会社の距離の問題である。「会社は会社、自分は自分」という考えもあるが、所属する会社が好きであるにこしたことはないだろう。いい意味での愛社心はこれから改めて大切になっていくのではないだろうか。
 多くの企業で、最近、会社への不信感や不満が高まっているように思われるが、もしそうであれば、それを放置しておくのは問題である。社員にとっても会社にとっても不幸である。不信感や不満の原因の多くは、コミュニケーション不足である。そこで、社内誌の出番ということになる。
 会社には様々な顔がある。それを見せていくのも一案だろう。最近の企業のフィランソロピーやメセナなどは、もっと社員に的確に説明すべきだろう。それが社員の自信や誇りになり、会社への好感度や一体感を高めることになるはずだ。

●改めて企業のあり方を掘り下げる
 時代の風を社内に吹き込むのも社内誌の大切な役割である。社会に開かれた経営が求められているが、社内誌の多くは依然として内部だけでまとまりがちである。特に最近、社内の問題に目が行き過ぎている気がする。厳しい時代だからこそ、もっと社会に目を向けなければならない。
 しかし、社会の動きを情報として載せればいいわけではない。自社の問題、それも社員一人ひとりの仕事につなげる形で取り上げなければ効果は少ない。ひとつの方法は、社外の人との触れ合いを増やすことである。トップと社外の人との対談も企画の仕方では面白くなる。外部の人に自社の仕事を体験してもらう企画や社員が全く異質な体験をする企画も一案である。とにかく知識としてではなく、実感的な仕掛けが望まれる。
 他社(1社とは限らない)の社内誌との共同企画で、いつもより広い視野で取り組むことも考えられる。毎号、どこか別の会社の社内誌との共同企画を続ければ、おそらく面白い結果が出てくるだろう。商業誌との連携を考えてもいい時代である。
 この分野では新しいテーマも少なくない。マルチメディナやインターネットは必ずどこかで触れておきたいテーマだし、NPOのネットワーキングなども重要なテーマである。
 企業力とは何か、企業の成長とは何か、仕事の効率とは何なのか、というテーマも、改めて考えるべきテーマである。企業が社会貢献するとはどういうことか、仕事とどうつながるのか、企業はボランティアにも関わるべきか、こうした問題も問い直す時期である。環境激変のなかで、最近はともすれば目先の対応に追われすぎ、社内誌も言葉だけで語りすぎていた感がある。それを見直す頃合いではないだろうか。

●社内誌を使っての仕組みづくり
 以上、例示も含めて社内誌企画の方向を考えてきた。テーマについてはほとんど触れなかったが、それはテーマ以上に企画に取り組む姿勢や目的が大切だと考えたからである。社内誌の企画を考える場合、誌面制作そのものも大切だが、その前後の活動がもっと大切になってきているように思われる。
 制作の過程で、社員から意見を公募するとかイベントを仕組むこともできるし、アンケートなどを通してある意味での情報発信も行える。それは社内に限らない。社外との接点もつくりやすい。記事にする前提で社外の人の講演会を開くこともできるだろう。
 社内誌発行後も様々な仕組みが考えられる。問題提起したことをめぐって、社員(役員も含めて)が自由参加できるオープン・フォーラム(雑談会)も可能だろう。社内のパソコン通信と連動させることもできる。
 社内誌をモノとしての社内誌だけで考える必要はない。社内誌を核にして、その周辺に様々なシステムや仕掛けをつくっていくことが、これからの社内誌の企画ではないかと思われる。しかも、他社との共同企画のように、場合によっては個別企業の枠を超えて展開していくことも考えていいだろう。
 大きな視野で,是非とも面白い企画を創りあげていっていただきたい。      

4.「社内誌をつくる」から「社内誌をつかう」へと意識を変えよう
  ───社内誌を進化させる絶好の機会が到来した

 停滞を続けていた日本経済も漸く長いトンネルの先が見えだしてきた。それにつれて少しずつではあるが、トンネルの先に展開されようとしている世界も姿を現しつつある。人によって受け止め方は違うだろうが、どうやらこれまでとはかなり違った世界になることは間違いない。人々の生き方も企業のあり方も大きく変わりそうである。社内誌にとっては、さらに面白く、さらに責任の重い時代になっていくだろう。
 そればかりではない。社内誌を取り巻く環境もどうやら激変しそうな気配がある。インターネットはどんどん企業内にも入りだしたし、社内の電子メール・ネットも広がってきている。社内誌も自らを進化させていかなければならない。いやむしろ、進化させる絶好の機会と捉えるべきである。
 もちろんそう簡単に今の社内誌を変えることはできないだろう。役割とテーマの広がりの中で社内誌づくりに追われがちな現実もある。しかし現実に流されていては事態は何も変わらない。そこでまず、社内誌にとってこれから何が最も大切なことなのかを考えてみることから始めたらどうだろうか。

●社内誌の役割の再確認
 これからの社内誌を考える上でまず大切なことは社内誌の役割をどこに置くかである。社内誌はつくることに意味があるわけではない。忙しさの中でともすると「つくること」が目的になりがちだが、大切なことは、社内誌で「何をするか」である。つまりどのような役割を果たすかである。
 言うまでもなく社内誌の役割は一つではない。社内誌をつかってできることはたくさんある。どこに重点を置くかは、時代によっても会社によっても違ってくる。しかも環境変化に伴って社内誌の新しい役割や可能性も生まれてきている。与えられた役割を果たすだけではなく、編集者自らが社内誌の役割を考え直す時期である。自分の会社ではいま何が一番必要なのか、社内誌をつかって何ができるのか、どこにプライオリティを置くのか、それをしっかりと考えることが編集者としてまずやるべきことである。
 社内誌の役割としては、たとえば次のようなことが考えられる。
@ アンテナ役
 社員や役員が知りたいこと、社員や役員に知ってほしいことを的確に情報として発信していく役割である。情報は社内だけにあるわけではなく、社外の情報も当然含まれる 。したがって社内外にしっかりした受信アンテナを張りめぐらしておく必要がある。発信機能も重要だが、基本はむしろ受信機能である。他のルートにはのらないような「価値ある情報」の発見、そして受信側(社員や役員)が何を求めているかの的確な把握が できるように受信感度を高めなければならない。編集者としての世界を広げておく努力も怠ってはならない。
A コネクター役
 社員(役員も含めて)をつなぐことも社内誌の役割である。社内に分散している仕事情報をつなぐことも重要だが、仕事に直接つながらないような生活情報の交換や社員にとっての個人情報の発信(発表)のほうが効果的である。そうした情報は組織を円滑に動かす潤滑油の役割を果たし、社員の一体感を高めていくことになる。最近疲れ気味の社員を元気づけることもできる。それが企業としてのパワーを高めていくことは間違いない。そこでのポイントは人間味をどう出すかである。ただ事実をのせればいいわけではない。まさに編集者の生き方が問われることになる。
A コラボレーター役
 単に情報を提供したり、社員同士をつなげるだけではなく、それによって社内に新しい活動が起こるような触媒の役割を果たすことも考えられる。異質な情報をうまく編集したり、ふだん交流のない社員(時には役員も入れて)の座談会などで語り合ってもら
ったりして、社員の共創(コラボレーション:一緒になって何かを創りだす)の契機をつくりだしていくことができるだろう。重要なことは編集者の問題意識である。編集意図と言ってもいい。ただ情報を組み合わせたり、座談会をやったりしただけではコラボレーションは起こらない。
C コミュニケーター役
 時代の変わり目の中で、企業としての理念やビジョンの大切さが改めて議論され始めている。会社がいったいどこに向かっているのか、また仕事を進める上でどのような価値観を大切にしていくべきなのかといったことが、社員を束ねていくためにも、またお客様とコミュニケーションしていくためにも重要になってきている。トップの考え方や企業としての理念やビジョンを社員一人ひとりにしっかりと伝達し、共有化を進めていくことは社内誌の重要な役割である。もちろん単に言葉を伝えればいいわけではなく、編集者としてその内容を十分に咀嚼するだけの消化力を持たなければならないことは言うまでもない。
D アジテーター役
 社内誌を使って社内に新しい風を起こすこともひとつの選択肢としてある。社内誌だからといって社内情報だけに目を向けているわけではないだろうが、思い切って社内情報よりも社外情報を中心とした編集も時には有効である。企業の内部にいると意外に外部のことはわからない。新聞や雑誌、テレビなどで情報を入手しているようでも、それは軽く流していることが多く、世の中での話題テーマについても知っているようで知らない人が多い。年に何回かは社外情報特集を組んで、社内に異質の風を吹き込むことも意味がある。その際には単なる情報発信にとどめずに、思い切りアジテーションをしてみるのも一案である。

 この他にも様々な役割が考えられるだろう。大切なことは、こうした役割の中で、今この時期、自分の会社としては何が必要なのか、そして社内誌としてはどの役割を果たすべきなのかを確認することである。それが決まれば自ずとテーマや方法は決まってくる。

●社内誌を活かすためのプログラムの開発
 社内誌としての役割の確認の次に大事なことは「社内誌づくり」意識から「社内誌活かし」意識へと発想を変えることである。社内誌編集者が創っているものは印刷物としての社内誌だけではない。その制作過程で編集者は様々なことを創出しているし、直接的ではないけれども発行後は社内誌そのものが様々なことを創出しているはずである。そこへの関心をもっと高めることが編集者として、今後ますます重要になってくるだろう。
 言い換えれば、社内誌づくりはあくまでも手段であるという認識を持つ必要がある。仕事としてのプライオリティを「モノとしての社内誌」から「社内誌が引き起こすコト」へと変えるわけである。それによって仕事の進め方も変わってくるはずだし、モノとしての社内誌もまた変わってくるだろう。社内誌が引き起こすコトとしては、電子メールなどの新しいメディアも積極的に使い込んでいく必要がある。それがまた社内誌の役割を高めていくことになる。
 社内誌を契機としてどんな「コト起こし」ができるだろうか。これも会社によって様々だろうが、ここではごく一般的なものを例示しておこう。

@編集委員ネットワークの活用
 社内情報収集のために各職場の人に編集委員を依頼しているケースが多いと思うが、
組織図を超えた編集委員のネットワークは会社にとって非常に重要な意味をもっている。もちろん業務的な横断組織は別にもあるだろうが、特にテーマもなく情報交換するような場は意外と少ないし、そうした場で全社的な問題について利害をはなれて議論することの意味は大きい。しかもそこでの議論は社内誌という現実のメディアに反映されるわけだし、それを使って議論を深めることもできる。編集委員ネットワークと社内誌と
の組み合わせでいろいろなことができるはずである。
A座談会やインタビューの活用

 社内誌で座談会などをやる場合、それをもっと公開の場にしていくようなことも考えられる。特に社長を巻き込むような場合は、せっかくの機会なのだからもっと大勢の社員が社長に直接触れ合う場にしてしまうことも検討すべきである。異質な職場の社員たちの座談会も、単に社内誌の記事のためだけではなく、むしろ記事はおまけくらいの発想で実際の議論を大切にするという発想が重要である。つまり社内誌づくりを口実にして、新しい出会いや議論の場を創出していくわけである。
B社員の意見調査
 社内誌記事のためという理由で社員やお客様を対象としたアンケート調査を行うことも可能である。実際に多くの企業でそうした調査を行っているが、ここでも単なる記事のためなどとは思わずに、もっと実態を動かすくらいの意気込みで取り組むことが望ましい。記事と同時にもっと深い分析を行い、関係部署やトップに提供していくことも考えられる。
C電子メール・ネットワークづくり
 社内誌を補完し支援するものとして、是非とも電子メールを併設するべきである。業務上のメールとはまた違った活用策が必ず生まれてくる。編集者の立場としては、社内誌とは別のもうひとつの電子社内誌をインフォーマルにつくるくらいの意気込みで取り組むことが必要だ。また社内に限定せずに社外とのメール交換も積極的に始めることをお勧めする。社内外の壁は早晩なくなっていくだろう。その実験のためにも、とりあえず他社の社内誌編集者とのメール交換をまず始めたらどうだろうか。
D社内誌を材料にした話し合いの働きかけ
 社内誌を発行した後の仕組みも重要である。社内誌でメッセージしたテーマについての社内フォーラムを開いたり、社内誌を材料にした自由な意見交換の場をもったり、社内誌をテキストにして職場勉強会をしてもらったりするなど、いろいろ考えられる。そうした活動の成果がまた社内誌の材料になることは言うまでもない。

●これからの重要テーマ
 最後にテーマについて考えてみよう。企業によってプライオリティはもちろん変わってくるわけだが、共通するのは「事業支援」「社会性」「社員の元気づけ」ではないかと思われる。それらを踏まえて、「企業と社会の関係」「会社と社員の関係」「仕事と仕事の関係」という切り口でいくつかのテーマを整理しておこう。

@企業と社会の関係
 社会の企業を見る目はバブル崩壊後、ますます厳しくなってきている。企業が提供する商品やサービスについても同様である。改めて「事業価値」ということを考えてみるべき時期に来ている。それも従来のようなプラス価値(効用)だけではなく、廃棄物問題などのマイナス面も含めて考えていかなければならない。事業価値の議論は社員の誇りや自信につながっていくだろう。
 社会の常識で自分たちの企業の実態を改めて評価してみることも重要なテーマである。社員の家族や社外の人に企業ウォッチングをしてもらったら、新しい発見がたくさんあるだろう。そうした「社会の目」を企業に持ち込むことが必要な時期である。
 事業支援という点ではお客様との共創関係づくりが重要である。
A会社と社員の関係
 バブル景気とその崩壊の体験は、会社にも社員にも「人と組織の関係」が非常に重要なテーマであることを認識させた。「会社のためが会社をつぶす」というコピーが一時期流行したが、会社一辺倒の社員や会社依存型の社員から自立型社員へと企業人のあり方も変わっていく必要がある。しかしそれは簡単なことではない。社員としてはどうしたら「自立」できるかがテーマであり、会社にとっては個性をもった自立型社員をどう束ねていくかが問題である。自立のためには社員の社会性を高めていく必要もある。これまでとはかなり発想を変えなければならない。勤務時間などの人事制度も見直さねばならないし、企業文化も変革していかねばならない。
 社内ベンチャーや社員の能力の多面的活用なども重要なテーマになるだろう。
B仕事と仕事の関係
 経済の成熟化のなかで、仕事と仕事をつなぐことによって新しい仕事が生まれる余地が増えている。こうしたテーマも社内誌が取り組めるものだろう。また顧客ニーズの深耕が求められているにもかかわらず、縦割り構造のために顧客ニーズを他部署につなげられずにいることも多い。事業支援のための仕事情報の共有化は社内誌の恰好のテーマである。
 仕事と仕事をつなげるのは社内だけに限らない。最近ではリエンジニアリングも一企業を超えて社会の仕組みとして議論されだしているが、お客様や取引先の仕事とのつなぎも社内誌にとっての重要なテーマとなっていくだろう。

 「役割」「関連プログラム」「テーマ」の3点から、社内誌のプライオリティについて考えてきたが、すべての基本は編集者の問題意識と行動力である。
 社内誌というメディアは一般に考えられている以上に大きなパワーを持っている。会社を変える力も、会社と社会とをつなげる力もある。さらに他社の社内誌編集者と連携すれば、もっと大きなパワーが得られるだろう。
 社内誌づくりを与えられた仕事と受け身で捉えるのではなく、与えられた社内誌づくりを通して自分がやりたいことを是非とも発見していただきたい。それこそが最高のプライオリティでなければならない。

5.楽しい会議づくりも社内誌活動の大切なテーマ

「編集者手帳」1997年6月号掲載

●会議も社内誌活動の重要な一部
 社内誌づくりには、編集から反省会まで、会議やミーティングがつきものである。しかしそうした会議は楽しく充実したものになっているだろうか。たとえば、毎月の編集会議はどうだろう。編集者ひとりで取り組んだほうがよほど効率的なこともあるだろうし、中途半端な意見が続出して編集者の意欲を削ぐようなこともあるだろう。出席している人たちはどうだろうか。職場の編集委員たちは、忙しいのに編集会議で人の仕事のために時間と知恵を絞らなければならないと思っているかもしれない。
 もっともこれは社内誌だけの話ではない。日本の企業はともかく会議やミーティングが多いから、もしかすると誰もが「会議嫌い」になっているかもしれない。もしそうならば、みんなが好きでない会議がなぜ多いのだろうか。そこにこそ問題があるのかもしれないが、それはむしろ「社内誌の取り上げるべきテーマ」であって、この小論のテーマではない。ここでのテーマは、そうした会議やミーティングをもっと楽しく、意義あるものにするにはどうしたらいいかということである。
 社内誌はいうまでもなくコミュニケーション・ツールである。しかし、それは出来上がった社内誌がコミュニケーション・ツールというだけではない。社内誌をつくるプロセス、そして社内誌を活かすプロセスもまた、大切なコミュニケーション・プロセスなのである。そう考えていくと、編集会議も反省会も取材の段取り会議も、単なる「手段的な作業」ではなくなってくるはずである。言い換えれば社内誌の一部であり、非常に重要な意味を持っていることになる。
 編集者の仕事は、単に社内誌をつくるのではなく、プロセスも含んだ「社内誌活動」をつくることなのではないか。そうした視点で、会議やミーティングを考えると、かなり違った捉え方ができるはずである。

●まず会議を楽しくすることを考えよう
 会議にとって大切なことは、「効率をあげること」ではなく「楽しくやること」である。楽しければ、自然と会議の効果も効率もあがるはずだ。逆に楽しくなければ、見かけの効率はあがっても効果は高まらないだろう。
 では会議を楽しくするにはどうしたらいいか。答は簡単である。参加者がみんな「思い切り言いたいことが言える」状況をつくってやればいいのである。しかし、実際には「話す時間」よりも「聞く時間」が圧倒的に多いのが会議である。自分ばかりが話していては会議にならない。もっとも、会議を招集した人が話してばかりいることもあるが、そんな会議が楽しいはずはない。
 会議の楽しさは発言時間の長さに比例する。各人が発言できる時間は参加者の数に反比例して少なくなるのは当然だから、会議を楽しくする基本は参加者をしぼりこむことである。しかしそれでも「話す時間」は決して「聞く時間」より長くはならない。それに限られた時間で言いたいことを話そうとすると、逆に「言いたいこと」が言えなくなるのも人の常である。話しおわった途端に、「ああ言えばよかった」という後悔にさいなまれて、自己嫌悪に陥ることさえあるかもしれない。参加者みんなが思い切り言いたいことをいえるような会議などできるはずがない、と思いたくもなる。しかし、あきらめるのはまだ早い。方法があるのである。
 ひとつはバーチャル・ミーティング、つまり電子会議室である。会議室が面倒ならばメーリングリストを活用すればいい。電子会議室の効用は改めて説明するまでもないだろう。時間のある時にゆっくりと「思う存分」に自分の意見を書き込めることができるし、発言を推敲することさえできる。退屈な人の発言は時間をかけずに「軽く読み流すこと」ができる。逆に聞きたい人の意見はじっくりと読み直すこともできる。つまり自分で会議の編集ができるのである。しかも電子会議室の場合は参加する時間に自由度があり、だれかの都合に無理やり合わせられることもなく、時間のあいた時に参加すればいい。
 参加者が電子メールが嫌いな人だったらどうするか。その時は「ポストイット会議」がある。社内誌の編集者の近くにボードとポストイットを用意し、そこに議題と問題を提起しておき、ついでの時に立ち寄った関係者が自分の意見をポストイットに記入してボードにはっておくのである。編集者や会議室の部屋があるのであれば、その壁を活用してもいいだろう。要するに双方向の対話型壁新聞だが、使いようによっては大きな効果を発揮する。時間をかけていいテーマ(たとえばテーマ企画の検討)の場合は特に効果的である。だれかが書き出したポストイットを読んで、関連した意見を書くという方法は一種のブレーンストーミングとも言えるが、ポストイットに書かれているために、後で整理するのも簡単である。社内誌の反省会などには大いに威力を発揮するだろう。
 バーチャル・ミーティングを効果的に運営するためには、さまざまな工夫が必要だが、一番大切なのは電子会議室やポストイット会議の全体を方向づける編集機能である。しかも時には発言を触発し、方向づけたり疑問を呈したりする能動的な編集機能である。議長とは別に、そうした編集機能がバーチャル・ミーティングには不可欠である。しかし、それこそ社内誌編集者の最も得意とすることだろう。社内誌編集とはちょっと違う面はあるが、要するにパーチャル・ミーティングの進行を編集していけばいい。そして、そのことが必ずこれからの社内誌編集に役立っていくはずである。
 バーチャル・ミーティングはまた、「開放的」に運営できるところに大きなメリットがある。電子会議室もポストイット会議室も、公開型で行われることが望ましい。なかにはクローズドのものがあってもいいが、基本的には誰でも覗けて参加できるのがバーチャル・ミーティングの特徴である。社内誌のような仕事は、できるだけ多くの人の意見を取り込むことが必要だし、議論が公開されることで社内誌の予告宣伝にもなるから、公開型にする効果は大きい。取材のヒントも広がっていくはずである。
 こうした結果、実はバーチャル・ミーティングそのものが社内誌の一部になっていくのである。当然、社内誌の作り方やスタイルも影響を受けることになる。編集委員の役割も変わっていくはずである。

●リアル・ミーティングはハレの場にしよう
 すべての会議が、こうしたバーチャル・ミーティングに置き換えられるわけではない。会議にはバーチャル・ミーティングに置き換えやすいものと、メンバーが参集して顔つきあわせて直接議論したほうがいいものとがある。闇雲にバーチャル化していいわけではないが、ルーチン的な会議や報告中心の会議は、わざわざ一か所に集まることもなく、バーチャル・ミーティングに移行したほうが効果的である。
 一挙にバーチャル化するのが不安であれば、現在の会議と併用する形で行ってもいい。併用によって、もともとのリアル・ミーティングも活性化されることが少なくない。バーチャルとリアルの両者が、それぞれ役割分担する形になれば理想的である。
 いずれにしろ、リアル・ミーティング、つまり参加者が直接集まり議論する会議がなくなるわけではない。人と人の直接的な触れ合いの大切さや効用は、バーチャルな世界が広がれば広がるほど高まっていくはずである。
 それではリアル・ミーティングを楽しくするにはどうしたらいいだろうか。人は誰かに見られている時に元気になれる。したがって、会議に観客をつくればいいのである。つまり会議場を「舞台」にしてしまうわけである。会議に参加したメンバーは舞台で演ずる華やかな主役である。観客の前で演ずるのが嫌いな人もいるだろうが、ハレの舞台に立てば意外と誰でも気分はよくなるものだ。
 会議場を舞台にするにはどうするか。会議を公開型にして誰でもオブザーバー参加できるようにしてもいいが、実際にはなかなか観客は来てくれない。会社の中ではみんな忙しいから会議を見たいと思う社員は少ないだろう(役員会や人事評価の会議は別)。いくら公開型にしても、会議場は舞台にはならない。
 最も簡単な会議場舞台化策は会議の様子をすべてビデオ収録することである。つまり会議の間中、ビデオカメラをまわしておくのである。ただそれだけのことである。しかし、これは必ず大きな効用があるはずだ。カメラを向けられると自然と「いい顔」に演技するのが人の常である。ビデオに写されていると気分は大きく変わるはずである。退屈な会議に楽しい気分が入り込み、議論も活気をもちだすことになる。
 ビデオを意識して演技ばかりが流行すると心配することはない。記録として残り、しかも誰が見るかわからないということになると、いい加減なことは言えなくなる。会議への参加姿勢も変わってくる。みんなが「いい会議」にしようという気になれば、会議は本当にいい会議になるものである。会議に時々、不意のお客様を呼ぶのも一案である。ゲストスピーカーを呼ぶのである。この点では、社内外に接点をたくさん持つ社内誌編集者は有利なポジションにあるはずだ。最も効果的なゲストが社長であることは言うまでもない。取材の段取り会議には社長は呼べないだろうが、編集企画会議などであれば社長にとっても時間の無駄にはならないだろう。最初から社長が出席するのではなく、会議の途中に突然入ってくるというような演出が効果的である。但し、社外の人がゲストの場合は最初からがいいだろう。取材に行って面白い人に出会えたら、自分だけで独占せずに、社内の会議などにゲストで来てもらうことを考えたらどうだろうか。
 「あの会議には時々面白いゲストがくる」ということになると、その会議は「舞台」になる。その舞台に出演したい人も増えるし、毎回、ゲストを期待して(裏切られることがあるとしても)会議の議論も活性化するはずである。
 会議の議事録をニューズレター風にして、写真入りで少し広い範囲の関係者にまで配付するという方法も効果的である。ニューズレターにとりあげられることも、ハレの場への登場ということになる。それに社内誌をネタにした第2社内誌は、もしかすると社内誌の本家よりも面白いものになるかもしれない。

●会議参加者に対するホスピタリティを忘れずに
 こうしたことばかりでは不謹慎とお叱りをもらいそうなので、会議を充実させる「正攻法」も少し考えてみよう。ひとつは「参加者の発言時間を増やすこと」をリアル・ミーティングで実現することである。その方法は、またまたポストイットの活用である。会議の
席上、参加者にかなりの枚数のポストイットを配付しておく。そして会議の途中で、実際に発言できなかったが発言したかったことをポストイットに書き残してもらうのである。人の発言を聞きながら、同時に自分も発言できるから、極端にいえば会議中、発言し続けていることも可能である。会議の進め方に関する意見や希望を書いてもらってもいい。
 長い会議の場合や決議しなくてはならない場合は、途中で各人が書いたポストイットを集めて整理し、議長がそれを読み上げる形で、議論を補足していってもいいだろう。会議終了後の議事録に収録して、参加者の参考にしてもいい。使い方はいろいろある。
 会議では説明や報告は極力短くするとか、説明資料は事前配付し、当日は要点をビジュアルに説明する、などということは語り尽くされているが、会場の雰囲気づくりについてはあまり語られていない。しかし会議の効果と効率をあげる上で最も重要なのが会場の雰囲気である。外の見えない会議室や煙草の煙が充満している部屋、倉庫のような雑然とした場所や騒音が入り込んでくる部屋では会議の効果はあがりにくい。会議の場所の演出は大切である。

 適切なBGM、座席配置の工夫、そしてタイミングよく出される飲み物といったものにもそれなりにこだわる必要がある。経費削減よりも大切なのは効果向上である。会議を招集した人にとって、会議参加者は「お客様」である。それを忘れてはならない。ただお茶を出せばいいわけではなく、取材で見つけためずらしい飲み物やおいしいお菓子を出すくらいのホスピタリティ精神は持ったほうがいい。それが難しいなら、せめて「おいしい情報」を提供する努力は必要である。
 会議は会議時間で完結しているわけではない。会議前の準備や会議後のフォローも会議を実りあるものにするためには重要である。事前に会議の主旨(何のための会議で参加者の役割は何か)をしっかりと伝えておかなければならないし、会議終了後は速やかに議事録を送り内容を確認すると共に補足意見を集めるのがいい。
 会議で決められたことが確実に実現されていくかどうかが重要であることは言うまでもない。日本の会議は「会して議せず、議して決せず、決して行わず」と皮肉られることが多いが、会議でせっかく決めたことが実行されないようならば、その会議は見離されるこ
は間違いない。逆に会議での意見がきちんと守られ実行されるならば、その会議は活性化していくはずである。これも大切なポイントだろう。

正論とはちょっと違った視点から、会議やミーティングの進め方について考えてきたが、このテーマは社内誌編集者にとっては重要な課題である。さまざまな社員が登場し、さまざまなことを発言する社内誌は、実は大きな会議場と言ってもいい。その編集にあたっているものとしては、社内のモデルになるような会議やミーティングを実現したいものである。それがもしかすると、現在の退屈な役員会議や部長会を活性化させ、会社をいきいきさせる契機になるかもしれない。

6.社内誌編集7つの視点
「編集者手帳」1998年3月号掲載

●企業の「想像力」が「企業力」を高める時代
 時代の地殻変動が現実のものになりつつある。それも思った以上に激震のようだ。政治も経済も社会も、あらゆるところで、これまでとは「ちょっと違った動き」が顕在化してきている。予兆が現実になり、社会は大きく表情を変えてきている。企業はまさに、そうした激震のまっただなかにある。
 たとえば、金融ビッグバンは決して金融業界だけの話ではない。日本の企業経営を根底で支えていた金融システムの変化は、すべての企業経営に大きな影響を与えることになるはずだ。あるいは、これまでとは異質とも思える最近の若年層犯罪も企業と無縁であるわけではない。企業の存立基盤としての社会の変化は必ず企業に影響を与えていく。企業が
社会に影響を与えている面も含めて、そうした問題を企業は「自分の問題」として受け止めていく必要がある。社会は複雑に絡みあっており、企業と無縁の問題は存在しない。社会のさまざまな問題を自分の問題として捉えられる想像力、そうした「想像力」が、「創造力」を育て、「企業力」を高めていく時代である。逆に、「想像力」がないと、地殻変動のなかで思わぬ落とし穴に落ち込んでしまうことにもなりかねない。
 社内誌は、情報活動を通して、ともすると日常の仕事に埋没しがちな社員に、あるいはともすると組織内部に自閉化しがちな社員に、人間的な優しさもこめて、刺激を与える役割を担っている。言い換えれば、読者である社員の、つまり企業の、想像力を高める役割を担っている。その役割はこれからますます重要になっていくだろう。
 こうした視点から、今年の社内誌編集に当たって、重要だと思われる7つのキーワードを考えてみたい。

●コラボレーション(共創)──多様な知恵の結集を仕掛ける
 社内誌の目的のひとつは、「グッド・コミュニケーション」である。しかし、今年はもう一歩進めて「価値あるコラボレーション」を目指したらどうだろうか。コラボレーションは「共創」という訳語が当てられているように、単に情報を共有化するだけではなく、そこから新しい価値を一緒になって創りだしていくことを意味している。
 時代の変わり目において重要なことは、多様な見方や考え方をぶつけあうことである。そうしたさまざまな知恵や情報を、これまでも社内誌は発掘し紹介してきてわけだが、それらがぶつかりあって新しい価値を創出するところまで、社内誌は踏み込んだらどうだろうか。現場の悩みを出し合っての誌上議論、社長からの問いかけに現場の社員が直接応える仕組み、課題の解決策の公募など、いろいろな形が考えられる。公開の場で新しい商品や事業について議論するのもいいだろう。それに伴い、社内誌も伝達型から対話型へ、そして読み捨て型から蓄積型へと、編集の姿勢も変えていく必要がある。イベント(社内フォーラムなど)や研修、あるいは電子メールとの連動も効果的だろう。
 社内誌の編集制作そのものを「共創型」に変えていくことも考えられる。すでに編集委員などの形で社内各職場の社員を巻き込んでいると思うが、さらに一歩進めて、テーマによっては企画制作チームを公募するということも考えられる。
 知恵を結集するツールとしての社内誌の効用を思う存分発揮してみたらどうだろうか。

●ミッション(使命)──目的意識をもった仕事観を訴え続ける
 多様な価値観をもった人たちが共創するためには、みんなの目的が同じ方向を向いていなければならない。目的が一致していないと同じ情報でも全く違った解釈になりかねず、共創どころかコミュニケーションすら実現しないだろう。しかし、昨今のようにみんな忙しくなってくると、目的よりも目先の課題をどうこなすかで精一杯になり、ともすると目的が見失われ手段が目的化してしまうようなことも少なくない。時代の方向が決まっている時はあまり問題ないかもしれないが、今のような時代の変わり目においては、これは非常に危険なことである。
 こうした時こそ、自分の仕事の意味を問い直す必要がある。自分の仕事の目的はいったい何なのか。会社全体のなかでの自分の使命は何なのか。そんなことを考えてばかりいたら仕事はできないかもしれないが、最近の風潮はそうしたことをあまりに考えなさすぎるようになっている。それが思わぬ事件につながったり、仕事の壁をつくったりしているのではないか。これからは、社員全員が常に自分の使命や仕事の目的を考えながら仕事に取り組んでいるような企業文化が、企業力につながっていくだろう。社内誌として、この1年、しつこいくらいに「仕事の目的」や「使命」にこだわりつづけていったらどうだろうか。それは同時に、自社の使命(存在意義)を問い直すことにもつながっていく。
 その出発点として、社内誌の使命はいったい何なのかという問いかけに、まず答えていかなければならないことは言うまでもない。

●エンパワーメント(自信)──社員に元気を与えていく
 社員はみんなそれぞれの使命をもって仕事に取り組んでいる。その使命が確認できたら、次に必要なのは自信である。自信が有るか無いかは、いい仕事になるかどうかに大きく影響する。残念ながら、最近の企業人は自信を喪失している。それでは企業にも元気が出てこない。
 こういう時こそ、社内誌は社員を元気づけなければならない。厳しい企業環境を反映して、社内誌の取り上げるテーマも厳しいものになりがちだが、厳しさと優しさとは必ずしも相反するものではない。厳しいテーマであるとしても、社員を元気づけ、社員に新しいパワーを与えることはできるだろう。社員にとってはもう危機感の押しつけは聞き飽きている。これから必要なのは、目前の危機をはねかえしていく勇気と自信である。いかなるテーマであろうと、これからの社内誌に必要なのは、社員に自信を与える工夫である。しかし、それはもちろん、「甘やかすこと」ではない。混同してはならない。
 社員の仕事をしっかりと評価してやること、地道な仕事には光を当て、苦労している職場をみんなで応援し、疲れている社員にはエールを送ってやる、そうしたことが社内誌にはできるはずだ。困っている人がいたら、社内誌を活用して支援の手を差しのべることもできるだろう。社内誌でできることはたくさんある。社員の味方になれる社内誌の存在は、それだけでも社員をエンパワーし、社員の自信につながっていく。

●コア・コンピタンス(強み)──それぞれの強みに目を向けさせよう
 自信は精神論ではない。何かを成し遂げた体験が自信の源である。その意味で、社員の仕事をしっかりと評価することが大切なのだが、同時に社員一人ひとりが自分の強みに気づき、それを活かしていくことも大切である。社員それぞれが強みを活かすことが企業の強みにつながっていく。
 最近、コア・コンピタンスという言葉がよく使われる。核(コア)になる能力(コンピタンス)という意味である。コンペティター(競争相手)に勝っていくためには、企業は独自の強みや能力を持たなければならない。それがコア・コンピタンスである。成功して
いる企業は、必ず独自の強みや能力をうまく活かしている。いかに立派な戦略を立てても、それを実現するコンピタンス(強み・能力)がなければ競争には勝てない。自社のコンピタンスをどこに置くか、そしてそれをどう高めていくかが重要になってきている。
 企業のコア・コンピタンスは社員一人ひとりのコア・コンピタンスによって支えられている。それらがうまくつながっている時に企業のパワーは最高になる。マネジメントとは社員のコンピタンスを組織のコンピタンスとして組み立てていくことでもある。企業のコンピタンスに向けて、社員一人ひとりが自らのコンピタンスを育てていくことが大切だが、そのために社内誌ができることはたくさんある。とりあえず社員に自らの資源を棚卸しすることを呼びかけるのも効果的だろう。

●リテラシー(能力)──新しいリテラシーへの関心を呼び起こす
 OA機器などを使いこなす能力として、情報リテラシーということが言われている。リテラシーとは「読み書き能力」、つまりそこで生きていくための基本的な必須条件である。ビジネスの世界で必要なリテラシーはどんどん変化している。とりわけ最近の情報化の動きはビジネス能力の基準を一変させた。たとえばパソコンを使えるかどうかは、仕事の
スピードだけではなく質にも大きな影響を与えている。情報リテラシーはこれからの企業人にとっては必須条件と言っていい。社内誌はもっと本格的に社内の情報リテラシーを高める役割を果たすべきだろう。そのやり方はいろいろある。社内誌そのものをマルチメディア化していくことも一案だろう。
 新しいリテラシーとして、もうひとつ重要なのが「財務リテラシー」である。これからの企業人は財務諸表を読みこなすことが不可欠になっていく。自社がどのような財務ポジションにあるのか、自分の仕事がどのように企業業績につながっているのか、そうしたことを踏まえて活動していくことがこれからの企業人には求められている。
 情報リテラシーと財務リテラシー。社員のなかにこの二つをしっかりと育てていくことが、これからの企業の成長発展に大きく影響していくことになるだろう。さらに、自社にとってどんなリテラシーが必要かについても一度考えてみたらどうだろうか。

●リフレーミング・ノイズ(騒音)──固定観念を解きほぐそう
 時代の変わり目をチャンスとしていくためには、しなやかさが必要だ。社会の枠組みが大きく変わろうとしているわけだから、自らもまたこれまでの枠組みから自由にならなければならない。しかし、これは至難のことである。企業変革を唱えている企業は多いが、実際に変革に成功している企業が少ないことが、そのことを物語っている。
 枠組み(フレーム)の組み替え(リフレーミング)のためには、理屈で変革の必要性を説くよりも、できるだけ異質なもの(ノイズ)と触れ合う機会を創出していくことが効果的である。そうしたノイズを積極的に取り込み、広げていくこともこれからの社内誌の重
要な役割ではないか。
 もちろん、社員の意識を揃え、組織の一体感を高めていくことが社内誌の基本的な役割である。社内誌は、企業文化の枠組みをつくり、社員をそれに合わさせていくためのツールと言ってもいい。しかし今年1年は、むしろ時代に合わせてリフレームするために、積極的に社内にゆらぎを起こしていくことを考えたらどうだろうか。一見、企業活動とは無縁なさまざまな情報を、雑音(ノイズ)として意図的に社内に持ち込むことで、硬くなった枠組みの解凍を引き起こすことができるかもしれない。情報システムの整備が組織からノイズをはじき出し、組織からダイナミズムをうばっていることも少なくない。そういった状況には"ウィルス"が入り込みやすい。ウィルスではない「健全なノイズ」が取り込むことの意味は大きい。

●アイデンティティ(個性)──改めて組織のアイデンティティを問いかけたい
 企業のアイデンティティづくりがブームになった時代がある。どこもかしこもCIで、社名やシンボルがいとも安直に変えられ、「感動」するような理念やビジョンが次々と発表された。CIを導入するだけで、企業の抱える諸問題は解決し新たなる発展が約束されるような風潮すら見られた。今から思ば、バブリーなCIだったと言っていい。もちろんすべてがそうだったわけではないが、企業のアイデンティティはそんなに簡単に変えられたり、創られたりするものではない。
 時代の変わり目は、アイデンティティが問い直される時代でもある。本来的な意味での企業のアイデンティティの再確認が必要だ。企業環境はますます厳しくなり、キャッシュフロー経営がさけばれ、財務的な企業価値が大きな課題になっている。しかし、企業の価値は財務数値だけで決まるわけではない。もちろんそれは非常に重要なことではあるが、そうした企業価値を高めるためには、もうひとつの企業価値が重要である。それは社会におけるお役立ち(価値)である。それこそがCIの基本である。
 企業が追求する価値(利益ではない)や企業の存在意義をあいまいにしたままでは、いくら経営の合理化を進めても効果はあがらないし、企業変革の行き先も見えてこない。今こそ、企業は自らのアイデンティティを地に足つけて考えるべきである。ブームに陥って形骸化したCIの反省も含めて、改めて自社のアイデンティティを議論し、体質化していかねばならない。今さらCIか、と言われそうだが、あえて7つ目のキーワードとしてアイデンティティをあげておきたい。

●社内誌編集者のみなさんへの7つの質問
 最後にみなさんに7つの質問させていただこう。
 1)独りよがりに社内誌をつくっていませんか。社内外と共創していますか。
 2)社内誌を使って何をやろうとしているかの目的意識は明確ですか。
 3)あなたの会社ではあなたが社内誌編集の一番のプロであることを忘れていませんか。
 4)あなたのコンピタンスは何ですか。それを高める努力をしていますか。
 5)情報リテラシーや財務リテラシーはきちんと勉強していますか。
 6)編集に当たってノイズがどんどん入ってくる体制にありますか。無意識のうちにノイ
  ズを排除していませんか。
 7)社内誌のアイデンティティは明確ですか。そして、あなたのアイデンティティは?


7.社内誌で企業の進化に荷担してみませんか

「編集者手帳」2002年3月号掲載

■編集者にとっての挑戦の時代
 企業を取り巻く環境が大きく変わりつつある。しかもその変化は非連続である上に、変化の速度も速く、社内誌を担当する編集者としては、ちょっと目を離していると自分の居場所さえわからなくなってしまうほどだ。
 たとえば、IT(情報技術)が話題になっているが、2年前の状況と今とを比べてみると、同じITという言葉であっても、その意味する内容は大きく変わってきている。理解しているつもりになってフォローを怠っていると状況が一変していることも少なくない。油断禁物である。経営に関する新しい話題も次から次へと登場し、追いかけるだけで目が回る。
 それだけではない。これまでは業界の話や経済の話だけでどうにか対応できたが、最近は環境問題や福祉問題、NPOや行政の動きにも目配りしておかねばならない。編集者としての守備範囲はどんどん広がる一方だ。
 しかも、そうした情報に関して、編集者よりも読者のほうが情報をたくさん持っているようになってきた。誰でもがインターネットで必要な情報を検索できる時代だし、社内情報に関しても情報システムが充実してきた。社内誌での情報提供が二番煎じになることも少なくない。最近では、新聞で自社の動きを知ることも増えてきた。ともかく動きが早くなっている。
 社内誌の役割はますます重要になってくると言われているが、会社そのものがどちらを向いていくのか、いや、日本経済そのものがどうなっていくのかが見えないままに、どうやって役割を果たせというのか。それに社内誌の役割をしっかりと考えたくとも、山積する目先の課題に追われて、そんな余裕はない。第一、本当に社内誌で何ができるのだろうか。とまあ、こう言いたい社内誌の編集者も少なくないのではなかろうか。
 たしかに社内誌の編集は難しくなってきている。インターネットや社内イントラネットによる豊富な情報提供、一般に出回っている情報誌の充実など、これまで社内誌が果たしていた役割のかなりの部分が、そうしたメディアに代替されつつある。
 だがその一方で、社内誌の持つ経営的役割が高まっていることも事実である。企業力が企業文化や社員の意識や行動に大きく左右されることが明らかになってきたため、それに大きな影響を与える社内誌への期待が高まっているのである。
 山積する目先の課題を、これまでの編集の延長上に無難にこなしていくことはもちろん可能である。それでもそれなりの役割は果たせるだろう。しかし、大きな変わり目にあるいま、その気になれば、社内誌はもっと大きな戦略的役割を果たせるはずだ。こんなチャンスはそうそうあるものではない。編集者にとっては、まさに挑戦の時代と言っていい。そうであるならば、主体的に企業に働きかける姿勢を持ってみたらどうだろうか。
 
■三つの大きな変化軸
 企業環境の激変はいうまでもなく、企業に変化を求めている。変化に適応できない企業は淘汰の対象となり、最悪の場合は消滅せざるを得ない。逆に時代の変化を先取りした企業は躍進する。時代の変わり目はまた、主役企業の交替期でもある。
 社内誌の編集者として、企業に能動的に働きかけていくとしたら、企業が変化していく方向性を見極めなければならない。それは難しいことだが、大きな方向はかなり明確になってきている。
 第一に、企業経営の視座が組織から個人へと変わりつつあることだ。たとえば、人事管理の分野でエンパワーメントが重視されてきたり、調和型のチームワークから異質を相乗させるチームワークに変わってきたりしていることはその現れである。社会の成熟につれて、組織に個人を合わせる管理型経営の限界が見えてきたため、個人の主体性に組織を合わせていく経営、言い換えれば個人の自発的なコミットメントを基軸にした経営が模索されだしている。このことの意味は極めて大きい。おそらく企業のかたちを変えていくことになるだろう。
 経営の基軸が組織から個人へと移っていくことは、個人の能力や意欲をどれだけ引き出すかが経営のポイントになっていくことを意味する。それもこれまでのようなノルマ主義による能力引き出しや、従業員の間に足の引っ張り合いが発生するような個人競争主義ではなく、異質な個人が役割分担しながら、それぞれの良さを自発的に出し合って相乗させていくような創発的なエンパワーが求められている。GEのウェルチが管理職を集めて「マネジャーではなくリーダーになれ」と呼びかけたのは、こうした流れを先取りしていたのである。
 最近、ナレッジ・マネジメントの実践において、システム論だけではなく「ケア」マインドが重要だという議論がでてきていることも、個人視座への転換の必要性を示している。また雪印事件に象徴される企業不祥事は、組織に個人を合わせる経営の限界を示している。個人基軸の経営やケアマインドが育っていれば、事件は未然に防げたであろう。視座の転換は急務である。
 個人を基軸にした経営への転換という点で今の制度を見直していくと、様々な問題が見えてくる。いま話題のワークシェアリングやコンプライアンス(企業倫理)への取り組み方もかなり違ったものになっていく。
 第二の方向は、企業の活動ドメインの広がりとそれに伴う付き合う相手の多様化である。付き合い方も変わっていくだろう。たとえば、NPOは企業にとってこれまでは社会貢献活動の相手でしかなかったが、これからは事業活動の重要なパートナーになっていくはずだ。アライアンスがこれからの戦略課題と言われるが、相手は必ずしも企業だけではない。すでに企業とNPOとの事業アライアンスは始まりだしている。
 この背景には事業の社会性が重視されてきているという時代の要請がある。やや極端にいえば、これまでの事業においては市場から利益を収穫することが優先されたが、これからは社会に価値を創造していくことで利益を得ていくことが改めて必要になっていくだろう。新たな成長産業として環境関連事業や福祉関連事業が注目されているが、それらはこれまでの事業とはかなり性質を異にしており、発想を変えて取り組んでいく必要がある。NPOや行政との連携が求められている理由の一つはそこにある。
 事業活動の次元でNPOと連携していくためには、経済論理だけではなく、多様な価値観や知見が必要である。企業にますます多様性が求められ、幅広い情報の蓄積の有無が企業力を決めていくことになるだろう。
 ITの影響も重要な方向を示唆している。コミュニケーションメディアが多様化するという側面はもちろんだが、もっと大きな影響は企業と社会の情報の壁がなくなっていくことである。これまでのように企業機密などという名目で情報の閉鎖空間を構築することは不可能になっていく。昨今の企業不祥事発覚の多くは、組織を超えて情報が飛び交いだしたことと無縁ではない。
 企業のアカウンタビリティが重視されだしているが、企業の意図や行動の如何に関わらず、企業の内部情報は社会に見えるようになっていくだろう。近代広報の父と言われたアイ・ヴィー・リーは、企業広報の原点はフランクネスだと言っているが、その原点を改めて思い出す必要がある。昨今の日本企業の広報活動はあまりにそこから離れすぎている。これは社内誌にも当てはまることである。

■編集者の役割と心構え
 経営の視座の変化、活動ドメインの広がり、ITによる情報共有。この3つはこれからの企業のかたちやあり方を大きく変えていくだろう。その方向性は、企業の社会化であり、人間化である。言い方を変えれば、個人や社会によっていい意味で使い込まれる組織へと企業は進化していくのではないだろうか。
 こうした動きのなかで、個人に働きかけ、組織と社会とをつないでいく社内誌の役割は非常に重要である。やるべきこともやれることもたくさんあるはずだ。編集者はこれまでの延長で発想するのではなく、ぜひともそうした展望のもとに、企業の進化に荷担していくべきではないだろうか。即効性はないかもしれないが、社内誌の企画編集の如何が、会社の未来を決めていくかもしれないのだ。
 上記の3つの変化軸は、いずれも社内誌に深く関わっている。個人に働きかけ、個人をエンパワーし、さらにそのパワーをつなげていくのは社内誌の大きな役割だし、企業の付き合いが広がるなかで、新しい文化を社内に持ち込むことも社内誌の得意とするところだ。情報共有に関して言えば、機械仕掛けのITの限界を補完する上でペーパーメディアとしての社内誌の役割は大きい。これからの企業に向けての新しい動きはすべて社内誌につながっていることを認識しておく必要がある。
 厳しい経営環境のもとで、社内誌の置かれている状況もまた厳しく、目先の課題対応に追われて先行きを考える余裕はないかもしれない。しかし、だからといって、これまでと同じような編集方針を続けていてはこの大きな時代の変わり目は乗り切れない。いかに厳しかろうと、事業ラインの厳しさを考えれば、まだまだ社内誌には余裕があるはずだ。展望をもって、企業全体の進化にゆるやかに関わっていくのが社内誌のミッションであり、また編集者の醍醐味ではないだろうか。
 ではそれをどう実現すればいいか。それはそれぞれの状況に合わせて考えてもらうしかないが、そのための心構えを最後にいくつかあげておきたい。
@企業が進むべき方向を展望しておく
Aその方向に向けての編集に努める
Bできるだけ事業戦略に関わっていく
C情報共有を加速させることに努める
D新しい風起こしに努める
E自らの世界をできるだけ広げていく
F自らの主体的視点を大事にする
G異質さを組み合わせる姿勢を持つ
H読者や社会との共創意識をもつ
I他のメディアとのシナジーを考える

 社内誌のミッションは、読者である社員たちが生き生きと働けるような会社を実現していくことである。そのためにも、編集者にとっての挑戦の時代をぜひ楽しんでいただきたい。