自治体職員が起業できる時代がやってきた

■自治体行政のパラダイム転換

 自治体行政を取り巻く環境が大きく変わってきている。しかし、その変化の方向性や対応策に関しては、必ずしも明確になっているわけではない。実体を伴わない言葉だけの議論も多いし、相変わらず形式的な制度の組み換えで済ましてしまおうという動きも少なくない。
 自治体行政の環境変化の背景には、言うまでもなく社会が変わりつつあるという事実がある。地方分権や財政改革は、そうした社会の変化に対する対症療法的対応だが、時代の変化はもっと根源的である。発想の枠組みからの変革、まさにパラダイム転換が求められている。これまでの延長で考えていては、問題は解決しない。
 それはなにも行政に限った話ではない。企業も市民活動も、同じような状況に直面している。社会の変化が進むなかで、それは当然のことだが、ここでも問題は根源的である。企業経営の枠組み(パラダイム)が変わろうとしているし、市民活動も新しい局面に入ろうとしている。
 つまり、社会の仕組みそのものが見直されはじめているのだ。そうした認識をしっかりと持つことが大切である。行政と企業、さらには市民活動の役割や関係も変わりだしている。行政内部だけの行財政改革では、もはや事態は進まない。
 自治体でも、構造改革や意識改革、あるいは経営発想の導入など、さまざまな取り組みが進められているが、これまでの発想の延長での変革はおそらく役に立たないし、これまでの企業経営の発想を学んでも効果的ではないだろう。思い切った発想の転換や実践が求められているのである。
 そうした認識を踏まえて、ここでは、これからの自治体職員のあり方を、新しい事業起こしの切り口から考えてみたい。

1.自治体行政を取り巻く環境の変化

■誰でも起業できる時代

 社会はどう変化してきているのか、そして、どう変化していくのか。まずはこの点から考えていこう。
 変化の方向をどう認識するかによって、対応策は全く変わってくる。にもかかわらず、この点は意外とあいまいなまま、対応策が論じられることが少なくない。それでは問題は解決しない。変化の実相をしっかりと認識しておくことが大切である。
 さまざまな変化要因や変化事象が語られているが、ここでは行政による新しい事業起こしの視点から3点に注目しておきたい。
 まず第1は、わが国の人口が構造的に減少局面に入っていくことである。これまでの行政や企業は、人口が増えていくという前提のもとに、仕組みや事業を設計してきているが、その前提が反転するのである。全く新しい時代への突入といっていい。
 自治体レベルで考えれば、すでに人口減少を体験しているところも多いが、社会全体の人口減少は、おそらくこれまでとは違った課題を発生させ、行政事業にも根本からの見直しを迫るだろう。しかも、体験したことのない事態だけに、これまでの体験や知恵では対応できず、実際の現場でのライブな試行錯誤的実践の中から、解決策を見つけていくことになる。論理演算ではもはや答は見つからない時代になってきている。
 体験や前例が有効でなくなったこと、現場の生きた情報が重要になってくることは、誰でもが起業チャンスを持つようになったということを意味する。特に若い職員にとって有利な条件が整ってきているといっていい。
 第2は、情報社会が新しい局面に入ってきていることである。インターネットの普及によって、今や情報は組織を超えて飛び交うという、情報本来の動きを取り戻しつつある。昨今の企業や行政の不祥事の発覚の多くは、こうした情報時代の到来の結果といっていい。情報を組織内部に閉じ込めておこうという企ては、これからはますます難しくなるだろう。行政においては「情報公開」が進んでいるが、それとは関係なく、情報の共有化がさらに進んでいくことは間違いない。
ここで注意すべきことは、行政職員よりも住民の方の情報量が多くなっていく可能性が高いということである。現場情報も含めれば、間違いなく住民のほうが情報力は高くなる。これまで行政は、情報量の多さで、住民をリードできたが、これからはその関係が逆転していく。
 企業においても同じ状況が生まれだしている。企業が持つ情報よりも、今や顧客の情報量が優位になっているのである。そのため、企業の事業戦略や仕事の進め方は大きく変わってきているが、行政においても事情は同じといっていい。これまでの事業の進め方を根本から見直していかなくてはならない。
 情報共有社会における行政のあり方は、まだ明らかではないが、情報の偏在や非対称性がもたらしている問題を考えれば、情報共有をベースにすることで、行政の公平性や効果性、効率性や迅速性が飛躍的に高まることは間違いない。的確に対応できれば、究極の行財政改革が実現することになるだろう。
 情報社会はまた、個人による情報受発信が限りなくコストをかけずに実現できる社会でもある。このことも起業環境を大きく変えてきている。いまやだれでもその気になれば起業できるといっても過言ではない。

■個人から発想する時代

 これらの2つの変化要因は、起業環境を一変させるばかりでなく、これまでの行政スタイルを大きく変えていくだろう。しかし、もっと重要な変化は、社会を考える起点が組織から個人へと転換しつつあることである。これが第3のポイントである。
 フランスの社会学者ジャン・ボードリヤールは、1995年に来日した際に、「日本が豊かなのは日本人が貧しいからかもしれない」と言ったという。経済大国と言われる日本でも、そこに住んでいる人たちの生活は本当に豊かなのかという、辛らつな指摘だが、その後の日本は、経済そのものもどうも元気が出てこない。これは、ボードリヤールの指摘と無関係ではないように思われる。
 豊かさを実現するには2つの考え方がある。一つは「全体(日本)が豊かになってこそ個人(国民)が豊かになる」という考えである。これまでの日本は、この考え方で豊かさを追求してきた。まずは個人の欲求を我慢して全体のパイを大きくしようと、みんながんばってきたといっていい。個人よりも会社、個人よりも地域社会、個人よりも国家が優先されたのである。そして、全体の豊かさを高める視点で制度や組織が設計されてきた。そして見事に経済を発展させ、豊かな社会を実現したのである。
 しかし、その考え方は、どうも限界に来ている。全体から発想していては、もはや全体の豊かささえも高められない状況になってきているのが、現在である。
 そこで、もう一つの考え方が登場する。「個人一人ひとりが豊かになってこそ、全体が豊かになる」という考え方である。ボードリヤールのフランスは、こうした発想が根底にある社会といっていい。
 この2つの考え方で整理していくと、いまの日本社会のさまざまな問題が理解しやすくなる。全体(組織)から考えるのではなく、個人から考えれば、簡単に解決策が見えてくるものも少なくない。
 たとえば、学級崩壊や学力低下、不登校の増加や校内暴力など、さまざまな問題が発生している学校を考えてみよう。
 和歌山県にある「きのくに子どもの村学園」は生き生きした学校として注目されているが、その基本にあるのは「学校に子供を合わせるのではなく、子供に学校を合わせる」というニイルの教育理念である。まさに、組織の視点から考えるのではなく、個人の視点から考える発想といえるだろう。言葉で言うのは簡単だが、しっかりしたリーダーシップや真の意味のマネジメントがなければ、学校はなりたたなくなる。しかし、それさえできれば、学級崩壊も学力低下も起こらない。大切なのは、対症療法ではなく、基本設計の見直しである。
 企業も同じである。会社に社員が価値観を合わせるのが、これまでの企業だった。その結果、判断停止した個人が事件を起こし、会社が倒産したり、会社の価値観に合わせられなくて自殺する社員が出たりしてしまうのである。それでは会社が発展するはずがない。

■表情を持った個人のつながりが基本となる時代

  こうしたことを受けて、「会社のためが会社をつぶす」という言葉が一時流行ったが、地域社会でも、「地域のためが地域を壊す」というような事例は少なくない。その典型例は一時期のリゾート開発である。行政が地域社会のためとがんばった結果の無残な痕跡は、今も各地にたくさんある。
 いずれも、おそらくは意欲的な職員が事業戦略を考え、経営発想を学んで、真剣に取り組んだのであろう。それにもかかわらず、なぜ失敗したのだろうか。
 それらに共通しているのは、個人の視点からではなく、組織全体や地域社会全体から考えていることである。ある発展段階まではそれが有効だが、組織も地域社会もある水準に達してしまうと、逆に全体からの発想が現実と矛盾し、個人を阻害していくことになりかねない。そして、今の日本社会は、まさにその段階に来ているといっていい。発想の起点を個人に移す時代がはじまったのである。
 念のために付け加えれば、個人を起点に社会を考えるということは、個人の利益やわがままを優先するということではない。むしろ個人のつながりを大切にするということだ。
 チームワークを例にとって説明しよう。組織から発想するチームワークは、チーム全体の和を考えるために、同質性を重視し、個人の主張を抑えて、チーム全体の価値観(実際にはそんなものは幻想なのだが)に自らを合わせていく。
 それに対し、個人から発想するチームワークは、個人一人ひとりが自己主張し、異質さを前提として役割分担することで、チームのパワーを結果的に高めて行く。前者では全体のパワーは加算合計よりも下回るおそれがあるが、後者では相乗効果による飛躍的なパワーアップが期待できる。相乗効果を高めるためには、メンバーの相互理解としっかりしたつながりが重要であり、それらを束ねるリーダーシップやマネジメントが成果を左右することもいうまでもない。
 つまり、個人から発想した社会とは、多様な表情を持った人々が役割分担しながら、お互いを支えあって、つながりを育てていく社会である。
 行政と住民との関係で、組織発想と個人発想の違いを考えてみよう。図式的に整理すると図のようになる。
これまでは、行政は個々の住民との関係が基本だった。たとえば、デイケアセンターを例にとれば、利用者は行政が用意した施設の利用者として位置づけられてきた。まさに行政の制度や組織(施設)に住民は自分を合わせさせられていたといっていい。現在の介護保険制度もその延長にある。その結果、地域社会における人のつながりは、時に壊されてしまうこともある。
 しかし、個人から発想すれば、図の右側のように、住民同志のつながりが基本となる。高齢者介護も住民同士のつながりを基本において、そのつながりを育てる方向で行政は自らの役割を見つけていくことになる。独居老人の自宅をミニデイケアセンターにしていったり、人のつながりを育ててきたNPOの活動を支援したりすることが、行政の新しい役割になっていく。
 こうした住民との関係の変化は、個々の仕事の進め方や職員の仕事に取り組む姿勢にも大きな変化を求めていくはずである。

2.自治体における経営発想の取り組み

■経営発想と起業家精神

  こうしたなかで、自治体行政に経営発想を持ち込もうという動きが広がり、職員は起業家精神を持とう、行政は住民に対するサービス産業だ、行政もCS(顧客満足)意識を持とう、市場メカニズムを活用しよう、などと盛んに言われだしている。
 地方分権や財政危機など、自治体がおかれている現状から考えれば、経営感覚を強め、地域資源を活かした新しい事業を起こしていくことは、これからの自治体にとっての大きな課題である。アメリカでは10年以上前から、「アントレプルヌール型(起業家精神を持った)行政」ということが言われだしている。日本の行政においても、これからはアントレプルヌール(起業家精神)が重要になってくるだろう。自治体職員も起業し経営する時代がきたのである。
 しかし、起業家精神や経営発想などがこれまでの日本の行政になかったわけではない。前に触れたとおり、リゾート開発や地域起こしの目的で、積極的な事業開発が行われたこともあった。神戸市のように、株式会社顔負けの事業展開を行った自治体もあった。TMO(Town Management Organization)が生まれてから、もうかなりの時間がたつし、住民満足に向けての努力もかなり以前から行われている。「第3セクター」による事業開発も各地で行われた。
そうした取り組みがほとんど成功しなかったのは、時代状況にも一因があるだろうが、いわゆる「プロダクトアウト」、つまり事業主体の独りよがりであり、社会の実相に根ざしたものではなかったことと、「言葉」だけの生半可な取り組みだったからである。
 では今回はどうだろうか。残念ながら、また同じ轍を踏もうとしているのではないかという疑念を否定できない。これまでの枠組みの延長で、しかもあまりにも安直に言葉が使われているからである。言い換えれば、社会が大きく変わってきていることの認識が希薄であり、しかも経営や事業に対する捉え方が表層的である。
 アントレプルヌール型行政になるためには、発想を転換しなければならない。

■行政サービス産業論への疑問

 具体的に少し考えてみよう。
 まず、サービスという言葉が安直に使われていることに危惧を感ずる。住民は行政サービスのお客様、行政は住民のためのサービス産業、などと言われるが、果たしてそうだろうか。これまでの行政の対応の悪さのために、こうしたサービス精神の重視は多くの場合、住民にも歓迎されやすい。あえて異を唱える人は少ないかもしれない。いまだに「すぐやる課」的な組織が新設されることが歓迎されることも事実である。しかし、住民は本当にお客様なのだろうか。
 企業のお客様は、企業にとってどういう存在なのかを考えれば、答えは見えてくる。企業を例にとるならば、行政にとっての住民は株主と言うべきであろう。住民は行政サービスを購入しているのではなく、行政活動を委託しているのである。主客を混同してはならない。
 もちろん行政の窓口の対応が改善されることは大切なことである。しかし、それは別にサービスなどという言葉を使わなくとも、当然のことである。そして、大切なのは対応ではなく、その仕事の内容である。サービス向上などという言葉で、問題の本質をあいまいにしてはいけない。行政サービスが、何を意味するかもあいまいだが、そんなところに自治体行政の本質があるわけではない。
 ローマ時代の「パンとサーカス」施策とまではいわないが、安易なサービス産業論は注意する必要がある。それに、言葉は職員や住民の意識に大きな影響を与えていく。利益責任のないサービス提供者と直接的な受益負担のないサービスの享受者が引き起こす結果は、目に見えている。
 さらに留意すべきは、サービスのモデルとしている産業の世界ですら、サービスからホスピタリティへと発想が変わりつつあることだ。その背景には、おそらく個人を起点にした社会への移行がある。ホスピタリティは、サービスとは違って、人と人とのつながりを基本に、同じ目線での対応を大切にする。単なる言葉の違いではなく、発想の違いがそこには込められている。
 住民は地域社会の主役であって、お客様ではない。自治体行政に期待しているのは、サービス対応ではなく、地域社会での気持ちのいい暮らしの実現である。自分たちの地域や暮らしがよくなることである。そのために必要があれば、自分たちも汗と知恵を出す姿勢も、住民たちは十分に持ち出している。それに、住民や NPOとの協働やパートナーシップという言葉とサービスという言葉は両立しない。
行政が目指すべきは、サービス産業ではないはずだ。そんなことはそれこそ、アウトソーシングして、企業に委託したらいいだろう。行政にもし、サービスや顧客満足の発想が必要だとすれば、それは産業界のそれとはちがうものだろう。ミッションが違うことを忘れてはならない。
 安直に「サービス」や「顧客満足」などの企業経営手法を導入するのではなく、行政のミッションや施策や事業の質を住民の目線でしっかりと問い直し、住民へのアカウンタビリティを果たすことが、これからの自治体行政の責務である。その出発点として、まずは住民を「お客様」扱いすることを改めるべきである。

■コストダウンとマネジメントサイクル

 経営発想の導入に関して重視されるのが、効率化やコストダウン、そして行政評価である。これまでの行政は、予算消化が最大の課題と思われるほどに、コスト意識や評価の仕組みが弱かったから、こうしたことへの関心が高まっていることは望ましいことである。しかし、ここでもいくつかの疑問を感じる。
 近年の行政評価では財政不足から予算削減が重視されがちなために、「コスト・パフォーマンス」(成果との関係でコストを評価)ではなく、単なる「コスト」が問題とされがちである。しかし、コストダウンを進めすぎた結果、経営が立ち行かなくなった企業は決して少なくない。
 大切なのはコストではなく、コストが生みだす価値(パフォーマンス)である。企業の場合は、投入したコストと市場で獲得できたリターンがしっかりとつながっているから、コスト・パフォーマンス評価がしやすいが、市場での評価を得られない行政の場合はパフォーマンスの評価は難しい。仮にパフォーマンス評価するにしても、行政活動の場合、時間軸が長いものが多く、また住民の立場の違いによって評価が全く違ってくるために、コンセンサスを得られにくい。したがって、どうしてもコストだけの評価になりやすい。
 だからといって、コスト意識やコストダウンの努力が不要だというわけではないが、安直にコスト意識を導入することの危険性も認識しておく必要がある。
 さらに重要なことは、「コスト」の捉え方が企業とは違うということである。企業におけるコストは、基本的に企業内部で発生するコストである。いわゆる外部経済としての社会的コストは含まれていない。これはこれまでの産業や企業の成り立ちに起因しているが、行政におけるコストの捉え方もこれでいいのか、という問題もある。
 最近では、企業においても社会的コストの一部(たとえば家電リサイクルコスト)をコスト算入する方向になってきているが、まだまだ一部でしかない。
 行政でコスト論議をするのであれば、社会的コストも含めた議論がなされるべきだろう。そのことによって、これからの行政のミッションやあり方も見えてくるような気がする。
 効率性についても、コストと全く同じことがいえるだろう。効率の評価も、立場や目的によって全く違ってくることもある。
 マネジメントサイクルはどうだろうか。「プラン」と「アクション」中心だった行政に「評価」が組み込まれていくことは必要なことである。しかし、現在行われている行政評価の多くは、これまでの自治体行政の枠組みで設計されているように思われる。したがって、目的通りの変化を起こしているかどうかは大変疑問である。「行政評価事業」のコスト・パフォーマンス評価を是非ともしてみてほしいものである。
 時代が大きく変わりつつある状況のなかで大切なことは、「評価」の視点(基準)と仕組みである。事業価値を評価せずに、進め方だけを評価しても、注意しないと単なる作業になってしまいかねない。マネジメントサイクルや評価の発想を取り込むのであれば、まずは自治体行政のビジョンやミッションを、社会の動きとしっかり連動させるかたちで明確にしておくことが不可欠である。

■統治行政から自治行政へ

 行政における経営発想の取り込みについて、かなり批判的にみてきたが、そうした動きを否定しているわけではない。むしろ大きな期待をもっているだけに、しっかりした時代認識と概念の消化を持って取り組まないと、せっかくの努力が無駄になりかねないことに警鐘をならしておきたいのである。
 コストダウンや効率向上と経営発想の導入を混同してはいけない。経営とは、目的実現のために一定の資源を使って最良の価値を実現することである。大切なのは、コストダウンではなく、目的に合った価値の創出である。行財政改革がなかなか進まないのは、目的や価値の議論をおろそかにして、コストの議論が先行しているためではないかと思われる。それでは職員が萎縮してしまい、元気が出てこない。当事者である職員を動機づけられない改革は成功するはずがない。それどころか、角を矯めて牛を殺すことにもなりかねない。
 なぜそうなるかといえば、これまでの自治体行政が経営主体としての自立性を確立できずに、国家政府の出先的な存在に甘んじていたからである。主体性のないところには、運営はあっても経営は成り立たない。自らのビジョンやミッションを明確にすることから、経営は始まるのである。
 幸いなことに、そうした状況が変わりだしてきた。地方分権の動きである。
 地方分権の推進は、決して新しいパラダイムではなく、これまでの行政パラダイムの延長である。中央政府を中心にして、可能な範囲で地方に分権していこうという発想には、なんの新しさもない。制度疲労に陥った行政システムの対症療法策といっていい。
 だが、この動きが自治体に新しい動きを引き起こしつつある。地域主権への動きである。自治体が地域経営の主体者になってきたのである。この動きは、地方分権の推進によって始まったが、地方分権を超えている。
地域主権によりどころを与えるのは、地域住民である。住民主役に支えられてこそ、実体を構築できる。自治体行政が、統治行政から自治行政へとパラダイム転換しはじめたのである。それは社会が「組織起点」から「個人起点」へと移行しつつあることと見事に同期している。
 自治体における経営発想や起業家精神の取り組みは、こうした文脈のなかで捉えていく必要がある。そうすれば、これまでの事業展開における経営発想や事業発想とは異なった展望がみえてくるはずだ。理念も違えば、方法も違ってくる。
 わかりやすく言えば、これまでの行政の事業発想は、地域資源やコストを使っての事業であり、それをどう効果的かつ効率的に展開するかが関心事だった。経営というよりも、運営といっていい。事業と言っても、コストセンター的な発想での取り組みだった。
 それに対し、地域主権の視点にたてば、事業は地域資源や経済力(コスト)を増やしていく活動になる。資源や財政の消費ではなく、資源や財政の増殖を目的としたプロフィットセンターである。そのための資源や資金の調達も大きなテーマである。運営と経営の違いは、事業計画に「資金調達」の項目が入るか入らないかである。
 自治体行政にとって、新しい事業展開の可能性と必要性が大きく開けた時代が到来したのである。まさに、アントレプルヌール(起業家精神)が職員にも期待されだしているのである。職員にとっては、その気になれば、何でもできる、実に面白い時代になってきたといっていい。
 問題は、何をやるか、そして、どう実現するか、である。

3.起業する自治体への転換

■アントレプルヌール型行政

 ナショナルミニマムが実現された後の自治体行政の課題は、ものづくりではなく、表情のある物語づくりである。重点テーマもハコモノに象徴されるハード整備ではなく、福祉や環境や安全に移ってきている。
 福祉や環境は個人によって、事情は全く異なっているから、行政の管理しやすい画一的な制度にはのりにくい。ましてや、一方的な施策(その典型が措置行政)では問題は解決しない。しかし、介護保険制度で経験したように、個々の住民の事情に合わせようと思えば、行政職員だけではとても対応できない。
 したがって、自治行政を実現するためには、必然的に住民主役が不可欠になってくる。住民たちのために何かをやってやるのではなく、住民たちが自分たちのために何かをやることを支援するのが、行政のこれからの基本的な役割になってくる。自治の主役はいうまでもなく、住民であり、行政はその支援役ということになる。これまでの仕事の進め方は大きく見直していく必要がある。
 さらに、重点テーマが、福祉や環境、つまり地域住民の日常生活に移ってくると、縦割り行政の限界が顕在化してくることも避けられない。住民にとっては、福祉も環境も都市計画も、快適な暮らしのための一側面でしかない。自治体の組織も、住民視点で組み変えていくことになるだろう。中央政府の縦割り構造を基準にするのではなく、地域にあった、独自の組織体制づくりが重要になってくる。職場の名称も、住民の視点で改称することが望ましい。
 こうして、全国一律の自治制度は徐々に、地域に根ざした表情をもった仕組みへと変わっていく。その結果、まちも表情を持ち出してくる。
 経済政策も、企業誘致重視から地域資源を活用した事業創出へと発想を変えていくことが必要だろう。まちが表情を持ち出すように、地域経済もこれからは個性や表情を持つことが大切である。いわゆる「地域ブランド」づくりである。そのためには、地域社会で新しい事業を育てていかなくてはならない。安直に外部の企業に依存するべきではない。
 情報社会は、そうした個性的な事業が成立する条件を整えてくれている。これまでのように、大企業や全国的な流通システムに依存しなくとも、自力で販路を開拓し、事業を育てていくことが可能になってきている。
 企業誘致するにしても、単に土地を提供するだけではなく、地域としての特性を組み込んだ独自の価値を提供していくことが大切である。その仕組みが魅力的であれば、誘致せずとも企業は集まってくる。そうした仕組みをつくることもまた、新しい事業起こしに他ならない。自治体がイニシアティブをとらなければ、地域はただ一時的な利用の場になるだけである。企業の事情で、いつどうなるかわからない。
 経済活動としての新しい事業起こしは、民間の仕事でもあるが、自治体職員にとっても重要な課題である。この分野では逆に行政はこれまで以上に主役的な役割を果たすことになるだろう。なぜなら、地域主権に基づく自治行政においては、地域資源をいかに活かして経済基盤を確立していくかは、行政の大きなミッションになっていくからである。行政はコストセンターだけの存在ではなく、プロフィットセンターの要素を高めていかねばならない。
 アメリカではすでに「稼ぐこと」が自治体行政の関心事になっている。事業遂行のための資金は、税金だけに依存するのではなく、事業当事者が工夫して調達する動きが広がっている。それは一見、大変そうだが、おそらくワクワクするような課題であろう。起業資金には税金を当てるとしても、起業後に事業から収益をあげることはいろいろと考えられる。事業運営に工夫をすれば、そこにノウハウが蓄積される。それが他の自治体や企業にとっても価値のあるものであれば、販売もできるだろう。
 公共施設を使うスポーツチームにスポンサーを募集することで、それまでのチームに対する助成金がいらなくなったばかりではなく、収益まであがって、新たなスポーツ振興活動に取り組むことができるようになった事例もアメリカでは報告されている(「行政革命」日本能率協会マネジメントセンター 188頁)。スポンサーになった商店も格安の宣伝ができ、地元の顧客を獲得することができたという。
 これは一例だが、「儲けるのは行政の役割ではない」という呪縛を捨てれば、利益をあげる方法はいろいろとある。もちろん「稼ぐこと」は目的ではないが、関係者みんなに喜ばれながら、事業収益を上げて、地域価値も高まり、税負担を低下させていくことこそ、これからの行政の課題である。地域価値を高めるためにも、これからの自治体行政はアントレプレナー(起業家)にならねばならない。アントレプレナーとは、チャンスを活かす人、 価値を創造する人である。

■変化の時代はチャンスの時代

  しかし、企業ですら低迷している状況の中で、果たして、起業チャンス(ビジネスチャンス)はあるのだろうか。心配はいらない。ビジネスチャンスはいくらでもある。
 社会のパラダイム(枠組みや構造原理)が変わるほどの時代の変わり目であるということは、解決すべきさまざまな問題や生活上のニーズが山積しているということでもある。これまでの延長で考えれば、社会は成熟し、物もサービスも充満しているように見えるが、新しい視点で考えれば、対応できていない問題や課題がたくさん発生していることは間違いない。右肩上がりは終焉したとは言うものの、いまはビジネスチャンスに溢れた大成長の時代なのである。
 残念ながら、そうした問題や課題は、従来の枠組みによって組み立てられている企業や行政の中にいるとなかなか見えてこない。仮に見えたとしても、これまでのビジネスモデルではうまく対応できないだろう。そこでの課題は個人の数だけ存在するような、表情をもった個別課題であり、これまでのやり方では、規模の経済が働きにくいし、手間隙かかるわりには経済的な利益も余り期待できない。大量生産・大量販売が染み付いている企業にとっては、すぐには進出しにくい分野といっていい。
 そうした分野で急速に活動を広げているのが、NPO(非営利組織)である。
 NPOというと、多くの人は慈善活動やボランティア活動をイメージするが、NPOもまたしっかりした事業主体である。経済産業省がまとめた産業構造審議会の中間報告でも、新たな経済主体として「事業型NPO」への期待が明記されている。
 NPO法が成立して5年ほど経過するが、すでに1万5千近いNPO法人が生まれている。すべてが事業型NPOというわけではないが、さまざまな分野での事業取り組みが広がっていることに注目したい。なかにはすでに1億円を超す事業展開をしているところもあるし、企業や行政との連携も始まっている。視点と発想を変えれば、起業チャンスや起業ニーズは山積しているのだ。
 私が事務局長をしているコミュニティケア活動支援センターでは、毎年、全国の市民活動を支援するプログラム(コムケア活動)を展開しているが、そこへの応募プロジェクトは実に多様である。申請書を読んでいると、社会の実相が見えてくる。事業主体は市民グループやNPOが多いが、わずかな資金助成とささやかな活動支援で大きく育っていく可能性をもっているものも少なくない。資金がなくてもできることも決して少なくない。
 そうした起業テーマ(ビジネスチャンス)は、市場調査や住民意識調査からはなかなか見えてこない。なぜだろうか。それは視点と発想が違うからである。
 NPO活動の多くは、自分の身の回りの問題解決からスタートする。自分の子どもが不登校になった、病気や身体の障害のために暮らしにくい、両親の介護で人生が変わってしまった、自分の老後も心配だ、子どもを保育園に入れられない、今ある福祉施設に入りたくない、地域が快適でない、定年で会社を辞めたが社会との接点を持ち続けたい、など、内容はさまざまだが、自分の暮らしとの関係が深いものが活動としても着実に育っている。
 ここに大きなヒントがある。これまでの事業は、行政の場合も企業の場合も、ニーズを観察的に把握してきた。つまり、お客様(受益者)と提供者という構図である。問題は「他人事」なのである。組織から発想する時代はそれでもよかったが、個人から発想する時代になった今は、それでは問題は見えてこない。

■当事者視点とコモンズ発想

 乳がん患者たちが、自らのQOL(生活の質)を高めようという目的で組織したVOL−NetというNPOがある。メンバーはメーリングリストで、お互いに困っていることや体験的に得たノウハウを情報交換しているが、全員が当事者であるために、アンケート調査やヒアリングなどからは決して出てこない生々しい情報や知恵が行き交っているという。
 こうした情報は、大きな起業資源であり、効果的に活用すれば、経済的にも競争力の高い商品やビジネスが開発できるはずだ。まだそうした商品開発力や事業開発力を彼ら自身は持っていないが、企業との良いつながりが実現できれば、それが可能になっていく。しかし、もしそれらの情報が特定の企業のために使われてしまうようになれば、情報は集まらなくなるだろう。メンバーの信頼関係も崩れてしまう。
 メンバーの関心事は自分の生活である。お客様のために商品を開発するのではなく、自分たちのQOLのために商品を開発することが彼らの求めている事業である。手段と目的において、これまでのビジネスとは違っている。お客様のためではない、自分たちのための新しいビジネスを自分たちでつくらなければならない。 
 VOL−Netはまだ起業に向けての準備段階だが、すでに起業したものも含めて、こうした動きはさまざまな分野で広がっている。別項のプロップ・ステーションはまさにその成功事例といっていい。
いずれの場合も、キーワードは当事者視点である。当事者の目線があればこそ、問題も対応策も的確に把握でき、事業設計も真剣味を増すことになる。
 注意すべきことは、ここでいう「当事者視点」がかつてのような、閉じられた当事者意識ではないことである。私たちの生活は複雑に絡み合っており、さまざまな問題は実は幾重にも重なっている。社会問題が個別に対応されるようになり、地域社会における人のつながりが弱まったことによって、問題の連鎖が見えなくなってきてしまったが、介護の問題が誰にも無縁でないように、誰でもがほとんどの問題に「当事者」になりうるのである。
 いま広がりだしている新しい事業モデルの特徴は、当事者視点だけではない。その事業展開の基礎にあるのが、当事者(意識)のつながりとそこから生まれた信頼関係である。これまでの事業のように、顧客や受益者と供給者の利害関係が対立するのではなく、事業関係者が利害を共にする関係を構築している。
 私はそれをコモンズと呼んでいるが、そうしたコモンズがさまざまなところで育ち始めている。コモンズ発想(みんなのものをみんなで育てる)で身の回りを見ると、実にさまざまな事業の可能性が見えてくる。
 行政でもNPOとの協働が盛んに言われだしているが、まだまだ行政サイドの、つまりサプライサイドにたっての「サービス」発想や施策発想が強いように思われる。しかし、当事者意識がなければ、協働やパートナーシップは絵空事になりかねない。

■新しい事業モデルの開発への期待

 最近、各地でコミュニティビジネスへの関心が高まっており、自治体による起業支援の動きも広がっている。しかし、多くの場合、地場産業や地域の零細企業、自営業との違いが整理されておらず、これまでのビジネス発想の延長にあるように思われる。名前を変えても実体が変わらなければ、新しい動きは育ってこない。
 いま、求められているのは新しい事業モデルの開発である。NPOや自治体が中心になって、これまでの企業発想型とは違った事業開発をもっと意識的に進めることが必要だろう。
 新しい事業モデルを考えるポイントの一つは、これまで述べたように、当事者視点とコモンズ発想の有無だが、さらに、事業そのものの構築の仕方も重要である。
 最近のインターネットの普及は、新しい情報関連事業を生み出しているが(情報の産業化)、同時に事業そのものの情報化という形で事業の枠組みや考え方を根本から変質させている(産業の情報化)。それと同じことが、環境や福祉など、すべての分野で起こっているように思われる。
 たとえば、環境問題の深刻化は、リサイクル事業や環境保全事業などの環境ビジネス(環境の産業化)を成長させる一方で、事業構造のゼロエミッション化や省エネ化など「事業の環境化」という発想を生み出しつつある。
 福祉も同じように、福祉の産業化と並行して、産業の福祉化が考えられる。前者は人を癒すことをビジネス化していく発想であり、後者はビジネスそのものに人を癒す効果を持たせる発想である。こうしたことは、教育にも安全にも、すべてのテーマについていえることである。ビジネスの設計思想の違いといっていい。
 つまり、市場の拡大と産業の変質が並行して進んでいるのである。そして大切なことは、後者の動きはビジネス概念そのものを変質させつつあるということである。もしかするとそれが、閉塞感を強めている現在の産業に新しい地平を開く結果になるかもしれない。事業の捉え方が、根本から変わると考えるかどうかはともかく、少なくとも新しい発想での事業の可能性が感じられる。
 これからの自治体職員は、こうした新しいタイプの事業を、時には主役として、時には支援役として、開発していくアントレプレナーになっていくことが期待されてきているのである。コミュニティビジネスは、そうした展望のなかでこそ、取り組まれるべきである。

4.アントレプレナーへの小さな一歩

■事業起こしのための7か条

  自治体職員がアントレプレナーになる必要性と現実性について述べてきたが、ではどうやってその一歩を踏み出せばいいのだろうか。
 前例を重視し、与えられた業務の達成を優先する文化になじんできた自治体職員にとっては、それは難問かもしれない。ましてや、最近のように予算も縮小、人員も減少という状況のなかでは、気分が前向きにならないだけでなく、時間も予算もない。それにベンチャーという言葉もあるように、起業には危険がつきものであり、安定第一の行政文化には程遠い話ではないか。そう思われる人も少なくないだろう。
 その考えを捨てるところから、アントレプレナーは始まるといっていい。厳しい逆境であればこそ、起業する意義は大きく、起業の喜びも大きくなる。
 時間と予算がないのであれば、それを自らで調達すればいい。行政の存在価値が低下しているのであれば、新しい役割を創出すればいい。幸いそうしたことに取り組みやすい環境が整いだしている。出来なくて元々と思えば、気が楽になる。それに、やってみると意外に楽しくて、うまくいくかもしれないではないか。攻撃は最良の防御なのである。何もしないことが安定だという時代は終わってしまった。せっかく自治体職員もアントレプレナーになれる時代になったのであれば、挑戦してみて損はない。
 アントレプレナーになると決めたら、行動を起こさなければいけない。そのためのガイドとして、最後にアントレプレナーになるための7か条をまとめておこう。

○第1条:自らがやりたいことを見つけよう
 これまで述べてきたように、新しい事業テーマは当事者感覚に立って始めて見えてくる。そのためには自らがしっかりした生活現場をもっていなければならない。誰かのために役立とうと考えているうちは、事業は本物になっていかない。自分が当事者になれるような事業を見つけることがまずは最初の一歩である。
 生活感覚を持って、まちなかを歩き回っていれば、必ず自分の生活にもつながる「やりたいテーマ」が見つかるはずである。現場には生々しい事業シーズが山積している。ただ、これまでのような行政職員感覚ではなく、住民感覚で見て行くことが大切である。もちろん現在の自分の仕事と無関係のテーマでは取り組みにくいが、つながりをつくるのはそう難しい話ではないはずだ。生活の視点で考えれば多くの場合、どこかでつながっている。もしつながりが見つからなければ、関係する部署に配属になるまでじっくりと構想を育て、準備を進めておけばいい。

○第2条:仲間を広げていこう
 やりたいことが見つかったら、それを決して自分ひとりでやろうなどとは思わないことだ。一人でやれることは限界がある。行政だけでやろうと思う必要もない。問題が本物であれば、必ず解決したいと思っている住民がいる。あるいは関係部署の職員がいるかもしれない。そうした人たちとのつながりをつくっていくことが大切である。
 住民を巻き込もうという発想も捨てなければならない。そうではなくて、みんなで事業を育てていこうというコモンズ発想を大切にするのがいい。むしろ自らの弱みを見せながら、一緒に考える仲間を広げていくことが望ましい。地域にはNPOもあれば、会社や行政を辞めた定年退職者の知恵もたくさんあるはずだ。動きたがっている人も決して少なくない。
 北九州市小倉北区役所のまちづくり推進課の高橋典子さんと森本康成さんは、地域のNPO同士の交流の場をつくろうと、昨年トークライブを開催した。定員を超える240人の人たちが集まった。そこからさまざまな動きが生まれてきた。参加者がそれぞれにまちづくりに向けてのまちづくりサロンを始めたり、メーリングリストで情報交換したりしだしたのである。トークライブがきっかけで、それまではばらばらだった活動がつながりだしたのである。それを契機に、2人は街中にどんどん出始めた。そこで街中にはたくさんの事業シーズがあることに気づいてきた。まだ大きな事業には結実していないが、こうした中から、新しい事業が育っていくのである。

○第3条:どんどん情報発信していこう
 新しい事業を起こす際に大切なことは共感者や理解者を増やしていくことである。そのためには、マスコミを活用するのが効果的である。
 全国マイケアプラン・ネットワークというNPOがある。代表の島村八重子さんは、親の介護体験からケアプランは自分(家族)で立てるほうがいいものができると考え、ケアプランを自分たちでつくる運動を起こしたのだが、そのきっかけは新聞への投書だった。反響は大きく、それがきっかけとなって、活動が本格化した。
 新しい活動に取り組む事業型NPOの場合、社会的な認知をどう獲得するかは重要な課題である。マスコミはそうした点では大きな影響力を持っている。マスコミとの良好な関係を構築していくことは、これからのアントレプレナーの重要なテーマである。イベントやネットの活用も効果的である。ともかく積極的に情報発信していくことが大切である。
 しかし、そうした場合に重要なのは、情報発信して行くための内容である。しっかりしたビジョンと共感を得られる具体的な活動計画がないと逆効果にもなりかねない。

○第4条:住民たちを主役にしよう
 地域にとっての最大の資源は住民だが、自治体職員がアントレプレナーになる上での最良のパートナーもまた、住民である。地域に立脚した起業では、住民との関係をどう構築するかでほとんど成否は決まってくる。現場の主役である住民たちがどんどん意見を出し合う場ができれば、事業は育っていく。住民をお客様にしてはいけない。
 各地のTMO(まちづくり会社)が成功していないのは、住民が脇役に置かれ、共創関係が成立していないからである。
兵庫県朝来町の有限会社朝来農産物加工所は平均年齢74歳の女性たちによる手づくり味噌会社だが、メンバーは仕事を楽しみながら、しっかりと利益をあげている。その気になれば、だれでも起業できることを示してくれている。フランスからの取材を受けるほど有名になっているが、行政の支援は当初の債務保証だけだった。
 茨城県の美野里町では、住民が中心になった都市計画マスタープランづくりに取り組んでいるが、住民たちの話し合いの場づくりに心がけてきた結果、そこから里山づくりの活動や河川浄化の活動が住民たち主導で始まり、計画が完成しないうちから実践活動が始まってしまった。行政が考えていたサイクリングロード整備も、そうした議論の中から住民主役で整備する動きがでてきて、行政としては材料費だけの負担で実現できそうな状況になってきている。
 同じ美野里町では、住民が中心になった文化センターづくりを実現したが、その中から住民劇団が誕生したり、住民向けの情報紙が生まれたり、さまざまな活動が育ってきている。その事務局を担当した中村均さんと中本正樹さんは、その経験から、さらに住民と一緒になって新しい事業企画を構想し始めている。
 動き出せば、そしてそれが楽しいイメージを与えるものであれば、仲間はどんどん増えて行くものである。

○第5条:集まってきた資源を効果的に組み合わせよう
 アントレプレナーは、すべてを自分でやる必要はない。むしろ大切なのは、さまざまな経営資源や多彩なメンバーを目的実現に向けて編集していくことである。そのためには、経営資源や適切な情報の所在をできるだけ幅広く把握しておくことが必要である。地域資源の発掘や棚卸は、各地でさまざまな形で行われているが、まだまだ行政視点での把握にとどまりがちである。
 行政内部の情報や資源だけでは、いい事業は組み立てられない。編集能力を高めるためにも、編集材料を豊かなものにするためにも、アントレプレナーは自らの行動範囲を広げておくことが大切である。役場の内部だけにいては、編集力は高まらない。これからの自治体職員は企業やNPOの世界とも積極的に関わっていくことが必要である。
     
○第6条:資金集めもアントレプレナーの仕事

 起業資金を調達するのもアントレプレナーの重要な仕事である。資金調達といっても、行政予算をとることだけではない。それも必要だが、もっと大切なのは外部から資金調達することである。自らの活動で資金を確保する方法もあるし、計画を公開して出資を募ることも考えられる。企画された事業の社会性や収益性が評価されなければ資金調達は難しいことはいうまでもない。
 しかも、資金調達は起業時だけではなく、事業継続のためにはキャッシュフローとしての資金繰りも管理しなければならない。これまでの行政の事業管理姿勢とは全く違った取り組みが求められる。
 資金調達に関しては、ささやかな事例だがこんなケースもある。前述の美野里町での住民主体の文化センターづくりのプロジェクトを本にして出版しようということになったのだが、予算がない。そこで担当者は住民に原稿を書いてもらうと共に、出版のための費用も負担してもらうことにして、参加を呼びかけた。その結果、70人を超す出資者(参加者)が集まった。自費出版ではなく、商業出版できるように地元の茨城新聞社に働きかけるとともに、寄付も含めて、なんとか出版が可能になった。正式の出版物になったおかげで、文化センターのオープン式典の記念品として町が購入してくれたのと、参加者がみんなで売り歩いたおかげで、結果的にはなんと50万円の利益がでる結果となった。その資金でまた新しい活動に取り組みだしている。
 規模は小さいが、考え方としては示唆に富んでいる。これをプロデュースしたのが、前述の中本正樹さんである。
 その気になれば、資金の調達方法はいろいろ考えられるはずである。

○第7条:自分たちの地域をどうしていくかのビジョンを持とう
 アントレプレナーとして一番重要なことは、取り組む事業のミッションを明確にすることである。特に地域社会との関係でいえば、自分たちの地域に対するビジョンに向けて、その事業で何を実現するかである。そのためには地域社会のビジョンをしっかりと持っておかねばばらない。
 ビジョンは地域によって変わってくるが、経済的にも文化的にも自立し、主体的に存続していける持続可能な地域社会の実現につながるものでなければならない。そこさえしっかりおさえておけば、かつてのリゾート開発ブーム時のような浮ついた事業ではなく、しっかりと地域に立脚した事業になっていくはずだ。

 アントレプレナーというと自分には無縁の話と思うかもしれないが、ここに書かれた7か条であれば、そう難しいことではないと思っていただけるだろう。その気になれば、誰でもがアントレプレナーになれるのである。

■ソーシャル・キャピタル

 ソーシャル・キャピタル(社会資本)の捉え方が変わりだしてきた。これまで「社会資本」といえば、公共投資や公共施設を意味していたが、昨今の「ソーシャル・キャピタル」は「人のつながり」「信頼関係」を意味している。社会にとっての一番重要なものが変わりだしているのだ。これからの公共投資は、施設整備ではなく、人のつながりを育てる活動に向けられていくだろう。
 事業起こしに関しても、人のつながりが鍵になってきている。かつてのアントレプレナーは資金と技術が基本だったが、これからのアントレプレナーの最大の資源は、人のつながりである。そして、また事業起こしとは、人のつながりを育てることでもある。
 アントレプレナーは、そういう意味で、これからのソーシャル・キャピタルの活かし手であり、育て手でもある。
 時代は大きく変わろうとしている。視点と発想を切り替えて、自らが納得できる事業起こしに挑戦していただきたい。それを可能にする環境は整っている。

後は一歩踏み出すだけである。

佐藤 修
(株式会社コンセプトワークショップ代表)
2004年1月