新しい年のはじまりに
2009


新しい年が始まりました。
いつもであれば、今年はどんな年にしようかと考えたものです。
昨年は、その気力が全くありませんでした。

私に生きる意味を与えていた妻を見送ってから2回目の新しい年です。
昨年末から頭に浮かんでくる言葉がありました。
「希望」です。

妻の再発が明らかになって迎えた新年(2007年)に、こう書きました。
  今年は、希望の年にするつもりです。
  希望を確信し、さらに大きな希望へと進みたい。
  これが私にとっての、今年の生き方です。
  とても良い年になるでしょう。


しかし、妻は帰らぬ人になってしまいました。
希望を確信した自分が、とんでもない愚かな人間に思えました。
希望が私の心身から抜けていきました。
節子が私にとっての「希望」だったのだと実感しました。

昨年のはじめにはこう書かれています。
 「希望」を失って、自分が生きていることさえも実感が伴わない3か月を過ごしました
これを書いた時のことは全く記憶にないのですが、まさに希望を感ずることもなく、1年を過ごしてしまいました。
しかし、12月になってから、なぜか「希望」という言葉が頭に浮かぶようになったのです。
やはり、人は希望なくしては生きていけません。
逆に言えば、生きているということは希望があればこそです。

希望は未来のことではなく、現在のことだと、何かで読んだ記憶があります。
希望はもたらされるものではなく、創るものだともいいます。

2年前に戻って、今年は「希望の年」にすることにしました。
希望を確信するのではなく、希望に感謝して生きたいと思います。
大きくなくても、一筋の希望さえ感じられれば、心の平安は見つかるはずです。
気づくのが遅かったですが、これは妻に教えてもらったことなのです。

私たちのまわりにある、たくさんの「希望」に感謝する1年にしようと思います。
みなさんにもたくさんの「希望」がふりそそぎますように。

2009年1月元旦
さとうおさむ