ソーシャル・キャピタルと経済システム
デマンドサイドにおけるボランタリーセクターからの問題提起
これは、2003年3月25日に開催された、
内閣府経済社会総合研究所主催の国際フォーラム
「経済再生のための社会的基盤ーソーシャル・キャピタルの視点」で、
コメンテータとして発表した内容をベースに、加筆した小論です。
佐藤修(2003年3月29日)
フォーラムの記録
背景としての私の問題意識
以下に述べる議論の背景には、次のような問題意識がありますが、ここでの議論はあくまでも仮説的な問題提起です。
(1) 人のつながりを切ってきた産業社会
近代社会は、「つながり」を分断することで発展してきた。要素還元主義を契機にした近代科学の発展、分業原理を活用した産業の発展、土とのつながりを切り崩すことでの統治体制の整備。それは見事な成功をおさめた、かに見えた。しかし、ここに来てその弊害が急速に顕在化してきた。最近、ソーシャル・キャピタルへの関心が高まりだしたこともそうした現われの一つだろう。
(2)発想の起点を組織(制度)から個人に移行すべき歴史の転換点
社会構造原理が大きく変わろうとしている。「組織から発想する」ことの限界が発生し、〔個人から発想する」ことが必要になってきている。つまり発想の起点とベクトルを逆転させなければならない。
(2) 経済システムのパラダイム転換
要素還元と一元的価値還元(金銭市場主義)に支えられた、近代の経済システムは、それが引き起こした社会によって、制度疲労を発生させ、新しい経済のパラダイムへの非連続的な転換が求められてきている。
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ボランタリーセクターでのコモンズの成長
社会の成熟化に伴い、産業の分野でもまちづくりの分野でも、生活レベルでの人のつながりが重要な意味を持ち出してきています。これまでの経済のベクトルは、人のつながりを克服する方向を向いていたように思いますが、社会の成熟化に伴い、再び、生活レベルでの人のつながりが重要な意味を持ち出してきているのです。
ビジネスの世界では、サプライチェーン・マネジメントを目指して、ビジネス主体のつながりの再編集が進められています。さらに、そのつながりは、カスタマー・リレーション・マーケティングに見るように、市場にまで向かっています。顧客満足(CS)の動きも、そうした流れで考えていくことができるでしょう。
しかし、経済における最大の問題は、社会が成熟してくる中で、市場の実体が見えなくなってきていることです。そのため、サプライサイドとデマンドサイドのミスマッチが様々なところで発生しています。社会が大きく変わっている中で、人々は新しいことを求めており、新しいビジネスチャンスがどんどん生まれてきているはずなのに、それを見つけるのが非常に難しくなってきている。それが現代ではないかと思います。
どうしたら生活者のニーズ、社会のニーズ、あるいは新しいビジネスチャンスが把握できるでしょうか。観察者的に市場を調査してもなかなか見つかりにくい。しかし、そうした情報がたくさん集まっているところがあります。たとえば市民活動の分野における動きを見てみましょう。
乳がん患者たちが、自らのQOL(クォリティ・オブ・ライフ)を高めようという目的で組織したNPOがあります。Vol-NetというNPOです。Vol-Net
は、乳がんという病いとともに、自分らしく生きるにはどうしたらいいのか、ただ支援されるだけではなく、自分たちの体験を集め、自分たちが持つ能力を活かしあうことで、お互いに支えあい、ワクワクした人生をみんなで実現していこうという活動に取り組んでいます。
メーリングリストで、お互いに困っていることや体験的に得たノウハウを情報交換していますが、みんな当事者ですから、アンケート調査やヒアリングなどからは決して出てこない生々しい情報や知恵が行き交っています。
治療情報だけではありません。おしゃれの話もあれば、仕事の話、趣味の話もあります。今年の2月には、「乳がんと共に生きる人たちのおしゃれ探求会」という公開フォーラムを自分たちで企画し開催しました。このイベントには200人近い参加者がありました。
こうした活動の結果、このNPOには膨大な情報が蓄積されてきています。こうした情報は、大きなビジネス資源です。それを効果的に活用すれば、経済的にも競争力の高い商品やビジネスを開発できるでしょう。残念ながら、まだそうした商品開発力や事業開発力を彼ら自身は持っていませんが、サプライサイドとの良いつながりを構築すれば、それが可能になるはずです。
ここで重要なことは、Vol-Netはビジネスのために商品を開発するのではないということです。自分たちの生活のため、QOLのために商品を開発する。お客様のためではなく、自分たちのためなのです。手段と目的において、これまでのビジネスとは違っています。新しいビジネスモデルといっていいと思います。
こうした活動を支えているのは、同じ乳がん患者であるという仲間同士の信頼関係です。情報の収集も分析も、そしてその情報を活かした商品提案も、すべて生々しい本音で議論され吟味されています。自分たちの情報が、特定の企業の利益のために使われることはないという信頼関係に基づいて、無防備なほどに生々しい情報が自然と集まるのです。しかしもし、こうして集められた情報や知見を、Vol−Netの事務局がビジネスのために特定の企業に売ってしまったりしたら、情報は二度と集まらなくなるでしょう。そして、この会そのものが存続できなくなります。そうしないためには、自らが新しいビジネスモデルを開発しなければいけません。
日本でも今では1万を超えるNPO法人が生まれています。その多くはまだ経済的に自立しているとは言いがたいですが、Vol-Netのように、経済的に自立できるためのコンピタンスを蓄積してきているところが増えてきています。いわゆる事業型NPOですが、その場合の事業は、これまでの企業による事業とはちょっと違うように思います。そこを勘違いすると、NPOと企業の違いが見えなくなってしまいます。よく企業とNPOの違いは、出資者への配当の有無や財務状況の透明性と言われますが、それは瑣末なことかもしれません。
Vol−Netが蓄積してきた情報は、単に「使いやすいカツラ」や「おしゃれ用品」を作り出すためだけのものではありません。乳がん患者のお洒落やワクワクする人生を支援する、まったく新しいビジネスニーズを創出していく可能性を感じます。
視覚障害者の人たちと一緒に映画を楽しもうという活動をしている、シティ・ライツというNPOがあります。普通の映画館で映画を見るのですが、視覚障害者たちは事前に電子メールを活用して、その映画に関する情報をしっかりと頭に入れて映画館に集まります。そこで、それぞれがイヤホンを使って、音声ガイドを受けるのです。この活動は、全国に広がりつつあります。映画を楽しみたいという視覚障害者の方は多く、それ自体、市場の拡大といってもいいのですが、もっと大きな意味があります。
それは、音声ガイドを使いながら映画を見るということが、もしかしたら新しい文化の可能性を開いていくということです。新しい映像文化が生まれるかもしれません。私も体験しましたが、新鮮な刺激を受けました。新しいビジネスのフロンティアが生み出される可能性があります。
患者の立場で全国の病院の評判情報を集めていこうという活動に取り組んでいるNPOもあります。まだ本格的な展開には至っていませんが、患者自身の体験に基づく生々しい情報が集積されていく可能性があります。もしそうなれば、おそらくこれまでの病院経営に大きな影響を与えていくばかりでなく、新しいビジネスも生み出していくはずです。
以上、いくつかの事例を紹介させてもらいましたが、こうした動きは急速に広がっています。サプライサイド主導ではない、新しいビジネスの芽が育ちだしているといってもいいでしょう。それらの基礎にあるのが、当事者のつながりとそこから生まれた信頼関係です。私はそれをコモンズと呼んでいますが、そうしたコモンズがさまざまなところで育ち始めているのです。
ソーシャル・キャピタルの分野では、ボンディングとブリッジングが良く話題になります。ボンディングは集団内部での仲間的な結びつき、ブリッジングは集団外部との異質な人との開かれた結びつきです。ソーシャル・キャピタルの議論においては、前者のボンディングは、むしろ否定的に捉えられることがあります。
私は15年ほど前に雑誌に「企業を開く」と言う連載を雑誌に書きました。これは私が企業でCI(コーポレート・アイデンティティ)プロジェクトに取り組んでいるうちに行きついた、新しい企業経営観をまとめたものです。そのなかで、まさに日本企業の問題は「身内的社会性」という内向的な絆の強さだと指摘しました。これはボンディングといってもいいです。
その後、友人たちと「たこつぼから出ようよ」という、組織人への呼びかけ小冊子をまとめましたが、その後の私の活動の基調は、まさに「たこつぼからの離脱」の呼びかけ活動だといってもいいかもしれません。
余計なことを書きましたが、先に紹介したNPOの内部の信頼関係は、実はかつての(現在もそうかもしれませんが)たこつぼ型絆ではありません。つまり、信頼関係は必ずしも特定のNPO内部で完結しているわけではないのです。むしろこうした様々な事業型NPOがつながりだしてきていることに私は注目しています。
つなげているのはNPOのメンバーです。企業と違って、NPOの場合は複数の組織に属しやすく、また企業のような競争関係にはありませんから、信頼関係は組織を超えてつながりやすいのです。しかも、複数の組織や活動にかかわって行くことの効用は大きいのです。体験してみれば、よくわかります。ここに、私はこれからの組織モデルを予感しています。そして、そうしたネットワーク志向や組織形成が、急速に日本の市民活動に育ってきていることを実感しています。
つまり、ボンディングとブリッジングが、対立することなく、むしろシナジーを創りだしはじめているのです。ここでも二元的な捉え方は適切ではないでしょう。
事業型NPOを中心に話を進めてきましたが、この他にも、まちづくり活動から始まったコミュニティビジネス(自分たちの生活の視点からのコモンズの回復)や信頼できる仲間で仕事を創りだしていく協同労働の動き(働く場としてのコモンズの創出)など、新しいビジネスモデルを予感させる様々な動きも広がっています。
こうした動きは、新しいビジネスフロンティアを予感させると同時に、ビジネスの概念を変え、経済システムの大きな変革につながっていくように思います。
ソーシャル・キャピタルを「信頼関係のつながり」と捉えれば、これまでの産業においては、それはさほど重要な要素ではありませんでした。むしろ信頼関係を壊し、それによって生じる社会問題や取引コストの発生すらも、新たなる産業として拡大してきたのがこれまでの経済だったように思います。社会の質が悪ければ悪いほどビジネスチャンスは拡大するという産業のジレンマのようなものが存在していたように思います。
ソーシャル・キャピタルに着目していくということは、そうしたこれまでの経済の枠組みやベクトルを見直すことではないかと思います。これまでの経済の枠組みや成長の概念でソーシャル・キャピタルを考えるのではなく、視点をデマンドサイド、あるいは社会において、新しい経済の枠組みを語ることが必要ではないでしょうか。そして、そのための材料はすでに動き出している、そんな気がしています。
これまでの経済の枠組みや成長概念、ビジネス発想で考えていくと、ソーシャル・キャピタルはなかなか掴まえ所のないものになりかねません。さらにこれまでの経済がそうであったように、また新たなる社会の価値を、浪費してしまうことにもなりかねません。
ソーシャル・キャピタルを議論するのであれば、新しい経済システム、もしくは新しい経済学を議論しなければなりません。 まさにいま、経済は新しい段階に入りつつあるように思います。
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