「あなたのためのディナー」の日(佐藤節子)

 「今日は、おばあちゃんの日なのか.野菜ばかりで、がっかりだなあ」
 食卓を見るなり、下の娘(内科理がとても好きで、やや肥満ぎみ)が大きな声で、ぼやきます.構から上の娘が、口をはさみます。
 「我慢、我慢、野菜は肥満対策にもいいんだから」

 毎月18日の夕食は、いつもこんなようにして始まります.この日のメニューは、同居しているおばあちゃんの嗜好に合わせた料理が食卓を占めることになっているのです。
 同様にして、8日はおじいちゃんの日、30日は夫の日などと、毎月−回、家族一人一人のそれぞれの日があるのです。そして、その日は、その人の好きなメニューが夕食に並ぶのです。
 もちろん、私の日もあります.その日は、家族のことは100パーセント無視して、私の好物を徹底的に並べます。もちろん、食卓は花で飾ります。私の日が最も豪華だとみんなはひがみますが、そんな声は全く聞き流すこと心しています。
 我が家は、三世代家族です。三世代家族には、それなりのよさがあるのですが、家族の生活のパターンや好みに大きな幅があるので、大変なことも少なくありません。特に、食事作りには苦労します。
 入れ歯の多い両親は、かたいものは食べられませんし、内科理もあまり好みません。一方娘たちは、肉は大好きですが、魚や野菜には箸が進まないようです。イタリア風の料理は、子どもは大喜びしますが、お年寄りたちは敬遠ぎみ。そればかりではありません。私たちは途中から同居したこともあって、味つけが全く違うのです。私や娘たちは淡泊な味を好みますが、両親は濃い味つけを望みます。
 このように食の嗜好が違うため、一方に合わせれば一方が駄目。かといってその中間をとれば両者から不満が出ます。料理作り担当の私としては、たいへん苦しいところです。家族のために心をこめた料理を作ってあげようと思っても、なかなか思うようにいかないのが現実です。
 同居して既に6年過ぎましたが、その間、少しずつお互いに歩み寄っているとはいうものの、長年別々の環境で過ごしてきた食生活の違いは、そう簡単には解消しません。
 そこで考えついたのが、「○○○ディナーの日」なのです。〇〇〇には家族の一人の名前が入ります。始めてからそろそろ半年になります。冒頭に述べたように、娘たちからの苦情もないわけではありませんが、それはむしろ一種の冷やかしであり、みんなけっこう満足しているのが実態です。

 我が家では、それ以前から家族の誕生日には、その人の好きな献立にするようにしていました。実は、「○○○ディナーの日」は、年一回の誕生パーティを、毎月行なうようにしただけなのです.つまり、誕生日を毎月やるわけです。18日が「おばあちゃんの日」になったのは、5月18日がおばあちゃんの寵生日だからなのです。
 我が家は六人家族なので、毎月6回「○○○ディナーの日」があるわけです。
 その日は、該当する人の好物を中心に料理を作ります。何を食べたいかをきいて、できるだけそれに合わせた献立を用意します。味つけはもちろん、その人に合わせます。デザートがついたり、飲み物がついたりすることもあります(時々、デザートや飲み物のほうを中心にしてほしいというふらち者もいます)。要するに、その人のオーダーに合わせた、カスタム版ディナーなのです。調味料も違えば、ご飯の水加減も変わります。
 前に、家族のために心をこめた食事作りをするといいましたが、家族それぞれは当然、多様な嗜好を持っているために、実際には、どう心をこめていいのかわからなく、単なる精神論に終わっていたのですが、特定の人に合わせて夕食作りをするとなると、心をこめるというのが、現実的かつ具体的な問題になります。しかも、その人だけではなく、その他の家族に向けても、一人一人にちょっとした工夫をこめた目配りをすることによって、家族全員に心をこめた食事作りができるようになりました。
 食事作りだけではありません。テーブルも、その人向けに調えられます。食器も、数少ない我が家の在庫をフルに活用して雰囲気づくりの一助としています。娘にいわせると「ダサイ食器」も、おじいちゃん、おばあちゃんには、懐かしい思い出があるものです。

 さて、食事の楽しみの半分は、おしゃべりにあるといっていいでしょう。どんなに立派な料理を並べてみたところで、ただそれだけでは、決して楽しい食事にはなりません。いかに料理作りに心をこめても、それで終わってしまったら、その心づかいは決して生きてはこないのです。楽しいおしゃべり、華やいだ気分、それこそ、おそらく、食事にとっての最高の「調味料」といっていいでしょう。
「○○○ディナーの日」の食事時の会話は、もちろん、その○○○さんが中心になります。それまで我が家では、三世代家族のゆえに、つまり世代の幅が広かったために、ともすれば話題もちぐはぐになりがちだったのですが、中心が決まると、話が非常に弾むようになりました。もっとも、おじいちゃんの日には昔話が、娘たちの日には学枚の話が中心になりがちなのは、いうまでもありません。
 毎日毎日、昔話や学枚の話では、お互いにしらけてしまうのですが、月に一度という頻度は、非常にいいようです。
 もちろん、意外な話題で、食卓が盛り上がることも少なくありません。私のちょっとした仕掛けが、効果を発揮することもあります。たとえば、食事作りの中に話題性のある材料や料理法を入れ込んでおくのです。同じカレーライス(下の娘の大好物で、リクエストの多いものです)でも、パイナップル入りであったり、肉の代りに魚や貝の缶詰であったりすると、みんなが「おやっ」と思って、それから話が弾むこともあります。そうした話題づくりのためにも、新しい材料や料理法については、日ごろから関心を払っていなくてはなりません。コック長としては、(1)献立のよさはもちろん、(2)材料選び、(3)調理方法、(4)お膳の並べ方、などが腕のふるいどころなのですが、それに加えて、(5)話題提供もまた、重要なことなのではないかと思います。

 ところで、食事作りのほうですが、三世代家族ともなりますと、献立作りが難しく(あちら立てれば、こちらが立たずなのです)、それが私の最大の悩みだったのですが、特定の一人をイメージして献立を考えると、非常にスムーズに発想できるのです。余計なことを考えないでいいからでしょう。そのおかげでしょうか、この「○○○ディナーの日」を始めてからは、それ以外の日まで、献立を考えるのが楽になりました。

 心をこめた食卓づくりという点では、もう一つの日があります。「新規メニューの日」です。ともすれば、メニューのレパートリーは固定化してしまうものですが、毎月10日は今まで作ったことのない料理を作ることにしています。始めたころは、胃腸の薬を用意しておかないとね、などと憎まれ口をたたいていた娘たちも、最近では「新規メニューの日」を楽しみにするようになりました。そうなると、私も楽しくなります。家族があっと驚くような新料理作りに、ない知恵をしばっています。時には、アイディアの仕込みのために、こっそりとレストランに行くこともあり、これがまた一つの楽しみです。

 主婦にとって、毎日の食事作りは、決して楽しいことばかりではありません。しかし、いやいやながらでは、心のこもった食卓ができるはずはありません。結局、楽しみながら調理することが、心のこもった食卓につながることに気がつきました。
「○○○ディナーの日」も、「新規メニューの日」も、要するに、食事作りにちょっぴり遊びの精神を取り入れたことがよかったのではないかと思います。
 さらに、もっとおもしろいイベントを考えて、毎日の食卓に持ち込むことが、現在の私の課題です。そのうちに、毎日が「○○○の日」というようになるんじゃないだろうね、と夫は冷やかしますが、なかなかそうはいきません。それでは毎月、「赤字」ばかりになってしまいますもの・・・・。

ハウス食品〔奥様懸賞論文優秀作入選
(「ミセス」1983年11月号掲載)

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