折口さんのつれづれ日記2007〜2008
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広島の庄原市で、NPO法人かすたねっとを拠点に、地域福祉活動に取り組んでいる折口智朗さんからの私的なメールを、ご本人の了解を得て、掲載させてもらっています。ご愛読下さい。こころが癒されます。そして、たぶん、日本の地域文化の豊かさや現状も実感できます。

折口さんのつれづれ日記2004
折口さんのつれづれ日記2005〜2006

■134:世界の約束(2009年11月22日)
佐藤さん こんばんは 
こちらは一日中冷え込みましたが、いかがお過ごしでしょうか?

冷たい肌を刺すような雨が降っていても、認知症を持つ義母(89歳)はそんなことおかまいなしとばかりに傘もささずに何度も家の周囲を歩き続けていて、夜になると「明日出かけていくディサービスの服をどれにしたものか!早く見てくれ!!」と再三奥さんへまとわりついて困らせています。

また、毎月一週間だけでもショートスティを利用するようになったことで、少しは奥さんの心的疲労はやや軽減したかのようにも思えないこともないのですが、当人が少しづつ時間的な感覚が失われつつあるせいか、これまで以上にあせりの状態で大変興奮した口調で周囲を巻き込むのですからたまったものではありません。
その上愛犬空ちゃんまでが相手をしてくれと吠えまくるので大変です。

さて、話は変わり先々週の土曜日に市内で「社協のつどい」なる行事が開催され、地域活動支援センター「かすたねっと」の利用者2名が一人芝居で舞台に登場しました。

どちらの話術も大変面白いのですが、一工夫できないものかと思案して芝居の前後にBGMを入れることにしてみました。
たまたま図書館でアニメ映画のテーマ曲が入ったCDを見つけて、その中から谷川俊太郎さん作詞で倍賞千恵子さんが歌われている『世界の約束』という曲が気に入り、その時はあまり歌詞の意味も理解せぬまま、いよいよ当日となりました。

当初、持ち時間はお昼前の20分と聞いていたのですが、体験発表や寸劇などで時間が遅れてしまい、「どうか、正午までの残り15分で仕上げてください!」という無理難題をスタッフから押し付けられ、「そんなことができるくらいならば、障害者をやっていないよ〜〜。」と言いたい所をぐっと抑えて、Aさんを舞台中央に上げていよいよカーテンが開きBGMが流れ始めました。

会場一杯のお客さん達が先程まで騒いでいたのに、静まり返って微動だにしない様子が舞台の袖からもよくわかります、60秒間のBGMが終わり舞台に向かって手を振り下ろすとAさんの一人芝居が始まります、これまでは架空の田舎芝居的なものが多かったのですが、今回は自分の自伝(施設での体験・就職先での体験)を芝居に取り入れてみたいとのことで、全てはAさんにおまかせです。

芝居が進んでいくと、あちこちからすすり泣く声が聞こえてきます、舞台に立ったAさんも「最初は暑くもないのに、どうしてハンカチで汗をぬぐっているのだろうと思って、よく見れば泣いておられた。」とのことでした。
これまでAさんのおおまかな体験について聞いたり予行練習では見ていたものの、本番では熱演で内容も少し詳しくなっていて少々驚きました。

無事二人の芝居が終わると、次々に顔見知りの人が声をかけて下さり「凄いね〜っ、どこで練習したの!!」「こんなに芸達者とは知らなかったよ〜。」と褒めていただきました。
見知らぬ方々が、話しかけられて来られ「最初にかかった曲はどなたが歌われている曲かしら、素敵ね〜〜、思わず涙ぐんじゃった。」と・・・・、もしかするとBGM効果だったのかも。

涙の奥にゆらぐほほえみは
時の始めからの世界の約束

いまは一人でも二人の昨日から
今日は生まれきらめく
初めて会った日のように

思い出のうちにあなたはいない
そよかぜとなって頬に触れてくる

木漏れ日の午後の別れのあとも
決して終わらない世界の約束

いまは一人でも明日は限りない
あなたが教えてくれた夜にひそむやさしさ

思い出のうちにあなたはいない
せせらぎの歌にこの空の色に
花の香りにいつまでも生きて


■133:九十九山
(2009年11月20日)
佐藤さん おはようございます 
いつもご無沙汰して申し訳ございません。

周囲を山々に囲まれている「かすたねっと」の事務所は毎朝落ち葉の絨毯で埋め尽くされていて、私は結構気に入っているのですが、利用者の人や他のスタッフがセッセと一生懸命に拾い集めています。
今年の秋は久しぶりに身近にある紅葉が綺麗なことに気づくことができ、やっと数年ぶりに社会復帰ができたのかなとも感じているところです。

11月に入るとすぐに尺八の師範試験が広島市内で開催されて、半年前からの他の師匠について行った稽古の成果がいよいよ審査委員に評価されることとなりました。
結果としては受験者11人中の内2位とのことで、やや悔しい思いもなきにしもあらずですが、試験を終えて昼休みに一人でベンチに座わって弁当を食べていると、審査委員のお一人が笑顔で近づいて来られ「よく頑張られましたね、どなたに付かれて練習されましたか?僕は一番に推薦しておきましたよ!他の審査委員はどう判断されたかわかりませんが。」と気さくに話しかけられ、穴があったら入りたいような気恥ずかしい思いをしました。

その後、午後から准師範試験を受けられる知り合いの方が練習をされている控え室へ入って行ったところ、素晴らしい尺八の音色が聞こえてきて剣の勝負ではありませんが瞬時に「これは負けた!」と感じた相手が、やはり1位となられました。

しかし、審査結果発表の際「今回は、首席はなしとします。」という意外な発表に会場はざわめきましたが、「首席に至るにはもうあと少しという審査委員全員の激論の末の結論です。」とのお話に妙に納得してしまいました。
まだまだ道程は遠いようです。

准師範から師範に変わると名称にこれまでの『哲星』『苑星』から号(呼称)に「山」がつくようになるので、双葉山・雅山・高見山ハテサテどうしたものか・・・と、福祉の大先輩に相談したところ「折口さんの名前はとうの昔に決まっているよ!人生七転び八起きじゃないけれど、何度も壁にぶつかっては立ち上がり新しいものを見つけては山のうえに上がっていこうとするのだから、折れ曲がりの九十九山(つづらやま)でいいんじゃぁないかな〜。」と笑いながら即答されました。

「でも、尺八の世界では普通二文字で多くても三文字が限度なんですが。」と話すと「つづらという別の文字で『葛篭』の葛山ではどうかな〜。」と、どうも他人事だから言葉遊びを楽しんでおられるようにも聞こえてきます。
しばらくして「百から一を引くと九十九でしょう、ですから百から一を取って白山(はくざん)ではどうですか!」「李白の白でもあるし。」とよくわからぬ展開の説明でありました。

最終的には第三希望まで選んで本部に提出し、号が決定されるようですので今後が楽しみです。
気温が益々下がってくるようですので、どうかお体を大切にして下さい。

■132:背景にあるもの(2009年9月30日)
佐藤さん おはようございます 周囲の山々はいつのまにか秋の気配となりましたが、いかがお過ごしでしょうか?
今朝は早く起きて溜まった事務整理をする予定だったのですが、愛犬空の散歩をしたり事務所の片づけをしているうちに、いつもと同じ時間となってしまいました。

おかげさまで「地域活動支援センター かすたねっと」も明日で1周年を迎えることとなります。
あっ!というまの一年で、ドタバタの毎日が続き、心の余裕もなく周囲の支援して下さるさまざまな団体・個人にもあれこれと迷惑をかけてしまいました。

さて、昨日利用し始めて一年が経過する視覚ハンディをもつPさんに「先日出かけた動物園にいた象さんの新聞記事があったので、拡大コピーしておくから読んで見てね!」と渡したところ、「いくら文字を大きくしてもらっても、私はひらかなはわかるけども漢字が読めないのよ。」と小さな声で返答がありました。

Pさんの住む町ではとても口達者で物知りと評判の方で、いつも私に「ニュースでこんな事件があったよ!テレビでとても面白い番組があったよ!」と日々新しい話題を提供してくれていたので、これまで愚かなことに全く気づかなかったのです。

よく考えてみれば、さまざまな場面で文字を見る機会があるときに、Pさんが「わたしは目がよく見えないので、帰宅してから家族に読んで貰うから。」と言っていた意味がやっと解りました。

Pさんだけでなく、いつも暇があると本をめくっているKさんも文字を読むことができないのですが、一生懸命読もうとしています。
戦後教育の怠慢により就学機会を奪われてきたハンディをもつ彼らに、いまさらという周囲の声もありますが、これまで「ハンディをもつ人達に就業の機会を、!」という一面ばかり強調されてきた福祉現場にも、もっと人間として基本的な見る機会・知る機会を奪われてきたという事実にもっと目を向けていかなければならないのではないかと、つくづく感じています。

■131:唇寒し 穐の風。(2009年8月14日)
佐藤さん こんにちは ご無沙汰しておりますが、いかがお過ごしでしょうか?
こちらはやっと盆休みとなりホッ!と息ついているところです。

日々、地域活動支援センター「かすたねっと」を利用される方々からは「休みには、部屋の中でゴロゴロするばかりでなんの楽しみもない、どうして休むのか!」と不評ではありますが、ひと時の充電期間としてどうかご勘弁いただきたいと思っているところです。

また、認知症をもつ義母(89歳)は先日より1週間地元の特養へショートスティとして出かけているので、久しぶりに時間に追いまくられることのない穏やかな家族の暮らしとなっています。

とある福祉現場の大先輩から「福祉九条の会通信」というものが送られてきたので、久しぶりに電話をかけて話をしていると「どうも障害者虐待防止法に対して親の会や施設団体が反対しているようだ。」とのことで、ネット検索してみるとやはりそうらしいことがわかりました。

「障害をもつということのみで、障害者と差別して、保護しなければならない弱き者として障害者を捉え、安易に法律案を作成したことには納得できません。」

というような内容を表明されているようですが、私としてはとうとう本性を現してきたなという感じです。
というのも、数年前知的障害をもつ義姉が通所施設から車で出かけた際に転落事故を起こしたことで、事故や虐待が施設内外で起こった際に受付窓口となる県運営適正委員会に連絡をしたところ、本来は弱者であるハンディを持つ人達の支援となるべき機関が、あからさまに事故を起こしたハンディをもつものが悪いとの見解を示した時に、守るべきものが異なることをはっきりと教えてもらったように思います。

過去の福祉現場においては、親や施設や行政がいくらハンディを持つ人達に実力行使をしようとしても、どこかに歯止めとなる人材がいて均衡を保っていたようにも思うのですが、小泉改革以降は社会保障全てがなし崩し的となり施設経営の名の下に次第に障害者を商品化してきたように感じています。

親のエゴについては、つくづく日々義母がいくら認知症があるとはいえ「これら(障害のある4人の子供達)を生んだばかりに・・・」と繰り返すたびにまたか!と呆れてしまうのですが、高齢者・児童虐待防止法についで障害をもつ人達への権利擁護のためにもぜひ早期に実現して欲しいものですが。

<追伸>
佐藤さん こんばんは 
今夜も猪が畑の周囲を囲っているトタンに突撃!を開始しはじめたので、只今愛犬空ちゃんが吠えている最中です。

さて、つたないメールにもかかわらず早速ブログにて取り上げていただき気恥ずかしい次第です。
「折口日記」にも取り上げていただいたおかげで、折口さんの近況がわかりとても楽しみにしているんですよ!とお手紙を下さる好意的な方がおられる反面、一方では折口はまだ性懲りもなく言わなくても良いことを・・・という人達もどうやら覗いているようです。

親の会や福祉団体などにもそれなりに虐待防止法への反対の理由はあるのでしょうが、なぜ虐待防止法が必要とされているかについての本質については、まさに佐藤さんが書かれている通りだと思います。

どんなに素晴らしい方でも永年アブノーマルな福祉や介護の世界に浸っていくうちに、いつのまにかオカシナことに気づかなくなっていくことは愚かな人間ゆえにどうにも仕方のないことなのかもしれませんが、障害のあるなしにかかわらず一人の人間が人間としてあたりまえの生活を送れなくなったときに、誰かが「だめよ!そんなことをしては!!」という警告を発することができるようなシステムを作っておかねば、とても先進国とは言えないのではないかと最近つくづく感じています。

庄原に居住して今年で32年経過しましたが、この間知的ハンディを持つ3人の兄弟達を入所施設から自宅に返しはしたものの、ハテサテ次の世代にどう託したものか、生まれもっての不器用さ故に・・・・・。

■130:G線上のアリア(2009年6月7日)
佐藤さん こんばんは 
こちらは朝夕は肌寒く、夜はいまだにストーブのお世話になっています。

さて、仕事も趣味の尺八もなんだか思うように事が運ばず、ストレスの日々を送っていますが、先日とある有名な尺八演奏家が吹かれた「G線上のアリア」を聞いた途端に、「エッ!こんなのもあり!?」とこれまでの尺八への固定観念を見事に覆らされました。

「G線上のアリア」といえば、小学校の音楽室のうしろでモジャモジャ頭をしたバッハの顔写真を想いだす程度ですが、もちろんクラシック界の名曲ですし、最近どういうわけかポピュラー界でも歌詞をつけて女性歌手が歌われているのを身近に聞くこともあり、もしかすると混迷の時代に合っているのかもしれません。

最近尺八を吹くことが重荷になっている原因の一つが、吹いていて面白くない・楽しくない・・・などと自分の練習不足を棚に上げて不平不満ばかりなのですが、「G線上のアリア」つながりで、たまたまネット検索でみつけた若手の尺八演奏家のブログを拝見すると、なにやら楽しそうで小学生の邦楽演奏グループへの指導をされたり、さまざまな邦楽楽器とのコラボをされている様子で、残念ながら現実にはそこまでの技量はないものの、いろんなしがらみばかりの世界よりは、少しでも音を楽しみながらやっていきたいものであります。

仕事の面では、悪いことばかりでもなく先週より早期退職をされた男性がどういうわけかボランティアを志願されて尋ねてこられ、よくお話を聞いてみれば永年ボランティアとして協力をしていただいていた顔見知りの奥様からのお勧めがあったとのことで、人手不足のところへの救援は誠に有難いことです。

これまでは技術職をされていたとのことで、さて何をお願いしたものかと考えていたところ、丁度注文していた「レク担当者必見!マンネリ脱却プログラム集」という冊子がたまたま届いたので、その中にある様々なゲームを作ってもらうこととなりました。

いつも成り行き任せで大雑把な私とは違い、とても几帳面な方で慎重に考えられて、身近にある材料で見栄えのするものを次々と製作されて、どの作品もこれまでの私が作ったものとは違って、利用者の反応もよく「こりゃ!いいわ〜〜。」と、喜んでおられます。

ときおり神様の悪戯でしょうか、素晴らしい方を目の前に送り届けていただけるのですが、私自身の力量不足に戸惑っています。

■129:原点!(2009年5月17日)
佐藤さん おはようございます 
こちらでは久しぶりの恵みの雨が降っています。

本日は予定していた介護講演会を都合により延期したため、久しぶりに「ほっ!」と一息ついて、テレビ三昧の一日となりました。

午前中は、NHK『プロフェッショナル』という再放送の番組に、日本紛争予防センター(JCCP)の事務局長をされている瀬谷ルミ子さんが取り上げられていました。

司会者より、「これまでの活動の原点は?」と尋ねられた瀬谷さんが「脳障害を持っている弟が、わたしのことを『誇り』に思っていると言ってくれた言葉です。」司会者が再び「現在、その弟さんはどうしておられますか?」の問いに「リハビリをしながら現在福祉作業所に通っています。」とそれまでの活発さとは変わって消え入るような声で答えられた姿に、なんだかわが国の福祉の貧しさを見せつけられた様な気がしました。

次は、瀬谷さんのブログ『紛争地のアンテナ』よりの抜粋です。

相変わらず、おっさんくさいと言われつつもビジネス本を読み、
新たな事業案を日々練っています。

目指すは、ビジネス感覚のあるNGO。社会起業家的な。

つまり、現場の人々を援助漬けにして自己満足するのではなく、
自立するためのビジネスプランを共に作り上げられる能力。
そして運営資金も独立して確保して、
イラク開戦の時の一部の欧米のNGOのように、
必要な時はドナーや政府と一線を画す立場を取り
中立性を確保できる組織力。

福祉や介護事業を行うNPOも、ぜひそうありたいものですね!

■128:駐在所デビュー!
(2009年3月25日)
佐藤さん こんばんは 
ご無沙汰しておりますが、いかがお過ごしでしょうか?
夕方のテレビニュースでは渋谷公園の桜が満開とのことでしたが、こちらでは時折小雪が舞うような肌寒さで、蕾は膨らみつつあるものの開花まではもう少しの辛抱かもしれません。

さて、本日の午後地元の駐在所から事務所へ電話がかかり「どうもお宅のお婆さんらしいのですが、駐在所に来られて『家族に叱られた』と言われ、そのことを何度も繰り返し話をされるのですが、迎えにきてもらえないでしょうか?」とのことですぐに車に乗り出かけました。

駐在所に着いて慌てて建物の中に入ると、若い駐在さんが困った顔をされて「どうも近くの友達と言われる方の家を訪ねて来られたらしいのですが、あいにく留守だったようで、その足ですぐこちらに来られたようです。」「話を聞いて見ると、なんでも家のひとに叱られたとかで、同じことを言われる(記憶の障害)ので連絡をしたような次第です。」とのことでした。

確かに駐在所の近くで義母(90歳)の友達(94歳)がこれまで息子夫婦と同居されていたのですが、昨年より家庭内の事情から遠方の娘夫婦のところに行かれたままで、そのことをこれまで妻が何度も説明したようですが、当人には全く理解ができていなかったようです。

若い駐在さんに「申し訳ないが、本人に認知症があるもので・・・。」と話すと、そのことをすでに察知されていた様子で軽く頷かれました。
ふと後方を見ると、義母が駐在の事務所の隅っこの椅子に座って申し訳なさそうな暗い表情をしてうつ向いています。

駐在さんが「もしも捜索などということになると大変なことになるので、しっかりと見ていてあげてください。」と言われたので、「ハハハ・・まだ、そこまで本人の理解ができていないわけではないので・・」とお茶を濁して「さぁ、帰ろうか。」と義母に声をかけると「誰にもよその人には家の悪口を話したりはしとらんから。」と言うので、「わかった、わかった、でも良い所を見つけて入ったから良かった!こんどは御礼の茶菓子を持ってお邪魔しなくちゃね!」と話していると、駐在さんはやれやれという顔をされて見送られました。

義母が無事車に乗り込み、車内で話を聞くと、どうやら妻に叱られたとのことで、そのうっぷんばらしに友達のところへ出かけたようです。
自宅へ帰ると、丁度妻は買い物に出かけたようで留守、しばらくして帰宅した妻に経過を話すと「今日はね、朝から財布がない、5万円入りの財布がない!」と繰り返し言うから、外は雪が降っていて暇なんだから自分で部屋の中を捜しなさいというのに、自分で捜そうとはせず私のあとばかりつきまとうから、つい大きな声を出したの、本人が5万円だと言うけれど、毎度お金を無くすから千円札しか入れていないのにね、実の母とはいえ『もの取られ妄想』って本当に困ったものよね〜。」とため息をついていました。

夜になり妻が風呂に入ってすぐに義母が追いかけようとするので、「どうか風呂ぐらいゆっくりと入らせてやってくれ。」と話すと「いや、娘(妻の妹)のところへ電話をしてもらおうかと思って、まぁ!又でもいいから。」と言って部屋に戻って行きました。
風呂上りの妻にそのことを話すと「きょうはね、朝から何度も妹のところへ電話をかけてくれというの、妹も昨年手術した経過が良くなくて来月には再検査入院するみたいなので、向こうもそれどころじゃないし、一緒に暮らす鬼のような娘よりも遠方に暮らす優しい娘のほうが良いみたいよ。」と少し情けなさそうな顔をしていました。

介護関係者にしろ同居家族にしろ、いくら『認知症への接し方』を学んだところで、所詮感情の動物であるゆえに大変困難な問題ではありますが、今回の駐在所のおまわりさんの対応を見て、「認知症とは何か・介護をする家族の気持ち」についてもっともっと理解を深めなくては、とても地域の中での共生は難しいということがよく理解できました。

これまでの駐在さんは転勤されるとたいてい挨拶に来られて、いつのまにかお馴染みとなり(尺八仲間)挙動不審な人が現れると、大抵すぐに連絡が入っていたのですが、最近では担当地域が増えてそれどころではなくなったのだとか、どんな人がその地域に住んでいるのかもわからずに駐在の仕事はできないような気もするのですが、のどかな駐在さんは過去の話かもしれませんね。


■127:就学猶予・就学!
(2009年2月18日)
佐藤さん こんばんは 
ご無沙汰ばかりして申し訳ございません。
例年のごとくこの時期は趣味の行事に追いまくられ、その上昨年より始めた地域活動支援センターが月〜土までオープンしているので、何もかもが中途半端な状態で困ったものです。

さて、1月17日に佐藤さんに送ったメール「姥捨て山」のその後です。
S子さんを特養老人ホームに入れる話が家族内で殆ど決まりかけて、家族が役所の窓口に相談に行ったところ「62歳ではまだ他の入所待機中の方がたくさんおられるので、今すぐには無理。」と言われたとのことで、幸か不幸か入所の話はあえなく轟沈!となったそうです。
2月初旬に家族より「本人ができることならば、かすたねっとを利用したいと話しているのですが・・・。」との連絡が入り、トントン拍子に話が進んで、なんとか来週よりこちらに通所できる運びとなりました。

現在、かすたねっとに通う利用者の殆どが就学猶予・免除となり、教育とは縁遠い環境の中で育ってきたために、文字や数字を読むことができず一歩社会に出ると突如!社会的不利の立場に立たされてしまいますが、それぞれがハンディを持つ中で体験してきた厳しい60年の歳月の中で培ってきた、たくましい生活能力には日々驚くことばかりです。

これまでに、人間としてのさまざまな権利を奪われてきたS子さんが生まれて初めて行使できた「利用者による選択の自由」を大切に見守っていきたいものです。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
就学猶予(しゅうがくゆうよ)と就学免除(しゅうがくめんじょ)は、保護者(親権を行う者・未成年後見人)が負っている子女(こども)を学校に就学させる義務(就学義務)を猶予・免除することである。(学校教育法第22条・第23条・第39条などを参照。)就学猶予とは、就学させる義務が猶予されることであり、就学免除とは、就学させる義務が免除されることである。

就学猶予や就学免除の適用を受けるのは、義務教育(国民が子女に受けさせなければならない教育)を受けることが想定されている学齢期(6歳から15歳)の子女の保護者のうち、病弱、発育不完全その他やむを得ない事由のために就学困難と認められる子女の保護者である。

1979年(昭和54年)4月1日に養護学校が義務教育になる前、日本では、本人および保護者の意思に関わらず、多くの障害児の保護者に対して就学猶予や就学免除の適用がされていた。これらは、教育を受けさせる義務の猶予あるいは免除であって、教育を受ける権利に直接的な影響を生じさせるわけではない。しかし、障害児のための学習環境の整備が遅れていたため、実際には、障害児本人および保護者が学校教育を受けることを希望しても、ほとんどの場合で入学が認められなかった。現代社会においては、特別支援学校の整備が進んだこともあり、このような強制的な適用が行われるのは、比較的少数になりつつあるが、子供の教育を受ける権利や学習権の拡充を図る立場からは、さらに適用数の減少を図るべきだという意見もある。またこのような理由で就学免除になった学齢超過者に対して、特別支援学校などに入学して初等教育や中等教育を行なう事を許可する例も見られる。

■126:六連星(2009年2月7日)
佐藤さん  こんばんは 
すっかりご無沙汰してしまいましたが、お変わりございませんでしょうか?
こちらでは陰にまだ雪の塊が残ったままですが、カメ虫が這い出てきたり、愛犬「空」の毛が冬毛から春毛へと抜け変わりつつあるところをみれば、春遠からじかもしれません。

さて、明日2月8日は午後から尺八のミニ演奏会が開催される予定です。
その中で私は「六連星」(むつらぼし)という曲を尺八と箏との一対一での合奏を行いますが、練習を何回も行うのですがなかなかうまくいきません。
この曲について、当日のプログラムには次のように書かれています。

長沢 勝俊 作曲
1. 「六連星」
尺 八  折口 苑星   箏  竹原 夕起子
【解説】
六連星とは昴星座の意。初冬に入って日没後の東の中空に光を放っているのが昴星座でその6個をつないだ形が玉かざりに見えるところからその名前がついたと言われている。
私の好きな唄の一つに次のような盆踊り唄がある。「月は東に昴は西に、いとし殿御は真中に」素朴に唄われた恋の唄であるが、人工衛星が飛び交う時代になっても月や星は私達に夢とロマンを与えてくれる。 星に想いを馳せた往時の人々をしのびながら、尺八と箏に託した私の「すばるのうた」である。

私の初めての竹号が「哲星」、今が「苑星」と星つながりで、安易に今回の曲を選んだものの、今秋に行われる師範試験の課題曲だけあってスムーズには演奏ができず、天空の星がぼたぼたと落ちてきそうです。
どうかお星様お助け下さいませ!

■125:姥捨て山
(2009年1月17日)
佐藤さん こんばんは 
寒い日が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。
先週末からの大雪のために、連日朝起きると除雪の繰り返しで、正直なところ今週は少々疲れました。

昨日、以前勤めていた知的障害者施設の利用者の保護者から留守電に「入院していたS子が先日無事退院しましたので、お知らせします。」というものが入っていたので、折り返し自宅に電話をかけました。

電話口に保護者が出られ「入院中はお世話になり、なにもお礼を言ってなかったので電話をかけました。それと、以前S子が入院中に親戚からこの際老人ホームに思い切って入所させたらどうかという話をしたと思いますが、本人にいつその話を切り出したものかどうか聞いてみたいと思って電話をかけた次第です。」とのことでした。

国からのそらぞらしく聞こえてくる『利用者主体・地域生活支援』などの掛け声とは裏腹に、現実にはハンディを持つものよりも他の家族・施設・役所の方がどうしても主体的となり、本人の意向はなかなか届かぬことが多く、それでも保護者やハンディを持つひとが若い時にはどうにかバランスが保たれているような気もするのですが、保護者もハンディを持つひとも高齢化してくると悲しいかな家族の中でも弱者となり発言権が次第に少なくなるようで、「親亡きあと!」と声高に叫ばれて生まれてきた悪しきコロニー時代にもしかすると逆戻りするのではないかという危惧さえ持ちます。

我が家の奥さんが「S子さんはこれまで色んな内臓の病気をしているのだから、あと残りの人生何年生きられると家族は考えているのだろうか?入所することで今の環境を変えたりしたら、余計寿命が短くなるような気がするし、きっとそのことを後悔すると思うけども・・・。」と、我が家も本来は他人の世話どころではなく知的ハンディをもつ66歳を頭とする4人の兄弟達の将来が目の前に大きくぶら下がってはいるのだが。

■124:睦月
(2009年1月3日)
佐藤さん こんばんは 
お正月はいかがお過ごしでしたでしょうか?
こちらは、年末より次男夫婦が初孫を連れて帰省してくれたので、おかげさまでこれまでにはない楽しい時間を過ごさせていただきました。

久しぶりにゆっくりとテレビ番組を見ていると、聾のハンディをもつ夫婦が音が聞こえないことによりさまざまな危険との隣り合わせの中で助け合って子育てをし、聾のハンディをもたぬ我が子に少しづつ手話を教えていきます。
その息子さんが14歳の反抗期になったときに、夫婦が若い頃共に行っていたトライアスロンの会場に息子を連れて行き、競技者ではなく応援者として聾のハンディをもちながらも参加している知人をサポートする過程で、ハンディをもつものも持たぬ物もなんら変わらないということを実体験させて、ハンディを持つ人や家族に対する社会の偏見や差別こそ変えていく必要があることを見事に教えるというドラマがありました。

その番組に出演されていた息子さんの時折みせる寂しそうな眼が、どこか私の長男や次男の目とよく似ているようにも感じました。
ハンディをもつ人達の中にハンディをもたぬ子供が生まれ、最初は周囲の人にハンディがあることに気づかず、社会と接する中で次第にハンディがあることと健常者という二択に違和感を感じ始め自分の中で闘いや混乱が始まるのはどうにもいたしかたないことです。

番組の中で、聾のハンディをもつ若いお父さんがこれまでの一流企業での仕事を捨てて、今後自分の好きなスポーツインストラクターへの転職をするときのインタビューでは「外国では聾というハンディがありながらもインストラクターとしてきちんと認められるが、残念ながらこの日本という国ではまだまだ認められていないので自分がその第1号となってみたい。」また「ハンディというものを乗り越えることに喜びを感じている」とも手話で語られていました。

どうもわが国ではノーマライゼーションと言う言葉が一人歩きしているようで、役所などで都合の良いときにはいとも簡単に利用されるのですが、いつまでたっても
ハンディを持つ当事者にとってのノーマルな〔普通の人と変わりのないあたりまえの〕生活とはなりえません、この番組で取り上げられた夫婦のように当事者が気負うことなく淡々と一つ一つ身の回りから社会的なハンディを乗り越えていき、少しずつ社会を変えていく必要があるのではないかと思います。

さて、長男・次男の孫達が大きくなるまでにハンディを持つ人に対する社会の対応はどのように変わっていくのでしょうか、「ハンディを乗り越える喜び」を味わいながら前に進んでいきたいものですね。

■123:皆様のおかげ!(2008年12月27日)
佐藤さん こんばんは 
今年も残り少なくなりましたが、いかがお過ごしでしょうか?
こちらは、昨日降った雪があちこちに残っていて夜になると冷え込んできます。

さて、兄弟Y男(55)の病気もなんとか落ち着いて自宅療養を続けています、明日からは滋賀に住む次男夫婦と初孫が帰省する予定ですし、兄弟のうち現在地元にある知的障害者入所施設を利用中の次女M子(61)も正月休みで帰ってくるので、なんと!総勢10名+1匹の大家族となります。

少し早いかもしれませんが、今年一年を振り返ると認知症となった義母(89)に振り回され、兄弟の長女I子(67)の度重なる原因不明の発作による転倒、最後にY男の病気とよくもまぁ次々と災難が起こるものと思いつつ、なんとかその都度いろんな方々に助け舟を出していただき乗り切ることができました。
その反面では、愛犬「空」が不思議なご縁で我が家にやってきたり、4月には次男に11月には長男と、どちらにも可愛い女の子が生まれたり、また永年の懸案であった「地域活動支援センターかすたねっと」の開所式とおめでたいことも続きました。

来年早々からは、兄弟のうち3名が地域活動支援センター「かすたねっと」を利用することになるので、介護スタッフの増員も急務です。
10月から看護師の非常勤として頑張っていただいているTさんがクリスマス会の時に「長い間看護師という仕事をしていながら、ここで働いて初めて知ることや利用者の方々に教えられることばかりで感謝しています。ここに来なければ知ることはなかったでしょうから。」と全員の前で話をされました。

確かに勤務されてしばらくはこれまでの病院での価値観や常識などとは大きく異なるいいかげんさ(その日・その時の利用者の雰囲気で物事が変化することなど)に対して少々戸惑われたようですが、最近では利用者の流れを上手にかいくぐっておられるように感じています。

法律上は障害者の自立支援といいながらも、現実では施設や保護者などの思いがどうしても先にたち、利用者の意見はなかなか反映されにくいのですが、せめて「かすたねっと」の中では大切にしていきたいものです。

また、やむなく在宅生活をされてる方々への訪問も来年の課題となります。
本来は行政や民生委員の役割かもしれませんが、なぜかわかっていながらも見て見ぬフリをしてやり過ごすケースが多く、最終的に家族の介護ができなくなって切羽詰ってからやっと入所施設への手続きという繰り返しが毎度のことなので、なんとかしていきたいものです。

どうか、来年も良き人との出会いがたくさんありますように!
佐藤さんのご家族に幸せが訪れますように!

■122:平和でありますよう!(2008年12月20日)

佐藤さん こんにちは 
本日こちらは晴天ですが、いかがお過ごしでしょうか?

さて、知的ハンディをもつ兄弟Y男(55)のその後です。
ショートスティより帰宅したその日から、寝ず・食わず・飲まずが3日続きやせ衰え、その上押し寄せる妄想や幻覚のために「恐ろしいんじゃ、怖いんじゃぁ!」を連発して本人も混乱し続けるので、12月17日の午前中に思い切って民間の精神科へ通院したところあろうことか「ウチは、予約しか受け付けていません!」と受付であっさりと診療拒否を受けてしまいました。
周囲を見渡せば、あっちにもこっちにもしんどそうに椅子にもたれかかられた方々がたくさんおられ、これでは精神科医も大変!?と妙に納得しましたが、「サテハテ!?どうしたものか??」

とりあえず一旦自宅に連れ帰り奥さんと相談し、いつもお世話になっている市民病院には現在精神科がないものの、とりあえず顔馴染みの看護師長に連絡をいれて急患ということでお願いし内科の受診をしました。

病院の中でも普段猫のようにおとなしいY男が、まるで人が変わったかのように目を大きく見開いて暴言を吐いたり、力一杯拒否や抵抗をするので、あいかわらず痛む五十肩には少々堪えましたが、なんとか血液検査・CT検査を済ませて待っていると、院長さんより「検査結果から判断すると、2年前にここで胆石の手術をしたところの輸官が炎症を起こしているのが原因のようですね、それと痔の再発のようです!できれば入院を、1週間位したほうが良いかと・・・・」のこと、しかし、興奮状態が続いていて、しかも魑魅魍魎が見えるような不安な状態で入院するとますます神経科のお世話になりそうなので「できれば、通院で!」と無理をお願いし点滴を受けて帰宅しました。

帰宅してから、奥さんがパンと飲み物を出したのですが「いらん!」と拒否するので、目の前で私がパンを齧って食べていたら慌てて目の前にあったパンを取り口に入れました。

今回は精神科の診療拒否があったからこそ、内科的な問題がその日の検査結果で判明したので良かったのですが、もしも肝機能の弱っているところへ(院長から、目の白い部分に黄疸が出ているでしょうが!と少し皮肉られました。)知らぬまま精神安定剤などを投与していたら・・・と思うとぞっとします。

その後、毎日通院の点滴をすることとなり、12月19日の検査では肝機能も正常となり炎症反応もおかげさまで治まりましたが、あいかわらず落ち着いて眠れないようで一晩中部屋の中で立ったり座ったりを繰り返すので、「できれば睡眠がとれるように・・。」とお願いしたところ、担当医が「できるだけ薬は使いたくないのですが、副作用もありますから・・、でもしかたないですね!」と1週間分の精神安定剤をいただいて帰りました。

帰宅してからは、すこし気分が良いのか夕食も食べて、午後8時には精神安定剤も飲み、これで少しは眠るのか?と思って見ましたが、どうやら眠ることなく朝を迎えてしまいました。
今朝8時頃に朝食を摂り、食事の後片付けをしていると、突然!Y男が目をつぶり横になって眠り始めました。
「エッ!いくら軽い薬だといっても12時間もかかるのかい。」と薬の効き目の遅さにやや驚きましたが、通院前の午前10時半頃まで眠って、本人が目を覚ましたときには辺りを見回し不思議そうな顔をしていました。

さて、いよいよ本日は4日目の通院です、本人も車に乗ることを楽しみにしているようで「行こう!」と声をかけると、すぐに車に乗り込みます。
病院前の駐車場に着くと、車から降りるのを少し嫌がりましたが、どんどん病院の中に私が歩いていくと慌ててあとをついてきました。
しかし、土曜日の休診のために院内は薄暗く特に外来処置室は一番奥の暗い場所なので「怖い〜、恐ろしい〜。」を連発するので、一緒に腕を組み処置室へと強引に連れて入りますが、ベッドに横になることを何度も拒むので再び実力行使となりベッドに押さえつけました。

横になったところへすばやく毛布をかけると、やっと観念したのか静かになり点滴を待ちます。
点滴をする1時間ずっと眠り続けて少しは落ち着いたのか、処置室から出るときは看護師さんに「さようなら!」と挨拶もし、帰宅してからも一緒に食事を摂り、その後奥さんと買い物にも出かけたのですが、まだ人ごみは落ち着かない様子だとのことで、今も私の近くに座ってぼ〜っとしています。

昨夜は遅くに受診したので、点滴も患者の一番最後となり、院内も静かになっていて隣の処置室から看護師さん同士の会話が聞こえてきました。
これから帰宅されようとする看護師さんが「どうか、今夜は平和でありますように!」と当直の看護師長さんに話されると「大丈夫よ!今夜はなにごとも起こりそうにないから・・・。」と笑って応えられていました。

無事帰宅し暗い夜道を愛犬空と共に散歩をしていると、遠くから「ピーポー ピーポー」と救急車の音が近づいてきます。
さて「今夜も、どうか平和でありますように!」

■121:お茶の十徳(2008年12月15日)
佐藤さん こんにちは 
本日は朝から晴れたり曇ったりの繰り返しで、少々肌寒さを感じています。

さて、奥さんが初孫のところへ出かけて1週間経ち、昨日お昼過ぎに予定していた時間よりも早く帰宅しました。
午後からは尺八の研修会があったので外出し、夕方帰ってみると義母や3人の兄弟達もショートスティ先から戻っていて勢ぞろいし、なんだかにぎやかに夕食を摂っていました。
愛犬空も寂しさを忘れてホッ!としたのか、のんびりと床に寝そべっています。
久しぶりの奥さん手作りの夕食に思わず感激してしまいました、おかげさまで昨夜は時間に追われずにゆったりと熱い風呂に浸かることもできました。

ところが、翌朝となり騒動勃発!
先ず、奥さんが朝起きて台所に入るとご飯粒があちこちに点在しているので後を辿ってみれば義母の部屋まで続いていて、聞いて見ると「腹が痛いので、ごはんをついで食べた!」と頓珍漢な会話をしたそうで、「環境が変わったことで認知症が少し進んだのかな。」と思ったそうです。
午前8時半頃、義母のポータブルを覗いてみると、なんと見事な数日分らしき大便の山!!ナルホド、どうやら便秘をしていたようです。

続いて、知的ハンディのある兄弟の唯一男性であるY男(55)が「今朝はご飯を食べようともせず、目を大きく見開いてキョロキョロして立ち上がったまま、夕べは殆ど寝ていないようだ。」との情報!
朝食も摂らず、毎朝飲む水分補給としての沸かした牛乳も拒否し、そのまま通所施設へと出かけていきましたが、お昼過ぎ「昼食を摂ろうとされないし、体温も37度以上あるので、どうしましょうか?」と連絡が入り、すぐに奥さんが迎えに行きました。

なるほど帰宅してもなかなか家に入ろうとせず、奥さんとY男が押し問答している様子、「風邪を引いているんだから中へ入って寝なさいや〜。」と私が声をかけるとしかたなく入ってきましたが、目の動きや大きさが尋常ではありません。
嫌がる本人をパジャマに着替えさせ、とりあえず布団の中へと・・・

奥さんと久しぶりに昼食をとりながら珍道中の話を聞いていると、旅先から奥さんが送っておいた荷物が宅急便で届き、その中からお土産がたくさん出てきたので、Y男の糖尿病の血糖値も気になり「饅頭ならばY男も食べるんじゃないかな〜、ついでにお茶も出してやれば。」と伝えて、Y男の枕元へ奥さんが持っていったところ、腹が減っていたのか慌てて口にしたとのこと。
しばらくして、違う饅頭を渡すとこれもぺロリ!

一時間ほどして、Y男の部屋をのぞいてみれば、なんと!目が穏やかになり熱も下がった様子。良かった、良かった!!
奥さんが「やはり、1週間のショートスティはきつかったかな?」と心配顔をするので「大丈夫、家族それぞれが辛抱したんだからおあいこ様」と茶化しておきました。

そのときフト!ある宅老所の代表者が「体調不良や異常な行動が見られるとき、まず疑われるのは便秘と水分補給がどうかということ。」といつも口を酸っぱくして言われていたのを想いだしました。

確かにY男は平素から便秘気味であり、思い出したくもないつらい経験のある入所施設では緊張の日々でとてもゆっくりとトイレに入る暇はなかったでしょうし、高齢者施設ではあたりまえの定期的な水分補給も、介護を主体としていない知的障害者施設では行われていないように思います。

どこかで「饅頭とお茶の効用!」について聞いたような気がして、ネット検索してみるとありました。

茶十徳
よかったら読んでください。

■120:薄氷踏むが如く(2008年12月8日)
佐藤さん おはようございます 
今朝は日射しはあるものの地面には霜柱が立ち、軒には大きなツララがぶら下がっています。

本日は、奥さんがいよいよ孫のところへ旅立つ日にちとなりました。
予想していた通り、前日にショースティ利用を宣告された義母は、昨夜遅くまで「何時に迎えにくるのか?ちゃんと荷物の用意はできているか?」と同じ言葉を繰り返して興奮し、今朝も早朝から起きて何度も同じ言葉を繰り返して兄弟達や奥さんを困らせていましたが、午前9時半頃迎えの車が到着するとたくさんの荷物と共になんとか乗り込みました。

この度は、義母(89歳)も兄弟のうち知的障害を持つ長女(66歳)と同じショートスティ先なので、何度も長女に「一緒に仲良くしようで〜。」と話しかけるのですが、長女は普段ディサービスとして利用している施設を母親が利用することが気に入らないようで「あんたとは、一緒じゃな〜い!」と大きな声を出し反論を繰り返していましたが、ハテサテどうなることやら。

他の2人の兄弟達はサービスの選択の余地はなく地元にある知的障害者更正施設へのショートスティ利用となり、昔入所していたところなので知り合いも多いのですが、つらい体験ばかり想いだされるのかどちらもうかぬ表情をしていましたが、奥さんの運転する車に乗り込み否応なく出かけて行きました。
この一週間、何事もなく過ぎてくれると良いのですが。

さて、千葉県で起こった『成田幸満ちゃん事件の容疑者逮捕!』のニュースを見ていて、「あれっ!この容疑者は知的障害をもっているな。」と直感しました。

【幸満ちゃん事件】「覚えていない」核心語らぬ容疑者
12月8日2時50分配信 産経新聞

 死体遺棄の容疑は認めるものの、核心の死亡の経緯はだまりこむ−。成田幸満ちゃんの死体遺棄事件で逮捕された勝木諒容疑者は、男性の取調官とそんなやり取りをしているという。だんまりを決め込んだ後、「覚えてない」「思いだせない」と繰り返すという。捜査本部の調べで明らかになった供述などから事件の様子は次第に判明しつつあるが、「不可解な部分もある」(捜査幹部)という。

○「目玉が出る…」
 「死体遺棄容疑で逮捕するぞ」「うん」
 捜査員から告げられた瞬間、容疑者は両ひじを机の上に置き、身を乗り出して大きくうなずいたという。
 調べの中で幸満ちゃんを「女の子」と呼んでいるという容疑者は「女の子と家の中に一緒にいたら、ぐったりした」とした上で、「目玉が飛び出るくらいびっくりした。怖かったです」と、遺体を捨てる際の心境などを語っている。
○謝罪の言葉なし
 捜査本部によると、容疑者は反省や謝罪の言葉は口にしていない。捜査幹部は「自分に都合のいい供述をしているかもしれず、うのみにはできない」と話している。

ふらっとより抜粋
その生い立ちを振り返ると、受刑者となった知的障害者のほとんどが、過去にすさまじい虐待を受けたり、あるいは、ネグレクトされ続けた過去を持っています。劣悪な生活環境の中で、生きていくために無意識のうちに起こしてしまう窃盗(万引きや自転車泥棒など)や詐欺(無賃乗車や無銭飲食など)。知的障害者は軽微な犯罪でも執行猶予がつく率が低く、実刑になってしまうケースが多いんです。軽微な罪にもかかわらず、警察に検挙され取り調べを受けた場合でも、自分を守る言葉や反省の言葉を発することができない人が多く、結果的には反省なき人として、実刑判決を受けることになってしまうんです。健常者であれば、不起訴、あるいは執行猶予というようなケースの犯罪でも、彼らの場合、実刑判決となってしまいます。
 えん罪も多いですね。たとえば、2005年、栃木県の宇都宮市で強盗傷害事件の犯人として捕まった知的障害者の男性のケースなど、ひどい実刑がたくさんあります。このケースでは、たまたま真犯人が別の強盗事件で逮捕されたので、すでに服役間際だった知的障害者の無罪が証明されたのです。その知的障害者の男性は、いとも簡単に誘導尋問に引っかかり、やってもいないのに「自分がやりました」と虚偽の自白をさせられていたんです。
 こうしたえん罪事件以外にも、軽微な罪であるにもかかわらず、非常に厳しい刑罰を受けている障害者もたくさんいます。彼らは重い刑を被せられても、弁明する術も知らず、取調官や裁判官の質問に対して、おうむ返しの返事しかできない場合が多いんです。裁判でも、心神喪失のような状態になり被告席で素っ裸になって喚いていた人が、刑法上、責任能力なしとされる「心神喪失」を認められることもなく、かえって危険人物視されるようなかたちで、長期の懲役刑を受けたりしている。裁判官は、突飛な行動を取ってしまいがちな彼らを理解しようともせず、再度、理解しがたいような犯罪をやってしまうのではないか、と短絡的に決めつけ、必要以上の罰を負わせています。

事件の真相については誰もわかりませんが、その後のニュース番組を見ているとどうも知的障害者というものが理解できないままの発言も多く、たとえば「死体遺棄容疑で逮捕するぞ」「うん」という会話ひとつについても、『死体遺棄容疑』という言葉を果たして容疑者本人が理解できているのかどうか気にかかります。

■119:寒椿
(2008年12月6日)
佐藤さん おはようございます 
こちらでは昨夜より雪が降り始めて、今朝は恐る恐るカーテンを開けたのですが、2cm程度の雪が積もっているだけでホッ!としているところですが、いかがお過ごしでしょうか?

本日は「晴耕雪読」とばかりに、介護情報誌「ブリコラージュ」という冊子を読んでいたら、「とんでる看護師/朝倉 義子さんの脳梗塞実体験ルポ!」という面白い内容がありました。

永年福祉の世界に住んでいると、介護・医療関係者とも親しくなり時としてまるで同じ方向を向いているかのような錯覚をすることがあります。
しかし、突如!自分がなんらかの病気を患ってしまったり、家族がその施設や病院の利用者・患者となるや、まるで手のひらを返したがごとくの対応には毎度驚かされますが、朝倉看護師さんは冷静に自分の体に起こった脳梗塞を真正面から見つめて、病院生活をまるで楽しむがごとくのルポには正直参りました!

もしかすると、半年余りとなる私の左肩の五十肩の痛みも、考えようによっては左肩麻痺患者の疑似体験ができる絶好のチャンス!と捉えたのがよいのかもしれません。

《よしこプロフィール》

よしこ番外地「笑害探検隊」より抜粋 

「洗面台の位置が高くて大きすぎる」
「この手すりが邪魔」
「機械の操作法が難しくて分からない」

 介護保険制度が導入される前、私は愛知県で民間デイサービス「ヤモリクラブ」を運営していた。そこには、片麻痺、バーキンソン病、筋ジストロフィー、ALSなどの利用者が遭ってきた。もっと外に出よう!と街に繰り出してみるのだが、必ず出るのが「トイレが使えない」というクレームだ。もちろん、普通のトイレではなくそこは「障害者用」。

 広くて、手すりがあって、引き戸の扉。私には一見みな同じに見えた。 やがて、多くの障害者や高齢者の介助や介護にかかわるうちに「使えない」のは障害が重いからではなく、「設計上に問題があるのではないか?」とぽんやりではあるが感じるようになっていった。

 何を隠そう私はもともと「トイレウォッチャー」であった。閉所恐怖症であり、トイレは大きいほうが気持ちいいと感じる。看護師という職業柄か鼻が少々敏感で、汚い臭いトイレでは膀胱括約筋がより引き締まって出ない。「好きなトイレ」はリピーターとなり何度も通う。

 彼らと一緒に障害者用トイレのどういうところが使いにくいのか検証をしてみようと思い立った。

 巷では障害者や高齢者に優しい街づくりのための法律や条令が制定され、整備され始めた。バリアフリーとかユニバーサルデザインという言葉もあふれている。が、誰のため、どういう障害に合わせたものなのか「対象」がぼやけてはいないか。 

 「みんなに優しいトイレ」は誰にでもどの人にも使えるものを提案しているようでいて、実際に使ってみるとどの機能も中途半端で誰にも適応できないのではと思える。

 設計が問題となり障害者や高齢者を「排除」していると思われるトイレを『笑害トイレ』と呼ぶことにした。トイレの使いにくさのために外出を控えたり、外出をしなくてはいけない時には水分を控えたりと、そんな不自然な生活をしている障害者や高齢者は少なくない。

 我慢をしなくてもいい、本当に優しい街に変わるよう『日本笑害トイレ改善会』は声を上げ続けたい。

(笑害トイレ改善会会長・朝倉義子 看護師

■118:リンゴ狩り
(2008年12月5日)
佐藤さん おはようございます 
早朝から雨模様となり、愛犬空がうらめしそうに窓の外を見つめています。

昨日は、朝から最高のお天気で予定していた「りんご狩り」を決行しました。
とはいっても、リンゴ狩りの季節はとうに過ぎているので、あらかじめ収穫してあるリンゴを袋詰めしていただきもらいにいくつもりで、利用者の方々と車に乗り込み出かけて行きました。

中国山地の山々は紅葉も終わり広葉樹の枯葉が道路のあちこちに山積みとなっています、いつも事務所の周囲に落ちている落ち葉を集めてくれるYさんに「ここら辺にくると落ち葉がいくらでもあるよ!」と話すと「やれやれ、よその掃除まではこらえてくださいや〜〜。」の言葉に一同大笑い!

しばらくして知り合いのりんご園に到着し、車から降りて周囲に植えてあるリンゴの木を見回すのですが、殆どが収穫後の枝木だけの姿を見て、「りんご狩り」をするつもりの利用者はガックリの様子。

丁度リンゴを買いに来られたお客さんの対応で知り合いの奥さんが忙しいそうなので、「勝手知ったるりんご園を案内させて下さい!」とお願いし、一同りんご園の中へと上がっていきました。

舗装された細い山道を上がっていくと、まず小さな木に真っ赤な実をたわわにつけた姫リンゴが視界に入ってきました。
背丈も低い木なので、さっそくもいで口にいれたIさん「こりゃ〜美味しいわ〜〜、小さくてもおいしいよ〜〜!」とごきげん、白い杖をつきながら後からゆっくりと上ってきたYさんも手探りしながら「この小さいりんごはなんじゃろうか?」いつも他人から体の小さいことを批難されるたびの常套句、「小さい小さいと言うけれど、部品は一緒同じものがついている!」との声に大爆笑!

どんどんりんご園の奥に歩いていくと、取り残しのリンゴがあちこちに残っているので「採っても良いですか!」と誰かの声、「どうぞ!」と言った途端、それぞれが古い大きなりんごの木に近づいておいしそうなリンゴをもいでは齧ります「美味しいね〜〜、店で売っているりんごとは一味違うね〜〜。」などとご満悦!

りんご園の終点に辿り着くと、りんご園の主人が忙しいそうにたくさんのりんご箱を車から降ろしておられました。
「目の前にあるたくさんの実ったリンゴを週末から雪が降るとの天気予報なので、今日中に収穫しなければならない。」と慌てた様子「その上、今年はりんご園のなかに猪やクマまで出没するので、ごらんのような頑丈な檻も仕掛けなくてはいけないし、本当に困ったものだよ!」とぼやかれていました。

聞けば、昨年の重い雪で折れたリンゴの木の枝を支柱で支え応急処置をされたそうですが、今年11月末に降った雪が少量にもかかわらず、リンゴの木の葉がまだ落葉していなかったためとリンゴの木が古いせいもあり全体がかなりのダメージを負ったとのこと。

話を伺い、それぞれがこれはりんごを粗末にはできないぞとの思いで、用意してあったりんごの袋を有難くいただき、元保育士をされていたやさしい笑顔の奥さんから「これは皆さんで帰ってから食べてください!」と違う品種を取り混ぜたりんごもたくさんいただき帰途にとつきました。

車中の中で「わしゃ〜みかん狩りは行ったことがあるけど、りんご狩りは初めてよ〜、うまかったで〜。」「わたしも、外へ出るのも一年ぶりだし、木からりんごをもぐなんて・・・。」と興奮した様子、良かった!良かった!!

今朝は、そんなことも知らぬ空が、りんごを奥さんから丸ごといただき、美味しそうに齧っています。

■117:生かされていること(2008年12月1日)
佐藤さん おはようございます 
こちらは霧深い冷たい朝を迎えていますが、いかがお過ごしでしょうか?
昨夜入れ忘れていた愛犬空の食器が今朝は凍っていました。

代々我が家の番犬は一年中外で飼っていたのですが、今回の空に限り夜のみ台所で過ごさせています。
奥さんが、「どうしていままでの犬は放っておいたのに、どうして急に過保護にするの!」とぼやきます、自身が暑さ寒さが応える年齢となったせいかもしれません。
昨年、先代ガクが目の前で苦しみながら亡くなる姿を見たショックもまだ癒えていないせいかもしれませんが、なんだか命がいとおしくてしかたがないのです。

奥さんが来週より、今年千葉と滋賀で生まれた長男と次男の子供に会うためにせっせと旅支度をしています。
自分だけの荷物ならばすぐにできるのでしょうが、旅行の間に認知症の進んでいる義母や知的ハンディをもつ3人の兄弟達を1週間ショートスティへ預けるための準備や手配もあるので大変です。

義母が週2日のディサービスを拒否して以来ひと月となり、余計徘徊や奥さんにつきまとうことが多くなってきたので、顔見知りのケアマネさんに相談して「なんとかディサービスに連れ出してもらうよう。」私がお願いした際に、「会議のとき、そんなに手がかかるのならば施設入所を検討したなら・・・。」という話がでたそうです。

『高齢者や障害をもつ人達が地域の中で共に暮らせるように』と言う掛け声とは裏腹に、まだまだ臭いものには蓋をという考え方が残っているように感じてしまいました。

そんな中で、昨夜ネット検索していたところ
「やまさんの一期一会」
という介護福祉士の書かれたおもしろいブログと出会いました。

最初の頃は、その登山道を遙か2キロ先のみはらし休憩所まで往復することなど思いもよらなかった。

往復することになったのは、Uさんの徘徊に対応しているうちにデイサービス廻りでの付き添いでは近所の家を無差別にノックして訪問されたりと段々具合の悪いことが続き限界を迎えどこか別の場所での”お散歩”が必要になったからだ。

「一度試しに連れて行ってみよう。」

そう思い立ち試してみることにした。

実はUさんはその徘徊があるために、デイサービスでのお散歩は対象外にしていた。

せっかく落ち着いてデイルームで過ごす時間が少しずつだが増えているUさんをわざわざ外に連れ出すとまた止め処もなく歩き出してデイルームに戻ってきてもらうのが大変だろうというのがその理由。


だから初めてUさんをらくらく登山道に連れて行ったときは、果たして大丈夫かと最後まで気が気ではなかった。

いつものようにらくらく登山道に着くと皆はセンターハウスで一服をしている。

Uさんはというと、やはり落ち着かない様子でそこら辺の人に声をかけて何やら意味不明の質問をしたりされている。

もしこのまま落ち着かずにセンターハウスの下に向かって歩いて行かれると、お散歩の場所替えという目的が果たせなくなる。

それどころかすぐ下は養護老人ホームや民家があり、いつもの近所の徘徊と同じように戸別訪問をされてしまう。

自分は落ち着かない様子のUさんに声をかけた。

「Uさん、ここの道を少し上がった所にお地蔵さんがあるらしいよ。そのお地蔵さんに会いに行こうか?」

「お地蔵さんか、ちいちゃんもそうゆうてたな。よっしゃ行こうか!」

そう言うとUさんはすぐに登山道の入り口から上に向かって坂道を昇りはじめた。

その後から自分はゆっくりとついて行く。

Uさんはとても70前とは思えない軽快な足取りで坂道をどんどん登っていく。

季節は初夏だったので、気温もそろそろ高くなっており激しい動きは汗かきの自分には大変だった。

Uさん初めての道でしかも山道。景色が良くて開けているとはいえ、あたりには人家はない。

途中何度も立ち止まり、こちらを振り返られる。何やら不安そうにも見える。

「やっぱり無理やったかな?」

しかしそんな心配は不要だった。

時々額田や石切方面から歩いて来られた人たちとすれ違う。

Uさんはそれらの人とすれ違うたびに、「ちいちゃんか?おばちゃん先に行って待っとくからな」等と話しかけて相手をびっくりさせていた。

自分はその度に「すいません。事情察してやってください」と頭を下げた。

自分のその言葉だけですぐに何事かと察する勘のいい人も時にはおられたが大半の人は何で見知らぬ人に知り合いのように話しかけられるのかと明らかにとまどわれていた。

でも皆さん感じの良い方ばかりで、すれ違うときには必ず「こんにちは」と挨拶を交わしてくれた。

最初、Uさんとこのらくらく登山道を二人でお散歩しはじめた頃、目的地というのは特になかった。

500メートルほど歩いた先に細い川が流れていて、その川沿いを上がると道の両側にお地蔵さんがたくさん立っていた。

二人でミンミンゼミの声を聞きながら、そのお地蔵さんにお賽銭を上げ、お参りをしてセンターハウスに戻って来ることがほとんどだった。

センターハウスに戻るといつもUさんは疲れた様子もなくニコニコとご機嫌だった。

デイルームに戻る送迎車にも素直に乗り込んでくれた。

たまにデイに着いても送迎車から降りようとされずに、やむなくそのまま自宅まで送ることもあったが。

2回3回とらくらく登山道でのお散歩も回を重ねていくうちに、段々と歩く距離が伸びていった。

「いったいどこまで行くつもりやろうか?」と不安になることもあった。

だいたいお昼からのお散歩だったので、時間にそんなに余裕があるわけではない。

遅くとも4時前にはデイルームに戻っていないといけない。

しかし、Uさんはそんな自分の心中を知ることもなく、登山道を気の向くままに先へ先へと登って行かれる。

登山道は車の乗り入れは出来ないので交通事故の心配はない。また崖側にはしっかりとしたガードレールも設けてあり、無理に乗り越えでもしないかぎりは転落の心配はない。

暑い夏の間Uさんの登山道でのお散歩は続き、自分は毎回それにつきあい往復4キロの道のりを歩き通した。

そして秋になる頃、Uさんの登山道のお散歩に待望の?お仲間が加わる。

若く元気な頃に犬の散歩で良くその道を往復していたと懐かしそうに何度も語るMさん。


まだ60歳になったばかりの若年性認知症のMさんはそろそろ疲れて足取りの重くなったUさんを尻目にどんどん坂道を登っていかれた。

そうやってそのお散歩はMさんがやがて家族の事情でデイサービスの利用が終了してまたUさん一人に戻り、最初の頃からずっとお散歩に付き合っていた自分が退職して抜けてしまってもしばらくの間続けられていた。

認知症のケアはやはり本を読んでその理論を”頭で理解”しただけでは身につかないのだということを、このUさんとのつきあいでは教えていただいた。

■116:サルの群れ(2008年11月28日)
佐藤さん こんにちは 
こちらは朝から冷たい雨が降り続いていますが、いかがお過ごしでしょうか?

地域活動支援センターかすたねっとの利用者もやっと3名となり、毎日にぎやかに過ごしています。
朝夕毎回一時間半ほど車での送迎がありますが、久しぶりの緊張感に錆付いた体が悲鳴を上げているところです。

昨日は午後4時半頃だというのに曇天のせいか辺りは薄暗く、山の頂上に住まれている利用者を自宅まで送り届けて山深い谷間を下っていると、なにか道路を横切るモノがあり、たぶん猫だろうなと思いながら通り過ぎようとしてフト!横を見ると、なんとガードレールのすぐそばで猿の集団がこちらを凝視しています。
思わず、車内にいた利用者へ「サル!猿が睨んでるよ!!」と大きな声で叫んでしまいました。

毎年冬になると隣町の帝釈峡という国定公園内に住んでいる猿達が、冬へ向かって民家の近くへ移動するとは聞いていたのですが、遭遇したのは初めてです。
毎年猿の被害を受ける人の話によれば、「移動の途中に、柿の木に上がってゆさぶりながら柿を取るは、畑の野菜やイモ類をかじるは、屋根に上がり軒先につるしてある干し柿を食べるはで、好き放題やりたい放題!でも、猟師が鉄砲を向けると手を合わせて許しを乞うような姿をするので撃つわけにもいかないようだ。」と大変悔しがっておられます。

猿害対策についてネット検索していたら、次のようなものがありました。
富山県魚津農地林務事務所林務課h

※なぜ、共存を目指すのでしょうか

 サルの行動域と人の生活圏が重なり、農作物等への被害が深刻になってくると、「共存は無理」、「全部駆除すればいい」という意見があります。
 しかし、むやみな駆除は、被害を与えていない群れを駆除したり、 群れが分裂することにより、かえって被害を増大させる場合もあります。
 そこで、被害調査と併せて、サルに発信機を装着して、群れの行動域を把握し、群れがどの程度、集落に依存しているのか調査しているところです。
 調査が進めば関係機関の合意形成を図りながら、 群れごとに駆除や追い上げなど対策の方針が出せるものと考えています。
 また、駆除だけでは被害の減少は難しく、柿の木の伐採や収穫物の取り残しの回収などの農地管理や猿楽君の設置など、被害防除の努力も必要だと思います。

里山と傍目には聞こえは良いものの、庄原市内の山間部は殆どが限界集落だと言われていて、せっかく植えた柿の木も実がついたままのところが多く、聞いて見ると家族が入院していたり空き家であったりと柿を取る人がいないのだとのこと、どうやら猿も人も住みづらい世の中となっているようです。 

■115:初雪
(2008年11月19日)
佐藤さん おはようございます 
今朝は一面雪が積もった銀世界です。

先週末に開催したPC再生講座では会田さまが遠方より来訪されてPCボランティア参加者11名と共に、楽しい時間を過ごさせていたき、翌日はピアノ調律師の大崎さんと共に、ピアノ磨き・調整をしながら音楽から教育論まで一日中話ができ充実した2日間を久しぶりに味わいました。

昨日は、地域活動センターに通所されている3名とスタッフと共にビュービューと冷たい風が吹きすさぶ戸外を横目に見ながら、暖かい部屋の中でレクを楽しみました。
利用者の方々は誰もが、最初はあれこれと理由をつけて行きたくないという素振りを見せられますが、一旦来られると「今度はいつ来るのか!」と尋ねられます。
夕方4時より送迎時間となり、小さな軽自動車で一人一人自宅まで送り届ける車中でも、昔話しや周囲の景色を見ては話が盛り上がります。

利用者の年齢が65歳前後のためか話題もほぼ共通していて、時折話されるこれまでの苦労話や家庭環境にも似たものを感じます。
ハンディをもつ若い世代とは違って、こちらが教えていただくことばかりで驚くことも多く、その中のひとりが「ここで出会ったのもご縁、同じ家族だからお互い仲良くしていきましょうね!」と話されたときには一同拍手喝さいとなりました。

自宅や地域で作り上げられてきた障害者像とは違う、ハンディを持つもの同士ならではの相手への暖かい思いやる姿にはハッ!とさせられる場面が度々あり、過去において自分がいかに思い上がっていたのかを気づかされる日々でもあります。

今日は一日中雪が舞うとの天気予報で、午後からは冬用タイヤへの交換をする必要がありそうです。

■114:啼かぬ鳥
(2008年11月10日)
佐藤さん こんにちは 
本日こちらは快晴ですが、冷たい北風が時折吹いて枯葉を舞い上がらせています。(^o^)丿
昨日から事務所を巣に決めたらしいセキレイのオスが何度もガラスにぶつかっては、諦めもせず巣の最良の場所を探しているようです。

さて、昨日は午前中地元のお宮の掃除にと出かけました、例年はお宮もお旅所のどちらも草だらけでしたが、今年は宮司さんが退職し自宅におられるためか、綺麗に刈ってあり、掃除は意外と早く済んで、注連縄作りが正午までかかりました。
昔は左縄を手で綯っていたようですが、ホームセンターで市販の縄を買い、手分けしてところどころに藁を七・五・三に挿み、その間に幣を差込ます。

数年前までは宮掃除も元気の良い年寄り達が船頭をし過ぎて混乱させていたものですが、高齢化のためか参加しても暖かい場所に座って黙って見ている側となり、若い(とはいっても60代前後)世代が見よう見真似で行うのですが、失敗の連続!やはり年の功にはかないません。
宮司さんも糖尿病や余病をたくさんお持ちとのことで、はてさてあと何年このお宮でお祭りができるものやら?(^_^;)

今週末1月15日(土)NPO法人イーパーツより2名の講師が来訪され、パソコン再生講座を開催する予定です。

■113:孫が誕生(2008年11月7日)
佐藤さん おはようございます 
今朝は深い霧の中で朝を迎えています。

本日、午前6時ごろ長男の嫁さんの実家がある千葉の銚子から「さきほど無事、生まれたよ!」と、長男がうれしそうな声で電話がかけてきました。
最近では、早くから性別がわかるようで名前もすでに決めていてSong「歌(うた)」ちゃんという女の子です。
今年はねずみ年、長男&次男ともどもに相次いで長女の誕生、障害もなく無事生まれてきてくれたことにただ感謝!感謝!!

この度厚生労働省が「出産時の『脳性麻痺』に対する過失の有無を問わずに保険の支払い制度」を打ち出してきたようですが、佐藤さんがブログにも書かれていたように、ハンディについて考慮されたのではなく、さまざまな政策は全て企業と一部権力者との利権のためのきな臭さを感じています。

算出方法である120万円×20年これがいったい何を意味するものか、なぜハンディを『脳性マヒ』推定700名だけに限定したのか、これまでもハンディをもって生まれてきた子供達や親を平気で分断してきた国の施策になお拍車がかかってきたようにも思います。

あるテレビ番組の中で、脳性マヒの女の子を介護する母親の声として「少なくなっても良いから、ハンディを持って生まれてきたすべての子にお金が支給されるといいですね。」なんでもかんでも机上で物事を決定してしまうお役人や官僚達、もっと素直に国民の声を聞いたらどうだろう。

■112:メンタルヘルス(2008年11月5日)
佐藤さん 
介護についてネット検索していたら面白いものがありました。

和田秀樹というタレント医者のブログ
ですが、その中に「介護者のメンタルヘルス」というもので、

こいつは何をやっている人間だと思われがちだが、私の本職は、高齢者を専門とする精神科医である。

昨日はノーベル賞の受賞があって書きそびれたが、私の本業からいうと、もっとも大きなニュースは、高齢者虐待が13000件もあり、虐待からみの死亡(心中もふくむ)が27件もあったということだ。

ただ、この数字は自治体の窓口に相談や通報があったうち、実際に虐待のあったケースの数であり、実数はこんなものでないのは、本業の立場からははっきり言える。

古い統計になるが、平成9年に労働組合の連合が調査し、10年版の厚生白書に出ていた統計によると、家族介護で、介護者が要介護者に憎しみを感じるというのが、「いつも」と「ときどき」を合わせると3分の1を超えていたし、実際に虐待をしてしまったというのも、「いつも」と「ときどき」を合わせると6分の1にも上っていた。

もちろん、アンケートに答えるような家族だから、厳しくどなりつけたり、むかついてつねったというレベルも虐待に入れているのかもしれないが、介護保険で要介護なり、要支援の認定を受けている人が500万人もいる現状を考えると、100万件はいかなくても、数十万件の何らかの介護虐待があってもおかしくない。

ただ、児童虐待と比べて救いといえる(と同時に、そこが悲劇であるのだが)のは、虐待をする人の多くは、もともとはまじめで義務感が強い、つまりまともな人が多いということだ。

精神科医の立場から言わせてもらうと、早急に介護家族のメンタルヘルス(実際に燃え尽きや欝になる人は非常に多い)を拡充してほしいし、別にプロでなくていいからカウンセリングのシステム(家族会やケアマネージャーによるもので十分だ)をもっと充実すべきだ。

ただ、そもそも論としていうと、家族が必ず在宅で介護をしなければいけないという思い込みからの自由も大切である。

家族で介護するのは日本の美風といったインチキな政治家がいるが、実際は、日本は戦前まではむしろ短命国だった。そして、その中で長生きできるのは、栄養状態と衛生状態のいい人、つまり金持ちだった。

当時の金持ちの家には必ず女中がいたのだから、嫁介護の伝統などほとんどない。

うそを撒き散らして、家族に心理的負担を押し付けることで、支出をしぶり、介護施設を充実させない厚生労働省(介護で苦労していたことをうりにしながら、大臣になったとたんに何もしない舛添某も含めて)に鉄槌を食らわせてやらないといけない

ほとんどのお医者さんが介護講演会などで似たような話をされます、確かに素人同士でのピア・カウンセリングもあながち効果がないとは言えませんが、本来個人情報であるはずの相談ケースについて、アッチでベラベラこっちでベラベラと喋繰りまわる専門家職(悲しいかな、それぞれの職種で決まっているはずの倫理綱領でさえ遵守されていないようです。)であるとされる人達を見るにつけ、なんだかなぁ〜という思いがしています。

また、介護を行っている家族の痛み具合と現在行われている冷たい上辺だけの行政システムとの感覚では、あまりにも温度差がありすぎると感じるのです。
今後これ以上介護施設を肥大化させると、ますます商売上手な詐欺師の懐を潤すだけで、本通りの小売店がシャッターを降ろしてしまい郊外型の大型店舗だけが繁盛していくことと似たような現象が起こるような気もしています。

この山間部の田舎でさえも、介護がお金になるとなれば手段を選ばずに高齢者であろうが障害者であろうがあの手この手で利用者獲得に走る事業者もあり、介護・福祉の美名の下に騙される家族が多いことになんとかならないものかと危惧しているところです。

■111:柿も木から(2008年11月5日)
佐藤さん おはようございます 
今日もおだやかな朝日を迎えています。

とはいいつつも、愛犬ク〜は昨夜も雄たけびをあげるわ!婆様は、それに対して愚痴を言うは!奥さんは一切合財の家族を抱えるストレスのせいか本日は胃カメラ検診となるわ!千葉の長男のお嫁さんが出産予定日だというのに兆候はないわ!・・・・など等、正直なところ内心おだやかではありません。

奥さんが「私はね、争いごとは嫌いなの、どうしておだやかに生きていくことができないんでしょうね〜。」といつも陰でぼやいていますが、その原因の一つが私であることも重々承知してはいるのですが、なかなか改まりません。

認知症となった母の鋭い突き刺すような言葉遣いに「かまうな、構うな!」という知的ハンディを持った兄弟達、「ワシが、こがぁな馬鹿を生んだばかりに・・・。」を繰り返す老いた母親。

毎日通所施設へと出かける直前の親子喧嘩「気をつけて帰ってこいよ〜〜。」「もう、戻らんけぇの〜。」、普段駄々をこねるまるで赤ん坊のような母親が、この時ばかりは親を演じることに違和感を感じている兄弟達。

□認知症の母介護 無理心中図る 娘に懲役5年求刑
□介護中の母親殴り死なす  傷害致死容疑で長男逮捕/静岡県

こんな記事が飛び込んで来ると、とても他人事には感じられない。
認知症と闘っているであろう母親が、自宅と事務所の間を何度も往復しては、病院に行っている奥さんがなかなか帰って来ないので(奥さんが検査のため通院したことは話していないので)私に対して「奥さんはまだ帰らんのかの〜、いつになったら帰るんかの〜」などと腹が減るのかお昼ごはんが近づくにつれて声のト〜ンが次第に高くなってくる。

困ったときの非常用食料として残しておいた柿の実や軒につるしてある干し柿をうろつきながらも口にしている母親なのだが、食事はまた別物らしく何度も腕時計を気にしながら「帰ってこんの〜、なんでかの〜。」を繰り返している。

柿の木の下で、短い杖を振り回しながら熟した柿を落とそうと必死でもがいている母親の姿、丁度そこへ奥さんが病院から帰って来た。

佐藤さん、ご無理をお願いしますが、近況を知人達にもあまり知らせてないので「折口日記」を再開していただければ幸いです。


〔110回〕
■寒椿。
(2008年1月14日)
佐藤さん おはようございます 
今朝は小雪が舞い寒い朝を迎えています。
「音楽と音霊」の資料を送っていただきありがとうございました。
 
これまで尺八を通して卓越した方々との出会いがある度に、
いつまでたってもおやじの趣味という域を乗り越えられない人と物事を極めていく人との違いは
いったい何がどう違うのか疑問でしたが、
とあるゴルフの番組の中で「ゴルフが上達するためにはスポーツ心理学を知ることも大切です」というものがあり、
興味を惹かれネットで『スポーツ心理学』というものを検索してみたところ、次のようなものがありました。

メンタルトレーニングとスポーツ心理学

スポーツと尺八との関連性は一見無いように感じられるかもしれませんが、
尺八での日常の練習は退屈で面白いものではありませんし、
時折プロの演奏を聞いて「素晴らしいな〜、自分もあのように吹けたなら気持ちが良いだろうな〜」
といくら感じても一朝一夕には到達できないことは充分わかってはいても、
理想とのギャップによけいやる気が削がれてきます。

そのような心乱れた状態でいくら練習を行ったところで、
例えば本番である昇格試験・コンクールなどの舞台に立ってしまうと
急に「あがりの状態」となって身体は緊張してしまい、
心は不安が増大してたちどころに演奏どころではなくなってしまいます。
本年は「リラックスをした状態」「自分のことだけに集中」することに近づけるようトーレーニングを積んでいきたいものですね!

さて、昨夜のテレビでは「アイヌ民族の文化継承」について若者を取り上げた番組があり、
今朝は劇作家である柳 美里さんを取り上げた番組を見ましたが、
どちらにも共通するものは、誰かに「マイナスの部分が承認される」ことにより自分がより大きく転換したというものでした。

相手の気持ちも考えることなく平気で
「私の眉毛は濃いから、きっとアイヌの血も入っているに違いない」
などと能天気な発言をする人が、悲しいかな我が国のかっての首相です。
初釜で彼らの爪の垢でも煎じて飲ませたいものです。

〔109回〕
「どぎゃんかせんといかん!」
(2008年1月8日)

佐藤さん おはようございます 
こちらは年末年始に降った雪が周囲に残り寒い朝を迎えています。
昨日は年始に出歩いた家々で、インスタント・コーヒーをがぶ飲みしたせいかよく寝付かれず、朝方奇妙な夢を見ました。

私が始めて無認可作業所を手がけたとき、父親が自宅から手放す事に猛反対され何度も自宅に通ったことのあるP子さんが夢の中に出てきました。
あたりはどこかの施設にいるような雰囲気ですが、職員は誰もいなくてP子さんが一人土の上で発作を起こして痙攣しています。
思わず駆け寄ったのですが、いつのまにかP子さんは薄汚れたセルロイドの人形に代わっていて、しかも上半身しかありません。

小さいときから殆ど自宅から出た事が無く、周囲や兄弟達からは疎まれ、
「弟が結婚するからどこか施設へでも」「孫達がこんなおばさんでは嫌がるからどこか施設へ」
ということから一時は入所施設へと入ったのですが、
弟の嫁さんが良い人で「なんとか自宅で生活をさせてやりたい」と自宅に帰って数年、
ある日痙攣発作を起こして50代の若さで亡くなってしまいました。

いまでは両親も亡くなられひっそりとした家のたたずまいです。
他人から見るととてもつらい厳しい人生だったと思うのですが、
P子さんは冗談や頓知にたけていていつも笑わせてくれて、
愛称を「おぽち」と呼び、わたしのことを「おりぐっつぁ〜〜ん!」といつも大きな声で呼んでくれていました。

これまでの出会いの中で亡くなっていったハンディを持って生まれてきた人達や日々年をとる兄弟達を見ていて、
せっかくの人生を入所施設や通所施設だけで一生を過ごすのは、つくづくもったいないな〜と感じます。
50数年、施設や地域の中で人には言えないようなひどい扱いを受けてきた彼らが、
どうして今後もまだそのことにどうして甘んじなければならないのだろうか!とも。

P子さんの義理の妹(弟さんの嫁)さんが、入所施設を退所したいと施設に申し出られたときも、
施設長が「あの人はP子さんの年金が目的で自宅に連れて帰ろうとしているので、絶対にそのような事は許さない!」と豪語していましたが、
これだけ在宅福祉・地域福祉が叫ばれている時代に大きく逆行したものが
経営の名のもとに障害者施設の体質としてあるのは事実ではないでしょうか。

行政の担当者と話をしていても、在宅福祉・地域福祉・利用者主体などの言葉はあくまでも建前であり、
社会福祉法人・施設の経営また理事会・職員などが主体であるようなもの言いを、
凝りもせず平気で行う人が多くいる事にも驚かされます。

そもそもノーマライゼーションの起こりは知的障害者コロニーの保護者であったと聞いていますが、
我が国の知的障害者施設利用者の殆どが高齢化・重度化しているとともに保護者の高齢化も一段と進んでいて、
次世代である兄弟達の肩に重くのしかかりつつあります。

「どぎゃんかせんといかん!」今年の課題です。

〔108回〕
■露草。
(2007年9月25日)

佐藤さん おはようございます 
昨日の雨が上がり爽やかな朝を迎えています。

さて、昨日は親戚の人達が義母の様子を伺いに来てくれ、その時は本人も喜んでいたのですが、見送って別れるとすぐに「あの人たちはええよの〜〜、お金もたくさんあるし子供らはしっかりしとるし。」と一言、そこで私が「せっかく見舞いにきてくれたのに感謝が足りない。」と話すとスゴスゴと部屋へと入って行きました。

義母が「わしにはつまらん子供ばっかりおってからに・・・。」と愚痴をこぼすたびに、たいてい奥さんが「なんてことをいうの兄弟達に失礼だと思わないの!」との繰
り返しですが、どうにも本人にとっては隣の芝生が良いように見えるようです。

日曜日には次女が入所している施設の体育祭があり、3人の兄弟達と一緒に参加しましたが、利用者も職員もいつのまにかすっかり高齢化して昔のような覇気は感じられず重苦しいもので、参加した保護者の席も殆どが利用者の兄弟達でした。
ネクタイをした華やかな来賓席と数少ない保護者のテントとの温度差にどこかもの悲しいものを感じました。
それでも、兄弟達は久しぶりに会えたのでうれしそうに騒いでいます、うつむき加減で暗い表情をした保護者の目には果たしてどのように映ったのでしょうか?

〔107回〕
■秋の気配。
(2007年9月20日)

佐藤さん こんにちは

こちらでは、残暑厳しいながらもタンポポ科の綿毛が風に乗ってフワフワと飛んだり、ホトトギスの花が咲き始めています。

このたびの障害者地域活動支援センターの構想は突然の横槍のおかげで頓挫しましたが、全国の宅老所関係者からの温かいアドバイスにより新たなサービス(生活介護・児童ディサービス)として多機能型を現在模索中です。

障害者の情報が障害者関係者から殆ど伝わってこない中で、逆に介護保険関係者から入ってくるというのもおかしな話ですが、その一つにはこれまでの障害者へのサービスの中で、本来命を守るために一番必要とされるはずの『安全な介護』という概念が大きく欠落していたにもかかわらず、一足飛びに「雇用・労働」へと突き進んできた障害者運動のひずみが彼方此方で露呈し始めているのではないかとも感じています、どこか社会保険庁の様々な問題ともよく似ています。

これまで厚生省の護送船団方式にドップリと浸かり、一生安全とされてきた戦後の社会福祉法人のあり方にも大きな問題があるともいえます。
社会福祉基礎構造改革のデメリットもたくさんあるわけですが、もしも建物や設備などに莫大なお金をかけなくてもお互いが助け合うことで地域の中で生きていけるじゃない!ということに住民が気付いたならば、もっと違う新たな展開が今後生まれてくるような予感もしています。

介護保険や障害者自立支援法の改正もぶくぶく肥大化した事業者にとっては脅威に感ずるかもしれませんが、小さな事業所にとってはもしかすると歓迎すべき黒船なのかもしれません。

鳥も虫も雑草達もそろそろ冬に向かって準備を始めているようです。


〔106回〕
■ほっと一息!
(2007年7月13日)
佐藤さん おはようございます いかがお過ごしでしょうか?こちらでは毎日梅雨の合間をぬって長く伸びた草刈に精を出しています。
昨日から新婚の次男夫婦が滋賀県より帰省してくれて、ギスギスした世知辛い世の中を少しだけ忘れさせてもらっているところです。

朝夕のご飯の後片付けをしていると、 裏山の木にウグイスが止まり「ホーホケキョ」と鳴くので、ふざけて口真似をして口笛を吹いたところが、なんとそれに反応するようになり、毎日やってきては鳴き比べをするようになっています。

尺八の大先輩が「音は耳で掴め!」と毎度話しをされますが、たかがウグイスの鳴き声と考えていたところが、じっと毎回聞いていると音階も様々に使い分けていて、その場を立ち去る時には「ケキョ・ケキョ・ケキョ・ケキョ・・・・」とけたたましく鳴きながら移動することもわかりました。

本来はウグイスの雄が自分の縄張りを誇示するために鳴くようですが、もしかするとモノマネをする愚かな人間をせせら笑って鳴いているのかもしれませんね!


〔105回〕

■蛙の子はカエル!(2007年5月28日)
佐藤さん おはようございます 
こちらは早朝より暑い日ざしですが、いかがお過ごしでしょうか?

さて、昨日は次男の結婚式が滋賀県であるために、前日にはハンディをもつ義兄弟達を地元の入所施設へショートスティでお願いし、どうなることかと心配していた義母も自ら納得して特養のショートスティへとお願いして、朝4時半起きで一番列車へと飛び乗り、途中からはのぞみで京都までひとっ飛び〜。

琵琶湖湖畔の小さなレストラン兼式場兼船着場!?で結婚式が開催されました。
次男や嫁さんのお友達が殆どで気兼ねは全くありませんでしたが、炎天下での「人前式」なるセレモニーは暑い!の一言でした。

待ちに待った披露宴、友人代表や職場代表等様々な方の挨拶のあと、ついに目立ちたがりやのお父さんの尺八登場とあいなりました。
曲目は「大きな古時計」「少年時代」です、少しは事前に練習できると甘く考えていたのですが、時間に余裕はなくまさにぶっつけ本番です!緊張もあってか自己評価30点ぐらいのできとなりました。

途中より、次男から嫁さんへの歌のプレゼントがあり、急遽結成されたバンド仲間の演奏で「ゆず」の歌をのびのびと唄っておりました。
この日、次男がこれまでの付き合いのあったバンド仲間も3組来ていて、楽器仲間つながりの素晴らしさをつくづくと感じました。

無事披露宴も進んで、いよいよ両家代表の挨拶です、前夜もしやお役が回ってくるのではないかとインターネット検索して「父親の挨拶」というものを一応準備はしていたのですが、若い人達がほとんどだったので固い挨拶はやめてざっくばらんにお礼の挨拶をしました。

帰り道はたくさんの荷物を両手にぶらさげて、京都駅からのぞみに乗り込み広島駅まで1時間40分で再びひとっ飛び〜、なのに広島駅からは鈍行の各駅停車の芸備線にゆられゆれて2時間あまり、午後11時には自宅に無事帰宅しバタンキュー〜となりました。

今朝は、奥さんが義兄弟を施設に迎えに行き無事を確認し、つづいて問題の義母を迎えに今出かけたところですが、ひとときの楽しい幸せな夢のような時間は終わって再び厳しい現実へと逆戻りとなりそうな予感です。

■向き合うこと
(2007年5月31日)
佐藤さん おはようございます 
こちらは寒気が入りやや肌寒い朝を迎えています。
先般の入所施設のショート・スティ利用の精神的な後遺症もあるためか、兄弟の一人がお昼頃になると熱を出すので、昨日は病院に連れて行き検査しましたが、軽い風邪であろうとのことでした。
付添いながら、私自身も頭が痛く昨夜は早めに寝ました。

高齢者施設のPT「こんにちは。高口光子です!」HPに興味ある記事がありました。

〔第105回〕
■巣立ち(2007年5月23日)

佐藤さん こんばんは 
いかがお過ごしでしょうか?
こちらは義母の調子がイマイチで夜の仕事ができず、わたし自身も少々ストレスが溜まっているようですが、本日散髪に行って肩もみをしてもらったおかげか、頭の中をだいぶ整理できました。

さて、昨日のこと事務所で仕事をしていると、なにやら屋根の上のほうからバタバタ大きな音がしたかと思うと、小さな鳥のヒナが地面に落っこちてきたのが、ガラス越しに見えました。

上を見るともう一匹が雨どいに引っかかっていて近くの電線に親鳥らしきセキレイがとまり心配そうに鳴いています。
私がガラス戸を開けて地面に落ちたヒナを触ろうとした瞬間、親鳥が「キーキー」とけたたましく鳴くと、突然!身動きもしなかったヒナが危なげな格好でバタバタと飛び立ちました、するともう一匹の雨どいにいたヒナも地面すれすれに飛びながら遠くまで飛んで行きました。

その後もまだ何匹かヒナが屋根にいるのか、親鳥が警戒した鳴き声を出しては私をめがけて威嚇するかのように飛んできます。
これまでも、なんどか落っこちたヒナを拾いその結果死んでしまいましたが、どうやらこのような場合に人間がいらぬお節介をしてはいけないようです。
今回は小さな鳥とはいえ、つくづくと母親の強さを拝見させていただきました。
もしかすると、現在地球上で子育てに関しては人間が一番不器用になっているのかもしれませんね!

〔第104回〕
■鼠と泥バエ(2007年5月5日)

藤さん こんばんは

さて、毎度くだらぬ話ですが、お昼ご飯を終えて台所の流しで食器を洗っていると、横のほうをなにやら通り過ぎる黒い物体があり、よく目を凝らしてみれば丸々と太った大きなネズミさんと目が合い「しまった!見つかった。」とばかりに慌てて逃げて行きました。

すぐに奥さんにそのことを報告すると「この前から米びつのボタンを器用に押してはこぼすので、おかしいとは思っていたの、たぶんそのネズミさんの仕業だと思うよ。」と昔ながらの餌を金網の容器に仕掛けて捕まえるネズミ捕獲機を先程逃げた道筋へと置きました。

夕食を終えて再び食器洗いをしていると、奥さんが「実はね、あれから少しして大きなネズミさんが捕まったものだから谷川に漬けているの、どう観る!」とのことで、谷川へ一緒に歩いていきました。
確かに、金網の捕獲機の中には大きなネズミがいてもうすでに息絶えていましたが、なんと!金網の目に小さな魚が餌を獲ろうとして入り込んだのかエラが引っかかってバタバタとしていました。

私が金網の外から引っ張り出そうとするのですが、ちょうどエラがあるのでなかなか抜けません、しかたなく奥さんがネズミを捨てて中から小さな魚をなんとか無事取り出しました。
どうやら、谷川に棲むこの地方では泥バエと呼んでいる魚です、奥さんが「どんどん生き物が少なくなってきている谷川だからどうか生き延びて子孫を増やしてね〜。」と谷川に放流し、無事泳いでいるかどうか確認していました。

いつも「ムカデが出た〜!カメ虫がいた〜!蜂が飛んでる〜!」と大騒ぎする私を横目で見ながら「なにをそれごときで大騒ぎしているの!」とその度に奥さんにたしなめられているのですが、もともと田舎育ちでないのですからどうも仕方ありません。

私がどんな資格を取ろうとも、日々まとわりつく米寿の義母や知的ハンディをもつ3人の兄弟達の世話をこなしつつ畑の作物を育てる奥さんには到底適いません。



〔第103回〕

■仕事をください!
(2007年3月21日)
佐藤さん こんにちは こちらは相変わらず肌寒い日々が続いております。

さて、障害者自立支援法施行後の地域格差は激しいようで、悲しいかな過疎地である我が市ではいまだ「地域活動支援センター」の要綱も障害者プランも出来上がっていない状況です。

こちらでは昨年10月より「地域活動支援センターU型」を開設する予定で進めてきたのですが、肝心の市の対応が後手後手となり、なんとなく5月へと持ち越しとなりそうな悪い予感がしているところです。

当初国は「地域活動支援センター事業」の概要として『障害者等を通わせ、創作的活動又は生産活動の機会の提供、社会との交流の促進等地域の実情に応じ、市町村がその創意工夫により柔軟に事業を実施。』と謳っていたので、これまでのディサービス事業の延長上であろうとの理解をしていたのですが、国が示した「障害者自立支援法に基づく地域活動支援センターの設備及び運営に関する基準」をよくよく読んでみると


(生産活動)
第十一条  地域活動支援センターは、生産活動の機会の提供に当たっては、地域の実情並びに製品及びサービスの需給状況等を考慮して行うよう努めなければならない。
2  地域活動支援センターは、生産活動の機会の提供に当たっては、生産活動に従事する者の作業時間、作業量等がその者に過重な負担とならないように配慮しなければならない。

(工賃の支払)
第十二条  地域活動支援センターは、生産活動に従事している者に、生産活動に係る事業の収入から生産活動に係る事業に必要な経費を控除した額に相当する金額を工賃として支払わなければならない。


などとして、どうやら豊かな生活よりも労働(社会的自立?)に重点を置いてきたようです。

また、先般マスコミを賑やかした障害者サービス事業所による「労働法規違反」の問題ですが、これまで作業所や授産施設に通所する人達への労働法規の適用基準を示した国からの通達として@勤怠管理をしないA工賃に差をつけないB作業収入は全額利用者に還元する。としていたものを、19年度ではわざわざ新たに通達では認められていなかった能力給と、勤怠管理を、いずれも訓練として認めるよう通達を出すのだそうです。

ということは、生産性のない重度のハンディを持つ人達はこれから先いったいどのように生活していけばよいのでしょうか!?
格差社会はこんなところにも拡がっていき、泣き寝入りするしかないのでしょうか?

国が障害者の社会的自立をいくら謳ってみたところで、最低賃金を支払うどころかハンディを持つ人達が通所する福祉労働現場である作業所や授産施設での実態は肝心な利用者が稼ぐのではなく、そこで働くスタッフが下請け作業等で稼いだものを利用者に分配するというオカシナ風習がありますが、それにしても平均工賃収入は1万円程度ですし、その上昨年より施設利用のための1割もの自己負担を強いられています。

私共の地域活動支援センターの対象となる方々は重度の方ばかりで、とても生産性を求めることには無理を感じているところです。
もしも国が重度のハンディを持つ人達に対しても生産活動求めるのであれば、はっきりと言えることは『わたしたちにもできる仕事を下さい!!』

〔第102回〕

■漆かぶれ。(2007年2月27日)
佐藤さん おはようございます いかがお過ごしでしょうか?
こちらは、本日も早朝から素晴らしいお天気です。

さて、先週のこと永年愛用の尺八が割れてしまい(数年前にも、少し割れが入り修繕をしていたのですが)四国の製管師より「ついでがあるので訪問する。」とのお言葉に甘えて、数人の尺八仲間と共に顔見知りの喫茶店でたくさんの新しい尺八を見せていただきました。

「自分で吹いて気に入ったものを選んで下さい。」とのお優しい言葉でしたが、尺八の中に塗ってある漆が大の苦手で躊躇していると、「大丈夫!これはかぶれたりしませんよ。」と太鼓判を押されたので「エィッ!どうにでもなれ。」と調子に乗ってたくさんの尺八を吹かして貰い、すぐに手元にあった手拭で口や手を拭い、その後手洗い場の中でもさらに念入りに洗いました。

最終的には師匠が推薦される尺八を選び購入することとなりました。
さて、その夜は何事も無く「やはり心配のし過ぎであったか。」とほっ!としながら床につき、朝を迎えるとどうも口の周りや目の周りがむず痒く腫れぼったく感じます。
夕方から琴との合奏練習に出かけて尺八を吹いてみるのですが、どうも口に違和感がありしっくりといきません、翌日は県民文化祭のリハーサルなので一生懸命吹こうとすればするほど口が痛くなってきました。

翌朝のこと、見事に口から顎にかけて腫れあがっています、唇はカサカサで目のほとりが真っ赤に腫れていて涙が出ると沁みてきます。
手の指まであちこち赤く発疹が出てきました。
リハーサルの当日、自宅で尺八を口にしてみますが、下唇が腫れぼったくて少し吹いても痛みを感じるようになってきました。

よ〜く考えてみれば今回割れた尺八との出会いも、丁度演奏会の準備で忙しい最中であったことを想い出し「今度こそ割れないように大切に扱いますから、どうかこれ以上かぶれの被害が広がらないように御願いします。」と尺八の神様に心の中で祈りました。

「割れの原因」についてはどうやら尺八の材質である竹特有の問題ではないようで、調べてみると「寒い日と暖かい日が交互にやってくる頃が木管楽器にとっても厳しい時期で、対策としては、極端な温度や湿気の変化を避けること。」とありました。

また、「とはいえ、実際のところ温度・湿度の急激な変化を避けることは極めて困難です。楽器を組み立てて移動する時は楽器を自分の上着の下に入れたり、タオルを一枚かけて外気に直接触れないようにするなどすると楽器を守ることができます。」なるほど!

尺八演奏家でプロの方でも、外国など気候の違う場所で突然!パカッと割れることもあるそうで、予防のために数箇所を事前にテグスで巻いておくなどされるとのことです。
今朝も下唇は今は亡き「いかりや・ちょうすけさん」のように腫れあがったままです。

〔第101回〕
■一方通行(2007年2月19日)
佐藤さん こんにちは 
しばらくご無沙汰してしまいましたが、いかがお過ごしでしょうか?
こちらでは暖冬の影響からか、長男夫婦が贈ってくれたサクラの花が咲き始めました。

さて、各週の日曜日に3回に渡って「市民後見人養成講座」を開催しているところですが、受講者の一人から「講師の話を理解できない。」という有難い厳しいご意見を頂戴しました。
その方は、永年公務員としては働いてこられ、定年後民生委員をされている方ですが、素直な私へのメッセージに、さもありなん!
「あの人はいつもどこの会場でも文句を言う方だから聞き流しておきましょうよ。」という優しい受講者も一部にはあるのですが、私とは旧知の仲だからこその意見ではないかと考え、いつも講師として飛び回っている知人に久しぶりに連絡をとってみました。

「そうだね〜、話す内容を抽象的ではなく、できるだけ多くの人が体験しているだろう具体的な話題として聞いて貰う事だろうかね〜、レジメの作り方もあるだろうしね〜、何回やっても満足がいくことは無いからね〜〜」とやや消極的なご意見でした。
なるほど、確かに講師によるプレゼンテーションのテクニックによる違いもあるのかもしれません。

よく行政側が「新しくする○○計画を策定するので、ぜひ住民の皆様のご意見を頂戴したいので、どうかご協力を!」とアンケートとか関係者による代表者会議なるものを行うのですが、大抵は殆ど素案は出来上がっていて、一応住民の話を聞いたことにしておいて、あとはコンサル任せでなんとか・・・・というものが、どうも多いように感じています。

プレゼンテーションの基本」 というHPの中に次のようなものがありました。

話を理解できないのは話し手が悪い。聞き手ではない。

■相次ぐ虐待!(2007年2月22日)
佐藤さん おはようございます 
こちらでは天気予報とはうらはらに爽やかな朝を迎えています。

さて、全国での弱者虐待についてマスコミで毎日これでもかこれでもかと取り上げていますが、さてその意図はどこにあるのやら!?

入所者を金具や布でベッドに拘束 千葉・浦安の介護施設

2007年02月20日13時57分【朝日新聞】
 千葉県浦安市の介護施設「ぶるーくろす癒海館(ゆかいかん)」で、入所者をさくに入れたり、金具をつかってベッドに拘束したりしていたことが、わかった。同施設は、有料老人ホームとしての届け出を県に行っていなかった。千葉県と浦安市は、虐待防止や発見者の通報義務などを定めた高齢者虐待防止法に基づいて施設を調査している。今後、虐待の有無について調べる。これに対し同施設は「やむをえず行ったが、虐待ではない」と話している。

 同施設によると昨年11月ごろ、交通事故で脳や言語に障害がある30代の男性を、ベビー用のさくとベッドで仕切った空間に入れたという。また、別の入所者に対しては、金具を使って、手首を数分間ベッドに拘束したという。

 浦安市は施設の元職員から連絡を受け、今月7日と、県との合同で16日にも、高齢者虐待防止法に基づく施設への立ち入り調査を実施。この際、入所者の一人が布で手首をベッドのさくに固定されていることを確認したという。

 施設側は20日、朝日新聞などの取材に対し、入所者をさくに入れたことについて、「(昨年11月の)1日だけ。その人は巨体で、ほかの患者をベッドから引きずり下ろしたりするので、『ここにいなさい』と言ったら、素直に入っていた。さくは高さ130センチぐらいで、普通に出入りできるものだ」と説明。入所者6人に対して、布を使って手首や胴体をベッドに拘束することはあったが、「ベッドから落ちたりする人がいて、やむをえずやった。家族から同意書をもらっている。また、洗剤を飲んだ入所者がいたため、金具を使った拘束を1度だけやったが、数分後に外した」としている。

 「癒海館」は別の病院を引き継ぐ形で03年に開所。認知症などの50代から80代の男女26人が入所している。介護は4人の職員が交代で担当している。

 厚生労働省によると、施設は有料老人ホームとして県への届け出義務があったが、その手続きは行われていなかったという。そのため2年に1度の県の立ち入り検査や職員への指導・研修、年ごとの事業報告もされていなかった。県と市は今後、さらに調査を進め、虐待が確認された場合には、施設に対して任意の指導などの措置も検討することになるという

障害者自立支援法に基づく地域活動支援センターの設備及び運営に関する基準
(平成十八年九月二十九日厚生労働省令第百七十五号)

(秘密保持等)
第十五条  地域活動支援センターの職員は、正当な理由がなく、その業務上知り得た利用者又はその家族の秘密を漏らしてはならない。
2  地域活動支援センターは、職員であった者が、正当な理由がなく、その業務上知り得た利用者又はその家族の秘密を漏らすことがないよう、必要な措置を講じなければならない。

(苦情解決)
第十六条  地域活動支援センターは、その提供したサービスに関する利用者又はその家族からの苦情に迅速かつ適切に対応するために、苦情を受け付けるための窓口を設置する等の必要な措置を講じなければならない。
2  地域活動支援センターは、前項の苦情を受け付けた場合には、当該苦情の内容等を記録しなければならない。
3  地域活動支援センターは、その提供したサービスに関し、都道府県又は市町村から指導又は助言を受けた場合は、当該指導又は助言に従って必要な改善を行わなければならない。
4  地域活動支援センターは、都道府県又は市町村からの求めがあった場合には、前項の改善の内容を都道府県又は市町村に報告しなければならない。
5  地域活動支援センターは、社会福祉法 (昭和二十六年法律第四十五号)第八十三条 に規定する運営適正化委員会が同法第八十五条 の規定により行う調査又はあっせんにできる限り協力しなければならない。

(事故発生時の対応)
第十七条  地域活動支援センターは、利用者に対するサービスの提供により事故が発生した場合は、都道府県、市町村、当該利用者の家族等に連絡を行うとともに、必要な措置を講じなければならない。
2  地域活動支援センターは、前項の事故の状況及び事故に際して採った処置について、記録しなければならない。
3  地域活動支援センターは、利用者に対するサービスの提供により賠償すべき事故が発生した場合は、損害賠償を速やかに行わなければならない。

附 則
この省令は、平成十八年十月一日から施行する。

これまで、在宅障害者が通所する小規模作業所は法外の無認可施設として、事故が発生しても行政としては全く感知しないこととしていましたが、もしも地域活動支援センターに鞍替えすると、法内施設と同様に苦情解決・個人情報保護・損害賠償責任にまで厳しく言及していることを障害者関係者はどれほど認識しているのでしょうか?

利用者との契約の重要性を改めて認識させる目的もあるのではないかとは思いますが、要するところは国家責任の回避により事業者が全責任を負うということを国が一方的に事業者に示しているということをもっと切実に感じるべきではないかと思います。

社会保障費削減の上に、自分達の管理責任を棚に上げて、一方では利用者主体といいながらも今後ますます管理を強めていこうとする国の姿勢には要注意が必要ではないかと感じています

〔第100回〕
■藪柑子。(2007年1月30日)
佐藤さん おはようございます 
奥様がお元気とのことでなによりです。

さて、年末からの課題であった介護福祉士試験もなんとか終了し、昨日は午後から尺八の師匠宅へお邪魔し息抜きをしました。

今年は沿岸部の呉市にある国際福祉大学が試験会場となり、早朝5:20分始発の汽車へ乗るために深い霧の中を運転しながら隣町の駅へと向かうと、同じ試験を受けるらしき人もチラホラ見え、駅員さんが「今日は早朝から皆様同じ駅へと切符を購入されていますが、いったい何事ですか!」と質問されました。 

他の10名余りと冷えた一番列車に乗り込み、さぁ出発です!
途中から次々とそれらしき介護業界人が乗り込んでこられワイワイガヤガヤ、広島駅から呉線に乗った時には日曜日にもかかわらずもの凄い混雑で、やっと小さな駅に下車すると駅は人・人・ヒトのゴミで溢れ、会場までは大行列で途中の国道には警備員がおられて特別に車を停めて横断し、流れに任せたまま会場へと向かいました。

会場へ入ると、またまたヒトだらけ試験番号からするとどうやら約2千人ほどがこの会場にいるようで、それぞれの教室へと分散していきました。
私のクラスへは130名が入り、それぞれにたくさんの参考書を机の上に重ねて必死でめくっておられました。
ところが、今年の試験内容は従来の試験問題とはうって変わってこれまでのような単問題ではなく複合的なものや白書が多く、帰宅してから受験者が多く参加しているというブログを拝見すると、「これまでの参考書はほとんど役に立たずヤマがはずれた。」というものもありどうやらそれぞれに悲喜交々のようすです。

帰り道はまた大変です、起立の状態で足の踏み場も無いまま電車の中で45分あまり揺られながらやっと広島駅へ到着し、いっせいに受験者が列車から降りると、向かいのホームの人達も何事かとびっくりされていました。

さて、昨日からニュースで再三広島県内で起こった高齢者死亡事件について「介護放棄!」だとし、「老いた寝たきりの父親を妻・長男・次男が介護をせぬまま放置して殺人をした。」などと騒いでいますが、このことについては今回の介護福祉士試験問題の中にも高齢者虐待に関する設問が多用されていましたが、果たして責任を家族だけに押し付けて済むだけのことなのかどうか。

毎度のごとく児童や高齢者虐待が起こると、マスコミや警察関係者はよってたかってこれまでの経過もよく調べずにおいて当初から家族に対し平気で犯罪者扱いをしますが、誰しも心から鬼のようなヒトはいないはずです、家族としての限界を超えた時に止むに止まれず事故や事件は起こることもありうるのではないでしょうか。

父親が生前通所していたという老健のディケア施設の職員が、しばらく利用者の姿が見えないのでと様子伺いにガラス越しに部屋の中をみたところミイラ化したヒトが見えたことから騒動とになったようですが、高齢者虐待法が昨年できたにもかかわらず介護施設や地域包括支援センターの動きは所詮他人事なのか?はたまたこれ以上仕事を増やしたくないからなのか?どこも鈍く、あいかわらず問題は家庭の中で起こっているにもかかわらず、その結果責任はいつも家族の自己責任となるようですが、やりきれない思いです。

正月中ずっと部屋の中で楽しませてくれた小さな盆栽を、昨日久しぶりに戸外へ出したところ真っ赤に実っていた藪柑子の実を見事に小鳥さんに食べられてしまいました。

〔第99回〕

■和気藹々
(1月15日)
佐藤さん おはようございます 今朝も雪の中での朝を迎えました。

義姉(65歳)が最近よく朝食中に発作を起こし痙攣を起こし倒れます、
糖尿病による血糖値異常のためだと医師は話すのですが、なんとかならないものかと毎度気をもみます。

昨年より障害者自立支援法が始まってから、月22日以上の利用者出勤がないと支援費が通所施設に入らないとのことで、
土曜日や祝日まで兄弟達が出勤するようになりましたが、どうも本末転倒のような気がしてなりません。

厚生労働省のお役人からしてみれば予算縮小のための単なる計算上の数合わせかもしれませんが、
現場にはハンディや重い病気をもった利用者がいるということを忘れているようにしか考えられません、
もしかするとそのことにさえ気付いていないのかもしれませんが・・・・

その上、本来福祉とは縁もゆかりもない経営者達が国の予算削減を理由に
職員を総パート化して安上がり福祉に荷担しようとしていますが、
介護・福祉の経験も資格もない人達にハンディのある我が子を委ねなければならぬ保護者のせつない気持ちは到底理解できないでしょうし、
そうとわかっていても外に選択肢のない保護者達は諦めるしかない現状をいったいどうしたものでしょうか。

健常者といわれる人達が次々リストラされる時代に、
従来からの障害者雇用を夢見るのはそろそろ止めて、
せっかくの福祉予算をうまく活用する方法を検討し日々を内職仕事などで無駄に過ごすのではなく、
人間としてもっと豊かな生活を過ごせるように方向転換していきたいものです。

昨年の右肩の50肩が治り、その後肩こりとは無縁であったのですが、今度は左肩から首にかけての痛みが横たわると現れます、
今年の新たな課題でしょうか?

■無理解
(1月19日)
佐藤さん おはようございます 
本日は晴天なりです。

さて、報道等でご存知のように大阪府八尾市で起きた『幼児を歩道橋から投げ落とした事件』について、
様々な番組が取り上げていますが、どうも気にかかることがあります。

その容疑者Aさんには知的障害があり、その日通所授産施設より職員や他の通所者と一緒に歩道橋でクッキーを販売していたところ、
突然幼児を抱きかかえて歩道橋から投げ落としたというものですが、
番組取材の中でAさんが日常通所しているというある授産施設の理事長なる人が
「授産施設の国の施設基準が7.5人対1人となっているのでとても職員一人で把握できる状態ではない・・。」
ということを何度も繰り返していましたが、
仮に事件が起こらなかったとしても雑踏の歩道橋の上での販売方法が、
施設利用者の事故防止等の安全について本当に考慮されたものであったのか、
平素より問題行動のある人への対応はどうであったのか・・・・。

また、その授産施設理事長や知的障害者の権利擁護で頑張っておられる弁護士の発言に対して、
ニュース番組のコメンターとして元検事なる人が、
「いくら職員が少ないからと言って予算を増やせというのはチョット、
そんな無駄なところへ税金を使うよりももっと違うところへという意見の方が多いだろうし・・・」
というコメントをしていましたが、『無駄』と言い切ったところには正直驚きました。
その人にとっては正直な思いだったかもしれませんが。

以前の報道のあり方では、容疑者が障害をもっていると判断されている場合は容疑者の段階では氏名不詳であったものが、
最近の事件では容疑者の段階からすでに氏名や施設名まで公表されるようになってきました、
「知的障害」がなんであるのかを
知らぬまま、
また「知的ハンディ」を持つ人とのかかわりさえ持たぬ人達が平気で発言する言葉の一人歩きが心配です。


〔第98回〕

■カモフラージュ(1月11日)

佐藤さん おはようございます、
こちらは相変わらず雪の中での生活となっています。

年末から騒音を撒き散らしていた自宅の洗濯機がとうとう動かなくなり、昨日やっと新品の洗濯機が届き友人の電気屋さんと一緒に風呂場から台所へと場所を移動したり、それに伴い配管の穴をあけてもらったり半日かかりやっと設置場所に落ち着きました。

奥さんは久しぶりの笑顔です、これまで風呂からくみ上げるポンプが故障していたのでバケツでくみ上げたり、洗濯機の調子が悪いために毎日洗濯を3回ぐらいに分けて行っていたのが一度に洗濯できるし、これまでの精神的・肉体的な負担が少しは緩和できるかもしれません。

小学生の頃からハンディを持つ4人の兄弟達の世話をしながら母親代わりとして、谷川を流れる冷たい水で炊事洗濯をこなしてきたのですからそれと比較すれば天国のようなものだといいますが、本当にできた人だといまさらながら感心してしまいます。

さて、ある障害者団体(当事者団体ではない)が、「障害者自立支援法制定により昨年10月から始まった『地域活動支援センター』は安上がり福祉なので何もメリットはない。」などと大言壮語していますが、本当にそうなのかと疑問に感じています。
まだまだ法人化されていない無認可作業所は全国にはたくさんあり、それさえない地域もありますし、授産所とは名ばかりで職員の処遇のみ改善されて利用者の自立支援には見向きもしない施設がほとんどという実態ではないかと思うのです、もしも真剣に自立されては自分達の職場が無くなるわけですから。

これまでの歴史が障害者団体だけではなく行政や政治家なども『障害者のために』とうまくハンディをもつ人達を利用してきただけのようにも感じていますこのことは介護(高齢者)の世界も同様かもしれませんが、無認可作業所(月補助額一人5万円程度)であっても授産施設(月支援費収入額一人18万円程度)であろうが利用者の一月の工賃が相変わらず平均1万程度という矛盾点についても世間には知らされないようにうまくカムラージュされていて、ハンディをもつ人達を盾にしていつまでも国民の税金を吸い取ろうとする輩がたくさんいるのも現実です。

そもそも教育・福祉施設整備がハコモノのひとつとして工事業者や政治家などがうまい汁を吸い取る手段であっただけのことであり、中で生活するハンディをもつ人達のことなど二の次だったという貧しい我が国の歴史であったからかもしれません。
そのことに気付くのが少し遅すぎたかもしれず、その世界にずっと荷担してきたのですから、なにも言う資格はないかもしれませんが・・・・。
せめて、今後は悪政にもめげずハンディをもつ人達や家族の視点に立ってモノゴトを進めていこうと心新たに考え直しています。